Beautiful Charmingへ自由に惹かれて (まなぶおじさん)
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男と知り合って

 朝の訪れを肌で感じ取ったあと、絨毯の上で、俺はてきぱきと目を覚ました。記憶が正しければ、ベッドにはアズミさんが眠っているはずだ。

 

 カーテンが閉じられているせいか、自室は青く薄暗い。いつもなら真っ先に朝日を出迎えるところだが、まずはアズミさんの無事を確かめなければ。

 そっとベッドへ近づいて、おそるおそるアズミさんを覗う。

 

 ――寝息を立てながら、穏やかにアズミさんは眠っていた。

 

 アズミさんの無事を確認すると同時に、肩や背から痛みが生じる。慣れない場所で眠ったのだから、当然という他ない。

 けれど、これはこれで良い経験をした気がする。アズミさんとの、一晩だけの関係を遂行出来たことだし。

 

 ――さて。

 音を立てながら、自室のカーテンを開ける。途端に真っ白い日光が浴びせられ、目と意識が眩みそうになった。セロトニンが充填されていくのを実感する。スズメの鳴き声を聞いて、俺の口元が少しだけ釣り上がる。

 今日もいい天気だなあ。そう思いながら、俺は「朝だぞー」と鳥かごのカバーを外してやる。早速とばかりにセキセイインコことソラが「オハヨー!」と挨拶をしてくれた。年がら年中話し相手になってくれる、とても頼れる相棒だ。

 よし。

 後は顔を洗って、歯磨きをして、冷蔵庫の中にある冷凍食品を食えば、ひと段落がつく。しかも今日は日曜日というわけで、テンションも気分も心地よく安定しているのだった。

 

 しかし、俺も人並みに「敏感」だったらしい。

 

 何となく、何となくなのだが、背中から「変化」を感じた。

 数回ほど瞬きして、「ん?」と声まで出て、覚悟を決めるようにひと呼吸して、恐る恐る首だけを振り向かせて、

 

 ベッドで眠っていたはずの、アズミさんと目が合った。

 異性とお見合いになって、俺は目が離せなかった。

 インコのソラが、今日も元気よくオハヨーと挨拶をした。

 

 間。アズミさんが、すうっと息をのむ。はいた。

 

「きゃ――――――ッ!!!」

「わ―――――――ッ!!!」

「ギャ――――――ッ!!!」

 

 爽やかな朝っぱらから、三つのキンキラ声が炸裂した。

 

 

 先日まで時間を遡る。バードウォッチング(サークル活動)を終えた土曜の夜、冷蔵庫の中身を見て「飲み物が無いやんけ」とコンビニへ駆け付けたあの日。

 

 かれこれ二十一年間ほど生きてきたが、夜ほど人と出会う世界はそうないと思う。こうして買い物に出向いただけで、ジョギング中の兄ちゃんとすれ違ったし、巡回中のパトカーが俺を追い越したりもした。

 途中で小さな公園の前を通り抜けたが、そこのベンチで偶然にもカップルを発見する。街灯に照らされているものだから、キスまでよく見えてしまって――俺は大人らしく、「幸せになってね」と心の中で祈っておく。赤の他人だからこそ、こんな風に思えるのだろう。

 

 心情的大冒険を果たした後、俺は無事にコンビニへ辿り着いた。アパートから少し離れていて、不便だなあと毎回思いつつ。

 早速ながらペットボトルサイズのオレンジジュースを手に取り、ついでに小腹を満たす為の食い物を少々。ついでに雑誌コーナーへ寄ろうとしたが、カウンターのあんまんに釣られたので後日改めることにする。

 

 ありがとうございましたー。

 

 袋片手に、暗がりの中で明るく鼻歌を唄う。今日は休日で、今は夜道を歩んでいて、今現在の星空がとても綺麗で、先ほどは幸せを祈ることができて、俺は結構ハイになっていた。

 いいことをした後の一杯は、美味いだろうな――そんなことを考えながら、ふたたび公園前に差し掛かる。あのカップルはいるのかねえと、俺はベンチを注視して、

 

 女性が、ベンチの上で仰向けに横たわっていた。

 

 どうしよう。先ず、俺はそう思った。

 寝ているだけなのか、それとも「倒れて」いるのか。この距離からでは、様子がまるで覗えない。

 ペットボトルの重さなんて忘れながら、俺はベンチに、横たわる女性に、おそるおそる接近した。右腕がだらんとぶら下がっていて、「大丈夫かな」と小さく独り言。

 女性の姿かたちが、はっきりと見えてくる。着ている服装はタン色のカーディガンに白いトップス、コバルトブルーのジーパンに、黒いアンクルストラップ。けっこう、決まってると思う。

 更に歩み寄れば、当然ながら女性の顔が視界に入る。まずは赤みがかった顔が、酒の匂いが、

 

 ああ、寝そべっているのはそういうことか。

 ほっと、納得した。 

 けれど俺は、どうしても女性から目が離せなかった。

 

 だって、流れるようなミディアムヘアに目を引かれたから。実に健康的な胸元を目にして、息が止まったから。肌色に溶けたような唇が、己が眼を掴んで離さなかったから。山なりのようにうねる両足に、注目してしまうから。

 だから、今更ながらビビってしまっていた。こんな人に声をかけてもいいのかと、俺なんぞが関わっていいのかと、一秒二秒三秒四秒五秒ほど考えて、

 

「す、すみません」

 

 意を決してみた。たぶん、眼前の女性にしか聞こえなかったと思う。

 意識は――目覚めてくれたらしい。女性が「んー」と目を開けて、次の瞬間、

 

「あれー、あなただれですかー」

 

 ずいぶん酔っているのだろう。女性の目は、力なく半開きのままだった。

 ――あなたはだれですか、俺の胸がどきりとする。このままでは不審者まっしぐらだ、身の潔白を証明するしかない。

 

「あ、えと……ただの大学生」

「へー、大学生なんですかぁ……わたしとおんなじですねぇ」

 

 まだ酔っているらしく、声色が若干怪しい。顔は相変わらず真っ赤で、未だ寝そべったままだ。

 

「結構、飲みました?」

「あーうん、飲んだぁ」

「……大丈夫すか? 歩けます?」

「んー」

 

 女性の両目が、すっと閉じられていく。

 

「ここで一晩過ごそうかなぁ」

「駄目です、帰りましょう」

 

 己が手を、ハンカチでこすりつける。後はそのまま、己が手を女性めがけ伸ばした。

 

「えー、いいのぉ?」

「いいんです。女性一人で、ほっとけるわけないでしょ」

「うわあー……うれしいなあー」

「え」

 

 嬉しい、と言われて声が詰まる。目の前の女性は、柔らかく嬉しそうににへらと笑ってみせて、

 

「わたしのこと、女性って思ってくれてるんだぁー」

「あ、当たり前でしょ。どう見ても、女性ですしっ」

「いやー、私ってば女性扱いされたことがあんまりなくてねぇー」

 

 そうなの? 俺は、首をかしげる。女性は「ないんだよー」と酔いどれ声で返事をした。

 

「出会いがなくってさぁ」

 

 女性が、差し伸べた手を掴み取った。ベンチから立ち上がるまで、体重がかかった気がするが――軽かった。

 

「男とまるきり縁がなかったんですよぉー」

「そうなの?」

「そーなの。戦車道を歩んでも、女性にしかモテないのー」

 

 戦車道。その単語を耳にして、にわか以下の見識が頭の中にあふれ出てくる。

 戦車道とは、戦車という「武器」を用いた、女性のための武芸であったはずだ。扱うものが巨大であるせいか、試合内容はけっこう派手という印象がある。

 ――知っていることは、それぐらいだ。試合そのものも、最初から最後まで見届けたことはない。テレビのチャンネルを切り替えている最中に、何となく目にした程度。

 

 戦車道に関する知識は、皆無といってもいい。ただ、目の前の女性に対しての評価は、正しく口に出来る。これでも大学生だからだ。

 

「俺は……戦車道はあんま知らないけど、君はモテそうな気がする」

「なんでぇー?」

「いや、その、けっこう、美人さんだし」

 

 よく言えた、と思う。

 よく言えたぜ、と思う。

 悪くない言葉だったのだろう、女性も「ほんとにぃ?」と笑顔になってくれて、

 

「ありがとー、うれしー」

「いやいや」

「……はー……なのにどうして、みんな私から離れていくのぉ」

「え」

 

 女性が、よろりと体勢を崩しかける。間髪入れずに俺の体が動いて、腕で女性を支えてみせた。

 「異性」の感触が、体全体へ容赦なく伝わってくる。「女性」の香りを、生まれて初めて知った。

 

「と、とりあえず、帰りながら話しましょう?」

「うーん、わかったぁ」

「……帰れそうですか? 大丈夫?」

「うーん、わかんなぁいです」

 

 困ったなと、思う。かといって、放っておけるはずもない。

 見る。

 夜中に、こんな酔いどれお姉さんが一人で歩いていようものなら――断言する、ヤバい。男だからこそ、何とかしなくてはという使命感が燻り出す。

 

「あ、もしかして迷惑だったかなぁ? ごめんなさぁい、こっからは一人で、」

「待った」

 

 心の中で、こう踏ん切りをつける。

 この人とは、関わり合った。もう、赤の他人なんかじゃない。

 

「えっと、俺が家まで着いていきますから」

「え、ありがとぉ! ……一応、近くなんだけれど……」

「どこらへん?」

「西区アパートぉ」

 

 その地名を聞いた瞬間、俺の頭の中がぴこーんと光った。表情まで明るくなった。

 

「そこ、俺が住んでいる場所ですよ! いやーよかったよかった、ほっとした」

「ほんとぉ? 良かったぁ」

「ええ。……で、一応聞くんですが」

「はぁい?」

 

 今もなお、女性はほろ酔い状態だ。こうして抵抗なく俺に抱えられているのも、酒の勢いあってのものなのだろう。素面だったら、とっくの昔に離れ離れだ。

 すこし悪い言い方になってしまうが、この人の思考力は、若干ながら柔軟化しているはずだ。

 だから、ほんの少しだけ嫌な予感を胸に秘めながら、赤い顔をした女性の目を見ながら、

 

「――ドアの暗証番号は、ちゃんと覚えていますか?」

 

 西区アパートの住民ならではの質問を、投げかけてみる。俺も慣れない頃は、番号をど忘れして管理人に泣きついたことがあった。

 女性が、「あー」と右に首を傾ける。「んー」と、左に首を曲げる。それを二度三度ほど繰り返し、思い出したとばかりに「あ!」と喜色満面。

 

「8492!」

「あ、ここで言っちゃ、」

「……3333だったかな、7777?」

 

 ――果てしない、夢と希望に満ち溢れた星空へ目を向ける。

 なんてことだ。

 自分が住まう西区アパートのドアは、典型的な4ケタオートロックとメタルで構成されている。だから打撃だの何だのは無駄に終わるだろうし、深夜十一時となると管理人も眠っているはずだ。どうしたものかと思考したが、真っ先に「最終手段」を閃いてしまう。

 女性の顔を見る。程よく酔っているのか、楽しそうに微笑んでいる。

 

 女性の意識は、今現在もあやふやだ。ここで「何とかして思い出して」と言っても、正解だか不正解だかな暗証番号しか口に出来ないだろう。

 俺がうんうんと唸っていると、「どうしたんですかぁ」と、心配そうに声をかけられた。街灯に照らされた女性の顔を見て、間違いなく異性と意識してしまう。

 ひと息つく。

 覚悟を決める。

 俺は男だ。

 俺は男なんだぞ。

 だから、

 

「あの」

「はぁい?」

「――今夜は、俺の部屋で過ごしてください。その方が、絶対安全です」

 

 勢いまかせに、最終手段を口にした。

 女性が「お」と目をぱちくりさせた。

 

「いいんですかぁ? 迷惑ですよぉ」

「いいんです。あなたをほっとくわけにはいかない」

「わあ、イケメンですねぇ」

「ないない」

 

 内心、心が躍ったのは秘密だ。

 

「むしろ、その……男の部屋に連れこんでしまうから、俺の方が迷惑じゃないかなと」

「いやいや! 気にしないでくださぁい! 正直、すっごく安心してますからぁ」

 

 女性の足取りは、未だおぼつかないままだ。めちゃくちゃ飲んだらしいのか、発音も怪しい。

 異性との密着に、心臓だの血液だの脳ミソだのがどきどきする。ええいと首を振り払い、「男が女性を守る」という真っ当な義務感にどっぷりと浸かることにする。

 

「責任をもって、一晩だけ、一晩だけあなたを保護しますから。ベッドにはあなたが寝てください、俺は床で寝ます」

「いえいえそんな、私は床でもぉ」

「駄目です。……いいですね?」

「はい」

 

 しおらしく、うつむいて小さく応える。

 かわいい。

 

「さ、とりあえず帰りましょう。愚痴なら、聞きますから」

 

 女性が倒れないように、右腕で女性の肩を軽く抱く。平然としているつもりだったが、やっぱりどうしても体が強張ってしまう。

 バードウォッチングサークルにも、紅一点はいるはずなのに。そいつとも、それなりに仲は良いはずなのに。だのにどうして俺は、こんなにもビビっているのだろう。

 

「……あのぉ」

 

 声をかけられ、余計な思考を奥深く投げ捨てる。

 

「あ、はい」

 

 女性は、深々と頭を下げて、

 

「ありがとうございます!」

 

 ――お礼を、言ってくれた。

 それだけで、十分だった。

 

 

 それからというもの、俺は本当に、マジで、女性を家にまで連れて行くことにした。

 やはりというか、女性の足取りは未だに安定しない。左へ揺れたり、時には自分へ寄りかかってきたりと、正直心臓に悪かった。改めて、放っておけなくて本当に良かったと思う。

 女性の顔をちらりと見る。ウェーブがかったミディアムヘアが目に入って、恍惚とした目が「んー?」と合って、どきりとして、口元を柔らかく曲げてくれて、俺は何となく一礼して、女性もこくりと頷いてくれた。

 

「――それで、その、どうしたんです? そんなに飲んで」

「……うん」

 

 女性が、深々と鼻息をついて、

 

「みんな、私から離れていくのぉ」

「と、いうと?」

「友人が……戦車道を辞めた大学の友人がねぇ、ゴォールインしたのぉ」

「ゴールインって……もしかして?」

「そう、そのもしかしてぇ」

 

 はあああ。女性が、萎え萎えのため息をつく。

 

「他の友人に至っては、なぁーんと結婚のお知らせ! お知らせですよ旦那!」

「あー、それはそれは」

 

 未だショックを受けているのだろう。女性が、この世を嘆くように「あー」と唸り声を上げていた。

 

「……でね」

「うん」

「きのう、親から電話がかかってきてねぇ、元気してるぅ? とか、食べ物足りてるぅ? とか、そんなこと聞いてきたわけ」

「いい親ですね」

「ねー、いい親だよねー」

 

 そうして、女性ががっくりと首を下ろす。希望や夢がまるで感じられない、灰色の気質が伝わってきた。

 

「……『いい人出来た?』って、聞いてくれるしね」

「うんうん」

 

 俺は気安く、ぽんぽんと女性の肩を軽く叩く。女性は「うう」と悲しみの声を漏らした。

 

「だからさぁ、今日はちきしょー飲むぞーって誓ったワケ。いつもなら友人たちと飲み明かすんだけれど……あいにく、友人たちは用事があって、ソロで飲むことにしましたー」

「それで、余計にハメを外しちゃったのね」

「そーそーなんですぅー」

 

 気持ちは分かる、俺は頷いた。

 皆で飲み食いするメシは、確かに美味い。おそらくは気分が良いからなのだろう、何を食っても最高級の味が舌にしたたり落ちてくるのだ。

 しかし、一人飯の味もなかなか捨て難いものがある。単独だからこそ味覚に集中できるし、何処に寄って何を食うのも自分次第、という気楽さもある。良くも悪くも一人きりであるから、あちらこちらへ出向いて「おかわり」をするのも全然アリだ。

 ――それが居酒屋ともなれば、一人きりとくれば、「今日はじゃんじゃん飲むぞ!」となるに決まっていた。

 酒が飲めれば、俺もそんな風に生きてきただろう。

 

「あーあー……私は一生、このままなんですかねぇ」

「そうかなぁ。出会いなんて分からないから、きっといいことありますって」

「いやー、だといいねー」

「そうそう」

「……もしかしたら、この出会いをきっかけに……なんて?」

 

 女性は、何気なく言ったに過ぎないのだろう。

 けれど俺の顔は、意識が真っ赤になっていく。

 

「い、いやいや。俺とは一晩限りの関係ですからっ」

「えー? そうかなー、そういうものかなー」

「……たぶん」

 

 「そういうものです」と、断言は出来なかった。

 俺は鳥が好きだ、バードウォッチャーだ、インコが親友だ。かといって女性に興味がないわけではない、宝石のような女性を目にすれば鼻だって伸びる。女性が酔っていなければ、おそらくは「なにその顔」とか言われるに決まっていた。

 

「まあ、あれです」

「ん?」

 

 印象に、残りたかったのだと思う。カッコつけたかった、のだと思う。

 だから俺は、女性の方をちらりと見て――こっ恥ずかしさをごまかすように、西区アパートの方を見つめながら、

 

「あなたには、きっといい出会いがありますよ。俺の言葉を信じてくれる、とても良い人だから」

 

 後に引きずる結果なんて、今は知ったことではなかった。誰も居ない夜道の中で、俺は言いたい事だけを口にした。

 ――嬉しかったのだ。「異性」から、「ありがとうございます」と受け入れられたのが。だから、この人こそ幸せになって欲しいと思えたのだ。

 一瞬だけ「俺が幸せにするぜ」と思ったが、さすがに昨日今日、ガツガツしすぎ、交際という一生の責任を思い付きで決めてはいけない――そうやって、生の感情を制した。

 

 間、

 

「ね、ね」

「はい?」

「あなた、名前は? わたし、アズミ」

「え!? お、俺は……白岩」

 

 俺の名前を聞けたからだろうか。アズミという女性が、顔を赤らめながらにっこりと笑って、

 

「ありがとぉ、白岩君。いつか、恩返しするからねぇ」

「え!? い、いやいいですよ別にそんな」

「いいからいいからぁ。戦車道っていうのは、礼儀がいちばんっ、ですからっ」

「うーん」

 

 パワフルに言われたものだから、反論のはの字も出てこない。受け入れるように、唸ることしか出来ない。

 戦車道のことはよく知らないが、戦車道履修者「らしさ」はよく伝わってくる。格好はかなり女性的だが、言動や態度、礼に関しての姿勢がとても生真面目なのだ。

 

 アズミさんはこの通りほろ酔いしているが、俺の言葉はよく聞いてくれるし、遠慮というものも決して忘れてはいない。更には、無茶振りともいえる俺の提案に対して、アズミさんはきっぱりとお礼を口にしてくれた。

 俺だって、いっぱしの男だ。「異性」からこうも快く受け入れられては、シンプルに「っしゃあ!」と喜ぶほかない。

 

 ――そんな人物から、「恩返しをする」なんて言われたら、そりゃあ当然、

 

「ありがとうございます。まあ、返せる時にどうぞ」

 

 なるべく強制力を伴わないように、あやふやな物言いをした。

 また、出会えるかどうかも分からないから。何より、アズミさんには気負って欲しくはなかったから。

 なのに、

 

「うん。絶対に返すからねぇ、白岩くんっ」

 

 ほんとうに嬉しそうな顔をして、俺のことだけを見つめてくれるのだ。

 ひと息つく、眼前の西区アパートに視線を向ける。

 ただ自室へ戻っていくだけなのに、一歩一歩踏みしめるごとに緊張感が沸いてくる。アズミさんの肩をぎゅっと握って、俺は「絶対に、この人を守る」と心から誓う。

 西区アパートは五階層で構成されていて、自分の部屋は三階にある。ルームナンバーは333、実に縁起が良い。

 

 そろそろ秋が近づいてきているからだろうか、虫の音があまり聞こえなくなった。心なしか肌寒くなってきて、半袖の限界を感じ取る。すっと鼻で息をしてみれば、酒と香水の香りがよく伝わってきた。

 もう一度、アズミさんの顔を見る。聡いらしいアズミさんが、すぐにでも自分の視線に気づいて、

 

「よろしく、お願いします」

 

 アズミさんは確かに酔っているはずなのに。

 きっぱりと、言った。

 

 アズミさんを支えながら、俺の部屋までゆっくりと足を進めていく。この時のアズミさんは、俺に身を寄せてくれていた。

 

 ↓

 

 ――記憶の限りを尽くして、俺は先日の流れを語り終えた。一晩が経過したからこそ、よくも冷静に口を動かせたのだと思う。

 俺とアズミさんは、部屋の一角で正座をし合い、見つめあっていた。こうして俺が長々と話している間でも、アズミさんはずっと「うん」とか「なるほど」とか「しまったなあ」とか、小さく反応し続けてくれていた。やっぱり、生真面目な人なんだなあと思う。

 ――さて、

 

「だからまあ、その、アズミさんはここにいるわけで」

「把握しました」

 

 自室が、ずいぶんと狭く感じる。こんな空間の中で、俺はアズミさんと一晩を過ごしたのか。

 意識したくないのに、遅れてやってきた思春期が俺のことをむんずと掴み取る。お前は、異性を部屋の中に――

 頭を振り払う、アズミさんが「ん?」と反応する。互いに納得した事柄であるはずなのに、今更になって恥だの罪悪感だの事の重大さだの何だのが襲い掛かってきて、それを背負いきれそうにもなくて、

 

「マジですいませんでしたッ! 男の部屋に連れ出して!」

 

 俺は、土下座した。

 

「いえ! こちらこそ、本当にご迷惑をおかけしましたッ!」

 

 ちらりと目を向けてみれば、アズミさんも土下座していた。

 俺はそのまま「アズミさんは何も悪くない!」と言い張って、アズミさんも土下座を維持しながら「顔を上げてください! あなたは何も悪くはありません!」と主張する。やばいどうしようこんな経験初めてだと狼狽するが、解決の糸口なんて、

 

「ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」

 

 コミカルな声が、部屋全体に反響した。

 俺が、アズミが、鳥かごに注目する。インコのソラが、頭をへこへこと下げていた。

 ――俺は、思わず笑ってしまった。アズミさんも、「か、かわいい」とこぼしてくれた。

 

「こ、この子は?」

「ソラ、俺の話し相手ですよ」

「へえ……かわいいね」

 

 目には見えない空気が、緩和するのを実感する。サンキューソラ。

 

「……その、ごめ……ううん、ありがとう」

「いや。信じてくれて、俺の方からも、その、ありがとう」

「アリガトー!」

 

 ソラのお喋りとともに、俺もアズミさんも笑ってしまう。先ほどまでの強張った空気は、日光の中に消え失せてしまったらしい。

 

「あ、そだ。朝飯食う? ……買い置きの野菜パックと、冷凍食品だけど」

「あ、いいの?」

「いいよいいよ。いやー、料理できない男はこれだから」

「ううん、私もこんな感じだから」

 

 そっか。俺は、小さく頷いてみせた。

 

 少しの間を置いて、朝飯を長方形のセンターテーブルの上に配していく。いつもの千切りキャベツに毎度のインスタント味噌汁、恒例の冷凍チャーハンが、空きっ腹を程よく刺激してくれた。

 ここまでなら、本当に「いつもの」光景だ。

 

「おいしそう! ……本当に、いいの?」

「どうぞどうぞ」

「ありがとう。では、」

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 そして、いつもじゃない朝食が始まった。テーブル一枚を挟んで、異性との朝食がはじまる。

 まずは千切りキャベツを箸で摘まみ、うんうんと味わう。程よく柔らかく、僅かに苦い食感が、早速とばかりに食欲を促してくれる。

 

「なんというか」

「うん?」

「ごめんね、ホント。出会いとかそういう愚痴って、一番めんどくさいっしょ」

「いやー、別にいいですよ。気にしないで」

「そお? ……あと君、大学生って言ってたよね? おいくつ?」

「21」

 

 アズミさんが、「お」と嬉しそうに一言。

 

「じゃ、同い年だ。……敬語は、ここまでにしない?」

「そう? 分かった、いいよ」

 

 正直、この提案はけっこう嬉しかった。喋りやすくなったというのもあるし、アズミさん――アズミとの距離感が縮まった気がしたから。

 ――それにしても。

 

「不思議だよねえ」

「なにが?」

「いやさ。アズミってこんなにも美人さんなのに、どうして出会いに恵まれないんだろうなーって」

 

 アズミがチャーハンを頬張りながら、「美人さん? そお?」と悪くないように微笑む。

 俺は、調子づいて「うんうん」と頷いた。

 

「……ホント、なんでかなぁ」

「なんでだろねえ」

「一応、月刊戦車道の広告塔をやってるんだけどなぁ」

「ほう」

 

 すかさず、充電器から携帯を引っこ抜く。慣れた手つきで「月刊戦車道」と検索して、すぐにでも今月号の表紙が引っかかって、目の前で千切りキャベツを食べている女性が、ウインクばっちりで出迎えてくれた。

 

「可愛くキメてるじゃん」

「そーお?」

「何処で売ってんの、これ」

「本屋ならどこでも、コンビニにもあるよ」

「よし買う」

「やったー」

 

 決まった。今月号は、何が何でも発掘してみせる。

 携帯の電源を切って、ポケットにしまい込む。再び箸を握りしめて、チャーハンに手をかける。 

 

「で、なしてアズミが広告塔なん?」

 

 俺の質問に対し、アズミが「それがさー」とこっ恥ずかしそうに笑う。

 

「私ってばたまたま容姿が良かったらしくて、編集者から直々にスカウトされたのよ。まあ断る理由もないし、正直嬉しかったから、あっさり引き受けたんだけどね」

「あー、納得。俺が編集者だったら、間違いなくアズミを選ぶ」

 

 アズミが「馬鹿言わないでよー」とへらへら笑う。確かに軽率さを口走ったが、冗談を漏らした覚えはないのだった。

 

「それで、広告塔っていうけれど、具体的には何を?」

「『戦車道履修者の魅力に迫る』とか『戦車道履修者のコーデ特集』とか。お陰様でちょっとは有名人になったらしくて、同じ履修者には少しモテてますー」

「へえ……アイドルみたい」

「いやいや、単なる広告塔よ、広告塔」

 

 アズミが気楽そうに笑って、

 

「日本戦車道はさ、今年から世界大会に向けて羽ばたこうとしているのよ」

「ほう」

「だからこそ、男女問わず興味を惹かせる必要が出てきたわけ。戦車の迫力もそうだけれど、一番なのはホラ、『顔』じゃない?」

「うむ」

 

 まったくもってその通りだと、俺は力強く頷く。

 

「ねー? だから、今の月刊戦車道って履修者の写真が多いのよ。実際可愛い子は多いと思うし、礼儀正しいとも思うけど」

「けど?」

 

 アズミが、味噌汁を口にする。そうして一杯飲み終えた後、アズミが「はー」とため息をついてみせて、

 

「……ウケているのは、ほとんど女性なのよねぇ」

「えー? なんでだろうねえ」

「さあ……女所帯だからじゃないかなぁ。戦車道って、女性だけの世界だからさぁ」

「ふーむ。顔良し、礼儀正しいのに、出会いがないなんておかしい……」

「だよねー……あ」

 

 名案が思い浮かんだとばかりに、アズミの目と口が丸く開かれる。俺は何となく「あ、やばそう」と察して、

 

「男の君に、是非とも問いたい。何故だと思う?」

 

 やばかった。

 けれど、断る理由も無かった。アズミという「異性」を前にして、建設的な意見が言いたくなってきた。

 戦車道に関する知識は、ほぼゼロだ。となると、アズミからもたらされた情報のみで推測するしかない。戦車道とは女所帯であって、男が入り込める余地なんてこれっぽっちもなくて、戦車道履修者は――アズミの、期待するような目――礼儀正しくて、義理堅い。

 これらの情報を総括すると、

 

「まあ、俺は戦車道についてはよく知らないから、適当に言っちゃうけど」

「うん」

 

 チャーハンを一口飲み込み、

 

「戦車道ってさ、武芸、なんだよね? やっぱり生真面目な感じ?」

「そうねえ。礼に始まり、礼に終わるから」

 

 アズミが、味噌汁を飲む。

 

「きっと、それじゃないかな」

「え?」

「女性だけの、真面目な世界と認識されているからこそ、男は『迂闊に近づかないようにしよう』と思っちゃうんじゃないかな。こー、女子大を見るような感じ?」

「そう?」

「そうそう。大多数の男ってばモテたいからさ、『女性に嫌われそうなこと』はしない。カッコつけだから、悪評とかには敏感だしさ」

「なるほど」

 

 ソラが、エサである豆をガツガツ食っている。よく話し相手になってくれる為、いつだって飯の種は奮発しているつもりだ。

 

「あと、戦車道って武芸なんだよね。となると、履修者ってけっこう逞しい感じ?」

「そうね。試合となると、轟音とか衝撃に堪えなくちゃいけないから。だから、必然的に気が強くなっちゃうかな」

「となると、男どもは戦車道履修者と見比べちゃうか」

 

 アズミが、きょとんとした顔で「比べる?」と聞いてくる。俺は、チャーハンを完食しつつ、

 

「男ってのは面倒くさい生き物でさ、良くも悪くも『強さ』を見ちゃうのよ。身体的能力、地位、金、容姿……まあ、そういうの」

「うーん。そう、比べっこなんかしなくても良いんじゃないかなぁ」

「いやー、そうもいかないんですわ。男ってのは、メンドイ生き物だから」

 

 鳥かごから、じゃらじゃらと豆が弄ばれる音がする。

 

「戦車道履修者は、強くて真面目で可憐らしいじゃない」

 

 正確に言えば「らしい」ではない、「だ」だ。その証拠は、俺の目の前にいる。

 

「だからこそ、それに比べて自分は……とか考えちゃうんじゃないかなぁ。俺も、そんな風に考えてるフシがあるし」

「ふむ……なるほど、そういうものなのね」

「うんそうそう。男ってば『俺がこの人を護るぜ!』みたいな願望があるからさ、だから強くて可愛い女性を見ると『かなわないな』とか思っちゃうのよ。それにプラスして、女性だけの戦車道っていうのもハードルを高くしている……かも?」

「へえ……なんだろう、くすぐったいな」

 

 アズミが、苦笑しながらもチャーハンを食べ終える。窓の向こう側から、スズメの鳴き声が伝わってきた。

 

「あー、あと、アズミ個人の問題もある、かも。問題というか、利点?」

「え? わたし?」

 

 どうしよう、これ言っちゃっていいんだろうか。気まずそうに、恥ずかしそうに、俺はううんと唸り始める。

 対してアズミは、「何なに? 教えて欲しいな」と目をきらきらさせてくる。一度口にしてしまった手前、喋るしかない。

 

「あのね」

「うん」

「アズミはさ、月刊戦車道の広告塔を務めているんだよね?」

「うん、まあ」

「理由は?」

「成績が割かし良いのと、あとはやっぱり……まあ、容姿、でしょうね。うまく着飾れば、みんなキレイになれるとは思うけど」

 

 やっぱりかと、男の俺は思った。戦車道という先入観がなければ、アズミは間違いなく「遠目から」モテる逸材であろうから。

 ――そんな人を前にしているからこそ、しょげているアズミを何とかしたくなった。俺だって男なのだ。

 ちらりと、ソラの方を見る。ソラは、餌を食うのに必死で目も合わせてくれない。

 覚悟を決めるように、小さく鼻息をついた。

 

「アズミはさ」

「うん?」

 

 アズミの顔を見る。うむ。

 アズミの体つきを覗う。パーフェクト。

 アズミのこれまでを回想する。イイ性格。

 

 それ故に、

 

「格好良すぎるから、男が近づけないんだと思う」

 

 間。

 

「へ、へええ!?」

「うわあびっくりした。……でもまあ、嘘は言ってないよ」

「そ、そうなの?」

「そうなの。――アズミはさ、麗しい女性たちの中から、広告塔として選ばれたんだよね? それってつまり、誰よりも綺麗で逞しいっていう解釈が通ると思う」

「そ、そんなことないと思いますけどっ。この前は、高校生に負けちゃったし」

 

 高校生と、試合をすることもあるのか。それで勝ち負けがバラつくあたり、戦車道とは奥が深いんだなと思う。

 

「一度の負けなんて誰にでもあるよ。敗北したところで、アズミの魅力が損なわれることはない」

「隊長の方が魅力的で強いんですけどっ」

 

 俺はあえて、「いやいや」と反論した。

 なぜだろう。

 

「もうね、アイドルなんだよね、アズミは。顔は整ってるし、ファッションセンスもグンパツだし、性格も礼儀正しい。しかも、戦車道という武芸の中でイカした成績持ち。これじゃあ、そんじょそこらの男どもなんて近づけるはずがないよ。俺なんかじゃ敵わないって、『自覚して』逃げ帰っちゃう」

 

 よくも言えたものだと思う。我ながらクサメタル丸出しの主張だったが、本心本音なんて大体こんなものだと自らフォローしておく。

 肝心のアズミだが、酔ったように顔が真っ赤っかだ。「えと」とか「あの」とか「そうなんだ」とか、そういう風にしか呟けていない。

 ――だから、

 

「あ、水飲みます?」

「あ、これはどうも」

 

 一旦立ち上がり、二人分のコップを用意する。キッチンから水を引き出して数秒後に、さっとコップを前に出す。

 中身が満たされたのを確認して、「はい」とテーブルの上にコップを置いた。

 

「ありがとう。……うまい」

「うまいね」

「ウマイ!」

 

 ソラも同意してくれたらしい。

 

「あ、アイドル……は言い過ぎかもしれないけど。でも、服を褒めてくれたことは嬉しいな」

「そうかい? よかった」

 

 アズミが「うん」と小さく頷いて、

 

「この服はね、Beautiful Charmingっていうアパレルメーカーが作ったものなの」

「あ、知ってる知ってる」

 

 Beautiful Charming社、通称「BC社」は、今も昔もときめいているアパレルメーカーだ。老若男女問わず、「格好良さ」を追求したファッションを開発しているということで、非常に安定した人気を誇っている。少しテレビをつければCMが、少し街を歩けば広告が覗える程に。

 俺もBCの服は格好良いと思っているし、着てみたいという願望もある。だのに行動に移せないのは――ずばり、値段だ。高いんだ。

 

「そのBC社って、BC自由学園のOG達が設立した会社なの。あそこってば、もともと服装関係には力を入れているから」

「ほう……」

 

 俺は見逃さない。アズミがとても明るく、熱っぽく語っているのを。

 ――もしかしてこの人、

 

「で、私もそこの卒業生でね。だからこそ、BC社を贔屓しているっていうか」

「あー、わかるわかる。母校って忘れらないよね、思い出がぎっしり詰まっちゃうから」

 

 だろうな、と思った。アズミのファッションセンスは、そのBC自由学園で培われていったものなのかもしれない。

 アズミが、愛着たっぷりの目で、己が服の袖を眺め始める。本当に真面目なんだなと、ぼんやりと思っていると、

 

「だから、その。服のことを褒めてくれて……ありがと」

 

 アズミが恥ずかしそうに、けれどもにっこりと笑ってくれた。俺を見てくれながら。

 つばを飲み込む、心臓が死にそうになる。

 言え、気の利いたことを言え。

 

「お礼なんてそんな。アズミと会えて、俺の方が礼を言いたいのに」

「へっ!?」

 

 気をぶち込み過ぎた。

 言ってしまった後悔を抱えながら、水を飲んで脳味噌を冷却させてやる。

 

「ああいや何でもない! ……と、とにかく、アズミはさ、その、あらゆる意味でパーフェクトだからさ。良い意味で、男が寄り付けないだけなんだと思う。劣ってる、なんてことは決してない」

 

 ようやく、ましなことを言えた。

 けれどもアズミは、控えめに「そうなんだ」と言って、音も立てずに水をちびちび飲み干していく。その上目遣いは、俺からけして外れようとはしない。

 ワンルームマンションという密室に対して、俺は危うく意識してしまう。この嬉し恥ずかしい空気に対して、俺は大真面目に受け止めてしまう。二人きりの世界と直面して、俺が蒸発しそうになる。

 ――思う。

 アズミ以外の女性と二人きりになった時、同じようにああだこうだと感情的になるのだろうか。アズミ以外の笑顔を見て、欲張りな独占欲が沸いてくるのかも分からない。俺はひょっとしたら、いつの間にか、

 

「アズミ!」

 

 甲高い声に、俺の意識がはたき起こされる。アズミもひどく驚いたのか、「ひゃい!?」と体をびくりとさせた。

 互いに目と目が合って、まばたきを数回繰り返して数秒後、俺とアズミは鳥かごに注目した。餌を食い終えたらしいソラが、俺達をのんびりと見下ろしている。

 

「キレイ! カッコイイ! パーフェクト! ケッシテナイ!」

 

 アズミが「え」と戸惑うが、俺はすぐにでも解読出来た。五年も付き合っていると、オウム返しだろうが自動的に解釈されるものだ。

 俺はまず、「えっとね」と前置きして、

 

「あいつもね、『アズミは綺麗で格好良いから、パーフェクトだから、劣ってなんてない』って主張してる」

「そ、そうなの?」

「うん。オウム返しではあるけれど、悪口とかは言わないからね。ソラも、アズミのことをそういう風に見ているみたいだ」

 

 俺の説明を聞いて、さぞ物珍しそうに「へー」とアズミが漏らす。一方ソラは、羽をばたばたと動かしながら「アズミハアイドル! アイドル!」とやかましく主張していた。

 ――それを見て、アズミがぷっと吹き出した。かくいう俺も、「すげーなあお前」とソラに苦笑い。慣れない空気が、払拭されていくのを感じた。

 

「……そっか」

 

 アズミが、安心するように笑う。

 

「プラスに考えてみて、いいのかな」

「うん。戦車道履修者は、アズミは何も悪くはない。履修者たちも、普通に出会いを求めているって認知させられれば、男どもは決してほっとかないと思う」

「へえ……それって、あなたも?」

「俺も。真面目な女性っていうだけで、ガンガン惹かれるね」

「そっかー。じゃあ、あなたの交際相手は絶対に履修者ね。懸け橋決まりっ」

「うわーやべー、責任重大じゃん。逃げてー」

「大丈夫大丈夫。アイドルでグンパツな私と、こーんなにもべらべら会話できたんだから」

 

 アズミが、気軽そうに微笑する。俺も、たははと力なく笑ってみせる。

 アズミの緊張感が解けたのか、味噌汁を飲み終えて「ふう」のひと息。

 

「うん、白岩の主張をアテにしてみる」

「サンキュ」

「今度インタビューされた時は、うまいこと言ってみるわね」

「分かった。俺の主張云々はフリー素材だから、いくらでもパクっていいよ」

「えー、それはどうかなー」

 

 アズミが上機嫌そうな顔をしながら、千切りキャベツを頬張る。

 

「白岩」

「ん?」

 

 俺も、千切りキャベツを口に入れる。機嫌が良いからだろう、苦味がずいぶんと美味く感じられた。

 

「何から何までありがとね。また貸しが増えちゃったかなー」

「いやいやいいからそういうの」

「そお? でも、朝食まで出してもらったしなー」

 

 恩義に関しては、アズミは決して退こうとはしない。恐らくは、戦車道の影響もあるのだろう。

 アズミが箸を動かそうとして、皿の上が空なことに気づく。後はそのまま食器の上に箸を置いて、アズミが両手合わせで「ごちそうさま」と告げた。

 間もなく「食器、洗うね?」とアズミが提案して、俺が「いや、任せて」と言う。すかさずアズミが「世話になったし」と異議を唱えるが、俺は間髪入れずに完食してごちそうさまして「いいからいいから」と食器をかっさった。対してアズミは、「もー」と苦笑してくれる。

 キッチンへ二人分の食器を持ち出して、早速とばかりに水に浸す。食べたばかりであるから、洗剤で容易に洗浄出来るだろう。

 ――貸しか、どうしようかな。

 ちらりと、アズミの方を見る。アズミはきょろきょろと男の部屋を見渡していて、ふと「ふーむ」と聞こえてきた。視線の先には学習机が、その壁には、

 

「さっきから気になってたんだけれど、」アズミはゆっくりと立ち上がって、壁を見て、「これ、鳥の写真?」

「うん、そう」

 

 壁にはコルクボードが張り付けられていて、画鋲で「戦果」の写真が何枚も刺し込まれている。なるだけ色が被らないように配置したつもりだが、女性のアズミには大ウケしたらしく、「きれー」と感想をいただいた。

 俺の感性に、グッジョブと言わざるを得ない。

 

「鳥、好きなのね。本棚にも、鳥に関する書籍が沢山あるし」

「まあね。鳥好きが興じて、いつの間にかバードウォッチャーにも目覚めた。週末になったら、サークルのメンバーとよく鳥を見に行ってるよ」

「そうなんだ。いい趣味ー……」

 

 興味津々に写真を眺めながら、アズミが「この青い鳥、綺麗ね」と言う。皿を洗いながら、俺は「オオルリだね、初めて見た時は感動した」と一言。アズミは「ほー……この赤い鳥は?」と聞いてきて、出が悪くなった洗剤に悪戦苦闘しながら「アカショウビン、かっこいいよね」と一言。アズミが「確かにかっこいい」と同意してくれた。

 

「あ、この黄色い鳥、すごく綺麗! 名前は?」

 

 どうも好みのツボにハマったらしい。俺は嬉々として、「コウライウグイス、撮るのにちと苦労した」。

 それを聞けてたいへん満足したのか、アズミが「へー、ウグイスなんだ。可愛いなあ」と、とろけるような声でコウライウグイスを拝見している。俺は心の中で、「あんたの方が可愛いよ」ときっぱり評価した。

 ――それにしても、

 

「気に入った?」

「うん。わたし、黄色が好きなんだ。高級感があって、縁起も良くて」

「おー、わかるわかる。黄色っていいよね、見てるだけで元気が出てくるカラーだし」

 

 そこでアズミが、さぞ嬉しそうに口元を曲げる。

 

「そっかそか、白岩も黄色好きか。――ちなみに、戦車のパーソナルマークも黄色」

「こだわってますなーアズミさん。かくいうソラも、目の健康の為に黄色いインコをチョイスしたんだ」

「ほほー、賢いですなー白岩さん」

「いえいえ」

 

 アズミが、歯を見せてにっかり笑う。

 ――やっぱりこの人、可愛い。

 共通点を見い出せたことに、ばかみたいに喜びの感情が沸いてきた。

 

「いい写真を見させていただきました」

「こちらこそ」

 

 皿を水で洗い流しながら、俺はこくりと頭を下げる。アズミも「うん」と小さく頷いた後で、ふと腕時計を見て、

 

「もう、こんな時間か。そろそろ帰ろうかな、長居してもあれだし」

 

 その、当たり前の一言を聞いて、俺の体温がさっと冷たくなった。

 

「昨日、そして今日も、本当にお世話になりました。――貸しは、必ずお返しします」

 

 貸し。

 その言葉を聞いて、手前勝手な名案が思い付く。自分勝手な願望を閃いてしまう。

 けれど、でも、「貸しを返して、ぜんぶ元通り」なんて心底嫌だった。これからもここからも、アズミと関わっていきたかった。

 どうして、そんな風に思うのだろう。

 未知の高まりに導かれながら、俺は、

 

「――あの」

「うん?」

 

 貸しを利用するつもりなんて、まるでなかったけれど、

 

「その、お願いがあるんだけれど」

「お、何なに? 言って言って」

 

 恩義を返せることが嬉しいのだろう。アズミが、明るく元気よく俺の事を見つめてくる。ミディアムヘアが、小さく揺れた。

 そんな顔で見つめられて、もうわやだった。

 

「……あのさ、」

 

 何でもないことを言うつもりなのに、俺の血液がよく熱くなっていく。意識全体が、緊張感に飲み込まれていく。

 アズミの顔を見て、「えと」と情けなく呟く。何故こうなってしまったのか、どんな風にアズミを見ているのか、どうしてアズミと別れたくないのか――

 ふと、ソラと目が合う。ソラはお喋りもせずに、俺のことをただただじいっと見つめているだけだった。

 

 この先は、俺次第ということか。

 改めてもう一度、アズミの顔を見る。ウェーブがかったミディアムヘアが、いつだって俺の心を掴んで離さない。程よく垂れた瞳に射抜かれて、嬉しいような緊張するような感覚。気取らない喋り方が、かえって記憶から忘れられない。天性の体つきが、俺の脳を刺激する。その上で、根は真面目で礼儀正しいというギャップつき。

 ああくそ、最高だ。

 こんなの、ホの字を覚えてしまうに決まっているじゃないか。

 

 ――認めよう、俺の感情を。ソラも言っていたじゃないか、パーフェクトだって。

 オウムのソラは、俺の言葉しか喋らない。

 

 ぐっと拳まで作って、世間体をあえて考えないまま、

 

「俺とさ、その、これからも話し相手に……友達に、なってくれないかな?」

 

 ようやく言えた。

 アズミが、「え?」と硬直する。しばらくして、「その、いいの?」と聞いてくる。

 戸惑うアズミに対して、俺は「嫌でなかったら」と応えながら、

 

「アズミとこうして話が出来て、俺はすっごく楽しかった。……まあ本音を言っちゃうと、こんなべっぴんさんと別れたくないなーっていうのが」

「うわー、男の子だねー」

 

 あえて、本音をぽろっと口にする。気楽な人間関係を築きたい時は、多少なりとも本心を口にした方が「あ、こいつそういう奴か」と接しやすくなるのだ。

 それに、アズミとは一晩「も」過ごした仲だ、嘘くさくは聞こえなかっただろう。そこはアズミも分かっているようで、目を半分閉じながらで悪く微笑んでくれた。

 

「うん、いいよいいよ。ぜひ、お友達になりましょう」

「っしゃあ」

「ふふ。……男友達を持ったのは、これが初めてだから。何か失礼があったら言ってね?」

「いやいや、俺の方こそ。――俺が初めての男友達か、やったぜ」

「やったね。……この際だから言っちゃうけど、君のことはけっこー高く評価してるんだよ」

 

 そうして、アズミが手を差し伸べてくれた。

 俺はまず、手洗いをしっかりして、布巾で手を拭って、アズミから「大袈裟ー」と笑われ、

 

「あなたは、私に対して『何もしなかった』。床にまで眠って、なんて真面目なんだろうって、思ってたんだよ」

「そう、なんだ」

 

 うん。アズミが、優しく微笑みながら、

 

「……私を助けてくれて、とっても嬉しかったんだから」

 

 アズミが、目と口をにこりと曲げる。

 俺は、笑うことしか出来なかった。内心はめちゃくちゃなくせに。

 

「これからもよろしく、アズミ」

「よろしくね、白岩」

 

 俺は堂々と、その手を握り返すことが出来た。

 

「ヨロシク! アズミ!」

「うん。ソラも、よろしくね」

 

 アズミが、鳥かごの隙間めがけて人差し指を入れる。

 その行為に対して、ソラはクチバシで軽く突っついてみせた。

 

 ↓

 

 無事平穏に仲良くなった後は、サイドテーブルを挟んで互いに腰を下ろし、ちょっとした雑談に興じることが出来た。

 まずはソラの名前について問われ、「鳥らしい、愛着が沸くような名前をつけようと思って」

 次に、通っている大学について語りあって、「同じ大学だったの! へー、なんか嬉しいな」

 お次に、バードウォッチングの魅力を聞かれ「凄く癒されるよ。沢山の鳥と、出会えるから」

 更には、アズミは戦車道についてどう思う?「止められないわ。だって、格好良いんだもの」

 

 ――そういう風にして語り合っていれば、いつの間にやら午前十時だ。先ほどまでは八時だったはずなのに、楽しい時というのは経つのが早い。

 

「――じゃあ、そろそろ帰るね」

「暗証番号は覚えてる? 忘れたら管理人に聞き出すけど」

「だいじょうぶだいじょうぶ、覚えてる覚えてる」

 

 眉をハの字に曲げ、アズミがてへへと笑う。俺は二重の意味で、よかったよかったと思考した。

 アズミが手提げ鞄を持って、「うし」と気分を一新させる。後はそのまま玄関まで歩んでいって、鉄製のドアを開けて、

 

「それじゃ、またね」

「また」

 

 俺は手をひらひらと振るって、アズミをそのまま見送っていく。後はそのままドアが閉まっていって、金属音とともに休日の一区切りがついた。

 ため息をつく。

 夢のようだった、と思う。

 胸を抑えてみて、夢じゃなかったと改める。

 深呼吸する、大きく息をはく。

 沈黙したまま、俺はそのまま振り返る。広々とした自室の中を、ずかずかと歩む。目指すは、

 

「なあ、ソラ。聞いてくれよ」

「キクー!」

 

 いつもの挨拶を交わして、

 

「あのさ、」

 

 いつもじゃない話題を、切り出そうとする。

 もう一度、自分の胸に手を当てる。間違いなく、心臓がはち切れそうに動き回っていた。

 嬉しくて興奮したことは、これまでに数回もある。恐怖と不安を抱いたことも、幾度もある。不安混じりの興奮を覚えたことも、年に数回は。

 

 ――とてつもなく不安だけれど、めちゃくちゃ興奮して、こんなにも手放したくない気持ちが芽生えたのなんて、はじめてだった。

 

 鳥かごの前で、俺は深呼吸する。冷静になろうとしても、思い浮かぶはアズミの顔ばっかり。

 俺ももう、二十一歳か。

 

「俺さ、」

 

 アズミ、失礼だけれど思わせてくれ。

 君に出会いというものがなくて、俺はほっとしているんだ。

 だって、俺は、

 

「俺さ――」

 

 

 ソラに全てを話した後、俺は、買い物へ出かけることにした。

 

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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楽しき友人達と話して

 

 目覚ましが鳴った。

 今日は平日かああ面倒くさいと思いながらも、私はさっさと着替えてとっとと歯を磨いて洗顔して髪をセットしてせっせと冷凍食品を口にしてどかっと鞄を持って外の世界へ出た。

 

 瞬間、肌を覆う暑さと、目を奪う青空と、聴覚を食うセミの鳴き声が、私のぜんぶに降りかかってきた。

 

 自室のドアを閉めて、自動ロックがかかる。静かに鼻息をついて、今日の戦車道は猛暑地獄だろうなと思考する。

 仕方がない、よくあることだ。

 そして私は、ポケットの中から携帯を引っ張り出す。先日に白岩から、「明日の月曜、一緒に大学へ行かないか? 時間はそっちに合わせる」とメールで誘われたのだ。

 もちろん、私は承諾した。賑やかな方が好きだから、誰か彼かと歩くのは全くもって構わない。だから「いつもは8時くらいに出るかな」と打って、すぐさま「了解」と返ってきた。

 

 ――とりあえずは、五階から出入口まで降りますか。

 エレベーター前に辿り着き、下降ボタンを押して、間もなくドアが左右に開いてエレベーター内に身を寄せる。

 エレベーター内特有の匂いを嗅いで、「なんだろうなーこの匂い」と少しばかり感慨に浸る。空調でも利いているのか、随分と涼しい。一生ここに住んでいたい。

 ――三階で、エレベーターが停まった。

 パネル前に佇んだまま、私は三階の住民を出迎えようとして、

 

「あ」

「あ」

 

 狭いエレベーター内で、二つほど声が重なった。

 白岩が――涼しげな服装を着こなしている白岩が、私の前に現れたのだ。

 

 ↓

 

 とりあえず気になったのは、白岩のファッションそのものだった。先日の部屋着とは違い、今日は妙に洗練されたような、そんな雰囲気を目で嗅ぎ取ったのだ。

 だから私は、「服装のセンス、いいね」と伝えた。そうしたら白岩は、喜びを隠そうともせずに「だろ? BC社の服だからな」と返答してくれたのだ。

 母校の名残を口にされて、私は思わず顔を明るくしてしまう。

 

「――へー、それ全部、BC社なんだ?」

「そうそうそうなのよ」

 

 大学まで続く、何でもない住宅地を歩んでいる最中に、私は感心深く白岩の服をチェックする。

 白岩が照れくさそうに首を傾け、嬉しそうに顔を明るくした。BCでまとめた白岩の姿に、私も共感というか、喜びというか、そういった感情が芽生えだす。

 

「白のシャンブレーシャツに紺のデニム……へえ、シンプルにまとまってるじゃない。センスあるー」

「ネットで調べた」

 

 へえー。私は、こくりと頷いて、

 

「髪もいい感じ。かっこよくセットしてくれちゃってぇ」

「もっと褒めてくれ」

 

 おちょくるように白岩が笑う、私も「いいぞー」とか「モテそー」とかなんとか言って、白岩のことを担いでやる。

 

「……っかしどうしたの? いきなりファッションに目覚めて。それとも、前からこんな調子?」

 

 白岩が「んや」と首を横に振るい、

 

「アズミの影響」

「へ、」

「なんというのかなー。アズミのファッションセンスに、こう、刺激されたんだよ」

 

 少しの間だけ、私の頭の中が鈍した。言葉すらも見失いかけたが、何とかして「へえ」とだけ。

 女性からはちょくちょくモテる私だが、異性からこうもはっきり言われると――気恥ずかしい。

 ふう、と息を吐く。

 うん、と首を捻る。

 

「いいんじゃない? なかなか才能があるわよ、あなた」

「やったー、師匠から褒められたぞー」

「うむ、これからも精進するように。――けれどその服、高かったでしょ? 何せ天下のBC社製だから」

 

 白岩が、「ああ」とシャンブレーシャツの袖を引っ張って、

 

「最近、バイト始めてさ。それでまあ、軍資金をなんとかしてる」

「ほほー。……あんた、やろうと思ったらやれる男なんだねえ、イケメンだねえ」

「マジでー?」

「マジマジ。君のような男こそ、戦車道の愛の懸け橋に必要な人材よ。これからも精進して欲しいッ」

「あいわかった」

 

 へらへらと白岩が笑う。

 懸け橋云々は、割と本気で口にした言葉だ。白岩とはまだ一日程度の付き合いしかないが、白岩は「真面目で普通に良い人」だ。それこそ、女性にベッドを譲れるような。

 だから、交際相手としては理想的であるといえる。もしも白岩と付き合いだした履修者が現れたら、その人のことを素直に祝おうと思う。「どうやって付き合った?」と聞いて、次回へのインタビューに繋げようか。

 

「――あ、そうだ、履修者といえばさ」

「うん?」

「見たよ、今月の月刊戦車道」

 

 思わず、半笑いで「げ」が漏れた。

 

「専門的なところは難しかったけれど……でも、アズミがどうして広告塔なのか、それはよくわかった」

「やめてー、そういうことを口にするのはやめてー」

「えー? 広告塔でしょ? 見られてナンボっしょ?」

 

 白岩が意地悪そうに、口元を曲げる。

 同性なら「まあね」と誇らしく思うだろうが、これが異性となると何だかこそばゆい。たぶん、「初めてこんなことを言われた」からだ。

 

「いやー、何を着せてもかっこいいですなーアズミさんは。BC社はもちろん、他の企業の服もマッチしてた」

「やだもー、そういうこと言うー」

「えー? 駄目すかぁ?」

「駄目じゃないけどねー、けど男から言われるとねー、なんかねー」

 

 白岩が「そっかそっか」と笑う、私もくつくつと苦笑してしまった。

 改めて思う。私ってば、異性に対しての免疫がまるでないなぁ。

 

「……で」

「で?」

「来月号はいつ発売すんの?」

「え、買うの?」

「当たり前じゃん」

「何処を見るの。男のあなたが」

 

 白岩は、何を迷うことなく、何でもないような顔で、アズミを指さした。

 ――何だかおかしくなって、晴れ空の下で、アズミの「えー?」が高らかに響いた。

 

「マジでぇ?」

「マジで」

「買い占めるわ、来月号」

「ふざっけんなや。ファンを切り捨てるなんて、アズミはなんて人なんでしょ」

「ほらもう、またそういうことを言う」

「ダメ?」

「ダメ」

 

 鼻息混じりに、白岩へ指をさす。思わぬ不意打ちだったらしく、彼の表情が真っ白になった。

 

「ファン以前に――友達でしょ?」

 

 住宅街を越えて、横断歩道を渡って、気づけばもう大学前だ。やはり楽しいひと時とは、こうもあっさり過ぎ去ってしまうらしい。

 ――白岩が、「ああ」と、納得するように頷く。続いて、「そうだそうだ」と肯定して、

 

「そうだったね」

「ええ」

 

 互いに頷きあいながら、私たちは、大学の敷地内へ足を踏み入れ、

 

「なあアズミ」

「うん?」

 

 白岩は、今の今までのように、上機嫌そうな顔をしながら、

 

「もしよかったらさ、一緒に昼飯でも食わねえ? いや、先客がいたら、そっち優先でいいけど」

 

 今度は、私の方が不意打ちを食らった。

 思わず自意識過剰にかかって、何気なく周囲を見渡す。同じ大学生らしい男と正面から違え、同年代らしい女性に追い抜かれ、教師らしい年配さんがベンチに腰かけ、部外者らしいおばさんがくしゃみして、アズミと白岩のことなんてまるで見てもいない。雑談がよく聞こえる、いつもの花壇が目に入る。

 異性からお誘いがかかって、「はー」とか声がもれる。先日、男に縁が無いからといって、酒をしこたま飲んでいたのがまるで嘘のよう。

 落ち着け、

 息を吸え、

 よし。

 

「いいよ」

「やった。おすすめの服とか教えてくれよ」

「しょうがないなー」

 

 その時、二羽の鳥が頭上を通り過ぎていった。私は見上げたきりそのまま、白岩は「ハクセキレイだ」と呟いた。当たり前のように。

 

「……へえ」

「うん?」

 

 白岩と目が合う。どうやら、バードウォッチャーとしての熱心さは本物であるらしい。観察眼を問われる戦車道履修者として、共感めいた気持ちを覚える。

 

「凄いわね。一瞬でわかるんだ」

「ああ、」

 

 私の関心に対して、白岩は何でもないように微笑んで、

 

「目立つ色、してるからね」

 

 へえー。

 

 敷地内を歩む途中、「それじゃ」と白岩と別れる。数分後にはパンツァージャケットに着替えて、くそ暑い中で戦車に乗り込まなければいけない。

 やだやだと思いながらも、人と人とをすれ違いながら、私は訓練場まで歩んでいく。

 

 ↓

 

 今日も島田愛里寿隊長に敗北しながらも、学ぶべきことはしっかりと学ばせてもらった。周囲曰く「もうちょっと大胆でもいいのよ?」とのことだが、やはりどうしても、副隊長という立場が積極性を鈍らせる。チームプレイ上等の戦車道にとって、船頭の減少はけっこう致命的なのだ。

 たぶん、副隊長でも何でもない立場だったら――やはり、慎重めになってしまうのだと思う。血気盛んな時期など、若さとともに過ぎ去っていってしまった。

 戦車道を歩み終え、パンツァージャケットを脱いで、シャワーを浴びて汗を洗い流して、腹の音とともに食堂へ向かい、

 

「よ」

 

 白岩が、食堂前で待ってくれていた。軽々と手で挨拶されたが、きっと、ずっと待ってくれていたに違いない。

 壁に背を預け、両腕まで組んで、食堂の中は既に人でいっぱいだったから。何より、戦車道というものは思った以上に時間がかかる。

 

「ごめんね、待たせて」

「ぜんぜん、今来たとこ」

「うわ、それ言いたかっただけでしょ?」

「バレた?」

 

 白岩が、おどけるようにくっくと笑う。そんな白岩を見て、私も不思議と機嫌が良くなっていく。

 

「ま、いいけどね。私も一度、言われてみたかったし」

「じゃあ今度から、毎回言うよ」

「パターン化はネタになるだけだから」

「難しいねえ」

「ほんとね」

 

 絶賛混雑中の食堂へ入って、「今日はどうだった?」だの「疲れた」だの「いつもは誰と?」だの「サークルの面々と」だのと話し合う。サークルの面々と聞いて、私は思わず「へえ」と頷いてしまった。

 白岩のやつ、私の為に時間を作ってくれたんだ。

 ――定食を注文して、私と白岩は、空いた席めがけ真正面に腰かける。やっとひと段落がついたという安堵からか、私は「ふぃー」と息を漏らしてしまった。

 さて。

 音と立てて、割り箸を完璧に裂く。湯気が立つ白米と、味噌汁と、漬物と、大皿に乗るザンギとキャベツを前にして、食欲がつつかれる。箸が伸びそうになるも、ここはいったん手を合わせて、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 まずは漬物から手を出す。程よい酸っぱさが、口の中をあっという間に覆っていく。

 

「いやー、戦車道の後の昼飯は格別ね」

「体力使いそうだもんねぇ」

「そうそう。頭も酷使されるから、いい感じに糖分が抜けていくのよ」

「ほー。変な話になるけれど、そういう状態になってみたいなぁ。飢える分だけ、メシが美味くなるんだろうし」

「男なら、戦闘機道をやってみたら?」

 

 白岩が天井を見上げ、「戦闘機かぁ」とぼやく。割かし本気で考えているのだろうか、それきりそのまま動かない。

 「道」を歩む者として、白岩の間を邪魔したりはしない。歩み続けるのも、歩み始めるのも、けして簡単なことではないから。

 

「――やっぱり、俺はいいかな。攻撃するのって怖いし、鳥を巻き込んじゃうかもしれないし」

「あー、なるほどね。……白岩らしい」

 

 うんと、私は頷く。

 戦闘機道をやるからには、やはりバードストライクは避けられない問題だと聞く。いかな対策を練ろうとも、空の自然的な流れには逆らえないのだ。

 

「情けないかなー」

「そんなことない。むしろ、ほんとに鳥が好きなんだなあって、感心した」

「そうかい? へっへー、嬉しいなおい」

 

 言葉通りなのだろう。白岩は上機嫌そうに破顔を漏らしながら、箸をてきぱきと動かしていく。まずはザンギを二度、三度、四度噛み砕いて、これまた嬉しそうに「うめー」と口にする。流れざまに味噌汁のお椀を掴み、一口だけすすって、熱そうに「んー」と唸るのだった。

 男って、やっぱりよく食べるなあ。そう思いながら、私は白米を味わっていって、

 

「あ、アズミじゃん。――その人は?」

 

 先ほど聞いたばかりの声が、私の横からよく伝わってきた。

 白岩が「え」と視線を変える、私も難なく声の主を覗う。

 

「ああ、メグミ、ルミ……隊長、お疲れ様です」

 

 食器のトレーを持った島田愛里寿隊長が、無言で頷く。白岩が「知り合い?」と聞いてきて、「戦車道の同僚」と私は返答した。

 ――ばったり出会うのは、計算の内だ。べつに白岩とは昼飯を食べあっているだけであって、何の間違いも犯してはいない。

 ただ、戦車道履修者というものは、女性というやつは、「こういうこと」には年がら年中興味を抱いているわけで、

 

「アズミ。このかっこいいお兄さんは?」

 

 格好良いと言われて、白岩が気恥ずかしそうに視線を逸らす。やめろメグミ。

 

「えっとね……いいかな? 紹介しても」

「いいよ」

「うん。白岩っていうの」

 

 メグミが「ほー」と無感情に唸って、

 

「どこで知り合った」

「酔っぱらってた時に介抱されて、まあ、その縁で」

「ふーん」

 

 トレーを持ったままのメグミが、戦場を覗うような目つきで白岩の事を見る。普段は男に縁が無いから、仕方がないといえばしかたがないのかもしれない。

 

「あ、ここ、座ってもいいですか?」

 

 同じくトレーを持ったルミが、空いている席めがけ指をさす。白岩は「どうぞどうぞ」と快く返事をして、

 

「邪魔なら、移動しますよ」

「いえいえそんな! アズミのご友人ですし、お構いなく」

 

 若干慌てながらも、手のひらを下に落として「座ってください」とメグミがジェスチャーする。それは伝わったようで、白岩の方も「ありがとう」と返した。

 不慣れな空気が若干拭いきれたのだろう、私の隣には隊長が、隊長の横にはメグミが、白岩とはルミが腰かける。

 皆、それぞれの定食を前にしながら、手を合わせ、佇むような声で「いただきます」と告げる。

 後は、いつもの昼食が始まるだけだ。

 

「ところでさ」

 

 メグミが白米を口にしながら、

 

「バミューダ三姉妹は閉店して、ルミとオレゴンシスターズを組もうかなって考えてる」

「なんで」

 

 メグミが「は?」と言わんばかりに目を細める。視線の先には、もちろん怯える白岩が。

 

「裏切者は絶交な」

「ああ――いいよ。それにしても、今日のメグミはちょっと不調だった気がする。割かし早くやられちゃったし」

「暑いせいかなあ。まあ、反省点よね」

 

 隊長が、めちゃくちゃ不安そうな顔で私を見ている。

 

「私も、難なくやられちゃったって感じ。これは好機と抱いた瞬間こそ、一番危ないのはわかるんだけれど……ねえ?」

「わかるわかる」

「わかってくれるか」

 

 溢れる悪意を隠さないまま、ルミの箸が私のザンギめがけ躊躇なく伸びる。私は鼻で笑ってやりながら、簡単にその箸を掴んでやった。

 隊長が、とてつもなく不安そうな顔で私を見ている。

 

「あ、ああ、すみません。この二人ったら、今日はやけに好戦的で……まあ、じゃれているだけなので、心配はいりませんよ」

「そ、そう? 何だか今日のアズミ、怖い」

「そんなことありませんよ。ね、メグミ、ルミ」

「そうそう」

「仲良しバミューダ三姉妹」

 

 隊長が「あ、はい」と味噌汁を飲む。隊長の視線が逸れたスキに、メグミとルミの目がサメのように鋭くなった。

 何も見なかったことにして、私は味噌汁を味わうことにする。

 

「仲、いいね」

 

 白岩のひきつった声を聞いて、アズミが「まあね」と苦笑する。

 

「あ――申し遅れました。私はメグミ、アズミと同じく戦車道してます」

「私はルミ、同じく戦車道履修者です。よろしく」

「これはどうもどうも。……俺は21だけれど、同い年?」

 

 メグミとルミが、「うん」と頷く。白岩の表情が、「じゃあ」と明るくなって、

 

「敬語はいらないってことで」

「――わかった」

「そうしよっか」

 

 良くも悪くも、タメ口をこぼせるだけで人間は安心と共感を抱ける。内面はどうであれ、少なくとも「こいつとは話せる仲」というものを手短に表現出来るのだ。

 そうして接せる相手がいることで、人生に対して強くなれる。後ろ盾がいなければ、今頃はこうして生き残れはしなかっただろう。

 だから、

 

 ――隣を見る。

 

「そういえば……その子は、誰かな?」

「島田愛里寿隊長。島田流っていう、戦車道流派の跡継ぎなんだ」

「ほうほう」

「隊長はまだ十三歳なんだけれども、天才でね。飛び級して、大学にいるの。しかも戦車隊隊長を務めてる」

「すごい」

 

 照れる島田愛里寿「ちゃん」を見て、私は切実に思う。

 西住みほという友達が出来て、ほんとうによかった。

 

「ホント、隊長は凄いのよ」

 

 メグミが、カレールーを白米に垂らしながら、

 

「私たち三人とも、まだ隊長に勝ったことがないんだから」

「すげえ」

「――メグミは、全体的に指揮は良いんだけれども、射撃が焦り過ぎ。私のことを視認すると、いち早く撃ってしまうでしょう? だからろくなダメージが入らない」

「ううん、参考になります」

「ルミは、ちょっと突っ込み過ぎかな。だから、狙撃されやすい」

「肝に銘じます」

「アズミは惜しいと思う。落ち着いているんだけれども、もうちょっとアクティブに攻めてもいい。現に、動かれたら危ない場面が何度かあった」

「次からは、実践してみます」

「バミューダアタックは撃墜率がすごいし、それに驕らない姿勢も立派だと思う。この前の、大洗の時よりも洗練されていっているし、近いうちに私は負けるかも」

 

 思わず、手のひらを左右に振るってしまう。

 

「いえいえ、そんな! 隊長にはまだまだ及びません」

「そうそう。隊長は、戦車を自分の体のように扱うじゃないですか。あれは……難しいですよ」

 

 ルミが、その通りだとばかりに二度頷く。

 確かに、いつかは隊長に勝ちたいとは思っているのだ。最初こそ「年下に負けた」とも思ったが、隊長はいつだって戦車道を歩み続けた。大学選抜を強くするために、惜しまずその才を与え続けてくれた。

 だから私は、隊長のことを尊敬している。いつかは、越えなければいけない目標だとも思っている。何より、なんて愛くるしいんだろうと好意を抱いている。

 

「あれも、人間が出来る事だから。だからアズミも、ルミも、メグミも、いつかは私のようになれる」

「隊長」

「――負けるつもりは、ないけれど」

 

 手心を加えるつもりはないらしい。

 流石だ。

 

「よーし、明日もがんばらなきゃねー」

「ええ。隊長の期待に応えなきゃ」

 

 ルミの言う通りだ。今の時期は正直暑いし、やっぱり戦車は狭いし、負ければ腹が痛くなることもあるけれど、やっぱり戦車道はやめられない。こんなにも格好良い武芸が、そうあるものか。

 隊長から惜しいと言われて、私はすっかり上機嫌だった。それはルミもメグミも同じらしく、「今度、一緒になってアズミを吹っ飛ばそう」と誓い合うのだ。それをうんうんと眺める私。

 

「あ、あの……フレンドリーファイアは、だめだよ?」

「了解しました。もしアズミが相手になったら……その時は」

「うん。まあ、それなら」

「――これこれ、私の打倒も絶交もいいけれど、隊長を怖がらせないように」

 

 はあい。メグミとルミが、それもそうだと力なく応える。

 あーあ、まったく。

 やっぱりこいつら友達だ。そう思いながら、含み笑いをこぼしつつザンギを頬張る。明日も頑張ろうかなと思って、食事に戻ろうとして、

 

 声が小さく漏れた。

 考え事をしているらしい白岩を、口に手を当てている彼に、今更気づいてしまった。

 

 ――そういえば今の今まで、白岩は一言も口を挟んでいない。せいぜい、「ほう」と唸ってみせた程度。

 なぜと考えて、そんなの当たり前だと結論付ける。戦車道とは女性の武芸であって、男の入る余地などはない。知識持ちもいるにはいるが、「いるにはいるが」でしかない。

 

「し、白岩……その、えっと」

「え、何?」

「その――ごめん、戦車道の話ばかりして。分からなかった、でしょ?」

 

 けれど白岩は、何でもないようにけろっと笑って、

 

「ああ、気にしないで。興味深いなって思って、聞くのに集中していただけだから。いいよ、続けて?」

「あ、いやでも」

「いいからいいから。……ほんとう、戦車道が好きなんだね、アズミは」

 

 まるで自分のことのように、白岩は嬉しそうに微笑むのだ。

 なんて人だ、と思ってしまった。

 良い友人だ、と思った。

 ――だからこそ、白岩の好意に甘え続けるのは、今日はよそう。

 

「白岩。その、ありがとう」

「え、俺は何もしてないよ?」

 

 そうは言うが、メグミもルミも、首を横に振るう。

 隊長に至っては、申し訳なさそうにうつむいたまま。

 

「アズミとのお時間を邪魔して……ごめんなさい」

「島田さん、とんでもない。島田さんは、隊長としての役目をこなしただけ、謝る必要なんかないよ」

 

 異性に慣れていないのだろう。頭を下げた隊長が、おそるおそる顔を上げていく。

 

「俺は部外者だけれど、こういう話を聞けて本当に良かったよ。俺も武芸の一つ、たしなめばよかったぜ」

 

 あえて、口調を砕かせたのだろう。気配り上手の白岩のことだ、そうに違いない。

 白岩は今も、気にしないで気にしないでと笑い続けている。何でもなかったかのように白米を食べて、キャベツを摘まんで飲み込んで、「うめー」とか感想を漏らしながら。

 

「ね、白岩」

 

 ルミが迅速に動いた。

 

「白岩は、ふだんは何をしているの?」

「ああ、俺? バードウォッチング……かな?」

 

 いい質問だ、ルミ。私はルミの方を見る、ルミが口端をにくく曲げた。

 

「バードウォッチング? 鳥を見るのが好きなの?」

 

 そして、女の子である隊長が真っ先に食いついた。

 ぬいぐるみが好きだからか、可愛いものに目がないらしい。ここは十三歳なんだなあと、安心感を覚える。

 ――白岩は、当然のように「うん」と首を縦に振るう。

 

「昔から鳥が好きでね、見るのも触るのも好き。インコも飼ってるんだけれど、こいつのお陰で人生寂しくないんだ」

「へー! インコ! やっぱり、よう喋るの?」

 

 メグミの熱い質問に対し、白岩が「うん」と頷き、

 

「インコってコミュニケーション大好きだから、ちゃんと接してやると会話が出来るようになるよ。もちろん、教えた言葉しか喋れないけどね」

「ほうほうほう」

「教えた言葉がつながっていって、いつの間にか会話になってるって感じかな。だから、インコ……ソラっていうんだけど、ソラの前では、悪口とかは言わないようにしてる」

「……良い」

 

 隊長が、控えめに同意した。白岩が「ありがとう」と言うと、隊長はそそくさとハンバーグにかぶりついてしまった。

 

「まあ、見ての通り鳥バカでね。大学でも、バードウォッチングサークルに入ってる」

「いいわねー。……鳥かあ、そういえばよく知らないなあ」

「よく知らなくてもいいよ。可愛いとさえ思えれば」

 

 ルミが「そっか」と苦笑する。私は同意するように、頷いてみせた。

 何かを好きになるのに、まずは知識、なんてことはない。そういったものは、好きになればなるほどの過程で、自然と積み上がっていくものだ。私もそうだった。

 

「――あーあ、ますますアズミが憎たらしい」

「どしたのさいきなり」

 

 メグミが、ざーとらしくため息をつかせながら、

 

「だってぇー、鳥好きという優しい一面があってぇ、なかなかのオシャレさんでぇ、こんなんイケメンでしょーイケメン」

「うわーありがとう。でも、イケメンに見えるのはBCの服のお陰さ」

「いやーいやいや謙遜しなさんな。あなたは十分にイケメンよ」

「ありがとー。アズミのお陰でモテモテだなー俺」

 

 一瞬だったと思う。

 アズミ以外の女性の目が、白岩に殺到した。

 白岩が、「あ、あれ?」と絶句した。

 私は、「はあ」とため息をついた。

 

「今月の月間戦車道、あるでしょ」

「うん」

「私の写真、あったでしょ」

 

 メグミが「ありましたねーなーんでそんな着こなしちゃうの」と嫉妬する。

 ルミが「こればっかりは、天性のもんだからしゃあないって」と意見する。

 隊長が「今月号のアズミも、すごく大人っぽかった。きれい」と口にする。

 

「――彼ね、私のファッションセンスに刺激……だっけ? されて、それでファッションに目覚めたんだってさ」

「そうそう。まだ手探りだけどね」

 

 今度はメグミが、ルミが絶句した。隊長はふつうに、「そうなんだ」と頷いてみせた。

 こうも好き勝手にお喋りしようとも、大学の食堂からすればありふれた1コマでしかない。何処か遠くで女性同士の笑い声が響き渡り、一方では「マジかよ!」と騒ぐ男性グループがいたり、視界の入らないところでは「最近バイトがんばってんなー」「食べ歩きしたくてなー」の話し声が聞こえたり、電話中であろう大きな独り言が耳に入ったりと、私たちのことなんて誰も気にも留めない。

 こういう世界は、嫌いじゃない。

 

「アズミよ」

「ん」

 

 メグミは、大真面目な顔で、生真面目な声で、

 

「付き合わないの?」

「は、はあ?」

 

 思わず、すっとんきょうな声を上げてしまった。ここが食堂でなければ、間違いなくさらし者確定だ。

 

「そんな馬鹿なことを言って、彼が困るじゃないっ」

「えー?」

「! 白岩ッ、へらへらしないっ」

「はあーい」

 

 精鋭の大学選抜チームだろうと、大学生になろうとも、人間である以上は色恋沙汰に興味を抱き続けるものだ。

 だからメグミは、吹き出すのを我慢してまで笑っている。ルミに至っては、いらんことを察して「ほー」とか言っているし、十三歳である隊長は「交際……!?」と顔が真っ赤だった。かわいい。

 ――軽く咳をつく、隊長以外に対して「てめえら覚えとけよ」と目で語る。砲身を突き付けられたように、メグミとルミと白岩はやる気なく両手を上げるのだった。

 

「――そかそか」

 

 降参したままのルミが、これまた楽しそうに苦笑する。

 何に納得したのよ――私は、言葉を待つことしかできない。

 

「アズミ。……なんというのか」

 

 ルミときたら、相変わらず微笑んだままだったけれども、降参のポーズをといてシナモンロールをかじっていたけれど、

 

「いい人と、出会えたみたいだね」

 

 その声は、誠実そうによく通っていた。

 ――その一言には、もちろん、

 

「ええ。ほんとね」

 

 白岩の方を見る。

 白岩は小さく頷いてみせて、箸が嬉しそうに上向きへ掲げられる。それがなんだかおかしくって、私は「もう」と言うしかなかった。

 

 その後のことはといえば、戦車道についての話を少々。男はどういうファッションが好きなのか? それについての問いを色濃く。隊長が、バードウォッチングの基本を数分間ほど伝授して――それぞれが完食し終え、席から立ち上がろうとしたところで、

 

「白岩。せっかくだから、アドレス交換しようよ」

 

 先に言い出したのは、ストレートな性格持ちのメグミだった。戦車道では冷静なくせに、対人となると途端に切り込み隊長と化すことが多い。

 けれど、そんな性格に助けられたこともしょっちゅうある。元はと言えば、一番先に友人となったのはメグミだった。

 

「じゃあ私も」

「……よかったら」

 

 白岩が気恥ずかしそうに、それぞれに「ありがとう」と一礼する。かれこれ異性とは縁がなかったはずなのに、運命とはまるで分からないものだ。

 見知ってまだ二日間程度であるはずなのに、こうも色濃く交わしあえるとは。

 

 ルミの言う通り、いい人と出会えたのかもしれない。

 

「――白岩」

「ん?」

 

 ルミが、メグミが、隊長が、そして白岩が、こちらを見る。当たり前の反応として受け入れるしかない。

 何だか恥ずかしいけれど、でも、白岩はいい人だから、

 だから、

 

「これからも、私たちの話し相手になって欲しいな」

 

 よく、笑えたと思う。

 そして白岩は、

 

「当たり前だろ?」

 

 当たり前のように、笑い返してくれるのだ。

 ――ルミ、メグミ、隊長。何をそんな嬉しそうな顔してるんですか、そーゆー関係じゃないんですからね。

 

 昼休みが終わる。次の講義へ出る為に、トレーを片して一同が解散する。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

アドレス関連で矛盾が生じて、一旦取り下げてから投稿し直しました。
申し訳ありません。


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美しき感情を覚えていって

「おはよー」

「おはよー」

 

 ここ最近になって、白岩と共に大学まで歩むことが多くなった。メールで合流時間を知らせあったり、時には口頭で伝えたりと、順調に友達らしく付き合えている。

 

 おはようの後の話題といえば、あらゆるBCの服をまといながらで「これはどう?」「いいじゃない」と評価しあったり、互いの髪型について「綺麗なウェーブですなー」「そお?」と照れちゃったり、インコのソラについて「元気ー?」「へばり気味」と心配しちゃったり。

 けれど白岩は、日常のことだけじゃなくて、

 

「戦車道は順調かい?」

「ええ、全体的には。ただ、隊長にはやっぱり勝てずじまいだけれど」

「ふーむ。……島田さんは、やっぱり強いかい?」

「うん。歯が立たない……わけじゃないんだけれど。どうしても慎重になっちゃう、相手は隊長だけじゃないし」

「そっかぁ……よし、よしよし」

 

 私の目が、ぴくりと動いた。

 何が「よし」なんだろう。いいこと閃いたぜとばかりに微笑んで、拳まで作って、一体なにが「よし」なんだろう。

 ――けれど、追求などはしない。白岩はごくごく真っ当な男性だから、私の為に絨毯の上で眠るような男だから。そうした信頼があるからこそ、何がどう「よし」なのかが、気がかりで楽しみだった。

 

「ちょっとー、悪い事しないでよー?」

「しないしない。あ、今日も昼飯いいかな?」

「もちろん」

 

 そう聞かれる前から、答えは決まっていた。

 承諾されて、嬉しそうに破顔する白岩のことを見て、私はつくづく思う。

 

 出会いって、本当に脈絡がないな、と。

 この人と歩みたいから、毎朝こうしているんだろうな、と。

 

「何か悪いね。女性の中に野郎が混ざって」

「いいのよそんな。むしろ、話の幅が広がっていい感じだし」

「そうかい? なら良かった」

 

 白岩がうんうんと頷いて、

 

「となるとー、あいつらからまーたつまんねえこと言われるのか」

「へ?」

 

 清々しい青空の下、熱々の空気を肌にひりつかせながら、鬱々と白岩がため息をつかせ、

 

「――俺はこうして、単に戦車道履修者と『交流』しているだけなのに。サークルの連中ときたらなー、ほーんとねー」

「何か、あった?」

「あった。あいつらと会うたんびに、『なに美人と仲良くしてんだよ』とか『ずるいぞ』とか『今度テクを教えろ』とか言われるのよ。あーやだやだ、男って怖いね」

 

 私は、ぷっと吹き出してしまう。

 

「まあ、そこはしょうがないわよね。男一人に女性四人のグループですもの、色々と推測されてしまうのは仕方がないわ」

「そーなんだけれどね、そーなんですけれどね」

「それに、あらぬ推測を立てるのは男だけじゃない。女性だってそう、例えばメグミとかメグミとかメグミとか」

 

 白岩が、特に驚きもせずに「ああ」と言う。

 

「メグミ、毎回追求してくるよね。俺とアズミは、まだそういう関係じゃないっていうのに」

「ほんとほんと。まああの子、アクティブだし、ストレートだし、好奇心旺盛だし、ここは私の顔に免じて許してちょうだいな」

「いいよ」

「っしゃー」

 

 にへらと、私は笑ってしまう。白岩もノるように、含み笑いをこぼしてくれた。

 さて。

 今日も今日とて、蒸し暑い中で戦車に乗らなくてはいけない。快適とは無縁で、無傷では済まされなくて、気楽になんて過ごせない道だけれども、それでも私はやめるつもりはない。

 戦車道から得られたものは、それら以上にあるから。格好良いと感じているから。

 白岩の顔を見る。白岩は、戦車道履修者である私の方を見て、「どうしたの?」と声をかけてくる。

 

「ね」

「ん?」

「戦車道って、どう思う?」

 

 白岩が「そっだなー」と声に出して、うんうんと唸って、

 

「いいんじゃないかな」

「そっか」

 

 今日も、張り切りますか。

 白岩から、最近はじめたバイトの話を聞かされる。大変だねーと苦笑して、白岩はそだねーと頭を掻いて、気付けば大学の付近にまで差し掛かっていた。沸いて出る、人の気配。

 

 私と白岩は、大学の正門を潜り抜けていく。同じ履修者とすれ違い、「モテてますなー」「友人よ友人」「そうそうそうなんすよ」と交わしながら、訓練場前で白岩とばいばいする。

 

 ↓

 

「で、まだ付き合ってないの?」

 

 食堂で目玉焼きハンバーグ定食を頬張りながら、メグミが早速とばかりに食いついてきた。隊長もこのテの話に興味津々らしく、目をまんまるくさせながらで私を、隣に座る白岩のことを交互に見やっている。

 

「メグミ、彼を困らせるんじゃないの」

「えー? 毎度毎度見せつけてくれるくせに、何言ってんの」

「友人同士なんだから、一緒に行動するのは当然でしょ」

「そうそう。男女だからって、恋愛関係とは限らないよメグミさーん」

 

 メグミが「そおかあ?」と首をかしげ、ルミが呆れたようにため息。隊長はといえば、「ふうーん」と反応したきり、好物の目玉焼きハンバーグめがけ勢いよくかぶりついている。

 ほんとう、食事は子供らしいんだなと思う。

 視野が広いはずなのに、いつだって神経が研ぎ澄まされてるはずなのに、好物を前にすると、こうして年相応になってくれる。隊長は私たちに見向きもしないままで、一刻も早く目玉焼きハンバーグを噛み砕いていた。

 ――お疲れ様です、隊長。

 無言で、ルミとメグミの目を見る。二人とも黙って小さく頷いて、隊長の時間を邪魔しないよう心中で誓い合った。

 

「しかしメグミよう」

「ん?」

「お付き合いの話をしてくれたけど、メグミだってかなりいいセンいってると思うよ。美人だし、性格も良いし」

「マジー?」

「マジマジ。顔は男の俺が保障するし、性格の良さだって……俺を仲間に入れてくれた時点で、ねえ?」

 

 メグミが「やたー」と甲高く歓喜する。

 

「そう言ってくれるのは白岩だけだよー」

「マジで? 男どもは何してんねん」

「さあ……戦車道履修者って、やっぱり気が強い云々で見られてるからじゃない?」

 

 ルミが、分かっているようなそぶりで苦笑する。けれども白岩は、「かもしれんけど」と前置きして、

 

「実際は、こうして話せるし、普通の女性だし。みんなちょっち怖がり過ぎじゃないですかねぇ」

「イメージってのは、取り外しは難しいからねぇ」

「まぁなぁ。俺からすれば、清廉な女性が多いってイメージしかないけど」

「へえ、ありがと」

 

 ルミが、嬉しそうにくすりと笑う。「清廉な女性」という一言を耳にしたせいか、隊長も、頬を赤く染めながらで口の動きを止めていた。

 

「白岩くーん」

 

 そして、メグミが白岩に食いついてきた。

 

「君はイイ男だよ、絶対モテるよ」

「マジで? 嬉しいこと言ってくれるじゃない」

「うんうん。だからアズミが超憎い」

 

 火を飛ばしてくるなよ。私は、露骨に非難めいた目をメグミにぶっつけてやる。

 

「いいなーいいなー、白岩と出会えてー。あっ、私は友情を尊ぶ性格なので、無粋なことはしませんから」

「無粋って何よ無粋って」

「え? 白岩君を口説いたりとかお誘いかけたりとか」

 

 私は、露骨にため息をこぼしてやった。

 

「別に……彼を独占するとか、そういうつもりはないから」

「そなの?」

「そーなの。彼とは、そういう関係じゃないし」

「へえ。まあいいわ、私は遠いところでお二人を見守ります」

 

 何達観ぶってるんだか。

 何となく、白岩の横顔を見てみる。目が合って、「あ」と間抜けな声が漏れてしまった。

 

「あ、えーと……なんだか、ごめんね? メグミが、馬鹿なことを」

「ああいや、ぜんぜん気にしてないから。――そだ、そだ、アズミに見せたいものがあるんだけれど、いいかな?」

 

 私は、こくりと頷く。肯定として受け取った白岩は、嬉々とした表情を隠さないままで、鞄から一冊の黄色いノートを取り出してみせた。

 買ったばかりなのだろう。新品特有のツヤが、食堂の照明に程よく照り返されている。最初は課題か何かだろうかと思ったが、それでこんな風に上機嫌めいた顔をするものだろうか。

 

「えーっと、これは……素人が書いたレポートみたいなものなんだけどさ」

「うん」

 

 恥ずかしそうに、けれども嬉々さを孕ませたままで、白岩はテーブルの上にノートを置いて、音を立てながらページを開いて、

 

 食堂の中で、本日の試合内容の流れがレポートとして帰ってきた。

 

 まずは私が、白岩作のレポートにくぎ付けとなる。愚痴を垂らしていたはずのメグミが、無言でレポートを凝視し始める。シナモンを齧っていたルミが、シナモン片手にレポートへ首を伸ばし始める。目玉焼きハンバーグを味わっていた隊長が、前のめりになってまでレポートを解読し始める。

 

 ページの「右上」には、今日の日付と天候が記されている。「晴れ、猛暑」の文字。

 続けてページ「そのもの」だが、白岩はずっと試合を追い続けたのだろう。2ページまで使って、なるだけ試合全体の流れを、時刻込みで、出来る限り客観的に詳細を書き記そうとしている。手馴れたような書き方だったから、バードウォッチングサークルで鍛えられたのかなと思った。

 

 ただ、まるで客観的ではない「例外」は、存在していたが。

 

 本当にしっかりと、モニター越しから試合を覗っていたのだろう。敵味方問わず、車両の足跡を黒い矢印で刻み込んでいた。

 とにもかくにも動かなければ話にならない世界であるから、この俯瞰的な情報は実にありがたい。こうして見てみると、隊長は意外と動いていないんだなということに気づかされる。

 ――ただ、この矢印方式にも、「例外」はあったのだけれど。

 

 続けて試合内容だが、今回はバミューダチーム対島田チームのフラッグ戦で、15対15の中規模戦が繰り広げられた。それ故に全車両の把握は難しかったのだろう、「いつの間にか脱落、恐らくは狙撃されたものと思われる」の文字もあった。仕方がない、よく見てくれたと、私は思う。

 私は、とにかくレポートを読む。メグミも、ルミも、隊長も、無言の真剣さを以てして、レポートを目で追っていく。

 

 大学の訓練場には、特設モニターが常に敷かれている。世界選手を育むべく、こうした設備はよくよく充実されてはいるのだ。

 けれど、ここまで詳細に「観察」出来ているなんて――私は、白岩の方を見た。白岩は「えへへ」と恥ずかしそうに苦笑して、私は何も言えないままでノートに視線を戻す。

 

 白岩は、戦車道履修者では決してない。だからこそ、よくぞここまで淡々と詳細を書き記せたのだと思う。「例外」はあったけれど。

 白岩は「素人」と前置きした。だからこそ、「ここで攻めれば、島田さんの戦車を破壊出来たかも」という大胆な注意書きが記せたのだと思う。「例外」はあったけれど。

 白岩はバードウォッチャーだから、好きに丁寧さを求めたレポートを完成させられたのだと思う――「例外」は、あったんだけれど。

 

「すごい」

 

 最初に声を出したのは、隊長だった。

 

「素晴らしい」

「パない」

 

 ルミが、メグミが、感嘆の声を上げる。私は無言でしかなかったが、同意する他なかった。

 一方の白岩は、「いやあ」と気楽そうに反応しながら、

 

「アズミの……みんなの力になれれば、いいかなあと」

 

 メグミの視線が、ノートから白岩へ移る。それはもう勢いよく。

 

「十分十分! ……いやあ、よく見てるね。何だかんだいって、チャンスはあったんだ」

「うん。さすが副隊長、隊長を越えられるポテンシャルはあったと思うよ」

 

 隊長が、「うんうん」と二度頷いて、

 

「素人、とは思えない。これは……参考になる」

「ほんとう? それは良かった」

「ええ。履修者ではないからこそ、良い意味で淡々としたレポートを描けたのでしょうね」

「いやー、内心はすげーすげー音すげーって盛り上がってたけどね」

 

 メグミが「でしょ」と、歯を見せて笑ってみせる。

 白岩も、うんうんと小さく頷いてみせた。

 

「なるほどね……あの派手さを手足のように操るんだから、戦車道履修者はハードルが高いって思われちゃうのかな」

「そうなのかなあ」

「俺は、そうは思わないけどね。逆に、惚れ惚れした」

「へえ」

 

 そこで、ルミが意地悪そうに口元を曲げた。

 ――戦車道履修者である私は、何だかんだで「察する」ことには長けている。それ故に、次にルミが口走ることなんて、

 

「ホントに、アズミとは友達なの?」

「え? うん、フレンドフレンド」

「へー。まあ、その通りなんでしょうけれど」

 

 本当に面白そうに顔を明るくさせながら、ルミがノートの一部分を、人差し指で二度三度ほど軽く叩く。

 

「アズミ」

「何よう」

「愛されてますなー」

 

 ほらねそんなこと言うと思ってたんだ。

 だって、この「淡々とした『つもり』のレポート」には、こう書かれてあったから。

 

 10:31、Bポイントでアズミが敵車両を撃破。やはりアズミには、羽ばたける才能がある。

 10:40、Dポイントでアズミが敵車両を撃破。これで二両目、鷲のようにアズミは強い。

 10:46、ここで動けば、島田さんの戦車を狙撃出来た。次もチャンスは来る、頑張れアズミ。

 11:06、停止時間が少し長いかな? 島田流ならではの臨機応変さを活かして、ここでかっ飛んでも問題はないと思うぜ、アズミ(9`・ω・)9

 11:11、Aポイントで、アズミが島田さんの戦車に敗北。撃破数四両、アズミはカッコ良かった。

 

 「淡々とした、『例外つき』のレポート」には、こう書かれているから。

 「その他」の車両に関しては、程ほどに書き記しているくせに。私のパーシングが絡むとなると、途端にありとあらゆる称賛が、改善点が飛び交うのだ。完全なえこひいきといっても差し支えなかったが、そもそも最初から「アズミに見せたいものがある」と白岩は宣言していたし、そもそも白岩は部外者であるから、誰にも文句なんて言えようはずがなく。

 

 逆にメグミなんて、「ほー」と声にまで出している。隊長に至っては、「おお……」と目を丸くしている。

 ――私以外の個所だと「報告書」になるくせに、どうして私絡みになると「感想文」になるんだ白岩よ。

 私は、じっとりと白岩のことを見てやる。私の心中を察してくれたらしい白岩が、「いやあ」と笑ってごまかしながらで、

 

「――その、友人、だからさ。盛り上がっちゃって」

「……そーなの」

「そーなの」

 

 そこで、隊長が「あのっ」と白岩に声をかける。白岩は隊長に目を合わせ、「どうしたの?」と返事。

 

「その、島田流のことも言及してるんだね。……どこで知ったの?」

「ああ、それはね」

 

 ポケットから、携帯を取り出して、

 

「ネットで調べた」

「ほー……」

 

 隊長が、とても感心したように目と口を丸くする。メグミが「やるねー」と口にして、そのくせ視線は私の方に。

 

「見るな、絶交よ」

「いいよー」

 

 隊長が怯え、白岩が「まあまあ」と苦笑する。レポートに目を通していたルミは、「なるほど」と一言口にして、

 

「白岩」

「何?」

「これ、コピーとってもらってもいいかな? すっごく勉強になる」

 

 白岩が半ば驚いて、半ば嬉しそうに笑う。

 

「マジでぇ?」

「マジマジ。第三者の視点から見ると、結構大胆な解析になりやすいのね」

「ま、まあ、俺は遠くから見ているだけだから、緊張とか恐怖といった心理的な面は、どうしてもガン無視になっちゃうんだけれど」

「プロになるからには、常に適切な結果を求めたい。そういった意味では、フィルターの無い意見はとても参考になるの」

「うーむ、すごいなー」

 

 うんうんと唸りながらも、白岩は味噌汁を一口飲んで、

 

「いいよいいよ、著作権フリー、いくらでもコピーとっちゃってよ。もとはと言えば、アズミにあげるものだったからね」

「よしくれ」

 

 メグミの、まったくもって遠慮のない要求。

 私は嫌そうにメグミを見てやったが、メグミは知らぬ存ぜぬとばかりに「んー?」とすっとぼける。

 

「わ、私もいいかな? ――これは、アズミの為のレポートだから、私が見ていいのか……」

「私は構いません。皆で改善してこその、大学選抜チームですから。……いいよね? 白岩」

「もち」

 

 思う。

 今の今まで出会いがなかったのも、ほろ酔いで何とか生き残ってきたのも、何事も無く年を食ってきたのも、全てはこの瞬間の為にあったのではないのだろうか、と。

 だから、

 

「ねえ、白岩」

「うん?」

「私もコピー、いいかな? これは、とても参考になる」

「――ああ」

 

 だから、

 

「何百枚でも持ってってくれよ。友達じゃないか」

 

 だから、いまの気分は、とても悪くない。

 白岩の無邪気そうな笑みを視て、今日も賑やかな食堂の声を聴いて、私を励ましてくれる顔文字を人差し指で触って、なんとなく目玉焼きハンバーグの一切れを味わって、浸る為にソースの匂いを嗅いでみて、

 白岩に、出来る限り微笑んでみせる。

 

 白岩は、照れ隠しとばかりに親指を立てた。

 愛い奴だ。

 

 昼飯を食べ終え、五人揃ってごちそうさまと手を合わせる。その後はレポートのコピーを何枚か戴いて、掲載許可を白岩から貰って、チーム共々反省会だ。

 もちろん、「修正」は仕込まれるだろう。そのままで提出しては、私はともかく白岩にも被害が及ぶ。それだけは何としてでも避けねばならない。

 だから、心配することなんて何一つないはずなのに。

 無機質な報告書と化すことが、なぜだか名残惜しい。

 

 ――これは、アズミに見て欲しかったからね。

 

 熱のこもった感情を逃すために、何となく天井を見上げる。

 天井で回り続けるシーリングファンライトを目にしながら、「報告書でもいいか」と思った。

 あの感想文は私の為に書かれたものだ。私のだけの、ものだ。

 

「白岩」

「うん?」

 

 白岩の顔を、はっきりと見てやる。今は、それが何だかこそばゆい。

 

「――ありがとう」

 

 白岩は、「ああ」と笑いかけてくれて、

 

「こちらこそ」

 

 ――昼飯の時間が終わる。手を合わせて、ごちそうさまと告げて、そのまま白岩と別れる。

 次は、隊長が担当する戦車道講座だ。またの名を反省会ともいう。今回はおそらく、「さる協力者が提供してくれたレポート」が、テーマとして取り扱われるだろう。

 

―――

 

「おはよー」

「おはよー」

 

 夏は未だに、この空の下で留まり続けている。暑い、熱い、怠いの三拍子が毎日襲い掛かってくるが、夏特有のお祭り空気は別に嫌いではない。戦車に乗っている時以外は。

 ――直射日光を浴びて、白岩が忌々しげに頭を掻く。やはりというか、白岩も普通に暑さには弱いらしい。

 

「ひっでえ気温だなあ」

「ほんとね」

「で、こんな中でもパーシング乗るの?」

「そ」

 

 はあーと、大きくため息をつく。くそ暑かろうが、寒かろうが、戦車道とはいつだって履修者の首根っこを逃がさないものだ。

 

「凄いねえ。俺にゃ一生無理ですわ」

「そお? 私からすれば、毎回レポート提出する方が、よっぽどよよっぽど」

「これは好きでやってることだから」

 

 本当に悪気なく、白岩はわははと笑う。白岩の「好きでやってることだから」を聞いて、私は思わず「えー」と漏らしてしまう。

 

「あなたは履修者じゃない」

「そだね」

「で、そのレポートは誰の為に?」

「友達の為に」

「友達って」

 

 白岩がカッコつけるように口元を曲げながら、人差し指と中指のデリンジャースタイルで私を指さす。

 ――本当、ぶれない人だ。

 あの日以来、白岩は出来る限り、「私視点の」レポートを提出するようになった。本人曰く「メンタル面なんてまるで考慮してないけれど」とのことだが、それ故に「例外込み」で、余計なことは一切書かれてはいない。

 戦車道履修者ならではの「配慮」がない分だけ、白岩のレポートは勝ち筋のみを記したレポートとしてよくまとめられている。最初から最後まで俯瞰的に見ているだけあって、ノートに記された文字の信頼性はとても強い。

 ――例外は、懲りずにあるのだけれど。

 

「ホント、友達思いねえ」

「でしょ?」

「けれど、友達ってだけで、ここまで協力してくれるかしら」

「言っただろ? アズミは美人さんだから、お近づきになりたいって」

「へー、ふーん」

 

 白岩の顔を、まじまじと見てやる。相変わらずBCの服でまとめた白岩は、なんだようと怯む。

 ――そんなはずはないけれど、懲りずに「感想文」を書く白岩に対して、私は、

 

「もしかしてー、私の事好きなのー?」

 

 静かに、なったのだと思う。

 セミの鳴き声が、私の耳から頭にまでよく響く。私たちの後ろから、二両のマウンテンバイクが通り過ぎていく。

 肝心の白岩は、まるで動揺などせずに、いやあ、とか声に出して、

 

「まさかまさか。アズミは友達、友達だって」

 

 間。

 

「そっかぁ、だよねだよねー」

「そうなんすよアズミちゃん」

「白岩、ホント友達思いなのねえ」

 

 だよねえと、私は思った。一瞬だけ、ほんとうに一瞬だけ「好きって言われたらどうしよう」とか考えたが、白岩が私のことを異性として見るなんて――ありえるはずがない。

 そう、ありえるはずがないのだ。

 私たちは親しい友人同士なのだ。

 

「となるとー……ごめんなさい白岩、うちのメグミが毎度ご迷惑をかけて。またちょっかいをかけてきたら、弱み握っておくから」

「握る……握る?」

「うん。あの子ストレートな分、ボロを出しやすいから」

 

 怖いなあと、白岩は苦笑する。メグミの、興味津々顔を思い浮かべて、私は鼻息をつく。

 ルミも、私と白岩の関係をからかいはする。けれどそれは「上機嫌」の時だけであって、しょっちゅうというわけではない。ルミもいい感じに直情的ではあるが、平常時は割かし冷静だ。

 

 問題はメグミとかいう女で。顔を合わせるたびに「で?」と一声かけてくるのだ。それを聞くたびに「あ?」とか「は?」とか返事してやるのだが、全くめげもせずに「白岩クンとの関係はどうなったの?」と問いただしてくるのだ。何度も幾度もこれからも。

 今年に入って、最高記録の絶交を宣言したと思う。そのたびに隊長は怯え、慣れた白岩も「まあまあ」と仲裁して、そうしていつものように昼飯タイムが始まるのだ。あとは定食を口にしながらで、雑談、小さな反省会、そして白岩からのレポート提出。

 ルミは興味深そうにレポートを眺め、隊長も「うんうん」と声に出して、私も「そっかー、あちゃー」とか漏らして、メグミとかいう女は「ほっほー」と「黄文字」に食いつく。ここでまたしてもけったいな言及が飛び交い、私は「次は、メグミの後ろを守るわ」とでまかせを抜かすのだ。対してメグミは、「信じてるからね」とか返してくれる。なんて女だろう。

 ――前に一度、白岩から「ああいうの、やめたほうがいい?」と言われたことがある。けれども私は、「あのままでいい」と即答した。

 

 だって、誰かから明確に応援されているなんて。そんなの嬉しいに決まっているから。

 

「――ま、あの子のことは気にしないで。これからも、レポートを書いて欲しいな。もちろん、時間があればだけれど」

「ああ、ヘーキヘーキ。ちゃんと単位はとってるつもりだし、元から観察大好き野郎だから」

「そっか」

「何より、アズミのような美人さんの力になれるんだぜ? 張り切るほかねーよ」

「もー、世辞うまいなー」

「でしょー?」

 

 私と白岩は、今日も「ばかだねー」と肩を叩きあう。こうしたスキンシップも、いつの間にやら慣れてしまった。

 こうして一緒に登校することも、今となっては珍しくもない。手前勝手にお喋りして、言いたいことばっかり言い合うのも日常茶飯事だ。戦車道を歩み、シャワーを浴び終えて、白岩が手を振って待ってくれているのも日課の一つ。そうして周囲から(特にメグミ)、「愛されてるねー」とからかわれるのだってお約束。

 

 ――白岩のレポートに、私がどんなふうに応援されているのか。それが気になるのも、いつものこと。

 だからか、ここ最近は島田流に則って、臨機応変に動き回ってしまえるのかもしれない。それを決して見逃さない白岩は、「すごい( ゜ワ゜)」と書いてくれて、隊長も「すごい」と評価してくれるようになった。

 良くも悪くも、私はまだまだ、年をとり終えていないらしい。

 

 ため息。上機嫌に。

 

「――そういやさ」

「んー?」

「さっきさあ、好きとかどうとかって言ってたじゃん」

「へ!?」

 

 思わず、声が上ずってしまった。白岩が「どったの」と聞いてきたが、ひとまず首を左右に振って、

 

「う、うん言ってた言ってた。で?」

「ああ。何気に思ってたんだけれど」

 

 白岩が、普通の質問をしようとばかりに、平然とした顔つきのまま、

 

「アズミって、どういう男と結ばれたいん?」

 

 思考が、真剣に行き詰ったと思う。

 口に手を当ててまで、「そうねえ」とか「そうねえ」とか言う。白岩はいつまでも待ってくれるようで、急かしたりはしなかった。

 ――私は、戦車道履修者だ。ちょっとやそっとのことではビクつかないし、これで飯を食っていくつもりでもある。だから、私はどちらかというと「肉食系」ではあると思う。

 けれど、イケイケドンドンばかりでは疲れ果ててしまうだろう。私だって人間だし、女性なのだから。

 だから、

 

「――癒してくれる人、かな」

「へえ」

「私は戦車道の世界選手になって、お金を稼ぐつもり。これは絶対に曲げないし、こんな自分が好きだという自覚もある」

「さすが」

「……けど」

 

 白岩に、そっと目を向ける。じわりと、口元だけを笑んだまま。

 

「やっぱり、私の背中を支えてくれる人が欲しいかな。めげそうになったら、いつだって私を抱き締めてくれる、そんなひと」

 

 我ながら、夢物語を口にしたと思う。

 けれど白岩は、私のそんな言葉に対して、「なるほど」と真正面から受け止めてくれた。

 

「いいんじゃないかな。アズミらしいと思う」

 

 やめてよ、白岩。

 私の目を見ながら、そうやって肯定するのは、やめて欲しいよ。

 

「そうだよなあ、戦車道って色々大変そうだもんね。一人で生き抜くには大変な世界だ」

「やっぱり、そう思う?」

「思う思う」

「……結ばれる人は、主夫でいい、むしろそうであって欲しい。へばりそうな時に、慰めがないのはちょっと、ね」

「ああ、わかるわかる」

 

 白岩は、二回も頷く。

 

「癒し系、か」

「うん。まあ、贅沢は言わないけどね」

「いいじゃん別に。金は私が稼ぐ、アンタは私を支えてくれって言ってるんだし」

「そお?」

「そおそお」

 

 白岩にそう言われて、「そっか」と一息つく。観察眼に長けている男が言うのだ、間違いはないだろう。

 何となく思う。

 白岩に、自分の願望を否定されなくて良かったな、と。

 

「――あ」

 

 どうやら、人生にツキが回ってきたらしい。

 羽ばたく音が、明確に聞こえてきたかと思えば――茶色い小鳥が、私の肩に着地したのだ。

 目を丸くしたまま、思わず立ち止まってしまう。白岩も、「モズだ」と声を上げる。さすがはバードウォッチャー、呼吸するように答えてくれた。

 へえ。

 少しふとい体系をしていて、それがかえって可愛いと私は思う。私のことがまるで怖くないらしいのか、モズはまんまるい目でこちらを見つめてくるのだ。

 

「どうしよう?」

「さあー?」

 

 意地悪いやつめ。白岩めがけ、歯を見せて苦笑してやる。

 さてどうしたものかと判断に困っていると、モズときたら私に対して頬ずりを仕掛けてきた。思わず「お゛おーお゛おー」と声が垂れ流しになるが、モズは一向に求愛をやめようとはしない。こんな激戦を繰り広げているというのに、白岩は「愛されてるねー」とか抜かしてくれるのだ。

 

「たすけてよー」

「と、言われましても。嫌なの?」

「ううん、ちっとも」

「歩いてみれば?」

 

 歩く。途端にモズは頬ずりを停めるが、私の肩から下車しようとはしない。その黒い瞳は前だけを見据えていて、私も一緒になってモズと同じものを捉える。

 大学の正門だった。いつの間にやらだった。

 

「どうする?」

「行くわよ」

 

 ここまで来てしまったのだ。ならば、モズが満たされるまでとことん付き合ってやろうじゃないか。

 正門を潜り抜け、一歩、二歩、三歩と進んで、

 

「お、アズミー。今日も彼氏とハシゴー?」

「ちーがう」

 

 私のパーシングを担当している砲手――シノザキが、からかい半分に声をかけてくる。噂とは流れるのが早いもので、戦車道履修者から、こんな風に誤解されるのも既に風物詩だ。

 白岩も、「まだ友人だから」とか言う。シノザキが「へーそーなんだー」とお気楽そうに破顔して、

 

「あれっ。それ、アズミのペット?」

 

 ペットと聞いて、真っ先に私の肩を見やる。ここにメグミがいたら、メグミを指さして「ペット」と躊躇なく口にするつもりだった。

 モズと目が合う。不慣れな環境の中だからか、モズは私のことをじいっと捉えて離さない。

 

「かわいいねー、小鳥? よしよし」

 

 吹けてない口笛とともに、シノザキがモズめがけ手のひらを差し出してくる。けれどもモズは、困ったように私の方を見たままで、その場から動こうとはしない。

 

「ありゃー? 鳥に愛されない系かなー」

 

 シノザキが、おいでおいでと手のひらを動かす。それでもやっぱりモズは、私の肩から離れようとはせず、

 

「あっ」

 

 私が、シノザキが、白岩が、一斉に声を上げた。

 モズが、空高くまで飛んでいってしまったからだ。

 ――モズの羽ばたく音が、夏の空へ響き渡る。消えゆくモズの姿を目で追っていったが、それは数秒も続かない。

 またたく間に、モズは空へと還っていった。

 そうして、人の営みが地から聞こえてきた。

 

「あ……その、ごめん」

「ううん、気にしないで。たまたま、肩に乗っていただけだし」

「そう? ……アズミ、なんというか、すごいね」

「何が?」

 

 シノザキが、私の肩を指さして、

 

「鳥に、愛される系なんだ」

「まさか、偶然よ」

「そうかなあ?」

「そうかなあ?」

 

 シノザキと白岩が、驚いた顔をして互いを見やる。これだけで意思疎通が図れたのだろう、シノザキが「やっぱりそう思う?」と笑い、白岩も「思う思う」と同意する。

 まったくこいつらは。

 まあ、いいけどね。

 鳥に愛されるなら、それはそれで構わない。むしろ、あんなにも可愛いものなのかと思いもした。モズと目が合った時なんて、正直、母性本能というものがくすぐられたものだ。

 

「なるほど」

「え?」

「あなたが鳥に夢中になる理由、分かった気がする」

「お、そうかい?」

「ええ」

 

 素直に笑えたと思う。こんなにも可愛いのであれば、白岩が鳥へ夢中になるのも頷けるものだ。

 

「ほほーん」

 

 首が、ごきりと音を立てたかもしれない。それほどまで、シノザキへのロックオンは速過ぎた。

 

「お邪魔虫は退散しまーす。あ、少し遅れてもいいからねー?」

「! 馬鹿言わないの!」

 

 何が楽しいのか、シノザキは「じゃねー」と全速力で消えてしまった。

 舌打ちする。白岩とは、そういう関係では、そういう関係ではないというのに。

 頭に手を当てる。

 

「……で?」

「え?」

 

 呆れた目つきで、白岩の方に視線を向ける。白岩は、当然だとばかりにペンと黄色いノートを右手左手に装備していた。

 ため息をつく。最近、どうも騒がしい気がする。

 けれど、

 

「白岩」

「ん?」

 

 けれど、

 

「いつも、ありがとう」

「ああ。アズミは友達だから、これぐらいはさ」

 

 けれど、悪くはない事態だ。

 さて、猛暑に苦しみながら、戦車道を歩むとしますか。

 

 

 ――その後のことはといえば、レポートを見た隊長からは「六両!? すごい」と驚かれた。ルミも「張り切ってたねーアズミー」と嬉しそうにからかってきて、メグミに至っては「彼氏の前ではパワーも出るか」とかなんとかほざいたので、メグミのコロッケを奪い取って食ってやった。食堂で、けたたましく鳴り響くメグミの嘆き。

 メグミが私のハンバーグを奪おうとして、踏み込みが足りんとばかりにメグミの箸を切り払っている中、白岩は、

 

「カッコ良かったよ、アズミ」

 

 そんなことを、言ってくれたのだ。

 そんなことを、貴方が言わないで。

 

 

 晴天、28度 30対30 フラッグ車:メグミのパーシング

 10:14 アズミが敵車両を撃破。一番最初に島田チームの戦力を殺ぐ。これは凄い! 隼のように速い!

 10:32 アズミが被弾したものの、反撃で敵車両を大破させた。アズミが車体の角度を変え、疑似的な防御を成したからこその結果だ。俺には真似出来そうにない。

 10:42 アズミの活躍っぷりは、戦車隊全体に伝わっているのだろう。交戦回数がとにかく多い。危険な標的は優先的に狙われるというもので、それだけアズミが強いという証左でもある。頑張れ! アズミ専用の包囲網を仕掛けてきてるぞ! 猛禽類のような強さを見せてくれ!

 11:04 接近戦に持ち込まれるが、アズミが忍者刀のように砲身をぶっつけ、相手が錯乱したところを撃破。6両目、素晴らしい! また羽ばたいた!(=゚ω゚)ノ

 11:08 大胆にも、島田さんめがけ車両を突っ込ませる。動揺は誘えたのだろうか? 惜しいところで敗北してしまった。敗因は、先に捉えられてしまったからだろう。

 島田さんの裏をかければ、スキを作れれば、勝てるかもしれない。臨機応変即ち島田流を受け継ぐならば、奇策を創るのも悪くはないと俺は思う。ガンバレ、アズミ!

 

 ほんとにこの人は、もう。

 

―――

 

 最近、アズミってばすごいことになってるよね。

 

 大学選抜チームの「中」に居ると、一日に二度は必ず聞くフレーズだ。この場合の「すごい」というのは、戦車道的な意味で「すごい」という意を指す。

 これまでのアズミのスコアはといえば、最低でも二両撃破、最高は五両撃破という、「優」な成績だった。副官という後方ポジションを考慮してみると、これでも十分だと私は思う。

 けれど、ここ最近のアズミは確かにすごい。最低でも五両撃破、絶好調に達すれば七両と、以前とは比べ物にならない成績を、毎度の如く叩き出してくるのだ。

 

 これだけでも十分すごいことだが、ここ最近のアズミの行動パターンもすごい。

 まずアズミは、思いついたかのように島田流の極意を振り回すようになった。副官となると保守的な戦法をとりがちになるが(これは隊長である私も同じ)、副官アズミは当たり前のように待ち伏せしたり、高台から奇襲戦法を仕掛けてきたり、近接戦闘に持ち込んで相手を驚かせたり、更には私めがけ火を放ったりと、やれるだけのことをやるようになってきたのだ。

 

 臨機応変を尊ぶ島田流としては、アズミの成長には感心せざるを得ない。この路線で突っ切ってくれれば、いずれは島田流のエースとして君臨してくれるかもしれない。

 島田流の後継者として、私は心からそう願う。

 

 ――アズミ、何かいいものでも食ったのかな。この短期間で、めちゃくちゃブーストかかってるでしょ。

 ――知らないの? イネダ。最近ね、あいつにはね――

 

 わかってる、アズミが強くなれた理由なんて。

 戦車道とは、良くも悪くも心身が影響されやすい。何せ暑くて寒くて重くて狭くて危なっかしい乗り物を駆使して戦う武芸なのだ、生半可な気持ちで挑戦したところで「やめる」と投げ出すのがお約束でもある。

 だから、「何かを守る為」だとか「何かに応えたい為」という動機持ちは、強くなりやすい傾向にある。それは間違いなく、鉄の心の一つであるからだ。

 ――だから。

 

「本当に惜しかったな、アズミ。でも、平均レートは保ててる」

「お、そっか。……私はフラッグ車ではないんだし、もっと前に出ても良いんだよね」

「そうそう。アズミってば元から強いんだから、戦闘回数が増えれば増える程、自チームに貢献しやすいのは当然さ」

「元からって、買いかぶりすぎだってぇ」

「俺はアズミを長らく観察してきたから、客観的に実力を分析できるのさ」

「おー、そういえばそうだ」

 

 アズミがすごいことになるのなんて、当たり前だった。

 お昼休みの食堂は、いつもこんな感じだから。

 

 ルミが「へえ」とにやついて、メグミが「またイチャつきやがって」と毒づいて、アズミが「そんなんじゃないから」と呆れて、メグミの言葉にどきりとして、羨ましそうにアズミのことを見て、

 

「? どうしました? 隊長」

「あっ、ううんっ、なんでもないよっ」

 

 ――白岩のような人が出来たら、私も、アズミのように張り切っちゃうんだろうか。

 

「……アズミ」

「ん?」

「今日も、カッコ良かったぜ」

「……そお?」

 

 たぶん、張り切っちゃうと思う。一日に一度、フラッグ車を討ち取ろうとする程度には。

 だっていまのアズミ、顔は迷惑そうに照れていて、口元は嬉しそうに曲がっているから。

 

「はいこれ、今日のレポート。……みんなも、いる?」

「お願い」

「くれ」

「いいかな?」

 

 だから明日も、カッコ良く生き抜く為に、最初から私の事を狙い定めるに違いない。

 気を付けよう。

 

―――

 

「ぉはょぅ」

「ぉはょぅ」

 

 朝、35度。

 

「ぁぁ、ゃりたくなぃ」

「せんしゃどぅ?」

「ぅん」

「ゎかる。ぉれもばぃとしぃたくなぃ」

 

 これでもかというくらい、私も弱々しく頷く。

 精鋭大学選抜チームだろうが、月間戦車道の看板娘だろうが、ここ最近の調子が良かろうが、所詮は私も人間様というもので、猛暑には抗えない。

 けれど戦車道というものは、今日も今日とて履修者の首根っこを掴み取るのだ。私は副隊長の身であるから、隊長めがけ「暑いので休んでもいいですか?」なんてほざこうものなら、世にも恐ろしい無表情で「は?」と言われるに決まっていた。

 

 猛暑を歓迎しているらしいのか、虫の音がいつもより大きく聞こえてくる。気温なんざ関係ないとばかりに、今日も配達トラックが住宅地の間を走り抜ける。青空を見上げてみたが、鳥の一羽も見受けられなかった。木陰でのんびりしているのかもしれない。

 

「しらぃゎ」

「ん?」

「きょぅのせんしゃどぅ、かゎってくれなぃ?」

「なんでぇ」

「せんしゃってぁっぃから」

 

 駄目元で、白岩めがけパーシング乗車券を譲渡しようとする。馬鹿言えとか、無理だからとか、そういった返事が返ってくるものかと思っていたが――

 白岩は、長らく「あーうーんー」と唸っていた。

 茹っていた脳味噌が、僅かながら覚醒する。「え、マジで?」と、冷静な個所がコメントする。まさか白岩は、私の為に、本気で、

 

「そぅしたぃのはゃまゃまなんだけれど」

「う、うん」

 

 白岩は、実にがっかりするようにため息をついて、

 

「ぉれ、ぉとこだからさ……」

 

 望みが絶たれた。

 戦車道に関して、それを言われては、もう反論のはの字も出せない。

 ひと段落がついたとばかりに、車が通り過ぎていく。なんとなく、「白い車か」とぽつりと思う。猛暑の中で聞こえてくるのは、とにかくセミの鳴き声だけだった。

 

「鳥になりたい……」

「なんで?」

「飛ぶと、冷えるんじゃないの?」

「まあ、そうかもしれないけどさぁ」

 

 アズミが、うんざりを前面にため息をつく。

 

「太陽つらい」

「俺も」

「戦車乗りたくない」

「アズミさん、将来の夢は?」

「今だけ忘れた。……はぁぁぁぁ、なんで飛行機が空飛べて、戦車が飛行できないんですかー?」

「さあ……ロケットブースターでもつければいいんじゃないの?」

 

 やっぱりそれしかないのかと、天を仰ぎながらで思う。

 しかし、現実とは非情なもので、

 

「……これまで一度も、ブースターつきの戦車は見たことがないから。たぶん、試作に終わったんじゃないかなー」

「そっかぁー。重くなりそうだもんねえ」

 

 人類とは、地球に対してはつくづく無力なのだと痛感する。太陽が、単位という宿命が、隊長が、何もかもが恐ろしい。めげそうになる。

 

「はー、白岩ー、今日で私の生命活動は終了ですぅー。猛暑の中で戦車に乗ろうものなら、間違いなくおしまいですぅー」

「でも、乗らにゃアカンのだろ?」

「まあーねえー」

 

 白岩が、両肩で一息つく。どこか楽しげに苦笑しながら。

 

「もし戦車道を歩み終えたら、弁当やっから」

「……へ?」

 

 白岩が、鞄から弁当の包みを二つ取り出す。片方は白色、片方は黄色。

 暑さにへばっていた私の理性が、瞬く間に息を吹き返す。青春ドラマのような展開に、まずはロクな言葉が出てこない。

 

「ほら、前に言ってたじゃん。『癒し系』と結ばれたいって。だからその、まあ、そういうのがモテるんだろうなって思って、こうしてな?」

「ま、」

 

 マジで。

 そう口にしようとして、動揺が声色を押さえつける。大学生になって、ようやく甘酸っぱさが沸いて出てきたなんて。あまりにも嘘くさい。

 

「えーっと、戦車道履修者は、目玉焼きハンバーグが好きだって……ネットで調べたから。だから、それを添えてある」

「そ、そう、なんですか」

「うんまあ。……だからその、第三者に味を見てもらいたくてさ。良かったら、昼に一緒に食べね?」

 

 白岩も、こういう事をするのはこっ恥ずかしいのだろう。二つ重ねの弁当箱を掲げてみせて、照れ隠しに口元を曲げ切っている。

 そんなの、

 

「私で、いいの?」

「友達だろ?」

 

 そんなの、

 

「わかった」

 

 そんなの、笑って快諾するに決まっているじゃないか。

 白岩も、「っしゃあ」とか喜んでしまっている。こんな人が作るお弁当は、さぞかし美味しいのだろう。

 ――白岩が、弁当を鞄の中にしまう。戦車道が始まったら、とにもかくにも体力を使って、腹を空かせてやろうと心に誓った。

 

「さて、行きますか」

 

 白岩が、白のカットソーシャツを整え直す。恐らくは、それもBC社のものなのだろう。

 ――それにしても、

 

「白岩ー」

「んー?」

「さっきモテる為とか言ってたけれど、今でも、女性から言い寄られてたりしてない?」

「え、どしたの急に」

「だってさ、服を上手く着こなせているし、髪だって今日もキメキメだし。おまけにやっさしーでしょー」

 

 白岩の背中を、優しめに叩いてやる。白岩は困り果てた顔で、「えーなんもないよおれー」とかなんとか言うのだ。

 

「うっそだぁ。あなたのようなイケメンさんはね、絶対に女性から逃れられないんだからねー」

「そなの? ……んー、告白はともかく、野郎どもからは『最近キマってんなテメエ』とか言われるけどね。じゃあBCの服を着てみろって言ってっけど」

「ご宣伝、ありがとーございまーす」

 

 軽く一礼する、白岩も「どーもどーも」と返してくれる。

 初対面の頃に漂っていた、遠慮じみた空気はもうどこにもない。私の目の前にいるのは、れっきとした、はじめての男友達だった。

 

「あ、そういや松木――俺のサークルの女性メンバーで、友人なんだけどさ。そいつからも、『カッコ良くなったじゃん』って言われた」

 

 ほー。

 

「女性から評価されるってことは、俺の着こなしは間違ってなかったってこったね」

 

 私はなぜだか、きっぱりと頷いてみせて、

 

「うん。看板娘である私の目から見ても、白岩のファッションセンスは良いって思うもん。バードウォッチャーってさ、軽装ってイメージがあるから、白岩のキャラにピッタリ」

「マジか、やったぜ」

 

 住宅地の歩行路で、白岩がまたしても服を整える。私からの評価がそれほど嬉しかったのか、白岩ときたら猛暑と戦えそうな笑顔を見せつけてくれていた。

 悪くない気分だ。ほんとうに、そう思う。

 ――あついあついと言いながらも、何だかんだで大学の前までやってきた。これからクソ暑い戦車の中へ乗り込むことを思うと、気が滅入る。鼻息まで出る。

 

「で、どする? 歩む?」

「歩むわよ」

 

 が、ぉはょぅと挨拶した時から、私の選択は決まっていた。

 それに、腹が減れば減るほど、昼飯というものは美味くなるのだ。

 白岩を見る。「がんばれ」、そう励ましてくれた。

 

 よし、十分だ。

 迷わず、訓練所まで両足を歩ませる。途中でメグミとばったり出会い、「アツアツですなー」とか言われたが、ニヤケ面を以てしてスルーした。

 メグミが首を傾げる。戦車道を歩む為に、私は白岩と、いったん別れを告げる。

 さて、今日も練習試合だ。今度こそは勝つぞー。

 

 ↓

 

 隊長。私は、絶対に――

 

 いまの私はたぶん、ひどく笑っていると思う。五回くらいは、こんなツラをしでかしただろう。看板娘はく奪間違いなしだ。

 まあ、生真面目な装填手ウメキも、お喋りな砲手シノザキも、寡黙な操縦士タケナカも、噂好きな通信手ウルシバラも、同じような顔をしているに違いない。ここまでバカスカ主砲を撃たれながらも、ドカバキと六両の戦車を撃破していった仲なのだから。

 

 隊長のセンチュリオンへなんとか肉薄して、もらったと思いきや機銃で目つぶし。些細なスキという死の時間を以てして、私達は隊長からの一発を至近距離からお見舞いされ、行動不能に陥った。

 白旗の作動音を耳にしながらも、蒸し暑い車内で「惜しかったわね」「そだね」「カレシのレポートのお陰だね」「インタビューであることないこと言うからね」「そんなー」とかなんとか。

 惜しかっただけに、「勝てると思っていた」だけに、私たちの空気は、まったくもって悪くはなかった(40度)。

 

 今度は、どう攻めようかな。

 つぎは、絶対に勝ちたいな。

 彼は、見てくれていたかな。

 

 

 

 そんなことがあって、私と白岩は戦車道エリアのベンチに腰を下ろそうとして――先客の男が居たが、その人は「どうぞ」と譲ってくれた。

 私と白岩は頭を下げて、そのままベンチへ座って、白岩の「さて」とともに弁当箱を手渡される。途端に腹が鳴る。

 

「お疲れ様。さ、これを食って元気出して」

「ありがとー」

 

 蓋を開けてみれば、まずはごましお白米が目に飛び込む。この時点で胃の中が空となっていって、更に目を配ればブロッコリー入りの紙カップが。更には存在感たっぷりの卵焼きが視界に飛び込んできて、小さく「おお」と声が漏れてしまう。

 これだけでも立派な手作り弁当なのだが、疲れ切った戦車道履修者の腹を満たすには、あと一品ほど欲しい。

 だから白岩は、弁当箱の半分を占める目玉焼きハンバーグを仕上げてきた。これだけでも勲章ものだというのに、目玉焼きのデカさも情け容赦がない。大きすぎて、まるでハンバーグが見えない。

 

「これ……マジで初めての弁当?」

「マジマジ。だから、サイズの配分しくったかも」

「ううん、そんなことない。これは……ゴイス」

「それは良かった。さ、食ってくれよ」

 

 箸を手渡される。私は手を合わせ、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 まずは、ごましお白米を口にしてみる。米が程よく歯で噛み砕かれ、ごまの苦さと塩の酸っぱさが、舌の上で好きに踊る。

 瞬く間に上機嫌となった私は、「うん」と声に出して、

 

「んまい!」

「マジで? ありがと」

「いいわねえ。あなた、いいお婿さんになれるわよ」

「マジか!」

「マジマジ」

 

 白岩が「っしゃあ」と喜ぶ。流れで水筒を取り出しては、カップにお茶を注いで「はい」と手渡してくれた。

 サンキュとお礼を言い、私は冷えたお茶を喉へ流し込んでいく。先ほどまで密室で暮らしていただけに、お茶からもたらされる恵みが非常にありがたい。

 一気飲みし、おじさんっぽく声まで漏れた。

 白岩も、自分専用のカップを取り出してはお茶を注いでいく。

 

「それにしても」

「ん?」

「惜しかったねぇ。あれだけ接近出来たのに」

「ああ、やっぱり見てたんだ?」

 

 当たり前じゃん。白岩は、嬉しそうな顔をしながらで目玉焼きをつっつく。

 

「やっぱりアズミはスゲーよ。前よりも、着々と成長してってる」

「そうかなー?」

 

 ブロッコリーを完食して、次に目玉焼きを箸で摘まむ。頬張ってみると、柔らかさとさっぱりした甘みが、私の食欲をなおのこと刺激してくれた。

 

「そうそう。やっぱアズミは、本当の意味で、戦車道のアイドルだったんだなあ」

「大袈裟ねえ」

「俺はそう思うけど」

 

 また、そんなことを口にする。

 友達だからといって、友達だからこそ、はっきりとそう言えてしまうのだろう。

 だから私は、機嫌良く笑ってしまった。

 

「白岩」

「うん?」

「あなた、モテるわよ」

「え、そうか?」

 

 言われた白岩も、まんざらではないように微笑する。

 

「そっかそか、モテるか。いやまあそれはそれで悪くはないけれど、やっぱ、俺から好きになりたい、かな。誰かを」

「おー、真面目ねえ」

「フツーの考えだよ。恋に関しては、生真面目にならにゃあ」

「そか、そうよね。じゃあ……応援してあげる」

「マジで? っしゃあ」

 

 目玉焼きハンバーグを完食した白岩が、茶で口直しをする。流石は男の子、食べるのが早い。

 ――結ばれる。この言葉を耳にして、私は、夏の空をなんとなく眺める。

 

「将来、どうなっているのかな、私たち」

「どうなんだろうね。俺は、普通に結婚して、普通に働くことを考えてる」

「バードウォッチングは?」

「やめない」

「でしょうね」

 

 それを聞いて安心してしまい、私はくつくつと鼻で笑ってしまう。

 たぶん、きっと、白岩はこの世界で幸せに生き抜いていくだろう。友達――親友として、心からそう思う。

 

「アズミはどう? やっぱり、戦車道のプロ選手に?」

「うん。それ『も』あるんだけれど」

「ど?」

 

 あーあ、これ言っちゃおうかな、どうしようかな。

 今日の試合内容のせいで、白岩のレポートのお陰で。私の中に変な自信が、私の中に新たな夢が芽生えてしまったのだ。

 

 ――あなたのせいだからね、白岩。あなたが私の事を「個人的に」応援してくれたせいで、私は「もっとカッコ良く活躍したい」と思うようになっちゃって。そのせいで私の人生に馬力がかかっちゃったんだからね。

 だから、聞かせよう。

 白岩への、お礼を。

 

「……あのね。今日、思いついた夢なんだけれどね」

「うん」

 

「――島田愛里寿に、勝ちたい」

 

 白岩が、言葉を失う。

 

「隊長のことは大好き、尊敬もしてる。……それに、天才だから、私じゃあ越えられないだろうなあって、そう思ってた」

「――うん」

 

 白岩は、真剣だった。

 決して反論しない、口を挟まない、邪魔する奴がいたら追い払いもする。そんな圧力が感じられるほどの、真顔。

 

「でもね、ある日……私の親友が、『私の為』に、詳細なレポートを書いてくれたの」

 

 頷かれる。

 

「それを見た時ね、それはもう恥ずかしかったんだけれど、思ったの。『ああ、この人は私を応援してくれている。この人にカッコ良いところを見せなくちゃ』って」

 

 頷かれる。

 

「レポートだけじゃない。私の親友はね、男であるにも関わらず、戦車道の、それも島田流っていう専門的な言葉も学んでくれた。それで、『島田流の体現者なら、もっと大胆に、カッコ良く動いてもいい』って、私に後押ししてくれた。だから私は、高校の頃みたいに、おんどりゃーって動けるようになっちゃった」

 

 笑われる。

 

「それでいつの間にか、私は大学選抜チームの中でも危険人物扱い。どっかんどっかん撃たれたけれど、ここで反撃出来ればカッコ良いでしょ?」

 

 二度、頷かれる。

 

「そんな猛攻をかわしているうちに、気づけば隊長の喉元にまで近づいていた。その時にね、変な笑いが漏れちゃってね、『大学選抜チームのトップに立つ』なんてけったいなことを考えちゃったのよ――あ、隊長には言わないでね?」

 

 もちろん、と言われた。

 

「今回は負けちゃったけれど、次も、たぶん次も、この気持ちは変わらないと思う。だって、いつだって、私の力になってくれる人がいるから」

 

 目玉焼きハンバーグの一切れを、何度も何度も咀嚼する。うまい。

 

「――なんだろね。きっと、その人に報いたいんだろうなーって思う。それに伴って、大学選抜チームの中で、一番カッコ良い履修者になりたいって思いついちゃったんだろうね」

「いいと思う。目標に、貴賤なんてないよ」

 

 白岩は、頷いてくれた。

 

「……なんか、さっきから『カッコ良いところを見せたい』としか言ってないよね。やっぱりー、戦車道としては、不純だと思う?」

「そんなことないって。ミュージシャンも、ナルシストじゃないと食っていけないっていうじゃん」

「でも、戦車道ってば真面目な武芸だしねー」

「自分の精神を好きになれないで、何が武芸だよ」

「――カッコいいこと言っちゃってぇ」

 

 ここからは、数多く並ぶ戦車がよく覗える。試合から生じた汚れを落とす為に、数人の履修者がホース片手にパーシングの車体と戦いを繰り広げていた。

 昼休みだからか、どの戦車も走り回ってはいないし撃ちもしていない。先ほどの試合が嘘のような、いたって静かな場所に私は居る。

 

「……まあ、結局、清く正しくカッコ良くの精神からは、離れられないのかも。元はといえば、それがきっかけで戦車道を歩み始めたものだし」

「そなの?」

 

 まあ、この人にならいいか。

 最後の目玉焼きハンバーグを食べ終え、箸をケースにしまい、ポケットから携帯を取り出す。慣れた手つきで写真データを発掘していって、その最中に「うわーメグミちゃんキメキメなポーズだなー」と苦笑する、確か半年前の写真か。

 もっと過去のデータへと遡って、大学一年、高校三年、二年、一年――

 

「これ、見てよ」

「んー? ……うおっ、何だこのイカした人は!?」

 

 そのイカした人はというと、現在進行形で、親指で己が顔を指している。

 白岩がいま見ている画像というのは、五年前のもので、うら若き高校一年の頃のもので、BC自由学園のパンツァージャケットを着こんでいて、不敵そうなツラで敬礼をかましていて、ロクな責任感なんて背負っていなかった、昔の私の写真だった。

 

「似合ってる、めっちゃ似合ってるー!」

「ありがとー。……あのさ、これ、BC自由学園のパンツァージャケットなんだけどね?」

「うんうん」

「――これが着たくて、私、戦車道を始めたの」

「マジでぇ?」

「マジマジ」

「あー、なんからしい! らしいわ!」

 

 何が嬉しいんだか。白岩が、遠慮なく声に出してまで笑う。

 まったく失礼な男だ。

 

「なぁるほどね、そっかそっか……なるほど、いまとぜんぜん変わってないのね?」

「むしろ、あなたのせいで悪化した」

「え、俺のせい?」

 

 分かっているくせに。私の携帯で、白岩の鞄を指して、

 

「その中に、今日の分のレポートが入ってるんでしょ」

「あ、バレてる?」

「バレてる。……応援してくれる人がいるんだから、その人の為にカッコつけたがるのは、人間として当然でしょ?」

 

 たぶん、正論を口に出来たと思う。

 アイドルにしろ、戦車道にしろ、リピーターが居てくれれば、その人の為に力んでしまうのは健全な流れといえる。時には「その人の為に」と暴発してしまうこともあるが、そうなってしまえば見透かされたかのようにドカンと食らわされてしまうし、試合終了後の「一礼」という間によって、やはりどうしても冷静にならざるを得ないのだ。

 これが、「戦車道は勝ち負けが全てではない」と言われる所以である。

 

 私はたぶん、他の道では食ってはいけないだろう。

 格好良いパンツァージャケットを着こなせて、根は真面目な戦車道を歩むことしか、私には出来ないだろう。

 ――それでリピーターがついてくれるのなら、これ以上の幸せなんてあるはずがなかった。

 

「……っかそか。俺のせいで、アズミは、トップランカーを狙う女性になっちゃったか」

「そーよー。あと、隊長には絶対にチクらないように、言ったら大声で泣く」

「分かった分かった、秘密にするから」

 

 よし。

 互いに目を配り、悪そうに笑い合う。隊長を越えるという夢は、間違いなく抱いてはいるのだから。

 

「――アズミ」

「うん?」

 

 そして、白岩は少しばかりうつむく。どこか楽しそうに苦笑しながら、どこか高揚したように唸り声を漏らしながら。

 どうしたんだろう、と思う。けれども見当もつかないから、ただ待つことしか出来なかった。

 

「あのさ」

「うん」

 

 そっと、白岩と目が合った。

 目と口元が穏やかに曲がっていて、けれども私から目を逸らしたりはしないで。そんな彼のことを目の当たりにして、私は次にすべきことを見失った。

 

「俺、実は、」

「う、うん」

 

 実は――

 言葉の続きを予測する。二人きりというシチュエーションから生じる言葉はといえば、「君のことが好き」(ドラマ調べ)。将来を話し終えた男女が交わす言葉はといえば、「そんな君が好き」(映画による経験)。ここまで関係が進展して、距離感なんてほとんどなくて、私の目を真剣に見つめて、次に出てくる言葉なんて「君が好きだったんだ」(カン)。

 それはない、と思う。

 好きと言われたら、と想う。

 私は、どうやって返してしまうのだろう。そもそもこんなことを考えている時点で、彼のことが好きだったりするんだろうか。

 私は、彼が好き?

 あ、やばい。

 頭の中が、戦車内ばりに蒸し暑くなってきた。彼は私の事を友達だと見なしているはずなのに、私ってば何を一人相撲を――

 

 白岩が、自分の頭を手で叩く。弾けるような音を耳にして、「ひゃっ」と情けない声が出た。

 

「あ、ごめん――その、俺さ」

「う、うん」

「……アズミの、トップになるっていう夢を成せるまで、ずっと応援し続けるよ」

「……え」

 

 白岩が、小さく頷いて、

 

「アズミの、戦車道に対する想いを聞いてさ。ますますアズミのことが好きになって――あ、もちろん友人としてだぞッ?」

「う、うんうん」

「……それにね」

 

 白岩が、鞄を見やる。

 

「すごく、嬉しかった」

「え?」

「俺のレポートを、真剣に読んでくれたことが」

 

 どこか遠くで、ヘリのローター音が響く。

 

「こんなにも一生懸命な人の力に、俺はなれている。それがね、もうたまらなくたまらないんだ」

 

 私は、頷いた。

 

「もっとアズミの役に立ちたい、友達の力になりたい。そう思うと、調べ物をして、詳細なレポートを書くのが楽しくなってきた。アズミも、メグミも、ルミも、島田さんも、俺のレポートを読んで、頷いてくれるしね」

 

 私は、頷いた。

 

「少なからず、俺のレポートが力になって、アズミが徐々に成長していく姿を見て……俺、凄く嬉しいんだ」

「――親友、だから?」

 

 間。

 

「ああ」

「――そっか」

 

 互いに小さく笑い合う。

 すこし、残念かな、という、曖昧な気持ちを胸に秘めたまま。

 

「だからこれからも、アズミのことを応援する。親友だから」

「そっか、そか」

「それに――アズミはいつか、トップランカーになれると俺は思ってる」

「へえ、なんで?」

 

 よく、笑えたと思う。

 

「いまのアズミは、誰よりも美しいから」

 

 うまく、笑えもしなかったと思う。

 

 ――だめ。

 「誰よりも美人さん」という評価じゃなくて、「誰よりもカッコ良い」という目標そのものでもなくて、

 私の瞳だけを見つめながら、『美しい』なんてストレートを投げかけられたら、あなた(白岩)にそう言われてしまったら、

 

「――あ、そろそろ時間かな。食器、片しとくよ」

「あ、うん。ごちそうさま」

「お粗末様。いやー、今日は色々聞かせてくれてサンクス。人生で、五本指に入るほどの、色濃い経験をした」

「うん」

「次は島田さんに勝てるといいね。まあ、島田さんも俺の友達……でいいよな? 友達だから、一方的なことは言いたくないけど」

「うん」

「……その、ガンバレ、アズミ。俺は、アズミの下克上を陰から見守るぜ」

「うん」

 

 白岩が弁当箱を片して、鞄からすっかりおなじみのノートを取り出す。だいぶ使いこなされたせいか、表紙が若干黒ずんでいる。

 それをアズミにあっさり手渡して、「コピったら返して」とだけ告げて、反射的に私は頷いて、白岩が「じゃあ、俺はこれで」と立ち去ろうとして、

 

「白岩」

 

 考えるよりも先に、彼の名前が口から出た。

 白岩が足を止めて、首だけを振り向かせて、「何ー?」と返す。

 ああ、やばい、目が合った。

 落ち着け、息を吸え。

 白岩とは、もう、間近で話し合う仲だ。だから、多少の「探り」を入れたところで、単なる雑談や冗談として処理されるはずだ。不審者としては見られないはずだ。

 そうだ。そういうことだ。

 よし。

 

「し、白岩ってさ」

「うん」

 

 白岩が、体ごとこちらに振り向かせる。一言では終わらないと察したからだろう。

 律儀な人だと、私は思う。

 

「うぇーっと……その、今まで応援してくれて、ありがとう」

「ああ。こちらこそ」

「その……あなたも十分にカッコ良いよ。顔も、精神も、イケメンだと思う」

 

 何の脈絡もなく、二番目に言いたいことを口にしてしまった。

 

「っしゃ! アイドルの言葉を信じていいんだな? 信じるからな?」

「うんうん信じて。――で、でさあ」

 

 白岩が、何事もなく「うん」と頷く。

 私は、異常事態のまま深呼吸をして、

 

「あなた、好きな人って、いたりする?」

 

 一番目に言いたいことを、ようやく口に出来た。

 

 戦車道エリアから、「講座の時間だってさー!」の大声が響き渡る。モップとモップで鉄血チャンバラをしていた履修者二人組が、「わかったー!」と返事をして休戦状態に入る。私と白岩の間に、どうしようもない距離感が生じた気がした。

 猛暑の中であるはずなのに、気温だとかそういうのは二の次だった。今の私にあるのは、沈黙と、ある一種の緊張感だけ。

 ――白岩は、少し険しい顔つきになりながらも、また元通りの表情になって、

 

「そう……だね。まあ、まだいないってことにしてくれ」

「へえー、そっかそか。もし寂しくなったら、私の元においでなさいな」

「マジでー? まあ、その時が来たら、そうさせてもらいますわ」

「うむ。いつでも待ってるぞー」

 

 手を振るい、今度こそ白岩と別れを告げた。

 ――ため息が出る、ベンチの背に身を預ける。

 疲れた、ほっとした、暑い。

 

「……そっかそか」

 

 一人で納得している最中、ポケットの中の携帯が震え出した。

 一体なんだろうと携帯を引っこ抜いてみれば、またしても携帯が動いた。友人からのメールかなと、指で画面をスライドさせてみれば、

 

 送信者:メグミ

『で? 二人でお昼ご飯を食べたご感想は? 進展は? 報告しないと絶交!』

 

 どうでもいいメールだった。

 次の未開封メールの送信者は――ルミだった。舌打ちしながら、メールを開封する。

 

 送信者:ルミ

『食べ終えた? いいわねー妬けちゃうわねー、男と一緒にお昼なんて。今度、あんた抜きで飲みに行くわ』

 

 くそどうでもいいメールだった。

 ああやだやだと、携帯の電源を切ろうとして――

 

 新着メール:島田隊長

 

 隊長……

 

 送信者:島田隊長

『どうだった? ロマンス、あった?』

 

 なんてめんこい子なのだと、心の底から思う。だから戦車道に滅法強いんだなと、根拠もなく考える。

 隊長に対して『応援されただけですよ』と返信する。本当の返事をしてしまっては、私はきっと、恥ずかしさのあまり死んでしまうだろうから。

 

 今度こそ、携帯の電源を切る。ひと息つく。

 

「やっぱり、そっか」

 

ベンチに腰かけたままで、なんとなく見上げてみる。

 

「いつの間にか、あいつのことが、好きになってたんだな」

 

 戦車道エリアから見える青空めがけ、人差し指でバレルを、親指で照準を作って、

 

「絶対に、振り向かせてやるんだから」

 

 彼のハートを打ち抜くつもりで、指鉄砲の引き金を引こうとし、

 慌てて引っ込めた。

 

 一羽の鳥が、私の目の前を通り過ぎていったから。

 ばーんしてしまったら、鳥が落ちてしまいそうだった。彼に、とにかく嫌われてしまうだろうと恐れた。だから左手を使ってまで、指鉄砲を包み隠す。

 

 鳥のことを強く意識してしまうなんて。わたし、やっぱり、恋しちゃったんだなあ。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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そして、

 週明け。

 割と涼しい早朝から、333号室(白岩の部屋)でビビりながら直立する。部屋番号を眺めてみて、羨ましいナンバーだなと少し思った。

 緊張する。

 胸を触ってみて、露骨に脈を打っているのを確認してしまう。

 落ちつけと、己が頬を叩く。いたい。

 受け入れるように、観念するように、両肩で息を吸った。

 

 やれるだけのことはやった。

 待ち合わせ時間も十分間に合ってる。

 次は、するべきことをしなければならない。

 メタルなドアの前で、勢いよく呼吸する。生ぬるい空気が、肺にじんと伝わってくる。ぴんぽんを押すのなんて、おっかない敵車両を見つけて撃てと指示するよりもよっぽど――難しい。

 

 けれど、ここで退くわけにはいかない。

 朝を迎えたら、白岩を昼飯に誘おうとベッドの中で決めただろう。

 緊張と興奮状態に陥って、まるで眠れた気もしない。

 こうしてインターホンすら押せないということは、やっぱりそういうことなのだ。

 ――それは認める。今日の「手荷物」なんて、モロに白岩のことを意識したものなのだし。

 

 よし。

 やるぞ。

 私は大学選抜チームの副隊長だ。男一人を誘えないで、何が戦車道のプロだ。

 インターホンに手をかけ、

 

「いってきまーす」

 

 鉄の扉が開かれ、白岩と私の目が合った。よくも体が反応して、ドアに合わせて後ずさり出来たかと思う。

 間。

 

「きゃ―ッ」

「わ―ッ」

 

 ほぼ同じタイミングで、己が口を己が両手で抑え込む。私も成長したのだなあと、しみじみ思いながら、沈黙を打破する為に、

 

「あ……お、おはよう」

「あ、おはよう。――どしたの? 俺に、何か用事?」

「あ、ああうん。用事ってほどでもないんだけれど」

 

 言い終えてみて、「あ、すこし嘘ついたかな」と思う。これから一緒に登校することを抜きにしても、私には、白岩個人に重大な用件を抱えているというのに。

 ――またしても、沈黙が訪れる。

 けれども白岩は、嫌な顔を一つせずに、「ん?」と首を傾げたままだ。あまりにも静かすぎて、虫の鳴き声が明確に聞こえてくる。どこか遠くで、履帯特有の重苦しい走破音が響いた。

 聞き慣れた騒音を耳にしたからだろう。戦車道履修者としての、真剣な私の面が目を覚ました。

 皆の為に、そして自分の為に、やる。それが私の戦車道だ。

 その信念を、つばごと飲み込んでみせる。

 

「白岩。あのさ、今日、お昼に用事とかあったりする?」

「え? うーん、特にはないかな」

「そっか。……ふふふ、今日は昼飯代を払わなくてもいいぞー」

「え、なんで?」

 

 白岩が冗談めかして笑う。私は、ええいままよの勢いを忘れないまま、ごくごく自然に鞄を開けて、中身を引っ張り出して、

 

「じゃーん」

 

 二つ重ねの包み箱を、白岩めがけ大袈裟に差し出す。そうでもしなければ、恥ずかしさのあまり尻込みしてしまうから。

 白岩は最初、なんだそれという目つきになった。それから白岩なりに考察してみたのだろう、花火のように表情が明るくなって、手まで叩いてみせて、

 

「弁当か、それ!」

「そーよー。あなたには日ごろから世話になってるし、そのお礼のつもりで」

「マジでー? 俺なんもしてないぜー?」

 

 白岩が、知らぬ存ぜぬとばかりにへらへら笑う。私もけらっけら笑ってやった後で、

 

「今日、戦車道あるんだけれど」

「え、マジ?」

 

 たぶん、本能的に言葉が漏れたのだと思う。白岩が「あ」と気の抜けた一言を漏らして、観念したようにくつくつと笑う。

 

「……ありがたくいただきます」

「よろしい。ふふふ、ちゃんと味見したから、うまいわよー」

「いやー、アズミは戦車道履修者だから。そこらへんは妥協しないと思ってた」

「何よそれー」

 

 白岩と付き合って半ばが過ぎたが、白岩もずいぶん上手い事を言うようになったと思う。戦車道にしたって、「ネットで調べた」とか言って、私たちのグループの中で一緒になって議論したりするのだ。

 白岩は、戦車に搭乗したことはない、これからも乗り回すことはないだろう。だからこその第三者視点から、メンタル面度外、勝利への方程式重視、私への贔屓ありで、いつもいつも応援してくれる。

 ――人間として、女として、私しか応援してくれないなんて。そんなの、すこぶる嬉しいに決まっていた。これからも、ウォッチし続けて欲しいと願うようになった。

 ならば戦車道を歩む乙女として、良妻を目指す者として、白岩へ礼を尽くすのは当然だ。

 だから私は、ここ最近は料理について勉強した。そして遂に、手作り弁当という名の利を手にすることが出来た。

 

 白岩が、腕まくりする。「っしゃあ」と気合を入れて、

 

「今日は、頑張らないといけねーなー」

「いやー。観察する手前、熱し過ぎたらかえって良くないんじゃないかしら」

「あー、それもそうか」

 

 というよりも、私の方が張り切ってしまうのだと思う。

 腹を空かせるために動き回って、カッコ良く決める為にパーシングの主砲を震わせて、そして自分の為に隊長めがけ食らいつく。この、いつものプロセスを、いつもの1.5倍くらいのペースくらいで成そうとするだろう。

 ということは、11両くらい撃破か。さすがに無理だ、戦車道は一人で戦うものじゃない。

 撃墜数が多かろうが少なかろうが、勝ちさえすればそれ良いのだ。負けたところで、何が足りなかったのかを把握出来れば万々歳。戦車道とはそういうふうに出来ている。

 

「――っと、ここで話し過ぎるのもあれだし。そろそろ歩きましょうか」

「そだな」

 

 私と白岩は、今日も今日とて、一緒に大学まで歩んでいく。バテ気味のソラの話を聞いて、忙しないバイトの話題に頷きながら。

 

 ――まだ、彼の手を握るのは、恥ずかしくてできそうにない。

 

 ↓

 

 メグミは今、とんかつ定食を前にしながらでひどくうなだれていた。私も、シチューをスプーンでかき混ぜながらで「あー」を一つ。

 隊長は、甘口カレーをおいしそうに味わっている。肝心のアズミと白岩は、外のベンチで絶賛ランデブー中だ。

 

 私とメグミがダレている原因はふたつ。一つ目は、「お疲れー。あれ、今日は食堂に寄らないの?」「今日は彼と食べるの。私お手製のお弁当を、ね」だ。そんな爆弾を口にした後で、アズミは、ベンチで待ち構えていた白岩とすんなり合流していった。

 それだけなら、まあ、まだ許せる。白岩から弁当を食べさせてもらった手前、いつかはお手製返しをするものだろうと予測はしていた。アズミは、けっこう律儀なのだ。

 

 問題は、二つ目にある。

 

 シャワー上がりのアズミときたら、ご丁寧に化粧とリップをつけ直していたのだ。これには私もメグミも、その他の戦車道履修者も「あーなるほどねーそこまでねー」と察せざるを得ない。純粋な隊長は、「きれい」と感想を漏らしていた。

 そんな乙女アズミを目にして、私は実に実に実に思う。

 

「――ねえ」

「――なに」

「――あれで、付き合ってないらしいよ、二人とも」

 

 はやく付き合え、と。

 キスをして、大学選抜チーム全体が抱いているハラハラ感を解消してくれ、と。

 アズミのことは何だかんだで好きだから、はやくハッピーエンドを迎えて、私たちをほっとさせろ、と。

 万が一、億の一、アズミがフラれでもしたら、私たちは全力でアズミをサポートする予定だ。愚痴も聞く、涙も止めない、戦車に乗りたくなければそれだって受け入れる。大学選抜チームの面々とは、そういった「協定」が自然と交わされていた。

 正式名称を、ア(ズミ)シ(ライワ)協定という。

 

 ――白岩がお手製弁当を作ってきた時点で、両想いは確定してるんですけれど。

 

「……アズミちゃんも変わっちゃいましたなー」

「うん」

 

 隊長が、こくりと頷く。

 

「アズミ、今日も私に食らいついてきた。なんとか撃退したけれど、ほんとうに危なかった」

「まあ、カレシが見守ってる手前ですしね」

 

 メグミが「いいなーいいのー」と、苦しげな発音を垂れる。隊長も、「恋、か」と静かに呟いて、

 

「強いだけじゃなくて、アズミの顔……最近、すごくきれいになってると思う」

「そう思います? 私もそう思ってます」

 

 脱力しながら、一つため息をこぼす。

 そうして熱いシチューを口にして、ねっとりとした甘さが肌全体に伝わってきた。継続高校に在学していた頃は、シチューとシナモンは毎日かかさず口にしていたっけ。

 

「ルミー」

「んー?」

「アズミってさー、絶対気づいてないよね」

 

 メグミの、そのセリフだけで、私は「ああ」と察する。

 

「あそこまで鈍感とはねー。……恋ってそういうものなのかしらん?」

「さあねえ。履修者なら、そこらへん鋭いと思うけど」

「うーん」

 

 隊長が、思い切り悩む。まだまだ若い隊長ではあるが、恋に興味を抱いたところで何らおかしくはないお年頃だ。

 むしろ、隊長の年齢だからこそ、ともいえる。私たちぐらいになると、ついつい達観ぶってしまうのだ。

 ――来るはずのないものが急にやってきたから、アズミはあれだけ恋に食われちゃってるのかな。

 だとすると、なんとも羨ましい話だ。

 

「よく、分からないけど……わたしも、恋をしてみたいな」

「ほう」

 

 なぜだか、嬉しく微笑んでしまう。たぶん、隊長の人間らしさを垣間見たからだと思う。

 隊長はまだ十三歳だ。だのに島田流の継承者として、戦車道の天才として、常日頃から「勉強」している。その姿勢に妥協はなく、常に真面目であるからこそ、女の子らしい隊長を見られたことに、私はとてつもない安心感を覚えてしまった。

 

「隊長は可愛いですから。きっと、いい人に出会えますよ」

「そうかな」

 

 そう言って、笑うメグミも、私と同じような心境を抱いているらしかった。

 ある一種の保証が施されたからか、隊長は、にこりと表情を明るくしてくれて、

 

「――アズミのような女性になれたら、私も恋できるのかな」

 

 私は、メグミに視線を合わせる。同時に、「へえー」とため息をつく。

 

「……最近、アズミってばすごいことになってるよね」

 

 メグミが「まったくだ」と、クールに口元を曲げた後、

 

「はよ結ばれて、私らの希望の礎になってくれ」

 

 私は、迷うことなく「うむ」と頷いた。オレゴンシスターズが結成される日も、そう遠くはないのかもしれない。

 

―――

 

 ルミは今、昼飯のシチューを前にして「ほー」とアズミを眺めていた。かくいう私も、アズミと楽しそうに雑談を交わす白岩のことを見つめながら、「ほほーん」とぼやいている。隊長は、アズミが喋ればアズミの方を、白岩が言葉を発せば白岩の方へ視線を変えに変えていた。

 

「――土曜さ、サークル活動があったんだけどさあ」

「バードウォッチングだっけ? どうだった?」

「いや、活動自体は順調だったんだけれど、メンバーが『なんでこんなところにいるんだよ』とか抜かすんだよ」

「え、なんで?」

 

 白岩が恥ずかしそうに、含み笑いを吐き出しながら、

 

「『アズミさんとデートしねえのか?』とか、そんなことを言うんだよっとによー馬鹿じゃねーのってな」

 

 アズミが「あらー」と微笑しながら、牛丼定食の漬物をかじりつつ、

 

「そんな風に見えちゃうのかしら。私と白岩ってば、か、カップルじゃないのに」

「なー、だよなー。だのに野郎どもときたら、『お前ばかりズルいぞ、死ね』とか言うんだよ。お前が死ね」

「だめだよー白岩ー。口プロレスなのはわかってるけど、死ねはアカンよー」

「そお? ……はあ、あいつらは分かってねえなあ。世の中の女性は、思った以上に優しいのに」

「へえ?」

 

 白岩が、湯気立つ豚丼の肉を、何度も何度も頬張りながら、

 

「アズミもそうだけれど、松木もやさしーこと言ってくれたんだよ。『ちょっと男子ー、白岩はちゃんとしてるからモテるんだぞー』って」

「松木さんって、確か女性メンバーだっけ? よーわかってるじゃん」

 

 アズミが、自分のことのように喜びながらで、牛丼を細々と口にしている。食べ物を飲み込もうとする時以外は、片時も白岩から目を離さない。

 

「いやあ、松木ってばちゃんと俺の事見てるね。最近イケメンになったねーとか、ファッションセンスが磨かれてるねーとか、ちゃんと評価してくれてる」

「やっぱり、女の子はイケメンが好きだから」

「いいの? 俺、ノリやすいよ? 信じちゃうよ?」

「おうおう信じろ信じろ」

 

 やっぱり隊長は、アズミと白岩とを交互に見やっている。話している内容に興味があるのか、それともアズミと白岩の表情が気になるのか、或いは恋というものを学ぼうとしているのか。

 

「じゃあ信じる。……でなあ、ここまでなら松木もいい子だったんだけれど、あいつったら『白岩って、どんな女の子がタイプなのー?』とか質問してさ。サークルメンバー大荒れ」

「……へ、へえ? で?」

「飛び交う罵詈雑言をかわしながら、こう言ったよ。『カッコいい女性が好き』って」

「んぐっ!」

 

 アズミが、牛丼を喉に詰まらせる。ルミが水を手早く手渡し、私は「生きろー」と励まして、白岩はあわあわと焦り出す。心優しい隊長は、「大丈夫!?」と声をかけてくれた。

 

「――復活。はい、大丈夫ですよ。……へえ、カッコいい女性ね、へえ」

「まあ、最近、そういう人がタイプなんだなーって気づいただけで、ね」

「ふ、ふーん。へー」

「……アズミは、癒し系が好みなんだっけ?」

「う、うんまあ。あとはー、そうね、動物を愛せるような優しい人が好きかも」

「あ!? あ、ああ、なるほど」

 

 一見すると、恋人未満親友以上ならではの「けん制」に見えなくもない。好かれている事実を知っているからこそ、ついつい臆病になってバレバレの質問をしてしまうとか、そんな感じのやつ。それならば「可愛い奴らめ」と思うのだが、

 

「アズミ」

「ん」

「……いつか、そんな人に巡り合えたらええね」

「……そだね。まあ白岩はイケメンだから、イケメンな女性が惹かれてくれるわよ」

「サンクース」

 

 アズミ曰く、「白岩とは親友」。白岩曰く、「アズミとは親友」。大真面目な顔でこう言われたことがあるから、たぶん素の感想だ。

 ――私も、ルミも、大学選抜チームの面々も、恐らくは隊長も、二人の仲について確信めいたものを抱えていた。

 

 アズミも白岩も、好意を向けられていることに全く気付いちゃいない。

 二人して、ドラマチック鈍感持ちだった。

 悔しいことに、アズミも白岩もかわいい学生さんだったのだ。

 

 心の底から、「はやくゴールインしてくれ」と思う。「しろ」じゃないのがポイントだ。

 今日も今日とて、アズミは戦車道で「よく頑張った」。またしても隊長に負けてしまったが、今回は一発食らわせられただけに、チーム内では「あと少しで、その時が来るのかもしれない」と予感している。

 私たちが言う「その時」とは、アズミが隊長を越える瞬間であり、このままアズミと白岩が晴れて結ばれる瞬間、のことを指す。感覚が鋭い若き隊長も、ここ最近は「アズミと白岩、まだくっつかないのかな」と呟くことが多くなった。

 

 まったくだと、私も大学選抜チームも思っている。

 そりゃあこれだけくっつきあっているから、「まだ付き合ってないの?」とからかいはする。ただ、互いの本心本音をバラすようなヤボは口にはしない。

 それがアシ協定の、最重要項目だった。

 アズミが「どうしよう」と深刻になった時以外は、あくまで大学選抜チームは見守りに専念する所存だ。

 

 アズミが、緑茶入りの湯飲みを指先で掴む。「あっち」と小さく悲鳴を上げた後で、中身をほんの少し飲んだ後、

 

「――あ、ああ、そだそだ! 聞いてよ白岩ー」

「ん?」

「あのね……戦車道を歩んでいる最中にね、私の肩に鳥が止まったのよ」

「マジでぇ?」

「うんマジ。灰色っぽい鳥だったかな? 鳴き声が大きくて可愛かったなぁ」

「ここらへんの灰色……ムクドリかしらん?」

 

 アズミが「どれどれ」と携帯に火を点けて、すぐさま「あーこれだ!」と嬉しそうに笑う。

 

「モズの時もそうだけれど、鳥に好かれやすいのかな?」

「かもねぇ……どうしよう、鳥でも飼ってみようかしら」

 

 私は心の中で、強く思った。趣味まで共有するなんて、いよいよもってパない仲になってきましたねと。

 

「白岩の飼ってるの、なんだっけ? セキセイインコ?」

 

 白岩が「ああ、うん」と首を縦に振って、「そだよ、オスの」と返答する。続けざまにアズミが「へー」と声に出して、

 

「じゃあ、私もセキセイインコ、飼ってみようかな」

「お、いいんじゃないかな。話し相手にもなってくれるし、寂しくはならないと思う」

「だろうねえ」

「愚痴とかも聞いてくれるからね。理解しているかはともかく、聞いてくれるってだけでありがたいもんだから、こういうのは」

 

 アズミが「わかる」と頷く。私も、「うむ」と静かに返答する。

 

「マイナスの話をした日には、飯を奮発するようにしてる。他人の愚痴ほど、どうしていいか難しいものはないからね」

「いいねー。私も、そのルールを採用しようかしら」

「いいんじゃないかな」

「よし決まり。……そうね、メスのインコちゃんでも飼ってみようかな。今度、白岩のインコと会わせてみたりして」

「うはー。ソラの奴、俺よか先に青春確定かよ、うらやましー」

 

 白岩の言い分に対して、心の中で「何言ってんだこの人」と思う。

 下手にカップルらしくするよりも、こうして無自覚に距離感を置いている方が、よっぽど青春していると思う。祭りだって、準備期間中こそが一番楽しいのだ。

 

「そうねえ。まさかペットの方が先に、青春を送れるなんてねぇ……あーあ、この年になれば諦めるしかないのかしらん」

「まあまあ、その時じゃないってだけだから。前にも言ったろ、アズミは清く正しく格好良いから、男たちが尻込みしているだけだって」

「それで孤独になっちゃあ本末転倒ですよ白岩クーン」

「いやー、アズミはまだいいよ。俺なんて、鳥が好きなだけの何もない野郎だし」

「うっそだー。自覚してないようだからこの際言うけどね、あんたはね、やろうと思ったことは何だってやれるタイプよ。世間一般的には、そーゆーのを格好良い男っていうんですよー」

「マジでぇ?」

「マジでー」

 

 ルミが苦虫を噛み潰したような顔をしながら、黙々とシチューを口にしている。私もルミと同じような調子で、目の前の辛口カレーを食べ、咀嚼し、食べ、咀嚼していた。

 

「――なんか変な流れになっちゃったけれどさ。とりあえずあれよあれ、今度、ペットショップさ、紹介してよ」

「お、いいよいいよ、任せてくれ。都合はそっちに合わせる」

「ありがとー。それじゃあ、その時が来たらメールするね」

「あいよー」

 

 その時、私の両隣に座っているルミと隊長が、私めがけ視線を投げかけてきた。

 戦車道履修者ならではの、俊敏なるアイコンタクトを瞬時に理解する。「二人とも、ついに勝負(デート)に出るのか」と。

 オレゴンシスターズと隊長は、揃って頷きあう。ここまで進展したのであれば、あとは黙って、知らぬ存ぜぬの顔をして「あら、ようやく付き合い始めたんだ」とかなんとか言ってやればいい。二人だけの関係なんてものは、手前勝手な自主性に任せるのが一番健全だ。

 

「――あ、ご、ごめん。二人でなんだかこう、話しすぎて」

「どうぞどうぞ」

「どうぞどうぞ」

「どうぞどうぞ」

 

 即答した。

 

―――

 

 戦車道を歩み終えた後は、疲れと汗を洗い流すためにシャワーを浴び終える。あとはパンツァージャケットから私服に着替えて、施設から出て晴れ晴れとした炎天下がこんにちは。うんと、背筋を伸ばした。

 深呼吸する。格納庫へ目を向ける。

 いま現在、愛車(センチュリオン)は被弾個所を修復中だ。こうなった原因はもちろんアズミで、またしても直撃を貰ったのだ。結局は打ち勝てたが、明らかにギリギリの勝敗だった。

 恐ろしいと思う反面、嬉しくもあった。部下が成長する時ほど、隊長として喜ばしいことはないから。

 

「ふぃー」

 

 後ろから、ドアの開閉音が静かに響く。はっと振り向いてみれば、先ほど、私に一撃をくれた張本人と目が合った。

 

「あ、隊長。お疲れ様です」

「お疲れ様」

 

 いつもの挨拶を交わしながら、アズミが私の方へ近づき、そのまま横に立つ。なんとなく、なんとなくだが、以前よりも、アズミの背が伸びているような気がする。

 ――アズミの目の先は、中破したセンチュリオンへと向けられている。

 

「さすがは隊長ですね。近接戦闘に入っても、慌てず騒がず、車体角度を変更しての防御姿勢に入るとは」

「ううん、けっこうギリギリだった。たぶんいつかは、私を越えちゃうと思う」

「そうですか。……そんな日が、来るといいですね」

 

 「このまま」の日々が続けば、アズミはいつか、私を乗り越えてしまうだろう。それは偶然でもなんでもなく、必然の結果として。

 だっていまのアズミは、「自分」と「あの人」の為に、戦車道を学んでいるから。輝く為に、島田流ならではの変幻自在を体現しているから。

 ――いいなあ。

 好きな人から応援されるなんて、恋した人から支えられるなんて、そんなの、女の子なら強くなれるに決まってる。

 十三歳の同性として、心の底から羨ましい。

 

 アズミに見えないように、口元をへの字に曲げる。そんなことをしていると、機銃めいた連射音が左耳を震わせて、

 

「あら、また」

 

 アズミの方を見て、私は言葉を見失った。

 アズミの肩に、小鳥が乗っかっている――そんな非常事態に対して、アズミは慣れたように苦笑していた。

 私は、すごいものを見ている、のだと思う。

 小鳥といえば、近づけば羽ばたいて逃げてしまうはずなのに。アズミは、小鳥の頭をなんでもないように撫でている。小鳥が、アズミに対して頭を預けていた。

 まるで、テレビアニメだった。

 だから、私は見ていることしかできなかった。

 

「見てください。可愛いですよね、小鳥」

 

 アズミが、そっと姿勢を低くする。私の目に映るは、アズミの首に巻かれた黒いチョーカー、シャワーを浴びたばかりのミディアムヘア、嘘みたいに跳ねたまつ毛、肌に馴染んだベージュ色の唇、私を見る茶色っぽい小鳥、間近で味わう恋の匂い。

 

「この子は……スズメっぽいけど、違うな。たぶんツグミですね」

「へ、へえ、詳しいね」

「ちょっと、鳥に興味が出てきまして。この地域一帯の鳥は、かじった程度で覚えました」

 

 あえて、「どうして」とは聞かなかった。原因なんて分かりきっているし、質問したところで分かりやすく誤魔化されるだろうから。

 

「……触ってみます?」

「え」

 

 声は戸惑い、首は頷いていた。

 ――アズミの手のひらが、己が右肩にくっつく。ツグミは何ら疑うこともなく、アズミの手のひらの上へ小走りに移動した。

 

「さ、どうぞ」

 

 アズミが私めがけ、そっと手を差し伸べる。年下の子供を見守るような、そんな微笑みを顔全体に滲ませながら。

 私も、ツグミに対してそっと手を伸ばす。けれどもツグミは、私のことを警戒しているらしくて、アズミの手の内から離れようとはしない。

 

「だいじょうぶ」

 

 年上の声。

 

「隊長はとても可愛いし、優しいから。だから大丈夫だよ」

 

 たぶん、わたしの顔は真っ赤になっていっているのだと思う。

 

 ツグミが、アズミへ首を向ける。一度、二度、まばたきをした。

 ふたたび、私のほうを見る。目が合って、どうしようと表情に困ってしまったけれど――

 

「おいで」

 

 アズミのように、笑ってみせた。

 するとツグミは、こっちに来た。

 私の手の上で、ツグミがきょろきょろと首を動かしている。こうしてみると、目が意外と大きい。小鳥も、十分に重いのだと実感する。爪が手に食い込んで、すこしこそばゆい。

 アピールのつもりだろうか、ツグミが羽を一度だけ羽ばたかせた。きゃっと声が出てしまったが、なんだかそれがかわいくって、おそるおそる人差し指を伸ばし、ツグミの頭を撫でてみせた。

 ツグミが、きゅうきゅうと鳴く。びっくりして両目をつむってしまったが、同時に「こんな風に、鳥って鳴くんだ」と実感した。

 

「隊長、動物に好かれるタイプみたいですね。さすがです」

 

 アズミの言い分に対して、心の中で、それはちょっと違うと意見した。

 大人であるアズミが、ツグミの警戒心を解いてくれたからこそ、私の方へツグミは来てくれたのだ。元はと言えば、アズミに惹かれてツグミは飛んできたのだし。

 

「アズミー」

 

 遠くから、聞き慣れ過ぎた男性の声が聞こえてくる。アズミ越しから覗ってみれば、黄色いノートを片手にした白岩が、こちらへ近づいてきていた。

 

「や。今日も一緒に食堂、いいかな?」

「ええ、勿論よ」

「っしゃ。――あら、島田さん。それは、ツグミかな?」

 

 私は無言で、こくりと頷く。

 

「そのツグミ、隊長になついちゃって」

「へえー。いいなあ、俺は野生の鳥からあんま愛されなくて」

 

 私は、首をそっと横に振って、

 

「もともと、アズミの肩にツグミが止まったの。それを、私の方にまで導いてくれただけ」

「へえー……でも、手のひらの上に乗っかってるってことは、島田さんも『素質』があるかもしれない」

「そう、かな」

「そうですよ。何といったって、隊長ですから」

 

 白岩が「だな」と同意して、アズミが「ええ」と頷く。ふたりとも、嬉しそうに顔を明るくさせながら。

 ――思う。

 二人して通じ合っていることが、一緒にいるだけで笑い合える関係が、なんだか「年上の大学生」っぽく見える。そう思う。

 

 その時、何かが震える音が、私の耳にまで伝わった。

 アズミと白岩が、同時にポケットに手を触れる。先に携帯を取り出したのは、白岩だった。

 

「あ、電話だ――おお松木、どったん?」

 

 瞬間。アズミが、私が、ツグミが、瞬く間に白岩へ殺到した。これが男友達なら「へー」だったろうけれど、松木(いせい)となれば話は違う。

 

「え、何? 今日は、部室で一緒に食べないかって? 飯は……作ってきたぁ? マジでぇ?」

 

 白岩が、困ったように苦笑し始める。アズミが、主砲を食らったかのような戸惑いに陥る。私は、どうしていいかまるでわからない。

 

「あ、あー……わかった、付き合うよ。しかし珍しいな、どしたん? ……え? 試作品だから味見しろって? ったくこいつは」

 

 同じサークルメンバーだからだろう。白岩の物言いに、遠慮というものがまるでない。

 距離感の無い会話を耳にして、アズミが手で頭を抑える。ツグミが、私の方を見る。

 

「分かった、そんじゃあしっかり評価してやっから。んじゃ」

 

 通話が終わる。携帯を、「へえ」のひと息でポケットにしまう。

 

「――というわけだから、今日は……悪い、松木とメシ食ってくる」

「あ、う、うん。いいんじゃないかしら、メンバーとの交流も大事だし」

「だなあ。しっかしいきなり手作り弁当とは、どうしたんだろね」

「さ、さあー……あ、もしかして松木さん、あなたのことが好きで、アクションかけたんじゃないのー?」

 

 白岩が「まっさかー」と気楽そうに笑う。私は、ホントこの人は鈍感だなあとため息をついてやった。

 けれど不思議と、不安には思わない。何故なら白岩は、今もなおアズミの目しか見ていなかったから。

 

「じゃ、俺はこれで。レポートは勝手に読んでおいて」

「あ、うん」

 

 日常的な素振りで、アズミへレポートを手渡し、

 

「あとさ。そのチョーカー、すげえ似合ってるぜ」

「――へ」

「ツグミも元気でな」

 

 応えるように、ツグミが羽を広げてみせた。

 それが一区切りとなって、白岩は大学へ足を進ませていく。

 

「――私たちも、そろそろ食堂に行く?」

 

 ほんのちょっとの間。

 

「へ? ……あ、ああ、はい、そうですね」

 

 私はそっと、ツグミが乗った手のひらを、空へ掲げてみせる。

 察したツグミは、私のほうを一瞥した後に、羽をはばたかせながらで遠い遠い夏の空へ消えていった。

 

 ――そっと、アズミの横顔を覗う。

 ツグミを見送るアズミの顔色は、秋のように静まりかえっている。

 不安そうに、口紅混じりの唇が曲がっている。

 名残惜しいかのように、瞳が眠たげに沈んでいる。

 風がすこし吹いて、ミディアムヘアが舞った。

 

 アズミが両目を閉じて、まつ毛の存在感がほっと露わになる。

 チョーカーを、指先でひと撫でした。

 

 それを見ているしかなかった私は、どうしてアズミが月間戦車道に選ばれたのか。わかるしかなかった。

 

「――行きましょうか」

 

 なんでもなかったかのように。いや、すこし苦笑いをこぼしながら、そう告げた。

 今度は私が、ほんの少しの間を置いて「あっ」とか漏らして、

 

「う、うん」

 

 声には決してしないけど、私はこう言えるよ。

 アズミ、あなたの不安は絶対に的中しない。恋におびえるあなたの横顔は、誰よりも間違いなく、美しかったから。

 

 恋の残り香を肌で感じ取りながら、私たちは食堂へ歩んでいく。

 

 ↓

 

 好物のとんかつ定食が目の前にあるというのに、真正面に座るメグミの箸は鈍い。いつものシチューを目の当たりにしているはずなのに、同じく正面に腰かけているルミのスプーンも、上下にひらひら動くばかり。

 私も、目玉焼きハンバーグ定食に手をつけないままでいた。鬱々とした顔をしながら、黙々と白米を口にしているアズミの横顔を、じいっと見守っていたから。

 昼の食堂は、今日も今日とて賑やかだ。ここが静かなだけに、余計にそう思う。話し声まではっきりと聞こえてくる。

 

 ルミが、メグミが、どうしたんだろうと顔を示し合わす。またしてもアズミのため息が漏れて、「こうなれば」とばかりに、私は目玉焼きハンバーグを一口食べる。目玉焼き特有のシンプルで滑らかな味が、私の舌へ滑り込む。ハンバーグ特有の重い甘味と熱量が、私の口の中をおもいきり包み込む。

 好物を食べて、気力が溜まってきて、勇気が沸いて出てきた。よし。

 

「アズミ」

「……あ、は、はい、なんですか?」

 

 返事はするし、こちらも見るが、未だ眠たそうな気配は解けていない。

 気持ちは分かるだけに、なんとかしてあげたかった。

 

「その……えと、白岩のこと、気になるの?」

「え? い、いやー、まあ、そうではあるんですが」

 

 何かあったのかと、メグミとルミが視線で問うてくる。私は「いい?」とアズミを一瞥して、アズミから「ええ」と頷かれ、それを見て水を飲み、

 

「白岩って、バードウォッチングのサークルに入ってるんだけれど」

「あ、知ってます。前に話してくれましたよね」

 

 ルミが、うんうんと頷く。

 

「その、女性のサークルメンバーから、一緒に手作り弁当を食べない? って、誘われたの」

 

 ルミの眼鏡が、きらんと光った気がした。メグミに至っては、「ほっほう」の納得。

 アズミは、「それだけ、それだけだからね」と、話を切ろうとするが、

 

「気になるんだ」

 

 メグミからの、突撃。

 アズミの箸が止まる、何処かからか「食べ歩いたのか?」「まあね。色々あった」の雑談が聞こえてくる。

 

「……ま、まあ、気にはなるかな? 一応ホラ、親友だし」

「へえ。でも親友同士なら、どこへ食べようと別にいいんじゃないの? まさか恋人同士じゃあるまいし」

 

 ルミが、様子見するかのようにメグミを、アズミを覗っている。

 

「そ、そうよねそうよね。恋人同士、じゃないもんね? 何をしているのかな、私」

 

 はいこの話はおしまい。今度こそ話題を断ち切ろうとして、大皿に乗ったザンギをつまもうとして、

 

 食堂全体に、弾けた音が鳴り響いた気がした。

 アズミが摘まんでいたはずの箸が、大皿の上に落ちていた。

 

 アズミが、どうしていいか分からないように口を開けている。対してメグミは、ごくごく冷静に緑茶を一杯やった後、

 

「まだ付き合ってないの?」

 

 アズミが勢いよく、メグミへ視線を向ける。目ん玉を、まんまるくしてまで。

 

「あのね」

 

 メグミが、ルミ、私、そしてアズミへ視線を向ける。音を立てて、大きく、おおきく息を吸い込んだ後、

 

「私はいっぱしの大学生で、『空気が読めない』ナオンだから言うけどね。あんたと白岩、お似合いだってずっと前から思ってた」

「そ、そお? まあ、そんな風に見えたのなら、それはそれで、」

「――前々から気付いてたけど、あんた、本気であの人の事が好きなんだね」

 

 アシ協定が、「遂に」破られた。

 ストレートなメグミは、読むべき空気なんて全部吸い込んでしまった。感情的なメグミは、友人の為に核心へ切り込んだ。

 

「な、何を、言ってるのかな!? そんなわけ、ないじゃん?」

「嘘つくんじゃないの。今日のアズミ、めちゃくちゃゾンビじゃん。普段は穏やかに冷静なくせに、いざ白岩が遠くに行ってしまえば……こうだもんね」

「え、えと」

「『私には』バレバレなのよ、アズミ。彼の気を惹く為にチョーカーをつけたり、口紅を塗り直したり、お化粧まで整えて。ここ最近のアズミね、ひどいくらい女の子だったんだから」

 

 メグミはいま、恐るべき大役を成そうとしていた。

 友人を幸せにしたい。ただその一心で、メグミ「だけ」が責任を背負い込もうとしている。何よりも繊細なアズミの本心へ、切り込もうとしていた。

 

「……で、何? 今は焦ってるんでしょ」

「……そう、ね。その通りだわ」

 

 そうして意外にも、アズミの本音がきっぱり明かされた。

 他人からみる恋ほど、どうしていいか分からないものはない。どう助言していいのか、どう支えてやればいいのか、何もかもがあやふやなだけについつい悩んでしまう。

 だから、大学選抜チームは「見守る」ことにした。チームの中には恋愛経験者もいたが、「無闇な横入りはよくない」と警戒していたし。

 

「メグミ」

「うん」

「私は……白岩のことが好き」

「よく言った」

 

 けれど、答えはほんの身近にあったのだ。

 誤解無く好きあっている仲であれば、親しい誰かさんが声をかけてやればいい。不幸せが見えてきたのであれば、背中をぽんと押してやればいい。

 そんな恐ろしいことが出来るメグミは、まちがいなく、チーム内一の度胸持ちだった。

 

「でも、ね」

「うん」

 

 アズミが、大きくため息をつく。いよいよもって、食堂内の雑談が耳に入ってくる。花壇の水やりがメンド臭いという愚痴。

 

「――彼は、私の事を、まだ、親友としてしか見ていない」

 

 話し声が、聞こえなくなった。

 

「私は、白岩のことを男として見てる。あれだけ応援されちゃ、好きになるに決まってる」

 

 アズミが、ほんの少しだけ味噌汁を口にする。

 

「でも白岩は、あくまで私のことを親友って呼んでくれるの。……そうよね、親友なら応援してくれても何ら不思議じゃないもんね。チーム内でも、そういうのはあるし」

 

 私とメグミとルミの目が、一斉に向き合う。ほんの少し笑うアズミとは対照的に、メグミとルミ、恐らくは私も、真顔になっていた。

 思う。

 十三歳の私ですら、白岩の本音なんてみえみえなのに。なんで年上のアズミは、こうも気付かないのだろう。

 もしかしたら、これが恋の真髄なのかもしれない。

 

「それにさ」

 

 アズミが、開き直ったかのような笑顔を咲かせる。

 

「彼にね、聞いたことがあるの。あんたに好きな人はいるの? って。そしたら彼、『いないってことにしてくれ』って答えた。……その、恋人同士じゃあるまいし、彼の行動にとやかくなんて言えないわ」

「へえ――で? 大切な想いを後手に回して、あんたそれで納得できるんだ?」

 

 メグミが、驚いた顔をする。私もアズミも、声の主めがけ目で追いかける。

 ルミが、シチューを一口味わって、

 

「恋だよ、恋。私はさ、ろくな恋愛経験なんかないけどさ、何はともあれ行動したもの勝ちっていうのは知ってるつもり」

 

 アズミが、ぐっと口元を堪える。

 

「私も、あんたと白岩はお似合いだと思ってるんだけれどね。白岩があんたのことを応援して、あんたが手作り弁当で返して、常日頃から笑ってばっかりで、私から見ればカップルにしか見えなかった」

「で、でも、白岩は私のことを親友って呼んでいるし、そもそも好きな人はいないって言ってる」

「ふうん。で? それで諦めるつもりは?」

「ない、ないけどね、好きになってもらう為に色々やってるけれどね。……彼の、大切になれるのかなって、今更不安になって、ね」

 

 私は思う。

 アズミって、こんなに女の子してたっけ。

 ――メグミが、へえと唸る。それを聞けて満足したらしいのか、にやりと笑ったままで、

 

「そんなに好きなら、デートの一つでもすればいいのに」

 

 アズミはうつむいたまま、ザンギを箸で摘まんでとって、何度も何度も咀嚼する。

 ――メグミとルミの猛攻を聞きながらで、強く思う。

 三人とも、ほんとうに仲が良いんだ。そうでなければバミューダアタックなんて連携は取れもしないだろうし、責任度外視でここまで追求したりは出来ないと思う。もしも私がアズミの立場だったら、ルミとメグミは、アズミは、同じようにして切り込んでくれるのだろうか。

 アズミの方を見る。

 ――いいな。

 

「私もメグミに同感。白岩の一挙一動がそんなに気になるのなら、デートして、告白して、結ばれるのが一番いい。あんたにとっても、白岩にとってもね」

 

 ルミが、悠長にシチューを食べながらで言う。

 

「簡単に言わないでよ」

「でも、いつか言わなきゃ始まらないでしょ」

「……まあね、確かにね。でも彼は、好きな人はいないって、」

 

 ルミが、しょうがないなあとばかりに苦笑する。スプーンを持った手で、中指でアズミの顔を差してみて、

 

「照れ隠しのつもりで、言ったのなら?」

 

 言った。

 アズミの表情が停止する、言葉の息の根が止まる。

 

「私が、白岩の気持ちを勝手に代弁することは許されないと思う。けれど白岩は、あんたのことは結構好きでいるんじゃないかな」

「なんで」

「いつも隣にいるから」

 

 また、アズミが言葉を見失う。

 

「本当は今日も、アズミと一緒に昼食をとろうとしたんでしょ? レポート持参で。……でも今日は、外部からの都合でこうならざるを得なかった。いつもと違うのは、たったこれだけ」

 

 そうなのかな。アズミが、力なく呟く。

 私も、メグミも、肯定否定はしなかった。

 

「白岩があんたのことを、ほんとうに『好き』かどうかは分からない。こういうのは、直接あんたが聞くしかない」

 

 反論しない。

 

「この初恋はあんたのものだから、あんたからすれば不安でしかないものもよくわかる」

 

 アズミが、まったくだとばかりに首を振るう。

 

「……まあね。でもね、私には実感できないのよ。女として、好かれているビジョンが」

「まあ、異性には縁が無かったろうからね。で? どうする? このままじゃ白岩、更にモテて遠い男になっちゃうかもよ?」

「……かもね、イケメンだもんね」

「受け入れられる? そんなの」

「やだ」

 

 アズミがようやく、皿の上に落ちていた箸を拾い上げる。それでもうつむいてままで、口元をへの字に曲げてしまっていた。

 今もなお、色々なことを考えているのだろう、その目つきは浮かないままだ。心なしか、ミディアムヘアも力なく揺れている。

 私は漠然と、「大人って、悩むとこんな顔をするんだなあ」と思った。

 

「――アズミちゃん」

 

 メグミが、心穏やかそうに微笑みながら、

 

「あんた、そんなにも可愛い子だっけ?」

「……うるさい」

「大丈夫。あんたは清く正しく美しく生きてきた、報われるべきオンナだよ」

 

 メグミが、皿からとんかつを摘まみ取る。そのままアズミの口元にまで運んでいって、アズミは「どーも」と共にとんかつへ食らいついた。

 

「デート、デート、か……まさか生きているうちに、そんなことを考えるなんて、思いもしなかった」

「いーや。あんたはいつか、男とめぐり合えるだろうって予感はしてた。だってそんな顔してる」

 

 ルミと私は、揃ってうんうんと頷いた。

 

「そんな顔ってどーゆー顔よ。私は見ての通り、戦車道の女でしか、」

「戦車道の看板娘、な」

 

 メグミが、しれっとアズミの言動を妨害する。何でもなかったかのように、湯気立つ白米を口の中へ放り込んだ。

 決定的な根拠を口にされて、アズミは反論も出来なくなる。言い訳への逃げ道を塞がれて、微妙そうな顔で味噌汁を飲み始める。

 ほんの少しの沈黙。

 

 ――私はまだ、恋をしたことはない。けれどそれは、ある一種の恐れすら抱かせることも、人を綺麗にしてしまうこともある。私は、この目でそれを学んだつもりだ。

 「私こそが」。ほんとうはそう思いたいはずなのに、生真面目に誰かを意識しているからこそ「私なんて」と尻込みしてしまう。それは人として、ごく当たり前のプロセスだと私は思う。

 

 戦車道だって、同じだ。己が勇気を沸き立たせられない限りは、ずっと「私なんて」と踏み止まってしまう。小さい頃の私は、そうやって半泣きになったこともあったっけ。

 でも、私は今も戦車道を歩めている。

 泣いている私のことを、母はいつだって抱きしめてくれたから。夕飯は何にする? と言ってくれたから。それがなかったら、私はたぶん、戦車道を投げ出していたと思う。

 

「アズミ。あんたはさ、きっとうまくいくよ」

「どうして?」

 

 ルミがスプーンを持ったままで、アズミめがけ人差し指をついて、

 

「イケメン君とアイドル、文句なしのベストマッチじゃない。悔しいけどね、あんたの容姿はチーム内で一番だと思ってるからね? こんな美人ちゃんに意識されて、落ちない男なんかいないって」

 

 アズミが「馬鹿言わないで」と苦笑する。メグミは、「ねたましいわー」とからかった。

 先ほどまでの面倒な空気は、好き勝手な言い分で払しょくされつつある。アイドルとか、美人ちゃんとか、ねたましいとか、そうやってアズミを元気づけたお陰で。

 

 ――アズミはきっと、私とほぼ同じなんだ。ルミもメグミも、きっとそうなのだと思う。

 励ましもなく、支えも無しに生きていける人間なんて、ここにはいない。それをいま、知ったと思う。

 

「――あ」

 

 その時、私とアズミの目が合った。

 

「すみません、隊長。こんな面倒な話にお付き合いをさせてしまって……ささ、お昼をいただきましょう」

 

 私とアズミは、「ほぼ」同じなんだ。

 どうして、そんな風に笑えるの。まだ解決していないのに、どうして私に対して優しく微笑むことができるの。私はそんなこと、まだできそうにないよ。

 

 温和に光るアズミの瞳を見て、私はさきほどを思い出す。

 

 ――隊長はとても可愛いし、優しいから。だから大丈夫だよ

 

 自分の手のひらを見る。

 アズミは、私の為にツグミを連れてきてくれた。その振る舞いは、大人のお姉さん、だった。

 ぎゅっと、握り締める。

 わたしも、大人の女性になってみたい。アズミのような人に、なりたい。

 

「アズミ」

 

 アズミの名前を呼ぶ、メグミとルミの視線が、私のほうへ突き刺さる。

 久々に声を出したからか、思ったよりも声が通ったからか。たぶん、どっちもだ。

 

「アズミが前向きになる方法を、私は知ってる」

「……それは?」

 

 アズミが、無垢な表情のままで私を見つめている。

 ――我ながら、この方法は乱暴だとは思う。けれど私は、アズミは、

 

「アズミ。アズミは、戦車道履修者だよね?」

「はい」

「いま、掲げている目標は?」

「――あなたを越える事です」

 

 真剣な顔で、躊躇なく私に告げた。

 想定済みだったからこそ、心の中で「さすが」と思う。

 

「もし、その目標が達せられた時は……アズミは、とても前向きになれると思う?」

「もちろんです」

 

 昔から、「恋は盲目」という言葉は知っていた。一体何のことやらと考えていたが、今なら分かる。

 盲目であるならば、その手を取って、正しい道へ導けば良い。私は大学選抜チームの隊長なのだから、隊員を何とかするのは当たり前のことだ。

 息を吸う。

 

「これ以上無く前向きになれたら……デートの一つくらい、できるよね?」

 

 生意気なことを、言ってやった。

 私も、アシ協定を破ってしまった。

 母からは何度も、「礼儀正しい子」と評されていたが――なるほど、こうして大人になっていくのか。

 

 メグミが、ルミが、目を丸くする。アズミも、ほんの少しの沈黙を置いた後に、全てを解したかのように強く微笑んでみせて、

 

「そうですね。浮かれて、約束してしまうと思います」

 

 その言葉を聞けて、私も強く笑えたと思う。

 

「隊長」

「なに?」

「――手心は、必要ありませんよ」

 

 私は、もちろん頷いてやって、

 

「戦車道を裏切ることは、決してしないから」

 

 私とアズミは、根っからの戦車道履修者だ。だから、困ったことがあれば戦車道が解決してくれる。

 我ながら乱暴な道筋だなあと思ったが、アズミが「そうですね」と言ったのであれば、否定する必要もない。メグミもルミも、これでいいとばかりに昼食を取り始めた。

 

「あ、そうだ。失礼」

 

 ふと、アズミが携帯を引っ張り出す。画面めがけ何かを入力し続けていって、そう時間もかけずに携帯をポケットへしまいこむ。

 再び、アズミと目が合う。先ほどの落胆はどこへいったのか、アズミはいつものように微笑して、

 

「食べましょう」

「――うん」

 

 ふたたび、食堂の喧騒が耳に入ってくる。戦車道とは関係の無い雑談が、戦車道に関する話題が、恋愛映画の感想が、天井でくるくる回るシーリングファンライトが、何もかもが愛おしい。

 私たちの会話も、特にこれといって注目するものはない。ファッション講座、このあたりに住む小鳥、海に行きたい、四人でプールに行きませんか、五人の間違いでしょ――そんなふうに話して、気付けばお昼ご飯を食べ終えて、あと少しで午後の戦車道講座が始まろうとしている時に、

 

「あ、メールだ」

 

 アズミが、携帯を取り出す。ルミもメグミも、それほど関心を持っていないのか、アズミのことを見向きもせず、

 

「……ったくぅ」

 

 アズミが、くっくと笑い出す。私たちは瞬く間に、アズミの方へ視線を誘われる。

 ――アズミが、携帯を裏返した。

 

送信者:アズミ 受信者:白岩

こんちは。突然だけど、今までサポートしてくれて本当にありがとね。レポート、すっごく役に立ってるから。

……これからも、応援してくれますか?

 

 私は、まばたきをする。

 アズミが携帯をひっくり返して、ほんのちょっと操作をして、こちら側へ携帯がひっくり返る。

 

送信者:白岩 受信者:アズミ

当たり前だよ。俺は、アズミの親友なんだから(=゚ω゚)ノ

 

 ――メグミとルミが、アズミの両肩を何度も何度も叩く。アズミがやめてやめてと、形だけの抵抗を繰り返す。

 とっても羨ましかったので、私も、アズミの頭を撫でてやった。

 

―――

 

 誓いを立てて、数日後。

 

 パーシングの車内に衝撃が迸り、否応なく悲鳴が漏れる。主砲を撃ったり、撃たれたりするのには慣れているが、さすがにウンmから飛び降りたのはキツかった。

 私は、倒れ込んだままで「だいじょうぶ?」と質問してみた。シノザキからの、気の抜けた「うん」。タケナカからの、ぼんやりとした「ああ」。ウルシバラからの、疲れ切った「いきてるー」。ウメキからの、だれきった「えへー」。

 一同、どうやら生還を果たしたらしい。流石に今回は死んだかと思ったが、特殊なカーボンとは実に偉大な技術であるらしかった。

 

『島田チーム、全車行動不能! 今回の殲滅戦は、バミューダチームの勝利ですッ!』

 

 重要な判定であるはずなのに、まるで他人事のように聞こえる。それもこれも、片足ほど三途の河へ突っ込んでいるからかもしれない。

 蒸し暑いパーシングの中で、なんとなく「河で泳ぎたいなあ」と思う。

 ため息。

 今頃、外では歓声が沸きまくっているだろう。いつか訪れるであろう結果が、なんでもない今日という日によって実現してしまったのだから。

 メグミも、ルミも、自分の分だけ喜びまくっているに違いない。いい歳こいた大学生だからこそ、己が感情へ正直になれたりするのだ。

 

 それにしても暑い、けれど動きたくない。指示をしまくって声は枯れ果てていたし、長い戦いの末に神経はミイラ化、島田流の極意をあれでもかこれでもか飛びもすらあと体現してみせて、体力なんて燃え尽きていた。

 生真面目な装填手ウメキも、お喋りな砲手シノザキも、寡黙な操縦士タケナカも、噂好きな通信手ウルシバラも、私と同じく疲労困憊であるらしく、誰一人としてハッチを開けようとはしない。無事に戦車ごと着地は出来たものの、このまま暑さで死んでしまうのかも。

 まあ、いい。

 島田愛里寿を越えるという、目標は達したのだ。

 このまま眠ってしまっても、バチは当たらな、

 

 携帯が、震えた。

 

 なんだよと、しんどそうな手つきでポケットを漁る。試合中の通話は「暗黙のルールで」行わないようにしているが、いまはバミューダチームが勝利したらしいので、携帯の相手をしてやることにする。

 液晶画面には、「受信中:メグミ」の文字。

 なんで、こんな時にかけてくるんだっけ。一礼もこなしていないのに。

 少しだけ脳ミソを動かしてみて、ようやく私は「あ」の一声とともに蘇生した。復活していく理性が、「試合に勝ったよな?」と私にささやきかけてくる。

 だからこそ、寝転がったまま、心底イヤそうに「受信」を押して、

 

「――あ?」

『やほー! アズミ、元気してる? 生きてる? ねね、アズミのお陰で勝てたよね? 約束はきっちり』

 

 切った。

 だろうなと、携帯を腹の上に置く。間もなく、携帯が踊った。

 心底面倒くさそうに、液晶画面を見る。「受信中:ルミ」の文字。

 

「――は?」

『やっほー、生きてる? アズミがいなかったら、この試合は勝てなかったと思うんだー。ああそうそう、さる筋の情報によると、彼は今日もここに』

 

 切った。

 だろうな、と思う。見てくれたんだ、と笑う。

 今ごろ彼は、どんな風にして生きているのだろう。喜んでいるのか、あくまで冷静にレポートを記しているのか。たとえ後者であろうとも、彼らしいなと受け止められると思う。

 

 そして、手の内の携帯が震えた。

 ――白岩からか?

 画面を見てみると、「島田隊長」の文字が。寝そべったままの姿勢が、せめて腰かけたものに早変わりする。

 

「――はい」

『もしもし。その、アズミ、大丈夫だった?』

「ああいえ。その、隊長こそ大丈夫ですか? 撃たれたみたいですが」

『私は大丈夫。……それよりも、アズミのお陰で負けちゃった』

 

 隊長に勝てたからか、嬉し混じりの声が携帯を通じて聞こえてくる。

 確かに、島田チームに勝てはした。けれど、隊長のセンチュリオンを撃ったのは、私ではない。

 

「隊長、それは違いますよ。近接戦闘にまで持ち込んだ、ルミがあなたを討ったんです」

『結果だけを見ればそう。でも、あなたがいなかったら、私はルミに勝ててた』

 

 今回は、森どっかり岩ばっかり高低差いっぱいのフィールドで練習試合が開始された。当然ながら絶好の狙撃ポイントが多く、奇襲スポットもよりどりみどり。だからこそ、下手に動いた時点で白旗が突き立てられてしまうし、勝ったかと思えば後ろから主砲で刺されることもしょっちゅう。こと殲滅戦においては、高鳴る砲撃音が鳴り止まないのだった。

 

 そんな奇襲天国のフィールドだが、当然ながら「あ」と戦車と戦車が鉢合わせすることもある。視認しにくいエリアあるあるの一場面だ。

 こうなってしまえば、ガンマンよろしく早撃ちするか、或いは移動を駆使して相手の目を惑わすか――隊長は、とにかく車体を動かして、被弾すらも避ける傾向にある。隊長からすれば「よくあるトラブル」でしかないから、瞬時に最適行動をとって相手を難なく撃破してしまう。

 このことから、「隊長と目が合ったら、生きては帰れない」とまで評されているほどだ。

 

 今回、隊長と目が合ったのはルミだった。ルミも恐らくは、「あ、やべ」と思っていただろう。

 けれど、たまたまその現場を視認した私は、

 

「私、なにかしでかしましたっけ?」

『うん』

 

 はっきりと言われた。

 

『あんな高い崖から、あなたは飛び降りた』

「ああ、そうですね。ルミを助けるのに、夢我夢中でした。でも、時たま見かけられる光景では?」

『――たくさんの鳥たちと、一緒に飛んでた。この時点で、もうすごかった』

「それは、珍しい光景ですよね」

『うん。それで、砲身がこっちを向いてた。声も出た』

「見たことのないシチュエーションだったんですね」

『しかも、撃ってきた』

「外れちゃいましたけどね、空中行進間射撃」

『かすった。……実はね、驚きすぎて数センチほどジャンプしちゃった』

「それで、判断が遅れてしまったんですね」

『うん。乗員のみんな、すごい声出してたし』

 

 その現場を視認した私は、頭の中で白岩のレポートをめくっていた。どうすればいい、なにをすればいい――ソラへ羽ばたけばいいじゃん、そうやって閃いていた。

 そして、その通りに行動した。あとはやぶれかぶれだったもので、当たればそれでいいとにかくビビらせてやれとばかりに、本当に崖から飛んだ。崖にはたまたま鳥たちがいて、一緒になって羽ばたいてもみせた。ルミの背後から現れる形で、隊長のセンチュリオンを横切るコースで。

 あとは、撃った。

 結果は、外れ。センチュリオンの横っ面をかすめただけだった。

 けれど島田流としては合格点だったようで、センチュリオンに隙の時間が生じたらしい。ルミも副官であるから、ウン秒の間があれば十分にプロセスを完了できる。

 

 ――判断力が生き返る前に、隊長のセンチュリオンは、ルミのパーシングによって一撃を食らわされた。

 「空中で」それを確認したから、間違いなく「ルミがやった」と主張できる。けれどメグミは、ルミは、隊長は、『アズミのお陰』と告げてきた。

 否定できないだけに、笑って受け入れるしかない。

 

『――おめでとう、アズミ。いまの気分は?』

「ええ。やった、やったぞって、満ち足りています」

『だよね。……アズミ』

「はい」

『さっきのね、あのね、なまらかっこよかった! バードストライクっていうのかなっ、あれに名前をつけるのならっ』

 

 隊長のテンションが、手に取るように上がっている。私は、「確かになあ」と苦笑する。

 沢山の鳥というものは、何物をも幻想的に変換してしまう魔力がある。

 ――けれどひとつだけ、隊長の意見に異論を唱えなければならない個所がある。

 

「……バードストライクという名前は、ちょっとアレですし、羽付きなんてどうでしょう? なーんて」

『いいかも』

「いいんですね」

 

 そういうことになった。着地時の衝撃がしんどいから、二度とは使えないとは思うが。

 

『それで』

「はい?」

『今の気分は、どう?』

 

 ああ。

 それは、もちろん。

 

「最高です。……ここまで教えてくださって、ありがとうございました」

『うん。――言える? 今なら』

「ええ、言えますよ」

 

 笑顔で、応えてみせる。隊長も察してくれたのか、『じゃあ、がんばって』と電話を切ってくれた。

 ――深呼吸する。

 重くハッチを開けて、ようやく外の世界を拝む。今でも十分暑いが、それでも車内よりはずっとマシだ。どこまでも広がる青空を目の当たりにして、なんとなく「ああ、勝ったんだな」と口にする。

 

 ふと、携帯が震える。

 なんだろうと画面を見てみれば、「新着メールが届きました 送信者:島田千代」の文字、

 暑さなんか吹っ飛び、緊張感が体全体に走る。「え」と声が漏れて、「え」と声が出て、理性が沢山の予想を引き出す。島田流らしくないことをしたせいか、島田愛里寿を負かしてしまったからか、労いの言葉か――

 見てみなければ答えは出ない。爆弾を解除するような、震える手つきで、そっと画面をスライドさせて、

 

 送信者:島田千代 受信者:アズミ

 す ご い

 

 私の笑い声が、試合会場で高らかに響いた。

 シノザキが、「どしたのー?」と嬉しそうに声をかけてくれた。

 

 ↓

 

 お疲れ様、アズミ。――やった、本当にやったな! ちゃんとレポートはまとめておいたからッ!

 ありがとう、白岩。白岩のお陰で、勝てたよ

 マジで? 信じていいの? それ

 いいよー、バリバリ自惚れるがよい

 やったぜーッ!

 ふふ。……ね、白岩

 ん?

 あのさ、今週末、ヒマ? その、えっと……めでたいし、一緒にデートなんて、どう? ほら、ペットショップの件もあったし

 マジで? いいよいいよ、俺で良かったら、今からでも構わないッ!

 もう、バイトあるんでしょ?

 あーそっかー。……わかった、絶対に行くから

 うん。それじゃ、よろしくね。

 

 ――やった




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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自由に、惹かれあった

 眠れない。

 夕飯はしっかりとったし、明日のデートの為の事前準備も整えたし、明日着ていく服も決めたし、気分転換にテレビも点けたし、一年前の映画である「恋愛小説」を見て半泣きになったし、そのまま早寝を決行したし、後は眠るだけだ。

 ――なのに、目が冴えに冴えている。意識が、明確に形となっている。

 原因なんて、分かっている。明日の事を考えすぎて、緊張しすぎているせいだ。

 私はべつに、遠足前になると眠れないタイプ、でない。戦車道全国大会前ですら、「明日の為に寝るか」と言って、本当に横になれてしまう。

 ベッドの中で、私はため息をつく。

 なるほど。メグミの言う通り、私は可愛い子なのかもしれない。恋愛の一つをしたくらいで、こんなにも気持ちが左右されてしまうなんて。

 

 考え事をすれば、眠気が来るかもしれない。

 ――明日は、西区アパートの出入り口で待ち合わせとなっている。後は湖へ行ってバードウォッチングを堪能して、昼になれば手作り弁当を交換しあって、次にペットショップに来店してはセキセイインコを見学する。最後に適当な買い物をしてデートはおしまい。だいたいのプランはこうだ。

 

 けれど、私には秘密任務が課せられている。

 白岩に、いつ告白をするか。

 

 このミッションがついて離れないせいで、私の目はギンギラしてしまっているのだろう。

 けれど、そんなのは当たり前だった。何せ告白だ、一世一代の大勝負だ。したこともされたこともないからこそ、「いつすればいい」が頭から離れない。

 頭を左右に振るう。

 出会い頭に告白してしまうか、歩いている最中に告げてしまうか、こういうのは別れ際に漏らすべきか――想像しただけで、体温が上がっていく。どうしようどうしようと戸惑う。

 

 もうわやな心境だったが、一つだけ、確信がある。

 これほどまで悩めるということは、それだけ、彼のことが好きだという証拠にも繋がっている。「ごめん」に対する恐怖心を抱けば抱くだけ、「どれだけ好きなんだか」という天邪鬼が沸いて出てくる。

 ――こんな想いを抱けただけでも、十分だ。

 首を左右に振るう。

 いや、満足してはいけない。想いを言葉にして、それを白岩へ伝えなければいけない。

 言わなければいけないことを言えないまま、疎遠になってしまうなんて、そんなの心底嫌だった。

 

 目をつぶる。

 告白はする、問題は内容だ。何て言おうかな、ストレートに「あなたが好きです!」か。或いは履修者らしく、「私と一緒に、これからも戦車道を歩んでください」か。それとも白岩の名前込みで「白岩……好きです! 大好きなの!」か。

 クサ過ぎて、両足がばたばた泳ぐ。

 しかし次から次へと、告白パターンがタケノコのように生えてくる。白岩は鳥が好きだから、鳥を交えたような告白が一番なのだろうか。けれど鳥をテーマにした告白ってなんだろう、少し考えてみたがまるで思い浮かばない。もうちょっと勉強す、

 

 ぐう。

 

―――

 

 午前8時。

 寝てたんだなーと目を覚まして、三度ほど持ち物チェックを繰り返し、手作り弁当を作っては軽く朝飯をとっていってきます。

 日頃の行いが良かったのか、今日の気温は快適そのもので、空も朝っぱらから青い。後はそのまま、乗り慣れたエレベーターで一階まで降りて、見慣れた男めがけ手で挨拶を交わす。

 

「おはよう」

「おはよう」

 

 デートといえども、調子はそう変わらない。初対面の男じゃあるまいし、変に緊張する必要なんてまるでないのだ。

 ファッションだってそうだ。バードウォッチングを行うということで、動きやすい格好を選択してみたが、雰囲気はいつもとほぼ変わらない。私はデニムジャケットにブラウス、スキニーデニムに赤フレームの伊達眼鏡でキメてみた。もちろん全てがBC社、贔屓万々歳である。

 対する白岩も、すっかり見慣れたBCスタイルを着こなしている。今日は青色でまとめているようで、今日という日と合致していると思う。

 

 両肩をすくめ、私は何となく、こう質問した。

 

「眠れた?」

「ぜんぜん」

「あ、やっぱり?」

「寝ちゃってたけどね」

 

 まるきり同じか。親近感と安心感を抱いて、指さして笑ってしまう。

 

「――デートなんて初めてだなあ」

「俺も俺も。いやーまさか、こんなことになるなんてなあ」

「長かった気がするねー」

「ホントな」

 

 出会いとは、本当に理不尽なものだと思う。

 親から「いい人できた?」と言われなければ、友人が幸せになっていかなければ、一人で飲んだくれていなければ、今頃は白岩と出会えなかったに違いない。ロマンチックのカケラも感じられない出会い方をしてしまったが、今となってはまるで良い思い出だ。

 

「それじゃあ……湖だっけ? そこで鳥を眺めるんだよね」

「まあね。にしてもアズミがねえ、まさかバードウォッチングに目覚めるなんて」

「あんたのせいよ」

「マジか」

「マジマジ」

 

 鞄から、双眼鏡を取り出す。戦車道では長らく世話にさせて貰っている一品だから、信頼性は抜群だ。

 日を浴び、雨に打たれ、風に煽られたものだから、若干ながら色褪せてはいる。けれど、この双眼鏡以外を使うつもりはない。

 

「気合入ってるねえ。あ、虫よけは持った?」

「持った」

「十分。それじゃ、行きますか」

「ええ」

 

 大学へ行くノリで、西区アパートの自動ドアを潜り抜ける。平日だろうと休日だろうと、辿る道はやっぱりここなんだなあと、なんとなく思う。

 今日も元気な日光を浴びながらで、私は、隣に歩く白岩の手を見つめる。

 ――きょう告白するんだから、手のひとつは握りたいよね。

 唾を飲み込む、あたりを見渡す。犬の散歩をしている主婦や、通勤中らしきスーツ姿の男、二両のマウンテンバイクとすれ違ったが、どの人物とも関わったことはない。手を繋ごうが、無関心で済まされるだろう。

 ああもうと、首を左右に振るう。ええいままよと、己が手を動かして白岩の手とごっつんこした。痛かった。

 

「あ」

「あ」

 

 足が止まる、見つめあう。

 互いの手を覗ってみたが、白岩が、私めがけ手を伸ばしていた。この時点ではろくすっぽ判断もつかなかったが、理性が「握ろうとしたんだろ」と声をかけてきた瞬間――私の顔なんて、真っ赤になるしかなかった。

 

「あ、あの、えと」

「あ、えー、なんか悪い」

「わ、悪くないよ?」

「そ、そうなの? じゃ、じゃあ」

 

 何も悪いことなんかないので、ぎこちなく、手を繋ぎ合うことになった。

 

 丸く収まりなんてしない、視線なんて合わせていられない。親友だろうが恋人だろうが、このトシで異性と手を繋ぎ合うなんて恥ずかしいに決まっている。「いつもの調子」なんてものは、こうもあっさりすっ飛んでいってしまった。

 

「――ア、アズミ」

「あ、うん」

「その、迷惑だったら、離してもいいから」

「あ、はい」

 

 それでも、

 白岩の指が、私の手に絡んでくる。私も、同じようにして応える。何故かと言われれば、私は、間違いなく白岩のことが好きだからだ。

 ――気まずいような、そうでないような、虫の音だけが聞こえてくる時間が過ぎていく。駅からはそう離れていないはずなのに、今日ばかりは遠くに思える。日頃から何か悪いことでもしていたらしいのか、世界が意地悪をけしかけていた。

 左右を見る。真正面を見たきりの白岩と、住宅地に敷かれた道路と、色とりどりの一軒家しか目に入らない。何か話題を、己が頭の中からひねり出さなければ――

 

「し、白岩」

「うん?」

「えっと、サークル活動ってさ、土曜だっけ?」

「ああ、まあね」

「ということは、邪魔しちゃったかな。土曜日に約束を取り付けるなんて」

 

 白岩が、「ぜんぜん」と首を振って、

 

「むしろメンバーどもがさ、『はよ行けカップル』って煽ってくるんだよ。あとは『死ね』とか『クソが』とか、松木からは『アズミさんに迷惑をかけちゃダメよ』とか、祝いの言葉を沢山もらった」

「あ、そうなんだ」

 

 散々な言い様に、笑い声が漏れてしまう。仲が良い事はいいことだ。

 

「じゃあ私も、白岩に迷惑をかけないようにがんばりますかっ」

「期待するー」

 

 その時、ポケットからバイブレーションが伝わってきた。メールか何かかと思い、手を伸ばそうとして、携帯がまた震える。この時点で嫌な予感がして、携帯を引っこ抜いて、「新着メールが3件届いています」のお知らせ。

 その場で立ち止まり、苦笑いをこぼしながらで「ごめんね」と白岩に伝える。次に携帯へ目を向けて、「送信者:メグミ」の文字に対して舌打ちした。

 

送信者:メグミ 受信者:アズミ

『今日はデートだね! 骨は拾ってあげるッ!(^^)』→返信→『ありがとう! 今日の枕元は期待しててね!(^.^)』

 

 バイブレーション。

 

送信者:ルミ 受信者:アズミ

『今デートしてる? 私の分まで幸せになってこいよー。くたばれー』→返信→『60年後に期待しててね』

 

 バイブレーション。

 

送信者:シノザキ 受信者:アズミ

『しねー!( ;∀;)』→返信→『いきる(*^^)v』

 

 バイブレーション

 

送信者:島田隊長 受信者:アズミ

『今日だよね? その、頑張って!』→たいちょぉ→『はい。必ず、告白します』

 

 携帯の電源を切る。

 

「友人から?」

 

 爽やかに笑えたと思う、

 

「ええ。みんな、あなたと同じように祝ってくれたわ」

 

 察してくれたのか、白岩は「そっか」と微笑みかけてくれた。

 

 ↓

 

 数十分かけて移動して、ようやく駅から降り立つ。長らく西区に住み込んでいたつもりだが、この地域を見るのは生まれて初めてだった。

 確かに、スーパーや住宅地などは普通に建っている。けれど隅々まで開発はされていないらしくて、少し歩けば草むらが、更に歩けば得体のしれない森が、更に移動すれば何もない野原が、白岩の手に導かれれば、

 

 嘘みたいに広がる湖が、私の前にあらわれた。

 

 今日も、恐らくは明日も青く透き通っている湖が、私の眼にそっと浸透する。湖の周囲だけが澄み切っているのか、高くそびえる山が幻のように見えた。

 湖の周囲には、まるで建築物が存在しない。その代わりとして草むらが控えめに生い茂っていて、湖へ寄り添うように木と木が立っている。その枝には、色とりどりの鳥が好きに生きていた。

 

 人は――居る。その事実に、ほっと息がもれる。

 私と白岩だけだったら、この場所に一生取り残されるはずだったのではないだろうか。

 酔ってるな、私。

 

「……きれいな場所ね」

「だろ」

「こんなところが、あったのね」

「少し歩くと、こういう場所は沢山あるもんさ。……さて」

 

 虫よけスプレーを吹かしながらで、私は白岩の説明を耳にする。

 ここ「東区湖」は、その豊富な水源と、飛び交う虫の多さから、小鳥が寄りやすいのだという。基本的な観察スポットは、湖の上、湖周辺に生えている木の枝なんだとか。

 つづけて白岩が、「あれ見て」と湖へ指差し、私の両目もそれに従う。湖の中心には、一本の木が生えているだけの小島が浮いている。

 サークル曰く「聖域」とのことだが、あそこには高確率で鳥が止まっているのだという。水に囲まれてもいれば、人の手も届きにくいだろうから、とのこと。

 それを聞いて、やっぱり動物は動物、人は人なんだなあと、らしくないことを思う。ここ最近は鳥と遊んでいただけに、なおのこと実感する。

 

「さて――鳥は、基本的には鳴き声で場所を推測するんだけれど……ほら、あの木」

「早速いましたなー」

「でしょ。ここは初心者向けでね、新人が入ったらまずはここに案内してる」

「へー、配慮してるねー」

 

 白岩が「当然さ」と微笑んで、

 

「ここは開かれた場所だから、迷ったりもしない。水源地帯だから、鳥もよく見受けられるしね」

「うんうん」

「双眼鏡は、基本的には見つけた後に覗くものなんだ。肉眼の方が、視野は広いから」

「あ、その理屈はすぐわかった」

「戦車?」

「戦車」

 

 私と白岩が、ほぼ同時に笑い飛ばす。

 

 初心者向けスポットらしく、「同業者」もちらほら見受けられる。中には釣りをしているおじさんおばさんおねーさんにーさんもいて、いい感じに賑やかだ。

 口元が曲がる。

 休日という空気もあいまってか、先ほどから気分がいい。手を繋げた高揚感も、あるからかもしれない。バードウォッチャー達のひそひそ声を聞いて、なんとなく「いいものだなあ」と思う。どこか祭りの会場めいた雰囲気を覚えて、体中から体力が湧き出てきた。

 

 私も双眼鏡を手にして、まずは湖の上を眺めてみる。湖には灰色をした鳥が二、三匹ほど浮いていて、私はあれなにーと指さす。間もなく、白岩が「カイツブリかなー」と応えてくれた。

 流れゆくカイツブリを目にして、なんとなく羨ましいと思う。あそこにいるカイツブリは、七面倒くさい人間社会とは無縁に生きているはずだ。鳥界隈にもいろいろあるだろうが、嫌なことがあれば、羽ばたいてすっきり忘れられるに違いあるまい。

 来世になったら、鳥になることにしよう。

 そんな支離滅裂な思考をしていると、一匹のカイツブリと目が合った。まさかねと手を振ってみると、カイツブリが羽ばたいてみせたのだ。

 

「――アズミ」

「ん」

「ペットショップの店員に、ならない?」

「あー、いいかも」

 

 へらへら笑う。もしもプロになれなかったら、そういった道を歩むのも良いかもしれない。

 

 ――数分が経過して、一通り湖の上は眺めてみせた。カモやカイツブリといった鳥たちを見て、「ああなりたいなあ」と何度思ったことか。

 次は、「聖域」の木を観察してみることにする。まずは肉眼で様子見してみたのだが、さすがは聖域、すぐにでも鳥たちの姿を視認できた。

 双眼鏡越しから、鳥の姿を観察してみる。

 聖域の地には、白と黒の小鳥たちが気ままに歩行している。横から「あれはセキレイですなー」の声、「あれがセキレイかー」と応える私。改めて双眼鏡で見てみると、小鳥の目は以外にも大きい。それでいて、跳ねるように移動するさまが、私の心をつかんで離さない。

 色々あるだろうけれど、頑張って生きて欲しいと思う。願わくば、鳥としての幸せを見つけて欲しいと想う。だから私は、手を軽く振るってみせて、一羽のセキレイがこちらへ飛んできた。

 

 慈悲なくズームアップされるセキレイを前にして、情けない声が漏れた。釣り人の一人が、「突撃か!?」と驚く。敵意をかってしまったのかと、両腕で顔を庇い、衝撃に備、

 肩に感触が伝わってきて、まさかと、自分の右肩を覗いてみる。そして予想通り、セキレイが私の肩にお邪魔していたのだ。

 

「アズミ」

「な、なに?」

 

 誤魔化すように、あえて気の抜けた笑みを浮かばせる。

 ――何が嬉しいのやら、白岩は「いいなー」と声に出して、

 

「やっぱりさ、素質、あるみたいだね」

「……なんでだろうね?」

「そりゃあ、まあ、アズミが魅力的だからじゃない?」

「馬鹿言わないでよ」

 

 口では軽く、心臓は重苦しく動揺する。

 いつもの調子でああ言ったのか、それとも白岩なりのアプローチなのか、いくら考えても見当がつかない。

 

「そ、それよりもほら、聖域のあれ、あれは何かな?」

 

 聖域に生えている木の枝を、私は必至こいて覗き込む。

 枝の上には、水色がかった鳥、セキレイ、そしてツグミが悠々と止まっている。中には、餌を取り合う二羽もいた。

 

「あの水色は?」

「カワセミ」

「ほおー」

 

 やっぱり、バードウォッチャーなんだなと改めて思う。鳥が好きでなければ、こうも簡単に答えられはしないだろう。

 戦車道にしても、同じことだからだ。

 

「みんな、可愛くて綺麗ね」

「な、鳥っていいだろ」

「うん」

「――まあ、この場所で一番綺麗なのはアズミだけどね」

 

 考えるよりも先に、「ばかっ」と叫んだと思う。白岩ときたら「悪い悪い」と謝ってきて、私はつい「謝らなくていいっ」とかなんとか言ってしまった。

 ほら見なさい、先ほどの釣り人が「楽しそうですね」と言ってきたじゃないか。連れの男も、なんだか笑ってるし。

 

「……白岩」

「何?」

「さっきの、冗談?」

「まさか」

「へー……ありがと」

 

 こうしたやりとりも、いつの間にか交わすようになってきた気がする。だからこそ、本気で口説かれたのか、いつもの調子で評価されたに過ぎないのか、よくわからない。

 口元をへの字に曲げながらで、ふたたび木の枝に集中する。

 

 まずはツグミの姿が目に入るが、ツグミはその場から動こうとはしない。木の枝の上で、ずっとずっと何処かを見つめているだけだ。

 つぎにカワセミだが、なかなか活発な性格らしく、木の枝の上を移動したり、別の枝めがけ小さく飛んだりもする。着地に満足したのか、誇るように羽ばたいてみせた。

 更にはセキレイを眺めてみる。セキレイの周囲に虫がぶんぶん飛んでいるのだが、当のセキレイは無関心そうにぼうっとしている。心が広いなあと思っていると、セキレイは「いつの間にか」クチバシを上下に動かしていた。

 「へ」と声に出してしまった。改めてセキレイのことを凝視していると、あの動きは――トンカツを食っているメグミそのものの動きだった。

 そうか、とって食ってしまったのか。そりゃそうだよね。

 

 大自然の厳しさを実感しつつ、私は鳥から鳥へと視線に移していく。途中、白岩が「どうだい?」と聞いてきたが、私は双眼鏡を手離さないまま、

 

「これは、癖になる」

「お、そうかい?」

「ええ。鳥にも、色々な生き方があるのね」

「だね。こうして見てみると、やっぱり性格ってのはあると思うよ」

「そっか。……観察って、奥深いね。楽しいとか、そういうのもひっくるめて」

「奥深いけれど、過干渉さえしなければ、誰にでも楽しめる趣味だとは思うけどね」

「なるほどね。……肩に乗ったセキレイがここにいますけど」

「それはしゃーない」

 

 仕方がないよねと、私は、おどけるように手のひらを傾ける。

 そうしてふたたび、白岩は双眼鏡を片手に鳥たちを眺め出した。ごく冷静な素振りで。

 

 白岩は生粋の観察好きだから、これまでも様々な鳥たちを見届けてきたのだろう。その中には良い思い出も、中には見たくもない場面を見てしまったのかもしれない。

 それらを含めて、白岩は今もバードウォッチャーを続けている。決して干渉せず、助けもせず、代わりに自然の流れを拝見するに値した、そんな男として生きている。

 

 それを考えると、私の知っている白岩って、「例外」そのものだったんだと思う。

 私の跳躍を願う感想文、私の為の黄文字、勝っても負けても称賛――何もかもが、過干渉だった。ぜんぶ、私のことばっかりだった。

 

 私のために、バードウォッチャーとしての協定を破るなんて。ずるいなあ。

 

「……白岩」

「ん?」

 

 観察者の横顔を、そっと覗う。

 

「その……あなたのお陰で、隊長に勝てた。ありがとう、すっごく感謝してる」

「どしたの急に」

「いえ。ここ、いい場所だから。なんとなく、ね」

「へえ。……でもまあ、俺のレポートを読んでくれて、改善を体現したのは、間違いなくアズミさ。だから、この勝利はアズミのものでいい」

「それは違うと思う」

「そうかい?」

「ええ」

 

 白岩が、私のことだけを見る。

 

「……じゃあ、二人で羽ばたけた、ということで」

「うん」

 

 決めた。このデート中に、絶対に告白しよう。

 

 肩の上に乗ったセキレイが、笛のように鳴いた。たぶん、応援してくれたのだと思う。

 

 ↓

 

 その後も、バードウォッチングは続いた。大人しい鳥、あちこちを散歩する鳥、飛び立っていく鳥、悠然と湖を泳ぐ鳥と、色々な存在を観察できたと思う。

 私は携帯で、白岩はカメラを用いて、鳥たちの姿を写真の一枚に収めていく。ついでにセキレイと私のコンビも撮られて、「やめてよー」と白岩の肩をはたいたりもした。

 そうしていれば腹が鳴って、私と白岩は手作り弁当を交換しあう。白岩からのメニューは、履修者大好き目玉焼きハンバーグ。私からの献立は、隊長が好きな目玉焼きハンバーグ。かぶったねえと、互いに笑い合ったのは記憶に新しい。

 

 二人と一羽で弁当を堪能した後は、もう少しだけバードウォッチングを楽しむことにした。こうして見ているだけなのに、鳥たちはありとあらゆる姿を見せてくれる。

 だから私は、嘘偽りなく、「やってみようかな、バードウォッチング」と言ってみた。

 すると白岩は、「いいんじゃないかな。道具とか、教えるよ」と、快く歓迎してくれた。

 数日後になれば、また、彼の隣でバードウォッチングをこなしているのだろうか。それは、私次第だ。

 

 

 バードウォッチングを終えた後は、電車に乗ってふるさとの東区へ戻る。あっという間に都会の匂いがやってきて、背筋を伸ばしながらで安心感を覚える。

 そしてそのまま、約束通り、ペットショップへお邪魔して――

 

「へえ、綺麗な鳥ってけっこうかかると思ってたんだけれど、八千円くらいなんだ」

「アズミが見ているインコは、人向けに飼育されたやつだね」

「うーん、雛から買うのも良いけど……難しそう」

「アズミならいけると思うけどね、真面目だし」

「そっかな」

 

 ところどころに配置されているガラスケースには、色とりどりのセキセイインコが元気いっぱいに動き回っている。その見た目はもちろんのこと、悪意が感じられない瞳、勇ましくも無垢そうな足、楽しむように跳ねる歩き方に、私はすっかり目を回していた。

 

「どうする? 今日、飼う?」

「いえ、予算が整ってから飼うわ」

「てことは、俺のソラにもようやく春が来るんだなぁ」

「そういうことね」

 

 たくさんのセキセイインコに注目されながら、私は小さくため息をついて、

 

「――ソラ君が先になっちゃったか、ご結婚」

「悔しいなー」

「ねー。……あのさ、結婚といえば、さ」

「ああ」

 

 私の隣には、至近距離には、セキセイインコのことをじいっと見つめている白岩がいる。傍から見ればカップルだ。

 

「あなた、将来はどう考えてる?」

「そっだなー……まあ、生きていけるだけの金を稼げて? 休日になったら鳥を見て?」

「ふむふむ」

 

 ここで、白岩の言葉が止まる。ちらりと横顔を覗ってみたが、心なしか、その顔は赤く染まっているように見えた。

 

「――誰かと、結婚、したいかな」

 

 私の思考がつまづく。

 セキセイインコたちは、今もなお私のことを見つめてばかりだ。白岩が隣にいるというのに、一羽として白岩に注目していない。

 それだけの瞳に捉えられて、逃げるように視線を逸らしてしまう。はやく言えと迫られているようで、もう少しで夜だぞと警告されているみたいで、そんな妄想で頭がいっぱいになる。

 

「アズミ?」

 

 声をかけられて、私は慌てて目を覚ます。呼ばれるがままに白岩の方へ向けば、白岩の、深刻そうな表情とぶつかった。

 

「どした? なんか、具合が悪そうだったけれども」

「え……あ、ううん、なんでもないなんでもない」

「そう? ならいいけど」

「うんうん元気元気。……あ、でさ、白岩」

「ん?」

「その――どういう人と結婚したいんだっけ? 前にも聞いた気がするけど」

「え、あー、カッコ良い女性がいい、かな?」

「ああ、そうだったそうだった。でもいいんじゃない? ここ最近の白岩はカッチョいいし、お似合いお似合い」

「おお、そうかそうか。……ま、これからもさ、俺は自分を磨いていくよ。格好ってのは、大事なところだから」

 

 だね、私は頷く。

 ――私は戦車道でも、ファッションでも、カッコ良さを重きに置いたつもりだ。ファッション方面では一度たりとも否定されたことはなかったし、戦車道においても、

 

 ――さっきのね、あのね、なまらかっこよかった!

 

 他でもない、尊敬している人から、こう言われた。

 だから私は、世間一般で言うカッコ良い人になれた、のだと思う。はたして白岩の範疇に踏み込めているかは不明だが、最低限のラインは突破出来たと思う。

 

「――で、アズミはどうなの? 将来」

「私? 私はー、やっぱり戦車道の世界選手になることかな」

「やっぱか」

「やっぱね。たぶん、そればっかりに集中してると思う」

「プロいね」

「でしょー。……後は、まあ、あれね。結婚できるものなら、してみたい」

 

 そして、白岩と同じ望みへ着地する。

 皆が皆、そうでないことは分かっているけれど。それでもやっぱり、好きな人と結ばれたいのは、普遍的な希望だと私は強く思う。

 

「……結婚、か」

 

 白岩の目線が、そっとガラスケースへ移る。

 

「アズミは確か、癒してくれる人が好きなんだっけ?」

「う、うん」

「癒しって、どういう人?」

 

 その質問をされて、瞬時に回答が浮かんだ。

 その質問をされて、瞬時に発音が落ち込む。

 だって、「そのまんま」だから。口にした時点で、恥ずかしさのあまりに死んでしまうだろうから。

 私も、ガラスケースへ逃避する。たくさんの鳥たちから、黙って見つめられた。

 

 ――私は、成せる女だぞ。隊長を越えようとして、ほんとうに超えられたオンナだぞ。プロを目指すからには、幾千もの困難を乗り越えていける程の根性が、度胸が必要になってくるんだぞ。

 告白よりワンランク下のことも言えないで、プロになれると思っているのかアズミ。心の癒しなくして、今更生きていけるのか、私――

 深呼吸。

 

「癒しっていうのは」

「ふむ」

「料理が出来て、気遣いができて、いつでもどこでも、私を支えてくれるような人、かな」

 

 世界一、簡単な問題を回答した。

 だからか、達成感は抱けない。爆発的な緊張感と、恥じらいを覚えるだけだった。

 

「――そうなんだ」

 

 白岩の、納得するような声色。

 

「っかそか、なるほどね。いやありがとう、いいことを聞けたよ」

「へえ。いいこと、なんだ?」

「ああ。アズミ、思った以上に可愛いんだな」

 

 絶対に、顔が真っ赤になったと思う。

 

「……うるさい」

 

 ふてくされながら、髪をいじりながら、心が躍りながら、私はセキセイインコたちのことをじいっと見つめた。

 インコは、私と白岩のことを眺めている。

 

 ↓

 

 黄色いメスのインコを買うわ、今度。

 白岩にそう告げた後で、私たちは適当にショッピングを楽しんだ。主に服装周りを見て回ったのだが、私も白岩も真っ先にBC系列のコーナーへ突撃して、あれ着たいこれ着たいアズミこれ着て白岩こそ着てよとモメにモメた。

 その活気に店員さんも引き寄せられて、「いらっしゃいま、まあ! 我がBC社の服を」「ええ、母校でして」「そうでしたか! ほんとうにお似合いですよ! ……そんなお客様には、これがお似合いかと!」と服を薦められ、ノリやすい私はつい指先を伸ばそうとしたが――検討してみますと、にっこりお茶を濁した。

 ここで予算を使っては、インコや、鳥かごなどが買えなくなってしまうから。

 

 その代わりに、白岩が「おすすめはどれですか?」と助け船を出してくれた。白岩もBC社の服を着こなしているからか、店員さんも大喜びで「これはどうですか? 今、流行っていまして」と、次から次へとトップスを提示してきたものだ。

 白岩は「そっだなー」と悩んで、一番安いモデルに対して「これください」「ありがとうございます」。

 

 気を遣わせて、ごめんね

 え? いやあ、気に入った服だったし。気にしないで

 

 ――告白しないと。

 

 ↓

 

 そうして、何度決意しただろう。

 気づけば、空模様は夕暮れ時に染まっていた。色々なことがありすぎて、いつの間に、とすら思った。

 暗い――それだけなのに、「今日はもうだめか」とすら思う。夜といえば良い雰囲気、良い雰囲気といえば恋の場面であるはずなのに、私の勇気は一向に沸いて出てくれない。

 白岩とともに、家である西区アパートまで足を進めていく。口では「今日は楽しかったわね」と言っているくせに、手を繋ぎ合っているのに、心中は落胆ばっかりだ。

 

 たぶん、「いつも通り」に過ごしていったからだと思う。

 白岩とおしゃべりをするのも、表情をころころ変えるのも、鳥と遊ぶのも、服装であれやこれや言い合うのも、ぜんぶがいつも通りだった。

 それほどまで、白岩との距離は近すぎた。それ故に、きっかけというものを掴めずにいた。順調に事が運びすぎて、ある一種のムードが生じなかったのだ。

 近すぎるというのも、考え物だな――そうして、西区アパートの出入り口にまで差し掛かってしまって、今日はこれでおしまいかあと思っていると、

 

「なあ、アズミ」

「うん?」

 

 白岩の両足が止まる。私も、それに従う。

 ――白岩から、緊張感めいた何かが生じたと思う。真顔のまま、エレベーターの方を見つめていて、私は黙ってそれを見守るだけ。

 

「――あのさ」

「うん」

 

 あまりにも静かだったから、耳鳴りが生じた。後ろで、自動ドアが閉まる音がする。そのままの時間がほんの少し絶って、カラスの鳴き声が高らかに響いた。

 息をしているはずなのに、無味無臭の味しかしない。白岩は未だに「あのさ」で止まったきりで、私はそれを見ていることしかできない。あと少しで夜が覆おうとしたところで、私たちの背後で、聞き慣れ過ぎた音と振動が、無遠慮に伝わってきた。

 戦車が、通り過ぎていったのだ。

 

「アズミ」

「……うん」

 

 戦車が、白岩の何らかを呼び覚ましたのかもしれない。

 白岩がこちらを見る。いつものように、気楽そうに笑いながら。

 

「今日、俺の部屋で、夕飯をとらないか?」

 

 ↓

 

 こうして私は、333号室まで案内された。白岩が戸を開けると同時に、「オカエリー! シライワー!」の声から迎えられた。

 白岩の部屋へ入って、久々にソラと会う。途端にソラときたら、「アズミ! アイドルアズミ!」と、羽を何度も何度もばたつかせてくれた。かわいいやつ。

 

「悪いね。急に誘っちゃって」

「いいよ、別に。おなじ西区アパートだし、何の問題もないわ」

「だな。思うと、俺ん家は久々だよね」

「ええ。今見ると、なんだかこう、いろいろ違う」

「そうかい?」

 

 そうして白岩は、鞄をベッドの傍らに置いて、ソラのエサと水を取り替えて、次にチャーハンを作り始める。その後ろ姿を見て、なんとなく、主夫だなあと思った。

 部屋を、見渡してみる。

 

「ほんと、料理を作れる男になっちゃったのねえ」

「アズミだってそうだろ?」

「まあね。でも、ホントにあなた、変わった気がする」

「……かもね。アズミと会った時から、色々あったし」

 

 コルクボードには、相変わらず沢山の写真が貼られている。私の記憶が正しければ、以前よりも増えたような。

 

「白岩」

「ん?」

「私と会えて、どうだった?」

「え? そりゃあ、楽しくなったよ」

「へえ、それは嬉しい」

「アズミはどうなんだよ」

「私も、白岩と同じ」

 

 改めて、白岩の部屋を眺めてみる。

 強烈な特徴などは、特には見受けられない。何を基準にしていいのかは分からないが、いたって普通の男の部屋だと思う。

 テーブルの上に手を置いて、「朝食」のことがフラッシュバックする。以前は冷凍食品で腹を満たしていたはずなのに、今の白岩は、腕によりをかけて料理を作っている。

 その変化に、私の口元が曲がる。

 

「あなたがいなかったら、私はきっと、隊長に勝てないままだっただろうなー」

「そうか? アズミは、やればできる子じゃないか」

「そうね。けれど、ひとりふたりっていうじゃない」

「確かに」

 

 チャーハン特有の、脂っぽくも弾むような匂い。

 布団が目に入って、ああやだやだと苦笑してしまう。色々すったもんだはあったが、今となっては良い思い出だ。そう締められるのも、彼が「何もしなかったから」。

 

 次は、ソラへ視線を向ける。エサを勢いよく食っているが、私の視線に気づいたらしく、「アズミー!」と挨拶してくれた。白岩が「あいつめ、喜んでやがる」とぼやく。

 その一声が何だか嬉しくって、「はあい、ソラー。もう少ししたら、いいことあるかもねー」と口にする。ソラが素直に首を傾げ、鳥ってなんて可愛いんだろうと思う。

 

「よし、そろそろ出来るかな」

「さすが。いやあ、これはモテ夫確定ですわ」

「よせよ、俺はそういうのに興味はないから」

「純ね」

「純だからな」

 

 ふと、本棚に目が入る。あそこには確か、鳥関連の本が豊富に取り揃えられていたはずだ。トリだけに。

 本の背中にも、「バードウォッチングバイブル」とか、「全国鳥図鑑」とか、とにかく白岩らしいラインナップがある。後で読ませてもらおうかなと、目で品定めをしていると、

 私の視線が、止まった。違和感が生じて、本能と理性が待ったをかけたから。

 ――戦車、

 

「出来たぞー」

「あ、うん」

 

 ごまかすように、視線を本棚から白岩へ早変わりさせる。

 上手く作れたのだろう。いい顔とともに、出来立てほやほやのチャーハン二人前を運んできてくれた。

 目前に皿を置かれ、チャーハンの匂いが容赦なく私の鼻孔をくすぐる。食欲が暴力的に煽られて、「おお」と声まで出た。白岩は「どーだー」と口元を曲げて、スプーンを私に手渡して、

 

「飲み物も用意してやろう」

「やたー」

「で、何飲む?」

 

 それはもちろん、

 

「赤ワイン! お酒ならなんでもいいけど」

「酒か」

 

 冷蔵庫を開けた白岩が、ぴくりと止まる。何かあったのだろうかと、白岩の背中を覗う。

 

「酒、か」

 

 ――重々しく、白岩が振り向く。

 仕草とは裏腹に、白岩は、にへらと苦笑して、

 

「俺、酒飲めないんだよね」

「あ」

 

 そういう事情持ちだったか。

 ならばと、私は「なんでもいい」と提案しようとして、

 

「アズミ副隊長!」

「あ、はい!」

 

 副隊長と呼ばれ、反射的に姿勢を整えてしまう。

 

「これより自分は、赤ワインをたらふく買ってきます!」

「白岩!? そんな命令は下していない!」

「いえ! 親愛の証として――ぜひとも買わせていただきます! チャーハンはお先にどうぞ! では、Salut(またな)

「白岩ーッ!!」

「ホネハヒロッテヤルゾー!」

 

 イケメン男は、イケメンダッシュとともに、自室から姿を消していった。あとに残るは、ソラとチャーハンと緑茶入りペットボトルと沈黙だけ。

 ――白岩ぁ

 あなた、どこまで私に気を遣ってくれるのよ。白岩と私に後腐れを残さないように、あんなノリまでしでかしちゃって。

 ほんと、イカした男だ。

 心から、そう思う。

 テーブルに肘をついて、ため息をつく。

 白岩のこと、好きなのにな。

 なんで、告白ができないんだろうな。

 好きだから、なんだろな。

 

「アズミ!」

 

 独特の声色が、部屋全体に響いた。

 少しびくついたが、動揺はしない。ここにいるのは私と、

 

「アズミ! ゲンキダセ!」

 

 ソラ、だけだからだ。

 ――心配してくれるというのは、それだけで心身に良い影響を及ぼす。だから私は、にこりと笑えた。

 

「ああ、ありがとうソラ。……あのね、べつに、落ち込んでいるってわけじゃないんだけどさ」

 

 言ってもいいかな、と思う。

 言ってしまうか、と決意する。

 少しでも想いを漏らしてしまえば、この気持ちも少しは軽やかになるだろうから。

 

「わたしねー、あなたの飼い主のことが……ううん、白岩にさ、ほれちゃったんだー」

 

 ソラが、私のことをじいっと見つめている。

 

「ソラ、あなたはいい飼い主に出会えたね。あの人はね、私のことを、たくさん支えてくれたんだよー。そんなイケメンにさ、ホレないはずがないよねー。ファッションセンスもいいしさー」

 

 スプーンを、くるくると回す。

 

「今日さ、デートしたんだけどさ、白岩のこと、ますます好きになっちゃった。でも告白できなかったー、私は臆病でーす」

 

 わざとらしく唇を尖らせて、スプーンを上下にひらひらと動かす。

 ――そして私は、何の意図もなく、なんとなく、こう言った。

 

「白岩は、私のことをどう思ってるのかな。ソラくーん、私はそれを知りたいなー」

 

 白い蛍光灯が照らす部屋の中で、私の言葉が棒読み気味に伝わった。

 頬杖をついて、ソラににこりと笑ってみせて、言ってみて心が穏やかになりつつある頃、

 

「ナア、アズミ。キイテクレヨ」

「え、何なに? 聞くー」

 

 なんだろう、面白い話でも聞かせてくれるのかな。

 私は、そのままの姿勢でいて、

 

「アノサ」

「うん」

「オレサ」

「うんうん」

 

「――オレサ、アズミニヒトメボレシタカモシレナイ」

 

 思わず、笑みが漏れた。

 

「え、マジ? マジで? いやー、それは嬉しいなあ。ありがとう、ソラ君!」

 

 私はにこりと、ソラめがけウインクを送る。この行動に意味があるかは分からないが、好きになってくれた相手に礼は惜しまない。

 そうやって、私は生きてきたつもりだ。戦車道履修者を名乗る者として、恋する女として。

 

「――オレサ」

「うん? なあに?」

 

 今度は、どんなことを言ってくれるのかな。喜色満面の笑みを浮かばせながらで、そう思い、

 

「アズミニホレラレルヨウナ、カッコイイオトコニナル!」

「お、いいねいいね。でもソラは、ソラのままでいいんだよ?」

「ダカラコレカラ、カイモノヲスル!」

「え、鳥が買い物? どゆこと?」

 

 ソラが、ばたばたと羽を羽ばたかせて、私は、「おお」と声を出てしまった。なんだろう、買い物ってどういうことだろう、ペットショップに関することなのかな。

 私が疑問に思う中、ソラは片時も私から目を離さないままで、言った。

 

「ビーシーシャノフクヲカッテ、アズミラシクカッコイイオトコニナル!」

 

 ――え。

 

「タカイケレド、タシカニオレハ、アズミニホレタッ! ダカラ、オレハヤル! バイトモスル!」

 

 戦車道履修者の脳が、瞬く間に「判断」を下す。

 ソラは、セキセイインコだ。セキセイインコは、言われたことしか口にしない。ソラがいま喋っていることは、何者かに告げられた内容の繰り返し。その何者というのは、この部屋の主で、飼い主で、私にとっての救いの主で――

 

「ジャ、カイモノシテクル!」

 

 そして、ソラのオウム返しが終わる。

 この瞬間から、世界中から音が消えたのだと思う。

 私は、縋るように、ソラへ指先を伸ばして、

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

 

 ぴくりと、私の指が留まった。

 そうだ。私が掴むべきは、ソラじゃなくて――

 

「今日サ、アズミト昼飯ヲ食ッタンダ! ナリユキデ、アズミノ友達ト仲良クナレテ嬉シカッタ!」

 

 耳が、慣れたからかもしれない。ソラの言いたいことが、だいぶ伝わってきた。

 

「デモ、戦車道ノ話ヲサレタトキ……正直、ヨク分カラナカッタ! デモ、アレダケ真剣ニ語リアウアズミヲ見テ、ヤッパカッコ良イッテ思ッタ!」

 

 声が漏れる。記憶が、色濃く蘇る。

 やっぱりあの時、白岩は、少しばかり苦しんでいたんだ。

 

「ダカラオレ、戦車道ヲ学ブ! アズミノチカラニナリタイ! ……ミテクレコノ専門書ヲ! 買ッチマッタゼ!」

 

 アズミの理性が弾け、一刻も早く本棚へ視線を移す。

 ――先ほどまで抱いていた違和感は、これだったんだ。「バードウォッチングバイブル」、「全国鳥図鑑」、「初心者向け、インコの飼育マニュアル」、「戦車道基本ルールブック」、「島田流の極意」、「夏はこれで決めろ! 男のコーディネイト」。

 声が出た。

 そんな、そんな、

 私よりも先に、白岩は、こんなにも想いを積み重ねていたなんて。

 

「オレハ応援スルゼ、アズミノ戦車道ヲ!」

 

 ――そっか。

 そっか。

 

 よく、覚えていてくれたね、ソラ。さすが、長年の話し相手だね。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

「ヤッテミルモンダナ! 練習試合、レポートトシテマトメラレタゼ! コレガ結構ウケガ良クテサ――」

 

 それから私は、白岩の嘘偽りない本音に耳を傾けていった。

 友達と言われた時、少しへこんだけれど、絶対に諦めないと誓った事。癒してくれる男が好みだと私が告げた時、料理を覚えて私の腹を満たそうとした事。島田愛里寿を越えたいと語った時、そんな私が格好良いと、これからも応援すると決意した事。私が彼に、好きな人はいるのかと問うた時、恥ずかしさのあまりあやふやに返答し、後悔した事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

 

 私からお手製弁当を配られた時、半分本気で死んでもいいと思った事。私とインコについて語り合った時、アズミが鳥に興味を持ってくれて、本当に嬉しかった事(この話に関して、ソラは結構羽ばたいてた)。私が隊長へ一撃を当てた時、テンションに任せるがまま、大喜びしていた事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「うん」

 

 ――松木から誘われた時、部室で二人きりになって、最近格好良いよねとか、雰囲気変わったよねとか、そんなことを言われて、いつの間にか「好き」と言われたこと。

 それを、ごめんと、返したこと。

 アズミさんのことが好きなんだねと、松木も知っていた事。

 

「キイテクレヨ、アズミ!」

「……うん」

 

 私が隊長に勝った時、とにもかくにも祝ったり、鳥かごの鍵を外してソラと踊ったり、もうめちゃくちゃだったらしい事。

 そして、私からデートに誘われた時、

 

 必ず、アズミに告白すると誓った事。

 

「アズミ!」

「うん」

「キレイ! カッコイイ! パーフェクト! ケッシテナイ!」

 

 ――わかった。

 

 金属音とともに、戸が開いた。

 

 ↓

 

「ただいまー」

 

 足を使って靴を脱ぎ、横一列に並べ直す。母から何度も何度も「ごちゃごちゃにしてはいけません」と言われたお陰だ。

 

「いやーお待たせ、ここからコンビニって少し遠くてさあ」

 

 居間に腰かけているアズミめがけ、手で交わす。そのままテーブルの上を見てみると、アズミのチャーハンは一口も手をつけられていない。

 しまったなーと、心の底から思い、

 

「あー……食べづらかったかな? ごめん、勢いでコンビニに行っちまって」

「ううん、ありがとう。あなた、ホントにイケメンなのねえ」

「え、どしたの急に」

 

 アズミからそんなことを言われて、ついついだらしなく破顔してしまう。

 とりあえずはコップをアズミの元へ置いて、レジ袋から二本の赤ワインを取り出す。酒を買ったのなんて初めてだったから、まこと新鮮な購入だった。

 ズバリお目当てだったらしく、アズミが「おおー」と喜ぶ。心の中で、ガッツポーズをとっておいた。

 

「さ、飲みなよ」

「うん。――でもさ、その前に、聞いて欲しいことがあるの」

「え」

 

 アズミの笑みを見て、俺はひどく動揺した。

 その穏やかな表情には、迷いみたいなものがなかったから。間違いなく、俺だけを見据えていたから。

 

「あなたってさ、本当にイケメンだよね」

「な、何どしたの? 赤ワインの礼なら、もう十分だから」

 

 アズミが、首を横に振って、

 

「私に刺激されたんだっけ、ファッション」

「まーね」

「何度も言ってるけど、とてもセンスがあると思うよ。個人的なことだけれど、私がきっかけっていうのも、いいなあって思う」

 

 照れくさそうにしながら、俺は手のひらを左右に動かす。けれどアズミは、平穏な顔のまま、

 

「ね、白岩」

「うん?」

「今まで、ほんとにありがと。私の為に、高い本まで読んで、勉強してくれて」

「え、あ? な、何のことか」

「本棚、見たよ。あんな分厚いの、よく買ったねえ」

「――アズミの影響で、戦車道に興味が沸いたし。古本屋で買ったから、安かったし」

「嘘。2500円はするよね、島田流の極意」

 

 言い訳を遮られて、「う」と声が漏れる。

 ポケットから、携帯を取り出して、

 

「ネットで調べた」

 

 俺はなんとか、笑えていると思う。ヘマなんかは、していないと思う。

 悟られたくなかったのだ。アズミの為に金を使っただなんてバレたら、生真面目なアズミは色々と気遣ってしまうだろうから。

 だからこそ、このテの質問には「ネットで調べた」で返してきた。

 

 ――失敗した。もう少し、部屋に気を遣えば良かった。浮かれ過ぎた。

 

「今まで、私の為に、ここまで頑張ってくれたんだね」

「いや、俺は、好きなことしかしていないから」

「じゃあ、なおさら嬉しいな」

 

 アズミの目と口が、そっと曲がる。

 

「ここまで一緒に歩んできてくれて、本当にありがとう」

「だ、だって、アズミはさ、俺の、おれの、」

 

「――愛してる」

 

 聞こえた、と思う。

 そんなことすら信じられないのは、それを先に言われてしまったから。

 

「好きだよ、白岩」

「……俺、アズミに好かれるようなこと、したかな?」

 

 嬉しさが、完全爆発したからかもしれない。同時に、あまりの恥ずかしさがマグマのように湧いて出たせいかもしれない。

 だから、そんな「言い訳」を口にしてしまったのだ。けれどアズミの笑顔は、そんなことなぞ意に介せず、

 

「とぼけないの。どういう風に歩んできたのか、あなたが一番よく知ってるでしょ?」

「――まあねー……」

「それにね」

 

 アズミが、自分のミディアムヘアを指先でつまむ。ほんの少しだけ、瞳を地に落とした後で、そっとそっと、俺と目が合う。

 

「女の子はね、あなたのような男の人から応援されることが、何のよりの夢なんだから」

 

 ああ。

 感極まって、ニヤケ面のままで、俺は意味なく天井を見つめる。鏡を見たら、さぞかしひどい顔をしているに違いない。

 ――息を吸う。

 アズミは、俺の事を好きだと言ってくれた。ならば俺も、それに応えなければいけない。

 ――息を吐く。

 

「アズミ」

「なーに?」

「その、アズミの告白に便乗するような形になっちゃうけど。俺も、アズミに言わなくちゃいけないことがあるんだ」

「うん」

 

 恐れなんて、アズミの勇気の前に消えた。

 だから俺は、男として応えることしか考えられない――

 

「アズミ。俺は、お前の事が、好きだ」

 

 ようやく、言えた。

 

「初めて会った時から、一目惚れに近い感覚で、アズミのことが好きになってた」

「――そっか、そうだったんだね」

「……なんか、その、悪いね。アズミのような清い理由じゃなく、まずは外見だけで好きになってしまって」

 

 けれどアズミは、苦笑気味に微笑む。

 

「いいじゃない。だって私は、戦車道の看板娘なんですもの。まずは外面が通じなきゃね」

「そっか、そか」

 

 許されたような気がして、もやめいた感覚が薄らいでいく。うつむき、長く長く吐息を漏らして、もう一度だけ「そっか」と口にした。

 

「誰かに惹かれる理由なんて、自由でいいのよ」

 

 苦笑いをこぼしたまま、俺はそっと視線を上げる。

 アズミはやっぱり、年上のお姉さんのように、ゆったりと笑う。

 

「そうやってきっかけが生まれて、少しずつその人のことを知っていって。それでいつかは、心から愛し合うんですもの」

「――そうだね。今となっては、戦車道を歩むアズミのことが、大好きだから」

「ありがとう」

 

 言うべきことを、言い終えた。

 瞬間、重くも心地よい疲労感が、あっという間に全身に回ってきた。

 

「……やっと、言えた」

「……ええ」

「……ごめん、言うのが遅れて。その、ビビっちまって」

「ううん。私もほんとうは、デート中にあなたへ告白するつもりだった。でも、勇気がね……あなたにフラれたりしたら、死んでしまうような気もして」

 

 嘘では、ないのだろう。

 俺も、同じようなことを思っていたから。

 

 ――その時、ソラが羽をばたつかせた。俺もアズミもソラの方へ目が向いたが――その時のアズミは、ソラに対して控えめなピースサインを示していた。

 なんだろうと気にはしたが、すぐに「まあいいや」と投げた。きっと、祝ってくれたに違いない。

 

 なんとなく、己が服を見る。確かに安い出費ではなかったが、こうして着こなせたからこそ、アズミは俺のことを好きになってくれたのだ。

 内面も大事だが、やっぱり外見は整ってナンボだ。その点を尽くしたからこそ、今の自分のことも、前より愛せている。

 

「アズミ」

「うん」

「確かに、こうしてお金はかけちゃったけれど、後悔なんかしてない。楽しかったし、アズミに振り向いてもらえたから」

 

 アズミが、同意してくれるように、頷いた。

 

「……そっかー、あーあ」

 

 今度はアズミが、天井を見上げてみせる。

 

「これは、メグミとルミに悪いことしちゃったかも」

「どうして?」

「だって、さ」

 

 アズミの首が、がくりと落ちる。ほんの少しだけうつむいたままで、ゆっくりと目が合っていって、視線と視線がようやく元通りになって、

 

「世界一格好良い男から、告白されたんだから」

 

 それもそうかと、俺は無責任に笑う。アズミも、開き直ったかのように両肩を震わせた。

 

「オニアイ! オニアイ!」

 

 ――ありがとう、ソラ。お前が言うなら、きっとそうなんだろう。

 

 

 後は、無事平穏に時が過ぎていった。

 「いただきます」と共にチャーハンを食べ始めて、テレビを点けて今日のバラエティ番組を視聴する。見知った芸能人が、「今日のテーマはこれ、今をときめく戦車道!」と大声で告げて、赤ワイン片手に「ほほう」とアズミが前のめりになる。

 ピックアップされたのは、アズミが前に話してくれた「高校生対大学選抜チーム」の試合内容だ。識者曰く「奇跡の一戦」とのことだが、アズミは「頑張りましたけどねー、やっぱりねー」と実に不満たらたらそうだった。最初は「どしたん」と思ったが、テレビから不穏な事情を伝えられ、アズミに対して「頑張ったな」と肩を叩いた。対して、「ありがとー」の声。

 

 続けて、番組からは「日本戦車道、世界へ羽ばたく日!」と大々的に宣伝された。俺はアズミの方を見たが、「負けるつもりはないわー」と赤ワインを一杯。流石だなと苦笑してしまいながらも、「これからも応援する」と誓い、アズミも「ありがとー」と親指を立ててくれた。

 友人同士のようなやりとりが、今となってはとても愛おしい。恋人同士になろうとも、変に硬くならないあたりが、実に俺とアズミらしいというのか。

 そんな光景をじっと見つめていたらしいソラが、「オニアイ! オニアイ!」と何度も煽ってきた。こいつぅと憎まれ口を叩き、アズミがえへへと笑いかける。

 

 ――夜もそろそろ更けてきた。

 互いにチャーハンを完食し終え、アズミはワインを一本ほど飲み干した。続けて二本目に襲い掛かろうとしたが、あまりにも顔が真っ赤だったので「明日、明日な!」とストップさせたのは良い思い出だ。

 テレビを消して、食器諸々を洗いながらで、

 

「今日は、本当にありがとう」

「……うん」

「明日からは……このままでいいよな。この方が、俺ららしいし」

「そだね」

 

 皿に洗剤をかけて、少し力みながらで汚れを落としていく。

 

「こんな時間だし、そろそろ帰るかい? あ、ナンバーはちゃんと覚えてる?」

「……うん」

「なら安心だな」

 

 笑う。これで忘れてしまっていたら、俺はまたしても、絨毯で眠ることになっていただろう。

 ――皿を洗い終える。コップめがけスポンジを突っ込み、おんどりゃあと洗浄する。

 

「俺のことはいいから、今日はもう帰っていいよ」

 

 間。

 

「アズミ?」

 

 コップを洗い終える、すべての食器が綺麗になる。

 返事が返ってこない。それだけで不安に陥り、首を振り向かせてみれば――地面に両手を預けたアズミが、眠そうな目で、俺のことを子供のように見上げていた。

 

「アズ、ミ」

「――くれないんだ」

「え?」

 

 まばたきが生じた。

 

「なにもして、くれないんだ」

 

 俺は多分、この時の為に生き永らえてきたのだと思う。

 きっとそうだ、そういうことなのだ。だって俺が、いま、そう決めたから。

 そっと、姿勢を低くする。

 海面のように光るアズミの目が、俺の本能を惑わしてくれる。羽のように揺れるアズミの髪が、俺の理性を乱そうとする。宝石のように艶めくアズミの唇が、俺の恋心を燃え上がらせる。

 こんなにも美しい人が、俺と結ばれたなんて――夢とは、もう思わない。これからも俺は、この現実世界で、アズミの心を癒していくと決めたから。

 

「アズミ」

 

 アズミの両肩を掴む、アズミの体が怖がる。大丈夫だよと微笑んで、アズミも「うん」と返してくれて、そのまま――

 

――

 

 朝の訪れを肌で感じ取ったあと、ベッドの上で、俺は怠惰に目を覚ました。記憶が正しければ、俺はアズミと一緒に眠ったはずだ。

 

 カーテンが閉じられているせいか、自室は青く薄暗い。いつもなら真っ先に朝日を出迎えるところだが、まずはアズミの寝顔を見てみたい。

 おそるおそるアズミを覗う。

 

 ――寝息を立てながら、穏やかにアズミは眠っていた。

 

 アズミの寝顔を確認すると同時に、ベッドから這い出る。先日は外を歩き回ったし、今日は部屋の中でごろごろしてみようか、アズミと一緒に。

 ――アズミとキスはしたが、それ以上のことはまだしてはいない。そういうのは、晴れて「結ばれてから」だ。

 けれど、一緒に寝泊まりするぐらいは、いいだろう?

 

 さて。

 音を立てながら、ワンルームマンションのカーテンを開ける。途端に真っ白い日光が浴びせられ、目と意識が眩みそうになった。セロトニンが充填されていくのを実感する。スズメの鳴き声を聞いて、俺の口元が少しだけ釣り上がる。

 今日もいい天気だなあ。そう思いながら、俺は「朝だぞー」と鳥かごのカバーを外してやる。早速とばかりにセキセイインコことソラが「オハヨー!」と挨拶をしてくれた。年がら年中話し相手になってくれる、とても頼れる相棒だ。

 よし。

 後は顔を洗って、歯磨きをして、朝飯を作れば、ひと段落がつく。しかも今日は日曜日というわけで、テンションも気分も心地よく安定しているのだった。

 

 けれど、俺も人並みに「敏感」だったらしい。

 

 確信をもって、背中から「変化」を感じた。

 両肩でひと呼吸して、なんとなくじれったく、首だけを振り向かせて、

 

 ベッドで眠っていたはずの、アズミとやっぱり目が合った。

 アズミとお見合いになって、俺は笑えたはずだ。

 インコのソラが、今日も元気よくオハヨーと挨拶をした。

 

「おはよう、白岩」

「おはよう、アズミ」

 

 朝日を浴び、髪を揺らして、アズミはいつものように微笑む。

 

―――

 

「で? アズミ殿はまーた白岩とイチャイチャっすか」

 

 食堂の椅子に座り、最初に声を出したのはメグミだった。やる気なく、トンカツが咀嚼されていく。

 

 戦車道を歩み終えて、シャワーをひと浴びした後は、必ずお腹が鳴って食堂へひとっ飛びする。これも、戦車道における必然の一つだった。

 今日も戦車道講座があるから、たくさん食べて、体力を身につけなくてはいけない。アズミのように、背を伸ばしたいし。

 

「らしいよ、今日はアズミお手製のお弁当があるから、食堂には寄らないんですって」

「ほーん」

「で、ここ最近はバードウォッチングのサークルにも入ったようで。インコも飼い始めて、順調みたいね順調」

「ああ、これは絶交ね」

 

 ルミが苦笑いして、メグミは破棄無くぶーたれる。対して私は、それに口出しはしない。

 二人が結ばれたと知った時、ルミとメグミは軽やかにハイタッチを交わしていたから。私も、ほっと胸をなでおろしていた。

 

「最近は遠慮なく手まで繋ぎ合うようになって、チーム全体がきゃーきゃー言うとりますわ」

「あったりまえでしょ。副官にカレシよカレシ、そりゃあ注目の的になるわね」

「……どきどきするよね、ああいうの」

 

 ルミもメグミも、私の言い分に頷いてくれた。

 メグミがトンカツを飲み込み、眉をハの字に曲げながらで味噌汁に口をつける。一方のルミは、シナモンをかじり終えた後で、鞄から一冊の雑誌を取り出してきた。

 

「あ、今月号」

「そ。インタビュー見てよ、早速浮かれてるから」

「みせて」

 

 表紙はやっぱり、敬礼をとったアズミだ。パンツァージャケットを着こなし、履修者らしく自信満々に笑むその姿は、「いつもの」アズミとほぼ変わらない。

 ルミの手で、月間戦車道のページが軽やかにめくられていく。その間にも戦車の紹介写真、試合の一場面、役員のインタビューなどが流されていって、

 

「あった。どお? 幸せそーな顔してるでしょ」

 

 これまでのアズミの写真といえば、爽やか一色だったり、自信に満ち溢れた表情をしていたりして、常に前向きさを表現していた。

 けれど、今回の写真はどうだ。視線はカメラから逸れていて、分かりやすいくらい赤く染まっている。けれどもどこか嬉しそうに笑っていて、完全に恋する女の子状態だった。

 

「何これ! あの子こんなに可愛かったっけ!?」

「おお……」

 

 メグミが、アズミの写真めがけ指さして笑う。ルミも特には反論しないようで、「困った子だ」とばかりに口元を曲げていた。

 

「インタビューは……はあー、なるほどねえ。ちきしょー」

 

 私も一通り読んでみたが、なるほど、メグミの気持ちも少しは分かる気がする。これほど幸せに生きている人が間近にいるのだ、それはやっかみの一つや二つは出てくるだろう。

 けれど、

 メグミもルミも、決して嫌なことは言わないし、顔にも出さない。むしろ、アズミの行く先を楽しみにしているかのように、適当な軽さで笑い飛ばしている。

 だから、私は思う。

 メグミにも、ルミにも、きっと、アズミのような出会いが待っていると思うよ。

 

 その後のことはといえば、私は、「戦車道履修者の休息」というページを強く凝視した。アズミはどういう服を着ているのか、どんなお化粧を使っているのか、気になって気になって仕方がなかったからだ。

 前のめりになりすぎていたせいか、ルミが「熱心ですねえ」と笑う。そうなるのも仕方がない、私はいつか大人の女性になりたいのだ。

 ――恋も、してみたくなった。

 

「隊長、良かったら貸しますよ、それ」

「ほんと!?」

 

 メグミめがけ、ぐいっと首を伸ばす。メグミは「きゃー」と黄色い声を上げて、ルミが「あ、メグミっ」と怒る。これは重要な資料になるから、是非とも是非ともと目で訴える。

 

「ええ、構いませんよ。……そうですよね。隊長も、そういうお年頃ですもんね」

 

 そして、メグミが雑誌を手渡してくれた。

 姉のように、慈しく微笑みながら。

 

「メ、メグミ」

「はい」

「ありがとう」

「いえ、いいんです」

 

 その時、ルミが「あ、そうだ」と指を鳴らした。いつも思うのだが、どうやったらそれを真似できるのだろう。

 何度もチャレンジしてみたが、上手くいった試しがない。かといって教えを乞うのも恥ずかしいし、どうしたものかと思う。

 

「隊長」

「うん?」

「今度、一緒に買い物へ行きませんか。いろんな服、探しますよ」

「ほんとう!?」

 

 理性と本能から、声が漏れた。目なんて、無遠慮に見開かれている。

 そんな私に対して、ルミは、「ええ」と頷いて、

 

「隊長は可愛いですから。きっと、どんな服も似合うと思います」

「そ、そうかな?」

「そうですよ。ね、メグミ?」

 

 メグミも、うんうんと肯定してくれた。それがなんだか恥ずかしくって、唸り声とともにうつむいてしまう。

 

「あ、どうしました? 隊長」

「ルミも、その……ありがとう」

 

 ルミと目を合わせて、ちゃんと言えた。

 ――ルミは、ほんの少し沈黙して、二十一歳の微笑を返してくれた。

 

「隊長。いつも……私たちを導いてくださって、ありがとうございます」

 

 ↓

 

 昼食をとり終え、「ごちそうさま」と手を合わせる。そのまま食器を片していって、ルミは気分転換に花壇巡りを、メグミは外へ散歩をすると言って姿を消していった。

 私は、もう一度だけ食堂の席につく。ちゃんとアズミのインタビューを読み込むために、月間戦車道を広げてみた。

 

『こんにちは、今月号も表紙を飾らせていただきました、アズミです。

 えっとですね……ここ最近になって、彼氏が出来ました。本当にほんとうの話です。

 彼……Sさんとしましょうか。Sさんと出会ったのは、とある公園のベンチです。これだけ聞くとロマンチックに聞こえるでしょうが、実際は酔っていたところを介抱されたんです。ね? ロマンも何もないでしょう(笑)

 それから、特別なことなんてありませんでした。大学生らしく普通に出会って、お喋りして、いつの間にか好きになっていって、勢いのままで告白しました。気付けば相思相愛でした』

 

 うなずく。

 

『よく、戦車道履修者には『出会い』がないという声が届いてきます。でも実際、周囲を見てみると、格好良い男の人ってけっこう多いんです。

 それは顔でもいいですし、性格でも構いません。話題が合ったから、でも良いんです。とにかく『あ、この人は』と思って、段々と付き合っていけば……その人のことが、もっと好きになっていきます。あなたが好意を向けるからこそ、相手もあなたのことを愛していくはずです。

 ――月刊戦車道の広告塔だからこそ、言います。男性の皆さん、履修者のことが気になりだしましたら、普通に声をかけてみてください。彼女達もあなたがたと同じように、普通に愛を求めています。辛い時は、泣いたり、飲んだくれたりと、いたって普通の人間をしています』

 

 ページをめくる、二枚目の写真が目に入る。パンツァージャケット姿のアズミが、愛車のパーシングへ寄りかかりながらで空を見上げていて、肩にはやっぱり鳥が止まっている。

 

『履修者の皆さんへ。戦車道は女性の武芸ですから、男性が混ざることはありません。それが原因で、やはりどうしても出会いは狭まってしまうでしょう。

 では、合コンやバイト、サークル活動などはどうでしょうか。そこには、男性との出会いが絶対にあるはずです。だいじょうぶ、飲んだくれにも出会いはありましたから(笑)

 もしあなたが、恋愛を望むのなら、誰か気になる人がいるのなら、ひょっこり声をかけてみてください。

 それはとても恐ろしいことかもしれませんが、たくさん恐れてください、そうした上で行動してみてください。清く正しく格好良い戦車道履修者のあなた達ならば、この行為は正しいと確信していけるでしょうから』

 

 うんうん。

 

『長いインタビューになりましたが……履修者の皆さん、どうか幸せな道を歩んでいってください。礼を尽くす貴女がたこそ、報われるべき乙女達なのですから』

 

 インタビューが終わる。私は納得するように、小さく頷く。

 アズミはいま、幸せに生きているのだろう。だからこそ、こんなふうに言えたのだ。

 ――よかったね、アズミ。

 

 月間戦車道を、ぱたりと閉じる。

 

 めでたし、めでたし。

 

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、「Beautiful Charmingへ自由に惹かれて」はおしまいです。戦車道アイドルと一般人の、メタルな恋愛を描けたと思います。

この話をもって、バミューダ三姉妹の物語は全て完結しました。
今まで応援してくださった皆様には、本当に頭が上がりません。

次からは、しばらくは「偶然出会う」を禁止にしたいと思います。本当は愛里寿編も含まれているのですが、長いスパンをとって、書く予定です。

また、次からは読みやすいように5000文字で一話切りをしたいな……と考えています。

それでは、本当にありがとうございました。
頑張った自分のご褒美として、ビルドドライバーを買ってきます。

それでは、最後に、

ガルパンはいいぞ。
アズミは、美しいぞ。


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