双極の理創造 (シモツキ)
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人物紹介

本稿は本編の進行とリンクする形で逐一更新していく為、説明や霊能力値は物語の展開や登場人物の成長などによって変化します。また、身体情報についてはかなり適当の為、物語関係なく修正される事もあります。あくまで本編完結までは未完成な人物紹介として見て頂ければ幸いです。


千嵜(せんざき)悠耶(ゆうや)

身長・170㎝

体重・61㎏

髪色・暗めの橙色

瞳・黒色

霊能力値

付加・B/収束・D/探知・E/貯蔵・E/操作・D/持続・F

 

晄藤(あきふじ)高校二年の学生。あまり人付き合いが良い方ではなく、またとある事情から人並みに交流のあった旧友とも今は連絡を取っていない。…が、別段コミュニュケーション能力そのものに問題がある訳ではない(ぶっきらぼうではあるが)為、数少ない友人の顕人や妹の緋奈とは問題なく付き合っている。中学時代に両親を失って以降はそれまで以上に家族(緋奈)を守る意思が強くなり、炊事洗濯等の家事も精力的に行なっている。

歳の割には達観しており、戦闘を目の当たりにしても物怖じしない。そんな彼の正体は、数十年前(第三次霊装対戦時)の霊装者であり、聖宝に願った事で生まれ変わった転生者であり、同年代の霊装者とは比べ物にならない程の知識と経験を有している。だが身体は別物である為、能力的には現状低下している模様。

自由奔放な態度と若干捻くれた思考から、会話の中ではボケ側に回りがち。但し常識はある為、内心では自身の発言を指摘していたり時折突っ込みに回ったりもする。

 

 

御道(みどう)顕人(あきひと)

身長・168㎝

体重・58㎏

髪色・黒よりの茶色

瞳・紫色

霊能力値

付加・E/収束・E/探知・F/貯蔵・S/操作・F/持続・F

 

晄藤高校二年の学生。生徒会執行部所属。人当たりがよく誰とでも公平に接する他、礼儀作法も怠らない(むしろ意識し過ぎる事もある)為生徒教師の両方から好評価を受けている。クラス内ではほぼ唯一と言ってもよい悠耶の友人であるが、これは顕人自身が彼の特殊性に興味を抱いた事が理由。外面は好評価な彼だがヘタレな面があり、生徒会執行部所属でありながら緊張し易い性格。だが、同時に本番に強くもあり、舞台に上がってしまえば緊張を全く感じさせない言動となる。

非日常に強い憧れがあり、それを日々夢見ている。しかし常識とそれによる視点も養われている為に非日常へ即座に順応する事は出来ず、テンパる様子も見受けられた。しかし、上記の本番への強さもあってか、いざとなればそれが無謀だと分かっていても決死の行動は取れる様な胆力を心に持っている。

かなりの突っ込み気質であり、ボケにいちいち突っ込んでしまう癖がある。…が、割とそれはそれで楽しいらしく、弄りも笑える範囲ならOKと考えている模様。

 

 

時宮(ときみや)妃乃(ひめの)

身長・157㎝

体重・46㎏

スリーサイズ・86/56/84

髪型・ツインテール(藍色)

瞳・赤色

霊能力値

付加・A/収束・A/探知・B/貯蔵・B/操作・C/持続・B

 

晄藤高校二年の学生であり、霊源協会を率いる二大派閥の一方『時宮家』の令嬢。常識人だが少々高飛車な自信家。高校では綾袮と行動を共にする事が多く、また交友関係の中でも特に仲が良い為、上述の性格と合わせて『トンデモ美少女の一角』と呼ばれる事もある。

時宮家・宮空家に代々伝わる能力である光の翼を使いこなしており、霊装者としての基礎能力、武器である槍捌きの技術共に高い為、霊源協会でも有数の実力者と名高い。

 

 

千嵜(せんざき)緋奈(ひな)

身長・154㎝

体重・43㎏

スリーサイズ・77/54/79

髪型・ワンサイドアップ(鮮やかな橙色)

瞳・黒色

 

晄藤高校一年の学生。悠耶の妹。しっかり者で人付き合いもそこそこ良く、学校では真面目な普通の生徒として見られている。…が、所謂ブラコンの傾向があり、兄である悠耶に不審な様子があるとすぐに心配する。しかし元々はそこまでブラコンだった訳ではなく、中学生時に両親を失って以降その傾向が現れるようになった。

本人は気付いていないが料理下手。その為千嵜家では悠耶が食事を作る事が多いが、自覚がない為時折作ってしまう。料理下手は悠耶が指摘しないのも一因の模様。

 

 

篠夜(しのや)依未(よみ)

身長・150㎝

体重・39㎏

スリーサイズ・75/53/78

髪型・セミロング(黒寄りの灰色)

瞳・青緑

霊能力値

付加・D/収束・D/探知・C/貯蔵・E/操作・D/持続・E

 

双統殿所属の霊装者の一人…ではあるが、他の者の様な任務は行わず、基本的に外出する事のない少女。その為肌は白く、運動不足が見て取れる。人付き合いが悪く、捻くれた性格をしているが、他者を思いやり、自分なりの助言を送るような優しさも持つ。

上述の通り半ば引き籠もりのような生活をする彼女だが、それは彼女の持つ能力が関連している。そしてその生活スタイル故に、サブカル趣味にどっぷり嵌まっている。

 

 

宮空(みやぞら)綾袮(あやね)

身長・148㎝

体重・40㎏

スリーサイズ・74/54/78

髪型・ミディアムヘアー(深い黄色)

瞳・青色

霊能力値

付加・A/収束・B/探知・C/貯蔵・B/操作・B/持続・A

 

晄藤高校二年の学生であり、霊源協会を率いる二大派閥の一方『宮空家』の令嬢。過剰に明るく天真爛漫な性格。妃乃とは真逆な性格で時折喧嘩もするが、実際にはかなり仲が良く、二人揃って容姿端麗という事もあり『トンデモ美少女』の異名を妃乃と共に有している。

妃乃同様時宮家・宮空家に代々伝わる光の翼の能力を有しており、得物である大太刀も普段の適当な性格からは想像出来ない程の見事な太刀捌きで操る、霊源協会の実力者。

 

 

ラフィーネ・ロサイアーズ

身長・152㎝

体重・40㎏

スリーサイズ・79/55/78

髪型・アップスタイル(群青色)

瞳・赤茶色

霊能力値

付加・A/収束・C/探知・C/貯蔵・B/操作・B/持続・B

 

イギリスの霊装者組織『BORG』所属の霊装者で、フォリンの姉。物静かな性格で、口数が少ない。その為会話は普段から一緒にいるフォリンに任せる事が多いが、意思疎通を苦手としている訳ではない。良くも悪くも素直で、静かな割には好奇心が強く、感情の起伏も人並みにある。

戦闘の際にはナイフと拳銃(どちらも実体)を持ち、機敏な動きで戦う。拳銃は近距離で放つ事が多いが、遠隔攻撃も必要なら行う。模擬戦では手を抜いた訳ではないが…?

 

 

フォリン・ロサイアーズ

身長・159㎝

体重・46㎏

スリーサイズ・88/58/85

髪型・ストレートヘアー(卯の花色)

瞳・赤茶色

霊能力値

付加・B/収束・B/探知・A/貯蔵・C/操作・B/持続・C

 

イギリスの霊装者組織『BORG』所属の霊装者で、ラフィーネの妹。落ち着いた性格で良識的。あまり話さないラフィーネの分まで代わりに話す事も多いが、姉との意思疎通は欠かさない。大人びた印象が強いが、年相応に知らない物へ興味を示したり抜けている一面を見せる事もある。

戦闘の際には大型の実体弾ライフルを使い、火力を活かして姉の援護を行う。しかし近距離戦の技量も並みの霊装者より上。ライフルを主に使う、というのは事実だが…?

 

 

園咲(そのざき)晶仔(しょうこ)

身長・164㎝

体重・49㎏

スリーサイズ・94/62/88

髪型・緩い一つ結び(白色)

瞳・茶色

霊能力値・NO DATA

 

双統殿所属の霊装者兼、霊力研究室室長。代々霊装者を生み出している家系の出身ではないが、霊装者や霊装者用武装の研究開発においては天才的な才能を持つ為、若いながらも霊源協会内でそれなりの立場を有している。俗に言う研究者気質であり、人柄としてはずぼらな天然…と称される事も多い。

 

 

中佐賀(なかさが)茅章(ちあき)

身長・161㎝

体重・54㎏

髪色・黄白色

瞳・暗い青

霊能力値・NO DATA

 

双統殿所属の新米霊装者。悠弥や顕人とは別の高校の二年生。あまり気が強くなく、親しくない相手にはその性格が顕著に表れる。外見は中性的で女性と勘違いされる事もしばしばあるが、本人はそこまで自分の容姿を嫌っておらず、むしろこの外見のせいで周りに気を遣わせてしまっている事、その必要はないと言い出せない事こそが悩み。

悠弥、顕人の両名とは二度偶発的に出会っており、二度目は紆余曲折の末に心情を吐露し、彼等二人と友人になった。

 

 

上嶋(かみじま)(けん)

身長・176㎝

体重・70㎏

髪色・灰茶色

瞳・朱色

霊能力値

付加・B/収束・B/探知・C/貯蔵・C/操作・C/持続・D

 

双統殿所属の霊装者。よく言えば明るく気さく、悪く言えば軽い印象の人物。霊装者としての能力こそ特筆する点はない(平均よりは上)が、周囲への配慮や面倒見は目を見張るものがあり、隊長職を任されている他宮空家の者からも一定の信頼を受けている。また外見も中々整っているが、ナンパ癖があるせいか見た目や性格の割にモテない模様。



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第一話 一人目の邂逅

----------------怒号の様な、咆哮の様な砲音。反響しているのではないかと思う位四方八方から聞こえる、刃のぶつかる音。そして、肉が裂け骨が砕ける独特の響き。嗚呼、ここに平穏な音など一つもない。

----------------共に戦っていた筈の味方は、多くがいなくなっていた。命を狩り合う相手である敵も、気付けば殆どいなくなっていた。代わりにあるのは、鮮血に染まった肉塊ばかり。嗚呼、ここには平和な光景など一つもない。

----------------恐らく、自分は生き残るだろう。そして、自陣が勝つだろう。それは、嫌ではない。死ぬよりは生きている方が良いし、仲間と呼べる存在が勝利を享受出来るなら、一人でも多く生き残ってくれるのなら素直にありがたい。でも……これで、自分は満足なのだろうか。数えきれない程の人を傷付け殺し、戦いとその周囲にあるものしか知らない自分は、この決戦に勝ったとして満足なのだろうか。いいや、違う。自分が望むもの、自分が欲するもの、自分が本当に得たかったものは…………

 

 

 

 

揺すられる感覚と、声をかけられている様な感覚がある。……正直、鬱陶しい。

 

「……嵜…千嵜…」

 

無視してやろうと思ったが…残念、揺すり主と声の主(多分同一人物)は諦める様子がない。となると根比べになるのは明白であり、こんな事で気力使うのも嫌だし先程より意識がはっきりしてきた事もあり、俺は諦めて起きる事にする。

 

「……やっぱお前か…」

「起こしてやった相手を恨めしそうな目で見るなよ…」

 

ゆらり、と頭を上げるとそこには見るからに優男っぽそうな男が一人。俺の予想通り、俺の睡眠を妨害した輩はクラスメイトの御道…御道……あれ?

 

「…御道、お前名前なんだっけ?」

「はい……?」

「いや、名前だよ名前。苗字が御道ってのは分かるんだが、名前の方がどうも出てこなくて…名前聞いた事あったっけ?というか、名前あるんだっけ?」

「あるわ!あるに決まってるわ!普通あるわ!っていうか第一話の初っ端から友人の名前を忘れる主人公とか前代未聞だよ!?何考えてんの!?」

「あーうん、すまん。名前忘れてたのは謝るから落ち着け。後そういうメタ発言は信次元の皆さんに任せておこうぜ、な?」

「メタ発言を指摘しておきながら自分もメタ発言&パロディネタやるとか何がしたいんだよ…」

「…それを考えるのがお前の仕事?」

「な訳あるかッ!」

 

御道はどうだ、と言わんばかりにハイテンションで突っ込んできた。おーおー元気な奴だ、けどまぁ人の名前忘れてるのは失礼な事に変わりねぇし、きちんと反省するか。

 

「悪かった、すまん。そして名前教えてくれ」

「はぁ…顕人、御道顕人だ。お分かり?」

「お分かりお分かり。っていうか…そうだ。何だかそんな名前だった気がしてきたな。うん、お前は顕人だ」

「知ってるよ、自分の名前なんだから…」

 

うんうん、と俺が頷いていると今度はげんなりした様子を見せる御道。…さて、名前も分かったところだし……

 

「何故お前は俺の安眠を妨害したんだあぁん?」

「何でヤクザっぽくなってんの…さっきのボケといい無愛想さといい、そんなんだから友人少ないんだぞお前は」

「友人少ない?想像で語るのは止めてほしいものだな…」

「あ…悪い、流石にお前だってそれなりに友人はいるよな。勝手な事言ってごめ--------」

「少ないどころか、目下友人と呼べるのはお前位しかいない!」

「聞きたくなかったそんな事実!え、マジで!?マジで言ってんの!?」

「さぁて、それはどうなのやら…」

「嘘でも良いから否定してよ…俺今後お前とどう接したら良いんだよ…」

「唯一の友人として、俺を見捨てない気持ちで接してくれるとありがたいな」

「だからそんな言葉聞きたくないんだって!」

 

怒って、げんなりして、その後は困惑と嘆きの混じった叫びを上げる。ほんとに御道は突っ込みに対して全力な奴だった。こいつは芸人志望か何かなのだろうか…。

なんて思いつつちらりと見た壁時計は、もう五時半過ぎを示していた。…うーむ、少し寝過ぎたか。

 

「よしじゃあ帰るか。こんな中途半端な時間なせいで一緒に帰る友人がいない御道の為に、俺が一緒に帰ってやろう」

「お前ほんとにぶっ飛ばすぞ…?…仕方ないだろ、生徒会なんて終わるタイミングが決まってないんだから」

「生徒会ねぇ…好き好んでやるお前の気持ちが分からないよ」

「好きに理由を求めるのは間違いだよ。…ま、理由がない事もないんだけど…」

「そーかい」

 

その理由は、とは訊かずに鞄を持って席を立つ。教室を出て、廊下を通って、靴箱で上履きを履き替えながら俺は御道という人間に思いを馳せる。……変な意味じゃねぇからな?…こほん。

御道顕人。そこそこいいルックスで、完全にクラスから浮いてる俺とすら気さくに話す人間性を持ち、更には生徒会所属という非の打ち所があんまりない(むしろ適度に打ち所がある分接し易い)御道は、言うまでもなくクラスの中心付近にいる。自分達でも制御出来てないんじゃねぇか…?と思う位個性の強いトンデモ美少女二人が自ら先頭に立つタイプだとすれば、こいつは皆に求められて、本人もそれを好意的に受け入れて先頭へと進むタイプ。

……こうして改めて考えて、やはり思う。羨ましいと。平々凡々…ではないものの、明るく楽しい『普通の』日常を送っている御道が羨ましいと。

 

「おーい、千嵜さーん?何やら心ここに在らずって顔してますがー?」

「…んぁ、ちょっと考え事をな」

「あそう。…普段より帰るの遅い訳だけど、ご飯大丈夫?妹さん不機嫌になってるんじゃね?」

「まぁ大丈夫だろ。うちの妹は食いしん坊キャラじゃねぇし、兄妹仲は良好だって自負してるからな」

「……大変だな、お前も」

「自分達で選んだ事なんだ、文句はねぇよ」

 

俺の言葉を受けた御道は、そうだよな…みたいな顔をした後納得した様に頷いていた。そんな様子を見て、ほんの少し口元を緩める俺。

そう、それでいい。友人というのは親族でも恋人でもない、ある一定のラインを超えない様にするもの。それこそ恋人になりたいのなら超えるのも必要だが…別にそういう意味で好きだったりはしないからな。言っちゃなんだが、まぁまぁ満足出来る日常が良いのであって、御道自体は友人以上でも以下でもねぇ訳だし。

その内に通学路の共通部分が終わり、俺と御道はそれぞれ自宅の方角へと別れる。別れて俺は夕食の事を考えながら、御道は…何考えてんだろうな?……まぁ何かしら考えながら、家に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

----------------これが、最後だったんだよな。こうして普通に、二人でいつも通りの下校をしたのは。

 

 

 

 

この世界に住む人間の九割は、この世界は魔法も異能もない、普通の世界だと思っている。けど、それは違う。殆どの人はそれに遭遇する事もなく一生を終えるが…異能や魔物と呼ばれるものは、存在する。それはずっと前……人の歴史が記録され始める前からあって、一般社会の裏で、歴史の影で存在し続けている。……ん?なんでそれを俺が知ってるのかって?そんなの……

 

「こんな状況で言ってられるかボケぇぇぇぇぇぇっ!」

 

低めのフェンスを勢いで飛び越えた瞬間、そのフェンスがべきり、とへし折れる。ついどんな感じに折れたのか振り向いて確認したくなる衝動が生まれるが……んな事気にしてる場合じゃねぇだろ!呑気だなぁおい!と心の中で自分を叱りつけつつ逃げ続ける。

こうなったのは十数分前。なんとか日が落ちる前には家に着けるかな…なんて思っていたところにそれは……魔物は現れた。見るからに常軌を逸している色合い、生物的の様なそうじゃない様な…そんな何とも言えない身体、そしてそいつの発する明らかに『異常な』雰囲気を持つそれは、野良犬だとか野良猫だとかでは絶対にない。

 

「くっそ…なんでだよ、なんでこうなるんだよ…ッ!」

 

悪態をつきながら、逃げ続ける。遭遇した次の瞬間には逃げ出した俺は幸いにも早期に狭い路地に入る事が出来て、そのおかげで何とか追い付かれていなかったが、奴を撒く事は出来ていない。そうなると問題は体力含めた運動能力なんだが…上級とは言わずとも最下級ではない奴と、ぼっち予備軍の一般高校生の俺ではどちらが勝つかなんて自明の理。それでも、俺は逃げるしかなかった。

 

「……戦える、訳ねぇんだよな…」

 

息切れで痛む胸を押さえつつ、とにかく走る。戦える訳などないのだから。勝てないとか倒しきれないとかの次元じゃなく、まず『戦闘』の体を成すレベルに至る前にやられてしまう。というかそもそも人間…霊長類ヒト科に属する生物は身体能力よりも知性と技術を優先している時点で生身の戦闘なんて愚の骨頂。ましてや相手が常軌を逸した存在なら、普通の人間がどうにかなんて絶対に出来ない。少なくとも俺には…千嵜悠耶には、奴を倒す力なんてない。

だから、せめてもの悪足掻きとして、限りなくゼロに近い可能性に藁にもすがる思いで期待して、走る。走って、走って、走って、それで……

 

 

「…………嘘…だろ…?」

 

--------辿り着いたのは、どっかの倉庫の広い駐車場。駐車してある車も少なく、魔物が動き回るには十分な広さを持った場所。……もう、逃げられない。

 

「鬼ごっこは…お終いってかよ……」

 

息が上がり、覚束なくなり始めている足でそれでも数歩進み、後ろを振り向く。それと同じタイミングで、魔物は窮屈そうにしながらも細道を抜け、俺が止まったのを見るや唸り声を上げながら牙を剥き出しにする。

 

「は…はは……」

 

俺の口から漏れる、掠れ気味の乾いた笑い。こんな縁もゆかりもない駐車場が死に場になるのかよとか、最終的にこうなるなら最初から諦めてた方が楽だったなとか、俺の思考は既に冷めた、諦観の念の籠るものになっていた。

一瞬の沈黙。そして魔物は飛びかかってくる。対する俺は……もう何もしていなかった。ただ、走馬灯の様に(というか走馬灯か)流れる思い出に意識を向けていた。

結局、千嵜悠耶は冴えない人生だった。確固たる将来の夢を持つ事もなく、生涯付き合えそうな趣味を得る事もなく、異性や恋愛に想いを馳せる事もない、可もなく不可もない、よくある人生。けど悪くないと思える程度の人生を送れただけマシかもしれない。特筆する程ではないものの、よくよく考えれば楽しい事もちょいちょいあったんだから、こんなものかと妥協しても良い気がする。唯一心残りがあるとすれば、妹を残して死んでしまう事だけど…それも死の間近となっては「すまないな、でも頑張れよ」位しか思えない。……元気に、暮らしてくれると良いんだけどな…。

気付けば、魔物はすぐ側までやってきていた。後一瞬すれば、俺は死んで魔物の晩御飯になるんだろう。ま、こうなっちゃ仕方ないな…なんて思いながら、俺は目を閉じようとする。せめて自分を殺す相手を最後まで睨み付けてやろうなんて気概のない俺は、そのまま目を閉じて、そして意識が途絶えて、そうして俺の人生は終了----------------

 

 

 

 

 

 

 

 

--------しなかった。していなかった。

 

「…え……?」

 

閉じかかっていた目を見開く。永遠に失われると思っていた意識は、突如現れたそれ(・・)に引き込まれる。

天空から舞い降りた…と言うにはあまりにも苛烈な勢いで、しかし粗暴さの無い洗練された一閃。それが現れた時、一瞬前まで俺を殺そうとしていた魔物の片腕は、宙に飛んでいた。一瞬前まで狩る者だった奴は、この瞬間狩られる者へと変わっていた。

--------そこにいたのは、一人の少女。藍色のツインテールを宙に舞わせ、紅玉の様な紅い瞳を魔物から俺へと向け……魔物の腕を刹那の間に両断した大槍と、蒼く輝く光の翼を携えた少女が、そこにはいた。

 

「…ふぅ、間一髪だったわね」

 

少しだけ安堵した様な笑みを浮かべた少女は、その後すぐに魔物に向き直り、柄を背にしつつ穂先を斜め下へ向ける構えで正対する。ここまでくれば、もう分からない者がいる筈もない。魔物の片腕を斬り飛ばし、俺を助けてくれたのはこの少女だと。少女はこの魔物を倒すつもりなのだと。

 

 

こうして、俺は一つの終わりを迎えた。だがそれは、その直前まで自分が想定していた、『死』という終焉ではない。それは新たな日々の、新たな世界の始まりであり…別れを告げた筈の世界へ、もう一度足を踏み入れる事となる『始まりの為の終わり』だった--------。




活動報告の通り、こちらの作品でも時折メタ発言やパロディ発言をしようと思いっています。頻度は少なくなると思うので今のところは解説しない事としますが、もし要望があればOriginsシリーズ同様後書きにて解説します。


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第二話 一人目の驚愕

魔物に襲われた俺の前に現れた、藍色の髪の少女。片腕を斬り飛ばされ、怒りと驚きで唸り声をあげている魔物を相手に、少女は大槍と光の翼を携え正対している。

普通ならここから少女と魔物の戦いが始まって、それなりに攻防戦を繰り広げた挙句少女が勝って、その一部始終を見ていた俺が驚き冷めやらぬまま少女に質問し、少女はそれに答えて……的な展開になるのが一般的なのだろう。…いや魔物に襲われてる時点で一般的もなにもないんだろうが。

それはさておき、まぁそれがよくあるパターンって奴だ。だが俺は、俺の場合は違う。色々と知っているからこそ戦闘終了よりずっと前に状況理解が追い付くし…知っているからこそ、知らない奴以上に疑問が浮かぶ。そして多分俺は若干冷静さを失っていたんだろう、正に激突という雰囲気の中で口を開いてしまう。

 

「お、お前…どうして……」

「あぁうん、驚くのは分かるわ。でもまずはこいつを…」

「…霊装者、だって言うのか……?」

「……っ!?…何で、その名前を……」

「いや、それよりも…どうして俺が狙われてるんだよ。一般人を狙う様な下級には見えねぇし、俺は霊装者でもその潜在能力者でもない筈だろ…?」

「…待ちなさいよ…あんた、霊装者って単語だけじゃなくて、魔物やその他の事まで知ってるって言うの?一般人でしょ!?どうしてそれを…!」

「だったらそりゃ俺が普通の一般人じゃねぇって事しかないだろ!俺だっていっぱいいっぱいなんだから、質問に質問返すなよ!」

「こっちだって想定外の事言われて驚いてんのよ!ほんとにあんたは何者……」

「うおぉっ!?ちょっ、前々!」

「んなぁ……ッ!?」

 

なんだか軽い言い争いみたいになってしまった俺と少女だが……魔物は「あらあら仲良いですねぇ」とか言って話がつくまで待ってくれる訳がない。四足歩行から二足歩行に切り替えた魔物の一撃を辛うじて反応した少女が防御したものの、あわや二人まとめてお陀仏になるところだった。

 

「あっぶねぇ…気を付けろよな…」

「誰のせいだと思ってるのよ馬鹿ッ!」

「ですよねっ!」

 

突進してきた魔物を逸らすと同時に蹴飛ばしてきた少女と、蹴飛ばされながら叫ぶ俺。少女は手加減してたんだろうが…大概の能力者、異能使いの例に漏れず基礎能力も人外のそれだった少女の一撃を受けた俺は物の見事に数m吹っ飛んでアスファルトの地面に落ちる。こ、こいつ…骨折とかしたらどうする気だよ!?俺の自業自得ではあるけど!

 

「馬鹿はそこで寝てなさい!次は本気で蹴るわよ!」

「あ、はい…」

 

そう言いながら地を蹴り、翼をはためかせて魔物へと突っ込む少女の気迫に気圧されだよ俺は首肯した。この様子だとほんとに蹴ってくる可能性あるし…真面目な話、ふざけた真似して俺が怪我するなら自業自得で済むが、少女が怪我したら謝って済む話じゃなくなっちまうからな。

 

「ったく、幸先悪い…!」

 

迫る少女を切り裂こうとした魔物の爪を、少女は下段からの斬り上げで弾き返し、大槍の柄を軸にする様な動きで回し蹴り。その一撃で怯んだところに大槍での刺突を加え、次の瞬間にはそこから斬り上げつつ刃を引き抜く。

回し蹴り、刺突、刺さった状態からの斬り上げと続けざまに攻撃を受けた魔物は一瞬よろけたが、次の瞬間にはその目をギラリと輝かせ、刃物の様な牙で少女を噛み砕きにかかる。だが…魔物が顎を閉じた時、少女は魔物の前どころか視界にすらいなかった。

 

「……っ!おい!そいつの首か頭を狙え!そのタイプの魔物の弱点は動物なんかと大体一緒だ!」

「だからなんで知ってんのよ!それとそんな事言われなくても分かってるわよ!」

 

俺が声を飛ばしたのは魔物の真上。魔物の攻撃が届くよりも先に飛翔した少女は魔物の直上を取り、地面と平行の状態から一気に魔物へ肉薄する。

構えた状態から突き出された大槍。本人の力に重ねて急降下の勢いも乗った刃の一撃は、俺の助言が関係してるのかどうかはさておき前傾姿勢だった魔物の首を正確に捉え、止まる事なく斬り裂き貫く。

ずぶり、という音を立てながら大槍を引き抜く少女。刃の横幅よりも魔物の首が太かったから首が落ちる…という事こそ無かったが、致命傷である事は間違いなかった。

 

「…いい腕してんだな」

「え……あんた腕フェチだったの?」

「違ぇよ!技量とか能力的な意味だよ!どうしてこの流れでそうなるんだよ!?」

「男は皆野獣だって…」

「お前の父親も男だろうが!お前は強か…アレな経緯の末に産まれたのかよ!」

「じょ、冗談よ…後人の家族関係貶すとか失礼ね…」

「それは貴女の冗談がきっかけですよねぇ!?」

「あ、貴方意外とノリ良いのね…そんな奴とは知らなかったわ…」

「ん?なんで俺の人間性を……」

 

知ってんだ?…そう聞こうとした。そう言おうと思っていた。だが、俺はそうは言わずに……彼女の大槍を、引ったくる。

 

「な……ッ!?」

「……ーーっ!」

 

目を見開く少女。そんな少女を無視して俺は駆け……立ち上がり、虚ろな目をしながらも少女に喰らいつこうとしていた魔物の顔を刺し貫く。

大槍を掴み、記憶を頼りに力を込めた瞬間何かが大槍へと流れる感覚が、魔物を貫いた瞬間肉が裂け骨が砕ける感覚が……酷く懐かしい、二つの感覚が腕にかかる。

 

「……一般人、じゃなかったんだな…」

「そんな…さっき私は、確かに殺した筈……」

「……殺した、筈?」

 

それだけは無い、と思っていた事が、他でも無い自分自身の手で証明されてしまった事で、俺は少しばかり感傷的な気分になる。…が、少女の信じられなそうな声を聞いた瞬間、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

 

「筈、ってなんだよお前…筈もなにも、現にこいつは生きてただろうが!一矢報いる位の力は残ってただろうが!」

「な、なによ急に…私はこれまでに何度も魔物を屠ってきたのよ!絶対とは言わないわ、でも十分な推測が出来る位の知識も経験もあるの!筈って思う事の何が悪いのよ!」

「現実を見ろって言ってんだよ!お前の知識も経験も知らねぇが、今この場においてはまだ生きてた!違うか!?」

「……っ…あぁ悪かったわね!確かに私が倒し損ねたらあんたに危害が加わるかもしれないものね!筈とか言っててすいませんでし--------」

「お前が死ぬかもしれなかっただろッ!」

「え……っ?」

「あいつはお前を狙ってたんだよ!俺がこっち側だったから良かったものの、そうじゃなきゃお前噛み砕かれてたところだったんだぞ!?お前、死んでも『筈』なんて言ってられんのかよ!」

「…な、なによそれ……じゃあ、私の心配してキレたって言うの…?」

「……っ…目の前で敵でもない奴が死ぬのは嫌なだけだ、勘違いすんな…」

 

なにか気まずくなって、目を伏せる。

自分でも意外だった。こんなあからさまにキレるなんて、自分でも思ってもみなかった。平和な、そこそこ楽しい日々が十何年間続いていたからか…とにかく、俺はさっき出会ったばかり(と思われる)少女に思い切りキレてしまった。しかも少女も少女で自分の為に怒ってくれたと知って、言い返すに言い返せない…といった雰囲気のまま。それが余計気まずさを増す結果を招いて、それに耐えきれなくなった俺はつい、妙な方法で話を進めてしまう。

 

「……まぁいい…それより…お前は何者で、何をどこまで知ってるんだ」

「…訊くなら訊くで、一つずつにしなさ……」

「一応言っとくが、今立場が上なのは…俺だ」

 

少女が言いかけた文句。それを止めたのは、俺が少女の喉元に突きつけた大槍だった。…危機を救ってくれた相手にこんな事をするのは気持ちのいいものじゃないが…さっきの事でちょっと荒っぽい気分になっていた事、そして驚きに次ぐ驚きで精神的に余裕が無くなっていた事が災いして、ついこんな態度を取ってしまった。そんな俺がこの行動を後悔したのは……少女が少し表情を緩めた、その数秒後だった。

 

「…あーはいはい分かったわ。今の私は貴方に下手な事言えない立場ね。それは分かったから、一つだけ言わせてもらえないかしら?」

「…なんだよ」

「確かに貴方は只者じゃないみたいだし、私にも迂闊な点があった。けど……ついさっきまで一般人やってた奴が、図に乗るんじゃないわよッ!」

「へ……!?」

 

少女が声を荒げた瞬間、足に衝撃が走り宙に浮く。次の瞬間には大槍を奪い返され、俺が足払いを喰らったんだと気付いた時にはアスファルトに頭を打ち付ける事となり…更には奪い返されてしまった大槍を喉元に突きつけられていた。……完全に立場逆転である。

 

「…さて、今立場が上なのはどっちかしら?」

「……貴女です、はい…」

 

 

 

 

「…予言の固有術者?」

 

俺が地面に這い蹲る事となってから十数分後、俺達は近くの公園まで移動しベンチに腰掛けながら話をしていた。

 

「そう、霊装者の中には固有の力を持ってる人が極稀にいるのよ。それは知ってるんじゃない?」

「あぁ知ってるよ、で…その予言者が俺が襲われる事を予言したって事か?」

「いいえ、確かに今日、二人の特定の人物が襲われるって予言はあったけど…別に誰かとは特定されてなかったわ。それと、この予言は二年前に出されたものなのよ?」

「随分前だな…ん?二人?」

「そう二人。もう一人には別の人が向かってるわ、あっちは楽でしょうね…」

「面倒な方で悪かったな…」

 

もう一人がどんな奴かは知らないが、まぁ俺より楽なのは絶対だろうな…と俺は思う。人間性云々はともかく、俺は色々と要素が厄介過ぎる。

 

「それじゃ、質問はもういいかしら?いいなら今度はこっちが聞きたいんだけど」

「いや、もう一ついいか?多分それはお前の訊きたい事にも関連する事だ」

「…いいわ、何?」

「……時宮宗元、って人物に心当たりは?」

 

その名前を聞いた瞬間、少女はまたも驚きの表情を見せた。俺はもう慣れっこだったが…少女も少女でいい加減いちいち驚いてたらキリがないと思ったのか、軽く頭をかいて頷いた。

 

「…ほんと恐ろしい位知ってるわね……えぇ心当たりあるわ、ありまくりよ」

「ありまくり?」

「ありまくるわ。だって…その人は私の祖父だもの」

「……マジで?」

「マジよ?」

 

少女の顔は、嘘を吐いている様には見えなかった。ここでこんな嘘を吐くのも不自然だし…見たところ十代後半の少女の祖父をしているのであれば、俺の知識や記憶からの計算とも合致する。それに何より……

 

「…天之瓊矛を使ってる時点で、あの人の血縁者である事はほぼ確定だもんな……」

「げっ……私の槍の名前まで知ってる訳…?」

「げってお前…知ってるから口に出したんだよ…」

「…じゃあ、そろそろ私が質問してもいい?」

「あいよ、好きに訊きな」

「……貴方は…一体、何者なの?」

 

軽く腰を上げ、佇まいを正して座り直した少女。彼女の顔は真剣そのもの。俺は色々と質問に答えてもらった事だし…と思い、じっくりと回答を考えた末に、口を開く。

 

「そうさな……詳しく説明すると長くなるが、分かり易く言えば…」

「言えば……?」

「……大戦の末、戦場しか知らなかった俺は、殺し殺され憎み憎まれの溢れる今じゃなく、普通で安穏な日々を夢見た結果現代に転生した…って感じだな」

「…………」

「…………」

「……貴方は、一体何者なの?」

「え…いやだから、戦いしか知らない今ではなく、普通でも幸せな日々を望んだ事で転生したんだって」

「…………」

「…………」

「……貴方は、一体何者「聞こえてるよ!?質問はちゃんと聞こえてるよ!?聞き違えての回答はしてねぇって!ここは信じろよ!内容がトンデモなのは自負してるから、言葉のキャッチボールが成立してる事自体は信じろよ!」……えぇー…」

 

すぐには信じてもらえないだろう…とは思っていたが、不信具合は相当なものだった。こりゃまた厄介だな…。

 

「…ええ、と…じゃ、霊装者だった前世の記憶を引き継いでるから色々知ってるんだ、と?」

「お、分かってくれたか」

「言ってる事の理解は出来たわ、98%嘘だと思ってるけどね」

「信用度2%なのか…んじゃあ宗元さん…お前のお祖父さんにこの話してみろよ、昔の仲間に俺に該当する人物がいたって言う筈だからよ」

「…もしお祖父様がそんなの知らないって言ったら一生貴方を信用しないわよ?」

「残りの2%まで無くなるのか…ま、とにかく聞いてみな」

 

それで確証が取れればまたコンタクトを取ってくるだろうし、取れなきゃもう俺に愛想尽かすだろうと考え俺は立ち上がる。真っ直ぐ家に帰るつもりがもう大分時間経ってしまった。あーあ、こうなると流石にあいつも怒るかな……

 

「いや、どこ行くつもりよ」

 

残念、まだ少女は帰してくれない様子だった。

 

「どこって…家だよ家、良い子は暗くなったら帰るもんだ」

「貴方然程良い子じゃないしだとしてももうそんな年齢じゃないでしょ」

「はいはい…んでなんで引き止めるんだよ。俺についてはお祖父さんに訊いた方が早いぞ?」

「そうかもね。でも私は貴方を連れてかなきゃいけないのよ。霊装者とその周りの人物の安全確保は重要だし、何より貴方は予言された人間だもの」

「…拒否権は?」

「拒否権?無力なまままた襲われてもいいなら、友達や家族がそれに巻き込まれてもいいなら拒否すればいいんじゃない?」

 

俺と同じく立ち上がり、上から目線(背丈の関係で物理的には下からだが)でそんな事を言う少女。こいつ、拒否権与えないつもりだな…てかここで「それでいいぞ?」とか言ったらどんな反応するんだろうか…なんて思ったが、言ってる事は至極真っ当なので俺は反論を飲み込む。

 

「…わーったよ、行くよ。けど、その前に家に寄らせてくれ」

「家?早ければ日が変わる前に帰れるんだから、電話かなにか入れとくだけでいいわよ」

「そうはいかないんだよ、妹が心配する」

「妹って…そりゃまた仲良いのね」

「仲良いさ…なんせ、両親が死んじまって今肉親はあいつしかいないからな」

「……!」

 

少女がはっとした表情を浮かべてるうちに俺は歩き出す。こういう事はもう少しオブラートに包んだ表現をすべきなんだろうが…俺はそういうの苦手なんだよな。とはいえ、なんとかマシにしたいものだ…。

数秒後、俺に着いてくる少女。少女はちょっと済まなそうな様子だった。

 

「…その、悪かったわね…それについては私が軽率だったわ…」

「気にすんな、漫画とかでよくこのパターンはあるが…知らない事に気を使うなんて無理に決まってんだからな。第一、今日初めて会った相手に知られてたらそっちの方が怖い」

「……今日初めて会った?」

「ん?なんか変な事言ったか?」

 

どこか妙だったのか、怪訝な顔をする少女。あれ、俺はこいつと会った事あったか…?

 

「…さっきからまさかとは思ってたけど…私の事、初対面だと思ってる?」

「そう、だが…?」

「……私の苗字、聞き覚えない?」

「苗字って…そりゃ時宮だろ?聞き覚えなんて宗元さんの事以外……」

「…………」

「……え、お前もしかしてトンデモ美少女の片割れ?」

「はぁ…やっぱり分かってなかったのね。そうよ私が…って誰がトンデモ美少女よ!」

「あ、いや、すまん!ええと、時宮…ひ…ひ……」

「時宮妃乃!普段接する事ないし名前覚えてないのは仕方ないけど、顔位は覚えてなさいよね!」

 

という訳で、少女…もとい時宮がクラスメイトであった事と彼女の名前を正確に知る事となった俺だった。……俺の名前は、多分ちゃんと知ってるんだろうな。

 

 

 

 

二年前、千嵜家の両親はとある事故で死んだ。幸い両親共に保険に入っていたから結構な額の保険金が下りた訳だが…当時中学生だった二人兄妹(現在も未成年ではあるが)が、そのまま実家で暮らすのはまあまず不可能。生活能力云々以前に、社会がそれを許可する訳がない。

……のだが、うちの場合は許可されてしまった。と言っても、別に理由がないなんて事はない。元々ちょいちょい交流してた親戚の家が比較的近く(車ならすぐ、自転車や徒歩など学生に取れる手段でも往来可能)におり、その親戚が保護者としての役目を請け負ってくれると言ったのだった。それならば俺達兄妹は実家で済む事が出来、保護者が必要となればすぐ頼る事が出来る。一応これで社会的な言い訳は出来た事になり、うちの関係者の内半分位は納得してくれた。で、残り半分を納得させたのは…俺達兄妹だった。

断固として家族の思い出が残る家から離れる事に頷かない妹と、全力でその意思を尊重したいと意思表明した俺。勿論そんなのは子供の我が儘で、我が儘が通るレベルの事では無かったが…俺の子供とは思えない意志の強さ、そして…無理に家から離そうものなら精神疾患を患ってしまうのでは、と周りに思わせる程不安定になってしまっていた妹の精神に関係者が折れ、俺達は実家で住み続ける事となった。……元々は可もなく不可もない、普通の兄妹だった俺達が、家族として互いを本気で大切にし始めたのは、それからだったかな…。

 

「ただいまー」

 

努めて普段通りの様子を取りながら、玄関の扉を開いて家へと入る。この時時宮には、やる事済ませたらすぐ出てくる…という約束で、外で待っていてもらっていた。…思春期の男女として、家に上げる(上がる)のは避けたかったしな。

 

「やっと帰ってきた……お兄ちゃん、連絡もなしにどこほっつき歩いてたの!?」

「すまんすまん、ちょっと…いや大分野暮用があったもんでな」

「大分?…なにか不味い事でもあったの?」

 

怒り顔が俺の言い訳を聞いた瞬間、表情が心配そうなものへと変わった、鮮やかな橙髪ワンサイドアップ少女、千嵜緋奈。我が可愛い妹その人である。

 

「まぁな。でも心配すんな、一番不味い事はもう済んだ後だ」

「そうなの?何かあるならわたしに相談してよ?家族なんだから」

「分かってるよ。それより夕飯遅くなって悪かったな、すぐ作るから待ってろ」

 

追求を逃れる意図もあって、いそいそと廊下からリビングへ向かう俺。この時俺は何か言いたげな緋奈を流してしまった訳だが…言いたい事については、すぐ判明した。

 

「……おおっと、先に作ってたか…」

「うん。お兄ちゃん遅いから、わたしが代わりに作っておいてあげたよ?」

 

リビングの食卓に載っていたのは二人分の炒飯とコンソメスープ。ふふん、と『デキる妹』評価間違いなし!…って感じな笑顔を浮かべている緋奈の頭にぽんぽんと手を置きつつ…俺は心の中で冷や汗をかく。

 

(だからさっさと帰りたかったんだよ…!)

 

俺がこんな反応をしている時点でもうお分かりだろう。我が妹、千嵜緋奈は料理が出来ない…いや、下手だ。劇薬だとかそもそも料理の姿をしてないとかのレベルではないから生命の危機こそないが…不味い事がほぼ確定してる料理を食べるというのは、中々に勇気がいる。

 

「ね、お兄ちゃん早く食べよ?」

「そ、そうだな…よし、手を洗ってくるからちょっと待ってろ…」

 

本人としては至極本気で作っている為、いかんせん食事拒否はし辛い。そして本人に「お前の料理は不味いんだ」と伝えるのはもっとし辛い。となればもう食べるしかなく、俺は手洗いうがいのついでに深呼吸もして覚悟を決める。……いやほんとヤバいレベルではないからな?殺人料理メーカーとかあだ名付けたらそいつを俺がぶっ飛ばすからな?

 

「…着替えは後でいいの?」

「そうだなぁ…まあ後でいいや、冷めたら料理がもっと…もとい、美味しい料理が不味くなっちまうだろ?」

「……?…うん、それじゃ頂きます」

「頂きます」

 

リビングへ戻ってきた俺はスプーンを手に取り、炒飯を一口口に運ぶ。口に入れ、咀嚼し、飲み込む。…うむ、しょっぱいし脂っこいし若干野菜が硬い。あー……不味いな、はぁ…。

 

「うーん…やっぱりお兄ちゃん程は上手く出来ないね、わたし…」

「いや、悪くない味だと思うぞ」

 

本人としては理想に届いてない様子だったが…つい俺は嘘吐いてフォローしてしまう。すると緋奈は「そうなのかな?…うん、そうかも」みたいな感じで納得してしまう為、料理改善に遠ざかってしまう。……って、俺が責任の一端なのか…でも緋奈は真面目に作ってんだよ、真面目にやってる奴に水差すのは嫌なんだよ…。

 

「あ、さっき配達物何か届いてたよ?」

「そうか、通販ってほんと便利だよな」

「わたしは店頭行ってのショッピングも好きだけどね。…で、何買ったの?」

「それは言えん」

「え、なんで…」

「なんでも何も、言えんものは言えん」

「何それ…まぁ、いいけど……」

 

今日のなんて事ない出来事に花を咲かせる。夕飯を食しながら、途中でテレビを点けて話しながら見る。

特筆する事なんて味以外ほぼない、千嵜家の夕飯。でも、そんな日常が……特に今日みたいなどうしようもないレベルの事があった日は、尚更緋奈との関わりが俺の心の清涼剤となる。あぁ、ほんと俺は妹に恵まれたよな。さ、今日あった事はもう仕方ないんだ。それはそれとして割り切って、明日からまた頑張--------

 

「遅ぉぉぉぉぉぉおおおおおおいっ!!」

 

……あ、忘れてた…。



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第三話 一人目の真実

乱暴な音を立てながら思い切り開かれたリビングの扉。怒号と共に鬼の形相で我が家へと侵入してきた少女、時宮妃乃。この瞬間……千嵜家は大騒ぎとなった。

 

「すぐ出てくるからって言ったから待ってたのに…何十分待たせる気よ!?というか、何夕飯頂いちゃってんのよッ!」

「お、落ち着け時宮!忘れてたんだ!これは100%俺が悪いからこれには謝る!って訳でまず落ち着け……」

「知り合い!?どこの不審者かと思ったら知り合いなの!?お兄ちゃんこの人誰!?まさか彼女!?違うよね、違うよねぇッ!?」

「違うわ!説明する!説明するからお前も落ち着……」

「不審者!?散々待たされしかもそれが忘れてたって理由だっただけでも怒り心頭なのに、しかも不審者扱い!?」

「あーそれもすまん時宮!でも緋奈もテンパってるんだ!だから落ち……」

「えぇしますよしますとも!誰!?お兄ちゃんの何なの!?」

「ですから変な関係じゃ……いや落ち着けよ!落ち着けって言ってんだろ!?そして俺の話も聞けぇぇぇぇええええええッ!」

 

えー…はい。千嵜家は大騒ぎを超えて軽く阿鼻叫喚でした。…騒がしくしてすいません、ご近所さん……。

 

『……急に大声出さないでよ、(悠耶・お兄ちゃん)』

「お前等が言う!?……こほん、二人のクエスチョンは八割方俺が答えてやる、だから落ち着いて一つずつ訊け、いいな?」

「じゃあお兄ちゃん、結局何を頼んだの?」

「それは答えられん」

「悠耶、頼んだって何の話よ?」

「こっちの話だ、訊くな」

『……八割方って言ったのに…』

「八割方ってそりゃさっきの質問に対してだよ!全く関係ない質問する奴があるか!後実はお前等気が合うだろ!」

 

時宮がリビングに来た瞬間は一触即発の雰囲気だったのに、連携して俺を嵌めてきやがった…なんなんだこいつ等……。

 

「ったく…あーまず時宮、待たせてるの忘れてて悪かった、すまん」

「すまん、じゃないわよ…これは一つ貸しだから、いいわね?」

「はいよ、で…えーとだな緋奈、時宮についてだが…」

「なんでちょっと説明し辛そうなの…やっぱり彼女なの!?」

「彼女な訳ないでしょ!誰かこんな奴と…」

「こんな奴ってお兄ちゃんの事!?時宮さんとやら、確かにお兄ちゃんは友達もデリカシーもやる気も少ないけど、だからってこんな奴扱いはしないでよね!」

「フォローになってねぇ!ちょっ、緋奈お前なに言ってんの!?」

「本心!」

「尚更酷ぇ!」

「友達、デリカシー、やる気……確かに少ないわね…」

「おいこらなに納得してんだ!?っていうか今俺については関係ねぇよ!」

 

責任の一端は俺にもあるが…敢えて言わせてもらおう。この状況どうなってんだ……つか、なんでさっきからちょいちょい俺は貶められてるんだ…ドッキリか何かか?

 

「ほんと落ち着けよ…俺が説明放棄したらどうすんだよ…」

「それはそうだけど…そう言うなら時宮さんとの関係を勿体ぶらずに言ってよ」

「それはそうだな…」

 

落ち着け落ち着けと言っている俺だが、もし逆の立場なら…俺が緋奈と食事してる最中に、謎のイケメンが不法侵入してきた上に陽奈と関係ありげな事を言ってきたら、俺は絶対冷静さを保てない。そう考えれば落ち度があるのは俺の方だし、早く説明してやるのが筋に思える。

……が、だからと言って真実を話す訳にはいかない。本当にただの一般人な筈の緋奈をこの事に巻き込むのは避けにゃならんし、そもそも信じてもらうまでが大変過ぎる。となれば……

 

「…時宮、今から俺がそれっぽい事言うから合わせろ」

「合わせろ…って、誤魔化す気…?」

「勿論だ。お前だってありのまま話すより誤魔化した方が楽だろ?」

「ま…それは確かにね。分かったわ、上手く言いなさい」

 

服を引っ張り、時宮と軽く打ち合わせる。傍から見れば打ち合わせしてる事バレバレな格好だった訳だが…緋奈もいい加減落ち着かないと説明を聞けないと考えてくれたのか、黙って見ていてくれた。

そして数秒後、俺は適当にでっち上げた話を始める。

 

「……『三万でどう?』…こう言ってこいつは俺に近付いて…」

「ふんッ!」

「ぐふっ……と…というのは冗談で、時宮はクラスメイトだ。人気者で、勉強も運動も結構出来て、人徳者として定評のある時宮さんだ」

 

なんか説明をしてたら時宮に脇腹を殴られた。威力が明らかに華奢な少女のそれじゃなかった辺り、霊装者としての力を少し使いやがったな…くそ、暴力に訴えてくるとは…。……ま、ふざけた俺の自業自得ですけどね。

 

「クラスメイト…という事はやっぱりわたしより年上?」

「そうだな。えーと、ちょっとした手違いで昨日時宮のノートと俺のノートがすり替わっちまって、今日俺はそのノートを学校で探してたんだ。んで暫く探した後にそのノートを昨日持ち帰った事に気付いて、それを渡す為に着いてきてもらったんだ」

「ふぅん…お兄ちゃんが明日返すって言えばよかったんじゃないの?」

「今日課題にそのノート使いたかったのよ」

 

俺の説明と時宮の返答を受け、腕を組みながらもゆっくりと頷いた緋奈。この様子だと、一応は納得してくれた様だった。ふぅ、即席の話の割にはまぁまぁな出来だったな。アドリブで合わせてくれた時宮にも感謝しねぇと。

 

「そっか、そうだったんだ…じゃ、もう一度だけ訊くけど、お兄ちゃんは時宮さんと男女の仲ではないんだね?」

「あぁ、そうだ」

「……分かった。時宮さん、なにか勘違いで色々言ってすいませんでした」

「あ、えぇ…私もちょっと頭に血が上ってて短絡的だったわ、ごめんね緋奈ちゃん」

 

緋奈は俺から時宮へと向き直り、ぺこりと頭を下げて謝罪する。時宮も既に冷静になってた事、そして緋奈が年下という事で矛を収め、自分の非を認めてくれる。ファーストコンタクトは最悪に近かった二人だったが…一応マシなレベルにまでは向上した様だった。

 

「これでお互いの疑問は晴れた訳だな、よし……あー疲れた…」

「貴方が忘れずにいたら誰も疲れず済んだのよ?」

「はいはい分かってますよーだ…んじゃ思い出したところで行くとするか」

「行く?ノート渡してそれで終わりじゃないの?」

「送ってくんだよ。女の子を夜一人で帰したら親父とお袋に怒られちまうから、な」

 

ちょいちょいと上を指差し立ち上がる。夕飯は…帰ってきてからこれを元に作り直すか。うん、これなら食材が無駄にならないし少しはマシな味になるもんな。一石二鳥というやつだ。

 

「それじゃ、そういう事だから私も失礼するわ」

「あ、お茶も出さずにすいません…」

「押しかけた様なものだし気遣いは不要よ。じゃあね」

 

この二人はやはり良好になった様だった。…まぁ、どっちも多少性格に難はあっても基本常識があるから、変な展開にならなきゃまともに会話出来る訳か。…変な展開になった途端手がつけられなくなるが。

 

「よし、行くか……と言ったところだが、数十秒待ってくれ」

「なによ?まだ何か用事あるの?」

「ちょっと取ってきたいものがあるだけだ、待ってろ」

 

説明してる間に持ってこれるだろう…と思った俺はさっさとリビングを出て自室へと向かう。そして自室に入った俺はそのままベットへダイブ…なんて事はせず、目的の物を取り出して玄関へと向かう。うむ、体感では一分経ってないな。

 

「何を取ってきたの?」

「手紙だよ手紙、ほら」

 

わざわざ見送りをしてくれている緋奈の姿を目にしながら、手順良く玄関で待っていてくれた時宮と家を出る。その後、時宮の質問に俺は手にしていた古い手紙を歩きながら見せる。……あ、いやこれは…

 

「なぁ時宮、これ渡しておくからそっち着いたら宗元さんに渡してくれないか?」

「…お祖父様に、それを?」

「怪しいと思うなら中を確認しても構わねぇよ?破ったり捨てたりしようものなら俺はブチキレるがな」

「他人の手紙をそんなぞんざいに扱ったりしないわよ…ま、分かったわ」

 

俺から受け取った手紙を、時宮はロングコートと羽織りを合わせた様な上着の内ポケットにしまう。そこそこ胸の発育がいい時宮が内ポケットにしまったら手紙曲がるんじゃ…と思ったが、夜道で二人きりの時にセクハラ発言をするのは流石に俺も不味いと思い、出かかった言葉を飲み込む。…出来るだけ綺麗な状態保ってほしいなぁ。

 

「…ここなら良さそうね」

「良さそう?」

「飛んで行くのよ、そっちの方が速いし」

「え?…いや、俺は徒歩で構わんぞ…?うん、構わんというか徒歩の方がいいな。人間地に足をつけて進む事こそ至高--------」

「つべこべ言わずに行くわよ!暴れないでよね!」

「拒否権無しかよぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

がしっ、と掴まれ光の翼で飛翔する時宮に連れていかれる俺。……ははっ、こっちの世界にもねぷねぷ航空はあったんだな…。

 

 

 

 

科学技術が発展し、世界各国の要素が入り込んだ現代の日本においても、日本家屋…所謂屋敷というものは存在する。勿論屋敷と言っても昔のまま、或いは昔の再現をしているのは外見だけで、内装は現代風になっている事が多い。実用性や安全性を考えりゃ当然の話だが…外見とのギャップが凄いんだよな、これが。

で、なんで俺がそんな事考え出したかっつーと……

 

「さ、到着したわよ」

「こ、ここかよ……」

 

目の前に、その馬鹿でかいお屋敷があったからなんだよな。

宮殿の様な見るからに広い屋敷と、それを挟む様に立つ二邸の屋敷。合わせた面積はどっかの国の城にも匹敵する様な屋敷の目の前に、俺は連れてこられていた。

 

「……時宮、お前が連れてきたかったのは霊装者の本拠地だよな…?」

「そうだけど?」

「……ここがそうなのか?」

「そうだけど?」

「…ここって確か、重要指定文化財に認定されてて立ち入り禁止だったんじゃ……」

「そうだけど?」

「お前俺が知らない間に同じ言葉繰り返すだけのNPCになったの?」

「違うわよ。順を追って説明してあげるから着いて来なさい」

 

残念、四度目は「そうだけど?」とは言ってくれなかった。激しくどうでもいいけどな。

 

「まず始めに、貴方の言う通りここは重要指定文化財になってるから、一般には立ち入り禁止よ」

「だよな…ってどこ行くんだ?」

「入り口よ。表向きは立ち入り禁止なんだから正面から入る訳ないじゃない」

 

時宮は屋敷にではなく、近くの小さなビルへと歩き出した。向かった先のビルに書いてあるのは聞き覚えのない塾の名前。……この様子だと、この塾はダミーだな。

 

「後で教えるけど、こういう入り口は他にもあるわ。でも当然こっちも一般には秘匿なんだから、人目には気を付けなさいよ?」

「それ位言われなくても分かってるよ」

 

ビルに入り、ドアノブの付いた扉の前へと立つ時宮。時宮が扉の横の壁に指をかけるとその部分が上にスライドし、隠れていた液晶が露わになる。

 

「…なんかちょっと秘密基地っぽいな」

「あら、興奮してるの?」

「……少しはするさ、男だからな」

 

液晶は指紋認証装置だったらしく、時宮が指を当てると電子音が鳴り……扉が横にスライドした。

 

「…って、引き戸だったのかよ!?ドアノブは!?」

「ダミーらしいわよ?こういうのは念入りに作っておいて損はないし」

 

指紋認証とその隠蔽で十分だろ…どんだけ資金潤沢なんだ……とは思ったが、完成してる上十中八九時宮が設置の主導をしていた訳ではないだろうから、言ったところで仕方ない。…これは今後も突っ込みどころあるんだろうなぁ…。

扉の先…は部屋ではなくてエレベーター。それで地下へ潜り、地下道(空港とかにある動く歩道的なやつが付いてた)を暫く歩き、またエレベーターに乗って、そして……

 

 

 

 

「--------到着よ。…ようこそ千嵜悠耶。ここが日本に存在する霊装者組織・霊源協会の総本山『双統殿』よ」

 

 

 

 

双統殿に到着してから数十分後。俺は何ヶ所かに連れていかれた挙句、時宮が一人で何かの部屋に入ってしまったせいで廊下でぽつんとする羽目になった。

 

「むぅ…全然知らない場所でただ待たされる事の辛さ分かってんのかあいつは…」

 

つい一時間程前に今とそっくりな展開が違う立場であった気がするが…まぁ気のせいだろう。にしても、やはりと言うべきか何と言うべきか、双統殿の内装は昔っぽさが全然なかった。現代的っつーか…中学の時の課外授業で行った国会議事堂みたいな感じだな。まだ廊下と幾つかの部屋しか見てないが。

 

「うーん、どうしたものか…」

 

ここが学校か時宮の家かなら扉をノックしつつ「いつまで待てばいいんですかねー?」とでも言うところだが、ここは知らない奴等ばっかりの場所。知らない方々に変な目で見られるのは勘弁だっての…。

仕方ない、ソシャゲでもして時間潰すか…と思い携帯を取り出した瞬間、時宮が入っていった部屋の扉が開く。

 

「やっとか…時宮、お前この部屋で何を……うん?」

 

何をしてたんだ、と言いかけて俺は首を傾げる。時宮は何かさっきと変化していると思ったからだ。そして一瞬の思考の後、変化したのは服装である事に気付く。

 

「…着替えしてたのか?」

「そうよ?貴方を連れてくるのはれっきとした任務だもの。ブレザーで『連れてきました』とは言いたくないわ」

 

先程までコート羽織り(正式名称なんだろうな)の下にうちの学校の女子様ブレザーを着ていた時宮だったが、今はどこか軍服や制服っぽさを感じさせる服装に変わっていた。

 

「…あの、俺もブレザーなんですけど…」

「貴方の制服はないんだからそれでいいわよ。学生服ってのは正装として扱われるんだし」

「そりゃそうだが…」

 

俺…というか大概の学生にとって学生服はしょっちゅう着てる服であり、正装と言われてもその実感に欠ける。……恐らくはお偉いさんに会うというのに、普段から着てる服というのはどうも釈然としない。…ちぇっ、知ってりゃ親父のスーツ借りてきたのに…。

再び時宮に連れられて歩く俺。その結果辿り着いたのは、扉の時点でなにか風格のある部屋。…ダンジョンならボス部屋だな、こりゃ。

 

「到着っと…これから会うのは霊源協会の二大トップの一角とその娘夫婦よ。間違っても失礼のない様に、いいわね?」

「…失礼があった場合、袋叩きにされるとかすんの?」

「する訳ないでしょ…お母様もお父様もお祖父様も皆、聡明で穏和な方なんだから」

「そうなのか……って、これから会うのお前の家族かよ!てかその言い方だとトップの一角って宗元さんだよな!?…宗元さんほんとにそこまで上り詰めたのか…」

「ちょっ、大声出すんじゃないわよ!…まぁそういう事だから、分かったわね?」

 

また叫ばれたらたまらない、と言いたげな様子で時宮は返答を待たずに扉をノックし中へと入る。それに続いて中に入る俺。

そこは予想通り、お偉いさん(この場合は宗元さんか)の執務室だった。気品を感じる部屋の中にいたのは威厳を感じるご老人と、なんとなく時宮に似ている大人の男女。その三人は……怪訝な顔で、こちらを見ていた。まぁそりゃそうだよな!いきなり廊下から大声聞こえたら、そりゃ扉の方を怪訝な顔で見るよな!

 

「あ、えと、その……彼のご無礼をお許し下さい…」

「あ、あぁ…気にしなくていいよ妃乃。そちらの君もね」

「貴方が、例の方かしら?」

 

バツの悪そうな様子で謝る時宮と俺を気遣う男性と、時宮が気にし過ぎない様に話を進めようとする女性。考えるまでもなく、この二人が時宮のご両親なんだろうな。

 

「あ……はい、そう…らしいです」

「そうです。魔物に襲われているところを救出し、一度彼の自宅へ寄った上でこちらへ来ました」

『自宅へ…?』

 

時宮の言葉を聞いた瞬間、両親の目付きが若干鋭くなる。…あ、安心して下さい親御さん。やましい事はしてませんから!しょうもない言い争いはしたけど!

 

「ふむ…ご苦労であったな妃乃。では、君には自己紹介をしてもらおうか」

 

そこで口を開いたのはご老人。俺に老人の知り合いなんてあんまりいないが…間違いない。俺の目の前にいる老人は……間違いなく、あの人だ。

 

「あ、はい…俺…もとい、私は千嵜悠耶と申します。諸事情により、霊装者や魔物についてはそれなりに知識があります。それと、時宮さんとは同級生でして…本日は、危ないところを助けて頂きました。ええと……」

 

突然自己紹介、と言われても何を言っていいのか分からず、頭を捻りながら言葉を紡ぐ俺。意見を求め隣の時宮を見ると…我関せずみたいな顔をしていた。くそう…。

続いて見たご両親の顔は結構驚いた様子。驚いたのは知識の部分だろうなぁ…と思いながら最後に見た老人は……見覚えのある、老人とは思えない笑みを浮かべていた。

それを見て、つい同じく笑ってしまう俺。時宮親子がなんだろう…と小首を傾げている中、俺は懐かしさを感じながら言った。

 

「……お久しぶりっすね、宗元隊長」

「ふん、手紙を見た時は心底驚いたわ。お前もほんと運のない人間だな」

 

時宮親子が驚愕で言葉を失う中、老人…宗元さんは俺の前まで来て、俺の肩に手を置く…と言うか、当てる。

若干痛さを感じる勢いで肩に手を置くのは宗元さんの得意技。…これも、凄く凄く懐かしかった。

 

「随分老いちまいましたね、やっぱ年には勝てないですか」

「人間なんだから仕方ねぇだろ。お前は…意外と見た目変わってないな、インチキでもしたか?」

「してねぇよ!一応転生っすからね!?インチキ転生とか俺してないですから!」

 

軽口を叩き合う俺と宗元さん。それは正に昔馴染みが再開した時のやり取りであり、それがまた外野状態の三人の驚きを加速させる。

それでも一足先に冷静さを取り戻した時宮の父が、おずおずと会話に入ってくる。

 

「お、お義父様…千嵜君とは知り合いで…?」

「む?あぁ…すまない、つい大人気なく会話をしてしまったな。…坊主、今は今の名で呼んだ方がいいか?」

「そっちで頼みます…てか宗元さんは前から名前じゃなくてしょっちゅう坊主って呼んでた気が…」

「ふっ…皆、私が第三次霊装大戦に参戦した事、そしてその戦いの末『熾天の聖宝』が顕現した事は知っておろうな?」

「はい、存じております。聖宝は出現条件、使用条件不明ながら手にした物のいかなる望みでも叶えるものと……まさか…!?」

「左様。彼…千嵜悠耶は、第三次霊装大戦にて私と共に戦い、聖宝に触れた人間だ。そして彼は転生を…平和な世界に生まれ変わる事を望んだ。彼が私の元部下である事…それは、私が転生前の彼に送ったこの手紙が他でもない証拠だ」

 

宗元さんは、机に置いてあった手紙を…俺が時宮に頼んでおいた手紙を、俺達全員に見せる。

そう…俺は生まれ変わった人間。霊装者として生き、その果てで触れた聖宝によって転生した--------元霊装者だ。



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第四話 一人目の理解

「んっ……ほんと久し振りだったなぁ…」

 

宗元さんと時宮の両親に会ってから数十分後。色々と説明も終わり、何やらやってほしい事があるという事で解放された俺は何かの休憩室らしき場所に来ていた。…あ、勿論時宮の案内でな。

 

「まさか、ほんとに貴方がお祖父様と知り合いだったなんてね…」

「ほんとに信じてなかったんだな…流石信用度2%…」

「当たり前でしょ、貴方は悉く信じ難い事を言ったんだもの。全てが嘘じゃないとしても、何割かは虚言だと思ってたわ」

「…ま、それも仕方ねぇか」

 

俺が時宮と仲がいいならともかく、単なるクラスメイトでしかなかった俺があり得ない事をぽんぽんと言ったら、そりゃ確かに信じられなくても当然の話。信じてもらうには事柄の現実味と信用度が重要だもんな。

 

「…で、俺はお前のお祖父様の戦友でありお前より実質二倍生きてる人間な訳だ。という訳で敬え」

「嫌よ、お祖父様もお祖父様の御友人も知識と経験を重ねた年上の人も私は敬うけど…悠耶はとても敬える様な人じゃないし」

「ほ、本人の前でそんな事言うなよ…」

「悔しかったら敬われる様な言動をする事ね。そしたら私も悠耶様って呼んであげるわよ?」

 

なんでこんなに上から目線なんだ…とは思ったが、言ってもしょうがない気がしたからここは黙る俺。てか、様付けは慣れねぇしクラスメイトに言われるのはなんかやだな…今後もこの言動でいくか。

 

「へいへい……んで、俺はこれから何をすりゃいいんだ?」

「検査よ、能力についてのね」

「検査?…それって結構時間かかるんじゃないのか?」

「霊装者のれの字も知らない人ならね。でも、貴方は違うでしょ?」

「まぁな…具体的には何すりゃいいんだ?」

「それは逐一アナウンスされるから大丈夫よ…っと、丁度準備が出来たらしいわね。ほら行って来なさい」

 

部屋の一角にあった扉が開き、それを見た時宮は俺にそう言う。何をするのかよく分からない検査、というのは若干不安を感じるが…ま、なんとかなるだろ。そう思って開いた扉の先へと向かう俺。一本道の廊下を歩いた先にあったのは…広めのトレーニングルームの様な部屋だった。

 

「待たせたね、悠耶君。私は検査を担当する園咲晶仔、宜しく頼むよ。ではまず音声チェックだ。きちんと聞こえていたら右手を上げてくれるかな?」

 

天井のスピーカーらしき物から聞こえてきたのは女性の声。落ち着いた、でもハリのある声音から多分若い大人の女性なんだろうなぁ…なんて思いつつ、俺は右手を上げる。

 

「ありがとう、ちゃんと聞こえている様だね。なら早速始めよう。君は霊装者としての知識を有している様だからある程度説明は省くが…もし分からない事や不明瞭な点があればすぐに言ってほしい。ここまでで何か質問はあるかな?」

「いえ、大丈夫です」

「それは良かった。じゃあ、検査開始だ」

 

一体何から始まるのか…と思ったら、最初は身体能力(勿論霊装者としての能力発動時の)検査だった。

飛んだり跳ねたり走ったり…あ、飛んでねぇや。最初の無しで…殴ったり蹴ったりと、とにかく俺は動き回った。

続いて行ったのは霊力付加可能な武器と霊力を編んで扱う武器(分かり易く言うとビーム兵器だ)の運用検査。これは霊力を流して軽く振ったり撃ったりするだけだったから楽だったな。

その後は霊力を利用する戦闘服に装備された装甲の強化(無論と同じく戦闘服に装着されたスラスターの運用。装甲はともかく…スラスターは前世ではなかったから驚いたな。最初勢い余って天井に刺さりかけたぜ。

と、そんなこんなで数十分。なんともいえない違和感があった事も含めて、流石に少し疲れたな…と思った辺りで検査終了のアナウンスが入った。

 

「お疲れ様、悠耶君。初検査でここまで迅速に、且つ楽に検査が終わったのは君が初めてだよ。仕事が早く済んで私も大助かり…っと、では結果をまとめるからさっきの部屋で少し待っていてほしい。いいかい?」

「構いません。お疲れ様です園咲さん」

 

早く済むのは俺も大助かりだ。そう思いながら開いた扉を潜って休憩室へと戻る俺。そこで待機していた時宮は、俺が戻ってくる事を分かっていた様に紙コップを手にしていた。

 

「お疲れ様。少しは汗かいたでしょうし水分補給しておきなさい」

「ん、ありがとな。……わざわざこれ用意してくれたのか?」

「そこの自販機使っただけよ。貴方が戻ってくる事はそこのモニターで分かってたし」

 

そう言って時宮は部屋の端の自販機と、長ソファが複数並べて置かれている側とは逆側の壁に備え付けられた大型モニターを続けて指差す。自販機は缶やペットボトルではなく紙コップで出てくる無料(要は関係者用)のタイプで、モニターは時宮の言葉から解釈するにさっきのトレーニングルーム的な場所を写していたもの。どちらも最初部屋に来た時は興味がなくてすぐ意識から外していたが…成る程確かにここが休憩室なら、そういう設備があってもおかしくない。

 

「じゃ頂くか……時宮、お前俺の検査ずっと見てたのか?」

「まぁ、大体はね。貴方の実力、少し気になってたし」

「ほぅ、俺に興味があったのか…」

「なんでそうなるのよ!?転生した元霊装者が気になったのであって、あんた自身には興味なんてないわよ!」

 

ちょっとふざけてみたら、結構本気の否定を受けてしまった。…そこまで全力で否定されるとダメージあるな、男として…。

 

「…ちょっと位興味あったっていいじゃん……」

「…え、何?まさか私に気があるの?」

「うーん…ま、無いな」

「真顔でそんな事言うんじゃないわよ……」

 

狙ったつもりはないのに、時宮に仕返しする形となってしまった。…んまぁ、嘘吐いて「少しはある」とか言った方がややこしい事になるしな。確かに時宮が美少女である事は百も承知で、実際可愛いとは思うが…それだけで惚れる程軽い男じゃねぇし。

 

「はぁ…ほんとあんたって遠慮ないわね…」

「俺は相手の見た目や家柄によって媚びたり見下したりする様な奴じゃないからな」

「あんたの場合は気配りとデリカシーがないだけじゃないの?妹にも言われる位だし」

「あーあー聞こえないー」

 

耳を塞いで明後日の方向を向く俺。時宮はまだ何か言いたげだったけど…俺達の会話は、扉が開いた事でお開きとなる。

 

「簡単にだけどまとめる事が出来たよ、悠耶君。…っと、お取り込み中だったかな?」

 

開かれた扉から現れたのは、白髪の女性。出るとこ出て締まるところしまってる、かなりの好スタイルの女性のその声は、俺がスピーカーから聞いたものと同じだった。という事は……

 

「…園咲さん?」

「うん?そうだよ?……あぁ、先程の部屋じゃ私の姿は見えないんだったね、これは失念していたよ」

「相変わらず抜けてるわね、晶仔博士…」

「はは…我ながら情けないよ」

 

気付くまできょとんとしていた園咲さんの様子を見て、時宮は軽く溜め息を吐いていた。それを受けた園咲さんは苦笑いし、僅かながら肩を竦めている。

 

「博士…園咲さんは博士なのに検査案内なんてしてたんですか?」

「これには事情がね……妃乃君、もう少し早く来てくれれは私が案内役までやらずに済んだのに…」

「あ…それは悪かったわね…じゃあもしかして機材もわざわざ再起動を?」

「そういう事さ。君の方が遅いなんて珍しい…」

「悠耶が私を待たせてのんびり夕食食べてたのよ…文句はこっちに言って頂戴」

 

何やら初訪問の俺にはよく分からないやり取りをする時宮と園咲さん。えーと…少し前までは他にも職員か何かがいて、その時もう一組の方が来ていて、その時園咲さんはモニタリングに専念出来ていた…ってとこか?

 

「ま、いいさ…千嵜君、それでは結果発表だ。心の準備はいいかい?」

「え?あー……多分大丈夫です」

「ふふっ、まぁあまり肩に力を入れなくても大丈夫だ。入試の合格発表位の感覚で見てくれればいいよ」

『滅茶苦茶緊張してますよねぇそれ!?』

 

突っ込みが一字一句違わず完全にハモる俺と時宮。俺は人生に大きな影響を与えるもの位の覚悟で見なければならないらしかった……って、な訳あるか!

 

「仲良いね、君達……私としては気を和ませる冗談のつもりだったが……」

「天然が過ぎるわよ晶仔博士……悠耶、この人は色々と極端だからそれを覚えておくといいわ…」

「お、おう…覚えておくべきだって痛感したぜ……」

 

むぅ…と残念そうな表情を浮かべている園咲さんを前に、俺と時宮は溜め息を吐く。…園咲さんは博士って呼ばれてるんだよな…馬鹿と天才は紙一重なのだろうか……(実際若干気が和んだ気がしなくもないし)。

と、そんなやりとりの後に渡されたのはクリップボードとそれに挟まれた数枚の書類。取り敢えず一番上の書類に目をやった俺が気になったのは…何かのステータスらしき表だった。

 

「……これは俺の霊装者としての能力の表ですか?」

「そうだね。最高がS、最低がFでCが平均的という形だ。……あ、Cは全霊装者ではなくそれなりに訓練を積んだ霊装者の平均だよ」

「…なんか、ぱっとしないですね」

「ふふん、これなら私の下位互換ね。後でちょっと前にやった私の最新結果を見せてあげるわ」

「園咲さん、再検査をさせて下さい。時宮以下なんて検査結果が間違ってるとしか思えません」

「なんで貴方の中じゃ私は貴方以下って事になってるのよ!?勝手に格下扱いとかしないでくれる!?」

 

思っていたよりも低い(具体的なものは人物紹介でも見てくれ。きっとすぐ更新されるだろ)能力値に、俺はどうも納得がいかない。園咲さんが適当に作業をした…とは思わないが、何かしら不備があったんじゃないだろうか。

 

「…一応言うと、初検査の時は殆どEやFという事もザラにあるし、一つとはいえ最初からB相当のものがあるのは凄い事だよ?そうだね妃乃君?」

「それは確かにそうね。下位互換…なんて言ったけど、初期でこれなら貴方はかなり優秀だと思うわよ?」

「…だとしても、です。自分で言うのもアレですけど…俺、転生前は名実共にトップエースの一人だったんですよ。時宮以下云々は半分は冗談ですけど「半分は本気だったのね…」…それを抜きにしても、俺はもっと高くていい筈だって思うんです」

「そういう事か…どうしてもと言うなら再検査もするが、恐らく変わらないと思うよ?能力が下がってるというなら、それは当然なのだから」

 

園咲さんは腕を組んでそう言う。…が、時宮に天然と言われた彼女もそれだけでは説明にならないと分かってくれているのか、言葉を続ける。

 

「君は聖宝の力で転生したらしいね。実際記憶も一部の荷物も引き継いでいるのだからそれは疑い様がないが…身体は、違うんじゃないのかい?」

「それは……そう、ですね。赤ちゃんとして産まれてきた訳ですし…」

「ならば当然だと思わないかな?霊装者の能力はあくまで身体に宿るもの。その身体が別の物に入れ替わっているのだから、能力も変化している筈だろう?」

「……ですね。俺が短絡的でした」

「まぁ、悲観する事はないよ。言うまでもないと思うが、霊装者の能力は訓練や実戦を積む事で変化するもの。それに君は歴戦の霊装者にも劣らない知識と経験があり、しかも初期段階で優秀ときた。…長期的に見れば、低いどころかむしろ転生前を超える可能性すらあると私は踏んでいるね」

 

納得出来たかな?…園咲さんの表情は、そう言っている様だった。

言われて、省みて、自分でも気付く。時宮の天之瓊矛を使った時は懐かしさが強くて分からなかったが、今考えれば違和感があった。検査の途中にも、何か違う感じがした。……それが、記憶にある俺の力と今の身体の力の差異からくるものだったんだろう。…そういうものなんだと認めちまうと、ちょっと楽だな。

 

「…変な事言ってすいませんでした」

「構わないよ、君だって困惑していたんだろうからね。…しかし流石は予言の二人、揃って驚かせてくれるとはね」

「揃って?もう一人の方も優秀だったの?」

「優秀…というか、極端だったね。異常さでは千嵜君より上だよ」

「む…なにか悔しいですね、それは」

「異常さで張り合ってどうすんのよ…」

 

そのもう一人というのがどんな奴かは知らないが、そう言われると何か対抗心が生まれてしまう。普通の生活を求めて転生を願った俺が言うのもおかしな話だが、こう…男子や男性諸君(特に厨二病を患った事のある方)は分かるだろう?異常、という言葉のなんとも言えない魅力が…。

……そういう意味ではもう一人の方にも興味が湧いてきたな。

 

「二枚目以降は個々の能力の細かい分析と、武器や戦い方の適性についてだ。と言ってもこれはたった一度の検査の結果、参考程度に考えてくれ」

「あ…はい、このクリップボードは…」

「欲しいかい?それは特別ではない市販の物だから、欲しいなら貰っても大丈夫だよ?」

「い、要らないです…ありがとうございました…」

 

クリップボードなんて貰っても荷物にしかなりそうにないので丁重に断り、俺は着いてきた時宮と共に廊下に出る。…あくまで俺がクリップボードを活かせない人間というだけで、別にクリップボードが役立たずな道具という意味ではないので悪しからず。

 

「なんつーか…掴み所のない人だったな。時宮の言う通り、ただの天然なのかもだが」

「そうね、さっきもう一人の方を極端って言ってたけど…晶仔博士は双統殿の中でもトップクラスに極端な人だと思うわ」

「トップ『クラス』って事は園咲さんレベルが他にもいるのか…で、次はどこ行くんだ?他のお偉いさんへの挨拶か?」

「いや、今日はもう終わりでいいわよ?取り敢えず最低限の事はしたし…もうこんな時間だもの」

 

そう言って時宮が取り出した携帯のデジタル時計を見ると、時間はもう23時を回っていた。確かにこんな時間、ではあるが……

 

「…それを時宮が決めていいの?」

「お祖父様から今日中に済ませてくれ、って言われたものは済んだから私の判断でいいってしたのよ。それに…私だってある程度の権限のある地位なんだからね?」

「ま、組織の頭の孫だもんな。…んじゃ帰るとするか」

「送って行くわよ?それならお金かからないし速いし」

「俺あんまりアレ好きじゃないんだが…」

「日が変わっても悠耶が帰ってこなかったら、妹が心配するんじゃない?」

「うっ…痛いところを……」

 

と、いう事で帰りも空輸される事となった。…多分頼めば帰りの交通費位出るんだろうけど…一番速いのは空輸だもんなぁ…はぁ……。

帰り方が決定した事もあり、外へ出る為下層へと向かう俺達。…そういや、緋奈に言ったのとは立場が逆になったな。

 

「…っとそうだ、さっきから気になってた事訊いてもいいか?」

「質問?いいけど?」

「なんで時宮含めたここの人達は、相手を苗字じゃなくて名前で呼ぶんだ?普通仕事の上での関係の人へは苗字で呼ぶもんだよな?」

「あー…それね。それは単純明快、苗字じゃ紛らわしいからよ」

 

紛らわしい?と俺がそのまま返すと、時宮はそれにこくんと頷いて説明を続ける。

 

「霊装者の子供は霊装者としての才がある事が多いし、霊装者の親もやっぱり霊装者である事が多いのよ。それは知ってるわよね?」

「そりゃ勿論」

「じゃあ、分かるでしょ?代が続けば続く程同じ苗字の霊装者…結婚して姓が変わったら同じじゃなくなるけど…が増えて、今は霊装者とその潜在能力者を霊源協会が徹底して管理してる…というか出来る限り協会に所属してもらってるから…」

「…家族を中心に同じ苗字の人がそれなりの割合でいる、って訳か。確かにそれなら名前で呼んだ方が分かり易いな」

 

呼ぼうとした人とは別の人が反応してしまうとお互い気不味いし、それが何度も起きれば軽いストレスにもなる。そういうのを回避する為に苗字ではなく名前で呼ぶというのは妥当だと思えた。

そうして俺達は来た時と同じ道を通り、外に出て空輸で帰る。一回経験してる分精神的な覚悟は出来てたが…やっぱヒヤヒヤするなぁこれ!

 

「……よいしょっと、貴方の家ここよね?」

「あぁそうだよ…往路ごくろーさん…」

 

夜の空を突っ走り、家の前へと降り立った俺は軽く気が抜ける。…やっぱ疲れたな、今日は。

 

「お互いね。……はぁ、ほんと今日は苦労したわ。ここまで疲れたのも久し振りかも…」

「へいへい、俺の担当にさせちまって悪かったですねー」

「本当よ。あーあ、きっと楽に終わったであろう綺袮が羨ましいわ…」

「さいですか……ん?綺袮?…それどこかで聞いた事ある気が…」

「そりゃそうでしょ。綺袮は私や悠耶と同じクラスだもの」

「……宮空綺袮!?それって時宮とよく一緒にいる宮空の事!?」

 

いざ家に入ろう…としたところで今日何度目か分からない驚きを味わう俺。と、トンデモ美少女二人が揃って霊装者だったのか!?……マジか…。

 

「そうそうその宮空よ。後時間が時間なんだから声抑えなさいよ…」

「んな事言われたってびっくりしたんだから仕方ねぇだろ…にしても凄ぇ偶然だな。こうなると予言されたもう一人もクラスメイトだったりしてな」

「偶然じゃないわよ?それと…その通りよ?」

「だよな?ははっ、世間は狭いもんだ…………え?」

「んー、明日向こうからこの件の話くるかもしれないし、その時私に文句言われても困るからもう一人の名前も教えておくわね」

「ちょ、ちょちょちょっと待て!待てや!色々訳分からなくなってるから!一旦落ち着かせてくれ!」

「嫌よ、あんまり遅くなると明日に支障出るし。その人ってのは……」

 

冗談で言ったつもりの事を肯定され、しかも偶然だと思ってた事すら違うと言われても理解が追いつかない俺。おいおいこれじゃまともに聞けやしねぇよ!てかもう一人って出席番号1番の奴か?それとも最後の奴か?はてまたまさかの担任か?いや誰だったとしても俺の混乱は止まらな……

 

 

 

 

 

 

 

 

「顕人。御道顕人よ、もう一人ってのはね。貴方彼とそれなりに仲良いんでしょ?良かったじゃない、それなりに人となりを知ってる人で」

 

その名を聞いた瞬間、予想は外れて。俺の思考の混乱は止まった。だがその代わりに……一瞬、完全に停止する事になるのだった。

 



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第五話 もう一人の邂逅

──創作物のキャラクター…特に主人公はよく、「俺は平穏に暮らしたいだけなのに…」とか「普通の生活をしたい…」とか言う。そりゃ勿論そういう事を言う主人公諸君は悲惨な人生を送ってきたとか何度も死にかけたとかがあるからこその発言だというのは分かるし、「殺人上等!世の中は弱肉強食だぜヒャッハー!」なんて言う主人公よりはずっとマシだけど…俺にはそれが、どうしても共感出来ない。

例えるならば屋外部活と屋内部活の言い争い。屋外部活は「屋内は日差しがないから楽でいい」と言うし、屋内部活は「屋外は風通しがいいから楽でいい」と言う。実際は、屋外は直射日光と暑い日は熱風で、屋内は外部からの熱と人が発する熱との二重苦で両方キツいのに、言い争ってしまう。それは何故か?……そんなのは簡単、人は自分の知らない事は理解出来ないし、羨ましいと思うものには現実ではなく自分の中の理想を見てしまうし、多かれ少なかれ周りよりも自分が辛いものだと考えてしまうから。

だから俺は思う。普通の日常を望む主人公もそれなんじゃないか、と。本当の普通の日常を知らないから、平凡な日々が何日も何ヶ月も何年も続く事がどんな気持ちか知らないから、有りもしない架空の『幸せな日常』を夢見てるのだと。もし、そういう主人公が本当に普通の日常を送れる様になった時、どんな反応をするか…それは、大概の作品は日常を手に入れるまでで終わってしまって描写されないのも俺がそう考えてしまう一端だと思う。

俺は、思う。──普通の日常なんて、非日常への夢を捨てきれなかった人にとっては苦痛なものと言っても過言ではない、と。

 

 

 

 

放課後を迎えてから一時間半強。いつもの様に雑談を交えながらもやるべき事はきちんと終わらせて解散した生徒会役員の波に乗る形で生徒会室を出た俺は、自分のクラスへと向かっていた。…俺も生徒会役員だから波に乗るって表現はちょっとおかしいかもね。

 

「さてと……やっぱりいたよ千嵜…」

 

教室に到着した俺がクラス内を見回すと…教室の中には人影が一つ。それは案の定、今日少し眠そうにしていた千嵜だった。

 

「千嵜、千嵜さんやーい」

 

ゆさゆさと揺すりながら名前を呼ぶ。別に起こす様頼まれている訳ではないし、千嵜に用事がある訳でもないから無視して帰ってもいい訳だけど……千嵜家の事情を考えるとそうはいかない。

そうして数十秒。やっと起きた千嵜は…俺を恨めしい目で見ていた。……相変わらずだなおい…。

……と思っていたら、

 

「…御道、お前名前なんだっけ?」

 

千嵜はそんな事を言い出した。そしてそこから始まる漫才的会話。一応それなりに交流のある間柄だと思ってた分衝撃も強く、つい俺は全力での突っ込みをしまくってしまう。それはもうメタ発言をしてしまう程に。

 

「…はぁ…顕人、御道顕人だ。お分かり?」

「お分かりお分かり。っていうか…そうだ。何だかそんな気がしてきたな。うん、お前は顕人だ」

「知ってるよ、自分の名前なんだから…」

 

会話開始数分で、もう俺は疲れてしまった。しかもこの後すぐまた千嵜がぶっ飛んだ(上に悲しい事)を言うもんだから一息つく暇もない。こんなんなら無視すりゃ良かったかも…と本気でちょっと思った俺だった。

そんな会話劇を繰り広げてからやっと下校を始める俺と千嵜。下校を始めてからも不思議な表情をしてた千嵜に質問をしたり、千嵜の家庭環境の話に入るも込み入った話になる前に止めたりと、俺達は概ね普段通りに話していた。

 

(……ほんとに、変わった奴だよな)

 

千嵜悠耶。俺がこの変わった同級生と交友を持つようになったのは高校に上がってからだった。無愛想で自分から周りと関わる事をあまりせず、関わったら関わったで何かズレてる様な点がしょっちゅう見受けられる千嵜と初めて話したのは…えーと、何か用事があったんだったかな?それ自体はなんて事ない事だったからか覚えてないや…。

そんな千嵜だけど…いや、そんな千嵜だからこそ、俺は千嵜とつるむ様になった。いい年して夢を…非日常に巡り合う事を諦めきれなかった俺は、『特別』な雰囲気の千嵜といれば何かあるんじゃと期待する様になった。……まぁ、その期待抜きにしても千嵜はつるんでて面白いと思える奴ではあるけど。

別に今の生活が嫌な訳じゃない。千嵜以外だって気の合う友人はそれなりにいるし、生徒会は好き好んでやっているものだし、両親だって尊敬出来る二人だと思っている。でも……だとしても、俺の非日常に飢える思いは消えずにいて、今でも夢を見続けている。

千嵜と俺は別れ、それぞれ家の方へと足を向ける。どこかで非日常に出会えないかな…とか、でもそんな簡単に出会えたら苦労しないよな…とか、それより確か前に出された課題の期限がもうそろそろだったなぁ…とか色々考えながら、家へと帰る。さて…明日は何があるのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

──────これが、最後だったんだよね。こうして普通に、二人でいつも通りの下校をしたのは。

 

 

 

 

それは、千嵜と別れて少しした後…いつもの通りにさっさと帰ろうと近道(狭い裏路地)を通っていた時だった。

 

「……うん?」

 

視線…というか、なんだかよく分からない…でも確かに感じる何か(気配、ってやつ?…まっさかぁ)が気になって、後ろを向いた俺。でも、そこには何もいない。

 

(気の所為……いやまさか…!)

 

若干背筋が寒くなるのを感じつつ、ばっと振り向いてさっきまで向いていた方(元々の進路方向)を視界に捉える俺。後ろかと思ったら実は前にいた…というのは創作…特にホラー物で偶にある展開だから、つい俺はそれを想像していた。

けど、前にも何もいない。後ろにも前にもいなくて、左右は壁なんだからもうこうなると気の所為しかないか…と思って俺は納得。そのまま再び歩き出す。……あ、こういう場合って実は頭上にいたってパターンもあったな。じゃあ上を見たらいたりして……

 

 

 

 

「────え?」

 

苦笑しながら上を見た俺は、そのまま固まる。

本気でいるとは思っていなかった。ただ、ノリで上を見て、「あーこのパターンでもなかったかー」なんて独り言を呟こうと思っていただけ。……なのに、いた。そこにはいた。半径1.5m位はありそうな黒い球体に、ぎょろりと巨大な一つの目を付けた異形の『何か』がいた。

 

「は……え、は…?」

 

状況が理解出来なくて立ち尽くす俺。異形の何かはその間じっと俺を見つめ、時折瞬きをしている。

初めは何かの見間違いだと思った。けど、瞬きしても凝視してもその何かが別の物に見えてきたりはしない。

続いて絵か動画かと思った。けど上手く言葉に出来ないもののそれがここに『いる』という事は感じているし、そもそもこんな路地に絵や動画を空中投影する機械が置いてある訳がない。

最後にこれは夢か、なんて思った。夢ならいつから見始めてるんだよ、という別の疑問は湧くけど取り敢えず理解出来る。けど……夢かどうかを確認しようとする前に、俺の思考は途切れた…と、言うよりも途切れさせられた。

 

「……──ッ!?」

 

突如感じた、『逃げなきゃ』という感覚。その直感としか言いようのない、謎の感覚に突き動かされてその場から飛び退いた瞬間、それまで空中で静止していた異形の何かは目の下にあった巨大な口(開くまである事自体に気付かなかった)で俺のいた場所を地面のアスファルトごと喰らった。

 

「ひ……ッ!?」

 

一瞬事態が飲み込めなくて、次の瞬間恐怖を感じて俺は走り出す。結局何がなんだか分からないままだけど…逃げなきゃ不味いという事だけは恐ろしくなる程に分かった。

むくりと浮かび上がり、俺を追って動き出す何か。それから逃げる為に俺は全力で走った。走って、登って、降りて、また走って、跳んで……今自分がどこにいるのか、俺を追う何かとの距離はどれ位なのか…そういう事を確認する余裕もなくただ必死に逃げ続けた。

 

(くそ…っ!望んでたけど…こういう非日常を望んでたけど……この役回りは、違う……ッ!)

 

そう、俺を喰らおうとする異形の何かは明らかに『異常』なもので、それから逃げる展開というのは間違いなく『非日常』。俺が望んでた、俺が夢見ていた、特別な世界。

けど…これは、嬉しくなかった。楽しくなかった。疑いようもなくこれは非日常だけど…きっとこのままいけば俺は死ぬ。喰われて、殺されて死ぬ。それは……モブキャラクターの最後だ。日常の裏に潜む危険を見せる為の、或いは異常なキャラの強さやヤバさを表現する為の、殺される事を目的として登場する人物の最後だ。

そんな人物の、一体どこに憧れるというのか。非日常が存在すると分かっただけで満足出来る程達観してはいないし、存在すると分かったら余計に知りたく…関わってみたくなる。非日常に遭遇し、最初は戸惑いながらも力を得て、共に戦う仲間と力を合わせて敵を倒し、少しずつ謎に触れていって、時には力が覚醒したり逆に信頼してた誰かが敵になったりして、その中で友情を深めたり誰かと恋に落ちたりして、最後には強大な敵を倒す……それこそが俺の望んだ世界であって、こんななんの説明もないまま死んでいくのは真っ平御免だ。そうでなくともまだやりたいゲームや読み終わってない本、誰かと話してみたかった話題や次回が気になる番組なんかが沢山あるのに、ここで全て終わってしまうのはあまりにも詰まらな過ぎる。人間いつ死ぬかは分からないものだけど…死ぬ直前まで死の恐怖を味合わっていない時点でまだマシな方かもしれないけど……そういう事じゃ、ない。

 

「死ぬかよ…死んでたまるかよ……ッ!」

 

走り続ける。死に物狂いで走り続ける。そんなに諦めが悪いタイプではないけど、今回ばかりは諦めない。諦めたくない。夢に触れかけて、扉を開きかけて、そこで死ぬなんて……絶対に、俺は受け入れたくない。

そうして逃げ続けた俺は…遂に、コンテナらしきものが幾つも置いてある広い場所で足を止めた。別に諦めた訳じゃない。勝つ算段が思い付いた訳でもない。ただ、肺も足も休憩を入れないと動けない状態になってしまったというだけの話。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

何とか音を小さくしようとしながら息を吐く。這ってでも逃げるつもりだったけど…這って逃げるよりは、少し休んででもちゃんと二足歩行(走行)で逃げた方が可能性はあるに決まっている。

まあまあ入り組んでるコンテナ群を曲がったり半周したりした上で止まったから、数秒で見つかる様な事はない筈。ベストは俺がここから逃げ去った、と判断してどこかへ行ってくれる事だけど…それは流石に楽観的過ぎる思考。

 

(俺がすべきなのは呼吸を整えて、出来るならば見つからない内に再び逃走する事。急いては事を仕損じる、今はとにかくスタミナを……)

 

人は疲れるとつい空を見上げてしまうもの。息を切らした少年が背を何かに預けながら空を見上げる…というのはちょっと絵になりそうなワンシーンだけど、んな事気にしてる場合では……

 

(…………そ、ら…?)

 

見上げる体勢のまま、背筋に氷を落とされたかの様な冷たさを感じた俺。

俺は初め、見つかるとしたら左か右からだと思っていた。コンテナは俺よりも大きく、恐らく何かの目の位置よりも高いから、斜め上からの視点で見つかる事はないと予測した。でも……奴は、陸上を駆けていただろうか?地に足をつけていだろうか?──いや、そんな事はなかった。奴は初めからずっと、宙に『浮いて』いた。ならば、奴は上昇…具体的にはここを見回せる位の高度にまで上がって、そこから俺を探していたとしてもおかしくない。

もしかしたら、奴はそこまで上にいけないのかもしれない。実は視力が低くて、そういう見回しが効かないのもしれない。けど、戦闘経験なんてほぼない俺にだって分かる。根拠のない希望に縋るのは、自殺行為と何ら変わらないと。疑い過ぎて何も出来なくなるのは本末転等だけど、可能な限り可能性…特に不利益となり兼ねないものは、想定しておくべきだと。

だとしたら、俺はもう見つかってると考えて移動を……いや待て。可能性は可能性でしかない。それを確定してるかの様に動いた結果、普通に探していた奴と鉢合わせしたとしたら?そのまま動かなければ見つからずに済むかもしれないとしたら?

 

「……あー…分かる、訳ないだろ……ッ!」

 

迷いに迷った末、俺は走った。ここにはコンテナの他隠れられそうな場所も幾つかあった。足を止める前に見た時は、万が一見つかった時逃げ辛そうだからと止めておいたけど、そういう場所でなければ確実に見つかってしまう可能性があるなら話は別。それが正しい判断なのかは分からないけれど、動き出した以上はもうそれを信じるしか──

 

「……ッ!!」

 

数歩動いた瞬間、後ろで大きな衝撃が轟いた。やはり、奴は上空から俺を補足していたのだった。

もし動くのが後少し遅ければ、奴の餌食になっていた。その事実を前に俺は一瞬自身を褒めたくなったけど…事態はそれを許さない。奴の突進は周りに少なからず風圧を起こし、走り始めで体勢が悪かった俺はそれによって転倒させられてしまった。

 

「い"……ッ!」

 

転んで隣のコンテナにぶつかる俺。上手い事受け身を取れたおかげで怪我は足を擦りむいたかどうか位で済んだけど……もう正直、無傷だろうと骨折だろうと変わりなかった。だって…俺は転んだ状態で、異形の何かは俺の方を向いていたんだから。

 

「……は、は…逃げるのは無理だわ、これ…」

 

あまりにも絶望的な状況に、乾いた笑い声が漏れてしまう。今から急いで立ち上がって逃げるのがせめてもの策だろうけど……もう、無理な気がした。さっきの勢いから考える限り、立ち上がろうとした時点でばくりといかれるのは火を見るより明らかだった。

早くなる動機、震える身体。死が間近に迫った事で感じる、どうしようもない程の恐怖。そんな中……俺は、指先に何か棒状の物が触れるのを感じる。

 

(これは…鉄パイプ……?)

 

顔は前を向いたまま、目だけを動かして指先の方を見ると…そこには鉄パイプが数本まとめておいてあった。ここで使う為に準備してあったのか、それとも使い終わって廃棄待ちなのか…それは定かじゃなかったけど、そこにあるのは確かに鉄パイプ。……俺は、その鉄パイプをゆっくりと手に握る。

 

(…死ぬかよ……絶対に死ぬかよ……ッ!)

 

目の前にいる敵は、常識が通用しないであろう異形の存在。そんな相手に魔導具や聖剣どころか、武器ですらない鉄パイプで勝とうなんて夢のまた夢。99.99%不可能なやるだけ無駄な事。でも……それでも俺は、諦めない。

きっとこれは、戦いを知らないからこその意思。無理な事、無駄な事が分からないからこその行動。だとしても、このまま殺されるのだけは絶対に嫌だ。天国だとか地獄だとか、来世だとか輪廻転生だとか、そういう事なんかどうでもいい。ただ俺は、まだやり残した事があって、叶えてない夢があって、だから死にたくない。死にたくないから……諦めたくない。諦められない。

握り潰さんばかり(実際は潰れないけど)に鉄パイプを握り締め、一世一代の大勝負と言わんばかりに何かを見据える。

ゆっくりと近付いてくる異形の何か。奴と俺との距離が殆どゼロになり、刹那の時間が流れ、次の瞬間口を開いた何か相手に俺は叫びを上げながら鉄パイプを振るい────

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…………?」

 

────一瞬、時間が止まったかの様に思えた。

振るいかけた鉄パイプと、口を開くや否や俺に牙が届く距離となる異形の何か。一瞬前まで俺と奴しかいなかったその空間に……それは、舞い降りた。奴の脳天と思われる場所へ、流星の如き苛烈さと美しさで飛び込み手にした大太刀を突き抜いた存在。それはまるで、無力な少年へ希望を与える勇者の様に。

────そこにいたのは、一人の少女。深い黄色のミディアムヘアー風になびかせ、青玉の様な蒼い瞳を奴から俺へと向け……異形の何かの頭部を貫いた大太刀と、蒼く煌めく光の翼を携えた少女が、そこにはいた。

 

「間に合ったぁ……ね、大丈夫?」

 

まずは一安心、といった感じの笑みを浮かべた少女は大太刀を引き抜くと同時に俺の前に降り立ち、下段に構え直しながら奴と正対する。こんな状況になれば、もう誰だって理解が出来る。魔物の頭部に強烈な一撃を浴びせ、俺を助けてくれたのはこの少女だと。少女は奴を倒すつもりなのだと。

 

 

こうして、俺の夢を見るだけの日々は終わった。日常に順応しながらも、夢を捨てきれず悶々とする毎日は終了した。

ここから俺の、もう一つの日々が始まる。思い焦がれていた、そして同時に予想だにしなかった世界。今、俺が遭遇しているのは…その『始まりの為の始まり』だった────。



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第六話 もう一人の驚愕

異形の何かに襲われた俺の前に現れた、橙色の髪の少女。頭部と思しき場所に深々と刃を突き立てられ、外見こそ変化はないものの雰囲気が変わった何かを相手に、少女は大太刀と光の翼を携え正対している。

そんな中、俺は身動き一つ出来ずにいた。正体不明の存在に襲われ、あわや死亡という状態にまでなった時点でもう想像絶する出来事なのに、そこへ更に長大な武器と翼を持った少女が現れて戦いを始めようとしているんだから平然としていられる訳がない。……が、ほんのちょっぴりだけど俺はこの状況に『ドキドキ』していた。

奴から逃げる最中、俺は自分の置かれた状況が『死ぬ為に登場したキャラ』の様だと思っていた。それは誤認じゃなかったけど…考えてみれば、それはその結果殺された場合の話。もしモブキャラじゃないのなら…主人公ならば、それはまだ途中の話で、そこから力が覚醒したりヒロインに助けられたりするじゃないか。そして…現に俺は、少女に助けられた。勝手にヒロイン呼ばわりするのは失礼極まりないけど…俺は『特別な存在』になれるんじゃないかと、驚愕の裏でそう感じていた。

だから、俺は目を凝らした。自分を助けてくれた少女の…俺を非日常へと誘ってくれるかもしれない彼女の顔をよく見ようと。…でも、結果から言えばよく見えなかった。俺の位置からだと後頭部しか見えないし……何より、俺が移動するよりも先に戦闘が再開されてしまった。

 

「こいつはわたしが倒しちゃうから、ちょっとだけ待ってて!」

 

後ろにいる俺に声をかけると同時に奴へと接近した少女。その瞬間奴の身体から無数の黒い棘が生えて少女に襲いかかったけど…機敏な動きでそれを避けた少女は一閃。邪魔になる棘を一太刀で斬り落とし、更に本体にも一撃を与えていた。

いや…それだけじゃない。一撃与えた少女はその流れのまま回転してもう一撃。反撃とばかりに再び襲ってきた棘は姿勢を低くする事で避け、そこから前に飛び出して奴の下をくぐりながら駄目押しの様に三撃目を浴びせている。

 

(…凄ぇ……)

 

目の前で繰り広げられる戦いに、俺は心の中で感嘆の溜め息を漏らす。異形の何かが人や動物とは大きく離れた存在だってのは見れば分かるけど…少女の動きもまた人間離れしていた。…って、動き云々以前に普通なら入手すら困難な筈の大太刀を持っていて、しかも背中から光の翼を生やしてる時点で十分普通じゃないか……。

そう俺が思っている間にも戦いは続き、あっという間に決着へと進む。奴の下を通り抜けた少女は跳躍。ひとっ飛びに頭上へと向かい、そこで大太刀の刃を下へと向ける。その瞬間、これまで以上の数の棘を頭部から作り出す異形の存在。

大太刀と棘。互いに向き合う形となった両者はそこで激突を────しなかった。

 

「……はい、お終い」

 

軽く翼を動かし急下降する少女。だが、少女が降り立ったのは奴の頭上ではなく…眼前だった。

次の瞬間、振り向きながら少女は一閃。大太刀は奴の目玉を襲い、横一文字に斬り裂く。そして……異形の何かは地面へと落ち、動かなくなった。

 

「……倒し、た…?」

「そう、倒したよ。ふぅ、これで一件落着っと」

 

刀に着いた血糊を落とす様な動きをしながら俺の方へ少女は振り向く。少女なのに様になってるなぁ…と思いつつ、さっき確認出来なかった顔を見ようとした俺は……

 

「……へっ?」

 

素っ頓狂な声を上げてしまった。いや、だって……

 

 

「……み、宮空さん!?」

 

知り合いだったんだもの!同級生だったんだもの!俺視点だと全く触れてないから「ん?」ってなるかもしれないけど、俺自身は普通に知ってる人だもの!てか第四話で一応名前は出てるし皆さんも分かるでしょう!

 

「お、おーい、君何か凄くメタい事考えてない…?」

「思考を読まれた!?……ごほん、ちょっと取り乱した…じゃなくて、なんで宮空さん!?」

「そりゃわたしがそういう人だからよ」

「なんて単純で納得がいかない説明!……えと、貴女は俺の知る宮空さんでしょうか…?」

「うん、わたしは君のクラスメイトの宮空さんだよ」

 

あはは、とにこやかに笑みを浮かべる少女…宮空さん。全然意味は分からないままではあるけれど…落ち着かなきゃ話が進まないだろうと思った俺は深呼吸をする。……同級生が実は…ってのも創作ではよくあるけど、実際あったらそりゃ驚くよな…。

 

「……よし、少し落ち着いてきたぞ…」

「それは良かった。それじゃあお話ししよっかシドー君」

「勿論…ってそれは破壊神又は五河さんだよ!?最初の文字が違うよ!?」

「あ、ごめんごめんムドー君」

「大魔王クラスから魔王に格下げされた!?」

「あれれ?それじゃあ…外道君?」

「遂には実在するプロレスラーさんになっちゃったよ!っていうか実は間違えてるんじゃなくてふざけてるだけじゃないの!?」

「あはははははっ!やっぱり君面白いよね、顕人君」

「やっぱ知ってんじゃん…日に二度も名前で全力突っ込みさせられる日が来るとは……」

 

学校では千嵜に名前を忘れられ、今は宮空さんに苗字を間違われまくってしまった。…なんだこれ、今日厄日?いや襲われてるし確実に厄日だわ。今日を機に俺の日常が一変するなら厄日どころか吉日だけど。

 

「ごめんごめん、顕人君には一度このボケをしてみたいなーって思ってたんだ〜」

「そんなの学校でしてよ…完全に状況にミスマッチだって…」

「と、言いつつも思いっきり突っ込んでなかった?」

「それは……まぁ、突っ込み気質の性というか…」

「そういう事ね。わたしの幼馴染にもそのタイプがいるから分かるよ」

 

数分前までの雰囲気は何処へやら。完全に同級生トークがスタートしてしまった。…っていやいや、この状況を認めてどうする俺。

 

「…えと、宮空さん…俺あのモンスターみたいなのとか宮空さんの能力?…みたいなのの会話がしたいんだけど…」

「おっとそうだったね。…でもぱぱっと話せる事でもないし、んーと…どこから話したらいいのかな?」

「それを俺に聞かれても……」

 

そこまでで言葉を止める俺。側から見ればそれは呆れた反応の様であり、宮空さんもそう思ったのか苦笑いをしつつ頬をかく。……けど、違う。確かに俺は呆れてたけど、最初からそうしようと思って途中で止めた訳じゃない。

 

「だよねぇ…じゃあまずはわたしについてかな…って、顕人君?」

「…嘘、だろ……」

「嘘?嘘って何が…?」

「そ、そうじゃ、なくて…、……ッ!後ろッ!」

「後ろ?……まさかっ!?」

 

俺の言葉に反応し、即座に振り向き大太刀を掲げた宮空さん。その瞬間……牙が大太刀とぶつかり火花が散る。

俺が目にしたもの。宮空さんを背後から襲ったもの。それは、奴だった。宮空さんの横薙ぎで斬り裂かれて地面に伏していた筈の、異形の存在だった。

 

「……っ…あの時トドメを刺した感覚があったのに…ッ!」

 

大太刀を振るい、自身を喰らおうとしていた奴を宮空さんは弾き返す。そしてそのまま開いた口の中へと刺突。串刺しの様な状態になった奴は小さな呻き声の様なものを上げ……今度こそ、動かなくなった。

 

「…顕人君、少し距離取ろっか。多分今のは悪足掻きだけど…また襲われるのはごめんだからね」

「あ…あぁ、了解…」

 

宮空さんと共に奴から10m程距離を取る俺。戦闘能力のない俺は今度こそやられててくれ…と願いながら亡骸を見ていたら…それはその内燃え尽きた塵の様になって消えてしまった。これが死んだ、という事なのか気になって横を見ると…宮空さんは、ほっとした様な顔をしていた。

 

「…あいつ…魔物とかモンスターとか言われてるああいう存在はね、息絶えるとこうして消えちゃうんだ。…ごめんね、ちゃんと倒してないのに会話なんて始めちゃって」

「い、いや…俺は無事だからいいけど…さっきは仕留め損なったの…?」

「そうなるね。…確かに倒したと思ったんだけどなぁ…」

 

納得がいかない様子の宮空さんに、何か言葉をかけるべきかどうか…と考え始めた俺だったけど、その結論を出す前に宮空さんが話を進めてしまった。…切り替え早いなぁ。

 

「こほん、じゃあ改めてわたしについて!わたしは宮空綺袮!好きな食べ物はお菓子全般!得意教科は体育!顕人君のクラスメイト、美少女綺袮ちゃんだよ!」

「……あ、自己紹介どうも…」

「テンション低っ!突っ込みどころ用意したのにノー突っ込み!?」

「いや、だって宮空さん……クラスじゃもうちょっと普通の性格してなかった…?」

「普段は力をセーブしてるんだよ、わたしの全開に着いてこれる人なんてあんまりいないし」

 

けろっとした様子で自分がぶっ飛んだ人間です宣言する宮空さんに、俺は再び呆れる。…困ったなぁ、これは今後も中々話が進まない気がしてきたぞ…。

 

「…突っ込めばいいの?逐一突っ込めば宜しい?」

「そうしてくれた場合嬉しいかな」

「話は?」

「わたしがテンション上がってあんまり進まなくなるかも」

「よし、今日は突っ込み封印するぞっ!」

「がーん!突っ込んでよ!折角突っ込みセンスあるんだからそれを生かそうよ!」

「じゃあ話ちゃんと進めてよ…」

「…まぁ、そうだね。半端な情報だけ与えるなんてむしろ余計危険だし」

 

という気の抜ける様なやり取りの末、やっとまともな説明が始まる。

 

「えっと、まず分かっての通りわたしは普通の人じゃないんだ。霊力、っていう誰にでもある…でも大半の人は扱う事の出来ない力を使える能力者、霊装者って呼ばれる人の一人なの」

「霊力に霊装者…割とシンプルな名前だね」

「そりゃ変に凝ってたり長かったりするより実用的だからね。わたしは自分の作ってる同人誌の話してるんじゃないし」

「あ、それはそうだ…さっきの翼もその能力なの?」

「そうだよ。でも翼に関しては全霊装者の中でも極僅か…わたしの家ともう一つの家系の人間にしか使えない、特別な能力なんだ。で、逆に霊装者なら誰でも使えるのが…ちょっとこっち来て顕人君」

 

置いてあったドラム缶の上に乗って手招きする宮空さん。何だろう…と思いつつも彼女の手招きに従ってドラム缶の側まで来た俺は……腋の下に宮空さんの手が入った瞬間、宙に浮いていた。

 

「え…あ、え……?」

「ほーら高い高ーい」

「し、しなくていいから!高校生にもなって高い高いとかされても恥ずいだけだから!ちょっ、ねぇ!?」

「そう?わたしの高い高いなんて激レアなのに勿体無いなぁ…」

 

なんて言いつつも降ろしてくれたおかげで辱めを終える事が出来た俺。もうお分かりの通り、俺は宮空さんに持ち上げられていたのだった。ドラム缶に乗っかっていたのも勿論その為(元々男女の身長差がある上、宮空さんは女子の中でも背が低い方だったりする)。

ぴょこんとドラム缶から降りた宮空さんは説明を続ける。

 

「とまぁこんな感じ。分かり易く言えば身体能力強化かな。これも人によって多少の差はあるし、無限に強化出来る訳でもないんだけどね」

「そ、それならわざわざ高い高いしなくても説明出来たでしょ…ジャンプとかで……」

「それじゃ面白くないじゃん。能力説明なんて滅多にする機会ないし、真面目一辺倒なんて詰まんないよ」

「俺はドッキドキだよ、勿論悪い意味でね…!」

 

この子はいちいちネタを挟まないと進められないのか…と思うものの、そのまま突っ込んでもそれこそネタで返されそうなのでグッと堪える。…くっ、見た目が愛らしいせいで素直に怒れない自分が恨めしい…!

 

「ドキドキは大事だよ、うん。…それと、もう一つが……霊力による武器、防具の強化と精製かな」

「…オーラを纏う、的な?」

「いや、どっちかと言えば浸透させるって感じだね。これも大きく分けて三種類あるんだけど…結講専門的な部分も関わってくるし、今はそういうものだってだけ覚えておいて。顕人君も一度に深いところまで説明されても困るでしょ?」

「そりゃ、まぁそうだね…てかそんな配慮出来るならもう少し会話の流れ自体にも配慮してほしいんですけど…」

「そうは問屋がおろさないよ?で、えーと次は…さっきのアイツ、魔物についてでいい?」

 

俺の要望はさらっと流しつつ、宮空さんは説明を続ける。どこから聞けばいいのかすら分からない俺は取り敢えず首肯、よって説明がその『魔物』へと移る。

 

「怪物、魔獣、モンスター…一般的には魔物って呼ばれるのが、さっきいたああいう生物の事。勿論そう呼んでるのはわたし達霊装者だけで、一般人は君みたいにそもそもその存在自体を知らないんだけどね」

「知ってる、じゃなきゃニュースで被害報道とかやってる筈だし」

「そうそう。…あ、でも全く報道されない訳じゃないんだよ?上手くメディアに流れる前に処理したり圧力かけたりで一般には流れてないだけでさ。ほら、偶にない?人の変死体が見つかったり原因不明の事故があったりしたってニュース」

「あるけど…え、まさかそれ全部そうなの?」

「まっさかぁ、世の中に起こる変な事全部がそうな訳ないじゃん、どっかの世界の妖怪じゃあるまいし」

「うぐっ……」

 

やれやれ、と言いたげな表情の宮空さん。…それはその通りだけど酷ぇ……!

 

「こほん。そんな魔物だけど、さっき倒したTHE・モンスター的なのもいれば動物っぽいのもいるし、人工物っぽいのだっているんだよ」

「…有名RPGのモンスターみたいに考えればOK?」

「大雑把に言えばそうかな。で、魔物は本能のままに動物…特に人を狙うんだ。さてここで問題!何故特に人を狙うんでしょうか!」

「えぇ!?な、何故突然クイズを…」

「ただ話すだけじゃ何も楽しくないから…じゃなくて顕人君が覚え易い様にだよ!ほら先生も言うじゃん、ただ聞くより書いたり口に出したりする方が記憶は定着するって!」

「思いっきり本音出てましたけど!?…はぁ……」

 

ほんとに宮空さん…宮空綺袮という人物は楽しい事が好きらしい。俺としちゃ非日常の話を聞けるだけで興奮して全部覚えられそうなのに…まぁいいや、これはチャンスな気がする…。

 

「ほらほら、答えてみてよー」

「えー……じゃあ、人の方が霊力が豊富とかで旨みがあるからとか?」

「ぶっぶー、全然違いま……合ってる!?」

「ふっ…甘いね、宮空さん」

「な、何これ悔しい…何この謎の悔しさ……」

 

むー、と見るからに悔しげにする宮空さんに、俺はちょっと優越感を抱く。これでさっきのやれやれにやり返せたぜ…しかし記憶にある以上に子供っぽいなぁ。テンションと同じ様に性格も学校では少し抑えてるのかもね。

 

「あー、宮空さん?説明続行お願い出来る?ほら、悔しさは途中でまたクイズ出して、そこで発散すればいいじゃん」

「…という事は、少なくとももう一度は必ずクイズに乗ると?」

「あ……ま、まぁそうなるね…」

「ならいっか…顕人君の言った通り、特に人を狙うのは動物よりも人の方が霊力が多いから。更に言うと霊装者やその才能がある人はより多いから、一番危険なのは今の君みたいにまだ能力が使えない人や、霊装者になりたての人だから気を付けてね?」

「だから俺は狙われたのか…了解、肝に命じておくよ」

 

俺が先天的に霊装者の才能があったなら、何故それまで一度も狙われなかったのに今になって狙われたのか…とそこで俺は思ったが、すぐにそれが偶々&大概先に霊装者が倒してるからだと結論を見つける。…じゃなきゃ、不審死のニュースがもっと多い筈だし。

 

「よーしそれじゃあお次は霊装者の組織について!…と言いたいところだけど、それは口頭で説明するより実際に見た方が早いかもね。どっちにしろ顕人君には来てもらわなきゃだしさ」

「…それは…その組織の場所に移動するって事?」

「その通り、流石に五分十分じゃ帰れないんだけど…時間大丈夫?」

「んまぁ、用事はないけど…時間かかるなら親に連絡してもいい?俺夜遊びとかしない良い子だから、連絡も無しに夜更けまで帰らなかったら心配するだろうし」

「勿論いーよ、親御さんに心配かけるのはよくないもん」

 

と、いう事で俺は携帯を取り出し母親へメールを送る。友達の家で夕飯を頂くから遅くなる…という無難なメール(勿論嘘)ならまぁ大丈夫だろう。…夕飯といえばそろそろお腹空いてきたなぁ…。

 

「これでよし、と…遅くなるってまさか明日になるとかではないよね?」

「それはないと思うよ。あっても深夜位だし、何も急を要する事じゃないから遅くなれば帰してもらえるって」

「ならいいか。じゃ、そこへはどう行くの?あんまり財布にお金入ってないからタクシーは勘弁してほしいんだけど」

「お金の心配は要らないよ。ほいっと」

 

宮空さんはそれまで手にしていた大太刀を腰にかけ(その瞬間鞘が腰に現れて、鞘に締まった瞬間消えた)、消していた翼を羽ばたかせて飛翔した。────俺を、掴んで。

 

「いや、ちょっ…宮空さん!?」

「どしたの?」

「どしたの?…じゃないよ!?何故掴んだの!?そして何故飛んでるの!?」

「何故…って、これで行くからだよ。わたしが顕人君掴んで飛べば速いしお金もかからないでしょ?」

「あ、確かに合理的……って思えるかぁぁぁぁああああああッ!!」

 

少女に掴まれて空を飛ぶというかつてないトンデモ経験に俺は絶叫する。怖い怖い怖い怖い!超怖い!降ろして下さい宮空さぁぁぁぁぁぁんっ!

 

「わわっ…暴れないでよ?落っことしちゃうかもしれないもん」

「……!?」

 

その一言で俺は大人しくなった。そりゃそうよ、落っことされたら洒落にならないもん!

こうして、空輸でその組織へと向かう事になった俺だった……。

 

 

 

 

 

 

「……あ、そういえばクイズやってなかったね!じゃあここでクーイズ!」

「ここで!?ここでクイズするのッ!?」



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第七話 もう一人の真実

「はい、とうちゃーっく!」

 

静まり返った夜の街の一角に、翼を携えた少女とその少女に空輸される形で飛んできた少年が降り立つ。少女の方は元気いっぱいであり……少年の方は…というか俺は、ぐったりだった。

 

「やっと…着いた……」

「大丈夫?顕人君ってもしかして高所恐怖症だった?」

「高所恐怖症の有無に関わらず、あんな経験したら大半の人間はこうなるわ……」

 

着地したその場で前屈みになり両膝に手をつく俺。慣れてる様子の宮空さんはけろっとしているけど…俺は違う。恐怖の系統としてはジェットコースターやバンジージャンプと同じ何だろうけど…一応の安全が保障されてる娯楽と違って、これは宮空のちょっとしたうっかりで死んでしまう上、そもそも命綱も安全装置も全くない。おまけにそれ等よりずっと長い時間なんだから……

 

「こんなもん軽く流せる訳があるかッ!」

「急に何!?何に対しての突っ込み!?いや空輸についてってのは分かるけど…その突っ込みは何に反応して出てきたの!?」

「あ、悪い…つい思いが口から溢れ出した…」

「突っ込み内容とは裏腹に詩的な表現だね…どうする?あんまりにも辛いならちょっと休んでもいいよ?」

「いや…それはいいよ。少し調子が戻ってきたから」

 

色々と胸の中で燻る思いはあるし、休んだ方が早く楽になる気はする。けど、それより俺は先に進めたかった。だって、気になる事が既にもう幾つかあるんだから。

 

「それじゃあ行こっか。ここからは徒歩だから安心していいよ」

「えーと…それはありがたいけど、行くってどこに?今のところ、国の名所の一つしかそれらしきものはないんだけど」

「うん、だからそこ行くんだよ」

「……ほんとに?」

 

俺は訝しげな目で宮空さんを見る。国の重要指定文化財へと向かってどうするというのか。こんな位中観光したって面白くないよ…。

 

「ほんとほんと、ここで嘘吐いたってしょうがないし」

「…なら、真っ直ぐ進めばいいの?」

「そうしたいならしてみてもいいよ?多分警備員さんに止められるけど」

「じゃあどうやって……あ、隠し通路?」

「お、冴えてるね。それともフィクション好きだったりするのかな?」

 

なんと、もう俺の趣味(というか夢)を見抜かれてしまった。ふっ…宮空綺袮、君はなかなかどうして鋭い奴だな……なんて冗談はともかく、実際はただ言ってみたっぽいだけなのでそれには返答を返さず、歩き出した宮空さんの後を追う。

宮空さんが向かう先にあるのは、なんて事ない普通の雑貨ビル。扉を開け、彼女は躊躇いもなく入っていく。

 

「…なんか、使われてないです感が凄いねここ…」

「まぁね。だってここで使われてるのは隠し通路への入り口だけだし」

 

部屋の端の扉の前に立ち、壁に指を引っ掛けてる宮空さん。…まさか、忍者屋敷とかにあるどんでん返しか!?

 

「これで認証してもらってっと…うん?どしたの顕人君」

「…いや…ちょっと思ってたのとは違って……」

 

期待してた俺の前に現れたのは、回転する壁!…ではなく液晶画面だった。…や、凄いよ?指紋認証とかシステマチックで格好いいし、防犯能力的にも指紋認証の方が優秀だよ?…でも人って期待が外れると、それが凄くても凄くなくてもちょっと残念に感じる生き物なんだよね…。

 

「…あ、ねぇねぇ顕人君。この扉ってどう開くと思う?」

「え、どうも何も…ドアノブあるんだから引き戸でしょ?」

「残念不正解!正解はシャッターみたいに上下に動くタイプなんでしたー」

「いやいやいや、そんなすぐバレる嘘吐かれても困……ほんとだった!?」

 

認証完了したのか電子音がなり、その瞬間上へとスライドした扉に俺は目を剥く。え…ドアノブの意味は!?そしてシャッター方式の意味は!?

 

「よく分からない所凝ってるよねぇ…さ、入って」

「う、うん…これから行くのはからくり屋敷か何かだっけ…?」

「違うよ、そう言いたくなる気持ちは分かるけど…」

 

扉をくぐり、エレベーターで地下へ降り、歩く歩道的な名前のアレに乗り、またエレベーターに乗る。最初は突っ込みに忙しくてそれどころじゃなかった俺だけど…段々と進むにつれ、俺は特別な機関に近付いているのだという思いから心拍数が上がっていく。

そして……

 

「さ、後はこのエレベーターを出たら目的地到着だよ。ここは『双統殿』。日本の霊装者を取りまとめる組織、霊源協会の中央機関…まぁ、分かり易く言えば能力者達のお城だよ!」

 

俺は、双統殿に……霊装者の総本山に、足を踏み入れた。

 

 

 

 

双統殿はその名の通り、中央の屋敷の両側にそれとは別の屋敷が位置している。中央の屋敷は所謂『本部』らしく、左右の屋敷はそれぞれ霊源協会の二代派閥の本拠地らしかった。と、いうか……

 

「宮空さんがその二大派閥の片方のトップの孫なの!?」

「の、が多いなぁ…」

「そ、そりゃそれ位驚いてるって事だよ…だって、宮空さんだし…」

「え、それ何気に酷くない…?」

 

宮空さんはクラスでは結構人気者で、こう接していると何か人を惹きつける様な魅力がある人物だ…というのは伝わってきている。でも、それはあくまでただそれだけの話であり、霊装者としては普通の人物…そう思っていた。それがまさか未来のトップ候補だったとは…。

 

「…なんか今までちょいちょい軽んじててすいませんでした」

「え、更に何気に酷くない…?」

「なので権力で私をぶっ潰そうとするのは勘弁して下さいませ」

「更に更に何気に酷くない!?あれ!?わたしいつの間にか顕人君の怒り買ってた!?」

「あ…ごめんごめん冗談、驚きでつい変な冗談言っちゃった…」

「そ、そうだったんだ…態度変えるとか止めてね?ここじゃみーんなわたしを丁重に扱ってきて肩凝っちゃうんだから…」

 

そう言いながら宮空さんは肩を回す仕草をする。…まぁ確かに、他人に敬われる事を望んでる人でもなきゃ敬意だらけの場所なんて疲れるだろうもんなぁ…。

 

「…でも、それは失礼って思われない?その敬意払ってる人達に」

「式典とか以外なら大丈夫だと思うよ?実のところ君も結構特別な存在だから」

「そっか……へ?」

 

大体落ち着いてきたなぁ…と思ったところで再び投下される驚きの事実。それをあまりにもさらっと言うものだから、俺は一瞬聞き流してしまった。

 

「…えと、どゆ事?」

「あのね、うちの組織の中には一人予言の能力者…あ、わたしの翼と同じ固有タイプの能力ね…がいて、その人が後に霊装者の世界へ大きな影響を及ぼす二人の霊装者が現れるって予言してたんだ。で、その二人の内の一人が…」

「俺…って事?」

「そういう事。その予言の能力者さんの予言はほぼ百発百中らしいから、間違いないと思うよ」

 

……ごくりと、唾を飲み込む。俺が、予言された霊装者?特別な存在?

夢を見続けながらも一方で『常識的な視点』というのを身に付けてしまった俺は、聞いた瞬間には「まっさかぁ」と思った。でも、宮空さんは嘘を吐いている様には見えないし…俺の心は、それが真実である事を大いに欲している。

 

「…予言される霊装者って、割といるものなの?」

「ううん、そんなの滅多にいないよ」

「じゃあ、俺は…凄い存在になれるって事…だよな?」

「それは…まぁ、顕人君の努力次第じゃない?予言はほぼ百発百中ってのはあくまでこれまでの結果からの言葉だし、予言は別に顕人君をパワーアップさせたり守ったりするものではないもん」

「そりゃそうだ…でもうん、そんな予言があるんだったら……頑張らない訳にはいかないよね」

 

にっ、と俺は無意識に笑みを浮かべる。でも…それをどう思ったのか、或いは何を考えているのか、宮空さんは応援するでも注意するでもなく、ただ少し困った顔をするだけだった。それがよく分からず首を傾げている内に、宮空さんの案内は再開する。

 

「…それはともかく、これからちょっとお偉いさんと会う事になるんだけど…そういうの大丈夫?」

「お偉いさん?…まぁ、多分大丈夫かな。一応お偉いさんと話す機会ある仕事してるし」

「あ、生徒会執行部所属だったもんね。それは助かるよ」

 

お偉いさんって言っても接した事あるのは校長先生や講演に来てくれる役所の人とか程度だけど…とは思ったものの、大事なのは『目上の人と話せるか』という事だろうからそれは言わずに済ませる。…学生にとっちゃ校長先生だって緊張する相手だし。

 

「…っと、顕人君ちょっと待っててくれる?」

「待つ?なんかの手続きでもするの?」

「ううん、お着替え」

「あ……了解」

 

流石に女の子の着替えに同行する訳にはいかない。普通にその時点で事案発生だし、所謂美少女の類いである宮空さんの着替えを視聴してたら何か良からぬ事をしてしまうかもしれない。…マジで危ない、恐らく初心な俺にとってはほんと危ない。

 

(…着替えかぁ…男なら凝った格好でもしない限り1〜2分で終わるけど、女子の場合はもっとかかりそうだもんなぁ…鏡の前で何着も見ては止め、見ては止めを繰り返す的な……)

 

ぽけーっと天井を眺めながらそんな事を考える。宮空さんの趣味を知らないからどんな服を着るのか…いやそれ以前に服装に迷うタイプなのかどうかすら謎だけど、まぁそこは一般女性のそれに合わせて考えるもの。宮空さん見た目も中身も子供っぽいし、パーカーみたいな動き易い服とかロリータファッションみたいな可愛さ前面に押し出した服装かなぁ……

 

「お待たせー」

「……ん?」

 

…なんて思っていたのに、部屋から出てきた宮空さんが纏っていたのは彼女の印象とは程遠い、落ち着いた色合いの制服(学生服じゃないよ)だった。

 

「…ま、まぁ趣味は人それぞれだもんね……」

「趣味?…言っとくけどこれ、任務上必要だから着てるだけだからね?」

「…あ、そういう事?」

「どういう事だと思ってたの…友達紹介じゃないんだから、お偉いさんに会う時に制服着るのは当然でしょ」

「ごもっとも…」

 

かなり的外れな想像をしていた事が分かって内心恥ずかしくなる俺。…いやほんと、何考えてんだろうね俺…。

 

「まぁいいや…大丈夫だとは思うけど、会ったら失礼のない様にね?気難しい…訳じゃないけど、ちょっと厳格な人だから」

「それは心配ご無用、俺は目上の人に敬意払うの得意だし。得意っていうか、厳密には自然に出来るタイプだから」

「なんか思った通りだなぁ…わたしは堅苦しいの苦手でいつも上手く出来ないんだよね、あはは」

「家柄が家柄なんだからそこは上手くやろうよ…」

 

話しながらそのお偉いさんの部屋へと向かう俺と宮空さん。…と、そこで一つ俺は気になって質問を口にする。

 

「…ところで、俺はそのお偉いさんに会ってどうすればいいの?一応俺を紹介するって形なら、俺はずっと黙っていればいい…なんて事はないよね?」

「あー、そうだねぇ…まぁ取り敢えず自己紹介はする事になるんじゃない?」

「そりゃそうだ、他には?」

「……さぁ…」

「え…さぁが出てくるの早くない…?」

「だって分かんないんだもん、仕方ないじゃん」

「そんな無責任な…」

「人との交流は予め言う事を決めておくものじゃなくて、その人と会って接して自然に行うものだから大丈夫だって」

「それは確かにその通りだけど…その通りだけどさ…」

「別に面接とかじゃないんだから気楽にいこうよ、もう着いちゃったしさ」

「もう着いちゃったの!?」

 

宮空さんが止まった先にあるのは、これまで見てきた中でも特に格式高そうな木の扉。確かにこれはどう見てもお偉いさんの部屋だった。そこから感じる独特の雰囲気もあって、何だか俺はそれを見ただけなのに緊張し始める。

 

「…え、ええと…まずは名前からだよな。次は出身学校と番号…ってだからこれは面接じゃねぇっての…!」

「うわ、なんか一人ボケ突っ込みしてる…だ、大丈夫…?」

「…正直あんまり大丈夫じゃない……」

「う、うーん…まぁ、その気持ちは分かるよ?回数こなしたって緊張するものは緊張しちゃうのが人間だもん」

「分かってくれてるならもう少しさっきの段階で協力してほしかった…」

「そんな事言われても…覚悟決めなよ顕人君。魔物相手に鉄パイプ一本で一矢報いろうとしてた君はどこ行っちゃったのさ」

「え……見てたの…?」

 

俺の質問に宮空さんは「見えただけ」と返す。…それはちょっと考えればすぐに分かる話。あの時宮空さんが攻撃を仕掛けた魔物と俺はすぐ側にいたんだから、魔物を見ていたなら自然と俺の動きも見えるというだけの話。

宮空さんは今一矢報いろうと…と言ってくれたけど、実際には悪足掻きもいいところの行動。それを見られていたと知って少し恥ずかしくなったけど…同時に、『俺はあの状況で動く事が出来た』という事にも気付く。

 

「あれがどんな心境からの行動だったかは分からないよ。でも…君は度胸がある。大変な場面でも動ける人間だって、あの瞬間証明されてたじゃん。…だからさ、頑張ってみなよ顕人君」

「……分かった、覚悟は決まったよ」

 

頑張ると言っても、大一番の勝負をする訳じゃない。国の役人や権威ある立場の人なら日常的にやっている様な、ある意味で常識の範囲内の行為。…でも、宮空さんの言葉は素直に嬉しかったし、やってやろうじゃないかという勇気も湧いてきた。……よし!

 

「…入ろう、宮空さん」

「OK、じゃ……」

 

 

「おじー様、お邪魔するよー!」

「えぇぇぇぇぇぇええええええっ!?」

 

 

 

 

お偉いさんの部屋ではなく、交流の深い親戚の家に遊びに来たかの様な感覚で扉を開けた宮空さん。しかもそのお偉いさんと言うのがまさかの宮空さんの祖父(よく考えたら宮空さんは派閥トップの家系なんだからお偉いさんと言うのが宮空さんの親や祖父母の可能性は十分にあった訳だけど)だった訳だから、もう俺はテンパり度マックスだった。目とかぐるぐる状態になってたかもしれない。

 

「ちょっ…綾袮……」

「…お前はほんとに……」

 

部屋の中にいたのは三人の大人。俺と宮空さんの入室にまず口を開いたのはその内の男女二人。外見と宮空さんへの言葉から考えるに…二人は恐らくご両親。…あれ?俺今『娘がハイテンションで連れてきた男』って立場じゃね?ヤバくね?

 

「……綾袮、元気は何物にも代え難い宝ではあるが…いい加減時と場を考える様にしなさい…」

「……!」

 

重要と言えば重要だけど、かなり本筋から脱線した思考をしていた俺。そんな俺の思考を本筋へ引き戻したのは…部屋の奥のデスクに座するご老人だった。ご老人の言葉はやんちゃな孫を注意するもの以外の何物でもなかったけど…彼の纏う雰囲気は、明らかに常人のそれではない。宮空さんのご両親も一般夫婦とは思えない雰囲気だけど…ご老人はそれ以上で、実際に経験した事もないのに俺は直感的に確信した。それは、大組織を率いる指導者のものだと。

 

「むぅ、おかー様もおとー様もおじー様も揃って厳しい…」

「綾袮…!」

「はーい……お待たせしましたお祖父様、お母様、お父様。こちらが例の予言の霊装者と思われる御道顕人君です」

「……っ…!」

 

苦手なんだけどなぁ…と言いたげな表情を浮かべた後、宮空さんはふっと真面目な雰囲気に切り替わって俺の名を出した。

遂に…という程前から待っていた訳じゃないけど、この時がきた。派閥のトップである宮空さんのお祖父さん、同じく中核を担っているであろうご両親、そして元気のいい同級生から令嬢へと変わった宮空さん。そんな完全に一般人には立ち入れない、立ち入ったとしても動けない様な場面で、俺は……目を閉じる。目を閉じて、軽く息を吐いて、ゆっくり目を開けて…口を開く。

 

「──お初にお目にかかります、御三方。私めは御道顕人、不躾ながら宮空綾袮様の同級生を務めさせて頂いております。本日は魔物に襲われていた所を宮空様に助けて頂き、この場まで案内をされる形で馳せ参じた所存です。無学故礼儀作法が煩雑ですが、その点はどうぞお許し下さい」

 

片膝を床につき、頭を下げて出来る限りの口上を述べる。緊張、というものは本番が近付くにつれ大きくなるもので、本番直前が一番大きくなる。でも一度始まれば、舞台に立ってしまえば、その空気に乗れてしまえば案外何とかなってしまう。…丁寧語尊敬語謙譲語ごちゃ混ぜだし、動きも思い付いたものを入れただけだから実際は全然何とかなってない可能性高いけど…うんまぁ仕方ない!むしろこれだけ出来たんだから上等だよ上等!…なんて空元気が出せる様なテンションになってた俺だった。

 

「ふむ…御道顕人、その名で正しいのだな?」

「はっ」

「そうか…目上の人間に対する敬意、安易な言動に頼ろうとせず考えうる限りの礼節を尽くそうとする態度、そして空気に臆する事なく言葉を紡いだ度胸…大したものだ、賞賛しよう」

「お…お褒めに預かり光栄です」

「…だが、過ぎたるは猶及ばざるが如しという事もある。権力にも大人の交渉にも派閥闘争にも無縁な君がそこまでするのは、慇懃無礼とも捉えられかねない事は覚えておくといい」

「え……あ、畏まりました…」

「…要は『君は正しい礼節に慣れてないんだから、無理に完璧な礼儀作法をしなくても大丈夫』って事だよ顕人君」

「……そうなの…?」

「そうそう、さっきも言った通りおじー様は厳格だけど理不尽な人じゃないもん」

「…こほん、些か訳に語弊はあるが…その通りだ。この状況で肩の力を抜く、というのもどだい無理な話かもしれぬが…無理をする必要はない」

 

空元気モードとはいえ、『無礼者め!言葉に気を付けよ!』的な事を言われるんじゃ…と一抹の不安が拭えなかった俺としては有難い言葉だった。…まぁそんな事言われたって冷や汗だらだらである事は変わらないんだけどね!

 

「さて、一方的に自己紹介させるというのも失礼というもの。…私は宮空刀一郎、霊源協会を統括する両家の一角、宮空家の当主だ」

「はい、その事については宮空さ…んから聞き及んでおります。……も、もとい聞きました」

「ふっ、敬語を使えぬ若者はいつの時代もいるものだが…必要以上に使ってしまうというのも珍しい話だな」

「も、申し訳ありません…」

「よい、敬語を使って責められるというのもおかしな話だ。半端な敬語が逆に難しいのならそのままで話せ」

「だってさ。あ、そうだおじー様、霊源協会とその関連の話をここでしようと思ってたんだけどいいかな?中核のおじー様やおかー様おとー様がいる場で話すのが一番いいと思ったんだけど…」

 

俺と口調逆じゃね?と言いたい位ラフな言葉使いで話を進める宮空さん。さっきは注意していたご両親だけど、もう仕方ない…と言った風に肩を竦めるだけで止めたりはせず、お祖父さんも首肯した結果、お偉いさんが三人いて俺は冷や汗だらだらというトンデモな状況で説明が始まるのだった。……確かに面子的には説明し易いのかもしれないし、三人が補足もしてくれるんだろうけど…こんな状況じゃ聞けても頭に残らねぇよ……。



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第八話 もう一人の理解

宮空さんに連れられて入った部屋での、ご両親とお祖父さんとの面会。それを終えて下がった俺は……近くの部屋で、ぐでーっとしていた。

 

「あー……疲れた…」

 

これでもかという位脱力して、ソファに身体を預ける。確認したところ、面会はたった十数分だったけど…俺は長距離走をやった後並みに疲れていた。後、大分お腹も空いてきた。

俺が滅多にない経験したなぁ…なんて思っていると、一旦席を外していた宮空さんが戻ってくる

 

「お疲れー、顕人君緊張してた割に凄い上手かったじゃん。わたしびっくりしちゃったよ」

「俺も宮空さんのラフさにビビったよ…今回はプライベートじゃなくて仕事で来たんだよね…?」

「うん、でも過ぎたる形式重視はわたし良くないと思うんだー」

「絶対それ建て前で実際はやりたくないからってだけだよね…?」

「酷いなぁ…そんな事言う君にはこれあげないよ?」

 

ちょっと不満げにしながらすっと手を差し出した宮空さん。彼女の手に乗っていたのは……おにぎり。…え、これってまさか……

 

「……手作り?」

「それはどうでしょう?」

「どうでしょうって…それ誤魔化す必要ある?」

「それもどうでしょう?…顕人君はわたしの手作りであってほしいの?」

「それは…えと……」

 

ソファにもたれかかる俺を見下ろす形の宮空さんに、俺は口籠る。くりくりとした瞳に整った形の耳鼻口。柔らかそうな頬にきめ細やかな髪と、よっぽど偏った性癖を持っている人物でもない限りは確実に可愛いと称するであろう宮空さんが俺の為におにぎりを作ってくれたとするならば……なんて格好付けたのはよしてそのまま言おう。嬉しい、普通に嬉しい。ちょっとドキっとしてしまう。だって、俺は男で思春期なんだもの。

 

「……手作りであってほしいです」

「そっかぁ……残念!これはわたしの手作りではありません!」

「嘘ぉ!?この流れは絶対手作りだと思ったのに!」

「あはははは!わたしは貰ってきただけだよー」

「ぐっ…男の純情弄んだな!悪女め!」

「ごめんごめん、でも顕人君も男の子なんだねやっぱ」

「当たり前でしょうが……はぁ…」

「まぁまぁ食べなよ、お腹空いてると思って貰ってきてあげたんだよ?」

「それはありがたいけどさ…ありがたいけどさぁ……」

 

恨めしさを込めた目で宮空さんを見ながら、頂きますと言っておにぎりを口に運ぶ。おにぎり自体はまぁ…出来たてなのか温かい事もあって美味しい。…というか、これを作ったのが宮空さんでなくとも誰かしらが作ってくれたのは事実なんだから、美味しく頂かなきゃその人に失礼だね、うん。

 

「…こう、おにぎりって安心する美味しさがあるよね。格別に美味い!…って感じじゃないけど、食べた後自然と『ふぅ、ご馳走様』と言いたくなる感じの」

「お、なんかほんわかした空気纏ってるね」

「疲労と空腹が溜まった中で悪女に弄ばれたからねぇ…温かいおにぎりは色んな意味で俺を満たしてくれるんだよ…」

「そこまでショッキングだったの…?」

「それ単体ならまだセーフだったけど、いかんせん今日は心身共に余裕が無さ過ぎだったから…」

「あー……よし、じゃあ今度気が向いた時にでもおにぎり作ってあげよう!」

 

話しつつも淡々と食べていたおにぎりが残り一口、となったところで宮空さんの口から発せられたその言葉。それに俺は……まぁまず疑う。

 

「…結局気が向く前に忘れちゃってお流れのパターンとかじゃなく?」

「そ、そんなつもりはないよ…いつ気が向くかは分からないけど…」

「と、言っていつまで経っても作ってくれないのですね?」

「わたしの信頼低っ…そう言うなら作ってあげないよ?」

「いいよもう、取り敢えず空腹問題は解決したし」

「ほんとにいいの?お昼休みが始まったばかりで皆がまたクラスにいるタイミングで『顕人くーん。約束のお弁当、作ってきてあげたよっ♪』っていうドキドキイベントが生まれる可能性だってあるんだよ?」

「それは魅力的……ではないよ!?むしろありもしない噂立つし宮空さんのファンから刺々しい視線受けるだろうし何より俺が恥ず過ぎて逃げ出したくなるキラーイベントだよ!?得られるドキドキの方向性が違い過ぎるわ!」

 

人によってはいい意味でのドキドキイベントかもしれないけど…俺にとっては最悪の展開でしかなかった。俺そういうイベント苦手だっての…見てるこっちまで穴があったら入りたくなる位苦手なのに、何故それを選ぶ宮空綾袮……まぁ知る由も無いだろうから仕方ないんだけど。

 

「そこまで拒否されるとは…まぁ折角なんだから信じてよ。これでもわたし、約束は守る方なんだからね?」

「…なら騒動が起きそうな時は止めてね?」

「分かってる分かってる、というかわたしもそのイベント勘弁だし…」

「なのに提案したんだ…宮空さんのボケ魂にはびっくりだよ……」

 

突っ込んでもらう事前提のボケは別段不思議ではない…というか突っ込んでもらうつもりのないボケは天然でしかないんだから、それ自体は分かる。けど…今のは身体張り過ぎじゃないだろうか。宮空さんが言葉通り約束を守る人なら、もし俺がそのドキドキイベントに乗っかった場合とんでもなく後悔する事になるのが目に見えてるというのに…。

 

「……あ…えーと顕人君、別件になるけど二ついいかな?」

「別件?まぁいいけど、何?」

「うん、まず一つ目は…出来ればさ、わたしの事は名前かあだ名で呼んでくれない?」

「…な、名前で……?」

 

別件、というのだから何かしら脈絡のない事なんだろう…とは思っていたけど、これは予想以上だった。名前、って……

 

「…親愛の印に、とか…?」

「あー…期待してるなら悪いんだけどさ、そういう事じゃなくてわたしを呼んでるんだって分かり易くする為だよ。ほら、宮空さんじゃわたしなのかおかー様やおとー様なのか分からないでしょ?」

「そういう事か…何だか家族経営の会社みたいな理由だね」

「霊装者は基本祖先に霊装者かその血を持つ人からしか生まれないし、保護と管理の為に出来る限り霊装者には協会に所属してもらってるからね。うち以外にも家族で所属してる人は多いし、苗字より名前や役職で呼ぶ方が効率的なんだ」

「なら…宮空さん…じゃなくて、ええと…綾袮さんでいい?」

「勿論」

「じゃ…綾袮さんが最初から俺の事を名前で呼んでたのは、そういう環境に慣れてるから?」

「そうなるね。正直わたしにとっては人を苗字で呼ぶ方が慣れないかも」

 

一般的に人を名前で呼ぶのは家族や親しい友人の様な間柄か、相手が幼年の場合の時であって、大概の人は年齢が上がるに連れ人を名前で呼ばなくなっていく。でも、もし『大人も子供も名前で呼ぶのが普通』という環境で過ごしてきたなら、その一般的に該当しなくても何もおかしくはない。…こういうとこも一般的と霊装者は違うんだなぁ。

 

「…あ、学校ではどうする?いきなり呼び方変わってたらおにぎりイベントと似た展開になる気がするんだけど…」

「人の名前の呼び方をいちいち気にしてる人はいないだろうし、注目されてない時なら大丈夫だとは思うけど…一先ずは今まで通りでお願い」

「了解。それで、二つ目ってのは?」

「それはね、これから少し動いてもらうけどいい?って事。着いてきて」

 

綾袮さんは部屋の扉を開け、ちょいちょいと俺を手招きする。正直に言えばもうちょいだらーっとしたいところだけど…その動くというのは気になるし、まだちょっとお腹は空いてるけど体力は大方回復している。時間も勿体無いし俺は立って後に続く事にした。

 

「動いてもらうって…体力テストでもするの?」

「惜しいね、テストはテストだけど…計測するのは霊装者としての能力だよ」

「ま、それはそうか……」

 

霊源協会…だったよな?組織の名前は…は教育委員会系列組織ではないだろうから、学生の身体能力測ったってしょうがない筈。……霊装者の能力、かぁ…。

 

「…なんか楽しそうだね」

「そりゃ、俺の能力が分かる訳だからね。いつの時代も男の子ってのは能力を数値化、パラメーター化、ランク化される事に燃えるんだよ」

「あー、それは分かるよ?わたしもそこそこバトル漫画とかゲームとかするし」

「え、そうなの?」

「そりゃ、生まれてこの方何度も何度も現実でバトルしてるんだもん。バトル物に関しては一般女子とは価値観乖離してると思うよわたし」

「…現実でバトルしてるならわざわざ架空のバトルを読んだりやったりする必要はないんじゃ?」

「そんな事はないよ、霊装者のバトルは霊装者のバトルでしかないもん。女神に変身して戦ったり、モンスターを指揮して戦ったりなんて霊装者には出来ないんだよ?」

「あ…全くもってその通りだね、俺が浅はかだったよ」

 

創作系娯楽というのは得てして『自分では拝見、体験出来ないものを擬似的に体験する娯楽』というもの。だから俺にとっては非日常な等しい経験をしてる綾袮さんには興味の持てないもの…と思ったけど、考えてみれば、綾袮さんにとって霊装者としてのバトルは日常であって、自分で体験しまくってる慣れたものに過ぎないんだから、自分とは違うバトルを擬似的に知れる媒体へ興味を持ってもおかしくない。…というかそもそもの話として、一種類のゲームや本で永遠に楽しめる人なんてほぼいないんだから、俺は前提からして間違ってたとも言えるか…。

 

「分かったのなら宜しい。さて、着いたよ」

 

暫く歩いた後、俺と綾袮さんは部屋へと入る。そこは大きなモニターと自販機のある、広めの待合室の様だった。

 

「ここでテスト…じゃ、ないよね?」

「違うよ、テストを行うのはそっちの扉をくぐった先の場所。さっきここ来るって連絡したから、準備が出来次第扉は開くんじゃないかな」

「そう…さっき程じゃないけど、これも緊張するなぁ…」

「テストって言っても一回目はただの検査みたいなものだし、アナウンスの通りにやればいいだけだよ。それに、どうしても結果が不満なら再テストもしてもらえるし」

「それはそれで申し訳ない気がする」

「えぇー……じゃあ一発で満足いく結果出そうよ、丁度準備出来たみたいだから」

 

我ながら面倒臭い返ししたなぁ…と思っていたところで扉が開く。見た所隣が直接テストルームになってる訳じゃなくて、廊下が間にある様子。…いや別に廊下があろうがなかろうがどっちでもいいんだけどね。

そんな事を考えながら廊下を進む俺。さて、それじゃあテスト…頑張りますか。

 

 

 

 

手にした剣に、霊力を流し込む。手の平から伸びた血管が剣にも行き渡り、そこへ血液が流れる感じやら、身体から発せられた電流が剣の先にまで通電する感じやら幾つかのイメージパターンがアナウンスから教えられたけど、教えられたからと言ってすぐに出来る訳じゃない。…というか、現状霊力が剣に流れてるのかどうかすらよく分からない。

 

(むむ…試しに振ってみる?でも流れてなかったら恥ずいよなぁ…)

 

目の前にあるのは居合い斬りなんかで使われる藁の的。既に検査はある程度進んでいて、今は武器への霊力付加検査となっている。その前に行った、身体への霊力付加はまだ何とか出来たけど…ここで俺は躓きかけていた。

一応制限時間は無いし、どうしても無理ならリタイアしてもいい(当然ペナルティーなんかは無し)。…けど、出来るならば全てこなしたい。自分の霊装者としての能力を、詳しく知ってみたい。……となりゃ、もうごちゃごちゃ考えてたって仕方ないね。

 

「…あの、これってイメージは何でもいいんですよね?」

「えぇ、その通りです。計算と同じで、結果さえ正しければ導き方は人それぞれ…それこそ当てずっぽうでも良いというものですよ。…最も、学校の定期テストは決められた方法で解かなければ完全正答とはしてもらえませんけどね」

「はは……」

 

アナウンス担当の人は、俺に気を遣ってくれたのか後半に冗談を混ぜてくれる。こういうのに対して『真面目にやってるんだから冗談混ぜんなや…』と思う人もいるけど、幸いにも俺はそういうのを混ぜてもらえた方がやり易いタイプ。それに好きなイメージで良いとお墨付きをもらったんだから……俺なりのイメージを、試してみようと決める。

横にした剣を肩の高さまで掲げ、目を瞑る。霊力は、粒子の様な、光の帯の様な、そんなイメージ。それを内側から対外へと放出し、周囲に霊力の空間を作り、そこから剣に霊力を纏わせ浸透させていく。それは霊力を付加するというよりも、霊力のみで編まれた剣を作るかの様に。俺は集中する。想像する。イメージを、確固たるものとする。

そして……

 

「……うぉ…っ!」

 

細部までイメージが浮かび、描く才能さえあれば絵に出来そうな位の状態になった瞬間、剣に霊力が流れ込んだ…という実感がどこからか感じられた。目を開けると、そこにある剣は仄かに青の光を帯びている。

思い出せば、綾袮さんの大太刀も青い光を帯びていた。光の翼は、澄んだ青色だった。

 

「……よし…」

 

剣を構え、切っ先を藁の的へと向ける。もし剣にきちんと霊力が流れているのなら、刃じゃなくて腹をぶつけでもしない限りほぼ確実に藁の的は斬れるとアナウンスは言っていた。だったら…斬れる筈ッ!

 

「はぁぁぁぁッ!」

 

振りかぶり、斜めに一閃。剣は青い軌道を後に引きながら藁の的へと駆け抜け……あっさりと、両断した。

 

「…お見事です」

 

聞こえてくる称賛の声。もしそんな事を言われたらクールに謙遜の一つでもしようかと思っていた俺だけど…返答は出来なかった。だって、俺の予想よりずっとあっさり藁が斬れてしまったから。

剣、と言えば斬る武器だけど、そんなほいほいと物が斬れる訳じゃない。西洋剣が斬れるのは皮の鎧や鎖帷子の様な比較的強度が低いものだけでれっきとした鎧に対しては鈍器の様に殴り倒してたとも言われるし、東洋剣(というか刀)は技術のない人間が振るっても碌に斬れ味を発揮出来ないと言われている。なのに、今藁の的は段ボールか何かの様に斬れてしまった。……まぁ、早い話が予想外の結果に驚いてる訳だ。

 

「…ふぅ……」

「お疲れ様です。次の検査に進みますが、大丈夫ですか?」

「あ…はい、分かりました」

 

次なるアナウンスで我に返った俺は、指示に従い剣を壁の投入口的な所へ入れる。すると今度は銃が出てきて、それと同時に次の検査の説明が始まる。

こんな感じで進むテスト。武器に関しては完全に初経験だし、最初の身体強化テストも身体が思いもよらない程動くせいであたふたしたけど…なんとかどれもこなす事が出来た。さっ…残りのテストも頑張るぞ。

 

 

 

 

「お疲れ〜、初めてとしてはよく出来てた方だと思うよ」

「そう言ってくれると嬉しいよ。…ほんとにそう思ってる?」

「本音は『あー、こんなものか…』と思ってたり…」

「おい……」

「なんてね。ほんとによく出来てたと思ってるよ」

 

全ての検査を終え、待合室…ではなく休憩室へと戻った俺に綾袮さんが声をかけてくる。…時間としちゃ一時間も経ってないのに、検査内容が検査内容なだけに結構時間経った様な気がするなぁ…。

 

「…あ、喉乾いてるならそこの自販機使っていいよ。無料だからお金もかからないし」

「それは助かる、あんまり過度な運動した訳でもないのに汗かいちゃったし」

「慣れない事したんだもん、当然だよ」

 

あくまで水分補給用、という事なのかそこまでバリエーション豊富ではない自販機だけど、別段美味しいジュースが飲みたい訳じゃないから問題ない。そもそもスポーツ飲料も美味しいしね。

 

「…結果どうなんだろ……」

「大概どの面も低いと思うよ?だって今の顕人君はまだレベル1〜2位だもん」

「んまぁ、それはそうだろうね…」

 

ちょこちょこ飲料を口に含みながら雑談を交わす俺と綾袮さん。その最中俺が「…ただ待ってるだけでいいの?」と聞こうと思ったところで、休憩室の扉が開く。

 

「やぁ、待たせてしまったかな?」

「ううん、わたしも今来たところー」

「それはよかった。これは随分とタイミングがいい」

「……え?」

 

現れたのは髪を適当に纏めた一人の女性。綾袮さんはともかく、面識がない筈の俺に対してまでフレンドリーに話しかけてきた事にも多少驚いたけど、そんな事よりも……

 

「…ね、ねぇ綾袮さん。今この人普通に返さなかった?突っ込むでも狼狽えるでもなく、ただただ普通に返さなかった…?」

「あはは…うん、普通に返したね…」

「…この人、何者…?」

「えーっと…天然な人なんだよ。すっごく天然な人なんだよ」

「……?」

 

苦笑いしたままそんな事を言う綾袮さん。しかもその間、女性は不思議そうな顔で俺と綾袮さんの会話を聞いている。…おいおい嘘でしょ……?

 

「ある意味凄い人なのかもしれない…」

「ある意味、じゃなくて普通に凄い人だよ博士は。…あ、この人は園咲晶仔さん。うーんと、なんて言ったらいいんだろう…」

「研究と開発しか能のない人間、とでも思ってくれればいいよ。宜しく御道顕人君」

「え……は、はいこちらこそ…」

 

自虐なのかなんなのか分からない言葉と共に宜しく、と言われ狼狽する俺。一応返答は出来たけど…内心は全然反応出来てなかった。緊張こそないものの、もしかすると綾袮さんの家族と話した時より会話難易度高いのかもしれない…勿論変な意味で。

 

「さて、自己紹介も済んだところで本題に戻そうか。顕人君、これが君の検査結果だよ」

「あ…わざわざこちらに来させてしまってすいません…」

「この位構わないよ。ふふ、流石に予言された霊装者なだけあって凄い才能の持ち主だね君は」

「あ、なにか凄い点あったの?」

「あったさ、君も見てみるといい」

「じゃあちょっと見せて〜」

 

園咲さんに渡された書類を読もう…としたところで早速綾袮さんが首を突っ込んでくる。……読めない。背丈の関係で覗き込んでる綾袮さんの頭が邪魔になって全然読めない。

 

「…ねぇ綾袮さん、俺綾袮さんの頭しか見えないんだけど」

「大丈夫、急がなくても書類は逃げたりしないよ」

「いやあのねぇ…ほら、俺座れば二人共見えるでしょ?だから一回退いてくれない?」

「えー…まぁ別にいいけどね」

 

やっと退いてくれた綾袮さんに嘆息しつつ長ソファへ座る俺。勿論綾袮は隣に座り…手持ち無沙汰だったのか、園咲さんも綾袮さんとは逆の側に座る。…結果、左右に女性…しかも美少女(園咲さんは美少女というより美人か)が座るという中々レア且つ嬉しい状況に。

 

「……でもちょっと恥ずいな…」

「恥ずい?」

「や、なんでもない…えーと、付加が実体剣や通常弾頭、収束がビーム武装に関連する項目…なの?」

「その通りだよ、よく分かったね」

「名前から想像しただけです。それに…創作界隈では収束ビーム、なんて言葉があったりもしますしね」

 

渡された書類の内、一つ一つの詳細を載せてある物へ目を通す俺。綾袮さんは詳細には興味がなかったのか、一番上の全体を簡単にまとめた物をちらちらと見ている。

 

「…俺まだこっち読むし、これ見る?」

「あ、うん。というかこうして書類分けるなら、最初から座る必要も無かったかもね」

「それ以前に俺に対しての書類なんだから、読み終わるまで待つのが普通だと思うんですけどね…」

「んもう、大目に見てよそれは。…しかし、凄い才能っていう割には平凡な気が…」

「平凡ゆーな」

「ま、初めての検査と考えれば普通の……あれ…?」

 

突如、素っ頓狂な声を上げる綾袮さん。聞き慣れない声音に興味を惹かれた俺が書類から顔を上げると…綾袮さんは目を擦っていた。

 

「やっぱり、見間違いじゃない…」

「なんか変なところでもあった?」

「う、うん…博士、これ検査ミスだったりしない?」

「私も初めはそう思ったよ。けど、ミスは見受けられなかった。…正真正銘、これが彼の能力さ」

「うっそぉ……」

「…どゆ事?」

「ほらここ、各能力値を一纏めにしてるから分かるでしょ?」

 

綾袮さんは書類を持ち上げ一箇所を指差す。そこを見ると、EやらFやら決して高いとは思えない判定の中に…一つだけ、異彩を放つものがあった。えー、っと……え、S?

 

「……これって、所謂ABC判定ですよね?」

「そうだね」

「…じゃあ、SってもしやT以上R以下って事だったりは……」

「いいや、A以上…最高値としてのSさ」

「…じゃあ、これは…凄い、って事ですか?」

「凄い、なんてものじゃないさ。一流の天才が、努力も経験も十分に積んでやっと可能性が出てくる…そのレベルだよ、Sというのは」

 

園咲さんの言葉を聞いた俺は、ごくりと唾を飲み込む。まず、驚いた。ぺーぺーもいいところな俺が、そこまでの力を有しているという事に驚いた。そして、戸惑った。何故俺がそんな力を有しているんだと、不思議で疑わしくて、でも同時に興奮もしてしまって結果戸惑った。……本当に、そんな力を俺が…?

 

「…綾袮さんからしても、これは凄い?」

「凄いよ。悔しいけど…霊力貯蔵Sはわたし以上だもん」

「マジか…俺ってもしや、才能に恵まれてたり…?」

「正直、そうとしか思えないよ。って言うかもう、凄いを通り越しておかしいの域だし」

「おかしいの域か……てか、俺って一芸特化タイプ?他全部低いし…」

「それはまだ判断出来ないね。努力も勉強もまだ皆無な以上、他の能力もまだまだ上がる可能性は十分にあるのだから」

「じゃあ、いつかは全能力Sという事も…」

「それは流石にないって。あったらもう、ほんとに化け物だよ。わたしは霊源協会全体から見てもトップクラスだけど、それでも現状Sなんてないんだから」

 

しれっと自画自賛している綾袮さんだけど…顔は真面目そのものだった。その顔を見て、俺は再び自身の能力に戸惑いを覚えてしまう。…けど、そこで園咲さんが立ち上がる。

 

「さて、と…すまないけど、私はこの辺でお暇させてもらうよ。まだ到着していない様だけど、今日はもう一人検査しなければならないからね」

「あ、まだ着いてないんだ…わたしより遅いなんて珍しいなぁ」

「ふふ、中々面白い逸材に出会えてよかったよ。それではね」

 

そう言って園咲さんは出ていく。……なんか、ミステリアスって感じの人だったなぁ…天然さえなければ…。

 

「…そっかそっか、顕人君はそんな特殊なタイプだったかぁ……」

「らしい、ね」

「あ、今の結果で傲っちゃ駄目だよ?今の能力…霊能力値っていうのは、あくまで知識や技量を考慮しない純粋なスペックだけの結果なんだから。どんなに性能のいいマシンでも、使い手が下手くそなら約に立たないのと同じ様にね」

「分かってるよ、というか俺が傲るタイプに見える?」

「そう言われると見えないかも」

 

ソファから立ち、園咲さんと同じ様に部屋を出る綾袮さん。当然俺も付いていくと、彼女は下層へと向かっていく。

 

「さって、顕人君今日はお疲れ様」

「あら、今日はもう終わり?」

「うん、やるべき事はしたし今はキリがいいからね」

「そういう事…じゃあ次はいつ?次に俺は何を頑張ればいい?」

 

その内霊装者としての訓練もするんだろうなとか、もしかしたら実戦はすぐなのかもしれないとか、そんな事を考えながらの質問。夢へと一歩踏み入れた俺の声は、更なる歩みへの期待に少しだけど興奮の色が混じっていた。…だからだろうか。綾袮さんは、そんな俺の質問を受け…真剣そうな顔を見せる。

 

「……あのさ顕人君。顕人君は、協会に霊装者として所属するつもり?」

「え?…そう、だけど……」

「なら、それは早計だよ。すぐに決めなきゃいけない話じゃないんだから、顕人君はしっかりと考えるべきだよ」

「綾袮さん……?」

 

 

歩みを止め、俺の方を向く綾袮さん。綾袮さんの真剣そうな顔に、彼女から感じる雰囲気に、俺は少しだけ気圧される。

 

「偶にいるんだよ、面白そうとか刺激的っぽいとかの理由で軽々しく所属を決めちゃう人が。…分かるよね?霊装者の戦いは、遊びじゃないって」

「べ、別に戦いを軽んじてるつもりは…」

「そうだね。顕人君は今日話しただけでも物事を安直に考える人じゃないって分かったし、実際魔物との戦闘も経験してる。…でも、それでもだよ。戦いってのは…文字通り『命懸け』なんだから」

「……っ…!」

 

綾袮さんの瞳に、俺は一瞬言葉を奪われた。その瞳は、言葉は戦場も死もそれこそ一度しか経験した事のない俺でもひしひさと感じる程、重く響くものだった。そして、同時に俺はあの時の恐怖を思い出す。

 

「……綾袮さんは、俺に霊装者として所属してほしくないって事…?」

「そうじゃないよ。戦力が増えるのはありがたいし、なんたって顕人君は予言された霊装者だもん。だから……わたしはただ、答えを安易に出した事を後悔する様な結果にはなってほしくないだけ」

「そっ、か……分かった、時間をかけてしっかり考えてみるよ」

「うん、その方がいいよ」

 

俺がそういうと、綾袮さんはにこりと笑ってくれた。正直、初めは俺の夢を否定された様な思いもあったけど…綾袮さんはただ俺を心配してくれていただけだと知って、ほんの少し心がじんわりとする。……今の綾袮さんの笑顔、可愛かったな…。

 

「…あ、そうそう。多分明日もいつも通り会うだろうから、先に教えておくね」

「教える、って何を?」

「ほら、予言の霊装者って言ったじゃん?あれって実は顕人君だけじゃなくて、もう一人いるんだよね」

 

最下層まで下り、そこから今度は双統殿から出る為のエレベーターに乗ったところでそんな事を言う綾袮さん。予言の霊装者がもう一人いると聞いた俺は、まぁ当然ながら驚く。へぇ、もう一人いた訳か…って事はさっき園咲さんが言ってたもう一人検査、ってのもその事だろうな。にしても明日いつも通りに会うって、一体どういう────

 

「顕人君の仲良い友達に、千嵜悠耶君っているでしょ?もう一人っていうのがその悠耶君なんだよ。それと、その悠耶君に付いたのが、わたしの親友であり霊装者としてのライバル、妃乃なんだよね。…あ、妃乃って時宮妃乃ね」

 

──人間は、驚き過ぎると一周回って逆に平然とした思考をしてしまうもの。だから、俺もそれを聞いた時、こう思ったんだよね。

 

 

 

 

────世間って、案外狭いもんだなぁ…。



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第九話 始まりの日の、翌日

翌日。俺が戦いと再会した日の翌日。家に戻れたのが日が変わる直前で、そこからまた心配してた緋奈をなだめたり普段やってる事を出来る限りこなしてから寝ようとした結果、ちょっと寝不足になってしまった翌日。俺は、色々と複雑な心持ちで登校した。

 

「おはよーござーい…」

 

元気よく挨拶する程の気概はない、でも無言で入るのはそれはそれで嫌という我ながら面倒臭い性格の俺は腑抜けた感じの挨拶で教室へと入る。当然、クラスから反応が返ってきたりはしない。だってほら、俺クラスで浮いてるし。

 

「……おはよ、千嵜」

「……おう」

 

クラスではホバー状態の俺だが、流石に前の席の奴位には反応してもらえる。えーと、こいつの名前は御道…御道なんとか……あ、これ昨日もやったな。じゃあ止めるか、今日はメンタル複雑だし。

 

「…なぁ、御道」

「ん…?」

「……呼んだだけだ」

「小学生かお前は…」

「バカップルの真似かもしれないぞ…?」

「止めい…お前とバカップルにはなりとうないわ…」

 

暇潰しには最適な漫才風馬鹿話も、今日はお互いイマイチ乗らない。俺だけならともかく、御道の方も少し白々しいって事は…やっぱ時宮の言った通りって事か。

と、そこで俺はその時宮と同じく霊装者らしい宮空の事が気になり、視線を女子の集まりの一つへと向ける。

 

「……でね、そのケーキ屋さんに週末行ってみようと思うんだー」

「…綾袮、貴女確か前に『今週末は用事あるんだよね、はぁ…』って嘆いてなかった?」

「あ、そうだった…ありがと妃乃!おかげで思い出せたよ」

「はぁ、自分の予定位覚えてなさいよ…」

「ふふっ、綾袮ちゃんはほんとうっかりさんだね」

「で、時宮は宮空の分までちゃんと覚えてると…ほんと仲良いわねぇ」

 

朝から賑やかな集団の中で、中心に立つ(物理的には椅子に座ってる訳だが)二人の霊装者。…こうして見るとただの人気な少女二人にしか見えねぇけど、あの二人も霊装者なんだよなぁ…しかも、名家の実力者らしいし。

 

「…綾袮さんと時宮さん見てんの?」

「まぁ、な…1クラスに四人もいる存在は、特別と言えるのかねぇ…」

「世の中偏りはあるものだから…気持ちは分かるけど…」

 

二人で女の子見ながらぼけーっと話す俺達。なんか今、しれっとお互いの事を確信出来るやり取りだった気がするな。普通もう少しシリアスな感じで話すもんだろう…って、ん?

 

「…御道、お前今宮空の事名前で呼んでたか?」

「え?……あ、まぁ…」

「お前は基本女子に対しては苗字で呼んでたよな……へぇ…」

「へぇってなんだへぇって、綾袮さんに名前で呼んでほしいって言われたからそうしてるだけだよ。…あーでも学校では宮空さんって言わないと…意外と切り替え忘れ易いな…」

「ま、そんなこったろうとは思ってたよ。名前で云々ってのも、分かり易くする為だろ?……となると、どうして俺は時宮にそういう事を言われてないんだ…?」

「名前で呼んでほしくないんじゃね?」

「ほんとにそうかもしれないんだから言うなよ……」

 

割と失礼というかデリカシーのない発言をちょいちょいしてしまった覚えのある俺としては、名前を呼ばれたくないからという可能性を否定しきれない。だからって接し方を全面改善する気はないし、どうしても名前で呼びたいって訳じゃないからいいんだけどな。…いやほんとだって、俺も性欲はあるっちゃあるが、そこまでガツガツはしてないって。

 

「…俺はその内時宮さんにも妃乃って呼んでほしいって言われるのかなぁ」

「接する機会が増えたら言われるだろうな。お前は俺と違って人当たりいいし」

「お前ももう少し気さくなイメージ前に出せばいいのに…」

「いいんだよ、俺は一部の人に『実はそこまで悪い奴じゃない』って思われりゃそれで十分だ」

「謙虚なのか卑屈なのか分からない発言だな…」

 

なんて事を言ってる内にチャイムが鳴り、それとほぼ同時に担任がクラスへと入ってくる。立ち話をしていた生徒は席に戻り、荷物を片付け終わってない生徒は(あ、やべっ…俺も片付けてなかった…)急いで片付け、朝のホームルームが開始される。色々と思うところはあった朝は、こんな感じだった。…なんつーか、流れだけなら結局いつもとあんま変わらなかったな……。

 

 

 

 

「ねみぃ……」

 

俺以外の霊装者三人の様な、積極的に発言をしようとする奴にとってはそこそこ楽しく、俺の様にただ淡々と黒板とノート、それに窓の向こうや時計と睨めっこしてばかりの奴にとっては退屈な授業も終わり、今や放課後。部活に行ったり下校したりするクラスメイトが多い中、俺は寝不足からくる眠気と対話している。…授業中のシーン?それ描写してほしい層いるのか?いるならまぁ、言ってくれれば次からは気を付けよう。

 

「…何?昨日と同じ流れしたいの?」

「流れ…?」

 

机に突っ伏していた顔を上げると、そこにいたのは御道。…なにか半眼だった。

 

「昨日も放課後寝てたって事。連日起こすとか俺幼馴染ヒロインじゃないから御免だよ?」

「あー、そういう事か…寝ないから安心しろ。これはアレだ、机からスリーカウント取ろうとしてたんだ」

「机は使うものであってマウント取るものじゃないだろ…お前今日時間空いてる?」

「…と、言うと?」

 

空いているかどうかで言えば空いているが…俺はすぐには答えない。御道は理由を言わず先に許可だけ取ろうとする様な奴じゃないが…安易に許可して後悔するのも嫌だしな。

 

「さっき宮空さんに言われたんだよ、話があるから時間とってほしいって。暇なら今すぐにするし、用事があるなら後日でいいってさ。どうする?」

「どう、ねぇ…お前はどうなんだよ?」

「俺は今日で構わないと思ってるよ、今日なら生徒会も無いし」

「ふぅん…ならそうするか。緋奈がまた心配しそうだから、あまり長居は出来ねぇけどな」

「はいよ、んじゃ伝えてくるから荷物まとめてて」

 

律儀に伝令役を自ら行う御道。御道が伝えに行っている間に荷物を鞄に突っ込んでいると、丁度鞄を締め終わったところでまた御道が戻ってくる。

 

「了解だってさ。ほら行くよー」

「行くって…どこに?」

「近くの店、具体的にどこにするかは外出てから決めるってさ」

「あそう」

 

昨日みたいに双統殿には行かないのか…と思いつつ俺は立ち、クラスを出た時宮と宮空を御道と共に追う。

そうして数分後……

 

「なんかこうして男女二人ずつで歩いてると、青春部活系作品のワンシーンみたいだよね」

「あー、確かに。夕方になってれば尚それっぽいけど…」

「夕方まで待つならその間に話が済むわね」

 

普段通りの雰囲気で話している三人。しょっちゅう一緒にいるトンデモ美少女コンビは当然の事として、御道も御道で普段から社交的、しかもそこそこ女子とも話す事もあって、二人の雰囲気に上手く順応している。それに対して俺は……

 

(…ここまで蚊帳の外感があるのは初めてだ……)

 

完全にあぶれていた。まるで話には入れずにいた。普段ならこっちから距離とっちまってるから蚊帳の外である事感じる事は無かったが、今回は距離とる訳にもいかないから辛い!…なんか、今の俺は日常パート(特に学校内)ではまぁまぁ出番があるけど、メインストーリーには殆ど絡まない主人公の男友達キャラっぽくなってる気がする……。

 

「で、結局どこにする?妃乃の意見はいいとして「いや聞きなさいよ」顕人君、なにかある?「ちょっ、無視?無視なの?」」

「あー…ええと、時宮さん…」

「…気遣いは無用よ…」

「そ、そう…つっても俺もどこがいいって事はないし…千嵜は?」

「え、俺……?」

 

なんか時宮と宮空の間柄がよく分かる会話だなぁ…なんて思いながら聞いていたら、突然御道が俺に話を振ってきた。……はぁ?…と一瞬思ったが、よく見ると御道は俺を気遣う様な目をしている。お前…時宮に気を遣ったり俺に気を遣ったり大変だな……。

 

「そうだなぁ…無難にファミレスとかジャンクフード店とかでいいんじゃね?定食屋や居酒屋じゃがっつり頼む感じになるし」

「居酒屋って…私達全員未成年なのにわざわざ居酒屋行く訳ないでしょ…」

「いや俺精神は十分大人だから」

「身体はしっかり高二でしょうが」

『 ? 』

 

俺の正体について知らない二人がきょとんとする中、俺と時宮は些かツンツンとしたやり取りを交わす。…そういや、時宮って人付き合い悪い俺にも変な距離とったりしないんだよな。流石宗元さんの孫娘。

 

「ま、そういう事で俺はファミレスやらジャンクフード店やらを推す。ま、別に他の所でもいいけどな」

「だってさ。俺は喫茶店なんかも考えたけど…なんかちょっと洒落過ぎだね、喫茶店はいいや」

「…じゃ、ここは一つジャンクフード店にしましょうか」

「うーん?ねぇねぇ妃乃、どうしてファミレスじゃなくてジャンクフード店なの?」

「べ、別にいいでしょ。あれよ、丁度あそこにあるからってだけよ」

 

ちょっと動揺した様子の時宮と、何か分かってる様子の宮空。今度はこの二人しか分からないやり取りで、俺と御道が頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。

…まぁそれはともかく、宮空の方も別段ジャンクフード店が嫌だった訳でもないらしく、行き先はその近くにあったジャンク店…ってこれじゃ意味変わるじゃねぇか、略しミスったな…ジャンクフード店に決定。ぱっぱと行って、時間が時間だから各々軽く注文して、席取って……あー、まぁ要は十数分後だ。

 

「さて、それじゃ早速本題に入りましょ」

 

委員長っぽいキャラクターに違わず(実際は委員長じゃないが)場を仕切る時宮。それを俺達はそれぞれポテト摘むなりシェイク飲むなりしながら聞く。

 

「取り敢えず、貴方達二人は昨日それぞれのトップに挨拶して、検査もした。そこはいいかしら?」

「いいぞ」

「俺も。…ん?トップ?」

「えぇ、そうだけど?……綾袮、ちゃんと私と派閥の事も話したのよね?」

「…あ、ごめん。妃乃も霊装者って事は言ったけど、立場までは言ってなかった…」

「しっかりしなさいよ…いいわ、私が自分で言うから」

 

どうやら宮空はキャラ通りちょっと抜けてるところがあるらしい(俺はさらっとだが衝撃の発言の後聞いた)。…なんでこの二人は仲良いんだろうな、分かり易い凸凹コンビなのに。

 

「…と、いう事よ。分かってくれたかしら?」

「うん、時宮さんはふざけず真面目に説明してくれたから分かり易かったよ」

「うっ……」

「貴方こそ変に茶化したり余計な事言ったりしなかったから、私も説明し易かったわ」

「ぐっ……」

 

遠回しな棘を感じる御道と時宮の言葉にまず宮空が、続いて俺がダメージを受ける。ど、どっちも突っ込みタイプだからって気が合ってやがるな…。

 

「…俺達は小粋なジョークを提供しただけだと言うのに……」

「わたし達のささやかな潤いを感じてくれないなんて…」

『その結果(俺・私)が得たのは疲労なんですけどねぇ…?』

『ちぇー…』

 

それぞれで皮肉たっぷりの返答を行い、それぞれで不満を口にする。…時宮と宮空は担当をそれぞれ間違えたんじゃないだろうか。御道と時宮じゃ淡々と話すだけになりそうだし、俺と宮空じゃ収集がつかなくなりそうではあるが。

 

「ま、それはさておき改めて…貴方達は昨日検査を行った。それはつまり、霊装者の卵からひよこになったって事よ。……ひよこと言うには両方特殊過ぎるけど…」

「んぁ?俺はともかく…御道もなのか?」

「そうよ、経歴的には圧倒的に悠弥の方が特殊だけど、能力的にはね」

「へぇ……マジなの?」

「何故そんな『あり得ね〜』的な顔しつつ言う…いや俺も最初信じられなかったが……」

 

昨日聞いた時もそうだったが、高校からの友人である御道は『普通の人間』という印象が強過ぎでどうにも「あー、そうなのか」とはならない。…信用してない訳じゃないが、どうしても…って事、稀にあるよな。

 

「…で、そういう事だから気を付けなさい。一度霊装者となれば、それだけで段階が一つ変わる様なものだから」

「段階…?」

「魔物の見る目、って言った方がいいんじゃない?別にこっちサイドで扱いが変わったりする訳じゃないし」

「それもそうね…綾袮の言う通り見る目が変わるわ。具体的に言えば、強い魔物に狙われ易くなるって事よ」

「普通の人より潜在能力者、潜在能力者より霊装者の方が質量共に霊力がいい場合が多いからな」

「そういう事か……って、千嵜知ってたの…?」

「あー…ま、一応俺は色々知ってんだよ。色々あってな」

 

過去の事は出来る限り話したくない…訳ではないが、安売りしたい訳でもなく、それで変な気遣いされるのも嫌だという事で俺は理由をぼかす。すると御道も「…そか」とそれだけ返して終わらせる。……ほんと、いい奴だな。

 

「…ん?でも気を付けるったってどうすれば…?」

「感覚的に何か不味そうだなぁ、胸騒ぎするなぁ…って方には近付かない様にするといいよ。一応わたし達二人も出来る範囲で君達の安全確保するからさ」

「それは助かるけど…感覚に頼るで大丈夫なの?」

「感覚は感覚でも、霊装者としての感覚よ。検査項目に探知ってあったでしょ?あれよあれ」

「あ、そういう…」

 

霊力探知は文字通り霊力を感じ取る能力。それは魔物に対しても有効で、才能に乏しくても何となく近くにいれば感じ取る事が出来る。とはいえ対象との距離や正確な方向、種類や数等はきちんと鍛えなければ分からないから、実戦て使うには乏しいままじゃ困る能力…って俺は誰に説明してんだろうか…。

そんなこんなで話は一区切り。続いてこういう事は口外するなだの、間違っても力を使って犯罪なんて犯すなだのと割と当たり前な…でも確かに釘を刺しておく必要はある感じの話が進み、数十分したところで一区切り。仕切りをしていた時宮も少し疲れたのか休憩を入れる。

 

「…まぁ、ここまで言っておいてアレだけど、本格的な事は正式に所属してから話す事になるわ。話過ぎて判断に悪影響及ぼしちゃ不味いし」

「そうそう。あ、顕人君ちゃんと考えた?」

「え、もう答え出さなきゃ?」

「ううん、ちゃんと考えてるのかなーって質問だよ」

 

時宮が気を抜いた為か、雰囲気も全体的に緩いものとなり、会話も説明から雑談へと移行。談笑混じりに話を続ける中、俺は思う。……正式に所属してから話す、か…。

 

「一度所属したら抜けるのは難しいからね。組織としては軍に近い扱いだから」

「軍…突然物騒になったね…」

「そりゃ霊装者の歴史は戦いの歴史だからね。魔物相手は勿論、時には霊装者同士で戦う事もあるし、第二次世界大戦の時は霊装者も戦争してたんだよ?あくまでそれも霊装者同士だけど」

「マジっすか……」

「だから、もしかしたらそういう事もあり得る…って考えて決めてね。まあ、大戦レベルは数百年から数千年に一度だから、わたし達の生きてる内に起きる可能性は低いけどね」

「綾袮、それフラグになるから止めなさい……悠弥、貴方もちゃんと考えなさいよ?貴方の場合、実情知ってるから判断ミスなんてしないと思うけど」

「あー……」

 

何も知らない(知らなくて当然だが)御道とゆるゆるながらもしっかりと伝える宮空の会話を、何とも言えない気持ちで聞いていたところで、時宮が俺に声をかけた。

……これは、丁度いい機会だ。俺は多分世間一般で言えば遠慮したり相手に引け目を感じたりをあまりしないタイプだが、それでもそういう事が全くない訳じゃない。だから少し躊躇っていたが……話を振ってくれたなら、丁度良い。

 

「…その事なんだが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────悪ぃ、俺は所属しない事にするよ」

 

俺は、その世界に背を向ける事を、選んだ。



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第十話 背を向ける者、疑問無き者

────俺は所属しない。千嵜はそう言った。

綾袮さんと時宮さんに連れられて行ったファーストフード店での、今後の事の説明と会話。それが一段落して、説明が雑談へと変わって、俺も俺で『やっぱ霊装者同士でも戦うのか…人の敵はやはり人なのか…』なんてちょっとニヒルな思考をしていた、そんな瞬間の千嵜の発言。それはあまりにも唐突で、しかも衝撃的だったから…俺達は、一瞬言葉を失ってしまった。

 

「……ま、待ちなさいよ…どういう事よ、それ…」

 

まず、言葉を失った状態から立ち直って反応したのは時宮さん。それに対し千嵜は、頬をかきながら言葉を返す。

 

「…どうも何も、言った通りだよ」

「それじゃ分からないから聞いてんのよ…」

「…まさかお前…所属しない、ってどういう意味か分からないのか…?」

「な訳ないでしょ!理由を聞いてんのよ理由を!」

 

どこか誤魔化す様なふざけ方をした千嵜の態度と言葉がカチンときたのか、時宮さんは怒りを露わにする様にテーブルを叩く。……その気持ちは分からないでもないけど、そんな事をすれば当然……

 

「ちょ、ちょっと妃乃、ここお店お店…!」

「あ……す、すいません…」

 

なんだなんだ、と俺達の方を見る他のお客さんに、時宮さんは少し顔を赤くしながら軽く頭を下げる。…実際あるんだ、こんな場面……。

 

「…何やってんだよ、時宮…」

「誰のせいだと思ってんのよ…!」

「俺のせいだとしても、そこまで怒らんでも──」

「……千嵜」

 

千嵜の言葉を遮る形で、俺は口を開く。普段からよくふざけたり俺を弄ったりする千嵜だけど…今の千嵜のそれは、普段とは違う。普段はなんだかんだ面白いと思えるのが千嵜の冗談だが、今はそれを感じられない。

 

「…俺は、霊装者に関しては完全な素人で、お前の事…お前の抱えてるものも、全く知らないよ。けど…これは重要な話なんだろ?時宮さんは、その事を両方知ってて、その上でお前に真剣に聞いてるんだろ?……なら、ちゃんと答えるのが筋でしょ」

「……そりゃ、俺への説教か?」

「友人への注意。それ以上でもそれ以下でもない」

「…そっか…そうだな。悪い時宮、俺の勝手な都合で失礼な言い方しちまったよ、反省する」

「…いいわよ別に、ちゃんと話してくれるなら」

 

俺の言葉が届いたのか、それとも千嵜自身あまり良い言い方ではないと思っていたのか、千嵜は俺の言葉を受けて時宮さんに謝罪する。謝罪して…言われた通り、話を始める。

 

「…話すったって、別に複雑な事じゃねぇよ。ただ、俺は緋奈を…緋奈との生活を、普通の生活を続けたいだけだ」

「……それが、貴方が今この時代にいる理由だから?」

「…ああ。俺は、前の俺の両親の顔を覚えてねぇ。名前も性格も分からねぇし、兄弟や姉妹に至ってはいたのかすら分からねぇ。その分宗元さんが、先輩達が俺を気遣ってくれて、仲間として認めてくれたから、俺は前の俺の人生を不幸な事しかなかった…なんて事を言うつもりはねぇけどよ、それでも家族ってのは大事なんだよ。そして、今の俺も両親がいない。ちゃんと覚えているけど…それでも、死んじまって今はもう、緋奈しかいねぇ。……だから、緋奈との生活まで手放す事だけは、絶対に嫌なんだよ…」

 

席に深く座り込み、遠い目で千嵜はそう語った。前の俺、だとか宗元さん、だとかそれまで千嵜から聞いた事も無かった言葉がポンポン出てくる話ではあったけど……それが、千嵜にとって心からの、真摯な言葉だという事はすぐに分かった。

それまで千嵜が意図的に避けていた、俺も気にして触れない様にしていた部分。それを知る事になったのは、幸か不幸か……少なくとも、俺はまだそれを判断出来る様な段階には至れていない。

 

「…そういう事ね。分かったわ、少なくとも理解はした」

「なら助かる」

「でも、まだ納得は出来てないわ。…今の生活を手放したくないなら、尚更協会に所属するべきじゃないかしら?もしまた襲われた時、貴方はどうする気よ?」

「そりゃ…逃げるしかないな」

「でしょ?だったら自衛する位の力を持つべきよ。残った家族との生活だって、死んだら続けられないのよ?もっと言えば、悠弥が死んだら緋奈ちゃんは独りぼっちになっちゃうのよ?それでもいいの?」

「……だよな、その通りだ。俺もそう思う」

 

食い下がる形で質問する時宮さんに、千嵜は反論…と思いきや、同意した。…けど、そこから千嵜は続ける。

 

「…けどよ、所属しちまったら今まで通りの生活は送れないだろ?どこまで変わるから分からねぇけど、変化がある事は確実だろ。……俺はそれが嫌だ。永遠に今な生活が出来る保証はねぇけど、一日でも長く今の生活を続けたい。…結局は俺の我が儘だよ。緋奈の為ってのもあるけど…それをひっくるめて、俺の我が儘だ。だから時宮が納得する必要はねぇよ、我が儘なんだからよ」

「……考え直す余地は?」

「ないね」

「……そう。だったら仕方ないわね」

 

軽く前髪をかき上げ、諦めた様な声音で言う時宮さん。千嵜の言葉は彼が言う通り我が儘でしかないけど…だからこそ、どうしようもない。このまま襲われなければ…という楽観視を前提とした考えと分かった上で言ってるのなら、二人の主張は平行線でしかないのだから。

 

「…でも、もう一度だけ考えてみて頂戴。自分の為に、緋奈ちゃんの為に」

「…それでも、変わらないと思うぜ?」

「だとしてもよ。次に聞くのを最後にするって約束するわ。だから、考えてみて」

「……あいよ」

 

こうして、千嵜と時宮さんのやり取りは終わった。…綾袮さんと俺(俺視点なのに…)はほぼ蚊帳の外だったけど、まぁそれは仕方ない。俺は無知だし、茶々入れる様な奴でもないしね。

千嵜に対する説明は完全に終了。俺の方も大方終わっていたという事で十数分には解散し、帰るのが遅くなるのは避けたい千嵜と、何かを買いたいらしい時宮さんは先に帰る事で残ったのは俺と宮空さんの二人に。

 

「全く、別に隠さなくちゃいけない様な趣味嗜好じゃないんだから普通に買えばいいのに…?」

「……?なにが?」

「んーん、こっちの話。顕人君はまだ帰らなくても大丈夫なの?」

「もう数十分位はね」

「そっか。じゃ、わたしももう少しいようかな。帰っても別に何かする訳じゃないし」

「……今日課題出たよね?」

「妃乃に写させてもらうから大丈夫!」

「えぇー……」

 

課題は自分でやるべきもの、だって自分の為にあるのだから。……というのは分かってるけど、分かってたって課題が面倒だという感覚は変わらないし、実際俺も時々解答を見たり授業前に慌ててやったりはするから綾袮さんを責めるつもりはない。更に言えば、俺と同じ様な人(そこそこ課題にズルをしてしまっている人)もそれなりにはいるんじゃないかと思う。……けど、だからってそんな自信満々に写させてもらうというスタンスはどうなの…。

 

「まぁいいや……あのさ綾袮さん、一つ聞いていい?」

「なにかな?」

「…綾袮さんは、どういう考えの元協会に所属する事にしたの?」

「あ、そういう質問ね。うーん……」

 

俺自身の所属したいという思い。どちらにするかにせよよく考えるべきだと言う、綾袮さんと時宮さんの言葉。今の生活を続けたいという千嵜の意思。そういうのを引っくるめて考えて、俺は所属してる人はどんな考えで所属してるのかと聞いてみたくなった。それは俺の決断を推し進める為のものでもあるし…単純な興味、という部分もある。

そういう思いで聞いた俺。それを受けた綾袮さんは、腕を組んで考えた後、少し苦笑いしながら口を開く。

 

「……わたしの場合、所属する事が半ば決定付けられてたからなぁ…」

「え……?…あ、そっか…」

 

苦笑混じりのその言葉に俺は一瞬戸惑って…すぐに、気付く。そうだ、綾袮さんは協会のトップの家系の人間。そんな綾袮さんが一般人と同じ経緯で所属する訳がないし、もっと言えば予め所属する事が決められていた様な存在。言ってしまえば、俺の質問は完全に愚問だった。

 

「…ごめん、しょうもない事言っちゃって」

「気にしなくていいよ、別に話したくない事じゃないし。…わたしの場合、選択肢はあってない様なものだったんだよね」

「無言の圧力…ってやつ?」

「ううん、そうじゃなくて所属しないって選択肢がある事自体思い付かなかったんだよ。私の周りにいたのは霊装者と、その協力者しかいなかったからね。意味は分かるでしょ?」

「あぁ…うん、分かる」

 

選択肢、というのは選ぶ前に『常識』というバイアスがかかる。それこそ分かり易い例を挙げれば、俺には今『綾袮さんを引っ叩く』という選択肢がある。更に言えば、これを読んで下さってる皆様には『画面を殴り割る』という選択肢もある。けど、それを思い付いた人は一体どれだけいるだろうか?勿論そんな事をしても何の得もないから選ぶ訳はないけど…それ以前に、非常識的過ぎてまず浮かばないと思う。綾袮さん…霊装者という集団の中心部にいる彼女にとっては、引っ叩いたり殴り割ったりと同じ位頭に思い浮かばない選択肢だった。そういう事なのだろう。

 

「思い付かなかったし、ちっちゃい頃から霊装者としての勉強をしてきたから、わたしにとっては考えも何もないんだよね。…というか、わたしは顕人君とは逆に普通の生活ってやつを殆ど知らなかったから、後悔って言われても…って話だし」

「…それは、いい事なのかな」

「どうなんだろうね。でも、わたしは今の人生を不幸だとは思ってないよ」

 

軽く笑いを浮かべて綾袮さんは言う。その言葉に、笑みに嘘は感じられない。不幸だとは思ってない、か……今の俺も、自分の人生を不幸だとは思ってないんだよな。ただ、より多くを望んでいるだけで、今が嫌だと言う訳じゃない。……なんて、それっぽい事思ってみたりして。

 

「…ごめんね、あんまり参考にならなそうな話で」

「謝らなくていいよ、それが綾袮さんの経緯なんだから。それに、無駄な話ではなかったからさ」

「そう?なら良かったかな」

「そうそう。…じゃ、そろそろ帰ろうかね」

 

くしゃり、とポテトの紙箱を畳んで立つ。綾袮さんももう残る理由もないからと立ち、ゴミを捨てて二人で店の外へ。……って、は…ッ!そう言えばこの状況って……

 

(で、デートのワンシーンみたいじゃないか…!)

 

千嵜と時宮さんがいた時は男女で2:2だったから、お店に入る前にも言った通り部活物のワンシーンっぽかったけど…こうなると(二人でお店で駄弁ったり一緒に帰ろうとしたりすると)、途端にデートっぽくなってしまう。…やっべ、意識したら途端にドキドキしてきた……。

 

「うーん?顕人君どうかした?」

「な、何でもないっす…」

 

ひょこり、と俺の顔を見上げる綾袮さんに、俺は目を合わせられない。いや、だって…ねぇ?やましい事考えてる訳じゃないですよ?でも俺だって男の子ですから。10代の男ですから。だからそういう展開になると……

 

「あー、分かった。デートみたいって思ってるでしょー」

「なんでこういう時に限ってそんな察しいいのかなぁ!?」

 

悪戯っ子の様な笑みで百点満点の回答をぶち込んでくる綾袮さんに、俺は最早軽く悲鳴と化した突っ込みを返す。いや君違うよね!?察しよくない類いの人間だよねぇ!?

 

「ふっふーん、わたしの実力を見誤ったね!」

「これまでの交流じゃ誰も予測出来んわ!サイコメトラーか!」

「サイコメトラー・綾袮。…微妙かなぁ……」

「何が!?二つ名としてって事!?知らんわ!」

「まぁまぁ落ち着いてよ顕人君、ここで騒いだら営業妨害になりかねないよ?」

「うっ……」

 

確かに今俺達がいるのは店の真ん前。そんな所で叫びまくってたら店員さんがいい顔をする筈がない。くっ、まさか時宮さんのミスを目の前で見ておきながら同じ轍を踏むとは…不覚……!

 

「いやー、顕人君は日が変わってもキャラ変わらないね」

「一日二日でキャラが変わる訳ないでしょ…はぁ、酷い目に遭った……」

「わたしに当てられたのはともかく、思ってた事自体は自爆でしょ?」

 

項垂れながら歩き出す俺と、面白そうにしている綾袮さん。悲しいかな、突っ込み気質の俺とボケ気質の綾袮さんだと綾袮さんの方がずっと有利な立場だった。…しかしほんとによく分かったなぁ、綾袮さんは…。

 

「サイコメトラー云々は冗談として、綾袮さんって実は察しよかったりする人なの?」

「ううん、まぁ今のは偶然だと思ってよ」

「偶然…完全ノーヒントで当てられるものかなぁ…」

「そんなものだって、さーて帰ろ帰ろ〜」

 

小走りで少し俺から離れていく綾袮さんの背を見ながら、俺は考える。どうしても解明させなきゃ不味い事じゃないけど…なんというか、このままでは悔しい。でも実際察したとしか思えないし、こんなの考えて分かる様な事じゃ……──あ。

 

「…もしかして、綾袮さんも同じ事考えた?」

「……ッ!?」

 

ビクンッ、と分かり易く肩を震わせ立ち止まる綾袮さん。その反応を見た俺は確信し…ちょっと嗜虐心が掻き立てられる。

 

「へぇー…ほうほう、そういう事ですか…」

「な、なんの事カナ-?」

「あら、なんの事か分からないと?では言ってあげましょう。綾袮さんが察せたのは、綾袮さんが俺とデー……」

「なんの事か分かりました!もう綺麗さっぱり分かりました!いやーもう分かりまくり!」

「綺麗さっぱりはむしろ忘れた時に言うべきな気が…まぁ、分かった様でなりよりなにより」

 

にまにましながら綾袮さんに近付くと、声音通り彼女はテンパった様な表情を浮かべていた。……普通に可愛い。

 

「うぅ……顕人君の意地悪…」

「先にからかっておいてそれ言う?」

「からかわれても仕返ししないのが紳士でしょう…」

「人を意味もなくからかったりしないのか淑女でしょう?」

「わ、わたし淑女じゃないし…」

「そうだねー、ちょっと二人きりになっただけなのに色々考えちゃうだけの女の子だもんねー」

「聞こえない!わたしはそんな言葉は一切聞こえないんだからねっ!」

 

両耳を塞いでいやいやと首を振る綾袮さんが可愛らしくてついその後も暫く弄りを続ける俺。完全に自分の事を棚に上げてるし、そこ指摘されりゃお互い様って事で話が終わるけど…こういう方向で弄られる事への耐性は無かったのか、そんな事にも気付かない程綾袮さんはわたわたしていた。完全に目の、心の保養。ご馳走様です。

そうして数分後……

 

「やー、いい経験したなぁ」

「うぅぅ…顕人君のサドな部分をぶつけられた…」

「自業自得だよ自業自得」

「むむむ…お、覚えててよねっ!」

「綾袮さんのテンパり顔を?」

「この仕打ちをだよ!馬鹿ッ!」

「ぐへぇっ…!?」

 

嗜虐心冷めやらぬまま、もう一度弄ってやろうと思って言ったら……どすん!と綾袮さんの右腕から放たれた拳が鳩尾に直撃。多分霊装者としての力は使ってないんだろうけど…それでも無防備な鳩尾に運動神経の良い女子の右ボディーが炸裂すれば痛くない訳がない。俺はくの字に曲がった後お腹を押さえてふらふら、綾袮さんは謝る様子もなくふんとそっぽを向いていた。…ひ、引き際を見誤ったか……。

 

「言っとくけどこれは正当防衛だからね!」

「そ、そんな馬鹿な……」

「もっかい殴られたい?」

「ど、恫喝じゃないかそれは……でも俺にも非があるから納得します…」

「宜しい」

 

完全に俺は暴力に屈してしまいました。…いや非があるって思ってるのは本当だけど。言い過ぎたかなーって気もしたけど。…女子に殴られるとはなぁ……。

 

「…ほんと、ちゃんと考えなよ?」

「…所属の事?」

「所属の事。実戦で攻撃受けたらこの程度じゃ済まないし…もしも大怪我したら、こうして駄弁る事だって出来なくなるんだから。いいね?」

「…ちゃんと考えるよ、気遣いありがと」

「いーのいーの、仲良くなれそうなクラスメイトが不幸になるのは見たくないだけだもん」

「なら尚更ありがと、そこまで言われたら軽率な判断は出来ないね。…そもそもする気もないけど、さ」

「それがいいよ。じゃね、顕人君」

 

ばいばい、と手を振って去る綾袮さん。その頃には俺も鳩尾の痛みが引き、綾袮さんの後を追う形で(方向は違うけど)家へと向かう。……さて、今日は久し振りに父さん母さんと学校の話でもするかな。



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第十一話 その選択は、大切なものの為に

「緋奈ー、帰ったぞー」

「お兄ちゃんお帰り〜」

 

御道達より一足先に店を出てから十数分後、千嵜家の敷居を跨ぐ俺とわざわざ玄関まで出てきた緋奈が、挨拶を交わす。今の千嵜家の日課とも言えるそのやり取りは、今日も遺憾無く遂行された。…俺が失いたくない、普通の生活の1ページが、今日もまた刻まれる。

 

「今日は遅くないね、よしよし」

「お兄ちゃんは毎日帰りが遅くなる悪い子じゃないからなー。緋奈も今帰ったところか?」

「そんなところ、帰りに買い物してきたからね」

 

と、俺が質問をしたのは緋奈が私服ではなく学校の制服を着ていたから。お袋の洗濯の都合で制服は帰ったらすぐ着替えてくれ、と言われていた俺達は今もそれを守っている。…と言うと何か特別な思いがあるみたいになるが、ぶっちゃけ帰ったら着替えるのが習慣化したから続けてるだけなんだけどな。少なくとも俺は。

 

「買い物…おいまさか彼氏にあげる為の何かじゃないだろうな…?」

「え?まぁ…彼氏というか、男の人にあげる物は買ってきたね」

「はぁ!?お、俺は許さんからな!何処の馬の骨とも分からん野郎に緋奈はやらん!」

「お兄ちゃん…そんなにわたしの事を…」

「当たり前だ…緋奈は俺の大切な妹だからな…」

「お兄ちゃん……」

「緋奈……」

 

 

「…で、実際何買ってきたんだ?」

「お茶碗。お兄ちゃんのやつ、底にヒビ入ったまま放置してたでしょ?」

「そういや買うの忘れてた…助かるよ緋奈」

 

暫しそれっぽい空気を楽しんだ後、普通に会話を続ける俺と緋奈。いやほら、普通の兄妹はこんな禁忌っぽい事は冗談でもしないんだろうけど…両親が他界して実家に二人で済んだら兄妹なんてどう考えても普通じゃないしな。人前でもねぇしセーフセーフ。

 

「全く、お兄ちゃんは何かあればちゃんとするけど何もないと全然ちゃんとしないんだから…」

「はは、返す言葉もねぇよ…さて、早速夕飯作るか。緋奈、何か食べたいものあるか?」

「なんでも良いよ…って言うと、むしろ困る?」

「まぁ、困るというか当てにはならんな」

「じゃあ…昨日は炒飯だったし、今日は麺物とか?」

「麺物か…なら昨日の残り物使った塩焼きそばはどうだ?」

「うん、それでいいよ」

 

夕飯の料理が決定。という事で俺は自室に行き、着替えた後にキッチンで手を洗って冷蔵庫の中身を確認し、調理開始。途中ちょっとリビングのテレビを点けてみたり、ちょっと強めに包丁を扱ってまな板を響かせ名料理人気分になってみたりしながら塩焼きそば作りを進める。…塩焼きそばって言うけど、別に普通の焼きそばには塩使われてない訳じゃないよなぁ…そらを言ったらラーメンだって醤油や味噌、豚骨でも塩を使う訳だが。

 

「あのさー、お兄ちゃん」

「ん?どうかしたか?」

「昨日、送ってくだけだって言った割には帰ってくるの遅くなかった?」

「うっ……」

 

世間話感覚でそんな事を言ってくる緋奈にたじろぐ。いや、実際世間話のレベルではあるが…正直に言えない事&嘘言って出てきたというダブルパンチのせいでどうしても即答は出来ない。…とはいえ黙ってるままって訳にもいかんし…ううむ……

 

「……結構、遠い所だったんだよ…」

「遠い所?じゃ、時宮さんは電車通学?」

「あー…そうじゃない、かな…?」

「ふーん…」

 

納得したのか、まだ疑ってるのか。そこのところは謎ながら、緋奈はそれ以上に訊く事はなかった。……が、また嘘重ねちまったな…一応こういう嘘吐いたって時宮に言っておかねぇと…。

そうして数十分後。塩焼きそばを完成させた俺は皿に盛り付け、緋奈と食卓を囲む。

 

「ん、良い匂い…やっぱり料理はお兄ちゃんの方が上手いよね」

「んなこたねぇよ、俺だって何でも作れる訳じゃないしな。頂きますっと」

 

結局昨日はゆっくり夕飯食えなかったなぁ…と思いながら塩焼きそばを口に運ぶ。…うん美味い。昨日の夕飯と比較すると尚美味い。緋奈には悪いが正直なところは俺の方がずっと料理上手だな。

 

「そういえばさ、昨日は炒飯で今日は塩焼きそばなんだよね。明日は脂っこくない方がいいなぁ」

「じゃ、キャベツ一玉を齧るか?」

「それは夕飯と言えるの…?」

「あー悪い、緋奈はレタス派だったか」

「そこじゃないそこじゃない…」

「だよな、まぁ安心しろ。キャベツは塩焼きそばに入れたし、二日続けてキャベツにはしねぇよ」

「だからそこじゃないって…はぁ、お兄ちゃんはズレてるよね、色々…」

 

いつものノリでふざけていたら、妹に呆れられてしまった。多分「いや冗談だからね?」と言っても「分かってる分かってる」と呆れながら流されるだろう。……俺はボケ発言をしているだけで、本当にズレてる訳じゃないと信じたい。ズレてるんだとしても、それは霊装者としての経験のせいだと思いたい。

 

「…ほんと、お兄ちゃんって一人暮らししたら大変そうだね。家事はちゃんと出来るから、えらい事にはならないと思うけど」

「うん?それは緋奈が男捕まえてうち出てく可能性を示唆してるのか?」

「ううん全然。わたしがそうすると思う?」

「ううん全然」

「なら、それが答えだよ」

 

妹にマジな心配をされるのは、兄としてどうなんだろう…とは思うが、それよりも俺は変な可能性を示唆している訳では無いと知って一安心。……緋奈には生涯独身でいてほしい、って訳ではないが…そこら辺は、兄として複雑なんだよな。一昔前のドラマなんかで「お前なんぞにうちの娘はやらん!」と言う父親が出てきたりするが、その父親が娘の幸せを願ってない訳じゃないだろ?それと同じ様なものさ、多分。

 

「…………」

「……?どうしたの?急にぼーっとしちゃって…」

「…や、何でもない」

 

もぐもぐと塩焼きそばを食べる緋奈。緋奈と二人で囲む、この食卓。……もし、俺が霊装者として協会に所属したら、この空間はどうなるのだろうか。

この食卓は、数年前まで二人じゃなくて四人で囲んでいた。厳しかったけど、俺等が小さかった頃はよく遊びに連れて行ってくれて、どんな話でも真剣に聞いてくれた親父。口煩いところはあったけど、何かを見せ忘れてたりしても何だかんだちゃんとやってくれて、俺達の好きな料理を自己流で研究してより美味しくしてくれたお袋。俺が俺になる前に夢見た、俺の家族。……でも、もう二人はいない。俺がどんな選択をしようと、どんな道を進もうと、二人が帰ってきてくれたりはしない。既に、俺達は大事な人達を二人失っている。

俺は、二人が死んだ時の緋奈の様子を覚えている。年相応に元気で、でも何気にしっかり屋の緋奈が、あの時は廃人一歩手前だった。俺がいなければ壊れてしまいそうな、ギリギリの状態だった。今はなんて事ない様子にまでなった緋奈だが、俺は内心分かっている。今の緋奈が、俺と、家族との思い出が詰まったこの家ありきで成り立っているんだと。

このまま魔物や力を悪用する霊装者に会う事なくいつまでも過ごせるかは分からない。それに期待し生活するのは、楽観視でしかないと分かってる。…けど、もしかしたら今の生活はこのまま続けられるかもしれないけど、俺が霊装者になりこの家を離れれば、俺の守りたいものは絶対に無くなってしまう。残ってくれた緋奈も、守れなくなってしまう。

 

(…ってのは、建前…だよな……)

 

…分かっている。それは正しいけど違うって。緋奈を守りたい気持ちに偽りはないけど、本当は緋奈の為だけじゃなく、俺自身の為に守りたいんだって。既に俺の夢見た居場所は崩れてしまったけど、だからこそ残った居場所だけは、何がなんでも失いたくないんだって。……時宮へ言った通り、我が儘なんだよな、俺は。

 

「……なぁ、緋奈」

「ん、どうしたの?」

「今度、出かけないか?どこ行くか、何するかはまだ決めてないけどよ」

「ノープランなのに誘うんだ…けどいいよ」

「そっか。……緋奈」

「なーに?」

「…俺はどっかに消えたりしないから、な」

「……うん」

 

──やっぱり、俺の意思は変わらない。俺は、緋奈と…家族との思い出が詰まったこの家で、普通に生活したいって。

 

 

 

 

それから翌週の土曜。俺は、再び時宮と会った。…いや、クラスメイトだから毎日会ってるっちゃ会ってるんだがな。

 

「……で、何故こんな所に呼んだんだ?」

 

俺が時宮に来る様言われたのは、学校近くの寂れた公園。一応遊具も広さもそこそこあるから平日午後辺りは人が来たりもするが…午前となるとまず人が来る事はない。…まぁ、一般人に聞かれたくない話するにゃ悪くない場所だな。

 

「あら、貴方の家や双統殿の方が良かったかしら?」

「いやそういう訳じゃないが…極端な話、所属するかしないか俺が答えるだけだろ?」

「所属するにしろしないにしろ、それが入念に考えてからの答えか見定めなきゃならないもの。そんな簡単に終わらせる気はないわ」

「…マメだな」

「自分の同級生が相手なんだもの、こっちだってなあなあで済ませたりはしないわよ」

「そりゃそうか…」

 

取り敢えずベンチに座る俺と時宮。……そういや…

 

「…結構年相応な服着るんだな」

「なによ、年相応な格好しちゃ悪い訳?」

「そうじゃないんだが…まあなんだ、そういう格好悪くないと思うぞ」

「え?…あ、ありがと…」

 

休日である今日、時宮は当然ながら制服を着ていたりはせず、ブラウスにカーディガン、フレアスカートといういかにも女の子らしい出で立ちだった。…本人の手前『悪くない』なんて言ったが、ぶっちゃけ悪くないどころか普通に可愛い。顔もスタイルも良い分余計に可愛い。…口にしたりはしないけどな!

 

「…私服を家族以外の男に評価されるなんて…もしかしたら、初めてかも……」

「ん?何か言いたい事あるならはっきり言ってくれないと聞こえないぞ?」

「な、なんでもないわよ。そんな事より本題入るわよ、本題」

 

目を丸くした後、俯きがちにぶつぶつと時宮は何か言っていた。そういう事されると気になってしまうが…本人が話してくれる気配ないなら仕方ない。それに、俺は雑談をする為にここに来たんじゃないしな。

 

「本題、ね…取り敢えず結論から言おうか」

「えぇ、まずはそれを聞かせてもらうわ」

「…所属は、しない」

「……考えは変わらなかったのね」

 

一拍おいて、俺の答えに時宮は返答した。それはまずは答えを受け止める、そんなスタンスなんだと思う。…さて、ここからどういう話をするつもりなのやら…。

 

「じゃ、次は妥協ラインがあるかどうか探すとしましょ」

「あぁ……あ?妥協ライン?所属するかしないかの二択じゃねぇのか?」

「あるにはあるわ。所属を強制出来ないけど、お互いの為に出来るならば保護・管理下におきたい…ってのが協会の本心だもの」

「管理、か…あんまり心地のいい響きじゃないな」

「ストレートな表現をしてるだけよ。そもそも、保護と管理は一緒になってる事が多いでしょ?」

「そりゃ、まぁそうだな」

 

子供は親に保護されているが同時に管理もされている訳だし、国民は国に管理される代わりにそれ相応の保護も受けている。管理無しに保護するのは無理があるし、保護なき管理を望む奴はそうそういない。一挙手一投足まで管理される事もまたねぇが…ま、要は時宮の言う通り、そういう事だな。

 

「こっちはさっきも言った通り、出来る範囲で保護・管理をしたい。そっちは?なにならOK…ってのは難しそうだから、なにが譲れないかを教えて頂戴」

「そうさな…最低限風呂とトイレは別、部屋は二つ以上、日当たり良しは譲れないな」

「それなら家賃は…って何の話よ何の!?」

「何のってお前…呼び出しておいて内容忘れるのはどうかと思うぞ?」

「悠弥が何言ってるんだって事よ!殴るわよ!?」

「へいへい…前も言った通り、俺は今の生活を続けたい。最低限…っつーか、それが唯一絶対の要素だ」

 

一旦挟んだボケはさておき、改めて譲れない部分を口にする俺。それを聞いた時宮や、腕を組んで考え込む。

 

「今の生活、ね…結構ざっくりしてるから、提案に悩むわね…」

「ざっくりしてるか?」

「してるわよ、うーん…そうなれば、まず住む場所変えてもらうのは無理よね?」

「無理だな」

「…緋奈ちゃんを移転先に連れて行ってもOKなら?連れてく連れてかないに関わらず、転校はせずに済む様取り計らうわよ?」

「それでも駄目だ。今の家である事が重要だからな」

 

家というのは所詮物で、物質的にはかけがえのないものではない…けど、我が家には、緋奈にとっての千嵜宅には、『両親との思い出』という付加価値があって、それは変えの効くものではない。それに、俺にとっても両親と毎日を過ごした家から離れるのは嫌だし、な。

 

「そう…なら、訓練を受けるだけなら?万が一の時不味い、ってのは分かってるでしょ?」

「それはそうだな。…だが、類は友を呼ぶとも言うだろ?」

「魔物は霊装者の友じゃないんだけど…」

「そうは言っても、霊装者としての勘が鈍きゃ気付かず済んだものも気付いてしまうかもしれない。そうなれば、知らず知らずにそっち絡みの事に巻き込まれるかもしれない。これを否定出来るか?」

「…確かにあり得る事ね。私はそれでも自衛力を付けておくべきだと思うけど…それは私の個人的な考えに過ぎないもの」

「…時宮って、性格の割に相手の意見を聞けるんだな」

「それどういう事よ……」

「これでも褒めてるんだ、腹立てないでくれ」

 

 

時宮が提案し、俺が否定。その否定を元に更に提案し、それをまた否定。俺は妥協ラインを探すという定でありながらも全然妥協する様子を見せなかったが…時宮はそれに怒らず、何度も何度も提案を続けた。

そして……

 

「あー……駄目ね、取りつく島もないわ…」

 

もう何度目かも分からない問答の後、遂に時宮は音を上げた。…っつっても、時宮の言う通り取りつく島もない相手に、ある程度自分の意思なく決められている協会からの要望を通そうとしてるんだからそもそも無理難題という話。…粘り強いんだな、こいつは。

 

「…厄介な相手で悪いな」

「別に、そんな事は……」

「気遣いは必要ねぇよ。言ってる俺自身がそうおもってるんだ、時宮がそう思ってもそりゃ普通の事だ」

「そう思うなら、少しは譲歩しなさいよ」

「それは出来ない相談だな」

「だと思ったわ…はぁ……」

 

嘆息する時宮。…なんかほんとに悪い気がしてきたな、だからって意見が変わったりはしないが。

 

「…………」

「……時宮?」

「…うん、分かった。いいわ、お祖父様にはそう伝えるから」

「そう、って?」

「所属しない、って事。ここまで否定するんじゃ、誰が訊いても同じでしょ?」

「まぁ、な…」

 

時宮の言う通り、俺は協会の人事部だろうが宗元さんだろうが…いや人事部あるのか知らないけど…意見を変えるつもりはない。…けど、そうなると今度はアレだな……

 

「……大丈夫なのか?俺って一応予言された霊装者なんだろ?」

「そうよ?けど貴方が所属する気ゼロなら仕方ないじゃない。そりゃまぁ、お小言位は言われるかもだけど…」

「ほんとにそれだけか?そこそこ偉い奴等に『ならばその責任、取ってもらおうか…』とか言われてエロ同人誌みたいな事されるとか…」

「あ、ある訳ないじゃない!霊源協会なんだと思ってるのよ!?馬鹿じゃないの!?馬っ鹿じゃないの!?」

「おーおー顔赤いぞー」

「誰のせいだと思ってんのよ!訴えるわよ!?」

 

どんな飛躍の仕方をしたのか、訴えると言われてしまった。……実は時宮弄るのが楽しくなってきたとかではないぞー。

 

「ふんっ、これ以上ふざけるなら実力行使するから」

「お、おう…ほんと、言い辛い事言わせる羽目になってすまん」

「だから仕方ないんだからいいわよ。それより、そこまで言うなら緋奈ちゃんとの生活、貴方なりに守りなさいよ?」

「…勿論だ。ありがとな時宮」

「えぇ、それと自分で言ったんだからこっちの世界には近付いたりするんじゃないわよ?それと……」

 

一拍置き、持っていたポーチをごそごそする時宮。なんか見せられるのかなぁ…と思っていたら……時宮は鞘に収められた刃物を取り出した。

 

「…………」

「ほんとは良くないんだけど、これで「ごめんなさいさっきのセクハラ発言は謝罪します和解金払いますなんなら訴えてくれても構いませんだから刺すのだけは勘弁して下さい!」いや違うわよ!?ちょっ、どんな勘違いしてんのよ!?」

「え、違うの……?」

「ある訳ないでしょそんな事…護身刀よ護身刀。実際には護身ナイフだけど、貴方ならこれ位使えるでしょ?」

 

呆れながら時宮は、ナイフを横にして俺へと渡してくる。護身刀、か…確かにこれなら能力落ちてる今の俺でも使いこなせるが……

 

「…渡してもいいのか?これ」

「万が一の事が起きて、その時『あの時私がこれを渡していれば、なんとかなったかもしれないのに…』って後悔したくないだけよ」

「ふぅん…やっぱ持ち歩いた方がいいか?」

「その方がいいけど…これもまたこっち側との接点になりかねない、って思うなら金庫の中にでも入れておいてくれて構わないわ。そこまでは強制出来ないし」

「これの世話になる羽目にならないのが、一番だけどな」

「その通りね。それじゃ、これで話は終わりよ」

 

そう言って時宮は立ち上がり、簡素な挨拶をして公園の出入り口へ向かう。そんな時宮の後ろ姿を見て……ふと、俺は思った事を口にする。

 

「……時宮、さっきお前は自分でこっちの世界に近付くなって言ったが…それは、もう話しかけてくるなって事なのか?」

「へ?……な、なんでそんな事聞くのよ…」

「なんでだろうな…ただなんとなく気になっただけだ。で、どうなんだよ?」

「どうって…それはその、あれよ…」

「あれ?」

「…た、偶になら話を聞いてやってもいい、って事よ……」

「そっか、じゃあ偶に話しかけさせてもらうよ」

「た、偶によ!?私だって暇じゃないんだからね!」

 

時宮は、何故か捨て台詞みたいにそんな事を言いながら去っていった。……やっぱ、ちょっと面白いな時宮って。

二度目の人生でまた霊装者の才があったのは不幸だと思ったが…時宮と知り合えたり、宗元さんと再会出来た事を考えると、そういう意味じゃ、不幸なだけじゃなかったのかも…な。



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第十二話 それぞれで選ぶ道

俺が時宮に話をした日の二日後、月曜。その日の昼休み。

 

「ん?千嵜、その唐揚げ冷凍じゃないやつ?」

「おう、昨日の残り物だ。…つっても、最初から今日のおかずにする為に多めに作ったんだがな」

「ほんとちゃんと料理してるんだなぁ…」

「緋奈に任せる訳にはいかないからな…一個食うか?」

「あ、いいの?ありがと」

 

自分の箸で唐揚げを一つ取ってもぐもぐと咀嚼する御道を横目に見つつ、白米を口に運ぶ俺。…さて、これでまた一つ御道に恩を作っておけたな……。

 

「……んぐっ!?げ、げほげほっ…おまっ、そんな理由でこれまで時々くれてたのか!?えげつなッ!」

「冗談だ。地の文にまで反応して突っ込んでくるとは流石だな、御道」

「そんな訳の分からない賞賛は要らんわ!」

「唐揚げは要るのに?」

「唐揚げと謎の賞賛は同列じゃないって…」

 

5〜6人で弁当や購買のパンを囲んでる面々にも劣らない温度で会話をする俺達二人。…因みにうちのクラスで一番賑やかな食事グループは、時宮と宮空が中心となっているグループである。だからなんだという話だが。

 

「へいへい…因みに、なんか感想あるか?出来れば料理の向上に繋がりそうなやつだとありがたいんだけど」

「そうだねぇ…衣がしなしなになってるのはなんとかならないでしょうか」

「そりゃ無理だな、プロならともかく俺じゃしなしなにならん唐揚げは作れない」

「そうか…俺もそんな舌が肥えてる訳じゃないし、俺より緋奈ちゃんに聞いたら?」

「ま、そだな…そういや……」

 

ふと思い出した様な言い方で…実際にはそんな雰囲気になる様狙って、俺は所属の件を切り出そうとする。それは勿論、御道がどんな答えを出したか気になったから。……が、それは御道の元へとやってきたクラスメイトによって遮られてしまった。

 

「な、御道。お前現代文の宿題やったか?」

「ん?そりゃ五時間目に提出だしやったけど…」

「だよな?頼む、貸してくれ!」

「えぇー…お前先週もそう言って写してなかった?」

「まぁまぁ頼むよ、ジュース一本奢るからさ」

「仕方ないなぁ…ほら」

「よっしゃ!ありがとな御道!約束通りスペシャル青汁ジュース買ってくるぜ!」

「いやそれお礼どころか罰ゲームじゃん!っていうかそんなのうちの学校の自販機にないよねぇ!?」

 

借りた課題プリント持ってクラスを出ていくクラスメイト(名前なんだっけ?)と、走り去る彼に叫ぶ御道。……ぼっち予備軍の俺にとって御道は数少ない友人だが、御道にとっては俺以外にも色んな奴と合流がある。…御道は、そんな生活を…普通に幸福な、普通の生活を捨てるだろうか?少なくとも、俺は捨てないが…俺と御道じゃそもそも立場が違うしな…。

 

「まさかほんとに買ってくる気じゃないだろうな…」

「さぁな、買ってもらうんだからちゃんと飲むんだぞ?」

「えぇー……っと、千嵜さっき何か言いかけてなかった?」

「あぁ、んーとな……」

 

さっきは自然(と俺が思える)な流れで言おうとしたものの…それが無くなったとなると、ちょっと聞き辛い。うーむ、もう一度流れ作りからするのは面倒だし、ここは……

 

「俺先週、時宮からナイフ渡されたんだよな」

「へっ……?…な、何その物騒な話…」

「…あ、ナイフってフォークと一緒に使う奴じゃないぞ?」

「分かってるよ!分かってるから物騒なって言ったじゃん!人の話聞いてる!?」

「聞いてない」

「じゃあお前とは会話出来ねぇよ!」

「だよなー……チラッ」

「チラッってなんだチラッって!突っ込んでほしいの!?だよなーって返せてるなら話聞いてるじゃねぇかって突っ込んでほしいの!?」

「うん、お前やっぱ面白いよ。お笑い芸人目指せるよ」

「そんな話じゃねぇだろうが……」

 

一応俺としては土曜の出来事を話すつもりだったのだが…つい普段のノリでボケ倒してしまった。いかんいかん……。

 

「ま、時宮は護身用に渡してくれたんだが…同級生にナイフ渡す女子高生ってどうなんだろうな」

「どうって…そりゃ普通じゃないけど、霊装者の時点で普通じゃないって話でしょ?」

「そらそうだわな、しかも時宮は名家のお嬢様な訳だし」

「…関わりがある相手とはいえ、千嵜が緋奈ちゃん以外の人の話をするなんて珍しいね。……まさか気になっちゃった?」

「はぁ!?…なんでそうなるんだよ……」

「だよねぇ、千嵜って普通の恋愛しなさそうだし」

「おい待てそれはどういう事だ…」

 

真偽はともかく、御道の口ぶりには明らかに弄りのニュアンスがあった。言ったなこの野郎、弄り返してやろうか…と一瞬俺は思ったが、ここはぐっと我慢。ここで弄り返す様じゃ聞きたい事を聞く前に昼休みが終わっちゃうぞ俺…!

 

「ったく…で、お前はどうなんだ?何か変なもん貰ったか?」

「変なもの…は貰ってないね、うん」

「そうか……」

 

今のやり取りで、御道が武器の類いを宮空から受け取っていたりはしない、という事が判明した。……が、だからってまだ御道の選択ははっきりしていない。時宮の言葉から考えるに、ナイフ渡してきたのは時宮の独断っぽいしな。

と、俺が思っていると…御道は怪訝な顔で口を開く。

 

「……千嵜、もしかして…なんか言い辛い事でもある?」

「…そう思うか?」

「そりゃ普段ズバズバ言う奴が歯切れの悪い事言ってりゃそう思うよ」

「あー…だよな、素直に言うか……ごほん、お前結局どうしたの?」

 

察された事は少し恥ずいが…結果的には御道が質問のお膳立てをしてくれた。……で、その結果がこの質問。普通過ぎるなぁ…と若干の自己嫌悪をしながら返答を待つ俺。

すると御道は、「あ、その事か…」という表情を浮かべ────

 

 

 

 

「やっほ、顕人君」

「おはよ、綾袮さん」

 

挨拶を交わす俺と綾袮さん。そこそこ爽やかな土曜の午前に、同級生と挨拶を交わすのは決して嫌な気分じゃない。それが……

 

「──それが、自分の家の前じゃなきゃあねッ!」

「うわぁ!?きゅ、急にどしたの!?」

 

土曜の午前から路上で叫ぶのはあんまり宜しくない事だけど…叫ばずにはいられない。いやだって今知ったもん!昨日帰りに「ちょっと明日の午前十時位に外出てくれないかな?」としか言われてねぇもん!それだけで想像出来るか!思春期の男子の家に理由も言わず思春期の女子が訪れるなんて想像出来るか!来るなら来るって言うよな…言わないって事は別の意図かな…とか思うわ!

 

「え、えーと…取り敢えず落ち着こ?流石のわたしもこれには軽く引いてるから、ちょっと落ち着こ…?」

「なら理由をきちんと言ってくれませんかね…!」

「う、うん。以後気を付ける。綾袮これからは気を付ける」

「ほんとそうして…それで、何の様?」

 

頭を掻きながら問う俺。これがきちんとした客人なら、家は招くのがマナーだとは思うけど…きちんとした客人じゃないし。それ以前にこんな朝から女の子家に招いたら、両親に勘違いされるし。

 

「なんのって…あれ?言ってなかったっけ?今日までに決めてほしいって」

「あぁ…そういう事ね、忘れてないよ」

「なら良かった。それじゃ、答えをどーぞ」

「あ、はい。しっかりと考えた結果…やはり所属したいと思います」

「OK、じゃあ行くよ」

「……うぇ?え、ど、どこに?そして…反応軽くね…?」

 

綾袮さんの事だから、あんまり重々しい話の運びはしないと思っていたけど……これは幾ら何でも軽過ぎる。あ、あれ?これ部活の仮入部の話だっけ?或いは委員会の話だっけ?違うよね?

 

「どこってのは双統殿だよ。それと反応については…そう言うんじゃないかなぁ、って思ってたからかな」

「…俺の意見は変わらない、と思ってたって事?」

「ううん、しっかり考えた上で改めて『所属する』って選ぶんだろうなって思ってたの。…でもま、やっぱり理由位は聞いておこうか。それもわたしの役目だからね」

 

手を後ろで組んで、じっと俺を見る綾袮さん。綾袮さんの目は言っている。理由を話して…と。

 

「……ここで?」

「何十分もかかるなら場所移すけど…別に他人に聞かれちゃ不味い様な理由じゃないでしょ?」

「それはそうだけど…ほら、ご近所さんに見られるとか…」

「えっ…あ、顕人君はわたしを『普通の人は見るべきではない醜悪な存在』とでも思ってるの…?」

「今の台詞から何故そうなったし!……あーもう、分かったよ…」

 

生来の突っ込み気質のおかげか、俺はこれまでそれなりの人数のボケ人間と会話をしてきた。…だから、分かる。今の綾袮さんは、言っても聞いてくれない、さっさと済ませちゃうのが一番のモードに入っているのだと。……ま、時間帯的にそう積極的に人が外に出てくる時間でもないしいいか。

 

「…先に言っておくけど、『いい歳してなに言ってんの…』と思うのはいいけどそれで笑うのは止めてよ?他人にとってはくだらなくても、俺にとっては大切な事なんだから」

「分かった、笑わない」

「あ、結構すんなり了解してくれるんだね…」

「顕人君が真剣に言ってるのは一目瞭然だもん。真剣になってる人を笑う事なんかわたししないもんね」

「そっか…」

 

そういう綾袮さんの顔もまた、真剣な様子。それを見て俺は少しほっとした。……よし。

 

「……もしかしたら薄々感じてたかもしれないけどさ、俺はそういうのを夢見てたんだよ。…所謂、非日常ってやつをさ」

「あぁ…言われてみると、確かにそんな節があったね」

「うん。で…よく考えたけど、危険があるって事も考えたけど、それでも非日常への夢の方が上回っていた。……簡単に言うとすれば、こんな感じかな」

「ふぅん……うん、そっかそっか」

 

綾袮さんは自分の中で聞いた言葉を咀嚼する様に頷いた。その表情には、肯定の色も否定の色も浮かんではいない。…それが、俺にとっては少し驚きだった。

 

「…怒ったり落胆したりしないの?」

「怒ったり落胆したり?どうして?」

「どうして…って、言ってたじゃん。面白そうとか…後、刺激的だっけ?…で所属を決めちゃう人がいるって。…それと俺の理由とは、結局のところ大差ない事だよ?」

「あー…それは言ったけど、ちょっと顕人君は勘違いしてるね」

「勘違い?」

「わたしその後に言わなかった?そんな感じで『軽々しく』決める人がいるって」

 

綾袮さんの言葉を受けて、俺は確かにそう言ったな…と思い起こす。そりゃ、軽々しくなんてあの時もそれ以降も、一度たりとも考えた事はなかったけど…。

 

「簡単にしか聞いてないから断定は出来ないけど…顕人君は、軽々しさとは対極にある位考えて、確固たる思いでもって選んだんでしょ?」

「……別にさ、これは叶えなきゃならない夢ではないよ。今の生活が嫌な訳じゃないし、俺はそこそこ恵まれた環境にいると思う。けどさ…」

 

綾袮さんの澄んだ瞳で、そんな事を言われて…言いたくなった。隠すつもりはないし、最初から追求されれば言うつもりだったけど…そんな事関係なしに、俺は綾袮さんに伝えたくなった。決意を、夢を追う意思を。

 

「…そんな冷静な思考で、合理的な考えで、『普通』に馴染みきれない心で…幾ら抱いても抱ききれない夢を掴むチャンスを逃せる訳ないじゃん。逃したら後悔するって、ずっと『もし掴んでいたら…』って引きずり続けるって分かりきってるのに、そちら側を選べる訳がないじゃん。……だから、俺は選んだ。夢を追って後悔するのと、夢を諦めて後悔するのとなら────夢を追って、後悔もしない方をね」

 

それは、賢者からすれば…いや、まともな大人からすれば、馬鹿な子供の考えなんだと思う。でも、俺はそれで良い。だって、俺がなりたいのはまともな大人じゃなくて、夢見た先に立つ、自分自身なんだか──

 

「……ぷっ、あはははははっ!ゆ、夢を追って後悔もしない方って、それどっちでもないじゃん!その選択肢なかったじゃん!え、まさか顕人君って前提ぶっ壊すタイプの人だったの!?それはちょっと意外過ぎだよ!あはははははははっ!」

「え、ちょっ…えぇぇぇぇええええええッ!?笑われたぁぁぁぁっ!?」

「だ、だってこんなどんでん返しされたら笑っちゃうよ!……ぷ、ぷぷっ…あははははっ!」

「わ、笑いの第二波!?いやさっき言ったじゃん!笑うのは止めてって!綾袮さんも笑わないって言ったよね!?ねぇ!?」

「わたしが笑ったのはそこじゃないもーん!ぷー、くすくす」

「第三波!?…ってそれはわざとだよね!?弄り目的の故意だよねぇ!?」

 

酷ぇ、シリアスシーンだと思ったらまさかのギャグシーン入りだった。ほんと酷ぇ。

そう思って項垂れる俺。なんか凄い恥ずいし、これは完全に言わなきゃよかった気がする。あーあ、最悪だ…。……なんて、思った俺だけど……

 

 

 

 

 

 

「────でも、そんな顕人君はちょっと格好良いかな」

 

…そう言ってもらえた事は、にっこりと笑った綾袮さんを見られた事は、幸福だったのかもしれない。

 

 

 

 

語り終えた御道は、ふぅ…と一息ついて茶を飲んでいた。決して悪くない表情を浮かべて。

 

「…自分語り、になっちゃったかな」

「あ、あぁ…まぁ、そうかもな…」

 

自分語り。確かにそう言われればそんな気もする。とはいえ聞いたのは俺の方なんだから、御道がそれを気にする必要はない。…ま、全部語れとは言ってなかったんだけどな…。

 

「……知らなかったよ、お前がそんな夢持ってたなんて」

「言ってなかったからね。…と言うか普通恥ずかしくて言えないって…」

「や、いいんじゃねぇの?夢は人それぞれだしよ」

「…あの千嵜が素直に肯定してくれるなんて…マジか……」

「お前俺をなんだと思ってるんだよ…」

 

冗談とか皮肉とかではなく、本当に御道は驚いていた。…俺そんな感じに思われてたのか…いや思われるか、うん。俺お得意の自業自得だな。……さて、と。

 

「ん?どっか行くの?」

「ちょーっとな、野暮用だよ野暮用」

 

弁当箱を閉じ、俺は席を立つ。昼休みの終わりまでは…まだ少しあるな。

 

「…………」

 

教室を出て、廊下を抜け、特別教室棟まで足を運ぶ。ここに来た理由は単純明快。人気のないところに来たかった、ただそれだけ。

 

「……ったく、馬鹿かよあいつは…宮空も宮空でなんで止めねぇんだよ…戦場を知ってる奴がそんな事言うんじゃねぇよ…」

 

壁に背を預け、頭を乱暴にかきながら、ため息混じりにそう吐き捨てる。

 

「そんな甘いもんじゃねぇんだよ…夢のあるもんじゃねぇんだよ、戦いってのは……」

 

正直、俺は御道が所属を選ぼうが選びまいが、その選択に綾をつけるつもりはなかった。宮空同様御道は安易に物事を考える奴じゃないと思っていたし、そもそも俺は所属しないと決めた身。その俺がどうこう言うのはそれこそ余計なお世話だと考えていた。

けど、俺は断言出来る。──御道の思いは、間違っていると。

 

「……でも、ならそれを伝えるのかって話だよな…」

 

俺がどう思おうと、俺が何を知っていようと、口に出さずには伝わらない。考えを変えさせたいなら、それを伝える努力をしなければいけない。…その権利が、俺にあるのか?それに…伝えるなら、俺の過去もきちんと話さなければいけないんじゃないのか?……そこまで、する事…なのか…?

 

「……俺は、無責任な奴だよな…」

 

自分は何かしてやる訳でもないのに貶して、しかも相手を気遣うという定で陰口叩いて、結局その相手より自分の事を大切にして……これを無責任と言わずして、何というのだろうか。

その日俺は、遂にその事に触れず終えてしまった。その日分かったのは、御道の夢、俺の無責任さ、そして……俺と御道は、やっぱり全く違う場所にいて違うものを見る人間なんだという事だけだった。



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第十三話 見極める父親

人間大きな決意を決めた後や何かを達成した後は、心なしか身体が軽くなるもの。それは俺も同じで、綾袮さんに決意を話して以降はすっきりした様な気分で日々を過ごせていた。……決めただけで気分良くなってりゃ世話ない気もするけどね。

 

(…そういや、千嵜の用事って何だったんだろ……)

 

生徒会活動を終え、生徒会室から出た俺。ぽてぽてと廊下を歩きつつ考えるのは今日の事。

部活にも委員会にも所属しておらず、積極的に先生に勉強の事を聞きに行ったり他クラスの友人と駄弁ったり(そもそも他クラスに友人がいるのか自体なぞ)もしない千嵜が、何でもない日の昼休みにどこかへ行く事は滅多にない。一体千嵜に何があったのだろうか。……緋奈ちゃん関連なら可能性はあるけど。

 

「はてさて、綾袮さ…宮空さんはどこかな…」

 

校内、という事で一応呼称に気を付けつつ俺は綾袮さんを探す。今日もまた話す事がある…という事で呼ばれた俺だけど、何故か「自販機の前で待ってるね!」としか言われなかった。…俺を迷わせて遊んでいるのだろうか。それともまさか、綾袮さんはうちの学校には一ヶ所しか自販機を置いてないとでも思ってるのだろうか。まあ何れにせよ…面倒な事してくれるなぁおい…。

 

「…まさかの自販機の裏に隠れてたりして──」

「あ、顕人君やっときたね!」

「うおわ痛ぁッ!?」

 

ゴン!という音と共に後頭部へ強い痛みを感じる俺。御道顕人はこの瞬間、『後頭部を自販機の裏にぶつける』という人生初のレアな経験をした。…全然嬉しくねぇ……。

 

「…小銭拾いでもしてたの…?」

「い、いや…探してたのは小銭じゃなくて宮空さん……」

「わ、わたし?……わたしは確かにちょっとアレな人だろうけどさ、流石にそこまでおかしい人じゃないよ…」

「ですよね…はぁ、普通に周りを見回せばよかった…」

 

元を辿れば説明不足の宮空さんにも非がある…と言いたいところだったけど、よく考えれば…いやよく考えなくても普通に考えれば自販機裏に人がいる訳がない。…という訳で自爆だったと認める俺だった。

 

「なんだかよく分からないけど…生徒会は終わったの?」

「あ…うん。だからここに来たんだよ」

「なら、今日も少し付き合ってくれる?多分今日は数十分で終わるんだけどさ」

「そりゃ構わないよ?てか、構わないから話しかけられた時断らなかった訳だし」

「それもそっか。じゃあ着いてきて」

 

くるり、とその場で反転して歩き出す綾袮さん。それに着いて歩いていくと…学校のすぐ近くのコンビニに停まっている、一台の黒い車の前で足を止めた。

 

「はい到着。あ、用があるのはコンビニじゃないよ?」

「だろうね…しかし黒塗りの車かぁ……ヤバい人と会うとかじゃないよね…?」

「大丈夫大丈夫、中にいるのはおとー様と運転手さんだもん」

「綾袮さんのお父さん?」

「そうだよ、入って入って」

 

イマイチどういう事なのかまだ分かってないけど…ドアを開けられてしまったらもううだうだしてられない。…というか……

 

「え、綾袮さんがお父さんの隣じゃないの…?」

「だっておとー様が話したいのは顕人君だもん、顕人君が隣行かなきゃ変でしょ」

 

そういう問題じゃないよ…と俺は心の中で言う俺。いや、あんた…同級生の女子の父親の隣に座るって気まずいんだよ?それ分かってる?……なんて言いたかったけど、流石にその父親本人がいる場では言えない。というか、この状況で言える人の方が少ないだろ…。

それでも俺は車の後部座席に入り、中にいる綾袮さんの父親と運転手さんに会釈をしつつゆっくりと座る。対して綾袮さんは助手席に慣れた様子で座って、顔見知りなのか運転手さんに「今日もごくろー様」と声かけなんかしてる。……あの気軽さが羨ましい…。

 

「…………」

「……御道顕人君、だったかい?」

「あ…は、はい」

「緊張させてしまったかな?悪いね、突然呼んでしまって」

 

俺の緊張に気付いてか、肩を竦めながら柔らかな声音で話しかけてくる綾袮さんのお父さん。そういう風にきてくれるのはありがたいけど…それだけで気が緩む程俺の神経は太くない。この人と会うのは二度目とはいえ、いかんせんこの距離だしなぁ…そもそも前回はほぼ会話してないし。

 

「…と、言っても緊張はすぐにほぐれないか…そうだろう?」

「そう、ですね…」

「だと思ったよ。綾袮、顕人君に何か買ってきてくれるかい?」

「えー、わたし?」

「綾袮も何か好きな物を買えばいいさ」

「そう?じゃ行ってきまーす」

 

好きに買っていい、と言われた途端綾袮さんは乗り気になってコンビニに行ってしまった。確かにこの距離で好きな物を買っていいと言われれば魅力を感じるけど…流石にこの状況では苦笑を禁じ得ない。……と思っていたら、

 

「…全く、我が娘ながら子供っぽ過ぎるというか何というか…私の責任なんだろうかね」

「素直で真っ直ぐというのは、人に慕われ易くて良いとも思いますよ」

「ふっ…物は言いよう、か」

 

綾袮さんのお父さんと運転手さんまで苦笑していた。…綾袮さんの言動への感想は、年齢や立場を超えるらしい。

 

「君もそう思うかい?顕人君」

「え……っと、今の綾袮さんの事ですか…?」

「そう、綾袮の事さ。表情を見るに悪感情は抱いてない様だけど…綾袮は、周りから浮いてしまってはいないかな?」

「あぁ…ご安心下さい。綾袮さんは確かに異彩を放っていますが…浮くどころか、むしろ時宮さんと共にクラスの中心ですから」

「それは良かった。…が、異彩は放っているのか…そこは母親譲りかもしれないな…」

 

そう、なんとも言えなそうな表情を浮かべる綾袮さんのお父さんの顔は、親子だけあってどこか綾袮さんを彷彿とさせるものだった。…そういや、今回は意識切り替えしてないせいでそのまま『綾袮さん』って呼んじゃったな…まぁ、この雰囲気なら大丈夫かな。てか、母親譲りって事はお母さんも綾袮さんみたいな性格なのか…?……なんて思ったところで、綾袮さんが戻ってくる。

 

「お待たせー、よいしょっと」

「綾袮…お前、雑誌買ったのか…」

「あれ、駄目だった?」

「いや、駄目じゃないが…まあ、いいさ。それよりも、顕人君にきちんと買ってきただろうね?」

「買ってきたよ、ほら。顕人君ってチョコアイス駄目だったりしないよね?」

「大丈夫だよ?」

「じゃあはい。お腹壊さない様に、店員さんに温めお願いしますって頼んだんだ〜」

「あ、気遣い助かるよ……って、はぁぁ!?あ、温めた!?アイスなのに!?ば、馬鹿じゃねぇの!?店員さん絶対混乱したよねぇ!?何考えてんの!?…………あ」

 

結構特殊な状況にも関わらず普段通りの事をしてくる綾袮さんに、つい俺は(今回は内容が特にぶっ飛んでる事もあって)同じく普段通りの突っ込みをしてしまう。そして、気付く。──ここには綾袮さんのお父さんと、綾袮さんの事をそれなりに知ってる様子の運転手さんがいる事に。

 

(……やっべ、ヤベぇヤベぇヤベぇヤベぇ!)

 

待ってましたと言わんばかりに汗腺から溢れ出す冷や汗。親のいる前で本人を馬鹿だの何だの言うだけでも空気が凍りつく事間違いなしなのに、今回ここにいるのはデカい組織の中核人物。……お分かりだろうか。この俺のピンチ具合を。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

「……昔の私を見ているようだ…」

『えぇぇっ!?』

 

急転直下!綾袮さんのお父さん、まさかのカミングアウト!この突然の自体に俺も綾袮さんも運転手さんもびっくりだぜ!

 

「お、おとー様昔顕人君的突っ込みしてたの!?」

「あぁ、そういえば話してなかったね。私と母さんも若い頃は、周りからいっつも漫才してると言われていたんだよ」

「うっそぉ……ちょっとわたし、想像つかないんだけど…」

「…覚えておくといいよ、綾袮、顕人君。人は、案外歳をとると性格も変わるものさ」

((こ、こんな流れでそんな話を聞くなんて……))

 

遠くを見つめる綾袮さんのお父さんに、俺と綾袮さんはなんて反応すればいいか分からなかった。

 

「…こほん。それよりも綾袮、渡してあげないのかい?」

「あ…そ、そうだった…おとー様が妙な事言わなきゃ普通に渡してたよ…」

「妙な事は綾袮さん自身も言って…ってなんだ、冷たいじゃん」

「いやいや顕人君、流石のわたしもほんとに温めてもらったりはしないよ」

「そ、それもそうか…あれ、スプーンは?」

「あーごめんね、スプーンだけど間違えてお箸貰ってきちゃった」

「お箸!?わ、割り箸で食えと!?…ってほんとに貰ってきてるよオイ!」

「……あぁ、昔私もそんな事されたな…」

『親子揃って同じネタを!?(宮空親子・わたしとおかー様)凄ッ!』

 

……とまぁ、こんな感じによく分からないやり取りが数分程続いた。…俺は何の為にここは呼ばれたのだろうか…いやほんとに。

 

「…えぇと…うん、綾袮さん…もう割り箸でいいから貰えるかな…?」

「う、うん…わたしもなんか、ごめんね…」

「……案外箸でも食えるんだな、アイスって…」

「…その様子だと、緊張はほぐれたみたいだね」

「えぇおかげさまで……へ?…まさか、この一連の流れは俺の緊張を解く為に…?」

「まぁ、そんなところだよ」

 

呆れから一転し、俺は感銘に震えた。その最中は一切意図を感じさせず、自然な雰囲気のまま目的を完遂し、欠片も鼻にかけない。ああ、なんと『格好良い大人』だろうか。両親を始め俺は尊敬出来る大人を何人も見てきたけど、目の前にいる綾袮さんの父親はその中でもかなり凄い方に思える。この様な人に会えただけでも良い経験に──

 

「…最も、話した内容は真実そのものだけどね」

 

……なりそうだったんだけどなぁ…いや別に過去に悪い事してきた訳じゃないし、なんなら親しみ易いとも言えるけど…そこは最後まで格好良い感じにいってほしかったなぁ…。

 

「さ、それじゃあ本題に入るとしよう。顕人君、溶けてしまうのも勿体無いし君は食べながらで構わないよ」

「だったらわたしも雑誌読みながら…」

「綾袮」

「……はーい」

「顕人君。綾袮から聞いたが、君は所属するんだね?」

「…はい、そのつもりです」

「本当にいいんだね?…生活の変化を、受け入れられるんだね?」

「……それは、今の家には居られないという話ですか?」

 

決定を下す前、所属云々の話が出た時点で俺は綾袮さんから聞いていた。正式に所属するとなれば、暫くは確実に別の場所で生活する事になると。

 

「そう。霊装者は本人だけでなく周りをも危険に晒してしまう可能性があるし、突然力を得たものは誰しも不安定になるもの。…一つ余計な事を言えば、後者は霊装者に限らないよ?財力でも、権力でも、武力でも…力というものは人を歪める危険があるもので、それは力に見合う過程を得ていなければより危険性が大きくなるものさ」

「…分かります。力は、精神にも影響を与えますもんね」

「そういう事さ。それに、これは安全確保の面もある。霊力の扱いに慣れてないうちは暴走してしまうかもしれないからね。それに…少ないながらもあるのさ。正義感に駆られた者が、無謀な戦いを仕掛けて散っていく事が、ね」

「無謀な、ですか…」

「君はどう思うかな?広義的に言えば、先に挙げた『力で歪んだ者』と同じである人達の事を」

 

綾袮さんのお父さんは、俺の方を向いてはいない。どこか遠くを見る様な目で、俺の回答を待っている。

広義的には同じ、か。そんなの……

 

「…俺は、嫌です。確かにそういう人もまた愚かなのかもしれないですけど…自分の正義を貫こうとした人が、誰かを助けようとした人の選択が、『間違ってた』…って思うのは、嫌です」

「私も、そう思うよ。誰かの為に動ける人が馬鹿を見る、なんてそっちの方が間違っている。だからこそ、誰かの為に動ける人が一人で戦わずとも済む様にもこのルールがあるんだよ。少なくとも、私の考えではね」

 

そういう綾袮さんのお父さんは、少しだけど笑みを浮かべていた。私の考えでは…という事は、今言った事は所詮この人個人のものであって、霊源協会全体での共通認識ではないという事。…だけど、だからなんだという話だ。俺は嫌だと思って、綾袮さんのお父さんはそれに同意した。それでいいじゃないか。

 

「…気を付けます。折角のセーフティーを無駄にしない様に」

「あぁ、どんな時でも『考える』というのは大切だからね。さて、ここからは話が変わるけどいいかな?」

「はい、勿論」

「では顕人君、君とご両親が共に家にいて、且つ時間の取れる曜日は何時だい?」

「ええ、と…それは一体…?」

 

話の変化自体もそこそこ不可解なレベルだったけど…それはいい。予め予告されてたし。だが、両親が時間を取れる日は一体何の為に聞いてるのだろうか?

 

「…君は、無言で家を去るつもりかい?」

「あー……そういう事ですか…」

「そういう事さ。協会は公にこそなっていないが、国から保証を受けた組織だからね。未成年の霊装者の場合は保護者に説明とフォローをするんだよ」

「説明…理解してくれるものなんですか?両親は普通の人間ですよ?」

「それはこちらに任せてくれればいいさ、慣れているからね」

 

慣れているから任せてくれていい。俺としては多少納得出来てない部分もあるものの、そう言われればそういうものだと考えるしかない。…まぁ、俺が初めてな訳ないしそれで今までこなしてきたんだろうから、そういうものだと考えりゃいいんだろうね。

そこから暫くは、綾袮さんを交えた雑談だった。これは本当に単なる雑談(と言っても霊装者や協会関連だけど)で、またまた意図が分からなかったけど…協会側の事をまるで知らない俺にとっては聞いてて飽きない話だった。

そして……

 

「ねぇおとー様、この辺でいいんじゃない?」

「そうだね。顕人君、長話になったしまってすまない」

「いえ、それは構いませんが…この辺、というのは?」

「話が、だよ。…実はね、今回は君と実際に話す事で人となりを知るのが目的だったんだ。勿論、確認を取るのも目的ではあったけどね」

「あ、だから雑談したり綾袮さんの事訊いたりしたんですか…」

「わたしの事?え、いつ?」

 

きょとんとする綾袮さんに、お父さんが軽く買いに行っていた間の話をする最中、俺は今日の事を振り返っていた。考えてみると確かに、俺の意見…それも感情や価値観が絡むものを求められていた様に思える。そっか、だから脱線してまで訊いたりしたのか…。

 

「…じゃあ、その結果はどうでしたか?」

「聞きたいかい?」

「差し支えなければ、是非」

 

俺は普段、他者からの評価をあまり気にしたりはしない。勿論目の前で言われれば反応するし、高評価されているのなら嬉しいけど…自分から訊いたりする事は滅多にない。…けれど、今は訊いた。その理由は…実のところ、俺にもよく分からない。

そして、俺からの要望を受けた綾袮さんのお父さんは…ふっと笑みを浮かべた。

 

「──好感と、期待が持てると思ったよ。霊装者、としてだけじゃない。一個人として、未来ある若者として君には期待をしているよ。…それに、綾袮のクラスメイトとしてもね」

「と、いう事だから今後も宜しく頼むよ、顕人君」

「お、おう…まだ未熟ですが、そこまで期待して下さったのなら…その期待、頑張って応えようと思います」

「あぁ、でも無理は禁物だよ?人が一人で出来る事なんて、たかが知れているからね」

「分かってます。一人じゃ何も出来ずに綾袮さんに助けてもらった経験もありますからね」

 

そうして俺はアイスの礼を言い、車から降りた。するとサイドウィンドウが開き、そこから声をかけられる。

 

「それではね、顕人君。…っと、一つ言い忘れていたよ」

「言い忘れ、ですか?」

「宮空深介、私の名前さ」

「そういえば…本日はありがとうございました、深介さん」

「呼んだのはこちらだ、気にする事はないよ。では、帰り道に気を付けて」

「じゃ、また明日ね顕人君」

「また明日」

 

綾袮さんに言葉を返した後ぺこり、と頭を下げると、車はエンジンをかけて駐車場から去っていった。それを見送った後に帰路につく俺。……クラスメイトの父親と、ここまで会話を交わしたのはこれが初めての様に思う俺だった。



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第十四話 押される背中、押す思い

週末の日曜…と、いうと一見それっぽいが、多くの方が分かっている様にそれは間違っている。カレンダーを見れば分かる様に一週間は月曜から日曜ではなく日曜から土曜なのだから、週末に日曜がくる事はない。…とはいえ、『週末=休日』というイメージが社会的にある中では日曜を週末と捉えてしまいがちだし、ぶっちゃけもう月曜スタート日曜ゴールでいい様な気がする。

…なんてちょっと持論っぽいものを展開してみたけど…特にこの持論が今回の話に関係するとかそういう事はありません、はい。

 

「顕人ー、お釣りは?」

「あ…そうだったそうだった、はいこれ」

 

綾袮さんのお父さん…深介さんと話した週…ではなく、翌週の頭、日曜日の夜。頼んだお使いのお釣りを訊く母さんと、バラエティ番組を見る父さんと、ポケットに入れっぱなしだったお釣りを渡す俺。なんて事ない、御道家のよくあるワンシーンは、今日も滞りなく進んでいた。…そう、まだよくあるワンシーンのまま、進んでいる。

 

「…ん?」

 

軽快な音を立てた携帯を見ると、そこには一件のメッセージ。差出人は、綾袮さん。

 

(…もうすぐそっちに着くよ、か…)

 

車の中で話した日の翌日、綾袮さんは『いちいち口頭で伝えるのは面倒だし、学校外だと連絡取れないから』という事で俺とソーシャルネットワーキングアプリ…まあ要はアレだよ、英語で線を意味する名前のアレっぽい奴…のアカウント登録をしておいた。一応元からクラスとしてのルームはあったけど…それ使う訳にはしかないし、ねぇ。

手続きや引っ越し等、やらなければならない事は沢山あるからという事で、両親への説明は早速一番手近な日曜という事になった。だから今、俺は綾袮さん達を待っている状態にある。

 

(……いざそれが近付くとなると、色々思うところがあるな…)

 

親元を離れるのは承知の上で、その決意も既にしていたけど…やっぱり、内心は平然としていられない。…一人暮らしする人って、皆こんな感じに考えるのかな?というか、大学から一人暮らしする人は多いだろうけど…親元を離れる事まで考えて受験する人ってどれだけいるのだろうか?それに近い状態の俺としては、こういう面も考えて決めるべきだと思うなぁ…。

 

「…父さん、母さん、もう少ししたらちょっとお客来るんだけど…二人共これから何か用事あったりしないよね?」

「お客?…友達か?」

「まあ、一人はそう。で、大丈夫?」

「そりゃ大丈夫だが…こんな時間にとはまた不思議なものだな。もっと早い時間に来ればいいものを…」

「いやほら、日中より今の方が二人共家にいる確率高いと思って…」

 

両親は共に日曜は家にいるけど…仕事や毎週ある用事の事は分かっても、休みの日の日中何をするかまでは流石に息子でも分からない。普段通り家にいるかもしれないし、何か買い物に行くかもしれないし、もしかしたら友人に会いに行くかもしれない。そういう点から、やはり日中より夜の方が確実だと俺は思ってこの時間帯を指定していた。…で、その判断は正しかった。

 

「そう…もう少しってほんとにもう少し?お茶菓子があまり残ってないし、余裕あるなら買ってきてくれない?」

「えぇー…それならさっきお使い行った段階で言ってよ、二度手間じゃん…」

「人来るって分かってたらその時頼んだわよ、そうじゃなきゃ明日自分で買って来るつもりだったもの」

「そうですかい…じゃあ買って来るから、どういうやつ買えばいいか教え……っと、時間切れみたい」

 

お使い(本日二度目)の内容を聞こうとしたところで鳴った御道家のインターホン。このタイミングで…となるとまぁ十中八九綾袮さん達と見て間違いない。…宅配とかだったら笑えるけど。

 

「俺が出てくるよ」

 

いきなり両親が会うよりは両者を知る俺が間に入った方が良さそう…と思った俺はさっさと玄関へ向かい、はーいと返事をしながら玄関の扉を開ける。すると予想通り、そこには綾袮さんと深介さん、それに協会の人と思われる男性が二人いた。

 

「こんばんは顕人君、またはグットアフタヌーン!」

「う、うん…まあ午後だしね、こんばんは…」

「ご両親はいるかな?」

「あ、はい。取り敢えずどうぞ」

 

玄関先で立って話す様な内容ではない事を承知の俺は、早速四人を両親がいるリビングへ誘導。人が部屋に入ってきた事に気付いた両親は朗らかに挨拶をしようとするも…そこで固まる。ま、説明的に友達かなーと思ってたら大の大人が三人もいたんだから、そういう反応して当然だけどさ。

 

「…顕人、お客というのはこの人達か…?」

「夜分に突然すみません。私は防衛省特殊指定災害対策局の宮空深介と申します」

『ぼ、防衛省…?』

 

深介さんの自己紹介と名刺を受け取った両親は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべていた。それもその筈、この国で普通に生活してる人にとって、国の役員…それもかなりの高級官僚と思われる人が家に来る事なんてまあまずあり得ない事なんだから。……というか、協会って防衛省の組織だったのか…俺も初めて知った…。

 

「こちらは私の部下、そしてこちらが私の娘の綾袮です。お母様は、綾袮を見た事があるかもしれません」

「わ、私が?……そう言えば確か、顕人のクラスに宮空って子が…」

「はい、それが綾袮です。うちの娘が顕人君にお世話になっております」

「い、いえこちらこそ…っとあぁ失礼しました。まずはお席を…」

「お気遣いありがとうございます」

 

軽く会釈し、綾袮さん達は父さんの示した椅子へとそれぞれ腰掛ける。…が、男性二人は後ろに立ったままだった。もしや、この二人は護衛役?

 

「…では、早速なのですが…本日は彼、顕人君の件で伺わせて頂きました」

「息子の…と、いいますと…?」

「そうですね……あ、わざわざすいません」

 

本題の中身に入ろう…としたところで母さんがお茶を淹れ終わり、お茶菓子と一緒に深介さん達へ運んでくる。……因みに、

 

「あ、美味しそ。顕人君のおかーさん、これ頂くねー」

 

普通に友達の家に来た感覚でお茶菓子を頬張る綾袮さんの様子に、リビング内の雰囲気が暫し緩んだのは言うまでもない。…これが狙ってやってたとしたら凄いんだけどなぁ……。

 

「…こほん、それで顕人君ですが…これに関しては百聞は一見にしかずというもの。まずはこちらを確認して頂けますか?」

「これは…ナイフに木の板、ですか?」

 

深介さんが取り出したのは、パンを買ったりバターを塗ったりする用(要は刃物としての性能に難がありそうな)のナイフに、そこそこの厚さを持つ木の板。突然そんな物を出された両親は…勿論、困惑している。

 

「えぇそうです。仕掛けがないかの確認は宜しいですか?」

「…マジックでもするんですか?」

「まぁ、手品の様なものを見せる事にはなりますね。顕人君、この場で霊力付加は出来るかい?」

「付加を?…あ、そういう事ですか。分かりました、二人共それを貸してくれる?」

 

これから何をすればいいか理解した俺は頷き、両親からナイフと木の板を受け取る。そして、ナイフに意識を集中する。

 

「……顕人?」

「顕人君は今集中してるから、ちょっと待ってあげてね顕人君のおとーさん」

「あ、あぁ…集中……?」

 

何やら父さんと綾袮さんが話してるけど…俺はそれに説明を挟んだりは出来ない。だって付加なんてあの検査の時以来だし、そもそもこれはまだ二度目なんだから。

それでも検査の時の感覚を思い出し、数十秒かけてナイフに霊力を流し込んだ俺はふぅ…と短く息を吐く。

 

「…いけます」

「その様だね。それではお二人共、顕人君の手元に注目して下さい」

「…ふっ……」

 

両親が深介さんの言った通り手元に目をやった事を確認した俺はナイフを持つ手を軽く引き…刺突。

ずぶり、とナイフが刺さる感覚。見ればナイフは木の板を貫いて先端を裏側へと露出させており、端から見ればそれこそバターにナイフを刺したかの様な形になっていた。

 

「これ、は……」

「ちょ、ちょっと顕人…それ貸してみて…」

 

思った通り、二人は目を見開いて驚愕を露わにしていた。俺も逆の立場なら同じ様な反応していたんだろうなぁ…と思いながら母さんに板と刺さったナイフを渡すと、母さんは先程よりも数段入念に二つを確かめ始める。

けど……

 

「…これ、ただのナイフよね……?」

「あぁ…板も何らおかしな点はないな…」

 

それもその筈。だってタネも仕掛けもないんだから。強いて言えばナイフの方には仕掛け(というか特殊な素材を使ってる)があるけど、根底にあるのは正真正銘『特殊能力』なんだから。

そして遂に両親は事実を認めた。俺がこんな芸当を身に付けてる事への納得はまだいってないみたいだけど…これが見間違いや安い手品ではない事は、理解してくれた。

 

「…ご覧の通り、これが顕人君の持つ力です。…いえ、彼や我々の様な一部の人間が持つ、力の一つです」

「…何故、息子にその様な力が?」

「分かりません。遺伝により発現するというのが一般的…ではありますが、遺伝が絶対という訳ではありませんし、その遺伝というのも身体能力や病気の発症率同様、関連する事もあればしない事もありますから」

「それはそう、ですね…一からご説明、お願い出来ますか?」

「勿論です」

 

深介さんはお茶を一口煽り、説明を始めた。霊装者の事、協会の事、霊装者の歴史の事、魔物の事…そして、俺があの日経験した事。その全てを俺の両親へと包み隠さず話した。

その間、二人は一言も挟まなかった。挟まなかったのか、挟めなかったのかは分からないけど…とにかく、最後まで聞く事に徹していた。……けど、相槌はきちんと取っていた辺り、大人ってちょっと凄い。

 

「…こんな所ですね。ご質問は…どうなさいますか?」

「……止めておきます、質問は幾らでもありますが…訊き始めるとキリがありませんから」

「無理もありません。ならば、話を進めて宜しいですか?」

「えぇ、どうぞ」

「こほん。…我々は、規則と彼の安全確保の為、こちらで保護したいと考えております。そして…その旨は顕人君本人に、既に伝えました」

 

その言葉を…特に後半を聞いた二人は、再び俺へと目をやる。…まぁそりゃ、そういう反応するよね。

 

「…その、言っても冗談と受け取られるか精神病を心配されるかと思って……」

「言われてみれば確かにそうだな…」

 

非日常を渇望していた俺でさえ、常識から大きく外れる存在(魔物)を目にした時はまず現実的に説明付けようとしたんだから、例え相手が息子でも、そういう渇望が無いであろう二人が説明だけで納得出来る筈がない。百聞どころか百見しても人によっては信じられないかもしれないんだから、もうそれは仕方ない。

 

「まあ、それはそれとして…顕人はどうしたいの?」

「どう、って…?」

「この段階で訊くんだから、分かるでしょ?」

 

そう訊いたのは、母さん。いつもはそこまで真面目な方じゃない母さんが、この時は真剣な表情で俺を見ている。…いや、それは父さんも同じ事。二人揃ってここまで真剣な顔をするのは、随分と久し振りの事だと思う。

 

「…………」

 

迷っている、なんて事はない。所属するってもう決めてるし、決心が揺らいでいたりもしない。でも…やっぱり、こうして面と向かって伝えるとなると緊張するな…。

……でも、言わなきゃいけない。人生を大きく左右する事なんだから、両親に言わないで済ませられる訳がない。だから、俺は周りに気取られない様に意識しながら深呼吸して……決意を、口にする。

 

 

 

 

「……俺は、協会に所属したい…と、思ってる」

『……っ…』

 

──息を飲む、という表現がある。それは驚いた時や恐怖を抱いた時の状態を表す言葉だけど……俺はこの時程言い得て妙な表現だと思った事はない。それ程までに、二人は驚きを隠せずにいた。

 

「…顕人君のおかーさん、おとーさん、顕人君は本気だよ。少なくとも、わたしは決心を聞いてそう思った」

「……そう、か…子はいつの間にか成長する、というが…ここまで唐突で、ここまで想定外の形とはな…」

「…綾袮ちゃんの言う通り、顕人は本気の様ね…」

 

驚きと、動揺と、困惑と…そういう感じの感情が混ざった様な表情を、二人は浮かべていた。…そりゃそうだ。そういう反応をして当然だ。俺は「あ、やっぱ止めるわ」なんて言うつもりはないし、きっと二人は俺の決断に反対するだろうから、俺はなんとか二人に俺の思いを納得してもらわなきゃいけないんだろうと思う。でも、それは嫌だとは思わない。それが子供について回る当然の義務だと思うし、二人の子として父さんと母さんには納得を…出来るならば応援をしてほしい。だから、俺は────

 

 

 

 

 

 

「…なら、頑張れよ顕人」

「体調にだけは気を付けなさい、いい?」

「……うぇ?」

 

なんか、口からよく分からない声が出た。後、数秒何を言ってるのかよく分からなかった。

 

「うん?どうした?」

「や、いや…その…どうしたも何も……」

 

あまりにも反応が予想外過ぎて、俺は上手く言葉を返せない。それは俺だけじゃなく、綾袮さんはきょとーんと、深介さんは多少ながら目を見開いて予想外アピールをしていた。

 

「…そんな返しをするとは思わなかった、ってところか?」

「…えと…そう、だね」

 

こくり、と俺が頷くと、父さんは母さんと顔を見合わせた後に肩を竦める。「まぁ、そうだよな」と言いたげに曖昧な笑みを浮かべる。……わ、分かってたならどうした、なんて訊かないでよ…。

 

「…まぁ、そりゃ驚いたさ。驚いたし、正直まだ整理はついていない。…けどな、別に適当に返した訳じゃない」

「親として、今すべき回答だと思ったものを口にした…ただそれだけよ、顕人」

「そ、そっか……」

「…少し、宜しいですか?」

 

二人の言葉には、いつになく重みがある。それを感じた俺は、まだ納得いっていなかったものの、頷いてしまう。するとそこで、深介さんが口を開いた。

 

「お二人の選択を非難するつもりはありません。しかし、些か即決過ぎではないでしょうか?」

「そう思いますか?」

「えぇ。勿論早く決めてくれる事はありがたいですが…同じ父親としては、思うところがあります」

 

視線を交わす、父さんと深介さん。母さんを除く全員の注目が集まる中、父さんは綾袮さん達が来たばかりの時とはまるで違う、落ち着き払った様子で語る。

 

「父親として……そうですね、親として子の今後に大きく関わる選択には、しっかりと向き合うべきでしょう」

「…では、何故即決を?」

「そんなの単純ですよ。…私も妻も、顕人がいつかくるだろう自立の時に困る事がない様、出来る限りの事を教えてきたつもりです。それに…これでも顕人は、うちの自慢の息子なんですよ?」

 

立ち上がった父さんは、座っている俺の隣にやってきて…にっ、と笑いながら俺の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でる。自慢の息子と言われながら撫でられるのは、正直凄く恥ずかしいけど……何故か、今はそんなに嫌に感じない。

 

「中途半端に真面目で、押しに弱いところはありますが…俺はこいつを人間の出来た息子だと思ってます。思ってるからこそ、きっと大丈夫だと親ととして思ったからこその、即決ですよ」

「…お母様も、そうなんですか?」

「はい。顕人についてはまぁ、夫に言われちゃいましたが…私も同意見です。確かによく考えるべきでしょうし、親は子が間違った道に進まないよう壁となる役目があるとも思いますが……子が本気なら、考えて考えて考えぬいた選択なら、前に出るんじゃなく後ろから背中を押してあげるのも、親の役目でしょう?」

「…という訳です。まぁ、言ってしまえば…私達は常に決意を持って顕人を育ててたんですよ」

 

俺の頭から手を離す父さん。そして……

 

「…だから、心配はしてないぞ。それどころか、お前が決意を持って未来は進んでると知って誇らしい位だ。全部を教えられた訳じゃないが…俺は顕人が、もう一人でも大丈夫な位成長してると信じてる。父親が言うんだ、自信を持て顕人」

「私もお父さんも、何があろうと顕人の味方よ。だから顕人は真っ直ぐ、自分の信じる道を進みなさい。…でも、偶には帰ってきて顔を見せなさい。成長していようがいまいが、顕人は私達の子供で、私達は顕人の親なんだから」

「……っ…父さん…母さん…」

 

今度は俺の肩に手を置く父さん。同じく隣に来て、頭に手を置く母さん。二人の手から、親の温もりが伝わってくる。

嗚呼、駄目だ。そんな事をされたら、困る。そんなに俺の事を思ってくれていると知ったら、背中を押してくれたら…逆に、そんな二人から離れるのが辛くなるじゃないか。心が、揺らいでしまうじゃないか。

──でも、思いを変えたりはしない。背中を押してくれた二人に対する一番の恩返しは、俺がその先へ突き進む事だから。突き進んだ先の姿を、二人に見せる事だから。だから……

 

「……ありがとう…俺、頑張るよ…っ!」

「おう、頑張れ」

「……お二人共、顕人君は我々が責任を持って保護します。お二人の意思は、親としての思いは…同じ親として、しかと受け取りましたから」

「えぇ、これから…明日から、息子を宜しくお願いします」

 

こうして、この日の話は終わった。そして、俺は…父さんと母さんの息子で良かったと、心から思うのだった。

 

 

 

 

……が、

 

「あー…ええと、大変申し上げ難いのですが…こちらもまだ準備がありますので、実際に引っ越しとなるのは今週末になるかと…」

「……そうなんですか…?」

「そうなります…」

 

…とまぁこんな感じに、大変締まりのない終わり方になってしまった……俺、両親が恥ずかしさから顔真っ赤にしてるのは、見たくなかったよ…。



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第十五話 新生活は前途多難

──俺は今、ジュースを入れたグラスを手に窓から外の景色を眺めつつ、センチメンタルな気分に浸っている。

父さんと母さんに背中を押してもらった日の週末。俺は引越し業者さん(代金は協会持ち)に御道家から私物や新生活に必要なものを新居へと運んでもらい、無事引っ越しを完了した。そして今は、荷解きも済んでほっと一息ついている…という状況にある。

 

「場所が変わると気持ちも変わるものだね…」

「あー、分かる。その気持ち分かるよ」

 

グラスを傾け中身を一口飲む。窓の外はいい景色…という訳ではないけれど、実家とも学校とも違う光景に新鮮なものを感じる。…いや、それだけではない。内装も、間取りも、大きな部分も小さな部分もまるっと変わった新居では、どんな事でも目新しく映る。

 

「って言うかさー、さっきから何そのテンション?そういうキャラだっけ?」

 

…それはさておき、新居の場所はありがたいと切に思う。実家よりは双統殿に近く、学校へも徒歩で迎えて、何より自転車で実家に戻れる距離に新たな住まいは位置している。前者二つは今後の生活において大変助かるし、なんだかんだ実家に帰ろうと思えば帰れる距離にいるというのは安心感がある。……子供っぽいかな?でも俺、まだ子供ですもの。

 

「…ねー、さっきからわたし無視してない?」

 

……先程からちょいちょい聞こえてくる声があるが、まあ気にしてはならない。折角の新居での最初のひと時なんだから、感傷的な気分に浸っていてもバチは当たらない筈。

 

「してるよね?無視だよね?シカトだよね?顕人くーん?」

 

……き、気にしない。気にしないったら気にしない。あー、こういう時だとただのジュースも美味しいなー。

 

「…いいよ、そっちがその気なら…喰らえ必殺!グラス真っ直ぐアターック!!」

「ちょおッ!?ぐ、グラス投げるのはアウトでしょうがッ!」

「なーんちゃって、ほんとはクッションでしたー。しかも投げるのは今からでしたー、ていっ!」

「へぶっ……はぁ…」

 

ぼふっ、と振り向いた俺の顔面に当たるクッション。その後クッションが重力に従って落ち、してやったりみたいな表情を浮かべている綾袮さんが目に入った俺は……深い、深ーい溜め息を吐く。

 

「……どうしてこうなったかなぁ…」

 

溜め息と共に俺にがっくしと肩を落とさせたのは……新居における、同居人の存在だった。

 

 

 

 

「お久しぶりです、当主様」

 

それは引っ越しの数日前。俺は様々な手続きの末、再び協会のトップ(の片割れ)である刀一郎さんに謁見していた。

 

「あぁ、まずは所属の件の礼を言おう」

「はっ、恐縮です」

「その性格は相変わらずか…綾袮よ、彼から礼節を分けてもらいなさい」

「えー…わたしが真面目になったら、正直わたしの生来のカリスマ性が劣化する気がするんだけど…」

「自分でカリスマと言うか…お前もお前で相変わらずだな」

「変わらずにいるのもまた成長だよ、おじー様」

 

俺が頭を下げてる中、綾袮さんと刀一郎さんとで交わされる謎の会話。…やべぇ、これがこの家族の普通の会話だとしたら俺はついていけないぞ……。

 

「…まあよい。顕人、今日貴君を呼んだのは伝えるべき事が二つ程あるからだ。…と言っても、わざわざ私が話さねばならぬ事でもないのだが、ね」

「そう、なのですか…」

「一つ目は、貴君の処遇についてだ。具体的な事は後日となるが…一先ずは、綾袮直属の部下となってもらう」

「え、わたしの?」

 

刀一郎さんの言葉に先に反応したのは、俺ではなく綾袮さんだった。…が、恐らく聞きたい事は俺も綾袮さんも同じ。という事で黙っていると、刀一郎さんはこくりと頷いて言葉を続ける。

 

「うむ。貴君は予言されし霊装者…言ってしまえば鳴り物入りの存在なのだ。その貴君を一般の者と同じ様に扱う訳にはいかぬ事は理解出来るであろうな?」

「は、はい。協会上層部の信用に関わる…という事ですね」

「そういう事だ。しかしかと言って何の経験も無い者を独立した地位におくというのも非現実的な話。そこで…」

「宮空家の娘であるわたしに白羽の矢が立った訳だね。…でもいいの?指導者としてはわたし、おじー様やおかー様に並び立てるとは思えないよ?」

「だから、綾袮の部下とするのだ。これまで綾袮には才能を遺憾無く発揮する為枷となる部下は付けずにいたが…もうそろそろ指導者、指揮官としての経験を積んでも良い頃合いだろう。故に、お前なのだ」

 

刀一郎さんの言葉を頭の中で反芻し、俺はまとめる。要は下手な扱いが出来ない俺と、特別な立ち位置にいて部下を持つべきだと考えられている綾袮さんという二人の都合が上手い事合致した結果が、俺の直属部下化…という事らしい。……ん?という事は、もしかして…

 

「…当主様。この場合、所謂私の教育者も綾袮様になるのでしょうか…?」

「内容によっては適宜別の者を宛てがうが、基本的にはそういう事だ。形式上綾袮は上司となるが…同時に護衛としての側面もあると思ってくれてよい」

「は、はぁ……」

「なに、心配は無用だ。貴君も一度は戦いを目にしたであろうが…綾袮はこれでも霊装者としては超一流、綾袮が護衛につく限り貴君の安全は保障さらていると言っても過言ではない」

 

確かに綾袮さんの戦闘能力は疑うまでもないと思うし、こうして刀一郎さんにお墨付きももらったんだから、心配は無用。……と言いたいところだけど、普段のいたずら少女的な面ばかり見てる俺としてはなぁ…護衛はともかく、指導なんて『ガーってやってゴーって決めてドカーンって感じだよ!』…なんてギャグ漫画みたいな事をマジで言ってきそうな気がする。千嵜や時宮さんなら、多分これに同意してくれるんじゃないだろうか。

 

「…もし思うところがあるのなら、不備があった際に私なり息子夫婦なりに伝えるとよい。それならば、綾袮とて疎かにはせぬだろう」

「ちょっ、おじー様!?なにそれ、わたしそんな信用されてな──」

「あ、はい。そうさせて頂きます」

「乗った!?顕人君今話に乗ったね!?二人して酷いよ!」

「では、二つ目の話としよう」

「聞く気ゼロ!?……いいもん、わたしいじけてやるもん…」

 

綾袮さんはしゃがんで絨毯を指でくるくるし始めたけど…刀一郎さんは特に意に介してなかったので俺もスルー。どうも家族なだけあって刀一郎さんも綾袮さんの扱いは慣れている様だった。

 

「引っ越しの件も聞いたが…居を移す点については、異論はないのだな?」

「異論ありません」

「ふむ…ならば報告から住居の要望は分かったが、その上で聞こう。要望さえ満たしていれば、それ以外の点は許容出来るな?」

「それは…要望外の部分も、常識的な作りや仕様になっているという前提で要望を出したのですが、その認識が正しいのならば…」

「当然だ。実社会において信用なき組織など長持ちせん」

「ならば、許容出来…ます」

 

普段なら俺は、断定より『〜〜と思います』や『〜〜かもしれません』の様な表現をする事が多いけど…やはり今回も俺は空気に慣れる事が出来ず、珍しく断言の表現をしてしまった。…が、なんだろうか…何故か嫌な予感がする…。

 

「それは良かった。顕人、貴君は綾袮や深介の話を聞く限り信用のおける人物だ。私としても、予言の霊装者というのが信用のおける人物である事はありがたく思う」

「こ、光栄です…」

「そんな貴君に一般の集合住宅、というのは忍びない。そう思わんか綾袮よ」

「へ?……まぁ、そうなんじゃない?」

「ふっ、ならば話は決まりだ。顕人、貴君には────綾袮との同居をしてもらおう」

 

 

 

 

 

 

『…………は?』

 

 

 

 

……という事で、俺は綾袮さんの家で生活する事になった。えぇはい、全然納得出来てませんよ。

 

「いやー、クリエイト業界って凄いよね。回想って形で過去の出来事を鮮明に表してくれるんだもん、わたし達サイドとしても楽なものだよ」

「うん、メッタメタな発言は止めようか。後俺視点からすれば、溜め息吐いたら突然綾袮さんが『いやー、クリエイト業界って云々〜』って言ってる訳だからね?それ分かってる?」

「顕人君なら引かずに突っ込んでくれると思って、メタ発言をさせて頂きました」

「あそう…はぁぁ、一人暮らしするつもりだったこの気持ちはどうすればいいのさ…」

「それはわたしに言わないでよ…わたしだってあれが初耳だったんだからね?」

 

刀一郎さんにその事を告げられた時、俺も綾袮さんも思いっきりぽかーんとしていた。だってそりゃそうでしょ、突如クラスメイトの女の子と同居する事になったんだもん。魔物やら異能やらの後で言うのもあれだけど、どこのラノベだって話だよ。

 

「にしてもほんと、刀一郎さん…というか宮空家は何を思って俺と綾袮さんを同居させるのか…俺一応思春期の男ですよ…?」

「え、なに?わたし襲う気なの?」

「そうは言ってないでしょうが…というかそんな事したら俺の首が飛ぶっての」

「あはは、顕人君おじー様の前でも似た様な事言って、おじー様に凄まれてたもんね」

「ビビったよあの時は…」

 

当然ながら、我に帰った後俺はその方針に異を唱えた。異論ないと言った手前ではあったけど…流石にこれはそんな事言っていられる事柄ではない。そうして言っていく中で、今と似た様な発言…所謂不純異性交遊絡みの事を言った。

…で、その結果、『ほぅ…貴君は我が孫に、宮空家の跡継ぎを傷物にすると?』…と返された。文章だけだと別になんともない感じだけど…まー怖かった。YESと答えたらその時点でほんとに首をバッサリやられるんじゃないかと思う位怖かった。…多分、あの時の魔物以上である。

 

「……ま、仕方ないよ。おじー様を説得するのは難しい事だし、何よりあの場でわたしも顕人君も最終的に同意しちゃったんだから。やっぱ無し、なんて通用しないのが社会の組織なんだよ」

「…大人だね、綾袮さんは」

「そういう環境で、お姫様みたいな扱いで育ってきたんだもん。当然だよ」

「そっか……まぁ、実際に何か問題が発生するなら考え直すとも言ってたし、取り敢えずは頑張るか…」

「そうそう。わたしだってクラスメイトの異性と同じ屋根の下で過ごす事になった、って点は同じなんだから、お互い頑張ろうよ」

 

肩を竦めながらそういう綾袮さんを見て、俺もそれに気付く。そうだ、つい俺は協会側の人間である綾袮さんに怒る様な言い方をしてしまったけど…今回の件は綾袮さんも十分被害者(被害者、って表現は微妙だけど)で、もっと言えば世間一般では襲う側の性である俺より襲われる側の性である綾袮さんの方が精神衛生的にキツい筈。そう考えれば、俺ばかり愚痴を言うのは些か以上に配慮の足らない行為に思える。……と言っても一番配慮足りないのは協会サイドだし、襲う云々も綾袮さんなら軽く返り討ちにしてきそうだし、綾袮さんの性格次第で襲われるのは俺なのかもしれなかったりするが。

 

「……そういや、お腹空いたなぁ」

「荷解きの後だし、時間もそろそろ夕飯時だもんね。じゃ、ご飯にする?」

「ご飯にしようか」

「うん」

「…………」

「…………」

「……あら?…作らないの?」

「作らないの?って…顕人君が作るんじゃないの?」

「え?」

「え?」

「……あの、綾袮さん…綾袮さん、料理経験は…」

「家庭科の授業を除くと、数える程しかないね」

「…おおぅ……」

 

あっけらかんと言ってのける綾袮さんに、俺は今後の生活に一抹の不安を感じ始める。そして……取り敢えず俺達は、夕飯用のお弁当を買いに行くのだった。

 

 

 

 

「綾袮さん、これまでご飯ってどうしてたの?」

「惣菜買ったりインスタント買ったり今日みたいにお弁当買ったりしてたね」

「学校のお昼は?」

「購買で買ってるね。後、時々姫乃がくれたりもするんだ〜」

「…洗濯や掃除は?」

「最近の家事代行サービスって便利だよね」

「……お金は…」

「わたしデカい組織のトップの孫だよ?無駄遣いや怪しい宗教に使うとかじゃないしセーフ!ご飯についてはそこそこ節約もしてるしね!」

 

数十分後。夕飯を終えこれまでの生活の事を聞いた俺は…頭を抱えていた。言いたい事は沢山ある。けど、言い出したらキリがないから、俺は一言……

 

「……駄目だこりゃ…」

「…あれ?なんかわたし、呆れられてる…?」

 

はい、呆れてます。俺自身これまで一人暮らしをした事も、家事全般を行なった事もないけど…それでもこれが禄でもない状況である事は容易に判断出来た。

 

「むしろこの情報を聞いてどうしたら呆れないでいられると言うのか…」

「酷いなぁ…一応言うけど、わたしが使ってるのは基本霊装者としての給料からだからね?じゃなきゃ普通に怒られるって」

「あ、そうなの?それなら……っていやいや、学校や霊装者としての仕事で忙しくて…ってなら分かるけど、綾袮さんはそうじゃないでしょ?」

「そうだけどさー、別に一人暮らしなら家事を自分でやらなきゃいけないなんてルールはないでしょ?」

「そりゃそうだけど…自分でやろうとは思わないの?」

「やらなくても済むなら、やらなくても良いかなって」

「……むむぅ、人の脛齧ってないからそっちの方が正しいんだよな…」

 

俺にとっては違和感バリバリの生活でも、それが誰かに迷惑かけたり頼ったりしてる訳じゃない以上は個人の自由として尊重すべき事。もしかするとその給料は、立場の関係で普通の霊装者よりずっと高いのかもしれないけど…それもやはり綾袮さんが設定した訳ではないのなら、綾袮さんに非はない。…要は、価値観の違いなんだろうね。

 

「…うん、俺が多分悪いね。悪かったよ」

「そう?まぁ言いたい事は分かるし別に怒ってはいないからいいよ」

「……因みに、今回やる気は?」

「お金の問題が発生しない限り、無し!」

「そうかい…じゃ、今後は俺が出来る範囲でやるとするよ…」

「あ、やるの?別にやらなくても大丈夫だよ?食費とかは普通に顕人君の分も協会が用意してくれるだろうし」

「や、そういう生活したらなんか駄目人間になっちゃいそうだからね」

「え、それ遠回しにわたしdisってる?」

「さぁ、どうだろうね?…それよりも、根本的な問題として…どうして綾袮さんは一人暮らしなの?」

 

お嬢様である綾袮さんが、どうして実家を離れて生活…それもホテルとかではなく普通の家に住んでいるのかは、俺がずっと気になっていた事だった。本来なら最初に聞くべき事柄だけど…まぁ、なんだかんだて流れちゃったんだから仕方ないじゃん。

 

「あー…それはね、うーんと…なんて言ったらいいかな…」

「…もしかして、訊いちゃ不味い事だった?」

「ううん、単に色々な理由があるからまとめ辛いってだけ。でもまぁ…『普通の生活』をしてみる為、って感じかな?わざわざ高校入学したのも半分はそれが理由だしね」

「もう半分は、予言で俺と千嵜の存在が分かったから…だっけ?」

「そうだよ?でも予言だと完全特定までは出来なかったから、わたしと姫乃は潜入を兼ねて去年から人生初の学生をやり始めた訳だよ」

「……人生初?」

「言ってなかったっけ?わたし達、小中学校行ってないんだ。そこまでは全部協会内で勉強してたから」

「そうだったんだ…」

 

日本国民は義務教育を受ける権利があって、義務教育は受けてるのが当然の事だけど…何らかの理由で、義務教育を受けていない人も世の中には存在する。それは知っていたし、いつかは会う事もあるんだろうとは思っていたけど……まさかこんな身近にいるとは思わなかった。……正直、なんて反応するのが良いのか分からない。

 

「一種の英才教育ってやつだよ。宮空家に生まれた以上は戦闘訓練とか、社交界の礼節とかも勉強しなきゃいけない訳だからさ」

「…それは、その……」

「あ、別に気にしなくていいよ?わたしには妃乃っていう同じ立場の幼馴染みがいたし、宮空家に生まれたおかげで何不自由ない生活が出来た訳だからね。……っていうか、うん…そうだ。ほんと顕人君には色々気にしないでほしいな」

「色々?」

 

話しながら何か思った様な事を言う綾袮さん。一体何の事なのか分からず俺が聞き返すと…綾袮さんは、ちょっとはにかみながら言った。

 

「これまで通り接してほしい、って事だよ。なんか同居する事になっちゃったし、わたし顕人君の上司になっちゃったけど…それを意識してこれまで通りいかなくなるのは嫌なんだ。…わたし、結構顕人君とこうして話すの好きだもん」

「綾袮さん……」

「…あ、好きって言ってもあくまでlike的な意味だからね?勘違いしちゃ駄目だよ?」

「…分かってるよ。幸先は決して良くないけど…これから宜しく、綾袮さん」

「うん。宜しくね、顕人君」

 

そんなこんなで、新居一日目は終わった。間取りやトイレ、風呂の作りなんかが違う事に戸惑ったり、同じ屋根の下に年頃の女の子がいるんだよなぁ…とちょっと変な気分になったりはしたけど……そんなん描写したってしょうがないしね。特に前者とか誰得だし。…ま、明日も休みだし、取り敢えず今日はゆっくりと寝て身体も頭も休めようかな……。

 

 

 

 

俺は休日、常識的な範囲で遅起きするタイプで、朝早くに起きたりなんて滅多にしない。仮に目が覚めても二度寝する人間だけど……それは、一昨日までの生活だった。

 

「う"ー……」

 

台所にて味噌のパックと箸を手に呻る男。…まぁ普通に俺である。俺は日曜である今日、平日と同じ位の時間に起きて朝食を作っていた。……そう、家事の真っ最中なのだ。

 

「ああは言ったものの、実際やるとなると途端に面倒になるな…眠いし……」

 

家事を代行サービスに任せっきりにするのは嫌、と言った手前、早速サボる訳にはいかず朝食を作る俺。…因みに、「あ、どうせ作るならわたしの分も作ってよ」と昨夜綾袮さんに言われて今は二人分調理中だったりする。…いやまあ一人分と二人分なら大差ないからそれはいいんだけどさ。

 

「家事疎かにする訳にゃいかんしなぁ…そこら辺、一人暮らしなら適当でも良かったのになぁ…」

 

なんて、ぶつくさと文句を言いながら(半分は身から出た錆)作ってる俺はこの時不満たらたらだったけど……

 

「……んぅ…あきひとくん、おはよぉ…」

 

────パジャマ姿で目を擦りながら、眠そうにぽけーっとリビングへとやってくる綾袮さんを見た瞬間『新生活最高!』…と手の平を返したのは、秘密である。



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第十六話 考え過ぎて…迂闊

俺と綾袮さんとの生活が始まってから、少しの時が過ぎた。家での生活は一変したけれど、当然ながら学校生活はこれまで通り。そこそこ積極的に授業を受けて、千嵜と駄弁って、生徒会活動もして…という、まあまあ悪くない学校での時間。……けど、全くもって変わりがない…という事でもない。

 

「千嵜は……もう行ったか」

 

千嵜と共に下校した俺は、千嵜と別れる角を曲がって暫くしたところで止まり、こっそりと別れた位置まで戻って周りを見回す。

今俺が通っていたのは、これまで使っていた道。要は実家へ向かう為の道であって、新居に向かう為の道はこれではない。なのにここを通っていたのは…ひとえに千嵜…というか学校の誰にも住まいが変わった事を話していないからだった。

 

「…やっぱ、千嵜には話した方が楽だよなぁ…」

 

周りに話していないのは、勿論説明するのが大変(というか恐らく理解してもらえない)だから。そういう意味では事情を知ってる千嵜ならすぐ理解してくれるだろうし、話しちゃ駄目とも言われてないけど…どうも俺は話す気になれなかった。今の生活を大事にしたい千嵜に、こちら側の話をするのはあいつの意に沿わない…と思っているのがその理由の一つではあるけれど…それだけかと言われると、正直俺自身もよく分からない。

 

「まぁでも、いつかはバレるんだろうなぁ…」

 

なんて、内心気楽に考えながら歩いている内に、件の新居へと到着した。…うむ、ほんと未成年二人で住まうには大き過ぎる家だ。

 

「ただいま〜」

「あ、お帰り〜」

 

靴を脱いで家に上がると、リビングから言葉が返ってきた。着替える為に自室へ向かう中、ちらりとリビングを見ると、そこにはソファに深く座った姿勢で雑誌(多分漫画)を読む綾袮さんの姿。

同じ家から学校に向かい、学校から同じ家へと帰る俺と綾袮さん。でも、俺達は登下校の時間をずらすようにしていた。…だってほら、住まいが変わったってだけならともかく、同居してるってバレたら変な噂立ちまくりになる外確実だし。

 

「顕人くーん、今から時間大丈夫ー?」

「そりゃ勿論。学校内ならともかく、帰ったら割と暇なのが顕人君だからね」

「OK、それじゃ今日も行こうか」

 

自室で着替えていると、扉越しに綾袮さんの声が聞こえてくる。それを受けた俺は返答し、手早く着替えを終えて部屋を出る。そしてそのまま俺達は家を出て、双統殿へ。

……そう、霊装者としての訓練である。

 

「さーて、じゃあ今日も基礎をやるよ」

「はいよー。…綾袮さんって、結構基礎大事にするんだね」

「なんだかんだで基礎が一番大事なんだから当然だよ。というか…私に限らずまともな霊装者なら、まともなスポーツマンや科学者なら皆そうじゃない?」

「…まぁ、そりゃそうだね」

 

なんとなく綾袮さんの事は『考えるより動くタイプ』だと思っていたけど…少なくとも、俺が思ってる程ではないらしい。…基礎は謂わば土台であり大黒柱なんだから、大事にするのは当然なんだけどさ。

 

「ふっ、ほっ、とうっ!……あ…」

「あー、拡散しちゃってるね。もしかしてバーッ!…って感じの想像してる?」

「…バーッ…?」

「別にゴー!でもビシュー!でもいいよ?」

「……してるっちゃ、してるかも…」

 

トレーニングルームで霊力付加中の剣を振るっていたところ、特に何もしていないのに剣から霊力が拡散してしまった。…正直、前に思った通り綾袮さんが擬音で伝えようとしてきて若干困惑した俺だったけど…言われてみればそんな想像していた様な気もしたから、取り敢えず肯定。すると綾袮さんは「あー、やっぱりね」と言いたげに頷いた。

 

「初心者がよく陥るミスなんだよ、それは。空気を切る音とか、攻撃対象を断ち斬った時の衝撃なんかに無意識に反応して、『何かが武器から拡散していく』イメージを頭の中で持っちゃうんだよ。で、そのイメージが霊力に作用する事で、実際に付加されてる霊力が離れていっちゃう…って感じ。分かった?」

「一応……うーむ、なら霊力が留まるイメージで…あ、いや単に無意識のイメージをしない様にすればいいのか?…って、無意識を意識的に変えられる訳ないか…」

「大いに迷い給え、顕人君。自分で見つけた自分なりのものが、自分にとってのベストになるんだから」

「自分なり、か…厄介だなぁ、離れていっちゃうのは…」

「まぁ、ね。でも物は考えようだよ?ちょっと剣貸してくれる?」

 

手の平を上にして差し伸べる綾袮さん。何か見せてくれるのかな…と思って俺が渡すと、受け取った綾袮さんは眉一つ動かさずに剣へ霊力を付加させた。…レベルが違うなぁ、当たり前だけど。

 

「拡散しちゃう、ってのは確かに厄介だけど、逆に言えば外へと放出出来る…って事でもあるのは分かるよね?」

「分かるね」

「だから、確固たるイメージと、ある程度の霊力操作能力があれば……ッ!」

 

そう言いながら綾袮さんは剣を腰に構え……一閃。その瞬間、剣の軌跡を描く様に蒼い斬撃が現れ、そのままトレーニングルームに置いてある的へと銃弾に勝るとも劣らない速度で飛んでいった。

斬撃が直撃し、真っ二つになる的。それを見た綾袮さんは涼しい顔で俺に剣を返してくる。

 

「…こんな事も出来るんだ。便利でしょ?」

「べ、便利っていうか……」

「便利っていうか?」

「……カッケェ…」

「お、顕人君男の子の顔になってるね」

 

古今東西バトル物において、飛ぶ斬撃はありふれてるレベルで存在してるけど…それ故に安定した格好良さがあると俺は思っている。というか思っているからこその、この発言。…あれやってみたいなぁ、今の俺じゃ無理だろうけど。

 

「…あ、一応言っておくけど…もし顕人君がこの技の練習がしたいなら、周りに気を付けてね?慣れてないと斬撃飛ばす筈が剣をすっぽ抜けさせちゃう人が時々いるからさ」

「ギャグみたいなミスだね…近くにいた人にとっては洒落じゃ済まないけど…」

「…因みにわたしは昔それをやっちゃって、妃乃をツインテールからサイドテールにしかけた事があったなぁ…」

「顔のすぐ近くじゃん!何上手い事言おうとしてんの!?」

「イッツ霊装者ジョーク!」

「…それは言葉選びの事?それともエピソードの事?」

「前者前者、あの時はその後妃乃の槍から逃げ回る羽目になったよ…」

「そりゃそうでしょ…」

 

どうやら綾袮さんと時宮さんの関係性は昔から変わってないらしい。……正直、今後俺は第二の時宮さんポジ、セカンド時宮さんになるんじゃないかと不安でならない。

 

「さ、冗談はこの位にして訓練訓練、時間は大切だよ」

「へーい…やっぱり戦い慣れてるだけあって、こういう部分は真面目なんだね」

「そりゃそうだよ。だって、だらだらしてたら……お夕飯が遅くなっちゃうじゃん!」

「…今日は冷凍ご飯とふりかけでいいかな…」

「DVだ!」

「俺の事より夕飯の事大事にしてた綾袮さんがそれ言う!?後そんな事言うと勘違いするぞ!」

「してごらんよ!わたし断るよ!?断ったら顕人君は勿論わたし自身も気まずくなるよ!?その状態で一緒に暮らすとか出来る!?」

「脅しが斬新過ぎる!?」

「それはお互い様だけどね!」

 

喧嘩してんだかイチャついてんだか第三者視点からすれば全く分からないだろうやり取りをする俺達。まるで生産性のない会話だけど、まぁそれはそれで面白いからいいのである。

そうして訓練をする事一時間強。学校も家事もある俺は平日からガッツリと訓練する事は出来ず、いつもと同じ位の訓練で切り上げて綾袮さんと共に新居へと戻るのだった。さて…冷蔵庫の中には何があったんだったかな…。

 

 

 

 

「顕人くーん、お風呂頂くね〜」

 

夕飯を終え、ゴールデンタイムも終わりに近付いて来た頃、そんな綾袮さんの声が聞こえた。それに俺はリビングでテレビを見ながら適当に返す。

 

「んーと…あ、そうだ今日は特番でやらないんじゃん…」

 

テレビの番組表画面を見て落胆。実に平凡な、どこの家でもありそうな場面である。

その後暫くテレビを見て過ごす俺。見たい番組がやってなかった事もありあまりテレビには集中出来ず、頭の中では明日のご飯の献立や、洗濯物を干す為に天気の事を考えていた。……って、大分俺も主婦的思考になってるな…主婦じゃなくて主夫だけど…。

 

「……あ、そういや…」

 

自分の思考の変化に苦笑していたところで、俺はバスタオルが脱衣所から切れていた事を思い出す。…いや別にバスタオルがズタズタになってたとかじゃないからね?用意していた物を使い終わった的な意味だからね?

 

「不味い不味い、綾袮さんの事だから気付かず入っちゃっただろうし、下手すると一人暮らしだった頃の感覚で拭かずに出てきてしまうかもしれん……」

 

前者は恐らくその通りで、後者も綾袮さんならやりかねない。…というかぶっちゃけ俺もまだ時々実家にいた頃の感覚で何かしようとしてしまう事があるから、俺としては気が気でならない。もし、俺の予想が両方当たっていて、その上俺が何もしなかったら……それはまぁえらい事になる。

 

「俺はともかく、綾袮さんにとっては恥ずかしい過去を作る事になっちゃうし…ほっとけないよねぇ」

 

タンスの中からバスタオルを幾つか取り出し、それを持って脱衣所へと向かう。…てか、綾袮さんが俺含む世の一般男性と同じ様に入浴時間が短かったら、俺が気付く前に出ていた可能性高いんだよなぁ…セーフセーフ。

 

「……っと」

 

脱衣所前まで来て、引き手に手をかけたところで…俺は動きを止める。それは勿論、綾袮さんが脱衣所に出ていないかを確認する為。

脱衣所に入ったら女の子が服脱いでたとかお風呂から出たところだったとか、ラブコメにおいて『脱衣所でばったり』というイベントはお約束レベルでしょっちゅう存在する。で、大概胸と下腹部を隠しながら叫ぶ女の子に対して主人公が長々と言い訳(しかも理由がある場合何故かその理由を中々言わない)をして、結果殴られるだの脱衣所&お風呂にある物を投げられるだのする訳だけど……これに対して俺は、「いや、そりゃあんたただの不注意だろうが。後さっさと閉めて扉越しに謝れよ」と言いたい。だって、実際に目にせず共脱衣所に人がいるかどうかは確認出来るのだから。

まず第一に、扉の開閉状況。当然の話として開いていればまぁ気にする必要はない(開いてる状態で着替える様な人ならば、端から見られたところで気にする人ではないと見て間違いない)し、逆に言えば閉まってる時点で『人が着替えてる可能性がある』と考える事が出来る。で、そこからは扉とドア枠の隙間から光が漏れてるか(=照明がついてるか)どうかを見るなりシャワーの音がするか(=風呂場にいるか)どうかを聞くなり等をすればかなりの確率でいるかどうかを確かめる事が出来る。流石に100%ではないけど…確認出来るものをしないで開けているなら、それは不注意以外の何物でもない。と、いうかほんとに気を付けたいのならノックをすればいいだけなのだ。

…なんていう持論を脳内で展開した後、俺は脱衣所の扉をノックする。ほら、もうハプニングは回避出来た。ったく、よくもまあ世の中じゃこれ位の事もせず不注意をラッキースケベと言い換えてるもんだ……って…

 

「……いないんかいッ!」

 

こんな長々とフリをしたのに、それっぽい流れになってたのに……綾袮さんは脱衣所にはいなかった。これでは完全に独り相撲である。…いや、ハプニング起きなくてよかったんだけどさ…綾袮さんに恥ずい過去が出来ずにすんでよかったんだけどさ……こうなると、ねぇ?

 

「…って俺は誰に言ってるんだか……」

 

しょうもない事に頭を回転させちゃったなぁ…と何とも言えない気持ちになりながら、脱衣所に入った俺は電気を点けてバスタオルをタオル置き場へと配置する。なんか肩透かしだけど…当初の目的は達成したしさっさと出よ…。

脱衣所から出て扉を閉めた俺は、再びリビングへ…行きかけて反転する。そういや電気付けっ放しじゃん、勿体無いし消さないと────

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、いいお湯だったぁ……へ?」

「あ……」

 

扉を開けた瞬間、脱衣所からもガチャリ…という音が聞こえて──俺は、硬直した。

俺の目に飛び込んできたのは、一人の少女の姿。濡れてしっとりとしている髪に、温まりほんのりと赤く染まった頬。視線を吸い付けられそうなうなじに、華奢さを感じる小さな肩。些か膨らみに欠けるも煩悩を刺激される胸に、綺麗な曲線を描くくびれ。形の良い腰に、ほっそりと伸びた脚。嗚呼、それは……紛れもなく、綾袮さんだった。綾袮さんの、裸体だった。

 

「…あ、ぅ…ぇ……?」

「そ……その、あの…えと……」

 

口をぱくぱくとさせる綾袮さんと、完全に『冷静な思考回路』というものがショートしてしまった俺。え、あ、えと…こ、こういう時なんて言うんだっけ?数分前なんかそれっぽい事考えてたよね?って数分前考えてた事すらきちんと思い出せないって俺大分ヤベぇじゃん!そしてこのまま黙って綾袮さんの裸見てる事はもっとヤベぇじゃん!と、とにかく動け俺!えーい、なんでも言うから言うのだっ!せーのっ!

 

「ご…ご馳走様でしたっ!」

「──ッ!へ、変態変態変態変態ッ!きゃあぁぁぁぁああああああッ!!」

「へぶぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」

 

はーい最悪のチョイスしちゃいました〜飛び膝蹴り喰らいました〜自業自得で〜す。

……一つ、訂正しようと思う。先程ラブコメでのハプニングは不注意と言うべき事を言わないからと論を展開したけど…言うべき事を言わないんじゃなくて、驚きとかやってしまった感とか煩悩とか煩悩とか煩悩とかのせいで、言えないだけだったらしい。…と、そんな事を学んだ俺だった。

 

 

 

 

「で、再び脱衣所に入ったらお風呂から出てくるわたしと鉢合わせた、と?」

「はい、そういう事です」

 

十数分後、俺はパジャマ姿で足を組んでソファに座る綾袮さんの前で正座をしていた。……当たり前である。

 

「じゃあ、さっきのご馳走様発言は?」

「……それは、その…」

「よーし、天之尾羽張の素振りしよっかなー」

「咄嗟に口走っただけです!思考がまとまらず適当な言葉が出てきただけです!はい!」

 

笑顔で言う綾袮さんにビビった俺は即白状。なんか物凄く情けないけど…もうこうなっちゃうと仕方ないっす。非は俺にあるし、ご馳走様とかどう考えても変態野郎の発言なんだから俺に出来る事と言えば素直に言う事しかないんです。

 

「口走ったって……はぁ、わたしはあの時顕人君をマジの変態かと思ったよ…」

「そう思うのは当然の事かと…」

「おかげでわたしは反射的に飛び膝蹴りしちゃったし……大丈夫?結構本気で蹴っちゃったけど…」

「蹴られた箇所と吹っ飛んでぶつけた箇所は痛いけど…取り敢えずは大丈夫」

「なら良かった。じゃ、それはそれとして……さぁて、それじゃあ顕人君にはこの落とし前をどうつけてもらおうかなぁ?」

「うっ……」

 

脚を組み直した綾袮さんの表情は、悪戯っぽさとマジさを混じらせた様なものだった。……そういう表情だとほんとにどんな事言われるか分からないから…超怖い。

……が、そこで綾袮さんは優しさを見せてくれた。

 

「…けど、正直わたしはちょっと自分にも非があるかなぁ…とも思うんだよね」

「へ……?」

「ほら、顕人君最初ノックしたでしょ?実はその時わたし出ようとしてたんだ。それでノックに気付いて出るの止めたんだけど…気付いたなら反応してもよかったし、顕人君がバスタオル持ってきてくれなかったらわたしが困ってたのも事実だもん。それに…ものの数秒で状況が変わるなんて、流石に予想出来ないと思うしさ」

「じゃ、じゃあ…」

「うん。だからここは一つお互い様って事にしない?わたしとしては、さっき見たものを忘れてくれればそれでいいからさ」

 

組んでいた脚を解き、綾袮さんはにこりと笑みを浮かべてくれた。その表情に救われた様な感覚を俺は抱き、無意識に胸を撫で下ろす。そうだ、思い出せは綾袮さんは優しく相手を思いやれる人だったじゃないか。そんな人にどんな事言われるか分からない、なんて思うのは無礼千万。優しい綾袮さんにまた失礼をしたりする事のないよう、俺は綾袮さんを見ながら心の中で自分に言い聞かせるのだった。

 

 

 

 

……って、忘れてくれれば(・・・・・・・)

 

…………。

 

…………。

 

「…………多分、無理…」

「え?無理って?」

「や、その…綾袮さんの裸を忘れるのは、ちょっと思春期男子の脳的には……無理です」

「……マジ?」

「マジ」

「…………」

「…………」

「……人間って確か、頭叩くと結構な数の脳細胞が死ぬって言うよね……よし」

「よしって何!?叩く気!?叩いて忘れさせる気!?しょ、正気!?」

「正気だよ!正気だからこそだよ!だってわたし見られただけでも相当恥ずかしいのに、今後もその人と一緒に過ごすって事になるんだよ!?わたし恥ずかしさで死んじゃうよ!?」

「いやそれ位じゃ人間は死なな…うおっ!?ほ、ほんとに殴りかかってきた!?嘘だろ!?」

「お願い顕人君!たんこぶ出来たら手当てしてあげるから!痛いの痛いの飛んでけしてあげるから!だから殴らせて!記憶が、飛ぶまでッ!」

「そんな『抱きしめて!銀河の、果てまでっ!』みたいなイントネーションで言われたって殴らせるか!後流石の俺もそれじゃ殴られてもいいかなとは思えねぇぇぇぇぇぇ!」

 

という訳で、高校生にもなって家の中で追いかけっこをする事になった俺と綾袮さんでした。お終いお終い。

 

 

……いやほんと、パプニングには気を付けようね…。



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第十七話 唐突の初陣

「う、む、む……」

 

スコープ越しに見る、今では見慣れたトレーニングルームの的。ダーゲットサイトの中央に的を捉え、ゆっくりと息を吐きながら……引き金を引く。

 

「おー、そこそこいいじゃん。もしかしたら顕人君は近接格闘より射撃の方が得意かもね」

 

と、そういうのは俺の上司兼教師兼同居人の綾袮さん。今日は綾袮さんも訓練をしようと思ったのか、大太刀を携えていた。

 

「どうだろうね。俺個人としては、どっちもいけるタイプになりたいんだけど…」

「なら鍛錬あるのみだね。どんなに霊力量や霊力の扱いに長けてたとしても、戦闘技術がなきゃ活かせる訳ないしさ」

 

素振りしながら言った綾袮さんの言葉に、俺は心の中でそうだよなぁ…と返す。どんなに切れ味の良い剣があったって当たらなければ意味がないし、どんなに攻撃範囲の広い砲台があったって使い方が分からなければ役立せる事は出来ない。…そんなの、当たり前の話なんだよね。

 

「…ところで、綾袮さんは銃を使わないの?」

「銃?…あー、まぁ使わないね。一応拳銃は緊急用として携帯してるけど、あくまで緊急用だし」

「拳銃携行してたんだ…銃より太刀の方が得意なの?」

 

これまでにも何度か綾袮さんは俺と一緒に訓練をした事があったけど…いつも大太刀を使っていたし、初めて魔物を見た時も綾袮さんは大太刀だけで戦っていた。…けど、霊装者の武器使用頻度は一般的に『遠隔武器>近接武器』、と聞き及んでいる。…俺にとって一番よく知る霊装者がそれに該当しないなら、俺はそれを信じていいんだろうか?

…と、俺が思っていると、綾袮さんは自身の事について説明を始めてくれる。

 

「得意、っていうか…わたしにとっては下手に銃を使うより、天之尾羽張一本で戦う方が強いし楽なんだよ」

「…それを得意って言うんじゃないの?」

「うーん…えとね、まず第一に銃…火器は威力や速度の上限が決まってるんだよ。これはサブカル好きの顕人君には分かるんじゃない?」

「まぁ、そりゃ……」

 

そう言われた俺は取り敢えず首肯。

武器には大きく分けて、剣や槌の様に使用者の力や技術の強化装置・増幅装置としての機能を持つタイプと、銃やボウガン、戦車やミサイルの様に運用方法さえ知っていれば常に一定の性能を発揮するタイプの二つがある。後者は扱うのに必要最低限の力や技術さえあれば誰でも同じ効果を発揮出来る、武器の技術水準次第では普通の人間の域を超える力を発揮する…という利点があるけど、逆に言えば子供が使っても筋肉隆々の大人が使っても同じ結果しか出せないという欠点も存在する。だから、常識的なレベルの事しか出来ない機械武器より、あくまでメインは使用者の能力である原始的な武器の方がサブカル業界(特に異能物や異世界物)では脚光を浴びやすいんだけど……霊装者が使う銃器に関しては、近接武器と同様に霊力付加をしているのだから…

 

「…霊力次第で火器も上限が上がったりしないの?」

「しないよ?…っていうか、あ…もしかして顕人君、銃器全体に霊力付加してると思ってる?」

「…違うの?」

「違う違う、付加してるのはあくまで弾丸と一部の機材だけだよ。全体付加しても、精密機械の部分と上手く噛み合わなくて思った様に性能を発揮出来ない…って大分前に研究成果が出てるらしいからね」

「そうだったんだ…初耳だよ」

「じゃあ、いい勉強になったね。……で、もう一つ理由があるんだけど…顕人君、霊装者の一般装備は二種類あるのを覚えてる?」

「特殊な素材を使った刃や弾丸に霊力を付加させるタイプと、刃や弾丸をまるごと霊力で構成するタイプ…だよね?」

 

使用難度や霊力燃費等の面に長ける付加武装と、威力(斬れ味)や速度等の面に長ける収束武装。まだまだ未熟な俺は今のところ付加武装しか使った事無かったけど…種類と大まかな特性については綾袮さんから教えてもらっていた。…説明はほんとに大まかで、実際にはもっと特性や違いがあるんだろうけど。

 

「そう。…けど実は、霊装者の武器はもう一種類あるんだ」

「もう一種類…?」

「それがこれ、一般の付加武装とは違って完全に特殊な素材…あ、付加武装とは別の素材ね…を使った武器だよ。このタイプは付加武装は勿論、収束武装とも一線を画するポテンシャルがあるからわたしはこれ一本で戦ってるの。敵が遠いなら距離を詰めるなり斬撃飛ばすなりすれはいいしね」

 

これ、と言いながら綾袮さんは俺に天之尾羽張を見せる。今の説明だと他とはどう違うのかさっぱりだけど…思い返してみると、俺がこれまでに使っていた武器と綾袮さんのそれでは、刀身からの蒼い光の質が違っていた様に思える。…けど、それなら……

 

「…そのタイプの武器を量産するのは駄目なの?量産されてないって事は何かしら理由があるんだろうけど…」

「そうだねぇ…収束武器以上に使いこなすのが難しいとか、普通の霊装者じゃポテンシャルを引き出しきれないとか色々あるけど……一番はやっぱりその素材が超希少だからかな。宮空家に代々伝わる天之尾羽張含めても、協会全体で二桁に満たない数しか保有してない位なんだ」

「そんな少ないんだ…」

 

日本内の組織である協会でも9つ以下となると、世界全体でも恐らくは3桁いくかどうか。…その内の一つを専用武器として与えられてる綾袮さんって、やっぱ凄いんだなぁ…。

 

「ちょっと長くなっちゃったけど…お分かり頂けたかな?」

「えーっと…スーパー霊装者とスーパー武器の組み合わせが最強。余計な物は必要なし。…って事だよね?」

「そのとーり!理解が早いどころかわたしへの褒めも忘れてない辺り、先生は嬉しいぞ!」

「喜んで頂けたなら幸いっすよ、先生」

 

軽いノリで言ってみたら、軽いノリで返ってきた。家でのノリを、ライフルと大太刀を携えた状態でも滞りなくやっちゃう辺り、俺と綾袮さんは相変わらずである。

因みに、あの後…顕人覗き事件&綾袮暴行事件の後、俺と綾袮さんは無事和解した。だが、俺はあの光景を今も鮮明に覚えている。つまり…俺は記憶を飛ばしたのではなく、『今後ネタにしたりはしない』という約束で和解へと持ち込んだのだ!……まぁ、そこに持っていくまでにそこそこの回数叩かれたんだけどね。というか、妥協案を提案したのがそこそこ叩かれた後だからこそ、叩いた事が綾袮さん側のハンデになって和解へと持っていけた面もあるし。

 

「さ、そろそろ訓練に戻ろうか顕人君。息抜きはもう出来たでしょ?」

「ま、ね」

 

そうして俺は射撃練習に、綾袮さんは近接格闘練習にそれぞれ戻る。精密射撃練習の前は弾幕形成の練習をしていて、既に結構な量俺は霊力を消費していたけど…ありがたい事に俺の霊力貯蔵量(と単位時間当たりの生成量)はデータ通りずば抜けてるらしく、ガス欠を起こす気配は微塵も感じられない。集中力やスタミナは当然別だから、幾らでも訓練が出来るって事はないけど…それでも霊力を気にしなくていいのは助かるな。

……と、俺が思っていたところ、綾袮さんの携帯が着信音を鳴らした。

 

「はいはーい。…え、そうなの?ほうほう…」

 

電話に出て相手の話を聞いている綾袮さん。音が通話の邪魔になっちゃいけないかなと思って射撃練習を止めると、綾袮さんはわたしに片手拝みで礼を表した後……何故か、俺を見ながら通話を続ける。

 

「うーん…ま、絶対駄目とは言わないけど…もう少し後がベターじゃない?」

「……?」

「うん、うん…あー、でもそっか…そりゃ勿論わたしがいるから大丈夫、そこは心配ないって。けどそうなると…それもそうかなぁ…」

 

言うまでもなく相手の声は聞こえないし、綾袮さんも名詞をあんまり口にしないせいで何の話だかさっぱり分からないけど……どことなく俺が関わってそうな気はする。大部分は俺の方を見ているからだけど…そうでなくとも、今綾袮さんといるのは俺な訳だし。

 

「……分かった、そうするよ。どうやって進めるかはわたしの自由でいいよね?…うん、それじゃあ任せて…っていや、任されて?…まあいいや、ばいばーい」

「えぇと…電話終わった?」

「うん。…顕人君、君に一つビックニュースがあります」

「ビックニュース?」

 

携帯をしまった綾袮さんは、いまいち考えている事の読めない表情を浮かべた。……何だろう、嫌な予感がする…。

 

「でれでれでれでれでれでれでれでれ、でんっ!」

「……え、何?ぼうけんのしょが消えたの?」

「違うよ、ドラムロールだよ。読んでる人には分からないかもしれないけど、顕人君はリズムで分かるでしょ?」

「メタいなぁ…パロってる俺が言える立場でもないけど」

「こほん、じゃあ改めて…でれでれでれでれでれでれでれでれ、でんっ!」

(そっからなんだ…何だろう、試験とかでもするのかな……)

 

 

 

 

 

 

「顕人君、今から実戦訓練をする事になりましたっ!頑張ろうね!」

「…………は?」

 

 

 

 

日が暮れた事もあり、人気の無くなったとある港。その一箇所…所謂埠頭と呼ばれる場所に、それは……魔物は、いた。

 

「…………」

「周りに人も、他の魔物の姿も無しっと…うん、これなら大丈夫だね」

 

灯台の踊り場から魔物を見下ろす俺と綾袮さん。綾袮さんは前に魔物を倒した時と同様コートと羽織の中間の様なものを着ていて、俺は俺で霊装者用戦闘服兼制服のコート(所属時に寸法を測ってもらった)を着用している。…そう、綾袮さんだけでなく、俺自身も戦う為の装いを纏っている。

 

「…………」

「これは…緊張してるね、顕人君」

「…そりゃそうだよ…俺初陣だよ…?」

「まぁそうだよねぇ…でも安心して、あの魔物はかなり雑魚の方だから」

 

ここが港だからか、魔物は蟹とザリガニと蠍を混ぜた様な…とにかく二つの鋏が特徴的な姿をしている。……少なくとも、チュートリアルや物語の最序盤で出てくる様な魔物には見えない。

 

「…ほんとに雑魚?」

「ほんとほんと。そこそこの探知能力と結構な魔物遭遇経験があると、発見した魔物がどれ位の強さなのか分かるんだよ。で、今いるアレはわたしの経験の中でもトップクラスに弱いね」

「…外見的には中の上位っぽく見えるんだけど…」

「あー、普通の魔物はあんまり見た目と強さは関係してないよ?前に一回ぬいぐるみみたいな奴いたけど、そいつは前に顕人君が遭遇した奴の数倍は強かったし」

「ぬいぐるみみたいな奴がか…あいつ、遠距離攻撃してくると思う?」

「うーん…多分してこないんじゃない?そこまでは探知出来ないから、わたしの推測に過ぎないけど」

「そっか…まぁ、攻撃される前に一気に倒せばいいだけの話だよね…」

 

言うまでもなく、俺は滅茶苦茶緊張している。上手く倒せるか不安だし、襲ってくると思うと怖いし、上手く出来ずに綾袮さんのおんぶに抱っことなってしまったら恥ずかしい。けど、前から覚悟はしていた。そういう世界で、そういう事をする仕事なんだから…自分で望んで選んだんだから、その時はきっちりやろうと心に決めていた。

ふぅ…とゆっくり息を吐いて、コートの腰回りに当たる部位に下げられているキーホルダーサイズのライフルに触れる。

 

「……よし」

「よーく狙うんだよ?で、撃とうと思ったらわたしに言ってね」

 

俺の手が触れ、霊力が流れた瞬間本来のサイズへと戻るライフル。原理は例の如くざっくりとした説明のせいでよく分からなかったものの…霊力と特殊素材との反応を利用した、一時的な物質の圧縮によるものらしい。初めて霊装者としての綾袮さんを見た時、綾袮さんはどこからか大太刀を出したりしまったりしていた様に見えたけど…勿論、それもこれと同じ技術である。

 

(セミオート…いや、あんまり格好はつかないけど、フルオートで削りきった方が確実か…)

 

射撃のモードを切り替え、踊り場の上から狙い撃つ体勢に入る。本来フルオート射撃はスコープを覗いての射撃…精密射撃には向かないが、霊装者は身体能力強化によって強引にライフルを押さえる事で、ある程度狙いのブレを抑える事が出来る。そしてフルオートならば、初撃着弾後セミオートとは比べ物にならない速度で二発目以降を撃ち込む事も出来る。勿論いつでもフルオートの方がいいという訳ではないけど…100mにも満たない距離で、そこそこの性能のあるライフルで、相手も比較的弱いのであれば…フルオートで一気に仕留めてしまうのが一番だと俺は思った。

訓練の時の様に狙いを定め、引き金に指を添える。さぁ、後は撃つだけ……。

 

「…撃つよ、綾袮さん」

「OK。じゃ、5秒間魔物を狙い続けてくれる?」

「へ?5秒間…?」

 

言われた通り撃つ事を伝えると、綾袮さんは俺へ謎の指示を出してきた。それに対して「何故に?」という疑問を抱きつつも、取り敢えず俺は指示通り捕捉継続。スコープの中心に魔物を捉え続ける。

そして……

 

「…5秒、経ったよ?」

「経ったね。じゃ、狙撃は中止!降りて白兵戦で戦おうか」

「了か……何故に?」

 

新たなる指示に、今度こそ俺はスコープから顔を上げて訊き返す。理由は…言うまでもない。

 

「何故って…遠距離から気付かれる前に一方的に撃破、じゃ実戦訓練としては薄過ぎるからだよ。無駄ではないけど…折角かなり弱めの魔物がいるんだから、出来る限り経験しておいてほしいし」

「それは…言いたい事は分かるけどさ、普通倒せる時に確実に倒すべきじゃないの?これを言ったら実戦訓練そのものの否定になっちゃうけど」

「そこは心配ないよ、万が一失敗しても、その時はわたしがフォローに入るからさ」

「…なんかそれ、悪いフラグが立ちそうなんだけど…」

「ネガティヴ思考は良くないよ、顕人君。…大丈夫、わたしの命に懸けても君は守るから」

 

綾袮さんはそんな事を…女の子を守る主人公みたいな事を、俺に向かって真顔で言ってのけた。これはもう完全に男女の立場逆転で、俺としては恥ずかしい様な情けない様な…でもどこか安心出来る様な、不思議な気分に。…ったくもう…仕方ない、そう言われたら俺もやるしか……

 

「…それに、わたしでもどうにもならないレベルの魔物だった場合はここから狙撃しても避けられるか弾かれるかだからね」

「なんでそういう余計な事言うかなぁ……」

 

折角強気になりそうだったのに、気持ちの腰を折られてしまった。……まぁでも、こっちの方が綾袮さんらしいけどね。

 

「…じゃあ、もしもの時は頼むよ?」

「もっちろん。さ、顕人君」

「あいよ」

 

ライフルを持ち直し、跳躍。一足飛びに踊り場から空中へと身を移した俺は、即座に(コートの)背部に備えられたスラスターを点火しゆっくりと着地。音を立てない様に細心の注意を払いつつ、魔物の背面へと回る。

 

(流石に正面から仕掛けろ…とは言わないよね?)

 

…と思いながら空中に待機する綾袮さんへと目を向けると、彼女は俺の言いたい事を理解しこくりと頷いてくれた。…さて、ならば後はフルオートをセミオートに戻して……。

 

「……さぁ、戦闘開始だ…」

 

──俺は、引き金を引いた。

 

 

 

 

「……っ…こ、の…ッ!」

 

二つの鋏を振り上げ、飛びかかる様に襲いかかってくる魔物。それを俺は大きく左に飛ぶ事で避け、射撃で反撃…しようとするも、跳び過ぎた事で着地時にバランスが崩れて反撃失敗。弾丸は魔物の斜め上を飛び去ってしまう。

 

「くっそ…落ち着け、落ち着け俺……!」

 

バックステップで距離を取りながら、自分で自分に言い聞かせる。綾袮さんの言う通りその魔物は雑魚な方らしく、動きは見えるしある程度ではあるものの行動パターンも分かってきた。どうも見た目通り身体は外殻に覆われているらしく、一発二発じゃ致命傷まで持っていけないものの……正直なところ、勝てそうな気がした。

でも……

 

(なんで…なんで上手くいかないんだ……ッ!)

 

攻撃は外れる。回避は出来るものの跳び過ぎる。移動はワンテンポ遅れて攻撃に繋がらない。…さっきからずっと、こんな調子だった。頭ではどう動けばいいのか分かってるのに、イメージ出来ているのに、それをきちんと形に出来なかった。

だからといって、魔物は手を抜いてくれたりはしない。魔物からすれば俺は外敵兼標的でしかないんだから、全力で殺しにかかってくるに決まってる。

 

(やっぱり、距離を開けたまま少しずつでもダメージを与えるべきか…?いや、むしろ確実に当てる為には接近を…いっそ、ライフルじゃなくて近接格闘で倒すという手も……)

「……っ!顕人君ッ!」

「え…?…な……ッ!」

 

それまで魔物に気取られない様無言を貫いていた綾袮さんが、突如俺の名前を呼んだ。俺はその時、名前を呼ばれて初めて俺の意識が思考にいき過ぎていた事、そしてその間に魔物に急接近されていた事に気付く。

突き出される魔物の鋏。咄嗟に俺は後ろに下がろうとして…転倒。しかし不幸中の幸いにもそのおかげで魔物の鋏は俺の頭上で空振りし、たかがでは済まされない頭部を失わずに済んだ。しかしそれは単に一撃避けられたというだけの話。魔物にはそこから鋏を振り下ろすという選択肢も、もう片方の鋏を突き出すという選択肢も存在する。対して俺はすっ転んでて、おまけにライフルは落としてしまっている。──有り体に言って、これは絶体絶命だった。

 

「……っ…!顕人君そこ動かないでッ!」

 

魔物を見上げる俺の視界の端に、抜刀した綾袮さんの姿が映る。蒼い光を帯びる大太刀と、同じく蒼い光を放つ翼は夜の空に輝き絵画の様な美しさを感じさせ、それを見ているだけである種の安心感すら覚える。あぁ、確かに綾袮さんの実力を考えれば万が一の事があっても大丈夫だと綾袮さん自身が思っていてもおかしくない。そう、一瞬俺は絶体絶命と思ったけど、綾袮さんが守ってくれるならそんな心配は……

 

「……ぁ…」

 

────そんな心配は?その後、俺はなんて続けようとした?……そんな心配は無い、そう俺は続けようとしたのか?……それで、いいのか?俺は、それで満足なのか?

…そんな訳ないじゃないか。遂にやってきた初陣で、実力を上手く発揮出来ずに勝てそうな相手に負けて、最終的に初めての時と同じ様に綾袮さんに助けられて……そんな展開が、満足いく訳ないじゃないか。そんなものを、望んでいた訳ないじゃないか。こんな事の為に、この道を歩み始めたんじゃ…こんな事の為に、父さんと母さんは背中を押してくれたんじゃ…俺の夢は、こんなものじゃ……無いッ!

 

「…ぁぁぁぁああああああああッ!!」

 

俺の中の何かが爆発すると同時にスラスターを全開噴射。魔物の鋏振り下ろしが俺を捉えるよりも先に懐へと入り込み、スラスターの勢いを一切緩めないまま魔物の腹部らしき部位へと飛び蹴りを叩き込む。

どすん、という衝撃と共に魔物の身体がくの字に曲がり、ほんの1m程度ながらその身体が宙に上がる。それを確認した俺は再度スラスターを吹かし、手を伸ばしながら一気に後退。そして俺の手の先にあるのは……先程落とした、メインウェポンであるライフル。

 

「これが…俺のッ!戦い方だぁぁああああああッ!」

 

ライフルを左手で掴み、そこから地面へ踏み込んだ右脚を軸に方向転換。同時に腰のホルスターに下げた拳銃(こちらも霊力仕様)も引き抜き、ライフルと拳銃の二丁で同時斉射を浴びせる。

 

(そうだ…有り余る霊力を最大限に活かす事、それが一番の勝ち筋に決まってるじゃないか…!)

 

両手の火器を絶える事なく引き続け、その状態でスラスターを駆動させる事で戦場となった港を飛び回る。それに対する魔物は、俺が一気呵成の勢いで攻勢に出た事…そして俺が飛び回る事によって四方八方から弾丸を受ける羽目になった事で防戦一方になっていた。

本来は両手で撃つべきライフルを片手で使ってる上、飛び回っているせいで結構な数の弾丸が外れてしまっている。けど、それまでに比べれば確実に有効打を与えられていた。そしてこれを実現させているのは……俺の霊力貯蔵量の多さに他ならない。普通なら無駄が多くてまずやれない、リターンよりリスクが大きくなってしまう策を躊躇いなく扱える…それが俺の強みだった。

撃って撃って撃ちまくる俺。魔物の動きが段々と弱々しくなってきても攻勢を緩めず、霊力ではなく弾薬が尽きるまで撃ち続けた。

 

「弾切れ…!?だったら…これで、決める…ッ!」

 

霊力を流しても、引き金を引いても反応の無くなった二丁の銃を投げ捨て腰裏のナイフを抜剣。そこから一直線に魔物へと突進し、刃を下に両手で持ったナイフを頭部へとうち下ろす。

既に弾痕だらけになっていた魔物は俺の突進に対して何のアクションも起こさず、ナイフもまたすんなりと根元まで突き刺さった。魔物の上で荒い息を吐く俺と、ナイフが突き刺さった瞬間ぴくりとだけ動いた魔物。そして、俺がナイフを引き抜いた時……魔物は、消滅を始めるのだった。

 

「はぁ…はぁ…や、やった……」

 

よろよろと魔物の上から降り、上を見上げて呼吸を整えようとする俺。するとそれに合わせてきたかの様にそれまで感じなかった疲労が俺の身体へと襲いかかり、俺はどっかりとその場に座り込んでしまった。…まぁ、初陣でこれだけやったんだからそりゃそうだよね…落ち着くまではちょっと動かないかなぁ──

 

「顕人君おめでとーっ!」

「わぁぁっ!?」

 

……前言撤回。動かないと思ってたけど動けた。具体的にはその場から跳び上がれた。…というか、後ろからびっくりさせられた。

 

「ちょっ…な、何すんのさ綾袮さん…!」

「何って…顕人君の勝利を衝撃と共に祝ってあげようとしただけだよ?」

「衝撃は要らんわ!むしろ静かに優しく祝ってほしかったわ!こちとら疲労困憊だぞ!?」

「おおぅ、疲労と戦闘後の高揚感が合わさって中々におっかないテンションになってるね…でも凄いよ顕人君。途中ヤバいと思ったけど…これだけ動けるなら大したものだよ」

「…そう?ならまぁ、その賞賛は素直に受け取るけど…」

「うんうん。勿論反省点はあるけど…取り敢えずは大勝利と言っても過言じゃないね!」

 

なんだか勝利の余韻に水を差された気分になったけど…綾袮さんがいつもの元気と明るさ全開で祝ってくれてるんだと考えると、それは正直悪い気はしない。何なら俺よりずっと凄い霊装者に褒められて嬉しい、なんて気持ちも少なからずある位だった。…てか、戦闘後の高揚感か…確かに、言われてみるとなんか浮わついた気分かもね……。

 

 

こうして、俺の初陣戦闘は終わった。綾袮さんの言う通り反省点はあると思うけど…無事、勝って終わる事が出来た。勝利を、生還を手にする事が出来た。

俺は、この戦いを忘れないと思う。霊装者としての俺の、憧れの世界の日々の大きな一歩となった、この戦いを。



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第十八話 穏やかな日々が大切で

普通の日常、というのはどうやら退屈らしい。突然戦いが起こる事もなく、想定外の事態で心労を抱える事もなく、家でも学校でも同じ様な日々が毎日続く。それが、普通の日常。

普通の日常、同じ様な日々…と言うと大概の奴は詰まらないもの…と繋がるんだろうが…俺はそうは思わない。確かに四六時中楽しいとは思わないが、同じ様な日々でも楽しい事は沢山ある。好きな食べ物を口にした時、趣味に没頭している時、気心の知れた相手と話す時、一日の終わりに睡魔に身を任せて寝る時…普通の日常でも、ありふれた事柄でも、楽しいという感情や幸福感を抱く出来事は沢山あるじゃないか。そういう事は慣れていないと気付かない…とは言うけれど、実際にはそんな事ない筈だ。ただ後から振り返ると特筆する程ではないと思うだけで、その瞬間その瞬間は確かに幸福を感じるのが人間なんだ。

だから、俺は断言出来る。今の俺は…普通の日常を送っている俺は、幸せだと。

 

 

 

「緋奈さんやーい、お兄ちゃんはそろそろ待ちくたびれますぞー」

 

協会に所属するか否かの件が終わってから暫くした、ある休日。俺は靴を履いた状態で玄関の廊下と土間の境の部分…具体的には上がり框と呼ばれる部分に腰掛けていた。これがどういう状況なのかは…俺の発言見れば分かるんじゃないだろうか。

 

「もうちょっとだから待って〜」

「俺、こういう場合における女の子のもうちょっととか後少しってあんまり当てにならないと思うんだけどー」

「じゃあ、もう暫く待って〜」

「えぇー……」

 

少し捻くれた言い方をしたら急いでくれるかな〜…と思ったら、行動ではなく表現を変えられてしまった。もう暫くって…人を待たせてるんだからそりゃないだろ……俺一人で行ったってしょうがないから待つけどさ。

 

「今何選んでるんだー?スカートかー?」

「ううんー、ちょっと部屋の模様替えしてるところー」

「へー……って今!?今やる!?これから出かけるって時に、兄を待たせてる時に模様替えやる!?はぁぁ!?」

「冗談冗談、でもお兄ちゃんこそその質問はちょっとデリカシーに欠けてると思うよー?」

「緋奈だからこその質問だ、安心しろー」

「…それは安心出来るのかなぁ……」

 

なんてやり取りをする事数十秒。話しかけてたら急ぐどころかむしろ遅くなるか…と思って黙ろうとしたところ、ガチャリと言う扉の開く音が聞こえた。どうやらやっと準備が終わったらしい。

 

「待たせてごめんね、お兄ちゃん」

「気にすんな…とは言わんが、別に腹立ててる訳じゃないからな。今後気を付けてくれりゃそれでいいさ」

「んー…まぁ、善処はするよ」

「なら結果として現れる事を祈るか…」

 

玄関へと姿を現した緋奈を連れ、外へ。

そう、今日は緋奈と一緒にお出かけである。俺はちゃんと約束を守る男なのだ。

 

「…………」

「…………」

「……ね、今日はどこ行く気?」

「ま、ぶらぶらとな。全く決めてない訳じゃないが…決められた通りの場所に決められた時間で行くなんて窮屈だろ?学校の課外授業じゃあるまいし」

「そっかぁ…」

「…………」

「…………」

「…んーと、緋奈」

「……!何かな、お兄ちゃん?」

「…なんか俺、変か?」

 

取り敢えず繁華街へと足を向けて歩き出す俺達。……が、どうも緋奈の様子に違和感を禁じ得ない。

緋奈は今日をそこそこ楽しみにしていて、今だってわざわざ俺を待たせてまで準備していた。にも関わらずいまいちはしゃぐ様子もなく、それどころかちらちらと俺の方を見てきている。…一体どういう事なんですかね?

 

「いや、別にお兄ちゃんは変じゃないけど…」

「じゃ、間違ってるのは世界の方か?」

「なんでそんな厨二チックな発想になるの…お兄ちゃんも世界も間違ってません」

「ならなんだよ?」

「……服」

「服?……履いてますよ?」

「お兄ちゃんはとにかく明るいキャラじゃないでしょ!…はぁ、もういい……」

 

普段の調子でボケてみたら、緋奈は溜め息をついて項垂れてしまった。とぼとぼと数歩先を歩く緋奈の姿を見て、俺は思う。…わーってるよ、服って言われりゃ分かるよ。とはいえなぁ、冗談ならともかくこういうのをマジで言うのは恥ずい訳で…。…ま、期待されたんだ。お兄ちゃんとして応えん訳にもいかないよな。……よし。

 

「……似合ってると思うぞ。特に上…ええと、チューブトップだっけ?…が、な」

「…お兄ちゃん……」

 

俺がそう言った瞬間、緋奈はぴくりと反応した。…流石に俺にゃ女心なんて分からんし、家族に格好を褒められてもそこまで嬉しいとは思えないが……どう思ったのか言ってほしかった、って事位は伝わるからな。…つっても、服って言われるまで分からなかった時点で察しがいいとは言えないが。

緋奈が止まってる間に今度は俺が追い抜く。さて、あんまり詳しく言うのもクールじゃねぇし、ここは格好良く先を歩いて……

 

「…お兄ちゃん、照れてる?」

「……うっせ、妹とはいえ女の子褒めるのは恥ずいんだよ…」

「へぇ…じゃあ、ひゅーひゅー言ってあげようか?」

「なんで褒められてる奴がひゅーひゅー言うんだよ…」

「あはは、それはそうだね。〜〜♪」

 

……緋奈は余計な事に気付く妹だった。くそう。

そんな感じでちょっと調子を狂わされた俺とご機嫌になった緋奈。十数分程歩いたところで俺達は……千嵜家御用達のゲームセンターへと到着する。

 

「やっぱり二人でお出かけってなったらまずここだよね」

「だな。んじゃ…勝負といこうじゃねぇか」

 

にぃ、と不敵な笑みを浮かべ合い、俺達はゲーセンへと突入。目に付いた対戦ゲームを片っ端から行うという、血気盛んなプレイで遊び始める。

 

「はっはー、反応が遅いぞ緋奈よ!」

「むむ…相変わらず大人気ないね!」

「大人気も何も一歳しか違わないからな!」

「それはそうだけど…リズム系ゲームになったら覚悟するんだね!」

 

まずはガンシューティング、続いてレーシング、その後は体感型ダンスゲームと休憩無しで三連戦。緋奈の言った通り、ダンスゲームでは惨敗の俺だったが…その前二つは勝ってるから別に悔しくはないです。なんなら負けたダンスゲームもぴょこぴょこと跳ねる緋奈が見れたので満足です。

 

「今のところ一勝二敗、か…まだまだやるよね?」

「当然。圧倒的勝利を飾るまでは止められないな」

「圧倒的惨敗をした後でよくそれ言えるね…んと、次は…クレーンゲームとかにする?」

「クレーン?…いや、嫌いじゃないが…勝負には向かないだろ。回数やら景品ごとの点数やらを細かく設定しないと勝敗つけ辛いし」

「言われてみるとそうだね。じゃ、コインゲームかパンチマシーンか…って、パンチマシーンとかわたし絶対不利だ……」

 

定番対戦ゲームを初っ端に消化してしまったせいで、早くも迷い始める緋奈。そんな緋奈の様子を見ながら俺は感慨深い気持ちを抱く。

千嵜家御用達、と言った通りこのゲーセンに来るのは初めてではない。これまで何度も来ているし、更に言えば両親と来た事もそこそこある…というより、親父にとっても愛着のあるゲーセンなのか俺と緋奈はよく連れてきてもらっていた。そんな家族単位で来ていた場所だからこそ、ここへは今でも俺達が時々来るし、来る度に満足して帰っている。……まぁ、こういう事考えると少し両親の事思い出して寂しくもなるんだけど…な。

 

「…よし、決めた。お兄ちゃん、次は格ゲーにしよう」

「…ん、そうだな…って格ゲー?お前、格ゲー得意だっけ?」

「いやそんなに。でも格ゲーなら勝敗分かり易いし、正直わたしは楽しければそれでいいからね」

「……それは負ける事を予期した予防線か?」

「まさか、楽しければそれでいいけど、楽しい上で勝てたらもっと嬉しいからね。負けるつもりは毛頭ないよ」

「ま、だよな。…よし、じゃあ第四試合といくか」

 

感傷的な気分になる前に、俺は緋奈の声に意識を引き戻される。一方意識を引き戻した緋奈の方はあっけらかんとした様子で、俺と違って雑念なく今この時を楽しんでいる様に見える。そんな緋奈に一瞬俺は「呑気だなぁ」と思ったが…実際は緋奈が呑気なのではなく、俺が陰気なだけなんだとすぐに気付いた。

そう、俺は思い出に浸りに来た訳でもなければ、不幸を嘆きに来た訳でもない。緋奈と出掛けたいと思って、最初に来たのがこのゲーセンで、思いの向くままに緋奈とゲームに興じていたのだ。だからそこに感傷的な事を考えなきゃいけない理由は無いし……そんな辛気臭い事考えるより、緋奈と目一杯楽しんだ方がずっといいに決まってる。…それに、親父とお袋との思い出がある場所でローテンションになるのも二人に悪いし、な。

その後も俺と緋奈は競い合いながらゲームを続けた。結果、俺は総合勝利こそしたものの圧倒的勝利は出来ず、緋奈もああ言ってた割には中々悔しそうにしていたが……それでも満足出来る位には十分に楽しむ事は出来のだった。…少なくとも、俺が思う限りはな。

 

 

 

 

ゲームセンターで結構な時間を過ごした俺達。ゲームでもやっぱり頭を使う以上長時間やれば空腹になるし(更に言えば身体動かすゲームもアーケードにゃそこそこあるからな)、そうでなくともお昼には丁度いい時間という事もあって、ゲーセンを出た後俺達は即次の目的を昼食に決めた。

で、その目的通り俺達は緋奈が選んだカフェに入った。……入ったんだが…

 

「うにゃ〜〜」

「にゃー?にゃにゃ〜?んにゃあ〜」

 

……カフェはカフェでも、緋奈が選んだのは猫カフェだった。…一応補足しておくと、先に鳴いた方が猫で、後からにゃーにゃー言ってる方が鳴き真似中の緋奈である。

 

「…………」

「うりうり〜……あれ?お兄ちゃんは猫ちゃんと戯れないの?」

「いや、まぁ…うん…」

 

先程会話を試みていた猫のお腹をくすぐる緋奈。その光景は中々に和むし、別段俺も猫が嫌いという訳じゃないが…流石にこの展開では気持ちが乗らない。……つか、つかさ…

 

(普通、食事を目的にしてる時に猫カフェ来るか…?)

 

確かに名前にカフェって付いてるし、実際ちゃんと食事と出来る訳だが……本来猫カフェってそういう所じゃないだろう。猫と戯れる事がメインであって、あくまで飲食はサブ的なものだろう。なのに何故、飲食をメインにしていた俺達はここにいるんだよ……いや緋奈が選んだからだけど!なんの迷いもなく緋奈が選んだからって断言出来るけど!そういう事じゃねぇ!

 

「…お兄ちゃん?どうかした?」

「…すまん、何でもない…後緋奈、お前はやっぱりどこかズレてる」

「へ?」

 

良くも悪くも素直というか、思いに正直というか…それは別に悪い事じゃないし、恐らくその方面に関しては宮空の方が重症だろうが…それでも振り回されればたまったものではない。もし相手が緋奈ではなく御道や時宮だったら、俺は無言で別のカフェなりファミレスなりに行っていただろうな。

 

「…一応言っておくが、注文来たら猫は離せよ?」

「分かってる、っていうかわたしがそれ分かってないって思ってたの?」

「や、そういう訳じゃないんだが…っと、噂をすれば…」

 

タイミングよく店員が注文を持ってきてくれた事で、俺達は食事へ。ふぅ、やっと昼食が食える…。

 

「ね、お兄ちゃん。ご飯の後はどうしよっか?」

「そうだなぁ…猫はもういいのか?」

「ううん。でもこのまま夜まで猫と戯れるのは流石にね」

「まぁそりゃそうだわな…」

 

俺はハンバーグのランチメニューを、緋奈はパスタを食しながら午後のプランについて会話する。勿論基本はぶらぶらと歩いて直感で決める訳だが…全く何にも決めないでいると、逆に迷って時間を浪費してしまうのは明白。それに、選択肢が多い中から選んだ時よりそこそこの中から選んだ時の方が満足度が高くなるとも言うしな。

 

「…んじゃ、次は落ち着けるっつーか激しくない所にするか。食後だし、刺激ならゲーセンで十分手に入っただろ?」

「そだね。じゃ、動物園とか…って、今わたし猫と触れ合ったばっかりだっけ…」

「映画館…は俺と緋奈の両方が満足出来る映画やってるか怪しいから没として……図書館とか?」

「…それ、割と早い段階で飽きると思うんだけど」

「だよな…ふーむ、ならば方向性だけ決めとくか。あんまり激しいものじゃなく、互いに満足出来て、且つ五分十分では飽きない施設…」

「…条件だけ羅列すると結構ハードル高そうだね……」

「二番目と三番目は似たようなもんだしなんとかなるだろ」

 

なんて会話の数十分後。食事も終え、猫との戯れにもひと満足(なんだかんだ俺もちょっと猫と遊んだ。…もふもふだった)した俺達は猫カフェを後にする。

 

「いい所見るかるといいけど……あ、お兄ちゃんちょっと待って」

「はいはい」

 

通りかかったアクセサリー店前で足を止める緋奈。俺はぽけーっとしながら緋奈が満足するまで十数分程待つ。

 

「ごめんね待たせて。それじゃ行こっか」

「あいよ」

「にしても今日は晴れてよかったね。もし雨なら台無し……っと、少し待ってもらっていい?」

「へいへい」

 

偶々見つけた靴屋の前で足を止める緋奈。俺は靴を眺める緋奈を眺めながら十数分程待つ。

 

「またごめんね」

「気にすんな。どうせどこ行くか決まってないんだからな」

「……じゃあ、そのついでにまたいい?」

「ほいほい」

 

興味の惹かれた雑貨屋前で足を止める緋奈。……ご覧の通り、昼食以降はずっとこんな感じだった。それっぽい言い方をすれば…ウィンドウショッピングである。そして俺は完全に付き合わされてる立場である。

 

「〜〜♪」

 

様々な店に足を向ける緋奈は、普通に楽しそうに見える。俺もただ待つのは暇だが、緋奈が楽しそうにしてるのを見られるのは悪い気分じゃない。だから、これもこれでそこそこ良い。

──だが、それは暫くしたところである感覚によって遮られる。

 

「……っ…」

 

突然、ざわりとした違和感の様な、不快感の様なものが胸中に渦巻いた。一瞬昼に食べたハンバーグで胸焼けを起こしたか…と思ったが、恐らく違う。それはかなり鈍く、曖昧なものではあるが……確かに、『あの』感覚だった。

 

「結構時間経っちゃったね、お兄ちゃんは気になるお店…って、お兄ちゃん?」

「……緋奈、ちょっと自然公園にでも行かないか?」

「え、自然公園…?」

「森林浴がしたくなったんだ、駄目か?」

「森林浴なんてお兄ちゃんらしくない事言うね…良いけど」

 

努めて穏やかな表情を作りつつ、俺は行き先の提案をする。

緋奈の言う通り俺は森林浴なんて柄じゃないし、森林浴がしたくなったというのも勿論嘘。本当はただここから移動したいだけ。『それ』から少しでも遠ざかりたいというだけの話。

 

(…冗談じゃねぇ…こんなの低確率なんてもんじゃねぇぞ……)

 

『それ』が俺を標的としているのか、それとも偶々居合わせただけなのかは分からない。が、そのどちらにせよ、こちらから探した訳でもないのにこの短いスパンで再び遭遇するなんて普通はあり得ない。しかも…それが、俺と緋奈が丁度出かけてるタイミングにだなんて……ほんとに冗談じゃねぇぞ……。

 

「…………」

「……?」

 

緋奈は俺へ怪訝な顔を向けているが…今の俺はそんな事気にしていられない。ここは別に人里離れた山奥じゃないんだから、協会がその内気付いて(或いは既にもう気付いていて)討伐に来るとは思うが…ぼーっとそれを待てる訳がない。ここには今緋奈もいるんだから。……いや、待てよ…?

 

(偶々居合わせただけならここから離れればいい話だが…もし、俺狙いだったら……俺の側にいる方が、危険なんじゃないのか…?)

 

当たり前の話として、俺が狙われてるならちょっと移動した程度で安全を確保出来る訳がない。もしも今俺が一人なら、万が一襲われたとしても霊装者としての力を使えば逃げられる可能性はあるし、何なら時宮に渡されたナイフで戦う事だって出来る。……が、それはあくまで俺一人の場合。緋奈を守りながら逃げたり戦ったりは今の俺にゃ難しい話で、それ以前に緋奈にこっち側の事を知らずにいてほしい俺としては出来る限り避けたいところ。…となると…このまま一緒にいるのは、賢明じゃねぇか……。

 

「…悪い、緋奈。お兄ちゃんちょっと野暮用が出来た」

「え、野暮用…?…このタイミングで…?」

「このタイミングで、だ。だから、先に帰っててくれないか?勿論埋め合わせは後日する」

「…そりゃ、止むに止まれない用事なら仕方ないし、タイミングの謎さはまぁいいけど……野暮用、って何…?」

 

緋奈は俺の横から前に出て、見上げる様に俺の顔を覗いてくる。野暮用は野暮用だ…で済ませたいところだが、それで納得してくれるならそもそも訊いてこないだろうし、下手に有耶無耶にしようとしても十中八九時間がかかるばかりで結果が着いてこない。かと言って、正直に話す訳にもいかんし……こうなると、緋奈の俺に対する信頼度に期待するしかない、か。…よし。

 

「…それは話せない。けど、ほんとにただの野暮用なんだ。数十分か数時間か…まあ夕飯時までには帰ってくるし、いつも通り夕飯を作るって約束する。……だから、追求せずに家に帰ってくれ。頼む」

「…そうまでして、言えない事なの?」

「そういう事だ」

「そっ、か……」

「…………」

「……分かった。埋め合わせ、ちゃんとしてよね?」

「…勿論だ。ありがとな、緋奈」

 

仕方ないなぁ、という顔をしながら帰路についてくれる緋奈の後ろ姿に、俺は感謝を告げる。

そして、俺は胸中に感じる不快感…霊装者の探知能力を頼りに動く。戦闘になる事に備えて人の少ない方へ移動しつつ、探知能力の範囲内に収め続ける様に歩速を調整。さっさと逃げちまうのが安全だが…俺が狙われる事で戦う力もない一般人が難を逃れるなら、そっちの方がいい。……一応言っとくが、俺は別に『知らん奴なんてどうだっていい』みたいなスタンスではないからな?少なくとも、危険だって分かってて無視する様な精神はしてねぇよ。

 

「…さっさと来てくれりゃありがたいってのに……」

 

ここに来て、時宮への連絡手段を持たない事が悔やまれる。…細かい事言えば、無料メールアプリのクラスルームに俺も時宮も入ってるから、そこから手順追って連絡する事も出来るっちゃ出来るが…それじゃ正確性が低過ぎる。すぐに反応が欲しい時にメール形式は向かないんだよなぁ、くそ…!

そうして歩く事十数分。なんとも落ち着かない時間を過ごしていた俺は…段々と別の可能性を感じ始める。

 

「……俺狙いって断言…出来る、のか…?」

 

一番初めはどちらの可能性も考えていたが、緋奈の身を案じる事で俺は無意識に考えを『俺が狙われている』という方向に寄せていた。

だが、考えてみれば今の俺の探知能力は決して高くない。そんな俺でも探知出来てるという事は、奴の…魔物の姿はそう遠くないと見て間違いない。なのにイマイチ距離を詰めてこないのは、俺の見立てが誤りだったという事じゃ──

 

「……っ!?消えた…!?」

 

ふっ、と消える不快感。それを受けた俺は咄嗟に反転し、今まで歩いて来た道を駆け足で戻る。すると、数秒後に再び不快感が現れて…次の瞬間、また消滅した。……って事は…今奴は探知限界付近にいて、俺からは遠ざかろうとしてるのか…?

段々と感じていた可能性が、少しずつ嫌な予感へと変わっていく。それを拭いたいが為に俺は動き回り、探知範囲限界を利用して魔物の移動先を確かめようとする。

そして……

 

「……嘘、だろ…?」

 

あくまでそれは、報告というだけ。あくまで、今はそちらに向かっているというだけ。そちらにだって色々あるし、色んな人がいる。けれど、でも……その可能性を、俺は意識せざるを得ない。だって、それは…魔物の向かった方向というのは……

 

 

 

 

────俺の自宅がある方……緋奈が、向かった方なんだから。



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第十九話 日常を奪うもの

「はぁっ…はぁっ……ッ…!」

 

息を切らしながら、街の中を走る。ランニングコースや河川敷ならともかく、繁華街のど真ん中をスポーツにはとても適さない格好で全力疾走なんてするもんだから、俺は通行客から思いっきり奇異の目で見られてる訳だが……そんな事は気にしていられない。そんな事は、どうでもいい。

 

(俺の霊力貯蔵と身体付加限界は…駄目だ、まるで分からねぇ…!)

 

こうして走る分には一般男子高校生の域を出ない程度の速度しか出ないが、もし霊装者としての力を使ったのなら、漫画やアニメのヒーローや忍者の様に家屋の屋根を跳んで移動する事が出来る。…だが、今の俺は霊装者としての能力を分かっていない。検査でパラメーター化こそしてもらったものの、どれ位使ったら底をつくかやどれだけ付加に身体が対応出来るかは、実際に何度も使ってみなければ…訓練をしなければ分かったりはしない。

そんな状態で霊力を使おうものならどこで枯渇するか分からず、どこで活動限界になってしまうかも分からない。それを考えると、どんなに焦っていたとしても霊装者の力を使う訳にはいかなかった。

 

(結局、時宮の方が正しかったって事かよ…)

 

時宮は所属をする事を、しないでも最低限訓練だけはしておく事を俺へと勧めていた。それを俺は類は友を呼ぶの考えで否定したが…こうなってしまえばもうあの時の選択を後悔する思いしか抱かない。…典型的な、後悔先に立たず…って奴だ。

体力の事も考えずに走っているせいで、肺が辛い。この辛さは暫く前…時宮が霊装者である事を知った日にも感じた事だが、今はそれとは比べ物にならない位に辛い。それは、あの時より長く走っているから?……いいや違う。辛いのは、緋奈が狙われてるかもしれないからに他ならない。

 

「……っ…まだ大丈夫、まだ大丈夫な筈だ…!」

 

自分自身へ言い聞かせる様に、そう呟く。今のところ魔物は移動を続けている様で、それはつまり捕食には至っていない事を意味する。まだ緋奈に接近出来てないのか、逃げる緋奈を追いかけているのか、それとも…またも俺の勘違いで、緋奈は全く狙われていないのかは分からないが、それでも最悪の事態にはなっていないと思えるだけで俺は膝を突かずにいられた。……それが、いつまで続くかは分からないが。

走って、走って、走る。一目散に、脇目も振らず、ただひとえに緋奈の無事を祈って走る。そして……遂に俺は家へと到着した。

 

「……ッ!緋奈ぁッ!」

 

もたれかかる様に玄関の扉を開き、愛する妹の名前を叫ぶ。ここまで大きな声で緋奈を呼んだのは、生まれて初めてかもしれない。

今日の朝も、今と同じ様にここで緋奈を待っていた。だが、今の俺はその時とは比べ物にならない程に動揺し、焦燥感を抱いていた。

呼んでから一秒。緋奈からの反応はない。俺はそれ位普通だと自分を落ち着かせる。

呼んでから二秒。緋奈からの反応はない。俺は反応出来ない状態にあるんじゃないかと思う気持ちを必死に殺す。

呼んでから三秒。緋奈からの反応はない。俺は寝てるとかヘッドホン付けてるとかで耳に届いてないだけだ、と自分が安心出来る理由をとにかく思い浮かべる。

四秒、五秒、六秒…十秒、二十秒、三十秒…。実際は一分にも満たない、でも俺にとっては何分にも何十分にも感じる時間が流れて、それで俺は耐えきれなくなってまた緋奈の名を────

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただい……あれ?お兄ちゃんもう帰ったの?」

 

──後ろから、玄関扉の方から、声が聞こえた。そう、それは紛れもない、間違えようのない……

 

「緋奈っ!!」

「わ、わわっ!?お兄ちゃん!?」

 

振り向き、手を伸ばし、抱き寄せる。その存在を確かめる様に、無くしたくない思いをぶつける様に、緋奈を力強く抱き締める。…良かった…良かった……っ!

 

「く、苦しい苦しい!それになんかべたべたする!お兄ちゃん!?お兄さん!?悠弥さぁぁぁぁん!?」

「……っ…わ、悪い…」

「ぷはっ…!……な、なんなの急に…」

 

真っ赤な顔で目を白黒させながらもがく緋奈の悲鳴で我に返った俺は緋奈を離す。……やっちまったな、こりゃ…。

 

「…えーと、だな…」

「…………」

「……よ、欲情した…と、か…?」

「…それでいいの……?」

「い、いや良くないです…嘘です…」

 

真実は話せず、その為なら多少変な勘違いされてもやむなしとは思うものの…流石にこれは不味過ぎる。我ながら、色々とテンパり過ぎであった。

 

「じゃあ、改めて…急になんなの?」

「…まぁ、その、何つーか……ヒナハカエルノガオソカッタンダナ-」

「誤魔化した!?びっくりする程違和感を感じる声音で話を逸らそうとした!?何これわたし見た事ない!」

「ど、どーだ!こんなのそうそう見られないぞ!」

「それはそうだろうね!『嘘が下手な人』って演技だとしてもここまでバレバレにはならないからね!……汗もびっしょりかいてるし、今のお兄ちゃん相当ヤバいよ…?」

「う、うん…確かに今の俺はかなりヤバいかもしれない…」

「着替えてちょっと寝た方がいいよ、ほんとに…」

 

俺は緋奈が心配で心配でしょうがなかったのに、結果ヤバい人みたいになってしまった。……が、なんだかんだ誤魔化せたぞ!緋奈からの心象が恐らくえらい事になってるが、まあ目的は果たせたぜ!よっしゃ!

なんだかんだで落ち着いた俺が改めて話を聞くと、緋奈は俺と別れた後少し寄り道をしていたらしい。確かにそれなら全力疾走していた俺の方が先に帰ってもおかしくないし、真っ直ぐ帰れとも言っていない(そもそも理由も言わずに予定を切り上げた)んだから寄り道を咎める事は出来ない。というか、緋奈の無事に心から安堵してる今の俺は多少の理不尽なら笑顔で許してしまいそうな気すらした。

 

「じゃあ、お兄ちゃんは休んでるんだよ?わたしはちょっとスーパー行ってくるから」

「おう…ってスーパー?」

「だって今、冷蔵庫の中にお粥向けな食材あんまりないでしょ?」

「あぁ、そういう…ほんとさっきから悪いな」

「気にしないで、困った時はお互い様なんだから」

 

くたくたな俺とは対照的に、緋奈は軽やかな足取りで買い物の用意を済ます。そうして再び玄関に来た緋奈とすれ違う俺。……ん?お前の妹料理下手じゃなかったのかって?緋奈にご飯作ってもらうのは勘弁だって言ってなかったかって?……ふっ、それも気にならない位今の俺の精神は穏やかなのさ。…まあ、理性的な部分が「絶対夕飯の時に後悔するぞ!今ならまだ間に合う!止めろ!」とか言ってるから、心の中でも何割かは反対派なんだけどな。

 

「それじゃ、また行ってきます」

「行ってらっしゃい、急がなくていいからな」

 

買い物バックを持って出ていく緋奈を見送る。その瞬間に寒気を感じ、それが汗で濡れた服によって身体が冷えたせいだと気付き、俺は苦笑しながら着替える為に自室へ……

 

 

 

 

 

 

 

 

────ぞくり、と胸中を…そして背中を悪寒が駆け上った。

一瞬俺は、訳が分からなかった。俺も緋奈も無事なのに、一体何故こんな感覚を身体が感じているのか、と。だが…次の瞬間に、思い出した。緋奈の危機はあくまで想定される結果の一つであり、不快感の原因はまだ撃破どころか目視すらしていないのだという事を。

 

「……ーーッ!」

 

床を蹴り、閉まりかけていた玄関扉を殴る様な勢いで開く。

嗚呼、なんて俺は馬鹿なのか。俺は緋奈の身を案じるあまり、魔物の存在を完全に忘れていた。緋奈の無事が確認出来たらすぐに緋奈を逃がすか魔物を倒すかするべきだったのに、安心感を享受してしまっていた。元霊装者でありながら、時宮にデカい口叩いておきながら、自身の探知能力がまだまだ頼りないレベルである事を失念してしまっていた。注意が完全に逸れて上手く探知出来なくなっていたのを、魔物の危機が去ったと勘違いしてしまっていた。だから────機会を伺っていた魔物の接近を、完全に許してしまった。

 

「緋奈あぁぁぁぁああああああッ!!」

 

扉を開けるとそこには、乱暴に開かれた扉の音と俺の叫びにびくりと肩を震わせる緋奈…………そして、向かいの家の屋根に今にも飛びかからんという体勢をとっている魔物の姿。──次の瞬間、その魔物が飛び上がった。

 

「え────?」

 

霊力を全身に駆け巡らせ、刹那の間に緋奈の前へと躍り出る俺。それは間一髪の出来事で……緋奈の戸惑った様な声が聞こえたのと、魔物の体当たりを受けて緋奈諸共家の中へ吹っ飛ばされたのはほぼ同時だった。

 

「ぐっ……!」

 

直撃を受けた俺は廊下の壁へ背中を、俺に押される形で吹っ飛んだ緋奈は少しズレて頭をそれぞれ強打する。

どすん、という衝撃と共に背中が痺れ、肺の中の空気も一気に吐き出された事で一瞬呼吸が出来なくなった。……が、俺は床に落ちると同時に壁を拳で叩き、全力の意思の力で即座に起き上がる。

 

「緋奈!無事か、緋奈ッ!」

 

俺の横に倒れている緋奈の肩を抱き、上半身を起き上がらせる。別に魔物の事をまた忘れた訳ではない。ただ、今は魔物の事なんかより緋奈の安否の方がずっと大事だった。

 

「…あ…ぅ…おにい、ちゃ……」

「ごめん…ごめんな緋奈、怖い思いをさせて…痛い思いをさせて…」

「……っ…ぅ…」

「でも、大丈夫だ…俺が守る。何があろうと、絶対に緋奈は俺が守る。だから安心しろ、緋奈…!」

「……う、ん…」

 

頭を強打したからか、焦点の定まらない目で俺を見る緋奈。そんな緋奈の手を握り、俺の思いの丈そのままの言葉をぶつけると……緋奈は安心した様な笑みを浮かべ、目を閉じた。…でも、大丈夫。脈はあるし、呼吸も聞こえる。緋奈は気絶しただけ。

 

「…………」

 

ゆっくりと緋奈を寝かせ、立ち上がる。その場で振り向き、手脚の生えた魚の様な魔物を睨め付ける。

 

「……テメェにとっちゃ緋奈は沢山いる獲物の一つにしか過ぎねぇんだろうな。俺だって食べ物一つ一つに思いを馳せる事なんてしねぇし、別段それをとやかく言うつもりはねぇよ」

 

魔物は何も返さない。魚型故に声帯が無いのか、俺の言葉を理解してないのか、端から会話なんてする気がないのか、返さない理由は分からないが…そんな事はどうだっていい。

 

「…けどな、俺にとっちゃ緋奈は特別なんだよ。唯一無二の存在で、俺に残った最後の家族で、大事な大事な妹なんだ。だから────」

 

 

 

 

 

 

「テメェはぶっ殺すッ!死んじまえこのッ!塵屑がぁぁぁぁああああああああッ!!」

 

怒号をあげると同時に隠し持っていたナイフを抜き放ち、床を蹴る。一足飛びに魔物へと肉薄し、逆手持ちのナイフを振り上げた。

その瞬間、俺の突撃に反応して後退しようとした魔物。だが俺は魔物の鰓蓋らしき部分を左手で引っ掴んで後退を阻止。そのまま頭部へナイフを突き立て……ようとするが、後退する魔物を力技で止めたせいで俺自身も体勢が崩れてナイフは魔物の顔を掠めるに留まってしまった。

 

「ち……ッ!」

 

魔物はナイフが逸れた事を確認すると即座に攻撃に移行。それを俺は手を離して回避し、再度ナイフで刺突。しかし今度は魔物が真上に跳んだせいで完全に外れてしまった。

 

(野郎、廊下だったのによく避けるな…!)

 

煮え滾る程に怒りを爆発させている俺だが、目は魔物の動きをつぶさに観察し、頭は戦術パターンの検索を全速力で行なっている。前世で何度も何度も重ねてきた戦いのおかげで、経験のおかげで、感情とは裏腹に俺の思考は冷静そのものだった。

腕による殴打は防御し、頭突きや突進は回避し、側面や背面、上や下など隙が出来る度に俺は違う方向から攻撃を仕掛けた。そんな攻防が何度か続いた後、俺は一つの仮説を思い付く。

 

(恐らく奴の弱点はあの部位で間違いない…後は上手く誘導するだけだな…)

 

蹴り付け…ると見せかけて足を思い切り後ろに振るい、その勢いを利用して距離を取る俺。俺を追う様に魔物が前進した瞬間、再度俺は後ろに跳び……壁に、激突した。

その瞬間、魔物は頭から突っ込む様に俺へと飛び込んでくる。壁への激突を俺のミスと判断し、絶好のチャンスと言わんばかりに飛び込んでくる魔物。ぶつかった衝撃で揺れる視界の中でそんな魔物の動きを確認した俺は…勝利を確信した。

 

「馬鹿が…低脳なのはテメェだけなんだよッ!」

 

壁を手で押すと同時に床から脚を離し、身体を屈めた俺。結果俺は床へと滑り込む様な動きになり…俺の上半身へと向かってきていた魔物とは上下ですれ違う形となった。そして俺はその状態から、魔物の腹に向かってナイフを突き立す。

ナイフは持つ俺と刺されている魔物のそれぞれの運動エネルギーを受け、両者の動きに連動して魔物の腹を捌いていく。魔物は魚に手と脚が生えた様な、所謂前後に長い体型をしていた。だからこそ、魔物は真上と真下…特に真下への視界が殆ど効いておらず、俺の攻撃をもろに受けてしまったのだった。

 

「……死ね、化け物が」

 

腹から尾びれ近くまで一気に捌かれた魔物は、壁にぶつかりぼとりと落ちる。その魔物の顔の前まで移動し……一突き。今度こそ頭にナイフを突き刺して…それでお終い。

 

「…………」

 

何の達成感もない。撃破の喜びなんて欠片も感じない。緋奈を無事守れた事には僅かながら安心したけど…それよりも今は、緋奈にこちらの世界を見せてしまった後悔の方がずっと強かった。

緋奈を守りたくて、今の日々をこれからも送りたくて背を向けたのに、こんなにも早くそれは潰れてしまった。何かを失った訳でもなければ今後も襲われる確率が高い訳でもないが、それでもただただやるせなくて仕方がない。

 

「……時宮に、礼を言っとかねぇとな…」

 

もし時宮がナイフを渡してくれなければ、ここでの勝利はなかった。時宮が身を案じてくれなければ、俺も緋奈も死んでた可能性が本当にある。……くそ、やっぱり俺の考えは浅はかだってのかよ…やっぱり俺は、普通の生活なんて──

 

「…………は?」

 

押し退ける様な衝撃を受けて、俺はよろける。驚きに目を瞬かせる俺の横を、頭にナイフが刺さったままの魔物が駆け抜ける。……訳が、分からなかった。

 

(は?いや……は?あいつ、生きてたのか?腹掻っ捌かれて、その上で頭刺されてんだぞ?……それでも、生きてるってのか…?)

 

人の常識が通用しない、超常の存在である魔物。だがそんな魔物でも致命傷を受ければ死ぬ(消える)し、動物っぽい外見の魔物であれば大概頭部や胸部を狙えば致命傷を負わせられる。……にも関わらず、この魔物は生きていた。僅かに息があるとかのレベルではなく、確かに動いていた。

殺した筈の魔物が生きている事に呆気にとられていた俺。しかし魔物は俺も緋奈も狙う事はなく、玄関の方へと向かっていった。

 

「……っ、逃げる気か…!」

 

この状況で外へ向かうとなれば、逃走以外あり得ない。逃げたところで命が持つのかどうか怪しいが、まあ確かにここにいるのと逃げるのとなら後者の方が生き延びられる可能性があるのは事実。そしてそう俺が思っている間にも魔物は進み、開きっぱなしの扉を通って外へと飛び出す。

……だが、結果から言えば魔物が生き延びる事はなかった。魔物は、外へと飛び出した次の瞬間には空からの一閃を受け…息絶えた。

 

「悠弥!緋奈ちゃん!無事!?」

 

魔物が地に伏したのも束の間、蒼の翼と共に少女が降り立ち声を張る。噂をすればなんとやら、それは……時宮妃乃その人だった。

 

「……時、宮…」

「…無事、みたいね…よかった……」

「……よくなんか、あるもんかよ…」

「…そう、よね…ごめんなさい…」

 

俺の姿を見て、安堵の表情を浮かべた妃乃。妃乃の様子からして急いで来てくれた様だし、先の通り俺は妃乃に感謝しなければならない。……けれど、俺の口から出たのは嫌味だった。

妃乃の表情は、俺の言葉を受けて安堵のものから申し訳なさそうなものへと変わる。…妃乃を責めるつもりはない。悪感情だって抱いてない。けれど、でも……

 

「……遅いんだよ、馬鹿…」

 

────今の俺は、それしか言えなかった。



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第二十話 今一度、決断を

「…ん、ぅ……」

 

吐息の様な声を漏らしながら目を覚ます緋奈。……あれから数十分後。俺は緋奈を緋奈の部屋に運び、ベットに寝かせてずっと側に座っていた。

 

「……あ、れ…?」

「…目が覚めたか?」

「う…うん…お兄ちゃん、ここって…わたしの、部屋…?」

「おう、お前の部屋だ」

 

ゆっくりと上半身を起こした緋奈は、ぼんやりとした表情で部屋を見回した後に俺へ視線を移す。

 

「……えっと、わたしお兄ちゃんと出かけてた筈なのに…どうして、ここに…?」

「…覚えてないのか?お前、帰ろうとしたところで倒れたんだぞ?」

「…そう、なの……?」

「どうやら貧血を起こしたらしい。お前、体調悪かったのか?」

「そんな事、なかったと思うけど…じゃあ、頭が痛いのは…?」

「倒れた時に頭ぶつけたからだろうな。ほら、氷枕にしてあるから横になって頭を冷やせ」

 

記憶が朧げになっている様子の緋奈に、起きるのを待っている間に用意しておいた嘘を語る。理由は勿論、緋奈にこれまで通りの日常を送ってほしいから。もし気絶する前の事を鮮明に覚えていたら、かなり無理のあるもう一つの方の嘘を話さにゃならなかったが…助かったな。これなら魔物の事を思い出しても気絶してる間に見た夢だと思ってくれるだろう。

 

「…ごめんね、お兄ちゃん。せっかく誘ってくれたのに、途中で倒れちゃって」

「おいおい、体調崩した側が謝るなよ。俺こそごめんな、気付いてやれなくて」

「ううん。…それでその、今日のお出かけの続きは…」

「また今度行こうぜ?今度は万全の状態で、な」

「……うん」

 

再び身体を横にし、タオルを巻いた氷枕に頭を当てた緋奈と会話を続ける。…平然とした顔で嘘を重ね、妹を騙すのは緋奈の為とはいえ少し心が痛んだ。

 

「…ねぇ、お兄ちゃん…」

「ん?なんだ?」

「お兄ちゃんは…ずっとわたしを守ってくれる?」

「……あぁ、守るさ。緋奈も、緋奈との毎日も、絶対にな」

「…ふふっ、こんな事話すとまるで普通じゃない世界に生きてるみたいだね」

「…だな……さ、まだ体調優れないだろうし寝な。きちんと休む事が体調回復への近道だぞ」

「はーい……じゃあ、寝かせてもらうね…」

 

そう言って目を閉じる緋奈。例え覚えていなくとも心的負担は残っているからか、すぐに緋奈は寝入ってしまった。

寝入った緋奈の頭を撫で、改めて緋奈が無事である事に俺は今度こそ安堵する。そして十数秒程緋奈の姿を眺めた後、俺は部屋を後にした。後にして、リビングへと向かった。

 

「…あ、悠弥…緋奈ちゃんは起きた?」

「起きたけどまた寝かせたよ。…魔物に関しては、よく覚えてないみたいだった」

「なら良かったわ、身体も安静にしていれば問題なさそうだし、取り敢えず一安心ね」

 

リビングへと入った俺は、ソファに座った先客から声をかけられる。その先客というのは……勿論時宮。

 

「まぁ、な……」

「悠弥も大丈夫?碌な訓練も無しに一戦交えたんだから、不調起こしててもおかしくないわよ?」

「問題ねぇよ。そりゃまぁ負担はあるだろうが…」

「だったらいいけど…何かあれば言いなさいよ?」

「はいよ…」

 

普段の様子はどこへやら、時宮は俺や緋奈の体調を真摯に心配してくれた。それは基本常識人だから、ってのもあるんだろうが……一番は、俺に気を遣ってるからだろうな…。つい、刺々しい態度をとって現在後悔中の俺への…。

 

「……その、すまんかった」

「気にしないで、状況からすれば八つ当たりしたくなるのも無理ないし…もっと私や協会が早く対応していれば、貴方が戦わずに済んだかもしれないのは事実だもの」

「…時宮って、いい奴だったんだな……」

「何よその『今まで嫌な奴だと思ってた』みたいな反応…ふん、ふざけるなら殊勝な態度取るんじゃなかったわ」

「悪い悪い。…こっちが悪いのにそんな謙虚な姿勢されちゃ余計悪い気がしちまうんだよ…」

「ならふざけずに最初からそう言いなさいよ…」

 

ボケを仕込んで雰囲気リセット。確かにまだちょっとショックはあるが…落ち着く為の時間は十分にあったしな。それに時宮には聞かなきゃいけない事があるんだ、話し易い状況にして損はない訳だ。

 

「…時宮、幾つか質問があるんだが…いいか?」

「えぇ、構わないわ」

「なら…奴は、今回の魔物は偶発的に現れたのか?それとも、俺を狙って寄ってきたのか?」

「…多分、偶発的にでしょうね。倒しちゃった以上確認のしようがないけど、話から推測するに前者だと思うわ」

 

緋奈を運んだ後、俺は時宮に何があったのかを説明した(その後時宮にはリビングに待っていてもらった)。これに関しては俺も推測が建てられるが…こういう事は主観よりも客観の方が大概正しい推測を建てられる。主観じゃどうしても自分という存在を過剰に特別視するか過剰に普通視しちまうのが人間だからな。

 

「やっぱそうか…けどやっぱり、同じ場にいれば普通の人間と俺とだと俺の方が狙われるよな?」

「普通はそうね。悠弥がそれなりに戦えるって事を判別出来る様な奴なら普通の人間を襲うかもしれないけど…」

「判別出来る様なレベルの奴なら、今の俺程度恐れねぇだろ」

「それもそうね」

「しかし、この短期間に二度って…洒落にならねぇてか、なってねぇ…」

 

頭を乱暴にかきながら、ソファに深く座り込む。霊装者であれば一生の内に何度も何度も魔物とは遭遇する羽目になるが、一般人ならば一生に一度あるかどうかが関の山な筈。なのに俺は一生どころか一年も経たない内に二度目の遭遇をした。……マジで洒落になんねぇっての…。

 

「…やっぱり、訓練はしておいた方がいいと思うわよ?悠弥は力に目覚めたばかりとしては破格の強さだとは思うけど、魔物だって雑魚ばっかりじゃないんだから」

「…そういう事にならなくて済む様、協会が頑張るんじゃないのか…?」

「…所属拒否っておいて恩恵だけは預かろうなんて思ってるなら、大間違いよ?」

「そりゃまあ、そうだが…っていうか、ぶっちゃけ俺一人が襲われる分にはいいんだよ。…いや良くはねぇが、俺一人が逃げるってだけならどうとでもなるんだ。けどよ……」

 

時宮には既に意図が伝わってると思い、そこから先は言わずに済ます。

二度ある事は三度ある…とは限らないが、一度だけの時と二度目を経験した時だと、どうしても後者の方が『次』の可能性を考えてしまう。そして、俺に家族がいる以上、その家族が…緋奈がまた今日の様に巻き込まれる可能性もまた、無視出来ないレベルで存在する。……それが、一番嫌だった。

 

「…なぁ、時宮…緋奈の幸せの為には、俺は離れていた方がいいのか……?」

「…それは……」

「俺は今の生活の…緋奈との生活の為に所属しないって決めた。これは緋奈の為ってのもあるが、同時に俺自身が今の生活を捨てたくないって気持ちもあったし、それは今も変わらねぇ。…シスコンみたいな話になるが、俺は本気で緋奈を守っていたいと思ってる」

「…シスコンみたいかどうかはともかく、それは恥じる事じゃないと思うわ」

「そう言ってくれるならありがたいな。……けどよ、今日は俺の存在が緋奈を危険な目に遭わせちまった。現れたのは偶然だとしても、そこから襲われるに至ったのは俺の…霊装者という存在のせいなんだ。…そう考えると、やってらんねぇよ……」

「…………」

「世の中命あっての物種だ。生きてる限りは幸せの可能性を追い求める事が出来るし、俺は…もし緋奈にとっての幸せが、俺と共にいる事ではないとしたら……その時は、決断する。……けど、けどさ…そうじゃない可能性も、俺の思惑とは逆になる可能性だってあるだろ?…俺は、どうしたらいいんだよ…」

 

初めは、ただ質問して確証にかける事の確認をするだけのつもりだった。…けど、いつの間にか俺の心情を、意図せずして抱える思いを時宮に吐露していた。自分自身でもう落ち着いたと思ってたけど……そうでも、なかったんだな…。

慰めてくれるのか、叱ってくれるのか、それとも興味ないとばかりにあしらわれるのか…そんな事を思いながら、時宮の返答を待っていると…時宮は、躊躇いがちに口を開いた。

 

「……それは、貴方の本心…って事で、いいの?」

「こんな事、嘘で言えるかよ…」

「えと…確認よ、悠弥。貴方は魔物が狙いを定めたのは自分で、自分がいなければ緋奈ちゃんが巻き込まれる事はなかった…って、思っているの?」

「そういう事、だが……それは、確認する様な事なのか?」

「……まぁ、そうよね…私も少し前まではそう思ってたし、無理もないか…」

「……時宮?」

 

何やら思考を巡らせている様子の時宮。質問の内容から察するに、俺が何か勘違いしていると判断したみたいだが……。

 

「…悠弥、恐らくだけど…貴方は一つ、根本的な思い違いをしているわ。それも、貴方の意思や決意が大きくひっくり返るレベルのね」

「……それは、時宮が考え過ぎてるだけ…って事はないのか?」

「この場じゃきちんとした確認が出来ないから、その可能性もゼロじゃないけど…普通に考えれば、私の思ってる事は十分にあり得ると言えるわ」

「どういう事だよ、そりゃ…勿体ぶらずに早く話してくれ」

「…なら、落ち着いて聞いて頂戴。きっと貴方は否定したくなると思うけど、感情に流されずに考えてみて頂戴。いい?」

 

腰を上げて椅子に座り直し、時宮は真剣そのものの表情で俺に念を押す。そこまで言うなんて、一体どんな事なのやら…と俺は若干不安になったが、変に予想立てるより素直に聞くのが一番だと判断して時宮の言葉に首肯した。

そして、俺が緊張の面持ちで待つ中…時宮は告げる。

 

「……悠弥、貴方は自分が原因で、緋奈ちゃんは巻き込まれただけだって思ってるみたいだけど…多分、それは間違ってるわ」

「…原因は俺じゃなく、第三者がいる…って事か?」

「ううん、逆。原因は外部じゃなくて、内部に……緋奈ちゃん自身にあるのよ」

「……は…?」

 

時宮は、一度前置きを入れた上で結論を言った。だが、俺にはまだ理解が出来ていない。…いや、違う。頭のどこかできちんと認識してはいるが、直接的な表現ではない事を言い訳に理解を拒もうとしている。だって…そんな訳ないじゃないか。そんな偶然が、そんな残酷な現実があってたまるか。既に両親の死を背負っている緋奈が、これ以上のものを背負う事になるなんて、それこそ馬鹿げている。そうだ、違う。それだけは、絶対に違────

 

 

 

 

 

 

 

 

「…分かってるんでしょ?緋奈ちゃんは、貴方の妹は……悠弥や私と同じ、霊装者よ」

 

……その瞬間、ガツン、と頭を殴られた様な錯覚を感じた。

 

「……や、止めろよ…そういう冗談は笑えねぇっての…」

「冗談だと思う?」

「そうだろ…?そういう冗談なんだろ…?」

「…もう一度言うわね、感情に流されずに考えてみて頂戴」

 

自分でも声が震えているのが分かる。これまでにも動揺する事なんて何度もあったけど、ここまで動揺したのは両親の死を知った時以来かもしれない。少なくとも……本気で現実逃避がしたくなる事なんて、滅多になかった。

 

「…やっぱ、考え過ぎだろそりゃ…緋奈は居合わせただけに決まってる…」

「本当にそう思う?魔物が何度か探知の外に出たのは、悠弥と緋奈ちゃんが別れてからでしょ?魔物の最初の攻撃は、貴方じゃなくて緋奈ちゃんに向けてのものだったんでしょ?これを居合わせただけって言える?」

「あん時は俺と魔物の距離がそこそこ離れてたから、魔物の方もきちんと俺を捕捉出来てなかった可能性だってある。初撃に関しては、緋奈をじゃなくて家から出てきた奴を狙ってたとも考えられる。緋奈が襲われたのは家から出てすぐだったからな」

「前者はまぁ、あり得るわね。けど後者は無理があるんじゃないかしら?だってそうだとしたら、魔物は見境なく襲うつもりだったのに、わざわざ特定の家を張っていたって事になるもの」

 

時宮の言う事も、分からなくはない。だが、俺にはそれが推測に…邪推にしか思えない。そんな事、言い出したらキリがない。

 

「魔物だって本能なり何なりで動いてるんだから、そういう時だってあり得るだろ…」

「非合理な事をするのは人間の、本能とは別の意思で動く生物の特権よ。改めてもう一度…いや、言い方を変えるわ。悠弥、緋奈ちゃんが霊装者ではない…っていう考えは、前提から外して考えてみて頂戴」

「前提から外そうが外しまいが俺の意見が崩れたりはしないだろ、ってか…前提云々言うなら俺の時点で無茶苦茶にも程があるだろ。予言された霊装者の片方が、まさかの転生した元霊装者だったんだぞ?」

「そうね。でも、緋奈ちゃんが霊装者である事は考えてみれば普通にあり得ると思わない?」

「あのなぁ…他人にどうこう言いたいならまず自分の考えをきちんと確認してみろよ。いいか?予言された霊装者は、偶々転生者で、その妹も偶々霊装者なんて偶然──」

「それよ!」

 

段々と困惑は腹立たしさへと変わっていき、口調も荒っぽくなりかけたその時…びしっ、と時宮は俺の言葉を遮りながら指差した。……は?

 

「悠弥の思い違いはそこ。貴方個人の要素に関しては完全に偶然よ、でも緋奈ちゃんは違う。緋奈ちゃんは、偶々霊装者だったんじゃないのよ、きっと」

「だから……あーまどろっこしいなぁもう!そりゃつまりどういう事だよ!?」

「兄が霊装者なら、妹が霊装者でもなんらおかしくないって事よ」

「いや、だから結論を……あ…」

「…気付いたのね」

 

そう言われた瞬間、はっとした。時宮のいう思い違いが何を指しているのかが、俺が一体何を勘違いしていたのかがやっと分かった。

俺は一般家庭に生まれた事と、予言された霊装者なんていう如何にも特別そうな立場から、無意識に俺が突発的な霊装者だと思っていた。だが…それは何か根拠がある訳ではない。突発的っぽくはあるものの、突発的じゃなきゃ成り立たない訳ではない。

霊装者の才能がある人間(霊装者の家系の人間)でも、霊装者に目覚めるとは限らない。一生普通の人間として過ごす事だってあるし、それが何代続く事だってあり得る。だから、もし両親の祖先に霊装者がいたなら…予言や転生に関しては偶然でも、俺の霊装者としての才能自体は遺伝によるものだったなら……俺と同じ人が実の親の緋奈が霊装者だったとしても……

 

「…くそッ…納得いっちまったじゃねぇかよ……」

「ごめんなさい、でも…これはちゃんと知っておくべき事だもの。世の中知らない方が幸せな事だってあるのかもしれないけど、身の危険がある事に気付かないのは幸せなんかじゃ絶対ないわ」

「…でも、それでも…まだ断定は出来ないだろ…?」

「……だから、私は緋奈ちゃんに検査を受けてほしいと思ってるわ」

「……っ…」

 

それはそうだ。その通りだ。時宮が協会の人間として、検査を勧めるのは当たり前の事。そして、その上でもし緋奈が本当に霊装者だったと判明すれば、緋奈はこちら側の事を真正面から知る事になる。俺が触れさせたくなかった世界へ、目を向ける事になる。

 

「……俺は反対だ。理由は…言わなくても分かるよな?」

「…それが、緋奈ちゃんの為になると思う?」

「…………」

「悠弥が緋奈ちゃんを守りたいってのは知ってるわ。でも、緋奈ちゃんに霊装者としての才能があるのなら、その上で何もせずにいるのは、これからもずっと身を危険に晒し続ける様なものなのよ?…それは、緋奈ちゃんを守る為に一番の事なの?」

 

……反論、出来ない。言い返す言葉だけなら幾らでも浮かぶが、そのどれもが今の俺には…一度冷静になってしまった俺には感情的な反論としか思えなかった。そして……感情的なだけで、合理性も現実味もない事を言ったところで、緋奈を守れたりなんてしない。

……だけど。

 

「……分かってるよ…んな事は分かってんだよ…ッ」

 

髪の毛をかきあげる様な仕草の途中で手を止め、指の間にかかった頭髪を握り締める。

頭では分かってる。時宮の言う事が如何に正しいかというのは分かってる。それでも…いや、だからこそ、心で納得出来ない。自分の望みが叶わないと分かったからこそ、余計に悔しさで納得出来ない。…駄目なのかよ…ただ普通に生活したいってだけなのに、望みは家族との平穏な日々ってだけなのに、それでも高望みだって言うのかよ……ッ!

 

「…すぐに答えを出せとは言わないわ。悠弥の心情は察するし、私もまずは報告をしなきゃいけないもの。お祖父様も悠弥の意思なら無下にはしないでしょうし、ゆっくり考えて頂戴。考える間緋奈ちゃんが心配なら、私が周辺警護をしたっていいわ」

 

俺の事を案じてくれたのか、時宮は普段よりずっと優しげな声でそう言ってくれた。でも、その優しさも意味はない。どんなに時間をかけて考えたって思いが変わる訳がない。仕方ないか、と諦められる訳がない。緋奈をこちら側に向かわせてしまう事なんて、例えどんな譲歩があったとしても……

 

 

 

 

────緋奈を?

 

「……時宮、今言った事もう一度言ってくれないか…?」

「え?」

「今言った事だよ、今」

「今って……そ、そこそこの文字数の事言ったんだけど…まさか全部?」

「そのまさかだ」

「地味に難しい事言うわね!?それって普通一言程度の台詞に対して言うものじゃないの!?」

「言い回しや語尾は適当でいい!とにかく同じ内容でさえあればいいんだよ!頼む!」

「…し、仕方ないわね……」

 

両手を合わせて頼んだ結果、時宮はしぶしぶながら言い直してくれた。その言葉を一言一句聞き逃さない様に集中しながら聞き、頭の中で何度も反芻する。そして、その上で……一つの答えを作り出す。

それは、文句無しの答えではない。結局俺は幾分妥協する事になるし、恐らくは時宮や宗元さんにも迷惑をかける。けど…それならばきっと、緋奈を守る事が出来る。緋奈にこれからも普通の人として生活させられる。それが出来るのなら……今は、それで十分だ。

 

「……決めたよ、時宮」

「…決めた?」

「あぁ」

 

手を離し、姿勢を正して時宮と視線を合わせる。それから一瞬…最後の逡巡を乗り越えて、俺は告げる。

 

「時宮、宗元さんに伝えてくれないか?──気が変わった、俺も霊源協会に所属しようと思う、って」



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第二十一話 無茶苦茶と現実的の境界

「…すいません、宗元さん。突然の事で時間取らせてしまって」

「気にするな。…というかお前、ちゃんとアポ取り出来る様になったんだな」

「お、俺だって十数年普通に生活すればそれ位の知識付きますよ…」

 

時宮に頼んだ、宗元さんへの伝言。それを時宮は早速実行してくれて、なんと頼んだ翌日に宗元さんと話す場を得る事が出来た。……ほんと、時宮にも宗元さんにも感謝しねぇとな…。

 

「それもそうか……それはさておき、話は妃乃から聞いた。妹はその後変わりないか?」

「えぇ、昨日は多少ふらふらしていましたが、今日の朝にはもう普段通りの様子に戻ってました」

「ならば、一先ずは安心という事か。…坊…悠弥、お前も災難が続くな…」

「そうっすね……一人、本来の人生から逃げてのうのうと生きる事を望んだバチ、ですかね…」

 

俯きながら、そう呟く。俺が今の俺になる前の知り合いであり恩人でもある宗元さんの前だからか、俺はついそんな自虐を口にしていた。

それを聞いて、はぁ……と溜め息を漏らしながら立ち上がる宗元さん。宗元さんはそのまま俺の前まで来て……

 

「……んな訳あるか、馬鹿」

「痛ぁっ!?」

 

……俺の頭にチョップをかました。脳天へ向けて、しかも結構な威力で。

 

「な、何すんだ宗元さん!?痛ぇだろ!…じゃなくて痛いじゃないですか!」

「お前が馬鹿な事を言うからだ。要はお前が馬鹿だからだ」

「なんつー正統性のない理由だ!……ちょっとは俺の気持ち察して下さいよ…」

「なんだ、同情してほしかったのか?」

「それは……」

 

正直に言えば、そういう気持ちが少なからずあった。…が、それを口にするのは憚れる。だってそりゃ、そんな事口にするのは恥ずいだろうが…。

言うに言えず結果口籠ってしまった俺。そんな俺を見た宗元さんは、再び溜め息を吐いて…今度は俺の肩に手を置く。

 

「…お前は俺の、軍上層部の命令に従って、組織と国の為に戦ったんだ。理由はどうあれ、自分のやれる限りの事をしたんだ。その結果生き残る事が出来て、願いを叶えるチャンスを手にする事も出来たんだから、バチも何もあるかよ。手前が手前で得た権利を行使して何が悪いってんだよ、それが分かってねぇからお前は馬鹿なんだ」

「……ありがとうございます、宗元さん…」

「気にするな。出来の悪い元部下に、恩師として少し話をしてやっただけだ」

「…あんた、俺の事を出来の悪いだの自分の事を恩師だと思ってるだの思ってたのか…」

「お前に色々教えてやったのも、お前が手のかかる奴だったのも事実だろう?後、目上の人をあんたって呼ぶんじゃねぇと昔言っただろうが」

「へいへい……感謝してますよ、昔も…今も」

 

徹底して宗元さんは俺を小馬鹿にした様な声音だったが……気付けば、俺は少し気が晴れていた。そしてそれは、宗元さんが気を回してこんな話にしてくれたからに違いない。だから、俺は思う。本当に、この人には頭が上がらないと。

 

「……話を戻そう…と、言うより本題に入るとしようか。…何故今心変わりした?」

「…魔物襲撃後に決めた事です、それだけで理由は分かるんじゃないですか?」

「妹の事、か…だが聞きたいのはそこじゃない。そこより突っ込んだ、具体的な部分だ」

「ですよね、まぁそんな難しい事じゃないですよ。ただちょっと、取引をしたいってだけです」

「…取引、だと?」

 

椅子へと戻った宗元さんは、俺の言葉に怪訝な表情を浮かべる。…宗元さんの事だから、その表情には「俺相手に取引とは、偉くなったもんじゃねぇか」って感情も含まれてるんだろうなぁ……。

 

「えぇ、取引です。俺が所属する代わりに、緋奈には検査も勧誘もしないでほしい…そんだけの話ですよ」

「…それを受け入れるかどうかはともかく…お前はそれでいいのか?所属すれば、またお前は戦いに身を投じる事となるぞ?」

「所属しなくても戦いに身を投じる羽目になったんですがね…緋奈を守る為にそれが必要なら、兄として覚悟を決めますよ。あぁそれと、あくまで俺は所属するだけです。戦力が足りない時は幾らでも使ってくれて構いませんし、どうしても出向かなきゃいけない用事には出向しますが、基本はこれまで通り俺は緋奈と生活させてもらいます。不躾ですが、これは妥協しませんよ?」

「そうか……その気持ちは察しよう。俺も昔は指揮官、現在は協会の長…そして、今は子供も孫もいる身だからな。家族や仲間を守る為になりふり構わない覚悟も、無理を通そうとする感情も手に取る様に分かる」

 

背もたれに背を預け(凄ぇ座り心地良さそうだな、あの社長とかが座ってそうな椅子…)、宗元さんはゆっくりと頷いた。頷いて……

 

「……だが、それは即ちお前一人で妹と守るという事だと分かっているのか?確かにお前であれば便宜を図るのもやぶさかではない上、多少の特別扱いは予言された霊装者という事で許容されよう。しかしだ悠弥、こちらから関与せずにお前の妹を守るというのは出来ないぞ?難易度自体もそうだが、今も昔も霊装者は有り余っている訳ではない。その中で、所属すらしていない者を守る為に人員を割き続けるのは…はっきり言って、無理だ」

「分かってます。俺一人で守るというのも、承知の上です」

「一人で出来る事などたかが知れている。…それが分からないお前じゃないだろう?」

「一人では難しくても、やるしかないんです」

「間違った精神論はなにも生まないぞ?」

「最後に勝負を分けるのは精神…覚悟や決意だ、とも昔言ってましたよね」

「……強情だな、お前も」

「後悔はしたくありませんから」

 

強情。確かに自分でもそう思う。けど結局、譲っちゃいけない部分を譲ったらどんな結果に転がっても満足出来ないのが道理だって、少なくとも俺はそうなんだって知っている。それに、前提として後悔しない結果を望んではいるが…妥協して後悔するのと妥協せずに後悔するのなら、後者の方が良いしな。

そこで俺と宗元さんの会話は一旦途切れる。そこから宗元さんは暫く考え込む様な様子を見せて…人を呼んだ。

 

「…妃乃、入ってきなさい」

「はい、お祖父様」

 

宗元さんが少し声を貼ると、俺の背後の扉が開いて時宮が入ってくる。…ここに入るまで時宮と一緒にいたが…時宮はずっと部屋の前で待機してたのか…。

 

「話の流れは分かっておるな?」

「はい、悠弥の意思は聞いていましたし、今のやり取りに関しても扉越しに聞いていました」

「うむ。ならば妃乃、妃乃は彼の言う事についてどう思う。話してみなさい」

「…分かりました」

 

背筋を伸ばした姿勢のまま首肯する時宮。その後時宮は真横にいる俺ですら微かに聞こえる程度の大きさの吐息を漏らして…口を開く。

 

「……正直、彼の考えは甘いと言わざるを得ません。理想は理想、現実は現実、彼もそれを踏まえて考えてはいる様ですが…それでも、お祖父様の言う通り一人で出来る事などたかが知れているというのが真理だと思います」

「……っ…甘いってお前な、俺だって本気で考えて、その上で……」

「──しかし、私個人としては彼を応援したいとも思っています」

「……へ…?」

 

時宮は職務の一環として話しているのか、淡々とした声音で俺の意思を否定してくる。時宮の言っている事は間違ってはいないと思いつつも、やっぱり淡々と否定されるのは不愉快なもので、つい反論しようとした俺だったが……途中から、時宮の言葉の内容が変わった。相変わらず言い方は淡々としているが…否定が、肯定に変わった。

 

「私はお祖父様程ではありませんが、彼と…悠弥とこれまで言葉を交わしてきました。悠弥は無愛想で気遣いが出来ず、おまけに捻くれていますが……妹への思いも、覚悟の強さも本物です。悠弥は本当に命をかけて、そしてその上で自身の命を犠牲とする事なく妹を…今ある大切なものを守ろうとしてします。……そんな彼を、私は一人の人として手助けしたいと思いました。私の出来る限りの協力をしたいと思いました。ですからお祖父様、どうか悠弥の意思を尊重するご決断を宜しくお願いします」

「時宮……」

 

そう言って時宮は頭を下げた。ただでさえ俺は時宮に色々迷惑をかけているのに、俺の為に宗元さんに頭を下げてくれた。そんな時宮に、俺はなんて言えばいいか分からなくなる。

そしてそれは宗元さんもだった様で、それまで纏っていた威厳の様なもの(若干アウトローの威圧感っぽいのも混じっているが)が薄まって年相応の老人っぽい感じになっていた。……ただのお爺ちゃんっぽくなってたのはほんの一瞬だったけど。

 

「……妃乃、その言葉に嘘偽りは?」

「ありません。私は本心でもって、悠弥の応援をする所存です」

「そう、か……」

 

ぼかしも誤魔化しもせず、はっきりと言い切った時宮。宗元さんはそれを聞き届けた後、後頭部をかいて立ち上がる。その後俺の前に再び来て……

 

「悠弥……テメェいつ俺の孫娘をたぶらかしやがったッ!」

『えぇぇぇぇええええええッ!?』

 

何故かとんでもねぇ思考の跳躍をしてきた!しかも俺の胸ぐら掴んできやがった!訳が分からねぇ!

 

「ちょっ、宗元さん!?それ勘違いですから!明らかにいき過ぎてますから!」

「あ"?何が勘違いだってんだよ青二才が!それともアレか、たぶらかし程度じゃ飽き足らずに自分の女にしたってか?だとしたらぶっ殺すぞ!?」

「だからしてねぇって!つか幾ら不真面目な俺でもそこまで下衆じゃねぇわ!」

「そ、そうですよお祖父様様!私が悠弥の「妃乃は黙ってなさい!」はい!…って早い!それ普通私がそこそこ話した後に言う封殺文句ですよね!?今のところ私まだなにも示せてませんけど!?」

「とにかく黙ってなさい!それとテメェは表に出ろ!数十年ぶりに模擬戦だ模擬戦!ルールに則って叩きのめしてやるわッ!」

「も、模擬戦って馬鹿じゃねぇの!?予言された霊装者と協会のツートップの一角が突然模擬戦したら大混乱必死だろうが!あー、もう!よく考えてみろ宗元さん!俺が時宮にそういう意味で相手される訳がねぇだろッ!」

「あ、それはそうだな」

「認めんのかよコンチクショウめッ!」

 

遺憾ながら、大変遺憾ながら切り札(という名の自虐)を切った事でなんとか宗元さんは納得してくれた。……くそう…

 

「俺だって、俺だって少しはいい面してるだろ…」

「自分で言うんじゃないわよ自分で…でもお疲れ様、悠弥…」

「あぁ…時宮こそ変な勘違いされて大変だったな…」

 

互いに顔を見合わせて溜め息を漏らす俺と時宮。…恐らく、俺と時宮がここまで同じ気持ちを抱いたのは今が初めてだろう。

それから十数秒後、宗元さんは椅子に戻って何事も無かったかの様な表情を見せる。それに対しては文句の一つも言いたくなったが…今回は触れないでおく。君子危うきに近寄らず、ってな。

 

「内容はともかく…妃乃の意思は理解した。最後にもう一度確認するが、妃乃はあくまで悠弥を応援するつもり、という事だな?」

「はい、間違いありません」

「…分かった。ふむ……」

 

顎に手を当て、考え事を始める宗元さん。それを俺達二人は無言でただ待つ。一体どの部分に考えを巡らせているのか、どこまで俺の願いを聞き入れてくれるのか、それ等が一切分からないままとにかく待つ。

そうして待つ事約数分。ふと宗元さんは天井を見上げて…数秒後に下ろす。下ろされ見える様になった宗元さんの顔は、少し企みのありそうな笑みが浮かんでいた。

 

「そういえば、妃乃…話によると、妃乃は悠弥に装備を渡していたそうじゃないか」

「うっ……は、はい…ナイフを渡しました…」

「…所属していない者に渡すのは、立場関係なくご法度という事は、分かっているだろうな?」

「…勿論です……」

 

痛いところを突かれた、と言わんばかりに声から覇気の消え去った時宮。恐らく今時宮はバツの悪い心持ちになっているんだろうが…それは時宮だけではない。このやり取りを聞いた瞬間、俺もまたバツの悪い心境になった。だって、それは紛れもなく俺のせいだから。

 

「ま、待った宗元さん。何でこのタイミングで言ったのかは知りませんが…それに関して責められるべきは俺です。時宮は俺を案じて渡してくれただけで、時宮に悪気はない筈です」

「それ位分かっている。だが、理由はどうあれ事実は変わらん。相手の身を案じている場合は例外、なんて条項もない以上違反は違反だ」

「そりゃ、そうかもしれませんが…そのおかげで俺も緋奈も無事だったんです。それもまた事実でしょう?」

「結果的には、な。結果を無視する訳じゃないが…終わり良ければ全て良し、が簡単にまかり通る様な組織が組織としてきちんと成り立つと思うか?」

「ですが……」

「…いいのよ悠弥。お祖父様の言う通り、私が違反をした事には変わらないんだから」

 

食い下がろうする俺を止めたのは、他でもない時宮。時宮は自分の非を早くも(もしかしたら言われる前からずっと)認めていたのか、反論も弁明もせずにただ俺と宗元さんのやり取りを聞いていた。それに俺は…ほんの少しながら、不快感を抱く。

勿論、潔いのは美徳だと思う。言い分だって、俺と宗元さんなら宗元さんの方が正当性はある。…けど、時宮は善意でしてくれた事なのに、そのおかげで二人も救われたのに、それが悪い事だったんだと簡単に認めてしまっているのが嫌だった。……いや…、

 

(…それだけじゃ、ねぇか……)

 

不快感の理由は、それだけじゃない。時宮にそういう事をさせてしまった俺自身にも、孫娘に対しあくまで組織の長として判断を下そうとしている宗元さんにも嫌な気分を抱いていた。…でも、俺はともかく…時宮と宗元さんは別段間違ってる訳でも我が儘って訳でもないんだよ、な……。

 

「…申し訳ありませんでした、お祖父様」

「……なにも釈明せず、でよいのか?」

「はい、処分もきちんと受けるつもりです」

「…分かった。では、話をまとめるとしよう」

「まとめる?まとめるも何も、俺の件と時宮の件は全く違うんですけど…」

「反論は聞く、だからまずは聞け」

 

宗元さんの中ではもうまとめ終わってるのか、俺の言葉を制する。そうして俺が閉口したのを確認すると、宗元さんはまたさっきの含みある笑みを浮かべて…口を開いた。

 

「まず、本題の悠弥と妹の件だが……喜べ悠弥。お前の要求は全部飲んでやる」

「…………」

「…………」

「……へっ?……ま、マジっすか…?」

「なんだ、不満なのか?」

「い、いいいえ!不満なんて滅相もない!満足も満足、大満足です!ありがとうございます!」

「感謝しろよ、悠弥。……だが、お前にとってこれは楽じゃない選択だ。それは分かっているな?」

「……はい、重々承知です」

 

声のトーンを落とし、鋭い眼光で俺を見る宗元さんにしっかりと頷く。自分の我が儘で会話の場を用意してもらい、こちらから要求を持ちかけるなんて大それた真似をしたのだから、後になって『やっぱ大変だから止める』なんて絶対に言えない。そんな事は組織としても問題あるだろうし…何より、時宮と宗元さんの厚意に泥を塗る真似なんざ、俺自身が俺を許せなくなるからな。

 

「きちんとこっちから呼び出した時は来るんだぞ?…それと、要求は全部飲むが…一つ、条件を付けさせてもらう」

「条件……?」

「あぁそうだ。…で、次は妃乃だが……妃乃、お前は処罰としてある特務に就きなさい」

「え…い、いやお祖父様。その特務というのは謹んでお受け致しますが…この流れならば、先に条件の開示を行うのが先では…?」

「勿論。その特務というのは、ある人物と協力した護衛任務…それも、住み込みのだ」

「ですから、私の件より条件開示…………」

 

 

『……ん?』

 

何故か噛み合わない会話に、時宮は再度疑問を……言いかけたところで、俺諸共それとは別の疑問符を浮かべる。俺の事と時宮の事とは別の話……じゃない気がしてきたぞ…まさか、これは……。

 

「流石にこう言えば察するか……その通り、結論はそうだ。────悠弥、お前の要求に対する条件は、妃乃の特務を受け入れる事だ。そして妃乃、お前の任務対象は…千嵜兄妹だ。以上」

 

以上。その言葉で宗元さんは言いきった。で、そう言われた俺達は…取り敢えず顔を見合わせる。

 

「…だってよ。って事は、時宮はうちに来るって事になるのか?」

「そうなるわね。お祖父様の事だから、貴方と緋奈ちゃんの両方を助けろって事じゃないかしら」

「あー、やっぱ粋な事するな宗元さんは」

「当たり前よ、お祖父様は偉大な方だもの」

 

 

 

 

 

 

 

 

『はぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!?』

 

俺と時宮、本日二度目の大絶叫。理由は……言うまでもねぇよ!

 

「しょ、正気か宗元さん!ってか言ってる意味が分かってんのか!?」

「当然だ、まだボケるものか」

「なら尚更アウトだ!俺未成年の男だぞ!?時宮未成年の女だぞ!?」

「悠弥、お前は本当に碌でもない事をする様な奴じゃないだろう?」

「さっきと言ってる事違ぇ!そう思ってんならなんでさっきキレたんだよ!?…って今話すべきはそれでもねぇ!」

 

これでもか、と声を張り上げて俺は突っ込む。なんというかもう、この場においては突っ込むという選択肢しかなかった。

 

「ギャーギャー騒がしい奴め…俺が面白そうだから、みたいな理由で決めたと思ってるのか?お前はともかく、妃乃は自分の孫娘だぞ?」

「だとしても突然過ぎますお祖父様…説明はしてくれますよね…?」

「無論。まず、悠弥側の理由だが…こっちは単純、立場や関係性から妃乃が適任…という事だ」

「適任、ですか…そりゃまあ、一応とはいえ時宮は俺と緋奈の両方と面識ありますし、時宮ならかなり行動に自由が効いているんでしょうけど……」

 

一人で守る、と決めたとはいえ手助けがあるならそれはありがたいし、その手助けが時宮であるのなら心強い。…そこんとこは別にいいが……

 

「……護衛はつける前提なんですか?」

「つける前提だ。予言の霊装者且つ特異な存在であるお前も、その妹も貴重な存在だからな」

「…緋奈に霊装者としての道を期待しないで下さい」

「分かってる、別にこちら側に差し向けようとする気はないさ」

「ならいいですけど…いや納得した訳でもないですが…」

 

俺としてはまだ反論もあったが…宗元さんは既に俺から時宮に目を移していた。…これだとなんか言っても聞いてもらえないんだろうな……。

 

「…私側の理由は、なんですか?」

「うむ。妃乃、お前にはもう少し俗な部分を大切にしてほしいのだ」

「……あの、仰る意味が分からないのですが…」

「妃乃は些か協会に…権威ある立場に染まり過ぎている。過ぎたるは猶及ばざるが如し、だ」

「…それは、私が権威を乱用する事を危惧しているのですか?」

「そういう訳ではない。お前は真面目で誠実、指導者としての才もあるだろう。しかし…それだけでは良いリーダーにはなれても最高のリーダーにはなれぬ」

 

宗元さんの言葉を要約すると、宗元さんは時宮に協会の外の空気を吸って、『時宮家の孫娘』という視点以外も豊かにしてほしい…というもの。それは俺も分からんでもないが…当の時宮はそうじゃない模様。

 

「…仰る事は分かります。しかし、私は現に高校と一人暮らしでそれなりに外の世界を見てきています。…まだ、足りませんか?」

「足りていればこんな事は言わない。宮空の孫の様に、良くも悪くも我が強いならともかく…妃乃は周りに合わせる事も求められた役割をこなす事も出来過ぎる。その点においては真逆な悠弥が、今の妃乃にとっては良い影響となる…そう考えたのだよ」

「……そう、ですか…」

「真逆って…俺も時宮もいまいち納得出来てないんですが、それでも進める気ですか?」

「進める気だ。むしろ逆に聞くが…拒否出来るのか?」

『うっ……』

 

俺と時宮、同時に声を詰まらせる。宗元さんの言う通り、処罰は謹んで受けると言った時宮は勿論、後付けながら条件を飲む事を理由に要求を受け入れてもらう俺もまた拒否は出来ない立場にあったのだった。……宗元さんアンタ、さっきの笑みはそれだったのか…。

 

「…意地が悪いですよ、宗元さん…」

「意地悪でやってる訳じゃない。…それに、分かっているだろう?俺は無理そうな事を命じる様な人間ではない、と」

「そりゃそうですが……はぁ…時宮、嫌なものはきちんと嫌だと言うべきだと思うぞ…?」

「…いや、処罰は受けるって言ったもの。…これも、受け入れる事にするわ」

「……確かに権威ある人間としての意識が強過ぎるみたいですね、時宮は…」

「そういう事だ。……馬鹿な真似はするなよ、悠弥」

「分かってますよ…宗元さんの家族に馬鹿な真似をする様な恩知らずじゃないですから、俺は」

 

──こうして、会話はまとまった。全然丸く収まってはいないが……まぁ、結論が出たって意味では成り立つだろう。……さて、これから色々大変そうだな…。



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第二十二話 一人増えた食卓

「緋奈よ、今から俺は緋奈に大事な話がある」

 

かなり無理矢理且つ無茶苦茶な理由で妃乃が居候(って表現でいいのか…?)する事になった日の夜。各種準備が必要だという事で実際に住み始めるのは今日ではないものの、家族である緋奈には先に話しておくべきだろう…という事で、こうして話す場を設けるに至った。…と言っても、単に緋奈をリビングに呼んだだけなんだけどな。

 

「…それは、ここにいる…えと、時宮さん?…が関わる話なの?」

「お、流石緋奈。よく分かったな」

「流石も何も、この状況なら誰だってそう思うよ…」

 

当然ながら、この話の当事者である時宮もこの場に同席。緋奈が座ったところで時宮は俺に頷く。

 

「…まあ、なんだ…ちょっと、いや…大分驚きの話になるから、それを踏まえておいてくれ」

「驚きの話?……ま、まさか…」

「え、まさかって今のやり取りだけで分かったの?…凄いわね緋奈ちゃん…こほん。そう、唐突だけど私は──」

「時宮さん!貴女にうちの兄はやりません!」

「はぁぁ!?いやそういう事じゃないわよ!そして百歩譲ってそうだったとしても、それは普通妹が兄の婚約相手に対して言う事じゃないからね!?」

 

はっ…と一瞬で理解した様な顔を見せた緋奈。それに時宮が驚きつつも話を……すると思いきや、緋奈は多大な勘違いをしていた。…我が妹ながら早とちりが過ぎる……。

 

「あ、違うんですか?…よかったぁ……」

「違うに決まってるから……ちょっと悠弥、貴方緋奈ちゃんに私の事なんて話してるのよ…」

「なんても何も、時宮については殆ど何も言ってねぇよ…」

 

勘違いされる様な話をしたのか、と時宮は呆れ気味で俺に視線を送ってくるが…そんな顔をされたって困る。兄だって妹の事を全部知ってる訳じゃないのだ。

 

「えっと…その、なにかすいません。よくよく考えれば、お兄ちゃんにそういう人が現れるなんてその時点で非現実的ですもんね…」

「でしょ?分かってくれて何よりよ…」

「うん、二人共不必要な俺へのdisりは止めような。……じゃ、改めて…緋奈、今度は変な勘違いしないでくれよ?」

「うん、というかわたしも好きで勘違いした訳じゃないからね」

「そりゃそうか……結論から言ってしまえば、時宮がうちに居候する事になった」

 

辛辣な言葉はさておき、理由やら何やらから話してもちんぷんかんぷんだと思った俺は早速結論を口に。すると、それを聞いた緋奈は……

 

「へぇー。…………はい?」

 

────ご覧の通りの反応を見せた。すぐ驚く訳ではなく、一度普通に受け取って……その後、明らかに普通受け取れるレベルじゃないと気付いて訊き返す。そんなベタな反応だった。

 

「いやだから、時宮がうちに居候する事になった」

「……え、っと…ちょっとどころか大分何を言ってるのか分からないんだけど…」

「だよな、俺もぶっちゃけなんでこうなったのかよく分かってない。時宮、なんでこうなったんだ」

「いや、なんで貴方まで質問する側に回ってるのよ……そういう事になってしまったから、としか言いようがないでしょ」

「そういう事…?」

 

そういう事ってどういう事?…緋奈の表情には、そんな疑問が浮かんでいた。それを受け、俺と時宮は目を合わせる。

勿論、俺と協会の意向…なんて本当の事を話すつもりはない。こちら側の事に触れさせない為にこうなったのに、真実を話してしまったらなんの意味も無くなってしまう。だから俺は……嘘を重ねる。

 

「これは俺も最近知ったんだが…まず、時宮とうちとは遠い親戚らしい」

「…そうなの?」

「そうらしいんだ。んで、時宮は今一人暮らしだったものの、物件の方に問題が起きてそこに住めなくなって……ここまで言えば、後は分かるな?」

「まぁ…分かるかと言われれば……」

 

俺の言葉に緋奈は首肯するものの、未だに顔は怪訝な表情を浮かべたまま。理解は出来るけど納得はまだしてない…そんな顔だった。…唐突な上に突拍子もない話なんだから、その受け取り方は当然っちゃ当然だが。

 

「…ごめんなさいね、緋奈ちゃん。貴女にも悠弥にも迷惑のかかる事になっちゃって…」

「あ、いえ…時宮さんこそ大丈夫なんですか?物件の方に問題が…って、結構洒落にならない事ですよね…?」

「ま、まあね…でもご覧の通り、私自身は大丈夫よ。それに私の持ち物が全部駄目になった…とかそういう訳でもないから」

「それは良かった…この事って叔父さん達も知ってるの?」

「…勿論知ってるさ。というか、元々俺も親戚経由で今回の話を聞いた訳だからな」

 

叔父さん達、というのは文字通り叔父さん達であり、両親の代わりに保護者となってくれている人の事。緋奈はこそこそ嗅ぎ回るタイプじゃないと思うが……実際に叔父さんに確認取られたら面倒だな。宗元さんに時宮を入れた、偽の家系図でも作ってもらうか…。

納得してくれるかどうかはさておき、一先ず俺達の嘘を信じてくれた緋奈。緋奈は一通り俺の話を聞いた後、考え事をする様なそぶりを見せる。

 

「……やっぱり、急な話過ぎるよな…」

「うん……あ、でも別に時宮さんが嫌いって訳じゃないですからね?」

「フォローありがと、でも気遣いは不要よ。こんな話、すぐ納得しろって方が無茶だもの」

「…分かりました。…お兄ちゃん、時宮さんは別に今から早速住む訳じゃないんだよね?」

「あぁ。こっちも時宮も色々準備があるからな」

「ならその日までにわたし、心の準備をしておく。…それでいい?」

「それで十分だよ。悪いな、ほんと」

「ううん。お兄ちゃんが悪い訳じゃないんだから、謝らないで」

 

にこり、と俺に笑いかけてくる緋奈の優しさに、どうしても罪悪感を感じてしまう。言うまでもなく、こうなったのは俺のせいなんだから、俺が悪い訳じゃない訳がない。そして、それを分かっていながら話さないのも心の呵責を禁じ得なかった。…だが、それでも俺は嘘を吐かなきゃいけない。

 

「…じゃ、話はこんなもんか」

「そうね。緋奈ちゃん、何か質問はある?なければ私はお暇するけど…」

「えーっと…無い、と思います…」

「そう。じゃあ、その日が来たら宜しくね。…悠弥とはそれ以前に普通に学校で顔を合わせるんだけど」

「なんか棘の感じる言い方だな…まあいいけど…」

 

そんな皮肉っぽい言葉を残し、時宮は帰っていった。…考えてみると、時宮がうちで生活するって事は、今までよりずっと顔を合わせる機会が増えるって事なんだよな……これはお互い大変になりそうだぞ…。

 

 

 

 

そして日は流れ、時宮の引っ越し当日。協会が上手い事準備をしてくれたおかげで特にトラブルも発生せず、特筆する点がない位普通に引っ越しは終了した。…いいだろ別に展開が早くたって。特筆する点のない描写が続いたって誰も特にならないって事だ。

 

「ではこれにて作業を終了させてもらいますね」

「えぇ、ご苦労様」

 

帽子を取り、頭を下げて家から出ていく引っ越し業者……に扮した協会の人間。元々協会は霊装者の保護と管理を行う関係上、引っ越しの手配を必要とする事が多く、なんと協会内に引っ越し担当の部署が存在していた。…この部署に配属された人間は、一体どんな思いを抱くんだろうな……。

 

「……ふぅ、やっと終わったわね」

「やっとって程大がかりじゃなかったけどな。基本家具家電はうちにある訳だし」

「引っ越す側にとっては物量関係なくやっとなのよ。なにせ、今から私の生活は大きく変わるんだから」

「そりゃこっちもだがな…」

 

なんて会話をしながらリビングに移動。時宮ももう既に何度か来ている&これからは自分の住む家であるからか、慣れた様子でリビングに入ってソファに腰掛けた。

 

「……今日からここが私の住む場所、ね…」

「なんだよ、内装が不満か?それとも住人が不満か?」

「いや内装に不満はないわよ?一人暮らしの時は普通の家に住んでたから別に狭いとは思わないし、悠弥はともかく緋奈ちゃんは良い子だと思うもの」

「俺はともかくかよ…」

「冗談よ。貴方の事も別に悪くは思ってないわ」

「そりゃどうも…」

 

相変わらず些か厳しい時宮の言葉に、軽く肩を落としながら返答する俺。悪く思われてないだけありがたいと捉えるべきか、社交辞令的に言っただけなんだろうと捉えるべきか……まあ取り敢えず、緋奈に好印象を抱いてくれてるのは助かるわな。

 

「…あー…そうだ、時宮。時宮は家事出来るか?」

「家事?…出来るかどうかなら、まあ出来るわね。一通りやってたし」

「そりゃ良かった。今うちは俺と緋奈で家事分担してるんだが、時宮にも家事はしてもらうからな?」

「えぇ、構わないわ」

「お、おう……」

 

所謂お嬢様育ちの時宮だから、家事やれって言ったら嫌がるだろうなぁ…と思いきや、二つ返事で承諾されてしまった。…いやそれは良い事なんだが、うーむ……。

 

(…完璧人間かよ時宮は……)

 

勉強運動共に優秀(らしい)で、霊装者としても強く、家柄も良く、容姿端麗且つ性格も良好で(俺に厳しいのはまぁ、俺自身からかったり失礼だったりするからだろうな)、おまけに家事も出来るとなると、いよいよもって本当に非の打ち所がない様にしか思えなくなってくる。……なんか欠点や弱点見つけたいなぁ…。

…なんて思っていたところ、とんとんっという階段を降りる様な音が聞こえてくる。現状この家にいるのは三人で、その内二人がリビングにいるのだから、降りてきている人物は当然残りの一人しかいない。

 

「あれ?もう業者の人帰っちゃった?…最近の業者さんは、仕事終わってから帰るのが早いんだね…」

「最近も何もお前引っ越し業者の事全然知らないだろ…」

「あ、バレた?……それはともかく…時宮さん、これから宜しくお願いします」

「え?……こほん。こちらこそ宜しくね、緋奈ちゃん」

 

リビングに現れた緋奈は、時宮の前へ行き…すっと背筋を伸ばしてそう言った後、ぺこりと時宮に頭を下げた。それを受けた時宮も、緋奈が頭を上げたのを確認した後同じ様に頭を下げ、緋奈に対して微笑みかける。……さっきは緋奈に好印象を抱いてくれてるのは助かる…なんて思ったが、これはひょっとするとこの家の中で俺がハブられる可能性あるんじゃねぇか…?

 

「…それは流石に勘弁だな…さて、時間も時間だし食事の買い出し行くか」

「買い出し?食材足りないの?」

「まあ、ない事も無いが……時宮、お前うちで食べる最初の食事が冷蔵庫の残り物で作った適当な料理がいいか?」

「それは…でもその為にわざわざ買い出しさせるのは悪いわよ」

「いいんだよ、そうしたら俺も俺で目覚め悪いからな。…なんか食いたいものあるか?」

「……だったら、買い出しも料理も私にやらせて頂戴。親愛の印…なんてつもりはないけど、これから宜しく…って事で、ね」

 

どうかしら?…と時宮は俺に返答を求めてくる。……うーむ、まぁどうしても俺が料理をしたいって事はないし、俺としちゃそれでも構わないが…。

 

「……緋奈は、それでいいか?」

「わたし?うーん…それでいいと思うよ?特に拒否する理由もないもん」

「ならまぁいいか…よーし時宮、良い子の時宮にはまずお使いを頼もうかな〜」

「任せなさい……って、何で親戚の子供みたいな扱いなのよ私!なんかそれだと私が我が儘言ってるみたいになるじゃない!」

「相変わらず良い反応するなぁ…ま、とにかくそう言うなら任せるとするよ。…普通の料理を作ってくれるんだよな…?」

「当たり前でしょ、他人に食べさせるのよ?」

「そりゃそうか…んじゃ頼んだ」

 

何を買い、何を作るかは聞かずに時宮を見送る俺と緋奈。ああは言ったが時宮がトンデモないチョイスをするとは思えねぇし……何を作るのか想像しながら待つのも悪くないからな。

そうして待つ事数十分。買い物を終えて帰ってきた時宮(そういや近くにある店の場所知ってたんだな…)は、買い物袋をキッチンで降ろし、手を洗って早速料理を始めた。

 

「…時宮は何作るんだろうな」

「……えっと、それはボケの振り?」

「いや違ぇよ…仮にそうだったとしても『そうだぞ?』とは言わないからな?言ったらその時点でボケやり辛い雰囲気になっちゃうからな?」

「う、うん…思ったよりちゃんとした返しがきてわたしは少し驚きだよ…」

「振りが悪いんだよ振りが…」

 

ソファに座って料理をする時宮を眺めながら、俺と緋奈は談笑。何ともまあ中身のない会話をしながら……ふと俺は気付く。

 

(……そういや、こうして食事が出来るのを待つのも、緋奈と話しながら待つのも、何が出来るか想像しながら待つのも久し振りだな…)

 

両親が死んでから、うちでの食事は殆ど俺が作っていた。だから当然何が出来るかは毎回分かっている(というか作る本人が分かってなきゃヤバい)し、緋奈が作る時は俺がまだ帰っていないか料理出来ない状況かでまったり待つ事も無理だったから、正直俺の中で『家で食事が出来るのを待つ』という考え自体が消えかかっていた。……そんな中で、突然現れたその機会。それはまるで、両親が生きていた頃の様で────。

 

「……っ…駄目だな、ついしんみりしちまう…」

「……?」

「…何でもねぇよ。時宮、見つからない調理器具とかあるか?」

「今のところは大丈夫よ、ちゃんと整頓してしまってあるもの」

「そりゃま、調理中に器具が見つからないって事になったら最悪料理の質が落ちちまうからな」

 

俺の心が弱いのか、身体は所詮まだ未成年だからか、それとも…自分が思っている以上に俺は親という存在を欲していたのか、ふとした事でこうして両親や両親との日々を思い出してしまう。そしてその度俺は、気持ちを振り払って自分も周りも誤魔化していた。

それが正しい事なのかは分からない。だが、どんなに昔を懐かしんだところで両親が帰ってくる筈もなく、今の俺には今の俺の生活も、守りたいものもある。だから……過去に囚われる訳にはいかないよな。

そんな事を考えながら、俺は再び視線を台所へ。そこから聞こえる調理音を耳にしつつ、俺は緋奈と談笑を続けるのだった。

 

 

 

 

「待たせたわね、ご飯出来たわよ」

 

日も落ち外が暗くなった頃、時宮の作る食事は完成した。どうやら作っていたのはシチューとサラダだったらしい。

 

「……まさかとは思うが、白米を炊き忘れたとかはないよな?」

「そんな四コマ漫画のオチみたいなミスする訳ないでしょ。ちゃんと炊いてあるわ」

「いい匂い…あ、お茶はわたしが淹れますね」

「そう?ならお願いするわね」

 

時宮が鍋からシチューを皿へ盛り付けていると、俺より気の利く緋奈が時宮の手伝いに動く。多分緋奈の事だから、料理自体には関係せず手伝えるタイミングを見計らっていたんだろうな…。……あ、一応言っておくと、緋奈でもお茶淹れる分には変な味になったりしないからな?

 

「えぇと…悠弥、貴方達のお箸とスプーンはどれなの?後、盛り付けた食器はこれでよかった?」

「あー、それで構わねぇよ。で、箸やら何やらは…まあ俺が出すか」

 

柄を言えば恐らく分かってくれるだろうが…そうはせずに食器棚の前へ。……まあその、あれだ…緋奈が手伝いに行った事で『一人だけ手伝いもせず待ってる奴』みたいになっちゃったからだ。俺だってそういうのを気にする事もある。

 

「時宮さん、お茶は来客用の物に淹れたんですけど…」

「大丈夫よ、どうせ私が持ってきた食器類はまだ段ボール箱の中だし」

「だったらこれで夕飯の準備は完了だな」

 

料理とお茶、それに箸やら何やらも食卓に並べたところで俺達は席に座る。……うん、美味しそうだ。

 

「さ、それじゃあ召し上がれ」

『頂きます』

 

時宮に勧められる様にスプーンを手に取り、シチューをすくって口へ運ぶ俺と緋奈。少しだけ冷まし、口に入れて咀嚼。…ふむ、ふむ……。

 

…………。

 

 

 

 

「……普通に美味いな」

「うん、美味しいね」

「でしょ?今回の出来は我ながら中々のものだと思ってたのよ」

 

俺達の感想を聞いた時宮は、ふふんと気分良さげな表情に。…なんか自慢された様な気分になったが、まあ美味いというのはお世辞ではなく事実だから仕方ない。流石にプロ級…なんてレベルではないが、それでも料理慣れしているんだなぁ…とよく分かる味だった。……うん、やっぱ自分の家で誰かに作ってもらった料理を食べるっていいな…。

 

「時宮さん、シチュー得意なんですか?」

「そういう訳じゃないわ。まぁ得意か苦手かの二択なら得意に該当すると思うけど…」

「…まぁ焼くのが得意煮るのが苦手、ってのはあるだろうが、ピンポイントで得意苦手っていうのはなんとも言えないもんな。料理ってのは基本行程の組み合わせで行うもので、この料理でしか使わない、って調理方法はあんまねぇし」

「へぇ、料理の事分かってるのね」

「そりゃ、うちの食事は俺が担当してましたから」

 

夕食を食べながらの雑談はやはりというか、時宮が話題の中心となって進む。特に時宮と緋奈はお互い俺を間に入れての関係でしかなかった分質問が盛んになり、自然と俺は蚊帳の外状態に。

 

(…マジで?マジで俺、家の中でハブられる事になるの?一応家長なのに?)

 

俺の心の中に吹き荒む木枯らし(のイメージ)。時宮と緋奈は楽しそうに言葉を交わしてるのに、その近くにいる俺は蚊帳の外。……さ、寂しくなんかねぇし!偶々ちょっとそうなっただけで傷付く様なハートはしてねぇし!てか元ぼっちの俺にとっては、こんなの懐かしい感覚なだけだし!

 

「…そういえば時宮さんって、わたしと高校同じですよね?じゃあ、先輩って呼んだ方がいいですか?」

「ううん、確かに一年先輩だけどわざわざ先輩なんて付けなくてもいいわ。それより、出来れば下の名前…妃乃って呼んでくれないかしら?私苗字より名前で呼ばれる方が慣れてるから」

「そうなんですか?……じゃあ、えっと…妃乃、さん…」

「えぇ、それでお願いね」

 

 

 

 

 

 

「……緋奈に、先越された…」

『……はい?』

「…あ、なんでもな…くないです。なんでもあります!」

『…………はい?』

 

寂し…もとい、ふと呟いてしまった一言が二人の気を引き、しかも二人の反応に変な反応をしたものだからなんだかよく分からない雰囲気に。……ま、まぁうん…ぶっちゃけこれはミスだわ。

 

「……やっぱなんでもない。後、時宮ってあんま緊張しないタイプなんだな」

「え?…まぁ、経歴が経歴だもの」

「あー…そうか、考えみりゃ訊くまでもなかったか…」

 

様々な立場の人間と様々な形で会っているであろう時宮にとっては、確かに一般家庭(一応)で食卓を囲む程度訳ないのは当然の話。…ほんとに俺ってコミュ力低いな……。

…とまあ、こんな感じに話は夕食を食べ終わるまで続き、今日の食卓はいつも以上に賑やかなものとなった。

 

「ご馳走様っと。料理は片付けまで…って事で、洗うのも私がするわ」

「そうか?……なら、しまうのは俺に任せてもらおう。どうせまだ食器の場所うろ覚えだろ?」

「それは……そ、そうね…任せるわ」

「それならわたしはテーブル拭こうかな。そっちは三人いても邪魔になるだけだと思うし」

 

料理完成時同様、三人で分担して俺達は片付けを開始。三人分を三人で片付けてる事もありぱっぱと進み、あっという間に片付けは終わりの段階へと近付いていく。

 

(…そういや、何だかんだで言ってないな……よし)

 

理由はかなり無茶苦茶なものの、時宮がこれからうちで暮らす…同じ屋根の下で過ごす相手になったというのは変わらぬ事実。……だったら、きちんと言うべき事は言っておかなきゃだよな。

 

「……時宮」

「なに?」

「…まあ、色々と複雑な状況ではあるが……これから、宜しく頼む」

「……えぇ、こっちこそ宜しく」

 

──時宮がうちで済む事となった、初日。それはとても大満足…なんてものでは決してなかったが……それでも、悪くないスタートは切れたんじゃないかと思う俺だった。



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第二十三話 戦い方に合った武器

「逃がすかよッ!せぇいッ!」

 

牽制も兼ねたライフルの連射で魔物の足を止め、逆の手で持つ拳銃でダメージを与えつつ接近。その勢いのまま飛び蹴りを浴びせ、今度は両手の火器の掃射を浴びせながら後退する。

 

「綾袮さん!後は頼むよ!」

「OK、頼まれたよっ!」

 

俺と入れ違う様に前に出た綾袮さん。綾袮さんは俺がすぐ近くで射撃を行っているにも関わらず最小限の動きで魔物に肉薄し、俺の射撃の対応で手一杯の魔物の胴を斬り裂いた。

それまで致命傷でこそないものの、結構な数攻撃を受けていたところへ入った強烈な一撃。それは魔物の命を一瞬の下に奪い去り、魔物の身体を地面へと倒れさせた。

 

「討伐完了、っと。顕人君、怪我はない?」

「見ての通りピンピンしてるよ。…あーいや、正確に言うとさっきちょっと止まりきれなくて肩ぶつけたけど…まあこれ位は怪我に入らないよね」

 

魔物の消滅を確認した俺と綾袮さんは、武器をしまって顔を合わせる。…初陣に出たあの日以降、俺は綾袮さんの援護という形で今日の様に実戦に出ていた。…ま、今のところ俺がいなくても綾袮さんなら勝てそうな魔物としか出会ってないけど。

 

「異常がないならそれでいいけど、もし何かあったら放っておいちゃ駄目だよ?……けどそれはそうとして、今日もまた派手に戦ったねぇ」

「そりゃま、俺にとっては霊力を出し惜しみしない戦い方の方が安全且つ確実だからね」

「あーいや、それもそうなんだけど…」

「……?」

 

ほっと一息ついて雑談を交わしていると、ふと綾袮さんは曖昧な笑みを浮かべながら頬をかいた。…えぇと…急に何?

 

「こう…戦い方だけじゃなくて、テンションも派手になってるなぁ…って事。分かるでしょ?」

「テンション?……あぁ…うん、言われてみると確かに俺テンション上がってたかも…」

「ね?まぁ、ビビってるよりはそっちの方がずっといいけど…テンション上がり過ぎて冷静な思考が疎かになるのは危険だから、クールな心を忘れないでね?」

「そういう事か……ありがと、気を付けておくよ」

 

どんな含みがあるんだろうと思っていたところだけど…どうやら俺の身を案じてくれていたらしい。…割と適当なところあるし、かなりちゃらんぽらんだけど…綾袮さんってちゃんと俺の指導者兼守護者してくれるんだよね。ほんと感謝しないと…。

そうして雑談を交わした後、自宅へと戻ろうとする俺と綾袮さん。けれどそこで綾袮さんの携帯が鳴った。

 

「っと…ちょっと待っててもらえる?電話きちゃった」

「着信音なってるんだからそうだろうね…構わないよ。さっさと出てあげて」

「はーい」

 

俺から離れつつ、携帯を取り出して耳に当てる綾袮さん。綾袮さんが通話している間、俺は服についた埃を払ったり火器を再び取り出して眺めたりなんかして時間を潰す。…こう、あんまり現実離れしてないデザインの火器、一部の人に伝わる言い方をすればスーパーロボット系ではなくリアルロボット系が持ってそうな形状の火器には男を惹きつける魅力があるよね。何故魅力を感じるのか…と聞かれたら上手く答える自信ないけど。

 

(…ま、浪漫ってやつだよ浪漫。多分)

「へぇー……ま、じゃあ取り敢えず行くよ。丁度倒したところだからさ。…はいはーい、待っててね」

「…っと、終わったか……」

 

通話は終わった様で、綾袮さんは携帯をしまって戻ってくる。魔物の事を普通に触れてたし、通話の相手は協会関係者だとは思うけど…一体誰だったのやら。

 

「お待たせー。それでさ顕人君、悪いけどちょっと技術開発部に顔出してくれないかな?」

「技術開発部……ってえぇと、園咲さんが所属してるんだっけ?」

「そうそうそこ。というか園咲博士からのご指名だよ」

「ご指名?……何故に?」

 

その名の通り、霊装者の装備や道具の研究開発を行っているのが技術開発部。それはまあ知っているけど…俺が呼ばれた理由が分からない。園咲さんからのご指名、というとちょっと邪な事想像しちゃうが…まあ十中八九そういう事じゃないだろうね。園咲さんに会ってくれ、じゃなくて技術開発部に顔出してくれ、って綾袮さんは言ったんだし。

 

「なんでも、顕人君に試してほしいものがあるんだってさ。それもねぇ、話からすると恐らく試作品だよ試作品」

「試作品?……それはちょっと気になるかも…」

「やっぱりね。まあだから今から双統殿に行く事になるんだけど、大丈夫だよね?」

「あぁそれは大丈夫。っていうか俺が呼ばれてるなら、綾袮さんは先帰ってても大丈夫だよ?」

「いや、わたしも行くよ。わたしも少し気になるし、まだ顕人君双統殿には慣れてないでしょ?」

「それは…そうだね」

 

もう何度か双統殿には足を運んだけど、やっぱり場所が場所だからか足を踏み入れるとつい少し緊張してしまう。だからそういう意味では綾袮さんが同行してくれるならそれは助かる事だった。

気になる気持ちと待たせるのは申し訳ないという気持ちが相まって、早速双統殿へと向かう俺。…因みに今回はちゃんと自分で飛んでいる。

 

「試作品って、霊装者の武器なの?」

「口ぶりから察するに、多分そうじゃないかな。まあそこは実際に会えば分かる事だよ」

 

そんな会話をしながら飛ぶ事数十分。例の如く隠し出入り口を通って俺と綾袮さんは双統殿へと立ち入った。

 

「……あ、綾袮様。本日もご機嫌麗しゅうございます」

「あはは、ありがとねー」

(反応軽っ……)

 

技術開発部へと向かう最中、偶々廊下であった見知らぬ霊装者。その人は綾袮さんに恭しく挨拶を述べ、対する綾袮さんは登校時に友達と会った様な感覚で言葉を返していた。…後、俺の事は知らないらしく(相手を知らないのは俺もだけど)訝しげな視線を送るだけで特に何も言ってくれなかった。

 

「…もう少しちゃんと返した方がいいんじゃないの?あの人からすればとんだ肩透かしだと思うんだけど…」

「あー、いいんだよ別に。あの人もどうせ社交辞令でそう言ってるだけだろうし」

「え、そうなの?」

「生まれてこのかた丁重な扱いを受ける事なんて飽きる程あったからね。だから何となく分かるんだよ。それが本当に敬意を持ってくれてるのか、社交辞令で言ってるのか、わたしに取り入ろうとしてるのか…っていうのはさ」

「…そうなんだ……」

 

淡々と、いつも通りの声音で教えてくれた綾袮さん。でも、そう言う綾袮さんは……ほんの少しだけ、寂しそうな顔をしていた。けれど、その後すぐに綾袮さんは言葉を続ける。

 

「ま、そんな事より早く行こ。顕人君、場所は覚えてる?」

「そりゃ、まぁ…一応は…」

「だったらわたしは後ろを着いて行こうかな。それはもう、ドラクエばりにね」

「そんなしょうもない事しなくていいから…」

 

さっきの会話は流れてしまい、その後も切り出すタイミングがなくて結局お流れに。そして、それから数分後…俺が記憶を頼りに技術開発部まで辿り着いた時にはもう、その事は忘れてしまっていた。

 

「…ここでいいんだよね?」

「…………」

「……え、違った?あ、あれ?」

「いや合ってるよ?」

「ならここでいいって言ってよ!何で不安煽るの!?」

「えー、わたし黙ってただけなのにー」

「普段お喋りなのにこんな時だけ黙るかねぇ普通!」

 

ぶーぶーと文句を言う綾袮さんだけど、どう見てもわざとの顔をしているので俺は全力で突っ込む。こういう場合、一番ダメージ与えられるのは突っ込まずむしろ乗っちゃう事だけど…それをしたら突っ込み役の名折れ。俺はそんな事しないね!いや出来ないね!

 

「…ってそんな事はどうでもいいんだ…失礼します」

 

…なんて考えていたところで園咲さんが待っている事を思い出した俺は軽く頭を振り、意識を切り替えて部屋の中へ。

 

「ん?あぁ…君は新人の、ええと……」

「あ、御道顕人と申します」

「そうそう確かそうだった。……そして綾袮様、わざわざ御足労頂きありがとうございます」

「わたしは単に着いてきただけだけどね。それで博士はいる?」

「奥にいますよ、少々お待ち下さい」

 

俺達に気付いた技術開発部のお兄さんは、爽やかな態度で園咲さんを呼びに行ってくれる。技術開発部=変人集団、と思うなかれ。確かに技術開発部の中には変わった人もいるが、今の人の様にまともなお方もいるのである!…って、俺は誰に言ってるのやら……。

 

「ねぇねぇ、顕人君はこういう事に興味ある?」

「こういう事って…開発系の事?」

「うん。ほら、男の子ってプラモとかの自分で作る玩具好きでしょ?だからこういうのにも興味示すのかな〜って思ってさ」

「あぁ…全員が全員そうって訳じゃないけど、俺はまぁ興味あるかな。…うん、自分で装備作ってそれを使えるならそれは興奮しそうだ」

「やっぱそうなんだ。だったらここに所属するのもいいかもね。部…って言っても部活感覚でやるものじゃないけど」

「そりゃそうだろうね…」

 

会社経験どころかバイト経験もない俺でも、社会における○○部というのが学校の部活とは全然違うという事位は分かっている。…っていうか、俺は現状どういう扱いなんだろう…綾袮さんの直属、って事は知ってるけど…。

…と、そんな会話で時間を潰してたところで先程の人に呼ばれた園咲さんがやってくる。

 

「やぁ、よく来てくれたね。では早速…といきたいところだが、流石に資料無しではお互いに大変だからね。取り敢えずは着いてきてくれるかな?」

 

そう言ったのは勿論園咲さん。園咲さんの言葉に俺達が頷くと、園咲さんはくるりと振り返って歩き出す。…ここでお願いしますって言ったらここで説明してくれたんだろうか…言わないけど。

 

「…そういえば私が電話をかけた時、丁度戦闘が終わって一息ついていたところだったらしいね。綾袮君は聞くまでもなく活躍したのだろうけど…顕人君、君はどうだったのかな?」

「私ですか?私は…何とか援護程度の事は出来ていたと思います」

「…落ち着いて謙遜が出来ている、という事はそれなりに満足のいく戦いが出来ていたんだろうね。そうだろう、綾袮君」

「そうだね。顕人君は動き回って撃ちまくってたよ、その分ちょこちょこ外してもいたけど」

「うっ…め、面制圧が目的だったからいいんだよあれで…」

 

今日の戦闘の事を話しつつ、今いる部屋を通って『部長室』と書かれたダグの付いている奥の部屋へ。

 

「ここに入るのも久し振りだなぁ…相変わらずよくある博士・教授キャラっぽい感じになってるね」

「私は研究者、開発者としての能力以外は目も当てられない駄目人間だからね。これでも整理の努力はしている方さ」

「それを言ったらわたしだって霊装者関連抜いたらただの可愛いハイテンションガールだもん、気にする事はないよ」

 

一体どういう関係性なのかはよく分からないが、綾袮さんと園咲さんは立場を気にしないで話せる間柄らしい。…そういうのって、ちょっと憧れるよな……さも当然かの様に思い切り自虐したり、しれっと自分の事を可愛いって言ったりするのは憧れの対象外だけど。

 

「ふふっ、気遣い感謝するよ。……じゃあ、改めて本題に入ろうか」

「あ、はい。お願いします」

「あぁ。まずは…顕人君、君は何故霊装者があまり多くの武器を装備しないのか知っているかな?」

「それは………霊装者は量より質を重視するから…ですか…?」

 

知っているかどうかと言われれば、答えはNO。でも知らないからって何も考えずただ知らないというだけじゃ芸が無いし、思い出してみれば前に聞いた綾袮さんの『最高レベルの大太刀一本(とトップレベルの能力)だけで事足りるから、無意味に装備を増やしたりはしない』というのは今回の問いに少なからず関連している筈。そう思って自分で考えた答えを口にしてみたところ……園咲さんは、ふむふむと頭を縦に振った。

 

「その答えは当たらずとも遠からず…といったところだね。その言い方に沿って述べるのなら…大半の霊装者は、量より質を取らざるを得ない、といったところさ」

「取らざるを得ない、ですか?」

「あぁ。例えば君が十発の弾丸を持っているとしよう。その時に五丁の銃を渡されたとして、その時君は一丁の場合より高戦力だと思うかい?」

「…五丁を同時に放てるなら、高戦力かもしれないですけど……そうじゃないなら二丁か三丁あれば十分な気がします。少なくとも五丁はあってもしょうがないかと…」

「いい着眼点だ、そしてその通りだよ。霊力が武器の質や量に関わらず本人次第な以上、武器の数だけ増やしたところで霊力を回しきれず、無用の長物になってしまうのがオチという事さ。ちょっとずつ振り分けて無理に全部使おうとするよりは、一つの武装を使い続ける方が安定もするからね」

 

そりゃあそうだ、と俺は心の中で相槌をつく。エネルギーである霊力だけあったって何の意味もない(身体強化があるから全く無意味という訳でもないけど)けど、逆に武器だけあったって霊力を回さなければ良くて普通の武装、悪いと単なる鈍器になってしまい、それじゃ魔物相手じゃデッドウェイトにしかならない。それに武装を使い分けるにしたって、武器持ち替えの度に霊力を装備にチャージし直してたら戦闘中に何度も隙を見せる事になるんだから、使い手としたら当然たまったものじゃない。

 

「…質を取らざるを得ない、ってのは量を増やすには霊力っていうネックがある…って事ですか……」

「まとめればそういう事だよ。装備が少なければやれる事は少なくなるけど、そこは複数の霊装者で役割分担すればいいだけだからね。というか、霊装者は複数人で戦闘に当たるのが普通で、綾袮君の様に単騎で戦う方が少ないのさ」

「わたしはスーパーエースだからね〜。…でも博士、それは理由の半分だよね?」

「ん、そうだね。霊力問題とは別に、駆け引き的な面でも理由はあるけど…それは研究職の私より、スーパーエースの綾袮君の方が分かり易く説明してくれるんじゃないかな?」

「あ、そう思う?ならわたしから説明しよっかな、えっとねぇ…」

 

園咲さんの振りはそこはかとなく皮肉っぽかったけど…綾袮さんはそんな事気にせず(もしかしたら気付きすらせず)説明を考え出す。そして、言った園咲さんの方も皮肉を言ったらしき様子は欠片も無かった。……え、何?俺の勘違いだったの?…それならそれでいいけど…。

 

「んー…そうだ。顕人君はさ、もしこの状況でわたしに斬りかかられたらどうする?」

「ど、どうする?どうするって……死あるのみ?」

「あ、ごめんごめん説明が足りなかったね。身を守る道具がない時に、斬りかかられたらどうそれに対処するか…って事だよ。反応は出来てるものとしてね」

「そういう事なら…まぁ、避けるかな。出来る事なら真剣白刃取りしてみたいところだけど」

「だよね。斬りかかられたら避けるか白刃取りするかの二択で、真面目に考えたら避けるの一択になる。…じゃあ、右手に剣、左手に刀を持っていて、更に盾を背負ってる状態で斬りかかられたら?その時はどうする?」

「うーん……絶対、じゃないけど多分剣で受けるかな…」

 

右手に剣、左手に刀ってどういう武器のチョイスをしてんだ…とは思ったものの、質問内容から察するに武器の種類は問題外っぽいから俺はそれを指摘せず、数秒考えた後に剣での防御を選択する。因みに、他を選ばなかった理由としては……

 

刀…三つの装備の中で最も受けるのに向いていなさそう

盾…持ち替えるにしても背中向けて当てるにしても他よりワンテンポ遅れる

避ける…さっきと違う条件なんだから回答も変えた方が良いかと…

真剣白刃取り…両手が塞がってて無理。スーパーコーディネーター宜しく武器を上に投げて白刃取りしろってのか

 

…と、こんな感じである。

それはともかく、選択を口にした俺。すると綾袮さんは、満足そうな表情を浮かべた。

 

「うんうん、いいね顕人君。わたしの求めてたもの通りの反応だよ」

「えーと…そうなの?」

 

腕を組んで頷いている綾袮さんは我が意を得たりな様子。でもそれだけじゃ俺には何が何だか全く伝わらず、首を傾げていると、綾袮さんもそれに気付いて説明を始めてくれる。

 

「顕人君さ、最初の質問の時より二問目の方が考える時間長かったでしょ?それが答えなんだよ」

「…つまり?」

「つまり、武器が多いと考える時間が増えちゃうって事。何にもない時は実質一択、あっても一つだけなら実質二択で済むけど、武器が多いとそれだけ選択肢が増えるよね?それに避けるにしたってどの方向にするか、防御するにしたって受け止めるか受け流すか弾くかっていう選択肢が発生するし、技量次第ではカウンターだって選択肢に入ってくる。選択肢が沢山あったら選ぶのにも時間がかかっちゃうけど……その間、敵や攻撃が待ってくれる訳ないよね?」

「選択肢が多い故の難点、か…選択肢が多いのはいい事だと思ってたけど、そうとも限らないんだね」

「そう、そうとも限らないんだよ。選択肢が多ければ戦闘のバリエーションが増えるし、対応出来る状況も増えるから選択肢は多くても少なくても一長一短なんだ。で、選択肢が多い事のメリットは人数を確保する事である程度賄えるのと、迷ってる間にやられた…っていう最悪のパターンを出来るだけ避けるのとで協会では少ない選択肢の方を選んでる…ってところかな」

 

綾袮さんの言葉は、実際に戦闘に精通してるからこその説得力があった。…こうして考えると、本当に戦闘中には様々な選択肢があるんだな…大概は無意識か一瞬の内かで選択してるから気付かなかったんだろうけど、この事は今後の為にも頭に入れておかないと…。

 

「…さてと、今までの話は理解出来たかな?」

「はい、理解しました」

「では、その上で…君には思うところがあるんじゃないかな?特に、前者に対して」

「前者に、ですか?……それは…」

 

霊力量と、選択肢による弊害。それが理由だという事を俺はきちんと理解出来た。その上で思うところ…と言われれば、確かにある。そう、霊力量と言えば……

 

「……霊力量が元から多い霊装者なら、前者の問題はクリアされるのでは…?」

「その通りだよ。霊力量を気にせず戦えるレベルの霊装者は往々にしてかなりの実力者だから、綾袮君の様なスタイルになっていくのだが…君は違う。霊力量だけが異様に飛び抜けている君だからこそ、呼んだんだ」

 

そう言いながら手元のパソコンを操作し、画面を見せてくれる園咲さん。そのパソコンを覗き込むと……画面には、コンテナにも砲台にも見える二基のユニットが映し出されていた。

 

「…これは?」

「固定型追加装備の一種、言い換えれば…背中と肩で保持するキャノン砲さ」

「お、おぉ……!…こほん。この流れで…という事は、当然霊力に関わる装備なんですよね?」

「ご明察だね。これは元々、霊装者の単騎での戦闘能力を向上させる為には発案された、手で持たずとも撃てる装備なのさ。だが、霊力の問題がある以上根本的な戦闘能力向上には繋がらず、それどころか砲の操作を全て霊力頼りにしている為にまともな運用をしようとするととても一般霊装者では霊力が持たない…という事で非実用的と判断された、哀れな系統の武装の一つ。……でも、君になら実用的な装備として使える…私はそう思ったんだよ」

 

真っ直ぐに俺の瞳を見据える園咲さんの言葉を、頭の中で理解し易い様噛み砕く。えぇと、早い話がエネルギー問題があるからお蔵入りしていた装備が、俺になら使えそう…って事か。……え、何この燃える要素。それにこの装備って、もしや……

 

「……ねぇ綾袮さん。綾袮さんは俺の戦い方をよく知ってるよね?」

「それは、まぁ…さっきもそれに触れたし、よく知ってるけど…」

「だったら…俺は、この装備が俺の戦い方に合ってると思った。綾袮さんはどう思う?」

「……わたしが合ってるって言ったら、使う気?」

「使ってみたいとは思ってるよ。…そういう話ですよね?」

「そういう話だよ。顕人君にその気があるなら、君用に調整したものを用意しよう」

「ちょっ、博士!確かに顕人君の成長は早いけど、まだまだひよこみたいなものなんだから焚き付けちゃ駄目だって!顕人君も、さっき言った選択肢の問題は忘れてないよね?」

「勿論覚えてるよ。けど、とにかく動き回って武装問わずに撃ちまくるって事であれば選択肢の問題はそこまで深刻にならないんじゃないかな?…まぁ、それが通用するのは雑魚だけなんだろうけど…」

 

武装選びに迷うのであれば全部撃ってしまえばいいし、霊力量が圧倒的なら霊力残量で頭を悩ませる必要もない。正直なところ、好奇心も無くはないけど…それを抜きにしても、霊力だけが突出してて戦闘能力自体は然程高くない俺と、戦闘能力向上には繋がるものの霊力消費に難のあるこの武装とは親和性が高い…そう俺は思っていた。けれど、綾袮さんは不安を感じてるらしくあまり乗ってくれない。

 

「わたしは元から才能バリバリのタイプだったから、経験で語る事は出来ないけど…それでも冒険をするのはもう少し後でもいいんじゃない?」

「綾袮君の言う事も一理あるが…私も無謀な事を頼む馬鹿じゃない。見込みがあると思って彼を呼んだんだ。ここは一つ、試すのを許してあげてくれないかな?もしそれで君が危険だと判断したなら、私はその判断に従おう」

「……博士がそういうなら、まぁ…顕人君、使う時はまた言うけど…絶対に調子乗っちゃ駄目。慎重に使うんだよ?」

「…分かった、気を付けるよ。…それでは園咲さん、お願いします」

「あぁ、きちんと準備しておくよ」

 

園咲さんの頷きで会話は終わり、俺達は今度こそ帰る事となった。結果的に綾袮さんの意見を否定する形になった為、綾袮さんは不満げになるかな…と思っていたけど、特にそんな様子はなくて俺は一安心。そうして俺はその装備を使った戦闘の事を思い浮かべながら、綾袮さんと共に部屋を後にするのだった。



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第二十四話 懐かしの武装

「…そういえば、綾袮さんの大太刀はかなり希少なものなんだよね?」

 

用事を済ませ、外に出る為に双統殿の廊下を歩く俺と綾袮さん。その中で、ふと気になった事を口にする。

 

「そうだけど…急にどうしたの?」

「いや、今日武装の話したからその事思い出してね。ええと、天之尾羽張だっけ?…と同じ素材の武器って、他には誰が持ってるの?」

「あれ?話してなかったんだっけ?同系統ってなると、妃乃の持ってる天之瓊矛がそうだよ?」

「き、聞いてないよそれは…てか俺、その天之瓊矛っての見た事ないし…」

 

てへへ〜、と頭をかく綾袮さんを前に俺は軽くげんなりする。確かに質問に対する回答としてはなんらおかしくないけど……説明としちゃ雑過ぎる…。

 

「天之瓊矛はわたしが天之尾羽張を受け継いだのと同じ様に、時宮家で代々使われて続けてる武器なんだ。まあ別に、わたしや妃乃の家系じゃなきゃ使えないって訳じゃないけど」

「なら、使おうと思えば俺にも使えると?」

「うん。でも並の霊装者じゃ性能を発揮しきれないし、使いこなすには相応の実力が必要になるんだけどね」

「ハイスペックなんだし、そりゃそうか…他には?」

「他?…んーとねぇ、確かどっかの支部にも使い手がいて、未加工の原型状態なのも協会で保管されていて、後は……どうだっけ?」

「どうだっけ?って…それに答えられる様なら俺はそもそも質問しないから…」

 

戦闘中は真面目でしっかりしてるのに、戦闘以外ではこの有り様な綾袮さん。それはそれで親しみ易いし、同居のおかげでそれにも大分慣れてはきたけど…もうちょっとマシになってくれないかねぇ、ほんと…。

なーんて思ったところで地下通路に繋がるエレベーターの前に到着し、俺は考えるまでもなくボタンをプッシュ。するとその数秒後にエレベーターの一つが開いて、それに乗ろうとした俺と綾袮さんは…………

 

『あ……』

 

──千嵜と時宮さんと鉢合わせした。エレベーターの外と、エレベーターの中とで鉢合わせした。

 

「あら、偶然ね…」

「偶然だね。なになに?わたしを待ち伏せてたの?」

「エレベーター内で待ち伏せる奴がどこにいるのよ…っていうかそも、綾袮を待ち伏せなきゃいけない理由がないっての」

「えー、幼馴染みなんだから一つ位理由思い付いてよ」

「何なのよその訳分からない要求は…」

 

開いた瞬間こそ全員で目を丸くしていたものの、綾袮さんと時宮さんは協会内で鉢合わせする事自体に慣れているのかすぐに落ち着きを取り戻し、ボケる綾袮さんと突っ込む時宮さんという普段のやり取りを開始する。……が、俺と千嵜はそうはいかない。こうして協会で会うのは初めてだし、何より……俺は千嵜がここにいる理由が分からない。

 

「……千嵜、お前…所属しないんじゃなかったの…?」

「あー……まぁ、色々あってな…」

 

驚きも隠さずに俺が訊くと、千嵜は後頭部をかきながらそう返してきた。い、色々って…返答が抽象的過ぎる…。

 

「悠弥、貴方話してなかったの?」

「そりゃま、別に所属した…なんて自慢でもなんでもないからな…」

「自慢じゃなくてもそれは教えてくれてもよかったのに…」

「言ったらお前、何故かって訊くかもしれねぇし訊かなくても気にはなるだろ?」

「だからって隠し通せるものでもないでしょ。そんなんだから悠弥は顕人位しか友達いないのよ」

「余計なお世話だ…」

「そして今回の件がきっかけで、俺という友人も失うのだった」

「え?…マジ?」

「いや冗談」

「おい……」

 

エレベーター前でそんなやり取りを交わす俺達。ここは霊源協会本部・双統殿という大仰な場所ではあるものの…面子が面子だからか、雰囲気は学校のクラス内の様だった。

 

「…まぁ、いいや。どうせぼかした表現したって事はあんま話したくないからだろうし、突っ込んだ質問はしない事にするよ」

「…悪いな」

「構わないよ。……というか、割と俺は千嵜に説明されてない事多い気が…」

「か、重ねて悪いな…」

「二人も中々妙な友達関係だねぇ…ところでさ、二人は何しに来たの?」

「晶仔さんに用があるのよ。と言っても用があるのは私じゃなくて悠弥だけど」

『へぇ……え、そっちも?』

 

返答を聞いた俺と綾袮さんは、考えてる事が同じだったらしく声がハモる。…そういや、確かここで検査をしたのも同じ日だったな…そっちに関しては襲われた日が同じで、両方その足でここに来たんだから当たり前っちゃ当たり前な訳だけど…。

 

「偶々なのか、園咲さんが合わせたのか…でもどっちにしろ、それならここで時間取らせるのは不味い?」

「不味いって程急いでる訳じゃないが、どれ位時間がかかるか分からねぇしまったりは出来ないな」

「なら俺達は帰るとするよ。綾袮さんもそれでいいね?」

「いいよー、話なら学校でも出来るしね」

「じゃ、お先に失礼」

 

という事で俺と綾袮さんはエレベーターに乗り、千嵜と時宮さんは暫く前の俺達宜しく技術開発部へと足を向ける。……にしても、これは予想外だったなぁ…。

 

「…綾袮さんは千嵜の事知ってた?」

「あ、うん。わたしは妃乃から聞いてたよ」

「だから特に驚いてなかった訳か……世の中、何があるか分からんものだね…」

「そうだね。でも何でも分かってる、刺激も意外性もない世の中よりは分からない方がわたしはいいかな」

「…そりゃまぁ、ね」

 

そうして、今度こそ俺達は双統殿を後にし家へと戻るのだった。

 

 

 

 

園咲さんから電話がきたのは(かかってきたのは時宮の携帯にだが)、帰宅してから暫くした辺り…そろそろ夕飯を作るか、と思っていたところにだった。

いつもより手早く夕飯を作り、いつもより早く夕飯にした俺達は適当な理由を緋奈に話して家を出て、真っ直ぐに双統殿へと向かった。そして、これまで同様の流れで地下通路に入りエレベーターで上がって……御道と宮空と鉢合わせした。

 

「…偶然って、いつ起こるか分からんもんだな…」

「当たり前でしょ、いつ起こるか分かってたら偶然じゃないもの」

「そういう事を言いたいんじゃないんだよ…」

 

別にあの二人と会いたくなかった訳ではないし、御道には何が何でも知られたくなかった訳でもない。……が、こういう偶然って形で明らかにするのはどうもいい気分じゃないんだよなぁ…機会が向こうからやってきてくれる分、楽っちゃ楽だが。

 

「…ま、過ぎた事は仕方ないわよ。それより今の事を教訓にした方が賢明だと思うわ」

「…教訓?」

「えぇ、偶然によって隠し事が露わになる事もあり得るって教訓よ。…今の私達には、重要な教訓でしょ?」

 

それは、確かにそうだ。そんなの当たり前の事ではあるが…普段は当たり前過ぎて、気を付けてる筈が抜かってしまう様な事でも一度身をもって知れば気を付けられる様になる。そういう意味では教訓というのも頷けるし、教訓の為の犠牲も小さいものだったからある意味で今回の事は幸運とも言える。……物は言いよう、な気もするけどな。

 

「…園咲さんの用事、あんまり長くならなきゃいいんだけどなぁ」

「大丈夫じゃない?悠弥に見せたい物があるって話だったし、数十分位で済むと思うわよ?」

「見せたい物ってのが映画とかだったらどうするんだ」

「どうもこうも貴方と晶仔さんはそんな仲良い友達みたいな関係じゃないでしょうが…」

「いや分からんぞ?園咲さんがそこまで仲良くない相手に映画を勧めるタイプの人間かもしれないからな」

「どんなタイプよそれ、っていうかそれならそれで貴方よりずっと前から晶仔さんと面識がある私が知ってる筈だっての」

 

廊下を歩きながらその場で思い付いたボケをポンポンと放っていくと、時宮は無視せず律儀に突っ込んでくれる。…突っ込み気質なのかマメな性格なのかは知らんが(恐らくその両方という可能性が一番高い)、ボケてる身としてはありがたいなぁ…。

 

「ま、映画云々は冗談として…何なんだろうな。前にやった検査の結果に何か誤りでもあったんだろうか…」

「さあ。どうせ晶仔さんに会えば分かるんだし、無理に捻り出さなくてもいいでしょ」

「気になるんだよ…その通りではあるけどな」

 

そうして歩く事数分。技術開発部とかいうそのまんまな名称の部署へ到着した俺達は挨拶しながらそこへと入る。

 

「失礼しまーす。園咲さんはいらっしゃいますかー?」

「フランクな言い方ね…そこの貴方、部長呼んでもらえるかしら?」

「あ…はい。少々お待ち下さいませ、妃乃様」

 

初めに俺が言ったところ、何人かがこちらを向いてくれたものの「えーと…」って感じの反応を示してくれたものの、えーと止まりだった。続いて時宮が言うと、声をかけられた一人が深くお辞儀をして園咲さんを呼びに行った。……えぇ、なにこの差…不特定多数に言うのと、一人を名指しで言うのとでは確かに違うんだろうが…。

 

「…お嬢様はお得ですね……」

「は?…なにを言いたいのかはよく分からないけど、貴方は碌に知りもしない相手にフランクに声かけられたら普通に返せるの?」

「……俺、やっぱコミュ力に難があるんだな…」

「ちょっ、こんな所で落ち込まないでよ…」

 

時宮に皮肉を言ってみたところ、ぐうの音も出ない返答をされてしまった。…別に悔しくはないさ、ただ……そんな事にも気付かなかった自分自身が残念でな…。

…と、落ち込む事数十秒。我ながらすぐに立ち直ってしまい、どのタイミングで普段の様子に戻ろうか…と考えていたところで園咲さんがやってきた。

 

「よく来てくれたね、悠弥君、妃乃君。…丁度入れ違い、というところかな」

「丁度…あぁ、御道達の事ですか」

「その通りだよ。彼にも見せたい物があって、先程その用事を済ませたという事さ。…さて、着いてきてくれるかな?」

 

そう言った園咲さんは廊下へ。…って事は、俺に見せたい物は技術開発部で作った新装備…とかじゃないのか?……少なくとも本当に映画だった、ってパターンはないと思うが。

 

「晶仔さん、行き先はどこなの?」

「装備の保管庫だよ。物が物だけに、適当な所には置いておけないからね」

「適当な所には置いておけない、ですか…」

 

装備の保管庫、という事は装備…武器か何かなんだろうが、それが分かっただけじゃ気になる気持ちが収まる訳もなく、むしろ今度はどんな装備なのか…という疑問が生まれてくる。

 

「……まさかなんかの条約に引っかかる物とかじゃないですよね?」

「私の首が飛ぶ様なものではないさ。何せ、時宮家の当主様直々に頼まれて用意したものだからね」

『へ……?』

 

同時に驚きの声を上げる俺と時宮。宗元さんが依頼して、俺に見せたいって……え、何?マジで何?聞けば聞く程疑問が強くなるってどういう事?

なんて思う事数分。園咲さんに案内されたのは、保管庫というには些か豪華な部屋だった。

 

「え…ここって……」

「……さ、これだよ」

 

この場所について何か知っているのか、時宮は怪訝な様子。そんな中、ある装備群の前で足を止めた園咲さん。あぁ、やっとご対面だ…と思いながら、その装備へと目を向けた俺は……絶句した。

 

「な────ッ!?」

 

直刀に、短刀に、刀の柄らしき物に、突撃銃に、拳銃。何も知らない霊装者からすればなんて事ない、二つの刀に二つの銃に刀の柄。…けど、俺は知っている。覚えている。馴染みがある。だって、これは……

 

「……悠弥?」

「…園咲さん、どうしてこれが?」

「当主様が保管していたらしい。理由までは詳しく聞いていないから、気になるなら当主様の方に聞いてくれるかな」

「保管も宗元さんが、か…」

「保管?え、なんの事?ちょっと、どういう事よ?」

「あぁ…これは彼の装備なんだよ」

「これが悠弥の新装備として用意された、ってのは分かってるわ。そうじゃなくて、どうしてこの装備にお祖父様が関わるのかっていう……」

「そうじゃないんだ。彼の装備というのは……」

 

 

 

 

 

 

「──昔の俺が、転生する前の俺が使ってた装備…って事だ」

 

例え何年前の事でも、文字通り自身の剣であった武器の事は見間違いようがない。ただそれでも完璧には覚えていないのか、俺の記憶の中にあるものと今目の前にあるものとでは細部に違いがあるものの……これが俺の使っていたものだという事は、感覚的に理解出来ていた。

 

「…そっ、か…そうなの、だからこの部屋だったのね…」

「なんだその含みのある言い方は…」

「ここは、お祖父様が部隊長だった時の戦友や部下の装備が飾ってある部屋なのよ。貴方ならちゃんと見れば分かるんじゃない?」

「…言われてみると、確かに見覚えのある装備ばっかりだな……」

 

見回してみれば、ここにあるのはどれも使い込まれて年季の入った物ばかり。そして、昔の俺の先輩や宗元さんの同僚が使っていた様な気がする物も沢山あった。

 

「……宗元さんは、こうして俺等の装備を残していてくれたのか…」

「解体してリサイクルしてない辺り、思うところはあるんでしょうね。…ところで晶仔さん、見たところこれだけは年季が入ってないどころか新品に見えるんだけど…」

「見える、ではなく実際に新品だよ。正確にはリメイクだけどね」

「あ…だから多少違いがあったのか…」

 

時宮への返答は、同時に俺の疑問へと回答にもなっていた。リメイク版、という事を踏まえてもう一度装備を見直してみると…確かに、感じていた細部の違いというのは傷やすり減った後の有無である事に気付く。…そら、リメイクしたならそういう部分は未使用の綺麗な状態になってる筈だよな。

 

「では、そろそろ説明に入ろうか。使い方は説明不要だろうけど、何をどうしたかは元の持ち主に説明しない訳にはいかないからね」

「何をどうしたか、ですか?」

「何をどうしたか、だよ。まず直刀と短刀だが…刃はほぼ完全な流用だ。勿論打ち直してあるし、柄や鍔は同じデザインの別物なのだがね」

「刃の素材が同じ、ってところですか…でも何か違う様な…」

「それは悠弥自身の問題じゃない?転生直前と今とじゃ違う身体なんでしょ?」

「あ、そうか……」

 

感覚や知識は前世のものを引き継いでいても、身体は完全に別物。そうでなくても手に取る事で伝わる重さや握り心地は筋肉量や手のサイズによって感じ方が変わるんだから、言われてみれば昔と全く同じ…なんてそっちの方があり得ない。更に言えば、柄は使っていくうちに握り跡が付いたり表面がすり減ったりして手に馴染むものである以上、新品状態のこれと昔とで同じ感覚というのは絶対無い。……要は、昔と同じ感覚では扱えないって事だよな。まぁ昔だって、新品で使い慣れてない状態のこれ等を使い続ける事で俺が慣れていった訳だが。

 

「次はこの二丁の銃だね。開発技術が第三次大戦の時点で一定の完成に達し、単純な上位下位の関係から発展・派生の関係へと移っていった近接実体武装と違って銃火器はそれから現代までてかなり進化しているから、先程の二本の様にそのまま流用…という事は出来なかった」

「…その割には、変化らしき変化が見られませんが…」

「そう。構造は変えざるを得なくなったから、代わりに外装の再現に力を入れたのさ。中身を別物にしつつ、外見を変えない…というのには苦労させられたよ」

「な、なんかすいません…」

「これも仕事の内、君が気にする事はないよ。…それでは最後にこれだね」

 

置かれていた五つの武器の内、残ったのは後一つ。……正直その最後の一つは武器と言っていいのか微妙な状態だが…「端材で作ったんだ、格好良いだろう?」なんて事ではない筈。幾ら天然な園咲さんでもそれはないだろう、うん。

 

「…悠弥君、これの元がどんな物だったかは覚えているかな?」

「あ、はい。これは…というよりこれも直刀でした。…まぁ、最後の戦いでへし折れてしまいましたが…」

「え、何?って事は悠弥、貴方生意気にも二刀流なんてしてたの?」

「状況によりけりで、いつも二刀流してた訳じゃねぇよ。後、今の俺はともかく前の俺は時宮に生意気呼ばわりされる筋合いはねぇっての…」

 

本来刀で二刀流する場合は、二本とも短めの刀を使うのが一般的(そもそも二刀流は一般的な技術じゃないが)だが、霊力付加で強化されてる霊装者にとっては関係のない話。……だからなんだって話だけどな。

 

「それは悪かったわね。…で、その折れた刀をどうしたの?折りたたみナイフみたいな構造に作り変えたとか?」

「いいや。他の武装との兼ね合いを考えて、これは収束刀…ビームソードにしてみたよ。これは根本から変える形になってしまったけど…駄目だったかい?」

「あー…駄目かどうかって話なら、何してくれても構いませんよ?そりゃ、俺の装備が残っててそれをリメイクしてもらったってのは感銘を受けましたが、少し前までは自分の装備の事なんて完全に忘れてた位ですし」

「それならば良かったよ。後は、これ等の運用データと感想を今後貰えれば私は満足かな」

「あ、俺が使う事前提なんですね…まぁ使いますけど…」

 

折角用意してもらった物を無下にするのは気が引けるし、万人用に作られた量産品より元々使ってた武器のリメイク品の方が戦う上でもプラスになるのはほぼ確実。…つー訳で、ありがたく使わせてもらうとするかな。十分なデータ取れる程戦闘する羽目になるのは嬉しくないが。

 

「…それじゃ、受理させて頂きますね」

「お祖父様が残していてくれて、晶仔さんが貴方の為にリメイクしてくれた武器なんだから、乱雑に扱うんじゃないわよ?」

「へいへい…。…にしても、そっか……」

「……悠弥?」

 

一つ一つ手に持ち、構えてみたり軽く振ってみたりする俺。最初はぽけーっと前に使っていた時の事を思い返してみていただけだったが……段々と、懐かしい気持ちになっていく。

 

「……世の中、見方が変われば感じ方も変わるもんだな…」

「…はい?いや、それはそうかもだけど…何よ急に」

「思ったんだよ。前の…転生前の俺は家族の事や一般常識なんざ碌に知らないのに戦闘の知識と技術だけは一丁前にある、不幸な奴だと思ってたが……今振り返ると、不幸な『だけ』の奴じゃ、なかったんだな…って」

「……そう…なら、それが分かってよかったじゃない」

「あぁ。本当にありがとうございました、園咲さん」

 

頭を下げ、宗元さんにも礼を言いに行った後に帰る俺と時宮。昔の俺は持っていないものばかりだったが、仲間や尊敬出来る人物というのは確かに居た。俺はそれだけで幸せ…なんて思える様な殊勝な人間ではないが、それでも……不幸なだけの奴、と考える事だけは絶対にしないでおこうとその時思った。

……でもまさか、そう思ったきっかけが武器とは…ほんと世の中何が起こるか分からないもんだな。



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第二十五話 上位存在の影

霊装者に復帰して、リメイクされた武装を受理して……それから、そこそこの時間が過ぎた。

生活自体は、時宮の件を除けば主だった変わりはなく、緋奈は平穏無事な生活を過ごせていた。俺も俺で重傷を負ったり過酷な任務をやらされる事もなく、平穏無事とまでは言わずともまぁ一応それまでの生活を続けられていたと言える。…俺と緋奈の状況を考えれば、これは十分ありがたいよな。

 

「帰ったぞー」

「はいはいお帰りなさい」

「……時宮、そこは『お帰りなさい。お風呂にする?ご飯にする?それとも…「ぶっ殺すわよ?」あ、すいません」

「ったく…調子乗ってるとほんとに痛い目に遭わせるからね?」

「恐ろしいご令嬢様だな…」

 

現代日本は平和なおかげが子供が冗談感覚で『殺す』なんていう訳だが……時宮の場合、立場&実力が立場&実力過ぎてあんまり冗談に聞こえない。…まぁ、痛い目ってのはともかく殺すってのは流石に冗談だろうし、そういう冗談を言われる程度には友人として信用されてると思うか…シェアハウスでもないのに友人と同居してるってのもアレなものだが。

 

「特別な間柄でもない異性にそういう事言う悠弥の方がずっと恐ろしいわよ。…まさか私が女らしくないって思ってるとかじゃないでしょうね?」

「そういう事じゃねぇよ…後、ある意味この状況は十分特別な間柄だろ」

「いやそれはそうだけど…あーあ、ほんと変なのの担当になっちゃったわね…」

「本人の前で言うなっての。てか、御道の方も同居状態らしいな」

 

俺も御道も同居生活となったのはまぁまぁ前だった訳だが…お互いそれを知ったのはなんと数日前の事だった。…と、言うのも協会の二大トップである時宮家と宮空家はそれぞれがもう一方が暴走しない様にするストッパーの役割を担っており、状況にもよるが何でもかんでも協力&情報交換してる訳じゃないかららしい。……そういう体制をとってるのは理解出来るが、俺や御道にとっちゃ厄介なだけの要素になり兼ねないんだよなぁ…。

 

「あっちは大丈夫なのかしらね。綾袮は言うまでもないし、顕人の方も真人間っぽいとはいえ少し前まで普通の生活してた訳でしょ?…ちゃんとした生活送れてるのかしら…」

「学校での様子を見る限り問題なさそうだけどな。…御道は宮空に四六時中振り回されてそうな気はするが…」

「綾袮は常識がない訳じゃないし大丈夫よ、多分だけど。……それより、不純な関係になってなきゃいいんだけど…」

「…と、無意識にそういう事への興味を口にしてしまう時宮だった」

「なっ……ち、違うわよ馬鹿!私は綾袮を心配してるだけだっての!ふざけないでよね!」

「へいへい。…まぁそれも問題ないだろ。御道がそんな事出来る度胸を持った人間だとは思えん」

 

御道の恋愛観について何か知ってる訳じゃないが…きっとあいつは奥手かヘタレだろう。というかむしろ、積極的だったらなんかキャラ的に嫌だ。

 

「友達に酷い事言うのね…まぁそれはそれとして、ちょっと話いいかしら?」

「既にちょっと話してると思うんだけど?」

「今のどうでもいい話とは別の話をしたいって事よ」

「だろうな…世間話か?それとも…」

「それとも、の方よ」

「はいよ、じゃあ先に俺の部屋に行っててくれ」

 

なんの話だと聞いた訳でも言った訳でもないが、顔付きと声音だけでお互い相手が言ってるのは霊装者関連の事だと察して一度話を打ち切った。話をする場所を俺の部屋に指定したのは…勿論、緋奈に聞かれない為。

まず洗面所で手洗いうがい、続いてトイレに寄ってその後に自分の部屋へと入る俺。先に入っていた時宮は、壁に背を預けて立っていた。

 

「……うん、絵になるな」

「…は?」

「なんでもねぇよ。で、なんでそこで格好つけてるんだ?」

「別に、何となくこうしてるだけよ。…一昨日の戦いの事、覚えてる?」

 

俺がベットに腰かけたところで時宮は話を始める。

一昨日、俺達は発見した魔物と一戦交えていた。その魔物はまた緋奈を狙って現れた個体なのか、偶々なのかは分からないが…災いの種は早めに摘んでおくに限る、という事でそいつはきっちり撃破した。…が、それが何だと言うのだろうか。

 

「二日前の事位覚えてるさ。で?」

「あの時、最後仕留め損ないそうになったでしょ?…私はずっとそれが引っかかってるのよ」

「あー…そういや確か、最初の時もトドメさせてなかったな。時宮って詰めが甘いタイプなんだな」

「な訳ないでしょうが!勝手な事言うんじゃないわよ!」

「え、えぇー……勝手も何も、事実を言っただけだろ…」

 

確かにちょっと煽りを含めはしたが……今のは流石に理不尽過ぎる。詰めが甘いんじゃなかったら何で仕留め損ないかける羽目になるんだよ…と言いたい俺だったが、時宮に制されて一先ず閉口。

 

「話を聞きなさいまずは。…私は確実に仕留めた筈なのに、ここ最近で二度も殺しきれない事態が発生した。しかもちょっと協会に確認してみたら、私と同じ様な事があったって報告が何件かあったのよ。それに…緋奈ちゃんが襲われた時の魔物も、貴方はしっかり倒したつもりだったんでしょ?…これは明らかに変よ」

「変、ねぇ……普通に考えたらそりゃ単なる練度不足だろ。少なくとも俺はまともに戦ったのなんて十数年ぶりだったんだ、戦いの勘が鈍っててもおかしくねぇよ」

 

短絡的に物事を考えるのは良くないが、何でもかんでも深い理由を求めていたらそれはキリがない。有り体な答えだが肝心なのはバランスであり、その観点から俺はその事を単純に考えるべきだと思ったが…どうも時宮はそうじゃないらしい。

 

「練度不足なら、突然仕留め損なう事態が何件も発生するのはおかしいでしょ。そりゃ、貴方はそうなのかもしれないけど…私は断じて違うわ。それに練度が不足していようといまいと急所を貫けば死ぬ事には変わりない筈よ、違う?」

「……なら時宮は、仕留め損なったのは霊装者側のミスじゃなくて他に理由がある、って言いたいのか?」

 

俺の問いに、ゆっくりと頷いた時宮。…やっぱそうなのか…正直時宮が自分のミスを認めたくないだけな気もするが……一先ずは乗ってみるとするか。俺だって確たる証拠があって練度不足を唱えてる訳じゃないしな。

 

「…だったら、時宮の考えを聞こうじゃないか。一体時宮はどういう理由でもって仕留め損ないが発生してるんだと思ってるんだ?」

「そ、それは……」

「それは?」

「…………私達には思いも寄らない理由によって、とか…」

「……つまり、まだ霊装者側のミスじゃないってところまでしか考えてないと?」

「そ…そうよ!そこから先に進めなかったから悠弥に話を聞こうと思ったのよ!悪い!?」

「わ、悪くない悪くない。だから落ち着け時宮…」

 

少し前に、時宮は非の打ち所がない完璧人間なんじゃないかと思った俺だが……こうして一緒に暮らしている事で、弱点…というか欠点も多少見えてきた。その内の一つとして、どうも時宮はプライドだとか自尊心だとかが常人に比べ、些か以上に高い(強い)らしい。人の上に立つ人間としては、低い(弱い)よりかはそっちの方がまだいい訳だが…それでも欠点は欠点。ぶっちゃけ日々顔を合わせる身としては面倒な欠点なものの、それでも時宮が完璧人間ではなく完璧っぽい人間だと分かっただけでも精神衛生上宜しいのである。

 

「ふん。そっから先も推測を立てられてたら貴方じゃなくてお祖父様やお母様達に話してるわよ」

「そうですかい…一応確認なんだが、あくまでミスが原因ではないって前提で話を進めるんだな?」

「そうよ、どう考えたってミスで片付けられる事態じゃないもの」

「ふーむ、ならそうだな…狙った部位が急所じゃなかったとかか?」

「それもミスでしょ……きちんと急所を狙った上で仕留め損なってるから、それもないわ」

「それなら、本当は仕留められてて、仕留め損なったと思った個体はすり替わる様に出てきた別個体とか……」

「…それ、本気で言ってる?」

「だよな……」

 

取り敢えず思い付いたから言うだけ言ってみたが……倒した個体と同種の魔物が、倒した個体とほぼ同じだけの傷を負った状態で、霊装者の探知を上手く逃れながら、気付かれない様に倒した個体と上手くすり替わる…なんて非現実的にも程がある。それと比べれば時宮の意見は十分現実的だし、そもそもの話としてそんな事をしても魔物サイドには全くメリットがない(瀕死の時に現れるなんて愚の骨頂で、すり替わる為だけに瀕死状態になったとしたら最早意味が分からない)んだからあり得る訳がない。…我ながら、なんでこんなの取り敢えずで言ったんだろうな…。

 

「真面目に考えなさいよね」

「別にふざけて言った訳じゃねぇよ…てか、俺は曲がりなりにも話に付き合ってやってる側だからな?」

「この話は悠弥にも関わる話でしょうが」

「いやそうだが…」

 

と、本題からは若干離れる会話も混ぜつつ原因を考える俺達。だが既に数日以上は考えていた筈の時宮は勿論、俺もそんなぽんぽんと次々意見を出せる訳もなく、凡そ十数分で会議は行き詰まってしまう。

 

「幾つか思い付いたものを上げてみた訳だが…どれもピンとこないな」

「そうね…もっと情報がなきゃ推理もしようが無い、って事かしら…」

「情報ったって、全部の魔物でこの事例が起きてない以上上手く集める事も出来ないだろ。確認するにも倒す段階までいかねぇとだし、起きる個体と起きない個体の差は何かとかも分かってないんだよなぁ…」

「前大戦を生き抜いた霊装者としての知識とか、経験が成せる発想とかはないの?」

「都合良くそんなの求めるなよ…けどまぁ、こういう時すべき事は一つあるぜ?」

「と、言うと?」

「三人寄れば文殊の知恵、って奴だよ」

 

情報や考える頭の質が足りていないなら、考える人数を増やしてしまえばいい。脳を直結させる訳じゃない以上根本的な質の問題は解決出来ずとも、人が増えればその分『閃き』の確率は増えるし、複数人の考えが上手く組み合わさる事で質を補える可能性は十分にある。そういう事を、俺は前世で学んだ。それが所謂三人寄れば〜…って事なのだろう。

そういう事で携帯を取り出し、とある人物に電話。するとその相手は俺の頼みを快諾してくれて…数十分後、我が家へとやってきた。

 

「へー、ここが悠弥君の家なんだ。お邪魔してまーす」

 

────宮空という、呼んでもいないクラスメイトを連れて。

 

「…なんで連れてきたの?」

「いや、何も考えず何しに出掛けるか伝えたら、わたしも行きたいとか言い出して…」

「ちょっと、本人の目の前で『面倒な奴が来ちゃったよ…』的会話をするのは止めようよ。そういうのはシンプルに傷付いちゃうよ?」

「だって俺、真面目な話がしたくて御道を呼んだから…」

「え、早くもわたし真面目な話が出来ない奴って思われてる?顕人君はともかく、悠弥君にまで?」

 

二人、溜め息を吐く俺と御道。かなり酷い事を言ってる訳だが…こういう事に関しては宮空の自業自得である。俺が無愛想だとか不真面目だとか思われても仕方ないのと同じだよな。

 

「はぁ……目的分かってて来たなら、ちゃんと会議に参加してくれよ?」

「分かってるって。わたし、これでも空気読む事は出来るんだよ?」

「…そうなの?」

「あー…まぁ、人並みには読めるのかも。俺の知ってる範囲ではね」

「そうね、綾袮は一応常識ある上でふざけてる子だもの。…だから尚更たちが悪いんだけど…」

 

あんまり宮空が空気読んでる気はしないが…俺より人となりを知っている御道や時宮がそういうのならまぁ多分そうなんだろう。…と、いう事で二人を加えて会議を再開する。

 

「さて、そんじゃ意見頼んだ」

「まさかの丸投げ!?……えーと…意見の前に、ちょっと来るまでに思った質問してもOK?」

「駄目だって言った場合は?」

「時宮さん、OK?」

「えぇ、答えられる事ならなんでもOKよ」

「あ、そういう事になるのね…」

 

流石御道だ、俺の扱いをよく分かってるぜ!……なんかほんとに俺に話が振られなくなりそうだし、何より宮空からの「人に文句言っておいて早速ふざけるんだ、ふぅん…」って視線が怖いから俺も真面目にやるか…。

 

「じゃ……電話では仕留め損なったって言ってたけど、それは文字通り仕留め損なったって捉え方で合ってる?」

「…文字通りじゃない仕留め損なった、なんてある?」

「実際にはそもそも仕留められるだけの傷を与えられてなかったとか、倒したには倒してたけど蘇生した事で仕留め損なったみたいな状況になってた…みたいな展開ないのかって事」

「あぁ…経験と感覚から言って、仕留められるだけの傷は確かに与えていたわ。で、蘇生も無いんじゃないかしら」

「俺も同意見だ。…てか、御道は今まで仕留め損ないがなかったのか?」

「それは…どうなんだろ?」

『へ?』

 

何の気なしに訊いた質問だったが…御道が心当たりの無さそうな回答をした事で俺、それに時宮も疑問符を浮かべる。ど、どうなんだろって……

 

「…まさか、これまでずっとトドメは宮空に任せていたのか?」

「いや、そんな事はないよ?確かに援護に徹する事はそこそこあるけど、俺がトドメ刺した事も結構あるし」

「ならどうなんだろって事はないだろ。仕留められてたら死ぬ、仕留められてなかったらまだ動いてるっつー単純な話だぞ?」

「そりゃそうなんだろうけど…うーん……」

「あーそっか。顕人君は基本オーバーキルだもんね。それなら分からないよ」

 

イマイチ釈然としない御道の言葉に、俺と時宮はさっぱりだったが……宮空だけは理解した様子でうんうんと頷いていた。だがそんな姿を見せられたってこっち二人は分かる訳がない。え、何?オーバーキル?

 

「…オーバーキルって…まさか毎回ズタボロになるまで斬り刻んだりしてるのか…?」

「いや違うよ!?そんな猟奇的な事するか!ってか俺メインは射撃だし!」

「猟奇的って言うか、基本高火力叩きつけて勝ってるんだよね顕人君って。要はわたしや妃乃みたいに狙い定めた一撃で、ってタイプじゃないんだよ」

「そういう事だったのね。仕留めきれないよりはいいと思うけど、現実じゃオーバーキルなんて単なる無駄なんだから気を付けた方がいいと思うわよ?」

「ですよね…ってか考えてみたら、この中で霊装者としての経歴浅いの俺だけじゃん…肩身狭いなぁ…」

「別にこの場じゃ気にする必要もないと思うけどな。で、今さっきの質問で何か分かったか?」

 

若干逸れてしまっていたが…元々は仕留め方の話題ではない。時宮の返答で何か掴めてると楽なんだが……。

 

「うーん……ぶっちゃけ質問した部分が足りないピースだった訳じゃなくて、単に気になっただけだからなぁ…でも、確かに仕留められるだけの傷を与えていたなら、それは仕留められてたんじゃない?」

「…それは言葉遊び開始の合図かなにかか?」

「別に?まぁちょっと格好付けたのは否定しないけど…手練れがそう言うなら、仕留められるだけの攻撃が通った後に何かが起こった、或いはそのタイミングで何かが起こる様に仕組まれてたんだろう…って言いたかった訳よ」

「へぇ…貴方って結構頭回るのね。すぐおふざけに走ろうとする誰かさん達とは大違いだわ」

「…言われてるぞ、宮空」

「え、言われてるのは悠弥君でしょ?」

「誰かさん『達』って言ったでしょうが…」

 

ギロリ、と睨まれた俺と宮空だが……肩をすくめて『なんの事やら』アピール。一対一だと謝りたくもなるが…仲間がいれば怖くない!……なんてな。

 

「はいはい。…けどさ、今の発言って結局何が分かった訳ではないよね?」

「ま、そうだね。俺が言ったのは所詮前提を固めただけだよ」

「それでも意見無しよりはずっといいさ。…しかし何か、なぁ…」

 

何か、○、X…何かを考える上で分からない部分へ、それ等の記号を代入するのはよくある事で、分からない部分が多い時には必須レベルでもあるが……代入したところで判明した訳じゃないんだから、結局はその分からない部分をはっきりさせなきゃいけない。これが数学の問題なら、きちんと手順を踏めば分かるんだろうが…現実は解ける事前提の問題ばっかりじゃないんだよな。

 

「わたし思ったんだけど、武器側の問題…って事は無いかな?最近誰かが手当たり次第に細工した、とかなら常に仕留め損ねる訳じゃない事も説明つくよ?」

「細工、ねぇ…量産品ならともかく、私の天之瓊矛や貴女の天之尾羽張にまで出来るかしら?それに、細工されてたなら使ってるうちに違和感の一つでも感じる筈じゃない?」

「あ、そっか……」

「…そういやさっき蘇生ってのもない、って言ったけど…そういうもんなの?蘇生魔法を付加されてたとか、ある程度余裕がある状態でなら即死級の怪我を負っても辛うじて耐えきれる力を持ってるとかは定番な気がするんだけど…」

「因みに顕人君、その定番ってどの定番?」

「……サブカル業界です…」

 

宮空に指摘された御道は、若干躊躇った後にそう答えた。…案の定というか、何というか…何ともまぁ、一般人的回答だった。

 

「残念だが、そりゃないな。魔人級以上ならともかく、ただの魔物が蘇生能力だの何だのを持っていたらこっちはたまったもんじゃねぇよ」

「……魔人?…って、魔物の上位存在…的な?」

「…その反応じゃ、魔人については知らないみたいだな…時宮、ほんと担当間違えたんじゃないのか?」

「そうね、顕人は気になった事を積極的に訊いた方がいいわよ。この様子だと、綾袮は他にも色々と教えてなさそうだし」

「はは、そうするよ……で、その魔人ってのは具体的に何なの?」

 

てへ、と舌を出してる宮空に呆れつつ、魔人についてを考える。説明に関しちゃ時宮がやるのが一番だとは思うが…知識が乏しい御道に対しては、人から聞いた知識が中心の俺の方が伝わり易いか。

 

「魔人っつーのは、人と遜色ない知性、独自の固有能力、そしてそれ抜きにも普通の魔物以上の戦闘能力を持つ個体の総称なんだよ。ま、同じ魔人でも特に強い個体や逆に名前負けする様な個体もいるんだがな」

「へぇ……魔人っていう位だし、どれも人型なの?」

「いや、人型以外もいるぞ?人型の魔物ってのはほぼいねぇから、割合的にはずっと多いけどよ」

「…じゃあ…綾袮さん、俺達が今まで倒してきた個体の中に魔人は……」

「いないね。魔人は早くても数ヶ月、普通なら数年に一度位しか起こらない災害みたいなものだもん。顕人君といる時に魔人を発見したら、わたしは顕人君を即逃すね」

「…もし綾袮さん一人だったら?」

「その時は取り敢えず戦ってみるよ。平均的な魔人なら、全身全霊で戦えば勝ち目はあるし」

 

今度は胸を張る宮空。それに俺は「いや魔人は一人で立ち向かう相手じゃねぇだろ…」と言おうと思ったが、ふと隣を見ると時宮は「まぁ、そうよね」みたいな表情を浮かべていた。……この二人は、もしや俺が思ってる以上に強いのか…?

 

「…ま、そういうのが魔人って奴だ。分かったか?」

「一応はね。…そうなると、倒してきた魔物がそういう能力持ってたって線は無くなるか……」

「もし実際に魔人だったら、その可能性は高かっただろうな」

「でも仕留め損なったのはどれも魔物だった。……あ、ついでに一つ言っておくと、魔人は魔物を配下として率いてる事もあるのよ。群れの長みたいにね」

「あ、じゃあ魔人の影響…というか指揮を受けるって事もあるのかな?」

「それはあるな……ん?」

 

高い知性を持つ魔人は当然として、魔物の方も本能的に強い者に従いたくなるのか、魔人が中心となった群れは別段あり得ない事ではない。それはともかくとして……御道の言葉を聞いた瞬間、俺の中で『影響』『受ける』という二つの単語が引っかかった。…なんだ?なんで俺はこれが引っかかったんだ?影響、受ける…影響…受ける……受けるのは、影響するのは…()()()()なのか…?

 

「…なぁ、時宮…一つ訊いてもいいか?」

「いいけど…何よ?」

「ちょっと、案外御道の考えは当たらずとも遠からずだったのかもしれないと思ってな…」

「…どういう事?」

「要は考え方の問題だよ。俺達は無意識に、能力があったとしてもそれは個々に有しているものだって考えていたが…そうじゃない可能性もあるんじゃないか?」

「……まさか…」

「あぁ。まさかとは思うが……ひょっとしたら、この件は魔人級が関わってるんじゃないのか?」

 

俺の言葉の意味を察し、目を見開く時宮。それを見た俺は、未だ理解しきってない様子の御道と宮空へ視線を移し……

 

「……魔物は能力を持ってたんじゃなくて、付加されたんだよ。どういう能力かまでは分からねぇが…致命傷を避ける様な能力を持つ魔人に、それこそ魔法をかけられるが如く能力を与えられた。…俺の仮説は、そういう事だ」

 

初めは霊装者側の問題だと思っていた俺。だが……仮説を思い付いた時にはもう、俺の考えはがらりと変わっていたのだった。



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第二十六話 気さくな先輩、現る

「魔人、ねぇ……」

 

千嵜家での会議を終えて数十分後。話に付き合わせたお礼、という事で茶菓子を貰った後に俺と綾袮さんは帰路についた。

 

「なぁに顕人君、魔人と遭遇してみたいの?」

「別に?……あーいやでも、ちょっと興味はあるかも…」

 

中々首尾良く進まなかった会議は、最終的に千嵜の仮説である『絶命回避系の能力を魔人によって付加された』という結論で決着がついた。…といっても確証が取れた訳ではないから、まずは魔人の出現情報と過去に魔物に能力を付加させた前例があったかどうかを協会へ確認する…って形で閉会したんだけどね。

 

「…悠弥君の家でも言ったけど、もし遭遇したら逃げなきゃ駄目だよ?もし仲間がいて、勝てる見込みがあるとかならまだしも、今の顕人君一人じゃ絶対勝てないもん」

「心配しなくても大丈夫だよ。何せ俺は慎重派且つ成果より安全性を重視するタイプだからね」

「え?顕人君が慎重派?臆病の間違いじゃなくて?」

「真剣な事言った次の瞬間にボケるのね…へいへい俺は臆病ですよー」

「全くもう、早く夜一人でお手洗いいけるようにならなきゃ駄目だよ?」

「へーい……ってトイレ位一人でいけるわ!失礼な!」

 

いきなりボケたりナチュラルにありもしない事言ったり、今日も綾袮さんのおふざけは絶好調だった。…あ、危ねぇ…危うく適当に返して認めてしまうところだった…。

 

「…ったく…でさ、もし千嵜の仮説通りで、魔人の存在が確認されたら…その時はどうするの?」

「うーん…ま、討伐部隊が編成されるんじゃないかな?一介の魔物と違って、魔人は早急に対応しないとどれだけ被害が出るか分からないからね。で、そうなったらわたしや妃乃に声がかかる可能性もあると思うよ」

「やっぱそっか…もしもそうなったら、その時は頑張って」

「任せてよ。わたしは強いから心配ご無用!戦う事となったらその土産話を持って帰ってあげるね」

 

そういう台詞は敗北フラグになり兼ねない…一瞬そう思ったが、同時に指摘する事もよりフラグへと繋がりそうに思えた俺は、喉元まできていた言葉を飲み込む。フラグ云々はともかく…綾袮さんの顔には慢心や油断の気配は微塵も感じないし、素人の俺がとやかく言う事ではないかな。

 

「さて、それじゃ帰る前にスーパー寄るけど…何か夕飯の希望ある?」

「え?なら『フォアグラのキャビア和え〜トリュフを乗せて〜』がいいなー」

「そんな世界三大珍味を混ぜれば絶対美味いもんになるだろう的な発想の料理はしません。てか、一般のスーパーじゃ取り扱ってないから…」

 

とびきり他愛ない、それこそ同じ家で住んでる者同士っぽい会話をしながら帰る俺達。そんな会話をしている俺達の頭の中では、もう魔人の事は隅へと押しやられているのだった。……別に、この後すぐ大事件が!…的展開がある訳じゃないよ?いや知らないけどね。

 

 

 

 

数日後、協会は俺達が話し合った件をただの妄想ではなく無視出来ない可能性として判断し、早速調査に取り掛かった。……と、言うのは綾袮さんから聞いた話で、俺自身は協会から聞かされていなければその件で何か任務を与えられる事も無かったり…。

 

「…こういう時、期せずしてその魔人と遭遇する…ってのが定番だと思うんだけどなぁ…」

 

双統殿の一角、ちょっとした休憩所っぽくなってる場所でソファに座って呟く俺。内容に関わらず、一言二言じゃない独り言してる奴なんて大概アレな人っぽく見える訳だが…誰もいないんだから問題ない。どっちかと言えば、最初の日以降立場や能力からつい自分の事を、主人公かそれに近いメインキャラが如く捉えてしまっている事ののがアレな気がする。

 

「…ま、それが俺の夢だったし、そもそもその考えでいくと俺より千嵜の方が主人公っぽいんだよね」

 

実は自分は生まれ変わった人間で、生まれ変わる前は戦争の時代に霊装者として生き抜いた…なんて事を聞いた時、ぶっちゃけ俺は「なんだその漫画か小説みたいな生い立ちは…」と思った。我ながらもう完全にズレている。後、生まれ変わる前の事だから生い立ちって表現するのは変か…。

 

「……で、まだかねぇ…」

 

俺がここに来たのは、何やら理由があって呼ばれた為。それについては綾袮さんも知っていて、綾袮さんの案内でここまで来た俺だったが…その綾袮さんは中々戻ってこない。向かった先で関係ない人に呼び止められたり、急に外せない用事が出来たとかならまぁ仕方ないけど……綾袮さんの場合、うっかり俺の事忘れちゃってる可能性があるんだよなぁ…そうだとしたら、こっちから探しにいかないと…

 

「……なんて思ってたら来たよ、噂をすれば影がさすとはよく言ったもの…ん?」

 

立ち上がろうとした瞬間、廊下の先に見えた綾袮さんの姿。やっと来た…と思って声をかけようとした俺だったが……綾袮さんの後を追う様にして、見知らぬ男性が現れた事で疑問符を浮かべる。

 

「いやーごめんね顕人君、ついそこそこ仲良い人と出会って話し込んじゃった」

「まさか予想通りの事で時間かかってたとは……えぇと、その人は?」

 

綾袮さんが連れてきた(っぽい)のは、二十代半ばか後半の、爽やかそう顔出ちの男性。……うん、やっぱり知らない人だ。

 

「うーん…誰だと思う?」

「え、まさかの質問返し?俺が初めて魔物と遭遇した日に何故か行われたクイズの再来かなにか?」

「あー、そんな事もあったね。ヒントは生粋の日本人って事だよ」

「クイズはあくまでやる気なんだ…てかそれなんのヒントにもなりゃしねぇ……えーっと、大前田勇蔵さん!霊装者歴八年!」

「え、誰それ?」

「この人だよ!?この人の名前と経歴だよ!?日本人って事以外の情報一切無しの中捻り出した適当な設定だよ!?」

「そっかぁ……残念!掠りもしてません!」

「でしょうねッ!」

「ぷっ……はははははっ!いやいやいきなり漫才ですか綾袮様!滅茶苦茶仲良しですね!この羨ましい奴め!」

「は、はい……?」

 

思いっきり振り回してくる綾袮さんに、最早慣れたやり取りではあるものの再来の気質のせいか乗って突っ込んでしまう俺。その最中早速男性の事を忘れていた訳だが…やり取りがひと段落したところで突然会話に入ってきた。…な、なんという唐突さ…いきなり漫才っぽい会話してる俺と綾袮さんも大概だけど…。

 

「あ、なんか羨ましがられてるよ顕人君」

「言われなくても分かってるよ…えー、私は御道顕人、この様な身なりですが霊装者をさせて頂いております。失礼でなければ、貴方のお名前を聞かせて頂けないでしょうか?」

「出た、顕人君の慇懃無礼モード」

「慇懃無礼言うな失礼な…」

「丁寧な奴だなぁ……でも第一印象は悪くないな。俺は大前田勇蔵、霊装者歴八年の中堅さ!」

「まさかのドンピシャだった!?嘘ぉ!?」

「そう、真っ赤な嘘さ!」

「でしょうねぇッ!……ドンピシャだったら掠りもしてないなんて言わないもんな、うん…」

 

この人と出会ってまだ数分足らず。普通ならは第一印象位しか相手を評価する要素がなく、どんな人間なのかは知る由もない。……が、この短いやり取りだけで分かった…この人は、お調子者系の人物だと!…いや、絶対そうでしょ……。

 

「悪い悪い、さっきの会話聞いてついボケてみたくなってな。…俺は上嶋建、お前と同じ様に高校の時霊装者となった奴だ」

「…今度は本名ですよね…?」

「あぁ本名だよ、上嶋さんでも建先輩でもアニキでも好きに呼んでくれ」

「では上嶋さんで…よ、宜しくお願いします」

「おう、こっちこそ宜しくな」

 

上嶋さんから差し出された手を握り、俺達は握手。…先程からの威圧を感じない言動といい、握手といい、なんだか取っ付き易そうな人だなぁ…積極的にボケてくる可能性もあるけど。

 

「…で、綾袮さん。俺が呼ばれた用事ってなんなの?もしや、上嶋さんと何か関係が?」

「ご明察、用事と建さんとは関係あるよ。…一応訊くけど、顕人君って協調性あるよね?」

「これまでの関わりで俺に協調性がないと思った事ある?」

「ないね、じゃあ安心だとして…えーっと、魔人について調査が行われるのはもう知ってるよね?」

「そりゃ勿論」

 

魔人の調査については他でもない綾袮さんから聞いたんだから、俺が知らない訳がない。それは綾袮さんも分かってるらしく、彼女はだよねぇ…みたいな表情を浮かべながら話を続ける。

 

「まだ魔人の力についてはよく分かってないし、情報自体が少ないから、調査は慎重且つ広範囲に行わなきゃいけないんだ。で、そうなってくると万が一情報不足な状態で魔人とあっても対処出来る様な人材は、お呼びがかかるの」

「…綾袮さんとか?」

「そうそう。わたしはそういう万が一に備えてほいほいと魔物退治には出向けないの。でも顕人君は違うし、調査に人員を割いてる間だろうが魔物は御構いなしだから、協会としては上司兼護衛のわたしが不在でも顕人君には働いてほしい…と、ここまで言えば分かる?」

「…一時的に綾袮さんの下じゃなく、上嶋さんの下で戦う…って事かな?」

「そういう事だ、んで今日は部隊長として挨拶に来たって訳よ」

 

綾袮さんから引き継ぐ様にして俺の答えに返答を述べた上嶋さん。上嶋さんの言葉に俺は「はー…」と納得した様な表情を浮かべて首肯する。…こういう時は、きっちりと「分かりました」って言うよりこうやって『そうだったのか』感を醸し出した方が、相手に理解してもらえたと思ってもらえるんだよね。

 

「…えと、部隊長という事は……」

「実戦の時はお前と俺の他に、数人交えて戦うって事さ。俺の部隊は俺がこんなんだからか部活やサークルみたいな雰囲気だから、あんま臆さなくても大丈夫だぞ」

「そ、それは安心です…今日は早速出るんですか?」

「いいや。綾袮様が言った通り、お前に来てもらうのは綾袮様が動けなくて且つ人手が足りない時だけだからな。ひょっとすると、早々に魔人を撃破出来ちまってこの話は無かった事に…ってなるかもしれないぞ?」

「それは……は、反応に困りますね…」

「だよな。そうなりゃ当然無駄な計らいだったって事になっちまうが、脅威を早めに排除出来るのは良い事に決まってるんだからよ」

 

現状上嶋さんへは悪い印象がなく、綾袮さん以外と組んで実戦を行うのは俺にとっても良い経験になるとは思うけど…突然そういう話になれば少なからず気が引ける。だから今日は特に何もなく、場合によっては碌に組まずに終わるかも…というのは、正直助かるなぁと俺は思った。

 

「まぁ、そういう事だから出撃する事になったら失礼な事しちゃ駄目だよ?」

「保護者か!…いやまぁ守ってもらってる部分も少しはあるけど…」

「建さん、顕人君はちょっと危なっかしいところがあるからお願いね。上下関係はきっちり守るタイプで命令違反とかはしないだろうから、さ」

「えぇ、お任せを。こいつは話してて面白い奴ですし、綾袮様の意に反する結果にだけは絶対しないと約束しますよ」

「……いや、あの…なんなのこの保護者同士の会話みたいなの…」

 

保護者同士による会話というのは、得てして保護される側にとっては気まずいもの。二人共俺の事を思ってくれてるっぽいけど…そんなの気まずさの紛らわしにはならねぇよ!上嶋さんはともかく、綾袮さんに保護者っぽい事言われるのは色々辛いよ!普段はどっちかって言うと俺の方が世話してるんだから!

 

「わたし達にとってはそういうものなんだよ。っていうか、霊装者としては建さんよりもわたしの方が長いしね」

「流石に宮空家の令嬢には劣りますよ…さて、それじゃ挨拶は出来ましたし俺は行きますね」

「あ…えと、部隊の他の方々は…」

「そいつ等は出撃する時に紹介するさ。部隊っつっても大人数じゃねぇから予め紹介しておく程でもないし、会うにしたって今ここにいない奴もいるからな」

「そ、そうですか…」

「心配なら自己紹介でも考えときな。それと…あんまり畏まらなくてもいいぞ?上下関係は確かに大事だが…あんまりきちんとし過ぎてると、色々息がつまるだろ?」

「それは…まぁ、そうですね」

「おう、だから俺に関しては部隊長じゃなくて先輩位に捉えてくれ。頼むぜ顕人」

 

その言葉と共に上嶋さんは手を俺の肩に置き、数瞬で離した後に綾袮さんに頭を下げて去っていった。綾袮さんが上嶋さんの後ろ姿に軽く手を振ってるのに気付いた俺は、すぐに彼の背へと頭を下げる。

 

「…顕人君、建さんについてどう思った?」

「……ありきたりな表現になるけど…気のいいお兄さん、って感じかな」

「だよね。建さんは誰にでもああしてフランクに接する良い人だよ。……まぁ、女としては『うーん…』って思う部分もあるんだけどね」

「…うーんって思う部分?」

「それは本人に聞くか、噂に耳を傾けるかだね」

 

そういう綾袮さんは、何故か遠くを見る様な目をしていた。……上嶋さんのうーんって思う部分、って一体…。

 

「さーて、顕人君が呼ばれた理由はこれだけだからもう帰って大丈夫だよ」

「綾袮さんはまだなんかあるの?」

「ちょっとね。もう数十分はわたし帰れないし、待ってなくていいからね?」

「そう?だったら、俺は先に……む、うぅん…?」

「……?」

 

先に帰る、と言いかけて口ごもる俺。こういう時、待ってると相手に『わざわざ待たせてるんだから、早く済まさなきゃ…』と思わせてしまうから帰ってた方がいいと思ったが……女心的には、むしろ待ってくれてた方が嬉しいんじゃ…?

 

(…どっちだ…待つのと帰るの、どっちが綾袮さんの意に添うんだ…?)

 

急に黙ってどうしたんだろう…と表情に出ている綾袮さんに顔を覗き込まれながら考える。綾袮さんならどっちを選択しようが怒ったり困ったりはしないだろうけど…同居してる以上不満を持たせてしまうのは宜しくないし、何より気になってしまって安易に選べない。や、やっぱり綾袮さんもレディーなんだから待つべきか?それとも綾袮さんは待ってる人を気にしちゃうタイプか?…う、うぅむ…………分からん!

 

「……待ってた方がいい?」

「え?…うーん…先に帰ってていいよ?どうせ顕人君暇になっちゃうでしょ?」

「そ、そう…分かった、なら先に帰るよ」

「あ、うん……何考えてたの?」

「何でもないよ、何でも…」

 

結局、俺は普通に訊いてしまった。スマート且つスピーディーにベストな回答を導く…とは正反対の、思考を諦めての質問。…でも、不味い選択をしてしまうよりは素直に訊いた方が賢明だよね。

と、いう事で一足先に俺は家へ。

 

 

 

 

それから数日、綾袮さんは出かける(というか職務にあたる)事が多くなった。例の会議の際、綾袮さんはある程度の魔人であれば一人でも倒せる…と言っていたからイマイチ『強大な存在!』って感じを持っていなかったが……協会の動きから考えると、やっぱり魔人というのは強いらしい。……綾袮さんって、ほんと強いんだなぁ…。

 

「…てか、課題大丈夫なのか…?」

 

視線を窓の外から課題プリントに戻しつつも、頭の中でプリントの内容は蚊帳の外。元々課題にやる気を見せない綾袮さんは、こうなるとほんとに課題をやらない…というかやれない様な気がする。…かくいう俺もやらなきゃいけないからやってるってスタンスだが…学生として学校に通ってる以上、やっぱり課題は極力提出出来る状態にして提出するべきじゃないだろうか。

 

「…って、保護者か俺は……」

 

そんな事より俺自身の課題だ課題…と、軽く頭を振って思考を切り替える。上嶋さんとの会話の時子供扱いされた反撃として、課題の件で保護者ぶってやろう…というのも思い付きはしたが、なんか面倒そうなので止めておく。

 

「…………」

 

日本語の利点の一つとして、全く勉強してなくても中国語(の文章)をある程度は理解出来る…というのがあるらしい。文法は違えど漢字という共通点があるし、まぁ理屈的には納得出来るが……実のところ分かった『つもりになれる』だけで、実際にはある程度どころか平仮名と片仮名しか知らない子供が漢字交じりの文章を読むのと大差ないレベルでしか理解出来てないんじゃないだろうか。少なくとも、日本人が思っている以上に日本語と中国語には隔たりがあると唱えたい。……なんて俺が思ってるのは、その課題というのが漢文だからである。どう考えたって勉強せずに漢文理解出来る訳ねーじゃん、漢文と現代の中国語を同列に扱うのは間違ってる気もするけど。

 

「はぁ、現代文は楽なのにどうして古文漢文になると難しいのか…ってそれは当たり前か。……っと、もしもし…?」

 

ぶつくさと愚痴を言っていたところで鳴った携帯電話。一体誰からだと思って着信画面を見ると、そこには見慣れぬ番号と未登録の文字。相手が分からない事に若干の不安を抱いたものの…居留守を使ったらそれはそれで後味悪いし、何か重要な電話だったら…と考えると、やはり出ない訳にはいかない。そう思って少し用心しながら電話を受けると……

 

「よ、顕人。元気してるか?」

「…上嶋さん?」

 

聞こえてきたのは、上嶋さんの声だった。…あれ、でも俺番号教えてないよな…?

 

「…綾袮さんから番号聞いたんですか?」

「察しがいいな、そういうこった」

「やっぱりですか…教えるなら俺にも一言言ってくれればいいのに…」

「はは、綾袮様はそういうお茶目なところがあるからいいんじゃないか」

「あれをお茶目と言いますか…」

 

余程器が大きいのか、それとも上嶋さんが綾袮さんの全容を知らないだけなのか…まぁどっちにせよ、俺にはお茶目で片付けられるレベルじゃないと思うね。

 

「…それで、急にどうしたんですか?」

「急に電話をかけたんだ、それだけで分かるだろ?」

「え?……あー…マジですか?」

「マジだ、なんか不味かったか?」

「いや大丈夫です、了解しました」

「おう、んじゃ……出撃だ、頼むぜ?」

 

……と、いう事で出撃要請を受理した俺は協会へ。結果、一度も上嶋さんと出撃せずに魔人騒動終了…なんて事にはならずに、俺は初めて綾袮さん以外と共闘する事になるのだった。……課題の残りは、帰ってからやるか…。



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第二十七話 疑惑が起こしていくもの

魔人の件は協会も組織として調査を始めたらしく、時宮からちょいちょい話を聞く様になった。と言っても経過報告というよりただの愚痴で、万が一に備えてずっと待機してたのに何もなかっただの、魔人がいなかったらどう責任を取るんだって人の足引っ張ってばかりの高官が五月蝿いだの、俺にとってはかなりどうでもいい話が大半だった。…てかそもそも、協会は魔人の調査をしていても俺はこれまで通りの生活してるしな。

 

「あーお兄ちゃん?今日野菜安い日だけど、何か買っておく?」

「そういやそうだったか…んー、冷蔵庫見るからちょっと待ってくれ」

 

携帯片手に冷蔵庫の前へと向かう俺。10代の女性の例に漏れず買い物に行く事が好きな緋奈は、こうして買い物のついでに俺へ何か買ってくるか電話で訊いてくる事が時々あった。俺は特に買い物が好きという事はなく、冷蔵庫の中身が減ってきても基本「補充しなきゃなぁ…」より「今あるもので作れる料理といえば…」という思考が先行してしまうせいか買うのを忘れてしまう事が偶にある為、緋奈が気を遣ってくれるのは大変助かる。…まあ、最近は交代で飯を作ってる時宮が買ってくる事もあるけど。

 

「……よし、アイス買ってきてくれ」

「うん、何でお兄ちゃんは野菜室じゃなくて冷凍庫見てるのかな。今日安いのはアイスじゃなくて野菜だからね?」

「えー…じゃあ、冷凍の野菜を…」

「いや、冷たいものに引きずられないでよ…次ふざけたら冷凍マグロを丸々買ってくるからね?」

「普通のスーパーにそれはないだろ…人参とジャガイモ、それにパプリカを買ってきてくれるか?数はまぁ、いつも通りで」

「はーい」

 

いつも通り、でちゃんと伝わる辺り流石我が妹。…なんて考えながら俺は元いたリビングのソファへ。実際にちゃんと伝わってたかどうかは分からんが…足りなきゃ買えばいいだけだし、少ない分には問題ないだろう。逆に多過ぎた場合は…野菜料理が捗るんだろうなぁ……。

と、思ったところで玄関の扉が開く音が聞こえてくる。…え、まさかもう緋奈帰ってきたの?早過ぎない?

 

「ただいま…あら?緋奈ちゃんは出かけてるの?」

「なんだ時宮か…」

「なんだとは何よ、いきなり失礼ね…」

 

そんな馬鹿な…と思いつつ玄関に行くと、居たのは緋奈ではなく時宮だった。玄関の時点で緋奈の不在に気付いたのは…恐らく緋奈のスリッパを見つけたからだろうな。

 

「別に期待外れだったとかじゃねぇよ、緋奈かと思っただけだ」

「ふぅん…ま、いいわ」

 

靴を脱いで家にあがる時宮。最近は俺の無愛想さにも慣れたらしく、こうして失礼な事を言っても特に怒ったりはしなくなった(勿論それは俺に悪意がない場合)。

 

「…で、魔人捜索はどうなってんの?」

「相変わらず進展無しよ。そもそも特定の魔物や魔人を見つけようとする事自体が困難とはいえ、そろそろ手がかりの一つでも見つかってくれないかしら…」

「そうさなぁ……あぁそうだ、今一ついい案が思い付いたぞ?」

「いい案?……ほんとでしょうね?」

「そう思うなら聞いてみな。まず、当たり前の話として魔人は何の理由もなく徘徊したり騒ぎを起こしたりはしない、そうだろ?」

「…そうね、人間もだけどそんな無駄な事を理由もなくやるとは思えないわ」

 

俺が思い付いたと言った直後、時宮は疑いの視線を向けてきたが…確認の意味も込めた質問をしてみると、視線に含まれる疑いの成分が少なからず薄まった。これなら、ちゃんと最後まで聞いてもらえそうだな。

 

「そう。魔人は知性があるからこそ、無駄な事や迂闊な事は基本やらない。…まぁ、知性があるからこそ余計な事しちまったり生きるのに必要不可欠でもない事に手を出しちまったりする場合もあるんだが…少なくとも、魔物と同じ感覚じゃ簡単には見つからねぇだろうな」

「それは分かってるわよ。それで?」

「だから、逆に考えるんだよ。無駄な事をしないなら無駄じゃない事柄を、迂闊な事をしないなら安心出来る事柄を用意してやるんだ。そうすりゃ魔人もおびき出せると思わないか?」

「…ゆ、悠弥がこんなに早く真面目な事を言うなんて…熱でもあるの?」

「いや話脱線させんなよ…ちゃんと話す気ないのか?」

「うっ…ごめんなさい、今のは私が悪かったわ」

 

時宮はそこそこ人を煽るタイプ(がっつり煽られるのは俺や宮空みたいな霊装者且つ不真面目なタイプばかりだが)で、なんならそれでちょっと楽しんでる節もあるが…根が真面目だからか、自分が空気を乱したと思うとこうしてちゃんと非を認めてくれる。正直、この反省してちょっと下を向いてる時宮は目の保養になるのだ。……さて、そろそろ結論だな。

 

「つまり、だ。魔人にとっての一番の利益は、勿論霊装者…それも魔人クラスですら満足いくだけの優秀な人間を喰らう事。その霊装者が、反撃や逃走の出来ない状態に陥っていれば、魔人も興味を示す可能性は少なからずあるんだよ」

「そ、それって…まさか…」

「そういうこった。だから時宮……お前が仲間である霊装者にボッコボコにされた状態で、蓑虫の様に吊るされてたら魔人だって現れるっつー寸法よ!」

「…………」

「…………」

「……はぁ…」

 

わざわざ溜めを挟み、はったと時宮の目を見据えて俺は言ってやった。そう、単にボケたんじゃない。一度真面目な流れを作って、『あれ?悠弥が名案言いそう…?』みたいな雰囲気にした上での渾身のボケ。どうだ時宮!

……なーんて思ってた俺だが、時宮から返ってきたのは数秒の沈黙の末の溜め息だった。…うーむ、ちょっと真面目パートが長過ぎたか…。

 

「…一応言うけど、そんな作戦実行出来ないから」

「あ、うん…それは分かってる…」

「ボコボコとか吊るす以前に、霊装者を餌に…って事自体出来ないから。そんな信用を失う様な真似、まともな組織ならおいそれとは使えないから」

「お、おう…」

「百歩譲って出来たとしても、罠としては怪しさがありすぎるから。絶対怪しまれるから」

「え、と…あの、時宮さん……?」

「魔人らしき情報がないって事はその魔人が慎重派だっていう証明で、そんな魔人は「悪かった!あんなふざけ方して悪かった!だからもう勘弁して下さい!これいつ終わるの!?」…ふん、人の期待を裏切るからよ」

 

謎の淡々とした攻撃ならぬ口撃に、俺は耐えかね謝罪。いや、これは流石に無理っすわ…どんよりと曇った瞳で、冷めた声音で淡々と無理な理由を言われ続けるとか謎過ぎて怖くなってくる…。

 

「ほんとすんませんでした…因みに、もう一個思い付いたんだが…聞くか?」

「…ふざけないって保証は?」

「今度はちゃんとしたやつだよ。もしふざけたらハイヒールで飛び蹴りしてもらって構わん」

「ここにハイヒールは持ってきてないわよ…けどそう言うならまぁ、聞いてみるわ」

「あいよ、つっても単純なもんだけどな。わざと魔物を見逃して後をつけるってのは駄目なのか?」

 

魔物が個体によっては殺した筈なのに絶命していない、という事象は魔人によって何かしらの能力を付加されているからだと俺達は踏んでいる。これはあくまで推測で、確定情報ではないが…これが合っているとすれば、魔人と魔物はどこかで接触していなければおかしい。そしてその際魔人は魔物を配下に加えている可能性があるのだから、魔物の後をつければ魔人、或いはその手がかりへと辿り着けても不思議はない。そう思って俺は提案したが…時宮の反応はイマイチ。

 

「そうねぇ…案としてはまぁ、悪くないと思うわ。けど、それってかなり運に左右されるわよね?」

「ん、そうか?」

「だってまず、魔物自体草むらやら洞窟やらを歩いていればランダムエンカウントする様な存在じゃないし、仮に遭遇してもそいつが逃げてくれるとは限らないでしょ?」

「…まぁ、そうだな」

「ある程度傷付ければ逃げる可能性はあがるけど、それでもやっぱり確実じゃないし、逃げる余力が残る程度に傷付けるってのも難しい話。で、上手く逃げてくれたとしても道中人を襲うかもしれないから、追う側としては一切油断が出来ないわ」

「あ、そうか…追う際の負担は考えてなかったな…」

「更に魔物の状態によっては途中で絶命する事だってあり得るし、それ等を全てクリアしたとしても魔物は魔人と全然関係ない所に行くかもしれない…とまぁ、ぱっと思い付くだけでもこれだけ不確定要素が多いのよ。運が良ければトントン拍子で進むかもしれないけど…」

「しょっちゅう運が絡む案なんか、作戦として採用出来ない…って事か」

「そういう事。もし運が味方してくれたら狙ってみる価値はあるかな、位で積極的に狙っていくべきではないと思うわ」

 

おふざけ案は当然として(採用されたらそれはそれで困る)、真面目な方のセカンドプランも残念ながら採用には至らなかった。別に内申だとか組織内評価に関わる訳じゃないし、関わるとしてもそんなの激しくどうでもいいが…やっぱり真面目に考えた案が駄目ってなるのは残念なもんだな。

 

「ふーむ…なんかいい案思い付かねぇかなぁ…」

「…妙に協力的ね、自分の案を採用してほしくなったの?」

「……別に。…あ、確か俺と御道の事を予知した予言者がいるんだったよな?そいつなら魔人の事も予知出来るんじゃないのか?」

「それは無理よ。予言の的中率は驚異的なものだけど、彼女の予知は任意に使える能力じゃないもの」

「本人の意思とは無関係に働くってやつか…てか、その予言者は女性だったんだな」

 

彼女、と言ったのだから予言者は女性で間違いないだろう。…予言者に対しては興味も何も抱いてないし、分かったからって何にもならない情報だが。

 

「……ま、これまで通り地道に探すとするわ。勿論手っ取り早い案があればそれに越した事はないけど…千里の道も一歩から、塵も積もれば山となる、急がば回れ…ってやつよ」

「それぞれちょっとずつ意味違うけどな…ならまぁ頑張れ、俺は自宅警備員の職務を遂行する」

「自宅警備員って…悠弥はほんとふざけるの好きよね」

「そりゃ折角生まれ変わった訳だからな、楽しく生きなきゃ転生が無駄になっちまうってもんだ。……人生はいつでもやり直しが効くなんて言うが、本当の意味でやり直しなんてそれこそ奇跡が起きなきゃ出来ないんだから、な…」

「あ、貴方が言うと言葉の重みが違うわね…」

「だろ?しょうもない奴だって、それなりに経験や体験は積んできてるんだよ」

 

時宮が『地道に探す』という締めを言った事もあり、話は普通の雑談へと移行。そのうち緋奈も帰ってきて、完全に魔人関連の話は終わりを迎えた。…ま、話半分の内に出てくる案なんて協会内で既に出尽くしてるだろうし、名案が出ないまま有耶無耶になるのも致し方なし、なんだろうな。

 

 

 

 

その日、時宮は役目があるからという事で双統殿へと行き、千嵜宅は俺と緋奈だけになった。で、今俺は……家の屋根の上にいる。

 

「全く、なんで時宮がいない時に現れるかねぇ…」

 

風呂から上がってふぅさっぱり…なんて思ってたところで感じた不快感。…そう、魔物が近くにいる時の感覚である。数度実戦を行ったものの、相変わらず訓練なんて碌にしてない俺の探知能力は当然高い筈がなく、そんな俺でも探知出来るという事は無視出来ない距離にいると見て間違いない。

 

「…やっぱ探知能力は鍛えておくべきか…?」

 

器の出力やら機動力やらは多少不足していても技量や経験で何とかなるが、探知に関してはどうしようもない。交戦開始してしまえばそこまで重要じゃない(探知能力が高ければ戦闘で役立たせる事も可能だが)上、転生前は部隊単位で戦う事が基本だったから正直あまり探知能力を重視してなかった俺だが……分かるのは魔物がある程度の距離にいるという事だけで、正確な…どころか大体の位置すら掴めていない現状では、その認識を改めざるを得なかった。

魔物の目的が分かっている、又は周りに民間人がいないという状況なら、積極的に動いて探し出すところだが、家の中には最優先すべき緋奈がいる。万が一の事を考えれば、ここから離れる訳にはいかない。

 

「…んー、暗いしあんま変わらんかもしれないが…やるだけやってみるか」

 

数分間程屋根の上から目視での索敵を続け、埒があかないと思った俺は跳躍した。屋根の上だろうが夜空だろうが目視で探す以上根本的な索敵能力上昇には繋がらないが、それでも多少はマシになるんだからやってみる価値はある。そう思って跳び上がった俺は、続けてスラスターを点火──

 

「いてっ……」

 

どんっ、という鈍い衝撃が頭に走った。一瞬なんだか分からなかったが……どうやら俺は頭をぶつけたらしい。…んだよ、空中に物置いとくなっての。どこの誰だか知らないが、そのせいで頭ぶつけたじゃねぇか……って、は?

 

「……まさか…」

 

ゆっくり、ゆっくりと目線を上げていく俺。ほんとにまさかとは思うが、一体どんなレベルの低確率を引き当てたんだとは思うが……実際問題として俺は空中で頭をぶつけたんだから、確認しない訳にはいかない。

そういう思いを抱きながら、俺は視線を上げ続けて……目が、合った。

 

「……やっぱりかよぉぉぉぉおおおおッ!」

 

目があった瞬間、そいつは…魔物は鉤爪で引き裂きにかかってきた。それを俺はスラスターを吹かせる事で避け、即座に引き抜いた拳銃で牽制をかけながら急降下し自宅の屋根へと着地する。

 

「う、上って…あっぶねぇ……」

 

着地した俺は牽制を続けつつ実体刃の直刀を抜き、直前の危機的状況に戦々恐々としながらも魔物の姿を観察する。

全高と互角かそれ以上と思える程大きな翼に、全体的に細い印象を抱く身体。一言で言うならば、そいつはプテラノドンの様な魔物だった。…これマジもんのプテラノドンじゃないよな?魔物なんているんだから、現代に恐竜なんて絶対いない、とは言い切れないが……それでもマジもんのプテラではないよな?

 

「って、んな事はどうでもいいんだよ…速攻倒せるといいんだが、なッ!」

 

牽制射撃を受け、プテラ…もとい魔物が嫌そうに高度を上げた瞬間、俺は拳銃をホルスターに戻しつつ再度跳躍。真っ直ぐな軌道で一気に魔物へと肉薄し、霊力を纏わせた直刀で刺突をかける……が、刺突は魔物が身を翻した事によって躱されてしまった。

 

「……っ、ならッ!」

 

避けられた俺は即座にその場での攻撃を諦め、そのまま飛翔。極力速度を落とさない様にしながら空中で旋回し、二度目の接近を試みる。すると魔物は俺の意図を理解したのかその場に留まり、俺の方へと鉤爪を向けてきた。

飛行能力(浮遊能力ではなく)を持つ魔物に空中戦を仕掛けるというのは、当然ながら相手の土俵で戦うという事。昔の俺はともかく今の俺はスペック的に優秀な霊装者とは言えないんだから、飛行能力持ち相手の時は射撃で飛行能力を削るか、森林や洞窟の様な飛行に適さない場所へと誘い込むのがセオリーと言えるが…生憎ここは住宅街。住宅は障害物としては若干低いし、主戦場を地上にしてしまうと緋奈を始め民間人に被害が及ぶ可能性が跳ね上がる。常に民間人の事が気になっちまう事を考えたら、相手の土俵だろうが空中で戦った方がまだ楽だよな。

 

「ま、それは精神的な問題だ…がッ!」

 

激突の直前、魔物は羽ばたく事で若干ながら高度を上げ、鉤爪を俺の頭へ引っかかる様な位置へと持ってくる。俺の振るう刀から避けつつも、俺の頭を搔っ捌こうとする、所謂カウンター戦法。何とかそれに反応出来た俺は首を傾け紙一重で避けるが…斬撃の軌道修正までは手が回らず、また空振ってしまった。その瞬間魔物は大きく羽ばたき、俺から距離を取る。

そこからは、互いに旋回と交錯を繰り返すヒットアンドアウェイ戦となった。どうも魔物は俺に懐へ潜り込まれたら圧倒的不利だと分かっているらしく、一切スピードを緩める様子はない。そして空中でのヒットアンドアウェイとなるとスピードで勝る魔物の方が若干有利で、どうしても俺は魔物を捉えられずにいる。

 

(ちっ…互いにこの速度で飛んでるんじゃ銃撃も碌に当たらねぇだろうし、カウンターを狙うにも空中じゃ踏ん張りがスラスター頼り…結構厄介だな、こりゃ……)

 

向こうも回避を優先しているおかげか大きなダメージは今のところ受けてないが、このままじゃジリ貧は免れない。かと言って現状有効打を与えるチャンスは見受けられず、ただただ互いに接近してはギリギリで避けて…を繰り返してばかり。これが時宮なら能力に物を言わせて追いつき一撃を…ってところなんだろうが、俺にそこまでの能力はなく、持ち味の技量もこんな攻防戦じゃ活かしようが──

 

(…いや、待てよ…互いに空振りばかりとはいえ、何度も肉薄はしてるんだ…だったら、そこでの駆け引き次第で突破口はあるんじゃねぇのか…?)

 

今の魔物の動きを、これまで見せた動作を思い出し、俺の戦闘知識と照らし合わせ、戦法を構築する。戦いながら頭の中でシュミレートを行い、最適解を導き出す。…俺の予想通りになってくれる事が前提となるが…この前提通りになれば…いける!

もう何度目か分からないすれ違いを行った瞬間に俺は身体を振って方向転換をし、スラスター全開で一気に地上…住宅街の道路へと突撃する。そして激突の直前にもう一度身体を振るい、今度は真っ直ぐ上空へ。

下降時に発生した慣性に身体を押さえつけられながらも、スラスターの噴射で舞い上がる俺の先にいるのは…やはり魔物。その魔物へと俺は直刀の切っ先を向け、最初の交錯を再現するかの様に刺突を放つ。

一瞬、俺と魔物の視線が交わる。魔物はこれが先と同じ流れだと気付いた様で、先と同様…いや、先程より無駄のない動きで身を翻し、俺の一撃を避けようとする。その時……俺は勝ちを確信した。

 

「それじゃ…甘いんだよッ!」

 

刺突を繰り出すと同時に右腰へと伸ばしていた、フリー状態の左手。そこから俺は刀の柄を掴み……振り抜く。そして…俺のすぐ横で身を翻していた魔物は胴を斬り裂かれて体勢を崩した。

俺の左手に握られている刀の柄。そこから伸びているのは金属と特殊素材で構成された実体刀ではなく、霊力が編まれ収束された光の刀。俺は抜き放ちながら霊力で刀身を構成する事により、魔物を斬り裂いたのだった。

 

「もしこっちも実体刀だったら、体勢的に上手く引き抜けなかっただろうな…こういうのも利点なんだろうな」

 

左右の手で直刀を構えながら、魔物の方へと振り向く。今の一撃は確かに有効打となってはいたが、まだ魔物を殺すには至っていない。……が、見るからにヨタっている魔物は、もう既に先程までの厄介さは感じられなかった。

 

「胴をバッサリやられりゃ、そりゃ動きが鈍るに決まってるよな。んじゃ、次の一撃で終いに──」

 

前傾姿勢を取り、最後の一撃を仕掛けようとした俺。だが……その瞬間、全く予想していなかった方向から二条の青い光が駆け抜けた。その青い光が向かった先にいるのはフラつく魔物。既に満身創痍の魔物の身体を青い光は容赦なく貫き(一条は翼を掠めるだけだったが)……魔物の命を刈り取っていった。

 

「……増援、か…?」

 

今しがた駆け抜けた青い光は間違いなく霊力ビームで、その時点で味方である事はほぼ確実。だが、俺はそんな話は聞いていない。だからなんだろうかと思い、光の発生源へと視線を伸ばすと…そこにはこちらへと飛んでくる数人の霊装者がいた。そして、その中の一人は……

 

「……場所的にまさかとは思ったけど…やっぱ、千嵜だったのか…」

「……マジか…」

 

──背に見慣れない二門の砲を背負う、御道顕人その人だった。



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第二十八話 意外な事、微妙な事

「高次、突っ込むぞ!唯は中距離、顕人は長距離からの火力支援を頼んだ!」

『了解!』

 

ゴリラとイタチを合わせた様な、ゴツいんだか可愛いんだかなんともよく分からない魔物を前に指示を飛ばす上嶋さん。上嶋さんと高次さんこと赤松高次さんが左右から突撃を仕掛け、魔物の退路を塞ぐ様に俺と唯ちゃんさんこと杉野唯さんが射撃を撃ち込む。

剣を構えて接近する二人に、退路を断たれた魔物は両腕の爪を露わにして待ち構える姿勢。それを見た前衛二人は……両脚を地面に突き立てる様にして急ブレーキをかけ、それと同時に抜き放ったライフルでもって十字砲火を敢行した。

 

「うっし!顕人、お前の得意らしい大盤振る舞いを見せてやれ!」

「お、俺ですか!?…分かりましたッ!」

 

部隊員の二人は上嶋さんの意図を理解していた様だけど、共に戦うのが初の俺は近接格闘ではなく射撃をかけるとは思っておらずに若干驚いていた。そんな中で飛んだ、俺への指示。一瞬俺は何も考えずに訊き返してしまったが…昔から人前に立つ役目をよくやっていたおかげか、俺にはそこそこアドリブ力というものが備わっており、振りに動揺はしつつも動く事が出来た。

園咲さんに用意してもらって以降メイン火器の一つとして使い続けており、今回も火力支援に使っていた二門の砲は展開状態にしたまま飛び立つ俺。魔物へと接近をかけながらも拳銃を抜き、元々左手で持っていたライフルと合わせて二丁銃スタイルに。そして……

 

「一気に…決めますッ!」

 

連射しても確実に当てられる距離まで近付いた俺は両脚を前に振って身体を起き上がらせ、空気抵抗を使ってブレーキング。その状態で二丁の銃と二門の砲の砲口を魔物へと向け、都合四門からなる一斉射撃を叩き込む。

フルオートにより次々吐き出されるライフル弾。セミオートで一発一発撃ち込まれる銃弾。霊力で編まれ、駆け抜けるが如く砲口から放たれる霊力ビーム。それら全てが一度に魔物へと殺到し……魔物は文字通りの蜂の巣状態となった。

 

「……ふ、ぅ…」

「おーおー、聞いてた通り消耗に躊躇いがねぇなぁ…だが、よくやった顕人」

「あ……はい!」

 

足止めの射撃でダメージを受けていた事もあり、蜂の巣状態の魔物は悪足掻きも無しに消滅。それを見た俺が銃を降ろしつつ息を吐くと…にっと笑みを浮かべた上嶋さんが近くにやってきた。

 

「ふふ、中々見込みのある後輩ね」

「だな。けど、市街地でこれをやったら…」

「あー、そういやそうだな。今回は流れ弾を気にせず戦える場所だったが、もし街中で戦う事になった場合は気を付けろよ?」

「そ、それはそうですね…気を付けます」

 

自分でも結構気に入っている一斉射撃が上手く決まり、内心やったぜ状態だった俺。だが赤松さんと上嶋さんに問題点を指摘されてクールダウン。それと同時に少し前まで魔物がいた場所へと目を移す。

俺は確実に当てられる距離にまで近付いてから撃った。…が、それはあくまで初撃に関しての事で、次弾以降はどうしても多少のブレが生じてしまうし、実際地面をよく見ると弾痕が残っていた。それに…もう少し高所から撃っていたら、霊力ビームも魔物を貫いた後に地面も抉っていたかもしれない。…そこら辺、全く気にしてなかったな…。

 

「何が何でも勝てばオールオッケー、なんて戦いは殆どないからな。戦った後の事も考えるのが現代じゃ重要だぞ。…っつっても、俺もお前も過去の戦いなんざ知らない訳だが」

「ですよね…場所に沿った戦いをする様、今後は意識しておきます」

「おう。……だが、命あっての物種だ。特にお前みたいに経験が浅い奴は、余裕を無くしてまで気を付ける必要なんてねぇから無茶はすんなよ?」

 

落ち着いた、低い声で上嶋さんは俺へと注意を口にし……その後すぐに、軽い調子でフォローもしてくれた。何かを注意、或いは叱咤する際は同時に褒める事もするなり認めるべき部分はきちんと認めるなりするのが必要…ってのが指導の基本で、そんなの俺だって知ってるが…知っていてもやっぱり、フォローをしてくれると気持ち的に楽になる。…とはいえ上嶋さんはあんまそういうのを意識するタイプじゃなさそうだし、きっと意識せずにフォローしてくれたんだろうなぁ。

 

「さて、そんじゃ任務は終了だ。さっさと引き上げるとしようぜ」

「あーい。しっかし、けろっと大盤振る舞いなんてほんと凄いなお前は」

「い、いえ。偶々霊力貯蔵に恵まれていただけですから…」

「偶々でも何でも、能力は能力よ。今回は君のおかげで援護の負担も小さかったし、お姉さん助かったわ」

「え、と…恐縮です…」

 

赤松さんも杉野さんも上嶋さんと同年代位…つまりは俺より一回り大人の人達で、そんな中一人の俺は皆気さくに接してくれていても落ち着かない…というか落ち着けない。

 

(部活やサークルみたいな雰囲気ったって、何歳も年上の人達ばっかりじゃ気楽も何もないよ…)

 

せめて一人でも、年の近い人が居れば…と思う俺だが、思ったところでひょっこり現れたりぬるっと生えてきたりする訳がない。そして後者はあり得たとしても、ビビってしまって結局楽にならないだろう。これぞ、ジェネーションギャップである。…語感的にそれっぽいだけで、実際は違うけど。

 

「よーしそんじゃ、顕人を加えての初任務成功を祝って飲みに行くか!」

「いいじゃない、じゃあお代は建持ちね」

「おいこら…と言いたいところだが、折角の機会って事で今日はその要求も飲んでやろうじゃねぇか!飲みだけにな!」

『…………』

「…うん、すまん。今のは俺も寒いと思った…」

 

──それは、硬くなっていた俺を除いて和気藹々としていた空気が凍り付いてしまった瞬間だった。言葉の力は恐ろしいのである。……まぁ、それはそうとして…

 

「…あのー、上嶋さん…」

「なんだ?『俺は面白いと思ったっすよ?』みたいな慰めはしなくても大丈夫だぞ?…俺が辛くなるからな…」

「い、いやそうではなく…俺、未成年です…」

「ん?…あー、そういう事か。別に飲めって言ってる訳じゃねぇし、俺等の事気にせず普通の飲み物飲んでくれればいいさ。一応俺等もいい年した大人なんだ、お前に迷惑もかけねぇよ」

「隊長は飲んでなくても時々絡みがウザいんだけどな」

「はっはっは。よし高次、お前の分は払わん」

「ちょっ、本当の事言っただけじゃないか!」

「訂正どころか追撃かよ!?おま、本当に払わねぇぞ!?」

 

…と、冗談なんだか本気なんだか分かり辛い言い争いを始める上嶋さんと赤松さん。…そういや杉野さんも上嶋さんに敬語使ってなかったし、この部隊は俺と綾袮さんみたいな関係でやれてるんだろうなぁ…。

 

「よくもまぁ戦闘の後にそこまでギャーギャー言い争えるわね…ま、うちは基本こんな感じだから、君も肩の力抜いて大丈夫よ」

「みたいですね…まだちょっと緊張はありますけど、これならすぐ馴染めそうでよかったです」

「馴染むなんて無意識に進むものだし、深く考えなくてもいいのよ?…で、あんた達はいつまでふざけてんのよ。私は早く行きたいんだけど?」

「ならちょっと待ってろ。すぐにこいつを片付ける」

「片付けられてたまるか…あーもう分かったよ。悪かった悪かった、だからちゃんと奢ってくれや」

「最初からそう言えばいいんだよ。じゃ、先に報告だけしておくか」

 

杉野さんに注意され(文句を言われ?)、緩い感じで終わった言い争い。その後上嶋さんは携帯で協会に連絡を入れ、装備を持ったまま飲みには行けないという事で双統殿へと──

 

 

 

 

 

 

「……え、それを俺等がですか?」

 

……その瞬間、何やら予定が狂いそうな発言が上嶋さんから聞こえてきたのだった。

 

 

 

 

「…で、それが俺の戦ってた魔物の討伐任務依頼だった訳か」

「そうそう。そんで行ったみたら、なんと千嵜が魔物を追い詰めてたって訳よ」

「……偶然って凄いな」

「凄いねぇ、偶然って…」

 

魔物を満身創痍状態まで追い詰めていたのが千嵜だったと判明してから数分後。取り敢えず空中にいても霊力無駄にするだけだという事で、俺達は千嵜家の庭に着地した。

 

「…てか、来るなら早く来いや。俺風呂上がりだったんだぞ?湯冷めしちまったじゃねぇか」

「いやこれでも結構な速度出来たんだけど…ですよね?上嶋さん」

「ん?まぁそうだな、途中マックのドライブスルー寄ったが」

「あぁ!?やっぱ遅いんじゃねぇか!」

「なんでそうなるし!こんな時にマック寄ってる訳ないでしょうが!てか何故に上嶋さんも嘘吐くんですか!後我々は誰も車両で移動してませんが!?」

『相変わらず突っ込みキレッキレだなぁ…』

「それが狙いか!しかも二人してか!……この二人初対面じゃないの…?」

 

社交性の差はあれど、冗談に関しては近しいものを感じる千嵜と上嶋さん。だからこの二人が会ったらそこそこ気が合いそうだとは思っていたが……これは流石に、というか普通に予想外だった。そして赤松さんと杉野さんは漫才でも見てるかの様な顔して全然助けてくれなかった。……はぁ…。

 

「被ったのは俺も意外だったな。…さて、一応自己紹介はしておくか。俺は上嶋建、見ての通りの霊装者で部隊長だ」

「あ、どうも。俺は千嵜悠弥、見ての通りの取り立てて特筆する点のない霊装者です」

「取り立てて特筆する点のない、ねぇ…そんな奴は協会から指示受けた部隊より先に戦場に着いて、単騎で魔物を追い詰めてたらはしないと思うぜ?」

「偶々ですよ、偶々。追い詰める云々はともかく、見つけたのはほんと偶々気付いたからなんすよ」

「ほぅ…ならまぁそういう事にしておくか。お前の事情はよく知らんし、わざわざ首突っ込む様な事でもなさそうだからな」

 

口振りはお互い軽い感じに、でも言葉の裏に若干相手を見定める様な意図を潜ませながら二人は会話を交わす。現在二度目の人生であり最初の人生でも霊装者だった千嵜は、どう考えたって特筆する点ありまくりな霊装者な気がするけど…本人に言う気がないなら俺も黙っておくか。

 

「そうしてくれると助かります。んで御道、お前宮空と組んでるんじゃなかったのか?人事異動?」

「や、綾袮さんは魔人調査の方に行ってるから、一時的に俺がここの部隊に参加してるんだよ。そっちこそ時宮さんは?」

「そっちと同じ理由だ。で、その結果俺は一人で戦う羽目になってしまった…来るなら早く来いや」

「話戻ってる話戻ってる…千嵜は他の部隊に合流したりはしないの?」

「俺は色々特殊な立ち位置なんだよ。つっても自分でそういう立ち位置になった訳だが」

 

事情が事情という事で、あんまり詳しくは聞いていないけど、千嵜が千嵜なりの思いがあって再び霊装者になったんだという事は分かっている。だから千嵜も冗談の域を超えたレベルで文句は言ったりしないし、俺もそれに突っ込んだり呆れたりの反応を示す。…そう、普段通りに接するのが俺達の会話。……そういや今のところ、お互い霊装者になっても話す雰囲気は変わってないな…。

 

「…さて。魔物討伐の為にここに来た俺達だが、その魔物がもう討伐出来ちまった以上もうやる事はねぇ。一応はまだ任務中だしそろそろ帰還するぞ」

「そうね。それで、討伐報告に関してはどうするの?トドメはともかく、追い詰めるところまではうちの部隊ノータッチよ?」

「あ、それについては俺がいなかったって事にしてもらって構わないっすよ?俺は家族守れりゃそれで十分なので」

「そりゃ嬉しい提案だ。…が、そういう嘘は好きじゃねぇんだよ。って訳で今回の件はきちんと起きた通りの事を報告する。お前等もそれでいいな?」

「おう、俺は何もしてないし大丈夫だぞ」

「俺もそれでいいです。後味悪くなるのも嫌ですしね」

「なら決定だな。お前とは指揮系統が違うから若干時間はかかると思うが、お前さんの方でもきちんと情報は通ると思うぞ。……よし、行くか」

 

そういうと同時に飛び立つ上嶋さん。続いて俺達も飛翔し、夜空へ。

 

「…じゃ、湯冷めしたなら風邪引かない様にね」

「…御道、お前ほんとにいい奴だな…じゃあな」

 

これまた普段通りの挨拶で別れ、俺は上嶋さん達の後に続く。今度こそ帰ろうとしたところで別任務の依頼が…なんて展開にはならず、無事双統殿まで到着した俺達は一旦解散し、例の地下通路に繋がるエレベータ前で再合流する。

 

「追加任務のせいで少し遅くなっちまったが……えーはい、顕人を加えての初任務成功を祝して、飲みに行きます!」

「…え、えぇと…いえーい…?」

「いやこれはそういうの必要ないぞ。なんとなく音頭っぽいの取ってみただけだからな」

「そ、そうなんですか…」

 

毎回こんなノリなのかな、と思ってぎこちないながらも乗ってみたら、なんだか逆にノリを間違えてる奴みたいになってしまった。……内輪ノリを理解するのって、難しいよね…。

まぁそんな事はどうでもいいとばかりにさっさと双統殿を後にする俺達。一体どこ行くんだろうか…と思いながら着いていくと、目的地は隠し入り口となっている建物から徒歩数分の小料理屋だった。

 

「あ、結構近場なんですね。…居酒屋と小料理屋って、どう違うんです?」

「そりゃ……言われてみると俺もよく知らないな、ここは隊長様に訊いてみようぜ」

「何でだよ……昔はどうだったか知らないが、現代においては明白な違いは無いんじゃなかったか?雰囲気とかメインにするものとかで区別しようと思えば一応出来る…程度のふわっとした感じで」

「そもそも双方明白な定義が無いでしょ。オーナーさん、席空いてます?」

 

俺のふとした疑問を話題にしながら入店。店内は大盛況…とまでは言わないものの、ちらほらお客さんがいて経営は安定してる…といった感じだった。……てか、そんな事を考えてる俺は一体何様なんだろうか。何様だろうと関係ないけど。

 

「おーいらっしゃい、空いてるから好きなとこに座ってくれや」

「んじゃ、ここ使わせてもらうぜ」

「……皆さんここのオーナーとお知り合いなんですか?」

「知り合いっつーか、ここのオーナーは現役離れた霊装者なんだよ。だからここは協会の人間行きつけの店って訳よ」

「え、じゃあ他のお客さんも皆関係者…?」

「そりゃないだろうな。普通の土地に店構えてるんだから、普通の客も来るに決まってる」

「はー…なんか行きつけの店、って感じでいいですねそれ」

 

未成年で外食する事も碌にない俺…というか大概の未成年にとっては行きつけの店なんてある筈がなく、それ故に店長やオーナーとは顔見知りの店というものに対し少なからず憧れを持ってしまうのが子供の性。早い話が、今の俺はちょっとテンションが上がっていた。

 

「メニューはこれな、中にゃ酒使ってる料理もあるから選ぶ時は確認するんだぞ?」

「い、いやそれは流石に言われるまでもないですから…俺一応常識はありますよ?」

「一応なのか、困った奴だな」

「今の一応は謙遜の意味を込めた一応です…」

 

気を遣い過ぎてるのか、わざと言ってるのか。とにかく俺は上嶋さんに弄られてばっかりだった。

その後すぐに俺は注文を決め、メニューをテーブル上へ。三人は元々何を頼むか決めていたらしくてメニューを見る事はなく、上嶋さんが店員さんを呼んでそれぞれ注文。こうして俺は上嶋さん達と共に、人生初の仕事終わりの一杯(俺は当然アルコール飲料以外)を────

 

「あ、君やっぱり新しいバイトの子だよね?やー、通りで見覚えない可愛い子がいると思ったよ。ところでさ、好みのお酒ってある?」

「え?……えと、梅酒…とか…?」

「あー、さっぱりしてていいよね梅酒。よしじゃあ梅酒を追加で注文!俺の奢りだから君が飲んじゃってよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

ノリノリで店員さん(女性)へ注文と同時に口説き紛いの言葉をかけ、しかも好きなお酒を聞き出した挙句に梅酒を奢ろうとした上嶋さん。俺は一瞬訳が分からず、数秒経ってもやっぱり分からず、呆然としたまま首を回したら…赤松さんは苦笑いを、杉野さんはこれでもかという位の呆れ顔を浮かべていた。そして…俺は思い出す。数日前、綾袮さんが言っていた事を。…女として『うーん』って思う部分って……

 

(これの事かぁぁぁぁああああああああッ!!)

 

と、いう事で上嶋さんがこのご時世では珍しい、真性のナンパ男だという事を知る俺だった。

 

 

……世の中、知らなきゃよかったと思う事ってあるもんだね…。

 



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第二十九話 襲来せし魔人

「なぁ時宮、一つ訊いていいか?」

「何よ?」

「…お前、庶民的過ぎない?」

 

ある日の夕方、学校からの帰り道。ついで、という事で下校の途中でスーパーに寄り、買い物をしてきた俺と時宮。スーパーから出て数分程したところで、俺は買い物中ずっと思っていた事を口にした。

 

「庶民的って…何よ藪から棒に」

「言葉通りの意味だよ。まぁ過ぎるかどうかはともかく、庶民的ではあるだろ?」

「そうかしら…私は普通だと思ってるけど…」

「じゃあ訊くが、この挽肉を選んだ理由はなんだよ?」

「え、値引きされてたからだけど?」

「この牛乳を選んだ理由は?」

「今日牛乳が安いからよ?」

「わざわざ俺に『空いてる袋かバックかない?』って訊いたのは?」

「エコポイントが貰えるから「やっぱ庶民的過ぎるじゃねぇかッ!」えぇっ!?」

 

自分から訊いた俺だが……最後まで聞いていられなかった。だってあんた、時宮はデカい組織のお嬢様だぞ!?何不自由ない生活どころか、さぞ贅沢な暮らしをしていたであろうお方だぞ!?そんな奴が値引きシールを気にして、安くなる日を覚えてて、エコポイントもきっちり確保しておこうとするか普通!?…いやそういう人達の普通は知らないが…イメージ的におかしいだろ!?

 

「……まさか時宮、お前時宮家の中じゃシンデレラみたいな扱いされてたのか…?」

「は?…よく分からないけど、その憐れむ様な目は止めて頂戴…そんな憐れに思われる様な扱いはされてないから…」

「じゃあ時宮の庶民派思考はどこから来るんだよ…なんか抱えてるものでもあるのか?同じ家で住んでる間柄なんだ、悩みがあるなら聞くぞ?」

「だからなんで私を心配してるのよ!?それ遠回しに時宮家悪く言ってる様なものだからね!?」

 

俺の気遣いに結構強めの反論を返してくる時宮。その様子から察するに、俺に迷惑をかけまいと隠している…とかじゃないらしい。…うーむ、だったら一体なんなんだ…?

 

「…ねぇ、私ってそんな庶民的っぽく見える?」

「見えるから言ってるんだ」

「そう…さっき言った通り私にその自覚はないけど、そうなんだとしたらそれは多分、暫く一人暮らしをしていたからでしょうね」

「…一人暮らしの間、あんまり家や協会から金銭的支援をしてもらえなかったとか?」

「まさか。支援してもらえなかったどころかお金には十分な余裕があったわ」

「じゃ、なんでだよ?金に余裕があるのに節約を意識するなんておかしくないか?」

「そうかしら?なら逆に訊くけど、普段より安くなってる物を買ったりマイバッグでポイント貰ったりするのは悠弥にとって大変な事なの?」

 

どうも納得出来ずに問い詰めていったところ、俺は逆質問を受けた。質問に質問で返すな…なんて言ったってしょうがないし、時宮なりの考えを話してくれそうな雰囲気だった為俺は取り敢えずそれに答える。

 

「そりゃ……別段大変な事ではないな」

「でしょ?別に大変でもなければ手間がかかる訳でもない事をするのってそんな変かしら。毎回何軒もスーパー回ってどこが安いか確かめたり、ポイント効率が最もいい時以外は頑なに買い物へ行かないとかなら確かにケチ臭いかもしれないけど、なんの苦もない事で利益を得られるならそっちの方が合理的だと私は思うわ。戦場でも日常でも、無駄は減らすのは当たり前の話だし」

「…そんなもんかねぇ」

「そんなものでしょ」

 

時宮の言う事は至極全うで、その意見に関しては完全に同意ではあるが……やっぱりそれを金銭的に余裕があって、多少の無駄は無視出来る様な人が言うと違和感があるんだよなぁ。けど考えてみりゃ金持ちは案外倹約家だとか言うし、そういう無駄を金があるからっておざなりにしない、金に糸目をつけ『る』からこそ金持ちなのかもしれないな。

 

「……ま、散財してるならともかくその逆なら問題はないし、そういう考えなんだって納得するか」

「えぇそうしなさい。……それより、意外ってなら貴方の方こそそうよ」

「……?俺がか?」

 

結論の出た話題を引き伸ばしてもしょうがないと思い、話を締めようとしたら俺は思ってもみない言葉を返された。

 

「だって、心配されるなんて思ってなかったもの」

「…心配?」

「悩みがあるなら聞く、なんて心配したからこその言葉でしょ?」

「…まあ、そりゃそうだが……そんな意外な事か?」

「意外だったから意外って言ったのよ」

「ですよねぇ…」

 

我ながら訊くまでもない事言っちまったなぁ…と思い、頬をかく俺。…てか、時宮は俺の事を『他人の事を全然気にかけない奴』とでも思ってるのか?……だとしたら流石にちょっと癪だな。

 

「…さっきも言ったろ、同じ家に住んでる間柄だって。確かに俺は無関係な相手でも率先して助けようとする出来た良心は持ち合わせてねぇし、面倒事は極力避けたいと思ってるよ。けど無関係でもない相手も放っておこうとする程血も涙も無い人間じゃないっての」

「そう…いや、確かに悠弥はそこまで非情な奴じゃなかったわね。ちょっと私、貴方への認識を間違えてたわ」

「お分かり頂けた様で何よりだ。……それにこの際だから言うが、俺はそこそこ時宮に感謝してんだからな?」

「え……感謝?私に?」

 

目を瞬かせ、驚きを隠さずに表した時宮。今さっきの事と違い、感謝については驚くだろうと思っていた俺はそのまま続ける。

 

「時宮には色々と気にかけてもらったし、魔物との二度目の邂逅の時は時宮が護身用にナイフを渡してくれいたおかげで俺も緋奈も難を逃れた訳だからな。それに、宗元さんに頼み込んだ時には俺の意思を応援してくれただろ?そんな相手に感謝しないなんて、人として間違ってるよ」

「……な、何なのよ急に…別に私は恩を着せたくてしたんじゃなくて、そうするべきだと思ったからしただけよ…応援したのだって、貴方の覚悟や決意が人として尊敬出来るから、素直に応援したいって思ったからだし…」

「だとしても…いや、なら尚更感謝しなきゃだな。……ほんとに、ありがとな時宮」

「……っ…らしくない事するんじゃないわよ…照れるじゃない…」

 

足を止め、隣を歩いていた時宮の目を見据え、俺ははっきりと感謝の言葉を口にした。こんなの時宮の言う通り俺らしくねぇし、恥ずいに決まってる。けど…だからこそ今言うべきだと思った。無愛想で面倒な事をなあなあで済ませようとする俺だからこそ、丁度いい機会に巡り会った時位真剣になった方がいいに決まってる。…じゃないと、ほんとに言わないままでいてしまいそうだもんな…。

そんな思いで口にした、ありがとうの言葉。それを聞いた時宮は……滅多に見せない表情を、もしかしたら始めてみるかもしれない『照れた』顔をしていた。ほんの少し頬を赤くして、気恥ずかしそうに目を逸らして、気を紛らわせたいのかツインテの先を指でくるくるやっている時宮は……

 

「……可愛い顔、するんだな時宮も…」

「……ッ!か、可愛いって…何ぬかしてるのよこの変態ッ!」

「へ、変態!?今のは別に他意も何にもない感想なんですが!?今のご時世可愛いって言うだけで変態になるの!?」

「うっさい!悠弥みたいに普段浮わついた事言わない奴が、こんな雰囲気の時にそういう事言うんじゃないわよ!馬っ鹿じゃないの!?」

「いやそれは理不尽過ぎるだろ!?確かに異性に対して軽々しく言うべきじゃないだろうが、それにしたってこんな糾弾しなくても────」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──おやおや、随分と仲睦まじい事で」

 

つい、可愛いなんて言ってしまったばっかりに怒り出す(流石に可愛いという評価が不服だった訳ではないだろう)時宮と、その理不尽な物言いに反論を飛ばす俺。俺が悪辣な冗談を振った時の様な…でもなんとなくそれとは違う言い争いを俺と時宮が繰り広げる中……()()は現れた。

 

 

 

 

長い間戦いから離れていたとはいえ俺には戦場で培ったものが確かに残っており、錆び付いていた感覚もある程度ではあるものの戻ってきていた。少なくとも、一般人や碌に戦い慣れてない霊装者、軍人なんかよりは危険な存在の接近に気付けると自負している。

名実共に天才で、同世代の中じゃトップクラスに戦闘経験もある筈の時宮は間違いなくプロの霊装者であり、時宮に気付かれず接近出来る魔物なんてそうそういる訳がない。

……だが、その俺でも時宮でも奴の接近には気付く事が出来なかった。その時点で、奴がただの人間でもなければ普通の魔物でもない存在……魔人である事は、ほぼ間違いない。

 

「…まさか、そっちから出向いてきてくれるなんてね」

「では、やはり貴女方霊装者は探りを入れていたのですね。無駄足にならず一安心です」

 

俺達へと声をかけたのは、くすんだ青髪の若い紳士か執事……を彷彿とさせる魔物。饒舌な日本語とぱっと見人間にしか見えない外見(服は能力で擬態してるか、どっかからくすねたのか……流石に買ったって事はねぇだろうな)を有している事からも、奴が魔人であると考えられる。…まさか、このタイミングで会敵するとはな…。

 

「無駄足って事は、あんたは私達の動きを確認しにきたって事なのかしら?」

「いいえ、ワタシは霊装者の実力を測りにきたのです。威力偵察、と言えばお分かりですか?」

「いやなんでお分かりですか?の側に分かり辛い方持ってくるのよ…」

「これは失礼。ワタシもまだまだ勉強不足ですね」

「なんかえらい話の通じそうな奴だな…まさかこいつ、魔人っぽい他国の霊装者とかだったりしねぇだろうな?」

「魔人でしょこいつは。現状表立って協会が探りを入れてるのなんて魔人に対してだけだもの」

 

と、言葉を交わす俺と時宮だが、視線は魔人から一切離さない。魔物だって油断すれば一撃喰らう可能性もあるんだから、その大概の魔物とは一線を画す魔人を相手に油断出来る筈がない。この魔人は慢心してる様子もねぇし、最新の注意を払わねぇと…。

 

「……悠弥、貴方武器は何かある?」

「…悪ぃ、今は短剣しか持ってない」

「気にする事はないわ、私も天之瓊矛だけしかないもの。むしろお互い一つでも武器を携帯してただけでも僥倖ってものよ」

「だな。後は奴がどういう能力を持ってるかだが…それは戦う中で見極めるしかねぇか…」

 

魔物を大きく変える身体能力、人間と遜色無い知能、個体ごとに違う固有能力。それはどれも軽んじる訳にはいかない、魔人を魔人たらしめている三大要素な訳だが、安定して厄介となるのはやはり固有能力だと俺は思う。一体一体まるで違う事もあれば似通っている事もある固有能力は、それ故に初見で看破する事が難しく、看破したとしても対応出来るとは限らないのだから霊装者としては恐ろしくて仕方がない。……というか、固有能力を持つ霊装者は一握りなのに魔人は全て固有能力を持ってるとかズルくないか?…まぁ、魔物含めりゃ魔人自体が一握りな訳だし、そもそも魔物だの魔人だのってのも人間側が勝手に呼んでるだけなんだけどな。

 

「…ふん、どこからでもかかってきなさいよ」

「ならば早速…と、言いたいところですが、まずは場所を変えましょうか」

「場所?…地の利を生かせる場所で戦いたいってか?」

「実力をきちんと測れる場所で戦いたいのですよ。この様な場所では、一般人を気にして全力を出せないでしょう?」

『…………』

 

肩を竦め、首を横に振りながらそんな事を言う魔人。そんな魔人の反応に、俺と時宮はほんの一瞬視線を混じらせる。

住宅街から離れられるなら、それは俺達にとってありがたい事。だが、それを魔人から提案されれば「あ、そりゃどうも」なんて感覚で受け入れられる訳がない。

 

「…俺等がそう簡単に魔人の言葉を信じると思うか?それが俺達の油断を誘う甘言じゃねぇって保証はあるのかよ?」

「残念ながら、保証は出来かねます。…が、ワタシはきちんと実力を測る為、お二人は人々の安全を確保する為と互いに利益がある行動ではあると思いますよ?」

「俺が場所を移動すると見せかけて武器を調達したり応援を呼んだりするかもしれないぜ?」

「そうなれば、ワタシはそこらの民家を破壊するだけです。ワタシは然程破壊力に長けている訳ではありませんが、民家の一つや二つ破壊するのは造作もありませんから」

 

まるでアリの巣を潰す子供の様な面持ちで、何の悪びれもなくそんな事を言ってのけた魔人を見て、俺と時宮は再び視線を混じらせた。そして…場所を移す事を決定した。

人と同じ見た目をしていても、人の言語を話していても、きちんと意思疎通が出来る相手だとしても……奴は魔人だ。人とは全く違う種の生命体だ。…そこを、忘れちゃいけない。

 

「……いいわ、場所を移しましょ。移動先は決めてあるの?」

「えぇ、伏兵の危険のない場所を予め調べておきました。さぁ、どうぞ着いてきて下さい」

 

くるり、と背を向け魔人は歩き出す。敵である俺達に躊躇わず背を向けるのは、自信の表れか、迂闊さの結果か、それとも俺達の攻撃を誘う罠か。

 

「……時宮、背後から刺す気は?」

「無いわ。魔人が相手じゃ一撃で仕留められるか怪しいし、仮に致命傷を与えられても悪足掻きで一般人を殺そうとするかもしれないもの」

「ま、そうだよな…」

 

時宮でも即死させられるか分からないなら、時宮より霊装者として劣っている俺はもっと即死させられる可能性は低いし、それ以前にカウンターを喰らいかねない。フル装備ならともかく、今仕掛けるのは愚の骨頂というものだろう。

いつでも抜刀出来るように神経を張り詰めつつ、魔人の後を追って歩く事数十分。魔人が足を止めたのは、近くの山の中腹…いい具合に開けた場所だった。

 

「ここならば、一般人の心配も必要ないでしょう。最も、タイミングの悪い方が山登りでもしているかもしれませんが」

「それについてはしていない事を祈るしかないな。…さて、お前にとっちゃお待ちかねの時間なんだろうな」

「…言うまでもないと思うけど、油断するんじゃないわよ」

「ご安心を。先程言った通り、ワタシの目的はあくまで威力偵察であって貴方方を殺すつもりはありませんから。…とは言っても、あまりに弱過ぎた場合はうっかり殺してしまうかもしれませんがね」

「…だとよ。こういうの慇懃無礼って言うんだっけ?」

「そうね。……ぶっ倒すわよ、悠弥」

 

イラついた様な言葉を合図に俺は短刀を、時宮は大槍を抜き放つ。魔人は俺達が抜刀した瞬間に薄く笑みを浮かべ、さぁどうぞと言わんばかりに突っ立っている。

構えた俺達と、棒立ちの魔人。その状態で一秒、二秒、三秒と時が過ぎ……時宮が動いた。

 

「先手、必勝ッ!」

 

乾いた破裂音と共に、地を蹴り霊力の翼をはためかせた時宮は一瞬で魔人の眼前へと肉薄。下段から突き出された大槍は真っ直ぐに魔人の胸元へと駆け…袖を斬り裂いた。

 

「っと…やられたのは服だけとはいえ、初撃から受けてしまうとは…油断していたのなら、ワタシは死んでいましたね」

「そう言う割には、随分と余裕があるじゃない…!」

「まさか。元々この様な性格というだけで、余裕があるのは口調だけです」

 

初撃を避けられたと見るや否や、避けた魔人を薙ぎ払いで追撃する時宮。それもまた魔人は避け、そこからの連撃はオーラの様にも靄の様にも見えるエネルギー(恐らくは人間でいう霊力の様なもの)を纏った腕で捌いていく。

位置を変え場所を変え、手を替え品を替えて仕掛け続ける時宮の攻撃を捌き続ける魔物だったが、数十回目の衝突で遂にたまらないとばかりに後ろへ跳んだ。それを、俺は見逃さない。

 

「体勢なんか…立て直させるかよッ!」

「まぁ、だとは思いましたよ」

「うわ、実際言われるとこの余裕かなり腹立つな…時宮!」

「えぇ!」

 

魔人が跳んだ瞬間に、俺もまた地を蹴った。跳ぶ瞬間は当然後を追う形の俺の方が遅く、元々十数m離れていたが…俺はその分万全の状態で跳んでいる。だからこそ、俺は着地の瞬間に魔人へと斬撃を放つ事が出来た。

連撃に堪え兼ね跳んだ魔人だが、余力ゼロという訳では無かったらしく、俺の攻撃は受け止められてしまった。…が、何も問題はない。端から俺の攻撃は、体勢を整えるのを阻止出来れば十分なのだから。

 

「貴方は合間を縫う事に徹するおつもりですか…厄介ですね」

「スペックだけが力じゃねぇからな。半端者には半端者の立ち回りってもんがあるんだよ」

 

俺が止めた一瞬の間に再び距離を詰め、時宮が背後から斬り込む。それも魔人は受け止め、右手で時宮の大槍を、左手で俺の短刀を相手する形となったが、元は一対一でも互角前後の時宮に、今は俺も加勢した状態。ならばどちらが優勢なのかなんて、言うまでもなく……

 

「…やり、ますね……!」

 

身体を捻り、俺達の攻撃を逸らしながら再び距離を取ろうとする魔人。俺も時宮も追撃しようと思えば出来たが……それまでずっと穏やかだった魔人の目が、他者を睨む時のそれとなっていた事に気付いて断念した。…ありゃ、向こうもこっちを脅威認定した様子だな…。

 

「私の攻撃をここまで捌くなんて、あんたは魔人の中でも結構やる方みたいね。…けど、このまま能力を使わず戦うのは無理があるんじゃないかしら?」

「その様ですね。出来るならば手の内を明かさずにおきたかったのですが、出し惜しみしていては退治され兼ねませんし…本気を出すとしましょうか」

「らしいわよ。私はともかく貴方は油断しないで、しっかりと奴の能力を見極めなさ──」

 

い。恐らく時宮は『なさ』の後に五十音順における二つ目の言葉を言おうとしたのだろう。だが、俺はそれを聞く事が出来なかった。だって、俺は吹っ飛ばされていたのだから。

 

「ぐっ…ぅ……ッ!」

 

意識の上では理解出来ておらずとも、無意識の部分で反射的に防御体勢を取った俺は直撃こそ防ぐ事が出来たが衝撃はもろに受けてしまい、おまけに吹っ飛んだ先にはそこそこな太さの木の姿。一瞬俺は、息が詰まってしまっていた。

 

「ちょっ…ゆ、悠弥大丈夫!?」

「……っ…あ、あぁ…それより、今…奴が何をしたか、見えたか…?」

「そ、そりゃ……伸びてたわね…」

「やっぱりか…」

 

木の幹に手を当て、立ち上がる。時宮は俺に声をかけつつも魔人へと刃を向け、隙のない構えで牽制をしていてくれた。

伸びてた、と時宮は言った。言うまでもなく主語の抜けた言葉だが、俺にはしっかり伝わっている。何故なら俺も、吹っ飛びながら同じ意図の事を思ってたのだから。こいつ、今腕が伸びやがったな…と。

 

「……お前はもっとスマートかスタイリッシュな能力だと思ってたんだがな…」

「ご期待に添えずすいません。しかしワタシ自身は気に入っているのですよ、この力を」

 

俺が構え直す中、魔人はまた余裕のある様子に戻り、軽く腕を振っている。俺が構え直す最中の魔人は……不敵な笑みを浮かべていた。



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第三十話 攻防、そしてその後に

夕暮れに染まる山の中腹。特筆する程高くもなく観光名所という訳でもないこの山は、普段静かで閑散としているのだが…この時ばかりはその限りではない。……突然現れた魔人との激突は、今も尚続いている。

 

「ちっ、距離感狂うなおい…!」

「無理に攻めるんじゃないわよ悠弥!」

「分ぁってるよ!」

 

短刀を逆手に持ち、木を足場に三角飛びからの斬り下ろしをかける俺。魔人はそれをバックステップで避け、手刀による突きの構えを見せたが、俺に合わせてタイミングをずらした突撃を時宮が仕掛けた事により、魔人は防御を余儀なくされる。

 

「真上がガラ空きですよ…っとッ!」

「そうはいきませんよ?」

「うおぉぉッ!?」

 

時宮と魔人の接触を確認した俺は跳躍。空中で回転をかけ、勢いを付けた状態で再び斬り下ろしを敢行したが……その瞬間、魔人は首を伸ばして頭突きを放ってきた。……ろくろ首かお前はッ!

 

「どうです?中々どうして便利な能力でしょう?」

「うわ頭が降ってきた!?き、気持ち悪い攻撃するんじゃないわよ!」

「能力を使えという旨の発言をしたのは貴女ではありませんか」

 

頭突きで俺を弾いた魔人は首を引き戻…すだけではなく、引き戻しと同時に前方へ振るって十分に勢いの乗ったヘッドバットを時宮に打ち込んだ。無論、多少奇をてらった程度の攻撃を受ける時宮じゃないが…なまじ見た目は普通の人間風な分、身体的ダメージはゼロでも精神の方にダメージは入った様子だった。

 

「ただ伸びるだけなら的が大きくなってありがたいんだが…この速度は厄介だな…」

「えぇ、しかも単なる遠隔攻撃と違って身体の一部だから、遠心力も乗るわ途中で起動変わるわで最早遠隔操作端末よ…後キモいし」

「瞬間瞬間で言えば超人気漫画の主人公みたいな見た目なんだけどな」

 

弾かれた俺は着地し、魔人から見て後ろに跳んだ時宮と合流。対する魔人は追撃の構えを取らず、様子見だと言いたげに目を細めて俺達を見ていた。どうも魔人は倒せるなら倒そう、ではなくあくまで威力偵察だという事を徹底するつもりらしい。

 

「…このまま戦って勝てると思うか?」

「多分、勝てるでしょうね。骨の一本位はもってかれるようもしれないけど」

「そりゃ困るな、包帯巻いて済む程度の怪我に留めねぇと緋奈に怪しまれる」

「怪しまれるだけならともかく、心配されたら心苦しいわね。さて、どうしたものかしら…」

 

一般人にとって骨折は大怪我で、霊装者にとっても決して『軽傷』なんて言えるレベルの怪我ではないが…命のやり取りをしている以上、命に別状のない怪我ならそこそこマシって評価になるのはある意味当然の話。とはいえ実際は骨折だって十分怖いんだが…その発言をする際、時宮は眉一つ動かしていなかった。この女、相当肝が座ってやがる…なんてな。

まぁそれはそうとして、大怪我しない為にもこれ以上無策で戦う訳にはいかない。初見の強敵相手に戦いながら策を練るというのも中々キツい話だが…緋奈に心配かけるのに比べりゃずっとマシだ…!

 

「…いや、待てよ……?」

「…何か浮かびそう?」

「あぁ。あいつ、威力偵察って言ったよな?威力偵察っつー事は、本格的な攻勢をかけるのは今とは別で、今ここで大きな怪我を負うのは不本意だって事だよな?だったら…」

「あぁ、そういう事。作戦なんて呼べるものじゃないけど…その考え、乗ったわ!」

 

俺が言い切る前に結論を理解した様子の時宮は、一瞬俺の方へと顔を向け、飛翔した。その時の時宮は……勝気な笑みを浮かべていた。

空へと舞い上がった時宮と地を蹴った俺は、地上と空から同時に仕掛けた。対する魔人は後ろへ跳び、両腕をそれぞれ俺達に放つ。

 

『甘いッ!』

「……っ…!」

 

射程の長いパイルバンカーが如く迫る、魔人の手刀。それはかなりの速度を持つ一撃だが…単発ならば避けられないレベルではない。だから俺はタイミングを図った後斜め前に跳ぶ事で避け、時宮に至っては回避と同時に膝蹴りを腕へと打ち込んだ。

身体を伸ばすという能力は、その性質上軌道修正や腕ならば相手の捕縛、頭ならば擬似的な知覚の拡張が可能などと地味な割に応用が利く。故に下手な遠隔攻撃より油断ならないが…そもそもの話として身体を伸ばしているのだから、厳密に言うと長距離攻撃ではあっても遠隔攻撃とは言えない。攻撃と身体が一体化しているという事はつまり……攻撃に対する迎撃がそのまま伸ばした本人へのダメージになるという訳である。そしてその弱点に、俺と時宮は早くも気付いていた。

 

「あんたの威力偵察…手伝ってあげようじゃないッ!」

「そうきましたか…!」

 

膝蹴りの衝撃で若干よろける魔人へ向け、猛烈な勢いで空中から突進をかける時宮。その一撃はそれまで以上に素早く、鋭い。

だが勿論、それは時宮がこれまで手を抜いていた訳ではない。それは単なる本気と全力の違い。長距離走でスタートと同時に全力疾走をする奴がいないのと同じで、本気であっても全力ではないという状態は得てしてありふれているのである。そして、今は本気ながら全力ではないという状態から本気且つ全力という状態に移行したという、ただそれだけの話。

 

「悠弥、上手く合わせなさいよ!」

「あいよ!」

 

時宮はランスチャージが如く高速で突っ込み、数撃で切り上げ離脱と再突進を繰り返す。時宮が離れた瞬間を魔人は狙うが、それは俺が許さない。突進に合わせて引き、離脱と同時に攻め込む事で魔人の邪魔をし続ける。まともに戦ったら今の俺は魔人に押し切られるだろうが…今魔人は時宮の突進対応にリソースの多くを割かれ、且つ俺は数瞬の時間稼ぎに専念する事によって魔人と渡り合っていた。

 

「あんたが負けるとすれば、それは私達相手に単独で威力偵察をしにきた考えの甘さのせいよッ!」

 

何度も何度も突撃と離脱を繰り返す時宮だが、スピードが落ちる様子は一切なく、それどころか突撃の度に加速している様な気すら起こさせる。そんな時宮に合わせるのは些か以上に難しいが…確かに俺が俺の中に残していた戦闘の勘が、時宮に合わせるだけの力を与えてくれた。

本人が言った通り魔人のその性格は生来らしく、どれだけ仕掛けても表情から余裕が消える事は無い。ただそれでも俺と時宮の波状攻撃は少しずつ魔人の防御を崩していき、攻撃のチャンスを与えない事で実質的に能力を封殺していた。そして……

 

「もらっ…たぁぁぁぁああああああッ!」

 

獲物を狙う燕の様な急降下。しかしそれは激突の直前ほんの僅かに逸れ…否、時宮が能力も膂力もフル稼働させる事で逸らし、魔人の防御を掻い潜って右の肩を斬り裂いた。

斬り裂かれた右肩から血飛沫を上げる魔人。時宮は即振り向いて更なる攻撃を与えようとしたが…魔人の跳躍の方がコンマ一秒早かった。

 

「ぐっ……まさか、直撃を受けてしまうとは…」

「返しの一撃で仕留めるつもりだったんだけどね…ダメージを一発目だけに留めるなんてやるじゃない」

 

肩を押さえて歯噛みする魔人と、穂先に付いた血を払う時宮。…さっきからずっと魔人に対して余裕の表情だの言動だの言ってきた俺達だが、時宮も時宮で殆ど表情に焦燥や恐怖が現れる事はなかった。…まだ余裕あるってのかよ時宮……。

 

「貴女程の実力者に言って頂けるのは嬉しい限りですよ…本当に大したものです。霊装者が皆貴女の様な力を有しているのなら、我々魔物や魔人はたまったものではありません」

「だろうな…俺みたいな中の下位の奴からすりゃ、テメェ並の魔人だらけっつーのも恐ろしいけどよ」

「ご謙遜を。確かに貴方の霊装者としての能力はそこそこかもしれませんが…判断力、引きの良さ、経験に裏打ちされたであろう動き、それ等全てが戦士としては相当なものですよ」

「よく見てやがるな…テメェほんとは表面上だけじゃなくて内心でも余裕だったんじゃねぇのか…?」

 

戦いにおいてどれだけ多くのものをどれだけ細かく見る事が出来るかは、元々の才能も関係するが…それ以上に場数を踏んでいるか否か、余裕を持って戦えているかどうかが結果に作用する。で、奴はと言えば……ほんと油断ならねぇ魔人だな…。

 

「さて、何はともあれこの傷では戦闘能力も大きく落ちてしまう事ですし、この辺りでワタシはお暇するとしましょうか」

「あら、私達がそれを許すとでも思ってるの?」

「まさか、ですので全力で逃げさせて頂きますよ。ここでやられては威力偵察が完全に無駄となってしまいますし、何よりワタシも命を落とすのは惜しいですからね」

「なら最初っから現れるんじゃ…ないわよッ!」

 

自身の言葉を言い切る前に跳躍し、逃げる前に魔人を横薙ぎにしてやろうとした時宮。その速さは相変わらずで、しかも狙ったのは怪我のせいで防御が難しいであろう右側(時宮から見ると左側)。そんな端から見ても当たった、と思える程に一手先を取っていた時宮だったが……時宮の振るった大槍は、虚しく空を斬るだけだった。

 

「え……?」

 

それは、信じられない…という思いの乗った言葉。しかしそれは恐らく、攻撃が外れた事に対してではない。恐らく時宮は…もし俺が時宮の立場なら、驚くのは避けられた事ではなく……魔人が、いつの間にか何十mも離れた場所にいた事だろう。

 

「嘘…瞬間移動した……!?」

「出来ればこれは温存しておきたかったのですがね…本当にワタシだけで来たのは失策です」

「……っ!悠弥!魔人は今何したの!?貴方には何が見えた!?」

「な、何って…多分時宮と変わらねぇよ!俺にだって瞬間移動した様にしか見えなかった!」

「そんな馬鹿な…奴は能力を複数持ってるっていうの…!?」

「さぁ、それはどうでしょうね。…ではまた、お二人と相見える時を楽しみにしていますよ」

「ちっ……また瞬間移動しやがった…!」

 

今度は俺達が動くより早く瞬間移動…らしき能力を使い消えた魔人。一気に目視不能な距離まで逃げたのか、それとも林や岩陰に隠れたのかは分からないが……消えてしまったのではもう追撃のしようがない。少なくとも、然程優秀ではない俺の探知能力ではどうにもならない状態だった。

 

「……駄目ね、これは完全に逃げられたわ…折角一撃浴びせたのに…!」

 

取り敢えずこの場を乗り切れればいいやと思っていた俺と違い、時宮は可能であれば仕留める気だったのか、悔しそうな表情を浮かべる。…こっちが逃げたならともかく、形としては返り討ちにした様なもんなのに…。

 

「…探すのか?」

「いや、これじゃ探したって無駄になるだけよ…はぁ……」

「ま、いいじゃねぇか。たった二人で追い返せたなら上々だし、目立った怪我もせずに済んだろ?……俺はちょっと背中が不安だが…」

「あ……そうよ、悠弥は木にぶち当たったじゃない。背中大丈夫なの?」

 

狙っていた訳じゃないが…俺の背中の件は、時宮の消化不良だった気持ちを鎮めるのに成功した。

 

「んまぁ、大丈夫だろ。少し痛むし良くて痣、悪くて打撲位にはなってるかもしれないが…その程度なら言い訳出来るしな。ベターなところは階段踏み外したとか背中にボールが当たったとかだが…俺の場合は時宮に蹴られたとかでも信憑性あったりするんじゃね?」

「あのねぇ…私が大丈夫か訊いたのは緋奈ちゃんにバレないかどうかじゃなくて、貴方の身体そのものについてよ」

「え…そ、そうなんすか?」

「なんでちょっと敬語混じったのよ…ほら後ろ向きなさい後ろ」

 

時宮に心配されるなんて思ってもみなかった…とかではなく、単に緋奈に対してどう誤魔化すかを考えていたから思い至らなかった俺は、時宮にそう言われてつい意外だって反応を露わにしてしまった。するとそれが理由かどうかは分からないものの、俺は時宮に後ろを向く様指示される。…で、言われた通り回れ右したら……何故か背中を触られた。

 

「……時宮さん?」

「何よ」

「それはこっちの台詞…なんか氣でも送ろうとんの?」

「な訳ないでしょ、私何師よ…触診よ触診。…ふむ、取り敢えず出血はなさそうだけど…ここは痛い?」

「あ、あー…そんな痛くないかな」

「じゃあちょっとは痛いの?分かり辛いから痛いか痛くないか言って頂戴」

「痛くないっす」

「ならここは?」

「そこは…痛いな。けど『ちょっ、痛い痛い痛い!』みたいなレベルじゃなくて、『あー、痛いな』位だ」

「だったらまぁ、急いで病院行く必要はなさそうね。けど今のは所詮素人目の判断だから、腫れてきたり数日経っても痛みが引かなかったらちゃんと病院行かなきゃ駄目よ?」

「お、おう……」

 

ぺたぺたと触られる事数十秒。触診により多分大丈夫だと分かったが……ちょっと、いやかなり何とも言えない気持ちになった。いや、だって普段俺への態度がキツい時宮だぜ?さっきまで高潔な女性武人みたいな雰囲気纏ってたんだぜ?しかも一応服越しとはいえ、俺は背中をぺたぺた触られたんだからな?……まぁそりゃ、時宮は結構優しい奴だっての分かってたし、魔人と遭遇する直前の会話でも再確認出来てた訳だが…。

 

「……調子狂うなぁ、ほんと…」

「調子狂う?何?まさかこの歳して病院行くの怖いとか?」

「あーそれだそれ。うむ、やはり時宮は俺を軽く舐めてやがる感じの方がしっくりくるわ」

「は、はぁ……?」

「そして調子に乗った結果俺にやり込められて、悔しそうに俯きながらも自らの中に生まれた嗜虐心に悶える姿が似合ってるよな」

「はぁ!?似合ってるよな、じゃないわよ!何やその事実無根の妄想は!私がいつそんな即堕ち系ヒロインみたいな姿晒したってのよ!?馬鹿じゃないの!?」

「即堕ち系って…よく知ってたなそんなワード…」

「う、うっさい!なんなのよ急に!」

「さ、もうここに用は無いし帰るぞー」

「聞きなさいよ!?あーもう!これなら背中心配しなきゃよかったわよ!」

 

結局何とも言えない気持ちを上手く整理出来なかった俺は、時宮の軽口に乗っていつも通りの失礼なボケをかますのだった。我ながらいい性格してんなぁとは思うが、それが俺なんだから仕方ないよな。それに何とも言えない気持ちになったのは時宮側にも責任あるし。

ぽてぽてと先に歩いているとその内時宮も追い付いてきて(追い付いたところで時宮の方見たら睨まれた)、俺達二人は揃って下山。その途中戦闘になれば文字通りのお荷物にしかならない為置いといた買い物袋を拾い、大分別件で遅くなってしまった下校を再開するのだった。

 

「……ん?なんか違和感が……あぁっ!?」

「な、何!?魔物が出たの!?それともどこか別の場所怪我してたとか!?」

「よく見たら豚肉のハムが無い!くそう、獣か何かにパクられた!」

「そんな事!?いやそれは損失だけど…そんな事!?」

 

 

 

 

それから数十分後、無事帰宅した俺達はまず緋奈への言い訳からスタートした。

 

「えへへ、お野菜が安かったからスーパーで長い事時間使っちゃった」

「お兄ちゃん、キモい」

「悠弥、キモい」

「じょ、冗談に対してマジトーンのキモいは止めて…ほんと研ぎたての包丁並みに鋭いから止めて…こほん。まぁちょっと帰りがけに新しく出来たらしい店発見してな。そこで結構時間潰しちまったんだよ、すまん」

「ふーん…遅くなるなら電話かメールしてよね。妃乃さんも」

「そうね、ごめんなさい緋奈ちゃん」

 

年上二人が年下(しかも俺にとっては妹)に注意されるというそこそこメンタルにくる展開だが…まぁしょうがない。上手く誤魔化す為には余計な事は言わないのが吉で、何より俺からすればこれ位日常茶飯事なのだから。……因みに、新しく出来た店というのは真実(若者はまあまず行かない様な骨董品屋だが)なのでここからバレるという事はまずない。というか、その店を見つけたからこそ誤魔化しに採用したのである。

 

「分かってくれればいいんです。お兄ちゃんは結構言ってもしょうがないんですけど、ね」

「え…俺緋奈の言う事聞いてあげない事あったっけ?」

「あるから言ってるんだけど?」

「うっ……それはあれだ、何者かの陰謀だ…」

「だとしたらそれはかなりどうでもいい陰謀だね…」

「悠弥、折角こうして気にかけてくれる妹がいるんだから言う事は聞いてあげなさいよね。じゃ、私はご飯の下準備に取り掛かるから」

 

緋奈に同調した時宮にまで注意され、俺はなんだかいたたまれない気分に。…むぅ、二人きりの状態から女が一人増えたせいで、どうも家の中じゃ立場が悪いな…だからって頼れる大黒柱になれる自信は無いが。

下校後のルーチンをこなした後にリビングに行き、ソファにどっかりと座ってテレビを点ける俺。面白い番組やってねぇなぁと思いながらチャンネルを回していると……

 

「…お兄ちゃんってさ、最近ちょっと出掛ける頻度高くなったよね?」

 

ソファの後ろから、緋奈に声をかけられた。俺がそれに反応して振り返ると、緋奈はソファの背に肘をかけ、前屈みの姿勢で頬杖をついていた。

 

「…そうか?」

「そうだよ。しかも夜に数時間出掛けてる事も時々あるし」

「あー…それはほら、時宮がここに住む事になったおかげで、夜出掛け易くなったからだよ。緋奈一人にしておくのと時宮も家に居るのとじゃ結構違うからな」

「ふぅん…でもさ、数時間出掛ける時って割と時宮さんと一緒の事多いよね?…それは、どういう事なの?」

「それは、だな…」

 

勤めて普段通りの顔で受け答えをしていた俺だが…追求と受けた事と墓穴を掘ってしまった事で表情には出さなかったものの動揺し、目を逸らしてしまった。…そんな事をすれば、緋奈が抱いた疑惑を濃くさせてしまうと分かっているのに。

 

「…お兄ちゃん、何か隠してない?隠してるんじゃないの?」

「……そう思うか…?」

「そうなんじゃないのかな…とは思ってる。例えば…時宮さんと怪しいお店に行ってるとか、ね」

「なっ……違うわ馬鹿。なんで俺が時宮とそういう店に行かにゃならんのだ…」

「でもほら、時宮さん可愛いし綺麗だし」

「だとしてもそういう事にはなってねぇよ。てか、そんな店に連れて行こうとしたら絶対ボコられる…」

「そっかそっか。じゃあまず一つ安心かな」

 

内心焦りつつあった俺への更なる言葉。しかしそれは的外れもいいところだった。…そりゃ、時宮に魅力を感じないと言ったら嘘になるが…そういう関係でもなけりゃ、そんな店に行った事もないんだからな。

とはいえ、安心はまだ出来ない。今の言葉は緋奈にとって小手調べの様で、まだその表情から疑いの色は晴れていない。…ちょっとこれは、誤魔化すのも大変かもな…。

 

「…ね、話してよお兄ちゃん」

「だから、話す程の事もないんだよ。冴えない男の俺がなんか特筆するべき様な事を夜な夜なしてると思うか?」

「お兄ちゃんは言う程冴えない男じゃないからしてると思う」

「へ……あ、えと…お兄ちゃん、緋奈にそう言ってもらえて嬉しいです…」

「じゃあ話してよ、ね?」

「…お兄ちゃん、緋奈が結構したたかになって複雑です…」

 

相手が喜ぶ様な事を言って、それに乗ってきた相手に上手い事話させようとする話術を仕掛けてきた事に、俺は本当に複雑な気持ちだった。…今日は複雑になったり何とも言えなくなったり忙しいな…。

 

「……どうしても話せない?」

「…………」

「…もう、しょうがないな…じゃあさ、確認だけど…時宮さん、というか誰かと妙な関係になってるとかではないんだね?」

「それは、断言出来る」

「なら今はそれで納得するよ。…うん、お兄ちゃんが普段通りいつものお兄ちゃんでいるなら、それでいいから。わたしは」

「……緋奈?」

「あ、お兄ちゃんわたし録画した番組みたいんだけどいい?駄目なら別のテレビ使うけど」

「あ、あぁ構わないぞ。どうせ見たい番組がある訳じゃないしな」

 

俺がそう言うや否や、緋奈はいつもの可愛い妹になって話も終わった。ほんの一瞬、最後に緋奈は毎日一緒にいる俺でもまず見ない様な瞳を…瞳の奥に暗い陰りのある様な目をしていたが、それも見間違いかと思う程すぐに消えて、俺は一先ず安堵したが…同時に誤魔化し続ける事の大変さも痛感した。何としても隠し通したいなら、もっと入念に、徹底的に誤魔化していかなきゃ駄目だって事か…。半分位は自業自得だが、少し前に比べて色々考えなきゃいけない事が増えたもんだな……。



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第三十一話 色々と怪しき雲行き

「ふぃー、食った食った…」

 

夕食を終えてから数十分後。若干喉が渇いた俺は夕飯時の残りの茶っ葉でお茶を淹れ、冷蔵庫に寄りかかりながらまったり喉を潤していた。

元々食欲旺盛な十代後半真っ最中の俺だが、今日は魔人相手に大立ち回りしたからか普段以上に夕飯を沢山食べてしまった。別にこの後何か運動する訳じゃないし、それ自体は何か問題だったりはしないが…正直ちょっと食べ過ぎてしまった感がある。この「うっぷ……」ってなる感覚、好きじゃないんだよなぁ…吐き気しないだけまだマシではあるが。

 

「…魔人の件に誤魔化しの件と、今日は心身共に優しくない日だったなぁ……」

 

スーパーで割引商品をそこそこ買えたから懐事情的には優しい日だったが……流石にそれじゃプラマイゼロとはならない。特に後者は俺がどうにかしなきゃならない事なんだから、これに悩まずして何に悩むと言うのだろうか。

そんな事を考えながら、ちびちびと茶をすする俺。キッチンにもリビングにも俺以外誰もおらず、テレビも点いていない為に、耳をすまさずとも時計の針の音や時折通る車の音が聞こえてくる程ここは静かで……

 

「あら緋奈ちゃん、もしかして今からお風呂?」

「そうですけど…妃乃さんもそのつもりでした?」

 

我が家のガールズの声がはっきりと聞こえてしまった。会話内容と聞こえ具合からいって、二人は廊下にいるらしい。

 

「そうだけど…まさか三人しかいない家で被っちゃうなんてね」

「ですね……あ、お先どうぞ」

「いいのよ私に遠慮なんてしなくたって。この家じゃ私の方が新参なんだから、緋奈ちゃんが先に入って頂戴」

「でもわたしの方が年下ですし…もしうちのお風呂が大浴場とかなら、一度に入れるんですけどね」

「一般的な家のお風呂が大浴場になってたらびっくりよ…」

 

 

 

 

(……一緒に入らない?…とは言わねぇのかよ…!)

 

気付けば俺は、湯飲みを食卓に置いてリビングの扉に耳を当てていた。……要は、盗み聞きの真っ最中である。

 

「…あ、お風呂と言えば…妃乃さんって髪の毛綺麗ですよね。シャンプーも何か特別な物使ってるんですか?」

「シャンプー?…まぁ、色々試して自分の髪に合う物選んだりはしてるけど、使ってるのは市販の物よ?」

「なのにそんなに綺麗なんですか…いいなぁ…」

「緋奈ちゃんだって綺麗じゃない。少なくとも憧れる側じゃなくて憧れられる側だと思うわよ?」

「そうですか?…ふふっ、この髪はわたしのお母さん譲りなんです」

 

風呂の順番についてから脱線し、話の内容は女子お得意の美容の件に。本人達は楽しんで会話してるみたいだが…俺にとっては何にも面白くないね!何なら期待とは違う方向にいって不満だね!

…と、文句たらたらの俺だが…別に緋奈と時宮が百合百合な関係になってほしい訳じゃない。単に思春期男子にとってぐっとくる、邪ながらある意味健全な…要は妄想出来そうな展開を望んでいるだけなのだ。

俺は時宮に対して好きだとか付き合いたいだとかは思っていないが、異性としての魅力は感じているし、ぶっちゃけ顔もスタイルも申し分ない。そして緋奈だが…俺自身が今の日々を二度目の生涯、もう一つの人生…つまりは転生前の自分が本来のものだと考えてしまっているせいか、俺の中には緋奈が…そして両親すらも、義理の存在だと思っている部分がある。だからといって距離感を置いてる訳ではないし、何なら転生前の俺の両親へより今の俺の両親の方への方が家族愛を持っていると言っても過言じゃない(これは転生前の両親については顔すら知らないからという面が大きいが)。とにかく俺は緋奈に対して妹でありながら妹でない様な……言ってしまえば義妹の様に思っている部分があって、そのせいでこんなふしだらな事を考えいるのである。……言い訳ではない、これは断じて言い訳ではない!

 

(……って、何考えてんだ俺は…こんなの緋奈にも時宮にも失礼だっつの、そもそもこれ盗み聞きだし…)

 

謎の情熱に駆られていた俺だが、その事に気付いた瞬間一気に冷めていく。

同年代の女性二人と三人で暮らしている俺は、ご覧の通り時折欲望に正直な男子高校生的思考に陥る訳だが、二人に軽蔑される様な事になっていないのは偏にこの急にくるクールシンキングのおかげと言って間違いない。それが身体は十代後半でも中身はいい年した大人(に相当する年齢)だからか、それとも良心や理性といった御道辺りが豊富に持ち合わせてそうな要素を俺もそこそこは有しているっぽいからかは分からないが……これは大事にしなきゃいけないと強く思う。大切な妹である緋奈と、恩人である時宮を傷付けない為に…な。さて、こんな所で扉に耳当ててないで茶の残りを飲もう──

 

「ま、とにかく緋奈ちゃんが先に入って。私はお風呂出てからやろうと思ってた事先に済ませちゃうから、その間に…って事で」

「そ、そうですか?…そこまで言うなら、お先にお風呂頂きますね」

「えぇ、お風呂出たら教えてね。私はリビングで用事済ませるから」

(うぉぉぉぉぉぉっ!?来んの!?時宮来んの!?)

 

ぐっ、と床を蹴り、立ち幅跳びの様に跳びながら俺は湯飲みを掴みつつ食卓の椅子へと飛び込む。その動きは正に脱兎の如く、時宮が緋奈と別れリビングの扉を開けるまでの僅か数秒間の内に俺は食卓の椅子の上へと移動する事に成功し、さも最初からそこで茶を飲んでた風の状態を作り出したのだった。……椅子に飛び込んだ瞬間ガタガタガタン!…と大きな音を立てしまったり、湯飲みに残っていた茶がちょっと手に溢れたりはしたが。

 

「……なんか今、そこそこ大きい音が聞こえたんだけど…」

「あ、あー…ちょっと椅子の後ろ足だけでバランスを取る遊びをしててな。それで倒れかけてなった音だ、うん」

「あ、そ…阿呆な遊びするのは勝手だけど、それで怪我したって私は診てあげないわよ?」

「き、気を付けるわ…」

 

冷や汗だらだらでそれっぽい嘘を吐く俺。多分冷や汗は時宮に気付かれてただろうが…時宮はそれを倒れかけて焦ったからだと思ってくれたのか、特に追求を受ける事はなかった。……あ、危なかった…。

 

「ほんと何やってるんだか…けどここに居てくれたのは好都合ね。少し時間いいかしら?」

「俺に何か用事なのか?」

「そうよ。今日の事は勿論協会に報告するんだけど、その前にちょっと貴方の意見を聞きたいのよ」

 

湯飲みに残った茶を一気に飲み干し、手に溢れた茶をティッシュで拭いているところでそう言われ、俺は表情を引き締める。風呂出てからやろうと思ってた事って、それだったのか…。……それにしても…

 

「…時宮って何気によく俺に相談するよな。他に相談する相手いないのか?」

「いない訳ないでしょ、悠弥に相談するのは貴方が同じ家に住んでる霊装者だからってだけよ」

「本当か?」

「本当よ。後はまぁ貴方が経験豊富で、真面目になってくれさえすれば有意義な話が出来るってのもあるけど…」

「大概俺はふざけるか茶化すかをするんだけどな」

「分かってるなら止めなさいっての…」

「へいへい。…で、具体的にはどういう話だ」

 

この会話の時点で俺に分かってても止める気はないと分からないかね?…なんて茶化してやる案も思い付いたが、緋奈が予想外に早く出てきてしまった場合きちんと話が出来なくなると思い、それは却下。俺自身今回の戦闘について人と話してまとめておきたいという気持ちもあって、早々に真面目モードへ移行する。

 

「ざっくり言っちゃうと、私は二つあの魔人に関して気になる点があるのよ。悠弥は何か気になる部分なかった?」

「そうだな……俺も取り上げるとすれば、気になる点は…威力偵察云々って言ってた事だな」

「やっぱり貴方もそこ気になったのね」

「つー事は、時宮の言う二つの内一つはこれなのか」

 

威力偵察。辞書的な意味は…実際に辞書なりなんなりで調べてもらうとして、噛み砕いて言えば戦闘を仕掛ける事で相手の迎撃から敵戦力を測るというアクティブな偵察方法。所謂隠密行動の偵察と比べ実際に戦う事で相手がどれだけ戦えるのか、自軍はどの程度まで通用するのかが体感として分かるのが利点だが……利点欠点以前にどうにも魔人の威力偵察は腑に落ちない。だってよ……

 

「…威力偵察って、リーダー格がするもんじゃねぇよな?」

「同感よ。あの魔人は間違いなくちゃんとした知性がある奴だし、威力偵察の意味を理解してない様子はなかったもの」

 

ただの戦闘ではなく威力『偵察』なんだから、その目的は敵戦力の調査に決まっている。威力偵察なんてものは敵戦力が未知数の状態の場合に行うのであり、何らかの制限や事情がない限りはその威力偵察に重要な人員(魔物はともかく一応魔『人』だしな)を投入するなど下策にも程があって、まともな指揮が出来るのならそんな選択する訳がない。無論、敵戦力が未知数だからこそ実力のある者に任せるという事であれば一理あるが、それでも魔物を率いる立場の魔人がわざわざ出向くというのは理解出来る事じゃない。……けど、現実としてあの魔人は威力偵察に来たんだよな…。

 

「……あいつは一匹狼なのか…?」

「単独の奴が威力偵察なんて言葉使う?…いやまあ奴は日本語の扱いが完璧って訳じゃなかったし、わざと気取って威力偵察って言ったとかの可能性もゼロではないけど…」

「そういう可能性を言い出したらキリがないな。となると…ふむ、あいつが実は超仲間思いで出来る限り危険な事は自分が請け負ってるとか…は無いな」

「無いでしょうね。だったらもっと目撃されててもおかしくない筈よ」

 

世の中どんな事象にも理由は存在しているが、事象が分かったからといって理由も分かるとは限らない。そして、当然の行動をしている相手ならその理由も簡単に予想出来るが、不可解な行動をしている相手の理由なんて得てしてそう簡単には予想出来ないというのも世の常で、それはちょっと頭を捻るだけじゃ思い付く訳がない。…てか最近、考えてもよく分からん事多い気がする…。

 

「…まぁ、理由については後回しにしようぜ。時宮の言うもう一つの点はなんなんだ?」

「悠弥はもう一つ思い付かない?」

「そうさな…魔人が作中最初に出てくるボス級らしからぬ性格をしていた事とかか?」

「そんなメタい事気にしてる訳ないでしょ。仮に思ってもそんなの貴方に相談しようとは思わないわよ」

「だよなぁ…思い付かないからふざけたんだ。勿体ぶらずに聞かせてくれ」

「そ、なら……私が気になったもう一つの点は、奴の能力よ」

「能力?…複数の能力を持ってるっぽい事か?」

「それもだけど…私は最初、あんな能力だとは思ってなかったの」

「うん?そりゃどういう……」

 

時宮は一体どういう事を言いたいのか。それが一瞬分からず訊き返しそうになった俺だが…すぐに思い出す。

そもそも何故、協会は魔人の探索を始めたのか。何があって魔人の存在を思い当たったのか。俺達が立てた推測とはどういうものだったのか。……そう。考えていた通りなら、これまでの状況から推理するならば、魔人の能力は…

 

「…魔人の能力は蘇生なり治癒なりの系統の筈じゃなかったのか?」

「その筈よ。その筈だし、私もそう思ってたわ。…けど、実際には違った。それが私は不可解でならないのよ」

「……魔人の能力に対する俺達の推測が間違っていた…って考えは色々辻褄が合わなくなるか。とすると…魔人は身体を伸ばす能力と瞬間移動能力、それに治癒らしき能力の三つも持ち合わせてるって事になるのか…?」

「まさか…と、言いたいところだけど、魔人に関しては殆ど戦闘での情報しかないからその可能性も否定出来ないわね」

「その口振りだと内心では否定してやがるな…」

「なら、貴方は三つも能力持ってると思ってるの?」

「うん、まぁ…そう言われると返す言葉がないんだが……」

 

どんな事柄でも決め付けは間違いの発端となる訳だが…威力偵察の件同様、断言出来ないからといって何でもかんでも同じ優先度で考えていたら本当にキリがない。比較的でもあり得そうな事を中心に、あり得そうにない事は頭の隅に残しておく程度にしておくのが上手く推理を進める鉄則…だと思う…で、それを踏まえて俺は自分の意見を頭の隅に押しやったが……ふと時宮の顔を見ると、時宮はそこまで悩んでいなさそうな表情をしていた。

…………。

 

「……何?時宮は俺を試してんの?」

「え?い、いやそんなつもりはないけど…」

「ならその表情は何なんだよ。さっきから相談というよりクイズ形式になってるし、能力についても時宮は何か思い付いてるんじゃないのか?」

「……もしかして、気分悪くさせちゃった…?」

「ちょっとな。ま、それ相応の理由があるなら別にいいんだが」

「…悪かったわ。実のところ、私は相談っていうより私の考えがおかしくないか、貴方に確認してほしかったの。だからちょっと意図せずクイズ形式にしちゃったのかもしれないし…それで貴方の気分を害してたなら、謝るわ」

「……そんな真面目に謝られると、こっちもなんか申し訳なくなるんだが…」

「な、なら話の最中じゃなくて話の終わりにサラッと言う位にしてよ…」

 

…なんだかちょっと気まずい雰囲気になってしまった。うむむ、こういう時気の利いた事の一つでも言えればいいんだが…思いつかん。けどこの雰囲気のまま再開するのも気が重いし……仕方ない。

 

「あー…時宮、先に謝っておくな」

「はい……?」

「うーん…ま、これでいいか。…よっと」

 

予め謝った俺は食卓に置いてあったチラシをくしゃくしゃと丸め、軽くシュート。飛んでいったチラシ玉は俺の狙い通り時宮の頭にヒットする。

 

「…何すんのよ」

「いや、突然こういう事すれば時宮気分を害するかな〜、と」

「は?…まさか、私が気分害させた事への仕返しのつもり?」

「ぶっちゃけちゃうと、そうなるな。ほら、これでお互い様だろ?」

「…あぁ、そういう事ね…正直これだと気分害するってより、貴方の意味不明な行動に呆れる気持ちの方が強いわよ?」

「そ、そうなの?」

「これで害する程心狭くないから…でもそういう貴方らしくない配慮、嫌いじゃないわ」

「ちょっと上から目線な上に俺らしくないと言うか……まぁいいや。で、何か思いついてるのか?」

 

多少disられる形になったが…そんなの慣れっこだし、雰囲気を元に戻せたのだから問題なし。それよりこの話は緋奈が出てくるまでに済ませるに越した事はないんだから、と考え本筋に戻す。

 

「あ、そうね…こほん。悠弥の予想通り、私は威力偵察の件と能力の件、その両方に説明がつく仮説を思い付いているわ」

「じゃ、聞かせてもらおうか」

「えぇ。ある意味考えとしては単純明快よ。……もしかしたら、魔人は複数いるんじゃないかしら」

「ふ、複数?…それは……」

 

俺の言葉を受け、時宮が言ったのは突拍子もない……とは言い切れない事だって。時宮は続ける。

 

「本来魔人は滅多に現れないもので、同じ時同じ地域に複数の魔人が……なんてまあまずあり得る事じゃないわ。けど、世界単位で見れば前例が無い訳じゃないし、今さっき言った通り複数魔人がいるとすれば二つの事にも一応納得がいくでしょ?」

「…そうだな、確かに説明の上での不足は無いと思う」

 

もし魔人が複数体いるのなら…未だ姿を見せていない魔人が今日の奴と同格、或いはより高位なのであれば奴が威力偵察に来たのも分かるし、瞬間移動の件も別の魔人が隠れていて撤退時に能力を行使した、という事で説明がつく。治癒だってあいつが複数能力を持っている、よりは別の魔人の能力だって考える方が納得はいく。あぁ、仮説としては全く問題ないだろう。…ないだろうが……。

 

「……そうすると…魔人が三体いる、って事になるのか…?」

「私の仮説通りなら、ね…」

「えぇー……」

 

一体でも並みの霊装者では敵わず、かなりの人数を用意するかエースに任せるかしなきゃならない魔人が同じ地域に三体もいて、しかも組織として動いているなんて、考えるだけで頭が痛くなってくる。通販番組で偶に『今お買い上げなら、なんと同じ商品をもう一つ!』ってのがあったりするが、ここまで嬉しくないもう一つ(正確には二つ)なんて世の中にはそうそうないんじゃないだろうか。…てか、一介の霊装者である俺ですら頭が痛くなるんだから、時宮や宗元さん達時宮家、それに別派閥の宮空家の方々は頭だけでなく胃も痛くなってくるんじゃ…。

 

「…胃薬、買っておくか?」

「気遣いありがと…でも要らないわ、面倒事の度に胃薬飲んでたら指導者なんて務まらないもの」

「しっかりしてんなぁ…で、えーっと…時宮は俺に確認してほしかったんだっけ?」

「そうだけど…なんか貴方が言うと『ったく、しょうがねぇなぁ…ほら、聞いてやるから話してみな』感があるわね…」

「……時宮、お前はサイコメトラーだったのか?」

「そう思ってたの!?」

「まぁカッカすんなって。思ってたのなんて精々七割位だし」

「な、何だその位なら…って過半数超えてるじゃない!ほんっと性格悪いわね!」

 

そういうお前はスルースキルが足りないな、と言おうと思ったが…それを言うと手を出してきそう&もしこれを機にスルースキルを身につけてしまったらつまんないという事で飲み込む俺。…というかそもそもの話として、煽る方じゃなく煽られた方が悪いところ直せって言われるのもおかしな話か。

 

「あー、すまんすまん。反省するから話を続けてくれ」

「貴方の反省するって言葉はあんまり信用出来ないんだけど…まぁいいわ。……それで、何か思ったところある?」

「んー…いや、憶測の域を出ないって事と本当なら相当厄介だって事以外は特に思い付かんな」

「って事は、大きな見落としがあったりはしないのね?」

「しないと思うぞ」

「ならよかったわ。後で一応文章にまとめておこうかしらね」

「んじゃ、俺は部屋に引っ込むとしますかね…」

 

恐らく時宮は仮説だけでなく今日起こった事全てを宗元さんに伝え、時宮の考えたものより優秀な仮説が出ない限りは複数いる前提で捜索が続けられるのだろう。まぁ仮説や捜索がどうなるにしろ、俺にはさほど関係無い話……とは言えないだろうなぁ。

そんな事を考えながら立ち上がった俺。自分で言った通り、俺が自室に行こうとすると…時宮に止められた。

 

「…一つ、聞かせてくれない?」

「何だ?」

「もし、私の仮説通りなら魔人討伐はかなりの規模の作戦になるだろうし、そうなれば悠弥にも討伐命令…とは言わずとも、協会からの要請で動かなきゃいけなくなる可能性は十分にあるわ。…悠弥は、それで大丈夫?」

「大丈夫…って、言うと?」

「嫌じゃないか、って事よ。貴方にとっては緋奈ちゃんと今の生活が最優先事項なんでしょ?」

「あぁ…それなら問題ねぇよ、ちゃんと要請があれば動くよ」

 

何かと思えばそんな事か、と心の中で言いつつ俺は返す。流石にそういう事になったりしても不満を持ったり従わなかったりする俺じゃない。

 

「そら、俺でなくとも何とかなる事なら極力呼ばないでほしいが…俺は我が儘で宗元さんに譲歩してもらった身だし、譲歩してもらった際にそういう時は要請に従うって言ったんだからな。俺は不真面目な人間だが、権利や利益だけ享受して責任や責務を望んでないからと放棄する程落ちぶれちゃいないさ」

「だったら心配なさそうね。万が一の時は霊装者として頼むわよ?」

「はいよ、時宮も責任ある立場なんだからってオーバーワークしたりすんなよ?」

「ま、程々に気を付けておくわ」

 

程々かよ…とは思ったが、俺よりずっと責任ある立場とはなんたるかを知っている時宮の事だから、多分色々な考えがあっての『程々』なんだろう。少なくとも、俺がこんな平時にちょろっと言ったところで何か変わる訳じゃないだろうし、それよか何か不味そうなら出来る範囲での事をしてやる方が時宮の為になると考え、俺はそれだけで済ます。これから一体どうなっていくか…それは協会と魔人側の動向次第だろうな。あんまりヤバい自体にならなきゃ良いが……。

 

 

 

 

「……って、これはフラグになるか…」

「フラグ?……何が?」



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第三十二話 嫌いじゃない、という言葉

「あぁ、元気にやってるよ。ってか先週帰ったじゃん、数日で体調悪くなる程俺身体弱くないよ…うん、うん分かってる。……はいよ、じゃあまたちょこちょこ帰るし、心配しなくて大丈夫だよ。じゃあね」

 

携帯を耳から離し、通話終了のボタンを押す。通話時間は…まぁ、そこそこいう感じ。

 

「今の、おかーさんから?」

「そう、いつも通り何か困ってたりしないかって電話」

 

携帯をしまったところで声をかけてきたのは勿論綾袮さん。誰から?…ではなくおかーさんから?…と訊いてきてる辺り、しれっと俺の電話内容を聞いていたらしい。…まぁ、勝手に聞かれるのは今回が初めてじゃないし、そこまで聞かれて恥ずかしい話をしている訳じゃないからいいけど…。

 

「やっぱそうなんだ。ちょいちょい電話してくれてるし、いいおかーさんじゃん」

「まぁ、ね。俺が実家に居た頃はもっと適当な感じの人だったし、最近心配性になった気がするけど…」

「一人息子が家を出たんだから、心配するのは当たり前じゃないかな?それに心配性ってなら顕人君のおかーさんっぽいし」

「……それは俺が心配性だって言ってる?」

「逆に訊くけど顕人君は自分が心配性じゃないと思ってる?」

「ですよね…うーむ、俺の心配性は母さん譲りなのか…?」

 

俺の両親はどっちも心配性じゃないと思ってたし、どちらかと言えば俺は父親似だと思っていたが…今日の事を考えると、俺の予想は外れてるのかもしれない。……まぁ、別にだからなんだって話だけど。

それはさておき…と俺はリビングのソファに腰を下ろす。かかってきた電話という『後回しにする』がかなり難しい案件が発生して、しかもその相手が俺の事を気にかけてくれてる母親という事で一旦電話を優先した訳だけど……元々俺は綾袮さんに話があると言われてリビングにきていた。で、母さんとの電話は終わったんだから本題に戻ろうとするのは当然の話。

 

「じゃ、綾袮さんどうぞ」

「うん。……で、なんの話だっけ?」

「えぇ……なんの話も何も、俺はまだ何にも聞いてないんだけど…」

「うーん…じゃ、最近あった爆笑&抱腹絶倒必至の出来事について話そっか。最初は顕人君ね!」

「ハードル高っ!そしてズルい!自分で提案したくせに先に相手に言わせようとするとか超ズルいね!…ってそうじゃなくて、それ今考えた奴でしょ。用事もないのに呼んだの?」

 

そんなハードルの高い話なんて出来ないから…じゃなくてふざけてる事が見え見えだったから乗らずに指摘する俺。…こう言ってからふと「ただ俺と話したかっただけとか?」…なんて思っちゃったりしたが、そんな恋する乙女みたいな感情を綾袮さんが俺に抱いている訳もなし。大方本題は覚えてるけどその前にちょっとふざけたかっただけなんだろうな。

 

「ごめんごめん、えーとね。結論から言うと魔人絡みの件だよ」

「あぁ…何か進展があったの?」

「あったよ。顕人君は魔人が複数いるのかも、って話は知ってるんだっけ?」

「知ってるよ、ちょっと前に千嵜から聞いたし」

 

ちゃんと話してくれるモードになった綾袮さんに俺も一安心。聞いた、というより千嵜と話してる中で偶々話題として出てきたというのが正確な表現だけど…ま、そこを気にする綾袮さんじゃないよね。

 

「なら話が早くて助かるよ。最近…というか昨日、妃乃と悠弥君が戦ったのとは別の魔人っぽい奴が確認されてね、魔人複数説がかなり有力なものになったんだ」

「へぇ…有力?まだ断定は出来てないの?」

「うん。発見されたのは恐らく魔人だろうって奴で、表現乃達みたいに交戦して確証を得た訳じゃないみたいだからね。…で、魔人が複数の場合は結構大きな作戦になるんだよ」

「まぁ、そりゃそうだね。それで?」

「もし作戦が実行されるとなった時…顕人君、協会から戦えって言われたら戦える?」

「……え、俺が?」

 

綾袮さんから言われたのは肯定か否定で答えられる、英語で言えば『Do you〜』や『Are you〜』系統の質問。けれど俺は肯定でも否定でもなければそもそも回答ではない、質問返しをしてしまった。…いや、だって…そんな突然魔人との戦いの話をされても…てか前似た様な話がした時は逃げろって言われたのに、戦えるかどうかなんて……

 

「…あ、戦うって言っても顕人君の場合は魔人じゃなくて取り巻きや邪魔してくる魔物とだよ?」

「な、なんだ魔物か…それは先に言ってくれないと困るよ……」

「てへ、言い忘れちゃった。…魔人が単体ならともかく複数ってなると魔人に従う魔物の数も中々多くなるだろうし、そうなると対魔人部隊の他に魔物担当の部隊が必要になるだろうからね。そういう部隊を編成する事になって、そこに顕人君が呼ばれた場合戦えそうか…って質問だよ」

「それを何故あんな端折って言っちゃうかなぁ…」

「てへっ☆」

 

片目を瞑ってぺろっと舌を出す綾袮さんは、どう見ても反省してなきゃこのミスを今後に活かす気もなさそうだけど…可愛いからいいや。…で、質問については…うーん……。

 

「…そういう命令が来たら、戦うかな。命令ならどんな内容でも従う…なんてつもりはさらさらないけど、それならどうしても嫌って言うだけの理由はないし」

「そっか…うん、まぁ顕人君ならそう言う気はしてたかな。それならほんとに呼ばれたとしても大丈夫そうだね」

「……という事は、綾袮さんは俺が拒否した場合の事を想定して話を振ってきたの?」

「えぐざくとりー!その通りだよ、顕人君」

「うわ、ネイティブ発音する気ゼロのエグザクトリーがきた…」

 

俺もそんなにネイティブっぽくはなっていないし、直後にセルフで和訳してくれたからお互い意味が伝わってるけど、活字媒体な以上はやっぱりちゃんと『exactly』って言うか、ルビでその通りって付けていっそパロネタにするとかした方がいいんじゃないだろうか。…一体俺は何を言ってるのかかなり謎なのは置いとくとして。

 

「……というかさ、俺がその露払いに呼ばれる可能性ってそんなにあるの?まだ俺は協会全体で見ればぺーぺーだよね?」

「あー…それはだね、えー…その…」

「…………」

「…わたし、形式上部下兼教え子の顕人君が目覚ましい成長をしてるからって調子に乗って、おかー様やおとー様、それに協会の中でも仲良い人達に顕人君の実績を喋りまくっちゃいまして…しかもちょっと誇張表現までしたものだから、もしかすると協会側は過剰な評価を顕人君にしちゃってるかもしれないのです…」

「……やってくれたね、綾袮さん…」

「ごめんなさい…」

 

自主的に正座(ソファの上でだけど)をする綾袮さん。多少の事は「てへっ☆」で済ませちゃう綾袮さんも、これは流石に反省してるみたいだった。……全くもう…。

 

「…こういう洒落にならない事は、その反省を今後は活かす様にしてよね」

「…許してくれるの?」

「許すっていうか、不可逆の事はもうしょうがないからね。皆に話した事は嘘でしたー、って訂正するのも今度は綾袮さんの信用を落とす事になっちゃうでしょ?」

「ま、まさかわたしのせいで身の丈に合わない事やらされるかもしれないのにわたしの事気遣ってくれるなんて……うぅ、顕人君の懐の深さはプライスレスだよ…」

「はは、人の良さを売りにしてる顕人さんですからね…」

「いやほんと顕人君の懐の深さは感動だよ、わたしの中で顕人君の株が爆上がりする位には…」

「そ、そう…」

 

なんか褒められてるっぽいし、株が爆上がりしてるならそりゃ嬉しいけど…最悪のパターンを想定するとそんなんじゃ割に合わないし、かといって綾袮さんを責めたいかって言われるとそういう訳ではないしでとにかく反応に困る心境の俺だった。…ほんと、今後はこういう事がない様にしてほしい。

 

「…それで、話はそれだけなの?」

「あ、うん。後は課題を写させてくれたらそれでお終いだよ」

「はいよ、ちょっと待ってな……って写させないよ!?何しれっと写させてもらおうとしてんの!?」

「ちぇっ…」

「あ、危ねぇ…あんまりにも違和感無く言うもんだから乗せられかけた…」

 

真面目でしっかりした話から一転。危機感も何もない、クラスメイトとの会話のお手本みたいな事柄だった。額に手を当て綾袮さんの狡猾さに辟易としている俺に対し、綾袮さんは軽く唸りながら俺を見つめてくる。

 

「うー…写させてよ〜顕人君」

「駄目です。解くの手伝ってならともかく写させる事はしません」

「学校じゃ写させてあげてるじゃん…」

「いやほら、学校はもうタイムリミットが近いから…」

「なら学校で言えばいいんだね!?わたし写させてもらうからね!?」

「なんで写させてもらう側がそんなに高圧的なの……はぁ、やっぱいいや…」

「え……が、学校でも駄目なの…?」

「逆、ノート持ってくるから好きに写しなさい…」

「ほんと!?やったぁ!」

 

俺が了承した瞬間にぱぁと笑みを浮かべて喜びを露わにした綾袮さん。この子ほんとに俺と同年齢なのかなぁ…と内心マジで思いつつノートを取ってきた俺は、子犬なら尻尾をぶんぶん振ってそうな状態の綾袮さんにノートを渡す。

そこから数分後。綾袮さんは真面目に真剣にノート写しをしていた。

 

「いやー、ほんと助かるよ顕人君。最近妃乃に頼り過ぎてキレられかけてたから、安心して頼れる相手を探してたところだったんだよね」

「あそう…俺は時宮さんの代わりですか……」

「ノンノン顕人君、そこはポジティヴシンキングしなきゃ。わたしにとっては姉妹同然の妃乃の代役なんて、それこそ顕人君位しか出来ない事なんだよ?」

「と言いつつ俺が断ったら学校で他の友達に頼むつもりだったんでしょ?」

「断られちゃったらそうするしかなかったね、うん」

「…ほんと自分でやる気はないのね、綾袮さんは…」

 

綾袮さんの反応は大方予想通りだったけど…この予想は裏切ってほしかった。予想通りという事はつまり綾袮さんらしい反応だったって訳だけど、色々としょうもな過ぎて最早注意する気にもなれない。…戦いの時は凛々しく頼もしいのに、ほんとオンオフが激しいよね…。

…なんて俺が呆れる中、綾袮さんはここにきて予想外の質問を口にする。

 

「……話変わるけどさ、顕人君って彼女いないの?」

「へ……?」

「彼女だよ彼女。付き合ってる人はいないのかって……あ…ご、ごめんね顕人君。わたしは別に同性愛を否定した訳じゃ…」

「いやいやいやいや!今の『へ…………?』は異性に興味ないのになんでそんな質問すんの?的な意味じゃなくて単にされるとは思ってもみなかった質問されたからってだけだよ!?早とちりだからねそれは!」

 

俺の反応から斜め上の解釈をしてしまった綾袮さんに慌ててていせを入れる。い、今のはどう考えたって心外だぞって返答じゃないでしょ…どんな解釈してんの綾袮さん…。

 

「あ、そうなんだ…びっくりしたぁ…」

「びっくりしたのはこっちだっての…で、彼女いないのかって?」

「そだよ、答えたくない?」

「いや、別に…いませんよ、彼女は」

 

脱線しかけた話を本線に戻した(本線って言える程の話でもないけど)後、ソファに座り直しながら少し雑に返す俺。別段彼女欲しい!誰かと付き合いたい!…と思ってる訳じゃないけど…嬉々として言える様な事でもないからね、彼女いないなんて。

 

「ふぅん…それはちょっと意外かな」

「…意外?俺がプレイボーイだと思ってたって事?」

「ううん。そうじゃなくて、顕人君なら彼女さんいてもおかしくないだろうなぁって思ってたの」

「へ、へぇ……そうなの…?」

 

今度は一体何を言い出すのか…と思いつつ追及した結果、返ってきたのはなんか俺を評価してるっぽい言葉だった。それに興味半分更なる評価への期待半分で更に訊く俺。

 

「自分じゃ分かってないと思うけど…顕人君って女の子から見ても容姿は悪くないと思うし、雰囲気も実際の言動も良い意味で優男って感じだし、話してて楽しいって思える…そんな感じなんだよ、顕人君は」

「ほ、ほぅ…(な、なにこれ嬉しい反面恥ずい!こうも真っ向から褒められると恥ずい!)」

「……けど彼女いないんだよね?って事はわたしの知らない部分で大きなマイナス要素作ってるのかもしれないね」

「……おおぅ…」

 

男として褒められるという、恥ずかしいながらも気分のいい展開に気を良くしていたというのに…最後の最後で突き落とされてしまった。持ち上げといて落っことされるという、ただ悪く言われるのよりもずっとダメージの大きい一撃を思いもよらぬ瞬間にぶち当てられてしまった。…綾袮さんは狙ってやった訳じゃないんだろうけど…顕人さん、超ショックです……。

 

「うーん……あ、何なら今度わたしがモテない理由調査してあげよっか?わたしはあんましないけど、うちのクラスにも恋バナが好きな子っているし」

「い、いやいいよ…っていうか何気なく彼女いないからモテないに変えるの止めて、それはかなり意味変わるからマジで止めて…」

「という事は、顕人君にもモテたい欲求はあるんだね?」

「何故そうなる…ただまぁ少なくともモテたくない、って思う男は滅多にいないだろうね。積極的にアプローチされるとか他の男から妬まれるとかになってくるとまた別だろうけど」

 

よっぽど捻くれてない限りは好意を向けられて嫌な気持ちになったりはしないし、好意を抱かれるだけなら何のデメリットもない(妬まれるなり何なりは好意自体から発生してる訳じゃないからね)んだから、色欲ゼロ!…なんて奴以外はきっとそう思ってるだろう。…と、俺は思う。あくまで個人の感想です。

 

「そっかそっかぁ…うん、総評すると顕人君には特筆する様な恋愛話や恋愛観念はないって事かな」

「事かな、じゃねぇよ。何訊くだけ訊いといて失礼な結論だしてんだ…」

「でも特筆する様な事ないってのは事実でしょ?」

「う…それはそうだけど…だ、だったらそんな結論出す綾袮さん自身は俺をどう思ってる訳よ?」

「え……?」

「…………あ…」

 

綾袮さんがふざけるのもその内容が失礼だったりするのもいつも通りで、ただちょっといつもより酷いなぁと思ったからつい言い返してしまった俺。それもいつも通りだったが為に適当なチョイスで言ってしまった俺。その結果……とんでもない爆弾発言になってしまった。

端的に言えば「お前個人はどう思ってんの?」という、疑問が話の中心になっている際にはよくある返しのパターンの一つ。だが、今回の場合はよくある返し、なんかで済む様な話じゃない。だって、今回においてその返しは……『俺の事、好き?』と訊いていると言っても過言じゃないのだから。

 

「な……なな、な……」

「な、な……?」

「……何言ってんの顕人君!?馬鹿じゃないの!?あ、顕人君が何考えるのか知らないけど、わたしは別になんとも思ってなんかないんだからね!?」

「え…あ……そ、そう…」

「あ…ち、違うよ!?なんとも思ってないって別に顕人君がどうでもいいとか君に何の感情も抱いてないとかそういう意味じゃないから!」

「…つ、つまり…?」

「つまり?…え、えーと…あ、アレだよ!そうアレ!」

「アレ…?……あ、あぁアレか!アレね!」

「そうそうアレ!アレったらアレだよ!」

「アレだったのかぁ、それならよかったぜ!」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

 

 

『……なんだこれ…』

 

二人、揃ってがっくりと肩を落とす。時間にすれば一分にも満たない様な、短いやり取りだったけど……異様に疲れた…。

 

「…なんか、ごめん……」

「こ、こっちこそごめんね…」

 

ぐったり状態のままお互い謝る。……そして、気不味い雰囲気に。

 

「…………」

「……あ、あのさ顕人君…」

「な、何でしょう…?」

「その…嫌いじゃないからね?今細かい事言うとまた変な感じになっちゃうから言わないけど…でも、嫌いなんかじゃないからね?」

「…ありがと、綾袮さん」

「……うん」

 

そこから綾袮さんは黙って課題写しに集中し、俺も暫く黙り込む。それはまだ気不味さが残っているというのもあるけど……それ以上に、何というか今は変に言葉を発しない方が良さそうな気がした。第一変な事言ったせいでテンパった訳だしね。

 

(…嫌いじゃない、か)

 

所々俺と書き方を変えて、写してませんよ工作を行う綾袮さんを眺める。嫌いじゃない、という表現を使うのは出来る限り相手を傷付けずに事を済ませたい…要は上手い事誤魔化したい時か、素直に言うのは恥ずかしいけど相手を落ち込ませたり嫌われてると思ってほしくなかったりする時に妥協案として選ぶかの2パターンが多い(気がする)けれど、多分綾袮さんはそういう意図で言ったんじゃない。前者はともかく後者には期待したいって思わなくもないけど、そこまで俺は自信過剰でも自己評価が高くもない。ただ、そもそも綾袮さんは気不味くなったからって正直に答えなきゃいけない道理はないし、変な感じになる事を避けたいなら何も言わないでおくのがベストな筈。なのにわざわざ『嫌いじゃない』なんて口にしたのだから……きっとそういう事なのだろう。密かに恋してるとか、もっと親しい仲になりたいとかじゃなくて、普通に、そういう事なんだと思う。

 

「……自分でもよく分かってないんだよな、これが」

「……?何が?」

「何でもない。貸した結果持って行き忘れて明日未提出になるとか嫌だし早めに終わらせてよ?」

「それなら、顕人君が写しもやってくれると「やりません」だよね〜。後ちょっとで終わるから、悪いけどもう少しだけ待ってね」

「はいはい」

 

いつもふざけててちょっと子供っぽい、そんな綾袮さんの明るい表情を見て俺は思う。──綾袮さんの『嫌いじゃない』は嫌いじゃない、と。



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第三十三話 拠点強襲作戦、始動

ある日を境に、魔人調査はぐっと進んだ。なんと、運良く寝ぐらへと帰る(勿論行き先が寝ぐらだと分かったのは到着してから)魔物を発見し、その魔物を追跡した結果寝ぐらが魔人の拠点でもある事が判明したのだ。…よっぽど運が良かったのか、よっぽどその発見した部隊が優秀だったのか、よっぽどその魔物が抜けてたのかは知らないけど、あり得ない様な出来事も世の中起こる時には起こるらしい。

それを機に拠点強襲作戦が発案され、その準備が着々と進められてきた。そして……今日、その作戦が実行される。

 

「おーいたいた、元気か顕人」

「あ…上嶋さん」

 

協会からの通達通り、双統殿へとやってきていた俺。もう後は作戦開始をするだけ、という段階では逆にもうやる事なんてなく、だからって呑気に休んでたり出来る程精神が太くない俺は手持ち無沙汰でただ座ってたところ、武装した状態の上嶋さんがやってきた。

 

「よっ、どうしたそんな緊張した様な顔して」

「い、いや大規模作戦前なら緊張するのは当たり前だと思いますけど…」

「そりゃ確かに大規模作戦前だ。けど……お前は待機してるだけだろ?」

「…………」

 

……そう、協会から通達が来たと言っても別にそれは出撃命令ではない。この作戦の決行に際し予想外の事が起きた場合の保険として、出撃命令が出ていなくても出来る限りこの地域の霊装者は双統殿に集まる様指示が出ていただけなのである。しかもその保険というのは『ほんとにどんな予想外があるか分からない以上、皆一ヶ所に居てくれた方が色々楽』という戦闘を期待されての事ではないのである。……綾袮さん、俺の力を誇張表現しちゃったってなんだったんだよオイ…。

 

「……ん?どしたよ顕人」

「ちょっと綾袮さんの取り越し苦労に安心していいのか拍子抜けした方がいいのか迷いまして…」

「なんだそりゃ…」

「色々あったんですよ…上嶋さんは出撃ですか?」

「あぁ、俺の部隊は雑魚担当さ。つっても、作戦が作戦だけにいつも通りの感覚で…って訳にゃいかねぇだろうがな」

 

特に出撃準備をしていない俺と違って、上嶋さんは現在フル装備。…親切に質問以上の事を返してくれたけど、これ見りゃ分かるだろって質問だったなぁ…双統殿の警護担当の可能性もゼロじゃなかったけど。

 

「…上嶋さんは緊張してないんですか?」

「してない、つったら嘘になるが…魔人討伐部隊や当主様達の護衛部隊に比べれば負担も難易度も低いからな。そう考えれば多少は楽になるし……こんなんでも俺は隊長の一人だ。部下や周りの奴等の為にも緊張してる素振りは見せない様にしてんだよ」

「……上嶋さん、格好良いっす」

「だろ?憧れてくれても構わないぜ?」

 

…なんて、調子のいい事を言う上嶋さん。その言葉が本心からのものなのか、それもまた俺を心配させない為の演技なのかは分からないけど…そういうところは、本当に格好良いと思う。……これでナンパ癖がなきゃモテるんだろうけどなぁ…。

因みに、国防省の重役としての肩書きも持つ協会のトップ二人(綾袮さんと時宮さんのお祖父さん)は、国防省での会議……という名目で、護衛を連れて双統殿を出ているらしい。何でもこれはこちらが拠点へ攻め込むつもりだというのを魔人側に悟られない様にする意図があるんだとか(綾袮さん談)。

 

「おい今失礼な事考えただろ…」

「さ、サイコメトラーですか貴方は…」

「地の文読んだだけだが?」

「いやなんでわざわざ心読んだ方面に持っていこうとしたのにそれ言っちゃうんですか!あんまり良くないですよそういう発言は!」

「第一話からそういう発言した奴がそれ言うか…」

「うっ……」

 

メタ発言は千嵜と綾袮さん、それに受動的な形で俺が言う位だろうと思っていたら、まさかの上嶋さんがぶっ放してきた。こりゃ今後も誰が言うか分かったもんじゃねぇぞ……って、なんだこの思考は…えーと、なんの話だっけ…。

 

「あー…こほん。本当は出撃直前で言うべきなんだと思いますけど…上嶋さん、それにここにはいませんけど赤松さんと杉野さんにもご武運を」

「おう、二人に伝えておくぜ。んじゃ、俺も人生の先輩として一つ言っとくか。…顕人、お前後悔は出来るだけ避けたいと思うよな?」

「へ?……そりゃまぁ、そうですけど…」

「だったら、準備は怠るなよ」

「え、と…それは……」

 

上嶋さんが真面目な表情を浮かべたのを見て、言葉を心して聞こうと考えた俺だったが……聞いた後まず、俺は困ってしまった。確かに後悔先に立たず、と言うし準備を怠るなというのには異論ないけど、それは当たり前過ぎて何とも……

 

「俺はな、選んだのに実行出来なかった時が一番後悔すると思うんだよ」

「…選んだのに実行出来なかった時、ですか…?」

「戦う、逃げる、隠れる…出来事も選択肢も世の中には山程あるし、どれが正解か、正解は一つなのかってのは選ぶ段階じゃまあまず分からねぇものだ。だから後悔しない選択だとか、どうせ後悔するならやって後悔を…なんて類いの言葉が生まれたんだろうけどよ、折角選んだのに、自分の答えを出したのに準備を怠ったがばかりに何も出来ず終わった…となったら悔やみきれないだろ?全力出して失敗したならある意味充実感はあるだろうし、選択ミスだった場合は間違ってたんだって諦めが付くが、準備不足だったら実力発揮も正解かどうかの確認も出来ないんだ、そんなの一番辛いに決まってる。だから、準備はしっかりしておけ。分かったか?」

「…はいっ!」

 

長々と上嶋が言った事は、決して目から鱗の情報だった訳じゃない。結論だけを手っ取り早く言うならそれこそ「準備は怠るな」の一言で終わる様な事で、そりゃそうだで流してしまう事も出来る話。…けれど、その言葉には上嶋さんの思いが籠っていて、ずっしりとした感覚を持ちながら俺の心へと入ってきた。……きっと、色んな経験をしてきた人なんだろうな、上嶋さんは。

 

「さって、いい感じの事も言ったし俺はそろそろ行くわ。……ん?いい感じの事って死亡フラグになったりするか…?」

「え、ええと…多分今のはセーフだと思います…」

「だ、だよな…うん、セーフであってくれ…」

「……上嶋さん、最後に訊きたいんですけど…もしや上嶋さんは俺に気遣ってきたんですか?」

「お前が可愛い女の子ならそうだったかもな」

「それは残念でしたね……って、締めの言葉がそれでいいんすか…」

 

可愛い女の子だったら俺もナンパ対象になるのか…と内心かなり反応に困っていたら、ひらひらと手を振って上嶋さんは行ってしまった。…結局なんだったんだろうか…。

 

「…緊張解す為に屋内散歩をしてた、とかかねぇ……」

 

そうぼんやりと考えながら、俺は近くの椅子へと腰を下ろす。双統殿のどこにいろ、という指示は受けていない為俺同様作戦に参加しない霊装者は各々思い思いの場所にいる訳だけど…今俺のある場所、所謂エントランスには比較的若い人達が多く見受けられる。多分、その人達はこれまた俺と同じ様にまだ霊装者となってから日が浅くてどこにいたらいいか分からないんだろう。

 

「……千嵜…も向こうで同じように手持ち無沙汰にしてるんだろうなぁ…」

 

経緯が経緯なだけに俺よりずっと霊装者として経験豊富な千嵜だけど、能力の方は事実上のリセット(ゲームでいうジョブチェンジの方が表現的に近いらしいけど)を受けてるんだから出撃命令が出ているとは思えない。…指揮系統も違うし断定は出来ないけど。

協会は宮空家の派閥と時宮家の派閥から成り立っていて、本部である双統殿は二つの棟をそれぞれの派閥で分ける様にして運営している。だからって敵対してる訳じゃないし、自分が所属していない方の派閥の棟に行ったらいけないなんて事もないから千嵜に会いに行こうと思えば行けるけど…そこはやはり男子高校生。そういうのはちょっと恥ずかしいのだ。

 

(…恥ずかしい、と言えば……)

 

ぶつくさと独り言を口にしたり、ぼけーっと色々考えてる事からも分かる通り、今俺に同行者はいない。で、周りを見回すと同じく一人でいる人もちらほらいるけど…全体的には数人の集まりを作っている人の方がずっと多い。……多分、普通の霊装者は数人か十数人で揃って訓練を受けてたり勉強してたりするから自然と面識が出来るんだろうなぁ…。

 

「……ちょっと移動するか…」

 

怪我はそれに気付いてから痛くなるという様に、自分が今端から見るとぼっち状態なんだろうなぁと思って(気付いて)しまうと途端になんだか恥ずかしくなってしまう。……と、いう訳でエントランスを後にする俺。…別にぼっちが辛い訳じゃないよ?「ぼっちかな?」って思われてる(と思ってる)のが嫌なのであって、一人なら一人でやれる事あるし、辛かったりは断じてしないんだからね?

 

「…とはいえ、どこ行こう…」

 

協会内において俺が知ってる人は殆ど作戦に出てしまっているだろうし、何度か来ているとはいえ記憶にある部屋なんて高が知れている。…まさかゲームコーナーや遊技場がある訳ないし……今俺が出来る準備でも探そうかな。

…なんて考えながら、双統殿内をうろつく俺だった。

 

 

 

 

「……やべぇ、迷った…」

 

双統殿に呼ばれて、暫く待機してて、何もないから暇になって双統殿内を散歩し始めて。気付けば俺は、迷子になっていた。

 

「何にも考えず歩くんじゃなかった…」

 

確固たる目的があった訳じゃなく、ただ暇潰しにが出来りゃそれでいいと思っていたとはいえ、迷子になるのは流石に洒落にならない。迷子という状況事態もそうだし、何よりこの歳になって迷子というのは恥ずかし過ぎる。

 

「電話…は論外だな。ふむ…」

 

一瞬俺は携帯を取り出そうとしたが…即ポケットから手を引く。仮に電話したとして、一体こんな目印も何もない場所を相手にどう伝えるというのか。そして恥ずかし過ぎる状況を初手から誰かに教えようとする馬鹿がどこにいるというのだろうか。……いやほんとに危機的状況になったら恥なんて気にしてる場合じゃないけど、今はまだそういう段階じゃないし…。

考えながら取り敢えず歩く。ここがジャングルとかなら無策では歩くのは危険だが、生活圏(というか屋内)のここには携帯という最終手段があるしな。

 

「非常階段でいいから見つかってくんねぇかなぁ……ん?」

 

拠点強襲作戦中なだけあって人気のないこの階層。当然人がいなければ生活音もしない訳で、さっきからずっと俺の周りはしーんとしていたのだが…廊下を曲がった瞬間、何か賑やかそうな音が聞こえてきた。しかも、耳を澄ますとその中には人の声も混じっている様に聞こえる。

 

「……不自然だな…」

 

この階層に人がいるのは何らおかしな事じゃなく、人がいるならそれ相応に音がするのも当然の事。だが、どうにも聞こえてくる音は今の状況……作戦発動中には似つかわしくない。具体的に言えば、なんかちょっと明る過ぎる。流石の俺も、こういう中で明るく賑やかにしてるってのは理解が出来んぞ…?

 

「…ここ、じゃないな…ここでもない……」

 

気になった俺は音の発生源を捜索開始。どこら辺から聞こえてきているのか大体の見当を付け、扉に一つ一つ耳を当てて(何してるか知らん奴から見れば怪しいんだろうな、今の俺…)聞き分ける事約二分。遂に…って程苦労はしてないが、それらしき場所を俺は発見した。

 

「…………うん、ノックしてみるか」

 

十数秒扉の前でどうするか考えた後、迷子状態である事を思い出して俺はノック。…そこ、見つけた後どうするか考えてなかったのかよとか言わない!

 

「…………」

 

トントン、と手を握り指の付け根で扉を叩いて反応を待つ。……が、反応がない。相変わらず明るい感じの音は聞こえてくるものの、扉が開いたり返事の言葉が返ってきたりは全然しない。…と、言う事でもう一度ノック。

 

(…反応無いなぁ…聞こえてないって事はねぇよな…?)

 

控えめに叩いた一回目と違い、二回目はそこそこの強さで叩いたんだから普通なら聞こえている筈。なのに返事なしという事から考えられるのは…中に居る奴が居留守を使っているか、実はこの扉が防音仕様で中ではどんちゃん騒ぎをしている(から実際にはノック音が聞こえていない)かの二択。

 

(……とは限らないか…そういや音はテレビ番組っぽいし…)

 

どっちにしろ碌でもないな…と思ったところで第三の可能性、テレビ点けっぱなしで寝てて音が聞こえ辛い&第四の可能性、この部屋を使っていた奴がテレビをを消し忘れて出て行ってしまったが俺の頭に浮かび上がる。どっちもあんまり現実味がない(最初の二択も大概だが)が……もうここまで来たら確認するしかないだろう。しれっと道を教えてもらう為にも、俺はここで返事をしてもらう可能性に賭けるしかない。そう謎の闘志を燃やし、俺は三度目のノックを──

 

「……何…?」

「あ……」

 

……しようとした瞬間、扉が開いた。叩く一瞬前に開いたもんだから、片手だけガッツポーズをしているみたいな体勢になってしまった。…って、そんな事はどうだっていいんだよ…。

40度程開かれた扉から顔を出した(というか顔が見える様になった)のは、俺より少し年下に見える少女。そこに一つ情報を付け加えるなら……その少女は、何だか物凄い陰気&ダウナーな感じの雰囲気を纏っていた。

 

「……何…?」

「…ど、どうも……」

「…だから、何……?」

 

覇気をまるで感じられない目で俺を見て、ぼそっと同じ言葉を再び言った少女。対する俺はまさかこんな人物が出てくるとは思ってなかったものだから言葉に詰まり、戸惑いながら一先ず挨拶を口にしたら…少女はむっとした様に三度同じ言葉を、しかも今度は『だから』付きで返してきた。…うん、これは俺の第一印象悪くなってるな…。

 

「あー…そのだな、音が気になって来ました」

「は…?……あ、プラグ抜けてる…」

 

いい会話の切り出しが思い付かなかった俺はシンプルに来た理由を伝える事に。すると少々はまず「何言ってんの?」みたいな表情を浮かべ、続けて何かに気付いた様に振り返って、その後部屋の中へ引っ込んでいった。そこで俺がこっそり開いた扉から覗いてみると…中で少女がテレビにヘッドホンのプラグを挿していた。あ、やっぱりテレビの音だったのか…てかプラグ抜けてるのに気付かなかったって、ベタな事するなぁ…。

少女がテレビ前でごそごそする事数秒。俺が首を引っ込め廊下で待っていると、プラグをきちんと挿した事で音の聞こえなくなった部屋から少女がまた顔を出した。

 

「…以後気を付けるから、じゃ」

「おう。……ってちょっ!?話終わってない話終わってない!」

 

申し訳程度の終わりの挨拶と共に扉を閉められ、俺は慌ててまた扉を叩く。な、なんなのアイツ!?こんな一方的に会話終わらせる奴なんて滅多にいないぞ!?俺ですらもうちょっと気を付けるぞ!?ほんとなんなの!?

 

「……何?」

「あ、よかった出てきた……何?じゃなくてだな…まだ話は終わってないんだ」

「…騒音問題で訴訟でも起こしたい訳?」

「そんなデカい話じゃないしそもそも音に関してはさっきので済んでるから…別件だよ別件」

 

元々こんな感じの奴なのか、この数十秒で俺を凄く嫌いになったのかは知らないが、とにかくこの少女は愛想も会話へのやる気も感じられない。ほんと他人の事言えない俺だが、何とか道教えてもらわねぇと…。

 

「別件?…てか、あんた誰よ…」

「ふらふらしてた霊装者さ、そういうお前は?」

「あんたに名乗る程のものじゃないわ」

「突然謙虚になったな…っていや、それ体良く自己紹介しない気だろ」

「ちっ……」

「えぇー……」

 

初対面の相手を謀ろうとして、それがバレたからってこんなあからさまに舌打ちするこいつは本当に何なんだろうか。…まぁいいや…どうせ今後会う機会もないだろうし、適当に訊くだけ訊いて終わりにするか…。

 

「…こほん。ちょっとエレベーターか階段の場所教えてくれないか?」

「…あんた迷子なの?」

「かもな。で、分かるか?教えてくれたら即立ち去るんだが」

「そこを右に曲がって二つ先を左、その後突き当たりでまた左行けばエレベーターよ」

「うわ、俺が立ち去ると言った途端ちゃんと話してくれたな…」

「悪い?」

「別に……」

 

予想通り、さっさと居なくなるよスタンスで話したらすぐに道を教えてもらえた。へへ、分かり易い奴だぜ…。

 

「まぁ助かるぜ。えぇと、右で左でまた左だよな?」

「そう、途中で忘れてももう教えないから」

「あぁはいはい。んじゃ、邪魔して悪かったな」

 

扉を閉めようとする少女に背を向け、手を挙げて軽く謝罪。相手がもっと丁寧な奴なら俺だってもう少しちゃんと礼を言うが……こいつ的にはちゃんと礼を言うより一秒でも早く行ってくれる方がありがたそうだしな。望み通り適当な挨拶で帰ってやるさ。

そう考えて歩き出す。気を付けなきゃいけないのは二つ先を左ってとこだな、そこ間違えてまた迷ったらアホの極みだし、余計な事考えて見逃したりしない様にしねぇと──

 

「……ん?」

 

右脚を出した瞬間、後ろからどさり、と何かが倒れた様な音が聞こえた。それがちょっとした程度の音なら無視する俺だが…今の音は、明らかに小物が落ちたレベルの音じゃない。それで気になって振り返ると……

 

 

 

 

──先程まで俺と話していたあの少女が、扉を半開きにして倒れていた。

 

「な……っ!お、おい大丈夫か!?」

 

その突然の出来事に目を剥きながらも、急いで戻り少女の身体を仰向けにする俺。あんまりいい印象のないこいつだが、そんな奴でもすぐ近くでぶっ倒れられたら無視なんて出来る訳がない。急にどうしたんだよこいつは…!

 

「しっかりしろ!どうしたんだよおい!…って…いや、落ち着け俺…!」

 

意識を失っている様子の少女の首下に腕を回し、起こそうとして…俺は授業で『意識のない人を強く揺さぶるのは危険』と言っていたのを思い出す。そうだ、こういう時一番不味いのは慌てて適当な対処する事じゃねぇか。だからまずは落ち着くんだ俺、落ち着いて状況確認を……

 

「……っ…」

「…っと、起きたか…ひ、ヒヤヒヤさせんなよ……」

「……あ、あんたは…」

「そうだよさっきの面倒な野郎だよ。お前、今気絶してたんだ──」

「……──ッ!あんたは急いでエレベーターの所向かいなさい!あたしはやる事あるから早くッ!」

「は……?」

 

俺が落ち着こうとしたところで目を覚ました少女。それに安堵しつつ、まだいまいち意識がはっきりしていなそうな少女に俺が説明と質問をしようとして……かなりキツめの指示を飛ばされた。…え、な、何……?

 

「は?じゃないの!いいから早く行きなさい!道筋は覚えてるでしょ!?」

「そ、そりゃ覚えてるが…急に何なんだよ?幾らそんな切羽詰まった顔されたって、数分前会ったばかりの奴にそんな強い口調で言われて素直に従えると思うか?」

「従ってもらわなきゃ困るのよ!一刻を争う事態なの!」

「だからそれじゃ分からないんだよ!俺エレベーターの所行ったらそれでもうOKなのか?違うだろ?言ってくんなきゃ俺何にも出来ないんだって!」

「……っ、あーもう!今魔人討伐作戦中でしょ!でも侵攻をかけようとしてたのはこっちだけじゃないのよ!」

「……っ!?…って事は、つまり…」

「そうよ!あたしも連絡入れるけど、あんたもさっさと降りて部隊に戻ってくる様連絡員に伝えなさい!じゃないと、もう間に合わな────」

 

鬼気迫る表情で俺を掴み、少女は怒鳴る様な声で話す。そしてその少女が結論を言い切ろうとした瞬間……爆発音が響き渡った。



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第三十四話 友人のすれ違い

霊源協会本部である双統殿は、支部に比べても戦力的に整っているらしい。実際生半可な部隊じゃ成功出来る訳がない今回の魔人の拠点強襲作戦において、戦力の全力投入はせずにそこそこの人数(双統殿の警護部隊とは別)が残っているんだからその点について疑うつもりはない。

しかし戦力が余るという状況は維持費やら統制の効率やらの問題で基本的には回避されるべき事で、今の双統殿内戦力はスカスカではないものの普段に比べて大きく劣ってしまっている。そんな時に一騎当千の力を持つ敵が攻め込んできたとすれば……それは、ピンチ以外の何物でもない。

 

「おいおいマジかよ…」

 

数十秒前、俺はいきなりついさっきまで話していた少女がぶっ倒れた事に驚き動揺した。その少女が意識を取り戻し、ほっと一息…したのも束の間、ダウナーな雰囲気がどっかいった少女にまくし立てられ、その意図を教えてもらった次の瞬間には爆発音が聞こえてきて、そこで再び俺は動揺した。

 

「……っ…間に合わなかった…」

「どこだ、どこで何が起こってやがる…!」

 

先程までとは打って変わって項垂れる少女に対し、俺は音と振動の方向を頼りに近くの窓を開け、頭の中で可能性を模索しながら発生源を探し始める。

普段緋奈や時宮に振り回され(俺もちょくちょく振り回してるが)、場合によっては結構慌てる俺。さっきも少女が倒れた事に慌てたばかりだし、お世辞にも俺は『どんな事にも動揺しないクールな大人』ではないと思う。…だが、俺は何度も何度も経験したおかげで命のやり取りや、炎や爆発が巻き起こる状況に関してはかなり慣れていて動揺してもすぐにやるべき事へと移行出来る。こんな能力が身に付いている事が幸せなのか不幸なのかは知らないが……それが役立つ状況となれば、それはもうありがたい事この上ない。

視線を走らせる事約二秒。左右を見て、その後上を見たところで俺は原因を発見した。

 

「あれか……!」

 

青い噴射炎を引きながら飛び回る十数人の霊装者と、その霊装者の攻撃を悉くはたき落とす、魔人と思しき存在。爆発した場所はまだ未特定なものの…これが分かればもう十分だった。

 

「おいあんた!俺はあんまりここの造りについて詳しくねぇから自分で安全な場所に移動しろ!ここでぼさっとしてたらどうなるか分かったもんじゃねぇぞ!」

「あ…あたしに命令しないでよ、あんた何様よ…!」

「命令じゃねぇよ提案だ!お前だって意味もなく危険な場所には居たくないだろ!?」

「そ、そりゃそうだけど…ふん、そんなの言われなくてもわかってるっての…!」

「なら良かった、俺は行くからな!」

 

それだけ言って俺は駆け出す。何が起きているか、どこで起きているかは分かった。ならもう……やる事は一つだッ!

走る速度を上げていく。やれるかどうかは分からない、どこまで出来るかも分からない、だがそれでも…何も出来ない訳じゃないんだから。

角を右に曲がって、一つ目の交差点を抜けて、二つ目の交差点を左に曲がって、そして突き当たりを…突き当たりを……突き、当たりを…………

 

…………。

 

 

 

 

 

 

「……突き当たりを左だったよな!?そうだよなぁ!?」

 

 

 

 

緊急事態を伝えるアナウンスが館内に響く。とは言っても具体的な事は言わず、ただ手の空いている霊装者の招集とまだまだ半人前ですらない者への誘導だけで細かな状況はアナウンスから伝わってこない。それが情報不足によるものなのか、敢えて言わないのかは分からないけど……只事じゃないのは、それだけで十分に伝わってきた。

 

(……どう、する…?)

 

手の平にじっとりとした汗を感じながら、俺は目だけを動かして周りを見る。俺の周りにいる人は大半が後者に該当する霊装者で、怯えたり俺と同じ様に周りを見回したりと反応自体は三者三様なものの、全体的にはアナウンスに従って安全な場所へと移動し始めている様に見える。俺も経歴的に考えれば一人前な訳が無くて、指示に従わない事が格好良いと思う様な思考も持ち合わせていないから、普通に考えれば周りと一緒に移動するべきだと思う。……だと、思うけど…

 

(……それで良いのか…?)

 

心の中で待て待てと異を唱える自分がいる。アナウンス、そして先程聞こえた爆発が事故や災害によるものなら手の空いている霊装者を呼ぶ事には繋がらない訳で、そこから考えば恐らく今起きているのは戦闘絡みの事。それでもって今は、力のある霊装者が軒並みここを離れてしまっている事を俺はよく分かっている。

 

(もし、戦いなら…戦力が足りてるのか?俺でも戦力が足りていない状態なら、何か出来る事があるんじゃないのか…?)

 

普段はなりを潜めている積極的且つ行動的な自分が、常識的な判断を覆そうと可能性を投げかけてくる。確かにその通り今戦力的余裕ば多分なくて、よっぽど弱くもない限り力になれる可能性はゼロじゃない。それに自分で言うのもアレだけど…火力支援だけなら、俺はそこそこのレベルにあると自負している。だから、状況によっては…必要とあらば……

 

「……いや、そうだ…状況だよ状況、兎にも角にもそれが分からなきゃどうしようもない…!」

 

椅子から立ち上がって、俺は走り出す。それは誘導されている場所へじゃない。でも、招集をかけられている場所でもない。行き先は、とにかくここより情報が集まっていそうな場所。

俺にも何か出来る事があるのかもしれないけど、俺は即座にそれを理解出来る程戦い慣れてる訳でも戦場慣れしている訳でもない。そんな俺がひょっこり出ていって「なんか手伝う事あります?」…なんて言ってたら、まぁそりゃ邪魔になるだろうし心象としてもよくないだろう。そう考えればとにかく行くよりちゃんと情報収集を……それこそ上嶋さんの言う『準備』をきっちりしてから行った方が、俺の為にも周りの為にもなるのは明白。ベストを尽くすのが戦いにおいて肝心な事な筈…!

そうして移動する事数分。俺が辿り着いたのは…技術開発部の研究室。

 

「すいません!園咲さんはおりますか!?」

 

開いた扉から少々大きめの声で園咲さんを呼ぶ俺。状況が状況だしここにいない可能性も十分にあるけど、他に園咲さんがいそうな場所を知らないんだからここに頼るしかない。そう思いながら見回すと……そこには女性の姿があった。どう見ても研究中だったっぽい様子の、園咲さんの姿が。

 

「……って、今平常業務してたんですか!?」

 

園咲さんがいてくれた事にほっと一息…するよりも早く俺の口から突っ込みが飛び出す。だって…そら近くで戦闘が起きてるらしき時に研究なんてしてたら誰だってそう思うでしょう…。

 

「そうだよ、それが私の役目だからね」

「や、役目って…今はそれよりすべき事があるでしょう…」

「いいや、確かに今は非常事態だけど…私は霊装者としては特に目立った点もない平凡な人間、だから出張るよりここで私の得意分野を進めていた方が協会の為になるというものさ」

「は、はぁ……」

 

得意でもない事は他社に任せ、自身は得意な事を行う…その理屈は分かるし、下手になんでもやろうとするよりそっちの方がいいというのも同意だけど……それはもっと共通する目の前の目的に対する時に扱われる理屈なんじゃないだろうか。…なんて俺は思ったけど、博士として信頼されている園咲さんがそう判断したんだから多分正しいのは園咲さんの方。納豆はしてないもののそう考えて飲み込み、俺は本題を口にする。

 

「あの、園咲さん。今起きてる事について教えて頂けませんか?」

「ふむ…という事は、君は今の状況を詳しく知らないままここに来たんだね」

「はい。園咲さんならば知っていると思い、ここを訪ねました」

「そうか。…うん、君の思った通り私は今の状況を聞いているよ。何せ聞いた上で作業を続けると判断したんだからね」

「…では、改めてお願いします。教えて下さい、園咲さん」

 

足を揃え、頭を下げる。時々ちょっとした事でも真面目にやり過ぎと言われる俺だけど…相手が嫌がらない限りは真面目にやって損はないと思う。…いや断定は出来ないけど、少なくとも俺の経験からは損はなかった。だからこういう時は…真面目に丁寧に頼むに限る。

頭を下げて、待つ事数秒。園咲さんが、口を開く。

 

「……頭を上げてくれないかな。君の頼みはそこまでする程のものじゃないんだ、これでは君に悪いよ」

「では……」

「あぁ、私の知る限りの事を話そう。と言っても事が事だから、今は多少状況が変わっているのかもしれないけどね」

 

そう言って園咲さんは話し始めてくれる。今ここが強襲を受けている事を。偶然なのかどうかは謎なもののこちらの強襲と魔人側の攻撃とが被ってしまい、現在魔人らしき敵とここの警護部隊が交戦中である事を。手の空いている霊装者を招集していたのは、やはり防衛と迎撃に出てもらう為だという事を。

説明にかかった時間は一分かそこらで、すぐに園咲さんは話し終わる。その内容は大方予想通りで、説明を聞くというより確認を取るという感じだったけど……それでもやはり、敵…それも魔人の攻撃という事実には、緊張を感じ得なかった。

 

「…お分かり頂けたかな?」

「はい。…戦力的に余裕、だったりはしないんですよね…?」

「しないだろうね。勝敗については何とも言えないけど、少なくとも楽な戦況ではないだろう」

「ですよね…あの、訊いておいて何ですけど…これは話してもよい事だったんですか?」

 

園咲さんは責任ある立場な筈で、俺は協会の人間としてはヒラもいいところの存在。そんなヒラに話してしまうのは、責任ある立場として大丈夫なんだろうか、と不安になって問いかける。…いやほんと、なら訊くなよって話だけど…。…まぁそれはそうとして、訊いてみると……園咲さんは、不思議そうな表情を浮かべた。

 

「…君なら大丈夫だと思ったから話したのだが…不味かったかい?」

「え?…い、いや俺としては不味くありませんけど…」

「なら問題ない。綾袮君から聞いているよ?君はめきめきと成長し、どんどん実力を伸ばしているとね」

「あ、あー……はは、そっすねー…」

「……?」

 

何の疑いもなさそうな園咲さんに対し、俺は乾いた笑いを返す。…そうだ、園咲さんは天然(らしい人)だった…まさか完全に当てが外れたと思った事が、ここで生きてくるとは……そして綾袮さん、俺の事を誇張表現してくれてありがとう。マジグッジョブ。

 

「ま、まあとにかく知りたい事は分かりました。ありがとうございます園咲さん」

「なに、この位お安い御用さ。…出るのかい?」

「えぇ、折角戦える力も意思もあるんです。ここでまったりしてるなんて、俺には出来ませんから」

「士気は十分の様だね。なら、戦果を期待しているよ」

「はい、園咲さんの用意してくれた装備の力…引き出してみせます!」

 

もう一度、今度は軽く頭を下げて俺は回れ右。部屋から出る為出入り口へと向かって扉を開ける。

この時俺は、自分でも気付かぬ内に気分が高まっていた。大規模作戦中の緊急事態、強力な敵の強襲というある種ドラマチックな状況に興奮したのか、楽観視出来ない状況だと認識した事で生じた緊張感を高まりと誤認しているのかは分からないけれど、とにかく俺は今テンションが上がっている。それは戦闘中感じる高まりともどこか似ていて、その気分の中で俺は外に出てからどう立ち回るかのシュミレーションを始めて……廊下の角を曲がってきた人とぶつかりかけた。

 

「わっ、とと…!すいません…!」

「あ、あぁこっちこそ……ん?…あ、御道…」

「へ……?」

 

人が出てきたのとは逆側の道へ身を躱す様にして俺は跳ぶ。その流れの中でまたも(今度は相手別だけど)頭を下げて、相手もそれに応じてくれ……たところでまず相手が、続いて俺が気付いた。…千嵜じゃん。

 

「…お前ここで何してんの?」

「え、それはこっちの台詞なんだけど…」

「こっちの台詞でもあるわ。アナウンス聞いてなかったのか?」

「それもまたこっちの台詞でもある……って、千嵜…その格好は…」

 

この状況だと『こっちの台詞』という台詞を延々と取り合いになりそうなのはさておき、千嵜は協会所属霊装者にとっての制服(正確には制服の上へ着用するもの。場合によるけど基本着用は自由)であり戦闘服でもあるコートを身に纏っていた。まぁそれだけならきっちりした人か寒がりかという可能性も出てくるけれど千嵜はそのどちらでもないし…何よりコートの各部には縮小した状態の武器が懸架されている。それを見て「服選びのセンス変わったのかな?」と思う者がいるだろうか。

半ば問う様な声音を口にしていた俺。それもあってか千嵜は、俺がちゃんと質問をする前に言葉を返してくる。

 

「見ての通りだ。その様子だとお前も今の状況をそれなりに理解してるんだろ?」

「そこそこは、ね。…って、もう悠長に話してる場合じゃないか…」

 

必要な会話ならともかく、こんな半雑談的会話は外で戦闘が行われている真っ最中にするべき事じゃない。俺はさっさと準備しなきゃならないし、既に準備完了な千嵜を足止めさせる訳にはいかないんだから。

 

「だな。んじゃ俺は行くからお前も油売ってないでさっさと移動しろよ?」

「分かってるって。お互い最善を尽くさないとね」

「最善っつーか…まぁそうだな。……ん?」

「はい?」

 

そう言って千嵜と別れようとした俺。だが、背を向ける前に千嵜が怪訝そうな顔をしたものだから、ついそれが気になって止まってしまう。

 

「…ちょっと待て御道、最善って…お前、これから何する気だ…?」

「何って…そら、千嵜と同じ事だけど?」

 

怪訝そうな顔のまま訊いてくる千嵜に対し、俺は何の気なしに返す。さて、何でこんな確認したのかは知らんけどとにかく装備取ってこないと…………

 

 

 

 

 

 

「…馬鹿な事言ってんじゃねぇよ、御道」

 

 

 

 

────は?

 

 

 

 

言われた通りの道を通ってエレベーターに辿り着いた俺は一階へ移動。いつの間にか元々居た方の棟ではなく中央館に移動してしまっていた事に驚いたりそういえば何であの少女は襲撃を事前に察知出来たのか疑問に思ったりしながらもフロントの受付担当らしき人に少女からの情報を伝え(少女の連絡の方が早かったからか既に分かってた様子だったが)、その後装備を身に付けていざ魔人らしき奴と交戦中の奴等へ加勢を……そう思っていたところで、俺は御道と鉢合わせした。

 

「お前今さっきそこそこ状況分かってるっつったよな?分かってんならやるべき事も理解出来てるだろ…」

 

碌でもない俺と違って良識も分別もある御道なら少ない情報でもどうするべきかきちんと分かる筈で、ましてや自分の実力を正しく認識出来ていない筈がないと思っていた。後者に関してはどれ程の実力なのか詳しくは知らないが、まだまだ実力者と呼べるレベルではないだろう。……なのに、御道は今誘導に従った避難ではなく、霊装者として戦うという旨の返答を口にした。それを俺は…理解出来ない。

 

「…俺には出るな、って?」

「そうだよ、じゃなきゃこうは言わないだろ」

「…心配してくれてるならありがたいけどさ、別に俺はテンパってる訳じゃないよ」

 

俺の言葉を聞いた御道はまず思ってもみなかった、と言いたげな表情を浮かべて…そこから少し困った様な顔になった。まるでそんな事言われてもなぁ…と思っている様な、そんな顔。

 

「そうじゃなくてだな…御道、お前は勇敢と無鉄砲は違うって分かるだろ?気分悪くするかもしれないけどよ、俺からすればお前のそれは勇敢じゃなくて無鉄砲だよ」

「無鉄砲って…俺は見ての通り落ち着いてるし、ちゃんと考えて動いてるよ」

「少ない知識で動いてる時点で無鉄砲なんだよ。人に語れる程経験積んできた訳じゃないだろ?」

「それはそうだけど…経験少なきゃ絶対自己判断では間違うって決まってる訳でもないだろ?」

「そうだな、だが結果的にお前間違えてるじゃねぇかよ」

「……っ…その言い方はないんじゃない…?」

 

中々理解しない御道に、些かながら俺は苛立ってくる。外で戦っている以上ここで時間を無駄にする訳にはいかないのに、何故分かってくれないのか。というか普段ならどう行動すべきなのかちゃんと分かる筈の御道が、どうして今に限って分からず屋となるのか。それに、俺自身これまで教わる立場になった事はあっても教える立場になんてほぼなった事が無かった点も手伝って、元々ショボかった俺の言葉のオブラートが日頃以上に機能しなくなっていく。

 

「普通に言って理解してくれりゃそれで済んだんだよ。とにかく新米の御道が出る幕じゃねぇし、まずは自分の身を最優先にするべきだ」

「…なら、千嵜はどうなんだよ…霊装者としては俺と変わらないってか、むしろ若干ながら俺の方が現代では経験上じゃないか」

「現代では、な。俺は結構な修羅場を潜り抜けてきたんだ、現代での微々たる差なんてそれこそ微々たるレベルだっての。…分かってくれよ、俺は馬鹿な真似をしてほしくないだけなんだよ……」

「……馬鹿な、真似…?」

「あぁそうだよ。さっきも言った通り俺と違ってお前は本当にただの新米なんだから、馬鹿な真似はせずさっさと他の奴等と一緒に避難を……」

「……っさい…」

「は…?」

 

本当に分かってくれない御道に痺れを切らし、つい本当に思っている事をそのまま口にしてしまう。けど別に何か間違った事を言ったとは思っていないし、恐らくこの状況下の影響で普段より気が早くなっいるんだろう御道にとっては、もしかするとこれ位の方がちゃんと伝わるのかもしれない。……なんて、それまでは思っていた。

ぼそり、と何かを口にした御道。それをきちんと聞き取れず、何の気なしに聞き返して……

 

「うっさいんだよ…分かった様な事言って、お前は何様のつもりなんだよ…?」

「え…み、御道……?」

「新米?そうかもしれねぇよ。少ない知識?あぁその通りだよ。けどな…俺は本気なんだよ。本気で戦おうと思ってて、本心から霊装者になろうと思ってここにいるんだよ。それを、馬鹿な真似だと?……ふざけんじゃねぇよ千嵜ッ!」

 

いつもは柔らかく中性気味な言葉使いの御道が、語気を荒らげ怒りを露わに睨み付けてくる。なんならナヨナヨ系っぽい筈の御道が、俺へ敵意を露わにして怒号を浴びせてくる。それに俺は一瞬呆気にとられてしまった。そして……そこで俺が素直に謝っていれば、まだマシな結果になったのかもしれないと、後になって思う事になる。

 

「お…落ち着けよ御道、キレるなんてお前らしくねぇよ…」

「他人を怒らせた本人が言う事じゃないだろ!てか俺らしいかどうかは俺自身が決める事だっつの!」

「い、いやそれはそうかもしれないけどよ…とにかく怒る様な事じゃないだろ。戦いってのは、お前が考えてる程甘くないんだって…」

「……ッ!だからッ!何で千嵜は俺の事を決め付けてんだよ!上司でも何度も一緒に戦った訳でもない千嵜が、勝手に俺の事決め付けて否定するんじゃねぇよッ!」

「あ、あのなぁ…俺はそういうところが分かってないって言ってんだよ!お前がどう思おうが、お前が霊装者としてはまだまだ経験も知識も足りてないって事は変わらないだろ!?俺は曲がりなりにも生まれ変わる前に長い間霊装者をやって、魔物とも同じ霊装者とも何度も戦ってきたんだよ!俺とお前とじゃ違うんだから、少しは殊勝になって人の話を……」

「黙れよッ!お前と俺とが違うってなら、俺の意思に口出しするんじゃねぇッ!」

「あ…おい御道!待てよ!」

 

俺の言葉を遮り、荒々しく吐き捨て、踵を返して御道は俺の前から去っていく。反射的に俺は止めようとしたが…数歩歩いて、俺は足を止めてしまった。自分でもよくは分からないものの…何故か、追おうとする事が出来なかった。

 

「……どうしたんだよ、御道…」

 

御道が立ち去り、俺だけとなった廊下の十字路。遠くに戦闘音の聞こえる廊下で一人立つ俺は、何とも言えないモヤモヤした感情を胸の中で燻らせながら、ただ立ち尽くすばかりだった。



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第三十五話 圧倒的な差

俺と千嵜は一年以上の付き合いで、高校からの友人の中じゃ一番やり取りをしているであろう相手だが、これまで特に衝突する様な事は無かった。それは俺が(自分で言うのもアレだけど)人を不快にさせない様言動を気を付けられているというのもあるし、千嵜が自分が人付き合いがあまり得意じゃないと自覚してるなりに注意を払っていたからというのもあるだろうけど……やはり一番の理由は、良くも悪くも俺達が互いに踏み込んだ話をしない、表面的な間柄だったからなんじゃないだろうか。

別に俺と千嵜が薄っぺらい関係だったって言いたい訳じゃない。友人というのは作る事にも減らす事にも制限なんてないし、どちらにせよ家族や仕事仲間よりも難度が低いからそれ等の関係より軽くなるのはある意味仕方のない事で、密接な関係はそれはそれで大変なのだから軽くても間違いじゃないと思っている。実際、そういう軽さがこれまでの俺達にとっては丁度良い距離感だった。……だからこそ、痛感する。俺と千嵜は……本気で踏み込む様な話をする様な関係では、無かったんだと。

 

「……くっそ…」

 

装備を身に纏って、異変や不調が無いか確認して、外へと向かう。ムシャクシャする、ムシャクシャする、ここ最近では最高潮にムシャクシャする。その原因は…さっきの千嵜とのやり取り以外にある訳がない。

 

「…あー…クソッ!」

 

ばりばりと乱暴に頭を掻いた後、その手を裏拳を放つ様に思い切り振るう。勿論近くに敵がいた訳ではなく、それは単なる八つ当たり。……人どころか物理的な物質ですらない『空間』にするのを八つ当たりと言うのかどうかは知らないが。

 

「…………」

 

千嵜との会話で、初め俺は千嵜が俺の身を案じてくれているんだろうと思った。だから千嵜を安心…させる事は出来ずとも、そこまで心配する必要はないという事を伝えようと思って返答していた俺だったけど…段々と千嵜は言葉が刺々しくなっていった。それだけならまだこっちも多少むっと思う程度で済んだんだろうが……千嵜は、俺を否定した。俺を自身とは違うんだと、並み居る大勢の内の一人の様に言ってきた。それを聞いた瞬間……俺の怒りは一気に最高潮へと達した。だってそれは俺にとって、最も不快で最も言われたくない、夢と今俺が歩み始めている道に対する否定なのだから。

 

(…思い出しただけでもイライラするな…今はこんな事で心乱してる場合じゃないってのに……)

 

ついカッとなって立ち去った俺だが、今ここが置かれている状況を忘れたりどうでもよくなったりはしていない。だから戦闘準備をして移動している訳で、戦う気は相変わらず満々のまま。けど…今の心境じゃ、これから戦闘に集中出来るか怪しい。とにかく一旦気持ちを切り替えないと…。

 

「……っと、扉が開いてる…?…ここから出てるって事、か…?」

 

廊下を早足で歩く最中、俺は開きっ放しの非常口を発見。非常口というのは平常時には開けられる事がないからこその『非常』口であり、今この状況で外に繋がる扉が開きっ放しになってる理由なんて一つしか思い浮かばない。

よし、と軽く頬を叩いて気持ちを切り替え…たつもりで非常口へと向かう俺。腰に吊るした縮小状態のライフルを左手で抜き、非常口を潜って外へと────

 

「……ッ!?」

 

……その瞬間、空気が変わった。無論それは比喩表現で、実際に大気の化学組成が変わっている訳ではないけど…確かに、変わっていた。分かり易いところで言えば、先生や上司が怒っている際の部屋に入ってしまった時の様な、しかしそれとは比べ物にならない程に強く鮮烈な戦場の雰囲気。もし初陣の時の俺なら後退りしてしまいそうな空気が、環境が外には広がっていた。

 

「……っ…落ち着け、俺…ここでビビって呆然としてたら、それこそ千嵜の言った通りだろうが…!」

 

自身にそう言い聞かせ、周囲に視線を巡らせる。まずは魔人の場所を…と思っていた訳だが、それはほぼ一瞬で分かった。何せ視界に映る全ての霊装者が、霊装者達が放つ射撃の飛ぶ先が、空中のある一点を向いていたのだから。

空中にいるのは、ゆらゆらと揺らめく靄の様なエネルギーを纏った人型の存在。その存在へと光実織り混ざった射撃が襲いかかるが…それ等の多くは靄に止められ、残りも回避されてただの一発足りとも直撃へは至っていない。もうそれを見るだけで、その存在が…魔人が別格の強さを持っているのだとよく分かった。

 

「…やるだけやってやるさ……」

 

背負った二門の砲を稼動させ、砲口の先を魔人へ向ける。 あんな強さの魔人に俺が敵う事なんて万に一つもないだろうが…別に俺一人で戦う訳ではないし、そもそも情報を聞いた時点でそんな事は分かっていた。だから俺は邪魔にならない様支援射撃が出来れば、それで十分。

砲へ霊力を集中させ、いつもより入念にエネルギーを収束させていく。魔人が攻撃に対する防御行動を取っているという事はつまり、霊装者の射撃があの魔人にも通用するという事で、それならば俺の攻撃も最低限防御なり回避なりの手間を取らせる程度の意味を持てる可能性が高い。そしてその通りなら、俺がこの戦いに参加した意味は…間違いなく、ある!

 

「いけ……ッ!」

 

最大出力で、今の俺が出来る最大収束で霊力の光芒を放つ。それは脆い魔物なら一射で貫通、そうでなくともしっかりとダメージを与える事の出来る、砲のサイズに見合う高火力の一撃。その一撃が、真っ直ぐと伸び魔人の背へ……

 

「……ちっ…」

 

──届く直前、振り向いた魔人の靄によって二条のビームは四散した。そして四散したビームもまた別の靄にぶつかり消えるか魔人のいない方向へ飛ぶかで直撃には至らなかった。

砲撃を防がれた時点で非常口前から飛び退いた俺。攻撃をするという行為はその攻撃の発生方向を相手に伝えるという事で、反撃を喰らわない為にも攻撃した後棒立ちしていてはいけない…と、俺は教えられた通りに動いたものの、魔人は反撃をしてこないどころか俺の方へ目をやる事すらしてこない。

 

「…わざわざ意識する程の相手でもない、ってか……」

 

悔しい判明標的にされなかった事にほっとした俺は飛行速度を大きく落とし、砲がブレない程度の動きで移動しながら再度霊力をチャージしていく。最大出力でも防御されるとなれば、あまり連射には向いていないとはいえ単発の威力よりも手数を増やすという選択肢の方が一見有益そうだけど…手数云々で言うと、既にこの魔人はほぼ全方位からの攻撃を捌き続けている。そんな奴相手に多少砲撃回数を増やしたところで意味なんてある筈がなく、だったらこのまま威力を維持した方が良いだろうと俺は判断した。

チャージと同時に立ち位置を変え、現状比較的靄の薄い場所を狙える場所に移動したところで再度砲撃。その攻撃には今度こそ、とほんの少し期待を込めていたものの…やはりこちらも防がれてしまった。

撃って、防がれて、移動して、また撃って。そんな単純故に焦れったい行為を繰り返す事数度。俺は魔人のある事に気付いた。

 

「……どういうつもりだ…?」

 

霊力チャージは忘れずに行いながら、俺は一時狙いを付ける事を止め視線を周囲へ。その数秒後、物陰に移動し弾倉の交換を行っている一人を発見しその人の近くへ移動。

 

「すいません!あの魔人、これまでに攻撃をする素振りを見せましたか!?」

「あぁ?急になんだ!?……ってんな事はどうでもいいか…見せてないな」

「やはりですか…」

 

俺は数度砲撃を行ったが、一度も反撃をされる事は無かった。最初の一撃の時は気にもしていないからだろうと思って、その後は俺以外にも敵は沢山いるから偶々これまで俺が狙われなかっただけだと思った。……が、改めて魔人を見てみた結果、気付いた。俺に対してだけじゃなく、どの霊装者に対しても魔人は攻撃をしていない、と。それはどう考えても、まぁいいや…で済ませられる事じゃない。

 

「やはり?…そういやさっきから奴は攻撃してきてないな…」

「何か、意図があるんでしょうか…」

「さぁな。もしかすると攻撃吸収系の能力かもしれん」

「え……じゃあ、無策に撃ち続けるのは不味いのでは…?」

「そうとも限らないぞ?許容限界があるならむしろ撃ち続ける事こそ撃破に繋がるだろうし、そうでなくとも攻撃してこないってならそれは間違いなくこちらの利だ。少なくとも…ここであーだこーだ想像膨らませてるよりは動いた方がいいに決まってる!」

 

そう言って彼は物陰から離れ、魔人への攻撃を再開する。…あーだこーだ想像膨らませてるよりは動いた方が、か……。

 

「…確かにそりゃそうだ…!」

 

後を追う様に俺も物陰を離れ、充填しておいた霊力を砲撃として叩き込む。今の会話じゃ俺の気付きに確証が持てただけで、何か変わった訳でもなんでもない。…が、それなら…いやだからこそ撃てる時に撃つべきだろうと彼の言葉に同意した俺は、砲撃を続けるのだった。

 

 

 

 

魔人が一切攻撃せず、形の上ではこちらが一方的に仕掛け続ける時間が十数分程続いた。最初の爆発の後すぐ戦闘が始まっていたとすれば戦闘開始から既に数十分が経っていると予想出来る。一向に直撃をさせられないまま、ただひたすらに撃ち続ける時間が過ぎて、油断こそ無いものの段々緊張感が緩み始めたところで……状況が動いた。

 

「……この程度か」

 

射撃の音に紛れる様に、しかしはっきりと聞こえたその声。そして次の瞬間、魔人の放つ靄が一気に広がり……迫り来る射撃を全て飲み込んでしまった。

 

「な……っ!?」

「悪くはない。…が、悪くはない止まりとはな」

 

それまでとは範囲も密度も違う靄に、その靄に攻撃が纏めて潰されてしまった事に驚く俺達霊装者。そこで再び声が聞こえ…その声の主が魔人である事を、俺達は理解した。

 

「奴等はいないのか、それとも温存しているのか…何れにせよ、有象無象の能力がこの程度なのであればこれ以上観る必要もない」

「な、なに…奴は何を言っているの…?」

「この程度だと?野郎、舐めた事言いやがって…」

 

どこか試す様な、そして下に見ている様な魔人の言葉を受け、味方に多少ながら騒つきが生じ始める。端からまともな成果を上げられるとは思っていなかった上に参戦も遅い方だった俺はともかく、味方の中にはこの戦況を焦ったく思っていた人もそこそこいるようで、そんなところに不遜な言葉を投げかけられればその人達が苛つくのも仕方のない話。……けど、ここで戦っている人の多くは未成年でもなければ素人でもない。

 

「各員落ち着け!確かに奴は未だ致命傷を負ってはいないが、こちらの攻勢により防戦一方となっていたのは事実だ!故に我々が心を乱す必要はない、各員攻撃を再開せよ!」

『了解!』

 

周囲の味方よりも一段高い高度に飛び上がり、声を張ったのは恐らく警護部隊の隊長。その人は魔人が次の言葉を発するのに先んじる事でヒートアップしそうになっていた味方を制し、その流れで攻撃続行を指示。同じく警護部隊所属らしき方達がその指示に真っ先に反応し、半月状の隊列を組んで射撃再開。そして隊長の言葉と警護部隊の動きに感化される事で他の霊装者も後に続いていく。

 

(…って、ぼんやり眺めてる場合じゃねぇ…)

 

突然の戦況変化と言葉を発した魔人、それにより乱れた味方の空気を素早く立て直した警護部隊という目まぐるしい動きに状況を忘れ、俺はしばし「わぁ凄ぇ…」なんてお客さん感覚で傍観してしまっていた。何をやってるんだか俺は…。

 

「…というか、よくよく考えてみればその内綾袮さん達が戻ってくる筈なんだ。それまで抑えればこっちの戦力は跳ね上がるんだから、やっぱり今は攻撃し続けるのが最善の策…!」

 

魔人の拠点を潰して帰ってくるのか、こちらの強襲作戦を中断して戻ってくるのかは知らないけど、ここが強襲作戦に向かった人達の本拠地なんだから戻ってこない訳がない。そう考えれば気も楽じゃないか。今ここに居る人達と協力して、俺自身も出来る限りの行動をして、それで部隊が戻ってきたらその人達共協力すれば、この魔人もきっと倒せる。勝利の可能性が確かに見えているんだから、今はそこに向かって行動を続ければ────

 

 

 

 

 

 

「……散れ」

 

 

「え…………?」

 

撃とうとした瞬間、再び靄の範囲と密度が増した。靄が膨張する様に、まるで鳥が翼を開くかの様に広がったその、一人の霊装者がきょとんとした様な声を上げた。声を上げて……血飛沫と共に、落下していった。

 

『……──ッ!?』

「次だ」

「……っ…貴様…ッ!」

 

落下していくその人の前に立つ(空中にいるから立つというより浮くというべきかもしれない)のは、ほんの一瞬前まで靄の中心にいた筈の魔人。魔人がそこまで移動する姿こそ俺は…大半の霊装者は見逃してしまったが、この状況が奴によって引き起こされたのは火を見るよりも明らかな事実。だからこそその場にいた全員が目を見開き…その内の一人が、弾かれた様に抜剣して魔人へと向かっていった。……だが、その人も次の瞬間には返り討ちに遭い、最初の人の後を追う様に落ちていく。

 

「は、速い……ッ!」

「今までほんとに手を抜いていただけっての!?」

「ちぃ…狼狽えるな!慌てたところで奴が付け入る隙を増やすだけだ!」

「そ、そうは言いましても隊長…この動きでは…!」

「ならば…私が奴を止めるッ!」

 

殆ど同じ場所から動かず防戦をするのみだった先程までとは打って変わって縦横無尽に飛び回る魔人。これまで俺が戦ってきた魔物とは一線を画す速度で動き、辻斬りが如く進路上付近の霊装者を次々と薙ぎ倒していくこの様子にこちら側は完全に動揺してしまい、魔人の圧倒的能力も相まってまともな迎撃が出来ずにいた。そして俺と言えば…その光景に圧倒され、ぼんやりとどころか完全に傍観者となってしまっていた。魔人からすれば俺もまた、敵の一人なというのに。

そんな中、芯の通った声と共に魔人の行く先へと割り込んだ一人の霊装者。それは、ついさっきも声を上げた警護部隊の隊長だった。

 

「…ほぅ…貴様は有象無象とは少し違う様だな」

「舐めるなよ魔の者。私は警護部隊隊長、拠点を守る部隊の長が弱いとでも思っていたか?」

「確かにそれはその通りだ。…だが、いつまで持つのだろうな」

 

接近と同時に抜刀した警護部隊隊長さんは、その刀で魔人の突撃を受け止める。靄を纏った腕と刀がせめぎ合う中両者は数言会話を交え、そこから近接戦闘へと移行した。

 

「さ、流石隊長…奴を一人で押さえ込んでやがる…」

「い、いや待て…あの動き、隊長は既にフルスロットルなんじゃ…」

「だったら、私達も手助けしないと…!」

 

ここからじゃ遠くて細かな様子は分からないが…どうも隊長さんは魔人と互角というより出し惜しみ無しの全力で何とか動きに食らい付いている…という状態らしい。それでも俺や対応出来ずにいる人達に比べれば凄い訳で、間違いなくこの隊長さんは実力者なのだろうけど……危機的状況だという事は、一切変わっていない。実際それは隊長さんの部下らしき人達による援護射撃を受けても魔人の動きが鈍らない点からして明らかな事。

そして、ここにきてこちら側の問題点が露見した。

 

「えぇい、とにかくこっちは数で勝ってるんだ!とにかく物量を叩き込めば…!」

「そうだ!警護部隊に続くぞ!」

「……っ…待て!それでは奴の思う壺…ぐぁッ!」

「残念だったな、部隊長。数は力となるが…その力は統率あったのものだ」

「……っ!隊長ッ!」

 

警護部隊に続かんと火器を構え直し、反撃行動に出た警護部隊と魔人周辺の霊装者。相変わらず傍観者状態の俺よりずっとその人達は立派だけど…隊長さんと魔人による超高速戦闘の中で、同部隊所属故に統率が取れ互いの動きも分かっている警護部隊だからこそ何とか援護が出来ている中で、そのどちらにも届かない寄せ集めの部隊による攻撃は、残念ながら力にならないどころか警護部隊の邪魔になってしまった。

掌に靄を収束させ、弾丸の様に放った魔人。それを咄嗟に察知し魔人と狙われた霊装者の間に割って入った隊長さんが斬り払ったが…それこそが魔人の目的。隊長さんが迎撃の為に力を割いたその一瞬を突き、一撃で魔人は隊長さんの刀を弾き飛ばしその胴を斬り裂いた。

同時に斬り裂かれたのかライフルの銃身が明後日の方向へ飛んでいく中落下していく隊長さん。……それは、いよいよもって霊装者側の戦線が崩壊する事を意味していた。

 

「きゃあぁぁぁぁっ!」

「くそ…くそがッ!」

 

再び霊装者を狩っていく魔人を前に、一人、また一人と落ちていく。まともに動けずにいる者、何とか状況を立て直そうと声を上げる者、果敢に立ち向かう者…それぞれの反応を見せる霊装者を、それこそ『有象無象』と嘲笑う様に魔人は倒していく。そして次の瞬間……俺のすぐ近くに、一人の霊装者が落下した。

 

「あぐッ……ぅ…」

「…あ……だ、大丈夫ですか…?」

「お、れの事は…気に、すんな…それより…奴、を……」

 

すぐ近くに人が落ちてきて、やっと自分も傍観者ではなく関係者である事を思い出した俺。初めて大怪我をした人を間近に見て動揺しながらも言葉をかけると…その人は、荒い息を漏らしながら魔人を指差した。……その人の指は、その人の瞳は、訴えかけている。奴を…魔人を討ってくれ、と。

 

「……ッ…ぁぁぁぁああああッ!」

 

弾かれた様に飛び上がり、ライフルと砲を放ちながら飛び回る魔人へと突進する。そうだ、何をやってるんだ俺は。俺は戦う為にここに来たんじゃないか。やれる事があると思って、ただ隠れているだけじゃ嫌だと思って戦う事を決めたんじゃないか。だったら、今戦わないで…立ち向かわないでどうするというんだ。

 

「こ、のぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

火器を乱射しながら追いかける。致命傷なんて望まない、英雄的な戦果なんて最初から出来ると思ってない。ただそれでも、何もせず終わる事だけは嫌だ。少しでもいい、僅かでも構わない、だからどんな形でも俺が戦った意味を作り出させれば、それだけで……

 

「────え?」

 

……気付けば、俺は衝撃と共に吹き飛んでいた。何がどうなったのかは分からない。ただ、魔人が方向転換して、それまで追いかけていた魔人が反対に向かってくる形となって…いつの間にか、吹き飛んでいた。

斬り裂かれた、或いは抉られたかの様な痛みはない。何かを損失した感覚もない。そこから予想出来るのは……魔人が纏う靄に交通事故が如く跳ね飛ばされた、という可能性だけ。

 

(…何だよ…何なんだよこの強さ…これが、魔人だって言うのかよ……ッ!)

 

悔しいとか怖いとかではなく、最早意味不明として言い様のない差に歯噛みする。そうして吹き飛ばされた俺に激突の衝撃が走るのは…それからすぐ後の事だった。



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第三十六話 舞い戻る者達

吹き飛ばされた俺が落ちたのは、何と木の上だった。木は天然のクッション…って程柔らかい訳じゃないけど地面やアスファルト、建物や車両なんかに比べるとずっと落下した際の身体的ダメージが小さく、それが大怪我を負うかどうかの境目となる事もある。実際転落事故でも木の上に落ちたおかげで一命を取り留めたなんて話がある位には木の衝撃吸収(分散)能力は凄いのだから……そんな木の上に偶然にも落下した俺は、相当な幸運に恵まれたとしか言い様がない。

 

「痛た…うぇ、口の中に葉っぱが……」

 

ぺっ、と口内に迷い込んだ葉を吐き出しながら身体を起き上がらせる。口の中には苦い味が広がっているし、外気にそのまま肌を晒している手や顔が木の枝に引っかかる事で出来た切り傷がひりひりしているが…後数m違う所に落ちていたら良くて大怪我、悪くて即死だったと考えればそんなの全く気にならない。……最も、まだ安心出来る様な状況じゃないけど。

 

「奴はどこ行った…」

 

首を回して魔人を探す俺。するとものの数秒で空中を疾駆する魔人を見つけ、俺の思考はさてここからどうするか…という段階に移行する。

危うく死ぬところだった俺は、勿論その事に恐怖を感じてはいるし元々1%あるからどうかだった勝ち目への希望はいよいよもって風前の灯火になっている。……けれど、不思議と怖気付いた気持ちにはならなかった。

 

(…いや、作戦なんか立てたところで通用する訳ないか…それより、このままじゃ…このままじゃ無意味にやられただけだ…)

 

冷静、というのとも少し違う。一応しっかりと思考は出来ているし、状況把握も行った。恐怖に駆られたり、怒りに我を忘れてたりもしない。……それでも、後から考えるとこの時の俺は普段通りじゃなかった。上手くは言えないけど、何か衝動に後押しされている様な…そんな状態だったと思う。

 

「……肉薄だ。あの速度じゃ当てる事自体が難しいんだから、とにかく近付かないと始まらない…」

 

装備が破損していないかを確認した後俺は浮上。目的を撃破から部隊帰還までの時間稼ぎにシフトした事で何とか戦闘の定を取り戻した味方と魔人が激突する中、俺は再び砲に霊力を充填させていく。速度も反射神経も、とにかく殆どの能力が俺は魔人に劣ってるんだ。だから闇雲に攻める訳にはいかない…。

 

「…………」

 

タイミングを待つ。待ったところで絶好のチャンスなんか恐らく来ないけど、それでも仕掛けるなら比較的マシな状態で攻めた方がいい。魔人は俺を意識している様子はないから、その数少ないアドバンテージを少しでも活かせる様に……

 

「……っ!今──ッ!?」

 

感覚的に「ここだ」という瞬間に、スラスターを吹かそうとした瞬間に、魔人へと近接格闘を仕掛けていた霊装者が、まるで俺へと突撃してくるかの如く一直線に吹っ飛んできた。

咄嗟にその場から後退し、一瞬の余裕を作った後に胴と空いている右手でその人をキャッチ。当然ながら攻撃の機会を自ら潰す形になったけど…さっき俺は危うく死ぬところだったんだ。この人も地面や建物にぶつかるかもしれないって考えたら…避けられる訳があるかよ……。

 

「うっ……け、結構衝撃が…」

「……っ…す、すんません。助かりました…」

「い、いえ……はぁ?せ、千嵜…?」

「……おぉう…」

 

周りの霊装者については顔や姿をよく見てはいなかったし、吹っ飛んできてる相手をじっくりと眺める余裕なんて微塵もない。だからまぁぶつかってから気付くというのは仕方ないと思う。…それはいいんだけど……

 

 

……日に二回も偶然友人にぶつかる(ぶつかりかける)なんて事ありますかね普通…。

 

 

 

 

御道をキレさせてしまってから数分後。一先ず今はやるべき事があるだろうと考え外へと出た俺は、警護部隊及び緊急出動をした面子に混じって対魔人戦に参加した。

魔人の攻撃、反撃が妙に薄い事を不審に思いつつも射撃をかけていたのが少々前。一転して攻勢に出た事に驚きつつ反撃を試み…たものの思いっきり空振ってたのがほんの少し前。そして今、吹っ飛んだ俺は……御道に助けられていた。

 

「……え、と…」

 

…気不味い。大変気不味い。これまでにも気不味い出来事なんて幾らでもあったが、今回の事は気不味い出来事ベスト5にも確実に入るレベルなんじゃないだろうか…って位気不味いのである。キャッチしてくれた事は助かったが、これならスルーしてくれた方が……いや流石にそれはねぇか。うん、助けてくれた事はほんとにありがたい。…まぁだからこそ余計気不味いんだが…。

 

「あー、えと…そのだな…」

「……今は余計な話してる場合じゃないでしょ。命懸かってるんだから」

「そ、そうだな…分かってんじゃねぇか…」

 

まさか御道が言う側になるとは…とは思うものの、それは紛れもない事実。さっきの事を後回しにしたい訳じゃねぇが、今はそれより考えなきゃいけない事、やらなきゃいけない事がある。

 

「そりゃ分かってるさ。俺だってみすみす死にたくはないからね」

「そらそうだわな…」

 

御道から離れた俺は空中で体勢を立て直す。さて、普通に戦ってもまるで歯の立たない奴に一太刀入れるにはどうしたら……と策を練ろうとしていたところ、隣の御道が突進をかける様子を見せる。

 

「…って待て待て待て!ちょっ、待てや御道!」

「うおわっ!?あ、危なっ!いきなり腕引っ張るなよ!?」

 

動き出した瞬間に俺が腕を掴んだ結果、ガクンとつんのめる御道。

 

「引っ張ってねぇよ、掴んだだけだ」

「そんな細かいところはどうでもいいわ!」

「さいですか…お前その装備で突っ込む気かよ。近距離じゃ大型砲はかなりのデッドウェイトになるぞ?」

「別にゼロ距離射撃しようってんじゃないよ。…いや…これだけの実力差があるんだ、ゼロ距離射撃する位の心持ちじゃなきゃまた跳ね飛ばされるだけか…?」

「…お前……」

 

圧倒的な力を持ち、現に無双状態と言っても過言ではない程の大立ち回りを見せつけている魔人…らしき存在。対して御道はつい先日まで戦いとは無縁だった、どう考えても普通の人間(霊装者だが)。だと言うのに、御道からは気圧されている様子が全く感じられない。俺の予想よりもずっとこの短い間に戦闘を経験してきたのか、一般人離れした精神力を持っているのか、それとも何かが欠落しているのか……ただとにかく、御道は実戦慣れしていない新人…とは呼べない事だけは確かだった。

 

「…折角大仰な砲があるんだから、お前は距離取っての射撃に専念してろ。じゃなきゃ宝の持ち腐れなんだよ」

「そうは言ったって、この状況でちまちま撃つだけじゃ意味は…」

「意味はある。例え楽々対処出来る様な攻撃でも、何度も何度も仕掛けられりゃ少なからず意識は割かれるものなんだよ。人間ちょっと強いだけの風は幾ら受けたって怪我しねぇが、だからって気にならないなんて事はないだろ?」

「…そっか、言われてみれば確かにそうだ…」

「そういう訳だから、変に焦って前に出ようとする必要はねぇよ。……それと、御道」

「…ん?」

「…受け止めてくれて助かった、感謝するよ」

 

去り際の言葉の様にそう言って、俺は再び奴へと向かっていく。後ろから「いやお前は突っ込むのかよ!?」…と聞こえたが、遠距離戦寄りの装備を持つ御道と近接戦寄りの武器構成をしている俺じゃ戦い方も違うんだからそれは当然の事。それに…昔から俺は、敵に向かって突っ込む事ばっかりしてたしな。

 

「ふ……ッ!」

 

相手の動きに合わせて先回りし、先程短時間ながら一対一で相手をしていた警護部隊隊長の様に正面から受け止め…ようとしたが、いとも簡単に弾き飛ばされてしまった。案の定、俺とさっきの隊長とじゃ経験はともかく能力が全然違うらしい。…やっぱ多少は関連しておいた方がいいかもしれないな…。

 

「まだまだ…!」

 

今度は自力で姿勢を立て直し、再度接近をかける。またもや能力の差で門前払い状態の俺だが、ぶっちゃけそっちの方がありがたい。だって吹っ飛ばされるだけなら、奴の動きを見る余裕が出来るからな。

しぶとく仕掛け、その度に吹っ飛ばされるを繰り返す事数回。衝撃で少しずつ身体の節々が痛くなってくるがそれと引き換えに俺は奴の動きを認識していき、そして……何度目なのかはちょっと分からないが、とにかく俺は何度目かの接近で奴の突撃を受け止める事に成功した。

 

「何……?」

「……ッ…やっと届いたぜ…うおっ!?」

 

突撃を受け止めたのも束の間、奴が腕を振り抜いた事で残念ながらまた弾かれてしまった俺。だが、先程までとは違う。一瞬足りとも止める事が出来ずに返り討ちに遭うのと、一瞬でも動きを止められた後に返り討ちに遭うのとじゃ天と地程の違いがある。それに……奴は確かに驚いた様な声を漏らしていたし、な。

 

「いつまでもやられっぱなし、ってのは癪だからな…そこだッ!」

 

それまでは気にも留めていなかった奴も、一瞬とはいえ受け止めた事によって俺を認識する様になったらしく弾いた俺へと急接近をかけてくる。しかしそれを予測していた俺は敢えて姿勢を崩したままでいる事で衝撃をある程度流し、更に直刀の峰で奴手刀の軌道を逸らす事により攻撃を防ぎきった。

無論それは容易な事じゃない。実際俺はまともに攻撃するつもりの奴の攻撃を正面から受け止めるだけの能力はないし、ぶっちゃけ動きも完全に見切れている訳じゃない。…だが、奴が人型である事は俺にとって有利な要素だった。

人型というのは即ち自然と動きも人と似てくるという事で、大概の霊装者にとっては普段慣れてる対魔物ノウハウが通用し辛い分敵としての厄介さは増す。しかしながら俺は、これに該当しないどころかむしろその逆すらあり得る。何せ生まれ変わる前の俺は霊装大戦の最中に軍の霊装者部隊に所属していた人間で、その関係上対魔物よりも対霊装者…人の姿の相手と刃を交える機会の方が多かったのだから。さっき奮戦していた隊長に比べ俺は能力や魔物戦の経験は大きく劣っているだろうが、対人(型)に関しては同等かそれ以上だろうと俺は言えるし、だからこそ今の一撃も防ぎきる事が出来た。……が、それは同時に俺もまた経験でもって何とか食らいついているだけという事でもあった。

 

「……甘いな」

「うぐっ……!」

 

攻撃を逸らすと同時に俺は左手で短刀を引き抜き喉元へと振るったものの、短刀の刃は靄に防がれすれ違いざまに膝蹴りを打ち込まれる。今のは元々狙っていた一撃ではなく可能そうだったから一発引っ掛けておいた、という感じの蹴りで幸い大きなダメージにはならなかったが、このチャンスを取り零してしまった事は非常に痛い。

 

「貴様も少しは見所があるが、先程の奴には劣っている。よくその程度で我の前に出られたものだ」

「生憎何もせずやられるつもりはないんでね。ついでに言えば、俺は死ぬつもりもな……」

「鬱陶しい」

 

蹴られて真横に飛ばされる中、奴の攻撃は続く。一瞬今さっき同様一本で受けてもう一本でカウンター…なんて考えたが、奴の力はそれを許してくれる程緩くは無かった。奴のの攻撃は一撃一撃が重く、スピードも並外れているせいでカウンターどころか両手で直刀を持っていても防御すらままならない。だから結果俺は致命傷を回避するのが精一杯で、次々と攻撃を受けてしまっていた。

 

「げほげほっ…さ、最後まで言わせろよ…!」

 

掌底を直刀の腹で受けた俺は、その衝撃でもって吹き飛ばされる。吹っ飛ばされるのはもうこれで何度目だろうか。…まぁ何度目だろうがどうだっていいが。

俺が吹っ飛んだ先は双統殿の一角で、窓ガラスをぶち破りながら中へとイン。床を転がった後、更なる追撃に備える為跳ね起き直刀を構え直した俺だったが…奴が突入してくる事はなかった。

 

「……今ので仕留めたと勘違い…してる訳はねぇか…だとしたら、取るに足らないとでも思ってんのか…?」

 

用心しながら外へと顔を出すと、奴はまた別の対象へと向かっている。普通に考えれば仕留め損ない又は何らかの罠だと思うが…どうも奴からはここにいる霊装者を(俺含めて)格下扱いしている風に感じられる。…実際これだけの物量差があってさえ劣勢なんだから格下なのは間違いないが…ともかくそんな奴なら俺を確実に殺そうとはしてこないだろう。大方「死んでいればそれで良し、まだ戦えるならまた来た時に改めて仕留めれば良い」…って考えてんだろうな…。

 

「…こいつ、本当に魔人なのか……?」

 

致命傷ではなくとも放っておいたら貧血になってしまう、という事で俺は一先ず傷口を止血。同時に参戦した直後から感じ始め、奴の動きを見ていくに連れどんどんと増してきた違和感に一度向き直る。

奴は間違いなく魔物ではない。魔物とは段違いの動きにエネルギーの靄、人間の言語を理解し扱うだけの知性と完全に魔人の要素を兼ね備えていて、協会の方も奴を魔人と考えている。……だが、本当に奴は魔人なのだろうか?確かに魔人と言って差し支えないだけの力を持っているが、はっきり言って奴の強さは差し支えないどころか魔人の域を超えている様に感じる。例えば前に交戦した身体を伸ばす魔人は時宮一人でも十分に戦えていたが、今いる奴は時宮程じゃないものの現代は勿論大戦時の俺の先輩達と比較しても互角かそれ以上の力を持つ(様に見える)警護部隊隊長相手にすら優位に……しかも固有能力を使わず立ち回っている。…まぁ、奴の固有能力が不可視なタイプだとか戦闘には一切役立たないタイプだとかの可能性もあるが…何れにせよ、恐らく全力ではない状態でここまでやってのける奴が魔人なら、俺の知識や前の魔人はどうなるんだって話。だからもし、魔人に対する俺の認識が正しいのであれば、奴は魔人ではなくそれ以上の存在──

 

「……っておいおい何やってんだよあの馬鹿は…!」

 

…と、そこまで思ったところで俺は部屋から飛び出し戦線に復帰した。

推進器を吹かして上昇し、左手に持った突撃銃で弾丸をばら撒く。その目的は……何故か奴との距離が縮まっている御道が狙われない様にする為。

 

「お前、何前に出てきてるんだよ!そんな装備しておきながら接近戦してみたいのか!?」

「うっ……わ、悪い千嵜。助けられそうな範囲にいる人達の援護をしてたら少しずつ前に出ちゃったみたいで…」

「出ちゃったみたいで…じゃねぇっての…。御道は奴相手に自分の身をきちんと守るだけの力があるのか?無いんだったら安易に援護に向かおうとするんじゃねぇよ。無事援護出来たならそりゃ喜ばしい事だが、逆に援護に失敗してそいつどころか自分までやられたらどうする?狙われてなかった自分までやられたんじゃそれこそ洒落にならないだろ…」

「それは……そう、だけどさ…」

「八面六臂の活躍をするのはエースだけでいいんだよ。そうじゃない奴は変に何でもしようとするんじゃなく、自分の役目に全力を尽くす事こそが味方の為になるんだ。お前も今も俺も、エースじゃないんだからよ」

 

今交戦してる中じゃ比較的自分は狙われ易いだろうと思い、俺は御道から離れる。離れながら……よくもまぁ言ったもんだぜと自嘲的な気分になった。自分はエースじゃないと言いながら、俺は御道へ助けに入った。他人には自分の役目に専念しろと言いながら、自分はその役目を外れて(そもそも役目を与えられて参戦した訳じゃないが)援護なんかしている俺の行動は完全に『人のふり見て我がふり直せ』じゃねぇかよと俺は自分に突っ込みたい。というか現に心の中で突っ込んでいる。全く、俺もしょうもない奴だぜ──

 

「戻るまでに随分かかったな」

「んな……ッ!?」

 

御道から離れた俺は突撃のタイミングを図ろうと……考えた時には奴が眼前に迫っていた。咄嗟に直刀を掲げて防御体勢を取ったものの、奴は手刀の軌道を自ら逸らす事で俺の防御を潜り抜け俺の顔へと腕を伸ばす。

最早回避は不能なその攻撃。だが俺は顔を横に傾ける事でど真ん中から貫かれる事を回避し、頬の表面を裂かれるだけで済ませる事に成功した。今のに関しては奴の狙いが肩や腰を含む胴体ではなく、一応は末端であり胴体よりは位置をズラし易い頭を狙ってくれたのが幸いだったとしか言いようがない。

 

(俺を狙ってたのかよ…ッ!)

 

何とか今の一撃は凌いだが、奴がその一撃だけで勘弁してくれる訳がない。思考も感覚器官もフルドライブで抵抗したって焼け石に水で、俺の傷は増えていくばかり。名も知らぬ霊装者の一人が果敢にも近接格闘で俺の援護に来てくれたが…その人は、片手間の様に奴の殴打を喰らって落ちていった。俺の為に来てくれた、恐らくは勇敢なその人の顔位確認したいというのに、奴はそれすら許さない。…一歩間違えば、俺や御道もああなってたんだよな…。

 

「…しぶといな。強いのは底力か、それとも生への執着か…」

「前者、と言いたいところだが…多分後者、だろうな…ッ!」

 

生まれ変わる前の俺は、今思えば本能的な部分を除いてあまり生への執着が無かった様に思えるが…今は違う。死にたくないとはっきり思うし、それ以上に死ねないと思っている。

俺は死ねない。生まれ変わって一般的な人生を送ったおかげで自分の命が安易に捨てていいものじゃないと分かったし、死んでしまったら恐らくは無念の内に死んでいった親父とお袋を更に悲しませる事になるし、何より緋奈が独りぼっちになってしまう。前に死にかけた時はどこか諦めてしまっていたが、死にかけた事で今の俺がどんな存在なのかと再確認出来た俺は、緋奈を独りぼっちになんて出来ない。時宮なら俺が死んでも緋奈を守り続けてくれると思うが、今の時宮じゃ俺の代わりになんて絶対なれない。そして、もしそうなってしまったら、緋奈は……。

 

(…死ねるかよ…終われるかよ…諦められるかよ……ッ!)

 

歯を食いしばって、持てる力の全てを振り絞って、一撃一撃が致命傷となり得る連撃に抵抗を続ける。抵抗する度数が増え、アドレナリンをもってしても感じる痛みに苦しめられるが、楽になろうとなんて微塵も思わない。俺は死ねないんだから。今死んだらどうしようもない位に後悔が残るんだから。

 

「…その程度の能力でよくここまで持ち堪えたものだ。貴様の精神力は評価に値する。…故に、その精神力の高さを誇りながら…散れ」

 

左腕で直刀を右腕毎弾かれ、手刀による突きが俺の胸元へと迫る。死の間際を表すかの様に視界に映る全てがゆっくりに見えて、それ故もう後退も、迎撃も、直刀による防御ももう間に合わない事がはっきりと分かってしまった。ミスをした訳でも油断した訳でもなく、ただ実力の差で押し切られたというだけの話。奴の言う通り、ここで散っても恥じる事はないだろう。……でも、やっぱり諦められない。

死ぬよりは片腕失った方がマシ。そう思って盾にしようと左腕を伸ばす。間に合ない様な気がするが、そんなの関係ない。腕を貫かれそのまま胸も…という事になりそうだが、そんなの知ったこっちゃない。確率がどんなに低かろうが、何ならゼロだろうが俺は諦めない。死ねないんだから。だから、だから俺は、だから俺は絶対…絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対諦める事なんか────

 

 

 

 

 

 

 

 

……その時、彼女は舞い降りた。あの時と同じ様に、舞い降りると言うにはあまりにも強い勢いで、しかし洗練された動きで彼女は空を駆け抜けていった。

寸前でそれを察知した奴は俺への攻撃を中断し、回避の為に後退。俺と奴の間に割って入る形となった少女に対して奴は攻撃を仕掛けようとしたが……その瞬間、更なる一撃が奴を襲った。鋭い軌道で奴の正面へと躍り出たもう一人の少女は横薙ぎを放ち、奴はもう一度攻撃中断からの後退を余儀なくされた。

 

「危ない危ない…ギリギリセーフって奴ね」

「今のは最高のタイミングだったね。…早く来れた方がもっと良いとは思うけどさ」

 

大槍を、大太刀を構えて奴と正対する二人の少女。──それは、魔人の拠点へ侵攻していた時宮妃乃と宮空綾袮その人だった。



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第三十七話 退けない思い

警護部隊隊長がやられて以降で唯一、曲がりなりにも近接格闘戦を行えていた千嵜。その千嵜が俺や他の霊装者に比べると狙われ易い事は容易に想像出来て、もしそうならば出来うる限りの援護をしようと思っていた俺だけど…戦線に復帰した千嵜には、むしろ(忠告という形で)助けられてしまった。その上それだけならまだしも、俺は魔人に千嵜が猛攻を受ける中で何もする事が出来なかった。正しくは出来たけど役に立たなかった、だけど…結局は同じ事。頑張ったけど無理だったなんて、それは言い訳にしかならないのだから。

また俺は意味を持たせる事なく失敗してしまうのか。不遜にも参戦し、無謀にも突進を仕掛け、今も一瞬でも隙を作らせようと動いたのに、それすらも叶わないと言うのか。勿論俺が大きな何かを成せるなんて思っていないのに、自分で言うのもアレだが多くは望んでいないというのに、それでも何も得られないと言うのか。

畜生、畜生、畜生…ッ!…そう、心の中で悪態を叫ぶ。歯を食い縛って、引き金を引いて、しかし何も変わらない状況なまた悪態を吐いて、最後には思いを抑えきれずに声を上げそうになって…………その瞬間に、綾袮さんと時宮さんが現れた。

 

「…貴様達は…そうか、貴様達がここの中核戦力という事か」

「ふふん、見る目があるねぇ魔人っぽい奴。そう、このわたしこそ双統殿のエースオブエース、宮空綾袮さんだよ!」

「ちょっと、エースオブエース言うなら私の名前も上げなさいよね。あいつに私が貴女より格下だって思われたらどうするのよ」

「え、そうじゃないの?」

「…今この場でそうじゃない事証明してあげましょうか?」

「あははー、敵を前にして何言ってるのかなー妃乃は」

「…………」

「ちょっ、マジな目は止めてよ…冗談だって……」

 

武器を構え、魔人と向き合う綾袮さんと時宮さん。二人の会話は戦場にはびっくりする程似つかわしくない、普段の二人のものだけど…魔人は一見隙だらけな二人にまるで攻め込む様子を見せない。そしてそれが、攻め込まないのではなく二人が攻め込ませないでいるという事位、俺にも理解出来ている。

 

「ったく…この場で行動可能な全員に命令するわ!奴は私達が相手するから貴方達は負傷者の救助に当たりなさい!今ならまだ助かる人も大勢いる筈よ!」

「わたしからも同じ命令を出すよ!それと今は緊急事態なんだから派閥は一旦忘れる事!わたし達は派閥は違えど仲間なんだからね!」

「……っ…り、了解!」

「妃乃様、綾袮様、ご武運を!」

 

雑談が一息ついたところで二人は味方に指示を飛ばす。思わぬ、しかし最高の援軍に呆気にとられていた味方もその言葉を受けて行動を再開し、それまで崩れ切っていた組織的な動きも復活する。

戦列から離れ負傷した霊装者の救助を始める周囲の味方。周囲と同じく驚いていた俺もその動きを見て我に返り、負傷者救助に参加する。

 

「確か、俺がいたのは……」

 

下降し、俺が飛翔する直前にいた場所へと向かう。もしまだ救助されていないならその場所には先程俺が言葉を交わした人がいる筈で、あの人が負っていたのはどう見ても軽傷ではない。…動揺してたしあの人自身救助より撃破を優先してほしそうだったとはいえ、目の前にいる怪我人を放置なんて碌な事してないな、さっきの俺…。

 

「……いたッ!」

 

倒れている彼の数m前で着地し、すぐ隣へと駆け寄る。その人の下には血溜まりが出来ており、俺の言葉に対する反応も無くて一瞬血の気が引いたが…手首に指を当てると、脈動を感じる事が出来た。脈があるなら、まだ死んじゃいないって事だよね…ふぅ、それなら一安心……

 

「…って安心してる場合じゃねぇよ…!」

 

一先ず生きてるとはいえ、医者じゃなくても今の彼が相当ヤバい状態だって事は一目で分かっている。え、ええとここから俺はどうすれば…ええい、取り敢えず救助活動中の味方に着いていくしかないか…!

 

「放置してしまいすいません。きっと助かります、だからもう少し耐えて下さい…!」

 

意識のないこの人には恐らく聞こえていないのだろうけど、願いも込めてそう言葉をかける。そうして俺は他の霊装者の後を追って彼を双統殿の中へと送り届け、そこから指示を受けてまた別の人の救助に向かうのだった。

 

 

 

 

救助というのは普通、一人に対して複数人で行うもの。その最たる理由が一人で人を運ぶ事の難しさによるものだけど…霊力によって身体能力を強化出来る霊装者は違う。未成年でも大の大人を安定して運ぶ事が出来る為に、霊装者による救助はその中にまともな救助訓練を受けていない者(例えば俺とか)がいるにも関わらず、かなり素早く進められた。

 

「この周辺には…もういないか…」

 

指示された場所を一通り探し終え、自分の中で結論を出す俺。これが正式な作戦での救助なら作戦参加者の名簿と照らし合わせて誰がまだ確認出来ていないか分かるんだろうけど…それは無い物ねだりというもの。だからここにはおれの見立て通りもういないのだと信じるしかない。

 

「…………」

 

空を見上げれば、そこでは二人と魔人が激突している。これまでは警護部隊隊長さんや千嵜が相手の時に多少見せるだけだったその実力を遺憾無く発揮する魔人と、二人がかりとはいえその魔人を相手に一歩も引かない戦闘を繰り広げる二人の様子は本当に別次元の域で、遠くで見ているだけでも圧倒されてしまう。…これが本来の力だって言うなら…そりゃ、俺なんて敵としての認識すらまともにされないに決まってるよな…。

 

「…………」

 

弱い事は仕方ない。まだまだ俺は勉強中訓練中の身で、現状得意と言えるのが霊力量に物を言わせたごり押しのみなんだから、洗練された技術と能力を持つ相手には敵いっこないって最初から分かっている。…けど、それが分かっていたって……

 

「────綾袮さんっ!」

「え?この声って…あ、顕人君!?あれ!?なんて君が出てるの!?」

 

……気付けば、魔人と対峙する二人の方へと向かっていた。あろう事か俺は、救助活動ではなく…戦闘に参加しようとしていた。

 

「それは…そうすべきだと思ったからだよ!そう思ったから参戦して…今もここにいる!」

「え、あ、うん…きょ、今日はいつになくハイテンションモードだね…」

 

そう、今の俺は少しテンションが上がっている。…と、いうより何かスイッチが入ったんだと思う。だって、虚しいじゃないか。何度も意味のある行動をしようとして失敗して、状況に振り回されて、意気込んで出てきた癖にこのザマで、それで『もうこの二人が来たから大丈夫だ』…なんて思って戦列を離れるなんて、虚しくて虚しくてしょうがない。夢を諦められないから無謀な戦いを挑んで、望んだ未来へ進む為に霊装者になったというのに。初陣の時、自分のなりたい姿を再認識した筈なのに。それなのに、ここまで情けないだけの結果を作ってフェードアウトなんて……出来ない。出来る訳がない。出来る筈がない。

 

「綾袮さん、時宮さん。邪魔はしないって約束する。だから俺に支援射撃をさせてほしい」

「はぁ!?…顕人、貴方何言ってるのか分かってるの?」

「分かってる。身の程知らずな事言ってるってのも理解してる。…でも、頼む…俺にも戦わせてくれ」

「それは身の程を理解してる人の言葉じゃないでしょ…止めておきなさい。貴方の…いいえ、普通の霊装者の出る幕じゃないわ」

「…………」

「それは聞けないって顔してるわね…はぁ、綾袮。貴女からも何か言って頂戴。というか私より先に綾袮が説得しなさいよ…」

 

千嵜とは違う、上の立場の人間としての雰囲気で時宮さんは俺へと下がるよう言ってくる。端からすれば正しいのは時宮さんの方で、俺自身理性的な部分では救助に回るべきだと分かってはいるが…首を縦に振ろうとは微塵も思わなかった。

そんな俺の心持ちを察したのか、時宮さんは綾袮さんにバトンタッチ。……けど、そこで綾袮さんが口にしたのは意外な言葉だった。

 

「わたし?うーん……じゃあ顕人君、邪魔になったら蹴っ飛ばすかもしれないけど、それでもいい?」

「……っ!も、勿論…勿論それで構わない!」

「ちょっ、綾袮!?貴女ここにいるのを許す気!?」

「いやほら、今の姿見れば分かると思うけど、顕人君って偶に凄い大胆な事するんだよ。だから大胆な事しそうな感じなら、目の届く範囲に居てもらった方が何とかなるかなーって…」

「な、何よその理由は…理由も貴女がそんな事言うのも意外なんだけど……」

 

綾袮さんが参戦に対し肯定的な意見を述べた事に歓喜する俺だったが…理由は完全に困った子にたいする対応の類いだった。……けど、それだって構わない。それに綾袮さんが俺に対して保護者としての考えも持ってるって事は、少しだけど分かっていたから。

 

「とにかく、わたしと妃乃で上手く立ち回ればいいんだよ。わたし達なら何とかなるって」

「貴女ねぇ…はぁ、だったら顕人。貴方は役に立たなくてもいいから邪魔にだけはならないで頂戴。キツい事を言うようだけど、今の貴方の実力なんて高が知れてるんだから」

「…無理言ってごめん」

「謝る位なら素直に下がってなさいっての…じゃ、救助は一通り出来たみたいだしこれからは本格的に奴の討伐を狙っていくわよ」

「……だったら、俺にも加勢させてくれや」

「だからなんでこの戦いに参加したがる奴がいるのよ……って、悠耶!?あ、貴方何してるのよ!?」

 

辟易とした表情を浮かべる時宮さんは、気持ちを切り替える様に頭を振るい……先程俺が声を上げた際の綾袮さんが如く、素っ頓狂な声を発した。その原因は…言うまでもなく千嵜に、救助活動中は一度も姿を見る事の無かった千嵜にある。

 

「何って見りゃ分かるだろ。俺は物事に優先順位を付けるが、優先順位が低いものは全部無視するって訳じゃないからな」

「貴方の信条なんか訊いてないわよ!それにその包帯…大丈夫なの…?」

「無事じゃないが、大丈夫だ。戦えないのに最前線に出てくる程俺は馬鹿じゃねぇよ」

 

そう言って千嵜は刀を抜き、その斬っ先を魔人に向ける。魔人の方といえば、何を考えているのか俺達が会話している間、何故か一度も攻撃をする素振りも気配も見せてこない。それはありがたい事ではあるけど…同時に不気味も感じてしまう。

 

「でもさ悠弥君、悠弥君は今軽傷とは言え手負いでしょ?ちゃんと力発揮出来る?」

「大丈夫だ、宗元さんに万全じゃない時でも最善を尽くせるよう指導は受けてるからな。…それに、俺はこの馬鹿のフォローに徹するつもりだ。そっちも御道に誰か着いてた方が気が楽だろ?」

「…それは、そうね…悠弥にしては結構ちゃんとした事言うじゃない」

「え…あの、俺ってそういう扱い…?」

『そうだけど?』

「ですよねー……でも、俺は退かないよ。分かっていても、俺は戦う」

「もう言わなくても分かってるって…じゃ、悠弥君。顕人君を頼むね」

 

ふわり、と霊力の翼を軽くはためかせて俺と千嵜から離れる綾袮さんと時宮さん。二人は空中に鎮座する魔人へと近付き、それぞれの得物を構え直す。

再び張り詰めていく雰囲気。一触即発の空気が、俺達を包んでいく。

 

「作戦会議は終わったか、力ある霊装者」

「作戦会議なんて大したものじゃないわよ。しかしそっちも話してる間ずっと待ってくれるなんて、随分と余裕があるのね」

「ふん、気を抜いている様に見せかけいつでも迎撃出来る体勢を作っておいてよく言う…」

「あちゃー、バレてたみたいだね。やっぱこいつ、魔人以上の存在かも。だからさ…」

 

 

「──久し振りに二人で頑張ろっか、ヒメ」

「──そうね。いくわよ、アヤ」

 

 

 

 

霊源協会を率いる両家の子息である、時宮と宮空。二人…特に時宮の方は本物の実力者だと既に重々承知だったし、この二人なら奴に対抗出来るんじゃないかとも思っていた。……が、はっきり言って今の状況は予想外だった。

魔人らしき奴は靄を纏わせた殴打と蹴り、それに靄自体を放つ事で隙のない攻防を作り上げている。それは常人はおろか、霊装者ですらまともに対応出来ない程熾烈で苛烈な動きなのだが…二人はそれに対応していた。俺の様にギリギリ致命傷を避けるでもなく、あの隊長の様に全力全開で何とか喰らい付くでもなく、完全に拮抗した戦闘を繰り広げていた。

恐らくだが、時宮と宮空の両方が個々では奴に及ばないのだと思う。にも関わらず拮抗しているのは、一重に二人の連携能力が生み出しているもの。一方が正面から攻め込んだ時にはもう一方が側面から回り込み、一方が引けばもう一方が割って入り、時には同時に時にはバラバラに動き回る。それはまるで二人ではなく一人で戦っているかの様で、連携の乱れは微塵も見受けられない。一糸乱れぬ動き、という言葉はこの二人の為にあるんじゃないか…そう思ってしまう程、二人の連携は卓越していた。

 

(……凄ぇ…)

 

集団戦において連携は必須とも言える要素。まともな戦士や軍人ならば連携の訓練は受けているし、連携能力は意識するだけである程度伸びるもの。…とはいえここまでハイレベルの連携を見るのは始めてだった。最早芸術と言っても差し支えない程の連携能力は、見ていて惚れ惚れしてしまう。しかもそれをするのが個人でもトップエース級の二人なのだから、敵からすればこれは脅威以外の何物でもない。

……だが、その敵は現在二人と拮抗している。これだけの力を持ってしても、あの敵を押し切る段階には至っていない。…という事は、やはり……

 

「…魔王級、なのか…?」

「……魔王?…え、何その更なる上位存在的なやつは…」

「あぁ?……あ、知らないのか…」

 

俺としては独り言のつもりだったが…どうも御道には聞こえていたらしい。…そりゃ、隣にいるんだし聞こえたっておかしくはないが…。

 

「…魔王っつーのは、今御道が言った通りの存在だ。魔人以上の強さと脅威度を持ち、発見報告なんざ一生に一度聞くかどうかレベルの怪物…それが魔王だ」

「じゃあ…いるかもしれない複数の魔人の一体って、まさかこいつ…?」

「かもな。ぶっちゃけ魔王は滅茶苦茶強い魔人の通称みたいなもんで魔物と魔人みたいなはっきりとした区別がある訳じゃねぇし、その可能性は十分にある。……まぁ、それもこの戦いを無事乗り切ってからじゃねぇと確かめようがないけどな」

「…あの綾袮さんと時宮さんでも負けるかもしれないって言いたい訳…?」

「少なくとも、安心出来る状況じゃねぇな…」

 

あからさまに無理をしている様子はないとはいえ、二人共本気で戦っているのは確実。それに考えてみればこの二人は作戦領域からここへと文字通りぶっ飛んできた身なのだから疲労していない筈がなく、もしかしたら向こうで既に少なからず戦闘をしてきている可能性もあるのだから、それを踏まえて『今拮抗しているのだからまあ大丈夫だろう』…なんて思考をする様な楽観的頭脳を俺は持ち合わせちゃいない。本気の様子、連戦という形…という要素は魔人…ではなく魔王にも該当するからそういう意味じゃ対等かもしれないが…魔王に『対等の条件』じゃキツ過ぎる。

 

(…なら、どうする?勝てないかもしれないなら…どうする?)

 

逃げるという選択肢は……無い。魔王に目を付けられている以上逃げたって無駄だろうし、自分だけ助かろうとする様な下衆にはなれない。何よりここには友人やら恩人やらがいるんだから、逃げるなんざ無いというか論外の話だ。……で、そうなりゃまず思い浮かぶのは俺が援護に入る事だが…接近戦主体の俺が行っても御道以上の邪魔になってしまうのが関の山。だとしたら…やっぱ、これしかないよな…。

 

「…御道、どのタイミングで撃つかは俺が指示する。奴が二人の連携を突破してきたら確実に一瞬は俺が止める。だからお前は、射撃に集中しろ。ミスや反撃の事の備えは二の次でいい」

「え……?」

「お前二人の力になりたいんだろ?…俺だって勝率を上げる方法があるならそれに尽力するし、今の出来る最大最高の策がこれなんだ。……だから頼む、手伝ってくれ御道」

 

身体はおろか目線すら御道に向ける事はせず、巻き起こっている攻防へと意識を集中しながらの…要はものを頼む態度としては0点の言葉。…………だが、

 

「……分かった。千嵜…頼むよ」

「…おう」

 

俺の提案に対し、御道の返答はいつも通りのものだった。いつも通りの、御道らしい返答。……ったく、お人好しは戦場でも変わらないんだな…。

若きトップエース二人が戻った事で、更に苛烈さを増した双統殿前での戦闘。その結末がどうなるのかは……まだ、分からない。



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第三十八話 四人の奮戦

わたしとヒメは、大を三つ四つ付けてもいい位の親友だって思ってる。まだまともに喋る事も出来ない頃から遊んでる幼馴染みで、同じ立場だからこそ気心が知れていて、お互い才能に恵まれていたからライバルにもなれて……まぁとにかく、なんならもう家族って言っちゃってもいいと思うんだよね。その場合わたしがお姉さんかな〜、ヒメってちょっと頭固いところあるし、考えてばっかりだから、柔軟性のあるわたしが助けてあげなきゃいけない感じあるもん。……って違う違う、そんな話じゃなくて…そういう事もあって、わたしはヒメの動きが手に取る様に分かる。流石に二十四時間三百六十五日…なんてレベルじゃないし、昔に比べて今は一緒にいない事も増えたから、分かる範囲は狭まっちゃったけど……それでも、無意識にお互い昔の呼び方をする様な時は、わたし達の間に確認作業なんて必要ないんだよね。

 

 

 

 

「ふ……っ!」

「よ、っとぉっ!」

「そこ……ッ!」

 

斜め回転からの斬撃を放つヒメ。それを魔人…じゃなくて魔王なんじゃないかと思う位に強い襲撃者は回避。でもそれを予測していたわたしは回避先へと回り込んで、叩き付ける様に大太刀を振るう。魔王はまた回避。今さっきのわたしと同じ要領で刺突に入ったヒメの攻撃は、靄を纏った両腕で防御。…ここまでの流れにかかった時間は、僅か数瞬。

 

「良い、良いぞ…やっと我が出向いただけの甲斐がある例装者に出会えたというものだ…!」

「それはどーも、わたし達的には来ないでほしかったんだけどね!」

 

ヒメの攻撃で一瞬止まった間にわたしは魔王の背後に迫り、下段から一撃。腰から肩までばっさりやっちゃうつもりだったけど…わたしの攻撃も収束させ壁の様になった靄をによって防がれてしまった。ヒメの大槍と魔王の両腕、わたしの大太刀と魔王の靄の塊がぶつかり合う。

 

『……っ!』

 

魔王の肩越しに目の合ったわたし達は、それだけで息を合わせて魔王から後退。同時に霊力の翼を操作し、わたしとヒメによる左右×2の四方向攻撃を魔王へと仕掛け……たけど、それも魔王には届かない。

上へ飛ぶ事で回避した魔王は、お返しとばかりにわたし達へと光弾を飛ばしてきた。それをそれぞれで斬り払ったわたし達は、一旦魔王から距離を取って合流する。

 

「ここまで強い奴と戦うのなんて、いつ振りかな…」

「どうだったかしらね、もしかすると初めてかもしれないわよ?」

「それもそうかも…はぁ、こういうハプニングはやだなぁ…」

「こういうハプニングが好きな人はそうそういないでしょうね…」

 

合流したからって、別に作戦会議したりはしない。ただちょっとお喋りをするだけ。だって作戦会議なんてしなくても意思疎通は出来てるし、目的はお互い相手がまだ元気かなって確認する為だもん。後は心を落ち着かせるってのもあるかな。

 

「…よっし、もっかいいくよ!」

「言われなくても!」

 

まだまだ戦えるって分かったところでわたし達は解散。二人で別々の軌道を描いて魔王を翻弄しながら攻撃タイミングを計る。そうして先に仕掛けたのは、上方から接近をかけたヒメ……ではなくヒメの突撃からほんの少しだけタイミングをずらしたわたしの方。ちらりと魔王の視線がヒメへと行っている隙に、下方から肉薄をかける。

 

「とりゃぁっ!」

「ふん……」

「ふん、じゃないよッ!」

 

脇構えから横薙ぎ。それを腕で受け流された瞬間力の入れ方を少し変えて、そこから全力の連撃にシフトする。天之尾羽張は大太刀で、あんまり手数に優れてる武器じゃないけど…それを能力と技術でカバーしちゃうのが天才ってもの。遠心力を使ったり、体重移動を利用したり、時には型も何も無い滅茶苦茶な動きも混ぜたりする事で斬撃を絶やさず魔王を攻め続ける。

対する魔王は防戦一方…だけど、動きからしてわたしが隙を見せるのを待っている様子。それはつまりわたしの攻撃を冷静に見れているって事で、攻撃が絶えた瞬間鋭い反撃が飛んでくるって分かってしまうは正直心臓に悪い。けどいいもん。だって……

 

「これなら……どうよッ!」

 

数十にも及ぶ(正確な回数はちょっと分かんないや)連撃の末、一瞬途切れたところを即座に狙ってきた魔王。魔王の抜き手を大太刀の腹で受けたわたしは完全に攻撃が止まってしまったけど…その瞬間、わたしが仕掛けてる間に距離を取って加速準備を整えていたヒメが強襲。真上からのランスチャージを受けた魔王は腕で防御したけど、そのまま電車に撥ねられたみたいに下へと押し込まれていく。それを見たわたしは「ひょっとしたら地面に叩き付けられるかも…」なんて思ったものの…魔王はそんなに甘くなかった。

 

「今のは…流石に驚いた……!」

「……っ…どんな身体してんのよ…!」

 

ヒメのランスチャージを受けた魔王は防御をしたまま無理矢理身体を捻ってヒメへとキック。それをヒメが避けた事で力が僅かに緩んだ瞬間を狙い、身体を回転させて地面への押し込みから逃れてしまう。勿論わたしは何があっても大丈夫な様ヒメが通り過ぎた時点で後を追っていたけど、流石に予想外の動きをされたら『避けた先に予め攻撃を…』なんて真似は出来ない。

 

「では、次はこちらから仕掛けようではないか」

「うわ、っとと!?」

「ちぃ……っ!」

 

わたしとヒメの中間辺りに滑り込んだ魔王は、両手をそれぞれわたし達に向けて靄を収束させた光弾を発射。それをわたし達が斬り払って上下から斬り込んでいくと、今度は靄でわたし達の攻撃を防御。さっきみたいにまた押し合いになるのかと思いきや……魔王は靄を破裂させてきた。

特にダメージは無かったけど、二人まとめて弾かれてしまったわたし達。そこから魔王はヒメに向かってドロップキックを敢行し、ヒメは咄嗟に大槍の柄で防御……したけど、それは攻撃じゃなかった。柄で受け止められた魔王はそれが予定通りだったと言わんばかりに即膝を屈め、ヒメ諸共大槍を踏み台にわたしへと突っ込んでくる。

勢いよく飛び込んでくる魔王と、姿勢を立て直しつつ防御体勢に移ろうとしたわたし。これを受け止めるのは一筋縄じゃいかないかもとか、これも攻撃と見せかけた陽動なのかもとか頭の中では考えつつも、目はしっかりと魔王を見据えてわたしは防御を……

 

「む……!」

「……!そこっ!」

 

──その瞬間、斜め下から魔王の眼前に霊力のビームが駆け抜けた。その横槍によって魔王は一瞬動きが止まり、それを見逃さなかったわたしはもしやと思いつつすぐに防御体勢を解いて攻撃の為接近。その中でちらりと目だけを動かしてビームの発生源を探ると……ビームの発射主は、やっぱり顕人君だった。

 

 

 

 

「ちっ、ギリギリで反応しやがったか…」

 

綾袮さんと魔王がせめぎ合い、その背後から時宮さんが強襲をかける中で千嵜は舌打ちを漏らす。今砲撃を行ったのは俺だけど…千嵜の指示を受けての砲撃なのだから彼が不満気にするのも当然の話だ。

 

「まあでも、二人の援護にはなった…」

「そりゃ結果論だ。今回いい方向に転がってくれたからって、次もそうなるとは限らねぇよ」

「……了解、次の指示頼む」

 

真面目に魔王が戦い始めて以降はほぼ空の賑やかしにしかなっていなかった俺の射撃が、ここまで惜しく且つ二人への援護となった事は自分からすれば素直に嬉しいし、千嵜の持つ経験が伊達じゃないんだって証明する結果でもあった。……けど、千嵜のクールな判断を受けて俺も再び気を引き締める。こんな事で喜んでたら、勝てっこないって事だよな…。

 

「分ぁってる。…もう少し予測射撃の距離を広げるか?それとも止まった瞬間をピンポイントで狙うか…いや、止まった瞬間は時宮達の攻撃と被る可能性が高いな……」

 

二人と魔王の動きを目で追いながら思考を巡らせる千嵜。普段千嵜は感性型…というより物事を適当に決めてる節があるけど、今の千嵜からそれは微塵も感じられない。…割と料理も上手だし、こいつはやる気さえ出せば優秀な人間なんじゃないだろうか。この場には全く関係ないけど。

 

(…っと、何人任せにしてんだ俺は……)

 

砲撃指示は千嵜に任せているとはいえ、ぼーっとしている事など愚の骨頂。動きを見ておかなければ指示を受けても反応出来ないし、自分の糧にする事が出来ない。まだまだ俺は弱いんだから、吸収出来るものは片っ端から吸収していかないと…。

いつでも最大出力の一撃を撃てる様準備をし、戦闘を追いながらも身体の力を抜いて千嵜の指示を待つ。指示を反射的に実行する為には余計な事を考えない様にしなければいけないから極力雑念を廃し、でも吸収の為一部で頭をフル回転。正直自分でも力を入れているのか抜いているのか、思考をしてるのかしてないのかよく分からない状態が数十秒から数分程続いて……また、その瞬間はやってくる。

 

「……っ!魔王の背後約10mッ!」

「……──ッ!」

 

弾かれる様に砲の向きを魔王の背後へ向け、当たってくれと願望を込めて霊力ビームを放つ。俺の放ったビームは勢いよく伸び大凡千嵜の指示した通りの位置へ。…しかし、伸びるビームの先端が魔王を捉える事はない。

失敗したか、と一瞬思った。千嵜の読みが外れたのかとまずは思った。……が、そう思う最中魔王が俺の砲撃に気付かない様子で未だ射線上へと残るビームに向かって近付く姿を見て、気付いた。今の指示はこちらから当てる目的の攻撃ではなく、相手が引っかかるよう『置いた』攻撃だったのだと。

ビームに触れる寸前に気付き、靄で壁を作る魔王。それはビーム自体が消えかかっていた事もあってあっさりと防がれてしまったけど……その魔王へと二振りの刃が襲いかかった。左右から綾袮さんと時宮さんが位置をずらして斬撃を仕掛けて、そして……

 

「……やっと、捉えたわよ」

 

時宮さんの大槍から落ちる、魔王の血。それは極僅かな量で、魔王が受けたのも戦闘能力の低下にはほぼ繋がらないであろう小さな切り傷。……それでも、確かに魔王は傷を負った。綾袮さんと時宮さん、その両方の攻撃を完全に避け切る事は出来ず、魔王の鼻先は槍の穂先に捉えられて血を流していた。

どくん、と胸が大きく躍動するのを感じる。それは血を見たからじゃない。遂に攻撃が通ったから…というのも少し違う。そうじゃなくて……今の俺の砲撃は、今の一撃において注意を引くという活躍をした。その事により、傷という形を持った結果が現れた。そう…今の俺の砲撃は、間違いなく意味があったんだ。

 

「……まだ笑っていられる状況じゃねぇよ、馬鹿」

「…え…わ、笑ってた…?」

「あぁ、あんまお前らしくない笑みをな。…気ぃ引き締めろ、軽傷でも一撃貰ったんだ…奴がマジになってもおかしくねぇんだぞ」

「…すまん、気を付ける」

 

どうも俺は喜びが顔に出てしまっていたらしく、またも千嵜に注意される。我ながら単純な奴だな…と自嘲しつつ目を凝らすと、二人に刃を向けられている魔王は鼻先から垂れる血を指で拭いつつ……こちらを見ていた。

 

「……っ…」

 

俺は視力に自信がある訳じゃない。けど、魔王がこちらを…俺を見ているという事は、はっきりと分かった。脅威だと認定されたのではないと思う。千嵜のフォローを受けても所詮俺は霊力量だけが取り柄の雑魚で、魔王相手に脅威となれる筈がない。だから恐らく、俺は魔王から『邪魔』だと思われたんだろう。放っておこうと思えば放っておけるし、真面目に相手をするのも面倒だが処理しておいた方が戦い易い…そんな辺りの認識を、俺は受け──

 

「…目障りだな」

「……っ!顕人君ッ!」

 

……その瞬間、俺と魔王の距離は一気に近付いていた。魔王の目的を察知した時宮さんが割って入ったけど魔王はその時宮さんの大槍を掴み、綾袮さんの方へと投げ飛ばす事で一瞬二人を無力化し、その間に俺へと肉薄してきたのだった。

不味い、と思った時にはもう遅い。ライフルを向ける時間も砲の照準を合わせる余裕もなく、せいぜい俺に出来たのは僅かに後退する事位。どう考えても俺は攻撃の阻止なんて出来よう筈がなく……しかし、そこで千嵜が動いてくれた。

 

「新米虐めは止めてくれませんか、ね…ッ!」

「どけ、貴様の相手は後だ…!」

 

斜めから俺と魔王の間へ滑り込み、突き付ける様にライフルを向けた千嵜。魔王が千嵜に触れるよりも早く発砲音がその場で響き、1mもない距離から弾丸が魔王の顔面へと……届く、筈だった。けれど、届かなかった。顔の僅か数㎝前で靄によって阻まれ、弾丸はその場で停止してしまっていた。

綾袮さんと同じ様に千嵜も投げ飛ばされ、今度こそ魔王の攻撃を阻止する者がいなくなる。千嵜の作ってくれた一瞬でライフルを向ける事は出来たけど…今更この距離で、ライフル弾数発じゃ……

 

「──顕人君!動かないでッ!」

「む……!」

 

聞こえたのは、何かが凄まじい勢いで風を切る音。それに気付いたのは俺より魔王が先で、奴は俺への攻撃を中断するのと同時に反転しその音の発生源……飛来する斬撃を受け止めた。

魔王の腕と靄に阻まれ四散する斬撃。けれどその後を追う様に綾袮さんが魔王へと肉薄し、魔王へと更なる攻撃を仕掛けていく。

 

「……っ…綾袮さん、それに時宮さんと千嵜もごめ──」

「顕人君!今の攻撃はよかったよ!さっきは蹴っ飛ばすとか言ったけど…それでも最大限わたしは君を守るから!だから顕人君も……全力を尽くしてッ!」

 

大太刀で魔王と斬り結びながら、反射的に謝ろうとしていた俺へ綾袮さんは声を投げかけてくる。魔王に弾かれ最後の一言は吹っ飛ばされながら発する形になってしまっていたけど…その言葉は、俺の心の中で燃えていた炎を更に力強くさせた。

腕を動かし、ライフルの砲口を魔王の方へ。腕を振り抜いたばかりの魔王に向けて、射撃を放つ。

 

「ばら撒く……ッ!」

 

相変わらず俺の攻撃は靄によって軽々しく防がれ、もう悲しくなったしまう程放った弾丸は豆鉄砲状態。けれどそれでいい。ほんの僅かでも意識を俺の側に持ってこさせる事が出来れば、その隙間を綾袮さんと時宮さんが突いてくれるのだから。

 

「上手く合わせなさいよッ!」

「言われなくても…ッ!」

 

側面から大槍を構えた時宮さんが強襲。対する魔王は蹴りで時宮さんの迎撃を図るけど…攻撃の当たる距離へと入る直前で時宮さんは離脱。その結果魔王の迎撃は空振りし……彼女の背後から現れた千嵜が斬りかかる。

一瞬の時間を作って跳ね飛ばされてから今に至るまでの短い間に意思疎通を図った様子の千嵜と時宮さん。それによって生まれたのが今の二段攻撃だと、俺は思った。そして、魔王は二段攻撃だと『思わされ』た。

 

「その程度、後手に回ろうと遅れは取らん…!」

「だろう、なッ!」

「何……!?」

 

現れると同時に攻撃を放った千嵜だけど、魔王は落ち着いた様子で靄の壁を作り、その裏で腕を突き出す体勢を見せる。……が、千嵜は靄の壁に自身の刀が触れた瞬間腕を引っ込め後退した。力を込める事も、別方向から攻撃する素振りも見せずに、あっさりと千嵜は退いてしまった。

本命に見せかけた時宮さんが引っかけを行い、能力の劣る千嵜が逆に本命の攻撃を敢行する。そういう二段攻撃だと俺も魔王も思っていて、千嵜の攻撃を阻止した時点で終了だと思ってしまっていて……だから、フェードアウトしていた筈の時宮さんが風を唸らせながら再度の突撃をかけてきた瞬間には心底驚いた。

 

「いつまでも…余裕ぶってんじゃないのよッ!」

「……っ…舐めるな…!」

「なら、わたし達の事も舐めないでよねッ!」

「く……!」

 

再びランスチャージを魔王に叩き込んだ時宮さんは、先程同様その突撃で魔王を進行方向へと押し込んでいく。

前のランスチャージと違う点は二つ。一つは意表の突き具合が先程より深いという事。そしてもう一つは…迫るのが地面ではなく、牙突の様な構えで待ち構える綾袮さんであるという事。一層対応が遅れた状態で、ただ待っているだけの地面の数百倍の脅威度を持つ綾袮さんが刻一刻と迫るのだから、魔王としてはたまったものじゃないだろう。もしかしたら、それで決着が着いてしまうかもしれない。…けれど、俺は動く。感覚器官全てで可能な限り情報を集め、限られた知識で力一杯(思考について力一杯、と言うのは表現的におかしい気もするけど)先の展開を推理し、その時俺が出来る事を出来る位置に、状態にいようと飛ぶ。だって、綾袮さんは俺に全力を尽くせと言ったから。全力を尽くしてって、言ってくれたから。綾袮さんも、千嵜も、時宮さんも全力を尽くしていて、俺は傍観者ではなく戦ってる一人なのだから。だから、俺は……

 

(──俺も、全力を尽くす…ッ!)



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第三十九話 一先ずの決着

時宮家に生まれ、次代の時宮家と霊源協会を背負う者として幼い頃から育てられていた私にとって、アヤこと宮空綾袮は誰より心を許せる相手だった。でもそれは別に家族が信用出来ないという事ではなくて、むしろお母様もお父様も、お祖父様もお祖母様も嘘偽りなく信用と尊敬のおける相手だと思っている。…けれど、だからこそ私は家族の前では時宮家の娘として相応しい姿でいたくて、『時宮』妃乃として親に甘える事はあっても、時宮『妃乃』として甘える事はほぼなかった。……そんな私だから、私とほぼ同じ立場で、でも私とは真逆の性格をしているアヤには一人の女の子として、幼馴染みとして接したくて、姉妹の様に仲良くなれたんじゃないかと思う。…まぁ、姉妹で例えるなら私が姉でしょうね。アヤは見ての通りの性格だし、良くも悪くも素直だから私が助けてあげなきゃ色々危なかっかしいもの。……って、話が逸れたわね…こほん。そういう事もあって、私とアヤは戦闘中においては以心伝心。それに私達は才覚にも恵まれているから自分でも文句無しと言える程連携は高度で、最近は二人で戦う事は少なくなったけど……今でも私とアヤで組むのがベストだって断言出来る。……けど…今日、魔王と戦っている内にほんの少しだけど思うようになったわ。私とアヤの連携はもうこれ以上ない位のもので間違いないけど、もっと私達は強くなれる可能性に溢れてるのかも、って。

 

 

 

 

私が陽動の陽動をするから、貴方は陽動をして頂戴。御道への攻撃に割って入って弾かれた俺が立て直した時、俺の隣に来た時宮からの言葉はたったそれだけだった。伝わるかどうかで言えば、一応その意図は伝わるが……もうちょっと言葉が欲しかった。時宮はそう言ってすぐ行動開始してしまったが、もし俺に上手く伝わってなかったらどうするつもりだったのだろうか。

それはさておき時宮がどういう攻撃を仕掛けるのか言われた俺は、早速動いた時宮を追って飛行。スピードも機動力も俺は時宮に劣るものの、時宮は霊力の翼を普段より大きく広げて俺を隠してくれたおかげで魔王に気付かれる事なく追随する事に成功し、彼女が一旦離脱するのと同時に俺は斬り込んだ。斬り込んで、ギリギリ反応するのを視認して、防御されたのも確認して……即俺は離脱する。俺の役目は一度『俺が攻撃担当』と誤認させる事だけだから、それが成功した以上は無理に攻める必要はないし残っても本命である時宮の邪魔にしかならない。そうして二重陽動の結果魔王は作戦通り誤認して……ランスチャージを回避出来なくなっていた。

 

(いけるか……!?)

 

宮空の前へと押し込まれていく魔王の顔に、余裕の色はない。今度は時宮も簡単に妨害される様子はなく、待ち構える宮空からは自らの一刀に迷いなき自信を持っている様子が見受けられる。この両者にこの状態で挟まれたとして切り抜けられ人がいるとすれば、それはそれこそ全盛期の宗元さんや現宮空家当主(名前はちょっと覚えてない)位だろう。そう思える程の、勝てるんじゃないかと本気で思う程の状況が今完成していた。……そう、俺が見る限りでは…そうだった。

 

「ぬ……ぉぉぉぉぉぉッ!!」

『なぁ……ッ!?』

 

時宮と魔王が宮空の眼前へと到着し、宮空の放った一撃が魔王に届くその刹那、魔王は動いた。左手で宮空の大槍の柄を掴むと同時に身体を開き、右手を広げ……宮空の大太刀の刃もまた、掴みとった。奴は、魔王は……左手で時宮の攻撃を、右手で宮空の攻撃を押し留めてしまったのだった。遂には余裕がないどころか真剣な表情を浮かべ、楽々ではなく何とか押し留めているという雰囲気だが……それでも、この二人の必勝級連携を止めた事には変わりない。

 

「どうなってんのよこいつは…!」

「流石のわたしもこれにはビビるよ…!」

 

押し切ろうと二人は一層翼を輝かせるが、それでも魔王は耐える。耐え、二人の軌道を逸らし、この危機を乗り切ろうと力を込めている。このままいけば二人が押し切れるかもしれないし、魔王が凌ぐかもしれない。時宮と宮空有利の状態から五分五分の状態に変わったというのが今の状況であり……その瞬間に、俺は動いた。

 

「いい加減……底を見せやがれッ!」

 

直刀を両手で構え、スラスターフルスロットル。全開噴射で魔王の前へと飛び込んで、大上段から全力を込めた一撃を叩き込む。

魔人と戦った時、奴は俺と時宮の攻撃を同時に受けるのでもギリギリな様子だった。対してこの魔王は時宮と宮空の連携攻撃すら五分五分で受け止めてしまう程の強さだが……両手が塞がり靄も腕への展開に注ぎ込んでいるらしき今の奴なら、この一撃が通る可能性は確かにある。そして一撃入ればそれが致命傷にはならずとも五分五分の均衡を崩す要因にはなる筈で、そうなればきっとこの二人が致命傷を与えてくれる。だから、これで…この一撃を通せば、それで……ッ!

 

「そうは…させんッ!」

「……嘘、だろ…!?」

 

胴に向けて放った一撃から伝わったのは、肉よりも硬い物にぶつかった様な衝撃。胴の前で止まり、しかしギリギリと物体に衝突している音を立てる直刀。俺の一撃は……突き出した魔王の膝によって、受け止められていた。

武器や腕に比べれば技術が必要になるとはいえ、脚(というか蹴り)で受け止めるというのはあり得ない行為じゃない。…が、既に大槍と大太刀の対応でいっぱいいっぱいな筈の奴がそんな事をしてくるなんて、非常識にも程があんだろうがよ……!

 

「後一歩、だったな…!」

 

攻撃を止められた俺自身は当然として…この展開は、時宮と宮空にも衝撃を与えていた。という事はつまり、二人の集中が削がれてしまうという訳で…左右からの力が緩んだ一瞬の隙を突き、魔王は三方向からの攻撃から遂に脱出してしまった。魔王の方も脱出が精一杯だったらしく、勢い余ってぶつかりかけていた俺達へ離れながらの攻撃を放ってくる事はなかったが、それでも王手をかけていた状態から逃げられてしまった事はショック以外の何物でもない。大怪我を負ってまで得たチャンスという訳でも、もう無いであろう相手のミスに付け入った訳でもないのだから、また狙える可能性はある……と頭では分かっていても、後一歩だった分余計に惜しく感じてしまう。

……とはいえ、もうそれは過ぎてしまった事。嘆くのに金はかからないが、戦闘中に嘆くのは時間と思考リソースの無駄にしかならないのだから、さっさと気持ちを切り替えて次を狙うのが賢明というもの。取り敢えず俺は仕切り直しも兼ねて本来の役目に……

 

(…って、御道はどこ行ったんだ……?)

 

先程まで俺と御道が居た方向へ目をやったが、そこに御道の姿はない。今のあいつが怖気付いて逃げたとは思えないし、そうなると御道は俺が仕掛けている間に移動したという事になる。ならば、御道は一体どこに……と、目を動かした俺は…言葉を失う。

 

『……──っ!?』

 

俺が言葉を失ったのとほぼ同じタイミングで、すぐ側にいた時宮と宮空から息を飲んだ様な息使いが聞こえてきた。言葉を失うのも息を飲むのも、驚いた時に起こる現象。俺は御道を探し、御道を見つけた瞬間驚いた訳で…タイミングから察するに驚きの内容は二人も恐らく同じ事。俺達を驚かせたのは、御道であり御道のいる場所。俺の視界が捉えていたのは、魔王の下がった方向。御道の姿はそこに…いつの間にかいなくなっていた御道の姿は、魔王を背後から狙い撃てる位置にあった。

 

「……ッ!?」

 

直感で攻撃を感じ取ったのか、勢いよく振り向く魔王。その魔王に向けて……御道から四門の銃と砲による攻撃が放たれた。

 

 

 

 

考えて、考えて、考え抜いた結果…やっぱり俺に出来るのは、魔王へ小賢しい邪魔をする事しかないって結論に辿り着いた。だから俺は魔王の背後(と言えるかどうか怪しいレベルで離れているけど)に移動し、綾袮さんと時宮さんが仕留め損なった場合に備えて魔王へ砲口を向けていた。

魔王の左右に位置取らなかったのは、わざわざ魔王が手の抜けない相手のいる側に退避するとは思えなかったから。前ではなく後ろを選んだのは、後ろの方が前よりは気付かれ辛いだろうと思ったから。……が、左右はともかく前後の選択はぶっちゃけ運頼みで、後から考えてみると上下やら各方向の斜めやらもあり得えていた筈。つまり、何が言いたいかと言うと……俺は、運が良いのかもしれない。

 

(────来た……ッ!)

 

綾袮さんと時宮さん、それに千嵜の攻撃を凌いだ魔王が選んだのは、背後への後退。三者からの攻撃はさしもの魔王も防ぐのが限界点だったらしく、後退する姿からはそれまでの機敏さも抜かりのなさも感じなかった。

俺に気付かないまま、俺との距離を縮める魔王。後ろ向きとはいえ近付いてくる事に一瞬どきりとした俺だけど……覚悟はとっくに出来ている。左手のライフルに、展開させた二門の砲に、移動の際抜いておいた右手の拳銃の計四門全てがいつでも発砲出来る状態になっている。唯一心配な事があるとすれば、それは先程と違って即俺のカバーに入ってくれる人がいない事だけど…この瞬間を無駄にしたくないという思いは、その不安感を大きく超えていた。

 

「喰ッ……らぇぇぇぇええええええッ!」

 

迷いを振り切り、引き金を引く。四門の砲が同時に火を吹き、霊力を内包した二発の弾丸と霊力を収束させた二条の光芒が魔王の下へと駆け抜ける。そして……着弾。

 

「……や…やったか…?」

 

ついベタなフラグ発言をしてしまったけど……この時の俺はそれに気付かない。回避こそされなかったけどきちんと当たっているのか、当たったのならどれ程のダメージを与えられたのか、ここから魔王はどんな行動を起こしてくるのか…そういう事が頭の中を埋め尽くしていて、余計な事を考えている余裕なんて欠片もなかった。

目を凝らし、魔王の状態を確認しようとする。そうしている内に後を引いていた光芒も消え、魔王の姿が俺からはっきりと……

 

「……付け上がったな、雑魚が…!」

「……ッ!」

 

……はっきりと見えたのは、俺の攻撃が一発足りとも届いていない魔王の身体だった。…いや、違う。傷こそないものの…魔王は体勢を崩していた。だが、崩れた体勢に反してその目は……片手間で排除してやろうという今までのものではなく、害虫を駆除せんとする本気のものに変わっていた。

 

「あぐッ……!」

 

背筋が凍り付く様な感覚に見舞われながらも咄嗟に再びライフル引き金を引こうとした俺。だがそうした時にはもう魔王の放った光弾がライフルに直撃しており、ライフルが破裂すると共に俺の腕は叩かれた様に後ろへ回る。更に気付けば魔王は俺の正面数mにまで迫っていて、もう迎撃や回避行動が間に合うとは到底思えない。

魔王の動きはあまりにも早く、これまで俺は単独で捉える事なんて出来やしなかった。……が、今は脳内でアドレナリンが大量分泌されているのか超スピードな筈の魔王の動きがはっきりと見えて、それ故に迎撃も回避ももう無理だって分かってしまった。…間近で見る魔王の目は、冷たく鋭い。

 

(……ぁ…死、ぬ…?)

 

動きは見えている。どこを狙われているのかも分かる。けど、動きが緩慢なのは俺も同じで、避けたくっても身体は全然意思に追いつかない。…と、いうより感覚だけが先行し過ぎている。それが俺は、もどかしくてしょうがない。

死にたくはない。死ぬ気で戦っていたつもりだけど、命を落としても構わないなんて感情はまるで持っていない。…でも、どうしようもない。恐怖で身体が動かないとか、まともに頭が働かないとかじゃなくて、動いているけど間に合わないという状況だから手の打ちようがない。だから俺の心の中を占めているのは、怖さより悔しさや無念さだった。……呆気ないな…折角、意味を持てたのに…折角、勝てる可能性があったのに…もうちょっとだったのかもしれないのに…あぁ……

 

 

……死にたく、ない…。

 

 

 

 

 

 

 

 

「させる……かよぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!」

 

────目を閉じかけた時、その叫びが響いた。その叫び共に、刀身が霊力で形成された刀が俺の目の前…俺と魔王の間へ割って入る様に駆け抜け、魔王の動きがほんの僅かに遅くなった。そして……魔王へ千嵜が激突する。

 

「……──ッ!?」

「貴様…貴様は何度邪魔に入れば気が済むのだ…ッ!」

「ぐっ……!」

 

千嵜が魔王と激突していたのはほんの一瞬で、魔王は不愉快そうにしながらも即千嵜を蹴り付け俺の方へと吹き飛ばす。

さっきと違い、俺は千嵜のキャッチに失敗して彼と共に後方へ飛ぶ。千嵜のおかげで助かったと思った俺はまずお礼を言おうして…直後にこのままだと俺だけじゃなく千嵜まで一度にやられると思い、それで血の気が引く様な感覚に見舞われ……千嵜がにぃっと笑みを浮かべている事に、気付いた。

 

「──俺や御道を気にしてていいのかよ、魔王」

「……っ!まさか……ッ!」

 

笑みを浮かべ、煽る様な言葉を発した千嵜。その言葉を聞いた魔王は、目を見開き……

 

『いっ……けぇぇぇぇぇぇええええええええッ!!』

 

────二つの閃光が、魔王を斬り裂いた。

 

 

 

 

上空からの攻撃に、時宮と宮空による乾坤一擲の一撃に身体を切り裂かれた魔王は、そのX字の傷から血飛沫を散らしながら空をふらつく。その傷は……間違いなく、致命傷だ。

 

「今の、って……」

「あぁ、協会じゃ俺とお前が予言された霊装者らしいが…あの二人の方が、よっぽどそれっぽいよな…」

 

あんぐりと口を開けている御道に、俺はついそんな事を言ってしまう。…ほんと、滅茶苦茶凄いなこの二人は…。

 

「……ふぅ、今のは決まったわね」

「顕人君も悠弥君もナイスファイト!色々言いたい事はあるけど、今のは二人がいたおかげだよ!」

 

魔王を斬り裂いた後もその勢いのまま下降していった時宮と宮空は、軽く旋回しながら俺達の側へ。滅茶苦茶凄いこの二人でも今回の戦いは骨が折れたのか、その表情には疲労の色が見て取れる。

 

「ちょっと、何褒めてんのよ。そんな事言ったらこの二人が調子に乗るでしょうが」

「でも、この攻撃は二人がいなかったら出来なかった。それは事実でしょ?」

「それは…そうかもしれないけど…」

「…いや、時宮さんの言う通りだよ。俺がやったのは馬鹿な事だってのも事実でしょ?」

「謙虚ね、そういう自覚があるならまだ貴方はマシよ。…悠弥にもそういう心を持ってほしいわ…」

「俺だって時と場合によっちゃ謙虚になるっつーの…それより、まだ安心出来る状況じゃねぇだろ」

 

何故今の流れから俺が時宮に文句を言われる展開になるのか。……って違う違う、ほんとにまだそういう事考えられる状況じゃないっての…。

 

「まだ安心出来る状況じゃないって…まさか、あれでも奴は死んでないって事…?」

「分からん。流石にノーダメージって事はねぇだろうが…分からねぇ以上、油断する訳にゃいかねぇだろ」

「そうそう、念の為顕人君も継戦出来る状態にしておいてね?」

「了解。…けど、あれだけの傷なら仮に戦闘が続くとしても、これまでよりは格段に楽に……って、あれ…?」

「……?どうしたのよ?」

「……魔王は…?」

『は……?』

 

構え直し、これから先の展開を脳内でシュミレーションしておこうと思考へ入ろうとしたその時…御道が妙な声を上げた。魔王は?ってこいつは何を言い出すんだ…魔王ならそこで呻いて…………

 

 

 

 

『……え?』

 

つい先程声が重なった俺達は、そこで再び重なった。だって、いなかったのだから。魔王は、そこにいる筈の魔王はその場所にいなかったのだから。

 

「え、ちょっ…逃げた!?逃げたの!?」

「わ、分からないわよ!でも、あの傷じゃ十全の力を発揮出来ない筈……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────それは、どうだろうな」

『──ッ!?』

 

確かにいた筈の、傷を負っていた筈の魔王が消えるなんて、それはあり得ない事。にも関わらずいなくなっている事に俺達が慌てたその瞬間……上空から、声が発された。

その声に弾かれる様にそちらを向くと、そこにいたのは魔王だった。あぁ、ひっそりと移動していたのか…そう俺達は思いかけて……絶句する。だって、そうだろう?時宮と宮空があの速度で、あの威力で奴へと付けた傷が…今見た時にはもう()()()()()のだから。

 

「嘘、でしょ…傷は…私達が付けた傷はどうしたのよ!?」

「まさか、双子!?」

『いや、双子はない(でしょ・だろ)…」

「う…と、とにかくなんで!?どういう事!?」

「どういう事、か…安心するがいい。あの攻撃は、確かに我へと届いていた。…よく見れば、まだそれも確認出来るだろう」

「よく見れば…?……な…ッ!?」

 

魔王の言葉に乗せられるのは癪だが…それよりも傷が消えている事が気になって、その言葉通り魔王を凝視する俺。そうして……気付いた。僅かながらまだ、胴には傷があった事に。そしてその傷が、俺の見ている中で蒸発するかの様に消えてしまった事に。

 

「何だよ、あれ…魔王はああいう能力を持ってるの…?」

「そんな訳あるか…さっき言った通り、魔王っつーのは特に強い魔人ってだけで、要素自体は魔人と変わらねぇんだ…だから、傷が治るなんてそんな馬鹿な事は…」

「馬鹿な事?ふん……ならば問おう。いつ、我が力の全てを発揮したと言った?」

『……っ!』

 

俺達を物理的にも、精神的にも見下す魔王のその言葉で……俺達は、理解した。魔王の言葉の意味に。あの回復が、何なのかに。

圧倒的な力を振るう魔王。だが、奴はこれまで一度も固有能力を発揮してこなかった。先程はそれを不可視の能力か戦闘に使えない能力かだろうと思っていたが……こう考えば、辻褄が合うじゃないか。奴は…奴の固有能力は、『治癒』だとするならば。傷付く事で初めて機能する能力なら、これまで出さずにいても当然じゃないか。

 

「我はここに来るまで…いや、こうして傷付けられるまでこの力を使う事になるとは思っていなかった。人間程度にこの力を行使せねばならなくなるとは、微塵も思っていなかった。…喜べ人間。貴様等は我が賞賛するに値する者共だ」

『…………』

「…だが、貴様等が手を抜いて倒せる相手ではない以上、もう貴様等に出し惜しみはせん。…覚悟するがいい」

 

エネルギーの靄を矛の様に、盾の様に周囲へと展開する魔王の姿に、最早付け入る隙は一切感じられない。元々隙なんて見せない奴だったが…今は本当に、どうしようもない存在に見えた。……そしてそれは、俺だけの感覚じゃないらしい。

 

「……これは…腕と脚、それぞれ一本ずつ残れば幸運ね…」

「だね…ごめん、やっぱ顕人君と悠弥君は下がってくれないかな?多分、これだとわたし達…自分の身すら守れるかどうか怪しいもん…」

「…綾袮さん…時宮さん……」

 

怖気付いた様子はない。…けど、二人の顔は…トップエースを自負する二人の顔には、余裕なんて一欠片もなかった。ここに来るまでずっと謎の闘志を燃やしていた御道も、二人の顔を見て流石に無茶な事を言おうとする心持ちは削がれたらしい。……あぁ、そうさ…端的に言えば、今度こそ絶対絶命だ。

数秒の時間が過ぎる。こちらから動くか、奴が動くか…どちらにせよ、戦闘再開と同時に俺は御道と退こうと思っていた。共に戦う事ではなく、任せて邪魔にならない様にする事こそ、本当に二人の為になると分かっているから。

……だが、数秒の末に起きたのはそのどちらでもない、別方向からの射撃だった。

 

「…何……?」

「…綾袮様、妃乃様。長い間戦線離脱してしまい、申し訳ありませんでした」

「え…た、隊長さん…?」

 

射撃の約一秒後、俺達の前へと現れたのは魔王にやられた筈の警護部隊隊長。拳銃を手にした彼の戦闘を知らない二人はともかく、俺と御道…それに魔王は当然彼の復活に驚きを見せた。

 

「あ、あんた…こほん、貴方は先程魔王にやられた筈では…?」

「…あぁ、確かに私は一撃を受けてしまった。…が、直撃をしたのは私ではなく…これだ」

『それは…!』

 

そう言って隊長が出したのは、中程からへし折れて使い物にならない様子のライフル。…って事は…まさかあの瞬間ライフルを間に挟んで、それで直撃を回避したってのか?……隊長、別に侮ってた訳じゃないが…あんた普通に凄いな…。

俺達に衝撃を与えながらも復活した、警護部隊隊長。とはいえ彼一人が増えただけでは戦力的逆転などはせず……しかし、結果から言ってしまうと俺達は窮地を乗り越える事となった。それはどういう事かって?そりゃ…一人増えただけじゃ逆転しないっつったんだから、そういう事さ。

 

「貴様も中々食い下がるな…よかろう、貴様もまとめて……む?」

「……!…来たわね…!」

「よかった、やっと来たんだ…」

 

再度、戦闘再開の前に入る横槍。だがそれは攻撃ではなく、存在そのものだった。空の一角に点在し、青い光を放ちながらこちらへと向かってくる存在自体が、魔王の攻撃を抑制していた。今はまだただの光の点でしかないそれも、このタイミング且つ時宮と宮空が声を上げたのなら、思い当たるのは一つしかない。…そう、出撃していた拠点強襲の本隊だ。

 

「…気付かぬ内に時間が経っていた、という事か…目算が外れたな」

「やっぱ気付いてるんだ…言っとくけど、今戻って来てるのはうちでも結構強い人達の集団だからね。幾ら強くても、わたし達と戻ってくる皆を同時に相手しての無双は無理なんじゃないかな?」

「……いいだろう…前言撤回だ。我に能力を使わせた褒美として、ここは退こうではないか」

「ふん、それはどうも…」

「…類い稀なる力を持つ小娘二人に、無謀ながらも有象無象とは違う何かを持つ小僧二人。我は我に全力を出させかけた貴様等に少々興味が湧いた。…故に、また合間見えようではないか。最も、その時こそ貴様等がこの我に完全なる敗北を期するのだが…な」

 

馬鹿にするだとか、調子に乗るだとか、そういう感情をまるで感じさせず、さも当然の事かの様に魔王はそう言って背を向け、こちらへと向かってきている部隊とは別方向へと飛び去っていった。その速度は……やはり、速い。そうして、魔王があっという間に周辺空域から姿を消してから十数秒。あまりに到達な、あまりに意外な形での戦闘終了に……暫し俺達は、言葉を発する事が出来ずにいた。

こうして終わった、魔王との戦い。この戦いでの被害は決して小さくなく、魔王の存在やその強さは協会を震撼させるものだったが……それでも、その時の俺達はただ、戦闘が終わった事、生き延びられた事に安堵しゆっくりと肩の力を抜くのだった。



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第四十話 進み始めた運命

魔人の拠点攻撃作戦、そして魔王の強襲から一週間が経った。何とか魔王を撃退出来たとはいえ双統殿の被害は少なくなく、特に人的被害はお偉いさんの頭を悩ませるレベルだった。……が、意外な事に死傷者の内死亡者の割合は驚く程に少なかったらしい。これは戦闘終了後ではなく戦闘中に時宮と宮空の指示で救助が行われたのが理由だと一般には言われているが…俺はそれだけではないと思っている。魔王は俺達霊装者を見下しており、大半の霊装者は有象無象と呼べてしまう程奴にとって取るに足らない存在と認識していた様に思える。確実に殺そうとしたのではなく虫を叩き落とす感覚で戦っており、だからこそ殆どの霊装者に対しては狙いが雑だった事で死亡者が少なく済んだ……確信はないが、こういう可能性もゼロじゃないだろう。

とにかくこの一週間、双統殿では事後処理と立て直しが最優先課題となっていて、それはそれは忙しそうだった。…だというのに、今日……双統殿では、パーティーが開かれていた。

 

「あー……帰りてぇ…」

「それ言うの何回目よ…ほら、ローストビーフあるよ?」

「知っとるわ、ローストビーフ一つでご機嫌になる程俺は子供じゃないっての…」

 

パーティー会場の一角、ビュッフェのテーブルからも立ち疲れた人用の椅子が配置されている場所からも離れた比較的人の少ない所で俺はボヤく。その隣にいる御道はそこそこ楽しんでいるらしく、皿に乗せたローストビーフを美味しそうにもぐもぐしていた。

 

「こういう場でぶつぶつ文句言うのは子供だと思うけどね…千嵜ってパーティー苦手?」

「苦手っつーか、どうもこういうのは慣れないんだよ。相性が良くないというか、俺向きじゃないというか…」

「あぁ…千嵜はコミュ力に難があるもんね」

「うっせぇ、ローストビーフ取るぞ」

「あそこに沢山あるんだから欲しいなら取ってきなよ…いやそういう意味で言ったんじゃないだろうけど…」

 

時宮と宮空は現在別会場(近くの大部屋)におり、協会内でこれと言って交友関係を作っていない俺にとって、この場で気軽に話せるのは御道ただ一人。コミュ力云々はなんだとテメェ…とか何とか言いたいところだったが、割と間違っていないのと、御道にどっか行かれると余計居心地悪くなるのとで強く返せない俺だった。……動機としてはどうかと思うが、こういう場面の時の為に、少し位は交友関係作っておいた方が良さそうだなぁ…。

 

「…にしても、二人も大変だよね。今回二人は撃退に大いに貢献してた…というか二人の実力あっての撃退なのに、各部屋回って作戦参加者へ慰労の声かけしなきゃいけないなんて」

「党首家系の人間なんだから仕方ねぇよ。…大変だとは俺も思うけどな…」

 

本人が望もうが望みまいが、権威ある立場の人間には一般人より多くの責任や責務が付きまとう。それはどうしようもない事であり、宮空の方は分からないが時宮の方はその責任責務を含めて『時宮家の娘』である事に誇りを持っている様子なのだから、悩み相談を持ちかけられた訳でもないのに可哀想だの何だの考えるのは違うだろう。…と、俺は思っている。…御道は人が良いから悩み相談されなくともそういう事気にかけちまうんだろうな…。

 

「…俺達に何かしてあげられる事ってあるかな?」

「さぁな。あるかもしれないし、ないかもしれない」

「えぇー…それ全く回答になってないんだけど…」

「なら自分で考えようぜ。…ま、いつも通り接してやるのもいいんじゃねぇの?霊装者としてじゃなく女子高生としての生活が、二人の息抜きになってるかもしれないだろ?」

「……千嵜ってさ、ぶっきらぼうな癖に割と親切だよね。自分で考えようと言いつつちゃんと俺の質問に答えてくれてるし」

「俺は人間が出来てるからな。緩急付けるのが世渡り術ってやつだ」

 

なんかよく分からん内に評価されてた俺は、いつもの様に茶化して評価されるれた事をすぐ話題の中心からズラしてしまう。……前々から思ってるんだが、対等な関係の相手にこういう事言われた時ってどう反応するのがベストなんだろうな。礼を言うのも照れるのもちょっと次の会話がし辛くなるだろ?

……なーんて俺が思っていると、

 

「高校生が世渡り術を語るなんて早ぇっての」

「あ、上嶋さん…」

 

いつの間にやら御道の知り合い(俺も一度会った事あるが)、上嶋何とかさんが近くにいた。…えぇと、名前はなんだっけ?

 

「よう、顕人。聞いたぜお前、魔王相手に大立ち回りしたんだってなぁ?」

「お、大立ち回りなんてそんな大層な事はしてないですよ…」

 

左手にワイングラスを持った上嶋さんは右腕で御道をホールド。……あ、勿論締め落とそうとしてる訳じゃないぞ?がっつりめのスキンシップとして行われるアレだアレ。

 

「魔王相手に戦ってる時点で大層な事だっての。準備しておけとは言ったが、まさかここまでの事をするとは思ってなかったな…」

「はは…無謀な事したって反省はしてます。…けど、後悔はしてません」

「お、言うなぁ顕人。そういう気概、俺は嫌いじゃないぜ?」

 

一時的とはいえ同じ部隊で戦っていただけあって、御道と上嶋さんは仲良さげ。そうなると上嶋さんとは御道経由での関係でしかない俺は蚊帳の外となり…それはまぁ居心地が悪い。…ちょっと食べ物取ってこようかな…。

 

「悪い、俺は少し席外す…」

「おー待て待て…えぇと、千嵜…悠弥、だったよな?」

「あ、そうっすけど…」

「よしじゃあ悠弥、それに顕人。お前等がどういう経緯で戦闘に出たか教えてくれないか?」

「え?…それは、いいですけど…」

「何故、ってか?そりゃ単なる興味だよ。お前等だって普通はやらない様な事やる奴がいたら気になるだろ?」

 

…と、上嶋さんは御道の質問に答えたが、俺はその返答に対し「本当にそれだけか…?」…と思った。……まぁ、そうは思いつつも頷いて話した訳だが。

俺は俺の経緯を、御道は御道の経緯を話す。同じ場所にいたり行動を共にしていたりした時の事は代表して御道が伝え、その間上嶋さんは特に言葉を挟む事なく聞いていた。…そして、軽く喧嘩した件だが…それはお互い気不味くて、特に口に出す事もなく伏せてしまった。けど、魔王戦には関係ねぇし大丈夫だろ。

 

「成る程なぁ…お前等二人共やる気いっぱいだな」

「えぇ…俺達の経緯の総評がそれですか…」

「けど要はそういう事だろ?考えの良し悪しはともかく二人共『自主的に』参戦したんだからよ」

「そりゃそっすね…俺は好きで出た訳じゃないですけど…」

「同じ様なもんさ。別にお前は強迫観念とかに動かされたんじゃないだろ?」

「……まぁ…」

 

見たところ上嶋さんは二十代、あっても三十代前半ってところで決して世の中の酸いも甘いも経験してきた年齢…って事はない筈なんだが…この見透かしてきている感じはなんなんだろうな。

 

「だったらやっぱりやる気いっぱいだろ。…悪い事じゃないと思うぜ?大概の事はやる気があった方が上手くいくんだからな」

「ありがとうございます…上嶋さんはどうでした?」

「俺か?俺は拠点で雑魚散らしてただけだよ。魔王強襲…その時の通信じゃ魔人って言ってたが…の連絡が入った際には綾袮様や妃乃様が戻れる様他の部隊と陽動したりしたが、これと言って特筆する事はなかったな。何せ雑魚散らしなんだから」

「…強調しますね、雑魚散らし」

「そらお前や顕人が魔王と戦ってたのに、年上の俺が雑魚担当だったんだぜ?結果的にそうなっただけとはいえ、なんか悔しいっての」

「…なぁ御道、この人大人気なくない?」

「この距離で言う!?思いっきり上嶋さんに聞こえてると思うんだけど!?」

「言うねぇ悠弥。だが俺だってまだ若いんだ、そう簡単に冷めたおっさんにはならねぇよ」

 

先程は何か見透かされた様な感覚を感じ、親しみ易いながらも年上なんだなぁ…と思った俺だったが、今度は同年代っぽさしか感じなかった。…これを狙ってやってるなら大した人だが…多分そうじゃないんだろうなぁ…。

 

「…んで、魔王と戦ってみてどうだったよ?やっぱ凄かったか?」

「なんでスポーツ観戦の感想聞くみたいなノリでそれ聞くんですか…」

「じゃ、重々しく訊き直すか?」

「い、いやいいです…魔王と戦ってみて、か…」

 

突っ込みが職業の御道は「おい誰の職業が突っ込みだって?」…ま、まさかこんな形で地の文に割り込んでくるとは……こほん。御道は少し困り顔をした後、質問の回答を考えている様な様子を見せる。この問いは俺も該当してるが…まぁここは御道に先言ってもらおう。…と、いう事で待つ事十数秒。

 

「……率直な感想でいいんですよね?」

「おう、率直な感想を頼む」

「それなら…魔王はあんなに強いんだな、って思いました。端から俺は強いだなんて思ってた訳じゃないですけど…色々痛感したっていうか、なんていうか…」

「そうか…ありがとな、んじゃ次は悠弥。お前も何かあるか?」

「俺は…もう戦いたくねぇや、って感想しかありませんね。なんかちょっと興味持たれたっぽいですけど、俺からしたら謹んで遠慮させて頂きたいです」

「はは、そりゃそうだ。ってか両方割と性格通りの感想持つんだな」

『は、はぁ……』

 

基本感想なんて性格が反映されるものなんだから、性格通りで当たり前じゃね?…とは思ったが、そこまで仲がいい訳でもない年上にそんな言葉をかける程俺は調子ぶっこいた奴じゃない。そういう訳で俺も御道も相槌程度の反応しか返せず、しかし上嶋さんは満足した様にうんうんと頷いていた。

 

「……望み通りの回答でした?」

「うん?…まぁな。安心したよ、二人共魔王と戦った事で消えない恐怖を抱いちまったり、逆に撃退した事で天狗になってなかったりしなくて」

「…じゃあ…それを確認したくて俺と千嵜に質問を?」

「そういうこった。それじゃ折角女性の方々が煌びやかな格好をしてる中野郎と話してても勿体ねぇし、俺は移動させてもらうわ」

「…なぁ御道、この人ほんとに何なんだ?」

「え…さ、さぁ…悪い人じゃないんだけどね…」

 

そう言ってほんとに歩き出した上嶋さんに対し、今度は御道も俺に同意の様だった。…ほんと、俺達が重く受け止め過ぎないよう狙って軽い男を演じてるなら凄い人何だが…どうなんだろうねぇ…。

……と、思っていると上嶋さんは何か思い出したかの様に立ち止まり、こちらへ振り返ってくる。

 

「あー、そうだお前等。もう一言だけ言っとくわ」

「何すか、今度は…」

「……自分の命、軽んじるんじゃねぇぞ?」

『え……?』

「命なんて、物理的には自分一人だけのものだ。けど、死ぬっつーのはそいつを思ってる奴全員を悲しませる事で、そいつと関わってる多くの奴を困らせる行為だ。英雄的な死なんざ関係の碌にない他人と自分自身しか満足しねぇって事は、よく覚えとけよ?」

 

ふっ…とその言葉を言っている間だけ彼は真剣な表情になって、言い終わった途端また元に戻って今度こそ行ってしまった。まさかこんな真剣に言われるとは思ってなかった俺達は、虚を突かれた様にぽかーんとしてしまう。……命を軽んじるな、か…。

 

「…おまけ感覚で言ってたが、多分これが一番伝えたかった事なんだろうな…」

「かも、ね。…やっぱ悪い人じゃなかったでしょ?」

「みたい、だな…」

 

元々悪い人だとは思ってなかったが…上嶋さんもまた人の良い人間なんだろうな、と俺は思った。御道はともかく、直接の関係なんてほぼない俺にまで気にかける人がそうじゃないなら、人がいいと呼ばれる人なんて世の中から大幅に減っちまうしな。

そうして上嶋さんがいなくなってから数十秒。

 

「…小腹空いたなぁ」

「え、CMのモノマネすんの?」

「一本で満足するバーの話じゃねぇよ…ちょっとなんか取ってくるわ」

「じゃ、何か飲み物を取ってきてくれないかしら?次々話しかけられて、その度に対応しなきゃだから喉乾いちゃったのよ」

「へいへい。んじゃ適当に取ってくるから文句は言うなよ?」

 

御道のボケは雑に突っ込み歩き出す俺。その背に来た要求も適当に受け取って、俺は一先ず近くのテーブルへ……ん?

 

「…………」

 

 

「……あれ!?時宮!?」

 

何故か流れて適当に受け取ってしまったが……どう考えても今の声は御道の、というか男の声じゃなかった。それに驚いて振り返ってみると…その声の主はやはり時宮。更に言えば宮空もその隣にいて、どうやら二人は俺が歩き出したのとほぼ同時にここへと来たらしい。

 

「そうよ、何か不味かった?」

「い、いや不味かないが…凄ぇ絶妙なタイミングだな…」

「一応言うけど、狙ってやった訳じゃないわよ?」

「狙ってやられたら流石にショックだ…」

 

去った瞬間を狙って来るなんて、そんなの絶対俺が嫌われてるパターンじゃないか。そんな事されたら俺、泣いちゃうぞ?…いや実際のところ泣くかは微妙だが、少なくとも傷付きはしちゃうぞ?

 

「……で、飲み物か?」

「そうよ。お茶でもジュースでも構わないけど、子供みたいに色々混ぜたりするのは止めてよね?」

「あ、わたしもお願い出来るかな?」

「うーい、そうなるとトレイ借りなきゃだな…」

 

という事で気を取り直して俺はGO。トレイを用意した後まず自分の食べたい物を取り、その後無難にアイスティーを選んで二人分カップへ注ぐ。んで、俺は元の場所へ。

 

「お待たせ致しやした〜」

「ありがと、はい綾袮」

「ありがとー。…顕人君は飲み物良かったの?」

「うん、欲しきゃ自分で取ってくればいいだけだし」

「んじゃ、俺は食うかな…」

 

何だかんだで結局取ってきてしまったローストビーフの一切れをフォークを刺し、ひょいと口に運ぶ俺。…美味いな、うん。

 

「ねぇねぇ妃乃、もう少ししたらわたし達も何か食べない?」

「そうね。テラスなら人少ないし、食べるとしたらそこかしら」

 

時宮と宮空はどうも息抜きの為にここへ来たらしく、暫く前に見かけた時の『勇敢な霊装者達を労う若き姫君』…みたいな雰囲気は纏っていない。……が、当然まだパーティーは終わってないのであり、二人の格好も煌びやかなドレスのまま。

濃い紫のドレスを身に纏う時宮と、ほんのり水色を感じさせる白のドレスに身を包む宮空。黒系統と白系統で分かれている二人の格好は、二人の性格を表している様であり…つい俺は、時宮を見つめてしまっていた。

胸元に、肩に、うなじ。この現代において未成年の少女が着るには些か過激ではないかと思う程に時宮が着るドレスは露出が多く…しかし、時宮からは全く下品さを感じない。煌びやかなドレスは時宮の適度に育った肢体と相互作用を起こす事でその美しさを増幅させ、同時に女性的な艶かしさを強く引き出している。それによって時宮は未成年でありながら成人女性のそれと何ら遜色ない印象を得ており、その状態の時宮は近寄り難い令嬢の様だった。…その時宮が、今は女子高生の表情を浮かべている。それはつまり女性的な美しさと艶かしさを残したまま、少女的な愛らしさと身近さを感じさせてくる訳で……

 

「……ちょっと、何じろじろ見てんのよ」

「いや…すまん、凄ぇ美人だなって…」

「へ……っ?」

「…あっ……」

 

──つい俺は、見つめてしまったのに続いてそのまま口走ってしまった。そしてそれを耳にした時宮は一度驚いた様な表情を浮かべ…そして、その顔はみるみる赤くなっていく。

 

「あ……ああ、あんたって人は…ッ!」

「い、いやあのだな時宮、これは他意があった訳じゃないんだ。そう他意なんて皆無中の皆無、俺はただ率直な意見というか網膜からの情報を脳で処理した結果現れた言葉をストレートに発しただけ……」

「……ふんっ!馬鹿なんじゃないの…!」

「…すんません……」

 

その手に持つカップでぶん殴られる…そう思った俺だったが、場所と立場があるからか時宮は腕を組みながらそっぽを向くだけだった。…た、助かったぁ…。……って、そうじゃねぇだろ俺…。

 

「……ほんとにすまん。悪気は無かったとはいえ、今のは俺が軽率だった」

「……っ…な、何よ真面目に謝っちゃって…」

「悪いと思ってるから謝ってるんだ。それに…同じ家で住んでる相手に、失礼な事しっぱなしってのは目覚めが悪いしな」

「…こうもしっかり言われると、美人でもないのに褒めてしまったみたいな感じに聞こえるんだけど…」

「あ…いや、そういう訳じゃ…って、ん……?」

 

真剣に謝ったのが災いして、更に時宮を不機嫌に……と、そこで俺は一つ気になった。

 

「…なぁ時宮…今思ったんだが、立場的に時宮は容姿を褒められる事なんて慣れっこじゃないのか?」

「……いや、慣れてないわ」

「え、慣れてないの?」

「えぇ。確かにしょっちゅうこっちゅう、それこそ今日だって何度も言われたけど……お世辞や取り入ろうって精神が欠片も入っていなくて且つ、こんな真っ正面から褒められる事なんてそうそうないもの…」

「…そういう事か…」

「…だから、その…貴方は間違いなく馬鹿だと思うけど…それでも今のはちょっと嬉しかったから…い、一応お礼は言っておくわ。……ありがと…」

「…お、おう……」

 

腕を組んだまま、そっぽを向いたまま、顔も赤くなったそのままの姿で…ぼそり、と時宮は言った。人間の出来てる時宮は俺相手でも礼を言う時は言うから、お礼そのものは別段驚きはしなかったが…その分ダイレクトに『照れたドレス姿の時宮』を認識してしまって……だから、あー…くっそ、時宮可愛いなぁおい…!

時宮は照れ、俺も俺で何だか変な気分になりそうになってお互いだんまり。同じ理由で時宮を見ていられなくなった俺は横を向くと、そこでは御道と宮空が話していて……

 

「…ね、顕人君。この格好についてどう思う?」

「ど、どうって?」

「そのままの意味だよ。…ほら、わたしってあんまり女の子っぽい性格してないし、残念ながらあんまり発育も良くないでしょ?けど皆は綺麗だの何だの言うからさ〜……似合わないなら似合わないって、正直に言ってもらえた方がわたし的には楽なんだ」

「……そっ、か…じゃあ…俺は力になれないかも…」

「…だよね…うん、ごめんね変な事言って。あはは、わたしはそういう立場の人間なんだから、そういうの求めるのはお門違いってやつだよね」

「あ……そ、そういう事じゃないんだよ綾袮さん…」

「え……?」

「や、だから…その……俺には、ドレス着た綾袮さんが……お、お世辞抜きに綺麗だし可愛く見え…ます…」

「……そ、そうなの…?」

「……そう…」

「…………あぅ…」

 

……なんだこいつ等。付き合ってんのか?付き合い始めたばっかりのカップルなのか?…てか……何この状況…。

 

「……あ、綾袮!そろそろ移動した方がいいんじゃない!?」

「ふぇっ!?…あ、そ、そうだね!なんか既にちらほら人が集まり始めてるし、この位で移動した方が良さそうだね!」

「でしょ!?じゃ、貴方達もパーティー楽しみなさいよ!」

「ま、また後でねー!」

 

四人揃って照れてたりドキドキしたりでしーんとなってた俺達は、時宮と宮空が物凄くわざとらしい言動をしながらこの場を離れた事で解散する形に。…何だったんだろうな、さっきまでの雰囲気は…。

 

「……あ、そうだ…悠弥、最後に一ついい?」

「え?…まぁいいが…」

 

妙に疲れてしまった俺は、少し休もう…と思っていたら、小走りで時宮が戻ってくる。…何だかこの流れ、さっきもあったぞ…?

 

「…貴方、私の呼び方に拘りがあったりする?」

「呼び方?いや全くない」

「そ。なら…今後は私の事、名前で呼んでくれて構わないわ。前も言ったけど苗字じゃ紛らわしいし」

「そ、そうか。……何故、今になってそれを…?」

「…別に。とにかくわざわざ私が言ったんだから、ありがたく私の言葉は聞きなさいよね」

「なんという分かり易い高飛車……って、おい…人な話は最後まで聞けよ…」

 

言うだけ言ってそさくさと去ってしまう彼女は、本当に高飛車な感じだった。別にって…絶対なんかあんだろ…改めて訊くのはなんか恥ずいから恐らくしないだろうが。

…まぁ、そういう事で…この日、このパーティーを境に俺は時宮を、妃乃と呼ぶようになった。

 

 

 

 

「…いい風入るね、ここ」

 

綾袮さんと時宮さんが移動してから十数分後。変な汗をかいてしまった俺達(内容はよく知らないけど、千嵜の方もこっちと似た様な事があったらしい)は、涼む為に人のいないテラスへと出た。

 

「ま…そこそこ高さあるからな、ここ」

「夏場はここ混みそうだねぇ…普段から出入り出来る場所なのかは謎だけど」

 

風に吹かれ、汗の気化で熱が奪われていくのを感じる。まだ夏というには些か早い今、熱を奪われると若干の肌寒さを感じるけど……色々あって多分体温の上がってた俺には丁度良かった。

 

「…というかそもそも、双統殿自体そんなしょっちゅうは来ないか…」

「…………」

「そうなると今ここに出たのは正解だったかもね」

「…………」

「……千嵜?」

 

涼んでいる間は雑談でもして過ごそうか、と思っていた俺は千嵜に話しかけるが…反応がない。どうやら千嵜だと思っていた相手は返事をしない、ただの屍だった……なんてことはなく、どう見たって奴は千嵜悠弥。…じゃ、なんで反応がないんだろうか?もしや千嵜は今、声が聞こえない位深い思考をしていたり……

 

「……悪かったな、御道」

「……はい?」

 

テラスの柵に手をかけ、夜空に目をやったまま……千嵜は謝罪の言葉を口にした。当然そんな事を言われるとは思ってなかった俺は、目を瞬いてしまう。

 

「あの時の事だよ。俺の言い分はさておき…一方的に考えを突き付けて、それで理解しろなんてのは身勝手過ぎる。…そうだろ?」

「それは、まぁ…俺もちょっとカッとなってた気がするし、こっちも謝るよ。…それで、なんで急にそんな事を?」

「…さっき、別で謝る機会があってな。その後思ったんだよ、この件は有耶無耶にしちゃ駄目だろうな…って」

 

あの時、俺は本気で怒っていたし、あのまま続けていたら手を出していたかもしれない。けどその後は喧嘩どころじゃない騒動だったからその事を忘れて協力していたし、それもあってこの一週間は特に何も触れず、これまで通りに接してきた。だから、俺としてはこのままなあなあで流してもいいかもな…なんて思っていたけど、千嵜は誠実に謝ってきてくれた。…ほんと、捻くれてる癖にちゃんとしてるんだよなぁ…。

 

「…そう。なら、お互い謝ったしこの件はこれで一件落着だね」

「…それでいいのかよ、お前は。お前には文句の一つや二つ言う権利あると思うぞ?」

「かもね。けど、今は別に文句言いたいとは思ってないし、楽しくもない話蒸し返すのは好きじゃないからさ」

 

そう俺が返すと、千嵜は「そうか…」と言って口を閉じた。そうして数秒。俺も千嵜と同じ様に空を見上げていると…また、千嵜が口を開く。

 

「……なら、お前はもっと強くなるんだな」

「…強く?」

「あの時は俺が悪かったが、恐らく一般的にはお前の主張より俺の主張の方が支持される。それは御道だってそう思うだろ?」

「だろう、ね。…強ければ文句は言われない、そういう事?」

「そういう事だ。強さが全てじゃないが…戦闘に関わる事なら、強さは信頼や発言力に直結するからな。だから自分の意見を通したいなら、もっと強くなれ。やりたい様にやる為にも、簡単に死なない様になる為にも、それが一番だ」

「…アドバイスありがと、千嵜。けど……俺は最初からそのつもりだよ。俺は、もっと…もっと、強くなってやるさ」

 

互いに空を見上げてたまま、言葉を交わす。俺は千嵜を対等な友人だと思っているけど…やっぱり、今の言葉から感じる千嵜は、どこか遠い人物の様にも思えた。

 

「強くなった先に何があるかは分からないんだけどな…なんて、強くなれって言った後すぐ言うのは野暮か」

「野暮だろうね。忠告として受け取るけど」

「…じゃ、これを貸しといてやるよ」

 

視界の端、下部分で千嵜が振り返ったのが見える。それに反応して、俺も視線を下ろすと…ひょい、っと千嵜が何かを投げてきた。それを慌ててキャッチする俺。

 

「っとと……これは…短刀?」

「おう。多少外見は変わってるが…それは前世の俺が使ってて、その時最後まで折れる事のなかった短刀なんだ。…折れなかったのは単に予備武装で使用機会が少なかったからだろうが…それでも、そこらの魔除けグッズよりは命を守ってくれるかもしれないぜ?」

「千嵜……」

 

一体どういう風の吹き回しなのか。無愛想で、あんまり他人に興味のない千嵜がそんな事をするなんて、俺は本当に驚きだった。

それは千嵜なりに俺を気にかけてくれているのか。飄々としつつもあの時の事で罪悪感があって、それを解消したかったのか。それとも…千嵜が本心では、対等な立場ではなく綾袮さんや時宮さんと同じ様な目で俺を見ているからなのか。それは今の俺には全く分からなかったけど……ただそれでも、こんな一歩間違えば相当恥ずい事をしてくる千嵜は、友人として面白いな…と思った。

 

「……これさ、普通異性に対して行うイベントじゃね?」

「は?……なんだテメェ、そんな事言うなら返してもらうぞ?」

「はは、冗談だよ冗談。…折角貸してもらったんだ、ありがたく使わせてもらうとするよ」

 

そうして俺は短刀をしまい、俺達は屋内へと戻った。あの時の件も、短刀の件も、もう話題にはせず戻っていく。だって、過ぎた話より目の前のどうでもいい事について談笑を交わすのが、今時の男友達ってものだから。

魔王との戦いは、俺に、そして千嵜に大きな影響をもたらした。それが良い事なのか、悪い事なのかは俺には判別出来ず、きっと千嵜にも判別出来ていないと思う。…けど、これだけは言える。俺達の戦いは、動き出した運命は……まだまだ始まりに過ぎないんだ、と。



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第四十一話 少し進んだ日常

「眠い…朝っぱらからめっさ眠い……」

 

魔人の報告があったって、大規模作戦が行われたって、魔王と一戦交えたって、俺達学生の霊装者は学校を休んでいい理由にはならない。勿論負傷したりどうしても時間的に無理がある場合は流石に別だけど、残念ながら「魔王撃退ご苦労様!疲れただろうし暫く学校は休んでいいよ!学校には理由でっち上げて話通しておくから!」……なんて事はしてくれない訳で、パーティーの翌週も普通に学校へは通って授業を受けている。…この辛さは霊装者になるかどうかの時に考えてなかったなぁ…。

 

「朝はいつでも眠いものだよ。それより顕人君、わたしのお弁当用意出来た?」

「ですよねぇ…丁度今用意出来たよ。包みは自分でやってくれる?」

「…顕人君、お弁当箱を包んでないならそれはまだ用意出来たとは言えないんじゃない?」

「ケチつけるなら今度からお弁当の中身は梅干しだけにするよ?」

「そ、それじゃお弁当箱じゃなくて梅干し箱じゃん!…恐ろしい事考えるね…」

 

そう言って綾袮さんは弁当箱を弁当箱用の布(あれ正式名称あるのだろうか…)で包み、その間に俺は自分の弁当箱におかずを詰めていく。

綾袮さんは元々学校でのお昼を購買で買った物で済ませていて、お弁当なんて偶に時宮さんが作ってくれたのを貰う時位しか食べてなかったけど…最近は気分で俺に弁当を頼む様になった。ご飯同様弁当も一人分と二人分ならそこまで労力に違いはないし、弁当にするかどうかはちゃんと前日の内に言ってくれてるから用意の上での問題はないけど……弁当の存在は、その中身がきっかけで同居がバレてしまう危険がある。

 

「…弁当の扱いには気を付けてるよね?」

「大丈夫大丈夫。わたしが実はしっかりしてる子だって事は知ってるでしょ?」

「それを自分で言うかねぇ普通…」

 

俺と綾袮さんは違うグループで昼食を取っているとはいえ、中身を大々的に宣伝されては困る。…んまぁ、それを言うなら作らなきゃいいとかおかずを分ける手間をかければいいとか案は幾つかあるけど……面倒だもの。綾袮さんの要望に答えつつも出来る限り楽したいんだもの。

そうこうしてる内にも時間は過ぎ、俺より先に出発準備完了したという事で今日は綾袮さんが最初に登校。俺もそさくさと準備(と朝食の片付け)を終えて、適当に時間を見計らって家を出る。…さて、そんじゃ……

 

「…今日も一日頑張りますかな。……眠いけど…」

 

 

 

 

平穏無事に午前中の授業は終わり、時間はお昼休みに。いつの間にか眠気もなんとかなった俺はきちんと授業を完遂し、今は朝用意した弁当箱を開けている。

 

「…今日も弁当らしい弁当だなぁ」

「そりゃ弁当だしね。奇抜な物を入れる趣味はないよ」

 

俺のより千嵜の方がよっぽど弁当らしい弁当じゃないか…とは思ったものの、何となく自慢されそうだったから俺はその言葉を飲み込む。数年前から毎日食事を作っている千嵜と、まともに料理を始めたのなんてつい最近でちょいちょいお店の弁当や食事に頼っちゃう俺とじゃ、弁当一つとってもその出来には大きな差があるのだった。……いや別に料理人目指してる訳じゃないからいいんだけど。

 

「そっちは大変そうだなぁ…宮空って性格的に料理とかしないだろ?」

「もう全然しないね。これまでしなくても何とかなってたかららしいけど…」

「…頑張れ、主夫」

「主夫になった覚えはねぇよ…てか主夫スキルは千嵜の方が上でしょ…」

「まーな。妃乃は家事全般出来るし、緋奈も料理以外は普通にやれてるから以外と負担は少ないが」

「くっ…複雑だ……」

 

家事分担がきっちり出来てる千嵜家が正直羨ましいが……代行サービスに頼らない家事は俺が言い出した事である以上、あんまり文句や愚痴を言う訳にはいかない。これといい朝思った件といい、俺は身近な事柄に対する先見の目が良くないのかなぁ…。

 

「…げ、ひじきの所にウインナーが突撃してる…」

「バランなりカップなりを有効活用しなきゃそうなるぞ」

「……竜の騎士を有効活用…?」

「あーはいはい、そーだなー」

「うっわ雑な反応だなぁおい…もうちょっと食い付いてくれたっていいじゃん」

「食い付く?食い付くならバランじゃなくてそれで仕切ったおかずにしろよ」

「上手い!さっき雑な反応した奴とは思えない位唐突に返しが上手い!」

「…あ、おかずって変な意味じゃないぞ?」

「そして一瞬にして上がった評価を自ら落とした!?誰もそんな事言ってねぇのに何で訂正入れたの!?」

「カッとなってやった。実のところ後悔はちょっとしてる」

「どこをどうしたら今の流れでカッとなるんだよ!?っていうか一応後悔はしてるのね!」

 

緩ーいトークの中で突然始まるエセ漫才。今日も俺達は好調だった。

 

「…でさ、話変わるけど近々帰りにでもどっか立ち寄らない?何で、って聞かれたら何となくとしか答えられない位ふわっとした提案だけど」

「あー…どうすっかなぁ…」

「忙しい?」

「いや、忙しくはないが…下手に出掛けると緋奈に怪しまれるものでな…」

「あぁ……」

 

妹さんには霊装者の件を誤魔化している、というのは俺も知っていたからその言葉の意味はすぐに察する。…身近な問題や悩みは意外と事前に回避出来ないってのは、どうも俺だけじゃないっぽいなぁこりゃ…。

 

「…話す気はないの?」

「ないな。緋奈には普通でいてほしいんだからよ」

「でもさ、その結果変には思われてるんでしょ?変に思われるだけならともかく…心配させるのは、千嵜としても不本意じゃない訳?」

「…心配かけないように頑張るんだよ。緋奈が平穏無事に過ごせるなら、それ位安いもんだ」

「…シスコンだねぇ、千嵜は」

「責任感と家族愛が強いって言ってほしいもんだな」

 

俺なら話すし何かあった時の事を考えておくけど…千嵜がそう決めているなら家族間の話にこれ以上ケチを付けるべきじゃない。…それよりか、何かあった時に手助け出来るよう強くなっておく方がいいのかもしれないね。

 

「ま、そういう事なら分かったよ。頑張りなさいなお兄さん」

「誘ってくれたのに悪いな。上手く有耶無耶に出来たらそん時は……また誘ってくれや」

「あ、こっちから誘う…とは言わないんだ…」

「お前、俺がそんな社交的な奴な訳がないだろうが」

「何を堂々と言ってるんだお前は…」

 

今日も今日とて真面目なんだか不真面目なんだかよく分からない雑談をしながら昼食を食べる俺と千嵜。こういう事も魔王と戦おうが戦いまいが変わらないんだなぁと内心しみじみ思いつつ、同時に平和を守るというのがどういう事なのかと軽くはっとするのだった。ここで何気なく駄弁ってるクラスメイトも、あの戦いの結果如何ではここにいなかったのかもしれない。俺達の戦いは、そういう世界を守る事にも繋がってるんだ……なーんて、ね。

 

 

 

 

放課後、俺は学校近くのバス停へと向かっていた。…と、言っても今からバスに乗る訳じゃない。バス停へと向かうのは、そこを待ち合わせの場所にしている為。

 

「えーと…あ、いたいた」

 

ある程度バス停へと近付いたところで、俺をここへと呼んだ本人…綾袮さんを発見する。

 

「綾袮さん、待たせちゃった?」

「ううん、わたしも今来たところだよ。……なんて台詞、一回は言ってみたいよね」

「じゃ、綾袮さんはささやかな望みがたった今叶った訳ね」

 

実を言うと俺も「今来たところだよ」を言ってみたい……ではなく言われてみたいとは思っていたけど、それを言うのは何か恥ずかしいので止めておく。…一応はこれも言われた、にカウントしてもいいのだろうか…。

…というのは置いておくとして、早速歩き出す俺達。目的地は…まだ聞いていない。

 

「しかし、何故にバス停を場所に指定したの?」

「え、だってバス停なら近くで人が待っててもおかしくないでしょ?バス来ても『これとは別のバス待ってるんです』って言えるし」

「な、成る程…」

 

俺の隣を歩く綾袮さんは、しれっとその理に適った理由を教えてくれた。……綾袮さんはあまり勉強得意じゃないみたいだけど…今の説明といい霊装者としての思考といい、実際には勉強をちゃんとしてないだけで、頭の質そのものは決して悪くはないんじゃないだろうか。……多分。

 

「…で、俺を呼んだ理由は何なの?…霊装者絡み?」

「ううん、荷物持ちを頼みたいな〜…って」

「えぇー……」

「今、あからさまにテンション下がったね…」

「そりゃ荷物持ちって言われて喜ぶ人はいないよ…」

 

荷物持ちなんて基本疲れるだけで何も面白くないし、女性の荷物持ちとなると最早それだけで憂鬱になってしまうもの。…普通に帰ろうかな…。

 

「まあまあそんな嫌がらないでよ。持ってほしい荷物は大きいだけでそこまでは重くない筈だからさ」

「だとしても嫌だよ…自分じゃ持って帰れないの?」

「む…それは発育悪いわたしへの皮肉?それに関してはちょっとわたし気にしてるんだよ?」

「あ…ご、ごめん…そういうつもりは無かったんだよ…」

「そっか、でも許しません!世が世なら今のはセクハラ事案だよ!」

「そ、そこまで?後多分セクハラ事案になるとしたらそれは今の世だと思う…」

「そこまでだよ!もうこれは荷物持ちしてもらえなきゃ裁判だね!」

「裁判するか否かの対価が軽い……って、綾袮さん…これ、狙って言ったね…?」

「ふふん、顕人君はどうするのかな?」

 

嵌められた、と気付いた頃には時既に遅し。俺を上手い事断れない展開へと持っていった綾袮さんは得意げな表情を浮かべていた。……むぅ…。

 

「…はぁ、分かったよ…やるよ、荷物持ちやりますよ〜…」

「やたっ!顕人君やっさし〜!」

「綾袮さんは結構意地が悪いね…」

「そう?まぁお礼はちゃんとするからさ、荷物持ち頼むね」

「はいはい…」

 

俺が引き受けるや否や態度の変わった綾袮さんは、意地が悪いというより調子がいいと言うべきかもしれない。…まぁ、それに関しては俺がこうして簡単に引き受けちゃうのも悪いんだろうね。さっきの裁判云々なんてかなり無理があるんだから、俺は「おう出るとこ出てやろうじゃねぇか!」…とか言えばそれだけであしらえてただろうし。

気分を良くした綾袮さんは軽快な足取りで歩いていって、それに俺は半歩程遅れて着いていく。

 

(…綾袮さんには失礼だけど…こうしてると後輩とか妹みたいな感じなんだよなぁ…)

 

前にも思ったけど、本当に綾袮さんは子供っぽい。男女共に高校生ともなればそれなりに落ち着いてきたり、人によっては大人びようとしたりするものだけど…そういうものが綾袮さんからは一切感じられない。一緒にいる事が多い時宮さんがそこら辺普通だったり戦場ではエースの名に恥じない姿を見せてくれたりする分その普段の子供っぽさは余計強調されてしまって、正直綾袮さんは飛び級してるんじゃ?…と冗談半分ながら疑ってしまうレベルだった。

 

(……でもそういう意味じゃ、ドレス姿の綾袮さんはヤバかったな…)

 

ハプニングで見てしまった一糸纏わぬ姿と共に、綾袮さんのドレス姿は俺の脳裏に焼き付いている。白く決して厚いとは言えないあのドレスを纏った綾袮さんの美しさは最早芸術の域に達していて、しかしそれが自分と同じ家で寝食を共にしている女の子であるという事実は…男子高校生をドギマギさせるには十分過ぎる力を持っていた。…いや、もうほんとにヤバかった。ヤバ過ぎで語彙が貧相になってしまう程に、あの時の綾袮さんはヤバかった。

 

「……顕人君?ねー、顕人君ってばー」

「…っと…な、何?」

「何って…ピンクと黄色、どっちが好きかって質問聞いてなかった?」

「…ごめん、上の空だった……」

 

あの日の事を思い出してぼーっとしていた間に綾袮さんは俺へ話しかけてたらしく、反応の鈍い俺に少し頬を膨らませていた。…これまた子供っぽい反応を…。

 

「ピンクと黄色ねぇ…どっちかって言えば、黄色かな」

「ま、男の子ならそうだよね。ピンクって言われたらちょっとびっくりしてたところだよ」

「ピンクって言った方がネタにはなったかもね…それでこれが何なの?」

「それは見てのお楽しみだよ〜。はい、とうちゃーく!」

 

そう言って綾袮さんは個人商店らしきお店の中へ。お楽しみも何も、俺荷物持ちだしなぁ…とあまりテンションが上がらないまま後を追うと、俺を出迎えてくれたのは可愛らしいぬいぐるみと小物群だった。

 

「…わぁ、ファンシー」

「あら、今日は違う子と一緒なのね。…しかも男の子とは…」

「わたしだって男友達位はいるよ?顕人君は男友達っていうのとはまたちょっと違うけど…」

「へぇ、男友達とは違って事はつまり…」

「そういう事……ではないよ?」

「だと思ったわ。ま、それは置いといて…いらっしゃい」

「あ…はい」

 

俺達が入った後すぐに声をかけてきたのは、ここの店員さんらしき女性。どうやら綾袮さんはここへよく来ているようで、店員さんともお互いに親しく会話を交わしていた。

 

「…確認だけど、目的の場所ってここなんだよね?」

「そうだよ?どうかしたの?」

「どうかしたっていうか…寄り道だったら、俺は外で待ってようかなぁ…と」

 

俺は別に可愛いものが苦手だったりはしないが、可愛いものだらけの屋内にいる(しかも男は俺一人)という状況は色々と気不味い。だからもし寄り道なら外で口笛でも吹いて待っているところだったけど…残念、目的地でした。

 

「ふぅん…まぁいいや。店長のおねーさん、今日はあれ買いに来ましたっ!」

「あ、だから男の子連れてきたのね。…よく引き受けてもらえたわね…普通なら恥ずかしがって断るでしょうに…」

「…恥ずかしがって断る?…綾袮さん、君は俺に何を運ばせようとしてんの…?」

「ふふーん、それは…あれだよ!」

 

店長さんの言葉に不穏なものを感じ取った俺は、半眼で綾袮さんへと問いかける。それを受けた綾袮さんは…何故か少し自信を持った表情を浮かべ、びしっ!…っと店内のある箇所を指差した。

 

「…………」

「…………」

「……まさか、あれ…?」

「そう、あれ」

「……おぉう…」

 

綾袮さんが指差した先にあったのは、ピンクと黄色の大きな大きなぬいぐるみ。犬だか猫だかよく分からない…けどデフォルメされてて可愛い二つ(二匹?)のぬいぐるみは揃って棚の一番上へと置かれていて、その姿は陳列されているというより棚に座っている様だった。……さっきの質問って、これの事だったのか…。

 

「…マジすか……」

 

気不味いだなんだと心の中で愚痴っていた俺だが、実のところぬいぐるみや小物なら楽だろうな…なんて思っていたりもした。……けど、大型犬レベルの大きさを持つそれは、重くはなくとも運び辛そうであり…何より、どう見たって普通のお店にある普通のビニール袋や紙袋には入りそうにない。つまり……俺は、この滅茶苦茶女の子向けなぬいぐるみをこのまま持って帰らなきゃいけないのである。

 

「…ほんとにこれ、俺が持たなきゃ駄目?」

「顕人君に持ってもらわなきゃ呼んだ意味ないじゃん…それにわたし、二つも持たないもん」

「呼んだ意味云々は俺に関係ない…って待って、二つ?そこにあるやつ二つとも買うの?」

「二つとも買うの」

「…ねぇ綾袮さん。俺、綾袮さんは人が本気で嫌がるような事はしないって信じてるんだ」

「うん。わたしも顕人君は人の頼みに極力応えてあげようとする立派な人だって信じてるよ」

「……くそう!俺は自分の甘さが嫌になるよ!」

「その甘さ、わたしは大好きだよっ!」

「お買い上げありがとうね〜」

 

……そして、数分後。俺は黄色のビックぬいぐるみを持って道を歩いていた。

 

「はぁ…はぁぁ……」

「溜め息ついてると幸せも逃げちゃうよ?」

「うっさいよぬいぐるみ娘…」

 

俺の隣を歩くのはひょこひょこ動くピンクのぬいぐるみ。……嘘です、ぬいぐるみを抱えた結果前からじゃ手と足以外見えなくなった綾袮さんです。最初俺は二つあるから両脇に抱えて持ち帰るとするか…と思っていたが、綾袮さんはそういうつもりじゃなかったらしい。…前見えてんのかな…。

 

「わたしがぬいぐるみ娘なら、今の顕人君はぬいぐるみ息子だね〜」

「いや、それだと微妙に意味に齟齬が…てか誰がぬいぐるみ息子だ…俺はまだぬいぐるみ抱えた男の状態だっての…」

「そうなの?わたし今視界が真っピンクで全然分かんないんだ」

「やっぱりかい…危ないから視界は確保しなさい…」

 

なんて言いつつも、綾袮さんはしっかりと十字路を曲がる。…もう突っ込み狙いでわざとやってるんじゃないだろうか、この調子良いぬいぐるみ娘は。

 

「……このぬいぐるみ、川にでも落とそうかな…」

「ちょっと!?顕人君何しようとしてんの!?」

「何って…ささやかな仕返し?」

「それはささやかの域を大いに超えてるよ!?恐ろしい仕返しだよ!?」

「…まぁ、それもそうか…」

「ほっ…よ、よかった冷静になったんだね顕人君…」

「ぬいぐるみに罪はないもんね」

「そっち!?い、いや物を雑に扱わないのは大事だけど……そっち!?」

 

ぬいぐるみ娘もとい綾袮さんは、珍しく突っ込みに回ってあたふたとした様子を見せてくれた。ぬいぐるみのせいで顔は見えないけど…うっし、ちょっとだけ気が晴れた。

 

「…んまぁ、ぬいぐるみ捨てる事はしないから安心してよ。そこまでする様なつもりは俺にないし」

「…ぬいぐるみの代わりにわたしを川に落とす、というのが後に待ってたりは…?」

「それこそ恐ろしい仕返しじゃん…ぬいぐるみも綾袮さんも、川にも池にも落としません。ほら恥ずいしさっさと帰るよ」

「あ…わ、わたしぬいぐるみ大きくてあんまり速く歩けないんだけど!?顕人くーん!?」

 

後ろから聞こえる綾袮さんの声を半ば無視し、俺は自宅へ。綾袮さん自身が片方は持つって言ったんだから、ここで大変になってもそれは綾袮さんの自業自得。…いやほんとこれ持って歩くのは恥ずいんだから、これ位は許されるよね。

そうしてまた十数分。一足先に俺が、俺に続く形で綾袮さんも自宅に到着する。

 

「ふぅ……同じ体勢してるのって割と疲れるなぁ」

 

帰宅後、一先ずリビングのソファにぬいぐるみを座らせた俺。「あー今日も疲れた〜」…みたいな気分で伸びをしていると、綾袮さんもリビングへと入ってくる。

 

「よいしょっと。荷物持ちありがとね顕人君」

「はいはい。それなりにサイズあるし変な所に置いとかないでよね」

「はーい、それでさ顕人君。顕人君は黄色選んだよね?」

「え?…そうだけど…」

「じゃあ…顕人君!今日のお礼として、黄色のぬいぐるみさんは顕人君にプレゼント!」

「……はい?」

 

なんと、綾袮さんは今し方俺が運んだ黄色のぬいぐるみを俺へとプレゼントしてくれた!言っていた『お礼』とはこれだったのだ!……いやいやいやいや…。

 

「自分の為に買ったんじゃないの…?」

「プレゼントはわたしの意思、つまり自分の為に買ったとは矛盾しないよ?」

「…プレゼントするならそもそも二つも買う必要なかったんじゃ…?」

「それはまあ、二つ揃って飾ってあったし二つあった方が見栄えいいかなーって」

「…………」

 

 

「綾袮さん!綾袮さんはそれでいいのかい!?君は二つとも気に入ったんだろう!?その選択で君は、後悔しないのかい!?」

「いいの、顕人君!わたしは顕人君にお礼をしたいって、感謝を伝えたいって思ったから!だからわたしの気持ち、受け取って!」

「…………で、本心は?」

「顕人君なら『いや、俺はぬいぐるみいいよ。…え、でもそれじゃお礼にならないって?…じゃあ、黄色のぬいぐるみはあくまで俺の物。けどぬいぐるみは綾袮さんに預けておく…って事でどうかな?』…的な事言ってくれるかな〜って考えていました まる」

「この極悪小娘め……」

「てへっ☆」

 

綾袮さんが企んでいたのは、俺の性格を見越してタダでお礼をしたという形式を得ようとする姑息な策略だった。……うん…もうここまでくると天晴れだよ…。

 

「…綾袮さんさ、もし俺がほんとに怒ったらどうする?」

「怒ったら?…その時は勿論謝るし、反省もするよ。わたしは嫌われるのも、本気で嫌がらせるのも嫌だからね」

「……じゃ、それでいいよ。俺が綾袮さんに預ける、って事でね」

「ほんと?じゃあわたし、大切にするね」

「最初からそうしてもらうつもりだったくせに…でも代わりにさ、今日の夕飯は俺に一任してよ。それ位はいいよね?」

「夕飯?いいよいいよ、今日の夕飯は顕人君にお任せしまーす!」

 

……本当に、俺は甘いと思う。もし綾袮さんが調子に乗っているんだとすれば、その原因の一部は俺にあると思う。綾袮さんだけにじゃなく、普段であれば誰に対してもこうしてつい「しょうがないなぁ…」と譲歩してしまうこの性格は、きっと俺の悪いところ。…でも、今回の譲歩は今後悪い結果をもたらす…なんて事はないだろう、と俺は思った。だって綾袮さんの言葉には…嫌われるのも嫌がらせるのも嫌だ、って言葉には嘘偽りを感じなかったから。だから…今回はこれでいいと、そう思った俺だった。

 

 

 

 

「……あ、因みに今日の夕飯はどうする気なの?」

「え?そりゃ辛い物中心にする気だけど?」

「えっ……」

「定番はやっぱカレーだよね。けど麻婆豆腐とか担々麺とかもあるし、時期的には合わないかもだけどキムチ鍋ってのも有りかな」

「……あ、あの顕人君…わたし、辛いのはあんまり得意じゃないんだけど…」

「ん?綾袮さん、夕飯は俺に一任でいい、って言ったよね?」

「うっ……あ、顕人君の意地悪ーー!」

「はっはっは!なんとでも言うがいいさ子供舌娘!はーはっはっはっはっ!」

 

──こうして一杯食わせてやる(夕飯時には物理的にも)算段もあったし、ね。



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第四十二話 隠し通したいのなら

ぽけーっとしながら歩く帰り道。今日千嵜は用事があるらしく、妃乃も基本理由がない限りは揃って帰る事がない為現在俺は一人きり。…一人で歩いてりゃ、誰だって多かれ少なかれぽけーっとするよな。

 

「…緋奈はもう帰ってるのかねぇ…」

 

なんて呟きながら歩く事数十分。何事もなく自宅に到着した俺は玄関扉に手をかけ……鍵がかかっている事で、緋奈も妃乃もまだ帰っていない事を知った。

 

「んじゃ、俺一人か…」

 

いつもの通り手を洗ったり着替えたりして、俺はリビングへ。今日の夕飯は俺が担当だが…まだうちの夕飯時までは時間あるし、多少ゆっくりしてたって問題ないだろう。

 

「……ふぁ、ぁ…」

 

窓を開け網戸にすると心地よい風が吹いてきて、適度に温かい日光と合わせて俺の睡魔を刺激してくる。誰も居なくて静かな今の我が家は寝るのに最適で、昼寝をしたらさぞ気持ちがよさそうなもの。……今日の夕食担当は妃乃に頼むか…?

 

「……って、俺も今の環境に慣れてきてるんだな…」

 

少し前まで、千嵜家の料理は俺が専任していた。だから誰かに任せるなんて事はなかったし、料理が面倒になったとしても惣菜を買ってくるなり外食するなりが俺の思い付く選択肢であって、家にいる他の誰かに任せるなんて事は想像もしていなかった。けれど今はそれを無意識のうちに考えていた訳で……なんというか、これには感慨深いものを感じる。別にそんな深くもないんだろうけど…そう感じたんだから仕方ないじゃないか。

そうして考える事数十秒。一時は「妃乃ならまあ頼めばやってくれるだろう」という意見から頼む派が優勢になったものの、途中で「妃乃が帰ってきた時俺が寝てたら、昼寝の為に決めておいた順番パスしたのか…と怒られそう」という意見が発生した事で一気に自分で作る派が巻き返し、そのまま議論は予定通り俺が作るという事で決着した。…勿論これは全て脳内でのやり取りである。

 

「…………」

 

音がありゃ少しは寝易い環境が崩れるだろうと思い、気になる番組がある訳でもないのにテレビのスイッチをオン。ワイドショーの内容を右の耳から左の耳へと素通りさせつつ俺は暫し一人の静かな時間を満喫する……つもりだったが、ちょっと思った以上に暇でそんなに満喫は出来なかった。

 

「…作るか、夕飯……」

 

それまで座っていたソファから立ち上がり、冷蔵庫の中身を確認しようと台所へ。結局俺がゆっくりしていたのは十分前後で、これじゃせいぜい帰宅後の小休憩程度にしかなっていなかった。まぁ、これは家に緋奈がいると思って予定立ててた結果なんだが…人間思ってなかった形で時間が出来た場合って、案外その時間を満喫出来ないものなんだな。

そうしてそこから数十分。緋奈も妃乃も中々帰っては来ず、一人で淡々と夕飯の支度をする時間が過ぎていく。

 

「おっそいなぁ…二人揃って連絡もなしに何してるんだ…」

 

支度の合間に携帯を確認し、何の連絡もない事を確認した俺はそうぼやく。…実際にはまだ外は暗くなっておらず、二人共高校生なんだからぼやかれる筋合いはないんだろうが…独り言なんだ、適当にぼやいたっていいじゃないか。

まぁそれはさておき、確認した俺は携帯をしまおうとして…ふと、考える。

 

「……まさか、何かあったのか…?」

 

前述の通りまだ心配するような時間じゃないが…緋奈からも妃乃からも今日帰りにどこへ寄るという話は聞いていない。下校する時の気分で寄り道してるとかならいいが…もし、何かあったとしたら?連絡してこないのではなく、連絡出来ない状況だとしたら?…誰かの助けが、必要だったとしたら…?

 

「…って、いやいやいや…普通に考え過ぎだわ俺…」

 

不安になりかけたところで頭を振るい、自分で自分に突っ込む俺。そりゃ確かに魔人やら魔王やらと最近戦いはしたが…そういうヤバい事態はそうそう起きる筈がない。いつから俺は心配性になったんだっての。

 

 

……でも、本当にヤバい事態に陥ってたとしたら?ここで俺が「んな訳ねぇじゃん」と決め付けてしまった事で、取り返しがつかなくなったら、俺は納得出来るのか…?

 

…………。

 

「…………えぇい、こっちから連絡すりゃ分かる話だろうがよ!」

 

不安になりかけて、その考えを振り払って、けどやっぱり不安がよぎって。…で、結局その結論に辿り着いた。これで何事もなかったらさぞ俺は恥ずかしい気持ちになるだろうが…今のまま料理なんざ出来るか!料理って慣れると考え事する余裕が出来るんだから、今のままだと絶対料理中ずっと気になっちゃうっての!だったらもう連絡する方がいいわ!てか俺は誰に言い訳してんだ!

 

「あーくそ、なんか情けないぞこの野郎…」

 

本当に俺は一体誰にどんな意図で文句や言い訳をしてるのかよく分からないが、とにかく携帯の電話帳を開く。何もなければ良し、何かあっても身に危険がないなら問題なし。最悪問題があってもその時はすぐ俺が行くから、電話に出ないって事だけは勘弁してくれよ…。そんな思いを抱いながら、俺はまず戦闘能力を持たない緋奈へと電話する為指を──

 

「ただいま〜」

「ただいま、と」

 

…………あ、帰ってきた…。

 

 

 

 

「…喫茶店、ねぇ……」

 

夕飯の並んだ食卓を囲む、俺達千嵜兄妹と同居人。二人の帰宅から約一時間後。擦り傷一つない姿で緋奈と妃乃が帰ってきた事で、俺の懸念は完全に取り越し苦労だったと判明した。…何もなければ良し、とは考えてたが…完全に取り越し苦労だったって分かると、なんか複雑な気持ちになるな…。

 

「そうよ。帰る途中に会って、その流れで行ったんだけど…連絡入れた方がよかった?」

「いや、そういう事じゃないんだよ…ほんとこれは、俺サイドの問題というか…」

「お兄ちゃん、わたし達が帰るまでに何かあったの?」

「ないない何にもない。それより喫茶店寄ってたんだったら、夕飯は少なめの方がよかったか?」

「ううん。わたしも妃乃さんも飲み物しか頼んでないから大丈夫」

 

人を心配する事は何にも恥じるべき事じゃないが…心配してたんだとその本人に伝えるのは大変恥ずかしいし、この二人は言ったら確実にからかってくる。同性ならからかってきたところで鉄拳制裁してやりゃいいんだが…二人にそれやったら普通にアウトだっての。……てか、店行って飲み物だけしか頼まないなんて事あるんだ…。

 

「…にしても、なんでわざわざ喫茶店行ったんだ?話なら帰ってから幾らでも出来るだろ?」

「…はぁ…分かってないわね、悠弥は」

「そういうところ、男の人ってありますよね」

「そうそう。男女間の感性の違いってやつかしら」

「…………(…な、なんかよく分からんが…凄ぇアウェーな気分だ…)」

 

ただ疑問を口にしただけなのに、なんでこんなにやれやれ感を醸し出されているのだろうか。…同性という味方が欲しい……。

 

「…あの、つまりどういう事でしょう…?」

「喫茶店っていう雰囲気の中で、私達は雑談をしたかった。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「は、はぁ…楽しめたの…?」

「楽しかったよ?」

「そうですか……えー…あ、あれだな。今日みたいな時間に帰ってくるなら問題ないが、遅くなりそうなら電話してくれよ?夕飯の問題もあるし」

「話逸らしたわね…まぁ分かったわ」

 

そんな感じでこの件は終わり、それから俺達はテレビを見つつ食事を進め、一番初めに俺が完食する。

 

「ふぃー……さて緋奈、今日これから宿題か何かの用事があったりするか?」

「え?無いよ?課題も数十分あれば終わると思うし」

「ならよかったわ。取り敢えず夕飯食べちゃってくれ」

「……?うん、いいけど…」

 

食器を片付けつつ、俺は本来なら帰宅後行おうと考えていた事が出来る状況を準備する。…と、言ってもリビングのテレビ前でごそごそやるだけだが。

 

「……ゲーム?」

「そうだ、なんかふとパーティーゲームをやりたくなってな。んでせっかくやるならNPC相手よりプレイヤー同士でやった方が盛り上がるだろ?」

「ふぅん…じゃ、急いで食べるから待ってて」

「急がなくて大丈夫だぞ?待ってる間暇になったらミニゲームでもして時間潰せばいいし。…あ、妃乃。テレビ変えても大丈夫だよな?」

「どうぞ。別に今やってる番組はそんなに気になる訳じゃいもの」

 

ハードとソフトをそれぞれセッテングし、テレビも入力切替を行なってハード起動。モードの選択画面まで進めたところでコントローラーをテーブルに置き、よいこらせ…なんて言いながらソファに腰を下ろす。はてさて、緋奈は…食べ終わるまで後数分ってとこか。

 

「…千嵜家って、こういうゲームあったのね」

「まぁな。緋奈はそれなりに友人いるし、俺の友人だって……ほら、御道がいるから…」

「顕人は他の男子と話してるところも見るけど、貴方はほんと交友関係狭いわよね…このシリーズって確か、一度に四人までやれるのよね?」

「大概のパーティーゲームは四人同時プレイが基本じゃないか?…てか、妃乃はゲームやるのか?」

「私だってゲーム位するわよ…こ、このシリーズだって何度かやった事あるし…」

 

緋奈より先に食べ終わった妃乃は、リビングを出ていく…と思いきや、何故かちらちらとこちらを見てきている。まさかゲームが物珍しいのか?…と思ったがそうではないらしく、その後もしきりに知ってる、やった事あるアピールを投げかけてくる。……ふーむ、これは…まぁ、そういう事だろうなぁ…。

 

「……よし、妃乃」

「な、何かしら?一応言っておくけど、私は忙しくないわよ?」

「と、いう事はゆっくり出来るんだな?」

「えぇ、ゆっくり出来るわ」

「そうかそうか、じゃあ……俺と緋奈はここで楽しんでるから、妃乃は気にせずゆっくりしててくれて構わないぞ」

「へ、へぇ…まぁ私はどっちでもよかったけど、悠弥がわざわざ誘ってくれるなら……へ?」

「うん?どうした?」

 

どうもわざとらしい口振りを見せる妃乃。もう妃乃の意図は何となく分かっているが……そこで魔の指した俺は、敢えて考えていたのとは逆の事を言ってみた。

 

「え、いや、あの…私時間あるのよ?パーティーゲームって、得てして人数多い方が楽しいものなのよ?」

「おう、だから俺は緋奈を誘ったんだよ。妃乃は日々色んな事に精を出していて疲れも溜まってるだろ?だから休める時は一人でゆっくりしていた方がいいって、な?」

「……っ…え、えぇゆっくりするわよそうさせてもらうわよ最初からそのつもりだったわよ!ふんっ!」

「あー待て待て妃乃、一旦落ち着いてくれや」

「うっさい!私は落ち着いてるわよ!」

「そうかそうか、まあとにかく今言った事は全部冗談だから一緒にやろうぜ?」

「だから私は一人でゆっくり……へっ?」

「うん?どうした?」

 

本日二度目の「へ?」に対し、俺も本日二度目の「うん?どうした?」を返してみる。もうびっくりする程妃乃は思った通りの反応ばかりだった。

 

「…………」

「…………」

「……もしかして貴方、今わざと…?」

「やー、妃乃って結構反応面白いよな」

「あぁ、何よもう…勘違いしちゃったじゃない。そういう事は止めてよね」

「それは出来ない相談だなぁ」

「まぁそうよねぇ、全く…」

「はっはっは」

「うふふ」

 

────どごぉっ!

……という事で妃乃の参加が決定し、食事を終えた緋奈もテレビ前に来てゲームをスタートするのだった。…今の音?まぁそれは気にせず気にせず。別に殴打の音だとか殴られた音みたいに感じたとしても気にしなくていいんだぞー。

 

「…リアルファイトでまず一敗だね、お兄ちゃん」

「ファイトでもなきゃ今のは勝負にカウントされないっての…」

 

 

 

 

それから数時間。プレイしたゲームがすごろくベースのシリーズであった事から誰かの連戦連勝…という展開にはならず、全員一回は勝てた上で俺達はゲームを終了した。…因みに、最多勝利は緋奈だった。

 

「やっぱ久し振りにやると面白いもんだなぁ。近々最新作出るらしいし、それ買ってみるか…?」

「お先にどうぞ。しかし予想はしてたけど、普段気怠けなくせにこういう事にはやる気出すのね悠弥は」

「澄まし顔して本気プレイしてた誰かさんには言われたくないなぁ…」

「う……獅子は兎を狩るにも全力を尽くす、ってやつよ!」

「あの妃乃さん、それはある程度勝ち越した時にこそ言うべき言葉なんじゃ…」

 

片付けながら雑談を交わす俺達。据え置き型のゲーム機は携帯機に比べ準備や片付けの手間がかかるというのが欠点だが、一台に対し三人で取り掛かればそれもあっという間に終わってしまう。それどころか一人でも出来るものを三人で分けた結果、むしろ多少の手間取りが発生してしまった位である。

 

「…こほん。何はともあれ楽しかったわ。悠弥の悪ふざけがなければ尚良かったけど」

「なら最初から自分もやりたいって言えばよかったじゃないか」

「そ…それとこれとは話が別でしょ…」

「んまぁ、そりゃそうだが。…で、緋奈はどうだった?」

「わたし?わたしも楽しめたよ?」

 

プレイスタイルは人それぞれだが、本来ゲームは娯楽用の物なんだから、楽しめたかどうかが重要な部分。で、緋奈も妃乃も楽しめた様だし誘った甲斐があったな。

そうして片付けも終わり俺がソファでまったりしている中、緋奈は先程言っていた課題に取り掛かり始め、妃乃は入浴の為脱衣所へ。

 

「…………」

「…………」

 

ついさっきまでゲームで賑やかだったリビングは、妃乃が去り緋奈も真面目に課題を始めた事で一気に静かに。俺はと言えば緋奈が課題やってる最中にテレビ見たり別のゲームしたりする気なんて起きる筈もなく、ぼんやりと弁当や次の食事当番の際作る料理なんかを考える。

 

「…………」

「……お兄ちゃんさ、今日ゲームを通して何か伝えたい事でもあったの?」

「え……?」

 

課題から目を離さぬまま、軽い感じでそんな事を言った緋奈。しかし俺は、その言葉にドキリとさせられる。だってそうだろう?今のは俺の、『最近お兄ちゃんがちょっと怪しい、という疑念を忘れてほしい』…って意図を見抜いたかの様な発言だったんだから。

 

「…どうしてそう思ったんだ?」

「うーん…確信はないよ?けど、お兄ちゃんってゲームを誘うのにわざわざ前置きしたりはしないでしょ?」

「あぁ…言われてみるとそうかもしれない。っていうか、緋奈は俺の事よく分かってるんだな」

「ふふ、わたしはお兄ちゃんがわたしの事を理解してる以上にお兄ちゃんの事を理解してるからね」

「お、言ったな?俺の緋奈への理解度は相当なもんだぞ?」

「言うよ、生まれてこのかたずっとわたしはお兄ちゃんの家族だからね」

 

言われた直後はヒヤリとしたものの、無事やり取りは普段のやや距離感のおかしい会話へと逸れてくれる。しかしまさか、自然な流れにしようと思った結果不自然になっちまうとはな…緋奈の言う通り、相手はずっと一緒にいる家族なんだから安易な手は墓穴を掘るって頭に入れておかないと…。

 

「もしかして、ゲーム中も俺何か変だったか?」

「ううん、それは無かったよ。…強いて言えばぶん殴られるシーンは我が家において違和感バリバリだったけど」

「そ、それはまぁ…確かに違和感バリッバリだったな……」

 

親父もお袋も軽く叩く事はあっても殴る様な事は無かったし、兄妹喧嘩で手が出るレベルになった事もまた無かった千嵜家では確かにマジな暴力など珍しい事。そんな環境で兄が居候に殴られるシーンを見た緋奈の心境や如何に。……恐らく呆れてたんだろうけど…。

 

(…もっと入念に、且つヘマを犯さないようしてかねぇといけないって事か……)

 

一番安易で即効性のある手段は、宗元さんにもっと俺の役目を減らしてもらう事。……だが、それは不義理が過ぎる。今の段階でも我が儘を聞いてもらっているのに更に要求するなんて、幾ら元部下と言えど…いや、元部下だからこそ余計にそんな都合のいい真似は出来ない。そしてそれは妃乃も同じ。妃乃なら本気で頼めば一人で俺の分もやってくれるだろうが、今まで受けた恩を返してもいないのに堂々と追加の恩を借りようなんて事が出来る程、俺は図々しい人間にはなれやしない。…だから変えられるとすればそれは、周りではなく俺自身。

 

「…人に頼るのは、自分で出来る限りの事をやってから…当然の話だよな、それは」

「……?今度はどうしたの?」

「独り言だ。或いは課題に手間取ってる緋奈への有難い言葉だな」

「え……き、気付いてたの…?」

「あ、ほんとに手間取ってたのか…」

「手間取ってるって言っても、解けないんじゃなくて量が多いって意味だけどね…これは想定外だった…」

 

あんまり話を続けるのも邪魔になるだろうと思い、俺はそれで会話を終いにする。終いにして、また考え始める。今度は食事の事じゃなく、今後の俺の事を。

これまで通り霊装者としてやるべき事をこなしつつ、緋奈に勘付かれないようにするならまず身の振り方を見直し、その上で…もっと、力を付けるしかない。怪我する可能性を下げる為に、任務を手早く終わらせる為に、霊装者としての負担を減らして普段の生活に支障が出ない様にする為に、今のちょっと才能に恵まれてる程度で俺は留まっている訳にはいかない。知識と経験があるから大丈夫、ではなくより知識と経験を活かせるだけの実力を取り戻さなければならない。身体が違うから取り戻す、という表現は正しくはないが…一先ず前の俺を目標にするのがいいだろう。辿り着けるかどうか別として、目標は分かり易い方がいいに決まってるのだから。

 

(……しかしまさか、また俺が霊装者として本格的に頑張る事になるとはなぁ…)

 

全く世の中は上手くいかないもので、なんともまぁ面倒臭い状況に置かれるもの。…だが、それを嘆いたって変わる訳じゃないのだから、上手くいかないと言っても嫌な事ばかりではないのだから、嘆く事はしない……とまでは言わないにしても、やれるだけは頑張ろうと思う。何せ、今の俺がいるのは────自分で選んだ道の上なんだから、な。



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第四十三話 謎の人と捜索相談

「えぇと、ここを右だったか?」

「それはもう一つ向こうだった気がするんだけど…千嵜覚えてないの?」

「自慢じゃないが、俺はここの作りをざっくりとしか覚えていない」

「それはほんとに自慢じゃねぇ…」

 

双統殿の中を歩く俺と千嵜。…と言っても別に二人で来たとか任務を遂行したとかではなく、偶々用事の帰りで会っただけ。……その用事がほぼ同じだった辺り、偶々と言っていいのかどうか微妙だけど…。

 

「…にしても、大学上がる前にレポート書く事になるとはなぁ……」

「レポートったって、使った感想をまとめるだけのものじゃん」

「文章書くのが然程苦じゃないお前が羨ましいよ…」

 

現在俺が使っている装備の一つは制式採用されなかった半試作武装で、千嵜が使っているのは千嵜が昔使っていた装備のリメイク品。どちらも一般の武装じゃないという事で園咲さんはその運用データを欲しがっていて、その要望に応える為俺と千嵜は定期的にレポートの記入と雑感の報告を行っていた。で、今日はその日が被った為にこうなったのである。

 

「文章なんて慣れだよ慣れ。因数分解やら化学式なんかよりはこっちの方が楽だと思うけどね」

「どれも面倒な俺はどうすればいいんですかね…」

「知らないよ…後俺も書く事自体は面倒だからね?文句を言う程じゃない、ってだけで」

「楽しくレポート書いてたらビビるわ……ん?」

「わん?犬の真似?」

「いや、ほら。何か紙が宙舞ってるんだよ」

 

千嵜が指差した方の通路へ目をやると、確かにそこでは何枚かの書類がひらひらと舞って床へと落ちていっている。……って事は…

 

「…誰かが書類落としたとか?」

「或いはそこの角の向こう側に置いてあった束が倒れたか、だが…多分御道が言った通りだろうな」

「すぐに取りに来ない、って事は気付いてないか量が多いかだよね…行くか」

「んー…ま、拾ってやる位はしようかね」

 

落ちた紙を拾う位なんて事ないし、放っておいて帰るのはなんだか後味が悪い。そういう訳で俺と千嵜はその書類の下へと小走りで移動し、早速数枚拾い上げる。

 

「よいしょっと…」

「あ…す、すいません!」

「気にすんな、って…こりゃまた随分と落としたな…」

「うぅ、すいません…」

 

拾い上げながら横を見ると、そこには同じく拾い上げてる人と結構な枚数の書類があった。…何この枚数……ここ所属の人全員に分ける書類か何か?…ここ所属の人の総数は知らないけど…。

 

「…コケたのか?」

「あ、はい…足を引っ掛けてしまいまして…」

「そしてその表紙に書類がドバーッといったのか」

「はい、ドバーッといきました…」

「それは災難でしたね…はい、どうぞ」

「ありがとうございます…」

 

えらい不躾な話し方をするなぁ…と千嵜に対して思った俺だけど、落とし主さんをちゃんと見るとその人は俺達と同年代の様だった。…数歳年上の可能性もあるし、俺は例え同年代だったとしても初めは敬語を使うけど…そこら辺千嵜は適当なのかね。

 

「後はこいつを拾って…よし、これで全部回収出来たかな?」

「あ、御道。後ろに……」

「後ろ?まだ落ちてた?」

「…何にもないぞ」

「なら言うな…そんな報告いらんわ……」

 

三人で拾う事数十秒。全て拾い終えた俺達は通路を見回し、どこかに拾い残しがないか確認する。

 

「…あの、わざわざすいません。助かりました」

「あぁ、お気になさらず。この位大した手間でもないからね」

「それでも助かった事には変わりないですから…本当に、ありがとうございました」

 

書類を落とさぬよう気を付けながら頭を下げるその人に、俺と千嵜は顔を見合わせ肩を竦める。ただ偶々見かけて書類拾ってあげただけなんだから、ここまで丁寧にお礼を言わなくてもいいのに、と。…俺の場合綾袮さんのお祖父さんに言われた件もあるし、あんまり人の事言えないけど。

 

「…運ぶのも手伝ってやろうか?またコケたら大変だろ?」

「い、いえ!そこまでして頂く訳には…それに僕もそこまでドジじゃないです…」

「そうか?ならいいが…」

「はい、それじゃあ失礼しますね」

 

去り際にもう一度、今度は軽く頭を下げてその人は去っていく。紙だって大量にあればそれ相応に重くなるし、千嵜同様俺も少しだけ不安だったけど…その人の足取りは心配するようなものではなかった。本人の言う通り、落としたのはただのミスらしい。

 

「…内容ちらっと見たんだけど、あれなんかの会議の資料っぽい。それを運んでたんだし…俺達と同じ新人かな?」

「立ち振る舞い的にもそうなんじゃね?」

 

書類を抱えて歩いていく姿を眺める俺達。俺や千嵜がイレギュラーなだけで普通の新人はそういう手伝い的仕事を頼まれていてもおかしくないし、千嵜の言う通りあの人からは戦い慣れしてる感じがまるで感じられない。俺達よりも低い背に、肩をくすぐるかどうか位の髪に、中性的な印象の顔付きに、華奢な体躯のその人は、その限りじゃ少し気の弱い女の子にしか見えなかった。……そう、身体的には顔含め女性のように見えた。

 

「…………」

「…………」

「……ところで、御道…」

「…何かな?」

「俺はうろ覚えなんだが…協会の制服って、女性はズボンじゃなかったよな…?」

「…確か、タイトスカート…って奴だったね」

「…………」

「…………」

「……あいつ、ズボン履いてなかったか…?」

「……履いて、たね…」

「……どゆ事…?」

「さ、さぁ……」

 

──その人との出会いは、俺達にとても大きな疑問を残していった。

 

 

 

 

それから数時間後。帰宅し夕飯やら何やらを済ませた俺は自室に引っ込みベットに座していた。…と、言っても別にまだ寝る訳じゃない。

 

「…すぅ…はぁ……」

 

ゆっくりと深呼吸をし、目を瞑る。外部情報を得る上でその八割以上を受け持つらしい視覚を塞ぐ事によって思考の対象を外部から内部に向け、俺の中の霊力に意識を集中させる。

緋奈や妃乃とパーティーゲームをした日の翌日から、俺はこの時間を…精神集中による能力向上を図る時間を取るようにしていた。

 

「…………」

 

霊力の流れを把握し、操作し、収束や探知を試す。戦闘訓練というとまず筋トレやら走り込みやらを想像するのが一般的だが…霊力によって各種身体能力を強化出来る霊装者にとっては、それより霊力の扱い方や単位時間辺りの生成量を鍛える方がよっぽど強さに直結する。そして、それも実際に身体を動かしながらだったり武器に霊力を流したりしながらの方が高効率なものの、こうしてイメージトレーニングの延長みたいな形でやってもそれなりの効果があるし、これなら緋奈に疑われる事なく訓練を行える。…登下校や会話中にも出来りゃもっといいんだが…集中しないとまともな訓練にならないのが惜しいところなんだよな。

 

(……妃乃は…いるな)

 

一通り行った後、俺は装備の有無に関係なく行える事の一つ、霊力探知を行なってみる。相変わらず俺の探知能力は低く、今は妃乃の場所をざっくり判別する位しか出来ていないが…それでも魚に手足が生えた様な魔物を必死に索敵していた時よりは心なしか向上している……気がする。…因みに、霊装者は探知とは逆に自身の霊力反応を潜めて探知から逃れたりする事も出来る。上手く隠れられるかどうは探す側と隠れる側の能力次第だが…それはまあ、漫画やアニメでよくある気配の察知と隠匿みたいなもんだ、多分。

 

「……ふぅ…」

 

その後も全方位の探知、各方面への限定探知と何度か捜索を繰り返し、それが終わったところで目を開け休憩を入れる。

 

「やっぱ疲れるなぁ…続けていればその内慣れて少しは楽になるだろうけど…」

 

同じ行為をするとしても、慣れているのとそうじゃないのとでは心身共にかかる疲労が変わってくる。協会に所属すると決めてからすぐこれを始めてたら、今はかなり慣れてたんだろうが…そんな事考えたってしょうがないよな。

 

「…今日はもうワンセット…いや、明日体育あるし止めておくか…?」

 

ここからもうワンセットやった場合の疲労を予想し、やるかどうかを考える俺。体育っつってもそんな体力使う内容じゃなかった気がするし、ここはもうワンセット……

 

「悠弥、今時間いいかしら?」

「うおっ……妃乃か…」

 

精神を集中しようとした直前、部屋の扉がノックされ妃乃の声が聞こえてきた。それを受け、俺は扉をオープン。…そういや前にも似た様な事あった気がするな…これ位何度起きたって別におかしな事じゃないが…。

 

「どうした、洗面台の蛇口が壊れでもしたか?」

「いやしてないけど…ちょっと相談、っていうか伝えておきたい事があるのよ」

「蛇口が壊れた場合の対処に関してとか?」

「え、何?今日の貴方は蛇口に拘りでもあるの?…そうじゃなくて、魔王と魔人に関する事よ」

「あぁ、それか…」

 

妃乃の言いたい事がこの家や学校絡みではなく、霊装者関連のものだと分かって俺は気持ちを切り替える。霊装者関連の事なら何でも真面目さMAXにする、って訳じゃないが…魔王や魔人ってなると、な。

 

「拠点には戻ってなくて、今は改めて捜索中なんだよな?」

「そうよ。とはいえ向こうも探されてるのは分かってるでしょうし、すぐに尻尾を掴むのは難しいでしょうね」

「厄介な相手逃がしたな…あのまま戦われたらこっちの方がヤバかったが」

「魔王級は常軌を逸した強さだとは知ってたけど…私と綾袮の二人がかりでも優勢になれないなんて、思ってもみなかったわ…」

「魔王相手に正面からあれだけ戦える妃乃や宮空も十分常軌を逸してるけどな…」

 

この歳で二人がかりとはいえ魔王と正面から激突し、魔人であれば単騎でも戦えてしまう妃乃と宮空は、十年後には魔人級にも手が届くレベルになっているんじゃないだろうか。そこまでいくと最早常軌を逸してるというか常軌を見失ってる感じだが。

 

「…で、その相談したい事ってなんなんだ?今の会話の中じゃそれが全く見えんぞ?」

「まぁそうよね。早い話が、私は捜索部隊とは別で独自に探してみようと思ってるのよ」

「ふむ…何か探す当てはあるのか?」

「ないわ。でも前に悠弥が言ってたでしょ?私が一人なら魔人は食い付く可能性があるって」

「うん?そんな事…あー、言ったっちゃ言ったか…」

 

確かに思い返してみれば魔人捜索に関して相談を受けた時、妃乃が手負いで且つ身動き取れない状態なら狙ってくるだろう…と冗談半分で言った覚えがある。……え、何?今になってそれを本気にしたの?

 

「…前提案した俺が言うのもアレだが…それはあんまお勧めしないぞ?あん時だって本気だった訳じゃないからな?」

「それ位分かってるわよ、私はあくまで一人で動くだけ」

「それならまぁ…いや、それにしたって一人で探り入れるのは危険だろ。魔王と魔人が両方同時に食い付いてくる可能性だってあるんだぞ?」

「もしそうなったら流石に年貢の納め時ね。その時はせめて魔人を道連れにしてやろうかしら」

「…冗談でもそういう事言うのは止めろよ。笑えねぇっての」

「…そうね。だから実行に移す前に貴方へ言おうと思ったのよ」

 

状況にもよるが、今みたいな平時なら妃乃が軽率な思考や判断をするとは思えない。となれば妃乃も考えあっての単独捜索を行おうとしてるんだろうが…制限時間がある訳でもなし、取り敢えずは最後まで聞くか。

 

「保険、っつーか不味い事になった場合どうするかも考えてはあるんだよな?」

「当たり前よ。…って言っても、不味くなったら逃げるか持ち堪えるかしかないんだけどね」

「考えてないじゃねぇかそれ…」

「考えも何も、って話よ。けど捜索する時は口頭なりメールなりで伝えるし、捜索中は定期的に無事だって報告を入れる事にするわ。そうすれば私が大丈夫かどうか分かるでしょ?」

「定期的に報告、か。そりゃ悪くないな…」

 

それはつまり、不味い事態を未然に防ぐでも一人で切り抜けるでもなく、味方の救援を確実に得る為の手段。これといった用意もなく行えて、交戦中はその戦いに集中出来るこの策は確かに悪くないし、妃乃なら報告を忘れるという致命的な凡ミスをするとは思えない。……が、

 

「…でもそれ、俺が寝てたり携帯どっかに置き忘れてたりしたら駄目じゃね?」

「あ……」

「あ、って…そうする気なら俺も気を付けるよ?けど俺が妃乃の帰宅まで待機してるとかじゃない限り、これは策としては危なっかしいだろ…」

「そうね…私とした事がそれにも気付かないなんて…」

「まぁ、送信側と受信側じゃ視点が違うからな…俺じゃなくて協会に報告入れるんじゃ駄目なのか?」

「そうすると私個人の行動じゃなくなっちゃうし、私個人の行動じゃなくなると手続きやら捜索部隊との兼ね合いやら色々あって面倒なのよ。それに、私一人じゃ危険だって護衛付けられるかもしれないし」

「護衛がいると食い付きが悪くなるし、下手するとそいつ等を守りながら戦わなきゃいけなくなる、ってか」

「そういう事。フットワーク軽く動く為には組織がしがらみになる…ってのは悩ましいわよね」

 

そう言いながら妃乃は腕を組み、他の案がないか考え始める。その様子から察するに妃乃の中では捜索する事が決定しており、案が駄目になったからって諦めるつもりは毛頭ないらしい。…俺としては単独での捜索自体あんまり賛成はしてないが…説得出来る自信もねぇし、妃乃がそう簡単にヘマをするとも思えないんだからここは協力するか。

 

「…じゃ、こういうのはどうだ?捜索中の報告を受けたら、俺は即返信するようにする。その返信があれば妃乃はそのまま捜索を続けて、なかった場合は緋奈に適当な理由と送信内容を俺に伝えてくれって文章を乗せたメールを送る。これなら100%じゃないが、俺一人に報告する案よりは確実性が増すだろ?」

「適当な理由…スーパー行くけど買ってきてほしいものある?とか私の部屋の電気点けっ放しかどうか確認して、とかでいいかしら?」

「いいんじゃね?…あ、でも今の二つ目みたいな緋奈でも対応出来るのは避けた方がいいだろうな」

「そうね。…悠弥はそれでいいの?私はそれでいいならそれにするけど…」

「俺が自分で言った案なんだ、構わねぇよ」

 

冗談やネタならともかくとして、真面目に言った案を自ら否定なんて途中で欠点を見つけた訳でもなければやりはしない。そうなるとこれからは携帯の通知に今までより気を付けなきゃならなくなるが…四六時中探索する訳でもなし、やってる間位は気を付けるのも吝かではない、ってな。

 

「…妃乃の強さを疑ってる訳じゃない…が、魔王は当然として魔人だって雑魚じゃないんだ。功を焦ったりはするなよ?」

「私を誰だと思ってるのよ、そんな馬鹿な事はしないから安心しなさい」

「そういう自信満々なところが逆に不安を駆り立てるんだっての…」

「私が慢心してるって言いたい訳?…それこそ心配無用よ。私はいつかお母様やお父様、お祖母様やお祖父様の跡を継いで協会を率いるって決めてるの。未来に大きな目標があるんだから、目先の利益なんかに惑わされたりはしやいわよ」

 

人間誰しも利益が得られそうになったらそれに手を伸ばしたくなるもの。その欲求は自分に自信がある程強くなり(逆に自信がなかったり臆病だったりする奴は利益より不利益の可能性を見て止めたりする)、間違いなく妃乃は自分に自信があるタイプだから少し不安だったんだが…今の言葉を聞いて、彼女の言う通り心配はしなくてもよさそうだな、と思った。…確かにそりゃ、目の前の利益よりずっと得たいものが別にあるなら目の前のものにも冷静に対処出来るよな。

 

「……じゃ、もし見つけた場合はどうするんだ?」

「協会に連絡して尾行するわ、それ以外に何かある?」

「ま、そうだわな。…尾行してたと思ったら別の魔人に背後取られてた、とかはないようにしろよ?」

「はいはい、悠弥って適当な性格してる割には心配性よね」

「だから自信満々な奴は逆に不安になるんだよ…フラグ的な意味で…」

「フラグって……」

 

何言ってんだアンタ、って視線で見られるが俺はそれをしれっとスルー。そら確かに何言ってんだ感はあるだろうが……だって、ねぇ…皆さんも思うだろ?フラグっぽさは確かにあると思うんだよなぁ…。

 

「…まぁいいや。それは忠告として受け取っておくわ」

「おうよ、そうしてくれ。んで相談ってのは以上か?」

「そうよ、時間取らせて悪かったわね」

「うーい…あ、捜索の時家事当番はどうする気だ?」

「当番とは被らないようにするから大丈夫よ」

 

不安要素がない訳ではないが、不安要素を全て取り除く事など不可能に近い。安全が保証されてはいないが、危険のない選択をする事だけが正解ではない。何より……妃乃がそうしようと思ったんだから、恩のある身としては出来る限り尊重したいというのが俺の本心というもの。こうなるともう、運が味方してくれる事を祈るしかないな。俺が妃乃に同行すると緋奈の疑いが沈静化するどころか加速しちまうし。

 

「時間経っちまったし今日はこの辺にしておくか…」

「この辺?」

「こっちの話だ。風呂まだならさっさと入ってくれよ?」

「ふぅん…じゃ、そうさせてもらうわ」

 

会話は終わり、部屋を出ていく妃乃。この日の翌日から妃乃の独自捜索は始まり、妃乃は家や学校、霊装者としての任務に支障をきたさないようにしながら魔王や魔人の影を探していく。そして、その成果が現れるかどうかは神のみぞ知る事。

……だが、後に俺はこの時の判断を後悔する事となる。こんな事になるなら、止めておけばよかったと。もっと安全性を高めておくべきだったと。後からする後悔がどれだけ虚しいか知っていても──その思いは、止められない。

 

 

 

 

 

 

「……って、何私が酷い目に合うみたいな幕引きしようとしてんのよ!?そんな事ある訳ないでしょ!」

「え、ないの?」

「ないわよ!……え、ないわよね…ないわよね!?ねぇ!ちょっと!?」



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第四十四話 真面目さと緩さと

俺が霊装者となって以降、毎日…ではないけど今に至るまでずっと続けられている綾祢さんのコーチング。戦いに関してはきっちりと指導してくれる(言動自体は普段通りだけど)おかげで、俺の戦闘能力は成長を続けている。

 

「ふっ……ぅ…!」

 

飛び回る複数のターゲットを目で追いながら、空中でライフルを構えて射撃を行う。目標を捕捉する事も飛ぶ事も霊力を込めた実体弾を撃つ事も、個々なら慣れれば決して難しい作業ではなくなるけれど、それ等を同時に行うとなると話は別。これは例えるならクロールをしながら英単語の暗記を頑張りつつその後の予定を思い出そうとするようなもので、こういう事を平然とこなせるようになるまではもう少しかかりそうだった。

 

「大事なのは意識しなくても出来るようになる事だよー!じゃなきゃその内頭がパンクしちゃうからねー!」

「それは、分かってるけど…!」

「それが出来れば苦労はしないって?うん、じゃあ出来るまで苦労するしかないよね」

「でしょうね…!」

 

複数の事を安定して同時に行う為には、出来る限り無意識下でこなせるように、手順や動きを身体に覚え込ませるしかない。特に飛行と付加はどんな戦闘でも必要になるだろうから、飛行ならば走る様な感覚で、霊力の付加なら呼吸する様な感覚でやれる様になる事を俺は目指したい。……出来るようになるかどうかはともかく、目指しはしたい。

 

「一つ…二つ……!」

 

某白い悪魔さんの真似をしてみながらターゲットを撃墜。流石にそちらと違って俺は外してしまう弾丸もそこそこあったけど…それは持ち前の霊力量でカバー出来るから問題無し。折角の長所なんだから、それを軸に戦闘スタイルを組み立てないとね。

そこから続ける事数分。特に問題もなく指定した数のターゲットを処理し終えた俺は軽く息を吐き、綾祢さんの近くへと着地する。

 

「…今のはどうだった?」

「うーん、まぁ悪くはなかったと思うよ?飛行も安定してたし、射撃だって霊力がちゃんと通ってたし。予測射撃はまだまだ甘い感じがあるけど、それは経験がものを言う部分だから仕方ないしね」

 

綾祢さんの評価はまずまず。彼女は過度に甘い評価をしたり逆に厳しい評価をしたりはしない性格だから本当に『悪くない』出来だったんだと思うし、それは普通に安心する。…けど、俺は知っている。綾祢さんが100%この文面通りの事を思ったのなら、悪くはなかったじゃなくて良い感じだった、とかまた成長したね、とかのもっと前向きな表現をするって。

 

「…気になる事、あった?」

「気になるっていうか…まぁ、そうと言えばそうかな」

「そう…じゃ、教えてくれないかな?それも可能なら直したいし」

「んー…どうしよう…」

「どうしよう?」

 

綾袮さんの口から出た、思っていなかった言葉に訊き返す俺。どう言えばいいんだろう、とかどう指南すればいいんだろう、なら分かるけど……どうしよう、って…それは伝えるか伝えないか迷ってるって事?だとしたら…何故に?

 

「いやね、気になる事はあったよ?あったけど…もしかするとまだ言わない方が良さそうっていうか…」

「えぇぇ…そう言われると凄く気になってくるんだけど…」

「あー、そっか…早急に直すべき事ではないよ?それでも聞く?」

「聞く」

 

早急に直すべき事ではなく、言わない方が良い可能性もある事柄とは一体何なんだろうか。何かを言いかけた後「やっぱなんでもない」…と言われるのと同じく、人間半端に情報を出されると妙に興味を惹かれてしまうもので、ぶっちゃけこの時俺は自身の為になるかどうかは二の次でただ気になる気持ちを満たしたい思いで聞く事を決めていた。…ま、まぁ直すには聞かなきゃ始まらない訳だし?結局いつかは聞くだろうから問題ないっしょ、うん。

…という俺の思考を知ってか知らずか返答を受けた綾袮さんは話す事を決定し、こほんと一つ咳払い。

 

「えーとね、わたしが気になったのは空中での動き方なんだ。自分で何か空中機動に思うところがあったりする?」

「空中機動か…いや、ないけど…」

「だよね。ちょっと実演しながら説明するから見ててくれる?」

 

そう言って綾袮さんは跳躍。空中にて霊力の翼を展開して、床から約数mの位置で滞空を始める。……数歩前に進んで上を見上げればスカートの中が覗けそうだけど、俺はそんな事をする程愚かでもなければ勇気があったりもしない。

 

「まず、普通の霊装者はこう。空中で推力が偏っちゃってるなぁ…って思った時は偏ってるのとは逆側の推力を落とすし、ある程度慣れてきたら身体を振って方向転換をしたりする」

「ふむふむ」

「で、顕人君の場合だけど……」

 

普通の霊装者の例を終えた綾袮さんは、左翼の推力を上げて少しずつ右側へとずれていく。ここでさっきは左翼の推力を調整(下げる)事で安定させていたけど…今度は逆に右翼の推力を上げる事で右へと流れていた身体を止めた。そしてそこから霊力推進を様々な方向へ散らす事で回ったり向きを変えたりをひとしきり行い、その後「これで分かった?」という言葉と共に着地する。

 

「流石に完全再現は出来ないけど、ざっくりやると顕人君の空中機動は今みたいな感じなんだよ」

「…姿勢制御にしても方向転換にしても、推力を上げる事の一辺倒で対応させてる…って事?」

「そう!ある程度訓練を積んだ霊装者は推力を下げたり姿勢変えたりで調整するんだけど、顕人君の場合は推力の足し算だけで賄っちゃってるんだよ!」

「推力の足し算…言われてみると、確かにそうだったかも…」

 

推力が偏ったと思った時は足りない側の出力を上げ、方向転換の時も姿勢制御スラスターを積極的に使い、射撃の反動も上手く衝撃を吸収する事より逆噴射での相殺を優先する……思い返せば、綾袮さんの言う通りこれまでの俺は霊力推進の強化で何でもやろうとしていた節があった。…だって、俺にとってはそれがベストだと思っていたから。

 

「…それを指摘したって事は、足し算一辺倒は不味いって事…だよね?」

「一応ね。霊力推進なんて極端な低出力の時を除けば出力を上げれば上げる程、推進器の同時使用数を増やせば増やす程制御が難しくなって身体の負担も大きくなるんだもん。普通の魔物一体二体と戦う程度なら大した事ないだろうけど、強敵だったり長期戦になったりするとその負担が響いてくる可能性は十分にあるんだよ」

「それは…まぁ、そうだよね」

「それにさ、あんまり出力頼りだと動きが硬くなっちゃうんだよ。これは鳥と飛行機の動きを比べてみると分かり易いんじゃないかな?」

 

俺の質問に答え、出力頼りの場合に発生する弊害も綾袮さんは教えてくれる。…考えてみれば、トップエース級の霊装者にこうしねワンツーマンで指導してもらえるなんてかなりの高待遇だよね…なら、それには態度で示さないと。

 

「……分かったよ、綾袮さん。今後はもっと柔軟な空中機動が出来る様意識してみる」

「うん。…けど、これはあんまり優先順位高くしなくてもいいと思うよ?負担の話は言った通りだし、硬いってのも魔人とか凄く空戦能力が高い魔物とかじゃない限りはあんまり関係しないだろうし。まぁ言ってみれば『ハイレベルな戦い』では問題になる…って感じかな」

「そっか…でも、直すに越した事はないでしょ?」

「まあね。とはいえ今のままだって戦えてるし、本来なら一番の問題になる霊力消費が馬鹿にならない事も霊力量が並外れてる顕人君ならそこまで気にする必要はないんだから、今は出来る事をより洗練させるより出来ない事を出来るようにする方が良い、ってわたしは思うよ」

「…そう言うなら、まぁ…気に留めておく位にしておくよ」

 

みっちりとした解説の末に出た結論が『そんな急いで直さなくてもいい』って感じなのは若干拍子抜けだったけど…最初渋っていた綾袮さんへ教えてくれるよう迫ったのは自分だったと思い出し、拍子抜けしたという旨の言葉を俺は飲み込んだ。

 

「…じゃ、他に直すべき事はある?」

「一先ずはないよ。強いて言うなら実弾ライフルは霊力量だけじゃなくて残弾にも気を付けた方がいい、って位かな」

「あ、あー…霊力には余裕あるのに弾切れとか勘弁過ぎるね…無計画にバカスカ撃つのは避けないと…」

 

ひとしきり改善点の指摘を受けた俺は弾薬(訓練用)を補充し、もう一度同じ想定で訓練を再開。今度は予測射撃と弾薬消費に気を配りながらターゲットへ射撃を撃ち込んでいく。

 

(ぐっ…い、意識しなきゃいけないものを意識するのは一応出来るけど…意識しちゃいけないものを意識しないようにするのは凄ぇ難しい…!)

 

どれだけ意識しないようにしようとしても…いや、意識しないようにしようとすればする程、空中機動の癖が脳裏をちらついて忘れられない。覚えておきたい事は忘れるくせに忘れたい事は残るだなんて、ほんといい趣味してるよ人の脳は…こういうの心理的な問題もあるんだろうけど……。

 

「……っ…はぁ…疲れた…」

 

思考の事で四苦八苦しながら訓練を続けて十分弱。さっきよりも全ターゲット撃退完了までの時間は短くなったと思うけど……疲労に関してはさっきよりも増えてしまった。…綾袮さんが始め言うのに消極的だったのは、こういう脳的、心理的な疲労を見越しての事だったのかも……。

 

「お疲れ〜、明日だって学校あるし今日はこの位にしたらどう?」

「だね…うーむ、まだまだ俺は未熟だ…」

「未熟って事はまだまだ成長出来るって事、折角やる気あるんだからこれからも頑張っていこうよ。わたしも手伝ってあげるからさ」

「…そう言われちゃ、頑張らない訳にはいかないね」

 

……という事で今日の訓練はこれにて終わり、俺は帰る準備を開始。霊装者になったばかりの頃は手間取っていた各種片付けも、今や慣れて手早く進められるように。そして帰り支度が終わった頃、綾袮さんは快活ながらもしっかりと指導してくれる大先輩から、快活でちゃらんぽらんな同級生の少女へと戻っていた。…綾袮さんも綾袮さんで切り替え速いなぁ…。

 

 

 

 

「そういえばさ顕人君。最近流行ってる噂について知ってる?」

「噂?」

 

綾袮さんがその話題を振ってきたのは、俺達が外へ出る為地下通路を通っていた時。全くもって脈絡のないその振りに対し、俺は考えるよりもまず訊き返した。

 

「噂だよ。その反応だと、顕人君は知らないのかな?」

「いや、知らないから訊き返した訳じゃなくてね…まぁ思い付くものはないから結果は知らないんだけど…」

 

噂なんてその前に『風の』が付いたりする事からも分かる通り、本人の意思関係なしにどこかしらから吹き込んでくるものだけど…吹き込む間口を自らは特に開けてない俺にとって、今流行ってる噂なんてまあまず思い付きやしない。捻り出そうとすれば、一つ位は出ると思うけど…そんな出し方したものを『流行ってる』とは言えないよねぇ…。

 

「そっかぁ…顕人君って、噂話嫌いだったりする?」

「嫌いって事はないよ。噂話という体裁での陰口は嫌いだけど」

「うん、それはわたしも嫌い。…じゃ、噂話しても大丈夫って事かな?」

「そうだね、話したいなら聞くよ?」

 

どうせ帰路ではいつも雑談しかしてないんだから、その内容が噂についてであっても何ら問題はない。そう思って言葉を返すと、綾袮さんはこくんと頷いて話し始めた。

 

「あのね、これは噂っていうか人伝ての体験談なんだけど…」

「え、何その怪談みたいな始まり方…もしかして噂って、学校の七不思議的なやつ?」

「ううん、違うよ。…最近、結構な時間ぼーっとしちゃう子が多いみたいなんだ」

「…………」

「不思議なものだよねぇ、数分ならともかく結構な時間なんて──」

「ちょ、ちょちょちょちょちょ…ちょっと待った綾袮さん」

「ほぇ?」

 

地下通路から地上(の建物)へと上がる中、俺は綾袮さんの語りを遮った。あ、あれ…なんか噂が俺の思っていたのと違うぞ…?

 

「噂って…ぼーっとしちゃうって内容なの?」

「うん」

「ぼーっとしてた後に何かが起きて、とか後からぼーっとしてた間にとんでもない事が起きてたのに気付いて、とかじゃなくて?」

「うん」

「……そんな五秒で本文が終わるような噂って、話のネタにして楽しい…?」

「え?…ちっちっち、分かってないなぁ顕人君。噂話って言うのは噂を起点に色々お喋りするのが楽しいんだよ」

「は、はぁ…そうなんすか…」

 

びしっ、と格言を言ったみたいに綾袮さんは指差してくるけど…そんな事を言われたって、俺は全く納得出来ない。起点って事ならわざわざ噂を持ってくる必要なくね?…と身も蓋もない事が真っ先に頭に浮かんでしまう。これは俺が特殊なのか、それとも傾向として噂話をよくする女性とそこまで積極的にはしない男性との差なのか…。

 

「顕人君、しっくりきてない感じ?」

「正直言うとそうね…今回の噂の場合、ここからどう話膨らませていくの?」

「どうって…あーそれあるよねぇって同意したり、何その話疑わしい〜って異論を唱えてみたり、わたしもそういう経験あるって自分の話題に持っていったり色々だよ?」

「…やっぱそれ、話の起点が噂である必要無くね…?」

「じゃ、噂の他にベストな起点ってある?」

「それは…そう言われるとちょっと思い付かないけど…」

 

上手く返せなかった俺に対し、綾袮さんはでしょう?…ととばかりに得意げな表情を見せてくる。よくよく考えてみれば会話の起点なんて、なんとなーく話したくなった事を口にするだけだからベストも何もって話なんだが…それを言ったら負け惜しみみたいになるから言わないでおこう。

 

「ふふん、分かってくれたかな?実際今も会話は続いてるでしょ?」

「『話題がない、って話題』…的なしょうもなさを感じる会話だけどね…それで本題はぼーっとしちゃう子が多い、だっけ?」

「……分かってないなぁ、顕人君は…本題に沿ってるかどうかはどうでもいいんだよ。勿論本題について話したいならそれでいいんだけどさ、別に会議じゃないんだから楽しめればそれでいいんだって」

「…ま、そだね」

 

綾袮さんの言っている事は終始『適当』だけど、一応筋は通っている。そしてその適当さは俺も普段は無意識に持ち合わせている訳で……何だろうね、綾袮さんが基本ボケ体質で俺が突っ込み体質だから『真面目に返そう』って意識が出来ちゃってたのかな?

 

「ぼーっと、か…最近気温も上がってきたし、早くも熱中症になっちゃったとか?」

「まだ熱中症になるレベルじゃないでしょ。それよりわたしは現実逃避だと思うな〜」

「現実逃避?」

「ほら、定期テストも近付いてきたじゃん」

「あぁ……」

 

中学以上の学生を数ヶ月(場合によっては毎月)の周期で苦しめるイベント、テスト。確かにそれは近付くと現実逃避したくなり、実際俺も「まぁまだ期末が残ってるし」とか「まだ受験生じゃないんだから…」とかを考えて直視を避けようとする事がよくあるから分からない事もないけど……

 

「…綾袮さん、テストだけじゃなくその後の補習とか追試とかもあるもんね…」

「ちょっと!?わたし赤点取ってたりはしないよ!?妃乃に山を張ってもらったり鉛筆転がしたりして頑張ってるもん!」

「それは頑張ってるとは言わないよ!?そしてそれで何とかなってるならまぁまぁ凄いよ!?」

「え、凄い?……えへへ」

「褒めてないよ!凄くはあるけどそれ一切誇れない事だからね!?」

 

山張り(友人頼り)と鉛筆転がし(運頼り)で赤点回避出来ているなら、それはある意味大したものなんじゃないだろうか。…一応綾袮さんは基礎というか最低限の学力は有している、という可能性もあるけど……いずれにせよ、マジでそんな手段でもってテストに臨んでるなら綾袮さんの今後が不安過ぎる…。

 

「…あ、そういえば顕人君ってどっちかと言えば勉強出来る方だよね?」

「え?…うーん…そらそこそこは出来る、と思うけど…」

「だよねだよね。ふふん、これで山張りの精度が上がるっ♪」

「え、俺にも山を張らせる気?」

「お願い!山張って!別に外れたからって文句言ったりはしないから!」

「…せめて一夜漬けとかはやろうよ…定期テストの範囲なんて数ヶ月分程度なんだから、一夜漬けでもそこそこ結果変わるものだよ?」

「わたしが漬けるのは糠味噌だけだよ!」

「嘘吐け!糠味噌漬けてる姿なんて一回も見てないぞ!……あ、嘘か!嘘漬けって事か!」

「え、何言ってんの?」

「あれ、そういうネタじゃなかった!?…うわ、超恥ずい……」

 

何故か山張りを頼まれるわ、バレバレの嘘を吐いてくるわ、挙句深読みし過ぎて滑るわ、ものの数十秒で散々だった。…今歩いてるのが人通りの多い場所じゃなくてよかった…人が多かったら絶対変な注目浴びてたよ…。

 

「まぁまぁそういう事で、山張り頼むね?」

「どういう事でだよ…あんまり軽いノリでいると俺からの協力を得られないどころか、時宮さんからも山張ってもらえなくなるかもよ?」

「大丈夫大丈夫、わたしの軽いノリで愛想尽かされるならそれはもう何年もなってる筈だもん」

「えぇー……」

 

今の言葉で、綾袮さんの性格は大分前から今の方向性を走っているという事が判明した。さっきまでは『何故山を張ってしまうの時宮さん…』と思っていたけど…今となっては同情するよ時宮さん……。

 

「……テストはさておき、長時間ぼーっとする事は避けたいよね」

「うんうん、それで山張りの事は?」

「家にいる時とかならまだしも、他の所にいる時は怖いものだね。授業中ならまるっとその内容が抜けちゃう訳だし、路上を歩いてる最中だったら撥ねられかねないし」

「ちょっとー、山張りの件はー?」

「…へいへい、考えておきますよー…」

 

話逸らして有耶無耶にしようと思ったけど、流石に今のは強引過ぎてバレてしまった。…と、いう事で俺は取り敢えず問題を先送りにしてお茶を濁す。…別に無理難題を頼まれてる訳じゃないし、どうしてもって言うならやったっていいけどさ…あのデカいぬいぐるみの件といい、なんかこのままだと優しいはおろか甘いも越えて、ただの都合良い奴になりかねないんだよね…流石にそれは勘弁だっての…。

 

「ほんとだね?考えてはくれるんだよね?」

「考える考える。…にしても、ほんと上手い具合に話が変わっていったなぁ…」

「ならいいけど…元々の話からは離れても、それはそれで楽しかったでしょ?」

「楽しかったっつーか、なんというか…ま、盛り上がりはしたかもね」

「雑談なんだから盛り上がったらそれでいいんだよ。さ、顕人君飛ぶよ!」

「うーい」

 

ある程度歩いた俺達は、そこから移動を徒歩から飛行に切り替え空へ。なんか結局ぼーっとする理由とかする人の傾向とかはさっぱりのままだけど…そもそも雑談のネタとしての噂なんだし、分からなくても問題ないか。それより山張りの件考えなくちゃならんしね。

──こうして今日も、俺と綾袮さんは家へと帰るのだった。



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第四十五話 どうも気がかりな事

魔王と魔人の単独捜索を妃乃が始めてから一週間。妃乃はともすれば面倒になってしまいそうな報告メールを一度も欠かさずに行い、捜索を入れた分疲労は増えている筈にも関わらず家でも学校でもこれまで通りの生活を続けていた。

 

「そぉぉぉぉいッ!」

 

魔物へと突き刺した直刀を両手で持ち、走りながら斬り裂いていく俺。デカい蛇の様な魔物は苦悶の奇声を上げながら尾を振り上げ、鋭利な先端を俺へと向けてくるが、妃乃の放った飛翔する斬撃に弾かれ尾の向きは明後日の方向に。その間にも斬り裂く事を続けた俺は、魔物の右側面を凡そ七割程斬ったところで直刀を振り抜く。

 

「魔物の二枚おろし…なんて、な!」

「あら悠弥、魔物を食べたいなんてワイルドね」

「別に食いたい訳じゃねぇよ、冗談だ冗談」

 

今相手にしている魔物を侮ってる訳でも、自身の力に慢心している訳でもないが…俺も妃乃も緊張はしていない。何せ俺達とこの魔物とじゃ圧倒的な戦力差があるのだから。特に焦る事なく落ち着いて倒せる様な相手だから。勿論、よっぽどの油断でもすれば逆にやられる可能性もあるが…それはバイクや自動車を運転するのと同じ。運転に慣れた奴が事故るんじゃないか、それで死ぬんじゃないかと毎回ビビってたりはしないのと同じ様なものさ。……まぁ、俺はどっちも運転した事ないが。

 

「あそう。じゃ、一気に片を付けるわよ!」

「あいよ…!」

 

自身の身体を深々と、それも七割前後斬られれば魔物であっても平然としていられる訳がなく、魔物はその場でのたうち回る。そんな中妃乃は魔物の頭部へ狙いを定め、空中からの突撃で狙い違わず魔物の頭を串刺しにする。更に頭を貫かれて動きが鈍った瞬間魔物へと飛び乗った俺は、首と思われる部位へと直刀を一刺し。頭と首を立て続けに刺された魔物はその場で痙攣し……生き絶えた。

 

「ふぅ…外見程は強くなかったわね。巨大な蛇って大概創作じゃかなり強い部類の存在として描かれるのに」

「あー、確かドラゴンも蛇がモチーフなんだよな?てか、だったとしたらむしろ幸運じゃね?アホみたいな強さだったら困るのはこっちなんだからよ」

「そんな事は私も分かってるわよ。ちょっと想像が外れたってだけ」

 

地に伏した魔物を駄弁りながらも注意深く見ていた俺と妃乃だったが、魔物は動く事なくそのまま消えていく。これは魔王も魔人も倒せていないのだから、倒した筈の魔物が最後の反撃を仕掛けてくるという事がまたあるかもしれないと考えての行動だったが…今回は取り越し苦労だった。苦労っつっても見ていただけだが。

 

「これで討伐終了、っと。狩りゲーとかRPGのクエストみたいに倒したら報酬が貰える、って規則が出来てほしいなぁ…」

「協会は依頼の仲介組織じゃないっての。代わりに給料が出るんだからそれで我慢しなさい」

「…ごめんな、緋奈…兄ちゃんの会社が安月給なばっかりに、美味しいもんを食べさせてやれなくて…」

「凄いわねそのボケのデパート…」

 

一気に無理なく詰め込めるだけボケを詰め込んでみた結果、妃乃から帰ってきたのは予想以上にシンプルな突っ込みだった。言葉選びのセンスはいい感じだが…ここはもうちょいがっつり突っ込んでほしかったな…。

 

「…まぁいいや。んじゃ帰るとするか…」

「あ、私はこれから捜索に入るわ。今からじゃ帰るのは遅くなっちゃうだろうし、鍵は閉めておいて大丈夫よ」

「そうか、じゃあ渡しといた合鍵も一旦受け取っておこう」

「えぇ…ってそれじゃ私家に入れないじゃない!私を締め出したいの!?」

「ジョークだ、気にすんな。…つか、大丈夫なのか?然程苦労しなかったとはいえ疲労がない訳でもないだろ?」

 

俺はさっさと帰るつもりだったが、妃乃は例の捜索に入る様子。先週その事については話したんだから捜索そのものを止めるつもりはないが…懸念を伝える位はしたっていいよな。

 

「大丈夫よ、それに今日は軽く見回ってそれで終わりにするつもりだから」

「ならいいんだが…どうせ俺はまだ暫く寝ねぇし、寝るまでは玄関開けとくから早めに帰るようにしろよ?」

「ありがと、じゃあ私は行くとするわ」

「おう……あ、その前にもう一つだけいいか?」

「何よ、どこぞの刑事みたいな言い方して…」

「いや、今ちょっと思い出した事があってな…妃乃、もし本当に魔王を発見した場合はどうするんだ?」

「どう、って…前に言わなかった?協会に連絡して私は尾行をするって」

「そうじゃなくて、その後だよ。協会に連絡したとして…魔王を倒せるだけの戦力が用意出来るのか?」

 

飛ぼうとする妃乃を引き止め、問いを投げかける俺。見つけたのが魔人なら妃乃と増援とで何とかなるかもしれないが、魔王は妃乃と宮空の連携ですら凌いでしまうレベルの相手。双統殿所属の霊装者でこの二人クラスの実力者がいるのかどうかは怪しいところで、数を揃えるだけじゃ殆ど意味をなさない魔王に対して妃乃はどういう算段を立てているのか…俺が気になっていたのは、そういう事だった。

その俺の言葉を受け、妃乃はあぁ…と理解した様な声を漏らしつつ頷く。

 

「出来ると思うわよ?と言っても、国内の支部から霊装者を派遣してもらうって形になるけど」

「支部から派遣?…あー、そういや各地で支部があるんだったな…」

「支部全体で言えば私に追随出来る人も少しはいるし、その人達が来てくれれば倒せる可能性はあると思うわ」

「…到着するまで見失わずにいられるか?」

「どうかしらね。まぁでも見失いそうならこっちから仕掛ければいいのよ。倒すのは難しくても、時間稼ぎ位なら双統殿の戦力でも事足りると思うし」

 

事務関連にはほぼ参加せず、協会の組織図なんかちっとも知らない俺にとっては『協会=双統殿』というイメージが頭の中で出来上がっていたが……そうだよな、普通に考えたら日本全土を本部だけでカバーしてる訳がないんだよな…てか、思い返すと生まれ変わる前の俺も軍の組織図の事よく知らなかった気がする…俺の適当さは昔からか…。

 

「…何れにせよ、魔王見つけたら前同様相当な戦いになるのは必至だな…」

「当たり前よ、魔王なんて大仰な名称を付けられてる相手なんだから。あーあ、自然消滅でもしてくれないかしら」

「妃乃がそんな現実味の無い事言うなんて珍しいな」

「私だって偶には言うわよ。じゃ、今度こそ行くから」

 

そう言った妃乃は、今度こそ飛び立っていった。もし本当に一人で、日々の生活や霊装者としての任務の合間で姿をくらました魔王や魔人を見つけられのなら、俺は妃乃の事を本気で尊敬するが…まあ多分見つけられないだろう。そして、そんな事は妃乃だって分からない筈がないのだから……

 

「……責任感、ってやつかねぇ…」

 

時宮家の人間としての、魔人や魔王の影に早期から気付いた内の一人としての、あの戦いで仕留められなかった事への…そういう要素からくる責任感が、妃乃に捜索をさせているんじゃないかと俺は思う。不真面目な俺からすれば、そういう責任を感じ身を粉に出来る事自体は凄いと思うが……息苦しくないのか、ね…。

 

「……ま、湯でも沸かしておくかね…それか今は冷茶の方がいいかもな」

 

軽くポケットに手を突っ込み、家へと帰る為に歩き出す俺。妃乃の捜索について思う部分は勿論あるが、それは相談された時にもう考えて自分の中で決着をつけた話。それに結局のところ自分で選んだ言動の責任は自分自身にあるんだから、妃乃がそれでいいと思ってるならそれでいいじゃないか。俺は妃乃のクラスメイト兼同居人であって、親でも保護者でもないんだからな。

 

 

 

 

夜空を一人で飛ぶのは悪くない。夜の街を上から眺めると結構綺麗だし、普段周りが賑やかな分誰もいない静かな夜空は私の心に穏やかさを与えてくれるのだから。

 

「……この高度じゃ流石に厳しいわね…もう少し高度を下げないと…」

 

魔物を見つけたいなら探知を行うのが一番手っ取り早いけど…実力のある霊装者が自身の力を制御し探知から逃れる事が出来るように、魔王や魔人もまた殆どの場合探知に引っかかってくれる事はない。となれば探索は五感を使って行うしかなくて、私は人目を浴びる事のないよう気を付けながら高度を落としていく。

 

「…………」

 

住宅街、繁華街、工業地域に街外れの山。頭の中で思い浮かべていたルートに沿って、私は空中からの探索を続ける。今日も今日とてその収穫はなく、分かった事と言えば魔王や魔人が分かり易い場所に潜伏している可能性は限りなく低い、というだけの話。……でも、それでいい。

 

「…個人の成果より、全体の結果…ってね」

 

私の行いはあくまで私の自己判断であって、協会はきちんと部隊を編成して捜索に当たっている。任務として時間をかけて探している部隊がまだ見つけられていないんだから、何とか時間を捻出して探している私が目立った成果をあげられなくたって何らおかしな事はない。…それに、隠れたまま何のアクションも起こしていないのなら、それは存在していないのと変わらない。こうして私が探す事で、私の姿を見せる事で魔王や魔人への抑止力になれているのなら…この行為は、無駄なんかじゃないんだから。

 

「…にしても、無愛想なくせに私の事気にかけてくれるのよね、悠弥は……」

 

愛想がなくて、すぐふざけて、よく無茶苦茶な事言って、変なところで頑固な男、千嵜悠弥。初め自分の担当が悠弥になった事へは軽く恨みもしたし、悠弥よりずっとまともでしっかりしてそうな顕人の担当になった綾袮を羨みもした。…けど、日々同じ家で暮らす中で、色んな場所で言葉を交わす中で、最初は分からなかった悠弥の一面も見えるようになってきた。悪い部分が私の見当違いだったって事は今の所ないし、多分今後も撤回されないんだろうけど……今は、悠弥の担当になった事を悪くないって思えるようになった。

 

「……って、何考えてるのよ私…これじゃまるで私が悠弥を特別に思ってるみたいじゃない…あー、馬鹿らし…」

 

自分の思考が妙な方向にズレつつあった事に気付いた私は、頭を軽く振って思考を振り払う。確かに今の私は悠弥の事をただのクラスメイトだとか、ただの霊装者仲間程度の存在には思っていないけど…それはあくまで同居してたり一緒に何度も戦っていたりするから。特別云々を言うなら緋奈ちゃんだって私にとってはただの後輩だとは思ってないし…とにかく、悠弥だけが特別なんて事は無い。断じて無い。

 

「…一度気を取り直さないと…」

 

年齢=霊装者歴…とまでは言わないものの、生まれてこの方ずっと霊装者として生きてきたわたしにとって、探知や飛行なんて呼吸や走行をするみたいなもの。だから雑念があったところで見回り程度ならなんの問題もないんだけど…万が一魔人クラス以上の敵に強襲された場合、雑念の有無は生死に関係してしまう。ただでさえ私は死ねないってのに、死んだ理由がこんな事考えてたからとかになったら誰にも顔向け出来ないっての…。

と、いう事で私は一度近くのアパートの屋根へと着地。まずは一つ深呼吸をして、ついでに悠弥へ報告を送る。

 

「…出来れば魔王と相対する前に魔人を始末しておきたいところね…」

 

報告を送ってから一分程したところで、悠弥から返信が送られてくる。そこに打たれていたのは『了解』というたった二文字だけど、私の報告にしても悠弥の返信にしても重要なのは送る事であってその内容は正直どうでもいいんだから問題無し。そしてその返信を見る頃には思考も幾分か落ち着きを取り戻していたから、私は携帯をしまって再び空へと……

 

「……あら?あれって…」

 

…上がる直前、視界の端に見覚えのある人影を捉えた。その視界の端というのは、私が今いる屋根の上よりもずっと下。

 

「…ちょっと確かめようかしら…」

 

アパートの裏手側へと回った私は、翼を出さずにそこから落下。途中ちょっとした出っ張りや縁を掴んだり足を引っ掛けたりして適度に減速し、音を抑えて路上へ降り立つ。そうして私は道路に出て、先程見た人影……遠目に見てクラスメイトじゃないかと思った女の子へと近付いていく。

 

(人違いだったら恥ずかしいわね…)

 

小走りで近付く私の頭によぎるのは、全然違う人に声をかけてしまった時の恥ずかしさ。後ろ姿的には合ってると思うけど、やっぱりそれだけじゃ確信まではいかない訳で……だから私は後数歩、というところで口を開く。

 

「……凪子?」

 

凪子、というのは勿論私の思い浮かべているクラスメイトの名前。もしその通りなら反応する筈だし、そうじゃなくてもすぐ後ろで人を呼ぶ声が聞こえたという事で振り向いてくれれば私はその人の顔を確認する事が出来る。そうして顔を確認したら後は凪子なら話しかけて、違ったら別の人へ声をかけてるんだって顔して通り過ぎればいいんだから、これはシンプルながらも有用な手段よね。

……けど、その結果は私の望むどちらの結果にもならなかった。

 

(……あれ…?)

 

私に声をかけられた事に全く気付かない目の前の人。聞こえていなかったのかと思い、もう一度…今度はもう少し大きな声で声をかけてみるけれど、二度目も彼女は反応してくれない。となるとまずありそうなのは人違いだったってパターンだけど……それにしても、彼女の反応はおかしい気がする。例え他人だったとしても…真後ろから人の声が二度も聞こえてきているのに、微塵も反応しないなんて普通じゃない。

 

(イヤホンで音楽を聴いている…訳じゃないわよね。周りが騒がしいって事もないし、私もちゃんと声を出してる筈。…じゃあ、どうして……)

 

切っ掛けはただちょっと気になったというだけで、この人がクラスメイトなのかそうじゃないかは分からず終いでもなんの問題もない事だけど…こうなると誰なのかはっきりさせたくなるのが人ってもの。…理由は分からないけど、この様子じゃ単に声をかけただけじゃ同じ結果になるだけの可能性が高いわね…もし違う人なら少し恥をかく事になるけど、やっぱりここは一か八か肩に手を当ててみて……

 

「……あぅ!」

「はい…?」

 

……と、私が考えていたその時…目の前の人はすっ転んだ。それも、路上のちょっとした凹凸に引っかかって。

 

「……ちょ、ちょっと…大丈夫…?」

「痛た…あ、はい大丈夫です…ってその声…時宮さん…?」

「あ…何よ、やっぱり凪子じゃない…」

 

幼児か余所見中かでもなければ引っかかる筈もない場所で転んだ事に目を疑う私だったけど…目の前で転んだ人を無視するような事を私は出来ない。だから私はその人へ手を差し伸べようとして……名前を呼ばれた。

まさか呼ばれるとは思っていなかった私は、手を差し伸べかけたまま反射的にその人の顔へ目をやる。そうして期せずしてその人が誰なのかを確認した結果…その人がやはりクラスメイトであった事が判明した。

 

「…どうしてここに?」

「それはこっちの台詞よ、貴女声をかけても反応しないし…」

「え…声、かけてたの…?」

「かけてたけど?」

「そ、そうなんだ…ご、ごめんなさい時宮さん。私、ぼーっとしてて気付かなかった…」

「ぼ、ぼーっとって…女子高生が夜道でぼーっと歩くのは危ないわよ…」

 

夜道を一人で歩く時点で決して安全とは言えないのに、それに重ねてぼーっとしてたなんて流石にそれは不用心としか言いようがない。実際今転んだばっかりだし。……まぁ、これは危険の方向性がちょっと違うけど。

 

「だ、だよね…それで、そういう時宮さんは…?」

「私?私は…買い物よ。ちょっと用事があって、買いに行くのが遅くなっちゃったのよ」

「そう…えと、ご心配をおかけしました…」

「え、いや頭下げる必要はないわよ…?」

 

ぼーっとこそしていないものの、彼女から見れば私もまた夜道を一人で歩く女子高生。だから貴女こそ何をしていたの?…という旨の質問は安易に想像出来てたし、私は訊かれる前提で適当な理由を考えておいた。当然これは虚言に当たるけど…嘘も方便だものね。

 

「…まぁ、貴女がぼーっとしてたなら怪我する前に話しかけられてよかったわ。私はもう行くけど…大丈夫?」

「あ、うん。今度は気を付けるから。それじゃあお休みなさい」

「えぇ、じゃあね」

 

お互い何してたかが分かったところで(私の方は嘘だけど)解散する私達。数分程私は今いる場所周辺を歩き回り、頃合いを見計らって再び飛翔。探索行為を再開する。

 

「……とはいえ、これ以上は明日に響きそうね…」

 

探索は重要な事とはいえ、極力学業に悪影響は及ぼしたくないというのが私の本心。だから私は大きく一度旋回をし……それで、今回の探索は終わりにする事を決めた。

 

(…そういえば、学校でもぼーっとするって話を聞いたわね…)

 

私はその会話を聞いているだけだったけど…結構な時間ぼーっとしてしまう云々の話は、クラスでもちょっとした話題になっていた。その時は真偽は定かじゃなかったし、真剣に話してた訳でもないけど…こうして実際に目にすると、俄然本当なんじゃないか、なんて気持ちになってくる。

 

(…伝染病か何かなのかしら……)

 

発症した人間をぼーっとさせる伝染病、なんて意味不明だけど……そんなものはない、なんて断言出来る程私は伝染病について詳しくはない。それに世の中には霊装者や魔物なんていう非常識な存在だって実在してるんだから、安易にあり得ないなんて思うのは軽率よね。…まぁ、伝染病じゃない可能性だって十分あるんだけど。

そんな想像を膨らませている内に旋回も終わり、私は向きを千嵜家の方へ。さてと、悠弥は鍵開けて待っててくれてるらしいし、終わったんだからさっさと帰らないと……

 

「……ん?」

 

加速しようとした瞬間、視線の様なものを感じて首を回す私。……でも私がいるのは空中で、高度もそれなりなんだから視線なんか受ける筈がない。強いて言うならば鳥の視線があるかどうかって位で、地上から私の姿をきちんと見えているならそれはその時点で普通の人じゃない。

 

「……ちょっと疲れてたのかもね」

 

…だから、私はそれを気のせいだと結論付けて終わりにした。悠弥にも言われたけどこの探索は戦闘後すぐやっている事だし、自分では気付かない内に疲労で神経の感度が若干乱れてたっておかしくはない。どんなに実力があったって、戦い慣れしてたって…私だって、人間なんだから。

そう判断して、そのまま空路で私は帰宅。その後は視線も感じず、何も起こらず終いだったから……視線を感じた真の理由は、私が誰かに見られていたのかどうかは、分からないままだった。



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第四十六話 新たな疑惑

俺と千嵜、綾袮さんと時宮さんはそれぞれ違う派閥所属で住んでる場所も違う、という事で任務中一緒になる事はあまりない。…が、日中生活する場所である学校では全員クラスメイトだし、それぞれが友人関係という事もあって放課後なんかは一緒になる事がそこそこある。で、集まったところから何か話そうとなった場合は……専ら、どこかの店に立ち寄っている。

 

「ねー妃乃、今日わたし古文の授業うとうとしちゃってちゃんと板書出来なかったから、ノート…」

「ノート?写させてほしいの?」

「ううん、わたしのノートに書き写してくれない?」

「図々しっ!あっけらかんと図々しい事言うわね!絶対嫌よ!」

「えぇー……」

 

ファミレスの席に座り、注文してから早々に時宮さんへとしょうもないお願いを口にする綾袮さん。その様子を千嵜と共に眺めていると……断られた綾袮さんは、俺へと視線を向けていた。…げっ、こっちに来た……。

 

「ね「嫌だ」早っ!?ちょっ、断るの早過ぎない!?まだ最後まで言ってないどころか一文字しか言ってないよ!?判断するには早計過ぎるんじゃないかな!?」

「いや、だって同じお願いを俺にしてくるって分かってるし…頼むなら千嵜にしてよ」

「俺か?俺のノートは新品同様なんだが…」

「え…悠弥君、それは流石にヤバいんじゃ…?」

「冗談だ。だが参考にならない事は間違いないだろうな」

 

ちゃんと板書出来なかった分を人に書いてもらおうとしている綾袮さんと、参考にならない事を自負している(恐らく書き損なってる部分もあるのだろうと思われる)千嵜。その五十歩百歩な残念さに対し、目の合った俺と時宮さんは呆れ混じりに肩をすくめるばかり。お互い大変だね、と一瞬心が通じ合っていた俺達だった。

 

「全く…ほら、見せてあげるから自分で写しなさい。自分で書くのも記憶の定着に繋がるのよ?」

「うー…分かったよぉ…」

「…千嵜は写させてもらわなくていいの?」

「ふっ…俺は俺のやってきた事を信じるだけさ」

「わー、千嵜さんカッコイ〜」

 

それから俺達は…既に始まってるけど…雑談に突入。集まったと言っても別段協会から何か通達があった訳じゃないし、問題に直面してる訳でもないから会話は基本談笑となる。綾袮さんの事を考えると集中の邪魔にならないよう静かに話した方がいいのかもしれないけど、それを言ったらそもそもファミレスじゃなくて家とか図書館とかでやるべきだからね。

 

「あー綾袮さん、そこ訳文が抜けてる」

「わ、ほんとだ…もう、なんで現代じゃ使われてもいない言語の勉強しなきゃいけないのかなぁ…古文から過去を学ぶ、って言うなら歴史の授業でいいじゃん…」

「はは…まぁ、訳す能力は専門知識って扱いにして内容だけ学べばいいじゃん、ってのは俺も思うよ。学校ってのは考える力を養ったり一定の知識を有している事の証明になる場だから、こういうのも授業の中に入ってるんだろうけどさ」

「あ、そうなの?」

「いや知らない。単に俺がそうなんじゃないかなーって思ってるだけ」

 

この勉強、する必要あるの?…それは日本に住まう学生の約八割が一度は思うであろう、教育に対する文句混じりの疑問。大概は考えたってしょうがないとかそう決められてるんだから、と理由の追求を止めてしまうところだけど…俺は違う。自分なりに納得出来る理由、それも偏屈ではないものを考えるのがこの俺なのだ!……って地の文で盛り上がったって、自己満足以上のものにはならないんだよねぇ。

 

「へぇ、結構ちゃんとした考えじゃない。そういう面でも貴方ってしっかりしてるのね」

「はは、時宮さん程じゃないよ。俺はそこまで成績優秀って訳じゃないし」

「私が評価してるのは成績とは別のところよ。それと、貴方も嫌じゃなきゃ名前で呼んでくれて構わないわよ?協会所属の人間としては名前の方が何かと円滑だし」

「え……?」

「な、名前?…まぁ…そういう事なら名前で呼ばせてもらうけど……いやでも言われて名前呼びに改めるのはちょっと気恥ずかしいかも…」

「あー、酷〜い顕人君!わたしの時は普通に呼び方変えたのに、同じ性でも人によって反応変えるんだ〜!」

「い、いや別にそういう訳じゃ…てかあの時はその直前にあくまで業務的な理由です、って事を今よりずっとしっかり言われたからだから……」

 

俺の考え方について評価された数秒後、かなり何気ない流れで時宮さんを妃乃さんと呼ぶ事になった。…その後なんか妬みみたいな発言を綾袮さんからされたけど…声音的にこれは俺をからかうつもりで言ったな…?

 

「そうだっけ?うーん、言われてみるとそうかもしれないね。…じゃ、これに便乗して悠弥君もわたしの呼び方変えてみる?」

「ん?…そうさな、俺だけなんか距離開けられてるみたいなのは嫌だしそうさせてもらうよ」

「大丈夫よ悠弥、貴方は呼び方関係無しに距離開けられてるから」

「そうかそうか、じゃあ俺は帰ったら妃乃の部屋のクローゼット開けてやろう」

「やったらぶん殴るわよ!?私的な理由で女性のクローゼット開けようとするなんて根性腐ってるわね!」

「えぇー……自分から煽ってきたくせにそこまで言う…?」

 

運ばれてきた軽食を口に運びながら、綾袮さんは書き写しをしながら、雑談は続く。他愛もなければ益もない(呼び方変更の件があるから無意味ではないけど)雑談だけど、だからこそ気兼ねなく楽しめるというもの。益を、価値を求めてばかりいたら息苦しくなっちゃうからね。

そんなこんなで話す事十数分。相変わらずどうでもいい事を話す中…ふと時宮さん…ではなく妃乃さんは窓の方へ目をやった。

 

「あれ?妃乃どしたの?」

「あ……ううん、何でもないわ」

「そうなの?金のキョロちゃん見つけたとかじゃない?」

「ひ、久し振りに聞いたわねキョロちゃんなんて…ちょっと視線を感じただけよ。それだけだから気にしないで」

「視線?え、何々妃乃ってば熱烈な視線浴びちゃってるの?」

「知らないわよ、って言うかどっから熱烈なんて出てきたの…」

 

綾袮さんの返し(ネタ)が中々特徴的だけど…どうも妃乃さんは視線を感じて振り返ったらしい。ただ視線なんてしょっちゅうではないものの普通に生きていれば感じる事もあるし、当の妃乃さん自身があまり話題にしようともしなかった事もあってこの話は即終了。すぐ後に千嵜が妹さんに何かお土産でも買っていくかなぁ…なんて言い出して、それに俺達が「え、帰りの寄り道でお土産?」的突っ込みを入れた事で話題は完全に別のものとなった。

 

「…ん?もうこんな時間か…夏が近付くと日が落ちるのが遅くなるから時間が分かり辛いんだよな…」

「冬は冬で『え、もう夜?』ってなるよねぇ…さて、そろそろお開きにする?」

「そうだね。妃乃ありがとー」

「はいはい。授業中ずっと集中してろ、とは言わないけど板書位はしっかりしなさいよね」

 

既に書き写しが終わっていたノートを妃乃さんへと返し、筆記用具をしまって立ち上がる綾袮さん。俺含む三人も同じ様に立ち上がって、会計を済ませて店の外へ。空調が効いている店内に比べ外はやや暑かったけど…同時に気持ちの良い風も吹いていた。

 

「じゃ、また明日〜」

「また明日ね〜」

「うーい…って綾袮さんはこっちでしょ!どこ行く気!?」

「…しょうもないやり取りしてるな、二人は…」

「こっちも振り返るとあんまり他人の事言えないけどね…」

 

何故か千嵜達の側へ行こうとしていた綾袮さんを呼び戻し、帰路へ。その途中でスーパーに立ち寄って、綾袮さんと夕飯に関して話ながら買い物を行い、家に帰ってからは夕食の準備をスタート。そうして普段通りの事を普段通りに進められている今日は、いつも通りの一日だった。

 

 

 

 

「…………」

「……何よ、さっきから」

「ん?」

 

御道と宮空…もとい綾袮組と別れてから数分。自宅へと帰る道を淡々と歩く中、妃乃は気になってるという旨の気になる発言を口にした。

 

「ん?じゃないわよ、なんのつもり?」

「何のって……何がだ?」

「あのねぇ…さっきからずーっと黙って難しい顔しながら時々私の方見てきてるでしょうが。それが気になるって言ってんのよ」

「あ、あー…悪い、無意識だった…」

 

行動には理由が付くもので、今の俺の『黙って難しい顔しながら時々妃乃の方を見る』というにも当然理由はあるんだが…理由があるのと行動に出てしまうのとは別の話。そしてその行動が妃乃にとって不快なものだったのなら…謝るってのが筋だよな。

 

「無意識に私を見るって何よ…変態」

「それは心配すんな。そんな目じゃ欠片も見てねぇから」

「その発言は殴られたいって気持ちの表れかしら?」

「…じゃ、そんな目で見てりゃよかったのか?」

「その場合でも殴るわね」

「理不尽だなぁおい…」

「貴方の言葉選びと極端さがいけないのよ」

 

見るも駄目、見ないも駄目となったら一体どうすればいいというのか。……まあ、視線に込める感情云々じゃなくてチラチラ見るなって事なんだろうが。

 

「…すまん、考え事してた」

「考え事?その内容が私に関わるから私の方を見てたとでも?」

「おう、そういう事だ」

「ちょっ、ほんとにそうなの?……私に関わるって、何を考えてたのよ…」

「そりゃ、まぁ……」

 

妃乃に回答の追求をされ口籠る俺。これは別に追求される事を想定してなかったとか、嘘で乗り切ってやろうとしてたとかじゃなく、二つある内容の内の片方…あまり重要じゃない方は今この場で口にしちゃっていいものかと迷ったからなんだが…ここで俺は、『敢えて言う』という選択肢を選んだ。……そう、敢えてである。

 

「……妃乃って、千嵜に対しては割とすんなり名前呼びを提案すんのなって事」

「へ……?」

「…訊かれた通り、何を考えてたのか言ったぞ?」

「え、い、いや……ちょ、ちょっと待ちなさい…」

 

案の定、妃乃にとって今の回答は予想の斜め上をいっていたらしく、途端に彼女は動揺した様子に。

 

「…それ、冗談じゃ…?」

「ないぞ?」

「…悪質な精神攻撃とかでも…?」

「ないぞ?」

「…と見せかけて…?」

「だからないって。そこは信じろよ…」

「し、信じろって無茶言わないでよ…」

 

妃乃にとってさっきの言葉場余程信じられなかった様子。……けどまぁそうだろうなぁ。俺だって普段はこんなの思ったとしても口にはしねぇし。……まぁ何にせよ、妃乃は俺の少し意地悪精神を込めて言ってみた言葉に狼狽える。

 

「あ、貴方…そういうの気にするタイプだったの…?」

「別に?普通は思っても言わん、だが訊かれたからな」

「う……た、他意は無いのよ?ただそういう話になる機会がなかったってだけで…」

「俺の場合、毎日同じ家で過ごしてたのに言われるまで結構かかったんだよなー」

「うぐっ……だ、だって…悠弥の場合言ったらそれをネタにしてきそうな気がしてたっていうか、何か抵抗があったっていうか…」

「抵抗…抵抗があったのかぁ……」

「あ、そ、そうじゃなくて…!」

 

真顔で返してみたり、嫌味を交えてみたり、ちょっと落ち込んだ風の態度を取ってみたり…そういう事をする度に、妃乃の狼狽は加速していった。そんな妃乃の様子を見て、心の中でほくそ笑む俺。ったく、妃乃はキツい性格してる割にすぐ気遣いするからこうなるんだよな。あー……

 

「……妃乃って、面白…」

「は……?」

 

頃合い…妃乃がマジで落ち込まないライン且つ、いい感じに反応してくれるであろう絶妙なタイミングを見極めた俺は、それまで胸の内に隠していた笑みを表情に表し…俺の真意が一発で伝わるであろう言葉を持って、締めくくってやった。この時の妃乃のぽかんとした表情と、その直後の一気に赤くなった顔はそう簡単には忘れないだろう。

……で、数分後。

 

「……妃乃…俺、淑女って軽々しく暴力に訴えたりしない女性の事を言うと思う…」

「ふーん、で?」

「…それだけっス……」

 

俺はその後暫く、腹部に手を当てながら歩く事となった。…今年度入ってから凄い女性から暴力振るわれてる気がする…凄いったって特定の一人のみだけど…殆どが俺の自業自得だけど…。

 

(淑女云々にはノータッチ…流石にさっきのは意地が悪過ぎたかもな……)

 

その意地悪で俺は楽しめた(制裁も受けた)訳だが、想定以上に妃乃を不機嫌にさせてしまった。それもやはり俺の自業自得なんだが…二つの内の重要な方が残った状態で不機嫌にさせるのは失策だったなぁ…こっからボケは控えるか……。

 

「…視線、いつから感じるようになったんだ?」

「…何よ、藪から棒に」

「解散前にも一度出た話なんだから、そこまで藪から棒でもないだろ。それに、ついさっき俺が視線を向けてたって事もあるしな」

 

別にこの話の前振りとして妃乃を見ていた訳じゃないが…店で妃乃が視線を感じると言った時から、俺はそれが気になっていた。何となく、ではなくちゃんとした理由を持って。

 

「…もっかい訊くぞ、いつからなんだ?」

「いつからって…訊いてどうするのよ」

「さぁな、まぁ事によっちゃ事案の可能性があるから警察に相談する事を勧めるね」

「警察って…そんな大袈裟な…」

「そりゃ妃乃の気のせいか自意識過剰なら大袈裟だろうが、もし同じ人間がずっと見てるとかだったらどうするんだよ?げに恐ろしきは人の心なり、とも言うだろ?」

 

どんなに屈強だろうと、格闘技を極めていようと、普通の人間は人の域を超える霊装者の敵ではないが……そんな霊装者だって隙や弱点はあるし、心は普通の人と変わらない。だから悪意、或いは常軌を逸した精神状態の人間に付け狙われてるのなら…被害が出る前に手を打つべきだよな。

 

「…貴方が真剣に言うって事は…もしや、私が視線を感じてたのを今日聞く前から知ってたの?」

「知ってたっつーか、気付いてた。連日急に振り返ったり明後日の方向に目をやってたりしてた訳だからな」

「……そう…」

「…………」

「…少し前からよ。最初は…そう、大蛇みたいな魔物倒した日だったと思うわ。覚えてる?」

「あぁ…相手に心当たりは?」

「あったらもう行動に移してるわ」

 

妃乃から話を聞きながら、俺は考える。一番あり得そうなのは妃乃に邪な感情を抱いて、それを理性で抑えられなくなった奴…所謂ストーカーだが……。

 

「…俺等の管轄は超常の力とその存在なんだ。通常の碌でもない奴は警察に頼るのがベターだと思うぞ?」

「かもしれないわね。でも、それでもしちゃんと警察が動いてくれたら私に警官が付くでしょ?」

「緊急性があるって判断されたら、そうなるだろうな」

「そうなったら私、通常の任務も魔王魔人捜索もし辛くなるじゃない。それは御免よ」

「いや、捜査してもらう間位自粛しろよ…職務だって事情話しゃ融通効かせてくれるだろ…」

 

真面目過ぎる人間は、息抜きや臨機応変に生きる事が出来なくて疲弊していくと言う。世の中の一体何%がその類いの人間なのかは知らないが……多分、妃乃はこの類いの人間だろう。息抜きはしてるっぽいからそう簡単には折れないだろうが…楽をしようとするのも大事ですぜ、妃乃さんや…。

 

「でも、職務はともかく捜索の方は止めてる間にチャンスを逃すかもしれないし…」

「んな事言ったら対処せずに捜索続けても成果出ない可能性だってあるだろ。妃乃は視線の件軽視してないか?」

「それは……分かったわよ、考えておくわ」

 

腕を組み、半ば仕方ないと言いたげな表情で言う妃乃には「こいつほんとに軽視してるんじゃねぇだろうな…」という気持ちにさせられたが…まぁいいだろう。妃乃はこういう感じの奴だって分かってんだから。

 

「ったく…因みに視線の主が知り合いだったらどうするよ?」

「…何それ、実は犯人貴方でしたってパターン?」

「なんで俺がこっそり見にゃならんのだ…同じ家にいるんだからんな事しなくても毎日見まくってるわ…」

「ま、毎日見まくってる?…うわぁ……」

「いや引くなよ!今のは言葉の綾に決まってんだろ!?」

「はいはい分かってる、そういう事にしたいのよね」

「ふざけんな違うわ!やれやれのジェスチャーすんな!」

 

○○なんだよねー、とかそういう事にしてあげる、とかいう言葉は屁理屈呼ばわりや少しは他人の言う事を聞く気になれ、なんかと同じ『その後の相手の言葉を全てその指摘の範疇内に入れてしまう』類いの言葉。審判がいるような場じゃ一切通用しないが、こういう私的な場、或いは煽る事を前提とした会話じゃ無類の強さを誇るリーサルウェポン。それを、それを妃乃は抜いてきやがった…!

 

「…いいじゃねぇか、なら俺も前世で培ったクソガキスキルで対抗してやる…」

「え…いや、何よクソガキスキルって…」

「ふ、ふふふ…やっちまったな妃乃…こうなったら最後、フラストレーションの飽和は避けられないぜ…?」

「だから何の話してるのよ……あ…」

「うん?」

 

何となくおふざけモードに頭が切り替わった俺はよく分からないネタを敢行。今の分かっていない妃乃に向けて出来うる限りの生意気発言を……しようと思っていたのに、何やら妃乃の動きが止まった。…充電切れか?

 

「……まただわ」

「また?……って、まさか…」

「えぇ、そのまさかよ」

 

今の状況において、あり得る可能性なんて一つしかない。そしてそれを肯定された瞬間……俺の中のおふざけ精神が吹き飛ぶ。

 

「…方向は、分かるか?」

「大体は…」

「そうか…なら、どこだ?」

「私から見て五時の方向「分かった」え、ちょっ…」

 

妃乃から見て五時の方向…右斜め後ろにあるのは、十字路の角。それを視認した俺は、霊力を身体に回して即座に跳んだ。

先程俺は、普通の事案は警察に任せる方がいいと言った。それを撤回するつもりはないが…だからってこんな降って湧いたチャンスを逃す手もまた無い。これで不審者を捕縛出来れば御の字、それが無理でも姿なり何なりの手がかりが手に入れば成果になるんだから、ここで動くのは間違いなくプラスになる。そういう思いで、俺は地を蹴り一気に十字路の角へと迫った。だが……

 

「……は…?」

 

──角を曲がった先には、何もいなかった。人も、動物も、虫すらも、この角の先にはいなかった。……その状況に、俺の額から一筋の嫌な汗が垂れる。

 

「きゅ、急な事しないでよ……それで、どうだったの…?」

 

小走りでやってくる妃乃。視線の事をあまり深刻には捉えてないように見えた妃乃も流石にこうなっては気になるらしく、その声音には興味と不安が少しずつ現れていた。そんな妃乃に対し、俺は首を横に振る。

 

「……そう…逃げられたのね…」

「…すまん」

「気にする事はないわよ。それよりさっきからちょこちょこ足を止めちゃってるし、早く帰りましょ」

「…そう、だな」

 

すぐさま犯人の事より帰る事を口にしたのは、取り逃がした俺への気遣いだろうか。訊いたところで妃乃ははぐらかしてくるだろうから真相は分からないが…多分、そうなんだろうなと俺は思った。

この一件に対し、妃乃がきちんと対処をするかは今の段階じゃ何とも言えない。だが、どちらになるにせよ…今の出来事によって、俺には一抹の不安が渦巻くのだった。

 

(……妃乃を見てる奴、ってのは…ただの人間、なのか…?)



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第四十七話 どう動くべきか

妃乃の謎の視線被害を、本人の口から聞いてから数日。あれ以降妃乃の視線へ対する認識は少し変わったようだが……まだ、警察への連絡はしていなかった。

 

「ちょっとスーパー行ってくるわ。何か買ってきてほしいものある?」

「え、妃乃の奢り?」

「違うけど?」

「じゃあいいや、車には気を付けるんだぞ〜」

「私は小学校低学年か…はいはい行ってきます」

 

買い物に出る妃乃に対し、これでもかという程気の無い声音で送り出す俺。前は「何なのよその態度は…」みたいな反応を見せていた妃乃も、今はもう慣れた様子だった。…なら今度は逆に滅茶苦茶勢いのある返答でもしてやろうかな…。

 

(…普通はこうも視線を感じたらビビって外には出たがらないだろうに…流石は時宮家のご子息だよなぁ……)

 

我ながら何か皮肉っぽくなってしまったが、これに関して俺は本当に凄いと思っている。…動じなかった事で然るべき対処を行うのが遅れた結果、取り返しのつかない事に…みたいな展開になる可能性も否定し切れないから大手を振って評価出来る事じゃないが、まぁ凄いものは凄いんだよ。

 

「…それはともかく、俺はどうしたものか…」

 

読んでいた漫画をテーブルに置き、考える。俺が取れる行動といえば妃乃に付いていてやる、俺が警察に通報する、犯人探しに駆り出す…と色々あるが、どれがベストなのかは中々答えが出せない。妃乃と話をした時点じゃ通報が一番いいと思っていたが……そのすぐ後に犯人を取り逃がしてしまった事で、警察に頼ればそれで解決するのかと思うようになった。

大前提として、あの時妃乃を見ていた奴が普通の人間なら、俺が角に行くまでの間で逃げたり隠れたりするのは不可能と見て間違いない。にも関わらずいなかったという事はつまり前提が間違っていたという事で、そうなると見ていた奴は何者なんだという話になる。普通の人間じゃないのか、霊長類ヒト科ではないのか……或いは、端から『視線』なんてなかったのか。

 

「…どれも厄介過ぎて考えたくねぇなぁおい……」

 

面倒な事はやりたくない俺(普通は誰でもやりたくないか…)だが、じゃあ考えないでおくか…とはいかない。だから頭をかきつつ悩んでいると…リビングへ緋奈がやってきた。

 

「ふぁぁ……」

「…昼寝してたのか?」

「うん、ちょっとね…」

 

口に手を当て欠伸をしながら入ってきた緋奈は、その仕草通りまだ眠そうだった。…うむ、今日も我が妹は可愛いな。

 

「…妃乃さんは?」

「買い物。何か用事あったのか?」

「ううん、聞いただけ。静かだから出かけたのかなって」

 

緋奈は俺が使っている物とは別のソファに座り、ぐぐっと身体を伸ばしている。確かに俺も考え事して殆ど動いてなかったし、緋奈も寝起きとなりゃそら静かだわな。…今日は気候もいいし、悩みがなきゃ俺も昼寝したかったぜ…。

 

「…………」

「…………」

 

数十秒程ソファでぽけーっとした後、片方だけ作った髪の毛の房を弄り始める緋奈。妃乃もツインテールで時々やってる髪の毛弄りに、一体何の意味があるのか俺にはよく分からないが…まぁ女子は気になるんだろう。髪は女の命、なんて言葉もあるし。

それはそうと、ふと俺は考える。緋奈にこの件を話すべきか否か、と。これが魔物や霊装者絡みの事なら考えるまでもなく話さないが、今回の件はそうとは限らない上に緋奈も何かしら被害を被る可能性がある。……何せ緋奈も可愛いからな!妃乃へ怪しい視線を送ってる奴が劣情によるものなら、緋奈だって安全とは言い切れないからな!

 

「…ってか、そう考えると悠長に構えてる場合じゃねぇだろほんと…」

「……?悠長にって、何を?」

「それはだな…緋奈、最近誰かの視線を感じたりしてないか?」

「視線?うーん…」

 

今回の件による被害が妃乃一人じゃ完結しないのかもしれないと気付いた俺は、それで緋奈へと話す事を決定。とはいえいきなり本題に入っても分かり辛いだろうと思い、軽い前置き…というか質問を入れる。

 

「……これもしかして、怪談話の導入だったりする?」

「だったりしないぞ?」

「だよね。視線なんて感じてないよ?」

「そうか…これは兄として喜ぶべきか、それとも憤慨するべきか…」

「何が?」

「…実はな、妃乃がちょっと面倒事を抱えてるんだよ」

 

何で妃乃を付け回してる奴が緋奈には興味を示してないのかはちょっと気になるが…それを考えると時間がかかりそうなので一先ず保留。正体を探ろうとした行動は霊装者の力が関係している性質上突っ込まれると厄介だからそこだけぼかし、それ以外を順を追って話していく。

 

「…とまぁ、こんな感じだ。一言で言っちまうなら『視線を感じる』って事だが…分かったか?」

「う、うん……それってつまり、ストーカー…だよね…?」

「かもな。犯人の動機は分からんが、何れにせよ妃乃からしたら迷惑千万ってやつだ」

「…妃乃さん、今買い物に行ったんだよね?大丈夫かな…?」

「それは心配しなくていいと思うぞ?妃乃は強…こほん、気を付けて人通りの多い道を選んでるだろうし」

 

危うく「強い」と言ってしまいそうになった俺は何とか言い切るのを防ぎ、代わりとしてそれっぽい事を適当に口にする。…が、言いかけた事についてはともかく『人通りの多い道を選んでる』というだけで緋奈が安心する筈はない。

 

「それは幾ら何でも甘いよ。人通りの多い道って言ったって必ずしも人がいるとは限らないし、人通りがあれば絶対安全って訳でもないんだよ?」

「そ、そうだな…(適当に言ったのが仇になった……)」

「…ちょっとして、お兄ちゃんも妃乃さんも危機管理能力低いの?」

「か、かもしれない…(隠し事のせいで言い返せない…辛い…)」

 

緋奈は俺も妃乃も「視線?んーまあ、見られてるだけならいっか」位に考えてるとでも思ったのか、凄く注意してきた。好き勝手言われるのは妹と言えどむっとするが、霊装者関連の事を隠した結果がこれなんだから仕方ない。後、妃乃に関してはほんとに甘く見てる節があるからガツンと言ってやってほしい。

 

「もう…それで、結論はわたしも気を付けろ、って事なの?」

「あ、あぁ…もし視線を感じるような事があったら、勘違いかもとか思わず言えよ?」

「それはお兄ちゃんに?それとも警察に?」

「お兄ちゃんに」

「…お兄ちゃんに言ってなんとかなるの?」

「うっ……」

 

その瞬間、緋奈の言葉はザクリと俺の心に刺さった。多分緋奈に悪意はないんだろうが…悪意がなくたって刺さるものは刺さるのである。

 

「あ…気を落としちゃったならごめんね?でもほら、お兄ちゃんだって暇じゃないし、仮に不審者見つけられても逮捕や立件はお兄ちゃん無理でしょ?」

「…大丈夫だぞ、緋奈…逮捕や立件が出来ずとも、俺は不審者をフルボッコにするだけの力はある…」

「フルボッコにしたら傷害罪か暴行罪に問われるよ!?過剰防衛って知ってる!?」

「過剰?…緋奈に邪な視線を向けるような奴は、万死に値する!」

「その言い方だとGNバズーカで蒸発させそうだね!街中で使ったらスローネルート確定だよ!?」

「お、おう…がっつりパロに突っ込んでくるんだな…」

 

俺が精神的なダメージを受けて変な発言をしたせいか、よく分からない流れになってしまった。えーとなんだっけ…そうだ、話の続き話の続き……。

 

「…こほん。別に俺も放っといていいとは思ってないんだ。だからあったらあったって知る為に緋奈には教えてほしい、そういう事だよ」

「そういう事なら、文句はないけど…でも、そのストーカーって一体誰なんだろう…」

「同じ学校の奴か、近所に住んでる奴か…まぁ実際に見ない限りは何とも言えないな。このご時世どこで誰が知るかなんて分からん訳だし」

「妙に歳食ってる感ある発言するね…」

「気にすんな。…基本は妃乃の問題だが、緋奈も注意しておけよ?」

 

途中ちょっと上から目線になったり俺の精神に言葉のナイフをブッ刺してきたりした緋奈だったが、最後の言葉には何も言わずに首肯してくれた。ただ見てくるだけの相手じゃ注意も何も…って話だろうに、それでもしっかりと首を振ってくれた。…守ってやらなきゃな、緋奈の日常は。

 

「…よし、話は終わったからもういいぞ」

「あ、うん。…けどそう言われても、別に何かする訳じゃないんだけどね」

「じゃ、マッサージでもしてくれや」

「えー、やだ」

「じゃ、マッサージさせてくれや」

「どこも凝ってないんで結構です」

「ちぇ、ノリ悪いなぁ」

「ノリが良いじゃなくて都合が良いでしょ、この流れでマッサージなんてさせたら…」

 

生まれてこの方ずっと妹をやってるからか、本当に緋奈は俺をあしらうのが上手だった。あんまりこういう反応ばっかりだと少し味気ないが…そこはまぁ妃乃を弄るなり御道と駄弁るなりすれば補給出来るしな。後緋奈もネタによってはさっきみたいにビビットな返しをしてくれるし。

 

「…さて、そろそろ妃乃も帰ってくるかねぇ」

「そろそろ帰ってくるの?」

「いや知らん、適当に言ってみただけだ」

「なんでそんな事適当に言うの……ところでお兄ちゃん、どうしてちょっと前から妃乃さんを名前呼びするようになったの?」

「ん?……あー…そうか、話してなかったのか…」

 

交友関係の狭い俺はまず会話中に妃乃の名前を出す事自体が限られた面子と話す時だけで、その限られた面子の殆どは俺が呼び方を変えた際にその場にいたから失念していたが……緋奈には全くその事を話していなかった。…しくった…。

 

「話してなかったって…何?まさか関係が進展したの…?」

「いやいやまさか。(霊装者的に)苗字呼びは不自然って言われただけだ」

「不自然?…あ、同居人として?」

「そうそう、同居人(である妃乃と俺が所属してる組織)的に」

「そういう事だったんだ…」

 

一人納得する緋奈に、俺はうんうんと頷く。…ほら、俺嘘は言ってないし。ただちょっと言葉の一部を心の声に変換しただけだし。

 

「…でも、それ差し引いても始めて妃乃さんが来た時より仲良くなってるよね」

「そうか?…まぁ、そうかもしれんが…それを言うなら緋奈だってそうじゃないのか?」

「わたしと妃乃さんは同性だもん。お兄ちゃんとは条件が違うよ」

「同性だろうが異性だろうがきっかけさえあればそこから仲良くなる事に差はないだろ。恋愛云々言うなら同性愛だって立派な愛の形だしな」

「…お兄ちゃんはそっちの人?」

「さぁな。恋なんてした事のない俺には分からん」

 

自分が男女どちらが好きかなんて、実際にそういう感情を抱くまでは分からないし、毎回同一の性の相手を好きになるかどうかも分からない。恋愛なんて感情的なものなんだから、そもそも考えてどうこうなんて……って、なんだこの流れは…。

 

「うーん…」

「…緋奈、恋バナを否定する気はねぇし、女子はそういう話が好きだってのは分かってるが…こういう話はあんまり根拠も無しには言うな。俺はいいが妃乃はそれ聞いて不愉快に思うかもしれないんだからよ」

「あ、いや…別にわたしは恋バナが好きで言ってたわけじゃ…」

「そうなのか?…じゃ、なんでだよ?まさか俺と妃乃が仲睦まじく見えたなんて事はないよな?」

「それは……ただ事実にちょっと触れただけだよ。それ以上でもそれ以下でもなくて」

「…なら、いいか。すまん、俺が考え過ぎだった」

 

考えてみれば、今のやり取りは半分位流れでなってしまったようなもの。それで緋奈を責めるのはお門違いだろうと思い、俺はそれ以上は言わなかった。それに、いつの間にか呼び方が変わってて仲も最初より良くなってるってなりゃ、気になるのも分からん話じゃないしな。

 

(…ま、緋奈に話した事を伝えるのも含めてもう一度話してみるか)

 

話すのは勿論関係性の話ではなく、視線の事。結局俺がどうするにせよ、当事者である妃乃が乗り気じゃなかったり妃乃の意向に沿えていなかったりしたらどんな行動も上手くいく訳がないんだから、まずは妃乃の考えをどうにかしなきゃいけない。その上で相談を持ちかけられたら聞くし、逆にもう妃乃側でちゃんとした対応を考えているなら出しゃばらずにいるし……何にせよ、これからの事は妃乃次第だよな。

そう決めた俺は、一応考えはまとまったという事で置いた漫画を手に取り、読むのを再開するのだった。

 

 

 

 

前に一度、私は悠弥から庶民的だと言われた事がある。その時は私が一枚上手だったから『そんな事はない』という結論になったけど……

 

「……私、確かに庶民的になってるかも…」

 

…買い物袋の中身は、それを否定するには些か以上に『普通』だった。

 

「環境が人に与える影響って、計り知れないわね…」

 

庶民的である事が嫌な訳じゃない。料理にしても何にしても高級なものは高品質というだけじゃなく、往々にして必要でもない要素を入れたりそこを凝ったりした結果高級になっているんだから、むしろ庶民的なものこそ合理的とも言える。…とはいえ十数年過ごしてきて身に付いたものが、たった一年強で変化してそれに慣れるっていうのは何か、ね…。

 

「……うん、次の料理当番の時には高級食材を使う事にしよっと。えぇそう、私は品格ある時宮家の娘なんだから」

 

手に持つ買い物袋から顔を上げて、私はぐっと拳を握り締める。この時の私は、自分でもよく分からない意志でもってそんな事を考えているのだった。……自炊の時点で品格も何もって事に気付けていない辺り、私の感覚の庶民化は着々と進んでいる。

 

「…それはそうと、警察ねぇ……」

 

ぼーっとしていても間違わないような見知った道を一人で歩く時は、思考が捗る。…と、言うよりやる事がないから自然と考え事をしちゃうもので、今は悠弥の忠告が頭に浮かんできていた。

この件は適切な機関に任せる方がいいというのは分かる。どちらが真っ当な事を言っているかと言われればそれはきっと悠弥の方で、警察に頼んでいる間の任務は考慮してもらえるだろうけど…どうしても私は、この件を重くは受け止められていないせいで乗り気になれなかった。…そういう部分も含めて、悠弥は「軽視してる」って私に言ったんでしょうね…。

 

「…あ、そうだ。うちの諜報部隊に犯人を探らせれば頼りになるし霊装者である事を隠す必要もない…って、そんな事したらむしろ協会内で心配されて動き辛くなるわね…」

 

幾ら地位や権限があろうと、直属の部隊でもなければ秘密裏に動かす事は困難だし、知られてしまえば立場的に厳重警備を敷かれてしまうかもしれない。そうなれば霊装者の事を知っている分、警察以上に隠れて動く事なんて出来なくなってしまう。…それじゃ本末転倒よね…後部隊の私的利用だし。

 

「……やっぱり、今回は大人しく任せた方がいいのかしら…」

 

何か良い手がある中で動き辛くなる手段を選ぶのは嫌だけど、他にこれと言って手が無いのならそれはもう仕方のない事。そして仕方のない事だって思えば選べる気がしてくるのが人間ってものよね。

…と、私が自分で自分を納得させにかかっていたところ、曲がり角から女性が一人歩いてくる。

 

「…………」

「…………」

 

世の中の大半の人がそうであるように、私も前から人が歩いてきても道路が狭いとかじゃない限り特に反応したりはしない。すれ違う人全員と話してたらキリがないんだからそれは当然の事で、何も思う事なくすれ違う筈だったんだけど……何故かその人は私の前に来て止まった。

 

「…………」

「……はい?」

 

女性は私と同じか少し年上位…つまりは恐らく同年代の人。けれど私はこの女性に見覚えなんてないし、見覚えないんだから知り合いって可能性も低い。…まぁ、一度会話した程度の協会や学校の誰かとかだったら『覚えてない知り合い』になるのかもしれないけど…。

 

「…………」

(…え、何この人。シンプルに怖いんだけど…)

 

怖さというのは、簡単に分けると二つある。相手の事が分かるからこそ、危険だって理解出来るからこそ抱く怖さと、相手の事が分からないからこそ、どれ程の存在なのか理解出来ないからこそ抱く怖さのその二つ。…で、今抱いていたのは後者だった。……これはまともに取り合わず帰った方が良さそうね。君子危うきに近寄らず、って言うし。

 

「…あー…すいません、私急いでいるので」

 

相手が誰か分からず、向こうからアクションを起こす事もないなら私にはどうしようもない。これもまた『仕方のない事』だと自分自身に言って、私はその人の横を通り過ぎ……

 

「──平穏に暮らしたいのであれば、こそこそ嗅ぎ回るのは止めておく事だな。もし素直に従うのであれば、こちらとて無益な事はせん。だが続け、周囲に協力を仰ぐのであれば…それ相応の覚悟をしてもらう」

「な……ッ!?」

 

身体の向きを女性に合わせながら、私は跳び退く。女性から脅威や敵意は感じられない。けれど…彼女の言った言葉は、私と悠弥しか知らない筈の事だった。にも関わらずこれを知っているという事は……この女性が私の捜索していた対象、或いはそれに関わる存在と見て間違いない。

 

「……貴女、何者よ…!」

「…………」

「また黙って…!」

「……あ、あれ?…うち、どうしてここに…?」

「……は…?」

 

再び口を閉ざした女性に対し、私は相手がこちら側の存在ならばと天之瓊矛を抜こうとして……そこで突然人が変わったかのように首を傾げながら歩き出す女性に唖然とした。

少し離れた場所にいる私に気付かず、不思議そうな顔をして歩いていく女性。その姿は、どう見ても普通の人間だった。

 

「……どういう、事…?」

 

想像を大きく超えてきたその行動に、私は驚きを隠せない。そしてまず、それが演技なのではないかと考えた。私を油断させて奇襲する為の、或いは私が戸惑っている間に離脱する為の演技ではないかと。

でも、そこで私は思い出した。つい最近、とてもよく似た出来事があった事を。

 

(……っ…そういえば…この人も、さっきまで目の焦点が合ってなかった気が…)

 

相対していた時は気にも留めていなかったけど、今考えてみると女性は私の方を向いてはいても、私を『見て』はいなかったように思える。そしてそれは…それを含めて、つい先日捜索の途中に会ったクラスメイトの状態と共通していた。クラスで耳にした、あの件と同じ状態だった。…偶然というのは、多くはないけどあり得るもの。けど、それは最初にのみ言える事で…偶然が二回以上起こったら、それは偶然の一言で片付けていい話じゃなくなる。偶然じゃなくて、必然の可能性を考えなくちゃいけなくなる。

 

「…まさか…あの人だけじゃなく、例の一件全てに魔人が関わってるって事……?」

 

私が考えている間も女性は歩き続け、気付けば距離はかなり離れていた。けど、今の私に追おうとするつもりはない。それよりもまずは一から見直し、今後の動きを考えなければ……今は安直に動くより、しっかりと考える事こそが大事だと、この時の私は思った。



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第四十八話 敵を騙すにはまず味方から

「私、ここ最近で起きた事、やった事を一通り振り返ってみたわ」

 

緋奈に妃乃の事を話してから数時間。夕飯前のちょっとした時間でそれを伝えようと話しかけた俺は、逆に妃乃からそんな言葉をかけられた。

 

「…突然どうしたんだ」

「…突然話しかけられたから、丁度いいと思って言ったのよ?」

「そうか…」

 

俺は妃乃から逆に言われるとは思ってなかったからつい突然、と言ったが…言われてみるとそこまで脈絡のない言葉でもなかった。

 

「で、その続きを話したいんだけど…話しかけてきたって事は、悠弥も何か話したい事があるのよね?」

「ただ声をかけてみただけかもしれないぞ?」

「人付き合いが苦手なら悠弥が?…あ、付き合い方がよく分からないからそんなしょうもない事をするのか…」

「待て嘘だ、ちゃんと話そうと思ってた事がある。だから想像でdisるな」

「disられたくないならふざけるんじゃないわよ…その話って長くなる?そうじゃないならそっちの話を先に聞くわよ?」

「あー、多分そんなに長くはならないと思う。単刀直入に言うとさっき緋奈に視線の件を話してな…」

 

そう言って俺は、緋奈との会話内容を掻い摘んで話す。妃乃は俺が伝えていた事に少し驚いていたようだったが特にそれを怒る事はなく、俺が話し終わるまで黙って聞いていた。

 

「妃乃に纏わる話なんだから、緋奈に話す前に伝えるべきだったんだが…悪い」

「気にしなくていいわ。緋奈ちゃんにも危害が及ぶかもっていう貴方の心配は分かるし、緋奈ちゃんだったら安易に他言したりはしない筈だもの」

「そ、そうか…そう言ってくれると助かる…」

 

怒らず平然と受け止めてくれる事は俺にとってありがたいが…思っていた以上にあっさり受け止められたものだから拍子抜け。「……なんて言う訳ないでしょうが!」…と溜めた後キレるパターンか?…とも思ったが、その後も妃の表情や態度が豹変する様子は一切ない。…これは俺が妃乃の寛容さを過小評価してた、って事か…?

 

「…けどまぁ、切羽詰まった事でもないんだからメールなり何なりで一言教えておいてほしかったわね。じゃなきゃ無駄や二度手間が発生しちゃう訳だし」

「だよな、それは俺も反省してる……ん?…無駄や二度手間?」

 

誰かの事を勝手に話す、というのはその誰かからの信用を落とす行為で、口にした奴とその誰かとで認識の齟齬があった場合は間違った情報が伝わってしまう事にもなりかねない。それは間違いない事なんだからいいものの…その後の言葉に俺は引っかかりを感じた。無駄や二度手間って…そうなるのは主に情報が古かったり大きく更新されてたりした場合だよな?…どういう事だ…?

 

「……振り返って、それで何か気付いたのか?」

「ご明察。今度は私の話をしていいかしら?」

 

妃乃の言葉に俺は首肯。何を思って振り返ったのか、その振り返りの中で何に気付いたのか…それを聞くべく、俺は佇まいを正す。

 

「…結論から言えば、私は根本的な勘違いをしてたんじゃないか…振り返った結果、そう思ったわ」

「根本的な勘違い?」

「えぇ。悠弥、ちょっと前に犯人を捕まえようとして失敗した件覚えてる?」

「そりゃ覚えてるさ。失敗したのは俺だからな…」

「言っておくけど、それを責めるつもりはないからね?むしろ即座にああいう判断を取れた事を私は評価してるし」

 

同学年の相手に対し『評価してる』なんて妃乃はなんと高慢なのか。…なんて思いを抱いていたのは過去の事。霊装者としちゃ立場も実力も妃乃がずっと上なんだから、別段これは目くじらを立てるような事じゃないのだ。

 

「そうっすか…あの件がどうかしたのか?」

「どうっていうか、あれが一番の鍵だったのよ。何もいなかった、って事がね。…悠弥、あの時何故だと思った?」

「何故だと思った、か…包み隠さず言えばいいんだよな?」

「構わないわ、言って」

「なら…相手は只者じゃない、それこそ言うなら霊装者か何かじゃないのか…って思ったな」

「…つまり、相手には逃げられたと思ったのね?」

「そう、だが…?」

 

何やら妃乃の口振りからは含みを感じる。逃げられたと思った事が、一体何にかかわると言うのか。というかあの状況からして逃げられた以外の選択肢なんて、それこそ『相手は透明人間』みたいな事位しか……

 

「……あ」

「…もしかして、分かった?」

「い、いや…確かに思い付きはしたが…これは違うだろこれは…」

「代名詞じゃ私には全く分からないけどね…思い付いたのなら言ってみなさい」

「それは出来ん、妃乃が不機嫌になる事ほぼ間違いなしだからな」

 

思い付いたというか、俺は数時間前にさらーっと考えてた事を思い出していた。あれは透明人間なんて脈絡無しの事よりはあり得そうだが…妃乃が?と考えると一気にあり得ないように思えてくる。…だが、妃乃の次の言葉は俺の思考とは真逆を行っていた。

 

「…なら、それは多分私の考えている事と同じだと思うわ」

「…本気でそう言ってるのか?」

「本気よ。とにかく言ってみなさい、今回は何言われても怒らないって約束するから。…あ、勿論ちゃんとした考察だった場合は、だけど」

「……分ぁったよ。じゃあ…妃乃が言いたい事はもしや……逃げた、じゃなくて最初からいなかった、って事か…?」

 

半信半疑で…あ、勿論俺の推測が合ってるかどうかにだぞ?怒らないかどうかではないからな?…考えを口にする俺。それを聞いた妃乃は……ゆっくりと頷く。

 

「…私も同意見よ、悠弥。私を付け狙うかのような視線なんて無かった…ってね」

「…それは、妃乃自身で導き出した考えなのか?」

「……えぇ。自分で考えて、自分で出した回答よ」

「…………」

「納得いかない…って顔ね」

 

妃乃は冗談を言っているようには見えないが…そりゃそうだろう。一度や二度なら勘違いで済むだろうがそうではなく、その被害者は真面目さと誠実さに定評のある妃乃なのだから。言ってしまえばこれは逆狼少年。迷惑をかけるような嘘を言わない人間だからこそ、嘘みたいな話をされても本気で言っているとは思えない。

 

「…ま、そういう反応されるだろうなとは思ってたわ。…私多分、疲労が溜まっちゃってるのよ」

「…それは、過労で被害妄想をしてしまってるって事なのか?」

「バッサリ言うわね…けどそれは少し違う。感覚がおかしくなったというより、過敏状態になってるんだと私は思ってるわ」

「過敏?」

 

疲労が溜まってる…というのは恐らく間違いない生活リズムや仕事を殆ど変えないまま日々魔王・魔人捜索に当たっているんだから、むしろ疲労があって当然という話。…けど、それで過敏にってのはよく分からんな…。

 

「私捜索中、目視に加えて探知能力もフル稼働させてるのよ。十中八九引っかからないだろうけど、向こうのミスとタイミングが合う可能性だってゼロじゃないと思ってね。…で、その結果負荷が溜まって探知能力に狂いが生じちゃって、その影響が感覚器官にも及んでいる…視線の正体はそれなのよ」

「いや、それは…一応辻褄は合いそうなものだが…そんな事を起こすようなレベルじゃないだろ?妃乃は…」

 

霊装者としての能力に狂いが生じる、というのはあり得ない話じゃない。……が、それは主にまだ霊力の扱いが未熟な素人や怪我、老化等を負った霊装者(老化を負う、と表現するのは些か不適切かもしれないが)が起こしてしまう事で、そのどちらにも当て嵌まらない妃乃が起こすというのは信じ難い。しかもそれが感覚器官にまで影響となると、更に可能性としては低いだろう。

 

「私だってまさか、って思ったわ。…けど、状況から考える限りはこれが一番現実味がある…違うかしら?」

「…他に思い付く事はないのか?」

「これより非現実的なものならあるけどね」

 

俺としては今の説明でも納得出来ないが…俺より当事者である妃乃の方がずっと状況も情報も分かっている筈で、その妃乃がしっかり考えた結果その結論に辿り着いたというのなら俺はそれで納得するしかない。

 

「…ほんとにそれでいいのかよ。それだとやっぱり被害妄想って事になるんだぞ?」

「実際にそうだったなら認めるしかないじゃない。…実在しないものを幾ら調べたって、結果は伴わないわ」

「かもしれないけどよ…なんか腑に落ちん……」

「そう思う気持ちは分からないでもないけど…理解して頂戴。というか、私としてはこれで分かってもらうしかないわ」

 

視線が実在しないものだというならそれは確かに証拠なんて見せようがなくて、説明以外の手段がないというのも頷ける話だが…うーむ……。

 

「…なら、暫くは捜索も止めるんだよな?」

「え?……そりゃまぁ、そうね…じゃなきゃいつまで経っても過敏状態が治らないし…」

「なんか俺に黙って捜索続けそうな気がするんだが…」

「し、しないわよ。少なくとも捜索するなら報告もきっちりやるから、そこは安心しなさい」

「…だったら、一先ずはそういう事かって考える。けど休んでも尚視線が続くようだったら、その時は隠すなよ?」

「…分かってる。私は間違いに気付いたら、それを認められる位の器量はあるつもりよ」

 

俺の念押しに妃乃は頷き、それで会話は終了した。今日の食事当番である妃乃は台所に戻り、俺も俺で自室に戻る。結局のところ妃乃の考えが合っているのかどうかはまだ不明で、それに関しては今後の妃乃次第としか言えない事。……けど、あんまり信じられないが…被害妄想だったってなら、それが一番事なきを得られるんだよな。緋奈に話した事、緋奈も標的になるんじゃないかという懸念がまるっと無駄に、取り越し苦労になってくれるのが『被害妄想だった』って場合なんだから。

 

(…何れにせよ、想定内の事ならいいんだけどなぁ……)

 

そう思いながら、夕飯までの時間を微睡みの中で過ごす俺だった。

 

 

 

 

嘘も方便。世の中で上手く立ち回る為には嘘や隠し事も必要になる訳で、正直である事が自分にも周りにも不利益となる事だって生きてる中じゃ何度もある。だから私は必要だと思えば嘘を吐くし、その嘘を美化はせずともベターな選択だったと思うようにはしてるけど……

 

(……ごめんなさい、悠弥)

 

…やっぱり、自分の身を案じてくれて、自分の話を真面目に聞いてくれている相手に嘘を吐くのは心が痛む行為だった。

買い物からの帰り道、警告とも脅迫とも取れる言葉を受けた私はそれからよく考えた。そして考えた上で出した答えは…視線の件は解決した体をとる、というもの。

でも、私は魔人に屈した訳じゃない。あんな言葉一つで戦意喪失する程、私は柔じゃない。

 

「…………」

 

廊下を通り、自室へ入る。私が悠弥に解決したって嘘を吐いたのは、相談もまた魔人の言葉に抵触する可能性があったから。こちらの事を監視し、私が魔人の存在を探ってる(探してた奴と私に接触してきた奴は別だから、これは魔人側の勘違いの線が強いけど)事に気付くような奴なら、悠弥への相談を見逃す訳がないし…この事を包み隠さず話したら、きっと悠弥は危ない橋を渡ろうとする。だからそれは絶対に避けなきゃいけない。

 

(…魔人は私が嘘を吐いた事を、どう見てるのかしら…素直に従ったと満足してるのか、優位に立てた事にご満悦なのか…)

 

相手の思い通りに動くというのは、癪に触ってしょうがない。魔人と刃を交えてる最中ならお返しに煽りの一つでも入れてやるのに、と内心私はイラついている。…でも、耐えるのよ私。 下手を打てば損をするのはこっちだし…これも作戦なんだから。私が素直に従ってると思わせて、私の思い通りに動かすって策略の内なんだから。

 

「…ふぅ……」

 

椅子に座って、少しの間前髪を弄る。特に乱れてた訳じゃないからあんまり弄る必要はなかったんだけど、それでも何となく続けて…一区切り付いたところで、私は窓の前へ。そこで鍵を開け、窓も開け…口を開く。

 

「…ほら、あんたの望みはこういう事でしょ?…いいわよ、私だって目に見えてる危険は避けたいから、ここはお互い賢明な選択をしようじゃない。賢明な選択を、ね」

 

勿論今のは悠弥や緋奈ちゃんに向けて言った訳でも、独り言でもない。魔人が私の監視をしているという事を逆手に取った、魔人へ向けた私からのメッセージ。

素直に従う振りなのに、私が挑戦的な態度なのは何故か。それはその方が振りとして有効だから。嘘というのは重ねれば重ねる程貫き通すのが難しくなって、逆に真実を交えると嘘の部分も嘘臭さが減るものなんだから、嘘を吐く時や誰かを謀る時は、出来る限り自然体でいた方がいいわよね。少なくとも、あからさまに謙るよりは『正直に話している』感が出るもの。

 

(…さ、後は魔人がどう出るかね……)

 

窓を閉め、壁に寄りかかりながら考える。今後の魔人の行動において、一番困るのは今の私の言葉に怒って私以外の人を襲う事で、逆に一番都合がいいのは怒って直接私へ襲いかかってくる事だけど…言葉の内容からして、魔人がそんな器量の小さい奴でも短気な奴でもないと見るのが妥当。…となれば、事態が急転するという事はまずないでしょうね…。

 

(…っていうか、そもそもの話として魔人へさっきの言葉が届いてなかったら…その時は私、赤っ恥ね…)

 

魔人に聞こえてなかったのなら、それこそ私の言葉は誰にも届いてないって事になるんだから恥も何もって話だけど…他者の目がなくても恥ずかしいものは恥ずかしいというのが人間の性。こんな端からすれば電波な行動、そう何度もはやりたくないわね……っと、

 

「電話?」

 

充電コードに繋がったまま軽快な音を立てる私の携帯。この着メロは…綾袮ね。

 

「もしもし?」

「やっほー、わたしわたし。ちょっと会社でミスしてお金必要になっちゃったから、口座に振り込んでくれないかな?」

「貴女の口座に振り込むお金なんて一銭たりともないわ。じゃあね」

 

綾袮だと思ったけど…詐欺の電話だったわね。さ、録画しておいたテレビでも見ようかしら。

…なんて思って電話を切った私だけど、数秒と経たずにまた電話がかかってくる。その相手は…言わずもがな。

 

「…何よ」

「何よじゃないよ!唯一無二の幼馴染みからの電話を速攻切るなんてどんな神経してるの!?」

「唯一無二の幼馴染みへ通話開始と同時に詐欺かけようとする方がよっぽど神経どうかしてるっての」

「うっ、言い返しのない正論を…とにかくわたしは被害甚大だよ!ほら聞こえる!?妃乃が切ったせいでわたし顕人君に爆笑されちゃってるんだからね!?」

「疑いようのない程に貴女の自業自得よそれは…」

 

電話の向こうから誰かが笑っている様な音が聞こえていたけど…そういう事だったのね。綾袮が切られた瞬間どんな顔してたか、後で顕人に訊いてみよっと。

 

「…それで、何の用事?」

「あ、うん。今日ちょっと魔王と魔人の捜索任務を行なってる部隊の人と話す機会があってね。その中で訊かれたんだけど…魔人って、何体いるんだと思う?」

「え……そ、そうね…」

 

意外な事に、綾袮が口にしたのは真面目な質問。魔人に対する策と思考をした直後だった私にはドキリとする話題だったけど…今私が直面している問題とこれとは別の事。全くの無関係だとまではまだ断言出来ないけど、取り敢えず直接関係のある話じゃない。……けど、だからこそ落ち着いて話さないと…。

 

「まず一人はいる…というか実際にいたとして、他は……何とも言えないわね。確認された能力から推測するなら…私と悠弥が交戦した奴の他に、延命能力持ちと瞬間移動能力持ちとで二体かしら」

「となると、三体?」

「かもね。でも、魔人については綾袮だって分かってるでしょ?」

「…決め付けるのは良くない。霊装者は経験でしか魔人を知らないのだから…だっけ?」

 

研究でも戦闘でも経験は大いに役立つが、所詮は外部的な情報に過ぎない。故に経験から得られる結論は推測の域を出ないという認識を持っていなければ、本来益である筈の経験に足元をすくわれる。そういう事を、私も綾袮も教えられてきた。…だから、今私が相手してる奴にも決め付けや先入観で惑わされないようにしないと…。

 

「そういう事。今の言葉は顕人に教えとくといいんじゃない?貴女と違って頭が回るみたいだし、じゃないと間違った推理をしちゃって身を危険に晒す…なんて事が起きかねないわ」

「あ、そうだね…ってわたしだって頭は回るよ!失礼な!」

「遠足のお菓子決める時に?」

「そうそう、後悔しない為には綿密に考える必要が……じゃないよ!違うよ!…ってあぁっ!また顕人君に笑われちゃったじゃん!」

「大丈夫よ、綾袮。…私も内心笑ってるから」

「それのどこが大丈夫なのさぁぁぁぁぁぁ!!」

 

幼い見た目通りの高い声を耳元(携帯越し)で叫ばれるのは少し…いやかなり五月蝿かったけど、正直綾袮を弄れるのは楽しかった。私も向こうで笑ってるらしい顕人も普段から綾袮には苦労させられてるし、この位の弄りをするのは当然の権利よね。

 

「…はぁ…こんな辱めを受けるんだったら妃乃に訊いてみるんじゃなかった…」

「綾袮が最初から真面目に話してたら、私だって弄らなかったわよ」

「えー、最初から真面目なわたしとか違和感凄い事になるよ?それでもいいの?」

「それはちょっと嫌ね…ってどんな脅しよそれ…」

「あはは。まぁ突然の事なのに答えてくれてありがとね。それじゃお休み〜」

「はいはいお休みなさい」

 

恨めしそうな声音をしていた数秒後にはもう普段の調子に戻ってしまう綾袮は、私からすればある意味凄い幼馴染みだった。…凄いって言っても憧れはしないけど。

そんなこんなで通話は終了。本題以外は大体馬鹿馬鹿しい話だったけど、色々考えていた私にとってはいい息抜きになったと思う。…けど……

 

(…綾袮にだけは、言っておくべきだったかしら……)

 

…そんな思いが、ふと私の頭をよぎった。勿論ストレートに話す訳にはいかなくて、やるとすれば暗に仄めかす位しか出来ないんだけど……それでも万が一の事を考えて、綾袮には伝えておいた方がいいかもしれないって、私は思った。…でも、その考えも振り払う。

 

(いや、今はまだその時じゃないわね。まだ魔人も私を信用してないでしょうし、伝えるにしたってもう少し情報を得てからの方が事が上手く運ぶ筈だもの。…だから、少しの間は私一人で頑張らなきゃ)

 

今は一人でなんとかしなきゃいけない。けど、ある程度いけば綾袮に協力してもらう事も出来る。そう思えるだけで、心の中に安心感が湧いてきた。別に不安だった訳じゃないけど……ま、まぁ…なんだかんだ一番頼れるのは綾袮、だものね…。

そうして私は自分の頬を軽く叩き、これからの駆け引きに向けて自分を鼓舞するのだった。



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第四十九話 それぞれの思惑

「最近うちの同居人の様子がちょっとおかしいんだが」

「はぁ?」

「同ちょ」

「うっさいわボケ」

 

ある日の放課後、千嵜が激しく意味の不明な事を言い出してきた。しかも元ネタに合わせて略してきやがった。……なんだコイツ。

 

「お前、今日は突っ込みも地の文も冒頭から辛辣だな…もしかして機嫌悪い?」

「いきなり意味の分からん事を言われてしかもそれを略されたら誰だってこういう反応するわ…多分」

「いや誰でもはしないだろ…まあいいや、おかしいんだが」

「……俺にどうにかしろと?」

「出来るなら頼もうと思う」

「いやいやいや…」

 

実情がさっぱり分からない相談(まずこれは相談なのだろうか…?)に対し、即どうにかしよう!…とは流石に言えない。っていうかまず、ちゃんとした説明が欲しい。だってほんとに意味分からないし。

 

「えーと…妃乃さんに何かあったの?又は何かしてるの?」

「どっちかって言うと前者だな」

「はぁ…で、具体的には?」

「さぁ?」

「…そういや依留ちゃ…天凌さんから集会の進行表確認頼まれてたな…今日の内にやっておくか…」

「待て待て御道。友人と生徒会活動でお前は生徒会活動を取るのか?」

「取るよ、現状おかしいのは誰よりもまず千嵜なんだから」

「今日マジで辛辣だな…真面目に話すから聞いてくれ」

 

誰のせいで辛辣な対応になってると思ってるんだ…と言おうと思ったけど、千嵜が先んじて反省した為言うのは保留。真面目に話すという言葉を信用し、俺は椅子に座り直す。

 

「あー…先に言っておくが、別に俺はふざけてやろうと思ってさっき『さぁ?』って言った訳じゃないんだ」

「じゃ、どういう理由で?」

「なんつーか…何となく変なんだよ、何となく」

「何となくって…よくそれで他人に話そうと思ったね…」

 

誰だって間違う事は避けたいし、確証のない話をするのは自信がいるもの。それが趣味やふと思った事程度ならまだしも、誰かの事を『何となく変な気がする』と言うのはそれなりに抵抗を感じるようなものだと思うんだけど…千嵜はそういう感性を持っていないんだろうか。……俺を信頼して何となくレベルの事でも話してくれた、とかなら悪い気はしないけど。

 

「同じ家に住んでるからどうしても気になっちまってな…このままだと気になる気持ちが態度に表れて、それで妃乃に怪しまれるとかありそうだから御道に話を持ちかけた…って訳だ」

「ふぅん…なら最初ボケたのは?」

「それは小粋なジョークだとでも思ってくれ」

「そうですか……何となく変って言われてもなぁ…」

 

俺も何となく変だとか、何となく気持ち悪いだとか思う事はあるけど、それを的確に言語化するのは難しい。だから何となくって表現自体は別に否定しないけど……それだと言える事も限られてくるんだよね。何せ『何となく』は、第三者にとってはその中身が全く見えてこない言葉なんだから。

 

「…一番手っ取り早いのは本人に訊いてみる事だと思うよ?」

「それが出来るなら相談を持ちかけたりなんてしねぇっての」

「ですよねぇ…じゃ、最近妃乃さんを怒らせるような事した?」

「してない…と思う。勿論断言は出来ないが…」

「だったら千嵜、ここのところ奇行を繰り返してたりは?」

「俺がヤバい感じで引いてたって可能性か?……ないと信じたい」

 

怒らせてないかどうかを断言出来ないのはまぁ仕方ないが…奇行に関しては自信を持ってないと言えなきゃ駄目だろう千嵜…。

と、それはさておき更に俺はありそうな線を考える。人の様子が何となく変になる理由なんて幾らでも思い付くけど…現実的に、ってなると一気に難しくなる。何せ考える上での条件が一気に増えるからね。

 

「ふーむ…やっぱり妃乃さんの事だし、真面目な考え事とかかねぇ…」

「一般相対性理論についてとか?」

「いや相対性理論についてかどうかは知らないけど…というか『真面目な考え事=一般相対性理論』っていう発想はちょっと馬鹿っぽい…」

「うっせぇぶっ飛ばすぞ」

「知性の品格が欠片も感じられないね!?一般相対性理論言ってた千嵜はどこ行ったし!」

 

理論もぶっ飛ばすもネタとして言ってるんだろうけど…それでも発言の落差が凄かった。因みに勿論相対性理論について考えてる人は馬鹿、なんて言いたい訳じゃないので悪しからず。

 

「…まぁ、今聞いた情報からじゃ確証のないざっくりとして可能性しか挙げられないよ。もう少しどう変なのか、とか変になるまでの経緯とかが分からなきゃ」

「だよな…悪い、面倒な話しちまって。またなんか分かったら改めて話すから、その時は頼む」

「あいよ、早めに理由が分かるといいね」

 

立ち上がり、鞄を持つ俺。今後千嵜が推理に役立つ情報を得られるかどうかは分からないけど…妃乃さんは知り合いだし、これは乗りかかった船。出来る限りは協力したいものだよね。

 

「そういや、今日妃乃さんは?」

「あー、なんか帰りにどっか寄るって言ってたな。どこに寄るのかは覚えてないが」

「…今度出かけた時に後をつけてみたら?何か分かるかもよ?」

「見つかった場合が怖いんだが」

「あ、それもそうか…」

 

立場はどうあれ千嵜は男で妃乃さんは女なんだから、尾行がバレたら不味いのは明白な事。しかもその中で変に思ってた事までバレる可能性高いし…我ながら下策だったなぁこりゃ。相手が綾袮さんなら散々からかわれるのと引き換えに上手く誤魔化せるかもしれないけど。

 

「妃乃がアホなら尾行してもバレないんだろうけどなぁ…」

「そんな事言ったってしょうがないでしょうに…」

「分かってるっての。んじゃあな」

「うーい」

 

今後どうなるかは分からないが、どうなっていくかは千嵜次第。だから俺は考える上で有益そうな情報を千嵜が得られる事を祈りつつ、自宅……ではなく進行表確認の為に生徒会へと向かうのだった。

 

 

 

 

魔人らしき存在に忠告を受けたあの日以降も、私に対する視線は続いていた。この視線がただ見られているだけのものじゃなく、『監視』の為のものだって知って以降は鬱陶しく感じてしょうがなかったけど…耐えるしかない。じゃなきゃ相手の油断を誘えないんだもの。

 

「ふぅ…やっぱり定番に外れはないわね…」

 

とあるお店から出る私。と言っても別にこのお店は魔人や霊装者に関わりがあるとかじゃない、本当に普通のお店。…ただ寄りたかったから寄っただけよ、ここは。

 

「…そろそろ、日焼け対策も必要かしら」

 

既に一日の中で一番暑い時間帯を過ぎたにも関わらず、太陽はまだ日向と日陰がくっきりと分かれるレベルの日光を放っている。これから更に日が強くなるんだから、日焼け止めのストックも確認しておかないと…。

 

「…………」

 

そんな事を考えながら、私はゆっくりと歩く。概ね自宅の方向へ、でも最短ルートは通らずゆっくり帰る。…帰りたくない訳じゃない。ゆっくりなのには、ちゃんとした理由がある。

 

(どこまで私の推測が合っているかは分からない…でも、ここで釣れてくれれば……)

 

極力感情を顔に出さないように、何の気なしに歩いてるように振る舞って、その時を待つ。もしかしたら空振りに終わるかもしれないけど…やるだけやってみる。そして、そんな思いを抱きながら十分程歩いていると……

 

「…探るのが駄目なら、自ら足を運ばせよう…そういう魂胆ですか」

(──来た…ッ!)

 

……前回とは違う、けれど同じ何かを感じる少女が私の前へと現れた。

 

「…魂胆なんて、そんな…私は散歩をしていただけよ」

「…………」

「…って、流石にこれはバレるか…そうよ、一方的に見張られてるだけなのは気に食わないもの」

 

少女が現れたのは、丁度道路に私以外の人がいなくなった瞬間。前回の事から考えても、これは恐らく偶然じゃない。…一般人なんて魔人からすれば危険でもなんでもないでしょうに…やっぱり慎重派なのかしら…。

 

「貴女の気は知りません。大人しくするならよし、そうでなければ…と言った筈です」

「外をうろつくのも駄目なんて、そっちは中々神経質なのね」

「…口は慎んだ方がいいと思います」

「そうね、頭の中に留めておくわ」

 

淡々と話していく少女に対し、私は辛口を叩きつつ考える。ただ会話するんじゃ何の意味もない。上手く情報を引き出して、逆に魔人には間違った認識を与える事が出来なきゃ、楽でもない選択肢を取った甲斐がない。

 

(…雰囲気が違うわね……今回は、ちゃんと話してる…?)

 

前回と違って、今回は言葉のキャッチボールが成立している。それに今会話している少女と比べると、前の女性は『言わされている』感じがあったような気がする。一方的に言うだけで、言わされている感じのあった前回と、会話が成立していて、本人が考えて言っている感じの今回。その違いが意味するのは、一体なんなのか。

 

「…一つ、訊いてもいいかしら?」

「…何でしょう」

「どうしたら、私への監視を止めてくれる?」

「……それはお答え出来ません」

「不親切ね」

「…………」

 

沈黙を貫く少女。元々素直に答えてくれるとは思ってなかったし、反応も予想から大きく離れるようなものじゃなかったけど……この瞬間私は、何か違和感を感じた。何かが気になる。魔人の全容に関わる、何かしらの手掛かりが今のやり取りの中であったような気がする。…けど、それが何なのかまではまだ分からない。

 

「嫌なものなのよ?一方的に見張られてるんだもの、気が休まらないわ…」

「ならば、こちらの要求を忠実に遂行する事です」

「そうしていれば、監視はその内止めてくれると?」

「…お答え出来ないと言った筈です」

 

目元に手を置き、残念そうに身体を反転。少女が見る中私は気取られないよう全力で『普段の私』を演じながら、少女に向けて本気の霊力探知をかける。手を置いたのも、相手に背を向けたのも、その為の演技。

大概の魔人は力ある霊装者と同じように探知の目を逃れる事が出来て、その技能の持ち主が能力を一切使っていない時に探知で発見するのは至難の技。でも、それは力を内側で制御し切っている状態ならばこそであって、少しでも能力を行使している状態なら…力を外側へ発揮している状態なら、その技能に競り勝つ事は不可能じゃない。そしてこれまでのケースを全て考えうる限り……今魔人が能力を行使している可能性は、間違いなくある。

 

(気付かれればそれでお終い…でも危ない橋を渡る位しなきゃ何も得られない……例え直接戦闘をしてなくても、魔人は魔人って訳ね…)

 

ここに殺気はない。武器の振るわれる音も、命の危機も無いけど……戦闘中にも何ら劣らない駆け引きは、確かにあった。…いいじゃない…これ位の緊張感があった方が私もポテンシャルを発揮出来るってものよ…!

 

「…貴女、前回の人とは違うのね。それとも前回とは違うように見せてるのかしら?」

「そのような事を答えるとでも?」

「ほんと秘密主義ね…けど、貴女は答えなかった。だからそれはそれで情報になるわ、ありがと」

「…………」

「ここは適当にでも言葉を返すのが正解よ。じゃなきゃ焦って口を噤んだって事が丸わかりだもの」

 

全力で探知をかけながらも、少女へ心理戦を仕掛けていく。策を巡らせている緊張感の中でこの二つを両立させ、その上で平然を装うのは相当な集中力を要する事だったけど……私が両親から受け継いだ才覚と、ずっと培ってきた経験が、それを実現させていた。

あくまで会話はダミーとして、でもそのダミーでも極力情報を引き出そうとしながら、本命の探知を続けていく。気を見計らって少女に向き直り、そして……

 

「素っ気ないし、まるで質問に答えないし…はぁ、そっちが私を信用してない事はよく分かったわ」

「信用に値するかどうかは、貴女の決める事ではありません」

「そうね、信用するかどうかは相手が決めるものだものね。…けれど、信用しない事が互いにとって賢明な選択なのかしら?賢明な選択こそが、お互いの利益となる筈でしょう?」

「そうでしょうね。…賢明な選択をして頂けるのを、期待しています」

 

さっきの私のように背を向け、そのまま歩いていく少女。それは距離を開ける為のものではなく、立ち去る為のもの。…結局少女は、最後まで淡々とした、他人事の様な雰囲気で話す人間だった。

少女の姿が見えなくなってから数十秒。完全に立ち去ったのだと判断したところで私は…大きな溜め息を吐き出す。

 

「……うぅ、疲れた…」

 

疲労を隠そうともせず肩を落とす私。ここは普通の路上だからないけど、椅子かソファがあればそこへと腰を下ろしたいものね…。

 

「こんな事になるなら、もう少し考えて探索をするべきだったわね…今更言っても後の祭りだけど…」

 

たられば話程無意味な思考もそうそうないけれど、無意味だって分かっていてもそういう『もしも』を考えてしまう。そうした場合はそうした場合で何かしら厄介事があるかもしれないのに、たらればで考えた結果をベストかの様に思ってしまう。それは、誰でも変わらない。

 

「……でも、見方を変えれば別の魔人の早期発見に繋がったとも言えるわよね…」

 

過去を後悔してしまうのは、どうしようもない人の性。だから大事なのは後悔するかどうかじゃなくて、後悔した後どうするかどうか。その後悔を糧に出来るか、後悔の中に良かった部分を見つけられるかどうか。そして私は、いつまでも後に引きずるタイプじゃない。

 

「……よしっ」

 

下がっていた肩を持ち上げて、私は家へ向かって歩き出す。もう私に嘆こうなんて気持ちはない。既に私は先を、これからの駆け引きの事を考えている。

 

(まだ先端の毛一本程度だけど……それでも尻尾は掴んだわよ、魔人)

 

今後の対魔人プランを頭の中で構築していく私。私の頭の中には……ほんの僅かだけど確かに少女から感じた、魔人の力のイメージが残っていた。

 

 

 

 

「うーん…」

 

今日のお夕飯の時、顕人君は悠弥君から妃乃について相談を受けた、という話をしてくれた。義理を重んじる(タイプな気がする)顕人君が話のネタにしたくてこれを話してくれたとは思えないし、多分それはわたしなら何か知ってるんじゃないかと考えたからだと思う。……でも、わたしは力になれなかった。

 

「妃乃が、かぁ……」

 

うろうろー、っと部屋の中を歩き回るわたし。元々妃乃は頭の中でごちゃごちゃと考えるタイプで、だからその思考がピークレベルになると雰囲気なんかもちょっと変わったりするんだけど、それは家族や幼馴染みのわたしならばこそ分かる事。でもわたしが知らなくて、悠弥君が気付いたって事は…普段のそれは違う、って事だよねぇ…。

 

「何があったんだろう…それか、何かをしようとしてるのかな…?」

 

妃乃の考えてる事が一体なんなのか想像するわたし。何かサプライズを用意してるとか…はないね。そういう件ならわたしに話振ってくるだろうし。で、病気や怪我を隠してる…なんてのもないよね。妃乃って基本はしっかりしてるから隠すのが正しい選択ではないって分かる筈だし。…だとしたら…まさか悠弥君に恋とか!?

 

「……っていやいや、それこそ一番ないって!妃乃が恋してその相手へ態度がおかしくなっちゃうなんて、全くもって想像出来ないもんね!」

 

なんか妃乃にも悠弥君にも失礼な事言っちゃった気がするけど…ほんとに想像出来ないんだもーん。妃乃ってば自分の恋愛に関して話す事なんてまず無いし。

 

「…でもそうなるとほんとになんなんだろ…政治的な事だったらやだなぁ……」

 

協会における派閥だとか政治論争なんて、わたしからすればなんにも魅力を感じられない。『宮空家の娘』という立場の恩恵は間違いなく受けてるんだから「面倒だから知りませーん」なんてスタンスは流石に取らないけど…それでもやっぱり極力避けて通りたいよね。…あ、そうだ。おかー様とおとー様に何か知らないか訊いてみようかな?

…と、わたしが思った瞬間ポケットの中で鳴る携帯。誰かな〜と思って画面を見てみると、そこに出てたのは妃乃の名前だった。

 

「わ、凄いドンピシャなタイミング…」

 

居留守なんて使う理由がないから勿論出るわたし。元々今考えてた事は今日顕人君から聞いたものだし、この件に関する話かも…と思う中、珍しく妃乃は一方的に話を進めてくる。

 

「綾袮、今日という今日ははっきり言わせてもらうわ」

「あ、うん。……え?何?妃乃早速ご立腹…?」

「貴女はいつも私を素直じゃないとか面倒な性格してるとかうざったいとか言うけど、私からすれば貴女が単純な思考をし過ぎてるのよ」

「い、いやあの…妃乃さん……?」

 

常日頃からわたしは妃乃をからかってるし、妃乃の中で鬱憤が溜まってたとしてもそれはおかしな話じゃないけど…こんな問答無用で怒ってくるレベルに溜まってたの?っていうか、わたしうざいとは一言も言ってないよ?わたしは妃乃を幼馴染み兼親友と思ってるんだから。

 

「綾袮はいつも単純で短絡的だから分からないんだろうけど、私はちゃんと理路整然とした思考をしてるのよ。単純思考は別に否定しないけど、自分基準で考えるのは止めてくれる?」

「い、いや待ってよ妃乃…話が読めないし次々と酷くない…?」

「酷いも何も事実でしょう?」

「いや何割かは事実だけどだとしても酷いって!…そんなに怒ってたの?それなら謝るけど…」

「謝れば良いって思ってるならそれは大間違いよ。反省して、考え直して、次に繋げる位は最低限してくれなきゃ腹の虫が収まらないわ」

「…幾らわたしに非があるとしても、そこまで言うのはないんじゃない?」

 

妃乃はいつもなら怒ってもどこか温かみを持っていてくれたのに、今日はそれを全然感じない。それ位怒ってるんだ、って事かもしれないけど…それにしたってこんな言われ方をしたら、わたしだって素直に聞こうとは思えない。そこまで言うならわたしだって、って気分になるんだもん。

……でも、妃乃は止めない。

 

「私はずっと不満を持たされてたんだから、これ位言う権利はあるわ。そっちだって非があるって分かってるなら黙って聞きなさいよ」

「権利って…黙って聞けって…そんな事言うならわたしだって怒るよ?第一わたしに直してほしいならこんな言い方する必要ないよね?」

「何よ、私に説教する気?…はぁ、言えば直るかと思ったけど、これは私の見込み違いだったみたいね…」

「……っ!ヒメっ!」

 

失望した。そう言いたげなヒメの言葉が聞こえた瞬間、わたしは頭に血が上った。ヒメが…ヒメがそんな人だとは思ってなかったよ…!幾らわたしとヒメの間柄だって、やっていい事と悪い事が──

 

「とにかく!…私は発言も行動も考えて行ってるんだから、安直に受け取るのは止めて頂戴。ちゃんと考えて、なにが真実なのかきちんと見極めなさいよね。それだけよ」

「────ッ!……あ…も、もう切ってる…」

 

携帯から聞こえるのは、通話を終了した時のあの音。妃乃は宣言通りはっきり言って、言いたい事だけ言って、それだけよって言葉通り切ってしまった。

持っていた携帯を机に置いて、ゆっくりと息を吐くわたし。こんな事を言われるとは思わなかった。こんな事になってるとは思わなかった。…全く、もう……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今ので妃乃の真意に気付けるのなんて、わたし位なんだからね?」

 

妃乃が本当に伝えたかった事は何か分かったわたしは…相変わらずわたしより頭が良くて、でも不器用な幼馴染みの事を思って口元を緩ませるのだった。



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第五十話 いざ踏み込まん

妃乃に対する違和感を、御道に話した数日後。俺はその御道に呼ばれ、御道と綾袮が同居中の家へと来ていた。

 

「邪魔するぞー」

「邪魔するなら帰ってねー」

「じゃあ帰るわ…って新喜劇か」

 

一度家に帰ってから来た俺は、入った途端に聞こえてきたボケを軽く流しつつ靴を脱ぐ。…こんな入った直後にボケが飛んでくる家に住んでるなんて、御道も大変だな…。

 

「えーと……あ、リビングここか」

「ん?…あ、そうか…千嵜がここ来るのは初めてだったね。実家には何度か来てたから忘れてたよ」

「実家か…親御さんに電話したり時々帰ったりしてるか?家族は大切だぞ?」

「千嵜が言うと重みが違うね…大丈夫、時々帰ってるし電話はちょいちょいしてるから」

 

家族だって失う時は唐突で、あっという間なんだからな…とも言おうと思ったが、それは流石に空気が重苦しくなってしまう。客にいきなりボケかますのも大概だが、来て数分と経たずに空気を重苦しくする客もまた大概だろう。

 

「…ここのお宅は座る場所に指定があったり?」

「ないよー。それで妃乃には知られてない?」

「大丈夫だ。『千嵜くんち行ってくるねー』って言ったから」

「そんな言い方すんなや恥ずかしい!」

「冗談だから安心しろ、ういしょっと」

 

ソファの一つに腰を下ろす俺。呼ばれてここに来た俺だが、別に遊びに誘われた訳じゃない。何の目的なのかは……妃乃に知られちゃ不味い、って時点ではっきりしてるようなものだよな。

 

「…で、あれから何か進展はあった?」

「いいや、全くもって無し。何となく変だとは思うんだが、気を付けてても何か分かったりはしないんだよな…」

「そうかい…ま、それならそれでしゃあないね」

「気にする事はないよ、それよりここ最近あった事とか妃乃と話した事とかを教えてくれるかな?」

 

御道は食卓らしき所の椅子へ、綾袮は俺が座ってるのとは別のソファへ。俺を呼んだのは御道だが…この会そのものは綾袮の発案らしい。

 

「そうさなぁ…起こった事はともかく、会話内容なんてざっくりとしか覚えてないがそれでもいいか?」

「勿論。詳しいに越した事はないけど、ざっくりでも情報があるのとないのとじゃ大違いだからね」

「それもそうか…じゃあ、比較的記憶が鮮明なところから話すかな…」

 

最近の出来事と言っても全て挙げればキリがなく、それは全員が理解している事。だから俺は俺の判断でまず、普段とは違う事や珍しい事なんかを話していった。話した事が俺の感じる違和感と何かしら関わっているのかどうかは分からないが…分からないからこそ、一先ず言ってみるしかないよな。俺の頭の中にあるだけじゃ、恐らく今後も分からねぇままな訳だし。

それから約十分弱、俺は近況報告を行った。だが割と俺が忘れてたという事もあり、綾袮はぱっとしない表情をしている時間が長かった。

 

「…うーむ…悪ぃ、もうちょっと覚えてると思ったんだがな…」

「まぁ、それは仕方ないよ。人間は忘れる生き物なんだから」

「そうそう、だから課題の事を忘れるのも仕方ないよね」

「それは忘れるじゃなくて覚える気がないの間違いだよね、うん」

 

なんか紙風船でキャッチボールしてんのかって位ゆるゆるなボケと突っ込みをしている二人はさておき、上手く情報を出せない事に歯痒さを覚える俺。御道にも言われたが、俺がまずちゃんと情報を出せなきゃ話が進まないんだよな…。けど覚えてねぇもんは覚えてねぇし、一体どうすれば…………あ。

 

「…いや、でも…これは止めといた方がいいか…?」

「……?悠弥君、どうかしたの?」

「どうかしたっつーか…まだ話してない件があってな…」

「…けど、それは話さない方がいいかも…と思ったと?」

「そういう事。話してもいいか訊いたら怪しまれるだろうしなぁ…」

 

他言するなと言われてる訳じゃないが、言われてなきゃ誰に何話したっていい…なんて事はない。それ位は俺も分かっているし、これによって妃乃の起源を損なう可能性は少なからずある。とはいえこの件は、普段の何気ない会話なんかよりずっと有益な情報がありそうな気がする訳で……ほんとにどうしたもんかな…。

 

「…………」

「…………」

「……?」

 

言うべきか、言わないべきか。それを考えてる内に視線が下がっていた事に気付いた俺が、顔を上げると……御道と綾袮が顔を見合わせ、そこから御道は肩を竦めていた。そしてそれに綾袮は頷き、俺の方へと視線を移す。

 

「…悠弥君。悠弥君が止めておいた方がいい、と思うなら言わなくていいよ。何なのか知らないわたし達より、それを知ってる悠弥君の方がちゃんと判断出来ると思うからね」

「まぁ、だろうな…」

「けど……その上で妃乃の幼馴染みとして言わせてもらうと、それがよっぽど恥ずかしい事や考えたくない事でもない限りは、悠弥君が言ったとしても怒りはしないと思うよ?妃乃は理性的なタイプだし、変に思わせた私にも非はあるんだから…って考えるだろうからね」

「理性的、か……その割には過激な気がするんだが…」

「それは接し方の問題だろうねー、わたしや悠弥君に対する態度と顕人君に対する態度じゃ結構違うでしょ?」

「…分かってるさ。後、俺と綾袮でもそれなりに違うと思うぞ?」

 

妃乃をからかう側であり、不真面目がデフォルトの俺と綾袮じゃとる態度の方向性は近くとも、やはりそこに籠る感情は結構違っていると思う。…と、言うより同性で幼馴染みの綾袮と、異性で今年度になるまで話す事もまずなかった俺とで同じ感情だったら逆におかしいしな。

 

「…けど、それもそうだよな……よし」

『…………』

「言わなくても大丈夫だとは思うが…これから話す事は、軽い気持ちで口外したりはするなよ?」

 

念押しに二人がしっかりと頷いたのを見て、俺は意思を固めた。視線の事を、その相手が普通の存在じゃないと思った事を……そして、妃乃がそれは全て思い違いだったと結論付けた事を、全て話そうと。

俺は話した。出来る限り丁寧に、出来る限り正確に。包み隠さず話すという事はつまり、ここ最近俺と妃乃は勘違いに頭を悩ませていたんだと白状する形になる訳だが……それよりも今は、目の前の問題を何とかしたかった。そうしてこの件を話し終えた時、御道は複雑そうな顔を、綾袮は考え込むような顔をしていた。

 

「そうだったんだ…今はもう…えぇと、感覚過敏?…は収まってるの?」

「だと思う。収まったって本人の口から聞いた訳じゃないけどな」

「…なんていうか…やっぱ、オーバーワークは身体に悪いもんだね…」

「当たり前だ。妃乃だってなるんだから、実力も経験も浅いお前はほんとに気を付けろよ?」

「そうするよ…っておい、経験はともかく実力がまだまだなのは千嵜もでしょうが…」

「へいへい……それで綾袮、何か分かったのか?」

 

両手の指を絡ませ黙っている綾袮の目からは、深い思考の色が見て取れる。確証が無くとも何か分かったのなら知りたい、と思った俺が問いかけると……

 

「あー、うん。さっぱり分かんないや」

「そうか……え、そうなの?」

 

真剣そうな顔つきに、俺も神妙な面持ちで返答を…しようと思いきや、問いかけに対して返ってきたのは予想と真逆の言葉だった。それに俺は完全拍子抜け。

 

「ごめんね、悠弥君。わたしこれには答えられそうにないや」

「いや、いやいやいや…さっき凄ぇ核心に迫ってそうな顔してなかった…?」

「それはきっと珍しくわたしが真剣に考え事したから、表情筋が上手く対応出来てなかったんだよ」

「そんな馬鹿な……」

 

表情筋が上手く対応出来なかったなんて、あり得ないを通り越して意味が分からない。…マジでこの人は何を言ってんの……?

 

「…綾袮さん、ほんとにそうなの?もしかしたら程度の事でも千嵜は助かるだろうし、何か言ってあげられない?」

「わたしもそれが出来ればそうしてるんだけど…これに関しては何とも、ね……」

「そう…俺からも謝るよ、千嵜。力になれなくてすまん…」

「いや、謝るなよ。そりゃさっぱり分かんないって結果は残念だったが…俺のふわっとした情報を元に考えてもらったんだ。感謝こそすれど文句なんか言わねぇよ」

「…そう言われると、余計申し訳ないっす…」

「んな事言われてもな…それはお前の気の持ちようだ…」

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し。不遜さが欠片も感じられない御道の態度は美徳だと思うが、あんまり低姿勢になられても対応に窮するいうもの。ぶっちゃけちゃえばそこまで申し訳なく思われても困るってーの…。

 

「あー…答えられそうにないって言ったわたしが言うのも何だけど、あんまり気を落とさないでね?」

「大丈夫だ、そんなに俺はメンタル弱くねぇよ」

「…じゃあ、これからも気になる事とか変だなって思う事があったら教えてくれないかな?悠弥君が感じてる違和感っていうのは、わたしも気になるからさ」

「そら勿論。俺が一人で考えるより二人に話した方が可能性はあるからな」

 

俺のその言葉で、この会話は終了した。これといって成果はなかったが…まぁ、一人で抱えるよりは一緒に考えてくれる奴がいた方が精神的に楽だからな。

それから俺はここで時間を潰し、丁度いい頃合いで宮空宅(…で、いいのか…?)を後に。宮空宅から千嵜家に帰るまでの道のりの中で、ふと一つ思い出す。

 

(…そういや、結局あの表情はなんだったんだ……?)

 

本人は表情筋が云々と言っていたが、まずそんな訳ない。となれば何か別の理由がある筈で、聞きそびれてしまった俺は帰路にてずっと考えていたが……答えは出なかった。そして段々「あれ?これ仮に分かったとしても、特に意味なくね?」という思いが膨らんでいく事でこれに対する興味も薄れ、家の玄関をくぐる頃にはどうでもいいやと思ってしまっていた。

 

 

 

 

あれからも何度か、私は魔人との対話を行なった。無論対話と言ってもそれは和解や相互理解の為のものじゃなく、私は魔人を嵌める為、魔人は恐らく私に圧力をかける為に、話し合いという名の心理戦と駆け引きを仕掛けていた。

私の前に現れる人は、毎回違った。性別は必ず女性だったけど、基本的に共通してるのは性別だけ。けれど共通してるとまでは言えなくても、現れる女性の傾向は途中から掴めてきた。

 

「…………」

 

自室で地図アプリを開き、地理の確認を行う私。初めは頭の中以外じゃ一挙手一投足に気を付けていたけど、何度か検証を行った結果この程度の事ならバレないと判明した。

それだけじゃない。魔人がどの辺りまで私を監視しているのか、魔人はどういう態度を取ったら気を悪くするか……そして魔人の能力の大まかな見当すらも、今の私は理解している。

 

(…やっと、ね……)

 

期間的に言えば、そこまで長かった訳じゃない。でも、四六時中見られているという意識がある中で、誰にも相談出来ないどころか悟られないよう嘘を吐かなきゃいけないというのは相当精神的に参る事だった。……これで綾袮もいなかったら、どっかで耐えられなくなって短気を起こしてたかもしれないわね…。

 

(……短気は損気、急がば回れ…実行は明日よ、落ち着きなさい私)

 

もう魔人がいる根城の場所も、目処がついている。現れる女性から時折感じる力の流れを必死に感じ取って、その流れを探知だけで辿って、それを何度も繰り返す事で場所を割り出して、ここだ、と思える地点を特定したのが数日前。特定出来た時には速攻で倒して終わりにしたい気持ちに駆られたけど……もし魔人の強さが私の想定以上だったら、或いは前に戦った魔人や魔王のように他の魔人と徒党を組んでいたとしたら、私の勝機は一気に低くなる。そして仮に難を逃れたとしても、私の本心がバレてしまえばこれまでの努力が水の泡。だから私は踏み留まり、この数日間で強襲前最後の仕上げとして演技を続けた。魔人の要求に従い、敵対意思を捨てた霊装者の演技を。

 

「…後は、こっちの仕上げだけね」

 

経路を頭に入れた私は携帯をしまい、部屋を出る。向かう先は、悠弥の部屋。

 

「悠弥、ちょっと話があるんだけど」

「おう、なんだー?」

 

ノックし声をかけると、すぐに部屋の中から返事が聞こえてくる。それを受けて中に入ると……悠弥は何かノートの様な物を見ていた。

 

「…それは?」

「物体だ」

「地の文での説明より雑な回答が来た!?活字媒体としては最低な返答ね!」

「へいへい…ほら、見りゃ分かるだろ」

「……料理ノート?」

 

ノートの中を覗き込むと、そこに書かれているのは食材や調理の手順、味付けのパターン等と言った料理に関わる情報だった。しかもその内容からは、ただ料理本やレシピサイトのものを書き写したのではなく、自分なりに試行錯誤をしたのだという事が伝わってくる。

 

「…前から思ってたけど、貴方って料理好きなの?」

「嫌いではないな。昔は面倒だったが、今はやって当たり前みたいなもんだし」

「でも、わざわざこんなノート作るって事はそれなりに力を入れてるのよね?」

「そりゃまぁ、美味しく作れた方が気分いいし緋奈も喜ぶからな。後家庭環境に合わせてレシピから取捨選択してった方が節約にもなるし」

「…悠弥、貴方多分綾袮よりは女子力高いわ」

「そんな明らかに女子力低そうな相手と比較されても嬉しくないわ…」

 

たった今私は幼馴染みを遠回しに貶されたけど、別に反論する気はない。だって事実だし。そもそも私が比較に出したんだし。

 

「…けど、驚いたわ。まさか貴方が料理ノート作ってたなんて」

「だろうな。俺も時々思うよ、『よく作ろうなんて思ったなぁ』って」

「自分でも思ってるのね…折角作ってるなら続けなさいよ、途中で止めちゃ勿体無いわ」

「言われなくてもそのつもりだよ」

 

そう言ってノートを閉じる悠弥。…うん、そろそろよさそうね。

 

「……ねぇ悠弥、明日って料理は私担当じゃない」

「ん?そうだな」

「その事なんだけど…明日は担当変わってくれない?前日で悪いんだけど、明日は用事があって帰り遅くなりそうなのよ」

「そうなのか…まあ、構わないっちゃ構わないが……珍しいな」

「…珍しい?」

「普段はもっと早く言うだろ?…ってか、自分でも分かってるんじゃないのか?『前日で悪いんだけど』って言ったんだから」

「…それは、そうね……」

 

悠弥に言われて、初めて気付く。このタイミングで言うのは、私らしくないって。魔人を欺く事、悠弥に悟られないようにする事ばかりに意識がいって、その結果些細な部分への注意がおそろかになっていたんだって。

 

(魔人の根城を特定した事で、私の心に油断が生じてた?それとも代わってもらうなんて普段しない事をやろうとしたから?或いは、そもそも色々抱え過ぎて…)

「……妃乃?」

「へ?あ……ご、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたわ」

「何で会話の途中でぼーっとするんだよ……まさか、まだ視線を感じてるのか?」

「そ、そういう訳じゃないわ…」

 

思わぬミスに心を乱された私は、それに気を取られて更にミスを重ねてしまう。しかもそこで私の『嘘』が関わる部分を出されて、あっという間に精神的な余裕が削られていく。お、落ち着かないと…仕上げでバレるなんて滑稽過ぎて論外レベルよ、私…!

 

「本当かよ?俺言ったよな?視線を感じ続けるようなら隠さず言えって」

「え、えぇ覚えているわ。けど大丈夫だから。ぼーっとしてたのは…その、明日の事に気を取られてて…」

「…明日そんな大変な事があるのか?」

「…協会のある会に出席しなきゃいけないのよ。それは結構重要な会で、言わなきゃいけない事もあるから…ね」

「そういう事か…だったら頑張れよ」

 

一度は焦った私だけど、立て直しを図れない程未熟ではないし、追及された場合の言い訳は既に考えてあった。そしてそのおかげで悠弥は納得してくれる。…危なかったわね…次はもっと気を付けないと…いやこんな事はもう勘弁してほしいけど…。

話が済んだ以上は長居する必要ないし、今の私は長居するとまたミスを犯しかねないと思い、早々に部屋を立ち去る。……これで、やっておくべき事は全部済んだわね…。

 

(…片付けたら、謝って全部説明しないとね……)

 

この戦いが終わったら結婚するんだ、とか言いたい事が…いややっぱ後でいいや、とかはよく死亡フラグなんて言われているけど…それは演出的な意味であって、精神的にはむしろ生存や成功に一役買っていると私は思う。だって用事にしろご褒美にしろ、先の目的があると目の前の事柄に対してもモチベーションが上がるものね。

そうして自室に戻った私は明日の準備も(朝一で行ったら強襲する事バレるもの)整え、少し早めに就寝。万全の状態で翌日を迎えるのだった。

 

 

 

 

放課後、学校を出た私は行動を開始。…と言っても真っ直ぐ根城へは向かわない。何故なら魔人の監視が、今この瞬間も続けられているかもしれないから。どんなに急いでも根城まで一分二分じゃいけないし、その間に逃げられてしまえば作戦は失敗。だからこそ、ギリギリまで接近を気付かれないようにする必要があった。

 

(…ここなら長時間出てこなくても疑われないわよね)

 

私が向かったのは図書館。そこのロッカーに荷物を入れ、人気のない場所で即座に変装。更に入る時通った正面の出入り口ではなく、地下駐車場に降りてそこから外へ。…これで、暫くは魔人の目を欺ける筈。

 

(けど、逆に言えばここからは時間との勝負。一気に行くわよ…!)

 

全力疾走は流石に変な目で見られるから、そこには気を付けつつも急いで目的地へと向かう私。周囲に違和感を持たれないように、でもゆっくりは出来ない中私は歩みを進め、予め調べておいた最短ルートを通り、根城へと接近をかける。そして数十分後……私は目的地である空きビルへと到着した。

そこは繁華街からも住宅街からも離れた、閑散とした地区の空きビル。人の姿も人の目もないこの場所は確かに潜伏には好都合そうで、ここを選ぶ気持ちはよく分かる。

 

「…………」

 

手近な木陰へと移動した私は変装を解き、装備を身に纏う。こうなってしまえばもうバレる事確定だけど、もういい。もう後は、突入して討伐するだけなんだから。

最後に一度だけ周囲を見回し、それから飛翔する私。霊力の翼を広げ、天之瓊矛を手に、ビルの内部へと突撃する。

 

「年貢の納め時ね、魔人。これまで散々好き勝手してくれたんだから……その分は、きっちり返させてもらうわよッ!」



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第五十一話 討つという意思

「…………」

 

昨日の夜、妃乃から夕飯の当番を代わってくれるよう頼まれた。それは妃乃が忙しい…というか妃乃ですら少なからず緊張する用事があるかららしく、今日はSHRが終わるや否や学校を出ていった。

 

「…お兄ちゃん、邪魔なんだけど…」

「…あ、悪い……」

 

緋奈に言われ、リビングの扉前から移動する俺。これが背後からならまだ普通にしててもあり得る事だが…緋奈がいたのは後ろではなく前。つまり俺は視界の中に緋奈を捉えていながら、声をかけられるまで気付かなかった。

 

「…お兄ちゃんどうかしたの?気分悪い?」

「いや、そういう訳じゃなくてだな…って、うん…?」

「何か変?」

「…俺はなんで突っ立ってたんだ…?」

「え、えぇー……?」

 

俺はそこそこ真っ当な気持ちで言ったが……大分緋奈から変な目で見られてしまった。…いやうん、そりゃその通りだがな…兄貴が扉の前で突っ立ってた上、「なんで俺突っ立ってんの?」なんて言ったら変に思うのは当たり前なんだがな……。

 

「あー…別に頭のネジが吹っ飛んだとかじゃないから大丈夫だぞ、緋奈」

「そう?ならいいけど…突っ立ってたのは考え事してたからじゃないの?」

「考え事、か…言われてみるとそうかもな…」

 

考え事をしていた為、ぼーっとしてしまっていた。それは何とも理に適った理由で、十中八九それで間違いない。……考え事ね…今の俺がする考え事なんて…妃乃の件しかないよな…。

 

「……お兄ちゃん、早くも熱中症?」

「熱中症ってのはな、真夏じゃなくてもなるものなんだ。…あ、でも投稿時期的には真夏か…」

「う、うんそうだけど…そういう話?」

「違うね、うん。……すまん、ただ熱中症でもないから安心してくれ…」

「うーん…しっかりしてよね?お兄ちゃんはうちの大黒柱なんだから」

 

緋奈は少し眉をひそめながらそう言って、リビングを出ていく。その様子に俺は兄として情けないなぁと反省しつつも、気持ちを切り替えた。

何故考え事をしていながらも、それに気付かなかったのか。それは恐らく、意識と無意識の間で齟齬が発生していたから。無意識的には昨日と今日の妃乃に疑問を持ちつつも、意識の上では『緊張していた&用事に向かった』と納得していたからだろう。

 

(…改めて考えてみると、昨日の段階でもなんか変だったな……)

 

前日という妃乃からすればかなり遅いタイミングでの代打要望に、会話の途中で妙にぼーっとした事と慌てた事。それが緊張によるものだと昨日は納得したが、それにしては緊張を感じられる機会が少ない…というより、あの時の会話以外では平然としていたように思えるし、代打要望に関しては緊張ではとても説明出来ない。数日前の時点で頼むのを忘れる程緊張していたのなら、今日の朝や学校ではガッチガチになってる位じゃなきゃおかしいのだから。

 

(……おかしい、か…これは違和感なんてレベルじゃねぇし…やっぱり、妃乃は…)

 

携帯を取り出し、御道にこの事を綾袮へ伝えてほしいという旨のメールを送信。これは先日宮空宅で話をして以降、何かしら気になる事がある度行なっている事だが…今回の場合は意味合いが違う。何となく変、ではなく明らかに変なのだから。

そしてメールを送った後、ふと俺はある名前に目が止まった。前の俺が世話になった人であり、協会のトップの一人であり……何より妃乃の祖父である、宗元さんの名前に。

 

「……思い違いだったら、少なからず面倒な事になるよな…」

 

宗元さんと妃乃は家族なんだから、俺が電話をした場合それが妃乃に伝わる可能性は十分ある。そうでなくとも俺が妃乃を不審に思ってるなんて宗元さんが知ったら……うん、まぁ…ね。戦争を経験した元軍人さんだからね。怒らせたら怖いのは言うまでもないよね。…やっべ、めっちゃ怖くなってきた…やっぱ止めよかな……。

 

「……って、何馬鹿な事考えてんだ俺は…」

 

宗元さんを怒らせるのは勘弁、というのは本心だが……それ以上に今は妃乃の事が気になる。本当に協会関連なら、或いは単に俺に伝えたくない用事があるだけなら俺の思い違いで済むが…もし何か不味い事になっているとするのなら、俺はそんな事で躊躇っている場合じゃない。だから……

 

「…………」

「……なんだ坊主…もとい悠弥。お前がかけてくるなんて珍しいな」

 

意外そうな声で話す、宗元さん。電話に出てくれない(出られない程忙しい)というもどかしいパターンにはならなかった事に感謝しつつ、俺は軽く深呼吸をし…すぐに本題へ入る。

 

「…宗元さん、今日って妃乃が参加する会議があったりします?」

「会議?……何故それを俺に訊く」

「妃乃本人じゃなく、宗元さんに訊く方が良いと思ったからです」

「そうか…なら、回りくどい事を言う必要もないな。……そんな会議は、無い」

「……やっぱ、そうっすか…」

 

あり得ない回答ではないと思っていた。その可能性もあると思っていたから、宗元さんに確認の電話を入れた。…だがそれでも、その事実は俺の心に嫌な感覚を芽生えさせる。

 

「…何か起きているのか?」

「かもしれねぇっすけど…何とも言えません。…なら宗元さん、妃乃の場所は分かりますか…?」

「場所?流石にそれは本人から聞くか誰かに話してるかしないと確かめようが…いや……」

「…宗元さん?」

「…少し待て。場所が分かるかもしれん」

 

何か思い当たる節があるのか、宗元さんは声のトーンを落とした。それから宗元さんは何かを調べているかのように口を閉ざし…その間に俺は、自室に戻って装備を纏う。装備は双統殿又はその支部で管理しており、霊装者は任務の際にそこで纏って出る…というのが一般的らしいが、俺は自己で保管する事を許可してもらっている。この許可は妃乃や綾袮等一部の人間だけにしか降りておらず、別の機会であれば「へへーん、凄いだろー」とか言ってみるところだが…生憎今はそんな気分じゃないんだ、悪いな。

そうして俺が装着を終え、部屋に置いておいた靴を履いて窓から外に出た瞬間、沈黙を続けていた電話の向こう側から再び声が聞こえてくる。

 

「……悠弥、場所が分かったぞ」

「…助かります、宗元さん。で、どこなんです?」

「…お前、言ったらそこに向かうつもりだな?」

「スーパーとか喫茶店とかだったら行きませんよ。場所次第です」

「……お前は昔のお前じゃない。何があるかも分からん場所へ、そのお前を俺が行かせると思うのか?」

「宗元さんなら分かってくれると思ってます。…俺を育ててくれた貴方を、俺は心から信頼してますから」

 

この言葉に、嘘偽りはない。このタイミングでこれを言ったのは、勿論意図あっての事だが……俺が今も宗元さんに恩義を感じ、信頼の念を抱いているのは真実なのだから。

情に訴えかけるというのは、あまりにも分かり易い手段。それを宗元さんが分からない筈もなく……けれど、宗元さんの口から漏れたのは呆れ混じりの小さな吐息だった。

 

「…ったく、てめぇはいつの間にそんな小賢しくなったんだ」

「家族と環境に恵まれたから、ですよ。…生まれ変わる前の環境を含めて、俺は恵まれてたと思います」

「よく言うぜ、青二才のくせによ」

「…宗元さん」

「……双統殿から見て南に約15㎞、もっと時間をかければ詳細も分かるだろうが…」

「それだけ分かれば十分です。…ありがとうございます」

「あ、おい待て悠弥──」

 

通話を切り、携帯をしまう。敬意を払ってる相手に対して随分と一方的な電話をしてしまった訳だが……それは後で謝ればいい話。それよりも今は、やらなければならない事がある。

空まで一気に飛び上がる俺。頭の中で自宅、双統殿、そこから南へ15㎞と三点を思い浮かべ、家から目的地へ一直線に突き進む。今の俺の心にあるのは、偏に妃乃が取り返しのつかない状態になっていない事を祈る気持ちだけだった。

 

 

 

 

ビル内に魔物はどれだけいるか、一体どんな罠を仕掛けているか…突入する中で私が考えていたのは、魔人による迎撃の事だった。……でも、結論から言えば、迎撃は無かった。空きビルの中では迎撃も、生活感もない、がらんどうの部屋と廊下が続いているだけだった。

 

「……私なんて迎撃する必要もないって事?…舐めてくれるわね…」

 

対応と呼べる対応が全く無かった事を、初め私は既に逃げられたか私の読みが外れたかだと思った。どちらにしても洒落にならない事態だけど、なんの迎撃もないならそれ以外の可能性は無い、と思っていた。

でもその十数秒、上層階から魔人の気配を感じた。それはこれまで何人かの女性から感じた力と同じものだから、その気配の主が魔人である事は間違いない。そして、その気配を感じた事で私は理解した。魔人は私に対応をしないんじゃなくて、私を誘い出そうとしてるんだって。

 

(…つくづく不愉快だわ……)

 

それまで隠蔽されていたものが、ここにきて急にオープンとなったんだから、こんなの自分のいる場所に誘い出そうとしてるに決まってる。となれば真っ直ぐ発生源へと向かうのは、魔人の策略通り行動となるんだけど……

 

「……ふん」

 

──私が選んだのは、その策略に乗った上で魔人を正面から叩き潰す事だった。

廊下を進み、階段を登り、また廊下を進んで、その階の奥の部屋の前へ。私の力が伝えてくる。この部屋の中に、魔人がいるんだと。

 

「……いいじゃない。だったら余裕ぶってた事、これから後悔させてあげるわ」

 

天之瓊矛を握り直し、扉を蹴破る私。勢いよく扉が開き、見えてくる部屋の内側。そこにあったのは、豪奢な椅子に座る一人の男と……その男に付き従うが如く立つ、四人の女性の姿だった。

 

「ようこそ、勇敢にして愚鈍な霊装者」

「…ようやく会えたわね、魔人」

 

組んだ足はそのままに、男は両手を広げて歓迎の言葉を発する。椅子と同様貴族の様な身なりをしているその男は、一見普通の人間のようで…しかしその実、雰囲気は異質。……間違いなくその男が、魔人だった。

 

「ようやく?…あぁ、それもそうか。申し訳ないお嬢さん、あまりに易々と監視出来るものだから、ついお互い知っているものだと勘違いしていたよ」

「あ、そ。勘違いに気付けてよかったわね」

「全くだ。間違いに気付かないままでいるというのは、恥以外の何物でもないからね」

 

肩を竦める魔人から感じるのは、見下しの感情。それはあの慇懃無礼な魔人からも感じたけど、本人なりに礼儀作法を重んじていた奴と違って、目の前のこいつはそれを隠そうともしない。

 

「恥なんて気にする必要ないわよ。どうせあんたの命は今日までなんだから」

「おぉ怖い怖い。しかし折角ここへ来たんだ、もう少し話す方が有益だと思わないかい?」

「…私と何か話したい、と?」

「聞きたいのさ。何故ここまで来られたのかと、何故愚かな選択をしてしまったのかを…ね」

「ふぅ、ん…なら残念だったわね。私がここに辿り着いたのは、超能力でも最新科学でも何でもないわ。だってあんたの稚拙な策から尻尾を掴んだだけだもの」

「ほぅ……」

 

少しばかり瞼を上げ、魔人は興味を表情で示す。魔人にどう探したのか教えてあげる義理なんてないけど…人は訊かれれば答えたくなるもの。それに、この魔人は力任せに戦うタイプじゃ断じてない。なら…ここで揺さぶりをかける方が、戦う上では利益になる。

そう考えた私は、魔人がどう稚拙だったのかを話した。僅かだけど力の流れを感じた事を。それを辿る事によって、発生源の特定が可能だった事を。その為に何度も行なっていた探知を……魔人は一度として看破出来なかった事を。

 

「……お分かり頂けたかしら?」

「…ふっ…そうか、そうかそうか…これは失策だったね。私も気付かれないよう注意を払っていたつもりだったけど、まさかそれを超えてくるとは…鼻がいい、とでも称するべきかな?」

「…………」

「うん?…そうか、鼻がいいで気を悪くしてしまったのか。…今のは言葉の綾だよ。確かに獣と同じ様な扱いをされては気を悪くするのも無理ないね」

「言葉の綾?…よく言うわよ、どうせあんたは人の事をそこらの犬や猫と同じ位にしか考えてないんでしょ?」

 

敬語とは少し違う温和さ、温厚さを彷彿とさせる魔人の口調。けれど、彷彿とさせるだけで実際には何も感じない。温和な精神、温厚な気性が欠片も篭っていない言葉に、優しさなんて感じる訳がない。…不愉快ね、本当に…。

 

「…その口振りだと、私の力にもある程度の見当がついている様子だね。ふふ、ならば答え合わせをしようじゃないか」

「……生物的に言えば脳、大雑把に言えば精神の支配があんたの能力でしょうね。それも行動を正確に指定する事も出来れば、方向性だけ決めて具体的な言動は対象に任せるなんて事も出来るんでしょ?」

「…正解だよ、お嬢さん。いやはや驚きだ、まさか本当に言い当てられるとは…」

「ここに来るまでは分身の可能性も考えていたけどね。けど、あんたがこうして女性を侍らせていたおかげでその線はないとはっきりしたわ」

 

私の前へと現れる女性は、一方的に言うだけの時と、きちんと会話が成り立つ時があった。初めは魔人側に会話をする気があるかどうかの違いだと思っていたけど…その両方を何度も見る中で、段々と私は気付いていった。一方的に言うだけの時は口調が毎回同じなのに、会話が成り立つ時はバラバラだった。前者は淀みなく、それこそ録音した声を再生しているかの様な話し方だったのに、後者はその場で考えて声を発してるかの様な話し方だった。そして何より……後者の時は、同じ質問をしてもそれを指摘される事がなく、回答もそれぞれで違っていた。…だから、私は思い当たった。現れる女性は皆操られていて、でも全員が同一の操られ方をしてる訳ではないのだろうと。

 

「…さ、もう満足したかしら?」

「していないと言ったのなら、君はまだ答えてくれるのかな?」

「命乞いなら少しは聞いてあげてもいいわよ?応えてあげるのは会話そのものであって、命乞いを受け入れるつもりは毛頭ないけど」

「それでは意味が逆になってしまうよ、お嬢さん。…命乞いをする事になるのは、君だろう?」

「そうなるといいわね。…私の狙いはあんただけよ、周りの女性は逃がしてあげなさい。その間は待っていてあげるわ」

 

魔人の煽りには取り合わず、天之瓊矛の穂先を魔人へ向ける。別に魔人へ情けをかけた訳じゃない。逃がすよう勧告したのは、単純に被害者である女性を戦闘に巻き込んでしまわない為。

…けれど、魔人は私の勧告には乗らなかった。瞬きをし、さも不思議そうな顔を浮かべただけ。それに私が違和感を感じる中、魔人が返してきた言葉は……私の予想を遥かに超えたものだった。

 

「…逃がす?…おかしな事を言うね、どうしてそんな無意味な事をしなければいけないんだい?」

「…無意味、ですって…?」

「そうだろう?君の狙いは私にとって関係のない事で、ここにいる四人がどうなろうが私に何か不利益が発生する訳ではないんだから。…それとも、君は私の能力が支配した対象の状態を還元するとでも思っていたのかな?」

 

これまで魔人の言葉には、故意か無意識かは分からないものの、私へ対する軽視の感情が篭っていた。…でも、今の言葉にそれはない。軽視も侮蔑もない、純粋な気持ちの質問が魔人の口から発されていた。

 

「…待ちなさいよ…じゃあ、あんたはなんで侍らせてんのよ…何かしらの思いがあって、こうして支配下に置いてるんでしょ…?」

「それはそうだね。…けど、ふむ…これは中々難しい問いだ。改めて考えるのは面白いかもしれない…」

「は、はぁ?意味が分かんないわよ、じゃああんたは気付いたら人を侍らせてた訳…?」

「あぁいやそうじゃなくてだね、何故この四人にしたかを考えていたんだよ。ここに置いていたのは単に見ていて面白いからさ。…しかし君達人間は一目で人を判別しているらしいね」

「識別…?そんなの、一目で十分出来る事…」

「ならばそれは大した識別能力だと誇っていい。私からすれば君達人間なんて大雑把にしか判別出来ないんだから、少なくとも私はそういう部分を評価しているよ」

 

そう言って魔人は穏やかな笑みを浮かべる。皮肉ではない、本当に評価しているからこそ出る、穏やかな笑み。でもそれは…人を判別するなんて、私達人間にとっては当たり前のように出来る事で、相手が誰なのかを認識して接するのは、当然どころか意識せずともやれる事。……だから、私は理解した。──あぁ、こいつにとって人は、そこらに落ちてる石ころ程度の存在なんだって。

 

「…………」

「せめて私達の様に個々の違いがあればもう少し分かるのかもしれないけど…その点で言うと、こうして話した君の事は判別出来そうだ。君は私の想定を超えてきた上に、人について考える機会もくれた…これは君に感謝しないといけないね」

「……そう」

 

また、魔人の言葉に軽視の感情が戻ってきた。…けど、だから何だという話。

慇懃無礼な魔人と、私と綾袮の連携でさえ倒せなかった魔王。どちらも人間を下に見ていて、人を殺す事を当然のように認識していた。でもそれは、私達霊装者だって同じ事。倒すのは当たり前で、強さに関してはともかく魔物だろうが魔人だろうが碌でもない存在だと思っているんだから。とにかく私達も、前の魔人と魔王も相手を『敵』として、『討つべき存在』として、魔人や魔王は『糧』として見ていた。

けれど、目の前の魔人は違う。人間を全体的にしか、奴の言葉を借りるならば『大雑把に』しか見ていない。ただそういう存在があって、ただ思い通りに動くから適当に遊んでいるだけ、としか思っていない。だからこそ魔人の言葉には軽視の感情があった訳で…それを理解してしまえばもう、何も感じない。不愉快だ、じゃなくてそう思ってるのか、としか思えない。

 

(……なら、熱くなる必要もないわよね)

 

僅かに息を吐いて、天之瓊矛を構える。魔人も私が臨戦態勢に入ったのだと感じとって、ゆっくりと腰を上げる。今一番優先すべきは操られている女性の安全確保だけど…支配下にある以上、私が傷付けないように動くしかない。

意識していた訳じゃないけど、私は魔物と魔人以上を区別して接していた。意思疎通が出来る魔人以上の存在を、ある種同じ人のように考えていた。…でも、魔人だろうが魔王だろうが魔物は魔物。もし人畜無害な魔人がいて、そいつは人里離れた場所でひっそり住んでるとかなら倒す事にも疑問を抱くけも……少なくともこいつは、魔物と何も変わらない。

 

「…私は暇人じゃないの。だからさっさと終わらせてもらうわ」

「それはいいね。私も好きでもない戦いに長い時間を割くのは不本意だから、すぐに終わらせるとしようか。さぁ、どこからでもかかってくると──」

 

最後まで言わせるつもりはない。最後まで聞くつもりもない。だから私は魔人の言葉も待たず……斬った。全力で床を蹴って、最大速度で肉薄して、天之瓊矛を振るって、魔人の胴を斬り裂いた。

 

「な……ッ!?」

「──あぁ、そういえば一つ答えてなかったわね。…何故愚かな選択をしたのか…そんなの簡単よ。これは愚かな選択じゃなくて、これこそが賢明で最善の選択だったって話だもの。……死になさい、魔人」

 

驚愕に目を見開く魔人。その魔人へ私はふと思い出した事を淡々と伝え……トドメの為の一撃を、放った。



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第五十二話 魔人の策謀

「ここら辺で大体10㎞ちょい、ってとこか…?」

 

風を切りながら、空中を邁進する。霊力による飛行は走行と同じく、長距離移動においては全速力を出さない方が効率がいいものだが…急いでいる時にそんな事を考えていられない。数百㎞だとかそういうレベルで離れてるなら流石に効率の面も考えるが、20㎞にも満たない距離なら…急がば回れ、なんて考えらんねぇっての。

 

「ったく…帰ったら説教だな説教。ちょっと関係ない事もここぞとばかりに交えて叱ってやる」

 

別にふざけてる訳じゃない。望まない可能性を想像したって気が滅入るだけなんだから、無事終わらせた後の事を考えた方がずっと精神にはプラスになる、ってだけの事。あり得る事態を想定しておく事は大切だが、初めから悪い方ばっかり考えてたって仕方ないって話だ。

 

「…方角は合ってる筈なんだ…だから、俺の距離感が馬鹿になってなけりゃそろそろ……」

 

宗元さんが教えてくれたおかげで、大体掴めた妃乃の場所。けれどそれはあくまで『大体』であって、正確な位置が分かってる訳でもなければ、妃乃のいる施設や場所の名前がはっきりしてる訳でもない。つまり、ある程度まで来たらもう後は自身の探知能力に賭けるしかなく……今、天は俺に味方してくれた。

 

「……!これは…あのビルか…!」

 

妃乃の霊力を感じ取り、その方向にあったビルに向けて下降する俺。霊力を感じ取れた瞬間、俺の心には様々な感情が駆け巡る。

一つは、場所の特定が出来た事を素直に喜ぶ気持ち。一つは霊力を感じられる状態…要は生きてる事の証明がされた事に安心する気持ち。そしてもう一つが…妃乃は今、霊力を隠蔽していられない状況にある事への、危惧感。

 

「……なんだ?どうして戦闘音がしない…」

 

着地し、直刀を抜いてビルへと侵入したところで俺は静かな事に気付く。妃乃が霊力を露わにしている以上戦闘ないしはそれに準じる状況である事はほぼ間違いなく…しかし、それにしてはビル内が静か過ぎた。

 

(…心理戦でもしてんのか…?)

 

正面戦闘が起きているなら即増援に…と思っていたが、状況が妙となれば無策で動き回るのは悪手以外の何物でもないのだから、俺はスピードを落とし、潜入任務の様に慎重且つ音を立てずに進んでいく。…ゆっくりしていたら妃乃が危ないかもしれない?妃乃はそんな簡単にやられる奴じゃないし、妃乃が手こずってるなら尚更考えもなしには突撃出来ないんだよ。

 

「…………」

 

一階を調べきり、二階へ。二階も調べきり、三階へ。実のところ妃乃がいる階は予想がついているが、どこに伏兵がいるかは分からない。今更考えたって後の祭りだが…これなら千嵜や綾袮に協力を頼んで、索敵や援護をしてもらう方がよかったかもしれない。

 

(…そういう意味じゃ、俺も妃乃と似たようなもんだな…)

 

ミイラ取りがミイラになるじゃないが、これじゃ一人で何とかしようとした事について文句は言えない…というより人のふり見て我がふり直せになってしまう。妃乃がどういう意図で黙っていたのかにもよるが…行動としちゃ、変わらないんだから。

 

(…案外俺と妃乃は似てるのか?……いや、んな訳ないか)

 

俺みたいなしょうもない人間と、真面目で責任感の強い妃乃が似てるなんてとても思えない。偶々一部似てるところがあっただけで、俺と妃乃は全然違うタイプの人間だよな。

そんな事を思っている間も俺は歩みを進め、遂に妃乃がいるであろう階に到着。霊力を感じられる最奥へと目を向ける。

 

「鬼が出るか蛇が出るか…まぁ何にせよ、やる事は一つだ」

 

直刀を握り直し、周囲への警戒を怠らないようにしながら奥の部屋へと向かう。同じ階に来ても尚戦闘の音は聞こえず、ここまで来ると不可解を超えて最早不気味。…けど、だからなんだってんだ。魔物と戦う時はいつも命懸けで、魔物なんて存在そのものが不気味なんだから…いつもの通りに戦って、いつもの通りに帰る…それでいいじゃねぇか。

扉の前で一度止まり、ドアノブを掴み、また一瞬だけ止まり……一息で扉を開け放つ。そして……

 

 

 

 

 

 

「────は?」

 

俺が目にしたのは、四人の女性と椅子に座る男……それに、魔人を前に床へへたり込む妃乃の姿だった。

 

 

 

 

「おい、おいおいおい…どういう事だよ、こりゃ……」

 

目の前の光景が信じられず、思った事をそのまま口に出してしまう。椅子に座っている男は恐らく魔人で、知性を持つ魔人を目の前にして動揺を露わにするのは賢い行動じゃないが…今はそんな事まで気が回らない。妃乃が、へたり込んでいる。現代の霊装者の中でも別格の力を持ち、魔人ですら単独で倒してしまいかねない妃乃が、屈服したかのような姿を見せている事は……それ程までに、信じられなかった。

 

「……っ…悠、弥…?」

「やぁ、少年。日に二度も来客があるとは驚きだよ」

 

落ち着いた様子で歓迎らしき言葉を口にする魔人。だがぶっちゃけ魔人の方はどうだっていい。どうせ倒す魔人と、同居している恩人なら、どっちが重要かは考えるまでもない。

妃乃は、俺の言葉に気付いたようにぎこちなく振り返ってきた。その妃乃の顔に浮かんでいるのは、驚きの表情と、隠す事も出来ない屈辱感。そんな顔を見るのは……間違いなく、今が初めての事。

 

「……テメェ…妃乃に何しやがった…」

「すぐに疑うのは頂けないね。彼女が私に惚れたとは思わないのかい?」

「抜かせ、妃乃の表情のどこ見りゃそんな発想が出てくるんだよ。てか、テメェみたいないけすかない野郎になびくかっての」

 

魔人を睨み付け、吐き捨てるようにそう口にする。妃乃の下へは駆け寄らない。妃乃を陥れたであろう魔人を相手に、そんなあからさまに隙を見せる様な行為、出来る訳がない。

 

「それは心外だ。けれど、怒りはしないよ。そんな安い挑発に乗るのは君達人間位のものだからね」

「挑発?いやいや違ぇよ、テメェがいけすかない野郎だってのは一目瞭然だし」

「相手がいけすかなく見えるのはお互い様さ。…それで、どうする気だい?このお嬢さんより明らかに能力の劣る君が、戦おうと言うのかい?」

 

足を組み直し、体裁を取り繕おうとする気持ちが欠片もないが如く嘲る魔人の言葉は、不快以外の何物でもない。挑発してんのはどっちだよ…。

 

「妃乃より劣る、ね…否定はしねぇが、テメェこそどうなんだよ?正面から戦って勝ったならその通りだが、大方卑怯な手段を使ったんじゃねぇのか?」

「卑怯、か…それは敗者の言葉だよ、少年。策を弄する事、長所短所を分析し的確に手を打つ事、より重要な事柄の為に瑣末な事柄を切り捨てる事…そういう戦術、戦略を理解出来ない輩が卑怯などという言葉を使うんだ。曲がりなりにもここへ辿り着けた君なら、それ位は分かるだろう?」

「勝手な都合だな。卑怯を敗者の言葉だってんなら、テメェの弁は強者の傲慢だ。それも、自称強者のな」

 

俺に対して評価をしているのか、評価している風の侮辱なのか。ただ…否定こそしたものの、魔人の言葉がまるっきり間違っているとは思えない自分もいた。

敗北を認められず、「正々堂々戦えていれば…」とさも自分が不利な状況に置かれていたかのように語る奴は、確かにいる。本来戦いというのは真剣勝負であり、自分が有利に相手が不利になる状況作りを行うのも戦術の一環であり、そういう意味で言えば卑怯は『負けた側の言い訳』になるのだから。……けど、卑怯は敗者だけが使う言葉じゃない。言い訳かどうかは別として…卑怯な手段というのは、これもまた確かに存在する。

 

「……なら、君は戦うと?」

「当然だ。俺が散歩してたら偶々ここを見つけたとでも思ってんのか」

「それもそうだね。ならば……」

「……駄目、よ…悠弥…!」

 

組んでいた足を解き、立ち上がろうとした魔人。その動きを止めたのは……妃乃の発した声だった。

 

「こいつは、魔人よ…貴方一人で、敵う相手じゃない…!」

「妃乃…確かにそうかもしれねぇけどよ、だったらこのまま退けって言うのか?…俺は嫌だね、そんな見捨てるような事…」

「勝つ為に、退くのよ…!ここで貴方までやられたら、それこそお終いなんだから…!」

「……っ…だとしても、それじゃ…」

「…私は、大丈夫だから…見ての通り、身体は何ともないから……だからお願い、悠弥は一度退いて…綾袮に、皆に伝えて…こいつの、力は……」

「おっと、勝手に話そうとするのはいけないよ。…能力を知らせるなら、自分の口で言うか戦いの中で見せるかじゃなきゃ興醒めじゃないか」

 

何かに縛られている、或いは押さえつけられているかのようなぎこちない動きで、それでも必死に妃乃は言葉を紡ぐ。その様子は真剣そのもので、皮肉を言葉に混ぜつつも内心ヒートアップしそうになっていた俺の心は一気に鎮火。……だが、妃乃が言い切る前に、その口は魔人の手によって塞がれた。

 

「無粋な事は慎んでほしいね、お嬢さん。…このまま鼻まで塞がれたくはないだろう?」

「……っ…ふぅぅ…ッ!」

「テメェ……!」

「いやいや冗談だよ、そんな事はしないさ。…するにしても、指を噛みちぎられてはたまらないからね」

「ぷはっ…この、下衆が……ッ!」

「そんな格好で言っても情けないだけだよ。…君はこの私に傷を付けたんだ、品のない姿は私に見せないでほしいな」

 

手を離した魔人は、妃乃の殺意が篭った視線を軽く受け流し、ゆっくりと立ち上がる。そして魔人が立ったところで気付く。魔人の身体に、生々しい傷があった事に。それは、座っている時は膝の上に乗せた両の手で、妃乃の口を塞いでいた時は自身の身体で作った影で、それぞれ隠されていたのだった。

 

「…窮鼠猫を噛む、と言うのかな?あの時は流石に私も焦ったよ。まさかあそこまで速いとは思っていなかったからね」

「今だって、身体が動けば…すぐにでももう一撃入れてやるわよ…!」

「それは恐ろしいね、勘弁してほしいよ。…っと、すまない少年。客全員を楽しませてこその主人だと言うのに、君に伝わらない話をしてしまったね」

「ほざけよ。…それよりさっき、能力を知らせるなら自分でとか言ってたよな?だったら話してもらおうじゃねぇか」

「ふむ…では、少年の要望に応えて話そうか。私とお嬢さんがどのようにして戦ったのかを。そして…どのようにして私がお嬢さんを下したのかを、ね」

 

両手を広げ、演者の如く芝居掛かった動きで魔人は語り出す。演目の様に、己が武勇伝を誇るかの様に。

 

「それでは皆様、ご静聴を──」

 

 

 

 

魔人の胴を強かに斬りつけた私の大槍。私が笑みを、魔人が驚愕の表情を浮かべる中、私の得物はトドメを刺さんと次なる一撃に走り……刃は空を斬った。

 

「ちっ、魔人なだけあって切り替えは早いわね…」

 

刃が届く一瞬前に後方へ跳んだ事により、魔人は辛うじて回避していた。……本当に、紙一重で。

 

「…けど、まずは一撃もらったわ」

「……やってくれたね…人間の分際で、この私に…」

 

傷口に触れ、手へ付着した血を見て……魔人は言った。それまでの無意識からくるものではなく、意識的且つ明白な悪意…それに殺意の篭った言葉を。流石にその悪意と殺意は魔人が発しているだけはあって、軽く流せるものではなかったけど…それよりも今は、魔人の不快な態度を引き剥がす事が出来たという成果の方が大きく感じられた。だって態度が崩れたって事はつまり、魔人から余裕が無くなったって事だもの。

 

「人間の分際、ね…あんたが人をどう思おうが勝手にすればいいけど、今の発言はその存在に傷付けられたあんた自身も卑下している事になるわよ?」

「…少し黙っていてくれないかな…今は君の戯言に構ってあげる気分じゃないんだ…」

「あ、そう。だったら黙って仕留めるとするわ」

 

会話する気無しなんて、さっきとは立場が逆ね…と思いつつ、再度距離を詰める私。即座に私へ放たれた蹴りを避けつつ、首筋を狙って天之瓊矛を振るったけど、それは靄を纏った魔人の左腕で防がれる。

私が距離を詰めて攻め、魔人が距離を取りつつ防御する。攻勢の私と守勢の魔人という構図は初撃を私が与えた時点でもう決まっていたようなもので、魔人の迎撃はまるで私に当たらない。

 

(手負いの動きとしては、まずまずってところね…)

 

万全な状態は分からないとして、今の状態の動きは前の魔人に対して格段に劣っている。胴に一撃受けた身体で私の連撃を凌ぐ実力は侮れないけど、逆に言えば侮りさえしなければ勝機は十分にある。それに、侮ってしまう可能性もゼロと言って差し支えない。だって…人間を侮った結果、先制攻撃を受けてしまったいい例が目の前にいるんだもの。

 

「ぐ……よかったね、お嬢さん…もし幸運の一発がなければ、君はきっとまともに戦えていなかった筈さ…」

「運がなかったわね、魔人。もし不運の一発がなければ、あんたはもう少しまともな動きが出来ていたかもしれないわ」

 

魔人の傷を軽く押さえながらの皮肉。それを私が立場だけを変えてそっくり返すと、魔人の表情は不愉快そうに歪んだ。そこにさっきまでの余裕と無意識からの嘲笑は…もう無い。

 

「不運?…あぁそうだね、全く今日は運が無……」

「……けど、運を引き寄せるのも実力の内よッ!」

 

霊力の刃による斬撃を投射。それは靄を纏った魔人の手で握り潰されるものの、今のは端から注意を引くのが目的。放つと同時にフルスピードで側面へと回り込み、振り被った天之瓊矛で一閃……と見せかけて、石突きで刺突。それは真剣白刃取りが如き挟み込みで止められたけど…代わりに振り出した脚の爪先を腰へと打ち込む事に成功した。

よろめいた魔人へ向けて、私は更なる追撃。得物も、素手格闘も、翼も言葉も使えるものは全て使って、手負いの魔人を追い詰めていく。そして……

 

「……あんたはもう終わりよ、魔人」

 

後退の末に魔人は背中を壁にぶつけ、その衝撃で動きが止まった一瞬を突いて、私は刃を首元に向ける。刃と首との距離は僅か数㎝。私の勝利までは、後ワンアクションに迫っていた。

 

「…追い詰められたのは、私の策の内かもしれないよ?」

「だったら何?策の内だろうがそうじゃなかろうが、私はあんたを追い詰めて討つだけよ」

「…討ったとしても、そこにいる者達の支配は解けないかもしれない。それでもいいのかい?」

「それはないわね。一度支配すれば力の配給源が消えても永遠に、なんてレベルの力ならあんたはもっと見境なく人を支配下に置いてる筈だもの」

「……可愛げがないね、お嬢さんは」

「私は魔人に愛想を振りまくつもりはないのよ。残念だったわね」

 

トドメを迷わせようとする魔人の揺さぶりを軽く流し、一切の油断なく見据える私。それを見た魔人は私をじっくりと見つめ……はぁ、と溜め息を吐いた。

 

「…君を言葉で惑わすのは無理、か。……この実力は、認めるしかないみたいだね」

「それはどうも。どうせそっちはここで終わりだから意味ないけど、あんたは他人を認めるより自分の傲慢さを見つめ直した方がいいと思うわ」

「ご忠告痛み入るよ。…さて、これは人間の力が私一人では厳しいものだと認め、効率化ではなく必要不可欠な要素として人間の手を借りる事となるから使いたくはなかったが…こうなれば仕方ない」

 

残念…というより苦々しげな、不満を露わにした顔付きの魔人が言った、仕方ないという言葉。声音は先程の揺さぶりと同じ…けれど何か違うその言葉で、私は確信した。ハッタリではなく、奴は本当に奥の手を残していると。

 

(何を隠してるのか知らないけど、だったらその前に……!)

 

手をほんの少し後ろへ引く私。何故わざわざ後ろへ引いたかと言えば、それは靄による強化をされても尚突破出来るだけの勢いをつける為。…でも、その僅かな時間で魔人は……いや、魔人の策は動いていた。

 

「……っ!?これって……!」

 

同時に聞こえた四つの地を蹴る音。この場所で私と魔人以外に地を蹴る音を出せるのなんて……魔人に支配されている四人以外にあり得ない。

半ば反射的に私が後ろへ跳んだ次の瞬間、常人とは思えない速度で四人の女性が目の前を駆け抜けていく。それを見て、操られ拉致されるどころか戦いにすら駆り出される四人を見た私は…吠えた。

 

「どこまであんたはッ!性根が腐ってるのよッ!」

「なに、四人程度いつでも補充出来るよ」

「……ッ!殺す…ッ!」

 

戦闘中感情的になるのは、危険な事。それは重々承知だけど…今は激怒の衝動が理性を圧倒的に上回っていた。

全力の突貫で、魔人を討滅する。その意思の下私は翼を広げ、天之瓊矛の穂先を魔人に向け……その瞬間、魔人の顔は、ぐにゃりと笑みの形へ変わった。

 

「──私を気にしていて、いいのかい?」

「え?…な……ッ!?」

 

その声が耳に届く中、私の視界の端で跳ねた、女性の髪。操られているとはいえ所詮は普通の人達で、居ると意識さえしていれば何ら危惧する必要はない……そう思っていたのが、魔人は四人を『兵』として見ていると思っていたのが、不味かった。もしその勘違いがなければ、未然に防ぐ事が出来たのかもしれない。……四人の女性による、窓からの同時投身を……魔人による、四人への自殺指示を。

 

「さぁ、どうするお嬢さん。私を殺すか、それとも四人を殺……」

「──黙れッ!」

 

魔人に言葉を叩きつけ、私は四人が消えていった窓へと全力で飛翔。窓枠を翼で傷付けながらもビルの外へと躍り出て、落下する四人を救う為に急降下。

 

「殺させるもんですか…あんな屑に、誰一人……殺させやしないッ!」

 

下降しながら左へと曲がり、勢いそのままにまず二人を両手でキャッチ。その瞬間に二つの衝撃が腕に走り、私の軌道もブレるけど…そんな事は気にしていられない。

身体を捻り、翼をはためかせて大きく右へ。二人を落とさないよう腕に力を込めながら三人目の直上まで一気に距離を詰め、通り過ぎる流れの中で脚を絡めて彼女も掴む。

 

(後一人…絶対、間に合わせる……ッ!)

 

両脇に二人を、マジックハンドのアームのように脚で一人を掴んでいる私が飛ぶ姿は、きっと見るからに不恰好。でも、不恰好を晒すだけで全員を助けられるなら…こんなに割りのいい手段はない。

ビルは元々高層型ではなく、私も四人目も地面は眼前。おまけに手も脚も塞がっていて、翼もこの状況下で地面激突前に上手く包むなんて芸当が出来るようなものじゃない。だけど私が諦めてしまえば彼女は死んでしまう。魔人の思い通りになってしまう。それは、それだけは……この私が、許さないッ!

 

「……──ッ!ぁぁぁぁああぁぁああああッ!!」

 

砂煙を上げながら地表すれすれを飛び、フルスピードのまま身体を反転させ……地面と四人目の間にある、人一人分あるかどうかの隙間へと身体を滑り込ませる。そして……私の身体は、地面へ叩き付けられる。

 

「がはっ……!」

 

身体を女性と地面に挟み込まれ、落下の勢いを打ち付けられ、肺の中にあった空気が全て吐き出される。全員を地面直撃から逃がそうとした結果両腕両脚は女性の体重を丸ごと受け、四肢に痺れが走る。…………でも、

 

(全員、救えた…守る事が、出来た……っ!)

 

全身が痛む中、私の中にあるのは安心感と充実感。霊装者の私にとって人を守るのは当然の事で、その為ならば傷付いても本懐というもの。そう、霊装者の務めは人を助け、人に仇なす魔物を討つ事。だから後は、魔人を倒せば……

 

 

 

 

 

 

「──感謝するよ、お嬢さん。私の手の上で、素敵なワルツを踊ってくれた事をね」

「……っ!!」

 

……私が目を空へと向けた瞬間…そこには、魔人の手があった。その手に顔を握られ、身体の上に乗せた女性ごと私は片膝立ちの魔人に乗りかかられる。

 

「全く、愚かなものだね。あの時私への攻撃を止めなければ、恐らく私はやられていたというのに」

「誰が、この四人よりあんたの命の有無を重視するってのよ…!この……ッ!」

「おっと、そうはさせないよ」

 

大層気分良さ気な魔人に再び怒りが沸騰した私は女性を離し、魔人の首を斬り飛ばしてやろうとして……しかし、それは叶わなかった。私は離したにも関わらず、女性は離れるどころか逆に私の腕へとしがみついてきて、私は天之瓊矛を振るう事が出来なかった。しかも、しがみつかれているのは、右腕だけじゃない。

 

「あんた、まさか……!」

「そうさ、幾ら君でもこんなに大きい荷物があっては満足に動けないだろう?」

「くっ……!」

 

手脚、それに胴体にすらしがみつく四人の力は異常に強い。恐らくこれは無意識下のパワーセーブを支配によって切られているからで、先程の速さもそれが理由ならば説明がつく。それでも普段の私ならなんとか振り解けていたかもしれないけど…地面に倒れている状況で、しかも拘束ではなく動きの邪魔をする事に専念している四人から抜け出す事は、今の私には不可能だった。

……正直、助けに行った隙を魔人が狙ってくる可能性は、私も考えていた。でも、だからって四人を見捨てる事は出来なかった。だから、選択そのものは後悔していない。していない、けど……

 

「……覚えてなさい…覚えてなさいよ……ッ!」

「勿論だとも。人でありながらこの私にここまで善戦した君の事は、しっかりと記憶したさ。……それじゃあ、チェックメイトだよ、お嬢さん」

 

せめてもの思いで魔人を睨み付ける私。その私へ魔人は満足気な表情を見せ……私の視界は、闇色の靄に覆われていった。



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第五十三話 悪意がもたらす選択

魔人は、自身と妃乃との戦いの一部始終を語った。どう戦い、どういう流れになり、どうなった結果今に至るのかを、演説者が如く身振りを加えて俺に伝えてきた。

 

「流石のお嬢さんと言えど、地面を背にした状態で傷付けられない者達に邪魔されては身動きも取れないというもの。よってお嬢さんは私の力から逃れる事が出来ず…哀れにも牙を抜かれてしまったという訳さ」

 

首を横へと振りながら、魔人はそう締め括った。ちらりと妃乃の顔を見てみると、そこには苦渋の感情はあっても異を唱えようとする様子ない。…って事は、奴の語った内容にゃ偽りはないのか…。

 

「…哀れだってんなら、解放してやれよ。言葉と行動が合ってないんじゃねぇの?」

「そうはいかないよ。私は慎重派だからね」

「慎重派、ねぇ…一体どこの世界に自分の能力や戦法をべらべら喋る慎重派がいるんだか」

「慎重と臆病は違うんだよ、少年。時には手の内を明かす行為も策となり得る事を覚えておくといい」

「そりゃどうも。…そんなの言われなくたって知ってるっつの…」

 

小声で悪態を吐きながら、得られた情報を元に作戦を構築する。感情的に言えば一刻も早く叩き潰してやりたいところだが…下衆な策と言えど妃乃が嵌められたという事実が、理性の働きを強めてくれていた。勝ちたくば考えて動け…ってな。

 

「しかしお嬢さんの行動は本当に理解出来ないよ。如何なる理由があろうと、どんな状況であろうと、最も大切なのは自身の命。命を投げ出してしまえばその後何があろうと全て無駄になる…違うかい?」

「…あんたには、理解…出来ないわよ…絶対にね……」

「だから私は訊いているんだよ。…少年、少年はどう思うかい?」

「……命あっての物種、っつー言葉がある。死んでしまえば全てお終いだってのも、それは正しいだろうな」

「ふふ、同意を得られて何よりだよ。やはりおかしいのはお嬢さんの方……」

「…だが、命を危険に晒してでも貫きたいものがあったっておかしくはねぇよ。てか、妃乃も別に命を捨ててた訳じゃないだろうしな」

 

命を捨てる行為と、命懸けの行為は違う。その身を危険に晒すという意味ではどちらも似たようなものだが、両者の間には大きな違いがある。……命を手放すつもりか、そうではないか。その違いは意思にも、結果にも大きく響いてくる。

 

「命を危険に晒してでも貫きたいもの…まさか別の人間の守護が、その貫きたいものだとでも?」

「…………」

「…確かにお嬢さんの言う通りだ。私は君のその意思を、欠片も理解出来ないよ」

「…安心しろ魔人、これに関しちゃ別にテメェが間違ってるって事じゃねぇ。個人の価値観の違いで済む話だ」

 

誰かの身代わりになる事。命懸けで何かを成す事。それはいつの時代も美談として語られ、実際それが出来る人間というのは特筆すべき精神を有してると見て間違いない。……が、その行為は凄くはあっても立派とは限らない。美しくはあっても、正しいとは限らない。というかむしろ、生物的に言えば間違っている可能性が高い。魔人の論通り死とは積み上げてきたものが崩れる現象であり、御道の知り合いである上嶋さんが言った通り自身の命は軽んじるべきではないのだから。……けれど、だとしても……

 

「……だが、理解出来ねぇ理解出来ねぇと言うばっかりのテメェより、見ず知らずの相手の為に無茶が出来る妃乃の方が、俺にはよっぽど凄ぇ奴に見えるけど、な」

「…好きにするといい。私は君からの評価なんてどうでもいいよ」

「そうかい。……いい加減、テメェと話をするのも飽きたわ」

「ならば、どうする?お嬢さんからの真摯な訴えを受けても尚、私の話を聞いても尚、戦う気は衰えていないと?」

「俺はここから退こうとしていない。…それが答えだ」

 

魔人の顔を見据え、睨め付ける。妃乃の言葉を無視する形になるのは少し悪い気もするが…このまま妃乃を残して離脱したら、妃乃がどうなるか分かったものじゃない。もしかしたら何もされないかもしれないし、宗元さんがここへ部隊を出撃させていて、その部隊の到着はもうすぐかもしれない。……けど、そんな『かもしれない』で妃乃を置いていけるか?…そんなの、言うまでもなくNOだ。

俺が胸に秘めるのは、奴を倒し妃乃と被害者であろう周りの四人を助け出すという思い。そんな思いを知ってか知らずか、魔人は俺を見ながら肩を竦めた。

 

「やれやれ、君は頭は回るようだが…短絡的だね」

「短絡的?」

「あぁそうさ。…少年。君は私がただ雑談をしたくて、自慢話をしたくて長々と会話をしていたとでも思っているのかい?」

「…何だと…?」

 

その瞬間、ぞくりと背筋に冷えが走る。思わせぶりな発言をする魔人の目には……爛々とした光が灯っている。

 

「分からないかな?ならば教えてあげよう。…これが答えさ」

「…………」

「な……ッ!?」

 

不愉快な笑みを魔人が浮かべる中、ゆらりと妃乃が立ち上がり……魔人を守るように、俺の前へと立ち塞がった。その顔に、表情は…………無い。

 

「……テメェ、まさか…妃乃を支配する時間稼ぎの為に…」

「ご名答。一先ず攻撃されないよう抑え込んだはいいものの、そこから先へは中々進まなくてね。霊装者は皆そうなのか、それともお嬢さんが特別なのかは知らないけど……やっと、手駒にする事が出来たよ」

 

そう言いながら魔人は、手を妃乃の左肩へ。敵、それも妃乃にとっては忌々しい筈の魔人に肩へ手を置かれているにも関わらず、妃乃は振り払うでも眉間に皺を寄せるでもなく…ただその場に立っているだけ。それは、妃乃が魔人の支配に飲まれた事を如実に表していた。

 

「……っ…妃乃…」

「もし君が言葉を交わさず仕掛けてきたのなら、手中に収める事は失敗していただろう。けど、悔いる必要はないよ。その場合は私の力もお嬢さんが負けた理由も分からず、早々にお嬢さんと同じ道を歩んでいただろうからね」

「…何が言いたいんだよ……」

「どう転ぼうが、私の優位は揺るがないという事さ。…改めて訊こう。君は戦う気かい?この私を…そして、お嬢さんを相手に、勝てるつもりなのかい?」

 

その問いはこれまで二度受け、二度とも俺は戦う意思を示した。…だが、これまでの二度と今回とじゃ条件が違う。今は妃乃が、同居人であり恩人である彼女が、俺では到底敵わない協会のエースが、敵として立ち塞がっている。もし、正面から妃乃と戦ったとすれば……結果は、目に見えている。

じっとりと顔を伝う、嫌な汗。退きたくはないが、このままで戦おうとするのは『命を捨てる行為』と何ら変わらない。だから一時撤退する事がベストな選択だってのは、分かってる。……けれど、俺は理性と感情を完全に切り離せる程大人じゃない。

 

(くそっ、分かってる…分かってるけどよ……!)

 

段々と心拍が速くなる。この迷ってる時間は無駄だってのも理解している。…それでも俺は、決心が付かない。そんな中魔人は、またも笑みを浮かべ……

 

「……なんてね。そう身構えないでくれないかな、少年」

 

…この場にはまるで似つかわしくない、穏やかな表情を俺へと向けてきた。

 

「…今度は何のつもりだ」

「いやいや、まずは一つ教えておいてあげようと思ってね。ついさっき私はさも彼女を完全支配したように言ったけど…実際にはまだ途中でね。今お嬢さんを戦わせたとしても、普通の人としての力しか引き出せない程度なんだよ」

「…それを俺が素直に信じると思ってんのか?」

「信じるか信じないかは君次第。お嬢さんは君達の憎む相手に簡単に支配されてしまう程度の人間だと思うのなら、信じなくても結構だよ」

 

魔人は言葉を続ける。言葉の端々に人への嘲りを馴染ませているにも関わらず、俺に対しても妃乃に対しても饒舌な魔人の意図を、俺はまだ測りかねている。単に優位な立場を楽しんでいるのか、それともこれもまた何かの時間稼ぎなのか…。

 

「…それと、私は戦う事が好きではなくてね。ただでさえ好みではないというのに、今日はお嬢さんにしてやられてこんな傷が出来てしまった。手負いだとしても君に遅れを取るつもりは一切ないけど…出来るならばここではもう戦いたくない、というのが本心なんだ。今日の私は万が一を引いてしまいかねない程に不運でもあるからね」

「…まどろっこしいな…結局は何が言いたいんだよ」

「私は君に取り引きを持ちかけているんだよ。互いに命を懸けずに済む、利益と利益による取り引きを…ね」

 

人を支配し手駒にしておいて、手駒にした人間を使い捨てようとしておいて、何が命を懸けずに済む取り引きだ…と反射的に思った俺だが、こいつにそれ言っても何ら響きはしないだろうと考え直し、出かかっていた言葉を飲み込む。

 

「…お互い矛を収めてこの場を後にしようってか?」

「それに加え、君にはここで私を倒したと仲間に報告してくれる事を望むよ。そうしてくれれば、私は今後嗅ぎ回られずに済むのだから」

「なら、テメェも俺は襲わないようにと他の魔人や魔物に伝えてくれんのかよ」

「残念ながら、それは出来ない相談だ。私は君達人間のように徒党は組んでいないし、君達の言う魔物はそんな器用な事は出来ないからね」

「はっ、そりゃ随分と素敵な取り引きだな。……自分は長期的な自由と安全を要求しておきながら、相手にゃお恵み程度なんて、とても取り引きとは言えねぇっての。…どうせテメェは優位な自分が譲歩してやってるとか、そういう感覚でしかないんだろ?」

 

元々取り引きに応じるつもりはないが、そのつもりはなくともここまで酷けりゃ取り引き内容に文句もつけたくなる。それはどうせ戦う事になれば自分が勝つのだから、という傲慢さを隠す気もない、いっそ『死にたくなければ自分に従え。従うなら見逃してやる』とシンプルに言ってくれた方がまだ気分的にはマシだと思える取り引き内容だった訳だが……その直後に俺は知る。魔人はそこまで傲慢ではなく……俺が思っているよりずっと、人間を軽侮しているのだと。

 

「心外だなぁ…けれど、その言い分は最もだ。取り引きというからには、要求するものに見合った提示をするべきだからね。故に、もし私の要求に応えてくれるというのなら──私はお嬢さんを君に譲ろう」

「は……?」

 

……一瞬、意味が分からなかった。意図が、ではなく言葉の意味そのものが。

 

「……っ…テメェ、何を言って……」

「言葉通りの事さ。さぁ、お嬢さん」

「…………」

 

肩から手を離し、魔人は勧めるかの様な声音で妃乃の名を呼ぶ。すると妃乃はふらりと身体を揺らし…俺の前へと歩いてきた。そしてそのまま、妃乃は俺へともたれかかる。

 

「なっ……妃乃!?」

「…………」

「これは…おい!譲るってまさか、テメェの支配下のまま引き渡すって意味じゃねぇだろうな!?」

「それでは何か不都合かい?」

「不都合も何も、こんなのどこが要求に見合った提示だってんだ!テメェの意思一つで命狙ってくる人間が近くにいて喜ぶ奴が、一体どこにいると思ってんだよ!」

 

まるで妃乃を物の様に扱われた事、提示内容が杜撰にも程があるレベルの酷さだった事で、つい俺は声を荒げる。やっぱりこいつは自分によってるだけの傲慢野郎だった。反射的に話に合わせちまったが、もうこいつの話を聞く意味なんて欠片もねぇ。今奴が取り引きのつもりでいるんだったら、その油断を突いて速攻で……

 

 

 

 

「はぁ…話は最後まで聞くべきだよ、少年。確かに私の意のままの状態で譲ったのら、君の言う通りだけど……もし意のままに出来るのが、私ではなく君だとしたら?」

「……っ!?」

 

ぞくり、と身体に衝動が走る。恐怖でも焦りでもない、もっとプリミティブな感情が、俺の思考に横槍を入れる。そしてそれを感じ取ったかの様に、言葉を続ける魔人。

 

「意のままに出来るのが私なら、お嬢さんは君にとって危険な存在。だが、君が意のままに出来るのなら…お嬢さんは君の自由だ。何をしようが、何をさせようが…ね」

「……今度はどんな冗談だ。そもそも、俺がどう意のままにするってんだよ」

「簡単な事さ。私がお嬢さんに、彼の従者となるよう命令する…そうすれば主人の立場は君のものになるだろう?支配の原動力はそのままに、権利のみを譲渡する…いや、君へと付加させると言うべきかな」

「…なら、そうした場合テメェの立場はどうなる」

「原動力は所詮原動力、付加してしまえば私の支配権はなくなる筈だよ。支配の上書きをすればまた別だろうけど、それに確証はない。何せ付加も上書きもやった事はないからね」

「…………」

 

魔人の支配が、命令がどこまで効力を持っているのかは謎だが…仮に命令が半永久的に効くのであれば、魔人の言う通りになるだろう。上書きに関しても、下手に妃乃へと近付けば自分の存命がバレてしまう危険があるのだから、そう簡単には出来ない…というかやらない可能性が高い。…確かにこれなら、要求に対する提示としちゃ一応通るな…。

 

「お嬢さんを手放すのは残念な事だ。私に一矢報いた彼女をどう愛玩してあげようか、考えていたのだからね」

「…だからそれで手を打て、ってかよ」

「彼女一人じゃ足りないかな?」

「そういう事じゃねぇ…人を馬鹿にするのもいい加減にしろよ…」

 

発散させられぬまま溜まり続けていた怒りが、更に注がれ煮えたぎる。人の心を理解してほしいとは思っていないが、ここまで人というものを蔑ろにされれば許せる筈など到底ない。ましてやこの取り引きに乗る事なんて……

 

「馬鹿に?…なら、君はこの取り引きに何の魅力も感じないのかい?」

「…………」

「……っ…妃乃…」

 

ぐっ、と胸元を押されるような感覚。それに触発されて下を見れば、そこにあるのは妃乃の顔。感情の感じられない、妃乃の顔。例えそれが普段の妃乃とはかけ離れた、ある種異質な表情だったとしても……少女としての可愛らしさと、女性としての美しさが入り混じった顔で見つめられれば、それをもたれかかりによって異性である妃乃の身体が密着している中で向けられれば、心が乱れない訳がない。

 

「お嬢さんを監視する中で、君とのやり取りも多少目にしたけど…君は彼女に少なからず苦労させられているようじゃないか。その現状を変えたくはないのかな?自分の理想通りに物事を動かせた方が、よっぽど幸せだとは思わないかな?」

「…それがなんだってんだよ…支配する大義名分か?」

「大義名分ではなく、正当な理由だよ。現状に甘んじず、現状をより良く変化させる事は、何もやましくはないのだから」

「欲望だ、それは…」

「そう、これは支配欲とでも言うべきものだ。…けれど、この欲求は誰にでもあるものだと私は思うね。誰にでもあるのなら、それは間違っていない当然の性質だろう」

 

ぺらぺらと、魔人は自分と自分の考えに都合が良い理屈を並べ立てる。そのどれとして俺は耳を傾けるつもりはないが……それでも俺は、妃乃の生気のない瞳を…どうしても湧き上がってしまう支配欲を振り切れない。

 

(違うだろ…妃乃は恩人だ。俺の我が儘を応援してくれて、俺の馬鹿な事にもちゃんと付き合ってくれる、俺にとっての恩人だろうがよ…だったらやるべき事は一つに決まってんだろ…!)

 

今まで妃乃を異性として意識した事は…無いと言えば嘘になるが、それは言うなれば突発的な事で、これまではそれをすぐに振り払ってきた。振り払う事が出来ていた。だが、今日は…その瞳に煩悩を刺激され、服越しに感じる柔らかな身体に劣情を触発されている今は、思考を完全には切り替えられない。もし、それを含めて魔人がこの提案をしてきたとするならば……奴の方が、一枚上手だったってのかよ…。

 

「ゆっくり考えてくれ…と言えるといいんだけど、悠長にしていると更に増援が来てしまうかもしれないからね。だから早く決めてもらえるかな?」

「うっせぇ…テメェの都合なんざ知るか…!」

「ふぅむ、強情だね…ならば逆に考えるのはどうだい?欲に駆られて乗ったのではなく、確実にお嬢さんの安全を確保する為に応じた…とね」

「…物は言いよう、ってかよ…」

「状況を多方面から且つ総合的に考える、って事だよ。ここで戦った場合、私はお嬢さんに対してやったように投身させ、君が受け止めた瞬間お嬢さん諸共君を討とうとするかもしれないよ?強引に力を引き出させた結果、彼女の身体は負担でボロボロになってしまうかもしれないよ?…君は私を倒せれば、彼女の生死はどうでもいいのかな?」

「……脅してんのか…」

「可能性を口にしただけさ。ゼロではない可能性をね」

 

一方前へと前進する魔人。魔人の意図は分かっている。実際に行うつもりなのかどうかはさておき、これは俺に取り引きを飲ませる為の弁に過ぎないのだと。俺に言い訳作りをさせようとしているだけなんだと。

だが一方で、魔人は必要とあらば本当にやるであろうという事、妃乃との戦いで証明されている。そしてもし、戦った結果魔人が言った通りの策を取り、更にその結果妃乃が命を落としたとすれば……その時俺は、間違いなく後悔するだろう。こうなる位なら、魔人との取り引きに乗っておけばよかった…と。

 

(…もう、積んでんのか…?妃乃の命を確実に守る為には、乗るしかないのか……?)

 

互いに利のある取り引きとはいえ、その提案を行ったのは卑劣で不快な魔人。そいつの提案になんか乗りたくないし、これが平等な取り引きではない事も分かっている。だが…リスクが、あまりにも大き過ぎる。例え策に乗っかる形だったとしても、戦うのは危険過ぎる。……だからもう、俺は半ば心が傾いていた。

 

「…………」

「まだ、決められないのかな?」

「…………」

「全く、責任感というのは厄介だね。それは人に余計な重荷を負わせるものだろう?こうなってしまったのはお嬢さんのミスで、君はそれに巻き込まれた身だというのに。…もう、分かっているだろう?正しい選択が何かは」

 

この段階に来ても尚よく喋る魔人は、恐らく単に饒舌なだけなのだろう。既に決断が…いや、諦観の念が固まりつつあった俺は、そんな事をふと考えていた。

俺が反論を口にしない事が奴にとっての決定打になったのか、魔人は確信の表情を浮かべる。そうして魔人は数秒の沈黙の末口を開き……言った。

 

「……さぁ、時間だよ少年。君にとって…そして彼女にとって最も幸せな答えを、聞かせてもらうよ」

「……っ!」

 

──あぁ、そうか…何を迷っていたんだ俺は。何を躊躇していたんだ俺は。端から分かりきっていた事に、どれだけ時間をかけていたんだ。…そうだ、これは妃乃の招いた事で、妃乃の行動の結果。妃乃が好きにやった末がこれなんだから……俺だって、それでいいじゃねぇか。

 

「……ああ、そうだな…答えは決まったよ」

 

その言葉と共に、右手で妃乃を抱き寄せる俺。既に俺へともたれかかっていた妃乃の身体は、この行為によってより俺へと密着する。そうして俺が魔人のそれにも似た、表情を歪ませるような笑みを浮かべる中……数瞬間前まで右手に携えていた直刀が、カシャンと音を立てて床へと落ちた。



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第五十四話 思いはただ一つ

意識だけは残して私を苦しめようと思ったのか、私の精神の掌握は一筋縄ではいかないのか、或いはそもそも精神掌握までは出来ないのか。魔人の策に乗ってしまった私は能力で身体の自由を奪われて…けれど意識は、精神は残ったままだった。

初めは悔しかった。女性四人を助けた事自体は全く後悔していないけど、それでも生殺与奪の全権を魔人に奪われ、立つ事すらままならないのは本当に悔しかった。

次は、情けなかった。来てくれた悠弥に全てを任せるしかない自分が、面倒を見てあげる立場の筈の自分が悠弥に託すしかない事が、霊装者としてあまりにも情けなかった。

悠弥と魔人が言葉を交わす中で、段々と私は自分の身体が自分のものじゃなくなっていく感覚を味わった。それまでは自由に動かせないだけで、確かに自分のものだった筈の身体が、自分自身から引き剥がされていくような感覚は恐ろしくて……私の身体が遂に魔人のものとなった時、私は心を押し潰されそうだった。もしこれで、私のせいで悠弥が命を落とす事となったら。私の手で、多くの人の平和を奪う事となったら。…そんな事になる位なら死んだ方がマシだって、その時私は本気で思っていた。そして今、私は……乱雑な動作で、悠弥の右側に抱かれていた。

 

「…落ち着いて考えたら、テメェ言う通りだったわ。なんで俺がわざわざ重荷を被らにゃならねぇんだよ。俺はこれでも助けに来た身なんだぜ?」

 

冷めきった、不満そうな悠弥の声。その言葉を聞いた瞬間……どくん、と胸が嫌な鼓動を立てた。

 

「やっと気付いたようだね。君に落ち度はなく、お嬢さんの救出をしようと策を練っていたんだろう?ならば君は感謝こそされても、重荷を負わされるいわれなんかないというのが正しい道理さ」

「だよな。ったく…あー、気付いちまったら色々悩んでたのが馬鹿らしく思えてくる…」

「けれど、君は自身が愚かな思考に囚われていた事に気付いた。それは成長と言えるのではないかな?」

「うるせぇよ。愚かな思考ってのは否定しねぇが、テメェを肯定する気になった訳じゃねぇ。勘違いすんな」

 

悠弥のスタンスが変わった事で魔人は余裕綽々の表情を浮かべ、悠弥自身はどこか面倒臭そうな顔をしている。…私は、指先さえ、表情筋さえ動かせないまま、ただその二人のやり取りを見ているだけ。聞いているだけ。

 

「それは失礼したね。…既に答えは出ているようなものだけど、一応きちんと聞いておこうか。少年、君は私との取り引きに応じてくれるのかい?それとも……」

「応じるに決まってんだろ。テメェは安全を、俺は妃乃を手にする為の取り引きに、な」

(……っ!)

 

また、嫌な鼓動が聞こえる。緊張によるものでも、体調不良によるものでもない、けれどそれよりずっと苦しい嫌な鼓動。そして気付けば、悠弥の視線は私へ向いている。

 

「悪く思うなよ、元はと言えば妃乃が一人で突っ走った結果なんだから。…いや、違ぇな……」

 

 

 

 

「あぁ、そうだこれだ…。──感謝しろよ?俺が助けてやったんだからよ」

 

見下ろすように、見下すように……私という人間を踏み躙るような声音で、悠弥は言った。

そして私は気付いた。嫌な鼓動の正体に。私の心の中に渦巻く、やり場のない感情に。

 

(……信じてたのに…貴方の事、信じてたのに…っ!)

 

この苦しさは、悠弥に裏切られた事への辛さだった。悠弥ならこの取り引きを突っ撥ねてくれると思ったから、飲むにしても苦渋の決断として選ぶんだと思ってたから、保身と私に対する支配欲求で魔人と手を組む選択をされた事が悲しく、苦しかった。

 

「私は嬉しいよ。君が賢い選択をしてくれた事がね」

「俺は自分の心に準じただけだ。テメェと同じようにな」

 

それまで鮮明に聞こえていた悠弥と魔人のやり取りが、今は頭に入ってこない。裏切られたという思いに私の心が占領されて、全然話を理解出来ない。

最初の頃、私はあまり悠弥を信用していなかった。初めから強い思いのある人だとは思ってたけど、身勝手で適当な人間だって印象も強かった。でも、何度もやり取りをして、その胸の内を聞いて、一緒に生活する事になって…そうして悠弥の人となりをより知っていく中で、少しずつ私は悠弥を信用し、信頼するようになった。勝手なところも適当なところも間違いなくあるけど、家族思いで他人思い、不器用無愛想だけど見返りなしに誰かを慮れる…そんな人なんだって、私は本気で信じていた。……なのに…なのに…っ!

 

(何でよ…今まで私に見せてきた姿は、全部嘘だったの…っ!?)

 

本人にそれが本心からの言動なのか、と一々訊くような事はした事がないし、そんな事をする人はまずいない。でも、信じるっていうのはそういう事だから。その人の言動を、人となりを見て、感じて勝手に芽生えるものだから。勝手とか押し付けとか、それだけで語れる話じゃないから。

 

(答えてよ…答えてよ悠弥ッ!)

 

悲しさと、切なさと、苦しさの混ざった私の叫び。…でもそれは、心の叫び。身体を支配されて、一文字足りとも発せられない私の声は、悠弥には届かない。悠弥は、答えてくれない。私の思いに、目を向ける事すらしてくれない。

 

「…さ、答えは出たんだ。さっさと支配権を付加してもらおうか」

「勿論…と言いたいところだけど、それなら先に他の武器も手放してくれるかな?」

「……信用、してねぇのかよ」

「後悔はしたくないからね。不安だと言うのなら、君も離脱経路の確保なりなんなりをしてくれて構わないよ?」

「…あ、そ」

 

興味無さげな返答を発しながら、悠弥は武装を解除していく。丸腰で魔人に立ち向かうのは自殺行為も同然で、それをなんの躊躇いもなく行うという事は……私を解放する気なんて、微塵もないという事。

 

(……どうしてよ…だったらなんで、これまであんな姿を見せてきたのよ…)

 

怒りの感情は、燃え上がらなかった。確かに怒りも感じていたけど、それよりもずっと悲しさや苦しさが上回っていた。……こんな形で、信じていた相手に裏切られる辛さなんて、知りたくなかった。

 

「ほらよ、これで満足か?」

「あぁ、満足さ。……君がすべき事は、分かっているね?」

「テメェに手を出さず、倒したっつー報告をすりゃいいんだろ?」

「そう、その通りだ。…さてと、そちらが要件を飲んでくれたんだから、私も果たすべき事を果たそうか」

 

そう言って魔人は私と悠弥の前へ。悠弥は何もせず、私は何も出来ずに魔人の接近を許し、魔人は翳した手から闇色の靄を私の顔へとまとわりつかせた。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。靄に入り込まれるような、何かを組み替えられるような、不快で底冷えのする気持ち悪さが、私の身体の中を駆け巡る。この感覚が嫌で、この感覚から解放されたくて、必死の思いで悠弥に視線を送るけど……悠弥の目は、ただぼーっと私に起こる光景を見ているだけ。ここに来てくれた時の、感情が燃え盛るような瞳は……もう無い。

 

(…全部、嘘だったのね…全部、全部……)

 

靄が私にまとわりついていた時間がどれ位だったのかは、分からない。ただ気付けば靄が消えていて、魔人の顔がすぐ近くにあった。魔人は私の耳元で囁く。

 

「…お嬢さん。お嬢さんがこれから従うべき相手が誰なのかは…分かるね?」

 

そう言われた途端、自分にとって重要な部分が完全に組み替わった感覚を覚える。そしてそれが何なのかも、分かっている。聞きたくなくたって、理解したくなくたって、悠弥と魔人のやり取りの中で教えられてしまったから。

 

「…そんだけで変わるのか?」

「変わっているさ。信じられないなら、何か命令してみるといい」

「まぁそうだな。なら…妃乃、跪け」

(……っ…嫌っ…!)

 

がくん、と落ちる私の身体。片脚は膝を付き、もう片方は膝立ちという、言われた通り跪きの体勢になる。悠弥に命令されて、対等な立場だと思ってきた相手に跪くよう命令をされて…私は今、床に膝を付けている。従者の様に、下僕の様に。

 

「…やっぱ、ぶっ飛んでやがんなテメェの力は。この力で他の霊装者や魔人も支配下においてやろうとは思わねぇのかよ」

「実際にやったのは今日が初めてだけど、前々から同類や霊装者には効き辛いような気がしていたからね。それに、この力は戦闘能力に直結はしてくれない。…私は堅実に、安全性を重視して立ち回りたいんだよ」

「安全性っつーなら、もっと人里離れた場所を根城にするこったな。…立てよ妃乃」

 

手を握られて…なんて優しいものじゃなく、二の腕を掴まれ引っ張り上げられるように立たされる私。そのまま私は腰に手を回され、再び抱き寄せられる。

 

「…安心しろよ、妃乃。別に俺は妃乃をいいように使ってやろうとは思ってねぇ。俺は今の日常を気に入ってるし、それを守る為には妃乃にもこれまで通りに生活してもらわなきゃ困るからな」

「…………」

「だがまぁ、折角の降って湧いた幸運なんだ……偶には相手、してもらうぜ?」

 

そう言って悠弥は下卑た笑みを浮かべ、私の羽織りの内側へと手を這わせてくる。その時初めて感じる、女性としての恐怖。

 

(嫌…もう嫌…どうして、どうしてこんな事になるのよ…私は貴方との毎日が、嫌いじゃなかったのに……!)

 

指を這わされ、身体を弄られる感覚を服の上から感じる。雑で、何かを探すような指の動きは気持ち悪くて、でも胸や腰回りに触れた時は不快感とは別の感覚が私の頭を刺激して……どうしようもなく、辛かった。

千嵜家で、悠弥と緋奈ちゃんと共に過ごす日々。それは元々任務として仕方なく始めた事で、これから苦労の毎日が始まるんだと思っていた。…けれど、二人共家事をちゃんとする人だったから、蓋を開けてみれば一人暮らしの時より何かと楽で、思わぬ発見をする事も多々あった。それに何より、私の事をちゃんと同じ家に住む家族として接してくれる二人との日々は、楽しかった。……でももう、この日常は帰ってこない。魔人に…悠弥自身に奪われた日常はもう取り戻せなくて……私がこれから歩むのは、偽りの日々。

 

「全く、人というのは浅ましいな…君がお嬢さんと何しようが勝手だけど、見苦しい姿は見せないでくれないかな」

「そりゃ悪かったな。ま、ともかく取り引きは完遂か」

「いいや、まだ完遂はしていないよ。君が偽の報告を済ませるその時まではね」

「あぁ、分かってるよ」

 

羽織りの中を手で弄りながら、冷めた声音で言葉を返す。そして悠弥は……左手を魔人へ差し出した。

 

「……何のつもりだい?」

「握手だよ握手。どうせ俺とテメェが会うのはこれきりになるんだから、握手位はしておこうや」

「…君は、私と対等な立場になったつもりなのかな?」

「対等じゃなくたって握手はするだろ。ま、別に嫌ならいいけどな」

「……ふっ、まあいいさ。賢明な判断をして正解だったね、少年」

 

笑み浮かべる…というよりどこか鼻で笑うような素振りの末、魔人は悠弥の手を握る。

信じていた相手と、確実に討ってやろうと思っていた敵が、握手をしている。私を卑劣な策で嵌めて自由を奪った魔人と、私を都合良い存在としか見ていない悠弥が、さぞ満足そうに手を握っている。……だけどもう、どうでもよかった。

 

(…人間、打ちのめされるとこんな気分になるのね…もういっそ、悠弥に全部委ねちゃう方が楽かも……)

 

耐えて起死回生のチャンスを待とうだとか、悠弥を正気に戻そうだとか、そういう気持ちはもう消えかかっていた。時宮家としての誇りだとか、私の守りたいものへの思いだとかはまだあったけど、もう諦めかけていた。…ごめんなさい、お母様、お父様達…ごめんなさい、綾袮……。

 

「私の邪魔をしない限りは、君の今後に幸ある事を祈ろう。それと折角お嬢さんをあげたんだ、有意義に使ってくれ給え」

「そりゃどーも。……あー、一つ言い忘れるところだったわ」

「言い忘れ?」

「あぁ。俺はテメェと違って……」

 

這っていた手は、いつの間にか止まっていた。それを私が何となく感じる中、魔人が言い忘れという言葉に眉を軽く動かす中、悠弥はゆっくりと…でも無駄のない動きで腕を私の羽織りの中から抜いて……

 

 

 

 

 

 

 

 

「──女の子はちゃんと自分の力で落としたい質なんだよ、クソ野郎」

 

────乾いた銃声が、部屋の中に響いた。

 

 

 

 

何が起きたのか分からない。それが、魔人の表情に現れていた感情だった。

 

「な……ん、だと…ッ!?」

「何だと?じゃねぇよ」

 

続けざまに銃声が響く。魔人は驚愕に目を見開きながらも退こうとし…しかしその場から離れられない。……魔人の手を、悠弥が離さない。

 

「俺がテメェに従うと思ってたのかよ。俺がそんな粗末な人間に見えたのかよ。だとしたら、腐ってんのは性根だけじゃなかったみたいだな」

 

二発、三発、四発。霊力の込められた銃弾が、魔人の腹部へと……私が斬り裂いた胴体の傷へと撃ち込まれる。

それは、私の銃だった。他の霊装者と同じように主武装を使えなくなった場合の予備として、羽織りの裏に装備しておいた拳銃だった。それを見て私は……全てを理解する。

 

(そう、だったんだ……)

 

無理矢理手を振り払い、靄を纏わせた脚を振り抜く魔人。その蹴撃は魔人そのものの筋力と靄による強化で手負いながらもかなりの威力だったものの、悠弥は私を抱えたまま後ろへ跳んだ事により空を切る。

 

「っと…大丈夫か?妃乃」

「……馬鹿…演技なんて、してんじゃないわよ…」

「うっせ、先に視線は実在しなかったって演技した妃乃には言われたかねぇっての」

 

傷を押さえる魔人へ拳銃を向けながら着地した悠弥は、魔人に警戒しているからか私の方へ目を向けたのは一瞬だけ。…でも、一瞬見えた悠弥の目は…いつもの彼の瞳だった。……私の心の中に立ち込めていた暗雲が、晴れていくのを感じる。

 

「…動けるか?」

「…ごめんなさい、まだちょっと…身体が重いわ…」

「そうか…ならしゃあねぇな。幸いあいつは妃乃の攻撃と今の銃撃で結構な手傷負ってんだ。倒せるかどうかは分からねぇが、最悪でも撃退程度なら……」

 

 

 

 

 

 

「──図に乗るなよ…人間風情がぁッ!」

『な……ッ!?』

 

悠弥の言葉を遮ったのは、他でもない魔人の怒号。反射的に悠弥は引き金を引くも、紙一重で避けた魔人はそのまま突進。私を置き去りに悠弥を壁へと叩き付ける。

 

「あぐッ……!」

「少しこちらが評価してあげた途端にこれか…あぁ、あぁ…なんて不愉快なんだ君達は…ッ!」

「不愉快なのはお互い様、だろうが…!」

 

叩き付けられ肺の空気を悠弥が一気に吐き出す中、手刀に靄を纏わせた魔人が弓を引くように右手を後方へ引き、抜き手を放つ。けれど咄嗟に悠弥は左腕を魔人の前腕にぶつける事で軌道を逸らし、寸前の所で防御。同時に拳銃を向けるけど…手首を掴まれ、砲口は魔人の身体から逸れてしまう。

互いに右腕で相手を狙い、左腕で攻撃を防ぐ悠弥と魔人。言葉の端から感じる感情で、両者の必死さが伝わってくる。

 

「手を退けようか少年…でなければ一撃で仕留められないじゃないか…!」

「テメェこそ手を離せよ…その傷で耐えるのは辛いだろ…!」

「そうだね…だから早く殺さないと…!」

「……っ…ぐッ…!」

「……!悠弥…!」

 

拮抗していたのは数秒の間。それからは一旦悠弥が押して…魔人が逆転。最初の衝撃と一度空気を吐き出してしまった事が足を引っ張っているかのように、少しずつ押されていく。

助けなきゃ、と思った。何年も積み重ねてきた戦闘の勘が、どうすべきかの選択を瞬時に弾き出した。けど……

 

(…身体が、動かない……っ!)

 

それはまるで、神経の大半が寸断されているかのような感覚。銃撃のおかげか身体が自分のものだって感じられる状態までは回復したけど、まだ魔人の影響は受けている。そのせいで今の私は、全力を出すどころかまともに動く事すらままならない。

 

「お嬢さん、少年を片付けた後は君だ…恨むなら、私の気分を害した少年を恨むんだね…!」

「馬鹿言え、テメェは妃乃を殺せねぇし、俺も恨まれる筋合いはねぇっての…!」

 

少しずつ、本当に少しずつだけど魔人の手刀が悠弥の身体に近付いていく。逆に拳銃は、魔人の身体から離されていく。今はまだ押し合いの形になっているけど……このままいけば、殺されるのは間違いなく悠弥。魔人が傷で力尽きる可能性は、とても高いとは思えない。

 

(…考えるのよ私。慌てないで、焦らないで、冷静に考えて突破口を見つけなさい。じゃなきゃ悠弥は……!)

 

焦燥感を思考で押さえ付けて、頭をフル回転させる。身体が満足に動かない以上、何らかの策でもって悠弥を助けるしかない。言葉で魔人を揺さぶるか、動ける範囲で何かをするか、やるならどんな言葉、どんな行動にするか…そう必死に考える。

……だけどそれは、殆ど意味のない行為。だって、答えは考えるまでもなく分かっているから。

 

(……私が助けるしか、ないの…?)

 

殺意を剥き出しにしている魔人が、適当な言葉で止まる訳がない。今出来る事なんて立つか天之瓊矛を持ち上げるか位で、なんの力にもなりはしない。悠弥を助けるなら……私がこの支配から脱するしか、ない。

 

(……っ…動いてよ…動きなさいよ、私の身体…ッ!)

 

焦りがまた襲ってくる。策を練ったってどうしようもないと認めてしまったから、思考で気持ちを押さえられなくなる。

もし私が脱せなかったら、悠弥を助けられない。ここまで来てくれて、魔人の提案にも乗らず、それどころか乗った演技をしてまで私を助けようとした悠弥を、私のせいで死なせてしまう。私が死ぬのは自分の実力不足だから仕方ないけど…それに悠弥を巻き込んでしまうのだけは、絶対に嫌。…なのに、なのに……っ!

 

(どうして、動かないのよ……ッ!)

 

私が考える間も、思い詰める間も、時間は待ってくれない。……気付けばもう、タイムリミットだった。

 

「く、そが……ッ!」

「よく持ち堪えたじゃないか少年…だけどもう終わりだよ。さぁ…死ねッ!」

「……──ッ!!」

 

悠弥が残った力を振り絞ったかに思えたその瞬間……魔人は、手を引いた。押し合いだった状態から片方が無くなればもう片方は力が一気に解放される訳で、悠弥の左腕は大きく外側へと張り出される。そして再び突き出される魔人の手刀。…今度はもう、悠弥の防御は間に合わない。

絶望しそうだった。悠弥が私に見せていた姿が全部嘘だったと思ったあの時より、全てから目を逸らしたくなった。……でも、私は見た。悠弥の目を…私を信じてくれている、悠弥の瞳を。

 

(……悠弥…貴方は…貴方って人は…本当に、馬鹿なんだから…っ!)

 

──その瞬間、一気に頭の中がクリアになった。クリアになって、気付いた。普通の人に比べて私に支配が効き辛かったのは、私の中の霊力が障害になってるからなんじゃないかって。

それはただの可能性。確定的な要素はない、憶測の想像。でも、やってみる価値は……ううん、例えどんなに可能性が低くたって、私はやりたい。やらなきゃいけない。だって、悠弥は……今も私を信じてくれてるんだから。

全身に霊力を駆け巡らせる。身体強化と同じ要領で、でも普段の強化の何倍何十倍もの霊力を、一気に全身へと叩き込む。途端に負荷に身体が悲鳴を上がるけど……それでも私は流し込む。そして…………

 

「……ッ!いっ……けぇぇぇぇええええええッ!!」

 

私の身体を覆っていた枷が、一瞬で爆ぜるような感覚。それを感じた瞬間、身体が軽くなった。

思いを叫びに乗せながら、翼を広げ、床を蹴る。それは、ほんの僅かな時間。恐らくは私の支配が解けた事で起きた、刹那の様に短な魔人の動揺。けど、それは……私が魔人へ一閃を叩き込むには十分な時間だった。

 

「ぐッ……ぁぁぁぁあぁぁああああッ!!?」

 

振り下ろされた天之瓊矛。私の相棒が斬り裂いたのは、今正に悠弥の心臓を貫こうとしていた、魔人の右腕。魔人の目は宙を舞った自身の右腕を追い……私は悠弥に目を向ける。

 

「……お待たせ、悠弥」

「遅っせぇよ……けど、やっぱ凄いな、妃乃」

 

手を差し出す私。魔人の手から離れ、ちょっと憎たらしい笑みを浮かべながら私の手を握って立ち上がる悠弥。一人で行った私と、どういう方法を使ってかここに辿り着いた悠弥。私達は、短い様な長い様な…自分でもよく分からないそんな時間の末、今……共に立つ。



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第五十五話 不器用な感謝、無情の結末

あの時…魔人から選択を迫られた時、俺は本当に取り引きを受け入れる事も考えていた。自分の命ではなく、妃乃の命がかかっているのだから、『一か八か』だとか『可能性があるならそれに賭けたい』なんて考えは間違っていると思ったから。例え妃乃が支配されたままだとしても、命を落とす事に比べれば…と思っていたから。

だが皮肉にも、俺に決意をさせたのは魔人の言葉だった。俺にとっても妃乃にとっても幸せな答えは、魔人の取り引きに乗った先にはない。恩人であり今や家族も同然な妃乃に、自由と失う代わりの命の保証なんかをさせて満足な訳がない。魔人に支配され、俺に従属するような日々は、例え命と引き換えであっても妃乃が望むとは思えない。性格が合わなくて…でも偶に一致する俺と妃乃にとって、妥協した結末が幸せである筈がない。……そう思ったから、俺は危険を冒した。危険を冒してでも、本当の妃乃を助け出そうと思った。そして今、妃乃と共に立つ俺は…そうして良かったと、心より思っている。

 

「…もう、戦えるって事でいいんだよな?」

「勿論。悠弥こそ、まだいける?」

「ったりめーだ。流石にこいつ一丁じゃ心許ないがな」

「じゃ、まずは武器を回収しなさい。必要なら援護するわ」

 

肩口を押さえ絶叫する魔人を尻目に、俺と妃乃は打ち合わせ…と、いうよりはお互いの調子を確認する。表情には出さないし、出す気もないが…その時俺は、妃乃の無事に心から安堵していた。

 

「ぐっ…あ、ぁ……馬鹿な…私が、この私が…こんな傷を、人間に付けられた…?」

 

右腕を失うという大怪我を負っていても、魔人は魔人。功を焦れば後悔するという意識の下、拳銃と大槍をそれぞれ向けると……対する魔人はひとしきり絶叫した後、何やらぶつぶつと呻いていた。顔こそ見えないものの…その態度や声音に、これまでの余裕や不快さは欠片も感じない。

 

「…これは現実か…?本当に起こっている出来事なのか…?……本当だというのなら、馬鹿馬鹿しい…あぁ、なんてあってはならない出来事だというんだ…」

「…哀れね。けど、容赦なんてするんじゃないわよ?」

「容赦?あいつのどこに情けをかける要素があると?」

 

慢心はしていない。仮にも妃乃を策に嵌めた奴なのだから。嘲りもしない。相手に余裕がある状態ならともかく、今嘲る程俺は性格が捻じ曲がっちゃいないから。…だが俺も妃乃も、ほんの少し気分が高揚していた。やっとこいつを倒せる、という気持ちが精神を高揚させていた。

俺は視線を落とした武器に移す。まずは武器…最低限光実どちらかの刀を回収して、妃乃を支援して、魔人にトドメを刺す。

 

(そんで、まだ支配下っぽいあの四人を必要なら保護して、その後妃乃と帰って…それでやっと終わるんだ。まだまだ油断するんじゃねぇぞ俺…)

 

脚に力を込め、妃乃と目を合わせる。交わらせた視線で互いの意思を確認し、再び魔人に目を戻す事で自分達の感覚が導いたタイミングが正しいのだと確信し、二人同時に床を蹴る……その直前だった。

 

「……ふっ…ふふ…はは、ははははははははははっ!ははははははははっ!!」

「んな……ッ!?」

「こ、壊れた…?」

 

突如笑い出す魔人。楽しげでもなく、愉快そうでもなく、しかし声を響かせ笑う魔人。妃乃が反射的に発した『壊れた』という言葉は的を得ていて、左手を顔に当ててよろめきながら笑うその姿は、正に狂った機械の様だった。

 

「嗚呼、よくもまぁこの私に対してここまでしてくれたものだよ…君達人間程度の存在が、私にこの仕打ちとは分不相応にも程があるじゃあないか…」

「ふん、何を言い出すかと思えば…最後までその考えを曲げない事だけは評価出来るわね」

「傲慢が身を滅ぼす良い例だな。反面教師としてよく覚えておくか」

「…ふふふ、そうだ…そうやって減らず口を叩いてもらわなくては困る…今更殊勝になられても興醒めだからねぇ…」

 

指の間から見える魔人の瞳は、双眸共血走り瞳孔が開いている。片腕を失ったばかりなのだから当然と言えば当然だが、その正気を失ったような形相には、嫌な空気を感じ得ない。

 

「先程君達を殺そうとしたけど…あれは撤回するよ。殺すだけじゃ生温過ぎる。敢えて生かし、私の道具として君達の守るべきものへの災厄とさせなければ、絶望と死への渇望の中で永遠と生かし続けなければ、君達が負うべき報いに釣り合わないからね…はは、その時の姿が目に浮かぶようだよ……」

「そらご大層なこって。どっからそんだけ言い切る自信が出てくるんだか」

「ほんとに哀れね、可哀想に思えてくるわ。…その身体でやるのは無理よ、現実を受け入れなさい」

「その気持ちには及ばないよ…そして、この身体についてはその通りだ。……だから、こうするのさッ!はははははッ!」

『……っ!』

 

手を勢いよく顔から離した魔人。その瞬間手の裏に見えたのは、ほんの小さな…しかし行程を見ておらずとも分かる程に凝縮された、靄の塊。俺と妃乃がそれの精製を悟られないようにする為額に当てていたのだと気付いた時、球体の塊は腕の動きに合わせて既に放たれていた。

それが強力な一撃だと感じ取った俺と妃乃は、即座に回避。だが、球体が向かった先は……俺達のいる方向ではない。

 

「なッ!?天井が…!」

「野郎、端から逃げるつもりでいやがったな…ッ!」

 

虚を突かれた事、既に回避行動を取ってしまっていた事が災いして、まんまと天井の破壊を許してしまう。瓦解する音と煙が立ち込める中、魔人の声が部屋に響く。

 

「逃げる?いいや、君達に猶予を与えるだけさ。君達は万全の状態で、完膚無きまで叩き潰すと決めたのだからね。自分達が犯した愚かな過ちを悔やみ、再び私が現れるその時まで震えながら待つがいい!はははははは!ははははははははっ!!」

 

初めは鮮明に聞こえていた笑い声が、次第に小さくなっていく。魔人が逃げる事は分かっていた俺達は、すぐに瓦礫へと登ったが……

 

「……後、一歩だったのに…!」

 

──妃乃の一振りで晴れた部屋に、魔人の姿はもうなかった。

 

 

 

 

追い詰めた魔人に逃げられた事を悔しがる妃乃だったが、その心を落ち着けたのは倒れた四人の女性の姿だった。俺は勿論妃乃の方も追撃より四人の安全確保を優先し、一先ずは更なる天井の崩壊を危惧して四人を別の部屋へ運搬。その後俺は手放したままの武器を回収する為部屋に戻る。

 

「ぶっ潰れてたらショックだな…」

「確か潰れてなかったと思うわよ、確かね」

「だと良いんだが……お、その通りだった」

 

部屋に入り、武器が無事である事を視認した俺はすぐに回収。所詮武器は武器だが…どんな道具でも使い続けてりゃ愛着が湧くからな。後理由はどうあれ武器を全部おじゃんにしたとなれば、協会にいい顔はされねぇだろうし。

 

「ふぅ、これで良し…と」

「なら、行くわよ」

「行くって…まさか、追撃にか?」

「当たり前じゃない。あの四人は支配から解除されてるみたいだから救急車呼べば大丈夫だと思うし、あいつを放っておく訳にはいかないでしょ。だから一刻も…早、く……」

「そりゃそうだが……うん?」

「……あ、あれ…身体が…」

「妃乃?…おい妃乃!?」

 

一度は沈静化していた魔人への怒りを再燃焼させ、瞳にその炎を灯した妃乃。だが、次の瞬間妃乃はぐらついた。そこへ慌てて駆け寄り支える俺。

 

「どうした!?まさかまだ身体が自由じゃねぇのか!?」

「……ううん、大丈夫…勝手に動くとか、そういう事じゃないの…」

「なら、何が…?」

「…ちょっと、身体に無理させ過ぎちゃったみたい…」

 

数秒前とは打って変わって情けなそうな表情を浮かべる妃乃は、支配を力尽くの方法で打ち破った事を口にした。普段の戦闘でかける何倍もの霊力を、一気に流し込む。そんな行為を機械でやればショートしてしまうように、人の身体だってそれで無事で済む訳がない。

 

「なんちゅう無茶するんだよ…馬鹿じゃないのか…?」

「あ、貴方に馬鹿とは言われたくないわよ!っていうか悠弥を助ける為にやったんだけど!?」

「だから俺に賞賛しろと?」

「そうじゃないけど……分かってるわよ、私だって無茶な行為なのは…」

 

普段の調子で怒ってくるなら俺も毒を吐けるものの、殊勝な態度をされてしまえば言葉を返せない。…それに、妃乃の言う通りこれは俺を助ける為にやってくれたんだよな…なら手段はどうあれ、感謝しないのは間違ってる。

 

「…すまん。それと助かった」

「う…急に態度変わるんじゃないわよ……」

「それは妃乃もだろうが…」

「別に私は…と、とにかく追わないと…!」

「いや無茶を重ねる気かよ…」

 

幸い立っていられない程の負担ではなかったらしいが…どうもそれが妃乃の闘志を後押ししてしまっているらしい。…安易に自分に甘い選択をしない、ってのは立派だが、それが無茶に繋がってんなら問題だな…。

 

「ちょっと全身が疲労してるだけよ、まだ戦えるわ…!」

「万全じゃない状況で魔人と戦うのは、どんな理由があろうと失策だ。…そうじゃないのかよ?」

「…それは…でも、追わないと……」

「…どうせあの傷だ、暫くは人を害するような事はしねぇよ。それに、ここへ辿り着くまでに俺は宗元さんの力を借りたんだ。宗元さんなら起きてる事を推測してもう部隊を展開してるだろうから、その部隊が遭遇すれば処理してくれるだろうよ」

「そうなの……え?…お、お祖父様に…?」

 

何としても奴を仕留めたい、仕留めておきたい…そう思う気持ちは分かる。だからこそ妃乃が安心出来るような言葉を言ったつもりなんだが……うん?どういう訳か妃乃は顔色を悪くして動揺してるぞ…?

 

「…なんか、不味い事言ったか…?」

「いや、その…お祖父様の力を借りたって事は、私の独自行動も知られたって事よね…?」

「そりゃ、まあ…完全にじゃないだろうが、妃乃が独自になんかしてたって事は察しただろうが…」

「……怒られる、絶対怒られる、絶対絶対怒られる…」

「え、ちょっ…妃乃さん…?」

 

怒られる怒られると呟きながらぷるぷる震える妃乃は、これまで見た事のないような状態だった。……う、うん…宗元さんに何度も怒られた経験のある俺としては滅茶苦茶分かるし、妃乃は性格的に怒られ慣れてない(怒られるような言動をしてない)のも大きいんだろうが…それにしたって、こんな状況でこんな姿見せるかね…。

 

「……天之瓊矛、やっぱりこれはまだ私には早かったのね…」

「そこまで!?そこまで落ち込むか普通!?いや返上しろとまでは言われないと思うぞ!?」

「……そう…?」

「どんだけショック受けてんだ…宗元さんの懐の深さ、知らないなんて事はないだろ?」

「…そうね…取り乱したわ、忘れて頂戴…」

 

見苦しいところを見せた。そう言いたげな様子の妃乃に首肯し、一先ず妃乃も落ち着きを取り戻す。…忘れられるかどうかは…まぁ、この際脇に置いておこう。

 

「…妃乃、動けるか?」

「え、えぇ…大丈夫、支えももう必要ないわ」

「だったら問題ないな。じゃ、帰…あー……」

「……悠弥?」

 

妃乃が無事で、魔人も逃げてしまった以上はもうここに留まる理由はない。見知らぬビルで見知らぬ男女に安否確認されても動揺するだけだろうからと四人の事は救急隊に任せる事に決め、帰ろうとした俺は……そこで気付いた。今の俺と妃乃が抱える、由々しき問題に。

 

「…支えが必要ないって言ったって、いつも通りの動きとはいかないよな?」

「…まぁ、多分…」

「……どうやって緋奈に説明するよ…?」

「あ……」

 

忘れてやがったな…?…とは言わない。だって俺も今さっきまですっかり忘れていたのだから。

 

「…帰ってすぐに部屋へ篭れば……」

「緋奈は絶対心配するだろうな」

「そうよね…悠弥は何か不味かったりしないの?」

「俺は怪我していたとしても服に隠れる部分だろうな。……手首を除けば…」

 

そう言って見せた右手首にあるのは、魔人に握られた生々しい痕。既にもう普段着で長袖を着るような時期ではなく、リストバンドや長手袋もいきなり着けたら変に思われてしまう。…つまり、俺も妃乃も言い訳を考えなければいけないのである。緋奈に霊装者や魔物の事を知られたら、俺がこれまでしてきた事が全て無駄になるのだから。

 

「…私と悠弥で喧嘩した、って事にする?」

「俺が動きに支障が出る程妃乃に暴力を振るったって知ったら、緋奈からの信用が地に堕ちるだろうが…」

「そうね…後考えたら私が悠弥にやられるってのは気に食わないわ」

「えぇー……ま、喧嘩なら俺は顕人としたって事にすりゃいいな。妃乃は…いっそもうちょい大きな怪我をしたって事にしたらどうだ?どうせそれじゃ学校でも誤魔化ししなきゃならねぇだろ?」

「…一理あるわね。それなら帰りに包帯か何かを仕入れないと…」

 

…これでまた一つ、緋奈に嘘を吐く事になる。あの日から少しずつ、何度も何度も重ねてきた嘘を、また一つ。……嘘を吐くのに慣れる事だけは、避けたいな…。

 

「怪我の言い訳はあっても、帰るのが遅くなったら疑われるんだ。包帯購入以外は余計な事せず帰るぞ」

「…そう、ね……」

「家まで結構な距離あるが、飛べるか?不安があるなら俺が……」

「……悠弥」

 

既に大分疲れ、自宅だったらすぐさまベットかソファに寝転がりたい気分だが、どんなに疲れてたって緋奈に疑われるリスクは負いたくない。だが、俺の言葉は…妃乃によって遮られる。

 

「…どうした?」

「…いや、その……」

「その?」

「…えっと、ね…あー…」

「…なんだよ、言いたい事があるならさっさと言え。てかゆっくりしてる場合じゃないって分かってるよな?」

 

妃乃にしては珍しい、歯切れの悪い言葉。人間いつだってはっきり言いたい事を言える訳じゃない、なんて事は分かっちゃいるが、早く帰りたい俺としてはつい急かすような事を言ってしまう。

普段こんな言い方をすれば、妃乃は言い返してくる。そういう良くも悪くも気が強い性格をしているのが妃乃な筈なんだが…今日は違った。

 

「…ごめんなさい。そうよね、話しかけておいてこれじゃ駄目よね…」

「あ…ま、まぁ分かってくれてるならそれでいいんだが…」

「…悠弥が急ぎたいのも、急がなきゃいけないのも分かってるわ。でも…少しだけ、時間をくれない…?もうえっととか言わず、ちゃんと話すから」

「……はいよ」

 

俺にとって緋奈に纏わる事は重要で、こちら側の世界の事を隠すのはその中でも最重要な事柄。…だが、今の妃乃からは真剣さを感じる。真剣に、本気で話したい事があるんだたという思いが伝わってくる。例え重要な事柄があったとしても……今の妃乃の思いを無視しようとは思わない。

 

「…悪いわね、こんな時に…」

「今話したい事なんだろ?…聞くさ、ちゃんと」

 

顔だけでなく扉の方へと向かおうとしていた身体も妃乃に向き直り、妃乃の前へ立つ俺。妃乃の方も意を決した顔を見せ、ゆっくりと語り出す。

 

「……私は今回、反省すべき事ばっかりだったわ」

「…魔人に嵌められた事か?」

「それもだけど、それだけじゃないわ。不用心に捜索をした事、貴方にきちんと話さなかった事、それでいて結局貴方に助けてもらった事…その場その場ではちゃんと考えて、ベストだと思える選択をしたと思ってたけど……こんな結果になっちゃった以上、私が浅はかだったとしか言えないもの」

「…そこまで自分を卑下しなきゃいけない事ではないと思うぞ?妃乃の考えてる事の全てを知ってる訳じゃねぇから、断言は出来ないが…状況的に仕方なかった、って部分もあるんじゃないのか?」

「だとしても、よ。運が悪かったとしても、仕方なかったとしても、私は貴方が助けてくれなきゃ魔人の手駒になっていたし、貴方の命も危険に晒してしまった。…それは弁明のしようがない、事実だから」

 

自分の非を認める事、反省する事は難しい。それを包み隠さず他者に伝える事は、もっと難しい。だからそれが出来るのは凄いと思うが…それが、何だというのだろうか。…いや、貶す意味での「それが何だ」ではなくどういうつもりなんだろうかという意味で…。

 

「…私はあのまま手駒になっててもおかしくなかった。或いは殺されてた可能性だってある。でも、それを悠弥が助けてくれた。……だから、ちゃんと私は貴方にお礼を言わなきゃいけないの。私を救ってくれた、貴方に」

「…………」

 

 

「……え、結論それ?ここまで長い前置きしておいて…結論、それ?」

「な……っ!」

 

これだけ前置きをするのだから、さぞ凄い事を言うのだろう…と無意識に思っていた俺だが……蓋を開けてみれば、何の事はないただの『お礼』らしかった。…礼を述べるのはそりゃ大事だが…えぇー……。

 

「わ、悪い!?悪いっての!?」

「…悪いってか…もっとすんなり言えないのかね…」

「うぐっ…い、いいのよ私が言いたいだけなんだから!悠弥は黙って聞いてなさい!」

「おおぅ…俺こんな高圧的な言い分でお礼言われるの初めてだよ…」

「五月蝿い五月蝿い!文句言うならお礼言わないわよ!?」

「…言わなくていいのか?」

「……それは…」

(口籠ってんじゃねぇか!面倒臭っ!なんか今の妃乃めっちゃ面倒臭っ!)

 

とんでもなく突っ込んでやりたい衝動に駆られたが、思いのままに言ってしまうと絶対もっと面倒臭い事になる。ほんとなんでお礼言われる側がこんなに気を使わにゃならないのか謎だが…ちゃんと聞くって言ったし、な。

 

「…妃乃。さっきも言ったが俺はちゃんと聞く。茶々入れられたと感じたなら謝る。だから……」

「…私も時間取らせておいてほんとにごめんなさい。もうはぐらかさないし、きちんと言う。だから……」

「…おう」

「…………」

 

胸の前で手を握り、目を閉じる妃乃。何も言わず俺も待ち、小さな深呼吸を経て……

 

「──助けてくれて、ありがとう。…その、悠弥が魔人に対して啖呵を切る姿…か、格好良かったわ。だから、ほんとに…ほんとに、ありがとう…っ!」

 

恥ずかしそうに頬を染めて、少しだけ俺を見上げて、やっとの思いで意を決したような瞳で……ようやく妃乃は、妃乃自身が言いたかったというお礼を口にした。それはそこまでしてか、と言いたくなるような様子だったが…同時にそんな姿こそ妃乃らしいなとも思った。……そう、俺が助けたのは…俺が何としても助け出したかった妃乃は、そういう人なんだから。

 

「……次また機会があったら、その時はもうちょっとスマートに言おうな」

「うん……って、何で上から目線なのよ!というか次またって何よ!私はもうこんなヘマはしない──」

 

 

 

 

「…それと、俺も妃乃を助けられてよかったよ。だから……ありがとな、妃乃」

「……──っ!」

 

なんだか俺の中の安堵の気持ちを触発され、つい普段なら気恥ずかしくて言えないような台詞を言ってしまう。言った直後にそれを弄られるのでは、と思った俺だが……妃乃はといえば、何故か顔を真っ赤にしていた。…よく分からない奴だな……。

 

「あー…礼は今言った訳だし、もういいんだよな?」

「…………」

「……妃乃、聞いてる?ってか聞こえてる?」

「ふぇっ!?あ、え、えぇ聞いてるわよ聞いてる!も、もう結構よ!」

「なんだその慌てよう…じゃ、帰ろうぜ」

「そ、そうね!じゃあ真ん中は瓦礫で出辛いから両脇の…」

 

暫し顔真っ赤のまま硬直していた妃乃は、今度はあからさまにあたふたする始末。しかも何故か妃乃が向かったのは……窓の方。

 

「いやいやいやいや!?え、まさか窓から出てく気!?そんな無作法スタイルで帰る気!?俺そこまで急げとは言わんぞ!?」

「あっ……いやっ、その、これは違っ……」

「……?」

「…う、うぅぅ……悠弥の馬鹿ぁっ!」

「えぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

謂れのない暴言を吐きながら廊下へと走り去る妃乃に、もう驚く事しか出来ない俺。しかもその後救急車を呼びつつビルを降りていくと、全力疾走は普通にキツかったのか一階の階段を降りた所で妃乃は壁に手を付いていた。……なんかもう、ギャグである。

 

「……ったく…手助け必要か?」

「い、要らない…私は貴方を待ってあげてただけなんだからね…!」

「待つならそもそも一人で行くなよ…」

 

そうしてやっと俺達はビルを後にし、空を飛んで自宅へと帰る。全くもって予想もしなかった形で魔人と戦う事になった今日だったが、終わってみれば俺も妃乃も無事。相当の苦労をする事となった一日だったが……何も失わずに済んだというだけで、良かったと思える俺だった。

 

(…にしても、ほんとさっきの妃乃はなんだったんだか……顔真っ赤にしてる姿も、慌てふためく様子も…ちょっと可愛かったけど、さ…)

 

 

 

 

 

 

 

 

……因みにその後、緋奈に何も伝えてないどころか任されていた夕飯の支度もしてない事に気付いて俺は滅茶苦茶慌てる訳だが…その時の話はまぁ、機会があったら…な。

 

 

 

 

夜の帳が下り、元々少ない人気が更になくなった街外れ。その中をふらついた足つきで歩く、一つの影。

 

「覚えているがいい…そして後悔しているといい…この私をこれ程までに侮辱し、私の逆鱗に触れた事を……」

 

自身を傷付け、疑わなかった圧倒的優位を叩き潰した二人の霊装者。その両者へ呪詛を吐くその影は、戦場であったビルより離脱した魔人に他ならない。

失った片腕を庇い、腕と胴の痛みに顔をしかめる魔人。だが、顔をしかめていながらも、その表情から笑みは消えていない。

 

「…今回は所詮まぐれの結果…生態系において下位の存在が、極稀に上位の存在に一矢報いるのと同じ事が起きただけさ…。…そう、これは一度きりの出来事。次は、次なんてものは……」

 

己の力を、強さを疑わない魔人の笑み。……だが、その笑みと言葉は、夜空より降り注いだ二条の光芒によって奪われる。

 

「…何……!?」

 

反射的に見上げた魔人が目にしたのは、今し方光芒を発生させたと思しき二門の砲を構えた少年の姿。自らの進路を阻んだその少年に対し、魔人は口を開きかけたが……すぐに気付く。光芒の消えた道の先に、大太刀を携えた少女が立っている事に。

 

「……突然何のつもりだい…?」

「その傷痕、妃乃のだよね?…って事は、妃乃が抱えてるものの原因もこいつで間違ってないよね?」

 

少女の言葉に、こくりと頷く少年。二人からすれば何でもない、普段通りのやり取りだが……魔人にとってそれは、自身の問いをわざと無視する悪辣な行為としか見えていなかった。

 

「…質問にはきちんと答えようか、お嬢さん。無関係の君には申し訳ないけど、今の私は非礼を許容してあげるような気分じゃ……いや…」

「…………」

「…その翼に、先程の言葉…あぁ、無関係ではないという事か。…ならば、早く立ち去る事だね。今すぐ私の目の前から消えるというなら、今回だけは見逃してあげようじゃないか…」

 

普段通りに余裕を持った態度を見せているつもりの魔人。しかし結論を急ぐその様は、傷付き普段ならばある筈の余裕を失っている事の裏付けでしかない。しかしそれは魔人と初対面である二人にとっては有益な情報とは言えず……それ以前に、今の少女にとっては意識すらしていない『些末事』だった。

 

「それだけ傷を負ってるって事は、多分妃乃は撃退出来たんだよね。うんうん、それなら一安心ってところかな」

「…もう一度言おうか、お嬢さん。質問にはきちんと……」

「……けど、妃乃を苦しめた事には変わりないよね」

 

それは、普段感情豊かで快活な少女が発したとは思えない程の、冷たい声音。二人が魔人の平時を知らないように、魔人もまた少女の平時を知らない訳だが…その声だけで、魔人の直感は理解した。目の前に立つ少女が、自身に多くの傷を追わせた忌まわしき少女に匹敵する力を有していると。

それと同時に魔人は気付く。彼女の言葉に、不可解な点があると。

 

「…いや、待て…お嬢さん。何故君は奴の言葉が虚言だったと知っている…」

「何故?何故って、そんなの妃乃から聞いたからだよ」

「聞いた?…嘘は頂けないよお嬢さん、君に教える機会なんて一度も……」

 

一度もない、と魔人は言おうとした。彼は常に監視を付けていたのであり、確かにその監視の上で真実を話した事は一度もなかった。…しかし、そこで魔人は思い出す。彼が監視をする中で一度、不可解な通話を行っていた事を。

 

「……まさか、あの時だと言うのか…?あの時、気付いたと…?」

「あの時って言うのがどの時かは知らないけど…多分そうだろうね」

「…馬鹿な…あんな不可解な言葉で理解しただと?そんな事、ある訳が……」

「──あるよ。あの時妃乃は自分の言葉に嘘があるって言ってたもん。…わたしにはそれが分かった。だから今、わたしはここにいる」

 

口調が変わった訳でも、声音が変わった訳でもない。だが気付けば、少女の放つ雰囲気は変わっていた。

ここでもし魔人がプライドを投げ捨て、死に物狂いで逃げる事を選択していれば、僅かではあるものの生き残る可能性があっただろう。だが……即座にその選択をしなかった時点で、魔人の結末は確定していた。

 

「魔人は霊装者の敵。けど魔人や魔物だって生きてるんだし、生きる為に戦ったり殺したりする事自体は否定しないよ。それに関してはわたし達だって同じだしさ」

「侮辱の次は戯論かい?…私も暇じゃないんだ、下らないお喋りをしたいならどこか別のところで……」

 

 

 

 

 

 

「……でも、妃乃を苦しめるような魔人は、生きてる必要もその価値もないよね」

 

月の光に照らされ煌めく、青い瞳と大太刀の刃。地上にありながら月明かりに引けを取らない、蒼き翼。双翼が宙を駆け、その双眸が、その刃が月光を反射し、彼女が闇夜に揺らめく光となった時……天之尾羽張は、振り下ろされていた。そしてこの日……一人の魔人が、討滅された。

 



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第五十六話 迫り来る試験の危機

家主である綾袮さんが持つ、類い稀な快活さによって日々明るい宮空宅。俺自身がなんやかんや言いつつもそこそこ綾袮さんの明るさに乗っかる事もあり、沈んだ空気となる事がそうそうなかった宮空家。……だが今日、宮空宅はかつてない程に暗い雰囲気となっていた。

 

「…こんな、こんな簡単に今の生活が終わるなんて……」

「……綾袮さん…」

 

項垂れた様子でソファに座る綾袮さん。彼女の瞳の絶望に染まった瞳は、焦点の定まらない様子でテーブルの足を映している。…そんな綾袮さんを、俺は複雑な心持ちで見つめていた。

何故、こんな事になってしまったのか。何があって、こんな事となってしまったのか。……それは、数時間程前に遡る。

 

 

 

 

これまで何度か受けていた、千嵜からのメール。それは妃乃さんに関する違和感の内容と相談で、それが来る度俺と綾袮さんは考えていた。そして今日、これまでとは違和感のレベルが違うメールを受け、それを見せた途端に綾袮さんは動いた。確信を持った様子で綾袮さんは協会に連絡を取り、祖父である刀一郎さんから情報を得て、街の外れへと飛んだ。その結果俺達は魔人に遭遇し、普段は見せる事のない冷たい様子で綾袮さんは魔人を両断し……俺達は今、双統殿にいる。

 

「まずは、二人共ご苦労だった」

 

俺達がいるのは、刀一郎さんの執務室。基本的に俺が刀一郎さんと会う時はこの部屋で、部屋の刀一郎さん本人の雰囲気で未だに俺はここに慣れない。…いや、多分慣れはしてるものの…緊張が解けない。

 

「限られた情報からの推測、迅速な行動、そして何より二人という少ない人数での魔人討伐。…此度の件を、私は高く評価している」

「お褒めに預かり光栄です、お祖父様。…でも、討伐に関しては妃乃と悠弥君が凄いんであって、わたし達がしたのは満身創痍の魔人にトドメを刺した事だけだよ?」

「…綾袮にしては珍しく謙虚だな」

「まぁ、大袈裟な事言っちゃうと妃乃と食い違っちゃうからね」

 

ここへ呼ばれたのは、当然先程討った魔人絡みの事。この件に関わってくるであろう事柄を一通り話して、それで今に至る。…因みにさっき刀一郎さんから情報を得て、と表現したけど、正しくは『刀一郎さん経由で時宮家の当主さんから情報を得た』模様。

 

「…しかし、満身創痍であったのならば生け捕りが出来れば尚良かったと言えよう」

「えー…魔人に欲を出すのは愚行だとわたし教わったけど…」

「ふむ…確かにそれは正しい。だが彼の報告を聞く限り、お前はそれを選択肢にすら入れていなかったようだが?」

「…それは…だって、あいつ許せなかったし…」

 

具体的な時期は聞いていないものの、綾袮さんは千嵜から相談を受ける前に妃乃さんから自分の状況を端的に表した電話を受けており、ずっとその時が来たら力になろうと考えていたらしい。一度きり、それも魔人に気付かれないよう支離滅裂な内容でまくし立てられたにも関わらずその意図を察し、近くにいた俺にも相談をかけた千嵜にも悟られないようその時を待っていた綾袮さん。そんな強かさも、魔人に見せた冷たさも…それは、普段の綾袮さんとはかけ離れた一面だった。

 

「…まぁ、過ぎた事は仕方あるまい。ともかく魔人の早期発見と討伐が出来たのだ、これ以上の事は言わないでおこう」

「…おじー様、もうちょっと褒めてくれてもいいんだよ?」

「ふむ……ならば御道顕人。貴君は新人としては十分な戦果を挙げていると言えよう」

「えっ、まさかのわたしじゃなくて顕人君への言葉…?」

「あ……はっ、ありがとうございます…」

「むぅぅ……」

 

執務室での会話とは思えない綾袮さんのラフさに対し、刀一郎さんは綾袮さんではなく俺を褒めるというトリッキーな返答を発してきた。勿論それに綾袮さんは驚いていたけれど、それ以上に驚いたのは振られると微塵も思っていなかった俺自身。…刀一郎さん…この流れで俺に振られても反応出来ませんよ…。

 

「ふっ……どうしても褒めてほしいのであれば、職務の外で言うんだな」

「はーい…それでおじー様、後始末は…」

「それは任せるといい。成果に対する報酬だ」

「よかったぁ…じゃ、もう夜遅いしわたし達は帰るね。顕人君、おじー様に何か言っておきたい事ある?」

「いや、大丈夫」

 

ならいいね、という事で綾袮さんは反転し、俺も一礼して後に続く。言われるがままに着いて行って、よく分からない内に魔人と遭遇して、その魔人を綾袮さんが一撃で仕留めて、その報告の為に双統殿まで来て……あれよあれよと言う内に事態が進む、今日はそんな日だった。

綾袮さんもやっとやるべき事が済んだと思っているのか、いつも以上に柔らかな表情。これは帰りに普段以上の饒舌となるかなぁ…なんて俺が思っていたその時、後ろから何かを思い出したかのような声が聞こえてきた。

 

「…そう言えば妃乃よ、そろそろ定期試験の時期ではないのか?」

「え"……?」

 

扉に手をかけたまま、金縛りにでもあったのかという位ピタッと止まる綾袮さん。出てきた声も何だか変で、俺はその場で首を傾げる。

 

「…えーと…綾袮さん……?」

 

本当に微塵も動かない綾袮さんの事が気になり、俺がそっと綾袮さんの顔を覗き込むと……綾袮さんの顔は、これまで見た事がない程の真っ青になっていた。

 

 

 

 

綾袮さんの様子がおかしくなったのは、間違いなく定期試験の話が出てきてからだった。刀一郎さんはほんとにただ訊いてみただけのようで、二言三言で定期試験の話は終わったけど……家に帰ってきてもまだ、綾袮さんのテンションは戻っていない。

 

「…えーと……」

「…………」

「…テストが嫌なのは分かるよ?テストを家族に気にされるのは勘弁してほしいってのも同感だよ?けど…そこまで落ち込む…?」

 

テストなんて本当に自信のある教科以外は嫌でしかなく、満点近くを取らない限りは家族にどうのこうの言われるのだから、家族からテストの話をされるのはそれ自体が憂鬱…というのはきっと全国共通の事。…でも、こんなプラスの感情を根こそぎ持ってかれたみたいな状態は明らかに普通じゃねぇ……。

 

「落ち込むよ…落ち込まざるを得ない状況だよ…」

「俺には落ち込みの程度が異様に思えるんだけど…てか一応訊くけど、これまでテスト受けてこなかったとかじゃないよね?」

「それはない…」

「じゃ、おかしくない?それともテストの話されると毎回そうなるの?」

「……それは、その…」

 

気持ちは分かるけど、どうも腑に落ちない俺。その状態で励まそうとしても上手くいかないだろうと思い、少しずつ踏み込んだ質問をしていくと…ほんの少し、綾袮さんは顔を上げた。そして……

 

「……わたし、これまで誤魔化してたの…」

「へ……?」

「わたしの成績が良くないのは知ってるよね?…でももう半年位テストの結果は教えてなくて、おじー様はわたしがそれなりの結果を出してると思ってるの…」

「え、えぇー……」

 

──綾袮さんの口から発されたのは、しょうもない…けれどある意味綾袮さんらしい理由だった。

 

「何故半年も前から…そして何故それなりの成績出してると思ってるの…嘘の報告でもしてたの…?」

「嘘っていうか…わたし、高校入って最初のテストは結構良い点だったんだよ。高校入る前は宮空家の娘として徹底した教育受けてたから…」

「う、うん…」

「でね、その時わたしは思ったの。なんだ、高校なんて勉強しなくてもいけるじゃんって…」

「……で、勉強しなかった結果どんどん成績が悪くなったと?」

 

俺の先を予想した質問に、綾袮さんは小さく頷いた。…うん、尚更しょうもない。あんまり勉強せずとも良い点が取れたりすると、その教科に対して油断しちゃうものだけど…その結果どんどん落ちてったなら、もう自業自得としか言いようがない。

 

「…って、ん?最初のテストってなると、入学直後のだよね?じゃあ半年どころか一年以上見せてないんじゃ?」

「ううん、その後は何度か見せてたんだよ…その時はまだ元々の知識のおかげで酷い点にはならなかったし、ある言い訳もあったから…」

「言い訳?」

「…高成績過ぎると変に注目浴びちゃうから、霊装者として目立たない方がいいだろう…って」

「普段学校でも賑やかな人がよく言うよ…というか、よくそれで納得してもらえたね…」

「わたしこれでも家で勉強してた頃はそれなりにきちんとやってたんだよ?…環境的にきちんとやらざるを得なかったってのと、宮空家に生まれた以上は当たり前の事だって思ってたのが主な理由だけどね…」

 

皮肉めいた顔でそう言う綾袮さん。言い訳に関してはほんとに「どの口がそれを言うんだか…」という感想しか抱かなかったけど、納得してもらえた理由は色々と複雑な気分になるものだった。

普通の家庭に生まれて、一般的な環境で育った俺は特殊な家系の事は知らない。裕福なら裕福で、権威ある家柄なら権威ある家柄で一般人にはない苦労や縛りがあるんだろうと前々から思ってはいたけど…いざ特殊な側である綾袮さんの話を聞くと、いつも複雑な気持ちになる。大変そうだとか、不自由そうだとか以上に、そう感じる事柄を何の変哲もなく話せてしまう『普通との乖離』が、どうしようもないやり切れなさを俺へ感じさせる。…でも、これは余計なお世話なんだろうな…綾袮さん自身が、これまでの人生を嫌だとは思ってないんだから。

 

「…わたし自身、ここまで一人だと落ちぶれるとは思ってなかったよ…」

「……え?あ、あぁ…よっぽど信頼されてたんだね…」

「そうみたい…でも偶然なのかどうかは分からないけど、今日おじー様は試験の事口にしてたでしょ?…あんまり気にしてなかったらわたしも上手い事『もう過ぎちゃった』とか『用紙はもう捨てちゃった』とか言って誤魔化せるけど…」

「……うん、理由は大方分かったよ。後、綾袮さんの株は絶賛暴落中だよ」

「今回ばかりは言い返せないよ…はは、さらばわたしの自立ライフ…」

 

綾袮さんが話を続けた事で俺も気を取り直し、最後まで綾袮さんの言葉を聞く。実際にそう決まってるのかどうかは知らないけど綾袮さんは『酷い成績が判明する=実家での生活に戻される』と考えているようで、先程からしきりにそれを嘆いている。そうなった場合俺はどうなるのかとか、という疑問はあるものの……それよりまず、俺はかなり基本的な事を訊いておきたかった。

 

「…えー…と、綾袮さん。…一つ確認していい?」

「……何…?」

「……勉強してテストの点を上げる、って発想はないの…?」

「…………」

「…………」

「……それが出来れば、苦労はしないよっ!!」

「あ、はい。そっすね…」

 

キッと感情剥き出しでそう言われてしまえば「あ、はい。そっすね…」位しか返せない。だってほら、絶望状態の女の子に感情剥き出しにされる経験なんてこれまでないし……。

 

「……っていやいや、そうじゃなくて…あのね綾袮さん。確かに今からやったって間に合う可能性は低いけど、ぶっちゃけこれ以外ってなると更に嘘を重ねるか不正を働くかしかないよ?」

「…それは、そうだけど……」

「どっちもリスク大きいし、綾袮さんだってこれは…特に後者は嫌でしょ?おまけにそれだと根本的な解決にはならないし、テストの内容だって毎回進むんだから、どっかで手を打たなきゃほんとにどうしようもなくなるよ?…赤点になっちゃったら、通知が行くだろうから誤魔化しも効かなくなるし…」

「…………」

「…だからさ、頑張ろうよ綾袮さん。俺は成績優秀って訳じゃないけど平均並み程度で良いなら教えられるだろうし、出来る範囲で手助けするからさ」

「…顕人君……」

 

ソファ前で膝を付いて、座る綾袮さんと同じ目線の高さになってそう伝える。綾袮さんが返答しなかったのは、綾袮さん自身頑張るしかないと理解しているからだと俺は思っている。綾袮さんなら不正なんてせず、実力で何とかする事を選んでくれると信じている。…そう思える位には、そう信じられる位には、俺も綾袮さんの事を知っているから。

俺が待つ中、綾袮さんはゆっくりと顔を上げる。上げて、俺に目を合わせて、それで……

 

「……わたしの家族、説得してくれる…?」

「そっちじゃねぇッ!」

 

……俺は綾袮さんが結構往生際が悪い事を思い出した。…これは明らかに分かっててやってやがるな…。

 

「でも、ほら…第三者の言葉って冷静に受け止めてもらえるし…万が一の保険の為にも、その案は練っておいた方が…」

「あのねぇ…全然関係ない人ならともかく、俺じゃ綾袮さんの差し金だって即バレるでしょうが。それに百歩譲ってそうするにしても、まともに説得の言葉を言えるのは綾袮さんのお父さんに対してだけだと思うよ?刀一郎さん相手じゃまだ緊張してガチガチになっちゃうだろうし、お母さんに至ってはまだ会った事もないし」

「そういえばそうだった……じゃあ、その…」

「その?」

「…どうして、わたしを助けようとしてくれるの…?」

 

まだ往生際の悪い姿を見せるか…と一瞬思ったものの、その後に綾袮さんが発した言葉は俺の行動に対する質問だった。……どうして、ね…。

 

「…それは俺にも無関係な話じゃないからだよ。俺は綾袮さんと同居中の身なんだからね。それに……」

「…………」

「いつも元気な綾袮さんがずっと落ち込んでたら、俺も調子が狂っちゃう。…理由なんて、そんなものだよ」

「…そっ、か……」

「もう少し壮大な理由がよかった?」

「……ううん。壮大な理由より、これ位の理由の方がいい」

「それなら良かった。…で、どうする?」

 

理由なんて大したものじゃない。でも大したものじゃなくたって手助けしたいという気持ちにはなるし、綾袮もそっちの方がいいと言ってくれた。

改めて綾袮さんの意思を訊く俺。綾袮さんは俺の言葉を受け取って……立ち上がる。

 

「…ここまで言われて動かなかったら、宮空家の…ううん、綾袮の名折れだよねっ!ありがとう顕人君、わたし頑張るよ!」

「綾袮さん…綾袮の名折れってところはよく分からなかったけど、その意気だよ!」

「うん!目指せそこそこの点数!ふぁいとー、おー!」

「おー……お?……お、おー!」

 

立ち上がった綾袮さんは、もういつもの明るさを取り戻していた。向日葵のような、輝く笑顔で頑張る決意を口にしてくれた綾袮さんに感化された俺も気分が高揚し、俺と綾袮さんは二人で拳を突き上げる綾袮の名折れとか、目指すところがそこそこの点数だとか、色々なんだそりゃなところはあったけど…まぁ、元気になってくれたしいいよね。……ほんとになんだそりゃだけど…。

 

 

 

 

「さて、今日はもう面倒なのでお弁当を買ってきました」

「うん知ってる。わたしも一緒に買いに行ったもん」

 

元気になった綾袮さんに安堵した俺は、弁当を購入し二人で遅めの夕飯を取っていた。…むぅ、綾袮さんに反応されたばっかりに、「誰に言ってんの?」状態になってしまった…。

 

「…お店のお弁当ってさ、スーパーの惣菜コーナーとかにあるやつでも普通に美味しいよね」

「そうだね〜。でも商品として売られてるものなんだから、個人の好みを無しに考えれば美味しいのは当然じゃない?」

「まぁそりゃそうだけど…てか、高級料理に慣れてる綾袮さんでもお弁当を美味しいって感じるの?」

「感じるよ?料理にかかってるお金と味は必ずしも比例する訳じゃないし、凄く美味しいものを味わったら程々に美味しいものを美味しく感じられなくなる…なんて事もないしね。…あ、別にお弁当を程々の味って言ってるんじゃないよ?」

 

テーブルを挟んでの会話は、THE・雑談。綾袮さんの調子が戻ったんだから、会話も普段通りのものになるのは当然の話。…では、あるんだけど……

 

「……綾袮さんってさ、かなり能天気な人だったりする?」

「え、何その失礼な質問。それに素直にYESと答える人いると思う?」

「はは、だよね…能天気云々は置いとくとして、実際のところ綾袮さん分かってる?」

「…と、言うと?」

「テストに関してまだ何も解決してない、って事」

 

綾袮さんが元気になってくれた事はよかったけど、それでめでたしめでたしとはいかない。問題…というか達成しなきゃいけないのは『家族に見せられる程度の点数を取る』事で、今のところは頑張る決意をしたに過ぎないんだから。スタートラインに立つだけでも意味はあるけど……スタートラインは所詮スタートライン、そこから進まなきゃ結果には繋がらない。

 

「…家族が頑張った過程を考慮してくれるならいいけどさ、その場合って言ってみれば『だらけた結果落ちた学力を慌てて立て直そうとしましたが、無理でした』って形になる訳だし、そこからこれまでの嘘がバレるのもほぼ確定なんだよ?そこまで含めて分かってる?」

「……分かってるよ、分かってるし内心不安もある。…でも、元気付けてもらったんだから落ち込んでる訳にはいかないでしょ?」

 

落ち着いた顔で、でも落ち込んだ様子は見せないで綾袮さんは言う。…あぁ、それならば安心だ。気楽に構えてるんじゃなくて、分かった上でいつも通りにいられてるなら、切羽詰まった様子をしているよりずっと安心出来る。

 

「それに顕人君がさっき言ったじゃん、わたしが意気消沈してると調子が狂っちゃうって」

「あ、あぁ…確かにそうは言ったけど、別に俺に気を遣う必要はないからね?」

「それは大丈夫。…というかわたしのせいで顕人君まで暗くなってたらわたし余計に気が滅入っちゃうと思うし、明るくいるのは自分の為でもあるんだよ」

「…だったら、問題ないね」

 

綾袮さんはどうかと思う部分も多いけど、心の強い人だと思う。特別な家系に生まれて、いくつもの戦場を経験してきた人なんだから、その強さは当然と言えるのかもしれないけど…それ等を強さの糧にしてきたのは、綾袮さん自身。そんな綾袮さんならきっと何とか出来る…確証はないけど、そう確信している俺だった。

 

「さ、それじゃあ明日から頑張るよ綾袮さん。俺は教師でも優等生でもないんだから、綾袮さん自身の努力も欠かさないようにね?」

「勿論だよ、顕人君。こうして手伝ってもらうんだから、わたしは本気でやるよ!」

 

再び立ち上がる綾袮さん。同じく俺も立って、俺は協力の意思を、綾袮さんは頑張る意思を見せて……にっ、とお互い笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……にしても、頑張るのは今日からじゃなくて明日からなんだね」

「そりゃ、今日は疲れたし。疲れてる時には休むのが一番なんだよ、うん」

「わー、なんて休むのに寛容な人。…でも、そういう人は嫌いじゃないよっ!」



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第五十七話 お勉強、開始

綾袮さんのテスト勉強を手伝う上で、最も大切なのは何か。……それは、手伝う俺自身がきちんと勉強を行う事。別に家庭教師をやる訳じゃないから、全教科のテスト範囲を完璧にしておく…なんてレベルに仕上げる必要はないと思うけど、それでも綾袮さんを引っ張っていける程度にはなっておかなきゃいけない。で、なんだかんだ言っても一番のテスト対策は学校(や塾等)の授業をちゃんと受けておく事だから、俺は普段以上にしっかり先生の話を聞き、板書を行っていくつもりで授業に望んでいる。俺はちゃんと授業を受けたい。…受けたいんだが……

 

「…へへ…触り心地抜群だぜ……」

 

……すぐ近くの席にいる千嵜の寝言が、非常に鬱陶しかった。

 

(普段から千嵜は寝てる事あるからそれ自体はいいが…なんで今日に限って寝言言ってんだよ!言うならせめて聞こえない位の声で言えよ!てか、触り心地抜群って何!?何の夢見てんの!?)

 

真面目に授業を受けようとする中で、気持ち良さそうに寝ながら寝言を呟く奴がいるというのは非常に鬱陶しい。もう気が散っちゃって散っちゃってしょうがない。くそう…なんで今日なんだよ!なんで本気で授業受けたい時になんだよ!…普段言ってなかったかと言われるとちょっと自信ないけど…とにかく叩き起こしたい!黙って寝ろと言いたい!

 

(……って、んな余計な事考えてる場合じゃねぇっての…!)

 

黒板に書かれた内容はよっぽど遅れない限り何とかなるけど、口頭でしか説明されない部分はその瞬間を逃してしまえば即アウト。聞いていない間に「これに似た問題テストでも出すからなー」とか言われてしまったらもうやりきれない気持ちになるんだから、千嵜の事を気にしている場合じゃない。…集中しろ俺、綾袮さんだって頑張ってるんだから。

 

 

…………。

 

(…え、頑張ってるよね!?寝てたりしないよね!?)

 

千嵜同様夢の世界へダイブしてるんじゃないかと慌てて綾袮さんを見る俺。授業中寝ちゃ駄目だよ?…とは言ってないけど…授業中に寝てるんじゃ話にならないし、俺も流石にそれはイラッとくる。昨日のやる気は嘘だったのか、と怒りたくなる。

……が、見てみれば綾袮さんはノートにシャーペンを走らせていた。どうやら俺の不安は杞憂だったらしい。

 

(…よかった……なら、俺も気は抜けないね…)

 

軽く頭を振って、気持ちを整える。綾袮さんの為とはいえ、頑張るよう言ったのも、協力するって言ったのも、それは俺自身。綾袮さんに協力してもらう者としての責任があるならば、俺にはやる気にさせた者としての責任がある訳で、俺はその責任を全うしたいと思っている。そしてその為にはやはり、俺は授業に集中しなければならない。

そんな思いで授業を受ける事数十分。それからの俺は無事授業に集中する事が出来て、時間は昼休みへと突入した。

 

「はぁ……これで午前中は終了、っと…」

「疲れてんなぁ…もう高校入って一年以上経ってるのにそれじゃ、受験なんて乗り越えられないぞ?」

「……千嵜、ぶっ飛ばしてやろうか…?」

「返答怖っ!?え、ちょっ、御道!?お前の突っ込みってそんな物騒だっけ!?」

「誰のせいで疲れてると思ってんだ…!」

「いや知りませんが!?てか流れ的に俺のせい!?……まぁ、それだったらすまん…」

「直接的には千嵜だが、間接的には綾袮さんのせいだ…!」

「なら半分は八つ当たりじゃねぇか!」

 

直接悪事を働かれた訳じゃないものの、集中の邪魔を大いにされた俺はその仕返しを実行。若干ギャグテイストになっちゃったが…うん、相手に全力突っ込みさせるって結構気分良いねこりゃ。千嵜や綾袮さんが俺にしっかり突っ込ませたい気持ちが少し分かるわ…。

 

「…ったく…俺が悪い部分は不満持たれても仕方ないが、綾袮の分まで不満ぶつけんなよ…」

「あれは冗談だよ、少なくとも千嵜へと違って綾袮さんには不満持ってる訳じゃない」

「冗談なら冗談でタチ悪いっての…てかおい、その呼び方でいいのか?」

「ん?…あー…聞かれてる感じないしいいでしょ。聞かれても他の所で宮空さんって呼んでいればその時は偶々か、って思ってくれるだろうし」

 

クラスメイトや学校の人に綾袮さんとの同居をバレないようにする為、変な関係だと思われないようにする為、俺は学校では宮空さんと呼んでいる。……が、それ以外の場所じゃ大概綾袮さんと呼んでるし、一日の内口にする回数も『宮空さん』より『綾袮さん』の方がずっと多いからか、最近はつい学校でも綾袮さんと言ってしまうようになってしまった。…改めて考えると他人の人の呼び方なんて、興味ない人の場合は気にも留めないものだし綾袮さんで統一しちゃってもいいかなぁ…。

 

「御道がそれでいいなら構わないがな…ふぁぁ…」

「眠そうだねぇ……昨日の事でよく眠れなかった?」

「よく眠れなかったってか、疲れがちゃんと取れてないんだよ。…っとそうだ、俺と妃乃の尻拭いさせて悪かった」

「尻拭い?…あぁ、そういう事か…問題ないよ。俺は綾袮さんに着いて行って一発撃っただけだから」

 

昨日の話で尻拭いと言われれば、満身創痍の魔人にトドメを刺した事以外あり得ない。…というか、魔人と戦ったのに千嵜は殆ど怪我してないんだな…妃乃さんはそうでもないみたいなのに…。

 

「…魔人とはどんな戦いになったの?」

「それを話したら長くなるんだが…ま、かなり精神をすり減らされたさ。…俺以上に妃乃は大変だったと思うけどな…」

「…二人共無事でよかったよ」

「俺もそう思ってるさ」

 

いつもは斜に構えているというか、どこか本気じゃないような顔をよくする千嵜だけど…今この瞬間は、良い微笑みを浮かべていた。……が、それも数秒間の話。俺が「良い顔してんなぁ…」なんて思っている間に、その表情は枯れていった。

 

「……ほんと、戦いが終わった直後は心から安堵してたんだがな…」

「…その後になんかあった?」

「その後ってか、帰ってからちょっと…」

「……?」

「……緋奈を誤魔化すの超疲れた。しかも夕飯作り忘れたから、緋奈の作った夕飯食う羽目になった…」

「あー……」

 

疲れた様子の千嵜に俺は苦笑い。確かに何も知らない妹へ上手く誤魔化すのは大変な気がする。後、妹さんの作る料理は決して美味しい訳じゃない事も知っている。…知らせない事を選んだのは千嵜自身だし、作り忘れたって事はこっちも千嵜のミスなんだろうけど……

 

「…同情するよ、千嵜…」

「はは、世の中以外と一難去ってまた一難があるもんだよな…」

「ほんと、どんまい…」

 

生まれ変わっている千嵜は、二度の人生での年数を合わせると二十歳を余裕で超えているらしい。……だからだろうか、苦労を語る千嵜からは哀愁をひしひしと感じられた。

 

「…まあ、いいんだそれは。一先ず過ぎた事だし。てかそろそろ昼飯食おうぜ?」

「あ、そうね。…というかさ、兄妹の事を差し引いても昨日は大変だったんだし、一日位休んだってよかったんじゃないの?協会もそこまで厳しくはないだろうし、妃乃さんもそっちの方が楽だろうし」

「それはつまり、更に緋奈へ嘘と誤魔化しを重ねなきゃいけない事になるんだが?」

「おっと、その問題があったか…マジで大変っすね…」

「そう思ってくれるなら課題写させてくれませんか、優しい優しい御道さんや…」

「この流れで言うのはセコいなぁ…いいけどさ」

 

弁当袋から一旦を離し、俺は課題のプリントを千嵜へ。こうも苦労を語られた後にお願いされれば、俺はどうにも断る事が出来ない。…まぁ、苦労を聞いてなきゃ渡さなかったかと言われるとそうでもないけれど。

 

「頂きます、と。…訊くまでもない質問だけど、千嵜テスト勉強は?」

「俺がテスト対策頑張ってると思うか?」

 

昼食を取り始めたところでふと訊く俺。普段こんな質問はしないけど…やっぱこれも綾袮さんに協力してる最中だからかなぁ…。

 

「だと思った…点数とか大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないが、大丈夫だ。家にテストや成績を見せなきゃいけない大人はいないからな」

「…千嵜さ、さらっとそういう事言うのはどうなの?俺はまぁ千嵜がそういう奴だって知ってるけど、然程親しくない人は今の発言聞いたら申し訳なく思うかもよ?」

「俺にとってはもう乗り越えた…ってか、事実として認めてる事だからつい言っちまうんだよ…悪いな、気を遣わせて」

「気を遣ったっていうか、なんていうか…とにかく気を付けた方がいいと思うよ、相手の為にも自分の為にも」

「へいへい。…これだとお前が俺の親みたいだな…」

「お前みたいな子供いるか。…あ、でも緋奈さんみたいな娘なら…」

「おいコラ、俺から言ったとはいえ何変な想像してんだ」

 

心配してみたり真面目な話になってみたり冗談を言ってみたり。我ながら実に多彩、或いは脱線しまくりな会話だけど、そういう雑多なのが昼休みでの会話というもの。……というか、こんな感じに気を抜かなきゃ午後の授業で集中出来ない…。

 

「…はぁ…魔人戦の翌日だろうとテスト前だろうと平常運転なところはある意味凄いよ…」

「ある意味じゃなくて普通に凄いと思ってくれよ。…んで、お前はどういう理由で疲れてんの?」

「お前が寝言言ってたから」

「俺の寝言はポケモンの技かよ!?…そうじゃなくてだな…」

「分かってるよ。…ちょっと色々あって綾…宮空さんのテスト勉強を手伝う事になってね…」

「勉強の手伝い、ねぇ…俺なら絶対出来ない事だな、うん」

「堂々と言う事じゃないよそりゃ…」

 

そんなこんなで食事を取りつつ過ぎる昼休み。食事して駄弁ってじゃ身体的な疲労の回復にゃイマイチ繋がらないけど、精神的な疲労は幾分か回復する。…疲労の原因の一つと談笑して回復、っていうのも中々に皮肉だけどね。

……と、言う事で午前の授業と昼休みは終了。一応のリフレッシュが出来た俺は気持ちを引き締め直し、午後の授業に精を出すのだった。

 

 

 

 

「綾袮さん、準備はいいかね?」

「世界はいつか終わるって誰かが噂してるの?」

「してないよ歌のワンフレーズじゃないよ歌わないよ!後それを言うなら準備は『いいんかね』だよっ!」

「わお、矢継ぎ早な突っ込み…ふざけてごめんなさい…」

 

その日の夜。夕食を終えた俺と綾袮さんはリビングのテーブルを囲んで勉強道具を出していた。……で、準備はどうか訊いたらいきなりこれである。

 

「…綾袮さんさ、俺だって怒る時は怒るし、今のは普通にイラッときたからね?ボケとしては悪くなかったから突っ込んだけど」

「う、うん。ほんとにごめんなさい、反省します」

「そうしてよね…で、準備は?」

「出来てます!」

 

びしっ、と何故か敬礼する綾袮さん。やる気を見せたかったのか、どうしても小ボケ位は入れたいのか…まぁ、今のはちょっと可愛かったしいいか…。……こほん。

 

「じゃ、今日は現代文をやろうか。と言っても現代文の用意してって言った時点で分かってると思うけど」

「一教科だけでいいの?」

「いいの、今日教えようと思ってるのは勉強そのものじゃなくて、現代文の勉強法と攻略法だし」

「え、攻略法?そんなありがたいものが?」

「あるんだよ。…と言っても、ゲームの攻略法と違ってその通りにやれば確実、なんてものじゃないけどさ」

 

あからさまに目を輝かせる綾袮さんに、俺は軽く肩を竦める。こうも嬉しそうにされちゃうと、逆にプレッシャー感じるなぁ…まぁ、今から話すのは下準備みたいなものだから間違える事は無いと思うけど…。

 

「確実じゃなくても攻略法があるだけで大助かりだよ!ささ、ご指導どうぞ!」

「ご指導どうぞって…こほん。ならまず綾袮さん、現代文のテストはどういう構成してるか覚えてる?」

「構成?…漢字の読み書きとか、文章読んで答えるやつとか、敬語の使い方とか?」

「そうそうそれ。大まかに分けると、テストは漢字の読み書き、作文の読解問題、言葉の活用やら敬語、それと作文…って感じに分かれてるんだよ」

「そうだね、わたしだってそれ位は分かってるよ」

「だよね。…ならそれを踏まえてまず一つ目。漢字の読み書きは、優先順位を一番低くしても構いません!」

 

満を持して…はいないけど、上手い事流れを作って言った方法その一。案の定綾袮さんはきょとんとした表情。…あ、この反応嬉しい…。

 

「…いいの?優先順位とか付けず、満遍なくやった方がいい気がするけど…」

「それはその通り、でも全教科満遍なくやってたらとんでもない量になっちゃうからね。で、漢字を低くしていいのは効率の問題なんだよ」

「効率、って…毎回漢字は数十から数百字っていう沢山の中で出題されるから、って事?」

「それプラス配点だよ。漢字と読解問題の大体の配点覚えてる?」

「えと、漢字は10点位だよね?それで読解問題は…あー、そっか。そういう事ね」

 

理解した様子の綾袮さんに俺は首肯を一つ。かなりの範囲から出るにも関わらず10点前後の漢字問題と、30〜40点になる読解問題ならどっちが高効率かは火を見るより明らかだよね。

 

「おまけに漢字の場合、元々知ってる字が出てくる可能性もあるからね。網羅しても10点前後しかとれなくて、逆に全く点を取れなくても10点前後しか損にならないのが漢字なんだから、これを優先するのはあんまり賢明とは言えないんだよ」

「そう考えると、漢字の問題って酷いトラップだねぇ…」

「あはは、まぁ漢字は漢字で引っ掛け問題と呼ばれるものがまずないから、ちゃんと覚えれば確実に取れるって面もあるけどね。文章をちゃんと読まなくて誤字する可能性はあるけど」

「ふむふむ…じゃ、逆に一番優先するべきなのはどれ?やっぱり読解問題?」

「そうだね、これは人によるかもしれないけど俺は読解問題を押すよ」

 

漢字は後で、と女の子らしい丸っこい字でノートにメモして次の質問を投げかけてくる綾袮さん。綾袮さんの積極性に安心感を抱きつつ、俺は説明を続ける。

 

「読解問題は基本二つ。その内片方は授業中やった文章が出てくるから、そこにまず重点を置くんだよ」

「それは、その文章をやった時点である程度の理解が出来てるから?」

「それもあるし、授業で使ったものなら先生がプリント作ってくれたりドリル的なのがあったりするからね。プリントやらドリルやらからそのまま同じ問題が出る事もあるんだよ?」

 

先生だって人間で、教える立場な以上は努力している子が報われてほしいと思っている筈。だからきっとその努力が直接反映される形として、『同じ問題を出す』という事をする先生がいるんだと思う。…少なくとも俺なら、引っ掛け問題や授業とは関係ない知識が必要になる問題を増し増しにはしたくない。

 

「そうだったんだ…わたしそういうの全然やってなかったから知りませんでした、てへっ☆」

「はいはい。読解問題の次に優先するべきなのは、言葉の活用やら敬語やらね。と言っても作文は題材が分からない以上対策が出来ないし、消去法での優先だけど」

「がーん、軽く流された…漢字よりは優先するべきなの?」

「活用にしても敬語にしても、一応は当てずっぽうが効くからね。よっぽどの幸運でもない限り大体外れるだろうけどさ」

「運かぁ…まあでもわたし、敬語なら割といけるんだよね。双統殿行けば敬語に接する機会なんて幾らでもあるし」

「あー、そういやそっか。考えてみれば綾袮さん意外とちゃんと敬語使えてるもんね。普段は使ってないだけで」

「む、意外とは心外だなー」

 

意『外』と心『外』をかけたっぽい言葉で綾袮さんは不満を述べてくるものの…実際意外だったんだから仕方ない。っていうか最初は綾袮さんがお嬢様だって事自体知らなかったんだから。……さて。

 

「ここまでが攻略法…てか、攻略順だね。ここから話すのは、どういう勉強の仕方をすればいいかだよ」

「努力あるのみ!とか言ったらわたししょんぼりモードに逆戻りするからね?」

「何その新手の脅し…けど残念。漢字や活用は何度も書いたり読んだりして覚えるしかないね」

「えぇー……そこを何とか!」

「何とかも何も、俺だってそれしか手段思い付かないし…後更に言うと、作文もそうだよ?これに関しては読書をして文章を学ぶって手もあるけどさ」

 

結局のところ、勉強というのは反復練習であり、効率を上げる為のコツはあっても楽に点数を稼ぐ手段なんてあんまりない。……そう、()()()()ないのだ。

 

「ぶー、顕人君のけちんぼ…」

「出し惜しみしてる訳じゃないんですが……あーあ、でもそんな言われ方されるとやる気なくしちゃうな〜。折角読解問題で楽出来るやり方を教えてあげようと思ったのになー」

「えっ……?…や、やだなぁ顕人君。今のは冗談だよ冗談。ひゅーひゅー、顕人君の太っ腹〜!格好良いよー!」

「うっわ、清々しい程の掌返し……はいはい大丈夫大丈夫、ちゃんと教えますよー」

「やった、それじゃあ伝授カモーン!」

「…………」

 

ご指導どうぞ!…の次は伝授カモーン!…だった。この人ほんとに本気なのかなぁ…それともまさか、おふざけが身体に染み付き過ぎて真面目にやっててもこうなっちゃうのかねぇ…。……と、それはさておき。

 

「一つ確認だけど、綾袮さん記憶力が悪かったりする?」

「記憶力?…どーだろ…多分極端に悪かったりはしないと思うけど…」

「なら大丈夫かな。…えー、ドリルもプリントも、ぶっちゃけ何回もやり直す必要はありません。それなりに記憶力があれば一回やれば十分だよ、基本」

「え、そなの?」

「そなの」

 

目を瞬かせる綾袮さんに、そのまんまの言葉を返す俺。そのまんま返した意味は……特に無い。

 

「…一応訊くけど、一回で全部覚えちゃえ的な事じゃないよね?」

「違うよ?現代文…ってか国語の読解問題は、数式や人物名みたいに決まった答えがある訳じゃないのは分かってるよね?…重要なのは出題の意図に合った回答を書く事。その上で絶対入れなきゃいけない単語があったりはするけど……」

「それと全体のイメージさえ頭に入っていれば、後はうろ覚えでも正答を書ける…って事だね。でもそれ、一回で頭に入るかな…?」

「ちゃんと自分で考えて、実際に書いて、その後回答を見て書き直す事をすれは、割と覚えられるものだよ。その一連の行為って、実は反復練習になってる訳だからね」

「そうなのかなぁ…いやでも、考えてみるとわたしも真面目に勉強してた頃はそういう事してたし……そう考えると、あながち間違いでもないのかも…?」

「俺が嘘を教える訳ないでしょうが…一回で十分って言ってもそれはその一回を真剣にやる前提での話だから、そこは勘違いしないようにね?」

 

長時間だらだらとやるより、短時間でも集中してやった方が身につくというのは運動でも勉強でも同じ事。それは霊装者の訓練でも同じだったんだから、きっと分かってる事だよね…と俺はそれ以上の釘を刺す事はしなかった。

そうして俺はこれまでの経験から得た知識を、余す事なく綾袮さんに伝えていった。ちょこちょこボケる綾袮さんも、よくよく見てみればちゃんとメモをしたり質問をしてきたりしていて、綾袮さんは綾袮さんなりにやる気を持って聞いているんだという事が次第に伝わってきた。…そういう気持ちで聞いてもらえるのは、やっぱり嬉しい。

 

「……ってな訳で、時間が余ったら取り敢えず埋めてみるといいよ。読解と作文…特に作文は部分点だけならそこそこ楽に狙えるからね」

「はーい。後はどこ気を付けたらいいかな?」

「後は……もう思い付かないかな。これ以上の事は、むしろ俺も教えてほしいよ」

「そっかぁ…でも、今教えられた事だけでもなんだか高得点が取れそうな気がしてきたよ!まだ最初だけどありがとね!」

「ならまだ最初だけどどう致しまして。……けど、まだ実際の勉強は何もしてないんだからね?それは分かってる?」

「分かってる分かってる。顕人君もまだ沢山教える役目が残ってるんだから、気を抜いちゃ駄目だよ?」

「了か……いやだから何故偶に謎の立場からの言葉になるの!?流石にそろそろ突っ込まないと俺気になっちゃってしょうがないよ!」

 

ところどころでボケと突っ込みが差し込まれたり、何やら話が脱線したりと些か真面目さに欠ける勉強会初日。まだまだやらなきゃいけない事は沢山あるし、俺自身も勉強しなきゃいけないから安心には程遠いけど……期待の持てる初日ではあったんじゃないかなぁ、と思う俺だった。

 

 

 

 

「……ところでさ、こんな真面目に勉強のコツを描写する必要あった?」

「それは、まぁ…はは……」

 

……例えその通りだったとしても、触れちゃいけない事ってあるよねっ!



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第五十八話 うっかりは危険

一波乱あったあの日から数日。翌日御道にも言ったように緋奈がいる以上俺は普段の生活を崩す事は出来ず、それまでと何ら変わらない毎日を送っていた。

 

「なーんで登校時散々日光浴びたのに下校時も浴びにゃならんかねぇ…」

「またよく分からない文句言ってるね…」

「シンプルにしょうもないわね…」

 

俺に緋奈に妃乃と、千嵜宅の現住人全員で歩く帰り道。同じクラスじゃない(というか学年が違う)から一緒に帰ろうとするとどちらかが待たなければならず、そもそも帰れば翌日の朝まで同じ家にいるんだからという事で、緋奈と共に下校する事は普段あまりないが…今日は偶々学校を出る前に鉢合わせた為に、一緒に帰る事となった。

 

「いやいや、この時期日の光で感じる暑さは侮れないって。…てか、女子はもっと日光気にするもんじゃねぇの?」

「気にするまでもなくケアするのが女の子なんだよ?お兄ちゃん」

「日焼けは蓄積するんだから、強くなる前から対策をしておくのは当然の事よ」

「あ、そうなの…しっかりしてますな……」

 

軽い気持ちで質問してみたら、思ったよりも真面目に返されてしまった。…女子って大変だな。

 

「…とはいえ、日が強くなってきたのは事実よね。そろそろ扇風機出しておいたらどう?」

「妃乃、人任せは良くないぞ」

「私扇風機どこにしまってるのか知らないんだけど…いいわよなら悠弥には訊かないから。緋奈ちゃん、扇風機とストーブのしまってある場所教えてもらえる?」

「どっちも二階の物置きに置いてありますよ。正確には物置き部屋として使ってる空き部屋ですけど」

「おい、何で今緋奈にストーブの場所まで訊いたんだ。まさかストーブを俺の部屋に置くつもりじゃないだろうな?」

「あら、私は寒くなったら必要になる物の場所も確認しただけよ?」

「どうだか……」

 

最早これも日常の一ページとなってしまった俺と妃乃のやり取り。良い意味で遠慮なく出来るこういうやり取りは中々悪くなくて、疑いの表情をしつつも内心で面白がってた俺だったが……今回、そのやり取りは不味かった。

 

「あれ?寒くなったらって…妃乃さんは結構長くいる予定なんですか?」

『あ……』

「あ……?」

 

凍り付く俺&妃乃。小首を傾げる緋奈。普段は思い出す理由もないから記憶の中で風化しつつあったが……妃乃の居候に関して、緋奈へは『一時的なもの』として説明していた。そしてその設定と今の発言を組み合わせると「一時的にしては妙に長い…」という感想が生まれてしまうのであり……それはよくない!非常によくない!

 

(な、なに要らん疑惑を持たせるような発言してんだ!?)

(うっ…確かに今のは私のミスだけど、元を辿れば貴方にも非はあるでしょうが!)

 

咄嗟に俺と妃乃はアイコンタクト。だが今は互いに文句を言ってる場合じゃない。俺から話したら変になるから、こっち見てないではよ誤魔化せ!……という意思を視線に乗っけて妃乃へぶつけると、それが伝わったからなのかどうかは謎なものの、すぐに妃乃は顔の向きを緋奈の方へ。

 

「あ、あー…そういえば話してないんだっけ?物件の件なんだけど、えっと…私が想定していた以上に厄介な事になってるみたいなのよ…」

「そう、なんですか…?」

「えぇ、中々良い知らせが入ってこなくて…」

「だから寒くなってからの事まで……すいません、込み入った事情を軽々しく訊いて…」

 

慌てた状態且つ即興だったからか、妃乃の説明は少しぎこちない。…が、そのぎこちなさが逆に『話すに話せなかった事情』と緋奈の目には映ったのか、即座に妃乃の話を信用してくれていた。…あ、危ねぇ…怪我の功名に助けられた……。

 

「ごめんなさいね、長くお世話になっちゃって」

「い、いえ!別に嫌って訳じゃないんです!妃乃さんからは色々学ばせてもらってますし、冬まで居てくれても全然構いませんよ!お兄ちゃんもそう思うよね?」

「ん?…ま、そだな。妃乃が居てくれた方が家事の負担も減るし」

「緋奈ちゃん…ほんとに貴女って良い子ね…うん、本当に良い子……」

 

妃乃を気遣ってか慌てて緋奈はフォローを入れ、それを受けた妃乃はじーんときているような表情を浮かべていた。……だが、よく見るとちょっと申し訳なさそうな顔でもあった。…まぁそりゃそうだよな…嘘で気遣わせちまってる訳だし……。

 

(…さっきは文句ぶつけちまったが…妃乃は俺の嘘に『付き合って』くれてるんだよな…緋奈に俺の都合で真実を隠して、それに妃乃を加担させて……勝手な人間だな、俺は……)

 

自分が立派な人間じゃない事は百も承知で、今歩いている乃が俺の我が儘によって出来ている道だって事も分かってる。……けど、分かってるから何だってんだ。自覚があるだけマシ、なんて迷惑受けてる人にとっては何の益にもならないんだから。

 

「……だったら、その代わりに俺は何が出来る…って事だよな…」

『……何が?』

「いや、独り言だ。それより緋奈、テスト勉強はちゃんとしてるか?」

「全くしてないであろう貴方がそれを緋奈ちゃんに訊くの…?」

「訊くのに自分がやってるかどうかは関係ないさ」

「やってない事は認めるんだ…じゃあ、もし分からない事があってそれを訊きたかったら?」

「妃乃に訊きなさい」

『…………』

 

緋奈に本当の事を話すなんて論外だし、今更妃乃にもう合わせてくれなくてもいいなんて言えない…というか、前者がある以上合わせてもらわなければ今の生活は成り立たない。マイナスが取り除けないのなら、何か別の部分でプラスを生み出して打ち消すしかない。緋奈や妃乃にとってのプラスを俺が生み出せるかどうかは分からないが……出来る限りの事はしたいと、俺は思う。

 

「……ん?なんだ、『駄目だこの人……』みたいな顔して」

「みたいな、じゃなくて実際そう思ってるのよ」

「ひっでぇなぁおい…緋奈、こんな冷たい人間になっちゃ駄目だぞ?」

「…ごめんね、お兄ちゃん…わたし、妃乃さんに同意見だから…」

「ひっでぇなぁおい!ほんと二人は俺に対して容赦無いよな!くそう!」

 

……うん、なんか早速やる気を削がれてしまった感はあるが…ま、まぁとにかくやれるだけやろう!やってやろうじゃないの!まだ具体的にどうするかは全く決まってないけど!

とかなんとかしている内に、気付けばもう家の側。大半が毒にも薬にもならない会話だったってのに、ここまで時間を忘れるとは……

 

(…いや、毒にも薬にもならない会話だから、これだけ気兼ねなく話せたのかもしれないな)

 

堅苦しい事もなく、純粋に思った通りに喋る事が出来る会話。我が儘なんてあんまり宜しいものじゃないが、我が儘だって分かっていてもやはり、今のこの日々を続けたいなと思う俺だった。

 

 

 

 

自ら考えるだけじゃなく、人へ指導する事もまた勉強になるという。きちんと指導するにはまず自分が十分に理解していなければならなくて、指導するという行為は自分の知識の見直しと復習を意識せずに行うものだから、勉強になるというのは分かるんだけど……

 

「だからね綾袮さん、こうしてこうズレるのが正断層で、こうやってこうズレるのが逆断層、そしてこれが…」

「むー!活字でこうして、とか言われても分からないよ!」

「いやちゃんと手振りで伝えてますが!?綾袮さん読者視点なの!?」

 

……相手によっては、普通に勉強した方が頭に入りそうな気がするんだよね…。

 

「はぁ…確かに断層の種類は見分け辛いけどさ、そういう斜め上の返答は止めてよ…」

「いや、ほら…色んな視点で考えるべきかな〜、って…」

「だからってメタ視点にならなくたっていいでしょ……ちょっとこれは置いておこうか、感覚的なものだから時間を置けばすんなり理解出来るようになるかもしれないし…」

 

軽く項垂れながら教科書のページを変える俺。一緒にテスト勉強を始めてから数日。質問に答えたり教えたりする中で、俺は綾袮さんがやはり自頭そのものの問題ではないと分かってきたけど……とにかく勉強に対するブランクが大きい。まさかこんなところで『継続は力なり』を痛感する事となるとは…。

 

「……なんか、ごめんね…」

「怒ってる訳じゃないからいいけどさ…俺、テストまでに何とかなるか不安になってきたよ…」

「大丈夫大丈夫。気持ちが後ろ向きになってたら、パフォーマンスだって悪くなっちゃうよ?」

「そうだね…って、何で俺がそれ言われてるんだ……」

 

綾袮さんのブランクに加え、慣れない指導で思った以上に疲労している俺だけど……皮肉にも、そんな状態でも頑張ろうと思わせてくれるのもまた綾袮さんだった。

時々よく分からない事を言ったりふざけたりの綾袮さん。でも勉強には本当に真面目に向き合っていて、ノートも俺と同じかそれ以上にしっかりまとめていた。…そんな姿を見せられたら、手伝うって言った俺も頑張りたくなるよね。

 

「顕人君のパフォーマンス低下はわたしにとって大ダメージだから、これはあって然るべき声かけなんだよ」

「なんか納得いかない…持ち上げと落っことしの両方を同じ人がやってるってとこが非常に納得いかない……」

「そうは言ってもわたしと顕人君しかいないんだから仕方ないじゃん」

「頭数の問題じゃなくてだね……いいやもう、時間の無駄だし…。…地学って結構幅広いけど、地学の中での得手不得手ってある?…あ、全部苦手って回答は無しね」

 

話が逸れつつあるなぁ…と思った俺は、自ら折れて軌道修正。更に先手を打って言いそうな回答を潰しておくと…案の定綾袮さんはぐぬぬ…と唸っていた。…俺このまま綾袮さんとの同居生活続けてたら、来年度末位には一挙手一投足に至るまで予想出来るようになるんじゃないかなぁ…。

 

「うーん…得手不得手で言うなら、気象系はそこそこ得意かな。戦闘、特に空中戦をする上で気象の知識は役に立つ…って比較的しっかり教わったし」

「へぇ……ん?」

「……?顕人君どしたの?」

 

気象条件までも考慮して戦う事を教わるなんて、(同然ではあるけど)やっぱり戦闘に関しては徹底してるなぁ…と軽い気持ちで返答を受け取った俺。…けど、その直後に気付く。これはもしかしたら……って。

 

「…あのさ綾袮さん。確認だけど、気象系の知識は今も役に立ってるんだよね?」

「あんまり意識はしてないけど、思い返してみるとそうだね」

「じゃあ、他にも意識してないところで役に立ってる知識があるんじゃない?それがテスト内容と被っていれば、その教科は一気に楽になると思うよ?」

「あ……言われてみると確かに…もしかしてこれ、一発逆転の大チャンス…?」

「かもね。逆に殆ど被ってなくて肩透かしになる可能性もあるけど」

「も、もう!思い返す前にそういう事言わないでよ!」

 

そう言った後すぐ、綾袮さんは普段の行動の振り返りを開始。身体や日々に染み付いた知識は無意識レベルまで浸透してしまっているからこそ、瞬時に言語化するのは難しいと思うけど…それでも普通に勉強するよりはずっと早くアウトプット可能な状態になる筈。後はその知識がどれだけ活用出来るかだけど……

 

「……顕人君、残念なお知らせです…」

「う、うん」

「…テスト範囲で活用出来る知識は、ちょっとしかありませんでした……」

「そうなっちゃったかぁ…でもほら、今回少ないって事は次回以降に期待が持てるって事だし、ね…?」

「次じゃなくて……大切なのは今なんだよっ!」

「そんな名言っぽい台詞をこんな時に言う!?」

 

活用出来る知識の少なさがよっぽど残念だったのか、ぎゅっと握った両手をわなわな震わせる綾袮さん。そうなる可能性も十分に予想出来てた俺は、仕方ないよと軽く慰めて勉強を再開するつもりだったけど…あんまりにも残念そうだったから、つい休憩しようかと言ってしまった。……我ながら甘いよなぁ、俺って…。

 

「はぁ……」

「ほら、麦茶淹れたからこれ飲んで落ち着こうよ」

「ありがと…」

 

流石に数日前のあの日程は落ち込んでいないものの、やっぱり普段明るい綾袮さんだからこそ、落ち込んでいるとその落差は激しい。そしてそんな綾袮さんを見ると、つい元気付けてあげたくなるのが最近の俺だった。

 

「…大丈夫だよ、綾袮さん。多くはないけどまだテストまで時間はあるし、勉強する事を決めた日から毎日頑張ってるじゃん。これを最後まで続けられれば、テストはきっと何とかなるって」

「顕人君……」

「もし俺一人じゃ役者不足だって感じるなら他に協力してくれる人を探すし、俺ももっと効率良く勉強する方法がないか考えてみる。だからそう悲観しないでよ、綾袮さん」

 

長ソファへ座った綾袮さんの隣…はちょっと恥ずかしいから綾袮さんの前で膝立ちになって、そこで彼女へ言葉をかける。元気になってほしい、折角出したやる気を絶やさないでほしいと思って。すると気落ちしていた綾袮さんは顔を上げて、少しだけ困ったような表情をして……言った。

 

「…えっ、と…顕人君、あのさ……」

「…うん、どうしたの?」

「……わたし、別に無理だと思って悲観してた訳じゃなくて、単に楽が出来そうだったのに期待外れでテンション下がってただけなんだけど…」

「え……」

 

頬をかきながら、躊躇いがちに綾袮さんは指摘した。俺の、安直な勘違いを。

 

「……ほんとに?」

「ほんとに」

「……マジか…うわ、じゃあ俺凄ぇ恥ずい事してんじゃん!恥ず!俺恥っず!」

 

完全に見当違いな想像をして、これまた見当違いな言葉をかけてしまったなんて恥ずかし過ぎる。隣に座るという恥ずかしさは考えたのに、勘違いによる恥は一切予想付かなかったというのもこの恥ずかしさに拍車をかけている。やっべどうしよ、今俺超穴があったら入りたい!けど現状入れそうな穴なんて洗濯機位しかねぇよ!

 

「…えっと…どんまい」

「このタイミングでのどんまいはむしろ余計辛いよ…うぅ……」

「だ、だよね……でも顕人君、そう言ってくれたのは嬉しかったよ?」

「……そう…?」

 

数十秒前までとは立場が逆になったかのように、今度は俺の心がベッコベコ。……けれどそんな中、聞こえてきたのは綾袮さんの優しげな声。それに反応して顔を上げると、綾袮さんは微笑みを浮かべていた。

 

「だって顕人君はわたしが落ち込んだと思って、それで慰めてくれたんでしょ?わたしの事を思っての言葉だったんでしょ?」

「…それは、まぁ……」

「…なら、嬉しいに決まってるじゃん。顕人君は誰かに同じ事をしてもらったら嬉しくないの?」

「……少し気恥ずかしい…けど、嬉しいかな…」

「だよね。だから、ありがと」

 

にっこりとした笑顔のまま、綾袮さんは真っ直ぐにそう言った。真っ正面からそんな事を言うなんて、普通なら躊躇ってしまいそうなのに…そんな思いを物ともせずに、綾袮さんはお礼の言葉を口にした。その姿に、その微笑みに俺は一瞬言葉が出なくなって……気付けば、恥ずかしいという思いが消えていた。…いや、正確には……消えたと勘違いしてしまう程に、別の感情で覆われていた。

 

「……それじゃあ、俺こそありがと。今の言葉で、俺も元気出たよ」

「そう?じゃあこれでおあいこだね」

「だね……って、おあいこじゃ互いに迷惑かけたみたいになる気がするんだけど…」

「あーそっか…だったら、えっと…痛み分け?」

「いつの間に勝負してたの!?それは明らかに違うよねぇ!?」

「おー、ナイス突っ込み。これなら顕人君も大丈夫そうだね」

「突っ込みで判断しないでよ…」

 

綾袮さんはどこまでが意識的にやってる事で、どこからが自覚無しにやってる事なのか。それは全く分からない俺だったけど……綾袮さんのおかげで元気が出た事だけは、そんな俺でもよく分かった。

 

「全くもう…綾袮さん、そろそろ休憩は終わりにするからね?」

「え?…あの顕人君、まだ休憩入ってから五分位しか経ってない気がするんだけど…」

「別に綾袮さんは無理だと思って落ち込んでた訳じゃないんでしょ?それとも何?綾袮さんはテスト位余裕だとでも思ってるの?」

「そ、そうじゃないけど…むぅ、顕人君は偶に厳しくなる……」

「そりゃ俺だって人間だからね。ほら、さっさと飲んで再開するよ」

 

不満顔の綾袮さんを急かし、空になったカップを流しへと持っていく。押しにあまり強くない俺は、不満そうにされたりせがまれたりすると折れてしまう事も少なくないけど……なんだか今日は、強引にでも再開させてやろうって気持ちだった。…でも勿論、それは怒りやストレスの爆発によるものじゃない。

 

「はい、改めまして断層の名前。今度はちゃんと言える?」

「うー…これが正断層で、これが逆断層で…これがトランスフォーマー断層…」

「なんか今金属生命体が混じってたけど一応正解!」

「え、ほんと?…おぉー、時間を置くってほんとに効果あるんだね」

 

勘や当てずっぽうではなく、ちゃんと考えた上で答えを言い当てた綾袮さん。さっきまでの不満はどこへやら。もう綾袮さんの表情は前向きなものに変わっていた。

この人を支えたい、この人の思いを達成させてあげたい。…その気持ちが、落ち込んだ思いを取っ払い俺に元気を与えてくれた。それは綾袮さんが宮空家に生まれ、そこで育った事による天性のカリスマからくるものなのか、こうして日々綾袮さんと過ごす事で少しずつ俺の中に生まれた思いなのか、具体的なところは分からない。……でも、具体的なところは分からなくたっていい。大切なのは俺がそういう思いを抱いているという事、その思いが俺にとって嫌なものじゃないという事なんだから。

 

「これで一歩前進だね。…けど、これだけ覚えたってしょうがないんだから、もっともっと知識入れていくよ?」

 

ページを捲り、次のところの説明を始める。指導の専門家である先生ならともかく、学生が指導をする場合は相手によっては普通に勉強した方が良いのかもしれない。…けど、例え効率が悪かったとしても……最後まで綾袮さんを手伝いたい。そんな思いを今日、再確認した俺だった。



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第五十九話 頼れる人

テストの為に頑張ると決まったあの日から、俺と綾袮さんは毎日リビングでテスト勉強を行っていた。全くもってスパルタ系の指導が出来ない俺と、性格のおかげか意識せずとも精神に余裕が持てる綾袮さんだと、相性がそれなりに良いのかお互い嫌になったり仲が悪くなったりする事なく毎日勉強を続けられていて、この調子で最後までやり切る事が出来れば何とかなるんじゃないかと俺は本気で思っている。ただ、それは逆に言えば何らかの事情でこれまで通りに行えなくなった場合は、何とかならないかもしれないという訳で……

 

「何で今日はあんなに魔物の数が多かったんだよ……」

 

──魔物討伐で大いに疲れている今の俺は、非常に不安となっていた。

 

「偶にあるんだよ?魔物が集まっちゃうって事は」

「……まさか、また魔人が現れたって事はないよね…?」

「それはないんじゃないかな、魔人が統率を取ってたならもうちょっとまとまりある動きをする筈だし」

 

ベンチにぐたっと座って愚痴を零す俺と、俺の愚痴に缶ジュースを飲みながら答えてくれる綾袮さん。今日俺達は、とある部隊に協力する形で何体もの魔物の討伐を行っていた。その部隊は少し前に帰還をした為、俺は現在夜の公園で綾袮さんと二人きり。

 

(…この不安感がなきゃいいシチュエーションなんだけどなぁ……いやそうなったらそうなったで気不味いけど)

 

二人きり、というのはもう毎日のように経験しているけど、だからこそ家の中ではもうそれに慣れてしまっているし、相手が同じでも状況や場所が変われば感じ方も変わってくる。特に夜の公園なんてそりゃもう色々想像してしまうシチュエーションなんだから、男子高校生としてはテンションが上がる筈なんだけど……今俺の頭を占めているのは、こういう事態がこれからも続いたら…という不安感だった。

 

「…世の中、意外と低確率な事が続いたりするもんだからなぁ……」

「低確率?魔人の事がそんなに不安なの?」

「いや、魔人ってか今日みたいな手間のかかる出来事全般…」

 

綾袮さんとの生活同様魔物との戦いも慣れ始めたとはいえ、まだまだ俺に身体的及び精神的余裕はない。それどころか多少なりとも慣れた事で戦闘中に疲労をしっかりと感じるようになってしまい、疲労感に関しては悪化しているような気すらする。……実際のところは普通に感じるか、後になって一気に感じるかの違いでしかないんだけどさ…。

 

「そっかぁ…顕人君いつもやる気満々だから何も言わなかったけど、大変ならもっとわたしに任せてくれていいんだよ?わたしはまだまだ余裕あるし」

「いや、そういう問題じゃ…ない事もないんだけど……」

「……?」

「……今日、いつもの感覚で勉強出来る?」

「え?……あー…そういう事か…」

 

背もたれに預けていた身体を起こしながら俺は言う。すると綾袮さんは一瞬不思議そうな顔をして…すぐに俺の意図を理解してくれた。

 

「…確かに霊装者としての務めが忙しくなったら勉強時間の確保は難しくなるし、確保出来てもパフォーマンスには影響するだろうね…」

「特に俺は、ね。全く、綾袮さんが涼しい顔してる中疲労感じまくってる自分が情けない…」

「それは気にする事ないよ。というか、霊装者歴数ヶ月の顕人君に並ばれる方が、わたし的には心折れると思う」

「そりゃそうだろうけど…俺にも一応男のプライドがあるし…」

「え……!?」

「ちょっ…何その反応!?俺にはプライドがないとでも思ってた訳!?」

 

何故このタイミングでそんなボケをぶっ込んでくるのか。…綾袮さんに対し俺は時折そう思う事があったけど……今回はその中でもトップクラスのぶっ込み方だった。後、シンプルに今のはちょっと傷付いた。時間経過で治る程度の傷だけど。

 

「だいじょーぶ!顕人君は多少プライドが抜け落ちてたって魅力的だとわたしは思うから!」

「それ褒めてんの!?それとも褒める形式を使って馬鹿にしてんの!?」

「いやいや顕人君、今のを褒め言葉と捉えるのはポジティブ過ぎだと思うなぁ」

「捉えてませんが!?言葉の真意を問い質してただけですが!?え…俺に喧嘩売ってるの!?」

「へぇ……喧嘩だなんて、わたしも舐められたものだね…」

「ちょおっ!?な、何大太刀出してんの!?まさかのガチバトル想定!?それじゃ俺死んじゃうよ!?」

「……わたし、思ったんだ。血と苦痛の先にある絆もあるんじゃないか、って」

「それは……ヤンデレの思考ですよねぇぇぇぇええええええっ!!」

 

俺は叫んだ。夜だという事も忘れて、それはもう絶叫した。あはは、やっべ……綾袮さん超怖ぇぇぇぇ!

 

「……あの、綾袮さん…」

「うん、なーに?」

「…俺、何か気分を害するような事してしまったでしょうか…?」

「ううん、何にも。むしろ面白い反応してくれてわたしは上機嫌な位かな」

「え…じゃあ、今のは……」

「全部冗談だよ?」

「…………」

 

にぱっ、と言葉通りに気分良さげな笑顔を浮かべる綾袮さん。……ふーん、冗談なんだ…。

 

…………。

 

「俺、今から刀一郎さんに綾袮さんが勉強サボってた事伝えてくる」

「ちょっ!?す、ストップ顕人君!それは不味いって、ほんとに不味いんだって!」

「知った事か、俺は言ってやる…言ってやるぅ!」

「わぁぁぁぁっ!?ご、ごめんね!今のはやり過ぎだったよごめんね!謝る!謝るし反省するから…言うのは止めてぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

綾袮さんは叫んだ。双統殿に向けて飛び立とうとする俺の腰にしがみ付いて、それはもう絶叫した。……そろそろ五月蝿いと近所の人に怒られるかもしれない。

 

「あのさぁ綾袮さん…ほんとにさ、冗談も時と場合を考えなきゃただの暴言や失言になるんだからね…?」

「うぅ、はい…顕人君なら許してくれると思って調子に乗ってました…」

「その言い方は卑怯だよ…はぁ……」

 

お互い絶叫をしていた数分後。結局今回のやり取りも俺が注意し綾袮さんが反省、そして俺も綾袮さんの言葉選びから強くは言えずに肩を落とす…というよくあるパターンに落ち着くのだった。俺も綾袮さんも毎度毎度よくやるよね、ほんと…。

 

「…それで、今回の目的は何だったの?単に俺をからかいたくなっただけ?」

「…なんか、わたしに別の意図があったって分かってるような口振りだね」

「流れ的にありそうだって思っただけだよ。で、どうなの?」

 

ベンチに座り直し、気持ちも切り替えて意図を訊く俺。反省してくれたとはいえさっきあれ程ふざけた綾袮さんだから、この質問もちゃんと答えてくれるかどうか内心不安だったけど…綾袮さんは指を頬に当てつつ、ちゃんと返答してくれた。

 

「実を言うと…あれは確認だったんだよ。顕人君の余力はどれ位なのかな、って確認」

「確認、って…じゃあその手段がボケだったって事…?」

「そうだよ?だって口頭じゃ顕人君が認識してる範囲の事しか分からないし、動いてもらうのは余力が全然無かった場合危険だし、そもそも顕人君が本気になれない事じゃ無意識に手を抜いちゃうかもしれないからね。だから……」

「だから体力使うけど危険はほぼ無く、何より俺が全力になる突っ込みをさせてみようと思った訳か…」

「うん、そういう事」

「…俺は綾袮さんが頭良いのか頭おかしいのかよく分からなくなってきたよ……」

 

良いの反対は悪いだけど、多分綾袮さんは頭悪い訳じゃない。ただ発想がどうしても「なんでそういう方向に行くかなぁ…」と思わせる内容だったからこそ、頭良いのか頭おかしいのか…なのである。そして一番分からないのは、俺はこれを地の文で語って一体どうするつもりなのかである。

 

「ふふーん、わたしは一体どっちなのでしょう?…さて、あんまり遅くなって変な人に絡まれたりするのも嫌だし、そろそろ帰ろっか」

「あ、うん。……って、結果発表は…?」

「結果発表?…あ、余力がどれ位あるかって事の?」

「それ以外ないでしょう…」

「まぁね。んー…まぁ、そこそこあったって感じだと思うよ?でも食事と同じでギリギリまでやるのは賢い選択とは思えないし、疲労してると感じたら無理はしない事。いいね?」

 

そう言って綾袮さんはぴょこんと立ち、飲み終わったジュースの缶をゴミ箱へ捨てて歩き出す。あんなお互い大ダメージを受けてまで行った確認の結果がこんなふわっとしてていいのだろうか…と思う俺だったけど、まぁ余力なんて実体のないものを正確に測る事自体が困難なんだから、ふわっとしてたって仕方がない。そう自分で結論付けて、俺もベンチを後にした。

 

「ほんと悪いね、いつもいつも何かと気にかけさせちゃってさ」

「これ位気にしないでよ。わたしだって顕人君に助けてもらったり手伝ってもらったりしてるんだから」

「そっか…うん、そう言ってくれるなら俺も出来る事を頑張らなきゃだよね。今日はもうあんまり時間取れないと思うけど、それでもいつも通り勉強手伝うよ」

「……今日位、休んでもいいのに…ま、それならお願いするね」

 

夜道を歩いて帰る俺達二人。俺が感謝の思いからやる気を見せた瞬間、綾袮さんは少し何かを思うような顔をしていたけど…すぐにその表情は消え去った。それに気付いた俺は一瞬なんだろうかと思ったものの、その後の綾袮さんは何も変わったところはなかったから、一瞬だけ表れた表情と同じように気になる気持ちもすぐに消えていってしまうのだった。

 

 

 

 

おじー様がテストについて触れた時、わたしは万事休す(って言う程手を尽くした訳じゃないけど)だって思った。でも、落ち込んでるわたしを顕人君が元気付けてくれて、わたしの為にテスト勉強の指導をしてくれるって言ってくれた。それは気休めじゃなくて、毎日わたしの勉強に付き合ってくれて……それをわたしは本当に感謝していたし、頼りにもしていた。…でも、時間が経つにつれて…特に昨日の魔物討伐以降はある不安を感じるようになって、だからわたしは……

 

「やっほー妃乃、お邪魔してるよ〜」

「いや何勝手に来てくつろいでるのよ!?」

 

放課後、妃乃の家…もとい悠弥君の家(千嵜宅)にお邪魔していた。行ったら丁度妃乃と入れ違いになったみたいなんだよね。

 

「いや、ここの家主一応俺だし俺が入れたんだから大丈夫だぞ」

「それはそうだけど…なんか釈然としないのよ…!」

 

帰ってきて早々にカッカしてる妃乃。…けど、それもそうだよね。だってわたしリビングのソファの真ん中に座って、お茶飲みつつ漫画読んでたんだもん。……まぁ、悠弥君の妹の緋奈ちゃんが居なかったらわたしは悠弥君と悠弥君の家で二人きりになる訳で、そうなってたら流石にちょっとくつろいでいられなかったと思うけど…。

 

「まぁまぁ落ち着いてよ妃乃。わたしの飲みかけでいいならお茶あげるよ?」

「要らないわよそんなの…で、何の用よ?まさか悠弥に用事って訳じゃないでしょ?」

「緋奈ちゃんに用事かもよ?」

「え…そ、そうだったんですか…?」

「…緋奈ちゃん、この子はちゃらんぽらんな人間だから言葉を真に受けない方がいいわよ。綾袮の言う事なんて八割適当だし」

「いや、わたしもそこまで適当な事ばっかりは言ってないよ…八割って狼少年もびっくりなレベルだよ、多分……」

 

そんなに言ってたらまともに会話が成立しないよ…と思いつつわたしは訂正。局地的な事ならともかく、全体的に言えばそんなに言ってる訳ないもんね。……あれ、無いよね…?

 

「うん、そんな事は無い筈…それで、何の用事だっけ?」

「それをさっき私が貴女に訊いたんだけど?」

「あ、そうだったね。…あのさ妃乃、ちょっと話したい事…っていうか、お願いがあるんだけど…」

「お願い?何よお願いって」

「それは…出来れば二人で話したいっていうか…」

 

悠弥君や緋奈ちゃんに訊かれちゃ不味い話って訳でもないけど、出来るならば妃乃だけに伝えるようにしたい。人の口に戸は立てられぬって言うし、おおっぴらにしたい話でもないし…。

そんな思いを視線と言葉に込めるわたし。すると妃乃はわたしの思いを分かってくれたのか、数秒黙った後にこくんと頷いてくれた。

 

「…いいわ、なら私の部屋に行きましょ。悠弥、廊下で聞き耳立てるんじゃないわよ?」

「しねぇよそんな事……う、うん。俺はしないぞそんな事」

「なんで同じ内容二回言ったのよ…まぁいいけど…」

 

……って事で場所を移す事に決定。そういえば妃乃の住む場所が変わってから妃乃の部屋に行くのは、これが初めてだなぁ…っと、そうだ。

 

「漫画ありがとね、えっとこの本は…」

「あ、それはわたしが戻しておきますよ?」

「そう?じゃ、お願いするね」

 

残っていたお茶を全部飲んじゃって、漫画も緋奈ちゃんに渡してからわたしは廊下へ。そのまま先に出た妃乃の後に続いて、妃乃の部屋へと移動する。

 

「さ、入って」

「はーい。…あ、前の家の時とあんまり変わらないんだね」

「そりゃそうよ。前の家で使ってた物の殆どをここでも使ってるんだから」

 

新居(形としては居候だけど)の妃乃の部屋は一体どんな感じなのかな〜…って内心ちょっとわくわくしてたわたしだったけど、蓋を開けてみれば見覚えのある物ばっかりの部屋だった。理由は「それもそっか」って思えるものだったけどさ。

 

「椅子でもベットでも好きな所に座って頂戴」

「じゃあ、わたしは妃乃の膝の上に座る〜!」

「重いから嫌」

「ちょっと!?何さらっと重いとか言ってくれてるの!?わたし妃乃より軽いからね!?」

「そうね、貴女の胸は私と違って貧相だものね」

「ひ、貧相ゆーな!わたしはまだ成長途中なだけだもんね!」

 

女性として言われたくない事と個人的に言われたくない事を連続して言われたわたし。か、軽いジャブ感覚でボケただけなのに……むかーっ!

 

「ふーんだ!数年後立場が逆転した時に吠え面かいても知らないからね!」

「吠え面?…数年後に私がするのは同情の表情じゃないかしら。…全く成長しなかった貴女に対して」

「するよ!するもん!むしろわたしは心配なものだね!妃乃割と早い内に老けそうだし!」

「何ですって!?自分より発育いいからって僻まないでよね!どうせ根拠もないくせに!」

「それは妃乃もじゃん!妄言じゃん!」

「あぁ!?何よやるっての!?」

「はぁ!?わたしはもうそのつもりだけど!?」

 

妃乃にギロリと睨み付けられて、わたしも負けじと睨み返す。そして十数分後……

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……そ、そういえば…話があるんだったわね…」

「ふぅ…ふぅ……そう、だったね…うん…」

 

一軒家の室内という、決して広くはない場所で大喧嘩を繰り広げたわたし達は、お互いぼっろぼろになっていた。心無い人ならボロ雑巾ガールズとかあだ名を付けてきそうな位酷い有り様になっていた。……妃乃とこういう喧嘩するのも久し振りかも…。

 

「…その、大丈夫…?悪いのは最初にふざけたわたしなのに、ヒートアップとかしちゃってごめんね…?」

「わ、私こそごめんなさい…調子に乗って煽った私も悪かったわ……」

 

ゆっくり起き上がったわたし達は、お互い相手の目を見た後にしっかりと頭を下げた。

幼馴染みとして十年以上の付き合いがあるわたし達は、これまで何度も喧嘩してきた。今日みたいにしょうもない事が切っ掛けの時もあれば、本当に嫌だと思った事が原因の時もあって、最終的に殴り合いになったりした事も少なくない。…でもいつも、喧嘩の後はお互いちゃんと謝って仲直りしていた。だってそういう約束だから。非を認めて謝る事より、絶交する事の方がずっと嫌だから。

 

「…一回、お茶飲んで落ち着く?さっきも飲んでたし喉乾いてないのかもしれないけど…」

「ううん、いいよ。それより喧嘩で思わぬ時間のロスしちゃったし、わたし的には早く本題に入りたい…」

「そう?じゃあ、聞くから話して」

「うん、でもその前に……」

「そうね、その前に……」

 

わたしも妃乃もすっと立ち、鏡の前まで移動。そこで髪型と服装を整えて、その後互いに相手の見た目を確認して、それでやっと本題に入る。……だってわたし達、女の子だもんね。

 

「これでよし、っと…あのね妃乃、お願いっていうのは……」

「いうのは…?」

「……わたしのテスト勉強に、手を貸してほしいの…」

「…………」

「…………」

「……は?え……はい?」

 

もしかしたらからかわれるかもしれない、馬鹿にされるかもしれない。だってわたしがこれまで勉強を避けてきた事を妃乃は知っていて、真面目な妃乃からすれば何を言ってるんだってお願いな筈だから。……そんな思いを抱きながら頼んだわたし。そうしたら妃乃は…ぽかーんとしていた。

 

「…あ、あれ?もしやよく聞こえなかった?ラブコメの主人公状態?」

「いや聞こえてはいるわよ……えっと、それは…本気で言ってるの…?」

「うん、本気」

「……驚いた…これまで私が何度指摘しても勉強しようとはしなかったのに…」

「それはね…」

 

目をぱちくりさせる妃乃にわたしは説明。誤魔化す理由もないかなと思って素直に事情…というか理由を話すと、次第に妃乃の表情は曇っていって……

 

「…って訳で、テストに向けて勉強中なんだけど……」

「……綾袮、貴女って人は…」

「…えーと、妃乃……?」

「御党首の刀一郎様は勿論、貴女の家族は皆ご立派な方達なんだから、その家族の恥になるような事するんじゃないわよ……」

「うっ……ご、ごめんなさい…」

 

最終的に妃乃は、額を押さえて物凄く呆れていた。そして妃乃の言う事がごもっとも過ぎて、何故かわたしは妃乃に対して謝っていた。…うん、流石のわたしもこれが反省すべき事だって自覚はあるんだよ…。

 

「…まぁ、いいわ。貴女が予想の斜め下をよくいく人物だってのはずっと前から知ってるし…」

「じゃあ、手伝ってくれる…?」

「嫌、って言ったら諦めるの?」

「それは、まぁ…正直わたしは『自業自得だ、悪い点取って怒られろ』って言われても仕方ないレベルだし…」

「珍しく殊勝ね…だったら綾袮に朗報よ」

「…朗報?」

「私はね、課題を写させてもらおうとしたりテストのヤマ張ってもらおうとする綾袮の事は本気でしょうもないと思ってるけど……やる気を持って、その上で私を頼ってくれる綾袮に対しては、その勉強を手伝ってあげようと思ってるわ」

「……!」

 

椅子の上で脚を組み、様になるポーズを取って……呆れ気味に、でも笑みを浮かべて言ってくれた。──手伝ってくれる、って。

 

「妃乃……ありがとう妃乃!わたし妃乃ならそう言ってくれるって信じてたよ!妃乃が手伝ってくれるなら百人力だね!」

「ちょ、調子良い事言うんじゃないわよ!それと私の言葉ちゃんと聞いてた!?勉強中に不真面目な態度だったら手伝うの止めるからね?」

「分かってるって!そういう感じの事はもう顕人君に言われてるし!」

 

座っていたベットをバネに妃乃の前まで跳んだわたしは、喜びのあまり両手を握ってぶんぶんと握手。妃乃の鍵を刺すような発言も、素直じゃないだけと思えば凄く可愛く見えてくる。あー、やっぱり妃乃を頼って良かったぁ。何だかんだ言っても一番頼りになるのは妃乃だよね!妃乃大好き!

 

「そんなテンションで言う事じゃないでしょうが…っていうか、そこよそこ」

「そこ?…どこ?」

「顕人の事よ。貴女凄く失礼な事してるって自覚はあるの?」

「失礼な事…って?」

「いや、だから…彼にも手伝いを頼んだ上で私の所に来たって事は、彼じゃ力不足だと感じた結果なんじゃないの?」

「え?……あ、ごめんね妃乃!そういう事じゃないの!」

 

説明する要素が増えるとややこしくなる、と思ったわたしはここ数日の顕人君について説明してなかったんだけど…なんだかそのせいで誤解をされちゃったみたい。あ、危ない危ない…この話にならなきゃ変な感じになるところだったよ…。

 

「…じゃ、どういう理由よ?」

「えっと…顕人君ってね、ほんとにわたしの勉強の為に頑張ってくれてるの。家でだけじゃなくて授業中もわたしにどう教えるか考えてくれてるみたいだし、わたしが頑張ろうって思ったのも顕人君の言葉のおかげだし…」

「そうなの…」

「でもね、顕人君って元々…っていうか少し前まで普通の人だったでしょ?しかも魔物の対応だってあるでしょ?…わたしの事なんだから適度に手を抜けばいいのに、手伝いも戦いも毎回全力投球してて…だからこのまま顕人君だけに頼ってたら、顕人君が体調崩したり自分の勉強に集中出来なくなるかもしれないって思って…」

「…だから、彼の負担を減らす為に私にも協力を求めた訳ね」

 

わたしに代わって締めてくれた妃乃にこくんと首肯。…あれ…なんかこれ、人に話すとちょっと恥ずかしいね…。

 

「…全く、補填要員感覚で私に頼むなんて貴女も太々しくなったわね」

「そ、それはごめん…でも頼れる人っていうと、まず思い浮かぶのが妃乃だったから…」

「う…そ、それならちょっと嬉しいけど…」

「……妃乃?」

「こ、こほん。ま、そういう事なら分かったわ。…けど、それなら上手く誤魔化しなさいよ?バレたら顕人は気を遣わせちゃったって思うでしょうし」

「それ位、わたしだって理解してるよ。…でも、テスト終わったら正直に話した方がいいかな?」

「それは…その時次第じゃない?言った方が為になるか、言わない方が為になるかは相手と状況によるもの」

「…だよね。それは考えておくよ」

 

顕人君の場合、いつ言っても気にしそうな気はするけど…同時に「ちゃんと教えてくれてありがとう」って言うような気もする。でもその言葉すら気遣いの可能性もある訳で……むむむ、もうちょっと分かり易い性格しててよ顕人君…。

…なんて、考えておくなんて言いつつこの場で考えちゃったわたし。で、少し行き詰まって妃乃の方を見たら……なんでか妃乃はにまにましてた。

 

「…な、何?」

「いや、結構顕人を大事に思ってるんだなぁ…って思って」

「え?……あ、ち、違うからね!?これは手伝いも含めた日々の色んな事に対する細やかな感謝と、霊装者の先輩としての配慮なんだから!」

「はいはい、そういう事にしておいてあげるわ」

「そういう事って…それを言うなら妃乃だって悠弥君に対する言動が大分変わったじゃん!後目付きも!」

「へ?……そ、そんな訳ないでしょ!いや、確かに悠弥の第一印象と今の印象は違うけど…貴女今絶対変な意味で言ってるわよね!?ならそれは断じてないから!」

「だったらわたしだって違うよ!」

「なによ、やるっての!?」

「いいよ、やってやろうじゃん!」

 

売り言葉に買い言葉。よせばいいのにまたヒートアップしてきたわたし達は、決着の付かなかった喧嘩の第二ラウンドに……

 

「……って、なんでそうなるのよ…」

「なんでだろうね…お互い相手の否定にそうなんだ、って返せばそれで済む話なのに…」

 

……は、ならなかった。…いや、そりゃそうでしょ…この短時間で同じ轍を踏んでたら、わたしも妃乃もお馬鹿さん過ぎるって…。

 

「…しょうもない事で怒りかけてたわね、私達」

「怒りかけてたっていうか、さっき実際怒ってたね、わたし達」

「……ぷっ…」

「……くくっ…」

 

 

『あははははははははっ!』

 

わたしと妃乃は目を合わせて、同じ様に肩を竦ませて、その内「わたし達って昔から変わってないなぁ…」なんて思えてきちゃって……それで最終的には、二人揃って大笑いだった。ちょっと自虐の意味も込めた言葉の掛け合いだったのに、面白くて面白くてしょうがなかった。何がそこまで面白いんだ、って言われたら困るけど…それでも涙が出る位に、わたしも妃乃も大笑いしていた。

それからも、わたしは妃乃とお喋りをした。ほんとなら早速勉強をした方がいいんだろうけど…久し振りに殴り合いの喧嘩になったり、二人で大笑いしたからかいつもよりもずっとお喋りをしたい気持ちになっちゃって、気付けば数時間が経っていた。……でも、仕方ないよね。だってわたしと妃乃は幼馴染みで、親友なんだから。



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第六十話 その思いは何たるか

「浄土真宗の開祖は!?」

「えと、シンさん!」

「親鸞さんね!喫茶養生記を書いた人は!?」

「喫茶……あ、栄西さん!」

「正解!じゃあ踊念仏を創設したのは!?」

「顕人君!」

「違ぇ!な、なんでこのラインナップで俺が入ると思ったの!?俺歴史に残るような宗教生み出してませんが!?」

 

ノート片手に次々質問をぶつける俺と、ノートを閉じてずばずば質問に答える綾袮さん。現在俺達は、日本史のテスト勉強中である。

 

「あ、そっかぁ…むむ、踊りながら念仏唱えてそうな人想像しても当たらないんだね…」

「そりゃそうで……そんな理由で俺に至ったの!?え、綾袮さん俺が踊りながら念仏唱えてそうな人だって思ってたの!?」

「ほら、顕人君って普段からわたしに苦労させられてるし、その疲れでやってるかもって…」

「どんなに疲れてても踊念仏はしないよ……」

 

苦労させてる自覚があるのにぶっとんだ事を言うのは、わざとなのか天然なのか。後、前に綾袮さんは頭良いのか頭おかしいのかって思ったけど…やっぱりおかしい側の可能性が高いかもしれない。

 

「…っていうかさ、なんで今回はこんなにアクティブな感じの勉強なの?これが今流行りのアクティブラーニングってやつ?」

「いや、多分違うと思う…ただひたすら書いてたって飽きるし集中力も切れるでしょ?だから気分の切り替えも兼ねて声に出す覚え方を試してみようかなって」

「あー、そういう事なんだ。…確かにシンさんと顕人君は記憶に残ったかも…」

「それ間違ったやつじゃん!勝手に付けた愛称と俺の名前じゃん!それで覚えたら駄目だよ!?」

「……どうしよう、割とほんとにこっちで覚えちゃった…」

「えぇー……綾袮さんにこの方法はよくなかったか…」

 

記憶の定着には見る事、書く事だけじゃなく言う事聞く事でも繋げられる。活動的な綾袮さんにとっては、こういう方法も取り込んだ方が効率良く覚えられるかなぁと思っていた俺だけど……完全に裏目に出てしまった。…シンさんは合ってる部分もあるからまだしも、解答欄に俺の名前書かれちゃ堪らんよ…。

という訳で早々に口頭による勉強を打ち切った俺達は、従来通りの勉強を再開。そのまま数十分程教科書読んだりノートに書いたりした後、日本史の勉強を切り上げ休憩を入れる。

 

「ふぅ…なんか最近最初よりもすんなり頭に入ってきてる気がするなぁ…」

「頭が勉強に追い付いてきたって事じゃない?良い傾向じゃん」

「でしょでしょ?顕人君、うかうかしてるとわたしの方が高得点取っちゃうかもよ〜?」

「ほっほっほ、それならそれで嬉しいというのが指導者というものじゃ…」

「し、師匠……!」

「さぁ、頑張るのじゃ弟子よ!精進し、努力し続け、そして儂を超えるのじゃ!」

「師匠ぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

「…………」

「…………」

「……なんだろうね、これ」

「うん、なんだろうね」

 

そんなこんなをする事十数分。いまいち休憩してた気はしないけど…気分転換にはなったでしょ、俺も綾袮さんも。

 

「さて、じゃあ次の勉強だけど…どの教科にする?」

「うーん…まだあんまりやってない教科?」

「テストの教科であんまりやってないやつは無いと思うんだけど…」

「じゃ、全くやってない教科」

「いややってない程度の問題じゃなくてだね……って、あ…」

「……?」

 

綾袮さんと話しつつ、次にどの教科を勉強しようか考えていた俺。こういう時計画表でも作っておけば困らないけど、俺も綾袮さんも「そんなもの要らないっしょ」感覚で進めていたものだからある筈もなく、仕方ないから文系教科の次は理系教科でも……と思ったところで、勉強時間が他の教科より少ないある教科を思い付いた。けど……

 

「…う、うん。次は数学でもやろうか…」

「え?……いいけど…さっき何かに気付いてなかった?」

「そ、そう?そう見えた?」

「そう見えたよ?その気付きはスルーしちゃっていいものなの?」

「あー…っと、だね…それは……」

「それは?」

 

無垢な瞳で綾袮さんに訊かれるも、俺は歯切れの悪い言い方でしか返せない。…無垢な瞳だからこそ、余計に回答を躊躇ってしまう。

俺は迷う。正直に言うべきか言わないべきかを。穢れのない瞳の問いに答えるべきか、その瞳が穢れないよう黙っているべきかを。

 

(…い、いや…冷静になれ俺!そもそもこれは別にやましい事じゃない!やましいと思う心こそが間違っているんだ!えぇい煩悩を振り払え!振り払うんだ俺ぇッ!)

「おーい、顕人くーん?」

「…南無阿弥陀南無阿弥陀摩訶般若波羅蜜色即是空云々かんぬん…!」

「え、ちょっ…お経を唱えだした!?えぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

効果が無さそうどころか、むしろ逆にバチが当たりそうな位適当なお経を唱える事数十秒。一心不乱に唱え続けた俺は、綾袮さんからのドン引きと引き換えに平常心を取り戻した。

 

「…ふぅ…手間をかけたね、綾袮さん」

「て、手間っていうか今わたしは本気で顕人君を心配してたんだけど…まぁ、元に戻ってくれたならいいかな…」

「案ずる事はないよ。…さて綾袮さん、綾袮さんの質問は何かに気付いていなかったか、だよね?」

「あ、うん。結局どうなの?」

「そりゃあ勿論、気付いてたよ。…まだちゃんと勉強してない教科があった事にね」

「ほんと?じゃあそれをやろうよ。何の教科やってないんだっけ?」

「ふっ、それは……」

 

落ち着き払った俺に、もう迷いや躊躇いはない。そう、これは勉強。テスト対策の為に学ぶ行為。ならば、そこに問題が介在する隙は寸分もありはしない!

一度は鞄にしまった教科書を再び取り出す俺。それをテーブルへと置き、綾袮さんの瞳を見つめ……俺は、告げる。

 

「……保健体育、さ」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

「……うわ、サイテー…」

「まぁそうなりますよねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

電光石火の如く保健体育の教科書を再度鞄の中へ。えぇ分かってましたよ、分かってましたとも!だって俺と綾袮さんは思春期の男女で、ここは俺達二人しかいない家ですもの!

 

「綾袮さん、今のは忘れて!あれは分かりきっていたミスだから!俺が阿呆だったってだけだから!」

「…分かりきってたのに出すのはほんとに阿呆だね…」

「ごもっともでございます!ほんとすんませんでした!」

 

無垢だった綾袮さんの瞳は、今や軽蔑の色に染まっている。もし俺にマゾっ気があったならゾクゾクしてそうな瞳だけど、現状俺にそんな性癖はない。となればそんな瞳をされても辛くなるだけで、とにかく俺は平謝りするしかないのだった。

 

「あのね顕人君、顕人君はあまりそう意識してないのかもしれないけど、わたしは女の子なんだよ?」

「分かってます…女性であると理解しております…」

「なら普通出さないよね?セクハラ目的だと思われても仕方ないよね?」

「その通りです…返す言葉もないです…」

「……はぁ…わたしは顕人君の人となりを知ってるから下心で出したんじゃないって分かったけど、他の女の子だったら最悪事案だからね?このご時世なんだから」

「う、うん…てか、こんな事綾袮さん以外の女の子には流石にしないって……」

「へ?……あ、そ、そう…?」

 

いつぞやと同じように、ソファに脚を組んで座る綾袮さんの前で正座する俺。軽蔑の目に加えてマジトーンで問い詰めてくる綾袮さんは普段とのギャップも相まっていて、なんかもうほんとに女王様に叱責される従者の気分だった。……と、そんな中何気なく言った俺の言葉は、何故か綾袮さんの調子を狂わせた。

 

「…それって、信頼されてるって捉えればいいのかな…それとも悪い意味なのかな……」

「……綾袮さん?」

「あ…な、何でもないよ!それよりほんとに今みたいな流れで保健体育の教科書出さない事!もうちょっとわたしが察せるような表現すれば事無く済ませられるんだから!」

「りょ、了解です。……それで、どうする…?テスト範囲にはそっち方面連想をするような部分はないと思うけど…」

「それは……じゃあ、お願い出来る?保健体育って徹底的に勉強する必要はない感じだけど、それでも全然やらないのは精神的に良くないし…」

 

小声で何かを言った綾袮さんは、何やら誤魔化すように俺への指摘を締めくくった。その後俺が伺い立てるようにどうするか訊くと、彼女は数秒考え込んだ後にすっとソファからテーブル前へ。…とまぁどうこう話して、それに物凄く時間を費やした末にやっと俺達は保健体育の勉強を開始する。

 

「…あ、そうだ顕人君。明日は出掛けるからお夕飯の準備はしなくても大丈夫だよ?」

「はいよ。…って、夕飯なくていいって事は結構長くなるんだよね…何の用事なの?」

「えー?顕人君ってば、女の子の用事が気になるの?」

「ち、違うよ!…いやそうとも言うだろうけど…今のはただ何となく訊いただけ。他意はないよ…」

 

……なんて会話も挟みながら、今日も今日とて勉強に精を出す俺と綾袮さんだった。

 

 

 

 

「あー…ねっむ」

 

携帯ゲーム(据え置き機の反対の方ね)を持ったままベットに倒れ込む俺。……テスト勉強はどうしたのかって?…いやいいじゃん、勉強はちゃんとやったんだからその後ゲームやったって…。

 

「寝てしまいたい…でもまだ風呂も入ってないしなぁ…」

 

テスト勉強から数時間後。現在の俺は綾袮さんが風呂から出るのを待ちつつゲームに興じる真っ最中だった。…正確に言うと今はちょっと眠気に襲われてるけど…。

 

「ほんとに何で女性って風呂長いんだろうなぁ…暑くならないのかな…」

 

一般的な男同様、入浴時間は速ければ十分前後、遅くとも三十分前後な俺にとって女性の長さはどうしても理解出来ないもの。そりゃ勿論非難する気は無いけど…風呂待ちの時間って時間帯的にも暇になる事が多いんだよね。で、そこに眠気まで入ってくると……えぇ、今の俺の様な脱力状態になりますとも。

 

「…しっかし、マジで保健体育の件は失敗だった……」

 

あの時はベストな選択をしたつもりでいたものの、後からすれば綾袮さんに言われるまでもなく阿呆な事したなぁと思う。あんな自信満々に教科書出すなよ俺…てかお経って何考えてんだよ……という感じに。

時に呆れながら、時に苦笑いしながら、どういう流れでどう言えば波風立てずに勉強に入れたのか考える事数分。結局は綾袮さんの言う通り、間接的な表現で気付いてもらうのが一番だろうなと結論に至ると次第に思考も雑になって、段々内容も逸れていく。

 

「…………」

 

…俺が保健体育の教科書を出した時、綾袮さんは引いていた。でもそれは俺の行動やそこから想像した『邪な俺』に対してであって、俺自体に嫌悪している感じはなかった。……普通なら嫌悪されたっておかしくないのに、そんな風には見えなかった。

それ程までに、俺は信用されているのか。たった数ヶ月の関係でありながら、もう綾袮さんは俺をそこまで信頼してくれているのか。

 

(…いや、それだけなのか…?信用や信頼以外にも俺が男らしくないのが要因になってるのかもしれないし、色んな人を見てきた綾袮さんだからこそ俺にそんなつもりがないんだと見抜いたのかもしれない。……それに、もしかしたら…)

 

ぼーっとしていたからか、眠気で思考が緩くなっていたからか、どんどん俺の思考はよく分からない方向に向かっていく。そうして俺は、自分でも気付かない内に考えていた。……もしかしたら綾袮さんが、俺に特別な思いを抱いてくれてるんじゃないかって。

普段俺は意識してない…というか意識しないようにしてるけど、綾袮さんは凄く可愛い。所謂美少女というやつで、加えて言動も見た目にマッチした可愛らしさがあるものだから、意識するとまぁドキドキする。それに一度俺は綾袮さんの裸も目にしてる訳で、その時見えた綾袮さんは大人の女性的魅力こそなかったけど未成熟故の魅力というか唆られるものがあって、でも少女的魅力しかないのかと言われればそうでもなく、実際ドレスを着た時の綾袮さんは上手く言語化出来ない程の艶やかさを纏っていて…………もし、もしそんな綾袮さんが俺を特別視してくれていて、保健体育というのを暗喩として受け取っても尚まんざらじゃないと思ってくれていたなら、俺は……

 

「……って、何考えてるんだよ俺は…!」

 

ヘビメタでも聞いてんのかという位に頭を振り、地の文としてはさぞ読み辛いであろう思考を吹っ飛ばす。いつの間に俺はこんな煩悩まみれの事を考えてしまっていたのか。これじゃあ軽蔑されても仕方ないじゃないか。

 

「はぁ…綾袮さんは俺を信用してくれている。…だったら、その信用に応えなきゃ駄目だろうがよ……」

 

折角信用してくれてるのに、信じてくれているのに、俺はそれをいいように捉え、邪な感情を抱いてしまった。……情けない。そんな自分が、先程までの妄想が馬鹿らしく思える程に情けない。

 

「……うん、綾袮さんの信用を俺は受けてる。あの綾袮さんから、信用されてる。…それだけでも十分嬉しい事じゃないか」

 

自分に言い聞かせるように言って、俺は体を起き上がらせる。

人の欲求は尽きないもの。幾らでも幾らでも湧き出てしまうもの。…けれど、見方を変えれば、見直す事が出来れば、現状のままでも満足する事が出来る。それにもいつかは限界がくるだろうけど…今はそれで、信用されているというだけで嬉しいと思える。それに……

 

(…俺は、関係を進める事を望んでるのか……?)

 

俺が綾袮さんの事を可愛い女の子だって思っているのは間違いない。でも、綾袮さん以外にだって可愛いと思う女の子はいるし、何なら二次元だって可愛い人は沢山いる。…そういう人達と比べても、俺は綾袮さんを特別可愛いと思っているのか。可愛いと思うだけじゃなく、動物的な欲求だけじゃなく、もっと『思い』の部分で綾袮さんを欲しているのか。……そう考えた時、俺は──

 

「お待たせ〜。お風呂出たよー」

「うおっ……あ、うん…」

 

ノックと共に聞こえた、綾袮さんの声。それに俺は驚きつつも、廊下にいる綾袮さんへと了承の言葉を返す。それから時計を見てみると…ゲームを止めてからは思った以上に時間が経っていた。

 

「…そんな深く考えてたのか、俺は……」

 

主観では数分程度だと思っていたのに、実際経っていた時間はその数倍以上。体内時計なんて元々当てにならないとはいえ…なんというか、軽く自分に呆れてしまう。考えてた内容自体が他人に話せないような事なのに、それにそこそこの時間を費やしてしまったというのは幾ら何でも……

 

「…えぇい、やめやめ!思春期ならではの妄想と反省は決して無駄な事じゃないのだよ、私!」

 

一体お前は何キャラだ、と自分で自分に突っ込みたくなる言葉で思考をカット。…うん、無駄かどうかはさておき綾袮さんがもう風呂出たんだから、ごろごろしてないで風呂入れって話だよね。

 

「今日もシャワーだけでいいかなぁ…」

「えー、ゆっくり入るのも気持ち良いと思うよー?」

「暑いじゃーん…って、独り言聞いてたんかい…」

 

ぼけーっとしながら脱衣所に向かっていると、リビングから綾袮さんの声が飛んでくる。どうせ声が聞こえたから適当に返しただけなんだろうけど…ついさっきまで綾袮さん絡みの事を考えていたからか、一旦入浴を止めて俺はリビングへ。

 

「聞こえたら、返そうじゃないか、ホトトギス。ってやつだよ」

「いつから綾袮さんは武将になったの…てかそれなら『返すとしよう』の方がよくない?これなら字余りにならないし」

「おー、いいねそれ。次使う機会あったらそっちにしよっと」

「勝手にどうぞ…」

 

細かいところまで気にしてしまう性格故か、ボケにわざわざアドバイスを入れる俺。対する綾袮さんはといえば、変えたって変えなくたって殆ど結果は同じになるだろうに俺の指摘を受け止めて、嬉しそうににこにこ顔を綻ばせている。……全くもう、ほんとに綾袮さんは…。

 

「本人からの許可も貰ったし、存分に使わせてもらうよ〜。…あ、でも本人って意味じゃ、顕人君より武将の御三方が優先されるのかな…?」

「優先されたとしてもその人達に許可は貰えないでしょうが…霊装者は降霊術でも出来んの?」

「もしかしたらそういう人がいるかもね、預言の固有能力者はいる訳だし」

「そ、そう…まぁ、俺は風呂入ってくるよ」

「行ってらっしゃーい」

 

全体的に会話の方向性が不明だったものの…雑談なんだから問題なし。…と、いう事で俺は再び脱衣所へ。行ってらっしゃーいについては…そこそここういう場面で言う人いるし、突っ込まんでもいいか……。

 

「……うん、やっぱそうだな」

 

改めて話してみて、分かった。確認する事が出来た。…俺は綾袮さんを可愛いとは思っているけど、もしそういう関係になれたのなら、それは素敵だと思うけど……恋してる訳じゃ、ないって。未来はどうか分からないけど、少なくとも今は違うって。

同時に、俺の本来の目的も再認識する。俺は綾袮さんにじゃなく、この世界に惹かれて霊装者になったんだという事を。憧れていた世界に自分がいるという事も、その世界で色々なものを得ている事も、戦いの中で感じる、思考を焦がすようなあの陶酔感も……そういうものこそ、俺の望んでいたものだったじゃないかって。

 

「…始まってすらいない、スタート地点に立ってすらいない事に悶々としてんじゃねぇよ俺。……この思いは、そうなった時に抱きゃいいんだからよ」

 

勝手に悶々としていただけと気付いた瞬間、すーっと心が軽くなった。なんか恋してるって認識した、又はちゃんと告った上で振られた後みたいな心境だけど…どっちでもないんだよね、これが。

……という訳で、数十分かけて考えていた事は全部早とちりだったと分かった俺。そんな俺は、脱衣所を経て風呂へと入りながら、自嘲的な笑みを浮かべるのだった。

 

(……全く…馬鹿な思春期男だなぁ、俺は)

 

──そう。悶々とするのも、早とちりも……全部、思春期のせいなのだ。…………多分。



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第六十一話 勉強の仕上げ

別段県内トップの進学校という訳ではなく、受験なんてまだまだ先(人によっちゃ先の事じゃないと言うのかもしれないが)な時期であっても、テストの直前となればクラスの雰囲気も変わってくる。ピリピリ…ではないが、どこかそわそわというかドキドキというか、まぁテスト直前ですよー感のある状態が、今のクラスの中。……そんな中で俺は、きっといつも以上に浮いているんだろう。

 

「あー、やっべ…持ってくる教科書半分位間違えた……」

 

二時間目が終わった後の休み時間。二教科続けて教科書とノートがないという、地味に困る事態に陥った俺が鞄と机の中を確認してみると、間違っているのは先の二教科だけじゃないと判明した。…こりゃ入れ替えるべき教科書類と、二日連続であるから鞄に入れたままでいい教科書類を逆にしちまったな…。

 

「あーあ、やっちまった…ノートはともかく教科書はなぁ…借りたくても俺の場合、別のクラスに貸してくれるような友人がいないんだもんなぁ…」

 

もう言わんでも分かっとるわ、と言われそうな位に俺は友人がいない。作ろうと努力する訳でもなく、社交的に生きようともしてないんだから友人がいないのも当然っちゃ当然なんだが、それでもこういう時は悲しくなる。…小学生の頃はそれでも少しは友人がいた筈なんだが…。

 

「……うん、こういう面はマジで俺難のある人間だよな…」

「……いや、さっきから何独り言言ってんの…?」

 

……と、周りが「テスト不安だなー」とか「試験マジ勘弁…」とか考えてる中、一人ぶつくさと友人の少なさを嘆いていると…御道が面倒臭そうな顔で話しかけてきた。

 

「至らぬ己が身を憂いていたところだ…」

「そんな武人的台詞に合う内容じゃなかったと思うんですが…」

「俺にとっちゃ深刻な問題なんだよ。毛先がばらばらになった歯ブラシを変えるかどうか位にな」

「それ全然深刻な問題じゃねぇじゃん…食事の最中にふと思う程度の問題じゃん…」

 

何言ってんだこいつ感溢れる表情で突っ込む御道に対し、俺は突然真面目なトーンに切り替えて「歯ブラシの交換時期は大切なんだぞ?」…辺りの事を言ってみようかと思ったものの、御道の机の上にノートが開いているのを見つけて言葉を飲み込む。

 

「……テスト勉強、追い込みかけてんのか?」

「…まぁね。今やってたのは授業中に書ききれなかった分を書いてるだけだけど」

「なら俺に反応してる場合じゃないんじゃねぇの?」

「ならすぐ近くでぶつぶつ呟くなよ…反応してほしいのかと勘違いしたわ…」

「それはあながち勘違いでもないぞ?」

「…さいですか……」

 

俺自身はテスト勉強なんてやる気ないし、テストの結果にもあまり興味はないが、だからって他人のテスト勉強を邪魔してやろうとは微塵も思わない。……が、よせばいいのにまたボケてしまった。…御道はほんと呆れようが疲れようがしっかり反応してくれるから、ついボケたくなるんだよな…。

 

「…ま、そういう事なら悪かった。勉強続けてくれや」

「ならそうさせてもらいますよー、っと」

 

そう言うと御道は軽い調子で返答しながら勉強を再開。一瞬俺もやっぱり少しは勉強しようか…なんて思ったものの、次の瞬間には「やっぱいいや」となって勉強は断念。…勉強以外を頑張ってるんだよ、俺は。

 

(…真面目だよな、御道も妃乃も……)

 

ノートにシャーペンを走らせる御道を見ながら、ふと思う。教科によっては学ぶ事を楽しいと感じてるだとか、性格的に怠惰にはなれないだとか、それなりに理由はあるんだと思うが…こういう姿を見ると、やっぱり真面目だなと感じる。俺自身が不真面目な人間だから、自分はこんな風にはなれないと自覚しているから、尚更に。

 

「……なぁ、千嵜」

「ん?」

「千嵜はさ、テストで悪い点を取るんじゃ…って不安はないの?」

 

暫く(つっても数分だが)静かにシャーペンを動かしていた御道だったが、不意にそんな質問を投げかけてくる。…不安、ねぇ……。

 

「…前も言ったが、俺はテスト結果を報告しなきゃいけない相手がいないからな。点が良かろうが悪かろうが結果が何かに影響する訳じゃねぇんだから、不安にもならねぇよ。……留年の危険とかが出てきたら、流石に不安にはなるがな」

「そう……」

「…これを訊いてどうしたかったんだ?」

「…参考にしようと思ったんだよ。残念ながら参考にはならなそうだけど…」

 

少しだけ考えた後に、俺は問いに返答した。…参考ってのは、恐らく綾袮のテスト勉強の手伝いにだろう。テストの直前で不安になっているかもしれないから、気遣えるよう俺で情報収集…ってつもりだったんだろうが、現実として俺は殆ど不安じゃないんだから仕方ない。…けど俺もあんま宜しくないよなぁ、テスト結果なんてどうでもいいと思ってるのは。

 

「…お前は教師でも指導のプロでもないんだから、無理せず出来る事を頑張ればいいんじゃねぇの?相手は名家の娘なんだから、慣れない気遣いなんかしても見抜かれて気不味くなるだけだと思うぞ」

「……かもしれないね。助言助かるよ」

「これ位気にすんな」

 

俺が言いたかっただけなんだからよ、と心の中で呟く。まだ一年強の付き合いでしかない俺だから断定までは出来ないが…御道は善良な人間ではあっても、優秀な人間ではない。…いや…多分そこそこは優秀なんだろうが、それでも普通の域から出るレベルではなくて…そんな人間が安易な手を取っても、妃乃や綾袮の様な生まれからして人並み外れてる相手に通用する訳がない。…そういう事は、俺だって知ってる。

 

(…けど、普通な奴だからこそ出来る事、人並み外れてる奴より上手くやれる事だってある。……結局幸福ってのは、普通の中にあるんだからな)

 

一度教室を離れ、校内の自販機前へ。そこで紙パックのジュースを買い、戻った俺はそれを御道の机に置く。

 

「…頑張る少年に、お兄さんからこれをプレゼントしよう」

「え、いいの?」

「あぁ、利子は20%な」

「おう、ありがと……って金取るのかよ!しかも利子まであるのかよ!?悪どいなぁオイ!」

「はっはっは、これも世渡り術というやつだ」

「五月蝿いわ!要らんからな!本来の値段だけならまだしも、利子まで取るなら絶対要らんからな!」

 

本店は返品を受け付けておりません、とばかりに御道の言葉を流して席へと帰還。御道は俺へと送り返してこようもするも、そこでチャイムが鳴って教師が来た事で、真面目な御道はジュースを鞄へ。かくして御道は俺に恨めしそうな視線を送りながらもジュースを受け取る事になるのだった。……ったく、冗談を間に受けるなっての。

 

 

 

 

「顕人君、今日は何の勉強する?やっぱり明日の教科?」

 

遂にテストは明日になった。勿論一日で全部やるんじゃなくて、数日かけてテストをやるんだけど…これは別に深く説明しなくてもいっか。読んでる人も「一日目は何の教科だよ〜」とか教えられても何も嬉しくないよね。

 

「そうねぇ…まぁやる教科は明日のやつにしようか」

「敢えて今回テストの無い教科をやったりは?」

「そんな暴挙に出てたまるか…てかなんで自分で言っといて同意されたら覆すのよ…」

「えへへー、一ボケ入れておいてから勉強に入りたくて」

「じゃあこれまで毎度毎度ボケてたのはそういう事なの!?」

 

もう勉強もラストスパートという事で、わたしはこれまで言わなかった事を口に。うんうん、ここまで溜めただけあって顕人君いい反応してくれるなぁ。

 

「…で、内容は?もうここまで来たんだしなんだって頑張るよ?」

「…徹夜で詰め込みまくる、って言っても?」

「うん。ここまで顕人君は付き合ってくれたんだもん、それがベストだってなら出来る限りで頑張るよ」

「そ、そう…なんかごめん、しょうもない事言って…」

「大丈夫大丈夫。わたしだって今さっきボケたんだし」

 

顕人君はこれまで、雨の日も風の日もわたしの勉強に付き合ってくれた(室内なんだから関係ないだろって?ノンノン、それは言いっこなしだよ)。だから顕人君の言葉に乗ったんだけど…うーん、結果的には不味い形になっちゃったね。

 

「…じゃあ、今日は復習…ってかさらっとノートやプリントを見るだけにしようか。少なくとも新たにインプットするのは無しの方向で」

「それは今更インプットしても焼け石に水だから?」

「それもあるし、精神的なものもあるかな。これは分からないかもって気持ちになるより、これは確実に分かるって気持ちの方がモチベーション向上に繋がるでしょ?」

「成功体験、ってやつだね。OK、そうしよっか」

 

わたしは一度部屋へと戻り、明日の教科のセットを持ってリビングに帰還。最近は本来の役目をちゃんと果たしているノートを開き、早速テスト範囲の見直しを開始する。

 

「…テスト前日なんだから当たり前っちゃ当たり前だけど、今日はいつも以上にやる気だね」

「今日やらなかったら後はもうテスト前の休み時間しかやるタイミングないもん。流石のわたしも手を抜こうとは思わないよ」

「ま、そうだよね。俺もさっさと始めないと…」

 

同じタイミングで取りに行っていた顕人君もノートを開いて、わたし達はテーブルを挟んで向かい合ういつもの形に。普段はここから顕人君が教えてくれたり、わたしが自分から質問したりでそこそこ言葉を交わすんだけど……

 

「…………」

「…………」

 

今日は『学ぶ』じゃなくて『確認する』だから、いつもよりずっと静かだった。時々わたしが「あれ?」って思ったところを訊いてるから、全く会話がない訳じゃないけど…わたしにとっては、ちょっと違和感のある状態になっていた。

 

(ど、どうしよう…わたしとしてはもうちょっと会話があった方が集中出来そうだけど、さっきやる気見せた手前雑談なんて出来ないし……)

 

見栄を張るつもりはないけど、ふざけた訳でもない場面で悪評を受けるのはあんまり気分が良いものじゃない。だから、悪評を受けずにそれなりに会話をする為には勉強絡みの事を色々訊くしかなくて、でも今のわたしは勉強を頑張ったおかげでがっつり訊きたいレベルの部分は殆どなく……うぅ、努力がこんな形で裏目に出るなんて…。

 

「…………」

「…………」

「……あ、あのさ顕人君…」

「ん?」

「…やっぱ何でもない……」

「……?そう…」

 

ノートを頭の高さまで持ち上げて、文章や図を見直しつつちらちらと顕人君を見るわたし。なんかこれじゃ軽く怪しい人だけど…仕方ないじゃん!わたしは明るい場でこそ輝く人間だもん!いや人間だもの!

…と、段々集中力が切れ始めた頃……

 

「…そういえばさ、綾袮さんはどんな感じでテスト結果を報告するか考えてある?」

「へ……?」

 

かなり以外な切り口で、顕人君が話しかけてきた。勿論それはわたしにとってありがたい事だけど…思いもしない質問だったから、わたしは目をぱちくりさせてしまう。

 

「……その様子だと…全く考えないパターンだったり…?」

「あ…いや、そういう事じゃないよ?…しっかり考えてる訳でもないけど…」

「じゃあ、どんな感じに?」

「…用事で戻った時に、そのついでに見せる…とか?」

 

……実を言えば、しっかり考えてる訳でもないどころか「結果出たら見せに行かなきゃな〜」位にしか思ってなかったんだけど…そこはぼかしても許されるよね。…って考えながら質問に答えると、顕人君は腕を組んで考え込む。

 

「…何か不味かった?」

「いいや、不味くはないと思うけど…ほら、仮に点が良くてもこれまでサボってた事を勘付かれたらアウトでしょ?だから出来る限り違和感を持たれない、自然な感じで伝えた方がいいよなぁ…って」

「あ、そういう…」

 

わたしが勉強を頑張っているのは、これまでのだらけをバレないようにする為。だからテストで良い点を取るのは手段であって目的じゃないし、バレちゃったら全てが無駄になる。そういう意味じゃ、報告の方法も考えておくべきだと思うけど……

 

「……自然性を追求するならさ、対策を考える事自体が本末転倒じゃない?」

「それは…まぁ、そうっちゃそうなんだけど……」

「…わたしの場合、何も考えずにおくとどこかでヘマやらかすかもしれない?」

「……ぶっちゃけ、ちょっとそう思ってる…」

「…気にしなくてもいいよ、顕人君。…わたしもそれは否定出来ないから…」

 

それなりの点を取れたわたしが、調子に乗って余計な事を言った結果バレてしまう…なんて光景は、ちょっと想像するだけでもありありと見える。…あはは、そうなったら……もう全く洒落にならない…。

 

「…自分から言うんじゃなくて、訊かれるまで待ってた方がいいかな…?」

「これまで見せてこなかった以上はその方がいいと思うけど…怖いのは『見せない=見せられないような事情がある』って思われる事だね」

「じゃあやっぱり、何かのついでに見せる?」

「ついでってのは危険かも…こっちは自然な流れで見せたつもりでも、相手には不自然に思われてしまうかもしれないし…」

「むぅ、言うのも待つのも駄目ならどうしたらいいのさ…」

「それを現在考えているのです…」

「そっか…」

 

ノートをテーブルに置き、わたしも腕を組んで考え始める。どのタイミングで、どういう流れで報告するのが一番自然か。それは『変に思われない為には』っていう漠然とした問題だから中々良い案も出てこなくて、でも変に思われた場合のリスクが大き過ぎるから考えない訳にもいかなくて……。

 

……って、ん…?

 

「盤石なのはやっぱり訊かれるまで待つ事…でもただ待つのは不安があるから、待ちつつ相手に訊こうと思わせる事が出来れば……」

「……えーっと…あのさ、顕人君…」

「ん、何?」

 

 

 

 

「……今は結果が出てからの事より、その結果を出す準備に時間を使うべきじゃない…?」

「あ……」

 

漫画やアニメなら頭の辺りに朝の表現が出てそうな顔で、わたしが思った事を伝えると……顕人君は、固まった。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「……この事は保留にして、勉強再開しようか…」

「うん、だよね…」

 

……しっかり者の顕人君は、時々抜けてるっていうか思慮が足りなくなるっていうか…わたしの同居人は、そんな人です。

 

 

 

 

一度思考が大幅に脱線した後も、わたし達はいつもより口数少なく勉強を続けた。そして……

 

「ふぃー…綾袮さん、今日はこの位にしておこうか」

 

いつもよりずっと早く、顕人君は勉強を切り上げようと言ってきた。でも、わたしだって早めに切り上げようとする理由は分かる。

 

「パフォーマンスを第一に考えた準備、ってのは大切だもんね。これまでもちゃんと付き合ってくれたし、顕人君は割と指導者に向いてるんじゃない?」

「はは、そういう才能があるならありがたいかな」

「人間どんな才能があるか分からないからね。…けど、わたしなら大丈夫だよ?」

 

顕人君が勉強だけじゃなく当日の事まで気にかけてくれるのは嬉しいし、実力を発揮する為には身体の状態を整えておくべきっていうのは言われるまでもなく分かってる。…でも、わたしはその提案に異を唱えた。

 

「…大丈夫、ってのは…まだ勉強出来るって意味?」

「うん。まだって言うか、正直徹夜もいけると思う」

「いや、確かに俺も綾袮さんも若いし徹夜なんてしようと思えば出来る事だけどさ、テスト受ける事を考えればそれは……」

「だから、それ含めて大丈夫って事。…わたし、結構無理が効く身体してるんだよ?だって無理が効かなきゃやっていけないような将来が、生まれた時から決まってるんだもん」

 

…それは、宮空家の娘として元々持っていた強靭さと、教育によって培われた技能と精神。機械のように何十時間、何百時間と一定のパフォーマンスを維持し続けられる訳じゃないけど、合間合間で短い仮眠を入れればそれだけで数日の徹夜なんてこなせてしまう。ここのところはそんな機会なんてなかったから、多少鈍ってるかもしれないけど……それでも、顕人君が心配してるような結果にはならないと自信を持って言える。

 

「……そうだったとしても、休んだ方がいいと思うよ?世の中万が一があるんだし」

「もしもを片っ端から心配してたらキリがないよ。わたしは大丈夫だって」

「…そう言うなら俺も強くは言わないけど……」

「…別に顕人君の心配が余計だって言いたい訳じゃないよ。ただ、なんていうかな…ここまで頑張ってきたし、協力してくれた顕人君の為にもやれる限りはやっておきたいっていうか……」

 

やらないで後悔するならやって後悔する方が……なんて言うつもりはないけど、頑張れたところで頑張らなかったから結果に繋がらなかった…ってなるのは嫌。ましてや今回結果を出せなかったら顕人君の努力と思いまで無下にする事になるんだから、例え徹夜をしてでもわたしはやり切りたい。……勿論、それだけしたって結果が出なければ顕人君に顔向け出来ないけど。

そんな気持ちの一部を口にしたわたし。気恥ずかしさと顕人君に気を遣わせたくないって思いから、少しお茶を濁した表現をしちゃったんだけど……

 

「…そういう事なら、そこまで気負う必要はないんじゃないかな」

 

…顕人君は肩を竦めて、少しだけ頬を緩ませてそう言った。それにわたしが目をぱちくりさせていると、顕人君は続ける。

 

「俺の主観だから断定は出来ないし、やるに越した事はないけどさ、綾袮さんはここまでしっかりやってきたじゃん。最初に比べればかなり学力向上したじゃん。…だから多分、心配しなくても悪い点にはならないって俺は思うよ」

「…そうかな」

「そうだよ、きっとね」

 

多分とか、きっととか、顕人君は断定の言葉を避けて言う。実際顕人君はテストを作る側じゃないし、塾の講師でもないんだから強く言えないのは当たり前で、その言葉は顕人君の『感想』に過ぎない。…でも……

 

(…ふふっ、顕人君ってば甘いんだから…)

 

それは、わたしのやってきた事を誰よりも近くで見てきて、一番協力してくれた人の言葉。だからその言葉に確信がなくても、個人の感想だったとしても……大丈夫だって、自然と思えた。

 

「……もう、駄目だよ顕人君。勉強嫌いなわたしが珍しくやる気を出してるのに、それを摘み取るような事言っちゃ」

「じゃあ、言わない方がよかった?」

「ううん、なんかちょっと安心したよ」

「だったらいいじゃん。今だから言うけど定期試験は短期の詰め込みで割と何とかなるし、ほんとに大丈夫だって。…勿論テスト後忘れてたら本来の勉強の意義からは離れちゃうけどさ」

「わ、ぶっちゃけたねぇ…そこに関しては大丈夫!わたし端からこのテスト乗り切れればそれでいいやって思ってるから!」

「うん、何にも大丈夫じゃないよね!その精神だといつかまた同じ羽目に陥るよねっ!」

「あははははっ!それじゃあわたしお風呂入ってくるね〜」

 

ヤベぇ、この子に気が楽になるような事言うべきじゃなかった…みたいな反応をしている顕人君を尻目に、わたしは笑いながらリビングを出る。ほんとに顕人君はボケてて気持ちいい突っ込みをしてくれるから面白い。テスト前日に大笑いしてるのもどうかと思うけど……これは顕人君がわたしに精神的余裕を持たせてくれたって事にしよう、うん。

という事でお風呂に入ったわたし。いつも通りにゆっくり入って、ぽかぽか状態でパジャマに着替えて…でも時期的にちょっと暑いなぁと思ったわたしは、冷茶を飲もうと再びリビングへ。すると……

 

「…ん…ぅ……」

(あ、珍しい……)

 

…リビングでは、ソファに上半身を預けて顕人君が眠っていた。寝ているソファは三人で座れるタイプだから寝るには申し分ない大きさだし、わたしも時々ここでお昼寝するけど…まさかわたしがお風呂入ってる間に寝ちゃうとは思っていなかった。

 

「おーい顕人君、今寝ちゃっていいのー?」

「……んふ…」

「いやんふじゃなくてね、わたしならともかく男の子のおねんね描写なんてウケないと思うよー?」

 

絶対そのつもりなく寝ちゃったパターンだろうなぁと思ったわたしは、肩を揺すってみるけど…起きる様子は一切なし。…って事はまさか…死んでる!?……なーんてね。寝息立てながら死んでたら普通に死んでる以上にびっくりだよ。

 

「…やっぱり、疲れてるのかな……」

 

毎日わたしの勉強に付き合って、霊装者としてのお仕事もして、勿論学校でも真面目に勉強してきたんだから、疲れてない訳がない。それを気にしてわたしは妃乃にも勉強協力してもらってきたけど、それでも顕人君には結構な負担があった筈で…ここで寝ちゃったのも、きっとそれが要因の一つ。……つまりこれは、わたしのせい。

だからわたしは少し考えて、それで……

 

「……わたし、ちゃんと結果出すからね。でも受けるのはわたしだけじゃないんだから…一緒に頑張ろうね、顕人君」

 

……わたしは、薄い掛け布団を持ってきて、それを顕人君に掛ける事にした。一応霊装者の力を使えばわたしより大きくて重い顕人君を部屋まで運ぶ事も出来るけど…そうしたら顕人君は起きてから恥ずかしくなっちゃう筈だもん。…それ位は、わたしだって分かってるよ。

 

 

 

 

──そうして、テスト前の最終日は終わり……テスト当日が、わたしにとっての戦いの日が…やってくる。



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第六十二話 それはささやかな気持ちで

テスト勉強()()という、初めての経験をする事となった日々はあっという間に過ぎていった。…というのは終わってからそう思うだけであり、実際勉強をしている最中はあっという間だなんて思わなかった。……っていうか、あの苦労した濃い時間があっという間の出来事だった…とは思えない。

 

(……やっぱ、教えてた俺側にも利益あったかも)

 

問題文を読み、考え、必要であれば問題用紙や回答用紙の余白を使い、テストの回答を進めていく。天才でも天才だと思われる程の努力家でもない俺が全問自信を持って埋められる…なんて事はまぁまずなく、毎回回答に不安をもったり取り敢えず書いておいただけの問題があったりしたけど…今回は、いつもより自信を持って書けている部分が多いような気がしている。それが何故かといえば……十中八九、綾袮さんの勉強に協力していたから。

 

(情けは人の為ならず、廻り廻って己が為…別に自分の為になるって事でやってた訳じゃないけど、こうなるとやってよかったって思えるよね)

 

俺もそこまでテストの結果を重視している訳じゃないとはいえ、悪い点は取りたくないし、出来るならば優秀な成績を残したい。…そう考えると、俺が一方的に綾袮さんを助けたんじゃなくて、お互いの助けになったのかもしれないね。

そうして俺は一通り問題を解き終え、顔を上げる。上げた視線の先で見るのは……綾袮さんの後ろ姿。

 

(……よかった、綾袮さんも調子いいみたいじゃん)

 

テスト中に他人のテスト用紙を覗くなんて御法度だし、そもそも距離的に綾袮さんのテスト用紙が視界に入る筈がなく、見えるのは彼女の後ろ姿だけ。…けど、その後ろ姿だけでも回答を進められているかどうか位は分かる。

 

(…頑張れ、綾袮さん)

 

綾袮さんがどれだけ頑張ってきたかを、俺はよく知っている。知っているからこそ、こうしてエールを送らずにはいられない。俺自身もまだ見直ししたり不安のある問題を考え直したりしなきゃいけないんだけど……今俺は心の中で、全力でのエールを送っていた。

 

 

……いや、実際にはそれも数十秒から数分で切り上げて見直しに入ったけどね!そこまで俺も阿呆じゃないからね!

 

 

 

 

最近わたしは、テストを真面目に受けていなかった。…って言うと少し語弊があって、正確には真面目にやれる状態じゃなかった。だってそうでしょ?普段勉強を真面目にやってもいないのに、テストをしっかり出来る訳がないもん。

……でも、今回は違う。

 

(えっと、『あふ』は会う…じゃなくて結婚するって意味だから……)

 

これまで勉強してきた事を思い出して、勉強してきた事を元に文章を組み立てて、回答欄を埋めていく。わたしの回答用紙は前回も前々回もその前も空白が目立っていたけど…今回は、目立つ程の空白が出来てはいない。

 

(ふぅ…これで残りは約三分の一、今のペースなら間に合いそうだね)

 

取り敢えず時間内に一通り回答出来ればいい、って最初は思っていたから、見直しの時間も取れそうだって分かって心に余裕が生まれてくる。…わたしだって少しは緊張してるんだよ?赤点なんて絶対取れないってプレッシャーもあるし。

 

(…顕人君は大丈夫かな……)

 

思考のメインはテストに割きながらも、わたしは頭の隅で顕人君の事を考える。わたしより良い点を取ってる顕人君の心配をするのは何だか変だし、一緒に勉強してたんだから全然解けないって事はないと思うけど……今回顕人君は、普段とはテスト勉強の仕方が大きく違った筈。それがプラスに働いてくれたなら良いんだけど…もしマイナスになっていたら、顕人君はわたしの為に自分を不幸にしたって事になる。…そうなっていたら、わたしは……

 

(…ううん、テストがヤバいのはわたしの方なんだから、こんなの余計なお世話だよね。…余計な事を考える位なら、一点でも多く取って顕人君の優しさに報いらなきゃ)

 

軽く頭を振って、思考の全てを回答に向ける。下手な考え休むに似たり…はちょっと意味が違うけど、今はテストっていう壁を攻略してる真っ最中なんだから、攻略に直接関係ない事へリソースを割いてる場合じゃない。昨日の『どう報告するか』と同じく、まずは今やるべき事を頑張らないと…。

 

(よーし、見直しに入るまでは気を抜かずにやるよ…!)

 

心の中で自分を奮い立たせて、問題と回答に集中する。今日までの努力の結果を出す為に。顕人君や妃乃の思いに応える為に。そして何より、嘘を誠にする為に。

そうしてわたしは、最後の問題までちゃんと考え答えを出す。そして回答を終えた時……わたしは久し振りに、自分の回答に対して自信を持つ事が出来た。

 

 

 

 

──数日間、俺と綾袮さんは…いや、真面目にテストを受けるうちの学校の全生徒は、テストとテスト勉強の日々を過ごした。終わった教科に安心する人もいればもっと勉強しておくべきだったと後悔する人もいて、学生にとってテストがどれだけ頭を悩ませる存在なのかという事を再認識させられる。

…と、その学生の一人であるにも関わらず、まるで部外者みたいな考え方を俺がしているのは何故か。それは……

 

「やっと終わったねぇ…」

「うん、やっと終わったなぁ…」

 

……俺にとって今回のテストは、自分一人の問題じゃなかったから。自分の結果と同じように…いや自分の結果以上に良い点を取ってほしい人が、今回はいたから。

家への帰り道、遠くを眺めて呟いた綾袮さんの言葉に、俺は同意する。

 

「テスト期間中はほぼ午前中で学校終わるのに、なんだか普段以上に疲れた気がするよ…」

「俺もだよ…今回は高校上がってからのテストで一番疲れたかも…」

 

往々にしてテストが終わった日の下校は足取りが軽くなる筈なのに、俺達二人は疲れていてそれどころじゃなかった。…いや、テスト期間中は夜しっかり寝てるし身体的には余力が十分にあるんだけどね。だからこれは精神的なものというか、テストが終わって気が抜けた事によるものというか…。

 

「……けど、折角終わったんだしもう少し気分上げていこうよ。。綾袮さん、お昼は昨日の残りとして…今日の夕飯は何が良い?」

「うーん…偶には出前でも取っちゃう?」

「あ、いいね。今日はのんびりしたいし、出前にしようか」

 

既に慣れてきたとはいえ、疲れてる時に食事を作るというのは非常に面倒臭い。…という訳で俺は二つ返事で出前に賛成し、そこから暫くはどのお店にするかという会話を繰り広げた。…綾袮さん俺と同居するまで全然自炊してなかったから、料理店よく知ってるんだよね…。

 

「じゃ、注文は俺がしておくよ。大体いつも夕飯食べる時間に届けばいいよね?」

「うん。っていうか、普通そうじゃない?」

「確認だよ、確認。さーて、ただいま〜っと」

「お帰り〜」

 

丁度良いタイミングで家に着いた俺達は、鍵を開けて中へと入る。二人仲良く靴を脱いで、洗面所で手洗いうがいを行う。…だから何だという話だけど。

 

(…しかし、よくよく考えると昼食前に夕食の話をするってのもシュールだよなぁ…)

 

帰宅してからのルーチンを済ませた俺は、冷蔵庫に入れておいた昼食のおかずを温めながらふと思う。先に決めたって何も問題はないけれど、どうもフライング感が否めない。

 

「顕人君、今日はご飯ちょっと多めにして〜」

「はいはい、じゃあ麦茶淹れておいてもらえる?」

「はーい」

 

食卓で脚をぷらぷらさせていた綾袮さんからの、何気ないお願い。…女の子ってのは食事(というか体重)に神経質になりがちなイメージがあるけど、綾袮さんからはまるでそれを感じない。多分霊装者としては勿論、普段から活動的だから食べた分のカロリーをきっちり消化出来てるって事なんだろうけど…実際のところはどうなんだろう?体重気にしないの?…なんてデリカシーのない質問は出来ないけど。

 

「こんなもんかな…」

 

茶碗に白米をよそい、おかずと共にそれ等を食卓へ。それからは何の変哲もない昼食を取り、その後は食器を洗って、それで……

 

「……あ…もうテスト勉強しなくていいのか…」

 

…今から何しようかな、と考え始めた瞬間俺はその事に気付いた。もう本番であるテストが終わったんだから、それに備えた準備はしなくていいんだという事に。

 

(…これまでこうは思わなかったってのは…やっぱ、勉強量と内容の差だろうなぁ……)

 

今までも、俺はテスト前には対策としての勉強を行ってきた。けれどそれは今回程毎日きっちりやってた訳じゃないし、誰かに説明なんてほぼしてこなかった。何となくやらなきゃなぁと思って、何となくこんな感じかなぁと進めてきたから、勉強を終えた直後は疲れていても数十分すればその疲労も忘れていた。…そういう意味では、これまでの俺はそこまでテスト勉強に真面目じゃなかったのかもしれない。

 

「……これから、どうすんだろ」

 

綾袮さんが今回テスト勉強を頑張ってきたのは、自分の嘘を隠す為。だからもし今後もテスト結果を報告するという事になればテスト勉強も続くんだろうけど、報告せずに済むとなればどうなるかは分からない。勿論、俺としては続ける事を進めたいところだけど……

 

「…そうなると俺、いよいよもって保護者だよなぁ……」

 

現在も家事を一通り行ったり生活に関して色々注意したりはしてるけど、あくまで俺と綾袮さんは同級生。これ以上保護者感が増すのは、割とマジで勘弁したい。

 

「っていうか、何でこうなるのか…厳しい家庭で育った子供は自立してからの反動が凄いとか言うけど、綾袮さんもそういう類いの……」

「うん、なぁに?」

「わぁぁぁぁぁぁっ!?そして痛ぁッ!?」

 

真横から聞こえてきた声に度肝を抜かれた俺は、驚きで座っていたソファを立ち上がり……ソファ前のテーブルに足を強打。ゴンッ、という音と共に走った痛みは強烈で、堪らず俺は蹲る。

 

「うわぁ……えと、大丈夫…?」

「だ、大丈夫じゃねぇ…生命的には大丈夫だけど、常識的なレベルで超痛ぇ……」

「前にテーブルがあるのに勢いよく立つからだよ…驚かせちゃったわたしも悪いけどさ…」

 

頬をかきながら気にかけてくれる綾袮さんの声には、申し訳なさと呆れの両方が混じっているように聞こえる。……ここまで驚いたのは綾袮さん絡みの独り言を聞かれたんじゃ…って思いがあったからだけど、声かけるんならこんな至近距離まで近付く前にしてほしかった…。

 

「うぐ…まだ痛いよこれ……」

「痛いの痛いの飛んでけしてあげようか?」

「そんなんされたら恥ずかしさで俺自身がぶっ飛んでいきたくなるわ…」

 

暫しぶつけた場所をさすったり吹いたりした後、俺はソファ上へ帰還。綾袮さんはと言えばソファの座席ではなく肘掛けに座っていて、俺の足が問題ないと分かったからかもうふざけ始める。……俺がやってって言ったらどうする気だったんだろう…。

 

「…で、何の用?」

「用?…あぁ、別にそういう事じゃないよ?呼ばれた気がしたから反応しただけだもん」

「あそう…だったら別に呼んだ訳じゃないよ、悪いね……って、ん…?」

「どったの?」

「……本当にそれが理由…?」

 

確かに綾袮さんの名前も出したしなぁ…と俺は一瞬納得しかけて、すぐに違和感を抱く。だって俺が名前を出したのは、呟きの中でも最後の方な筈。最初の方で名前を出してたなら何らおかしくはないけど、この場合は自分の名前が出る前から立ち聞きしつつこっそり近付いてたとかでなければ状況が成り立たない。流石に超速思考からの霊装者の力で一気に距離を詰めたなんて事はないだろうし…。

 

「えー、何?この純真無垢なわたしを疑うの?」

「純真無垢な人は自分をそうは言わないと思うんだけど…」

「じゃ、わたし純真無垢を自称する最初の一人になろうかな。言うなれば自称純真無垢!」

「いやそれは勝手にすれば……自称純真無垢!?じゃあやっぱ違うんじゃん!ただの自己申告じゃん!」

「ちっ、バレたか…」

「なにその悪どい顔!?え、結構ガチで俺を謀ろうとしてた訳!?」

 

舌打ちしながら物凄く悪人っぽい顔をする綾袮さんに俺は仰天。半分どころか七割位「普段の冗談の一環なんだろうなぁ」と思っていたから、その反応には余計に驚いてしまう。……けど、その反応こそが『普段の冗談の一環』だった。

 

「あはは、なーんてね。ほんとは顕人君は何一人で話してるのかな〜って思って近付いてただけだよ」

「な、ならふざけずに言ってよ…ふざけるなって言っても綾袮さんには無理な相談だろうけどさ…」

「分かってるねぇ顕人君。…でさ、顕人君はわたしに関する独り言をしてたの?」

「あー…まぁ、してたっちゃしてたかな…独り言だから追及されても困るけど」

 

最初はテスト勉強の事だったけど、それ以降はずっと綾袮さんが子供っぽくてしょうがないって話だよ……なんて言える訳がない。ましてや自分が保護者みたいになってるなんて言いたくもない。だって自分自身でそれを認めてないんだから。

 

「そう…別に本人には聞かせられないような悪口言ってたとかじゃないよね?」

「え、俺がそんな事すると思う?」

「んー…顕人君ならしない、かな?」

「じゃ、そういう事だよ」

 

…なんて、ちょっと格好良い言い方で俺は綾袮さんの不安を否定した。……うん、俺が言ってたのは悪口じゃない筈…。

 

「そっかそっか、じゃあいっか」

「杞憂で終わってよかったね」

「うん、流石に本当だったらショック受けてたよ」

 

と言いつつも綾袮さんは特にほっとしたような表情も見せず、リモコンを持ってテレビを点ける。…恐らくは、言ってみただけで初めから疑ってはいなかったんだろうね。

綾袮さんはテレビ番組を見始め、俺もポケットから携帯を出して操作を始める。さっきまで駄弁っていた俺達も、あっという間に電子機器と仲良しな現代っ子に早変わり。

 

「…………」

「…………」

 

雑談なんて、一度途切れてしまえばそれまでのもの。目的もなければ必要性もない会話が雑談なんだから、無理に続ける事もない。…でも、それは逆に言えばふとした時に再開される事もあるって訳で……何分かした頃、俺は何の気なしにこう言った。

 

「……ね、綾袮さん。テスト、どうだった?」

「んー、それはね…」

 

……それは、本来なら真っ先に訊くか流れを作った上で訊くような事。これの為に頑張ってきたからこそ、気になって然るべき事。…でも、俺はこれ位適当に訊いたっていいやと思っていた。だって……

 

「──ばっちりだよ、顕人君っ!」

 

俺の方に向き直って、びしっと右手でピースを作って、向日葵の様な笑顔を見せながら答えてくれる今の綾袮さんみたいに、綾袮さんなら元気一杯自信満々の答えを返してくれるって、分かっていたんだから。

 

 

 

 

「よーし昼だ!千嵜、野球やろうぜ〜…じゃなくて昼食にしようじゃないか!」

「……うん、どうした御道」

 

週明け、テスト期間から通常に戻りつつもテスト返却があるが為に微妙に普段の雰囲気に戻らない教室の中で、昼休みを迎えた俺は早速弁当箱を取り出した。

 

「どうしたって…え、何?千嵜は昼食を昼休み以外で食べるつもり?」

「そこじゃねぇよ、テンションだよ。お前そんなラノベの主人公の親友、それもストーリーには基本関わらないタイプのキャラみたいな性格してなかっただろ」

「はは、ご冗談を。曲がりなりにも俺は主人公枠だぜ?」

「……うぜぇ…」

 

いつもの通り弁当箱の包みを開こうとしながら話していると、千嵜に本気で嫌そうな顔をされた。…元からあんまり愛想の良くない千嵜だけど、流石に本気でウザがられるのはちょい辛いな…これは俺の自業自得だけど。

 

「悪い悪い、今日は昼食が待ち遠しくてね」

「なんだ、朝食抜いてきたのか?」

「いや、普通に食べてきた」

「じゃああれか、午前中に体育があったのか」

「ないよ、そして同じクラスなんだからその質問は色々おかしいよ…俺が待ち遠しく感じてたのは、空腹云々じゃなくて内容に関してなのさ」

 

包みの中から出てきたのは、なんの変哲もない弁当箱。でもそれは当然の話。俺が楽しみにしてるのは箱じゃなくて中身なんだから。

 

「内容ねぇ……ん?弁当は御道が用意してるんだよな?だったら楽しみも何もじゃねぇのか?」

「そりゃ普段は、ね」

「…って事は、今日は違うと?」

「そう、今日はなんと綾袮さんが作ってくれたのです…!」

 

そう言いながら俺は朝の事を思い出す。……そう。今日の朝、綾袮さんは「じゃーん!今日はわたしがお弁当作ったんだよ!これは勉強手伝ってくれた顕人君へのお礼だから、お昼ご飯を楽しみにしててね!」と言ってこの弁当箱を渡してくれた。…あの時の感動は、きっと一生忘れない……というのは流石に言い過ぎかもしれないけど、数ヶ月から数年は忘れないだろう。

 

「家事をする気皆無で手伝いすら簡素な事しかしてくれない綾袮さんが、早起きして弁当用意してそれをちゃんと持っていける状態にまでしてくれるなんて……それだけでもう、胸がいっぱいになるよ…」

「御道、お前……」

「…あ、変な想像はしないでよ?俺はあくまでこれまでの経緯から喜びを感じてるだけで……」

「……綾袮の父親みたいだな」

「ぐふぅうぅぅっ!!」

「うぉわっ!?み、御道!?」

 

弁当箱を開けかけた状態から頭を机に激突させる俺。なんか千嵜が驚いているが…それどころじゃない。え、俺保護者っぽくなってた?今の言動保護者っぽかったの?いやいやいや、そんなのある訳…………

 

「…あったぁぁ…言われてみれば確かに娘の成長を喜ぶ父親のそれっぽくなってたぁぁぁぁ……」

「マジでどうしたんだ今日は……」

 

自分でも気付かぬ内に進行していた精神の保護者化に心がへし折れそうになる事数分。脳内での試行錯誤の末、『うちでの事をよく知らない千嵜にはそう思えてるだけ』と結論付ける事で立ち直った俺は、改めて弁当箱に手を伸ばす。

 

「中に入ってるのがお札と『ごめんね、これで何か買って』ってメモだったら笑えるよな」

「止めい、てかそれなりの重さを感じてる時点でそれはないから。…おー、おにぎりだ」

 

俺が使っているのは至って普通の二段弁当箱。その内片方を開けてみると、そこに入っていたのは二つのおにぎり。それ自体は弁当箱同様、至って普通のおにぎりっぽいけど……

 

(…そういや前に綾袮さん、おにぎり作ってくれるとか言ってたな…あれ、ちゃんと覚えててくれたんだ)

 

…俺にとっては、なんだかそれだけで胸がいっぱいになりそうな思いだった。多分俺は、このおにぎりがちょっと塩かけ過ぎだったり具材のチョイスがおかしかったりしても、こう思うだろう。……美味しい、と。

 

「さて、次はおかずだけど…こっちは流石に冷凍食品かな」

「下手に調理されたもの入れられるよりはそっちの方がいいんじゃね?冷凍食品だって別段不味くはねぇんだし」

「ま、それもそうだよね」

 

冷凍食品が普通に美味しいというのは、俺だってよく分かってる。だから楽しみなのは綾袮さんがどんなおかずを選んだか。綾袮さんの事だから栄養バランスより美味しさ…というより旨さを重視してそうだけど、それならそれで男として嫌な気はしないというもの。

 

「ささ、それではオープン〜」

「俺もさっさと弁当開けるか…」

「…………」

「…………」

 

千嵜が自分の弁当箱を開く中、俺もゆっくりと蓋を開ける。そして中身を見た俺は……蓋を閉じた。

 

「頂きま……ん?なんで閉めたの?」

「い、いやぁちょっと空目をしちゃってね。では今度こそオープーン」

「…………」

「…………」

「……うん、だから何故閉める」

「だから空目だって、又は視力の低下だって。…っかしいなぁ…オープ……」

「閉めんなよ!?三度も空目なんざするか!なんの芝居だよそりゃ!」

 

開けては閉め、開けては閉めを行う事三回。空目か視力の低下だと思ってまた閉めたものの、そこで千嵜に突っ込まれた。…いやーでもね、ほんとにおかしいのよ。あり得ない光景だったのよ、弁当箱の中。同じ箱開けたって訳じゃないだろうし…。

 

「…まさか、幻覚を見せる魔人が……?」

「いるか!いてもこんなしょうもない事するか!…何が入ってたんだよ、弁当箱の中に……」

「いや、それは…なんつーか……」

「…………」

「…開けてみます……」

 

三度開けて、三度とも閉めてしまった弁当箱。空目か何かだと思って、俺の側に問題があるんだと思って、目を逸らしていた弁当の真実。……けれど、もうそれも限界らしい。主に俺の空腹と、千嵜からの視線によって。

 

「……よ、よし…」

「…よく分からんが、頑張れ御道」

「あぁ…俺はもう決めたよ、ちゃんと現実を受け止めるって…」

「そうだな…だったら俺は、見届けてやる」

「……ふっ、ありがと千嵜」

「おう」

 

何故だか青くも熱い空気になる中、俺は蓋へと手を添える。そうだ、俺は現実を受け止めて…前に進むんだ。だって待ち受ける現実がどんなものであろうと、これは綾袮さんの思いが詰まった弁当なんだから。

そうして俺は、蓋を開ける。そして、開いた弁当箱の中にあったのは…………

 

「…………」

「……おぉ、ぅ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

────おにぎり二つだった。

少し横へ目を向けてみる。そこにあるのは弁当箱に入った二つのおにぎり。目線を元に戻してみる。そこにあったのも弁当箱に入った二つのおにぎり。

おにぎりの数を数えてみる。目の前にあるおにぎりで一つ、二つ。少し横にあるおにぎりで……三つ、四つ。

二箱でセットの弁当箱。両方の箱に入っていた二つのおにぎり。…つまり、これは……

 

「……おかずもおにぎりかよぉぉぉぉおおおおおおおおっ!!?」

 

……この時の俺の叫びはクラス中に響き、その瞬間クラスの中は「え……彼はどうしたの…?」という雰囲気で一つとなった。そんな中、綾袮さんは……ぺろっと舌を出し、「てへっ☆」って表情を浮かべていた。

 

 

──という訳で、この日俺は昼食としておにぎり四つを食べるのだった。……おにぎりそのものは、普通に美味しかったです。



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第六十三話 再開、謎の人

テスト明けの週の週末。朝から緋奈も妃乃も出かけてしまい、これといってやる事のなかった俺は、同じく暇人をしていた御道を呼んでゲームセンターへと訪れた。

 

「おい待て、何勝手に暇人扱いしてんだ」

「じゃ、忙しかったと?」

「……千嵜、今度はあれやろうぜ」

「碌に誤魔化しも思い付かねぇなら地の文に突っ込んでくるなよ…」

 

すっと顔を逸らして別のゲームへ向かう御道に呆れつつも、その後を追う俺。…この様子だと誤魔化しを思い付かなかったってより、考えようともしてないな…。

 

「…そういや、綾袮は?なんか性格的にしれっと着いて来そうな感じあるんだが…」

「綾袮さん?綾袮さんなら朝から出掛けたよ、妃乃さんと約束があるからって」

「あ、そうなのか…で、俺等もこうして会ってる訳か…」

「世間は案外狭いもんだよ、うん」

 

備え付けのバチでゲーム用の太鼓を引っ叩きながら、ぬる〜っと俺達は会話。野郎二人でゲーセンってのも華の無い話だが、華がなきゃ楽しめないなんて事はない。てか、華ならしょっちゅう家で見てるしな…って、これは色々不味い発想か…。

 

「…てか千嵜、俺そろそろお腹空いて来たんだけど」

「そこのUFOキャッチャーの商品は菓子だぞ」

「違ぇよ、昼食にしようって言ってんの…UFOキャッチャーで食料調達とかコスパ悪すぎるわ…」

「昼食ねぇ…俺は平日だけじゃなく休日まで御道と顔突き合わせて昼食食わなきゃいえないのか…」

「ならなんで午前中から呼んだんですかねぇ…!」

 

音ゲーしつつ御道弄りを楽しむ事数分。個人的には見ず知らずの人が沢山いる中で、どこまで御道はハイテンション突っ込みをせずにいられるか検証してみたかったが…実のところ俺もそこそこ空腹を感じていたのでゲームを終了。これまたぬる〜っと何を食べるか話し合い、ゲーセンを出て近くのラーメン屋まで移動する。

 

「…そういや、ラーメン屋の中にはカウンター席のみ且つ一席毎に仕切りが付いてる店舗があるらしいな」

「あぁ、なんか有名なところだっけ?…って、そこまでして俺と顔突き合わせたくないと!?」

「え、ふと思い出したから言ってみただけだぞ?」

「…ぐっ…ほんとお前は性格悪いよな…」

「すいませーん、注文いいですかー?」

「聞けよ!?」

 

……って事で俺と御道は昼食をとった。……ん?食事の描写?…欲しいか?それ。よく考えてみてくれ、男二人が特筆する事もなく飯食ってるシーンをじっくり見たいか?正直どうでもいいだろう?…そういう事だよ。

 

「ふぃー、ご馳走さんっと」

「ご馳走様。…で、この後はどうすんの?」

「特に何も考えてない。…と、いう訳で何か意見をくれ」

「えぇー…じゃ、ボウリングとかカラオケとか…?」

「意外性のない意見だなぁ…」

「意見求めておいて横柄な奴だなぁ…」

「冗談だ、安心しろ」

 

カラオケはともかく、ボウリングは悪くないかもしれない。そう考えて俺はテーブル上の伝票を手に取るが、そこでちょっと指が引っ掛かって伝票入れ(勘違いするなかれ。あの透明な筒は『伝票入れ』が正式名称らしいのだ)を落下させてしまう。

 

「あ、ミスった…」

「転がるなぁ…っと、座ったままじゃ取れないか…」

「いや俺が取るからいいぞ?ってか、落とした俺が取るべき物だからな」

 

御道が相変わらずの人の良さを発揮する中、落ちた伝票入れは転がってカウンター席の方へ。本当によくもまあ転がるなぁ…と思いつつ席を立って追いかけると……運悪く伝票入れは、カウンター席に座っていた客の足へと当たってしまった。…痛くはなかったと思うが…謝るべきだな、うん。

 

「すんません、不注意でした」

「……?何が、です…?」

「あーいや、今ちょっと転がったこれでご迷惑をおかけしてしまいまして……うん?」

「…あれ……?」

 

拾い上げつつ謝罪すると、その客は当たった事を気にも留めていなかったのか不思議そうな顔で振り返った。とはいえ「あ、ならいいっす」…なんて適当に流す訳にもいかねぇし…と事情を端的に説明していた俺は、途中でその顔が見覚えのあるものだと気付く。そしてそれは相手も同じらしく、けどお互い誰だったかまでは思い出せないという状況になり……

 

「…千嵜?お前どうし……って…むむ?」

「…御道、俺どっかでこの人見た事ある気がするんだが…」

「だよね、確か……あ、前に書類落としてた…」

「あー…!」

「あぁっ!じゃあやっぱりお二人は…!」

『え……?』

 

俺に続いてやってきた御道の言葉で、俺は目の前の人物があの時の…偶々双統殿で遭遇した少女(…だよな?今日もズボン履いてるが…)である事に気付いた。そして、相手も同じく気付いたのか大きめの声を上げ……周りの視線が一気にこちらへ向いてしまった。

 

「あっ……す、すいません…」

「い、いやまぁ…取り敢えず俺等は、会計行く…?」

「そうだな…悪い、変な事になっちまって。んじゃ俺等はこの辺で…」

「ま、待って下さい。…少しお話、いいですか…?」

 

変な注目をされる事による居心地の悪さから、さっさと会計を済ませて退場しようとした俺と御道。それは当事者の過半数が出ていけば注目もなくなるだろうし…という考えもあっての事だったが、意外にもそれを呼び止めたのは視線を受けて恥ずかしそうにしていた少女。そして俺達は数分後……食事を終えたその少女と共に、店を出る事となった。

 

 

 

 

偶然千嵜が落とした伝票入れが当たったのは、意外な事に顔見知りの相手。その人から少し話せないかと言われた俺達は、食事が終わった店で長居をするのもアレだ…という事で、少女の完食を待って外へと出た。

 

「…ごめんなさい、時間を取らせてしまって…」

「気にすんな、こいつは今日暇人だからよ」

「俺だけ暇人みたいに言うのは止めてくれないかねぇ…」

 

流石に道端で突っ立って話すのも…と考えた俺は、近くの喫茶店まで行く事を提案。それを二人が快諾してくれた為に、現在俺達は飲み物だけ頼んで喫茶店にいる。

 

「んで、話ってのは?」

「あ、はい。…でもその前に自己紹介いいですか…?」

「あぁ、どうぞどうぞ」

「じゃあ…あの、僕は中佐賀茅章っていいます。現在高二で…こんな見た目ですが、一応お二人と同じ霊装者です…」

「(僕……?)へぇ、なら同い年だね。俺は御道……」

「知ってます。貴方が御道さんで、そちらは千嵜さん…ですよね?」

「おう。…っていやいや、なんで知ってんの…?」

 

見た目からして同年代というのは分かっていたけど、どうやら同年代どころか同い年だったらしい。それにも俺は多少驚いたけど…まさか名前(苗字)を知られているとは思っていなかった。そしてそれは千嵜も同じだったらしく、俺等二人は怪訝な顔に。

 

「それは聞いたといいますか、耳にしたといいますか…お二人は、魔王の一件で周知されているんですよ?」

「あー…そういう事ね…」

「周知、ねぇ…無謀にも突っ込んでった馬鹿者って評価でか?」

「い、いやそんな事はないですよ!?…確かに、軽率だって言ってる人もいますけど…僕は凄いって思いましたから!」

「はは…けど軽率だって言ってる人は間違ってないと思うよ。何せ俺自身がそう認識してるから…」

「まぁ、少なくとも賢明な判断はしてなかったよな俺等は…」

 

中佐賀さんは慌ててフォローしてくれるけど、それを受けた俺達二人は苦笑い。…あの時の事は後悔してないし、今の状態でやり直したとしてもきっとまた同じ選択をするだろうけど…千嵜の言う通り、それが賢明な判断だったとは微塵も思っていない。俺も千嵜も、あの時は死んでいたっておかしくなかったんだから。

 

「……それでも、凄いと思いますよ?僕なんて、あの時は何も出来なかったんですから…」

「…そう言われると、なんかこそばゆいね」

「正しい選択はそっちなんだがな…まあそれはいいんだよ。中佐賀の話ってのはこれじゃないんだろ?」

「あー…えっと、それは…全く違う話って訳でもないんですが…」

 

ストローでアイスティーの中の氷を回し、もじもじとこちらを伺うような様子を見せる中佐賀さん。…え、何?これに対して俺等はどんな反応をすればいいの?どんな反応が正解なの…?

 

「…もしや、話し辛い事だったり?」

「い、いえ。…その、もし嫌でなければ…お二人がどうして霊装者になったか、これまでどうしてきたかを教えてもらえますか…?」

「そりゃ、構わねぇが…それを聞いてどうする気だ?」

「参考にしようかと…」

『…参考?』

 

話をいいか?…と訊かれたものだから、てっきり何か話したい事があるのかと思っていたけど…話を聞いてもらってもいいか、ではなく話をしてもらってもいいか、だったらしい。しかも参考って…。

 

「…不思議な奴だな」

「だね…でも雰囲気的に拒否したら凄い落ち込みそうだし、話してあげようよ。ってか、俺は話すよ」

 

若干の「何故?」は残るものの、参考になるかどうかはさておき話す事自体は別に嫌じゃない。…という事で、俺は多少端折ってこれまでの経緯を口にした。

 

「…で、ここのところは特筆するような戦闘も無かったかな。……って、感じだけど…これでよかった?」

「は、はい!とても参考になりました!ありがとうございます!」

「あ、う、うん…(そこまで食い気味に感謝されるようなこと言ったっけ…?)」

 

自分の話で誰かが感銘を受けてくれたのならそれは嬉しいし、どんな事でも役に立てたのなら喜ばしい。……けど、人間自分の価値観に合わない事を理解するのは難しいもので…ぶっちゃけ、なんで感謝されてるんだかよく分からない俺だった。

 

「んじゃ、次は俺か…」

「え、話すの?」

「何だよ悪いか?」

「いや悪くないけど…」

 

俺に続き千嵜も説明開始。流石に色々と特殊な事情があるからか千嵜の説明は俺以上に端折って…というか編集された形のものだったが、それでも経緯がそれなりには伝わってくるものだった。…言われなかった部分もある程度知っている俺だからちゃんと伝わった、って可能性もなきにしもあらずだけど…。

ともかく中佐賀さんの要望に応えた俺達二人。そして参考にしたいと言っていた中佐賀さんはといえば……

 

「凄い…やっぱり二人共思った通りの人だった……!」

 

……なんか、すっごい感動していた。…だからそこまで深い話したっけ!?少なくとも俺はしてないよ!?千嵜も全部話してたならともかく、言った部分だけだとそこまで凄くもないと思うよ!?俺等不当に高く評価されてません!?

 

「えーと…それはどうも、って言えばいいのか…?」

「お礼を言うのは僕の方です!ほんと、ありがとうございました!」

「お、おう……」

 

目を輝かせていたかと思えば、今度は座ったまま深く頭を下げる中佐賀さん。先程までのおどおどした感じはどこへやらの豹変に、俺は勿論千嵜ですら軽く気圧されてしまっていた。

 

「決断するべき時には躊躇わずに決断して、自分を信じて、自分の思いに正直でいる…二人共僕とは大違いだ……」

「…………」

「…………」

 

俺達の言葉を心の中で反芻していたのか、中佐賀さんは敬意と自嘲の混じったような言葉を口に。声の大きさからして、本人的には独り言なんだろうけど…同じテーブルに座っている俺と千嵜には、それがばっちりと聞こえてしまっていた。

初めはおどおどと気の弱そうな言動をしていて、俺達の話を聞いてからは様子が変わって、今は複雑そうな顔で……どれがこの人の素かと言えば、それは恐らく一番最初。

 

「あー…中佐賀さん、少し待っててもらっていい?」

「……?…いい、ですけど…」

「じゃ、ちょっと千嵜」

「あいよ」

 

千嵜を連れ立って、俺はドリンクバーコーナーへ。けど別に俺は喉が渇いた訳でもなければ、千嵜とトンデモミックスドリンクを作ってみたくなった訳でもない。

 

「……中佐賀さんの事、どう思う?」

「…どうってそりゃ…感情豊かな奴だよな」

「そうじゃなくて…俺が何を言いたいかは分かってるんでしょ?」

「……悩みなり何なりを抱えてるんだろうな。それも、自分が要因となってる類いの悩みを」

 

飲み物を選ぶフリをしながら訊くと、まず千嵜は俺の意図とは違う答えを口にし…訊き直すと、やはり分かっていたのか今度は真面目な顔でそう言った。

 

「…その悩みはさ、今の俺等の話を聞いただけで解決するものかな?」

「それは分からねぇよ。…けど、そこまで親しくもない奴の話をちょっと聞いた程度で解決する悩みなら、そもそも気に病む程度の事でもないと思うがな」

「でも、中佐賀さんは偶然とはいえわざわざこうして聞きにきた。って事は……」

「…藁にもすがる思い、或いはそこまでじゃなくても誰かを頼りたいってだけの思いがあるんだろうよ」

 

店内の仕切りに軽く背を預けながら、千嵜はそう言った。…ったく、千嵜め……

 

「…そこまで考えてあげてたなら、すっとぼけてるんじゃないよ」

「あれはお前の訊き方が悪い」

「言い訳がましいな…」

「うっさい。てか、そういう御道はどうなんだよ?人に訊いておいて自分は何も言わない、ってのはアンフェアじゃないのか?

「俺?…まぁ、心配にはなったね。話した事がプラスになってくれるならいいけど、マイナス側に作用したら申し訳ないし」

 

俺は自分の経験を話しただけで、更に言えば訊かれたから答えただけ。そこに責任が発生する訳がないし、例えマイナスになっても俺が申し訳ないと思う必要はない。……けど、俺はそういう論理的な事じゃなく、感情として心配になった。だから、出来るならばその心配な部分に対しても手助けをしたいと思った。ただ、それだけの話。

 

「…そういうのは、余計なお世話かもしれねぇぞ?」

「頼るだけ頼って、いざ自分に恩恵がなくなったら余計なお世話だ、なんて言い出すような人には見えないけどね」

「そうかい。…で、御道はどうする気なんだ?」

「…それは……」

 

話の流れからして、どうするんだって旨の質問がくるのは当然の事。…けど、情けない事にここで俺は言葉に詰まってしまった。だって、どうするかまでは思い付いてなかったから。

 

「……お前…俺引っ張ってくる前にそこまで考えとけよ…」

「う…面目無い…」

「はぁ…大方俺と話してる内に何か思い付くだろう、とか考えてたな?」

「その通りでございます……」

 

溜め息を吐く千嵜の言葉に、俺は反省の意を示すしかない。思い付いてない事がバレるわ、内心の算段まで見抜かれるわ、シンプルに今は恥ずかしかった。…まぁ、自業自得だけど…。

 

「……お前さ、人が良いのは何ら問題ねぇし、御道は俺よりよっぽどちゃんとした人間だとは思うけどよ、人の内面に踏み込む気ならもっと考えるべきだぞ?じゃなきゃ相手の為にも、御道自身の為にもなんねぇよ」

「……すまん」

「分かりゃいいんだ。…そんで、まだ何か出来る事があればしてあげたい…とか思ってんのか?」

「…………」

 

俺の返答を聞いた千嵜は軽く頭を掻き…それから真面目な顔になって、そう言った。

言われてみれば…いや、言われなくてもそれは、当たり前の話。他人が意識して公開していない部分ってのは、何らかの理由で見せたくないが為に公開してないんだから、そこへ軽い気持ちで踏み込むべきじゃない。勿論俺だってこのまま中佐賀さんに訊いてみようなんて考えてはいないし、訊くのは考えてからにしようと思っていたけど…そういう部分を含めて、『もっと考えろ』と千嵜は言ったんだろう。

……でも、俺は千嵜の問いに首肯した。千嵜の指摘には返す言葉もないが、それは反省すべきだと思うが…それでも俺は、頷いた。

 

「……ったく、しゃーねーなぁ…ここは俺が一肌脱いでやるから、お前は上手く合わせろ」

「…恩に着るよ、千嵜」

「ま、俺は大人だからな。貸しって事にしておいてやる」

「……人が良いのは千嵜もじゃん」

「うっせ。……俺だって、見て見ぬ振りは目覚めが悪いんだよ」

 

仕切りから背を離し、さっさと一人で戻る千嵜。それは千嵜の無愛想さ故か、それとも人が良いと言われて恥ずかしくなったのか。或いは、恥ずかしいというのは自分も中佐賀さんを心配していたのを口にしてしまった事へなのか。……まぁ、とにかく…千嵜は素直じゃない奴だ。

 

「はいはい、頼みますよおっさん」

「頼む時はもっと丁寧に言いましょうね〜」

 

薄く笑みを浮かべながら、ついでに軽口も叩きながら千嵜を追って、テーブルへと戻る。…想定してたよりは戻るのが遅れちゃったな…。

 

「ごめん、待たせちゃって」

「あ、気にしないで下さい。そんなに長い時間でもなかったですし」

「そう?ならいいけど…」

 

なんか待ち合わせしてたっぽいやり取りの後、俺は千嵜に目配せ。合わせろ、って言われてるし当然タイミングは千嵜次第なんだけど、それはそれとして「こっちはいつでも大丈夫」って合図はしておいた方がいい。……上手く伝わってなかったら悲しいけど。

 

(どう切り込むつもりなんだろう…流石にストレートに訊く訳はないし、身の上話で中佐賀さんの警戒を解いて…って、千嵜の身の上話は雰囲気を和ませるのに向いてないか……なら、一体…)

 

千嵜に目配せしてから目線を戻すまでの間に、俺はそんな事を考えていた。そして、丁度俺が目線を中佐賀さんの方へ向けた時……千嵜が口を開く。

 

「…なぁ中佐賀、唐突なんだがこれから俺等に付き合ってくれるか?」

「へ……?」

「いや、付き合ってくれったって別に任務とかじゃないぞ?単に…んー、まぁなんつーか、有り体に言えば遊べるか…って奴だ。折角の休みも相手が御道一人じゃ虚しいしな」

(こ、この野郎……!)

 

にやり、と性格の悪い笑みを見せながら言った千嵜。その内容は、中佐賀さんを休日の娯楽に誘うというもの。

それは素直に良いと思った。中佐賀さんの緊張も解れるだろうし、その中で今より親しくなれれば訊き易くもなる。…けど、けどさ……

 

(そこに俺をdisる必要はあるんですかねぇぇぇぇッ!?)

 

怒りたい、また言ったなテメェ!…的な感じに言い返したい。…でも、出来ない!そうしたら話が逸れるし、それを喧嘩だと捉えられたら中佐賀さんに「帰りたい」と思われてしまうかもしれないから!千嵜め…そこまで見越して言いやがったな!ほんっとに酷い神経してやがるなぁおい!

 

「え……い、いやその…」

「ん?何か用事あるなら断ってくれて構わないぞ?」

「いえ、用事はないですし、お誘いは光栄なんですけど…いいんですか?御道さんにそんな事を言ってしまって…」

「あ、そっちか…いいのいいの気にすんな。この位で傷付く程御道は繊細じゃな痛ぁっ!?」

「は、はい?」

「あー、大丈夫。千嵜は偶に突然変な事したりするから。それに千嵜の口が悪いのは前からだし、俺の心配はしなくても大丈夫だよ」

 

意地の悪い千嵜に比べ、なんと中佐賀さんの優しい事か。そう思いながら俺は……千嵜の足を踏み付けた。それはもう、グッ!…っと。

 

(御道テメェ!何しやがる!)

(何しやがる、じゃねぇわ!それはこっちの台詞だ!)

(あぁ!?だったら言葉で返せよ!言葉に対して何暴力使ってんだ!)

(涼しい顔して悪口言う奴が何様だ!踏まれたくなきゃお前も…痛い痛い痛い!ちょ、おまっ、脚抓ってんじゃねぇよ!さっきの暴力反対発言どこ言ったコラァァァァッ!)

(テメェが脚退かしゃ解決する事だオラァァァァッ!)

 

 

「……?」

 

全力で足を踏み付ける俺と、フルパワーで太腿を抓ってくる千嵜。普段はやりもしないアイコンタクトをガンガンに使い、中佐賀さんに気取られないようテーブル下で行う攻防戦(攻撃一辺倒だけど)は、この時熾烈を極めていた。

 

「えーっと、あの…?」

『何ッ!?』

「ひぃっ!?」

「…あ、ごめん」

「悪い…」

「…よ、よく分からないですけど…僕は暇なので、もしお二人が嫌でないのなら…ご一緒させて頂きますね」

『あ……はい』

 

そして気付けば、中佐賀さんが同意してくれていた。…という訳で、俺等のパーティー(?)に中佐賀さんが参加する事になるのだった。

 

 

……因みにこの店を出る際、俺と御道はそれぞれ脚を押さえてたり引きずっていたりしていた。これから中佐賀さんに同行してもらうのは意図があっての事だってのに…何してんだろうね、俺達……。



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第六十四話 無理に変わる事なんてない

サッカー野球にバスケにバレー。世の中には多種多様な球技があり、個性や方向性もまた様々。ボールを投げる競技もあれば蹴ったり叩いたりする競技もあって、ボール一つで出来るものもあれば、ボール以外にも色んな道具が必要だったり、そもそも「え、それボール…?ボールってカテゴリでいいの…?」的なものもあったりで、まぁとにかく全容が分からない程色々ある。…が、その中でも……

 

「ば、馬鹿な…左右二本のみだと……!?」

「あ、あはははは…どんまいです、御道さん…」

 

──ボウリングというのは、かなり特異な球技じゃないかと思う、今日この頃です。

 

「いやー、一投目で左端のみ、二投目で右端のみなんて逆に凄いと思うぞ、うん」

「そんな凄さいるか…くそう……」

 

合わせて二本というかなり残念な結果に項垂れる俺。そんな俺に次の番である中佐賀さんはボールを持ちつつ慰めの言葉をかけてくれて、俺より前の番である千嵜はにやにやしながらからかいの言葉をかけてくる。

喫茶店を出てから数十分後。俺達三人は、二人だった際に出てきた(ってか俺が言った)意見の一つであるボウリングに興じていた。

 

「さっき左に寄っちゃったからって右を意識し過ぎたかなぁ…」

「んじゃ、あの滑り台っぽいの使うか?」

「嫌だよ!?あれ基本小さい子が使うやつじゃん!ネタじゃなくマジであれ使ってたら相当恥ずかしいからね!?」

「面白シーン連発するより恥ずかしいと?」

「お、面白シーン言うなっ!」

 

現在は2ゲーム目の半ば。初めは全員久し振りのボウリングという事もあってスコアもどんぐりの背比べ状態だったが……1ゲーム目の後半辺りから、スコアに差が付き始めた。具体的に言うと、そこそこ上手い千嵜がトップを走り、可もなく不可もない感じの中佐賀さんが後を追い……俺はといえば、端っこだけ倒れたり連続でスプリットを出してしまったりと、よく分からない展開ばっかり起こしているのである。……遊びとはいえ、ちょっと悔しい。

 

「あぁ、また残ったピンを倒せなかった…」

「もう少し力を抜いてみたらどうだ?力を入れるとその分ブレ易くなるからな」

「力、ですか…はい、次はそうしてみます…!」

 

…と、俺が悔しがっている内に中佐賀さんの番が終了。千嵜は俺の時とは違いきっちりとアドバイスをしており、如実に扱いの差を表してくる。…野郎、まさか下心で優しくしてるんじゃないだろうな…?

 

(…っていや、それはないか…千嵜って異性どころかそもそも人間に興味なさそうだし…)

「よーし、次のピンはあれだな〜」

「ちょぉぉぉぉっ!?何俺に向けて投げようとしてんの!?あ、頭おかしいんじゃねぇの!?」

「ふん。俺は他人に興味がないんじゃなくて、興味を惹かれる程の相手に殆ど会ってきてねぇだけだって…のッ!」

 

勝手に人の心を読んでビビらせてきた千嵜は、振り返って最もにも言い訳にも聞こえる返答をしながらピンへと投球。もうどう見たって集中出来てる様子じゃなかったけど…それでも最初に7本、二投目で2本ときっちり数を稼いでいた。

 

「……才能か…才能の差だとでも言うのか…」

「へっ、やっと気付いたか…」

「……身体能力ブーストで球ぶん投げようかな…」

『えぇぇ……』

「い、いや冗談だよ!?冗談に決まってんじゃん!二人して引かないで!?」

 

ボウリングの球を転がすのではなく、投げてピンにぶち当ててみたい…というのは、きっと多くの人が一度は考える事。だからあくまでネタとして言っただけなのに…引かれてしまった。え、何言っちゃってんのこの人…みたいな反応をされてしまった。

 

「あ、じょ、冗談ですか……ぼ、僕はそうだと思ってましたよ…?」

「ありがと…って騙されないよ!?バレバレだからね!?」

「うぅ、ですよね…すみません…」

「一応言っとくが、やったら100%面倒な事になると思うぞ」

「だから冗談だって言ってんじゃん!聞いてないの!?」

 

中佐賀さんはなんかもうあからさま過ぎるし、千嵜は言われなくても分かってる事言ってくるし……今日も今日とて、俺は突っ込みで大忙しだった。

 

「…けど、もし霊装者の力使っていいなら色々やれそうですよね…カーブだってかなりかけられそうですし」

「そうそう、そういうもしもの話だよ…転がすにしても霊力推進で物凄い速度出してみたりとか…」

「あ、いっそ球そのものに武器に使う素材と同じ物利用すれば、更に色んな事が出来るんじゃ…」

「それじゃもうボウリングの皮被っただけの別物じゃねぇか…てか早く投げろよ…」

「あ、そうだった…」

 

中佐賀さんと出来そうな事で軽く盛り上がったところで、千嵜に言われて俺は投げる。…二回で6本か…特筆する点が何もねぇ……。

 

「…そういえば、この後はどうするんです?僕はまだ時間ありますけど…」

「そうだねぇ…ここって確かゲーセンもあったけど、ゲーセンは午前中行ったばっかりだしなぁ……」

「むしろ、中佐賀は何か要望あるか?」

「え?い、いや別に僕は…お二人が行きたい場所であるならどこでも……」

「って言われてもなぁ…御道、昼食の時お前が言ったのってボウリングとなんだっけ?」

「えーと、カラオケだね」

 

やる事自体は単純とはいえ、そう簡単にボウリングは飽きるものじゃない。けど、一日でそんな5ゲームも10ゲームもやりたいかと言われればYESとは言えないし、そんなにやったら腕が疲れてしまうというもの。そういう事もあってか、中佐賀さんは投げ終えた後ボウリング後の予定を話題にし、俺達はボウリングをしつつもボウリング後の事を考える。

 

「カラオケねぇ…俺レパートリーが殆ど無いんだよなぁ…」

「あ…僕も、です…」

「そんな重く捉える必要はないと思うけどね。カラオケ好きと行くなら確かに『お前全然歌ってないじゃん』って言われるかもしれないけど、俺は別にそこまで好きって訳じゃないし、合間合間で駄弁りながら歌うってのもいいと思うよ?」

「…御道さんは、よく行くんですか…?」

「時々ね。自分から誘うって事はあんまりないけど」

 

そう言いながら俺は、これまでのカラオケ経験を思い出す。…そういや、高校上がってからは殆ど行ってないなぁ…主に千嵜とばっかりつるんでるからだけど。

 

「つってもなぁ…歌うネタがないからって国歌とか校歌とか歌われても困るだろ?」

「歌うネタがないからって国歌とか校歌とか歌うとか、逆に捻り過ぎたネタとしか思えんわ…じゃ、千嵜は散歩でもしてりゃいいじゃん。俺は中佐賀さんと二人で行くから」

「えっ?ぼ、僕と二人で…?」

「うん…あ、ごめん。嫌だった?」

「そ、そんな事はないですよ!?…ほんとに僕は、お二人の好きなようにしてくれればって感じなので…」

『…………』

 

控えめ…というか、自分の意見を押し殺してしまっているような中佐賀さんの言葉に、俺と千嵜は目を合わせる。喫茶店での謎攻防のように再びのアイコンタクトは出来なかったものの、この状況においては『目を合わせる』という行為そのものだけで十分だった。

 

「…はっ、折角の外出でハブられるなんて御免だっての。いいぜ、だったら俺の美声を聴かせてやる」

「そりゃ楽しみだ、千嵜の美声とやらもレパートリーにもね。…って訳で、次はカラオケ行こうか中佐賀さん」

「は、はい。僕はあんまり歌うのは得意じゃありませんけど…お、お願いします」

 

構わないよ、とばかりに肩を竦め、番の回ってきた俺は球を投げる。…中佐賀さんは、ここまで中佐賀さん自身がしたい事…というのを特に口にしてはいない。けど俺達のしたい事を、というのも遠慮の気持ちだけで言っているようには聞こえなかったから、俺は遠慮に関して指摘せずに決定した。俺もそこまで自己主張するタイプじゃない(と自分では思っている)から、分かる。遠慮とかじゃなく、純粋に他の誰かの希望を通してあげたいと思う時があるって事を。

そうして十数分後…。

 

「あ…や、やった…!最後のターンでストライク…!」

「締まりがいいなぁ…と言いたいところだが、最後でストライク出した場合はもう一回だぞ?」

「へ?…あ、そ、そうみたいですね…じゃあ……って、あれ…?」

 

一番最後となる中佐賀さんの投げた球は、僅かにカーブを描いて一番ピンと二番ピンの間へ転がり…ストライク。驚きと興奮の混じった表情で中佐賀さんは戻ってくるも、千嵜に指摘されて再びレーンへ。そして改めて投げた一球は……

 

『…………』

「…………」

『……最後の最後で連続ストライク!?凄ぇ!』

 

…またもストライクを叩き出していた。……こりゃ何か持ってやがるな、中佐賀さん…。

 

 

 

 

ボウリングを終了した俺等はカラオケへ行き、御道が五、俺が三、中佐賀が二位の割合でその後歌った。国歌や校歌は…微妙な空気になるのが分かっていたからやらなかった。

 

「あー、歌った歌った。…明日喉大丈夫かな…」

「僕もちょっと不安です…学校行事以外でしっかり歌ったのはかなり久し振りだったので…」

 

中々どうして歌というのは体力を消耗するもの。しかも案外気分が乗った俺達は数時間をカラオケ店で過ごし、店を出た時には全員そこそこ疲れていた。

 

「歌なんて趣味かそれが仕事だって奴以外は、そんなちょくちょくするもんじゃないからな。…しかし中佐賀、得意じゃないって言ってた割には普通に歌えてたじゃねぇか」

「そ、そうですか…?」

「だと思うよ?少なくとも千嵜よりは美声に近かったんじゃない?」

「そう、なんですか…?…だったらそれは、ちょっと嬉しいです…」

 

凄く上手…って程じゃなかったが、中佐賀の歌はほんとに歌い慣れてない俺よりは確実に上手だった。そして俺の言葉に(余計な部分を付けながらも)御道が同意すると、中佐賀はほんの少し顔を伏せて照れ顔を見せる。……うん、まぁ、何というか…正直に、客観的に言うとすれば…愛らしいな、この照れ顔は。

 

「…綾袮さんも、これ位謙虚だったらなぁ……」

「…御道さん?」

「あぁ、今のは独り言だから気にしないで。…ってか、これ位謙虚だったら綾袮さんの場合それはそれで変か…」

「謙虚ってか、中佐賀はもうちょい自分に自信を持ってもいいと思うぞ?歌もだが、さっきのボウリングでも別段他人より劣ってる感じはなかったしな」

 

歩道を歩きながら、昼に会って以降ずっと思っていた事の一つを口にする。謙虚と自己評価の低さは似ているようで違うもの。自分の力量を理解した上で謙遜するのは美徳だが…自分で自分を悪く評価するのは美しくも徳でもないのだから。

 

「……分かってます、それは。だから、最初お二人に話を聞いたんです。お二人の考えや心の持ちようを参考させてもらおうと思って」

「あ…参考って、そういう事だったのか…」

「…ごめんなさい。これも聞く前に話すべきだって分かってたんですけど…その、恥ずかしくて……」

 

…なーんて思って何の気なしに言った結果、謙虚さ同様に気になっていた事の一つ、『参考』の意味が思わぬところで判明した。…世の中、どこで何が起こるか分からんものだな。

 

「…って、結局こうして口にするなら最初に言っておけ、って話ですよね…あはは……」

「…………」

「……千嵜」

 

先程とは逆に、少し顔を上げる中佐賀。自虐的な声音と表情を漏らす中佐賀は、言葉をかけ辛い雰囲気をしていて……そこで御道が、俺に向けて声を発した。喫茶店のドリンクバーコーナーで話した時と、同じ顔付きで。

 

「……あぁ、そうだな」

「……え、っと…?」

 

ありがたい事に、今いるのは前に妃乃と話した公園のすぐ近く。そん時と違い今回は午後だが…当然良い子は夕方には帰るものだから、今日も公園には誰もいない。

少し早足で俺が公園に向かうと、御道はすぐに目的地に気付いて俺に追随。中佐賀の方も若干不思議そうにしながら追いかけてきてくれる。

 

「…店から出た時点で、ここの事は考えてたの?」

「まさか。単なる運とタイミングの賜物だよ」

「…ここで何かするんですか…?」

 

そう言いながらベンチの端に座ると、何を思ったか御道はベンチの後ろに回り背もたれに軽く腰を下ろす。…いや、まぁベンチの背もたれは半分位経った状態で腰を下ろすには丁度いい高さだし、三人で一つのベンチに普通に座るってのは高校生的にちょっと気恥ずかしいからそうしてくれるのは助かるが……。

 

「何かする、って言うか…ちょっと訊きたい事があってね。俺達から、中佐賀さんに」

「…僕に、ですか…」

 

俺とは逆の端に座った中佐賀は、御道の言葉を自分視点に言い換えて反芻。その表情は、俺達の意図を察した…ようには見えないな。

今はただ歩いていただけだからか気分も平常時のそれに戻っているみたいだが、カラオケの最中の中佐賀は明らかにテンションが上がっていた。そりゃ勿論「フーゥッ!」とか「HEY!」とかは言ってないが、確かに中佐賀は楽しんでいた。ボウリング中の事も含め、中佐賀は俺と御道に対する壁を多少軟化させてくれた…と見ていいと思う。…だから……

 

「…あのさ、中佐賀さん。中佐賀さんは、話を聞くだけでよかったの?」

「……え?」

 

御道は、本題を切り出した。出来るならばもう少し時間をかけるべきだったのかもしれないし、今もベターなタイミングかどうかは分からないが…ともかく俺達は今だと判断し、もう切り出してしまった。ならばもう、引き返す訳にはいかない。

 

「中佐賀さんさ、謙虚にし過ぎる自分を何とかする為に、俺や千嵜を参考にしようとした…って旨の事をさっき言ったよね?」

「…言い、ましたけど……」

 

問いかけられた中佐賀は、些か歯切れの悪い声音で言葉を返す。その顔に浮かぶ感情は、疑問と不安。

 

「…それはさ、話を聞くだけで大丈夫?話を聞くだけで、中佐賀さんは満足した?」

「…は、はい。お二人は快く答えてくれましたし、僕はそれで満足……」

「本当に?」

「……御道、さん…?」

 

真面目な声音で問いを続ける御道を、不安の色を濃くした中佐賀が見上げる。…俺はまだ口を開かない。相手が十分に親しい相手ならともかく、今の間柄なら俺より御道の方が上手く話を進められると分かっているから。

 

「俺はカウンセラーじゃないから確かな事は言えないけどさ、俺には中佐賀さんが俺達に言った以上の事に悩んでるように見えたんだよ。謙虚云々は取っ掛かりっていうか、全体の内の一部に過ぎない感じっていうか…」

「…………」

「勿論、俺の勘違いならそれでいいんだよ。…でも、もし勘違いじゃないなら…人に話せるのなら…俺は、話してほしい」

「……僕が、嫌だって言ったら…?」

「それならこの話はそれで終わりにするよ。中佐賀さんを嫌な気分にはしたくないからね」

 

御道は見上げている中佐賀と目を合わせようとはしていない。…が、多分それはそういう気遣いだろう。目を合わせる行為は真剣さが伝わる反面、相手に身構えさせてしまう行為でもあるからな。

嫌と言ったら?…という問いに対して御道が答えてから数秒。中佐賀は一度視線を下ろし…続いて、俺へと目を向けた。

 

「…千嵜さんも、そう思ったんですか…?」

「…まあ、ここにいるって事はそういう事だ。俺はあんまり人の機微に敏感じゃないが…わざわざ俺にまで訊いたって事は、俺や御道の考えがまるっきり間違ってる…って事はないんだろ?」

「……それは、その…」

「…悪いな、気の利いた言い回しが出来なくて。俺にゃ話し辛い、ってなら俺は席を外すさ。だが御道ならちゃんと言葉を選んでくれるだろうし、もし悩みを重荷だと感じてるなら、人に話してみるのも悪くはないと思うぞ」

「…大丈夫です、千嵜さん。僕も、そこまで弱くはありませんから」

 

ゆっくりと首を振り、俺からも視線を外す中佐賀。それから中佐賀は空を見つめて、口を閉じる。何かを考えるように、黙り込む。それを俺と御道は、何も言わずにただ見守る。そうして数十秒か数分かした頃、中佐賀はゆっくりと立ち上がった。

 

「……驚きました。もしかしたら変に思われるかも…とは思ってましたけど、まさか半日足らずで気付かれちゃうなんて…」

「それって…」

「お二人の言う通り、という事です」

 

中佐賀は数は歩いて振り返る。…その時にはもう、疑問も不安も消えていた。今そこにあったのは、どこか吹っ切れたような…けれど決して明るくない表情。……そして、中佐賀は語り出す。

 

「…人間関係です、僕が悩んでいるのは」

「人間関係…家族と上手くいってない、とかか?」

「いえ、友達…っていうか、クラスメイトとです。見ての通り僕って…その、あんまり男らしくないですし…」

「あぁ……」

「あー……」

 

 

 

 

 

 

『…………うん?』

 

俯き加減の中佐賀の言葉に、俺と御道は反応に気を付けつつ同意し…同意、し……うん?…うぅん?

 

(……え、今変な発言聞こえなかった?)

(う、うん…凄ぇ変な発言聞こえた気がする…けど中佐賀さんボケたっぽい表情してないよ?完全に真面目に話してるよ…?)

(だ、だよな…って事は、おかしいのは変だと感じてる俺等の方で、中佐賀の発言は正しいって事か…?)

(かも、しれないけど…と、とにかく今は話を聞こう!今一番優先すべきは中佐賀さんを少しでも楽にする事なんだからさ!)

 

ちょっと…いや非常に強い引っ掛かりを覚えた俺が斜め上を見ると、俺と全く同じ表情の御道と目が合った。……で、ご覧の通りのアイコンタクトである。人間ダメージ受けたりテンパったりすると普段は出来ない事が出来るもんだな…。

……という訳で疑問は一旦脇に置き、俺と御道は目線を戻す。

 

「僕自身は、まぁ…その…嫌いじゃないんです、この見た目。でも、やっぱり浮いちゃうっていうか、異質に見られるっていうか…特に男女の差がはっきりしてくる中学以降はずっと…周りから……」

「……それは…所謂…」

「…虐め、か…?」

 

話していく内に中佐賀の表情は曇っていく。言い辛そうに、切なそうに。

その表情を見て、中佐賀の語りを聞いて、俺達は中佐賀が学校で虐げられているんじゃないかと思った。存在そのものが色物な俺は理解出来ないが、異質な相手を排除したいと思う人間は少なからずいるし、そんな相手を嘲笑おうとする奴だっているのだから。…だが……

 

「あ…ち、違うんです!そんな事は全然なくて、むしろ逆です!皆優しいんです!」

 

……中佐賀はそれを否定した。それもなにかを恐れているだとか、虐めである事を認めたくないだとかではなく、本当にただ間違ってほしくないと言いたげに。

 

「や、優しい?…えと、中佐賀さん…それは、どういう……」

「…気遣って、くれるんです」

『気遣い…?』

「はい。皆、僕が気にしてると思って触れないようにしてくれて、男子も女子も普通に話しかけてくれて、ほんとにほんとにいつも気遣ってくれて……でも、それが…気遣ってくれる事が、僕にとっては…凄く、辛くて……」

 

そう言いながら、中佐賀は声を震わせる。…その声だけで、中佐賀が如何にこの事を悩んでいたのかが伝わってくる。

 

「僕は…僕は普通に接してほしいんです…だって、そうじゃないですか…そうやって気遣ってくれるのも、優しくしてくれるのも…結局は僕を『普通じゃない』と思ってるからで…そんなのは、普通のクラスメイトじゃないに決まってるじゃないですか……っ!」

「中佐賀……」

「でも、でも……それは、善意だから…皆の、僕を思ってくれる気持ちだから…!…だから…辛いって、言えなくて……耐えるしか、なくて…っ……」

 

一言一言絞り出すように、必死に堪えてきた思いを吐き出すように、中佐賀は包み隠さず言ってくれた。…その瞳には、それまでの辛さを表すように、涙が溜まっていた。

本当に厄介なのは悪意ではなく善意だ、と言われる事がある。そう言う奴には「それがお分かりの貴方はさぞ高潔な精神を持っているんですねぇ」とでも言ってやりたいが、善意だからこそ、優しいからこそ…ってのは確かにある。周りから悪意を向けられているならそいつ等が悪いんだ、って考える事も出来るが、善意で何かしてくれている相手を責める事は容易じゃない。本人が優しければ尚更それは辛くなるし、相手だって他人を思ってやってる事だから嫌だと直接伝えられでもしない限りは止めないだろう。……互いに善意を持っているのに、誰かが傷付く事になる…互いに抱いているのは善意なのに、負のループに陥る……そりゃ、中佐賀も…いや誰だってそんなの辛いよな…。

 

「……ごめん、中佐賀さん。…辛い事を話させちゃって…」

「…いいんです…話すって決めたのは、僕ですから…それに、分かってるんですよ…僕が思いをきちんと伝えれば、それだけで全部解決する話だって事も…結局は、それすら出来ない僕が悪いんだって事も……」

「いや、中佐賀…そんな事は……」

「……聞いてくれて、ありがとうございました…はは、悩みは話せば楽になるって言いますけど、あれって本当だったんですね…お二人からお話を聞けましたし、悩みも話す事が出来たんですから、次は僕が頑張る番です」

「頑張る、って…」

「…言ってみます。どう思われるか分かりませんけど、ちゃんと言う事が…思いも言えない弱い自分から変わる事が、一番の解決方法だって分かってますから…だから、本当にありがとうございました。早速明日僕は……」

 

 

 

 

「……待てよ」

 

目元を拭い、笑みを浮かべた中佐賀。……だが、それが作り笑いだって事は、誰の目にも明らかだった。だから俺は……

 

「…そんな無理してまで急に変わる必要は、ねぇよ」

「え……?」

 

──悲壮的な決意を固めかけていた中佐賀の意思を、否定した。

 

「別に中佐賀の言ってる事を否定するつもりはないし、実際中佐賀が口に出せば解決するってのもそうだと思うさ。…けどよ、正直に言うのだって辛いんだろ?誰かの手を借りたくなる程これは重い事なんだろ?…なら、無理すんなよ…」

「…でも、変わらなきゃ…僕自身が変わろうとしなきゃ…」

「変わった結果が良くなるとは限らねぇし、変わろうとしなくたって少しずつ変化していくもんも世の中にはある。…急に、一気に変わろうとする事だけが解決策じゃない」

「…じゃあ、どうしろって…このまま自然に変われるまで辛さに耐えろって言うんですか…?…そんなの、無理ですよ…弱い僕は、お二人のように一人で耐え抜く事なんて……」

「……だったら、頼ればいいじゃん。昼みたいに、今みたいに…手を貸してくれる人に、さ」

 

…俺は、無理をしようとする中佐賀を否定した。……そして、それから先を御道が引き継ぐ。

 

「手を、貸してくれる人…」

「こうして中佐賀さんの気持ちを聞いた以上、俺も千嵜ももう部外者じゃないよ。他人の話じゃないし……ここまで聞いたら俺は、中佐賀さん自身が満足出来る結果を得られるまで手伝いたいと思ってる」

「…け、けど……」

「中佐賀さんだって、もう話しちゃったんだから抵抗は少ないでしょ?…誰だって善意を拒否するのは辛いし、一人で何とかしようなんて簡単じゃない…だからさ、無理せずもっと頼ってよ。あんまり力にはなれないかもしれないけど、こうして話を聞く事はこれからも出来るんだからさ」

「……迷惑、じゃないんですか…?こんな事に、こんな僕の事に時間を割くのは…迷惑だって思わないんですか…?」

「思わないよ。だって……」

 

立ち上がって俺達二人に、中佐賀の不安そうな瞳が向けられる。答えに期待する反面、答えを聞くのが怖い…そんな様子の中佐賀に、俺達二人は肩を竦める。全くこいつは…なんて心の中で思って、でもこれこそが中佐賀の本心なんだなって感じて……だからこそありのままに、言う。

 

「──悩み相談をするのも、聞いた悩みについて一緒に考えたりするのも、友達だからね」

「俺は友人やら親しい相手やらに迷惑をかける事に定評があるからな。どうせ今後は中佐賀にも迷惑かけるだろうから、俺だってそれ位受け止めてやるよ」

「……っ!」

 

助けるだとか、救うだとか、そんな大それた事は言わないし、言えない。御道はちょっと人当たりがいいだけで、俺はちょっと複雑な人生歩んでるだけで、中佐賀の抱える悩みを解消してやれるような人間ではないから。だが……俺達はもう、中佐賀を友だと思っている。そういう相手として、今は接してる。だから、助けるなんて大層な事は出来なくとも……友人として、出来る事を尽くすってだけさ。

 

「……そんな事、言われたの初めてです…誰にも、言わなかったんだから…当たり前ですけど…こんなに優しい言葉を、かけてくれるなんて…力になってくれるなんて……嬉しい…凄く凄く…嬉しいです……っ」

 

俺達の言葉に目元を押さえる中佐賀。…男泣き、というにはあまりに可憐で儚げなその姿は確かに異質で、気遣いしようと思った中佐賀のクラスメイトの気持ちも十分分かる。もし話してくれなかったのなら、俺達だって中佐賀を苦しめる善意を向けてしまったかもしれない。

だが、それは仮定の話。俺達は中佐賀の思いを知っているし、中佐賀の望みも分かっている。分かっているからこそ、してやれる事もある。

 

「…ったく…泣くなよ中佐賀、大丈夫か?」

「はいハンカチ。これで顔拭いて」

「…ぅ、く…あ、ありがとうございます…二人、共……」

 

背中をさすり、落ち着けるよう促す。もしこれが別の奴ならまぁまずやらないが、中佐賀の場合は別。…思った通りに、感じた通りに中佐賀と接する。それこそが、中佐賀の望むものであり……壁のない友人関係ってやつだ、きっと。

それから数分して、中佐賀は落ち着きを取り戻した。人前で泣いたからか恥ずかしそうにはしていたが…その顔は、今度こそ良い意味で吹っ切れたようだった。

 

「本当に、今日は色々お世話になりました…いやもうほんとに…」

「だから気にすんなっての。…で、どうする気なんだ?」

「……変わろうとするのは、もう少し待ってみます。焦らず、ゆっくりと考えていきたいですから。…だから、あの……」

『…………』

「…僕は、もっとお二人から色々学びたいんです。だから…これからもこうして、誘ってくれますか…?」

 

晴れやかな顔で、また中佐賀は答えを求める。けれどその問いに、不安は感じられない。ただ、相手からきちんと答えを聞きたいという…純粋な思いで聞いたんだろう。そして答えももう……考えるまでも、ない。

 

「……なら、これからは敬語無しにしようぜ?茅章」

「だね。勿論誘うけど、そっちから誘ってくれても構わないからね、茅章」

「は、はいっ!…じゃなくて、うん!これから宜しく頼むね、悠弥君、顕人君!」

 

──人と人との関わりは、繊細で、複雑で、中々上手くいかないもの。思い通りになんて全然いかないし、言動が裏目に出てしまう事だって少なくない。…それでも、そんな関わりの中で、関わりの先で、友と呼べる人を作っていけるのなら…それはきっと、尊くて手放せないものなんだろう。…そんな事を俺は思った。つまり、なんだって言うと……今日は良い日だった、って事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

……まぁ、それはそれとして…

 

「……行ったな、茅章…」

「帰ったね、まぁもうそういう時間だし」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

「……男、だったんだな…」

「……男、だったんだね…」

 

茅章が帰ったのを確認した後、沈黙の後にぼそりと呟く俺と御道。……人って、見かけによらないものだよな、ほんと…。



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第六十五話 異国の霊装事情

──某国、深夜。人の姿が殆どなく、寝静まった住宅街の一角に一台のクルマが停止した。

停止した車は、見るからに一般人が乗る物ではないと分かる黒塗りの高級車。その車内から、SPらしき黒服の男達と髪の毛に白髪の混じり始めた一人の男性が降りてくる。

 

「…皆、今日もご苦労だったね」

「いえ。それよりもまだここは外です。最後まで油断なさらぬようお願いします」

「あぁ、分かっているさ」

 

男達に警護される形で降車した男性は労いの言葉を口にするも、黒服は誰一人として表情を崩す事なく警護を続ける。それに対して男性は、仕事上致し方ない反応か…と苦笑を零した。

国の有力者…それも一般には周知されない側での立場を持つ彼にとってそれは、ありふれた日常の出来事。昔は居心地の悪かったこの扱いも今では慣れ、今日も何事もなく自宅へ着く……そう思っていたところで、彼は十字路から現れた一人の少女を発見した。

 

「……うん?」

「…………」

「…お下がりを、このような時間帯に出歩いているなど信用なりません」

「あ、あぁ…君、どうしたんだい?もしかして私に用事かな?」

 

彼とほぼ同時に気付いた男達は、少女に対して即座に警戒を向ける。しかし怪しいとは思いつつも何か事情があるのでは、と思った彼が落ち着いた口調で問いかけると、少女は小さく頷いた。そして反応を返してくれた事によって彼が警戒心を一段階下げ、更なる質問を口にしようとした瞬間……少女の姿が、彼の視界の中でブレた。

 

「え……?」

「うぐ……ッ!?」

「……!その少女を取り押さえろッ!」

 

姿がブレた事に驚く彼だったが、先頭にいた一人が倒れた事で…先程まではそこそこ遠い距離にいた筈の少女が、いつの間にか倒れた男の正面にいた事で、彼は全てを理解した。少女は普通の人間ではないのだと。その少女は…自分に差し向けられた刺客なのだと。

普段通りに終わると思っていた一日が崩壊し、茫然自失となる男性。だが警護の者達はそうではない。真っ先に動いたのはリーダーの男であり、その男の指示を受けた他の男達も反射的に行動を開始した。

 

「貴様何者だ!どの派閥だ!誰に雇われた!」

「…………」

「ぐっ……こいつ、強い…ッ!」

 

隠し持った特殊な拳銃やナイフを引き抜き、男達は護衛対象へと目を向けた少女へ応戦を開始する。引き抜きから間髪入れずに数発の弾丸が少女へ向けて放たれたが、それを少女は手にした二振りのナイフで斬り払い、側面から踏み込んできた一人も逆に蹴り飛ばしてしまう。

少女が普通の人間ではないように、男達もまた普通の人間ではなかった。だが思考力や身体能力に差があるように、普通の人間ではない者達…霊装者の中でも能力には差があり、この場において最もそれに恵まれていたのは少女だった。

 

「怯むな!幾ら個としての力があろうと、所詮は一人だ!対応力には限界がある!」

 

ただそれでも、実力に圧倒的過ぎる程の差がない限りは個の質を頭数という量で補う事も出来る。そして実際に男達が包囲し徹底的に攻撃を潰す策を取った結果、少女の勢いはそこで殺されていた。無論それもどこまで続くかは怪しいものだったが、男達の使命は警護対象を守り抜く事。つまり少女を倒す必要はないのであり、時間が稼げれば十分とも言える。

部下が時間を稼ぐ中、リーダーは男性を再び車内の座席に座らせ自身も運転席へと向かう。車を発進させてしまえば、取り敢えずは何とかなる。そう男達が思っていた瞬間……風を切る音と共に、一発の弾丸が少女の足止めをしていた一人を撃ち抜いた。

 

「……ッ!?狙撃だと…ッ!?」

「ど、どこから…ぐぁっ!」

 

暗い深夜の住宅街で放たれたのは、正確無比な一撃。少女の強襲には反応出来た男達もそれには流石に驚きを隠せず、その間にまた一人が少女の手で斬り裂かれる。

複数人がかりで無ければ足止め出来ない少女と、それを許さない闇夜からの狙撃。そして両者の巧みな連携によって男達は次々と倒され、あっという間に残る護衛はリーダーただ一人に。

 

「…くっ…まだだ、まだ結果は決してはいない…!」

 

発車の直前でタイヤを撃たれ、動けなくなった車に向けて少女が静かに近付く中、リーダーはフロントガラスを突き破って突進をかける。それには少女も驚いたようで勢いのまま車から距離を取らされるが、少女自身に怪我はない。

押し飛ばした少女へ向けて、リーダーは引き抜いたナイフを突き立てようとする。その瞬間にまた狙撃が放たれ、彼は本能のままに振り向きナイフを振るった結果弾丸の両断に成功したが……その奮戦も、これまでだった。

 

「……く、そッ…」

 

振り向いている間に背中を刺され、少女を睨みながら意識を失う男。少女はその様を一瞥するだけで何も言葉は発さず、真っ直ぐに車へと向かった。……彼女の標的である、男性を始末する為に。

 

「……万事休す、か…」

 

男性には逃げるチャンスがあった。だが逃げなかった。それは人知を超える力を持つ警護の者すらこうもやられてしまったのだから、普通の人間である自分が逃げ果せる筈がないと、諦めの境地に至ってしまった為。

 

「…………」

「…私を殺すつもりかい?」

「…………」

 

後部座席の扉を開けた少女へ、男性は問いかける。口にした問いに反応は無かったが…その無言は肯定を意味しているのだと、自然に男性は理解出来た。それから、彼は少女の瞳を見て…呟く。

 

「…君が、まだ若い君が、こんな事をするべきではないよ。きっと君にはそうせざるを得ない事情があるのだろうけど…それでも私は、そう思う」

「……そう。確かにこれは命令された事。でも、従っているのは…わたしの意思」

「…そうか……」

 

悲しげな口振りが彼女の心に何かしらの影響を与えたのか。…そこで初めて、少女は口を開いた。そして……

 

「お疲れ様です。想定より少々護衛が強かったですけど…怪我はないですか?」

「うん。思っていたよりは手練れだったけど、許容範囲内」

「ですよね。じゃあ、帰還しましょうか」

 

車から離れた少女のインカムへ、少女とは別の女性から通信が入る。それを受けた少女の顔はほんの少しであるものの緩み、住宅街のある方向……彼女へ的確な援護を行った狙撃手のいる方向に向けて首を縦に振り、二本のナイフをしまってその場を後にする。

生者がいなくなった事で静まり返った、住宅街の一角。この日彼女等は指令通り……目標の始末を、完遂した。

 

 

 

 

綾袮さんがその話を俺にしたのは、かなり唐突の事だった。何となく思い付いただけかな?とか脈絡なくぱっと思い出したのかな?…と思う位に、唐突に。

 

「アメリカイギリス中国ドイツ、ロシアにフランスにイタリアに…とにかく色んな地域の色んな国に、霊装者はいるんだよ」

「は、はぁ……」

 

もうクーラーもないと辛いなぁと思いつつある、ある日の夜。夕飯で使った食器を洗ってリビングに行くと、そこでは綾袮さんがどこから持ってきたのか謎なホワイトボードを用意して待っていた。で、雰囲気を察してソファに座ってみると…何の前置きも無しに、説明が始まった。

 

「日本の協会と同じように各国でも霊装者による組織ってのはあって、そんなにしょっちゅう関わる訳でもないけど、組織同士は基本情報や技術を共有し合ってるんだ。…でも、その関係もまだまだ出来て数十年程度。その前は……」

「…戦ってたんだっけ?」

「そう。第二次世界大戦の時に、普通の戦いの裏でね。…あの戦いは凄惨だった……」

「いや大戦の時はまだ綾袮さん生まれてないでしょ…千嵜じゃあるまいし…」

 

今のはどう考えたってボケだけど、ボケだからこそ俺は呆れつつもしっかりと突っ込む。処理されないボケなんて、虚しいだけだからね。

 

「あはは。…こほん、おじー様達その時代を生きていた人達は国の決定に従って、ドイツやイタリアと組んで連合国の霊装者と戦ってたの。霊装者が世界大戦に戦力として参加する事になった理由もちゃんとあるんだけど…それは本題じゃないから置いとかせてもらうね」

「あ、そう…(うーん、やっぱ霊装者絡みとなると知識もちゃんとしてるなぁ…近代史は得意なのかも…)」

「…で、分かってると思うけど大戦で日本は降伏したから、おじー様達も負けを受け入れざるを得なくなったんだって。…まぁ、実際には『霊装者が国の戦争の道具にされるなんて…』って考える人も結構いたみたいで、そういう人達からすればどっちかの国の霊装者組織が壊滅する前に終戦してくれてよかったらしいんだけどさ」

「…そうなんだ……」

「あ、結構ヘビーな話になると思って声のトーン落としたね?じゃあここで問題!古来から最も強いとされている霊装者の組織があるのは、一体どこの国でしょう!」

「え、何故唐突にクイズを……ってこの展開、何かデジャヴが…」

 

車のカーブならどっかしらに頭を強打しそうな位、話の雰囲気を急転換させた綾袮さん。…で、このデジャヴは…あー、あれだ。初めて魔物に襲われた時も、説明の途中で綾袮さんがクイズを入れてきたんだ…ほんとに愉快な事が大好きな人だよ…。

 

「どうどう?どこの国だと思う?」

「どこの国って…ノーヒントで三桁を超える選択肢の中から当てるなんて困難過ぎるんですが……」

「そう言わずに考えてみてよ。当たったらちゅーしてあげるからさ」

「え……ッ!?…ま、マジで……?」

「うん、妃乃が悠弥君にね!」

「じゃあ俺全く関係ねぇじゃねぇか!しかもそれ綾袮さんに決定権ないよねぇ!?」

「あー、顕人君ってばがっかりしてる〜♪」

「何語尾に音符付けたんだ!男をそういう方面でからかうと後で酷い目に遭うぞ!」

「酷い目?…え、そういう事する気ならわたし普通に顕人君の事嫌いになるよ?」

「うぐぐ……」

 

騙されて、からかわれて、挙句マジトーンで牽制される。…今の俺は、完全に綾袮さんの手の平の上で踊らされていた。……いつかほんとに痛い目に遭わせてやる…前やった辛い物中心の夕食にする的な、後になればお互い笑い話に出来る程度の事で…。

 

「はふぅ、ほんとに顕人君は面白いね。それでどこの国かは予想付いた?」

「だから無理だって…って言っても、綾袮さんは教えてくれないんだろうなぁ…」

「それが分かってるなら、顕人君は綾袮ちゃん検定二級は合格出来るね」

「何そのどこで役立つのか謎の検定…しかもまぁまぁ高いし…」

「あ、因みに級の上に段があるタイプだからまだまだ先は長いよ?」

「そうですかい…ふーむ、人口的に考えればアメリカ…じゃなくて中国っぽいし、イギリスやフランス辺りの宗教や魔術云々の話が根強い所が関わってそうな気もするし…いや待て、何も先進国にあるとは限らないか……」

 

望みの薄い方に賭けるよりは、当たりっこなくても考えるだけ考えて回答した方が綾袮さんも満足して話を進めてくれる筈。そう意識を切り替えた俺は、頭を捻って考えてみる。

 

「…真剣に考え始めたね…でもそこまで真剣に考えるとは思ってなかったよ……」

「…うーん…やっぱり選択肢が多過ぎるのがネックだ…まずは仮定でも立てて選択肢を減らさないと……」

「えと…一応言うけど、試験じゃなくてクイズだからね?あんまり深く考えなくてもいいんだからね…?」

「消去法で…加えて可能性も考慮に入れて…ぶつぶつ…」

「……顕人くーん…?」

 

綾袮さんの事だから、恐らく…いや確実に当てようが外そうが今後の話に影響はしないだろうし、ましてや景品なんてある筈もない(…って、さっきの段階で気付けよ俺…!)。…けど、考える以上は当ててみたいし、何だか大きな謎の推理をしているみたいでちょっと楽しい。そう思った俺は、考え始めると次第に思考が深まっていき、いつの間にか本気で考え抜いて答えを導こう…って気分になっていた。…けど、それは綾袮さんにとって望まない流れだったのか……

 

「……正解はっぴょー!」

「えぇぇっ!?」

 

……俺の回答を待たずして、正解発表フェーズに移行してしまった。

 

「一番強い霊装者の組織は、なんと……」

「いやちょ、ちょっと待ってよ!?回答は!?俺言わなくていいの!?」

「…だって、一人でぶつぶつ考えてるのを待つのはつまらないし…」

「酷ぇ出題者だなぁおい!自分勝手か!」

「わたしは楽しく進めたかっただけだもん!…回答したかった?」

「…いや、もういいよ…まだ浮かんでないし、発表して…」

「はいはーい。じゃあ……」

 

開き直る綾袮さんに、俺は今日もげんなり気味。ここでこれ以上体力を使うと最後まで身体が持たない気がすると思って発表を頼むと、綾袮さんは軽快に返事をして…下を指差した。……えーっと、それって…

 

「……地底国家…?」

「いや違うよ…ここにきてまさかの天然ボケ…?」

「や、やっぱ違うのか……じゃあ…日本、って事…?」

「うん、そう」

「……そうなの?」

「そうなの」

 

正解は地底国家ではなく、日本のようだった。へぇ、そうだったのか。日本って凄いなぁ……って、いやいやいや…。

 

「待って綾袮さん…別に疑ってる訳じゃないけど、俺いまいち納得出来てない……」

「うーん、そんな事言われてもそうなんだし…あ、一応言うけどこれはあくまで強いと『されている』だからね?別に他国から過剰評価されてるって訳じゃないし、理由はちゃんとあるんだけど」

「理由?」

「…日本はね、霊装者のルーツなんだよ」

 

取り敢えずおふざけパートは終わったらしく、綾袮さんの表情が真面目なものに戻る。それと同時に発せられた言葉の中に、幾つか気になるものもあった。当然一つは『理由』であって、もう一つは…ルーツ。

 

「ルーツって…つまり、霊装者は日本発祥だって事?」

「そういう事だよ。って言っても、霊装者が生まれたのは日本が日本って呼ばれるようになったのより前だけどね」

「ならかなり前なのか…いや元々何百年何千年って歴史があるんじゃないかなとは思っていたけど…」

 

何となく、ほんとなーんとなく霊装者は滅茶苦茶昔から存在してるんだろうなぁと思っていた。勿論それは根拠なんてなく、創作において歴史の影に存在する組織は大概昔からあるからという安直な理由なんだけど…この分だと、俺の予想よりも前から存在してるのかもしれないぞ…?

 

「最初の霊装者は誰で具体的にいつ生まれたのか…ってとこまでは流石に不明なんだけど、霊装者の発祥が日本で、日本から世界各地に広がっていったってのが今一番有力とされてる説なんだよ。で、多分わたしと妃乃のどっちかが始祖の直系なんだ〜」

「……今凄くしれっと物凄い事言ったね…ええと、それは宮空と時宮のどちらかが…って事?」

「そのとーり。ま、もしかするとどっちもかもしれないけどね。初代宮空と初代時宮が血縁関係だって可能性もなくはないし、初代じゃなくてもどっかで交わってる可能性はあるし」

「その場合だと、綾袮さんと妃乃さんは親戚になるね」

「なるよ?でもそれは今更かなぁ。だって元々わたしと妃乃は家族同然だからね!」

 

自分か幼馴染み(又は両方)が霊装者の始祖の直系かもしれない、という中々にインパクトのある話はさらーっと流したのに、妃乃さんとの関係についてはにぱっと笑顔を浮かべて力説する綾袮さん。……ぶっちゃけ俺は、綾袮さんと妃乃さんが付き合ってると言われてもあんまり驚かないと思う。

 

「…で、要は宗教とか武術と同じように、起源って事で他国から一目置かれてる…ってのが日本の立ち位置なの?」

「それで合ってるよ。でもさっきも言った通り、日本が一番ってのは過剰評価ではないんじゃないかな。わたしもこれまで色んな国に行ったり色んな国の霊装者と会ってきたりしたけど、わたしより強そうな人なんて殆どいなかったもん」

 

ルーツ=最も優れている、ではないけれど、ルーツだからこそ他より歴史が長い(=多くのものが蓄積されている)事や母数の多さで優位に立っているというならそれは普通にあり得る話。個々人の能力の質に関してはルーツ関係無い気もするけど…数多くの霊装者を見てきた綾袮さんが言うなら、少なくとも全くもって違う…って事はないんだろうね。

 

「でも、日本がルーツってのは驚いたよ。それが分かったからって何か変わる訳じゃないんだけどさ」

「ルーツだからって調子乗っちゃ駄目だよ?顕人君の言う通り、ルーツってのはあくまで『箔』でしかないんだから」

「調子に乗るもなにも、俺が知ってる霊装者は皆日本人なんですけど…」

 

皆自分と同じ国の霊装者なのに、一体誰に対して調子に乗ればいいと言うのか。「俺ルーツの国出身なんだぜー?」「え、俺もだけど?」…みたいな会話をするとでも言うのだろうか。…まぁ、忠告してくれた相手にそんな揚げ足取りみたいな事は言わないけど。

 

「とにかく、分かってくれたかな?」

「うん、まぁね。…それはそうとして、なんでこんな話したの?前のテスト勉強で俺が色々教えてたから、教える役をやってみたくなったとか?」

「あー、それはねぇ…顕人君、君は外国の人と話す時緊張するタイプ?」

「へ?」

 

話が一区切りついたと思ったところで当初からの疑問を口にする俺。すると綾袮さんは質問に質問で返してくる。

話の内容に加えて、質問から感じられる意図。そこから先の俺の質問に対する回答も十分推測出来るものだったけど…この時俺は軽い気持ちで訊いていたからか、特に何も考えずに返していた。

 

「…うーん、するかどうかと言われたらするかな。やっぱり言葉の壁ってあるしね」

「じゃ、日本語ペラペラの外国人さんだったら?」

「それなら多分大丈夫だと思う。初対面の人と話す事自体はそこまで苦手でもないから」

「それなら良かった、やっぱり社交的な人って助かるよね」

「それはどうも……って、ん?…えと、あの綾袮さん…もしかして、これって……」

 

頭をあんまり回転させていなくなって、ヒントが増えればピンとはくるもの。国際的(?)な話をして、外国人と話せるかどうか聞かれて、日本語ペラペラなら大丈夫を確認出来て良かったとなれば、もう今回の件の目的なんて一つ。

 

「そう。近日中に外国の霊装者さんが来て、多分顕人君も話す事になるから覚えておいてね」

「……あ、はい…」

 

……って訳で、今後俺の霊装交友関係に外国の方がエントリーすると判明した夜だった。…これ位先に言ってよ……。

 

 

 

 

 

 

「…そういや、ホワイトボード一回も使ってないね、綾袮さん」

「あはは、説明で使えるかもと思ったんだけどなぁ……じゃあ、片付け宜しくね」

「あいよ。……って俺が片付けるの!?しれっと俺に押し付ける気!?」

「わたしは顕人君の優しさを信じてるからねっ!」

「あ、こら!都合良い事言って逃げようすんな!…あーもうどこに!?どこに片付けろって言うの!?ねぇ!?」



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第六十六話 やってきたのは姉妹

目的や意図はどうあれ、公に敵対している訳でもない組織同士は友好的な交流を行うのが基本。合同で何かを行うだとか、技術交換を図るだとか、とにかく互いの利益や安全に繋がる為の関係性を築いていくのが普通の事。そしてそれは……どうやら、霊装者の世界でも同じらしい。

 

「襟とか裾とか大丈夫かな…」

「大丈夫大丈夫、問題ないからゆっくり待ってようよ〜」

 

協会の制服に身を包んだ俺がいるのは、双統殿の一室。今こちらに向かっている客人を迎える為に、俺はここで待機している。

 

「悪いね、顕人君。まだ経歴の浅い君にこんな仕事をさせてしまって」

「いえ、気にしないで下さい。組織の人間としての自覚は、きちんと持っていますから」

 

この部屋には今、俺の他に綾袮さんと綾袮さんのお父さんである深介さんもいる。そして客人というのは、数日前に綾袮さんが話してくれた外国からの霊装者。きちんと事前に言ってくれたのは助かったけど…普通はもう少し前に言うべきだよね……。

 

「それは良かった。でも組織を意識して気を張る必要はないさ。これから会ってもらうのは、言ってしまえば短期留学生みたいなものだからね」

「気を張っていては、相手方も緊張させてしまう…という事ですか?」

「そう。だから出来れば、緊張感は綾袮に分け与えてくれると助かるよ」

「はは…確かにそれはしたいですね…」

「え、二人して何?」

 

俺とは対照的に緊張を全く感じられない(完全にいつも通り)綾袮さんの様子に、俺と深介さんは肩を竦め合う。…綾袮さんのお父さんとはそんなに何度も会ってる訳じゃないし、たかだか高校生の俺がこう思うのは失礼かもしれないけど…多分深介さんとは、気が合うと思う。主に苦労人として。

 

「…綾袮。お父さんは綾袮が分別のある子だと分かっているから多くは言わないが、騒動だけは起こさないでくれ」

「分かってるよおとー様。わたしはこれ、別に初めてじゃないんだから」

「顕人君と担当するのは初めてだろう?」

「顕人君がいるから尚更大丈夫なんだって。でしょ?」

「で、でしょって…ええと、何かあればフォローに努めますので、ご心配なさらないで下さい…」

「…本当にすまないね、顕人君…」

 

平常運転が崩れない綾袮さんと、申し訳なさそうに俺を見る深介さん。……やっぱり俺は、この人と気が合うと思う。

 

「……あ、そろそろ時間ですね…」

「なら、来るのももうすぐだろう」

「顕人君、スマイルだよスマイル」

「お、おう…」

 

時計で時間を確認した俺は、椅子へと座り直す。緊張はするけど引き受けてしまった手前逃げ出す訳にはいかないし、そもそももう逃げる時間もない。それに、なにも俺の仕事は難しいものじゃないんだから…変なところに力が入ったりでもしなければ、何ら困る事はない。そう考えて、俺は客人がここへ来るのを待つ。そして……

 

「……!」

 

とんとんっ、という軽快なノックの後、部屋の扉が開かれた。

 

「お二人をお連れ致しました」

「ご苦労」

 

開いた扉からまず入ってきたのは、客人…ではなくここまでの案内を担当していた協会の人。その人に続く形で入ってきたのが、俺達の待っていた人……イギリスの組織からの、霊装者だった。

 

(……わぉ…)

 

入室したのは、俺や綾袮さんと同年代であろう女の子二人。前の一人は群青色の髪をバレッタを用いてアップでまとめている少女で、後ろの一人は卯の花色のストレートヘアーな少女。背丈は後の一人の方が高くて、二人共赤茶色の瞳をしていて……何より雰囲気は違うものの、二人の顔立ちはよく似ていた。

 

「やぁ、よく来てくれたね。私は霊源協会理事補佐の宮空深介、そして二人が……」

「宮空綾袮だよ、宜しくね」

「あ…御道顕人です。宜しくお願いします」

 

間違いなく似ている来客二人の顔立ちに内心驚く中、慣れた様子で宮空親子が自己紹介。一瞬間が空いて俺も名前を口にし、深くなり過ぎない程度のお辞儀を二人へ行う。すると二人もこくりと頷き……

 

「ご丁寧にありがとうございます。私はBORG所属のフォリン・ロサイアーズ、彼女はラフィーネ・ロサイアーズです」

「…宜しく」

 

背の高い方…フォリンさんは俺と同じようなお辞儀をし、ラフィーネさんはちょっと遅れて軽く頭を下げた。

 

…………。

 

(…え、待って。情報多過ぎない?気になる点とかよく分からない単語とかが、この短いやり取りの中でがっつりあるんですけど?)

 

初対面の相手なんて往々にして疑問が浮かぶものだけど、なんか明らかに今回はその数がおかしい。気になるところがある、じゃなくて気になる事だらけって俺初めて…ではないけど、それにしたって普通はもうちょっと控えめな筈。…なんて思いながら横をちらりと見てみると、綾袮さんは「そっかぁ、宜しく宜しく〜!」的な事を言い出しそうな顔をしていた。…適応力高ぇ……。

 

「まずはここまでお疲れ様だね。時差もあるだろうし、体調は大丈夫かい?」

「問題ありません。海外へ出るのも初めてではありませんから」

「…そのようだね。ならば、早速だけど双統殿の案内としよう。最も、それをするのは私ではないんだけどね」

「では、お二人が?」

「うん、わたしと顕人君が」

 

俺が疑問を抱えたまま、話は進んでいく。どうもラフィーネさんは積極的に話す方ではないのか会話はフォリンさんが一人で対応していて、彼女の方はじーっと俺達の方を眺めている。…じーっと、と眺めるは微妙に合わない気もするけど…実際そんな印象を受けるんだから仕方ない。

 

(…ってか俺も話してないし、向こうは俺に対して同じような事を思っているのかも…?)

「わたしはここの事を知り尽くしていると言っても過言じゃないからね〜。面白い所から入ったら一発で組織同士の関係に悪影響を及ぼす所までどこでも案内してあげるよ!」

「え…いや、あの…後者は……」

「あ…気にしないで下さい。ふざけるのが大好きなだけなんです、綾袮さんは…」

「は、はぁ…陽気な方なんですね…」

 

流石の綾袮さんも、こういう時にはいつものテンションを封印……なんて事はなく、今日もエンジンのかかりは好調だった。…日本の霊装者は皆こんな感じなのか、なんて思われないよう俺はしっかりしていないと…。

 

「じゃあ、一通り案内を終えたらここに戻ってきてくれ。…二人共、頼むよ」

「はーい」

「了解です」

 

そうして双統殿内の案内がスタート。…と言っても内装の知識については俺より綾袮さんの方が圧倒的に上だから、専ら俺は案内というより綾袮さんのセーブが主な役目に。

 

「ここがトレーニングルーム。広いから道具さえ用意出来ればサッカーとか野球も出来そうだね」

「その知識は要らないんじゃないかなぁ…」

「でも確かに広いですね。これなら射撃訓練も気兼ねなく出来そうです」

「それでこれが自販機で、これがベンチで、ペンキ塗りたてのベンチに座るのは後悔する事が確実な行為……」

「要らない要らない自販機とかベンチの説明とか絶対要らない。そういう説明までしてたらいつまでも終わらないよ…」

「ペンキ塗りたて、ですか…私その張り紙がベンチに貼ってあるのは見た事がないですね…」

「そこは食い付かなくていいですから…」

 

……ご覧の通り、綾袮さんの案内には突っ込み役が必須だった。しかも変に真面目なのかそれともちょっと天然なのかフォリンさんはどうでもいいところにまで意見を述べたり、逆にラフィーネさんはずっと静かなままだったりで、とにかくただ案内してるだけの筈なのに精神が疲れる。…生徒会って外部の偉い人を案内したりする事もあるけど、疲労がその比じゃねぇ……。

 

「ここは周りにもトレーニング絡みの部屋だったり場所があったりするから、区域として覚えるといいんじゃないかな」

「へぇ、そうなんだ…」

『……?』

「あ……こ、こほん。今のはお気になさらず…」

 

こんな感じで突っ込みながら、時々俺も案内されながら、双統殿の中を回る事数十分。大方案内を終えた俺達は、上層階の景色を眺められる場所で休憩としていた。

 

「ここ、良い景色でしょ?…あ、でも景色はイギリスの方が良いのかな?」

「それは分かりませんが…イギリスの景色に慣れている私にとっては、ここの景色の方が綺麗に見えますよ」

「そっか、それもそうだよね」

 

どんなに綺麗な光景だったとしても、見慣れてしまえば普通の景色と変わらない。それを表すように俺と綾袮さんは背もたれのないベンチソファに座り、フォリンさんラフィーネさんは窓の側で景色を眺めていた。

 

「……ね、顕人君。質問しなくてもいいの?」

「え……?」

「だって顕人君、疑問に思ってる事が沢山あるでしょ?」

 

会話が途切れてから数十秒。景色ではなく景色を眺める二人をぼんやりと見ていると、小声で綾袮さんが話しかけてくる。

 

「…よく分かったね」

「そりゃ分かるよ。わたしだって訊いてみたい事があるし…何より、自己紹介の時点で顕人君に説明し忘れてた事があったの思い出したからね。BORGがなんなのかとか」

「やっぱり気になら点が多かった理由の一つは綾袮さんのせいか……」

「あ、あはははは…ごめん…」

 

綾袮さんのうっかりのせいだと分かった俺は顔を軽くしかめるも、客人二人がいる前(正確には後ろだけど)だからとここは我慢。同時に今訊かなきゃ次質問するのに丁度いいタイミングはいつ来てくれるか分からないとも思い、綾袮さんの言葉に押される形で立ち上がる。

 

「……お二人共、日本語上手なんですね」

「はい?……あ、はい。勉強はしっかりしてきましたから」

 

質問したい時はしていいか初めに訊いてみるのも一つの方法だけど、立場に大きな差がない場合はこうしていきなり質問に入るのもいいと思う。勿論、流れやタイミングには気を付ける必要があるけど。

 

「やっぱりそうなんですね。でも本当に上手いというか、違和感がないというか…」

「霊装者の世界では、日本語が結構重要視されてるんだよ。前に説明したのと同じような理由でね」

「まさかの綾袮さんが返してきた……こほん、ずっと気になってたんですが…もしやお二人は、姉妹だったりするんですか?」

 

まずは流暢な日本語について触れたところで、俺は最大の疑問を口に。似ている顔立ちに同じファミリーネームとなれば、二人の関係性について誰だって気になってしまう事。そしてその質問に対し、フォリンさんははっきりと肯定の意を口にした。

 

「そうですよ。名前の通り、ラフィーネと私は姉妹です」

「だよね、フォリンってなんかお姉ちゃん感あるし」

「あ、いえ。姉はラフィーネの方ですよ?」

『え?』

 

しっかりしている姉のフォリンさんと、物静かな妹のラフィーネさん。俺と綾袮さんはてっきりそういう姉妹なんだと思っていて…だから今の返答には、二人揃って目を瞬いた。

 

「…そ、そうなんですか…?」

「えぇ。疑わしいというのであれば、身分証明書の生年月日を見て頂ければ…」

「い、いや疑ってる訳じゃないんだよ、うん!ただちょっと驚いちゃっただけで…気分を害したならごめんね…?」

「大丈夫ですよ、驚かれるのはいつもの事なので。ですよね、ラフィーネ」

「うん」

 

フォリンさんは軽く肩を竦め、同意を求められたラフィーネさんは本当にただ同意だけを口にした。…俺は兄弟も姉妹もいないから実体験では語れないけど…やっぱこれ、普通は逆じゃないの…?

 

「…それで、他にも何かご質問はありますか?見たところ、色々と気になっている様子ですけど…」

「こ、こっちにもバレてる…えーとじゃあ…お二人はどうしてここに?」

「…顕人君。それは学校にいる人に『どうして学校にいるの?』って訊くのと同じ位の愚問だと思うよ?」

「そんな当たり前過ぎる事を訊いてるんじゃないよ…あ、今の質問の意図は伝わってます…?」

「何故私達が来たのか、という事ですよね?」

 

ちゃんと言わんとしていた事を理解してくれていたフォリンさんに、俺は首肯。日本語は意味が分かり辛いって言われるらしいけど…ほんとにフォリンさんはしっかり勉強してきてるんだなぁ…。

 

「それでしたら、深い理由はありません。単に上からこの話を持ちかけられて、断る程の理由がなかったから受けたというだけですから」

「あ、そうなんですか…」

「じゃあ、次はわたしから質問いいかな?」

「勿論ですよ、どうぞ」

 

何とも話の広げ辛い(事実なら仕方ないけど)返答を受けて俺が会話を途切れさせてしまうと、絶妙のタイミングで綾袮さんが挙手。教師みたいな言い方でフォリンさんがOKを出し、質問主が俺から綾袮さんへと移る。

 

「姉妹揃って話が来たって事は、二人は普段から組んで任務をこなしてるの?」

「その通りですよ。連携ならずっと一緒にいるラフィーネとが一番上手く出来ますし、戦闘スタイルも私とラフィーネは噛み合ってますから」

「へぇ。戦闘スタイルが噛み合ってるって事は、雰囲気的にフォリンが……」

「…わたしからも、質問がある」

「ほぇ?」

 

回答から更に話を広げようとした綾袮さん。するとそこで、これまで殆ど話していなかったラフィーネさんが口…というか質問を挟んできた。

 

「…駄目だった?」

「う、ううん。全然問題ないよ?」

「そう。なら…綾袮、貴女達も組んでいるの?」

「あー、うん。ちょっと経緯は特殊だけど、そういう形になってるよ?」

 

驚いた綾袮さんと同様に、俺もラフィーネさんが自分から話題(質問)を振ってくるとは思っておらず再び目をぱちくり。けれどそこは俺以上の社交性を持つ綾袮さんだからかすぐに言葉を返し、ラフィーネさんからの質問を受け付ける。そしてその問いにも答えると……彼女は、多少ながら眉をひそめて言った。

 

「……だったら、組む相手はもっと考えた方が良い」

『え……』

「ちょ、ラフィーネ…?」

 

……ぐさり、とその言葉が心に刺さった。これには綾袮さんもすぐには反応出来ない様子で、フォリンさんも少し慌てたような表情を浮かべる。

この言葉が『俺では綾袮さんに見劣りする』という意味である事はまず間違いない。それは言われなくても分かっている事で、見劣りしているのははっきり言って当然の話。…でも、初対面の相手にここまで鋭く言われたからか、或いはラフィーネさんの瞳が一切の嘘を感じられない程真っ直ぐだったからか……平然を装う事が出来なくなる程、俺は動揺してしまっていた。…そんな中でも、ラフィーネさんは言葉を続ける。

 

「雰囲気だけで分かる、綾袮は強いって。多分、わたしよりも、フォリンよりも」

「ええ、っと…それは、まぁ…ラフィーネも強いと思うよ?そういう雰囲気わたしも感じるし…」

「それは当然。…でも、誰かと組むなら自分に見合う強さの相手とじゃなきゃ、意味がないどころの話じゃない。実戦で扱えるとしても、性能の低過ぎる武装はデッドウェイトになるのと同じ」

「で、デッドウェイト……」

 

ラフィーネさんの言葉が再び俺の心に刺さる。……正直、辛い。…反論出来ないけど、その通りだとも思うけど…けどさ……。

 

「ら、ラフィーネ…言うのはその位にして……」

「強要はしない。でも、任務を完遂する上でも、自分の身を守る上でも、組むなら強い相手の方が……」

「あー……忠告ありがとね。…でも、それはいいかな」

 

……そう、思っていた時…綾袮さんは、肩を竦めながら首を横に振った。

 

「…それは、何故?」

「わたしは顕人君の指導役も兼ねてるからね。それに、立場的に大体の人はわたしに気を遣っちゃって実力を上手く活かせなくなるかもしれないし…顕人君って、単純な実力以上のものがあったりするんだよ?」

「……綾袮さん…」

「まぁ、まだまだへっぽこな事は否定しないけどね!」

「うぐっ……はいはいそうですよ、自覚しておりますよー…」

 

首を振って、真面目な顔をして……それから最後に俺の込み上がった思いをはたき落として、綾袮さんは言い切った。…自分はこのままで、俺と組んでるままでいいんだって。……ありがと、綾袮さん。

 

「…ラフィーネ」

「何?」

「今の発言、遠回しに顕人さんを傷付けてますよ?」

「そうなの?……じゃあ」

 

刺された心が癒えていくのを感じる中、何やら話していたロサイアーズ姉妹。それに気付き、俺がなんだろうと意識を向けると…丁度そのタイミングで、ラフィーネさんが俺の前へとやってきた。そして……

 

「顕人。わたしにそんなつもりはなかった」

「へ?…そんな、ってどんな…?」

「…けど、傷付けたなら謝る。ごめんなさい」

「あ……う、うん…」

 

ぺこり、と頭を下げた。ごめんなさい、と俺に向けて言った。フォリンさんとのやりとりを聞いていなかった俺は、最初そんなつもりの意味が分からなかったけど……この流れで頭を下げられれば、誰だって分かる。

 

「すいません、顕人さん。ラフィーネは少々不器用なところがありまして…で、でも別に悪意があった訳ではないんです。ですからその、出来ればあまりラフィーネの悪く思わないで……」

「…大丈夫ですよ、フォリンさん。確かに傷付きはしましたけど、言ってる事は事実ですし、別にラフィーネさんに怒ってたりはしませんから。…それに、俺は単純な人間なので…仮に怒っていても、こうやって謝られたら根に持ったりはしませんよ」

「…ありがとうございます、顕人さん」

 

謝るというのは、簡単なようで難しい。形だけの謝罪なら誰だって出来るけど、反省と誠意を持ってきちんと謝るのは、そこに躊躇いや『丸く収めよう』という打算を混じらせる事なく言葉や行動にするのは、本当に難しい事。…それが出来ているんだから、ラフィーネさんにそんなつもりや悪意がなかったという言葉も、疑う余地なく信じられる。少なくとも、俺は疑おうとは思わない。

 

「よかったね、顕人君。でも、二人共わざとではないとは言ったけど、顕人君の実力に関しては訂正してもらえなかったね」

「い、言わんでええ!俺自身で実力不足は自覚してるって言ったんだからいいじゃん…!」

 

……それに比べ、なんと綾袮さんの酷い事か。わざわざ顔を近付け小声で言う(多分二人への配慮)綾袮さんは、マジで酷いったらありゃしない。…でも時々何の気なしに見せる優しさに胸を打たれてしまう俺は、やっぱほんとに単純なんだろうなぁ…。

 

「あはは、でもだいじょーぶ。大切なのは今どうかじゃなくて、これからどうなっていくかだからね」

「するなら俺をdisるか元気付けるかのどっちかにしてくれませんかねぇ…!」

『……?』

「あっ……な、何でもないよ何でも。それより、そろそろ案内再開した方がいいんじゃない?」

「そう?でもこっちの建物の案内は粗方終わったし、後は戻るだけでも問題な……」

 

大分関係ない話で盛り上がってしまったけど、元々していたのは二人の案内。それを思い出した俺は話題逸らしも兼ねて口にすると、綾袮さんは軽い調子で返答し……かけて、硬直した。

 

「……綾袮さん?」

「どうかしましたか?」

「…えーっと、だね……」

『…………』

「……戻ってくるよう言われた時間、もうすぐだった…」

 

顔を若干青くしながら、綾袮さんはゆっくりとこちらを向く。彼女が振り向く前に見ていた方向にあるのは…掛け時計。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…いや、あの…それって…」

「……総員!最初の部屋に至急帰還せよっ!」

「えぇぇ!?ちょっ、そんな急に……」

「了解。直ちに帰還する」

「急ぐしかありませんね…!」

「順応性高ッ!イギリスの霊装者さん対応力たっか!…えぇい、全員曲がり角とか扉前は気を付けてよ!?」

 

戻るべき方向を指差す綾袮さんと、驚きの順応性でそちらへ向かって走り出すロサイアーズ姉妹。スタートダッシュを決める三人に俺は取り残され……こうして衝突の危険を口にしながら、慌てて三人を追うのだった。…ほんと、二人の順応性が高いのか俺の順応性が低いのか……いや絶対普通なのは俺の方だよ!綾袮さんもだけど、ほんと突っ込みどころがあり過ぎるよ!色んな意味で追い付けねぇよぉおおおおおおッ!



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第六十七話 意外は案外あるもので

何でも、協会に外国からの霊装者が来てるんだとか。戦後日本の霊装者がどういう道を歩んだのかよく知らない俺にとって、外国の霊装者は敵か形の上では味方だけど油断は出来ない相手かの二択(学のなかった前の俺だからその二択だと思ってた可能性も高いが)…という認識があったから、その話を聞いた時には少し驚いた。

だが、俺だって生まれ変わってから色々と学んできたし、考え方も大分変わった。前の俺にとってはそうだったとしても、今の俺にとって外国の霊装者は別に敵じゃない。だから接する機会があればちゃんとしようと思っていたんだが……

 

「今年は向こうが主催だ。関わりたいというなら妃乃に同行しても構わねぇが、そうでもないなら別に顔を出す必要はないぞ?」

「…えぇー……」

 

当主たる宗元さんから直々に、こんな事を言われてしまった。……わざわざここに来たのに…緋奈も誤魔化してきたってのに…。

 

「はぁ…まあ面倒な仕事させられるよりはいいけどよ……」

 

聞くところによると、他国との交流の際には両家が交互に主催を務めているらしい。何故一緒にやらないかと言うと、そこはまぁ派閥云々だったり来てる側の負担も増えてしまったりが理由だって話だが…詳しくは知らん。……不要だって予め教えておいてくれりゃあなぁ…確認しないで勝手に何かあると思ってた俺も悪いんだが…。

…で、用事がなくなった(ってか、用事がないと判明した)俺は今、双統殿の中をほっつき歩いている。

 

「……うん、やっぱ覚えておかないと迷うわ、ここ」

 

嘘で誤魔化した以上、余計な疑いを持たれないよう用事がなくてもすぐに帰る訳にはいかない。そんな中で俺が時間潰しとして思い付いたのが、双統殿内の作りをきちんと覚えようという事だった。何せ俺は、前に一度ここで迷子になってるからな。

 

「えーと、これがここで…」

 

携帯のカメラで撮った案内図を見ながら、ぶらぶらと気ままに歩き回る。最初の頃にちゃんと妃乃から案内してもらっていればこうする必要もなかったんだと思うが、どうせその必要はないだろうとその時の俺は考えてしまったものだから仕方ない。

 

「……前分からなくなったのは、ここら辺だったかなぁ…」

 

そうして過ごす事十数分。適当に歩きつつも前に迷った事を頭の中で思い浮かべていたからか、気付けばその迷った場所周辺(だと思う階)に来ていた。

この階のこの場所は、特に目立つものもなければ作りも上の階や下の階と似ている感じでいまいち「自分はどこの階のどこにいる」という認識がはっきりし辛い。そういうのも迷った要因の一つだろうなぁと思いつつ歩いていると……

 

「…はぁ…はぁ…抜かった……調子乗り過ぎた……」

 

……廊下を曲がった先で、見るからに疲労困憊している人がいた。

 

「で、でも…これで…ゴー、ル……!」

 

壁に手を付き、持久走直後みたいなふらふら状態で扉の前へと座り込むその人。見たところ俺より数歳下かどうか位の少女で、肌は日焼けという概念自体を知らないのかという程白く、顔も…って……

 

(…うん?俺はあいつをどっかで…いや、ここで見た事あるような気が……)

 

距離的に顔がしっかり見えている訳じゃない。だが遠巻きからでも得られる情報と、先程まで思い浮かべていた迷子時の事とが合致してすぐに初めて見る人ではないと気付き……思い出す。今も扉に背を預けている少女が、誰なのかを。

 

(……あん時のダウナー少女…)

 

偶々部屋から音が漏れ出ていた(ヘッドホンのプラグが抜けてた…だったな)事により出会った、何とも陰気そうな少女。俺の記憶が間違っていない限り、そこにいるのはその時の少女だった。

思い返せばあの時は、魔王の強襲によってそれどころじゃなくなったが色々あった。けどまさか、またも偶然遭遇するとはな…。

 

「…………」

 

廊下の角に隠れ、暫し少女の様子を伺う。流石に気付かれたら戦闘になる…って事はないだろうが、前の時点でやや悪い印象を持たれたっぽいから気軽に接触するのは避けたい。どうせ用事がある訳じゃないんだから部屋に戻ってくれたらその後通ればいいし、最悪引き返して他の場所を歩いたっていい。……なんて考えながら見てた訳だが…俺は途中で違和感を抱く。

 

「……あれ?動いてなくね…?」

 

座り込んだ少女は、部屋に入るどころかまるで動く気配がない。恐らくは疲れて動きたくないんだろうが…それにしたって、まるで動かないのはおかしい。…で、動かない場合それは動かないのではなく『動けない』の可能性が出てくる訳で、更によく考えてみればこの少女は前に会った時も、扉を閉じるや否やぶっ倒れるというヒヤヒヤな展開があって……

 

「……ぐぅぅ、タイミング悪いなぁ…!」

 

俺は、角から出ていく事にした。これで何もなかったら恨むぞ……何に対して恨めばいいかは知らないが…。

 

「あー、ちょっと……って、ん…?」

 

まずは静かに近付いて、十分な距離だと思ったところで控えめに発声。それをしながら更に歩みを進め、そうしていく内にそれまではっきりとは見えなかった表情が見えてきた。少しだけ下を向き、瞼がしっかりとではないものの閉じてしまったいるその表情は……

 

「いや寝てるのかよ!?」

「ふぇぇっ!?」

 

…と、つい俺は大きめの声で突っ込んでしまった。オチか、こいつは俺に対してオチを用意してたのかよ!…いや絶対違うだろうがな!……って、やべっ…起こしちゃった…。

 

「……な、何よあんた…」

「な、何って…まぁその、通りすがりだ…」

「通りすがり?どこの世界に人の部屋の中に通りすがる人間が……って、あれ…?」

 

目を覚ました少女がまず目にしたのは俺の姿で、驚きからか少々ビビりつつも俺に訝しげな視線を送ってくる。それに俺が正直に返すと、少女は一瞬不愉快そうな表情を浮かべ……それから、周囲を見回した。どうやら、自分が自室にいると思っていたらしい。

 

「……廊、下…?」

「…お前、ここで座ってそのまま寝てたぞ」

「……こ、こほん。こんな場所、普通は通りかかる事なんてないと思うんだけど」

(堂々と言ってる事変えやがった…)

 

いい根性してるというか、なんというか…取り敢えず俺を疑ってかかってるのな…。

 

「内装覚える為に歩き回ってる最中なんだよ。そっちこそ何で廊下で寝ちまう程疲れてたんだ?」

「…あたしの勝手でしょ」

「いやそれは何してたか答えて、それに対して俺が何かしら言った後に出てくる言葉だろ…言葉のキャッチボールを一往復分飛ばすなよ…」

「あたしの勝手でしょ」

「何故同じ反応…ってまさか、次に言う言葉を一つ前でも採用していたパターン!?何だその意味不明な技術!?」

「五月蝿いんだけど…っていうか、ほんとに誰…?」

 

少女は俺とまともに話す気がないのか、簡素な返答ばかりを並べる。相手に好意を持ってもらおうだとか、円滑に会話をしようだとかの意思が微塵も感じられない、無愛想そのものな反応。……これ、俺より酷いんじゃ…?

 

「誰って…まぁ俺もすぐ思い出した訳じゃねぇしそんなものか。前に部屋から音が漏れてるって言ってきた奴がいなかったか?」

「音?……あぁ、そういえばいい歳して迷子になってた人ならいた気が…え?…あんた、その時の…?」

「あー、そうそうその時のそいつだ。…迷子って部分は覚えてんのかよ…」

 

迷子かと言われた時は、凄ぇ雑に誤魔化した気がするが…今更そこはどうでもいい。改めて誤魔化したって、それこそ誤魔化してるなぁ…としか思われないだろうし。

 

「…ここに来たのは?」

「多分前来てから一度も来てないから、これで二回目だな」

「…何その偶然…二回中二回ともってどうなってるのよ……」

「そりゃご愁傷様なこったな」

 

座ったままの少女と、それを見下ろす俺。一応会話は続いているが、とてもじゃないがこれを『和やか』とは言えない。無愛想で相手に歩み寄ろうとしてない奴同士が会話すると、どうなるか……今はそれを表しているような状況だった。

 

(なんで普通に話してるんだろうな、俺…)

 

反射的に突っ込んでしまったのは仕方ないが、相手が熱心に話しかけてきている訳でもないのだから、早々に話を終わらせて立ち去る事も出来た筈。にも関わらず会話を続けていたのは…正直、自分でも何故だかよく分からない。

 

「はぁ…で、何が目的な訳?」

「目的?」

「何が目的があって、わざわざあたしを起こしたんでしょ?それが何なのかって聞いてんの」

「いや、それは別に……」

 

具合が悪いのかもと思って近付いたらただ寝てただけで、それに拍子抜けしてつい突っ込んでしまった…というのが事実な訳だが、それを素直に信じてくれるとは思えねぇし、何よりこれを言うのは恥ずい。前半はともかく、後半は出来れば秘密にしたい。…けど、何かやましい事がある訳でもないのに嘘を吐くってのも癪だし、前半だけ言うとするか…。

 

「…前、部屋入った途端に気絶してただろ?」

「そういえば、そんな事もあったわね」

「だからだよ。座る前も明らかに肩で息してたし、そっからまた気絶してるんじゃないのかと思っただけだ」

「…だから、気絶してる姿見にきたと?」

「は?気絶してるならヤバいと思って容体確認しにきたんだけど?」

「え?」

「え?」

 

自分の考えていた答えとは違ったのか、この少女は驚いた顔を見せるが…俺も俺でまさか驚かれるとは思っておらず、驚いた事に驚いてしまう。そして、お互い目を瞬かせる事数秒。

 

「……待って、じゃあまさか…あたしを、心配してたって事…?」

「そういう事だが……」

「…………」

「…………」

「…殆ど赤の他人なのよ?仲の良い相手でもないのよ?…なのに心配したって言うの?」

「そりゃ、知らん奴が相手だろうか気絶してたら『大丈夫か…?』位は思うだろ…今回の場合は気絶が確定してた訳じゃないが…」

 

俺は自分を優しい人間だとは思ってないが、そんな俺でも気絶している(かもしれない)相手を無視しようとは思わない。そこまで薄情な人間にはなりたくないし、親父とお袋にそんな息子の姿は見せたくない。……ってのは質問を受けて頭に浮かんだ事で、近付いた時点では単に『見て見ぬ振りは出来ない』と思っただけの事。

…なんて考えていると、驚きの表情を浮かべていた少女は、いつしかその表情が変わっていた。

 

「…………」

「…えーと…あのー……?」

「…余計なお世話。ちょっと疲れてうとうとしてただけなのに、気絶したんじゃ…?…なんて気にされてたら、こっちはおちおち休む事も出来ないじゃない」

「おちおちも何も、それならちゃんと部屋に入って……」

「……だから、気持ちだけ受け取っておく。…心配したって、気持ちだけは…」

 

目を逸らして、会話というよりただ自分の考えを口にしているだけという印象を抱かせる少女。そんな姿を見て、俺は思った。

 

 

……ほほぅ、これは妃乃と同じ匂いがするぞ…。

 

「…って、ちょっと…何悪そうな笑み浮かべてんのよ…」

「心からの笑みだ」

「それが!?悪そうな笑みが!?あ、あんたどんだけ性根が腐ってるのよ!?」

「腐っ腐っ腐……」

「腐りまくりね!それが冗談だったとしたら、あんたギャグのセンスが壊滅的に腐ってるわね!」

 

ダウナー且つ陰気な雰囲気が吹き飛び…まではしてないものの、目を剥いて少女は突っ込んでくる。…うむ、やっぱり俺の感じた通りだったな。

 

「腐ってるねぇ…あんまりそっちの興味はないな」

「そっち?そっちって、一体どっち……って、ば、馬鹿じゃないの!?何でそうなるのよ!?あたしだってそういう意味では言ってないわよ!」

「え、年頃の女性は皆そういう意味の話をしてるのかと…」

「偏見が酷過ぎる!?…本気で言ってるとしたら、あんたはもうちょっと人と接するべきよ……どの口が言ってんだって話だけど…」

「流石に本気じゃねぇよ。…てか、最後の部分もうちょい声張ってくれないと聞こえないんだが…」

「…聞こえてなくていいわよ、独り言だから…」

 

一見俺と同じように捻くれてる奴だと思ったが…割と捻くれてない部分があるのも、俺と同じのようだった。そして俺の冗談が終わると、少女の雰囲気も再び暗い感じに。…類は友を呼ぶ、かねぇ…まだ俺はこの少女の表面を部分的に見たに過ぎないんだから、勘違いの可能性も普通にあるが。

 

「そうですかい…まぁ何にせよ、寝るならちゃんとした場所で寝ろよ?」

「はいはい…」

「俺が駄々捏ねてるみたいな反応すんなよ…ったく、じゃあな」

 

背を向け、ひらひらと適当に手を振って俺はその場を後にする。団体は出来ないが…まあまた廊下で寝る事はないだろう。というかちゃんとした場所で寝るかどうかまでは俺だって見ていられない。俺は親でも子守役でもないってーの。

 

(……けど、丁度いい暇潰しににはなったな)

 

元々は空いた時間を利用して内装の記憶を…なんて思って歩いていたが、ぶっちゃけそれは一人でやるには暇過ぎる行為。だから内容はどうあれ、あの少女とのやり取りは良い気分転換になったと思う。……ほんと、内容はどうあれ。

 

(…ってか……)

 

 

 

 

「……結局、あいつは誰だったんだ…?」

 

 

 

 

具体的に何をしていたのかは知らないが、妃乃の方も役目は滞りなく進んだらしい。と言ってもそれは『今日』の事であって、来客である霊装者も暫くは双統殿に留まるみたいだが。…で、俺は……

 

「上層階で変わった人に会った?」

 

自宅へ帰った後に、割とマジで誰なんだか分からない少女の事を妃乃へと訊いてみた。

 

「会ったっつーか、発見したっつーか…遭遇した?」

「いやそこの表現はなんだっていいわよ…っていうか何?私は今から貴方のナンパ話を聞かされる訳?」

「違うわ!いきなり話が飛躍し過ぎだ!」

 

今のは何かしら知ってるかな〜、位の感覚で言った質問。…だったんだが…返ってきたのは、嫌そうな顔での質問返しだった。な、ナンパって……。

 

「あらそう。だったらいいけど」

「だったらいいけど、じゃねぇよ…で、何か知ってるか?」

「知ってるか、ねぇ…今のままだと該当する人が何十人といるんだけど?」

「あ、それもそうか…」

 

いきなり思いもしない解釈をされたせいでうっかりしていたが、俺はまだ特定出来るような情報を何も言っていない。確かにそれじゃ知ってるかどうか以前の問題だよな…。

 

「そうさなぁ…まず言える事は、日本語が流暢だった」

「へぇ、それで?」

「俺の事を覚えてたな。正確には初見じゃないって思い出した形だが」

「…他には?」

「話した時間は大体数分。長くても十数分ってとこだろ」

「……馬鹿にしてんの?」

「悪い悪い冗談だ」

 

……というボケを一旦入れて、俺は妃乃へと手掛かりになりそうな事を話してみる。

 

「暗い赤…赤銅色って感じか?…な髪に、これまた暗いオレンジの目。身長は緋奈より低くて、歳は…俺達よりちょい下…っぽく見えたな」

「…性格の方は?」

「なーんか捻くれてたな、髪や目と同じように暗かったし。…あ、でも弄り甲斐はありそうだったぞ?」

「…弄ったの?」

「そりゃ想像にお任せするわ」

「そう……」

 

人を特定する上でまず使えるのは、外見の情報。そう思って伝えると妃乃からは追加の質問が入り、その内容である性格に関してもざっくりとした返答…というか話してみた感想を口にする。…ちょっと余計な事まで口にしてしまった気もするが……それはさておき、聞き終えた妃乃は顎に親指と人差し指を当てて考え込み始めた。

 

「…心当たりがあるのか?」

「まぁ、ね…その人って、日焼けはしてた?」

「いや、全然してなかったな」

「なら、身体は?…変な意味じゃなくて、筋肉量とかの話よ?」

「それも全然なかったな。言い方は悪いが、日焼けしてない点と含めてあんまり健康っぽくは見えなかった」

「やっぱりか……」

 

更なる問いに答えていくと、その度妃乃の表情が深みを増していく。そして……

 

「…良かったわね悠弥。その人が誰なのかの目処が立ったわよ」

 

遂に、「誰だったんだ?」という疑問への答えが現実味を帯びてきた。妃乃だって流石に協会の人間全員を把握するのは無理難題だろうし、分からない可能性も視野に入れていたんだから、こんなに早く分かるってんならそれは僥倖というもの。さーて、誰なんですかね。

 

(……って、よく考えたらただのインドア派霊装者だった場合、そうなんだ…以上の反応出来ねぇじゃん…どうすっかな…)

「けどまさか、貴方がこんな形で会うとはねぇ…しかも悠弥の事だから、あんまり良い印象は持たれてないだろうし…」

「え、何その含みのある言い方…」

「含むところ大有りだからこうなってるのよ」

 

顎から指を離した妃乃は、俺が何かミスをしたかのような顔に。…え、何?俺なんか不味い人に話しかけちゃったの…?

 

「……よ、よーし。風呂入ってくるかなぁ」

「こら、そっちから訊いてきたんだから逃げようとするんじゃないわよ」

「うぐぐ…えぇい、ならば一思いに殺せぇッ!」

「貴方私からの回答を死刑宣告か何かだとでも思ってるの!?…はぁ、普通に聞きなさい普通に…」

 

身を翻しリビングを出ようとした俺の肩を掴み、引き戻す妃乃。誰なの?ヤバい人なの?…と内心どんどん不安になりつつある俺の姿に妃乃は呆れつつも……遂に、その人が誰なのかを口にする。

 

「…悠弥、貴方と顕人がどうして見出されたかは覚えてるわよね?」

「へ?…まぁそりゃ、予言者さんとやらが予知したんだろ?」

「そう。で、悠弥が会ったのがその子よ」

「へぇ……ん?…はい?」

「いや、だから……貴方が会ったのはその予言者、篠夜依未なの」

「…………」

 

 

 

 

「……おおぅ、マジすか…」

 

……そこそこ前にも似た様な事があったが…ほんと世の中、どこでどんな奴と関係持つか分からんものだな…。



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第六十八話 見る側だと思いきや

「うん?今日妃乃さんは?」

「仕事だそうだ。そっちこそ綾袮いないんだな」

「綾袮さんも仕事だって」

 

ラフィーネさんとフォリンさんの案内をした日の翌日…の下校時。何の気なしに質問をしてみたら、お互いもう一人が似たような理由で不在だという事が判明した。

 

「そっちも…っつー事は、協会か双統殿全体での用事なんだろうな」

「だろうね…ってか、そうらしいよ?千嵜は来客の事知ってる?」

「あぁ、それ絡みか…知ってるってか聞いたよ。…半端に聞いたせいで、昨日は色々あったけど…」

「……?」

 

何やら千嵜のテンションが若干下がったが、なんで下がったのかはさっぱり分からない。…いや来客絡みって事は勿論分かるよ?けどそんなざっくりした部分だけで「理解した」って言うのもねぇ……。

 

「御道はなんかしたのか?」

「綾袮さんと案内を請け負ったよ。…で、その後屋内マラソンをする羽目になった」

「はぁ?なんだそりゃ」

「まぁそりゃ今の説明じゃ分かんないか…えぇとだね…」

 

怪訝そうな顔をする千嵜に向けて、俺は簡単に説明。…あの後、時間にはギリギリ間に合ったけど俺が一番息上がってたんだよなぁ…あれは恥ずかしかった……。

 

「へぇ、そりゃ大変だったな。ご苦労さん」

「労いどうも…まさか案内で精神よりも体力的に疲れるとは思わなかった…」

「綾袮はさておき、来客の御道程は疲れてなかったって事は、それならに鍛えてるんだろう。…別に体力がない訳じゃなかったよな?」

「男子高校生の平均程度にはあると思うけど…」

「…体力はあった方がいいぞ?スタミナ切れは集中力切れにも繋がるしよ」

 

はいはい、と言葉はしっかり受け止めつつも軽い口調で返す俺。…因みに千嵜は、体力含めて身体能力が中々良い。それは日課として筋トレしてるかららしいけど…そのやる気を勉強にも分けたら、千嵜だって成績は上がるんじゃないだろうか。…本人にその気がなきゃ無理だけど。

 

「…まぁ、本来最も大切だったのは体力じゃなくて時間管理能力なんだけどね」

「んまぁそらそうだ。……しかし、そうなると昨日は双統殿内で少なくとも二人は息を切らしていた訳か…」

「二人?俺以外で誰かいたの?」

「いたさ、とびきり疲れてた奴がな」

 

そう言って今度は千嵜が昨日の事を説明。時間が空いてしまった事、時間潰す為に歩き回っていた事、その中で前にも一度会った人と遭遇した事……そしてその人が、俺と千嵜にとっての『事の発端』とも言える予言者であった事。…偶然か否か、俺がそうありふれてはいない体験をした日には、千嵜も中々レアな体験をしていたらしかった。

 

「…って訳だ。予言者が同年代だったってのにも驚いたよ」

「うん、まぁそれも十分驚きだけど…偶然二度も会うなんて、滅茶苦茶低確率じゃね…?」

「そうだな。そして茅章も偶然二度も会ってるな」

「うわ、言われてみるとそうだった…あれ、偶然二度会う事は然程珍しい事でもないのか…?」

 

状況からして間違いなく低確率の筈なのに、直近で同じような事があったせいで感覚が疑わしくなってくる。…世の中って、案外偶然に溢れてる…?

 

「…ま、そっちと違って俺はほんとにただそういう事があったってだけの話だ。流石に三度目の偶然はないだろうし、今後俺から会わなきゃいけなくなる事も多分ないだろ」

「それフラグになりそうだなぁ…二度ある事は三度あるとも言うし…」

「あるかねぇ……ん?お前そっち?」

 

そうして会話をしながら十字路に差し掛かった時、俺は千嵜に呼び止められる。その理由は…勿論、俺が普段とは違う所で曲がろうとしたから。

 

「そうこっち。てか、人気のないとこ行きたくてね」

「あぁ…今からヤバい薬売ってくんのか」

「密売じゃねぇよ!?軽ーい感じで友人を犯罪者にしようとすんな!」

「じゃ、シリアスに言えばいいのか…」

「そこじゃない!重くすれば良い訳じゃない!…ったく…」

 

中々ブラックなジョークに突っ込んだ俺は、軽く溜め息を吐きながら十字路を曲がる。全くもう、どこの世界に友人をさらっと密売人扱いする奴がいるんだ…軽快なボケって意味じゃ突っ込み甲斐があったけど……。

 

「あー悪ぃ悪ぃ。んで、実際のところは?」

「…俺も行ってくるんだよ、双統殿に」

「だから人気のないところか…行く理由は?」

 

気になったのか、質問を重ねてきた千嵜。別に隠す事でもないし、という事で俺は立ち止まり…答えた。

 

「綾袮さんに言われたんだよ。…今日やる模擬戦を見るのは、俺にとって勉強になるってね」

 

 

 

 

双統殿での模擬戦は、俺もこれまで何度かやった事がある。でもそれは綾袮さんが相手(模擬戦というか指導受けてるだけ)だったり、上嶋さんが相手(模擬戦というか指導Part2)だったりと、内輪のみで完結するものだった。

けれど今日ある模擬戦は、『見る』という事から分かる通り内輪の訓練の一環じゃない。イベントとしての側面を持たせた、観客に見せる事も想定した模擬戦で、その模擬戦にはロサイアーズ姉妹が参戦する。言ってしまえば武装組織である協会だからこその企画であり……そこで俺含む観客は、二人の実力の高さを知る事となった。

 

「これで、終わり」

「うぐっ……!」

「そこまで!」

 

下方からの鋭い蹴り上げを腕に喰らい、武器を落としてしまう対戦者。咄嗟にその人は後退しようとするも、それより早くラフィーネさんが手に持つ拳銃の砲口を向けた事で模擬戦終了の合図がかかる。

 

「…これは、予想以上だった……」

「だな…すまん、俺が早くにやられてなきゃもう少しまともな勝負になった筈なのに…」

 

拳銃を下ろして後方にいたフォリンさんの下へと戻るラフィーネさんと、逆に既にやられていた一人が今し方やられた相棒の下へと駆け寄る協会の二人。このお二人は二戦目の対戦者であり…勝敗は、誰の目にも明らかだった。

 

(…凄ぇ……)

 

今のお二人は、決して弱かった訳じゃない。少なくとも俺よりは強い人で、連携もしっかりしていて……でも、ロサイアーズ姉妹の方が数段上だった。奇策を弄した訳でもなく、入念な準備をした訳でもなく、純粋に実力で姉妹は勝っていた。…しかも、まだ余裕のある様子で。

 

「それでは、第三試合といきたいのですが…ラフィーネ様、フォリン様、大丈夫でしょうか?」

「はい、大丈夫です」

 

二人が下がったところで司会の人が姉妹に問いかけ、フォリンさんが同意した事で試合は第三試合…予定されている最後の模擬戦へと移行する。フォリンさんはラフィーネさんに確認の言葉をかけていなかったけど…それは多分、口頭で確認せずとも顔を見るだけで大丈夫だと分かったから。

三試合目の相手がルームへと入って、今日三度目の模擬戦が開始する。多少のインターバルがあるとはいえ、三連戦の姉妹は身体に疲労がない筈もなく……けれど三戦目で二人が見せたのは、一戦目と殆ど変わらない動きだった。

 

「こりゃ俺等より強いかもな…」

「あんなの精鋭部隊クラスかそれ以上よ…」

 

周りから聞こえてくるのは、俺と同じような感覚を持った人達の声。観客がいると言っても、俺含めた観戦者がいるのは別室で、大型モニターから試合の様子を見る形になっている。ここは初め…第一試合が始まって間もない頃はスポーツ観戦の如く盛り上がっていたけど、今は多くの人が姉妹の実力に舌を巻くばかり。そして第三試合も淡々と、協会側の二人が善戦するも力の差は埋められないという試合展開が続いて……この勝負もまた、姉妹の勝利で終了した。

 

(…三戦全勝…連戦ですら、全部勝つなんて……)

 

模擬戦だから死人が出る訳じゃないし、何も賭かっていないんだから勝ち負けにそれ以上の意味はない。…でも、この模擬戦を見ていた人達は殆どが複雑な表情だった。……そりゃあ、そうだろう。違う組織から来た人に代表が全敗となれば(代表は双統殿の最高戦力、って訳じゃないらしいけど)、それは組織のレベルの差を見せ付けられたようなものだから。しかもそれは、仮に自分が出ていても結果は同じだったと思える程のものだったんだから。

観戦者の感情とは別に終わった模擬戦。司会者の声も心なしか残念そうで、しかし仕事だからかきちんと模擬戦を締め括ろうとし……

 

「ちょーっと待ったーっ!」

 

──そこへモニターからではなく直接その場で見ていた一人……綾袮さんその人が待ったをかけた。特別席から離れて躍り出る彼女の姿に、司会も俺達観覧組も動揺を見せる。

 

「あ、え…綾袮様……?」

「いやー凄いね二人共。強いんだろうなぁとは思ってたかど、まさかここまでやるなんて。これだけの力があるなら、どの組織でも即戦力になれる事間違いなしだね」

「え、っと……あ、ありがとう、ございます…」

 

ぽかんとする司会を余所に、拍手をしながら近付く綾袮さん。その様子にはフォリンさんもまた呆気に取られていて、称賛に対する返答がしどろもどろ気味に。ラフィーネさんはそれまで通りの静かさだったけど、内心では彼女も驚いている……んじゃないかと思う、多分。

 

「ほんとびっくりだったよ。特に全勝ってところがね」

「…勝負は時の運です。確かに今日は全勝でしたが、別の日だったら違う結果になっていたかもしれません」

「んもう、謙遜しなくたっていいのに。運が結果に影響を及ぼす事もある、って事には同意するけど、一日二日違った程度じゃ結果は……」

「……何が目的?」

 

綾袮さんは言葉を続け、その内にフォリンさんも最初の驚きからは脱したのか昨日と同じような話し方に戻っていく。そして話し方の戻ったフォリンさんに向けて、更に綾袮さんがその実力を肯定しようとした瞬間……その角を遮って、ラフィーネさんが声を発した。

言葉を遮られた事とラフィーネさんが訊いてきた事で、綾袮さんは目を丸くする。でもそれは一瞬の事。その問いに対して綾袮さんはすぐ待ってました、と言いたげな笑みを浮かべて……言った。

 

「模擬戦の内容には文句をつける部分がないし、本当に二人は強いと思う。……だからね、思っちゃったんだ。…わたしも、一戦交えてみたいなって」

『……!』

 

縮小させていた天之尾羽張を手元に携え、鞘を握った綾袮さんは笑みを深める。その様に、双統殿でもトップクラスの実力者による事実上の宣戦布告に、モニター前では音なき盛り上がりが巻き起こった。……綾袮さんは、空気を一瞬にして激変させた。

 

「…あ、勿論二人が嫌だって言うならわたしは引き下がるし、おじー様達が駄目って言った場合もそれには素直に従うよ?…って訳で、どうかな?」

「どうかなって、綾袮…お前は……」

「…全く、やってくれるな綾袮よ…よかろう。もし彼女達の了承が得られるのであれば、第四試合を私は認める」

 

特別席を見上げる綾袮さんへ、深介さんと刀一郎さんがそれぞれ溜め息混じりの反応を見せる。……これは、俺にも分かった。先に場を……綾袮さんの参戦を観客が期待するという場を作り上げる事で、刀一郎さん達が駄目とは言い辛い状況を作ったのだと。

 

「ありが…いや…ありがとうございます、お祖父様。…じゃあ、二人はどう?やっぱり四連戦は辛い?」

「そう、ですね…私は多少時間があればそれでいいですが……ラフィーネはどうします?」

「わたしも大丈夫。…それに、これは好機」

「好機?」

 

了承を受けた綾袮さんは恭しい態度となり、それから視線を姉妹へと移した。刀一郎さん達へと向けたものと違い、本当に「嫌なら嫌と言ってくれて構わない」という意図の籠った言葉に対し、フォリンさんは少し考えて承知の意を、ラフィーネさんは含みを持たせた同意を口に。更に好機という言葉を綾袮さんが聞き返すと…そこで初めてラフィーネさんは分かり易く表情を動かし、言った。

 

「…わたしも思っていた。綾袮の実力を、確かめてみたいって」

「へぇ…なら、お互い願ったり叶ったりだね!」

「……であれば、模擬戦は成立ですね。それでですが、模擬戦の内容は一対一ですか?でしたらまずは私が……」

 

やる気を見せるラフィーネさんに、綾袮さんは驚きつつもその言葉を待ってたとばかりの表情を浮かべ、フォリンさんは既に模擬戦の事を考えているのか目を細めて対戦内容を詰めていく。

対戦相手、運営サイドの両方が第四試合への意思を示した事で、観客のボルテージは更に上昇する。……それは、ここまでちょっと冷静な人っぽい態度を取っていた俺含めて。

 

(こんな展開って実際にあるんだ…凄ぇ、なんかテンション上がってきた……!)

 

予定には無かった、エクストラマッチ。それに参戦するのは、アウェーでありながら全勝を成し遂げた異国の霊装者と、装統殿の若きエース。そんな名勝負が殆ど約束されたような対戦カードに立ち会っているとなれば、テンションが上がらない訳がない。…まさか、綾袮さんはこういう展開になる事(する事)を見越して俺に声を?…だとしたら綾袮さんはやっぱり凄いし、仮にそうじゃなかったとしても彼女が凄い事には変わりない。

──そう、これから始まるのは凄い人同士の戦い。だからこそ俺は、この目にしっかりとその勝負と行く末を焼き付けて…………

 

 

 

 

「あ、ううん、対戦内容は二対二のままだよ?…って訳で…サモン、顕人君っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

「…………えっ?」

 

 

 

 

「……えぇぇぇぇええええええッ!!?」

 

えー、はい。お読み下さっている皆様、お待たせしました。わたくし御道顕人は無駄に時間を取ってしまった事を、この場を借りて謝罪させて頂きます。誠に申し訳ございませんでした。

……でも、仕方ねぇじゃん…だってそりゃそうでしょう!何これ、何で俺呼ばれてんの!?そういうギャグ!?

 

「ど、どうしたどうした…って、あの子は……」

「あー…はは、そりゃ驚くわな…」

 

俺が滅茶苦茶動揺する中、周りから視線が集中する。理由は……言うまでもない。

 

(ど、どどどどうする!?どうするよ俺!)

 

元々俺は夢見ていた世界に飛び込む為協会に所属しようと思った訳だけど、だからってトンデモ展開なんでもござれみたいな精神は持っちゃいない。魔王襲来の時は心が戦いへと向かっていたから何とかなったけど……俺今は完全に『観戦者』としての心持ちでいたんだよ!?ここから一気に精神を戦闘モードに持ってくとか、自転車だったら部品がイカれるレベルのギアチェンだよ!?

 

「…えーと、君。行かなくていいのかい?」

「へ……っ?」

「いや、君今呼ばれた顕人君だろう?見たところ綾袮様の思い付きらしいが…それでも綾袮様直々の指名を無視するのはどうかと思うよ?」

「うっ……で、ですよね…」

 

心の中で叫びまくっていた俺は、横の人から声をかけられ我に返る。我に返って……今がどういう状況なのかも再認識した。綾袮さんが第四試合という状況を作り、その上で俺を呼び、今は俺を待っているという状況を。

 

(これ、俺も拒否出来ねぇ状態じゃん…うぅ、やりやがったな…やりやがったな綾袮さん……!)

 

世の中には全く周りの視線や評価を気にしない人もいるけれど、残念ながら俺はそうじゃないし、それどころか人を待たせるのは心苦しいと思ってしまうタイプ。…早い話が、俺に選択肢はないのである。より正確に言うと、選択肢自体はあっても実質選べるのは一つのみなのである。

額や背中に嫌な汗をかきながら立ち上がる俺。耳を澄ませば俺へ向けた色々な声が聞こえてくるだろうけど…もうそれ聞いてる余裕はないっす…。

 

(はぁ…溜め息も吐けねぇ……)

 

俺にとっては同居人兼クラスメイトでも、ここにいる人達からすれば綾袮さんは目上の人。流石に全員が全員溜め息を吐いただけで怒るような人ではないとしても、一人二人はいてもおかしくない。そう思って一挙手一投足にも気を付け廊下へと出ると……

 

「よう、大変な事になったな」

「あ…上嶋さん…」

 

そこには壁に背を預けて人差し指と中指を軽く振る、上嶋さんの姿があった。

 

「はは…もう大変なんてもんじゃないですよ、えらいこっちゃです…」

「えらいこっちゃなんて久し振りに聞いたなぁ…でも行くんだろ?てか行かない訳にはいかないんだろ?」

「えぇ、はい…帰ったらそれ相応の仕打ちをしてやる……」

「はははは!何気に凄い事言うな顕人は!」

 

人目がなくなった事と頼れる先輩的人物である上嶋さんの前である事が相まって、もう外れるんじゃないかって位肩を落とす俺。それを見た上嶋さんは愉快そうに一頻り笑って……それから真面目な、けれど温かみのある顔を見せる。

 

「…ま、そういう時は良い方に考えようぜ。顕人は得意だろ?人や行いを悪意的じゃなくて善意的に捉えるのは」

「いや、そりゃ…まぁ、得意なのかもしれませんけど…こんな無茶振りにある善意なんて……」

「評価向上の為、とかあるんじゃないのか?」

「それは……」

 

評価向上。その言葉を聞いた俺には、思い当たる節があった。

魔王との戦闘に突っ込んだ俺と千嵜。当然それは周りからの好評価目当てじゃなかったけど、目当てにしようがしまいが評価というのは勝手に付いてくるもの。そしてその結果生まれた評価は、良く言えば『度胸が凄い』、悪く言えば『とんでもない馬鹿』というものだった。で、これまた当然だけど……良く捉えてくれる人より、悪く捉える人の方がずっと多いし、良く捉えてくれる人だって度胸が凄い、名前に『馬鹿だけど』が入っている人は少なからずいる筈。…だけど評価というのは、一度決まってしまっても塗り替える事が出来るもの。

 

「…模擬戦を全勝した二人に対し、俺が綾袮さんの足を引っ張る事なく戦えたのなら、評価は多少なりとも回復する……確かに綾袮さんなら、そういう気を回してくれるかもしれません」

「だろう?良い方向に考えれば、それだけで気持ちも軽くなる。だからそう考えておこうぜ」

「…でも、評価は勝たずとも最低限まともに戦えなきゃ上がらない訳で、しかも足を引っ張った場合は更に評価が悪くなるというプレッシャーが……」

「まぁ、な。けどそれは大丈夫だと思うぞ?乱戦の中とかならまだしも、ゆっくりと見られる状態で綾袮様があの二人の実力を見誤る訳がない。で、その上で顕人を呼んだって事は……」

「……勝算があっての事、って訳ですか…」

 

顎に手を当て、考える。綾袮さんの真意を、どんな思いで綾袮さんが呼んだのかを。会話によって落ち着いた頭と精神で考えて、綾袮さんの…そして上嶋さんの言葉を好意的に受け止めて、それで俺は答えを出す。

 

「…分かりました。上嶋さん、俺…頑張ってきます」

「おう。お前が良い戦いをしてくれりゃ、一時的とはいえ上司をしていた俺の評価も上がるんだからよ、頑張ってこいや」

「そうします……って、なんで自ら上げた俺のテンションを下げようとしてくるんですか…」

「冗談だ冗談。…綾袮様が俺の思った通りの事を考えているかどうかは分からねぇが、結果次第で評価が上がる事も、綾袮様がプロ中のプロだって事も事実なんだ。……だから、精一杯やってこい」

「……はい」

 

上嶋さんの言葉に頷いて、俺は目的地へと走り出す。状況は、現実は変わらないけど、心持ちは俺の考え次第で変えられる。悪い部分を、マイナスの要素を見ればそれだけで気が滅入るけど、良い部分を、プラスの要素を見れば気持ちも自然と好転する。……なら、出来る限り良い方に考えた方がいいじゃないか。

そんな思いで、俺は走る。上嶋さんの言葉に背中を押され、綾袮さんが用意してくれた舞台へと。



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第六十九話 場違いでも全力で

霊装者同士で模擬戦を行う際、武装は普段通りの物を使う。けれど当然ながら装備をそのまま使ったら毎回怪我人続出が必至な訳で、それを防ぐ為に二つの道具が使われる。

まず一つ目は、模擬戦用の弾丸。これは実体弾武装の弾丸を交換して使う物で、説明は……要らないか、流石に。…で、二つ目が砲口や出力口に取り付ける霊力拡散装置。これは文字通り霊力を拡散させる事で威力を極端に減衰させる器具(武器に合わせて調整しなきゃいけないから、対霊装者用の防御兵装には使えないらしい)で、収束させた霊力を弾丸や刃にする武装はほぼ全てこれで賄える。

…と、こんな感じに安全性も考えてある模擬戦だけど、一つ致命的な問題があった。それは……実体のある武器に霊力を纏わせる類いの武装には、そうした安全装置がないという事。

 

「すぅ、はぁ…すぅ…はぁ…すーぅ…はーぁ……」

「すっごいしっかり深呼吸してるねぇ…そんなに緊張する?」

「そんなに緊張してるから、すっごいしっかり深呼吸してんの…」

 

頑張ろうと心を決めていたって、いざ本番目前となれば緊張するのが人間というもの。ましてやそこに怪我の危険があるというなら、感じる緊張は更に増す。…いや、怪我の危険に関しては普段の魔物討伐の時点である訳だし、危険性ならむしろ模擬戦の方が低いんだけど…相手も状況も魔物戦とは比べものにならないから、ねぇ…。

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫だって。あくまでこれは催しなんだからさ」

「そう言われても緊張するもんは緊張するの…で、何か作戦はある?」

「作戦?んー…ガンガンいこうぜ?」

「俺の頭はドラクエのAIじゃないんですが!?ちょ、真面目に訊いてるんだからちゃんと答えてよ!てかまさか…ノープラン!?」

「いやいや、流石にそれはないって。今のは冗談冗談」

 

いつもの事だけど、綾袮さんの冗談は色々と容赦がない。一応今のも好意的に受け取れば、「普段のやり取りをする事で俺の緊張を解してくれようとした」とも思えるけど…それにしたって心臓に悪い。…冗談よりその余裕を少しでもいいから分けてほしいよ、俺は……。

 

「…で、真面目な話をすると…取り敢えずわたしとラフィーネがまず激突する事になるのは十中八九確実で、そうなったら顕人君とフォリンとの撃ち合い又は援護のし合いになるのもほぼ確実。そうなった場合…一応訊くけど、顕人君はフォリンに撃ち合いで勝とうって思ってる?」

「いや、全く。…幾ら俺でも、実力に開きがある事位は分かってるよ?」

「だったら釘を刺しておく必要はなさそうだね。…模擬戦の流れにもよるけど…まず顕人君は、わたしの援護に集中して。わたしはラフィーネの撃破を狙うから」

 

俺が綾袮さんの冗談に戦う前からスタミナを減らされていると、そこで綾袮さんは声のトーンを落として真剣に答えてくれた。それは作戦…と言える程細かいものではなかったけど、しっかり答えてくれればそれだけで心が楽になる。…勿論まだまだ緊張の方が大きいけど。

 

「…フォリンさんが綾袮さんの足止めをして、ラフィーネさんが俺を狙ってくる可能性は?」

「うーん…まあゼロじゃないけど、多分してこないと思うよ?わたしが二人の立場だったら、ある程度顕人君は無視しても大丈夫だろう…って思うし」

「そ、そう…凄く悲しい理由だ…」

「わたしと顕人君じゃ能力に差が開き過ぎてるからね。…でも、不満なら二人に見せつけてあげればいいんだよ。自分を無視したのが間違いだ…って」

「おう…って、そうなったら俺狙われちゃうじゃん…うぅむ、何というジレンマ…」

 

評価を取るか、安全を取るか。普段の俺ならまあまず後者だけど、流石に無視しても大丈夫程度に思われるのは不服だし、だからと言って狙われたいかと言われればそんな思いはまるでない。そんなちょっと我が儘とも言える二者択一に頭を悩ませていると…司会による入場のアナウンスが控え室に入った。

 

「っと、時間だね。…もし何かあっても、その時責任があるのは無理に呼んだわたしの方。だから、それは気にしなくていいからね」

「……なら、責任を取らなきゃ不味いような何かがないよう頑張るよ。やれる限りは、ね」

 

アナウンスに従い控え室を出る直前、振り返った綾袮さんは穏やかな顔でそう言ってくれた。…そんな事を言われたら、周りの評価だとか危険性だとか関係無しに頑張ろうって思えてくる。だって、優しさには真摯に応えたくなるものだから。

そうして、俺と綾袮さんは多くの人が注目する中ロサイアーズ姉妹と相対し……模擬戦が、始まった。

 

 

 

 

実体刃のナイフと拳銃を使うラフィーネさんは、小型武器の強みである身軽さ、取り回しの良さを活かして素早く斬り込んでいく戦闘スタイル。そのラフィーネさんに合わせるフォリンさんが主に扱うのは大型のライフルで、高い制圧力によって援護や追撃を仕掛けていく。それが三度の模擬戦で見た二人の動きで……その動きは、この第四試合でも変わらない。

 

「てぇぇぇぇいッ!」

「ふ……ッ!」

 

綾袮さんの大太刀と、ラフィーネさんのナイフが激突する。武器そのものの重量と、両手持ちと方手持ちの差で一瞬を経てすぐに綾袮さんが押し込む形になるも、逆にラフィーネさんはその力で身体を回転させつつ拳銃を発砲。近距離から放たれた弾丸を綾袮さんは身を捻る事で避け、同時に霊力の翼を叩き付ける。

 

「ここだ…!」

「そうはいきません…!」

 

叩き付けを避ける為後方へ跳んだラフィーネさんに向けて、俺はライフルを連射。大きく後退するのを阻止して綾袮さんの追撃を助ける意図での射撃だったけど…当の綾袮さんは、フォリンさんからの射撃で回避行動を余儀なくされていた。

 

(しまった…ここは綾袮さんが動き易いようフォリンさんに牽制をかけるべきだった…!)

 

多少後ろに下がられても綾袮さんなら十分追撃出来るのだから、必要性の低い『相手の邪魔』より『相手の邪魔の邪魔』をするべきだった。けれど、それを気付くのがやってしまった後では遅過ぎる。そしてそれを後悔するのもまた、後の祭り。

 

「っとと…気にしないでいいよ顕人君!それより集中集中!」

 

飛び上がる事で避けた綾袮さんは、俺に声をかけつつフォリンさんへ強襲…と見せかけてラフィーネさんに突撃。綾袮さんとフォリンさんの間に割って入ろうとしていたラフィーネさんは、綾袮さんの動きに一瞬目を見開くも、すぐに拳銃を構えて迎撃行動に移る。…そうだ、今は気にしてる場合なんかじゃない…今するのは反省まで、俺は後悔していられる程余裕のある人間じゃないんだから…!

 

「当たらなくったっていい…少しでも妨害になれば…!」

 

手持ちのライフルはラフィーネさんに向けたまま、それまで使っていなかった砲を左側一門のみ稼働。気取られないようギリギリまで砲身は動かさず、チャージ完了と同時に跳ね上げフォリンさんへと光芒を放つ。……が、フォリンさんはそれに対してサイドステップをかけただけ。ラフィーネさんへ火力支援を行いながら最小限の動きだけで避けた彼女は、誇張なしに気にも留めていない様子だった。

 

「……っ…だったら…!…って、落ち着け俺…熱くなるな、綾袮さんの指示を思い出せ…!」

 

その反応に負けるものかと右の砲も動かしかけた俺は、寸前のところで自分が本来の目的を見失いかけている事に気付く。…それと同時に、俺とフォリンさんの間にある、精神面の実力差も。

フォリンさんは…いや、俺以外の三人は、多分熱くなってなんかいない。熱くなっているとしても、それは心だけで、頭は常に勝利への筋道構築とその修正をし続けている。…俺だけが、思考を精神に振り回されている。それが、三人と俺との圧倒的差の一つ。能力とか、知識だけじゃない、経験の差。

 

(…なら、どうする?すぐには埋められない差があって、それがこの模擬戦にも影響してるってなったら、どうするのがベスト?)

 

ナイフと拳銃による機敏な攻撃を長大な大太刀で捌いていく綾袮さん。大太刀の斬撃や刺突をナイフで凌ぐラフィーネさん。微塵も慌てず常に最適な射撃を行い続けるフォリンさん。その三者に、何もかも劣っている俺が、それでも何とかしなきゃとなったら、どうすればいいか。どうすれば、今の俺という存在に意味を持たせられるか。……そうやって考えて、俺が思い付くのはやっぱり一つ。

 

(…まだまだだなぁ、俺は…でも、これが俺の長所である事は変わりない。変わりないんだから……)

 

姉妹が意識しているのは綾袮さんで、綾袮さんはさっきの一件からも分かる通り、多少俺がヘマをしても持ち堪えてくれる。…ならば、俺が多少無茶をしても…きっとそれに合わせてくれる。これは何とも自分に都合のいい考えだけど…もし綾袮さんが俺の評価向上の為呼んでくれたなら、俺が今からする動きも織り込み済みな筈。確証はないけど……綾袮さんが信じられるような人である事は、確信出来る。

 

「…だから、俺は……!」

 

援護を行っていたライフルを下げ、前へ跳ぶ。綾袮さんとラフィーネさんが斬り結ぶ地点へと向かいながら、二門の砲へエネルギーをドライブ。一発分だとか、数発分だとかではなく、砲の許容限界値を叩き出さんとばかりに霊力を注ぎ込んでいく。そして……

 

「──綾袮さんッ!飛んでッ!」

「……!オッケー…見せてあげなよ、顕人君!二人に…皆に!」

「おうッ!」

 

声を張ると同時に床を踏み締め、二門の砲を正面へ。そこで、俺の言葉で、砲から漏れ出る蒼い光で俺が全力の一撃を放つと悟った二人は、俺を注視するけど……もう、遅い。

 

「駆け…抜けろおおぉぉぉぉおおおおおおッ!!」

『……──ッ!?』

 

叫びと共に放つ、全力の光芒。通常の砲撃とはスケールの違う光の柱は空気を裂き、空中だったら体勢を維持出来ない程の勢いを持ってラフィーネさんへと襲いかかる。

とはいえラフィーネさんは格上の相手。驚いてこそいるけれどしっかりと反応をして、先に飛んだ綾袮さんの後を追うように宙へと飛び上がる。……俺の、期待した通りに。

 

「こ、こんな奥の手があったとは…しかし所詮はただの砲撃、射線にさえいなければ……」

「まだ、まだぁぁぁぁぁぁッ!」

「な……ッ!?」

 

ラフィーネさんの飛び上がりに合わせ、俺へとライフルの銃口を向けてきたフォリンさん。けれどその銃口から俺へ向けて弾丸が放たれる事はない。何故なら……放つよりも先に、光芒の腹がフォリンさんへと迫るのだから。

推進器の噴射で身体を回して、照射したままの霊力ビームを近付けていく。……有り体に言えば、それは薙ぎ払い砲撃。この砲を使い始めた当初から考えていて、でも当初は薙ぎ払いが出来る程の時間照射を持続させる事が出来なくて、出来るようになったのもつい最近な大技。まだまだ荒削りで、途切れかけたり反動で身体がブレたりと安定はしないけど……これは間違いなく、フォリンさんに届く……ッ!

 

「フォリン…!」

「っと、そうはさせないよ…ッ!」

 

俺の一撃が自分に対するものではないと気付いたラフィーネさんは、この時初めて明確な敵意を持って俺を睨む。けど、その彼女へ向けて綾袮さんが飛び蹴り。横槍を入れられたラフィーネさんは俺の砲撃を止める事が出来ず…最終的に光芒は、フォリンさんを捉える直前まで彼女に追い縋った。……そう、直前までは。

 

「…どうやら、私達は貴方の力を見誤っていたようですね……」

 

意表を突いた薙ぎ払い。並みの射撃とはレベルが違う、俺の全力。でもそれは所詮、姉妹を驚かせる程度の攻撃。つまり、ラフィーネさん同様フォリンさんにとっても回避不可能な程の脅威ではなくて…光芒が迫った次の瞬間には、跳躍による回避と同時に俺への反撃が飛んできた。

殺傷性を削いだ模擬戦用弾頭とはいえ、当たれば少なからず痛い…というか被弾認定で当たりどころによっては戦闘不能扱いされてしまう。だから俺は飛んだフォリンさんを追う事を諦め、照射を止めて横へと跳躍。一瞬前まで俺のいた位置を弾丸が駆け抜けていき、それが丁度胴体…肺か心臓辺りを通っているのに気付いて戦慄する。

 

「あっぶな…いぃぃッ!?」

「少しだけ耐えて下さいラフィーネ。その間に私が、彼を片付けます…!」

 

ギリギリでも回避は回避。そう安堵しかけていたところへ次々と撃ち込まれ、数秒前とは立場が逆転。何とか反撃を狙っていくも、回避に精一杯でこちらから放った射撃は明後日の方向に行くばかり。流石にある程度の方向は合っているけど…散発的且つ惜しくもない射撃なんて、何の脅威にもなりはしない。…けど……

 

「だったら…もう一度本気を見せて、顕人君ッ!わたしも、全力でいくからッ!」

「……っ!了…解ッ!」

 

綾袮さんの声が聞こえた瞬間、俺は回避から突撃に転じた。拳銃を引き抜き、十八番(と勝手に思っている)の四門スタイルに移行。フォリンさん目掛けて推進器を吹かし、四門纏めて乱射をかける。

俺がその一言で突撃に転じたのは、迷わず俺の言葉に従ってくれた綾袮さんへのお返し。信じた分、信じさせてあげようというただそれだけの事。

 

「うおぉぉぉぉぉぉッ!」

「それが本気と言うのなら…!」

 

全神経をフル稼働させて近付く俺。対するフォリンさんは俺と同様に拳銃を引き抜き、けど俺とは違ってライフルは下ろし拳銃一丁のみで迎撃の射撃を仕掛ける。

そうして乱射しながら突撃をかけた俺と、その場で発砲を続けたフォリンさん。どんどん距離が縮まり、遂に俺と彼女がすれ違った時……展開していた二門の砲には、模擬戦弾による被弾の跡が残っていた。

 

「これであの砲撃は使えませんね…そしてその拳銃も…!」

「しまっ……!」

 

これまでの訓練の賜物か、すれ違った俺は即座に振り向くも…それに合わせて放たれた一発により、拳銃も被弾…つまり使用不能認定へと追い込まれる。

対してフォリンさんはといえば、こちらの攻撃が掠りともしていない。奇策がなければこんなものだと言わんばかりの、純然たる実力差の結果。更にそこからフォリンさんは拳銃を俺の頭へと向け……その瞬間、それまで聞こえていたものとは違う金属音が響いた。

 

「……っ…!」

「……!ラフィーネ…!」

 

俺とフォリンさんの間へ割って入るように飛んできたラフィーネさん。その姿にフォリンさんが驚きを見せ、俺は好機だと思ってそこから後退。下がりつつもラフィーネさんを見ると…彼女の持つナイフの刃が、根元から折られていた。

 

「さっきの音は、あれだったのか…」

「ご苦労様、顕人君。大ダメージは与えられなかったけど…取り敢えず一つ、武器は潰したよ」

「…ごめん、俺は四門中三門やられた…」

「顕人君が撃破されてないなら大丈夫。流れは、わたし達に来てるから」

 

若干雑に着地した俺の隣へ、翼をはためかせた綾袮さんが舞い降りる。俺と違って、綾袮さんはまだ無傷。…確かに綾袮さんの言う通り、俺はライフルが残っただけでも十分なように思える。何せ支援だけならライフル一丁でもある程度は出来るし、切り札の全力砲撃ももう冷静に対処される事間違いなしなのだから。

 

「…すみません、折角ラフィーネが彼女の相手をしていてくれたのに…」

「…気にしなくていい。わたしが後少し持ち堪えていれば、フォリンなら出来ていた」

 

傍らに綾袮さんがいるからか、姉妹も体勢を整えるだけで即座の攻撃は仕掛けてこない。…けれど、綾袮さんが隣にいても今は感じる。はっきりと俺が『敵』と認識されている事を。

 

「…まだ、余力はある?ルールに則って倒すなら、手なんか抜いていられない。持てる手段を全て使う位じゃないと、勝つのは……」

「……ラフィーネ。確かに全力を出さずに勝てる相手でない事は同意です。でも、それは危険が…」

「…………」

 

それから暫く(いっても数十秒程だけど)、睨み合いが続く。向こうは何かやり取りをしているようで、まだ攻めてくる様子はなく、こちらもこちらでまだ相手が二人共十分な体力を残している事が分かっているから、安易に攻め込んだりはしない。だからこそ睨み合いが続き……それは、唐突に終わりを迎える。

 

「……分かった。なら…フォリンに任せる」

「えぇ。では…綾袮さん、顕人さん」

『……?』

「…私達は、棄権します」

『え……?』

 

拳銃をしまって左手を軽く上げ、俺達だけじゃなく司会や刀一郎さん達にも聞こえる声(大きくはないものの、はっきりとした声だった)で宣言を発するフォリンさん。彼女が口にしたのは棄権という言葉。それはつまり……自分達の敗北を認める事。俺達に、価値を譲るという事。

 

「い、いや…え……?」

「流石は綾袮さん…いえ、宮空家の綾袮様。私もラフィーネも感服しました。それに、顕人さんもあの攻撃には驚かされました」

「でしょ?…ってストップストップ!棄権って…また二人共余力あるんじゃないの?というかあるよね?」

「えぇ。ですがこれで四戦目ですし、ここから余力ゼロになるまで戦うのは、例え模擬戦と言えど危険な怪我をする可能性があると思いまして……駄目、でしょうか?」

「あ、あぁ…確かにそれは一理あるね。擦り傷位ならともかく、ここで大きい怪我するのは色々と不味いし……分かった、わたしはその棄権を受け入れるよ。顕人君はどうする?」

「俺?俺は、まぁ…綾袮さんがそういうなら文句はないよ。状況把握に関しても、一番劣ってるのは俺だろうし」

 

突然の棄権宣言に俺も綾袮さんも驚いたものの、理由自体は納得出来るもの。加えて言えばこれは模擬戦で、しかもこちらが勝ちになるなら何ら不満を持つ点はない。…これでどこまで俺の評価に影響を与えられたかは分からないけどさ。

 

「ふむ…ならば模擬戦はこれで終いとしよう。全四戦に参加した者達よ。貴君等の勇姿は勝敗に関わらず、しかと我が目で見させてもらったぞ。貴君等が、そしてこれを見ていた多くの霊装者が、向上心を持ち一層の鍛錬に励む事を、私も宮空の党首として期待している」

 

それから司会の人が終了の合図をかけ、刀一郎さんが締め括って模擬戦は終わりを迎えるのだった。

元から「勉強になる」と言われてはいたけれど、まさか模擬戦を見る側からする側になるとは思っていなかったし、俺にとってこれは初めての『対人戦』だった。こういう形で同じ霊装者と戦う事になるというのは、予想外だった(模擬戦じゃない本当の戦いなんてあっても困るから、初めてが模擬戦なのは幸いだけど)。でも勉強になったのは確かな事で、そこはやはり綾袮さんに感謝しなきゃいけないと思う。……まぁ、これに感謝するのと無茶振りに対しては別の話だけど、ね。

 



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第七十話 そこにあるのは様々な考え

模擬戦が終わってから、装備の片付けや簡単なレポート(模擬戦出た人は書く事になってたらしい)を済ませた俺は、例の如く俺よりずっとやらなきゃいけない事がある綾袮さんを待っていた。

けれど綾袮さん待ちはもう慣れた事で、そういう時俺は近くの休憩所なりなんなりでゆっくりまったり過ごしている。だから今日もそうするつもりだった。…そうなると思っていた。

 

「…………」

「…………」

 

──俺が座る長ソファに、ストロー付きボトル(漫画やアニメで運動部がよく使ってるアレ)を持ったラフィーネさんがやって来なければ。

 

(……き、気不味い…)

 

一人分空けて座ったラフィーネさんは、俺の事を気にもしない様子でボトル内の飲料を飲んでいる。ちゅー、と暫し吸っては口を離し、少ししたらまた吸うという単純行動を繰り返す彼女は……何を考えているのか、さっぱり分からない。そしてそんな人が相手では、流石に俺も気後れの一つや二つはしてしまう。

 

(…けど、表情に出てないだけでラフィーネさんも気不味く思ってる可能性はあるよね……だったら…)

 

気遣い半分、気不味さをなんとかしたい気持ち半分でそんな事を考える俺。ラフィーネさんは必要以上に話す事はしない印象があるけど、別に俺を無視する…って事はない筈。そう心の中で自分に言い聞かせ…数秒の逡巡の後、俺は口を開いた。

 

「…えっ、と…フォリンさんは一緒じゃないの…?」

「フォリンは呼ばれていった。フォリンが一人で大丈夫だって言ったから、わたしは今待ってる」

「そ、そうですか…」

 

声をかけたのは、ラフィーネさんが口からストローを離した瞬間。そのおかげで返答はしてもらえたものの…俺はそこから話を広げられなかった。…いや、だって…凄い淡々と返してきたんだもん…淡々に返してくるんだろうなぁとは思ってたけど、思っててもこれは今みたいな反応になっちゃうって……。

 

「…………」

「…………」

「…す、凄かったですね、三連勝…」

「それはわたしとフォリンが強かったというだけ。別に凄いと言われる程じゃない」

「そ、そうですか…ってうぉぉ…俺同じ反応しとる……」

 

次なる言葉も淡々に返された俺は、無意識に同じ言葉を口にする。加えてそれに対して自分への突っ込みをつい行うも、ラフィーネさんは一度ちらりとこちらを見ただけ。笑うでも変な目をするでもなく、ただ確認しただけのような反応に、俺は早くも手詰まりを感じ始めていた。

 

(これはあれか?俺に…というか俺との会話に興味がないって事か…?)

 

興味があればもっと喰い付いてくるだろうし、逆にしたくない話であればそれはそれで何らかの変化がある筈。にも関わらずそのどちらでもないって事は、恐らくラフィーネさんは俺との会話自体に興味がない。それは何とも悲しい理由だけど…そうであれば、もう仕方がない。

ラフィーネさんが再びストローに口を付けたところで、俺は向けていた顔を元に戻す。話す気のない相手に話題を振り続けるのはお互い良い気持ちにはなれないし、相手から会話は無しでいいと示してくれるのなら気不味さも減るというもの。だったら潔く引き下がった方が得じゃないか。……と、顔を戻してから数十秒し、そう思っている時だった。

 

「……あの攻撃には、驚いた」

「へ…?」

 

横から突然聞こえた、脈絡のない言葉。俺は一瞬誰がそれを言ったのか分からなくて、でもこの場で声を発する人なんて俺以外じゃ一人しかいなくて、戻した顔をまた横に向けると……いつの間にかラフィーネさんは、俺の方を見ていた。

 

「顕人の動きは、無駄があるし精度も未熟。はっきり言って、これ位ならイギリスにも他の国にも沢山いる」

「……で、ですよね…」

「…でも、あの砲撃は並みの霊装者には出来ない。あれは元々それなりの能力のある霊装者が、鍛錬を積んでやっと出来るようなもの。だから、顕人のその力は、武器になる。もしもっと実力を付けたいなら、それは伸ばすべき力」

 

これまで通りオブラートの存在すら知らないような、手加減無しの言葉。…でも、続く言葉では俺を評価してくれていた。俺に対してアドバイスをしてくれていた。

改めてラフィーネさんの目を見て、気付く。この人は、真っ直ぐな目をしてるって。綾袮さんにも負けない、真っ直ぐな心と思いの持ち主なんだって。

 

「…ありがとう、ございます」

「…うん」

「あの攻撃は、まだまだ問題点ばっかりなので、改竄していこうと思います」

「うん」

 

俺のお礼と返答に、ラフィーネさんはこくんと首を振っただけ。けれどその簡素な返答には、「うん」という言葉には、俺へのエールも含まれている。そんな気が、俺にはした。

 

 

……と、思ったんだけどなぁ…。

 

「……でも、あれはフォリンにも出来る」

「え?…えっと、それは…?」

「同じように照射に耐えられる武器さえあれば、フォリンも出来る。少なくとも、わたしはそう思ってる」

「…つまり……?」

「自分がフォリンに勝ってると思ったら、大間違い。フォリンは一芸で破られたりなんてしない」

「あ、はい…(俺そんな事言ったっけ…?)」

 

何がどう作用したのか、今話に出てきていなかったフォリンさんの事を、しかも俺へのアドバイスより熱を感じられる言葉で、ラフィーネさんは言い切っていた。…やっぱり、ラフィーネさんは何を考えているのかよく分からない。

 

「お待たせー顕人君…と、やっぱラフィーネもいたんだ」

「お疲れ様、綾袮さん。…フォリンさんもいるって事は、二人は同じ場所にいたの?」

「はい。私も用事は済みましたよ、ラフィーネ」

 

それから用事を終えた綾袮さんとラフィーネさんが来て、俺達はそれぞれ合流。同じ場所で何してたんだろう…と一瞬思ったものの、聞いても数時間で忘れそうな気がするから訊かない事にした。

 

「じゃ、帰ろっか。二人も今日は四連戦したんだし、ゆっくり休んでね」

「えぇ、そうさせてもらいます」

「…これからも暫くお二人はここに?」

「そうですよ。なので何かあればまた宜しくお願いしますね」

 

時計を見れば、針はもう深夜…ではないものの、誰に聞いても夜だと答えるような時間を指している。…何かあればまた宜しく…って、まさか再戦のお誘い?…いや、今のはただの社交辞令か……。

 

「はぁ、疲れたぁ…」

「今日は良い動きしてたよ。先生は顕人君がちゃんと成長していて嬉しいなぁ」

「良い動き、ね…」

「うん?何か気になる?」

「いや、ちょっと思うところがあっただけ」

 

外へと向かう道すがら、俺は綾袮さんが発した一つの言葉に意識を向けた。

綾袮さんもラフィーネさんも、今日見た俺の動きは同じ。でもラフィーネさんはそれにマイナスの評価を下していて、逆に綾袮さんはプラスの評価をしてくれた。…別にどっちかが嘘を吐いてるとは思ってない。評価基準が違うだとか、綾袮さんは『成長が見られるから』良いと評価してくれただとか、双方の評価が両立する場合なんて沢山あるし、そこまで俺は繊細じゃない。ただ、短い間に真逆の評価を受けたからちょっと意識してしまっただけの事。

 

「そっか……あ、思うところってなら、わたしも一個あるんだけど」

「…と、言うと?」

 

俺の雰囲気や表情から考えを察したのか、深くは突っ込まず(でも気遣う様子もなく)話を切り替えた綾袮さん。それに俺も合わせていつも通りに返答すると……

 

「顕人君ってさ、ラフィーネとフォリンの事年上だと思ってる?っていうか、思ってるから敬語なんだよね?」

「え?…まぁ、そうなのかもなぁとは思ってるけど…」

「やっぱりね。…二人共、わたし達より年下だよ?年下って言っても、一つしか違わないけど」

「そ、そうだったんだ…ん?もしや二人って、双子だったの?」

「ううん。わたしもさっき聞くまで年齢までしか知らなかったけど、ラフィーネが四月生まれ、フォリンが三月生まれだから年度の上では二人共同じ年に生まれてるんだって」

 

……俺は自分が恥ずかしくなった。人の年齢なんて外見だけじゃざっくりとしか分からないし、そのざっくりすら当たらない事があるものだけど、年上だと思って接してた相手が実は年下だった…というのはとにかく恥ずかしい。どれ程かと言えば、それは「ま、まぁ霊装者としては二人が先輩だし?」…と自分で自分に言い訳したくなる位に。

 

「…さ、先に言ってよぉぉ……」

「先って…顕人君が勘違いするかどうか、敬語を使うかどうかは流石にわたしでも分からないから…」

「うっ、それもそうか…はぁ、これで次から敬語抜けてたら絶対違和感持たれる…」

 

疲れていて、尚且つ今日は価値ある一日だったと思っているところにこの衝撃はキツい。サブカル業界だとこういうのをオチがついたとか言うけど……実際あるとほんとキツいっすわ、これ…。

……そんな事を思いながら家へと帰るのが、今日の俺だった。

 

 

 

 

「うーん…ちょっと日焼けしてる…」

 

夕飯を終え、課題……は置いといてのんびりとリビングで過ごす夜。バラエティ番組をまったり見ていると、同じくリビングにいた緋奈が腕を見ながらそんな事を口にした。

 

「…してるか?」

「してるよ、ほら」

 

緋奈は俺にも腕を見せてくる(見せてこなくたって半袖だから見えてる)が、女性らしく細い緋奈の腕には柔らかそうだという感想しか出てこない。…あー後、健康的だって感想もあるか。

 

「少なくとも、あんま日焼け気にしてない奴からは気にならない程度だと思うぞ?」

「うーん、お兄ちゃんが気付かないとは…」

「いや、俺をなんだと思ってるんだ…確かに緋奈の事なら大体知ってる自覚あるが」

「…それ、わたし以外に言ったらほぼ確実に引かれるからね…?」

 

「んな事緋奈以外にほいほい言うか」とか、「緋奈は良いのか…それはそれで問題だと思うぞ…」とか腕よりずっと色んな感想が思い浮かんだが、どれ言っても変な話になりそうなので全て却下。しかし、緋奈は俺なら気付くと思ってたのか……悪い気はしない。

 

「…それなら、妃乃にも訊いてみたらどうだ?訊くってか、俺は自分から首突っ込んだ訳だが」

「別に意見集めたい訳じゃないけどね…はぁ、もっと日焼け止め塗る時は気を付けないと…」

「少し位日焼けしてても悪くないと思うけどな」

「え、お兄ちゃん小麦色の肌とか好きなタイプ?」

「何故そうなる…てか、そうだって言ったら日焼け止め塗るの止めるのか?」

「止める…かも?」

「……お兄ちゃんは緋奈に愛されてて嬉しいです」

 

かもとは言え、一蹴されない事に俺は何とも言えない気持ちになる。緋奈よ、君は女の子としてそれで良いのか…世の中には兄を毛嫌いする妹も多い(らしい、実際はよく知らん)中、こうして好感を持ってくれてるのはほんとに嬉しい事だが…。

 

「まぁ、今のところ友達にも『焼けた?』って言われてないし、気にし過ぎと言われればそれまでだけどね。…っとそうだ、録画したい番組あるからリモコン貸してくれる?」

「はいよ」

 

日焼けの件はもういいのか、緋奈は俺が渡したリモコンを手にTVを操作。やっぱ焼けたようには見えねぇよなぁ…とその後ろ姿を眺めていると……玄関から「ただいま」という声が聞こえてきた。

 

「あ、妃乃さんお帰りなさい」

「えぇ。もう夜なのにまだ暑いわね」

「そういう時期だからな。夕飯は冷蔵庫入れてあるぞー」

 

廊下を通ってリビングに来た妃乃は、その言葉とは裏腹に汗をかいている様子はない。…まぁ、双統殿から飛んでくりゃ風で汗はかかねぇわな。空ならアスファルトの上歩くよりずっと涼しくもあるし。

それから数分後。俺からすれば興味すら抱かない内容のガールズトークに花を咲かせていた女子二人は、それぞれ食事と入浴へ。妃乃がレンジで温めた夕飯を食べ始めてから数十秒程したところで、俺は妃乃へと問いかける。

 

「…今日は模擬戦があったんだってな」

「あら、知ってたのね。…見たかった?」

「いいや、俺は自分から模擬戦見に行く程向上心のある人間じゃねぇよ」

 

問いかけたと言っても、俺の目はTVへ向けたまま。真面目な話として訊いているんじゃなく、単に妃乃を見て思い出したから訊いただけの事。

 

「ま、そうよね。結構見応えのある模擬戦だったわよ?最後は綾袮がエクストラマッチを仕掛けにいったし」

「パワフルな事してんなぁ…仕掛ける姿は容易に想像出来るが」

「多分その想像、半分は正解で半分は間違いだと思うわよ?」

「半分?」

「そうよ。だって、その模擬戦に顕人引っ張り込んでたもの」

「……相手は?」

「三戦全勝の来客組よ」

「…俺、性格的には妃乃より綾袮の方が近いと思うが…担当になったのが妃乃で良かったって、時々マジで思うわ……」

 

綾袮がただの欲望第一主義じゃない事は、普段千嵜や妃乃と会話する中でも伝わってきている。…けどまぁ、理由があろうとなかろうと、無茶振りなんてされる側からしたら堪ったもんじゃないんだよなぁ……時々俺もしたりするが。

 

「時々って…まあ、そう思うならもっと感謝してよね。……顕人、結構腕上げてたわよ」

「そりゃ、あいつは真面目だからな」

「でしょうね、でも今日の模擬戦では熱意も感じられたわ」

「…………」

 

顕人も苦労人だよなぁ…なんて気持ちになる中、あいつの話は続く。…が、どうも妃乃の口振りからは含みを感じる。色恋沙汰とかそういう意味じゃない、何かこれを通して伝えたい事があるような…そんな感覚。

 

「熱意も過ぎれば冷静な思考に支障をきたすけど、それが無ければ基本はいいもの。けどもしかすると、綾袮の性格が熱意に一役買っているのかもしれないわね」

「……俺には、熱意が足りない…って言いたいのか?」

「…そう聞こえた?」

「熱意に欠ける自覚はあるからな」

 

言葉にこそしていないが、今の妃乃の質問返しには「やっぱりそう思う?」…というニュアンスが感じられた。…熱意、ね……。

 

「…いいの?後からどんなに後悔しても、やり直す事は出来ないのよ?」

「…どうだろうな。生まれ変わりの実例があるんだ、時間遡行も絶対あり得ないとは言えないと思うぞ?」

「それを任意に行えるのなら、時間遡行を当てにするのもいいかもね」

「……後悔したくはねぇよ。でも、今だって後悔したくねぇからこの道を歩いてるんだ。そんなほいほい変わる程、俺は意志薄弱じゃない」

 

妃乃は食卓で、俺はソファで、目どころか姿勢も合わせないまま会話を続ける。…これが妃乃の正体を知ったばかりの頃なら、余計なお世話だと一蹴していたかもしれない。

 

「…まあ、あなたならそう言うわよね。けど、霊装者だって結局は人と同じ…限界のある存在よ。限界は乗り越えられないものじゃないけど、それはあくまで積み重ねがあった上での事。……思いだけじゃ、どうにもならない事はあるわ」

「…珍しく、自信なさ気な事言うな。普段に比べたら、だが」

「うっさい、経験則から語ってるだけよ。…つい最近だって、辛酸を嘗めさせられたばかりなんだから」

 

例え顔が見えなくとも、妃乃が複雑そうな表情を浮かべているのは声音から伝わってくる。…つい最近ってのは、妃乃を嵌めた魔人の事だろう。その前の魔人や魔王の事だってあるかもしれない。…ならば……

 

(…これは、自分に対する言葉でもあるんだろうな……)

 

熱意を持って自らを高める千嵜に、全勝という結果を叩き出した来客に、今日の模擬戦に出た全ての霊装者。その姿に自分もまだ停滞するような時期じゃないと、停滞なんてしていられないと、妃乃は触発されたんだと思う。それがなくたって妃乃なら鍛錬は欠かさないんだろうが、それを受けて余計にって形で。

そういう意味では、俺はとばっちりを受けてるとも言える。妃乃のやる気に巻き込まれてるとも言える。だが……本当に、そう言い切れるのだろうか。

 

(…俺は無関係な人間じゃねぇし、むしろ妃乃がここにいるのは、俺が関係『させている』からだ。…もし俺の意思に意地を張っている部分があるってなら……)

「……ご馳走様、っと」

「…ん?…あ…そこそこ時間経ってたんだな…」

 

意識が思考の海に落ちつつあった中で聞こえた、完食の言葉。それに意識を引っ張られて時計を見ると、妃乃が帰ってきてから数十分が経っていた。

 

「…色々、考えさせちゃった?」

「…考えねぇでおいたら、それこそいつか後悔するだろ。だから、考える位はするさ」

「そう。私、貴方の無気力なようでいて考えなきゃいけない事はしっかり考えてるところ、良いと思うわよ」

「何事でもしっかり考えてる妃乃程じゃねぇよ」

 

褒められるようなとこでもないところを褒められても、悪い気はしないが違和感がある。自分がどう見られていてどう思われているかなんて、意外と分からんもんだな。

 

「何事も、って程じゃないわ。それに…私もそこまで貴方にどうこう言える立場じゃないしね」

「そうか?」

「そうでしょ。対魔物とか組織運営とかの方面なら私の方が上だけど…対人戦に関しては、貴方の方がずっと経験豊富な筈だもの」

「…まぁ、そりゃ…な」

 

まさかこの話に飛ぶとは、と少々驚く俺。…平和な今と、世界規模で人類がドンパチやってた昔じゃ、対人戦の機会に差があるのは当然の話。ってか、対人の実戦なんて無い方がいい訳で……けれど、そうも言っていられない事だって現実にはあり得る。そして特殊な立場を持つ妃乃なら、それは尚更の話。

 

「…よし。じゃあ一つ対人戦の極意を教えてやろう」

「極意…?」

「なぁに、簡単な話だ。魔物が相手なら発揮出来るパフォーマンスも、人が相手だと躊躇っちまう事はあるだろ?」

「えぇ」

「……だから、実戦じゃ相手を人だなんて思うな。罪の意識も和解の可能性も必要ない。人と同じ見た目をしているだけの魔物…そう思えば、パフォーマンスが落ちる事なんてない」

「……それは…」

「…ってのが、今適当に考えた極意だ」

「そう…って今適当に考えた極意!?は、はぁ!?」

 

…自分でもよく分からないが、なんかついふざけてしまった。…なんだろうな、ほんとに。空気が重苦しくて耐えられなくなったのか…?

 

「いや、そりゃ適当に決まってんだろ。人間割り切っていい部分と悪い部分があるだろうし」

「だ、だったら物々しいトーンで言うんじゃないわよ…もう……」

「はっはっは。けど実際相手が人だからって特別視する必要はないと思うぞ?結局大事なのは、実力とそれを発揮する精神だからな」

「…なら、やっぱり訓練はしておく方がいいわよね」

「うっ…しまった、墓穴を掘ったか……」

 

対人ったって霊装者もピンからキリだし、もし魔物をペットの様に飼っていて、その魔物と戦う事になったら見ず知らずの霊装者以上に刃を向ける事を躊躇うだろう。…だから、人も魔物も変わらない。ただ躊躇う要素が多いかどうかだけの話で、それは実力と精神次第で乗り切る事が出来る。……まぁ、昔の俺は…色々と欠けてる奴だったから、これも今の俺が考える事に過ぎないんだがな。

そんな事を話している内に、真面目な話は終わっていた。まあ元々雑談として始まったんだから、終わるのがいつの間にかなのも割と当然の事。真面目な話になった事自体が、そこそこイレギュラーだったって事なんだろう。

 

(……楽観視、だったのかね…)

 

今の会話で引っかかる事があったとすれば、やはり俺の考えの事。まだ半年も経っていないのに複数回魔人以上の存在と相対してるとなれば、俺自身もこれまで程考えに自信を持てなくなる。…ただ、それでも……失いたくないからこそ、踏み切る事は出来ないし、今の考えを信じている俺もいる。…だから……

 

(…もう暫くは、維持しながら考える…そうさせてくれ)

 

その思いは、妃乃に対してか、緋奈に対してか、世界に対してか…或いは、俺自身に対してか。自分でもはっきりとは言えないが……それが惰性だとか現実逃避だとかではなく、意思があり考えた上での思いだって事だけは断言出来る俺だった。



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第七十一話 案内の先で和の装いを

一昨日は案内があった。昨日は模擬戦があった。客人がもてなされるのは当然の事で、しかも立場ある綾袮さんと一緒にいる俺の二人が両方とも客人の二人と歳が近いとなれば、駆り出されるのも割と普通の話。だから三日目である今日もまた用事があっても、それは別に驚く事ではなかった。

 

「顕人くーん、準備出来たー?」

「あー出来た出来た、待たせたね」

 

学校が終わってから早々に帰り、帰宅後もすぐに着替えた俺と綾袮さん。出かける時は大概女の子の方が準備に時間がかかる(印象がある)ものだけど、干していた洗濯物を取り込んだり二人分の弁当箱を洗ったりしている内に、先に綾袮さんが準備完了になってしまった。

 

「時間はまだあるから大丈夫だよ。でも、急ぐ事でもないんだから家事は後回しでもよかったんじゃない?」

「後に回すとうっかり忘れたりするんだよ」

「それはまだ慣れてないから?」

「逆。慣れてきたからこそ、やってないのに普段の感覚でやったと勘違いしちゃうの」

 

家事と慣れに関する話をしながら俺達は外へ。慣れってほんと怖いんだよね。自然と意識してやってた事が無意識に変わるから、それが注意散漫に繋がったりするし。

 

「ふぅん…時間までは後三分かな」

「じゃ、中で待ってる?外は日差しがあって暑いし」

「中も別に涼しくないじゃん…だったら風の通る日陰の方がいいよ」

 

そう言いながら綾袮さんは日陰へと身を移し、俺もそれに続く。そして凡そ三分間日陰で過ごしていると…電車の如く正確な時間で、家の前へと一台の車が停まった。

 

「あ、来た来た。それじゃ行こっか」

 

車の後部座席の扉が開き、運転手さんも降りてくる。そこへ綾袮さんが歩いていくと、運転手さんは足を揃えて礼。…とまぁこの時点で分かる通り、これは協会からのお迎えで、向かうのはやっぱり双統殿。より正しく言えば、双統殿の中じゃなくて前が目的地だけど。

 

「忘れ物はない?」

「ないよ、ってか忘れる程の荷物もないし」

「そっか、まあそうだよね。…………」

「…………」

 

俺達が乗り、運転手さんも座った事で動き出す車。乗ってる間はただ到着まで座ってるだけだし、手持ち無沙汰ではあるけど…だからって会話が盛り上がったりはしない。だって、さっきまでもずっと会話の時間はあったし、話したい事は大体もう済ませちゃってるんだもの。

 

「(…と、思ったけど…話す内容がない事もないか……)…ねぇ、綾袮さん」

「うん、どしたの?」

「これまで訊き忘れてたんだけどさ、えーと…BORG…だっけ?ラフィーネさんとフォリンさんが所属してるのは」

「そうだよ?」

「…それって、何の略なの?」

 

何だかんだで訊いていなかった疑問を思い出した俺は、名称を確認しつつ綾袮さんへ質問。この言葉が出てきた際の文脈からイギリスの霊装者組織だってのは分かったけど、何の頭文字なのかまでは分からなかったんだよね。仮に想像がついても、訊かなきゃ合ってるかどうか確認出来ないし。

 

「あー、そういえば教えてなかったね。BORGってのは、『Britannia Of Royal Glory』の略称だよ。最初はブリタニアじゃなくてブリテンだって言われる事もあるけど…取り敢えず意味は分かるでしょ?」

「まぁね。何ともまぁイギリスっぽい名前だなぁ…」

 

ブリタニアと言えばイギリスだし、ロイヤルもグローリーもイギリスらしいと言えばイギリスらしい(完全に俺のイメージだけど)。…後、ちょっと格好良い響きだな…文法的にどうなのかは知らないけど。

 

「それはわたしも同感かな。後、アメリカなら『Unite Spirits』、ドイツなら『Obersten Flügel』…って風に各国でそれぞれ組織の名前が違うから、規模の大きい所位は覚えておいた方がいいかもね」

「規模って言われても、俺そういうのは全然知らないんだけど…BORGはどんな感じなの?」

「質はうちと同じ位、量はうちより少ない…みたいな感じ。あ、でも国への発言力はうちより上だって話だよ」

 

ぽんぽん出てくる新情報に若干気後れしつつも、出来うる限り今知った事を頭に入れていく。…やっぱ綾袮さん、やる気があればしっかり覚えられるんだね。

 

「…でも、発言力に関しては組織単体で考えられる話でもないからね。首脳陣の実力によっても変化するし」

「じゃあ、うちの発言力は?」

「うーん…低くはないけど、規模に見合ったレベルかと言われると…って印象かな。細かく言うと結構長い話になるけど、聞く?」

「いや、そこまで気になってる訳じゃないから遠慮しとくよ。今から疲れても困るしさ」

 

普段はそんなにしない真面目な話を、疲れない程度の広く浅くで続ける俺達。そこまで気になってる訳じゃない、と言いつつも興味を惹かれていたのは事実で、気付けば車は双統殿周辺にまで来ていた。

 

「…合流したら即スタート、だよね?」

「そうだよ。…今日は緊張してる?」

「昨日に比べたらしてないも同然だよ。…上手く出来るかの不安はあるけど」

「じゃ、先に観光協会にでも行ってみる?」

「そこまでの事じゃないでしょう…」

 

到着が近くなれば、着いてからの事を考えるのが自然な流れ。そんなやり取りをした数分後には双統殿の前へと車が停まり、家の前の時同様後部座席の扉が開かれる。

 

「ご到着致しました」

「うん、ご苦労様」

 

綾袮さんは労い、俺は頭を下げて順番に降車。それから見回すと…合流予定の相手はすぐに見つかった。

 

「あ、いたいた」

「待たせちゃってごめんねー」

「いえ、時間通りですし問題ありませんよ」

 

ここで待ち合わせていた相手…ロサイアーズ姉妹を見つけて駆け寄る俺達二人。双統殿前(と言っても対外的には双統殿は国の文化財って事になってるから、姉妹がいたのはそこそこ離れた位置だけど)なんてあんまり待ち合わせに便利な場所とは言えないけど…仕方ない。だって、二人はここら辺の事を殆ど知らないし、それを教えるのが今回の目的なんだから。

 

「じゃあ、早速行こうと思ってるんだけど…大丈夫?先に済ませておきたい事とかない?」

「そういう事はここに来る前に済ませましたので大丈夫です」

「わたしも大丈夫」

「ま、そうだよね。だったら顕人君の後に続いてGO!」

「え、俺が先頭歩くの?…別にいいけどさ…」

 

という事で今回の目的、『二人への周辺案内』がスタート。けど俺もそこまで双統殿周辺は詳しい訳じゃないし、双統殿内部と違ってどこに何があるか覚えておかなきゃいけない訳でもないから、案内と言うよりは見て回るという形に。

 

「…あの施設は何?」

「スーパー銭湯…だね。銭湯は分かりま…もとい、分かる?」

「温泉に近いものですよね?…しかしスーパーとは?ランク付けか何かなのですか?」

「いや、大浴場以外にも色んな施設があったり、浴場も種類が豊富だったりする銭湯をそう言うんだよ」

 

回る最中で質問を受けたら今のように説明をして、歩みを進める。…てか今何の気なしに説明したけど、異性にお風呂について説明するのはどうなんだろう…邪な感情はないし、不純な単語も出てないから大丈夫だとは思うけど…。

 

「…ふむ……」

「……?どうしたのフォリン、何か気になった?」

「あぁいえ、慣れない場所なのでつい見回してただけです」

 

フォリンは何やら見回していたようで、必要はなかったらしいものの綾袮さんがフォロー。俺を先頭に行かせたからか、今日は綾袮さんが結構気を配っていた。…もしかすると、先頭に行かせたのも何か意図あっての事かもしれない。今のところは『なんとなく言ってみただけ』の可能性が濃厚で、多分これが覆る事はない気がするけどさ。

 

「…中々発見が多いですね、ラフィーネ」

「うん。実際に見て分かるものが多い」

 

暫く見て回り、赤信号で待っていた時。ラフィーネさんとフォリンさんは、そんなやり取りをしていた。言葉そのものはどっちも淡白だったけど…ここまでの案内が意味あるものになっていたのであれば、俺も綾袮さんもして良かったと思える。…って、これは最後に思うべき事か…。

 

「…あ、ところで二人は何か食べたい物ある?」

「…と、言いますと?」

「食事はどこかお店で取ってくればいい、って言われてるんだよ。それも一つの案内になるからって」

「そういう事ですか。…食べたい物……」

「値段は気にしなくていいからね?食事代は経費で落とせるから」

 

更にそこから数分後。長くなった日も落ち始めたところで、綾袮さんは夕食の話を二人に振った。食べたい物はあるかという問いを受けた二人は顔を見合わせ、恐らくは視線で意思疎通を図って…言う。

 

「…では、折角日本に来た訳ですし…和食を食べてみたいです」

「OK。でも、和食って言っても色々あるから、もう少し条件が欲しいかな」

「条件…そうですね、高級そうな和食はこの数日で頂いているので、それよりは大衆的なもの…でどうでしょう」

「ま、まだ広いね…顕人君、何がいいと思う?」

 

和食と言っても千差万別で、和食を満遍なく揃えている…なんてお店はそうそうない。となると丼系だとか海鮮系だとかのジャンル位は決めないと選べない訳で、意見を求められた俺は考える。

 

「…ふぅむ…やっぱ『和食と言えば?』で出てきそうなものの方がいいんじゃない?俺等だって外国行った時、なんだかよく分からない洋食出されたら反応に困るし」

「和食と言えば…お寿司とか天ぷらとか?」

「そうそう。でも寿司は避けた方がいいんじゃない?外国はあんまり生魚を食べる文化無いみたいだし、海苔も消化出来ない…って、あれ?それは生海苔だけだっけ?」

「そうだったと思うよ?……じゃ、うどんとか蕎麦は?」

「あぁ、それはいいかも。天ぷらとかかき揚げとか合う和食は多いし、乗っけなくてもうどんや蕎麦置いてる店なら大概別の和食もそれなりに置いてるしね」

 

綾袮さんが質問&提案し、それを俺が考えるという形で出した『うどん・蕎麦』で二人の反応を伺ってみると、二人の反応は良好。という事で俺達はうどんと蕎麦を扱っている店舗を探し、そこへと入っていった。

 

「…外見だけじゃなく、内装も和風なんですね…」

「…でも、お客は皆洋服…」

「ふ、普段から和服を着てる人はもう滅多にいないからね…もうって言うか、俺が生まれた時には既にだけど…」

 

ビルだったり横文字の名前のお店だったりと和の要素が然程無かった外に比べ、店内は和食の店なだけあってその要素を前面に押し出している。そしてそんな店内が二人にとっては興味を惹かれるのか、色んなものへと目をやっていた。

 

「メニューはこれだよ。…読めるよね?」

「大体は読めると思います。…これは『そば』ですよね?」

「うん、蕎麦だよ。フォリンは蕎麦にするの?」

「あ、いえ…今のは確認しただけで…」

 

案内された席にあったメニュー表は二つだったから、俺と綾袮さん、ラフィーネさんとフォリンさんでそれぞれメニューを読む。…そういえば……

 

「…俺も、食事代は経費で落ちるんだよね…?」

「うん、当たり前だよ」

「だ、だよね…」

 

…当たり前かぁ…うん、俺も落ちるよなぁとは思ってたけどさ…高校生は経費なんて言葉そうしょっちゅうは耳にしないから、不安になっちゃうのよ…。

 

「……あの、うどんと蕎麦って、見た目以外はどう違うんですか…?」

「え?それは…う、うーん…?」

「……?違いはないと…?」

「い、いやあるよ?あるんだけど…顕人君、説明させてあげる!」

「えぇぇ…何その体のいい押し付け…」

 

暫しメニューを眺めていたフォリンさんからの質問に、綾袮さんは返答しようとするも…いい答えが思い付かなかったのか、眉間に皺を寄せた後俺へと振ってきた。するとフォリンさん、それにラフィーネさんの視線も俺の方へと向いて、何やら俺は答えなきゃいけない雰囲気に。

 

「…えーと…うどんは太めの麺で弾力があって、蕎麦はざる蕎麦っていうつけ麺的な食べ方もあって…一番の違いは材料なんだけど、味に関してはカレーとハヤシライス並みに違いの説明が難しい…かな」

「…説明に苦心しているのはよく伝わってきた」

「うぐっ…違いが分かるかと言えば勿論分かるんだけど、説明しろってなると一気に難しくなるんだよ…」

「はは…しかし、そうなるとどうしましょう…」

「なら、一つずつ頼めばいい」

「あぁ、その手がありましたね」

 

俺の説明は生きているのかいないのか、結局二人は『一人で一つ』ではなく『二人で二つ』という形で解決していた。…これを思い付いていれば頭捻って微妙な説明をする必要もなかったと思うと、ちょっと辛い。

 

「顕人君、お疲れ様〜」

「お疲れ様〜、じゃねぇ…っとそうだ、俺も何頼むか決めないと…」

 

説明していたとはいえあまり待たせては悪い、と思って素早く決めると、俺は店員さんを呼んで注文。全員分の注文を聞いた店員さんは下がり、運ばれてくるまで雑談タイムがリスタート。

 

「…そういえば、顕人さん。一つお訊きしたい事があるのですが…」

「訊きたい事?」

「…口調、変えたのは何か理由があるんですか?」

「あー…昨日あの後二人が年上じゃないって知ったもので…」

「そういう事ですか。心境の変化でもあったのかと思いました」

 

待つ最中で遂に敬語について触れられた俺が、頬をかきつつ訳を話すと…フォリンさんは興味があるのかないのかよく分からない顔をしていた。…ラフィーネさんとは比べるまでもないけど、フォリンさんもどちらかと言うと感情の読めない人だなぁ…。

 

「…っていうか、日本の敬語についても理解してるんだね」

「えぇ。ですが若干不安を感じる部分もあるので、もし間違っていた時は教えて下さいますか?」

「勿論、まぁ俺も完璧に敬語使える訳じゃないけどね。…にしても、任務の一環で外国語を一つマスターなんて大変じゃなかった?」

「……?…確かに大変ではありましたけど…」

「あーっと…そういえばこれも言ってなかったね…」

「言ってなかった?」

 

フォリンさんとの会話を続けると、その途中でフォリンさんは怪訝そうな顔をして…それから綾袮さんがおずおずと言葉を挟んできた。…これは……。

 

「日本が霊装者発祥の地だって話は覚えてるよね?その関係からか、霊装者の世界だと割と日本語も広まってるんだよ。…と言っても、ちゃんと学んでるのはそれなりの立場にいる人とか、うちとやり取りする機会のある人とかが殆どだけど」

「……それを伝え忘れたせいで、俺はフォリンさんから変に思われたんだけど?」

「うん…これは100%わたしが悪いね…ごめんなさい…」

 

…聞いてみたら、案の定のパターンだった。…知らんぷりして自分のミスを二人に知られないようにするよりはずっとマシだけど…はぁ、ほんとにちゃんとそういう事は忘れないでほしいよ…。

 

「…立場が逆転した?」

「しましたね。でも、この様子…何かあれば普通に逆転もするのが二人の関係性、なのでは?」

「うん。…眺めてるのも面白そう」

「ですねぇ…」

 

そして気付けば、姉妹に何やら観察されていた。俺としては綾袮さんが謝ってくれた以上長々と言うつもりはなかったんだけど、なんか二人はもう暫く続くつもりでいるような気がするし…と俺が困っていると…何とも絶妙なタイミングで、注文した品が運ばれてきた。

 

「…美味しそう」

「スープの色も食欲をそそりますね…っと、和食の場合は汁、と言うべきでしたか?」

「んー…麺類ならスープって言う人もそこそこいるし、そんなに気にしなくても良いと思うよ?何もテストしてる訳じゃないし」

「それより麺が伸びちゃうから、早く食べようか。…頂きます」

 

姉妹が注文したのはきつねうどんと天ぷら蕎麦。綾袮さんはかき揚げうどん、俺はざる蕎麦&天ぷらの盛り合わせと三者…ではなく四者四様の注文をし、それ等が全て運ばれてきた卓上は一気に所狭しな状態に。…厳密にはお盆が面積取っちゃってる訳だから、お盆がなければ余裕が出来るんだけどね。

 

(…と、思ったけど…二人は箸使えるのかな…?)

 

ざる蕎麦を一口食べたところで、またも俺は文化の違いが頭をよぎる。箸なんて日本人も偶に上手くない人がいるんだから、まだ来日数日目の二人はさぞ苦労を……と、思いきや。

 

「見た目から質素な味だと思っていましたが…これは予想以上に美味しいです…」

「うん、美味しい。…そっちも、一口いい?」

「勿論。そういう狙いで一つずつ注文したんですからね。では私もそちらを…」

 

二つの器をつっつきながら仲良く食べるロサイアーズ姉妹は、若干箸の持ち方が変である事を除けば問題無い様子だった。…なんというか、優秀だよね。

 

「……そして、和む光景だなぁ…」

「わー、顕人君変な目で見てる〜」

「ぶふぅっ!?ごほごほッ!?」

「うわわっ!?ちょっ、お蕎麦吹き出したりしないでよ!?」

「だ、誰のせいだと思ったんだ!そんな目で見とらんわ!」

 

ただ仲良い様子を見ていただけなのにあらぬ疑いをかけられ吹き出しかけるも、何とかむせるだけで留める俺。…マジでそんな目はしてないし……。

…と、ちょっとした(?)ハプニングはあったものの、特に問題もなく俺達は食事の時間を満喫出来た。特に姉妹は初めて食べる料理に気分が良くなっていたらしく……

 

「…天ぷら、追加注文してもいい?」

「あ、ならこれ食べる?」

「食べます」

「えっ……あ…フォリンさんも欲しかったのね…」

 

なんと俺の注文した天ぷら盛り合わせは、半分以上が二人に食べられてしまった。しかも海老の天ぷらは天ぷら蕎麦にあった筈なのに、それも取られてしまった。…でもそれもそれで和むからいっか。

 

「ふぅ…美味しかったですね、ラフィーネ」

「美味しい上、油の感じがあんまりないのが良かった。…でもまだ食べられたかも…」

「あはは…じゃあ、二人は満足出来た?」

『(はい・うん)』

 

なんて感じで夕飯が終了。食事について感想を話している二人に対し、綾袮さんが問いを口に。ラフィーネさんは満腹感の観点においてはまだベストじゃないみたいだったけど……味に関しては、二人共満足出来たみたいだった。

それから会計を経てお店を出て、俺達は双統殿前へと帰還。数時間で案内出来る場所には限りがあって、案内の内容も決して上手ではなかったと思うけど…夕飯も含め、姉妹からの反応は好感触だった。だから今日の案内は、十分成功だったと思う。

 

「…案内ってさ、割と人の仲を深めるのにも役立つんだね」

「まあ、事務的な案内だけじゃ会話が続かないからね」

「…二人は、もう暫くいるの?」

「いるよ?っていうか、もし逆にどっかの国に行く機会があったら、顕人君立候補する?するなら推してあげるよ?」

「それは…ちょ、ちょっと考えさせてほしいかなぁ、はは……」

 

……そんな事を考えながら、今日の事を思い出してまったりと帰る俺と綾袮さんだった。



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第七十二話 夏休みの直前に

「…もう夏休みも目前、か…」

 

筆箱や教科書等を鞄に突っ込みながら、ふと呟く。長くなった日中に、青々と茂る草木に、もう半袖でも暑い気候と、誰だって『夏』だと思う季節になった。…俺が言ったのは夏だなぁ、じゃなくて夏休みだなぁ…だが。

 

「…………」

 

反応を期待して呟いた訳じゃないが、俺の言葉に返してくれる奴は誰もいない。だが御道は生徒会の方に行ってるし、妃乃は綾袮と話しているし、そもそも半径1m以内にでもいないと分からねぇだろう…って位の声量しか出してないんだから、反応がなくてもそりゃ当然の事。

 

(…うん、帰ろう)

 

鞄を持ち、教室を出る俺。春先は偶に放課後寝てたりもしたが、暑い中じゃ寝る気にもなれない。

 

「さって、今日は買い出しに……」

 

学校を出て十数秒。冷蔵庫や戸棚には何がどれだけ残ってたかなぁ…と思い出し始めたところで、ポケット内の携帯が通知の音を伝えてくる。

さて何だろうかと携帯を見ると、届いていたのは妃乃からのメッセージ。急ぐ訳でないなら少し待ってほしい…か…。

 

「…これ分かった上で帰ったらどうなるんだろうな」

 

別にやってやろうとは思ってないが、何となく帰った場合の展開を考えてみる。…まぁ、実際には考えるまでもなく「よくも無視したわね…」とか言われるだろうけど。

 

「待って、か…なんか用事あるんだろうなぁ…」

 

もしもこれが「一緒に帰りたいから」とかなら「可愛い奴め…」と言いたくなるが、送り主が緋奈ではなく妃乃なんだからそんな展開ある訳ない。となれば十中八九用事がある訳で、じゃあそれは何だろうか…と考えていたところ、メッセージの送り主さんがやってきた。

 

「悪いわね、足を止めさせて」

「大した事ねぇから気にすんな。…で、何のご用事で?」

「ちょっと話しておきたい事があるのよ。別に家でしてもいいけど、家より帰りながらの方が緋奈ちゃんに聞かれる危険性が低いでしょ?」

「あぁ…そういう話か」

 

緋奈の耳に入れたくない話というなら、それは考えるまでもない事。それを理解した俺は歩き出す。それから暫くは多少距離を開けて歩き、ある程度学校から離れたところで距離を詰めて話を再開。

 

「なんか厄介事か?…まさかまた魔人じゃないだろうな…?」

「まさか。…夏休みの後半に、若手を集めての合宿…っぽいのをするから、その関係で家を空けなきゃいけなくなるのよ」

「…っぽいの?」

 

話というのが気の重くなる内容じゃなくて一安心(前の魔人の件もあるから、一応表情や声音には気を付けなきゃだが)するも、妃乃の回答は中々気になる点が多いもの。その中でも一番気になった点を口にすると…妃乃はまぁそうよねとでも言いたげに肩を竦める。

 

「えぇ。強制じゃないからそこまで多くは人集まらないし、強い信念の下やってるってより前からの恒例だから一応続けてるって感じのやつだもの」

「ふぅん…なら、俺は行かなくていいんだよな?」

「行かなくてもいいし、行く気ないだろうからそういう方向性で話してるんだけど?」

「あ…言われてみりゃそうか…」

 

もし俺も行かなきゃならないのなら、或いは来る事を勧めるのなら、まずは合宿っぽいやつの説明から始める筈。で、それをしないってのはつまり、呼ぶつもりがないって事。…御道や茅章は行くのかねぇ…。

 

「だから、後半は一時期不在になるって覚えておいて頂戴。近くなったらまた言うから、今は正確な日付は覚えてなくても大丈夫だけど」

「あいよ。…そうなると、その間はまた緋奈と二人か…」

「私がいないからって、緋奈ちゃんに変な事するんじゃないわよ?」

「いや、あのなぁ…言っとくが緋奈は妃乃じゃなくて俺の妹だからな?後妃乃が来るまでは元々二人で生活してたんだっての」

 

緋奈と友好な関係を築くのは一向に構わないが、姉ぶろうとするなら実兄の俺を軽んじてもらっちゃ困る。…なんて思いで一度返した後、それより…と俺は言葉を続ける。

 

「いない間は、何かあっても俺一人で緋奈を守らなきゃいけない訳か…時間に余裕のある夏休みなのが幸いだな…」

「…一応、緋奈ちゃんをこっちに呼ぶ事も考えたわよ?前にも言ったけど、緋奈ちゃんも多分こちら側だから呼んじゃいけない理由はないし」

「けど、それは俺に反対されるだろうから止めた…って訳か」

 

俺の言葉に、妃乃は首肯。前に散々言ったから覚えているのは不思議じゃないが、やっぱりこうして常に考慮してくれているのは凄く助かる。

 

「幾つかプランはあるけど、取り敢えずは期間中緋奈ちゃんの安全確保に人を回してもらう方向でいこうと考えてるわ」

「…それは、もう依頼出したりしてるのか?」

「ううん。貴方に話してからするのが道理ってものでしょ?」

「ならよかった。…妃乃、その必要はねぇよ。その期間中、緋奈は俺がきちんと守る」

「え……?」

 

欠員が出たら、別の人に補充に入ってもらう。それは至極当然の事で、良いとか悪いとか以前の事。…だが、俺はそれを否定する。

 

「元々は俺一人で守るつもりだったんだ。妃乃がいなくなるからって、欠員補充を要求しようとは思わねぇよ」

「いや、それは…最悪緋奈ちゃんの命に関わるんだから、遠慮なんかするんじゃないわよ。別に忙しい人へ更に追加の仕事を与える訳じゃないんだから、借りられる手は素直に……」

「…それじゃ、筋が通らないだろ。今は俺の我が儘を聞いてもらう事で成り立ってる環境なんだ。だったら大変な事や想定外な事があっても、安易に協会を頼っちゃいけない。…そういう事は、妃乃だって分かってるんじゃないのか?」

 

俺は足を止め、こちらを向いた妃乃を真っ直ぐに見据えて言う。遠慮なんかじゃない。自分で選んだ道の責任は、自分で取らなきゃいけないという、人として当たり前の事。

俺は周りの善意に助けられなくても生きていけるような人間じゃないが、善意を受けるのが当たり前だと思うような人間にはなりたくないし、ましてや「緋奈を守る」なんて言いながらやってる事は善意におんぶに抱っこだなんて…そんなの、自分が可愛いだけでしかねぇよ。

 

「…ここで別の人に頼っても、筋が通らない事はない…私はそう思うわ」

「かもな。だが俺はそう思わねぇし、一度重要な事で自分を誤魔化したら、今後も俺は面倒な事がある度誤魔化そうとしちまう…そんな気がするんだよ」

「……万が一があったら?」

「本当にどうしようもなくなったら、頼れるものを片っ端から頼るさ。…その前に、打てる手を全て尽くしてからな」

 

自分の道の責任は自分で取るつもりだが、何も絶対に誰にも頼らない訳じゃない。…それは、妃乃に納得してもらう為の方便という面もあったが…同時に俺の本心でもあった。さっき出したろ?俺は周りの善意無しで生きられるような人間じゃないって。

妃乃を見据えて、言い切ってから十数秒。言葉を受けた妃乃は瞳に思案の色を浮かべ…それから軽く頭をかいて、再び歩き出した。

 

「…分かったわ。いない間の事は悠弥に任せる。貴方が責任を大切にするなら、きちんとその責任を果たしなさい」

「任せろ。ちょっとの期間位、妃乃が離れていても問題ないって証明してやるよ」

「それなんか悪い事が起きるフラグになりそうなんだけど…」

 

後を追うように俺も動き出し、妃乃の隣を歩く。100%、完全に…って訳じゃないんだろうが、妃乃の言葉からは納得の意思が感じられた。…一応でも納得してくれたのなら、それで十分だろう。

 

「…でも、そんなに責任を意識して背負わなくてもいいと思うけどね。事情や立場はどうあれ、私も貴方もまだ高校生なんだから」

「…そうだな。特殊でも何でも高校生は高校生だもんな。俺も、妃乃も」

「……今、私を強調した?」

「疑問形かよ…まぁ、気付かないよりはまだマシだが…」

「え、いや、何?何の話?」

「こっちの話だ。それより家帰る前に買い出し行くから、暇なら付き合え」

 

そう言って角を曲がり、進路を家への道から最寄りのスーパーへと移す。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。宗元さんは妃乃をそう評価していて、実際その時俺も少なからずそれに同感だったが…まだまだ妃乃の過ぎたるが直るのは先らしい。…まぁ、こういうのは口頭で伝えたって中々実感出来ねぇし、俺も下手に意識するよりは意識せず接した方がいいんだろうな。

 

 

 

 

スーパーへ寄ってから数十分。買う予定の物と買う予定はなかったものの、今後の手間を減らす為に買い物かごへ入れた物を買って店を出た俺達は、特に寄り道せず帰路へと戻った。…まぁ、スーパーに寄った事自体が寄り道ではあるが。

 

「よかったわね。買い物行くつもりの時に私が来て」

「はいはいありがとうごぜぇます」

 

今回の買い物は袋二つ分で、その内片方を妃乃が持っている。袋二つ位鞄があったって俺一人で持てるが…片方持ってくれるってなら断る理由もない。流石に俺も一応男だから、渡したのは軽い方なんだけどな。

 

「しかし暑いな…今日は決めてるから別として、近い内に素麺でも食べるか…」

「へぇ、貴方も季節に合わせた料理するのね」

「当たり前だろ、どこに暑い時鍋にしたりグラタン食ったりする奴がいるってんだ」

「…いると思うわよ?世の中には」

「いやそりゃそうだが…」

 

風情とか季節感とかじゃなく、寒い時は温まる物が食べたいし、暑い時は冷たい物やさらさらと食べられる物が欲しくなるもの。否定するつもりはないが、暑い時にこそ熱いものを…なんて奴の考えはよく分からないね。

 

「…そういえば、千嵜家には一般家庭用のかき氷機があったりする?」

「ん?…探しゃどっかにしまってあると思うが…使いたいのか?」

「使いたいっていうか、興味があるのよ。一人暮らしするまではそんなの使う機会一度もなかったし、一人暮らしになってからも買うのは躊躇われたし…」

「あぁ、大概子供向けのデザインしてるもんな」

「綾袮なんかは買ってそうだけど…って、あら…?」

 

俺が店でかき氷機を遠巻きに見ながら買うか否か迷う妃乃の姿を想像して笑いそうになっていたところ、想像ではなく現実の妃乃が何かを見つけたらしき声を上げる。

 

「どうした、かき氷機の特売でもあったか?」

「な訳ないでしょ…ちょっと見知った顔を見つけてね」

「見知った…協会絡みか?」

「正解。あそこの自販機で飲み物買ってる二人よ」

 

妃乃の示す方向に目をやると、そこにいたのは外国人らしき二人組。……うん?外国人…?

 

「…ぱっと見日本人じゃないんだが…協会って、結構幅広い人材を確保してるのか…?」

「あぁ違う違う。協会絡みの人ではあるけど、別にうちの協会所属って訳じゃないわ」

「そりゃどういう…って、あー…あれが例の…」

 

一瞬返答の意味が分からなかった俺だが、訊き返しの最中に気付く。どうもあの二人が、最近来た外国からの来客らしい。

 

「…なんであんな所に?」

「さぁ?散歩してて喉乾いたとかじゃないの?」

「…二人だけで?」

「護衛は付かないわよ。別に要人って訳じゃないし、双統殿周辺の案内は綾袮と顕人がしたらしいし」

「ふぅん……」

 

来客の二人ってああいう感じなのか…というのがぱっと見の感想。自販機で飲み物買って飲む、なんて動作に国ごとの個性なんざある訳ない(多分)から、抱く感想はほぼ外見のみからのものだが…なんつーか、落ち着いてそうだなぁ…。

 

「…話してみたい?」

「いや別に」

「…そういうところよ、貴方の交友関係が狭い原因は」

「うっせぇ。最近一人増えたわ」

「あ、そうなの?」

「俺だってその気になりゃちょろいもんなんだよ。後予言者含めたら二人だな。こっちは精々知り合い程度だが」

 

交友関係が広いに越した事はないが、交友関係広げる為に誰かへ話しかけるのはどうなのか。交友関係が広くなるのは結果的なものであって、それ目当てに人と接するのは相手に失礼っものだろう。…と、綾袮とやり取りしながら俺はそんな事を考えていた。これが俺の本心だと見るか、積極的に人と関わろうとしない事への言い訳と見るかは貴方次第。まぁ、どっちで取られようが俺は構わない……

 

(……あ、今目が合っ……た…?)

 

こちらの視線を感じたのか偶々なのかは分からないが…俺達の方へと首を回した二人の内の一人。その一人と、ぼけーっと見ていた俺の視線とが、この時一瞬合った。……気がする。んで、結論から言うと……合ってた。

 

「────」

「────」

「──……あぁ、やはり時宮家の方でしたか」

 

背の高い方が俺と目の合ってた方へ話しかけ、何かしらの会話をした後二人はこちらへ。俺とは初対面という事もあり、背の高い方は妃乃の方へと声をかける。

 

「奇遇ね、二人共。私達の視線に気付いたの?」

「いえ、ラフィーネが横向いていたので何かあったのかと訊きましたら、誰かと目が合ったと言われまして。で、ラフィーネの見ていた方を向いてみたら…」

「私達がいたって訳なのね」

 

妃乃と彼女とのやり取りにより、案の定目が合っていた事、合っていた人はラフィーネというらしい事が判明する。…国外の霊装者でも一部は日本語使ってるって生まれ変わる前に聞いたが、それにしても流暢だなぁ…。

 

「…して、こちらの方は?」

「千嵜悠弥。前に会った時ちょっと触れた彼よ」

「あぁ、あの…私はフォリン・ロサイアーズと申します。こちらは姉の…」

「ラフィーネ・ロサイアーズ」

「あ、どうも。…って事は、姉妹なのか…」

 

背丈や積極性からしてフォリンの方が姉と思いきや、実際にはラフィーネの方が姉。…まぁ、うちだって社交性は俺より緋奈の方が高いだろうからおかしい話でもないが。てか、どうりで似てる訳だ…。

 

「貴女達は散歩?」

「はい、そんなところです。お二人は…あ、お買い物ですか」

「暇なら荷物持ちしろと言われてな…人使いの荒い時宮様だ…」

「ちょっと、暇なら付き合えって言ったのは貴方でしょうが」

「痛っ…す、脛は蹴るなよ……」

 

日本にやってきた二人に小粋なジャパニーズジョークを披露しただけなのに、妃乃は脛を蹴ってきた。酷い奴だ。

……というジャパニーズジョークはさておき、妃乃とフォリンが会話を続行。勿論二人だけ場所を移した訳じゃないが…それぞれ相方が無愛想と無口(と思われる)なんだから、会話の中心が二人になるのは自然な流れ。俺は女子同士の話に耳を傾けるつもりはなく、かと言って会話に積極的参加をするつもりもなかったから何となく聞き流していると……また、ラフィーネと目が合った。

 

(二度目…ってか、さっきからずっとこっち見てないか…?)

 

それぞれ適当に視線を動かしていた結果合ったなら偶然だが、片方がずっと見ているのならそれは半分必然のようなもの。…っていやいや、俺をずっと見てるとかねぇだろ普通…とも思ったが、今もこっち見てるから多分間違いない。

 

「…………」

「…………」

「……な、なんか俺に付いてるか…?」

『……?』

 

気付いてから数十秒。流石に気になってしょうがない俺が声を発すると、話していた二人の視線が俺へと向けられた。…まあそりゃ、二人からすれば俺がいきなり謎の発言をした訳だから変に思うのも当然なんだが。

 

「…………」

「…あの、ラフィーネさん…?」

「……わたし?」

「そう、わたし」

「……そう」

 

俺が問いてから、自分が問いかけられた事に気付くまで数回のやり取りを要したラフィーネ。…天然だったか……。

 

「……妃乃。前に話した時、貴女は彼がまだ新人だと言っていたと記憶している。それに間違いはない?」

「え?…えぇ、間違いないわ」

「なら……貴方は、中々出来る人」

「……!」

 

表情も声音も変えないまま、事も無げにそう言ったラフィーネ。その言葉に俺は……純粋に驚いた。

余程霊力探知に長けているのか、優秀な洞察力を持っているのか、或いはその両方なのか。何にせよ、ラフィーネはこの瞬間までに俺の実力をかなりの域まで理解したようだった。…少なくとも、ラフィーネの瞳からはそういうものを感じる。

 

「…よく分かったな。その様子だと、妃乃の実力の全容も分かったりするのか?」

「それは無理。簡単に分かる程底の浅い実力じゃない」

「ま、それもそうか。…ふーむ、中々出来るのは日々の鍛錬のおかげかな?」

「…そこまでは分からない」

 

眉一つそういう事言われると、ラフィーネも物凄い実力者なんじゃないかと思っちまうよなぁ…なんて考えながら、内心安堵する俺。

どこまで読まれたか分からなかった俺は、ラフィーネへとカマをかけた。だが、その返答から…そこまでは分からない、という言葉から俺の過去までは見通せていない事が判明した。全部読まれてたら…とヒヤヒヤしたところだが、これならまぁ大丈夫そうだな…。……嘘は言ってないぞ?筋トレだって日々の鍛錬なんだからよ。

 

「新人にしては中々出来るのよね、悠弥は。まあそれを鼻にかけてちゃんと学ぼうとしないのが問題だけど」

「勝手な事言うなよ…そりゃ全くの事実無根って訳じゃないが…」

「なら、別に勝手な事じゃないでしょ?」

「……さっきの事、根に持ってやがったな…」

 

ここぞとばかりにさっきの仕返しをしてくる妃乃は、やっぱり酷い奴だった。…追求されないよう話を逸らしてくれた可能性もあるから、それを口にはしないけど。

 

「さて、散歩中ならあまり長く引き止めるのも悪いわよね。私達はそろそろお邪魔させてもらうわ」

「お邪魔…?…えぇ、と…双統殿に来られる、という事ですか…?」

「え?…あぁ、お邪魔するは立ち去るとか帰るとかそういう意味でも使うのよ。お邪魔します、じゃなくてお邪魔しました、の方…って言えば分かる?」

「そういう事でしたか。勉強になります」

「うんうん、なるなぁ…」

「いや貴方は知ってるでしょ、何のボケよそれ…」

 

会話の最後は日本語のお勉強になり、俺達と姉妹は別れる。…てか、よく考えたら謎だよな。入る時も邪魔するなのに、出る時去る時も同じ邪魔するで意味が通ってしまうのは。本当に日本語は奥が深い…。

 

「…凄いもんだよな。外国行って、短期とはいえそこで普通に暮らすってのは」

「そうね。…でも貴方もある意味大したものじゃない?国じゃなくて何十年もの『時間』を、一方通行で渡っても尚普通に生活してるんだもの」

「案外慣れるもんさ。俺の場合、前世の事を忘れたまま過ごしてた期間も長い訳だし」

 

別れたとはいえ、暫くの話は姉妹絡み。多分妃乃は「そんな簡単な事じゃない気がするんだけど…」とか思ってるんだろうが、人間自分が過去に経験したものより経験した事のないものの方が大変だと思うもの。実際のところはともかくとして、な。

 

「…意外だったりした?当然模擬戦での全勝はあの二人なんだけど」

「意外じゃねぇよ。そんな感じはしたからな」

「へぇ、よく感じられたわね」

「探知で、じゃないがな。俺は実力を測れる程の力はないが…強い奴の雰囲気は、沢山見てきて知ってるつもりだ」

「そうだったわね。確かに二人の雰囲気には、私も奥の深さを感じたわ」

 

本当に強い奴は、それを気取られないよう隠す術も知っている。だが表面は隠せても本質は変えられないもので、何度も見ればそれを『何となく』感じる事が出来る。そして二人にもまた、そんな感じが雰囲気の中にあった。

妃乃に綾袮、あの姉妹と、俺と同年代ながら卓越した力を持つ霊装者は何人もいる。このレベルをこの年齢で、なんて普通はない筈なんだが……

 

(…世間は狭い割に、世界は広いもんだな)

 

再び霊装者となってから、俺の中の常識がちょいちょい変わっていく……ふと自然に、そんな事を思った俺だった。



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第七十三話 予定一つ立てるにも

豪華な設備…がある訳ではなく、一般生徒には入るのも躊躇われている…という事もなく、まぁ個性的と言っても常識の範囲内に留まっている生徒会執行部役員が使う、生徒会室。その中で会長が、パクリ名言でも何でもない普通の報告を口にする。

 

「…って訳で、基本夏休み中はここで作業してもらう事はあっても全体で集まるって事は基本無し。けど何かあった場合は呼ぶかもしれないから、そん時は宜しく!」

『はーい』

 

席から立つ事もなく言う会長に、役員はパソコンで作業したりカレンダーで日程確認したりしながら生返事。それに会長は「ゆっるいなぁ、相変わらず…」みたいな顔をしているけど、別に何か言ったりはしない。…割と普通なんだよな、現実の生徒会って。

 

「じゃ、後は各々流れ解散で。夏休み明けすぐに生徒会としての活動もあるから、それの確認だけは頼むぞー」

「会長はこの後残ります?」

「いいや帰る!俺はもうこなすべき仕事はこなしたからな!」

「そ、そうっすか…」

 

言うが早いか会長は鞄を手に。…この人、仕事はきっちりやるし、カリスマって程じゃないものの人望もある人物だけど…なんだろうね、この微妙に感じる会長らしくない感は。

 

「あ、じゃああたしも帰ろっと。最後に出る人、窓の閉め忘れに気を付けてね」

「オレはこれだけは済ませとくか…家だとやってもどっかいっちゃうそうだし…」

 

会長と同じく仕事が済んでいたり、済んでなくても家で片付けられるものだからと終えたり、キリのいいところまで進めたり…それぞれで判断しながら、一人、また一人と生徒会室から去っていく。春や秋なら残って駄弁る事もあるけど…今はそんな事しようと思う季節じゃない。余程話したい事があるならともかく、そうじゃないなら雑談よりクーラーで冷えた家に帰る事の方を優先するよね。

そうして人が減っていった結果、残ったのは俺を含めた二人だけに。

 

「…大変そうですね。手伝いましょーか?」

「いやいいよ。自分が休んで溜まった仕事は、出来る限り自分で片付けたいし」

 

横の方から聞こえた声は、後半にいくに連れ横から前に。顔を上げてみると、案の定声の主は人のいない俺の向かいの席へと移動していた。

移動によって仄かに揺れているあまり長くはないポニーテールは、青みを帯びた紫。こちらを見ている瞳は、素直そうな印象を受ける薄緑。涼しげ…ではないものの、表情からは然程暑さを気にしていない様子が見て取れる。

 

「真面目ですねぇ、先輩は」

「真面目ってか、自分の都合で溜まった仕事を誰かにやってもらうのは、その相手に申し訳ないだけだよ。慧瑠はそうじゃないの?」

「いや別に。サボりとかならともかく、事情があって休んだなら仕方ないって自分は思いますし」

「あ、そう…うーん、これは真面目とは違うと思うんだけどなぁ…」

 

溜まってしまったのは、霊装者絡みで休んだ時の分の仕事。だから依瑠の言う通り、仕方ない事ではあるんだけど…代わりに仕事をやらなきゃいけなくなった人からすれば、そんなの知ったこっちゃない話。そう考えると申し訳ない…と思ってしまう俺は、異端なんだろうか…。そんな事を彼女…慧瑠こと天凛慧瑠に言われて思う俺。

 

「適当に流さず考えてる時点で、先輩は真面目なんだと思いますよ」

「…真面目って、そんな安いもんだっけ?」

「真面目と優しいは安いもんでしょう、それをピンからキリまで取り揃えてるのが人類ですし」

「ふ、深いね…」

 

真面目と優しいは突き止めれば幾らでも上があるし、逆に明確な基準がなくて曖昧なものだから、不真面目で非情な人間が言ったって一応は成り立ってしまう。…なんて事を即応的に答えられてる慧瑠もまた、結構真面目なんじゃないだろうか…。

 

「自分はなんとなーく思った事を言っただけですよ。それより先輩、先輩は夏休み旅行行ったりするんです?」

「旅行?…うーん、旅行っていうか出かける用事はあるけど…何故に?」

「ほら、『夏休み=遠出する』みたいなイメージってあるじゃないですか。でも自分はあんまりそういう事しないんで、ちょっと訊いてみたくて」

「へぇ……てか、仕事に集中させてよ…」

「おっと、これは失礼しました。ではどうぞどうぞ」

 

とても一日じゃ終わらない量…なんて事はないけど、今やってるのは別に面白い仕事でもないからさっさと終わらせたい。そういう思いで集中させてくれるように頼むと、すんなり慧瑠は頷いてくれた。……んだけど…

 

「……あの、依瑠さん…すっごい視線が気になるんですが…」

「あ、それ自分の視線ですね」

「うん、だろうね。この場じゃ慧瑠以外あり得ないもんね。…そうじゃなくて、止めてほしいんだけど…」

「止めろって…それじゃ暇になるじゃないですか。見慣れた部屋の中眺めても面白くないですし」

「…帰るという選択肢は…?」

「万が一先輩は誰かに手伝ってほしくなった際、誰もいないのは可哀相かと…」

「あのねぇ……」

 

会話がなくなった代わりに、そこそこ近い距離からの視線が超気になってしまった。普段は意識すらしない視線でも、一度気になってしまうと中々に厄介なもの。はっきり言えば…雑談より集中力削がれる……。

 

「…はぁ、じゃあいいよ黙ってなくても…会話とセットなら視線はあまり気にならないし…」

「それならお言葉に甘えて…と言いたいところですけど、別に話題がある訳でもないんですよね……定番の恋バナでもします?」

「それ修学旅行とかお泊まり会の定番だし、基本異性とするものじゃないでしょうに…」

「あー、そうですよねー。先輩って好かれるタイプではあってもモテるタイプじゃないですし」

「会話が噛み合ってねぇ…」

 

地味に酷い事をさらっという我が後輩。俺の言葉を聞いていなかったのか、わざと聞いていないような回答をしたのか…いや、これ絶対後者だな…。

 

「…っていうか、なんなの好かれるけどモテないって…いや分かるけどさ。要は友達としては…って事でしょ?」

「えぇ。先輩って、砂糖みたいなものなんですよ」

「砂糖?」

「女性って大体甘いもの好きじゃないですか。でも、だからって砂糖をそのまま食べる人は殆どいないですよね?…つまり、そういう事です」

「…悪かったな、そのまんまな男で…」

「いやいや、悪いとは言いませんよ?砂糖をそのまま食べる人だって世の中にはいますし、砂糖は色々混ぜて手を加えれば多くの人に好かれるものになるんですから」

「あそう…それになんて返せばいいか俺は分からないよ…」

 

綾袮さんのようにぶっ飛んでる訳じゃなく、ラフィーネさんのようにどう接したらいいか迷う訳でもないけど、どうも慧瑠は掴み所がないというか、何とも言えない気分になる事が時々ある。…てか、よく考えたら俺今、「今のまま好いてくれるのは特殊な人だけ」って言われてない…?表情からするに、そんな意図は一切ないんだと思うけど…。

 

「別に無理に返してくれなくてもいいですよ?何も真面目な話してるんじゃないですし」

「じゃ、適当に聞き流してもいい?」

「それが仕事を進める上での最適な選択なら、どーぞ」

「あ……しまった全然手を動かしてなかったぁぁ…」

「…集中出来ないのは、先輩側にも何か問題あるんじゃないですかね……」

 

…なんて話しながら仕事をしていた結果、飽きなかった事と引き換えにまあまあな時間がかかってしまった。…何やってんだか、俺……。

 

「ふぃー…やっと終わった…」

「お疲れ様です。これで心置きなく喋れますね」

「そうだね…ってそれ目的にしてないから!俺帰るからね!?」

「えー…まあいいですけど」

 

そんなに俺と話したかったのか、と一瞬思ったものの、反応からして残念そうには思えない。多分そういうネタだったんだろう。

そう思って荷物を鞄にしまい、立ち上がる俺。そこから俺は扉の方へ向かうが…慧瑠は何故か座ったまま。

 

「……?帰らないの?」

「あ、自分まだ荷物の片付けしてないんで」

「話してる暇あるなら先に片付けなよ…っていうか、話しながらも出来たでしょう…」

「あはは、そうですよね。返す言葉もないです」

「…俺、先に帰るからね。お疲れ様」

「はい。さっきも言いましたけど、お疲れ様です、先輩」

 

苦笑いで肩を竦める慧瑠は、あまり気にしている様子がない。まぁ片付けなんて時間のかかるものじゃないし、誰かに迷惑かけてる訳でもないんだからそこまで気にする必要もないんだけど…ほんとに、慧瑠は掴み所がない。

もう千嵜も綾袮さんも帰っているだろうから、今日の下校は俺一人。でもだからって何か思う事もなく、慧瑠との会話を適当に思い出しながら帰路に着く俺だった。……さぁて、今年の夏休みはどれだけ休みを満喫出来るかな。

 

 

 

 

「顕人君!わたしは夏休みの予定を立てたいと思います!」

「……はい?」

 

夕飯の準備中、後ろから謎の宣言が聞こえてきた。唐突過ぎてびっくりなんだけど…俺に対して言われてるんだよね?名前呼ばれたし…。

 

「思います!思っています!」

「……ど、どうぞ」

「どうぞ、じゃないよ!わたしが一人で考えるとでも思ってるの!?」

「なんで俺はそんな強い口調で言われてるの…確かに一人で考えるつもりならわざわざ俺に宣言する必要もないだろうけどさ…」

 

綾袮さんの調子にはそこそこ慣れた俺だけど、発想にはまだ慣れていない…というか、妃乃さんすら翻弄されるんだから、多分完全に慣れる事なんて出来っこない。

 

「…で、なんでまた急に?…いや明日から夏休みだし理由は分かるけど…綾袮さんって、予定をしっかり立てるタイプだっけ?」

「ううん、わたしはその時その時を大切にするタイプだよ」

「いいように言い換えてるなぁ…だったら何故に?」

「いやー、去年は予定を立てずに夏休みを過ごしてたら、いつの間にか夏休みが終わりかけてたからね。折角の休みがそれじゃ勿体ないじゃん?」

「あぁ、そういう…(理由が完全に小学生だ…)」

 

一度中断していた夕飯の準備を再開しつつ、会話も続行する俺。完全に背を向けて話す形になるけど…仕方ないね。

 

「顕人君はそういう経験ないの?」

「俺?…そりゃまぁあるけど…休みに関わらず、人生って何でもそんなものじゃない?何かが始まった時は長いなぁと思うけど、終わってみればあっという間に感じてしまうって風にさ」

「そんな達観した意見言わないでよ…それはもうちょっと歳を重ねてから言うべき言葉だよ…」

「正直、夏休みはだらだらと過ごしたいです」

「もうちょっと活気ある事言おうよ!?え、何!?さっきから顕人君は中年のおじさんにでも乗り移られてるの!?」

 

確かに我ながら若々しさのない発言したなぁとは思っていたけど、まさか『中年のおじさんに乗り移られてる』なんて言われるとは…。…ちょっとショック。

 

「…乗り移られてる云々は別として、一片も後悔しないなんて無理だと思うよ?欲求なんて再現なく生まれるもんだし」

「でも、何となく過ごすよりは後悔減らせると思わない?」

「…まあ、そらそうだね。それで綾袮さんは、俺にどう協力してもらいたい訳?」

「んー…全部予定立ててくれたら、綾袮嬉しいな〜♪」

「じゃあ、まずは家事分担の予定から…」

「悩んだり困ったりした時助言を貰えると嬉しいかなっ!」

 

綾袮さんの調子良い言葉へ冷静に返すと、彼女はさっさとおふざけを引っ込めてくれた。…ウインクとかして一撃KO狙ってたのかもしれないけど、現在俺が見えてるのは切ってる最中の野菜なんだよなぁ…。

 

「…じゃ、決まってるところから話してみてよ。動かせない予定とかもあるでしょ?」

「はーい。えっとぉ…」

 

…という事で、予定構築開始。俺は手が離せないから当然予定を記録する事は出来ないけど、幾ら綾袮さんだってそれは分かってる筈。それに綾袮さん自身が助言を、って言ったんだからその心配をする必要はない……と、思う。

 

「…で、後は前に話した若手の集まりのやつかな。顕人君もここには予定入れないでよ?」

「はいはい分かってるよ。…結構多いね、動かせない予定」

「仕方ないよ、霊装者は夏季休業入れるような仕事じゃないし」

 

一通り聞いた後の、感想がまずこれ。動かせない予定が多ければ多い程、休み全体での自由が効き辛く予定も……って、

 

「…んん?…ねぇ綾袮さん。今思ったんだけど…夏休みの間にしたい事の中には、お祭りみたいに時期が限定されるものもあるよね?」

「あ、うん。あるね」

「なら、仕事と被ってない日にその限定される事柄嵌め込んでいけば、それだけでそこそこ予定が完成しない?動かせないのも一日二日じゃないんだし」

「…言われてみると、確かに…少し考えてみるから、ちょっと待ってて」

 

そう返した綾袮さんは、それから暫し沈黙。何か書いてる感じの音は聞こえないから、恐らくメモかカレンダーのアプリを使っているんだと思う。…まずは迷う余地のないもの、続いて選択肢が限られてる(ように見える)ものから片付ける…案外、予定作るコツってパズルと似通っているのかも。

 

「……うーん…」

「…何か困るところでもあった?」

「困るっていうか…ブレイク直後の芸人さんみたいな予定になっちゃった。ほら」

「……おおぅ…」

 

数分後、綾袮さんが差し出してきた携帯を見ると、確かに最初から最後までぎっしり予定が入っていた。…何というか、まぁ……。

 

「……欲張り過ぎじゃね?」

「ですよねー…」

 

幾ら予定が空いていたって、やたらめったら詰め込めばいいってものじゃない。予定は無理のないものにしなきゃ立てても意味がない…って、いうか……

 

「…入れたのって、全部やりたい事なの?」

「…正直に言うと…微妙……」

「微妙なのまで入れたらそりゃこうなるよ…」

「だよね…わたしも途中でそう思ったんだけどさ、一旦やれるだけやってみたくて…ほら、ブレインストーミング的な感じで」

 

途中でそう思ったなら軌道修正しなさい、とかブレインストーミングはちょっと違うでしょう…とか色々思ったものの俺はぐっと堪え、クールさの維持に努める。…何せ今は料理中ですからね…。

 

「だったら微妙なのは抜いてみなよ。それで物足りない予定なったら、抜いたのを一つずつ吟味してみたらいいじゃん」

「はーい。しかし顕人君は予定考えるの慣れてるねぇ」

「これ位そんな凄くもないと思うけど…というか、綾袮さんこそそんなに予定立てるの下手で大丈夫なの?」

「あ、それは問題ないよ。真面目に立てようと思えば一人で立てられない事もないし」

「へぇ……は?」

 

綾袮さんの返答をさらっと流しかけて……手を止める俺。え、何?この人今、真面目にやれば出来る的な事言った?言ったよね?つまり今は不真面目に予定立ててるって事?…やる気があれば一人で出来る事を、俺を巻き込みふざけてやってると……?

 

「…舐めてんだったら俺もカチンとくるなぁ…」

「な、何!?急にドスの効いた声出して何!?突然は怖いよ!?」

「おう言ってる事が分かりませんかねぇ綾袮さんよぉ…」

「肉を切った包丁持って振り向くのは止めて!?ちょっ、怖いから!肉片と血が付いた包丁はほんとに怖いんだって!」

 

低めの声で包丁持ったまま振り向くと、ほんとにビビってるのか流石の綾袮さんも数歩後退っていた。

 

「…あのさぁ綾袮さん。料理中は話しかけんなとは言わないけどさ、一人で考えられるなら一人で考えてよ…俺に訊けるからって適当にやられちゃ俺にも不満が残るから…」

「あ、あー……そっか、そういう事…ごめんね顕人君、嫌な気持ちにさせちゃって。…でも、そういう事じゃないの」

「…そうなの?」

 

包丁持って振り返ったからって、別にこれで制裁を与えてやろうなんて思っちゃいない。だから不満を抱いたんだって事を口にしつつ包丁をまな板に置くと綾袮さんは謝ってくれて、それから俺へと目を合わせてくる。

 

「折角の休みを楽しみたいから、その為に予定を立てようとしてる…っていうのは、分かってくれてるよね?」

「それは勿論」

「…だからだよ。楽しむ為の予定なら、立てる時も楽しみたいもん。一人で真面目ーにきっちりした予定を立てるなんて、楽しくないもん」

「…じゃあもしや、これまでの短絡的に感じられた部分は……」

「…うん、大体はわざと。…ほんとごめんね、ちゃんと考えてくれたのに」

 

わざと短絡的に考えるとは?…と思うものの、綾袮さんなら何となく出来るような気もする。そして何より……予定作りまで楽しもうなんて、何とも綾袮さんらしいじゃないか。『何』って字が多いのはさておきとして、綾袮さんはいつも通りの平常運転。ただ、内容が今回はちょっと特殊だったってだけの事。

 

「…全くもう…そのペースだと、これまでずっと振り回されてきた妃乃さんがその内ギブアップして離れちゃうかもよ?」

「あっはっは、まっさかー。…………」

「……綾袮さん?」

「……ぐすっ…そんな事ないもん…ヒメは一緒にいてくれるもん…」

「そんなに!?うわぁごめん!根も葉もない事言ってごめんね!」

 

撃墜でもされたのか、というレベルで下落を起こした綾袮さんのテンションに目を剥く俺。…愛されてますね、妃乃さん……。

 

「うぅ…うん?顕人君はギブアップしないの…?」

「俺?俺は単に名前出さなかっただけだけど…うーん……」

「…………」

「…これからもお手柔らかに、ね?」

「あ、はい。気を付けます……多分」

「多分かい…」

 

結局いつも通りの結論に辿り着く俺と綾袮さん。多分という点が非常に引っかかるけど…まぁ、それが綾袮さんだもんね。

とまぁ本題からはブレブレなものの、予定作りと夕食作りは進む。…っとそうだ、少しとはいえ手を止めちゃってたし、さっさと切り終えないとなぁ……。

 

「ふっふ〜ん。楽しい事考えると楽しくなるよね〜。お祭り花火にバーベキュー。あ、海とかも勿論行きたいかな!顕人君顕人君、顕人君って海とプールどっち派?」

「え?…海、プール…水着……」

「……?そりゃそうだね。着衣水泳は流石に勘弁したいし」

「……おっと」

「おっと?なんかあったの?」

「あはは。指切っちゃった」

「えぇぇ!?何爽やかに指ぱっくりさせてんの!?あ、あんまり深く切ってはいないみたいだけど…気を付けなきゃ駄目だよ!?」

 

俺は指を軽く切ってしまい、綾袮さんはそんな俺の様子に突っ込んでくる。…そんな他愛ない事をしていた、夏休み目前のある日でした。……なんでこのタイミングで指を切ったかは…分かるよね、きっと。



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第七十四話 仕事終わりの姉妹

霊装者は夏季休業があるような仕事じゃない。予定を立てる際綾袮さんはそう言っていて、俺もそうだろうなぁと思っていた。だってそりゃそうだろう。本業である魔物の討伐は、魔物がバカンスで人里離れた場所にでも行ってくれない限り休めないんだから。だが、だがよぉ……

 

(初っ端から出動かかるかね…!)

 

逃げる魔物を綾袮さんと追撃しながら、心の中で呟く。山へと逃げ込むアルマジロみたいな魔物(足小さいのに結構早い)は見た目通りに背中が硬く、散発的に弾丸が当たる程度じゃビクともしない。

 

「山ならスピードは落ちる筈…顕人君はこのまま追撃かけて注意を引いて!」

「はいよッ!」

 

霊力の翼をはためかせ、加速しながら上昇していく綾袮さん。逆に俺は若干高度を落とし、追いかけながらセミオートで射撃を続けると山を駆け上がり始めた魔物は綾袮さんの予想通りスピードが些か落ちて……その直上で、天之尾羽張の斬っ先を下へ向けた綾袮さんが急降下をかける。

 

「てやぁぁぁぁああッ!」

 

高い能力と重力による加速のかかった降下は圧倒的な速度を誇り、その存在に気付かず逃げる魔物の背中を狙い違わず刺し貫く。俺の射撃はその硬さで弾いていた魔物の背中も、勢いの乗った綾袮さんの一撃の前では薄い壁に過ぎなかった。

 

「これで…討伐完了!…っと」

 

魔物の背中に飛び乗った綾袮さんは、ある程度天之尾羽張を抜いたところで横へ振り上げ魔物の身体を掻っ捌く。既に刺し貫かれた時点で重傷を負っていた魔物は、内側から身体を引き裂かれた事で完全に絶命。少し遅れて俺がその場に降りた時には、もう消滅が始まっていた。

 

「これで終了だね。顕人君お疲れ様」

「綾袮さんこそお疲れ様。ふぅ、二体ともすばしっこくて今日は骨が折れたね…」

「うんうん。しかも両方碌に戦いもせず逃げるとは…今回は戦った時間より追っかけてた時間の方が長いかも…」

 

普通の魔物なら手を抜いてでも勝てる綾袮さんでも、逃げに徹せられるとそう簡単にはいかなくなる。勿論簡単にはいかないと言っても、それはあくまで『時間がかかる』ってだけなんだけど…夏場にそれは、ちょいと辛いよね。

 

「…あ、今思ったけど顕人君は『攻撃そっちのけで逃げる』タイプと、『逃げるって発想がない位徹底抗戦してくる』タイプのどっちが苦手だったりする?」

「え?…うーん、綾袮さんとなら前者の方が厄介だけど…一人でなら後者の方が苦手かな。やっぱ攻撃当たるのは怖いし」

「ま、そうだよね。生物としてはどっちが正しいのかなぁ…」

「さぁ…それはなんとも言えないけど…」

 

生きる為に逃げるか、それとも戦うか。それは状態だとか戦力差だとか色々なものが関係するから、一概にはどっちかなんて言えないもの。…と、そう思った俺は、そこでもう一つの事が心に浮かぶ。

 

「……正しい、か…」

「……?」

「今回は早々に撤退を選んだだけ、って感じだったけど…そもそも最初から戦う気がなかった場合でも、やっぱり徹底的に追いかけて討伐するものなの…?」

 

ふと思った…いや、前から頭のどこかにはあって、でも無意識に「そういうものだ」と処理していた、魔物を全て殲滅すべきなのかという疑問。別に魔物を討つ事に強い嫌悪があるとか、魔物にも家族や友がいる筈だ…みたいな発想がある訳でもないけど、ずっと気にはなっても口にはする事なく消えていった考え。…それを聞いた綾袮さんは、「あぁ…」とゆっくり天之尾羽張を鞘へしまいながら声を漏らす。

 

「…多くはないけど、いるんだよね。使命だから、敵だから…って、何でもかんでも倒す事だけが正解なのか疑問に思う人は」

「…綾袮さんは、どうなの?」

「わたし?わたしは典型的な『使命だから』って考えて疑問にも思わないタイプかな。わたしや妃乃、それに霊装者としての歴史が長い家系にとっては、それが『普通』だったからね」

「普通……でも、その口振りだと疑問に思う事をおかしいとは思ってないんだね」

 

疑問ってのは自分の思う『普通』から外れている、或いは外れてしまったものに対して抱くもので、魔物討伐が普通の根底部分にあるであろう綾袮さんがなんとも思わないのは、それこそ普通の話。けど、俺の思った通り綾袮さんは首肯する。

 

「その疑問を聞いたのは初めてじゃないからね。…で、顕人君が求めてるのはこれが正しいのかどうか…でしょ?」

「…うん。正解があるなら、それを聞いてみたい」

「だよね。…でも残念だけど、これに絶対的な正解はないよ。多くの人が納得出来る答えとか、正しく聞こえるこあはあるけどさ」

「…と、言うと?」

「最初から戦う気がない魔物は、その場では無害かもしれない。けれど普通の人が相手なら襲うかもしれないし、力を付けた上で霊装者に牙を剥くかもしれない。敵を気遣うのも悪くはないけど、まず気遣うべきは仲間や守るべき人が安全に生活出来る事だろう…とかかな」

「それは…うん、そうだね。寸分の隙もない…とまでは言わないけど、少なくともそれは間違ってないと思う」

 

その場では無害でも、今後も無害だとは限らない。それは本当にその通りで、襲われるのだって無関係な相手になる可能性は十分ある。…そう考えれば、やっぱり倒せる魔物は倒せる時に倒すのが正しいんだって、俺も思う。……もやっとする所がないと言えば、嘘になるけど。

 

「…まあでも、大事なのは自分の考えを持つ事だよ。納得出来る答えを持てればベストだし、それがなければ焦らずじっくり探せばいいんだし。一番良くないのは、きっと疑問を何も持たない事だよ。それじゃ道具と変わらないもん」

「……それって…」

「…あ、別に自虐とかじゃないよ?さっきは疑問にも思わないタイプって言ったけど、あれはあくまで自分から疑問を抱いたりはしなかったってだけ……」

「…綾袮さん?」

「…もう一体、こっちに来てる」

 

後一息、というところで言葉が途切れた綾袮さん。何か思うところがあったのかと俺が名前を呼ぶと…返ってきたのは、真剣な眼差しと抜刀された刃の音。それから綾袮さんは、山の一方へと目を向ける。

 

「もう一体って…三体目…?」

「今日は多いねぇ…まだ戦える?」

「まだまだ戦えるよ。霊力量には自信があるからね」

 

綾袮さんと会話をする中で、俺も魔物の存在を感じ取る。俺が感じ取れたって事は、かなり接近してきている証拠。その魔物に敵意があるのかどうかはまだ分からないけど…分からないからこそ、臨戦態勢を整えておくに越した事はない。

 

「さって、来るよ顕人君。…5、4、3、2、1……」

 

俺はライフルと二門の砲を、綾袮さんは天之尾羽張を来るであろう方向へ向け、魔物を待ち構える。そして綾袮さんのカウントダウンが終わるとほぼ同時に、草木の間から円盤の様なモンスターが姿を現し……その背後から、何十発もの銃弾が魔物を撃ち抜いた。

 

「え……?」

「……!これは…!」

 

思いもよらない事態に俺は目を見開き、綾袮さんは何かに気付いたような声を発する。その間も銃撃は続き……それが止むと同時に銃撃と同じ方向から現れた何かが、落下し始めた魔物を両断した。

着地した何かと、墜落する魔物。真っ二つとなった魔物を尻目に立ち上がったのは、群青色の髪を持つ少女。

 

「……ラフィーネ、さん…?」

「…ん、そう」

「あー、やっぱりラフィーネだったんだね」

 

反射的に口から出た名前に反応して、こちらを向きつつ小さく頷くラフィーネさん。それに続いて綾袮さんも口を開くけど…こっちは俺より先に分かっていた様子。

 

「…って事は、さっきの銃撃は……」

「私ですよ、顕人さん」

 

途中まで言った俺の言葉に応答しつつ、先程の俺と同様前衛に遅れてこの場へフォリンさんが到着。真っ二つの魔物が消滅する中で、俺達と姉妹は合流する。

 

「…驚いたよ。まさか二人がいるなんて…」

「それは私達もです。お二人は…もう終わった後ですか?」

「丁度さっきね。…二人って、うちとの合同討伐が入ってたんだっけ?」

「いえ、自主的に頼んだんです。訓練だけでは実戦の勘が鈍ってしまいますから」

 

ふむふむと二人の会話に頷いてみるも、姉妹の予定なんて知らない俺は「へー、そうだったんだ」位の感想しか出てこない。一方同じく口を開いていないラフィーネさんはと言えば、武器のナイフと拳銃の状態を確認していた。

 

「うーん、折角こんな驚きの形であったんだからお喋りしたいところだけど、とても雑談に適した場ではないよねぇ…」

「暑いですし虫の鳴き声も結構大きいですからね…ふぅ、ほんとに暑い……」

「…一応、水分補給した方がいいかも」

「…あ、じゃあさ、二人共ちょっとうちに寄っていかない?双統殿戻るならそんなに遠回りにならないし、この後予定あったりしないでしょ?」

「それは…えぇ、ありませんけど…」

 

そんなに二人とお喋りしたかったのか、それともお喋りは建前で別の意図があるのか…ともかく綾袮さんは二人を家に誘って、フォリンさんからも無理ではない、という様子の言葉が返ってくる。後はラフィーネさんが否定的な事を言わなければ恐らく二人は綾袮さんの……って、ん?…という事は……

 

(……うち来るの?)

 

俺は綾袮さんと同じ家に住んでいるんだから、綾袮さんの家に来るという事は即ちうちに来るという事。…となるとちょっと話は変わってくるぞ…?別に来てほしくない訳じゃないけどさ…。

 

「ラフィーネ、どうします?」

「…わたしはそれでも構わない。フォリンは?」

「私もですよ。…という事で、寄らせて頂いてもいいですか?」

「うんうん、いいよー。顕人君もそれでいいよね?」

「あ…まぁ、異存はない…かな」

「じゃ、早速帰ろー!」

 

善は急げ、とばかりに移動を始める綾袮さん。そんな急ぐ事はないんじゃ…と思いつつも、俺や姉妹も着いていく。

これまでにも家に女の子が来る事はあったし、妃乃さんなんかはもう何度も来ている。でもこれまで来た女の子は基本『綾袮さん絡み』であったのに対し、今回は半々…ではないかもしれないけど、4:6や3:7位で『俺絡み』の相手でもある筈。…そうなればまあ、ちょこっと心の準備が必要になるよね。もう既に整いつつある位、些細な準備ではあるけど。

 

「…なんか悪いね。綾袮さんに付き合ってもらっちゃって」

「いえ、この位お気になさらず。それに、どのような生活をしてるのか少し興味もありましたから」

 

移動の最中に交わした、何気ないやり取り。綾袮さんの生活に興味が?…と一瞬思ったものの、「綾袮さんの」ではなく「日本の」と考えたらしっくりきた。…そりゃ、俺だって外国の家庭やそこにあるものには興味が湧くからね。

早くこの暑さから逃れたいという気持ちも手伝い、さっさと移動した俺達は家に到着。しっかり日本の作法も理解していた二人は靴のまま中に…という事はなく、ちゃんと玄関で脱いでから上がってくれる。

 

「ふー、涼し…くないよねぇ、エアコン消してあったんだから…」

「今麦茶入れるからちょっと待ってて。…あ、それとも紅茶とかコーヒーの方がいい?」

「…麦茶でいい」

「私も麦茶で大丈夫ですよ」

 

ここに住むようになって以降、お客への気遣いが前より自然に出来るようになったなぁ…と思いつつ麦茶をコップへ。ついでに何かお茶菓子を…と思ったものの、普段来客用のお茶菓子が入っている棚は生憎空っぽ。

 

「しまった、買い忘れてた…綾袮さーん」

「なーにー?」

「何か二人に出せそうなお菓子ある?」

 

ちょいちょいと綾袮さんを手招きし、事情を飛ばして質問だけを口にする俺。でも期待通り綾袮さんは察してくれて、何かあったかと腕を組む。そして数秒後……

 

「…あ、今日顕人君が夕飯に作った卵焼きはどう?あれ甘かったよ?」

「卵焼きはどう考えたって茶菓子じゃねぇ…!お客さんに麦茶と一緒に出すのが卵焼きって、幾ら何でもシュール過ぎ……」

「あるなら食べる。少しお腹空いてるから」

「うわっ!?…き、聞いてたのね……」

 

いつの間にかラフィーネさんはキッチンの近くに来ており、声を抑えた突っ込みも彼女には筒抜け。しかもソファに座っているフォリンさんも「お願いします〜」みたいな感じの顔をしていて(フォリンさんには聞こえてないよね…?)、その結果…なんと綾袮さんの提案通り、お茶菓子の代わりに卵焼きを出す事に。

 

「前代未聞だよ…絶対おかしいって……」

「……悪くない」

「そうですね。美味しいですよ、顕人さん」

「…それはどうも……」

 

箸でもぐもぐと卵焼きを食べる二人は、俺に気を使っている様子はない。……でもね、違うのよ…そういう問題じゃないから…。

 

「はふぅ、やっと部屋全体が涼しくなってきた…二人共、寒過ぎたりしない?」

「大丈夫」

「丁度良いですよ。…で、お喋りとは……」

「あーうん。そうだねぇ、何話そうかなぁ…」

 

二人同様卵焼きを食べながら、綾袮さんは思案。話題が思い付かないのか、それともあり過ぎて選ぶのに困っているのかと言われれば…多分後者。

 

「…そうだ、二人はどういう所に住んでるの?」

「私達の、ですか?」

「うん。っていうか、もしかして別の場所で住んでたり?」

「いえ、私もラフィーネも同じBORG所有の建物で住んでいますよ。内装はまぁ…ここより質素ですけど」

 

少し考えた後綾袮さんが選んだのは、二人への質問。…確かに二人はあんまり華美な内装にしたりはしなさそう…勝手なイメージだけど。

 

「へぇー。…そういえば、顕人君の実家の部屋はどんな内装してるの?」

「それは大体今の部屋と同じ感じ…って俺に関する質問!?もう二人が直接関係しない話題になってるよ!?」

「いいじゃん別に。二人も気になってるかもしれないよ?」

「え……そう?」

 

早々に「今それを訊く?」と言いたくなる質問がきて、つい俺はノリ突っ込み。…が、綾袮さんは二人の興味も意識しているような返答をしてきて、それを受けた俺が二人を見ると……

 

「…いや、別に」

「そもそも私達、今の顕人さんの部屋の内装も知らないので……」

「ですよねー…はは……」

 

…二人はとても正直者だった。というか…割と当たり前な気がする、この反応は。

 

「あっさり否定されちゃったねぇ…あ、なら顕人君の部屋見てみる?」

「あぁ、それなら…えぇ!?何自分の部屋みたいな軽さで提案してんの!?」

「これぞ顕人の部屋!」

『……?』

「どこが!?ねぇどこに長寿番組感あったの!?てか伝わってないからね!?二人共きょとんとしてるからね!」

 

今日も綾袮さんの突飛なボケは絶好調。でも残念ながらイギリスの人である二人にはネタが伝わっていなかった。……って違う違うそうじゃない、ボケに流されるな俺…。

 

「むー……で、どうする?行く?」

「いやいやだからおかしいって…というか行く訳が……」

「……行ってみる?」

「行ってみますか」

「あった!?」

 

綾袮さんのノリに流されるものかと俺は自分を律し、冷静に話を逸らそうとするも……どういう訳か行くという旨の発言をされてしまった。な、何故に…!?

 

「いや、あの…お、お二人共…俺の部屋は興味ないのでは…?」

「興味、と言いますか…折角の提案を無下にするのは悪いかと思いまして…」

「そういう意図!?…うぅ…(それだと断り辛い…)」

 

興味本位で見たいというなら、こっちの都合もあるの一点張りで断る事も出来るけど…気遣いによるものとなると、途端に断り辛く(断り『難い』ではない)なる。…と、いう訳で……

 

「…こういう部屋をしているんですか…」

「…普通」

 

今月知り合ったばかりの女の子二人が、よく分からない流れで俺の部屋を訪れていた。綾袮さんもいるから、現在俺の部屋の男女比は1:3となっていた。…しかもラフィーネさんから『普通』認定されてるし…。

 

「…ご満足ですかい、ご両人……」

「えぇ、まぁ…一応……?」

「……フォリンさん、そんな微妙されたら俺はどうすりゃいいかさっぱり分からないよ…」

「…何か、すみません……」

 

意味不明さに加えてパッとしない反応をされ、テンションが超低空飛行状態となった俺と、反省…というか選択ミスを自覚した様子のフォリンさん。そして綾袮さんはといえば「あちゃー…思ったより盛り上がらないなぁ…」みたいな顔をしていて、ラフィーネさんは……ベットの下を覗いていた。

 

…………。

 

「わぁぁぁぁっ!?な、なな何してんの!?そんな所には何も隠してないよ!?」

「…残念。この下に布団をしまっているのかもと思ったのに…」

「そんなベタな……ん?…布団…?」

「うん、布団」

 

とんでもないブツを探され始めたと俺は大慌て。何故そんな知識があるのか、ベット下に隠すというネタは世界共通なのか、というかラフィーネさんはそれを探してどうしたいのか……超加速を起こした俺の頭をそんな思考が次々と流れていく中、ふと引っかかった布団という言葉。…布団?布団って、あの布団?…という事は、つまり……俺が()()()()()()()と?

 

「…………」

「…………」

「……は、はっはっはー!布団が見たかったのかー!それは残念だったねぇラフィーネさん!」

「……そのテンションは、何…?」

「気にしなくて宜しいッ!」

 

安心と同時に襲いかかる、勘違いしていた事への恥ずかしさと追求されては不味いという焦り。そのせいでテンションが妙に高ぶり、それに対する指摘は強めの一言で一蹴という中々俺らしからぬ態度を取ってしまった。

けど、不幸中の幸いの幸いと言うべきか、その強めの一言が功を奏してラフィーネさんは追求をしてこなかった。それは布団がないと分かった時点で興味が失せたという可能性もあるけど…まぁそこはどっちでもいいところ。危ない危ない、でもこれで一先ず危機は……

 

「顕人くーん、君は布団を何と勘違いしてたのかなー?」

「顕人さん、明らかに動揺していましたね…」

 

……去っていなかった。一難去って二難…いや、最初からあった三難の内一つが無くなっただけだった。

 

「……ナ、ナンノコトカナ-?」

「うわっ、分かり易っ!凄いあからさまな反応だね!」

「ここまであからさまだと、逆に演技っぽく見えますね…」

「……!そ、そう演技!これはそういうボケ!い、いやぁこんなに早くバレるとはなぁ──」

「いや、それは嘘だよね」

「……そうです、はい…後追求はしないで下さい…後生ですから…」

 

普通に鋭い綾袮さんと、普通に俺が何か隠してると見抜いているフォリンさん相手に誤魔化し切れる訳がない。しかも話してる内にラフィーネさんも「あれ?まだ話続くの?」みたいな感じの新たな興味を抱きつつあって……俺は切り抜ける事を諦めた。…いや、マジ無理だって…これもう追求は勘弁してもらうよう頼んだ方が賢明だって…。

 

「全く……犯人、確保」

「…ごめんなさい、罪はちゃんと償います刑事さん…」

 

ハンガーに掛けてあったシャツを綾袮さんに持ってこられた俺は、両手を合わせて前に出すと……そのシャツを両手に被せられて、刑事と捕まった犯罪者っぽい二人組が完成した。

 

「…………」

「…………」

「…ほら、二人も乗って乗って」

「え…の、乗ってって……」

「……悲しい、事件だった…」

「あ、あぁそういう……悲しい、事件でしたね…」

 

更に綾袮さんが振って、ロサイアーズ姉妹も茶番劇に参加する事となった。ゆっくりと首を振るラフィーネさんと、悲しそうに俯くフォリンさんの前を、綾袮さんに連行されて廊下へと出ていく。……こうして『小っ恥ずかしい勘違いしちゃった罪』で捕まった俺は、背中から哀愁を漂わせながら部屋を後にするのだった。……案外二人、ノリがいいなぁ…。

 

「…うん、良いオチ付いたかな」

「付いたかな、じゃないよ…俺散々だよ……」

「勘違いは自爆じゃん。でも、慌てた反応したって事はつまり……」

「つ、追求しないでって言ったじゃん!てかむしろ、そうだよっつってそっち系の物出されたらどうする気だったの!?」

「え……た、多分引っ叩いてたと思う…」

「ノープラン!?今考えたよねそれ!ちょっ、思い付きで人を陥れようとしないで!?」

 

茶番劇を終えるや否や、俺の突っ込みパートが再開。っていうか、綾袮さんの行いはあんまりだった。…これはほんとに反省してほしい…。

偶然山で姉妹と会い、こうして家に招く事となった今日。何故かお茶菓子の代わりに卵焼きを出す事になり、自爆で窮地に立たされ、挙句茶番劇でお茶を濁した夜。これを言葉で表すなら……意味不明の一言に尽きるよ、もう…。

 

「……はぁ…てか全然お喋りしてねぇじゃん綾袮さん…」

「…………」

「……?…あ、ラフィーネさん…どうかした?」

「…さっきの、わたしも刑事役やりたい」

「まさかの茶番劇に興味!?」



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第七十五話 朝も昼もそれぞれに

「あっちぃなぁ…」

「暑いねぇ…」

「暑いわね…」

 

我が家は日当たりがよく、春先は勿論冬場だってその恩恵は相当なもの。それは洗濯も自分でするようになって以降、一層そのよさを感じるようになった訳だが……それと引き換えとして、夏場の強い日差しも諸に家が浴びてしまう。で、そんな日差しを浴びるとなりゃ……朝から暑いに決まってるんだよなぁ…。

 

「うぅ、ベタつく…」

「今日は特に暑いらしいわ…」

「これもう安眠妨害だっての…訴えようぜ…?」

 

例え気候が相手だったとしても、俺の眠りを邪魔するというなら容赦はしない。…と思ったものの、パジャマガール二人からの反応は大変薄い。…きっとこれも暑さとその弊害のせいだ。俺が滑ったんじゃないさ、あぁそうだとも。

 

「お兄ちゃん、今日朝食は…?」

「いつも通りの白米と味噌汁に、昨日の夜の残り物だな…それか暑いし朝から氷菓子でも食べるか?」

「あれ、アイスまだあったっけ?」

「いいや、アイスはもうないぞ?」

 

俺の受け答えに小首を傾げる緋奈と、会話に参加せずとも聞いていたのか怪訝な表情を浮かべている妃乃。……ん?いや、待てよ…?これは……

 

「…悠弥、貴方まさか暑さで頭が……」

「おかしくなってねーし!言うと思ったわ!」

「じゃあ、寝てる時に汗を……」

「かき過ぎて脱水症状になったりもしてねーし!緋奈まで乗っかるなよ!」

「って事は……」

「えぇ、多分これは…」

「あぁそうだよ、アイスじゃなくて氷菓子っつったのは……」

『……(悠弥・お兄ちゃん)は、元々おかしかった…?』

「よーし二人共こっち来い。殴り倒して夏の暑さ関係なしの眠りを提供してやるよ」

 

気付いた様子の二人にネタバラシしようと思ったら、二人揃って辛辣な事を言ってきやがった。…俺もあんまり人の事は言えないが、酷ぇなおい……。

 

「ま、冗談よ冗談。実のところは何なの?」

「ったく…出来合いのものがなくとも、料理なら作ればいい。そうだろ?」

「作る…あ、もしや……」

「そういうこった。朝から食うもんか?…って疑問はあるけど、な」

 

思い付いた様子の緋奈にそう言いながら、昨夜偶々見つけてキッチンの棚に運んでおいた物をテーブルの上へ。それを見た緋奈は納得したような表情を浮かべ…そして妃乃は、ゆっくりと目を見開く。

 

「貴方、それって…」

「…言ったろ?どっかにしまってあるって」

 

そう、俺が見つけたのはかき氷機。この時期店で売ってる物と比較すればやや古い…けど機能的には何の問題もない、家庭でかき氷を作れる道具。

 

「まさかこんなに早く出てくるとは…でも、シロップは?」

「蜂蜜があるし、あんまり多くは残ってないが練乳だってあるぞ」

「かき氷かぁ…出すの何年振りだっけ?」

「数年振り…じゃないか?去年は出してねぇし」

 

昔は俺も緋奈も毎年これを使ってかき氷を作りたいと言ったものだが、ホームセンターで手頃に買える程度のかき氷機じゃそこまで質のいいかき氷にはならないし(値段を考えれば十分な出来だがな)、成長すれば次第にかき氷機への興味も減っていく。だからどこにしまったのか忘れてしまう程使ってなかった訳だが…久し振りに仕事だぜ、かき氷機さんよ。

 

「…で、どうするよ?食べるか?」

「わたしは…うん、懐かしいし食べようかな。あ、でも多くなくていいよ?」

「はいはい。妃乃はどうするんだ?」

「じゃ、じゃあ…私も、頂くわ…」

「うーい。かき氷並に超特大入りましたー!」

「超特大!?な、なんで私のは超特大なのよ!?」

「これで作ったかき氷を初めて食べる奴は、必ず超特大にするという家訓が千嵜家にはあってな…」

「ある訳ないでしょうが!断言出来るわよ!そんなのないって!」

 

ちょいと気恥ずかしそうにしながら首肯した妃乃。あ、このタイミングなら…と仕掛けてみた俺だが、残念ながら妃乃はきっちり反応してきた。相変わらず油断しない奴だ…。

それから俺達は手早く朝食(と空いた時間に着替え)を済ませ、かき氷機を準備。二人に注目される中、俺はハンドルを回して上部に入れた氷を削っていく。そして……

 

「…久し振りに食べると、これで作るかき氷も悪くないって思うもんだな…」

「だね…凄く、懐かしいや…」

(結構美味しい……でも、二人の懐かしいオーラが強過ぎて感想言い辛い…!)

 

…かき氷で朝からとても懐かしい気持ちになる、俺と緋奈だった。

 

 

 

 

部活だったり夏期講習だったり、夏休みが割と忙しい学生は多い。特に毎日部活があったり一日中塾に行ってたりする奴を見ると、そういう奴等にとって夏休みは休みなのかな…なんて思う俺だが、どうも今年は俺も少しだけ忙しい…てか用事があるらしい。

 

「何すか宗元さん……俺も暇じゃないんですよ?」

「嘘吐け。お前夏休みに色々あるような生活してないだろうが」

 

高級なソファにどっかりと座りながら、やる気のない目で宗元さんを見る。…が、宗元さんには軽くあしらわれてしまった。…何故分かったし……。

 

「…俺の生活は置いとくとして…用事は何なんですか?わざわざ呼ぶような事で?」

「別に呼ばなくてはならないような事ではないな。だが適当に話す程軽い事でもない」

「…そっすか」

 

朝からかき氷機を食べたのと同日の昼間。俺は宗元さんに呼ばれ、双統殿の執務室へと足を運んでいた。

呼ばなくてもいいなら電話でも…と内心思いはしたが、口にはしない。それは言ったって今更だから…なんて理由ではなく、そうは言いつつも…って部分があるんだろうなと感じたから。

 

「…最近、何か印象的な事はあったか?」

「…ありまくりですよ。この数ヶ月で色々な事が起こり過ぎてますからね」

「もっと直近の話だ。この数ヶ月で色々な事があったのは聞かんでも知っている」

「まぁそれもそうですね…ここ数日って意味なら、流石にないです。少なくとも、俺が認識している範囲では」

 

ぼんやりと執務室の壁を眺めながら、宗元さんからの問いに答える。印象的な事が全くないと言ったら流石に嘘で、それこそ今日のかき氷の件なんかもそれなりに印象に残っているが…そういう話じゃ、ないもんな。

 

「…なら、いい」

「……そんだけですか?」

「そんだけだ、帰っていいぞ」

「か、帰っていいぞって…こんだけで済むなら移動にかかった時間が無駄過ぎるっつーの…」

「なんだ、不満か?」

「不満だから言ってるんですよ。……別に俺の事気にかけて訊いたんじゃないでしょう?」

 

視線を壁から宗元さんへ移し、はぐらかすのは止めてくれ、というニュアンスを言葉に込める。それに対し宗元さんは、眉一つ動かさない。

 

「…何故、そう思う」

「貴方が手厚く気にかけてくれる人じゃないって知ってるからです。宗元さん、貴方は手を貸す事を惜しむ人じゃないが、基本は『黙ってても周りが察して助けてくれる…なんてのは思い上がりだ』ってスタンスの筈。違いますか?」

「…………」

「…まぁ、歳食って丸くなったっつーか、考えが変わったなら俺の見当違いかもしれませんがね。…話すつもりはないってなら、俺も言われた通り帰りますよ?」

「……ふん、お前は相変わらずだな」

「生まれ変わったってこういう部分は変わらないんです。数週間や数ヶ月でそれが直る訳ないでしょう」

「…気分を害しても知らんぞ?」

「そういう部分も相変わらずなんで、お構いなく」

 

交渉だとか、駆け引きだとか、そんなものは考えちゃいない。余程有利な取引材料でもない限り、優劣は目に見えているんだから。…だがそれでも、俺は言って…それは、価値のある結果へと繋がった。

 

「……悠弥。予言と予言者についてはどこまで知っている」

「唐突な話ですね…予言については俺に関するものがあったって事位。予言者は…二回会った事がある程度ってとこです」

「そうか…。…予言は時間も精度も曖昧模糊。これまで例外なく当たってきた事を除けば、はっきりとした部分が少ないのが現状だ」

 

大きく話を変えてきた宗元さん。一見全く関係のない話のように聞こえるが…宗元さんの顔は至極真面目なもの。なら、それはつまり……関係のある話だ、って事だろう。

 

「…俺と御道に関するものも、はっきりしてない部分が多い、と?」

「あぁ。何かしら重要な役目…或いは宿命とでも言うべきものがあるんだろうとは思っていたが、それもあくまで推測に過ぎん」

「…宿命…は、あってもおかしくありませんね。何せ俺は、イレギュラーそのものな訳ですし」

 

生まれ変わった霊装者が再び霊装者となり、しかも予言の対象となる…そんなの確率で表したらゼロが小数点第何位にまで付くか分からない程あり得ない事で、そうなると御道にも何か隠している真実があるんじゃないかと思ってしまう。…だが、それは今本題じゃない。

 

「そんなお前ともう一人…御道顕人がこちら側に関わる事となってから、複数の魔人出現と、魔王というその存在を確認する事なく生涯を終える者もザラにある魔物の襲撃があった。幸い魔王戦の被害は致命的でない程度に抑えられ、その後の魔人はお前含む計四人で片付けてしまうという良い結果で終わったが……どちらにせよ、珍しく事もあるもんだなぁで済む事じゃない」

「…俺もそう思います」

「加えて言えば、イギリスからの霊装者が向こうの二人とほぼ同年齢というのも気になるな。無論、初めて未成年が来たという訳ではないが…お前達二人が妃乃達二人と同年齢で、且つあの二人も一歳違いというというのは、俺にとって少なからず引っかかっている」

「……偶然にしちゃ、ってやつですか…」

 

一つ一つはなんて事ない偶然でも、重なっていけば違和感が生まれていく。どこで違和感を抱くかは個人差によるが…組織の長となりゃ、偶然だろ…じゃ済ませられなくなるんだろうな…。

 

「他にも気になる点はある。恐らく俺が知らないだけで、知れば気がかりとなる事もまだあるだろう。そしてそれが、全てお前達に起因している…言うなれば、因果の意図とでも言うべきものを有しているとしたら…」

「…いるとしたら?」

「……お前達は霊装者として何かを成す事のではなく…協会や世界に対し、災いを招く疫病神となるのかもしれない…俺は、そう考えている」

 

髪は白くなり、顔も皺だらけ……だが目の奥の光は俺の上司だった頃と変わらない宗元さんは、その目で俺を見据えている。そんな宗元さんからは、冗談の気配も…俺を脅そうとする雰囲気も感じられない。

十秒か、二十秒か、或いはそれ以上か。互いに何も話さない静かな時間が暫く訪れ……それから俺は、ゆっくりと息を吐いた。…疫病神、か……。

 

「……だとしたら、どうします?災いの芽は、早い内に摘んでおくと?」

「馬鹿言え。確たる証拠もない推測で俺がそんな事するとでも思ってんのか」

 

…自分で自分を誤魔化したかったのか、軽い調子で皮肉を言った俺。それに対して返ってきたのは……真顔の否定だった。

 

「…大を生かす為に小を切り捨てるのが、トップの判断なんじゃないんすか?」

「阿呆か。…いや、お前は阿呆だったか……」

「うぐ……そういう事じゃなくて…」

「……お前の言う事も一理ある。だがな、覚えとけ。トップはその小を切り捨てる事なく解決する為に頭捻るもんで、小を切り捨てなきゃならん時点でそれはもう普通の状態じゃねぇんだよ」

 

離していた背を背もたれに預け、呆れ声で宗元さんは阿呆認定をしてくる。確かにそう言われても仕方のない発言をしたっちゃしたが、別にふざけて言った訳じゃ……そう言い返そうとしたところで、俺の言葉は制止された。落ち着き払った、真剣な言葉で。俺という一個人を、真っ直ぐに見据えて。

 

「…俺、そんな判断や思考をしなきゃならない立場になる事はないと思いますよ?」

「だろうな。だから頭の隅にでも入れておけ。お前に直接縁はなくとも、妃乃にはあるんだからよ」

「……それはつまり、将来的に妃乃を支えてほしいと?」

「張っ倒すぞクソ坊主」

「おっそろしいんでマジトーンでそういう事言うの止めてもらえませんかねぇ!?」

 

それから俺は、追い払われるように宗元さんの執務室を後にする。…いやほんとマジ、人を張っ倒しそうな顔してたぞ…?あのままいたら絶対ヤバいって…。

…というのはともかくとして、適当にあしらえばいいものを宗元さんは俺に話してくれた。俺の皮肉に、真剣な態度で返してくれた。俺をビビらせたのも、帰る口実を作ってくれたんだと思う。……全く…相変わらず俺とは格の違う人だぜ、宗元さん…。

 

 

 

 

「……なんなの、あんた…」

「千嵜悠弥だ。てか、前会った時もそれっぽい事言わなかったか?」

 

執務室を出てから十数分。用事は終わったんだから帰りゃいいんだが、一番暑い時間帯に外へ出るのはなぁ…と思った俺は双統殿内をぶらつき……気付けば篠夜の部屋の近くに来ていた。しかも丁度そのタイミングで、篠夜が部屋から出てきた。

 

「…あたしを監視でもしてんの?」

「してねぇよ…偶然だ偶然」

「ここは偶然で来るような場所じゃないと思うんだけど…」

 

鉢合わせした篠夜はすぐに部屋の中へと戻り、その数秒後に扉を少しだけ開いてこちらを見てきた。その対応は、完全に怪しい人に対するものである。……流石にちょっと酷い。

 

「狙ってきたって事はねぇよ。…まぁ、完全な偶然…って訳でもないが」

「…はぁ……?」

「宗元さん…時宮のご党首様とさっき話したんだが、その中で予言関連の話も少し出たんだよ。それが頭の端にでも引っかかってたんだろ」

 

トップとは…というのを頭の隅にでも入れとけと言われた俺だが、どうも違うものが引っかかっていたらしい。勿論言われた事はちゃんと覚えてるが…頭に残っていた事が無意識の行動に影響する、ってあるよな。

 

「…まるで近しい上司みたいな言い方ね」

「俺にとっちゃそんな感じなんだよ。てか、知らないのか?」

「…知ってる。…ざっくりと、だけど…」

 

ほんの一瞬だけ目を泳がせて、それから反応した篠夜。これはざっくりってか、ほんとに少ししか知らないんだな…と思ったが、そんな重箱の隅を突くような指摘はしたりしない。

 

「…見上げられるって、ちょっといいよな」

「はい…?……何、言ってんの…?」

「……すまん、完全に選択をミスった…これについては自分でも何言ってんだかよく分からんから追及しないでくれ…」

「……そうね…」

 

思考のメインにあったのが重箱の隅を突くような気付きで、それ以外を口にしようと思った結果、無意識に思っていた意味不明な事を言ってしまった。そして、扉の隙間が若干狭まった。…は、発言には気を付けよう……。

 

「…あー、それで…篠夜はどっか行くんじゃなかったのか?」

「別に……って、あれ…?」

「ん?」

「…な、なんであたしの名字知ってるの…?」

「妃乃から聞いた。文句は妃乃に言ってくれ」

「……っ…い、言える訳ないでしょ…」

 

そういえば直接聞いた訳じゃなかったなぁ…なんて思いながら返答をすると、篠夜は苦々しげな表情を浮かべていた。……やっぱりこいつアレだな。俺と同じ位捻くれてる割に、弄ると面白いタイプっぽいわ。

 

「いいのか?言いたい事あるなら電話するぞ?」

「し、しなくていい!って言うかするな!」

「おっとすまん、もう呼び出ししちまった」

 

にやっとしそうになるのを我慢しながら、携帯を取り出し耳に当てる。さてさて次は…。

 

「ちょっと!?もうって…早過ぎるでしょ!?どのタイミングで始めてたの!?」

「さてどうなんだろうな。…お、妃乃今話せるか?」

「……!で、出ない…あたし出ないから……!」

「あーそうそう。んで妃乃に文句言いたいって人がいてな。…名前?名前はし──」

「わああああッ!?」

「ぐぇええっ!?」

 

わざと篠夜に聞こえるようはっきりした声で話し始めると、篠夜は一層あたふたとしながら扉を閉めようとする。そこでそうはさせまいと俺が名前を言おうとした瞬間……勢いよく扉が開かれ篠夜が突っ込んできた。

飛び出した篠夜は、前進しながら身体の前で腕を交差。まさかこんな行動に出るとは思っていなかった俺は、咄嗟に避ける事が間に合わず……肺の辺りを諸に直撃!

 

「な、何言おうとしてんのよッ!?馬鹿じゃないの!?」

「あ、阿呆の後は馬鹿か……安心しろ、ほれ…」

「……へっ…?」

 

俺も篠夜も揃って倒れ込むが、篠夜は即座に立って怒号を口に。対する俺は軽くぐったりしながら一先ず聞いて、それから廊下に倒れたまま携帯を見せた。……妃乃との通話どころか電話の画面にすらなっていない、ホーム画面の携帯を。…いや、そりゃあの短い時間で通話まで持ってける訳ないっしょ。

 

「…………」

「…………」

「……ふざけんじゃ…ないわよぉおおおおおおッ!!」

「あ、ちょっ……ぐぎゃあぁぁぁぁっ!」

 

数秒の沈黙を経て、ずどんと俺の腹に叩き込まれる篠夜の脚。そんなに篠夜は力がある訳じゃないみたいだったが……それでも横になってる状態で腹を踏まれるのはとんでもないダメージ。多少なりとも筋トレをしていなかったら、或いは篠夜に脚力があったら、えらい事になってたんじゃないだろうか…。

 

「はぁ…はぁ……内臓潰れてしまえ…」

「つ、潰れてしまえって…エグい事言うんじゃねぇよ……」

「じゃあ…背骨……」

「内臓無事でその裏の背骨潰れたらそりゃもう波紋使いじゃねぇか…ういしょ、っと……」

 

壁にもたれかかりながら座った篠夜は、ギロリと俺を睨み付けてくる。100%…は流石にないと思うが、多分40%位は本気なんじゃないかと思う。…ってか……

 

「…疲れ過ぎじゃね?」

「…疲れさせた奴が言うな……」

「いやそれにしたって疲れ過ぎだって。もしや飛び出す前にルームランナーでも使ってた?」

「部屋入ってすぐの場所にルームランナーなんか置く訳ないでしょうが…」

 

胸元と腹をさすりながら立ち上がると、篠夜もよろよろと立ち上がって部屋に入っていく。……やっぱり明らかに、篠夜は疲れ過ぎ…というか、体力がなさ過ぎる。

 

「…余計なお世話だと思うが「余計なお世話よ…」いや言わせろよ!?こういうの時々あるけど、普通イエスかノーかで答えられるものに対してだよね!?こういうのは聞いてから判断しろよ!」

「……どうせ、運動しろとか言うんでしょ」

「…ま、まぁそう言うつもりだったが……」

「だと思ったから、余計なお世話だって言ったの。当たってたんだからいいじゃない…」

「お、おう……」

 

うーん…とは思うものの、言い伏せられてしまった俺。間違いなく聞く前に判断していた訳だが、その判断が正しいとなると強くは出辛い。…いや言える事はあるぞ?合ってる間違ってるじゃなくて、ちゃんと聞かずに判断するのは失礼だって感じにな。でもそんな説教臭く言うのもなぁ…。

 

「……いつまであたしの部屋の前にいるのよ…」

「…邪魔か?」

「邪魔」

「あ…はい。それじゃお暇させて頂きます…」

 

割と本当に嫌そうな顔と、純度100%の「邪魔」を受けた俺は、そのままちょっと低姿勢の態度で退散。…いや、だって……ここまでストレートにぶつけられると、さ…。

 

「……嫌われてる…のは多分間違いないが、なーんか違ったような気もするなぁ…」

 

廊下を進み、エレベーターに乗ったところで頭をかきつつそう呟く。気のせい、って可能性もあるっちゃあるが…何となく、最後の方の篠夜は様子が違うようにも思えた。……さて、まだまだ外はあっつい訳だし、後はどうしますかね…。



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第七十六話 やる気は時に危険

宗元さんに呼ばれて、それから篠夜と三度目の邂逅を果たして……それから結局、俺は暑い中帰る事にした。理由は簡単。日が落ちるまで待ってたら時間が無駄だから。

 

「まぁ、それなら執務室出た時点で帰れよって話ではあるけどな……」

 

…と、誰に聞かせる訳でもない、傍から見たら「うわ…いきなり何言ってんの…?」とか思われそうな事を言いながら俺は歩く。今歩いているのは、家の近くにある川沿いの道。

 

「…いい風が吹く……」

 

暑いといえば暑いが、風が吹くとその時は気持ちが良い。バケツ一杯かそこらの水でやる打ち水だってそれなりに涼しくなるんだから、膨大な水量を持つ川ならその涼しさも……

 

「……って、ん…?うなぎ…いや、どじょう…?」

 

何となく川へ向けていた視界の端で素早く動いた、黒い影。一瞬で視界から消えたから、断言は出来ないが…細長い感じだったよな…?

 

「…今時普通の川に、うなぎとかどじょうっているっけ…?」

 

確かめたところでどうこうするつもりは全くないが、今のは見間違いかそうじゃないのか。見間違いじゃなかったとしたら、一体何だったのか…それが気になった俺は、川へと近付く。近付いて、川の中へと目を凝らす。

 

(鯉…は違うな。流石にこんな感じじゃなかった。んで、流れてる水草…なら、素早く動く訳がない……)

 

じぃっと観察する事数十秒。動く魚や物体は幾つか見つけられるも、これだ!…と感じるものはない。もしかしたら大きな石の裏辺りに隠れているのかもしれないが、川に入って石ひっくり返す程気になる訳でもない。だって、気になるといってもいざ見つけたら、「あ、そうなのかー」で終わる程度の興味だもの。

 

「…ふーむ、もう川上か川下の方に泳いでいったのかもしれないか……」

 

それからも多少の時間…通算で数分程探して、俺は「まぁ、いっか」という気持ちに。ただそれでも気になるという感情がゼロになった訳じゃない為、最後に一度見回して……気付いた。離れた場所じゃなく、俺の真下付近に何かいる事に。

 

「……こいつは…」

 

一瞬視界に捉えた通りの、黒く細長い身体。だが、尾の部分は三つに分かれ、しかもその先端は鋭利な形状となっている、うなぎともどじょうとも違う何か。…いや、違う……こいつは何かじゃなくて…魔物だ。

 

「…………」

 

俺に気付いてない様子でゆっくりと泳ぐ魔物から目を離さないようにしながら、携帯しているナイフに手を伸ばす。

この距離にいながら俺が探知出来なかったという事から、考えられる可能性は二つ。霊装者を欺けるだけの力を持つ強い個体か、探知出来ない程に弱い個体か。そして恐らく、こいつは後者。

 

(……倒す、か…?)

 

ナイフの柄を握ったところで、俺は手を止める。魔物は相変わらず、ゆらゆらと泳いでいる。

探知出来ない程弱い魔物なら、一撃で片付けられる。…だが、こいつを…人を襲うどころか、逆に肉食の魚に食べられそうな気すらするこの魔物は、倒す必要があるのだろうか。…こんな奴を倒したら罪悪感が…なんて事はない。が…家の中に虫がいたら始末したくなっても、家の外なら放っておけばいいか…なんて思うのと同じように、今の俺には「何としても倒さなくては」という感情が湧いてこない。

 

(…けど、後悔先に立たずとも言うしな…こいつが敵意を見せてくれりゃ、こっちも楽なんだが……)

 

同じ結果をもたらす事でも、自分を納得させられる理由があるのとないとじゃ大違い。でもそう思ったって魔物が襲いかかってきたりはしない訳で、なら仕方ないと俺は心を決め……

 

「…あれ、お兄ちゃん?」

「……──ッ!」

 

──緋奈の声が聞こえた瞬間、俺は全力でもって魔物へナイフを突き刺していた。ナイフは勿論俺の腕も川の中へと潜り、その勢いで水飛沫が跳ね上がる。そして腕に感じる、水の流れと確かな手応え。

 

「えぇぇぇぇっ!?お、お兄ちゃん!?」

「……っ…よ、よぉ緋奈…」

「あ、うん…ってそうじゃない!お兄ちゃん何してるの!?」

「…あ、あー…ちょっと今、うなぎっぽい奴がいてな……」

 

驚きと若干引いたような感情の混じった声を上げる緋奈。魔物を見てるし認識してる俺と違って、緋奈からすればいきなり兄が凄い勢いでしゃがみつつ川へ腕を突っ込んだ訳だから、そういう反応するのも当然の事。もし立場が逆なら、間違いなく俺は緋奈と同じ反応を取っている。

 

「う、うなぎ…?…獲ろうとしたの…?」

「獲るっつーか、仕留めるっつーか…まぁ、そんなところだ……」

「……結果は…?」

「…ご覧の通り、見る影もない」

 

刃が身体を貫通した魔物の消滅を確認し、手と腕の内側にナイフを隠しながら立ち上がる。すると緋奈少しばかり不思議そうな顔をしながらも俺のすぐ隣まで来て…それから川の中を覗いた後、俺を見つつ肩を竦めた。…狙い通り、緋奈は俺の返答から「うなぎを取り逃がした」と解釈してくれたらしい。

 

「…残念だったね」

「そんな事はないさ。どうしてもうなぎ食べたきゃ買えばいいし、代わりに緋奈が釣れたからな」

「え、わたし釣られた扱いなの…?」

「勿論。さぁて、どう料理してやろうかなぁ…」

「……セクハラ?」

「ぶ……っ!?ち、違うわ阿呆!こんなまた日も沈んでない時間に外で妹にセクハラなんざするか!」

「いやお兄ちゃん、その言い方だと状況が違えばするみたいにも聞こえるから……こ、言葉には気を付けてよ…?」

 

普段通りの会話から一転し、半ば自業自得でそれぞれテンパったり恥ずかしくなったりする俺達。不真面目で可愛げのない俺と、しっかりしてて可愛い緋奈という、いつもはあんまり似てない俺達だが…こういうところはやっぱ兄妹だよな。…なんか当人である俺がそう考えるのは変な気もするが。

 

「…こ、こほん。…濡れちまったなぁ……」

「あんな勢いで腕突っ込んだらそうなるよ…着替え取ってくる?」

「…ここ家の中じゃないんだぞ?家帰ってまたここまで来るってなったら、ちょいと時間がかかるんだぞ?」

「うん、でも濡れたままは気持ち悪いでしょ?」

「……くぅ、ほんとに緋奈は良い子だなぁ…!」

「ふふっ、もっと褒めてくれていいよ?」

 

御大層な理由がある訳でも、見返りを求める訳でもなく、純粋に俺の為を思ってくれる緋奈の優しさに胸を打たれた俺は、心の中で感動の涙を流す。…よし、今日の夕飯は緋奈の好きな物にしちゃうぞ!

…という出来事も経て、俺は緋奈と一緒に帰宅(どうせ歩いてる内に乾くだろうから、緋奈からは気持ちだけ受け取った)。先程の事も含め、今日は朝から中々濃い一日だったと思う。……いやまだ日中だけど。

 

「…さっきのは、不幸中の幸い…ってとこか……」

 

自室に入って扉を閉め、鞘に納めたナイフを取り出す。拭く事も水を切る事もせずに鞘へと納めた為、ナイフはまだ濡れたまま。

 

「……もし、緋奈が来なかったら…」

 

椅子に腰掛けナイフの手入れをしながら、あの瞬間の事を考える。緋奈の声が聞こえたあの時、俺は反射的に身体が動いていた。それは勿論、緋奈が魔物の存在を知ってしまわないようにする為。だがもしも、あの時緋奈がいなければ、その場合俺は……

 

「…いや、やってた事は変わんねぇか…」

 

暫し考えたところで、意味のない思考だなと肩を竦める。そもそもの話として、緋奈の声を聞く前から俺は魔物を仕留めるつもりだった。ならば結果は変わらない。意識して動いたか、無意識に動いたか…違いがあるとすれば、その程度。理由云々よりも小さな違いをいちいち気にしていたら、キリがない。

 

「それより考えるべきなのは演技の技術だな。今回は運良く嘘を吐かずに済んだけど、咄嗟にボロが出るんじゃこれまでの事も台無しだ…」

 

演技力を鍛えるには実際にその経験を積むか、それとも心理の授業でもしてみるか。そんな事を考え始めた俺の頭に、もう一つ前の思考の名残なんてものはない。…けど、そりゃそうだろ?終わった事をいつまでも考えてたって仕方ねぇし…そんな事よりこっちの方が、ずっと大事なんだからな。

 

 

 

 

夏休みと言ったって、要は普段週末しかない休みが一週間フルにあるだけという話。…いや勿論それは大きい事なんだけど…何かがガラリと変わる訳じゃない。毎日週末みたいな過ごし方するだけって事。……と、夏休みが始まって数日程度の時はそう思っていた。

 

「…顕人、麦茶がもうない」

「あれ、もう空になっちゃった?…うーむ、麦茶の消費速度も増したなぁ……」

 

コップとピッチャーを手にキッチンから声をかけてくるラフィーネさんに、俺はここのところの消費速度を思い出しながら答える。綾袮さんが誘い、ロサイアーズ姉妹がうちへ来たのが夏休み最初の夜。それ以降、姉妹は毎日…ではないものの、かなりの頻度でうちへ来るようになった。

 

「…どうしよう?」

「どうって…もうそれ出ないだろうし、新しいパックと取り替えてくれて構わないよ?」

「それは無理」

「無理?……え、まさか…蓋の外し方分からない…?」

「…そうじゃなくて、パックももうない」

「あ…そっちか……」

 

んな馬鹿な…と思いながら回答に対する質問をすると、ラフィーネさんは戸棚から空になった麦茶パックの箱を出して俺に見せてくる。…はは…そ、そりゃそうだよね…流石に分からない訳ないよね…。

 

「しまった、さっきスーパー行く前に確認しときゃよかった…どうしても飲みたい?飲みたいなら買ってくるけど…」

「別に。無いならいい」

「じゃ、明日にでも買ってこよ「でしたら私が買ってきますよ?」うおっ…フォリンさん聞いてたんだ…」

 

まさか数分前洗面所へ行ったフォリンさんが言葉にも物理的にも割って入ってくるとは思っておらず、少し驚く俺。…あ、物理的とは言ったけど別に扉を破壊してはいないよ?

 

「聞いてた、というより聞こえたですね。同じパッケージの物でいいですか?」

「い、いいけど…ラフィーネさんも無いならいいって言ってるし、わざわざ行ってくれなくても大丈夫だよ?」

「お気になさらず。元々買いたい物があったので、そのついでです」

「そう?…なら、一箱お願いするかな」

 

その買いたい物が何なのかは分からないけど、ついでと言うならあまり頑固に拒否(?)するのも変な話。…という訳で俺はフォリンさんへと頼む事にした。…自分からそう言ってくれる辺り、ほんとにフォリンさんは人間が出来ているよなぁ…。

 

「じゃあ、お願いします」

「はい、了解しました。…行ってきますね、ラフィーネ」

「うん」

 

それからすぐにフォリンさんは買い物へ。…そういえば、近くのスーパー知ってるんだっけ?…と思ったけど…仮に知らなくても、フォリンさんなら敷地出る前に気付くだろうし大丈夫か。

 

(こんな暑い中行ってくれる訳だし、帰ってきた時出せるよう飲み物の準備でも…って、その飲み物が用意出来ないから買いに行くんだった…はは……)

 

…なんて事を、フォリンさんが行ってから十数秒後に思う俺。これを声に出していたら「長々と独り言言ってるなぁ…」とか思われるだろうけど、声に出してないから余裕でセーフ。さて、この時間帯はバラエティの再放送が……って、

 

「…………」

「…………」

「……(おぉーっと…これは……)」

 

ちらりと目を動かせば、そこには何か気になるものでもあったのか窓の外を見ているラフィーネさんの姿。フォリンさんは言わずもがなで、綾袮さんも出掛けている。…つまり、俺は今ラフィーネさんと二人きり。

 

「…………」

「…………」

「……カーテン、閉める?」

「あ……そ、そうだね…薄いカーテンは閉めておいて…」

 

さっとラフィーネさんはカーテンを閉め、俺が座っているのとは別のソファに腰を下ろす。……当たり前だが、やましい事は考えてないぞ?ラフィーネさんに魅力がないとかじゃなく、俺は良識ある人間なんだから。…そうじゃなくて……

 

(間が持たない間が持たない帰ってくるまで沈黙じゃ絶対間が持たない…!)

 

身体…でやるとモロバレするから、その代わりに心の中で頭を抱える。前にもラフィーネさんと二人になった事あるし、その時は何とかなったけど…今回はほぼ間違いなくその時より長い時間になる。とすれば、やはり…何か話題なり何なりがなくては不味い…!

 

「…ら、ラフィーネさん…何か見たい番組でもある…?」

「別にない」

「なら…そうだ、アイス……」

「さっき食べた」

「…そうでした…えぇ、と……」

 

幾つか提案をしてみるも、ラフィーネさんからは淡々と乗り気ではない反応が返ってくる。これまでの経験で、ラフィーネさんは口数こそ少なくても、言いたい事があれば躊躇わず言うタイプだって分かったから、話しかけてこないのは特に話したい事がないだけだって事なんだろうけど……そういう事じゃないっていうか、うーん…。

 

(…って、そうじゃなくて…ここはうちなんだから、何かしら話題になる物がある筈。何か…すぐには終わってしまわない何かが……あ…)

 

あまり首を動かないようにしながら、部屋を見回した俺。ゆっくり、家具や置いてある物一つ一つへ(流石に本とか文具とかは一纏めで見てるけど)目をやって……TVの下の棚が視界に入ったところで、思い付いた。

 

「…あのさラフィーネさん、ちょっと付き合ってほしい事があるんだけど、いい?」

「…どこか出掛けるの?」

「いや、時々これを綾袮さんとやるんだけど、しょっちゅう負けてるんだよね。だからラフィーネさんとやりたいなぁと思って」

「……初心者狙いで勝負を仕掛けるのは、格好悪いと思う」

「あはは、だよねぇ…でもどう?協力プレイとかもあるし、やってみない?」

 

棚から据え置き型のゲームを引き出して、コントローラーの一つを差し出す。俺の言ってる事が格好悪いのは分かってる…というか分かってた。…でもこれは、そういう作戦。

提案を受けたラフィーネさんは、俺とコントローラーとで何度か視線を行き来させる。そして……

 

「…こう?」

「そうそう。でも振る時は周りに気を付けてね?後コントローラーも離さないように」

 

俺とラフィーネさんは、コントローラーを実際に振ってプレイ出来るテニスゲームをスタートした。…これなら、初プレイのラフィーネさんでもすぐ楽しめるからね。

 

「じゃ、まずは少しチュートリアルモードをやってみて。大丈夫そうなら途中で止めてもいいからさ」

「うん。…その間顕人は?」

「ラフィーネさんの動きを見て、弱点を探ろうかな」

「……目隠しするか、別の方向見てて…」

「じょ、冗談だよ…画面見てるから安心して」

 

軽いジョーク位のつもりで言ったのに、本気の言葉と取られたのか俺は少し厳しい視線を浴びてしまう。…うぅむ…てかラフィーネさん、既に本気なのね…。

そこから約十分、ラフィーネさんはチュートリアルをプレイ。予想通りラフィーネさんは飲み込みがよくて、チュートリアルは楽々クリア…っていうか、どうも物足りなかった様子。その証拠に、一通り練習を終えるとなんとラフィーネさんから声をかけてきた。

 

「…大体分かった。だから…顕人、勝負」

「ノリノリだね。でもいいの?その前に協力プレイでもう少し動きを知っても……」

「いい。多少の技術は、勘と身体能力でカバーするから」

「…言うねぇ。なら、やろうか」

 

そう言ったラフィーネさんの瞳には、やる気の炎が灯っている。このゲームが好きなのか、それとも勝負が好きなのか。ただどちらにせよ…そう言われたら、俺だって「やってやろうじゃん」って気持ちになる。……やってやろうも何も、俺が言い出した事ではあるけど。

 

「…本気でやるよ?いいね?」

「勿論」

「じゃあ……勝負!」

 

ハンデ…ではなくじゃんけんの結果ラフィーネさんが最初のサーブを打つ事になり、彼女が振って勝負開始。自陣に飛んできたボールを、俺は普段通りに打ち返す。

 

「よ、っと…」

「ふっ……」

「こっち、だね…!」

「……!」

 

数度のラリーの後、それまでとは逆に打ってラフィーネさんの虚を突いた俺。それにラフィーネさんは反応するも、体感型といえど完全に身体と同期する訳ではなく……先制点は、俺のものとなった。

 

「…どうかな?」

「…まだ、始まったばかり……」

 

少し得意気な顔で振り返ると、ラフィーネさんはこちらを見る事もなく集中力を高めている。…正直開始数十秒でここまでマジになるとは思ってなかったけど…何となく、それはラフィーネさんらしいとも思う。

それから、十分弱して……

 

「……負け、た…?」

「ふぅ……(あ、あっぶねぇ…途中そこそこいい勝負になってたぞ…?)」

 

二つに分けられた画面にそれぞれ表れる、WINとLOSEの文字。予想以上に集中力を消耗したなと俺は小さく息を吐き、ラフィーネさんは目を見開いて視線を画面から俺へ。…勝ったには勝ったが…初心者相手にそこそこいい勝負って、何しとんねん俺……。

 

(うぅむ、ラフィーネさんにそれだけの能力があったのか、俺の技術がショボ過ぎるのか、それとも……)

「…もう一度、勝負」

「え?…あ、第二ラウンドって事?」

「そう。勝負…!」

「お、おう…(あれ?更にエンジンかかってる…?)」

 

結果より内容を重視する思考で状況を分析する中、詰め寄ってくるラフィーネさん。元々一回で終わるつもりはなかったけど…な、なんか思ってたのと違う展開になってきたな…。

…なんて事を思いながら、第二ラウンドスタート。初勝負の内容が内容だったんだから、油断なんて……と、思いきや。

 

「……ありゃ…?」

「……っ…」

 

二回目もやっぱり、初心者とは思えない程のいい動き。でも…点差は、一回目より開いていた。勿論、勝ったのもまた俺で……もしやさっきのは、ビギナーズラック…?

 

「…えっと、まぁゲームと言えど経験の差は……」

「…もう一回」

「……第三ラウンド…?」

「当然。勝ち逃げは、許さない…!」

「あ…はい……」

 

びしり、と向けられたコントローラーは、まるで彼女のナイフのよう。雰囲気も最早戦闘時のそれ…とまでは言わずとも、とても「ゆるーくまったりプレイ」なんてものじゃない。……どうも俺は、とんでもない事に足を踏み入れた…いや、踏み入れさせてしまったらしい。

 

(はは、手を抜いたらすぐバレるだろうし…これは長丁場になりそうだぞ……)

 

 

 

 

フォリンが買い物に出掛けてから、一時間弱。思っていたより時間がかかってしまったと思いながら宮空宅へと戻った彼女は、扉を開けると当時に口を開いた。

 

「ただ今戻りました。買ってきましたよ、顕人さん」

 

まずは戻った事の挨拶、続いて頼まれていた物の件を口にするフォリン。この時彼女は大声…とまでは言わずとも、それなりの声を出していたのだが……反応がない。

 

「……?」

 

反応がない事に、彼女は小首を傾げる。何故なら聞こえていないという可能性は低く、聞こえているなら姉であるラフィーネが何かしらの反応を返してくれる筈だと思っていたから。……が、反応は疑問に思った数秒後に返ってきた。

 

「お帰り、フォリン。暑くなかった?」

「暑かったかと言われれば、勿論暑かったですけど…思った通りの気温だったので、大丈夫ですよ」

「そう。なら良かった」

「はい。……って、ラフィーネ…今少し、ご機嫌ですか…?」

 

リビングの扉を開け、顔を出したラフィーネが発したのはいつも通りの淡白な言葉。だが、常に姉妹として、相棒として行動を共にしているフォリンはすぐに気付いた。ラフィーネが普段よりも、機嫌良さそうにしている事に。

 

(何でしょう?私が帰ってきたから……では、ないでしょうし…)

 

一体何が姉の機嫌を良くしたのかと考えながら、手洗いうがいを経てフォリンはリビングへ。そうして不思議に思いながらリビングに入ったフォリンが目にしたのは、対照的な二人の姿。

 

「ぜぇ…ぜぇ…はぁ…はぁ…ゲームって、こんなに疲れるものだっけ……?」

「真剣勝負で披露するのは、当然の事。次はフォリンとやるから、顕人はその間休んでるといい」

「あー……」

 

むふー、とご満悦で胸を張るラフィーネと、ソファでぐったりとする顕人の姿を見たフォリンは、自分が不在の間に何があったかを理解し……つい、苦笑いを浮かべてしまうのだった。



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第七十七話 特殊でも人は人

「たっだい……あれ何!?顕人君どうしたの!?」

 

家に帰り、涼しくなってるであろうリビングへ意気揚々と入ったわたし。けれどまずわたしの意識を引いたのは、室温じゃなくてソファに燃え尽きた感じで座る顕人君の姿だった。

 

「あぁ、綾袮さん…お帰り……」

「うん、ただいま…じゃなくて何があったの!?今君明らかに普通に家に居たんじゃならない状態になってるよ!?」

「は、はは……すみません綾袮さん。これは私達のせいです…」

「……?フォリン達のせい?」

 

顕人君をうちわで軽く扇いでいたフォリンが、わたしの驚きを受けて申し訳なさそうに返答してくれる。私達、って事は勿論ラフィーネも入る訳で…そのラフィーネは、いまいち色の出ていない(多分まだパックを入れて間もない)麦茶をコップへと注いでいた。

 

「はい。簡単に言いますと、私が出ていた間にラフィーネと顕人さんがゲームをしていまして、その時点でも結構疲れていたのですが…」

「ですが……?」

「そこから更にラフィーネは顕人さんにお付き合いしてもらい、私も思ったより楽しくなって代わる代わる相手をしてもらった結果……」

「こうなっちゃったんだ…」

 

何とも独特な理由だった事に、ついわたしは苦笑い。ゲームでここまで?…とも思ったけど、TVの前に置きっ放しのパッケージは、実際にコントローラーを振って楽しめるゲームの物。それなら感動した後みたいに疲れてもおかしくはない。…っていや、やっぱおかしいねこれ…ここまで疲れるって、どんだけ全力でプレイしたの顕人君…。

 

「…顕人、麦茶」

「あ、うん…ありがとラフィーネさん……」

「おおぅ、一気に飲んでる…なんかほんとに外で運動してきた後みたいだね…」

 

ぐいっと一息で飲み切った顕人君は、普段わたしが振り回している時以上にぐったりな様子。……ちょっと悔しい。

 

「まだ飲む?」

「いや、いいよ…後、薄いね…」

「それは仕方ない」

「知ってる…はぁ、凄いね二人共…」

「それは当然。でも、もっと褒めてくれて構わない」

「まぁ、身体を動かす事には慣れていますからね。後私の場合、最初から顕人さんがお疲れだったという事もありますし」

 

麦茶で多少元気が戻ったのか、顕人君が顔を上げて賞賛の言葉を口にすると、ラフィーネは軽く胸を張って、フォリンは肩を竦めて、それぞれ顕人君に返答する。…ほほぅ……。

 

「…顕人君ったら、隅に置けないねぇ」

「隅に置けないって…あ、綾袮さん何言ってんの…?」

「日本語」

「どこの言語話してるんだとは言ってないよ…違うからね?俺はそんな邪な考えなんてなくて、純粋に……」

「顕人君。こういう時の言い訳は、余計怪しくなるだけだよ」

「フォローに見せかけた弁明の封殺酷ぇ…!」

 

にやっとしていつもはあんまりしない(というか、そういう機会がない?)弄りをしてみると、予想通り顕人君はたじたじに。反論じゃなくてちゃんと突っ込みの形取る辺り、流石は顕人君だねっ!

 

「ふふん、まぁわたしは分かってるから大丈夫だよ〜」

「分かってるも何も…はぁ、疲れてるところにエグい追い打ちを受けた……ってか…二人がこの会話を不愉快に感じたらどうする気……」

『……?』

「…と、思ったけど伝わってなかった…セーフ…」

 

がっくりとする最中に顕人君はある事に気付いて、ちょっと「ヤバい…」みたいな顔をしたけど……当の二人はきょとんとした顔。…ふっ、侮っちゃいけないよ顕人君。隅に置けないなんて日本人でも人によっては伝わらないような言葉を使って、しかもその後のやり取りでも分からないようわたしは気を付けて弄ったんだからね。ボケに関して抜かりはなーし!

 

「…ほんとに今日はすみませんでした。以後気を付ける…といいますか、今後はこのような事がないよう…」

「あー…そんなに気にしないで。そりゃとんでもなく疲れはしたけどさ、ゲーム自体は楽しかったし」

「…ほんとに?」

「ほんとほんと。というかそもそも、やろうって誘ったのは俺だからね」

「なら、またやっても?」

「問題な…って、何故この流れに綾袮さんが入ってくるの……」

 

かなり独特な子のラフィーネと、大人っぽいフォリンだけど、二人共わたしや顕人君より年下な訳で、やっぱりここまで顕人君を疲れさせてしまった事は気にしていたみたい。でも顕人君はそんな二人が必要以上に気にしてしまわないように、朗らかな表情を浮かべて答えていた。…そういうのは、顕人君の良いところだと思う。

 

「ま、顕人君がこう言ってるんだからさ、懲りずにまた来てよ。二人共そんなに上手いならわたしも対戦してみたいし…っていうか、今からやる?」

「……!…綾袮には模擬戦での事がある。だからそっちがその気なら、ここでリベンジマッチ……」

「するような時間はないですよ、ラフィーネ。今日はこれから哨戒に出るって事になっているんですから」

「…そうだった」

「という訳で、今日は遠慮させて頂きます。…でも、次の機会には是非」

 

そう言って帰り支度を始める二人。前の討伐と同じように、今日の哨戒も自主的に頼んでさせてもらってる事……だった筈。戦いにおいて思ったように動けないのは恐ろしい事だし、だから腕や感覚が鈍らないようにしたいってのは分かるけど…それを差し引いても二人はよくやってるんだよね。……努力型、なのかなぁ…。

 

「…あ、じゃあさ、わたしもそれ着いていこっか?人が多ければ戦闘になっても素早く終わるでしょ?」

「え……?…どうします?ラフィーネ」

「……問題ないと思う」

「まぁ…そうですよね。では、お願い出来ますか?」

「もっちろん!…顕人君はどうする?疲れてるのは分かってるし、休んでてもいいよ?」

「うーん…いや、俺も着いていくよ。俺には技術も必要だけど、経験も必要だと思うし」

 

努力型といえば、顕人君も結構霊装者としての実力を高めようと頑張っている。…動機は、ちょっと気になる部分もあるけど…復讐だとか選民思想とかよりはずっとマシだもんね。そもそも詳しくは知らないんだけどさ。

…って事で、わたしと顕人君は二人に同行する事なるのだった。といっても、わたしが言った事なんだけどねー。

 

 

 

 

普段は綾袮さんと二人で活動する俺だけど、上嶋さんの部隊を始め二人よりも多い人数での活動も、多くはないけどある。…が、今回の場合は少し…いや、大分特殊。

 

「いい?わたしとラフィーネで奇襲仕掛けるから、二人はそれまで撃たないでね?」

「了解。その後は火力支援でいい?」

「うん、頼んだよ」

 

哨戒として飛び回る中で発見した、一体の魔物。カブト虫っぽい角を持った、でも身体は大きいリスみたいな魔物は、こちらに気付いていない様子で木に登っている。…気付いていないなら、こちらが圧倒的に有利。

 

「…あの角を武器にしてるのかな…?」

「さぁ…ですがあの身体では、決して使い易そうではないですね」

 

綾袮さんとラフィーネさんは接近を開始し、俺とフォリンさんは今の位置で待機。俺達も二手に分かれた方がいいんじゃ…?…と思ったけど、魔物の反応に合わせて動いてほしいという事で一先ずこうなっている。

 

「……そういや、二人って組むのは初めてじゃ…?」

「えぇ、そうですね」

「大丈夫かな?二人共凄い実力者なのは分かってるけど、それでも初めてってなると…」

「…お互い模擬戦で動きは知っているんです。高度な連携は難しくとも、足を引っ張り合う事にはなりませんよ」

 

基本口数の少ないラフィーネさんとは逆に、フォリンさんとは普通に会話が成立する。しかも綾袮さんみたいに悉くボケを仕掛けてきたりはしないから、落ち着いて会話をする事が出来る。それは別段特別な事ではないけど……正直、ありがたい。

 

(にしても、二人は性格全然違うよなぁ…兄弟姉妹で性格が違う事はよくあるから、何もおかしくはないけど……)

 

ライフルのグリップの感覚を確かめながら、ふと思う。ありふれた事だけど、いつも二人は一緒にいるからこそ違いが印象深く残ってくる。俺は一人っ子だから分からないけど、ここまで違うのには何か理由が……

 

「……そろそろですね。言うまでもないかと思いますが、間違ってもラフィーネには当てないように」

「…分かってる。一発一発気を付けて放つつもりだよ」

 

戦闘とは関係のない思考へ深入りしかけていたところで聞こえた、フォリンさんの静かな声。それに意識を引き戻された俺は、未だ二人の接近に気付かない魔物へと目を凝らす。

 

(後少し…後少し…後……動いた…ッ!)

 

かなりの距離まで接近した二人は、それぞれ木に隠れて一旦停止。それからお互いの位置を確認するように視線を動かして、ハンドシグナル……と思われる動作をして、次の瞬間木の陰から飛び出した。

左右から魔物へと急接近をかける、綾袮さんとラフィーネさん。寸前で魔物は二人に気付き、綾袮さんの一太刀を回避するも、ラフィーネさんの斬撃は腹部に直撃。…もしかすると、綾袮さんはラフィーネさんがいるからこそ敢えて避けさせたのかもしれない。

 

「ここからは私達も仕事…と言いたいところですが、今は標的とラフィーネ達が近過ぎます。距離の開いた瞬間を狙いますよ…!」

「開いた瞬間、だね…!」

 

木の幹や枝を足場に機敏な方向転換を繰り返し、二人は矢継ぎ早に仕掛けていく。…火力支援とは即ち前で戦う味方を手助けする為に行うもので、例え戦果を上げられても前衛の邪魔をしてしまっては本末転倒。だから、俺達は攻撃のタイミングを見極めなきゃいけない。最も手助けとなる瞬間を、二人が求める瞬間を。

 

「焦ってはいけませんよ…!」

「大丈夫、落ち着いてるから…!」

「…こういう時の諺が、確かありましたよね…?」

「急がば回れ…いや、急いては事を仕損じる…かな…?」

 

それぞれの武器を構え、二人と魔物の戦いを見つめる。いつかはくるであろう、二人の攻撃の切れる瞬間を…魔物が反撃なり闘争なりを図ろうとする瞬間を…後衛の攻撃が必要となる、瞬間…を……

 

「…………」

「…………」

「……あの、フォリンさん…」

「…何でしょう…」

「…これ、俺達は一発も撃つ事なく終わるんじゃ…?」

「……かも、しれませんね…」

 

二人は、別に連携している訳じゃない。俺が見る限りは、互いに相手の邪魔とならないよう立ち回りに気を付けているだけ。言い換えるなら、力の掛け算じゃなく足し算をしているだけ。…けれど、恐らくは魔人でも特別強い訳でもない魔物にとっては、足し算であっても十分過ぎる程の力であった。……何せ、二人共一流の霊装者なんだから。

 

「…今、狙え…ないか……」

「…もう魔物、かなり弱ってますね…」

「この距離でも分かるもんね……あ、終わった…」

 

そこからも二人と一体の戦闘…いや、一方的な猛攻が続き、魔物の身体に傷が増えていく。そして、綾袮さんが峰で魔物の顎をかち上げて、無防備となった喉へラフィーネさんが一閃。彼女の持つナイフが毛に覆われた喉をしたたかに斬り裂いて……魔物は、木から地面へと落下した。

 

「…俺達、何してたんだろう……」

「……何、でしょうね…」

 

無事に魔物を倒す事が出来た。四人中二人が全く手出しをしていないという、かなり余裕のある状態で終わった。…それは、勿論良い事なんだけど……なんというか、凄ぇ肩透かし気分ですわ…。

 

「いやー、かなり早く終わったねぇ」

「見た目通り、あんまり強くない奴だった」

「……二人は、良い運動した…みたいな顔してるね…」

『……?』

 

魔物の完全消滅を確認してから、こちらへ戻ってくる綾袮さんとラフィーネさん。…二人にはこっちの心境を知る由もないんだろうなぁ…はは……。

 

「…ラフィーネ、怪我はしてませんか?」

「する程の相手でもなかった」

「まぁ、そうですよね。さて、では少し休憩を入れてから哨戒を再開しましょうか」

「あ、うん…(そうだ、今回の目的はあくまで哨戒だった…)」

 

一発も撃つ事なく終わった事にはフォリンさんも少なからず思うところがあったみたいだったけど、気持ちの切り替えは俺よりずっと早かった。その言葉を受けて、俺も過ぎた事は仕方ないと意識を切り替える。…といっても、まずは休憩なんだけど。

 

「…あ、そうだ顕人君。折角だし、フォリンに後衛としての指南を受けてみたら?わたしも多少は出来るけど、やっぱり後衛の事は後衛に教わる方がいいだろうし」

「…今さっきの戦闘で撃つ機会があれば、そういう事もあったかもね…」

「え?…あー…ごめんね。でも手を抜くと思わぬ反撃受ける事もあるし、それは理解してほしいかな」

「文句言うつもりはないから大丈夫。…ん?なら、俺が初めて戦った時のは?あれもある意味手を抜いていた形だよね?」

「状況の違いだよ、それは。窮鼠猫を噛むって言うし、わたしの存在に気付いてるかどうかの差は大きいし」

 

休憩と言っても飲食をしたり身体を横にしたりとかのがっつりしたものではなく、あくまでちょっと息抜きをするだけというもの。前衛二人は特に息も上がっていないし、この休憩は数分程度のものになるんじゃないかと思う。

 

「…窮鼠猫を噛む、か…でも実際、普通に戦えば綾袮さんを窮地に立たせられるような相手は、それこそ妃乃さんとか魔王クラスの敵位なんだろうね。俺は世界どころか協会内の実力者もよく知らないから、今知ってる限りでは…って話だけど」

「ふふん、わたしは強いからねー。…でも、実力が全てじゃないよ。顕人君の言う通り、普通に戦えばわたしはそうそう負けないけどさ」

「…それは、戦術とか闇討ちとかの話?」

 

自信満々な表情を浮かべた後、ふっと綾袮さんは真面目な顔に。『実力』と『普通に』という二つの言葉から想像したものを口にすると、綾袮さんはこくんと頷く。

 

「察しがいいね。どんなに強くても個人の能力だけが戦闘を左右する訳じゃないし、その強さも発揮出来なきゃ無意味だもん。だから強くたって、安易に絶対勝てるとか大丈夫とかは思っちゃいけないよ?最近だって……」

「綾袮さん、疲労はどうですか?ラフィーネはもう十分だと言っているんですが…」

「あ、早いね。…でもわたしもそんなに疲れてないし、もう切り上げてもいいよ?顕人君だって疲れてないでしょ?」

「いや、それはまぁ見てただけなんだから疲れるも何もって話だけど…回答としてはYESだね」

「それでは行きましょうか。休むならこんな場所ではなく、環境の良い場所で休みたいですし」

 

何か綾袮さんが具体例を出そうとしたところで、その綾袮さんに声をかけたフォリンさん。質問を受けた綾袮さんはすぐに話をそちらへ切り替えて、俺も同意した事により休憩は終了。…本当に短い休憩だった。別に問題ないけど。

 

「…っと、そうだ…ねぇラフィーネ、フォリン。うっかり言いそびれちゃったりするのは嫌だから、今の内に言っておきたい事があるんだけど、いいかな?」

「…言っておきたい事、と言いますと…?」

「うん。わたし妃乃と近い内に出掛けようと思っててね。場所は……えーっと、まだちょっと確定してないからまた今度伝えるけど、二人もどう?」

 

哨戒ルートに戻ってからすぐに、綾袮さんは二人へと問いかける。綾袮さんがどこに出掛けるつもりなのか知らないけど…そこを詮索するのは、デリカシーがない行為というもの。

 

「そう、ですね…用事の面の問題がなければ、私はいいですけど……」

「場所による。全く面白くなさそうな場所なら遠慮しておく」

「あはは、ラフィーネは正直だね。でも、面白い場所だと思うよ?面白いって言うか、楽しいだけど」

「なら、行く」

 

え、今のでいいの?…とついラフィーネさんの方を見るも、ラフィーネさんにうっかり適当な回答をしてしまった感じはない。となれば、本心で答えたという訳で…ほんと、ラフィーネさんは正直です。

 

「う、うん…じゃ、フォリンは?…って、フォリンも回答的にOKなんだよね?」

「はい。言った通り、何かしらの用事と重なっていなければ、ですけど。…因みに私の用事とラフィーネの用事は基本同じなので、私が駄目な場合はラフィーネも駄目です」

 

はっきりきっぱり、自分の事だけでなくラフィーネさんの事までフォリンさんは回答。プライベートのお出掛けに関してそんなにきっちりした返答をする必要あるのかなぁ…とも思うけど、考えてみれば元からフォリンさんはそんな人なんだから、彼女は普段通りの返答をしただけなんだと思う。…態度はしっかりしてても、俺達みたいにゲームに熱中する事だって普通にある事は、今日知ったしね。

 

「よーし、じゃあ二人共来るって事に決定!早速後で妃乃にも伝えて…って、あれ?早速後で、って…なんかちょっと変?」

「そ、それを綾袮さんより日本語に疎いであろう私達に訊かれても……」

「じゃあ、顕人君!」

「どっちかって言えば変じゃない?早速をすぐにに置き換えると変だし」

「あー、やっぱりそうだよねー」

 

それからも会話をしながら、俺達は哨戒を続行した。お出掛けのお誘いの話から数秒で全く違う話になったのは驚きだけど…偶にあるよね、そういう事。

 

 

 

 

哨戒中、遭遇した魔物は一体のみだった。…といっても、一度も遭遇せず哨戒が終わる事も何ら珍しくない事だから、一体のみだった事に対して思う事は特にない。そういう訳で俺達は仕事を終え、それぞれで帰る事となった。

 

「今日も一日よく働いたねぇ」

「一日よく働いたかどうかは微妙だけど…ま、そうだね」

 

勤務明けみたいな事を言ってる(全くの間違いって訳じゃないけど)綾袮さんに、突っ込みしつつも俺は同意。それからふと、さっき聞きそびれた事を口にしてみる。

 

「そういえばさ、さっきは何を言おうとしてたの?」

「え?…あ、わたしが一回家の鍵をどこにしまったかど忘れしちゃった事?」

「そんな数十秒前の事じゃないし、数秒で解決した話を掘り起こす訳ないでしょ…それよりもっと前、休憩中の事」

「休憩中……あー、わたしがアイスクリーム買った…」

「それ多分出掛けてた時の事だよね!?それについては俺全く知らないよ!?そしてその事ではないって位分かってるよねぇ!?」

 

一回目は多分本当の勘違い。でも二回目は、明らかにわざとだった。綾袮さんはそういう顔をしていた。……ほんとボケに関しては抜かりがねぇ…。

 

「あっはっはー。…で、顕人君が訊きたいのは実力が全てじゃない…って話の中で言いかけた事でしょ?」

「そうだよそれ…わざと間違えおって…」

「ボケるのに丁度良い流れだったから、つい。…でも、そんなに気になった?」

「気になったっていうか…何かを言いかけられて、でもその先が分からないってのはもやもやするんだよ」

「あぁ、それはあるよね。じゃあ……」

 

手洗いうがいをしたり、リビングの電気やエアコンを点けたりしながら会話を続ける。その内やっと(って程時間がかかった訳でもないけど)綾袮さんは話してくれる雰囲気になって……

 

「──霊装者の世界は概ね平和だけど、完全な平和じゃないし、不安要素もゼロじゃない。…霊装者が人を襲う事件だって、あるんだから」

「……そういう、話なんだ…」

 

……それは凄く、重い話だった。重く、大きく……どこか、遠いようにも感じてしまう話を。

 

「…思ったより、衝撃を受けないんだね」

「驚いてるよ。けど…なんていうか……」

「実感がない?」

「……そんな感じ」

 

実感がない。…その表現は、しっくりきた。それがあまり良くない事も、既に何度も戦闘をしている身である事も分かっているけど……それが、自分に関係してるようには思えない。

 

「そっかそっか…でも現実としてあるんだよ。日本の話じゃないけど……こういう事がね」

「……っ…!」

 

いつも通りの声音で、軽く頷きながら俺の正面へと来た綾袮さん。そして綾袮さんは足を止め……気付いた時には、天之尾羽張の刃が俺の喉元にきていた。…綾袮さんの瞳は、鋭く…冷たい。

 

「……危機感のない奴で、ごめん…」

「…なんてね。そんな気にしなくてだいじょーぶだって!身近にないどころか聞く事すらまずない事を意識しろなんて普通に無理だし、わたしだってずっと格上の相手からこんな事されたら対応出来ないもん。これを学びにしてくれるならありがたいけど、気に病む必要はないんだからね!」

「そ、そう……(一瞬で雰囲気変わって、また一瞬で戻った…前の魔人戦もそうだったけど、偶に綾袮さん怖ぇ…)」

 

これを極度の気分屋と言うべきか、情緒不安定の疑い有りと言うべきか、或いは感情のコントロールが出来ているからこその芸当なのか。…時々綾袮さんからは、底の見えないものを感じる。

 

「ただでもほんとに、これだけは覚えておいて。霊装者は普通の人間じゃないけど、人間ではない訳じゃないって事を。これは誰だって覚えてなきゃいけないし、顕人君はただの霊装者じゃないんだから」

「…覚えておくよ。…というか、襲ったのが霊装者かどうかって分かるものなの?それに、そういうのもニュースでやってたりするの?」

「分かるものだよ。で、ニュースでもやってるけど……その事件はちょっと訳ありでね。霊装者絡みだって知ってるのは、あんまり多くないんだよ」

「……それ、俺に話しちゃってもよかったの…?」

「顕人君が黙っていてくれれば大丈夫!」

「俺次第!?そ、その信頼は嬉しいけど…色々問題あると思うよ!?」

 

もう真面目な話は終わりだとばかりにまたボケ(?)をぶち込まれ、その勢いのままに俺も突っ込み。その後はほんとに真面目な話は終わってしまい、いつも通りの他愛ない話で時間が過ぎていったけど……俺の心には、しっかりと残っている。特殊ではあっても人は人だという、綾袮さんの言葉が。



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第七十八話 武器と力の振るい方

武器を持って戦うのであれば、ある程度武器の手入れの技術を身に付けておかなければならない。ま、当たり前の話だよな。ちょっとした不調や切れ味の劣化程度で一々整備担当に渡してたら無駄な手間が増えちまう訳だし、整備担当に渡せない状況だってある訳だし。……が、そういう手入れを行うのは非専門家な以上、マメにやっていったってせいぜい現状維持が精一杯で…時折俺は、協会に装備を持っていっている。

 

「…相変わらず損耗が少ないね。やはり技量のある人間の武器は整備する側としても助かるよ」

「俺の場合は使用期間が少ないだけかもですけどね」

 

俺の装備を見ているのは、研究室室長の園咲さん。見ていると言ってもまだ状態把握の段階で、どうこうしている様子は一切ない。

 

「下手な人間が使えば、一度の戦闘でも大きく損耗するものだよ。最も、それは武器ではなく動画全般に言える事ぁけど」

「そりゃ、まぁ……で、どうです?」

「どれも問題なさそうだね。これなら軽く手を入れるだけで済む」

 

その言葉を聞いて、俺は一安心…とは言わずとも、少なからず良かったと思った。軽く手を入れるだけなら時間もかからないだろうし……今使ってるのは昔使ってた物がベースになってて、思い入れが全くないって言ったら嘘になるからな。…その内の一つはここじゃなくて御道のところにあるが。

 

「じゃあ、これからメンテナンスとしよう。終わるまで時間を潰していてくれるかな?」

「はい。……あ、その前に一つ質問いいですか?」

「構わないよ。準備でもう少しの間はこの部屋にいるからね」

 

装備を置いて、機材の準備を始める園咲さんに俺は質問…の許可を得る質問。それで許可を受け、気になっていた事を口にする。

 

「…園咲さんって、室長…なんですよね?」

「そういう事になっているね」

「……こういうのって、一介の職員がする事では?」

「あぁ…ふっ、確かにそうかもしれないね」

 

怪訝な表情を浮かべて俺がそう質問すると、園咲さんは肩を竦め…軽く笑って肯定した。…いや、肯定というか…同意をした。

ここが個人店舗なら分かる。俺が滅茶苦茶偉い奴で、室長直々に応対しなくては…って感じだった場合も分かる。…が、実際にゃどちらでもないんだから、直接見てもらえるのはありがたい反面違和感があるというのが正直なところ。

 

「…理由は色々あるよ?私が開発を主導した物だから、整備も自分の手で行いたい…という私的な理由もあれば、他の人員は基本その日する仕事が決まっていて、誰より私が遊軍の様に動けるからというのもある。…けれど、最たる理由は…それが一番面倒が少ないからさ」

「面倒、ですか…?」

 

さてどんな理由だろうか、と思っていたところに来たのは「面倒が少ない」という理由。…ここでいう面倒、ってのが組織的な意味だってのは分かるが……。

 

「知っての通り、君の装備はどれも特注品だからね。それに君は通常の指揮系統を離れた、かなり独特な立場をしている。となればそんな君が普通の整備をする場合、手順やら手続きやらでこちら側も面倒になってしまうんだよ」

「はぁ…なんか、お手数おかけしてます…」

「何、気にする事はない。むしろ君…それと顕人君の二人には感謝しているからね」

 

俺はこんなところでも余計な迷惑かけているのか、と少し申し訳なく思ったところ、返ってきたのは俺の思いとは真逆の言葉。で、それに俺は「?」って顔してたんだろうな。園咲さんはそのまま言葉を続けてくれた。

 

「私は一人で考える事、考えた物を形にする事、その結果をこの目で見て修正していく事が趣味みたいなものなんだ。だからそれを全て満たせるこの担当は、私個人で言えばむしろありがたいとすら言えるんだよ」

「…えぇと、それは……」

「……女性として致命的な性格をしている、とでも思ったかな?」

「え?い、いやそんな事は…」

「何、それに関して自覚はあるさ」

「…………」

 

職人気質、或いは好きな事を仕事に出来たって事なんだろうなぁと思っていた俺。…なのに、何故かかなりデリカシーのない事考えてたみたいに受け取られてしまった。しかも自覚はあるとも言われてしまった。……そういう事にしておこうかね…園咲さんの方はそれで納得してるみたいだし…。

 

「…あー、とにかくそう言ってもらえると助かります。後今の時代、男だから云々女だから云々はあんま気にしなくてもいいと思いますよ?」

「うん?…あぁそうか、君は昔を知る人間だったね。ふふ、お気遣い感謝するよ」

 

男だとか女だとか、そんなものより実力やら人間性を見る方がずっと建設的だろうと俺は思う。特に霊装者なんて、元々の身体能力はあんま関係なくなるしな。…まぁ、開発とか研究の分野に関しちゃ全く知らない俺の意見に過ぎないが。

 

「……あ、そういや…さっき御道の名前出ましたけど、御道のも俺と同じ感じで整備してるんですか?」

「そうだよ。…まぁ、君と彼とは装備の状態がかなり違うんだけどね」

「って、事は…あいつ使い方荒いんすか?…そういうイメージねぇけどなぁ…」

「いいや、彼自身は丁寧に扱おうとしてくれていると思うよ?装備にその形跡があるからね。…けれど、彼は霊量に物を言わせたスタイルを取る事が時折あるんだよ」

「あぁ…そりゃ確かに損耗も激しくなりますね…」

 

御道は装備を雑に使うどころか、むしろ色々気にして割り切るのが苦手なタイプなんじゃねぇかなぁと勝手に思っていた俺にとって、それは寝耳に水な言葉。だが、園咲さんの説明によってその理由を理解する。

道具ってのは丁寧に扱えば損耗を抑えられるが、それは使い方の良し悪しによる部分をカバー出来るという話で、運用上避けられない損耗ってのは存在する。どんなに上手く使おうが刀剣は斬りゃ切れ味が悪くなるし、火器の砲身は使い方に関わらず磨耗するって感じにな。で、霊力を直接撃ち出すタイプの火器は、大量の霊力を使えば使う程砲身内部の損耗が激しくなる訳で……あの砲でバカスカ撃ってたら、そりゃ丁寧に扱おうが関係なくなるわな…。

 

「…御道に使い方考えろ、って言っときますか?」

「その必要はないよ。整備気にして長所を生かせないんじゃ、あまりにも本末転倒だろう?」

「ま、そりゃそうですけど」

「何も毎回大破させている訳じゃないんだ、私もそこまで心が狭くはないよ。それに、だ。彼が使っているのは試作品な以上、酷使して色々な限界点を見せてくれるのはありがたいんだ。だから実際のところは、次はどんな状態で持ってきてくれるのかな…と楽しみなのさ」

「……なら、偶には俺も使い捨てる覚悟でやってみますかね…」

「ほぅ、それは楽しみだよ」

 

そう語る園咲さんの表情は、ほんのりとだが期待の様なものが含まれていた。…使い捨てる覚悟で、ってのは冗談のつもりだったんだけどなぁ…。

 

「さて、と。それでは始めるとするよ」

「あ、お願いします。んじゃ俺ちょっとぶらぶらしてるんで、終わったら適当に置いておいて下さい」

「ならば丁重に置いておこう。…っと、そうだ…悠弥君」

 

園咲さんが移動しようとしたのに合わせ、俺も部屋を後にすべく立ち上がる。理由はどうあれ直々にやってもらってんだから、これまで以上に装備は大切にしなきゃだなぁと思いながら出入り口に向かおうとしたところで、園咲さんは俺を立ち止まらせるように声を発して……言った。

 

「……今更だけど、コーヒーは飲むかな?」

「…い、要らないっす……」

 

間に合わなくてこのタイミングに、というのならともかく、出ていくのが分かったところでコーヒーを勧めるのは如何なものだろうか。──そういうもんなんだから当たり前っちゃ当たり前なんだが、この人の天然さって…予想が付かないんだよな……。

 

 

 

 

整備の終わった装備を受け取ったら、もう俺に用事はない。だから帰ってもいい…ってかこれまでなら帰っていた訳だが、今俺は空いていたトレーニングルームにいる。

 

「…………」

 

今も昔も俺が最も使う武器、実体刃の直刀を持って立つ事数分。抜刀こそしてはいるが……まだ、ここに来てから一度も振っていない。

 

「…ここまで来て、何を躊躇ってるんだろうな俺は…」

 

ここは武器を眺める場所でも、一人で静かに考え事をする為の場所でもない。トレーニングルームなんだから、ここでは訓練してナンボ。…そりゃ、分かっているんだが……。

 

(…自発的にやるってのは、本当にその気があるって証明だもんな……)

 

緋奈の普通の生活を守りたいという願いと、その為には少しでも多くの力が必要になるという現実。強くなれば守れる可能性も高まるが、訓練をすれば俺はよりこちら側に入り込む事となり、それが悪いものを呼び込んでしまう原因になるんじゃないかというジレンマ。うだうだうだうだ迷ってばかりいながら、碌な結論も出せずに今日も……

 

「…戦う相手を、所望かな?」

「うおっ…!?…あ、あんたは……」

 

なんて思っている中で、突如後ろからかけられた声。それに驚きつつも振り返ると、そこには落ち着いた雰囲気の男性が一人。

 

「……どちら様、でしたっけ…?」

「…一度私は、魔王との戦いで君と言葉を交わしているのだが、ね」

「へ……?…あ、警護部隊の…!」

 

どこかで見た覚えはあるものの、どこの誰だったか思い出せない。だが魔王との戦い、という言葉で思い出した。そして俺の記憶は合っているらしく、彼…警護部隊の隊長は、ゆっくりと首を縦に振る。

警護部隊隊長。あの魔王戦において、妃乃と綾袮が戻るまで唯一まともに魔王と戦う事が出来た、一撃受けた際もライフルを盾にする事で重傷を避けた、確かな実力のある霊装者。…また予想外の相手と鉢合わせしたもんだな…。

 

「…すんません、忘れてて」

「いいや構わない。一度、それも軽く言葉を交わしただけの相手など全員記憶していたらキリがないのだからな」

「いや、まぁ…それはそうですが…(俺はこの人の戦う姿も多少なりとも見てるから、軽く言葉を交わしただけ…ではないんだよな…)」

 

注目していた訳じゃないが、魔王相手に俺を含む殆どの霊装者は返り打ちとなっていたんだから、やり合っていた隊長の事は自然と記憶に残るというもの。…最初誰だか分からなかったのは……あぁそうだよ、記憶にはあっても興味がなかったから出てこなかったって事だよ…!

 

「…で、どうなのかな?」

「どう……えーと、相手を所望してるのか、って話ですか…?」

「勿論」

「あー…まぁ、訓練目的ではあったんですけど、別にそういう訳では…」

「ふむ、そうだったか。…ならば、少し私の相手をしてくれるか?もしよければ、だが」

 

口振りからしてもしや…とは思っていたが、案の定彼は相手を探していた様子。……多分言うまでもないと思うが、ここに俺以外の奴はいない。

 

「…えぇ、と…俺、相手になります…?」

「何、身体が鈍らないよう少し動かすだけの事だ。それに君は、それなりに腕が立つのだろう?」

「…そう思います?」

「曲がりなりにも魔王の前に立ち、最後まで屈しなかったんだ。実力のない者がそんな事出来るものか」

 

それは幸運と、妃乃を始めとする真の実力者がいたからだ…と一瞬思いはしたが、それを口に出す直前で踏み留まる。…多分、この人はそれを含めた上で言ってんだろうな…だったら……

 

「…じゃあ、軽く受ける程度であれば……」

 

隊長さんにしっかりと向き直り、ゆっくり首肯する俺。……自分から始めるのは躊躇っても、誰かに相手を頼まれたという事なら言い訳が立つ。自分に言い訳したって仕方ないが、それでも精神衛生には役立つ。それに…評価してくれた相手に特に理由もなく断ったら、向こうは何とも思わなくてもこっちが後々目覚め悪くなるし、な。

 

 

 

 

真っ直ぐに、一直線に近付き振り下ろされる剣を、床を踏み締め峰側を掲げて直刀で受ける。手に走る衝撃と、身体全体に感じる圧力。…それは激しく、重い。

 

「中々、堅牢な防御だな…!」

「防戦に集中してる、だけですよ…!」

 

勢いを乗せた斬撃を受け止められたと見るや否や、一撃重視から流れるような連撃に移行。その軌道を俺は目で追いながら、バックステップを行いつつ捌いていく。防御は出来ている。今のところ防ぎ切っている。…が…攻勢に回るだけの、余裕がない。

 

(少し動かすだけって……ここまでやってたら、そりゃもう嘘になるでしょうがよ…!)

 

段々速度が上がってきたのを感じた俺は、気を見て隊長さんの斬撃にこちらの斬撃を叩き付ける。それによって生まれた一瞬の間を突いて、真横へ全力で跳躍。空中で向きを変え、正面に隊長さんを捉えながら距離を取った。

それに対し、再び隊長さんは真っ直ぐに俺へと突っ込んでくる。…この動きは、もう何度目だろうか。

 

「…射撃は、しないんですか…!」

「今は、近接戦に専念しようと思ってな…ッ!」

 

加速しながら放たれた刺突を、斬り上げで迎撃。されど勢いまでは殺せず、即座にショルダータックルに変化した攻撃を俺は両手を交差させて何とか防御。数歩後ろによろけたが……それで済んだのだから上等というもの。

防御し、距離を取り、すぐ詰められて、また防御。…先程からずっと、それが続いている。一つ一つの動作は様々だが、流れは正直ワンパターン。

 

(…別に勝つ必要はねぇ…多分このまま続けたって、いい経験にはなる……が、やられっ放しは流石に癪だ…ッ!)

 

戦闘じゃ成果を焦る事、心を乱す事が敗北に繋がるが、だからってひたすら落ち着こうとするのが正解かと言えばそうじゃない。ある程度でも成果を上げて、無理せず落ち着ける状況や流れを作って、そういう事が出来て初めてコンディションは安定する。…つまり、こうして癪だという気持ちを溜めるのも、それを無理に鎮めようとするのも…得策じゃねぇ……!

 

「ふ……ッ!」

 

俺が体勢を立て直すかどうかの時点で、鋭い袈裟懸けが迫り来る。安全性を取るなら、選ぶべきは直刀での防御。だが俺は脚に力を込め、間に合うかどうかのヒリヒリ感を肌に感じながら…跳ぶ。

 

「ここで避けるか…!」

「えぇ、避けますよ…ただ……」

 

回避は間に合ったものの、寸前も寸前。後一瞬遅けりゃアウトだっただろう一撃が振り下ろされていく中で、俺と隊長さんの視線が交錯する。

恐らく隊長さんはここから軌道を修正し、或いは片手を離してその他で追撃をかけてくるだろう。まだ俺は十分攻撃が届く距離にいるんだから、それは至極当然な判断。…だが、向こうの攻撃が届くのなら、即ち俺もまだ攻撃が出来る距離だという事。俺は避けたが……

 

「…それだけじゃ、ねぇ…ッ!」

「……!」

 

左手を思いっ切り振り、それに合わせて身体も捻り、遠心力で体勢を変えて直刀を振り抜く。かなり無理矢理放った一撃だが、力は十分乗っている。力技だろうが何だろうが、とにかく攻撃として成立している。なら、それで……上等だッ!

放った斬撃は当たる直前で隊長さんの剣に阻まれ、刀剣同士の激突で双方に衝撃が走る。俺は弾かれるように後ろへ飛び、隊長さんは靴で床を擦りながら後方へ。そして着地した俺が構え直した時……隊長さんは、構えを解いた。

 

「…もう十分だ。ありがとう、私に付き合ってくれて」

「あ……はい、お疲れ様です…」

 

次はどう来る、俺はどう攻める…と思っていたところに突然入った終了発言に、ぶっちゃけ少し拍子抜け。…嫌かと言われれば、そんな事はないが。

 

「…良い動きだったぞ。それと謝罪もしておこう。我ながら少し熱くなってしまった」

「まぁ、模擬戦とはいえ戦いですし…(やっぱりか…このまま続けてたら、もっと火が点いて激しくなってたりしたのか…?)」

 

身体から力を抜きながら、直刀に異変がないか確かめ鞘へと収める。…早速刃毀れとかしてたら恥ずいな…即再メンテとか、完全にギャグだっての……。

 

「……そういや、結局最初から最後まで正攻法でしたね…そういう戦い方なんですか?」

「あぁ、だが別段奇策や搦め手が苦手な訳でも嫌いな訳でもない」

「…なら、何故?」

「私が警護部隊の隊長だからだ。相手へ回り込んでいる間に、防衛対象へ仕掛けられては本末転倒だからな」

 

守るべきものを守る為には、常に相手と正対していなければならない。…隊長さんの言葉からは、そんな意識が感じられた。……好きなように戦えないってのも、大変なものだよな…。

 

「さて、私は戻るとしよう」

「…忙しいんですね。さっき来たばかりなのに」

「元々空いた時間で身体を動かそうと思っただけだからな。君はまだ鍛錬を?」

「いや…俺も帰るとします。あんまゆっくりしてると夕飯の準備が遅くなってしまうんで」

「ほぅ、君は料理を…良い事だ。その技術も、時間や家族を気にする心がけもな」

 

そう言って隊長さんは俺に背を向け、出入り口へ向かって歩き出す。心がけなんてものじゃなく、料理を始めとする家事が当たり前の事になってるだけではあるが…別にこれはわざわざ言う事でもない。そんな事を思いながら俺も歩き始めようとすると……

 

「…そうだ。君の太刀筋から感じた事を、一つ言っておこう。だがこれは私の独り言だ。無視してくれようと、聞かなかった事にしようと構わない」

「は、はぁ……?じゃあ、取り敢えず聞いて…」

「……どれだけ手を尽くそうと守れぬ時は守れぬし、無理だと思った事が意外な形で達成される事もあるものだ。だから…心に余裕を持っておけ。結局のところ、事態は起きてからでなければ対処出来ないのだからな」

「……っ!」

 

背中を向けたまま立ち止まり、隊長さんは言った。……それは正に、俺の精神を見透かしたかのように。

 

「…………」

 

再び歩き出し、隊長さんはトレーニングルームを後にする。そうしてここは、最初の通り俺一人に。ついさっきまでは俺もすぐ出て行くつもりだったが……今は少し、帰ろうという気持ちよりも動揺が上回っている。

 

(…幾ら何でも、たったこれだけのやり取りで分かる訳がねぇ…ただ何となく感じ取って、当たり障りのない事を言ったってだけだろ…そうに、決まってる……)

 

前半は経験の話。後半も経験の話。その間にはアドバイスが入っていたが……心に余裕をだなんて、十人いたら九人は該当する程万能な助言。占いと同じで、受け取る側が…ここで言えば俺が、勝手に自分に沿った解釈をしただけの事。……そう頭では分かっていても、心では思っていた。思ってしまっていた。──不安を感じつつある『緋奈の為の現状維持』も、間違ってはいないのかもしれないと。どちらを選ぶにせよ、一番良くない迷って心に余裕のなくなっている状態なのではないかと。

 

「……予防は出来ても、予め対策を練られても、対処を先にしておくなんて出来ない…警護部隊隊長らしい言葉っすね…」

 

起きてもいない、実際にそうなるかどうかも分からない最悪の事態に振り回されるのは止めろ。振り回されない為に、心には余裕を持っておけ。…隊長さんの助言は、つまるところそういう事なんだろう。

そりゃあそうだ。備える事は大切だが、備え過ぎて憂うんじゃ本末転倒なんだから。……まぁ、それも俺がそう解釈したって話だが…な。

 

「…けど、そう言われると尚更迷うんだよなぁ……」

 

安易に選ぶべき事じゃないが、どっちか…もっと言えば緋奈の為に鍛錬すべきだって言ってくれた方が精神的には楽というもの。一方隊長さんの言葉は現状維持を遠回しに否定せず、むしろ迷う事へ警鐘を鳴らしているんだから、苦楽で言えば最も苦な助言。……けど、聞かなかった事にするつもりはない。その言葉は、俺にとって感じるところがあったんだから。

 

「…ったく、兄の頭を悩ませる妹だよなぁ、緋奈は……」

 

肩を竦めて後頭部をかきつつ、俺も出入り口の方へ。兎にも角にも、まずは帰らなきゃならない。何せ今日の夕食の当番は、俺なんだからな。さって、本日は何を作りますかね。



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第七十九話 夏休みと言えば

「あー違う違う。食器はよく使うやつを前、あんまり使わないやつを後ろにやるんだよ。他の物収納する時だってそうするだろ?」

「…そりゃそうだ」

「家事ってのはな、如何に効率化するかなんだよ。どうせ毎日やるんだったら、省ける無駄は省きたいと思わないのか?」

 

ぶっきらぼうに、でも結構しっかりとした指示が千嵜から飛んでくる。それに沿って、俺は食器棚内部の配置を入れ替えていく。…突然どうしたんだ、って?…俺もよく分からないっすよ…。

 

「…千嵜って、そんなに几帳面な性格してたっけ?」

「なんだ知らなかったのか?俺はワールド几帳面選手権町内会部門準優勝なんだぞ?」

「それは凄……くねぇ!全く聞いた事のない選手権だし、町内会部門の準優勝じゃワールドには箸にも棒にもかかってねぇじゃん!何を堂々と言ってんの!?」

「町内会で二番目なら、まぁまぁ凄い方だろ」

「町内の人全員が参加してたならね!てか架空の選手権だよねぇ!?」

 

真顔で意味不明なボケをぶっ込んできた千嵜に、茶碗を持ったまま全力で突っ込み。…えー、何故この状態になったかを努めて客観的に説明致しますと、

 

1.お昼過ぎに千嵜と妃乃さんが遊びに来た。

2.綾袮さんと妃乃さんは話し込んでいて、雰囲気的にはいり辛い。

3.千嵜と話そうにも特に話したい事柄はなく、ゲームって気分でもなかった為に手持ち無沙汰となって、そこで拭いた後乾かしていた食器がそのままだった事を思い出す。

4.片付け開始。その最中に千嵜が食器棚の配置に気付き、指導が始まる。

 

…こんな感じでございます。アレだね、これは4で俺が選択ミスした(片付け始めちゃった)のが原因だったね。

 

「いいんだよ別に。大切なのは自分自身がどう思うか…お前の気持ちはどうなのかって事なんだからよ」

「…格好良い感じに言ってるとこ悪いけど、俺の気持ちは一貫して『何言ってんのこいつ』だからね?」

「……ちっ」

「舌打ちすんなよ!?感じ悪っ!」

 

そんなやり取りをしながら入れ替える事十数分。茶碗や湯呑みだけでなく、箸や丼なんかの位置も徹底的に変えていった結果、食器棚内部の印象は大分変化した。具体的に言うと…結構すっきりしてる。

 

「…なんか見るからに使い易そう」

「だろ?感謝してくれても構わないぞ?」

「そんな偉そうに言われるとしたくなくなるなぁ…まぁ、一応するけど」

 

頼んでもいない指導とはいえ、便利になったであろう事は事実。そう思って言葉を返すと、千嵜は「気にすんな気にすんな、俺がお節介焼いただけさ」みたいな顔をしていた。…ほんとに何なのこいつ…。

 

「…しかし、あっちは盛り上がってるなぁ」

「羨ましいの?」

「羨ましいなぁ、あの位置は寒くない程度にクーラーの風受けられそうだし」

「どんな視点で見てんだ…盛り上がり関係ないし……」

 

どうも綾袮さんと妃乃さんは先日ロサイアーズ姉妹を誘ったお出掛けについて話しているらしく、見るからに楽しそうな雰囲気が漂っている。…綾袮さんが楽しそうにしてるのはよくあるけど、妃乃さんはちょっと新鮮だなぁ…。…単に見る機会が少ないだけで、実際は妃乃さんもよく楽しそうにしてるって可能性もあるけど。

 

「…その視線、お主妃乃に注目しておるな?」

「何その口調…って、し、してないよ失礼な!ちょっと視線がそっち行ってただけだわ!」

「いや、妃乃を見てるな?って指摘に対して『失礼な』は、そっちの方が妃乃に失礼だろ…」

「あ…うん、そうかも…ごめんなさい妃乃さん…」

 

うっかり悪い事を言ってしまったと千嵜に言われて気付いた俺は、その場で謝罪。向こうは自分達の会話に夢中でこっちの話を聞いてないみたいだけど…まぁ、悪いと思ったら謝罪するのが基本だしさ。

 

「てか、結局見てはいたんだな」

「…見てたよ、けど疚しい感情は一切持ってないです」

「あそう。さて、それはさておきもう一杯麦茶貰っても……」

「ぶ……っ!?ちょっ、え…はぁ!?」

 

視線の話は割とあっさり終わり、麦茶の二杯目を求めた千嵜。既に内容は十分伝わり、後は発言を疑問形にするだけ…というところで、突如妃乃さんが大声を上げた。

 

『……?』

「お、落ち着いてよ妃乃…そんな一瞬でそこまでのリアクションに至る程嫌だった?」

「い、いやそういう訳じゃないけど…ちょっと場所変えて話すわよ…」

 

妃乃さんが綾袮さんの腕を掴み、二人はリビングから廊下へと出ていく。……喧嘩、ではないと思うけど…。

 

「……直前に綾袮さんが何言ったか聞いてた?」

「聞いてなかった…何言ったんだろうな……」

 

扉が閉められた後、俺はピッチャーを、千嵜は麦茶の入ったコップを持ってぽつりと呟く。……ほんとなんだったんだろう…。俺、気になります。

 

(とはいえどうするか…後で聞いてみる…のは、なんかちょっと盗み聞きしてたみたいで嫌だなぁ……)

 

がっつり聞こえたんだから盗み聞きも何もって話だけど、女の子同士の会話となると取っ付き辛い。でもあれだけの反応って事はそれなりの言葉を言った訳で、まぁ何でもいいや…なんて感じには流せない。

 

「…………」

「…………」

「…一先ず向こう行く?」

「だな…流石にキッチンで突っ立ってるのは時間の無駄過ぎる…」

 

…なんてやり取りを経て、俺達はリビングに移動。千嵜の方にも訊きに行ってみようなんてつもりはない様子で、更に二人も中々戻ってこない為に段々と間が持たなくなり、次第に気になるという気持ちも薄れ……はしないものの、今は別の事を、という気持ちの方が強くなっていく。そうして、数十分もした頃には……

 

「これさ、ちょっと前にぶっ倒れる寸前までやったんだよねぇ」

「そりゃまたヘビーユーザーになったもんだなぁ…」

 

何を言ったのかは脇に置いて、普通に二人でゲームをしていた。ま、正直考えたって答えの出ないものだしさ。

 

「…そういや、御道は実家に帰省しないのか?」

「あー…しないかなぁ。少なくともそういう予定はない」

「…帰るかどうかは御道次第だけどよ、時には顔見せた方がいいと思うぜ?遠くに住んでる訳でもねぇんだし、帰るのは別に大変でもないだろ?」

「時にはも何も、ちょいちょい帰ってるよ。大変でもないどころか、帰ろうと思えばすぐ帰れるんだから」

「あ、そうなのか…悪ぃ、意味のない事言ったわ…」

 

家族絡みとなると千嵜はどこか独特の雰囲気となって、その時の言葉は大概「そうだよなぁ…」と思わせる内容だけど…今回はそうでもなかった。勘違いからの言葉なんだから、当たり前っちゃ当たり前だけど。

 

「気にすんな気にすんな。…けど、そうだな…お盆には一回顔出そうかな」

「なんだその返し…だったら土産買ってきてくれよ?」

「なんで買ってこにゃならんのだ…そもそも自分で遠くじゃないって……」

 

ゲームは続けつつ、言葉に「何言ってんだ…」という思いを乗せて突っ込んだその時、扉が開いて綾袮さんと妃乃さんが戻ってきた。……脇に置いていた事柄の当事者が、帰還した。

 

「あ、またそれやってるんだ」

「え?…あ、うん。これを選んだのに深い理由はないけどね」

 

戻ってきた綾袮さんの最初の言葉は、なんて事ないありふれたもの。ちらりと見てみれば、表情も大きく変化していたりはしない。

 

「深い理由もなしに俺を付き合わせたのか…図々しい奴め……」

「なんかやろうぜっつったのはそっちでしょうが…過去を捏造すんな」

「…妙な事してるわね。口じゃそんな事言ってる癖に、仲良くゲームしてるんだから…」

 

言葉と行動がミスマッチなのは俺達自身も理解しているところ。…なんなんだろうね。ある程度の歳になると、気心の知れた相手と毒を混ぜた会話したくなる時があるのは。

それから二人はソファに座って俺達のプレイを眺めていて、俺達はそのままゲームを続行。数分後には勝敗が付いて……そこで、綾袮さんが口を開いた。

 

「…あのさ、ちょっといいかな?」

 

呼び掛けられた俺はコントローラーを手にしたまま、視線をTVから綾袮さん達の方へと向ける。同様に千嵜も視線を移して、俺達と綾袮さん達で向かい合う体勢に。…と言っても、肩越しに向いてるから完全に正対してる訳じゃないけど。

 

「…何か用?」

「ううん、何でもないよ」

『(そっか・そうか)……何でも(ない・ねぇ)の!?』

「ううん、冗談」

「しょうもない冗談言ってんじゃないわよ…」

 

何でもなさそうな顔でボケた綾袮さんに俺と千嵜が同時突っ込みを行うと、更にその後妃乃さんが呆れ気味に突っ込み。…全員に突っ込まれてるよ綾袮さん…。

 

「えへへ、ボケられるチャンスがあるとついボケたくなっちゃって…」

「あー、それは分からん事もない」

「悠弥もここで同意するんじゃないっての…話進まないからさっさと言いなさいよ」

「はーい。えっとね、わたしと妃乃は今度出掛けるんだけど、二人は知ってる?っていうか、顕人君は知ってるよね?」

 

知ってるっていうか、ロサイアーズ姉妹を誘っているのを隣で聞いてたね。…と同意すると、千嵜は「ほー、そうなのか」みたいな反応をしていた。けど別に今はそれを詳しく教える必要はないらしく、千嵜に対しての説明はない。

 

「で、わたしは二人も誘おうかな〜って思ったの。その方が色々と都合が良い……じゃなくて、遊ぶなら人が多い方が楽しいし」

「いや、今はっきりと都合が良いって聞こえたんだけど」

「えー?気のせいじゃない?」

「気のせいじゃねぇだろ」

「……それで、どこ行くかなんだけど…」

((流された!?酷ぇ!))

 

自分で蒔いた種の癖に、綾袮さんはまさかの処理放棄。それに俺達がショックを受ける中、マイペースのまま綾袮さんが次の言葉を……

 

「…ええっと、そのー…場所は……」

『……?』

 

…と思いきや、何故か突然綾袮さんは歯切れが悪くなり始めた。それを変に思った俺たち二人が見つめると、綾袮さんはちらちらと視線を逸らしてしまう。

 

「ちょっと綾袮、どうしたのよ」

「…うぅ、妃乃ぉ…いざ言うとなったら、何だか恥ずかしくなってきちゃったよぉ…」

「はぁぁ!?は、恥ずかしいも何も貴女が言い出したんでしょ!?ここに来て何言ってんのよ!?」

 

様子のおかしい綾袮さんへ妃乃さんが声をかけると、どういう訳か綾袮さんは泣き言らしき言葉を口にする。一方妃乃さんはそんな綾袮さんを叱責し……え、何?これは一体何を言おうとしてたの?

 

「それはそうだけど…妃乃、言ってくれない…?」

「わ、私だって嫌よ!それじゃ私が提案したみたいになるじゃない!」

「そうしてくれていいから!発案者の立場はあげるから、ね!」

「要らないんですけど!?遠慮じゃなくて、シンプルな拒否で言ってるんだからね!?」

 

俺達そっちのけで押し付け合う(?)二人に、一体どんな反応をしたらいいものか。…そんな事を思っていたら、おずおずと千嵜が質問を行う。

 

「…えーと…俺等は闇カジノか何かにでも誘われてんの…?」

「闇カジノ!?…いや、確かに普通じゃない場所なのか、とは俺も思ったけど…だからって闇カジノ出す!?ここでそんな名前出されたら、余計話がこんがらがるよ!?」

 

…話を進展させるような一言を言ってくれるかと思いきや、出てきたのは明らかに不要な発言だった。…気持ちは分かるけどね。ヤバい場所に連れてかれるのかって思う気持ちは分かるけどね!

 

「そんな場所に誘う訳ないし行く訳もないでしょ…ほら早く言いなさい、カルピス作ってあげるから」

「ほんと!?…って、そんな事じゃ釣られないよ!カルピスだったら自分で作れるし、最悪原液で飲むもん!」

「原液で!?口と喉がえらい事になるわよ!?悪い事は言わないからそれは止めておきなさいよ!」

「…あのー…いい加減話の路線を戻してくれませんかね…?」

 

もう何故かカルピスの話をし始めてしまった二人(後から原液で飲む、というのは冗談であった事が判明した)に今度は俺が声をかけるも、二人からの応答はなし。それでもだからってゲームに戻る訳にはいかず、しょうがないから千嵜と溜め息を吐きつつ肩を竦め合っていると……

 

「……だったらもういいわよ…私が言うから、貴女はその後の説明をしなさい…」

「うん、ありがとう妃乃……」

 

漸く話が纏まって…というか妃乃さんが折れて、話が進む事になった。……なんでしゅんとしてんの、綾袮さんは…。

 

「…あー…ほんとに勘違いしてほしくないんだけど、これはあくまで綾袮発案だから」

「念押すなぁ…やっぱ闇の感じなのか?まさか主犯か共犯かってとこ気にしてるのか?」

「勝手に犯罪にしないで頂戴…じゃあ、こほん……」

 

咳払いをし、妃乃さんは佇まいを正す。それから一拍の溜めを入れて……言った。

 

「……海水浴、行こうと思ってるのよ」

 

…………。

 

……………………。

 

「…あ、なんだ海水浴か」

「やっと何なのか分かったな。非合法が感じがなくて一安心だ」

「けどまぁ、思ってたのとは違う方向性だったよね」

 

佇まいを正しながらもその後視線を少し逸らした綾袮さんの言葉を受け、俺と千嵜はすとんと答えを頭に落とし込む。ふーん、海水浴ねぇ。混むんじゃないかー、とか荷物に気を付けないとなぁ、とか思うところは幾つかあるけど、それなら即断るようなものじゃ…………

 

 

 

 

『……海水浴、だと…?』

 

雷に打たれたような、或いは全身全霊の一撃を無傷で凌がれたかのような衝撃に襲われる野郎二人。唖然としながら無意識に訊き返すと、女子二人は「反応遅くない…?」と言いそうな視線をこちらへ向けていた。

 

「え、えぇそうだけど…何よその顔…」

「…俺今、どんな顔してる…?」

「悠弥…というか、二人共劇画タッチみたいな顔になってるわ」

「そ、そうか……」

 

指摘されて顔を触ると、確かに眉毛が太くなっていたり、顔の彫りが深くなっている……気がした。…まぁ、それはこの際あんまり重要じゃない。

 

「…綾袮さん、なんでその話を俺達に……?」

「…だから、さっき言ったじゃん。そっちの方が都合良い…もとい、人が多い方が楽しいかなって…」

「うん、わざとだよね?わざと言い間違えてるよね?……え、と…それは、二人にとって不快だったりはしないの…?」

 

海水浴。それは即ち、海に行くという事。海で泳ぐという事。……水着になる、という事。そう、水着…水着なのである!

 

「それは…事と次第によっては、目潰しルートかな」

「め、目潰し…」

「そうね」

「そうね、じゃねぇよ…怖ぇよ……」

 

自分でもちょっとテンションの方向性がよく分からなくなりつつある中、提示されたのは目潰しという言葉。しかも妃乃さんがさも当然だと言わんばかりに同意し、ちょっと背筋が寒くなる。この二人に…いや誰であろうと、目潰しされれば目がえらい事になるのは間違いない。

 

「…で、どうするのよ?目潰しか来ないか…」

『行ったら目潰し確定なの!?』

「…っと、ごめん間違えたわ。貴方達も来る?」

「それ言われた上でだと行くのが怖くてしょうがねぇよ…てか、割と妃乃は俺達が来るのに抵抗ないんだな」

「は、はぁ!?そんな訳ないでしょ!私は最初そんなに乗り気じゃなかったし、今だって大賛成って訳じゃ……」

「…あの、そんなキツい態度で言われると、少なからずショックがあるんですが……」

「あ……」

 

しっかり者の性格が影響してか、その後の説明は綾袮さんに任せると言っておきながらも続ける妃乃さん。…が、そこで千嵜が言わなくていい事言ったものだからさぁ大変。予想以上に強めの否定が帰ってきて、俺も千嵜もダメージを受けてしまった。…異性なんだから否定の気持ちを抱くのは至極当然ではあるけど…やっぱり強めの否定が来ると、ね…。

 

「…こんな感じに否定を露わにすると貴方達に悪いと思ったから、特に言わなかったのよ。…今さっき言っちゃったけど……」

「ま、まぁほら。今のは売り言葉に買い言葉の面もあったし、妃乃も嫌で嫌で仕方ないけど我慢してる…って訳じゃないからそこは安心して。…そうだよね…?」

「…ほんとに嫌だったら、こうして話に参加なんてしてないわ…」

「はは、そうだよね…うん、これは話が話だから仕方ないよ……」

 

言葉のキツさに一旦はダメージを負った俺達ながら、すぐに綾袮さんのフォローがあった事と、話的にしょうがないよなという自己解決によって、一先ずは回復。…と同時に、どうするか訊かれているという事を思い出す。

 

「…………」

「…………」

「……行くか」

「行きますか」

 

千嵜と顔を見合わせ、数秒。アイコンタクト…という程でもなく、ただ何となーく出来てるんだか出来てないんだかよく分からない意思疎通を交わして、俺達は決定した。多分見ようによっては深く考えず決めたっぽくなってると思うけど……そんな事は、ない。

 

「じゃあ、ちゃんと準備しておいてね?後荷物持ちはお願いね〜」

「…それだな、色々都合が良いって言ってた内の一つは……」

「あぁそうそう、緋奈ちゃんも誘ってるんだけど大丈夫よね?」

「別に構わねぇよ。それは緋奈が決める事だからな」

 

動向が決定した事で話は終了。都合が良い、の内容の一端が判明したり、ここにいない同行者が一人判明したりと情報が決定後に幾つか出てきて……

 

「……あ、そうだ。これって俺達が誰か誘っても大丈夫?」

「え?誰か誘いたい相手いるの?」

「そういう事。茅章さんなら綾袮さん達との関係性知ってるし、夏休み入ってから会ってないから誘おうと……って、茅章の事知ってるっけ?」

「いや知らんだろ。茅章は……」

「あー、彼ね。知ってるよ」

「うーん…ま、いいんじゃない?」

「そ、そう…なら誘ってみるよ…」

 

ふと思い付いた茅章を挙げてみると、意外にも二人は茅章の事を知っていた。…なんで知ってるのか謎だけど…まぁいいか。説明の手間省けたし。……てか、茅章はすんなりOKなのね…。

 

「一応言っておくけど、目潰しは半分位本気だからね?そこ忘れるんじゃないわよ?」

「へいへい…さて御道、ちょっといいか?」

「あいよ、少し席外すね」

『……?』

 

急に何だろうと小首を傾げる綾袮さんと妃乃さんを前に、俺達二人は廊下へ。出てから扉を閉じ、リビングから最も離れた場所まで移動し、そして……

 

 

 

 

 

 

『……海水浴、だとぉぉぉぉ…ッ!?』

 

──思春期の男子高校生らしい(?)反応をフルドライブさせる、俺と千嵜だった。



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第八十話 海と水着と大打撃

夏と言えば海。それは毎年海水浴に行くような人間は勿論、滅多に行かない人だって普通に思い付くような、最早代名詞的なもの。…けど、俺はあんまり行かない…というか、行った覚えがない。

別にそこまで「海は嫌!」って気持ちがあった訳じゃない。ただ泳ぎたいならプールでいいし、プールなら流れるプールだったりウォータースライダーだったりと面白いものが海より多いし、砂浜で砂の城を作る事に興味はあんまりないし、設備や周りの施設的にもプールの方が快適だし…と、どちらかといえば海よりプール派だったというだけの事。そんな俺が……久し振りに、海水浴に来ました。

 

「あー、千嵜もうちょい前に傾けて」

「これ位か?」

「うぶっ…も、もうちょいって言ったじゃん!誰が俺の顔に当たる位傾けろって言ったよ!?」

 

到着後、早々に水着へ着替えた俺と千嵜はパラソルやらレジャーシートやらを設営中。一方女子の方々は、まだ着替え中。

 

「ったく…骨の先端が目に刺さったらどうするつもりだったんだ…」

「いや、妃乃が言ってたろ?目潰しは半分本気だって」

「千嵜から目潰し受ける理由はねぇよ!?」

「だろうな。実際は刺さらないよう上手く角度変えてたから安心しろ」

「…俺さ、千嵜がもっとその気遣いやら妙な優しさやらを普通の方向に向けたら自然と周りからの評価も変わると思うんだけど…」

「そーだなー」

 

見た目は多分良い方で、付き合ってみれば中々面白い千嵜は、少し努力すれば大きく変わる筈。そう、俺は思うんだけど…千嵜自身がその気ないんじゃ、まぁ何言ったってしょうがないか…。

 

「…にしても、大したもんだよなぁ…まさか島一つを所有してるとは…」

「それは大いに同意…サブカル業界じゃ時々出てくる展開だけど、実際経験出来る日が来るなんてね…」

 

一通り設営を終え、荷物の確認(重い物を中心に、大半を俺と千嵜が持たされた)もした俺達はパラソル下のレジャーシートに座り、改めて協会の存在の大きさに感嘆の声を漏らす。

右を見ても、左を見ても、俺達以外の人はいない。何故ならここは、協会の所有する小島だから。流石に宮空家と時宮家のプライベートビーチとしての為だけに所有している訳ではなく、人目を気にせず大規模な訓練や演習を行う為の土地というのが本来の目的(合宿?的なのもここでやるらしい)のようだけど…空いてるなら使えばいいじゃん、という事で俺達は今ここにいる。……そしてズルい事してる自覚も、一応ある。

 

「…茅章、ちゃんとここに来られるかな?」

「妃乃達が手配してるみたいだし大丈夫だろ。最悪あの二人は装備無しでも飛べるんだし、連絡さえくれれば……っと悪ぃ、電話だ」

「なんというタイミング…茅章から?」

「いや、宗元さんだ」

「宗元さん…って確か妃乃さんのお祖父さんだったよね…?」

 

俺の質問には答えず(答える前に通話開始した)、千嵜はどこかへ歩いていく。…同居してる異性のクラスメイトの祖父から電話がくるってだけでも中々に凄い事なのに、その人は協会のトップなんだもんなぁ…それ自体も物凄いし、それを割と平然に取る千嵜も色々ぶっ飛んでるよ…ぶっ飛んだ過去を持ってるんだから、これ位今更なのかもだけど…。

 

「…はぁ、俺もあれ位の余裕を心に持って深介さんや刀一郎さんと話せたら良いんだけどなぁ……」

「顕人くーん、お待たせ〜!」

「っと、来たね綾袮さ…ん……」

 

どこかへ行った千嵜と入れ替わるようにして来たのは綾袮さん。声をかけられた俺は普段の調子で振り返り……目を、奪われた。

綾袮さんは、水着を着ていた。いや、それは当たり前なんだけど…水色のチューブトップビキニを着ていた。いやいや、それも当たり前なんだけど……トップスが自己主張の激しくない小振りな胸を、ボトムスがすらっとくびれた腰回りを包んでいて、どちらにしても健康的な身体を大胆に出していて、水色が水着も白い肌も両方を映えさせていて……うん、まぁ、なんていうか…ドキッと、しました。

 

「…あ…えと…その……」

「あー、さては顕人君、わたしに見惚れてるねー?もう、顕人君のえっちー」

「うっ…ち、違うよ!?俺は別に……」

 

何か訊かれた訳でもないのに一人で口籠って、それで心境を見抜かれた俺は若干声を裏返らせつつ目を逸らす。もうこの時点で半ば認めてるようなもので、冷静な時であれば絶対にしないようなミスだったけど……あろう事か、逸らした視線の先にも水着姿の女の子が二人。

そこにいたのは姉妹。姉の方はスレンダーな体躯にスポーツビキニを身に付けていて、妹の方は発育のよい肢体にクロスホルダービキニと腰にパレオという出で立ち。キュッと締まって無駄のない細さを押し出してる姉と、出るとこ出て膨らみをしっかりと伝えてきている妹の二人。外見は結構違って、水着の種類も違って、でも色はどちらも紺色(パレオは白)で揃えていて……またドキッと、しました。

 

「……?何?」

「…あ…いや…あの……」

「…男性ですし、反射的に湧いた感情にはとやかく言いません。ですがもし、良からぬ想像をしているなら……」

「し、してないです…すみません……」

 

視線に気付いたラフィーネさんにはいつも通りの調子で訊かれ、察した様子のフォリンさんには厳しめの視線を向けられ、なんか謝ってしまった。…良からぬ想像はしてないけど…ドキッっとしただけだけど…。

 

「…………」

「…ちらちら見るのは止めてくれないかな。なんか普通に見られるよりそれ嫌」

「……は、晴れてよかったよね…」

「…顕人。理由もなく相手に背を向けて話すのは良くない」

「…うぐ……」

 

基本下を向いて時々見るようにしたら嫌だと言われ、完全に違う方向を向いたら良くないと言われ、ならどうすりゃいいのって話。……思春期男子の方なら、俺の気持ち分かるでしょう…?

 

「…先に言っておくけど、やましい気持ちなんてないんだよ?ほんとにそういうつもりはなくて、ただ……」

「んもう、分かってるよ顕人君。まだ半年弱だけど、わたしは君と生活してきたんだから」

「綾袮さん……」

「それより、何か言う事はないの?顕人君の前で可愛い女の子が、水着を着てるんだよ?」

 

弁明するように、恐る恐る言葉を紡ぐ俺。すると綾袮さんは肩を竦めて…それから俺に優しく微笑みかけてくれた。今のギラギラとした夏の太陽とは違う、暖かな春の太陽のように。

それから綾袮さんは何かを求めるような質問を俺に。…幾ら俺でも、今は綾袮さんが何を求めているかは分かる。なら怒らず微笑んでくれた綾袮さんに、俺はそのお返しをしなきゃいけない。そう考えて、俺は立ち上がり……言った。

 

「…似合ってるよ、綾袮さん」

「そうそう、それ位は言ってくれなくちゃ。でも一言言うだけなら、見てなくても言えるよね?」

「え……そ、そうだね…。…こほん、じゃあ…可愛いけど子供っぽくなり過ぎてないのが、センスいいと思う」

「へぇ、他には?」

 

俺の言葉に満足そうな顔をしつつも、更に綾袮さんは要求してくる。多分これは俺へのからかいも含まれていて、言えなきゃ言えないで「はぁ、ここで少ししか言えないんだからモテないんだよ?」とか返されるんだろうけど……少しでも優しさに報いたいという気持ちと、まだ収まりきってないドキドキとが噛み合う事で、次第に俺は饒舌になっていく。

 

「他……綾袮さんってイメージ的には黄色とかオレンジだけど、だからこそそれとは離れた水色が映えてるっていうか…綾袮さん肌綺麗だし、瑞々しい感じもあるし…」

「あ、うんありがと…」

「それとチューブトップってのも良い感じ。こう…きゅっってなってるのが、綾袮さんの身体のラインを良い意味で強調出来てるし」

「…えと、その…顕人君…?なんか段々雰囲気が…」

「後下手に隠そうとしてないのが逆に良いよね。さっきも言ったけど子供っぽくなり過ぎないよう抑えられてるから、単純なメリハリとは違う魅力が出てるっていうか、そういう方向に走らない事で綾袮さんの持つ魅力を存分に発揮出来てるっていうか、ほんともう身体の節々まで見たくなる……──はっ…!?」

 

首筋、腋、胸元、お腹。くびれに腰に、腕や脚。気付けば俺は全身を次々と見ていって、抱いた感想を次から次へと口にしていた。その状態がある程度続いたところでやっと俺は自分のヤバさに気付いて、言葉を止めるけど……時既に遅し。

 

「う、うぅぅ……そんなにじろじろ見ないでよぉ、馬鹿ぁ…!」

「…あ、ぁぁああああすみませんでしたああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

自分の身体を抱くようにして顔を真っ赤にする綾袮さんに対し、俺は謝罪の言葉を叫びながら土下座。ちらちらも目を背けるのも駄目で、今度はしっかり見るのも駄目なの!?…なんて思わない。だって今のは完全に俺が悪いから。間違いなくセクハラ発言だったから。

 

「……少し、失望です」

「今のはわたしでも分かる。顕人……最低」

「はい、これに関しては言い訳のしようがありません…どうぞ叩くなり埋めるなりして下さい…」

 

冷たい声音の避難に晒されながら、砂浜に頭を擦り付けて土下座続行。砂浜は熱々だけどそんな事気にしていられる立場じゃない。スイカ割り用の棒で叩き潰されようと、砂遊び用のスコップで頭から埋められようと……今は、反論のしようがない。

 

(ほんとに今のは酷い…反省しろ俺ぇ……)

 

正直言って、自分がこんな事するとは微塵も思わなかった。夏の暑さに頭やられたのかなぁ…とか言って誤魔化す気にもならないし、綾袮さんを嫌な気持ちにさせてしまったのなら冗談抜きに反省しなきゃならない。

そうして訪れた気の重い静寂。それが暫く続いて……

 

「……顕人君、顔上げて」

「え……綾袮、さ…ぐほぉっ!?」

「い、今のは一言で終わらせようとしなかったわたしにも非があるし、これで許してあげる。けど、また同じように見てきたら…その時は目潰しするからねっ!」

 

綾袮さんの声で顔を上げた俺は、次の瞬間思いっきり引っ叩かれていた。ばたーんと横に倒れる俺の耳に、綾袮さんからの割とマジな言葉が届く。

実のところ俺は一度綾袮さんの裸を見てしまっているし、それがあるからまぁ大丈夫だろうなぁ…なんて思っていた節がある。でも現実はこれで、結果はこのざまだった。……ほんと、反省しようね…俺。

 

 

 

 

「あーはいはい分かってますって。俺にだってそれ位の分別はあります。…えぇはい、気を付けますよ。んじゃ」

 

馬鹿な真似はするなだとか、万が一の事があったら責任取って切腹しろだとか釘を刺しまくってくる宗元さんとの通話を何とか乗り切り、携帯を羽織っていたシャツのポケットにしまう。…俺ってそんなに信用ないかね……。

 

「…まぁ、緋奈が男と仲良くしてたら俺も思うところがあるし、そんなものか……緋奈をそんじょそこらの野郎にやるつもりは毛頭ねぇけど」

 

兄と祖父という違いはあれど、守りたい身内に対する思いって意味じゃ変わりはない。最も緋奈と妃乃じゃ自衛能力が全然違う訳だが…それはまた別の問題。

 

「しかし、思ったより歩いたな…ここは……」

 

流石に林の中だとか変な所には入っていないが、期せずして結構離れてしまった。その事に頭を掻きつつ元来た道を歩いていると……更衣室から出てくる、妃乃と緋奈を発見した。

 

(……水着着た後ろ姿というのも中々…っといかんいかん、これじゃ宗元さんに文句言えねえっての…)

 

さも普通の事かのように出てきた変な思考を振り払い、俺は二人の方へ。

 

「女子はこういう時の着替えも時間かかるもんなんだな」

「へ?……あ、悠弥…」

「あれ、どうしてお兄ちゃんが後ろに?……まさか覗…」

「してねぇよ。電話が来たから、御道から離れつつ話してたらこの付近まで移動しちまったんだ」

 

振り返った緋奈から半眼を向けられるも、言い切られる前にそれを否定。場合によっちゃ通話履歴見せなきゃいけないか…とも思ったが、その言葉だけで二人は信じてくれた。…まぁ緋奈はともかく、妃乃は緋奈が言わなきゃそもそも疑わなかった可能性もあるが。

 

「…ふぅん……」

「…何だよ」

「貴方ってそれなりにいい身体してるのね」

「えっ……そ、そのだな妃乃、幾ら俺が頼り甲斐のある男だからって、水着になって早々に逆ナンするのは……」

「な……ッ!?ち、違うわよ馬鹿!そんな訳ないでしょ!そんな訳ないでしょ!?てか何しれっと自分で頼り甲斐のある男とか言ってんのよ!?」

「どーどー落ち着け。今のは紛らわしい表現をした妃乃にも責任があるんだからなー」

「あんたがふざけた解釈しただけでしょうがッ!そういう意味じゃなくて、そこそこ鍛えてるのねって言ったのよ!」

 

殴りかかってきそうな勢いで突っ込んでくる妃乃を、軽ーい調子で受け流す。海でも妃乃の気の強さは変わらんなぁ…。

 

「はは…お兄ちゃんは昔から日課で筋トレしてるもんね。ムッキムキって感じじゃないけど、わたしはそれ位シュッとしてる方が良いと思うよ」

「おう、ありがとな緋奈」

「…で、わたしを見て何か感想はない?」

「え、感想?…それは、体格「じゃないよ?」…じゃないのか……」

 

まだ肩を怒らせている妃乃に続き、緋奈の視線も開いている俺の腹部へ。何気に二人から評価された事でちょっぴり良い気分だった俺が感謝の言葉を返すと…緋奈はその流れで自分に関する事を訊いてきた。そんで体格の話かと訊き返してみようとしたら、即否定された。

 

「…こういうのって、兄から言われて嬉しいものなのか…?」

「わたしは嬉しいかな」

「……適当に言ったら?」

「不機嫌になるかな」

「じゃあ、こほん…。…似合ってるし、可愛いと思うぞ」

 

遠慮なく言い合える関係の俺と緋奈だが、一応…てかしっかりと性別的には異性の関係。だから流石にそれは…と思ったが、緋奈自身が望んでいるなら話は別。俺は一度咳払いをし、それから素直な感想を口にする。

緋奈が着ていたのは、オフショルダービキニと言われる水着。隣にいる妃乃に比べれば控えめだが緋奈にも女性的な膨らみやラインはあって、それが年相応の可愛らしさと上手く噛み合っている。加えて水着は翡翠色と呼ばれる類いの色で、その色のおかげで落ち着いた印象も合わさっており……冗談抜きで、緋奈は魅力があると思った。

 

「…まぁ、お腹冷やさないかちょっと不安だがな」

「ひ、冷やさないよ…今夏で、ここ海だよ…?」

 

褒めた直後、すかさず懸念も口にする俺。夏だって湯冷めや寝冷えで身体冷やす事はあるし、海でもその場の雰囲気でかき氷食べまくったら普通に冷える。

緋奈には魅力的だと思った。だが勘違いしないでほしい。それは男として客観的に見た場合であって……断じて俺は、緋奈に欲情している訳ではない。

 

「油断が体調不良を呼び寄せるんだぞ?…それはそうと、ほんと気を付けろよ?今日はいいが、普段友達と海やプール行く時はどんな男がいるか分からねぇんだから」

「はいはい。…でも、よかった…」

「…どうした?」

「いや…ほら、妃乃さんって美人だし、わたしよりスタイル良いでしょ?だから妃乃さんと比較されてお兄ちゃんからの評価が下がっちゃったら嫌だなぁって思ってて……ちょっとだけどね」

「あぁ……」

 

会話の最中緋奈がこの格好で他の海やプールに行く事もあるのか気付いた俺は、真面目な顔で念押し。すると緋奈は軽く返した後少しほっとしたような表情を浮かべ……それから不安を抱いていた事を打ち明けた。…妃乃と比較されて評価下がったら、か……ったく…。

 

「あのな緋奈、美人云々言うなら緋奈だって十分そうだと思うし、スタイルにおいては大が小を兼ねるとは限らねぇ。それに…隣に誰がいようが、緋奈は俺の可愛い妹だ。そもそも比較出来る相手なんてどこにも存在しないんだよ。だからそんな事気にすんな」

「…お兄ちゃん……うん、ありがと…」

 

緋奈の頭に手を乗せ、話しながら軽く撫でる。言葉はともかく、手はどっちかっていうと昔からの癖でやったようなものだが……緋奈の安心したような照れ笑いが見られたからいいか。

……と、思いきや…。

 

「……貴方達って、偶に普通の兄妹の域超えてそうな雰囲気になるわよね…」

「は?…い、いや違ぇよ!?緋奈を大事にしてる事は否定しねぇけど、兄妹の域は断じて超えてないからな!?」

「ほんとでしょうね…?」

「毎日お腹家で暮らしてる奴が疑うなよ!俺と緋奈がそんな訳…って、緋奈も止めろ顔赤くすんな!確かに妙な事言われて恥ずかしくなるのは分かるが、そんな顔されると俺が言い訳してるみたいになっちゃうんだって!」

「ま、まぁ…そういうのは人それぞれだものね……」

「だから違うからな!?ちょっ、マジでふざけんなよ!?」

「普段ふざけまくってる貴方がそれ言う?」

「それは……うん、まぁ…すんません…」

 

すぐ側に妃乃がいる事を失念していた俺と緋奈は、あらぬ誤解を受ける羽目になってしまった。しかも途中で緋奈は顔を赤くするし、妃乃も気を遣ったみたいな発言するしでもく大変。で、結局なんか謝る事となった俺は…妃乃の口の端がひくひくと動いているのを見て気付いた。……からかってやがったな…。

 

「…えぇと、一応言っておくと……」

「あ、大丈夫よ緋奈ちゃん。貴女がちゃんとしてる子だってのは分かってるから」

「けっ……見た目はそこそこでも、そんなんじゃ緋奈の足元にも及ばないぞ」

「足元とは失礼な、第一貴方は緋奈ちゃんを誰かとの比較には……って、待った。そこそこって何よそこそこって」

 

俺は立派な人格をしている訳でもなければ、御道のように柔らかな態度を自然に出せるような人間でもない。それがなんだ、って言うと…原因が俺側がこっちにあっても、つい言い返したくなるのである。

 

「そこそこはそこそこだ。それとも何か?褒めてほしかったのか?」

「べ、別に…貴方だってそこそこ、なんて評価されたらいい気分にはならないでしょ?」

「そうでもないぞ?俺はそういうの気にしないし」

「あのねぇ……とにかく訂正するか以後気を付けるかして頂戴。あんまり期待はしないけど」

「ふむふむ…じゃあ、べた褒めしてみるか。可愛い、可愛いぞー妃乃」

「へっ……?」

 

大人気なく(よく考えたら二度目の人生なんだから、俺相当大人気ねぇよな…今更だけど)俺が言うと、売り言葉に買い言葉。ただ俺は別に口喧嘩したい訳じゃねぇから……今度は違う切り口で攻め込んでみる事にした。

 

「いやほんと可愛い。さっきそこそこって言ったが、ありゃ嘘だ。照れ隠しってやつだな」

「い、いやちょっ…貴方急に何を言って……」

「あ、勿論可愛いだけじゃなくて綺麗だぞ?ぶっちゃけ妃乃と同じ屋根の下で過ごすなんて、男にとっちゃ色々とヤバい訳だ」

「だ、だから何言ってるのよ貴方は…そ、そんな事…悠弥に言われたって……」

「そしてこの水着だ。肌は白いし、大人っぽくも微妙に子供のそれを残してるスタイルなんかもう言葉に出来ないレベルだし、水着が醸し出すエロスは最早危険の域で……控えめに言っても、最高だなっ!」

「……──っ!ば、馬鹿な事言ってんじゃないわよ変態がああぁぁぁぁッ!!」

「ぐべらッ!?」

 

褒めて褒めて褒めまくる。押して駄目なら引いてみろの発想で攻めた…いや責めた結果、完全に俺の作戦勝ち。すぐに妃乃は勢いが削がれて、それからしおらしくなっていった。そうなると気分が良いもので、俺の言葉も加速していく。

……が、そこで調子に乗ったのがいけなかった。どんどんがっつり、エグい方向に進んでいった事で妃乃を過剰に刺激してしまい……気付いたら顎を蹴り上げられていた。何という身体の柔軟性。てか、超痛い。

 

「ふんッ!行きましょ緋奈ちゃん」

「あ、はい……お兄ちゃん、そういう事は…止めようね」

 

ひっくり返ってぶっ倒れる中、妃乃は俺を見もせずに、緋奈は心配してる雰囲気…の裏に冷たい感情を孕ませて、パラソルとレジャーシートを設置した場所へと歩いていく。そんな訳で…俺はまた一人。

 

「痛た……まさかキックが飛んでくるとは…」

 

顎をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる俺。何も蹴らなくても…とも思ったが、怒る事自体は当然の反応。……俺だって、やり過ぎたら「やっちまったなぁ…」とは思うさ。

 

(……けど、誇張はしても嘘は言ってないんだよな…)

 

それから俺は、そんな事も思った。妃乃が着ていた水着は、黒のトライアングルビキニ。それ自体はまぁ…所謂シンプルな水着な訳だが、シンプルだからこそ元々スタイルが良い方で、全体的なバランスも取れている妃乃の魅力をよく出している。で、その良いスタイルと、黒という大人っぽさを湧き立たせる色が合わさって……ほんとに正直言えば、可愛いし綺麗だって俺は感じた。

そして、それから数分後……

 

「……え、その顎どしたの?」

「そりゃこっちの台詞だ。その頬の紅葉はどうした」

 

機を見て戻った俺は、どう見ても何かあった様子の御道と合流した。…俺よりずっと紳士的であろう御道でもこうなってんのか…。

 

「…海水浴って、こんなに大変だったのか……」

「だね……けど、悪くない」

「…だな」

 

俺は蹴りを受け、御道は恐らく引っ叩かれた。おまけに目潰しの危機もある。だが、俺も御道も何だかんだ言って男な訳で……もう帰りたいかと言えば、そんな事は全然ない俺達だった…………

 

「お待たせー」

「ん?この声…茅章か?」

「茅章だね。無事来られたみたいで良かっ……」

 

……と、そこで聞こえてきたのは茅章の声。やっと来たかと思いつつその声の方を見ると、やはり声の主は茅章だった。…だったんだが……茅章は男としては長い髪を後頭部で纏め、上には白のTシャツ、下は身体にフィットするタイプの水着を着用し、首筋や華奢な手脚を露出させた格好だった。──具体的に言えば、普段より数割増しで中性的な感じに。

 

『……おおぅ…』

「……?え、どうしたの二人共?顎やら頬やら赤くなってるし……何よりなんでちょっと拳をグッてしてるの…?」



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第八十一話 海のお昼と言えば

水着に着替え、持ってきた道具も設置し、茅章とも合流し、やっと海水浴が始まった。暑かったんで取り敢えず海に入ったり、御道を茅章と協力して埋めてみたり、ジュース淹れたグラスに切ったレモンを刺して、更にストロー入れた状態でビーチベッドに持っていって南国気分になってみたり、折角来たんだからと普通に楽しむ俺。勿論楽しんでいるのは俺だけじゃなく、各々思い思いの遊びに興じ、楽しい時間を過ごす事凡そ一時間。で、ある時綾袮がビーチボールを持ってきて……

 

「たぁぁぁぁッ!」

「ふ……ッ!」

「そこですッ!」

「甘いわよッ!」

 

──現在は幼馴染み組と姉妹組による、白熱のビーチバレーが行われていた。

 

「……なぁ千嵜…」

「何だ」

「…今、どっちが勝ってるんだっけ…?」

「…分からん」

 

若干乾いた声で訊いてくる御道に、俺はノールックで返答。見てないから断定は出来ないが…多分俺も御道も同じような顔をしているだろう。というか、状況的にそうならざるを得ない。

初めはバレーではなく、単にボールをトスし合って回す、バレー版キャッチボールとでも言うべきものだった。…が、件の幼馴染みと姉妹はそれじゃ物足りなかったのか、段々と動きが本気になっていき、途中で道具もビーチボールから何故か持ってきていたバレーボールへと変わり、更にどこから持ってきたのかネットまで設置して、そこからはもう…というかその時点で既に、四人は勝負一直線だった。…因みに緋奈も最初はこれに参加していたが、バレーボールに変わった時点で離脱している。

 

「…うん、やっぱりわたし早めに抜けてよかったかも……」

「あぁ、その判断は間違いなく正しかったぞ。ありゃもう一種の魔境だ」

「僕が行ったらノックアウトされそう…何があそこまで二組を駆り立てるんだろうね…」

「全員負けず嫌い…とか?少なくとも綾袮さんとラフィーネさんは負けず嫌いっぽいし」

 

砂に足を取られる&風が吹き易いという要因により、本来初心者では上手く出来ない筈のビーチバレーでありながら、身体能力と動体視力、そして戦いで培った勘を駆使してなんか凄い激戦を繰り広げる四人。一方その中に入れなければ入ろうとも思わない俺達四人は、レジャーシートに座って鑑賞中…というかパラソルの下に避難中。…選手交代とか増員とかで呼ばれたら堪んねぇよ……。

 

「…にしても、驚いちゃった。お兄ちゃんに外国の人との交友関係があったり、御道さん以外の男友達がいたなんて…」

「あの二人とは知り合いではあっても、あんまり交流はないんだけどな……てか緋奈、しれってお兄ちゃんをdisるのは止めなさい」

「…悠弥君、そうだったの…?」

「うっ……それは、なんつーか…」

 

俺達のやり取りを聞いていた茅章が膝を抱えた格好で顔をこちらへ向け、曇りのない目で聞いてくる。それに対して言い淀む俺。これが他の奴なら適当にあしらうか、「そうだけど何?」みたいな感じで返すんだが…なんか茅章相手だと見栄張りたいんだよなぁ…!

 

「……こ、こほん。俺は人にどう思われたいかじゃなくて、互いにどれだけ相手を思えるかで友人を作ってるだけだ……的な…?」

「どう思われたいかじゃなくて、どれだけ思えるか……深いね、流石悠弥君…」

「な、なぁに、それが俺の生き方ってだけさ」

 

そんな事を思って何とか捻り出した言葉は、即興にしては中々の出来。おかげで茅章からの評価も守る事が出来て、俺としては満足な結果に。

 

「…絶対普段はそんな事考えないよね、お兄ちゃん」

「いやいや、そう感じさせないだけさ」

「まぁ、周りの目を気にして作る友達なんてその相手に失礼だし、いいと思うよ?」

「だろう?中々分かってるじゃないか千嵜……」

「…けど、互いに思える友達を作った上で、それ以外の人とも良好な関係築けるのが一番だろうね」

「うぐっ……」

 

……が、千嵜から手痛い返しを受けてしまった。…余計な事言いやがって…てか、一回で言い負けるのなんて今日二度目だぞ…?

 

「あはは…でも、周りの目を気にしないだけでも僕からしたら凄いよやっぱり。僕は……」

「あー…周りの目は意識する方が普通だから、それは気にしなくていいと思うよ」

「だな…って待てやおい、それだと俺が普通じゃないみたいになるじゃねぇか」

「え……普通じゃないよね?」

「普通じゃないですね、お兄ちゃんは」

「おっと、俺は今喧嘩売られてんのか?だったら買ってやるぞこの野郎&女郎」

 

わざわざ海に来てやる事じゃないが、だからって別に海でやっちゃいけない訳でもないだろうと俺達は談笑を続行。その後吹っ飛んできたボールが俺達の頭の上を掠めていくというハプニングはあったものの問題になるような事はなく、ビーチバレーに一先ずの決着が付いた頃にはもう日が空高く登っていた。

 

「疲れたぁ…顕人君、飲み物ちょーだい…」

「顕人、わたしも欲しい…」

「あ…でしたら私も…」

「はいはい、クーラーボックスの中から好きなの選んで下さいな」

「まさか海水浴でこんなに汗かくとは思わなかったわ…」

「こっちは海水浴でここまでのガチバトルするとは思ってなかったわ…微妙に早いが、そろそろ昼にするか?」

 

疲れ切った様子の妃乃に呆れつつ、俺は携帯の時計を見て昼食を提案。するとその瞬間、俄かに空気が色めき立つ。

 

「お昼って、昨日買ってたあれだよね?」

「そうそうあれだ。けどまずは準備しなきゃいけねぇし…御道、茅章、手伝え」

「あいよ」

「うん。でも、僕あんまり料理は得意じゃないよ?」

「大丈夫だ。今からやるのは食材の準備じゃなくて、調理する為の道具の準備だからな」

 

緋奈の問いに頷きつつ、御道と茅章を呼んでパラソルの下から出る。

島一つ用意してくれただけあって、妃乃と綾袮はかなり多彩な道具を用意してくれていた。今から準備しようとしてるのも…その内の一つ。

 

「えぇと、説明書ではまず…」

「別に乗り物作ろうってんじゃねぇんだから、まずは感覚で組み立てりゃいいんだよこういうのは。ほら、これはここ……ありゃ?」

「あ…悠弥君、多分それ逆……」

「早速間違えてんじゃん…途中で崩れて食材が砂浜へダイブするなんて御免だし、説明書の通りにやるよ」

 

パラソルから数m程離れた場所で組み立てる俺達。脚を立たせ、中に必要なものを入れ、網をかけ…と準備を進め、あっという間にセットが完了。俺のミスは…まぁほら、何事もなく終了じゃ味気ないって事で、一つ。そうして出来上がったのが……

 

「うっし、じゃあ焼いてくぞ〜」

『おー!』

 

砂浜で作る食事の代名詞、バーベキューのセットである。食器や食材も、勿論準備済みさ!

 

「…あ、何なら海で魚獲ってたり、そっちの林で動物狩ってきたらそれを焼いてやるぞ?」

「いや、なんで急にサバイバル的展開になるのよ…」

「…そういえばさっき泳いでいる時、食べられる魚を見つけた」

「う、うん。獲りに行かなくていいからねラフィーネさん…」

 

予め切っておいたりレンジでチンしておいた野菜をクーラーボックスから取り出し、トングを使って焼き始める。なんか冗談を間に受けてそうな人が一名いたが、まぁ御道が突っ込んでくれてるからいいとして……何気に俺が焼く係になってんな。別にいいけど。

 

「ねぇねぇ悠弥君、お肉は?焼きそばとか焼きおにぎりは?」

「順番に焼くから待ってろ。後肉はともかく、焼きそばや焼きおにぎりは締めだろ普通」

「手馴れていますね…顕人さんもそうでしたけど、今の日本は男の方が料理をするのは普通なんですか?」

「普通…って程多くはねぇと思うぞ?俺も千嵜も訳ありで料理してる面があるし」

 

一応バーベキューも料理といえば料理だが、ぶっちゃけタイミング気を付ける以外に気を使うところなんてなく、かなり久し振りではあるものの特に集中する事なく焼く俺。途中フォリンとのやり取りの中で「緋奈が御道の料理の話で違和感を覚える→霊装者の件が…」ってなるんじゃないかと思ったが、そもそも緋奈は聞き流していた様子。…けど、それもそうか。何も知らない緋奈からしたら、ふーん…で済む程度の事だもんな。

 

「ふぅむ、これ火が通ってるか微妙だな……妃乃、ちょっと口開けてくれ」

「え?何でよ…ってまさか試しに食べさせてみる気!?」

「一番乗りだぞー?」

「生焼けかどうか確かめる為の一番乗りなんて要らないわよ!自分で食べればいいじゃない!」

「んだよ、つまんねぇなぁ…肉の時はやってくれよ?」

「もっとやらないけど!?野菜はまだしも、生焼けの肉とか普通に危ないんですけど!?」

 

途中で妃乃を弄って時間を潰しつつ、ある程度したところで各種肉類も投入して、大分網の上は美味しそうな色に。…ほんとは一つ一つ一番良いタイミングか確かめていきたいところだが……

 

「よーし、じゃくれてやるから皿持ってこーい」

「やたっ!それじゃわたしお肉下さいな!」

「肉だけじゃなくて野菜も食えよー」

「えー……あ、そうだ。顕人君、顕人君のもわたしが取ってきてあげ……」

「二人分の肉は自分へ、野菜は俺の皿へ…ってする気でしょ」

「うっ…そ、そんな全ての幸福は地球へ、全ての不幸はとある惑星へ…みたいな事する訳ナイヨ-…?」

 

茶番を横目で見ながら、皿を持ってきた人(全員だが)に次々と分けつつ、開いた場所へ新たな食材を投入。…偶にはあんまり細かいところまで気にせず、わいわいとノリで焼いて食べるのもいいよな。

 

(…けどまさか、こうしてバーベキューする日が来るとは……)

 

友人や仲間で集まって賑やかにバーベキュー、なんて俺とは無縁の出来事だと思っていたし、そんなに興味も抱いていなかった。が、やってみりゃやっぱ楽しい訳で……誘ってくれた二人には、感謝しなきゃいけねぇな。

焼いて、分けて、また焼いて、また分けて…そうする事約十数分。全員育ち盛りな面子は十分やそこらじゃ満腹にはならず、食材も十分に用意してきた為、まだまだ勢いが落ちる気配はなし。…と、そんな中で…気付いた。

 

(…もしや、俺……このままだと、いつまで経っても食えないんじゃ…?)

 

勢いは落ちていないが、一人一人食べるペースは違うせいで中々取りにくる流れは絶えない。絶えても大概それはまだ火の通っていない食材ばっかりの時で、さっきのボケじゃないが、バーベキューでありながら生の野菜を食べるなんて悲し過ぎる。

 

「……妃乃」

「何よ?焼けてない肉の味見はしないわよ?」

「そうじゃなくて……その皿にある肉くれ」

「え、嫌だけど?」

「うぐっ……」

 

驚く程の真顔でばっさりと否定され、精神的なダメージを受ける俺。ひ、酷ぇ…確かに俺はしょっちゅう妃乃を弄ってはいるが、だからって焼き続けてる俺にそれは……って、いやいや落ち着け俺…今のは俺の言い方が悪いだけだ…。

 

「…あー、そうじゃなくてだな……」

「そうじゃないなら……あ、自分も食べたいって事?」

「…そゆ事」

「なら最初からそう言いなさいよ…」

「ですよねー…今のは俺も説明不足だったと自覚してる…」

 

これまで焼き担当で食べられてないから。それを先に言えばよかったのに、言わないもんだからちゃんと伝わらない。人はこれを、自業自得と言う。

 

「全く、それだから不用な誤解産んだりするのよ…じゃあ今網の上にあるのはもう食べられそうだし、貴方はそれ食べなさい。焼くのは私が変わってあげるから」

「おう、悪いな」

「いいわよ別に。一人に任せっ放しなんて気分良くないし」

 

そう言って妃乃は自分の持っていた箸と皿を置き、未使用の食器…恐らく俺用の物を持って隣へ来てくれる。ちょいちょい物言いがキツかったりはするものの、ちゃんと言えば(伝われば)面倒な事や自分がやらなくてもいい事でもすぐに引き受けてくれる妃乃は、何だかんだで良い奴……いや、普通に良い奴なんだよな。

なーんて内心で思いながら、俺はトングの持ち手を妃乃へと向ける。それを妃乃が受け取ろうとして……横槍が入った。

 

「ちょーっと待ったー!」

「…何よ、綾袮」

 

よく通る声で横槍を入れてきたのは、口の端にタレを付けた綾袮。何ともまぁ締まりのない状態の綾袮に対し、妃乃が半眼で言葉を返す。

 

「ちょっとちょっと綾袮、それは面白くないんじゃない?」

「面白くない?…何が?」

「普通に焼く担当を変わろうとしてるところだよ!今のは悠弥君からの食べさせてアピールじゃないの!?」

『……は?』

 

大変意味の分からない主張をしてくる綾袮へ、俺達二人は完全に同じタイミングで言葉を漏らす。…俺からの食べさせてアピールって……

 

「……違うわよね?」

「違うぞ?」

「違うって言ってるんだけど?」

「えー……なぁんだ、折角盛り上がりそうだったのに…」

 

妃乃に訊かれて、否定して、その答えを妃乃が綾袮に返して……結果、綾袮はつまらなそうな顔になった。…何だこれ。

 

「盛り上がりそうって……あのねぇ、貴女や緋奈ちゃんに対してならともかく、私が悠弥にそんな事する訳ないでしょうが」

「そうなの?二人共遠慮なく話してるし、仲自体は悪くないでしょ?」

「仲悪くなくてもよ。第一、それなら貴女は顕人にしてあげる訳?」

「え、わたし?わたしはやらないよ、だって食べる側だもーん。顕人君、あーん」

「はい?……しれっと俺が肉をタレに付けたタイミングで振りやがったね…?…ったく……」

『あ……』

 

ほんと自由奔放な奴だな…と俺が思う中、進む妃乃と綾袮の会話。…と、そこで綾袮が茅章と話していた御道に話を振る…というか食べさせてアピールをすると……御道は呆れつつも、開かれた口へと肉を放り込んでいた。この様子だと、普段から時々あげているのかもしれない。

 

(御道は綾袮の兄か保護者かよ……)

「んぐんぐ…顕人君ありがと〜」

「ありがと〜、じゃないっての…」

「あはは…ほんとに良い人だね、顕人君は」

「これに関しては俺が押しに弱いだけな気もするけどね…」

 

若干自虐も入れながら顕人は肩を竦め、その隣の茅章は苦笑い。んで、肉を貰った綾袮は満足そうな顔をした後、今度は自信あり気な顔で妃乃へと正対した。

 

「ふふん、はっきりしちゃったね妃乃」

「貴女の図々しさが?」

「そうそうわたしの貰えそうなら貰っておこうという…って違うよ!はっきりしたのは度胸の差だもんね!」

「度胸?」

 

…ノリ突っ込みに関してはさておくとして、綾袮が口にしたのは度胸という言葉。それに妃乃が怪訝な顔をする中、綾袮は続ける。

 

「そうだよ。あーん一つであたふたする妃乃と、堂々とそれが出来るわたし。ここには歴然たる度胸の差があるでしょ?」

「そ、それは度胸とは違うでしょ。っていうか別に私はあたふたしてないし…」

「言い訳は見苦しいよ妃乃。事実として妃乃に出来なかった事をわたしは出来たんだから」

「だから、それは度胸とは……」

「ふっふーん!この調子で更にもう一枚貰っちゃおうかなー!」

 

……なんか、一周回って凄ぇな。…ご機嫌な綾袮に対し、俺はそんな事を思っていた。しかも地味にまた顕人から貰う事考えてるし……てか、元々そういう話じゃねぇじゃん。俺もバーベキュー食いたいって話じゃん。

 

「あー、妃乃?ほっとくと食材焦げちまうし、そろそろ変わって……」

「…いいわよ、やってやろうじゃない……」

「へ?」

 

当初の目的を思い出し、改めてトングを渡そうとした俺。……が…何故か妃乃は菜箸を持ち、その赤い目に闘志を燃やしていた。

 

「……さぁ、口を開けなさい悠弥…」

「え、いやあの……妃乃さん…?」

 

肉を箸で摘んだ妃乃から感じる、謎の圧力。怒った時や問い詰めてくる時とも違う、強いて言うなら戦闘時のそれに近い雰囲気に、俺は冷や汗が垂れ気圧されてしまう。

 

「あーんしてあげるから、口開けなさいよ…」

「や、だ、大丈夫だぞ?俺は自分で食えるし、そっちの方が手間がかからないから、妃乃にはこれ代わってほしいっていうか…」

「それじゃ綾袮に行動で返せないでしょうが…!」

(やっぱそれが理由かよっ!?)

 

この状況で妃乃が闘志を燃やすとすれば、それは綾袮と綾袮が言った度胸に対して以外にあり得ない。となれば当然原因も綾袮な訳で、焚き付けた綾袮へ何とかしてもらおうと声を……

 

「はふぅ、ジュースジュース〜」

(あ、こいつ優位に立ちたかっただけだな!?焚き付けたつもりなんかなかったパターンだな!?)

「ほら、早く…」

「ちょっ、待った待った!こんな事に本気になってどうすんだよ!こういうのは軽く流すのが……」

「いいから!早く!あーん!しなさいッ!」

「あ、はい!あーん!」

 

入れる、とか食べさせる、とかではなく、文字通り妃乃は肉を摘んだ菜箸を俺の口へと突っ込んできた。流石に喉を刺される…なんて事はなかったが、それでも凄い形相の相手から細い棒×2を口の中に突っ込まれるというのは恐ろしいもの。……怖ぇよ妃乃さん…。

 

「味は?」

「あ、味?…そりゃ…思った通りの味だったな…焼いたの俺だし……」

「そう。じゃあほら玉ねぎも」

「た、玉ねぎも…?」

「…………」

「…い、頂きます」

 

続けて突き出された玉ねぎも、妃乃の気迫に押されて受け入れる。それを咀嚼し、飲み込むと……やっと妃乃は菜箸を置いてくれた。

 

「……満足?」

「満足は食べた貴方が言う言葉でしょ。それより…ほらどうよ綾袮!これで私が言い訳をしてた訳でも、度胸で劣ってる訳でもないって証明……って、全然見てなかった!?」

「あ、気付いてなかったのね…」

 

自信満々で振り向き、そこでやっと綾袮が既に興味を失っている事に気付いた妃乃。……なんつーか、なんとも言えない気分ですわ…。

 

「貴女ねぇ…ちゃんと見てなさいよ!」

「え?何を?水平線?」

「水平線は関係ないでしょうが!私の証明を見てなさいって言ったのよ!」

「えー…折角の海をそんな事に使うのはちょっと…」

「……ねぇ綾袮、私前から貴女の頬って柔らかくて良さ気だと思ってたのよね…」

「ちょっ!?突如まさかのカニバリズム!?怖い怖い!それは普通に怖いよ!?」

 

半ば予想通りの展開と言えばその通りだが、証明成功どころか完全に振り回されただけの妃乃はぷっつん状態。肉切り用の鋏を手に綾袮へゆらりと近付き、そんな状態の妃乃に近付かれた綾袮はビビって逃走。当然妃乃は綾袮を追いかけて……

 

 

……あれ?

 

(…焼く係の交代は……?)

 

最初妃乃は交代してくれるつもりだった。…が、その妃乃がどっか行ってしまえば、言うまでもなく俺は振り出しの状態。一応肉一切れと玉ねぎ一切れは食べられたが…それじゃ幼稚園だって満足しない。

ぶっちゃけた話をすれば、俺だって男な訳だから、異性にあーんをしてもらえるのは嬉しい。そりゃあ嬉しい。けど……あんな鬼気迫る雰囲気で突っ込まれたら、喜んでなんか…いられないよな、はは…。

 

「とほほ……」

「お兄ちゃん元気ないね。どうかしたの?」

「うん、まぁ…ちょっとな……」

「ちょっと?…っていうかお兄ちゃん、ずっと焼いてて全然食べてないでしょ。わたしが食べさせてあげよっか?」

「緋奈……ありがとな緋奈、俺泣きそうになる程嬉しいよ…」

「そ、そんなに?…それは良かったよ…あはは……」

 

捨てる神あれば拾う神あり。正にその諺を使うべき瞬間が訪れた俺は…思った。……やっぱ、妹最高っすわ。



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第八十二話 笑顔になるのは楽しいから

海水浴日和の日に、砂浜で、個性的な友達と、バーベキューで盛り上がる。…なんて充実した時間だろうか。正直言えば初めての経験という訳じゃないけど…砂浜が貸し切りだったり、面子の個性が本当に凄かったりで、刺激や魅力がこれまでに経験したバーベキューの比ではない。まさかこんな良いイベントに参加出来るだなんて、夏休みが始まったばかりの時は思ってもみなかった。

 

「ふぅ…運動してお昼食べたから、少し眠くなっちゃった…」

「子供みたいな事を…と言いたいところだけど、正直分からんでもない」

 

パラソル下のレジャーシートに座ってTシャツの上からお腹をさする茅章の言葉に、砂浜のある場所を眺めながら俺は首肯。運動と食事のダブルパンチ後に眠くなるのは、まぁ子供に限った話じゃないし。

昼食のバーベキューを終え、片付けも済ませた俺達はまた各々の活動に戻っていた。千嵜兄妹は浮き輪で海を漂っていて、ロサイアーズ姉妹は何やら妙に凝った砂の城を作っていて、綾袮さんと妃乃さんは少し離れた場所で何か話している。

 

「…凄ぇなあの城…あそこだけ砂じゃなくて粘土か何かなの…?」

「さ、さぁ……もしかしたら霊力混ぜ込んで、それを操作して崩れないようにしてるとか…」

「……そんな事出来んの?」

「あ、ううん、そうなのかなぁって思っただけ。……ふぁぁ…」

「あ、そう…ほんとに眠そうだねぇ…」

 

砂を盛って山なり城なりを作る、というのはかなり混んでる海水浴場じゃなきゃ砂浜でよくやる遊びの一つ。けど所詮砂浜の砂で作れるものなんて高が知れていて、精々サイズの違うバケツを使って城っぽい物を作るのが限度……の筈なのに、姉妹の作品は遠目に見ても城だと分かる物だった。…何その技術…二人には芸術家方面の才能が……?

 

「顕人君、ちょっといーい?」

「いいけど…って、綾袮さん…いつの間に…?」

「え、今さっきだよ?」

 

と、そこで横からかけられた声。それに反応して振り向くと、そこにいたのは綾袮さん。さて何だろうかと思いつつ、俺はパラソルの下を出て移動する綾袮さんに着いていく。

 

「…………」

「んー…緋奈ちゃんに聞かれるのは不味いけど他の人ならそんなに問題ないし、まぁここでいっか」

「……?霊装者絡みの話?」

「そーゆー事。ここがただのプライベートビーチとかじゃなくて、今月にある合宿風訓練とか偶にやる演習とかで使われる場所だって話は覚えてるよね?」

 

ちらりと距離を確認してから話し始めた綾袮さんに、俺は首肯。ここからは見えないけど、この島の奥の方には建物なんかもあるらしい。

 

「で、今は特に予定がなかったから使わせてもらってるんだけど…実はわたしと妃乃は、ある仕事も請け負ってるんだよね。っていうか、使わせてもらう代わりのお勤めって感じ?」

「仕事……清掃とか?」

「それも間違いではないね。片付けるのはゴミとか汚れじゃなくて、魔物だけど」

「ほぅ……え、はい?」

 

そんな事頼まれてたのか…と俺は一瞬流しかけて、すぐに訊き返す。い、いや確かに敵を倒す事を掃除って言ったり掃討する事を綺麗にするって言ったりはするけど……それって中々にヘビーなお勤めなんじゃ…。

 

「…ここって魔物の出没率が高い場所なの…?」

「ううん。でも無人島って事もあって普段は哨戒されてない場所だから、確認しておかなきゃ危ないんだよ。…あ、ここ周辺は既に確認済みだから大丈夫だよ?」

「そ、それはよかった……じゃあ、邪魔じゃなきゃ俺も手伝うよ?俺だって使わせてもらってるんだし」

「ありがと、でもその必要はないよ。何も確実に根絶しておけって言われてる訳じゃないし、あくまで大量発生してたり明らかにヤバい奴がいたりしたらその報告をして、可能なら倒しておけっていうのがおじー様からの指示だからね」

 

俺の抱く不安とは裏腹に、あっけらかんとしている綾袮さん。普段通りの態度って事は、そこまで重く受け止めなくていい仕事なんだと思うけど…実際どの程度に大変なのかよく分からないんだよね、普段の態度だと…。

 

「…今からそれをしに行くの?」

「うん。だからわたし達の事訊かれたら適当に誤魔化しておいてくれないかな?勿論話しちゃいけない訳じゃないけど、緋奈ちゃんの耳に入るのは不味いし」

「了解。俺も言ってくれれば手伝うから、何かあったら頼ってね。…って言っても、俺は頼りじゃなくて足手まといになる可能性の方が高いけど…」

「あはは、どっちになるかはさておきそう言ってくれるのは嬉しいよ。じゃ、行ってくるね」

 

にこにこと笑顔で軽く手を振って、それから綾袮さんは妃乃さんと一緒に奥の方へと歩いていった。…時間が経って多少は慣れてきたけど、それでもやはり水着の綾袮さんは眩しい。水着+笑顔+ばいばいのジェスチャーは……とても可愛かった。…後はどっちになるかをさておかず、顕人君だって頼りになるよ…とか言ってくれたら言う事なしだったけど、それは望み過ぎか。

 

(実際、まだまだ綾袮さんや妃乃さんとは天と地程の差があるしね)

 

頼ってもらえるのならそれは嬉しいけど、気休めを言われたい訳じゃない。俺とあの二人とは何倍何十倍もの経験の差があるんだから、雲泥の差じゃなきゃむしろおかしい。だから別に気にする事じゃないさ、綾袮さんの言葉に悪意もなかったんだからね。

そんな事を思いながら、俺はパラソルの下へと帰還。するとそこにはいつの間にか千嵜もいて……

 

「…すぅ……」

 

なんと、茅章が寝息を立てていた。…確かに俺が席を外す前から眠そうにはしていたけど…まさか本当に寝るとは……。

 

「…千嵜、なんかした?」

「俺が睡眠薬でも飲ませたとでも思ってんのか」

「いや、訊いただけ……うーん、寝不足だったのか…?」

 

先程俺は眠くなったという言葉に対して、分からんでもないと言ったけど…流石に寝てしまうとは思わなかった。…楽しみで寝られなかったとか、そんな訳ないし…実はかなりスタミナないとか、割とどこでも寝られるタイプとか…そういう系?

 

「……こうして見ると…てか、こういう状態だと尚更茅章って野郎感ないよな…」

「確かに…俺もあんまり男らしくない人間だけど、茅章はなんか…レベルが違うよね…」

 

小さく囁くような寝息を立て、軽く身体を丸めて寝る茅章はほんとにまるで少女のよう。…冗談抜きに、俺は茅章が実は女の子だったと言われても驚かない。そして多分千嵜も同じだと思われる。

 

「…………」

「…………」

「…危ねぇ、なんか色んな意味で危ねぇ……!」

「落ち着け千嵜、気持ちは分かるがマジ落ち着け…!」

 

目元を覆うようにこめかみの辺りを掴んでそう溢す千嵜と、落ち着くよう言いつつも視線を逸らす俺。何が危ないって、そりゃもう茅章に決まってる。俺も千嵜も多感な男子高校生だけど、世の多くの男子高校生同様常識も理性もきちんと備えている。だから綾袮さんを可愛いと思ったり、ラフィーネさんやフォリンさんにドキッとしても襲ったりはしないけど……それは無意識に『異性』というストッパーが機能してくれている事が大きい。…まぁ、同性だって襲ったらアウトだけど…異性というのは、それだけで人に踏み留まらせる力がある。

…が、茅章は異性ではない。加えて言えば、外見なんか気にせず遠慮無しの友達関係を築いている。だからこそ茅章は危ない。だって何かとストッパーが効き辛いポジションに茅章はいるんだから!

 

「…こ、こほん。そういや昼の時は悪かった。俺も焼く位は出来るのに…」

「あー…気にすんな。むしろ俺はそのおかげで緋奈に食べさせてもらえたとも言えるからな」

「分っかり易いシスコンだなぁ…」

「家族愛だ、疚しい気持ちなどない」

 

とはいえ、効き辛いからって茅章をどうこうしたりはしない。ストッパー云々は比較的の話であって、効き辛い分を差し引いても今自分を律する位の理性は俺も千嵜も持ち合わせているんだから。それに……気の良い友達悲しませてどうするんだっての。

 

「普通は妹に食べさせてもらったからって、そこまで喜んだりはしないと思うけどねぇ…」

「そんな事はない」

「そう?まぁ俺は妹いないから想像でしかな……うぉわっ!?ラフィーネさん!?」

 

人は自分が持っていないものを持つ人を羨むもの。けれど持っていないから羨望には偏見が混じり、逆に持つ人は持っていない人の気持ちが分からない上自分が普通だと思っているからこちらもやはり偏見が混じる。でもよくよく考えると、本来この話って俺が「妹といちゃいちゃしてるんだろ〜?」とか言って、千嵜が「んな訳あるか。妹なんか可愛くねーよ」みたいな返答するのが普通のパターンな筈で……なんて思ってたら、いつの間にかラフィーネさんが隣にいた。…び、ビビったぁ……。

 

「気が緩んでたとはいえ、全く気付けねぇとは……凄ぇなラフィーネ…」

「そう思うならもっと褒めてくれて構わない」

「う、うん凄いねラフィーネさん…で、えぇと…ラフィーネさんは、フォリンさんとの事を言ってるの…?」

「そう。わたしなら嬉しい」

「へ、へぇー…」

 

取り敢えずいつの間にかいたラフィーネさんに驚いた俺と千嵜だけど、そもそもラフィーネさんはある事を言っていた。それは俺の意見に対する否定の言葉で……確認すると、彼女はこくんと頷いた。

それから話が途切れた事もあって、静かとなってしまったアンダーザパラソル。…まさかラフィーネさん、否定をする為だけに会話へ……?

 

「…………」

「…………」

「……あ…」

『……?』

「顕人に用事があるの、忘れてた」

 

不意に声を漏らしたラフィーネさんは、何でも俺に用事があってここへ来たらしかった。…という事で、再び俺はその場から離れる。

 

「……?用事って、ただ話があるってだけじゃないの?」

「違う。顕人には手伝ってほしい事がある」

「手伝ってほしい事…?」

「うん。顕人、わたしの貝殻探しに協力して」

 

連れてかれた俺が質問を口にすると、ラフィーネさんは首を横に振る。そこから訊き返しを行って…用事の内容が判明した。

 

「貝殻?…お土産にでもするの?」

「違う。城の装飾に使う」

「城……って、さっき作ってた砂の?」

「砂の」

「……持ってきた物の中から使えそうなの選ぶとかは?」

「それじゃ意味がない。現地にある物だけで、作品を完成させる。それこそが美学」

 

質問を進めていくと、段々ラフィーネさんが何となく、ではなく結構凝って砂の城を作っていた事が判明していく。特に美学云々の話をする時は、得意そう且つ「分かってないなぁ…」と言いそうな顔になっていた。…砂の城って、そんな意気込みで作るものだっけ…?

 

「は、はぁ……あれ?じゃあフォリンさんは?フォリンさんさっきから城の前で座ってるけど…」

「フォリンは城を見張りながら、細かい調整をしてる。万が一波が来たり魚が打ち上げられたりしたら、守る担当が必要不可欠」

「……本気で城を作ってるんだね…」

「本気で作ってる。だから、手伝ってほしい」

 

じぃ、と俺の顔…というか多分目を見つめて、改めて頼んでくるラフィーネさん。その真剣且つ曇りのない瞳で見つめられた俺は、気恥ずかしさから数秒程返答が遅れて……

 

「…OK、貝殻探しを手伝うよ」

 

それから、頼みに応えて貝殻…それも砂の城に合いそうな物探しをスタートした。

 

 

 

 

「へぇー、イギリスってそんな天気が変わり易いんだ」

「うん、天気がすぐに変わる」

「そうなんだ…雨でもすぐ晴れる可能性があるって意味じゃ羨ましいけど、その逆も然りってなると一長一短だなぁ…」

 

貝殻探しを始めてから数十分。こんな日に黙って下を向いてるのはあんまりだと思った俺は、ラフィーネさんと雑談しながら採取を進めていた。

 

「…来るの?」

「え?…あぁ、日本と比較しただけだよ。…っと、これはどう?」

「…良さそう。確保しておいて」

「りょーかい」

 

どうやら貝殻は城の天辺に一つ載せればそれで満足、という訳ではないらしく、また実際に載せてどれがいいか選びたいらしく、既に幾つかの貝殻をキープしている。…もしかすると、どこかで俺が声を上げなきゃ何時間も探す事になるかもしれない。

 

「しっかし、割と割れてたり欠けてる貝が多いね…海で揉まれて流されてくるんだから、当たり前といえば当たり前だけど…」

「後、ヤドカリも多い…いい貝殻だと思ったら中にヤドカリがいた時の残念さは、キャラメルを拾ったら箱だけだった時に匹敵する…」

「いや、俺はヤドカリを何度も見つけてるラフィーネさんに驚き……ってなんでその替え歌知ってるの!?」

 

予想の遥か斜め上を行くラフィーネさんの言葉に俺は仰天するも、当のラフィーネさんはきょとんとしながら小首を傾げている。…偶々TVか何かで聞いたのか、お笑い好きな人に教えられたのか…とにかくもうびっくりです。

 

「…まぁ、いいや…えーっと、貝殻貝殻……」

「…………」

「…ってか、流石にちょっと首疲れてきたかも…ねぇラフィーネさん、少し休憩でも……わぁぁっ!?」

「……!?」

 

俺は気を取り直し、採取再開。…したけどずっと下を見ていたせいで首に疲れを感じ、一度上を見て首を回す。それから休憩を提案しようと振り返ると……すぐ近くにラフィーネさんがいた。

 

「お、驚かさないでよラフィーネさん…」

「それはこっちの台詞…いきなり大声出されたら驚く…」

「いや、だっていつの間にかまた近くにいたし……今度は何…?」

 

先程と似たような状況ながら、今回はラフィーネさんも驚いたらしくびっくりした表情を浮かべていた。…まぁ、それはそれとして、すぐ側にいるって事は恐らくまた何かあるという事。そう思って心を落ち着けつつ訊くと……

 

「…どうして顕人は、わたしと話してそんなに楽しそうなの?」

 

……これまでのやり取りとは違う、それよりもずっと深いもの…そう感じる質問が、返ってきた。

 

「…楽しそうにされるのは、不愉快だった?」

「そうじゃない。…そんな事は、思ってない…」

「…そっか。じゃ…ちょっと休憩しようか」

 

そう言って俺は、崖…と言うにはかなり低い、岩盤の出っ張りとでも言うべき場所へ移動し腰を下ろす。…提案ではなく、断定表現での言葉。それを受けたラフィーネさんは、特に何も言わず…でも、俺の隣に座ってくれた。

 

「……珍しい事だった?」

「…それは、顕人が楽しそうにしてたのが?」

「そう。俺っていうか、ラフィーネさんと話してる相手が…だけどね」

 

座ってから数秒待って、それからラフィーネさんへ問いかける。それに対する質問返しに俺が首肯すると、ラフィーネさんも小さく頷く。

 

「…珍しい。フォリンは楽しそうにしてくれるけど、他の人はそうじゃない。皆、気不味そうだったり、面倒そうだったりする」

「…そっか……」

「それはどこでも同じ。…でも、理由は分かってる。皆が楽しそうじゃないのは、わたしが話すのが下手だから。意思疎通能力が低いから」

 

目を海に向けながら、淡々と話すラフィーネさん。調子も声音もいつも通り。でも…ほんの少し、ラフィーネさんの目は寂しそうに見えた。

 

「…なのに、顕人は楽しそうだった。今日もそうだし、これまでにもそういう事があった。…わたしは、話すの下手なままなのに」

「…だから、気になったんだね」

「うん…」

 

理由を聞いて、俺は考えた。確かに、ラフィーネさんはコミュニケーションがあまり得意ではない。初めて二人きりになった時はもうどうしたものか…と思ったし、今だって俺の知り合いの中じゃかなり会話が弾み辛い相手だと思う。そしてそう俺が考えている中、ラフィーネさんは続ける。

 

「…もし、顕人が無理してるなら、そんな事しなくていい。気遣いは不要。自分が悪いって分かってるから」

「…………」

「むしろ、気遣いさせてしまう事の方が嫌。わたしはフォリンが楽しそうにしてくれるなら、それでいい。だから……」

「…そんな事はないよ、ラフィーネさん」

 

段々と後ろ向きさを増す、ラフィーネさんの言葉。ラフィーネさんは何を考えているのかが分かり辛い人で、分かる時の方が少ないけど…まさかこんな事を思っているとは、それこそ思ってもみなかった。

もしラフィーネさんが俺の思っている通りの人なら、自分で感じてる以上の卑下はしないだろうし、フォリンさえ…という言葉も本心なんだと思う。自分はそういう人間なんだっていう、無関係の人間の様な冷めた自己評価。多分、そこにラフィーネさんは悲しみなんて感じていなくて……そういうのは、嫌だと思った。可哀想とか、同情するとかじゃなくて…俺が嫌だと。

 

「…それは、本心?それとも…」

「建前でも気休めでもないよ。俺が気遣いで楽しそうにしてたと思ってるなら…それは間違いなく、思い違いだから」

「…………」

「そもそも、なんで楽しそうにしてたと思う?あ、勿論気遣いとか、そういうの以外でだよ?」

 

海から俺へと移る、ラフィーネさんの視線。それに俺も目を合わせ、ラフィーネさんへと問いかける。単純な…変に考えると逆に分からなくなる、本当に単純な問いを。

 

「……今日楽しかった事を、思い出してたから?」

「そうじゃないよ」

「…これからある、楽しい事を考えて…?」

「それでもないね」

「じゃあ…貝殻探しが、趣味…?」

「うーん、答えから離れちゃってるね」

「だったら……あっ…」

「…分かった?」

「……まさか、変なキノコを…?」

「食べてな……食べてないよ!?それだったら俺結構ヤバい状態だよねぇ!?」

 

……単純な問いだった筈なんだけどなぁ…変なキノコな訳あるか…。

 

「…もしかして、楽しかったから…?」

「そういう事。やっと答えに辿り着いた……」

「…これはちょっと出題が悪い。楽しそうにしてるなら、楽しいのは当たり前の話…」

「あはは、そうだね。…だから、そういう事なんだよ」

「どういう……あ…」

 

普通なら当然過ぎて回答にならない…そんな意図が籠っているであろう様子で口を尖らせるラフィーネさん。まぁそれはその通りだけど、楽しかったから…という回答には意味がある。そしてそれに気付いたようで、ラフィーネさんはほんの少し目を見開く。

 

「ね?楽しそうにしてるって事自体が楽しんでる証明だし、楽しいって事に理由は要らないんだよ。…というより、突き止めていくと『何となく』に至る感じかな」

「……無理してた訳じゃないのは、分かった」

「どうして楽しいのかの方は?」

「まだ、説明してもらってない」

「…うーん…まぁ、そうなんだけど…」

 

だよねぇ…と俺はラフィーネさんの返答に軽く頭を掻く。今言った通り、楽しいってのは突き止めた説明が難しいもので、だからそれっぽい事を言って納得してもらおうと思ったんだけど…小細工は通用しないらしい。……ラフィーネさんは真剣に訊いてる訳だし…なら俺も、その真剣さに応えなきゃ、だよね。

 

「…ラフィーネさんさ、自分の会話能力に問題があるから相手は楽しそうじゃないって言ったけど…多分、それは半分間違いだよ。半分は、そうだと思うけどね」

「…間違い?」

「うん。これは予想に過ぎないけど…ラフィーネさんって、プライベートで誰かと話す事ってあんまりないんじゃない?大概は業務絡みか、その延長線上だったりしてない?」

「……そうだと、思う」

「やっぱりね。…皆知らないんだよ、ラフィーネさんの事を。静かで、話すのが下手な人…そういう表面的な事しか知らないから、ラフィーネさんとの間に壁を感じたり壁を作ったりしてるんだって、俺は思ってる」

 

俺は言葉を続ける。自分が思っている事を、変に気取らずそのままに。

 

「…模擬戦の後、少し話したの覚えてる?」

「覚えてる」

「…あの時さ、俺も何話したもんか、そもそも話さない方がいいのかって迷ったけど、ラフィーネさんがアドバイスくれたおかげで分かったんだよ。ラフィーネさんは飾らない、良くも悪くもとにかく素直な人なんだって」

 

話しながら思い出す。もしあの時ラフィーネさんがアドバイスを口にしてくれなければ、もっと早い段階で会話を止めていたら…今こうして話してはいなかったかもしれない。

 

「一部でも表面的じゃない一面を知れば、ずっと接し易くなるからね。それにこれは綾袮さんのおかげって部分が多いけど、それから街の案内したり一緒に活動したりもしたし、夏休み以降はよくラフィーネさんとフォリンさんが家に来るようになったでしょ?…接し易くなって、接する機会も増えたから、俺はよりラフィーネさんを知る事が出来た。だから後は、簡単な話だよ」

「…どういう、事……?」

「ラフィーネさんは話しててつまんない相手なんかじゃないって事。いつもストレートな表現するからある意味逆に緩く話せるし、割とノリがいいから面白いし、ゲームの勝敗でムキになったり自慢気になったりするのなんて可愛…もとい良い個性だと思うし、偶に出る妹自慢はなんか和むし。後、天然ボケ強いのも良いよね」

 

思い返せば、ロサイアーズ姉妹とはまだ全然長い付き合いじゃない。会ったり話したりする機会はまぁまぁ多かったと思うけど、それでもこの程度の期間でここまでぶっちゃけた話が出来るのは、何かしら理由がないとあり得ない。そしてその理由が……ラフィーネさんとは一緒にいて楽しいんだっていう、俺の思い。

 

「…………」

「ラフィーネさん自身はどう思ってるか知らないけど、俺からしたらラフィーネさんは十分楽しいと思える相手だよ。そう思ってるから…いや、ラフィーネさんとの会話を躊躇う理由なんてないから今日だって、楽しく会話出来たんだよ。…楽しいんだよ、ラフィーネさんと話すのは」

「…………」

「…まぁ、いつもいつでも絶対楽しいとまでは言えないよ?けどそれは誰が相手でも言える……って、ラフィーネさん…?」

「……困った…」

「困った…?」

「そんなにわたしの良いところを言ってもらえるなんて、思ってなかった…だから、困った…」

「あ、あー…そう……」

 

思うままに、気持ちのままに話していった俺。ラフィーネさんの為…というより純粋に思いを口にしていただけだから、これをラフィーネさんがどう感じるかは分からなかったものの…まさか「困った」と言われるとは思っていなかった。…というか…そんなに、って程良いところ上げたっけ…?確かに良いところも上げたけど、ゲームの話とか天然ボケは別に誉めた訳じゃないんだけど…。

 

「……もう少し、控えめにした方がよかった?」

「ううん、そんな事ない。…嬉しい。そう言ってもらえて、楽しいって言ってくれて…凄く、嬉しい…」

「そっ、か…じゃあ、楽しい訳も分かってくれた?」

「…うん、分かった。……でも、もっと話してほしい」

「え……?」

 

困り顔のラフィーネさんに肩を竦めながら訊いてみると、ラフィーネさんはふるふると首を横に振って否定。それから小さな笑みを浮かべて…でも本当に嬉しそうな雰囲気で、嬉しいと言ってくれた。それにほっとした俺が更に訊くと、今度は肯定が返ってきて……次の瞬間、岩盤に置いていた俺の手に柔らかく温かなものが触れた。

それは、ラフィーネさんの手。もっと話してほしいというラフィーネさんは身を乗り出していて、その手が俺の手に重なっているという形。そして恐らく…ラフィーネさんはその事に、気付いてないか気にしていない。

 

「凄く嬉しい。こんな気持ちになるとは思ってなかった。だからもっと教えて。顕人がこれまでどう思ってて、わたしと話してどんな気持ちになっていたかを」

「え…と、いや…あの……」

「…駄目……?」

「…いいや、何でもないよ。じゃあ、何から話そうかな…」

 

思春期且つ女性慣れしてない(恋愛的な意味で)俺にとっては手が触れるだけでも「あっ……」と思うんだから、こうして顔を近付けられた上に手を重ねられれば否が応にもドキッとしてしまう。だから一度口籠ったものの……ラフィーネさんの純粋な気持ちが伝わってきた俺は、肩の力を抜いてそのまま話す事を決めた。…今はそれより、って事で。

それから俺は、求めに応じてこれまでの事を話した。俺の話がラフィーネさんを満足させるものだったかどうかは分からない。でも……陽気の良い空と穏やかな海を前にするラフィーネさんとの話は…やっぱり、楽しかった。



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第八十三話 姉妹の気持ちと抱くもの

いつも静かで口数の少ないラフィーネさんは、一見大人っぽい人。でも実際には、綾袮さんと別ベクトルで子供っぽい人。あくまで俺の主観だけど、綾袮さんは子供っぽい言動を好んでしている…というか子供っぽい『性格』なのに対し、ラフィーネさんは本当に精神年齢が実年齢より少しだけ低い気がする。勿論頭が悪いなんて事はなく、戦闘やら何やらで俺より精神年齢高いなぁと思う面も多いから、本当にあくまで「そう感じる事がある」ってだけなんだけど……どうしてそういう一面があるんだろうと、ふと俺は思った。

 

「…ふぅ…まだ話す?」

「いや、いい。顕人もう殆ど思い付いてないから」

「そりゃそうだよ…何年もの付き合いって訳じゃないし、会う度に改めて話したくなるような出来事があった訳でもないんだから…」

 

もっと話してほしい。その要望に応えて、俺はこれまでラフィーネさんと接する中で感じた様々な事を話していった。まだとても友達とは言えない時の事から、つい数日前に会った時の事まで、覚えている事は片っ端から。けれど片っ端から…なんて言っても母数自体は決して膨大な量ではないから、初めは調子良くても段々と話の質が下がっていき、最終的にはほぼ「ふーん…」で終わるような内容に。それのせいか、最初は嬉しそうだったラフィーネさんも、今は普段のクールな感じに戻っていた。

 

「…なんか、諺にあった気がする。竜とか蛇とか…」

「竜とか蛇とか?……あ、もしや竜頭蛇尾の事?」

「…多分、それ」

「それは諺っていうか四字熟語だね…って失礼な!確かに竜頭蛇尾な感じにはなっちゃったけど…一応俺、頼まれて話してたんだからね!?」

 

半眼でこくんと頷いたラフィーネさんに、俺はその通りだなぁ…と一瞬普通に納得し、それから突っ込んだ結果ノリ突っ込みみたいな形に。…恩を売る為に話した訳じゃないけど……竜頭蛇尾が感想だとしたら酷ぇ…!

 

「…顕人は、頼まれてたから話してたの?」

「へ?…いや、うん…そうだけど…?」

「……嘘吐き。楽しいから話してるって、さっき言ってくれたのに…」

「えぇ!?や、それは違うよ!?あぁいや違う訳でもなくて、それはその通りだよ!ただそのそれとこれとは違うっていうか、えーと……」

「……ぷっ。騙されてる顕人、面白い」

「うぇ……?」

 

酷いと俺が思っている中、ふっ…とラフィーネさんの雰囲気が変わり、質問に肯定すると、裏切られたと言わんばかりの表情に。まさかそんな捉え方をされるとは思ってなかった俺はそれだけでテンパってしまい、慌ててそういう事ではないんだと釈明していると……不意にラフィーネさんは吹き出し、にやりと笑った。してやったり、と言わんばかりの顔をして。

 

「…ちょ、ちょっと…止めてよもう…本気にしちゃったじゃん……」

「知ってる。顕人、凄く慌ててたから」

「慌ててたから、じゃねぇ……」

 

ラフィーネさんは反省するどころか、上手く騙せた事に気分良さ気。それが本当に気分良さそうだったものだから、俺は怒る気にもなれず肩を落として額に左手を当てる。何故左手かというと……今も右手には、ラフィーネさんの手が重ねられているから。

 

「……って、ん…?」

「…どうかした?」

「いや…ラフィーネさんって、こんな冗談言う人だっけ…?」

 

何とも言えない気持ちになる中、ふと天然ではない、少し意地の悪い冗談を変に思った俺。気になった俺がそれを訊くと、ラフィーネさんは何故か目を丸くする。

 

「…言われてみれば、これまでは言ってなかった気がする…」

「だよね……じゃあ今のはなんで?」

「分かんない」

「わ、分かんないんだ…」

「うん……でもきっと、浮かれてたから。だから今のは、顕人のせい」

「えぇー……俺のせいって…」

「又は、顕人のおかげ」

「…なんだそりゃ……」

 

俺のせいなのか、俺のおかげなのか。それは同じ軸ながら全く逆の意味の言葉で、多分ラフィーネさんはどっちが適切か迷ったから両方出したんだと思う。…でも何故だろうか、楽しそうなラフィーネさんを見ていたら…俺のせいであり俺のおかげという言葉が、不思議と悪い気はしない俺だった。

 

「……ありがとう、顕人」

「…ん?」

「わたしは顕人の気持ちが嬉しい。わたしを見てくれて、わたしといて楽しいと言ってくれた事が、本当に嬉しい。…どうして楽しそうなのか、訊いてよかった」

「そっか……俺も嬉しいよ。ラフィーネさんに嬉しいって言ってもらえた事が」

「…うん……」

 

改めてラフィーネさんが口にした、嬉しいという言葉。それ自体が嬉しくて、自分が誰かを「嬉しい」って気持ちにさせてあげられた事も嬉しくて、俺も素直な思いで言葉を返す。するとラフィーネさんはいつものように素っ気ない返答をして……でもその声には、クールな霊装者ではない、普通の女の子のような響きが籠っていた。

琥珀の様な双眸が、俺を見つめている。細くて華奢な手が俺の手に重ねられていて、隣に…すぐ近くに、ラフィーネさんがいる。普段は考えている事のよく分からない彼女が、こんなにも感情を見せて嬉しいと言ってくれた。それはとても充実した思いで、でもこれまで俺が感じてきた様々な思いとはどれも違うような気がして、無意識に見つめ返してる自分がいて……

 

「……そ、そういえば綾袮さんは?ほら、綾袮さんだって話してる時は楽しそうだったんじゃない?」

「綾袮?…そう、だったかも……」

 

──俺は、話を逸らして目も逸らした。理由は…自分でも、よく分からない。

 

「…綾袮も、顕人と同じ気持ち?同じ気持ちだから、楽しそうなの?」

「うーん…かもしれないね。でも…」

「でも?」

「…綾袮さんは、相手に関わらずいつも楽しそうだから」

 

綾袮さんは特別…っていうか、普通の尺度じゃ測れない相手だよね。…そんな意図で言った俺の言葉はちゃんと伝わったらしく、ラフィーネさんもこくこくと頷いた。頷いて……それから視線を海へ移して、どこか遠い目に。

 

「…綾袮も良い人。強いし、霊装者として優秀な人。…ちょっと五月蝿いけど」

「あはは…だね……」

「…顕人とも綾袮とも、こんなに関わるとは思ってなかった。…そういう予定じゃ、なかった」

「…予定……?」

 

静かながらも興奮というかなんというか、とにかくついさっきまでのラフィーネさんの言葉には熱があった。でも打って変わって今発せられた言葉からは、さっきまでの熱が感じられない。…目だけじゃない、何か心までもがここではないどこかを見ているような雰囲気が、今のラフィーネさんにはあった。

 

「…わたしは、大事な目的があってここに来た。来なきゃいけない、理由があった」

「う、うん…知ってるよ。組織同士の交流の一環だったよね?」

「……だから、目的はちゃんと果たす。ここには楽しい事が沢山あったし、顕人とももっと話したいけど…一番大事なのは、わたしの目的。…わたしには、大切なものがあるから」

「…ラフィーネさん?もしかして、何か…抱えてる?もしそうなら、俺が相談に──」

 

 

 

 

「…いつまでも帰ってこないと思えば、何をしてるんですかねぇ…」

「うわあぁぁあぁっ!?ふぉ、フォリンさん!?」

 

何かおかしいと感じた俺が話を聞くと言いかけた瞬間、突如背後から聞こえた冷めた声。それに思い切り驚いた俺がばっと振り向くと(その前に一瞬海に落ちかけた)、そこにはパーカー片手に半眼でじとーっと俺達を見るフォリンさんがいた。

 

「えぇはい私ですよ。ラフィーネに城を見ていてと言われ、戻ってくるのをずーっと待っていたフォリンですよ」

「あっ……」

「…貝殻探しに来たの、忘れてた……」

「はぁ…でしょうね、見つけた時点でそう思いましたよ…」

 

フォリンさんに言われて当初の目的を思い出した俺が横を見ると、ラフィーネさんも「やってしまった…」的な表情になっていた。…そして声をかけられた時ラフィーネさんは飛び退いていて、もう俺の手には何も乗っていない。……うん、まぁ…それが普通の状態だし、別にいいけどさ…。

 

「…ごめん、フォリン……」

「全くです。今も探し続けていたとかならともかく、二人で海を眺めているなんて…」

「……城は…?」

「悠弥さんと妹の緋奈さんに任せたきました」

「そう、ならよかった」

「よくありませんが?」

「……ほんとにごめんなさい…」

「…俺も、ごめん…」

 

腕を組んで怒り顔を見せるフォリンさんに、二人して謝る俺とラフィーネさん。俺はいいにしても、ラフィーネさんはフォリンさんの姉な訳で……何とも悲しい光景だった。

 

「…反省してますか?」

「してる…」

「なら、いいです。…それで、貝殻は…」

「これ」

「へぇ、結構良さそうなのがありますね」

 

謝ってから数秒後、フォリンさんは反省してるか訊き、それにラフィーネさんが首肯するとすぐに表情を緩めてくれた。更にそこから貝殻を見せると、緩んでいた表情に笑みが浮かぶ。

 

「もう少し探す?」

「いえ、これだけあれば十分ですよ。…あ、そういえばさっき、あちらの方で面白いものを見つけたんです」

「面白いもの?」

「はい。…見ておいて、損はないと思いますよ」

「……じゃあ、ちょっと見てくる。フォリン、顕人、また後で」

「あ、うん……」

 

二人で顔を突き合わせて会話した後、ラフィーネさんは林の方へ。ちょっと急な展開だなぁと思いつつも、別段引き止める理由もないから見送る俺。……見ておいて損はないものって、何だろう…。

 

「…………」

「…………」

 

そしてこの場は静かになってしまった。…と言っても特に何か問題がある訳じゃなく、会話の途中で誰かがいなくなってしまった(特にそれが話の中心にいた人の場合)時にはよくある現象。…まぁ、俺的にはラフィーネさんと並んで座ってたのを見られてちょい気不味いってのもあるんだけど…。

 

「…え、えーと…俺達も戻ろうか」

「…何を話してたんです?」

「へ?」

「ラフィーネとです。話、していたんでしょう?」

 

努めて平然を装いつつ元いた場所へ戻る事を提案すると、すっと一歩こちらへ近付きつつフォリンさんが訊いてくる。俺が、ラフィーネさんと何を話していたかを。

 

「……べ、別に話って程の事はしてないよ?休憩がてら海眺めてただけで…」

「おや、私には随分と長話をしていたように見えましたが?」

「えっ……ま、まさか…」

「えぇ、見てましたよ?ラフィーネが貴方の話を真剣に聞いている姿も、私以外にはまず見せないような顔で喜ぶ姿も、見つめ合っている姿も」

「なッ、ちょっ…い、いつから見てたの!?前から!?かなり前からなの!?」

 

衝撃の回答…というか事実を聞いて一気に顔が赤くなるのを感じる俺。嘘ぉ!?じゃあ俺、フォリンさんにずっと見られてたって訳!?

 

「何ですかその動揺は……まさかラフィーネといかがわしい話でもしていたんですか?もしそうなら…」

「うわっ、ちょっ、違う!違うから!断じてそんな事はないからそんな目しないで!?」

「…まぁ、それはそうでしょうね。そんな話でラフィーネがあんな顔を貴方に見せる訳ありませんし」

 

標的を睨むような目を向けてくるフォリンさんに対し、慌てて俺は弁明。驚かされる事といい弁明といい、今日は何!?今日はこの姉妹に心臓バクバクさせられる日なの!?

 

「わ、分かって頂けたようで何よりです…」

「…で、何なんです?話して頂けないのなら、言えないような話だったと判断しますが…」

「う…は、話せない訳じゃないよ。ただ……」

「ただ?」

「…話してたのはラフィーネさんの思いが結構関わる話だから、勝手に話す事は出来ない。だから…気になるなら、ラフィーネさんにまず確認をさせて」

 

問い詰められて俺はたじたじになるも、話せという要求には首を横に振る。…プライベートな話を口外するのは、その人の秘密をバラすようなもの。例えそれが本人の妹であったとしても、俺が勝手に判断して話しちゃいけない話。それに、これは俺の思い過ごしかもしれないけど…今日ラフィーネさんは、これまてで一番心を開いてくれたと思う。そんな相手の話なら…尚更、勝手には話せない。

 

「……分かりました。そういう事でしたら、追求はしません」

「…悪いね、フォリンさん」

「お気になさらず。むしろ、これに関してはお礼を言わなくてはいけませんね。…ありがとうございます、ラフィーネを気遣ってくれて」

 

数秒の沈黙を経て、フォリンさんは真剣な顔で頷いてくれた。そしてそこからフォリンが口にした、俺の気遣いに対するお礼。気遣いというより、俺自身が『してはいけない事』だと思って話さなかった訳だから、お礼を言われる事でもないけど…同時にわざわざ言う事でもないと思ったから、そのお礼は黙って受け取った。

 

「…フォリンさんは、本当にしっかりしてるね。特に、ラフィーネさん絡みだと」

「ラフィーネは私より…大概の人よりずっと真っ直ぐで、純粋ですから。だからその分を私がフォローするのは当然です。それが、家族というものでしょう?」

「それは……うん、そうだね。…その考えは、間違ってないと思う」

「例え間違っていても、私はそれを貫くつもりですけどね。……貴方は、どうですか?」

「え……?」

 

元々真面目な顔をしていたフォリンさん。けど……俺へと問いかけた時のフォリンさんは、これまでで一番だと思う程の真剣な表情を俺に向けていた。

 

「大切なもの、譲れないものに、貴方はどこまで懸けられますか。その道が困難だとしても、危険だとしても、貫けますか。顕人さん、貴方に……覚悟と呼べるだけの思いは、ありますか?」

「…フォリン、さん…?それ、って……」

 

俺を、俺の心を見定めようとするような、フォリンさんの瞳と言葉。静かなのにずしりと響くような、俺に対するフォリンさんの問い。フォリンさんに声をかけられる直前のラフィーネさんにも似た……只ならぬ雰囲気。そんなフォリンさんの様子に俺は戸惑って、そして……

 

「……なんて、冗談です」

「……は、い…?」

「だから冗談です。ラフィーネの言う通り、本当に顕人さんは騙されてる時面白いですね」

「…この姉妹性格悪いぃぃ……!」

 

それまでの真剣な空気を霧散させ、朗らかに笑うフォリンさんへ、両手で額と目を抑えながら恨み節を絞り出した。本当にって…絶対これラフィーネさんが嘘で俺を弄ったの知ってて言ったでしょ……。

 

「すみません、ついふざけてしまいました」

「ほんと止めてよそういうの……じゃあ、さっきのは冗談なんだね…?」

「そうですよ。まぁ、答えられるなら次の機会にでも聞きますけどね」

 

相手を謀る類いの冗談はバレちゃお終いだけど、これは…ってかこれも性格が悪過ぎる。フォリンさんといいラフィーネさんといい、二人はどんな思いで冗談言ってんの…?

 

「…エグい姉妹天丼め……」

「はい?何です?」

「別に……俺は戻るけど、フォリンさんはどうするの?」

「私はラフィーネと合流してから戻ります。ラフィーネは私が来るのを待っていると思いますから」

 

なんだかどっと疲れが襲ってきた(名目上はさっきまで休憩してた筈なのに…)俺は、ボソッとアレな発言をした後足を元来た方へと向ける。フォリンさんも林の方へと歩き始め、一旦俺達は別れる事となった。

 

「……はぁ…冗談を言える相手だって思われてるならそりゃ嬉しいけどさ、これがデフォルトになったらキツ過ぎるって…」

 

当然疲れ全体から見れば冗談によるものなんて微々たる割合なんだろうけど、その冗談が引き金となってそれまで感じていなかった疲れが一気に顕在化してしまった。…何が怖いって、思いもしない人からエグい冗談が出てくる事だよ…綾袮さんや千嵜相手なら無意識にでも心の身構えが出来るけど、普段言わない人だと驚きが増すんだっての…。

 

「…ラフィーネさんとフォリンさん、か……」

 

歩いていると、自然に二人とのやり取りが思い出される。俺へと見せてくれたラフィーネさんの心情に、二人の見せた神妙な顔。それをフォリンさんは冗談だと言っていたし、ラフィーネさんもその後何も無かったかのような雰囲気だったけど……どうもその時の二人の様子が、俺には引っかかっていた。

何故あんな機嫌の良かったラフィーネさんが、急にそんな事を言ったのか。どうして冗談ならば、フォリンさんは短くても問題ないのにそこそこの長さの言葉で騙しにきたのか。深い意味は無い可能性だって十分にあるけれど……。

 

「…いや、でも変に勘繰るのもあんまり褒められた行為じゃないし、頭の隅に留めとく程度にしようかな。こっちはともかく、イギリスには二人が気心の知れてる相手だっているだろうし」

 

ラフィーネさんは自分の周りの人は皆わたしと話すのを…と言っていたけど、まさか理解者がフォリンさん一人…なんて事はない筈。それを疑うなんて…それこそ、変な勘繰りというもの。

引っかかりを思考の端へと移動させ、小走りで俺は戻る。さて、そこそこ時間は経ったし綾袮さん達もそろそろ戻ってくるのかな。

 

 

 

 

走る事はなく、されどゆっくりでもない速度で林の中を歩くフォリン。暫く歩いた彼女は、あるものを発見して足を止める。彼女が見つけたのは、こちらへと向かってくる自身の姉…ラフィーネ。

 

「…場所、分かりましたか?」

「大丈夫、見てきた」

 

合流後、開口一番彼女が口にしたのは問い。端から見れば「何を?」…と訊き返したくなるものだが、別れる間際にそれに関する会話をしている二人にとっては問題ない。…最も、この二人であれば更に短いやり取りでも意思疎通が可能なのであるが。

 

「…どう思いますか?」

「普通。無防備ではないけど、双統殿に比べれば大した事ない」

「ですよね。演習用の宿舎と考えれば厳重な防備をしてある方が奇妙ですが」

 

日陰へと移りつつ、二人は会話を続ける。…因みに彼女達は日本語のまま話しているが、それはそう指導されている為。

 

「…フォリン、連絡はした?」

「いえ、まだです。ラフィーネと意見の確認をしてからしようかと…」

「なら、もうしてもいい。フォリンと考えが食い違いそうな部分はなかった」

「そうですか?では……」

 

ラフィーネがそう言うのであれば、確認は不要だろう。そう判断したフォリンはパーカーのポケットから携帯を取り出し、ある相手へと電話をかける。

 

「…………」

「……何かありましたか?」

「例の演習地の確認を終えました。作戦遂行に問題はないかと思います」

 

十秒前後の呼び出しを経て、通話状態となった携帯から聞こえてきたのは女性の声。若くも決して幼くはないその声に、フォリンは報告する。……表向きの目的とは違う、真の目的に関する報告を。

 

「そうですか。行動に疑惑は持たれていませんね?」

「大丈夫です。運良くこの島に誘われる形で来られましたから」

「普段の行動は?」

「そちらも問題ありません。一定の信頼は得られていると思います」

 

通話の相手は上の立場の人間だが、普段から敬語を基本口調としているフォリンの話し方に変化はない。だが……話すフォリンの瞳は、冷たい色をしていた。平日ならばまず見せないような、冷徹な瞳。

 

「ならば、今回も滞りなく進められそうですね。それでは最後に……分かっているとは思いますが、今回の相手はこれまでとは段違いです。増員の必要はありませんか?」

「必要ありません。ラフィーネは……いえ、ラフィーネも不要との事です」

「では、そう伝えておきます。基本的には貴女達に任せますが…随時報告だけは、今後もお忘れなく」

 

その言葉を最後に、通知が切れる。フォリンは携帯をパーカーのポケットへと戻し、ふぅ…と一息漏らすが、その表情と瞳は冷たいまま。

 

「…フォリン、何か言っていた?」

「確認だけで、言われたのは報告を忘れるなという事と…これまでとは、標的の格が違う…という二点だけです」

「そう。…確かに、それは間違っていない。けど……」

「…………」

「どんなに手強い相手でも、その実力を発揮する前に仕留めればいい。…これまでと、同じように」

 

妹と同じように、フォリンと話すラフィーネもまた冷たい瞳をしていた。そして、彼女は言った。裏の任務を……標的の暗殺を完遂出来るという意思を、言葉の裏に含ませて。

 

「…あの、ラフィーネ…本当に大丈夫ですか…?」

「…実行の話?だったら大丈夫。わたしとフォリンなら、出来る」

「い、いえ…そういう意味ではなくて……」

「……?」

 

ラフィーネの宣言を聞いた数秒後。フォリンは冷たかった表情を崩し…代わりに不安そうな表情を浮かべた。その不安を彼女は顔だけでなく、口にも出すも……ラフィーネには伝わらない。不安そのものは伝わっていても、内容までは理解していない。

 

「…今回はこれまでとは違います。実力もですが……私達は、少し近付き過ぎたのではないでしょうか…彼女にも、その周りの人にも……」

「…それは、そうかもしれない。でも…やるべき事は、変わらない。……これまでと、同じように」

「……そう、ですよね…えぇ、そうです…」

 

今一度、ラフィーネは言った。フォリンの不安を感じ取った上で…その意思の硬さを、妹へと示した。……彼女なりの、大切な思いを持って。

その言葉と意思にフォリンは言葉を返せず、力なく頷いた。自身へ言い聞かせるような、呟きと共に。

 

「…用は済んだし、戻ろうフォリン。早く貝、乗せてみたい」

「…そうですね…あまり遅いと変に思われますし、戻りましょうか…」

 

余程気持ちの切り替えが早いのか、話が終わると早々に砂の城の事を口に出すラフィーネ。それをフォリンは肯定し、二人は林を出るべく歩き始める。ラフィーネは顕人と探した貝を城へと飾り付ける事を、フォリンはそんなラフィーネの事を思いながら。

 

(……私はラフィーネを救う事も、代わりになる事も出来はしない。私に出来るのは、ただラフィーネの負担を少しでも減らす事だけ。だから…ごめんなさい、綾袮さん。貴女を──討たせて、頂きます)



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第八十四話 海辺で花火は煌めいて

「なーんか、いつの間にやら静かになったなぁ……」

 

自分で作ったかき氷を食べながら、ふと口をついたのはそんな一言。波の音はあるし偶に鳥の鳴き声っぽいのも聞こえるし、何ならかき氷をスプーンでざくざくやれば音なんて自分から出せるが、まぁ当然そういう事ではない。

 

「ふすぅ…くぅ……」

 

なんかよく分からんが妃乃と綾袮はどっかへ行き、御道はラフィーネに呼ばれて砂浜を歩いていき、フォリンも砂の城を緋奈に任せていなくなり、茅章は未だ夢の中。城を見張っている緋奈とはちょっと距離が離れているものだから、本当に今は話す相手がいない。…いや、声張れば十分緋奈には届くし、茅章起こしゃ話せるから完全に、ではないんだが…。

 

「一人で泳ぐのは虚しいし……うん、やっぱこっちだな」

 

かき氷を食べ終え、パラソルの下から出る俺。容器とスプーンは片付け、その後クーラーボックスから氷を取り出し、別の容器でかき氷を作成。それを手に、砂城警備中の妹の下へ。

 

「お疲れー」

「あ、お兄ちゃんありがと。…あれ?お兄ちゃんは食べないの?」

「俺はさっき食った」

 

緋奈へかき氷を手渡し、俺は隣へ。受け取った緋奈は早速食べ始め、その冷たさに気分良さそうな表情を浮かべる。

 

「…よく出来てるよね、これ」

「よく出来てるっつーか、明らかに砂遊びの域を超えてるな…プロだったりすんのか…?」

「砂遊びの?」

「砂遊びの」

 

全くもって深みのない、THE・兄妹トーク。言った俺自身が砂遊びのプロって何だよとは思うが、まぁそれはどうでもいいところ。

それから緋奈は「暑い時は冷たいものだよね」とか「砂浜でかき氷は風情があるよね」とかかき氷を食べつつ言い、それに俺は軽く返す。そんなやり取りが何度か続いたところで……不意に緋奈は言った。

 

「…お兄ちゃんと海に来るのって、いつぶりだっけ?」

「…かなり久し振りではあるな。てか俺は、海水浴自体が滅茶苦茶久し振りだ」

「そうだったね。お兄ちゃん、これまで基本夏休みはだらだら過ごしてたから…」

「当たり前だ、休みってのは身体を休める為にあるんだぞ?」

「それを言うなら、学ぶ為の場所である学校でお兄ちゃんがちゃんと勉強してないのはどうして?」

「……海は綺麗だなぁ…」

 

休む為の休日で疲れちゃ本末転倒だろうと緋奈に教えてやろうとしたら、生意気にも緋奈は鋭い返しを放ってきた。…いやほんと、海綺麗だし…別に話逸らしたかったとかじゃねぇし……。

 

「…………」

「…緋奈、お兄ちゃんをジト目で見るのは止めなさい」

「…はぁ、まぁそれはいいや。……やっぱりいいね、こうして遠出するのは」

「偶には、な。…緋奈は肩身狭かったりしなかったか?半分位は初見の相手だったろ?」

「そんな事はなかったから大丈夫。…割合的にはお兄ちゃんや妃乃さんと話してばっかりだったけどね」

 

そう言って肩を竦める緋奈の顔に、取り繕いの気配はない。…緋奈の友達も呼んでやる、ってか呼んでもいいよう伝えとくべきだったかもな…俺含め野郎もいるし、島についての説明とかで色々面倒になりそうでもあるが。

 

「…訊かないんだな、色々と」

「……うん。わたしにだって交友関係は色々あるし、お兄ちゃんは意地悪でわたしに秘密を作ったりはしないって分かってるから」

「そっか……緋奈も大人になったな」

「まぁ、ね。……また来ようよ、お兄ちゃん」

 

…ちっこい妹だった筈の緋奈が、いつの間にか大人になっている。それは何とも言えない感覚で、寂しさもあるけど、嬉しさもあって。けれどまた来ようという緋奈は、やっぱり俺の知ってる妹で、そんな妹を守りたくて俺は嘘を吐いてる訳で。……複雑だった。笑えばいいのか、目を逸らした方がいいのか…よく、分からない。

 

「…色々な交友関係ってなんだ緋奈。まさか、チャラい男とか怪しい男とかもその中に入ってるんじゃないだろうな…?」

「そういう意味じゃないって…もう、すぐそういう方面に繋がるんだから……」

 

──だから俺は、誤魔化した。緋奈も、俺自身も。…まだまだ俺も兄としては未熟なんだな、と心の中で思いながら。

 

「…ふぅ、ご馳走様。美味しかったよ」

「そりゃ良かった。んじゃこれも片付けて……って、お…御道が戻ってきた」

 

砂浜に置かれた器を拾って立ち上がると、そこで砂浜を歩いてきている御道を発見。その後すぐ妃乃と綾袮も戻ってきて、更にその後ロサイアーズ姉妹も姿を現し全員帰還。今度は何やら城へ拾ってきた貝の飾り付けが始まり、お嬢様二人も城に興味を示して静かだった砂浜は元の賑やかさを取り戻す。

別に俺は賑やかなのが好きな訳でも、嫌いな訳でもない。賑やか…っていうか騒がしいのは嫌いだが、それは多分普通の事。同時に人付き合いをあまりしない俺にとって、今の状況は珍しく…実は少しだけ、最初自分が場違いなように思えた。けど……悪くねぇな、こういうのも。

 

 

 

 

無事存続していた砂の城へ装飾品(貝)が乗せられ、結構なクオリティの作品が完成した。それを前にしたラフィーネさんはご満悦で、フォリンさんも納得の出来だったようで、二人に頼まれ俺は撮影。…何気に城と共に水着の女の子二人を撮った訳だけど……頼まれたんだから、後ろめたく思う必要はないよね、うん。

その後男女混合ビーチフラッグをやってみたり、スイカ割りからのスイカ休憩(霊装者ガールズが悉く強力な一撃をスイカに叩き込んだものだから、木っ端微塵のスイカを食べる事になった)をしたり、またビーチバレーが始まりかけたりと午後もがっつり満喫した俺達。その内にまだ十分明るいものの日が傾き始め、もうそろそろしたら終わりにする?…という雰囲気になりつつあった時、綾袮さんがある提案を口にした。

 

「ねぇねぇ、花火やろうよ花火!」

 

さっ、と荷物から花火のパッケージを取り出した綾袮さん。キラキラした目で提案してくる綾袮さんに対し、俺達は揃って怪訝な表情に。

 

「…えーと綾袮さん、それはネタで言ってる?」

「ううん。だって、花火と言えばスイカ割りやビーチバレーに次ぐ砂浜での定番イベントでしょ?」

「い、いやそれはそうだけどさ…」

 

砂浜での定番イベント。その認識は何も間違ってないし、俺だってそう思う。…けど、今この状況と花火とは、ある要素において致命的なミスマッチを起こしている。そう、だってまだ……

 

「……貴女、まだ夕方にすらなってない段階で花火やるつもり?」

 

…お日様は、俺達と砂浜をその光で明るく照らしているんだから。

 

「む…じゃあ訊くけど、妃乃は真っ暗になってから花火するつもり?そしたら帰るの凄く遅くなっちゃうよ?」

「なんで花火やる前提なのよ…やらずに帰る選択肢はない訳?」

「ない!」

「あのねぇ……」

 

元気良く言い切られ、妃乃さんは呆れたように手を額へ。…いや、呆れたようにってか…間違いなく呆れてる。少なくとも、俺だったら絶対呆れてる。現に俺今呆れてるし。

 

「綾袮さん、何も花火は今を逃したら使えなくなるわけじゃないし、今回は諦めてよ。それに今やっても物足りない感じになるんじゃない?」

「えー…ならわたしのこの気持ちはどうしたらいいの?花火に対するこの昂りを放っておいたら、帰った後リビングで花火に火を点けちゃうかもよ?」

「洒落にならねぇッ!ちょっ、庭でやろうよ庭で!なんでリビングでやろうとすんの!?屋内で花火とかえらい事になるよ!?」

「でしょ?だから危険回避の為にも、ここで花火を……」

「だから庭があるじゃん…びっくりする程発言に妥当性がないよ……」

 

妃乃さんに代わって俺が説得を試みると、綾袮さんから返って来たのはまさかの脅迫。驚きのトンデモ発言に俺は全力で突っ込むも、当然綾袮さんへの効果は薄め。…まぁ、綾袮さんもきちんと常識は持ってるし結局は単なる冗談なんだろうけどさ…。

 

「無茶苦茶な発言は止めなさいっての…そこまでしてやりたい訳?」

「うん。妃乃と顕人君こそ、そんなにやりたくない?っていうか、他の皆はどう?」

 

溜め息混じりの妃乃さんの問いに、綾袮さんは即首肯し質問を他のメンバーへ。すると、俺や妃乃さんに賛同する声が返ってくると思いきや……

 

「どうって…ま、いいんじゃねぇの?明るいしそこまで盛り上がらねぇだろうけど、別に個人でやる花火は高価でもねぇし」

「わたしは…どちらでもいいかと…」

「え、と…僕は悠弥君に賛成です…じゃなくて、賛成かな。折角の機会だし…」

「…花火、興味ある」

「興味の話でしたら、私も少し…」

 

……なんか、圧倒的に賛成派の方が多かった。どちらでも可の意見を除いても、賛成5反対2だった。…えっ、俺と妃乃さんの方がアウェー…?

 

「……俺達がおかしい…って、訳じゃないよね…?」

「え、えぇ…多分ここが局地的に賛成派多数なだけで、一般的には私達の方が普通な筈よ……」

 

自分の感性は間違ってない筈、と顔を見合わせて確認する俺達二人。……まぁ、賛成5って言ってもその内二人は花火そのものへの興味だし、千嵜と茅章も綾袮さん程積極的な賛成じゃない(特に千嵜は「駄目ではないだろ」ってスタンス)から、実際にはそこまで感性に不安を感じる必要もないんだけど。

ただ、内容はどうあれ賛成は賛成。味方を得た綾袮さんは更に盛り上がり、花火のパッケージを両手に持って迫ってくる。

 

「でしょでしょ?ねー、だから花火やろうよー。楽しいよ〜?夏の風物詩なんだよ〜?」

「どんだけやりたいのよ綾袮は……」

「こんだけ!いやもっとかな!」

 

どんだけ、と訊かれて両手で目一杯円を描いて気持ちをアピールする綾袮さんは、いつもに増して子供のよう。そんな姿を見せられたら俺も妃乃さんももう苦笑いするしかなくて……

 

「…いいよ綾袮さん。やろうか、花火」

「ほんと?やったぁ!」

「全く…思った程派手じゃなくても知らないわよ?」

「分かってる分かってる!よーしそれじゃあまずはライターだね!」

 

きゃっきゃと荷物の中からライターを取り出しパッケージも開ける綾袮さんの姿に、俺と妃乃さんだけじゃなく千嵜やフォリンさんも苦笑い。…こんな子供っぽい人が、いざ戦闘となれば物凄く強くて頼れる相手になるんだから、ほんと人って見た目や普段の印象だけじゃ測れないものだよね。

そうして花火をする事とした俺達は燃え移らないよう荷物やレジャーシートから離れ、(海)水を入れたバケツも用意。それから念の為パッケージ裏の注意事項や使用期限なんかも確認して……準備は完了。

 

「いくよー!初めはすすき花火……着火!」

 

まぁやるなら最初は言い出した人からだよなー、的空気となって皆が視線を集める中、綾袮さんは花火をライターの側へ持っていき、ライターを点ける。それによって発生した火が花火の先端を焼き始め……次の瞬間、鮮やかな火花が噴き出し始めた。

 

『おぉー……』

「うんうん、この強過ぎない程度の勢いがいいよね。じゃあ顕人君、蝋燭にも火お願いね」

「え…俺がやるの?」

「え、なら火の点いてる花火持ってるわたしがやった方がいい?」

「…そっすね、ライター貸して…(なら先に蝋燭に火を点けてよもう……)」

 

自分を出来ない状態に置く事で押し付けるという、何ともズルい事をする綾袮さん。…ただまぁ、表情を見るに素で蝋燭に火を点けるのを忘れていただけっぽいから、今回は文句を言わずに飲み込む。

 

「これでよし、と。んじゃ皆さんどーぞ」

 

火を点け、蝋燭を置いて俺も花火をスタート。綾袮さん同様俺もすすき花火を手に持ち、着火後は少し離れて噴射を眺める。

 

(……思ったより、悪くないかも…)

 

花火は真っ暗な夜の中で火の花を咲かせるからこそいいのであって、明るい中でやったらその魅力は半減する。…そう思っていたし、実際100%の魅力は発揮されてない感じだったけど……それでも緩い弧を描く花火は綺麗だった。…流石花火。

 

「花火ってついつい見つめちゃうよね。…お兄ちゃん、それってねずみ花火?」

「そうだぞ?…ほいっと」

「きゃあっ!?ちょっ、人の足元に投げるのは止めなさいよ!?普通に禁止行為なんだけど!?」

「うおわっ!?ちょっ、花火こっちに向けんな向けんな!それだって禁止行為だろ!」

「…沢山用意してあるなぁ……わ、ナイアガラ花火まである……」

 

花火をやるかどうかの意見に関係なく、皆も次々と選んだ花火に火を点けていく。…サンダルしか履いてない足元にねずみ花火投げたり、驚いたとはいえそれなりに吹き出してる手筒花火を水着とシャツしか着てない相手へ向けたりしてる人が二名程いたけど、まぁ多分あの二人なら放って置いても大事にはならない筈。それより、気になるのは……

 

「……何これ」

「何なんですかね、これ……」

 

しゃがみ込んだ状態で、酷く冷めた声を漏らしているイギリスからの姉妹。着火でも失敗したのかな、と思って花火片手に回り込んでみると(これも行為的にはあんまりよくないね。皆も気を付けよう!…なんちゃって)、二人がやっているのはヘビ花火だった。

 

「…それ選んじゃったかぁ……」

「……?顕人、これは不良品?」

「いや、そういう花火だよ…でもうん、それは知らなきゃ『何これ……』ってなるよね…」

 

ヘビ花火だってれっきとした花火だし、滅茶苦茶伸びる様子は見ていて面白いものだけど…やっぱり花火の最たる魅力である派手さや綺麗さはない訳で、二人の反応も無理はない。…適当に選んだのかな…?

 

「そう。でも、他の花火もわたし達の知ってる物と違う。もっと派手だと思ってた」

「私達の知る花火は、もっと派手且つ空に打ち出してましたよね。…もしやそれは、日本の文化ではなかったんですか?」

「あー……これもそれも日本の文化だよ。でもそっちは素人がやったら危険だし、そもそも物凄くお金がかかるからね」

「…つまり、どっちも日本の花火ではあるんですね?」

「うん。例えるなら一般家庭で使う車と、レースで使う車って感じかな。その二つはどっちも四輪車だけど、実際は色々と違うでしょ?」

 

どうも二人はイベントなんかで使われる方の花火を想像していたらしくて、ヘビ花火への冷めた反応はそれとの落差もあった様子。…まぁ、どっちも基本『花火』としか言わないんだから勘違いするのも無理はない。

 

「あぁ…確かに、あれだけの爆発をする物が市販で売られてる訳ないですよね。…でも、そうですか……」

「……一応、二人が想像してたタイプのもあるよ?勿論火力は全然違うけど…」

「そうなの?」

「そうだよ。じゃ、用意しようか」

 

俺の説明にフォリンさんは納得したような声を出すも、その顔はちょっぴり残念そう。…だから、俺が打ち上げ花火の話をすると……フォリンさんより先に、ラフィーネさんが食い付いてきた。ラフィーネさんの声に含まれていたのは…やってみたい、という感情。

それを受けた俺は、もう消えているすすき花火を片付けた後未使用花火置き場へと移動。取り敢えず打ち上げ花火の総数を確認しようとパッケージから取り出していると、次第に皆が集まってくる。

 

「あれ、顕人君もう打ち上げ花火?」

「二人に見せてあげようと思ってね。半分位は残しておいた方がいいよね?」

「まぁ、打ち上げ花火は一つ二つじゃ物悲しいしな」

 

千嵜の言う通り、打ち上げを単発又は数発だけ…というのは何か悲しい気分になってしまう。そういう単発使用はそれこそ線香花火の持ち場であって、打ち上げ花火をするならやっぱり何発も続けてやりたいというもの。でもなら何発にする…?…と俺達が考えていると、はしゃぎ中の綾袮さんが声をかけてくる。

 

「だったらいっそ全部纏めてやっちゃおうよ!半端に分けるよりは、フル投入の方が感動も大きいって!」

「うーんそれも悪くな……って何してんの綾袮さん!?」

「あははっ!わたしこれやってみたかったんだよね!手筒花火を四本ずつ持って武器っぽくするの!」

「危ないから!確かにやってみたい気持ちは分かるけどそれ持ってこっち来るのはマジで止めて!?」

 

花火置き場に来られたら誘爆必至の綾袮さんを何とか妃乃さんに止めてもらい(俺が突っ込んでる間、千嵜と茅章は「あれはやってみたいよなぁ」「うんうん、だよね」なんて話してた。…余裕あるなら二人も突っ込むなり止めるなりしてよ……)、その後全員で話し合った俺達。そうして具体的に幾つにするか、誰か違うタイミングでやりたい人はいるか、なんてやり取りの末……綾袮さんの案、つまり一気に使ってしまうという事で決定した。

決まったら次にやるのは準備。見栄えや安全性を考慮した間隔で打ち上げ花火を置いていき、着火順なんかも確認する。皆協力してくれたおかげで準備は手早く進み、そこまでは言う事なしだったんだけど……

 

『何故に俺達が着火役……?』

 

最後の最後で、何とも看過し難い状況に直面した。なんと、女性陣から話し合いなく「着火は二人がお願いね」的な事を言われたのである。

 

「なんでって…走って一気に点けるんだから、男の貴方達の方が向いてるでしょ?」

「いや、ここにいる女性陣は大体身体能力高いじゃねぇか…」

「でもほら、危ないし。わたし達火傷しちゃうかもだし」

「うん、それは俺達も同じだから…火傷は男だってするよ…」

 

俺も千嵜も絶対着火役は嫌!…って訳じゃないけど、「え、これ位当然だよね?」…みたいな押し付けられ方をするのは御免というもの。勿論嫌味っぽい言い方はされてないし、不愉快だってわけじゃないけどさ。

そんな心境で千嵜と半眼を向けていると、何やら女性陣はアイコンタクト。そして……

 

「…緋奈ちゃん、頼んだわ」

「あ、はい。……お兄ちゃん、わたし…お兄ちゃんがやってくれたら、嬉しいな…」

「うっ……し、仕方ねぇなぁ!」

(……千嵜、お前…)

 

上目遣いで囁くように頼まれた千嵜は、いとも簡単に籠絡されていた。…何妹に対して満更でもなさそうな顔してんだこいつは……。

 

「じゃ、次は顕人君だね」

「む…残念だけど、俺は千嵜と違ってあんな色仕掛…けではないか、これは失礼だったわ…こほん。…あんな方法じゃ籠絡されないよ?」

「だろうね。だから…ラフィーネ、フォリン、せーのっ」

『お願いします!』

 

…などと思っていたら、今度は俺の番(?)に。軽く攻略された千嵜の後追いになるのはなんかギャグキャラっぽくて嫌だと思い、飄々とした反応をしつつも内心で構えていると……綾袮さん、ラフィーネさん、フォリンさんが同時に頭を下げてきた。それもお願いします、という言葉付きで。…ははぁ、俺には弱点がないと観念して正面突破を狙った訳だね?確かに自分を律し、欲に流されず考えるという点に関して俺は中々……

 

「あ……えーと…まぁ、そう言うなら…」

「あ、上手くいきましたね」

「ふふん、顕人君は真面目に頼まれると弱いからね。押しに弱い、ってやつ?」

「……だってよ、確かに弱いよなぁ押しに」

「うぐっ…な、なんか悔しい……」

 

さっきとは千嵜と立場が逆転し、今度は俺がちょろいなぁ…みたいな視線を受ける形に。……いや、うん…押しに弱いってのは自覚なくもないし、現に頷いちゃった俺だけど…何だろう、このやり切れない気持ちは…。

…まぁ、そんな訳で俺と千嵜がやる事になった。女性陣は、侮れません。

 

「ったく…じゃあどっちからやるよ?どっちからだって変わらんだろうけど」

「変わらないだろうねぇ。んじゃあ……」

「…あの、千嵜君御道君。僕もやろうか…?」

 

二人で同じところから始めたってしょうがないから、分かれて両端から点火を…と話していたところ、入ってきたのは申し訳なさそうな表情の茅章。…うん、まぁそうだよね。ここで「任せちゃえばいいやー」とか思わないのが茅章だよね。

 

「ありがと茅章。でもいいよ、着火は俺達だけで事足りるし」

「だな、ってか三人だとむしろややこしい事になりかねん」

「そっか……なら、二人共お願いね」

『おうよ』

 

茅章からのお願いに爽やかスマイルで応えた俺達(爽やかスマイルの理由?え、別に深い理由はないけど?うんないない)は、それぞれのポジションへと移動。そこで女性陣から改めてお願いをされ(嵌めてやらせる、みたいなのが嫌だったのだと思われる)て、俺達二人は走る体勢に。

 

「じゃ、行くぞ御道」

「OK、それじゃ…!」

 

軽くスタンディングスタートの姿勢を取った千嵜と合図を出し合い、俺達は着火を開始。橋から順に打ち上げ花火へ火を点けていき、それぞれで丁度半分…合わせて全部へ点け終わると同時にサイドステップで危険地帯から離脱。ふぅ、と無事終わった事に一息吐きつつ目を花火の方へ向けると、丁度その時二ヶ所から空気を切る音が聞こえ……

 

『おぉー……!』

 

……打ち上げ花火が、始まった。専門家がやるイベント用の物とは雲泥の差の……でも決してお粗末ではない、派手な花火が。

 

「…綺麗、ですね……」

「うん、綺麗……」

 

ぽつりと呟くのは、違う花火を想像していたラフィーネさんとフォリンさん。…二人にそう思ってもらえたのなら、それだけでもこれは成功。その事に俺は安堵する。

 

「すぐ近くで見られるのは、イベント用にはない魅力だよね」

「だよなぁ……また今度、うちでもやろうかね…」

「これは庭では出来ないと思うよ?…でも、花火自体は賛成かな」

「…さっきの反対は、訂正するわ。…案外良いじゃない、今やる花火も」

「うん。…環境だけじゃなく、皆でやれるかどうかも大切だよね、花火って」

 

皆で眺めながら、昼間の花火に思いを募らせる。…綾袮さんの言う通り、花火を楽しいと思えるのはただ花火が派手で綺麗だから…ってだけじゃない。そしてそれは…今日一日の事、全てに言える。……人と関わるのは、誰かと楽しさを共有するのは…本当に楽しいって、俺は思う。

 

「……来年も、また来られるといいね」

 

溢れたのは、自然と口を衝いて出た言葉。特に予定を考えている訳じゃなく、むしろ何も考えていない……でも俺の心からの、言葉だった。



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第八十五話 早朝の手合わせ

昼間の花火はあの後、色々やった末に線香花火で締めとなった。その頃には時間も夕方へと変わっていて、密度の濃かった海水浴は終了。休みは身体を休める為のもんだ、なんて言った俺だが……正直に言えば、心から「来てよかった」と思える海水浴だった。

で、帰ってからの夜は疲労もあってかぐっすり就寝。そうして迎えた翌日の朝は……

 

「……元気一杯な小学生か…」

 

普段より大分早く起きてしまった。そういう時は迷わず二度寝する俺だが、ばっちり目が冴えていて眠れる気がしない。……マジで元気有り余ってる小学生か俺は…。

 

「どうすっかなぁ…」

 

取り敢えず顔を洗い、その後着替えてリビングへと移動。いつもならまだ寝ている時間に起きても、当然寝ている筈の時間なんだからやる事ある訳がない。今日の朝食当番は俺だが、今からだとゆっくり朝食を作るにしても時間が余るしなぁ…。

 

「朝のニュース見たって面白くねぇし、ゲームって気分でもねぇし、宿題……はまぁ思い出さなかった事にして、うーむ…ん?」

 

ソファへ深く座り込み、ぼけーっと天井を見ながら考える事数十秒。ほんとにやる事ねぇなぁと思っていると、外から何かを振るうような音が聞こえてきた。

 

(近所に野球少年とかラクロス女子とかいたっけ…?…てか、これ……うちの庭から聞こえてね…?)

 

最初は早起きなスポーツ好き辺りだろうなぁと思っていたが、その途中で音が庭から聞こえてきている事に気付く。普通庭にいるのはその家に住んでる人間で、でもそうなると選択肢は三つ。俺を抜かせば緋奈と妃乃のどっちかになるが…どっちも棒を使うようなスポーツなんかやってない。つまり……明らかにおかしいじゃん、これ…。

若干嫌な予感がするも、流石に無視は出来ないと立ち上がる俺。極力足音を立てないように窓へと近付き、不審者でない事を願いながらカーテン諸共窓を開けると……

 

「……え、妃乃?」

「へ?」

 

……そこに居たのは、長い木の棒を振り下ろした体勢の妃乃だった。

 

「…あ、悠弥…早いわね、今日は何か用事?」

「いや、昨日寝るのが早かったからか目が覚めた」

「あぁ…小学生みたいね」

「うっせぇ、そのネタはもう俺が先に言ったわ」

 

俺の存在に気付いた妃乃は木の棒…ってか木製の槍らしき物を下ろし、こちらに視線を向けてくる。…くそう、「案外貴方も子供っぽいところあるのね」…みたいな顔しやがって…。

 

「てか、妃乃こそ早くから何してんの?……まさか、棒高跳びの要領で向かいの家に侵入を…?」

「する訳ないでしょ…素振りよ素振り」

「素振り?こんな朝っぱらから?」

「朝だからよ、お昼にやったら汗びっしょりになるし緋奈ちゃんから変に思われるでしょ?…まぁ、素振りは季節関係なしに朝やってるんだけど」

 

小馬鹿にされた仕返しも兼ねて質問をすると、素振りをしていたという事が判明。しかも今日偶々ではなく、言い方からして毎日やっているらしい。

 

「ふぅん……真面目だなぁ」

「別に褒められるようなものじゃないわ。昔からの日課ってだけだし」

「そうか、じゃあどうって事ねぇな」

「…………」

「…冗談だ。日課たって毎日やり続けるのは大変だろ?仕事とか役目じゃねぇなら、尚更ふとした事で面倒臭くなるもんだし」

「…そういえば、貴方も筋トレやってたわね。あれも日課でしょ?」

「ん、まぁな」

 

リビングから縁側へと出た俺は、窓を閉じてそこへと座る。俺の場合は一応鍛えておいて損はないってのもあるが、大部分はぶっちゃけ前世からの惰性で続けてるようなもんだし、毎日きちんと同じ時間やってる訳じゃない。それでも面倒臭かったり忙しい時は時々やらずに済ませてしまうんだから、早起きしてまで素振りというのは……普通に凄いと思った。

 

「……見るの?」

「やる事ねぇからな。邪魔か?」

「いや、別に…」

 

投げかけられた問いに首肯すると、頬を掻きつつ妃乃は素振りを再開。振るわれた木の槍が空気を切り、先程耳にした音がまた聞こえ始める。

 

「…………」

「ふ……っ!は……ッ!」

 

目の前で行われているのは素振りというより立ち回りで、妃乃は庭の中で踏み込み、回り、身を翻し、跳ぶ。場所的には子供のチャンバラごっこの様な…されど真似事とは比較にならない程に洗練された動きで立ち回る妃乃の姿に、ふとある言葉が俺の口をついて出た。

 

「……綺麗だな」

「ふぇっ!?」

「え……?」

 

突如奇妙な声と共に、振り下ろされた状態から止まる事なく地面へ刺さる木製の槍。その珍事になんだなんだと俺が目を瞬かせていると、妃乃はばっとこちらへ振り返ってくる。

 

「な、何急に言いだしてんのよ!?何のつもり!?何のつもりなの!?」

「は、はい?え、どしたの妃乃…?」

「どしたのって…貴方の言葉のせいでしょうが!馬鹿にしてる訳!?」

「俺の言葉…?…俺は槍捌きも体捌きも綺麗だったから、思った事を口にしただけなんだが……」

「だからそれが……──へ?…わ、私の…動きの、話…?」

「そう、だけど…?」

 

なんか物凄い妃乃がテンパってるてか怒ってる訳だが、俺には全く身に覚えがない。だがそれでも俺の発言が原因らしい事は伝わってきた為意図を言うと、はっとした顔をして妃の乃が硬直。余計意味が分からなくなり、その後の言葉におずおずと俺が首肯すると……元々赤らんでいた妃乃の頬が、更に赤みを帯びていく。

 

「…ぇ、あ、じゃ、じゃあ……さっきのは、私の…勘、違い…?」

「あのー、妃乃さーん?」

「ひゃい!?あ、な、何よ!何よ馬鹿っ!」

「ば、馬鹿って…つーかその反応、さては…俺の綺麗が別の事を指してると勘違いした訳だな?」

 

ころころ変わる妃乃の様子に軽く気圧されていた俺だが、ここまでくれば流石に分かる。っていうか…完全に聞こえてますがな。

 

「し、して、してないわよそんなの!か、勘違いしてるのは貴方よ貴方!」

「じゃ、なんでそんなテンパってるんだ?まさか今の状態をいつも通りとは言わないよなぁ?」

「うっ……そ、それは…」

「どうせバレてんだから、下手な嘘は止めようぜ妃乃。それより妃乃は、一体何に対する綺麗だと思ったのかなぁ…?」

「う、ううぅぅぅぅ……!」

 

自分でもはっきりと分かる位にやっにやしながら立ち上がり、ガラ悪い奴みたいに妃乃を追い詰める。やってる事の意地の悪さは自覚してるが……自覚があっても尚躊躇いゼロでやってしまう程には、言い返せずに顔を真っ赤にする妃乃には謎の魔力があった。

……が、今回はまだ魔力が弱く、且つ俺の目が冴えてる事で俺の中には若干の冷静さが残っており、そのおかげで涙目の妃乃が臨界点すれすれである事に気付く事が出来た。これ以上責めると、手痛い反撃…というか爆発を受ける事になるという危険信号に。

 

「……まぁ、それはさておきとして…」

「……え…?」

 

振り向き、窓を開け、縁側からリビングに。突然引いた俺に妃乃が目を瞬かせる中窓を閉め、リビングから玄関へと向かう。そして数十秒後……俺は靴を履いて、改めて庭へと現れた。

 

「これも何かの縁だ、相手してやるよ」

「…相手……?」

 

まだ顔から赤みの引き切らない妃乃へ声をかけながら、家の外壁に立て掛けられていた木刀を手に取る。…うむ、何の変哲もない普通の木刀だ。

 

「あぁ、同居人に『何かの縁』ってのは変だったか?じゃあ折角の機会とか、そんな感じで」

「い、いやそこじゃなくて…相手って、立ち回りの……?」

「それ以外何があるってんだ。つーか、何故に木刀もあるんだ?」

「それは、私も緊急時は天之瓊矛以外の武器も使うし、そういう時の事を想定して偶に…って、そうじゃなくて……貴方、訓練はしないんじゃなかったの…?」

 

取り敢えず木刀の長さや重さに慣れる為適当に振りつつ会話を続けると、妃乃も段々調子を取り戻していく。そうして妃乃は気を取り直すように軽く頭を振った後……怪訝な表情を俺へと向けてきた。

確かにそれは、妃乃からすれば最もな質問。霊装者として戦いはしても、その道を深めるつもりはないと妃乃に話してたんだから、むしろ疑問に思わない訳がない。…が、そもそも俺自身が俺の意思に反する提案なんかする訳がなく、その質問に対して俺は軽めに回答する。

 

「んまぁ、ちょっと立ち回りの相手する位ならセーフだろ。気まぐれみたいなもんだし、まさか霊力交えた勝負はしねぇだろ?」

「え、えぇ、それはその通りよ?やってたのは技術の鍛錬だし、霊装者の力使った勝負するならもっと広い方がいいし。でも……」

「俺が良いって言ってんだから気にすんなって。…それともあれか?さっきの話を蒸し返してほしい……」

「さぁ構えなさい悠弥!自ら武器を手に取った以上、勝負を降りる事なんて許さないわよッ!」

 

ともすれば精神が同年代の倍前後生きてる俺よりも大人っぽい…というか大人の対応が出来る妃乃も、一度追い詰めてしまえばこんなに分かり易い切り替えを見せてくれる女に早変わり。こりゃあ三文は余裕で得したなぁ、あっはっは。

 

「明日からも早起きしてやろうかな…」

「寝てなさい阿呆!」

「ひっでぇなオイ……で、ルールとかはどうするよ?顔面セーフは入れとくか?」

「それドッジボールのルールでしょ…まぁ取り敢えず範囲は庭の中限定とか、危険な動きはしないって程度ていいんじゃない?」

「危険な動き?倒れた相手に追い打ちはかけるなとか?」

「そんなの当たり前過ぎてルール以前よ…そうじゃなくて、怪我しかねない動きはするなって事。今からするのは模擬戦より軽い手合わせみたいなものでしょ?」

 

そう言って左の人差し指を立てる妃乃に、あぁそうかと俺は首肯。何も俺は妃乃をボコボコにしてやろうとは思っていないし、ほんとにただちょっと「相手してやろうかな」と思って木刀を手にしただけの話。だから妃乃の言葉に異を唱える理由はない。

 

「…さって、じゃ…戦争経験者の実力を見せてやるよ」

「だったら私は能力抜きでも強いんだって事を教えてあげるわ。異性だからって手を抜く必要はないわよ?」

「お、言ったな?なら負けてから性別を言い訳にするんじゃねぇぞ?」

「心配ご無用よ。だって勝つのは私だもの」

 

適度に距離を開けたところで互いを煽る俺と妃乃。勝敗云々言ったら軽い手合わせから早速離れてしまう気もするが…勝ち負け気にせず緩ーくやろうね〜、なんてスタンスだったら張り合いがない。そして同居人と平然と煽り合ってる辺り、勝負事に関して俺と妃乃はまあまあ似た者同士らしい。

 

「…………」

「…………」

 

一頻り煽った後、俺も妃乃も構えた状態で口を閉じる。開始の合図はどうするか決めてないが…決めてない上それも口にしないって事はつまり、既に手合わせは始まっているという事。少なくとも妃乃はそういう目をしていて……俺も、それに異論はない。

構えて相手に視線を向けたまま、微動だにせず気を見計らう。端から妃乃に先制を譲るつもりなんてない。だが焦って踏み込んでも返り討ちに遭うのが関の山で、大切なのはタイミング。そのタイミングを見極めるべく俺は神経を張り詰め、意識を集中し……それまで影になっていた庭に朝日が差し込んだ瞬間、俺は一直線に突進をかける。

 

「やっぱり、踏み込んできたわね…ッ!」

 

元々間にあったのは十歩にも満たない短な距離で、数秒とかからずその距離は詰まる。だが俺が動き出すのとほぼ同時に妃乃は一歩下がり、俺が木刀の間合いに入る直前で木の槍を肩の辺りに突き出してきた。

 

「…っとぉッ!」

「ま、これ位は避けられるか…!」

 

放たれる突きに対して俺は必要以上に足を前へ出し、自ら上体を逸らす事で回避。続けてその体勢のまま反撃の横薙ぎを妃乃へと放つも、それはバックステップによって避けられる。

 

「逃がすかよ…!」

「逃げないわ、よッ!」

 

避けられた時点で俺は腰を落とし、姿勢を下げる事で体勢を立て直す。そこから次の一撃として片手突きをかけると、妃乃は引き戻した槍の柄で弾いて斜め斬り。回避が間に合わないと思った俺は手首を捻り……木刀の柄、それも本当に端の部分でギリギリ受け止めた。

 

「…上手く受けたわね。けど、その体勢でどこまで抑えられるかしら…ッ!」

 

即座に左手でも柄を掴み、妃乃の力に対抗する俺。筋力的には俺に分がある筈だが、体勢を立て直したとはいえ脚が前後に大きく開いている状態じゃ、後ろの脚の負担が大きくてそう長くは持ち堪えられない。だから俺は腕全体へと力を込め、木刀を立たせると同時に槍を横へと押し出した。

 

「……っ、なら…ッ!」

 

横に逸れた妃乃は一瞬前のめりな体勢になるも、即座に踏み込み回転斬りに移行。だが反撃は間に合わずとも身体を動かすだけの余裕はあり、俺は槍の届かない距離まで下がるべく跳躍。一方妃乃は俺に当たらないと分かった時点で回転を止め、俺から視線を離さず構え直す。

 

「…逃げないでよ」

「逃げてねぇ、よッ!」

 

数秒の睨み合いの後、俺は地を蹴り攻撃…と見せかけて、明らかに届かない距離から蹴りを一発。その行動で迎撃を考えていたであろう妃乃のテンポをズラし、前から戻す脚で再び地を蹴って今度こそ接近。その勢いを乗せて振り出した斬撃(木刀だから実質打撃だが)を妃乃は槍で受け止め、俺達二人は鍔迫り風の状態となる。

 

「ここまでは、小手調べってところだよなぁ…?」

「はっ、当たり前じゃない…ッ!」

 

挑戦的な笑みをお互いに浮かべ、それからほぼ同時に後ろへ跳ぶ。着地した次の瞬間にはまた接近をかけ、木製武器の刀身部分をぶつかり合わせる。

小手調べ云々は煽り半分だが、実際俺も妃乃もまだまだ全力を出し切ってはいないし、技だってまだまだ隠し持っている。だから本当の激突といえるのはこれからの事。…へっ、面白くなってきたじゃねぇか……ッ!

 

 

 

 

少しずつ日が昇っていく早朝の住宅街に、木と木のぶつかる音を響かせる。始める前に携帯は縁側に置いたし、当然庭に時計もねぇから正確なところは分からねぇが……手合わせ開始からは、それなりの時間が経っていた。

 

「やるじゃない、悠弥…」

「そっちこそ、な…」

 

じんわりと額に汗を滲ませて、声を掛け合う俺と妃乃。ここまでに何度も斬り結んで、攻防を繰り広げて、策をぶつけ合った。だがまだ勝負はついていない。

 

(実戦だったらこっからは粘り合いだが…そろそろ終わりにしねぇと、お互い怪我をさせかねねぇな……)

 

本当の戦いは体力や集中力が切れようが、勝ち負けが決まらない限り続くもの。…が、訓練の一環であれば話は別。むしろ体力、集中力等が切れかけの状態で続けようものなら、うっかり止める筈の攻撃を止められず……なんて事があり得る訳で、安全性を考えるならそろそろ止めておかなきゃいけない。

それは、妃乃も分かっている筈。だけどそれを口にはしないし、目もまだやる気に溢れている。だったら、この戦いは……

 

(次だ…次の一撃で、勝負を決める……ッ!)

 

小さく息を吐き出し、余計な力を削ぎ落とす。改めて身体に力を込め直し、隙のない構えの妃乃を見据える。もう疲れてきたし、この位にしておくか〜…なんて言うつもりは、微塵もない。

 

「…………」

「…………」

 

俺は木刀を上段に構え、妃乃は姿勢を下げて突進の体勢を見せる。…勝負は一瞬。全力をぶつけられるか、ぶつけられないか…それだけの話。

最初と同じように、俺達の間を静寂が包む。だがそれは、強い緊張感によって生まれた静寂。この静寂が破れた時が、最後の攻防の始まりであり…終わりでもある。

最早軽ーい気持ちで始めた手合わせだという事なんか忘れ、本気で勝利を目指して力を集中する俺達。そして、直感に従い俺達が動いたのは……ほぼ、同時。

 

「はぁぁぁぁぁぁッ!」

「やぁぁぁぁぁぁッ!」

 

一気に距離を詰め、全力を込めた斬撃を放つ。一気に距離が詰まり、凄まじい速度の刺突が放たれる。普通じゃとても軌道なんか見えない程の勢いだが、どうもアドレナリンまで出てしまっているのかその一撃がはっきりと見える。見えるが…鋭くなっているのは感覚だけで、ぶっちゃけ見えても対応出来ない。感覚に対して身体の動きが遅過ぎて、このまま斬撃を放つしかない。となればやはりもう力を尽くすだけで、俺は「怪我をさせない」という意識だけは残し、残りは全て振り抜く事に注ぎ……

 

 

 

 

 

 

────ガラガラッ!

 

「……ッ!?い、いやぁ朝の体操は気分が良いもんだなぁ妃乃っ!」

「で、でしょう!健康にも良いし、一石二鳥なのよねっ!」

 

……窓の開く音が聞こえた瞬間、俺達は超絶ハイスピードで木刀と槍を背に隠して適当な言い訳を口にした。緋奈に見られたら不味いと思った俺と妃乃の動きは、もう早いのなんのでとにかく凄い。

 

『……?』

 

その動きがそれはそれで違和感バリバリだったのはともかくとして、俺と妃乃が手合わせしてたのは隠せた筈。不自然に横で並んでたり、体操じゃかかないレベルの汗かいてたり、槍の先端が妃乃の頭から見えてたりするけど、まぁ多分大丈夫な筈。…そう思って俺達は家の方に目を向けたんだが……家の窓は、一つも開いていなかった。

 

「……開く音、した…よな…?」

「した、と思うけど……」

 

音が聞こえたから、緋奈が起きてきたと思ったから、俺達は思いっきり慌てて誤魔化しにかかった。でも窓は開いていない。かと言って閉めた音も聞こえてないし、自分の家なんだから窓の見落としもまずあり得ない。……という事は、まさか…これって……

 

「……別の家の、音だった…とか…?」

「…だろうな……」

「…………」

「…………」

 

 

『…はぁぁぁぁ……』

 

妃乃と二人、がっくりと肩を落として息を吐き出す。とんだ取り越し苦労というか、驚かせんなとか、でも安心したとか、とにかく溜め息を吐きたくなる気分となった俺達は、それはもう深い深い溜め息を吐いた。

 

「…なんか、どっと疲れたわね……」

「凄ぇ心臓に悪い経験だった…」

 

凡そ一般的ではない経験を重ねてきた俺と妃乃でも、こういうのに対する耐性は薄い…というか、そんな耐性のある人間にはなりたくない。そしてこんな体験……二度としたくない。

 

「…で、どうするよ?」

「…どう、って?」

「手合わせだ手合わせ。仕切り直して決着付けるか?」

「あー……」

「…………」

「……もう、いいや…」

「だよな〜…」

 

……どんなに熱くなっていても、特級の冷や水を浴びせられれば冷めてしまう。…って訳で、俺と妃乃の手合わせも終了するのだった。後に残ったのは、なんとも微妙なこの気分。

 

「さて、と。今日はもう十分過ぎる程動けたし、この辺にしておくとして……一応、相手してくれた事には感謝するわ」

「俺は気が向いたからそうしただけだ。…だからまた相手してやるよ、気が向いたら…な」

「はいはい、なら気が向いた時に早起き出来るといいわね」

「いや、どっちかって言うと早起きした時気が向いたら……あーーっ!」

「えぇぇぇぇっ!?な、何!?」

 

単純に言えばいいのにわざわざ「一応」なんて付ける妃乃に対し、俺もちょっと捻くれた言葉で返答。そんな反応をしてから素直な会話は俺や妃乃の柄じゃねぇよなぁと思い直し、縁側から家の中に戻ろうとして……重大な事に、気付いた。

 

「……朝食の支度すんの、忘れてた…」

「ちょ、朝食って…急に大声出したと思ったら、それが理由…?」

「うっせ、それより早く準備しねぇと…」

「…ったく、もう…いいわ、それについては私にも少し責任があるし、手伝ってあげる」

「マジか。じゃあ俺はちょっと麦茶飲んでるから、急げ妃乃!」

「いや一番責任ある人間が一息つこうとしてんじゃないわよ!後、それが済んだらシャワー浴びさせてもらうから、先入らないでよね!」

「あーはいはい、そりゃ構わねぇよ。さて、まずは飯を炊かねと…」

 

どっちも疲れてるのにドタバタと家の中へと戻り、朝食作りを開始。思った通り普段作る時間より遅れてしまっていたが、幸い妃乃の協力を得る事が出来た。まったりとは作れないが…まぁ、これなら間に合うだろう。

そうして朝食を作る中で、俺は手合わせの事を思い出す。手合わせしてみて、武器をぶつけ合ってみて、改めて思った。…妃乃の体捌きや槍捌きは……昔の宗元さんにも追い付きそうな位、本当に綺麗で卓越したものであったと。…俺は少なからず技術が鈍ってるだろうし……あのまま決着まで到達してたら、その時勝ってたのは…妃乃だったかもな。



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第八十六話 準備して、探して

何故遠出する時は当日よりも準備中の方が楽しいのか。それは、想像に際限がないから。実際に当日体験する事、経験出来る事には限界があったりそもそも決まっていたりしても、想像には『現実』という枷がないから。だから準備してる時はどんどん期待が膨らんでいくし、いざ当日となると「まぁ…実際はこんなもんだよなぁ」となってしまう事もある。そういう意味では、落差を感じる分準備で楽しめる人間は損だと思うけと……準備も遠出の内と考えれば、そんな感じる思いも少しは薄れるんじゃないかな…と俺は思う。

 

「着替えはこれでよし、と」

 

タンスから取り出した複数の衣類を、鞄へとしまう。前は服を畳む事に慣れていなかったせいで、鞄へ詰めて入れる時皺になったり上手く省スペース化出来なかったりしていた俺だけど、今となっては特に困る事なくそれが可能。鞄の中で小さく纏まった衣類を見て、俺は自分の家事能力の向上を実感する。

 

「えぇと、これももうしまって、こいつも出来るだけ下の方に入れて……充電器はまだ出しとくか」

 

衣類を入れ終えた俺は、床やベット上に並べた荷物を選別しつつ収納を続行。つい最近海水浴に行った時も似たような事をしたけど…その時と今回とは、用意する荷物の量が違う。

 

「…さて、後は……」

「顕人君、TVのリモコン知らないー?」

「あ、知らないですー」

 

しまい始める前に一度確認しておいた荷物リストを改めて確認し、うっかり用意し忘れた物がないか確かめていると、そこで廊下から聞こえてきたのはリモコンを探す人の声。別に重要な話でもないなぁとその時点で思った俺が適当に返すと、声の主たる綾袮さんが俺の部屋へと入ってくる。

 

「もう、こういう時は『見つからないの?じゃ、探すの手伝うよ』位言ってよー。顕人君の薄情者〜」

「えー……じゃ、ちょっと口開けてくれる?」

「……?あーん…」

「…ここにはないみたいだねぇ……」

「な、ないみたいだねぇって…わたし高校生だよ!?君と同い年だよ!?間違って食べちゃうとでも思ってるの!?」

 

なんか質問に答えただけなのに薄情者扱いされたから、ふと思い付いたネタで反撃してみると、思いの外良い反応が返ってきた。…綾袮さんってボケの申し子みたいな性格してるけど、割と突っ込む時はちゃんと突っ込んでくれるんだよね。

 

「普通の高校生ならあり得ないけど、綾袮さんなら或いは……」

「わたしでもそれはあり得ないから!あり得たとしたらわたしヤバいよ!?」

「だよねー……てか、口開けてって言われて素直に開けるのはどうなの?同性ならともかく、俺異性だよ?」

「え、だって顕人君はわたしが本気で嫌がるような事は企んだりしないでしょ?」

「…それはまぁ、そうだけど……」

 

綾袮さんは突っ込む時は突っ込んでくれるし、恥ずかしがらずに人への信頼を口に出す人。…そんな事言われたら、俺は何も言えなくなっちゃうよ……。

 

「で、ほんとに知らないの?どっか変な所に置いちゃった覚えない?」

「分かり辛いような所に置いた覚えはないけど…綾袮さんこそそういう覚えはないの?」

「無いから訊きに来たんだよ?……あれ、顕人君もう準備してるの?」

「え、もうも何も明後日だよね…?」

 

言われてみりゃそりゃそうだ…と思う俺の問いに返した後、綾袮さんは開きっ放しの鞄に気付く。…が、そこで出たのは何とも能天気な言葉。普通に考えて、二日前に準備するのは『もう』ではない。

 

「うん、明後日だね。でもそこで『もう二日しかない』と考えるか、『まだ二日もある』と考えるかで、その人の器の広さが分かるんだよ?」

「うん、絶対違うよね。分かるのは面倒臭がりかどうかだろうし、その例えに続くのは『二日もあるから頑張ろう』であって『二日もあるし大丈夫っしょ』ではないよね?」

「えー、じゃあ今の内に準備した方がいい?」

「その方が安全だと俺は思うね」

 

慌てている時と落ち着いている時なら基本落ち着いている時の方がミスしないし、買ってこなきゃいけない物がある場合は、直前の準備じゃ間に合わない。…なんて事位綾袮さんだって分かってるだろうし、やっぱり単に面倒なだけなんだろうなぁ…。

 

「そっかぁ、でも困ったなぁ。早めに準備しておくべきだけど、わたしリモコン探してる最中だもんなぁ」

「…………」

「リモコン無いのも困るよねぇ。でも準備と同時進行は出来ないし、どうしようかなぁ…誰か手伝ってくれると助かるんだけどなぁ……」

「……あー、はいはい。俺が手伝いますよー」

「ほんと?いやー顕人君がいてくれて助かるな〜!」

 

わざとらしい言い方でこちらをちらっちらと見てくる綾袮さんに半眼で手伝いを了承すると、これまた綾袮さんはわざとらしくお礼を言ってきた。上手い事当初の目的にとってプラスの状況を作る辺り、綾袮さんは結構世渡りが上手いんじゃないだろうか。

…とまぁいつものように綾袮さんに振り回される形となった俺だけど、TVのリモコンが見つからないのは俺だって困る。それに覚えがないだけで俺が変な所に置いてしまった可能性だってゼロじゃないんだからという事もあり、リビングへと移動した俺は最初から真面目に探し始める。

 

「ふーむ…雑誌の下とかソファの隙間とか、そういう所はもう探した?」

「うん、ありそうな所は大体探したよ?」

「じゃあ、やっぱ普通は置かない場所かねぇ…」

 

一応よくある場所も幾つか調べつつ、俺は本棚の中や家具の裏などを探していく。なーんだここにあったじゃん、もっとちゃんと探してよ〜…とか言える位簡単に見つかれば楽なものだけど、生憎そんな簡単には見つからない。

 

「リモコーン、リモコンさんやーい。出てきておいで〜」

「呼んだって出てこないとは思うけど、探してる時呼びたくなる気持ちは分かるから突っ込まないでおこうかな…」

「えー、突っ込んでよ顕人君。突っ込みにつられて出てくるかもよ?」

「はいはいそっすねー」

「でしょー?……そういえばさ、リモコン隠す妖怪っていたよね」

「あぁ、いたねぇそんな感じの…」

 

手分けしてリモコンを探す俺達二人。勿論真面目に探してはいるけど、リモコン探しは別に黙々とやらなきゃいけないような事じゃないし、雑談しながら探したって効率はそんなに落ちない。…というか、黙々と探してたらむしろ変な空気になるしね。

 

「…まさか食器棚とかシンクの引き出しとかにあったりしないだろうね…?」

「あったとしてもそこなら顕人君がやっちゃって事になるよね。わたしは料理ほぼしないし」

「あ、それもそうか…じゃあ探さない方が……」

「……顕人君?」

 

ないだろうなぁとは思いつつも包丁とかフライパンとかがしまっている場所を探していた俺は、奥を覗いた瞬間ある物を発見。そして俺はそれを手にし、きょとんとした顔でこっちを向いた綾袮さんに……見せる。

 

「……無くなったスプーンがここから出てきたんだけど…」

「あっ……」

「…………」

「……ごめんなさい、それわたしのせいです…」

 

スプーンを見た綾袮さんははっとした顔をし…その後しゅんとしながら己の過ちを白状した。聞くところによると、俺が洗って拭いた食器の片付けを頼んだ際、綾袮さんは包丁とフライパンとスプーンを一緒に持っていて、前者二つをしまう際スプーンもそこへ置きっ放しにしてしまった…という事らしい。

 

「はぁ…自分だけが使う物じゃないんだから、もっと気を付けてよね」

「はい、以後気を付けます……」

 

いつも元気で俺をよくからかう綾袮さんだけど、こうなってしまえばしおらしいもの。その態度に俺は軽く満足しつつ、スプーンを水洗いして食器棚へ。…本来の目的からは外れているし、そもそも無くさないのが一番ではあるけど…買い直す前に無くなったと思ってた物が見つかったんだから、まぁ良しとしようかな。

 

「さ、それじゃリモコン探し再開するよ。ほらきりきり探す探す」

「…結構やる気だね、顕人君…」

「そりゃ探し物に長時間を費やしたくはないからね。この調子だとまた綾袮さんがうっかり無くした物とかも出てきそうだし」

「うっ……も、もうないよ!……多分…」

 

ぼそっと不安そうに付け加えた姿ににやっとしつつ、リモコン探しを再開。ほんとにリモコン探しなんてさっさと終わらせたいから、会話は続けつつも入念にリビングを調べていく。

……が、全然見つからない。リモコンは勿論、綾袮さんが無くした物(実際にスプーン以外で何か無くされたのか?って言われるとぱっとは思い付かないけど…)も全く出てこない。…うーむむ……。

 

「まさか、窓から外に落ちたとかは無いよね…?」

「それは流石にないと思うよ…あれかな?別の部屋に持ってっちゃったとかかな?」

「それもないんじゃない?家電のリモコンなんて基本その家電がある部屋でしか使わない物だし」

 

ペンとかティッシュ箱とかならともかく、リモコンを別の部屋に持っていく理由なんてまずない。となれば別室にある可能性は極めて低いし、別室よりはまずリビングを隅々まで探す方が現実的。第一理由もないのにリモコンを持ち出す事なんて……

 

…………。

 

 

……リモコンを持ち出す、理由…?

 

「…………」

「…顕人君?手が止まってるけど、また何か見つけた?」

「う…うん。ちょ、ちょっと待っててくれるかな?」

 

たらりと額から流れる一筋の汗。硬直している事に気付かれた俺は、若干声に狼狽を滲ませながらリビングを退室。まさかまさかと思いながら俺が向かったのは、少し前まで居た自室。そして……

 

「……おおぅ…」

 

部屋の中にある机の端、出入り口からはビニール袋の陰に隠れてしまう場所に、リビングのTVのリモコンがあった。誰がそこに置いたかと言えば……それは勿論、俺。

 

「…ヤベぇ、これを綾袮さんに見られたら……」

「……ははーん、リモコンはここにあったんだー…」

「ぎくっ!?」

 

今度は額ではなく背中に汗が垂れるのを感じながらリモコンを拾い上げた次の瞬間、何とも嫌味っぽい声が扉の方から聞こえてくる。その声の主は当然綾袮さんで…その時俺は、ビビって擬音を自ら言ってしまった。これじゃもう、自分が原因ですって自白したようなものである。

 

「ねぇ顕人君。一応訊くけど…それはリビングのTVのリモコンだよね?」

「うっ…ち、違うんだよ綾袮さん!今日の朝リモコンの電池がもうないって綾袮さん言ってたでしょ?だから変えようと思って、でも丁度乾電池のストックがなくて、その補充も兼ねて買いに行ってここで入れ替えて……」

「入れ替えた後、リビングに戻すのを忘れて置きっ放しにしちゃったんだね?」

「…そうです…部屋出る時持って行けばいいと思って、それから鞄への荷物入れを始めたらすっかり忘れてしまいました……」

 

あたふたと弁明をする俺だったものの、結論部分を綾袮さんに言われ、罪人の様に頭を垂れる。…何も言い返せません、だってその通りなんですから…。

 

「はぁ…自分だけが使う物じゃないんだから、もっと気を付けてよね」

「は、はい…以後気を付けます……」

 

先程の綾袮さんの如くしゅんとなる俺に対し、綾袮さんはちょっとにやっとしながら注意を促す。……それは、さっき俺が綾袮さんに言った言葉。…ま、まさかこんな形で意趣返しされるとは…うぐぐ……。

 

「はぁ…これ、わたしが最初に来た時点でちゃんと考えてくれていれば、即座に解決してた可能性もあるよね?」

「あるね…それ含めて気を付けます…」

「全くもう、こんな事があっちゃ困るよ。わたしは顕人君がしっかりしてると思って気を抜いた生活してるんだから」

「ほんとにごめん……ってそれは無茶苦茶じゃない!?いや知らんよ!?俺がしっかりしとくから、綾袮さんは気を抜いていても大丈夫だそ〜…とか言ってないよね!?」

「ちぇー…今なら無茶苦茶な事も通せると思ったけど、やっぱ無理かぁ…」

「負い目を感じてる人の心に乗じて何しようとしてくれてんだ…てかスプーンとリモコンでおあいこだからね?そして多分俺がいなくても綾袮さんはしっかりした生活送ってないからね?」

「あ、酷〜い!わたしだって一人の時はそれなりにしっかりしてるんだもんねー!」

 

リモコンに関して悪いのは100%俺で、俺自身反省しなきゃと思ってるけど、だからって他の事まで受け入れるつもりは毛頭ない…というか、それは普通に別の話。後、今の要求(?)を受け入れちゃったらいよいよ俺は保護者みたいになってしまう。それも結構駄目な保護者に。

 

「はいはい。それじゃリモコン見つかったんだから、綾袮さんは荷物の準備ね。リモコンは俺が置いてくるから」

「その最中に何かやる事思い出して、それを先に片付けようとした結果またリモコンの存在を忘れたり……」

「しないよ…したら流石に頭か心の異常を疑うって……」

 

そんなこんなで俺達は一回ずつ反省する羽目になったものの、リモコン探しは目的達成。という事で俺は綾袮さんにもう一つの用事を促し、リモコンを持ってリビングへ。勿論綾袮さんが言ったような事はなく、ソファ前のテーブルに置いてそれでお終い。

 

「…はぁ、なんだかなぁ……」

 

リビングから戻る途中、ふと抱いた思いに溜め息を吐く。普段から不注意で気を抜いた生活をしていたから、何かを忘れてしまう…というのは自業自得で済む話。でも忘れ物をしないよう気を付けている一方、ちょっと別の事を考えていただけで頭から抜け落ちてミスに繋がる…というのは何ともやり切れない。こっちも自業自得と言えば自業自得だけど、なんだかなぁ…って気持ちは拭えない。だって、気を付けるつもりはあっても頭は勝手に忘れてしまうんだから。

 

「何かのついでに、とかで一旦放置しちゃうのがいけないのかねぇ…」

 

そんな事を思いながら、自室へ戻った俺は準備の仕上げを再開。一瞬綾袮さんがちゃんとやってるか気になったけど、まぁ綾袮さんだってやる時はやる人なんだから心配しなくても……

 

「顕人くーん、準備手伝って〜」

「なんでやねん!?」

 

俺が見に行くどころか、別れて数分と経たずにまた綾袮さんがやってきた。何かもう色々言ってやりたい事があり過ぎて、結果突っ込みの代名詞みたいな返答をしてしまう俺。

 

「な、なんでやねんって……」

「いやなんでやねんだよ…準備は自分でやりなさいよ……」

「…顕人君、わたしが一から十まで全て一人で用意した荷物って…安心出来る?」

「そんな揺さぶり方ってある!?…いや確かに一抹の不安は感じるけども!」

 

綾袮さんに準備を任せたら、霊装者関連以外なら高確率で何かしら抜け落ちてしまう……気がする。統計も何もないイメージの話だけど、これは先入観ではなく日々の生活から出来上がった印象。

 

「でしょ?だから自分の不安の解消だと思って、どうか一つ!」

「えぇー……流石の俺もそれはちょっと…」

「むむ…じゃあせめて、物置から取ってこなきゃいけない荷物だけでも手伝って!物置の中って顕人君がちょっと配置換えしてるから、わたしの思ってる位置に思ってる物がないんだよぉ……」

「それは……まぁ、うん…そだね…それは協力するよ…」

 

原因は俺だったとはいえ、元々リモコン探しは綾袮さんが荷物の準備を早くやる為に協力したもの。それ自体かズルい口実を出された上での協力だったのに、今度は荷物の準備も手伝ってほしいなんて言われても、それは俺も釈然としない。…けど、物置の配置が…となれば話は別。

物置と言っても、庭にある小屋みたいなものじゃない。余ってる部屋の一つには日用品から季節限定で使う物まで色々と置いてある場所があって、今綾袮さんが言っているのも恐らくそっち。そこに置いてある物の配置は俺がここに住むようになってから変わって…というか俺が変えて、中には最初あった場所から大きく変化してる&別の物が邪魔になって分かり辛いという物も幾つかある。で、俺が変えた事により綾袮さんが困ると言うのなら…それは手伝わない訳にはいかない。

 

「その言葉を待っていたよ、顕人君!さぁ物置に行こうか!」

「はいはい…(俺が出す時綾袮さんの分も出しときゃ楽だったかなぁ…)」

 

意気揚々と物置へと向かう綾袮さんの後を付いて、俺も移動。俺は二度取りに行く形となってしまったけど…どうせ家の中だし、労力ったって然程ない。

 

「…うーん、ここももう少し整理したら、物を取り出し易いかな?」

「そりゃそうだろうね。綾袮さんが手伝ってくれるなら、今度ここをもっとちゃんと整理するよ?」

「それは…気が向いたらね」

 

物置の部屋へと入り、必要な物を箱やら棚の引き出しやらから取り出す俺。配置を変えたと言っても整理ではなく、あくまで追加の荷物も置けるようにしただけの事。だから全体的に出し入れし易くするにはきちんと整理しなきゃなんだけど……この返答じゃ、多分すぐには出来ないだろうなぁ…。

 

「にしても、顕人君は準備面倒臭い…とは思わないの?」

「思うよ?」

「え、じゃあなんでそんな積極的なの?やっぱり心配性だから?」

「やっぱりって…まぁそれもなくはないよ。けど課題とか運動の為の準備と違って、遠出の準備はなんかテンション上がらない?」

「あー……分からない事もないけど、わたしは面倒臭いって気持ちの方が大きいかなぁ…」

「そう…綾袮さんってイベントの前日とかは楽しみで眠れなくなるタイプだと思ってたけど、実は違う?」

「うん、勝手な想像なんだから実はも何もないよね。失礼しちゃうよもう」

 

何となく綾袮さんも俺と同様のタイプかと思っていたけど、どうやらそうじゃないらしい。ただまぁ失礼しちゃうと言いつつも質問に対する返答はしてないから、実は眠れないのかもしれない。

 

「これでよし、と。ほら全部出したから、後は自分で準備してね」

「…おまけで手伝ってくれたりは?」

「しません」

「お情けで手伝ってくれたりは?」

「しません」

「いっそ手伝うどころか全部やってくれたりは?」

「絶対せぬわ」

「むー…仕方ない、勝てない戦は早々に撤退するのがベターだよね」

 

断固として拒否した事が功を奏し、綾袮さんは食い下がりを止めてくれた。でもまぁ一同言っておこう。高校生が自分の準備を自分でするのは、普通の事です。

 

「さて、そんじゃ俺は支度も済んだし……」

「あ、電話鳴ってるよ」

「みたいだね。…お、母さんだ…」

 

廊下へと出たところで鳴った携帯。さて誰かなと思って画面を見ると、そこに映っているのは母の名前。

 

「はいはいどうかした?」

「体調崩してたりしてないかの確認よ。まだまだ暑い日が続いているし」

「そらまだ八月だからね…俺は大丈夫。母さんと父さんはどう?」

「こっちも大丈夫。あぁそうそう、この時期作り置きしたものは忘れず冷蔵庫に入れるように。顕人はまだしも、綾袮ちゃんがそれでお腹壊したら一大事でしょ?」

「いやあの、俺貴女の息子なんですけど…?」

 

まだしもってオイ…なんて思いながら言葉を返すと、携帯から笑い声が聞こえてくる。声が聞こえる距離に綾袮さんもいたら綾袮にも笑われていただろうけど、幸い俺はもう自室の中。全くもう…と思いつつ、ふと俺は母さんに訊く。

 

「そうだ母さん、お土産って何か要望ある?」

「お土産?どこか旅行にでも行くの?」

「んー…まぁね。どちらかと言えば、旅行というより合宿だけど」

 

行く地域の名前を出し、どんなお土産がいいか訊く俺。……そう、準備というのは例の合宿(?)のもの。恐らくこの夏休みで一番のイベントであろうそれは、もう目前にまでなっていた。



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第八十七話 幸先はあまり宜しくなく

「ここに来るのも……つい最近の事過ぎて、懐かしくも何ともないなぁ…」

 

強い日差しに目元へ手で陰を作りながら、船を降りて島へと足を踏み入れる。ここで目を細めて数秒視線を空へ……的な事をしたいところだったけど、俺は最後尾じゃないからそんな事はやっていられない。

 

「そうだね、って言っても僕はあの砂浜周辺しか知らないけど」

「それは俺もだよ。そもそも前回はここに遊びに来たんじゃなくて、海水浴をする場所としてここを選んだって感じだし」

 

俺に続いて降りた茅章と話しながら、流れに沿って歩いていく。

準備した荷物を入れたりリモコンを探したりしたのが一昨日の事。つまり今日が協会の合宿的活動の当日であり、初日。薄々分かってはいたけど…案の定、千嵜は来ていない。

 

(…そういや、協会絡みで茅章と二人ってのは初めてか…?)

 

移動の最中、ふと考える俺。普段行動を共にしている綾袮さんは立場の関係から別行動(これは妃乃さんも同じ)で、ロサイアーズ姉妹も今は一緒にいない。一方今一緒にいる茅章は、友達としてはちょいちょい会っていても霊装者として会う機会は割と少なくて、二人だけというのは多分初。……まぁ、実際には前にも後ろにも沢山人がいるから、物理的には二人だけじゃないんだけど。

 

「……お、見えてきた」

「へぇ…正に合宿の為の施設、って感じだね」

 

そんなこんなで到着したのは宿泊施設。実はこの話を最初聞いた時、実戦を想定してキャンプとかすんのかなぁ…と思っていたけど、昔はともかく今の普通の霊装者は野営なんかしないらしい。確かに魔物と戦争やってる訳じゃないんだから、考えてみればそれも納得のいく話。

到着した俺達は、まず割り当てられた部屋へと荷物を置いて、それからホール的な大部屋へと移動。ここでの活動の狙いだとか、施設使用上の注意だとか、月並みの話を他の参加者と一緒に受け、数十分程でそれは終了。その後は一度自由時間となり、参加者は三々五々に散っていく。

 

「俺はどうすっかなぁ……」

 

少なくともここに残ったって何もする事はない、と廊下へと出た俺ながら、だからと言ってやりたい事も今はない。暇潰しの手段なら持ってきてはいるけど、早速それというのも味気がなさ過ぎる。となれば思い付くのは知り合いに会いに行く事かなぁ…と思っていると、その知り合いが向こうからやって来た。

 

「顕人」

「ん?あ、ラフィーネさん」

「私もいますよ」

「うん、分かってるよ」

 

声に反応して振り向くと、そこにいたのはロサイアーズ姉妹。今日も二人は姉妹で一緒に行動していた。

 

「…………」

「……?…えと、ラフィーネさん…?」

「何?」

「や、何って…ラフィーネさんは俺に用事があって呼んだんじゃないの…?」

「ううん。見つけたから呼んだだけ」

「そ、そう…」

 

早速ラフィーネさんの天然さに翻弄される俺。一方ラフィーネさんはといえば俺を翻弄した事など全く気付かず、いつも通りの感情が読めない表情をしている。用はないけど見つけたから声をかけた、っていうのはそんな悪い気もしないけど……なんか拍子抜けなんだよね、はは…。

 

「まぁいいか…二人はこれから何かする気なの?」

「一先ず荷物の確認だけはしておくつもりですね。紛失物は無いのが一番ですが、仮にあるとするなら、それは早めに知っておいた方がいいですから」

「……天と地の差だ…」

「はい?」

「あ、ううん気にしないで。フォリンさんとは真逆の人間の事を思い出してただけだから…」

 

当日目的地に着いた後も荷物の確認をするのなら、きっとその準備も十分に時間の余裕を持って行われた筈。二日前でも言われるまでやろうとしなかった同居人とは大違いだなぁ…と、その時思う俺だった。

 

「…そういえば、二人も俺や他の人達と同じスケジュールで動くんだっけ?」

「そうですよ。と言っても一部で私達は少し違うらしいですが」

「あ、そうなの。それは協会所属じゃないから?」

「いえ、そうではなく……」

「あ、顕人君……に、ラフィーネさん、フォリンさん。こんにちは」

 

確認をすると言いつつもそこに急いでいる雰囲気はなく、次なる質問にも答えてくれた事で雑談がスタート。…と、そこでまたも俺を呼ぶ声が聞こえた。

声の主は、部屋の関係で別れていた茅章。すぐに茅章は二人にも気付き、声をかけつつこちらへと来る。

 

「ふぅ、まさか学校の体育館でやるような事を協会でも聞く事になるとは思わなかったよ」

「あー、同感。てか、これは結構な人数が思ってるんじゃない?」

「さっきの集まりの事?…あれは暇だった」

((す、ストレートに言うなぁ…))

 

気持ちは分かる、でも俺も茅章も言いはしなかった思いを一切オブラートに包まず口にしたラフィーネさんのストレートさに、俺達二人は心の中で呟く。これにはフォリンさんも俺達サイドの感想を持ったのが、彼女もラフィーネさんの横で苦笑いしていた。

 

「特に注意事項は配布された書類にも書いてある。だからそれは言わなくても良かった筈」

「ま、まぁそれをちゃんと読まない人もいるからね…大概そういう人は、口頭の説明も話半分にしか聞いてなかったりするけど……というか、そう言うって事はちゃんと読むタイプなの?」

「タイプも何も、当然の事。資料も読まない人間は、味方でも信用出来ない」

「ですね。資料も物によっては不要な情報まで載っていたりもしますが、基本読むべきだからこそ資料はある訳ですし」

 

うんうんと頷き合う姉妹の二人は、とても俺より年下の女の子だとは思えない雰囲気。ズレてる…というよりそもそもの考え方が違う二人の言葉には、俺も茅章も「ですよねー…」みたいな顔で首肯する事位しか出来なかった。…うん、この方面で話を展開するのは止めよう。

 

「ま、まぁそれはそうと、今日も晴れて良かったよね。晴れだと日差しで暑いけど、やっぱり出かける時に雨だと気持ちも沈むし」

「じゃあ、曇りだったら?」

「曇りは……気候的にはそれが一番だよね。冬だったらまたちょっと違うけど」

「えー、でも夏の曇りって微妙じゃない?泳ぐのだって曇りより、ちょっと水が緩くなっちゃう位の晴れが一番気持ち良いしさ」

「あぁそれもそうか……ってぬわぁ!?綾袮さん!?」

 

話を逸らすとすぐに茅章が乗ってくれて、上手い事他愛のない話に戻す事へ成功。それにほっとした俺は次なる言葉にも答えようとし……気付いたら、後ろに綾袮さんがいた。

 

「やっほー皆。わたし抜きで仲良くお喋りなんて、皆酷いなぁ…」

「ひ、酷いのは綾袮さんだよ!びっくりしたじゃん!」

「ふふん、まだまだ背後が甘いね!」

「止めてよもう…」

 

この島で俺は驚かされる運命にあるのか、まだ二回しか来ていないのにこんな感じの出来事がもう三度目である。しかも前二回とは違って、綾袮さんには驚かそうとした意図があったようにも感じられる。しかも位置の関係から俺以外には綾袮さんの存在が分かっていたみたいで……凄ぇやり切れない気持ちだ、くそう…。

 

「あはは…綾袮様も今は時間があるんですか?」

「まーね。でもこの後も色々とやらなきゃいけない事があるから、ちょっと憂鬱…」

「ゆううつ…物凄く画数の多い字だった気がする」

「あぁ……凄いですよね日本人は。あんなに難しい字を普通に使うんですから」

「いや、憂はまだしも鬱を書ける人はそんなに多くないんじゃないかな…俺も正直書けって言われたらちょっと不安だし」

「だよね。日常的に書く字じゃないから、いざ困るって事はあんまりないけど」

「じゃあ、そんな二人はちゃんと書けるかな!?ペンとメモ帳ならここにあるよ!」

『えぇ!?』

 

びしり、とボールペン&メモ帳を出されて面食らう俺と茅章。なんで実際にやらなきゃ…と言い返したかったところだけど、若干の期待が籠った姉妹からの視線があるせいで提案を断れず、断れないからそれを受け取り書く羽目になってしまう。で、結果俺も茅章も書けなかった。部分的には合っていたけど、残念ながらそれっぽい字にしかならなかった。

 

「くっ…まさか鬱の字を書けるかどうか試される日が来るとは……」

「うぅ…分かっていれば書き取り練習でもしたのに……」

「こんなの分かる訳な……いやそれは止めておいた方がいいと思うよ!?鬱の字がびっしり書いてあるノートとか、それこそ鬱一直線だわ!」

「おー、顕人君上手いね!後で顕人君の部屋に座布団送るよう頼んでおいてあげる!」

「要らなっ!割とマジで要らないから頼まないでくれる!?」

「…どうして座布団?」

「さぁ?…あ、これがお歳暮、というものなのでは?」

「違うよ!?お歳暮に座布団はとても一般的じゃない…っていうか、よく考えたら時期も違う!この時期ならお中元ね!これはお中元でもないけどさ!」

 

次々と襲来する多彩なボケ(無自覚、勘違い含む)に、全力で俺は突っ込んでいく。まだ訓練が始まってもいない内に体力を消耗するのは避けたいところだったけど…あんまりにも一つ一つのボケが濃過ぎて、フルパワーで突っ込まざるを得なかった。…こういう時、突っ込み型の人間は辛い。

 

「…顕人、元気一杯?」

「そういう事じゃないよ、はぁ…。……うん…?」

 

締めに勘違いボケpart2を受け、それにがっくりと肩を落とす。そしてこの面子相手に突っ込みが俺一人は流石にキツい、誰かもう一人突っ込みに回ってくれ…という思いが心の中で渦巻く中……俺は気付いた。俺達ががっつり周りの視線を集めてしまっている事に。

 

(…そ、そりゃそうだよな…ここには宮空家の人間に、イギリスからの姉妹がいるんだから……って、それだけじゃ…ない…?)

 

人目を集める面子が過半数である事に加え、俺が大きい声を出してしまったのだから注目されても無理はない。…そう思った俺だけど…向けられている視線に籠っているのは、それだけじゃなかった。

それは、俺に対する感情。考えてみれば俺も対魔王や姉妹との模擬戦等の存在を知られる機会があって、それに関するものも含まれていたけど……まだあった。それ等を差し引いても…奇異の目という、中々複雑な視線が残っていた。

 

「ほぇ?どったの顕人君…って、あー……」

 

視線に気付いた俺は表情か何かが変わってしまっていたのか、すぐに綾袮さんが声をかけてきて……その綾袮さんも、綾袮さんに続くように他の皆も、自分達が視線を集めている事を自覚。ラフィーネさんだけは特に何とも思っていない…ように見える顔をしていたけど、それでも俺達の輪の中に「どうしようか…」という雰囲気が漂ってしまう。そして、このままだと俺への奇異の目も皆に気付かれると思って……そう思った瞬間、俺は言った。

 

「……いやぁ、案外俺も人の目を惹ける容姿だったんだなぁ」

『いや、それはない(でしょ・と思う・かと)』

「三人同時に否定!?酷ぇ!」

 

……お分かりの事とは思うが、俺は別に本気でそう思っていた訳じゃない。言うまでもなくこれは注意を引く為の方便で、反応はどうでもよかったんだけど…こんなばっさり否定されたら、やっぱ辛いって…。

 

「うぅ……そんなに酷かったのか俺の容姿は…」

「いや、別に悪くはないと思うよ?けどほら、わたしは皆が認める可愛さだし、ラフィーネとフォリンも美少女でしょ?そんなわたし達と一緒にいながら特別顕人君が目を惹くって事は、流石にないんじゃないかなって意味」

「そ、そっか……うんまぁ、そう言われたらそりゃそうだとしか言えないけど…」

「そうそう。…あ、でも顕人君も茅章君みたいに中性的だったらまたちょっと違ったかもね」

『……!?』

 

ダメージを受けた俺へとかけられたのは、何とも綾袮さんらしい言葉でのフォロー。実際のところ綾袮さんも姉妹も本当に整った容姿をしていて、俺自身自分を美形だとは思ってなかった(けど別に醜悪って事もないだろう、と決して高くはない俺のプライドが主張していた)から、そのフォローで幾分か俺のメンタルは回復した。……というか、その次の言葉で俺達への視線に衝撃が走っていた。…理由はまぁ、アレだろうなぁ……。

 

「…は、はは……」

「……茅章、大丈夫?」

「あ、うん大丈夫だよ…こういう視線自体は、もう慣れてるから…」

「…えと、もしかして…わたし何か不味い事言っちゃった…?」

 

大丈夫だとは言っているし、その表情も苦笑いの成分が多いけれど……それでも今受けてる視線は気分の良いものじゃないんだろうと、乾いた笑い声を漏らす茅章に対して俺は思った。

そしてそんな茅章を見て、綾袮さんはバツの悪そうな表情に。俺は茅章の悩みを綾袮さんに話していない(勝手に話していいようなものじゃない)んだから、これは綾袮さんに非のない事故みたいなもの。だけどそれでも気にするのが綾袮さんって人。だから……

 

「…そういやフォリンさんは荷物の確認したいんだったよね?ごめん、長話に付き合わせちゃって……」

「え?いや、別に私は……あ…。…そうですね、早めに済ませなければ確認の意味がないですし、私達はそろそろ戻るとします」

「綾袮さんもあんまり油売ってるのは良くないんじゃない?時間大丈夫?」

「大丈夫……じゃ、ないかもね。うん、これは良くない!遅れたら顕人君のせいだって言わなきゃ!」

「人のせいにしないでもらえる!?ほんとにそれは止めてよね!」

 

俺の言葉を切っ掛けにまず姉妹が、次に綾袮さんが離れていく。すれ違いざまに綾袮さんは茅章に「ごめんね」と言って、それに茅章は落ち着いた笑みと大丈夫だという言葉を小声で返す。

変に注目を浴びてしまうなら、場所を移動してしまえばいい。もっと言えば、別れて別行動に入ればいい。ただ俺は、それを自然に出来る理由を作っただけの事。…それにこうすれば、俺に対する視線を綾袮さん達に気付かずに済むしね。

 

「…えと、じゃあ僕も……」

「構わないよ。ここで時間取らせて茅章の予定狂わせるのは悪いからね」

「それと……顕人君、綾袮さんに気にしないで下さい…って言っておいてくれるかな…?」

「おう、任せて」

 

頼みを引き受けたところで茅章も離れ、遂に俺は一人に戻る。姉妹と綾袮さんが離れた時点で散り始めていた周りもそれで更に減って、あっという間にこちらへの視線は遠巻きなものがちらほらある程度へと減少してしまった。……うーむ、やっぱ俺と皆とじゃ華に差があるみたいだねぇ…元々見てたのは男の方が多かったし、俺一人に対して男が何人も視線向けてたらそれはそれで怖いけど…。

 

(…さて、俺も部屋に行きますかね)

 

軽く頭を掻きながら、割り当てられた部屋へと歩き出す。元々そんな気はなかったけど…先程のフォリンさんの話を思い出したら、何だか忘れ物をしてないか不安になってしまった。…という訳で何度も確認はしたからないとは思うけど、安心する為に確認しようと俺は決める。

 

「服は入れたし、充電器も入れたし…」

 

頭の中でリストと、そこに書かれた物を鞄に入れた瞬間の事を思い浮かべながら、歩く事数分。部屋に到着した俺は一応部屋の番号を確認して、それから部屋の中に入……

 

「お?」

「へ?」

「……えっ…?」

 

……ったら、二人いた。全然知らない人と、さっき知ったばかりの人が、部屋にいた。

ここで説明をしておくと、部屋は二人一組で割り当てられていて、部屋や組み合わせは協会の方で決められている。だから俺の部屋に俺以外のもう一人がいるのは別におかしい事じゃなく、さっき知ったばかりの人というのが、この部屋に割り当てられたもう一人の人なんだけど…。

 

(……もう一人は…友達か何か、とか…?)

 

まるで入る部屋を間違えてしまった、或いは他人の部屋に入ってしまったような気分になる俺。一方部屋の中の二人もちょっと戸惑ったような顔をしていて、全員にとって居心地の悪い空気が部屋の中に出来てしまう。

 

「…えーと…い、今は不味かった……?」

「いや、そんな事はない…けど……」

「あーっと…ちょ、ちょっといいか?これお前の荷物…だよな?」

 

元々知り合ったばかりもいいところの間柄に加えてこの空気となれば、容易に友達百人が出来ちゃうレベルの社交性を持つ人か、全く空気の読めない人辺りじゃないと普通には話せない。…けど、幸か不幸か知らない方の一人には俺に対して話があるようだった。

どんなに空気が悪くても、話さなきゃいけない事があればそれを大義に口を開ける。だからそれがあるらしい彼に内心感謝する俺だったけど……彼から発されたのは意外過ぎる言葉。

 

「……お前、部屋間違ってね?」

「へ?い、いやそんな筈は…」

「じゃ、確認してみてくれ」

「あ、はい…」

 

時をかけてるか訊いてくる感じのトーンで言われた問いに、俺は一瞬戸惑ってしまう。そしてそんなことはない筈と確認してみると、なんと俺は部屋を間違えていた!……などという事はなく、確かに俺はこの部屋という事になっている。

 

「…俺、は合ってるみたいだけど…」

「えぇ?でも俺も合ってるぞ?」

「はい?……え、じゃあまさか…」

 

俺は合っていて、もう一人の方も合っている。となれば可能性は二つ。一つは三人目(初対面じゃない方)が間違っていたというパターンで、もう一つは……

 

「……おおぅ、同じ部屋番号振り当てられてるじゃん…」

「運営サイドのミスかよ……」

 

……彼の言う通り、振り分けをした側がミスをしていたというパターン。…これが一番困るパターンです。

 

「…どうするよ、これ」

「確認…取るしかないんじゃない?」

「誰に?」

「それは……心当たりあるから、ちょっと訊いてくるわ…」

 

お互い間違ってないと判明した事で居心地の悪さはなくなったものの、空気の微妙さは相変わらずなまま。これを解決するには問い合わせしてみるしかなく、となれば多分俺の方がやり易い…具体的に言えば、ほぼ確実にその運営側と話が出来る綾袮に電話出来る俺の方良いだろうと思って、携帯を取り出しつつ一度廊下へ。そして綾袮さんに電話で訊いてみた結果……

 

「……なんか俺、違う部屋になるっぽいっす」

 

何とも言えない感じの表情で待っていた二人に、彼らと同じく何とも言えない顔でそんな報告をする羽目となった俺だった。



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第八十八話 気負わず、だけど全力で

理由はよく分からないものの、俺は部屋を移らなくてはいけなくなった。まだ荷物を大々的には開いていなかったから良かったものの、早速そんなミスに遭遇してしまっては、何とも微妙な心境になってしまう。

が、だからと言って二人いる部屋に居座る訳にもいかない俺は、荷物を持って部屋を出る。その後一先ずここ来て〜、と綾袮さんに言われた場所に向かってみると……

 

「やぁ顕人君。すまないね、いきなりこんな事になってしまって」

「……深介、さん?」

 

入った部屋で俺に声をかけて来たのは、綾袮さんの父親、深介さんだった。呼ばれたのは最上階で、ここの階に泊まるのは宮空時宮両家と一部の霊装者だけだった筈…と思っていた俺にとっては、この階だってなった時点で違和感を抱いていたものの……これは流石に予想外。

 

「あれ顕人君、ここが自分の部屋だと思った?」

「あ、いや…そんな事はないけど、綾袮さんのご両親がいるとは思わなくて……」

「…綾袮、貴女また彼にちゃんと話してなかったのね?」

「う……だって、別に伝えなきゃ不味い事とは思わなかったし…どうせ来れば分かる事だし……」

 

あっけらかんとしている綾袮さんを咎めたのは、綾袮さんの母親…つまり深介さんの妻である宮空紗希さん。俺はあまり話した事がないから詳しくは知らないものの、紗希さんは結構物事をきっぱり言う人で、すぐ綾袮さんがバツの悪そうな顔をした事からもそれは分かる。

 

「全く…アタシからも謝るわ。ごめんなさいね、顕人君」

「い、いえお気になさらず。こういう事には慣れてますから」

「そう……慣れる程こういう事ばっかりしてるのね、綾袮…」

「うぅっ……お、おとー様ぁ…」

「…綾袮。それは信頼してるからこそなのかもしれないが…親しき仲にも礼儀ありという事位、綾袮も分かっているだろう?」

「……はい…」

 

期せずして綾袮さんの立場を更に悪くしてしまった俺。母親から穏やかではない視線を向けられた綾袮さんは、後退った後父親を頼るも……結果自分を咎める両親に挟まれて、しゅんとした表情になってしまった。…ごめん、綾袮さん…結局は綾袮さんの自業自得だとは思うけど、それでも一応謝っとくよ…。

 

「…あのー、自分の部屋の件は……」

「っと、そうだったね。まあ取り敢えず座ってくれるかな?」

「あ…はい、失礼します…」

 

助け舟の気持ち半分、早くどこに行けばいいのか教えてほしい半分で宮空親子に声をかけると、俺はソファに座る事を勧められる。それに従って座ると綾袮さん達も別のソファに腰を下ろして、ご両親と俺が机を隔てて向き合う形となった。

 

「まぁそう硬くならなくてもいいよ。…と言っても、難しいかい?」

「それは……はい。…あ、でも初対面の時に比べればこれでも余裕はある…と、思います」

 

深介さんからすれば全然変わってないのかもしれないけど、本当に最初の頃よりは精神的な余裕がある。…相手から見て変わらないんじゃ、気を遣っているだけに思われちゃうかもしれないけどさ。

 

「なら…結論から言うと、直前で少し君に関する話が出てね。その関係で君には部屋を移ってもらおうとしたんだけど、なにぶん直前だったせいで情報伝達やら何やらが間に合わず、そのまま今日に至ってしまったという訳だ」

「…俺に関する話、ですか…?」

「そうよ。でも、別に貴方を糾弾するような事じゃないから安心して」

 

俺に何かあったから変更になった。そう言われたらまぁまず自分が不味い事をしてしまったか、自分の身体に病気でも発見されたかを疑ってしまうのが一般的な人の考え。そしてその例に漏れず俺も不安になったものの、それはすぐに紗希さんが否定してくれた。けれどそれならそれで、一体何なんだろうと気になる俺。

 

「…顕人君。君は予言によって見出された、かなり特別な霊装者だ。特殊ではなく、特別な存在だ」

「……っ!…は、はい…」

「けれど、君には明確な唯一性が今のところない。勿論君の能力は中々…いや、かなり特異と言えるし、魔王と曲がりなりにも『戦闘』をしたという実績もある。しかし、それ等は宮空や時宮で代々伝わる翼の様な、はっきりとしたものじゃない」

 

気になっていた俺にかけられたのは、一瞬鳥肌が立ってしまいそうになった程嬉しい言葉と、その否定。特別だけど、その証拠がない。…深介さんが言っているのは、そういう事。

 

「…おとー様、フォロー入れてもいい?」

「構わないよ。何に対してかは…まぁ恐らく綾袮の事だ、私が考えているのと同じだろう」

「うん。…顕人君、魔王と戦った事、生き残った事は本当に凄いんだよ?これは運が良かったとか、味方に恵まれたとか、そんなもので片付けられるレベルじゃないんだから」

「…ありがと、綾袮さん。それに深介さんもお気遣いありがとうございます。…大丈夫です、今の自分がただちょっと霊力が多いだけの霊装者だって事は、俺自身でよく分かってますから」

 

面と向かって言われるのはキツい。でも、自覚はあった。綾袮さんという圧倒的な実力者の姿をいつも見ていたから、魔王との戦いで千嵜との違いを感じたから、自分が『予言された霊装者』には名前負けしてるって、知っていた。だから、キツかはあるけど……その言葉を、飲み込むだけの余裕はある。

 

「そうか…だったらこれはきちんと言っておこう。今の君に唯一性はないが…私達は、それは今のところに過ぎないだろうと思っている。君への心遣いではなく、本心でね」

「はい……」

「そして、その事に関してこの演習は打ってつけなのさ。つまり……」

「…俺に予言の内容に見合うだけの力があるか、ここで見極める…そういう事ですか」

 

深介さんの言葉を引き継いだ俺は、自ら口にしつつも緊張を感じる。

俺に期待…というか俺が特別な存在であると信じてくれるのは、素直に嬉しい。けどだからこそ、その思いを裏切りたくない、間違いだったとは思ってほしくない…そんな気持ちが俺の中に生まれて、それが緊張を呼び起こす。それに……俺自身、自分は特別なんだって思いたい。だってそれが、特別である事が…俺の夢見た理想の自分なんだから。

 

「…大丈夫です。全力を尽くして、自分の力を引き出してみせます」

「えと…そんなに重く考えなくてもいいんだよ?別に期待外れだったら解雇するとかじゃないし、あくまで良い機会だから見てみよう…ってだけだからね?」

「だとしてもだよ、綾袮さん。俺は綾袮さんにも協会にも色々してもらってるんだから、それを受けるだけの資格はちゃんと自分で示さないと……」

「…気負いはミスに繋がるものよ、顕人君」

「え……?」

 

信じてくれる人に、信じたいと思っている自分に応えよう。自分が特別だと、自分自身で証明しよう。そう考えた俺は心の中で闘志を燃やし、闘志につられて表情が引き締まる。でも……そこで紗希さんの言葉が、俺の心に突き刺さった。はっとしてそちらを見ると、紗希さんからは鋭い視線が向けられていた。

 

「貴方は表面上だけじゃなく、芯から真面目な性格みたいね。それは良い事だし、大切にした方がいいわ。…けど、真面目さは時に自分を追い詰める敵にもなる。顕人君。貴方は自分の中に敵がいたまま、貴方の尽くしたい全力を出せるのかしら?」

「そ、それは……」

「無理でしょう?…だから今回はうちの不真面目娘にその真面目さを分けて、真面目さの代わり余裕を持ちなさい。じゃなきゃ貴方は、終わった後にきっと『もっとやれた筈なのに…』と後悔する事になるわ」

 

視線も言葉も突き刺さる。紗希さんの言葉に容赦はない。けど、それを差し引いても反論なんて出来ない程、発された内容はその通りで正しかった。

 

「い、言い方キツいよおかー様…それに不真面目娘って……」

「これがアタシの言い方だってのは綾袮も知ってるでしょ。それに、貴女は自分が不真面目じゃないと思ってるの?」

「はは…まぁ言い方はともかく、紗希の言う通りだよ顕人君。それに私達が見るのは君の実力ではなく、君という霊装者そのものだ。実力ならば他にも参考に出来るデータや情報はあるから、君はそこを不安に思う必要はないよ」

 

綾袮さんが俺を気遣ってくれたけど、紗希さんが俺に助言をしてくれてるんだって事は分かってる。それに深介さんも俺の事を気にかけてくれてるんだって、会話の中から伝わってきている。でも……だからそんな人の思いに応えたい、頑張らなきゃって気持ちが気負いに繋がる訳で、真面目さの代わりに余裕をというのも、やろうと思えば出来るようなことでもなくて……あぁ、これは…駄目だ…。

 

「……すみません、ちょっと…十秒前後だけ、席を外していいですか…?」

「うん?まぁ、構わないよ?」

 

立ち上がり、出入り口へと向かう俺。三人から怪訝そうな視線を受けながら扉を開け、廊下に出て、一瞬止まり……

 

「……ああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

……部屋へと戻った。お待たせしましたと一度言って、それからそれからソファへと座り直す。

 

「いやいや『座り直す』、じゃないよ!?急に何!?急に叫んで何!?あ、顕人君大丈夫!?」

「あー…聞こえてた?」

「そりゃ聞こえるよ!ばっちり聞こえてたよ!この距離で叫ばれたら否が応でも聞こえるからね!?」

 

何事もなかったような顔で座った次の瞬間、ドン引き状態の綾袮さんに滅茶苦茶突っ込まれる。深介さん紗希さんも唖然としていて、なんかこのままだと医務室辺りに運ばれそうな雰囲気に。…うん、これは完全に俺が軽率だったな。

 

「え、えぇと大丈夫です。あのままだと頭の中が悪いスパイラルに落ちそうだったので、ちょっと強引に頭を空にしてきただけですから…」

「そ、それなら先に言ってから出てよ…追い詰められておかしくなっちゃったのかと思ったじゃん……」

「ご、ごめん……お二人にもご心配をおかけしました…」

「心配というか、何というか……でも、それなら切り替えは出来たのね?」

「はい。切り替えられた…と思います」

 

普段だったらこんな手は取らないし、取るにしても(多分)前もって言う。…そんな手を取ってしまう程、言い忘れる程、やっぱりさっきまでの俺は良くない状態だったんだと思う。そして今は、それを脱したと信じたい。

 

「思うだなんて曖昧ね。でもそれ位の方がいいわ。言い切ってしまえば、そうしなくてはって気持ちが生まれるもの」

「気を付けます…ほんとにお気遣いありがとうございました」

「気にしなくていいわ。普段は綾袮が迷惑かけてるでしょうし、これはほんのお礼よ」

「そういう事だ、顕人君。君は普段の行いによる恩恵を受けただけなんだから、必要以上に恩を感じる必要はないよ」

「うぅ、だからなんでわたしが不真面目だったり迷惑かけてる前提なの…こうなったらもう、逆に気負ったりしたら怒るからね!わたしの屍を超えるんだよ顕人君!……わたしは死んでないけどっ!」

 

三者三様の言葉で、綾袮さんとご両親は最後まで俺を気遣ってくれる。此の親にして此の子あり。一体俺は何様なんだとは思うけど……そう俺は感じていた。綾袮さんがなんだかんだ言って信頼出来る、尊敬出来る人なのは、こんなご両親から生まれて育てられたからなんだろうと。…ほんとに何様なんだろうね、俺は。

 

「…俺はいつも通りにやればいいんですよね?」

「そうだよ。私も紗希も沢山の霊装者を見てきたんだ。わざわざ行動を指定せずとも、見ていれば伝わってくるものがある」

「分かりました。俺、気負わず自分を追い詰めず……その上で全力を尽くせるよう、頑張ります!」

「うんうん、そういうポジティブシンキングは大切だからね。顕人君、ふぁいとーっ!」

「おうよ!…それでは、失礼します」

 

すっきりとした気がする精神を胸に、俺は綾袮さんへ応答。それから締めるべきところは締めようとトーンダウンからの挨拶をご両親に行い、立って再び出入り口へ。扉に手をかけ、まずは準備だなと思いながら部屋を出ようとして……

 

「……あっ…俺の部屋の話、まだしてなかった…」

『…………』

 

……何ともまぁ間抜けな自分のミスに、ギリギリで気付いた。振り返ってみると、そこにいるのは呆れ八割苦笑い二割の表情をしている宮空親子。…うっわ、俺恥ずかしっ!

 

「あ、あの…俺の部屋は……」

「…うん、それも伝えるつもりだったよ。座らなくてもいいのかい?」

「い、いえいいです…このまま聞かせてもらいます…」

 

こんなやり取りを経て、漸く俺は自分の部屋を知るに至った。こう表現するとなんか綾袮さん達が脱線させまくったみたいになってしまうけど、どちらかと言えば話の進行の足を引っ張っていたのは俺の方。特に今のと廊下に出たのは、完全に俺が脱線させてるパターンである。

で、結局どこかというと…なんと最上階であるここと同じ階の部屋だった。

 

「……いいんですか?俺がそんな扱いを受けて…」

「そっちの方が好都合なのよ。この後も君を呼んだり逆にアタシ達が行ったりする事もあるでしょうし、その度に他の霊装者の目に止まるのは、それこそ誰も得をしないわ」

「そ、それもそうですね…では、今度こそ失礼します…。……いいん、ですよね…?」

 

また何か忘れていたらどうしよう。そう不安になって確認するももううっかりはなく、俺は荷物を持って部屋を出る。…なんか会話時間の割にはかなり疲れたような気がする…主に自分のせいだけど……。

 

(…そういえば、さっきの叫びは他の部屋とか下の階にも聞こえててもおかしくないんだよな…はは、何してんだか俺は……)

 

傍から見たら…いや多分事情を知っていてもヤバいと思うような行為をしてしまった自分に呆れながら、俺は荷物を持って言われた部屋へと移動。さっさと移動して入ってみると、そこは俺一人で使うにも関わらず初めに割り当てられた部屋より広かった。

 

「…な、なんか申し訳ないな……」

 

不当ではないとはいえ、何だかこれはえこひいきされてるみたいで素直に「よっしゃ部屋広い!」…とか思えない俺。謙虚?いいえ、俺は小市民的な性格なだけです。

 

「さて、残り時間はどうすっか…」

 

まぁまぁ時間は過ぎたものの、最初の訓練開始まではまだ少し時間がある。時間を潰す手段は幾つかあるけど…部屋来て早速持ってきた娯楽に興じるってのも、ねぇ?

…という訳で俺は携帯を取り出し、これに不参加の千嵜へと電話。

 

「…何だ、なんかあったか?」

「部屋のダブルブッキングがあった」

「……え、まさかそれを俺に解決しろと…?」

 

挨拶もそこそこに(畏まった挨拶するような間柄でもないけど)早速訊かれたからあった事を話すと、千嵜は困ったような声を返す。…うん、分かり易く勘違いしてるな。

 

「いや、それは解決したから大丈夫。今は色々あって部屋に荷物降ろしたとこ」

「ふーん、分かり辛い表現すんなっつの」

「いや、俺訊かれたから答えただけだし。…で、千嵜は何してんの?」

「ん?今は…ソファで微睡んでる緋奈眺めてたな」

「えぇ……」

 

何の躊躇いもなく、結構凄い事を言ってくる千嵜。それとかなりどうでもいい事だけど、今の返答から千嵜がリビングにいる事が判明。…うーむ……。

 

「…相っ変わらずのシスコンだな……」

「へぇ、いつの間にか妹を見るだけでシスコンになる時代になったのか」

「見ると眺めるは違ぇよ……一応訊くけど、見てたのは一秒二秒の話なの?」

「性格な時間は分からんが、十秒二十秒は余裕で経ってるだろうな」

「それを今の時代はシスコンって言うんだよ……」

 

突っ込みながら俺は空いている手で軽く頭を押さえ、がっくりと肩を落とす。どっからが冗談でどっからが本気なのかは分からないけど……なんかもう筋金入りだわ、千嵜は…。

 

「へいへいそーですか…んで、用事は何だよ?なんか用があるからかけてきたんだろ?」

「あー…用事ってか、暇潰し?」

「すっげぇ失礼な電話だな、そりゃ」

「それを言われると返す言葉はない…後はまぁ、何してんのかなーって思った位かな」

「それはさっき答えたな。…ったく、忙しい時に電話してきやがって…」

「忙しいも何も妹眺めてただけじゃん…てか、眺めるのに忙しいって何…!?」

 

良くも悪くも遠慮のない、男子高校生感満載のやり取りを交わす俺達。さっきまで緊張したり気負ったりで精神の変動が大きかった分、余計に肩の力が抜ける。…その相手が千嵜ってのは、何とも言えない気分だけど。

 

「御道だってカタツムリ眺めるのに忙しい事あるだろ?」

「ねぇよ!特にカタツムリなんて暫く目を離してても大丈夫だよ多分!だってゆっくりだし!」

「おっと間違えた、ナメクジだったな」

「あ、なんだナメクジなら…変わらないよ!?それ世界一無駄な訂正だろ!……多分!」

「多分多いなぁ…二度目だが」

「…いや、ほら…雑談でも軽々しく断定するのは避けた方がいいかと思って…」

 

断定しちゃうと「間違った事をさも正しい事であるかのように言うな!」と誰かに怒られるかもしれないけど、多分とか恐らくとかを付けておけば、そういう時にも大丈夫な気がする。…誰に対して気を遣ってるのかと言われると……まぁ、それは…メタ的な意味だよね、はは。

 

「よく分からん奴だな……って、あー…緋奈が起きちまった…」

「あそう、そりゃ残念だったね」

「ところがどっこい、寝起きでぽけーっとしてる緋奈を見るのもまた乙なんだよなぁ」

「そっすか、良い妹を持てて幸せですね」

「ま、冗談抜きに良い妹を持てて幸せだな。って訳で御道も頑張れ。何すんの知らんけど」

「わー、なんて適当なエール…まぁ頑張るけどさ」

 

なんかいい感じに話に区切りがつき、緩ーい挨拶をして通話終了。もうちょい話しててもよかったけど…早い人はもう移動終えてるだろうし、俺も行くとするか。

 

「……さ、ここからがスタートだ…やるぞ、俺…っ!」

 

両足の大腿を軽く叩き、気持ちを切り替えて部屋を出る俺。向かう先は、最初の訓練を行う場所。色々訓練に向けての思いはあるし、気負いしそうになる自分もいるけれど……結局それは緊張と同じで、出てきてしまうんだから仕方ないもの。そう考えると気が楽になる…って事もないけど、もう本当にどうしようもないんだから、何とかなるよう祈るしかないよね。それにミスは許されないって訳でもないんだから。……なんて事を考えながら、俺は外へと向かっていった。



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第八十九話 素直な気持ち

霊装者は、武器に注入するように身体へ霊力を流す事で、身体能力の大幅向上を行える。どれだけ向上させられるか、どれだけ少ない霊力で高効率の向上を実現出来るかは個人個人で違う(勿論訓練で伸ばす事も可)ものの、ある程度のレベルまでは割と誰でも出来て、誰でも出来るレベルでも普通の人とは桁違いの身体能力に到達する。

それ故に協会が筋トレを訓練とする事はほぼない。霊力による身体能力強化に比べれば、通常の筋トレによる身体能力向上なんて微々たるもので、わざわざ推奨する程でもないから実施されない。つまり、協会手段の訓練は……一発目から、結構本格的な事が行われる。

 

「あー……疲れた」

 

最初の訓練を終え、部屋へと戻る途中の俺。訓練の内容は…まぁ特筆する点のない、軍の訓練もこれに似た感じなんだろうなぁと思う(実際はどうか知らないよ?)ものだった。基本綾袮さんとワンツーマンだった俺にとっては、集団で訓練を…という状況自体に目新しさを感じたものの、それも終わり頃には慣れていた。

 

「…上手く出来たかなぁ……」

 

それより気になるのは、やはり綾袮さんのご両親に言われた事。一応普段通りに出来た気はするけど、それがご両親の目にどう映ったかは分からない。それが分からないんだから改善のしようもないし、もしかしたら改善の必要性自体がないのかもしれないけど、「でも何か悪い点があったら…」と思ってしまうのが人というもの。って訳で俺はどうすっかなぁと考え始め……丁度最上階に着いたところで、見覚えのある後ろ姿×2を発見した。

 

「……?どしたの二人共。綾袮さんに用事?」

「あ、顕人さん」

 

声をかけると、その二人組…ロサイアーズ姉妹が振り返る。二人も先程の訓練に参加してはいたものの、二人の立場はどちらかと言うと教える側。…まぁ、それもそうだよね。ラフィーネは綾袮さんと正面から戦えるだけの力がある訳だし、そんなラフィーネさんがコンビ組んでる相手がフォリンさんなんだから。

 

「綾袮さんの部屋なら俺が案内するよ?」

「……?いえ、綾袮さんに用事はありませんが…」

「じゃあ、別の人?」

「…えぇと…何故私達が誰かに用のある前提なんですか…?」

「あれ、違った?じゃあどうしてここに……」

「わたし達は、部屋に戻る途中なだけ」

「へ?……あ…」

 

フォリンさんが俺の言葉で不思議そうにする中、ラフィーネさんの発言によって俺は自分が勘違いしていた事を理解する。…二人の部屋も、この階だったのね……。

 

「…ごめん、ここまでで出た質問は全部忘れて」

「あ、はい。…顕人さんも部屋に戻るところだったんですか?」

「そだね。…しかし……」

『……?』

 

恥ずかしさから意識を別の方向へ切り替えようとした俺は、二人が涼しげな顔をしている事に気付く。屋内は冷房が効いているとはいえさっきまで訓練してた訳で、にも関わらず然程汗をかいた感じも疲れた様子もない二人は、やっぱり凄いなぁなんて思い……

 

「……顕人、変な事考えてる?」

「ぶ……っ!?は、はい!?」

「…突然何を考えているんですか、貴方は……」

「えぇ!?いや考えてない考えてない!二人は訓練後なのに余裕そうだなぁって思ってただけだからね!?ど、どこをどう判断して変な事考えてると思ったの!?」

「…何となく?」

「何となくでフォリンさんから白い目で見られるような事言わないでくれる!?」

 

……謂れのない誤解を必死に解く羽目となった。ラフィーネさんに悪意がない事は分かってる。でも、だからこそ厄介なんだよなぁ…。

 

「あぁ、それなら良かったです。もしラフィーネを邪な目で見ていたのなら、制裁を加える必要があったので」

「う、うん…俺もそうならなくてよかったよ…(目が怖い…じょ、冗談なんだよね…?)」

「…フォリンを変な目で見てたら、わたしも多分制裁してた」

「は、はは…ほんとに勘違いだって分かってもらってよかったよ…(この姉妹愛怖っ!多分両方冗談じゃねぇ…)」

 

訓練前俺は千嵜のシスコンっぷりを目に(耳に)した訳だし、千嵜兄妹も仲は良いけど…なんかこの姉妹は一味どころか三味位違う気がする。主に行動の面で。

 

「…さて、それじゃ俺は行くよ。夕飯前に軽くシャワー浴びておきたいし」

「そう。じゃあ、夕飯の時に呼びに行く」

「あ、うん。…え、呼びに来るの?なんで?」

 

身の危険を感じた俺は逃げようと…とかではなく、単に若干べたつく身体を何とかしたくて話を切り上げようとする。するとラフィーネさんは呼びに行くと言い、俺はそれに同意し……一拍置いてから訊き返した。あんまりにも自然に言うものだから、一瞬違和感なく同意してしまった。

 

「理由?それは一緒に食べようと思ったから。顕人は嫌?」

「い、いや別に嫌って訳じゃないよ?そっかそっか、なら了解」

「うん。フォリンもそれでいい?」

「あ……はい、それでいいですよ」

 

理由を聞いて、理解した上で改めて俺は了承。いつものようにフォリンさんはラフィーネさんの選択を肯定して、それで俺達はその場を後に。来るという事なので去り際に部屋番号だけは教えておいて、俺は部屋へと帰還。…って言っても、まだ自分の部屋である事に多少の違和感を感じるけど。

 

(…軽くのつもりだけど…ま、いっか)

 

別段風呂が好きという訳でもない俺は、夏という事もあってぱぱっと入ってさっさと出る。入る前は食後なり寝る前なりもう一度入ろうかとも思っていたけど…出る頃には、もうこれでいいやとか思ってしまった。…はい、どうでもいい話ですね。

で、着替えをしてから十分弱。部屋を訪れた姉妹(ノックしてもらえなかった…俺が風呂上がりを下着で過ごすタイプとかだったらどうするつもりだったのか…)と共に、俺は食堂へと移動。

 

「おー、賑わってるねぇ…当たり前だけど」

 

ここでの食事はバイキング形式。という訳で俺達は各々好きなように取り、空いている席へ腰を下ろす。

 

「…そういえば、綾袮さんとか茅章とかは呼ばなかったの?」

「…呼んでない。呼んだ方が良かった?」

「うーん…良い悪いじゃなくて、単に訊いただけって感じかな」

「…多分、ラフィーネにその気があっても呼ばなかったと思いますよ?茅章さんはどこにいるか知りませんし、綾袮さんや妃乃さんはご覧の通りですし」

「ご覧の通り…?…あー……」

 

俺の言葉に反応しつつある方向を見るフォリンさん。そちらに俺も目を向けてみると……そこには魔王迎撃後のパーティーでもあったような人集りが出来ていた。多分、その中心にいるのが綾袮さんと妃乃さんなんだと思う。

 

「じゃ、茅章は……っと、茅章も別の人に呼ばれててこっち来れないみたいだね。何でも普段世話になってる部隊の先輩に声かけられただとか」

「では、何れにせよ呼べなかった訳ですね」

 

携帯で連絡を取ってみた結果、茅章は先約があった事が判明。…となると、俺はイギリスの女の子二人と食事をする訳で……う、うんまぁ食事のメインは文字通り食べる事だからね!ここに更に綾袮さんが入った四人で食事した事もあるし、何ら気にする事はないんだよね!

 

「…し、しかしバイキングなんて久し振りだなぁ」

「……バイキング?」

「…いるんですか?バイキング……」

「い、いる?…え、と…俺が言ったのは芸人さんの方じゃないよ…?」

『芸人?』

「へ……?」

 

…どうもちょっと俺は頭が空回りしていたらしく、例のパーティーでもあった筈なのに(あれはビュッフェ…?)バイキングを久し振りだとか言ってしまう。しかも、何やら突然二人との会話に齟齬が発生。…俺、なんか分かり辛い表現でもしたっけ…?

 

「…えぇ、っと…バイキングがいる、ってどういう意味…?」

「どういうも何も、言葉通りの意味ですよ…?」

「言葉通り…?…って、あ……もしや、バイキングって語源の方…海賊の方だと思ってる?」

「…違うの?」

「あ、あー…そういう事か……(てかそういえば、バイキングって日本でしか伝わらない言い方だった気が…)」

 

日本の事しか知らない俺と、外側から見た日本しか知らないロサイアーズ姉妹。なまじ基本は滞りなくやり取りが成立する分、偶にこうして認識の差から勘違いが生まれてしまう。…国際交流って、難しいね。

 

(…というか、また俺勘違いしてる…駄目だなぁ…)

 

早とちりというか気が回らないというか、我ながらどうも残念さが抜けない。出来るならもっとスマートな思考を持ちたいところだけど、思うだけでどうにかなるなら苦労はしない。

 

「…顕人、また変な事考えてる……」

「…顕人さん、またですか…?」

「えぇっ!?いやだから変な事は…って、まさか俺は考え事してると邪な思考してるみたいな顔になっちゃうの!?」

「さぁ?…あ、この魚美味しい…」

「ちょっと!?俺にとっては結構重要な事なんだから、変って言った当人が速攻で興味なくすのは止めてくれない!?」

「顕人、食事中に騒ぐのは良くない」

「うぐっ、誰のせいで大声出してると思ってるの…!」

「……バイキング?」

「違ぇッ!」

 

自分から変だと言っておいてこの仕打ち。百歩譲って本当に変な顔をしていたとしても…こんなのあんまりだ……。

 

「……楽しそうですね、ラフィーネ」

「うん、楽しい」

「…そう、ですね…顕人さんは、結構愉快な人ですし」

「待って、その愉快な人ってどういう意味…まさか弄り甲斐のある人って意味じゃないよね…?」

「……フォリン、この魚食べてみる?」

「あ…じゃあ、一口貰いますね」

「そういう意味かよおぉぉぉぉ……」

 

ずがーん、という擬音が出てきそうな感じで頭を抱える俺。ちょこっと顔を上げてみると、ラフィーネさんは食事をしつつ本当に楽しそうな顔をしている。楽しそうと言っても、表情の変化は些細なものだけど……いつの間にか、俺はラフィーネさんの浮かべている表情がよく分かるようになっていた。流石に百発百中とはいかないだろうけど、感情が大きく動いている時なら大体分かる。

 

(…これも、仲良くなれたからこそのもの。そう考えれば、嫌な気は……するな、うん。経緯と結果は別物ですわ)

 

仲良くなれる事を、嫌だとは思わない。仲良くなれたのなら、素直に嬉しい。…でもそれはそれ、これはこれ。軽く弄ってくる程度ならまぁいいけど、あんまりがっつり弄ってくるなら俺もその内目にもの見せてやる…。

 

「…………」

「…フォリン?食べないの?」

「…え?…あ…いえ、食べますよ」

 

…そんな事を思っている間、フォリンさんは何か考え込むように手を止めている時間があった。ラフィーネさんに声をかけられるとすぐに我に返って、それからは普通に食事と会話をしていたけど……

 

(…俺の方、見てた……?)

 

考えている間、フォリンさんの視線が俺の方へと向いていた…そんな気が、俺にはした。……最も、向いていたのはこちらの方向であって、俺を見ていた訳じゃないのかもしれないけど。

 

「…って危ねぇ…この流れだとまた変な顔してるって言われる……」

「……?」

「…と、思ったら今回はこっち見てなかった…まぁいいや…」

 

それから食事を続ける事数十分。何度か追加で料理を取りに行って、各々好きなように食べる時間が流れていく。その内丁度ラフィーネさんとフォリンさんが、同時にナイフとフォークを使うタイミングがあって…そこでふと、疑問が一つ浮かび上がった。

 

「……そういえばさ、そっちの組織のトップってどんな人なの?」

「……どうして、それを訊くんです?」

「え?…いや、BORGにどんな人が所属してるのかなと気になって、でも二人がどういう部隊や立ち位置にいるのかはよく分からないから、いるかどうか分からない同僚より確実にいるであろう人物の事を訊こう…って思ったんだけど……」

「あぁ…そういう事ですか。あまりに唐突だったので、ちょっと不思議に思ってしまいました」

「それもそっか…こっちこそごめん」

 

そりゃ唐突過ぎる事訊かれたら困惑するよな…と反省すると、フォリンさんも気にしないで下さいと言いつつ肩を竦めてくれる。…因みにこの時ラフィーネさんは口に結構食べ物が入ってたから、一言も声を発さなかった。

 

「…で、うちのトップですか……中々難しい質問ですね…」

「一言じゃ言い表わせない人物、って事?」

「まぁ、それもありますが…一番の理由はそもそも話す機会がない事ですね。私達は別に組織内で高い地位にいる訳ではないので」

「あー…そっか…」

「表面的な事なら言えますよ?若いだとか、一見穏やかそうだとか」

「…でも、あの人は底が知れない。同じ穏やかそうでも、綾袮のお父さんとは何か違う」

 

反省すべき事に質問の内容も加えるとして……二人からの返答に俺は、深介さんベースで考える。深介さんも俺の父親と同年代(の筈)なのに年齢より若い感じで、間違いなく穏やかな人。そこに底が知れない感じを加えて…って、底が知れないってどういう意味だろう…。それ位懐が深そうって意味か、得体が知れないって感じなのか…二人の表情的には後者っぽいけど…。

 

「…もっと詳しく訊きたいですか?それなら考えますけど…」

「いや、いいよ。あんまり盛り上がりそうにない話題だしさ」

「うん、この話は絶対盛り上がらない。だから別の話を考えて」

「え、何その雑な振り……えーとじゃあ、さっきラフィーネさんがフォリンさんに勧めてたその魚って、どんな味だったの?」

 

折角二人と夕飯を食べてるんだから、話題も盛り上がる内容の方がいい。その思いでトップに関する話は止め、これよりは盛り上がりそうなネタを引っ張り出す。

ネタになればいいし、もし美味しそうなら取りに行こう。そんな気持ちで訊いてみると、ラフィーネさんは数秒程考え込み、それから皿にあった(また取ってきたやつ)魚の一切れへフォークを刺して……

 

「……なら、食べてみる?」

 

フォークで刺した一切れを、俺の方へと向けてきた。渡すではなく、フォークを自分で持ったまま。

 

「へっ……?」

「ら、ラフィーネ…それは……」

 

さも当然であるかのように向けたラフィーネさんに俺は目を瞬き、フォリンさんは動揺を見せる。…まぁ、そりゃそうだ。だって自分の姉が、年上の異性に対して所謂『あーん』をしようとしているんだから。

 

「……?…もしかして顕人、この魚にアレルギーがあるの?」

「い、いやアレルギーはないけど……」

「じゃあ、もうお腹一杯?」

「そういう訳でも、ないかな…」

 

俺の驚きもフォリンさんの動揺にもピンときた様子はなく、そのままフォークを向けているラフィーネさん。悪意は勿論の事他意もなく、純粋に「気になるなら一口あげよう」という思いで近付けてくれてる事は分かってるから、どうにも俺は断り辛い。

 

「あ、あのラフィーネ…そういう事は、あまり軽々しくやるべきでは……」

「…どうして?フォリンには時々してるし、フォリンも私にしてくれるのに」

「いやそれは…私と顕人さんは違いますし……」

「……顕人、人間じゃなかったの…?」

「な、なんでそうなるの!?いや人間だよ!?そこは疑わなくて大丈夫だよ!?」

 

ラフィーネさんの天然さ、ここに極まれり。…なんて言いたくなる位、ラフィーネさんは独自路線を突っ走っていた。……ど、どうしろと…?ねぇこれ俺はどうしろっての…?

 

「……顕人さん」

「…なんでしょう…?」

「…これはラフィーネが優しいからです。ラフィーネは善意でしてくれてるんです。その意味は……分かりますよね?」

「あ、はい…分かっております……」

 

静かな圧力たっぷりで釘を刺してくるフォリンさんに気圧され、俺は二、三回首肯。それをラフィーネさんはきょとんと見つめていて、それが終わるとまたフォークを俺へと近付けてきた。

 

「…口開けて」

「あ、あー……むぐ」

 

言われるままに開けた口へ、フォークの刃とそこに刺さった魚の一切れが入り込む。そこで口を閉じるとフォークは引き抜かれ、何ともロマンの感じられない…でも気恥ずかしいあーんは終了した。……あ、これ美味し…。

 

「…ふぅ……」

「フォリン、どうかした?」

「何でもないです……あ、普通にそのフォーク使うんですね…」

「……?」

 

ある意味俺以上にドギマギしていたかもしれないフォリンさんは、何やらもう「そうですよね…知ってます、ラフィーネがそういう人だっていうのは…」みたいな雰囲気になっていた。そして、今ラフィーネさんの手にあるフォークは一回俺の口の中に入ってる訳で、そのフォークでラフィーネさんは食事を続けてる訳で、つまり俺とラフィーネさんは互いに間接キスをし合ってる訳で……

 

(……やっべ、意識したら段々顔熱くなってきた…)

 

愛らしいとは違う、どちらかと言えば美人なラフィーネさん。大人っぽい訳じゃない、でも端正な顔付きにきめ細かかな肌をした、一つ年下の女の子。その子とフォーク越しにでもキスをしているとしたら…互いの唾液が相手の口に入ってるんだとしたら……そんなの、興奮するに決まってるじゃないか……ッ!

 

「…お、俺は飲み物取ってくるかな……」

「じゃあ、わたしも行く。フォリン、何か欲しい?」

「えっ!?ら、ラフィーネさんも来るの!?」

「うん、わたしも飲み物空になった」

 

これまで不当に変な事考えてると言われてきた俺だけど、今回ばかりは完全に変な事考えてしまっている。だからそれを悟られては不味いと立ち上がったものの、あろう事かそのラフィーネさんまでも立ち上がってしまい、むしろ余計厄介な事に。

 

「な、なら俺がついでに取ってくるよ!」

「それはいい。何飲むかはまだ決めてないから」

「な、なら決めるまで待つよ!別に急ぐ事でもないし!」

「…ドリンクバーに何があったか、全種類は覚えてない」

「えーいなら見てきてあげる!それなら決められるよね!?」

「……顕人。顕人は、わたしに着いてきてほしくないの…?」

「あ…いや、それは……」

 

焦る俺は、あたふたしながらラフィーネさんが行かなくてもいい展開を模索。でもそれが裏目に出て、ラフィーネさんが悲しそうな顔になってしまった。

着いてきてほしくないかと言われれば…まぁ煩悩を払いたい&それに気付かれたくないというのが理由だから、その通りだというのが正直なところ。でも多分、ラフィーネさんは自分が嫌われたからそう言われたんだ…って思っている。そんな感じの顔を、ラフィーネさんはしている。同じく気付いたフォリンさんは俺に厳しい目を向けているし…俺の邪な感情と短絡的な思考でラフィーネさんが悲しい気持ちになったのなら、俺はそれを放置出来ない。勝手に勘違いしただけだろなんて考える人間には、なりたくない。

 

「…ごめん、一緒に行こうかラフィーネさん」

「…うん」

 

こくんと頷いて、立ち上がるラフィーネさん。今の言葉で勘違いが解けたかどうかは分からないけど、ラフィーネさんの瞳は、俺の目から俺の心を感じ取っていた…ような、気がする。その場合変な事考えてた…ってのもバレるんだけど…悲しませる位なら、変態だと思われる方がずっといい。

フォリンさんから何とも言い難いじーっとした視線を受けながら、俺はラフィーネさんと共にドリンクバーへ。変な顔は…もうしてるならしてるでしょうがないな、はは……。

 

「…ほんとに、嫌じゃない?」

「へ?」

 

その移動の最中、ラフィーネさんからかけられた言葉。何だろうと思って見てみると…ラフィーネさんは、不安そうな顔で俺を見ていた。

 

「ほんとに嫌じゃない?嫌だったから、着いてこないように言ったんじゃないの?」

「あぁ……そんな事はないよ。さっきのはちょっと事情があったんだけど…別にラフィーネさんへ悪い感情を持ってる訳じゃないから、安心して」

「…絶対?」

「うん、絶対」

 

俺は千嵜との電話でも触れた通り、断定の表現はあまり好きじゃない。それは後々の事を考えた保険なんだけど……今は躊躇う事なく、すっと「絶対」という言葉を言う事が出来た。…それは何故かって?そんなの…俺が本当に、1㎜足りともラフィーネさんへ悪い感情を持っていないからに決まっている。

 

「そっか…なら、良かった」

 

不安の色が掻き消え、小さくだけど笑みが浮かぶラフィーネさんの顔。…しょっちゅう思ってるけど、ラフィーネさんの感情は分かり辛いし、表情の変化も少ない。けど、今の俺は思う。それもまたラフィーネさんの個性の一つで、分かり辛くても、少なくても……その内側には確かに、ラフィーネさんの魅力が詰まっているんだって。



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第九十話 願い、夢、覚悟

合宿風訓練は、二泊三日の予定で行われる。一日目と二日目の午前はTHE・訓練といった感じの内容で、ここに来たからこそ出来る、って要素はあまりなかった。

けど、二日目午後からは大きく違う。午後からの訓練は間違いなく、これに参加したからこそのものだと思う。だって、今行われているのは……綾袮さん妃乃さんを始めとする、エース級霊装者さん達との乱れ稽古なんだから。

 

「防御は大切だけど、きちんと反撃のチャンスを伺わなきゃ押し切られちゃうよ!」

「中々素早い動きね!けど、読まれてしまえば速くても意味はないわ!」

 

空から飛ぶのは、よく通る声。その声の主である綾袮さんと妃乃さんは稽古の相手をあしらい、でも攻防の中で相手の動きを見極め、戦いながら指摘とアドバイスを口にしている。相手の方は必死の形相なのに、二人の表情は余裕そのもの。

 

「うへー……圧倒的としか言いようがないよな…」

「全くだね……」

 

二人の他にも講師役の人はいるものの、俺達受ける側に比べればずっと少ない。加えて一対一の訓練をしているから、自然と待つ時間は長くなる。俺も今は待っていて…昨日部屋のダブルブッキングにて知り合った彼と、訓練の様子を眺めている。

 

「手合わせ出来るのはいい機会だが、ぼっこぼこにされるのが確定だと気が滅入る……」

「はは……でもあれでもかなり手を抜いてるんだよね、分かってると思うけど」

「…そういや、お前は普段から綾袮様に指導されてるんだったな。羨ましい奴め」

 

それぞれの稽古の様子を眺めながら、会話を続ける。…正直、俺の事を変な目で見る人もいるけど、幸い彼はそんな事なく普通に会話をしてくれる。…まあ、何とも言えない出会い方したのも大きいんだろうけど。

 

「…っと、終わったみたいだね」

「だなー」

「次、誰か相手してほしい人いるー?いないならわたしが適当に指名するよー!」

「うーむむ、どうした事か…あんま後回しにするのは好きじゃねぇけど、まだ全然綾袮様披露してないみたいだし…」

 

キリのいいところで綾袮さんはその人の相手を終了し、着地後総括的なアドバイスを伝える。そうしてその人は下がり、次の相手が前に…というところだけど、やはり圧倒的な差がある相手に向かっていくというのは尻込みしてしまうもの。とはいえだからっていつまでも傍観してる訳にもいかないし……

 

「……なら、俺行ってくるかな」

「…お前、勇気あるなぁ」

「ま、一応は慣れてるからね」

 

特に誰も前に出ないのを確認したところで、俺は前へと動き出した。すぐに気付いた綾袮さんがこっちを向いて、俺達二人は向かい合う。

 

「お、来たね顕人君。わたしにやられる準備はばっちりかな?」

「いや、これはそういう時間じゃないでしょ…でも、一矢報いる位のつもりはあるかな」

「ふふん、良いねその謙虚混じりなやる気。もし本当に一矢報いれたら、一杯褒めてあげるよ」

 

柔和で穏やかな笑みを浮かべ、でもその瞳には真剣な光を灯し、綾袮は言う。

別にこのタイミングで出たのは深い理由がある訳じゃない。やる気がないようには見られたくないと思っていたけど、変な目立ち方もしたくはないと思っていたけど、逆に言えばその程度。俺はそれより訓練そのものを重視したいと思っている。今日の訓練だって深介さん達に見られてるだろうし……本気で一矢位は報いたいと思っているから。

 

「じゃ、どこからでも打ち込んできてくれて構わないよ。…いや、顕人君の場合は撃ち込んでかな?」

「そうだね。じゃあ、お言葉に甘えて……早速やらせてもらうよッ!」

 

構えてすらいない綾袮さんだけど、そこに油断はない事は俺も分かっている。だから俺はライフルを向け……と見せかけて、跳ね上げた二門の砲で先制砲撃を放った。これで決まってくれても構わない、って位の気持ちを込めて。

 

「っと…いざ相手としてみると、やっぱり迫力あるね!」

(飛んだ…!なら……ッ!)

 

砲撃を跳躍で避けた綾袮さんは、翼を展開して追撃のライフル弾も回避。ならばと俺はライフルの射撃で追いつつ、砲で左右交互に偏差砲撃。計三門を駆使して、飛行する綾袮さんを追い立てる。

 

「霊力配分に気を付けないと、攻め切る前に息切れする…っていうのは、顕人君には不要な指摘かな…ッ!」

「不要な指摘だね、少なくとも今は……ッ!」

 

スラスターの噴射も利用したステップで適宜立つ場所を変えつつ、対空砲火を続ける。言うまでもなく模擬戦同様、専用の器具や弾薬を使ってるから綾袮さんを怪我させる心配はほぼないし…そもそもそんなの気にしてたら掠らせる事すら叶わない。そしてそれは…今の戦い方にも言える事。

 

(…やっぱり、実力差に加えて地対空じゃ分が悪過ぎるか…だったら……ッ!)

 

鳥の様に軽やかな飛行で射撃と砲撃を潜り抜ける綾袮さんへ、ただ地上から撃つだけじゃどれだけ時間をかけても当たらない。そう判断した俺は、ライフルの引き金を引いたまま飛び上がる。そして俺の長所である膨大な霊力量に物を言わせ、火力を叩き付けながら突撃開始。

 

「当たらないなら、当たる状況へ自分を持っていけば良いだけの事…ッ!」

「うんうん、そういう思い切りの良さは本当に大事だよ!」

 

速度も機動力も、綾袮さんの方が数段上。けど回避行動を強要している今なら、反動を差し引いても少しずつ距離を詰める事が出来る。動き回る必要があるのと、最短距離で追えるのでは、それ位の差があるというもの。そして距離が縮まれば…当たる可能性も、高くなる。

いつの間にか熱くなりつつあった俺。本気で一矢報いてやろうと闘志を燃やしていた俺。……そう思ってスラスターを全力で吹かした、その時だった。

 

「でも、その思い切りを活かすなら…顕人君はもっと高機動戦を学ぶべきだねッ!」

 

上空へ上空へと避けていった綾袮さんは、真下に回った俺の砲撃を宙返りで避け……次の瞬間、上下逆さまの状態から急加速。凄まじい勢いで降下を始め、俺に向かって突っ込んでくる。

それまで回避一辺倒だった綾袮さんの急な動きに目を見開く俺。一瞬遅れて攻撃を再開するも、綾袮さんの機動を追い切れずに彼女の周囲をすり抜けていく。ならば近接格闘で、と俺は短刀に手を伸ばそうとしたものの……

 

「……ね?高機動戦を学ばないと、その思い切りは相手の土俵へ乗る事に繋がっちゃうよ?」

 

……その時にはもう、綾袮さんに肉薄されていた。寸止めされた天之尾羽張と綾袮さんの言葉が、俺の判断ミスを如実に伝えてくる。

 

「…はい、気を付けます」

「うん、気を付けてね。…で、どうする?もうお終いにしたい?」

「いいや…まだまだ指導、してもらいたいねッ!」

 

何がいけなかったのか。原因は何か。知識や思考ではなく体験でそれを感じた俺は、ただ素直に受け入れる。それから朗らかな表情を浮かべる綾袮さんに向けて……短刀を振り抜いた。

 

「いいよ、じゃあ今度は相手に攻められた場合の動きをしてみようか!」

「了、解…ッ!」

 

翼の羽ばたきで回避と同時に一度距離を開けた綾袮さんは、その言葉通り今度は攻撃を仕掛けてくる。俺は短刀を逆手持ちに切り替えながら、近付かせまいと引き撃ちで迎撃。綾袮さんは俺が対応出来る程度の動きで攻めてきてるって事は分かっていたけど、それでも俺は本気の勝負のつもりで戦った。だってそうじゃなきゃ、俺の成長に繋がらないから。

俺が綾袮さんに相手をしてもらっていたのは、精々十数分。でも全力を注いだ俺にとっては大変な訓練で、終わった時には息が上がっていた。その上で俺は休憩を取った後、妃乃さんや他の講師陣にも向かっていって……この日初めて、俺は霊力の底が見える感覚というのを味わった。

 

 

 

 

「あー…いい、すっごくいい……」

 

訓練も終わり、夕食も入浴も済み、後は寝るまで自由な時間となった二日目の夜。出歩いていた俺は休憩所的な場所にあるマッサージチェアを発見し……今は全身を揉み解される心地良さに身を委ねている。

 

「これ、部屋出て早々に見つけてりゃいい感じに風呂上がりだったんだけどなぁ…」

 

実際に体験した事はないけど、風呂上がりの身体でこれをやったらより心地良いんじゃないかと思う。てか温泉とか銭湯だと脱衣所にマッサージチェアあったりするし、俺の想像は間違っていない筈。…まぁ、だからって風呂入り直すつもりはないけど。

 

「…てか、今の俺老けて見えるんじゃねぇかな…はは……」

 

ランドセルの重さで小学生も肩凝りに…なんて言われる時代だけど、それでもマッサージチェアで気持ち良さそうにしてる姿はとても若々しいとは思えない。それに気付いた俺は何とも言えない気持ちになって、チェアの電源を切ると……そこで俺は、一人歩くフォリンさんを発見した。

 

「やっほ、フォリンさん」

「あ…何してるんですか?顕人さん」

「ちょっとリフレッシュにね。フォリンさんは?」

「私は飲み物の調達ですよ」

 

フォリンさんは声をかけるまで俺に気付かなかったらしく、開口一番何をしてたか訊いてきた。…よかった、若さに欠ける姿を見られなくて…。

 

「へぇ…で、ラフィーネさんは?今は別行動中?」

「いえ、ラフィーネは眠そうだったので私一人で来たんです。…ラフィーネが気になったんですか?」

「い、いやそういう訳じゃ…ほら、二人って特に理由がない限りはいつも一緒だし…」

「まぁ、それはそうですね」

 

昨日の事があってか妙な疑いを持たれるものの、単独行動が珍しいという自覚はあるのかすんなり理解してくれるフォリンさん。実際口振りからして、ラフィーネさんが眠そうにしてなければ二人で来ていた可能性もある。

 

「…そういえば、顕人さん今日は頑張ってましたね」

「え…見てたの?」

「見てたというか、顕人さんが目立ってたんです。訓練を受ける側の中で、やたらと派手に撃つ人は顕人さん位でしたので」

「あ、あー…目立ってたのね、俺……」

 

何気ない会話の中で判明する、傍から見た俺の姿。もしこれが「頭一つ飛び抜けてる」とか、「一人だけまともな勝負を出来ていた」とかなら、嬉しさと恥ずかしさで半々になるところだけど……どうも変な目立ち方をしてしまった気がする。変な目立ち方じゃ嬉しかないよ…。

 

「目立つのは別に悪い事ではありませんよ?戦場において目立つのは危険ですが、一方でその分味方に向けられている敵の注意を逸らす事が出来るんですから」

「…じゃあフォリンさんは、狙って目立ったりするの?」

「私は…あまりしませんね。私が射撃で注意を引いて、別方向からラフィーネが仕留めるという戦法はそれなりに使いますけど」

「ふむ…そういや、模擬戦とか偶々会った時もそうだったけど、ラフィーネさんは基本支援担当だったり?」

「それは…前衛後衛の関係から確かに支援は私がする事の方が多いですが、私が仕留める事も少なくはないですよ?要は状況に合わせて、というやつです」

 

一応…というか紛れもなく俺もフォリンさんも青春を謳歌しそうな年頃なのに、何とも会話の内容は物騒なもの。でも今は環境からしてそういう場なんだから、こういう話になったって仕方ない。それに、別段そのせいで気不味いって事もないしね。

 

「状況に合わせて、か…ありがと、勉強になるよ」

「いえいえ、なんて事ない会話でお役に立てたのなら何よりです」

「…ほんと、フォリンさんは大人だね。…ラフィーネさゆや綾袮さんと比較すると、特に……」

「それは、まぁ…あの、色々な意味で肯定も否定もし辛いのですが……」

「そ、それもそっか…ごめん……」

 

俺にとって綾袮さんは同居人兼クラスメイトで、ラフィーネさんは一つ年下の友達。やっぱりまだ今の環境を『非日常』と認識している俺としては、霊装者という繋がりよりそっちの方が印象強くて、だから何の気なしに質問したんだけど……フォリンさんからすれば、相手は自分の姉と現在交流している組織のお嬢様。つまり…俺は完全に質問のチョイスをミスっていた。

 

「…けど…そうですね、私が大人だとするなら…前にも似たような事を言いましたが、それはラフィーネに合わせているからです」

「…じゃあ、普段の言動は意識してやってるの?」

「そんな事はありませんよ。昔はそうでも、今となってはそれが普通になった…というやつです。それに例え意識していたとしても、私はそれを苦に思いません。私が調整する分ラフィーネがのびのびと生活出来るなら、それは私にとっても嬉しい事ですから」

 

言動にしても思考にしても、長く続けていればそれは次第に身体へ染み付いて、『素』として自分へ馴染んでいく。実際ラフィーネさんに対しても敬語な訳だから、多分フォリンが言っているのは本当の事。

言い切ったフォリンさんは、穏やかな微笑みを浮かべていた。姉の為になれる事は、本当に嬉しいのだとその表情が語っていた。でも……

 

「…フォリンさん、海水浴の時俺に言った事覚えてる?」

「海水浴の時……あぁ、覚えていますよ。その似たような話をしたのも、あの時ですし」

 

俺はその微笑みを、ただの姉妹愛として受け止める事が出来なかった。姉妹愛である事は、多分間違いないけど…普通に生活する中で、普通に抱くようなものではないような気が、俺にはした。

 

「あの時さ、言ったよね。もし答えられるのなら、次の機会に聞くって」

「言いましたね。元々冗談の話ですけど」

「……本当に?」

 

違和感とも不可解さとも違う、自分でもよく分からない思いに駆られた俺の頭に浮かんだのは、あの時の事。何故だかも分からないけど…次の機会とあるのなら、それは今なんじゃないかと俺は思う。

 

「…本気で言っていたと、お思いですか?」

「100%冗談、って事はないんじゃないかと思ってるよ。冗談にしては真剣過ぎる雰囲気だったし、冗談の仕込みに使うような話でもなかったし」

「だからこそそういう仕込みにしたのかもしれませんよ?」

「かもね。…言わない方がいい?」

「…いえ、聞くと言ったのは私ですからね。聞かせてもらいます」

 

二度のはぐらかしらしき発言と、その後の話す事へ対する肯定の言葉。普段ならともかく…今はそれが、ある事の証明のように感じられた。何かを隠したいけど、俺の出す答えは聞きたいという証明のように。

 

「じゃあ…っとその前に、フォリンさんは俺が魔王と戦ったってのは知ってる?…戦った、なんて言えるかどうかは別としてね」

「知っていますよ。魔王戦の話は双統殿内で時折耳にしますから」

「なら良かった。…だったら、それをどう思う?俺が戦った…ってか、戦おうとした事を」

 

俺は一先ず質問から始める。俺のした事を、俺の判断をどう思うかフォリンさんに訊いてみる。すると、フォリンさんは眉一つ動かさず回答を口に。

 

「どうも何も、自殺行為だとしか思いませんでしたね。少なくとも私なら即撤退を選びますし、その戦いのような状態なら死を覚悟します」

「う……ま、まぁ普通そうなんだよね…俺も色々な人から注意されたし、喧嘩の原因にもなってるから、自殺行為だってのは否定しない…」

「喧嘩?…は、まぁ別の話なのでいいとして…これと答えとはどんな関係があるんですか?」

「答えっていうか…前置きかな。俺にはそういう過去があるって」

 

ばっさりと言われて一瞬ショックを受けるも、すぐに持ち直して今度は俺が質問に答える。過去って言っても数ヶ月前の事だけど、そんな重箱の隅をつつくような事はどうでもいい。

 

「…俺は、夢を追いかけてるんだよ。思い描きながらも無理だろうと頭の中では諦めていて、でも突然開けた夢の道を、一歩ずつ歩いているのが今の俺なんだ」

「は、はぁ……」

「この夢はさ、多分他の人にとってはしょうもないって言われると思う。お前は甘いんだよ、って言ってくる人もいると思う。…でも俺は本気なんだよ。本気で夢見てるし、全力でその道を突き進もうと思ってるんだよ。だって…ずっとずっと、それが俺の夢だったんだから」

 

夢を語るというのは、少し恥ずかしい。具体的な内容が内容だから、その夢とは何なのかという具体的な部分は避けて話している。けど恥ずかしいのは夢を話す事であって、夢自体は全く恥だと感じていない。俺のこの夢は、他人の夢に劣るようなものじゃないと思っている。

 

「…顕人さんは、その夢に対して真剣なんですね。口振りから、それは分かります」

「ありがと。…で、フォリンさんは言ってたよね?どこまで思いを貫けるかって。覚悟はあるのかって」

「はい、言いました」

「……俺は、何があっても貫けるって思ってるよ。貫く上で覚悟が必要なら、幾らでも持ってやるよ。俺は、夢の為なら…その夢の果てまで行けるのなら……何だって懸けてやる」

 

言い切った。俺はフォリンさんという聞き手がいる中で、はっきりと言い切った。嘘偽りはない……一欠片足りともない。

 

「…………」

「…………」

「……それは、命すらも懸けるという意味ですか?」

「勿論。でも、懸けはしても捨てはしないよ。犠牲の上で成り立たせるなんて、それじゃ全く満足しないから。何かを犠牲にする事なく、守りたいものや手にしたいもの全てを掴んでこそだと、俺は思ってる」

「…そう、ですか……」

 

沈黙を向けられ、沈黙を返して、それからフォリンさんが発した一つの問い。真剣な顔で訊かれたその質問に、俺もまた真剣な顔で答える。…欲張り?あぁ欲張りでいいさ、現実知ってる風な顔して妥協という名の逃げをするより、馬鹿みたいでも理想を追う方がずっといいんだから。

そうしてまた数秒の沈黙。俺は表情を崩さぬまま次の言葉を待っていて……口を開いたフォリンさんは、ふっと表情を和らげる。

 

「…良かったです、そういう答えが返ってきて。この命惜しくない…なんて、顕人さんに似合いませんからね」

「あ…そこ?そっちに対する感想がまず来るの…?」

「いいじゃないですか、それ位。…しかし、本当に強い思い…いえ、夢をお持ちなんですね。正直驚きです」

「…訊いたのに?」

「予想以上の答えが返ってきたって事ですよ。それに、上部だけとは思えない声音と顔…ってあぁ、そういう事ですか」

「な、何が?」

「さっきの前置きが、ですよ。確かに魔王へと挑みかかり、その言葉通り命を落とす事なく撃退にまで至ったのであれば……貴方の思いは、信じるに値します」

 

顔付きは緩めたまま、信じるに値する…とフォリンさんは言った。表情は緩んでいても、その奥の瞳には真剣な感情が籠っている。何故あの時俺にあんな質問をしたのか。どうして冗談の話だとしながらも、こんな真面目に聞いてくれるのか。…分からないけど、この話は最後まで真摯に向き合いたいと思う。

 

「…えぇと、ありがとう…で、いいのかな?」

「いえいえ、質問に答えて頂いたのは私ですから。……そして私にも、貫きたい思いはあります」

「うん、だろうね。じゃなきゃ…いや、だからこそあの時もそういう話になったんだろうし」

「そういう事です。…顕人さん、もし…もしも私が協力してほしいと言った時、顕人さんは…協力、してくれますか?」

 

じっと俺を見つめる、フォリンさんの瞳。フォリンさんが真剣である事は…言うまでもない。そして、それに答えるべき言葉だって……訊かれるまでもなく、決まってる。

 

「させてもらうよ。それも俺の夢への道の中にある事だし……それを差し引いても、フォリンさんからの頼みなら断る理由はないからね」

「ふふっ、顕人さんならそう言ってくれると思っていました」

 

にこり、と笑みを浮かべてくれるフォリンさん。それが俺の言葉によって、俺の協力したいという思いによって浮かんだ笑みならば……それは凄く、嬉しいと思う。そしてフォリンさんの貫きたいもの…恐らくはラフィーネさんの為の何かに協力出来るなら、それは何も苦ではない。

 

「それでは顕人さん、手始めに飲み物のお金を協力して頂けますか?」

「はは、それ位なら……っておい、何金たかろうとしてんのさ…」

「たかる…?はて、私日本語はまだ完璧ではないので……」

「ここまでこんだけしっかりと喋ってきて今更言う!?いやバレバレだよ!?」

「いや、あの…たかるは本当に知らないんですけど…流れ的に今は分かりますけど……」

「えぇ、本当に知らないの…?」

 

外国人ボケかと思いきや、フォリンさんはどうも本当に知らなかった様子。確かにたかるはそんなよく使う言葉じゃないし、言われてみれば知らなくてもおかしくないけど……なんちゅうタイミングだ…言葉のチョイスは俺がした訳だけど…。

 

「全くもう……俺がただの気が良い人だと思っていたら、それは大間違いだからね?」

「はい、分かっていますよ。…ただの気が良い人なら、ラフィーネがあんなに気を許す訳がありませんから」

「あ…そ、そっか……」

「そうですよ。…ですから、お金を……」

「それは嫌だからね!?」

 

隙を見てまたボケてくるフォリンさんと、それに全力で突っ込む俺。さっきまでの真剣な雰囲気の揺り戻しであるかのように、何ともふざけた空気が俺とフォリンさんを包み込む。

結局その後、具体的にどう協力してほしいかは言われなかった。もしかすると、何かあった時に宜しくね位の気持ちだったのかもしれない。けど、俺にとってはどちらでもいい事。だって、理由が何であろうと、協力がどんな内容であろうと……俺がフォリンさんの、ラフィーネさんの力になりたいって思いは変わらないんだから。



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第九十一話 大規模模擬戦

三日間の訓練の、最後の一日。基礎的なもの、稽古的なものと来て、最後に行われるのは大規模且つ実戦的な演習訓練。それが今から……始まる。

 

(…やっぱ、緊張の雰囲気が強いな……)

 

演習の内容は、二つのチームに分かれての模擬戦。今はチームで集まっての作戦確認中で、これが終われば模擬戦開始となる。

 

「…という訳で、これは集団戦だが集団とは個人の集まりだ。誰かが、ではなく自分がという考えを忘れないように!」

 

台に立って話しているのは、リーダーに任命された一人の霊装者。年齢は上嶋さんと同じ位の…けどこれに参加してる以上は上嶋さんよりキャリアが短いであろうその人は、それなりの人数に注目される中でもはきはきとよく通る声で話している。…多分、それもリーダーに選ばれた要因の一つなんだろうね。

 

「じゃあ、以上!各自、持ち場へ移動してくれ!」

『はい!』

 

締めの言葉に全員で反応して、それから各々移動を開始。役割毎、部隊毎にその場を離れて、模擬戦開始のその時を待つ。…因みに俺は、継続的な砲撃が可能という点を見込まれ侵攻部隊の援護担当となった。

この模擬戦に、綾袮さんや妃乃さんを始めとするエース級の方々は参加しない。多少の差はあれど新人だけが戦闘を行う、正にこの二泊三日の仕上げというべき内容の戦い。…いや、仕上げる程訓練した訳じゃないけど。質はともかく量としては二日分だし。

 

「後数分、ね…二人共、精一杯やりましょ」

「はい、やれるだけやってみます」

 

声をかけてきたのは、俺の属する隊の隊長さん。俺の所は三人で一つの隊になっていて、彼女の言葉にもう一人のメンバーもこくこくと頷く。

 

(援護、か…まぁ普段通りにやればいいだけさ、俺)

 

大規模な集団戦なんて対魔王戦以来なものの、後衛としての援護自体はいつも綾袮さんとのコンビでやっているから不安はない。普段より多くの味方を意識しなきゃいけないだとか、前衛が綾袮さんのつもりでやったら噛み合わなくなるとか、気にすべき事もあるっちゃあるけど…何も俺一人で援護する訳じゃないんだから、やっぱり必要以上に不安を感じる必要はない。…と、思う。

そうして俺は模擬戦開始の時間を待った。そして、周りの人から緊張の空気を感じる中、予定された開始時刻となり……通信機へ合図が入る。

 

「……!行くよッ!」

 

その合図と隊長さんの声に弾かれるようにして、俺達援護担当部隊は飛翔。ある程度の間隔で展開し、侵攻部隊の後に続く。

本来なら…ってか実戦なら、開始から実際に戦いとなるまでは結構移動に時間がかかる場合もある。けどこれは模擬戦であり……戦闘は、すぐに始まった。

 

(この距離は…まだ遠い……!)

 

前方に見える、両陣の攻撃部隊同士による戦闘の光景。早速火力支援を行いたいところだけど……そうはいかない。

俺の背負う二門の砲は、射程距離もそれ相応に長い。けど狙撃とかそういうレベルではなく、注ぎ込む霊力量を増やせばある程度の水増しは出来るけど、決して収束させる能力が高い訳じゃない俺だと途中で少なからず拡散してしまう。そうなれば威力不足だったり拡散した砲撃が味方に当たったりする可能性があるから、結果距離には気を付けなきゃいけない。…まぁ勿論、そういう面があっても援護には問題ないと思われたから今俺はここにいる訳だけど。

 

「あまり前に出過ぎないようにね!」

「了解!」

「大丈夫です、ここから撃てます!」

 

前線からの距離を見て、俺が一番前、もう一人と隊長はその少し後ろという位置取りで援護を開始。二人の持つ大型ライフルはともかく、俺の砲は明らかに精密な攻撃には向いていない為狙い撃ちは端から諦め、とにかく相手の邪魔と注意を逸らす事を徹底する。

 

「やった、当たっ……きゃぁっ!」

「大丈夫!?…向こうにもかなり長距離攻撃を得意とする人がいるみたいね…!」

 

射撃と砲撃を続ける中、不意に前線から…或いはその更に奥から放たれた光芒が俺達の近くを駆け抜けていく。幸いそれはもう一人を掠めただけで、被害はゼロと言って差し支えないものだけど……それまでただ攻撃していればよかった俺達にとっては、その攻撃によって更なる緊張が走る。

 

「どうします?回り込んで今の攻撃の射手を撃ちますか?」

「…いや、今のはまぐれかもしれないわ。脅威かどうかはっきりするまでは、このまま援護を続けるわよ!」

 

砲撃しながらの問いに、射撃しながらの回答。回り込むにしても援護を続けるにしても、手を止める事だけはしちゃいけない。状況は動き続けるというのが、戦闘の鉄則。

そして数分後、こちらを狙う攻撃に対して二つの事が判明した。一つ目はやはり向こうの後衛が放ってる攻撃らしいという事で、二つ目は相手の後衛もこちらの場所は正確には理解出来てないという事。つまり、相手の長距離攻撃は……半ば当てずっぽうで撃たれている。

 

(当てずっぽうの攻撃なんて、まず当たるもんじゃない。…ってのは分かってても、やっぱり心臓に悪いな……ッ!)

 

何度か光芒は近くを通っているものの、一番危なかったのは最初の一発。だから最低限の注意だけしていればいいんだけど……それがまた厄介というもの。気を付ける必要はほぼないよ、でも運が悪いと当たるかもね…なんてのは、ある意味狙われてるより心がざわつくんだっての……。

 

「…けど、何にせよやる事は一つだ……ッ!」

 

一進一退の攻防が続く前線へ目を走らせながら、砲へと霊力を充填。目標へと狙いを付け、偏差砲撃を二門同時で放つ。

俺達の役目は、攻撃部隊が少しでも優位に戦えるよう援護する事。それはこちらへ攻撃が飛んでこようと、当たりそうになろうと変わらない。そしてこの模擬戦も俺という存在の判断材料にされているだろうし……何より戦う以上は勝利を収めたい。その思いで俺は意識を前方に集中し、二人と共に援護を続けた。

 

 

 

 

まだ歴然とまでは言わないものの、全体的にはややこちらが優勢というのがここまでの状況。俺がいる戦場は拮抗しているけど、別方向から侵攻をかけた部隊や迎撃に当たっている部隊は相手を押しているというのが通信で聞こえてきている。

 

「…よしっ!アシスト成功…!」

 

良くも悪くも目立つ俺の砲撃につい目を向けてしまった相手チームの一人を、味方が撃破。援護開始から暫くしたところで俺は今のような『気を逸らす事に特化した攻撃』に専念していて、今のような事はもう何度も起きている。人によってはこれを折角の高威力が無駄になってる、と評するかもしれないけど……そもそも防御に重点を置いてる相手ならともかく、軽装の霊装者なら俺の砲撃はどっちにしろ過剰気味の火力になってしまうから同じ事。

 

「あっちの隊長さんから通信よ!ここを突破するのはまだ時間がかかりそうだから、無理はせず相手が別の戦場に向かえないよう押し留める事に重点を置くらしいわ!」

「なら、わたし達も援護続行でいいんですね?」

「そういう事。まだ残弾はあるわね?」

 

もう一人の人が俺の言わんとしていた事を言ってくれたので、俺は黙ってただ頷く。残弾に関しても、砲撃は実体弾を使っていないから問題なし。

 

(…にしても、流れとしてはゆっくりだな…やっぱ実際の大規模な戦闘、それもエース級がいないってなるとこんなもんなのか……?)

 

砲撃しつつ今分かっている状況を思い浮かべ、内心で呟く俺。一人一人の動きは勿論常人の域を遥かに超えたものだけど、それは個々の戦闘を見ればという話で、全体…所謂戦術だとか戦略クラスの視点で見ると、正直地味というのが俺の感想。…まぁ、それは俺に入ってくる情報が限定的だからであって、全体の指揮を取ってる人には目紛しく変わってるように見えている…って可能性もなくはないけど。

 

(……いや、そんな気の緩んだ事考えてる場合じゃないな。緊張感を持て俺、そんなんじゃ綾袮さんに叱られるぞ…!)

 

模擬戦であろうとここは戦場。戦いの場で気を抜いて良い事なんて、一つもない。どうせこれが最後の訓練なんだから、集中力を全て注ぎ込む位で丁度良いじゃないか。

そう思って俺は気持ちを引き締め直し、次の狙いへと砲口を向ける。……その、瞬間だった。

 

「……え…!?」

『……?』

 

後ろから聞こえた、只ならぬ雰囲気の「え」。戦闘中なんだから一つや二つ驚く事があってもおかしくはないけど、隊長さんが発したのはそういう往々にしてあり得る事の域の声じゃない。

 

「…り、了解……」

「…何か、あったんですか?」

「えぇ…どうも今戦ってる部隊を含め、向こうの攻撃部隊は全部陽動だったらしいわ」

「陽動って…じゃあ、本命は……」

「向こうの本陣からかなり離れた場所に、突然現れたんだって。…察知されないよう、徒歩で移動したのね……」

 

明らかに妙な様子の隊長さんへまず俺が、次にもう一人の人が質問。それに返ってきたのは、今のこの戦況が向こうの想定通りなんだという事実の宣告。

 

「けど…徒歩とはいえ大部隊なら気付きますよね?だったらその本命は防衛部隊で何とかなるんじゃ……」

「…残念だけど…少数は少数でも、少数精鋭らしいわ」

(少数精鋭…だから全体的には押せてたのか……)

 

二人のやり取りを聞く中で、俺はこっちが優位になっていた最大の理由を理解。基本戦力を偏らせないようにしてるこっちに対し、向こうは実力者を集めた少数精鋭を作っていたって事なら、そりゃ確かに精鋭部隊以外は実力者が抜けててこっちより平均戦力で劣るよなって話。そしてそうなると恐らく、攻撃…もとい陽動部隊は、最初から時間稼ぎを狙っていた可能性が高い。それは丁度、こっちの攻撃部隊がそれを狙っていたように。

 

「…………」

『…………』

「…顕人クン、君にここを任せちゃっても大丈夫?」

「それは……」

「えぇ、転進して防衛部隊と挟撃をかけるつもりよ。精鋭と言っても、別格なんてレベルじゃない筈だもの」

 

状況説明を受けてから十数秒後。隊長さんから俺に、そんな問いかけがあった。

隊長さんが言うのは、これまで三人で請け負っていた事を一人でやってほしいという要望。三人分は無理でも、一人で前線が求める援護を続けてほしいという事。それは難しく、プレッシャーだって一気に大きくなる。けど……

 

「分かりました、お二人は行って下さい!」

「…ありがとう。じゃあ、任せるわ!」

「が、頑張って!」

 

…俺は迷う事なく、それを受け入れた。楽じゃない事だとは分かっている。けど、俺の心にあったのは、やってやろうじゃないかという思いだったから。それに俺だって、隊長さんの選択が間違ってないと思うから。

反転した二人が離れたのを確認した俺は、ライフルを握り直す。一人で援護を続けるなら、やり方も変えなきゃいけないと考えて前進する。

 

「さーて、それじゃ……やってやろうじゃねぇか!」

 

掛け声と共にライフルを持ち上げ、三門同時に発射。三門全てを別の方向に向けて、相手部隊へビームと弾丸を叩き込む。

 

「うおっ、当たった…よっし……ッ!」

 

残念ながら俺に三方向全てを正確に認識する力はなく、狙いはこれまでよりも雑。でもよっぽど滅茶苦茶な攻撃でもしない限りは最低限の効果が見込めるし、今みたいに運良く当たる事だってある。だったらやらない道理はない。

 

「…っと……やっぱ流れ弾も飛んでくるか…!」

 

何度か攻撃をかけたところで、俺の方へと飛んでくる弾丸。早めに察知出来たおかげで安全に回避出来たものの、たらりと汗が頬を伝う。

前進した事で俺は、援護による圧力を引き上げた。けど当然前線へ近付くというのはその分狙われ易くなる行為で、今みたいに流れ弾が飛んでくる事だってある。……が、それがなんだってんだ…ッ!

 

(全力を尽くすなら、遠方でちまちま撃つよりこっちの方がずっといい…ッ!)

 

ライフルで弾をばら撒く。砲撃で前線に光の線を作る。狙い易い場所を得る為に、或いは狙い撃ちされないように、撃ちながら何度も位置を変える。援護を続ける中で、もし集中攻撃を受けたらどうしよう……なんて事は、浮かびはしてもそれが不安に変わる事は微塵もなかった。

 

 

 

 

更に時間が経った。目に見えて相手部隊の人数は減っていて(撃破認定されて退場した)、こっちも明らかに人数が減っている。俺もここまでで数発射撃が掠ったけど……まだ、やられてはいない。

 

「……っ…収束が…!」

 

撃ち込んだ砲撃を、射線上にいた相手が避ける。別にそれはいい。避けるというアクションを取らせただけでも撃った意味はあるんだから。

問題は、思っていたより早く光芒の拡散が始まった事。想定より早く拡散するのは収束率低下の証明で、低下の要因は……俺の疲労と、それによる集中力の低下と見て間違いない。

 

(少しペースを落として、パフォーマンスの維持に努めるか…?それとも……)

 

人数の減少で戦闘の規模が縮小してる分、要求される援護の最低ラインも落ちてる筈。だから多少ペースを落としても問題はないだろうけど、前線が望んでいるのはきっとペースを落とさない事。…なら、俺の負担を減らす為にペースを落とすか、前線の負担を増やさない為そのままにするか。そんな二択を考える中…攻撃部隊の隊長さんから通信が入る。

 

「調子はどうですか?まだ戦闘を続けられますか…!」

「はい、まだいけます…ッ!」

 

攻撃部隊の隊長さんからは、これまでにも何度か短い通信で指示が入った。なら今回もそれだろうと思いつつ俺が答えると…次に彼から発されたのは、予想とは大きく違う言葉。

 

「では、貴方には進軍部隊への参加をお願いします!合図と共にこの戦域から突破して下さい!」

「了か……えぇッ!?ど、どういう事ですか!?」

「ご安心を、端的ですが説明は……します…ッ!」

 

戦闘特有の音や息遣いを混じらせながら、隊長さんからの説明が入る。前置き通り説明は端的で、しかも結構分かり易い。けど……それ以前のところが引っかかってる俺にとっては、どれだけそれ以降が分かり易くたって意味がない。…な、何故に援護担当の俺が…?

 

「…説明は以上です、何か質問……ぐぅ…ッ!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「え、えぇ…ですがすみません、質問に答える余裕はなさそうです…!」

「わ、分かりました…(おおぅ、訊けない雰囲気に…!)」

 

今も侵攻した相手の精鋭部隊は撃破出来ず、このままでは一方的にこちらが焦りを感じてしまう。そんな状況を打破するには『焦りの要因を排除する』か『相手にも同等の焦りを与える』事が必要で、行うのは後者を成立させる為の強行突破。……それが目的である事は分かった。突破後どうするかも聞いた。でも俺に白羽の矢が立った理由は説明されず、質問の機会もたった今なくなってしまった。そして…多分もう、隊長さんは俺が了承したつもりでタイミングを計っている。

 

(ぐぅぅ、理由をはっきりさせたいところだけど……やるしかねぇ…!)

 

はっきりとではないけど了解と俺は言った(言いかけた)し、分かりましたって返答も、作戦に対するものと捉えることも出来る。何より雰囲気なんて無視して言う事だって一応は出来たんだから、それをしなかった以上はもうやるしかない。

それに、実を言うと……援護を一人で任された辺りから、俺は燃え始めていた。闘争心に火が点いていた。だから……断るつもりなんて、最初からゼロ。

 

「すぅ…はぁ……」

 

気合いを入れ直すように深呼吸。援護という元々の役目は果たしながら、注意を隊長さんからの合図に注ぐ。そして、少しずつ前線部隊の動きが変わり……

 

「……ここですッ!総員、一斉掃射ッ!」

 

上下左右に広がった味方の集中砲火により、敵陣の一区画に大きな穴が開く。…そこへ味方から離れて突入する、数人の霊装者。

 

「押し、通る……ッ!」

 

反動の大きい砲での攻撃を止め、代わりにその分の霊力をスラスターに回して俺も突進。距離の関係からどうしても俺は出遅れる形となり、反応の早い相手が妨害に動くも、それを味方が受け止めてくれる。

これまでとは逆の、俺が援護をしてもらう展開。そこに不思議な感覚を覚えながら、俺は開かれた道を突き進む。

 

「逃がすか…ッ!」

「逃してもらいます…よッ!」

 

突破メンバーは、俺含めて全員が穴を抜ける事に成功。けど当然後ろに行かれたからって相手が諦める筈もなく、攻撃を避けながら追い縋ろうとする霊装者も現れる。その内一人は俺の後ろ上方に位置取り、距離を詰めてくるけど……それは俺にとってありがたい位置だった。何せ、そこは砲を数十度だけ上に回せは砲撃出来る場所なんだから。

 

「ぬわ……っ!?」

 

ここだと思ったタイミングで砲を起動させ、撃ち込む。振り向いていないから今のは勘頼りの砲撃だけど、聞こえた声からして牽制にはなった様子。それと同時に感じるプレッシャーも減って、無事俺は追撃を振り払えた事を確信した。……てか、背面射撃なんて初めてやった…。

 

「よし、全員無事なようだね…皆着いてきてくれ!オレが先行する!」

 

少し先を飛んでいた数人に追い付いたところで、その中の一人が声をかけてくる。自分から、それも決定事項のように話す点から見て、多分彼がこの分隊のリーダー役なんだろう。

 

(林の中を抜けて、可能なら敵中核への打撃、出来ずとも出来る限り敵陣を引っ掻き回す、か…とにかくまずは枝や幹に気を付けないと……!)

 

幾ら霊力で強化されているとは言っても、木と正面衝突なんかしたらただじゃ済まない。けど障害物が多い場所なら攻撃され辛く、侵攻するなら空よりこっちの方が良いという事で、俺達は今神経を張り詰めながら突っ走っている。

相手陣の奥へ進めば進む程、迎撃を受ける可能性は高まる。それを含めて俺達は油断なんて出来ないし、予定通りにいかない前提でいる位の意識が必要。……そう考えている、時だった。

 

「そろそろ相手から何らかの動きがあってもおかしくない筈…正面と上空以外にも気を配ってくれ!……って、ん…?これは……ぐぁぁっ!?」

『……っ!?』

 

指示の途中、何かに気付いたような声を上げるリーダーさん。その次の瞬間、彼は何かにぶつかったかのように落下した。それに俺達が驚く中、林の先から弾丸と光芒が襲いかかる。

 

「くっ…噂をすれば何とやらじゃない…!」

「それより今何が…って、それを調べる余裕もないか……!」

 

迎撃に対し、一先ず俺達は散開し回避。無論俺も下がりつつ避け、どう反撃するか考える。同時に頭の片隅にはリーダーさんに起こった事態の事も考えていて……気付きは突然にやってきた。

 

(…うん?今何か引っかかって……って、これ……糸…?)

 

俺が引っかかったのは、ワイヤーの様な硬度を感じる糸…らしき物。けど植物の蔓ならともかく、ワイヤー的な物が林の中に普通にある筈がなく、即ちこれは不自然な物。そしてそれは、取り敢えず糸より迎撃の対処が重要だと考え動こうとした瞬間……俺の腕へと絡み付く。

 

「んな……ッ!?なんで糸が…ってまさか…これも攻撃…!?」

「捕まえたよ、顕人君……!」

「……!この声…!」

 

斜め上へと引っ張られる俺の右腕と、咄嗟に手近な木を掴んで抵抗する俺。そんな中で上から聞こえた、聞き覚えのある声。半分は攻撃の正体を確かめたいという思いで、もう半分は声の主が俺の知ってる相手なのかという思いで、声のした方向へと視線を向けると……そこにいたのは、木の枝に片膝を突いた茅章だった。



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第九十二話 今の限界

茅章が相手側にいる事は、準備の段階で分かっていた。だって二チームに分かれてからは姿を見ていなかったんだから。そして相手側にいるのなら、もしかしたら戦う事にもなるだろうと思っていた。…けど、まさかこんなタイミングでそれが現実になるとは、夢にも思っていなかった。

 

「ぐ、ぅぅ……!」

 

吊り上げられそうになる身体を、左手で気を掴み両脚で踏ん張る事によって押し留める俺。右腕には驚く程の強度を持つ糸が絡み付いていて……その糸の先には、こちらへ視線を向ける茅章がいる。

 

「びっくりしたよ、顕人君…まさか顕人君が突撃してくるなんて…!」

「そういう策なもんでね…!」

 

綱引きならぬ糸引きとでも言うべき状況の中で、俺と茅章は言葉を交わす。

こうして交戦状態になった事には、勿論驚いた。けどそれに負けない程俺に驚きを与えているのは、この糸の…いや、茅章の使う武器の存在。

 

(糸や縄を武器にするキャラってのは色んな作品にいるけど……まさかリアルで戦う事になるとは…!)

 

俺の右腕、そして先程リーダーさんを落とした何かが茅章の糸であるのは疑いようのない事実。強度についても、よく見ると仄かに青みがかっている点からして霊力で強化されていると見て間違いない。更に言えば……これと同様の糸が、トラップとして他の場所に仕掛けられている可能性も、十分にある。…林の中を通るっていうこっちの判断が、こんな形で裏目に出るなんて……。

 

「逃がさないよ…!」

「だろうね…けど、力比べしてるだけじゃ状況は変わらないんじゃない…?」

「ううん、変わるよ…だって僕は、顕人君を足止め出来ればそれで十分なんだからッ!」

「……っ!そういう事か…ッ!」

 

出方を伺う狙いで言った言葉に返ってくる、茅章の気合いが入った声。それが聞こえた次の瞬間、俺の視界の端にこちらへと飛んでくる別の霊装者の姿が映って……茅章は援護や支援、それも俺以上にサポート特化の役割を担っていたんだという事を理解した。

迫る相手の霊装者。自由にならない右腕と、逆に茅章を引き摺り降ろすなんて淘汰不可能な俺の状態。ゆっくり落ち着いて考える時間は……一切ない。

 

「だったら……ッ!」

 

肉薄される寸前、心を決めた俺は左手を離す。引き上げに対する最大の抵抗力を失った俺の身体はぐっと上に引っ張られるも、両手が塞がったまま攻撃されるよりはずっとマシ。

手を離した直後、その左手で拳銃を引き抜き相手へ撃ちつつ視線は上に。近付く相手は勿論だけど、茅章だって無視は出来ない。

 

「来ると思ったよ…ッ!」

「だろうな……ッ!」

 

引き上げられる俺の視線へと移るのは、ぼんやりと光の見える茅章の糸。俺の腕に絡み付いているのとは別の糸。その細さ故にはっきりとは見えないものの……何本かがこちらへ向かっているという事実は認識出来た。

糸ならば切ってしまえばいい。けど正確には見えていない糸を切るなんてのは至難の業。だが俺には、点ではなく線で遠隔攻撃を行う手段がある。

 

「んにゃろぉッ!」

「わ、わ……ッ!?」

 

即座に砲へと霊力を注ぎ、跳ね上げる動作をしながら照射を開始。普通に考えれば霊力の垂れ流しも同然、だからこそ他の人には選択肢にならなくても俺には出来るその手段でもって、俺は糸の迎撃を図る。そしてこの攻撃が功を奏し……数本の迎撃と茅章の姿勢崩しに成功した。

 

「うっし!これで……おわぁッ!?」

「ちっ、惜しい……!」

 

茅章の姿勢が崩れた事で絡み付いていた糸が緩み、俺は引き抜く形で右腕の自由を取り戻す。…が、それに安堵するのも束の間。俺が茅章に意識を割いていた内に先程接近してきた相手に肉薄され、その人の手斧が肩を掠める。くっ…接近されたら砲がまともに使えない……ッ!

 

「っておい、嘘だろ……!」

 

離れながら拳銃で牽制をし、目の動きだけで見回した俺。さっと見ただけだから、多少の見間違いはあるだろうけど……俺が茅章と力比べをしていた間に、味方がほぼいなくなっていた。

 

(不味い不味い不味い不味い!間違いなくこれは大ピンチだ…ッ!)

 

拳銃とライフルで弾幕を張る俺の胸中は、物凄い勢いで焦りを覚えてしまっている。やられて退場したのか、立て直す為に移動したのかは分からないが…俺が孤立無援状態である事には変わりない。それに、こっちへ更に二人の相手が向かってきている事も。

 

「君、確か妃乃様達と魔王の相手をした人だよね!」

「模擬戦で見たあの砲撃をされちゃ厄介だからな!四対一でも悪く思うなよッ!」

「なッ、ぐっ……痛…ッ!」

 

飛んでくる弾丸を避けつつこっちも反撃の射撃をかけるも、実力差がない限り一人で三人と正面戦闘が出来る訳がない。だから歯噛みしつつも後退を図ると、その途中で頭が木の枝に引っかかり後頭部へダメージ。細い枝だったから一瞬痛いと感じるだけで済んだけど……ここじゃ同じ事が後何度起きるか分からない。

ただでさえ四倍の人数を相手にしなきゃいけない上に、向こうは俺の戦い方を知っている様子。……勝てない。もうシンプルにこの状況は、負けがほぼ確定してる。

 

「…けど……ッ!」

 

立て直した茅章が追い打ちに加わり、完全にこれで一対四。半円状に広がって相手が迫る中、俺は砲撃を両端に撃ち込んで一瞬動きを止め、その間に一気に上昇。

 

(ただで負けるつもりは、ねぇんだよ…ッ!)

 

ある程度上昇したところでバク宙をかけ、空へ背を向けたところで二門の砲を下へ向ける。そして追って昇ってくる四人に向けて……全力砲火を叩き込む。

 

「喰らいやがれ……ッ!」

 

自由落下しながらの、後先考えない全力攻撃。どっちにしろここでやられりゃ後なんてないんだから、出し惜しみしてる場合じゃない。それに援護していた時より相手との距離が近いから、多少収束率低下で射程が落ちていたって関係ない。ただ……

 

「うげ、マジで滅茶苦茶な霊力量だな……!」

「けど、避けられない程じゃ…ない…ッ!」

 

……悲しいかな、茅章の言う通り…四人全員に避けきれない程の攻撃を仕掛けられるだけの実力が、俺にはなかった。霊力量だけじゃどうしようもない……それが現実だった。

 

「せぇいッ!」

「……っ…貰った…!」

「それは、こっちの台詞だ……ッ!」

 

砲撃の合間を縫って(砲は連射性に欠けるから、縫ってって言う程でもないけど)接近してきた相手の振るう、純霊力の刃。それを身体の捻りで避けつつ反転し、そのまま登っていった相手にライフルを向けるも、撃つ直前に別方向から放たれた射撃に阻まれ、その内の一発がライフルに着弾。ならばとライフル放棄から短刀を抜くと、今度は弾幕が襲いかかる。

 

(高機動戦の学習…流石に昨日の今日じゃ無理があるか……ッ!)

 

上下左右と動き回り、不規則に急加減速もかけて、何とか二人掛かりの射撃を避ける。避け切っていざ反撃…と思ったものの、その暇もなく茅章が追撃。林の中に比べれば怖くないと言っても、対多数戦においてこの系統は非常に厄介。だってビームの照射同様、一瞬避ければそれでお終いって訳にはいかないから。

 

「…って、三人…?じゃあ、後一人は……」

「こっちだ、ぜッ!」

「ちぃ……ッ!」

 

気付いた時には既に遅し。そう言わんばかりに茅章から逃れた俺の背後へ迫る、残り一人の霊装者。彼の手斧を避け切れなかった事で右の砲が破損認定され、更に俺の戦闘能力は低下する。

それでも、俺は諦めない。半分はやけくその気持ちで、もう半分は逆境で燃える心に突き動かされて、俺は戦う。

 

「はぁぁぁぁぁぁッ!」

 

今し方砲に一撃与えた相手へ追い縋り、斬撃からのせめぎ合い。他の相手に近付かれた時点でそこから離れて、とにかく囲ませるかと残った二門を乱射。その後相手が接近しながらの近接攻撃を仕掛けてきた時には短刀を横に振り出し俺自身も身体を捻る事で受け流し、拳銃で射撃をかけようとする相手を逆に牽制。

とにかく全力で、全力で、全力で戦った。自分でもびっくりする位、全身全霊で食い下がった。だからこそ、俺はそう簡単にはやられず……けど、遂に限界を迎える。

 

「まだだ、まだ俺は……ッ!」

 

歯を食い縛り、引き撃ちで距離を取ろうとする相手を追撃。その根性が功を奏して相手のライフルを撃ち抜く(模擬戦仕様だから壊れてはいない)事には成功するも、周りへの注意力が切れかけていた俺は横からの接近を許してしまう。

 

「くぅ……ッ!」

「遅ぇッ!」

 

咄嗟に向きを合わせて砲撃によるカウンターを行おうとした俺。けどその時にはもう遅く、展開しかけた砲を蹴り上げられてビームはそのまま何も無い空へ。ならばと俺はその衝撃を利用して退き、拳銃で今度こそ迎撃しようと腕を振るうも……銃口が正面を向く直前、背後から俺の腕へ強固な糸が絡み付いた。

 

「……ッ!しまっ……!」

 

前方へ出かかっていた腕は、逆に後ろへ引っ張られる。迎撃どころか体勢すら崩され、不味いと思った次の瞬間には俺の眼前に迫ってくる相手の霊装者。そして、彼の持つ霊力の刃が振り下ろされ……俺の戦いは、終了した。

 

 

 

 

討ち取られてしまった俺が退場してから数十分後、模擬戦にも決着が付いた。結果としては、策に嵌められてしまった俺達側の敗北。けどその後そこそこ盛り返す事にも成功し(俺や同じく侵攻した数人での奮闘は、それなりに効果があったらしい)、負けは負けでも善戦の上での負け、相手からすれば辛勝と言うべき模擬戦になった。

 

「…けど、やっぱ勝ちたかった…てか、最後まで生き残りたかったなぁ……」

 

ここでの最後の訓練が終わり、後はまた集会っぽいのをした後帰るだけ。今はその集会っぽいのの時間を待ってる状態で、軽くシャワーを浴びた後部屋のソファでくつろいでいる。

 

(……霊力ばかりあってもしょうがない、ってのはこういう事なんだろうな…)

 

模擬戦を振り返ってみて、俺は思う。俺は呆れる程の霊力があるおかげで四人相手でもガス欠に陥る事がなく、あそこまで粘れたのも霊力量のおかげだとは思うけど……他の能力も高ければ、というか実力があればあの場で勝てていたかもしれない。ここまで何だかんだ霊力量任せの戦い方で何とかなってきた俺にとっては、悔しくもどかしく…そして同時に、今の自分の限界を知れた。

 

「…まぁ、今後の自分の課題が見えたって意味じゃ、この模擬戦の本来の目的を果たせてるんだろうけど……」

「顕人君、居るかなー?」

「あー、居るよー」

 

優等生ぶるつもりはないけど、模擬戦なんて勝てなきゃなんの意味もない!…なんて短絡的思考をしてる訳でもない俺は、ゆるゆると模擬戦を「価値あるものだった」という結論に持っていく。

…と、そこで扉の向こうから聞こえてきた綾袮さんの声。それに家と同じテンションで答えると、まず綾袮さんが入ってきて……それからもう一人、そこには入ってくる人物がいた。

 

「お邪魔するわね、顕人」

「あ、妃乃さん……綾袮さんのお守り?」

「そう、お守りよ」

「ちょっと…二人共いきなり酷くない?何気なく言う冗談としては酷過ぎるとわたしは思うんだけどー?」

 

入ってきた妃乃さんにさらっと綾袮さん弄りの冗談を言うと、妃乃さんは驚く事なく即回答。…確かに酷いっちゃ酷いけど…綾袮さんにも少なからず思い当たる節があると思うんだけどなぁ…。

 

「はいはい。…で、取り敢えずお疲れ様ね。私も模擬戦は見てたけど、中々奮闘してたじゃない」

「そ、そう?…そう言ってもらえるなら光栄、かな」

「いやー、まぁ顕人君ならざっとこんなものだよ」

「…なんで貴女が胸張ってるのよ」

「だって顕人君を鍛えたのは他でもないわたしだからね!顕人君の活躍は、即ちわたしの指導力の証明!ドヤァ!」

 

俺と妃乃さんは言うまでもなく同級生で、その点においては同じ立場。けど霊装者としては立場も実力も妃乃さんの方が上で、だから上からの評価は全くもって普通の事。

一方普通じゃないのは、褒められてもいないのにご機嫌な綾袮さん。…まぁ、俺の戦闘能力はその多くが綾袮さんから教えてもらったものだから、合ってるかどうかで言えば勿論合ってるんだけど……ドヤァって実際に言うかねドヤァって…。

 

「あ、そう……けど力任せの面は否めないわね。昨日少し手合わせした時も思ったけど、援護に徹するつもりはないの?」

「それはないかな。まぁ、向いてもないのに無理言ってやる…なんて程じゃないけど」

「んー、前に出るのが向いてないって言うより、距離取って戦う方が持ち味を生かせるって感じだよね、顕人君は。…あ、でも阿修羅とか千手観音みたいに手を生やせるなら別だよ?」

 

綾袮さんの言葉を軽くあしらい、妃乃さんは話を元の路線に。そこでも綾袮さんは「んな無茶な…」と言いたくなる事を言ったけど、どういう意味かは普通に伝わる。…要は、近接戦でも色んな武器を同時に使えるなら…って事だよね。

 

「…でもそれなら、何も近接武器に拘る必要はないよね?近距離で撃ちまくったっていい訳だし」

「それを言うなら、近距離戦をする必要もないと思うけどね」

「あ、それはごもっとも…」

 

二門の砲の様に直接手に持たなくても使える火器はあるんだから、という思いで切り返してみると、ストレートに正しい意見を返されてしまった。…ほんとに妃乃さんの言う通り、俺は二人のように近接戦闘が得意って訳じゃないから、積極的に近接戦を仕掛ける必要もない。

 

「…ま、どっちにしろ近接戦や高機動戦がどういうものかは知っておいた方がいいわよ。そうすればそういう戦いに持ち込もうとする相手への対応も自然と分かるもの」

「あ、うん。それはそのつもりだよ。綾袮さんにも言われてるし」

「ふぅん……ちゃんと指導してるのね、貴女も」

「そりゃそうだよ。…っていうか妃乃、悠弥君に指導出来ないからって顕人君へ目を付けようとしても無駄だからね?何せ顕人君はわたしを尊敬してるんだから!」

「何でそうなるのよ…綾袮はこんな事言ってるけど、もし指導に疑問を持ったら私の所に来てくれて構わないわ。私は綾袮より論理派だから、貴方に合った指導も出来るだろうし」

「ちょっと!?しっかりした勧誘はほんとに止めてくれる!?顕人君もなびいちゃ駄目だからね!?」

 

俺に指南してくれようとしてるのか、それとも指南の話題でふざけ合ってるだけなのか。どちらにせよ綾袮さんも妃乃さんも賑やかで、相変わらず仲良いなぁ…と思っていた俺は、そこでふと気付いた。

 

「…ところでさ、二人はどうして俺の部屋に?ここまでの話って、来たついで…みたいなものだよね?」

「っと、そうだったそうだった…もー、本題忘れちゃ駄目だよ妃乃〜」

「本題も何も、伝える事があるから寄り道したいって言ったのは綾袮でしょうが…!」

「あはは、バレた?…じゃあ、こほん。顕人君、今日と明日でもう二泊していっても大丈夫?」

「え、もう二泊?」

 

意外な事を言われ、驚きながらおうむ返しをしてしまう俺。質問自体は「はい」か「いいえ」で答えられるし、予定的な意味じゃ大丈夫だけど……流石に今の言葉だけじゃ話が見えてこない。

 

「うん。元々他の人達と違ってうちや妃乃達はここでもう一日過ごすんだけど、それだと顕人君は一人で帰る形になっちゃうでしょ?それに折角の機会だから顕人君も大丈夫ならもう一日滞在してもらったらどうだ、っておとー様に言われてね」

「え、と…そんな軽い感じで特別扱いされちゃっていいの…?」

「いーのいーの。…それに……」

「…それに?」

「あ、ううん今のは気にしないで。あんま説明するような事でもないから」

「は、はぁ…(そう言われるとむしろ気になるんだけど…)」

 

ふわっとした説明の後、綾袮さんは何かをはぐらかした。…説明するような事じゃない、というのが説明するまでもない瑣末事という意味なのか、俺には説明出来ない理由なのかは分からないけど…前者なら追求する必要もないだろうし、後者ならどうせ訊いたって教えてくれない。だからいいや、と俺は気になる事を保留にした。それに必要な事なら、そのうち話してくれるだろうしね。

 

「って訳でどう?嫌?」

「うーん…ま、問題ないよ。別に一刻も早く帰りたい訳じゃないしさ」

「そっか、じゃあOKだって伝えとくね」

 

それから綾袮さんは今後の予定(と言ってもざっくりしたものだけど。そもそももう一日でやる事はそこまできっちりかっちりしてる訳じゃないらしいし)を俺に話して、妃乃さんと共に部屋を出ていった。……という訳で、俺…外出期間が二泊、増えました。

 

「…なら、今日の夕飯や明日の朝食は作らなくて済むか……って、最初に思う事がそれかよ俺ぇ…」

 

自分の思考が大分主夫的になっている事に頭を抱え、座ったままげんなりとする俺。えぇいならばと俺は男子高校生らしい事をしようと考えるものの…疲れのせいかうとうとしてしまい、気付けば集まる時間のギリギリになっていたのだった。

 

 

 

 

「ったく、何うっかり口滑らせそうになってるのよ」

「あはは、うっかりだようっかり。でもばっちり誤魔化せてたでしょ?」

「…どうかしらね」

 

顕人の使っている部屋を後にし、ある程度離れたところで妃乃は綾袮に対して軽く小突いた。しかし小突きに全く威力を持たせなかった事もあってか綾袮はあっけらかんと笑うだけで、その反面に彼女は嘆息を漏らす。

 

「ほんと、気を付けなさいよ?好奇心にしろ不安にしろ、聞けば何かしら思うところが生まれる筈だもの」

「分かってるって。…妃乃こそ、悠弥君放っておいていいの?」

「大丈夫よ、一応代わりに警戒してくれてる人はいるし…貴女も知っての通り、悠弥はそこそこやる奴だから」

「へぇ…また一段と信頼してるねぇ、悠弥君を」

「は、はぁ?…一段とって何よ、一段とって……」

 

その後真面目な顔になる…と思いきや、またもふざける綾袮に妃乃は肩を落とす。……が、冗談はそれまでとばかりに綾袮はそれから笑みを消し、真面目な表情で話を続ける。

 

「…妃乃はどう思ってる?これまでこっちに全部お任せスタンスだったBORGが、急に姉妹にももう一泊させてもらえないか…って言ってくるなんて」

「…何かしらありそうな感じは確かにあるわね。二人からの要望、って説明通りな可能性もあるから、あんまり邪推はしたくないけど」

「邪推の一つや二つ、平然と出来なきゃトップは担えないと思うよ?」

「ご心配なく。邪推を心から何ともないと思うようなトップにはなりたくないだけよ」

 

穏やかに話す二人だが、その内心では様々な思案が巡っている。BORGの真意は本当に説明通りのものなのか、違うのならそれは何なのか、何故それを隠そうとするのか……分からないというのは見えている危機以上に危険なものであり、顕人を先に帰らせなかったのもそれが理由の一つだった。

 

「…ま、何れにせよ厄介事は起きてほしくないわね。対処が面倒だし、組織同士の関係が悪くなるのもありがたくないし」

「だよね、特にBORGは霊力の研究関係に積極的だし、わたしもそういうのは勘弁かなぁ…」

 

その後も二人は、疑念について話しながら大ホールへと向かう。

二人が話している内容は、別段二人が考えなくてはいけないものではない。だが必要不要に関わらず、組織を運営する人間としての思考を自然にしてしまうのが時宮と宮空の家に生まれた人間の、そこで育った人間の性であり…そういう少女が時宮妃乃と宮空綾袮なのだった。

 

 

 

 

「……って、絶賛女子高生やってる女の子二人が夏休み中にする話じゃないよこれ…」

「いや、それは…まぁ……」



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第九十三話 妹との一日

親父とお袋が亡くなって、それから俺は緋奈と二人きりの生活だった。初めはあまりにも違和感があって、喪失感もあって、自分の家なのに落ち着けないと感じる事が多々あった。けど人間大概の事にはいつか慣れてしまうもので、それから年単位の時間が過ぎた今は二人がいない状態が普通になっていた。

だが、今の俺はまた少しだけ違和感を覚えている。落ち着かないとまでは言わないが…普通からは、ほんの少しだけズレてるような感覚がある。

 

「んん?…っかしいなぁ、コードはちゃんと繋がってるし、故障でもしたのか…?」

「どしたのお兄ちゃん」

「扇風機が点かねぇ。緋奈、何か知らないか?」

「うーん……わたしも知らない…って、タップの方が抜けてるじゃん……」

「おおぅ、そっちが繋がってなかったのかよ……」

 

夏休みも段々残りが少なくなってきて、ちょっぴり気落ちする今日この頃。電源ボタンを押したのにうんともすんとも言わない扇風機に首を傾げていると、原因は故障でも停電でも(他の家電は動いてるからその可能性は端からゼロだが)なく、単なる俺のうっかりだという事が判明した。……偶にあるよな、こういう事って。

 

「もう、しっかりしてよお兄ちゃん。…もしや夏バテ?」

「バテてねぇよ、安心しろ。…バテそうな位毎日暑いから家にばっかいるけどな」

「うん、知ってる」

「だよな…」

 

何を誇らしげに…とでも言うかと思ったら、突っ込むでも呆れるでもなくただ冷静に頷かれてしまった。……う、うんそれはともかくほんと現代の夏は暑いよな!何かと快適な時代だが、暑さに関しちゃ生まれ変わる前の方がマシだった気がするねっ!

 

「でも夏バテでぼーっとしてるとかじゃないなら、ほんとにただ気付かなかっただけ?」

「まぁ、シンプルに言えばそうなる」

「…理由もなくそれなら、それはそれでちょっと残念な感じだよお兄ちゃん……」

「言うな妹よ……けど、理由っつーか何つーか…頭をよぎってた事はあるな」

「……それってもしや、妃乃さんがいない事?」

 

外れていたタップ側のコンセントを挿し込み、改めて扇風機を点けたところで考えていた事に触れる俺。それは何の気なしに言った事だが…一発で内容を緋奈に当てられ、俺は軽く驚きを覚える。

予め言われていた通り、現在家に妃乃はいない。そして同居人である妃乃がいない事が、僅かながら俺に違和感を生じさせていた。

 

「…緋奈、いつの間に読心術を……」

「いやいやそんな大層なものじゃないよ。もしかしたらそうかなーって思ったものを言っただけだからね?」

「そうか…いやそれでもいい勘してると思うけどな」

 

心を読んで言い当てたなら間違いなく凄いが、勘で当たったならそれはそれで凄い事。…が、当の緋奈は興味無さ気で、俺の顔を覗き込むようにして追求してくる。

 

「……まさかお兄ちゃん、妃乃さんがいなくて寂しいとか、妃乃さんがいないと生活に身が入らないとかじゃないよね?」

「は?…いや別にそんなんじゃないっての……ただちょっと『あー、いないんだよなー』って思った位だ。緋奈だってそれは思ってるだろ?」

「うん、それはそうだね。毎日何かしらて話をしてる人がいないんだもん」

「そうそうそういうこった…お兄ちゃんへ変な疑いをかけるんじゃありません」

「はーい。まぁ、それならわたしも安心かな」

「安心……?」

 

勘違いなのか何なのか、とにかく間違った疑念をすぐに正すと、緋奈の方もぱっと納得してくれてその話は完結。…緋奈は俺がふしだらな人間にならないよう心配してくれてるのかねぇ…。

 

「ともかく、休みだからって注意力散漫になってちゃ駄目だよ?今のは外れてたパターンだから良かったけど、外してたつもりが繋がってるままだった…ってパターンは何かと危険なんだから」

「分ぁってるっての。てか、緋奈は何様のつもりだー?」

「ひぁっ、ちょっ…ひゃめてよお兄ひゃぁん……」

 

俺よりしっかり者の緋奈は、こうして俺に注意してくる事も多い。大概は緋奈の言っている通りで、時には自分自身「何やってんだ、俺…」と思う事もあるからそのまま受け入れているが……妙な勘違いされた事もあって、今日の俺は反撃してやりたい気持ちになった。で、その気持ちのまま俺は緋奈の両頬をぐにぐにと引っ張ってみる。

 

「おぉ、昔と変わらず柔らかい…」

「ひゃから、止めれって〜…!」

「いいや、止めないねっ!」

「なんれ!?」

 

反撃半分楽しさ半分できっぱりと拒否し、頬弄りを続ける俺。緋奈も緋奈で止めろとは言うものの本気の拒絶をしてこないものだから、余計に止めてやろうという気持ちが生まれてこない。その結果柔らかさだけでなく表情や反応にも楽しみを覚えてしまった俺は、結構な時間続けてしまい……

 

「うぅぅ…頬が変な感じする……」

「す、すまん緋奈……」

 

…気付けば緋奈の頬は両方真っ赤になってしまっていた。……何やってんだ俺ぇ…。

 

「昔も時々お兄ちゃんにはこんな悪戯されたけど、この歳になってまた…しかもかなりがっつりやられるなんて……」

「マジですまん……予想以上に楽しかったもので、つい……」

「…妹で遊ぶのが……?」

「ま、間違ってはいないがその言い方は止めい……」

 

頬を押さえて座り込む緋奈に対し、俺は謝罪をしたり言い訳したり。一回冷やす物でも持ってこようかと思ったが…流石にそこまでのレベルじゃないってか、それは過剰な対応だよな…?

 

「むぅぅ……」

「…怒ってるか?」

「……ちょっとだけ」

「そうか…なら、お詫びに何かさせてくれ。或いは何かしてくれても構わない」

 

経緯や内容はどうあれ、俺は兄としてしょうもない事をしてしまった。ならば何かしらの詫びをするのが責任だろうと、真面目な顔で緋奈へと提案。するも緋奈はきょとんとした表情になって、それから俺に訊いてくる。

 

「…何か、って…?」

「何でもいいってこった」

「…ほんとに何でも……?」

「あぁ。不可能な事とか法に反する事とかは流石に考えさせてもらうけどな」

「あ、考えてはくれるんだ…それは妹として嬉しいような、むしろ不安になるような……」

 

九割冗談で言った発言に何とも言えない風な表情を浮かべた後、頬から手を離して考え込む緋奈。それに黙って待っていると、十秒前後考えた緋奈が、おずおずとした様子で口を開いた。

 

「…じゃあ、やられた分をやり返させてもらおうかな…」

「えぇ、と…まぁやるのは構わないが……俺の頬なんか触って楽しいか…?」

「ふふっ、お兄ちゃん…わたしはやり返すとは言ったけど、全く同じ事をするとは言ってないよ?」

 

にやりと悪そうな笑みを見せて、緋奈は目で「まさか拒否はしないよね?」と問い質してくる。…若干不安を感じないでもないが……言った以上は、拒否なんて出来ないよなぁ…。

…なんて訳で頷いた結果……俺はぺたぺたと身体を触られ始めた。

 

「うわ、思ったより恥ずかしいなこれ…」

「…わたしの気持ち、分かった?」

「あ、はい…ほんと反省します……」

 

左手首の辺りから肘、二の腕と緋奈の両手が登ってくる。頬程ではないものの緋奈は指や手の平も柔らかく、触り(触られ)心地は決して悪くないんだが……妹に触診の如く触られるというシチュエーションが、何とも気恥ずかしくてそれどころじゃない。

 

(…ってかこれ、緋奈も緋奈で恥ずかしいんじゃねぇの……?)

 

さっきとは逆の立場…とは言っても、兄が妹の頬を引っ張るのと妹が兄の腕をぺたぺた触るのでは、後者の方が恥ずかしい筈。ましてやふざけてる雰囲気がない分余計に恥ずいんじゃ…と思って緋奈の顔を見た俺だが、いまいちそんな様子が緋奈からは見受けられない。…楽しんでは、いるようだが……。

 

「…にしても、お兄ちゃんっていい具合に身体引き締まってるよね…海水浴行った時も言ったけど……」

「まぁ、な。これがいい具合なのかどうかは知らないが」

「わたし的に、って事だよ。…そういえば、お父さんもこんな感じだったよね…」

「あー……」

 

静かに、思いを馳せるように呟いた緋奈の言葉で、俺もふと親父の姿を思い出す。

親父はアスリートでも肉体労働系の職に就いていた訳でもなかったが、学生の頃からやっていたらしいスポーツを趣味として続けていて、それなりにしっかりとした身体付きをしていた。…けど、そうか……今は親父の身長にもかなり近付いたし、自分じゃ分からねぇが顔や声も昔より親父っぽくなってるんだろうな……。

 

「……お父さん…」

「…………」

「…………」

「……って待て待て…暗くなってどうすんだ緋奈。思い出すや否や俺等が落ち込んでたら、親父やお袋まで落ち込んじまうだろ」

「…そう、だね……うん、今はそういう事がしたかった訳じゃないもんね」

「お、おう…そういうこった…(俺はこういう事をさせたかった訳でもないんだけどな…)」

 

急にしんみりしてしまった空気を搔き消し、緋奈の視線を過去から今へと引き戻す。その結果緋奈から俺がこういう事を望んだかのような言い方をされてしまったが、まぁ別に誰かが聞いている訳でもないから適当に返答。…望んでねぇよな、落ち込んでる俺達を何も出来ずに見てるだけなんて。

 

(どうせ取り戻せない過去なら、落ち込むんじゃなく、幸せな日々を過ごせたと懐かしむ方がいい。…そうだろ?親父、お袋)

 

今という時間へ緋奈を引き戻しておきながらも、俺はその後ももう少しだけ過去へ思いと言葉を向ける。だが一つ言い訳させてもらえるのなら、俺は暗い気持ちで過去を見ている訳じゃない。俺にとってそれは楽しかった事、幸せだったと思える事で、その思い出は今も俺の中で温もりと共に在り続けて……

 

「…はぁ…腕もだけど、お腹とか胸板も、ほんとにお兄ちゃんは素敵……」

「……え、っと…緋奈さん…?」

「…………あ…」

 

……数十秒か、長くても数分程度そんな事を思っていた俺。その間俺は全体的に鈍感状態になっていて……気付けば腕を触っていた筈の緋奈の手が、俺の胸元へと添えられていた。幸いというか何というか、流石に服を捲られてるなんてトンデモ展開にはなってなかったが……それでも明らかにヤバい気がする。俺が今来てるの、薄手の服だし。

 

「……ぇ、あ、えと…違っ、これは……」

「いや、緋奈?ちょっと落ち着……」

「…う、ううううぅぅぅぅぅぅっ……!」

「はぁぁ!?ちょっ…緋奈!?」

 

はっとした顔で硬直した後、目の前でみるみる内に緋奈の顔が赤くなっていく。そして俺が言い切るよりも早く、真っ赤になった緋奈は何やら呻きっぽい声と共に猛スピードでリビングを走り去っていってしまった。…それはもう、とんでもない勢いで。

 

「……家の中であんな全力疾走する事あるかよ普通…」

 

家具や壁にぶち当たりそうになりながらも出ていった緋奈に、俺はもう唖然の感情しか出てこない。突っ込むとこそこかよ…って気がしないでもないが……俺も最初に出てくる言葉が大分ズレてしまう位には、状況やされていた事に驚いているのだった。

 

 

 

 

「……うぅ、む…」

 

深夜。冷房のおかげで蒸し暑さとは無縁な自室のベットで横になっていた俺は、目を閉じたまま考え事をしていた。

 

(あれは事故なの、か……)

 

あれから暫くした後戻ってきた緋奈に、俺は謝られた。謝った上で、緋奈はあれを忘れてほしいと言った。…まぁ、そりゃそうだろうなというのがその時俺が思った事。

 

(緋奈にゃ悪いが…忘れられないよなぁ……)

 

あれは事故と形容していいのか…?…というのはさておき、流石に妹からがっつりボディタッチなんかされたら忘れられる訳がない。仲良し兄妹だからセーフ!…と言いたいところだが、そうすると関係性が色々不味い事になりそうな気がする。…それに、もしあれが緋奈の心に渦巻いているものの片鱗だとしたら……そう思うと、忘れるどころかむしろ気が気でない。

 

「…ほんとはまだ、思い詰めてんのか……?」

 

そう呟きながら、ゆっくりと目を開ける。夜通し考えるつもりじゃないが…この心境じゃ眠気も起こらない。

両親が死んだのは、もう何年も前の事。二度目の人生である俺じゃなくてもそれ位経てば完全に吹っ切れるだろうし、じゃなきゃ普通の生活なんて出来やしない。…だが、人には個人差がある。表面的には吹っ切れてても、ずっと心の奥底では引きずったままな人だって、世の中にはきっといる。そして、緋奈がそういう人ではないなんて保証は……どこにもない。何せ緋奈は、あの時の緋奈は……放っておいたら心が潰れてしまいそうな程、精神的に弱っていたんだから。

 

「…………」

 

気になってしょうがない。不安が頭と心から拭えない。だから俺は考える。俺はどうしたらいいのか。何をするべきなのか。緋奈は、二人の死をまだ引きずったままなのか。考えて、考えて、考えて……俺はベットから起き上がる。

 

「…ただ考えてたって、分かる訳ねぇよな……」

 

寝冷え防止の為のタオルケットを退かし、ベットから降りた俺は扉の前へ。どうも緋奈の事になると俺は心配性だな…と内心自分に呆れつつも、廊下へと出て目的地へ向かう。

 

「……あー、緋奈ー?」

 

目的地である緋奈の部屋…の前に到着した俺は、緋奈を呼びつつ扉をノック。……が、返事はない。

 

(…そりゃそうだよなぁ…深夜なんだから……)

 

気になってここまで来た俺だが、流石に寝てる緋奈を起こして訊こうとまでは思わない。俺もそこまで無神経な人間じゃない。…という事で俺は肩を竦めながら諦め、明日改めて訊こうと思いつつふとドアノブに手を伸ばし……

 

「…おおぅ……」

 

…扉が開いてしまった。っていうか、開けてしまった。ノブを回すどころか、半開き状態にまで持っていってしまった。

 

(……そんなに訊きたかったのか、そんなに訊きたかったのか俺はぁぁぁぁ…!)

 

自分で自分に呆れる俺。実際のところで言うと、開くかな〜…と思った位の、本当に何となく感覚で捻ったら開いちゃったというだけの話。そして他の家庭は知らないが、千嵜家では寝る時部屋の鍵を締める習慣が基本ない為、ぶつちゃけ開いてしまうのもおかしくはない。

 

…………。

 

「……うん、やっぱめっちゃ訊きたいみたいだわ、俺…」

 

……訂正します。何となく、出来心で開いただけとか言いましたが、やっぱり物凄く訊きたかったのかもしれません。

 

「はぁ…こりゃちょっと深夜のテンションも関係してるな…これ以上馬鹿な事する前に、さっさと寝……」

「…んっ……」

「……!?」

 

自省しつつ半開きの扉を閉めようとした瞬間、部屋の中から聞こえた緋奈の息遣い。それにびくりと肩が震え、俺はその場で固まるが……その後反応は何もない。で、恐る恐る中を覗いて見ると…どうやら起きた訳ではないようだった。

 

(び、ビビったぁ……)

 

ほっとして胸を撫で下ろしつつ、もう一度俺は緋奈を見やる。薄手のパジャマを着て、僅かに身体を丸めて寝ている緋奈の姿を。

 

「…………」

 

別にやましい気持ちがあった訳じゃない。断じてそういう訳じゃないが……数十秒後、俺は緋奈の前に居た。俺より人間が出来ていて、料理を除けばこれといった欠点らしい欠点のない、自分の妹の寝ている前に。

 

(…これ、状況的には襲いに来たと思われても仕方ねぇよな…はは、実妹にそれは洒落にならん……)

 

寝息を立てる緋奈のパジャマの襟からはうなじや鎖骨が見えているし、若干ながら捲れてお腹も見えている。緋奈は妃乃程メリハリのある身体付きじゃないが…それでも、兄の贔屓目を差し引いたとしても、十分可愛く魅力のある女子なんだろう。こんな事考えたら両親から怒られそうな気がするが、魅力的だと俺は思う。

だが、そうじゃない。そう思う気持ちがあるのは確かだが……俺が緋奈を大切に思うのは、緋奈に女性としての魅力があるからじゃ…絶対にない。

 

「……これまで通り、俺はずっといてやるからな。緋奈」

 

片膝を折って姿勢を低くし、右手で緋奈の頭を撫でる。緋奈を起こさないよう、優しくゆっくりと。

これは俺の勘違いかもしれない。俺が思っているより、緋奈はずっと強いのかもしれない。…けど、それならそれでいい。緋奈が前を向けているのなら、それだけで俺は安心だから。

 

「けど、何かあったら相談してくれよ?…お兄ちゃんに、さ」

 

俺は緋奈の力になる。いつだって、何だって、幾らだって。俺にとっては、それ位緋奈が大切だから。…そう心の中で緋奈へと告げて、俺は立ち上がる。さて、ここにいるのがバレると不味いし、さっさと退散するとするか…。

 

「すぅ…すぅ……」

「…………」

「…すぅ…んっ……」

「…………」

 

……と、思ったが…目の前にいるのは、気持ち良さそうに熟睡している、可愛い可愛い妹の緋奈。その緋奈を前にして、さっさと出ていくだけでいいのか?……否、答えは断じて……否だッ!

 

(ちょっとだけならセーフ…阿呆な事はしないで、ただもうちょっと撫でるだけなら、どう考えたって余裕でセー──)

「…んんっ…ふぁ、ぁ……あぇ…?」

「!?」

 

──緋奈が起きた。まさかのタイミングで起きた。俺がもう一度屈んで頭を撫でようとした瞬間、欠伸と同時に薄っすらと目を開き……目が合ってしまった。…で、俺はどうしたかって?ははっ、そんなの……フルスピードで部屋から出たに決まってるじゃねぇか!

 

「……あ、あっぶねぇぇ……!」

 

日中の緋奈を超える速度で、霊力による身体強化も行使しての、全力全開逃走。その上で扉を閉める際には細心の注意を払い、出来る限り音が出ないよう気を付けた後扉を背にして小声で叫ぶ。…ばっちり目合ってたぞおい…けどまだセーフだ、まだこれなら誤魔化せる……!

 

「…っと、まだ安心していい状況じゃねぇ…撤退するなら無駄なく即座にが鉄則だ…!」

 

それから俺は自室まで戻り、さっさとちゃっちゃと床に就く。驚いた事もあって全然寝られる感じはなかったが、とにかく寝る事にした。理由は単純。俺が寝ている…少なくとも部屋で横になってるという状況が必要だったから。

そして翌日。危惧した通りに緋奈は昨日部屋に来たかと訊いてきたが、それを俺はしらばっくれる事で来ていないという嘘の結論に誘導し……

 

「……ねぇお兄ちゃん、さっきも訊いたけどほんとに来てない?」

「来てない来てない。もう全く全然これっぽっちも来てないな」

「ほんとに?」

「ほんとだほんと。お兄ちゃんを信じなさい」

「うーん…じゃあ、やっぱりわたしの勘違いだったのかなぁ…」

「寝惚けて勘違いする程緋奈の頭の中はお兄ちゃんで一杯だったって事だろ。いやー、兄冥利に尽きるなぁ」

 

こーんな感じに、無事誤魔化す事に成功するのだった。……罪悪感は…まぁ、ない事もない。



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第九十四話 寂しさと、虚しさと

「顕人、対多数戦では相手と正面から戦おうとしちゃ駄目。そんなの実力で圧倒的に勝ってる時以外は負けに行くようなもの」

「あ、うん……」

「勝ち目がなさそうならまず戦わない。それが無理なら上手く退く。頑張ったって無理なものは無理」

「は、はい……」

「それでも戦わなきゃいけないなら、分断したり数の差を活かせない場に移動するべき。頭を使わなきゃ戦いは勝てない」

「……ふぉ、フォリンさん…」

 

合宿的な訓練が終わり、皆が島を去った、その日の翌日。綾袮さんに勧められてもう一日ここにいる事にした俺は……現在、早朝の散歩に興じていた。

俺の右隣にいるのは、ラフィーネさんとフォリンさん。偶々早めに目が覚めて、夏の朝の涼しさは気持ちが良いなぁ…なんて思っていたら部屋に二人が来て、誘われる形で俺は散歩に出る事になった。……そう、俺がしてるのは散歩の筈なのに…。

 

「何ですか、顕人さん」

「いや、その…ラフィーネさんが……」

「ラフィーネは今熱心に顕人さんへご教授してくれていますね。…折角のラフィーネの厚意、無下にしたりはしませんよね…?」

「うっ……」

 

良識的なフォリンさんなら分かってくれる。そう思って助けを求めてみたのに、返ってきたのはまさかの圧力。にこっと微笑みながらもその表情と声音から感じる圧力に、俺は言葉を詰まらせてしまう。

切っ掛けは、何気ない雑談だった。話しながら散歩していて、その最中に昨日の事が出てきて、そこで俺が何の気なしに「もっと上手く戦いたかったなぁ…」的な事を言って…そこでラフィーネさんのスイッチが入った。で、後は……冒頭の感じです。

 

(分かるよ、ラフィーネさんが親切心で教えてくれてるのは伝わってる…けど、けどさ……)

「実力っていうのは、単純な力や技術だけじゃない。判断力、洞察力、戦術構築力…それをあって初めて、強いと言える」

(こんな爽やかな朝の散歩でしたい話じゃないよこれはっ!)

 

残念ながら俺に心境をそのまま言うだけの度胸はなく、ラフィーネさんの気持ちを無下にするのも申し訳ないという思いもあって…結局ラフィーネさんが満足(?)するまで、ずっと俺はその話を聞く羽目になってしまったのだった。…っていや、『聞く羽目』って表現は良くないね。選択肢がなかったんじゃなくて、あった上で俺は聞いていた訳だし…何より俺の為に話してくれたラフィーネさんに失礼だ。

 

「…顕人、ちゃんと分かった?」

「だ、大体は…丁寧にありがとね、ラフィーネさん」

「うん。…今日は沢山話した気がする」

「ま、まだ朝方なのに…?…いや確かに普段ラフィーネさんが長々と話す事はないけどさ…」

 

はふぅ、とやり切った顔をしているラフィーネさんに、思わず俺は苦笑い。さっきまで取っ付き辛そうな雰囲気だったのに、言い終えた今では「ぽむ〜ん」みたいな効果音が似合いそうな、静かで素直な感じのラフィーネさんへ戻っている。

 

(…って言っても、ラフィーネさんと交流の少ない人からすれば殆ど同じに見えるんだろうなぁ……)

「…顕人、その遠い目は何?」

「あー、気にしないで。…しっかしほんとこの時間帯は気分が良いよね。二人が散歩に出ようとしたものこれが理由?」

「まぁ、そんなところです。今日は天気も良いですからね」

 

特に目的地を設定するでもなく、気の向くままに林の中を俺達は進む。盛り上がる…って程ぽんぽん言葉が飛び交う訳じゃないけど、林はほぼ知らない場所だから別段暇になる事はない。

 

「けど、夏休みももう残り半分もないのか…なんか侘しいなぁ……」

『わびしい……?』

「あぁ…侘しいはなんていうか、残念とか寂しいみたいな感情が入り混じってる…的な意味だったかな。…そういえば、二人はいつまで日本に居られるの?」

「…もう、あんまり長くない」

「え……?」

 

百点満点ではないかもしれないけど、少なくともこんな感じの意味ではあった筈。そんな事を考える片手間で訊いた、残りの滞在期間の話。その時は、ほんとに軽く訊いてみただけだったけど……ラフィーネさんからの答えを聞いた瞬間、俺の足は止まってしまった。

 

「……そ、そっか…」

「……うん」

「…ま、まぁそうだよね…考えてみれば今月来たばっかりとかじゃないんだし、そんな何ヶ月もいる訳ないよね…」

 

歩みを止めてしまった俺は数歩分二人と離れてしまって、二人もそれに気付いて俺の方へと振り返る。…ラフィーネさんは少し寂しそうな、フォリンさんは何か複雑そうな表情をそれぞれ浮かべて。

 

「…私達にも、仕事がありますからね。それに仮に仕事がなかったとしても、何もせず日本で暮らすなんて出来ませんし…」

「…え、と…ごめん、折角散歩に誘ってくれたのに、こんな微妙は雰囲気にしちゃって…」

「ううん、それは別にいい。……顕人は、寂しい?」

「…ラフィーネさんと、フォリンさんが帰っちゃうのが?」

「うん。わたしとフォリンがいなくなるのが」

 

すぐに追い付き散歩を再開したものの、さっきまでの雰囲気は戻ってこない。こんな事言ったって気を遣わせてしまうだけなのは分かってるけど、つい訊いた事を「ごめん」と俺は謝ってしまう。

そこでラフィーネさんから返ってきたのは、「寂しい?」という問い。訊かれた俺が右を向くと、ラフィーネさんは俺の顔をじっと見ていて、フォリンさんもちらりと視線が向いている。……俺の答えを、待っている。

 

「……からかったりしない?」

「しない」

「だったら……うん、寂しいよ。そりゃ寂しいに決まってる。折角こんな感じに散歩出来る程打ち解けられたのに、その終わりが見えちゃったんだから」

 

寂しいなんて、素直に言うのは恥ずかしい。言うにしても、普段だったらもっとぼかしたり斜に構えたような言い方をすると思う。…けど今はそんな事しちゃいけない、そんな事は出来ない…そう感じて、俺は思いをそのまま告げた。…自分でも思った以上に二人と交流を持って、二人の人となりを知れて、少しだけど心を通わせる事だって出来たと思うから。

 

「…………」

「……そっか」

「そ、そう…」

「…………」

「……え、それだけ…?」

 

俺が答えると、二人は言葉通り茶化したりしない。フォリンさんは黙ったままで、ラフィーネさんはそっかと一言言って、それから彼女も口を閉じて。……返答まさかの、三文字だった。別に何か求めてた訳じゃないけど…これは流石に、少な過ぎない…?

 

「…んと…うん」

「うんって……や、まぁいいけどさ…いいけどさぁ……」

「いいけどと言う割には不満そうですね…私も寂しい、と言った方がよかったですか?」

「そ、そういう訳じゃないよ!?それは断じて違「違うの?」……うと言い切れはしないけど、別にそう答えてもらうつもりだったとかではないからね!?」

 

藪蛇というか、運が悪いというか、とにかく何故か凄い恥ずかしい感じになってしまう俺。クールな雰囲気でフォリンさんが恥ずかしさを駆り立て、絶妙なタイミングでの言葉の差し込みでラフィーネさんが気持ちを更に引き出すという、何ともいやらしい姉妹の連携に引っかかって、まんまと言わされてしまう俺。しかも聞いた後二人は顔を見合わせ、軽く笑みを浮かべるものだから尚恥ずかしい。

 

「ちょっと!?俺言ったよね!?からかうなって言ったよねぇ!?」

「……?ラフィーネ、わたし達からかってた?」

「まさか。私達は思った事を口にしただけですよねぇ」

「ぐっ……た、確かにそうなのかもしれないけどさ…!」

「ならそう言われても困りますよ。…まぁ、安心して下さい顕人さん。別に私達は消滅する訳ではありませんから」

「…顕人、よしよし」

「いや絶対内心ではからかってるよねぇッ!?少なくとも年上に対するノーマルな反応ではないからねそれ!あーもうこの話は止め止め!ほら行くよ!」

 

二人は他意なんてなく、本当にただ俺の言葉が辛辣じゃなかった事へ安心しているだけなのかもしれない……なんて思ったのも束の間、フォリンさんは俺を宥めるような声音で言ってくるし、ラフィーネさんに至っては背中さすってくるしで、やはり二人共確信犯だった。少なくとも、最後のは絶対わざとやっている。

 

(もう、ほんっとにこの二人は俺を何だと思ってるんだ……)

 

ずんずんと一人で歩きながら、内心で俺は溜め息。冗談を言えるのも打ち解けた証明…なんて言えば聞こえはいいけど、この俺で遊ぶような遠慮のなさは如何なものかと俺は思う。二人から悪意は感じられない…が、悪意がなきゃいいってもんじゃないんだから。

 

「あはは……すみません、顕人さん…」

「…苦笑混じりで謝るものなの?これって」

「う……こほん。すみません」

「…ごめんなさい」

「……全く…別に弄るのはいいし、霊装者としては二人が格上だからその点では大概の事言ってくれて構わないけどさ、もし舐めてるんだったら俺だって怒るからね?」

 

理由はどうあれ、俺への遠慮ない発言がそういう考えに基づいているものだったら、それは俺だって不愉快に思う。ふざけんな、って言い返す。きっとそうじゃないとは思うけど……それでも俺ははっきりと言った。言わなきゃしこりが残るかもしれないと思ったから。

俺は言った。二人は聞いた。聞こえた事で俺の意思は二人に伝わり…二人は首を横に振る。

 

「…そんな事は思ってない。わたしは、顕人をそういう目で見てる訳じゃない」

「私もです。勝手なお願いかもしれませんが…それは、信じて下さい」

「……そう言うなら、信じるけどさ」

 

俺が冗談ではなく本気で言っている事が伝わったのか、ちゃんとした言葉で二人は舐めてなんかいないと言った。そこにきっと嘘はないだろうと思って、嘘じゃないと思いたい面もあって、俺は少しだけ顔を逸らしつつその言葉に頷く。

 

「…追求したりは、しないんですね」

「そりゃ、したって面白くはないだろうし。…した方がよかった?」

「あ、いえ…そういう訳ではないです…」

「でしょ?なら……っと、ごめん電話だ…」

 

話の途中で電話が鳴り、俺は断りを入れつつ電話に出る。かけてきた相手は綾袮さんで、どこかに行ってるのかという旨の電話だった。…そういや書き置きもしてないし、散歩出てるのは誰も知らないのか…。

 

「うん、うんじゃあ戻るとするよ。うーい」

「…綾袮から電話?」

「そう。思ったより散歩に出てから時間も経ったし、そろそろ戻らない?もう日も昇りつつあるしさ」

「そういえばそうですね。…でも、私達ちょっと寄りたい所があるので、先に戻っていてもらってもいいですか?」

「それは構わないよ。…じゃ、また後で」

 

それから俺は寄り道したいらしい二人と別れ、真っ直ぐに帰還。一度部屋まで戻って、その後朝食を食べる為に食堂へと向かうのだった。…にしても、なんか今日は朝から出来事が多めだなぁ…。

 

 

 

 

「…怒ってたと思います?」

「ううん。怒りそうな感じはあったけど、怒ってないと思う」

 

何も疑う事なく戻っていく顕人の背を、ロサイアーズ姉妹が静かに見送る。ある程度距離が離れたところで、二人が口にしたのは先程の事。

 

「駄目ですね、どうも私は顕人さんの隙を見つけるとそこを突いてみたくなります」

「フォリン、大丈夫。それはわたしもだから」

「ですよね。…ふふっ」

 

申し訳ない事をしたという雰囲気を見せつつも、余裕のある顔で話す二人。寄りたい所があると言ったフォリンだが、彼女もラフィーネも動く様子はない。

 

「…………」

「…………」

 

顕人の姿が見えなくなり、二人の短い会話も終わる。静かな、酷く静かな二人の間。その時間は数十秒程続き……不意にぽつりとラフィーネが漏らした。

 

「……わたしも、寂しい」

 

寂しいというシンプルで、心の動きをそのまま表した言葉を発するラフィーネ。今はもう見えない顕人が歩いていった方へ目をやったまま、ラフィーネは言葉通りに寂しげな表情を浮かべて言葉を続ける。

 

「こんなに仲良くなれるとは思わなかった。フォリン以外と普通に話してこんなに楽しいと思えたのは、凄く久し振り。…顕人といるのは、楽しかった」

「……ラフィーネ…」

「…フォリンは?フォリンはどう?」

「え…私、ですか……?」

 

穏やかな顔で、されどもう過去の事であるかのようにラフィーネは話す。楽しい、ではなく楽しかったと言い切るラフィーネ。そんな彼女を切なそうに見つめていたフォリンだったが、そのラフィーネに尋ねられて表情が変化。ほんの一瞬口籠もり…それから彼女も心情を吐露。

 

「……私もです。彼は…顕人さんは目立つ魅力がある人ではありませんが、それ故に私達の様な存在にも寄り添ってくれると言いますか…不思議な安心感がある人ですよね。頼らないにも関わらず、何故か安心感のある、本当に不思議な人です」

「うん、それに顕人は芯が強い。……でも、驚いた」

「…何がです?」

「フォリン、思ったより顕人を見てる」

「へっ?…あ……も、もう…からかわないで下さいラフィーネ…」

 

じっと自分を見ながら発したラフィーネの言葉に、フォリンは驚き目を丸くする……が、すぐに表情を戻してラフィーネへ返答。一方ラフィーネにはからかったつもりなどなく、何故そうなるのだろうとほんの僅かに首を傾げる。

 

「…こほん。とにかく…私も寂しくないと言えば……嘘に、なりますね…」

「…前にフォリンが言った事、今ならあの時よりも分かる」

「前に私が…?…それって……」

 

前にと言われたフォリンが思い当たるのは、同じような会話をした先日の事。大丈夫なのかと訊いた、あの日のやり取り。

 

「…確かに、わたし達は近付き過ぎたと思う。心地良かったから、楽しかったから…目的の為って心に言い訳して、ここでの生活を楽しんでた」

「…………」

「……だから、だから…わたしは……」

「……っ…なら、止めましょう…止めましょうラフィーネ!」

 

思い詰めた、姉の表情。何かを堪える、大切な姉の姿。それを見たフォリンは……気付けばその言葉を言っていた。止めようという、自分達には許されない筈の選択肢を。

 

「やっぱり駄目です…綾袮さんはあんなに良い人だったじゃないですか!綾袮さんも、私達に安らぎをくれた人の一人じゃないですか!それに、もし綾袮さんがいなくなったら、その時顕人さんは……ッ!」

「フォリン……」

「分かってます、任務放棄すればただでは済まないって!どうなるか分からないって!だから、だから逃げましょう!二人で、どこか遠くへ!その道だってきっと辛いとは思いますが、それでもどこかに私達の居られる場所が……」

 

 

 

 

「──誰が、殺す事しか知らないわたし達を受け入れてくれるの?」

「……──っ!」

 

胸の前で右手を握り締め、堰を切ったようにラフィーネへと訴えるフォリン。そこにあるのは、姉への愛。愛する姉の笑顔が、これ以上虚ろになってほしくないという切なる思い。……だが、それをラフィーネは否定する。静かに、落ち着いて…最早どこか諦めてしまったような声で。

 

「わたしもフォリンも、沢山人を殺してきた。理由も言わず、相手の言葉も聞かず、ただ殺してきた。…悪くない人だって、何人もいたのに」

「そう、ですけど…ですが、そうしたのは命令で……」

「…顕人は、わたし達がしてきた事を聞いても今までと同じ抱いてくれると思う?」

「……っ…それ、は……」

 

フォリンの心にずしりとのしかかる、殺人の咎。彼女もラフィーネも、人を殺める事に慣れていた。そうしなければならないからと、割り切っていた。…だが、それは慣れただけ。割り切っていただけ。彼女達は……何も感じなくなった訳ではない。

 

「…顕人でもきっと、これを聞いたらこれまで通りにはいてくれない。顕人でもそうなのに、他の人がわたし達を受け入れてくれる訳がない。……暗殺道具は、殺しでしか役に立たない」

「そんな、事……そんな、のは……」

 

静かな姉の言葉に、声を震わせて俯くフォリン。自分達の残酷な現実が、抗えない事実が、否定出来ない自分自身が、フォリンの心を追い詰めていく。そして、次の瞬間……ぽん、と俯いた彼女の頭に、温かく柔らかな感触が生まれる。

 

「……でも、大丈夫。フォリンはわたしが守るから。何があっても、どうなっても、いつまでも……ずっとずっと、絶対にわたしが守ってあげるから」

「……──っ!」

 

はっと顔を上げたフォリンを見つめていたのは、ラフィーネの優しい瞳。浮かんでいたのは、今はもうフォリン以外に見せる事のない昔からの笑み。何よりも、誰よりも、フォリンが守りたい……愛する姉が、そこにいる。

 

「綾袮も良い人だったけど、顕人とお別れするのは寂しいけど……フォリンと一緒にいられるなら、わたしはそれでいいから。わたしには、それが一番大切だから。…だから……やろう。フォリン」

「待って…待って下さいラフィーネ……私は、私は……」

「…準備、しないと…間に合わなくなる」

 

フォリンの頭を撫でていた手を離し、一歩後ろに下がるラフィーネ。その手を、ラフィーネを追うようにフォリンは手を伸ばしかけるも…その時にはもう、今現在のラフィーネに戻っていた。表情の変化が乏しく、淡々とした声で話す、暗殺の相棒としてのラフィーネに。

 

「…………」

「今回は相手が強い。わたし一人じゃ、確実じゃない。だから……」

「……分かって、ます…」

「うん、なら……」

 

自分の力を、殺しの任務を担う相棒を求めるラフィーネの言葉に、フォリンは力無く頷く。

出来る事なら、止めたい。これ以上ラフィーネに、道具として手と心を血に染めてほしくない。強く強くそう思うフォリンだったが、止めたところで自分達に行く当てなどないという現実と、同じく殺しの道具としての道しか知らない自分の言葉など空虚過ぎるという意識が、その心を縛り付けていた。

──だが、もし自分でないなら。自分と全く違う人間で、尚且つラフィーネが『他人』として一蹴するラインを超えている人がいるのなら、その人であれば……

 

「……私、は…」

 

了承を得たと思い、ラフィーネは歩き出す。数歩遅れて、その後を追うフォリン。彼女を……暗殺者の姉を追う暗殺者の妹が、ゆっくりと顔を上げた時……そこには、暗い決意の色があった。



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第九十五話 感謝と、そして…

「うーむ……動きが単調になってる時がちょくちょくあるし、特に砲撃の時は止まっちゃってるなぁ……」

 

朝食後、真っ先にぶち当たったのはやる事ねぇじゃん、という問題。やれる事は色々あるけど、わざわざ今やらなきゃいけない事でもないし、明日には今度こそ帰るのにゲームやら読書やらで時間を潰すというのも詰まらない。……で、思い付いたのは昨日の模擬戦の映像視聴。

 

「動きに関してはもっと色々考えるとして…砲撃はどうするかねぇ。動きながら撃つと反動で危ないし、スラスターの噴射で打ち消すんじゃその分移動に回せる推進器が減るし……」

 

成長に必要なのは、現状…特に欠点を理解し、改善を図る事。それにおいて有効なのは、自分の動きを第三者視点で見てみる事。折角色んな人にアドバイス貰ったんだから、俺自身でも色々と考えて、改善の道を模索してみたいという気持ちになって、今俺はこうしている。……映像見るなら帰ってからでも出来る?…いや、ほら…こういうのって、時間を開けない方が振り返り易いし…?

 

「…試したいけど…言ったら許可貰えるかな……?」

 

色々思い付いてくると、今度はそれを試してみたくなるもの。丁度ここは人目を気にせず訓練が出来る場所で、人や建物にさえ撃ち込まなければ問題ない筈(というか人や建物にはどの場所でも許される訳がない)。…という訳で、視聴を止めて部屋を出る俺。

 

「綾袮さーん、居るー?」

 

廊下に出て、綾袮さんが使っている部屋の前まで行って、扉をノック。その後中へと声をかけて、反応が返ってくるのを待つ。……けど、反応はなし。どうも綾袮さんは部屋にいないか、俺の声が聞こえていないからしい。

 

「…っとそうだ、そういやこの時間は何か話があるって言ってたな……」

 

もう一度声をかけてみるか迷っていたところで、俺は朝食の際聞いた話を思い出す。何でも宮空と時宮の両家で会議?…をするらしくて、時計を確認するとやはりまだ話をしててもおかしくない時間。

 

(…ここだと誰が何の管理してるか分からないし……待つか)

 

仕事(俺は社会人じゃないけど)では何か許可を得たい時取り敢えず直属の上司に話をするのがベターであるように、霊装者だって組織としての動きは他のところと変わらない。それもあって俺は待つ事を決め、部屋の前で待機開始。話がいつ終わるか分からないからこそこの場を動かず、五分十分と待ってみる。そして……

 

「…ふぁぁ……」

「……あれ、顕人君?わたしに用事?」

 

二十分弱の時間が経った頃、部屋に綾袮さんが戻ってきた。…よかった、一時間とか待つ羽目にならなくて……。

 

「用事っていうか…あー、うん。用事だね」

「あ、そうなの。何かな何かな?」

 

興味あり気に訊いてくれた綾袮さんへ、俺は説明。面白い用事ではないから綾袮さんの抱いているであろう期待には添えないけど、まぁそれは流石に仕方ない。

 

「…という訳で、装備使っても大丈夫かな?」

「んー…まあいいと思うよ?でも整備状態はどうなの?昨日あれだけ撃ってた訳だし、どこか調子悪くなってるかもしれないよ?」

「あ、それは確かに……」

 

肯定から続いた確認の言葉に、おっとどうだったかなという思いがよぎる俺。乱暴な扱いはしないよう気を付けてはいるものの、何かと霊力量に物を言わせようとする…即ち大量の霊力を短時間で武器に注ぐ事が多い俺は、どうしても他の人より装備の磨耗が早くなりがち。…俺じゃしっかりした整備は出来ないし、状態によってはやらない方がいいかもなぁ…。

 

「…っていうか、それを訊きたかったならメールなりなんなりしてくれればよかったのに」

「いや、話してる最中に携帯なっちゃったら悪いかなって…」

「あはは、顕人君はほんとに細かいところまで気を回してくれるね。…で、やるの?」

「うーん……止めとくよ。色々試すってなると、撃つ回数も自然と多くなるだろうから」

「そっか。だったら訓練の事は忘れてゆっくりしようよ。折角普段は来ない場所にいるんだからさ」

 

俺の指導役も担っている綾袮さんがそれを言っていいの…?…という思いはさておくとして、折角ここにいるんだからという点には大いに同意。同じ理由で訓練しようかというところまで至ったんだから、そこに異を唱える理由はなく……でもそうなると、問題は当初のところに戻る。

 

「…俺、何してよう……」

「それはわたしに訊かれても困るかなぁ。…あ、花火やる?」

「また日中に!?…昨日ドンパチしまくったから花火はいいや…」

「なら逆に、騒がしさとは無縁な瞑想とか…」

「それもちょっと…それで何十分も潰せる程俺達観してないし…」

「だったらあれだね。夏しか出来ない事の代名詞である夏休みの宿題を、なんとわたしの分まで顕人君にやらせて……」

「結構です」

 

…とまぁ、目的の話が済んだ&やる事がなくなった事で、俺は暫し綾袮さんとの雑談に興じる。考えてみればこの数日は綾袮さんと殆ど話してない…って事はないものの、家にいる時よりは会話の数が少なかった訳で、普段如何に会話していたのかと期せずして俺は気付く事になった。…気付こうが気付きまいがどっちでもよさそうな気もするけど。

 

「俺ごめんだよ?夏休み最終日になって泣き付かれるとか」

「それ、数日前ならOKって事?」

「な訳あるか……ぶっちゃけ俺だってまだ全部終わらせた訳じゃないんだから、ほんとに俺を頼りにされても困るからね?」

 

案の定、綾袮さんは夏休みの課題をきちんとやっていない模様。そして俺には見えている。後々切羽詰まった表情で手伝いを頼んでくる綾袮さんの姿と、結局断り切れずに手伝ってしまう自分の姿が。

 

「…大変なんだよ、霊装者と学生の二重生活は……」

「や、それに関しては分かるってか同感だけど…マジで何して過ごそうかなぁ……」

「だったら、少し時間いいかしら?」

「あ、おかー様…」

 

軽く頭を掻きつつ天井へと視線を向けたその瞬間、聞こえてきた第三者の声。それに反応して首を回すと、そこにいたのは声の主である綾袮さんのお母さん。

 

「別に用事はないんでしょう?顕人君」

「あ…はい、ないですけど……」

「なら決まりね。大丈夫よ、難しい事を頼む訳じゃないから」

 

威圧感…って程ではないものの、有無を言わせない感じで話を進める宮空紗希さん。あれよあれよと話が進み、あっという間に俺は頼みを聞く事に。

 

「おかー様、顕人君に何してもらうつもりなの?」

「ちょっとした事よ。場所を移すから、貴女は着いてこないで頂戴」

「え、わたし駄目なの?なんで?」

「秘密よ。終わったからアタシでも顕人君にでも訊いてくれていいから……立ち聞きなんてするんじゃないわよ?」

「あ、う、うん……」

「という訳で、着いてきてくれる?」

 

ほんのりと凄みを効かせて綾袮さんに釘を刺した紗希さんに連れられ、俺は綾袮さんの部屋前を後にする。

頼みとは一体なんなのか。綾袮さんに秘密にするなんて、何か厄介な話なのか。そう思いながら後に続くと、案内されたのは初日に深介さんとも話したあの部屋。

 

「さ、座って頂戴」

「えぇと…失礼、します…」

 

言われた通りにソファへ腰を下ろすと、紗希さんはコップを出して二人分の冷茶を用意。淹れて、運んで、テーブルに置くという何の変哲も無い動作が進む中、俺はほぼ借りてきた猫状態。

 

(…あー、駄目だ…やっぱ緊張する……)

 

親しみ易い綾袮さんや、物腰柔らかな深介さんと違い、紗希さんは……その、所謂『キツい性格』の雰囲気がある。初日の会話で俺を気遣ってくれた事からも分かる通り、実際には優しい人なんだろうけど…深介さん以上に接する機会が少なかった相手だから、正直全く緊張が解けない。

…と、そんな事を考えている内に、紗希さんは俺の向かいのソファへすっと着席。それから真剣そうな表情を浮かべて、俺の目を見て……言った。

 

「…こほん。じゃあ、まず始めに……ありがとう、顕人君。普段綾袮の面倒を見てくれて」

「へ?……あ…いや、別に面倒なんて…」

「……見てない?」

「……と、時に見つつ、時に見られつつ…みたいな感じです…」

 

はは…と乾いた笑いを零しながら、何とも微妙な返答を口にする俺。お茶を濁したような回答をしたのは…当然普段の綾袮さんが原因。正直に言えばかなり面倒を見てる気がするけど、親に面と向かってそんな事を言える訳がない。…下手すると勉強の件もバレかねないし。

 

「いいのよ、綾袮に気を遣わなくても。あの子が日常生活においてしっかりしてないのは十分分かってるもの」

「い、いえ…別に気を遣ってるとかではなくて…それに……」

「…それに?」

「……綾袮さんが俺を気に掛けてくれてるのは、間違いありませんから」

「…そう。なら良かったわ」

 

紗希さんの言う通り、綾袮さんはしっかりした人じゃない。面倒見つつ見られつつみたいに言ったけど、その割合は半々じゃない。…けど、それでも綾袮さんが俺を気に掛けてくれてると、俺を導く立場として気を配ってくれていると、俺は常日頃から肌や心で感じていたから、はっきりとそれは口に出して言った。…すると、聞いた紗希さんの反応は簡潔なもので…けれど俺はその時見た。ほんの僅かにだけど、口元には笑みが浮かんでいた事に。

 

「…それで、頼みというのは……」

「えぇそうね。けどもう、頼みは始まってるようなものよ」

「へ……?…そうなん、ですか…?」

「そうよ。…顕人君、これまで綾袮と過ごしてきた中での出来事を、アタシに話してくれないかしら?」

 

少しだけ自分の中で緊張が緩んだ事を感じた俺は、本題に入ろうと話を進める。…が、なんともう本題は始まっているらしく、でも俺には何の事かさっぱり分からない。

そんな中で告げられた、頼みの内容。その内容に対し、まず俺が抱いたのは…何故?という疑問。

 

「話す、って…魔物に襲われてから今日に至るまで、全部の事をですか…?」

「出来ればね。けれど君だってよく覚えてない事や、秘密にしたい事の一つや二つはあるでしょう?だから話していいと思った事だけで構わないわ」

 

動機はまだ見えてこないものの、別に何かはっきりとした情報が欲しい…とかではない模様。だとすれば可能性として一番あり得そうなのは「娘の生活が気になる」という親心で、それなら俺も話をするのは吝かじゃない(元々嫌々来た訳でもないけど)。

 

「…分かりました。じゃあ……」

 

あやふやな話を幾つも並べても仕方ないと、俺はしっかり思い出せる出来事を中心に話し出す。魔王や魔人戦の様な霊装者絡みの事から、ぬいぐるみ購入に付き合わされた時の事や、最近で言えば海水浴の事なんかまで、出来る限り沢山話す。その間紗希さんは口を挟まず、けど俺が話し易いよう適宜相槌や頷きを返してくれた。

そして、数十分。時々お茶を口にし、時々あった出来事を整理する為に時間をもらい、気付けば俺はかなり長く話していた。少なくとも、ちびちび飲んでいたお茶が空になってしまう程度には。

 

「…まだ欲しい?」

「あ…お願いします…」

 

湯呑みが空である事に気付き、巻き戻しのように茶托へ戻したところでさり気なく紗希さんはもう一杯欲しいかどうか訊いてくれた。その自然な気配りに「流石母親…やっぱこういうところは普段から気にしてるのかな…」と何視点だかよく分からない感想を抱いた俺は、こくりと頷き二杯目を貰う。

 

「…すみません、こんな話すつもりじゃなかったんですが…」

「構わないわ。…君にはそれだけ刺激の多い日々だったって事でしょ?」

「…はい、そうです」

 

刺激の多い日々。…これまでの俺の生活を端的に言うなら、正にその通りだった。良い事もあれば困る事もあって、頭を悩ませたり何かに全力を注いだり…とにかく印象深い事ばかりだったからこそ、俺は思った以上に話していた。

そんな俺の話を、紗希さんは…綾袮さんのお母さんは、一体どう感じたのか。…その答えは、すぐに本人の口から聞く事が出来た。

 

「…安心したわ。顕人君が、綾袮を真っ直ぐに受け止めてくれる人で」

 

紗希さんが浮かべているのは、綾袮さんの事を大切に思っている事が一目で分かる表情。見ている俺も温かな気持ちになれそうな、優しい顔。

 

「綾袮は優秀な子よ。霊装者としての能力は言うまでもないとして…普段はふざけ過ぎな位ふざけてるけど、必要とあればいつだって真面目になれるし、宮空に生まれた者としての責務も理解してる。…それは顕人君も一度や二度は感じた事があるでしょう?」

「…えぇ、綾袮さんが凄い人だって事は、もう何度も」

「…でも、優秀である事が幸せに繋がるとは限らない。宮空の娘ではなく、綾袮という一人の人として見た時に、あの子が幸せだと思える日々を送れるかどうかは分からない。それが母親として不安だったけど……少なくとも君といる時は、年相応の『楽しみ』を得られているって確信出来たわ。だから改めて言わせて頂戴。…ありがとう、顕人君」

 

そう言って頭を下げる紗希さん。どの観点から見ても俺より立場が上な人の、形だけじゃない感謝の表明。…それに俺は慌てる事なく、黙って言葉を受け止める。

…俺には、親の気持ちというものが分からない。こういう感じなんだろう、そういうものだろうって考え、頭で理解する事は出来ても、心からの理解には及ばない。だってまだ俺は子供で、息子も娘もいないから。…けど、それでも…子を思う親の優しさは、今はっきりと知る事が出来た。

 

「…俺からも、お礼を言わせて下さい。綾袮さんと生活するのは、色々大変で、疲れもしますが…それでも毎日、楽しいです。だから、ありがとうございます」

「どう致しまして…と言いたいところだけど、それをアタシに言われても困るわ。言う相手が違うんじゃないかしら?」

「あ……そ、そうですね…」

 

お返し…ではないけど、紗希さんの言葉に俺もお礼を返したいと思った。その思いのままお礼を言うと……返ってきたのは冷めた反応。……おおぅ…何故これを紗希さんに言ったし…産んでくれてありがとうとかになっちゃうだろこれ…。

 

「…まぁ、顕人君が綾袮に対してそう思ってるって事は覚えておくわ。覚えておかれて困る事でもないでしょう?」

「は、はい…えぇと、それで俺は……」

「もう十分聞けたから大丈夫よ。それとこれのお礼として、今後どうしても気になる事があったら訪ねてくると良いわ。話せる事であれば教えてあげる」

「気になる事……分かりました。もしそういう事があれば、その時は尋ねさせてもらいます」

 

話が終わり、俺は二杯目のお茶も飲み干した後立ち上がる。ご苦労様、と労ってくれる紗希さんに軽く頭を下げて、それから部屋の扉の前へ。

多分また、紗希さんと話す事があればその時俺は緊張すると思う。…っていうか、間違いなく緊張する。…けど、話した回数が一回増えたという経験以上に、次話す機会があれば…その時はきっと、今日より肩の力を抜いて話せる。…そんな事を思いながら、俺は部屋を出るのだっ……

 

「……あぁそうだ顕人君。君…綾袮を異性として見ていたりするのかしら?」

「ぶ……ッ!?」

 

……最後の最後にぶち込まれた巨大爆弾。一瞬飲んだお茶が出てくるんじゃないかという感覚を味わった俺が目を剥きながら振り向くと、紗希さんは俺を見定めるような目でこっちを見ていた。

 

「図星なのか、単に初心なだけなのか…どちらとも取れる反応ね…」

「な、何を言い出すんですか急に!もう十分聞けたんじゃなかったんですか!?」

「余談よこれは。…で、どうなの?」

「それは……いや、あの…えと……」

 

ふざけてるとしか思えない、でも真面目そうな紗希さんの表情。同居してる異性の母親から「うちの娘を女性として見ているの?」という質問自体、テンパるのに十分過ぎるパワーを持っているというのに、そこは加えてこの真面目そうな表情というのは色んな意味でタチが悪過ぎる。

で、この反応からも分かる通り肯定も否定も出来ず俺が口籠っていると……

 

「…まぁいいわ、余談だし答えなくても。そもそもアタシに訊かれても答え辛いでしょうからね」

「で、ではそういう事にさせて下さい……(よ、よかった…何とか答えずに済みそうだ…)」

「……けど、もし少なからず異性として見ているのなら…もっと男としても霊装者としても力を付ける事ね。君の性格には今のところ好感を持っているし、霊装者としての可能性も感じるけど……まだ綾袮に釣り合うとは到底思えないわ」

「…が、頑張ります……」

 

エールなのか、それとも遠回しな拒絶なのか。紗希さんの真意は全くもって分からないまま、俺は雰囲気に押されて頑張りますなんて言ってしまった。これじゃ綾袮さんとの交際を申し込みに来た奴である。……いや、ほんと…なんでおまけ感覚でこんなキツいのぶっ込んでくるんですか紗希さん……(ある意味綾袮さんの母親らしい、と思ったのはそれから数分後の事だったりする)。

 

 

 

 

今日は何もない素晴らしい一日だった…って程何もなかった訳じゃなく、かといって素晴らしいと言える程充実していたかというとそれにも首を傾げなきゃいけない、そんな一日だった。ただまぁ朝の散歩は価値あるものだったと思うし、紗希さんとの話もして良かったと思ってるから、プラスかマイナスかで言えばプラスだった一日。詰まる所…休みとしては、十分良かったんじゃないかと思う。

 

「とはいえ、思ってたのとはなんか違うなぁ…何かしらするのかと思ったらそんな事はなかったし…」

 

折角の機会だからお風呂上がりはバスローブを…と思って着たはいいものの、なんか落ち着かずに結局寝巻き代わりの服を着てベットに腰を下ろした俺は、ふとそんな事を呟いた。

宮空と時宮、それに一部の人間だけが残った状態なら、何かはあるんじゃないか…期待という程ではないものの、俺はそう思っていた。けれど結果、個人的なイベントやら宮空時宮での話し合いやらはあったものの、思っていたようなものは無し。

 

「……まあ、根拠もなしに期待してちゃ世話ないよね。…ふぁぁ……」

 

自嘲的な事を言ってたところで出てくる、眠気の象徴。時間的にはもう深夜な訳で、そりゃ欠伸の一つや二つも出るというもの。…んじゃ、まぁ…寝るか。

 

「明日の朝は…っと」

 

冷房をタイマーに切り替え、起きる予定の時間を携帯のアラームでセットした後部屋の電気をオフにする。けれどそこから入る月明かりのおかげで、電気がなしでも移動には困らない。

 

「……ふぅ…」

 

それから俺はベットに横になって、小さく息を吐きながら目を閉じた。ぼけーっとしてる内に眠気が強くなってきて、段々意識が眠りへと落ちていく。

帰るのは明日で、当然次に目が覚めた時にはもう自宅…なんて事はあり得ない。けど明日ここでやる事なんて、それこそ『帰る』事位で、実質ここでの生活は今日が最後。そしてその最後の一日は、俺が眠りに着く事によって、終わりを迎えるのだった。

 

 

 

 

……。

 

…………。

 

……………………。

 

 

 

 

 

 

(…………うん?)

 

寝入ってから数分か、数十分か、或いは数時間後。不意に俺は目が覚めた。目が覚めて……身体に妙な重さを感じた。

 

(…なんだ…誰か、いる……?)

 

目はまだ閉じたままだから、時間も状況も全く分からない。…が、人の気配の様なものと、何かが身体に乗っかっているような重みを感じる。寝起きは意識がはっきりしないものだけど…これは恐らく勘違いじゃない。

この感覚を無視したまま寝直せる図太さなんて持たない俺は、まだちゃんと動いていない頭を働かせつつ薄っすらと目を開く。そして最初に見えてきたのは……卯の花色の、綺麗な髪。

 

「え……?」

「──ふふっ、起きちゃったんですね。顕人さん」

 

一瞬にして覚醒する意識。それと同時に襲いかかる、何故という疑問。あり得ないと目の前の光景を疑う、俺の心。

けれど、見間違いじゃない。何故という疑問はそのままだけど、目の前の光景は見間違いでも勘違いでもない。…そう、そこに…俺の上に跨ぐ形で座っていたのは……

 

 

 

 

 

 

──これまでに見た事もないような表情を浮かべた、下着姿のフォリンさんだった。



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第九十六話 貴女の為なら

一切の照明が点いておらず、されど月明かりでぼんやりと明るい部屋の中。俺が寝ていたベットの上。──そこに、俺の上に…フォリンさんは居た。下着姿で肌を惜しげもなく晒し、艶やかな表情を浮かべた、フォリンさんが。

 

「……は…ぇ、は…?」

 

眠気なんて一瞬で吹き飛んだ。目の前に下着姿の女の子がいて、その女の子はただならぬ雰囲気で寝ている自分に跨っている。そんな状況で、眠気なんか感じていられる訳がない。

 

「おはようございます、顕人さん。と言っても、まだ深夜ですけど」

「…フォリン、さん……?」

「はい、フォリン・ロサイアーズですよ」

 

割座の形で俺の腹部に腰を下ろしたまま、にこりと微笑むフォリンさん。姉のラフィーネさんと違って、フォリンさんは普通に笑ったり喜びの感情を表したりする人だけど…今浮かべた笑みは、見た事がない。俺の知る笑みと、その笑みは、何かが違う。

 

「何…してるの……?」

「何って…分からないんですか?女性が深夜に下着姿で、異性の部屋に忍び込んだんです…なら、答えは一つしかないでしょう?」

「……──っ!」

 

ぞくり、と全身一気に鳥肌が立つ。まさかとは思っていた。思い付きはしたものの、そんな訳ないと自分自身で否定していた。だけど、フォリンさんの声と表情は言っていた。これは……夜這いなのだと。

 

「ふふ、驚きました?…でも、良かったです。顕人さん、今驚いた顔はしましたけど…嫌そうな顔は、してませんでしたから」

 

そう言いながらまたフォリンさんは艶かしい表情を浮かべて、ベットに手を突き顔をこちらへと近付けてきた。

それに対して咄嗟に目を瞑ってしまう俺。そして次の瞬間……ぬるり、と首筋に生暖かい感覚が走った。

 

「っぁ……!」

「目を閉じてては勿体無いですよ、顕人さん。それとも…視界を塞ぐ事で、より私の身体の感触を感じたいんですか?」

 

首筋に走った感覚の正体がフォリンさんの舌である事は、考えるまでもなく理解出来た。更に蠱惑的な発言が耳を刺激する中、胸板に柔らかな重みがかかる。…それが胸である事も、一瞬の内に何故か分かった。

 

「どうですか?流石にモデルには劣ると思いますが、それでも少しは身体に自信があるんですよ?」

「待っ、て…待ってフォリンさん…!どうして、こんな事を…!」

「それは……貴方という異性に、身体が疼いてしまったからですよ…」

 

耳元で囁くように発せられたその言葉で、頭が沸騰しそうになる。反射的に目を開け、フォリンさんの肢体を女性の身体として見てしまう。

ドキドキする。クラクラする。フォリンさんは可愛い女の子で、その言葉通りスタイルも女性的な魅力をしっかりと有している。そんなフォリンさんに迫られれば……興奮しない筈がない。

 

「お、俺に…?フォリンさんが……?」

「そうです、顕人さんって…貴方自身が思ってるより、ずっと素敵な男性なんですよ…?」

 

顔を離したフォリンさんの髪が、月の光で綺麗に映える。俺を見下ろす瞳は熱を帯びていて、一層鼓動が早くなる。頭は混乱しているのに……心の奥底からは、欲望が湧き上がる。

 

「顕人さん、付き合っていらっしゃる方はいるんですか…?」

「それは…いない、けど……」

「それなら、何も気にする事はありませんね。……抱いてくれますか?顕人、さん」

「……っ…」

 

フォリンさんの視線が、声が、俺の頭を痺れさせる。身体が熱くなっていく。

抱いてほしい。それはなんと魅惑の言葉だろうか。可愛らしい女の子に求められる事が、こんなにも興奮を掻き立てられるなんて思いもしなかった。

もし、ここで俺が手を出したら。きっとフォリンさんは…もしこれが嘘でないのなら、フォリンさんはそれを望んでいる。この興奮に身を委ねる事を望む自分も、心の中には確かにいる。…けど……

 

「……ごめん…フォリンさんに、魅力を感じないって訳じゃないけど…抱くのは……」

「…ですよね、顕人さんは優しく良識のある方なので、そう言うと思っていました」

「…なら……」

「……だから、顕人さんは寝ていて下さい。私が、動きますから」

「な……ッ!?そ、そういう事じゃ…!」

 

…否定した。抱く事を、自分の欲望に任せる事を。間違いなく俺は魅力を感じていたけど…それは駄目だと、思ったから。

その言葉に対する返しから、俺はフォリンさんが理解してくれたと思った。…けど、次の瞬間またフォリンさんは俺の身体に乳房を押し当て、同時に右手を服の中へと潜らせる。先程とは逆側の首筋を舌が這い、そこから上がっていって頬に到達したところでフォリンさんの唇が触れて軽くキス。

 

「むしろ賢明な判断ですよ、顕人さん。このまま何もしなければ、顕人さんは襲われただけって言えるんですから」

「違っ…俺が言ってるのは、そうじゃなくて……!」

「私を心配なら不要ですよ。だって私が望んで、私の意思でしてるんですから。だから顕人さんは馬鹿な女が釣れたとでも思って、私の身体を堪能して下さい…」

 

薄い服と下着越しに胸の感触が何度も伝わり、腹部や胸元を指でなぞられぞくぞくとした刺激が走る。そして彼女は俺を見つめたまま、もう片方の手を自分の背後…恐らくはブラのホックへ。

 

「フォリン、さん……」

「私が、私の心が顕人さんを求めたんです…この人ならって、思ったんです……これは嘘偽りのない、私の本心…ですから顕人さん、このまま…私と……」

「────ッ!」

 

扇情的で、艶めかしく……なのに何故か儚げな、フォリンさんの潤んだ瞳。心が満たされるようで、受け入れたくなるようで……だけど何かが違うと心が叫ぶ、フォリンさんの心地良い声。そして、その瞬間俺の中でこれまで俺が接してきたフォリンさんの姿が次々と流れて……

 

「きゃっ……!」

 

……俺は肩を掴み、横へとフォリンさんを押し倒した。同時に俺も回転し、上下の関係を逆転させる。

 

「…………」

「…もう、急に積極的になられたらびっくりしますよ…でも、顕人さんもやっぱり男の人なんですね…。……いいですよ…来て下さい、顕人さ──」

 

 

 

 

 

 

「──ラフィーネさんに、何かあったの?」

「……──ッ!?」

 

初めは驚いた顔をして、でもすぐにまた笑みを浮かべたフォリンさん。俺の首に手を回すように両手を俺の方へと伸ばして、俺という男を受け入れようとしたフォリンさん。……そのフォリンさんへ、俺は言った。思った事を、そのままに。

 

「…な、なんでここでラフィーネの名前が出てくるんですか…?こんな時に、他の女の名前を出すなんて、あまり褒められた……」

「フォリンさんにとってラフィーネさんは、他の女なんかじゃないでしょ?」

「……それは、そう…ですけど…でも、今ラフィーネは何の関係も……」

「本当に?本当に何の関係もないって言える?フォリンさんが本当にしたいのは……こういう事なの?」

 

俺が言ったその瞬間に、フォリンさんの表情が固まった。瞳は揺らぎ、声は震え、そこから動揺が見て取れる。……あぁ、そっか…やっぱりそうなんだ…だったら……

 

「あ、の…私、は……」

「……こうまでしてでも、俺に何かしてほしい事があった…そういう事だよね。フォリンさん」

 

ゆっくりとフォリンさんの上から離れ、脚を下ろす形でベットの端に座り直す。辿り着いた答えを口にしながら、静かに離れる。そして、それを聞いたフォリンさんは右手の甲を目元に当てて……小さく、頷いた。

 

 

 

 

「……俺の服で悪いけどさ…これ、着てよ」

「……ありがとう、ございます…」

 

荷物の中からシャツを取り出し、出来るだけ胸や下腹部に目をやらないようにしながらフォリンさんに渡す。フォリンさんは特に嫌がる事なく受け取ってくれて、シャツへ腕を通してくれた。

 

「…………」

「…………」

 

着て、ボタンを嵌めて、それで取り敢えずフォリンさんはあられもない格好ではなくなった。……けど、俺のシャツだからフォリンさんには大きくて、しかも下は相変わらず下着一枚だから、それはそれで官能的というか、全年齢対象の域に留まったエロさを醸し出してしまっている。…って、何考えてんだ俺は……。

 

「…何か、飲む?」

 

投げかけた問いに対し、フォリンさんはふるふると首を横に振って否定。膝を抱えるその姿は、先程までとは打って変わって年相応の少女そのもの。

 

(…こういうシリアスな展開ってどんな作品にもあるものだけど……いざそういう状況に直面すると、当たり障りのない事すら言うのを躊躇っちゃうものなんだな……)

 

もしも自分がそういう場面に居たら…昔から俺はそんな事をよく考えていて、自分なりにこうすればベストだって答えも一応導き出せてはいる。けどそれは所詮第三者、部外者としての視点で考えた答えであって、実際の場面じゃ役に立たない…というか、まず言えない。言い出せない位に空気が…フォリンさんの雰囲気が、重く暗く沈んでいた。

だけど、ならこのままでいいのか?言い辛いからって、黙っていればそれで済むのか?……そんなの、いい訳がない。済む訳がない。あんな女性としての自分を犠牲にするような手段を取ってまで貫こうとした思いを……俺は道半ばで絶やしてなんてほしくない。

 

「…話して、くれないかな。フォリンさんが思ってる事、何とかしたいと願ってる事を」

「……聞いて、くれるんですか…?」

「勿論。どうしても話したくないなら、強要は出来ないけど…話してくれるなら、俺は聞くよ」

 

顔を上げたフォリンさんの瞳に、先程までの光はない。そこにあるのは、あまりにも弱々しく小さな光。…でも、光が完全に失われた訳じゃない。それだけでも俺は、少しだけど安心した。

 

「……責めないんですね…騙そうとした、私を…」

「まぁ、ね。…でも、絶対責めない訳じゃないよ?まだ俺はフォリンさんからきちんと話してもらってないからね。だから……」

「…はい……」

 

判断の為にも、話してほしい。そう言い切る前にフォリンさんは理解し、再び小さく頷いた。…多分余程不愉快な理由でもない限り、俺は責めない。けれど判断の為とする事で、フォリンさんが少しでも話し易くなるんじゃないかと思った。だから俺の発言は、大体ほんとでちょっぴり嘘。

そして、首肯したフォリンさんは膝を抱えたまま…話し始める。

 

「……私とラフィーネは、孤児でした。親に捨てられたのか、病気や事故で私達と一緒に居られなくなったのかは分かりません。今では両親の顔を思い出せない程、私達が二人きりになったのは幼い頃でしたから」

「…そう、だったんだ……」

 

初めにフォリンさんが言ったのは、思いもしなかった家族の事。こういう時、ごめん…も謝るのがベターなのかもしれないけど、俺は登ってきたその言葉を飲み込む。今それを言うのは、話の腰を折るだけだから。

 

「私達はまず孤児院に拾われ…それからすぐに、BORG…いえ、彼に見出されました」

「彼……?」

「数日前にお話しした、現トップの事です。彼の手引きによって、私達はBORGに所属する事となりました。…表向きは、霊装者の資質がある子供として」

 

それは、フォリンさんの身の上話。フォリンさんとラフィーネさんの、過去の話。…声音と雰囲気から伝わってくる。その先に出てくるのは、決して明るい事柄じゃないって。

 

「…表向きは、って事は……」

「…はい。引き取られた私達に待っていたのは、霊装者としての教育ではなく……BORG内でも秘密裏に行われている、ある研究の被験体としての日々でした」

「……っ…」

 

ぞくり、と背筋に寒気が走る。人体実験を意味する話の内容は勿論だけど…それ以上に、それを言うフォリンさんからは鳥肌が立つような暗い闇が感じられた。

 

「…いえ、これでは少しばかり間違ってますね。霊装者としての教育も受けてはいました。研究の成果が出ているかのテストをする為には、霊装者の技術も必要でしたから」

「……どうして、そんな研究を…」

「分かりません。…が、秘密裏に研究をしている以上、軽々しくは言えない計画があるのでしょうね」

 

言葉から感じる闇は、怒りに燃える熱いものではなく、沈みに沈んだ冷たいもの。被験体とされる事を受け入れ、反抗を諦めた、磨り減った心の表れとでも言うべき闇。…普通に、平凡に過ごしてきた俺には……聞くまでその闇を想像する事も出来なかった。

 

「最低限の生活は与えられていました。私もラフィーネもすぐに従順になったので、研究外では特に酷い事もされませんでした。…尤も、それも私達という被験体を駄目にしない為に過ぎなかったのでしょうが…」

「……研究材料にしてる時点で、酷い以外の何物でもないよ。それも、自分で選べない子供を利用して、姉妹揃って苦しめるなんて……」

「…私はまだ、楽な方だったんです。ラフィーネが、私を守ってくれましたから」

「…どういう事…?」

 

ふつふつと心の奥から湧き上がる、二人を被験体とした人達への怒り。それをそのまま口にすると、フォリンさんの表情が一瞬だけ、ほんの僅かに緩んで…それから不可解な事を口にした。すぐに従順になった…即ち反抗しなかったという事なのに、守ってくれたとは一体どういう事なのか。

 

「私達が選ばれたのは、元々霊装者の素養があったからというのに加えて、姉妹だからというのもあったんです。生命としての共通点が多い姉妹なら、片方で得られた結果のフィードバックがもう片方でやり易い…という理由で」

「…つまり、ラフィーネさんが守ってくれたってのは…より辛い方を、自分が引き受けてくれたって事…?」

「…はい」

 

三度目の首肯は、前二回よりはっきりとしたもの。そこから伝わってくる、ラフィーネさんへの強い思い。

 

「どんなに辛くても、どんなに怖くても、ラフィーネは引き受け続けてくれました。…でも、その中で少しずつラフィーネは変わっていきました。少しずつ少しずつ、ラフィーネの心は磨り減っていって……昔はもっと、表情豊かだったのに……」

「…………」

「だけど、表面的な部分は失われていっても、心はラフィーネの…私の姉のままでした。そして、研究が一定の域に到達し、私達という被験体が不要になった事で……私達も研究から、解放される事になりました。その時やっと、自分達は普通に過ごせる…私はそう思ったんです」

 

そこで一度、フォリンさんは言葉を区切る。既に俺にとっては、ここまででも重い話。けれどまだここまでは、生い立ちに関する話。フォリンさんが俺に何を頼みたいかは、まだまるで見えていない。

 

「…ですが、それは甘い考えでした。私達が、自由になれる訳がなかったんです。…何故だか分かりますか?」

「……ごめん、分からない」

「…秘密裏の研究を、身を以て知ってしまったからですよ。自由にさせてしまえば、どこでバレてしまうか分からない。だから自由のない立場に……要人暗殺の霊装者として、闇から闇へと移らされたんです」

「暗、殺……?」

 

暗殺。それが計画的に、不意を突く形で行われる殺人行為の名前だって事位分かってる。けど俺は一瞬理解出来なかった。暗殺という行為と、フォリンさんラフィーネさんが結び付かなかった。目の前にいる女の子が、打ち解けられた二人の少女が、本当は故意に人を殺している人間だったなんて。

 

「上手く考えたものですよね。確かに暗殺者なら、自分の身を守る為に浅はかな事なんて出来ませんから。…それに、予測していたのかもしれませんね…。人を殺せば殺す程、私達が罪の意識に駆られて幸せを求められなくなっていく事を…」

「それは…でも、命令…だったんでしょ?なら……」

「命令でも、殺しは殺しです。…でも、そうですね…研究の中で私もラフィーネも壊れられていたら、罪の意識なんか感じずに済んだのかも…しれませんね……」

 

…否定したかった。もっと強く、フォリンさんが自分を責める必要はないと言いたかった。…けど、フォリンさんの話す世界は俺の暮らしてきた世界とあまりにも違っていて…思い付く言葉は、どれも空虚にしか思えなかった。

 

「私は私のままでした。ラフィーネも、優しいラフィーネのままでした。だからどんどん、殺せば殺す程私の心の奥は冷たくなっていって…気付けば、深い沼の中にいたんです。沈む事しかない、明るい未来なんてない…深淵の中に」

「…フォリンさん……」

「…でも…それでも私はラフィーネを守りたかったんです。せめて少しでも、ラフィーネの心が壊れるのを防ぎたかったんです。私を守ってくれたラフィーネの為に。大切な家族を、失わない為に。そして……ある時、私達は暗殺任務を受けました。…綾袮さんを標的とした、暗殺任務を」

「……ッ!…綾袮、さんを……?」

 

気の滅入るような、フォリンさんの話が続く。俺はそのどこにも口を挟まなくて……けれどその言葉を聞いた瞬間、俺は訊き返さずにはいられなかった。…綾袮さんを、暗殺…?…は、はは……

 

「……まさか、それに協力しろ…だなんて言わないよね…?」

「…………」

「…なら、良かった…」

 

…その時の俺は、どんな表情をしていたか分からない。驚きか、恐れか、それとも…怒りか。ただ、俺は返答次第では力を貸せないと思っていて……フォリンさんは、首を横に振ってくれた。だから俺は、そのまま話を聞き続けられる。

 

「…初めは、普通に任務を遂行するつもりでした。ですが、ここで…顕人さん達と過ごす日々は、私達にとってあまりにも眩しく、あまりにも温かいものだったんです。私達が凍らせ、そういうものだと自己暗示で塗り固めていた心に、揺らぎが生じてしまう程に」

「…じゃあ、打ち解けない方が良かったの…?」

「…そんな事、ないです…最初はそう思ってました…でも、でも……ラフィーネは久し振りに、本当に久し振りに私以外へ心を開いてくれたんです…!私の守りたいラフィーネが、ただの姉だったラフィーネが…ほんの少しですけど、戻ってきたんです……っ!」

 

じわり、と瞳の端に浮かぶのは涙。辛そうな、悲しそうな感情が声に籠り、抱えた膝をフォリンさんは強く抱き締める。…ただそれだけでも、フォリンさんが如何にラフィーネさんを思っているかが、よく分かった。

 

「……ですが、同時に私は気付きました…温かさを、幸せを感じられたからこそ、その一端である綾袮さんを殺してしまえば…そして、顕人さんの心を傷付けてしまえば……完全にラフィーネは、もう心から笑えなくなると……」

「…それが、フォリンさんには認められない…受け入れられない、結末なんだね」

「当然です…だから、私は止めようとしました…例えどんなに過酷な道でも、危険な選択でも、ラフィーネの笑顔を守れるのなら、それでいいと……!…だけど、だけど…駄目、だったんです…私じゃ……ラフィーネが守ってくれようとする、私の言葉じゃ……」

 

瞳に溜まった涙は、頬を伝って落ちていく。ぽろぽろと、無念の涙が零れ落ちていく。

そこにいるのは、俺より数段上の実力を持つ霊装者のフォリン・ロサイアーズじゃない。姉を思い、無力さを嘆く、年下の女の子のフォリンさん。そしてフォリンさんは、膝から手を離して俺の側へ。

 

「だから……お願いです顕人さん…!ラフィーネを… 私の姉を、助けて下さい…っ!私に出来る事なら何だってします、私の全てを捧げます…!だから…だから……っ!」

 

俺の手を握り、そう言って懇願するフォリンさん。体裁だとか、プライドだとか、そういうものを全てかなぐり捨てた、本気で真摯で切実な願い。大切な姉への、心からの思い。

正直、何をすればいいのか分からない。何が出来るか分からないし、フォリンさんの期待に応えられるか…ラフィーネさんを助けられるかも分からない。…まだ何も分からなくて、何も分からないなら軽々しく回答なんかすべきじゃない。

けど……なら、俺は断るのか?もう少し話を聞かない事には…なんていうのか?そんなの、そんなの……言う訳がないッ!

 

「……俺は、ラフィーネさんと仲良くなれて良かったと思ってる。俺に心を開いてくれたのなら、それは本当に嬉しいと思う。もし、ラフィーネさんが辛いのなら…俺は力の限り、ラフィーネさんの力になりたい」

「……っ…!じゃあ……!」

「うん。俺が何を、どこまで出来るか分からないけど……やらせてもらうよ、フォリンさん。…約束したからね。協力するって」

「顕人、さん…っ……!」

 

再び目が潤み、一層フォリンさんの目から涙が零れる。そんなフォリンさんの頭に触れて、そのままゆっくりと俺は撫でる。普段の俺なら、こんな事はしない。けれど今は、フォリンさんに安心してほしくて、気付けばフォリンさんを撫でていた。

未熟者で人としても霊装者としても経験の浅い俺に出来る事なんて、高が知れている。けれどそれでも、フォリンさんは俺を頼ってくれた。涙を零してしまう程に苦しみながら、俺へと手を伸ばしてくれた。そして何より、ラフィーネさんも、フォリンさんも、俺にとってはいなくなってほしくない人。仮に帰ってしまったとしても、いつかまた会いたいと心から思う人。だから俺は……絶対に力になると、心に決めた。



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第九十七話 貴女を守る為ならば

あれからフォリンさんは、堰を切ったように涙を流し続けた。時間にすれば、それはせいぜい十数分。長年姉を思い続けていた事からすれば、本当に短い、僅かな時間で……それでも涙を拭いた後のフォリンさんは、小さな笑顔と、何としてもラフィーネさんの心を守ろうとする決意が表情に浮かんでいた。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……」

「着きましたか、顕人さん」

「もうすぐ、着くよ…着くけど…さぁ……」

 

それから数十分程した今、俺は林のある地点に極力音を立てず全力で向かうという、地味に苦労する行動をしていた。理由は勿論、任務を……綾袮さんを暗殺しようとするラフィーネさんを止める為。

林から綾袮さんの使う部屋へと侵入し、可能なら寝ている綾袮さんをラフィーネさんが一撃で、それが無理なら別地点で狙撃(こっちが本来の戦い方で、連射性の高い両手火器を使う戦い方はフェイクなんだって事はついさっき知った。…本来の戦い方じゃなくても、あんなに強いんだよね…)を行うフォリンさんと連携して仕留めるというのが、元々の作戦。そしてラフィーネさんはもう移動してしまったらしいから、俺は可能なら行動開始前に、それが無理でも侵入前に止めるしかない。

じゃあ、何で俺はこんなに息が切れているか。それは……

 

「…時間にはさ、気を付けようよ……」

「すみません…本当にその件は返す言葉がないです……」

 

…フォリンさんが時間に気付いた時には、もう余裕なんて微塵もなくなっていたから。確かにフォリンさんの当初のプラン(俺を身体で釣って聞いてもらうつもりだったとか)からは大きく離れてしまったんだから仕方ないといえば仕方ないけど、それで負担を強いられちゃ溜まったもんじゃない。…まぁ、俺が真意に気付いてからの話は、時間をかけるだけの価値があるものだったと思うけど。

 

「…ラフィーネさんは…?」

「今探している最中です…が、ラフィーネが理由もなく作戦とは違う動きをするなんて事はありません。なので先程伝えた場所にまだいる筈です」

「…もう行く?」

「待って下さい。万一の事がありますから、私がラフィーネを見つけるまでは……」

 

携帯を耳に当てたまま、フォリンさんへ指示を仰ぐ。要は説得なんだから、その点においては早く行くに越した事ないんだけど…今のラフィーネさんの意識は暗殺者状態。そこは俺がのこのこ出て行ったら、何が起こるか分からない。

だから俺は、フォリンさんからライフルを一丁渡されていた。使ってほしくはないけど、自衛も出来ずに傷付く事の方が嫌だから、と。

 

「……ラフィーネからの通信がありました。一度こちらは切らせてもらいます」

 

言葉の途切れた数秒後、フォリンさんはそう言って一方的に通話を切った。多分、ゆっくり俺の了承を得てから切るなんてしてたらラフィーネさんに変に思われるから、ってのが理由だと思う。

 

(…ラフィーネさん……)

 

まだラフィーネさんの姿は見えない。見えないから、どんな表情をしているのかも分からない。だけどこれから俺は、暗殺をしようとする彼女と対面する事になる。そう思うだけで……正直、冷や汗が止まらなかった。

 

 

 

 

「フォリン、準備は出来た?」

「はい。もうスコープ越しに見えています」

 

インカムから聞こえる姉の声に、携帯をしまったフォリンは返答。

彼女の言葉は概ね間違っていない。既に組み立てた狙撃銃を寝そべった体勢で構え、スコープで目標の位置を視認している。だが唯一違うのは、その目標が綾袮ではなくラフィーネである事。そして勿論、彼女の狙いは殺す事ではなく、守る事。

 

「なら、開始時刻と同時にわたしは突入する。…大丈夫。フォリンが綾袮を撃たなくても済むよう、わたしが絶対に決めるから」

「…無理、しないで下さいね。私はラフィーネの相棒なんですから」

「分かってる。無理はしないから安心して」

 

声は静かで、響きはまるで感情がないよう。だがフォリンには伝わっていた。ラフィーネの優しさが、自分を思ってくれる姉の愛が。…だからこそ彼女は切なくなる。こんなにも優しく、元々は感情表現も豊かだった姉に、暗殺者としての生き方が染み付いてしまった事が。

だが、今のフォリンは違う。今の彼女には事情を知った上で協力してくれる相手が、か細いながらも信じられる希望がそこにはいる。

 

「……フォリン、成功したらその時はお願い」

「えぇ。偶々居合わせたラフィーネが、善戦するも手傷を負わされ犯人に逃げられた…そう見えるように私が撃ちます」

「うん。…必ず、成功させる」

 

自らへの鼓舞か、それとも自分へ言い聞かせたのか。その言葉を最後にして、ラフィーネはフォリンとの通信を終えた。自分がフォリンを守るのだという、大切な妹への思いを秘めて。

通信が切れてから、フォリンは深呼吸を一つ。これから自分が行おうとしているのは、行ってもらおうとしているのは、大事な姉と信頼する相手のどちらも傷付くかもしれない事。そしてもしそうなりかけた場合、止められるのは自分しかいない。…そんな事実を彼女は受け止め、逸らす事なくはっきりと見据え……顕人へと、連絡をかける。

 

「……顕人さん、ラフィーネを…私の姉を……お願いします」

 

 

 

 

それなりに開けた、林の中のある一角。そこに、ラフィーネさんはいた。佇むように、その中心に立っていた。

 

「……っ…!?…顕、人……?」

 

近付く俺の存在を視認した瞬間、ラフィーネさんは目を見開いた。今目にした光景が信じられない、とばかりの表情で。

 

「…こんばんは、ラフィーネさん」

「…………」

 

木々の間から出た俺は、静かにラフィーネさんへ呼び掛ける。武器は全て縮小したまま。だって俺がこれからするのは、戦いじゃなくて話し合いなんだから。

 

「…どうして、ここにいるの……」

「ちょっと、ね。ラフィーネさんこそ、どうしてここに?」

「……散歩。眠れなかったから」

 

訊くまでもない質問だけど、俺は言う。ラフィーネさんは、数瞬黙った後に散歩と返答。…やっぱり、返ってきたのは嘘だった。

 

「そっか。じゃあ、俺も一緒に居ていい?」

「…用事は?」

「大丈夫だよ、心配してくれなくても」

「…………」

 

ラフィーネさんから、疑念混じりの視線を向けられる。でも、そりゃあそうだろう。ラフィーネさんからすれば俺の登場はあまりにも悪いタイミングで、しかも俺は曖昧な返答しかしてないんだから。

それから数秒、ラフィーネさんは沈黙。俺も追加の言葉をかける事はせず、風の音と虫の鳴き声だけが聞こえ……ラフィーネさんは、目を閉じた。何かを切り替えるように閉じて、開いて、言う。

 

「…顕人、何も言わずに戻って」

「…どうして?」

「それも含めて、何も言わずに戻って。…お願い、だから」

 

真剣に、俺だけを見てラフィーネさんが口にした言葉。その言葉からは、素直に聞き入れてほしいという願いと……俺ならきっと、こんな言い方でも聞き入れてくれるという思いが伝わってきた。

もし俺の勘違いじゃないのなら、それは俺に対する信頼の証。それ程までに信頼してくれているのなら勿論嬉しいし、何も知らなければ「今度話してよ?」とでも言って部屋へ戻っていたと思う。

だけど今の俺は違う。今は、今だけは…その信頼を台無しにする事になったとしても……その言葉は、聞き入れられない。

 

「……それは、今からラフィーネさんが…綾袮さんを、傷付けるから?」

「──ッ!?…どうして、それを…知ってるの……ッ!」

 

俺は言った。何も知らない芝居を止めて、核心へ至る一言を口にした。……その瞬間、ラフィーネさんの雰囲気が豹変する。

 

「……教えてくれたんだよ、フォリンさんが」

「フォリンが…?……冗談は止めて、わたしは真面目に訊いてるの」

 

ギロリと俺を睨め付けるラフィーネさんの視線にヒヤリとするも、何とか平然を装って更に一言。するとラフィーネさんはまるで信じていない様子で、冷たい声をぶつけてくる。…その言葉からは、フォリンさんへの信頼が伝わってきた。フォリンさんが言う訳ないという、俺に向けた以上の信頼が。

 

「嘘じゃないよ、ラフィーネさん。…信じられないなら、フォリンさんに訊いてみて」

「……フォリン、問題が起きた。理由は分からないけど、顕人がここに……」

 

僅かな逡巡の後、インカムで連絡を取るラフィーネさん。やはりフォリンさんを信じているようで、「教えたの?」という文言はなく……ラフィーネさんの言葉は、途中で途切れた。……多分、言ったんだろう。それは自分が教えたからだと、フォリンさんが。

 

「…フォ、リン……?何を、言って…るの……?」

 

それから聞こえてきたのは、呆然としたラフィーネさんの声だった。俺が姿を現した時以上の、自分の信じる道の根幹が揺らいだかのような、乾いた声をラフィーネさんは漏らす。

 

「…分かったでしょ、ラフィーネさん。俺は嘘なんか言ってないよ。勿論、フォリンさんもね」

「…顕人は黙ってて…フォリン、どういう事…どうして、どうしてなの……」

「ラフィーネさん、それは……」

「顕人には訊いててないッ!」

「……っ!」

 

呆然としたままのラフィーネさんへ声をかけるも、ラフィーネさんは俺なんて眼中にない様子で理由を求める。そして、そこへ口を挟むように俺が言おうとした瞬間……彼女の怒号が、耳に響いた。

初めてだった。ラフィーネさんの怒りを目の当たりにするもの、大声を出すのも。拒絶の視線を向けてくるラフィーネさんの姿を見ていると、色々知れたと思っていたラフィーネさんの人間性を、まだ俺は一面しか知らなかったのだと思わせられる。

 

「…悪いけど、訊かれてなくても俺は言うよ。フォリンさんと、約束したからね」

「約束……?」

「うん、言われたんだよ。ラフィーネさんを、止めてほしいって」

 

だけど俺は臆さない。この程度じゃ動じない…って事はないけど、日和るつもりなんか毛頭ない。

 

「…聞いたよ、ラフィーネさん。任務の事も、これまでの経緯の事も……ラフィーネさんが、どれだけ苦しい目に遭ってきたかも」

「……っ…それが、何……?」

「それは全部、フォリンさんの為だったんでしょ?フォリンさんが苦しまなくて済むよう、一緒に過ごせるよう、出来る事をしてきたんだよね?違う?」

 

俺へと向けられていた鋭い目付きは、俺の言葉で一瞬揺らぐ。それはラフィーネさんにとって快くない記憶の話だからかもしれないし、それも知っているのかという驚きかもしれない。

目付きの揺らいだラフィーネさんへ向けて、俺は言葉を畳み掛ける。訴えるのは、理論ではなく心と感情。その為に俺は訊いて、彼女は沈黙。…けどその沈黙は、肯定も同然のもの。

 

「そのフォリンさんが言ってるんだよ。これ以上ラフィーネさんの心が傷付いてほしくないって。ラフィーネさんがフォリンさんを思ってるように、フォリンさんもラフィーネさんを思ってるんだよ」

「…わたしは、傷付いてなんかいない……」

「でも、フォリンさんにはそう見えた。任務の放棄を提案する程に、ラフィーネさんを心配してるんだよ。…それに、俺だってそうだ。俺は聞いただけだし、偉そうな事は言えないけど…それでも俺は、綾袮さんを手にかけてほしくないと思ってる」

「…そんなの言われるまでもない。顕人がそういうのは、当然の……」

「違うよラフィーネさん。綾袮さんの為ってのも確かにあるけど……それだけじゃないんだ。俺はラフィーネさんに、仲良くなれた人に…そんな辛い殺しをしてほしくないんだよ」

 

ラフィーネさんは、望んでいないのかもしれない。フォリンさんを守れるのなら、例えこのまま突き進もうと…と思っているのかもしれない。

だけどそれをフォリンさんは望んでいない。だから俺は言葉を続ける。ここには、ラフィーネさんに傷付いてほしくないと心から思っている人が、少なくとも二人はいるんだから。

 

「…勝手な事を言わないで…。顕人は、良い人…けど、顕人に何が出来るの?ちょっと聞いただけの、顕人に」

「……出来ないよ、俺には権限なんて言えるものは殆どない…でも、俺は止めたいんだよ。…言ったでしょ、ラフィーネさん。俺はラフィーネさんと話すのが楽しいって」

「それは……」

 

ここまで考え込むように黙る事はあっても口籠る事はなかったラフィーネさんが、そこで初めて言葉を詰まらせる。…その時俺は、良かったって思った。今はそんな事感じてる場合じゃないけど…あの時のラフィーネさんは、間違いなく本心のラフィーネさんだったって分かったから。本当のラフィーネさんが心の奥にあるのなら……可能性は、絶対にある。

 

「…本当にいいの?そりゃ、そうしなきゃいけなかったのかもしれないけど…勝手な事を言うなってのは、その通りだけど……ラフィーネさんは、今のままで満足なの?」

「わたしは、フォリンが守れればそれでいい。…顕人と話すのは、楽しかったけど…それよりもっと、フォリンが大切」

「…それは、妥協じゃないの?例え望むもの全てを手に入れる事は難しくても……フォリンさんさえ守れればなんて、そんなの…俺には幸せに見えないよ…」

「……幸せに、見えない…?」

 

何か一つでも大切なものがあれば、一番大切なものを守れるのなら……そんな言葉は美しく聞こえるし、それが間違っているなんて言うつもりはない。けど…たった一つだけなんて、寂し過ぎる。これは俺が恵まれた環境で育ったから言える、贅沢な事かもしれないけど、人にはもっと幸せがあっていいと思う。

そんな思いで、言った言葉。断言した時のラフィーネさんがどこか痛ましくて、自然と口をついて出た思い。……それが、彼女の中で何かを変えた。先程一瞬見せた怒りの感情が、再びラフィーネさんから滲み出す。

 

「幸せに見えないって言った…?フォリンを守る事が、わたしの一番大切な気持ちが…幸せに、見えないって言ったの…?」

「…ラフィーネさん…?…いや、それは…言ったには言ったけど…少し解釈に語弊が……」

「……取り消して、今の言葉」

 

それは、静かな怒り。荒々しさはない、荒い言葉を使う訳でもない……けれど一気に冷や汗が吹き出すような、内側で濃縮された怒り。取り消せという言葉と共に、ラフィーネさんはこちらへ一歩踏み出してくる。

 

「取り、消す……?」

「フォリンは、わたしの大切な妹。何もないわたしの、沢山のものを無くしたわたしに残った、わたしの隣に残ってくれた、わたしの一番守りたい人」

 

淡々とフォリンさんに対する思いを語るラフィーネさん。淡々と話しているけど、その声からはフォリンさんへの愛情が伝わってくる。それは愛情を籠らせた言葉なのに……ぞくりと怖気が背筋を走る。

 

「だからわたしはフォリンを守りたい。フォリンが元気なら、わたしも元気でいられるから。フォリンが側にいてくれるなら、どんなに苦しくても耐えられるから。フォリンがいるから…わたしもわたしでいる事が出来る。……なのに、顕人は言った…それが幸せに見えないって…フォリンを守る事を、大事な気持ちを…顕人は否定した……ッ!」

「……ッ!」

 

俺へと向けられた瞳が揺れ、静かな怒りははっきりとした怒りへ変貌した。

そんなつもりで言ったんじゃない。ラフィーネさんの思いを否定したつもりなんて、微塵もない。そう頭では分かっているのに、思っていても口に出して伝えなきゃ意味がないって理解しているのに、口から上手く言葉が出ない。……俺はこの時、ラフィーネさんの放つ空気に飲まれていた。

 

「許さない、許さない、許さない…!取り消さないなら、幾ら顕人でも……顕人だからこそ、わたしの思いを、フォリンの事を否定するなら……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ──」

「……ラフィーネ…さん…?」

 

怒り。強い怒り。許さないという怒り。その思いが口を出て、全身から放たれ空気を支配し、気付けば俺は後退っていた。

何か言わないと、そうじゃないんだと否定しないと、ラフィーネさんの膨れ上がる怒りは止められない。フォリンさんが望んだのとはかけ離れた結果になってしまう。それに俺は焦り、何とか雰囲気に飲まれた自分を引き上げようと気力を振り絞り……けれど次の瞬間、呪詛の様なラフィーネさんの言葉が不意に途切れた。一瞬前まで放たれていた空気も霧散し、ラフィーネさんは言葉が途切れると同時によろよろと後退。

 

「……あぁ、そっか…逆、だったんだ…」

「逆……?(この雰囲気は…怒り…なの、か…?)」

 

呟く様な、ラフィーネさんの声。その中で聞こえた逆という単語に俺は聞き返すも、考えているのは別の事。

今ラフィーネさんは、確かに怒っている。言葉からも雰囲気からも怒りが滲み出ている。けどそこへ更に、何かが混じった。熱く煮え立つような怒りとは違う……もっと冷たい、何かが。

 

「(…って、いや…それより今は……!)…あの…聞いてラフィーネさん、俺は……」

 

何が混じったのかは気になるところ。でも今一番しなきゃいけないのは、俺の発言に対する誤解を解く事。そう思い直した時にはもう言葉が出るようになっていて、違うんだと、そういう否定の意味で言ったんじゃないんだと言おうとした。……その、時だった。

 

「がは……ッ!?」

 

目の前のラフィーネさんの姿がぶれ、次の瞬間腹部に激しくも鈍い痛みが走る。痛みと衝撃で俺の身体はくの字に曲がり、そのまま飛んで背後の木の幹へ激突。その寸前に見えた、俺の腹へと打ち込まれていたのは……ラフィーネさんの突き立てた膝。

 

「……フォリンがどうして顕人に話したのか、気になってた。フォリンがそんな事を勝手にするなんて、おかしいから」

「う、ぐ……ラフィーネ…さん…」

「それに、今日の朝もフォリンは変だった。気持ちは分かるけど、いつものフォリンなら言わないような事を言っていた。…けど、その理由がやっと分かった…」

 

 

「──顕人、フォリンに…何をしたの?」

「……──ッ!」

 

ぶつかった木の幹を背にずり落ちた俺。呼吸を詰まらせながら見上げた俺の目に映ったのは…月明かりに照らされて赤い光を反射する二つの瞳と、蒼い光を放つ二振りの刃。その表情は冷たく、その瞳は凍てつくようで……気付いた。感じていた冷たさは、ラフィーネさんの意識が暗殺者としてのそれに切り替わった事によるものだと。そして、その暗殺者の目が今……俺に向いている。

 

「何を、したって…俺はただ……」

「言わなくていい。訊いたけど、訊いてないから。訊くつもりがないから」

 

俺に言葉を言い切らせずに、またラフィーネさんは一歩前へ。まだ俺とラフィーネさんの間には、多少の距離がある。でも多少程度の距離なんて、彼女にとっては何の障害にもなりはしない。

 

「……さようなら、顕人。顕人が寂しいと言ってくれたのは嬉しかった。顕人といるのは楽しかった。だから、貴方の事は…忘れない」

 

それは、別れの言葉。これから別れるって時に言う、相手へ送る言葉。

あまり遠くない内に、ラフィーネさんとフォリンさんは帰ってしまう。だけど、今送られたのは、その時の為の言葉じゃない。今この瞬間に送られたのは……死に行く者への、手向けの言葉。

俺だって、いざとなれば戦うつもりはあった。攻撃はせずとも、防戦位はしようと思っていた。今だって、その気はある。…でも、間に合わない。俺とラフィーネさんの力量差があって、且つラフィーネさんが暗殺者だと言うのなら……間に合う筈がない。

ゆらりと揺れる、ラフィーネさんの身体。前に揺れ、地を蹴り、蒼の刃がその手で踊る。そして、刃は真っ直ぐに俺へと迫り…………

 

「ラフィーネッ!駄目ぇぇぇぇええええええッ!!」

「……ッ!?」

 

半ば抱かれるようにしてその場から突き飛ばされる俺。地面を擦り、先程とは別の痛みが走って……でも、それだけの事。俺は刃に斬られる事なく……生きている。

俺はゆっくりと顔を上げる。そこにいたのは、俺の前に、ラフィーネさんの前に立っていたのは……フォリンさんだった。



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第九十八話 二人で望む、二人の未来

ラフィーネさんの刃から、俺を守る形で割って入ったフォリンさん。彼女のおかげで俺は助かった。けど、それは本来フォリンさんが望む形じゃなかった事。俺はフォリンさんから助けを求められたのに……逆に、助けられてしまった。

 

「……フォリン…」

「…ラフィーネ……」

 

顔を上げた俺の目の前で、ラフィーネさんとフォリンさん…姉妹の二人が対峙する。二人が互いに相手の名前を呼んだのは…ほぼ同時。

 

「…退いて、フォリン」

「嫌です。それは出来ません」

 

ちらりと俺の方へ視線を一度向けた後ラフィーネさんが発した言葉を、フォリンさんは真っ向から拒絶。ラフィーネさんはフォリンさんへ刃…二振りのナイフを向けてはいなくて、フォリンさんも武器を手にしてはいない。…けれど、そこにあるのは剣呑な雰囲気。普段の仲の良さは……微塵もない。

 

「わたしはフォリンと敵対なんてしたくない。だから退いて」

「私もです、ラフィーネ。…だから、ここは退けません」

「…どういう事?」

「顕人さんは、私の味方だからです。顕人さんは、私の味方になってくれた人で…ラフィーネの味方でもあるからです」

 

静かに、一見冷静に聞こえる声音で話すロサイアーズ姉妹。なぜという問いに対し、フォリンさんは俺が味方だからとはっきり返す。その瞬間、ぴくりと動いたのはラフィーネさんの眉。

 

「それは違う。顕人は敵じゃないかもしれない。でも、フォリンは顕人に惑わされてる。フォリンをフォリンじゃなくしてる。…そんな人は、わたしの味方なんかじゃない」

「私は惑わされてなんかいません。顕人さんに助けを求めたのも、ラフィーネに暗殺放棄を提案したのも、私の意思です」

「フォリンはそう思っているだけ。わたしには分かる」

「…勘違いしているのは、ラフィーネの方です」

 

剣呑な雰囲気は、少しずつ険悪な雰囲気へと変わっていく。フォリンさんの背後にいる俺は確認出来ないけど、きっと二人の視線は今ぶつかり合っているんだと思う。

 

「…………」

「…考え直してくれませんか、ラフィーネ。…おかしいですよ、私達がこんな衝突するなんて……」

「うん、おかしい。だけどこれは大切な事。幾らフォリンが嫌でも……フォリンを穢す奴を、わたしは許せない」

「……っ…だから…だからなんでそうなるんですか…そんなに私が騙されてるように見えるんですか?そんな私が──」

「見えた。見えたから、そう思ったから…わたしは言ってる」

「……っ!」

 

俺がフォリンさんに悪影響を与え、その結果今の状況となっている。そんな認識を疑わないラフィーネさんに、フォリンさんが段々声へ感情を孕ませながら反論するも……それを押し潰すように、ぴしゃりとラフィーネさんは言い放った。

それがフォリンさんを思っての言葉だったのは、俺にも伝わっている。俺に伝わってるんだから、フォリンさんに伝わっていない筈がない。けど…伝わったからって、理解し合える訳じゃない。

 

「フォリン、今はそうは思えないかもしれない。でもわたしを信じて。フォリンはそんな子じゃない。フォリンは……」

「…私は…私はラフィーネの相棒じゃないんですか…?」

「え……?」

 

俯き、目を伏せたままそう言ってフォリンさんの言葉に、ラフィーネさんは目を丸くする。そんな事、訊かれるなんて思ってもみなかったとばかりに、その表情へ驚きを表す。

 

「ラフィーネが私の事を思ってくれているのは分かります…私は妹ですから、姉のラフィーネが心配するのも分かります……けれど、私はラフィーネの相棒でしょう…?」

「それは…うん、勿論そう。そんなの、確認なんてしなくても……」

「だったら…だったらなんでそんなに私を下に見た事を言うんですかッ!どうして私が騙されてるって、悪影響を受けたって決め付けるんですかッ!私の話なんて聞いていないのにッ!」

「…フォ、リン……?」

 

悲しそうに、本心を求めるように発せられた、フォリンさんの声。それを聞いたラフィーネさんは、そのままの表情でフォリンさんの問いに肯定しかけて……次の瞬間、フォリンさんの感情が爆発した。

 

「私だって必死に考えたんです!考えて、悩んで、それで顕人さんに助けを求めたんです!これは私の意思なんです!なのにそれを、あんなに軽く否定して、私を窘めようとして……私はラフィーネの部下なんかじゃありませんッ!馬鹿にしないで下さいラフィーネッ!」

「ち、違う…違うフォリン…そうじゃない、そうじゃないの…わたしはフォリンを否定なんて…馬鹿になんて……」

 

肩を震わせ感情を叩き付けるフォリンさんに、ラフィーネさんは動揺し切った顔でおろおろとするばかり。俺が目の前に現れた時とは比較にならない、先程の怒りを露わにした時と同じかそれ以上に表情を崩したラフィーネさん。そんなラフィーネさんの様子が見えていないのか、フォリンさんの言葉は止まらない。

 

「ラフィーネの考えを私に押し付けないて下さいッ!普段は私に任せてる癖に、黙ってる癖に、なんで私が必死の思いで選んだ事は否定するんですかッ!なら、もっと前から言ってくれればよかったじゃないですか!フォリンはわたしの思った通りにしていればいいって!そうすれば…そう言ってくれれば…私だって…私…だって……」

「……っ!な、泣かないでフォリン…違う、違うから…!わたしはフォリンが大切なの、フォリンが大切なだけなの…だ、だから…だから……」

 

堰を切ったように怒りが、悲しみが流れ出る。その感情を吐き出した後、フォリンさんは膝を突き、声も弱々しく萎んでいく。そして顔を覆った両手の隙間から溢れたのは、一粒の涙。

その涙を見た瞬間、怒りも、暗殺者としての冷たさも、それまでラフィーネさんが放っていた雰囲気の殆どが完全に消滅した。後に残ったのは、フォリンさんに涙を流させてしまったという動揺だけ。

 

(……あぁ、何やってんだろうな…俺)

 

悲しみに涙を流すフォリンさんと、今にも泣き出してしまいそうなラフィーネさん。姉を思って自分の持つあらゆるものを犠牲にしようとした妹と、妹の事を思い続け、今も妹の事を第一に考えている姉。どっちも悪くないのに、どっちも相手を大切に思っているのに、どちらも悲しみと後悔に打ちひしがれている。

俺はそうならないようにする為、ここにいる筈なのに。フォリンさんから涙ながらに託されて、ラフィーネさんにも一緒にいられて楽しかったと言ってもらえたのに、何もしてない。それどころか状況を悪化させてしまっている。嗚呼、情けない。情けなくて情けなくて、自分が嫌になってくる。…けど…だけど…だからこそ……

 

(自己嫌悪なんてしてる…場合じゃない……ッ!)

 

両手を握り締め、立ち上がる。服に付いた土や葉は無視して、俺は静かに立ち上がる。

失敗した。俺は失敗して、フォリンさんに思いに応えられなかった。だけどまだ終わってない。万事尽くしてそれでも駄目だった訳でも、もう暗殺が終了した訳でもない。ならまだ諦めるには早過ぎる。…いや、早いとか遅いとかじゃなくて……俺はこのまま終わらせるなんて、したくない…ッ!

 

「……ラフィーネさん」

「…顕、人…わたし…わたし……」

 

立ち上がった俺は、まずラフィーネさんに声をかける。二人の間に割って入る形となった俺へ、ラフィーネさんが向けてきたのは縋るような目。どうしたらいいか分からないという、助けを求める瞳。

図々しいな、とも思う。誤解で殺そうとしておいて、よくそんな目を向けられるなって思いは確かにある。だけど、そんなのは些末事。そんな感情、どうだっていい。

 

「…聞いてあげなよ、ちゃんと思いを」

 

ラフィーネさんの正面に立って、ラフィーネさんの目を見て言う。え?…と驚きを見せるラフィーネさんへ、俺は言葉を続ける。

 

「俺は兄弟も姉妹もいないし、いつも一緒にいる幼馴染なんかもいないから実体験の話なんて出来ない。二人の思いは想像しか出来ないよ。けど、そんな俺でも今のフォリンさんの気持ちは分かる。ラフィーネさんは、分かってる?」

「…ぅ…あ……それ、は…」

 

言葉に詰まるラフィーネさん。…それは予想出来ていた。皮肉にもただ見ていただけの俺は、そのおかげで客観的に二人の気持ちを考えられたから。

 

「…な、なら顕人…フォリンに伝えて…そうじゃないって…わたしはそんなつもりじゃ……」

「違うよラフィーネさん。それは違う。…それじゃ、駄目だよ」

「……っ…ど、どうして…」

「そんなの、フォリンさんが求めてるのはラフィーネさんの言葉だからに決まってるじゃないか。ラフィーネさんが俺よりフォリンさんから真実を求めたように、フォリンさんだってラフィーネさん本人から聞きたいに決まってるよ」

 

伝えるだけなら、俺だって出来る。だけどそれじゃ意味がない。本当に大切なのは言葉じゃなくて、その中に籠る思いだから。言葉は幾らでも飾れるけど、思いはその本人しか込められないから。そして……

 

「で、でも…わたしは……フォリンの気持ちを…」

「…なら、聞いてあげて。いつものラフィーネさんみたいに、さ」

 

俺は言った。ラフィーネさんとフォリンさんが分かり合う為に、思いを伝え合う為に必要だと思う事を。

いつものラフィーネさんは、判断をする時欠かさずフォリンさんの意見を訊いていた。それは確認だったり質問だったりその時々で違うものの、フォリンさんも関わる事にはいつもフォリンさんの言葉を聞いて、その上で決定を下していた。…それは、自分に自信がないからでも、思考を放棄しているからでもない。それは常にフォリンさんを気にかけているからこその行動で、今のラフィーネさんに欠けていた事。言わなくても伝わるなんて傲慢な事を考えず、伝えたい思いはちゃんと言うのが、大切な事。

 

「……けど、それはフォリンさんも同じだよ」

「……っ…」

 

それから俺は振り向いて、片膝を突く。フォリンさんと同じ高さにまで視線を落として、フォリンさんへと語りかける。

 

「…私、も…ですか……?」

「…フォリンさん、分かってるんでしょ?ラフィーネさんは誰よりもフォリンさんの事を思ってくれていて、本当に大事に思っていて、だから守ろうとしてくれてるんだって」

「…………」

「そんなラフィーネさんだからこそ、自分をずっと守ってきてくれた優しい姉だからこそ、フォリンさんはこのまま暗殺者としての道を進んでほしいって言ってたじゃん。…だったら、信じてあげなきゃ駄目だよ。助けてもらった俺が言うべきじゃない事だけどさ…俺よりまずラフィーネさんを信じて、ラフィーネさんの思いに耳を傾けてあげて。ラフィーネさんにとっての一番の味方は、フォリンさん以外にいないんだから」

 

顔を覆っていた両手を降ろし、目尻に涙を浮かべたまま見つめ返してくるフォリンさん。そのフォリンさんへも俺は言った。分かり合う為に必要な、もう一つの事を。

状況的には仕方なかったと思う。既にフォリンさんは説得に失敗していて、フォリンさんにとっての協力者である俺が襲われたんだから、自分の思いは届かないって思ってしまうのも、無理はない。だけどそこで信じるのを止めちゃったら、ラフィーネさんの本心も見えなくなってしまう。信じてほしいならまず相手を信じなくちゃいけなくて……それが出来ない状況だったから、二人の思いはお互いに通じなかった。いつもは交わし合っていた気持ちが、お互い一方通行になってしまっていたんだって、俺は今の二人から感じた。

 

「……フォリン…」

「…ラフィーネ……」

(…分かり合えない訳がないよ。だって二人共、心から相手を大切に思っていて、本気で守りたいって思ってるんだから)

 

フォリンさんがここへ現れた時と同じように、二人は相手の名前を呼ぶ。違うのは、その言葉に籠る感情。それを耳と肌で感じた俺は、静かにその場から身を引く。

 

「……ごめんなさい、ラフィーネ…私ラフィーネに、酷い事を言いました…」

「ううん。…謝らなきゃいけないのは、わたしの方。わたし、フォリンを嫌な気持ちにさせちゃったから…」

 

申し訳なさそうに謝るフォリンさんは伏し目がちになり、ラフィーネさんはその言葉をふるふると首を振って否定。それから数秒間、互いに何も言わない沈黙が続いて……ラフィーネさんが、口を開く。

 

「…聞かせて、フォリン。どうして、わたしを止めようとしたのか」

「…はい。聞いて下さい、ラフィーネ。私の、思いを」

 

膝を折り、フォリンさんと同じように地面へ膝を突けて側に寄るラフィーネさん。求められたフォリンさんはこくんと頷いて、二人の瞳が向かう合う。

 

「…私は、ラフィーネに幸せでいてほしいんです。笑顔でいてほしいんです。これまでずっと私を守ってくれた、私を思ってくれた、大切な姉のラフィーネに」

「…だから、止めようとしたの?このままじゃ、わたしが幸せになれないから、って」

 

再びフォリンさんはこくりと頷く。質問が続かなかったって事は……多分、ラフィーネさんも思ってはいたんだと思う。今自分やフォリンさんが歩んでいる道の先にあるのは、決して幸せなんかじゃないんだって。

理由を聞いたラフィーネさんは、フォリンさんを見つめたまま、また沈黙。その顔には、何となくだけど理由を好意的に受け入れたような雰囲気があって……けれどラフィーネさんが返したのは、フォリンさんが望んだのとは違う言葉。

 

「…ありがとう、フォリン。フォリンがわたしの幸せを思ってくれてたのは、嬉しい。本当に嬉しい。…でも、駄目」

「……っ…どうして、ですか…?」

「止めても、わたし達の生活は明るくなんてならない。この役目を止める事なんて許される訳がないし、逃げたらきっと刺客が来る。…わたし達の存在も、わたし達の知っている事も、あの人達には不都合だから」

「…今のままなら、まだ失敗さえしなければ死ななくて済む…そういう、事ですか…?」

「そういう事。わたしは処分される位なら、使い潰される方がいい。…そっちなら、まだ頑張れば潰れる事は避けられるから」

 

怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ諦めた表情で、ラフィーネさんは言った。フォリンさんの言葉を否定した。…今進んでいる道の先に幸せがない事は分かってる、なんてレベルじゃなかった。ラフィーネさんは進もうと、歩みを止めようと、道半ばで倒れようと、どうやったって暗闇しかない事を分かってて……それでも『まだマシ』という理由で、今の道を歩き続けている。

聞いた瞬間、俺はそう思った。…だけど、それは大間違いだった。一瞬言葉を失ったフォリンさんに彼女が向けたのは…穏やかな笑み。

 

「…それに、フォリンは一つ勘違いしてる」

「勘違い…?」

「うん。だってわたしは……幸せだから。フォリンが側にいてくれて、フォリンが元気でいてくれて…フォリンがわたしの事を、こんなにも思ってくれてる。それだけでわたしは十分だって思える位……わたしは、幸せ」

「ら、ラフィーネ…それは…それは……」

 

──穏やかで、優し気で、そして何より儚げな笑顔。嘘偽りなんて微塵も感じられない、本当にそれで、それだけで幸せだって伝わってくるラフィーネさんの微笑み。

嗚呼、なんとそれは美しい事か。美なんてよく分からない俺でも、フォリンさんを思い、こんな些細で小さな幸せで満足するラフィーネさんの心は、本当に美しいと思う。

……けど、それは…言ったじゃないか……それじゃ、それだけじゃ……

 

 

 

 

「──納得出来ねぇよッ!それがラフィーネさんの幸せだなんて、ラフィーネさんの幸せがそこで終わりだなんて……俺は納得出来ないッ!」

「……っ!?」

「…あ、顕人…さん……?」

「……あ…」

 

…気付けば俺は、声を上げていた。二人に全て任せるつもりだったのに、思いの丈を叫んでしまった。当然急に、それもかなりの声量で口を挟まれた二人は驚かない訳がなくて、俺も言うつもりじゃなかったから「やってしまった…」という気分に襲われる。

 

「…ご、ごめん…つい……」

「…また言った…またわたしの幸せに文句……」

「あ……さ、さっきもだけど、それは違うんだよ!これは文句じゃなくて……」

「……もっとラフィーネは幸せになっていい。もっと幸せになってほしい。…そういう事ですよね、顕人さん」

 

先程の様に怒りを見せはしないものの、やっぱりこの旨の発言は認められない様子のラフィーネさん。誤解させたままだった事に気付いた俺は、そこですぐ訂正しようとして……フォリンさんが、俺の言葉を引き継いだ。それに俺が呆気に取られる中、フォリンさんは言葉を続ける。

 

「なんで分かったんだ、って顔ですね。…分かりますよ、私だって同じ気持ちですから」

「…フォリンも、同じ気持ち…?」

「はい。…私は、もっとラフィーネに幸せになってほしいんです。もっともっと、昔みたいに笑っていてほしいんです。じゃなきゃ、悲し過ぎるじゃないですか…私を守ってくれたラフィーネが、私を思ってくれているラフィーネが、こんな小さな幸せしか得られないなんて…」

「……それ、は…」

 

俺を見て肩を竦めたフォリンさんは、ラフィーネさんに向き直る。それから思いの丈を伝える彼女は、次第に悲しそうな顔になっていって……その悲しみが、ラフィーネさんに伝わった。…いや、違う…ラフィーネさんが悲しんでいるのは、自分自身の幸せについてじゃない。ラフィーネさんは……フォリンさんを悲しい気持ちにさせてしまった事を、悲しんでいる。

 

「…ラフィーネ。ラフィーネは、私達の両親の姿を覚えていますか?」

「……ぼんやりとだけど、覚えてる」

「そう、ですか…。…私は、覚えてないです…ぼんやりとすら、もう思い出せません…」

「そう、なの…?」

 

フォリンさんの言葉で悲しそうになったラフィーネさんは、更に次の言葉で目を見開く。

日本の学校制度に当て嵌めれば同学年になる二人だけど、11ヶ月分の違いはある。そして二人が孤児になったのが、物心付く前後だったとすれば…ラフィーネさんは覚えてて、フォリンさんは覚えてない事柄があってもおかしくない。

 

「……ラフィーネは言ってましたよね、何もない自分の側に残ってくれたのが私だって。…私だってそれは同じです。誰から生まれたのか、どんな人でどんな性格をしていたのか、それすら分からない私にとって、ラフィーネは…ラフィーネだけが、私の存在を証明してくれる人だったんです。ラフィーネがいなければ、私は自分が誰なのかも分からなかったんです。……私が私でいられるのは、私がフォリン・ロサイアーズなのは…全部ラフィーネの、おかげなんですよ」

 

今のままでも幸せなのだと、そう言った時のラフィーネさんに似た微笑み。諦観の混じっていない、本当に純粋な感謝の笑顔。その目尻の端からは……三度目の、涙が溢れる。

深い深い、ラフィーネさんへの恩と感謝。その思いは、その笑みと涙は……ラフィーネさんの、心を動かす。

 

「…そんなの…そんなの、フォリンだけの思いじゃない…っ!わたしだって、フォリンがいたから、フォリンがずっと側にいてくれたから、わたしはわたしでいられた…っ!どんなに辛くても、苦しくても、フォリンを守れるなら、少しでも幸せでいられるならって思ってた…っ!だから、助けてもらってたのはわたしの方……っ!」

「そんな事ないですよラフィーネ…っ!助けてもらっていたのも、今助けられているのも私ですっ!ラフィーネが私の心の支えになってくれていたから……」

「支えになってくれてたのもフォリンの方…!いつだってフォリンはわたしの心の支えだった…っ!もしフォリンがいなかったら、わたしは……」

「それだって、私も同じですからっ!」

「なら、わたしも同じ…っ!」

 

じわりとラフィーネさんの瞳にも涙が浮かび、目を瞑りながら言い切ると同時にその涙が落ちる。それを見て、それを聞いたフォリンさんは強く首を横に振って、自分の方がと言い返す。言い返しにもラフィーネさんが言い返し、またフォリンさんが……と二人の言い合いは続いて、次第に自分の方がという形から自分も同じだという言葉に変わっていく。

涙を流しながら、感情を募らせながら、思いをぶつけ合う二人。普段は多くの言葉を交わさなくても意思疎通が図れる二人が、それでも普段は交わし合えない奥底の気持ち。……それは、思いの全てをぶつけるまで、吐き出し切るまで続いていた。

 

「はぁ…はぁ…絶対、絶対私の方がラフィーネの事を思っているんですから……!」

「それは…幾らフォリンでも…譲れない……」

「…む……」

「…むむ……」

 

 

『……ぷっ…』

 

息を切らしてしまう程に言い合っていた二人は、最終的に軽く頬を膨らませて睨み合う。けれどそこに悪意や敵意なんてない。二人共もう半ばムキになっているだけで……それに気付いたラフィーネさんとフォリンさんは、二人揃って吹き出した。大笑いはしないものの、言い合っていた二人が今は笑みを向け合っている。

 

「…フォリンが、ここまで言うなんて思ってなかった」

「それは私の台詞です。普段は静かなラフィーネが、こんなに言うなんて……ふふっ」

「わたしだって、言う時は言う。…ふふ」

 

一切の気兼ねがない、姉妹二人だけのやり取り。ただ話しているだけなのに、幸せそうな二人の空気。ラフィーネさんの言葉を最後に、数秒間だけどその空気のまま沈黙が訪れて……真剣な顔となったラフィーネさんが、次の言葉を口にした。

 

「…ねぇ、フォリン。もし、わたし達がこのまま進んでいったら……いつか、こんな話も出来なくなるのかな…」

「…そう、思います。このまま進めば…きっといつか、私達は割り切る事も出来なくなる。…ラフィーネは割り切るには優し過ぎますし、私も…そんなに強い心なんて持ってませんから…」

「……でも、死んだらそこで終わり。道がなくちゃ、進む事も出来ない。暗くたって、きっといつか笑えなくなるかもしれなくても…一番大切なのは、少しでも生きられる場所にいる事。……そうすれば、生きていればどこかでフォリンは幸せになれると思うから」

 

……変わらなかった。ラフィーネさんの気持ちは、ラフィーネさんの覚悟は。自分よりもフォリンさんを大切にしているからこそ、自分の不幸を厭わなかった。

固く揺るがない、ラフィーネさんの思い。俺だったら、きっとその心を解かす事なんて出来なかったと思う。…だけど、ここにはもう一人いる。ラフィーネさんにも負けない位強い思いを持つ、ラフィーネさんの妹が。

 

「……無理ですよ、それは」

「…無理……?」

「えぇ。だって……私はラフィーネが幸せじゃなきゃ、幸せになれませんから。妥協した幸せじゃなくて…最高の幸せでラフィーネが笑顔になれなきゃ、私も幸せになれません」

「……それは…その言い方は、ズルい…」

「ラフィーネの為なら、幾らだってズルも反則もしますよ。それに…嘘は、言っていませんから」

 

半端な気持ちじゃ言い返す事も出来そうにない今のラフィーネさんへ、真正面からそう返したフォリンさん。…本当に、本当に…二人は強い。心の強さが、もっとずっと小さい事で悩んだりする俺とは違う。

 

「…じゃあ、フォリンはどうすればいいと思うの?他に道が、あると思っているの?」

「……正直、はっきり見えている訳じゃありません。ちゃんと現実を見ているのは、ラフィーネの方だと思います。…だから、私が言えるのは…絶対にラフィーネと二人で幸せになる、なってみせる事を諦めない…ただ、それだけです」

「…今は気持ちだけって事?」

「否定はしません。でもこの気持ちは絶対に揺るがないと断言出来ますし……ここには、頼らせてくれる人もいますから」

「え……」

 

具体的な案は無くとも、確かな思いがここにある。そう言わんばかりにフォリンさんは言い切って……その視線が、俺へと向いた。ずっと二人の世界にいたフォリンさんが、突然俺に。

驚いた。ここで呼ばれるとは思っていなかったから。俺の出る幕はもうないと思っていたから。でも今、フォリンさんの視線もラフィーネさんの視線も俺に向いている。俺の言葉を待っている。…だったら、俺の返すべき言葉は一つ。

 

「……俺自身は弱いよ。人としても、霊装者としても、二人の足元にも及ばない。…けど、二人が頼ってくれるなら、二人の為なら…出来る事は何だってやるよ。強くなるし、姑息だけど綾袮さんに普段のちょっとした事からつけ込んで、深介さんや紗希さんにも手八丁口八丁で取り入って、二人が幸せでいられる手助けをする。……俺だって、生半可な気持ちでここに立ってる訳じゃない」

 

不明瞭で、実質他力本願で、しかも確実性がない俺の言葉。凡そ頼ってくれた人に言うようなものじゃない、情けない宣言。でも、今の二人に見栄を張りたくはなかった。今の自分が言える事、出来る事を伝えたかった。二人の思いに、きちんと応える為に。

 

「…………」

「…………」

 

俺の言葉を受けて、口を閉ざした二人。内心では何も言わない二人に焦りを感じたけど、言うべき事は言ったんだからと俺も次の言葉を待つ。静かに待って、二人からの視線を受け続けて……最初に聞こえたのは、ラフィーネさんの小さな吐息だった。

 

「…ほんとに姑息。あんまり顕人からそういう発想は聞きたくなかった」

「俺だって積極的にやるつもりはないよ。でも、そうしてでも俺は力になりたい。力になってあげたいんだよ」

「…フォリンにも、あそこまで言うならもう少し先を見越した考えを持っていてほしかった」

「見越してますよ。ラフィーネと一緒に幸せになりたいって事を、心から」

「……フォリンも顕人も、無茶苦茶過ぎる。わたしは真面目に考えてるのに、二人は色々適当過ぎ。そんな事を言われたら、自分があんまりにも馬鹿らしくて……」

 

不満気に、少し怒ったように俺達へ文句を言うラフィーネさん。だけどそれからラフィーネさんは表情を緩ませて……

 

「────わたしだって、そんな未来を…フォリンと一緒に幸せになる未来を、歩みたくなる」

「……っ!ラフィーネさ「ラフィーネっ!」うぉ…っ!?」

 

綻んだ、今度こそ諦めや悲しみのない穏やかな笑み。それを見た俺は衝動的にラフィーネさんの名前を呼んで……それを言い切らない内に、感極まったフォリンさんがラフィーネさんへと抱き着いた。

 

「わっ…ふぉ、フォリン……?」

「なら歩みましょう、歩みましょうラフィーネ…っ!ラフィーネがその気になってくれるなら、きっと幸せになれます…っ!いいえ、なってみせますとも…!」

「い、いや…フォリン、まだわたしは断言した訳じゃ……」

「それでもいいんですっ♪ふふっ、ラフィーネラフィーネ〜♪」

「…もう…フォリンはまだまだ子供なんだから……」

 

また目尻に涙を浮かべて、それでも擦り寄るフォリンさんと、同じく涙を浮かべて困った顔をしながらも頬は緩んだままのラフィーネさん。……その涙が、悲しみではなく嬉しさからきているって事は、俺の心にも伝わっていた。

 

(…これでもう、本当に俺の出る幕はない…かな)

 

二人は、漸く本当の意味で分かり合う事が出来た。同じ未来を目指す、スタートラインに立つ事が出来た。ならもう俺が何かする必要はないし、きっと今は二人だけでいたい筈。そう思って俺は二人に背を向け、この場を去るべく歩き出す……

 

 

 

 

……その時だった。

 

 

 

 

 

 

「──美しい姉妹愛ですね。仲が良くて結構です」

 

空から聞こえた、聞き覚えのない女性の声。落ち着いた、ただそれだけで自信を感じさせる、静かな声。その声に反応して振り返えると、そこにいたのは……紅い光を周囲に放つ、一人の霊装者だった。



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第九十九話 君臨せし強者

──その人が霊装者である事は、一目で分かった。パワードスーツを彷彿とさせる装備に、スラスターから輝く紅い光を。どちらも俺の知る物とは違うものの…そんな装備に光なんて、霊装者以外にある訳がない。それに感覚として、霊装者である事は伝わってきた。

 

「……貴女、は…?」

 

プラチナブロンドの髪に、深海の様な青の瞳。顔立ちからして外国の人…と一瞬思ったけど、よく見れば日本人っぽく見えなくもない。でもその日本人っぽさも一目で分かる程のものじゃなくて…結局どこの人だかさっぱり分からないというのが実際のところ。

その女性が静かに降り立った時、俺は無意識の内にそう言っていた。すると俺の声は彼女へ届き、その人の視線がすっとこちらへ向けられる。

 

「お初にお目にかかります。私はBORGの代表、ウェイン・アスラリウスの秘書を務めるゼリア・レイアードと申します。以後お見知り置きを」

『あ……じ、自分は御道顕人、高校生です…」

 

軽く頭を下げ、丁寧に自己紹介をして下さった女性…もといゼリアさん。ここまでしっかりした自己紹介が来るとは思ってなかった俺は、一瞬呆気に取られて、その後すぐにならば俺も返さなくては…という思いから自己紹介で返答。ゼリアさんのものに比べると大分簡素なものだけど、驚いているんだから仕方ない。…まだ人となりは全然分からないけど、先に名乗れ…なんて事も言わず自己紹介してくれた辺り、少なくとも礼節を重んじる人なんだろう……

 

(……って、今…BORG代表の秘書って言わなかったか…ッ!?)

 

決して悪くはないファーストインプレッションに警戒心が若干緩みかけた俺だけど、次の瞬間全身に鳥肌が立つ。

代表の秘書という事は、間違いなくBORGの人間。それも恐らく、かなりの立場を持つ人。そしてこの状況において、BORGの人間に居合わせられるのは……非常に不味い。

それに気付いた事で、俺は反射的にラフィーネさんとフォリンさんへ声をかけようとする。けど、それより先に二人の声が聞こえてきた。

 

「そ…んな……」

「どう、して…貴女が、ここに……」

 

ついさっきまで、歓喜と安堵に溢れていた二人の声。だけど今、聞こえてきた声は……恐れと動揺で震えていた。

 

「それは勿論、代表の付き添い及び護衛です。私は先んじて来日した形ではありますが」

「代表の…?…そんな話、私達は一言も……」

「えぇ、これは今日…いえ、正確には昨日決まったばかりの事なので当然お伝えしていません。未定な部分も多い情報を伝える訳にはいきませんからね」

 

動揺する二人とは対照的に、ゼリアさんの表情や声音は冷静なまま。口振りから考えるに、この人は二人の上司、或いは上司でなくても指示を出せる様な立場にいる人物なんだと思う。

 

「……であれば、貴女はここで時間を無駄にしている場合ではないのでは…?」

「そうですね。急な予定な以上、無駄な事に時間を費やしている場合ではありません」

「なら私達の事は気にせず……」

「……それが、出来るとでも?」

『──ッ!』

 

焦燥を滲ませながらも言葉を紡ぐフォリンさんへ、ゼリアさんが放った静かな…されど咎める様な一言。

その瞬間、二人に…そして俺に戦慄が走る。彼女は具体的な事を言った訳じゃない。でも、この状況で今の発言に該当するのなんて、一つしかない。

 

「…出来るも何も、動けるならそれをすればいいだけの事。違う?」

「しらばっくれても無駄ですよ。…それとも、私の口から聞きたいのですか?」

「……どこまで知っているの」

「全部ではありませんね。ただ、貴女達が彼に正体を明かした事……そして離反の意思がある事は、よく分かりました」

 

ラフィーネさんが誤魔化そうとしたのを即座に看破し、その言葉が嘘でもハッタリでもない事を突き付けてくるゼリアさん。……初め俺は、ゼリアさんへどちらかといえば好印象を抱いていた。目下の相手である俺にも礼節を重んじる、良い人なんだろうと。でも今、その印象は…揺らぎ始めている。

 

「…わたし達を…顕人を、どうするつもり……」

「離反の意思を覆さないのであれば、それ相応の対処をさせてもらいます。彼も…知られてしまった以上、何もしない訳にはいきませんね」

『……ッ!』

 

座り込んだ状態から見上げる、ラフィーネさんの問い。それにゼリアさんが答えた次の瞬間……二人は弾かれるように跳んで、俺の前へと並び立った。武器を抜き、敵意を剥き出しにした状態で。

 

「……っ…ラフィーネさん、フォリンさん…」

「逃げて下さい顕人さん…脇目を振らずに、全力で……!」

「逃げるって…ま、待った二人共!まさか戦う気!?まだゼリアさんが何をするつもりなのか言ってもいないのに……」

「言われなくても…どうなるかなんて、分かり切ってる…!」

 

視線はゼリアさんへ向けたまま、二人はそう言う。その声は今まで以上に焦燥が籠っていて、それだけでゼリアさんがどれだけ脅威なのかが伝わってくる。

けど俺は、すぐに従う事が出来なかった。確かに離反した暗殺者や大組織の裏を知ってしまった人が穏便でいられる訳がない、ってのは分かるけど、だとしてもその時点では納得出来ず……そんな俺へ、意外なところから援護が入る。

 

「いえ、彼の言う通りですよ。私は何も危害を加えようとは思っていませんし、代表もそれを望んではいません」

「…なら、厳重注意辺りで許してくれると…?」

「えぇ。離反を目論んだ事と君達がこれまで上げてきた成果、これからも上げるであろう成果を天秤にかければ、どちらに傾くかは目に見えている。折角の優秀な人材を失うのも惜しいからね…との事です」

 

温情…ではない、あくまで実益の面から話すゼリアさん。インカムらしき物を軽く指で叩くその動作は、今の言葉が代表さんからの伝言である事の証明。

 

「それに彼はどうやら霊源協会にとってただの霊装者ではない様子。不要に不信感を煽る事もまた、代表が選ぶ訳がありません」

「……わたし達が離反を綺麗さっぱり忘れれば、何事もなく済む…そう言いたいの?」

「そういう事です。何が賢明な判断か分からない貴女達ではないでしょう?」

「…そう。なら……」

 

代弁を終えたゼリアさんからの、事実上の指示。選択肢を与えているのではなく、言う通りにしないならこちらも譲歩はしないという、体裁の良い脅迫。

その言葉を受けて、ラフィーネさんはほんの少し視線を落とした。落として、納得したような声を漏らし……それからはっきりと、ゼリアさんに対して言う。

 

「……そんな言葉じゃ、わたしもフォリンも気持ちは変わらない。だって、そこに…フォリンの幸せも、わたしの幸せも存在しないから」

 

…言い切ったラフィーネさんの声は、真っ直ぐに澄んでいた。迷いなんて微塵もない、本気でフォリンさんと共に幸せを掴もうとしている、心を決めた彼女の言葉。提言を跳ね除けたラフィーネさんの言葉に、フォリンさんも強く頷く。

 

「…幸せ、ですか。少なくとも働きに見合うだけの報酬や休息は与えられていた筈ですが?」

「それで満足する程私達は謙虚でも、心が荒み切ってもいないという事です。何より…ラフィーネを苦しめた貴女方に、その程度で尻尾を振る人間になった覚えはありません……!」

「…愚かな選択をしている自覚はありますか?」

「愚かでも、フォリンとの幸せがある方がいい。それ以上でも、それ以下でもない」

「…仕方ありませんね…それでは実力行使をさせてもらうとしましょうか…」

 

ラフィーネさんもフォリンさんも、ゼリアさんからの言葉に屈したりはしなかった。今のこの場での安全よりも、幸せな未来へ進む事を選択した。変わらず表情に余裕の色はないけれど……気付けばもう、二人の声に震えはない。

そんな二人の姿にゼリアさんは横へゆっくりと首を振り、右手を腰のユニットへと当てがえる。上部が可変し露出したユニットの一部は……恐らく、装備の持ち手部分。

 

(……っと、そうだ…俺もぼけーっと見てる場合じゃ…)

「……顕人」

 

我に返り、仕掛けられる前に武器を抜こうと思った俺。その瞬間聞こえた、ラフィーネさんの声。どうも俺はゼリアさんの方へ意識がいっていたらしく…知らぬ間に、二人は俺へと視線を向けていた。

 

「え……な、何…?」

「…逃げてくれる気は?」

「……ごめん、逃げようとも…逃げたいとも思わない」

「そっか…うん、そう言うと思ってた」

 

先程の二人の様子からして、ゼリアさんが強いのは間違いない。俺じゃ手も足も出ない可能性だって少なくない。…でも俺は逃げたくなかった。二人が幸せになれる手助けをするって言ったばかりなのに、二人が幸せの為に戦おうとしているのに、その二人を盾に逃げるなんて……出来る訳がない。例えそれが浅はかな選択だとしても、絶対に。

そんな俺の意思は、どうやら二人に筒抜けだったらしい。二人は何も驚く事はなく、むしろ小さく笑みを浮かべる。

 

「基本的には良識的で、一般的。どちらかといえば頼りない雰囲気ですが……その奥には危険や苦労を厭わない意思の強さがある。…そういう人ですもんね、顕人さんは」

「…え、と…それは、褒めてるの…?」

「勿論褒めてますよ。褒めてますし…そんな貴方だからこそ、私は頼りにしたんです」

「わたしは顕人に感謝してる。顕人がフォリンに手を貸してくれなければ、わたしにも手を差し伸べてくれなければ、わたしはフォリンと思いのすれ違いをしたままだった。…だからこれは、顕人のおかげ」

「二人、共……?」

 

俺は見返りを求めて協力した訳じゃない。ただそうしたいと思ったから行動して、その結果二人は前に進めたというだけの事。でも、そうだとしてもこうして感謝を伝えられるのは嬉しく……嬉しいけど、胸はざわついた。こんなタイミングで、こんな事を言うなんて…まるで、今生の別れをするみたいじゃないか、と。

 

「だからこそ、顕人さんには傷付いてほしくないんです。私達に手を差し伸べてくれた貴方を、私達のせいで傷付ける事は……絶対に嫌なんです」

「大丈夫。わたし達の心はもう決まってるから。諦めなんてしないから。だから、顕人は安心して……もしも何とかなったら、またわたし達と話をして」

「……っ!待ってフォリンさんラフィーネさん!俺は──」

 

続く二人の言葉で、浮かぶ表情で、生まれた不安は確信へ変わる。このまま二人の言う通りにしては不味いと、頭も心も叫びを上げる。

だから俺は、止めようとした。手遅れになる前に、動こうとした。けど、その時にはもう既に手遅れだった。動こうとした俺の腹に酷く重い衝撃が走り……俺の意識は、急速に闇へと沈んでいった。

 

 

 

 

意識が覚醒する予兆なんて、自分じゃ大概分からない。気付いたら意識があったという場合が殆どで……それは、今この瞬間も同じ事。

 

「……っ、ぅ…」

 

いつ自分が意識を手放したのか分からない気持ち悪さと、腹部に感じる鈍い痛み。それを感じながら俺は、薄っすらと目を開けた。

半ば無意識で見上げた空では、綺麗に星が光っている。という事は、俺はそう長い間気絶していた訳じゃないらしい。

 

(…って、そうか…俺、気絶してたんだったな…えっと、あれは……)

 

少しずつ頭が回り始め、状況把握と何があったのかの思い出し作業を脳が開始。…俺は、ここ数日と同じように寝ようとして、暫く寝てて、その時にフォリンさんが来ていて、話を聞いた俺はラフィーネさんを止めようと……。

 

「……っ!そう、だ…今は……ッ!」

 

意識が無くなる…ラフィーネさんとフォリンさんのどちらかに気絶させられる寸前の事が蘇り、それまでぼんやりしていた意識が一気に覚醒。同時に焦りと不安が心の中へ吹き込んでいき、俺は居ても立っても居られず視界を空から地上へ下ろす。そして、俺が目にしたのは……

 

 

 

 

 

 

「……思ったよりも手間取りましたね。やはり貴女方は、手放すには惜しい戦力です」

 

──ぼろぼろの姿で地に伏すラフィーネさんとフォリンさん、それに…真紅の刃を手に、殆ど無傷で二人を見下ろすゼリアさんの姿だった。

 

「ラフィーネさん…フォリンさん……ッ!」

「…おや、起きましたか」

 

思わず二人の名前を呼びながら、俺は木に背中を預けて座り込んでいた状態から立ち上がる。その時の声で俺が意識を取り戻した事に気付き、それまで二人に向けられていたゼリアさんの視線が俺へ。

 

「……ゼリアさん…貴女は…!」

「……?…あぁ、ご心配なく。もし我々に不利益を齎そうとするのならこちらも見過ごせませんが、そうでないのなら私も貴方を傷付けません。貴方がここでの出来事及びそれに纏わる情報を胸の中にしまうだけで、その身の安全は保障されます」

「そういう事を、言いたいんじゃ…!」

「では、二人の事ですか?でしたらそちらもご安心を。二人共死んではいませんよ」

 

落ち着き払ったゼリアさんの雰囲気は、いっそ冷たさを感じさせる程。…ただ、その中でも一つだけ聞けてよかったと思う事もある。二人が死んでいないと聞いた俺は目を凝らし、その結果二人の呼吸に気付く事が出来た。二人が傷付いたのは何も良くないけど……死んでいないのなら、まだ最悪の状態じゃない。

 

「……二人を、どうするおつもりですか」

「このまま連れて行きます。その後の判断は、代表次第ですが」

「…二人の意思を無視して、ですか?」

「そうなりますね」

 

視線を二人からゼリアさんへ向け、質問をぶつける。ゼリアさんは表情を変えずに、回答を返してくれる。

 

「…仲間じゃ、ないんですか…?離反しようとしているとはいえ仲間だった人を、どうしてそんな淡々と……」

「何故かと言われれば、今の私の状態そのものが答えです。彼女達の実力は評価していますし、無下に扱おうとは思いませんが、これが代表からの指示ですので」

「……見逃す余地は、ありませんか…?」

「ありません。捨て置ける程の存在ではないのは、貴方もお分かりの事でしょう?」

 

全ての人が、仲間を大切にする訳じゃないって事は分かってる。俺だって、協会所属の人全員を大切にしてるかって言われたら、自信を持ってYESとは言えない。どうでもいいとは思ってないにしても、綾袮さんや身近な人とは抱く思いに差があるから。

だけど、仲間をただの道具としか思っていない人が普通にいるとは思いたくなくて、問いを重ねた。…その結果分かったのは、ゼリアさんにとって二人は『同じ組織の人』でしかないという事。それ以上でも、それ以下でもない、仕事上の関係。

 

「…二人がBORGに何をされたか、知った上で連れ戻す気ですか…?」

「当然です。BORGがした事も、その対価をきちんと払っている事も」

「……二人は、二人の幸せを望んでいるんです。それぞれ相手の為に、相手と共に、未来を望んでいるんです。…その思いを、尊重してはくれないんですね」

「人にも組織にも、譲歩には限界があります。彼女達の望みは、その譲歩の限界を超えるものだった。ただ、それだけの事です」

「…分かりました。なら……」

 

ゆっくりと俺は歩き出す。音を殺すでもなく、無駄に立てるでもなく、この身を二人とゼリアさんの中間へと移動させる。そして、ゼリアさんに向き直り、武器を手に取り……言った。

 

「──俺が、連れ戻させたりなんかさせません」

「…ほぅ……」

 

出来るならば、対話で解決したかった。敵対したいと思う相手じゃないし、ラフィーネさんとフォリンさんが二人がかりでも完敗する相手に、勝てる訳がないんだから。対話で解決出来ない時点で、俺の敗北も決まったようなものだから。…だけど、敗北が確定していたとしても…二人を見捨てる事なんて、俺には出来ない。

 

「大きく出ましたね、御道顕人。何か、策でもあるのですか?」

「いえ、策も勝機も皆無です。愚かな行為だと思ってくれて構いません」

 

元々出ていた冷や汗が、敵対宣言をした瞬間から一層吹き出す。一周回って態度は冷静を装えているけど、実際には運動した後並みに心拍数が上がっている。

ただでさえ圧倒的な実力差が明確な上に、今の俺にあるのは借り物の装備だけ。先程「殆ど無傷」と表現したのは、ゼリアさん自身は無傷でも装備には細かな傷跡や弾痕が残っているからで、そこから完全に二人を封殺していた訳じゃないってのは分かるけど……そんなの、気休めにすらなりはしない。焼け石に水どころか、お湯をかけているようなもの。

 

「それが愚かだと分かるだけの思考があるなら、考え直すべきですね。今からでも、そこを退くなら私も貴方に何もしません」

「愚かだとしても、俺にはそうするだけの理由があるんです。…だから、退きません」

 

ゼリアさんの忠告を、受け止めた上で否定する。確かに身を守ることを考えれば、退くのが正しい。だけどそうしたら俺は後悔する。絶対に後悔する。そして今、逃げる事で失うものは……身の安全と余裕で天秤にかけられる程、大きく重い。

互いに次の言葉は発さず、緊張したまま沈黙が訪れる。そんな中聞こえたのは、背後からの弱々しい声。

 

「…駄、目…顕人…逃げて……」

 

それは、俺の身を案じる言葉。振り返りたくなる、ラフィーネさんからの声。だけど俺は振り向けない。ただでさえ圧倒的な差がある相手から目を逸らすなんて…それこそ自殺行為だから。

 

「ラフィーネの…言う、通りです…顕人さん…貴方、は……」

「…二人は、俺を傷付けまいとしてくれた。そんな二人がこうもやられて、折角二人の道を歩み始めようとしてるのに、俺だけ逃げるなんて事は出来ないよ」

「わたし達、は…大丈夫…だから……」

「だったら、俺も大丈夫だよ。それより二人は、少しでも身体を休めて。…少しでも、立ち上がれるように」

 

二人に背を向けたまま、視線はゼリアさんに向けたまま、俺は少しでも二人が安心出来そうな声音で返す。とても元気とは言えないとはいえ、二人の声を聞けて安心した。安心したし……二人の声を聞けた事で、俺の中で一つの希望が生まれる。

 

(…勝てる訳がない。でも、二人がそれなりにでも回復出来るまで時間を稼げれば、もしかしたら……)

 

こうしてゼリアさんの前に立ちはだかった時、本当に俺は無策だった。ただ『二人を助けたい』という思いだけで、行動に移していた。

けれど二人が回復すれば、勝つのは無理でも逃げられる可能性が出てくるかもしれない。俺がゼリアさんを退けるなんて到底無理でも、短な時間を稼ぐだけなら、出来るかもしれない。霊力量だけは長けてる俺にとって、時間稼ぎは他の人より向いている筈だから。

それは小さな希望。希望的観測と、結局は二人頼りの思考による情けない望み。それでも今の俺には、立ち向かう為の力をくれる。望みがあるだけで……恐れが和らぐ。

 

「…これ以上、二人に手は出させません。譲歩も対話も出来ないと言うのなら……」

「力尽くて押し通れ、という訳ですか。…いいでしょう、ならば……」

 

両脚で地面を踏み締め、神経を限界まで張り詰める。身体に力を込めつつも肩の力は抜いて、同時に思考をフル稼働。これまで積み上げてきた事を一つ残らず引き出そうと、俺は心を奮い立たせる。

勝つ必要なんてない。勝利条件は勝つ事じゃなくて、少しの間時間を稼ぐ事。どんなに無様でも、とても勝利とは言えないような結果になっても、必要な時間を作り出せるのならそれでいい。

そう、俺は倒すんじゃない。守るんだ。ラフィーネさんとフォリンさんを、二人が目指す幸せを、その為の第一歩を……

 

 

 

 

 

 

「……無駄に命を散らしたくないのなら、実力の伴わない蛮勇を捨てる事ですね。御道顕人」

 

──え?

 

──ゼリアさんが、後ろにいる?

 

──俺は目を離してなんかいないのに、俺の前からゼリアさんが消えている?

 

……おかしい。おかしいじゃないか、それは。もしそれが現実なら、それがあり得るとするならば、それは……

 

「あ、ぐ……ッ!」

 

振り返る動作の最中に、俺の身体が崩れ落ちる。力が抜けて、焼けるような痛みが脇腹に走って、そこから赤い血が噴き出す。

何が起こったのか分からない。出来事を、認識すら出来ていない。けれどたった一つ、言える事がある。ゼリアさんは強いと思っていたけど、圧倒的な差があると思っていたけど……その想像が馬鹿らしくなる程、絶望的な程に、ゼリアさんは──強者だった。



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第百話 全てを超える、夢への願い

痛くて、熱くて、熱くて、痛い。脇腹が燃えるように熱い。上手く例えられない位痛い。……俺は、知らなかった。戦いでの傷が…刃で身体の表面どころか肉まで深々と斬り裂かれるのが、どれだけ痛く辛い事なのかを。

 

「顕人……ッ!」

「顕人さん…ッ!」

 

倒れ、痛みに絶句する俺の耳へ、ラフィーネさんとフォリンさんの声が聞こえてくる。聞こえてくるけど、反応出来ない。声を返す余裕すらない。

 

「…急所は外しました。無理に動かず然るべき治療を受ければ、死ぬ事も後遺症が残る事もないでしょう」

 

二人の声に続いて聞こえたのは、淡々としたゼリアさんの声。彼女の手にあるのは、霊力で編まれた紅の刃。俺の脇腹を斬り裂いた、凄まじい出力を感じさせる霊力剣。

 

(…見え、なかった…何も分からなかった……ッ!)

 

痛過ぎて息が荒くなる。転げ回りたい衝動に駆られるけど、動くと傷口に響いて余計痛くなるから必死に身体を抑え込む。痛くて痛くて堪らない。泣きそうな程痛い。

俺の意識の大半は、痛みで占められている。けど思考は痛みに混乱しながらも、直前の事に唖然としていた。動きが何も見えなかった事に、動く瞬間すら分からず、気付いた時にはもう背後に移動されていた事を、まるで飲み込めていなかった。

 

「…よくも…顕人を……ッ!」

「もう立ちますか。想定よりも余力があったのか、それとも私が彼とやり取りをしている間に回復したのか…しかし、その程度であれば瑣末事です」

 

額を地面に付けた状態から何とか持ち上げ、元々背後だった方向へ目を向ける俺。そこにはまずこちらに背を向けたゼリアさんがいて、その先では瞳へ怒りを灯したラフィーネさん、フォリンさんが立ち上がりつつあった。

二人は倒れた状態から身体を起こし、立ち上がろうとしている。けれど、その動きはあまりにも鈍い。それがゼリアさんを油断させる為の演技ではない限り、とても状況を変えられるような動きじゃない。

 

「…どうして、ですか…何故、顕人さんを……ッ!」

「妙な事を訊きますね。退く気のない相手がいるのなら、排除するのは当然の事でしょう?」

「貴女なら、剣を振るうまでもなかった筈です…無力化が目的ならば、素手で気絶させるだけでもよかった筈です…なのにどうして……ッ!」

「…フォリン・ロサイアーズ。貴女はいつから私を聖人と勘違いするようになったのですか?まさか私が、誰一人怪我させない戦い方を望んでいるとでも?」

 

憤りをそのまま口にするフォリンさんへ向けて、ゼリアさんは飄々と答える。今にも飛びかかられそうな敵意を向けられても尚、彼女はまるで動じる様子を見せない。

 

「さて、今度こそこれで終わりです。武装解除し、私に着いてきてもらいましょうか」

「…誰が…そんな事を……ッ!」

 

ほぼ無傷で余裕もたっぷりなゼリアさんに対し、ラフィーネさんフォリンさんは全身ボロボロ。俺に至っては既に論外。それでも二人の闘志は消えていなかった。誰が従うものかという意思が、ラフィーネさんの言葉から伝わってくる。

 

「では、貴女方はどうすると?この窮地を脱する策があるのですか?せめて一矢報いたいという思い故ですか?まさか、戦力差も分からなくなった訳ではないでしょう?」

『…………』

「…少なくとも、潔く受け入れるつもりはないという事ですか」

 

続く問いには、二人共何も返さなかった。けどそれは、無言という返答。無言もまた、意思表示の一つ。

 

(ラフィーネさん…フォリンさん……)

 

普通に考えれば、諦めてしまう状況。勝てる訳ないと、心が折れるような実力差。なのに二人は屈さない。互いに互いを思っているから、二人で掴む幸せを本気で目指しているから、二人の心は今も折れずに意思を貫いている。

本当に、本当に二人は凄いと思った。そこまで思い合える事が。その思いを力に出来る事が。そしてその二人が、俺がやられた事に対して怒りを抱いてくれている。それは激痛が走る中でも感じられる程嬉しく……同時に俺の活力ともなる。俺も、ただ倒れてるだけじゃいられないだろうって。

 

「……っ…う、ぐ…ッ…!」

 

漏れ出る呻きを少しでも抑えようと歯を食い縛りながら、俺はゆっくりと手を懐へ伸ばす。手にしようとしているのは、携帯電話。結局また他人の力を借りるしかない俺だけど、手段を選り好みするだけの余裕も時間もない今はそうするしかない。それで何とかなるのなら、情けない奴になったっていい。

気付かれないよう、出来る限り音を立てずに手を伸ばす。静かに、慎重に、少しずつ動く。……そんな、時だった。

 

「…ならば仕方ありませんね。このまま貴女方を戦闘不能にするのもさして苦労する事ではありませんが……ここは彼に役立ってもらうとしましょう」

『……!?』

 

振り向いたゼリアさん。こちらへ向いた事、俺を挙げた事で一瞬バレたかと思ったものの、どうやらそれは思い違い。……けれどその数瞬後、俺はこう思った。これならば、まだバレた方がマシだったって。

 

「御道顕人。貴方も不運な方ですね。この二人と関わり、なまじ信用を得たが為にこんな事となってしまうとは」

 

俺の頭上…より正確には首へ向けられる紅の刃。ゼリアさんの行動に、目を見開き絶句する二人。…たったそれだけでも、状況を理解するには十分過ぎた。これがどういう事なのかも、これからどうなるのかすら、一瞬の内に分かってしまう。

 

「……っ…傷付けるだけでなく、そんな事まで…!顕人さんは…関係、ないでしょう…ッ!」

「今更何を言っているのですか。貴女方の正体を知った時点で彼は無関係ではありませんし…剣を取った時点で、理由は何であろうと当事者です」

「それ、は……」

 

更に敵意を強めるフォリンさんの言葉を、ゼリアさんが一蹴。そのやり取りを聞いた瞬間、俺は心がざわりとしたけど…それが何なのか考える間もなく、話は続く。

 

「…説明は不要でしょう。さぁ、選んで下さい。彼を助けるか、それとも彼を犠牲にするかを」

『…ゼリア・レイアード……ッ!』

「どちらを選ぶにせよ、即決をお勧めしますよ。貴女方が迷っている間も、彼は痛みに苦しみ続けるのですから」

 

憎々しげに、視線だけで人を殺せるのなら今頃惨殺しているであろう程ゼリアさんを睨み付けるラフィーネさんとフォリンさん。それでも彼女は動じない。…それは、俺という人質を取っているから?既に二人がかなり消耗しているから?…いいや、どちらも違う。ゼリアさんが動じないのは、俺は勿論二人すらも格下の存在だと思っているから。そして、その自覚は自身への過大評価でも何でもない。

二人が睨み、ゼリアさんが冷ややかに返すという時間が数秒続いた。俺には何も出来ない、どうする事も出来ない時間の果てに……ラフィーネさんとフォリンさんは、武器を降ろす。

 

「……ッ…!」

「……答えは決まりましたか」

 

力を抜き、抜き身の刀の様な敵意も消した二人を見た瞬間、ぞくりと背筋が凍り付いた。勿論二人が俺より自分達を優先するんじゃないかと思ったから…なんて理由じゃない。そんな事は微塵も考えいない。俺の中で今湧き上がった思いは、そんな事を指してはいない。

聞きたくない。見たくない。二人の選択を知る事が、その選択が俺の想像するものと同じであると分かってしまう事が、その瞬間頭を忘れる程に恐ろしくなる。けれど、そんな俺の意思とは裏腹に……その言葉は、発される。

 

「…分かった。わたし達は…もう、抵抗しない」

「だから…顕人さんを、離して下さい……」

「……──ッ!」

 

俺には見えた。二人の中で灯っていた炎が消えるのを。俺には聞こえた。再び諦観の感情が籠った、二人の声が。互いの幸せを願い、心を通わせ、二人で一緒に暗闇から抜け出そうとした二人が、今またその闇の道へと引きずり込まれていく姿が……心の中で、浮かんでしまった。

 

(…俺の、せいだ…俺が時間を稼ぐどころか、二人にとっての弱点になってしまったから……ッ!)

 

俺の中を駆け巡る、激しい後悔と自己嫌悪。開きかけていた道を閉じる要因となってしまった自分への、どうしようもない怒り。そこへ無念さやもっと上手くやれたんじゃないかという思いが重なり、拳を地面に叩き付けたくなって……

 

(…あ……)

 

……俺は気付いた。俺の方へ向けられた二人の瞳には、「ありがとう」と「ごめんなさい」という思いが籠っている事に。こんなに情けない俺に、周りに頼りっ放しで、結局二人から未来を奪ってしまった俺に、それでも二人は感謝と謝罪の思いを向けてくれている。まだ俺を……共に楽しい時間を過ごした相手として、見てくれている。そんな二人が、そんなラフィーネさんとフォリンさんが、幸せを手放し暗闇へと戻ろうとしているのに……

 

 

 

 

──このまま何も言わずに見ているだけで、それで俺は満足なのか…?

 

(……そんな、訳…あるか…満足な訳…あるか…ッ!)

 

ふつふつと湧き上がる、怒りにも似た感情。俺の中で燃え上がる、身体が熱くなるような激情。…それは、ゼリアさんへ向けた憎悪じゃない。二人が連れて行かれる事への義憤でもない。……これは、自分に向けた思い。不甲斐ない、あまりにも思い描く夢からかけ離れている御道顕人へ対する、そうじゃねぇだろという否定の思い。

 

「賢明な判断です。こうして一度は敵対してしまったとはいえ、貴女方は元々実力で信頼を得てきた身。これまで通りに任務を遂行し続ければ、信頼の回復も不可能ではないでしょう」

『…………』

 

首元から刃が離れ、ゼリアさんは数歩前へ。既に俺を意識する必要などなくなったとばかりに、その意識は二人のみへと向けられている。

二人からの返答はない。俺から目を逸らし、俯く二人からそれまでの覇気は感じられない。…本当にもう、二人に反抗する気はないんだろう。何故なら勝ち目がないと分かっているから。斬られた俺にこれ以上苦しんでほしくないと、二人揃って俺は優しさを向けてくれているから。

 

(ふざ、けんな…ッ!こんなのが、俺の目指した夢の形なんかじゃねぇだろ…ッ!これで何もしなかったら…何の意味もねぇだろうがよ……ッ!)

 

激情は更に高まり、血が沸騰したかのような感覚が駆け巡る。…そうだ、違う…俺がすべきなのは、このまま倒れてる事なんかじゃ…断じてない……ッ!

腕に力を込める。足に力を込める。全身に、胴から指先まで身体の全てに力を込めて、声にならない叫びを上げる。

痛い。力を込めた瞬間押し出されたように傷口から血が溢れ、電流の如き痛みが走る。だとしても俺は…俺は……ッ!

 

「それでは行くとしましょうか。…あぁ、ご安心を。彼の事でしたら、私がここへ人が来るように手配を──」

 

ラフィーネさん達に同行を促しながら、スラスターを点火し飛び上がろうとしたゼリアさん。その瞬間、一発の銃声がこの場に響き…ゼリアさんの言葉を、その途中で遮った。

放たれた弾丸は、誰にも当たらなかった。ゼリアさんの右側を擦りもせず林の中へ消えていった弾丸。それでもゼリアさんは二人は言葉をかけるのを止め、ゆっくりと身体を反転させる。そしてそこにいたのは、振り向いたゼリアさんが目にしたのは……立ち上がり、脇腹を押さえながらも銃弾を放った俺の姿。

 

「顕人……!?」

「あ、顕人さん…!?」

 

最初に帰ってきたのは、驚きに目を見開いた二人の声。その声には心配の感情も籠っていて、だから大丈夫だと返したいところだったけど…残念ながら、そこまでの余裕は俺にない。

 

「……驚きました。つい最近まで一般人だったらしい貴方が、その傷で立ち上がれるとは…」

「…二人は…連れて、いかせません……ッ!」

 

銃口をゼリアさんに向けながら、言葉を絞り出す。腕は震え、集中力も痛みで削がれて、まるで狙いが定まらない。だけど、意志だけは…真正面から突き付ける。

 

「大した精神力です。…ですが、今の貴方に何が出来ると?無傷の状態でも敵わない貴方が、何をすると言うのですか?」

「だと…してもです…ッ!」

 

きっと…いや、間違いなく俺はゼリアさんにとっての脅威じゃない。その気になれば、また一瞬で一蹴出来る筈。

分かってる。何も出来やしないって。俺が立てたのも、結局はゼリアさんが手加減をしてくれたからだって。…けどそれは、諦める理由にはならない。俺の中では、だとしてもという思いの方が遥かに上回る。

 

「…そこまでして彼女達を救いたい、という訳ですか…しかし彼女達は既に決心したのです。自らよりも、貴方の事を優先したのです。…それでも尚、武器を取ると?」

「そういう事です…ッ!」

「…分かりませんね、貴方の考えが。所詮は一時の、それも組織の意向によって関係が出来ただけの間柄に過ぎないというのに…」

「…俺にとっては、だけだとか…過ぎないだとか…そんな言葉で片付けられる、間柄じゃ…ないんですよ……ッ!」

 

俺は否定する。確かにそれはその通りだけど、日数や経緯の問題じゃないんだと。目に見える形じゃなくて、思いで俺は立ったんだと。

心の中で思いが燃え上がる。二人に幸せになってほしいという思いが。二人にとっての枷になりたくないという思いが。そして……俺自身の、夢への思いが。

 

「…止めて下さい…止めて下さい顕人さんっ!もういいんです!貴方がそこまでする事はないんですっ!」

「…そうは、いくかよ…俺は協力するって…言ったんだから……!」

「協力なら十分してくれました!私の望みを顕人さんは叶えてくれました!だから……」

「まだだよ…まだ、俺の協力は…終わってない……!」

 

フォリンさんの声が聞こえてくる。その声は俺の身を案じていて、今も自分達より俺の事を優先しようとしてくれている。

だけど俺は地面を踏み締める。痛みを堪えてその場に留まる。ここまでする意味はあるんだ…まだ十分じゃないんだよ……ッ!

 

「無理しないで顕人…!これはわたし達が選んだ事だから…!顕人が責任を感じる必要なんて、ない……!」

「責任とかじゃないんだよ…それに、二人だって好きで選んだ訳じゃないでしょ…違う……?」

「…だと、しても…これ以上顕人が傷付くのは嫌…わたし達の為にここまでしてくれる顕人が、これ以上傷付くのは……ッ!」

「私も嫌です、顕人さん…!私達は大丈夫です…!お互いの幸せを願い合ってるって分かりましたから、もう私達は二人だけでも……」

 

 

 

 

「……そうじゃ…ないんだよッ!」

「……──ッ!」

 

ラフィーネさんの声も聞こえた。俺に傷付いてほしくないと、この結果は俺の責任なんかじゃないと、閉ざされかけた未来よりも俺の事を思ってくれている。

嬉しかった。そこまで思ってもらえるのなら、それだけで俺は立ち続けられる気がする。…けど、だけど…二人は根本的に勘違いしている。そうじゃない…二人の事は勿論助けたいけど、思ってくれる二人の為にってのあるけど…俺の心の奥底から湧き上がるこの熱は、俺を駆り立てるこの思いは……

 

「二人がどうこうじゃない…責任とか、十分とかも関係ない…勝てるかどうかなんて…どうだっていい……ッ!俺は、ただ──こうしたいからこうしてるだけなんだよッ!俺がなりたいのは、俺の夢は、こんなところで逃げ出す様な人間になる事じゃないんだよッ!」

 

──嗚呼、それはなんて自分本位な事か。二人を助ける為に立っているんじゃなくて、俺自身が俺の夢を裏切らない為に立っているなんて、啖呵切ってまで言う事じゃない。褒められた動機じゃない。……でも、この瞬間感覚が研ぎ澄まされた。言い切った瞬間思考がクリアになって、痛みはあるけど意識を削がれるような感じはなくなって、これまでにない程一瞬で様々な事を理解し思考出来るようになった。

 

「……彼女達ではなく、自分自身が理由…ですか。どうやら貴方は、思っていたより利己的な人間のようですね」

「あぁそうさ、そうですよ…ッ!夢の為に立って、俺がそう在りたいから立ち塞がって、俺がそんなの…二人が俺の為に諦めるなんて事は絶対に嫌だから助けるんです…ッ!それを貴女にとやかく言われる筋合いは……」

「いえ、どうこう言うつもりはありませんよ。考え方は貴方の自由ですし、利己的な思考の方がずっと理解出来ますから。…但し……」

「…………」

「…その言葉を聞いて、考えが変わりました。貴方の様な方は、例え歴然たる実力差があろうと油断をすれば何をされるか分かりません。よって…貴方はここで始末させて頂きます」

 

一度目を伏せ、霊力剣を握り直したゼリアさん。彼女が視線を俺へと戻した時……その目は俺を敵として、将来的な脅威として見ていた。邪魔だから退けるではなく、危険だから討つという、敵意と意思。

もうそれは、死が確定したようなもの。世の中に絶対がないというのなら、限りなく100%に近い事実。…だけど、恐れはなかった。いよいよ身体の負荷は精神にまで影響を及ぼし始めたのか、それとも湧き上がる思いが恐怖を打ち砕いたのか、一切恐れは感じない。欠片も怖いと思わない。それどころか……上等じゃねぇか、という思いすら抱いている。

 

「…お断りさせて頂きます。俺はまだ…ここで終わるつもりは、ありません」

「では、せめて足掻く事ですね。無駄な抵抗になる事は決まっていますが、今の貴方に出来る事など……」

『……ッ!』

 

普段なら気圧されている事間違いなしな瞳を真っ向から受け止め、俺とゼリアさんは視線をぶつける。その状態のままゼリアさんは動き出そうとし……次の瞬間、彼女の背後で地を蹴ったラフィーネさんとフォリンさんが襲いかかった。

蒼い軌跡を描きながら、二人がそれぞれに持ったナイフがゼリアさんへと強襲。左右から襲うその攻撃は手負いとは思えない程速く、二人のタイミングも完璧に合っていて、俺がそれに気付いたのは当たる直前。……が、それはあくまで俺の場合。俺ならばやられているその攻撃も…ゼリアさんには、届かない。

 

「ぐぁ……ッ!」

「がは……ッ!」

「……貴方に出来る事など、足掻く事だけです」

 

彼女は剣を振るう事すらしなかった。空いている左手と脚だけで二人の強襲を叩き潰し、そのまま俺の左右へと吹き飛ばす。

既に立つのも厳しかった二人は、地面に跡を残しながら俺の背後へ。改めて、もう十分知っているのに更に思い知らされる実力差。

 

「……ごめん、二人共。俺が素直に逃げなかったせいで、二人にまた苦しい思いをさせて…」

「…そんな、こ…と……」

「顕人…さん……」

「…だけどこれは俺が決めた事だ。だから何があろうと逃げはしない。無理だろうか無茶だろうが…俺は俺が決めた通り、二人を助けて俺も生きる」

 

蹲る二人に向けて、背を向けたまま声をかける。…一方的だけど、身勝手だけど…たった今俺は、二人に向けて宣言した。宣言して、約束したんだから……何が何でも、俺はこの言葉を実現させる。

 

「そこまで言い切る精神力は、愚かながらも賞賛に値します。もし彼女達に関わらなければ、名のある霊装者となれたかもしれませんね」

「…光栄ですよ、貴女程の方にそう言って頂けるのなら」

「えぇ、光栄に思う事です。……御道顕人、でしたね。貴方の事は、私を前にしても臆さず意思を貫き続けた故人として、覚えておくとしましょう」

 

最後にゼリアさんから言われたのは、俺に対する賞賛の言葉。その言葉を最後に、覚えておくという言葉を最後に、ゼリアさんは消えた。

 

──俺の脳裏に浮かぶのは、紅い刃が俺を斬り裂く姿。反応も出来ずに、斬られた事に気付くのも遅れる程速く両断され、人生という物語を終えてしまう自分の姿。

きっとこうなるんだろう。俺はこれで終わりなんだろう。だが俺は諦めていない。俺も、二人も、誰も犠牲にならず乗り切る未来を選び、それを現実すると決めている。だから俺はその意思を貫き、貫き、貫いて…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「──顕人君は……やらせないッ!」

 

……紅く輝くその刃は、俺へ届く事なく停止した。蒼く輝く刃によって。その刃と、蒼く煌めく翼を持った、霊装者によって。



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第百一話 長い夜は明けて

確信があった訳じゃない。綾袮さんならもしかしたら、綾袮さんならきっととは思っていたけど、博打も博打、大博打の賭けだった。

助けてもらうつもりで動いていた訳じゃない。頼りにはしていたけど、最も状況を打破してくれそうな可能性だとは考えていたけど、俺は俺自身の力で切り抜けようとしていた。不可能だとしても、そのつもりだった。

けど、俺がどんな事を思い、どんな考えだったとしても、一つの明確にして絶対な事実がある。覆りようのない、真実がある。──俺は、この瞬間…俺を敵と認識したゼリアさんの一撃の前に殺されていたであろう俺は、綾袮さんに……助けられた。

 

「……貴女は…」

「久し振りだね。BORGの秘書…さんッ!」

 

放たれた矢の如く俺と俺へ接近していたゼリアさんの間に割って入った綾袮さんは、紅い霊力の収束剣を天之尾羽張で受け止めた。俺には見えなかったその攻撃を、真正面から防いでいる。

 

「……ち…ッ!」

「……っ!」

 

刀と剣がせめぎ合う数瞬の後、二人は互いに斬り払うように離れ…次の瞬間、常人には視認がほぼ不可能な速度での戦闘が始まった。あの日の魔王戦にも匹敵する、次元の違うレベルの戦い。俺が入ったら…いや、入る事も敵わないような激戦。刹那の間に仕掛け、防ぎ、避けて、次の行動に移る…そんな戦闘が続くのかと俺は思い……その思考に反して、激突は十秒にも満たない時間で終わりを迎えた。

 

「…お久し振りですね、宮空綾袮さん。ご健在のようで何よりです」

 

空中で分かれ、距離を取るように勢いよく着地した二人。綾袮さんは着地後俺の目の前でその勢いを殺し切り、距離以外は最初の衝突と同じような立ち位置へと戻る。

 

「何より、ねぇ…それより驚いちゃったよ。貴女が霊装者で、しかもこんなに強いだなんて」

「それはお互い様です。元々貴女の実力は知っていましたが、やはり流石は宮空の人間なのですね」

 

俺や姉妹には目をくれずに構え直した綾袮さんと、構えはせずとも臨戦態勢は維持したままのゼリアさんが言葉を交わす。二人共、言葉の上では落ち着いているけど…恐らく内心では全力で戦術パターンの検索を行い、同時に相手の隙を伺っているのだろう。

 

「…しかし、何故貴女がここに?戦闘音を聞きつけてやってきたと?」

「ううん、違うよ。…顕人君が、並々ならぬ状況に陥っているって教えてくれたからね」

「……彼が、ですか…?」

 

ここまで綾袮さんを見ていた視線が、その綾袮さんの言葉によって俺の方へと向けられる。視線に籠っているのは、いつの間にそんな事を…という疑問の感情。

 

「分からない?まぁ、分からないよね。だってわたしも全貌を理解してる訳じゃないし」

「…………」

「だから、分かる事だけ教えてあげる。…わたしの携帯にね、顕人君からの電話があったんだよ。それも無言電話っていう、礼儀を大切にする顕人君ならまずやらないような行為がね。で、変に思って部屋に行ってみたら顕人君はいないし、やっぱり電話に返答はない。そうなったら……」

「…由々しき事態が起こったと判断し捜索開始。その結果ここで発見したという訳ですか。……まさか、こんなにも早く想定外の事をされるとは…」

 

俺へと向けられた目が、ほんの少しだけど細められる。それは、やってくれたな、と言わんばかりに。

そう、俺は二人の戦意を削ぎ切る為にゼリアさんに使われる直前、綾袮さんへと連絡をかけようとしていた。けれどゼリアさんに気付かれず電話出来るような状況じゃなかったし、文章を送るのだって同じ事。だから俺は電話をかけるだけに留め、実質的な無言電話を行った。綾袮さんなら、これを切っ掛けに気付いてくれるだろうと思って。…そして、その判断は正しかった。

 

「…じゃ、そっちの質問に答えたんだから、今度はわたしの質問に答えてよ。…どうして貴女がここにいるの?日本に来るのは知っていたけど、ここに来る理由はないよね?」

「諸事情です。私は秘書として、多岐に渡る業務を請け負っておりますので」

「ふぅん…なら、その業務ってものの中には……顕人君を殺そうとする事も入ってる訳?」

 

ここまで刃を交えていた時は強めの声音となっていたものの、概ね普段通りだった綾袮さんの声。……それが、この瞬間一気に冷たく威圧的なものとなった。…その声音を、俺は前にも聞いた事がある。それは、妃乃さんを狙っていた手負いの魔人を討伐した時とほぼ同じ声。

 

「…それについては、回答を控えさせて頂きます」

「いいの?答えないなら、答えられない理由があるからって解釈するよ?」

「えぇ、構いません。元々言葉など、受け取る相手の解釈次第のものですから」

「冷静だね。そう答えるよう指示されたからなのか、それともどうとでもなると思ってるのか…まぁ、どっちでもいいや」

 

既にゼリアさんの目線は綾袮さんの方へと戻り、二人の視線が再びぶつかる。先程のそれは、相手を倒す為の駆け引きだった。でも今の激突は、別のもの。霊源協会とBORG、それぞれの中核を担う人としての駆け引きが、二人の間で行われている。

 

「…そこを退いて頂けますか?私はラフィーネ・ロサイアーズとフォリン・ロサイアーズに用があるのです」

「それは出来ないかな。一時的とはいえうちの管理下に入ってる二人をこんな状況で渡す訳にはいかないし、二人にも色々訊く必要がありそうだからね」

「…退いて頂けないのなら、先程の続きをする事となるかもしれないとしても、ですか?」

「勿論」

 

問いに対する肯定に、俺の中で一層の緊張が走る。…結局、やっぱり…戦いでしか、解決しないのか……?

 

「……私に、勝つおつもりで?」

「どうだろうね。けど、そっちこそ退いた方がいいんじゃない?まさかわたしが何も考えず、誰にも言わずに一人で突っ込んで来たと思ってるの?」

「…………」

「…………」

 

綾袮さんの言葉を最後に、二人の会話は終了する。直接的な事は言わず、敢えて示唆するに留めた綾袮さんの言葉によって生まれた、無言の駆け引き。

二人の放つ覇気で一秒が五秒にも十秒にも感じる時間の中、無言の時間が続く。そして……

 

「…いいでしょう、ここは退かせて頂きます」

「そう。だったらわたしも追撃はしないでおくから、早く帰ってくれないかな?」

「えぇ、そうするとしましょう」

 

剣呑な雰囲気を霧散させ、ゼリアさんは刀身を消した霊力剣を腰のユニットへと格納した。対する綾袮さんも構えを解き、追撃の意思がない事を証明する。

 

「…ですが、ラフィーネ・ロサイアーズ、フォリン・ロサイアーズ。貴女方を何もせず放逐するつもりなど、私にも代表にもありません。よって、二人はその事をゆめゆめ忘れないようにする事です」

『…………』

「では、ご機嫌よう宮空綾袮さん、それに…御道顕人。もし機会があるのであれば、またお会いする事もあるでしょう」

 

徹頭徹尾丁寧な、されと今となってはある種の威圧感すら感じさせるゼリアさんの言葉。それは去り際でも変わらず、俺達の反応や返答も待つ事はせずに飛翔し彼女は夜空へ消えていった。そうしてゼリアさんが完全に見えなくなったところで、張りっ放しだった緊張の糸が漸く解ける。

 

「……っ…」

「……ふーっ…」

 

緊張と一緒に腰も抜けてしまったのか、すとんとその場に座り込んでしまう俺。ほぼ同時にラフィーネさんとフォリンさんも身体を支えていた腕から力が抜け、綾袮さんすら心底疲れたような溜め息を漏らす。

 

「…綾袮、さん…その、助かっ……」

「助かった……じゃないよッ!馬鹿じゃないの!?」

 

いつになく疲労を感じさせる、綾袮さんの背中。そんな綾袮さんにまず言うべきはお礼の言葉だと思い、そのままの姿勢で言いかけた俺。けれど、次の瞬間物凄い剣幕で振り返った綾袮さんによって俺の言葉は封殺される。

 

「あ……いや、その…」

「馬鹿じゃないの、っていうか馬鹿だよ!?多分今日の顕人君は霊装者になって以降最大の愚行をしてるからね!?力にも目覚めてないのに魔物と戦おうとしたのと同じ位馬鹿だし、何も知らない訳じゃない分今日の方がもっと酷いから!顕人君はそれを分かってるの!?」

「……ごめん、綾袮さん…」

 

怒涛の勢いでぶつけられた怒りの言葉は、怒りの感情は、俺の予想を遥かに超えるものだった。愚かな事をしてるという自覚はあったけど、ここまで怒られるとは思わなかった。…だから、という訳じゃないけど…俺は言いかけだったお礼を一度引っ込め、代わりに謝罪の言葉を口にする。

 

「…それは、何に対する謝罪なの?」

「全部だよ。愚行をしたって事に対しても、綾袮さんに心配かけたって事に対しても……俺が今日取った行動を、顧みる事はあっても間違った行いだとは思っていない事に対しても、全部」

「…そっか…なら、もっと強くならなきゃいけないね。単純な戦闘能力も、戦術眼も、交渉術も…片っ端から鍛えていかなきゃ、顧みる事も出来なくなるから」

「…分かってる」

「うん、なら宜しい!」

 

何に対してという問いに対し、俺は正直な思いを口にした。三つ目は言わない方が良いと分かっていても、俺はきちんと言いたいと思った。綾袮さんにも、俺自身にも、その場凌ぎの嘘なんて吐きたくなかったから。

そんな俺の返答を聞いた綾袮さんは、怒るでも呆れるでもなく、俺をここまで導いてくれた霊装者として言葉を返してくれた。そしてそれに俺が首肯すると、ぱっと綾袮さんの表情は綻んだ。

 

「色々言ったけど、わたしはよくやったとも思ってるからね顕人君!愚行とはいえあの状況で一歩も引かずにいられるなんて大したものだし、わたしの心理を読み切っての無言電話なんてほんとに凄いもん!よくこんなの思い付けたね!」

「はは…無言電話は消去法で出来る事探した結果偶々思い付いただけだから、褒められるようなものじゃないよ……ってか、全然増援来ないけど…もしや…」

「あ、うん。あれは嘘だよ。わたし誰にも言わずに飛び出してきちゃったし」

 

あっけらかんとハッタリであった事を公言する綾袮さんに、薄々予想していたとはいえ俺は一瞬言葉を失ってしまう。…あの状況下で、あんな自然に綾袮さんはハッタリを言えるのか…。

 

「…やっぱり、凄いのは綾袮さんの方だよ。嘘もそうだけど、無言電話からここまで推理出来るのも凄いし…何より、二人でも歯が立たなかったゼリアさんと互角に戦うなんて…」

「いやぁ、そう言われると照れるなぁ……と言いたいところだけど、戦闘に関しては多分互角じゃない…かな」

「え……?」

 

改めて綾袮さんの偉大さを感じていた俺だけど、俺の言葉に彼女は表情を曇らせる。普段なら子供っぽく喜ぶような事を言ったのに、まるで綾袮さんは嬉しそうじゃない。

 

「だって、あの秘書さんまだ余裕がある感じだったんだもん。確かに形の上では互角かもだったけど…わたしは殺す気で、じゃなきゃ勝てないって意識で戦ってたんだよ?片や余力有り、片や手加減ゼロの勝負を、互角って言えると思う?」

「それは……」

「…悔しいけど、あの人はわたしや妃乃より…わたしが知るどの霊装者より強いよ。多分、魔王と同格…ううん、もしかしたらそれ以上かもしれない位に…ね」

 

それから綾袮さんが言ったのは、俺にとって衝撃以外の何物でもない事実。俺相手じゃまず戦いにすらならなかったゼリアさんが、綾袮さんと刃を交えた時には落ち着き払った表情が崩れ、小さくだけど舌打ちもしていた。…けれどその綾袮さんですら、ゼリアさんには届かないという。綾袮さんと妃乃さんが連携しても押し切れない魔王よりも、強いかもしれないと言う。……それは最早、格が違うなんてものじゃない。俺にとっては雲の上の綾袮さんより上なんて…想像すらも出来ない領域。

 

「…は、は…見えなかったのは、何も物理的な動きだけじゃなかったって訳か……」

「……改めて分かったでしょ?自分のやった事が、どれだけ無茶苦茶なものだったかが」

「…うん…けど、それでも俺は……」

「分かってる。…それでいいと思うよ。それが、顕人君の成長や強さに繋がるなら」

 

乾いた笑いが出る程に、俺は実力差を分かっていなかった。今やっと、正しく自分の愚かさを理解出来た。…だけど、俺の思いは変わらない。思いの根源はそんなところにないんだから、どれだけの実力差だろうと変わりはしない。

そして、俺は感謝もしなきゃいけない。怒りつつもこんな俺の思いを認め、肯定してくれる綾袮さんの優しさに。

 

「…さて、と…戻ろっか、顕人君。でも、その前に…戻る前に、二人とも話をした方がいいんじゃない?」

「…なら、そうさせてもらうよ」

 

綾袮さんの言葉を受けて、俺は振り返る。俺の後ろには、俺が会話している合間に立ち上がっていたラフィーネさんと、フォリンさんが立っている。

言われなくたって、二人と話をするつもりだった。そのつもりだったけど、綾袮さんとの会話も適当にしちゃいけないものだったし、勝手な啖呵を切って戦おうとした事もあって、振り向き辛いって気持ちも俺の中には確かにあった、…でも、話さなきゃいけないし…話したいって、俺は思う。

 

「……顕人…」

「顕人さん…」

 

振り向いた俺を、二人の瞳が見つめている。色々な思いが混じり合っている事が見て取れる、複雑そうな二人の瞳。俺だって沢山言いたい事があるんだから、二人にだって同じ位……いや、俺以上に沢山の思いを抱いている筈。

 

「…ラフィーネさん、フォリンさん、俺は──」

 

だから言おう、そして聞こう。俺の気持ちを、二人の気持ちを。どんな形であれ、脅威を乗り切った今はそれが出来るんだから。もう二人は、前に進む事が出来るんだから。

そう思って、その思いで、俺は口を開く。口を開いて、話そうとする。だけど……

 

(───あ、れ…?)

 

ぐにゃりと歪み、傾く視界。一気に身体の力が抜けて、自分でもよく分からないまま倒れてしまう。

ぼやける視界の中で二人が目を見開き、二人と綾袮さんが俺を呼ぶ声が聞こえてくる。けど三人共近くにいる筈なのに、その声は遠い。言葉を返そうにも口が、身体が動かない。そうしている内に意識が段々と遠くなっていって…………俺は、気を失った。

 

 

 

 

目が覚めた時、俺は知らない場所にいた。見覚えのない天井に、怠く重い身体に、どうも違和感がある呼吸器。それに、寝起きだからか頭が凄くぼーっとしている。

 

(……今、何日の何曜日だっけ…?)

 

頭がぼーっとし過ぎていて、今がいつなのか全然分からない。確か夏休みだった気がするけど、それもイマイチ確証が持てない。…というか、寝起きなのに眠い。寝足りない感じの眠気じゃなくて、疲れた後みたいに眠い。…寝てたんだから、疲れてる訳ないのに…でもまぁいいか…起きる気力もないし、もう少し寝て……

 

「……おはよ、顕人君」

 

その時、綾袮さんの声が聞こえた。俺の起床に気付いたらしい、綾袮さんからの挨拶が。

 

「…おは、よ……うぇ…?」

 

今正に二度寝するところの俺だったけど、無視は極力したくない。という訳で俺は重たい身体をゆっくりと起こし……かけて、気付いた。俺の寝ているベットの周りには計器っぽい機会があって、俺は酸素マスクを着けていて、薄緑の服を着ている事に。…これ、って……

 

「あ、寝てなきゃ駄目だよ。ほら、ゆっくり横になって」

「…病、院……?」

 

綾袮さんが俺の肩と背中に手を置いて寝かせようとする中、俺は頭に浮かんだ言葉をそのまま疑問形で口にする。色々意味が分からないが…多分ここは病院…ってか病室。流石に俺が寝てる間に部屋を模様替えされたとかじゃないと思う。

 

「そうだよ。…もしかして顕人君、何があったか覚えてない?」

「…よく、思い出せない……」

 

反応が思っていたものと違ったからか、少し驚いたような顔を見せる綾袮さん。その綾袮さんに対し、俺は正直に言葉を返す。

 

「そっか……じゃあ、これを言えば思い出すかな?」

「…これ……?」

「……ラフィーネもフォリンも無事だよ、顕人君」

「……?…二人が無事って…一体何……──っ!」

 

僅かな溜めを入れてからの言葉を聞いた俺は、最初その意味が分からず……けれど次の瞬間、二人が無事だという言葉を起点に一気に記憶が蘇る。身体は重いままだけど、頭は一瞬にして覚醒する。

 

「…そう、だ…あれから…あれからどの位経ったの……!?」

「落ち着いて、まだ二日だよ。…いや、厳密にはまだ二日経ってないね。あの時既に日が変わってたし」

「二日……そっか、良かった…」

 

自分が何週間だとか何ヶ月だとかのとんでもない期間寝ていた訳じゃないと分かり、俺は一安心。…いや、それだけじゃない。二人が無事だったって事も、俺の中では強く安心に繋がってる。

 

「…ごめんね、顕人君。わたしあんなに近くにいたのに、実戦経験だって沢山あるのに、顕人君の傷の状態を見誤ってた。一刻も早く運んであげるべきだったのに…」

「…気にしないでよ、綾袮さん…。そりゃ、確かにそうなのかもしれないけど…こんなの綾袮さんの非なんかじゃない」

「だとしても、だよ。常に気配りが出来なきゃ、特に戦場で適切な判断が出来なきゃ、これまでわたしは宮空の人間として何を学んできたんだって話だから」

「…綾袮さん……」

 

怪我をしたのは俺の責任。誰が悪いかと言えば、負わせた側のゼリアさんか、分かってて逃げなかった俺のどちらか。だから非のない綾袮さんは即座に運んでくれた場合プラスであっても、見誤った事がマイナスになる訳ない…俺としてはそう思っていたけど、綾袮さんはそうは思わないらしくて…少しだけ、自責の念を感じさせる顔をしていた。……でも、それも一瞬の事。

 

「…だから、これでおあいこだね。顕人君は馬鹿な事をして、わたしも馬鹿な見誤りをした。おあいこだから……顕人君も、もうあの事は気にしなくていいからね?」

「…そういう事なら、そうさせてもらうよ」

「うん。…あ、でも顧みる事はちゃんとしてよ?」

「勿論。…それで…俺って、完治までどれ位かかるの…?腹部にあんまり感覚がないんだけど…これは、麻酔…?」

 

…この時俺は、上手いと思った。自分の行いを反省した上で、俺に負い目を感じさせず、更に俺にとってはさっきの、現実的には二日弱前の出来事を悪い形で後を引かないように決着付けるなんて、簡単に出来る事じゃない。実際そのおかげで、俺は気が楽になっている。

けど、気が楽になった事で、頭も冷静になった事で、今の俺の状態に、これから俺がどうなるかに意識が向き始める。今のところ、死にそうな感じはないけど…間違いなく俺は、即退院出来る状態でもない。

 

「…それはね…うん、じゃあ本題に入ろっか。まずは質問への回答だけど、感覚がないのは予想通りの麻酔だよ。で、退院は……普通だったら、どんなに早くとも数週間、悪いと一ヶ月以上かかるみたいだね」

「そ、っか……うん?…()()()()()()…?」

 

数週間から一ヶ月以上。人生全体から見ればちっぽけな、けど若者にとってはとてもちっぽけだなんて思えない時間に意気消沈しかける俺。けど、すぐにその前の言葉が気になって訊き返すと…綾袮さんは、こくんと頷き答えてくれた。

 

「そう、普通だったらね。でも、霊装者には外傷を一気に治癒する技術があるんだよ。具体的に言えば、今の顕人君の怪我程度なら経過観察を含めても一週間以内で退院出来る位の技術が、ね」

「わぉ…凄いね霊装者……」

 

治癒能力だったり、超科学による医療マシンだったりと、メインキャラが特殊な組織に所属する作品では特別な医療手段がある場合が多いんだけど…まさかそういうのが霊装者にもあるとは思わなかった。シンプルにびっくりだし…素直にありがたい。……けど、そこでまた一つ疑問が浮かび上がる俺。

 

「…って、あれ…?…あるなら何で俺が意識を失ってる間にやってないの?…本人の同意が必要だとか、莫大な資金がかかるとかなの…?」

「ううん、やってないのはその治癒を受ける側が落ち着いて霊力を操作出来るだけの余裕がなきゃ出来ないからだよ。言い換えるなら、意識のない相手や操作の余裕がない程精神が乱れてる相手なんかには使えない、って訳だね」

「あぁ、そういう…じゃあ…俺はその治癒を受けたいんだけど、一体どうすれば……」

「それを今から説明するから、しっかり聞いてね?難しくはないけど、適当にやったら最悪怪我が悪化しちゃうんだから」

 

そうして俺は、綾袮さんから説明を聞いた。覚える事が増えると大変だろうから、って事で細かい原理なんかは端折られたけど、簡単に言えば外部からの霊力によって身体を活性化させ、急速に回復へと向かわせる…というものらしい。だから自分一人じゃ出来ないし、受ける側より霊力を流す側の方が難しいから出来る人は限られるんだとか。そして俺は説明を聞いた流れのまま……気付いたら、別室で早速治癒を受ける事になっていた。

 

「や、あの…幾ら何でも早急過ぎない…?早く退院したいから助かるけどさ…」

「ならいいじゃん。…それよりここからは集中だよ顕人君。さっきも言ったけど、これは結果に関わらず身体に負担がかかるし、操作を大きく失敗したら逆に身体が傷付いちゃうからね」

「…わ、分かった……では、お願いします…」

 

俺の治癒を行ってくれるのは、綾袮さんと数人の霊装者。気持ちを切り替えた俺が嘆願すると、その人達はこくりと力強く頷いてくれる。

そこからすぐに始まった霊力による治癒。綾袮さんの指示に従って力を抜き、俺の身体へと流れ込んでくる霊力の操作に意識を集める。

 

(……っ…違和感が、凄いな…)

 

違和感というか、異物感。普段俺は霊力を何となくでしか感じていなかったけど、他人の霊力が入り込んで、そこで初めて自分の霊力がどんなものだったのかと理解していく。

 

「状態に合わせてこっちが調整するから、顕人君は焦らず確実にね」

「……うん…」

 

傷は普通の治療で一先ず塞がれているし、そもそも自分の怪我の具合なんてはっきりとは認識出来ないものだから、治癒が上手く進んでいるのかよく分からない。でも綾袮さんも他の人も落ち着いた表情をしているから、俺はそれを信じて集中を続ける。…間違いなく、一番慣れてないのも技量に劣るのも俺なんだから、自分自身の事に専念しないと…。

 

「うんうんいい感じ。後少しだから、頑張って」

 

そうしている内に、そこそこの時間が過ぎた。俺が考えていた以上の時間が経っていて、身体の調子も初めより良くなった……ような気がする。まだ麻酔が効いている訳だから、実際にはどうなのか分からないけど。

そして綾袮さんの言葉通り、その数分後に治癒は終了した。無事に終わったと効いた瞬間俺はほっとして、同時にその瞬間からどっと疲労に襲われた。その時には驚いたものの…後から考えてみれば、ずっと集中し続けてたんだから当然の事。そうして後日、包帯を外された俺の腹部は……無事、綺麗に傷が塞がっているのだった。



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第百二話 親として

「じゃーん、なんと今日はケーキを持ってきてあげたよー!」

「おぉ……!…って待った、まさかホールケーキじゃないよね…?」

 

俺が目を覚まし、霊力による治療を受けてから数日が経った。霊力治療は本当に効果が凄まじく、今の時点で俺はもう絶好調。むしろ自由に出歩けない(身体の状態は良くとも一応入院中だし)事で身体が鈍ってしまっている気すらする程で、一週間以内と言っていた綾袮さんの言葉通り、もう退院は時間の問題じゃないかと感じている。

 

「いやいやまさか、そんな事する訳ないじゃん。…というか、してほしかった?」

「し、しなくていいしなくていい…悪いね、毎日来てもらっちゃって」

「気にしないでよこれ位。お見舞いって言えば大概の面倒事は避けられる……じゃなくて、わたしは顕人君に元気でいてほしいと思ってるだけなんだから☆」

「…あのねぇ……」

 

語尾に☆まで付けて茶目っ気たっぷりに言う綾袮さんに対し、俺は呆れ混じりの声を返す。…まぁ、面倒事云々は冗談で、実際のところは善意100%何だろうけど……ならばそこについて口にするのは野暮というもの。

 

「…あ、そういえば課題はやってる?もう夏休みも残り少ないけど……」

「……さーて、今日はそろそろ帰ろうかナ-」

「あからさまッ!あからさまに逃げようとしたね!?でも今逃げたところで課題からは逃げられないからね!?」

「わたしがしてるのは逃げじゃなくて、勇気ある転進なんだよ……!」

「それつまり撤退じゃん!結局どうする気!?」

「…正直、泣いて縋れば妃乃と顕人君は手伝ってくれると思ってます」

「うん、何だかとっても退院したくなくなってきたなぁッ!」

 

入院中の人間が相手でも、綾袮さんのボケは容赦がなかった。…いや健康体な俺が相手だからかもしれないけど。

因みに今俺がいるのは公共の病院ではなく協会の施設で、しかも一人部屋だから多少は大きな声を出しても問題なかったりする。

 

「まぁまぁ、課題の話はまた今度にしようよ。顕人君だって、ただでさえ楽しくない入院中にもっと楽しくない話なんてしたくないでしょ?」

「…俺はこの話打ち切ったって構わないけど…困るのは綾袮さんだからね?」

「はーい。とにかくケーキ食べよ?あ、こっちのショートケーキはわたしのね」

 

今度はほんとに冗談なのか冗談じゃないのか怪しい態度に再び呆れつつも、俺は追求を止めて綾袮さんと一緒にケーキを食べる事にした。…うん、美味い。

 

「やっぱり甘いものはいつ食べても美味しいよねぇ…でも、今ならアイスとかでも良かったかな?」

「かもね。でも冷房しっかり効いてるし、アイスだった場合は少し寒くなってたかも」

 

特筆する点なんて微塵もない、明日には話した事すら忘れているかもしれない程他愛ない会話を交わす俺達。そんな会話に花を咲かせるのも楽しいものだけど…俺には綾袮さんに訊きたい事があった。ここのところずっと訊くタイミングを伺っていて、けど見つけられなかった問う瞬間。けれど、このままじゃいつまで経っても訊けないと思い……ケーキを食べ終わった時俺は、意を決してそれを口にする。

 

「…あのさ、綾袮さん。二人は…ラフィーネさんとフォリンさんはどうしてるの?」

「……うん、気になるよね…いつ訊かれるかな、って思ってたよ」

 

訊いた瞬間、ケーキのスポンジにフォークを刺していた綾袮さんの手が止まった。でもすぐに手は動きを再開し、ゆっくりとフォークをお皿に置く。

 

「…当事者の顕人君には誤魔化したくないし、正直に言うね。二人は今…協会で拘束させてもらってるよ。拘束っていうか、正しくは軟禁だけど」

「……まぁ、そう…だよね…」

 

視線を向けた俺と向かい合う姿勢になった綾袮さんから伝えられる、今の二人の置かれた状況。…可哀想だとは思うけど、その対応は当然のもの。ましてやあの時狙われていたのは綾袮さんなんだから、その綾袮さんを前に「酷い」だなんて言える訳がない。

 

「…元気ではあるんだよね?」

「うん、二人も怪我してたけど重症は負ってないし、普通に生活出来てるよ?事情聴取も積極的に受けてくれてるしね」

「事情聴取、か…あのさ、二人と話したりって出来るかな?直接が無理なら手紙とかでもいいんだけど……」

 

元気ならばそれでいい…と言えたら格好良いのかもしれないけど、残念ながら俺はそういう性格じゃない。だから何か意思疎通出来る手段がないか綾袮さんに訊こうとして……丁度その時、部屋の扉が開かれた。医師の方か、それとも誰かお見舞いに来てくれたのかなと俺がそちらへ目をやると……

 

「おう、元気そうだな」

「あら、綾袮ちゃんこんにちは」

「…父さん、母さん……」

 

入ってきたのは、後者…それも俺の両親だった。家族のお見舞いなんて普通の事とはいえ、来るなんて聞いていなかったからつい驚いてしまう俺。

 

「こんにちはー、顕人君のおかーさんとおとーさん。…じゃ、わたしは邪魔になるし帰ろうかな…?」

「気にしなくても大丈夫よ。私達こそ、話の邪魔だった?」

「いや、問題ないよ。さっきまで雑談とかしてた訳だし」

 

俺や両親を気遣って席を立とうとする綾袮さんを、母さんが止める。一応部屋に入ってくる直前は他愛なくない話だったけど…それも今すぐじゃなきゃいけない話ではないしね。最悪電話でも済ませられるし。

 

「調子はどうだ?もう傷は塞がってるって聞いたが…」

「俺としてはもういつ退院してもいい位だよ。何なら暇を持て余してる位だし」

「そうか…勝手に帰るなよ?」

「そんな事しないよ…俺だって馬鹿じゃないんだから」

 

部屋の隅にあったパイプ椅子を取ってきながら俺の状態を訊いてきた父さんと、なんて事ない親子の会話を交わす。家を移ってからまだ半年弱だし、ちょこちょこ帰ったり電話したりしてるから、懐かしい…なんて思ったりは特にしない。

 

「にしても、遂に顕人も入院経験しちゃったのね。あんまり良い気分じゃないでしょ?」

「そりゃまぁ。母さんは…あ、そっか。俺を産んだ時に入院してるのか」

「ううん。顕人は産婆さん呼んで家で産んだのよ?」

「あ…そうだったの?」

「…なんてね、嘘よ」

「何故こんなしょうもない嘘を吐く…!」

 

続いて入院についての話を切り出した母さんは、意味の分からない冗談をぶっ込んできた。…いや、冗談に意味を求めたってしょうがないっちゃしょうがないけど…これ、そんなに面白くもないぞ……?

 

「あはは、顕人君ってばおかーさんにも突っ込みしてるんだね。…もしかして、顕人君の突っ込みセンスはおかーさんの冗談で鍛えられていたり…?」

「さ、さぁ…けど、要因の一つにはなってるんじゃない?」

「そっか……顕人君のおかーさん、顕人君を熱心な突っ込みキャラにしてくれてありがとうございます」

「何だそのお礼……いや母さんも『なんのなんの』みたいな表情しなくていいしなくていい!」

「…確かに、この調子ならいつ退院しても大丈夫そうだな」

「こんなところで安心得ないでよ父さん……」

 

そこから会話が発展するも、やっぱり俺は突っ込みをせざるを得ないらしい。綾袮さんは言わずもがな、母さんも冗談を言う方だし、父さん別段突っ込む方じゃない(というか、いい歳した大人が芸人でもないのに全力で突っ込む姿って見た事ないか…)から、俺が突っ込まないと誰もボケを処理しないというカオスな状況が出来上がってしまう。…って事を気にしてる辺り、俺も相当突っ込みキャラが板に付いてんな…。

…という感じに、明るい談話が続く事約十分。こういう時、普通は血縁関係じゃない人が浮いてしまいがちだけど…そこは普通じゃない上コミュニケーション能力に長けている綾袮さん。彼女は浮くどころか、前から交流のあったご近所さん並みの親しさをものの数分で獲得していた。

 

「…って事があったんだー。顕人君は真面目でマメだけど、ちょっと詰めが甘いっていうか……」

「あぁ、そうね。顕人のそういうところは、ずっと前から変わってないのよ?」

 

特にそれが如実となったのは母さんと話す時で、今なんかもう俺の話題を俺抜きで喋ってやがる。……恥ずい。俺の話(それも良くない部分)を母親と同居中の女の子が賑やかに話してるとか超恥ずいんですけどぉ!?

 

「…どうしてこんな話になった……」

「…残念だが顕人、こういう話になった時男は耐えるしかない」

「だよね…雰囲気からしてそんな気はしてたよ……」

 

こういう時に俺が何か言ったって、まともに取り合ってくれそうにないのは自明の理。ならば話を切り替えられそうなタイミングまで静かに耐える他ないと、俺は何ともしょぼい理由で腹を括ろうとして……そこで会話が意外な方向へと転んだ。

 

「ふふ、綾袮ちゃんはほんとに気さくで良い子ね。顕人、普段綾袮ちゃんに迷惑はかけてない?」

「迷惑?迷惑は……」

 

ここまで俺を介さず綾袮さんと話していた母さんが、不意に俺へと話を振ってくる。

何気なく訊いた感じの言い方だけど、息子が同居中の相手に迷惑をかけていないか心配するのは親として普通の思い。父さんもちらりと視線をこちらに向けていて、俺は答えを求められている。

迷惑をかけているかどうかは、意外と難しい質問。だって相手の行為を迷惑に感じるか否かは受け手次第で、加えて言えば俺は普段綾袮さんに迷惑をかけてるっていうか、世話をしてるような気がする。というか、してる。してると思う。だから俺は一瞬反応に詰まって……その質問に答えを出したのは、俺ではなくて綾袮さんだった。

 

「心配しないで顕人君のおかーさん。わたしは全然顕人君に迷惑なんてかけられてないし、むしろ色々とわたしを助けてくれてるよ?家事とかもそうだけど、ちょっと前にはテスト勉強に毎日付き合ってくれたりしたもん」

「…そうなの?」

「まぁ、ね。…けどそれを言うならお互い様だよ。俺だって綾袮さんからは色々と教えてもらってるし、いつも綾袮さんは俺に気配りしてくれてるから」

「…そう…なら、ありがとう綾袮ちゃん。それと…これからも顕人を宜しくね」

「うん、任せて顕人君のおかーさん!」

 

明るい顔で言い切った綾袮さんの言葉を受けて、再び母さんの視線が俺に。でも今度は、俺も詰まる事なくきちんと答える事が出来た。…嘘は言っていない。誇張表現もしていない。今さっき俺は綾袮さんの世話をしてるって考えたけど…逆に綾袮さんが俺を気にかけてくれてるってのも、偽りようのない事実だから。

これからも息子を頼むと言った母さんと、その隣で深く頷いた父さんに向けた、綾袮さんの任せてという一言。…俺もこうして、誰かに頼られその人に「任せて」と強く返せるような人間に、いつかはなりたいと思う。

 

「顕人、迷惑もだけど綾袮ちゃんに失礼な事をしないようにね。じゃなきゃ愛想尽かされるわよ?」

「愛想尽かされるって…まあ気を付けますよ…」

「あまり言わなくても顕人もそれ位は分かっているさ。だろう?顕人」

「うん。俺だって伊達に二十年弱生きてないからね」

 

少しだけ口煩いけど何かと気にかけてくれる母さんに、いつも「顕人なら」って信用してくれる父さん。こういうのはちょっと変かもしれないけど、子としての贔屓目もあるんだろうけど……やっぱり俺は、良い親の下に生まれたと思う。例えば綾袮さんのご両親も人格者で、そのお二人と違ってうちの親は普通の、一般的な親だけど、それでも俺にとっては尊敬する……

 

「…あ、またお見舞いの人来たみたいだよ?顕人君は人気者だねぇ…って……おかー様に、おとー様…?」

「へ?…あ……」

 

…なんて思ってたら、深介さんと紗希さんがやってきた。噂をすれば影がさすとは言うけど…こんな即効性が高いもんなの!?口に出してすらいないのに!?

 

「失礼するよ、顕人君。それに…お久し振りですね、お二人共」

「あ…こちらこそお久し振りです。そちらの方は…奥様で?」

「えぇ、妻の宮空紗希です。息子さんにはうちの綾袮がいつもお世話になっています」

「いえいえそんな、お世話になっているのは私達の息子の方ですよ」

 

などと俺が内心で滅茶苦茶驚く中、双方の両親が互いに軽く自己紹介。THE・親同士のやり取り的な会話には流石の綾袮さんも入り込めず(というか入る気自体なさそう)、「あ…そういえばお見舞い行くって言ってたっけ…」なんて小声で呟いている。

しかもそれだけではない。親同士のやり取りが一通り終わって、綾袮さんのご両親と一言二言話したのも束の間……なんと更なるお見舞いの人がやってきた。

 

「よ、来てやったぞ……って、おおぅ…」

「綾袮のお母様お父様に…顕人の、ご両親…?」

 

片や軽い調子で、片や普通に入って来たのは千㟢と妃乃さん。三組目の登場には俺や綾袮さんどころか全員が「え?」…で、入って来た二人も勿論驚いて……結果、なんと言ったらいいのか分からない雰囲気が出来上がってしまうのだった。…こんなにタイミングが合っちゃう事って、普通あるかね……。

 

 

 

 

包み隠さず言えば、御道が戦闘の負傷で入院したと聞いて心配になった。そりゃそうだろう。友人と呼べる相手が戦闘で負傷したなんて聞いて、「あ、そう」で終わらせられる程俺は性根が腐っちゃいないんだから。

だが実際には元気なものだった。霊力による治癒があると言ったって、御道はまだまだ経験が浅いんだから、心的なダメージは少なからずある筈…という予想をまるっきり否定される位には、心身共に健康だった。

 

「なんでそんな元気なんだよ、入院中の奴ってもうちょっとぐったりしてるもんじゃないのかよ」

「いや知らんがな…元気である事を喜んでよ…」

「よっしゃあ!……喜んだぞ」

「喜び方がおかしいっての…」

 

健康そのものな御道ではあるが、立て続けにびっくりな見舞いが来たからか今は少々疲れ気味。入院ってのも楽じゃねぇんだなぁ…。

 

「いや、貴方のふざけた態度も要因の一つだと思うけどね」

「馬鹿言え、こんなのまだまだジャブみたいなもんだぞ?」

「入院してる友達相手にジャブ喰らわせるって何なのよ貴方…」

 

俺の地の文をさらっと読んで指摘してくる妃乃。言われてみりゃその通りではあるが、御道に対してはこういう接し方がもう板についているんだから仕方ない。

因みに御道の両親と綾袮の両親は、先程揃って帰っていった。心配してきた家族に水を差すのは…という事で早めに帰るつもりの俺だったが、「親より友達の方が話も盛り上がるでしょう?」…という御道の母親の言葉もあり、今ここにいるのは未成年組四人だけ。

 

「ふっ、そこは心配しなくてもいいんだよ妃乃。ここ数日わたしは毎日来て、毎日ボケ倒してるけど顕人君は全然状態が悪化したりはしてないからね!」

「中々酷い事してるわね!?それは普通に可哀想だから止めなさいよ!?」

「えー…わたしはここでも普段の生活を少しでも感じられるようにしてあげようと思っただけなのに……」

「それは……って、ボケ倒すのが日常なの!?薄々予想はしてたけど…ほんとに苦労するわね、貴方は……」

「はは…でも実際元気は有り余ってるようなものだし、悪い気はしてないよ?」

「そういう事言うから綾袮が調子乗るのよ…まぁ、言わなくても綾袮のスタンスは変わらなかったでしょうけど…」

 

見舞いの経験なんて数える程しかない俺にとって、見舞いのスタンダードなんざ全く分からないが…こんな自然な感じでいいのか?…と思う程に交わされる会話はいつも通りだった。…まぁ、それも御道が元気だからこそなのかもしれないが。

 

(……元気だからこそ、か…)

「……悠弥?どうしたのよ、急に難しい顔して」

「あー…いや、何でもねぇよ。それより御道。魔王の時も思ったが…ちょっと戦闘に関してアクティブ過ぎるんじゃないのか?」

「うーん…否定は出来ないね。魔王の時と今回とじゃ、理由も状況も色々違うけど」

 

この場の状況に対する解釈を考えたところで、俺の脳裏にある事がよぎる。表情に出ていたようで誤魔化しはするが、話を逸らしながらも俺の頭にはその事が留まり続けている。

今回御道は霊力治癒もあって、すぐに回復する事が出来た。だが間違いなく、もっと重傷になっていた可能性も……最悪の結果になっていた可能性もあるだろう。そうならなかった理由は恐らく色々とあって、その中には御道の気力やら判断やらもあるんだろうが……俺は思う。運が良かったから、御道はこの程度で済んだんだろうと。

 

「否定は出来ないね、じゃないっつの。…親御さんもこうして見舞いに来てくれてんだから、馬鹿な事すんなよ?」

「……悪い、千㟢にも心配かけて」

「は?何でそうなるんだよ」

「いや、千㟢は何もなしにこんな事言わないでしょ。元々あんまり他人に興味ないんだから」

「あのなぁ…ったく、本当に反省しろっての……」

 

軽く額に手を当て、嘆息混じりに念を押す。…まさか、心配かけて悪い、なんて言われるとは思っていなかった。その返答が癪だったから突っぱねるように返すと、今度はdisり混じりで地味に言い返せない事を言ってくる。…くっそ、御道は性格は悪くないが偶にこういう返しをしてきやがるんだよな……。

 

「ぷっ、悠弥上手くやり込められたわね」

「悠弥君って、愛想笑いけど気遣いはしっかりしてるよね。今のだって間接的に両親の事も慮ってる訳だし」

「うっせぇ…!てか、こういうのは俺よりそっち二人が言うべきだろうが…!」

「あ、それなら大丈夫だよ。わたしも顕人君には言ったからね、馬鹿な事するなって」

「あー、うん。キレられたね、俺」

「え、綾袮がキレたの?…いや、まぁ綾袮でもこれは怒るか…貴方が短絡的な事したのは間違いないし」

 

何故か俺が女子二人からにやにやした顔で見られたり、そっから綾袮がキレたって話になったりと、一応は真面目な事を言った筈なのにその雰囲気が碌に持たない。何ともまぁ不真面目な奴等だ…と一瞬思ったが、俺が他人を不真面目だなんて何様だよって話。それに仮にも綾袮は宮空の人間なんだから、言うべき事はきっちり言っている筈。ならばぐだぐだ言っても蛇足にしかならんだろうと、俺は続く言葉を飲み込んだ。

 

(…それに、並々ならねぇ事があっても尚自分を保ってられるのは大切な事だ。なら、この雰囲気を壊すのも…自己満足以上の意味がねぇ行為だよな)

 

御道が幸運だったのは間違いない。もし事の重大さを理解してないなら、それこそ次同じような事があれば取り返しのつかない事態になりかねない。だが、そうじゃないのなら…俺がこれ以上踏み込む必要なんてないだろう。完全に不要な行為だし…俺より適役は、顕人の周りにいるのだから。

そう自分の中で答えを出し、俺は俺の頭へよぎった思いに結論を付けるのだった。

 

 

 

 

「……そうだ御道、夏休みの課題はもう終わったか?」

「おっと、まさかまた課題の話になるとは…大方は終わらせてあるけど?」

「そうかそうか。じゃ、帰りにちょっと家寄らせてもらうぜ?」

「え?まぁ綾袮さんがいいなら俺は構わな……盗る気か!?良くて書き写し、悪くて最悪パクる気か!?」

「……!いいよ悠弥君!是非いらっしゃいませ!(その手があった…っ!)」

「是非いらっしゃいませ、じゃねぇよ!?後心の声がっつり見えてますからね!?」

 

 

 

 

顕人と彼の見舞いにきた三人に気を回し、想定よりも早く去った二組の両親。だが二組の姿は、未だその施設の中にあった。

 

「…どうしても、お答えして頂く事は出来ないんですね」

「すみません。これは組織内でも情報規制がなされている事なので、今言った以上の事はお答え出来ません」

 

少し悲しそうに言う顕人の父親の言葉に、深介はゆっくりと首を横へ振る。彼が訊いていたのは、顕人に何があり、何故負傷する事になったのかという、親ならば訊いて当然の質問。

 

「いえ、情報を外へ漏らしてはいけないのは一般の企業も同じ事ですから、それについては理解しています」

「…ありがとうございます」

 

顕人の父親の返しに軽く頭を下げる深介と紗希。立場ある人間として、冷静な対応を徹底している二人だったが…内心では彼と顕人の母親の心情を考えるまでもなく感じていた。同じように子を持つ親としての心は、顕人の両親に共感していた。

 

「…では、代わりに聞かせて下さい。安全管理は、徹底しているんですよね?」

「それは勿論です。…仕事柄、絶対的な安全は保証出来ませんが…それ故に安全の確保には重点を置いているつもりです」

「しかし、顕人君が大きな負傷をしてしまった事は事実。…今回の件は我々の失態として、重く受け止めさせて頂きます」

 

続く顕人の母親の言葉には、紗希と深介が順に答えた。その返答を最後に、二組の間へ訪れた十数秒の沈黙。深介と紗希が反省を示すように目を伏せる中、顕人の両親は寄り添うように目を合わせ……それからはっきりとした声音で、言う。

 

「…分かりました。話を聞く限り顕人にも至らない点はあったようですし、これも顕人が選んだ道。顕人を信じて送り出した以上、私達はこの事をそのまま受け入れようと思います」

「…そう言って頂けると、こちらも助かりま……」

「……ですが、今後も同じ事が続くようなら…組織が顕人を不幸にするだけの場所ならば、私も妻も黙ってはいません。私達には貴方達のような立場も、力もありませんが……それでも私達は、顕人の親ですから」

『……はい』

「…では、失礼します。それと…お二人の娘さんは、とても素敵な方だと思います。ですから、彼女の親であるお二人を…信じさせて下さい」

 

納得と、意思と、信用。その三つの思いをそれぞれに伝え、顕人の両親は去っていった。そんな二人の後ろ姿を、綾袮の両親である二人は見送る。

 

「……立派な両親だね。顕人君の人柄は、彼が元から持っていた面もあるんだろうけど…きっと、あの二人に育てられたからこその部分もあるんだろう」

「えぇ。お二人の信用の為にも、アタシ達大人が務めを果たさないと。…ねぇ深介、アタシ達は綾袮にとってあんな親でいられてるかしら?」

「どうだろう。…けれど僕は、胸を張って自分が綾袮の親だと言える父親をしていたつもりだよ」

「…そうね。貴方は相変わらず頼りないけど…それでもアタシと一緒に親をしてきたんだもの、ね」

 

それから数分後、彼等もまたその場を去る。時間にすればたった数十分の、それも片や組織の人間として接していた、二組の親のやり取り。だが、そんな時間や立場は関係ないとばかりに……二組はそれぞれ、相手の両親に対する敬意の念を抱いているのだった。



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第百三話 悪意ではない、覚悟の行動

立て続けに三組のお見舞いが来てから更に数日。傷が開くだとか体調が悪くなるだとかの問題もなく、経過良好という事で本日遂に俺は退院となった。厳密には昨日それが決まって、現在俺は荷物の片付けを行っている。

 

「いやぁ、初めは早く帰りたいと思ってたけど、いざ帰るとなると名残惜し……くないな。てか名残惜しくなる程いた訳でもないし」

 

自分の物とここの物とを混じらせないよう軽く分けて、綾袮さんに用意してもらったバックへ詰め込んでいく。綾袮さんは今日用事があるとかで、まだここには来ていない。

 

「にしても、日当たりの良い部屋だったなぁ…夏場だから全然うれしくなかったけど」

 

時折独り言を呟きながら、片付けをする事十数分。元々長期の入院じゃなかったし、必要になったら綾袮さんに頼めばいいやというスタンスでいたから、案外片付けは簡単に終わってしまった。…まあ、滅茶苦茶手間取るよりはいっか。

 

「さて、これで…っと、着替えるの忘れたっけ……」

 

片付けを終えた俺はベットに腰掛けようとし、そこで病院服のままだという事に気付く。だから当然俺は着替えへ。ここには俺以外いないし、わざわざカーテンを引く必要もないんだから、そのまま立って紐を解く。それから服を脱ぎ、荷物の中から私服を引っ張り出して……

 

「お待たせ〜顕人君。もう片付けは終わったかな?終わってなかったらわたしはジュースでも買い…に……」

「あ……」

「…………」

「…………」

「………………「いや早く閉めてよ!?な、何フリーズしてんの!?」あ、そ、そうだよね!ごめんっ!」

 

……下着しか履いてない状態で、綾袮さんがやってきた。…えぇはい、最悪のタイミングです。全裸じゃないだけまだマシっちゃマシだけど、それでも普通に最悪です。

 

「び、びっくりしたぁ…やっべ、今のでもう嫌な汗が……」

 

慌てるように私服を着る俺。もう扉は閉まっているけど、展開が展開だけにゆっくり着替える気分にはなれない。そして着替え終わった時、俺はまだ心拍数が上がっている胸を撫で下ろした。

 

「…あー…お待たせ、もういいよ綾袮さん」

「…ほ、ほんとに……?」

「嘘言う訳ないでしょうが…」

 

病院服を畳みながら声をかけると、僅かに扉が開いて視線だけが入ってくる。綾袮さんの心境も分からないでもないけど…俺が脱いだ姿を、綾袮さんに見せようとするとでも思ってるのかね……。

 

「そ、それもそっか……あの、ほんとにごめんね…?」

「まぁ、気にして…なくないけどそんなに怒ってもないし、今後気を付けてくれればそれでいいよ」

「う、うん…」

 

それから綾袮さんは入ってくるも、顔は赤いままだし普段からは想像出来ない程にしゅんとしている。いつもは元気一杯、天真爛漫な女の子って感じの綾袮さんがそういう姿を見せるのは、何ともギャップが効いてて可愛らしい……って、

 

(何考えてんだ俺は…着替え見られといてこの思考は駄目だろ……)

 

被害者サイドがときめきを覚えるとか、完全にアウトである。良くてマゾヒスト、悪いと最悪ストックホルム症候群の症状である。…いや、被害っつってもまだ軽いもんだけど。加えて言えば、俺は別に見られた事でときめいた訳でもないけど。

 

「…えーと、片付けは見ての通り済んでるんだけど…もう帰っていいの?それともまだ何かやる事ある?」

「あ…も、もう帰れるよ。わたしはどれ持った方がいい?」

「じゃあ、これを頼むよ」

 

この話を引っ張っても仕方ないから俺は本題に入り、バックの内一つを綾袮さんに渡す。もうやる事がないのなら、ほんとに後はお世話になった人に挨拶をしてそれでお終い。

 

「悪いね、時間ない中付き添いまでしてくれて」

「ううん、流石に退院直後の人を一人で帰らせる訳にはいかないからね。それにラフィーネとフォリンからも、顕人君の事をちゃんと見ててくれって言われてるし」

「そ、そうなんだ…っとそうだ、俺結局二人に関して訊けてないじゃん…あのさ、帰りに二人と会う事って出来ないかな?勿論無理なら諦めるけど…」

 

渡した流れで俺も残りの荷物を持ち、歩き始めた最中に出てきた二人の名前。そこで数日前聞けず終いとなり、その後も訊いていなかった二人との交流が出来ないかと、俺は何気なく訊いて……その瞬間、綾袮さんの表情が陰りを見せた。

 

「……綾袮さん?」

「今日は…難しいかな。二人自体は空いてるけど、今日はちょっと二人に関する話し合いがあって……」

「…あって…?」

「……ごめん、言い直すよ。これは、関係者である顕人君にも知る権利があると思うから」

 

横を向く俺に対し、綾袮さんは廊下の先を見ながら少しだけトーンの落ちた声で途中まで言って……それから立ち止まり、俺の方を向いて訂正する。打って変わって真面目な声音で、真剣そうな顔で言い直すと言われた事で俺は緊張し、同時に不安が心をざわつかせる。けれど、綾袮さんが言ったのは……俺の予想以上の言葉だった。

 

「…話し合いはね、おじー様達とこっちにきてるBORGのトップによるものなの。二人の事は本題だけど、本質的な話じゃなくて……その話し合いの結果次第じゃ、顕人君の望まない決定が下されるかもしれないの」

「……っ!」

 

それは恐らく、ここに来てから一番の衝撃。一番の衝撃を、去る間際に聞かされるなんて思いもしなかった。…けど、そんな事はどうでもいい。

 

「望まない決定って…でも、あの時ゼリアさんは退いて……」

「あの時は、ね。それにBORGに送還、ってのは選択肢の一つでしかないよ。もっと軽く済むかもしれないし…もっと酷くなる事だって、あり得るから」

「…なんで、そんな……」

「……組織だから、だよ。特に戦闘を生業にする、世間には知られてない組織だからこそ、時には非情な判断を下さなきゃいけない事もある。忖度とか、面倒事の隠蔽とか、不都合な事実の揉み消しとか、そういう汚い事も時にはするんだよ。…納得は、してくれなんて言わないけどね…」

 

悲しそうに、済まなそうに、綾袮さんは言った。これが組織の…清さや理想だけじゃ渡っていけない世界の在り方なんだと。そして同時に、俺は気付いた。これまで綾袮さんから、間違いなくそっち側の人間である彼女にそういうものを一切感じなかったのは、実力も権力も努力も尽くして理想を実現させてたのだと。俺に、そういう世界を見せないでいてくれたんだと。

 

「…………」

「おじー様は厳しいけど優しいし、妃乃のおじー様も妃乃が尊敬する位良い人だから、きっと極力二人の事も考えてくれると思うよ。…だけどやっぱり、協会の利益や皆の安全と、理由はどうあれ『敵』の二人を天秤に掛けたら……」

「…だよ、ね…うん、理解は出来るよ…理解出来るし、組織じゃ割り切る心が必要だって事も分かってる」

「…ごめんね、顕人君」

「なんで、綾袮さんが謝るのさ…綾袮さんは、何一つ悪くないじゃないか…」

 

納得は出来ずとも、理解は出来る。それが組織の長に強いられる現実だって事も、綾袮さんが謝るのは辛く思っている事の表れだって事も、全部理解してる。

だけどそれは理解。そういうものだと分かっているだけ。仕方ないという思いはあるけど、飲み込んだ訳じゃないし…増してや納得なんて、俺は微塵もしていない。

 

(…なら、どうする?このまま仕方ないって自分に言い聞かせる?……馬鹿言え、誰がそんな事するもんか)

 

俺は昔から、物分かりの良い子供だった…と思う。親や先生にあまり反発せず、納得出来てない事でも『大人の言う事だから』と自分に言い聞かせて飲み込んだ事も少なくない。…けど、これまでと今は違う。今そうしてしまったら、俺は大切なものを失う事になる。あれだけの覚悟でもって守ったものを、手放す事になってしまう。それに、俺の中で再び燃え始めた夢への思いは……別の答えを、迷う事なく掲げている。現実を見てるフリして、世の中の非情さを分かってるフリして、夢や信念から逃げる自分にすら目を逸らすような事…誰がするもんか、って。

 

「……ねぇ、綾袮さん。二人が組織間のやり取りにおいて不利になるのは、BORGにとって二人を野放しにするのが危険である事と、事実として俺が…協会の人間が傷付けられたって事だよね?」

「え……?…う、うん…そうだね、その認識は間違ってないよ」

「そっか……なら…頼みがあるんだ、綾袮さん」

 

背丈の関係から俺を軽く見上げる綾袮さんの瞳を見つめて、俺は言う。俺のしたい事を。俺の貫きたい思いを。

それは愚かで、無謀で、分の悪い賭け。損をするだけの可能性だって十分にある、一蹴されても仕方ない意思。だけど俺は口にした。その思いを自分の中から外へと放った。…だって、そうだろう?俺はまだ……二人との約束を、果たし切れていないんだから。

 

 

 

 

そこでは、緊迫した雰囲気が渦巻いていた。普段この類いの緊張とは無縁な人間ならば居るだけでも耐えられないような、ある種戦闘の緊張にも匹敵する空気。だがそれも当然の事。規模も力も大きな組織のトップ同士による会談とは、戦闘と何ら変わらないのだから。

 

「…認めるつもりは、ないのだな?」

「えぇ、残念ながら。けれど僕の預かり知らないところとはいえ、我等がBORGの霊装者が暴走した事は事実。それに関する賠償は、きちんとさせて頂きますよ」

「ふん、白々しい…」

 

この場における中心は、確認の問いを投げかけた宮空刀一郎に、返答に対して鼻を鳴らす時宮宗元、そしてその二人と対面するBORGの代表、ウェイン・アスラリウス。その傍らにはゼリアが立ち、刀一郎と宗元の横にも護衛の霊装者が相手へ鋭い視線を向けているが、彼女達は一切言葉を発しない。

 

「して、その負傷した霊装者の調子はどうですか?聞くところによると、致命傷ではないとの事ですが…」

「それは我々に訊かずとも、秘書に訊けば済む事だろうに。綾袮をして強者と言わせた彼女ならば、よもや自らの与えた傷の具合が分からないという事もあるまい」

「ふむ…さらについてはこちらとそちらで認識の齟齬があるようですね。後程改めて確認させてもらいますよ」

 

その名の通り、刀の様な視線と雰囲気を刀一郎は放つものの、ウェインはそれを柳に風と軽く躱す。一方の刀一郎も動じる事なく雰囲気を維持し、お互い一歩も譲らない。

 

「…一応伝えておこう。彼女達は我々に協力的だ。そちらが如何に情報を隠蔽しようと、人という証拠がある以上、逃れようのない事実を突き付ける日が来る可能性はゼロではない」

「確かに、人の存在は侮れませんね。しかしないものはないのですよ。こればかりは信用して頂くしかありませんが」

「信用するかどうかは我々が決める事だ。誰が最も信用出来るかも、何が最も信憑性に長けているかも、な」

 

刀一郎とは別の角度で仕掛ける宗元。時宮と宮空の両家を中核とする二つの派閥に分かれ、一枚岩ではなくなっているのが霊源協会の実情だが、組織として同じ目的を持っている事には変わりなく、そのトップたる両者は生粋の指導者。同時に長い付き合いという事もあり、二人は示し合わせを一切なくして協力して話を進めていた。

この会談は元々、BORGへの疑念と暗殺事件に対する情報共有が議題となって行われる筈のものだったが、その双方が最悪の形で繋がった事により協会側が問い詰める形へ変化し今に至る。ここまでは押し問答の如く目立った進展がなく、実質的な硬直状態となっていたが……ちらりと宗元と刀一郎は視線を合わせ、この会談に終止符を打つ。

 

「……最後に、もう一度だけ訊こう。ラフィーネ・ロサイアーズ及びフォリン・ロサイアーズの行動は全て彼女達の独断行動であり、BORGに我々と敵対する意思はない…これがそちらの主張で間違いないな?」

「はい。更に言うなら、お互いの利益の為にも有効な関係は続けたいものです」

「…ならば、こちらもそれ相応の対応をさせてもらおう。今の関係が崩れる事は出来る限り避けたいところだが、真相次第ではそれも致し方……」

 

役が変わりながらも再びの形で宗元が訊き、ウェインが応え、それに刀一郎が言葉を返す。彼の言葉は会談を締めようとするものであり、それを二人も止めはしない。刀一郎が言い切れば、そこで会談は終わりとなる。……そんな時だった。

 

「……会談中、失礼します」

『……!』

 

不意に開かれる部屋の扉。会談中に誰かが入ってくる予定はなく、尚且つ外には警備が立っていた筈の扉が開かれた事に内部の全員が反応し、特にそれぞれの護衛は臨戦態勢の雰囲気を纏う。…だが、声と共に入ってきたのは……

 

「…綾袮…それに、顕人……」

「突然の無作法、申し訳ありません皆様」

 

それぞれ制服を身に付け、真剣な眼差しを浮かべた顕人と綾袮だった。

 

 

 

 

協会の指導者二人とその護衛、ゼリアさんと見知らぬ…恐らくはBORGの代表である一人の男性。部屋の中に居た全員の視線が俺達二人に向けられている。…想像を遥かに超えた、緊張感と共に。

 

「…何のつもりだ、綾袮」

 

まず綾袮さんが言葉と共に入り、俺は後に続き、語先後礼で謝罪を述べた。それに返ってきたのは、刀一郎さんの静かな問い。けれどその視線は、これまで話したどの時よりも…鋭い。

 

「彼が、この会談の内容に関して何としても伝えなければならない意見があるとの事で、わたしの判断で連れて参りました。事前連絡のない形となってしまった事は、わたしの責任としてお詫び申し上げます」

「…伝えなければならない意見、だと?」

「はい。重要な事であるが故に、伝えなければならないとの事です」

 

準備や心構えの時間なんて殆どなかったというのに、綾袮さんは落ち着き払って言葉を紡ぐ。既に冷や汗で服が濡れつつある俺とは対極の、威厳ある態度と言葉。…その綾袮さんが力を貸してくれてると思うと、やっぱり心強い。心強いんだから…俺も、ビビってなんかいられない…!

 

「…いいだろう、ならば話せ……とは言えんな」

「……何故、でしょうかお祖父様」

「場を弁えない行動を、二つ返事で了承する訳にはいかないからだ。確かに一刻を争う事態ならば、正しい手順を踏まずに進める事も必要だろう。だが、もし今最高機密に関する話をしていたらどうする。顕人は勿論、綾袮…お前にも知らせる訳にはいかない話を耳にしてしまったとしたら……それが分からない訳ではなかろう」

「…それは、重々承知です。稚拙な行動に対する叱責は、甘んじて受け入れます。ですが……」

「まぁ、いいではないか刀一郎」

 

許可が降りる瞬間を待つ俺と、俺が話せる場を作ろうとしてくれている綾袮さんに返されたのは、一切の譲歩がない…けれど、筋の通った刀一郎さんの言葉。それはただ拒絶している訳ではない、俺達の行動を一応とはいえ認めた上での否定だからこそ、単に駄目だと言われるよりも反論し辛く、綾袮さんも一瞬言葉に詰まってしまう。……でもそこで、意外な形の援護が入った。

 

「…宗元、お前……」

「どちらが正しいかと言えば、それはお前の方だろう。だが、お前自身が言った通り、時にはなりふり構わない行動が最善となる事もある。考えなしの行動ならいざ知らず、非礼を理解した上での行動ならば…聞くだけの価値は、あるだろうさ」

「…私とて、聞く価値がないとは言っていない」

「だろうな。ならば、もう一人にも意見を訊いてみようじゃないか。…ウェイン殿、貴様はこれをどう思う」

「私は別に構いませんよ。それに…わざわざこうして、連絡も惜しんでまで伝えようとしたのは何なのか、個人的には興味を惹かれますね」

「…との事だ。少なくとも相手方は、話す事に肯定的らしい」

 

説得…とまでは言わないものの、俺達を肯定してくれる意見を述べてくれたのは時宮家の当主、時宮宗元さん。更に話を振られたBORGの代表、ウェイン・アスラリウスさんもその意見に賛同し、この場における風向きが変化。それに乗じて俺と綾袮さんが深々と頭を下げると……下げた頭のその先で、小さな溜め息が聞こえてきた。

 

「……良かろう。だが、本当に今でなければならない進言だったかどうかは、聞いてから考えさせてもらう。それでも構わないな?」

「…感謝します。……顕人君」

 

フリではない、今度こそ本当の許可の言葉。それを受けた綾袮さんは大きな首肯で了解を示し、俺へと視線を送ってくる。…その瞳は、言っていた。さぁ、顕人君の出番だよ…と。

 

(…腹痛感じるレベルで緊張するな…けど、だから何だってんだ…俺は、俺のしたい事を…すべき事をするだけだ……ッ!)

 

綾袮さんからの視線に頷き、一歩前へ。目を閉じ、小さく深呼吸し、目を開く。

目の前にいるのは、二つの組織の長。更に言えば、あのゼリアさんもここにいる。間違いなく俺にとっては場違いな、いるべきじゃないとすら思えてしまうこの空間。……だとしても、俺がやる事は一つ。そしてその思いを胸に……俺は、挑む。

 

「…まずは、謝罪させて下さい刀一郎様、宗元様。これから私が申し上げる事は、この会談が始まる前にお伝えすべき事でした」

「…前置きはいい。君は何を伝えたいというのだ」

「はい。私が申し上げるのは、私が行った報告の訂正です。療養中、聴取に対し正直に答えたつもりでしたが…今となっては、誤りがあったと猛省しております。伝えるべき事を伝えられなかったと、認識している所存です」

「…そうか。ならば、どこをどう訂正するのか言ってみよ」

「分かりました。私は、ラフィーネ・ロサイアーズ及びフォリン・ロサイアーズがBORGとの刺客であった事、彼女達が事実上の脅迫をされていた事、離反しようとする彼女達へそちらのゼリア様が実力でもって止めた事、私の負傷もその際のものである事をお伝えしましたが……」

 

 

 

 

 

 

「──それ等は全て、誤りでした。私はロサイアーズ両名と訓練を行い、その最中に不注意から怪我を負い、駆け付けた綾袮様に助けて頂いた。…以上を、私からの訂正とさせて頂きます。ご報告が遅れ、誠に申し訳ありませんでした」



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第百四話 君臨する者の格

双統殿の廊下を歩く、二つの影。独特の雰囲気を放つその二人は、片や愉快そうな薄い笑みを、片や考え込むような思案の表情を浮かべている。

 

「通信を聞いていた際にも、中々胆力のある少年だとは思ったが…まさか、あんな事を言い出すとはね」

「えぇ。私も流石にあれは予想外でした」

 

その二人とは、他ならぬウェイン・アスラリウスとゼリア・レイアード。彼等が話しているのは、つい先程閉会となった会談における意外な出来事。御道顕人による『訂正報告』は、終わった後早速ウェインが話に出す程衝撃的且つ、予想だにしない内容だった。だからこそウェインは愉快そうにし、ゼリアは思案を続けていた。

 

「…御道顕人の魂胆は、何だったのでしょうか。あれでは自らの立場を悪くし、無意味に状況を混乱させるだけとしか思えません」

「はは、確かにそうだね。魂胆の内容に関わらず、特攻紛いの行動だったとは僕も思うよ。…っと、こういう表現は不味いんだったかな?」

「いえ、その程度なら問題ないかとは思います。…しかし……」

 

顕人が行ったのは、ゼリアの言う通り凡そ普通の事ではない。本来あった出来事を間違いとし、ありもしない事を訂正として話すなど、端的に言って利敵行為。霊源協会とBORGは友好的な関係を築いていた為その表現は些か語弊があるのだが、彼等を糾弾しようとしていた宮空刀一郎と時宮宗元にとっての大きな根拠を一つ潰し、BORGにとっては秘匿したままでいたい事実の隠蔽を援助した事には変わりない。そして何より、そこまでして一体何を得られるのかが、ゼリアに思案をさせていたのだった。

…が、それはあくまで彼女の話。彼女の言葉に含みのある返答を行ったウェインに対し、ゼリアは訝しげな視線を向ける。

 

「…貴方には魂胆が…何故そうしたのかが分かっているような口振りですね、ウェイン」

「いいや、僕にも分からないさ。けれどあの時、彼は確固たる意志を…願いを灯した瞳をしていた。つまり、それだけの事をするだけの理由があったって事だよ、彼にはね」

「…そんな事は分かっています。私はその理由を考えているんですが?」

「うん、我ながら今のは的外れな回答になってしまったね。……まぁ、何れにせよ…面白い少年じゃないか、彼は」

 

半眼で返された事でウェインは肩を竦め、それから再び愉快そうに笑う。曇りのない、混じり気もない、されど得体の知れない何かを感じさせる彼の笑み。それを見たゼリアは嘆息し……そうですね、と軽く頷くのだった。

 

 

 

 

やり切った感じはある。後悔なんてしてないし、終わった今だってやっぱりこれはやるべき事だったと思ってる。それは俺が望み、俺が願った、本気の思いだったんだから。

だけど、『後悔してない=何も怖くない』って訳じゃない。やりたい事をやり切ったんだから、その結果起こる事は何であろうと致し方なしとは考えてたけど、出来る事なら自分にとって不都合な事は避けたいと思うのが人間というもの。

…なんて、格好付けたってしょうがない。白状しよう。俺は……シンプルに怒られるのが怖いのである。

 

「…………」

 

会談が終わった後、言うまでもなく俺と綾袮さんは刀一郎さんに呼び出された。もうこれは絶対に怒られるパターンだよ…と、普段あまり怒られない分余計に気を重くしながら刀一郎さんの執務室前へと移動したのが数十分前。まず綾袮さんが中へと呼ばれ、俺はただひたすらに待っている。

 

(…それに、申し訳ないな…俺のしたい事に綾袮さんを付き合わせちゃって……)

 

そうする他に手段がなかったとはいえ、綾袮さんも同意の上だったとはいえ、綾袮さんは橋渡しとしての役目しかしていない。にも関わらず怒られる事となった綾袮さんに対して俺は強い負い目を感じていて、自分が怒られる事より綾袮さんが怒られる事の方が嫌だった。綾袮さんは、悪くないのにって。

 

「……でも、非がない…って、事もないんだろうな…」

 

けれど、綾袮さんが怒られるのは当然の事だ…そう思っている自分もいた。立場には責任が付きもので、綾袮さんは謂わばその立場を私的に利用したんだから。例え橋渡しだとしても、状況をひっくり返すような俺の行為を手助けした事には変わらないんだから。…そして、それを綾袮さんが理解していない筈がない。理解した上で尚、綾袮さんは俺に力を貸してくれたんだ。…だから俺は、綾袮さんへの感謝を絶対に忘れちゃいけない。

 

「……綾袮さん…」

「ふへぇ…呼んだ〜…?」

「うん、呼んだ……うぉっ!?あ、綾袮さんいつの間に!?」

 

感謝と負い目、その両方の気持ちから名前を呟いた俺。それは完全に独り言のつもりの発言で、けれど驚く事に返答がきて……声の主は、へろへろになった綾袮さん本人だった。

 

「いつの間にっていうか、今出てきたところだよ…ほら、行こうか顕人君……」

「行くって……あ、はい…」

 

どこへ?…と訊こうとしたものの、綾袮さんが今し方出てきたばかりの扉へ再び手をかけた事で行き先を理解した俺は、内心ビビりながら彼女の横へ。ドアノブが回され扉が開く中、俺は気持ちを切り替え自身を奮い立たせる。

 

(きちんと謝るべき事は謝って、反省すべき事は反省する。…けど、胸を張れ俺。これは俺が、思いを貫いた先の結果なんだから…!)

 

綾袮さんと共に、執務室の中へと入る。その瞬間肌に感じる、口の中が一気に乾いていくような威圧感。

 

「…待たせたな、顕人」

「…は、はい」

 

片手の肘を机に突いて座る刀一郎さんに声をかけられ、緊張しつつも俺は答える。既に若干胸を張れているか不安なところだけど…胸を張れていなくても、気持ちだけは折れちゃいけない。…いや、今更折れる筈がない。

 

「綾袮から、事のあらましは聞かせてもらった。…あれは、お前の意思によるものだったんだな」

「…そうです」

「…どこまでが嘘だ」

「それは…ご想像にお任せします」

 

ご想像にお任せする。それはなんて曖昧で、ちゃんとしていない答えだろうか。…けど、これが俺の出来る最大の答えだった。これ以上事実を歪めたくはない、けれど正直に話す訳にもいかない俺には、こうして返す他にない。そして、それが俺の勝手な都合である事も…十分分かっている。

 

「……あれが、お前のしたい事だったのか」

「はい」

「あれのせいで、協会として考えていた対処は大きな変更をせざるを得なくなった。何故だか分かるな?」

「…あの場における証言者は四人。その内二人はBORGの人間で、綾袮さんも最初からいた訳ではない。よって最も信憑性及び正確性のある証言者が私であり……その証言がひっくり返った結果、BORGを糾弾し切れなくなった」

「その通りだ。…全て理解していたからこそ、動いた訳か」

 

刀一郎さんは、俺を睨んでいる訳じゃない。にも関わらず、俺は下手に睨まれるよりずっと恐ろしく感じている。

言った通り、言われた通り、俺は全部分かっていた。俺の発言が最も力を持っている事を、真実は変わらずとも、俺の証言次第で『事実』は変わってしまう事を理解していたから、それを利用させてもらった。更に言えば、綾袮さんも口裏合わせをしてくれている訳だから、協会側の証言は完全に糾弾の材料にならなくなっている。そうなれば残る証言はロサイアーズ姉妹のものだけとなり、BORGの人間且つ、綾袮さんを襲おうとしていた二人の証言だけで糾弾なんて出来る訳がない。

 

「……何故そうした。あの日あの場で、BORGから何か脅迫でも受けたのか?」

「いえ、脅迫も取り引きもありません。あれは私の意思で行った事です」

「ほぅ…BORGに恩でも売りたかったのか?」

「いいえ。私は…私は、守りたいものと貫きたいものの為に行動したまでです。それ以上でも、それ以下でもありません」

 

剣呑な雰囲気のままの質問が続く。何とか表面は取り繕えても、内心は心臓ばっくばく。…けど、緊張していても、気圧されていても…それだけははっきりと言う事が出来た。あの日も今日も、俺は俺の意思の強さに我ながら少し驚いている。

 

「……では、何か他に言いたい事はあるか?あるなら言ってみるがいい」

「…………」

 

恐らくそれは、最後の質問。もっと言えば、弁明したいのならすればいいという意図の言葉。多分、ここで何か言えば何かしら意味はあるんだろうけど……俺は何も言わなかった。思い付かなかった訳じゃないけど、ここにきて小手先のゴマすりなんかしたくなかった。それが俺の、意思を貫いた俺の意地。

何も言うつもりがない事を悟った様子の刀一郎さんは、黙って俺の目を見つめている。俺もその視線から逃げる事はせず、真っ直ぐに視線を向け返す。そして数秒間の時間が過ぎ、刀一郎さんは小さく息を吐いて……言った。

 

「…ならばもう良い、下がれ」

「はい。……え、はい?」

「…聞こえなかったか?」

「い、いえ聞こえました…聞こえました、が……」

 

発されたのは、まずないだろうと思っていた命令。どんな言葉だろうと受け止めるつもりだった俺は、反射的に一度首肯し、それから意味が分からず訊き返した。だって、そうだろう?まさか…トップのしようとしていた事をおじゃんにしておいて、それで不問になるなんて事があるのか…?

 

「不服か?」

「そ、そうではありません…けど、それで…宜しいのですか…?」

「いいからそう言っている。だが、これだけは言っておこう」

 

 

 

 

「──驕るなよ、小童が」

「……っ!」

 

声を荒げる事もなく、静かにただ一言そう言った刀一郎さん。言葉としては、たった一言。けれどその一言は、ずしりと俺の心にのしかかった。一瞬で汗腺全てが開いたんじゃないかと思う程に、緊張の汗が噴き出した。……それ程までに、刀一郎さんの言葉は重かった。

何とか了解の言葉を絞り出して、俺はそこから退室する。執務室の扉を閉じて、向かいの壁まで歩いて、そこに背を預けた瞬間どっと疲れが押し寄せる。…俺は、俺の意思を貫いた。それが出来て一安心だし、出来た事を喜ぶ気持ちもある。けど、今は……圧倒的過ぎるその威圧感で、頭の中が一杯だった。

 

 

 

 

何度経験しても、長期休暇の終盤になると「あっという間だったな…」という気持ちになる。これは何も長期休暇だけじゃなく、大概の物事に言える事。…けれど今年の夏休みは、本当にあっという間だったと思う。それは主に、霊装者絡みの色々で。

 

「喉元過ぎれば熱さ忘れる、とは言うけど…それも限度があるよなぁ……」

 

夏休みも終盤のその日、退院からのトンデモ行動に移ってから数日経った日の夕方に、俺は夕飯を作りつつそんな事を口にした。

何が言いたいかといえば、それはゼリアさんから喰らった一撃の事。もう傷は意識が戻った日の内に塞がったし、痛みが残ってるって訳じゃない。けど思い出そうと思えば結構はっきり思い出せる程度には、あの時の痛みは俺の脳裏に焼き付いていた。

 

「にしても、ほんと凄ぇよ霊装者……」

 

菜箸で鍋の中の素麺を軽く回しながら、服の胸元を摘んで脇腹を覗く。

ガリガリじゃない程度に痩せている、力強さはそんなに感じない俺の身体。あの時、この脇腹を確かに俺は斬られていて……にも関わらず、傷痕は殆ど残っていない。あの治癒は、傷痕すら残さない程の技術だった。勿論、綾袮さんを始めとする治療を行ってくれた人達が優秀だったからかもしれないけど…凄い事に変わりはない。

 

「…上には上がいるんだから、実力もそうだが頭や精神ももっと鍛えなきゃだよな……」

 

島に行ってから今に至るまで、色々な霊装者を見てきた。一番印象に残っているのはやっぱりゼリアさんだけど、訓練の中での模擬戦でも俺より実力に勝る人の事は何人も見た。そして戦いは、純粋な戦闘能力だけが物を言う訳じゃない。戦術や駆け引きだって大切だし、ラフィーネさんフォリンさんを連れて行かれずに済んだのは…自分で言うのはちょっと恥ずかしいけど、俺があそこで踏み留まったってのも一因の筈。更に言えば、戦いは戦場だけて起こるものでもない訳で……ただ実力的に強くなるだけじゃ、どっかで俺は行き詰まる。気の早い考えな気がしないでもないけど、早い内から考えたって損はない筈。…っていうか、今回の件みたいにいつ何があるか分からないんだから、その内に…なんて思ってられない。

 

「…ラフィーネさんに、フォリンさんか…元気にしてるかな……」

 

そこでふと、二人の事を思い浮かべる。しでかした事がしでかした事なせいか、あれからも俺は二人と会えていない。綾袮さんから話を聞く限り、俺の行動が功を奏して二人が酷な処分を受ける事にはなってないらしいけど、何も分からないというのはやっぱり不安を感じてしまう。…それに、今後二人がどこかに行ってしまうのなら、せめてその前にもう一度話がしたい。元気ならばそれだけで良い…って思える程、俺は大人じゃないんだから。

…と、そんな事を思いながら茹でた麺をザルに移し、冷水で締めていたところ、ポケットの中の携帯が鳴る。

 

「綾袮さんか…もしもーし、どうしたの?」

「うん、急で悪いんだけど、今日二人家に来る事になったの。…夕飯、追加で用意出来る?」

「ほんと急だね…でも何とかなるかな。素麺ならまだ余裕があるし」

 

麺はそのままもう二人分茹でればいいし、おかずの野菜も冷蔵庫にまだある。その確認をして俺が返答すると、電話の向こうからはほっとしたような声が聞こえてきた。

 

「顕人君、もう一人前の主夫さんだね」

「いやいやまだまだ発展途上だよ。…ってか、そもそも主夫じゃないし…もしかして綾袮さん、移動中?…電話は短めに済ませたい感じ?」

「ううん、移動中だけど大丈夫だよ?」

 

今のご時世男であろうと家事はそれなりに出来た方がいいとは思うけど、高校生にして一人前の主夫になるのは何か色々変な気がする。後、半年弱で母さん並みの家事スキルが身に付く訳がない。それは流石に全国の主婦及び主夫さんを軽んじ過ぎだと俺は思う。

…というのはさておき、電話の向こうからは蝉の鳴き声やら車の走る音やらが聞こえてくる事から、移動中ではないかと判断した俺。けど、俺はただ気になった事を口にした訳じゃない。

 

「…じゃあさ、綾袮さん…色々、どうなってるのかな…ラフィーネさんフォリンさんの事も、俺が殆ど不問にされた事も……」

「…やっぱりまだ気になるんだね。二人の事は勿論だけど、もう一つの方も」

「そりゃ、処罰される事も覚悟してたのに、処罰どころか叱責すらも碌にされなかったんだからね…」

 

もう何度も訊いた質問を、また俺は口にする。話せないのか、話したくないのか、どちらか分からないけどいつも綾袮さんにははっきりとした答えを貰えてない問いを、再び俺は口にした。

いつもだったら綾袮さんは、「二人が元気だって事は断言出来るよ」とか、「おじー様も、色々考えた上で多くは言わなかったんだよ」とか一応は納得出来る事を言って、それ以上は言わなかった。…でも、今日は違う。

 

「……本当に聞きたい?自分がどうして、あれだけで済んだのか」

「…話して、くれるの?」

「うん、顕人君がそこまで望むなら…ね」

 

静かな声音で、綾袮さんはそう言う。そこに感じるのは、気持ちのいい回答にはならないのだという綾袮さんからの忠告。…だけど俺は、それを聞いても迷わない。

 

「…望むよ。だから、綾袮さん」

「そっか、それなら……」

 

一拍溜める綾袮さん。そして綾袮さんは、そのままな声音で俺に言う。

 

「……本当はね、好都合だったんだよ。あそこで顕人君が、協会としての動きを潰すような事を言ってくれたのが」

「へ……?…好都合、だった…?」

 

…意味が分からなかった。最初に思ったのは、「何でそうなる…」という感想だった。進めていた方針を潰されて好都合なんて、全くもって意味が分からない。けれど、綾袮さんは俺の反応を予想していたみたいでそのまま続ける。

 

「分かってると思うけど、元々協会とBORGはかなり友好的な関係なの。それは単に仲が良いってだけじゃなくて、色んな技術協力をしてたり、研究を分担して行うみたいな、実益の面でも結び付きが大きいのがこれまでの関係。だからね…BORGへの糾弾は、出来ればしたくなかったんだよ。だって糾弾しておいて、実益面はこれまで通りに〜…なんて出来る訳ないでしょ?」

「…それは、確かに……」

「でも、だからって起きた事件を見て見ぬ振りは出来ない。顕人君って証言者がいたし、狙われていたわたしも証言したし、何もしなかったら組織としての面子に関わるからね。だから半分位は仕方なく動いてたんだけど、そこで顕人君が証言をひっくり返して、実質的にわたしもそれに乗っかった訳だから、それを理由にうちは糾弾しない…表面的には糾弾には材料が弱いから保留って形だけどね…って選択肢を取れるようになった。ロサイアーズ姉妹っていうBORGにとって痛い要素を手にしながら、実益を失わずに済む道が開けた。…そうなったら、顕人君を責めたり出来ないよねって話だよ。今風に言うなら…忖度したんだよ、おじー様達は」

 

決して短くない、簡単でもない、綾袮さんの説明。単純じゃない、複雑な事情。あぁ、だけど……簡単な話だった。俺が真実よりも二人の事を、俺の意思を優先させたように、協会も真実に基づいた対処ではなく、俺が用意した『都合の良い事実』に乗っかったから、その結果俺が『嘘』ではなく『協会が認定する真実』を言ったという事になったから、俺はあれだけで済んだって話。

 

「…期せずして、俺は協会と利害が一致してた…そういう、事なんだね…」

「うん……けどね顕人君、それだけじゃないんだよ?勿論一番の理由は打算的なものだけど、これは顕人君の思いも尊重した……」

「…言わなくていいよ、綾袮さん。大丈夫、俺は協会や刀一郎さんに失望したりはしてないし……むしろ、理解出来たから」

「理解…?」

「そう、理解。…驕るなって言葉の、本当の意味にね」

 

気にする必要も、心配する必要もないと俺は言葉を返して心を伝える。それにこれは、何も安心させる為だけの方便じゃない。

驕るな。…その言葉をこれまで俺は、『今回助かったのも、思い通りになったのも、自分の実力だと思うな。今回上手くいったからといって、次も同じようにいくと思うな』…そういう意図のものだと思っていた。無謀な事をし、それが成功してしまった俺を諌める為の言葉だと。

実際、そういう意図もあったんだと思う。けれど本当は、こういう意図もあったんだ。──お前が決死の思いで行ったその行為も、協会という組織そのものからすれば飲み込み利用出来る程度のものに過ぎないのだという意図が。

 

「…なら、これを教える事は顕人君にとってプラスになったのかな?」

「…なったよ、勿論ね」

「それなら、わたしも伝えて良かったって思えるよ。それと…言うまでもないと思うけど、それでも言わせてもらうね。……顕人君の行動で、救われた人がいる。守れたものがある。顕人君がした事は無茶苦茶で、滅茶苦茶だけど…それは変わりようのない、絶対の真実だよ」

「……ありがとう、綾袮さん。その言葉のおかげで…一層俺は、俺の意思に自信が持てるよ」

 

……俺は、今回の件で思った。もっと強くなりたいって、もっと強くなきゃ…俺の思いは、貫けないって。そして今、俺は新たに…改めて、思った。俺は綾袮さんの為にも強くなろうと、強くならなくちゃと。それが今日もまた俺を思ってくれる綾袮さんへの恩返しで、いつか綾袮さんに頼られた時力になれるようにする備えで……綾袮さんの思いに対して、最大限報いる方法だから。

 

「さてと、そんな事を話してたらもう家に着いちゃった。ただいま〜」

 

そうして聞こえてきた声は、電話と玄関の両方から来るもの。いつの間にか長話してしまったんだな…と俺は苦笑いしつつ、綾袮さんを出迎えようと玄関に向かう。…そういや綾袮さん、お客が来るとも言ってたな…二人って誰だろ?友達か、霊装者絡みか、それとも全然違う人か。まあでも、玄関に出れば分かるんだから考えるまでもないか。ふぅ、お帰り綾袮さ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「…久し振り、顕人」

「お久し振りです、顕人さん」

 

 

 

 

──そこにいたのは、ここにいる筈のない人物。どこにいるかも分からなかった人物。俺がずっと心配していて、ずっと話したくて、また会いたかった……ラフィーネさんと、フォリンさんだった。



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第百五話 覚悟と願いが紡いだ幸せ

「ご馳走様」

「ご馳走様でした」

「お、お粗末様……」

 

箸を置き、きっちりと両手を合わせて食後の挨拶を述べる二人の少女。前に見た時よりちょっとだけ持ち方が改善されたように見える、ラフィーネさんとフォリンさん。……幻覚でも、人違いでもない、本物の二人。

 

「…………」

 

現在俺は動揺している。綾袮さんが帰ってきて以降、もうずっと動揺している。けどえらいもので動揺しながらも素麺は茹でられたし、あんまり喉を通らなかったけど夕食も食べられたし、今も食器を洗ってる。一切全然全くもって、動揺の原因は解決してないままだけど。

 

「あ、食器は私が拭きますよ?」

「そ、そう?助かるよ…」

 

掛けてあった布巾を手にフォリンさんは隣へ来て、言うが早いか拭き始める。…嬉しい、すっごく嬉しい。普段綾袮さんは全く手伝ってくれないから(家事は俺が始めた事とはいえ)、ただそれだけでも感激してしまいそうになる。……って違う、嬉しいのは確かだが今はそれどころじゃない……。

 

「……あの、綾袮さん…そろそろ説明を…」

「ん、そうだね。じゃあ顕人君もフォリンも、こっちに来てもらってもいい?」

 

粗方食器を洗い終えたところで、綾袮さんにそう求める俺。この状況は玄関で説明を求めた俺に対し、「まずはお夕飯にしない?」…と綾袮さんが返した事で出来たもの。だから夕飯の終わった今ならと俺は思い、綾袮さんもそれに首肯した。

キッチンで洗い物をしていた俺とフォリンさんはリビングへ移動し、それぞれに椅子やソファへ座る。食事中は比較的和んだ雰囲気をしていた三人だけど、今は全員真面目な顔。

 

「…それじゃ、話そっか。…って言っても、結果だけを言うなら凄くシンプルだよ」

「シンプルになるの…?」

「うん、だって『おじー様達がそう言う判断をした』って事だもん」

「あ、あぁ…そういう……」

 

何故シンプルなのかを明かす綾袮さんの言葉に、今度は俺が一先ず首肯。確かにそれはシンプルだ。でも俺が聞きたいのはそれだけじゃなくて、当然綾袮さんもそれは分かっている様子。

 

「おじー様達はね、考えたんだよ。これから二人をどうするかって。もう協会としては軟禁しておける理由がなくなった以上解放してあげなきゃいけないけど、BORGの方も手を引いちゃった二人は元の鞘に戻るなんて事は出来ないし、二人もしてきた事、しようとした事が事だから自由にするって訳にもいかない。…要は、処遇に困る立場だったんだよ、ラフィーネとフォリンは」

「…うん、それで……?」

「で、話を続ける中で、一つ丁度いい場所が見つかったんだよ。今回の件の事情を知ってて、おじー様達の思惑や意向を理解出来て、二人に対しても友好的で、二人が何か企んでいたとしても罪悪感で手を鈍らせる事が出来て……何より万が一の事があっても、二人の相手を出来るだけの戦力が常駐してる、ぴったりの家がね」

「……それって、まさか…」

 

説明の前半は、謂わば状況に対するもの。今の二人が置かれている状況に対する説明で、だから俺も軽く頷きつつ続きを訊いた。何の気なしに、そのままに。

けど後半の説明は、そうはいかなかった。初めは「ふむふむ」とか思っていて、途中から「条件厳しいなぁ」とかちょっと他人事みたいに考えていて……でも、最後まで聞いたところで、俺は気付いた。確かにその条件全てに合致する場所がある。その家を、俺は知っている。だってそれは、そこは……

 

「……そう、ここなんだよ。ラフィーネとフォリンが、これから暮らすのは」

「……冗談じゃ、なくて…?」

 

ぞわっ、と全身の鳥肌が立つ。息を飲みながら二人の方へ視線を向けると、二人共黙ってこくんと頷く。

改めて条件を思い返してみる。確かにどれも合致している。三人の顔を見る。誰一人、俺を引っ掛けてやろうというような表情をしていない。そして何よりこの状況が、事実として今ここにある。…つまり、これは……冗談じゃ、ない。

 

「……マジか…」

「…顕人、あんまり嬉しくなさそう。嫌だった?」

「い、いやそんな事はないよ…?…ただその、飲み込むのに時間がかかる程驚いてるだけで……」

「わたしも驚いたよ。まさか、こんな事になるなんて思ってなかったから。…でも、これで分かったでしょ?おじー様達は、顕人君の思いを最大限考慮してくれてるんだって」

「…そう、だね…はは、ほんとに俺と刀一郎さん達とは格が違うな…完全に手の平の上で踊らされた気分だよ……」

 

嫌だったのかと訊かれる俺だけど、そんな事はない。むしろ想定外は想定外でも、これは完全に嬉しい誤算。けれどそれと同時に、電話で綾袮さんが言った事、言おうとした事を改めてはっきりと思い知る。…俺の思いを余すところなく果たさせつつも、きちんと戒め増長を防ぐ。でも、こんなの……ここまでの差を見せ付けられたら、驕りたくても驕れませんよ…。

 

「…でも、それって本当にいいの…?これにもかなり忖度が働いてる気がするけど…」

「うん、勿論曇りないハッピーエンド…とまでは言えないよ。普通の生活って意味では最大限の譲歩をしてもらえてるけど、例えば今の二人は自衛の装備すら許されてないし、組織として色々面倒だったり危険だったりする任務が二人に回ってきたりする事もあると思うから」

「……っ…待った…まさかそれは…!」

「大丈夫ですよ、顕人さん。…あまり公には出来ない任務をしてもらう事はあるとしても、汚れ仕事…人を殺す様な任務はさせない、って直々に言われましたから」

「そ、っか…なら良かった……」

 

ラフィーネさんとフォリンさんは、BORGで暗部とでも言うべき任務をさせられてきた。その中でフォリンさんは笑顔を失っていくラフィーネさんに耐えられなくて、ラフィーネさんもフォリンさんと共に歩む幸せを望んで、だから二人は離反した。……なのに、その二人がまた同じ道を歩む事となったとしたら。

その不安を否定してくれたのは、他でもないフォリンさん。彼女の言葉で、俺は安堵の溜め息を吐く。

 

「それは心配し過ぎだって顕人君。…というか、うちが裏で邪魔な人間を始末してるとか思ってたの?」

「い、いやそれは……」

「…まぁ、電話でも話した通り100%クリーンな組織って訳でもないけどね。けど少なくとも、わたしの知る限り協会はそんな事はしてないよ。特に人を殺してその事実を隠蔽なんて、現代の日本じゃかなり難しいんだから」

 

曖昧な笑みを浮かべて、綾袮さんもそう言ってくれる。…最後の一言は、そういう方面の知識も学んでいる事を感じさせるものだったから、そこだけはあんまり穏やかに聞けなかったけど…それでも俺は、ほっとした。

 

「だけど他にも色々と二人には制限もあるし、今回の件を聞いた人の中には二人に懐疑的だったりする人もいれば、ここまで全て二人とBORGの計画通りで、ここから協会を潰そうとしてるんじゃ…って可能性だってゼロじゃない。……これは、二人もちゃんと分かってるよね?」

「えぇ、勿論です」

「それが当然の事。わたし達は疑われても仕方ない」

「なら良かった。…でも、それでも今の二人はもう普通の霊装者として歩む事が出来る。普通でいられる。……だから、顕人君…これからは食事、四人分頼んだよ?」

 

浮かべていた曖昧な笑みから真面目な顔になって、二人の言葉を聞いて、それからまたにこりと笑った綾袮さん。その笑顔のままで、綾袮さんは茶目っ気たっぷりにそう言った。……四人分、か…人数が倍なら労力も倍、なんて事はないだろうけど、きっと楽じゃないんだろうなぁ。…まぁ、でも……

 

「……俺の料理はまだまだ発展途上だからね。それは覚悟、しておいてもらえるかな?」

 

──それ位、得られたものに比べればなんて事ないさ。…そう思う俺だった。

 

 

 

 

事情を聞いた顕人は、綾袮に勧められて入浴へと向かった。普段はもう少し後に入る彼だが、入る事を決めたのは察した為。綾袮がラフィーネとフォリン、三人で話したい事があるという思いを、何となくながら感じたから。

 

「…顕人君ってさ、ほんとに人が良いよね。今日だって急にお客が来るって言ったのに、文句も言わず夕食を四人分用意してくれたんだから」

「うん。顕人は優しい。…少し、疑わしい位に」

「ですね。…でも、それが見返りを求めたものではない事を私達は知っています。…多分、自分の為という一面もあるんだとは思いますが……それでも彼は、良い人です」

「うんうん、二人共よく分かってるようで結構結構。…本当…凄いよね、顕人君は」

 

顕人本人が聞けば赤面間違いなしであろう、立て続けの褒め言葉。それが建前ではなく三人それぞれの本音である事も手伝って、リビングに漂うのは穏やかな空気。その中で綾袮は柔和な、されどどこか神妙さも感じさせる表情を浮かべる。

 

「わたし、びっくりしちゃったんだよ?顕人君が負傷したのは、顕人君の選択とはいえ元を正せば二人が関係してくるのに一切二人を悪くは言わないし、負傷した事も全然後悔しなかったんだから」

「そう、だったんですか……」

「それにね、会談で顕人君がした事も知ってるでしょ?…あれを会談の存在を聞いてすぐに考えて、迷わずわたしに話して、会談の場でも堂々と言い切ったんだもん。…よっぽど二人の事を、顕人君は思ってくれてたんだろうね」

「…うん。それなら、わたし達も嬉しい」

 

語る綾袮につられるように、ラフィーネとフォリンも表情を緩ませる。

これまで二人で、互いが互いしか心を許せない中で生き続けてきた二人にとって、その事実は本当に嬉しいものだった。損益関係なく、自分や自分の愛する姉妹を大切に思ってくれる人がいるというだけで、二人にとっては心が温まる思いだった。

だが、何故そんな事を言い出したのか。表情を緩ませつつも、頭の端で二人がそう疑問を抱く中、綾袮は続ける。

 

「わたしね、思うんだ。これは顕人君の魅力だって。顕人君の良いところで、顕人君の強みで、顕人君の無くしちゃいけないものだって。勿論優しさは戦場じゃ枷になる事もあるし、実際顕人君にはそういう優しさ…ううん、悪い意味での甘さがあると思うけど、そうだとしてもわたしは顕人君が顕人君のままでいてほしい。……だから、さ…」

 

 

「──裏切らないでよ?顕人君の事を。もし、二人の為に死力を尽くしてくれた顕人君を…顕人君の思いを裏切るなら……わたしはそれを、許さないから」

『……っ…!』

 

一度目を逸らした綾袮が、再び二人の方を向いた時……その表情に、笑みはなかった。穏やかだった空気を一瞬にして霧散させ、裏切るのなら如何なる理由があろうと容赦しないという、冷徹にして強固な意志の籠った瞳。その瞳で見据えられた二人は息を飲み……されどそれから、揃って力強く頷いた。今の綾袮の意思にも負けない、その瞳を跳ね返す程の覚悟を持って。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

静かに、一言も発さず、だが思いを込めた視線を交錯させる三人。短くも濃密な時間は、一秒、また一秒と過ぎていき……二人の覚悟を受け取った綾袮は、ゆっくりと目を閉じた。目を閉じ、そして…再び笑顔に。

 

「……わたしも二人を信じるから。だから…これからも、宜しくね」

「…宜しく、綾袮」

「こちらこそ宜しくお願いします、綾袮さん」

 

……そうして終わった、三人の…綾袮と二人のやり取り。その中心にいたのは、徹頭徹尾顕人だが…それを彼は、知る由もない。

 

 

 

 

「ラフィーネさんとフォリンさん、これからは二人とも一緒に暮らす訳か…」

 

まだ残暑にもならず蒸し暑い階段を登り、自分の部屋へと向かう。風呂に入ったのが数時間前で、ラフィーネさんとフォリンさんの部屋(二人からの希望で、二人は同じ部屋を使う事になった)を四人で準備したのが一時間と少し前。もう今は深夜と呼べる時間で、寝る為に部屋へ向かっている。

 

「……何か一気に、ラノベ主人公っぽい状況になったなぁ…なーんて」

 

我ながら変な事言っちゃう程度には、今の俺は良い気分。…いや、勿論女の子が増えたからとかそういう理由じゃない。そうじゃなくて…二人と再会出来て、二人が笑顔でいられる道を歩み出せていて、そんな二人とこれからも居られるという事が、俺にとっては嬉しかった。嬉しかったし、安心した。

当然二人の歩む道は楽じゃないだろうし、俺の生活だって二人が来た事によって変化すると思う。でもきっと、この変化は良いものになるだろうと思いながら、期待しながら、俺は今日も眠るのだっ……

 

「…ん、顕人来た」

 

……おおっと、部屋を間違えたらしい。えーっと、俺の部屋は…うん、目の前だな。一歩も移動してないけど、ここは俺の部屋で間違いない。

 

「さっきのは見間違いと聞き違いだな、うん。きっとそうだ」

 

なんて自分に言い聞かせて、再び扉に手をかける。さて…それじゃあ、改めて…こほん。

…期待しながら、俺は眠るのだっ…………

 

「顕人さん?何故一度閉めたんですか?」

「……あっれー…?」

 

…扉を開けたら、もう一度開いたら、件のロサイアーズ姉妹がいた。やっぱりいた。……見間違いでも、聞き間違いでも…なかった。

 

「…二人共、部屋間違えない…?」

「え……ここ、顕人の部屋じゃなかった…?」

「いや合ってるよ…?…え、分かってていたの!?なんで!?」

「何でって…顕人さんに用事があるからですが……」

「あ、あー…そゆ事……」

 

フォリンさんの返答でやっと二人がここにいる理由が分かり、俺は若干釈然としない気持ちを抱きながらも部屋に入る。…同じ家にいるんだから、わざわざ俺の部屋で待たなくてもいいのに……。

 

(……というか、平然と俺のベットに座ってるし…)

 

現在二人は俺のベットに二人並んで座っている。それは不快ではないものの、男子高校生としては少しだけ恥ずかしいというのが実際のところ。…言うのも恥ずかしいから、言葉にはしないけど。

 

「…それで、用事ってのは?」

「それはですね……いえ、その前に…」

 

取り敢えず本題に入ろうと訊いてみる俺。するとフォリンさんが言いかけて、でもゆっくりと首を振る。それからフォリンさんは、ラフィーネさんと一度顔を見合わせ……言った。

 

「…申し訳ありませんでした。私の我が儘に付き合わせて、無理をさせて、怪我までさせて」

「……それは…俺が…」

「顕人さんの同意の上であってもです。…私は貴方の良心に漬け込んで、ここまでの事をさせてしまった。…だからまず、それの謝罪をさせて下さい」

 

立ち上がり、深々とフォリンさんは頭を下げた。…そんな必要はない。反射的にそう思ったけど、本当に心から謝りたいと思っている人の謝罪を、中途半端に打ち切らせるのは相手に心残りを作らせてしまう行為。そしてフォリンさんの真剣さは、ひしひしと伝わってきている。だから俺は最後まで聞き、頭を下げてからも少し待った。

 

「…………」

「…………」

「……確かに俺は、フォリンさんに助けを求められなければ、危険な目に遭う事も怪我する事もなかった。…けど、求めに答えたのも、戦おうとしたのも、助けたいって思ったのも…全部俺の意思だ。だから、謝る必要はないとは言わないけど…フォリンさんに責任があるとすれば、それは俺に話した事。ただ、それだけだよ」

「…それで、良いのですか?」

「うん。責めるつもりもないのに、責任を感じられるのは…あんまり、気持ち良いものじゃないからね」

 

頭を上げたフォリンさんへ、肩を竦めつつ俺は言う。我ながら固い事を言ったけど、本心はむしろ後の方。それに…まるで俺の選択が俺の意思じゃないみたいに言われるのも、良い気分じゃないし、ね。

 

「…顕人さん……」

「…ほら、やっぱりわたしの言った通り。顕人は、そういう事を気にする人じゃない」

「そう、でしたね…ふふ、確かにその通りです…だから、だからこそ私も…顕人さんに、誠実でいなければいけません」

(誠実…?)

 

すっと横に立ったラフィーネさんとまた顔を見合わせ、柔らかな笑みを浮かべ…それからまた、真剣な…本当に真剣な表情となったフォリンさんは、一歩俺の方へと近付く。

何を言うつもりなのか。誠実とは、何か。俺が彼女から感じる雰囲気に緊張を抱き始める中、フォリンさんは片膝を突き……

 

「…約束を果たして頂き、ありがとうございました。そしてこの約束は、私からの条件提示により結ばれたもの。よって──これより私は、貴方のものです」

「な……っ!?」

 

──主人に傅く従者のように、恭しく俺を見つめた。一切の迷いも、躊躇いもなく。

 

「本来これは、救われた時点で行うべき事。それがここまで遅れてしまった事を、心より謝罪致します」

「や、ちょっ…ちょっと待ってよ!?何を言って……」

「…覚えて、いられませんか?」

「……そ、れは…」

 

片膝を突いたまま話すフォリンさんに、彼女の言葉に平常心を奪われる俺。……でも、意味が分からない訳じゃない。

確かにあの時、フォリンさんは何でもすると、全てを捧げると言っていた。でもその時はそこについて言及しなかったし、言葉の意味よりそこに秘められた思いに動かれて協力を決意したから、今の今まで忘れていたけど……確かにあの時、俺はその言葉を否定していない。投げかけられた言葉を否定せず、相手の求めに応じたのなら…それはその条件を、了承したも同然の事。

 

「…でも、そんな…軽々しく、貴方のものだなんて…」

「軽々しくではありませんよ。真剣に、本気で言っています」

「…それで、いいっていうの…?確かに、フォリンさんが言った事だけど…別に無理しなくても……」

「…してませんよ、無理なんて。あの時は、正直ラフィーネを助ける事しか頭になかった面もありましたが…貴方が貴方の意思で選択したように、これも私の意思で選んだ事です。それに……」

「それに…?」

「……嫌だとは、思ってませんから。貴方のものに、なる事を」

「……っ…フォリン、さん……」

 

上目遣いで俺を見つめるフォリンさんの、綺麗な赤茶の瞳。その瞳に映っているのは、俺ただ一人。……フォリンさんは、言った。俺のものになるのは、嫌ではないと。

ぞくりと背筋を何かが駆け抜け、ある感情が湧き上がる。それは欲望。綺麗な髪が、きめ細やかな肌が、可愛くも美を感じさせる容姿が、俺を憎からず思っている心が……その全てが望めば自分のものとなる事への、筆舌し難い昂りと欲求。…そんなの駄目だとは分かっている。けれどこの欲望の奔流は、フォリンさんを見れば見る程膨らんでいく。

なんて言葉を返すべきか。それに俺が迷う中……もう一人の声が、俺の耳へと届いた。

 

「……顕人」

「……ラフィーネさん…?」

「…顕人は、わたしの事…好き?」

「へ……?」

 

届いたのは、いつものように静かな、ラフィーネさんの声。けれど俺の名前に続いてラフィーネさんが発したのは、俺の想像を遥かに超える言葉。その言葉に俺は、一瞬思考が硬直し…フォリンさんもまた、姉の言葉に目を見開く。

 

「…………」

「い、いや…急に、何を……?」

「今訊きたいと思ったから訊いただけ。…顕人は、好き?それとも、嫌い…?」

「それは……勿論、嫌いじゃないけど…」

 

曇りのない瞳で見つめられて、思わず俺は口籠ってしまう。そこに質問自体の重さが加わって…いや多分、この質問だけだったとしても同じ事を言ってただろうけど…回答として選んだのは、明確な答えではない言葉。でも、それじゃラフィーネさんは納得してくれない。

 

「…なら、好きなの?好きじゃないの?…わたしは、ちゃんと答えてほしい。これは、大切な事だから」

「それは、その……」

「…………」

「……好きかどうかで言えば…好き、だよ…」

 

あんな瞳で見つめられて、追求されて、大切な事だなんて言われたら、あんまり恋愛方面に関してアクティブじゃない俺だって交わしきれない。だからあくまで人として、好きか嫌いかの二択として…と自分の中で言い聞かせ、俺は好きだと口にした。すると、ラフィーネさんはふっと微笑み……

 

「そっか。それなら、良かった」

「なぁ……っ!?」

「ら、ラフィーネ……!?」

 

小動物の様な身軽さで、俺の右腕に抱き着いた。…それはまるで、人としてとは違う好意を持つかのように。

腕に感じる体温と、ふにゅりとした双丘の感覚。鋭いナイフを思わせる戦闘時のそれとはかけ離れた、か細く華奢な女の子。…その子が今、ここにいる。俺の側に、寄り添って。

 

「わたし、ここに居られるのは嬉しい。…どうしてか、分かる?」

「……フォリンさんと、普通に暮らせる…から…?」

「うん。…でも、それだけじゃない。ここに居られて嬉しいのは…顕人とまた、一緒に居られるから」

「……っ!」

 

…さっき俺は、ラフィーネさんを小動物と例えた。実際ラフィーネさんにはそう感じさせる面がある。けど、今ここにいるのは小動物みたいな友達か?…いいや、違う。ここにいるのは、女の子で、女性で……異性だ。

 

「ねぇ、顕人…顕人は、フォリンに貴方のもの、って言われて嬉しかった?…そうしたいって、思った…?」

「…ぁ……え、と…」

「ふふ、顕人慌ててるのが顔に出てる。……じゃあ、顕人……わたしも貴方のものになるって言ったら、どうする…?」

「……──っ!」

 

……脳を直接揺さぶられたような、くらりとする感覚に襲われた。フォリンさん一人でも欲望が湧き上がるのに、そこにラフィーネさんが加わったらどうなるか。…それが、この感覚。目眩がする程の、衝撃と欲求が身体を走る。

 

「ラフィーネ…そんな……」

「…どう、顕人。わたしと、フォリン…顕人が望めば、わたし達は二人共……貴方の、もの」

「…あ、顕人…さん……」

 

決して肉付きが良い方ではないラフィーネさんが、仕草と声音、そして吸い込まれそうな瞳で醸す蠱惑的な誘い。豊満ではないその体躯も、今のラフィーネさんの雰囲気にかかればむしろ魔性。薄手で感じる身体付きが、袖やスカートの先から見える健康的な手脚が、露出した首筋が、俺の心を惑わせる。

姉の行動に動揺し、縋るような瞳を向けているフォリンさん。その瞳は、それ単体で肉欲を引き摺り出される程暴力的だというのに、彼女のゆったりとした服装に包まれた姉より発育の良い身体が更に欲を掻き立てる。片膝を突いたままでよく見える脚も、女性的なボディラインも、くすみのない頬も、全てが魅惑に溢れている。……ラフィーネさんも、フォリンさんも、俺にとっては魅力的でしょうがない。

 

(…二人が、そう…望むなら……)

 

いいじゃないか、そうしても。……そう囁く俺がいた。無理矢理ではないのだから、二人から持ちかけてきたんだからと。二人の願いを叶えた俺には、その報酬を受け取る権利位はあるだろうと。周りの目だとか世間体だとかは、他の人がいる時はこれまで通りの接し方をと言えばいいだけの話で、常識なんて同意の上での関係性なら関係ないと。

そうだ、俺は一言言うだけで…いや、首を縦に振るだけで、こんなにも魅力的な二人を自分のものにする事が出来る。願ってもない幸福が手に入る。なら、それなら…迷う事なんて……一つも…………

 

 

 

 

 

 

「────それは、俺の望みじゃない。だから、俺は二人共……俺のものになんて、させはしないよ」

 

──俺は、断った。迷う事なんてないと、首を横に振った。…願ってもない。嗚呼、確かにその通りだ。願ってないものが手に入ったって……それと引き換えに大切なものが失われるのなら、そこに何の価値もないんだから。

 

「…どうして……?」

「だから、俺の望みじゃないからだよ。俺は二人の主人になりたかった訳じゃないし……ラフィーネさん、フォリンさんの負担を減らす為に自分も…なんて言ったでしょ」

「……バレてた…?」

「まぁそりゃ…あの時のフォリンさんと、同じ顔をしてたから、ね」

 

ぴくり、と肩を震わせて驚くラフィーネさんへ、肩を竦めてそう返す。それから俺は、ラフィーネさんに離れてもらって片膝を突く。突いて、フォリンさんへと手を差し出す。

 

「フォリンさん、その気持ちは嬉しいよ。けど俺は、今の関係が好きなんだ。上下関係なんてなくて、一応俺の方が歳上なのに時々弄られて、でも大切なものの為に助けを求める事が、その助けに応じることが出来る、対等な関係がね」

「…後で惜しんだり、しませんか…?」

「しないよ、むしろ俺のものにしちゃった方が後々後悔するだろうね。…俺がなりたいのは、そういう自分じゃないだろうって」

「……また、それなんですね…」

「またこれだよ。俺って、案外利己的な人間だったみたいだからね」

 

利己的で結構。自分のなりたい自分になる為に、自分に恥じない自分でいる為に、俺はその選択をしたんだから。そう思って軽く笑うと、フォリンさんもまた小さく笑みを浮かべ……差し出した手を、握り返した。だから俺は立ち上がり、フォリンさんを引っ張り上げる。主人としてではなく、対等の相手として。

 

「ふぅ…じゃ、この話はお終いだよ。もし納得がいかないなら…そうだね、今行った事を俺からの命令とでも思ってよ。俺のものにさせないっていう、命令としてね」

「…ほんとに、顕人さんは…貴方は、そういう選択をする人なんですね」

「…ある意味、顕人らしい。…でも、えっと…こういう人を、なんて言うんだっけ…?」

「え?…あー、それは……」

 

俺から拒否されながらも、まんざらではなさそうな顔をする二人。でもそこに不満らしき感情はない事が分かって、俺は一先ず一安心。…けれど、二人は俺を何かの言葉で評したいらしく、二人で暫し思考を開始。その様子を「え、何…?」と思いつつ見ていると、ある時二人はぱっと思い付いたような表情を浮かべて……言った。

 

「あ、そうだこれは……」

「あ、そうですこれは……」

「ん?何さ二人共……」

 

 

『ヘタレ、って言うん(だっ・でし)た』

「ぶふぅーっ!?ちょっ、はッ……へ、ヘタレ!?言うに事欠いて…ヘタレ!?はぁぁ!?」

 

ぱぁぁ、とすっきりしたような顔で言う…いいや、言ってきやがる二人に対して俺は憤慨。だ、だってそりゃそうだろう!ヘタレだぞ!?今の流れでヘタレって…酷くね!?あんまりじゃね!?

 

「あれ、違った?」

「違ぇわ!大違いだわ!…いや、じゃあプレイボーイかと言われるとそうでもないんだけど……ってかなんでヘタレなんて知ってんの!?」

「何かの機会に、綾袮さんから聞いた…んだったと思います」

「綾袮さん貴様ぁぁああああああッ!!」

 

ここにはいない、二人は入れ知恵した人間へと怒りを込めて絶叫する俺。…よく考えたら綾袮さんには何の非もない訳だけど、そんな事冷静に考えられる心境じゃない。…というか……

 

「あ、これもまさか俺弄りか!?海水浴以降偶にやるようになったアレか!?」

『……ふっ』

「ふっ、じゃねぇ!た、確かにさっき『時々弄られて…』とか言ったけど、だからって今するかね!?最後の最後でこんな事なんて……やっぱ二人実はちょっと性格悪いだろ!いや絶対悪いねっ!」

「む……今日から一緒に暮らす相手に、それは失礼」

「失礼なのは同居人をヘタレ扱いしたそっちの方だわ!あーもう!俺もう寝るから出てけ!ほらほらお休み!」

 

深夜という時間にも構わず(近隣住民の皆さん、もし五月蝿かったらごめんなさい)、俺は二人の背中を強引に押して廊下へ誘導。これは二人も少し予想外だったみたいで、驚きながら戸惑っているけど…そんなのは知った事か。はぁ、もうほんとに最後の最後でやな気分だよ!こういう時位、良い雰囲気で最後まで行きたかったよ!あーあ、これなら俺のものにした方が良かったかもしれな────

 

 

 

 

「……でも、そんな顕人だからこそ…」

「……でも、そんな顕人さんだから…」

 

 

『(わたし・私)達は、貴方のものになってもいいかなって思った(の・んですよ)』

「……っ…!?」

 

廊下へと突き出す間際、くるりと振り向き俺の腕へと抱き着いたラフィーネさんとフォリンさん。そこから二人は俺を引き寄せ、密着しながら二人揃って咲かせた、満面の笑顔。本当に嬉しそうで、本当に幸せそうで……ドキリとする心を抑えられなかった、女の子からの満ち足りた思い。

そうして二人は、二人仲良く部屋を出ていく。後に残されたのは、最後の最後、本当に最後で翻弄されてしまった俺。二人の笑顔は、俺の脳裏に焼き付いて……二人が完全に去ってから、俺はその場で尻餅をついてしまうのだった。



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第百六話 ちょっとした秘密、判明

人は慣れる生き物。初めはどんなに感情を揺さぶられた事でも、回数を重ねる内に少しずつ慣れていき、気付けば何でもない事になってしまう。それは、仕方のない事。意思関係なしに、勝手に慣れてしまうものだから。

だが、中には何度経験しても慣れない事がある。そしてそれは、往々にして出来れば慣れていきたいもの。そういうものに限って、中々慣れてくれやしない。…だから俺は、この経験をする度……嘆く。もう終わってしまうのか、と。

 

「はぁ……テンション下がる…」

 

八月下旬の某日。俺は緋奈、妃乃と共に朝っぱらからきっちりとした服を着て外に出ていた。…理由?…そんなの、この状況と日程から考えりゃ言うまでもないだろうに……。

 

「はぁ…とにかくはぁ……」

「何よとにかくはぁって」

「とにかくはぁはとにかくはぁだ。はぁ中のはぁなんだよ」

「…緋奈ちゃん、翻訳出来る?」

「いや、流石にこれはわたしも…」

 

がっくりと肩を落とす俺に対し、少女二人はいつも通り。……意味が分からん…何故だ、何故いつも通りにいられるんだ…。

 

「…冬休みまで、後四ヶ月弱かぁ…長いなぁ……」

「当たり前でしょ。夏休みは昨日終わったばっかりなんだから」

「長ぇ、長ぇよこの期間は……」

「はいはい、ボヤいてないでシャキッとしなさい。…私は先に行くから、緋奈ちゃんは悠耶を頼むわね?」

「分かりました。きちんとお兄ちゃんを学校まで連れて行きますね」

 

そう言って妃乃は歩速を上げる。俺が緋奈をじゃなくてその逆かよ…とは思ったが、まぁ別に今はどうでもいい事。…さて……

 

「…………」

「うん、何お兄ちゃんは角を曲がると見せかけてそのまま回れ右してるのかな?」

「冷房が…クーラーの効いた部屋が俺を呼んでいるんだ…」

「それなら教室も多分点いてるよね。家は逆に点いてないよね。だから学校行こうかお兄ちゃん」

「…緋奈…緋奈はお兄ちゃんの思いより、妃乃のぞんざいな言葉を大切にするのか…お兄ちゃんは悲しいぞ……」

「お兄ちゃん、わたしは適当な事言って学校をズル休みしようとしてるお兄ちゃんの態度が悲しいよ」

「むぐ……」

 

緋奈一人なら上手い事丸め込んで帰れるかもしれない。…そう思っていた俺だが、完璧に切り返されてしまった。いつの間にこんな成長したんだ緋奈よ…成長したのは嬉しいが、お兄ちゃんは現在非常に複雑な気分だ…。

 

「…ほんとに駄目?」

「ほんとに駄目」

「ほんとにほんとに?」

「ほんとにほんとに」

「…見逃す余地は?」

「ないよ」

「……ちぇー…」

「反応が子供っぽいよお兄ちゃん…」

 

往生際を悪く粘ってみるも、やっぱり結果は微塵も変わらず。という事で俺は諦め……暑い中学校まで歩くのだった。

 

 

 

 

「おい生徒会、冬休みのスタートを早くするか夏休みを大学並みに増やしてくれ」

「無理だ、諦めろ。後厳密には生徒会本部又は執行部ね。生徒会は全生徒が所属する会の事だから」

 

始業式後の休憩時間。蒸し暑い体育館からやっと多少なりともエアコンの効いたクラスへと戻った俺は、座るや否や御道に頼み込んでみた。…結果得られたのは、どうでもいい知識だけだったが。

 

「んだよ、教職員の犬め……」

「おう喧嘩売ってんのかオラ。……執行部だって、もっと権限があれば色々やってるよ…何をするにも先生の許可が必要な、実質義務だけあって権利がほぼない職務なんだからな…?」

「そ、そうか…なんかすまん……」

 

御道の口から語られる、中間管理職とか名前だけの役員みたいな現実に毒気を抜かれてしまう俺。…苦労してるんだな、御道も……。

 

「…それはそうと、課題はやったの?」

「俺がやったと思うか?」

「思わない」

「だろうな。だがちょっとだけやったぞ、どうだ」

「いやどうもこうもないんだけど…」

 

最初の話が途切れた事で、話題は課題に関するものに。とはいえ課題の話なんて然程面白いものでもなく、十秒前後でこれも終了。

 

「…早よ帰りてぇなぁ……」

「どうせ午後になる前に終わるんだから我慢しなよ…そうだ、買い出し前に二人にも何か食べたい物あるか訊いとくか……」

「二人?綾袮の方にまだ一人いんの?」

「ん?…あー…そっか、そういや言ってなかったのか……」

 

そんなこんなで会話も先細り…になるかと思いきや、御道が何やら気になる事を口にする。

口振りからして、今日一人客が来る…って感じじゃない様子。加えていうなら、それなりに交流がある相手の模様。その二点から、俺は両親でも来るのか…?…と思ったが……

 

「話すと長くなるんだけど…色々あって、ラフィーネさんとフォリンさんがうちに住む事になったんだよ」

「……は?」

 

……真実は、俺の想像を数段超えてきやがった。…ヤベぇ、全然経緯が分からねぇ…。

 

「まぁそうなるわな…具体的な事は後でいい?協会絡みの話になるし、俺一人だと説明は出来ても質問への回答には不安があるし」

「まぁ、そりゃ構わねぇが…凄い事になってんな、俺の知らない内に……」

「はは……実際夏休み後半は、凄い事だらけだった気がするよ…」

 

そう言って苦笑いを浮かべる御道。…だが、何というか…そうは言いつつも、御道は何かが変わったような気がする。変わったというか、進んだというか……大変な事になって、入院もして、その上で何も変わらないならそれはそれで凄い事だけど、な。

 

「…てか、御道こそ夏休み中に何かあったりしなかったの?」

「ないな。ちょっとした事なら幾つかあるが、わざわざ話す程の事でもねぇよ」

「あそう…ま、御道は面倒な事は徹底的に避けるタイプだもんね」

「当たり前だ。無駄な部分で無駄な労力を費やさないのは、戦場でも重要な事だからな」

 

こういうやり取りをするのも何度目だろうか。我ながらよく飽きないなぁとは思うが、実際割と飽きないんだからいいじゃないか。…でも、そうだな…うちも今日の昼食はどうすっか……。

 

「…ん?…うぉ、これはまたタイムリー……」

「何が?」

「緋奈が今日は友達と昼食食べるから、昼は要らないってよ」

 

緋奈からのメッセージを受け取った俺は、御道に答えつつも視線をクラスの一角…妃乃のいる方向へ。そこでは案の定妃乃が綾袮と共に他の女子と談笑しており、だから俺は手にした携帯でそのまま意思疎通を図る事にした。

 

《今日の昼食、何か希望あるか?》

《ないけど?》

《じゃ、今日は各々食うってことでどうよ?緋奈は友達とどっか寄るみたいだし、俺も店行く事にするわ》

《そうね、構わないわ》

 

特に絵文字を使うでもスタンプを使う訳でもない、味気のない(俺と妃乃間でスタンプやら何やら使いまくってたら、それはそれで君悪いが…)やり取りを経て昼食は各々食べる事に決定。俺はどこで食べるか全く決めてないが…ま、適当な所でいいだろ。

てな感じでぼんやりと昼食の事を考え、二学期初日のスケジュールも全て済んだ事で下校時間に。という訳で、御道と別れた後に店を探し始めた俺だが……

 

「…しまった、今って基本どこも混む時間帯だったんだよな……」

 

お昼時という事を完全に失念していた俺は、どこの店に入るでもなくただふらふらと歩いていた。

勿論、店自体に入れないなんて事はない。…が、今のところ目にした店はどこも入ってすぐ席に座れる状態じゃなく、俺としても長々待ってまで食べたい気分じゃない。

 

「……しゃあねぇ、スーパーで弁当買って帰るか…」

 

妹と同居人は外食(少なくとも緋奈は)するというのに、俺はスーパーの弁当だなんてちょっと悲しいが、待つよりはマシなんだから仕方ない。…という事で俺は最寄りのスーパーに入店し、適当に美味しそうな弁当を選んで帰宅するのだった。

 

「ふぃ〜、やっと涼しくなってきた……」

 

家に着いてから十数分。クーラーを点けTVも点け、のんびりと昼食の弁当を口に運ぶ。俺が買ったのは然程高くもなければ眼を見張る程安くもない、よくある弁当の一つだが、それでも味はそこそこなもの。値段から考えりゃ十分な美味しさだよなぁとか、偶には弁当も悪くないよなぁとか考えながら食べていると……そこで不意に、玄関から声が聞こえた。

 

「…あれ?…空いてる……」

(……?今の声、妃乃か?)

 

外で食べている筈の妃乃の声が、何故玄関から聞こえてきたのか。当然それが気になった俺だが、まぁそれは別に慌ててまで訊く事じゃない。だからそのまま口の中の物を咀嚼していると、声に続いて足音も聞こえてくる。

そうして数秒後、がらりと開かれるリビングの扉。その扉の向こうから姿を現したのは…やはり妃乃。

 

「え、涼しい……って事は…まさか…」

「おう、早いな妃乃。……妃乃?」

 

リビングに一歩入ってきた妃乃は、これまた何故か俺を見た瞬間硬直。なんと、気付かぬ間に俺は見た相手を石化させる能力に目覚めてしまったのだ!……なんて事は勿論なく、どっちかっていうと精神的な理由で固まって様子。

じゃあ、何故…ってか何が妃乃にショックを与えたのか。それを考えていた俺は、そこでふと妃乃が手にした袋と、そこにプリントされたロゴに気付く。

 

「…うん?それはバーガーショップの……。…あぁ、妃乃も外食じゃなくて持ち帰りにしたって訳か」

「……っ!…う、うぅ……」

「……う…?」

「…忘…れろぉぉおおおおおおぉッ!!」

「はぁぁ!?ちょっ、待っ……ぐへぇぇぇぇッ!」

 

予想外に早い帰宅は、俺と同じく買って帰る選択をしたから。その事に合点が行く中、妃乃は俯き震え始め……次の瞬間、鋭い右ストレートが俺の頬を直撃した。その威力は、明らかに冗談の域を超え……もし俺の口にまだ食べ物が残っていたら、それはもう盛大に吹き出してしまっていたところだろう。

 

 

 

 

「ほうほう、妃乃はジャンクフードが実は好きで、これまでも時々食べていたと」

「…はい……」

「でもそれはこれまで秘密にしてきた事で、誰にもバレたくなかったと」

「…はい……」

「……だからって、本気で殴るかね普通…」

「うっ…だ、だからそれに関しては悪いと思ってるわよ……」

 

普段は怒る妃乃と不真面目に応答する俺、というのが千嵜家における普通の光景だが、今回は逆に俺が怒り、妃乃が正座して応答していた。……そりゃそうだろ、俺理不尽に殴られたんだから。

 

「悪いと思ってるにしても、あんまりだぞこれは。ちょっと腫れちゃったじゃねぇか…」

「それは…元はと言えば、誰もいないと思ってたのに貴方がいたから……」

「…それを理由にするなら、流石に俺も妃乃の事軽蔑するぞ?」

「……ごめんなさい、今のは自分でも最低だって思ったわ。反省する…」

「ったく……」

 

普段と立場が逆な上、色々適当な俺に叱責されるのは妃乃にとって屈辱なんだろう。だから気持ちは分からないでもないが、これを正当化されちゃ俺だって許してやろうなんざ思えなくなる。幸い自覚してくれてたようだが、このプライドの高さはぶっちゃけ妃乃の欠点だよなぁ…。…てか……

 

「そもそもジャンクフードを食べるなんて、隠すような事かよ?確かに毎日の様に食べてたらアレだが、そうでもないなら別に問題なんてないだろ?」

「だ、だって……似合わないじゃない…性格的にも家柄的にも、私がジャンクフードを好き好んで食べてるなんて……」

「えぇー……」

 

目を逸らし、もじもじと隠したかった動機を吐露する妃乃。……いや確かに、似合ってはいないと思うが…。

 

「…別にそこまで隠さなくたっていいだろ。対外的にならまだしも、俺や緋奈にまで隠すなんて食べるにも一苦労じゃねぇか」

「それはそうだけど……」

「…信用ならないってか?俺や緋奈が似合わないって貶したり、誰かに言いふらしたりするとでも?」

「そ、そんな事はないわ!緋奈ちゃんはそういう事する子じゃないし……その、貴方の事も…ちょっとは、信用してるんだから…」

 

恥ずかしいなら「そんな事はないわ」で止めりゃいいのに、わざわざ俺の事まで触れて妃乃は軽く赤面。……くそう、数分前に右ストレートぶち込まれたのにちょっと可愛いじゃないかこいつ…。

 

「そうかい。まぁ隠す隠さないは妃乃の勝手だからいいが、俺はうちの中位じゃ隠さなくたっていいと思うぞ」

「……善処するわ」

「はいよ。さてと…」

 

この話はもう終わりだ、とばかりに俺は身体の向きを妃乃から逸らし、昼食を持って立ち上がる。そして部屋を出ようとすると、正座を解いた妃乃から呼び止めの声が。

 

「…どこ行くのよ?」

「俺がいちゃ食べるにも食べられないだろ?」

「う……い、いいわよ別にここにいたって。ここで悠耶にそんな事までさせたら、もやもやした気分で食べる事になるし…」

「え、殴っておいて今更気にする?」

「だ、だからそれは悪かったって言ってるじゃない!」

 

そう言って妃乃は乱暴に袋からハンバーガーのセットを取り出し、早速包装を……剥がしかけたところで不意に止まり、リビングからキッチンへ。急にどうしたんだとその行動を見つめていると、妃乃は手を洗っていた。…そういや、玄関からここきてそのままの流れだったな…。

そんなこんなで数分後。俺は昼食を再開し、妃乃もバーガーを両手で持って食べ始めていた。

 

「……ん…♪」

「嬉しそうだな」

「うっさい。……後これ、殴ったお詫びに半分あげるわ」

「殴ったお詫びにフライドポテト…?…いや、くれるなら貰うけど」

 

もう明らかに脂っこい、良くも悪くもジャンクフードだなぁと思うポテトを摘みつつ…端っこのカリカリした部分、美味いよな…俺は再び視線を妃乃へ。

決して大口は開けず、育ちの良さを感じさせるペースでぱくぱくごくんと食べる妃乃。さっき妃乃は自分とジャンクフードが合わないと言っていたし、俺も否定はしなかったが……ぶっちゃけ不釣り合い感はあんまりない。それはそれで悪くない光景というか、ちょっと質の良い物を食べてる風にも見えてくるというか……まぁ、身も蓋もない事を言えば、意外に合うっていうより単に妃乃というベースがいいから何やってもそれなりにはなるってだけだとは思うが…それでも妃乃がハンバーガーを頬張る姿は、絵になっていた。

 

「…いつから好きなんだ?」

「それは一人暮らしを始めたばかりの頃興味本位で一度食べてみて、一口食べたその瞬間から……って、べ、別にいつからだっていいでしょ…!」

「うん、ほぼ答え切ったな」

 

好きな物を食した事で気が緩んでいたのか、べらべらと妃乃は答えてくれた。…あれ、これはジャンクフードを用意しておけば、それを交渉材料に妃乃へ強く出られるんじゃね?レアな物じゃないから、タイミングには要注意だが。

 

「しかしまぁ…ほんとに意外なもんだな。ジャンクフードなんて、それまで妃乃が主に食べていた物とは真逆の食べ物だろ?油キッツ…とか味濃過ぎ…とか思わなかったのか?」

「それは…正直、私も不思議なのよね…今もコテコテな味だって思うし、栄養の偏りも頭をよぎるのに、何故か食べたくなるっていうか、謎の魅力を感じてる自分がいるっていうか…依存性のある物質でも混ざってるのかしら……」

「入ってる訳ねぇだろ…そんなのあったら一発で営業停止だわ……」

「冗談よ冗談。…でも、悠耶にだって一つ位は『何故かよく分からないけど好き』ってものがあるでしょ?」

「妃乃が調子乗った結果大失敗して、悔しそうに俯く姿とかか?」

「そうそうそんな感じの…ってはぁぁ!?あ、貴方私のそんな姿が好きだったの!?捻くれてるわね!シンプルに捻くれた神経してるわねっ!っていうか、そもそもそんな姿なんて……」

「まぁ、冗談だがな」

「な…ッ!?」

 

怒りと騙された恥ずかしさで顔を赤くする妃乃を尻目に、俺は悠々と麦茶を一口。基本的に妃乃は冷静且つ理性的で、しっかりと考えてから動くタイプ。妃乃が魔人に目を付けられた時の行動から考えても、心理戦に弱いという要素は凡そない。……が、気付けば俺は食事の片手間に弄る事が出来る位になっていた。初めから弄れてたといえば弄れてたが、今はより的確に、狙った通りに弄れている。

そんな状況が、俺には少し感慨深い。元々妃乃と俺は仕事(っていうとやや語弊があるが)上の関係で、うちに妃乃が来たのもそれが理由。だが…たった半年程度だというのに、今はもう妃乃が違和感なくここにいる。こうして食卓を囲み、下らない話を交わしている。そして、そんな今を…俺は、悪くないと感じている。

 

(ま、緋奈がいなきゃそれも不十分だけどな)

 

今だって悪くないが、やっぱりここには緋奈がいてこそ俺にとっての居場所だと思う。親父とお袋がいれば文句なしだが、終わってしまった過去はどうしようもない。だからこそ俺は今を大切にしている訳で、それはきっと高望みなんかじゃない筈。

…いや、高望みだとしてもこれ位は要求させてもらう。何せ俺は優等生でもなけりゃ、真人間なんかでもないんだからな。

 

「ご馳走様、っと。はー…今日は疲れてしゆっくりしよう、うん」

「まだ昼だし午前中の内に学校は終わったでしょうが…ったく、夏の間に弛んだんじゃない?」

「失礼だな、俺は休息を満喫しただけだ。そして今もそうするつもりだ」

 

そう言いながら俺は弁当を片付け、三人がけのソファにごろんと転がる。…長ソファには、横になりたくなる魅力があるんだよな。夏場は気を付けないと、ソファの皮が汗でびちょびちょになっちまうが。

 

「相変わらずだらしない奴ね…太るわよ?」

「おー、経験者は言う事が違うなぁ」

「はぁ?誰が経験者ですって?女性にそれは、喧嘩を売っているも同然だって分かって言ってる?」

「ほぅ…今の猪木アリ状態となった俺に勝てるとでも?」

「いや、それは単に寝転がってるだけでしょうが……やっぱいいわ、こんなにの乗るのも馬鹿らしいし…」

「はっはっは、勝ったな」

 

横になったままの俺と、椅子で残ったポテトを摘む妃乃でのしょうもない会話。それはまるで中身のなく、下らなく……けれどやっぱり悪くないやり取り。だから俺は思うのだった。妥協案として選んだ弁当は、案外上々の結果をもたらしてくれたのかもな、と。

 

 

 

 

「……んぅ…」

 

何かあった訳でもなく、ただ自然に目を覚ます。目を覚ますというのは、寝ている状態から発生する行為。どうやら俺は、あのままソファで寝てしまったらしい。

 

(…今、何時だ…?ってか、妃乃も寝てるし……)

 

首を回しつつ身体を起こし、ぼんやりとした頭で掛け時計を眺める。いつ寝てしまったかはよく覚えてないが、寝ていたのは恐らか数時間。今はまだ夕方より少し早く…食卓では、腕を枕にして妃乃が寝息を立てていた。

 

「…………」

 

特に理由はないが、何となく妃乃を見つめる。母は見るからに柔らかそうで、閉じた目のまつ毛は長く、すぅすぅと規則正しく寝息を立てるその姿は……まぁその、やっぱり可愛い。

 

「…って、何してんだ俺は……ん?」

 

数十秒程経ったところで我に返った俺は、軽く自分に呆れて……そこで俺の携帯が鳴った。

それは、メッセージを受信した事を伝える通知。何だと思って見てみると、そのメッセージは緋奈からのもので、しかも数分前と数十分前にも一件ずつ来ていた。内容は夕飯前には帰るというもの、可愛い子猫を見つけたというもの、可愛いけど不思議な猫だというもので、俺がアプリを開くと丁度そのタイミングで緋奈から写真が送られてくる。そこに写っているのは、この流れから分かる通り猫の写真。

 

「…ったく、野良猫だか捨て猫だか知らないが、猫にはしゃぐなんてまだまだ緋奈も子供──」

 

今緋奈がしているであろう事に、それをわざわざ伝えようとする事に、俺は微笑ましい気持ちになる。そして写真を送ってこなければ、俺はその気持ちのまま「引っかからないよう気を付けろよ」とでも返信していたんじゃないかと思う。

…だが、違った。そうはならなかった。表示された写真を見た瞬間……俺は、愕然とする。

 

「な……ッ!?」

 

写真に写る存在は、確かに一見猫だった。だが、そいつには尾が二つあった。茶色の毛並みにはちらほらと黒い毛が混じっていて、その毛からはどうにも硬質的なものに見えた。嬉しそうな顔をしていたが、それは緋奈に懐いているとかではなく、もっと獰猛な何かを感じさせるものだった。そして何より…そいつが猫でも動物でもない、もっと異質な存在だと……本能的に、分かった。

俺は感じた。分かった。理解した。異質さを感じるそいつが、緋奈の側にいる存在は────魔物であると。



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第百七話 どんなに隠していても

──信じたくなかった。俺の勘違いか、思い違いだと思いたかった。折角今日は穏やかな気分だったのに、この場に緋奈がいればもっと良いんだよな…なんて思ってたのに、よりにもよってこんな日にこんな事が起こるなんて…と。

だが、どんなに信じたくなくても、俺は見て見ぬ振りなんて出来ない。そんな選択肢は、両親が死んだあの日から一瞬たりとも存在していない。俺にとって緋奈は大切な家族で、何が何でも守らなきゃいけない俺の妹。だから、俺がやる事なんて……決まってる。

 

「……これで…妃乃、おい妃乃…!」

 

衝動的に飛び出しそうになる俺の身体を必死に理性で抑え込み、緋奈へあるメッセージを送る。その返信を待つ間に、俺は寝ている妃乃の肩を揺さぶる。少々乱暴な手付きだが、いまはそんなの気にしてられない。

 

「……ん、っ…なによぉ……」

「妃乃、緋奈が大変なんだ…ッ!」

「ふぇ……?緋奈ちゃん…?」

 

数秒後、寝惚け眼でゆっくりと頭を上げた妃乃の前へ、猫…いいや、魔物の写った携帯を見せる。妃乃は俺の言葉を聞いた時点じゃぼけーっとしていたが……携帯を見た瞬間、一気に意識が覚醒した。

と、同時に送られてくる緋奈からの返信。書いてあるのは『いいけど、何かあったの?』というもので、俺の『今から電話で話したい。絶対に出てくれ』というメッセージに対しては至って普通の答えと言える。

 

「…悠耶、焦っちゃ駄目よ」

「分かってる…」

 

返信を受けて早速電話をかける俺。もし魔物が襲うタイミングを伺っているのなら、俺が下手な事を言って緋奈を動揺させるなんて以ての外。言葉にも、声音にも、最新の注意を払わなきゃいけない。

 

「…もしもし?どうかしたのお兄ちゃん。何か用事?」

「あ、あぁ…悪いな、急に電話をかけて…。……可愛い猫が、いたもんだな」

「でしょ?ふふっ、ちょっと変わってるけど可愛いよね」

 

落ち着け落ち着けと心の中で言い聞かせつつ、通じた電話で話し始める。

一先ず最初は他愛ない、且つ違和感のない話題を選択。一刻も早く本題に入りたいところだが…その気持ちを抑えなければ、最悪の結末を迎えてしまう。

 

「だよ、な……その猫は、今どこにいるんだ…?」

「え?わたしの隣で丸くなってるよ」

「隣…?…っていうと、緋奈は…公園かどこかにいるのか…?」

「うん、えっとね……」

 

務めて普段の俺を装いつつ、会話の中で必要な情報を引き出していく。

緋奈が口にしたのは、なんと前に俺が妃乃と話した公園だった。嫌な偶然だとは思うものの、場所としては好都合。俺は公園の名前を繰り返す形で、妃乃に緋奈の場所を伝達する。

 

「…私が先行するわ。悠耶、貴方は歩いて来なさい。理由は分かるわね?」

 

すれ違う様にして俺の耳元へ顔を寄せた妃乃が、肩に手を置きつつ俺に対してそう投げかけてくる。

もし走れば風を切る音や走る音、何より荒い息が緋奈へと伝わり悪い方へ転がりかねない。…妃乃が言っているのはそういう事で、そんな事は百も承知。分かっているからこそ、俺は妃乃を起こしたのだから。

 

「……助けるわよ、緋奈ちゃんを」

(…おう)

 

そう言って妃乃は部屋を出た。俺も緋奈との会話を続けつつ、早歩きで玄関に移動し外に出る。その時点で、妃乃の姿はもう見えない。

 

「…緋奈、撫でるのは構わないが気を付けろよ?人と動物ったって、見知らぬ相手に触られてる事には変わらないんだからな」

「あ、うん。…この子、何で尻尾が二本あるんだろうね。遺伝子の異常…にしては、どっちも動きが変だったりはしないし」

「そりゃ…あー……猫又なんじゃね…?」

「え、妖怪だったの…?」

 

昼と然程変わらず蒸し暑い外。だがそんな事関係なしに、口の中がカラカラに乾く。緋奈が狙われたのは最悪の事態だと思ったし、実際最悪だったんだが…カラカラの状態でも尚、内心駆け出したい程焦りながらも普通に会話が出来るのは、相手が緋奈だからこそなんだろう。…だがそんなのは、余りにも皮肉過ぎる。

けれどとにかく俺は、妃乃が到着するまで持たせればいい。妃乃の速度なら、もうかなりの距離を進んでいてもおかしくない。…焦らなければ、俺が普通に話していられれば、緋奈を助ける事が出来る。そうだ、俺がすべき事は、ただ緋奈が動揺しないよういつも通りの会話を……

 

「……あれ?」

「…どうかしたか?」

「うん……猫ちゃん、いなくなっちゃった…」

「は……!?」

 

──そんな淡い希望を砕くような、緋奈からの言葉。魔物が緋奈の前から消えたという、突然の事態。

もしそれが、逃げたのなら良い。狙いを別の人に変えたというなら、喜んじゃいけないがまだ俺は冷静な状態を取り戻せる。だがもし、様子見から行動に移ったが為に、緋奈の前から消えたのなら……。

 

「いつの間にいなくなっちゃったんだろう……」

「う、後ろじゃないのか…?」

「後ろ?いないよ?」

「じゃあ上、或いは近くの茂みはどうだ…?とにかく自分にとっての死角を……いや待て、下手に探す素振りを見せるのは…」

「…お兄ちゃん?なんか、ちょっと焦ってない?」

「……っ…!い、いや…そんな事は……」

「そう?ならいいけ……」

 

焦りと不安が加速し、気付けば俺は『いつも通り』を忘れていた。そしてそれを、緋奈に感じさせてしまった。

嗚呼、それがいけなかったのか。これが引き金になってしまったのか。そう思わせるように、そう後悔させるように……次の瞬間、絶望を呼ぶ悲鳴が聞こえる。

 

「……──ッ!!緋奈ッ!緋奈ぁああああッ!」

 

頭が真っ白になった。背筋が凍り付いて、同時に燃え上がるような熱さにも襲われた。…憎悪?違う。後悔?…それも違う。俺の中に駆け巡るのは、ただただひたすらに恐怖だけ。緋奈を失う事への、どうしようもない恐怖の奔流。

俺は叫んだ。周りなんて気にせず、緋奈の名前を。俺は地を蹴った。失いたくないという思いのままに。

 

「緋奈ッ!緋奈ッ!くそっ、返事してくれ…してくれよ……ッ!」

 

霊力による身体強化をフル稼働させ、何度も何度も呼びかけながら走る。何でもいい、緋奈の声を聞きたい。緋奈がまだ手の届かない場所に行ってしまった訳じゃないという確証がほしい。…そんな思いで一杯だったから、俺は通話が切れてしまっている事に暫くの間気付かなかった。

切れていると気付いたのは、公園まで後少しとなってから。漸く気付いた俺はより速く走る為に携帯をしまおうとし……そこで電話がかかってきた。タイミングの悪い…!…と思いつつもちらりと画面を見てみると、そこに映っているのは妃乃の名前。

 

「……ッ!妃乃!緋奈が、緋奈が…ッ!」

「…落ち着きなさい、悠耶。大丈夫、緋奈ちゃんは無事よ。腕を軽く切られてるけど…命に別状はないし、意識もはっきりしてるわ」

 

もしも通話ではなく直接会っていたのなら、両肩を掴んでいたんじゃないかと思う程の勢いで話す俺に対し、妃乃は宥めるような口調で言った。言ってくれた。──緋奈が、無事だって。

 

「……そ、っか…あぁ、そっか…そっか…助かった…助かったよ妃乃…妃乃は緋奈の…いや、俺にとっても恩人だ……」

「…えぇ、私も助けられて良かったわ。それにこれは、私だけの力じゃないもの」

「ははっ、そんな事ねぇよ…もしそれが俺を指してるなら、俺のした事なんて些細な事だ。…でも本当に良かった…緋奈は無事、なんだな…」

 

絶望が霧散し、代わりに安堵が湧き上がる。思わず脱力してよろけてしまい、近くの石垣に手を付いた後再び俺は公園へと向かう。

嗚呼、良かった。本当に良かった。緋奈が生きていてくれて良かった。俺は心からそう思っている。妃乃への感謝も、際限なく膨らんでいる。…だというのに何故か、妃乃の声からはどこか浮かない様子が感じられる。それは一体、何故だろうか。

 

(…いや、それはまた後でいいか。それより今は緋奈だ。命に別状がないとはいえ、怪我をしたならちゃんと手当てしてやらなきゃな。それで病院に行くような怪我じゃなきゃ、今日の夕飯は緋奈の好きなものにしてやろう。緋奈は不思議に思うだろうが、それでも俺にとっては……)

 

一気に軽くなった足取りで、俺は最後の角を曲がる。ここを曲がれば公園は目と鼻の先で、緋奈の姿が見える筈。そう、俺の大切な、俺が守りたい、かけがえのない妹の緋奈が…………

 

「……お兄、ちゃん…?」

「あ……」

 

──だが、俺は失念していた。状況を楽観的に見過ぎていた。これまで入念に気を付けていたのに、緋奈の安否で頭が一杯となり、完全にそれを忘れていた。

曲がって見えた公園の中。罪悪感に駆られた表情を浮かべる妃乃と、もうその大半が消滅した魔物。そして……何かを知ってしまった緋奈が、そこにいた。

 

 

 

 

緋奈の怪我は、軽傷だった。一般家庭ならかかりつけの医者に行った方がいいのかもしれないが、幸い俺も妃乃も簡単な手当ての心得があり、だから治療は何とかなった。

身体的には勿論精神的にも強い負荷がかかったようで、治療後にすぐ緋奈は寝てしまった。…だから今、リビングにいるのは俺達二人。あの時と…俺が心を決めたあの日と、同じように。

 

「……ごめんなさい、私がもう少し早く辿り着けていたら…」

「…妃乃のせいじゃねぇよ」

 

あの時とは逆に、先に謝罪の言葉を口にしたのは妃乃の方。責めるつもりもなきゃ悪いと思ってない俺は否定するが、妃乃は首を横に振る。

 

「だけど、私は…きっと油断、してたのよ……私は元々、貴方達二人の護衛の為にここにいるのに…」

「だとしても、これは妃乃が手を抜いた結果の事じゃねぇだろ。四六時中緋奈の側にいてくれなんて言ってねぇし…妃乃のおかげで緋奈は死なずに済んだんだ。…これでも感謝、してるんだよ……」

 

メッセージが来たのは俺の携帯だが、俺一人じゃ絶対に間に合わなかった。妃乃がいたから、緋奈は軽傷で済んだ。それは疑いようのない事実で、公園に到着する前に抱いた感謝も消えていたりはしない。

けど、それでも俺は喜べない。生きていてくれて心から安心したが…一番大事なのは生きてくれている事に決まってるけどよ……

 

「……くそっ…たった半年弱…半年弱も隠させてくれねぇのかよ…ッ!」

 

拳を握り締め、怒りと無念で一杯になった思いを吐き捨てる。緋奈がこちらの世界を知らなくて済むよう、普通に生活出来るよう、その為にやってきた事がいとも簡単に瓦解した。…こんなの、やるせない気持ちにならない訳がない。

いや、違う。頑張ったかどうかなんて本当は二の次。隠し通してやれなかった事、見せないでいてやれなかった事が……どうしようもなく腹立たしくて、悲しかった。

 

「…悠耶にだって、落ち度はなかったわ。…ただ、これは…隠し切れなかったのが、私のせいでもないのなら……」

「…運が悪かった、ってか?不安だった、それだけの事だってか…?」

「……それは…」

「…分かってるさ、そんな事は…。…悪い、棘のある言い方になっちまって……」

 

妃乃が責められる謂れはないのだからとここまで抑えていたが…それでもやっぱり、こうして八つ当たりしてしまった。…これじゃ、あの時と同じだ。あの時から俺は、まるで成長していない。

 

「……どうする、つもりなの…?」

「どうって…そりゃ……」

 

複雑そうな顔で、妃乃はそう問いかけてくる。俺は答えようとして…言葉に詰まる。

どうするってのは、これからの事。緋奈に霊装者の事を話すかどうか。これから緋奈にどうしてもらうか。…後者はともかくとして、話すかどうかは後回しになんて出来ない。決断は、緋奈が目を覚ますまでにしなきゃいけない。

 

(……話したくは、ねぇよ。けど……)

 

緋奈にはこっちの世界とは無縁の生活をしてもらいたい、という気持ちは今も変わっていない。だが既に、緋奈は見てしまった。触れてしまった。…ならもう、それは叶わないんじゃないか…って思いが、俺の中を渦巻いている。

 

「……隠したいって言うなら、協力するわ」

「え……?」

 

話すしか、ないのか。……そう思っていた俺に対し、妃乃が言ったのは逆の言葉。それは想定外の言葉で、俺は思わず顔を上げる。

 

「幸い…って言うのは不謹慎かもしれないけど、あの魔物を見たのは私達三人だけで、緋奈ちゃんにとって魔物は常識の外、あり得ないって思う存在よ。だから、私達が徹底的に否定して、それっぽい理由を用意出来ればまだ誤魔化せるわ」

「…隠し切れると、思うのか?」

「可能性はゼロじゃないわ。…でも、誤魔化し続けるのは今までよりずっと難しいし、はっきりと見た以上はちょっとでも話す事や返す言葉を間違えれば一気に嘘がバレるかもしれない。それに……二度も隠して、嘘を吐き続けようとして、それでバレたら…私も貴方も、きっと信頼を失う事になるでしょうね…」

 

それは、筋の通った意見だった。確かに経験したのはあり得ないもので、自分以外はそんなものなかったと言うのであれば、間違っているのは自分なんじゃ…と思ってしまうのも無理はない。

けど、隠し続ける難易度がこれまでより高いというのも頷けるし……何より、緋奈からの信頼を失うという言葉が俺の中に響いていた。

自己犠牲に溢れる創作世界の主人公なら、嫌われてでも妹の為に…とか考えるんだろう。だが……そんなのは、嫌だ。

 

「……これまではまだ、何とかなった。でも、ここからまた嘘を重ねるんじゃ…無理矢理嘘で塗り固めるんじゃ、これから俺も妃乃も緋奈の前では演技をし続けなきゃいけなくなる。ずっと知らない自分を演じなきゃいけなくなる。……そんなのは、妹の前で演技し続けるなんざ…家族じゃ、ねぇよ…」

「…そう、ね…悠耶の言う通りよ。ここで隠すのは賢明なじゃないし…隠し通せても、何かを失う事になるわ」

 

俺は言った。それは違うんだと。それじゃ駄目だと。妃乃はそれに頷いた。だから、それが表す事は一つ。悔しいが、悲しいが……俺は覚悟を、決めなきゃいけない。

 

「……って、簡単に決められるなら苦労はしねぇんだよ…!」

「え、な、何が…?」

「…独り言だ、気にすんな……」

 

雑に頭を掻きながら肩を落とす。覚悟を決めるなんて口で言うのは簡単だが、言ったり思ったりするだけじゃ何の意味もない。

覚悟ってのはつまり、決断する事。道を選ぶ事。そしてこれから俺が選ばなきゃいけないのは……後戻りの出来ない道。

 

「…………」

「…何も、言わないわよ。これは貴方が、決める事だから」

 

黙り込む俺へと投げかけられたのは、そんな言葉。…あぁ、そうだ。これは俺が決めなきゃいけない事。俺が選ばなきゃいけない道。どっちを選ぼうと、その先に何があろうと、俺は俺の意思で選び、正面から受け止める責任がある。それが家族の……兄の務め。

 

「……緋奈だって、きっと…きっと、受け止められるよな…?」

「…そんなの、私に聞くまでもないでしょ。だって悠耶は、ずっと緋奈ちゃんの兄だったんだから」

「…分かってるよ、その上で訊いたんだ。けど、そうだな……その通りだ」

 

妃乃は気を遣えないのか、それとも遠回しに「貴方の思う通りにすればいい」と言ってくれたのか。…どっちかは分からないが、その言葉は俺の背中を押した。……だから俺は、立ち上がる。

 

「…俺は今まで、何も知らない緋奈を、何も知らないまま守ろうと思ってた。知らないままでいてほしいと思ってた。…けどもう、知らないままでってのは叶わねぇ」

「…………」

「…だけど、それでも俺は緋奈を守る。緋奈の日常は、誰にも奪わせたりなんてしない。……例え話したとしても、これだけは変わらねぇよ」

 

…これが、俺の意思。俺の覚悟。それを口にしたのは、妃乃の前で言ったのは、これまで俺に力を貸してきてくれた妃乃への義理で……頼みでもある。

 

「…図々しい頼みだってのは分かってる。まだ付き合わせるのかって言われても仕方ねぇ。…でも、それでも妃乃……」

「……いいわよ、最後まで言わなくて。ここまできたら一連托生…って訳じゃないけど…これからも私は、力を貸すから」

「…恩に着るよ、妃乃」

 

頭を下げるより前に、ゆっくりと頷いた妃乃。俺の思いを察し、迷う事なく求めに応じてくれた、今の千嵜家のもう一人の住人。……あぁ、やっぱり…やっぱり頼もしいな、妃乃は。

 

(…けど、全部は頼れねぇ。俺と妃乃は対等だからこそ、妃乃に任せちゃいけない事もある)

 

そんな妃乃に頷きを返し、俺はリビングを後にする。向かう先は……緋奈の部屋。

 

「…入るぞ、緋奈」

 

ノックをし、数秒待ってから声をかけて中に入る。恐らくまだ寝ているだろうし、起きるまで待つつもりだったが……予想に反して、緋奈は起きていた。ベットの上で、ただ静かに包帯の巻かれた腕を見つめて。

 

「…あ、お兄ちゃん……」

「…起きてたのか」

 

やや遅れ気味に俺の存在に気付いた緋奈は、いつも通りの様子。少しばかりぼんやりしている気もするが、動揺していたり強いショックを受けていたりする様子はない。

 

「…………」

 

その時一瞬、隠せるんじゃ…という思いに駆られた。もしかしたら、魔物の事を夢だと思ってくれるんじゃないか…と。緋奈にとっての幸せは、やはり知らない事ではないかと。

…けどそれは、都合のいい考え方だ。可能性はゼロじゃないが、俺はその可能性を信じようとしてる訳じゃない。その可能性に甘えて、事なかれで済まそうとしているだけ。そして、それじゃ駄目な事は…もう分かっている。

 

「…お兄ちゃん?」

「…腕、大丈夫か?」

「あ…うん。動かすとちょっと痛いけど、大丈夫だよ」

「そっか…。……ごめんな、緋奈」

「え…?ご、ごめんって…もしかして、怪我の事?だったら別にお兄ちゃんは何も……」

「いいや、違うんだ緋奈。俺が謝ってるのはそれだけじゃないし…関係が、あるんだ」

 

ベットの前で片膝を突き、緋奈より少しだけ低い視線で俺は話す。立ったままでいないのは、威圧感を与えない為。椅子やベットに座らなかったのは…緋奈に対する、俺の負い目。

俺の言葉の意味が分からない、という顔で緋奈は俺を見つめている。曇りのない、俺を心から信頼してくれている……俺が今まで、嘘を吐き続けていた緋奈の瞳。

その瞳に、俺はこれから向き合う。望まない形で訪れた、緋奈に真実を話す瞬間。ならばせめて、話す事で少しでも良くなる何かがある事を願って──俺は言う。

 

「……ずっと、黙ってた事があるんだ。──聞いてくれるか?駄目なお兄ちゃんが、これまで緋奈に隠していた…本当の事を」



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第百八話 すれ違う思い

緋奈は、俺の話を静かに聞いていた。霊装者の事も、魔物の事も、緋奈にとっては到底信じられない話の筈。魔物の姿を目にしていたとしても、そう簡単に飲み込む事なんて出来る訳がない。……なのに緋奈は、疑いもせずに信じた。信じてくれた。

 

「…実はね、ちょっとだけ変だなって思ってたんだ。妃乃さんの居候の件はやっぱり普通じゃないし、少し前からお兄ちゃんも『あれ?』って思う事が偶にあったから」

 

話を聞き終えた緋奈は、そう答えた。俺達の隠し事には気付かずとも、全く違和感がなかった訳じゃなかったのだと。

だが、緋奈は隠していた…騙していた俺や妃乃を責める事なく、それどころか俺に言ってくれた。これまで何も言わずに守っていてくれてありがとう、と。

その言葉は俺にとって、心から嬉しく同時に負い目も感じる言葉だった。責めもせずに感謝してくれる緋奈を、俺は騙していたのだから。

 

「……これで、良かったんだよな…」

 

話は済んだ。今日は一人で頭の中を纏めさせてほしいという緋奈の意思を尊重し、夕飯は緋奈の部屋へと運んで、今はもう夜。ベットに寝転がり、天井を見つめながら…俺は呟く。

 

(…親父、お袋…二人だったら、どうしてたんだ?)

 

俺は覚悟して、自分で決めて、緋奈に話した。それを後悔してはいないが……思ってしまう。これが正解だったのかと。兄ではなく、本当の保護者である両親ならどうしていたのかと。

答えなんて、出る訳のない問い。それでも考えてしまうのが人というもの。たらればに意味がないなんて分かっていても、それは自然に思ってしまう。…人は誰しも、出来るならばより良い未来を歩みたいんだから。

 

「…信じるしか、ねぇよな。これが正しかったんだって、緋奈はこれからも緋奈でいてくれるって」

 

暫く考えて、それから俺は自分に言い聞かせるようにしてまた呟く。分からないなら、信じるしかない。頭じゃそれを理解してるんだから、後は心を納得させるだけ。簡単に出来たら苦労しないが……これまでも俺は色々あって、でも何とか納得して、ここまで生活してきたんだ。…だからきっと…大丈夫、だよな。

 

 

 

 

翌日、緋奈はいつも通りに起きてきて、いつも通りに朝食を食べて、いつも通りに俺と学校に行った。夏服じゃ包帯を隠せる訳がなくて、当然クラスメイトや担任に何があったか訊かれたようだが、野良猫に引っ掻かれたで通したらしい。相手はともかく、引っ掻かれた事は事実だから上手く誤魔化せたんじゃないかと俺は思う。

それから数日は、至って普通の日々が続いた。ぶっちゃけ少し拍子抜けでもあったが、俺にとっては嬉しい誤算。これまでの日々が無くならないでいてくれるなら、それに越した事はない。……そんな、ある日の事。

 

「衣替え……はまだまだ先だな。今変えたら絶対後悔するっての」

 

食後、衣替えをいつするかなんて考えながら衣類をタンスにしまう俺。実情を言うと、俺はそんなに私服が多くはないから詰め込みさえすれば衣替えなんてそもそも必要ないんだが……これもお袋が生きていた頃の影響から、毎年きっちり替えている。…もし今もお袋が生きていたのなら、俺は大分きっちりした人間になっていた可能性もあるんじゃないだろうか。

 

「…お兄ちゃん、ちょっと話いい?」

「ん?おう、大丈夫だぞー」

 

…と思っていたら、ノックと共に緋奈の声が聞こえてきた。だから俺は何も考えず了承し……丁度今、下着をしまっている最中だった事に気付く。

 

(っと、これは不味い……ッ!)

「じゃあ入るね……って、お兄ちゃん?」

「…な、なんでもないぞ緋奈…」

 

兄妹とはいえ、自分の物とはいえ、下着を持っている状態で入室許可…というのは流石に不味い。そう思った俺は左ストレートばりの勢いと捻りで下着の棚に手にした物を叩き込み、右ボディー並みのパワーで引き出しを閉じる事により、ギリギリの所で事なきを得た。……あっぶねぇ…。

 

「そ、そう…。……えっと、その…」

「…緋奈?」

 

普段緋奈は椅子だったりカーペットの上だったり、とにかく空いている所にそのまま座る。気心の知れた兄妹なんだから、それは一向に構わないと思っている俺だが…今日は珍しく閉めた扉の前に立ったままで、自分から来た割に歯切れも悪い。

…が、その様子で逆に俺は用事が分かった。断言は出来ないが、恐らく……

 

「……お兄ちゃん、話してくれたよね。魔物の事とか、霊装者の事とか、お兄ちゃんや妃乃さんの所属してる…えっと、霊源協会…?…の事とか」

「…そうだな」

 

…やはり、緋奈の用事は数日前に話した事に纏わるものらしい。当たり前だよな。俺が話した事は緋奈にとっては到底信じられないような内容だったんだから。

 

「それで、お兄ちゃん言ったよね?魔物は人…特に霊力を持つ人を狙うって。わたしが襲われたのも、それが理由だって」

「あぁ。…基本的に霊装者の力は代々受け継がれる。俺がそうだった以上、緋奈にもその力があってもおかしくはないって事だ」

「おかしくはない…?…って事は、わたしはそうじゃない可能性もあるの…?」

「…まぁ、ちゃんと検査はしてないからな」

 

そういえばそうだった、と緋奈に話しつつ俺も思い出す。二度も襲われたんだからほぼ確定と言えるレベルだが、それはあくまで確率の話。

緋奈に霊装者の作用があるかどうかは分からない。それは緋奈に霊装者の事を知られたくないという気持ちがあって、尚且つ素養があろうとなかろうと俺が守るつもりであったから。そしてそれならばわざわざ確かめる必要なんてないだろうと考え、判明させないままでいた。

 

「そう、だったんだ……それって、どうしたら確かめられるの?やっぱり、えぇと…双統殿、だっけ?…に行かないと分からない?」

「いや、そんな事はないぞ?しっかり確かめるにはそりゃそれなりの設備が必要だが、ざっくりしたものでいいなら武器に霊力が通せるかどうかで……って待った。…まさか緋奈、霊装者に興味があるのか…?」

 

霊力付加させられる武器に霊力を纏わせられるのなら間違いなく霊装者だし、出来なきゃ霊装者じゃないか極端に能力が低いかのどちらか。…そんな説明を途中までしたところで、俺は気付いた。その質問は、霊装者に興味がある人間の発するものじゃないかと。少なくとも、なりたくないと思っているならしない質問だろうと。

もしそうならば、俺にとっては望まない思い。だから確かめるべく緋奈を見つめると、緋奈はおずおずと声を発する。

 

「それは…ほら、お兄ちゃんも妃乃さんも、これまでわたしを守る為に色々頑張ってくれたんでしょ?何も知らない、わたしの為に。なら、わたしも……」

「あぁ…なんだ、そういう事か」

 

様々な思いの混じったような、緋奈の声。だがその言葉から緋奈の言いたい事を察した俺は頬を緩め、くしゃくしゃと緋奈の頭を右手で撫でる。

 

「んっ……」

「ありがとな、緋奈。でもそんなの気にすんな。俺は俺がしたいからそうしてきただけだし、妃乃だって似たようなもんだ。だから緋奈が何かする必要なんてない」

「え…で、でも……」

「いいんだよ、無理しなくて。緋奈はこれまで通り、普通に生活していてくれていいんだ。今回は俺が不甲斐ないばっかりに怪我させちまったが…もうこれからは、緋奈に怖い思いなんてさせねぇからよ」

「お、お兄ちゃん…それ、は……」

「大丈夫だ、緋奈。…お兄ちゃんは、全部分かってるからな」

 

軽く髪を巻き込みながら一頻り撫でた後、ぽんぽんと何度か乗せるように叩く。いつものように、緋奈を安心させるように。

我ながら、配慮が足りないなと思った。確かに優しい緋奈なら自分は誰かに守られてたって知ったら負い目を感じるのも無理ないし、それ以上に今後もまた襲われるんじゃ…と不安になるのも当然の話。だからそう思わせてしまったのも俺の落ち度で……そんな緋奈に安心してもらおうと、俺は緋奈へと言葉を紡いだ。…そう、これまでのように、これまで以上に、俺が緋奈の日常を守るんだ。俺の意思で、俺の思いで。

 

「…………」

「明日も学校はあるし、まだまだ暑いんだ。寝不足で体調悪くならないよう、ちゃんと休めよ?」

「…うん…そうだね……」

 

それでもまだ少し緋奈は浮かない顔。その緋奈に声をかけながら、俺は改めて意思を固める。

緋奈が浮かない顔なのは、きっと不安が拭い切れないからだ。拭い切れないのは、俺が頼りないからだ。……だからもっと、俺は頼れる兄貴でいてやらなきゃならない。…緋奈の為なんだ。頑張れるよな、俺。

 

 

 

 

週末、俺は双統殿を訪れた。理由は緋奈に関する説明をする為で、例の如く相手は宗元さん。…が、大概の説明は既に妃乃が行なっていて、どっちかって言うと俺の意思確認が目的だったから、思っていたより早く済んだ。

 

「……また一つ、宗元さんに世話かけちまったな……」

 

偽装された出入り口から出た俺は、頭を掻きつつ小声で呟く。これまでと今の違いは、緋奈がこちら側の存在を知っているか否かだから新たに何かしてもらう、変えてもらうって事はないんだが…そもそもこれは、俺の我が儘で始まった事。それに関して日々忙しい宗元さんに時間を作らせてしまったという事実が、俺としては申し訳ない。

 

「……中途半端な事は出来ねぇぞ、俺」

 

昔ならまだしも、今の俺に宗元さんの力となれる事なんて殆どない。それ程に宗元さんは遠い存在になってしまって、してくれた事への恩返しやさせてしまった事のお詫びなんて出来やしない。…だからせめて、厚意を無駄にする事だけはしないようにしないとな。じゃなきゃそれこそ、恩を仇で返すってもんだ。

 

「……っと、ん…?…ヤベ、鞄置いてきた…」

 

そうして数分程歩いたところで、俺は忘れ物の存在に気付いた。…財布も携帯も鞄に入れてたし、流石にこのまま帰る訳にはいかねぇか…。

 

「はぁ、注意力散漫だっての…」

 

軽く自分を責めながら、小走りで双統殿へと戻る俺。鞄を置いたのはそこそこ上の階で、置き忘れてからそれなりの時間が経ってしまっていたが、幸い鞄も中身も無事。それで一安心した俺は他に忘れ物をしてないか確認し、今度こそ帰路に……

 

「……へ?」

 

身体の向きを変え、歩き出そうとした瞬間……俺の視界の端に、ある人が映った。

それは、普段から見慣れた…だがここにいる筈のない人物。ここにいるなんてあり得ない人。だから俺は見間違いだろうと思ったが……どうも、嫌な予感がする。

 

(…嫌な予感って、取り敢えず言っときゃいい感じの言葉だよな……って、そんな事はどうでもいい…)

 

嫌な予感を振り払えない俺は、鞄を手にその人物が消えていった廊下の角へ。そこで止まり、尾行中の如くそっと顔を角から出した俺は……見た。見てしまった。廊下の先で、妃乃に案内されるようにして歩く、緋奈の後ろ姿を。

 

「……どういう、事だよ…」

 

たらり、と嫌な汗が一筋垂れる。…おかしい。明らかにおかしい。なんでここに緋奈がいるんだ。どうして緋奈が、双統殿に出向いているんだ。

 

「…まさか、何かあったのか……?」

 

動揺する俺の脳裏によぎるのは、想定外の事態が起きたという可能性。もし不味い事が起きたのなら、ここに来なくちゃいけない程の事態が発生したというのなら……例えそれが理由だったとしても、俺は「あぁ、そっか」なんて気持ちになれない。

 

(…携帯に着信もメッセージもなし…けど、二人共切羽詰まった様子はない…つまりどういう事だよ…何があったってんだ……!)

 

何かしら俺にとって喜ばしくない事があったであろうのに、それが何なのか全く分からない。だからもやもやする。もやもやするし、少し焦る。

分からないってのは、半端な『悪い事』よりよっぽど心が乱れるもんだ。分からねぇから際限なく悪い方に考えちまうし、確定してねぇから現実として受け止める事も出来ねぇ。…くっそ、何かあるなら連絡してくれよ…!

 

「……のよ?あ…い……し……」

「…わ……たし……」

(あ、愛してる!?わたしも!?え、はぁ!?二人そういう関係だったの!?……って、そんな会話してる訳ねぇだろうがッ!)

 

…ご覧の通り、焦燥感に襲われている人間はこんな意味の分からない解釈をしてしまったりもする。ふざけてる訳じゃない。本当に俺は、軽くテンパっている。

 

「……どこ行くんだよ…」

 

そんな思いを抱えながら、俺は二人の後を追う。付かず離れず、神経を張り詰めて。そうして辿り着いたのは……幾つかあるトレーニングルームの内の一つだった。

 

(……ここ、って…)

 

嫌な予感が増していく。ここはトレーニングルーム。鍛錬を行う為の場所で、霊装者としての力を使う事を前提とした部屋。そんな場所で行う事なんて……そう思っていた俺の耳に、二人の会話が聞こえてきた。今度は距離の関係で、大きくはなくともはっきりと。

 

「…本当に誰も呼ばなくて良かったの?私だけじゃ、正確な事は分からないわよ?」

「大丈夫です。わたしの都合で誰かの仕事を増やす事はしなくないので。…って、妃乃さんに迷惑かけておいて何言ってるんだ、って話ですよね…」

「私は良いのよ、他人じゃないんだから。…じゃあ、最後にもう一度だけ訊くけど……本当に、やるのね?」

「はい。ちゃんと、知っておきたいんです。…私に、戦える力があるのかどうかを」

「……──っ!」

 

──その瞬間、ぞくりと全身に鳥肌が立った。聞きたくない、でも聞いてしまった緋奈の言葉に。緋奈の考えている事に。そして、それが指し示す未来を想像した時……俺は、無意識に声を発していた。

 

「……何だよ、それ…」

『……!?(悠耶・お兄ちゃん)!?』

「何だよ…何言ってんだよ緋奈……!」

 

言葉と共に隠れていた角から姿を現わす中、びくりと肩を震わせて俺の方を向く二人。どうしてここにいるんだ。…二人の瞳に映っていたのは、そんな驚きの感情。

 

「悠耶…貴方、どうしてまだ……」

「んな事はどうでもいい…それより、どうして緋奈がここにいて、そんな話になってんだよ妃乃…!」

 

動揺する二人へと俺は近寄る。経緯や事情はどうあれ、妃乃は偶々ここで緋奈と遭遇し、訊かれたからここまで案内しただけ……なんて訳がない。

 

「それは…あ、あのね悠耶。これは貴方が思ってるような事じゃ……」

「ないってか?だったら尚更なんだってんだよ…何があったら、緋奈が戦えるかどうかなんて確かめなきゃいけないんだよッ!」

「……っ…」

 

言い訳するような妃乃の口振りに、一気に俺はヒートアップ。対して妃乃は、気圧されたように口籠る。

普段の妃乃なら、負けじと言い返していたかもしれない。だが今の妃乃は口籠った。それは、答えられない理由だからなのか、それとも俺に対する負い目があるからなのか。

 

「妃乃は知ってるよな?俺の思いもこれまでの願いも。…知った上で、俺に協力してくれたんじゃないのかよ…ならあれか?騙してたってか?」

「ち、違っ…それは……」

「違わねぇだろ!現に今、緋奈がここにいるじゃねぇか!緋奈が……」

「待って…待ってよお兄ちゃん!違うよ、これは妃乃さんがどうこうした訳じゃないの。わたしが、妃乃さんに頼んだの!」

「は……?」

 

自分でも多少、意地の悪い言い方をしている自覚はある。だが止まらないし、止める気もない。そもそもそんな冷静な思考が出来るなら、俺は突然出たりはしない。

そんな俺の言葉に待ったをかけたのは、暫し言葉を発していなかった緋奈。他でもない緋奈の言葉に、俺も一瞬勢いを失う。

 

「緋奈ちゃん……」

「いいんです妃乃さん、本当の事なんですから。…お兄ちゃん、言ったよね?わたしに霊装者としての能力があるかどうかは分からないって」

「…言ったな…」

「…あれから、わたし思ったの。わたしにその能力が…戦う為の力があるかもしれないなら、確かめたいって」

 

どうやら緋奈の為に隠さなくては…と思って言葉に詰まっていたらしい妃乃と違って、緋奈の言葉は淀みない。俺を見上げるその瞳には、はっきりとした意思が灯っている。

 

「……緋奈は霊装者に…興味が、あるのか…?」

「…ないって言ったら嘘になるけど、多分お兄ちゃんの考えてるような興味で確かめたい訳じゃないよ」

「…なら、仮に確かめたとして…もし力があったなら、緋奈は…どうする気なんだ…?」

「それは……」

 

俺は緋奈が確かめようとするのを許容するつもりなんてない。けど、緋奈が単なる好奇心で確かめたい訳じゃないなら、確かめるという行為はきっと通過点。その先にある目的を、目指せるかどうかの確認に過ぎない。

だから俺は、その先の目的を訊いた。不安に駆られながらも、確かめなきゃならない事だから。そしてそれを聞いた緋奈も、一度言葉を止めた後……俺の問いに、正面から答える。

 

「……出来るなら、備えたいって思ってる。もしまた何かあった時…今度は自分で、守れるように」

 

──それは、本当に真剣な、本気の言葉だった。そして……俺にとっては聞きたくない、想像したくもない思いだった。…備えたい?今度は自分で守れるように?…は、はは……何の冗談だよ、そりゃ…。

 

「……あ、あぁそうか…だよな、現に未然に防げてないんだから、不安になるのも当然だよな…すまん緋奈、俺が頼りないばっかりにそんな事を考えさせて……」

「違うよお兄ちゃん。わたしは不安だからそうしたい訳じゃないし、お兄ちゃんを頼りないだなんてこれっぽっちも思ってないよ」

「いいんだ緋奈、俺に気を遣わなくったって…それに、だったら話が成り立たない。理由もなく試したいって事になるじゃないか」

「…理由は、ちゃんとあるよ。わたしが少しでも戦えれば……お兄ちゃんや妃乃さんの負担を、減らす事が出来るから」

「……っ…」

 

続く言葉でも、緋奈の瞳に揺らぎはない。それは即ち、誤魔化しなんかじゃないって証明。

誰かに守ってもらっていた事、助けられていた事に感謝し、相手を思う。それを誰に言われるまでもなく行えるのは立派な事だし、緋奈がそんな優しく立派な人間になってくれている事は、兄として素直に嬉しい。

そうだ、俺は本当に嬉しいんだ。その気持ちがある事は間違いない。…だが、俺はそんな事…緋奈が戦う事なんて望んでない。そういう思いを持ってくれる事がどれだけ嬉しくとも、俺は……

 

「…気にすんなって緋奈。俺はそれを負担だなんて思ってねぇし、妃乃だってきっと同じだ。だから、そんな事しなくてもいいんだよ。……それに、緋奈は知らないだろ?…戦う事が…どれだけ辛いかってのを…」

「…そうだよ、わたしは知らない…でもお兄ちゃん達がしてくれてるのに自分は何もしないなんて、そんなの間違ってるよ。やれる事があるかもしれないのに、やらないなんて……」

「なら…なら、戦い以外の事をしてくれればいい。俺はそれでも嬉しいし、そっちが一番なんだ。わざわざ必要に駆られてる訳でもねぇのに、こっちに足を踏み入れる必要なんてないんだ緋奈」

「そっちが一番って…それこそわたしへの気遣いじゃん!おかしいよ、自分は気遣っておきながらそんな事言うのは…!」

「……いいから言う事を聞け、緋奈。緋奈の気持ちも分かるが、緋奈はしなくていい。緋奈はこのままでいるのが一番なんだ。自分だけ何もしないのは悪い…なんて思う必要は一切ない。だから……」

「それじゃ…それじゃ納得出来ないから言ってるの!そこまで気遣われて、一方的に気遣われっ放しなんて、そんなの兄妹じゃ……」

「いいって言ってんだろうがッ!」

「……ッ!?」

 

あまりにも分かってくれない緋奈。そんな事をする必要はないのに、今までのまま俺が守っていくのが一番に決まっているのに、緋奈は理解しない。自分が戦う事を、曲げようとしない。

認められない。認められる訳がない。緋奈が戦うなんて、戦いとは無縁で生きられる緋奈までこっちに来てしまうなんて。そんなのは嫌で、許せなくて……気付けば俺は、怒鳴っていた。叱るでも説き伏せるでもなく、ただ感情のままに声を荒げて。

 

「緋奈は何にも分かってねぇんだよッ!自分の言ってる事の重さが、戦いの危険さが、平和に暮らせる事がどれだけ幸せなのかを何にも分かってねぇッ!なぁおい、そうだろ緋奈ッ!」

「……ぁ、ぇ…お兄、ちゃん…?」

「ちょっと…悠耶、何もそんな怒り方する事ないでしょ!緋奈ちゃんだって生半可な気持ちじゃ……」

「妃乃は黙ってろッ!これは家族の問題だ!妃乃が出しゃばる場面じゃねぇ!」

「……っ…何よそれ…家族の問題って、じゃあ私は赤の他人って訳!?そりゃ確かに私は二人と血が繋がってないし、同居もまだ半年ってところよ?…けど…貴方にとって私は、そんな程度の存在だったっての!?」

「それは……だとしても、妹の事に口を出すならまず兄の俺だ!緋奈や妃乃が何と言おうが、俺はそんな事許さねぇからなッ!」

 

こんな事を言うつもりじゃなかった。緋奈に怒鳴るつもりも、妃乃を蔑ろにするつもりもなかった。だけど気付けば言っていて、ムシャクシャした気持ちが溢れ返っていて、意見を変えるつもりもない。緋奈までこっちに来てしまうなんて、許容出来る訳がない。

そのまま俺は吐き捨てて、二人に背を向ける。追って来ようとする二人を来んなの一言で拒絶して、怒りのままに歩いていく。

緋奈は俺にとってはかけがえのない妹で、妃乃は信頼の置ける相手。そんな二人に怒鳴って、拒絶して……そうして得られたのは、やりようのない不快な思いだけだった。



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第百九話 本当に守りたいのは

時間が経つにつれ、後悔ばかりが募っていった。もっと他に言い方があったんじゃないか、もっと冷静に話すべきだったんじゃないか、そうすればこうはならなかったんじゃないか…考えるつもりなんざないのに、勝手に出てきて思考を占領していく。

 

「……でも、俺だって好きで怒鳴った訳じゃねぇよ…二人があんな事しなきゃ、緋奈がもう少し俺の言葉を聞いてくれりゃ…」

 

呟きながら、双統殿の廊下を歩く。ここでやらなきゃいけない事なんてもうないが、今は真っ直ぐ帰る気にもなれない。

俺は後悔している。けどそれは言い方や態度に対してであって、主張には何も後悔していない。いやそもそも、後悔する要素がない。これは俺が貫きたい意思で、兄として貫かなきゃいけない意思でもあるのだから。

 

「…くそ、二人に顔合わせ辛ぇ……」

 

今は当てもなく廊下を彷徨っているが、いつまでもそうしている訳にはいかない。一瞬ここ、或いはどっかに泊まる事も考えたが…んな理由で外泊とか、子供かっつーの…。

そんな事を思いながら、やり切れない思いを抱えながら、歩く事数十分。気付けば俺は、何度か足を運んだ事のある場所に来ていた。

 

「……偶然も三度続けば必然…なんて言うが…なんか因果でもあんのか…?」

 

一瞬とはいえ負の感情全てが吹き飛ぶ程驚いた俺。何故かと言えば……ここはこれまでにも二度『偶然』訪れた場所で、今回もまた『偶然』だったから。

 

「…………」

 

とはいえ負の感情はすぐに戻ってくる。必然並みの偶然が起きた程度で完全に晴れる程、俺の精神は単純じゃない。……今回は、音が漏れてたりしなきゃ部屋の外に出てたりもしねぇのか…。

 

…………。

 

……………………。

 

 

 

 

「……何してんだ、俺…」

 

それから数十秒後。俺は、例の部屋の扉をノックしていた。何か用事があった訳じゃないのに、気軽に遊びに行く関係でもないのに、何故かトントンと。

 

「……どちら様…って、うわっ…」

「会って早々うわって…酷いなおい…」

 

ノックした以上は立ち去る事も出来ず待っていると、少ししてから扉が開いて部屋の主…篠夜が部屋から顔だけを出した。…で、俺を見るや否やご覧の反応である。

 

「誰だっていきなり変な奴に押し掛けられたらうわって位言うっての……それに、今回はあんた酷い顔してるし…」

「誰が変な奴だ失礼だな……てか、酷い顔…か…」

 

反応についてはともかく、言われて初めて自分が酷い顔をしている事に気付く。勿論鏡はここにないが……篠夜が嘘を吐いてるって事はないだろう。うわっ、を誤魔化したくて言ったんだとしたら、何故前半でストレートな発言をしたんだって話になるしな。

 

「病気?だったら良い葬儀屋紹介してあげるから、早く行くといいわ」

「勝手に殺すんじゃねぇよ、病気でもねぇし…ほんと性格ひん曲がってんな」

「あんたに言われたくはないわよ」

「別に俺じゃなくても誰かしらは言うと思うけどな」

「…うっさい、用事がないから帰ってくれる?」

 

ぎろり、と不愉快さに満ちた目で睨んでくる篠夜。その目を見て、今のは弄りを超えた単なる悪口になっていた事に気付く。…つっても、活字じゃ差が分からねぇよな。声音とか言い方とか、そういうのは表現し切れねぇし。

 

「…悪ぃ、今の言葉は訂正する」

「…どこまで?」

「誰かしらはって部分だ」

「あ、そ…」

 

幾ら先に煽ってきたのは篠夜とはいえ、だからといって悪口が正当化される訳じゃない。ましてや今の悪口は、篠夜本人への不満ってより俺の中の鬱屈した気分が作用したようなもので……って、そうか…俺今、篠夜に八つ当たりしてたんだな…。

 

「…………」

「…何?一応訂正は受け取ったけど、あたしは別にここに居ていいとは言ってないわよ?」

「そうかい、じゃ…ほら、一歩隣に移動したぞ」

「そんなピンポイントの話はしてないっての……ほんとに用がないならどっか行ってくれない?部屋の前に人が立ってちゃ気が休まらないんだけど」

「なら、用があるならいいのか?」

「……用事がある訳?」

「いやない」

「はぁぁ!?ほんとに何なのよあんた!前もその前もそうだったけど、今日は特に鬱陶しいわねッ!」

 

ぐわっとキレたかと思えば、乱暴に扉が閉められて会話終了。今日も今日とて、篠夜と俺は普通の会話を殆どしないのだった。

 

…………。

 

……………………。

 

………………………………。

 

「……待って、ほんとに…本当に何なの…?流石にそろそろ怖いから、何かあるなら言ってくれない…?」

 

何をするでもなく、ただ不動で部屋の前に立ち続けていたら、暫くした後また扉が開いて、篠夜が顔を出してきた。今度はちょっと、怯えた様子で。

 

「別に用事なんてねぇよ、本当に。…ただ……」

「…ただ?」

「…何でもねぇ、忘れろ」

「……はぁ…誰かと何かあった訳?」

「……っ!」

 

自分でもよく分からないが、何かを言いかけた俺。それを誤魔化そうとすると、篠夜は嘆息し……俺の顔を覗き込むようにして、そう言った。

 

「……何で分かった…」

「やっぱ何かあったのね…別に分かってた訳じゃないわ。ただ何かありそうだったから、それっぽい事言っただけ」

「…カマかけたのか……」

 

見抜かれたのか…と驚いた俺だったが、言われてみれば確かに篠夜の言葉は適当な占い並みに漠然としていて、何も具体性がない。要は『誰かと何か』という誰に訊いてもそれなりの確率で当たりそうなものを、勝手に俺が勘違いしただけであり……こんなのにも気付けない辺り、相当俺も参ってるんだな……。

 

「ふん、悩みがあるけど中々言い出せなくて、でもどうにもならないから他人の部屋の前で突っ立ってるなんて、あんたって案外小心者なのね」

「理由が分かった途端に態度デカくなりやがったな…さっきまでビビってたくせに」

「うっ…び、ビビってないわよ、警戒してただけ」

「へいへい……」

「…………」

「…………」

「……え、話さないの…?」

 

篠夜は相変わらずの生意気っぷりだが、三度目ともなれば流石に慣れる。おまけに今の俺は弄る気分でもない訳で、見栄を適当に流すと沈黙が訪れ……篠夜から驚き混じりにそう訊かれた。…話さないの?って……

 

「何故篠夜に話さなにゃならんのだ…」

「そ、それは……ならいいわよ話さなくたって。っていうかあたし、さっきからずっとあんたにどっか行ってほしいだけだし。しっしっ」

「俺は野良犬か…」

 

扉から顔しか出してない少女が「しっしっ」と追い払おうとするのは何とも不思議な光景だったが、そんなのほんとにどうでもいい事。

口振りから考えるに、動機はどうあれ篠夜は俺の悩みを聞く…というか、俺が話し始めるものだと思っていた様子。そんなつもりは無かったから俺はそれを否定した訳だが……じゃあこのまま立ち去ったとして、どうなるというのか。俺の中で燻る鬱屈した気持ちは、時間が解決してくれるのか?…んな訳はない。そんな軽い悩みじゃない。…だったら、俺は……。

 

「……俺が話したら、聞いてくれんのか?」

「へ?……まぁ、話したら帰るって条件だったら、聞いてあげてもいいけど?」

「そうか……まぁ、結局は家族間の、多分どこにでもある喧嘩の話なんだがな…」

 

そうして俺は、今日あった事と、今日の事に纏わるこれまでの事を篠夜に話した。流石に出来事全てをじゃないが、きちんと伝わる程度にはしっかりと。…篠夜はそれを、黙って聞いていた。一言も口を挟まず、聞く事に徹していた。

話しながら俺は、ふと思った。ノックしたり、部屋の前に突っ立っていたのは、誰かにこれを話したかったから…聞いてほしかったからなのかもしれないと。この階に来たのは偶然だと思うが……この二つは多分、無意識の行為。

 

「……んでムシャクシャしながら歩いてる内に、この階に辿り着いて…後は、知っての通りだ」

「ふぅ、ん……」

 

五分か、十分か、それ以上か。時計を見てないから何とも言えないが、それなりの時間俺は話していたと思う。その話を俺はここに辿り着いたという部分で締め括り…そこで篠夜も、声を発した。言葉だけなら淡白な、けれど含みを感じさせる声音で。

 

「…随分と過保護なのね、兄っていうか保護者じゃない」

「当たり前だ。両親はもういないんだからよ」

「え?…そうなの…?」

「ん?言ってなかったか?」

「初耳よ……ならごめん。今の発言が不愉快だったなら撤回するわ…」

「別に構わねぇよ。保護者って言われても不快じゃないしな」

 

例の如く、親がもう死んでると言うと大概はこんな流れになる。…言わなきゃ回避は出来るんだが、言わない場合ただのシスコンだと思われかねないんだよな…。

 

「そう…で、えーっと…男ってこういう場合、解決法を聞きたいんだっけ?」

「んぁ?…まぁ、良い解決法があるなら聞きたいが……」

「良いも何も、不味い言い方や態度を取った事なんて謝るしかないでしょ。そこに理由はあったとしても、正当性なんてないんだから」

「…それが出来るなら苦労はしない……」

「じゃ、電話かメールで謝れば?」

「…情けなくね?面と向かって言えないからって電話かメールだなんて……」

「だったら面と向かって言えっての…ちっ、やっぱあんた面倒臭い……」

 

見た目歳下の少女に舌打ちされて面倒臭いとも言われた俺だが、今回ばかりは何も言い返せない。…分かってんだよな…普通に謝るのが一番だって事も、俺がうだうだしてるって事も…。…けど、仕方ないじゃないか。頭で分かってたって、気持ちはそう簡単には変わらないんだから。それに……

 

「…確かに荒い言い方や態度をした事に、正当性はねぇよ。けど、俺だって好きであんな言い方した訳じゃねぇ……緋奈が分かってくれりゃ、一言で済んだ話だったんだ…」

「…そんな簡単な話じゃないでしょ、人と人の話し合いって」

「赤の他人ならな。でも俺と緋奈は兄妹だ。…これまでは、もっと分かってくれたんだよ…」

 

言い方や態度で後悔している俺だが、鬱屈した気持ちの根元にあるのは、緋奈の不理解に対する不満と疑問。何故分かってくれないんだって、緋奈に対してもぶつけた思い。

 

「…………」

「…やっぱ、分からないんだろうな。戦う事の辛さも、普通の生活の有り難みも、普通に慣れてると…」

「…そうね、結局人は自分の経験でしか語れないもの」

「だよな…でも俺は嫌なんだよ。緋奈に平和に…普通の生活で、普通に幸せを感じてほしいんだよ。なのになんで伝わらねぇんだよ…なんで分かって、くれないんだよ…」

「……ふん、ならもっと話してみればいいじゃない。あんたはそれを、自分の考えを疑ってないんでしょ?」

「…何だよ、その言い方……」

 

段々と俺は、自分の思いを吐露する形へと変わっていった。それに途中までは気付かなくて…気付いたのは、篠夜が棘のある言い方をした瞬間。何だと思って見てみると…いつの間にか篠夜は、不愉快そうな顔をしていた。

 

「何だよも何も、そこまで意思が決まってるならあたしに言う事なんてないもの。っていうか結局、あんたは意見や助言を求めてる訳じゃないでしょ?…最も、この話はあたしから切り出したようなものだけど」

「…そんな事はねぇよ。上手く理解してもらえる方法があるなら、俺はそれを是が非でも聞きたい」

「確かにそれはそうかもね。でもそれは過程、手段の話でしょ。結論ありきの相談に、一体何の意味があるっての」

「結論ありきって…当たり前じゃねぇかそんなのは。緋奈はこれまで通りに暮らす方がいいに決まってる。そこは譲れねぇし、そこを譲ったら誰も幸せになんてならねぇよ。だから……」

「あーはいはい、だからそのまま押し倒せばいいじゃない。それで幸せになれるんでしょ?」

「……っ…お前なぁ!篠夜にとっては赤の他人だろうがよ、俺にとっては大事な妹なんだよ!緋奈には幸せになってほしいんだよ!確かに話に乗ってくれた事には感謝してるが、そういう言い方される覚えは……」

 

嫌味っぽく、神経を逆撫でするような言い方に段々と怒りが再燃する俺。いつもならイラっとするだけで終わっていたであろうそれも、ムシャクシャした気持ちの前では火種同然。後から思えば情けないが、そんな篠夜の言動で遂に俺はキレて……

 

「──じゃあ、聞かせてよ。あんたの思う幸せが、妹さんの…緋奈さんにとっての幸せなの?緋奈さんの幸せは……あんたが決めるものなの?」

「……──っ!」

 

……俺は、言葉を失った。篠夜の、真っ直ぐな…それでいてどこか、悲しそうな瞳と言葉で。

 

「あんた、何度も何度も言ってたわね。普通に、平和に、幸せにって。その気持ちまで否定するつもりはないけど…それは緋奈さんから聞いた言葉なの?その思いを聞いて、あんたはなら…って霊装者の世界から遠ざけようとしていた訳?」

「…それは……」

 

言葉に詰まった俺へ、次なる問いが投げかけられる。けど俺は答えられない。また言葉に詰まってしまう。

 

「……やっぱりね。…押し付けじゃない、そんなのは。相手の気持ちも聞かないで、これが良いんだ、これが正しいんだって自分の考えを押し付けて、それを相手が受け入れないと間違ってるだの理解が足りないだの言って否定する。ああ言えばこう言う、って言葉あるでしょ?客観的に見ればその言葉を使った側も使われた側の人の言い分にどうこう言ってる癖に、それに気付かないから出てくる言葉。……それと同じなのよ、今のあんたは」

「……緋奈が理解してない、出来ない立場にあるのは事実だろ…篠夜は緋奈が分かってるって言いたいのか…?」

「そうじゃないわ。でも、理解してなくたってそれを理由に押し付けていい事にはならないし、家族は強制じゃなくて納得で決めるものでしょ?…ねぇ、あんた…あんたは本当に、妹の事を思ってるの?本当は…自分の中の不安や恐れを鎮めたいだけなんじゃないの?」

 

いつの間にか嫌味な雰囲気も消えていて、表情もまた悲しそうな篠夜。一方の俺は…愕然としていた。

そんな事はないと思いたい。自分が緋奈に選択を押し付けていたなんて、俺が不安を感じなくて済むよう緋奈を霊装者から遠ざけようとしていたなんて、考えたくもない。……だが、篠夜は勿論自分に対しても断言は出来なかった。…俺にとって緋奈は大切な妹であると同時に、俺が手に入れた『普通の幸せ』の象徴で、それが失われる事は本当に恐ろしいから。だから、意識的な面はなかったとしても…無自覚レベルでもしてなかったとは、言い切れない。

 

「…………」

「…また、酷い顔になってるわよ」

「誰のせいだと……いや、自分のせいだな…言われた事を否定し切れない、俺自身のせいだ…」

「……さっきも言ったけど、あんたの気持ちまで否定はしないわ。むしろ、妹思いの兄だって思ってる。…皆、そうなのよ。相手を心配する、大切に思う気持ちがあるから、自分が押し付けてるって事に、その中に自分の心を守ろうとする意思が混じってる事に、気付けないのよ……」

「篠夜……」

 

俺の心は、鬱屈したまま。だが今は、怒りや後悔よりも、罪悪感が募っている。

もしかしたら篠夜の指摘は、全くの的外れかもしれない。俺は押し付ける事なく、緋奈を大事に思う気持ちだけで言っていたのかもしれない。…けどそれは、『かもしれない』だ。普段からあんだけ緋奈の保護者面しておいて、兄として云々…と沢山言ってきて、それで緋奈から兄としての信頼を受けてきた俺が、断言出来ないなんざ……その時点で、本当に間違っていたのはどっちかなんてはっきりしている。

 

「……駄目だな、俺は…確かに思い返せば、俺は…全然、緋奈の気持ちを聞いてねぇじゃねぇか……」

「…じゃあ、やる事はもう決まってるんじゃない?少なくとも、関係ない相手と話してる場合じゃないでしょ?」

「…話してくれると、思うか?」

「さぁね。でも、あんたの話した事に嘘偽りがないなら…今からでも話してくれる位には、きっと信頼されてると思うわ」

 

自分は関係ない相手。…そう言いつつも篠夜は、俺の背中を押してくれた。思わず情けない事を言った俺を、嘲る事なく真剣に。……本当に、駄目だな俺は。だが…だったら尚更、これ以上ここでうじうじしてる訳にはいかねぇ。

 

「…世話かけたな、篠夜。面白くもない話に付き合わせちまったし、怒りもしちまって。…でも、助かった。感謝するよ」

「……別に…まぁ、でも…感謝してるって言うなら、これは貸しにしておいてあげる」

「あぁ、この借りはちゃんと返す」

 

目を逸らし、ほんの少し気恥ずかしそうにする篠夜の言葉に俺は首肯。仲が良い筈でもない俺へこれだけの事をしてくれた恩には必ず報いると心に決めながら、俺は廊下を歩き出す。

 

「……あ、そういえば…」

「ん?どうかしたか?」

「…いや、今はやっぱいい。別に急を要する事じゃないし」

「そうか……なら、次の機会にな」

 

そう言った後、「え、また来る気…?」とでも言われるかと思ったが、そんな言葉は一言も飛んでこなかった。…が、まぁこれに関しては『借りを返す』という約束があるからだろう。

俺はその場を後にする。目的地はまだ決まってない。それはこれから聞いて決める。

 

「……すぅ…はぁ…よし」

 

携帯を取り出し深呼吸。これは気持ちの切り替えであり、恥ずかしながら感じている緊張の緩和手段。…まさか、こんな事で緊張するなんて思っていなかった。だが、緊張するって事はそういう事なんだろう。……俺はまだ、人としても兄としてもまだまだなんだ。

 

(まずは謝るんだ。感情的に怒鳴った事を、俺の気持ちばっかり押し付けた事を。そして、それを許してくれるなら…緋奈の気持ちを聞いて、願いを受け止めて、それで二人で……いや、三人で決めるんだ。これから…どうしていくのかを)

 

俺は間違えた。兄として、家族として未熟だった。だが俺は、親父とお袋に育てられる中で教えてもらった。悪い事をしたら謝る事と、間違えた事はそのままにせず、ちゃんと次に繋げる事を。

それを実践するのが、今なんだ。家族に教えてもらった事を家族関係で役立てる…なんて何の因果か知らないが、もし両親がいつか兄妹喧嘩をする事を見越してそう教えてくれたのなら、俺の両親は本当に凄い人達だったと思う。……つってもまぁ、これは兄妹喧嘩に関わらず大概の事に言える教えなんだけどな。

──そんな事を考えながら、俺は家族へ…緋奈へと電話をかけた。



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第百十話 家族の仲直り

双統殿は、霊源協会の総本山。その左右の屋敷の最上階は、時宮と宮空それぞれのプライベートフロア…要は、実家になっている。

一般の霊装者は入る事すら出来ない、双統殿の中でもかなり未知のエリア。そこに今、俺はいる。

 

「…さ、ここよ」

 

ここまで案内してくれたのは、途中で電話を代わった妃乃。エレベーター前で待っていた俺は妃乃に案内され…ある部屋の前に立っていた。

 

「……一応言っとくけど、あんまり中をじろじろ見ないでよね?最近は殆ど使ってないとはいえ、ここは私の部屋なんだから」

「お、おう…」

 

そう言って部屋の扉に手をかける妃乃。…言われなきゃそもそもじろじろ見ようなんて思わねぇよ…とは思ったが、俺だってそう言いたくなる女心位は流石に理解出来る。…それに今は、状況が状況だしな…。

そんな事を考えている内に、妃乃はゆっくりと扉を開けた。当たり前と言えば当たり前だが、見るからに上流階級っぽい妃乃の部屋はうちの部屋よりずっと広く、こうして妃乃が戻った際の事を想定してか、掃除や手入れも行き届いている。そして、その部屋の一角…これまた高そうな椅子に緋奈は座っていて……俺と目が合った瞬間、ぴくんと肩を震わせた。

 

「お、お兄ちゃん……」

「緋奈……あ、あのな緋奈。俺は…」

「ごめんなさいっ!」

「へ……?」

 

さっき喧嘩した仲なだけに、気不味い雰囲気となる俺達。それでも先に何か言うべきは自分だと思った俺は、一歩前に出つつ口を開き……次の瞬間、がたんと椅子を鳴らして立ち上がった緋奈が謝った。

この件に関して、悪いのは間違いなく自分の方だ。…そう思っていた俺にとってそれは予想外の展開。だから俺は固まってしまい、その間に緋奈は次なる言葉を紡ぐ。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいお兄ちゃん!わたしが馬鹿だった、わたしがちゃんと言わなかったから、わたしが秘密にしたからあんな事になったんだよね!お兄ちゃんはわたしの事を大事に大事に思ってくれてたのに、それをわたしは全然知らなかったから、だからあんなに怒ったんだよね!?」

「いや、ちょっ…待て緋奈、別に緋奈が謝る事は……」

「あるよ!だってわたしお兄ちゃんを怒らせちゃったんだもん!お兄ちゃんを嫌な気持ちにしちゃったんだもん!ずっとずっとお兄ちゃんはわたしの為に色々してくれたのに、わたしを守ってくれてきたのに、そんなのお兄ちゃんにわたし…わたし……」

 

矢継ぎ早に話す緋奈の目には、みるみるうちに涙が溜まっていく。そんな様子に俺が呆気に取られる中、緋奈の言葉は続く。

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさいお兄ちゃん…!わたしもうこんな事しないから、お兄ちゃんに嫌な思いさせたり我が儘言ったりしないから…!だから、だからお願いお兄ちゃん…!わたしを、わたしを……っ!」

「……──っ!もういい、もういい緋奈…!」

 

最初緋奈は、単に動揺しているだけに見えた。だが、段々と緋奈の様子が変わっていって……気付けば俺は、緋奈を抱き締めていた。

無意識だったが、理由は分かる。それは緋奈が、あの時と…両親を失った時と、同じ取り乱し方をしていたから。

 

「……大丈夫だ、俺は緋奈を嫌わねぇよ。誰がこんな可愛い妹を嫌うもんか」

「で、でもわたし……」

「喧嘩する程仲が良いって言うし、昔はよく…って程じゃないが、そこそこ喧嘩したりもしただろ?だから今日は久し振りに、昔みたいに喧嘩したってだけだ。不安にならなくたっていい」

「…ほんとに…?ほんとにわたしの事、嫌いにならない…?」

「本当だ。嫌いどころか、今だって緋奈の事は大好きだよ。何せ俺には勿体ない位、可愛くて最高の妹なんだからな」

 

抱き締め、頭を撫でながら、俺は語りかけるように言った。緋奈に泣いてほしくない、安心してほしいという思いを込めて。するとその思いは伝わったのか、少しずつ緋奈から悲痛な雰囲気は消えていって…俺の胸の中で、小さくこくんと頷いた。……嘘偽りはない。誰が何と言おうと…緋奈は俺の、最高の妹だ。

 

「……ありがと、お兄ちゃん…」

「礼には及ばねぇよ。俺はやりたい事をやっただねだからな」

「…そっか……えへへ…」

「……流石は兄ね。私が緋奈ちゃんを宥めた時は、この何倍もかかって、それでもまだ俯いてたのに…」

「私が…って、あぁ……」

 

笑みを浮かべてくれた緋奈の頭を軽くぽんぽんと叩くと、後ろから聞こえた妃乃の声。その言葉で俺は、俺が立ち去った後も緋奈が取り乱していた事、それを妃乃が宥めてくれていた事を理解し……今だな、と思った。

緋奈から離れ、二人に一度ずつ目を合わせる俺。それから俺は姿勢を正し……頭を下げる。

 

「……二人共、さっきはすまなかった。緋奈にも妃乃にも、俺は身勝手で心無い事を言っちまった。それに緋奈の気持ちを踏み躙って、妃乃には迷惑もかけて……本当に、本当に悪かった」

「…悠耶……」

「お兄ちゃん……」

 

謝って、言葉を下げて、二人に反省の意思を伝える。…言いながら、さっきの事を振り返って…思った。なんて俺は、自分勝手だったんだろうと。緋奈の事を思ってるなんて言いつつ自分の思いを押し付けて、妃乃には釈明のしようもない悪態を吐いて、本当にさっきの俺はどうしようもなかった。

だからこれは、けじめでもある。許されるだのこれからの俺達だの以前に、きちんとやっておかなくちゃいけない行為。

 

「許してくれ、なんて都合の良い事は言わない。何を言ってくれたって構わない。…俺は、最低な奴だった」

「…………」

「……頭を上げてよ、お兄ちゃん」

 

頭を下げたまま、十数秒。実際よりもずっと長く感じる時間が流れ……先に声を発したのは、緋奈だった。その言葉に促され、ゆっくりと頭を上げると……緋奈は、優しく俺に微笑んでいた。

 

「わたしは怒ってないし、お兄ちゃんを責めたりもしないよ。…確かに、さっきは色々言われてショックもあったけど…お兄ちゃんがわたしを思ってくれてる事は、ずっと分かってたもん」

「……っ…悪い、緋奈…本当に、悪かった…」

「だから怒ってないって。もう…そんな顔を見たくて言ったんじゃないのに…」

 

緋奈の言葉に、息を飲む。俺は散々好き勝手言ったのに、緋奈の気持ちなんか考えていなかったのに、なのに緋奈は『俺が緋奈を思っていたから』という理由で許してくれた。…そんな妹にあんな言い方をしてしまったのかと、俺は改めて罪悪感に襲われ…いつの間にか、また酷い顔になっていたようだった。

軽く頬を叩き、歪んでいた表情を一度リセット。緋奈は俺に負い目を感じてほしくなくて、だからああ言ったんだ。だったら…酷い顔なんて、してる訳にはいかねぇよ…。

 

「……ありがとな、緋奈…」

「さっきのお返しだよ。…妃乃さん、お願いです。お兄ちゃんは、許してくれなんて言わない…って言いましたけど、お兄ちゃんを許してあげて下さい」

「へっ?ひ、緋奈ちゃん?」

「…緋奈……」

「お兄ちゃんは悪くない、なんて言いません。だってお兄ちゃんが妃乃さんに言ったのは、本当に酷い言葉でしたから。でも、お兄ちゃんは……」

「…カッとなって、つい言っちゃっただけでしょ?…分かってるわよ、そんなの」

 

そうして緋奈は、俺の為に頭を下げてくれた。俺も妃乃も驚く中、緋奈は俺の側に立ってくれて……途中で緋奈の言葉を引き継ぐように、右手を腰に当てた妃乃が言った。

 

「正直、あれは不愉快だったわ。私からすれば悠耶は一方的に緋奈ちゃんの事を決め付けてるように見えたし、それを制止しただけでなんでこんな事言われなきゃいけないんだって」

「…………」

「…でも、さっきの貴方の謝罪からは反省が伝わってきた。形だけじゃない、心からの思いが籠った謝罪だったと思ってるし、私に反省してる相手を罵るような趣味はないわ。…だから、聞かせなさい悠耶。これから貴方が、どうするのかを。許すかどうかは、それ次第よ」

 

…どうするのかを話せ。それが、妃乃の答えだった。緋奈の様に無条件で許してくれる訳じゃなく、俺の意思を拒絶する訳でもない、妃乃らしい答えと言葉。……まだ期待、してくれてるんだな…こんな俺でも、妃乃は…。

 

「…分かった。緋奈…話してくれないか。緋奈は、どう思っているのかを。どうしたいのかを」

「…うん」

 

俺は緋奈へと向き直り、訊く。俺が無視し続けてきた、緋奈の気持ちを。それを聞いた緋奈は…ゆっくりと頷く。

 

「わたしは、お兄ちゃんの…二人の力になりたいの。二人のお荷物にはなりたくないの。だから、確かめたかった。自分を自分で守れる力が、わたしにあるのかどうかを」

「じゃあ…さっき言ってた言葉に、嘘偽りはないんだな」

「ないよ。これはわたしの、大事な気持ちだから」

 

真っ直ぐな声と、真っ直ぐな瞳。思い付きや一時の興味なんかじゃない、確固たる思いに基づいた意思。

確かにそれは、さっきも言っていた事だった。俺はさっきも、緋奈の意思を聞いていた。…けれどあの時、俺は耳で聞いていても…耳を傾けては、いなかった。

 

「…妃乃は、これを聞いた上で協力したんだな?」

「そうよ。無下に出来ないだけの意思を感じたし、本人が気になってるなら確かめておいた方が間違った判断をしなくて済むと思ったから、私はここに連れてきたの。…でも、それを貴方に言わなかった事は私の過ちよ。だからそれは謝るわ。…ごめんなさい、悠耶」

「いや、それはもう気にして…なくはねぇけど、理解は出来るからいい。俺に言ったら、確かめるどころじゃなくなるって判断したんだろ?」

 

俺が推測を口にすると、妃乃は首肯。やっぱり俺の反対を考えての行動だったらしい。

だったら俺は、それを真っ向からは否定しない。…判断自体は、間違っちゃいないしな。

 

「…………」

「…お兄ちゃん…?」

「……緋奈の気持ちは分かった。妃乃が緋奈の思いを汲んでるって事も理解した。けど、それでも……俺としては、緋奈が霊装者になる事を反対したい」

「……っ…」

 

怒鳴り、押し付けた事への負い目はある。自分が悪かったって思ってる。だが俺は、それでも俺は、はっきりと緋奈の気持ちに反対した。俺だって、生半可な気持ちで緋奈が霊装者になる事を嫌がっていた訳じゃないんだから。

押し付けず、ちゃんと緋奈の思いも聞くと俺は決めた。ここで何も言わずに、緋奈のやりたい通りにしてやれば丸く収まるって事も分かってる。…でも、そうじゃない。俺が見付けたいのは、全員が納得出来る答えであって……今俺が俺の気持ちを蔑ろにしたら、結局何も変わらない。俺が俺の意見を押し付けるか、俺が緋奈の意見を俺自身に押し付けるかの違いでしかない。

 

「…だよね…お兄ちゃんの気持ちは、分かってる……」

 

俺の反対に息を飲んだ緋奈だったが、今度はちゃんと受け止めてくれた。受け入れた訳じゃないが、受け止めてはくれた。

互いに相手の思いは受け止めた。だからこれから選ぶべき行為は三つ。俺が緋奈の思いを尊重するか、緋奈が俺の思いを尊重するか、或いは…お互い納得出来る第三の答えを、見付け出すか。

 

「…逃げる術を覚える、ってのじゃ駄目なのか?何も向かっていくだけが戦いじゃねぇし、逃げる事も自衛の一つだ。…緋奈は、別に戦いたい訳じゃないんだろ?」

「それは、そうだけど…魔物っていうのは、普通の人間が逃げようと思って逃げ切れるような相手なの?」

「…大半は難しいな。でも霊力で強化された身体能力なら話は別だ。出来る事なら、霊力の使い方を緋奈が知るのも避けたいが……全部駄目って言ってたら、いつまで経っても平行線だからな。…それなら、どうだ?」

 

一つ、妥協した案を口にする俺。前の俺ならそれも嫌だったが、既に二度魔物に襲われ、霊装者の事も知ってしまった以上、もう緋奈は完全に無関係な人間とは言えない。皮肉にもそうなった事で求めるもののレベルを下げられた俺だが……それに異を唱えたのは、緋奈ではなく妃乃だった。

 

「…それは、賛同出来ないわ。……いいわよね?私も口を出して」

「勿論だ。妃乃の意見も、聞かせてくれ」

「分かったわ。…悠耶が言ってるのは、霊装者の技術や知識を限定的に教えるって事でしょ?…それは一番危険よ。だって、限定的にでも知っていれば、『それを使って…』って思っちゃうのが人だもの」

「緋奈が逃げずに戦おうとするって事か?緋奈はそんなに短絡的じゃ……」

「短絡的じゃない事は知ってるわ。でも万が一の時、それも逃げる術しか知らない時に襲われて、落ち着いた判断が出来ると思う?咄嗟に戦う事が選択肢に上がっちゃう事が、ないって言える?」

「…それは……」

 

妃乃にそう訊かれ、俺は言葉に詰まってしまう。半ば無意識に緋奈を見ると、緋奈は首を横に振っていた。多分それは、俺の意見を下げさせる為ではなく……本当に自分自身でも「ない」と言い切るだけの自信がない、という事だろう。

 

「…お兄ちゃん、約束じゃ…駄目かな?襲われても、絶対に自衛以上の事はしない。どうしようもない時以外は、お兄ちゃんと妃乃さんを頼りにする…って事じゃ、駄目?」

「……なら、緋奈は誰かが自分と一緒に襲われた時、自分だけを守る事が出来るか?」

「え?…それ、って……」

「…言い方は悪いが、見捨てられるかって事だ」

「…………」

 

トーンを落とした俺の言葉に、緋奈は目を見開いて言葉を失う。…俺は、言葉を続ける。

 

「…意地の悪い事言ってごめんな。でも緋奈なら、もしそうなった時…その人の事も守ろうとするだろ?そうしたら緋奈の危険は跳ね上がる。緋奈は負わなくていい危険まで背負う事になるんだよ。……俺だって、緋奈さえ助かれば…とまでは思ってねぇよ。でも、一番大切なのは緋奈だ。だから緋奈に、自分を守る以上の危険は負ってほしくない」

「…そういう言い方は、ズルいよ…」

「ズルくたって構わねぇよ、それ位俺にとって緋奈は大切なんだからな」

 

これが緋奈の情に訴えかける…いや、拒否したら兄に悪い…と思わせるような言い方だってのはよく分かってる。だがそれでも緋奈を守れるなら、それで緋奈を危険から遠ざけられるのなら……

 

(…いや、感情的になるな俺。今の時点でも、またちょっと緋奈の気持ちを封殺しようとしてるじゃねぇか。押し付けるな、押し付ける事が目的じゃねぇ……)

「…あー…えっと、悠耶…それについて、身も蓋もない事言っていい…?」

「…何だ?」

「…もしそういう状況になったら、まず狙われるのは緋奈ちゃんの方だと思うわよ…?戦闘能力のない霊装者なんて、魔物からすれば恰好の獲物なんだから…」

「あ……」

 

自身へ言い聞かせようとする中で発された妃乃の言葉により、俺は言葉を失ってしまった。重要なのはそこじゃねぇ…とは言わない。俺の意見としては然程重要じゃなくとも、緋奈を説得する為の言葉としては、そこを無視していい訳がないんだから。

 

「…悪ぃ緋奈、今のは…じゃねぇな、今のも俺が間違ってた……」

「う、ううん。…あの、お兄ちゃん。魔物って、霊装者じゃなきゃ対処出来ないの?」

「…それは、霊装者とは別の手段なら…って事か?」

「そういう事」

「だったら、そりゃ難しいな。一応霊力のない攻撃でも無効化はされないが、それで倒そうとなると馬鹿みたいな威力が必要になる。それこそ、個人が使えるような武器じゃ不可能な程の威力が、な」

「そっか……」

 

普通に個人が倒せるなら、霊装者なんて必要ねぇしな…と俺は心の中で付け加える。

それから数分。俺も緋奈も意見提案どれも出せず、静かなままの時間が続いた。…が、それも無理のない事。元々対極の考えで妥協出来ないラインも高いんだから、簡単にどちらかが納得、或いは妥協点の発見なんざ出来る訳がない。

 

「…………」

「…………」

「…一先ず、力があるか試すだけ試す…っていうのはどう?それを経る事で考えが変化するかもしれないし、そもそもまともに戦えるだけの才能が無ければ、ここで答えを出す必要はなくなるでしょ?」

「…一理ある、が…結局それって、答えを先延ばしにしてるだけなんじゃないのか?」

「そう言われると…確かに、否定は出来ないけど……」

 

妃乃からも、これだという意見は出てこない。とにかく謝る事、相手の気持ちを受け止めた上で話す事を目的としてた…ってか、それで頭一杯だったから失念してたが……そもそも、簡単に答えの出る問題じゃねぇからさっきみたいな喧嘩になっちまったんだよな…。

 

(…そういう意味じゃ、一先ずって事で妃乃の言う通りにするのも手かもな…ここまできたらもう、何も霊装者絡みの事はさせないなんて現実的でも……)

「……お兄ちゃん、わたし…お兄ちゃんの力になれてる?お荷物じゃない?」

「なれてるしお荷物じゃないぞ。……ん?何だその質問は…」

「あ、即答を超えてもはや無意識なんだ…そこまでわたしを思ってくれてるんだ……そっか、なら…わたしはお兄ちゃんの、言う通りにしよう…かな…」

「えっ……?」

 

そんな中聞こえた、緋奈からの妙な問い。それに俺が反射的に答えると、緋奈は照れ臭そうな顔になって……それから言った。俺の言う通りにしようかな、と。

 

「……どうして、急に…」

「…わたしね、何も分かってないって言葉がずっと残ってたんだ。……その言葉は、事実だから。正しい判断、合理的な判断が出来るのは…お兄ちゃんの、方なんだよね…」

「……それは…」

「だから、いいよ。これまでお兄ちゃんには沢山の事をしてもらってきたし、きっとこれからもお世話になるから…だからこれは、わたしが我慢する。…わたしはお兄ちゃんを、信頼してるから」

「緋奈……」

 

残念そうに、けれどそれでいいんだってばかりの様子で、緋奈は笑みを浮かべる。これまでと同じように、これまで通りの自分でいると、自らの思いをしまい込む。

もしこれが利益を得る為の取り引きなら、願ってもない展開。妥協せず、納得させられるだけの理由もなしに、100%の意見を受け入れてくれると言うのだから。…けど、だけどよ……

 

(……そんな顔されて、そんな事言われて、ならそれで決まりだな…なんて、言える訳ねぇじゃねぇか…!)

 

俺は緋奈に幸せでいてほしい。笑顔でいてほしい。だが、幸せってのは家族が勝手に決め付けるもんじゃねぇって気付かされたし、俺の望む緋奈の笑顔は、こんな無理したものじゃない。

じゃあ、なんで緋奈はこんなにも悲しそうな笑みを浮かべてるんだ?…そんなの、俺に気を遣って、俺の願いを叶える為に自分の思いを引っ込めたからに決まってる。俺は緋奈を守りたいが、平和に暮らしてほしいが……それ以上に、緋奈の心からの笑顔を奪うような兄にはなりたくねぇ……!

 

「……あー、くっそ…止めだ止め!俺はこんな話がしたいんじゃねぇんだよ!なんで緋奈とこんな話しなきゃならねぇんだ!」

「はぁぁ!?い、いや知らないわよ!?…じゃない、知らなくはないけど…急になんなの!?」

「フラストレーションだ!」

「ヒーローネームみたいに言うんじゃないわよ!意味分かんないからね!?」

 

煩雑に頭を掻きながら俺は喚く。…うん、ちょっとすっきりしたな。本当にちょっとだが。

 

「ええっと…お兄ちゃん…?」

「……悪いな緋奈、俺は根本的な事を…一番大切な事を忘れてた」

「大切な事…それ、って……?」

「あぁ、俺は……基本的に緋奈の心からのお願いなら断らないし、全力で叶えてやりたいと思う系のお兄ちゃんだ!」

 

ばばん、と真顔且つ全力で俺は宣言。…これに嘘偽りはない。俺は本当に、心から緋奈に対してはそう思っているし、これを曲げるつもりも毛頭ない。

 

「……緋奈ちゃん、貴女のお兄さん…何言ってるの…?」

「え、っと…お兄ちゃんはこういう人なので…はは……」

「…そうだったわね……」

「おいそこ!人の真剣な思いを『アレな人』扱いで返すんじゃねぇ!」

 

……なんか茶化されてしまったが、まぁいい。っていうか、大事なのはこっから先だ。

 

「…ったく…そういう訳だから、俺の事なんか気にすんな緋奈。俺の事も思ってくれるのも嬉しいが…俺は緋奈のしたいようにさせてやる事が、それで緋奈が喜んでくれる事が一番嬉しいんだからな」

「…じゃあ……」

 

少し驚いたような表情を浮かべる緋奈に、俺はこくりと頷いて返す。…この気持ちにも、嘘偽りはない。結局感情的なやり方だが、これまでの話はなんだったんだって感じにはなるが…詰まる所、俺はこんな無茶苦茶な事を言っちまう位、妹が大好きな兄なんだから。

 

「……お兄ちゃん、わたしは…わたしも、自分で自分を守れるようになりたい。何も出来ず、ただ守られてるだけにはなりたくない。だから…その為の力を望んでも、いいかな?」

「…勿論だ。だが…自分で言った『約束」は、絶対に守れよ?」

「お兄ちゃん……うんっ!」

 

笑顔を、今度こそ無理してない笑みを見せてくれた緋奈の頭をくしゃくしゃと撫で、俺も小さく笑みを浮かべる。

分かっている。これは緋奈の危険を増やす行為だと。後悔するかもしれない選択だと。…だが、俺はそれでも緋奈に笑顔でいてほしいんだ。誰かの為じゃなくて、自分の為に笑ってほしいんだ。だから…その為だったら、無茶苦茶の一つや二つ…やってやろうじゃねぇか。

 

「…良かったわね、お互い納得出来る答えを出せて」

「まぁ、な。…もしかすると、これまで以上に負担が増えるかもしれないが……それでもこれまで通り、頼めるか?」

「ふっ、見くびらないで頂戴。私は最初から、降りるつもりなんて欠片もないわよ」

「妃乃さんもありがとうございます…!…あ、それと…お兄ちゃんの事は、許してくれますか…?」

「あー…それは……」

 

腕を組み、俺達よりも落ち着いた笑みを見せている妃乃。そんな妃乃に緋奈は頭を下げ、それから俺の事を訊く。その問いに、俺は「そんな事もあったなぁ…」みたいな態度を取り、でも内心そこそこ気にしながら視線をそちらへ。すると妃乃は最初に少し口籠もり……頬を掻きつつ、言った。

 

「…まぁ、その…悠耶は示すべきものをしっかり示してくれたし…許してあげるわ。…それに、ちょっと前に私も理不尽な暴力を悠耶に払っちゃったし、だからそれとおあいこって事で……」

「おう、ありがとな妃乃」

「……っ…こ、こういう時は茶化しなさいよ…もう……」

「ん?弄ってほしかったのか?」

「なッ、ち、違っ…余計な事は言わなくていいの!そうすれば丸く収まるんだから!」

「えぇー…それを言うなら先に余計な事言ったのは妃乃じゃね…?」

「うっさい!それより話はついたんだから緋奈ちゃんの能力確かめるわよ!」

「へいへい…じゃ、頑張れよ緋奈」

「うん、頑張るねお兄ちゃん!」

 

……そうして俺達の喧嘩と話し合いは終わった。そして、緋奈が霊装者としての第一歩を踏み出す事となった。

それは、あの喧嘩を…いや、篠夜と話すまでは絶対に嫌だと思っていた、そうなるなんて想像もしていなかった展開。だが、その道を進む事で、その道を選ぶ事で、得られたものも確かにある。……そんな事を、テストを行う緋奈と指導する妃乃の姿を見ながら、俺は心の中で思うのだった。



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第百十一話 仲直りして、前進して

「やぁぁっ!」

「ナイフを突き出したまま突っ込んでも動きを簡単に読まれるだけだぞ!」

「えぇいッ!」

「振りが大き過ぎる!状況にもよるが、ここはもう少しコンパクトに!」

「ていやーっ!」

「…よっと」

「あぅっ!」

「…相手の反撃の事も、考えなきゃ駄目だぞ」

 

喧嘩と仲直り、そして前進を俺達が経てから一週間。再び休みの日となった事で、俺達はまた双統殿に来ていた。目的は…ご覧の通り。

 

「はぁ、はぁ…分かってはいたけど…色々、考えなきゃいけないんだね…」

「そりゃまぁな。でも、今言った事は全部意識せずやれるようにならなきゃ話にならないぞ?」

「そ、そう…なんだ……」

 

肩で息をする緋奈は、まだまだひよっこもひよっこ。殻の上半分を帽子の様に被り、下半分から脚を突き出しているレベルの生まれたて霊装者。だが魔物はそんな事考慮してくれる訳がねぇんだからと、俺が指導を続けていると……緋奈はしゅんとしてしまった。…あ、不味い…。

 

「……お、おい妃乃…」

「…何よ?」

「緋奈が落ち込んだ、どうすりゃいい…?」

「はぁ……?」

 

落ち込ませるつもりなんかじゃなかった俺は、内心かなり慌てながら妃乃を呼び、小声で救援要請。すると妃乃は呆れつつも、俺の質問に答えてくれた。

 

「…注意するべきところは注意して、褒めるべきところは褒めるのよ。誰だって注意ばっかりされてたら落ち込むのは当然でしょうが」

「そ、そうか……えぇと…可愛いぞ、緋奈!」

「ふぇ……?」

「……駄目ね、これは…緋奈ちゃん、たった一週間弱にしては十分な出来よ。最初や二回目の練習に比べれば、身体能力強化の維持も続くようになってるでしょ?」

「あ、そういえば…」

 

…で、結果がこちら。我ながら酷いフォローである。だが言い訳をさせてほしい。元々緋奈は優秀な妹で、勉強も運動も人間関係も家事も(料理を除いて)平均かそれ以上にこなしていたから、これまで俺が緋奈に何かを指導するなんて事は殆どなかった。だからこれは、単に俺が指導力を伸ばす機会がなかっただけなんだ。

 

「……ほら、悠耶も改めて何か言ってあげなさい。今度は的外れじゃない事をね」

「お、おう……あー、その…」

「…………」

「…緋奈は、頑張ってると思うぞ…?上手くもない俺の指導に、文句も言わず付いてきてくれてるんだからな」

「お兄ちゃん……うん、ありがとお兄ちゃん。それに妃乃さんもありがとうございます。わたし、少し元気が出てきました」

「良かったわ。でも、激しい疲れを感じたり気持ち悪くなったりしたら言うのよ?霊力は制御出来れば力になるけど、出来なければ逆に負担になっちゃうんだから」

「はい!」

 

顔を上げて返事をする緋奈の顔には、言葉通りに元気が復活。それに俺は安心しつつ、妃乃も呼んでおいた事に心から安堵。やっぱ指導者になるべく育てられただけあって、こういう指導も慣れてるんだな…。

 

「じゃ、もっかいやるぞ緋奈。全部やるのが大変なら、幾つかに絞って意識しろよ?」

「うん。いくよ…!」

 

突撃からの縦斬りを放ってきた緋奈の腕を左手でいなし、身体を緋奈に向けてバックステップ。小刻みな動きで攻撃を避けながら、俺は緋奈への指導を続行。

 

(…一生懸命頑張る姿を見られるのは、悪い気分じゃないな……)

 

訓練…というか緋奈が霊装者の道を進む事は決して俺の本望じゃないが、可愛い妹を教え導ける事は兄として素直に嬉しい。その事もあってか俺は指導に熱が入り、気付けばそこそこの時間が経っていた。

 

「……っ、もう一度…きゃっ!?」

「っと…休憩にするか?」

「…う、うん……」

 

疲労で集中力が落ちていたのか、脚がもつれてよろける緋奈。倒れかけた緋奈を受け止めて訊くと、緋奈はこくんと頷いてナイフを降ろす。

 

「妃乃も言ったが、無理はするなよ?俺は緋奈の思うようにさせてやりたいとは思ってるが、辛そうにしてる顔なんか見たくないからな」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん…折角お兄ちゃんがわたしの気持ちを尊重してくれたんだもん、悲しい気持ちにはさせないよ」

「分かってるなら宜しい」

 

手渡した水筒を受け取る緋奈の表情に、気負いや焦りは感じられない。何より「俺を悲しい気持ちにはさせない」という言葉にはしっかりとした意思が籠っていて、だから大丈夫だと俺は判断した。

 

「…悠耶、ちょっといい?」

「ん?」

 

…と、そこへ妃乃からの声。俺には分からなかった不安要素が…?と一瞬思ったが、どうやらそうじゃないらしい。

 

「今日の動きを見て思ったんだけど…緋奈ちゃん、あんまりナイフ…っていうか近接戦向きじゃないんじゃない?」

「あー…妃乃もそう思うか…」

 

妃乃からの指摘に、俺は首肯。俺も…というか相手をしていた俺は恐らく妃乃以上に、緋奈に不向きさを感じていた。

勿論まだ慣れてないって点もあるだろう。このまま訓練すれば、不向きでもそれなりのものにはなるだろう。…が、やはり霊装者ごとに向き不向きがあって、真面目に強くなろうと思うんだったらそれを意識する必要はある。

 

「一回、射撃の方をやらせてみるのはどう?」

「いや…勿論そっちも練習させるつもりはあるけどよ、忘れちゃいないだろうな?…緋奈に教える事は、あくまで自衛だって事を」

「…忘れてないわよ。でも、向いてる武器の方が余計なリスクを負わずに済むでしょ?」

「けどなぁ…自衛としちゃ過剰な威力を持つ武器は練習させたくないし、そうなると選択肢も自然と限られてくるだろ?」

 

より本人に合った武器を、という妃乃の指摘は全くもってその通り。だがそれは普通の霊装者の場合であって、緋奈の場合は目的にやや反している。早い話が、大剣振り回させたりマシンガンぶっ放させたりは出来ねーよ、ってこった。

 

「てかそもそも、そこまで緋奈に装備を融通してくれるのか?」

「私を誰だと思ってる訳?」

「…職権濫用じゃね?」

「今の時点で大分乱用してるんですけど?」

「それについては兄妹共々大変お世話になっております…」

「…ま、そういう事だから面倒な事情は気にしなくていいわ。気にしたって悠耶に出来る事なんて殆どないんだし」

「まぁそうだがよ…世知辛いなぁ、一応鳴り物入りの霊装者だった筈なんだが……」

 

完全に言い返せなくなった俺は、ふと予言云々を思い出して軽くボヤく。

特別扱いされたい訳じゃないが、結局予言って何だったんだろうかと思う俺。わざわざ妃乃と綾袮が同じ高校に来てまで備えた予言だというのに、現状ではその存在を忘れてしまう程何もない。宗元さんがそれに関して色々考えていたが、それだって宗元さんの推測に過ぎないんだよな…。

 

「鳴り物入りだって、成果を出さなきゃそんなものよ。組織にとって本当に必要なのは、有益な人材であって来歴が華やかな人材じゃないんだもの」

「それもそうか…で、何の話だっけ?妃乃はいきなり振り向くと周りにいる奴を髪でしばく事になって危ない…って話だったか?」

「なによその何をどうしたら今の話に行き着くか謎の話題は!?え、貴方私のツインテールに対してそんな事思ってた訳!?」

「いや、今ふとそんな事もあるんじゃないかなぁ…と思っただけだ」

「ならそれが元々の話な訳がないでしょうが!」

 

期待通りの妃乃の反応に満足した俺は、そのまま離れて緋奈の方へ。えーっと…そうそう武器の話だ。武器の事は…どんな武器を持つにしろ、まずは近距離戦と遠距離戦の基礎を学んでもらわなくちゃ何持ったって有効には扱えないしな。先を急いだって仕方ねぇよ。

 

「…緋奈、調子はどうだ?」

「あ、練習再開する…?」

「いや、もう少し休んでいいぞ。別にいつまでに間に合わせなきゃいけない…って訳でもないんだからな」

 

指導経験の浅い俺だが、そんな俺でも休憩の重要さは分かっている…というか、落ちたパフォーマンスを根性で誤魔化した結果、思うように動けず散っていった奴の事は昔何人も見てきた。だから緋奈に無理をさせるつもりなんかねぇし…俺自身、無理する位ならさっさと休んだ方が良いと真面目に思っている。

 

「…いいか、緋奈。戦いにおいて気持ちは大切だが、それはスポーツなんかと同じように能力と知識、技術や経験なんかがあった上で最後に必要になるものであって、それ等の代わりになるものでもなきゃそれだけで乗り切れる程現実は甘くねぇ。だから……気持ちを支えにはしても、頼りにはするなよ?」

「…根性論は止めろ、って事?」

「そういう事だ。ま、気持ちが入ってた方が訓練の出来も実戦でのキレも上がるから、世の中の大概のものと同じように大事なのは『適度に』って事だな」

「適度に…じゃ、家族愛も適度が大切だったり?」

「まさか、俺への愛なら100%どころか上限無しでも一向に構わん」

「よくもまぁ真顔で言えるわね…」

 

言えますが、何か?…なんて顔を妃乃に見せた後、俺は視線をまた緋奈へ。戻した時緋奈は、あははと苦笑いを浮かべていた。

そうして数分後、俺達は練習を再開。休憩を挟みながら鍛錬を続け、緋奈に戦闘の基礎を教え込む。まだまだ実戦に出られるレベルにゃ程遠いが、緋奈のセンスが壊滅的なんて事はないし、ここには現代でトップクラスの霊装者である妃乃がいる。この訓練、役に立つ事がないのが一番ではあるが……始めて約一週間としちゃ、確かにまずまずな進捗…だよな。

 

 

 

 

緋奈の訓練は、昼過ぎまでで終了にした。その理由は、緋奈の負担の考慮と妃乃の用事の二つ。という訳でシャワーを浴び、双統殿内で昼食を取った後に緋奈は妃乃に家まで送ってもらい、俺は双統殿内に留まる事とした。

 

(…そういや、意識していくのはこれが初めてじゃね?)

 

留まるったって、別にぼーっとしたい訳じゃない。妃乃と違って日時が決まってた訳じゃないが、俺にも用事があるのである。篠夜に結果報告をするという、大事な用事が。

 

「こういうの、事が済んだらすぐに報告するべきなのかもしれないが…篠夜の場合、すぐ行ったらそれはそれで嫌そうな顔する可能性高いもんな、うん」

 

なんて約一週間空いてしまった事を正当化しながら、俺はエレベーターから廊下に出る。考えてみればここに来るのもこれで五度目。地味に俺、この階に入り浸ってるな。

 

「えーっと……ここだここ。おーい」

 

辿り着いた部屋の前で、右手を上げて何度かノック。同時に声でも呼びかけて、部屋主からの反応を待つ。で、約数十秒後…ゆっくりと扉が開いて、前回同様篠夜がこちらへ顔だけを出した。

 

「よっ」

「……そのノリ、嫌いだわ…」

「開口一番否定かよ…明るめに声かけて損したわ…」

 

俺の顔と反応を見るや否や嫌そうな表情になる篠夜。さっきすぐ行ったら〜…とか言ったが、この様子だと多分、いつ行っても同じような反応をされかねない。ってか、きっと同じような反応になる。

 

「こっちはもっと損したっての。あんたにいきなり似合ってもいない挨拶されるとか…」

「へいへいそりゃ悪うござんした。…いつも思ってるんだが、なんで顔しか出さないんだよ」

「極力見られたくないからだけど?」

「それって……あ、悪ぃ…そっか、部屋では服着ないタイプだったのか…」

「ぶ……っ!?は、はぁぁ!?違うわよ!そんな訳ないでしょうがッ!」

「あ、違うの?」

「違うわ馬鹿!はっ倒すわよ!?」

 

さっきまでのローテンションは何処へやら、篠夜は烈火の如く怒り出した。俺としては勘違いしただけなのに、多少セクハラ発言だったとはいえ何故ここまで言われにゃならんのか…(因みに、顔しか出さないのは俺に極力プライベートを知られたくないかららしい。…嫌われてんなぁ、俺)。

 

「はぁ、はぁ…最悪、さっきに輪を掛けて最悪……」

「俺だって今回は他意があった訳じゃねぇよ…後相変わらず体力ないな」

「今それは関係ないでしょ……」

 

息の上がった篠夜に軽く呆れる俺。ならあんな全力で声出さなきゃいいのに…とか思ったが、それを言うと更に不機嫌になりそうだから止めておこう。

 

「ま、そだな……うん、悪かった」

「……何か企んでる…?」

「ん?何でだよ」

「だって、あんた今日はいつもより殊勝じゃない…これまでは散々あたしをおちょくってきた癖に……」

「あー……まぁそりゃ、今回は改めて礼を言いにきた訳だからな…」

「礼…?…それって……」

 

ここに来た目的を俺が口にすると、一瞬の後篠夜も気付いた様子で恨めしそうな表情が消える。

丁度良いタイミングだ…って訳じゃないが、これは適当にせずきっちりと伝えたい事。そう考えていたからこそ俺は半端下がり、表情を引き締めて頭を下げる。

 

「…篠夜、篠夜が相談に乗ってくれたおかげて俺は自分が身勝手だった事に気付けた。だから緋奈や妃乃に謝って、全員が納得出来る答えを出せた。だから…感謝してる」

「…それは、あの日の内に解決出来たの?」

「あぁ。なのに報告が遅れた事は謝る。すまん」

「……ふぅ、ん…そっか、仲直り出来たんだ…なら、良かったじゃない…」

 

礼を言って、遅れた事を謝った。どっちも篠夜に求められた訳じゃねぇが、篠夜が鬱陶しいと思う可能性も考えてはいたが、それを理由に『言わない』って事だけは考えなかった。そういう筋の通らない事は、好きじゃねぇから。

そうして俺は篠夜の方を向き直った。俺からの言葉を受けた篠夜は……少しだけ目を逸らし、他人事のような(実際他人事だが)…でもどこか優しげな顔をしていた。

 

「あぁ、良かった。形式的にとかじゃなくて、本当に感謝してる」

「いや、重ねて言われなくても伝わってるし…じゃあ、今日はそれを伝えに来た訳…?」

「そうだな」

「…案外律儀ね、あんた…」

 

目的に関して首肯すると、篠夜は意外そうというか訝しげというか…とにかくそんな感じの表情を浮かべて俺を見てくる。俺が律儀である事は、篠夜にとって案外な事実だったらしい。…まあ、何かと律儀なタイプではないから、それも強ち間違っちゃいないんだが。…ってか……

 

「…律儀云々を言うなら、それは篠夜の方じゃね?」

「は?…何でよ……」

「だって毎回嫌がりつつもオチがつくまで部屋に引っ込まねぇだろ?拒否っても扉閉める程度だし」

「…別に…それは部屋の前でずっと立たれても気が休まらないだけだし……後、オチってあんた…」

「だったら人呼べばいいだろ。このお兄さん変なんですつて」

「確かに変な奴ね。しかもとびっきりの」

「うっせ」

 

途中で俺がボケて篠夜も皮肉交じりに乗った結果、律儀かどうかは有耶無耶に。…だがまぁ、いいか。篠夜が律儀かどうかだなんて、別にはっきりさせなきゃいけない事でもないしな。

 

「……そういや、篠夜って幾つなんだ?」

「…なにその質問。何企んでる訳?」

「いや企んでねぇし…ふと気になっただけだ。別に教えたくねぇなら拒否してくれて構わねぇよ」

「……何も企んでないなら、教えたっていいけど…」

「…けど?」

「なんか嫌だから拒否するわ」

「…あそう……」

 

で、気付けば会話は雑談に。伝えるべき事は済んだし、篠夜の調子は相変わらずだし、もう少ししたら帰るとするか…。

 

「っていうかそもそも、女性に年齢訊くとかその時点でデリカシーないわねあんた」

「どう見たって同年代、てか歳下っぽい相手にはいいだろ……え、まさか三十路とかそれ以上とかじゃないよな…?」

「え、まさか廊下で死にたいの?」

「んな訳……うん?今なんか部屋の中で倒れなかったか?」

「げっ……」

 

そんな中、扉の向こう側から聞こえてきたのはガラガラと何かが崩れる音。俺が反応するのとほぼ同時に篠夜も振り返っていて、分かり易い声を出しながら部屋の中へと引っ込んでいく。…きっちりと一回扉は閉め、中は見られないようにしながら。

 

(地震は起きてねぇし、部屋の中でDIYやりそうに見えないし、さては篠夜収納下手か?ったく、収納ってのは日々の数秒を面倒臭がらないようにするだけで、綺麗な状態が維持出来るのに……)

「わ、わ……わぁぁっ!?」

「は……?ちょ、だ、大丈夫か…?」

 

引っ込んでから十数秒後。再びの崩れる音と同時に聞こえてきたのは篠夜の悲鳴。まさかそんな声が聞こえてくるとは思わなかった俺は驚き……妙に不安になってくる。

篠夜はとにかく体力がないし、前に見た篠夜の体型はかなりの痩せ型だった。となると、ほんとにまさかとは思うが……倒れてきた物に押し潰されてる可能性も、ゼロじゃない。

 

「おいおいおいおい……篠夜!篠夜ー!…あー、もう…悪いが入るぞ!」

 

出てこないどころか返事すらないとなると、押し潰されてる可能性も一気に現実味を帯びてくる。そして何より、篠夜が倒れるのを一度見ている以上……まぁ大丈夫だろ、なんて選択は出来なかった。

 

(せめて足の踏み場位はありますように、っと…!)

 

扉の前で両手を合わせてから、ドアノブに手を掛け扉を開く。すると中はよくある部屋というより、そこそこ高いホテルの一室という感じ。出入り口付近と、中に繋がる廊下は別にそこまでって状態だが…本命は、その先。

 

「…トイレも部屋内にあるのか…って違う違う、篠夜ー?」

 

救助…って程じゃないか、一応と思って呼び掛けは続ける。反応が返ってくればよし、返ってこないならこないでやれる事を…そんな思いで、次の扉も開ける俺。そうして見えた、部屋の中では……

 

「うぐぅぅ……」

「……おおぅ…」

 

……派手に倒れたスチールラックと散乱したゲームのパッケージが悪い意味で周囲を彩り、そしてその中央で部屋の奥へ頭を向けた篠夜がうつ伏せになって呻いていた。

 

 

……因みに、白だった。何が白だったかは…想像にお任せする。



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第百十二話 片付けながら、話してみて

言うまでもないとは思うが、俺は邪魔になる物を軽く退かした後に篠夜をベットまで運んだ。幸いだったのはベットまでもがごちゃごちゃではなかった事で、幸いじゃなかったのは寝かした直後に篠夜が目を覚ました事。そのせいで、俺は寝ている少女の前で身を屈めている男という、即通報されてもおかしくない状態を見られてしまった。…そりゃああったさ、一波乱が。

で、今はと言うと……経緯を理解した(思い出した)篠夜と共に、部屋の中の整理をしている。

 

「これ、明らかにラックのキャパ超えた量を置いてたろ…取り敢えず置けるからいいや、みたいな仕舞い方してたろ…だから倒れるんだよ……」

「うぐっ…そ、それ位分かってるわよ…」

「じゃ、倒れる危険性を正しく認識した上で、放置してたと?」

「それは……」

 

倒れたラックを戻し、種類ごとに仕舞い直しながらぶつくさと言う俺。状況が状況だからか、篠夜は特に言い返さない。

 

「違うのか?」

「…ち、違う…っていうかなんていうか…」

「なんていうか?」

「う…あの……」

「篠夜さーん?」

「……う、うぅ…あぁはいそうですよ!何も考えず、まぁいっか程度に置いておいた結果このような事態を引き起こしてしまいました!ほらこれで満足でしょ!」

「うむ、満足だ」

「くっ……こんな奴に部屋見られて、その上何も言い返せないなんて…!」

 

悔しそうにぷるぷると震える篠夜を見て、何だかとっても良い気分だった。はっはっは、俺ってやっぱ捻くれてんなぁ。

 

「篠夜って、妃乃と波長合いそうだよな。アクティブじゃなくてパッシブ的な意味で」

「何よパッシブ的に波長合いそうって…よいしょ、っと」

「…それはそこに置かない方がいいと思うぞ?動線的に邪魔になるだろ」

「…ご指摘どーも……」

 

ラックを移動させようとしていた篠夜に指摘すると、篠夜は口を尖らせながらも改めて位置変更。幾つものラック、それにまだ多くが散らかっている様々なパッケージを見ながら、俺はここへ入った時からずっと思っている事を口にした。

 

「……女子って、もっとこう部屋を華やかに彩るもんじゃねぇよ?」

「……っ…」

 

ゲームを中心に、アニメのブルーレイやらドラマCD、その他諸々が大量にあるのがこの部屋の内装。当然ゲームのハードも色々と置いてあり、何ならパソコンすらも複数台あるんだが…その一方で、明るい色の壁紙だとか大きなクローゼットとか、女性っぽさを感じさせるものが殆どない。

 

「……悪い?」

「うん?いや、別に悪かないと思うが…」

「本当に?」

「俺が嘘吐くとでも?」

「割と嘘吐きそうなんだけど。これまであたしを散々馬鹿にしてきたし」

「それはまぁ…否定出来ないな……」

 

否定の意図を込めた疑問形をぶつけた結果真顔で返され、次なる言葉が出なくなってしまった俺。…うん、まぁ…篠夜視点でこれまでの事を振り返ると、そう思うのも無理はないわな…はは……。

 

「…こほん。だが少なくとも、これは嘘じゃねぇよ。てか、この際言っとくが俺は相手を不快にさせたいとか、馬鹿にしたい意図で嘘吐いたりはしないからな。敵に対する心理戦…とかならまだしも、誰がそんな陰湿な事するかよ」

「…それが信条、って訳…?」

「信条って言えるほどのものかは分からねぇが…ま、そうだな。断言するぜ、篠夜。俺が嘘を吐くとすれば、それは何かを守る時、相手を悲しませたくない時、そして……」

「…そして……?」

「……嘘を交えて弄ったら面白くなりそうだなぁ、って思った時だけだっ!」

「だけだっ!…じゃないわよ!何まともそうな事二つ並べた上で言ってる訳!?あんたってほんと碌な生産してないわね!」

「え、部屋の片付け手伝ってくれてる相手にそれ言う?」

「うっ…ぐぐぐぐぐぅ……!」

 

そっから一応俺の考え方を話しつつ篠夜を弄り、且つ状況を引っ張り出して反論を封殺。いやぁ、ほんとに今日は楽しいなぁ。はっはっは。

 

「…いいわよ、こうなったら部屋が元通りになるまで働かせてやるんだから……」

「うん、それ口に出したらアウトだよな。てか、元通りにしたらまた倒壊の危険があるぞ?」

「うっさいわね、そういう意味での元通りじゃない事位察しなさいよ」

「へいへい、心中お察しします」

「ちょっと、それじゃあたしが何か不幸に遭ったみたいになるじゃない…って、実際そうだった……」

 

あんまり整理中らしくない会話を交わしながら、部屋の片付けは進む。数の多さは厄介だが、幸いなのは殆どが重い物じゃない事。一つ一つで体力を持っていかれずに済むというのは、片付ける上で地味にありがたい。

 

(…にしても、そこそこ普通に話せるようになったなぁ……)

 

そうしている内に、ふと俺は思った。初めの頃…ってか初めて会った時の篠夜は本当に、これ以上ない位拒絶していた。今も毎回嫌がられるし、今回もハプニングがなきゃ部屋の中はまるで分からなかった訳だが、それでも今は『俺』という特定個人に対して、意識を向けて感情をぶつけている。物理的には見ていても、心は一切俺を見ていないあの時に比べれば、本当にこれは大きな進歩。無愛想で捻くれてる者同士だったからか、偶然何度も遭遇したからかは知らないが、とにかく普通に話せるようになったのは悪い気分じゃ……

 

「……否定は、しないのね。あたしの生活に対して」

 

…そんな事を思う中、不意に篠夜は言った。静かな、けれど様々な感情が籠っているように聞こえる声で。

 

「…急に、どうしたんだよ」

「急じゃないわ。ずっと思ってて、でも結局サブカル趣味に関しては何も言わなかったから気になっただけ」

 

手にしていたパッケージを置いて振り向くと、篠夜は作業を続けながら言っていた。…雑談のつもりなのか、別に何か理由があるのかは分からないが…ならばと俺も、パッケージを再び手にする。

 

「…言ってほしかったのか?」

「別に……」

 

別に、と言いつつも篠夜の声に覇気はない。…言われたくはなかったんだろうな、最初に否定しないのかって言ったんだから。……否定されると、思ったんだろうな。

 

「…そりゃ、驚きはしたさ。てか、パッケージが本だったとしてもぬいぐるみだったとしても、この量が散らかってたら誰だって驚く」

「それは普段からじゃないし…」

「分かってる。…否定、された事あるのか?」

 

一瞬迷ったが、俺は訊いた。もしかしたらそうなのかもしれないと思いながら。

訊きはしたが、返答がなくてもそれはそれでいいと思っていた。あったとして、そんなの気楽に話せる事じゃねぇだろうから。そして篠夜は黙り込み、やっぱりそうなのかと思いつつ話を切り替えようと俺は考え……そこで篠夜は、声を発した。

 

「…あるわよ、何度も。どうせ外に出ないなら、もっと為になる事をやったらどうだって。外にも出ずにこういう事ばっかりしてたら、段々おかしくなるぞって。……あたしだって、好きで外に出ない訳じゃないのに…事情分かってる癖に……」

「…そっか……」

 

不快さに声を荒げる事も、強く吐き捨てる事もなく、篠夜は淡々と話した。だがそれは、軽く話しているようには微塵も感じられなかった。声は大きくなくとも、そこに対する悲しさや虚しさは、生半可な怒鳴り声なんかよりもずっと強く籠っていたのだから。

 

「……なんて、こんなのあんたに話したって気不味くなるだけよね」

「いや…気不味い云々はともかく、俺は別に……」

「いいから、フォローしてくれなくても。言っておいてなんだけど、今のは与太話とでも思って気にしないで。そもそもサブカル趣味を否定する人なんて珍しくもないんだから、こんなのよくある普通の話……」

「…他人にどうこう言われる筋合いはねぇよな。趣味なんだから」

 

一度言葉を切って、俺が短い言葉で返して、それから篠夜は急に話を変えようとした。俺ではなく、篠夜の方が。…だから俺は、その言葉を遮った。こんな見え見えの『平気そうなフリ』なんて、そうかそうかと軽い感じて受け流せる訳がない。

 

「俺は否定しねぇよ、篠夜。どんな趣味でどんな理由だろうが構わねぇ。てか、普通そうだろ。誰がどこで何をしようが勝手で、それで利益得るのも後悔するのも自分の責任だ。勿論他人に迷惑かける事は本人の自由って訳にもいかないが……そうじゃないなら、余計なお世話だっつーのって話じゃねぇか」

「…あたしは、余計なお世話だとまでは思ってないけど……」

「そうか?けどどっちにしろ、例え相手の為を思っていても、相手の意思を無視してるなら、それはそいつの単なるエゴだ。考えの押し付けだ。…そうだろ?篠夜」

 

振り向いて、こちらに背を向けたままの篠夜に向けて、俺は言った。今の篠夜を、肯定した。まずは俺の言葉で。それからは篠夜が俺に教えてくれた、篠夜の言葉で。

 

「…よく、そんな堂々と言えるわね…あんたが思ってるのとは全然違うかもしれないのに…」

「そん時はそん時だ。自分が思ってるのとは…なんて言い出したらどれだけ説明されてもキリがねぇし、だったらその時思った事を口にした方が良いって俺は思ってんだよ。…後になってからあの時こう思ってたなんて言っても、大抵は今更の話になっちまうんだからな。それに……」

「…それに?」

「俺は言いたいから言っただけ、それ以上でも以下でもねぇよ」

 

確かに篠夜の言う通り、早計の可能性はある。篠夜とは別に長い付き合いでも交流が深い訳でもないんだから、決め付けるにゃ早過ぎるって意見はその通り。だがここは戦場じゃねぇ。一つのミスが死に繋がるような場でもなければ…正解も間違いもはっきりしないものが無数にあるのが人間関係ってもの。なら、結局は……自分の思う通りにやるのが一番だよな。…まぁ最も、つい最近思う通りにやり過ぎた結果後悔する羽目になったんだが…。

 

「…………」

「ま、気に食わなかったり取るに足らないと思ったりしたんだったら、すぐに忘れてくれて構わねぇよ。それこそ与太話だとでも判断してな」

「……なら、一つ訊かせてよ…あんたはあたしを、どう思ってんの…?」

「ん?どうって、だから……」

「否定しないってのは、否定を選んでないってだけで、何を選んだか言った訳じゃないでしょ?…あたしが訊いてるのは、その何を選んだかよ…」

 

別に俺は恩を売るつもりでもなければ、望まれてもいない掘り下げを勝手にするつもりでもない。だからいつも通りに軽い調子で言葉を締め括ると……篠夜は俺に、俺の思いを訊いてきた。いつの間にか手を止めて、真剣さが伝わる声で。…どう思ってる、か…当たり障りのない言葉なら浮かぶし、それを言えば丸く収まるんだろうが……真剣に思いを訊いている相手に、そんな答え方は…したくないよな。

 

「…ま、正直に言えばもうちょっと鍛えた方が良いんじゃねぇの?…とは思ってるな。もう少し身体が出来てりゃ倒れてきてもぶっ倒れる事はなかっただろうし、そうじゃなかった結果が俺含めてこうなってるんだろ?」

「うぅっ……あたしから訊いたとはいえ、その通りとはいえ…ほんとにあんたって容赦ないわね…。…いいわよ、あたしだってそれに関してはちゃんと反省してるし、身体にだって思うところは……」

「けど、それを含めても篠夜がやりたいようにするのが一番だって思ってる。…折角生きてるんだから、これが自分なんだって胸を張ろうぜ?その方が絶対、楽しいし幸せも感じられるんだからよ」

 

篠夜に言った通り、口にした言葉通り、俺は思うようにしたいように言い切った。それが、そっちの方が楽しいじゃねぇかって。正しいだとか、意味があるだとかじゃねぇんだよな。人生ってのは。例え他人からどう思われようと、結果思い通りの場所には辿り付かなくても、最後に胸を張れりゃ…って……

 

(…いや、何を堂々と言ってんだろうな、俺は。……結局、これが俺の人生だって思えなかったから、普通の家庭で普通に過ごせていたらって思いが胸にあったから、俺はあの時違う人生を望んだってのに……)

 

悲しい、とも虚しい、とも違う、自分でも何と言えばいいのか分からない思いがその時俺の心に浮かんだ。…そうなんだよな…今はどうあれ、今の人生の大元は……後ろ向きの思い、だったんだよな…。

 

「……ちょっと、急に黙り込んでどうしたのよ」

「…何でもねぇよ。で…満足か?」

「……そうね、あんたの気持ちは分かったわ。だから……」

 

篠夜の言葉に意識を引き戻され、俺も話を元に戻した。元々は篠夜からの質問であって、間違ってもこれは俺の自分語りとかじゃない。

答えに思うところはあったのか、篠夜はどう思ったのか。それは分からない。だが、篠夜は一拍置いた後に頷き、こちらを振り返って……言った。

 

「今度、棚買いに行くの手伝いなさいよ」

 

…………。

 

……………………。

 

……うん?棚買いに行くのを手伝いなさい?…え、っと…篠夜は、何言ってんの…?

 

「…あっ、聞き間違いか。すまん篠夜、もっかい言ってくれ」

「…棚買いに行くのを手伝ってほしいんだけど」

(おおぅ、聞き間違いじゃなかったぜオイ……)

 

一回で聞き取りなさいよ、と言いたげな目で見てくる篠夜。だが待ってほしい、これは俺のせいじゃない。絶対俺のせいではない。

 

「棚買いにって…えぇぇ、何故……?」

「何故って、じゃあ今ある棚だけで仕舞えっての?」

「断捨離という選択肢は…」

「ないわ」

 

さも当然かのように言ってくる篠夜だが、明らかにこれは当然の流れじゃない。ってか……

 

「ならネット通販使えよ…むしろ何故この部屋の主が自ら行こうとする……」

「いいでしょ別に、てかこういうのは実物見て決める方が失敗しないし」

「いいでしょも何も、その場合俺同行する事になるんですけど…荷物持ちも十中八九させられるんですけど……」

「なら、ここであの借りを返すって事で。…まさか、断ったりはしないわよね?」

「し、篠夜お前……」

 

悪どいというか何というか、振り返って以降の篠夜は完全にいつもの調子に戻っていた。いつも通りの、生意気で小賢しい捻くれ娘に。

 

「……はぁ…分ぁったよ。へいへい行くよ行きますよ行かせて頂きますよーだ」

「何その変な三段活用みたいなの…いや形変わり過ぎて三段活用っぽくすらないか…」

「んなとこ深掘りせんでええわ…で、いつ行くつもりなんだ?」

「それはあんたが決めてくれていいわ。あんたにも予定があるでしょうし」

「じゃ、32年後とかで……」

「え、馬鹿なの?」

「…………」

 

……という訳で、俺は篠夜と一緒に棚を買いに行く事になってしまった。俺に拒否権はないのである。…因みに、行く日程は来週末で決定した。

 

「…バックれないでよ?」

「流石にそんな事はしねぇよ…仮に行けなくなっても、その場合はきちんと連絡を……って、連絡手段ねぇじゃん…」

「……何それ、遠回しにあたしの携帯の番号とかアドレスを手に入れようとしてる訳?」

「違ぇよ…そんな嫌がられる事確実な真似なんてしねぇっての」

「…………」

「…篠夜?」

 

それから連絡手段やら何やらの話をする中、急に黙り込んだ篠夜。何だと思って俺が呼ぶと……篠夜は携帯をポケットから取り出す。

 

「…携帯出しなさいよ」

「え…な、何故に…?」

「何故にって…万が一の事があるから、その時用に交換位したって良いって言ってんのよ…!この流れで分からない訳…!?」

「あ、お、おうすまん……」

 

いきなり怒り出した篠夜の雰囲気に押されて、俺も自分の携帯を手に。そしてそのまま、俺達はお互いに連絡手段を得るのだった。…察しが悪いだけでなんでこんな強く言われんの…?

 

「ったく…無意味なメッセージとか来ても返信しないから」

「いや無意味なメッセージとか送らねぇし…てかそもそも、俺基本自分から雑談持ちかけるタイプじゃねぇよ」

「あぁ、それは確かにそうかもね。あんた社交性低そうだし」

「…篠夜、俺これまでにも社交性低いって言われた事はあったが…今日が一番ショック受けなかったわ」

「ちょっ、何よそれ!あたしがあんたより社交性低いって言いたい訳!?」

「うん?俺はショック受けたとしか言ってないが?」

「な……ッ!?あ、あんたねぇ…!」

 

見事に引っかかって顔を赤くする篠夜を尻目に、俺は涼しい顔でまた片付けへ。何というか、篠夜は他人を煽る割にいまいち煽り耐性がなってない。初対面の時の拒絶モードなら、何言っても淡々と返しそうなものだが……落差、激しいなぁ…。

 

「…ふん、まぁいいわよ。別に社交性高いとは思ってないし…」

「そっかそっか、じゃあ俺と同じだな」

「……うん、今日から社交性を養う訓練始めよ…」

「そんな思いっ切り暗い顔する程嫌なのかよ!…くそう、やり返しやがったな……」

 

だが、油断すると手痛い反撃を受けてしまう。要するに俺の篠夜の会話は、雑談なんかじゃない。隙を見て、相手の精神状態を推測して、鋭い弄りや毒舌を叩き込む『勝負』なのだ。……って、何言ってんだろうな俺…。

そんなこんなで十数分後。やっと部屋の片付けが終わり、俺はふぅ…と溜め息を吐く。

 

「取り敢えず何とかなった…今後はちゃんと仕舞えよ?後、仕舞えてない分はまた崩さないよう気を付けろよ?」

「分かってるわよそれ位……それとその、迷惑かけたわね…」

「そう思うなら、ほんとに気を付けてくれよ?後、換気もちゃんした方が良いからな?」

「…あんた、性格の割にそこら辺細かいのね……」

「まぁな」

 

軽く首を回した後、立ち上がる俺。片付けによって大分部屋の中はすっきりしたが…やっぱそもそも、この部屋物が多いんだよな…勿論それは個人の自由だが。

 

「じゃ、片付けも済んだし俺は帰るぞ」

「はいはい。…あ、待った」

「……?」

 

俺が出ていこうとすると、篠夜はぱたぱたと小走りで俺を追い抜き廊下と繋がる扉を軽くオープン。そこできょろきょろと廊下を見回した後、こちらを振り返って言った。

 

「今なら良いわよ、誰もいないから」

「…俺が部屋にいたって知られる事すら嫌なのかよ……」

「嫌っていうか…あんただって、あたしの部屋に暫くいたって知られるのはあんま気分良くないでしょ」

「そうか?俺は別にどうでもいいがな」

 

変な奴って思われるのは慣れっこだからなぁ、と思いながら俺は廊下へ。ふぅ、思ったより長くなったなぁ…。

 

「…どうでもいい、か…あたしもそれ位呑気に構えられたら、楽なのかもね……」

「ん?なんか言ったか?」

「何でもないわ。…来週、遅れないでよ?」

「分かってるよ。じゃ、また来週な」

 

念押しの言葉を受けながら、俺は部屋を後にした。その時、篠夜はもう部屋を見られたって事もあってかこれまでよりもほんの少し身体を外に出していて……そういう変化は悪くねぇな、と何となく感じる俺だった。

 

(……って、よく考えたら俺…妹でも同居人でもない異性の部屋に、二人っきりで暫くいた事になるのか…あー……そりゃ篠夜だって周りの目気にするよな。それが理由なのかは知らねぇけど)



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第百十三話 四人の食卓

「顕人さん、一つお願いがあります」

「お願い?」

 

夏休みが明けてから、少し経った。毎日休みだった夏休みから、月から金まで学校のある日々に戻ると、どうしても最初の内は違和感のようなものを感じてしまう。

けれど今年は、あまりそれを感じなかった。…いや、正確に言えば感じていたけど…それ以上の違和感がまだ残っていたから、夏休み明けの違和感はあまり気にはならなかった。で、その違和感が何かと言えば…そんなのは、説明するまでもない。

 

「私、料理の手伝いがしたいんです」

「へぇ、手伝い……うん?」

 

夕方(と言ってもまだ外は明るいけど)、リビングにてラフィーネさんが黙々と体感型ゲームをする中で、フォリンさんはそんな事を言ってきた。その言葉に、早速「あれ?」と思う俺。

 

「…手伝いって普通、お願いされるものであってするものじゃなくない…?」

「でしょうね、手伝いは相手を助ける行為ですし」

「なら、どういう事?」

「それはですね…有り体、でしたっけ?…に言えば、料理の練習がしたいんです」

「あぁ、そういう…」

 

自分から手伝いを頼むなんて、普通に考えたらまずやらない事。それの意味が分からない俺だったけど、返答を受けてすぐに納得がいった。手伝いという形での練習をしたいのなら、頼み込むのも何らおかしい事ではないから。

 

「でも、ちょっと意外だよ。フォリンさんは料理を普通に出来るタイプかと思ってたし」

「全く出来ない訳ではありませんよ?…ただ、私がこれまでしてきた料理は素材を食べられるようにする事ばかりで、美味しくする料理は殆どしてきませんでしたから」

「そっか…そういう事なら構わないよ。俺としても、手伝ってくれるなら助かるからね」

 

例え野菜を切るだけ、食材を混ぜるだけだとしても、手伝ってくれる人がいるのはありがたい事。手伝ってくれる事自体が、気分的に嬉しいんだから。その思いで俺は頷き、今から作る予定だった料理を説明した。

勿論、頼みを受けた理由の中には、フォリンの話した『事情』に対する思いも含まれている。それは、可哀想だから許可してやろう、なんて傲慢な考えじゃない。ただ単に、フォリンさんのささやかな望みの力になれるのなら、俺は手を貸したいと思っただけ。

 

「じゃ、早速始めようか」

「はい。…あ、ラフィーネ。ラフィーネも一緒にやりますか?」

「…ん、いい。今、いいところだから」

「はは…ラフィーネさんならまぁ、そう言うよね…」

 

フォリンさんが声をかけると、ラフィーネさんはこちらを一瞥した後ふるふると首を横に振った。…こっちは完全にイメージ通りだなぁ…。

 

「まずは…っと、一番最初は食材の確認だね。途中で足りない物に気付いても、料理ってその場から離れられない事もある訳だし」

「何事も準備が大事、という事ですね」

 

説明を噛み砕いて復唱するフォリンさんに頷いて、夕食作りスタート。フォリンさんが手を洗っている間に包丁とまな板を用意し、その隣に野菜を配置。

 

「野菜を切る事は出来るよね?」

「えぇ、その位でしたら問題なく」

「なら、これお願いね。サイズは…食べ易い大きさなら、一つ一つの大きさが多少違っても大丈夫」

 

俺の指定に首肯し、フォリンさんは切り始める。自分で言った通り切る技術はしっかりしていて、俺が口を出す要素もなし。…と、思ったけど……ただ一点、日本人なら大概小中学校の家庭科で習うような事が出来ていなかった。

 

「…ストップ、フォリンさん」

「あ、はい。何か不味かったでしょうか…?」

「不味いっていうか…野菜に添える方の手は丸めた方がいいよ。所謂猫の手、ってやつなんだけど」

「猫の手…ですか…?」

 

伝わるかな?と思ってよく言われる表現を口にすると、フォリンさんはきょとんとしながら両手を軽く丸めて掲げ、何だかそのまま「にゃあ」と言いそうなポーズを取った。……あ、どうしよう可愛い…。

 

「……顕人さん?」

「…あ……こ、こほん。うん、手はそんな感じ。指を丸めて壁っぽくした方が、指を切っちゃう危険性が低い…って事だよ」

「了解です。しかし猫の手とは、顕人さんも可愛らしい例えをするんですね」

「い、いやこれは俺が考案した例えじゃないんだけどね…昔から言われてるやつだし…」

 

邪念を振り払い説明すると、すぐにフォリンさんは猫の手で再開。よく見たら、ただ切ってるだけでも絵になるなぁ…などと懲りもせずまた始まった変な思考を今度こそ止めて、俺も料理に取り掛かる。

 

「切ったのはこのボウルに入れておいてね。後分からない事があればすぐに言ってくれていいから」

「分かりました。…すみません、手伝いと言いつつ手間が増えてしまって…」

「気にしないでよ、これ位。教える手間を含めても分業出来る事の方が大きいし、そもそもそんなに手間でもないし」

 

言葉のやり取りをしつつも、俺は細切れ肉に薄力粉をまぶす。…そういや、俺もこっちに来たばかりの頃はちょいちょい母さんに電話して訊いてたなぁ…料理本やネットのレシピじゃ、説明はあってもこっちから質問が出来ない訳だし。

 

「切り終わりました。次はどうしますか?」

「お、速いね。じゃあピーマンも…と、言いたいところだけど……」

「……?」

「…うん、種取りもあるしピーマンは俺がやるよ。代わりにこの肉揉んでくれる?こんな感じでさ」

 

肉の揉み方を近くで見せて、フォリンさんと立ち位置交代。同時に「フォリンさんは料理の勉強がしたいんだから、出来るだけ色んな事をさせてあげた方がいいか…」と、完成までの流れを頭の中で練り直す。

 

「…種は、そのまま調理してはいけないんですか?」

「いや、そんな事はないよ。種とわたには栄養があるって話もあるし」

「では、何故?」

「まぁ、苦かったり見栄えだったりの問題だね。後確か、腐ってるかもしれないから安全の為に…ってのもあったと思う」

「……思う…?」

「はは、これは母さんとかネットの受け売りだよ。多少慣れてきたとはいえ、まだまだ俺も発展途上だからね」

 

そっか、手順や技術だけじゃなく知識も教えなきゃ料理の練習にならないよなぁ…と、話しながら気付く俺。同時にまだ未熟な自分が教えている事に若干のおかしさを感じつつも、ピーマンの種取りを進めていく。

野菜の準備が終わり、肉も程よく揉めたところで、料理は『切る』から『炒める』に移行。料理はここからが本番と言える。

 

「大事なのは炒める順番だよ。火の通り易さとか、食材に含まれてる水分とかを考えないと、片や生焼け片や黒焦げ…なんて内容になりかねないからね。…やってみる?」

「は、はい。……あの、タイマー用意していいですか?」

「タイマー?あぁ、別にそこまできっちりしなくても、時計見て大体で決めればOKだよ」

「順番はきっちりする必要がありながら、こちらは大体でいいんですか……?」

「いや、勿論適切な時間から十分十五分ズレる…とかは駄目だよ?でも逆に十秒十五秒じゃ速かろうと遅かろうと大した差にはならないから、『今○○分の所に長針があるから、△△分の所に行くまでかな』位の感覚でやっても大丈夫だって事。言い換えるなら、約何分…の『何』の部分が合っていれば問題ないって事だよ」

 

多くの人の例に漏れず、正確に時間を図ろうとしたフォリンさんは、分かったような分からないような顔をしながらも頷いてくれた。…まぁ、大体でも大丈夫って思えるようになるのは、結局のところ経験だからね。

 

「さて、と…ここからは並行でスープも作るよ。と言っても、スープはほんとに具材と調味料入れてかき混ぜるだけの簡単なものだけど」

「簡単に作れるのは良い事では?それで味や栄養に問題があるなら別ですけど」

「そうだね。っていうか、家庭料理なんて基本どう楽をするかだと思うよ。だってその道のプロでもなきゃ、お金取る訳でもないんだからさ」

 

そうこうしている内に、料理を始めてから数十分が経過。完成へと近付くにつれて、良い匂いもフライパンや鍋から立ち込め始める。

 

「後は……あぁそうそう、ご飯の炊き忘れに注意しようね。後は盛り付けるだけ、って時に気付いた時なんかもう……」

「…実体験なんですね」

「はは……」

「たっだいまー。顕人君、今日のご飯は…ってあれ?フォリン?」

「お帰りなさい、綾袮さん」

 

かかる時間の殆どが放置で済むが故に忘れ易い白米の危険性を話す中、今日も元気に綾袮さんが帰宅。早速フォリンさんが手伝いをしている事に気付いたようで目を丸くしていたけど、その後すぐ綾袮さんはラフィーネさんの…というか、ゲームの下へ行ってしまった。

 

「ラフィーネ、ご飯まで勝負だよ!」

「…望むところ」

「……普段の食器洗いもそうだけどさ、フォリンさんだけだよ…こうして自分から色々やってくれるのは…」

「いえいえ、料理も洗濯も顕人さんがやってくれているんですから、褒められるべきは顕人さん自身ですよ」

「…フォリンさん……」

 

手伝う気ゼロの二人に軽く呆れていると、フォリンさんから微笑みと共に労いの言葉をかけられて、思わず俺はうるっとしてしまった。…フォリンさん、良い子過ぎる……。

 

「…よし。今日の夕飯はもうすぐ完成だけど…今後も料理の練習したいなら言ってくれて構わないからね。俺も極力協力するからさ」

「ありがとうございます、顕人さん。その気持ちに応えられるよう、頑張りますね」

「うん。…っと、もういいかな」

 

気を見計らって味見をしてみると、どちらも中々いい感じ。という訳で、作っていた肉野菜炒めと卵スープが完成し……

 

「フォリンさん、肉野菜炒めの盛り付けお願い出来る?お皿は棚のあそこにあるやつね。ほら二人共、せめてお茶淹れる位はしてくれるー?」

「えー……まぁ、お願いしてくれるならやるのも吝かじゃないけどね!」

「あそう、じゃあお願いしますわー」

「うわー、心全然籠ってない…でもいっか。ラフィーネ、ゲームの片付けお願いね。お茶はわたしが淹れるから」

「ん、分かった」

 

本日の宮空宅に、夕飯の時間が訪れた。決して豪華という訳ではない、でも普段とは少し違う夕食の時間が。

 

「頂きまーす!…うん、やっぱり出来立てっていいよねぇ…」

「へぇ、じゃあ出来立てと冷えちゃったのとはどう違うか具体的に言える?」

「温度!」

「いやそりゃそうだけど、俺が訊いてるのはそっから先……」

「が違う!」

「誰が文章の続きを言えと!?そっから先ってそういう意味じゃないよ!」

 

コメディ調のやり取りをしながら食べる俺と綾袮さん。これはまぁいつも通りの流れで、黙々と食べるラフィーネさんもいつも通り。けれど普段なら穏やかな表情で会話に参加するか、俺と綾袮さんのやり取りに耳を傾けつつ食べているフォリンさんは今日、あまり食事を口につけずにそわそわとしていた。

 

「…フォリンさん?どうかした?」

「…いえ、その…私、手伝いとはいえこの料理を作った訳じゃないですか…」

「うん、そうだね」

「だから、その……美味しいと思ってもらえているか、気になってしまって……」

 

あぁ、そういう事か…とフォリンさんの回答を聞いて、俺は納得。確かに料理をしたのなら、出来が…特に自分が食べてどうかより、他の人が食べてどう思ったかが気になってしまうのは当たり前の事。俺だって料理を始めてから暫くは毎回気になったし、今だって初めて作る料理を出す時は内心ドキドキしてしまう。多少は慣れてる俺もそうなんだから……フォリンさんだって気になるに決まってるじゃないか。

 

「なーんだ、それならそうと言ってくれればいいのに…。だいじょーぶ、どれも美味しいよ!いやむしろ、普段顕人君が一人で作るご飯よりも美味しいかもしれないね!」

「おいこらそれは……いや、いいか…こほん。俺も美味しいと思うよ、フォリンさん。野菜も丁度良いサイズに切れてるしね」

「そ、そうですか…それなら、良かったです…」

 

俺と綾袮さんの「美味しい」という言葉を受けて、安心したような顔を浮かべるフォリンさん。…別に具体的な事を言われなくても、一言でも、「美味しい」って言ってもらえるだけで…作った側は、安心出来るんだよね。

 

「……ラフィーネ」

「…うん」

「ラフィーネは…どう、ですか…?」

 

小さく胸を撫で下ろしたフォリンさんは、それから視線を隣に座るラフィーネさんへ。ラフィーネさんが応答すると、今度は少し不安そうな顔になって姉を見つめる。

一番どうだったか訊きたかったのは、ラフィーネさんに対してなんだろう。一目でそれが分かる顔をしたフォリンさんへとラフィーネさんは向き直り、箸を離した右手を上へ。その動きに視線がつられる中、ラフィーネさんは右手をフォリンさんの頭へ置いて……言った。

 

「…よく出来てた。フォリン、えらいえらい」

「……ラフィーネ…」

 

小さな子供に向けてやるような、フォリンさんにはミスマッチにも見える褒め言葉。頭を撫でつつえらいえらいなんて、それこそお手伝いをした子供を褒めるような賞賛の仕方。……でも、フォリンさんは幸せそうな顔をしていた。安堵と歓喜と幸福の混ざった、見ているこっちまで心が穏やかになりそうな笑顔を浮かべていた。

 

「…嬉しそうだね。フォリンも、ラフィーネも」

「だね。…ほんとに良かったよ、手伝いを拒否しなくて」

 

綾袮さんの言う通り、嬉しそうなのはラフィーネさんも同じ。フォリンさん程はっきりとじゃないけど、小さな笑みだったけど……凄く穏やかで温かな、自然な笑みをフォリンさんに見せていた。…もしかしたら、フォリンさんは…ラフィーネさんに自分の料理を、美味しい料理を食べてほしくて練習したいと思ったのかもしれない。

 

「ラフィーネ、今度は一緒に手伝いませんか?料理するのって、結構楽しいですよ?」

「それはいい。わたしは食べるのに専念するから」

「もう、面倒な事はすぐそう言って逃げるんですから…」

「フォリン、日本には適材適所って言葉がある。…わたしがしてるのは、そういう事」

「適材適所って…それっぽい事を言っても、私は誤魔化されませんからね?」

 

それからもロサイアーズ姉妹は、姉妹らしい…かどうかともかく、仲の良いやり取りを続ける。そんな姿を見ていて俺は……ふと、全然関係ない事を思い出した。

 

「…あ、そういえばさ綾袮さん。篠夜依未さん…って、知ってる…よね?」

「……?知ってるけど…顕人君こそ何で知ってるの?……まさかナンパしたの!?」

『ナンパ…?』

「ぶっ!?し、してないよ!早とちりにも程があるわ!」

 

ジョークなのか本当に勘違いしたのかは分からないけど、とんでもない言葉をぶっ込んでくる綾袮さん。加えて結構大きい声で言ったせいで二人にも「え、顕人(さん)がナンパ…?」みたいな顔をされて、俺はかなり慌てる羽目に。

 

「そうじゃなくて…千㟢から頼まれたんだよ。綾袮さんに、篠夜依未って人について知ってる事があるか訊いておいてくれって」

「あー、そうなの。…なんで悠耶君が?」

「何か色々あるらしいよ。で、何か知ってる?口振りから察するに、プロフィールに乗っけるようなものより一歩進んだ事を知りたいっぽいんだけど…」

 

半ば呆れ口調で話の路線を戻すと、綾袮さんも分かってくれた様子。…最初からこう言えば良かった……。

 

「うーん…プロフィールよりも、って言われると難しいかなぁ。依未ちゃんとは別に仲悪い訳じゃないけど、あまり会う機会がないから…」

「そっか、ならまあ仕方ないね。千㟢にはそう伝えておくよ」

「うん、お願いね。…でも、色々かぁ…何があったんだろ…」

「さぁ?そこまでは聞いてないから…」

 

プロフィール以上の事を知りたがってる以上、それなりに深いか込み入った事情があるんだろうけど…特に俺は言われてないし、訊きもしなかった。千㟢に限って、まさか篠夜って人に恋愛方面での興味がある…とかじゃないだろうし、それこそナンパとかでもないだろうし。

 

「…顕人君って、意外と悠耶君には淡白な面があるよね。学校じゃいつも話してるし、休みに遊んだりもしてるのに」

「そう?男同士の交友関係なんてこんなもんだと思うよ?」

「ふぅん…わたしだったら気になる事は訊くのにな〜。特に妃乃だったら、根掘り葉掘りで徹底的にね」

「うん、綾袮さんの場合それ半分弄ってるよね?」

「あ、分かっちゃう?」

 

綾袮さんが妃乃さんに食い気味で質問しまくる姿はあまりにも容易に想像出来て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。そこから脱線したり、故意に勘違いしたり、挙句自分の話をしたりするんだろうなぁと考えると、やっぱり男同士の一歩置いた関係は楽だよなぁ…。

 

「…綾袮さんも、大概妃乃さんの事好きだよね」

「まー、幼馴染だからね!それに妃乃もわたしの事大好きみたいだし?わたしとしては無下に出来ないな〜って感じかな!」

「…それ、本人が言った事?」

「あはは、素直じゃない妃乃が言う訳ないじゃん。でもわたしには分かるからね!何せ幼馴染ですから!」

「うん、まぁ…そっすね……」

 

…良いか悪いかは別として、ここまで断言出来るのは凄いと思う俺だった。……返す言葉は思い付かなかったけど。

 

「ふふーん。……でも、ほんとに男の子って皆そんなものなの?」

「大体はそうだと思うよ?…でも、まぁ…千㟢に関しては、元々過去の事で一枚壁作ってた節があったからね。今となっては関係ないんだけど、だからって別に付き合い方を変える必要もないしさ」

「あー、そっか。そりゃ隠すよね、信じてもらえないだろうし」

「そういう事。それに……」

「それに?」

 

もしお互い気不味い関係だったのならともかく、別に不満を感じてる訳でもないんだから、わざわざ変える必要はない。…なんて言いはしたけど、実際には少し違う。実際には…特に変えようとも思わなかったし、気にもしなかったから、これまで通りの関係である。ただ、それだけの事なんだよね。

そしてそこにはもう一つ、理由があったりもする。それを俺は言いかけたけど……

 

「…いや、やっぱいいや」

「えー、言いかけたなら言ってよー。気になるじゃん」

「些細な事だから気にしないでよ。それより綾袮さん、ラフィーネさん。フォリンさんを見習って皿洗いしてくれたりは……」

「それは出来ない相談かな!」

「わたしは姉だから、見習われる側」

「…………」

「あはははは……」

 

欠片も手伝ってくれるつもりのなさそうな二人の返答と、その反応に苦笑するフォリンさん。俺はそんな二人に肩を落としつつも、予想通りといえば予想通りだから、まぁ分かってたけどね…と内心で呟きつつも思う。色んな意味で欲望とやりたい事に忠実な綾袮さんと、我が道を行くラフィーネさんと、基本はしっかりした子のフォリンさん。…うん、それはいつも通りで、だからこそある種の安心感すらあるんじゃないかって。

──奥へと踏み込んだ、何もかも取っ払った話がしたいなら、その時は皆に話せばいいんだから。…俺が言いかけて止めたのは、そんな言葉だった。



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第百十四話 受けた借りはきちんと返す

出掛けるったって、俺がするのは買い物の付き合い。あくまでメインは俺じゃなく、また恐らく荷物持ちになるんだから、そこまで準備といった準備もない。…という訳で週末、俺は出掛ける為に玄関へ出ていた。

 

「じゃ、出掛けてくるから家任せるぞー」

「うん、行ってらっしゃーい」

 

背に緋奈の送り出しを受けながら、俺は外へ。出た瞬間に感じるのは、夏真っ盛りの頃より幾分か楽になった気温と日差し。

 

「…外に出易くなったなぁ…荷物持たされたら、多少は汗かきそうだが……」

 

わざわざ口にする必要もなさそうな言葉を漏らしながら、待ち合わせ場所である双統殿…への隠し通路がある建物…の近くのちょっとした噴水へと向かう。それは本当にちょっとした、無くてもそんなに困らなそうな噴水だが…待ち合わせ場所の目印としては、丁度良い。

 

「ほんとに、なんでこんな事を俺に頼むのかねぇ…」

 

借りは返すと言ったものの、一応は納得出来る理由なものの、どうも俺は「棚を買うのに俺を付き合わせる」というのが釈然としない。買い物とはいえ、出掛ける相手に俺を選ぶか?…って気がしてならない。…ま、だからってそれを態度に出す気はないがな。俺が借りた恩は、買い物一回でチャラになる程軽いもんじゃねぇんだから。

そんな事を考えながら俺は移動し、噴水のある通りへ到着。そうして噴水へと近付いたところで……俺は待ち合わせていた相手である、篠夜依未を発見する。

 

「…………」

 

噴水の前、そちらに目を向ければ一目で分かる位置に篠夜はいた。篠夜の身を包んでいるのは、袖がレースの様になった白のブラウスに、シンプルな柄をしたミニスカート。とにかく細い脚は黒のサイハイソックスを纏っていて……これまで部屋着しか着ておらず(基本部屋にいる所へ俺が訪れてるんだから当たり前だが)、篠夜といえば部屋着…というイメージのあった俺は、一瞬足を止めてしまった。

 

「……遅い」

「あ…す、すまん…って、まだ待ち合わせの時間より早いだろ?」

「けどあたしが待たされた事には変わりないから」

「へいへい、そりゃ悪かったな」

 

俺が止まったところで篠夜は気付き、早速文句をぶつけてくる。イメージとの違いに一瞬止まった俺だが…うん、やっぱ篠夜だわ。外見のイメージが違うだけで、中身はいつも通りだったわ。

 

「…で、どうすんだ?早速買いに行くのか?」

「当たり前でしょ。それが目的なんだから」

「さいですか。どこで買うかは決めてあんの?」

「一応ね。でもそこに良いのがなかったら、別の所に行くつもりよ」

 

木陰があるとはいえ、決して涼しい訳じゃない場所で突っ立って言い合うのもなぁ…とすぐに話を進める俺。篠夜の口振りから考えるに、結構ちゃんと買い物のプランは立てているらしい。

 

「だったら行こうぜ。何店舗か回る事になった場合、結構時間かかっちまうしな」

「だからそのつもりだっての。……」

「あー、そうだったな。じゃあ……って、ん…?」

「……やっぱり、格好に触れる様なタチじゃないのね…」

「…篠夜?」

「…何でもない。ほら行くわよ」

 

棘のある肯定を受けた俺が噴水のある場所から通りへと戻ろうとすると、何故は篠夜は突っ立ったまま。それから何やら小声で呟いていたが…それに触れるとはぐらかし、そのまま歩き出してしまった。釈然としないながらも後を追うと、またもや「…まぁ、別にどうでもいいけど…」という小声が聞こえて……何が言いたいんだ?篠夜は…。

 

「…………」

「…………」

 

篠夜は無言。俺も無言。二人組でどっちも無言な訳だから、俺達は完全にして完璧な無言。…言うまでもなく……気不味い。

 

(…とはいえ、適当な事言っても嫌そうな顔されるだけだしな…くそう、妃乃や綾袮からこれといって情報を得られなかったのが悔やまれる……)

 

出掛ける上で少しでも助けになるよう篠夜の事を手近な人間に訊いてみた俺だが、ご覧の通りになってしまう位には情報なし。となるとこの場で上手い事ネタを見付けるしかなく……って、あ…そうだ…。

 

「そういや篠夜、さっきから気になってたんだが…」

「さっきから…?…何よ……」

「…篠夜は、待ち合わせにかなり早くから来るタイプなんだな」

「……あーはいそうですよ、だから何?」

「いや…別にだからどうだって話じゃないが…」

 

幾ら篠夜でも、数十秒や数分程度で待たされた事を文句にしたりはしない筈。という事はつまり、篠夜は結構前から来ていた可能性が高い訳で……と思って言ってはみたものの、全然話は盛り上がらなかった。…盛り上がりはしないにしても、もう数回は言葉のキャッチボール出来ると思ったんだがなぁ…。

 

「……あんたこそ、一応とはいえ待ち合わせには時間前に来るタイプなのね。遅れてくるかと思ってたけど」

「失礼な先入観だな…。…借りを返す為に来てんだから、遅れる訳ねぇだろ。言っとくが、相談の件はちゃんと感謝してんだからな?」

「…知ってるわよ、あの時とお礼言いに来た時の態度見れば明白だし。でも、自分でそう言ったんだから、最後まで積極的に付き合いなさいよ?」

「分かってるっつの。何店舗だろうと付き合ってやるさ。……常識の範囲内なら」

 

流石に何十店舗もとか、他県にとかまでされるのはキツいと思い、付け加える俺。すると篠夜は何も言わずに、ただ半眼で俺を見ていた。……多分、あんたと違って非常識じゃありませんから。…的な意図なんだろう。

 

(…黙ってりゃ美人、ってこういう時に使うんだろうなぁ…今のは言葉じゃなくて視線だったが)

 

棘のある発言やら不機嫌そうな表情やらを取っ払えば、篠夜は愛嬌のある顔をしていると思う。いや勿論、言葉や表情が損なわせてるって訳じゃないが…まぁ、別段俺は彼女に飢えてるとかでもないしな。

それから移動する事十数分。俺達はこの周辺じゃかなりでかい方の家具用品店へと到着した。

 

「家具用品店か…俺あんまり来た事ないんだよな…」

「心配しなくても大丈夫よ。そういう方面での期待はしてないから」

「だろうな。さて、棚のある場所は…っと」

 

篠夜の毒舌を軽く流し、案内図を見て目的のエリアへ。我ながら冷めた会話だなぁとは思うが…俺と篠夜なんだからしょうがない。

 

「ここか…って、思った以上に数が多いな……」

「そ、そうね…」

 

ずらりと並んだ棚の数は、思わず軽く驚く程。どうも篠夜も感覚的には同じらしく、そこはかとなく気圧されているような感じがある。

「…一応訊くんだが…買うのは部屋にあったのと同じようなラックか?それでもそこそこ種類があるぞ…?」

「それは……見てから決めるわ…」

「まぁ、それもそうか…」

 

そう言って棚と商品消化の札を一つ一つ見始める篠夜。俺もその後を着いていき、買う気はないながらもぼんやりと棚を眺めていく。

 

「…………」

「…………」

「……あ、これいいかも…」

「それにするのか?」

「決めるのは全部見てからよ、せっかちね…」

 

ふと止まり気に入った風な声を出した篠夜に訊くと、背を向けたまま篠夜はそう返してきた。視線どころか興味も俺には向けておらず、じっくりじっくりと篠夜は棚を見定めていて……

 

「…篠夜って、ゲームの取説は最初に最後まで読むタイプか?」

「当たり前でしょ、取説はゲームをする上で必要だから付いてるんだもの」

 

…何気なく俺は、そんな事を思っていた。そしてその想像は、即答される位にドンピシャだった。…因みに俺は、一応取説を近くに置いておきつつも基本は早速プレイする派だな。

 

(安い買い物じゃねぇんだから、迷うのは当然だが…こりゃ長丁場になるかもなぁ……)

 

感覚ではなく、色々考えて決めるつもりらしい篠夜が、買う棚を決めるまで時間がかかるのは間違いない。俺はじっくり見るのに加えて気になった棚の比較まで始めた篠夜の様子にそう思い……そして実際に、篠夜が決定するまでは数十分の時間を要するのだった。

 

「うん、やっぱりこれよね。これなら部屋との相性も良さそうだし」

「これならって…それ、一番最初に気になったやつじゃねぇか……」

「悪い?」

「悪くはないけどよ…はぁ、まぁいいや……」

 

だったらそれ以降の時間が全部無駄じゃねぇか…とつい口走ってしまった俺だが、別に悪いとは思ってない。というか、全部見なきゃどれが一番良いかなんて分からない訳で、ぶっちゃけ俺の言葉は難癖レベル。…言葉には気を付けなきゃだな…。

 

「それは…この箱か。一つ…じゃ、ないよな?」

「そうね、二つ…いや三つ買うわ。この際ガタがきてる棚も入れ替えたいし」

「み、三つは流石にキツいんだが……」

「あぁ、大丈夫よ。別に二往復半してくれても」

「容赦ねぇなほんと…こうなりゃ金はかかるが業者を頼んで……」

 

あくまで全部俺に運ばせようとする篠夜の言葉に、俺はもう皮肉で言い返す気すら起きなかった。そして割とマジに宅配業務を呼ぶ事を考えて……

 

「…冗談よ。流石に台車位は貸してくれるでしょうし、業者を頼むなら代金も……」

《当店ではただ今、一定額以上お買い上げのお客様に無料宅配サービスを実施中です。是非この機会に、当店でお買い物を!》

『あ……』

 

──十数分後。俺と篠夜は、手ぶらで家具用品店を後にした。

 

「…予定、済んだな」

「えぇ、びっくりする程あっさりとね…」

「…良いサービスだったな」

「…また、何か家具を買う機会があったらここを利用しようと思うわ……」

「……こっからどうすんの?」

「あたしに訊かないでよ…」

 

なんと言えばいいかよく分からない気持ちの俺達二人。勿論無料で宅配してくれるのはありがたい。大助かりだ?けど、ほんと……拍子抜け過ぎる…。

 

「てか、今更だが宅配は大丈夫…というか、きちんと届くのか?」

「そういう外部とのやり取りを担う建物もあるのよ、知らないの?」

「おう、自慢じゃないがさっぱり知らん」

「ほんとに自慢にならないわね…」

 

店の出入り口でぼけーっと立ってたって何にもならないどころか邪魔だからと、一先ず俺達は歩き出すが…行き先なんて勿論なし。目的果たしたんだから帰ればいいんじゃね?…と思うかもしれないが、篠夜はそういう素振りも現状はない。

 

(さてどうするか…この時間じゃ、「予定も済んだしもういいよな」つって別れるのも気が引けるんだよなぁ……)

 

時折見回しながら歩く篠夜を眺めながら、俺は考える。こういう時にすんなりと帰れる口実…とかではなく、これから何をしたらいいかを。

 

「……まぁ、こんな場合は変に奇を衒う必要もないか……」

「…奇を衒う?何の話よ」

「こっちの話だ。で、篠夜…なんか他に買い物はないのか?どうせ乗りかかった…てか乗った船だ、この際別の荷物持ちでもやってやるよ」

「…気を遣ってくれたところ悪いんだけど、特にこれといってないわ」

「あそう……ならどっかの店に入ろうぜ。ずっと外にいたら段々暑くなるしな」

 

そう言って俺は歩き出す。段々暑くなる…ってのは、半分本心で半分口実。嘘じゃないが、ただ涼しい場所に行きたかっただけでもない。

 

「…店?」

「そこらの喫茶店辺りにでもな。……あ、別にメイト的なショップでも構わないぞ?」

「い、いいわよ別にあたしの趣味に寄せなくたって……てか、急に何?何か企んでる?」

「だから外にいても暑いって言ったろ?…まぁ、目的済んだんだからさっさと俺とおさらばしたいってなら、俺も帰るが……」

 

訝しげない目で俺を見る篠夜に対し、俺は軽い調子のままに返す。これでなら帰るって言われたらしゃあないし、もしそれ以外の返答がくるならそれで良い。そう思って数秒待つと……

 

「……ふん、まぁいいわよ。何がしたいのかは知らないけど…少し位は、付き合ってあげる」

 

顔は合わせず視線だけをこちらに寄越して、篠夜はそう言った。予想通りの、不遜な態度で。

そうしてまた十数分後。俺達二人は最初に見付けた喫茶店に入り、窓際の席に腰を下ろした。

 

「はぁ…疲れた……」

「ここまではほぼ歩いて棚を見ただけだけどな」

 

座るや否や、ぐてーっとテーブルに突っ伏す篠夜。そりゃ勿論、ただ歩くのだって長時間になりゃ疲れるものだが…この程度で疲れるレベルで体力なかったのか……。

 

「うっさい…喫茶店とか言って歩かせた奴が言うな……」

「どっちにしろこれで疲れるなら、真っ直ぐ帰っても同じようになってただけだろ。…持久走とかやったらどうなるんだ…?」

「死ぬわね」

「お、おう……」

 

オブラートも何もあったもんじゃないどストレートな「死ぬわね」に、思わず振った俺が狼狽えてしまった。…冗談に聞こえねぇのがヤバいんだよなぁ…。

 

「…で、注文はどうするんだ?」

「…アイスティーとイチゴパフェ」

「あいよ。すみませーん」

 

疲れていても食べる気はあるらしい篠夜から聞いて、俺が注文。暫くして運ばれてきた品を受け取り、早速俺達は口を付ける。

 

「…ん、美味し……」

「篠夜、体力回復の為に輪切りレモンも頼んだらどうだ?」

「なんで脂っこいものの付け合わせを単品で頼まなきゃならないのよ…あんたこそ頭の為に小魚でも頼んだら?」

「いやもう注文済みだ」

「あったの!?」

「嘘だけどな」

 

パンケーキにシロップをかけつつ軽く篠夜を弄る俺。因みにその後、大きめの声で突っ込んでしまった篠夜は周りから視線を集めてしまい、頬を赤らめつつも恨めしそうな目で俺を睨んでくるのだった。

 

「ふー……喫茶店のパンケーキって割とぺらぺらな場合も多いが、ここの店は当たりだなぁ…」

「…お腹空いてた訳?」

「ん?」

「目的よ目的。何がしたいのよ、あんた」

 

睨まれていたのが数分前。今も篠夜は俺に視線を向けていて……だがそこに籠る感情は、全く違うものだった。…目的、か……。

 

「…別に、具体的に何かしたい訳じゃねぇよ。喫茶店だって、それが無難だって思っただけだ」

「なら何?まさかまた喧嘩して、家に帰り辛いとかじゃないでしょうね?」

「んな訳あるか……まぁアレだ、偶に何となくぶらつきたくなる事あるだろ?そんな感じだ」

「…それ、あたし必要な訳?」

「必要ないな。だからさっきも言ったが、帰りたいなら帰っても構わねぇよ」

 

あくまでいつも通りに、適当に俺は目的を述べた。多分…いや絶対に篠夜はこんな答えじゃ納得しないだろう。篠夜じゃなくても大概の奴は、「結局殆ど説明してなくね?」って思うだろう。だが……

 

「……目的はあるけど、やりたい事はない…そういう事よね?」

「そういう事だな」

「じゃ、あたしに付き合いなさいよ。代わりにあたしもあんたのぶらつきに同行してあげるから」

 

篠夜は俺の意図を問い質そうとはせず、パフェのスプーンで俺を指しながらそう言った。いつもの不愉快そうな顔じゃない、ちょっと口角を上げた表情を浮かべて。

 

「そうか……うん、遠慮するわ」

「じゃ、そうね…まずは……って、はぁ!?え、今遠慮するって言った!?」

「言ったな」

「何で!?ちょっ、今のはどう考えたって首肯する流れでしょ!?むしろ断る理由がないのパターンでしょ!?」

「えー、だってほら…スプーンで指されてるし……」

「どんだけ繊細なのよ!あんた絶対こんなの気にも留めないでしょ!目に付いたから適当に言っただけよねぇ!?」

「……篠夜、周り周り」

「周り?今度は何……って、あ…」

 

わーきゃー叫んで憤慨しまくる篠夜。予想通り、いや予想以上の反応を一通り俺は楽しんで…そろそろ十分かなと思って、また周りに注目されている事を教えてやった。んで、篠夜がどうなったかって言うと…言うまでもないよな、うん。

 

「後で覚えてなさいよ……」

「ははっ、心配しなくてもオーバーリアクションしまくった挙句悪目立ちして、尚且つ体力も尽きかけた篠夜の姿は忘れねぇよ」

「…………」

「おう、何フォークで刺そうとしてきてんだこら…!」

「スプーンで指されるのが嫌なら、こっちで刺してやろうと思っただけですけど…!」

「さすの意味が変わってんじゃねぇか……!」

 

再度テーブルに突っ伏したままフォークを突き出してきた篠夜と、寸前で手首を掴んで押し留める俺による、謎の攻防。もうどう考えても喫茶店でやる事じゃねぇが…てか、このままいたら流石にこの店に迷惑か……今のままでも迷惑になってる可能性は大いにあるが…。

 

「…ふん…あたしやっぱあんたの事嫌いだわ……」

「そうか、俺はそうでもないぞ」

「今更取り繕おうとしても遅いわよ…」

「いやいや取り繕いじゃねぇって。だって篠夜程弄り甲斐のある奴は中々……って、だから刺そうとするなっての…しかも今度はナイフじゃねぇか…!」

 

再び突き出されたカトラリーを防ぎ、俺は若干の冷や汗をかきつつ篠夜に突っ込む。…妃乃並みに弄り甲斐があるが、ほんと反応がいちいち危ないんだよな篠夜……まぁ、だからって弄るのを止めるつもりなんざ微塵もないが。

 

「ちっ…一回位は刺されなさいよ……」

「傷害事件になるだろうが…悪かったな、色々ふざけて」

「……悪いと思ってる訳?」

「反省はしてないが悪いとは思ってる」

「あっそ……次やったらその時は霊力ナイフでいくから」

「殺す気か…!……はいはい、気を付けますよ…」

 

そんなこんなで数分後、俺に遅れる形でパフェを完食した篠夜と共に俺はレジへ。店員さんは別段怒ってる様子はないが…一応ぺこりと、頭を下げる。

 

「伝票これです。会計お願いします」

「え?ちょっ、あんた……」

 

紙幣で支払い、お釣りとレシートを受け取り、なんて事なくそのまま外で。そして「さて、それじゃあどこへ行くのやら…」と思ったところで、後ろにいた篠夜から声をかけられた。

 

「…格好付けたつもり?」

「ん?…ま、一応俺も男だし…そんなところだな」

「……あ、そ…」

 

恩を売るつもりはねぇし、別に深い意図もない。ただ何となくそうしようと思ったからそうしただけの事で、だから格好付けたのかという問いに対し、俺は否定をせずに終了。

そうして当初の目的を終えた俺達は、お互い相手に付き合う形で街の中をぶらつき始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「……だったらあたしも一応、言っておくから。…ありがと」

「あいよ」



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第百十五話 楽しかった、だからこそ

「くっ…俺はもう、駄目みたいだ…篠夜、俺の事は気にせず先に……」

「あ、うん。言われなくてもそのつもりだから」

「……ノリ悪いなぁ…」

 

だらんと銃を持つ腕を垂らし、血も涙もなさそうな顔で標的を撃ち抜き続ける篠夜へと俺は文句をぶつける。……が、別に今は戦闘中でもなければ、何かに襲われている訳でもない。今俺と篠夜がいるのは…ゲームセンター。

 

「よっし、次…!」

 

ゲームセンターに銃、というだけで分かるとは思うが、やっているのはガンシューティングゲーム。言葉通りにゲームオーバーとなった俺を軽くスルーし、篠夜は次のステージへと挑戦していく。

 

(…楽しんでんなぁ……)

 

引き金を引き標的を蹴散らしていく篠夜の表情は、普段の様子からは想像もつかない程に明るく楽しげ。…一応篠夜の名誉の為に言っておくと、篠夜はゲーセンに来た時点から結構楽しそうだったのであり、別に蹂躙衝動があった…とかではない(と思う)。

 

「……なぁ篠夜」

「何?」

「見てるだけってのもアレだから、後ろから邪魔してもいいか?」

「いいけど蹴るわよ?後セクハラされたって通報するわよ?」

「……なんか飲み物、買ってきますわ…」

 

幾らボケがボケだからって、反応がマジ過ぎる。活字じゃ分からないと思うが、今の篠夜はちょっとでも邪魔しようものなら即座に後ろ蹴りからの通報コンボを決めてきそうな声音だった。

という訳で、二種類のジュースを買ってきた俺。あんまりゆっくりしていたつもりはないが…戻ってきた時、篠夜はゲームを終えていた。

 

「ほらよ、どっちか選べ」

「…じゃ、林檎で」

 

俺が缶を差し出すと、篠夜は素直に片方を選択。プルタブを開け、口元へと運び、中のジュースをぐっと一口。

 

「…ふぅ……」

「クリア出来たのか?」

「最終面で失敗した」

「そうか、惜しかったな」

 

もう片方のジュースを飲みつつ口にした質問に対し、返ってきたのは簡素な反応。だがそこに若干の悔しさはあれど不満さは感じられない辺り、満足自体は出来たらしい。

 

「…これ、幾らだった?」

「あー、代金なら要らねぇよ。どうせ高かった訳でもないしな」

「そう、なら次行くわよ。ほらさっさと飲んで」

「一息位ゆっくりつかせろよ…」

 

空調が効いていても尚感じるゲーセンの熱気と熱中による体温上昇で多少汗をかいていたのか、割と早くジュースを飲み干した篠夜。その篠夜に急かされて俺もジュースを飲み干し、そさくさと次のゲームへ。

 

「…フリースローゲーム?…篠夜が?」

「何か言いたい訳?」

「三投位でバテるんじゃね?」

「失礼ね、ワンゲーム位は普通に出来るわよ」

「うん、『ワンゲーム位は』の時点でアレな気はするけどな」

 

軽口からの突っ込みを間に挟んで、俺達はフリースローゲームを開始。別にこれは描写するような点も無かったから飛ばすが…俺はまずまずの結果、篠夜は酷い結果だった。それはもう、外れまくっていた。

 

「これだから画面上じゃないゲームは……」

「罪もないゲームをdisるなよ…後自分でこれやるって決めたんだろうが……」

「ふん、まぁいいわ。やってみたかっただけだし」

「はいはい…次は何やるんだ?」

「そうね…じゃ、映画で」

「映画?」

 

不満を零しつつも言う程荒れていない様子の篠夜が次に選んだのは、ゲームではなく何と映画。全くもって脈絡のない言葉に、一瞬嘘かと思ったが……どうやら篠夜は本気らしい。

 

「何か見たい映画があるのか?」

「見たいものなしに映画館なんて行かないでしょ普通」

「んまぁ、そらそうだが……」

「あ、先に言っておくけど映画館の中じゃあたしのすぐ隣には座らないでよ?カップルだと思われたら嫌だし」

「へいへい…(こうして並んで歩いてる時点でアウトじゃね?…ってのは言わない方がいいんだろうなぁ…)」

 

それから俺達は携帯で調べた近くの映画館へと向かい、間に一席挟んで視聴。見た映画は最近CMでもやっていたからその存在を知ってはいたが……ポップコーンの味と結構真剣に見てる篠夜の横顔しか思い出せない辺り、俺の趣味には合わなかったんだろう。

 

「ふぁぁ……」

「がっつり寝てたわね、あんた…」

「いやいや寝てねぇって、寝てたから思い出せないとかじゃねぇよ」

「それ誰に対して言ってんのよ…にしても、寝てるあんたの顔は見ものだったわ」

「なんだ、映画より俺の顔見てたのか。年頃なんだなぁ篠夜も」

「な…ッ!?ば、馬鹿な事言ってんじゃないわよ馬鹿!あたしは偶々見ただけ!誰があんたの顔なんか…!」

 

思った以上に強く反応し、怒りからか顔を赤くして否定する篠夜。…なんか俺、段々篠夜が冷めた顔でスルー出来るネタと真に受けるネタの区別が分かるようになってきたかもしれないなぁ…。

 

「最悪……ほら、折角の気分を台無しにしたんだから残りのポップコーン処理しちゃってよ。どうせあんたはまだ食べられるんでしょ?」

「そりゃ食えるが…捨てはしないんだな」

「目覚め悪いじゃない、まだ食べれるのにそのまま捨てるなんて」

「…そうだな」

 

二割程残ったポップコーンを受け取り、ささっと俺は口に運ぶ。そして食べ物を大事にしつつも自分の物を他人に食べさせるという、立派なんだかそうじゃないんだかよく分からない姿勢を見せてくれた篠夜は、俺が食べている間携帯を弄っていた。

 

「ご馳走さん、っと。次はどうするんだ?まさか映画館の梯子はしないだろ?」

「する訳ないでしょ。次は洋服……」

「…洋服?」

「……やっぱこれは無しで。流石にあんたじゃね…」

「酷い言いようだな…反論はしないが」

 

そんなやり取りをしながら俺と篠夜は映画館の外へ。どうも次の目的地は決めかねているらしく、暫くはぶらぶらと散歩をしているような形になった。

 

「……あれ?」

「どうかしたか?」

「いや…ここ、ゲームショップじゃなかった?」

「ん?あぁ…ここにあったゲームショップは大分前に閉店したな」

 

その最中、ある土地を見て首を傾げた篠夜。確かにそこには昔、ゲームショップがあったが…今は単なる駐車場。俺達若者からすれば、何も嬉しくない変化である。

 

「そう…まさか知らない間にゲームショップが駐車場になっちゃってるなんてね…」

「…正しくはゲームショップから靴屋になって、そこも閉店して駐車場になった、だけどな」

「え?……時代の流れって、容赦ないのね…」

 

靴屋、ではなくゲームショップと言った時点で薄々予想はしていたが、篠夜のここに対する認識はかなり前で止まっているらしい。…時代の流れは容赦ない、か…まさかこんなところでそんな言葉を聞くとはな……。

 

「ゲームショップも靴屋も、ネットショッピングの波には勝てなかったのさ…」

「…何その演技してます感ありありの態度」

「いや、別に…(緋奈や御道なら乗ってくれるんだけどなぁ…って、篠夜にそれを求めるのもお門違いか……)」

 

靴屋の段階ならともかく、駐車場に見所なんてある筈もなく俺達はまた歩き出す。その内に篠夜が言い出したのは、近くの山に登りたいというこれまた篠夜らしからぬアグレッシブな要望。

その山は別段有名でもなきゃ標高が高い訳でもない、言ってしまえばありふれた山。ある程度までは普通に道も舗装されているという事で、まぁいいかと俺は首肯したんだが……

 

「はぁ…はぁ…ふぅ…はぁ……」

「…………」

 

まあまあ早い段階から、当の篠夜がご覧の有様だった。坂とはいえ、舗装されている道でこの疲れよう。もし本格的な登山をしていたとすれば……最悪救助隊のお世話になっていたかもしれない。

 

「…大丈夫か?」

「だ、大丈夫…よ…見縊ら、ない…でよね……」

「見縊るも何も…はぁ……」

 

手を貸しても休憩を提案しても文句を言われる。そう感じ取った俺は、転んだ場合に備えて注意しつつも黙って篠夜の好きにさせる事を選んだ。

そうして数十分後。それなりに景色の良い山の中腹、俺一人なら今の半分程度の時間で着いていたであろう場所で、漸く篠夜は足を止めた。

 

「つ、着いたぁ……」

「着いたも何も、本格的にキツいのはこっから先なんだけどな」

「うっさい…あたしは、ここまで登れれば…それで十分なのよ……」

「へいへい。…良い風が吹くな、ここ」

 

街中に比べれば高い上に開けたこの場所は、適度に涼しい風が吹き抜けて凄く気持ちが良い。それは思わず頬が緩んでしまう程で、篠夜も心地良さげな表情を浮かべながら近くのベンチに腰を下ろした。篠夜の場合、疲れてる分余計にこの風が心地良く感じられるんだろう。

 

「…………」

「…………」

「…景色も、良いわね……」

「そうだな。綺麗って訳じゃないが…見晴らしが良いってのはいいもんだ」

 

「良い」と「いい」が被ってしまったが、俺は詩人でも特別ボギャブラが豊富な訳でもないんだから咄嗟にこうなってしまうのは仕方ない。

 

「ここまで来た甲斐があったわ」

「…年寄り臭いぞ」

「風情を感じられないからそう思うのよ」

「じゃ、具体的にどんな感じなんだよ風情って」

「…………」

「聞こえてないフリすんなよ……」

 

疲労からか切れ味の落ちた毒舌に言葉を返しつつ、篠夜の座るベンチの隣に立つ。

軽口はともかく、篠夜が来て良かった…と思っているのは確かだろう。少なくとも、篠夜の声音からはそういう感情が伝わってくる。…だから、俺は数拍置いて静かに言う。

 

「…満足、出来たか?」

「…満足?」

「楽しめたか、って事だ。…篠夜、出掛けたかったんだろ?」

 

…それは、初めから気付いていた訳じゃない。今日一日の中で少しずつ感じて、そうなのかもと思って、漸くここで直接訊ける位の感覚になった、篠夜の思いに対する予想。

否定するか、黙り込むか、或いはそもそも俺の勘違いか。訊いてからの数秒間で、俺は考え……俺が待つ中、篠夜はゆっくりと首を縦に振った。否定でも、黙秘でも、勘違いでもない……肯定を、した。

 

「……えぇ、楽しかったわ。あんたに嵌められた時は本気で不愉快だったけど…それでも、楽しかった」

「…なら、良かった」

 

俺が相談をした時に近い、だがその時以上に静かな声で答えの言葉を返した篠夜。俺も篠夜も向き合わず、ベンチとその隣から景色を眺める中で篠夜は続ける。

 

「あたしは、好きで引き籠ってる訳じゃないのよ。外に出たくなくて、いつも部屋にいた訳じゃないのよ」

「…部屋でも、そんな事言ってたな」

「そういえば、そうだったわね……あたしの家族は、碌に外に出られないあたしの事を心配してくれたし、気にもかけてくれた。今だってそれは変わらなくて、それをありがたいとも思ってる」

 

良い風に吹かれてその気になったのか、疲れで心が緩んだのか、それとも最初から話すつもりだったのかは分からないが、篠夜は一人話し出した。ちらりと横を見ると、そこでは篠夜が遠い目で……けれど景色は見ていないような目で、広がる景色を見つめていた。

 

「…けど、皆あたしの事を思ってはくれても、理解はしてくれなかった。あたしの幸せを考えてはくれたけど、あたしの思う幸せの応援はしてくれなかった。…なんでだと思う?」

「……仲良く、ないのか…?」

「そんな事はないわ、さっきも言ったけど心配してくれてるし。……皆、あたしはちゃんとした判断が出来ないって思ってるのよ。外に出られないから、普通の霊装者…ううん、普通の人みたいに生活出来てないんだから、狭い見識でしか世の中を見られてないって。…だからいつも、否定されるわ。そんな生活してたら駄目になるぞ、ってね」

 

憂いを帯びた、篠夜の横顔。何歳なのかは知らないが…とても年下には見えない、普通の十代だったら浮かべる事すらないような、そんな顔を篠夜はしていた。

 

「…そんな事は、ねぇだろ。そりゃ、篠夜は捻くれてるが…見識が狭いなんて感じた事はねぇし、俺でもそれは分かるんだから家族だって……」

「あるのよ、少なくともあたしの家族の中では。あたしの家族は、あたしの事をそう思ってる。…厄介よね、無知だとか見識が狭いだとか思われるって。だってそう思われてる限り、何を言っても『そう思うのは知らないからだ』って処理されるんだから」

「…それは……」

「…そうよ。あんたに言ったのは、あたしの体験談。だから、そうね…あの時のあたしは、ちょっとだけあんたと妹さんに自分と家族を投影していたのよ」

 

言いかけて止まった俺に頷いて、篠夜はあの時の真実を語った。

それは、決め付けじゃないか。…言いかけたのは、そんな言葉。俺が緋奈に向けていたのと同じ、勝手な思い。相手の見識が狭いと言いつつも、実際に狭くなっていたのは自分の視界だっていう、酷く身勝手な思いの押し付け。…あぁ、だからあの時の篠夜は…悲しそうな顔だったのか。

 

「…あんたは、良い奴よね。ちゃんと自分の決め付けに気付いて、自分でそれを取っ払って、妹さんとまた話し合いをしたんだから」

「…そうでもねぇよ。俺は気付いたんじゃなくて、気付かされただけだ。篠夜と話してなかったら、きっと俺は気付かないままだった」

「でも、今は違う。気付かないままと、気付くのとじゃ差は歴然よ。例えそれが、自分一人で気付いたものじゃなくてもね」

 

そこまで言って篠夜は一度話を区切り、俺に向けて小さく笑う。

あの篠夜が、俺を良い奴だと言って、俺に対して笑みを浮かべた。…だから、伝わってきた。篠夜にとってそれが、どうにもならない家族との不理解が、どれだけ心の重荷なのかを。

本来家族ってのは心を許せる、心の安寧を得られる相手なのに、その相手に理解されないとしたら……そんなのは、辛く悲しいに決まってる。

 

「…篠夜……」

「…悪いわね、ここまで付き合わせた挙句、面白くもない話をしちゃって」

「…そんな事で謝んなよ。俺は別に……」

「でもね、いいの。あたしは協会に今の生活を保証されてるし、この生活も結構気に入ってるし。それに…久し振りに今日は、出掛ける事も出来た。…だから、いいの。あたしは今のままで…このまま、何も変わらなくたって」

 

小さく勢いを付けて、立ち上がる篠夜。休んだからかさっきよりも足取りは軽く、声音も自分の事を語り始める前と同じトーンにまで戻っていて……なのに浮かべる笑顔は、これまでで一番悲しそうだった。辛くて、悲しくて…けれどもう諦めてしまった、何とかしようという気持ちも擦り切れてしまった人間の浮かべる、喜びなんて何もない笑顔。

──嗚呼、俺は知っている。その悲しい笑顔を。俺には分かる。その笑顔を浮かべる人間が、心の中に抱く気持ちを。だって、それは…その笑顔は……

 

「…ほんとに、良い景色よね。あんたには…普通の人にはなんて事ない景色なんだろうけど、あたしにとっては本当に良い景色に見えるの。…風情とか、そういう話じゃなくってね」

 

ベンチの前、崖の側にまで歩いていった篠夜は手摺に手を置き広がる景色に思いを馳せる。…篠夜にとっては、景色そのものよりも『外で景色を見る』という行為そのものに意味があるんだろう。部屋の中やTVで見るんじゃない、景色も空気も気温も全てをひっくるめて、「良い景色」だって言ってるんだ。

そして、そんな篠夜は振り返った。視線を景色から俺に向けて、その悲しそうな顔を俺に見せて。

 

「…ありがと、今日は付き合ってくれて。今日は色々楽しかったけど、やっぱりそれはあんたがこうして付き合ってくれたおかげよ。だからあんたには…感謝してる」

「……っ…篠夜、俺は……」

「…ねぇ、最後に聞かせてよ。あんたは…あんたは、今日一日楽しめた?それともやっぱり、気分悪かった?」

 

そんな表情は見ていられない。…その思いで言いかけた言葉に被せるように、篠夜は俺に訊いてきた。楽しかったか、と。

まさか、そんな事を訊かれるとは。あの篠夜が、俺の気持ちを気にするとは。……なんて事は、微塵も思わなかった。そして、俺は……楽しくなかったなんて、気分悪かったなんて…思う、訳がない。

 

「…俺も楽しかったよ。篠夜が楽しんでいる姿を見るのは悪い気分じゃなかったし、篠夜がどう思っているかは知らないが…俺はそもそも、篠夜との会話をいつも楽しんでるんだからな」

「…そ、っか…それなら、あたしも良かった……」

 

今日も、散々篠夜には毒を吐かれた。何から何まで全て楽しかった…とはとても言えない。だが、何もかもとは言えないのは緋奈や妃乃と出掛けたとしても同じ事で……例えマイナスな事があったとしても「良かった」と断言出来る程、俺は今日一日楽しめた。楽しんだし、楽しませてもらった。…勿論、一番の理由は借りを返すって事だが…それだけだったら、目的を達成した後も一緒にいようだなんて思わない。

そして、俺の答えを聞いた篠夜は……笑った。これまでの悲しそうな笑みではない、ほんの少しだけど嬉しさを感じさせる笑みで。

篠夜の顔から、あの表情が消えた。別の…もっと明るく温かい表情にする事が出来た。それが、俺にとっては嬉しく、また安堵も出来て……だが次の瞬間、俺は何か変だと感じた。

 

「……篠夜?」

 

俺が違和感を抱いたのは、言葉のおかしさ。言葉が止まった時、俺はそこで言い切ったんだと最初思ったが……違う。それは篠夜が自分から言い切ったんじゃなく、篠夜の意思関係なしに途切れていた。

それだけじゃない。いつの間にか…いや、ほんの一瞬の内に、篠夜の表情は強張っていた。そして……

 

「……っ…ぅ、ぁ…」

「篠夜……おい篠夜!」

 

ふらり、と酷い目眩に襲われたが如くふらつく篠夜の身体。しかも運の悪い事に篠夜が今いるのは崖のすぐ側で、手摺は精々腹部の辺りまでしかない高さ。

不味いと思った。前や横ならいい。良くはないが、それなら精々擦り傷や打撲で済むのだから。だが、後ろは…後ろだけは不味い。絶対にそっちだけは、手摺を超えて倒れる事だけは、あってはならない。だが……最悪の事態は、いとも簡単に現実となる。

 

「……──ッ!」

 

気付けば俺は、駆け出していた。十歩にも満たないであろう、数秒もかからないであろう距離を、全力で、一心に。

それでも、間に合わない。数秒にも満たなくても、一瞬よりは長過ぎる。一瞬の出来事相手じゃ、時間が足りな過ぎる。そしてそんな現実を突き付けるように、一際大きくふらついた篠夜は──崖の外へと、落ちていった。



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第百十六話 俺は必ず力になる

落ちていく篠夜へ、俺は手を伸ばした。一心不乱に手摺へと飛び付いて、身を乗り出して手を伸ばした。間に合うかどうかとか、何が起きたんだとか、そんなの関係なしに……篠夜を助ける事しか、頭になかった。

手を伸ばしながらこのままじゃ届かないと直感的に悟った俺は、手摺の格子に足を引っ掛け限界まで身体を乗り出す。そして、乗り越えた際半回転していた篠夜の左手首を……掴む…ッ!

 

「……──ッ!」

 

握った右手が手首を捉えた瞬間、俺は安堵しかけ……そんな気持ちを掻き消すように、激しい衝撃が全身に走った。

 

「ぐ、ぅ……ッ!」

 

身体が下へと引っ張られ、引っ掛けた足が滑りそうになり、手摺に触れている部分に大きな負担が襲いかかる。

部屋で篠夜をベットに運んだ時感じたが、篠夜は見た目通り軽い。多分緋奈より軽いと思う。…が、それでも片手…それも不安定な姿勢で支えるにはキツ過ぎる重さで、加えて落下の衝撃も初めにかかった。そのせいで俺は、とても踏ん張れるような状態じゃない。

 

「篠夜!篠夜ッ!…くそっ、やっぱり気を失ってんのか……!」

 

大声で呼びかけてみるが反応はなし。篠夜は全く動かず、力が入っている様子もない。…意識がないのは、明白だった。

両手で篠夜を掴みたいところだが、左ストッパーの様に手摺に当てている左手を離そうものならほぼ確実にバランスが崩れる。だが今の姿勢で引き上げる事もまた困難で、篠夜が目を覚ますまで耐える…なんざ論外の選択。

 

(……っ…駄目だ、このままじゃ俺も落ちる…!こうなりゃ仕方ねぇ、多少危ないが霊力強化で……)

 

このまま引き上げるのは無理、耐えるのも非現実的で、諦めて手を離すってのは……そもそも選択肢ですらない。となれば俺も落ちて自己犠牲のクッションになるか、霊力で身体能力を上げて引き上げを試みるかのどっちかで…選ぶんだったら当然後者。そう考えて俺は霊力を全身に回し、引き上げるべく歯を食い縛ろうとした……その時だった。

 

「千㟢悠耶!後数瞬、そのままの状態を維持するんだッ!」

「……ッ!?」

 

背後上方から不意に聞こえた、鋭い声。突然の事に俺が固まった次の瞬間、装備を纏った二人の霊装者が現れた。

一人は俺の身体と篠夜の左腕を素早く掴み、もう一人は篠夜の後ろに回り込んで腰を保持。そこから両名はスラスターの出力を上げる事で篠夜を浮かび上がらせ……ゆっくりと、さっきまで座っていたベンチへ運んで寝かせた。

 

「……あんた等、一体…」

 

俺も身体を引っ張られた事で、篠夜より一足先に着地。そして、二人が篠夜から離れたところで口を開く。…勿論、俺も篠夜もこの二人に助けられた訳だが……あぁ助かった、ありがとうございます…なんてすぐに言える程、俺の精神は単純じゃない。

 

「…彼女から聞いていないのか?」

「えぇ、何も」

「そうか…我々は彼女の護衛だ。予言者の身に何かあっては一大事だからな」

 

俺の発した言葉に対し、二人の内年上らしき方の男性が反応。護衛という事は、恐らく…今日一日、ずっとどこかで俺達の事を見ていたんだろう。

 

「…普段から、篠夜の周りには護衛が?」

「いいや、護衛が付くのは外出時のみだ。理由は……いや、これは我々が勝手に話す事でもないか…」

「そうっすか……感謝します。俺一人じゃ、篠夜を助けられなかったかもしれません」

「それが任務だ、気にするな。むしろ我々こそ、もっと素早く救出に入れなかった事を謝罪しよう」

「いや、別にそれは謝罪される程の事じゃ……」

 

二人が何者なのかは分かった。重ねた質問にも答えてくれた。だから疑問に区切りを付け、二人に向けて礼を言う俺。すると返ってきたのは何ともお堅い言葉で、それに頬を掻きつつ俺は返答しかけて……その瞬間、ぴくりと篠夜の身体が動いた。

 

「……ぅ…」

「……っ!篠夜、大丈夫か?」

「……ぇ…?…あ……そっか、あたし…」

『…………』

「…迷惑、かけたわね…それに二人も……」

「お気になさらず。…では、我々は下がるとします。何かお身体に不調があれば、すぐにご連絡を」

 

ぼーっとした顔で起き上がった篠夜は、俺達三人の顔をゆっくりと見回した後自分が気絶していた事を理解した様子。その反応で大丈夫だと判断したのか、二人の護衛は立ち去っていった。…が、それはあくまで気付かれない距離に戻っていっただけだろう。

 

「…どこか、痛んだりしないか?」

「大丈夫よ…大方想像はつくけど、何があったか話してくれる……?」

「…あぁ」

 

脚をベンチから降ろし、普通に座る姿勢になった篠夜は力無い声で気絶中に起きた事を訊いてきた。一瞬、軽く倒れただけ…と誤魔化す事も考えたが、目撃したのは俺だけじゃない。それに何だか俺は誤魔化しちゃいけないような気もして……何一つ隠す事なく、事実を篠夜へと伝えた。

 

「…………」

「…………」

「…ごめんなさい、あたしのせいであんたまで危険な目に遭わせて……」

「…気にするな、とは言わねぇよ。けど危険を冒したのは俺自身の意思だし、そもそも篠夜だって好きで気絶した訳じゃねぇだろ?なら、篠夜の責任なんざ殆どねぇよ」

「…そんな事ないわ…あたしが崖の側になんて行かなければ…ううん、用事を終えた後すぐに帰れば、そもそも出掛けたりしなければ…こんな事は、起きなかった…」

 

ふるふる、とゆっくり首を横に振る篠夜。俯く篠夜の顔に浮かぶのは、罪悪感と後悔の感情。

 

「…それは言い過ぎだろ。気絶を想定してなかったから駄目だ、なんて無茶苦茶もいいところだ。…違うか?」

「…ありがと。でも…違うわ。だってあたしは…これは、想定出来る事だもの」

「は……?」

 

負い目を感じている時、人は過剰に悪く考えてしまうもの。今の篠夜もそうなんだろうと俺は考えた。

だが、篠夜ははっきりと否定した。感情的ではなく、冷静に『想定出来る事』だと、言い切った。

 

「…どういう、事だよ」

「どうもこうも、そのままの意味よ。…初めて会った時も、あたしは一度意識を失ったでしょ?あの時も今も、理由は同じ」

「理由は同じ……?」

「えぇ。あたしは予言という形で未来を知る事が出来る。けど、それは任意のタイミングで使える訳じゃないし……能力発動時、あたしは意識を失う事になる。──つまり、そういう事なのよ」

 

 

 

 

それから俺と篠夜は、双統殿へと戻った。双統殿にはもう配送を頼んだ棚が届いていたが……今は俺も篠夜も、それを部屋に設置するような気分じゃなかった。

 

「……本当に、悪かったわね…迷惑かけて、その上でここまで送ってもらって…」

「あんな事言われた後、一人で帰らせられるかよ…」

 

自分の意思とは関係無しに、勝手に発動して勝手に意識を奪われる能力。…そんな事を聞かされたら、篠夜を一人に出来る訳がない。…それは例え、護衛がいると分かっていても。

 

「…やっぱり、分不相応な事はするべきじゃなかった…ごめんなさい、本当に……」

「分不相応って…まさか、出掛けた事を言ってんのか…?」

「だって、そうでしょう?あたしはいつ能力が発動するか分からないから、いつ気を失うかも分からない。道を渡っている途中に、橋を渡っている途中に気を失う可能性だってあるから、一人で外には出られない。…なのに、それが分かってるのに、あたしはあんたを誘って、この事を伝えもせずにのうのうと遊んでたから…だからきっと、バチが当たったのよ…」

 

部屋に戻ってから…いや、帰る間もずっと篠夜は俯いたまま。それ程に負い目を感じているのか、後悔しているのか……それとも俺と、目を合わせられないとでも思っているのか。

 

「ふふっ、笑えるわよね…そうまでして、あんたにこんな迷惑かけてまで見えたのは、今日特筆する点もない魔物がうちの部隊に討伐されるって事だけだもの。あーあ、こんなの全然割りに合わない…」

「…篠夜、あんまり自分を卑下は……」

「するなって?したくなるわよ、こんなの。予言者だなんて呼ばれてるけど、実際はこのざま。いつ見えるかも、何が見えるかも分からないから実用性なんてまるでないし、その癖デメリットは大きいし、挙句あたしは碌に外にも出られないし。こんな使い勝手の悪い能力、卑下でもしなきゃやってらんないっての…」

 

突然調子が戻る篠夜。いつもの捻くれた発言を口にする篠夜。…だが、違う。声の調子は戻っているが、声音に宿る思いは普段の篠夜のものじゃない。発されている言葉は、いつもの篠夜の毒舌じゃない。

 

「…悪い事ばっかりじゃねぇだろ。そもそも本当に役に立たない能力なら……」

「こんな扱いされてない、って?そうね、それは確かにそうよ。…でもこの扱いをされる限り、あたしはこの碌でもない能力の事を意識させられざるを得ない。これがあたしの能力だって、あたしはこれと付き合っていかなきゃいけないってね」

 

篠夜の言葉は、篠夜の感情の…内に秘める思いの吐露に聞こえた。だから俺はフォローをしようとした。そんな事はないだろう、と。

だが、篠夜にそれは届かなかった。簡単に言い返されてじった。…だが、考えてみればそれは当然の事だった。今日聞いたばかりの俺が、何年も能力と付き合ってきた篠夜以上の理解をしている訳がないのだから。

 

「…まぁ、いいのよ別に。どうせこんなの今に始まったことじゃないもの。今日は特にタイミングが悪かっただけで、もう慣れっこだから」

 

……だが、能力やそれに纏わる環境についてはまだまだ理解が足りなくても、俺には分かっている事がある。伝わってくる思いがある。

 

「それに、高望みなんかしなきゃむしろ優雅なものよ。協会が生活を保障してくれるんだから。今のご時世外に出なくたって欲しいものは手に入るし、結局のところ外の空気も景色も全部気分の問題な訳だし、この生活が自発的に何かしなくても続くって思えば、この能力もそこまで捨てたもんじゃないわ」

 

言葉を、皮肉を篠夜は並べ立てる。俺の反応を聞かず、待たず、ただただ一人で。

理解出来た。伝わってきた。篠夜の気持ちが、篠夜の思いが。俺には…俺だからこそ無視出来ない、痛い程に分かる心が。だから、だから俺は……

 

「…ほんと、高望みさえしなきゃそれで万事解決なのよ。今も受け入れれば、そんなものだって思えば、能力も、外に出られない事も、家族の事も…全部、全部……」

 

 

 

 

「──違ぇだろ、篠夜」

 

──俺は、言う。静かに、だがはっきりと言葉に思いを込めて…否定する。

 

「…違う?何が違うってのよ」

「何もかももだよ。…心にもない事言うなよ、篠夜」

「……何それ、あたしが嘘吐いてるって言いたいの?」

「誤魔化してるって言ってんだよ」

「……っ…あたしが、誤魔化してる?誰に、何をよ?…バッカじゃないの…」

 

一瞬言葉を詰まらせ、すぐに吐き捨てる篠夜。そんな篠夜の姿が……やっぱり俺は、見ていられない。放っておけない。

「馬鹿で構わねぇよ。篠夜の力になれるならな」

「だから…さっきからあんたは何が言いたいのよ!力って、あたしが強がりを言ってるとでも思ってんの!?ならそれは大間違いもいいところよ!あたしは本当に、もう能力も今のあたしにも慣れっこだって……」

 

 

「……だったら、どうして…篠夜はずっと、辛そうな顔のまんまなんだよ」

「……──ッ!」

 

びくりと肩を震わせ、完全に言葉が途切れた篠夜。それから篠夜は唖然とした顔で頬を触り……その指先が、目尻に浮かんだ涙に触れる。

 

「……う、そ…なんで……」

「…無理、すんなよ。辛いんだろ?本当は」

「違う…違うわよ!あたしはもう慣れてんの!生まれつきこの能力があって、もう十年以上この生活をしてるのよあたしは!なのに今更、どうして辛いなんて思わなきゃいけないのよ!」

「それは、慣れなんかじゃねぇよ。どうしようもねぇから、どうにもならねぇから、心が諦めちまっただけだ。諦めて、それが現実だって思えば、辛さがより酷くなる事はないんだからな」

「……っ…分かったような事言わないでよ…あんたに何が分かるっての!?あんたとあたしは所詮、何度か会っただけの関係でしょ!?今日だって借りを返した延長線なだけの事でしょ!?そんなあんたが、あたしの何を分かるってのよ!」

「…分かるさ、俺だって……俺にはただ命令に従って戦う以外の人生なんてないって、ずっと諦めてたんだからな」

「……っ!」

 

分かる訳がない。その通りだ、俺は篠夜の事をほんの一部、ほんの一面しか知らないんだから。だが、篠夜の事は知らなくても……篠夜の抱く辛さは分かる。分かるからこそ…俺は、言葉を紡ぐ。

 

「昔の…生まれ変わる前の俺は両親が誰なのかも分からない、軍属の霊装者としての生き方以外は何も知らない奴だった。だから、他の生き方に興味を持つ事もないだろうとは思ったが…どういう訳か、気付いたら俺は願ってたんだよな。…もっと違う生き方が、出来てたらって」

「…じゃあ、それが……」

「あぁ、奇跡に手を伸ばした理由…ってなら、きっとそれだろうな。宗元さんや部隊の仲間は俺に良くしてくれたし、戦うだけの人生たって楽しい事の一つや二つはあった。……それでも俺は、普通の生活を望んだ。慣れてた筈なのに…そのまま、これが俺の人生なんだって受け入れる事は……出来なかったんだよ…」

「…………」

「だから、何度だって言うぞ篠夜。篠夜の辛さは、辛いって思う気持ちは……俺にとっちゃ、自分の事みたいに分かるんだよ」

 

我ながら、勝手だと思う。いきなり自分語りを始めて、それを篠夜の経験と同一視して、それで『分かる』だなんて…俺は何様だって話だ。…そう、思いはするが…だからって、止めたりなんかするもんかよ。

 

「……何よ、それ…そんなの、あたしよりも辛いに決まってるじゃない…そんな事言われたら、あたし…本当に馬鹿みたいじゃない…」

「どこがだよ。辛さは人と比較するもんじゃねぇし、いつも手が届きそうで届かない篠夜の辛さは並大抵のもんじゃないだろ」

「……なら…なら本当に、分かるって言うの…?あたしの気持ちが…あたしの、思いが…」

 

一番辛いのは絶望の中に居続ける事じゃない。一番辛いのは、希望が見えた上で、絶望へと落とされる事。諦めたくても希望ちらついて諦め切れない、なのにその希望には届かない…それを自分の経験に当て嵌めた時、俺はぞっとした。色々あったとはいえ、今が幸せだからこそ……考えると、怖くなる。

その思いが、表面だけの言葉じゃないって事が伝わったんだろう。篠夜はやっと、俺の言葉を聞いてくれた。否定から、自虐から、俺へとその手を伸ばしてくれた。…だから俺は頷いた。伸ばされた手を掴むように、力強く、はっきりと。

そうして訪れた沈黙。互いに何も発さない、静かな時間が訪れ、そして……

 

「……ふん、自分も似たような経験してるから分かるだなんて、自惚れもいいところじゃない。結局それって、ただの同情じゃない。あんたの魂胆なんて、バレバレだっての」

 

「ほんと、勘違いしないでよね、あたしにとっては全部今更、全部受け入れた後の事なのよ。外に出られないのも、理解してもらえないのも、それがずっと続いてる事も、そんなのは…全部、そんなのは…そんなの、は……」

 

「……そんなの…」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──辛いに、決まってるじゃない……ッ!」

 

瞳から涙を零し、絞り出すように胸の奥の気持ちを吐露する篠夜。その声は、俺に向けられていた。漸く、やっと……篠夜は俺に、本当の自分を見せてくれた。

 

「えぇそうよ辛いわよ、辛いに決まってるでしょ馬鹿…ッ!あたしだって普通に暮らしたい!普通に出掛けて、普通に買い物したり遊んだりして、のびのび暮らして、そんな自分を理解してほしい!もっと色んな景色を、移り変わりを自分の目で見てみたい!気兼ねなく生活したい!なんで、なんであたしはそんな普通の事が出来ないのよ!させてもらえないのよ!あたしが何かした!?こんな仕打ちを受けなきゃいけない事をしたっての!?どうして、どうしてあたしは……っ!」

「……なら、俺が手を貸してやるよ」

 

堰を切ったように溢れる篠夜の思い。不満と、怒りと、それに願い。こうしたかった、こうありたかったという…普通の人間には普通にある筈の、当たり前の日々への憧れ。それを口にしながら、吐き出しながらぽろぽろと涙を流す篠夜を……気付けば俺は、抱き締めていた。優しく、寄り添うように、両手で篠夜を抱き寄せていた。

 

「これからは、今日みたいにいつだって俺が付き合ってやる。どこにだって、一緒に行ってやる。篠夜が家族に理解してほしいなら、俺も一緒に話してやる。それなら、護衛の事を気に病む必要もなくなるし、こんな俺でも『今の自分を肯定してくれる人物がいる』って証明位にはなるだろ?」

「…なんで、あんたが…そんな、事……」

「そりゃ、俺が篠夜の思っている以上に恩を感じてるからってのもあるが……放っておけねぇんだよ、篠夜の事が。放っておけねぇし、このまま篠夜が辛い思いを抱え続けるなんざ許せない。それがどうにもならない現実だろうと…俺はそんなの、認めねぇ」

 

右手は篠夜の背に回し、左手は頭に置いて、篠夜への思いをそのまま伝える。細く華奢な、篠夜の身体。こんな小さな、頑丈さとはかけ離れた身体でそこまでの辛さを抱えてたなんて、それが宿命だと思わざるを得ない日々を送ってきただなんて……許容出来る筈がない。それを誰かが決めたってなら、俺は間違いなく言っている。ふざけんじゃねぇよ、って。

俺は篠夜の力になりたい。篠夜の辛さを少しでも和らげたい。その気持ちに…嘘偽りは、欠片もない。

 

「一人で抱え込むなよ篠夜。確かに予言の能力もそのデメリットも、篠夜一人にしかないものだ。けどだからって、篠夜が一人で抱えなきゃいけない事じゃないだろ。誰かが手を貸したって、それを受け取ったって、そんなの何も悪くなんてない筈だ」

 

腕の中の篠夜に向けて、言葉を続ける。手を貸してやるなんて言ったが、俺はデカい事を言える程立派な人間じゃねぇ。だから、正しくは……手を、力を貸してやりたいってだけた。

 

「…でも、あたし…あんたに何度も、辛辣な事言った…最初に会った時だって、先週だって、今日だって…迷惑ばっかり、かけてるのよ…?」

「辛辣な言葉はお互い様だろ、てか俺の方が大人気ない事言ってたような気もするしな。それに…言ったろ、俺も今日は楽しかったって。俺はお人好しじゃねぇからな。同情心とか、可哀想とか…そんな気待ちだけで、ここまでの事は言わねぇよ」

「でも…だけど……」

「いいんだよ、篠夜がどうこうじゃなくて、これは俺の気持ちなんだからよ。だからこの気持ちが迷惑だってなら、気色悪いなら、そう言ってくれればいい。だが、俺はどう思われようと、どれだけ難しかろうと……本気で篠夜の力になりたいって、思ってる」

 

もう、余計な説明は必要ない。今はただ、篠夜に思いを伝えるだけ。篠夜の思いに寄り添うだけ。実際にどこまで出来るかとか、周りからどんな目で見られるかとかは、どうだっていい。ただただ今は……篠夜の力になりたかった。

抱き寄せた篠夜の、表情は分からない。目線も合わない。だが篠夜には、気持ちが伝わっているような気がした。そして、数秒の沈黙の末……篠夜は、言った。

 

「……本当、に…?本当にあたしの、力になってくれるの…?あたしはあんたを頼っても…まだ、諦めなくても…いいの……?」

「約束するさ。必ず俺は……篠夜の、力になる」

「……っ…う、ぁ…ぁあ…うわぁああぁああああぁぁぁぁっ!!」

 

顔を上げ、縋るような…ずっと諦めていたものを、もう一度だけ信じたいという思いの籠った瞳で俺を見上げる篠夜。そんな篠夜の瞳を見つめ返して、はっきりと言い切った瞬間、篠夜の瞳はじわりと潤み……大粒の涙が、溢れ出した。声を上げ、俺の背中に回した両手で服を握り締め、残っていた悲しみ苦しみを全て吐き出していった。

そんな篠夜を、俺はただ、篠夜が落ち着くまでずっと抱き締め続けていた。



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第百十七話 これからも、何度でも

十分か、十五分か、或いはそれ以上か。…篠夜は、これまで一人で抱え込んできた辛い気持ちを全て吐き出すように、泣いて泣いて泣き続けた。涙を零し、嗚咽を漏らし、俺の胸元へと顔を埋めて。

そんな篠夜を、ずっと俺は抱き締め続けた。篠夜が安心出来るように。俺の気持ちが、嘘じゃないと示すように。そうして、時間は流れ……漸く篠夜は、落ち着いた。

 

「…もう、大丈夫か?」

「……うん…」

 

泣き止み、俺から離れた篠夜は、小さくこくんと頷いた。その姿はまるで小動物のようで、普段の小生意気な感じはどこにもない。

 

「…その…ごめんなさい、服汚しちゃって……」

「あー…うんまぁ、気にすんな」

 

しゅんとした篠夜の言葉に、肩を竦めつつ答える俺。篠夜が顔を埋めて泣き続けた結果、俺の服は涙と鼻水、後は吐息に含まれた水分によってそれはもうぐしょぐしょとなってしまっていたが……流石にそんな事で文句は言わない。俺だって、そこまで心は狭くない。

 

「…ドライヤー、あるから…もし乾かしたいなら、それで……」

「お、おう……」

 

その場合俺、服を脱がなきゃいけないよな?代わりの服はどうするんだ…?…と思ったが、言わずにそのまま胸の中へ。すると数秒無言になり、それからまた篠夜が言葉を発する。

 

「……本当、なのよね…?言った事は、全部……」

「…あぁ。何があろうと俺は、篠夜の力になってやる」

 

まだ潤みを感じさせる篠夜の瞳に向けて、俺は断言と共に力強く頷く。

信用ならないのかよ、とは思わなかった。十年以上も辛さを抱えてきたのなら、そう簡単に不安が拭えないのも当然の事。信じてたって不安の感情が消える訳じゃない、ただそれだけの事。

 

「…あ…ありが、と……」

「…おう」

「…………」

「…………」

 

俺の言葉にまた篠夜は泣きそうになって、だが耐えて、代わりに発した感謝の言葉。それにも俺は頷いて、また俺達は無言になった。

思いを吐露し、泣き、やっと落ち着く事が出来た篠夜。自分と重ね合わせ、放っておけなくて、力になる事を決めた俺。そんな俺達がお互い何も口にしない事で無言が生まれ、何かしらの行動もしない為に無言は続き、ただ俺達は向かい合っていて……

 

(…ヤバい、めっちゃ気不味い……)

 

……何とも言えない雰囲気が、出来上がってしまっていた。このままの時間が続くのは辛い、けれど何を言えばいいかは分からないし、これといってやる事も思い付かないという、誰かに助けを求めたくなるような状況。…ただ、幸いにもそれは篠夜も思っていたらしく……またまた篠夜の方から声を発してくれた。

 

「…ちょ、ちょっと…ちょっと廊下に出ててくれない…?」

「廊下って…そこの扉の先じゃなくて、完全に部屋の外へって事か?」

「そういう事……」

「まあ、そりゃ構わんが…」

 

一体どういう意図なのかは分からないが、俺にとってその要望は渡りに船。という訳でしおらしくなったままの篠夜を置いて部屋を出ると、中の様子は全然分からなくなった。ま、当たり前だがな。

 

「……調子狂うなぁ…」

 

扉のすぐ側の壁に背中を預けつつ、吐息を漏らすように呟く俺。別に今の篠夜が嫌な訳じゃない。ぶっちゃけしおらしい篠夜は庇護欲を駆り立てられる雰囲気で、こういう一面もあるのかと考えるとほっこりしなくもないんだが……とにかくギャップが凄い。普段癖が強い分、まっさら過ぎてどうにも反応に困ってしまう。

 

(でもまぁ、そういう面を見せてくれたって事は…多少なりとも、俺を信じてくれたんだよな)

 

すぐには慣れないと思うが、信じてくれたのならそれは嬉しい。俺の手を掴んでくれたのなら、俺は全力でその手を握り返したい。…勿論物理的にじゃなく、篠夜への協力を惜しまない的な意味で。

そうして数分程経ち、すっと開かれる扉。さて、何の為に俺を廊下へ出したのか…は、別にいいか。それより手を貸すなんて言っておいて、こんな受動的じゃ駄目だよな。折角篠夜が心を開いてくれたんだから、俺ももっと……

 

「…何よ、壁に寄りかかって腕まで組んじゃって。クールキャラでも目指してる訳?」

「……え?」

 

……うん?あれ、いや…何この反応。何で俺、早速毒吐かれてんの…?

 

「えって何よえって、まさか無自覚でそんな事してた訳?」

「い、いやそうじゃないが……あの、篠夜さん…?」

「何よ」

「さっきまでの、殊勝な態度は…?」

「あんなの一時の迷いよ。あんたなんかに殊勝な態度なんて、恥以外のなんでもないし」

「あ、そっすか……」

 

棘のある言葉と、嫌そうな視線。THE・篠夜とでも言うべき、生意気そのものな態度の少女。しおらしい篠夜は何処へやら。いつもの篠夜、カムバックだった。

 

「そこまで久し振りじゃないのに、間に素直な時間を挟むと落差半端ねぇな……」

「はいはいそうですねー。……で、いつまでそこに突っ立ってんのよ」

「…入っていいのか?」

「はぁ?あんた、このまま帰るつもりだった訳?まあ帰るなら別にそれでもいいけど」

「……そりゃ悪かったな、邪魔するぞ…」

 

ほんとに帰ってやろうかな、と思う程辛辣さ全開の篠夜。なんかもう既に素直だった篠夜を懐かしく感じるレベルで、ほんっとにもうこの生意気娘は……って、ん?

 

「…篠夜、顔洗ったのか?」

「へ?……ま、まぁそうだけど…それが何?」

「へぇ…なんだ、何の為に俺を外に出したのかと思えば、仕切り直す為に顔洗ってたのか」

「な……ッ!?そ、そんな訳ないでしょ!」

 

出てきた篠夜をよく見ると、篠夜の前髪が若干濡れていた。そっから軽く推理して理由を言ってみると、篠夜は泣き腫らした目元に匹敵するレベルで頬を赤らめ否定する…が、その反応はあからさま。…うん、図星みたいだな。

 

「照れるな照れるな、確かにあの調子のままじゃ恥ずかしいもんな」

「だ、だから違うって言ってるでしょ!顔を洗ったのは…あ、あれよ!…………あれなのよ!」

「いや思い付かなかったのかよ!?今の滅茶苦茶格好悪いぞ!?」

「う、うっさい!とにかくあんたが思ってるような理由じゃないの!」

「じゃ、何だよ」

「それは……せ、洗顔とか…」

「あぁ……意味同じだわ!一瞬納得しかけたが、それ表現変えただけだよなぁ!?」

 

図星に加えて墓穴に自爆。凄まじい勢いでポンコツ化していく篠夜に、俺も驚いて全力突っ込みなんてしてしまった。…訳ありとはいえ体力面駄目駄目なのに加えて、思考や精神面までそれじゃマジでポンコツキャラだぞ篠夜……。

 

「うぐ…あんたなんかにしてやられるなんて……」

「後半は篠夜が自爆しただけだけどな……まぁなんだ、触れてほしくないなら触れないぞ?」

「も、もういいわよ…今更そうしてもらったって、恥の上塗りなだけだし……」

「そうか、じゃあ…一旦出てもらってまで仕切り直そうとしたのに、早々にバレるなんて恥ずいにも程があるよな!」

「んなぁ…ッ!?」

「ん?もういいんだろ?」

「そ、そうは言ったけど…だからって普通追撃なんてしないでしょうがッ!ほんっとにあんた性根が腐ってるわね!」

 

……とまぁ、部屋前でここぞとばかりに篠夜を弄りまくる事数分。やっぱ篠夜と言えばこれだよぁ…なんて思いつつ、俺はご立腹な篠夜の後に続いて再び篠夜の部屋に入った。

 

「…………」

「あー、悪かったって」

「ふん、どうせ内心では『相変わらず馬鹿な奴だなぁ』とか思ってるんでしょ?」

「思ってねぇよそんな事。ちゃんと悪かったって思ってるって」

「…本当に?」

「本当だ。…ごめんな、篠夜」

 

やり過ぎは良くないな、と謝罪しつつ篠夜の頭に手を置く俺。さっきまで篠夜を抱き締めてたせいか、半ば無意識にだが俺はスキンシップを取ってしまい……あ、不味いと思った。……が、返ってきたのは意外な反応。

 

「……さっきもだけど…そういうの、セクハラだから…」

「あ、あぁ…それは本当にすまん……」

「…それは?」

「あ……い、今のは言葉の綾だ…」

 

激しい抗議ではない、ちょっともじもじとしたような篠夜の返答。それのせいで俺もまた調子が狂ってしまい、結果角の立つ表現をしてしまった。…あー…駄目だな、ほんとに篠夜から毒気がなくなると調子狂う…。

 

「…ごほん。で、篠夜。俺をもう一度招き入れたって事は、まだ何か話したい事があるのか?」

「……あんた、忘れてるの?」

「忘れてるって、何をだ?」

「あぁ、忘れてるのね…はぁ、あたし達は元々何をしてたのかしら?」

「何を?そりゃ……あ…」

 

気を取り直しつつも話の修正を計ってみると、篠夜から返ってきたのは訝しげな視線。だがピンとこない俺としては、何言ってんだ?としか思えず……普通に返答しかけたところで、思い出した。

 

「…棚は、買っただけじゃ何の意味もないもんな……」

「部屋にないから置き物にすらならないわね。記憶力大丈夫?」

「うっせ。で、どこにあるんだ?どうせ篠夜の事だから、俺に取ってこいって言うんだろ?」

「よく分かってるじゃない。じゃ、その間にあたしは場所開けておくから」

「ん、そうか(おっと、分業だったか…)」

 

横柄さも戻ってきたなぁ…と思いきや、意外とそうでもなかった様子。負担を天秤にかければ、やはり俺に荷重がかかっている事は間違いないが、恐らく筋力も壊滅しているであろう事を考えれば適材適所。という訳で俺は配送されてきた物が置かれる場所を聞き、そこから棚(が分解されて入ってる段ボール)を台車に乗せて部屋へと帰還。…エレベーターがなかったら、それはもう辛い道のりになっていただろう。

 

「ふー…そういや運んでる途中で思ったんだが、霊力を身体に回せば篠夜でもいけたんじゃないのか?」

「霊力を回してる状態で予言が発動すると、強化の方の霊力が暴発し易いのよ。もしそれでえらい事になったら、あんた責任取ってくれる?」

「取るって言ったらやるのか?」

「やらないけど?」

「だと思った…」

 

なら今のやり取りは何だったんだと思いつつ、開封をして組み立て開始。偶に組み立て式の家具は意味不明な程複雑な作りになっていたりもするが、今回買った棚は至ってシンプル。そのおかげで然程手間取る事もなく、俺達は棚の完成に漕ぎ着けた。

 

「こいつはここに置いて、っと。うし、後は物を収納すりゃそれで完了だな」

「あー…それは別にいいわ。収納だったらあたし一人でも出来るし、適当に並べられてどこに何があるか分からなくなるのは嫌だし」

「どこに何があるか、ねぇ…」

「…何よ」

「いーや、パッケージと棚にプレスされてた奴の言う事は違うなぁと思っただけだ」

「う……あ、あれはあれでどこに何があるか分かり易くなってたのよ…!」

「へいへい、まぁそれは分からん事もないからな」

 

部屋に整理整頓するよりは、ごちゃごちゃしてても分かり易い場所に置いておいた方が良い、ってのは一理ある。しまうと逆に「どこにしまったか忘れる」という可能性を孕む事になるんだからな。

…と俺が同意した事により、俺がすべき作業は終了。これが他の奴なら、俺に気を遣っている可能性も考えるが…相手は篠夜だからな。それはねぇだろ。

 

「…てか、もうこんな時間か…まだ何か手伝う事はあるか?無かったら……」

「いいわよ、もう帰っても。今日は一日悪かったわね」

「だからそれはいいっつの。俺はやりたいようにしただけだし、さっきも言ったが同情心やら何やらだけで動いてた訳じゃねぇんだからな」

「やりたいように、ね…じゃあ、セクハラもそういう意図だったと覚えておくわ」

「…一応言っとくが、下心じゃねぇからな……」

 

言ったってしょうがないとは思うが、それでも『無言=肯定』と取られちゃ堪らねぇと俺は否定。結果的にセクハラの形になっちまっただけで、セクハラする事が目的だった訳じゃねぇっつの…ったく……。

 

「折角棚まで買ったんだから、もう散らかすなよ?」

「だから散らかしてなんか…はぁ、もういいや…ほらさっさと帰った帰った」

「言われなくても帰るっての。じゃあな篠夜。……っと、最後に一つ…」

「あんたこそまだ何かあった訳?だったら先に言いなさ──」

「しつこいようだが、俺はいつだって篠夜の力になってやる。篠夜が辛い時は、全力で引っ張り上げてやる。だから、遠慮せずに……これからも、俺の事を頼れよ?」

「……っ!」

 

それから俺は篠夜と辛口を叩き合いながら部屋の出入りへと向かい、ドアノブに手を掛け……掛けた手を離すと同時に振り返って、言った。もう言わずとも分かっているだろう、これ以上言えば押し付けがましく聞こえてしまうであろう、俺の意思を。理由は……なんて事ない。ただもう一度、篠夜にそう言っておきたかったからだけの事。

それを聞いた篠夜は、ぴくんと軽く肩を震わせ……顔を赤らめながら、目を逸らす。

 

「……不意打ちで、もう一度言うなんてズルいわよ…」

「…ズルい?何がだ?」

「…何でもない……」

「そうか、じゃあまた今度……」

「……待って」

 

流石に今のは少々キザだったかもな…と内心で自嘲しながら、今後こそ部屋を出ようとした俺。が、その瞬間服の裾を掴んだ篠夜に止められ、再び俺は振り返る。すると、篠夜はまだ顔が赤くなっていて……だが今度は俺の目を見て、言った。

 

「……篠夜は、あたし個人の名前じゃないから…あたしにとって家族は、複雑な相手だから…だから、これからは…名前で、呼んでよ……」

「…な、名前……?」

「……嫌…?」

「い、嫌って言うか…実を言うと、うろ覚えっつーか……えと、依未…だった、よな…?」

「あんたねぇ……合ってるわよ、それで…。…今度からはしっかりと覚えておきなさいよね、ゆ…悠、耶……」

「……あぁ、ちゃんと覚えておくよ、依未」

 

言葉の通りに複雑そうな、けれどいじらしさもある表情をして、俺が失礼な事を言うとその表情は一度呆れ顔に変わり……最後に篠夜…いや依未は、恥ずかしそうに俺の名前を呼んだ。

ころころと変わる、依未の表情。感情を隠し切れていない、普通の少女としての依未。そんな依未は、どっからどう見ても弄りチャンスに溢れてたんだが……俺がしたのは、名前を呼んでの返答だけ。

何故かと言えば、そりゃあ…今はもう、弄らなくても十分充足した気持ちになっているんだからな。

 

 

 

 

…とまぁ、これで終われば綺麗な締まり方だったんだろう。思いっ切りメタ発言してしまっているが、そこは別に追求しなくたっていいんだ。追求されたってグダグダとした話にしかならないからな。

で、えーっと…なんだっけ?…あぁそうだ、まだ続き…ってかオチがあるんだよな、オチが。

 

「ったく、馬鹿だよなぁ俺も…」

 

依未と出掛けて、依未の本当の気持ちを知って、力になると約束した日の翌日。今日も俺は、双統殿へと訪れていた。

 

「双統殿に到着したぞ、っと……」

 

隠し通路から双統殿の内部へも入ったところで、俺は依未にメッセージを送信。するとすぐに、さっさと来い的はメッセージが返ってくる。

二日連続でここに来た俺だが、今日の目的は忘れ物の…置いていってしまった財布の回収。俺は棚を組み立てる際、ポケットの中で引っかかって鬱陶しい財布を取り出しておいたんだが、情けない事に昨日はそのまま帰ってしまった。…依未の部屋の中だから良かったが、他の場所なら財布ごと盗まれるか中身を抜き出されてた可能性高いんだよな…。

 

(てか、ここのところよく依未の部屋に行ってんなぁ……)

 

歩きながらふと思い出す俺。考えてみれば、緋奈や妃乃と喧嘩した日、礼を言いにいった日、それに昨日と昨日までで三度も行っている上に、今日も含めば四度目ともなる。だからなんだって話だが、とにかくこれまでとは頻度が段違い。更に言えば、ここ数回はきちんと依未の部屋に行こうと思って行ってるんだよな……こっちもだからなんだって話だが。

 

「さて、連絡は…もういいか」

 

部屋のある階に到着したところで、俺は携帯に手をかけ…その手をすぐに引っ込めた。流石にそれはいらないだろう。もうそれ位の信用は得ていると信じたい。

 

「(とはいえ、今回もやっぱ顔しか出さないのかねぇ…)依未ー」

 

そうして俺は部屋の前まで辿り着き、登場の仕方を想像しながら扉をノック。無難に考えりゃ普通に扉を開けてくれるとは思うが、そこは癖のある依未。相も変わらず顔だけを出すスタイルかもしれないし、最悪財布だけをぽいっと出されるかもしれない。…財布ぽいを実際にされたらかなりショックだが、幾ら依未でもそんな事はしないと思うが、それはせずとも依未ならびっくりな事をするかもしれない。だから警戒…とまでは言わずとも、心構えはしておいた方が……

 

「お、遅かったわね……」

(あ、なんだ。普通に出てきた──)

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

心構えを、なんて考えている最中に開いた扉。普通に開かれた扉に、俺は一瞬考え過ぎだったかと思いかけて……次の瞬間、依未の姿を視認した。──メイド服姿の、篠夜依未を。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「……ど、どゆ事…?」

「へ……?ちょ、ちょっと…何よ、その反応は…」

「な、何よって…そりゃ俺の台詞、なんだが…?」

「え、え……?…男って、こういう服装が…好きなんじゃないの…?」

「…いや、少なくとも俺は…別に……」

 

白と黒で彩られた、若干エプロンを彷彿とさせるふりふりの服装。通称、メイド服。依未が身に纏っていたのは、間違いなくその服装だった。

そんな姿に、あまりの衝撃に、動揺しながらの言葉しか返せない俺。弄るでも突っ込むでもなく、ただただ返した素の反応。対する依未も理解が追い付かないような顔をしていて……だが俺が否定の発言を口にした瞬間、依未の顔は一気に赤く染まっていく。

 

「……よ、依未…?」

「…………」

「あのー、依未さん…?」

「……ぅ…」

「……う?」

「うぅぅぅぅうううううううぅぅっ!!」

「依未!?ちょっ、おいどうした!?」

 

何の声と言ったらいいのか分からない声を上げながら蹲る依未に、当然俺は大慌て。霊力が暴走したか、それとも悪霊にでも取り憑かれたかと思いながら依未を呼ぶが、依未はうーうー呻くばかり。そんな状態が数十秒程続いて…やっと少し依未が落ち着いてきた頃、やっと俺はそれが過度な恥ずかしさによるものだったんだと理解した。…いや、だってほら…赤面だけならともかく、蹲られたらもっと色々考えちまうっての……。

 

「…その、色々大丈夫か……?」

「大丈夫な訳ないでしょ…うぅ、最悪の気分よ……」

「いや、まぁ…なんか、すまん……」

「謝らないで、余計惨めになるから……」

 

数分後、部屋内の廊下には座り込んでしょぼくれる依未の姿が。…これは弄れないな。可哀想過ぎて。

 

「こんな事なら、着なきゃ良かった……」

「…そういや、さっきもちょっと思ったが…もしや依未、わざわざ俺の為に着たのか?」

「そ、それは……」

「…それは?」

「……っ…あぁそうよそうですよ!でも結果はこのざま、滑稽で馬鹿な女だったって訳よ!ふん…ッ!」

 

さっき受けたショックのせいか、今の依未は絶賛情緒不安定中。まあ仕方ないよな…とは思うが、それでも看過出来ないのが最後の自虐。具体的な理由は分からないながら、俺の為に着たってなら……そんな自分を卑下するような気持ちにはさせたくないし、なってほしくもない。…ったく……

 

「…あー、依未…さっき俺は『別に…』っつったが…それはあくまでそういう趣味がないってだけで、依未の格好が悪いとは思ってないからな?」

「……っ…そ、そう…?」

「おう」

 

軽く後頭部を掻きつつ、依未の後悔を俺は否定。それを聞いた依未の言葉には、偽る事なくしっかりと頷く。

 

「じゃ、じゃあ……似合って、る…?」

「それは…そうだな。似合って……って、ん?」

「…な、何よ……」

「……メイド服が似合うって、それは良い事なのか……?」

「は…?そんなの……た、確かに考えてみるとどうなのかしらね、それは…」

 

そうして少し気持ちを持ち直した依未を、多少気恥ずかしいが褒めようとして……結果、余計な事言ったせいで変な空気になってしまった。

正直言えば、凄く似合ってる。似合ってるし、ぶっちゃけ可愛い。…が、メイドの格好が似合うって…それは褒め言葉として、本当にいいのか……?

 

「……はぁ、何よこの雰囲気…」

「すまん…だがどうしても気になって……」

「はいはい…。……でも、とにかく…悠耶は今のあたしを、最低限悪くはない…って、思ってはいるのよね…?」

「…それは、な」

「……そ、っか…なら、はい」

「あ、おう。ありがとな…」

 

それから依未は呆れ顔をした後、小さめの声で俺に確認の言葉を投げかけてきて……それを俺が肯定すると、少し安心した顔をして財布を俺に渡してくれた。今の回答が正しかったのか、俺は自信を持って言えないが…まあ何にせよ、多少なりとも依未は気持ちを持ち直してくれた。それだけでも、俺はそう言って良かったと思う。

という訳で俺は財布を受け取り、そのまま帰宅。結局俺の為ってところの意味は訊かず終いだったが、まあ今日のはイレギュラーな事だったんだろう。…そう思って、俺は帰ったんだが……この日以降、時々依未は今日みたいに特殊な格好…有り体に言えば、コスプレ的な衣装で俺を迎えるようになるのだった。



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第百十八話 文化祭の季節

季節の境目というのは、中々難しい。急に気温が変わるだとか、毎年決まった月の初めに始まって決まった月の終わりに終わるとかなら分かり易くていいんだけど、まぁそんな事はまずあり得ない。気付けば気温が変わっていて、気付けば始まって終わっているのが季節というもの。

でも、正確に季節の境目を把握する事は出来なくても、「もう○○だなぁ…」と感じる事はある。桜並木が鮮やかに色付き始めたら春だなぁとか、吐いた息が白くなったら冬だなぁとか、「○○といえば」で季節を認識するのが人というもの。そして今、俺は…夏と秋の境目を、感じつつある。

 

「…って訳で、わたしは演劇が良いと思うな!やっぱり文化祭は、お客さんにインパクトを残したいからね!」

「演劇、ねぇ…そう言いつつ実際は主役やりたいだけなんでしょ?」

「それは勿論!」

 

まだ企画段階だというのに物凄く楽しそうな、綾袮さんの提案。それに妃乃さんが冷めた口調で突っ込むと、綾袮さんは立ったまま元気に首肯。その子供っぽい、純朴そのものな綾袮さんの反応を受けて、クラス内はほんのりとほっこりした空気が流れていく。……現在我がクラス、というかうちの高校のこの時間帯は、各クラスで文化祭の企画会議が行われていた。

 

「あはは…では演劇に一票という事で、他に意見はありませんか?」

「あー、じゃあ喫茶店の方で、和菓子を出すってのはどうだ?まあ勿論和がメインって事じゃなくて、メニューに何品か和菓子加えるってだけでもいいんだけど」

「はいはい和菓子ね。和菓子、っと…」

 

教卓の前に立った文化祭実行委員の一人が更なる意見を求めると、一人が和菓子について提案。それを受けたもう一人の実行委員が黒板に和菓子と書き、その下へ『数品だけでも可』と付け加えた。

今回の会議は先週の会議を元に正式決定を行う(と言っても、各クラスで被りがないよう後々実行委員や生徒会で調整するんだが)為のもので、現状うちのクラスの出し物は演劇か喫茶店のどちらかという流れになっている。どちらかと言っても演劇は映画作成を吸収合併した状態で、喫茶店の方も複数上がった○○喫茶を一先ず全て統合したものだから、単純な二択って訳じゃないけど……恐らくここが、企画会議において一番大きな決断となる。

 

「うーん…どっちも捨てがたいよね……」

「だな…なぁ御道、二つは駄目なのか?」

「駄目だね、演劇をメインに簡単な食べ物を売る…とか程度ならともかく、一クラス一つが基本だよ」

「そこは何とかしてくれよ、生徒会なんだから」

「それが出来ないから駄目だって言ってんの。ルール変えるのは半端なく難易度高いんだから」

 

出たよ生徒会への無責任な欲求…と思いつつ返す俺。知らない事に気を遣えっていうのも無理な要求ではあるが、生徒会は勿論委員長だとか○○会(組合)だとかをやった事がある人なら、この気持ちも分かってくれるんじゃないかと思う。……って違う違う、愚痴を言ってどうすんだ俺は…。

 

「えぇと…それでは他に意見のある人は……」

『…………』

「…いない、みたいですね…じゃあ、多数決……?」

「最終的にはそれも有りだと思うけど、今のまま多数決をしても6:4位の比率になっちゃうんじゃないかしら?」

「あ、それは確かに……」

 

別の意見がない事で実行委員は多数決での決定を一度口にするも、それに妃乃さんが待ったをかける。

実際今のままだと僅差での決定になる可能性が少なくなくて、その場合選ばれなかった方の人達にはしこりが残ってしまう。これが9:1位なら、少数派の人も「この差なら仕方ないか…」と思えるだろうけど、6:4辺りじゃそれは厳しい。そしてクラス一丸となって企画を進める以上は、出来る限り納得の上での進行をしたいというもの。

 

「…どうします?もう少し時間をかけて、意見を出し合います?」

「それだと今日中に決まらない可能性あるんじゃねーの?これ、提出が遅れた場合は間に合ったクラスの企画が優先されるんだよな?」

「な、ならやっぱり沢山の時間はかけられないよね…ど、どうしよう……」

「それを私に訊かないでよ…」

 

対極…ではないけど両立の難しい二つの意見に、実行委員さんは困り顔。もう一人に意見を求めるけど相方もまた困り顔で、こういう話し合いの進行は慣れていません…って感じがこっちの方まで伝わってくる。

 

(クラスでの話に生徒会はあまり出しゃばるなって言われてるし、それ無しでも『なら俺が話を進めよう』みたいなのはなぁ…とはいえ黙ってても状況は変わらないし、どうしたものか……)

 

一発解決のアイデアでも出せればそれが一番いいけど、それがあるなら俺はもう発言している。それがないから黙っている訳で、とにかく誰かが何かを言わなきゃこの状況は好転しない。そう俺が考えている間にも、実行委員の二人は何やら話していて……

 

「…あの、五分程考えてみて下さい。それでまた、意見を訊きます。…あ、周りと話すのはOKで」

 

膠着した状況に対しては無難な、けれど問題の先送りでもある言葉を口にした。それを機に、ぽつぽつと周囲からも話し合う声が聞こえてくる。

どっちがいいかというものもあれば、早く決めなきゃだよなというものもあるし、あんまり関係なさそうな声もちらほらと発生。ただそんな中、明らかに他とは違う声…いいや、音が一つ。

 

「ふぁ、ぁ……」

 

背後から聞こえるそれは、言うまでもなく欠伸の音。…千㟢、こいつ……

 

「…寝てやがったな…?」

「寝てねぇよ、眠くなってただけだ」

 

自然と半眼になりながら振り返ると、やはり千㟢はぼけーっとした顔。何事も決め付けるのは良くない、良くないが…絶対千㟢、何も考えてなかっただろ……。

 

「あのなぁ…興味ないのは分かるが、クラスの一員なんだから最低限考える努力はしろよ……」

「ん?別に俺は興味ない訳じゃねぇよ。文化祭だって嫌いじゃないしな」

「なら何故眠くなる……」

「興味あったって眠くなる時はなるだろ。それとも御道は寝落ちした事ないのか?」

「それは…ぐっ、言われてみると確かにそりゃそうだった……」

 

つい言い返してしまったものの、確かに千㟢の言う通り、睡魔は時に興味ややる気を凌駕するもの。…まさかこの流れでこっちが言い負かされるとは……って、そういう話をする時間じゃないんだった…。

 

「…こほん。なら千㟢はどうしたらいいと思うの?興味がない訳じゃないなら、考えも一つ位はあるだろ?」

「ふっ……俺は皆より長く生きてるからな。もう自己主張をしたくなる精神構造はしてないのさ」

「うん、何を言いたいのか全然分からん」

「なら御道はどうなんだよ」

「俺?俺はまぁ…どっちかと言えば演劇を推すかな。喫茶店はほぼ確実にどっか別のクラスも出すだろうし、そうなると調整しなきゃならないし。ただ、今重要なのはどっちを推すかじゃなくて……」

「五分経ったので、また意見をお願いします」

「あ……」

 

こういう場で関係ない話をしていると悪い気がしてしまう俺としては、少しでも真面目な意見交換をしたいところ。…と、思っていたのに…気付けば五分経ってしまっていた。思った以上に、本題に入る前のやり取りで時間を使ってしまっていた。

 

「さ、前向け御道ー」

「……(こんにゃろう…)」

 

何だか嵌められた気分の俺は、その気分を視線で千㟢にぶつけながらも元の姿勢へ。

殆ど本題は話せなかったけど、時間なんだから仕方ない。ならせめて周りの意見を参考にして……そう思っていた俺だけど、会議は少々不味い流れに。

 

「やっぱ、やるなら喫茶店じゃないか?演劇って、準備がかなり大変だろ?セット作りは勿論、練習も重ねなきゃ出来ないし…」

「準備なら喫茶店だって同じでしょ。文化祭とはいえお客が来る以上、接客の事も考えなきゃいけないんだから」

「接客…そういや、演劇も接客…てか色々案内が必要だよな?それはどうすんの?」

「え、待って。今ってそういう話なの?時間がないから〜…って話じゃなくて?」

 

最悪なのは、全く意見が出ない事。だから今は決して最悪の状況ではないけど…端的に言って、意見がバラバラに出過ぎている。主張は勿論、何に対する意見かもバラけてしまって、纏まりのない状態が生まれてしまっている。そしてこんな時、上手く纏めるのが進行役なものの……二人はまた、困り顔になっていた。

このままじゃ、時間ばかりが流れるだけ。誰かが纏めなきゃいけないし、先生は極力黙っているというスタンスだから、先生に頼る事も出来ない。

ならもう、変な注目を浴びようと声を上げるべきだろう。この時俺はそう思って、同時に綾袮さんや妃乃さんも同じように声を上げようとしている事に気が付いた。……けど…結果から言うと、この状況を変えたのは…俺でも綾袮さんでも、妃乃さんでもなかった。

 

「間怠っこしいなぁ……ならいっそ、演劇喫茶でいいんじゃね?」

 

騒つく教室の中に放り込まれたのは、何ともやる気のなさそうな千㟢の声。どう考えても積極性を持って発された訳ではない、思った事をそのまま口にしたような言葉。けど声量を間違えたのか、それとも恥ずかしいから誤魔化しただけで本当はやる気があるのか、千㟢の声は俺どころかクラス中にしっかりと届き……

 

『…………』

「……あ、やべっ…えーと、今のは皆さん聞かなかった事に……』

『それだ!』

「えぇッ!?」

 

……千㟢の言葉が鶴の一声となり、我がクラスの企画は『演劇喫茶』に決定するのだった。

 

 

 

 

「へぇ、それはまた急転直下の決まり方ですねぇ」

「でしょ?まさか千㟢が活躍するとは思わなかったよ…」

 

文化祭での企画が決まった放課後、俺は慧瑠と印刷室で書類を大量に刷っていた。より正確に言えば今俺と慧瑠は生徒会活動の途中で、刷っているのも近々全校に配布する書類の一つ。

 

「何気ない一言が決め手になる、ってやつですね。でも良かったじゃないですか、企画が時間内に決まって」

「まぁ、それはそうなんだけどね。慧瑠の所は何やるの?」

「自分のクラスは謎解きと迷路を混ぜたような…えぇと、リアル脱出ゲーム、でしたっけ?…みたいなのをやる予定です」

「そりゃ中々面白そうだ。でもそうなると、ある程度の数の部屋か大部屋を確保しなきゃならないね」

「そう、そこが厄介なんっすよね。生徒会として上手く部屋を確保してくれって、無責任に頼まれてしまいまして…」

「あー、慧瑠もなんだ……」

 

業務の最中とはいえ、印刷中は当然待つしかないし、数百枚の印刷が十秒二十秒で終わる訳もない。つまり今俺達は暇な訳で、そうなれば雑談に花が咲くのも自然な流れ。

 

「生徒会って、各行事を素直に楽しめないのが辛いところですよねぇ…どうしたって運営側の立場が付き纏う訳ですし」

「確かにね。でも運営として立ち回れる事自体は楽しくない?」

「ははぁ、先輩は生粋の運営ですね。普通運営なんて面倒臭がるものですよ?多分」

「面倒でも楽しい事はあるでしょ。というか、何故多分を……」

「それは先輩以外にも同意見の人がいた場合に備えた、軽い保険ってとこですねー」

 

慧瑠の緩い回答にこっちも緩く頷きながら、内心でこれからの活動に思いを馳せる。

言われた通り、運営なんて面倒に決まっている。やりたくない人の気持ちもよく分かる。けれど俺にとっては面倒でもやる価値はある…と思えるからこそ生徒会の本部に入った訳で、きっと生徒会の面子は皆多かれ少なかれ俺と同じ思いがある筈。じゃなきゃ、内申書に書いてもらえるとはいえ、権利もなしに義務ばっかり与えられる生徒会の仕事なんてやってられない。

 

「保険、ね…なら、慧瑠はどうして生徒会に?」

「自分はただの興味ですね。有り体に言えばやってみたかったー、ってやつです」

「よく興味本位で生徒会なんてやるね…じゃ、今は後悔してたりするの?」

「いえいえ、そんな事はないですよ。全部が楽しいとは言いませんけど、やって良かったと思う事は確かにありますからね」

「そっか、そりゃ良かった」

「はは、なんで先輩がそれを言うんですか。…ま、安心したんなら何よりです」

 

確かに慧瑠の言う通り、誘った訳でも勧めた訳でもない俺が「そりゃ良かった」なんて言うのはおかしな話。…だが何故か、俺はそう言いたくなった。それは…慧瑠が後輩、だからかねぇ……?

そこで一度会話は途切れ、印刷機の音だけが部屋に響く。そうして排出口を覗いた俺が、まだ時間かかりそうだなぁ…と思ったところで、慧瑠はまた口を開く。

 

「…先輩、夏休みの間に何かありました?」

「え?」

 

全く脈絡のない、突然の質問。それ自体、「え?」と言うに十分な要因ではあったけど……それ以上に俺は驚いた。だって、今年の夏休みは激動そのものだったんだから。

 

「…どうして?」

「いや、深い理由はないですよ?夏休み明けにその間の事を訊くのはよくある事じゃないですか」

「あぁ…もう夏休み明けって言えるか微妙な時期ではあるけどね」

「そこはまぁ、ご愛嬌って事で」

 

訊かれてドキリとした俺ながら、慧瑠はちょっとした世間話感覚で訊いただけの様子。そんな反応に俺は一安心し、いつの間にか入っていた肩の力をすっと抜く。

 

「…そうだね、色々あったよ。楽しい事も、びっくりした事も、大変だった事も…ね」

「ほうほう、それは自分が夏休み前に聞いたお出掛け絡みの事ですか?」

「幾つかはね。…いやほんと、今年の夏はこれまでで一番濃かった……」

「みたいですねー。先輩、夏休み前と何となく雰囲気が違いますから」

「え、そう?」

「ほんと、何となくですけどね」

 

思ってもみなかった、夏休み前とは雰囲気が違うという言葉。そんなの今日初めて言われた言葉で、俺自身にもそんな自覚は欠片もなかった。…慧瑠は、そういうのに敏感なタイプなんだろうか。

 

(…いや、それともまさか…慧瑠も霊装者か協会の人間だとか……?)

 

そこでふと思い浮かぶ、別の可能性。本当は多かれ少なかれ夏休みにあった事を知っていて、その上で話を持ちかけたんじゃないかと、俺は一瞬想像した。

 

「…………」

「……?先輩、どうかしました?」

「…や、何でもない」

 

だが、すぐに俺は思い直す。確かにその可能性もゼロではないんだろうけど…流石にこれは思い過ぎだろう、と。

 

「そうですかー?先輩、本当は何か考えてたでしょう?」

「さーてどうだか。…あ、残りは後十枚みたいだよ」

「あからさまにはぐらかしましたね、先輩…まぁいいですけど」

 

そんなこんなで夏休みの話を終わらせ、ついでに印刷も後僅かとなった事を確認した俺。その後すぐに印刷機が止まり、印刷された書類を取り出して……

 

「……なんで、こんな雑用みたいな事やらなきゃいけないんだろうね…一応は学校動かす側なのに…」

「…一応、だからじゃないですかね……」

 

二人、大変虚しい気持ちになるのだった。…地方自治ならぬ校内自治をしてる生徒会なんて、所詮はサブカル業界だけの幻想さ……。

とまぁそんなやり取りも経て、俺も慧瑠は書類を抱えて生徒会へと帰還開始。

 

「悪いね、半分持ってもらっちゃって」

「これ位はお安い御用ですよ。というか、先輩が全部持って自分は手ぶらとか、それじゃ何の為に自分は来たんだって話になりますし」

「や、それはそうかもだけど…」

「まぁ、何の為かって言えば上手い事息抜きが出来そうだったからなんですけどね」

「…………」

 

何の悪びれもなく「ちょっとサボりたかった(意訳)」と言ってのける慧瑠に、俺は何と言ったものか。っていうかこの後輩、俺を舐めてる訳じゃないんだろうけど……何だろうね、初対面から今に至るまでずーっと変わらないこの緩さは。

 

「まあまあ怒らないで下さい先輩。先輩を手伝おうって気持ちがあったのは嘘じゃないですから」

「…まぁ、それを疑ってはいないけどさ…」

「……そうやって疑うより信じる事を大事にする精神は、立派だと思いますよ、先輩」

「慧瑠……それ、後輩が先輩に対して言う言葉じゃなくない…?」

「あー、言われてみると確かにそんな気もしますね。いやぁ、これは失礼」

「あのねぇ…全くもう……」

 

軽く肩を竦める慧瑠に、やっぱり悪びれるような様子はなし。そんな慧瑠に呆れながらも、呆れる以上の事はしない俺。ほんとに呆れてるし、何だかなぁって思いもあるんだけど……それはそれで、悪くないんだよね。慧瑠と、こんな感じに他愛ない話をするのは。

 

「…そういや、慧瑠こそ夏休みに何かあった?…って言っても俺は何か違いを感じたとかじゃなくて、ほんとに単なる質問なんだけど」

「自分ですか?……自分は、まぁ…」

「…あ、顕人君はっけーん!」

 

一度は終わった話ながら、慧瑠の事は聞いてなかったな…と思って話題を巻き戻した俺。するとそのタイミングで廊下の先から現れたのは、もう夕方になるのにまだまだ元気な綾袮さん。どうも俺を探していたらしく、軽快に走ってやってくる。

 

「こらー、廊下を走るなー」

「お、いいねお約束ネタ!でももうちょっと強めに言ってくれないと雰囲気出ないかなぁ」

「いや、そこまでやる気が出る台詞じゃないし…で、何?」

「あ、うん。クラスで文化祭の企画の詰めをやってるのは知ってるでしょ?その件で、顕人君にも幾つか訊きたい事が出来たから探してたんだけど……今忙しい?」

 

俺と慧瑠の持っている書類を見て、綾袮さんは忙しいかどうか訊いてくる。因みに企画の詰めをしているのは実行委員さんと二人の友達数人であって……多分綾袮さんの事だから、誘われたか自分から入り込んでいったんだろう。

で、忙しいかどうかと言われれば、別に忙しくはない。でも仕事中ではある訳で、どうしたものかと考える俺。そこで慧瑠に視線を送る、というか慧瑠の方を向くと……

 

「あ、自分が先に戻って伝えておくので、先輩は後からでも大丈夫ですよ」

「そう?じゃ、お願いするよ」

「えぇ、お任せあれー」

 

ただ見ただけで俺の意図を察し、慧瑠は歩いていった。…何だかなぁ、って思う部分もあるけど…基本察しは良いし、良い後輩だよなぁ、慧瑠って…。

 

「……顕人君、何変な顔してるの?」

「へ?俺変な顔してた?」

「うん、真実の口みたいな顔してた」

「俺あんな顔になってたの!?…ってそうじゃなくて、訊きたい事があるんでしょ?」

「あはは、焦らないでよ顕人君。今回は登場してるのに出番が少なくて残念だったんだから、ここはもう少しボケさせてくれても……」

「そんなメタさ全開のお願いぶつけないでよ…ほら本題に入る入る」

 

慧瑠に続いてまた呆れの感情を抱きながら、流れに飲まれるものかと話を進める。すると綾袮さんも俺が暇な訳じゃない事を分かってくれているのか(だったらボケないでよと思うけど)、普通にやり取りをしてくれて質疑応答はスムーズに進行。それから会話を終えた綾袮さんは教室に、俺は生徒会室に戻ってそれぞれしていた活動を再開。文化祭へと向けた準備を進めていく。…さて、これで二度目とはいえ文化祭は中学生の頃から楽しみにしていた行事なんだ。だから今年も準備、頑張りますかね…!



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第百十九話 この思いは変わらない

夜空を飛ぶ、鶴が鎧を纏ったような魔物。背後から身体を叩く銃弾を、その強固な羽毛(…鱗?或いは外殻?)で弾き返しながら逃げる魔物へと俺は狙いを定め……二門の砲を、同時に放つ。

 

「いけ……ッ!」

 

潜んでいた背の高い木から伸びる光芒は、魔物の翼を直撃。……と言えばまるで中心を撃ち抜いたように聞こえるけど、実際には翼の端にギリギリ当たっただけ。二門の内片方は外れていて、ダメージとしては恐らく碌に入っていない。…でも、これで十分。

 

「いよっと!」

「せいッ!」

「ラストっ!」

 

例えダメージは軽微でも、飛行中に揚力を発生させている器官へ衝撃を加えられれば無事でいられる訳がない。その見立て通りに魔物はよろめき……そこへ綾袮さんが下方から一気に肉薄。砲撃が当たったのとは逆側の翼を一太刀の下両断し、そのまま上空へ駆け抜ける。

更にワンテンポ遅れて、上嶋さんも魔物を強襲。弾き飛ばされたかのように大きくバランスを崩した魔物の頭を蹴り上げて……急降下を掛けた綾袮さんの斬撃が、その細長い首を斬り落とした。

 

「ふー…討伐完了!皆、お疲れ様〜!」

「ご協力感謝します、綾袮様。それに、君もありがとね」

 

打ち首状態となった魔物が落下しながら消えるのを確認しつつ、俺は綾袮さんと上嶋さんがいる高度まで飛翔。別方向からは射撃で追い立てていた赤松さん、杉野さんも飛んできていて、俺等は全員空中で合流。

 

「いえ、この位何でもないです。それより…タイミングは大丈夫でしたか?」

「心配すんな、ばっちりだったぞ」

「確かに。ってか、武器の違いはあるとはいえ、あいつの硬さを物ともしないのはやっは凄いな…また火力上がったんじゃないか?」

「そ、そうですか…?」

 

役目は果たせた、でも連携としてはどうだっただろうか。綾袮さんや上嶋さんに負担をかけていなかっただろうか。それが心配になって訊いてみると、上嶋さんと赤松さんが力強く頷いてくれた。で、対する俺はと言えば…褒められた事で、少し気分が良くなっていたり。

 

(また火力が上がったんじゃないか、か…あんま実感はないけど、だとしたら嬉しいな……)

 

元々霊力量だけは飛び抜けていた俺にとって、その量にものを言わせる砲撃はどうにも変化を感じ辛い。けれどこうして言われたって事はきっと成長してるって訳で、そう思うと心がぐっとくる。よっし!…って気持ちが湧き上がる。

今倒した魔物は、元々上嶋さん達が追っていた個体。ただ、飛ぶ事と硬さから少しばかり手を焼いていたらしく、更に別件で装備を纏っていた俺達がその進路上の近くにいたという事で、急遽協力する事になったのがこれまでの経緯。

 

「良かったねぇ、顕人君。わたしも師匠として鼻が高いよ、うんうん」

「はは…でも、そうだね。感謝してるよ、綾袮さん」

「…えーっと…感謝は大いにしてくれていいんだけど、今のはボケなんだからここは突っ込んでほしかったかなぁ…」

「あ、ごめん…っていや、突っ込むかどうかは俺の自由でしょうに……」

「えぇっ!?突っ込みは顕人君の使命でしょ!?」

「違ぇよ!?突っ込みが俺の使命になった覚えはありませんが!?」

「はははははっ!顕人、お前相変わらず突っ込んでばっかりなんだな」

 

奇妙な流れからのびっくりなボケに思い切り突っ込むと、声を上げて上嶋さんが笑っていた。…何だこれ、急に漫才になったぞ。

 

「突っ込んでばっかりだよ〜。今回はなんか調子悪かったけど、基本ボケには目敏く反応してがっつり突っ込んでくれるからね」

「調子悪いとは失礼な…」

「あ、突っ込むところそこなのね…」

 

さっきのは綾袮さんも悪いよ、だってボケのつもりで言ってたんじゃない可能性も感じられる文言だったし。…と思いながら言い返すと、杉野さんから呆れ混じりに突っ込まれてしまった。…い、言われてみると確かに……。

 

「筋金入りだな、こりゃ。…さて、目的は達成したし俺等はそろそろ戻るとするか。綾袮様、唯の言葉と被りますが…今回の件は助かりました」

「いいよいいよ、安全且つ確実な目的達成の為に助力を求めるのは何にも悪くないんだしさ」

「そう仰って頂けるのなら幸いです。…じゃ、戻ろうぜ二人共。いやぁ、今日も疲れた疲れた」

「疲れたって…あんた合流後は実質一撃蹴っただけじゃない」

「分かってないなぁ、唯は。綾袮様に追随だなんて、それ自体が楽な事じゃないんだよ」

「へぇ…綾袮様聞きました?今彼、かなり失礼な事言いましたよ?」

「ちょ、待てい!今のはそんだけ綾袮様が凄いって意味であって、失礼な意図は一切ないっての!わざとらしい曲解で隊長陥れようとすんな!」

「あー、また始まったよ…俺は早く帰りたいんだけどなぁ……」

 

それから任務を達成した上嶋さん達は双統殿へと帰還。俺にとっては馴染みのある三人が変わらず賑やかな事にほっとしつつも、大人って案外大人じゃないんだなぁ…と何とも言えない気持ちになっていたのが実際のところ。…いや、こんな雰囲気だからこそ俺もすぐ馴染めた訳だし、感謝してるんだけどさ。

 

「行っちゃったね。さてと…わたし達ももう少し飛んで、何もなければ帰ろっか」

「了解。…因みに、何かあったら?」

「それは勿論、対処するの一択だよ」

 

だよね、と頷いた俺は、綾袮さんの後を追って上嶋さん達とは別方向へ。今日は元々訓練も兼ねた哨戒をしていたところで、その判断も綾袮さんが決めたものだから、終わるタイミングも彼女次第。ただその口振りからして、後はこの周辺を軽く回って終わりになるんじゃないかと思う。

 

(にしても寒くなってきたなぁ、昼はともかく朝夜は完全に秋って感じだよもう…)

 

体感気温から季節の移り変わりを感じつつ飛ぶ事十数分。民家も企業もほぼない山の辺りに来たところで、予想通りに綾袮さんが帰還を口にした。

 

「え、まだわたし言ってないよ?」

「じ、地の文に反応しなくていいから…言ったって体で進めればいいの」

「わー、主人公なのにそんな事言っちゃうんだ…」

「それに関してもすぐ側に俺や千㟢よりよっぽどメタ発言する主人公がいるから大丈夫」

「あ、うん…まさかこんな返しをされるとは……えーっと、こほん。という事で、どう?」

「あー…その事なんだけど、一回双統殿に戻ったら時間貰ってもいい?」

 

別に「帰ろうか」という言葉を拒否する理由はない。けれどしたい事は一つあって、それは数十秒や数分で終わる事では恐らくないから、大丈夫かどうか俺は訊いた。

 

「え?…いいけど、何かあるの?」

「うん。まぁ、ちょっと……園咲さんに、頼みたい事があって、ね」

 

 

 

 

「…今の装備をより強化したい。つまり、そういう事だね?」

「はい」

 

哨戒を終えてから数十分後。俺は綾袮さんに言った通り園咲さんの下へ訪れ……まず初めに、頼みたい事を説明した。

 

「ふむ…それは長所をより伸ばす強化と短所を補う強化、どちらの事を指しているのかな?」

「前者、ですね。短所も補えるのならそうしたいですが、伸ばしたいのは長所です」

 

俺は普通に座って、園咲さんは手元のタブレットを見ながら、俺達は言葉を交わす。因みに綾袮さんは今、終わるまで待ってるね〜、と言ってどこかに行ってしまった。

 

「成る程、なら次は…っとその前に、一つ言っておこう。私も自分の権限以上の依頼は受けられないけど…私の一存で出来る程度のものであれば、いつても依頼は受け付けるよ。君には試作武器の運用データを取ってもらっている恩があるからね」

「恩なんて、そんな……でも、ありがたいとです」

「うん。それじゃあ…聞いておこうか。どうして、強化したいと思ったのかを」

「…それも、ですか?」

 

どのような強化をしてほしいのか。それは当然訊かれると思っていた。でも、何故強化をしたいのか…もっと言えば、どんな経緯でその考えに至ったのかを訊かれるとは思っていなかった。それは、作業に必要ない事だと思っていたから。

 

「そうだよ。君が考えている強化の内容と、君の理想に適した強化は食い違っている可能性があるからね。だから後者を確かめる為に、どうしてそう思うようになったのかを聞きたいのさ」

「あぁ…分かりました。それは……」

 

園咲さんの言う通り、俺が思っている「こうすれば良いんじゃないか」というのと、実際に俺の理想へと繋がる「最適な強化」が、イコールで繋がるとは限らない。だって俺はその方面に関して詳しい訳じゃないし、俺の考えはあくまで俺の『主観』だから。だから園咲さんは、主観ではなく『客観的な情報』を求めたんだろう。

それを理解した俺は、そう思うようになった理由を話していく。ここ数ヶ月の戦闘に、島での訓練と模擬戦に、あの時味わった圧倒的な実力の差。勿論、最後のは正確に話せない上装備の性能云々でどうにかなる域を遥かに超えているから、話しても仕方ない……とは思うけど、それもまた俺の主観。素人判断は碌な事にならないぞと自分に言い聞かせて、可能な限り伝えていった。

 

「……という感じなんですけど…どうでしょうか」

「うん、大体は分かったよ。模擬戦に関しては記録データがあるから、そちらも確認しておこう」

「ありがとうございます。…それで、強化の方は……」

「焦らない事だよ、顕人君。流石に私も、話を聞いただけで強化作業に入れる程の天才ではないからね。幾つかプランを纏めて君に伝えるから、それまで待っていてくれるかな?」

「あ…はい。…すみません、急に来てこんなお願いをしてしまって……」

「さっきも言ったが、気にする事はないよ。それに…普段な装備、味気のない開発ばかりでは、私も詰まらないというものさ」

 

そう言って肩を竦める園咲さんの頬は、いつの間にはほんの少し緩んでいた。…普通の事ばっかりじゃ詰まらない、か…その気持ちは、分かるな……。

 

「それでは、俺はこれで失礼します。お時間を取って頂き、ありがとうございました」

「どう致しまして、かな。プランだけならば時間もあまりかからないだろうけど、まあ気長に待っていてくれると助かるよ」

「はい、気長に待つとします」

「あぁ、早ければ数日、かかっても数週間…まぁ普段なところで一週間弱…いや、丁度一週間……とも、言い切れないか…思い付くプランの数と、それぞれの精査の時間を考慮すると……」

「…え、あの…園咲さん……?」

「……これは中々、難問かもしれないね…」

「は、はぁ……」

 

そうして席を立ち、その場を後にしようとする俺。その直前、園咲さんは何やらかなりどうでも良さげな事を真剣に考え始めていたけど……俺は、触れない事にするのだった。…いや、ほら…俺のような普通の思考を持っている人間には、ちょっと理解が及ばなそうな感じがしたからね…。

 

 

 

 

廊下に出た俺は携帯で綾袮さんと連絡を取り、隠し通路へのエレベーター前で合流。凄くどうでも良いといえばどうでも良いんだけど、この時の俺と綾袮さんはほぼ同タイミングでエレベーター前に到着した。

 

「お腹空いたなぁ…顕人君、ドライブスルー寄ろうよ〜」

「いや、車に乗ってないのにどう寄る気…?」

「顕人君が人力車やればいいんだよ!わたしが乗ってあげるから!」

「嫌だけど!?人力車でドライブスルーって前代未聞だよ!?前代未聞な上に恐らくクッソ恥ずい経験する羽目になるんですが!?」

 

無茶苦茶や事を言い出す綾袮さんへの突っ込みが、地下通路の中を軽く反響する。…っていうか、人力車でドライブスルーっていけんの…?一応自転車は場合によってはOKらしいけど……。

 

「……あ、一応言っておくけど、人力車って事務所の方じゃないよ?」

「うん、不要もいいところの補足ありがと…どうしても我慢出来ないなら普通に店入って買いなよ。内輪での奇行はギャグで済むけど、そうじゃないところでの奇行は最悪お巡りさん呼ばれるからね?」

「そんなマジの返しはしなくても大丈夫だよ……後、奇行扱いは酷い…」

「じゃ、常軌を逸した行い?」

「意味同じじゃん!雰囲気だけなら悪化すらしてるじゃん!顕人君の鬼畜ーっ!」

「鬼畜って…そこまでじゃないでしょうに……」

 

お腹空いているらしいものの、綾袮さんの元気はちっとも欠けていない。お腹空いてるなんて嘘なんじゃないかと思う程に、綾袮さんは今も元気。…っていうか、それなら待ってる間に何か食べればよかったんじゃないかねぇ……。

 

「もー……まぁいいや。ところで顕人君、顕人君の用事って何だったの?」

「装備の強化だよ。してもらった、じゃなくて現状じゃ頼んだだけだけど」

「ふぅん…ほんとに真面目だね、顕人君は」

 

通路から建物、そして外へと出てからも会話は続く。理由は単純、会話を打ち切る必要がないから。

 

「これに関しては真面目とかじゃなくて、もっと戦えるようになりたいだけだよ。それっぽく言うなら向上心かな」

「今の自分や何とかなってる現状に甘んじない、って意味では間違いなく真面目だよ。真面目だし…伸び代もまだまだあると思うね、顕人君には」

「…そう?そう思う?」

「ここで嘘付くと思う?」

「…だよね、ありがと綾袮さ「残念、嘘でした!」えぇッ!?」

「…って言う嘘は、ギャグとしてどう思う?」

「…あ、あのねぇ……」

 

そんな中、喜ばせておいて突き落とすという、中々にエグい冗談をぶっ込んでくる綾袮さん。すぐ冗談だと言ってはくれたけど……酷いのはそっちじゃないか…。

…でも、それはそれとして綾袮さんは、ただふざけたかっただけ…って訳でもないらしい。その証拠に、彼女はちょっと真面目な顔をして……

 

「…ただまぁ、向上心もあればあるだけ良いってものでもないけどね。向上心も、もっと戦えるようになりたいって気持ちも、両方さ」

「……そう、かな…」

 

俺のクラスメイトにして同居人である綾袮さんではなく、立場ある霊装者、宮空綾袮としてそう言った。落ち着いた、でも重みを感じさせる声音で。

 

「そうだよ。人って、頑張ってる時程周りが見えなくなっちゃうもん」

「…それは、程度の問題じゃないの?」

「うん、だから『あればあるだけ良い』ってものでもないんだよ。それは顕人君も分かってるでしょ?」

「…まぁ、ね」

 

綾袮さんの言う事は理解出来る。向上心に限らず、世の中にある大概の事は適度が一番だし、何かに集中するって事はそれ以外のものが疎かになるって事だから。

それが意地悪で言ってる訳じゃない事は、声音と表情で伝わってくる。そうでなくとも、毎日会っている俺には分かっている。意地悪ではなく、俺の身を案じてくれてるだけだって。

 

「それに、何も自分自身が強くなる事だけが全てじゃないからね。誰かと連携しての強さだって強さは強さだし、頼る事だって強さの一つだよ。どんなに頑張ったって一人で出来る事には限界があるし、その限界を超える為に一番手っ取り早い方法が、自分一人で戦わない事だもん」

「…それも、分かってる。特に連携は、これでも意識してるつもりだよ」

「あ、それはそうだね。今日だって援護役をやってくれた訳だし、これは言うまでもない事だったかな。…でも、ちゃんと覚えておいて。意地は最低限あった方が良いけど……意地張ったって、強くはなれないよ」

 

特別凄い事を言っている訳じゃない。綾袮さんが言っているのは、どれも「確かにそれはそうだね」と返答出来るようなもの。だけど綾袮さんの言葉は、一言一言に説得力があった。言葉というか、雰囲気に納得させられるだけの力があった。

その通りだ、綾袮さんの言う通りだ。…そう思ったから、俺は綾袮さんに頷いた。すると綾袮さんはにっ、と笑って、雰囲気もさっきまでのものに戻る。

 

「宜しい、それじゃあ……うーん、やっぱり真っ直ぐ帰ろっかな。顕人君、確かまだ林檎あったよね?」

「あぁ…うん、あるよ。自分で切る?」

「ううん、顕人君にお願いする〜」

「はいはい、そう言うと思ってたよ…」

 

ゆるゆるな感じに戻った綾袮さんは、俺の数歩前を先行。一瞬でここまで雰囲気をリセット出来るのはシンプルに凄いし、多分これも俺の為なんだろう。きっとこれは、俺の気が重くならないようにという、綾袮さんからのちょっとした配慮。

 

(…でも……)

 

一見呑気そうに、っていうかもう呑気なモードに切り替えて先を行く綾袮さん。俺にとっての指導者であり、心から信頼する仲間であり、同じ家で過ごす……家族同然の存在。

綾袮さんの言葉を、軽んじるつもりなんてない。俺の身や今後を案じて言ってくれたなら、それはきちんと受け止めたい。…でも、それでも俺は……適度な向上心で、程々に頑張るなんて出来ない。

 

「…ねぇ、綾袮さん」

「ん?なーに」

「……や、ごめん。やっぱ何でもない」

 

声を出して、言いかけて…でもやっぱり止める。こういう興味だけ引いといて話さない…ってのはあんまり好きじゃないんだけど、ついしてしまった。

俺が言いたかったのは、質問。さっき言った言葉と、あの日…ゼリアさんと戦った後に言った言葉、どっちが本心なのかって。

…けど、分かってる。どっちがじゃなくて、どっちもなのだと。あの時と今じゃ俺の心持ちも違うから、違う言葉をかけてくれたのだと。だから、わざわざ訊く必要なんてなくて……多分訊いていたとしても、俺の心は変わらない。

 

「えー、何その思わせぶりな態度…何かの伏線?」

「いや違うよ……えーとあれだ、夏の残りのアイスもあった筈なんだけど食べる?って訊こうとしただけだよ、うん」

「ふぅん…それは要らないかな」

 

振り返った綾袮さんを、適当な言葉で誤魔化しにかかる。恐らく誤魔化し切れてはいないんだろうけど……追求は、それ以上来なかった。

──そう、俺の心は変わらない。変わらないし、変えようとも思わない。俺には守りたいものがあって、憧れがあって、貫きたい思いもあって……それを全部取り零さない為には、力が必要で……だから俺は、もっともっと強くなる。



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第百二十話 進む準備は期待と共に

まさか、俺の呟きが採用されるとは思わなかった。二択で行き詰まってんなら、その二つを合わせちまえばいいんじゃね?…という、捻りも何もない単なる思い付きが採用されるとは、全くもって思っていなかった。

そりゃあ驚いたさ。俺がクラスで注目を…それも自ら口にした発言で浴びるなんざ、多分高校入ってからはこれが初めてだったんだからな。で、採用された事が嬉しかったかどうかと言われると……ぶっちゃけ、嬉しい訳じゃないが不愉快だった訳でもねぇんだよな。だって、思い付きを口にしてみただけなんだから。

 

「…結構見に来てる奴多いな、おい……」

 

そんな事を考えながら俺が訪れたのは、放課後の家庭科室。ある理由…って、別に隠す事でもねぇか。あー、こほん。

俺がこの部屋に来たのは、数日前に行われた演劇喫茶(うちは調整を受ける事なく、そのまま企画が了承された)の役割決めにおいて、調理担当に推薦された為。…これもびっくりだよな。

 

「そりゃ、喫茶店である以上飲食物は大切だからね。…まぁ、単なる興味本位で見に来てる人も多いんだろうけど」

「…案外暇してんだな、うちのクラスメイトは」

「その筆頭である千㟢がそれ言う…?」

 

調理担当に立候補又は推薦で挙がった奴は俺の他数人で、調理である以上は当然味見をする奴も必要で、だがそれならば全員合わせても一桁の人数に収まる筈。だが、明らかに家庭科室内には十人以上が集まっていた。…まあ、人が多いと困るって訳でもないが。

 

「俺は事実を言ったまでだ。で、早速作ればいいのか?」

「その説明は実行委員がするから、あっち行って聞いてきなよ。じゃなきゃそれこそ始められないし」

「へいへい」

 

御道の指示通りに俺は実行委員と調理担当候補が集まっている場所へ行き、そこで揃って説明を聞く。…って言っても、作る料理の確認と用意出来る食材、調理器具の通達位だったが。

そうして説明を受けた俺達はそれぞれ食材の置いてある調理台へと別れ、手を洗って料理開始。因みに作るのは、フレンチトーストとパンケーキ。

 

(調理の技術を見るってなら、もう少し手間のかかる料理の方が良い気もするが……調理器具の件も含め、あんま複雑な事は出来ないって事か)

 

学校によっては、食品は全て外注(自分たちで作るのは禁止)っつー夢のないところもあったりするらしいし、その点から言えば作れるだけでもありがたい訳だが…やはり高校生である以上、やれる事の範囲はどうしても狭くなってしまう。現在想定されているメニューがどれも簡単な料理なのも、それが理由で……となると、ちょっとした味付けで工夫してみるしかないか…。

 

「へぇ、千㟢くんひっくり返すの上手じゃん」

「そういや、普段弁当は自分で作ってるんだっけ?」

「演劇喫茶の提案といい、千㟢実はかなりやる気ある系だったり?」

 

なんて考えながらパンケーキを焼いていると、何やらギャラリーが集まってきた。…気が散るなぁ……。

 

「あー…弁当はそうだ。で、やる気は…好きに想像してくれ」

「ふーん…料理好きなの?」

「……まぁ、嫌いではないな」

 

焼き上げたパンケーキを皿に移しつつ回答した俺へ、更に投げかけられる一つの質問。彼にとっては何気なく……俺にとっては、決して軽くなんてない言葉。

両親が死んで、自分が家事をするしかなかっただけだ。…そう答える事も出来たが、俺は言わなかった。そんな事言ったって、雰囲気が悪くなるだけなのは俺だって分かってるし……それに、嘘で返した訳でもないしな。…てか、ほんとに気が散る…そこまで親しい訳でもない相手複数人に見られながらの料理なんざした事ねぇから、全然心が落ち着かねぇ……。

 

(喫茶…てか、料理店って普通料理担当は裏方だよな…?…なんで注目されてんだ俺……)

 

いや、理由は分かってるんだ。物珍しいとか、実際(自分で言うのもアレだが)上手いとかが、周りの興味を引いてる訳だからな。…不快じゃねぇが、やっぱ注目されるのは性に合わねぇや…。

そんなこんなで数十分。候補者全員が二品を焼き上げ、調理パートは終了。そうなれば当然次は実食パートで、実行委員の二人は勿論ギャラリーも各々フレンチトーストとパンケーキを食べていく。そして……

 

「ご馳走様でした。全員、美味しく作ってくれてたと思います。なので調理担当は…お願いしますね」

(あ、選抜じゃなくて全員採用なのか…まぁ、十人も二十人もいる訳じゃねぇんだから選ぶ必要もないんだろうが……)

 

これと言った山場も苦難もなく、調理担当試験(?)は終了した。…まぁ、フレンチトーストとパンケーキ作るのに、山場や苦難がなくても普通だけどな。料理バトル作品じゃあるまいし。

 

 

 

 

「へぇ、お兄ちゃんは調理するんだ。良かったね、普段から慣れてる事の担当になれて」

 

その日の夜、俺は話の流れで緋奈へうちのクラスの出し物の事を話していた。…と言っても一対一じゃなく、リビングには妃乃もいる。

 

「まぁな。今日は変に注目されたが、フロア担当になるよりはずっと楽だ」

「だと思ったよ。妃乃さんはフロア担当ですか?」

「そうよ。私としては何役でも良かったんだけど、是非フロアにって推されちゃってね」

 

…と肩を竦めつつ言う妃乃だが、よく見れば少し広角が上がっている。何故かといえば…まぁ、クラスメイトから熱烈な推薦を受けて満更でもなかったからだろうな。

 

「妃乃がフロアか……バイト感凄そうだな」

「ちょっと、それどういう意味よ」

「ん?聞きたいのか?」

「…言わなくていいわ、代わりに薬指折らせてもらうから」

「何だその斜め上に怖い脅迫は……暴力は良くないぞ」

「失礼ね、制御の行き届いている私の力は暴力じゃないわ」

「だから何だその斜め上の回答は……マイブームなの…?」

 

あんまりいい弄りにならなかったからか、妃乃の反応もぶっちゃけイマイチ。…風俗っぽい位言った方が良かったか?……いや、これ言ったら妃乃からも緋奈からも冷たい目で見られて終わりだな…うん、色んな意味で終わりになるわ…。

 

「…こほん。それはそうと、緋奈のクラスは何やるんだ?」

「わたしのクラスは縁日だよ。だから印象とゲームの複合型、だね」

「へぇ、緋奈ちゃんのところも楽しそうね。…縁日、か……」

 

縁日とは有縁の日の事…だが、勿論ここで言う縁日ってのは本来の意味じゃなく、縁日にて出てる出店(の集まり)の事。確かに店に幅のある縁日は企画としての自由度が高そうで、俺としても興味を惹かれるものがある。

…が、俺同様…というか、俺以上に興味を示したのは妃乃。妃乃は緋奈の返答ににこりと笑みを浮かべた後、少し遠くを見るような目に。

 

「…妃乃さん?どうかしました…?」

「あぁ…別になんて事はないわ。ただちょっと、縁日に行ってみたいな…って思っただけ」

 

その言葉通りに、妃乃はなんて事なさげな表情を見せる。だが、俺も緋奈も分かっていた。…きっと妃乃は、これまでに縁日に行った事がないのだろうと。

思い返せば、今年の縁日の日も妃乃は双統殿に行っていた。その日の妃乃は、いつも通りにしていたが……今思えば、それも当然の事だ。何せ、それが妃乃にとっての『普通』なんだからな。

 

(…不自由だが自由に過ごせる暮らしと、不自由じゃないが自由もない暮らしじゃ、どっちが辛いんだろうな……)

 

ふと思う、取り留めのない思考。明確な答えなんてない、個々の価値観と感性に依存する二択の疑問が、妃乃の言葉を聞いて流れてくる。……まあ、ただ一つ言うとすれば…どっちも辛いんだろう。どっちも辛いから、俺は「どっちが」なんて考えたんだろう。

 

「…じゃあ、是非来て下さいね?」

「…えぇ、是非行かせてもらうわ」

 

そんな事を俺が考えている中、緋奈と妃乃は言葉を躱す。緋奈と妃乃は元々良好な関係になるまでが早かったが、緋奈にこっち側の事を伝えてからはより二人の距離が縮まったようにも思える。…雨降って地固まるとは、こういう事を言うんだろうな。……喧嘩したのは俺と二人とであって、二人の関係に雨は降ってないけれど。

 

「……って、ん?…緋奈、縁日って事は…焼きそばとかクレープとかもやるんだよな…?」

「そうだよ。クレープ…は分からないけど、少なくとも焼きそばはやる予定」

「……緋奈は何担当だ…?」

「各ゲームの案内役だよ」

「そ、そうか…(良かった……)」

 

そこでふと気付いた、というか気になったのは、緋奈の役割。どうやら俺の杞憂で済んだみたいだが……料理担当でなくて良かった。緋奈の為にも、緋奈の同級生や訪れる客の為にも、緋奈が料理をしなくて本当に良かった。

 

「…それはそうと悠耶、緋奈ちゃんの訓練は今後どうしていくつもりなの?」

「どうもこうも、必要な限りは続けるつもりだが?」

「でしょうね、でも私が訊いてるのはそういう事じゃないわ」

 

急に変わる会話の話題。一瞬藪から棒だなぁと思った俺だが、緋奈の訓練絡みってんなら適当に流せる事じゃない。

 

「…妃乃さん、どういう事ですか?」

「効率の話よ。今は週一、それも数時間の訓練でしょ?それ自体訓練としては間隔が長いし、基礎中の基礎を教えていたこれまでならともかく、これからは回数を重ねる必要だって出てくる筈。だから……」

「今のまま進めても非効率…って事ですか…お兄ちゃん、わたしは今より多くても大丈夫だよ?」

 

今のままじゃ非効率。それは俺も感じていた。というより、最初からあまり効率の良い訓練ではないと自覚していた。だがそれは緋奈の為であり、同時の俺にとっての妥協ラインでもあるのが今のやり方ってものまた事実。となれば、これまで通りでいいって返すのが一番普通なんだが……そこで俺は、もう少しだけ考える。

 

「…そう、さな…だったら妃乃。妃乃はどうするのが良いと思ってるんだ?」

「そりゃ、ここでも訓練をする事でしょうね。双統殿内に比べればやれる訓練は限られてくるけど、自宅なら移動に時間を必要としないし、週末に訓練、平日は復習って形に変えるだけでも、効率はグッと上がると思うわ」

 

考えながら訊いてみると、返ってきたのは正にTHE・時宮妃乃とでも言うべき、突飛さはないが真っ当な発想。

確かに自宅で訓練出来るならそれが一番だ。訓練と訓練の感覚が離れていても、その間に学んだ事をきちんと復習、反省していれば、記憶の劣化は最小限で済むだろう。…だが、自宅でやるってのには一つだけ問題もある。

 

「…緋奈、緋奈は今より多くても…って言ったけどよ、ここで訓練する事はどうだ?気が滅入りそうな気はしないか?」

「気が滅入る…?」

「…って、これをやる前から訊いても意味ねぇか……」

 

ピンときていない様子の妹に、俺は苦笑いしつつ後頭部を掻く。気が滅入るってのは、要は本来リラックス出来る場である自宅が訓練場所となる事で、心的負担が増えたりしないかって事。…俺だったら、家はゆっくり出来る場であってほしいよなぁ…。……筋トレはまぁ、単なる日課だし。

 

「それは、悠耶次第じゃないの?生徒のメンタルケアも指導する側の責任の一つよ?」

「それもそうか……緋奈、分かってると思うが俺は指導が上手い訳じゃねぇし、ぶっちゃけ緋奈の理解力に頼ってるような気がしてる。だから、訓練を増やせば増えた日数や時間以上に負担が大きくなると思うが……それでも緋奈は、大丈夫か?」

「勿論だよ、お兄ちゃん。わたしだって、楽して強くなろうだなんて思ってないし……お兄ちゃんがわたしの為を思って頑張ってくれるなら、わたしも頑張れるから」

「緋奈……」

 

指導慣れしている妃乃の助言を受けて、俺は改めて緋奈に問うた。俺がどうこうじゃなくて、緋奈の気持ちはどうなのかを聞く為に。

嫌ならば、それでも良いと思っていた。そもそも俺から言い出した話でもないんだから、と。だが緋奈は真っ直ぐに俺を見つめ返して、迷いなく首を縦に振った。兄冥利に尽きる言葉と共に、頑張れると言い切った。…お兄ちゃんがわたしの為を思って頑張ってくれるなら、か……。

 

「……なぁ、妃乃。これが俺の自慢の妹、千㟢緋奈だよ」

「へ?…あー、うん、そうね。私も緋奈ちゃんは立派な子だと思うわ」

「だろ?…よし、ちょっと妃乃は席を外してくれ。今から俺は緋奈を一杯撫でてやらなきゃならん」

「うぇっ!?お、お兄ちゃん急に何故!?」

「…それ、なんで私席を外さなきゃいけないのよ…」

「なんでって…妃乃がいたら緋奈が恥ずかしい思いをするだろうが!こういうのはすぐに撫でてやるのが大切なんだ!ほらさっさと行った行った!」

「わっ、ちょっ…ほんとに出て行かせる気!?」

「お兄ちゃん!?一体それはどういう思考からの答えなの!?むしろそういう事言われる方が恥ずかしいんだけど!?」

 

ぎゃーぎゃー騒ぐ愛娘ならぬ愛妹と同居人をスルーし、その内同居人の方の妃乃をリビングから締め出す俺。そして有言実行の男であり、愛妹緋奈の兄でもある俺は言葉通り……

 

「全く……良い子に育ってくれて、お兄ちゃんは本当に嬉しいぞ」

「う、うん……お兄ちゃん、わたしは本当にどんな感情になればいいのかさっぱりだよ…」

 

膝に座らせた緋奈の頭を撫で、この上なく心穏やかな時間を過ごすのだった。

 

 

 

 

企画、決定、役割分担と事が進めば、次にするのは本格的な準備。大道具の作成や出し物の練習を行う、面倒ながらも楽しい段階。そして当然我がクラスも、上記三つを完遂させた事でこの段階へと入っていた。

 

「お、お席こちらです!」

「ちょっと声上擦ってるよー?」

「ご注意はなんでしょう?」

「ご注意はお決まりですか、又はご注意お伺いします、の方が良いだろうね」

「ぃらっしゃいませこんにちはー!」

「上手っ!っていうか手馴れてる感凄っ!え、お前バイトか何かしてたんだっけ!?」

 

クラスの中から聞こえるのは、フロア担当メンバーによる練習の声。文化祭の模擬店での接客なんだから、そこまで拘らなくても良いような気はするけど……だからって手を抜かなきゃいけない理由もない、というのがフロア担当の考えの主流。実際それはその通りな訳で、俺もフロア担当になっていたら皆と一緒に頑張っていたと思う。

 

「じゃ、二人共お願いね〜」

「りょーかい」

「うーい」

 

メモの書かれた紙を受け取って、俺と千㟢は移動開始。目的地はどこかのクラス……ではなく、学校の敷地外。

 

「…活気に溢れてんなぁ」

「そりゃ、この時期は溢れるさ」

 

ある人はてきぱきと、ある人は和やかに、またある人は頭を捻りながら、どのクラスも文化祭の準備を進行中。そんな時に、クラスメイトに頼まれて敷地外に行くってなったら…まぁ、お察しの通り一つしかないよね。

 

「……よし、このまま帰っちまうか」

「おう、また明日」

「いや突っ込めよ…これで俺が本当に帰ったら何一つ面白くないだろうが…」

 

と、しょうもない会話をする事十数分。最寄りにして恐らく毎年この時期になると学生の入店率が激増するであろう百均に到着した俺達二人は、同然その中へと入店する。

 

「で、何買うんだっけ?」

「テープ類とカラービニール、それに小物類ってとこだね。ほら紙」

「ふーむ…じゃ、御道。俺はこの紙持ってるから、商品持つのは任せるぞ」

「ふざけんな、釣り合い取れんわ」

 

大道具作りや演技、接客練習なんかと違って、買い物には集中する必要なんて皆無。流石に違う物買ってしまうのは不味いけど、それは最低限の注意で何とかなる訳で、となれば自然と駄弁りも続く。

 

「…しかし、千㟢が特に文句も言わず買い出しを了承するとはね。少し驚いたよ」

「失礼な感想だなおい……一応俺もクラスの一員なんだ、必要なら協力位するっての」

「と言いつつ、実際には文化祭楽しみなんでしょ?」

「うっせ、これ否定しても『またまた〜』とか言って聞き入れないパターンだろ」

 

文化祭は学生生活の中でもトップクラスの大イベントで、楽しみにしてる人も多いんだから、別に見栄を張らなくたっていいのに…と俺は思うものの、あくまで千㟢は認めない様子。…まぁ、千㟢がそういう奴だってのは分かり切った事だけど。

 

「…てか、それを言うならこっちだってそうだ。御道は生徒会の方が忙しいんじゃねぇの?」

「そうだよ?だからクラスの準備には行けない事も多いし、せめて買い出し位は積極的にやりたいんだよ」

「そりゃ、殊勝なこったな」

 

千㟢の言う通り、文化祭となれば当然生徒会も忙しくなる。準備は勿論、本番も何かとやる事があってクラスの作業に集中出来ないから、そしてクラスの皆はそんな俺でも文化祭を楽しめるよう「生徒会の空き時間は好きに文化祭を回ってくれて良い」と言ってくれたから、その分のお詫びとお返しを出来る限り頑張りたい。…楽しい事は、気兼ねなく楽しめるのが一番だしさ。

そんな思いの返答に対し、千㟢の反応は素っ気ないもの。だがそれも今更な訳で、俺は気にせず買い物を続行。そうしてレジを通り、袋に詰めて、その袋を持って(勿論半分は千㟢に持たせた)店の外へ。それから数分歩いたところで……千㟢は、ぽつりと言った。

 

「…御道は、楽しんでるよな」

「…文化祭を?」

「文化祭も」

 

少し不思議な呟きに横を見ると、千㟢は前を向いたまま。それが何となくの呟きだからか、思うところがあってのことなのかは、全くもって分からない。…楽しんでる、か……。

 

「…楽しんでるよ。文化祭も、今の日々も、色々とね」

「……そうか」

 

理由は分からないけど、千㟢がそうなら…と俺も視線を元に戻す。

そう、俺は楽しんでる。だって楽しいんだから。大変な事もあるし、夏休みは危うく殺されかけたけど、それを差し引いても楽しいと俺は感じている。だったら、楽しまない理由は…ないよね。

 

「…千㟢は違うの?」

「…俺か?」

「いないだろ他に…楽しくねぇの?」

「そりゃ、まぁ……」

 

ではそんな事を言う千㟢はどうなのか。じゃあ千㟢は、文化祭や今ここにある日々を楽しめていないのか。不安…ではないものの、普通の過去しかない俺とは比べ物にならない程壮絶な前世を送ってきた千㟢には、俺には感じられていないものがあるんじゃないか……そんな思いが頭をよぎって、俺は言った。

その問いに千㟢は少しばかり上を向いて、沈黙。ただその沈黙には深く考え込んでいる、或いは思い出しているような雰囲気があって、続く言葉を静かに待つ俺。そして数十秒後、千㟢は少しばかり口角を上げて……答えた。

 

「……楽しんでるさ、それなりにはな」

「へぇ、それなら良かった」

「それなら良かったって…どの立場なんだ御道は……」

「はは…それはごもっとも……」

 

俺と同じ、千㟢の返答。それなりには、だなんて多少捻くれた言い方をしているものの……表情を見れば分かる。そこに、楽しんでるという言葉に、嘘などないと。

それ以上掘り下げる事もなく、この話はここで終了。俺達は学校に戻り、買い出しの品とレシートを実行委員の二人に渡す。

……掘り下げなかった理由?…月並みな言葉にはなるけど……掘り下げなかったのなんて、楽しいという気持ちに細かい理由や根拠なんて必要ないから、ただそれだけだ…ってね。



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第百二十一話 あの日の約束を今

「お待たせ致しましたっ!お客様ッ!」

「テンションたっか!お客さんビビるよ!?」

 

段々と文化祭当日までの日もなくなってきたある日の夜。食卓に座る俺の前へ、過剰な位元気一杯な声と共に茶碗(白米入り)が置かれた。

 

「えー…でも結局のところ、文化祭の接客に求められるのってこういう快活さじゃない?」

「いやそれはそうだろうけど…賑わってる居酒屋でもなきゃその声量はビビるだけだよ…」

「そうかなぁ…まぁ受け手がそう思うから、ちょっと声抑えてみるけど……」

 

イマイチ納得していないような表情を見せながらも、綾袮さんは茶碗を下げる。

恐らくこのシーンだけで察せるとは思うけど、綾袮さんはフロア担当。で、「やる以上は人気の店員さんを目指したいよね!」…という事で、今は俺が客役をして練習中。…新鮮で楽しいのかねぇ。綾袮さん、普通に生活してたら接客する機会なんて絶対ないだろうし。

 

「…………」

「綾袮さん、トレイは使わないんですか?」

「あ、そう言えばそうだった…」

 

置いた茶碗を持って綾袮さんが下がる中、ラフィーネさんは黙々と夕飯を食し、フォリンさんは箸を片手に一つ指摘。二人には待たせちゃ悪いという事で、先に食べてもらってるけど…俺も先に食べてから練習に付き合う方が良かったかなぁ…。

 

「じゃあ、こほん。…お待たせ致しました、お客様」

「あ、それ位ならいいんじゃない?綾袮さん、元々声ははっきりしてるし」

「そう?なら、動きとかは?」

「うーん……あ、一つ大きな問題があったよ」

「え、何?」

「…茶碗だけ出されても、食べられません」

「あ……」

 

こんな感じの練習をここまで何回かやってきていて、この後も何回か反復。…正直に言うと、素人の俺が見ても分かるような悪い点は特にないし、営業スマイルが営業スマイルとは思えない程眩しくて、ぶっちゃけそれだけで押し切れちゃいそうな気がしないでもないんだけど……頑張ってる綾袮さんにはちゃんと付き合ってあげたくて、俺はその感想を一旦飲み込む。

そうして十五分か二十分か、まぁそれ位したところで、今日の練習は終了した。

 

「ふー…案外やってみると難しいんだよね、接客って。指揮や指導の経験が活かせるかなって思ったけど、それとは結構勝手が違うし」

「まぁ、相手との関係性が大きく違う訳だからね。…で、役の方は大丈夫?」

「そっちは大丈夫。完全な演技ってなれば、むしろ自由にやれるからね」

 

息を吐きながら自分の席へと座る綾袮さん。そこへ質問を投げかけてみると、彼女は肩を竦めて言った。

演劇喫茶の名の通り、フロア担当はそれぞれの『役』を演じて接客を行う。だから今やったのはその下地になる『普通の接客』であり、実際にやるのは『独自の接客』な訳だから、そっちが出来なきゃ不味いよなぁ…とは思ったものの、綾袮さんはむしろそっちの方が楽らしい。でもまぁ確かに、演技接客は正解のある普通の接客と違って、そもそもが「もしも」なんだから、ある程度自由が効いてもおかしくはないか。

 

「そっかそっか。だったら良いけど、演技の方も必要なら相手するからね」

「うん、ありがと。さてと、それじゃあわたしもご飯が食べよっかな」

「なら俺も……ん?」

 

さぁやっと夕飯だ、お腹空いたなぁ。…なーんて思いながら、両手を合わせようとした俺。けれどいつの間にか、俺の席の隣にはラフィーネさんが立っていた。

 

「…どうかした?」

「わたしもやってみたい」

「え?」

「うん」

「う、うんって…えーと、やってみたいってのは…接客練習…?」

 

さも当然のように「何を」の部分をすっ飛ばしているラフィーネさんの発言に、俺は困惑。ただ幸いにも今回は予想し易く、俺の返しにラフィーネさんは頷いてくれた。

 

(…けど、接客練習をやってみたいって…今日も好奇心旺盛だなぁ……)

 

ラフィーネさんの事だから、接客技術を身に付けておきたいとかじゃなく、単に興味を惹かれたからってだけなんだろうけど、それにしたってやってみたいと思うかね?…というのが実際のところ。

でもそれは、日本で普通に生きてきた俺の感性であって、単なる感性の違い以上のものなんてない。それに、曇りのないラフィーネさんの瞳に見つめられると、どうにも俺は断り辛くて……

 

「……お待たせ致しました。お客様」

 

…俺が夕飯を口にするのは、またちょっと遅くなるのだった。

 

「…………」

「…………」

「……つまんない」

「い、いやまぁ…そりゃ面白くはないだろうね……」

 

無表情で、静かに茶碗を置いたラフィーネさん。クールにも程がある、色んな意味で無駄のない接客。これは感想や改善点を言った方がいいのかと、俺が茶碗とラフィーネさんを交互に見つつ考えていると……ご覧の通り、ラフィーネさんは身も蓋もない事を言ってしまった。

 

「さっきは面白そうだったのに…」

「…それは接客練習じゃなくて、綾袮さんが面白かったんじゃない…?」

「……!…盲点だった……」

「そ、そう…気付けて良かったね…」

 

一人納得した様子で自分の席に戻るラフィーネさんに、何というか…ほんと、なんて言ったらいいんだろうね…。呆れてるって訳じゃないし、でも苦笑…とも違う気がするし。

 

「…フォリンもやってみる?」

「え?私もですか…?」

 

などと俺が思っていたら、フォリンさんが巻き込まれていた。フォリンさんは一瞬驚いた顔になったものの、俺とラフィーネさんの顔を一度ずつ見た後、数秒考え込んで……起立。…あ、やるのね…。

 

「こほん。では失礼して……」

 

湯飲みやおかずの乗った皿をさし置き何故かシェア率100%の茶碗を持って、フォリンさんはリビングとキッチンの境目辺りへ。どうも適当に済ませる気はないらしく、しっかりお盆も用意している。

 

(え、意外とやる気満々…?まさかのフォリンさんも興味あったパターン…?)

 

ラフィーネさんの時とは別の理由で俺が困惑する中、フォリンさんはお盆に乗せた茶碗を持って俺の側へ。近過ぎず遠過ぎずの絶妙な位置で止まると、どうも手馴れた感じのある動作で茶碗を置いて……一言。

 

「お待たせ致しました。熱いので、お持ちになる際は注意して下さいませ」

 

前二人にはなかった文言も入れて、軽くお辞儀をして下がるフォリンさん。……はっきり言おう、上手かった。多少とはいえ練習していた綾袮さんより、上手な演技だった。唯一気になったところがあるとすれば、「お持ちに」には「お」が付いているのに対し、「熱い」には「お」が付いていなかった事だけど…それは単なる知識であって、技術的なものとは別の話。

そういう事もあってか、既に白米は冷めてるけどね、とか無粋な事は言わなかった。

 

「…じょ、上手だねフォリンさん…接客、得意なの……?」

「得意、という訳ではありませんよ。ただ、多少慣れているだけです」

「慣れてる?バイトとか手伝いとかをしてたとか?」

「いいえ。…仕事柄、その場に溶け込む演技が役に立つ事も多かった…それだけの話です」

「あ……」

 

表情も声音も至って普通に、けれどほんの少し視線を逸らして答えたフォリンさんの言葉に、俺ははっとした。

あまりにも軽率だった。もう少し気をつけるべきだった。実際に口にしたのはフォリンさんの方だとはいえ……もう少し俺が頭を働かせていれば、自然にこの流れから離れる事も出来た筈なんだから。

 

「…その、ごめん…言わせちゃって……」

「いえ、顕人さんが謝るような事はないですよ。顕人さんは普通の質問をしただけですし……過去の話、ですからね」

「いや、でも……」

 

やっぱりフォリンさんの反応に、傷付いた様子はない。多分本当に、吹っ切れてる…とまでは言わずとも、過去の事だと割り切ってはいるんだと思う。

だけど、一度沈んでしまった雰囲気は何もせずには変わらない。フォリンさんは勿論の事、視界の端に見えるラフィーネさんも決して明るい表情はしていない訳で、俺は何とか雰囲気を変えなきゃと思った。でもこの時点で若干焦っていた俺は、すぐには話題を見付けられず……

 

「そうだったんだ……あれ、じゃあラフィーネは?ラフィーネも演技慣れしてるんじゃないの?」

「あぁ…ラフィーネはやる気がある時とない時での差が激しいんです。そうですよね?ラフィーネ」

「ん…さっきは楽しくなかったから、気分も乗らなかっただけ。やる時はやる」

 

…至って自然な素振りで流れを変えた綾袮さんに、助けられた。はっとして俺がそちら向くと、綾袮さんは俺に対して軽くウインク。…どうしよう、綾袮さん格好良い……。

 

「やる時はやる…うん、良い言葉だよねこれって!やる時はやる、やらない時とやる気が出ない時はやらない!」

「良い事言った、綾袮。やる気が出ない時は……やらない」

「…ねぇフォリンさん、これ良い事なのかな…?」

「…ノーコメントでお願いします……」

 

ぐっ、と軽く上げた右手を握る綾袮さんとラフィーネさん。…何言ってんだろうね、この二人は。ってか、さっきの格好良さが台無しだよ……。

 

「まぁいいか……っとそうだ、悪いんだけど明日の朝食は各々準備してもらえる?ご飯は炊いておくし、即席味噌汁と出来合いのものは出しとくからさ」

「あ、はい。それは構いませんが…明日は何かご用事ですか?」

「うん、生徒会でちょっと朝早くにやる事があってね。だからお昼もお弁当は用意出来ないんだけど…綾袮さん、明日は購買で買ってもらえる?」

「そういう事なら大丈夫だよ。…でも、そっか……顕人君、明日は料理出来ない位忙しいんだ…」

 

と、そこでふと俺は思い出した事を三人へ伝える。勿論いつもより更に早起きをすれば、ご飯作る時間もあるんだけど……あんまり早過ぎるのは、キツいです。

 

「…何か不味かった?」

「あ、ううん。じゃあ顕人君も明日は購買になる感じ?」

「なる感じだね。夕飯は普通に作れるからそこは安心して」

「…………」

「…ラフィーネさん?」

 

昼食を購買で買うなんて久し振りだなぁと思いつつ答えていると、その最中で感じたのは視線。何だろうと思って見てみると、視線の主はこっちをじっと見ていたラフィーネさん。それで余計に「何だろう?」感が増した俺が訊いてみると…返ってきたのは意外な事実。

 

「…顕人、生徒会の人だったんだ……」

「え、あれ…言ってなかったっけ…?」

「聞いてない」

「そ、そうか…確かに家で生徒会の話する機会なんて滅多にないもんね…」

 

現状うちの学校との絡みがほぼないラフィーネさんにとって、俺が生徒会本部役員である事は知らなくてもなんら問題ない事だろうし、実際この話もこれ以上の発展はない。だからこれ単体で言えば毒にも薬にもならない平凡な話で、この会話自体から得たものだって恐らくはない。

けれどこの瞬間、ラフィーネさんとフォリンさんがここに住み始めてから少しは経ったのに、まだ伝えてない事が割とあるんだなという事が分かった。さっきのうっかりしてしまった質問もそうだし、これもそうだし……まだまだ俺と二人とは互いに理解が浅いんだ。…それを気付けたという意味では、価値のあるやり取りになったんじゃないかなぁと、俺は思う。

 

 

 

 

……とまぁ、ちょこっとしたイベントがあったとはいえ、概ね普通だった昨夜。その段階じゃ、何も危惧するような事はなかったんだけど…事件(?)は、昼に起こった。

 

「なんてこった……水筒のパッキンが気付けばボロボロだ…」

「いやどうでもいいわ!それが事件かと思われるから止めてくれる!?」

 

紛らわしいタイミングで激しくどうでもいい事を言ってくる千㟢に、開口一番俺は突っ込む。…いや勿論、開口一番って言ってもさっきまでの授業で無言を貫いていた訳じゃないけど。

 

「えぇー…独り言にキレられるとか理不尽じゃね…?」

「どうせ分かってて言ったろ…俺には分かるからな…!」

「こんな話の中で凄むなよ……」

 

どっちがボケでどっちが突っ込みなのか分からないやり取りをする俺達二人。…って、いけないいけない。今日はのんびり下らない話をしていられる状況じゃないんだった……。

 

「…ん?なんか用事か?」

「用事ってか、購買だよ。今日は朝早くて弁当作ってないからね」

「あそう、気張ってこいよ〜」

 

財布を手にしながら席を離れ、千㟢からの問いに言葉を返す。気張ってこい、というのは心の籠ったエールじゃなかったけど…的外れって程でもない。

当然ながら、昼休みの購買は混む。漫画やアニメでよくある争奪戦……なんてレベルじゃないものの、ぼけっとしてたらいつまで経っても買う事が出来ないのが購買って所。だから好みのものが買える事を期待しつつ、俺は教室を出ようとして……

 

「あ、待って待って顕人君。今から購買?」

 

廊下に出る直前、後ろから綾袮さんに呼び止められた。それを受けて、俺はくるりと振り返る。

 

「うん、そうだけど…どうかした?」

「そっか、良かった〜。じゃあ…はい、どーぞ」

「……?これは…?」

 

ほっとした様子の綾袮さんが差し出してきたのは、見覚えのある布の袋。確か家にあった物で、重さは…そんなにない。

一体これは何なのか、急にどうしたのか。取り敢えず受け取った俺はそう思い、何の気なしにまた質問。…昨日うっかり何も考えず質問して明るくない雰囲気を作り出してしまったばっかりなのに、同じ事をしてしまった。そして、この質問がトリガーとなって……騒動が起こる。

 

「ふふん、存分に喜ぶといいよ顕人君。その中身はね……お弁当、だよっ!」

『……!?』

「え……!?」

 

満を持して、とばかりによく通る声で言い放った綾袮さん。──その瞬間、綾袮さんの声が聞こえたクラスメイトの視線のほぼ全てが、一斉にこちらへと殺到した。その理由は……言うまでもない。

 

「ちょっ、えっ…あ、綾袮さ…じゃなくて、宮空さん……!?」

「うん、どうしたの?っていうか、あれ?あんまり喜んでない…?」

「喜ぶも何も、この状況分かってる…!?」

「状況…?……あ…」

 

小声で問い詰める俺の言葉を受け、ワンテンポ遅れてから綾袮さんも状況を理解。…けど、綾袮さんが理解してくれたからって、何か変わる訳じゃない。あくまで普通のクラスメイトに過ぎない(風に見える)男子に対して、女子が突然親しげに弁当を渡す。しかもその女子は人気のある子で、これまで誰かに弁当を作ってきた事なんて一度もないとなれば……もうこの時点で、色々と決定的だった。

 

「ど、どど、どうしよう顕人君…!」

「どうしようじゃないんだけど!?…って言ってる場合じゃない、とにかく何か言わないと…!」

「な、何か…人違いだった、とか…!?」

「俺の名前出してるしそれで切り抜けるのは不可能だよ…!えーとえーと、クラスメイトに弁当を作ってくる、ごく普通の理由……なんてあるかボケぇぇぇぇ…ッ!」

「ふ、普通の味を作る事に定評のある子なら……」

「パロネタなんか言ってないで考えてくれる…!?」

 

テンパり全開で、でも声はギリギリまで絞ってこの状況を切り抜けられる言葉&それっぽい理由を探す俺達二人。けどただでさえ困難な状況に加え俺達はテンパってる訳で、良い案なんてこれっぽっちも浮かばない。そしてこうしている間も時間は過ぎ、何も返せず、かと言って立ち去る事もしない俺達の状態が余計勘違いを加速させていく。

驚く人、ショックを受ける人、何やらにやにやしてる人。反応は様々ながら、皆一様にこう思っている事だけは間違いない。「あ、この二人ってそういう関係だったのか」…と。

 

(不味い不味い不味い不味い!洒落にならない洒落にならない洒落にならない洒落にならないッ!)

 

打開策なんて浮かばないまま、動揺だけが加速する俺。それは綾袮さんも同じ事で、そんな中でやってくる…というかトイレかどこかから戻ってきた一人のクラスメイト。彼はすぐにクラス内の雰囲気に気付き、けど理由までは分からず友達に訊き、訊かれた友達は状況を…彼の思う、彼の抱いた俺と綾袮さんに対する認識を答えかけて……

 

「なんだ、良かったじゃねぇか御道。その弁当、御道がどっかに置き忘れたって言ってたやつだろ?」

『……っ!』

 

……助け舟は、不意に現れた。その主たる千㟢の意図を一瞬で理解した俺と綾袮さんは、続けて即座に言葉を紡ぐ。

 

「そ…そうなんだよ千㟢。いやぁ、まさか宮空さんが持ってきてくれるとは…ど、どこにあったの?」

「ええっと、に…二階の空き教室だよ?何か心当たりない?」

「二階…あー、朝生徒会に行った時、持ってた弁当箱を一回そこで置いたんだった!助かったよ宮空さん!」

「ううん、これ位お安い御用だよ!でも気を付けようね!」

 

即興で(会話なんて基本即興だけど)矢継ぎ早にもっともらしい事を言って、俺達二人は千㟢からの言葉に同調。その甲斐あってクラス内には「なーんだ、そういう事だったのか」という雰囲気が広がり、いつも通りの昼休みに戻る皆。そこで漸く緊張が解け、俺と綾袮さんは深い深い溜め息を吐く。

 

「せ、セーフ……」

「セーフ、じゃねぇ…危うくどえらい事になるところだったでしょうが…」

「うぅ、ごめんなさい…それに悠耶君もありがと〜…」

「いや、まぁ…流石に放っておくのは気が引けたからな…」

 

呆れ混じり近付いてくる千㟢へ向けて、俺と綾袮さんは心から感謝。気持ち的には両手を合わせたい位だったけど……あんま変な事すると折角の誤魔化しが無駄になるから、止めた。

 

「ほんとに感謝するよ…で、えぇと…弁当だっけ?」

「あ、うん。顕人君、色々頑張ってるしこういう時位は作ってあげようかな〜って」

「へぇ、貴女も気遣い出来たのね」

 

一応の落ち着きを得た事で、俺は本来の話に引き戻す。…と、そのタイミングで来たのは妃乃さん。

 

「あ、妃乃…もー!さっきピンチだったんだからフォローしてよー!」

「何でそんな偉そうなのよ…わ、私は単にタイミング見計らってただけだし……」

「……マジでそういう関係だと勘違いしてたんだな、妃乃」

「し、してないわよ!ちょっとびっくりしちゃっただけ!……あ…」

「ほーぅ、びっくりはしてたんだな」

 

何故か妃乃が手玉に取られている中、俺は弁当の入っている袋をオープン。すると当然そこには弁当箱が入っていて、更に開けてみると……そこにあったのはおにぎりが二つ。

 

(あ、凄いシンプル…でも、おにぎりって……)

 

男子高校生の昼がおにぎり二つ、というのは些か少ないと言わざるを得ないけど、まぁそれは女の子の綾袮さんなんだから仕方ないところ。それよりも気になる事があって、俺はちょいちょいと綾袮さんを手招き。

 

「どうしたの顕人君。…あ、まさかお米アレルギーだった?」

「これまで俺毎日の様に白米食べてる姿見せてるよね…!?…いや、見せてるって表現は変だけど…って、そうじゃなくて……」

 

昼休みは廊下にも人が沢山いるし、空き教室も地学室とか音楽室とかじゃないと人気があるのが学校の常。という事で俺は階段を上がって屋上前(屋上は鍵掛かってるから出入り不可)まで移動し、そこで気付いた事を口にする。

 

「…もしや、覚えててくれたの?」

「…って事は、顕人君も覚えてたんだね」

「覚えてたってか、思い出した…って感じかな。…前に綾袮さん、言ってくれたもんね。その内作ってくれるって」

 

そう、俺にとっての始まりの日、双統殿で俺を弄った後に綾袮さんは言ってくれた。その内だったか、気が向いたらだったかはよく覚えてないけど…おにぎりを作ってあげる、と。

あの時は冗談からの流れだったし、今言った通りこの事は殆ど忘れていた。でも、綾袮さんはちゃんと守ってくれた訳で……そこにはじーんとくるものがある。

 

「…食べてみてもいい?」

「勿論。っていうか、食べてくれなきゃ作ってきた意味ないもん」

「はは、そりゃそうだ。じゃ、頂きます」

 

巻かれた海苔の部分を持って持ち上げる俺。ここまで普段通りの綾袮さんだったけど、いざ食べる段階となると気になるらしく、じーっと俺を見つめている。

そんな綾袮さんの視線を受けながら、俺は一口。その瞬間口に広がるのは…なんて事ない、白米の味。作られてから数時間経った事でもう冷めていて、正直に言えば、特筆する点のない普通のおにぎり。白米を三角に固めて、海苔を巻いたってだけのもの。けど……

 

「…どう、かな……?」

「うん。…美味しいよ、綾袮さん」

「…ほんとに?」

「ほんとに」

「そっか、良かったぁ…」

 

俺は頬を緩めて、笑みを浮かべて綾袮さんに言った。美味しい、と。

嘘じゃない。お世辞でもない。間違いなく、味としてはなんて事ないおにぎりだけど…それを俺は、美味しいと感じた。綾袮さんが、俺を思って、俺の為に作ってくれたおにぎりなんだ。なら、それは……美味しいに決まってるじゃないか。

 

「ありがと、綾袮さん。嬉しいよ、綾袮さんが作ってきてくれて」

「ふふっ、そうでしょそうでしょ?もっと感謝してくれてもいいんだよ?」

「お礼言った途端に殊勝な態度消えたね…でもほんとに嬉しいし、感謝してるよ。なんか、これまで頑張ってきて良かったな〜、って感じで」

「あ、そこまでなんだ……そっかそっか、そんなに喜んでくれるなら…また作ってあげるね」

「え、ほんと?」

「うん。まぁ…気が向いたらだけどねっ!」

 

感想を言う直前は緊張してる感じで、言った直後は安堵に包まれていた綾袮さんの表情。けどその表情でいた時間は短く、すぐに自信満々で調子良さそうないつもの綾袮さんに早変わり。

でも、そこに悪い気はしない。だってそれが綾袮さんで、こうしておにぎりを作ってきてくれたのも、そんな綾袮さんなんだから。

そして、またもやいつになるのか分からない表現と共に、にっこりと屈託のない笑みを浮かべる綾袮さんを見ながら、俺は二口目を口に頬張るのだった。



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第百二十二話 文化祭とは忙しきもの

文化祭の準備は、あっという間だった…ような気がしないでもない。少なくとも、普段の学校生活よりは早く過ぎていったような気がする。これが、文化祭を楽しみにしていたからだ、準備自体を楽しんでいたからだって考えるのは、かなり恥ずいところだが……多分少し位は、そういう面もあったんだろう。

そして今日、文化祭は……当日を迎える。…まぁ、厳密には一日目を、だがな。

 

「え、俺!?何故に俺!?こういう時って普通実行委員か学級委員が言うもんじゃないの!?」

 

時刻は朝。場所はそれなりのクオリティの『店』となった、我がクラス。開始前の決起集会っぽい事をクラス内でする中、御道が担ぎ出されていた。

 

「うぐっ、確かにクラスの方はあんま参加出来ないけど…分かったよやるよ…。…こほん。えー…俺としては、高校の文化祭って一番記憶に残る文化祭だと思ってるんだよね。だって小中はそもそも文化祭がなかったり、文化祭とは名ばかりのイベントだったりするし、大学は参加しない人も結構いるし。だから、ここまで俺は凄ぇ楽しみにしてて、今も開始を待ち遠しく思ってる。…って訳で、その…まぁ、うん…もう準備はやれるだけやったんだから、皆今日と明日は楽しもう!ごちゃっとしたけど、以上!」

 

その言葉通り、非常にごちゃっとした御道の言葉。だが俺からすれば即興でこんだけ言える事自体が凄ぇし、内容はごちゃっとしていても気持ちははっきりと伝わってきたからか、周りからの反応も上々。……因みにこの後、普通に実行委員と学級委員も言葉を言った事で、「じゃあ尚更俺はなんだったの!?」…と御道は全力で突っ込んでいた。

 

「はぁ…クラス規模で弄ってくるってなんなの…?」

「日頃の行いだろ」

「日頃の行いがこんな事にまで影響してたまるか……。…まぁ、いいや…言いたい事は言えたし」

「…そうやって受け止められるから、今の立ち位置があるんだろうよ」

「…それは、うん…すまん、悪い気はしないけど反応に困るわ……」

 

それもそうだな…と俺は、言っておきながら心の中で御道に同意。そうこうしている内に開始の時間は迫ってきて、御道は生徒会の仕事へ向かう。

 

「じゃ、料理頑張れよー」

「そっちもガラの悪い集金頑張れよ〜」

「所場代取るヤクザか!やらんわそんな事!」

 

その後クラスも最終準備へ。俺の所属する調理担当は食材機材の最終確認を行い、フロア担当と呼び込み担当は各々着替え、万全の状態で開始を待つ。

 

「うんうん、やっぱ似合ってるね綾袮ちゃん!」

「流石妃乃、ほんと何着ても似合うんだから…」

「ねね、後で写真撮ろうよ写真!」

 

万が一にも食中毒が起きたら不味いのは当然の事、そうでなくとも油断すればすぐ不可逆のミスに繋がってしまう俺達調理担当は、ぶっちゃけまぁまぁ緊張気味。その一方、フロア担当はえらいご機嫌そうだった。…つっても、仕切りがあってこっちからは声しか分からないんだけどな。

 

(…てか、演劇喫茶とは言ったものの、これ実質コスプレ喫茶だよな。…コスプレと言えば……)

 

衣装をコスプレ扱いするのは役者を生業にする人に対して失礼だが、うち…ってか文化祭レベルだとぶっちゃけコスプレ感が抜け切らない。

そしてコスプレというと、俺はある人物を思い出す。あっちは完全に、コスプレだもの。

 

「よーし…頑張ろうね、千㟢くん!」

「ん?…そうだな」

 

なんて思っていたところへ声をかけてくる、同じく調理担当の女子。その言葉で俺も意識を現実に引き戻し、開始に向けて気を引き締める。

この出し物を成功させるべく、クラスメイトは皆頑張ってきた。俺はその姿を見てきたし、ってか一緒に準備を進めてきた。だから……今日までの準備の成果を出す為にも、きっちりしっかり頑張らねぇとな…。

 

 

 

 

「ういしょ、っと」

「結構重量感あるんですよね…っと」

 

カーテンを閉め照明を落とし、薄暗くなった体育館。そこで繰り広げられているのは、ベタながらも面白い演劇。喫茶店と混ぜたうちのとは違う、純粋な舞台での芸。

 

「特等席ですねぇ、ほんと。…見辛いですけど」

「見辛い特等席って何さ…いや分かるけど」

 

その演劇を見ている俺だが、別に俺は観客じゃない。むしろ俺は、スタッフサイド。

今俺の真ん前にあるのはでかいライトで、俺がいるのは体育館の二階。察しが良い人ならもう分かってると思うけど……要は、スポットライト係である。

 

(ほんと、生徒会って何なんだろうな……)

 

これが大切な仕事だというのは分かっている。仕事は誰かがやらなきゃいけないから仕事なんだって事も、理解している。でも本来、生徒会ってのは学校の舵取りをする存在…それこそ生徒会『役員』な訳で、その役員がこんな一作業員みたいな仕事をするのはほんとに納得がいかない…とまでは言わずとも、何だかなぁ…って気分になる。…つくづく生徒会は名ばかり役員だって事を思い知らされるよね…とほほ……。

 

「しかしまぁ…ただ暗くするだけで大分雰囲気が変わるんですから、光って大したものですよね」

「…珍しいね、慧瑠がムードの話をするなんて」

「失礼な、自分だって偶にはそういう話もしますよ。…ムードって言われても正直ピンとこないですけど」

「それでよく失礼な、なんて言えたね…」

 

演目中はお静かに、なんて言うけど舞台からかなり離れた二階であれば、多少喋ったって問題はない。…という訳で慧瑠と話していると、慧瑠は少しだけ感情の読めない表情をしていた。…すぐにいつもの顔に戻ったけど。

 

「そういえば、先輩はこの後時間空いてるんですよね?どこに行くんですか?」

「あー、そうだなぁ…一回自分のクラスに顔出そうとは思ってるけど、それ以外はあんま決めてないや。慧瑠…は、まだ仕事あったんだっけ?」

「ありますよー、それはもう沢山と。…あ、予定が決まっていないなら自分の手伝いをしてくれても……」

「えー」

「シンプルな反応しますね…ま、別に良いですけど。自分だって空き時間だけじゃ足りない程駆け回りたい訳じゃないですし」

 

切実な頼みではなく冗談混じりの発言である事は薄々分かっていたから、適当に返してみた俺。するとやっぱり冗談半分だったらしく、慧瑠にこれといって堪えた様子はなかった。…これ、手伝うって言ってたらどうなってたんだろ…てか、思い返すとこれまで慧瑠には、割と手伝ってもらったりその申し出を受けたりする事があったな……手伝いと称して実際には別の目的があった、のパターンが殆どだったけど。

 

「…空き時間の間、何か食べ物買ってこようか?」

「え、どうしたんですか急に」

「いや、何となくそれ位はしてもいいかな〜、と」

「はぁ…じゃ、きりたんぽをお願いします」

「秋田まで行って来いと…!?ぶ、文化祭内で買える物に決まってるでしょうが…!」

「じょーだんですよじょーだん。…紙袋に包まれてるとか串に刺さってるとか、そういう手が汚れない食べ物だと嬉しいです」

「はいよ…全く、まさか郷土料理が出てくるとは……」

 

思わぬ発言にビビった俺を見て愉快そうにした後、改めて慧瑠はリクエスト。それを受けた俺は呆れつつ頷き…って、ん?そういやきりたんぽ…ってかたんぽ餅?…も棒に刺さった食べ物だよな…まさか本当にきりたんぽを食べたかった……なんて訳ないか。

 

「どっかのクラスがチョコバナナ売ってた気がするな…それでいい?」

「えぇ、勿論です。…因みに先輩、その時は誰かと一緒に回ったり?」

「誰かと?…んー、そりゃ皆の空き時間次第だね。流石に一人寂しく回るのは避けたいけど……」

「皆…えぇと、宮空…さんとかですか?」

「な、なんで今あ…宮空さんの名前を…?」

「いや、だって前に親しげに話してましたし」

 

またもや思わぬ事を言われ、さっき程じゃないものの俺は動揺。けど確かに慧瑠は俺と綾袮さんが話してる姿を最近見てる訳で、そう考えれば然程おかしな事でもない。それにそもそも綾袮さんはクラスメイトなんだから、一緒に回る事自体変なんかじゃ……

 

「…もしや先輩、彼女と深い仲だったりします?」

「ぶふ……ッ!?」

 

またもやまたもや思わぬ事、しかも三度目は慧瑠が普段ならまず言わないような言葉が出てきて遂に俺はむせてしまう。あ、あっぶなぁ…今ライトの操作中だったら、間違いなく変な方向に向けるところだった……。

 

「ほぅほぅ、その反応は……どういう反応で?」

「分かってないんかい…驚きの反応だよ驚きの。誰だって急にそんな事言われたら驚くっての…」

「そーですか?」

「そーなの…」

 

訊いておきながら慧瑠は、拍子抜けする程にあっさりした反応。俺をからかいたいのか単なる疑問だったのか、その後の言葉含めてほんと掴み所のない様子に何だか疲れてしまう俺だった。

 

「あぁ、終わった……ただライト動かしてただけの筈なのに、えらい疲れた……」

「お疲れ様です、先輩」

「今更感じの良い後輩ぶっても遅い……」

「えー、自分は他意なく労っただけなんですけど…まあともかく、チョコバナナ待ってますね」

 

公演終了と同時に一旦俺の仕事も終わり、一度生徒会室に寄ってから俺はフリータイムに。慧瑠とのやり取りで若干疲れてしまったけど…その分があっても尚まだやる気が残る位には、今の俺はワクワクしている。

 

「さって、まずは…クラスに帰還かな。あんますぐチョコバナナ持ってったら、慧瑠に『気を遣わせてしまった…』って思わせちゃうかもしれないし」

 

やや長めの独り言を言いつつ、俺は営業中の我がクラスへ。その道中すれ違う人は皆楽しそうな表情を浮かべていて、これだけでも文化祭は成功なんじゃないかなぁと思う俺。

で、俺がクラスの近くにまで行くと、そこには多少の人だかりが。見物人か、それともまさか外に並ぶ程大盛況なのかは分からないけど、少なくとも注目をされているのは疑いようのない事実。

 

「ただ今戻り……おぉ…!」

 

従業員専用扉(仮)から中には入った俺が、真っ先に感じたのは熱意。フロア担当の人は勿論、調理担当の人達もやる気に満ちていて、それが熱意となってクラスの中を包んでいる。

 

「あ、お帰り顕人君!…じゃなくて、お帰りなさいご主人様…かな?」

「…あ……た、ただいま……」

 

これなら注目だってされるよな、と思いながら教室の奥、お店としては『裏』に該当する場所へと移動した俺へ声をかけてきたのは、いつもに増して明るく楽しそうな声音の綾袮さん。

……いや、この表現は正しくない。正しくないってか、明らかに間違っている。だから訂正しよう。俺に声をかけてきたのは、明るく楽しそうな声音の、『メイド服を着た』綾袮さん。

 

「どうどう?多分初めて見る訳じゃないと思うけど、可愛いでしょ?」

「そ、それはまぁ……」

「まぁ?まぁまぁ可愛いって事?」

「う……まぁまぁじゃなく、凄く可愛いです…」

「でしょー?でもそのせいでわたし引っ張りだこなんだよね。いやぁ、人気者は辛いな〜」

 

くるり、と軽やかなターンでメイド服を見せてくれた綾袮さんは、どこから見てもご機嫌そのもの。曇りのない表情の綾袮さんに「凄く可愛い」を引き出された俺が恥ずかしくなる一方、引き出した方はと言えば絶賛調子に乗りまくり中。…でも、まぁ…ぶっちゃけてしまうとすれば……そんな生意気な態度なんて全然気にならなくなる程、むしろそれも『良い』と思えてしまう程、メイド服姿の綾袮さんは可愛かった。もうね、めっさ可愛い。

 

「…って、ん?なら、ここで話してて大丈夫なの?」

「うん、わたし今休憩中だもん。だから注文しても持ってきてあげないよ?むしろ何か飲み物を持ってきて欲しいかなー?」

「…持ってこいと?」

「持ってきて下さいな、ご主人様っ♪」

「ご主人様パシリにするメイドってなんじゃそりゃ…(くそう、可愛いなぁもう…!)」

 

言葉の暴力ならぬ、可愛さの暴力。その重い一撃を真正面から喰らった俺は凌ぎ切れず、綾袮さんの思い通りに飲み物を取りに行ってしまった。

 

(…何というか…理不尽だよなぁ、これは……)

 

取りに行く最中、ちらりと見たフロアサイド。今は綾袮さんが抜けているけど、代わりに妃乃さんが中心となってフロアを切り盛りしており、客足が遠退いた様子もない。

現在盛況となっている、うちの出し物。けれど、それは間違いなく企画や準備の賜物ってだけじゃない。お客さんの全員がそうだとは言わないけど、何割かは綾袮や妃乃さん、それに可愛い子や格好良い人を目当てに来てるんだろう。…個々の知恵や頑張りじゃ変わらない、ある種普遍的なアドバンテージってのは…やっぱり、理不尽っていうかズルいと思う。…容姿は本人が望んだものじゃないし、可愛い人格好良い人は他のクラスにだっているんだから、気にする必要もないんだろうけどね。

 

「はいお待たせ。…お客さんにはちゃんと接客してあげなよ?」

「もー、言われなくてもしてるってば。わたしが練習する姿、毎日見てきたでしょ?」

「そりゃまぁ、ね。見てきたってか、相手してきただけど」

 

引っ張りだこ、ということばは誇張じゃなかったのか、疲れを癒すように渡した飲み物をすぐに飲んでしまう綾袮さん。その姿に頑張ってたんだなぁ、と俺は感じつつ……ふと先程慧瑠に言われた事を思い出し、言う。

 

「…ところでさ、綾袮さん。俺暫く自由時間なんだけど…綾袮さんは?」

「わたし?わたしもこの後もう少しやったら自由時間だけど…あ、一緒に回ろうっていうお誘い?」

「…まぁ、有り体に言えば……」

「ほほーぅ。…でも、わたしもう皆と約束してるんだよね。顕人君、女の子の集団に混ざる勇気ある?」

「そ、それは…うん、またの機会にさせて頂きます……」

 

俺が思い出したのは、綾袮さんと深い仲なのか…という方ではなく、それより前の誰かと一緒に回るのかという質問。…まぁ、前者も思い出してた…っていうか、綾袮さんに声かけられて以降ずっと頭から離れてないんだけど…。……こ、こほん。

ともかくその言葉から「ほんとに一人で回るのは避けたいな…」と思った俺は訊いてみたものの、結果的にはこっちから取り下げる形に。…流石に、そのグループに加わるのはね…男一人って状況自体は家でも同じだけど、家の場合はその状態がデフォルトな訳だし…。

 

「ごめんね、折角誘ってくれたのに」

「いや、綾袮さんは何も悪くないんだから謝らないでよ。…千㟢もまだ手が離せないみたいだし、適当にぶらつくとしようかな」

「え、ぼっちで?」

「ぼっちでじゃないよ…誰かとだよ……」

 

基本学校じゃ千㟢とつるんでる俺だけど、千㟢以外にも仲の良い相手はそれなりにいる。という訳でその内時間の合った数人と共に校内を周り、その流れでチョコバナナを購入。暫く駄弁りながら楽しんだ後、その数人と別れ……土産を手に、生徒会室へと戻るのだった。

 

 

 

 

どうも、うちの出し物は中々盛況らしい。飲食系の出し物をした場合の平均ってもんを知らない以上、断言は出来ないが…まぁ少なくとも、閑古鳥が鳴いてる状態では、間違いなくない。

それは、良い事だろう。出し物ってのは、客が来てなんぼだからな。…だが、俺は知らなかった。想像も付かなかった。……客足が途絶えない状態というのが、如何に店側にとって大変なのかを。

 

「っと、出来た…!次はえーと、フレンチトースト三人分だったな…!

「そう!千㟢くん、頼める!?」

「はいはい任せろ…!」

 

怒号が飛び交う…って事はないが、ここ暫くずっと慌ただしい調理エリア。作っても作っても次の注文が来る。慌てて作る必要はない、それで怪我でもする方がずっと駄目だと言われてはいるものの、状況…というか雰囲気がどうにも俺達を急がせる。出し物が盛況なのは、クラスの一員として嬉しいが…だとしても忙しいもんは忙しいんだよな…!

 

(こんなんなら調理担当引き受けるんじゃなかった……って言いたいところだが、こっちが忙しいなら当然向こうも忙しいんだろうな…)

 

客が多くて忙しいなら、フロアの方だって大変な筈。そして慣れてる料理と違い、フロア担当ならやらなきゃいけないのはこれよりずっと面倒な接客。そういう意味じゃ、俺はまだ楽な方なのかもしれない。…まぁ、逆に接客の方が楽だって奴もいるとは思うが。

 

「ピザトースト二人前、お願ーい!」

「ピザトーストだな、頼んだ!」

「うん!」

「皆お待たせ、あたしは何作れば良い?」

「あーじゃあ一回食器の整理頼む!流石に邪魔になってきた!」

「食器…うわ確かに、これは邪魔だね…!」

「挽肉の日本風 〜マヨネーズを添えて〜一丁!」

「そんなメニューあるか!休憩中なら邪魔すんな!」

「あ、ご、ごめん……うひゃー、まさかフライパン持った悠耶君に怒られるとはね…」

 

注文を捌きつつ、休憩から戻ってきたクラスメイトに指示を出しつつ、意味不明な注文を出してきた綾袮を一喝。そんな事をしなから料理をし続ける事……えーと、とにかく長い時間。恐らく平時の数日分どころか数週間分位の料理を完成させ……やっと、客足が落ち着いてきた。

 

「あ"ー……疲れた…」

 

教室の奥で椅子に座り、脚を投げ出して休む俺。今は短い休憩じゃなく、完全な空き時間なんだが…なんかもう、出歩く気がしねぇ……。

 

「お疲れ様、凄く頑張ってたみたいね」

「…妃乃か……」

 

…と、思っていたところで不意に近くの机へ置かれた、ホットケーキ。この声は…と思って視線を動かすと、持ってきてくれたのはやはり妃乃。

 

「…………」

「……何よ」

「…や、何でもない……」

 

妃乃が着ているのは、見るからに手の込んでいる和装。よくもまぁ用意出来たなって位、文化祭の道具にしては出来が良く……目の保養になるな、うん。そりゃ綾袮とフロアのツートップになる訳だ。

 

「…………」

「何だその訝しげな目は…信用ならないってか?それとも褒めてほしかったか?」

「な…ッ!?前者よ前者!だ、誰が貴方なんかに褒められて喜ぶかっての!」

「へぇ……ならいいか。流石にそんな言い方されたら、俺も言うのは気が引けるしな」

「え……?そ、それって…」

「さーて、ホットケーキ食べるとするか」

「ちょっと!?何普通に食べ始めようとしてるのよ!?今のは!?今のは何なの!?」

「冗談だ」

「あ、そうなの……冗談!?はぁぁ!?」

 

英気回復を兼ねて妃乃を弄ると、思った以上に妃乃は愉快な反応を返してくれた。妃乃もフロアでそれなり以上に疲れている筈だが、立て続けに全力突っ込みが出来る辺りは流石協会のトップエース。…うん?実際のところ、和装の妃乃を見てどう思うか?……さぁて、な。

 

「折角労って余りのホットケーキ持ってきてあげたってのに…ふん!飲み物は自分で取ってきなさいよね!」

「…って事は、飲み物も最初は持ってきてくれるつもりだったのか」

「うぐっ…ほんとムカつく……」

 

更に妃乃を弄ってみると、今度は恨めしそうな視線が俺に。これ以上弄るのは危険だと判断した俺はここで打ち止めとし、ホットケーキへと目を移す。…ちょっと冷めてるな…余りなんだから当然っちゃ当然だが……。

 

「…悪いな、わざわざ持ってきてくれて」

「…貴方の頑張りからすれば、この位当然の報酬よ。途中からは調理担当の実質的なリーダーみたいになってたし」

「あれはまぁ、流れでそんな感じになっただけだ…てか、報酬これだけなの…?」

「それを言うならそもそも私が報酬を用意しなきゃいけない道理もないんだけど?」

「…正論で返すな正論で……」

「普通の事言っただけだけどね。…でもま、疲れてるなら何か買ってきてあげてもいいわよ?どっちにしろ私、今から暫く回ってくるし」

 

…という事はつまり、妃乃はわざわざホットケーキを持ってきてくれたどころか、わざわざ出る前に俺を労いに来てくれたって事になる。……あ、ヤバいなこれは…流石にこうなると、さっきの弄りが申し訳なくなってくる…。

 

「…で、どうするの?特に欲しいものないなら私もう行くわよ?」

「あ、お、おう…そうだな、何かボリュームのあるものを頼む。…それと、あれだ……」

「…あれ?」

「…やっぱ何でもねぇ……」

「はぁ…?…何が言いたいのやら……」

 

急かされ要望を伝えた俺は、そこから謝罪をしようとし……だが結果は言えず終いで、代わりにホットケーキを一口放り込む。…弄った事を謝るなんて柄じゃないとはいえ、今のは恥ずいな…それなりの年月生きてる癖になる情けねぇ……。

そんな思いを抱く俺の口の中で、ふんわりと広がるホットケーキの味。蜂蜜やバター無しでもほんのり甘く、食感も悪くないこのホットケーキは何故かとても馴染み深く……って、ん…?

 

「……あー…」

「…今度は何よ」

「いや、多分これ……さっき俺が間違って余分に作ったやつだ…」

「…あー……」

 

──別に不運じゃない。何か困ったり、嫌な思いをした訳でもない。だが、申し訳と思った癖に言えなかった俺を嘲笑うように……何とも言えない展開が、この時俺の元へと訪れていたのだった。



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第百二十三話 初めての文化祭、楽しそうな二人

文化祭の一日目は、つつがなく終わった。デカいハプニングもサプライズもなく、多少の意外はあっても想定外はない、運営側からすれば理想的とも言える形で。ここまでの努力が成果を出し、皆が喜び楽しめる結果で終了した。

で、今日は二日目。一般の方も来場する、文化祭の後半戦。…そりゃまぁ、文化祭が一話だけで終わる訳ないよね、って話です。

 

「準備良し、っと」

 

二日目である今日の朝、俺は荷物を持って玄関へ。理由は…言うまでもない。

 

(今日は一般の人への案内やら何やらで忙しくなるし、気張っていかないとな…)

 

心の中でそう呟きながら、靴を履く。昨日からのやる気を維持したままの綾袮さんはもう家を出ているから、今日は俺の方が遅いパターン。

 

「忘れ物…も、ないね」

「大丈夫ですよ、私達も問題ありません」

「了解。今日は一日晴れだっけ?」

「うん。天気予報で晴れって言ってた」

「だったらお客さんも沢山来るだろうね。さーて、そんじゃ行ってき……」

『…………』

「…え、なんで二人も靴履いてんの…?」

 

自然に、物凄く自然に会話に入ってきた…というか、俺の独り言に応答してきたロサイアーズ姉妹。あんまりにも自然だったものだから、扉を開けて片脚を外に出すまで普通に会話してしまった。…さ、流石元アサシン…違和感なく近付くスキルぱねぇ…。

 

「……?」

「いや『……?』じゃなくてだね…どこ行くの?」

「顕人さんに着いていくんですよ?」

「……一応、訊くけど…その理由は…?」

「文化祭」

「…に、私達も行ってみたいからです」

 

見事(?)な連携で分担して答える二人に、ふざけている様子はない。それに今日着いていくってなったら、実際のところ理由なんて訊くまでもなかった。

そりゃそうだと思う。同世代の俺だって文化祭を楽しみにしてるんだし、二人は文化祭どころか学校自体縁遠い生活を何年もしてきたんだから、行ってみたいと思うのは当然の事。でも……

 

「えっとだね…今行ってもまだ開始してないから、敷地の外で待たなきゃいけなくなるよ…?」

「…そうなの?」

「そうなの」

「…しまった、想定外」

「これ位想定しなよ…ってか、まさかフォリンさんも?」

「…私は、その…ラフィーネの意思を尊重しようと……」

「…………」

「フォリン、そういう嘘は良くない」

「うっ…ごめんなさい……」

 

珍しく短絡的なミスからの誤魔化しを行ったフォリンさんは、俺が半眼で見る中ラフィーネさんに注意されてしゅんと謝罪。…さっきの自然と入ってきたのもそうだけど、この二人って何かズレてるんだよね……。

 

「まぁ…そういう訳だから、二人はもう少し待ってなよ。場所…は、地図アプリで検索すれば分かるでしょ?」

「そ、そうですね…そうさせてもらいます…」

「顕人、もっと早く言ってくれればいいのに…」

「言うも何も、知ったの今なんだけどね…」

 

何故か俺のせいみたいに言うラフィーネさんに緩く突っ込みながら、改めて俺は手を扉に。…分かるよね?勝手な想像だけど、地図も読めずに暗殺者なんてやれるとは思えないし。

 

「じゃ、行ってくるね。何か分からなくなったりしたら携帯に連絡くれればいいからさ」

「ん、分かった」

「はい。行ってらっしゃいませ」

 

そうして俺は開始時間を伝え、二人の見送りを受けながら外へ。…さて、じゃあ今日は二人も来る訳か…他にも知り合いが来る可能性は普通にあるし、これは気を抜けないかなぁ…。

 

 

 

 

──と思っていたら、早速来た。文化祭二日目開始とほぼ同時に……ロサイアーズ姉妹を発見した。

 

(早ぇ!二人共そこまで楽しみにしてたのね…)

 

俺が二人を発見したのは、正門近くで案内やパンフレットの配布を行う係…要はサービスカウンター的仕事を担当していた時。そりゃもうびっくりだよ。だって「おー、沢山人来てるなぁ…」と思っていたところで、早速二人を見つけたんだから。

 

「あ、いた」

 

案内所は分かり易い所にあるのもあって、向こうもすぐに俺を発見。寄ってきた二人にパンフレットを渡すと、二人は早速開いて中を一瞥。

 

「…お店、思ったより多い…」

「ですね…しかし顕人さん。顕人さんは綾袮さんと同じく、えぇと…演劇喫茶?…をやるのではなかったのですか?」

「それはクラスの事で、今やってるのは生徒会の仕事だよ」

「あぁ、そういう事ですか。朝からお疲れ様です」

「あ、うん…(労われた…まだ開始してから数分もしてないのに…)」

 

軽く言葉を交わした後、二人はパンフレットを手に進んでいく。仲良く歩いていく二人の後ろ姿を見て、ふと俺が抱いたのは穏やかな気持ち。今日は楽しんでほしいという、ささやかな願い。

…と、見送ってから十数分後。何事もなく勤めを果たしていると、そこでまた知り合いが来場した。

 

「えっと…あ、おはよう顕人君」

「おはよ、茅章。いや、いらっしゃいの方が良かったかな?」

 

きょろきょろと見回しながら敷地内へと入ってきたのは、少し前にもし良かったら…と声をかけておいた茅章。挨拶を少しばかり恭しく言い直してみると、茅章は大丈夫だよと小さく笑う。…今日も茅章は中性的だなぁ……。

 

「賑わってるね、文化祭」

「お陰様でね。…茅章は一人?」

「うん…その、ごめんね?誘ってくれた時にも言ったけど、やっぱりどうしても用事が外せなくて…」

「いやいや、謝る必要はないよ…ってか、なら来て大丈夫なの?」

「まだ少しだけ時間があるから、顕人君と悠耶君に会うだけはしてこよっかなって思ったんだ。折角誘ってくれたんだもんね」

「そうだったのか…じゃ、千㟢呼び出そうか?」

「ううん、自分で行くから大丈夫だよ」

 

そう言って茅章もパンフレット内の案内図を確認し、人の流れに沿って歩いていく。…用事がある中、会うだけでもって来てくれたのか……じーんとしたよ、茅章…。

 

(…って、あ…茅章、千㟢にちゃんと会えるかな…千㟢が調理担当だってのは話の流れで伝えたけど……)

 

まだ混む時間帯じゃないし、恐らくは大丈夫だと思う。…けど、念の為と思って俺は千㟢の携帯にメッセージを送信。そして携帯をしまい、また案内業務に戻……ろうとしたところで、何故かラフィーネさんとフォリンさんが戻ってきた。

 

「え…どうかしたの?」

 

今度はこっちから声をかける俺。ここを一度通った人がまたここへ来る場合は、基本的に案内を求めているかもう帰るかのどっちかだけど、さっきの二人の様子からしてこんな数十分で満足したとは思えない。

 

「そのですね…幾つか入ってみたいお店はあったのですが、どうも作法が分からず…」

「作法…?」

「顕人、教えて」

「いや、待った待った。教えても何も、作法?茶道部の所に行ったの?」

『さどうぶ…?』

 

作法と言われてぱっと思い付いたのが茶道部だったけど、そもそも二人は茶道部自体がよく分かっていない様子。けどそれなら、二人は一体どのクラスの事を言っているのだろうか。…と考えてみたところで、全然頭には浮かばない。…うーん……。

 

「どこのクラスの話…?」

「ここと、ここと、ここ」

「…どこも普通の出し物だけど…?」

「ですが、何かしらありそうな雰囲気が…」

「そんな雰囲気なんて…あ…あー……分かった、そういう事か…」

 

どうにも理解出来ない、二人の言う作法。それに俺は首を傾げ……閃く形で、気付いた。分からないながらも、「こういう事なんじゃないか」というのが浮かび上がった。

けれどそれは、口頭での説明が難しい。何故なら、実際に見てみないとまだ何とも言えないから。となると、手段は一つしかない。

 

「あの、すみません。この二人の案内で暫く抜けたいんですけど…いいですか?」

「あー、いいよいいよ。どっちにしろもうすぐ交代だからね」

「分かりました、ありがとうございます」

 

同じくここで業務に就いていた先輩から了承を得て、俺は席から腰を上げる。良かった、これなら二人に同行出来る。

 

「じゃ、そういう事だから俺も一緒に行くよ。まずはどこからにする?」

「じゃあ、ここ」

 

俺からの問いかけを受けて、パンフレットの一ヶ所を指差すラフィーネさん。そこに書かれていたのは、多彩なチョコバナナを売っているクラスの名前。…って、これ昨日俺が行った所じゃん…。

 

「二人って、チョコとかバナナとか好きだっけ?」

「好きか嫌いかなら、どっちも好き」

「チョコは単純に甘いですし、バナナはエネルギー補給の面で優秀ですからね」

「…うん、まぁ…二人ならそう返すよね…」

 

苦笑いしながら二人を連れて、校内を移動。混んではいるものの別にマンモス校とかではないという事もあって、俺達数分と経たずに目的地へ到着する。

 

「で、着いた訳だけど…」

『…………』

「…うん、やっぱり作法なんてものはないよ。少なくとも、ここではね」

 

出し物とその周囲、それにお客さんを見回した俺は判断を口に。先程浮かび上がった仮説を目の前の光景で補強しつつも列に並んで、ラフィーネさんはチョコそのものな色のチョコバナナを、フォリンさんはピンクのチョコバナナをそれぞれ購入。併設されていた席…は埋まっていたから、チョコバナナを手に俺達は廊下へ。

 

「顕人さんは買わないんですか?」

「俺は昨日食べたからいいよ」

「ふぅん……ん、美味し…」

「要はバナナをチョコで覆っているだけなのに、それ以上のものを感じさせる美味しさですよね…」

 

ある程度隙間のある場所まで移動したところで、揃ってチョコバナナを食べ始める二人。チョコのストレートな甘さとバナナの程良い甘みで頬を緩ませ、もぐもぐと食べ進めていく。…チョコバナナを咥えて、頬張って、咀嚼した後……また口へ。

 

「…………」

 

何故俺が黙っているのかは、男性諸君であればお分かりだろう。チョコバナナはチョコバナナ、食事は食事であって、意識して『そういう』食べ方でもしない限り、チョコバナナを食べてる…って事以上の感想なんか抱く訳ないだろ、と思っていた俺だけど……そんな事、ない事もなかった。

 

「…フォリン、こっち一口食べてみる?」

「あ、いいんですか?じゃあ…んっ、こっちも美味しいです」

「わたしもフォリンの一口貰う。あむ…」

(おーぅ……)

 

フォリンさんは差し出された食べかけのチョコバナナを食べて、ラフィーネさんも(勝手に)フォリンさんのバナナを一口。お互いのものを食べ合うというのも、中々……って、ごほんごほん。何を考えとるんだ俺は…。

 

「…次はどこ行きたい?あ、別に慌てて食べる必要はな「ここ」……いけど、食べ終わったのなら串は捨てて来ようか…」

 

思考を仕切り直した俺へ続いて提示されたのは、バラエティ調のクイズを出し物としているクラス。更にその後はたこ焼き屋へと向かい、数十分間で俺達は三店舗を梯子。そのどこでも、二人はそれなり以上に楽しんでくれて……三つ目を後にする時には、俺も仮説に対する確信を得ていた。

 

「いか焼きは、名前の通り。でもたこ焼きは蛸と生地焼きで、たい焼きは鯛の形してるだけ……」

「にも関わらず、命名の形式は同じ…難しいですね、日本語って……」

 

買ったたこ焼きを口の中に放り込みながら、変な事を真面目に考えている二人。言われてみりゃ確かに変だけど…そこ気にする……?

 

「…二人共さ、そろそろ分かったんじゃない?」

「……?…○○焼きのルール?」

「そっちじゃないそっちじゃない…二人が勘違いしてただけで、そういうものがあるって『気がしてた』だけで、作法なんてないんだよ」

 

二人は作法が分からないと言った。でも俺の考えていた通り、どの出し物も作法なんでのはなかった。

なら何故、二人は作法があると思ったのか。…それは、異文化が招いた齟齬。普段何気なく思っている、それが当然だと思っている事でも国や地域が違えば普通じゃなくなる事もままあって、そんな違いが幾つか組み合わさった結果、二人には『存在しない作法』が感じられたんだろうと思う。

 

「そんな事は……と、言いたいところですか…確かに、作法らしきものはなかったですね…」

「でしょ?というかそもそも、具体的にはどんな作法があるって思ったの?」

『それは……』

 

答えかけて止まった、二人の言葉。それもまた、俺の考えを裏付ける要素。雰囲気やちょっとした言動が、作法があると誤認させていた()()なんだから、具体的なものが出てくる訳がない。二人が感じていたのは、イメージという漠然とした虚像なんだから。

 

「ね?って訳で、もう俺の案内は必要ないかな?」

『…………』

(……あれ…?)

 

対応しなきゃいけない作法なんてないんだから、俺がいなくても大丈夫な筈。なら、姉妹で楽しもうとしてたところに水を差すのも悪いし…と思って切り出した俺だったけど、何やら二人はむっとした顔に。…な、なんか不味かった…?

 

「…顕人さん、それは真面目に言ってます?」

「…ふざけて…は、いないけど……」

「…はぁ、そういうところはダメダメですね、顕人さん」

「え、だ、駄目駄目…?」

「うん、ダメダメ。酷い有様」

「ら、ラフィーネさんまで…一体何が悪かったの…?」

「一体も何も……まさか、あの日の夜の事を忘れた訳ではないでしょう?」

「あの日の……って、それって…」

 

少し顔を近付けて言ったフォリンさんの言葉に、俺が思い出す。二人がうちに住む事となった日の事を、その夜に知った、二人の抱く今の思いを。

こんな事を言われれば、俺だって理解する。けど、すんなり飲み込めるものじゃない。現に俺は、思い出しただけで少し頬が赤くなってしまうような人間で……そんな俺を差し置いて、二人は何事もなかったかのように歩き出す。

 

「ちょっ、え…?」

「顕人、遅い。だから何か買ってきて」

「たった数歩分遅れただけで!?理不尽にも程があるよ!?」

「なら、代わりに手を繋いで」

「そ、それならまぁ……って、え…!?こ、ここで……!?」

「何です顕人さん、ラフィーネと手を繋ぐのが嫌だと言うんですか?それとも…私の方が、良かったですか?」

「んな…っ!?そ、そういう事じゃ……」

 

振り返って感情の読めない…けれど無垢な表情で右手を差し出してくるラフィーネさんと、顔を顰めたと思いきや、どこか艶めいた表情で訊き返してくるフォリンさん。前触れもなく、不意打ちのように向けられた二人の『誘い』に、俺はしどろもどろとなってしまい……次の瞬間、二人は揃ってくすりと笑う。

 

「…なんて、冗談ですよ」

「へ……?」

「ここは公衆の面前。顕人、常識的に考えて」

「……っ…は、嵌めやがったな二人共…ッ!」

『勿論♪』

「勿論♪…じゃねぇ…ッ!」

 

悪戯を成功させた子供のような二人に俺は憤慨するも、二人にとっては何処吹く風。ラフィーネさんの言う通りここは公衆の…ってか毎日通う学校な訳で、騒がしいとはいえあんまり大きな声を出す訳にもいかない。となると、元々威圧感が不足しがちな俺が二人を竦ませる事なんて出来る筈もなく……

 

「……くっそぅ…今に見てろよ…」

「うん、見てる」

「では私も」

「いや、ちょっ……そういう意味じゃないって…!これは意味分かってやってるよね…!?」

 

一方的に弄られた挙句、俺がげんなりして終わるといういつものパターンに落ち着いてしまうのだった。…まさか、学校で二人に翻弄される日が来るとは……。

 

 

 

 

最初は二人を手助けする為に同行して、途中で弄られて、何だかんだで大体一時間。弄りに関してはほんとに悪質だったものの、それを除けば二人が満喫出来ている姿を見られるのは嬉しく、また二人と回る事自体が面白くて、俺はラフィーネさん、フォリンさんとの文化祭を楽しんでいた。

 

「ラフィーネ、ケチャップが付いてますよ」

「…どこ?」

「ここですここ」

「んっ…ありがと、フォリン」

 

ホットドッグをもぐもぐしていたラフィーネさんの頬にケチャップを発見したフォリンさんが、持っていたティッシュで綺麗に拭き取る。それを受けてラフィーネさんがお礼を言うと、どう致しましてと答えながらチュロスを口に。…この二人、家でもだけどよく食べるなぁ…特にラフィーネさんなんて、どっちかと言えば小柄な方なのに食べた物はどこへ行ってるんだろう…。

 

「…っとそうだ、二人共。俺もう少ししたらまた仕事があるから、その時間になったら抜けさせてもらうね」

「あ、はい。仕事でしたら仕方ありませんもんね」

「うん。…それは、いつ終わるの?」

「あ……えぇと…だね、それは……」

 

背丈の関係で生まれる自然な上目遣いで訊いてくるラフィーネさんは、至っていつも通りでありながら可愛らしい。…いや、普段から可愛らしかはあるんだけど…って、誰に対して訂正してんだ…。

…と、煩悩に一瞬寄り道した後、俺は時刻表を取り出して確認。……を、しようとした時だった。

 

「ん?」

「あ……」

 

取り出したところで偶々目が合ったのは、廊下を曲がって姿を現した千㟢。…が、校内でクラスメイトと鉢合わせるなんてなんらおかしくもない普通の事。……の、筈だった。千㟢が、見知らぬ少女を連れていなければ。

 

「…………」

「…………」

「……まさか、誘拐…」

「な訳あ「そ、そうなんです!助けて下さい…!」はぁぁっ!?ちょっ、ば、馬鹿じゃねぇの!?さらっと洒落にならない嘘を吐くんじゃねぇよ!?」

「…えーと、取り敢えず通報でOK?」

「アウトだわ!誘拐じゃねぇし!」

 

……念の為、本当に念の為と思って言ってみたら、何やら変な展開になってしまった。切っ掛けは他ならぬ俺だけど……え、何これ?

 

「ちっ、あんたを現行犯で捕まえてもらう絶好のチャンスだと思ったのに…」

「ふざけんなよ依未…『これが文化祭…これが実際の雰囲気……!』って目を輝かせてた時の写真ばら撒くぞ…?」

「な……ッ!?な、何勝手に撮ってんのよッ!肖像権の侵害よ!」

「え、依未は著作権じゃねぇの?」

「何でよ!?後商業じゃないとはいえ創作内でそれ言われると微妙にややこしいから止めてくれる!?」

 

煽る千㟢と憤慨する少女。…相変わらずよく分からないけど、少なくとも誘拐ではないらしい。よかったよかった。

 

「…お笑いコンビ?」

「ち、違うと思いますよラフィーネ…違い、ますよね…?」

「それは流石に違うでしょ…千㟢、その子は?親戚か何か?」

「っと、そうだった……どうする、依未」

「…別にいいわよ、隠さなくたって。あたしは一応向こうを知ってるし、あんたよりはまともそうな人達だし」

「あーそうかい…こいつは篠夜依未。霊装者で…例の予言書だ」

 

何とも簡潔な千㟢の説明。続けて少女…篠夜さんが軽く会釈。千㟢の説明じゃ、篠夜さんの人となりなんて全く伝わってこなかったが…そこには一つ、非常に大きな情報と、それに付随する疑問がある。

 

「予言書って…な、何故にその予言書さんと千㟢が、揃って文化祭を回ってんの…?」

「そりゃ……まぁ、色々あってな。ただ一つ、確たる意思を持って言えるのは…」

「言えるのは…?」

「…ご覧の通り、依未はびっくりする程生意気って事だ」

「説明どーも。まぁでも、あんた程非礼な性格はしてないから安心して頂戴」

 

何かぼかすように千㟢は答え、依未さんも涼しい顔して皮肉で応戦。

まだ彼女の人となりは掴めていない。千㟢とどう知り合い、何故今ここにいるに至ったのかも、全くもって分かりはしない。けど……この二人の関係性だけは、何となく分かった俺だった。



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第百二十四話 初めての文化祭、楽しみたい少女

一日目は目一杯頑張ってくれたから、という事で二日目の今日、俺は思った以上に長い休憩時間を貰えた。ぶっちゃけると、仕事時間より休憩時間の方が長いという、超待遇になってしまった。

それを昨日の帰りに知った俺は、なら明日はどうするかと考えて……ふと、気付いた。依未は、引きこもり生活を余儀無くされている彼女は、もしかしたら文化祭を経験した事がないんじゃないかと。そして連絡を取ってみたところ……色々言いつつも、依未は文化祭に訪れた。んで、今は……サンドイッチをもぐもぐしている。

 

「あ、これも温かい…どっかから買った物だと思ったら、ここで作ってるんだ……」

 

三角サンドイッチを両手で持ち、少しずつ食べている依未。背の低い外見もあって、これだけなら小動物みたいなんだが…口を開けば毒が噴出するんだもんなぁ…。

 

「……何?」

「いや、何でも?」

「あ、そ…」

 

…と思っていたら視線に気付いたのか、依未が半眼でこっちを見ていた。俺がそれに素っ気なく返すと、依未も素っ気ない態度で食事再開。

茅章と会ったのが暫く前(他に用事がある中来てくれたんだよな。…良い奴だ、ほんと……)で、御道&ロサイアーズ姉妹と遭遇したのが少し前。依未が来たのはその間で、護衛の霊装者はもう帰った様子。

 

「…そういや、よく俺一人に任せてくれたよな…また宗元さんが気を回してくれたのか…?」

「さぁね。でも今日に関しては、同じ建物の中に妃乃様と綾袮様がいるってのが大きな理由でしょ」

「あぁ、それもそうか…(その場合はその場合で、二人ありきって事になるな…我ながら、考えなしになったもんだ……)」

 

胸中で呟くのは自嘲。いつでも力を貸すと言った俺だが、所詮俺はちょっと経験が多くてちょっと特別視されてるだけの、普通の霊装者。権力も絶対的な力もない俺が言うには、あまりにもおこがましい言葉だったと今は思う。

だが、それは反省であって後悔ではない。俺はあの時ああ言って良かったとも思っているし、撤回なんざ絶対にしない。例えどれだけ無謀な事だったとしても、あの約束は必ず貫く。貫いてみせる。

 

「…だから、何?」

「だから何でもないっての」

「何でもない奴は何度も人の事をじーっと見たりはしないでしょ」

「じーっとじゃねぇ、じぃっとだ」

「そんな字面以上の違いなんてなさそうな事言われても…え、今認めた?」

「あー認めた認めた。認めまくりだな」

「はぁ…?…まぁいいや、まともに相手しても疲れるだけだし…」

 

そんな事を考えていた俺は、また依未の方を見ていたらしい。だが正直に言うような事でもないんだからと俺ははぐらかし、今度は見ないように気を付けながら依未の完食を待つのだった。……貫くなんて言うだけじゃなく、その為の行動も必要だよな、と頭の片隅で考えながら。

 

「んで、次はどこ行きたいんだ?」

「…あたしが次もまだどこか行きたい前提なの?」

「俺は別に構わないぞ。もう満足したから帰りたいって事でも」

「……取り敢えずまた少し見て回りたい」

「あいよ」

 

それから数分後。依未が食べ終わったところで次の要望を訊き、棘のある返しへ試しに封殺を図ってみた結果、素直な言葉が戻ってきた。…ふむ…これなら話は手早く済むが、あんま面白くないから止めた方がいいな。

という訳で俺達は校内をぶらぶら。急に依未が倒れても支えられるよう隣を歩きつつ、俺も何か食べようかと軽く思考。

 

「…ところで、妃乃様と綾袮様は?」

「今はまだクラスの方に出てると思うぞ。…行くか?」

「いや、いいわ。あたしが行っても、気を遣わせちゃうだけだし…」

 

ほんの少し伏し目がちになって答える依未。その声に籠っているのは、卑屈混じりの感情。

確かに、少なからず気は遣うだろう。そして二人がそれを苦に思わずとも、依未は気にするのだろう。だったら、わざわざ望んでもいないのに連れて行く必要は…ない。

 

(けどさっきみたいに、偶々遭遇する可能性はあるよな…てかそもそも、二人と依未はどれ位の交流があるんだ?これまでの事から考えるに、直接会った事も何度かはあるみたいだが…)

 

そんな事をぼんやりと考えながら、階段を降りて下の階へ。そこから特に理由もなく、依未に続いて左へと曲がり……気付いた。

 

「っと、ここは……」

「…何かあるの?」

「何かあるっつーか、そこで縁日の出し物をやってるのが……」

「あ、お兄ちゃんいらっしゃー…い……?」

 

噂をすれば何とやら。正に名前を出そうとした瞬間、右手側にある縁日コーナーから、浴衣姿の緋奈がひょっこり姿を現した。

 

「…お兄ちゃん?じゃあ、あの人が……」

「そういうこった。あー、緋奈。今からしっかり説明するから、取り敢えずその疑うような目は止めよう、な?」

 

みるみるうちにじとーっとした目に変わっていく、緋奈の瞳。おっと不味い、これはさっきの二の舞になる…と感じた俺は、早々に包み隠さず話す事を決意。緋奈を手招きし、依未の事を掻い摘んで話していく。

と言っても、全部話した訳じゃない。デリケートな部分は避け、その分喧嘩したあの日に俺の力となってくれた事へと重きを置いて、俺は緋奈に説明した。すると緋奈も理解をしてくれたらしく、表情からも疑いの色が次第に消失。

 

「…ってな事があって、今日はまぁ…付き添いって感じ、だな。依未はあんまり身体が強くないからよ」

「そうだったんだ…なら……あの時はお世話になりました、篠夜さん」

「あ…い、いえ…こちらこそ、お兄さんにはお世話になっています……」

(お……?)

 

ここでも依未の辛辣発言が炸裂…と思いきや、口を突いたのは思った以上に殊勝な返答。あ、これはもしや……

 

「…緊張してんの?」

「……っ!う、うっさい馬鹿!」

 

思い付いた事をそのまま言ってみると、物凄く分かり易い反応が返ってきた。…そういや、さっき御道達と会った時はほぼ俺しかやり取りしてなかったもんな…それにまともに外に出られない生活してりゃ、親しくない相手と話す機会も少なくなるか…。

 

「あー悪い悪い。で、どうする依未。寄ってくか?」

「それは……」

「…ふふっ、お勧めは射的ですよ」

「…じゃあ、それを……」

 

気を回してくれた緋奈の言葉を受けて、依未は小さく首肯。見れば射的の他にも縁日らしい屋台が複数あって、中々興味をそそられる。

 

「…っと、そうだ。その前に……」

「……?」

「…浴衣、似合ってるぞ」

 

これだけは言っておかなくては。その思いで俺は案内しようとする緋奈を呼び止め、右手で頭を軽くぽふり。人目があるって事で、あまり長い時間は置いていなかったが……それでも緋奈は、凄く嬉しそうな表情を浮かべてくれた。

 

「……あんた、真性のシスコンなのね…」

「そうだが何か?」

「…別に……」

 

一般的にシスコンという言葉はあまり良い印象を持たれていないが、俺に対しては完全に褒め言葉。…まぁ、時には反論したりもするが、少なくとも緋奈を大事にしてる点を否定する事は絶対ににないな、うん。

…とまぁ妹との軽いスキンシップを挟んで、俺達は射的の屋台へ。……って、おぉ…これ実際の屋台でも使われてるコルク銃じゃね?誰か家族に屋台やってる奴でもいたのか…?

 

「当てたらじゃなくて、台から落とさなきゃ駄目だからね?」

「出たな地味に厄介なルール…」

「…………」

 

流れでそのまま説明もしてくれる緋奈の言葉を聞きつつ、銃にコルクを詰める俺。そこでちらりと横を見ると、依未はまた緊張しているようだった。

 

「…緋奈、何かコツはあるか?」

「コツ?うーん…コルク銃だし、欲張らずに軽い物を狙った方が良い…とか?」

「確かにな。後意識するとすれば、真ん中より左右の上端に当てた方が飛び易い…って辺りか」

「…軽い物…左右の上端……」

 

依未は緋奈の言葉、それに俺の言葉も聞いてコルク銃を構える。深呼吸をし、本気の様子を見せる依未を俺が見る中、引き金に指をかけまずは一発。放たれたコルクは菓子の箱を掠めたが、箱は角度が変わっただけ。

 

「……っ…もう一度…!」

 

同じ標的に向けて二発目。今度は当たらず、三発目は逆側を掠めてまたも失敗。残弾は後一発で、依未はぎゅうぅぅ…とコルク銃を握り締める。

 

「…そんなに力込めてると、撃つ瞬間に銃口逸れちまう可能性あるぞ?」

「…そ、そんなの分かってるし…」

「…まだ入ってるぞ?」

「だから分かってるって…!」

 

どうも依未は戦闘訓練もまともに受けていないらしく(デメリット考えりゃ前線に出る事なんてあり得ないしな)、中々身体から余分な力が抜けていかない。しかもよく見れば他にも色々と問題があり…ったく、しょうがねぇな……。

 

「はぁ……ちょっと失礼するぞ、依未」

「失礼って何……ぃぃい…っ!?」

 

見るからに失敗しそうな依未を見ていられなくなった俺は、文句言われる事を承知で物理的に指導。具体的に言えば…依未に覆い被さり、実際に身体を動かして形を教える。

 

「な…なな……ッ!?」

「ほら、こっち見てないで的狙え。銃はブレない程度に持って、腕はこの位伸ばす。この距離なんだから弾道計算なんかは基本無視していい」

「やっ、こ、このまま続ける気…!?」

「嫌ならはよちゃんと姿勢をとってやれ。……よし、そのまま手で支えて…撃て」

 

手には手を添え、背後から耳元で指示しながら形を作っていく俺。初め依未はテンパっていたが、何とか俺の指示通りの形に調整。耳…というか顔は赤くなったままだったが、顔にも集中力が戻って準備は万端。そうして俺の声に合わせて依未はトリガーを引き……飛んだコルクは、景品の小箱を軽く飛ばして落っことした。

 

「あ……」

「良かったな。成功だぞ、依未」

「……っ…な、何が『良かったな』、よ…勝手に色々してくるし、こんなの実質あたしの力じゃないし……」

「へいへい、そいつは悪かったな」

「……けど…ありがと…」

「…おう」

 

落ちた景品に対し、真っ先に依未が見せたのは驚きの感情。そこへ離れた俺が声をかけると、いつも通りに文句が飛び出し……だがその後に、小さな声で依未は付け加えた。恥ずかしそうに、もじもじとしながら、その言葉を。…全く、ほんとに依未も素直じゃねぇよなぁ…こういう時位、普通に言ったっていいじゃ……

 

「ふーん……随分と仲が良いんだね、お兄ちゃん」

「あっ……」

 

……やっばい、忘れてた…俺とした事が、緋奈の存在…すっぽりと頭から抜け落ちていた。

 

「え、ええと…これはだな緋奈、色々と込み入った事情があって…」

「うん、別に構わないよ?お兄ちゃんは依未さんと仲が良い、ただそれだけの話なんだもんねぇ?」

「うぐっ…ちょ、ちょっと待て緋奈…!えぇ、っと…!」

 

にこぉ、と何やら恐ろしい笑みを浮かべる緋奈。全然話を聞いてくれそうにないその様子に俺は慌てながらも銃を掴み、取り敢えず手近な景品へと一射。そしてその景品を差し出し……言う。

 

「……あの、これで勘弁してくれたりは…」

「しないけど?」

「ですよねー……はい、すみませんでした…」

 

何故緋奈がご立腹なのか、俺にはさっぱり分からない…などという事はなく、粛々として態度で反省。そりゃ、兄が自分と同じ位の少女へ許可も取らずに密着してしてりゃ、家族として怒るのは当然だもんな……。

 

「いい?お兄ちゃん。お兄ちゃんは問題ないと思っていたとしても、良し悪しを決めるのは相手や周りなんだからね?」

「その通りです…心に留めておきます…」

「本当に分かってる?わたしを相手にするのとは違うんだよ?」

「その点も気を付けます……」

「…完全に兄妹逆転してる…どんな関係性よ……」

 

腰に手を当てた緋奈に怒られる俺に対し、依未は呆れ混じりの声を漏らす。どんなっつったら、ここまで見た通りの兄妹だ、って返したいところだが…今はそんな事言っていられる状況じゃない。

そこからも緋奈は二言三言。だが依未の、周りの目があるからかあまり踏み込んだ話にはならず、代わりに深い溜め息を吐く。

 

「はぁ……ほんとに反省してよね?」

「します、ってかしてます…」

「だったらいいけど…ほら、他のお客さんも来そうだしお兄ちゃんも早く撃っちゃって」

「あ、おう…んじゃ……」

 

依未は何よりもまず俺の妹だが、今は同時にこの縁日を上手く回す為のスタッフでもある。だからその緋奈の邪魔をしては不味いと俺は気持ちを切り替え、景品に向けて手早く三発。結果は三発中二発ヒットとなり、最初の一つを含めて小さな菓子の箱を三つ手に入れる事が出来た。…うむ、まずまずだな。

 

「…………」

「まぁまぁそう僻むな」

「ちょっと、あたしまだ何も言ってないんだけど」

「目が訴えてたんだよ、目が」

 

慣れない事だったんだから…とフォローする事も出来たが、俺は敢えてそのままに。理由は…特にないな、うん。

…とまぁ、こんな感じで射的は終了。次は何をやりたいか訊くと、返ってきたのは「混み始めてるしいい」とい簡素な回答。だが依未の言う通り、さっきより客は増えていた。

 

「…良かったな、人気が出て」

「うん。でもそれはお兄ちゃんの方もでしょ?聞いたよ、昨日大盛況だったって」

「一概にゃ喜べねぇよ、凄ぇ大変だったし…。…後で来てみるか?」

「うーん…どうしよっかな。お兄ちゃんの料理なら家でいつも食べてるし…」

「いや、俺の料理以外も色々あるからな…?」

 

軽く見回した俺は緋奈と穏やかに言葉を交わし、それからこの場を後にする。最初は冗談なのか本気なのかよく分からない発言をしていた緋奈だったが、妃乃もいるという事で演劇喫茶への来店を決意していた。…もし今の格好のままで来たら、割と馴染みそうだなぁ……。

 

「…良い人ね、緋奈さんって。あんたとは違って」

「当たり前だ、俺の自慢の妹だからな」

「その返しは反応に困るんだけど……」

「余計な事言った報いだ、困れ困れ」

 

緋奈のクラスの出し物から少し離れたところで、依未が呟いた一言。捻くれ皮肉屋の依未に初見から『良い人』と言わせるなんて、ほんとに出来た妹だよなぁ…。

…なーんて依未の言葉に返しながら考えていると、依未は小さな声でまた呟く。

 

「……でも、ちょっとだけ…あぁ、あんたの妹なんだな…って思う部分も、あった…かも…」

「…それは、どういう意味として受け取ればいいんだ…?」

「そ、それ位は自分で考えなさいよ…馬鹿……」

 

単なる感想なのか、褒め言葉なのか、それとも別の意図があるのか。他意なんてなしに、本当にただ訊いただけだったんだが…依未は答えてくれなかった。うーむ…ってか、そうだ…そういえば……

 

「なぁ依未。緋奈とのやり取りで思い出したんだが……依未は一体幾つなんだ?」

「…何それ、女性に年齢訊くつもり?」

「隠したくなる程歳食ってんの?」

「…………」

「止めろ、無言で勢い良く足を踏もうとするな。下手すりゃ骨折するからなそれ…」

 

踏み付け…というか踏み潰しを寸前で回避した俺は、内心ひやり。確かに女性に年齢を…ってのは分かるが、それにしたってここまで怒るもんかね依未さん…。

 

「ふんっ、あんたには骨折位、良い薬になるってものよ」

「高い薬だな……で、幾つなんだよ。まさか本当に見た目よりずっと高齢なのか?」

「そんな訳ないでしょうが…!み、見た目相応よ見た目相応!」

「見た目だけじゃ判断し切れねぇから言ってんだって……あんま、訊かれたくない事なのか…?」

「う…それは……」

 

どうも依未は素直に答えようとしないが、それは答えたくない理由があるからかもしれない。…そう思い、ふざけた態度を完全に消して訊き直すと、依未は答えに詰まったような表情に。そして俺が見つめる中、依未は視線を逸らしつつ…言う。

 

「……十四…」

「十四?なんだ、なら別に隠すような事も……え、十四?じゃあ、緋奈より歳下?」

「そ、そうだけど何?悪いっての…?」

「や、悪かないが……そう、だったのか…」

 

二度見ならぬ二度聞きしてしまった俺へと、微妙に恥ずかしそうな依未の視線が送られる。

基本俺に対して生意気且つ不遜なものだから、会う度少しずつそのイメージが減っていった訳だが…俺は勿論、緋奈より依未は歳下だった。てか、歳下なのにって自覚があったからこそ、依未は中々答えようとしなかったのかもしれない。……そういう奴は、そもそもここまで生意気な事は言わないような気もするが。

そしてもう一つ。ギリギリで俺は、「中学生」という言葉を飲み込んだ。何故ならそれへ、依未が望んでいたとしてもきっと通えない、『普通の生活』へ安易に当て嵌める行為だから。

 

「……で、これ聞いてあんたはどうするのよ」

「うん?そうだな…末永く見守っていこうかと……」

「…ごめん、それはほんとに意味が分かんない」

「すまん、今のは完全にボケ損ねたわ…」

「あそう…じゃ、深い意味はなかった訳?」

「ぶっちゃけるとそうなるな…けどあるだろ?どうでもいいけど気になる事って」

「…それは、まぁ…」

 

依未が一応の納得をしてくれた事で、取り敢えず年齢絡みの話は終了。…実はちょっと、発育に関して「まぁ、十四ならまだ期待は捨てなくても大丈夫だぞ」…的な事を言おうとも思ったが、学校でセクハラをするのは色々とヤバそうなので止めておいた。

そうして緋奈のところを離れてから五、六分。あんまりルートとか考えず歩いていたせいで、特に何の出し物もしていない区域に出てしまう。

 

「っと、悪い…こっちはもう何もないし、戻るぞ」

「ちゃんとしてよ、無駄足じゃない」

「以後気を付ける。んじゃ、一度別の階に……って、依未?」

 

踵を返し、賑わいの中へと戻ろうとした俺。だが何故か、依未はこちらを見たままで着いてこない。

 

「どうかしたか?……いや…体調、悪いのか…?」

「…別に、そういう事じゃない。ただ、ちょっと……そう言えば、お礼を言ってなかったなって…」

「お礼?俺は礼をされなきゃいけないような事はしてないぞ?」

「…そういう事、普段から言ってんの?」

「…さぁな。少なくとも、意識して言った訳じゃねぇよ」

 

意識して、好印象を持たれようと思って言った訳ではない。いつものように、今日もまた俺はそうしようと思った事をしただけで、そこに依未が感謝の念を抱いているのなら、それは単なる結果論。そんな意図を込めて、普段から言ってるのかという問いに答えると……依未は小さく、本当に聞こえるか聞こえないかのギリギリな声で、「ふぅん…」と呟いた。

 

「…じゃ、あたしが何も言わなかったら?」

「そりゃ、依未の自由だろ。礼なんて強要するもんでもねぇし」

「そう……だったら…一応、念の為言っておくけど、これはあくまで礼儀として、義理として言うだけだから?そこは勘違いしないでくれる?」

「あいよ」

「…じゃあ、その……」

「…………」

「……ありがと…あたしを、文化祭に誘ってくれて…」

「…おう」

 

全くもって素直じゃない、だが…そんなところがどこか愛らしくも思える依未の、もじもじと目を逸らしながらの感謝の言葉。それに俺は、小さく答え……右手を依未の頭に乗せた。…ついさっき、緋奈を撫でた時のように。

 

「…何よ、この手は……」

「あ……うっかりだ、すまん…」

「どんなうっかりよ…び、びっくりさせないでよね……」

 

言われてから俺は手を乗せていた事に気付き、謝りながらその手を引く。それと同時に、一発殴られるか…?…とも思ったが、依未は口を尖らせて文句を言うだけだった。…何してんだろうな、俺は…さっき緋奈と会ってきたばかりってのと、依未が歳下だって分かった事が、うっかりやっちまった理由だとは思うが…それだけで相手の頭撫でてたらキリがねぇよ……。

 

「…あー…そんで、次はどうする?つか、体力は大丈夫か?」

「キツくなったらちゃんと言うから、変に気を回さなくてもいいわ」

「そうか、確かに依未は遠慮なく言うもんな」

「えぇそうよ、あんたに気遣いなんて勿体無いし」

 

ともすれば険悪にも思える、配慮ゼロの皮肉ワードキャッチボール。だがもう慣れたもので、そんな事言いつつも俺達は並んで廊下を歩いていく。

一日目は、忙しいながらも心地良い疲れを感じられる文化祭だった。二日目も、ここまで俺は楽しんでいる。そしてこの調子なら、今日も最後まで充実した文化祭になるだろう。…なんて柄にもなく爽やかな事を、この時の俺は思うのだった。

 

 

……って、あれ?…なんかこれ、フラグっぽくなってね…?



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第百二十五話 祭りに出でし魔

「あ、ど、どうも……」

 

 来場したお客さんに話しかけられたり何か訊かれたりしたところで、俺はそんなに緊張しない。全くしないって訳じゃないけど、その緊張は言動に影響を与えるような程じゃない。…とまぁ言ったものの、見ての通り今俺は緊張…ってか動揺で若干しどろもどろになっていた。

 じゃあ何故そうなってるのか。…そりゃ、普通じゃないお客さんが来たからに決まってるでしょう。

 

「やぁ、顕人君。受付の仕事かい?」

「は、はい…パンフレットどうぞ…」

 

 設置した机の上へ、山の様に置いた(と言っても、もうかなり減ってきたけど)パンフレットの内二部を渡す俺。それを受け取ったのは……深介さん。更に深介さんが一部を手渡したのは、紗希さん。…そう、綾袮さんのご両親である。

 

「今、綾袮はクラスの出し物に出てるのかしら?」

「あ…はい。担当としてる筈です」

「そう、ありがとう顕人君」

「いえ…。…え、と…お二人も、いらっしゃるんですね……」

「あぁ。上手く時間が作れたし、一昨年までは学校行事に出る綾袮なんて、見る事は出来なかったからね」

 

 いつものように、温和な雰囲気で話す深介さんの言葉を受けて、あぁ…と俺は理解する。

 綾袮さん…それに妃乃さんもらしいけど、学校に通うようになったのは高校から。それまではずっと各家庭で教育を受けていたみたいで、そうなれば当然学校行事なんかとは無縁になる。俺は大人でも親でもないから、想像するしかないけれど……理解は出来る。学校での、普段は知る事のない子供の姿を見たいという、親の気持ちは。

 

「…是非、行ってあげて下さい。綾袮さんも、喜ぶと思います」

「言われなくてもそのつもりよ。貴方も仕事、頑張りなさい」

「はい、頑張ります」

 

 そうして俺は二人を見送り、また仕事へ。多分まだラフィーネさんフォリンさんは校内を巡ってて、千㟢や妃乃さんもクラスの方に行っている筈。だからどうという話ではないけれど、まだ文化祭は続いていて、生徒会役員である俺はその運営の一端を担っている存在。って訳で最後まで気を抜かず、仕事時間中は誰が相手だろうときっちり応対をしないと、ね。

 

 

 

 

 一日目に比べると、二日目は客足がそこまで激しくなかった。あくまで相対的にってだけで、決して暇なんかじゃなかったが、昨日と同レベルの忙しさになると思っていた俺としては、少々拍子抜け。…まぁ、理由は分かるけどな。学生ならともかく、保護者や一般の大人まで個性的な衣装を着た妃乃や綾袮辺りを目当てに来る訳がねぇし。

 

(とはいえ、二日続けて何度も何度も料理し続けるのはきっついな…料理人って凄ぇ……)

 

 毎日料理をするってだけなら慣れたものだが、それとこれとじゃ話が違う。数人分か数十人分以上か、身内か不特定多数か、利益が発生するのかどうか…言い出したらキリがないが、やっぱ俺は家庭で料理する位で十分だな。

 

「悠耶、ちょっといい?このゴミ捨てに行くのを手伝ってほしいんだけど」

「いや、俺まだ調理してるんだけど」

「捨てに行くついでに暫く休憩して、って実行委員が言ってたわよ?」

「あ、そう…んじゃ行くか……」

 

 妃乃にゴミ袋を一つ渡され、それを抱えて俺は廊下へ。抱えるったってそこまで大きな袋じゃなく、妃乃が持っているもう一つの袋も一度に持てそうなものだが…人でごった返している中左右に持って歩いてたら、ぶつかりまくって邪魔になる事間違いない。

 

「…文化祭の集客力って、凄ぇよな」

「そうね。あ、悠耶は人混みが苦手なんだっけ?」

「苦手ってか、別に好きじゃないな。…偶には、これ位賑やかな日があっても良いとは思うが」

 

 毎日これじゃ気が滅入るが、静かな祭りってのも味気ない…というか、かなり悲しい。…うん、全然人が来ない文化祭とか、想像するだけで辛くなってくるな…。

 

「大人ぶっちゃって…もっと素直に『祭りは楽しいよな』とか言えば良いじゃない」

「大人ぶってるんじゃなくて、大人である事を隠そうとしてないだけだ」

「はいはい、手伝ってくれて助かったわ」

 

 全体的に賑わっている校内と言えど、出し物がまるでない場所…依未と行った所や、ゴミ捨て場なんかは当然ながら静かなもの。そこで俺はゴミ袋を下ろし、重かった訳じゃないが何気なく肩を回す。

 

「…で、貴方はこれからどうするの?」

「そうだなぁ…何もせずぼーっとしてるんじゃ流石に虚しいし、また校内をぶらぶらしようかね…」

「ふぅん……でもどうせ、一緒に回る相手なんていないでしょ?私も今は休憩だし、相手がいないなら私が付き合ってあげても……」

「はっ、見縊るなよ妃乃。俺には緋奈がいるし、まだ保健室で寝てると思うが依未もいる。生憎妃乃が思っているような状況じゃないのさ」

 

 さらっと辛辣な事を言ってくる妃乃。依未に比べりゃマイルドだが、まぁ好きに言ってくれる。

…が、俺はそれに余裕を持って答えた。…依未が保健室にってのは、疲れを見せ始めた依未に俺が勧めたって話なんだが…ともかく、妃乃に言われるような状況ではない。そして、楽々返された妃乃は一瞬黙り込んで……

 

「…いや、まず出てくるのが歳下の女の子二人って、貴方それでいいの……?」

「……言うなよ、それは…」

 

…ブーメランだった。これでどうだ!…という思いで投げた返しは、旋回して俺に牙を剥いてくるのだった。…それお前もじゃねぇか、的な意味以外でも、ブーメランって表現が合う事があるんだな……。

 

「しかも片方妹だし……けど、驚いたわ。まさかあの子とそんなに仲良くなるとはね」

「色々あったんだよ。後ぶっちゃけ仲良いのかどうかは分からん」

「二人で文化祭回ってる時点で、十分仲は良いでしょ。第一あの子を外に連れ出す事自体……」

 

 不意に止まる妃乃の言葉。言い切る前に、口を閉ざした妃乃。…だが、その理由は俺にも分かっている。

 

「……妃乃」

「えぇ。私の後ろ、貴方から見て左側で合ってるかしら?」

「あぁ。壁の窪みに身体を半分隠してる」

「…周りに、人影は?」

「大丈夫だ」

「なら……」

 

 振り返る事なく、妃乃は俺の視界で『それ』の位置と人影を確認。俺も妃乃の視線の動きで、俺の背後側に人がいない事を認識。そして、問題のない状況だと分かった妃乃は……

 

「ふ……ッ!」

 

 振り向きざまに左翼を展開し、普段よりも細く精製した翼の一振りでそれを叩き落とした。

 

「…そういう使い方も出来るんだな」

「そうよ、だってこれも霊力の塊だし。ま、攻撃用じゃないから有効に使えるタイミングは限られてくるけどね」

 

 直撃を視認した妃乃は即座に翼を消し、改めて周囲を見回す。その間に俺は『それ』へ近付き、その姿を確認する。

 それは、トカゲの様な魔物だった。見た目も色も大きさもトカゲっぽい、探知能力が壊滅してる霊装者なら見分けが付かないような、トカゲ的魔物。そいつは一撃受けた時点で絶命したらしく、見ている間にも消えていく。

 

「…やっぱ来たか、って感じだな……」

「これだけ人が集まるんだもの、当然よ。もしかしたら、一人位は見出されてない霊装者もいるかもしれないし」

「だな。ともかく、何か起こる前に退治出来て良かった」

「……だと、良いんだけどね…」

 

 魔物が現れない事が一番だが、被害が出る前に処理出来ただけでも十分幸運。そう思って一安心した俺だったが…何故か妃乃は浮かない顔。

 

「…何か、不安要素でもあるのか?」

「…さっき、綾袮も一体見つけて仕留めたらしいのよ。話を聞く限り、今倒した奴と同じ見た目の魔物をね」

「同じ見た目の?……群れでここに来てるって事か…?」

「かもしれないわね。でも、まだ断定は出来ない」

 

 妃乃からの返答を受けて、俺の中にあった安心の感情が萎んでいく。

 複数体現れたってだけなら、驚く事はない。二、三体なら、十分あり得るレベルの事態。だがそれが同じ種類の魔物と思われるなら、話は別。

 基本的に魔物は同一個体が存在しないが、稀に普通の動物や昆虫のようにほぼ同じ見た目の個体が複数現れる事がある。そいつ等は大概群れを作っており、もし今倒したのも群れの個体だとすれば……まだ数体の、或いは二桁の魔物がこの校内に潜んでいてもおかしくない。

 

「…どうすんだ、妃乃。場合によっちゃ、文化祭の一時中止も必要だろ?」

「場合によってはね。でもまだ判断するには情報が少な過ぎるわ。躊躇ってたら誰かが襲われるかもしれないけど、下手に動く事で逆に魔物を刺激してしまう可能性だってあるんだもの」

「なら、警戒待機に留めるってか?」

「短気は損気よ。何にせよまずは、綾袮達にこの事を伝えないと」

 

 言うが早いか妃乃は携帯を取り出し、綾袮へ連絡。俺は意識を集中させてまだ魔物がいないか探してみるが、少なくとも俺の能力じゃ探知する事は出来なかった。

 

(短気は損気…そりゃそうだが……)

 

 妃乃の言っている事は分かるし、筋も通っている。現実はリセットが効かない以上は素早い判断が必要になる一方、よく考えて動く事も必要で、妃乃がそれを理解していない訳がない。だから、間違ってるとは言わないし、思いもしないが……やっぱりどうも俺は、そういう『待つ』判断が好きになれない。

 

「…えぇ、情報共有頼むわね。……さて、と…悠耶、貴方武器は?」

「自衛レベルの物だけだ。さっきの奴程度なら、それでも…ってか素手でも何とかなると思うが……」

「まぁ、そうよね…問題ないわ。私と綾袮には得物があるし、武器はともかく戦力的にはそれなりにいるもの」

「そういやそうか…って待て。まさか、緋奈を頭数に入れてるんじゃないだろうな?」

「入れてないわよ、失礼ね。…って、あんまりはっきりと否定するのも緋奈ちゃんに失礼かしら…」

 

 話しながら、一先ず俺達は校舎の外を回る。緋奈に失礼かどうかは…言われてみると俺もそんな気がしなくもないが。

 そうして回る事十数分。…残念ながら、俺達は発見した。トカゲを思わせる、三体目の魔物を。

 

「ちっ、やっぱこれは……」

「えぇ、三体目もってなるとまだまだ潜んでる可能性が高いわ。紗希様と深介様がいる間に分かった事だけは、不幸中の幸いね…」

「…どちら様?」

 

 顎に親指と人差し指を当てた妃乃が口にしたのは、聞き覚えのない名前。誰だと思って訊いてみると、妃乃は一瞬怪訝な顔をして…すぐに元の表情へ戻る。

 

「あぁ…知らなかったのね。今言ったのは、綾袮の両親の名前よ。これがどういう事かは分かるでしょ?」

「戦力として頼りになる二人、って事か…」

「個人としては勿論、指揮官としてもね。きっと私よりも的確な判断をしてくれる筈よ」

 

 再び妃乃は携帯を手に取り、綾袮と連絡を取る。その綾袮を介して綾袮の両親とも繋がり、状況に関する情報共有も完了。俺は二人の事を全然知らないが、妃乃がこう言うんだから間違いはないだろう。そう思って、両親からの指示を待った。

 そして数分後、二人から指示されたのは……緋奈と依未を連れ立っての待機だった。

 

「…という事なの。二人共、理解出来た?」

「は、はい。問題ありません」

「わ、わたしも…取り敢えず、大体は……」

 

 運良く休憩の重なった緋奈と合流し、保健室へ依未を呼びに行った後、俺達が移動したのは校内でも人気がない…つまりは出し物のない区域。そこで妃乃が状況を簡単に説明すると、二人はそれぞれの反応を見せて首肯する。

 

「なら良かったわ。ここからは紗希様達次第だけど…何かあっても二人の事は私達が守るから安心して」

 

 そう言って妃乃が笑みを見せると、二人はまた首肯。俺は何も反応しなかったが…心の中じゃ同意している。緋奈は勿論、依未だって俺にとっちゃ守るべき相手だからな。

 

「……でも、あの…いいんですか?悠耶一人ならともかく、妃乃様まであたし達に付くなんて……」

「そ、そうですよ妃乃さん。お兄ちゃん一人ならともかく、妃乃さんまで付く必要はなかったんじゃ……」

「確かにね。二人を守る事を軽視なんてするつもりはないけど、悠耶一人ならともかく……」

「いや俺一人ならともかくって言い過ぎじゃないですかねぇ!?え、何!?ちょっと黙ってただけでこんな弄りされる事になんの!?」

 

 思わず全力で突っ込んでしまった俺。会話内容自体は至って普通だが…部分的に超気になるんですけど!?

 

『冗談(よ・だよ)、(悠耶・お兄ちゃん)』

「こんな時に冗談とか言ってんじゃねぇよ、はぁ……」

「悪かったわね。…で、えぇと…私もここにいるのは、紗希様達からの指示よ。今は担当時間だからクラスの方に行ってる綾袮もだけど、私達って校内でもそこそこ顔が知れてるでしょ?だから下手に動くと、変に注目されて身動き取れなくなっちゃう可能性があるの」

「そこそこ顔が知れてるって、自分で言うかね普通…」

「うっさいわね、ストレートに言った方が分かり易いんだからいいでしょ。…それに加えて、増援が必要になった際はすぐ駆け付けられるよう、私はここにいるって事。…でも、二人共油断はしないでね?私がいる限り、そう易々とは二人に触れさせなんてしないけど…相手の数はまだ未知数だから」

 

 最後に妃乃は忠告を…ともすれば不安を煽ってしまうような言葉で締め括った。だが言葉自体はそうでも、声音は不安を全く感じさせない、安心感を抱かせるもの。そのおかげで二人共、多少の緊張はあってもその表情が曇るような事はない。

 

「…にしても、また待機になるとはな……」

「さっきだって実質的には索敵してたんだし、またって言えるかは微妙だけどね。…緋奈ちゃんを直接守れる役目なのに、不服なの?」

「不服って訳じゃねぇよ。ただ、性分に合わないってだけだ」

「指揮官には向かない性分ね…」

 

 自らの発言で軽く呆れられた俺だが、それに関しても不服じゃない。指揮官に向いてないなんて、元から分かってた事だしな。

 とまぁ、こんな感じで妃乃からの状況説明が終了。そうしてそこからは起こるかもしれない何かに備えて待機を続ける俺達だったが……

 

「…流石にちょっと、手持ち無沙汰ね……」

 

 十数分後、妃乃はここにいる全員が思っている事を口にした。

 時間で言えば、高々十数分なんてそんなに長い訳じゃない。だが、次の瞬間にも状況が動くかもしれないという中でのただ待つ十数分というのは、実際以上に長く感じるもの。しかも状況が状況だから携帯で時間を潰して…なんて気分にもなれず、結果全員手持ち無沙汰。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「うん?どした、緋奈」

「わたし、よく分からないんだけど…霊装者は、同じ霊装者や魔物を探知する事が出来るんだよね?じゃあ、敷地内をぐるっと一周すれば全部分かるんじゃないの?」

「あぁ…確かに特筆する点のない魔物だったら、それで何とかなる。けど霊装者やそれなりに力のある魔物は自分の発する霊力を抑える事で、完全にじゃなくとも隠蔽する事が出来るし、極度に弱い魔物なんかは発する力も微弱過ぎて、逆に探知出来なかったりする事があるんだよ」

「それに今回の場合、ただ虱潰しに倒せば良い…って話でもないのよ。無人ならそれでも悪くないんだけど、学校中に人がいる今は、とにかく慎重さが大切になるし」

「まぁ、その魔物を妃乃は深く考えずに倒しちまった訳だけどな」

「あ、あの時は仕方ないでしょ。こうなるとは思ってなかったし、小さくても凶悪な魔物はいる以上、無視する事も出来なかったんだから」

 

 緋奈からの質問に答えた俺と妃乃。実を言えば、霊装者はごく稀に本来の実力以上の探知を、虫の知らせのように出来たりする事もあるんだが…それは本題じゃないから置いておく。

 

「……あたしからも、ちょっといい…?」

「依未はどうした、トイレにでも行きたくなったのか?」

「……妃乃様、こいつ蹴ってもいいですか?」

「えぇ、思いっ切りやって構わないわ」

「なんで妃乃が許可出してんだよ…ったく、軽い冗談なのに二人共酷いよなー」

「えーっと…悪いけどお兄ちゃん、今のやり取りならわたしも普通に依未さん側に付くからね?」

「……むぅ、アウェーか…で、結局どうしたんだ?」

 

 何となく予想は出来ていたが、妃乃と依未が一緒にいると危険でならない。主に俺の身体が。

 

「結局も何もあんたが話逸らしたんでしょ……魔物は今のところ自分から人を襲ってはいないのよね?…って、これは悠耶に訊いても仕方ないか……あの、妃乃さん…」

「その通りよ、依未ちゃん」

「…なら、魔物の狙いは何でしょう…」

 

 顎に親指と曲げた人差し指を当て、依未は考え込むような仕草を見せる。…まあまあ失礼な事を言われたが…実際間違ってないから、俺は何も言い返さない…ってか、言い返せない。

 

「そうね、それは私も考えてるんだけど……」

「襲われた奴がいねぇ、ってのは不可解なんだよな。まさか文化祭を楽しみに来た…なんて訳はねぇし」

「…襲われた人がそれに気付いていない…って事はないかな?こう…蚊の吸血みたいに」

「気付かない程度に、少量だけ奪ってるって可能性か……俺はそんな器用な真似する魔物なんざ聞いた事ないが、妃乃はどうだ?」

「…絶対ない、とは言い切れないわね…可能性の一つとして頭に入れておくわ。…にしても、よくその発想が出来たわね、緋奈ちゃん」

「い、いえいえ。わたしは疑問に思っただけですから」

 

 続けて緋奈から出てきた、意外な発想。凄い考え…って訳じゃないが、霊装者三人が思い付かなかった事を、新米の『し』に引っかかるかどうかの緋奈が思い付いたんだから、例え疑問に思っただけでも大したもの。…うむ、俺も兄として鼻が高いな。

 

(…けど、兎にも角にも情報を待つしかねぇな……)

 

 状況が変化すれば、或いは情報が入ってくれば何か分かるかもしれないが、とにかく今はどんな発想が出てもそれを確かめる方法がない。つまりは、話がある程度以上に発展しない。

 緋奈の謙遜を最後に、一旦静かとなる俺達四人。ちょっとしたところで、

 

「そういえば…依未さん、体調は大丈夫ですか?」

「へ?…あ、えぇ…体調が悪くて保健室じゃないから大丈夫よ。……それと、あの…敬語はいいわ…あたしの方が、歳下だし…」

「え、そうなんですか?…じゃあ、こほん…体調不良じゃないなら、安心かな」

「う、うん…悪いわね、気遣いさせちゃって…」

 

…という、優しい緋奈と毒気の抜けた依未のやり取りという、中々にほっこりしそうなやり取りがあったりもしたが、それ以外はただ時間が過ぎていく。

 

「……こうまでして、結果ちょっとした群れがちょっと来てただけ…とかだったら拍子抜けだよな」

「まぁ、そうだったらね…。けど、何もないならそれに越した事はないじゃない」

「そりゃまぁな。だがそれならそれで、そもそも群れで来るなっつー……」

 

 そんな中、俺の携帯が言葉に重なる形で鳴る。誰かと思って見てみれば、相手は校内を回っている最中の御道。その電話に俺が応じると……入ってきたのは次なる情報。

 

「……分かった、妃乃に伝えておく」

「…私?一体どういう連絡なの?」

 

 電話を切ると、俺の返しを聞いていたらしい妃乃が…いや、三人共俺の方を向いていた。だから俺は、その妃乃の言葉に軽く頷き…答える。

 

「あぁ、妃乃は一応すぐにでも動けるようにって事だ。まだ、確証まではないみたいだが……恐らく群れの親玉は、ここの上層階…或いは屋上にいる可能性が高いらしい」

 

 それは、可能性の話。ざっくりした情報。空振るかもしれねぇし、妃乃が出るまでもなく終わる可能性だってある訳だが……それでもその情報によって、雰囲気は引き締まった。



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第百二十六話 元凶たる者

 群れと思われる、複数の魔物が学校内に現れた。…それを綾袮さんから聞いた時、勿論俺は驚いた。驚いたし、なんでこんな時に…って思った。普段よりもずっと人が集まっているから、と言われれば納得は出来るけど……論理じゃなくて気持ちの上で、どうして文化祭の時に限って…って俺は思っていた。

 けれど、その驚きは俺にとって一つ目の事。その後すぐに、もう一つ驚く…というか、「えぇぇっ!?」…と言いたくなるような事が起こった。それが何かと言うと……

 

「…ここも、これと言って痕跡はないわね」

「あぁ。次に行こうか」

 

 俺は今起こっている事態の全容を掴む為の調査を、綾袮さんのご両親と一緒にやる事になったのである。……同居中のクラスメイト(異性)の、親とである。

 

(うぅ、何故こうなったし……)

 

 正直俺にはよく分からない調査(機材とかを使っている訳じゃないです)を進めるお二人へ、現状俺は付いていっているだけ。足手纏いにはなってないと思うけど…役に立っている訳でもない。

…いや、訂正しよう。俺は全く役に立っていない訳じゃない。そもそも俺が千㟢達の様に待機ではなくこっちに選ばれたのは、生徒会本部役員という立場上、どこを歩き回っていても大概は「何かの仕事絡みかな?」と周りが勝手に解釈してくれる…即ち文化祭の最中でも行動し易いからで、尚且つ案内役も仕事の一つである俺が一緒にいる事によって、深介さんと紗希も人目を気にせず歩き回れるようになる。お二人だけなら場所によっては道に迷ったのかと声をかけられるかもしれないけど、俺がいればそれだけで『案内中』に見えるのだから。

 謂わば今の状況には、俺の立場が、俺が一緒にいるという状態が、円滑な調査に一役買っている。…まぁだからって、ただ付いていくだけの現状を良しとしている訳じゃないけどさ。

 

「顕人君、二人からは何か連絡があったかい?」

「あ、いえ。何もないので、ラフィーネさん達もまだ有益な情報は得られていないんだと思います」

 

 移動の最中、深介さんから投げかけられた質問に俺は返答。答えを聞いた深介さんは軽く頷いて、視線を向かう先へと戻す。

 今答えた通り、調査は俺とお二人の他にもう一組、ラフィーネさんとフォリンさんも行っている。これはお二人にも言える事だけど、頼れる相手がいる中での発覚だったのがせめてもの救い。……俺としては、二人にも調査してもらうのは少し抵抗があったけど。

 

「この部屋も、特になし…やっぱり、校舎内じゃないのかしら……」

「なんとも言えないね。その可能性はあるけど、まだ断言するには根拠か弱過ぎる」

「そうね。…っていうか、当たり前の事は言わなくていいから」

「はは、それもそうだね」

 

 緊張感がない…訳じゃないけど、深介さんと紗希さんはいつも通り。綾袮さんもだけど、やっぱり場数を踏んでいる人は違う。場数を踏んでいる人は急な事態にも余裕を持って対応出来るし、余裕があれば本来の力を発揮出来る。…けど……

 

「…あの……」

「うん?何かあったのかい、顕人君」

「いえ、そうではなくて……やっぱり、ラフィーネさんとフォリンさんは、危険なんじゃないでしょうか…」

 

 一度は納得していた事柄が、俺の中で再燃する。もう一組の調査チームである、ロサイアーズ姉妹の事が。

 二人もまた、多くの場数を踏んできた実力者。普通なら、俺が心配する事自体が間違っているようなものだけど……今回、というか正式に協会所属となって以降、二人は通常装備は勿論の事、自衛用の武器すら携行は許されていない。そして当然、任務で来た訳じゃない今の二人は完全に丸腰。武器が無くても霊装者は戦えるとはいえ……この判断が、ありふれたものだとは思えない。

 

「…まぁ、そうだね。安全ではない事は確かだよ」

「なら……」

「けれど、それを言うならきちんと装備を用意したところで、安全という確信を得られる訳じゃない。逆に今ここにいるであろう魔物が、全てこれまでに倒してきた個体と同等の強さしかないのなら、武器がなくても何ら問題はない。…安全や危険っていうのは相対的なものであって、想定される敵やその場の状況に合わせて選択するしかないんだよ」

 

 教授する、或いは諭すような声音で話す深介さん。…確かに、安全や危険が相対的なものだっていうのは分かっているし、無いものは無いんだからその上でやっていくしかないっていうのも理解出来る。…けれど、だとしても…と俺は食い下がる。

 

「…それは分かります。でも、ならせめてもう一人位、武器のある人が二人の方に行っても……」

「…えぇ、それは全くもってその通りよ。だからこれは、合理性だけじゃなくて…わざと二人だけにしている部分もあるの」

「わざと……?」

 

 次に返答をしてくれたのは、片手を腰に当てた紗希さん。わざと、という言葉に俺が反応すると、予想していたように紗希さんは言葉を続ける。

 

「顕人君。貴方は、あの二人を信用しているようだけど…アタシ達、いや…協会はまだ、二人を信用し切ってはいないわ。理由は、分かるわよね?」

「…はい」

「だからよ。彼女達が、本当に信用出来る人物なのか。協会の人間からの言葉に、どこまで忠実になってくれるのか。それを確かめる上で都合が良いと思ったから、アタシ達は武器のない二人を別行動にさせたの」

「それって…それは、そんなのはあんまりですよ…!分かります、信用は行動で得るものだって事は分かってます…!けど、それでも万が一の事があるのに、都合が良いからなんて理由で二人を危険に晒すのは……っ!」

 

…不服だった。納得どころか、それは理解すらも出来なかった。危険を冒す事を、冒させる事を、都合が良いからだなんて。必要不可欠だとか、他に選択肢がないとかでもないのに、不必要に二人を危険に晒すなんて。そんなのは、絶対理解なんか出来ないって俺は思って……そこで、気付いた。思い出した。お二人は綾袮さんの親で、家族で……その綾袮さんを、ラフィーネさんとフォリンさんは、元々殺そうとしていた事を。お二人からすれば、二人は大事な娘を殺す目的で近付いてきた相手だっていう事を。

 

「…ごめんなさい…少し、熱くなり過ぎました……」

「…いや、君の言う通りだよ。私達には私達の考えがあるけど…君は間違っていないし、むしろ人としてどちらが正しいかといえば、それは君の方だ。少なくとも、個人を大切にする気持ちよりも、組織の為や全体の為を謳う判断の方が尊い…なんて道理はない」

「…ありがとう、ございます」

「大人が子供の気持ちに向き合うのは当然の事よ、お礼なんて必要ないわ。それに……彼女達にとっても、君のように自分達の安全を第一に考えてくれる人がいるっていうのは、それだけで心の支えになると思うわよ、顕人君」

 

 何かが欠けていれば、不確定要素が悪い方向で現実になっていれば、綾袮さんを傷付けて…殺していたのかもしれない相手を大切にしろなんて、それこそ言われた側の気持ちを考えていない発言。それを言ってから気付いた俺は後悔し……けれどお二人は、優しく俺に言葉をかけてくれた。大丈夫だ、と肩に手を置いてくれた。…父さんと母さんが俺の背中を押してくれた時も、刀一郎さんに釘を刺された時も思ったけど……あぁやっぱり…大人って、凄いんだな…。

 

「……もし、二人に何かあれば…」

「その時は勿論、二人の安全を最優先にして動くわ」

 

 間を開ける事なく答えてくれた紗希さんの言葉に、じわりと生まれる安心感。何も変わってなんかいないけど…こうして即答してくれる人なら、万一の事あってもきっと大丈夫だと、俺は思う事が出来た。…まぁ最も、その『万一』が起きないのが一番良い……

 

「…っと、二人から連絡来ました。えっと…って、これは……」

 

 不意に携帯の振動が伝えてきた、フォリンさんからのメッセージの受信。電話じゃないって事は十中八九緊急の連絡じゃない訳で、それが頭にある俺は普通にメッセージを開き……一瞬固まった。そして、すぐに我に返り……俺はお二人へ、そのメッセージの文章を見せる。

 

「……へぇ、やるじゃない二人共」

 

 にぃ、と綾袮さんを思わせる、けれど綾袮さんよりもずっと大人っぽい笑みを浮かべる紗希さん。深介さんも紗希さん程じゃないものの口角を上げていて、お二人が本心からラフィーネさん達を賞賛してるって事が伝わってくる。

 メッセージに書かれていたのは、自分達の事を気取られる事なく魔物を発見出来たという事と、その魔物は暫く校舎の外壁を動き回った後、体育館の外壁へと移動し、そこでも動き回ってから校舎に戻り、屋上へと向かっていったという報告。

 

(なんでうろうろしてたのかは分からない。狙う相手を品定めしていたのか、単なる習性なのか、それとも全然違う理由なのか。…でも、何にせよ…大事なのは、最後の一文)

 

 二人の発見した魔物は、最終的に屋上へと向かっていったらしい。それ自体は単なる事実だけど、もし屋上が体育館の様な通過点ではなく、終着点だとしたら……

 

「…屋上に、何かがある…そういう事ですよね?」

「それは早計よ。まだ一例に過ぎないし、屋上経由で校内に入っているのかもしれないもの」

「けれど、貴重な情報ではあるし、次の行動の指針も見えた。出来る事なら、もう何体かも屋上に向かうかどうかを確かめたいところだけど……」

「そんな簡単に出来るようなら、もう既に確認しているでしょうね。一先ず顕人君、その情報を綾袮達にも伝えてあげて」

 

 情報共有の指示に頷き、俺は電話で情報を伝える。メッセージにしなかったのは、細かな認識の食い違いを避ける為。

 

「…うん、うん。頼んだ」

 

 千㟢には普通に、まだクラスの方で動いてる綾袮さんには屋上含めた上層階の情報だけを伝えて、通話終了。携帯をしまい、俺は次の行動をお二人に訊く。

 

「ここからは、どうしますか?」

「当然動くわ。こちらが情報を得た事を気取られる前に、最低限屋上だけでも確認しておきたいもの」

「…分かりました」

 

 返ってきた言葉に頷き、俺は屋上へと繋がる階段のある場所にお二人を案内開始。

 それと同時に、ここからは荒事になる可能性も高い…と気持ちを引き締める。今回は普段と違って、自衛レベルの武器しかない。だからいつも以上に、油断なんてしていられない。

 

「…ここです」

「そのようだね。……じゃあ、紗希」

「えぇ。こっちは任せるわよ」

 

 屋上への階段前に着いたところで、俺は道を開ける。するとお二人は頷き合って……紗希さんが階段前から離れていく。

 

「へ……?」

「ただの別行動だよ、心配しなくていい」

「あ……えと、はい…(別行動…?屋上じゃない可能性も考慮してる、って事…?)」

 

 意味が理解出来ない俺に対して、深介さんは慣れた様子。ただのも何も、と思った俺だけど、既に紗希さんはまあまあ離れた距離にして、深介さんも階段を登り始めている。なので俺も疑問は一旦保留にし、深介さんに続いて屋上の前へ。

 

「…さて、運が悪ければ開いた途端に戦闘になるかもしれない。顕人君、覚悟はいいかな?」

「大丈夫です、心構えは出来ています」

「それは良かった。…因みにこういう時、綾袮ならなんて言うんだい?」

「綾袮さんなら、ですか?……言うべき事はちゃんと言ってくれた後、軽い調子で『いつも通りに頑張ろっか』…みたいな事を言ってくれます、かね…」

「へぇ、言うべき事はちゃんと言っているのか。…悪いね、綾袮の様に軽い調子で気の利いた事を言えなくて」

「い、いえ…むしろ、異性の親に軽い調子で何か言われても反応に困ってしまうので……」

「あぁ、それもそうだね。……じゃあ、行くよ」

 

 余裕の表れなのか、俺の緊張を解す為なのか、それともその両方なのか。とにかく俺は深介さんとそんなやり取りを交わし、その後深介さんは扉のノブに手をかける。

 当然ながら、屋上への扉は施錠されている。けれど深介さんは静かに、けど明らかに力技で鍵を破壊し、ゆっくりと屋上への道を解放。そして、見えてきた屋上には……何もいない。

 

「……見当、違い…?」

「……いや、後ろだよ顕人君」

 

 何かしらあると思っていた俺は何もない事に軽く驚き、それから見回しつつも屋上の中央辺りまで移動。けれどやっぱり何もない屋上に、俺は拍子抜けしかけて……その時、深介さんは淡々と言った。

 後ろ。その言葉で一気に緊張感が走り、ばっと振り向く俺。すると背後、俺達が出てきた階段室の上には……

 

「──これはまた、ありがたくない客が来ちまったな」

 

……俺達を見下ろす、一見人の様な…でも何かが根本から違う存在、魔人がいた。

 

「……っ…!」

「ただの人間…じゃねぇな、やっぱ。霊装者か」

 

 青年の様な外見を持つ魔人は、俺と深介さんを一瞥すると続けて言葉を発する。対してゆっくりと振り返った深介さんは何も言わずに、感情の読めない顔で魔人を見やる。

 

「…お前が、親玉か……」

「親玉?…あぁ、そういう事か。ちっ、あのサイズでも見つかる時は見つかるもんなんだな…」

「…何が目的だ」

「はっ、なんでそれを人間に…それも霊装者に言わなきゃいけねーんだよ。どうだっていいだろうが」

 

 ぶっきらぼうに返答してくる魔人に、仕掛けてくるような動作はない。…でも、気は抜けない。俺にとっては魔人と言うだけで、まあまずまともに戦って勝てるような相手じゃないんだから。

 

(やっぱり、話してくれる訳がないか…。一応言ってはみたけど、こいつも人を見下して……)

「……と、思ったが…あー、あれか…言った方がむしろ楽か…。…よし、さっきのは無しで教えてやる」

「……へ…?」

 

 あの日戦った魔王も、手負いの状態となっていた魔人も、人を自分よりも格下の存在として見ていた。確かに魔人や魔王程の力があれば、人を格下として見るのも無理はないのかもしれないけど……と俺が思っていたところで、不意に魔人は主張を覆す。

 

「へ?じゃねぇよ、訊いといて何ぼんやりした顔してんだ」

「い、いやそれは…というか、別にぼんやりした顔は……」

「落ち着くんだ、顕人君。相手のペースに乗せられちゃいけない」

 

 急に変わった主張とぶっきらぼうな物言いに、思わず素の反応をしてしまう俺。けれどその俺を深介さんは手で制し、そこで初めて魔人へ対して言葉を発する。

 

「教えてくれるというなら、素直に聞くとしようか」

「気に食わねぇ言い方だな……ふん。オレは探し物をしてるだけだ」

「探し物?」

「探し物は探し物だ」

 

 俺に変わる形で深介さんが魔人とやり取りし、魔人の目的か『探し物』だと判明。何を?…というニュアンスを込めて深介さんは訊き返したものの、答えるつもりがないのか、それとも単に伝わらなかっただけなのか、それに対する答えはない。

 

「…って訳で、オレは忙しいんだよ。今回は見逃してやるから、さっさとどっか行きやがれ」

「忙しい?…それにしては、ただ立っているだけのようにしか見えないな」

「はんっ、見て分かんねぇのかよ。オレはただ突っ立ってるんじゃなくて……」

「…………」

「……って、テメェ…このオレを嵌めようとするなんて、良い度胸してんじゃねぇか…」

「さて、何の事やら」

 

 いつも俺や綾袮さんと話す時と同じ調子で、けれど温かさの感じられない声で言葉を発する深介さんを、魔人は睨む。

 惜しい、と思った。深介さんが魔人から何をしていたか…目的ではなく行動を引き出そうとしていたのは、俺も気付いていたから。結果魔人もギリギリで気付き、情報は引き出せなかったけど……魔人相手にいとも簡単にこんな事が出来る深介さんが、俺にとっては凄く心強かった。

 

(…って、心強い…なんて思ってちゃ駄目だ。俺だって、観客じゃないんだから…!)

 

 心強いのは事実。けど、魔人と相対しているのは俺も同じ。その俺が、傍観者気分にだなんてなってていい筈がない。

 

「けっ、調子乗ってんじゃねぇよ。それよりさっきの言葉が聞こえなかったのか?…俺も邪魔されたくねぇんだ、とっとと失せろ」

「悪いがそれは出来ない相談だね。お前こそ、探し物なら人のいない場所でやったらどうだい?」

「馬鹿か、探し終える前に場所移ったら意味ねぇだろうが。それとも何か?俺に殺されてぇってか?」

「それは勘弁だね。お互い穏便に済まそうじゃないか」

「そうだな、って訳でもう一度だけ言ってやる。とっとと失せろ」

 

 深介さんと魔人。双方の視線が、言葉がぶつかり合う。当然お互い引く事はなく、相手に退けと主張を示す。そして魔人が最後通牒の様に言い放って……やり取りが、途切れた。

 高まる緊張感。服の下で立つ鳥肌。対話で解決しないのなら、その後に起こる事なんて一つしかない。そう思って俺が神経を研ぎ澄ませた……その時だった。

 

「…ふぅ、ならやる事は決まったね」

「……え…?」

 

 小さく嘆息した深介さんは、魔人と相対した時と同じように振り返る。交渉決裂を宣言するでも、先制攻撃を仕掛けるでもなく……この瞬間深介さんは、魔人に背を向け、階段室へと向き直ったのだった。

 

「…少し、肩に力が入り過ぎだね。それじゃあ無駄に疲れてしまうよ。緊張から無意識に入ってしまうものではあるけれど、確認する癖をつけた方がいい」

「あ、はい……って、そ、そうじゃなくて…!え、本気ですか…!?」

「勿論。本気も何も、冗談で魔人に背を向けると思うかい?」

「それは……」

 

 投げかけられた問いに、俺は詰まる。別に分からないからじゃない。答えるまでもなく、冗談でそんな事する訳がないと分かるから。

 だけど、だからこそ俺は素直に飲み込む事が出来なかった。意味が分からなかった。その選択をする理由も、出来る理由も。

 

「なんだ、言うだけ言ってそれかよ。まぁいいが」

「…いいん、ですか…?もしもこのままいたら、魔人は……」

「問題ないよ。確かに放置すれば魔人は何をするか分からないけど……」

 

 拍子抜けした表情の魔人には、確かに襲ってくる気配はない。…けれど、それでいいのか。深介さんは、それでいいと思っているのか。そう思って、それは後回しに出来なくて、俺は訊いた。それでいいんですか、と。

 その問いを聞いても尚、深介さんの表情は変わらない。落ち着いた顔で、さも当然かのように……

 

 

 

 

 

 

「──奴は、これから力尽くで退場させるんだからね」

『……──ッ!?』

 

 ……そう言った瞬間、屋上の先から紗希さんが現れ、肉薄と同時に手にした太刀で魔人へと斬撃を放った。

 

「な、に……ッ!?」

「紗希!」

「えぇッ!」

 

 同じ様に目を見開く俺と魔人。咄嗟に魔人は靄を纏わせた両腕で斬撃を防御するものの、その背後を鋭く反転し拳銃を抜き放った深介さんの射撃が襲う。

 その射撃が届く寸前、魔人は紗希さんを横へ弾きつつ自身も跳んで銃弾を回避。けれどお二人は凌がれた事を気にも留めず、声を掛け合い即座に次なる攻撃へ。

 

「テメェ、逃げるんじゃなかったのかよ…ッ!」

「まさか。そもそも、私はいつそんな事を言ったとでも?」

「……!(そうか…確かに深介さんは、ただ背を向けただけ…。じゃあ、さっきまでのは…油断させる為の行為……?)」

 

 恐らくは下の階の窓から跳んで来たのであろう紗希さんにも、紗希さんと連携し絶妙な位置やタイミングで弾丸を撃ち込む深介さんにも、引く様な素振りは一切ない。…つまりは、そういう事。深介さんの言った「退場させる」という言葉の証明。

……って、だから俺は傍観者じゃないんだよ…!もう戦闘は始まってるんだ、やる事は一つだろうが…!

 

「援護します…!」

「あぁ、君はとにかく思うようにやってくれればいいよ。必要なら私達が合わせるからね」

「え、でも……」

「大丈夫だよ。それに…君は、私達に合わせられるかい?」

「……っ…!」

 

 年齢も立場も実力も、全てにおいて目上のお二人に合わせさせるなんて。…そう思った俺だけど、次なる言葉に気付かされた。二対一とはいえ、まだ戦闘は始まったばかりとはいえ、魔人相手に次々と攻撃を仕掛けられる実力とコンビネーションを持つ二人に、俺が合わせられる訳がないと。

 

(…そうだ、変に俺が気を遣ったって、上手くいかないどころか足を引っ張る事になりかねない。だったら、俺は言われた通り……)

 

 今俺の手元にあるのは拳銃だけ。これ一丁じゃ、俺の霊力量をまるで活かす事が出来ない。けれど戦えない訳じゃないし、霊力量を活かせなきゃ何にも出来ない訳でもない。…だから……

 

「…今、やれる事を尽くす……ッ!」

 

 魔人の移動先を予測して一発。お二人の攻撃に追撃をかけるように、更に一発。そして俺は、さっき深介さんに言われたように、『今』という状況に合わせて出来る事を……選択する。




 前話から、ご覧の通り文頭に空白を入れるようにしました。暫くはこの形で続ける予定ですが、何かご意見がある際は是非どうぞ。


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第百二十七話 歴戦の霊装者

 考えてみると、俺にとってこれは初めての魔人戦。一番初めに遭遇したのは魔人じゃなくて魔王だったし、千㟢と妃乃さんが仕留め損なった魔人に対しては進路を塞ぐように一撃撃っただけで、戦闘らしい戦闘なんてしていない。

それが、いつも以上に緊張している理由の一つ。具体的に言えば二つ目の理由で、一つ目は魔人と戦うという状況そのもの。そして、三つ目の理由は……今回共に戦うのが、綾袮さんのご両親である深介さんと紗希さんである事。

 

「もう少し踏み込むわ、深介ッ!」

「あぁ、私も詰める…ッ!」

 

 バックステップで距離を開けようとする魔人を追う形で、紗希さんが床を蹴る。迎撃の手刀と太刀の斬撃が衝突し、靄と青い粒子が周囲に舞う。

 衝突の一瞬後、魔人は逆の手でも手刀。それを紗希さんはサイドステップで回避し……その背後から、深介さんが肉薄をかけた。

 

「ち……ッ!」

「流石は魔人。そう簡単には突破出来ない、か…!」

 

 接近と同時に一発。頭に向けられて撃たれたそれは魔人が首を傾けた事で外れたものの、即座に鋭い膝蹴りが襲う。

 魔人の対応は、掌でそれを受け止めるというもの。お返しとばかりに魔人は右の拳を突き出し、それを深介さんは左の前腕で滑らせるようにして逸らし……紗希さんの飛び蹴りが、側面から魔人を強襲した。

 

(ここだ……ッ!)

 

 飛び蹴りで吹き飛ばされる魔人。けれど蹴り自体は腕で防いでいて、姿勢もまだまだ崩れていない。

 そこで俺は、吹き飛ぶ先を狙って撃った。弾薬はケチらず、トリガー引きっ放しによる連射。残弾は決して余裕がある訳じゃないけど……節約なんて、出来る相手じゃない…ッ!

 

「……ッ…鬱陶しいんだよッ!」

 

 弾丸が届く直前、魔人の振るった腕から靄が広がり盾となって銃撃を阻む。次の瞬間、魔人が床に足をつけた瞬間に深介さんと紗希さんの両方が同時に接近し、お二人は回し蹴りと横薙ぎで挟撃。蹴撃と斬撃は、空気を裂きながら魔人を挟み込み……けれど後一歩というところで、脚も太刀も空振った。

 

「ぶっ潰れやがれッ!」

 

 跳躍で避けた魔人は、ギロリとお二人を睨み付ける。反射的に撃った俺の射撃が特に理由もなく、単なる技術不足で外れる中、魔人は両腕を広げ……周囲に展開された濃密な靄から、次々と何かが飛び出した。

 それはウツボのような、鋭利な牙を持つ細長い生物らしきももの。それが何体も直下のお二人へと襲いかかり……

 

「はっ、甘いのよッ!」

 

 乱舞の如く振られた座希さんの太刀が、その全てを斬り払った。そして開いた空間に深介さんが銃撃をかけ、魔人を真上から追い払う。

 

(…凄ぇ…技術も、連携も…やっぱ凄い……)

 

 戦う前からお二人が実力者である事は間違いないと思っていたし、それはすぐに確信へ変わった。でも、戦いが進めば進む程、お二人の動きを見れば見る程、凄いと思う気持ちが強まっていく。

 綾袮さんも、勿論凄い。深介さんや紗希さんと綾袮さんのどっちが凄いか…はちょっと判断しかねるけど、お二人には綾袮さんには無い…綾袮さん以上の深さを感じる。そして、多分それは……戦ってきた時間の差。

 

「…まさか、全部斬っちまうとはな……」

「あら、あの程度で押し切れると思った訳?」

 

 着地した魔人と、お二人が向き直る。俺はやや離れた位置にいるけど……多分、魔人の視界には入っている。

 

「…テメェ、煽ってんのか?」

「アタシはただ訊いているだけよ?まさか今のが全力な訳ないし、いつまで手を抜いているつもりなのか気になるじゃない」

「あぁ?人間程度にそう易々と本気出す訳ねぇだろうが。馬鹿じゃねぇの?」

「ふぅん、そう。ならそのままでいて頂戴。その方がアタシ達も楽だから」

 

 太刀の峰を肩にかけ、魔人相手に平然と挑発するような事を言ってのける紗希さん。隣に立つ深介さんも慌てるような様子はなく……それもまた、俺には到底真似出来ない行為だった。

 

「…そっちの奴もだが、随分と舐めた口聞いてくれんじゃねぇか……折角オレが、見逃してやるって言ってのによぉ…ッ!」

「……っ!来るよ顕人君…!」

 

 そんなお二人へ苛つくように吐き捨てると、魔人はその場で腕を振るい、振り抜かれた腕からは蜘蛛の足の様に羽の生えた蝙蝠…に見える存在が放たれる。

 それをお二人が左右に跳びつつ回避すると、魔人は跳んだ深介さんに突進。そしてその背後に迫るのは…Uターンをかけた蝙蝠もどき。

 

(……っ…やっぱり、こいつ…ッ!)

 

 挟撃が見える位置にいた俺は、すぐさま射撃を蝙蝠もどきにかける。それ自体は急カーブをかけた蝙蝠もどきに避けられたけど、その先に回り込んでいた紗希さんの一太刀で斬り伏せられ、魔人と蝙蝠もどきによる挟撃は阻止成功。その間にも、深介さんと魔人は激突している。

 

「ふ……ッ!」

「そらよぉッ!」

 

 繰り広げられるのは打撃の応酬。拳が、蹴りが次々と放たれ、それを互いに防いだと思えば次の瞬間には攻撃を仕掛け、そこに深介さんは近距離射撃も混ぜて攻める。

こうなると俺は何も出来ない。ここに割って入れる訳がないし、撃っても深介さんに誤射しかねないから。でも紗希さんはそんな俺の心境を察したように小さく俺に向けて頷いてくれると、太刀を構えて魔人へ突っ込む。

 

「やるわよ深介ッ!」

「私はもうそのつもりさ…ッ!」

「何が出来るってんだよ…ッ!」

 

 短距離で代わる代わるヒットアンドアウェイを仕掛け、流れるようにお二人は連撃をかける。どの攻撃も防がれ躱されてはいるけど、楽々凌がれている様子は全くない。謂わばそれは、お二人の連撃が途切れるのが先か、魔人が凌ぎ切れなくなるのが先かの根比べで……十数度の攻防の末、状況は動いた。

 耐え切れなくなったのか、それとも痺れを切らしただけなのかは分からない。けれどその瞬間、深介さんが後ろへ跳んだ瞬間魔人も跳んで深介さんを追った。

 

「貰った……ッ!」

「はんっ、外れだ馬鹿が!そんなもんが当たる訳……」

 

 迫る魔人へ向けて、深介さんは下がりながら発砲。近距離から、しかも接近をかけているところに放たれた弾丸なんて対応どころか認識するのも困難な筈で……けれど魔人は避けた。最小限の挙動で、深介さんへの接近は続けたまま、超人的としか言いようのない動きを見せて。

 不味い、と直感的に思った。今のを避けるんじゃ続けて撃っても当たるとは思えないし、紗希さんと魔人との距離は、魔人と深介さんとの距離の倍以上に離れている。俺も反射的に腕を動かしてはいたけど、まだ銃口は魔人の方を向いていない。だから直感的に、不味いと思った。魔人の一撃が、深介さんの身体を捉えると、俺は思った。…けど、次の瞬間、攻撃を受けていたのは……魔人の方だった。

 

「んな……ッ!?」

 

 驚愕に目を見開く魔人。俺も深介さんも撃ってはいない。紗希さんも、太刀の届く間合いにはいない。強いて言えば、紗希さんが太刀を振っていたというだけの状況。でもその時、魔人の頬を……弾丸が、掠めていた。

 一瞬、意味が分からなかった。誰も撃っていない弾丸が、紗希さんは銃器を出していないにも関わらず、魔人を背後から襲ったんだから。けれども、弾丸の飛んできた方向と、紗希さんの振り抜いた太刀から……気付く。

 

(…まさか…さっき深介さんが撃った弾丸を、太刀で打ち返して魔人に……!?)

 

 あり得ないと、そんな馬鹿なと思った。そんな漫画みたいな芸当が、実際の戦場で出てくるなんて、と。

 けど、それなら説明がつく。よく見れば、紗希さんの振り抜いた太刀は刃が内側を向いていて、それも打ち返しへと結び付く。何より…そうでなければ、それこそ弾丸が何もないところから飛んできたという事になってしまう。

 

「……っ…やって…くれやがったなぁああああッ!!」

 

 尋常ならざる離れ業に、魔人も一瞬呆然としていた。でも、そこから魔人の表情は怒りの色でぐにゃりと歪み、深介さんへの攻撃も止めて空へと跳躍。そこから怒号と共右腕を振り上げ……その手の先に、巨大な靄の塊が現れた。

 そのさまに、身構える俺達三人。大技である事を肌で感じ、迎撃と回避の両方が出来るよう神経をフル稼働。そんな俺達を…いや、お二人を魔人はギロリと睨み、そして……

 

 

 

 

──魔人は、その靄の塊を消した。消えたではなく、明らかに自らの意思で…霧散させた。

 

(…は……?)

 

 妨害された訳でも、より広範囲に展開した訳でもない、不意の消滅。まだ全員が健在な中での、突然の行いに思わず俺はぽかんとしてしまった。もしきちんと訓練も受けていなかったのなら、最悪構えも解いてしまっていたんじゃないかと思う程に、ぽかーんとしてしまっていた。

 

「…あ"ー…馬鹿らし…急に凄ぇ馬鹿らしくなってきたわ……」

 

 すたっ、と屋上に降り立った魔人。急に不可解な行動を取った魔人が、一体何をするかと思えば……発したのは、授業前の千㟢並みに気怠げな言葉。…馬鹿らしい…?馬鹿らしい…って、まさか…この、戦闘が……?

 

「……どういう、つもりだ…」

「うっせぇな、言ったまんまだよ。元々俺は戦う気分でもなかったってのに、狡い事されて戦う羽目になって、既にこちとら大損してんだ。その上でテメェ等なんかにこれ以上色々見せるとか、何の意味があるってんだ」

「…意味も何も、だったら最初から……」

「最初から何だよ、テメェ等に譲る義理なんざ端からねぇんだよ。…ってか、探し物自体馬鹿らしくなってきたな…頼まれたから一応やってやったが、なんでオレがこんな損してまで探し物続けなきゃいけねぇってんだ…」

 

 あまりにも意味の分からない言動に俺が声を発すると、酷く面倒臭そうに魔人は返してくる。

 一方でお二人は静かなまま。ただその雰囲気からして、油断していないのは間違いない。

 

「つか、そんなに重要ならオレに頼まねぇで自分で探すなり、他の奴にも探させるなりしろって話だよな。こっちからすりゃ、そんなのどうでもいいし知ったこっちゃねぇんだからよ」

「だから、何を……!」

「うっせぇっつってんだろ。テメェ等の事は見逃してやんだから、最後位黙っていやがれ」

「……!?逃げる気か…ッ!」

 

 そう言って魔人は大きく跳躍。その行動に弾かれたように深介さんは反応し、彼は発砲を、紗希さんは床を蹴っての追撃を図ったけど……放たれた弾丸は当たる事なく、紗希さんもまた、屋上の端に到達したところで追跡の動きを止めてしまった。

 

「…駄目ね。下にもそこそこ人がいる以上、下手に負ったら注目を浴びる事になりかねないわ」

「そうか…なら、仕方ないね」

「…え…じゃあ、それって……」

「あぁ、戦闘はこれで終了だよ。後は展開している部隊に任せるしかないね」

 

 小さくなっていく魔人の姿を見やりながら、お二人は武器をしまう。そんな中、分かってはいたけど、この状況が意味する事を俺は聞いて……深介さんは、言った。これで、戦いは終わりなのだと。

 

(…呆気、ないな……)

 

 思わぬ終わり方をした魔人との戦いに、俺が抱くのは拍子抜けにも似た思い。魔物の群れを変に刺激しないよう、一定の距離を置いて展開していた霊装者の部隊がいる事は俺も聞いていたから、その人達に引き継ぐんだって事は理解しているけど……とにかく、この場での攻防戦が終わりを迎えた事は事実で、その終わり方は予想以上に早くあっさりとしたものだった。

 

「…顕人君、綾袮達にこの事を連絡してもらえる?まぁ、綾袮にはアタシからでも出来るけど」

「あ、いえはい。任せて下さい」

 

 そうだそうだった、と思い出しつつ俺は皆に魔人がいた事、その魔人を撃退した事を連絡する。…撃退っていうか、向こうがやる気無くしてどっか行ったってのがより正確なところだけど…まぁそれはいいか。

…と思いつつ連絡していると、聞こえてくるのはお二人の声。

 

「今回の件は、あの魔人によるもの…で、間違いないかな?」

「でしょうね。奴の見せた能力から考えても、敷地内に現れた魔物は奴の配下である可能性が高いわ」

「ふむ、となると……魔物に探し物をさせていた、というところか…」

「そうね、それなら人を襲わなかった事にも説明がつくし」

 

 深介さんは腕を組み、紗希さんは右手を腰に当てて言葉を交わす。

 考えてみれば、そうだ。魔人が戦闘中に何度か放ったのは、魔物かそれに準じる存在。全ての魔物をあの魔人が生み出しているのか、それとも魔人の能力とは別に魔物の根源か何かがあるのかは全く分からないけど……魔人が探し物をさせる人手(魔物手)として魔物を放ち、魔物はその指示に従い人を襲う事より探し物を優先していたという事なら、一連の流れとして納得がいく。戦闘を目的としていないなら、弱かった(らしい)事にも頷けるしね。

 

「…けど、結局探し物とは何だったんでしょうか……」

「それは気になるところね。物なのか、人なのか、或いは場所や現象か……」

「それなりの数の魔物を放っていながら見つけられていない事から考えるに、そう簡単に発見出来るものではないんだろう。それに奴の言葉が真実なら……」

「奴は頼まれただけで探しているのは別の存在である事。そういう関係の相手が奴にはいるって事も、念頭に置いておかなくちゃいけないわ」

 

 魔人がするような探し物。魔人に探し物も頼めるような存在。どっちも軽く受け止められるようなものじゃなく……折角危険な存在を追い払う事が出来たというのに、そう考えると全然晴れやかな気分にはなれなかった。

 

「あぁ、それと顕人君。追加で油断はしないようにって事も言っておいてもらえるかしら?恐らく魔物は魔人によるものだけど、断定は出来ないもの。これの意味は分かるでしょう?」

「魔物と魔人は無関係、或いは魔人が離れても活動を続ける可能性もある…って事ですよね。了解です」

 

 勝って兜の緒を締めよ。本来の意味とは微妙に違うけど、安易に結論付けての油断なんて、しないに越した事はない。そういう事だと考えて俺はまた携帯を出し……

 

「顕人、無事?」

「うおっ…あ、ラフィーネさん…」

「私もいますよ」

 

 そのタイミングで、階段室よりラフィーネさんとフォリンさんが現れた。現れたっていうか、単に登ってきただけだろうけど。

 

「…どうしてここに?」

「顕人の無事を確かめに来た」

「あ、そ、そうなの…それはありがとう……」

 

 じぃっ、と俺を頭から足元まで見ていくラフィーネさんに苦笑い。とはいえ、本当に俺の事を心配してくれていたみたいで、その殆ど変わらない表情からも安心の感情が伝わってくる。

 

「それで、魔人は……」

「さっき連絡した通り、撤退…っていうか離脱したよ。最も、向こうがやる気を無くしたって感じだけど」

「そうですか…何にせよ、顕人さんに何事もなくて何よりです」

「フォリンさんもありがとね。二人も、調査する中で何か危ない事はなかった?」

「大丈夫。武器がなくても、あの位どうって事ない」

 

 情報は携帯で送っていたとはいえ、やっぱりメッセージよりも電話よりも、直接話す方がより多く、より細かい情報を伝えられる。という事でここでの事を話し、俺の問いにはラフィーネさんが答えてくれて……けれどその視線は、深介さんと紗希さんに向けられていた。

 いや、ラフィーネさんだけじゃない。フォリンさんもまた、お二人へ視線を送っていて…いつの間にか二人の顔からは、穏やかさが消えていた。

 

「二人もご苦労様。貴女達のおかげで、迅速な発見と対応に繋がったわ」

「いえ、私達は任務を遂行しただけです」

「だとしても、成果は成果よ。指示を出した者として、感謝させて頂戴」

「…なら、聞かせて。どうして顕人にも戦わせたの?」

「え…ラフィーネ、さん……?」

 

 微笑む紗希さんに対して、ラフィーネさんは突き付けるようにして言う。何故俺に戦わせたのか、と。

 

「わたし達への指示は待機。ならどうして、顕人には戦わせたの?」

「場所、武器の有無、それに予測しうる事態を考慮に入れた上での判断よ」

「納得出来ない。さっきも言ったけど、わたし達は武器がなくても戦える。それに、貴女達の状態から見て、今の戦闘は顕人無しでも出来た筈。…違う?」

「いや、だからラフィーネさん……」

「待った、顕人君」

 

 ラフィーネさんが何を言いたいのかは分かる。ラフィーネさんは…いや、ラフィーネさんもフォリンさんも俺の身を案じてくれていて、だからこそ問い詰めているんだと。

けれど、それは…その問い詰めは俺の望むところじゃない。だから、俺は口を挟もうとして……逆に、深介さんに止められた。そしてそのまま、深介さんが言葉を返す。

 

「…そうだね、君の言う通りだよ。君達二人なら武器無しでも十分な力がある事は私達も理解しているし、私と紗希だけでも戦えただろう」

「なら……」

「けれど紗希の言った通り、事態の全容が分かっていない状態で戦力を一点集中させるのは悪手だ。けれどその一方で、未知数の相手に対しては、出来る限り戦力を整えて当たった方が良いのも事実。だから私達は顕人君にも戦ってもらったんだよ」

「…適切な判断をした、と?」

「あぁ。けれど、そう言うのなら私も一つ言わせてもらおうか。…君達は少し、顕人君を過小評価していないかい?」

『……っ…』

 

 優しい声で、けれど少しだけ眼力を強めてそう言った深介さん。その言葉でラフィーネさん、フォリンさんの二人はぴくりと肩を震わせ……俺は、心底驚いた。まさか、そんな事を言われるとは思ってもいなかったから。

 

「彼は今回の戦闘において、上手く立ち回ってくれたよ。目覚ましい活躍をした訳じゃないが、魔人を相手に足手纏いになる事なく、多少なりとも援護射撃を入れてくれるというだけでも、私や紗希にとっては大助かりだった。早々に魔人が退いたからその影響も少なかったけど、もっと長期戦になっていれば……顕人君がいてくれたおかげで、という展開もあったかもしれないと、私は思っている」

「…でも、それは……」

「うん。逆に長期戦になった事で、顕人君の存在が悪い方に転がった…となる可能性もあるね。だから、可能性の話は所詮可能性の話だ。そして、結果から語るなら……顕人君は決して、戦わせるべきではない程弱い霊装者ではなかった。…私は、そう思っているよ」

「…とはいえ、顕人君はまだアタシ達や、貴女達程多くの経験を積んでいない。そんな彼を、曲がりなりにも正面から魔人と戦わせてしまった事は、アタシ達の落ち度であり、反省点で間違いないわね」

 

 納得し切れない。そう言いたげなラフィーネさんに深介さんは言葉を重ねて、結論に紗希さんが付け加える。そして、紗希さんが締め括ったお二人の言葉に…ラフィーネさん達は、何も言わなかった。

 

「…さてと、それじゃあ戻るとするわよ。本来立ち入り禁止な場所に長居をしても、厄介事が増えるだけだもの」

「取り敢えず、校長先生には話を通しておこうか。…ところで紗希、どうして君は飛ばなかったんだい?」

「下手に飛んで空中戦になったら、下から見られる可能性があるでしょ」

「あぁ、そういう……」

 

 言うが早いかお二人は扉が開きっ放しの階段室へと向かい、そこから下へと降りていく。そうしてなかったのは、言うまでもなく俺、ラフィーネさん、フォリンさんの三人。

 

「…………」

「…………」

(…あ、どうしよう気不味い……)

 

 訪れたのは、何とも居心地の悪い沈黙。二人が俺を心配してくれてたんだって事は分かってるし、それは嬉しいんだけど、同時に深介さんの「過小評価していないかい?」という問いを、否定しなかった…或いは出来なかった事が、この気不味い雰囲気を生み出してしまっている。

 気にしてないよ、と言うのは簡単。二人からすれば俺は弱いんだって事も分かってる。けれどやっぱり、二人にそう見られていたんだって思うと、あぁそうなのかって思いが俺にはあって……

 

「…顕人……」

「…え、と…その……」

 

……けれど、それよりも…そんな事よりも…ラフィーネさんとフォリンさんに、申し訳なさそうな、視線を合わせる事を躊躇ってしまうような思いをさせてしまっている事の方が、俺にとってはずっと嫌だった。

 

「……その、さ…おあいこって事にしようよ」

『おあいこ…?』

 

 だから俺は提案する。二人は俺の言葉に、きょとんとしているけど…反応からして、言葉の意味が分からない、って感じじゃない。

 

「そう、おあいこ。…実はさ、俺も一回深介さん達に言ったんだよ。二人は武器が今ないんだから、二人だけで行動させるのはどうなのかって」

「…そうだったの?」

「そうだったの。状況的にそうせざるを得ないとか、二人の安全を第一に考えてはいるとか、幾つかの理由を説明されてその場は納得したんだけどさ」

「…それは、正しい判断だと思います。限られた戦力で動かなくてはいけない状況でしたし、私達は素手で戦う訓練もしていますから」

「そっか。…これもさ、二人が俺を戦わせるべきじゃない…って考えたのと同じだよね。だってこれは、『二人だけじゃ役目に対して戦力が足りてない』とも言い換えられるんだから」

 

 俺は話す。俺がここに来る前に、思った事と言った事を。そしてそこから考える。二人が…いや、俺自身も含めた、全員が納得出来そうな捉え方を。

 素手で戦う訓練もしている、というのは想像してなかった。けれど二人が元暗殺者なら、それもおかしな話ではないと思う。…でも、そこは重要じゃない。もう過ぎた事だから。

 

「…同じ、でしょうか…その言い方だと、顕人さんは私達が武器を携行していればそうは思わなかった、という事ですよね?でも、私達は……」

「同じだよ。細かい事は違うけど、俺も二人も、相手を心配して、だからやる事に対して『そうするべきじゃない』って思った。…そうでしょ?」

「…うん。それは、そう」

「なら、いいじゃん。少なくとも俺は、そう思っているよ」

 

 フォリンさんの言葉を遮って、俺は二人に問いかける。遮る事で持っていきたい結論に対して不都合な事を封じ、逆に都合の良い共通点だけを抽出する事で、ラフィーネさんから同意を取得。…我ながら、ちょっと狡い持っていき方だけど…それでいいじゃないか。それが二人の抱く後ろめたさを、取っ払う事に繋がるのなら。

 

「…ほんとに、そう思ってる?」

「本気だよ」

 

 じっと見つめるラフィーネさんの言葉に、俺は首肯。するとラフィーネさんはフォリンさんの方を見て、フォリンさんもラフィーネさんを見て、そして……

 

「ん、分かった。顕人がそう言うなら、おあいこにする」

「私もです。…すみません、気を遣わせてしまって…」

「気?そりゃ何の事?」

「……いえ、何でもないです。ありがとうございます、顕人さん」

「うん、どう致しまして」

 

 ラフィーネさんは、どうなのか分からない。フォリンさんは、俺の意図に間違いなく気付いている。けどまぁ、別にいい。意図に気付かれていようがいまいが、二人の顔に浮かぶ曇りの表情は晴れていて……それさえ出来れば、俺は満足なんだから。

 

「それじゃ、俺達も戻ろうか。あんまり遅いと不審がられるし」

「…例えば?」

「ん?そりゃ、学校の屋上って言ったら告白スポッ……」

『……?』

「…な、何でもない。とにかく戻ろう…」

 

 自然な感じで訊かれたものだから、うっかり「告白スポット」なんて言いかけてしまった俺。その言葉自体は、別に恥じるものでもないけど……ラフィーネさんにそれ言うと追及されそうだし、フォリンさんの場合は弄ってくるような気もしたから、ギリギリのところで俺は修正。ま、まあうん。屋上は弁当食べたり、土敷いて野球の練習に使ったりする事もあるしね!

…なんて、誤魔化すような事を心の中で言いながら、俺はお二人に少し遅れて(…もしや、こういう話をし易いように、深介さんと紗希さんはさっさと下の階に…?)屋上を後に……

 

「……うん?」

「……?顕人、どうかした?」

「あ、ううん…(なんだ今の…気のせい……?)」

 

……する直前、何かを感じた。どうしてとか、どこからとか、何がとか…そういうのが一切分からない、もう全然全く分からない、ただ何となく『何か』を感じたような、謎の感覚。

 けれど、そんな漠然とし過ぎてる事を一々考えていたらキリがない…っていうか、そもそも何をどう考えればいいのかも分からないレベルで漠然としていたから、俺は気のせいだと片付け、二人と共に魔人との戦場になった屋上を後にするのだった。

 

 

 

 

「いやぁ、まさか魔人クラスが来るとは。偶々ここを調べただけならともかく、何かしら気付いてここに来たとしたら、ちょっと厄介っすねぇ。…まぁ、何にせよ…追い払ってくれた霊装者の方々、それに……先輩には、感謝していますよ」



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第百二十八話 なんのかんので祭りは終わり

 必要なら、俺も戦おうとは思っていた。緋奈や依未を守る為なら言うまでもないが、そうでなくとも最悪やってやろうとは思っていた。例え赤の他人であろうと、助けられる力があって、助けるという選択が出来る状態にありながら、見捨てて見なかった事にするのは、この上なく目覚めが悪いから。

 とはいえ、戦わないで済むならそれに越した事はない。戦わざるを得ない時は戦うが、間違っても俺は戦いたい訳じゃない。…とは、思ってたんだが……

 

「…まさか、ほんとに何もしない内に戦いが終わっちまうとはな……」

 

 文化祭二日目終盤。もう終わりがそう遠くないという段階に入った時、俺は予定通りに調理をしていた。武器ではなく調理器具を持って、戦場ではなく調理場に立って。

 

「何か言った?」

「言ったが何でもねぇよ。砂糖取ってくれ」

「ふぅん、はい」

 

 妃乃から受け取った砂糖をボウルに入れ、既に入っていた材料と共に泡立て器で混ぜる。

 客足のピークを過ぎた事で、また単純に終わりが近いという事もあって、今はかなりの余裕が出来ていた。そのおかげで、あまら焦る事なく調理が出来ているし…妃乃なんかは、フロアが足りているからという事でこっちへ手伝いに来ていたりする。

 

「…てか、フロアが足りてるなら休めばいいんじゃないのか?妃乃は…いや綾袮もだったが…担当時間の間、引っ張り凧だったんだからよ」

「いいのよ別に。最後にわっとお客さんが来るかもしれないって考えたらこっちの負担は減らしておいてあげたいし、そもそも普段してる事を考えれば、接客なんてまだまだ楽な方だもの」

 

 そう言う妃乃の顔には、確かにまだ余裕の色がある。勿論、「まだ余裕」であって「全然余裕」って訳じゃないとは思うが……確かに立場ある相手と話す機会も多い妃乃からすりゃ、文化祭の接客なんて相対的に見れば数段下の難易度なんだろうな。

 

「…まぁ、それ抜きにも流石だとは思うけどな…」

「……?やっぱり、貴方小声で何か言ってるわよね?何なの?」

「だから何でもねぇって。気にすんな」

「だったら心の中で言いなさいよ…隣で何か言ってるのは分かるけど、何を言ってるのかは分からない、って声量出されたら、気になっちゃうでしょうが……」

 

 ぽつりと呟いた、妃乃への賞賛。まだ余裕と言っても疲れはあるだろうに、休んだっていい状況なのに、先の事と周りの人の事を考えて、やらなくてもいい仕事を自ら行う。難しい事をしている訳じゃないが……それもさも当然の事であるかのように出来る妃乃は、やっぱ凄ぇと俺は思っていた。…伝えるのは恥ずいし、聞こえる声で言ったりもしないが。

 

「こんなもんか…よし」

「卵の殻、片付けておくわよ?」

「おう、助かる」

 

 それはともかく、話しながらでも調理は進める。俺は混ぜたものをフライパンに流し、その間妃乃は邪魔な物を片付けてくれて……

 

「へー、妃乃ってば悠耶君と連携ばっちりじゃん。ひゅーひゅー、カップルみたいだぞー?」

「ぶ……ッ!?」

「は、はぁ…!?」

 

…突如、とんでもねぇ言葉をぶっ混んでくる奴がいた。ってか、いつの間にかいた綾袮だった。

 

「な、なな何を馬鹿な事言ってんのよ!ちょっ、や、止めてよね!?」

「えー、でも今のは息合ってたよね?」

「へ?…ま、まぁ…うん……」

 

 思いっ切り憤慨&赤面する妃乃。だが綾袮は飄々した様子で近くにいた調理担当の一人に同意を求め、そこで同意を得たものだからにんまりと笑う。

 

「ほらね?」

「ほらね?じゃないわよっ!こっちは料理してるんだから邪魔しないでくれる!?」

「あ、ごめんごめん。確かに確かにお邪魔だったかな?」

「誤解を生むような捉え方もしないでくれる!?っていうか、悠耶も何か言いなさいよ!?」

「いや、俺今火を使ってるところなんだが…」

「あ……こ、こほん。とにかく連携がよく見えたって言うなら、それは私の手際が良かっただけの事よ!いいわね!?」

「えぇー……もう、連れないなぁ…」

 

 烈火の如く否定する妃乃に押し切られる形で、渋々綾袮は口を閉じる。……が、その反応や声音から見るに、一旦は黙ってまた後で言ってやろう…とか考えているようにしか思えない。

 

「…おい…保護者どこ行ったよ保護者……」

「…それ、どっちの事言ってる訳…?」

「そりゃ、勿論…ってそうか、今は本当に親が来てるんだったな…まだいるのかは知らんが……」

 

 さっきまで余裕があったというのに、もう何というかげんなり気味な俺達二人。こういう時に限って御道はいないんだよな…はぁ……。

 

「あ、そうそう悠耶君。君の妹ちゃんと依未ちゃんが来たよ?顔出す?」

「顔出す?…も何も俺こっち担当なんだが……」

「ちょっと位いいんじゃない?」

「……じゃ、行くか…」

 

 手の空いている調理組の一人に交代を頼み、俺はフライパンから手を離す。わざわざ顔を出さなくても…とは思っていたが、周りから次々と「行ってあげたら?」的視線を送られるとなっちゃ、むしろ行かない方が居心地悪い。

 って訳で、フロアの方に出ると…確かに緋奈と依未が、端の方の席に座っていた。

 

「…あ、お兄ちゃん」

「来たんだな。注文はどうする?」

「…あんた、一応お店サイドの人間よね…?」

「なんだ、態度が悪いってか?悪いが今の俺は、態度悪い系店員の演技中だ」

「絶対嘘だ……」

 

 依未の向けてくる、じとーっとした疑いの視線を余裕でスルーする俺。いやぁ、演劇喫茶って設定はこういう時便利だなぁ。

 

「あはは…態度悪いお兄ちゃんでごめんね…」

「別に、貴女が謝る事じゃないわよ…悠耶の態度の悪さは今更だし…」

「でも、わたしは妹だからね」

「…まぁ、緋奈がそれでいいならいいけど…」

 

…と思っていたら、緋奈と依未が普通に話していた。……え、いつの間にか仲良くなってんの?てか、二人で行動してたの?

 

「…何よ、変な目で見て……」

「い、いや別に…んでどうすんだ?今なら二割増しの料金で作ってやるぞ?」

「なんでタイムサービス風にぼったくろうとしてるのよ」

「痛っ……」

 

 前ではなく後ろから入る突っ込みと衝撃。然程痛い訳じゃなかったが、軽く驚いて振り返ると、そこには恐らく俺を叩いたのであろうトレイを持った妃乃がいた。

 

「悪いわね、二人共。注文は私が受けるから、貴方はさっさと作る準備してきなさい」

「えー…俺一分か二分位しかこっちに来てないのに…?」

「そっちの方がいいわよね?」

『あ、はい』

「…ちぇっ……」

 

 依未はともかく、まさかの緋奈まで妃乃に即答。こうなると分が悪い俺は、何だかなぁと思いつつ言われた通りに裏へと戻る。…俺の周りの女子って、俺をぞんざいに扱う奴ばっかりじゃね…?

 なんて思いながら戻ると、すぐに妃乃が注文を伝えにきて、それを受けて調理開始。二人共パンケーキを頼んだらしく、既にタネが出来ている事もあって、俺はぱぱっと作り上げる。

 

「完成っと。おーい、誰かこれを…」

「来るの妹さんなんでしょ?じゃあ、千㟢くんが持っていってあげたらどう?」

「いや俺また移動かい…まぁ、いいけど……」

 

 向こう行って、戻ってきて、また行って。何してんだ俺感が凄いが、別に遠い訳じゃねぇし、嫌って訳でもないから言われた通りに俺が二人へと運ぶ。

 

「お待ちどうさん。シロップとバターはお好みでな」

「うん。じゃあ、頂きます」

「…頂きます」

 

 持ってきたパンケーキの皿を二人の前に置くと、緋奈はいつも通りに(まぁ作ったのが俺なんだから当たり前だが)、依未は「ほんとにあんたが作ったんだ…」みたいな顔をしながら切って口に。そして咀嚼し、飲み込んで……

 

「…普通に美味しい……」

「普通って何だよ…」

 

 最初に感想を言ったのは、依未の方だった。驚いた顔で、至極意外そうに言う依未に対し、俺は思わず突っ込みを入れる。

 

「……普通に美味しいは普通に美味しいよ。もっと賞賛してほしかったの?」

「そうですか…ったく、美味しい位普通に言えんのかね……」

 

 一瞬黙った後、見慣れた表情に戻って生意気に言ってくる依未。一方緋奈は……

 

「ん、生地がふわふわで美味しいよ、お兄ちゃん」

「ありがとな、緋奈。けどパンケーキなんて、誰が焼いても味に大差はないぞ?」

「味はそうでも、ふんわり具合は変わるでしょ?」

 

…ご覧の通り素直に、微笑みと共に美味しいと言ってくれた。そうだよこれだよ、依未もこれを少しは見習ってほしいもんだ。あー……ほんと、うちの妹は超可愛い。

 

「よし、お兄ちゃん気分が良いから緋奈にはミックスジュースを奢ってやろう」

「え?あ、ありがとう…」

「…あたしには?」

「あっちの方にある蛇口捻ればいいんじゃね?」

「水道水…!?ろ、露骨なシスコンねあんた…!」

「シスコンじゃなくとも、今のは対応に差が出て当然だと思いますけどねー」

 

 個人的には緋奈の頭も撫でたいところだったが、人前でそれをする程俺も無節操じゃない。という訳で、依未の恨めしそうな視線と言葉を適当にあしらい、またまた裏へと一度戻って、言葉通りにミックスジュースを持って戻ってきた。そうして俺は、()()()ジュースをテーブルに置く。

 

「え……?」

「中々甘いぞー…って、パンケーキなんだから紅茶辺りの方が良かったか…すまん……」

「う、ううん。わたし甘いものは好きだし、大丈夫だよ」

「なら良かった。後、緋奈の好みは昔から知ってるぞ」

 

 うっかりミスに俺が気付くと、優しい緋奈はやっぱりすぐにフォローをしてくれた。…言っとくが、わざとじゃなくてほんとに出してから気付いたんだぞ?

…と、俺が思っていると、横から視線が刺さってくる。その視線の主は…言うまでもない。

 

「…今度は何だ」

「…何よ、これ……」

「ミックスジュース」

「どういう飲み物かは訊いてないわよ…!…なんで、アタシの分まである訳…?」

「なんでって…あのなぁ、片方にだけ奢るなんざ、誰が相手でも後味悪くなるだけだっての。つか、冗談は笑えなくなった時点で冗談じゃないしな」

「…………」

 

 依未が言ってきたのは、まぁ概ね予想通りの言葉。態度そのままに言葉を返すと、依未は言い返せない…って感じに言葉に詰まる。そして、その数秒後……

 

「…なら、その…頂く、から……」

「あぁ、もう出しちまったんだからそうしてくれ」

「……ありがと…」

 

 おずおずと、依未はジュースを口にした。…こうやって素直でいりゃ、依未も可愛げがあるんだけど…な。

 

「…優しいのか意地悪なのか、よく分からない事するね、お兄ちゃん」

「ま、相手が相手だったからな」

「…一歩間違えば、そういうのを『たらし』って言うんだよ、お兄ちゃん」

「うぐっ……」

 

 視線に続き(?)、今度は緋奈には言葉が刺さる。別にどぎつい言葉をぶつけられた訳でも、図星だった訳でもないが……冷ややかな目で妹にこういう事を言われるのは、予想以上にキツかった。

 

(……言動には気を付けよう、うん)

 

 妹を気にして、というのはなんかズレてる気がしないでもないが、緋奈からの評価となれば、俺にとっては死活問題。って訳で、俺は気を付けようと心に決めて……

 

「店員さん、こちらの席は宜しいかな?」

「っと、どうぞ……って、あ…」

「ちょっと悠耶、何お客さんの前でぼけーっとして…って……」

 

…その瞬間訪れたのは、綾袮の父親と母親だった。当たり前っちゃ、当たり前だが……ご両親、来店である。

 

「…紗希様、深介様……」

「連絡は取り合ってたけど、今日直接会うのはこれが初めてね、妃乃」

「あ、そ、そうですね。まじ…こほん。例の件、一切のご助力が出来ず申し訳ありませんでした」

「何を言っているんだい、妃乃。君に指示を出したのは私達で、君はそれを忠実に守っていたんだから、謝る必要はないさ」

「…恐縮です」

 

 二人を目にした瞬間、こちらに近付いてきていた妃乃の雰囲気が変化。とても幼馴染みの両親に対する態度じゃないが…そこはまぁ、そういう立場だからって話。綾袮のご両親の様子を見る限り、こんなに畏まらなくても良さそうだけどな。

 

「まぁ、その件の細かい事は後で言うとして…今はお客として、貴女達の企画を楽しませてもらうわ」

「分かりました。では、綾袮を呼んできますね」

「えぇ。…っと、その前に一ついいかしら?菜々達から貴女に伝言を預かっているの」

 

 綾袮を呼んでこようとする妃乃。だがそれを呼び止める綾袮の母親…紗希さん。それを聞いた瞬間、俺(と多分緋奈も)は「え、誰?」と思ったが…菜々さんとやらが誰なのかは、すぐに判明する。

 

「え……お母様から、ですか…?」

「そうよ。──今年はどうしても予定を空けられなかったけど、来年は必ず行く、だって」

「……っ…そう、ですか…わざわざ、ありがとうございます…」

 

 名前の出た菜々さんとやらは、妃乃の母親だった。…って事は、宗元さんの子供なのか……

 

(…あ、ヤベぇ全然思い付かねぇ。宗元さんの孫娘が妃乃ってだけでもびっくりなのに、宗元さんの娘且つ妃乃の母親な人物って…一体、何者なんだ……?)

 

 何者も何も…と自分の心の声に対して突っ込みを入れたくなった俺だが、実際そのポジションの人物自体が驚きなんだから仕方ない。…まぁ、それを言うならあの綾袮のご両親がこの二人、ってのも驚きではあるんだが…。

 

「隣、いいかな?」

「あ…は、はい。どうぞ…」

 

 緋奈と依未のいるテーブルの隣に腰を下ろすご両親。あんま席を外すのもアレだよなって事で、俺は綾袮を呼びに行った妃乃に少し遅れて裏へと戻る。

 

「おかー様、おとー様いらっしゃーい!もー、うちのところには来ないのかなって思っちゃったよ〜」

「それはすまな……」

「…おとー様?」

「…綾袮、その格好は……」

「……まさか、綾袮がこんな格好をしているとはね…」

 

 入れ替わりで出てきた綾袮とすれ違った直後、聞こえてきた親子の会話。…うん、まぁ…文化祭の出し物とはいえ、娘がメイド服着てたらそりゃ驚くわな……。

 

(…さて、軽い休憩にゃなったしもう一踏ん張り……)

 

 半ば所定となった位置に戻り、調理作業を再開しようとした俺。

 と、そこで見えたのは妃乃の複雑そうな…だが辛そうだとか、悲しそうだとかの印象は受けない顔。その表情を浮かべたまま、妃乃は呟く。

 

「…家族なんだから、直接言ってくれればいいのに……」

「…本気で来年は来よう、って思ってるからじゃねぇの?直接『用事で無理だったけど、次の時は…』なんて言っても、逆に社交辞令っぽく聞こえちまうしな」

 

 それが表情の出所か、と思いながら俺は妃乃の言葉に返す。実際のところはどうなのか分からないが……どうも妃乃の様子を見る限り来ると約束していた訳じゃないみたいだし、ならばわざわざ「来年は」なんて言わない選択肢もあった筈。だったらこういう理由でもあるだろうなと、俺は思った。

 

「…独り言なんだから、答えなくったってよかったのに…」

「だったら心の中で言えよな」

「うっ……」

 

 さっき言われた言葉をそのまま返すと、妃乃は分かり易く言葉に詰まる。その後一瞬、若干恥ずかしそうにしながら俺を睨んで……それから妃乃は、はぁ…と深めに息を吐いた。それが、どういう気持ちからくるものかは何とも言えないが……吐いた後の妃乃は、多少はすっきりしたような、複雑さの消えた表情に変わっていた。

 

「妃乃はこれからどうするんだ?まだこっちを手伝うのか?」

「いや、もう本来の勤めに戻るとするわ」

「そうか…なら、一応依未の事は気にしててもらえるか?このクラス中にいる間だけでいいからよ」

「えぇ。何かあればすぐに対応するから、貴方も自分の役目を頑張りなさい」

「へいへい、お互いな」

 

 そうして妃乃はフロアに戻り、俺も調理の仕事を再開。疲れたなぁという気持ちは一旦胸の隅に追いやり、もう少しだとエンジンをかける。そして、その数十分後……アナウンスと共に、文化祭二日目もまた終了の瞬間を迎えるのだった。

 

 

 

 

 二日間の日程を終え、閉会式も終え、翌週から通常授業を行える状態にまで戻し、いよいよ文化祭は本当に終了となった。満足したと喜ぶ者、名残惜しさや寂しさを感じる者、来年は最優秀賞を取ろうと燃える者……様々な思いを抱いて、生徒達は文化祭の終わった校舎を後にする。

 そんな中、校内の駐車場に停まっている車の一つに、妃乃と綾袮の姿があった。

 

「…ってところね。今言った魔人に、覚えはある?」

「ない…かな。もしかしたらその魔人が生み出した…生み出してるのかな?…魔物を倒した事はあるのかもしれないけど、確認も判別も出来ないし」

「私も綾袮と同じです。それに魔人の能力がそのようなものでしたら、私と悠耶が一度交戦した魔人とは、やはり違うと思います」

 

 同じく車内にいるのは、深介、紗希、それに運転手。そのやり取りは…勿論、文化祭そのものに対する和気藹々としたものではない。

 

「そうか…となると、これ以上の情報を今得るのは難しそうだね。包囲網も突破されてしまったみたいだし」

「…実際どうなのかは定かではありませんが…もし奴の能力が無制限且つ無限だとしたら、例え出せるのがあのトカゲ程度の魔物だけだとしても、それだけで奴は並の魔人とは一線を画する…それこそ魔王以上の脅威になりかねませんね」

「んー…どうなんだろーね。無制限に出せるなら、おかー様達相手に物量攻撃を仕掛けてきてもおかしくないんじゃない?まぁ、本気じゃなかったからしなかっただけ、かもしれないけど」

「どっちもあり得るし、どっちも断定は出来ないわね。…嘗て確認された、或いは撃破されてきた魔人の事を考えれば、無制限の力はない…と、思いたいけれど……」

「何にせよ、確認のしようがないね。…それに、懸念すべき事はもう一つある」

 

 魔人の能力に関して思考を巡らせる中、深介が口にするもう一つの懸念事項。その言葉に、三人は三者三様の同意を示す。

 

「…これまでに確認された二体の魔人に、双統殿に強襲した魔王。それに、今日の一体を加えて、計四体……」

「それが今年だけで、しかも全部日本でっていうのはちょっと……いや、かなり異常だよね…」

 

 局地的な、その日一日の結果ではなく、積み重なる時間の中での異常事態。それは協会の中核を担う彼女達にとっては到底無視など出来る筈もなく、特に妃乃と綾袮は表情を曇らせ……

 

「…それはそうと二人共。二人のクラスは、打ち上げをしないのかい?」

「え?…します、けど…何故それを……?」

「そりゃ、私達が学生の頃も文化祭後の打ち上げはあったからね。…確認は済んだんだ、準備の為に二人はもう行くといい」

 

 そこで深介が、話を大きく切り替えた。…というより、話を締める方向へと転換させる。

 

「い、行くといいって…い、いえ大丈夫です。事後処理もありますし、時宮の人間として自分の務めを疎かにする訳には……」

「大丈夫よ、それならアタシ達がやっておくし、話も流しておくから。…大人になれば貴女も綾袮も今より好きには動けなくなるんだから、こういう時は素直に楽しんできなさい」

「で、ですが……」

「もー、真面目だなぁ妃乃は…折角おかー様とおとー様がこう言ってくれてるんだから、今日は高校生として打ち上げ楽しんでこようよ、ね?」

 

 初めは何故その話が今?…と表情に出る程『必要なら打ち上げは欠席する』と考えていた妃乃だったが、宮空家三人に続けて勧められた事で困惑し、迷い……そして数秒後、綾袮の言葉に小さく頷く。

 

「…お二人が、そう言って下さるのでしたら…ご厚意に甘えようと思います」

「んもう、だから妃乃は固いんだって。わたしは妃乃の間柄なんだから、もっとフランクになってもいいんだよ?」

「アタシは妃乃の真面目さは嫌いじゃないけどね。というか、綾袮も少しは見習いなさい」

「うっ、飛んだ藪蛇だった…なんかこれ耳の痛い話されそうな雰囲気あるし、早く行こっ!」

「そ、それは綾袮だけでしょうが!ちょっ、引っ張らないでよ!?」

 

 まさかこんな返しになるとは、とばかりに渋い表情を浮かべ、すぐに車のドアを開いて外に出る綾袮。その綾袮に腕を引っ張られ、妃乃も文句を言いつつ外に。

 そこから車外へと出た綾袮は楽しげに手を振った後歩き出し、一方妃乃は歩き出す前に車内へ一礼。自分の親か、幼馴染みの親かという違いはあるものの、ここでもやはり二人は対照的。

 

「いやぁ、今年の文化祭は楽しかったよね!メイド服も着てみると案外良いものだし、妃乃も楽しかったでしょ?」

「二日目終了直後とは思えない元気さね……でも、まぁ…ふふっ。それについては全面的に同意するわ、綾袮」

「え、妃乃もメイド服良い感じだって思ったの?じゃ、今度二人で着てみる?」

「そうね、それも中々…って、そっちじゃないわよ!今のは分かってたわよね!?分かってた上で言ったわね!?」

 

 片や自由奔放に、片や片手で額を軽く押さえていながらも、その口元には自然と柔らかな笑みの浮かぶ二人。気兼ねなく話す二人の、混じり気のない笑み。…そんな二人を深介と紗希は、車内から微笑みと共に見送るのだった。



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第百二十九話 終わっても残るもの

 私の不注意で前話、前々話の文頭の一文字目が空いていなかったので、修正しました。内容には変化はありません。


 祭りってのは、終わったらそれでお終いだ。…って言うと、当たり前ってか無意味な重複になるが、祭りは終わってしまえば、数日後か数週間後か……或いは、翌日には元の通りに戻ってしまう。一時的な、その時だけの時間だと言わんばかりに、元々の状態に戻されてしまうのが、祭りというもの。

 けど、そんなものだろう。常にある、日常的なものじゃないからこそ、祭りは特別なものとして輝くんだろう。だから終わって、祭りの前の状態に戻ったとしても、何ら悲しむ事も、ましてや困る事もない。…そう、思ってたんだが……。

 

「おはよ、千㟢くん」

「あー、千㟢じゃん。あんた相っ変わらず登校遅いわねー」

「んぁ?…あ、おう…おはよう…」

 

 文化祭の翌週。振り替え休日明けの朝、俺がクラスに入ると、同じく調理を担当していた内の二人から、声…ってか、挨拶をかけられた。

 

「…何だその顔」

「人の顔だ。後人付き合いの基本は挨拶からだぞ?」

「うっ……おはよう、千㟢…」

 

 一瞬キャッチミスしてしまった言葉のボールを取り直し、挨拶を返した俺。続いて席に座ると、開口一番御道が妙な事を言い出してきたものだからいつもの調子であしらい、鞄から荷物を出していく。

 

「…で、俺の顔が何だって?」

「変な顔してたって話…まぁ、理由は大方分かるけど…」

「そうなんだよ…実は登校中、焼き飯の対義語は冷や飯だって熱弁してるおっさんがいたもんで…」

「何その突っ込みどころ満載のおじさん!?え、そんな人いたの!?」

「いや、嘘だぞ?」

「だろうね…反射的に突っ込んじゃったけど、んな訳あるか感半端ねぇもん……」

 

 普通に話しても問題はないが、一先ずボケを一つ投入。…反射的に突っ込むって、御道も結構筋金入りだよなぁ…。

 

「……まぁ、なんだ。まだ挨拶されるんだな、って思ってな…」

「そりゃまぁそうでしょ。文化祭終わったって関係性が切れる訳じゃないし、元からクラスメイトな訳だし」

 

 どうも気付いてるようだし、なら隠してもしょうがねぇか…と思いつつ話を戻すと、返ってきたのは至極ご尤もな言葉。…が、んな事は俺だって分かってる。

 

「…けど、だから何だって訳でもないよな。そりゃ、文化祭の準備から当日までで色々話したし、料理する上で協力したりもしたが、ぶっちゃけそれって文化祭ありきな訳で」

「淡白な事言うね…」

「実際そうだからな。…あの二人はクラスメイトで、同じ調理担当だったが…それ以上でもそれ以下でもねぇし……」

 

 嫌いな訳じゃないが、話すのも苦じゃないが、だからってどうこうする訳でもない。多分用事がなきゃ、少なくとも現状俺は自分から話しかけたりしないと思う。そんな相手に、挨拶をかけられたら…そりゃ勿論、挨拶を返すし愛想笑いだってするが……それ以上、俺はどうしたらいいもんなのか、それとも何もしなくていいのか。それがどうにも飲み込めなくて…だから、変な顔をしていたんだろう。

 

「まー…身も蓋も無い事言うと、こういうのって止め時がよく分かんないもんだからね。ほら、年賀状も殆ど合わない相手でも、いざ止めるってなると『うーん…』ってなるでしょ?」

「あー……でもそれは面倒臭さの方が勝って、書かなくなったりするもんじゃね?」

「…言われてみると確かにそうだ…け、けどニュアンス的には伝わった…よね?」

「…んまぁ、一応は…」

「なら良かった……それに、文化祭ありきったって、終わったら文化祭をやったって事実そのものが消える訳じゃねぇし、過去とか思い出って形で文化祭の事は残るんだから、一つや二つ続くものがあったって、それは別におかしくないって、俺は思うけどな」

 

 別に、そこまで深い話にしようと思ってた訳じゃない。挨拶をされた、ただそれだけの事だった片付ける事も出来た。……だが、思ってもみないような言葉が御道の口から発されて…その考え方は悪くない、と俺は思った。

 

(…一つ二つ続くものがあったって、それは別におかしくない…か……)

 

 言われてみれば、考えてみれば、それは当然の事。元通りに、元々の状態になるって言っても、それはあくまで会場の話。それに御道の言う通り、戻るっつーのは文化祭そのものが無かった事になるんじゃなくて、文化祭を経た上で、またそれ以前の状態に戻す…つまりはその流れの中には、確かに文化祭が残っているんだって事。だったら、文化祭の中で変わった何かが、変わったままでいるのはごく自然な事で……

 

「…捻くれてるんだな、俺って……」

「え、今更…?」

 

──意外な時に、意外な形で、今の自分の性格というか、在り方というか……そんな内面の部分について、改めて気付く俺だった。

 

 

 

 

……と、朝の段階じゃ些か冷めた、だが穏やかな気持ちになっていた俺なんだが……結構デカめの変化が、まだ今日という日には潜んでいた。

 

「あ、妃乃の卵焼き美味しそう…一個ちょーだい!」

「一個頂戴って…さっきポテトの肉巻きあげたわよね?まだ欲しいって言うなら、代わりに何か出しなさいよ」

「じゃあ、バランあげる!」

「要らないわよ!なんで仕切りで交換出来ると思った訳!?食べ物を出しなさいよ!」

「えー、でも超竜軍団長だよ?」

「それは竜騎将さんの方でしょうが…!」

「…二人共、よく少年漫画のネタが出てきたね……」

 

 軽快にボケる綾袮と、怒り気味に突っ込む妃乃。それに苦笑いをする御道。何らおかしくない、いつも通りのやり取りと光景。

 そう、このやり取り自体は至って普通。特筆する点もない。……それが、昼の時間に、弁当を囲みながらでなかったのなら。

 

(どうしてこうなった……)

 

 頭を抱え…はしないものの、なんだか俺はそんな気分に。…いや、理由は分かっている。ってか、当事者だから知っている。

 つい先程、具体的には昼休みに入った時に、文化祭の実行委員からアンケートを求められた。それ自体は全員が書くものだったが、更に追加で感想やら意見やらを提出しなきゃいけないらしく、その対象として選ばれたのが、集客の要となっていた妃乃と綾袮に、生徒会の観点をという事で声をかけられた御道に、調理担当からも一人という事で……まさかの俺。どうも、当日は俺が色々回してくれた(調理担当メンバー談)かららしいが…それはもう「マジか…」と思った。

 で、昼食を食べながらで構わないって事で俺達は弁当を囲みつつ質問に答え、昼食より先にアンケートが終わり……後はもう、ご覧の通り。

 

「ちぇー……いいもーん、顕人君のミニハンバーグ貰うもーん」

「ちょっ、さも当然かのように箸伸ばさないでよ!?やらんぞ!?」

「…………」

「無言でバランを差し出しても駄目!…っていうか、ミニハンバーグなら綾袮さんの弁当にも入ってるでしょうが…!」

 

 今度は御道が狙われたようで、わーきゃー言ってる声は続く。因みに、弁当の内容が同じである事が周りに知られる事を防ぐ為か、最後の部分は小声になっていた。…他人の弁当なんて、それこそ一緒に食べてる奴のを見るかどうか位なんだから、そう気にする必要もないと思うけどなぁ…。

 

「…どの時間も元気だなぁ、ほんと……」

「でしょう…?私、この子と十年以上も一緒にいるのよ…?」

「…苦労してんな、妃乃も……」

 

 本来憩いの時間だというのにげんなりしている妃乃の言葉に、同情する俺。綾袮が何か言ってくるかと思ったが……綾袮はミニハンバーグをもぐもぐしてて、特に聞いていないようだった。

 

「ふはぁ…ところでさ、顕人君と悠耶君っていつも二人で食べてるよね。もっと大人数で食べようとは思わないの?」

 

 咀嚼し、飲み込み、茶を飲んで一息吐いた綾袮からの、何気ない質問。それを受けた俺と御道は、一度顔を見合わせそれぞれ答える。

 

「別にそうする理由もないしな」

「んー…大人数が嫌って訳じゃないけど、俺的にはどっちでもいい…みたいな?」

「ふーん、男の子ってそういうとこ冷めてるよね」

 

 これが男全体の傾向なのかはさておき、確かに昼食を一緒に食べる相手へ熱を入れているつもりはない。対して綾袮…それに一緒に食べている妃乃は、普段もっと大きいグループで弁当やら購買の商品やらを囲んでいる訳だから、まぁその差が気になったんだろう。

 

「綾袮さんは食事中、もうちょっと落ち着いた方が良いと思うけどね」

「えー、でも静かな食事って息苦しいものだよ?緊張感あったりもするし…」

「あぁ…確かにね……」

『…緊張感……?』

 

 御道の返しで変わる話題。綾袮の言葉に妃乃は理解を示し、逆に俺と御道は訊き返す。息苦しくて、しかも緊張感のある食事って一体なん……

 

「…って、あー…そうか、会食とかそういうのか……」

 

 聞いた瞬間は分からなかったが、数秒経ってその意味に気付く。妃乃も綾袮も霊装者界における権威者の人間。となれば、名のある人物や家系の人間が集まる食事会に参加する事も当然ある訳で……そんな場での食事は、どんなに料理が良かろうと楽しくは食べられねぇよな…。

 

「…そういうのって、テーブルマナーとかも意識しなきゃいけないんだよね?」

「しなきゃいけないっていうか、私や綾袮にとってはきっちりマナーに沿って食べる方が慣れてる感じね。普段はそんなに指摘されないけど、小さい頃からそう習ってきたんだもの」

「そうなんだ…って、ん…?…綾袮さん、いつもは普通に…それこそマナーなんか感じさせない食べ方してるよね…?」

「あぁ、綾袮は順応性高いし、きっちり切り替えてるんじゃない?そういうとこだけは器用だし」

「ふふん、よく分かったね妃乃。でも、『だけは』って部分は余計じゃないかなー?」

「あー、そうね。器用なのは下らない事としょうもない事全般に言えるものね」

「そうそう下らない事しょうもない事にかけてはピカイチ…って、それは結構酷くない!?」

 

……この会話からはとてもそんな感じはしないが、目の前の少女二人はそういう世界で暮らしてきて、生まれてからの時間を考えれば、そっちの方が長いんだ。…そう考えると、中々に不思議な組み合わせだな、とも思った。生まれ変わってる俺に、普通からはかけ離れた生活をしてきた妃乃と綾袮に、普通そのものの生活を送ってきた御道。そんな俺等が、こうして弁当を囲んでいるというのは…本当に、不思議なもんだ。

 

「…千㟢、また変な顔になってるぞ」

「ほんとね、凄く変な顔じゃない」

「上手く表現出来ない辺りも、ほんと変な顔だよね」

「お前等……」

 

 と、人がしみじみ考えていたというのに、随分とまぁ酷い言いよう。とはいえ、一対三じゃまともにやり合える訳がないと思った俺は、小さい嘆息を一つして……

 

「…ま、コーヒーなんかと同じで、ある程度年月を重ねなきゃ変にしか思えないものは世の中にそこそこあるからな」

『む……』

 

 時間という干渉出来ない要素を持って、悦に浸ってやるのだった。…そんな事言ってる時点で大人っぽくはない?いーんだよ、大人なんて元からはっきりとした基準なんざないんだから。

 

 

 

 

 結局のところ、昼食はただ昼の時間にいつもの面子で集まったという以上のものは生まれなかった。一応は周りからの目を気にしてこれまでそうしてこなかった事を行った、って意味じゃ大きな変化ではあるが……逆に言えば、それだけの事。午後はいつも通りに授業を終え…本日も俺は帰路に着く。

 

「はー…少し前まで『夏休み終わったのにまだ暑いのかよ…』とか思ってたのに、気付けばもう風が冷えてるんだもんなぁ…」

 

 寒風吹き荒む…とまでは言わないものの、もう気温は完全に秋や冬のそれになっている。…もう少ししたら、ストーブ出そうかねぇ…。

 

「そうね。…肌のケアには気を付けないと…」

「ですね。荒れてからじゃ遅いですし」

 

…と、俺は暑さやら寒さやらそのものを意識している一方、緋奈と妃乃は肌の事が気になっている様子。言うまでもないとは思うが…だよなー、とか言ってその会話に同意するような事は、俺には出来ない。…ってか……

 

「…ちょっと前まで、日焼けがー…とか言ってなかったか?」

「うん、言ってたよ?」

「……季節ごとに肌を気にするのは、女子にとって普通なのか…?」

「当たり前じゃない。肌が一切刺激を受けない季節なんてないんだから」

「いやそりゃそうかもしれないが…」

 

 さも当然のように返してくる二人に、何だか俺はタジタジ気分。くぅ、こういう時に御道や茅章がいてくれれば、アウェーにならずに済むってのに…。

 

「つか、そういう事ならストーブ出すのは止めとくか?使ったら確実に乾燥するぞ?」

「加湿器使えばいいじゃない。勿論安い物じゃないけど、乾燥する事でダメージ受けるのは肌だけじゃないし」

「まぁ、そうだな…しっかしほんと、そこまで気にする事かねぇ…俺は特に意識してないが、毎年そんなに肌荒れはしてないぞ?」

「分かってないわね悠耶。日焼けもだけど、肌のダメージは積み重ねなのよ?今は良くても、十年二十年経ってから影響が出てくるって事もあるんだから」

 

 やれやれ、と呆れ顔をしつつ言う妃乃。まぁぶっちゃけ分かってないってかそもそも考えてなかった訳だし、未来の事言われちゃ返しようがない訳だが、前提として俺は二人のスタンスを否定するようなつもりはない。つまり、何が言いたいかって言うと……

 

(…女は大変だなぁ……)

 

 こういう事である。男にも男なりに大変な事はあると思うが、やっぱ俺は男でよかったわ、うん。

 

「…あ、ところでお兄ちゃん。あの後、ちゃんと依未ちゃんを送ってあげた?」

「あー、勿論ちゃんと送ったぞ。…気になるのか?」

「うん。なんていうか、あの子…色んな意味で華奢な感じだったから…」

 

 俺が黙って会話が途切れたからか、打って変わって緋奈が全然違う話を口にする。

 それを聞いて、俺は少し驚いた。依未が外見的に華奢なのは誰だって分かる事だが、声音や口振りからして、緋奈は内面に対しても言っている。どこまで気付いたのかは分からないが…昨日一日、それも限られた時間で外見以上の事に気付いたのなら、それはやっぱり凄いと思う。

 

「…なぁ緋奈。一つ、頼みがあるんだが……」

「うん、いいよ」

「おう、ありがとな」

「……え、通じたの!?今内容一言も言ってないわよ!?何も聞かずに返した答えで悠耶は納得したの!?ど、どんだけ兄妹愛が深いのよ貴方達は!?」

「はっはっは、よせよ照れるじゃないか」

「えへへ……」

「…何なのよこのシスコンとブラコンは……」

 

……とまぁ、一回兄妹芸で大いに妃乃を驚かせてその反応を楽しみ、改めて俺は緋奈に頼む。

 

「話を戻して…頼み事をしてもいいか?」

「だからいいよ。…依未ちゃんと仲良くしてやってほしい、って事でしょ?」

「…ほんとに分かってたんだな……すまん」

「…お兄ちゃん、それは良くないよ」

「…良くない?」

 

 迷いもなく了承してくれた緋奈へ、感謝の念も込めて「すまん」と言った俺。だがそれに返ってきたのは、咎めるような緋奈の言葉。意味が分からず、俺が訊き返すと、緋奈は頷いて言う。

 

「だって、ここでお兄ちゃんが謝っちゃったら、わたしは嫌々、頼まれたから仕方なく依未ちゃんと仲良くするって感じになっちゃうでしょ?…例え本人がいなくても、そういう風にするのは良くないって、わたしは思うよ」

「…そういう事か……そうだな、緋奈の言う通りだ。緋奈には俺の頼みどうこうじゃなく、普通に依未と仲良くしてやってほしい」

「それなら心配はないよ。元々お兄ちゃんに頼まれなくても、そのつもりだったからね」

 

 言葉と思いは別のものであると同時に、言葉を思いの両方があって、初めて相手に意味が伝わる。だからこそ、意図が伝わろうと選ぶ言葉も大切にするべきなんだと、緋奈は俺に伝えてくれた。そんなの、当たり前の事だが……当たり前過ぎて、逆に俺は失念していた。…だから、指摘してくれた事を、そのおかげで訂正出来た事を俺はありがたく思っているし…続く言葉も含めて、俺は緋奈が誇らしかった。シスコン云々とかじゃなく、もっと純粋に、兄として、家族として誇りに思った。

 

「…悠耶って、案外世話焼きなのね」

「……はい?」

 

 誇らしさで胸が温かくなっていた俺へ、不意に投げ掛けられた妃乃の言葉。世話焼き……世話焼き?

 

「…世話焼きって、俺がか?」

「えぇ。色々あるとはいえ依未ちゃんの事をかなり気にかけてるみたいだし、緋奈ちゃんに対しては言うまでもないし、前に顕人に食器の仕舞い方を教えてたりしたじゃない」

「食器の仕舞い方って…よく覚えてんな……」

 

 聞き間違いか、或いは人違いなんじゃないかとも思ったが、世話焼きとはほんとに俺の事らしい。そりゃ確かに、緋奈の世話なら幾らでも焼くつもりだし、依未だって協力すると心に決めたし、御道の件もその通りだが……

 

「…これは世話焼きって言うのか…?」

「言うでしょ。まぁ別に貴方がそう思わないってならそれでもいいわよ。私はそう感じたってだけだもの」

「そうかい…緋奈はどう思うよ?」

「うーん…否定する事はないと思うよ?世話焼きって、卑下するような事でもないし」

「んまぁ、そうだな。…けど、俺が世話焼きねぇ……」

 

 俺を世話焼きだとする妃乃の言う事は分かる。緋奈の言う通り、世話焼きってのは言う側が皮肉の意図を込めていない限り、そう卑下するようなものでもない。けどそれと、俺が納得出来るかどうかは別で……どうにも、しっくりこないんだよなぁ…。世話焼きって、この俺がだぜ?

 

「…まぁ、いいか。つかほんと寒いな今日は」

「今日は予報でも寒いって言ってたね。明日からはまたちょっと暖かいみたいだけど」

「そういやそんな事言ってた気もするなぁ……よし、決めた。今日は鍋にしよう」

 

 どっちでもいいや。そんな投げやりな結論に辿り着いた俺は、その流れのまま(?)今日の夕飯を鍋に決定。何鍋にするかは…スーパーで具材見つつ決めりゃいいか。

 

「へぇ、なら今日は世話焼き高校生の悠耶さんが全部やってくれるのかしら?」

「何だその神の使いみたいなのは…」

「そっか、今日は準備から細々とした片付けまで、全部お兄ちゃんがやるんだね。頑張って!」

「いや待て、まだ俺は何も……」

「頼むわね、悠耶」

「頼んだよ、お兄ちゃん」

「……へいへい…」

 

 なんと勝手な妹と同居人だろうか。鍋にしようと言っただけでこうなるなんて、なんと理不尽なのだろうか。……とか何とか思ってみたが、そう思ったところで何かが変わる訳でもなし。反論するにも一対二で、加えてまぁ物凄く嫌って訳でもなかった俺は、呆れながらもその場で了承。そして二人と共に、帰路の道すがらスーパーに寄る。

 

「……物事は終わっても、そこで生まれたものは続く…ってとこか…」

「……?お兄ちゃん、何の話?」

「や、独り言だ。気にすんな」

 

 そこでふと、普段の会話…という繋がりから昼の事を、更には朝の事も思い出す俺。

 文化祭は終わった。何と言おうと、もう文化祭は過去のもの。終了したもの。だが御道の言う通り、行事は終わっても残るものはあるし、続くものもある。そしてそれがどうなるのかは、今後次第。……そんな事を、朝と昼の何気ない出来事で今日俺は感じるのだった。



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第百三十話 『つまらない』と『面白い』

 今日は、普段とは違う面子で…というか、千㟢に加えて綾袮さん、妃乃さんとも昼食を取った。とはいえ千㟢は言わずもがな、綾袮さんも休みの日は普通に一緒に食事をしてる訳で、そんな極端に特別な事が起こったって訳じゃない。学校で、って意味じゃ高校に入って以降は殆ど無かった事だから、至って普通って訳でもないけど…まぁ、今日は珍しい事があったなぁって程度の事。

 で、今は夕食後。夕飯を食べ、片付け……それからちょっと訓練中。

 

「…こんな感じ?」

「ううん、まだ甘い」

 

 護身用として携帯しているナイフに霊力を通す俺。それをラフィーネさん、フォリンさんの二人に見せると、二人は首を横に振る。

 元々訓練をする予定だった訳じゃない。けれど魔人との戦いがあったばかりだからか、自然と会話がその方向に進んでいって、訓練…というか、指導を受ける流れになった。

 

「うーん…俺としては、かなり詰め込んでるつもりなんだけど…」

「込め方が荒い」

「…そう?」

「そうですね。というか、考え方も間違っています。顕人さんは霊力量に長けているので、力任せのやり方をしてしまいがちなのは分かりますが」

 

 俺が今指導をされているのは、武器へ対する霊力の込め方。二人曰く、俺の込め方は雑らしい。

 

「いいですか顕人さん。霊力は武器の上限ギリギリまで込めた方が、当然斬れ味や強度が向上します。なので、詰め込むというのもまるっきり間違っている訳ではありませんが……そうですね、タンスを想像してみて下さい。…服を収納する棚は、タンスでいいんでしたよね…?」

「あ、うん。大丈夫」

「ありがとうございます。で、そのタンスですが、ぐちゃぐちゃに服を詰め込んだ場合と、きちんと畳んで入れた場合は、どちらの方がより多く入るか…という事です」

「…今の俺はぐちゃぐちゃに入れてるような状態、って事?」

「そう。もっと圧縮と収束をさせれば、入れられる霊力も増える」

 

 例えを出してくれたおかげで、すんなりと入ってくるフォリンさんの指導。二人の言葉を受け、ナイフを入れ物に見立てて霊力の圧縮と収束を意識するけど……

 

「…今度は、どう?」

「ちょっと良くなった。でもちょっとしか良くなってない」

「そ、そっか……」

 

 残念ながら、けれど当たり前と言えば当たり前ながら、そんなすぐには改善されなかった。

 とはいえ、二人の言っている事が間違っている訳はない。だから暫く霊力を込める練習をして……けれどやっぱり、多少良くなったの域を出られないまま時間が過ぎる。

 

「むむむ……」

「顕人君は、細かい調整はせずに少し位溢れちゃうのは気にしないで出力する、ってやり方をしてきたからねぇ。それが癖になっちゃってて、頭と身体でやろうとしてる事のズレが起きちゃってたりもするんじゃない?」

 

 俺が唸る中、聞こえてきたのは綾袮さんの声。実はさっきからいたんだけど、どうもここまではラフィーネさん達に任せるスタンスだったらしく、口を挟んできたのはこれが初めて。

 

「それは…うん、あるかも……」

「…綾袮はそう教えたの?」

「教えたっていうか、その方法に対して何も言わなかった…って感じかな。顕人君の霊力量なら多少ロスしちゃっても支障はないし、細かい調整で時間がかかるよりは、雑でも即霊力を込められる方が今の…じゃないね、これまでの顕人君には合ってるかなって。顕人君は積極的に接近戦を仕掛けるタイプじゃないしさ」

 

 言われてみればその通り。勿論多少の手解きやら基本的な説明やらは受けたけど、今の俺の込め方は自分で見つけ出したもの。…というより、これまで武器への霊力の込め方はこういうもんだと思っていたから、実はラフィーネさん達からの指摘は俺にとって内心驚きの事実だったりもする。

 

「…では、私達は不要…又はすべきではない事を教えてしまいましたか?」

「あ、ううん。それは大丈夫だよ。顕人君が努力を続けていればいつかは自分でも当たってた問題だと思うし、そうなれば早かれ遅かれ教える事になってたと思うからね。それに……」

『それに…?』

「二人が教えてくれるならその分わたしは楽になるし、不要どころか大助かりって感じだねっ!」

『…………』

 

 何の悪びれもなく、むしろ元気一杯にそう言い切る綾袮さんに対し、俺は勿論二人も呆れてしまっていた。そして同時に、俺等は思った。なんて先生だ、と。

 

「…え、と…霊力の圧縮や収束は適性や才能の面もあるので絶対とは言えませんが、練習を重ねれば今より良い状態になる筈です」

「うん。これからも練習するなら、わたしも協力する」

「二人共……ありがとう。なら、今日ももう少し頑張ってみるよ」

「顕人、その意気」

 

 その反面、ロサイアーズ姉妹の何と良い先生である事か(まぁ、適当な事言いつつもいつも綾袮さんはちゃんと俺の訓練に付き合ってくれるんだけど)。二人への感謝の念を抱きながら、そんな二人の気持ちを無駄にしない為にも頑張ろうと思い、俺は再びナイフへと霊力を込め……始めた瞬間、携帯が鳴った。

 

「おっと……ん?園咲さん…?…いつの間に俺のアドレスを…」

「連絡先は協会に提出してるでしょ?」

「あ、そういう事か…」

 

 ナイフの代わりに携帯を持ち、送られてきたメールを開封。すると最初に書いてあったのは、メアドをどうやって得たのか(綾袮さんの言う通りだった)の説明で、その下の本題は、少し前に頼んだ装備の強化が完了したという旨のもの。…そっか、提示されたプランに答えてから、特に連絡がなかったけど……遂に完成したのか…。

 

「何か用事?」

「用事っていうか…ま、そうだね。って訳で、明日は双統殿に行くとするよ」

「そっか、おやつは三百円までだよ?」

「遠足か!てかそのルール、割と現代じゃ徹底されてないからね?」

「え、そうなの!?」

 

 突っ込んだついでに補足すると、予想以上に綾袮さんは驚愕。そんなに驚く…?…と切り返そうかとも思ったけど…それは止めた。小中学校に行った事のない綾袮さんは知らなくても当然で……そこに軽い気持ちで切り返すのは、綾袮さんに悪いと思ったから。

 

「…こほん。そういう事だから、まぁ宜しく」

「あ、うん。…三百円じゃないんだ……」

「三百円に拘りますね…」

「…どうして三百円なの?」

「へ?…それは…うーん、何でだろう…」

 

 まだ気になってる様子の綾袮さんに、三百円である事に興味を示したラフィーネさん。そこから何故か、三百円である事の意義についての話になってしまい……俺の訓練は、遠足のおやつに取って代わられてしまうのだった。…びっくりだよ……。

 

 

 

 

 翌日。学校から家に帰った俺は鞄だけを置いて双統殿に向かい、指定された時刻の約十分前に技術開発部へと到着した。

 

(あー…ちょっとドキドキするなぁ……)

 

 緊張…というよりは、期待で心拍数が上がっている。ゲームを買った帰りのような、或いは包装を開けている最中のような、ちょっとしたドキドキ感。それを感じながら、俺は中へ。

 

「失礼しま「やぁ、待ってたよ」うわぁ!?」

 

 いつものように、俺は一声かけつつ扉を開けて……次の瞬間、ビビった。だって、扉の真ん前に園咲さんがいたんだから。

 

「あぁ、すまない。驚かせてしまったかな」

「あ、い、いえ…あの、何故ここに…?」

「いやなに、私も今廊下に出ようと思っていてね。丁度そこで君が来たのが分かったから、止まって待っていたのさ」

「は、はぁ……あ、すみません。ではお邪魔でしたね…」

「悪いね。数分で戻ってくるから、奥の私の部屋で待っていてくれ」

 

 そう言って園咲さんは部屋を出て、俺は言われた通りに奥の部屋へ。ソファに座って待っていると、言葉通りに数分程して園咲さんが戻ってくる。

 

「さて…今日君を呼んだ理由は、送ったメールの通りだ」

「はい。個人的な頼みを引き受けて下さり、ありがとうございました」

「ふふ、私も浮かんだアイデアを形に出来て楽しかったよ。…で、だ。顕人君。データ上では何の問題もなく完成した訳だが、実際に使うとなると必ずしもデータ上と同じになるとは限らない。それに私も、出来るだけ早く使ってみての感想を聞いてみたい。という訳で…時間は、大丈夫かな?」

 

 早速本題に入った園咲さんの、時間は大丈夫か…という言葉。それが意味する事なんて、一つしかない。

 

「勿論です」

「ならば、早速試してみようか」

 

 力強く俺が首肯すると、園咲さんは求めていた答えが得られた、とばかりに小さく大人っぽい(いや園咲さんは大人だけど)笑みを浮かべる。そして、俺も園咲さんも立ち上がり…この場を後に。

 

「トレーニングルームの控え室に武装一式を持って行ってもらったから、まずは装備してみてくれるかい?」

「はい。…あ、もしや先程出て行ったのは……」

「そういう事だよ、顕人君」

 

 そんな会話を道中にしながら、俺と園咲さんはトレーニングルームへ。言われた通りに控え室へ向かうと…そこでは強化の施された俺の装備が、静かに佇み待っていた。

 

「…………」

 

 今度こそ緊張で心拍数が上がりながら、俺は装備一式を纏う。この時点で変わった点も幾つかあったけど…焦る事はない。これから一つ一つ、確かめていけばいいんだから。

 

「…さぁ、見せてもらうよ、顕人君。この装備が、どれだけ君に合うのかを」

「すぅ、はぁ…はい……!」

 

 園咲さんからの言葉に首肯し、俺は小さく深呼吸。そして、全神経を集中させ、霊力を推進剤としてスラスターを点火し……飛び上がる。

 

「うぉ……ッ!」

 

 ぐんと飛翔する俺の身体。飛ぶ感覚に、飛び上がる勢いに、俺が体感したのはこれまでとは違う速さ。

 強化された装備は、スラスターが増設されていた。スラスター…つまり推進力を生み出す装置が増えれば、当然加速力も引き出せる最高速度も上昇する。となればその分、制御も難しくなるけれど……俺の要望に合わせて調整してくれているのか、使いこなせない程じゃない。

 

(……っ、とと…!)

 

 とはいえ、それは単純な動きをした場合。ただ飛ぶのではなく、飛び回るとなると話は別で、これまでの感覚と今の推力の差から、どうしても俺の身体は流れてしまう。これは、早速今後頑張るべき事が一つ見つかったな…!

 

「次…射撃、いきます…ッ!」

 

 暫く(と言っても数分、長くても十数分)飛んでいた俺は、区切りを付けて次の行動に。

 ただ試しに使ってみるだけなら、降りて落ち着いて撃てば良い。けど俺が想定しているのは実戦で、万全の状態で武器を使えるとは限らないのが実戦ってもの。だからあくまで空中機動は続けたまま、左手を腰に伸ばし、そこからライフルを抜き放つ。

 

「顕人君、それは最も変更点が少ない…というより多少調整しただけだから、恐らく使った上での感覚は殆ど変わらない筈だ。どうかな?」

「確かに、ちょっと使い易くなってますけど…同じ武器、って感じです!」

「それなら良かった。…ならば、次は……」

「えぇ……ッ!」

 

 セミオートとフルオートを切り替え何度か的に撃っていると、下からそんな声が聞こえた。だから俺はそれに返し、続く言葉に呼応するように、空いている右手も逆側の腰へ。

 これまでなら、この流れで抜くのは拳銃。ライフルと拳銃による、二丁銃スタイルをこれまで何度かやってきた。…けど、今は違う。今俺が手を伸ばし、掴み、本来のサイズへと戻したのは……もう一丁の、メインウェポン。そして放たれるのは、その全体が霊力で構成された青の弾丸。

 

(これが…純霊力タイプのライフル…!)

 

 左右の手を切り替えるようにして右手のライフルを的に向け、狙いを定めてフルオート。感じるのは、込めた霊力が一定の勢いで流れていく感覚。

 純霊力装備…つまり弾頭や刃を霊力だけて構成した、SFて言う『ビーム○○』的な装備は、霊力を付与する装備に比べてその消費が大きい。別々に使った場合はともかく、付与タイプを撃った後すぐに使ってみるとその差は明白で、『弾丸を霊力で強化する』のと、『霊力を弾丸にする』事の違いがよく分かった。……まぁ、試射だけなら春にもやった事はあるんだけど。

 

「…そうだ……!」

 

 こちらもある程度撃ったところで、再び左のライフルも的に向けて、左右同時発射。片方は拳銃だった時とは格段に違うその火力に、俺は撃ちながら興奮を覚え……その数秒後、純霊力タイプのライフルだけがふっと弾切れを起こしてしまった。

 

「…何か異常かい?」

「いえ、霊力の操作をミスっただけです!…実体弾と霊力弾の同時使用って、難しいですね…」

「まるっきりではないとはいえ、左右で違う作業をする訳だからね。難しいのは当然だよ」

 

 弾切れに一瞬驚いた俺だけど、すぐにその理由に気付いて言葉を返す。

 背負っている二門の砲も、純霊力タイプ。だから、実体弾との同時発射はこれが初めてじゃないけど…とにかく大量の霊力を注げば良かった砲と違って、ライフルは(機器側なサポートがあるとはいえ)意識しなきゃいけない点が幾つかあるから、これまでと同じつもりじゃ同時発射や一斉掃射はやっていけない。…と、いう訳で…これが二つ目の頑張るべき点。

 

(砲……は、順当な強化って感じだね。だったら、最後は……)

 

 感覚を確認するべくもう一度だけ右のライフルを撃って、それから砲撃も何度かして、遠隔武器の試射は終了。千㟢から貰った短刀はそのままだからいいとして…残った武器は、二振りの新たな近接武器。

 

「ふ……ッ!」

 

 軽い宙返り飛行に入った俺は、下降の軌道に入ると同時に加速。的に向かって突進し、二振りの武器……新たなライフル同様純霊力タイプである片手剣を、両腕を交差させてスタンバイ。そして、的に肉薄した次の瞬間居合いの如く抜き放って……

 

「……ありゃ…?」

 

……どういう訳か、出力した二本の霊力刃は、俺の身長の倍以上はあるんじゃないかってレベルの長さになってしまうのだった。

 

 

 

 

「ふー……」

 

 トレーニングルームに来てから数十分。一通り試してみた俺は、休憩室でその感想を園咲さんに伝えていた。

 

「全体を通して言うと、より俺の長所を活かせる…というか、まだいける…って感じていた部分が実現したように感じました」

「ふふ、それは嬉しい感想だね。依頼主の期待に応えられたのなら、技術者冥利に尽きるというものだよ」

「い、いえこちらこそありがとうございます!…それで一つ聞きたいんですが、先程霊力刃がやたらと長くなってしまったのは……」

「無闇に霊力を出力し過ぎた結果だろうね。慣れていないとよくある事さ」

 

 ふっと笑みを浮かべた園咲さんに、慌てて俺は言葉を返す。…園咲さん、少し掴みところがない事もあって、急に微笑まれたりすると軽く動揺するんだよな…もっと会う頻度が増えれば、自然になれると思うけど…。

 と思いつつも、俺は一つ質問。やはりというか、刃が長くなり過ぎてしまったのは霊力のかけ過ぎが原因だったらしい(因みに一定の長さになるよう調整してないのは、長さを変えられる事が利点になる事もあるかだとか)。

 

「そうなんですか……もう一つ質問いいですか?」

「あぁ、構わないよ」

「では、同じく霊力刃の事ですが……何mも伸ばせるなら、伸ばした状態で戦う方が良さそうにも思うんですが、実際にそうして戦う人はいるんですか?」

「いいや、瞬間的にそうする人はいなくもないけど、その状態を標準として扱う人はいないだろうね。それではあまりにも使い辛い」

「…そうですか?」

 

 リーチの長さは、それ単体で相手との優劣を決められる要素の一つ。加えて長ければ複数の相手を薙ぎ払う事も出来る上、霊力で刃を構成している以上、重量に悩まされる事もない筈。そう思って俺は訊いたけど、返ってきたのは否定の言葉。

 

「単純な話だよ。確かに長ければその分広範囲をカバー出来るけど、その範囲内に入りあるのは何も敵だけじゃないだろう?」

「…味方を斬り付ける危険性がある、という事ですか…?」

「そう、長いと味方にとっても脅威になりかねない。加えて長い物は短い物に比べて、振り終わるまでの時間がかかる。一瞬の判断が明暗を分ける事もある近接戦の場合、その払う時間は致命的な欠点になる事もあり得るだろう。素早い戦闘をしながら、長さを適切に切り替えるのは大変だからね」

「…確かに……」

「そして…何より顕人君。半端に開いた距離なら、撃つか接近した方がずっと楽で確実じゃないかい?」

「あ……」

 

 園咲さんの挙げた、三つの理由。それ等は全て、納得のいくものだった。言われてみれば、どれもその通りだった。…過ぎたるは猶及ばざるが如し、って事か……。

 

「これは開発にも言える事だが、『出来る』のに『していない』のは、大概やらない方が良い理由があるものだよ。技術であったり、コストであったり、実用性であったり、その理由は様々だけどね」

「…今回の場合は、実用性に難があるから、という事ですか…」

「…けれど、それじゃあつまらないと思うのもまた技術者なのさ。顕人君、君もそう思わないかい?」

「え、お、俺ですか?…俺は……」

 

 敢えてやらない理由がある。やれるからって何でもするものじゃない。……そんなありがたいうご教授かと思いきや、その直後に園咲さんは意見をひっくり返してきた。しかも、それが本心だと言わんばかりの表情で。

 現実的な選択は、つまらないかどうか。前置きとして一つ言うなら、敢えてやらない事の重要さを俺は理解出来るし、普通に生活する限りはその考えを大切にしている。…というか、そうだ。普段の俺なら、もっと早い段階で園咲さんに指摘された事に気付いていた筈なんだ。なのに気付かず、実用性に欠ける事を想像したのは……

 

「…そう、ですね。俺もそう思います。やってみたい事、実現したい事を、現実的じゃないからって止めるのは……つまらないと、思います」

「ふっ、そうだろう?君ならばそう言うと思っていたよ、顕人君」

「そ、そう言うと思っていたんですか?」

「無論。そもそも今の君が余りある霊力を活かすなら、長距離砲撃に専念した方が楽且つ安全だろうからね。そしてそれを、綾袮君が気付いていない訳もない。にも関わらず、飛び回り、あまつさえ近接戦にも手を出すという事は……」

「…はは、お見通しなんですね……」

 

 後方からの火力支援の方が、というのは夏休みにも言われた事。それでもそうしないのは、俺の我が儘であり…したい事があるという、俺の意思。そしてそれを見抜かれるというのは…ちょっと、恥ずかしかった。

 

「私一人では作ったところで実戦運用が出来ないからね。だから君の様に、理解ある霊装者がいるのは素直に嬉しいんだよ」

「…そんなにいないんですか?理解ある人は……」

「多少はいるさ。けれど、装備や立ち回りにおいて自由が効き、尚且つとなると…ね」

「あぁ…そういう事ですか……」

「そういう事だよ。だから、これからも君は、君のやりたい事を要求してくれればいい。やりたい事を叶えるというのは…何よりも面白い事なんだからね」

「…はい。では、これからも宜しくお願いしますね」

 

 そう言って、また笑みを浮かべる園咲さん。けれど、今度は少し大人気ない……いや、違う。大人だけど、同時に対等な立場でも言ってくれているような園咲さんの笑みに、俺も強く頷いて……一歩先に進んだ装備を、俺は園咲さんから受け取るのだった。



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第百三十一話 変わった事、変わらないもの

「…よし、これに勝った奴が二人からジュース奢ってもらうって事にしようぜ」

「え……自分が一位になった途端言うのはズルくない…?」

「はっはっは、戦いは非情なのさ、茅章」

「わー、シンプルにゲスい……んじゃ、ほいっと」

「な……ッ!?そんなとこにショートカットあったのかよ!?」

「あったよ?」

「くっ……御道お前、このゲームやり込んでいるな…ッ!」

 

 互いの技術、集中力、更には読みなんかもぶつけて戦う。駆け抜け、激突し、隙あらば落とす熾烈な戦い。御道、茅章という気のおける、そして俺にとっての数少ない男友達である二人すら嵌め、利益の為に姑息な手すら取ろうとするその戦いは……ってしまった、もう俺言ってんじゃん…。…あーはい、そっすよ。仰々しい書き方してるけど、実際には単なるレースゲームですよー。

 

「あ、なんか上手いなぁと思ってたけど、やっぱりやり込んでたんだね」

「やり込んでるってか、ラフィーネさんに『NPC相手じゃ面白くない』って事でよく付き合わされてるんだよ。…全く、日に日にゲーマー化してってるんだから……」

「あはは……」

 

 なんて事ない週末に、長兄が家で集まってゲームという、わざわざ描写する必要もなさそうな本日の俺と千㟢家。強いて言えば、今日は御道だけじゃなくて茅章もいるんだが…だからって特別になる訳でもないしな。

 

「…うん、やっぱり未成年がゲームで賭けなんて公序良俗に反してるな」

「おいこら、何自分の言った事撤回しようとしてんだ」

「反省して撤回しただけですが?」

「開き直るんじゃねぇよ…」

 

 こんな感じで、数十分程前から俺達はレースゲーム中。その前は格ゲーをしていて、更にその前は……まぁあれだな。一言で言うなら、ゲームばっかりですわ。

 

「ふぅ、無事一位っと…さぁて、それじゃあ約束通り……」

「御道…お前本気で茅章に払わせる気かよ。最低だな」

「最低なのは茅章を出汁にしてる千㟢だわ!…はぁ…別に奢らんでいいよ、喉乾いてないし」

「お、言ったな?男に二言はないな?」

「どの口が言ってんだ…てか今日は小物感半端ないぞ…?」

 

 なんか悔しいから立て続けにふざけていたら、小物感半端ないとか言われてしまった。…ったく、小物感だと?……まぁ、そんな感じは俺もしてたが。

 

「というか、茅章も何か言ってやりなよ?今のは流石に横柄だと思うでしょ?」

「あ、ううんいいよ。聞いてるだけで面白いから」

「え、あ、そう……」

「面白がってたのかよ茅章…」

 

 ふふっ、と穏やかに笑う茅章に対し、ちょっと困る俺と御道。まさかこんな返しが来るとは思っていなかったから、返答に対して困惑してしまった。

 とまぁこんなやり取りを経て、レース終了。そこからもう数回勝負をし、それでレースゲームも終わりにする。

 

「はー、次どうすっか…外は出たくねぇしなぁ……」

「今日寒いもんね。そういえばさ、二人のクラスが文化祭で使った小道具とか衣装って、あの後どうしたの?」

「小道具と衣装?…小道具は大体崩して、衣装は個人個人で持ち帰る…って形だったよね?」

「そうだな。俺は裏方だったから特に持ち帰る物も無かったが」

 

 話を切り替える形で茅章が口にしたのは、先日の文化祭の事。裏方っつーか調理担当は家庭科室から借りるか、自前で持ってくるかが大半だったから、本当に俺はこれといって持ち帰ってない。

 

「そっか…いいよね、ああいう普段着られないような物を着れる機会って」

「あー、それは分かる。俺は…ってか、俺も千㟢も着てないけど」

「二人共別の仕事してたんだもんね。僕の方はそういう感じの企画じゃないから、着る事もないかなぁ…」

「悪いな、俺もなんか着てりゃ今持ってくる事も出来たんだ、が……」

 

 残念そうにする茅章を見て、何気なく何かあればなぁ…と思った俺。だが、次の瞬間俺は気付く。確かに俺の手元には何が……この家の中って事なら、恐らくまだあるんじゃないか…と。

 

「…………」

「え…ど、どうしたの悠耶君…?急に口元に手を当てて……」

「……和装と浴衣、か…」

「ほんとにどうした千ざ……って、待て…おいまさか…!」

「……?」

 

 茅章は完全に分かっていない様子だが、どうやら御道は気付いた様子。はっ、気付くとは中々やるじゃねぇか御道……いや、茅章が対象ならむしろ、これ位気付いて当然か…。

 

「…とんでもない事考えてるな、千㟢……」

「…だが、似合うとは思うだろ?」

「…そりゃあ、ね……」

 

 会話の内容を茅章に聞かれないよう気を張りつつも、同じ想像、同じ意思を持っているのだと理解し合う俺達二人。つまり、なんだって言うと……俺達は両方、しょーもない奴だって事さ。

 

「…こほん。衣装云々で言えば、協会の制服だって十分特殊だと思うがな」

「あ、そうだ…前々から気になってたんだけど、茅章の武器は糸なの?」

「糸?」

「うん、そうだよ。僕は操作能力がちょっとだけ高いみたいでね、性格的にも積極的に攻めたり動き回ったりするより、霊力を込めた糸を展開して罠にしたり援護したりする方が向いてるって言われたんだ」

「へぇー…え、じゃああの糸はやっぱ、何かで打ち出してるとかじゃなく霊力で操作して動かしてたのか…」

「凄いよね、霊力って。…まぁ、何本も同時に動かすのは難しいんだけど…」

 

 何やら糸で盛り上がっている御道と茅章だが、俺は全く付いていけない。で、後で聞いてみたところ、それは合宿的なアレで二人が戦った時の話なんだとか。…疎外感半端ないな……。

 

「同時操作は難しいよね。俺も最近別系統の火器を同時使用した時、途中で上手くいかなくなったし…」

「…そりゃ、糸にしろ火器にしろ、別々の行為を同時に行おうとすれば難しくなるのは何にだって言える事だしな。例えばバスケでボールを跳ねさせるのだって、その場でやるのとドリブルとじゃ難易度が違うだろ?」

「あぁ、そういえば……じゃあ、どうすればいいかな?」

「まぁ、方法は色々あるだろうが…結局は練習するのが一番だと思うぞ。身体が覚えちまえば、一々何かを意識する必要もなくなるしな」

「そっか…あ、じゃあさ、他にも色々思ってる事があるんだけど、それも聞いてくれる…?」

 

 話に加わるチャンスだ!…とか思った訳じゃなく、あくまで他意なく…ほんとただ思った事を言った結果、茅章は期待と羨望の混じったような瞳で俺を見つめてくる。

 肩にかかるかどうか位の髪に、気弱な雰囲気も感じる中性的な容姿。そこに俺を頼りにするかのような瞳と声音が重なったのなら……そりゃあもう、拒否なんか出来る訳がなく……

 

「…ひゅー、千㟢優し〜」

「うっせ、俺はここで渋るような器の小さい人間じゃねーんだよ」

「はいはい、そうですねー」

「あはは、二人のその気心知れてる感じって良いよね」

 

 レースゲーの次は何をするかって話だった筈なのに、気付けば霊装者としてのプチ勉強会みたいになってしまうのだった。…まぁ、茅章から更なる尊敬と信頼を得られたって意味じゃ、悪くない展開だったかもな。

 

 

 

 

 お開きとなったのはそれから数時間後。日も落ち暗くなったところで二人は帰り、俺は見送りに出た玄関からリビングに戻る。

 

「うー、室内外の温度差ぱねぇ……」

 

 扉を閉めた俺は湯呑みを手に取り、残っていた中身を一気に飲み干す。その後二人が使っていた湯呑みと共に流しへと持っていき、洗い、拭いたところで緋奈がリビングへとやってきた。

 

「洗濯物、取り込んでおいたよ」

「あ…しまった忘れてた…。助かったぜ、ありがとな緋奈」

「うん、どう致しまして」

 

 気の利く妹に言葉でも心でも感謝をすると、緋奈はなんて事ない…って位の調子でにこりと返答。それからソファへと座り、すぐに次の言葉を口にする。

 

「お兄ちゃん、今日は楽しかった?」

「ん?…んまぁ、ごろごろしてるよりはよっぽど充実してたとは思うが…なんでだ?」

「だって聞こえてきたお兄ちゃんの声、張りがあったからね」

 

 足をハの字にし、太腿の間に両手を挟んだ可愛らしい格好で座る緋奈からの、意外な問いと思ってもみなかった回答。緋奈は数十分程前、出先から帰ってきたんだが……俺、張りのある声をしてたのか…。

 

「…ってか、別の部屋にいた緋奈にそれが聞こえてるって事は、まあまあ五月蝿かったんだよな…すまん……」

「ううん、五月蝿くはなかったから大丈夫だよ。それに聞こえてきたのは、部屋じゃなくて廊下にいた時だし」

「そうか……ういしょ、っと」

 

 キッチンからリビングに戻り、俺はソファに深く座る。それからは特に言葉を交わす事もなく、数十秒…それか一分二分が経ち、なんとなーく携帯を取り出そうとしたところで、ぽつりと不意に緋奈が言った。

 

「…お兄ちゃん、ちょっと変わったよね」

「…変わった?」

 

 俺が座っているのはソファの左端で、緋奈が座っているのは右端。手を伸ばせば届く距離にいる緋奈からの言葉に反応し、そちらを向くと…緋奈は窓の外を見つめたまま言っている。

 

「…それは、思考とか性格とか、そういう内面的な意味で…だよな?」

「そうだよ。自覚ない?」

「そりゃ…最近ってか、春から色々あったし、少し位は変わっててもおかしくないとは思うが……」

 

 なんて言い方をして答えを濁す俺。実際変わったって自覚があるかどうかで言えばないが、変わるだけの要素は確かにあるだろうなとも思っている。だから、今のが正直な答えであり…同時にないと認めるのがちょっと恥ずいから、誤魔化そうと思ったってのもなくはない。

 

「…変わったよ、お兄ちゃんは。芯の部分は変わってないけど、表面的な部分がちょっと明るくなってるもん」

「…そう見えるのか?」

「見えるじゃなくて、変わってるんだよ。ずっとお兄ちゃんと暮らしてきた、妹のわたしには分かるから」

 

 気がするとか、思うとかじゃなくて、明確な断言。そんな事を言ってくるのは少し驚きだったが…緋奈が言うならそうなのかもな、と思っている自分も俺の中には確かにいる。

 

「…まあ、春以降俺より明るい人とかなり交流があったしな。逆に俺でも不安になる位捻くれてる相手にも会ったし、対人関係で色々影響受けたんだろ」

「…それだけかな?」

「他か?他は……やっぱ、宗元さんだろうな…大分歳が離れちまったとはいえ、俺にとって宗元さんは恩人で、まさかまた会えるとは思ってなかったからな。…ほんと、あん時は驚いた……」

 

 明るくなった要因は幾つか思い付くし、多分どれも間違ってはいないだろう。俺的には明るくなったってより、そう見える言動が前より増えたんだろうなぁ…なんて思っていたりはするが、それは別にどうでもいい事。それよか緋奈の反応の方が重要で……そのどちらも、緋奈が考えているような理由ではないらしい。

 

「…そうじゃない、って感じだな」

「違う…とは思ってないよ?きっとそれも、確かな理由の一つだと思うから」

「…なら……」

 

 違うとは思っていない。…それは、肯定の言葉じゃない。否定はしないという言葉。その言葉を選ぶって事は、緋奈は別のものを見ているって訳で…俺が見つめる中、緋奈は外を見続けたまま言う。

 

「……妃乃さんは、違うの?」

「…妃乃?」

 

 発されたのは、意外な言葉。今はまだ帰ってきていない、同居人の名前。…それは……

 

「…俺としちゃ、対人関係で色々…の中に、妃乃も入れたつもりだったんだが……」

「…って事は、色んな人の内の一人として、お兄ちゃんは見てるんだ」

「そう…なるな」

 

 疑問ではなくまた断定の言葉だったが、俺は首肯する。一人一人、関わってきた相手を吟味してる訳じゃないが、多分それで間違っちゃいないだろうと思ったから。

 それから数秒間、緋奈は黙っていた。その間の表情からは何を考えているのか分からず、俺もただ見つめていた。そうして、数秒間の時間が経ち……緋奈はまた、口を開く。

 

「…そうじゃないと思うよ。妃乃さんは、お兄ちゃんに大きな影響を与えてると思う」

「…………」

「…お兄ちゃん?」

 

 ちらり、とこちらを見てくる緋奈。その理由は当然、俺からの返答がなかったから。だがそれは、勿論無視したとかじゃない。

 

「…あ、悪ぃ。ちょっと考えててな…」

「妃乃さんからの影響を?」

「あぁ。…どうなんだろうな…何かしら影響は受けてると思うが、今の俺のどこが、どの程度妃乃から影響を受けてるのかっつーと……」

「それは…そう、だよね…。ごめんね、お兄ちゃん。わたし、明確な答えを出すのが難しい事訊いちゃって……」

 

 これだ、ここが影響受けてるんだ。…そうはっきりとは言えない状態に俺はあって、だから返答が出来ず、すぐに緋奈もそれを理解してくれる。

 そう、内面の影響を正確に区別するなんて、そう簡単に出来る事じゃない。元々形なんてない内面の区別なんて、複数の着色料を入れた水を、仕切り板だけで色ごとに区分けするようなものなんだから。

 

「……けど、そうだな…具体的な事、正確な事は言えないが…受けてきた影響の中じゃ、妃乃は一二を争うかもしれねぇ。…いや、かもしれないじゃなくて…きっと俺は、それ位影響を受けている。…ほんと、緋奈は流石だな…緋奈の言う通りだ」

 

 区別は出来ていない。時間をかければ出来る…とも言い切れない。だが、思い返してみれば、妃乃とのやり取りや共に戦った時の事を一つ一つ思い浮かべてみれば…自然と俺は、大きい影響を受けているんだろうなと思えた。…その結果が、ちょっと明るくなっただけってのは、何とも俺の捻くれ具合を表してるなぁとも思ったが……結果は結果なんだから、それはそうと受け入れるしかない。

 

「…やっぱり、そうなんだね……」

「妃乃とは何かとあったからな。加えて毎日同じ家で生活している訳だし」

「…………」

「…緋奈?」

 

 返答のない緋奈の名を、疑問符を付けて呼ぶ。さっきとは逆の立場。…また、緋奈の表情からは考えている事が分からない。

 

「…凄いよね、妃乃さん…文武両道で、性格も良くて、しかも霊装者としても実力があって…そんな人が、半年と少しでお兄ちゃんに影響まで与えちゃうんだもん…」

「…………」

「お兄ちゃんが明るくなるのは良い事だし、喜ぶべきだって分かってるけど……やっぱ悔しい、な…わたしはお兄ちゃんとずっと一緒にいるのに、お兄ちゃんはわたしと…わたしやお母さん、お父さんといた時間の方がずっと長いのに、なのに…十年以上の時間が、ちょっとでもたった半年と少しの妃乃さんに、変えられちゃうのは……」

 

 妃乃を褒めて、儚げな顔になって、それから緋奈は言った。悔しいな、と。俺の内面が…千㟢悠耶として生まれ、この家で育ってきた俺の在り方が、少しであろうと一年にも満たない関係の妃乃に変えられてしまった事が、悔しいのだと。

 やっと分かった。何故緋奈がこんな話をしてきたのかが。やっと見てた。緋奈の気持ちが。…そっか、緋奈…緋奈は俺に対して、そう思って…そこまで思って、くれてたんだな…。

 

「…こういう時、良い妹はどうするべき…なんて考えず、自然に喜べるんだよね、きっと…。…でも、ごめんねお兄ちゃん。わたしは、そんな妹じゃ……」

「ばーか。んな事気にしなくていいんだよ、緋奈」

「うぁっ…!?お、お兄ちゃん……?」

 

 分かった時、感じたのは嬉しさと温かさ。俺の妹、千㟢緋奈から感じる、俺への思い。それが胸に、心に沁みた俺は、俯きがちになった緋奈の頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫でる。軽く触れるとか、ちょっと往復させるとかじゃなく、がっつりしっかり撫でまくる。

 

「はぁ…ほんと緋奈は撫で心地が良いんだよな……」

「ぁ、えと、その……」

「…こんな撫でられるのは嫌か?」

「う、ううん…そうじゃ、ないんだけど……急に撫でられたから、驚いて…」

「急に撫でる事なんか今更だろ。何年一緒に過ごしてると思ってんだ」

 

 撫でる事は続行しながら、緋奈と言葉を交わす。正直、慰めてやろうなんてつもりはない。だって緋奈は、単に気にし過ぎなだけなんだからな。

 

「言うまでもないと思うが、突然頭を撫で続けるなんざ妃乃にやった事はねぇ。少なくともこの時点で、緋奈と妃乃には歴然の差がある」

「そ、それは…うん、まぁ…そうかも、だけど……」

「だろ?それにこれだけじゃねぇよ。緋奈も最初の方で言ってたが、変わったっつってもそりゃ表面的な部分の話だ。俺は相変わらず緋奈の事を愛してるし、そこは変わってねぇどころか一瞬たりとも揺らいだ事すらないんだよ」

 

 そう、表面的な部分は多少変わったのかもしれないが、俺の根っこの部分は変わってない。そしてその根っこの部分にいるのは、緋奈以外にあり得ない。緋奈は、俺が望んだ普通の生活を俺に与えてくれた、大事な家族の一人であり…今の俺にとって、唯一の肉親でもあるんだから。

 

「だから、気にすんな緋奈。俺にとっちゃ妃乃はただの知り合い…じゃ、流石にねぇが、妃乃はあくまで同居人だ。今の俺にとっての中心であり、一番は……前も今も、緋奈一人だ」

「…お兄ちゃん……」

「分かったか?分からないなら……そうだな、取り敢えず一緒に風呂でも入るか」

「ぶ……っ!?そ、それは流石に恥ずかしいからいいよ!わたしもお兄ちゃんももう高校生だからね!?」

「この際だから言うが、俺は風呂位は余裕でセーフだからな?」

「何そのカミングアウト!?……じゃ、じゃあ…わたしがうんって言ったら、ほんとに入るの…?」

「…まぁ、な」

 

 かぁぁ、と顔を赤くした緋奈に割とマジのトーンで返す俺。赤面したまま、俺を下から覗き込む緋奈にも、俺は返答を拒否ったりしない。……いや、まぁ…俺だって緋奈の側から一緒に入ろうと言われたら動揺するし、実際今の言葉に首肯されたら、多分冷や汗だらだらにはなるんだろうが…ひ、緋奈は良識ある筈だもんな、うん…。

 

「……もう、お兄ちゃんったら…っていうか、さっきの言葉…まるで、告白みたいだったよ…?」

「それ位緋奈を大切にしてるって事だ。お兄ちゃんの愛舐めるなよ?」

「舐めてないよ。…でも、そっか…わたしがお兄ちゃんの一番、か……」

「オンリーワンと言っても過言じゃないな」

「それはそうでしょ。お兄ちゃんの妹はわたし一人だもん。…そう、お兄ちゃんの妹はわたし一人で、わたしが一番……ふふっ」

 

 俺の言葉を繰り返すように呟いて、ふにゃりと緋奈は表情を緩める。それは本当に、固まっていたものが柔らかくなるような感じで、俺もほっと一安心。…固い表情より、柔らかい表情の方が…そんな表情を浮かべられる気持ちの方が、良いに決まってる。そんなの、当然だよな。

 

「全く。これ位緋奈には全部伝わってると思ってたんだけどなぁ…お兄ちゃんは悲しいぞ」

「う……それじゃあ、お兄ちゃんこそ今のわたしの気持ち分かってる?」

「ん?お兄ちゃん大好き、だろ?」

「違う……もう髪の毛ぐちゃぐちゃだから、いい加減止めてほしいなって思ってるの」

「あ……それは、すまん…」

 

 気付けば俺は、ほぼずっと緋奈を撫で続けていたという状況。はっとして手を離すと、緋奈の髪の毛はそれはもうぐっちゃぐちゃ。女心など分からない俺だが、流石にこれがアウトだって事は分かる。…ついでに、墓穴も掘ったな…俺……。

 

「はぁ……そういうデリカシーの面で抜けてるとこ、直した方がいいと思うよ?」

「…善処する……」

「なら良し。でもほんと、なんでこんなになるまで撫でるかなぁ……」

「それは撫で心地が良い緋奈にも非が……」

「わたしにも非が?」

「…などという事はなく、お兄ちゃんはきちんと直そうと思います、はい……」

 

 普段の性格もあり、こういう流れになってしまうと俺はほんと緋奈に頭が上がらない。俺は一応…てかれっきとした兄なんだから、妹に言い負かされるのは勿論気分の良いものじゃない。…だが、逆に言えばこんなやり取りが…昔からのやり取りが出来てるって事が、やっぱり俺と緋奈の関係や繋がりは変わってなんかいないんだって証明であり……

 

「ほんとにもう……」

「悪かったって……」

 

──同じソファで二人、俺と緋奈は互いに自然と溢れた笑みで笑い合うのだった。



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第百三十二話 逆襲の炬燵

 その日俺は、双統殿に来ていた。…と言っても、双統殿に行くのはそんな珍しい事じゃないし、春先は毎回入るだけで緊張していたここも、今となってはなんて事ない。…まぁ、偉い人に会うとかならまた別だけど。

 

「…ふぅ……」

 

 ウォーターサーバーで淹れた水を飲みながら、現在俺は待機中。何を、と言えば検査で、誰を、と言えばラフィーネさんとフォリンさんを。

 二人は定期的に、検査を受ける事になっていた。それは二人に対する疑いがまだ晴れ切ってはいないからであり、同時にBORGにて人体実験を受けていた二人の身を案じた決まりでもある。

 

(…落ち着かないなぁ……)

 

 付き添い…って訳じゃないけど、検査を待っている時はいつも落ち着かない。俺の知らないところで何かされてるんじゃないかとか、命に関わるような異常が発覚したらどうしようとか、どうにもマイナスな事を考えてしまう。

 

「…実際、そうなったらどうすりゃいいんだろうな……」

 

 もしそうなったら、どうすればいいのか。俺には何が出来るのか。…そこまで考えると、本当に怖くなる。怖くなるし、改めて感じる。俺自身の、力の無さを。

 

「…………」

「顕人、お待たせ」

「あ……うん、お疲れ…」

 

 そんな事を考えて数分。軽く指を絡ませた両手を見つめていた俺は、名前を呼ばれて顔を上げる。

 

「……何か、ありましたか?」

「へ?…いや、何もないけど…なんで?」

「顕人さん、暗い顔をしていましたから」

「…してた?」

「うん」

 

 立ち上がったところで、フォリンさんからかけられた言葉。どうも俺は思考で顔が曇ってしまっていたらしく、訊き返すとすぐにラフィーネさんが頷いた。

 

「してたのか…ごめん、気にしないで。ちょっと考え事をしていただけだから」

「…明日の朝ご飯の事?」

「朝ご飯の事なら暗い顔なんてしないよ……って、もしや…今のボケ、俺に気を遣ってくれた?」

「ううん、なんとなく言っただけ」

「そ、そう……」

 

 ちょっと期待してみたけれど、結果は空振り。ばっさりと切り返してきたラフィーネさんに、内心しょんぼり。…てかちょっとこの勘違いは恥ずい。

 

「…こほん。二人共、何か異常とか問題はなかった?」

「はい、今回も異常無しです」

「そっか、それなら良かった」

「でも、フォリンはちょっと体重が……」

「わぁぁっ!?ちょっ、何を言おうとしてるんですかラフィーネっ!」

「…駄目だった?」

「駄目に決まってます!駄目ですから覚えておいて下さい!」

 

…とか思っていたら、今度はラフィーネさんの言葉にフォリンさんが滅茶苦茶テンパっていた。そりゃ止めるわなぁ…と思ったけど、何にせよラフィーネさんは時々何を言い出すか分からないから恐ろしい。……増え、たのかな…?いやでも、減ってたとしても体重の話を異性の前でされるのは避けたいか…。

 

「…………」

「…な、何見てるんですか顕人さん……!」

「えぇ!?何もなにも、単にそっちに視線向いてただけだよ!?」

「…顕人……」

「ちょっと!?冷めた目で俺を見るのは止めて!?てかこの状況、発端はラフィーネさんの発言だからね!?」

 

 しかもなんと、こっちに被害が飛び火してきた。…マジで恐ろしいな、ラフィーネさん……。

 

「はぁ…じゃ、綾袮さんの所行こうか。向こうもそろそろ終わるだろうし」

「…すみません、いつも手間をかけさせて」

「気にしないでよ、これ位」

 

 一つ溜め息を吐いた後、俺は別の場所にいる綾袮さんと合流すべく歩き出す。その際フォリンさんが言ったのは、「二人だけで施設内を歩き回ってはいけない」という二人に課せられた規則の一つで、だからいつも検査の時は俺か綾袮さんが一緒に来ている。

 俺はこれを、苦とは思っていない。けれどそれも当然の事。これは俺が選んだ道の、結果なんだから。

 

「顕人、今日の綾袮の用事は……」

「確か、文化祭に現れた魔人の調査結果報告と、今後の対策会議だった筈だよ」

 

 道中投げかけられた問いに対し、俺は聞いた事を思い出しながら答える。因みに調査結果報告とは言うけれど、実際にはまだ足取りを掴めていないとか。

 

(対策と言えば、前の時は綾袮さんも結構忙しかったんだよね…今回もそうなるのかな…)

 

 そうして移動する事数分。幾つかある会議室の内の一つ、その近くの休憩所に着いた俺は見回してみるけど、そこに綾袮さんの姿はない。

 

「ここで待っててって言われたけど…いないって事は、まだ終わってないのか……」

「ううん、そうとは限らない」

「え、どういう事?」

「綾袮なら、こういう時……」

「ばぁっ!」

「うわぁ!?」

 

 俺の言葉に異を唱えたのはラフィーネさん。その理由が気になって振り返ると……次の瞬間、突如綾袮さんが非常口の扉から現れた。

 

「…脅かそうと隠れてるかもしれない」

「お、遅いよラフィーネさん……」

「あははははっ!驚いた?ねぇ驚いた?」

 

 びくぅっ!…と肩が思い切り跳ねる程俺は驚いた一方、ラフィーネさんは冷静そのもので、フォリンさんも少しは驚いたようだけど、俺程目立った反応はしていない。つまり、分かり易く驚いたのは俺だけで……それはもう恥ずかしい。恥ずかしいったらありゃしない。

 

「ねぇ驚いた?…じゃねぇ…非常口を悪戯に使うってどんな神経してんの…!?」

「ちっちっち。これは非常口を使う事で、万が一の時皆がここに非常口があるんだって事を思い出せるようにする為の行為なんだからね?」

「絶対嘘だ……」

 

 確かに強烈な印象としてここに非常口がある事は残るけれど、間違いなく目的は悪戯にある。これはほんとに断言出来る。だって、綾袮さんだし。

 

「はぁぁ……じゃあ、会議は終わってたのね…」

「顕人、今日はよく溜め息吐いてる」

「誰かさん達のせいでね!後まだ二回目だけどね!」

「どーどー、ほら猪のバラ肉あげるから」

「そんなんで気は収まら……猪のバラ肉!?そんなもん持ち歩いてるの!?」

「嘘だよ?」

「だよねっ!はっ倒すよ!?」

 

 あんまりなボケの連続に、流石に少し物騒な事を言ってしまう俺。…悪くないよね、うん。俺は悪くない。

 

「ごめんごめん、会議は終わったから大丈夫だよ」

「そうかい……で、何か決まったの?」

「んー、まぁね。詳しい事はまだ言えないけど」

 

 そう言って肩を竦める綾袮さんの表情には、ほんの少しだけど曇りがある。その理由は……間違いなく、それだけ厄介な事だからだろう。だろうっていうか、実際厄介じゃない訳がない。

 

「じゃあ、また前みたいに綾袮さんは忙しく?」

「かもね。今回は支部とも全面的にも協力するし」

「支部?」

「あれ、忘れてた?ここは協会の本部で、支部も各地にあるんだよ?」

「あ……」

 

 何言ってんの?…と言いたげな綾袮さんに言葉を返され、それで俺も気付く。言われてみれば…というか言われるまでもなく、日本全体を双統殿一つでカバーするなんて無茶もいいところ。支部があって然るべきで、ほんとに俺は何を訊いているんだって話。

 

「丁度良い機会だから…って訳じゃないけど、前の魔人や魔王の件もまだ片付いてないからね。これで、一体だけでも討伐出来ると良いんだけど……」

「…綾袮さん、その時は……」

「うん、もしそうなった場合は、多分二人にも声がかかると思うよ。二人なら実力は十分にあるし……あんまり気分が良いものじゃない理由にも合致するし、ね」

 

 綾袮さんは、具体的な事は言わなかった。けれど分かる。綾袮さんが伏せた理由は、「二人なら命を落としても協会としての損害は少ない」…というものだって。

 そこに関して、俺は何も言えない。そこに関しても、俺はどうこうするだけの力はないから。でも、だからってただ飲み込む事も出来なくて…俺は言う。

 

「……俺にも、何か出来る事はある?」

「…それは、今後次第かな。流石にまだ始まってない段階じゃ、一人一人の役目までは決められないからね」

「綾袮さん…」

「分かってる。わたしだって、そういうのは嫌いだもん」

 

 どうにも出来ないなら、せめて少しでも助けになれれば。そんな思いを察したように、綾袮さんは頷いてくれる。……こういうところがあるから、どんなにからかわれたり性格の悪い冗談を言われたりしても、俺は綾袮さんを嫌いにはなれない。…いや、嫌いどころか俺は……

 

(…って、何考えてんだ俺……そうだよ、俺は人として綾袮さんを尊敬してるし好印象も持っている。何を今更って話じゃないか…)

 

 何となく、何故か誤魔化すように心の中で自分に言った俺は、同時に考える。もしも俺が人の上に…生徒会みたいなあくまで同じ立場の役目じゃなく、上司や先生の様な立場になった時は、綾袮さんのように大切な思いを察せられる人でありたいと。

 

「顕人くーん?何ちょっと爽やかな顔してるのー?」

「……人が思いの籠った思考をしてた時になんて言い草…ってあれ?今褒めてくれた?」

「あっ、ごめんね間違えちゃった!変な顔だったね!」

「何そのぬか喜びさせる勘違い!?そういう間違いなら訂正しなくていいから!」

「…あの、顕人さん…私少し前から思っているんですが……顕人さん恐らく、毎回そんな全力で反応するから弄られ……」

「フォリンさんそれは言わないでッ!お互いの為にも、今後の為にもそれは心の中にしまっておいてッ!」

「あ、はい……分かりました…」

 

 シリアスな気分も束の間、綾袮さんのボケとフォリンさんの俺のアイデンティティに関わる発言によってその気分は崩壊。そしてそのまま綾袮さんは歩き出し、何食わぬ顔顔のラフィーネさんと苦笑しているフォリンさんが続いた事で、危うく置いていかれる俺。

 

「…何なの…待ってた俺へ対するこの仕打ちは何なの……?」

「えー、でも可愛い女の子三人に弄られてるんだよ?男の子的にはまんざらでもないんじゃない?」

「そりゃ偶に弄られる位ならね…!」

「あ、否定はしないんだ…顕人君って、そういうところは割と正直だよね……」

「…ノーコメント……」

 

 俺だって思春期真っ盛りの男だからね。毎日一緒に暮らしててもちょくちょくドキドキする事がある位、三人は可愛いからね。…そう言ってやる事も一瞬考えたけど、そんな度胸があるなら多分俺はここまで弄られてない。だから俺はちょっと目を逸らしつつ返答を濁して……そこでふと、綾袮さんは何かを思い出したように言う。

 

「っと、そうだ顕人君。魔人絡みでわたし達に一つ任務が来たから、今の内に言っておくね」

「…任務……?」

 

 今度は何だと思ったら、冗談ではなく真面目な話。それは先に言うべき事でしょうと思ったけどまぁそれは置いといて、どんな内容なのかと耳を傾ける俺。そんな俺に対し、綾袮さんが言った任務の内容は……。

 

 

 

 

「んー…そろそろおこた出そっかなぁ……」

 

 双統殿を出てから数十分後。帰宅し(綾袮さん的にはむしろ双統殿が実家だけど)リビングに入った綾袮さんの第一声は、そんなものだった。

 

「こたつ?…まだちょっと早くない?」

「でももう寒いじゃん、ぬくぬくが気持ち良い時期じゃん!」

「…うん、まぁそういう時期になりつつあるのは事実だけど……」

 

 力強く言ってくる綾袮さんに、俺はご覧の通り押され気味。そもそも俺も出したくない訳じゃないし、出しちゃ不味い理由もないから、強く出られたら言い返せない。……え、任務の内容?それはまぁほら、実際そのパートになれば明らかになるし、ね。

 

「でしょー?だから出そうよ〜、っていうか出してよ〜」

「それが狙いか……てか、あるの?」

「うん。双統殿にはなかったから、やっと使えると思って去年寒くなるのと同時に買ったんだ〜」

「あ、そう…確かに良家とこたつってイメージ的に合わないもんね…」

 

 どうやら綾袮さんは、こたつに興味があったらしい。まあ俺も始めてこたつに入ったのは親戚の家で、その時は「おおっ!これがこたつか…!」…みたいな事を思ったような覚えがあるから、気持ちは分かるんだけど…同時にその子供っぽさに内心苦笑い。…と、思っていたら……

 

「…こたつ、出さないの……?」

「え、ラフィーネさん…?」

「こたつ、出さないんですか…?」

「フォリンさんまで……もしや二人も、こたつに興味が…?」

 

 こくこくこくこく、と目を輝かせて何度も頷くロサイアーズ姉妹。……どうやらここいるのには、こたつに興味がある人達ばかりのようだった。

 

「よいしょ、っと。綾袮さん、天板そっちズレてない?」

「大丈夫だよー」

「じゃ、こたつ準備完了だね」

『おぉー……!』

 

 で、十数分後。物置きからセット一式を持ち出した俺はそれを運び、リビングにてこたつをセッティング。天板の位置を微調整し、立ち上がったところで興奮混じりの声が聞こえてきた。…こたつを初めて生で見る人って、皆こんな感じの反応するのかなぁ…。

 

「フォリン…!」

「えぇ、見るからに暖かそうですよね…!」

「(楽しそうだなぁ……ん?)…綾袮さんどこ行くの?」

「ちょっと纏めなきゃいけない事があってね…」

「ここではやれない事?」

「うん、機密情報絡みだから…はぁ、三人は先に満喫しておいで……」

「あ、う、うん…綾袮さんも頑張って……」

 

 ラフィーネさんフォリンさんは早速こたつにインする一方、綾袮さんはちょっと哀愁を感じさせる背中でリビングを去っていく。…戻ってきたらお茶淹れてあげるとしよう…。

 

「…………」

「…………」

「……?…顕人……」

「うん?どしたのラフィーネさん」

「…これ、全然暖かくない……」

「へ?…って、いや…そりゃ電源入れてなければ暖かくなる訳ないよ……」

「えっ?…あ、こたつってそういうものだったんですね……」

 

…とか思っていたら、今度は二人が怪訝な顔に。呼ばれたから何だろうと思って聞いてみると……何ともまぁ、こたつ初心者(?)らしい勘違いをしていた。…フォリンさんがちょっと勘違いを恥ずかしそうにしていたけど、それはまぁ別の話。

 

『はふぅ……』

 

 それからまた数分。電源の入った事でこたつは暖かくなり、入っていた俺達は殆ど同時に吐息を漏らす。……まだ少し早いと思ったけど…やっぱ、いざ入ると気持ち良いなぁ…。

 

「ぬくぬく…」

「ぬくぬくですねぇ…」

(わー、二人共完全に同じ表情してる…)

 

 表情を緩ませ、揃ってぽわぽわしている二人は流石姉妹。…ぬくぬくなんて言葉、どこで知ったんだろう……。

 

「二人共、こたつは満足?」

「ん、満足…」

「これは予想以上でした…」

「なら俺も用意した甲斐があるよ。けど気を付けてね?…こたつには、魔力があるから」

『…魔力……?』

「そう、魔力。一度入ると中々出られなくなる、出たくなくなる魔力がね」

『あー……』

 

 こたつの魔力…なんて半ばこたつのお約束ネタみたいなものだけど、初体験の二人にもしっかり伝わっている様子。…いやほんと、凄いもんだよこたつって……。

 なんて事を思いながら、三人でくつろぐ事十数分。穏やかに過ごすのも悪くないなぁ、とある種俺らしくない事を思考しつつあったところで……ちょっとしたハプニングが起こる。

 

「ん、ぅ……あ」

「へっ?」

 

 数分前から、寝そべった体勢になっていたラフィーネさん。そこから枕にでもしたかったのか、ソファ上のクッションに手を伸ばすという動きをしたところで……つん、と俺の脚に何かが触れた。

 いや、ぼかした表現はよそう。ラフィーネさんの動きと、俺との位置関係からして…触れたのは、ラフィーネさんの足で間違いない。

 

「…………」

「…え、と…邪魔だった?邪魔なら少しズレるけど…」

「…ううん、そのままでいい」

「あ、そう…。ならそのまま……うぇっ…?」

 

 何をするでもなく、ただじっとこちらを見ているラフィーネさんの視線に耐えかね、俺は質問。けどズレてほしいわけじゃないらしく、だったら…と思った瞬間、また触れる。

 

「…あ、あの…ラフィーネさん…?」

「何?」

「…当たってる、よね……?」

「知ってる」

「…お、おぅ……」

 

 身体を伸ばしてクッションを掴んだところで、二度目の接触。偶然か、と思ったけど……明らかに違う。絶対に違う。だって、触れたままだもん!クッションを枕にしても尚触れてる…ってか、もはやがっつり重なってるもん!な、何のつもり!?

 

「…え、と…その……」

「…………」

「…ま、まぁこれもこたつの宿命みたいなものだしね…うん、よくあるよくあ……はい!?」

 

 クッションの上に両手を重ねて、その上に顔を置いてこっちを見ているラフィーネさんは、いつもに増して何を考えているのかよく分からない。ただ何にせよ異性と脚が重なっている状況というのは「まぁいいか」で流せる訳がなくて、俺は自分に言ってるのかラフィーネさんに言ってるのかよく分からない言葉を吐きつつ脚を離そうとし……次の瞬間、ぐっと上から力をかけられた。あ、脚をホールドされただと…!?

 

「……顕人さん?」

「あっ……い、いや何でもないよ…?」

「ほほぅ…何でもない、ですか…」

 

 俺が一人テンパっていると、不意にかけられたフォリンさんの声。それに対して当然俺は誤魔化そうとしたけど……ここまでのやり取りで何が起きてるかなんて、ちょっと考えれば分かる事。そして、それに気付いた時には…もう遅い。

 

「確かにこたつって、うっかり触れてしまう事が宿命の家具ですねぇ。大きくし過ぎると、その分暖まるのが遅くなりますし…多少は触れても仕方ない。そういう事ですよ…ね?」

「う、うん…うっかり触れる事はあるよね、うっかり触れる事は……(がっつり触れてるんですけどぉぉぉぉッ!?)」

 

 ぴたり、と脚に伝わる確かな感覚。間違いなく分かってやってるフォリンさん。もしこれが男なら、心の中だけじゃなくて実際に口にしてるし、問答無用で弾き返してるけど……いやいや無理無理無理だって!ラフィーネさんにフォールされてるから…とかじゃなくて、女の子だもん!異性に脚当てられてるんだもん!

 

「ふふっ、どうかしました?」

「ど、どうかしましたって……あ、そ、そうだ二人共お茶飲む?飲むなら俺が淹れて……」

「いえ、お構いなく〜」

「うん、飲みたくなったら自分で淹れる」

「そ、そう……」

 

 ぱっと思い付いた脱出手段は速攻で瓦解。フォリンさんはともかく、ラフィーネさん普段淹れねぇじゃん…!くそう……!

 

(お、落ち着け俺…!何も強固に拘束されてる訳じゃないし、二人は敵とは真逆の存在。だったら抜け出す方法だってひょおぉおおおおっ!?)

 

 先に断っておこう。俺は狂った訳でもないし、こたつで暫く何もしていないと奇声を上げたくなる悪癖もない。じゃあ何があったかっていうと……ラフィーネさんが片脚を俺の膝裏に、フォリンさんが片脚を俺の両膝の間に、ほぼ同じタイミングで突っ込んできたのだ。ヤベぇ、ヤベぇヤベぇヤベぇヤベぇ色々ヤベぇ!

 

「…んふぅ……」

「はふぅ……」

 

 俺の動揺はつゆ知らず、或いは分かった上でわざと、二人はぐいぐいやってくる。それはもうがっつりと、何ならちょっと面白そうに。

 ズボン越しでも、靴下やニーハイ越しでも伝わってくる、しなやかで柔らかな二人の脚の感触。気付けばもうラフィーんには完全に挟まれてるし、フォリンさんに至っては脚絡ませてるし、完璧にロック完了状態だった。強固な…それでいて何とも心地の良い魅惑の拘束。……いかん、これはいかん。非常にいかん。このままでは……

 

(変な気分になる…!というか、既にちょっとなっている…っ!)

 

 こたつの中で、外から見れば何もおかしくなさそうな状態で、女の子二人の脚が絡んでいる。柔らかい感じもしなやかな感じもばっちり感じてしまっている。そんな状況で、落ち着いてなどいられだろうか。いいや、落ち着いていられる訳がない!…っていうか、もうさ……

 

 

──ちょっと位こっちから何かしても、良いんじゃね?

 

「…………」

「……顕人さん?急に止まって、今度はどうしました?」

「…あぁ、いや…フォリンさん、そこの孫の手取ってもらえる?」

「……?…構いませんけど…」

 

 少し不思議そうなフォリンさんから孫の手を受け取る俺。これは普段、ソファ下や食器棚の裏みたいな場所に物が落ちちゃった時取り易いよう置いてあるもので、勿論俺も何かを拾いたい訳じゃなければ、背中を掻きたくなった訳でもない。

 なら、孫の手を何に使うのか。…それは見ての、お楽しみ…。

 

「ありがと、フォリンさん」

「この位構いませんよ。しかしそれで何を?」

「さぁて、何をするでしょう」

「な、何ですかその思わせぶりな反の……ひゃっ…!?」

「…フォリン……?」

 

 怪訝そうにしていたフォリンさんが不意に上げる、小さな悲鳴。それにラフィーネさんが反応し……俺はにやりと、口元を歪ませる。

 

「フォリンさん、どうかした?」

「ど、どうかしたも何も…まさか顕人さ…ふぁ……っ!」

「フォリン、大丈夫?」

「だ、大丈夫で…くふっ…じゃなくて、顕人さんが…あ、くっ…んんっ……!」

「…顕人?」

 

 ぴくん、ぴくんと頬を赤らめ時々震えるフォリンさん。その様子にラフィーネさんは不思議そうにしているけれど、まだその理由については分かってない様子。…さて、じゃあ次は……

 

「あ、顕人さん…っ…が…ふくぁ……っ!」

「…どういう事?顕人、何か分かる?」

「うーん、これだけじゃ俺にはどうにも…」

「そう…でもフォリンは絶対おかしい。もしかしたら何か病気…、……っ!?」

 

 フォリンさん同様、ラフィーネさんもまた不意にぴくんと肩を震わせる。即座にラフィーネさんは跳ね起きようとしたけど、即座の追撃がそれを許さない。

 

「あ、顕…人……っ!」

「うん、顕人だよ?」

「ラフィーネにも…!?あ、顕人さんそういうやり返しはどうかと……ひゃうぅ…!」

 

 そこからは、不規則に二人は反応していく。恥ずかしそうに、我慢するように、そして何より……くすぐったそうに。

 先程俺が手にしたのは孫の手。元々掻く為の道具。それを受け取った手は、現在こたつの中に入っている。つまり、二人が何に反応しているか……いや、何に襲われているかと言えば…そういう事。

 

「くひゃっ、ぁあ…っ!ま、待って下さい顕人さん…っ!あ、脚捕まえるのはズル…いぃっ……!」

「ど、道具も…ふくっ…ず、ズル…んんぅっ…い……っ!」

「さぁて、何の事かなー?」

 

 耐えかねた様子で、こたつの中から逃げようとする二人。けれど俺は片脚で押さえ、片脚で絡め返す事で二人を……二人の脚を逃さない。

 ピンチはチャンスとはよく言ったもの。優勢になる程油断をしてしまいがちで、今の二人は完全にこれに当て嵌まる。

 だけど俺は別に、倫理や法に反するような事はしていない。あくまで悪戯レベルの、危険な事なんて一切ない、単なるちょっとした行為。けど…いやだからこそ、そんなちょっとした事であるが故に、形成逆転による高揚感は半端じゃない。

 

「あ、顕人…んひゃっ…さぁ、ん……っ!」

「だ、ダメぇ……っ!んくぁっ…!」

 

 顔を赤くするだけに留まらず、遂に二人はちょっと艶かしさを感じる声に。そんな二人の反応を見て……俺は、確信する。

 

(勝った…この二人に、二人の悪戯に…完全に勝った…!)

 

 圧倒的な爽快感。普段してやられている相手を手玉に取り、一方的に好き勝手やるという完全勝利。その高揚感に押されて、俺は悪戯を続ける。外からは見えないこたつの中で、二人の脚をくすぐり続ける。

 クッションにしがみ付いてぷるぷると震えるラフィーネさんに、天板に手を突いて必死に耐えるフォリンさん。紅潮した頬に艶めいた声音、そして悩ましげに震えるその姿はあんまりにも刺激的で、それもあって程々にするという発想が完全に頭から抜け落ちる俺。……そう、この時自制心を働かせて止めていたら、俺は勝利のままでいる事が出来た。けれど辞め時を見失ったままの俺は、心から満足するまで続けようとしてしてしまい…………

 

「ふ〜、綾袮さんが戻ってきたよっ!さあさあ皆、わたしにもそのこたつのぬくぬく感を味合わせて……」

「はぁ…はぁ……」

「ん、ぁ…ぅ……」

「…………あ」

 

 勢い良く扉が開かれ、そこから綾袮さんが元気に登場。意気揚々と現れた綾袮さんは、早速こたつに入ろうとし……次の瞬間、気付いた。それはもう悪そうな顔をしている俺と、頬を赤くしたまま荒い息を漏らす二人の姿に。

 

「……ふぅん…ねぇ顕人君。わたしが真面目にお仕事してる間に…君は何をやってたのかなぁ…?」

 

 にこぉ、笑みを浮かべる綾袮さん。だけどそれは笑みではあるけど、綾袮さんは一切合切笑っていない。笑顔だけど、全くもってご機嫌じゃない。そして、ゆっくりと俺がこたつの中から孫の手を取り出し、脚も抜いて正座をした時……綾袮さんからは、心底呆れたような冷たい視線が降り注いでくるのだった。



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第百三十三話 無理難題な探し物

 文化祭の二日目に、俺達…つっても俺はやってないが…は、校内の捜索を行った。

 その目的は、現れた同種の魔物及びその原因の調査。その結果裏には魔人がいる事が判明し、御道と綾袮の両親が交戦、撃退に成功した。恐らく魔人によって呼び出されていたらしい魔物は魔人の撃退以降は現れる事もなく、逃げられてしまったものの校内での問題は解決。そしてその後は特に何もなかった校内だが……今日、校内ではまた捜索が行われている。

 

「ふーむ……」

「…ねぇなぁ、何にも……」

 

 地学室で、頭を掻きつつ俺は呟く。近くにいるのは、背面黒板を調べている最中の御道。御道は考え込むような声を漏らしているが…まぁ多分、何かを思い付きかけてるとかじゃないだろう。

 

「……あっ」

「ん?何かあったか?」

「チョークかと思ったら…消しゴムが置いてあった……」

「なんで黒板の所に消しゴムが置いてあんだよ…そういうの偶にあるけどよ…」

 

 激しくどうでもいいものを御道が発見。その発見に俺はげんなりしつつ、ずっと思っていた事を口にする。

 

「…つか、無茶言ってくれるよな…魔人が探しそうなものを探せ、なんてよ……」

「うん…手掛かりが少ないんだから仕方ないとはいえ、この上なく同感だよ……」

 

 無理難題というか最早嫌がらせレベルの指令に、揃って肩を落とす俺達。見つけるまで帰ってくるな!…的な感じじゃなく、あくまで探してみてくれ…ってスタンスらしいが、それにしたって捜索対象が漠然とし過ぎている。

 そう、これは協会からの任務。例の魔人対策の一環とさて、その魔人が探していたらしい『何か』の確認と、可能であればそれの確保が俺と御道、それに緋奈妃乃綾袮…要はここに通う霊装者へ任務として言い渡されており(俺達は妃乃や綾袮から間接的に聞いた訳だが)、それを現在行っている。で、二組に分かれて捜索をし、鍵のかかっている教室は落とし物を探している…という名目で鍵を借りて調べているんだが、結果はここまでのやり取りの通り。

 

「…職員室とか、事務室はどうすんだ?まさか同じ名目で入るんじゃないよな?」

「それは確か、業者に扮した協会の人間が休日に入る…とか言ってたよ?」

「なら、最初から全教室それでいいんじゃね…?」

「そうはいかないでしょ。全教室に入るってなると、名目も何かデカいのが必要になるし、そうなると不自然に思われる可能性も増すし」

 

 御道の言う事は最もだが、俺としてはやはり面倒だなぁという気持ちが勝つ。…いや、魔人対策として出来る限りの事をする、って事自体には俺も賛成してるぞ?だがどうにも今やってる事はせせこましいというか、もうちょい大胆にやれないのかねぇ…と思ってしまう。

 

「…ところでさ、千㟢。魔人がわざわざ出向いてまで探そうとするものって、なんだと思う?」

「うん?…そりゃ……」

 

 そこで話を切り替えるように、御道が疑問をぶつけてくる。それに俺は反射的に答えようとし……一度止めた。それから自分の中で考えて、改めて回答を口にする。

 

「…普通に考えたら、あり得るのは二つだな」

「二つ?」

「あぁ。一つは、魔人にとって魅力的なものだ。それも、わざわざ『探す』位のな」

 

 探し物をする手を止め、話し始める。それを聞く御道も、そこで手を止めこちらを向く。

 

「……魔物にとっては、普通の人より霊装者の方が喰らい甲斐のある存在なんだよね?…じゃあそれより強い魔人が、魅力的に感じるのは……強い、霊装者…?」

「いや、それは違うだろうな。勿論強い霊装者が糧として魅力的なのは間違いねぇが、それなら綾袮の両親と会った時点で探し物は見つけてる筈だ。両方、強かったんだろ?」

「あ、うん…そっか……」

「加えて言えば、妃乃の事も放った魔物経由で気付いてる可能性が高いしな。後はまぁ、そうだった場合なんでここで探したかっつー疑問も浮かぶんだが…どっちにしろこの線は薄いし、放っておくぞ」

 

 御道の返答を否定する俺。必ずしも強い霊装者=喰らい甲斐があるとは限らない(頭脳や経験が強さの大半を占める奴とかな)とか、強過ぎるとリスクの面で喰らい甲斐はあっても狙われ辛い…とか色々言える事はあるが、脇道に逸れるからこれは飲み込む。

 

「なら……霊装者にとっての武器みたいに、魔人の能力を向上させたり強化させたりする道具が、ここのどこかにあるとか?」

「それはあり得るな。けど、そんな物があるなんて話、俺は聞いた事がねぇ。だから可能性はゼロじゃないが、色んな可能性の一つに過ぎないってとこだ」

「うーん……じゃ、もう一つは?」

「もう一つは、魔人にとって脅威になるものだ。一つ目とは逆に、さっさと何とかしておきたい何かがあるのかもしれねぇ」

 

 訊く側と答える側という形で、話が進む。…謎解きの探偵ポジみたいで、ちょっと面白いな。

 

「脅威……それはそれこそ強い霊装者…って、それの場合もさっきと同じ点が引っかかるか…」

「まぁな。つか、誰でもいいから強い霊装者を倒しておきたい…なんざ、無計画にも程がある。だから、あるとすれば……」

「…あるとすれば?」

「…いや、やっぱ何でもねぇ。それより、他に何かあるか?」

「え?……今のところ思い付くものはない、かなぁ…」

「そうか。まあとにかく、手に入れておきたいものか、無くしておきたいもの。普通に考えれば、そのどっちかを探してたんだろうな」

 

 つっても、魔人以外だって探し物の目的は基本そのどっちかだろ。…なんて思いつつ、更に俺は言葉を続ける。

 

「んでもう一つ。ここに関わってくるのが、魔人は誰かに頼まれて探してたって事だ。これに関しちゃ、相手が誰なのか分からない以上何とも言えないが……その相手次第で、今上げた二通りがひっくり返る可能性もある」

 

 不確定要素は、どんなに小さくともそれだけで全体が崩れる可能性を秘めている。そりゃそうだよな。何せ未知数なんだから。で、そういう意味じゃここでの話にゃ端から答えなんて出る訳がないんだが……流石にそれを言う程俺も無神経じゃない。

 

「そうか……じゃあ、千㟢の考えは?その上で、千㟢は何を探してたんだと考えてるの?」

「や、それは知らん」

「えぇー…なんだ、口振りからして推測位は付いてるのかと思ったのに……」

「俺は言える事を言っただけだ。そもそも訊かれただけだしな」

「いやまぁそれはそうだけども…」

 

 結構投げやりな返しをした俺だが、御道はある程度理解した様子。

 ここまで俺が話したのは、あくまで霊装者としての知識と経験から言える、ある種魔人の『一般論』とでも言うべきもの。重要になるのはこっから先だが…それをぱっと思い付く程俺は頭が良くないし、思い付くなら探偵稼業を始めている。……まぁ、何一つ思い付かない…って訳でもないんだが。

 

「ま、ともかく分からない以上は地道に探すしかねぇな。…はぁ、地道に探すしかねぇのか……」

「自分で言っといて何落ち込んでんの……けどまぁ、千㟢じゃないけどほんとにこれは無茶ってか、見つけるのなんて困難を極めそうな気がするよ…」

「…別に、必ずしも見つける必要はねぇと思うけどな」

 

 当てもなく何かをするというのは、ある意味ゴールが遠い彼方にあるってのよりも辛い事。…だが、何も見つける事だけがゴールじゃない。

 

「…そうなの?」

「考えてみろ。俺達にとって、その『何か』を見つける事が勝利なのか?それさえ手に入れば、それでいいのか?」

「あ…そうか。目的は魔人の対処であって、探し物の確保はその手段の一つに過ぎないもんね」

「そういうこった。大まかでも場所が分かってるならそこの警備を強化すればいいだけの事だし、こうして捜索活動をしてる事自体が、魔人に対するプレッシャーになる。…つっても、後者は魔人に伝わらなきゃ意味ないけどな」

 

 頑張る事に意味がある…じゃないが、魔人の対処という最終目標に繋がるのなら、目先の成果は必ずしも上げる必要はない。そうは言っても果てしないものは果てしないが……悲観や愚痴ばっかり膨らませたって、余計気が滅入るだけだもんな。多少の楽観も時には必要なのさ。

 

「って訳で、きびきび探せ御道。案外神がかった幸運で見つけられるかもしれないぞ?」

「だと良いけど…ってこら、何俺一人に探させようとしてんだ」

「え、俺が頭脳労働、御道が肉体労働担当だろ?」

「勝手に決めんな、というか頭脳労働自称するならもっと推測立ててみてよ」

「よーしじゃあ、女子トイレにあるかもしれねぇ。行ってこい御道!」

「行けるか!仮に真面目な推測の上でだとしても、女子トイレなら担当は綾袮さん達だからね!?」

 

 見つけられるかどうかも怪しい探し物だが、幸い話し相手はいる。雑談しながらの捜索なら、まだ多少は気も紛れる訳で……今日も今日とて俺は御道を弄りつつ、魔人の探していた物を捜索する。

 

「…………」

 

 それから数分後。多分ここにはない、と地学室に見切りを付けた俺達は、鍵をかけて次なる部屋へ。…その最中、俺が思い浮かべるのは先程脳裏をよぎった一つの可能性。

 

(…もし、魔人や依頼をした奴が依未の力を知っていたなら、あの日に探した理由としては納得出来る。…けど、まさか……)

 

 制御出来ないとはいえ、未来予知は凄まじい力。利用だろうと排除だろうと狙うには十分な理由になるし、そもそも探し物が『物』とは限らない。

 だが、これは想像に過ぎない。確たる証拠はないし、どうやってあの日ここに来る事を知ったのか、またそもそもどうやって未来予知の情報を掴んだのかという疑問も残る。ただそれだけの事で、依未が狙いだったんだと考えるのは…間違いなく、早計だ。

 

「…考え無しは論外だが、考え過ぎるのも良くはないよな……」

「……?何が?」

「独り言だ、それより次の部屋の鍵は借りてあるのか?」

「大丈夫。…けど、今日はこの辺りで終わりにした方がいいかもね。名目はあるとはいえ、一日であんまり幾つも借りると変に思われるかもしれないし」

 

 思わず口にしてしまった思考を誤魔化し、話を切り替えて追求も遮断。訊かれたくなかった訳じゃないが…根拠もない想像を語って、無駄に不安を煽ったり思考が狭まるリスクを負うのは賢明じゃない。

 それに何より、狙いが依未であろうと、そうでなかろうと……俺が依未の生活を、依未の望む日々を守りたいって気持ちには、一切の変わりはないんだから。

 

 

 

 

 地学室の後、もう一つ特別教室の捜索を行った俺は、千㟢と別れて鍵を返しに行った。因みに先に帰った千㟢だが、今日は少し準備に時間のかかる夕食を作る予定らしい。

 

「…女子力ってか、主夫力はほんと高いよなぁ……」

 

 鍵を返して職員室から出たところで、俺は苦笑をしつつ一言。ほんと家事を続ければ続ける程、千㟢の実力がよく分かってくる。

 

「その点、うちの女子ときたら……」

 

 続けて俺の口から出てくるのは、ちょっとした愚痴。言うまでもなく女の子っぽさは十分にある三人だけど、女子力の観点で言うと…という感じ。特に綾袮さんとラフィーネさんは女子力に対する向上心自体がないから、多分主婦なんて無理なんじゃないだろうか。

 

「…まぁ、稼ぐ能力は俺よりありそうってか、少なくとも綾袮さんは間違いなく上だろうけど……」

「何の話ですか?先輩」

「うわぉ…!…な、なんだ慧瑠か……」

 

 なーんて思いつつT字の廊下を曲がろうとした瞬間、反対側からかけられる声。微妙に間の抜けた驚きの声を上げてしまった俺が振り向くと、そこにいたのは慧瑠。

 

「なんだとは失礼ですね。先輩の後輩、天凛慧瑠ですよ?」

「知ってる…てか、先輩の後輩…って言葉として少しおかしくない?具体的にどうおかしいかは上手く言えないんだけど」

 

 今の「なんだ」は、期待して損した…的な意味じゃなくて、びっくりしたなぁもう…的な意味の言葉。一緒その訂正をしようかとも思ったけど、別に慧瑠はショックを受けたとかじゃない様子。だから「ならまぁいいか…」と俺も流す。

 

「そうですかねぇ?まぁそこはいいじゃないですか。それより先輩、職員室で何してたんですか?」

「鍵を返してたんだよ、探し物で教室回ってたからね」

「へぇ、探し物。見つけ難いものですか?鞄の中とか、机の中とかも探してみました?」

「……一緒に踊ろうって誘ってる?」

 

 何やら歌みたいな流れになったから先手を打って訊いてみると、慧瑠は「さぁどうでしょう?」みたいな、曖昧な笑みを浮かべてくる。…うん、まぁ…少なくとも、ふざけてる事は間違いない。

 

「…で、結局何を探してたんですか?」

「んー…まぁ、シャーペンだよ」

「シャークペンですか」

「何その小学生みたいなボケ…ほら、俺が生徒会でも使ってる…って言っても流石に分からないか。人の文具なんて一々見ないだろうし…」

「ま、そうですねー。…あ、それなら落とし物の棚にあるんじゃ?」

 

 ぴっ、と人差し指を立てたかと思えば、職員室の近くにある落とし物コーナーへと向かう慧瑠。…こうして嘘を吐くのはあんまり気分の良いものじゃないけど…仕方ない。

 

「何本かありますね…この銀色のやつですか?」

「それは違うね」

「じゃあこっちの、百均で二本か三本セットで売ってそうなやつですか?」

「それも違うね」

「ならこの、林檎に刺さった見るからに異彩を放っているやつですか?」

「それもやっぱり違……なんであんの!?誰!?絶対これふざけて誰か置いただろ!?置いたの誰!?」

 

 そこまで流すように返答していた(そもそも嘘だし)俺が、まさかと思ってそちらを見ると……なんとほんとに林檎と合体したペンがあった。…いや、マジで誰だよこれやったの……てかペンを探してたらこれが出てきたって、どっかで見た事あるネタだぞ…?具体的には、作者が同じ作品の……

 

…………。

 

……いや止めよう。これは滑る。間違いなくシンプルに滑る。ってかもう滑ってるんじゃないだろうか…。

 

「あははははっ!物に対しても先輩はそこまでがっつり突っ込むんですね!やっぱり先輩は面白いっすよ!」

「人の条件反射になに爆笑してんだ……」

「だ、だって面白いんだから仕方ないじゃないですか!というか、先輩の突っ込みは条件反射だったんですね…」

 

 などと俺が不安になっていたら、慧瑠は俺の突っ込みに腹を抱えて笑っていた。…や、まぁ突っ込みで笑ってくれるなら嫌な気はしないけど……笑うのそこかよ…突っ込みたくなるじゃん、こんなのあったら…。

 

「はぁ、はぁ…いやぁ、笑わせてもらいました…こんなに笑ったの、今月初ですよ……」

「ならそんなにレアでもないじゃん…」

「女の子の笑顔は、男子にとってプライスレスじゃないんですか?」

「笑ってくれるのと笑われるのじゃ天と地程の差があるよ…はぁ……」

 

 千㟢や綾袮さん程あからさまじゃないものの、ほんとに慧瑠も隙あらば俺を弄ってくる。しかも慧瑠は後輩な訳で、この状況に思わず溜め息が出てしまう俺。なんだかなぁ、って感じだよほんと…。

 

「まぁまぁ気を落とさないで下さい先輩。自分も探してみますから、外見教えてもらえますか?」

「え?…あー、っと…ほら、その銀色のやつに近い感じかな。上半分とキャップは黒色だけど」

 

 そんな俺を見て多少は悪いと思ったのか、それとも最初からそのつもりだったのかは知らないけど、慧瑠は協力を申し出てくれる。一方俺は少々予想外の言葉を受け、少し動揺した後普段使ってるペンの外見を慧瑠に伝える。…言っちゃった以上、数日間は慧瑠の前であれ使えないわな…。

 

「そういえば、そんなシャーペン使ってましたね…。…因みに先輩、もし自分が見つけたら何してくれます?」

「え、報酬目的で探す気?」

「いやいやまさか。ただ、もしも先輩の探し物を見つける事が出来たら、その時は何してくれるのかな〜…と」

「遠回しな要求止めい……まぁいいか。じゃあもし見つけてくれたら、何かしらの要望を一つ受けるよ。勿論、俺が出来る範囲でね」

「お、言いましたね!?自分聞きましたからね!?やっぱ無しは認めないっすからね!」

「お、おぅ……」

 

 何やら見返りを求めてきた慧瑠に対し、まぁどうせ見つかる訳ないもんな…と思って軽い調子で話に乗ると、びっくりする位慧瑠はやる気に。そ、そこまで俺に聞いてほしい事あんの…?

 

「またとない機会ですからね。自分、こういうのは見逃さないんです」

「心又は地の文を読まないでよ…てか、俺だよ?そこまで価値ある?」

「あるに決まってるじゃないですか。だって先輩は……」

 

 気分的に押され気味な俺が訊くと、そこで急にしんみりとした表情を浮かべる慧瑠。普段は明るい…というか、軽快な感じの慧瑠がそんな顔になる事なんて滅多になくて、一瞬どきりとしてしまう。

…と、同時に俺は気付いた。今は夕日が差し込んでいて、静かで、周りに誰もいない廊下であると。シチュエーション的には、完全に『あれ』であると。…い、いやでもそんな訳…けど、雰囲気と様子は…まさか、まさかまさか……

 

「……男女含めこの学校に何百人といる、『先輩』の中の一人なんですから!」

「いやそりゃそうだよねぇぇぇぇッ!そして全く嬉しくねぇぇぇぇええええッ!!」

 

 してやったり、とばかりに言い放たれた慧瑠の言葉に俺は絶叫。くそうやられたっ!てか絶対わざとだ!絶対わざと雰囲気まで作ってやりやがったな!俺の純情を弄びやがったな!ぐ、ぐぐぐぅぅ……!

 

「ぷぷっ、百点満点の反応ありがとうございます先輩。後、そんなに大きい声出すと怒られると思いますよ?」

「だ、誰のせいだと思ってるんだ…!後先輩の反応に点数付けんな…!」

「先輩どーどー。流石に何百人の内の一人、よりは特別視してますから大丈夫ですよー」

「そらなんの関わりもない上級生よりは、生徒会という共通点のある相手の方が特別視はするでしょうに…はぁ……」

「あ、そういう受け取り方をするんですね…まぁいいですけど」

 

 後輩に手玉に取られるという屈辱を期し、俺はその場でがっくり気落ち。何やら慧瑠は言っていたけど、これはもう余程の褒め言葉か何かでもなきゃ持ち直せないよ…。…数十分から数時間位は。

 

「…慧瑠、もうすぐに日が落ちて暗くなるから、帰り道は気を付けようね……」

「え、自分襲われるんですか?」

「違ぇ…!お互い気を付けようって話だよ…!」

「いやいや今のは暗めの雰囲気で言う先輩も悪いですって。けどそうですね。それでは先輩、また明日」

「…また明日」

 

 両手を後ろで組み、軽い足取りで先を行ったかと思えば、そこで一度慧瑠は反転。なんの悪びれも感じさせない、自然な微笑みで俺にまた明日と言って、それからまた振り返って歩き出す。

 

(…また明日って…明日も生徒会はないし、会うとは限らないんだけどなぁ……)

 

 半分は反射的に、もう半分はその微笑みにつられるようにまた明日、と同じ言葉を返した俺。さっき謀られたばかりだから、「これは明日もまた会いたい、という遠回しなアピールかな?」…なんて思ったりはしないが……少しだけ、気落ちしていた心が癒された。それはただ混じり気のないだけの、単なる挨拶と微笑みだったんだけど……いいやだからこそ、それは良かったのかもしれない。具体的にどこがどう良かったのかは、上手く言葉に出来ないけど。

 

「…ったく、ほんとにもう……」

 

 軽く後頭部を掻きながら、俺も歩き出す。慧瑠といいロサイアーズ姉妹といい、何故身近な年下はこうも俺をからかってくるのか。俺が寛容な精神を持っているからいいものの、俺じゃなきゃ関係が悪くなっているかもしれないとは思わないのか。…或いは、俺が何だかんだで「仕方ないなぁ…」と済ませているからこそ、今の関係が成り立っているのか。

 まあ何にせよ、はっきりと一つ言える事がある。しょっちゅうからかわれるけど、偶に本気でやり返してやろうと思う時もあるけど、俺は「仕方ないなぁ…」で済ませても良いと思っている。そういう関係でこれまできていて、それでも良いじゃないかと感じている。勿論、変化する事が嫌だって訳じゃないけれど…変わってくれなくちゃ、とは思っていない。俺はそう思っているし、三人はそう思わせてくれてる訳で……まぁ多分、これからもこういう関係のまま続くんだろう。続いちゃうんだろう。…そんな気がして、思わず苦笑をする俺だった。

 

 

……まぁ、俺をからかってくるのは何も年下だけじゃないけどねッ!



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第百三十四話 予定を立てて

「え?国際名犬コンクール?」

「なんでそうなるのよ!?」

 

 魔人が探していた『何か』を探し始めた二日目の夜。いつものように三人で夕飯を食べていると、何やら妃乃が重要な話があると言い出した。

 

「あ、すまんすまん。聞き間違えた」

「何をどう聞き間違えたら各国の霊装者組織の代表者が集まる会議が国際名犬コンクールになるのよ…」

 

 飲み物を口に含んでいたら吹き出していただろうなぁ…って位の勢いで突っ込む妃乃に対し軽く謝ると、妃乃は額に手を当てて思いっ切り呆れる。…冗談なんだけどなぁ…てかこのネタ、分かる奴いるかな……。

 

「…で、それがどうした?それに出てほしいってか?」

「あ、そうよ。よく分かったわね」

「……え、マジ?」

「えぇ」

 

 焼き魚から骨を取り除きつつ、軽い調子のまま訊いた俺。すると返ってきたのはまさかの肯定。当然俺はそんな事想像していなかったから、箸を止めて訊き返し……やっぱり俺の聞き違いではない事が判明する。

 

「……あっ、そうか緋奈か。だよなぁ、確かに緋奈は世界に知らしめたいレベルで可愛いもんな」

「い、いやお兄ちゃん…そこまでの事を言われると、普通に恥ずかしいんだけど…」

「だそうだ。恥ずかしいってんだから、緋奈に出るよう強要したりすんなよ?」

「訳分かんない話の繋げ方して誤魔化そうとするんじゃないわよ。緋奈ちゃんじゃなくて貴方よ貴方」

 

 煙に巻こうと試してみたが、失敗。更に妃乃の様子からして、多分何言っても誤魔化せない。…むぅ……。

 

「……何故に?」

「そりゃ貴方は予言の霊装者で、尚且つ魔王撃退に一役買うなんていう快挙を成し遂げたんだもの」

「えぇ…協会は俺を自慢したい訳…?」

「別にそういう訳じゃないわ。でも魔王の事について情報共有した際、その事を知った組織や霊装者もいるでしょうし、貴方に関する話が出てくる可能性は十分あるもの。で、その時『彼ならここに』って返せるのと、『今は自宅におりまして…』って返すのじゃ、前者の方がずっと印象がいいでしょ?」

「…俺、日本語以外は全然話せないんだけど……」

「大丈夫よ。この会議に出席する人達なら殆どが日本語を話せるし、何もスピーチをしろって言ってるんじゃないんだから」

 

 何か抜け道があればそこを突いて欠席を…と思っていたが、もう聞くからに俺じゃなきゃ駄目な様子。くっそう、あの時魔王と戦ったのがこんな形で影響してくるとは…てか、一役買ったなんて買い被りだろうに……。

 

「……ん?…って事は…御道にも声がかかってんのか?」

「勿論。…あ、『なら御道に任せて…』ってのは駄目よ?どっちかじゃなくて、どっちもなんだから」

「先手を打ってくるなよ…」

「じゃあほんとに任せようとしてたんだお兄ちゃん……」

 

 なんと不運にも先に逃げ道を封じられた上、緋奈に呆れられてしまった。二兎追うものはどころか、一兎しか追ってなかったのにダメージが増えてしまった。…不味いなぁ…なんかこれ、適当な事言うとどんどん望まぬ方向に行く流れな気がするぞ…。

 

「…絶対出なきゃ駄目か?」

「絶対出て頂戴。流石に急病で倒れたとか、道中で事故に遭ったとかのレベルが起きたら欠席も仕方ないと思うけど」

「はぁ…分ぁったよ、出ますよ……」

「…頼むわよ?ドタキャンなんてされたら、私は勿論時宮全体の信用にも傷が付くんだから」

「ほほぅ…だったらもっと頼み方があるんじゃないかね?」

「信用に傷が付く人の中には、当然お祖父様も入ってるんだけど?」

「うっ……」

 

 俺が欠席すると、妃乃も困る。それが分かった俺は、下衆男のテンプレみたいな事を言って妃乃を弄ってやろうとしたが……一手で逆に沈黙させられてしまった。…宗元さん出すのは反則だろ…何がどう反則かは俺も知らねぇけど…。

 

「分かったらちゃんと出る事。っていうか私が連れてくから、その日に予定は入れるんじゃないわよ?」

「ぐぐぅ…緋奈ぁ、妃乃が虐めてくる……」

「あーうん、お兄ちゃんよしよし」

「…………。……ごめん、やっぱこれは恥ずいから止めてくれ…」

「…今日のお兄ちゃん、さっきからずっと格好悪いよ……」

 

 このまま最後までいくのは癪だ。そう思って緋奈に泣き付いてみたが、結果はただただ恥ずかしくなっただけ。しかも妃乃が見ている前だから、尚の事恥ずかしい。

 

「…あ、それで妃乃さん。わたしは不要ですか?」

「まぁ…そうね。参加したい?」

「いえ、いいです。呼ばれてもいないのに行っても、それこそ変な目で見られそうですし…」

 

 行くのが強制の俺に対し、緋奈はそもそも呼ばれていない。当たり前っちゃ当たり前だが、一瞬緋奈をいいなぁ…と思い、それからふと気になる事が浮かび上がる。

 

「…そういや妃乃。それって一日で済むのか?国際会議って、普通そんなすぐには終わらないんじゃねぇの?」

「それはその通りよ。けどそこら辺は上手く調整して、貴方は一日…っていうか、ある時間帯にだけいればいい事にしてあるわ。ある時間帯って言っても、一時間やそこらじゃ終わらないけどね」

「そうなんですか。…あ、それならその日の夕飯は久し振りにわたしが用意しよっか?」

「……!?」

 

 不幸中の幸い…とは違うが、出るのは一日だけでいいと分かり、少しだけ気分が晴れた俺。だが次の瞬間緋奈が発した言葉により、戦慄。…緋奈が料理を、作るだと……!?

 

「あら、いいの?緋奈ちゃん」

「はい。わたしもお兄ちゃんや妃乃さんと違って上手じゃないですけど、少しは作れますから」

「ふふっ、なら頼むのもいいかもしれないわね「いやいい!そんな気遣いは不要だぞ緋奈っ!」…え……?」

 

 小さく微笑みちょっぴり胸を張る緋奈は可愛い。とても可愛い。でも今は、そんな事を考えている場合じゃない。

 

「そ、そうかな…?」

「いや、作ってもらったらいいじゃない。緋奈ちゃんが折角言ってくれたんだし」

「そうはいかん!何せ会議ってのは予定通りにいかない事がよくあるからな!そしてそうなった場合、折角緋奈が作った夕飯が、冷めるどころか下手すりゃ翌日残り物として適当に処理される可能性すら出てきちまう!それは断じて許してはならない!」

「え、えぇー……何よその溢れんばかりの気迫は…」

 

 何も知らない妃乃に圧力をかけ、力強くまくし立てる俺。人間切羽詰まった状態になると頭も良く回るもので、次から次へと言葉が出てくる。そしてその勢いとまあまあ筋の通った主張が功を奏したらしく……

 

「うーん…そこまでお兄ちゃんが言うなら、また今度にするよ」

「あぁ、でも気持ちは本当に嬉しいぞ緋奈」

 

 納得してくれた緋奈に向けて、にかっとスマイル。妃乃が物凄い半眼で見ていたが……目的は達成したんだ。この程度は瑣末な事だろう。

 

「何なのよさっきの…変な電波でも受診してたの?」

「……下手なんだよ、緋奈は料理が…」

 

 それから数十分後。夕食を終え、食器も片付け、リビングを出ようとしたところで妃乃から声をかけられた俺は、近くに緋奈がいない事を確認してからぼそりと返答。それを聞いた妃乃は、驚いたように目を丸くする。

 

「え、そうなの?緋奈ちゃんしっかり者だし、人並み…っていくか、並みの高校生程度は普通に作れるものだと思ってたけど……」

「と、思うだろ?けどなぁ…何故か上手くないんだよなぁ……」

 

 声のボリュームは下げたまま、俺と妃乃とで会話を交わす。そうなんだよな…他の家事は普通に出来るし、間違いなく俺と緋奈とじゃ数段緋奈の方がしっかり者で人間も出来てるのに、ほんとどうして料理だけ……。

 

「…一応訊くけど、緋奈ちゃんって味覚障害がある訳じゃないのよね…?」

「これまでの生活で、緋奈に味覚障害があるように見えたか?」

「そうよね…じゃあ、料理中に創作意欲を抑えられなくなったりするとか?」

「まさか。何度か作る姿を見た事はあるが、至って普通だったな」

「ならなんで……」

「それが分からないから俺も苦労してるんだよ…」

 

 今日みたいな事が起きる度、上手い事理由を付けて避けてきたんだよなぁ…と思い出し、俺はがっかりと肩を落とす。…まぁ、厳密に言えば理由の一つに『俺が下手と指摘しないから』…ってのもあるんだが…これは根本的な理由ではないしな。

 

「……悠耶は、緋奈ちゃんが料理しようとしたら、今後もさっきみたいに止めるつもり?」

「まぁ、出来る限りはそのつもりだが…何でだ?」

「別に深い意味はないわよ。ただシスコンの割には、上達させてあげようって発想にはならないのね…って思っただけ」

「む…色々言い返したくなる言い方だな…」

「でも具体的な反論はしないって事は、それなりに図星だった訳ね」

 

 そう言って妃乃はにやりと笑う。何ともまぁ鼻を明かしてやりたくなる笑みだが、言われてみれば確かに、俺には上達…するかどうかは結果次第だとしても、一緒に料理しないか?…とか言って、上手い事訓練させる事だって出来た筈。そして、緋奈の短所を知っていながら蓋をするばかりだった俺は……俺らしくなかったのかもしれない。

 

「……よし。そこまで言うなら、やってやろうじゃねぇか」

「え、何を?そこまでって言われる程私言ってないし、何をする気?」

「そりゃ、これからすぐに分かる事さ」

 

 全く分からない様子(まぁ当たり前だが)の妃乃にそう言って、俺はリビングの扉を開ける。そして俺はそのまま妃乃を連れ、目的地である緋奈の部屋へ。

 

「緋奈ー、開けるぞー」

「あ、はーい」

 

 ノックして、声をかけて、返答を受けて、オープン。部屋の中にいた緋奈は、ベットに腰掛け携帯を見ているという、至って普通の佇まい。

 

「どうしたのお兄ちゃん。それに妃乃さんまで…」

「おう、さっき料理はいいって言ったが、あれは撤回する」

「え?じゃあ、その日はわたしが……」

「いいや、偶には一緒に作ろうぜ?」

「うん!……うん?一緒に…?」

 

 携帯から目を離した緋奈に前言撤回を伝えると、緋奈の表情は明るくなり……次なる言葉で、小首を傾げた。因みにこの一連の流れ、かなり緋奈が可愛かったんだが…くどくなりそうなので今回は割愛。

 

「一緒にって…どういう事よ悠耶。それは私にも分からないんだけど?」

「文字通りの意味だ。予定通りに帰れりゃ一緒に作るし、夜遅くになっちまいそうなら、まあ仕方ねぇから作り置きなり出来合いの物を買ってくるなりで対応する。別に問題のある話じゃないだろ?」

「それはそうだけど…どうして一緒に、なの?」

「そんなの、俺が緋奈と一緒に料理したくなったからに決まってるさ」

 

 予想通りな妃乃と緋奈からの問いに、すんなりと答えを返す俺。勿論俺は、嘘なんて言っていない。額面通りじゃない意図もあるが、それを含めての「一緒に料理したい」だから。

 

「って訳で、話は以上だ。何でもいいなら俺が適当に決めるが、何か作りたい料理があったら早めに教えてくれよ?」

「それは、うん…いいけど…」

「あー後、その時は妃乃も一緒に作るからな」

「へ?私も?」

「そうだが?」

「そうだが?って…聞いてないんだけど……」

「そりゃそうだろうな。だって言ってねぇもん」

 

…とまぁ、こんな感じで会議の日の予定を変えた俺は部屋を去る。多分大概の話し合いにおいて言える事だが、結論を望んだ方向に持っていくには話の主導権を握るのがコツだよな。

 

「ちょ、ちょっと…何のつもりよ?一緒に作るのは、料理スキル改善の為ってのは分かったけど…ならどうして私まで……」

「人手は大いに越した事ないだろ?それにこれの発端は妃乃なんだから、妃乃にも少しは協力してもらわなくちゃ…ねぇ?」

「えー……まぁ、いいけど…そういう事は先に言いなさいよね…」

 

 全く…と妃乃には呆れ気味に答えられるが、これについてはそりゃそうだとしか思わないから別にいい。…つか、こういう時は呆れはしてもごねたりしない辺り、妃乃って割と心広いよなぁ…。

 

「…さて、約束はしたし後はやる事を済ませるか……」

 

 その後俺達も別れ、それぞれ自分の部屋へ移動。緋奈と作るなら何がいいかねぇ…とか考えながら、自室の扉を開けて入る。…で、数分後……

 

「悠耶、日程とかさっき言い忘れた事があるんだけど、ちょっといい?」

「あーおう。空いてるから入れ」

「じゃあ遠慮なく…って……」

 

 そういや聞いてなかったな…と思いつつ、扉越しの声に答える俺。するとすぐに扉は開かれ、入ってきた妃乃は…入るや否や半眼に。

 

「…やる事を済ませるって言ってたから、珍しく課題をやってるかと思えば……」

「妃乃は俺の母親か…てか今日は呆れてばっかりだな」

「誰のせいでしょうかねぇ…?」

 

 THE・母親的な事を言う妃乃はまたもや呆れ顔。んで俺が現在進行形でやっているのは、課題などではなく筋トレ。…なんで俺、日課やってるだけで呆れられたんだ…?妃乃は勘違いしただけじゃん……。

 

「…で、日程だっけ?色々用意するものがあるなら、日程と一緒にメモか何かにしておいてくれ」

「いや覚えるか自分でメモるかしなさいよ。後ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる聞いてる」

 

 話半分感全開で聞く俺は、敷いたマットの上で腹筋中。その後もスクワットしたり腕立て伏せしたりしながら話していると、本日四度目の呆れ顔をして妃乃は自分の携帯を手に。暫く何か打っていたなぁ…と思っていたら、俺の携帯がメッセージを受信した。…これはもしや……

 

「ほら、必要事項は纏めておいたから、きっちり確認しておきなさいよね」

 

 そう言いながら、妃乃は自分の携帯の画面を見せる。そこには確かに必要事項が書かれたメッセージが俺へと送信されており……つまり妃乃は、俺の適当な頼みをちゃんと受けてくれていた。

 

「…………」

「…何よ」

「妃乃って、キツい言い方する事も多いけど実はかなり甘いってか、お人好しだよな」

「……それ、褒めてる?馬鹿にしてる?」

「褒めてるさ。まぁ、より正確に言えば褒め半分、単なる感想半分ってとこだけどな」

「そ、そう……それならまぁ、一応ありがと…」

「一応ありがとってなんだよ……」

「うっ…いいのよそういうところは気にしなくて…!」

 

 一度筋トレを止め、向き直って言うと妃乃はちょっぴり照れ臭そうな表情に。言葉尻を捉えて突っ込んだらすぐに怒り顔になったが……あれは明らかに照れてたな、うん。

 そんなこんなで妃乃の用事は済み、もうここに留まる理由はない。…筈なんだが……出て行くタイミングを見失ったとばかりに、その後も妃乃は部屋にいた。

 

「…いや、何だよ…」

「うっ……べ、別になんでもないわよ…」

「なら尚更変じゃねぇか…あー、じゃあもういい。ここにいるなら腹筋手伝ってくれ」

「え……?」

 

 出て行くタイミングを逃してしまうと、気不味くて中々出ていけない…というのは分かる。けどだからってこのまま居座られても落ち着かないし、無言で筋トレ見られるとかどんなプレイだよ…と思った俺は、ならばいっそと手伝いを求めた。これなら妃乃も気乗りはしないだろうし、拒否る流れで出ていける筈。…と、思ったんだが……

 

「ふ…っ!ふ……っ!」

「…………」

「……何か、直した方が良さそうなところとかあるか…?」

「いや、別に……」

「そ、そうか……」

 

……なんでこうなってしまったのか、妃乃は俺の脚を押さえていた。…マジで、何故こうなる……。

 

(何この状況、ほんとに何なの…?…しかも、ちょっと胸が当たってるんだよぉぉ……!)

 

 これでは一層筋トレなんかに集中出来ない。身体を起こす度に妃乃と顔が近くなるし、微妙に揺れる事で柔らかい感覚が一回毎に伝わってくるし、しかも妃乃は妃乃で「どうしてこうなった…」みたいな顔してるし…!いやどうしてって、間違いなく妃乃がそういう選択したからだろうが…!マジでこれどうすんの!?どうするつもりなの…!?

 

「……夏も思ったけど、悠耶って身体付きはがっしりしてるわよね…」

「…身体付き『は』、って何だよ…」

「い、今のは言葉の綾よ…ほんとに他意はないわ…」

「そうかい…。そういう妃乃は……」

「…私は?」

「…まぁ、普通だな」

「そりゃ、まぁ…体型維持程度の運動はしてるけど、それ以上は特にしてないし……」

 

 どうにも弾まず、探り探り感のある会話。仮にも半年以上同じ家で住んでるんだが、空気感のせいかどうにもぎこちなさが生まれてしまう。

 

(…駄目だ、本当にこの空気感は不味過ぎる。かくなる上は…まぁ、飲み物取ってくるとか言って俺が出ていくしかねぇか……)

 

 心の中で嘆息しつつ、次なる行動を決める俺。妃乃が俺の部屋であるここから出ればそれで済む話なのに、何故俺が出ていかなくてはならないのか…みたいな事を考えてここまでそれはしてこなかったが、もう四の五の言ってる段階じゃない。…気不味いってだけでここまで考えてる俺も大分アレだがな…。

 

「…妃乃、退いてくれ。俺は喉が渇いたから茶を飲んでくる」

「……っ!あ、そ、そういう事なら私が汲んできてあげても良いわよ?」

「へ?…あ(しまった、そう取られたか…!)」

 

 状況打破の第一段階である『口にする』は、まぁ当然ながら難なく達成。後はそれに従い妃乃が退いてくれれば、それでほぼ作戦は成功なる筈だったんだが…そこで想定外の事態が発生。どうも妃乃は、『俺が言う→妃乃が引き受ける→出ていく事で空気リセット』…という策であると捉え違えてしまったらしい。いや確かに、それでも変わるっちゃ変わるが…その場合妃乃はここに戻ってくるんだから、あんま良い解決方法じゃないだろうが…!

 

「いやいいって、これ位自分で行く」

「私だってこれ位構わないわよ、別に忙しくないし」

「だからいいって」

「それはこっちの台詞よ」

「…………」

「…………」

「自分で行くからいいっての!」

「偶には人の厚意に甘えなさいって!」

 

 俺は自分で行く事での解決を考えている。妃乃も自分が行く事での解決を図るものだと思っている。そのせいで恐らく狙いは同じなのに、張り合う形になってしまう俺と妃乃。後から思えば、「いや張り合う位ならもっと直接的に、『筋トレをまじまじと見られるのは恥ずいから出てくれ…』って言えばいいじゃん」…とか色々出てくるし、実際その通りではあるんだが、その瞬間は中々そういう思考が出てこないのが人というもの。

 そしてまた困った事に、俺も妃乃も割と維持を張るタイプ。引きゃあいいのに自分の意見を通そうとするもんだから、どんどんヒートアップしてしまい、気付けば何が何でも自分が行ってやろうという精神に。

 

 

「あーもういいわよ!私が行くから貴方はここで……」

「だからいいんだって!てかそもそも厚意は押し付けるもんじゃ……」

 

 張り合いの末、俺達が選んだのは実力行使。要は、さっさと行っちまえって話。だが、どういう訳かそのタイミングは完全にバッテイングしてしまい……

 

「んな……っ!?」

「きゃっ……!」

 

 元々半ば密着していた状態からほぼ同時に立とうとした結果、互いにバランスを崩してしまう俺と妃乃。もつれ合うようにしてその場で転び、何とも言えない衝撃が走る。

 

「うぅ……ん…?」

 

 幾ら何でも情けない…というかしょぼいコケ方に、まず抱いたのは何だかなぁ…という思い。だがそのすぐ後に、気付く。俺の身体に走った衝撃が、鈍いものでも響くものでもない事に。それよりも何というか、もっと柔らかい物の上に倒れたような衝撃であった事に。

 言うまでもなく、俺の部屋は床にクッションを敷き詰めている…なんて事はない。敷いていたマットも、転んだ衝撃の大半を吸収出来るようなものじゃない。…という事は、つまり……

 

「ぁ…うぁ、ぁっ……」

「……え、っと…」

 

 

 

 

「……普通どころか、大変良い身体付きをしてますね…?」

「……──ッ!?な、なな…何してくれてんのよ馬鹿ぁあぁああああああああッ!!」

「ぐほぉおおぉぉぉぉッ!!」

 

 下から炸裂する妃乃のストレート。真っ直ぐに伸びた妃乃の拳は俺の顎を直撃し、砂浜の時のように一撃で俺はノックダウン。そしてこの日、俺と妃乃は用事の話はちゃんと聞く事、それが済んだら変に留まったりしない事、変なところで妙な意地を張らない事……その三つを、結構な代償と引き換えに学ぶのだった。



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第百三十五話 戦慄の再会

 会議に出席してほしい、という話を聞いてから実際の会議までは、割と短い期間しかなかった。これを俺はまず、「綾袮さん…もっと前から言われてたのに、俺に伝えるの忘れてたな…?」と思ったけど、どうやら千㟢も同じ日に聞いたとの事。けれど各国から人が来るような会議なら、数ヶ月位前から言われててもおかしくないだろうと思い、改めて訊いてみたところ、俺達の出席自体が後々になって決まったんだとか。なら仕方ないかぁ…と俺は納得し……現在俺と千㟢は、双統殿で待機している。

 

「なぁ、あの時の事を詳しく話してくれ…って言われたら、どういう風に話せばいいと思う?」

「知らん」

「えぇー…。一蹴って……」

 

 控え室として割り当てられた部屋での待機中、俺と千㟢がしているのは専ら雑談。この部屋には、他にも参加する人達がいるんだけど…ぱっと見知り合いは、千㟢以外じゃ一人もいない。

 

「知らないものは知らないんだから仕方ねぇだろ。てか、社交性に関しては御道の方が上だろうに」

「霊装者との付き合いは千㟢の方がずっと多いじゃん」

「今と昔じゃ色々違うっての…てか、それにしたって俺も限られた範囲での交流しかなかったんだからな」

「昔からコミュ力に難があったから?」

「うっせ。んな事言うなら意地でも答えてやらん」

 

 答えてやらんも何も知らないんじゃ…?…とも思ったけど、追求してもあまり面白くなさそうだから止めておく俺。学校の集会とかなら、言う事の確認をギリギリまでしてる事が多い俺だけど……今回はそれが決まってる訳じゃない(何も訊かれなければただ居るだけでいいし、訊かれたらそれに合わせて答えるって話)以上、確認のしようもない。…むむぅ…その時綾袮さんか妃乃さんが一緒にいてくれればいいんだけど……。

 

「ん?」

「…誰かからメッセージ?」

「緋奈だ。買い物を頼んでおいたからな」

 

 ぶっちゃけ俺は緊張しきり。けど千㟢はいつも通り。本当に緊張してないのか、態度に出してないだけなのかは分からないけど…少なくとも、表に出てしまう程の緊張はしていない事は間違いない。

 

「ふぅん…。……何頼んだの?」

「なんだっていいだろ…つかそれ、本当に気になってんのか?」

「いや正直そんなに気にはならないけど……黙ってると緊張で辛いんだよ…」

「あ、そ。…今日の夕飯の食材だよ。先に作り始めてたりしてなきゃいいんだが…」

「…って事は、今日は一緒に作る訳?」

「そういうこった」

 

 我ながら情けないメンタルだと思うかど、仕方ない。そして呆れ顔をしつつも会話を続けてくれる千㟢は、何だかんだ言っても良い奴だと思う。…一緒に、かぁ……。

 

「…いいよね、千㟢は。普通に手伝ってくれたり料理の分担が出来たりする人がいて」

「そっちはいな……いのか。少なくとも、綾袮はしそうにないな…」

「察しの通りだよ…まあそれでも、フォリンさんが手伝ってくれるだけありがたいんだけど…」

 

 言っててどうにも悲しい気持ちになってくる俺。綾袮さんとラフィーネさんは言わずもがな、フォリンさんにしたって普通の料理はまだまだ初心者のレベルだから(いや俺も上手くはないが)、千㟢家との差は結構なものだと俺は思う。……まぁそれでも少し前に綾袮さんは俺におにぎり作ってくれたり、ラフィーネさんも偶に気が向くと手伝ってくれたりもするから、もしかしたら…ほんとにもしかしたら、その内二人も積極的に手伝ってくれるようになるのかもしれないけど。

 

「まぁ、それに関しては頑張れや。家事なんて、慣れれば手伝いがなくとも何とも思わないようになるもんだぞ」

「…そんなもん?」

「そんなもんだ。勿論、手伝いがあった方が楽な事は事実だがな」

 

 どちらかと言えば…いや、普通に怠惰な千㟢がそういうなら、本当にそうなんだろう。慣れた日課は面倒だとは思わなくなるのと同じように、やるのが普通になるとか、そういう事なんだろうな。

 と、俺が納得したところで開かれる扉。現れたのは今回の会議におけるスタッフの一人で、案内に沿って俺達は会議が行われる大部屋へと移動。

 

「……っ…!」

 

 その部屋へと入った瞬間、肌で感じる濃密な緊張感。各組織の中核人物や重鎮達の醸す雰囲気が緊張感となって、部屋の中を満たしている。これには千㟢も緊張を隠せないようで、俺は勿論千㟢も表情が硬くなり……その緊張感に慣れる間もなく、会は開始するのだった。

 

 

 

 

……なーんて思っていたのが、随分と前の事のように感じる。実際には半日どころか数時間の話なのに、一日以上経ったかのような感じがある。…ただまぁ…結論から言おう。その会議の間、俺達は何にも、一言も話しかけられる事はなかった。視線こそまあまあ受けたものの、ほんとに俺と千㟢はただその場に出席しているだけだった。

 

(うーむ…ありがたい事には間違いないけど、拍子抜け感凄いなぁ……)

 

 今日の会議が全て終わった事で、次々と出席者が部屋から出ていく。…最初からこうなるって分かってたら、緊張も幾分かは緩んでいたと思うのに……。

 

「はぁ、やっと終わった…座ってるだけで疲れるとか、マジ勘弁……」

「雰囲気的にあまり身体動かせないのもキツかったね…この感覚は卒業式以来かも…」

「あー、あれも雰囲気でキツいわな…さて、そろそろ出るか…」

 

 出入り口の混雑が減ってきたところで、立ち上がる千㟢。もうほんと疲れたけど、これにてお役目は終了。後は返ってゆっくりするだけと思えば、気持ちも大分楽になる。

 そう考えながら続く形で俺も立ち、出口の方へと身体を向ける。……と、その時だった。

 

「──やぁ、暫く振りだね」

「え……?」

 

 不意に背後からかけられる声。どこかで聞いたような覚えのある、男性の声。それに反応し、誰だったかな…なんて思いながら俺は振り向いて……愕然とした。だって、それは……忘れもしないBORGの代表、ウェイン・アスラリウスさんだったのだから。

 

「な……ッ!?」

「ん……?」

 

 目を見開く俺に対し、隣の千㟢は誰なのか分かっていない様子。けどそれはまぁ仕方のない事。俺だって、あの時会ってなきゃ今も恐らく知っていない。

 

「君は…千㟢悠耶、だったかな?彼…御道顕人クンと共に、魔王を討ち払った一人だね?」

「えぇ、まぁ……」

「ふふ、この若さで魔王と相対し、撃退するとは大したものだよ。戦士としての才に欠ける僕としては、羨ましい限りだ」

 

 視線を俺から千㟢に移し、小さな笑みを浮かべるウェインさん。

 無論、彼は一人じゃない。肩書き通りの秘書として、同時に主君に付き従う騎士の様に隣に立っているのは、ゼリア・レイアードさん。…俺が知る中で、最強の霊装者。

 

「…………」

「そう怖い顔をしないでくれないかな。何も…っとそうだ。そういえば、自己紹介をしていなかったね。僕はウェイン・アスラリウス。宜しく、御道顕人クン」

「…御道顕人です。こちらこそ、宜しくお願いします」

 

 差し出された手を、自己紹介し返した後にゆっくりと握る。なんて事ない、普通の握手。…けれど俺は、身体が硬くなって仕方がない。さっきまでと同じ位…或いはそれ以上に、緊張している。

 

(普通の人…みたいだけど、そんな訳ない。この人は、イギリスの霊装者組織の長で、ゼリアさんを従えているような人なんだ。それが普通の人であるもんか……)

 

 数秒の握手の後、ウェインさんは千㟢とも握手。千㟢は初対面で、且つあの一連の出来事に関わっていないんだから、俺とは印象が全然違う筈。そう思ってちらりと横を見た俺だけど、千㟢が浮かべていたのは警戒の表情。…千㟢も、何か感じ取っているらしい。

 

「…ふむ、彼等からの印象は悪そうだ。ゼリア、僕は何か間違っていたかな?」

「いえ、問題はそれ以外にあるかと」

「うーん…それならまぁ、今後印象が変わる事に期待をするしかないね」

「…あの、ウェインさん…で、宜しいでしょうか…?」

「あぁ、構わないよ。呼び方は好きにしてくれればいい」

「では、ウェインさん…自分に、何かご用件が…?」

 

 飄々として掴み所がない…どころか、いっそ得体が知れないとすら感じさせるウェインさんに向けて、俺は訊く。一体何の為に、声をかけてきたのかと。すると、ウェインさんは一見穏やかそうな笑みを浮かべたまま言う。

 

「いや、折角だから少し声をかけてみようと思っただけだよ。前の時はこれといって話す事もなかったからね」

「そう、ですか…」

「それに、訊きたい事もあったからね。……二人は、元気かい?」

「……っ!」

 

 その問いをウェインさんが発した瞬間、俺の中で緊張感が加速する。

 もしかしたら、と思っていた問い。触れられるのではないかと思っていた事。ウェインさんの言う、二人とは……ラフィーネさんとフォリンさんの事以外あり得ない。

 

(…元気か、って…何のつもりで、そんな事を……)

 

 動揺と混乱が混じり合う。二人に対して何か思うところがあるのか、離反した二人とその協力をした俺への皮肉として言っているのか、それとも…二人を連れ戻す事を考えているのか。

 分からない。何を考えているのか、まるで伝わってこない。だってウェインさんは、世間話をするかのような表情と声音で言っているんだから。

 

「……えぇ、元気…ですよ。毎日、穏やかに生活してます…」

「ほぅ、穏やかに…ね。それは少々驚きだけど…まあ何にせよ、元気ならそれに越した事はないよ」

 

 精神を揺さぶられたまま、何とか口にしたのは正直な返答。別に話しちゃ不味いような事ではないとはいえ…それ以外は、思い浮かばなかった。

 その答えに対し、ウェインさんは表情を変えずに一つ頷いた。…それはさも、本当にただ知り合いの事を軽く訊いてみただけだ、と言わんばかりにあっさりと。

 

「それに、君もあの後はこれといって問題もなく…と言った感じだね。うん、安心したよ」

「…安、心……?」

「そう、安心さ。あの場で、あの状況で、あんな事を言ってのけた少年がどうなったかは、実のところ気になっていたからね」

 

 そこから話は俺の事へ。継続して何が言いたいのか分からず困惑する俺へ向けて、どこか愉快そうな表情をしながら彼は続ける。

 

「魔王の件もそうだけど、君は全く大したものだよ。彼女を前に立ち上がり、退かず、それどころか啖呵を切って見せたんだ。歴然にも程がある戦力差を前にしても尚、夢を語ってゼリアに評価を変えさせるなんて……まるで、ヒーローじゃないか」

「……──ッ!!」

 

 あの時の事を、知っていたのか。通信機で聞いていたのか、録音をしていたのか。続く言葉を聞きながら、その途中まで俺はそんな事を考えていて……最後の一言が聞こえた瞬間、その言葉が届いた瞬間、俺は全身の鳥肌が立った。その言葉はまるで……俺の心を、根底にある思いを見透かしたようなものだったから。

 

「…御道……?」

「……っ、ぁ…や…何でも、ない…」

「おや、気分が優れないのかい?なら医療スタッフを……」

「ウェイン様ー、顕人君と何のお話してるんですか〜?」

 

 今日一番の動揺は、余程表情に出てしまっていたのか、千㟢が心配と若干の怪訝さが混じった声で呼んでくる。それを何とか誤魔化そうとしたけど、表情どころか声も完全に動揺したまま。そして、ウェインさんの次なる言葉は……あどけた声によって、その途中で阻まれる。

 

「これはこれは…。雑談ですよ、お嬢様方」

「雑談、ですか。では、私達も参加させて頂いても宜しいですか?」

「勿論。…と、言いたいところですが……丁度私はそろそろ失礼しようかと思っていたところなのです。申し訳ありません」

「いえ、まだまだ若輩者の私達よりウェイン様の方が多忙である事は当然ですし、むしろ私達こそその事を考えるべきでした。こちらこそ申し訳ありません」

 

 その声の主は、にこりと笑みを浮かべた綾袮さん。声に反応してウェインさんが振り向くと、同じく微笑みを浮かべた妃乃さんが自然に話の流れを逸らす。

 それに対して、ウェインさんの返しは意外なもの。当然、俺はそれを二人に参加される事を避ける為の方便かと思ったけど…やっぱりそれも、どちらなのかは分からない。

 

「はは、各組織の長からすれば、私も若輩側の一人ですよ。…では、私達はこれで。お二人共、機会があればその時はまた」

「はい。ウェイン様のお話、楽しみにしています」

「ゼリアさんも…またね?」

「…えぇ」

 

 三人共余裕に満ちた表情のまま、表面だけ見れば小さな波一つ立っていないやり取りは終了。ウェインさんが歩き出すと、綾袮さんは含みのある流し目をゼリアさんへと送り、ゼリアさんもまた淡白な……けれど『何か』を感じさせる声音で返答。そうして、俺の隣を通り過ぎようとした時……

 

「…そうだ、御道顕人クン。二人に伝えておいてくれないかな?…個人として暮らすのなら好きにすれば良い、だがその生活が大切ならば…余計な真似はしない事だ、とね」

「……っ…!それって……」

「頼んだよ?…それじゃあ、御道顕人クン、千㟢悠耶クン。話に付き合ってくれた事、感謝するよ」

 

 俺だけに聞こえる声で『伝言』を言い、それから今度は普通の声で俺たちに二人に言葉をかけて、ウェインさんは歩いていった。その傍らにゼリアさんを従えて、最後までその余裕を崩さずに。

 

「……く、ぅ…っ!」

「……!顕人君、大丈夫…?」

「あ、あぁ…うん…。疲れただけだから、大丈夫……」

 

 部屋を出て、姿が見えなくなった次の瞬間、俺は倒れ込むようにどかりと椅子へ座り込む。

 ただ話していただけなのに、激しい運動をした後かのような疲労感が俺の身体を襲っている。この疲労は多分、緊張感ある中で座り続けていたさっきまでのもの以上。

 

「…恐ろしい位、底が微塵も見えない奴だったな……」

「…えぇ、彼が底知れないって事には同感よ。…何を話してたの?」

「会話に関しちゃ、ほんとに雑談だ。少なくとも、取り立てて話すような事はない…と、思う」

 

 少し考え込んだ後、妃乃さんの問いに千㟢は答える。確かにそうだ。交わした会話自体は、特筆するような事なんて一つもない。

 

「ふぅ、ん……」

「…信じられないってか?」

「別にそういう事じゃないわ。…信じられないっていうか、迷ってはいるけど…」

「…迷ってる?」

「BOGRの長がわざわざこんな場所で雑談なんてするか、って気もするし、でも彼ならしてもおかしくないような気もする、って事。…さっきも言ったでしょ?私にとっても、彼は底知れないって」

 

 流石は妃乃さん、と言うべきか、俺や千㟢と違って彼女は殆どいつも通り(綾袮さんもだけど)。育ってきた環境も、経験してきた事柄もまるで違うんだから、そんなの当たり前の事ではあるんだけど……やっぱりちょっと、悔しい。実力とか能力面の差ならそれで納得出来るけれど、精神面はどうしてもこの差を悔しいと思ってしまう俺がいる。

 

(…駄目だなぁ…あの島での事といい、会議に乗り込んだ時の事といい、土壇場にならなきゃ根性出てこないってのは……)

「……君、顕人君ってば〜」

「…うぇ?…あ、ごめん…何……?」

 

 いざという時の底力…と言えば聞こえはいいけど、実際のところは平時には腰が抜けてるだけっていうか、いざという時『だけ』の奴より、常にって奴の方が格好良いと俺は思う。思ってるし、出来ればそういう奴になりたい。…なんて思っていたら、何やら綾袮さんが俺の名前を連呼していた。…今は腰じゃなくて、気が抜けていたらしい。

 

「もう、わたしを無視なんて酷いなぁ…。…顕人君、最後何か言われてた?」

「それは……うん。ラフィーネさんとフォリンさんに、余計な真似をするなと伝えてくれ…って」

「…そっか。まぁ、それは言うよね…」

 

 俺が言われたのは、忠告というか脅し。具体的に『余計な真似』をしたらどうなるかは言われてないけど…それは想像するまでもない。

 

「…けど、それならまだ良かったかな。二人もそこら辺分かってるみたいだしさ」

「ま、あの二人は微妙なバランスの上で今が成り立ってるようなものだものね。それを壊すような事はまずしないでしょ」

 

 そんな脅しではあるけれども、綾袮さんや妃乃さんの言葉を聞いていると安心出来る。あぁ、大丈夫なんだな…と思わせてくれる。

 

「…俺は全容を把握してねぇから何とも言えないが、要は問題ないんだな?」

「そういう事。多分これに関しては、自分達の意思を示して念を押す…って意図のものだったんだと思うわ」

 

 そうしてウェインさんとのやり取りに対する話も尽き、結論としては「ともかく何もなくて良かった」という感じに。それから気付けば、もう部屋の中には殆ど人が残っていない。

 

「さて、と。顕人君、何はともあれお疲れ様。もう帰っても大丈夫だよ」

「あ、うん。綾袮さんはまだやる事があるんだっけ?」

「そうなんだよね〜…はぁ、わたしも会議続きで疲れてるのに、酷いもんだよね…」

「はは…今日はハンバーグだから頑張って」

「あ、そうなの!?やたっ、じゃあ頑張るっ!」

 

 げんなり顔の綾袮さんは、ハンバーグと聞いた途端に目を輝かせる。その小学生みたいな反応に思わず俺は笑ってしまうも、ある意味こういう反応をしてこその綾袮さん。それに俺の作るご飯で喜んでくれるというのも…素直に嬉しい。

 

「ハンバーグ、ね…こねる時は肉にしても手にしても、出来るだけ冷えてる方がいいぞ」

「へぇ、そうなの?」

「よく覚えてないが、何とかって成分的にな。んじゃ、俺等も帰って料理とするか」

「そうね。…あ、でもちょっと待ってて。何人かに挨拶してこなくちゃいけないから」

「え…!?妃乃は帰るの!?」

「えぇ、そうよ?」

 

 千㟢から貰ったアドバイスを頭の中に留めていると、今度は驚愕の表情を浮かべる綾袮さん。…いやほんと、さっきまで余裕を見せていた人とは思えない程表情がころころ変わるなぁ…。

 

「そうよ、って…まさかサボり!?真面目でお堅い妃乃が、遂にグレちゃったの!?」

「なんでそうなるのよ…今日はこれで帰れるように調整しておいたの」

「じゃ、じゃあわたしは!?わたしの予定は調整してないの!?」

「してある訳ないでしょ…」

「がーん……そんな、わたし一人で残業なんて…」

 

 幼馴染みの妃乃さんが帰ってしまうと分かり、完全に綾袮さんはしょぼくれモード。それはもう可哀想な位落ち込む綾袮さんだけど、別に綾袮さんは理不尽な目に遭ってる訳じゃないし、そもそも俺にどうにか出来る話でもない。そう、俺に出来るのは…少しでも喜んでくれるよう、美味しいハンバーグを作る事。

 

「ほら、こんな事で気落ちしないの。ハンバーグの為に頑張るんでしょ?」

「そうだけど…うぅ……」

「ほら、元気出して綾袮さん。だったら今日は、上にチーズも載せてあげるから」

「…なら、頑張る……」

「…なぁ御道、突っ込んじゃ駄目か…?」

「うん、気持ちは分かるけど突っ込まないであげて…やる気を出したところだから……」

 

 そうして何とか持ち直して(?)くれた綾袮さんと別れ、俺達は帰路に着く。…と言っても俺と二人とは当然帰る場所が違うんだから、途中で俺は一人になる。

 

(…まさか、ウェインさんの側から話しかけてくるとはね……)

 

 BORGの代表。ラフィーネさんとフォリンさんの人生を歪めた人。得体の知れない、理解の届かない人物。話の内容は、別段今後の生活に何か変化がある訳じゃないけれど……それでも、重い。上手く言葉には出来ないけど、内容以上のものを感じている。

 

「…ただの気紛れ、なのかな……」

 

 そんな人物が、何故俺達に声をかけてきたのか。二人への伝言は、理由の一つではあるだろうけど…それだけが理由とは思えない。

 本当にただ、意外な事をした相手と少し話してみたかっただけなのか、それとも別の意図があるのか。別の意図があるとしたら…それは、何なのか。

 

「……っ…あー、駄目だ…全く分からん…」

 

 暫く考えてみるも、これなんじゃないか…という事はまるで出てこない。もうさっぱり分からない。そして、何かが出てくる前に俺は家の前まで着いてしまい……ここまで分からないんじゃ考えても仕方ないよな、と一先ず保留とする事にした。…何せ俺には、これからやらなきゃいけない事があるからね。

 そうして家に着いた俺は、今日の疲労にふぅ…と一息吐きつつ、玄関の扉を開けるのだった。

 

「……あっ、どうせならスーパー寄ってチーズ買ってくればよかった…はぁ、二度手間じゃん…」



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第百三十六話 思い出の料理

 料理は愛情だと言う。最高の隠し味は、愛だって言う。…それは何も間違っていない。気持ちの効果云々とかじゃなく、料理に愛を込めるような相手なら、美味しいと思ってほしいと思うのが当然だし、そうなれば自然と一つ一つの行程への集中力が増したり、美味しくなるような工夫が増えたりして、料理としての『質』が上がるんだから。

 だが、それはあくまで元から普通に料理を…手慣れていようと、レシピを見ながらであろうと、とにかく最低限の質を確保した料理を作れる奴ならって話。土台ってかベースとなる部分がなくちゃどんなに愛があっても美味い料理にはまずならないし、愛だけで乗り越えようなんざ以ての外。つまり、何が言いたいかっつーと……

 

「緋奈、愛は最後の一押しなんだ。まずはそれを覚えておいてくれ」

「あ、うん…」

 

 俺は今から、緋奈の無自覚料理下手を克服させようってこった。

 

「…こほん。で、今日の夕飯だが…どうして生姜焼きにしようと思ったんだ?」

「え?だって、お兄ちゃん豚肉の生姜焼き好きでしょ?」

「そりゃ、好きだが……」

「だよね。…折角お兄ちゃんと作るんだもん、ならお兄ちゃんの好きな食べ物にしようかなって」

「緋奈……」

 

 そう言って緋奈は、ちょっと照れた笑みを俺に見せてくれる。…くぅ、緋奈…愛は最後の一押しだって、今言ったばかりだってのに…もう目一杯どころか溢れ出すレベルで込めてくれるじゃねぇか…!

 

「…お兄ちゃん、キッチンでこんな幸せな気持ちなったの、きっと初めてだよ……」

「もう、お兄ちゃんってば大袈裟なんだから…」

 

 なんかもう、早速涙とか出てきそうな心境の俺。そこから俺は心のままに緋奈を抱き締めようとして……

 

「……いや、早々に何を始めてるのよ貴方は…」

 

……邪魔が入った。兄妹水入らずの空間に、心ない横槍を入れられてしまった。…ちっ……。

 

「ちょっ!何よ邪魔って!何舌打ちしてくれてんのよ!私は悠耶が言うからわざわざやる事の調整してまで時間を空けたんだけど!?」

「あーすまんすまん。つい本音が出ちまったんだ」

「へぇ…本音、ねぇ……」

「おう本音…ってうぉぉっ!?それ肉を叩くやつじゃねぇか!わぁぁすまん!今のは冗談だ!謝る!だからその物騒な物は降ろせって!」

 

 冗談半分で妃乃を邪魔者扱いしてみたら、妃乃はおもむろに右手を持ち上げ……その手にあったのは、まさかのミートハンマー。怖っ!てか、いつの間にミートハンマー取り出したんだよ!それ即座に取れるような位置には置いてない物だぞ!?

 

「ふん、私は即刻戻ってもいいのよ?」

「ほんとすまん…さっきのは出来心だったんだ……」

 

 とにかく謝り倒す事で、取り敢えず俺のミンチ化は回避成功。…まさか地の文読まれるとは…。

 

「ったく…ほら、始めるわよ」

「お、おう…つっても折角の機会なんだ。ここは緋奈がメインを任せて、俺達は手伝う…って形にしようぜ?」

「わたしが…?」

「嫌か?」

「ううん。お兄ちゃんがそう言うなら頑張るよ」

 

 それから気を取り直した俺は、提案しつつ妃乃に目配せ。それを受け取った妃乃は頷き、緋奈も了承してくれる。

 そう、今夜の料理はただ作りゃいいって訳じゃない。むしろ、その料理を通して緋奈の料理技術の向上を図る事こそが、真の目的に他ならない。

 

「よっし、じゃあまずは…買い物からだな」

『食材買ってなかったの!?』

「…緋奈、妃乃、ナイス突っ込み」

「お、驚かさないでよお兄ちゃん…良かった、ちゃんと食材ある……」

 

 景気良く始めようと思ってボケを一つ放ってみると、二人の突っ込みは完全にシンクロ。…いやぁ、この調子なら上手くいくような気がしてきたぞ。

 

「えっと、じゃあまずは……」

 

 冷蔵庫から食材を取り出した緋奈は、手を洗って調理開始。今日の夕飯は生姜焼きに加え、付け合わせの野菜に味噌汁と白米という、まあ所謂生姜焼き定食っぽいラインナップ。白米は炊くだけだし、野菜も切るだけだから…気を付けるべきは、残りの二品。

 

(…つっても、生姜焼きも味噌汁もそこまで複雑な料理じゃないんだよな…レシピ通りに作れば、多少味付けをミスってもそこそこな味にはなるだろうし……)

 

 食材を洗い、包丁で切る緋奈を見ながら、俺は頭の中で二品のレシピを確認。どっちも…特に味噌汁はよく作るからレシピなんてもう長い間見てない気がするが、多分俺の作り方は一般的なものから然程離れてはいないと思う。

 料理が下手な奴はレシピを軽んじてる場合も結構あるが、レシピってのは即ち、料理の設計図。それも現代で知れ渡ってるレシピは多くの人の経験や試行錯誤によって洗練されてきたものなんだから、ぶっちゃけ美味しく作りたいならレシピ通りにやるのが一番。より個人個人の好みに合わせるだとか、好きな食材を組み込みたいとかならアレンジをする意味もあるが、そうじゃないならそのままやった方が懐にも優しいと俺は思う。そして、緋奈はレシピを蔑ろにして、オリジナリティという名の軽率な判断をしてしまうような性格じゃないと思うんだが……なら何故美味しくならないのだろうか。

 

「…って、それを確かめる為のこれなんだよな……」

「…何か言った?」

「いや、何でもない。それと緋奈、切るサイズは大体で大丈夫だぞ?」

「え、でも大きさが違うと、火の通りも変わっちゃうよね?」

「だから、ある程度合ってれば…って事だ。手を抜けるところは抜いてもいいのが、家の料理だしな」

 

 見るからにサイズを統一しようとしてる緋奈に対して、さらっと助言。毎日細かいところまで気にして料理なんてやってらんない…ってのは、多くの主婦(又は主夫)が思ってるんじゃねぇかな。

 

「…ここまでは、普通…ね」

「あぁ。けど当たり前っちゃ当たり前だな。まだ食材切っただけなんだから」

 

 俺の助言を受け、少しだけ緋奈のペースの上がったところで、妃乃が小声で話しかけてくる。…そう、ここまでは普通なんだ。だがまだまだ始まったばかりだし、気を抜けるような段階でもない。

 

「ふぅ…次はタレだね。お兄ちゃん、みりん取ってくれる?」

「あいよ。妃乃、キリン撮ってきてくれるか?」

「そういうしょうもないギャグはいいから…はい緋奈ちゃん、ボール」

「ありがとうございます、妃乃さん」

 

 切る行程を済ませた緋奈は、続いて生姜焼きのタレ作りに。ついでに味噌汁の準備も進めている辺り、緋奈は出来る限り同時進行…という基本もしっかり分かっている様子。

 

(つか、生姜焼きが好きなんてよく覚えてたなぁ……)

 

 思い返せば、昔はこれが好きだのこれは嫌いだの色々言ってた気もするが、ここ最近で生姜焼きが好きだと言った覚えはない。という事は、両親が生きていた頃に言ったような事を緋奈は覚えていた訳で、これまた俺としてはじーんとくる。……まぁ、身も蓋もない事を言っちまうと、生姜焼き以外も唐揚げだとか角煮だとか、肉料理なら大概好きなんだがな…。

 

「……え、緋奈ちゃんまだ砂糖入れるの?」

「へ?…駄目ですか?」

 

 と思っていたところで、不意に妃乃がストップをかける。その理由は砂糖の量で、対する緋奈は怪訝な顔。…しまった、思い出振り返ってたせいで注意力散漫になってたか…。

 

「駄目っていうか…これ以上入れたら甘くなり過ぎない?緋奈ちゃんは甘みが強い方が好みなの?」

「いや、そういう訳じゃないですけど……お兄ちゃん、入れ過ぎかな…?」

「…まぁ、今ので十分だと思うぞ」

「そっか…うーん、なら入れ過ぎだったのかなぁ……」

 

 うっかりしていた俺ではあるが、確かに砂糖はもう十分入っている筈。そう考えて妃乃に賛同すると、緋奈は小首を傾げながらも砂糖の投入をそこで止めた。…が、顔付きを見るにイマイチ釈然とはしていないらしい。

 

「ここまで調子良かったのに、急に砂糖の過剰投入しかけたわね…レシピの分量読み間違えたのかしら……」

「そう…じゃないか?いや、今のだけじゃ断定は出来ないが……」

 

 ここで初めて、ミスも言えるミスをした緋奈。ここまでは順調だったが故に、俺も妃乃も少しばかり驚いた。……が、普段から料理をしてる訳じゃない以上、経験でミスに気付けないのは仕方ない事。だから妃乃の言う通り、単に何かを読み間違えたか間違って覚えたかのどちらかだろう。

…などと思っていた俺だが、緋奈の次なるミスはなんとその直後。

 

「…ん?待て待て緋奈、みりんもそれ以上入れなくていい。それ以上は変な甘さになっちまうぞ」

「え、あれ?みりんも?…うぅ、ん……」

 

 砂糖に続いて、みりんも危うく過剰投入。…まさか、レシピの分量の部分を一つずつズレた見方しちまったとかなのか…?

 

「…正直、さっきまで下手ってのは悠耶の勘違いで、緋奈ちゃんは普通に作れるんじゃないのかって思ってたけど…勘違いじゃ、ないみたいね……」

「おい…と、言いたいところだが…分かってくれたならまぁいい……」

 

 ミスなんて誰でもするものだし、一度や二度で判断するのは早計というもの。だが、立て続けに間違えたとなれば話が変わってくるし、まだ幾つも行程は残っている。…そう、まだまだ油断は出来ないのだ。料理とは、一つのミスで台無しになる事もあり得るのだから。

 

「〜〜♪…っと、お兄ちゃんちょっとだけお鍋見ててくれる?」

「うん?何かするのか?」

「レシピの確認だよ」

 

 タレを作り終え、味噌汁の方も具材を鍋に入れたところで、緋奈は一度レシピを確認。おたまで楽しそうに鍋をかき回す姿にはぐっとくるものがあったが、それを押し留めてちらりと俺はレシピ…の書かれた本を見る。

 

(…ぱっと見古いが…普通の料理本だな……)

 

 恐らくないだろうとは思っていたが、これにより緋奈の見たレシピが無茶苦茶だったという可能性は消滅。しかしその後、俺と交代した緋奈はやや早いと思えるタイミングで味噌を投入しようとした。これでミスは三回目。

 

「…味噌汁、いい匂いがしてきたわね」

「ですよね。…よし、それじゃあ次は……」

「焼き、だな。早過ぎたら生焼けになるし、遅いと固くなり過ぎるから時間には気を付けろよ?」

 

 そうして生姜焼きの方は、出来を大きく左右する事になる焼きの行程に。どこぞの肉焼きセットと違って実際の料理は時間がかかる分、一瞬どころか五秒十秒タイミングがずれても問題なく完成する(プロの場合は…知らん。俺プロじゃねぇし)んだから、そこまでピリピリする必要はないが…さっきの味噌の件もあるしと、違和感ないよう俺は忠告。

 

「…焼く時って、何かコツはある…?」

「コツは…特にはないな。強いて言えばタレは調理中に混ぜるって事だが、それは分かってるんだろ?」

「うん。後蜂蜜はタレとは別のタイミングで入れるんだよね?」

『え?』

「え?」

 

 くるりと振り返り訊いてくる緋奈。続けて緋奈は確認するように蜂蜜の事を言ってくるが……そこで一瞬会話は停止。…蜂蜜を、別のタイミングで入れる…?

 

「……違うの…?」

「い、や…コクを出す為に蜂蜜を入れるのも良いってのは知ってるけど…別のタイミング…?」

「だよな…緋奈、蜂蜜はタレに混ぜればそれで良いと思うんぞ…?」

「そ、そうなの…?」

 

 あまりにも普通に言うものだから、俺が間違っているのか…?…とも思ったが、妃乃も同意見で一安心。ここまでの事と違って、このミスは味に大きく影響を与えるようなものではないと思うが…何にせよ、やる前に訂正出来たのは良かったと思う。

 

「…え、っと…そろそろ、いい…の、かな…?」

「あー…そうだな、もういいと思うぞ。じゃ、妃乃皿」

「あぁはい、それじゃ野菜も盛り付けちゃうわね」

 

 謎の蜂蜜問答で一層雲行きは怪しくなったものの、その後はミスをする事なく生姜焼きが焼き上がる。……厳密に言うと、今の確認は二度目で、一度目は少し早いタイミングで聞いてきたんだが…多分これはミスって程でもないだろう。そのタイミングでフライパンから出した場合、生姜焼きにしてはレア過ぎる…って出来になりそうなもんだが、多分食べちゃ不味いレベルの生焼けにはなってなかっただろうし。

 

「さ、こっからは時間との勝負だぞ緋奈。きちんと焼く時間は確保しなきゃ駄目だが、のんびりしてると最初の生姜焼きが冷めるからな」

「だ、だよね。…味噌汁の方は任せてもいい…?」

「任せろ」

 

 流石にうちのフライパンは三人分の生姜焼きを一度に焼ける程大きくない為、緋奈は同じ事をもう一度。二度目ともなると緋奈もスムーズで、テキパキ肉を焼いてくれる。

 そうして生姜焼きを全て焼き終え、味噌汁の方も汁椀によそい、炊き上がった白米も茶碗に入れ……遂に完成。淹れた茶と一緒にリビングへ運び、出来上がった夕食を食卓で囲む。

 

「はふぅ、出来た……」

「だな。お疲れ様、緋奈」

「うん。それじゃあ二人共、召し上がれ」

 

 安心したように吐息を漏らす緋奈の頭に軽く触れ、それから俺は両手を合わせる。

 

(見た目は、何ら問題ない…見てる限り、致命的なミスもなかった…だから、大丈夫だとは思うが……)

 

 夕飯を前に、思い出すのはこれまで緋奈が作った料理。食べられなくはないものの、どれも正直不味かった料理達。だが完成したのだからもう食べない訳にはいかないし、緋奈の悲しむ顔も見たくない。だから俺は大丈夫だ、大丈夫な筈だと自分に言い聞かせ、箸で生姜焼きを摘んで…一口。

 

「…………」

「……どう…?」

「…うん、美味い」

 

 噛み付き、咀嚼し、味わい、飲み込む。完全に喉を通り過ぎた後、俺は小さく頷いて言う。緋奈へ向けて、美味しい…と。

 それは世辞でも気遣いでもない、正直な感想。これまでとは違って……そして、今日見てきた行程からすれば当然のように、緋奈の生姜焼きは美味しかった。

 

「そうね。丁度良い具合に火が通ってるし、味付けもばっちりよ」

「そ、そうですか?…良かったぁ……」

 

 俺と妃乃から美味いと言われ、ほっとした表情を浮かべる緋奈。生姜焼きだけじゃない。味噌汁の方も、濃過ぎず薄過ぎずの丁度良い味になっていた。

 

「緋奈も食べたらどうだ?」

「あ、うん。……わっ、ほんとに美味しい…」

 

 胸を撫で下ろしていた緋奈も、そこで一口。するとすぐに目を丸くして、驚きそのままに呟いていた。

 その後、緋奈は何も言わないままもう一口、更に一口と食を進める。…多分、緋奈は感激してるんじゃないだろうか。俺は口にはしなかったが、緋奈自身は自分が俺程上手く料理を出来ないって自覚をしていたから。

 

「いやぁ、ご飯をふっくら炊けてるし、茶も温度が絶妙だなぁ…」

「いやそれは炊飯器とポットの功績でしょうが…」

「あはは、お兄ちゃんってほんとふざけるの好きだよね」

「ふっ…俺は二人にささやかな笑いを提供したいと思っただけさ」

「…そんな事する性格してないでしょ、貴方は……」

「うん…それはちょっと、お兄ちゃんらしからぬ発言だと思う…」

「えぇー……」

 

 それからは、これと言って特筆する必要もない雑談を交わしながら、三人で夕飯の時間を過ごす。調理中は何かと気の抜けない状態が続いたが、それももう過去の事。何より、無事美味しく完成して良かったと心の中で喜びながら、俺は会議から続く疲労を食事で癒すのだった。

 

 

 

 

 料理は殆ど緋奈がやったんだから、片付けは任せてくれればいい。そう俺は思っていたが、それを伝えると返ってきたのは「料理は片付けまで含めてのものでしょ?」…との言葉。…良い子に育ったよ、ほんと……。

 

「…一先ず、美味しく出来て良かったわね」

 

 言葉通りに食器を洗う緋奈をソファから眺めていると、反対側からソファの背に軽く腰をかけた妃乃がそんな事を言ってくる。

 そんな事、とは言っても、これは結構重要な事。そもそも俺達は、それが目的だったんだから。

 

「あぁ。でもそれはあくまで、俺や妃乃のフォローありきだ」

「えぇ、分かってるわよ。どうも緋奈ちゃん、ちょっとしたミスが多いみたいだし」

「そう、そこなんだよな……」

 

 同じようにキッチンの緋奈を眺めながら話す妃乃の言葉に、俺は頷く。

 妃乃の言う通り、緋奈はとんでもない調理法をしようとするとか、そもそも入れるべきじゃない物を投入するだとかの、致命的なミスは一つもしていなかった。だが、細かなミスはちらほらとしていた。

 恐らく、これまでもそうだったのだろう。一つ一つはそこまで料理全体の質に影響しないミスを、塵も積もればの要領で複数重ねてしまい、結果不味くなってしまっていたのではないだろうかと、俺は思う。

 

「緋奈は大雑把な性格じゃねぇし、レシピもちゃんと確認してた。だから余計に分からないんだよな…どうして緋奈は、あんなミスを何度も……」

「…………」

「今回だけなら緊張したからって事もあり得るだろうが、これまでの結果から考えて、細かいミスを重ねちまうのは前からだろうし…。……妃乃?」

 

 考えている事を胸の中に留めたら意味がない、と思考をそのまま口にする俺。だがそんな俺に反して、妃乃は何やら黙り込む。見たところ、妃乃も妃乃で何か考えているようではあるが……。

 

「…なんか、引っかかる事でもあるのか?」

「引っかかる…そうね、確かにちょっと引っかかってるものがあるわ。引っかかるというか、気になるというか……」

「…と、言うと?」

「こう…何かを真似てる、又は参考にしてる感じがあったのよ。具体的にどこが、どんな感じにっていうのは上手く言えないんだけど…全体を通して、ぼんやりそんな感じがして……」

「参考に…?」

 

 歯切れの悪い、妃乃の返答。その歯切れの悪さと、自信なさげな声音から、妃乃自身もはっきりと分かっている訳じゃないんだって事が伝わってくる。

 緋奈が何かを真似又は参考にしてるとは、一体どういう事なのか。いや勿論、意味自体は分かる。だが仮にそうだとして、緋奈は何をその対象にしているというのか。何故そんな事をしているのか。そして、それがミスに繋がるのかどうか……

 

(……っ…待て、真似だろうと参考だろうと、それって要は何かを再現しようと…何かと『同じ』料理をしようと、作ろうとしてるって事だよな…?…それって……)

 

 俺の中でも何かに、どこかに緋奈の行為が引っかかり、もう一度俺は考える。何を考えればいいのか、どこを考えればいいのか、それはよく分かっていない筈なのに、俺の思考は何かを思い出そうと回り続ける。

 忘れた事は覚えていて、けど何を忘れたかは分からないから、それを思い出そうとしているような、何とも言い難い感覚の中、考えて、思考して、思って、思い出して……突然闇の中へ光明が差すように、気付く。

 

「……お袋、か…?」

「え……?」

「…そうだ、お袋だ…緋奈が言ってた蜂蜜のタイミングは、昔俺と緋奈が眺めてる時お袋が楽しませようとやってくれたんだ…!」

 

 鮮明に思い出される記憶。呼び起こされる、在りし日の思い出。

 それはなんて事ない、ただのパフォーマンス。肉を焼いてる最中に、高い位置から蜂蜜を回し入れるという、料理的には無意味な行為。でも確かに、あの時お袋はタレの後に蜂蜜を入れていたんだ。…いや、違う…それだけじゃない。

 

「それに、確かお袋が作る生姜焼きは今日作ったのよりタレが甘かった。小さかった俺達の味覚により合う味にしてくれてたんだ。…そうか、だから緋奈も今の俺達からすりゃ『甘過ぎる』タレにしようとしたのか……」

「ちょ、ちょっと待って…!って事は、もしや…緋奈ちゃんが、参考にしてたのは……」

「あぁ、きっと…きっと緋奈が作ろうとしてたのは、お袋の味なんだ……」

 

 次々と、連鎖的に分かっていく。緋奈の作ろうとしていたものが。緋奈のミスが、一見だだのミスに見えていた事が、一体何だったのかが。これなら全て理解出来る、説明が付く。全部全部、もっと子供だった俺と緋奈に合わせた、お袋なりの料理を作ろうとしていたんだって。

 そうした結果、ミスに繋がったのだってそうだ。緋奈は確かにお袋の再現をしようとしているが、それはお袋の残した料理メモを見て…とかじゃない。あくまで料理する姿を見ていた時の思い出と、昔食べた時に感じた味や食感の記憶から、断片的な情報から再現しようとしているに過ぎない。言い換えればそれは中途半端な再現な訳で、料理本に書いてあった「普通のレシピ」へ、中途半端にしか分からない「お袋のレシピ」を、親和性も考えず断片的に組み込んだとしたら……料理全体のバランスのバランスが崩れ、不協和音を奏でてしまってもおかしくはないんだから。そしてそれが、無意識的にやっている事なら…最後の一つ、緋奈自身も納得がいっていなかった事にも合点がいく。

 

「……緋奈…」

「え?あ、ちょっ……悠耶…?」

 

 胸の中に込み上げる思いで、俺は立ち上がる。特に何かを考えている訳じゃない。ただ、その一心だけでキッチンへと向かい……俺は緋奈を、抱き締める。

 

「あ、お兄ちゃん手伝いも要らな…ひゃわぁっ!?お、お兄ちゃん!?」

「…すまん、緋奈…どうしても今は、こうしたかったんだ……」

「発情!?おおおお兄ちゃん!?お兄ちゃん大丈夫!?」

「大丈夫だ、だから…もう少しだけ緋奈を、緋奈の思いを感じさせてくれ……」

「……もう、お兄ちゃん…急にやられたら、びっくりするよ…」

 

 後ろから抱き締めた事で、危うく拭いていた皿を落としかけた緋奈。だがその数秒後、俺の思いが伝わったかのように緋奈はゆっくりと皿と布巾を降ろし、優しい声で回した俺の腕に触れる。

 昔食べた味を再現しようとするのは、お袋の味を作ろうとするのは、そんなに珍しい事でもないだろう。俺だって、それを目指して料理をする事が多々ある。

 けれどきっと、いや間違いなく、緋奈は意識せずにそれをやっているんだ。家族を大切にする緋奈の思いが、緋奈にそうさせていたんだ。…そう思うだけで、その思いを感じるだけで、俺は胸が一杯になった。色々な気持ちで一杯になったし……守りたいと、絶対に失いたくないと、無くすものかと、思い誓った。緋奈は、緋奈が家族との絆を守るのなら……その緋奈を守るのが、兄である俺の役目…いいや、千㟢悠耶のしたい事なんだから。

 

 

 

 

 おもむろに立ち上がった悠耶は、緋奈ちゃんの下に向かって、緋奈ちゃんを抱き締めた。緋奈ちゃんも驚いてはいたけど、すぐに悠耶を受け入れた。…それは一見すれば、仲睦まじい兄妹の姿。

 

「…………」

 

 実際、二人の仲が良いのは間違いない。姉妹も兄弟もいない私の考えは想像の域を出ないけれど、二人は『過ぎる』が付く程仲が良い。正直、人によっては付き合ってるんじゃないかと思っちゃう位に、二人は強い絆で結ばれている。……だけど、今日私は緋奈ちゃんの料理を見て、そこにあった「気になる事」の正体が分かって、抱き締める悠耶と受け入れる緋奈ちゃんを目にして……違和感が、生まれた。

 

(…緋奈ちゃん、貴女は…どうして、そこまで悠耶を……)

 

 悠耶が緋奈ちゃんを大切にしているのは分かる。緋奈ちゃんは本当に良い子だし、悠耶は望みがあってこの時代に生まれ変わった霊装者なんだから。…けれど、緋奈ちゃんの方はどうかと思うと……正直、腑に落ちないって私は感じている。

 別に、悠耶に魅力がないって言う訳じゃない。…恥ずかしいけど、誰に言うでもなく否定したくはあるんだけど……悠耶にだって魅力が、異性として良いと思える部分がある。状況が状況だったとはいえ、私を魔人から助けてくれた時は……本当に本当に、格好良かった。

 だけどそれは、普段悠耶が見せない部分。日常の中じゃ中々見えてこない悠耶の一面で、戦いの中じゃ頼れても、いつもの悠耶は頼れるような兄ではない…ように、私の目には映ってる。なのに緋奈ちゃんは、最初から悠耶と仲が良かった。悠耶のそんな一面なんて、殆ど見る機会がなかった筈なのに、それでも今と変わらず仲が良かった。勿論、緋奈ちゃんは生まれてからずっと悠耶と一緒にいる訳で、それなら非常時の悠耶を見る事だってあるだろうし、私が知らない部分に魅力を感じているのかもしれないけど……

 

「…仲の良い、家族思いで兄妹思いの兄と妹…本当にただ、それだけの事なの……?」

 

 余計なお世話かもしれない。考え過ぎかもしれない。或いは、まだまだ私は二人の事を理解し切れてないだけって事も十分あり得る。…けれど、それでも…それでも私は、気付けば抱いた違和感をぽつりと小さく呟いていた。



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第百三十七話 寒空の下で

 自分で言うのもアレだけど、俺はどちらかといえば優等生タイプだと思う。…いやほんとなに自分で言ってんだって話だけど、成績に関しては『良い方だけど上位と言える程じゃない』位のものだけど、生活態度や素行と呼ばれる類いの要素は、結構高評価をされているんじゃないかと考えている。……マジで自画自賛甚だしいな、これ…。

……こほん。とにかくそんな俺だけど、だからって休みの日にまで学校に来ようとは思わない。だってそこまで勉強熱心な訳じゃないし、そもそも休みの日は学校閉まってるし。…だが俺は今日…休みの日でありながら、学校にいる。

 

「お待たせ、はい」

「ありがと、顕人君」

 

 近くの自販機で買ってきたホットココアを、代金と交換で茅章に渡す。それを受け取った茅章は、両手で持ってその温かさに表情を緩める。

 学校にいると言っても、ここは学校に面した路上であって、厳密には校内じゃない。…そう、今は茅章とデート中。……と言うのは勿論嘘で、今はもっと真面目な目的の最中。

 

「なんかもう、温かい飲み物を選ぶのが普通の時期になっちゃつたね…。顕人君は何にしたの?」

「お汁粉」

「へぇ、お汁粉……え、お汁粉!?…わっ、ほんとだ…」

 

 訊かれた俺が自分の缶を見せると、茅章は二度見。…うむ、思った通りの反応だ。

 

「…お汁粉、好きなの?」

「いや、普段はあんま自販機利用しないし、折角の機会だから買ってみようと思っただけ」

「あぁ…大概スーパーとかの方が安いもんね」

 

 自販機において缶のお汁粉は、所謂色物枠の代表。勿論缶のお汁粉が好きだって人もいるだろうし、それを否定するつもりなんて毛頭ないけど、そもそもお汁粉はジュースや茶とは系統が違う(餅入ってるし)んだから、飲料の中に並んでいたら異彩を放つのは当然の事。…って、俺は何を語ってるんだ…。

 

「…ふー……あっつ…!」

「大丈夫?」

「あ、大丈夫大丈夫。しっかし分かってたとはいえ、ほんとあっついな……」

 

 勢い良く飲もうものなら舌も喉も火傷しそうなお汁粉を冷ましながら、少しずつ飲む俺。茅章も同じようにココアを冷ましつつ、俺達は寒気で冷たくなった身体を温めていく。

 さて、じゃあ俺達は何をしているのか。真面目な目的とは何なのか。…それは当然、霊装者絡みの事に他ならない。

 

「そういえば、結構かかってたみたいだけど…もしかして、結構遠くまで探しに行ってくれたの?」

「あーいや、自販機はすぐに近くにあるんだけど、ちょっと買う時に後輩と会っちゃってね。変に思われないよう、少しだけど雑談をしてたんだよ」

「それはタイミングの悪い偶然だったね…。…今、どの位進んだのかな?」

「さぁ…それに関しちゃさっぱり分からん……」

 

 現在校内では、許可を得た霊装者達があるものを探知しようとしている。で、俺達は他にも何ヶ所かに分かれている人達と共に、警戒中。この役目に俺が選ばれたのは、ここの学校の生徒なら近くにいてもおかしくないから…というもので、茅章は俺の友人(=やはりいてもおかしくない存在)だから。……何を探知しようとしてるか?そんなのは、前に俺達が探していた、魔人が見つけようとしていた『何か』に決まってる。

 

「顕人君は、何が探していたものの正体だと思う?」

「あー…その話は千㟢ともしたなぁ…結局答えは出なかったけど」

「そうなんだ。…普段から二人はよく一緒に行動してるんだね」

「…んまぁ、クラスも一緒だし、綾袮さん妃乃さん以外じゃ同じ学校の霊装者なんて千㟢しか知らないし、何だかんだでつるんでるのは事実だね」

 

 こくり、と一口飲んでから言葉を続けた茅章に対し、少し視線を逸らしながら言う。…そうだよ、で済めばいいものをわざわざ長ったるか言ったのは…分かるよね、と俺は言いたい。十代後半で、「○○君と仲良いんだね」と言われてそれを肯定する事の恥ずかしさを。

 

「…やっぱり、良いなぁ…そうやって普段から気兼ねなく付き合える男友達がいるっていうのは……」

「…茅章は、まだ学校じゃ遠慮を?」

「……うん。僕がちゃんと言えば良いだけなんだって事は分かってるんだけど、それでもやっぱり…いざ言おうとすると、勇気が出なくて……」

「…そっ、か」

「…ごめんね。顕人君も悠耶君も、いつも僕に良くしてくれてるのに……」

 

 それから茅章が発したのは、羨ましげな…けれどその裏に悲しそうな思いも感じられる声音の言葉。それに一瞬の逡巡の後、俺が訊き返すと…茅章は小さく頷いた。

 そして缶を両手で握ったまま、視線を落として俯く茅章。そんな茅章を見た俺は、一度頬を掻き……茅章の肩を軽く叩く。

 

「…別に、気を遣って良くしてる訳じゃないよ。確かに、あの時手伝うとは言ったけど…俺が茅章と接してるのはそれが楽しいからだし、千㟢だってきっとそうだ。俺達は友人として茅章と付き合ってるんだから、茅章だって負い目を感じる必要はないよ」

「顕人君……うん、そうだよね…顕人君ならそう言うよね…。…ごめんね、結局気を遣わせちゃって……」

「だから良いんだって…全く、茅章は気にし過ぎだぞ?」

「う、うん…それも、分かっては…いるん、だけど……」

 

 手伝うと言ったから、話を聞いてしまったから…とかではなく、ほんとに俺はただ友人として茅章と付き合っていただけ。だからそれに感謝されるのは何か違うし、負い目を感じる必要もない。

…と、言う事は伝わっていると思うけど、それでも茅章は謝ってくる。…まぁ、俺も時々ネガティヴな思考をしちゃう時はあるし、今に至るまでの経緯を考えれば茅章がそう考えてしまうのも理解は出来るけど……

 

「…あれだよ?あんまそういう気にしてる感出されると、逆に『なら何かしてもらおうか…』的な思考になっちゃうよ?」

「へ?…な、何か…って……?」

「そりゃあ、まぁ…ねぇ……?」

「えぇぇ…っ!?あ、顕人君何か企んでるの…!?顔が怖いよ…!?」

 

 わざとらしく悪い顔をして茅章を見やると、これまた分かり易く茅章は怯える。…いやぁ、ほんと茅章は期待通りの反応をしてくれるなぁ……じゃなかった、ごほん。

 気遣いのような言葉が逆に負い目を感じさせてしまうのなら、違う切り口でいけば良いだけ。俺も千㟢も茅章に早く変われなんて思ってないんだから、本質的なところから離れたって問題はない。…負い目だの何だのなんて気にせず、普通に友人として接する事が出来れば、楽しく話せればそれで十分なんだから。

 

「…とにかく、あんまり過度に気にしない事。OK?」

「は、はい…。……因みに、ほんとに何か企んでたり…?」

「え、聞きたい?」

「う……や、やっぱり言わないで…」

 

 そんな感じで茅章を弄りつつ悪い流れのリセットにも成功した俺は、心の中でふぅ…と息を吐きつつお汁粉を一口。少し冷めて飲むのに丁度良い温度となったお汁粉は美味しく……

 

(…あー、これは後々別の飲み物欲しくなるわ…餡子飲んでるようなものなんだから、当然っちゃ当然なんだけど……)

 

 ネタ感覚でお汁粉を買った事を少し後悔するのだった。…いや、ほんと美味くはあるんだけどね?身体もあったまるし。

 

 

 

 

 何を探しているのかは分からないけれど、わざわざ魔人(厳密には魔人に頼んだ存在)が探すようなものなんだから、『こちら側』にまつわるものだろう。そしてそうならば、霊力であったり魔物の力であったりの様な、霊装者が能力で探知出来るものである可能性が高いのではないだろうか。

 これが、この任務の根底となる思考。だから捜索には探知能力に長けた霊装者が当たっていて…中には各地の支部所属の人もいる。あくまで会議のついでという形らしいけど…こうして支部とも協力してる辺り、この件は本当に大きな事らしい。

 

「……なんて、他人事みたいに考えるのは良くないか…」

「…何が?」

「いや、独り言」

 

 開始してから数時間。今のところ問題はなく、捜索班からの連絡もなし。…と言っても、緊急事態じゃない限り捜索班から連絡が、警戒班の一員に過ぎない俺や茅章に直接入ってくる訳もないんだけど。

 

「…あのさ、顕人君」

「ん?」

「仕事中なんだから、そんな気の抜けた事を考えてるんじゃないって言われそうな事だけど……」

「うん」

「……暇、だよね…」

「…分かる、超分かる」

 

 呆れ気味の苦笑いをしながら言った茅章に、俺は強く首肯。確かに警戒っていう任務の途中なんだから、気の抜けた事を考えているのは良くないし、敵襲なんてないに越した事はないってのも分かってはいるけど……全くもって、暇過ぎる。茅章がいるからまだいいものの、もし一人で警戒だったら…ぶっちゃけ、眠くなっていたかもしれない。

 

「こういう時は…あれだな」

「しりとり?」

「いや、定番だけどそれじゃなくて……っと」

 

 物凄くシンプルな茅章の発言を否定した次の瞬間、支給されているインカムに通信が入ってくる。その内容は、俺達の近くにこちらへ接近する魔物がいるというもので、通信を受けた俺と茅章は頷き合う。

 

「茅章、準備は?」

「大丈夫、出来てるよ」

 

 人目がない事を確認した後、俺達二人は飛翔。伝えられた方向へと飛びつつ、俺は縮小しておいた武装を本来のサイズへ拡大する。

 それから数秒後、俺自身も接近してくる魔物を探知。その感覚に従って視線を向けると、その先にいたのは四枚羽の黒い魔物。…あ、どうしようちょっと格好良い…。

 

「…そういえば、共闘するのは初めてだっけ?」

「そう、だね。戦った事はあるけど…。…僕が、前に出た方がいい?」

「いや、俺が前に出るよ。こんな装備ではあるけど、俺は動き回って撃つ方が好きだから…ねッ!」

 

 突撃してきた猛禽類の様な魔物に対し、俺と茅章は散開。旋回してくる魔物に向けて俺は右手のライフルを放ち、茅章も周囲に霊力を帯びた糸を展開する。

 

「……っ…やっぱ速いな…ッ!」

 

 目で追いながら霊力の弾丸を連続で放つも、それ等は全て飛行する魔物の後方へ。偏差射撃もしてはいるけど、羽ばたく度に微妙に速度が変わるせいで当たらない。

 

「来るか…ッ!」

「任せてッ!」

 

 弧を描くように俺の射撃を避けていた魔物は、ぐっと回って一気に俺達がいる方へ。そこで茅章が糸を放ち、放たれた糸は組み合わさって網の如く広がっていく。

 青い光を灯す、網目状の薄い壁。けれどそれがただの糸ではないと分かっているのか、魔物は激突の直前に急上昇。流石に激突からの自爆…なんて楽な展開にはなってくれないらしい。

 

「機動力もある訳か…茅章、その糸での拘束って魔物にも出来る?」

「勿論」

「だったら、俺が誘い込む…!」

 

 念の為に訊いた質問へ、返ってきたのは予想していた通りの反応。それを受けた俺は反転し、魔物を追って上昇する。

 

(二丁ともライフルにしたのは正解だったかな…!)

 

 推進力も強化しているとはいえ、今の俺と装備じゃ一気に距離を詰めて集中砲火…なんて芸当は出来ない。けれど追いかけて高機動をする事は出来るし、今の装備には両手共に魔物を追い立てられるだけの火器がある。

 魔物は飛び回りながら隙を見て急旋回からの突撃をしてきて、俺は射撃で追い立てつつも攻められた時は引き付けてカウンター。今のところどっちもダメージは与えられていないけど……こっちにはまだまだ余裕がある。それに、茅章もいる。

 

「逃がすかよ…ッ!」

 

 各部の推進器から霊力を吹かし、トリガー引きっ放しで魔物を追う。

 湧いてくるのは、興奮の感情。意味不明な体格や気持ち悪い姿を持つ事もある魔物の中じゃ今回の奴は結構整った姿をしていて、俺が奴と行っているのは長所を活かした高機動戦。それが湧き上がる興奮の源泉で……だけど俺の頭は、冷静な思考も忘れていない。

 

(これも訓練の成果、かな。…もう少し、もう少しだ……!)

 

 心は燃えていながらも、頭ではしっかりとモンスターの次なる行動とその対応を考えている。考えられている。…そうだ、俺はまだまだベテランには程遠いけど…もう霊装者になりたての、初心者でもない…!

 逃がさず、けれど深追いもせず、付かず離れずの距離を維持し続けて、魔物の注意を俺だけに向けさせる。そしてそれが出来たと感じた段階で、俺は敢えてチャンスを逃した。

 

「来た……ッ!」

 

 その瞬間、しめたとばかりに魔物は急旋回。俺に向かって突っ込んできて、対する俺は右のライフルを腰に掛けつつ左のライフルで甘めに牽制。撃ち込んだ弾丸は全て外れ、魔物は更に加速してくる。

 ここまでは全て狙い通り。後一手で完璧になる。そう心の中で意気込んだ俺は、正面から魔物を見据え、その場で静止。そうして魔物が両脚を振り上げ、刃物の様な爪で俺を突き刺しに来た瞬間……腰から純霊力剣を振り抜き、爪ごと魔物を受け流す。

 

「茅章ッ!」

「うんッ!」

 

 背負い投げの如く受け流した先にいるのは、ここまでずっとスタンバイしていてくれた茅章。俺の言葉に茅章は答え、飛んでくる魔物に向けて糸を射出。即座に糸は網状に…さっきよりも数段目の細かい、より広範囲に広がる網となって、飛び込んできた魔物を捉え包む。

 

「いけるよ、顕人君ッ!」

「応よッ!これで…ッ!」

 

 完全に包まれた魔物は甲高い声を上げて暴れるも、糸の拘束は外れない。それどころか糸はもがく魔物の身体へと喰い込み、一度に全身へダメージを与える。

 その姿を視認しながら、俺は二門の砲を展開。一気に霊力を込めつつ射線上に茅章が入らない位置へと移動し、推進器の細かな操作で姿勢制御。そして、必殺の意思を込め…二条の光芒を、魔物に向けて撃ち込んだ。

 放った霊力ビームは、二条とも狙い違わず胴体を貫通。貫かれた魔物は痙攣し、小さく鳴いて……貫通部位を起点に、崩れるように消え始める。

 

「…ふぅ、顕人君お疲れ様」

「茅章こそお疲れ。…よし、完全に消えたな」

 

 完全に消滅したところで、俺は構えを解き、茅章も糸を引き戻す。続けて撃破を連絡すると、労いと共に学校前へ戻るようにと指示が飛ぶ。

 

「結構速い魔物だったね。複数体だったら辛かったかも…」

「確かにね。…そういえば、最後の砲撃で糸も何本か切っちゃったけど…大丈夫?」

「あ、うんそれは心配しないで。切れたのは全部霊力だけで編まれてる糸だから」

「へぇ、それなら良かっ……そうなの!?え、それ…凄くね!?」

 

 言われた通りに戻る中、茅章の返しに驚く俺。全部霊力だけでって…それ要は、純霊力の剣を何本も同時に伸ばして、しかもそれを自在に動かしてるって事だよね…!?…マジか……。

 

「ふふん、僕も操作だけは少し得意だからね。…って言っても、実際に細かく動かしてるのは実体のある一部だけで、他は全部追従させてるだけなんだよ?ほら」

 

 驚いた俺を見て茅章は珍しく自信ありげに胸を張り、それから頬を掻きつつ逆側の袖から一本の糸を引っ張り出す(袖から、ってのも格好良い)。

 その糸に茅章が霊力を流した事で糸は浮かび、更にその周囲に発現する数本の純霊力糸。そこから実体のある糸は細かな波を作りながら上昇し、純霊力糸も追随するけど……実体糸に比べると、純霊力糸の作る波はかなり緩やかなものだった。

 

「…ね?純霊力の糸は維持してるだけで操作はしてない…というか、霊力を流してる糸を追わせてるだけみたいなものだから、見た目より楽なんだよ?…まぁ、この説明もざっくりしたものなんだけど…」

「そうなのか…いや、でも凄いって。俺がやったら間違いなく即拡散するか、射撃みたいに飛んでくかのどっちかだろうし…」

「僕からすれば、顕人君の方がずっと凄いよ。僕が顕人君と同じ戦い方をしたら、絶対途中で霊力が持たなくなりそうだもん」

「いやいや、俺は元からそういう才能があっただけだし」

「いやいやいや、才能を活かすのも実力だって」

 

 お互いに相手のやっている事は凄いと思った結果、褒め合う形になってしまった俺と茅章。…気分?そりゃあ勿論、悪くないどころか普通に良いさ。相手は茅章だし。

 というか、そうか…具体的な原理は分からないけど、そんな親機と子機みたいな使い方も出来るのか…自分の為に、もう少し色んな知識を持った方が良いかな…。

 

「…こほん。ともかく降りようか」

「あ…それはそうだね」

 

 武器を仕舞い、着地し、持ち場に戻ってふぅと一息。戦闘中は内心テンションの上がっていた俺だけど、後で湧いてくるのは無事に済んで良かったという安心感。…って違う違う。接近してきた魔物の撃破は済んだけど、当初の任務はまだ終わってないんだった…。

 

「こっちは何か進展あったのかな?」

「どうだろう。ただまぁ、簡単には見つからないでしょ。楽に探知出来るようなものなら、綾袮さんや妃乃さんがこれまでに気付いてるだろうし。…ってか、結構時間が経ってんだから今の時点で簡単には見つかってないか…」

「…ゲームとかだと、伝説の武具だったら何かの封印だったりだよね」

「あ、やっぱそう思う?定番の展開はそんな感じで、後は異界へのゲート辺りだよなぁ……」

 

 とはいえ、何か起きない限りこっちは何もする事はない。勿論ただ突っ立ってるんじゃなく、『警戒』をしなきゃいけないんだけど…警戒して○○、じゃなくて警戒単品なんだから、手持ち無沙汰にもなるというもの。

 

(何かしらはある、ってか何かしらなきゃ魔人は来ないと思うけど…まさか、もう魔人に確保された後…なんて事はないよな……?)

 

 ちゃんと周りに視線を送りつつも、俺は考える。見つからない場合、まず考えられるのはどこか見落としている場所があるか、探し方が悪いかだけど……もう持ち去られた後、って事も考えられる。もう無いのならどれだけ探したって見つかる訳がないし、持ち去った証拠を見つけるのも難しい。だって、魔人が一体どんな証拠を残すのか、残せるのかって話だから。増してや目当ての『もの』が分からない以上、それを探すのも魔人の証拠を探すのも、結局虱潰しにやるしかない。つまり……やっぱりこれ、やってる事が途方もねぇ…。

 

「…なんか、また冷えてきちゃったね……」

「あー…さっき動いた分余計に冷えを感じるよね…また買ってこようか?」

「ううん、大丈夫。それにあんまり飲み過ぎると…ね」

 

 あぁそれもそうか、と心の中で俺は首肯。元々寒いのに、何杯も飲み物を口にしたらどうなるか。買いに行けた事からも分かる通り、まぁ催したら最悪行けばいいんだけど…出来れば催さずに済ませたいよねって話。

 ともかく、俺達は警戒を続ける。見つかるかどうかは分からないけど、少なくともやらないよりは何か見つかる可能性があるし、見つからなければその失敗から次の策を練る事だって出来るんだから、『発見』という成功に至らなくても無駄じゃない。……と、思う。

 

(…というか、こんな寒い中何時間も立ってるんだから、意味あるものだって考えなきゃやってらんないよね…)

 

 そうして警戒を続ける事数十分。疲れた脚を解そうと屈伸していた時、通信が入り……それからすぐに、校舎の中から捜索班が姿を見せた。それが意味する事は…一つ。

 

「…こうなると、次もまたどっかの捜索の警戒任務が来るかもなぁ……」

「はは…出来るだけ早く見つかってほしいね…」

 

 そう言って俺も茅章も苦笑い。そうして今日の任務は終わり……今日の夕飯は温かいものにしようと、俺は心の中で決めるのだった。

 

 

 

 

「皆お疲れ様〜。ごめんねー、本部の仕事に協力させちゃって」

 

 今回の仕事、校内の調査を『発見無し』という形で終わらせたわたし達は、ぞろぞろと校舎の外へ。わたしはその先頭を歩いて、皆に労いの言葉をかける。

 

「いえ。これも任務ですから」

「そ、それに綾袮様や妃乃様とご一緒出来て光栄でした!」

「ふふっ、ありがと。私達も普段交流のない貴方達と協力出来て良かったわ」

 

 ここには支部所属の人達もいて、妃乃の言う通りわたしも良かったと思ってる。…けど、成果は上がられなかったんだよねぇ…探知で発見出来るようなものじゃないって事は判明したけど、そんな事より魔人が探していた『何か』を見つけられる方がずっといいもん。

 とはいえ、探知は時間をかければ結果が変わるってものでもないし、終了って決めた以上は切り替えなきゃいけない。それが上に立つものだからね。

 

「……あれ?」

 

 なんて事を考えながら歩いていたら、何か気になる声が聞こえてきた。何だろうと思って振り返ると、それは支部所属で、身長がわたしと同じ位の女の子の声。

 

「どうかしたの?忘れ物?」

「い、いえ。…え、っと…あそこにいる方…あき…あき……」

「顕人君の事?」

「あ、はいそうです彼です。…うち、最後にもう一回って思って探知をかけてみたら、その探知に彼が引っかかったんですけど…何だか、会議の時よりやけに霊力が減ってるみたいで……」

「……?会議の時にも探知かけたの?」

「えっと…霊力量が凄いって聞いたので、どれ位あるのか気になって……」

 

 その子の目線の先にいたのは、警戒の為に立っていた顕人君と茅章君。霊力が減ってる、って……

 

「彼は警戒中に一度魔物の撃破をしたらしいし、その時の消費がまだ残ってるって事じゃないの?」

「あ、だよね。妃乃もそう思うよね?」

「そう、なんですか?…でも、一回の戦闘でそこまで減るのかな…」

「…そんなに減ってるの?」

「はい。複数回戦闘をした後みたいです…」

 

 イマイチ納得してない感じの女の子。特に慌てるような事もない今測り間違えるとは思えないし、かと言って何度も戦ったっていう報告もない。顕人君は霊力量に物を言わせた戦い方をするから、一度の戦闘で消費する霊力の量も自然と多くなるんだけど……複数回戦闘をした後みたいってなると、この子が顕人君の戦い方を知らないだけって訳でもないと思う。

 

(うーん…無意味に垂れ流してたって事もないだろうし…でもそうなると、どういう事なんだろう…。霊力なんて、消費しなきゃ勝手に減る訳……)

 

 霊力は血液とかスタミナみたいなものだから、普通に生活していれば自然と回復する。だから、妙に減ってる事自体はそんなに問題でもないんだけど……何故減ったかが分からないっていうのは、ちょっと引っかかる。…ほんとに、どういう事なんだろ…急に能力が衰える訳ないし、別の事に使ったってのもあり得ない。それに霊装者のエネルギー源って言っても、電気やガソリンみたいに盗まれる訳も……

 

「……ん、んん…?」

「…どうか、しました……?」

「あぁ…何か考えてるのよ、これは。…何考えてるのかは分からないけど……まだ支部の人達の前なんだから、あんまりぼけーっとした姿は見せるんじゃないわよ…?」

「うぇ?…あ、そ、そうだね…」

 

 なーんか気になってごちゃごちゃ考えていたら、いつの間にか顔を近付けていた妃乃に忠告をされちゃった。んもう、こっちは真面目に考えてるのに…と言いたいところだけど、宮空家の人間としてあんまり抜けてそうな姿は見せられないし、また後でかな…とわたしは首肯。けれどやっぱり気になっちゃったわたしは、もう一度ちらりと顕人君の方を見て……それから、この引っかかりを一旦保留にするのだった。



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百三十八話 日常の中で

 朝、早く起きて朝食と昼食&弁当を作る日々にも、もう随分と慣れた。ぶっちゃけ最初は面倒だったこれが、今は日課として普通にこなせている。…けど、最近はちょっと憂鬱だ。だって、朝起きると寒いんだもん。

 

「うー…冬の朝の空気が冷えてる感はちょっと好きだが、この中で細かい作業するのは辛い……」

 

 野菜を次々切りながら、ぶつぶつと泣き言を呟く俺。部屋のエアコンはもう点けてあるけれど、まだ部屋は温まっていない。

 

(今日は昨日の夕飯の残り物を使えるから楽だけど…こっから数ヶ月以上この寒さは続くんだもんなぁ…ほんと憂鬱だ……)

 

 寒いのはそういう時期なんだから仕方ない、と普段なら片付けられる俺だけど、まだ寝てたいなぁ…って気持ちもある中での寒さは別。ダブルアタックとなると、まだ一年目の俺は冬の早朝の寒さを流し切れない。

 

「…考えてみりゃ、夏の朝は涼しいから割と快適だったんだよな…夏と冬のどっちがいいって話はよくあるが、こと朝にかけては断然夏だわ……」

 

 ぶつくさ言いながら俺は切り終え、次の段階へ。…てか考えてみれば、母さんや各家庭でキッチンを預かってる人は、この辛さを毎年毎年味わってるんだよな…。

……と、感慨深い気持ちになっていた時、廊下から聞こえてきたのはぺたぺたという軽い音。誰かの足音かな?と思って顔を上げると、丁度そのタイミングで扉が開く。

 

「顕人君、おはよ〜」

「おはよう…って、綾袮さん?」

「え、そうだけど?誰か別の人に見える?」

「い、いやそうじゃなくて…珍しいね、早起きなんて」

 

 朝の挨拶と共に入ってきた綾袮さんに対し、俺は一度手を止め驚く。多分イメージ通りだとは思うけど…基本綾袮さんは起きるのが遅いし、起きても眠そうにしてる事が多い。そんな綾袮さんがラフィーネさんやフォリンさんより先に起きてきたら、そりゃあ勿論驚くってもの。

 

「いやー、今日はいつもより早く目が覚めちゃってさー。これだと今日の授業は寝ちゃうかな〜」

「先生にとっては何ともありがたくない早起きだね…まぁいいけど。授業中に寝て困るのは自分なんだから」

「そうかなー?またわたしの勉強見る羽目になるかもしれないよ?」

「しれないよ?じゃねぇ…後すっごい情けないからね、その返しは……」

 

 冗談の調子から考えても、綾袮さんの目覚めはばっちりと見て間違いない。…こりゃ、朝から体力使う羽目になりそうだ…。

 

「…で、今日は何作ってるの?」

「見れば分かると思うよ?」

「へぇ、どれどれ……」

 

 俺の返しを受けて、キッチンへと入ってくる綾袮さん。それから綾袮さんは材料や鍋の中を見つつ俺の後ろへと回り……

 

「てりゃっ!」

「うわ冷たぁっ!?」

 

 突如俺の首筋へと両手を当ててきた。それはもうばっちりと冷えた、冷たい両手を。

 

「おー、顕人君の首あったかーい」

「どこで暖取ってんの!?…てか、綾袮さん手冷たくない…?もしや冷え性…?」

「んーん、冷たいのは顔を洗ってきたからだよ?」

「あぁ…なんだ、綾袮さんは温水使ってるかと思ってたけど、違うんだね」

「だって温かくなるまで待つの嫌じゃん」

「あ、そう…」

 

 しょうもない悪戯に怒りつつも、意外だった事を指摘する俺。…が、俺が思っていた事はどっちも外れていて、最終的に着地したのはなんとも綾袮さんらしい結論。…流石に顔洗った事には驚かないぞ?

 

「顕人君は温かくなるまだ待つタイプ?」

「いや、俺は普通に冷水で洗うけど…ってか、何俺で暖を取るの再開してんの…?」

「だってまだ手が冷たいんだもーん。顕人君も可愛い女の子に触ってもらえるんだから、WIN-WINでしょ?」

「可愛い女の子でも後ろから両手で首包まれたら怖いんですけど…」

「えー。じゃあ仕方ない、腎臓辺りにしよう…」

「怖ぁ!?え、何そのボケ怖っ!ボケの内容がグロいんだけど!?」

「そう思うなら大人しく首を触られてる事だねっ!」

「目的の割に脅迫が怖過ぎるよ…はぁ……」

 

 脅迫に屈した…訳じゃないけど、程々で切り上げないと身が持たないからげんなりしつつも俺は放置。朝から体力持ってかれるのはマジ勘弁だよ…。

 

「はふぅ、あったかい…」

「そりゃ良かったね…」

 

 それから数分間、首を触られたまま料理を続行。邪魔になるなぁと思っていたけど、俺に合わせて動いてくれたおかげで調理への支障は殆どなかった。…いや、おかげで…って言うのも変だけど。

 で、手が温まったところで綾袮さんは俺から離れ、食卓に座って雑談を続ける。本人曰くそれは「顕人君が暇にならないように」っていう事らしく、だったらそれより手伝ってよ…と最初は思っていた俺だけど、結果から言うと退屈せずに料理を進める事が出来た。…ありがたいけど、それはそれでなんか悔しい。

 

「ふふーん、今日はわたしが朝食作りを手伝ったんだよねー!」

「綾袮が?…珍しい……」

「そうですね、ちょっと驚きです…」

「おい待てや、あれを手伝ったって言い張る気?」

「え?…やだなぁ、わたしはちょっと協力しただけなんだから、顕人君が謙遜する事なんか……」

「違うよ!?手伝い以上の事をしてくれたじゃなくて、明らかに協力ではなかったよねぇって言ってんの!」

 

 しかもまさかの雑談を極力だと言い張る綾袮さんに俺は仰天。半眼で見てるラフィーネさんフォリンさんを前に、俺と綾袮さんの攻防(?)は続き……結局朝食の時点で、俺は結構な体力を消耗してしまうのだった。

 

 

 

 

「そういや、昨日御道は警戒の担当をしてたんだよな?」

 

 なんて事を言ったのは、休日明けの昼休み。当然の如く、霊装者はあんまりその事を公共の場でべらべら喋るべきじゃないが…だからってそんなぴりぴりする必要もない。特にこのご時世、仮に聞かれてもある程度はネトゲやらサバゲーの話だと勝手に思ってくれるだろうしな。

 

「そうだよ。茅章と二人でね」

「なんだ、俺をハブったってか」

「何故そうなる…文句があるなら上層部の方に言って下さいねー」

 

 そう言って御道が視線を送ったのは、机を挟んで反対側にいる妃乃と綾袮。

 

「文句も何も、悠耶は最初からそういうスタンスじゃない」

「別に文句言おうとは思ってねぇよ…で、めぼしい発見は無かった訳か」

「まーね。…やっぱり、探し物が見つかるご利益のある神社にお参りしに行くべきだったかなぁ…」

((いや、それで見つかれば苦労はしない(だろ・でしょ)……))

 

 卵焼きをつつきながら言った綾袮に、半眼を向けつつ心の中で突っ込みを入れる。困った時の神頼み…とは言うが、仮にも上層部に属する人間がそれを言い出しちゃ駄目だろうよ……。

 

「…ほんと、奴は何を探してたんでしょうね……」

「壁の中とか地中とか、そういうとこにあるんじゃね?…と、思ったが…その程度なら見つからない訳もないか…」

「当然よ、探知のエキスパートも呼んだんだから。…けど、念入りに探しても見つからなかった…」

「…あのさ、昨日帰ってから思ったんだけど…」

「うん、なになに顕人君」

「…こうも見つからないってなると、そもそもここには無かった…要は、向こうも場所を間違えてた…って事もあり得るんじゃない?」

 

 各々昼食を食べながら、今日もまた「魔人の目当てはなんだったのか」という話に。それが進む中で、御道が言ったのはこれまでに出てこなかった視点の可能性。…まぁ、そりゃあくまでこの面子の中じゃ…って話だが。

 

「…まぁ、それはなくもないよね。ほんとに見当違いでここに探しに来ちゃったのか、それとも幾つか候補があって、ここはその一つに過ぎなかったのか…って感じに、その場合でも更に可能性は分かれていくけど」

「あぁ、ここは外れの候補だった…って可能性もあるのか。それは気付かなかった…」

「ふっふっふ、もっと柔軟に考えなきゃ駄目だよ顕人君。…って訳で、焼売一個ちょーだいね」

「ちょっ、どういう意味さそれ……」

「一つ賢くなったんだから、そのお代みたいな?」

「ならそれ押し売りじゃん…!」

 

 文化祭の日、魔人は見つけられなかったのではなく、端からここにはなかった。身も蓋もない考え方だが、否定は出来ない可能性。…けどこれ、合ってるかどうかってより、本当にそうだった場合の方が厄介だよな…。

 

「…そこんとこ、妃乃はどう思うよ?」

「私も綾袮と同じで、それもあり得る…って位ね。ないとは言い切れないし、けどそれが有力に思える程の状況が揃ってる訳でもないし」

「奴の方はどうだ?もし仮に探し物の方が見つからなくても、奴を潰せりゃ取り敢えずの解決にはなるだろ」

「そっちもさっぱりよ。幾つか気になる情報はあるけど、どれも気になる止まりで繋がりそうなものはないし。…っていうか、これに関してはあの会議でも触れたでしょ。聞いてなかったの?」

「少なくとも覚えてはいないから訊くてるんだぞ?」

「何を偉そうに……」

 

 気付けばいつものように、今回も堂々巡りで大した答えも出そうにない雰囲気。別にこれはちゃんとしか会議とかじゃなく、単なる雑談の延長線上なんだから、堂々巡りになったって問題はないが…そろそろ朗報の一つも欲しい。

 

「むむむ…顕人君ったら強情な…!」

「それはこっちの台詞だよ…!どんだけ焼売食べたいのさ…!」

「別に卵焼きでもいいんだけどね…!こうなったら……!」

「あ、ちょっ、手を押さえるのは反則でしょ…!あーもう、こうなったら徹底抗戦だ…!」

「……あっちは呑気でいいよなぁ…」

「…同感」

 

 ちらりと視線を動かしてみれば、横ではおかずをかけて御道と綾袮が攻防戦中。どこまで本気なのかは分からないが、傍から見ればそれは果てしなく平和なやり取りで、俺も妃乃も思わず呆れ顔。

 

(…けど、これなんだよな…辛気臭い話より、これ位しょうもない事が出来る方が、ずっと幸せで楽しいよな……)

 

 色々仕方ないとはいえ、他人事じゃないとはいえ、気付けばまだ『霊装者』として普通に振る舞い思考してしまっている俺。けれど、それは俺が望んだ世界じゃない筈で…ほんとにしょうもなくはあるが、下らない事で盛り上がっている御道や綾袮がすぐ側にいる事は、なんというか……少しだけ、安心のような感情も俺の中には確かにあった。

 

「…いや、何良い話っぽいモノローグしてるのよ……」

「うっ…確かにこんなタイミングでするようなモノローグじゃない気は俺もしていたが…そんな台無しになるような事言うなよ……」

 

 まさか、妃乃がそんなメタい指摘をしてくるとは。恐るべしっつーか…優等生キャラに見えて、中々どうして油断ならないんだよな、妃乃は……。

 

「ふふん、頂いたよっ!」

「あっ、くそう…てかよく考えたら、こんな攻防戦するより即座に渡しちゃった方が絶対消費は少なく済んだじゃん…はぁ、何やってんだ俺……」

「思いっ切り後の祭りだなー、御道」

「うっせぇ……」

 

 とかなんとか考えてる内に、隣の攻防戦も終了。焼売と卵焼きを取られてから(両方取られとる……)後悔する御道には、俺も妃乃も完全に半眼。まぁつまり、なんだって言うと……今日も今日とて、俺の昼食は賑やかだ。

 

 

 

 

 放課後。今日は生徒会もなく、千㟢と妃乃さんは帰りにスーパーに寄るとかで(性格全然違うのに、今や二人とも普通に行動を共にしてるんだよなぁ…)、俺は綾袮さんと下校中。

 

「今日ってずっと曇ってるよね。降水確率も40%だし……」

「言ってたねぇ。家着くまでは降ってほしくないなぁ…」

 

 後ろに回した両手で鞄を持ち、半歩先を歩く綾袮さん。…このポーズ、ちょっと可愛いよね。

 

「こんな日は、何かショックな事が起こるかもよ?」

「え、途中から雨が降るような感じの出来事が?」

「そうそうそんな感じ!さっすが顕人君、分かってるぅ!」

 

 ばっちり伝わった事が嬉しかったのか、綾袮さんはきゃっきゃとはしゃぐ。朝といい昼といい、なんか今日はいつもに増して綾袮さんが子供っぽい気がするなぁ…。

 

「因みに顕人君はさ、今日辺り起きそうなショッキングな出来事の種抱えてたりする?」

「何その意味不明な質問…聞いてどうするの?」

「ものによっては芽吹かせてみようかな〜」

「なんて悪質な…!…今後何か悩みを抱えたとしても、綾袮さんには絶対言わん……」

「えー言ってよー。楽にしてあげるよ?」

「なるよ、じゃなくてしてあげるよ、なんて言う人に言えるか…!」

 

 それじゃ恐ろしくて敵わんわ!楽にしてあげるって、トドメ刺す時に言う言葉じゃねぇか…!…みたいな事を思いながら、俺は拒否。…まぁ、実際ほんとに言わないかどうかは…その時次第だけど。

 

「…というか、昨日神経を張り詰めるような任務をして、今日も朝から色々ふざけて、なのにまだ元気一杯ってほんとどうなってんの……」

「若さ故かな〜。…っていうのは冗談として、まぁ慣れだよね。神経張り詰める仕事なんてしょっちゅうあるし」

「んまぁ、それはそうかもしれないけど…」

「それに、顕人君だっていけないんだよ?顕人君が毎回がっつり反応するから、わたしも気分乗っちゃうんだもん」

「お、俺が反応するからって……」

 

 くるりと振り返り、後ろ歩きとなった綾袮さんはかなり理不尽な事を言ってくる。…そりゃ、確かに「一々反応するからいけない」って論調は世の中にあったりもするが……

 

「…なら、今後綾袮さんの冗談は適当にあしらう事にする」

「え……!?…そ、それ…本気で言ってる…?」

 

 ぷい、と視線をずらし、声のトーンを落として言うと、綾袮さんは俺が思っていた以上にショックを受ける。だから、「お、これはいけるんじゃないか?」…なんて、思ったんだけど……。

 

「本気だよ、って言ったらどうする?」

「凄く落ち込む」

「へ?」

「だって顕人君が突っ込んでくれないなんて、つまんないもん…」

 

 急に焚き火が消えてしまったが如く、快活さが消えしゅんとする綾袮さん。まさかこんな反応が返ってくるだなんて思っていなかったし、今のは完全なまでに想定外な反応。

 

「え、いや…えっ……?」

「…つまんないもん……」

 

 ぽつり、と最後の言葉を綾袮さんは重ねる。しょぼくれたまま、小柄なただの女の子にしか見えない雰囲気で、俯き気味に。

 

(ぐ、ぬぬ…落ち着け、落ち着け俺ぇ…!これ絶対演技だ…俺を狼狽えさせる為の演技に決まってる…!)

 

 思いっ切り感情を揺さぶられる状況を前に、俺は全力で言い聞かせる。目の前の光景は罠だと。今も綾袮さんは俺をからかっているだけなのだと。

 あぁそうだ、綾袮さんがこの程度でショックを受ける訳がない。何も突っ込むのは俺だけじゃないし、そもそも突っ込みを求めていない事だってあった。だったら間違いなくこれは罠で、ここで屈したら俺は今後もきっと上手い事丸め込まれてしまうだろう。

 そう、ここが踏ん張りどころだ。ここで耐え、からかい過ぎると逆にやり込められてしまう、という事を綾袮さんに教えてやるチャンスでもあるんだ。上手くいけば、逆に今後は俺が主導権を得られるかもしれないんだ。だったら、俺が…俺がすべき事は、勿論……ッ!

 

「……ごめんなさい、嘘です…」

「…ほんと?」

「はい…」

「そっか…そっかそっかぁ、言ったね?ちゃーんと口にしたね顕人君!」

 

──えぇはい、長めの前振りからも分かる通り、結果はこのざまですよー。綾袮さんに悲しそうな顔をされて、つい折れてしまった御道顕人さんですよーだ。…笑いたきゃ笑えぇ……。

 

「んもー、折れるんなら最初から言わなきゃいいのに〜」

「うっさいよ…ふん……」

「まぁまぁそう拗ねないでよ。一度エンジンがかかるとかなり強情になるけど、普段は低反発クッション的な顕人君のメンタル、わたしは嫌いじゃないんだぞー?」

「止めぃ…てか低反発クッション的なメンタルって…」

 

 さぞ愉快そうに笑いながら、綾袮さんはつんつんぐにぐにと頬をつついてくる。第三者視点なら見惚れてしまうかもしれない、けどからかわれてる当人としては恥ずかしさの方が優ってしまう、ある意味混じり気一切無しの笑みを浮かべて。

 だから俺は目を逸らし、ずんずんと先を歩いていく。今度こそ、今度こそ一杯食わせてやろうと心の中で誓いながら。……つか、なんで今日はここまで綾袮さんに弄られるんだ…はぁ……。

 

 

 

 

 いつものように食材を買い、スーパーを出て、家へと向かう帰り道。途中で合流した緋奈と、三人で歩く。

 

「お兄ちゃん、今日の夕飯は麻婆豆腐?」

「そうだぞ、よく分かったな…って、食材見りゃ分かるか…」

「うん。作るの手伝おっか?」

「え?…あー……」

 

 俺の隣を歩きながら、緋奈は柔らかい表情を浮かべて手伝う事を申し出てくれる。それは、ってかその気持ちは勿論嬉しいが……料理となると、話は別。

 先日、俺と妃乃は緋奈の料理下手の真実を知った。その真実は心温まる、涙が出そうなものだったが、問題はその先。有り体に言えば、原因の究明は出来たが…解決に関して、俺は完全に詰まってしまった。だって、そうだろう?緋奈は無意識にお袋の味を再現しようとしてるから料理の質が崩れるんだ…なんて、口が裂けても言える訳ないじゃないか。

 

「…あ、緋奈ちゃん。悪いんだけど、帰ったら少し話に付き合って頂戴。貴女も霊装者である以上、今起こってる事を教えておかなきゃいけないから」

「今起こってる事、ですか?」

「えぇ。…いいわよね?」

「お、おう」

 

 ふと目を話した隙に何かしてしまう可能性がある以上、出来れば手伝いは回避したい。だが正直には話せないし、かと言って理由も無しに押し切るんじゃ緋奈を傷付けてしまうかもしれない。…そんな思いで板挟みになる中、助け舟を出してくれたのは妃乃。妃乃はそれっぽい…それこそ、本当に話そうと思ってた風にも聞こえる言葉で緋奈を料理から遠ざけてくれた。

 

「何かあった時、知ってるのと知らないのとじゃ結果は大きく変わるもの。だから……」

「あ、はい大丈夫です。…ごめんね、お兄ちゃん」

「い、いや気にすんな。気持ちはばっちり受け取ったからよ」

 

 どうやら難は乗り越えられたようで、一安心。ちょっと違和感ある反応をしてしまった気もするが…まぁ、多分大丈夫だろう。

 

「…悪い、助かった妃乃」

「気にしなくていいわ。元々近い内に話すつもりだった事だもの」

「やっぱそうなのか…」

 

 その後、小声で感謝を伝えると、妃乃は軽く肩を竦めて返答。うーむ、って事は単にタイミングが良かっただけか…いやなんであろうと、感謝してる事にゃ変わらないが。…さて、っとそうだ……。

 

「一応訊いとくが、辛さはどうする?」

「うーん…わたしは前の時と同じがいいかな」

「私は激辛じゃなきゃ何でもいいわ」

「わたしは辛くない方がいいなー」

「あいよ、じゃ前と同じくピリ辛位にしておくか…」

 

 ふと家に着く直前で重要な要素、辛さをどれ位にするかという点を思い出した俺は、その場で質問。そして三人からの意見を聞いた俺は、ピリ辛に決定しつつ家の敷地内へ……

 

『って、えぇぇッ!?誰か居たぁ!?』

「ふっふーん!わたしだよっ!」

 

 びくぅっ!と滅茶苦茶驚きながら振り向く俺達。そ、そりゃそうだろ!だって今もう一人いたんだぞ!?ガイア、マッシュ、オルテガ!ジェットストリームアタックをかけるぞ!…状態だったんだぞ!?(ヒント・これの元ネタは三人組)

 で、振り向いた俺達の前にいたのは、御道と帰った筈の綾袮。

 

「あ、綾袮…貴女いつの間に……」

「今さっきだよ?用事があるから来てみたら、三人の後ろ姿を見かけたからね〜」

 

 物凄くびびった俺達とは対照的に、綾袮は至っていつも通り。…あー、そうか…スーパー寄ってた分、帰るのは遅くなったもんな…。

 

「だったら普通に出てきなさいっての…しかも用事なら、別れる前に言えばいいのに……」

「と、思うでしょ?けどそうはいかないんだよねぇ。だって……」

 

 俺も緋奈もげんなりする中、妃乃は額を押さえつつ綾袮に応対。すると妃乃の呆れた声が全く聞こえていないのかって位、綾袮は呑気な表情を浮かべていて……だが不意に、綾袮からその表情が消える。

 その代わりに浮かんだのは、神妙な顔。普段のふざけた様子からはかけ離れた、真面目そのものの表情で綾袮は……言う。

 

「──今から話すのは、顕人君には聞かれたくない話だから」

 

 何の話かは分からない。だが…何か重大な事が動き出している。…その一言だけで、綾袮は俺達にそう感じさせていた。



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第百三十九話 残酷な真実

 麻婆豆腐。やっぱり辛味があってこそだが、別に辛さを抑えたってそれはそれで美味い、割と柔軟性のある料理。現在俺達は、予定通りそれを夕飯として食べている。

 

「…美味しいわね」

「うん、今日も美味しいよお兄ちゃん」

「そりゃ良かった。辛さの方は大丈夫か?」

 

 二人からは好評のようで、もぐもぐと麻婆豆腐を食べ進めてくれる。辛さの方も問題ないらしく、実際俺からしても今日の麻婆豆腐の出来は上々。個人的には、もう少し辛くても全然いけるが…別に物足りないって事はない。

 

「…そういえば…麻婆豆腐の麻婆って、どういう意味なんだろう…?」

「あー…確か、作った人の事を指してるんだったかな…」

「そうなんだ……」

 

 食事中、食べている料理の名前の由来が気になるのは自然な事。それが会話のネタになるのも、よくある事。だが今日は、その話が盛り上がらない。ネタが悪い…とかじゃなく、そもそも賑やかに話せるような気分じゃない。

 何故、そういう気分なのか。この兄妹愛溢れる俺と緋奈が夕食時の会話で盛り上がらないなんて、一体何が原因なのか。……それは、ついさっきの事。

 

「…あの、お兄ちゃん、妃乃さん。さっきの話は……」

 

 ちらり、と俺達の顔を伺った後、おずおずと声を上げる緋奈。その様子からして、由来の話はタイミングを計る為に言ったんじゃないかと思われる。

 さっきの話。…それは、帰宅時に着いてきた綾袮からもたらされた話の事。俺達にとって衝撃的な、且つ他人事ではない話。

 

「…気にするな、とは言わないわ。悠耶の友達が関係している話なんだから。でも、緋奈ちゃんは気に留めておく程度で大丈夫よ」

「でも…身近な、事ですし……」

「だからこそよ。身近だからこそ、ちょっとした行動でも危険に繋がってしまうかもしれない。…そういう状況下で自分の身を守るには、『何もしない』事が得てして無難な選択なの」

「…それは、分かります」

 

 箸を置いて、妃乃が緋奈の言葉に答える。緋奈は言葉通り、妃乃の返答を理解はしているようだが…まだ納得には足りない様子。それは不安からなのか、それとも……。

 

「…大丈夫よ、緋奈ちゃん。何かあった時、どうするか決めて対応するのが私…っていうか、上の立場にいる人間の務めで、どんな指示であろうとその責任を負うのもまた、上の立場の人間だから」

「…けど、その…責任、とかじゃなくて……」

「…これは、緋奈の為でも、俺の為でもあるんだよ」

 

 続く妃乃の言葉でも納得には至れない様子の緋奈に対し、今度は俺が声を上げる。静かに、真剣さを言葉に込めて。

 

「…どういう、事…?」

「妃乃から聞いたと思うが、今回の件には魔人も関わっている。それはつまり、何かの拍子に魔人と遭遇して、襲われる可能性もゼロじゃないって事だ」

「う、うん…」

「魔人は強い。有象無象の魔物とは比べ物にならねぇし、俺だって出来る事なら戦う事なく済ませたい。…けど、もし緋奈が襲われたら俺は間違いなく戦うだろうし、もしそうなった場合、緋奈を守る為なら最悪……」

「…お兄、ちゃん……?」

「……最悪、危ない橋を何度も渡らなきゃいけなくなるかもしれない。…だから、それを避ける為にも妃乃は言ってるんだよ。…そうだよな?妃乃」

「…えぇ。緋奈ちゃんなら、悠耶に危なっかしい一面がある事は知ってるでしょ?」

 

 俺の言葉の後を押す形で、妃乃も言う。目を見て話す俺達の言葉を受けた緋奈は、俺達の顔をそれぞれじっと見つめて……目を伏せる。それから数秒後、顔を上げた緋奈は…肩を竦め、仕方ないねと笑っていた。

 

「…うん。確かにお兄ちゃん、わたしの為ならすぐ無茶しちゃうもんね…」

「そりゃ、緋奈の事は俺にとって最優先事項だからな」

「…貴方、よく恥ずかしげもなくそんな事言えるわよね…」

「当たり前だろ、恥ずかしくも何ともないんだから」

「…愛されてるわね、緋奈ちゃん」

「あはは…すぐ無茶しちゃうけど、それでもわたしにとっては素敵なお兄ちゃんです」

 

 妹を、緋奈を大切にする事の、一体どこが恥ずかしいと言うのか。割と本気でそう思いながら言葉を返すと、案の定妃乃は呆れ顔を浮かべ……けれどどこか、温かみのある声音で緋奈へと言った。それに緋奈も苦笑していたものの、にこりと微笑み妃乃に頷く。で、それを見た俺は……

 

(あ、やっべ。これは恥ずい。この『優しいお兄ちゃん』的な雰囲気にされるのは超恥ずい)

 

 表面的にはすまし顔をしながら、内心めっちゃ恥ずかしくなっていた。くっ…なんだこれ、滅茶苦茶堪える…!

 

「…じゃあ、緋奈ちゃん。この件は……」

「気に留めておくだけにします。それが、お兄ちゃんを守る事に繋がるのなら」

「ありがとう。…でも、何か変だと思ったらすぐに言ってね?」

 

 気にかける妃乃の言葉に緋奈が頷いて、一先ずこの話は終了。俺や妃乃はともかく、緋奈にとっちゃ「納得のいく結論」と呼べるかどうかは微妙なところだし、俺は俺で思うところのある話を綾袮からされた訳だが……今さっきのやり取りのおかげか、それから食卓の雰囲気は幾分か好転した。いやぁ、偶然とはいえ恥ずい思いをした甲斐があったってもんだ。

 

「悠耶、食器は私が拭くわ」

「あ、じゃあわたしはお風呂にお湯入れておくね」

「ん?緋奈、風呂ならキッチンからでも沸かせるぞ?知らなかったか?」

「ううん、それは知ってるけど栓が抜けてたら意味ないでしょ?」

「っと、それもそうか…」

 

 その後食事を終えた俺が食器を洗っていると、頼む前から二人は動いてくれる。それは別に特別な事じゃないが……やっぱり、色々と嬉しいものがある。こうして日々感謝してくれて、手伝ってくれたら分担してくれたりするからこそ俺も気持ち良く家事が出来る訳だし、そういう意味でも俺は周りに恵まれて……

 

「…ねぇ、悠耶」

「なんだ?」

「……貴方、さっき『最悪死ぬかもしれない』って言いかけたでしょ」

「…気付いてたのか」

 

 その時不意に、妃乃は言った。……いや、不意にじゃないな。俺の側に来て、緋奈が風呂場に向かってから口を開いたんだから、一応『何かある』って察せる手がかりはあったんだ。

 

「…それについて、一つ訊いてもいい?」

「…あぁ」

「なら…言いかけて止めたのは、死ぬかもなんて表現が縁起でもないから?それとも…別の理由?」

 

 皿を置き、布巾も置き、俺の方へと向き直る妃乃。この話を切り出された時点で、薄々そんな気はしていたが…やっぱり、妃乃はそこが気になったらしい。

 言われた通り、俺は死ぬかもしれないと言いかけて止めた。危ない橋を渡るという、曖昧な表現に切り替えた。勿論、死ぬなんて表現は縁起でもないし、そういう意味じゃ妃乃の言う事も全くの間違いって訳じゃないが…一番の理由は、違う。俺が言い換えたのは、死ぬという表現を避けたのは……

 

「……子供の内に両親と死別して、今もまだ子供の緋奈に、残った家族の俺が『死ぬ』だなんて…仮定であっても、言える訳ねぇだろ…」

「……そう」

 

 特にどうこう言うでもなく、聞いた妃乃はただ一言「そう」と言った。貴方もまだ子供でしょ、なんて返しをされるかと思ったが…ただ妃乃は受け止めて、飲み込んだ。

 そうだ。俺はそんな事言えないし、それだけは避けなくちゃいけない。緋奈の為なら幾らでも命を懸けられるが、俺が死んだら緋奈は両親だけじゃなく、兄すらも失う事になる。…そんな思いは、させるものか。家族を失う辛さは両親の時に痛い程味わった俺自身が、更に深い辛さを緋奈に味あわせるなんざ……それこそ、兄のするべき事じゃない。

 

「…構わねぇよ?シスコンだって思ってくれても」

「今更何言ってんのよ。…それに、茶化す訳ないでしょ。悠耶の妹への優しさを、妹への愛を」

 

 シスコンだと言われてもいい。これが俺の思いなんだから。…そんな気持ちで俺が言うと、妃乃は鼻で笑い……それから、真剣な顔で言った。俺の思いを、茶化そうだなんて思わないと。そして、妃乃は続ける。

 

「まぁでも、安心しなさい。貴方が危険を犯さなくても済むように、万が一の時は私が何とかするから。悠耶の事も、緋奈ちゃんの事も」

「妃乃……」

 

 真剣な顔から口角を上げ、自信に満ちた笑みを浮かべた妃乃の言葉。その何とも妃乃らしい表情と言葉に、俺も思わず気分が緩み……

 

「…いや、妃乃は前魔人に嵌められて、俺に助けられた事があったじゃねぇか……」

「うっ…あ、あれは仕方なかったじゃない!あの子達を見捨てる事なんて……」

「……まぁでも、そう言ってくれると心強いよ。いつもありがとな、妃乃」

「……っ…!…う、うん……」

 

 何気なく、他意なく感謝を伝えた瞬間、かぁっと顔が赤くなる妃乃。数秒前の自信満々な様子はどこへ?って位にしおらしい雰囲気となってしまい、そのまま妃乃の視線は下に。

 

「……妃乃?」

「べ、別にありがとうだなんて…これは私の意思でやってる事であって、そんな急に感謝の言葉を言われても困るわよ……」

「え、妃乃?俺の呼び掛け聞こえてない?」

「っていうか、なんでいつも悠耶はいきなり言うのよ…こっちが油断してるところで急に言うなんて、ズルいじゃない……」

「あのー、妃乃さーん?聞こえそうで聞こえない、微妙な声量でごにょごにょ言われても分からないっていうか、もう少し声を張って頂きたいんですがー?」

「それに、散々妹の事言っておきながら、ここに来てっていうのも……はっ!?」

「…お、やっと聞こえたか?てかなんて言ってたんだ?」

「あ、う、うっさい!発声練習してただけよ!」

「何故にこのタイミングで!?」

 

 下を見たままぶつぶつごにょごにょと何かを言っていたかと思えば、気が付いた妃乃は何故か発声練習だったと主張。しかもなんかうっさいとか言ってきてるし、変な事言ったら噛み付いてきそうな雰囲気してるしで、意味不明なまま気圧される俺。…いや、ほんと急にどうしたんだよ…発声練習だったとしたら、ダメダメにも程がある出来だぞ……?

 

「え、と…なんか気分を害するような事でも言っちまったか?なら謝るが……」

「そうよ!…あ、違っ、違うわよ!ふんっ!」

「えぇー……(どっち……?)」

 

 肯定した一秒後に否定し、そこからぷいっと視線を横に。なんかもう今の妃乃は情緒不安定な感じで、どうしたらいいかさっぱり分からない。後顔も赤いままだし……って、ん?…まさか……。

 

「…妃乃、もしや具合悪いのか?」

「へ……?…な、なんでよ……」

「いや、さっきから顔赤いし、テンションの起伏おかしいし……」

「…それ、本気で言ってる?」

「当たり前だ。この時期、寒さで体調崩してもおかしくないからな。具合悪いなら、無理せず早く休んだ方がいいぞ?」

「…はぁ…何その絵に描いたような勘違い……」

 

 これが緋奈なら額に手を当てて確かめているところだが、流石にそれを誰彼構わずやる程俺も無配慮な人間じゃない。だから直接触れる事はせず、あくまで訊く&忠告するだけに留めたんだが……返ってきた反応は、思っていたのと大分違う。

 

「…具合が悪い訳じゃ、ないのか……?」

「あー…そうよ、別に具合悪い訳じゃないわ。心配かけて悪かったわね」

「あ、お、おう…そうじゃないなら、いいが…。……いや、いいのか…?それだと余計意味不明に…」

「さっき言ってたのは独り言よ独り言。顔は意外な事言われてびっくりしただけ。ほら、これで解決でしょ?」

「う、うーん……?」

 

 一転して呆れ顔となった妃乃は、一気に話を終着点へ。そりゃ確かに、妃乃本人が言ってんならそれで間違いないんだろうが…どうにもしっくりこない。そして追求しようにも、なんか雰囲気的に訊き辛い。

 なんて感じで俺は訊けず、そのまま食器洗いも終わってしまい、結果最後まで聞けず仕舞い。その後の様子を見るに、体調不良でない事は確かだが……妃乃がリビングを出て行った後も、俺は釈然としないままだった。

 

 

 

 

「お疲れ様でーす」

 

 本日の生徒会を終え、俺は生徒会室を出る。向かう先は…勿論外。そりゃそうだよ、もう外暗いもん。

 

「さーて、今日は……って、ん?…あ、ヤベっ…」

 

 校舎から出ようとしたところで、俺はふと不安になり鞄を確認。すると予想通り、鞄の中には弁当箱が入ってなかった。…ミスった…ファイル出す時に邪魔だから一度外に出して、そのまま仕舞い忘れたんだな俺……。

 

(あー危ない危ない、早期に気付けて良かった…)

 

 しょうもないうっかりをしてしまったが、それでも家に着いてから気付くよりはずっとマシ。でもやっぱうっかりは嫌だよねぇ…なんて思いながら生徒会室前へと戻ったところで、俺は丁度出てきた慧瑠と鉢合わせる。

 

「あ、慧瑠」

「おや先輩。どうしました?弁当箱を忘れたんですか?」

「…何故それを?」

「そりゃ、置きっ放しになってましたからね」

 

 そう言って上げられた慧瑠の手にあったのは、俺の弁当箱。それを俺が受け取ると、慧瑠は「これで貸し一つですね」…と一言。…えぇー……。

 

「…貸しって、こんな数秒分、数歩分で発生するものだっけ?」

「受け取ってから文句を言っても無効ですよ先輩。うちは返却も受け付けてませんし」

「なんて悪質な……」

 

 超短距離の運搬とはいえ、わざわざ持ってきてくれた…というか、持って来ようとしてくれた慧瑠には感謝してるし、誰が悪いかと言えば、それは勿論置き忘れていた俺自身。…けど…うっかりの代償が、随分と高くついちゃったなぁ……。

 

「まあ、それはそうと先輩。今から帰る…いえ、帰ろうとしてたんですよね?」

「あ、うん。……え?慧瑠もだよね?」

「さぁ、それはどうでしょう?」

「…何その無意味に思わせぶりな態度…ほらほら用がないならさっさと帰るのが良い生徒ってもんだよ?」

「あ、ちょっ……まぁ、そうですねー…」

 

 何が目的なのか分からないボケを処理しつつ、俺はさっさと歩いていく。その反応が不満だったのか、慧瑠は少し声音を曇らせるも……その数秒後、背後から聞こえてくる軽い足音。そして俺は、慧瑠と共に今度こそ校舎を出て……

 

「……うん?」

「…どうしました?」

「…そういや、一緒に帰るのってこれが初めてだっけ?」

 

 はっとして、俺は斜め後ろの慧瑠の方へと振り返る。…うん、確かにこれが初めてだ。間違いない。

 

「ふふ、気付きましたね先輩。今日が先輩と自分の初めてなんですよ?」

「うん、言い方気を付けようか慧瑠!っていうかわざとだよねぇ!?」

「わざと?わざとって、それはどういう意味ですか?」

「うっ……(しまった、自爆した…)」

 

 悔しいけど、慧瑠の返しに俺は言葉に詰まってしまう。ここで平然と返せれば格好良い気がするし、逆に慧瑠を追い詰められたかもしれないけど、それが出来ないから俺は今、恥ずかしさから顔を少し背けてる訳で……。

 

「…突っ込み気質な部分もですけど、基本先輩って弄り甲斐が物凄くありますよね」

「…慧瑠、そういう事は言わないで…結構ほんとに凹むから…後輩からそんな事言われる先輩とか、それだけで凄く悲しくなってくるから……」

「いやいや、そんなに悲観する事でもありませんよ。これって、ある意味での求心力とも言えますからね」

「それを世の中じゃ、物は言いよう…って言うと思うだけど……」

「それを言うなら、物事は捉えよう…だと思いますけどね。悪く捉えるか、良く捉えるかはその人次第ですし」

 

 弄り甲斐がある事を評価されても…と言う思いで俺が言うと、返ってきたのは何か核心を突いたような言葉。少し驚いてまた慧瑠を見ると、慧瑠は変わらずけろっとした顔。…むぅ、相変わらず掴み所がない……。

 

「…結局俺は、どう捉えればいいの?」

「だから、それは先輩次第ですよ」

「…じゃあ、求心力になるかもしれないけど、実際のところなってるかって言われると……みたいな感じにしとく」

「…優柔不断な答えっすね……」

 

 急ぐでもなく、のんびりするでもなく、普通に歩いて正門を出る。俺が角を曲がると慧瑠も曲がり、俺の隣を歩いている。

 

(…初めて、か…そういや俺、慧瑠の事あんまり知らないんだよな……)

 

 特別仲が良い…って訳じゃないけど、慧瑠とは生徒会という共通点があるし、学校内で一番仲の良い後輩は誰かって言ったら、それもやっぱ多分慧瑠。けれど思い返すと、俺は慧瑠がどこに住んでるのかも、家族構成も全然知らない。これは慧瑠自身が言ってないから、ってのもあるけど……それにしたって、これは普通と呼べるだろうか。

 

「……ん、ん?…あ、でも…綾袮さんの場合も、考えてみりゃ知らない事もそこそこあるな…」

「はい?先輩、今自分に何か言いました?」

「あ、悪い。独り言だから気にしないで」

 

 いやいやでも考えてみたら、必ずしも『仲良い=個人情報もそれなりに知ってる』とは限らないじゃないか、と思う俺。綾袮さんにしろ、ラフィーネさんやフォリンさんにしろ、同じ家に住んでる相手でも時々「え、そうだったの?」って思う事はあるし、案外自分から調べようとしなきゃ、知らないままって事も多いのかもしれない。

 とか何とか思っていたらどうも口にしてしまっていたらしく、慧瑠はこっちをじっと見ていた。…うーむ、どうしたもんかな…よくよく考えりゃ、異性の後輩の個人情報を知ろうとするってのも、大分アレな行為な訳だし……。

 

「…何か考え事ですか?」

「え?」

「いや、独り言言ってましたし、今もそんな感じの顔してましたから」

「あー…うん、でもほんと悩みとかではないから気にしなくていいよ。必要不可欠じゃないけど、なんか気になって考えちゃう事ってあるでしょ?」

「あぁ…先輩、まださっきの『初めて』を気にしてたんですね」

「そうそ…違うよ!?全くもって違うよ!?」

「大丈夫ですよー、先輩。自分は引いたりしませんので」

「だから違うっての!誤魔化してねぇし!」

 

 まさかのタイミングでさっきの話を蒸し返され、なんかもう個人情報云々とかじゃない心境に。にまにましている時点で慧瑠がからかってきている事は間違いないけど、ほんと悲しい事に俺は冷静な対処ってものが出来ない。で、いつもの通り…俺は今日も肩を落とす。

 

「はぁ……」

「…ほんと、先輩は人が良いですよね。さっきは弄り甲斐云々って言いましたけど、それに加えて人の良さ故に…って部分もあると思いますし、自分は先輩のそういうところ、本当に素敵だと思ってます」

「…そりゃ、どーも…。……慧瑠?」

 

 慰めなのか、弄り過ぎたと反省しているのか…まぁ何れにせよ、慧瑠は素敵だと言ってくれた。けど弄られた後に言われても素直に喜べない訳で、俺はトーンダウンした声で返答。それから俺は横断歩道を渡ろうとして……気付いた。慧瑠が車も来ていないにも関わらず、足を止めた事に。

 

「…あー…すみません先輩。先輩の物は気付いておきながら、情けない話ですが……自分、忘れ物していました」

「…そうなの?って、別にこれは訊き返すような事でもないか……」

「はは…。…こほん、なので自分は戻りますね。それでは先輩、また明日」

「(戻るって事は、そこそこ重要なものなんだろうな)了解。んじゃ慧瑠、また明日──」

 

 何かと思えば、慧瑠は…いや、慧瑠も忘れ物をしたらしい。一体何なのかは知らないけど、それは詮索したって意味ないし、ここで待つ…なんて言ったら、それこそ慧瑠に気を遣わせるだけ。

 という訳で、俺は戻ると言う慧瑠に首肯。そして挨拶を交わした慧瑠が振り返ろうとし、俺も一人で帰ろうとした……その時だった。

 

 

 

 

 

 

「──そうは、いかないよ」

「え……?」

 

 すとん、と静かに、軽やかに俺と慧瑠の間へと降り立った、蒼い翼と一振りの大太刀を携えた少女。……見間違える筈もないその人は、正しく綾袮さん。

 それは分かる。けど、俺は困惑する。だって、そうだろう?不意に降り立った綾袮さんは…どう見ても、今から一戦交えようっていう装いと雰囲気なんだから。

 

「…………」

「え、あの……綾袮、さん…?」

 

 何故そんな雰囲気をしているのか。慧瑠にその姿を見せていいのか。そもそも、突然現れた理由は何なのか。疑問ばかりが浮かぶ中、綾袮さんは前を…慧瑠をじっと見据えている。慧瑠も、驚くでも戸惑うでもなく、真っ直ぐ綾袮さんを見つめ返している。

 

「…どうしました、宮空綾袮さん。それにその格好、演劇か何かの衣装で?」

「しらばっくれても無駄だよ。勿論、分からないフリをするのは勝手だけど」

「ちょ、ちょっと…綾袮さん…?しらばっくれてもって、どういう事…?綾袮さんは、何を言って……」

 

 普通なら動揺する筈の状況で妙に落ち着いている慧瑠に対し、綾袮さんは温かみのない声音で言葉を返す。

 それは何か、互いに互いを「分かっている」とでも言うかのような雰囲気。けれど俺には分からない。意味も、何が起きているのかも分からない。そして、俺には背を向けたまま……綾袮さんは、言う。

 

「…顕人君。落ち着いて聞いて。信じられないって思うかもしれないけど、信じたくないかもしれないけど、彼女は……ううん。あれは、人じゃない」

 

 

 

 

「今、わたし達の目の前にいるのは……──魔人だよ」



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第百四十話 真実に沈む心

 学校からの帰り道。初めて慧瑠と一緒に下校して、忘れ物をしたという慧瑠と別れようとしたところで、霊装者としての装いをして綾袮さんが降り立った。

 現れた綾袮さんは、慧瑠に対して視線を向けた。明らかに学校の後輩に、普通の人に向けるようなものじゃない、冷たく剣呑な雰囲気の視線を。その視線を向けたまま、綾袮さんは慧瑠と言葉を交わした。俺にとっては、全く意味の分からない言葉を。

 そして、綾袮さんは言った。今目の前にいるのは……慧瑠は、魔人だと。

 

「…は……?」

 

 訳が分からない。ちっとも、これっぽっちも綾袮さんの言っている事が分からない。慧瑠が、魔人…?……ははっ、何だよその…全くもって笑えない、過去最低レベルで詰まんない冗談は…。

 

「……綾袮さん。先輩、全く飲み込めてない顔してますよ?」

「まぁ、そうだろうね。…顕人君、今のは悪い冗談か何かだと思ってる?」

「…そう、なの……?…あ、いや…そうだ、そうだよね…!ほんとは慧瑠も霊装者かその関係者で、二人して俺をからかおうと──」

「わたしが冗談を、言ってると思う?」

「……っ!」

 

 投げかけられた質問を都合良く解釈した俺は、これを嘘だと、ドッキリ系の冗談だと思い込む。思い込もうとする。

 けれどすぐに発された、二つ目の質問。それは…いや、ここに現れてから、ずっと綾袮さんは真剣なまま。敵を相手にした時の……それも一瞬の油断も許されない、それこそ魔人かそれ以上の強敵と正対している時の、おふざけ一切無しの綾袮さん。…それが、その雰囲気が……冗談なんかじゃないだって、俺に対して伝えてきている。

 

「…で、も…そんな、そんな事って……」

「…事実だよ、顕人君。あれは、人間なんかじゃ間違ってもないし……あれなんだよ。文化祭の時に現れた魔人の、探していた『もの』は。…そうでしょ?」

 

 言っている事は理解出来てもそれを飲み込めない、飲み込むのを心が拒絶している俺へ向けて、更に綾袮さんは言う。魔人の、俺達の探していたものすら、慧瑠だったんだと。

 そうして、綾袮さんは慧瑠に向けて問い掛け……慧瑠は、ふっと笑う。

 

「ご明察。流石は宮空の血を引く霊装者ですね。いやぁ、貴女方があいつを撃退してくれた時は、素直に感謝していたんですが……こうなると、本当に厄介なのはどっちなのか分からないものですねぇ…」

「…ね、分かったでしょ。まだ混乱してるだろうし、すぐに飲み込めとは言わないけど……意識は切り替えて。今は、敵の眼前だよ」

 

 否定してほしかった。身に覚えのない話だって、言ってほしかった。だけど慧瑠は肯定し、言った。普通の人なら把握し得ない情報を。

 そこからやれやれと肩を竦める慧瑠に対し、綾袮さんは警戒するよう言ってくるけど…それも俺は飲み込めない。敵って……違う、違うよ綾袮さん…だって、今ここにいるのは……

 

「……慧瑠、じゃないか…」

 

 信じられないという思いから、認めたくないという気持ちから、俺はぽつりと言葉を漏らす。それを聞いた綾袮さんは、一瞬だけ視線をこちらに移して、それから再び慧瑠の方へ。…その時、綾袮さんの目には……同情の念が、籠っていた。

 

「…下がって。今は戦えるような心境じゃないでしょ?」

「……っ…戦えるような、って…まさか……」

「…………」

「…待って…待って綾袮さ──」

 

 次の瞬間、俺が止めようとしたその瞬間に、綾袮さんは跳躍。アスファルトを蹴り、翼を広げ、慧瑠との距離を一瞬で詰める。

 気付いた時にはもう大太刀を振るっている。そう言っても過言じゃない攻撃が慧瑠へと迫り、俺は反射的に駆け出しそうになって……けれどそれを、慧瑠は受け止める。…靄を纏った、右手の甲で。

 

「っとと…物騒ですねぇ、綾袮さんは。何もしてない相手に、警告もなしに斬りかかるなんて」

「何もしてない?…それ、本気で言ってる?」

「あちゃー…という事は、それもバレてる訳っすね……」

 

 大太刀と靄を纏った右手で二人はせめぎ合い、慧瑠がしまったと言いたげな表情を浮かべた瞬間、綾袮さんは大太刀を引きつつ蹴撃。そこから斬撃と打撃を織り交ぜた激しい連続攻撃を叩き込み、対する慧瑠は回避と両腕での防御で綾袮さんの連撃を凌いでいく。

 時間にすれば一分にも満たない、二人の攻防。けどその間に交わされた激突は濃密で……思わず俺は、見入ってしまっていた。

 

「…やりますねぇ。暫く戦ってなかったせいで勘が鈍っていたとはいえ……ヒヤヒヤしましたよ、綾袮さん」

「随分と白々しい事を言うね。きっちり全部防いでる癖に」

「それは当然じゃないですか。攻撃が当たったら痛いですし、諸に入れば最悪死にますし。……こっちから反撃はしないんで、ここは一つ見逃してくれませんかね」

「そう言われて、わたしがみすみす見逃すとでも?」

 

 何度目かの激突の末、二人は互いに跳んで距離を取る。どちらも…と言っても、慧瑠は回避と防御に徹してたけど…外傷と言えるものはなく、まだまだ余裕もある様子。

 その中で慧瑠は、綾袮さんに向けて見逃してくれるよう提案。それを綾袮さんは一瞬の逡巡もなく拒絶し、その声に変わらない敵意を籠らせる。

 

「…このまま戦えば、先輩に余波が行くかもしれませんよ?」

「大丈夫だよ、顕人君も少しずつ実力を付けてきてるんだから。それに、そっちが素直にやられてくれればその心配もないんだけど?」

「はぁ…なら、仕方ありませんね。出来れば穏便に済ませたかったですけど……」

 

 そう言って肩を落とし、一瞬隙を見せる慧瑠。でも、それは本当に一瞬の事で、次の瞬間、不意に慧瑠は……消える。

 

『……!?』

「ふふ、見えませんか?見えませんよね。感じられませんよね?」

 

 突如消えた慧瑠に、目を見開く。目にも留まらぬ速度で移動したとか、物陰に隠れたとかじゃなく…その瞬間から、本当に慧瑠は消えた。前にも後ろにも、左にも右にも、上にも…どこにも慧瑠の姿はなかった。

 

(これは…これが、慧瑠の能力……!?)

 

 高い戦闘能力、人と遜色ない知性の二つと共に魔人が有しているのは、それぞれが持つ固有能力。具体的にどういう能力なのか分からないけど…消えたのが慧瑠の能力だとすれば、一応それにも説明は付く。

 けれどそれは同時に、慧瑠が魔人であるという証明。あの靄も、固有能力も、魔人だからこそ持っているもの。…まだ、それだけならまだ綾袮さんの様に同じく固有の力を持っている霊装者で、靄も霊力が変化したものって可能性もゼロじゃないけど…その可能性は、状況がとっくに否定している。だから…嗚呼、ここまでくると否定のしようがない。飲み込むしかない。…慧瑠が、魔人なんだという事を。

 

「どんなに強くとも、相手がどこか分からなければ刃も振るいようがありませんよね?ここら一帯を無差別に攻撃する訳にはいかないでしょうし。…さて、それではこの辺で……」

「……そこッ!」

 

 心が冷え切っていくのを感じる中、見えないながらも聞こえてくる声。でも、慧瑠が別れの言葉らしきものを言おうとした瞬間……綾袮さんは身体を捻り、斜め上の空間へと一撃。その太刀筋が実体化するかのように霊力で編まれた斬撃が現れ、空へと向かって飛んでいく。そして、その斬撃がある場所を通った時…ふっとそこから、慧瑠の姿が現れた。

 

「…へぇ、本当にやりますね……」

「…当たってないのに、姿を現わすんだ」

「えぇ、自分の位置を感じ取った綾袮さんへ賛辞を込めての行動です。…ですがこれで、貴女が本当に油断してはいけない相手だと確信しました。なので……」

 

 言葉通り、本当に驚いている様子の慧瑠は、空から地上へとゆっくりと着地。でも当てられてはいないみたいで、実際慧瑠も焦ったような気配はない。むしろ、賛辞なんて言っている辺り…まだまだ慧瑠には余裕がある。

 それを示すように、俺達の前で再び慧瑠は消失する。だけど二度目の消失に対して、綾袮さんが取った次なる行動は……真逆。

 

「……っ!…前言撤回、さっきは下がってって言ったけど…顕人君、わたしの側を離れないで…ッ!」

「え…それは、どういう……」

「分からないの…さっきはそれでも、見えなくても何となく感じられたんだけど…今は全く、全然何も感じられない……!」

 

 素早くアスファルトを蹴り、俺の側まで後退してくる綾袮さん。その声に籠るのは…切羽詰まった緊迫感。

 

「それは…居なくなったって事じゃないの…?」

「かも、しれないね…だけど、さっきのが全力じゃないなら、さっきのが小手調べ程度の能力行使だったとしたら……」

 

 綾袮さんは動き回ったり、忙しなく視線を走らせたりはしていない。でも今、探知能力を、全神経をフル稼働させて必死に慧瑠を探しているんだって事は伝わってくる。

 こんな姿、滅多に綾袮さんは見せない。こんな綾袮さんを見るのはあの夏以来で、俺の心はどんどんぐちゃぐちゃなっていく。慧瑠は、そこまでの存在だったのかって。そこまでの存在が、こんな側にいたのかって。そんな慧瑠と、これまで俺は普通に接していて…今は、その慧瑠が綾袮さんと敵対しているのかって。

 本当は、そんな事考えてる場合じゃないって分かってる。一旦そういう思考は置いといて、俺も警戒すべきだって理解はしている。…だけど…俺はまだ、慧瑠の事を割り切れない。

 

「はてさて、今度こそ本当に分からないみたいですね。これでも普通に探知されたら、流石に焦っていたところでしたよ」

「……ッ…!」

「おっと、ここまでくると大体の位置は分かるんですね。けれど、今のでこの程度となると…この強度で全く分からない状態になるかどうかの境目は、この辺りってところっすかね」

「……馬鹿に、して…ッ!」

 

 はっきりと認識は出来ている、なのにどこから聞こえているのかは全く分からない声が聞こえる中、綾袮さんは振り返りざまに跳んで一太刀。でも今度の攻撃では慧瑠が現れる事はなく、戻ってきた綾袮さんは表情を歪ませ歯を噛み締めている。

 俺は見ているだけだ。探知しようとすらしていない。だけどそんな俺でも…完全に綾袮さんが劣勢に追い込まれてしまったんだって事は、分かる。

 

「いやいや、馬鹿になんてしてませんよ。だからこそ、貴女の実力を見極めようとしたんですし」

「…………」

「…無言、ですか。普段の貴女とは大違いですね。……さて、それでは下手な事して藪蛇になるのも嫌ですし、今度こそ自分はお暇させて頂きます」

「……!逃げる気…ッ!?」

「だからそう言ってるじゃないですか、っていうかさっきもそれを求めた訳ですし。それと、まぁ言っても無駄だとは思いますが…自分の事は極力放っておいて下さい。そうしてくれるのなら、自分も人を殺したりはしませんから」

 

 近くで言っているのか、遠くで言っているのか。それすらもはっきりとしない声で、慧瑠は続ける。逃げるつもりならば、こんな事言ってないでさっさと逃げてしまう方が良い気もするけど……そうしない慧瑠の真意は、分からない。

 

「ではでは、先輩もさようなら。こんな形にはなってしまいましたが……今日は先輩と学校帰りの道を歩けて、楽しかったですよ」

「……っ…!慧瑠、待ってくれ慧瑠…っ!」

 

 そうして最後に慧瑠が口にしたのは、俺に対する別れの言葉。それが耳に届いた瞬間、居ても立っても居られなくなった俺は、どこにいるのかも分からない慧瑠に向けて思いを叫ぶ。けれど、五秒経っても、十秒経っても……俺の言葉に、慧瑠からの声は返ってこなかった。

 

 

 

 

「…………」

「…はい、顕人君」

 

 慧瑠がいなくなってから、綾袮さんは周囲で秘密裏に展開していた人達に、慧瑠捜索の指示をした。当然、認識出来ない状態の慧瑠が、あの場でいなくなったという確証はなかったけど…逃走したのだろう、と綾袮さんは判断をした。そして今……俺は綾袮さんと共に、双統殿にいる。

 

「…ありがと」

 

 廊下の一角にある背のないソファに座った俺は、渡された紙コップを受け取る。中に入っているのは、近くのドリンクサーバーで淹れたお茶。

 

「もー、家ならともかく、ここでわたしにお茶を淹れさせるなんて、生意気だぞー?」

「いや、ここも綾袮さんにとっては家でしょ…」

「う…顕人君の突っ込みが暗い……」

 

 隣に座った綾袮さんの、しょぼくれたような声。理由は想像出来る。多分綾袮さん的には、少しでも暗い気持ちを払拭しようと思って言ったんだろうけど……俺だって、いつも明るくいられる訳じゃない。それに…それよりも今は、綾袮さんに訊きたい事があるんだから。

 

「……いつから、知ってたの」

 

 主語もなく、前振りもなく、コップの中のお茶を見つめながら俺は言う。何に対しての事かなんて…言うまでもない。

 

「…切っ掛けはね、休みに校内を捜索してみた日なんだ。その日に何も見つからなかったのは、顕人君も覚えてるよね?」

「…そりゃ、勿論…」

「うん。…で、ほんとに校内からは何も見つからなかったけど…校外に向かってる最中、ある子が言ったんだ。顕人君の霊力が、妙に減ってるって」

「…俺の、って…それは、魔物と戦ったからだと思うんだけど……」

「と、思うでしょ?わたしや妃乃もそう思ったんだけど…複数回戦った後みたいになってるって言ったの。…変だよね?これって」

 

 投げかけてくる綾袮さんに、俺は小さく首肯。どうしてその時言ってくれなかったんだ…とも思ったけど、その理由は俺にだって想像が付く。よく分かってない事柄を俺に話して不安にさせたくなかったとか、俺が異変を認識した事で何かが変わって原因究明出来なくなってしまう可能性を考慮したとか、断定は出来ないけど理由は恐らくこの辺り…だと思う。

 

「だからね、それからわたしはこまめに顕人君の霊力量をチェックする事にしたの。これは心当たりあるんじゃないかな?」

「心当たり?心当たりなんて……あ、もしや…ちょくちょく俺に触ってたのは……」

「そう。ざっくりならともかく、わたしの実力で正確に測るには触る必要があったからね」

 

 そう言われてはっとする俺。あれ以降、妙に触れられる事が多いなぁ、とは思ってたけど…偶然じゃなかったんだ……。

 

「基本的にはわたしが測って、可能な時はわたしより探知に長ける人に遠距離から調べてもらって、待ち構えてたの。減る瞬間を、その原因を」

「…………」

「そして今日、放課後別れた時には問題なかった霊力量が、校舎を出た時には減っていた。あの横断歩道前に来る辺りでは、更に減っていた。その間、当然顕人君は自分から霊力を消費するような機会なんてなくて……」

「…だから、一緒にいた慧瑠が、魔人だって…俺から霊力を抜き取ってたんだって、判断した……」

 

 綾袮さんから引き継ぐ形で、俺にも理解出来た結論を言う。それに綾袮さんは、小さく頷く。

 辻褄は合っている。校舎を出てから俺がやり取りをしていたのは慧瑠だけだし、綾袮さんは知らないと思うけど、あの日にも俺は慧瑠と会っている。その時霊力を吸収されたのなら、あの日に減っていた事も納得がいく。…けど……

 

「…魔人って、相手に気付かれず、体調にも影響を及ぼさずに霊力を抜き取るなんて事…出来るの…?」

「…少なくとも、奴は出来たんだよ。気付かなかったのは、顕人君が元々桁外れの霊力を持ってるからかもしれないし、敢えて一回一回は悪影響が出ない程度に留めていたのかもしれない。能力からして霊装者の目を逃れるのは得意だろうし…致死量吸い取って別の霊装者に自分の存在を勘付かれるより、一度の量は少なくてもより確実に、安定して霊力を確保する事を重視したんじゃないかって、わたしは見てる」

 

…全部、全部納得出来る。綾袮さんの言っている事は、どれもそうなのかもって、そうなんだろうなって思わせるだけの道理がある。そして…だからこそ、より真実味を帯びてしまう。今日起きた事は勘違いじゃないんだって、内側から理解させられてしまう。

 

「…慧瑠を、どうする気…?」

「……残念だけど、顕人君が望むような答えはないよ」

「……冷静、だね…」

「まぁ、わたしは殆ど交流なかったし……わたしの言葉に、わたしの選択にかかってくるのは、わたし一人の命じゃないからね」

 

 具体的な事は言わなかったけど、曖昧な表現だけど、どうするつもりなのかは分かる。

 俺は、それを支持出来ない。したいとも思わない。でも…否定も、出来ない。…正しいのは、きっと…少なくとも、霊装者としてはきっと…綾袮さんの方が、正しいから。

 

「…さて、と。そろそろ行こっか」

「…どこへ?」

「おじー様のところだけど…言ってなかったっけ?」

「…うん、まぁ…そのパターンにも、もう慣れたよ……」

「あはは、ごめんごめん…」

 

 がっくりと肩を落としながら俺は立ち上がり、残った…というか一口も飲んでいなかったお茶を一気に飲み干す。

 訊きはしたけれど、まぁそうだろうなという予想はついていた。だから然程驚きはないし、特に嫌だとも思わない。

 

「おじー様、失礼しまーす」

 

 例の如く緩い入室をする綾袮さんに続いて、俺も刀一郎さんの執務室の中へ。入った瞬間、刀一郎さんは「またか…」と呆れ混じりの視線を綾袮さんへと向けていたけど、今回は特に何も言わなかった。

 

「…ご苦労だったな、綾袮。顕人も、今回の件は災難だったろう」

「…いえ、大丈夫です…」

 

 初めに投げかけられたのは、気遣いの言葉。それに俺は短く答え、刀一郎さんの目を見つめる。

 災難だった。…それは、何に対して言っているのか。親しくしていた相手が魔人だったという事に対してなのか、単に魔人から霊力を取られていた事に対してなのか。…それが知りたくて、見つめたけど…真意は、分からない。

 

「早速だけど…おじー様、捜索部隊から何が報告はあった?」

「いや、今のところはない。それに綾袮、お前が白兵戦の距離で全く認識出来なかったのなら…単純な捜索での発見は、困難だろう」

「まぁ、そうだよね……じゃあ、こほん」

 

 そんなやり取りを経て、綾袮さんは報告を開始。あった事、起こった事を事細かに話して、それを刀一郎さんは口を挟まず静かに聞く。報告自体は、戦闘終了後すぐに別の人がしたらしいけど…直接戦った綾袮さん、それに側にいた俺がどう感じたかを聞きたかったんだとか。…尤も、俺は殆ど話せる事なんてなかったけど。

 

「ふ、む…となるとやはり、先日の魔人が探していたのはその魔人であろうな。…通りで見つからん訳だ。まさか、探していたのが『物』ではなく、『者』だったとは……」

 

 顎に手を当て呟く刀一郎さんの中では、きっと様々な思考が駆け巡っている。そして今、俺はいつもよりも緊張していない。それは恐らく、俺の中でまだショックが抜け切らないからで……そのおかげであまり緊張してないというのは、何とも皮肉な話だと思う。

 

「…おじー様、あの魔人はどうして探してたんだと思う?邪魔だと思っていたのか、それとも仲間にしようとしたのか、それとも……」

「今の段階では何とも言えんな。だからこそ、あらゆる可能性を考慮するべきだろう」

「うん。…わたしに出来る事があったら言ってね?おじー様、少し疲れた顔してるよ?」

「ふっ、言うようになったな綾袮。…心配せずとも、必要ならば指示を出す。何かを任せる事もあるだろう。だが今日は休め。奴が攻勢に出てきた場合、気が抜けなくなるのは間違いないのだからな」

 

 心配そうに言う綾袮さんに対し、刀一郎さんはふっと笑う。俺には分からなかった『疲れた顔』を見抜く綾袮さんと、隠そうとはせず…けれど心配をかけないような言葉で返した刀一郎さんは、性格は違えど良い祖父と孫なんだろうなぁ…なんて感じたけど、それも今は虚しく映る。……っ…駄目だな、ここまで気落ちしてるのは流石に不味い…。人を見る目すら曇るようじゃ…いけない。

 

「それと顕人。検査には行ったのか?」

「あ…いえ、まだです…」

「ならば、必ず行くように。綾袮」

「はーい、ちゃんと連れて行くから大丈夫だよ。…っと、そうだ。おじー様、最後に一ついい?」

「あぁ」

 

 話が済んでの去り際、刀一郎さんは俺の検査を綾袮さんにも念押し。それに頷いた綾袮さんは扉の方へ向かう直前、神妙な…報告をしていた時の顔になって、刀一郎さんも静かに頷く。

 

「…奴の、あの魔人の能力は完全にわたしの探知能力を超えていた。それは、さっき言った通りなんだけど…口振りからして、多分まだ本気を出してない。ギリギリ探知出来ないんじゃなくて…本当は、まるで探知出来ない領域かもしれないの」

「…………」

「だから…もしかしたら、だけど……あれは、魔人じゃなくて…魔王級、かもしれない」

 

 そうして、綾袮さんは言った。慧瑠が、魔人ではなく…魔王かもしれない、と。千㟢曰く、発見報告を一生に一度聞くかどうかの存在かもしれないと、そう言った。

 魔人だからどうとか、魔王だったらどうとか、そういう感じの思いはない。俺にとって最大の衝撃は、慧瑠が人ではなく、霊装者にとっての敵だったって事。けれど、それでも…その言葉を聞いた時、俺はもう……今この瞬間が現実だって事を、信じられなかった。



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第百四十一話 気にかける心

 慧瑠は魔人だった。それも、魔王の可能性すらある、強大な存在だった。……それを知った日から、一日が経った。

 俺にとってそれは、想像を絶する出来事。目が覚めた時、昨日の事は全て夢だったんじゃないかと本気で考えてしまう位には、信じ難い事だった。…けれど、俺にとってはそれ程に衝撃的な事実でも…世界は、何の変わりもなく進む。

 

「失礼しまーす…」

「……?えと、何かご用ですか…?」

「え、と…このクラスに、天凛慧瑠…っています?」

 

 午前の授業が終わった昼休み、俺は一年のクラスに来ていた。理由は勿論、慧瑠を探す為。

 勿論、普通に来ている訳がない…って事は分かってる。でも、慧瑠は「あ、魔人だったんだ。ふーん」…で流せるような相手じゃない。だから、どうせいないと思っていても、確認せずにはいられなくて……だけど、返ってきたのは否定の言葉。

 

「慧瑠…?…すみません、ちょっと分からないです…」

「そう、ですか…」

「…あの、お探しでしたら訊いてきますよ?何人かに声をかければ……」

「あ…いや、大丈夫です。もしかすると、違う学年かもしれないので…」

 

 答えてくれた一年生に軽く頭を下げて、俺はそこのクラスから離れる。下級生相手に敬語なのは…単に年下とはいえ、初対面でいきなりタメ口は避けるべきだろうと思ったから。

 

(…ここも、空振りか……)

 

 今覗いたのは、最後のクラス。何組かを知らなかった俺は、全クラスに声をかけてみて…けれど一度も、どのクラスでも、慧瑠がいるという答えは返ってこなかった。慧瑠の名前を聞いて、誰か分かる人すらいなかった。

 

「……確か、委員会絡みの書類が…っと、あった」

 

 ならば、と次に俺が向かったのは生徒会室。生徒会室には各委員会の活動方針やら何やらが書かれている書類もあって、その中には委員会に所属している人の名前も書いてある。そして、当然生徒会も委員会の一つな訳で、そこにある学籍番号を見れば、自然とクラスも分かる…と、思ったけど……そこにも慧瑠の名前はなかった。

 おかしい。これは明らかにおかしい。だって、慧瑠は生徒会に所属しているんだから。俺と同じ、生徒会本部役員なんだから。…なのに、名前がないなんて……

 

「…どう、なってんだよ……」

 

 書類を戻して、部屋を出て、鍵を閉める。…見つかるとは思っていなかった。いる訳ないって思っていた。でも、誰も分からない、名前すら載っていないなんて……そんな事は、微塵も想像すらしていなかった。

 

 

 

 

 授業が終わるや否や(つっても、教科書やノートは仕舞ってたが)クラスを出て行った御道が、暫くしてから戻ってきた。戻った御道はこれと言って何も言わず、普通に弁当箱を取り出したが…どうにも、今日は朝から様子がおかしい。

 

「…御道」

「……ん…?」

「……御道」

「…だから、何……?」

「……笹倉」

「誰!?え、笹倉!?どちら様!?」

 

 適当に思い付いた名字で呼んでみると、前二回とは打って変わってビビットな反応を返してくる御道。…もう、マジで条件反射なんだな……。

 

「そりゃ、御道の事に決まってんだろ」

「なら御道って呼んでくれない!?違う人の名前で呼ぶ必要性ないよねぇ!?むしろ分かり辛いだけだからね!?」

「へいへい。…で、今日は何があったんだ?ぼうけんのしょでも消えたか?」

「違うわ……別に、何もないよ…」

 

 ボケれば面白い位に反応するが、一歩踏み込むとすぐにまた御道は思い詰めた…ってか、かなり考え込んでるような状態に戻ってしまう。御道は普段から時々何かを考え込んでたりもするが…今日は、そういういつものやつじゃない。

 ちらりと隣を見てみれば、妃乃と綾袮も普通に食べている…風にしつつも、こっちの会話を聞いている様子。…止めようとする素振りはねぇし…まぁ、いいか。

 

「……昨日の出来事、か?」

「……っ…」

 

 そう言った瞬間、御道はぴくりと肩を震わせる。もうこの反応の時点で、何が理由かは間違いない。

 昨日、また魔人が…それもかなり強力な奴が現れたって話は、昨夜俺も妃乃から聞いた。そいつは御道が親しくしていた相手だったって事も、文化祭の時に現れた奴は恐らくその魔人を探していたんだろうって事も。

 

「…まぁ、その…なんだ、災難だったな…」

「……災難どころじゃないよ…」

 

 中身のない、薄っぺらな俺の慰めに、返ってくるのは暗めの言葉。…そりゃあそうだ。災難だったで済む訳がない。危険な存在が、前から近くに居たなんて考えたら普通はゾッとするし……親しい相手が実は魔人だったなんて、ただただ辛いだけ。もし緋奈や妃乃、依未なんかが魔人だったら…俺だって、落ち込んでたと思う。そして、そういう意味じゃ……今の俺の表現は、良くない。

 

「……悪い、災難ってのは撤回する」

「別にいいよ…何も、そんな奴に目を付けられて大変だったな…的な意味で言った訳じゃないでしょ?」

「お、おぅ…それはそうなんだが……」

 

 撤回しただけで…いや、その前から俺の言いたかった事を理解してくれているのはありがたい。そういうところが、社交性の高さにも繋がってんじゃねぇかなと思う。…思うんだが……

 

(…や、やり辛ぇ……)

 

 普段『友人』として一定の線は引きつつも、『男友達』として気のおけないやり取りをしているからこそ、今日の御道は接し辛い。いやほんと、緋奈みたいに家族だったり、或いは依未みたいな年下だったりするならまだやりようはあるんだが…対等な友人ってのは、逆にこういう時踏み込み辛かったりするんだよな…。

 

「…………」

「…………」

「……ほ、ほーら…ミートボールだぞー…?」

「…え、何!?まさかミートボールで元気にさせようとでも思ったの!?」

「…すまん、今のは我ながら無いわ…忘れてくれ……」

「あ、うん……」

 

 はぁ!?…みたいな顔で突っ込まれ、ずっと下げるミートボール。…いやほんと、今のは反省レベルだ俺…幾ら何言ってやりゃいいか分からなくても、ミートボールって……。…あ、別にミートボールdisってる訳じゃないぞ?ミートボール美味いし。

 

「はぁ……けど、俺こそ悪い。何か、変に気を遣わせちゃって……」

「や、それはいいんだが…」

「いいや、良くない。周りの空気悪くしたり、気を遣わせちゃったりするのは個人的になんか嫌なんだよ。だから…よっし、切り替えよう切り替えよう…!」

 

 だがそれが功を奏した(?)のか、両手で頬を軽く叩き、表情から暗さを払拭する御道。それから御道はいつも通りの調子に戻り、結果空気も好転する。

 それは、本心だろう。何十年もの付き合い…って訳じゃないが、御道がそういう奴だって事は知っている。御道自身、明るい空気の方が良いって感じているんだろう。…けど……

 

(…そんな簡単に、切り変えられるものじゃねぇだろ……)

 

 空気を悪くしたり、気を遣わせたりするのが嫌だってのは、きっと本心。だからそうならないよう、気持ちを切り替えようとするのは普通の事。だが、人はそんな簡単に心を切り替えたりなんて出来ない。少なくとも、俺だったらそんな即座には切り替えられない。そして、御道の顔を見れば分かる。今の御道が出しているのは…空元気だって事に。

 

「…ふぅ、ご馳走様…っと。さて、俺ちょっと提出物あるから職員室行ってくるわ」

「提出物?…それ、食事の前に行った方が楽だったんじゃね?」

「はは…提出しなきゃいけないの、食べてる途中に思い出したんだよ……」

「抜けてんなぁおい……」

 

 十数分後。そんな事を言って頬を掻きつつ苦笑いする御道に、嘘や誤魔化しの雰囲気はない。…って事は、ほんとにうっかりしてたんだろう。提出期限がいつまでなのかは知らないが、このまま帰るまで忘れてたらどうしたのやら…。

……なんて思いつつも、ファイルの中から書類を出て立ち上がる御道に向かって、俺は言う。

 

「…無理、すんなよ?」

「…気を付ける」

 

 投げかけた言葉は、御道の背に。返ってくるのは、背中越しの言葉。それから御道は教室を出ていき……俺ははぁ、と溜め息を溢す。

 

「…今ので、良かったのかねぇ……」

 

 何か声をかけてやりたいとは思った。だがいざ口から出たのは、さっきと違っておかしくはないが…なんつーか、無難って感じが抜けない言葉。…無理すんなってのは、ほんとに大事な事ではあるけど、割と何にでも言えるんだよな……。

 

「……まぁ、悪くはなかったんじゃない?気遣ってくれる相手がいるっていうのは、結構心の支えになるものだし」

「そうか?…てか、気遣ってる感が出てたとしたら、それは……」

「あぁごめん、そういう意味じゃないわ。そうじゃなくて、こうして声をかけてくれる相手がいるのは…って事」

「なら、いいけどよ…」

 

 大切なのは御道がどう思ったかではあるが、肯定されればそりゃ当然安心出来る。…って、いうか……

 

「…話が話なんだから、こういうのは二人の方が色々言うべきなんじゃないのか?」

「あー、やっぱそう思う?」

「そう思う?…って、まさか分かってて黙ってたのか…?」

「いや、ほら…わたしも色々声かけてはいるよ?けどわたしって…顕人君からすれば、『正体を暴いた人間』…でしょ?だから、わたしもあんまり能天気な事は言えないっていうか……」

 

 頬を掻き、苦笑いし…だが普段の元気が有り余っているようなものではなく、どこか悲しそうな表情を浮かべる綾袮。それを見て、俺も思った。あぁそうか。綾袮は綾袮で、言い辛い理由があったんだな…って。

 

「…それに、奴と顕人君とがどれだけ親しくしていたとしても、わたしが…わたし達がやる事は変わらないからね」

「…そりゃ、そうだろうが……」

「…結局、出来る範囲の事をするしかないわね。貴方も、私や綾袮も……」

 

 そう、妃乃はぽつりと呟く。綾袮も妃乃も、この状況を…今の御道を良しとはしていない。だが二人には立場があって、その立場故にやらなくちゃいけない事もある。そういうしがらみがある以上、霊装者や魔物絡みの事となると、上手く立ち回れる事もあれば縛られる事もあるのが二人で……っていかんいかん。御道が席を外してるのに、結局暗い感じになってんじゃねぇか……。

 

「…ふーむ、ここは……」

「…悠耶君、もしかして一肌脱いでくれたり?」

「いや、俺は特にやらん。てか、男が男に色々されてもぶっちゃけ鬱陶しいだけだろ」

「そう?わたしなら妃乃が色々してくれたら嬉しいし、何なら色々してもらいたいなーって位だよ?」

「綾袮……貴女それ、面倒な事を片付けてもらいたいってだけでしょ…」

「さっすが妃乃!わたし達ってば、以心伝心だね!」

「…………」

「お、おおぅ…思いっ切り生気のない目で見られた……」

 

 話が切り替わった途端、一気に明るくなった雰囲気。…やっぱ、無意識にテンションが上下する位には綾袮も御道を気にかけてるんだな…。

 

「…そうじゃなくて、この件に御道はもっと関わった方が良いかもなって事だ」

「…どういう事よ?」

「だって関わらないまま事が進んだ場合、どんな結果になろうと御道の中じゃ『望んでなかった現実』が残り続けちまうだろ。だから関わる事で、『自分なりにけりを付けた現実』に変えられりゃ、少しは吹っ切れるのかもな…ってこった」

「そっか…悠耶君、冴えてるね……」

「人生経験だけはそこそこあるからな。…まぁ、関わった事で傷が深くなっちまうかもしれねぇし、あんま無責任には言えないけどよ……」

「ううん、参考になったよ。ありがとね、悠耶君」

 

 そうしてこの話もお開きとなり、昼休みが終わる直前に御道も教室へ戻ってくる。今回も、明確な結論は出てないが…いつもの事だし、気にしない。

 結局のところ、心の問題はそいつ次第。だから何が正解かなんてはっきりしないし、その正解だってタイミング一つで変わっちまうもの。だから、俺達に…周りの人間に出来る事と言えば……

 

(…っていやいや、だからそういうのが暗くなって逆に気を遣わせるんだっての。……何かあっても綾袮やあの姉妹がいる訳だし、俺は普段通りにいる位が丁度良いよな)

 

 頭を軽く振って、思考に打ち切りをかける俺。誰も彼もが深くまで踏み入る必要はない。むしろ誰彼構わず入ってきたら、それはそれで迷惑ってもの。…適度な距離を取るもんなのさ、野郎と野郎の関係はな。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 今日最後の授業が終わって、下校前のHRが始まるまでの、微妙な空き時間。そこでトイレに行くと、トイレから出たタイミングで携帯が振動した。

 

(依未からか…えぇと、内容は……)

 

 確認してみれば、それは依未から送られたメッセージの通知。書いてあったのは短文だったが…ある事が気になった俺は、HR終了後に電話をするべく人気のない場所へ。

 

「…………」

「……もしもし?」

「よぅ、元気か?」

「…何?急に…」

 

 そこそこ長めの呼び出しの後、携帯越しに聞こえてきたのらいつも通りダウナーな声。…さらっと俺の言葉スルーしやがったな……。

 

「そりゃこっちの台詞だ。週末、出掛けたかったんじゃないのか?」

 

 何か言い返してやっても良かったが、切られた場合改めて電話するのは面倒臭い。という訳で俺は本題に入る。

 気になったのは、今俺が言った事。元々、今週末は依未からの要望で買い物しに付き合う予定だったのだが…そのキャンセルを、先程メッセージで伝えられた。キャンセル自体はまぁいいが…理由もなく無しにされると、やっぱり何故か気になるってもの。

 

「…それ、メッセージで返せばよくない?」

「それは…言われてみればそうだな。よし……」

「いや今言うから…なんで二度手間にしようとしたのよ……」

 

 よし、としか言っていないのに、俺の行動を読んで突っ込んでくる依未。…基本捻くれてるけど、依未って結構突っ込み気質だよなぁ…。

 

「じゃ、聞こうじゃないか」

「……あんたまさか、断らせない為にわざと…?」

「さぁて、どうだろうな?」

「ぐっ…まぁ、いいわよ別に…。…っていうか、理由は察しが付くんじゃないの?」

 

 電話という形でも目に浮かんでくる、依未の悔しがってる表情。それにちょっと口角が上がってた俺だが……続く言葉で、冗談半分だった俺の思考は冷静になる。…察しが付く、か…そういう言い方をしたって事は、やっぱり……

 

「…昨日の件か?」

「そうよ。綾袮様でも探知出来ないような魔人がいる中で、あたしに外出許可が出る訳ないでしょ?」

「だよな…って待った。外出許可って…じゃあ、これまでは毎回許可を……?」

「あぁ違う違う。流石にそこまで管理されてる訳じゃないわ。…まぁ、外出る時は一言言わないと色々面倒になるけど……」

 

 キャンセルになった理由は、依未が体調を崩したとか、気付かぬ内に俺が依未を傷付けてしまったとかではなく、単に今は危険だというだけの事。勿論、この件はこの件で凄く頭を悩ませてくれてるんだが…それでも俺は一安心。外出許可、って言葉には別の不安もよぎったが、それも俺の思い過ごしらしい。

 

「…だったら、まぁ…また後日だな」

「……悪いわね…」

「気にすんな。仕方ない事を気にしてても疲れるだけだぞ」

「何その物凄く微妙なフォロー……」

「え…これ、微妙…?」

「どう考えたって微妙でしょ。フォローするならするで、もっと『気にすんな。俺はいつでも大丈夫だからさ』みたいな事言えばいいのに言わないし、でも全く着飾りがない分『気を遣わせてしまった』って感覚にはならないから、そういう点では悪くないとも思えるし…」

「お、おぅ…言われてみるとそうだな…(うわ、分析されるとなんか恥ずい……)」

 

 まさか何気無く言った言葉をマジ分析されるだなんて思ってなかった俺は、恥ずかしい寄りの何とも言えない感情に。やべぇ、今度はどんな表情してるのか全然分からねぇ…ほんとどんな顔してこんな分析してんだ…?

 と、俺が思っている中、不意に…というか分析を終えたところで、一瞬の間の後依未は言う。

 

「……で…その…あんたは、大丈夫…?」

「俺……?」

「だって…あたしはここにいる限りは大丈夫だと思うけど…あんたは、普通に外にいる訳でしょ…?」

 

 刺々しさも毒気も抜けた、年相応の依未の声。声量もさっきより少し小さくなっていたが…聞き逃す事なく、その声はちゃんと聞こえている。

 

「そら、外ってか今も学校にいるが……もしかして、心配してくれてるのか?」

「なぁ!?ち、違っ、なんでそうなるのよ馬鹿ッ!」

「な、なんでって…文脈的に……?」

「うぐっ……わ、悪い!?」

「なんでキレるんだよ…後耳がやられるから通話で大声出すのは止めてくれ……」

 

 図星を突かれた様子で何やら滅茶苦茶慌てる依未。絶対俺は変な事なんて言ってないのに…っていうか、図星も何もこれって隠す事ではなくね…?

 

「ふんっ!心配したからなんだってのよ…!」

「いや知らねぇよ…依未さっきから無茶苦茶な事言ってるからな…?(今、電話なのにそっぽ向いたな……)」

「うっさい、全部あんたのせいよあんたの…!」

「へいへい、そりゃ悪うございましたね…」

 

 責任転嫁も甚だしい言いようだが、基本往生際が悪い依未へぐちぐち言い続けると電話のぶつ切りをされるかもしれないし、切られるだけならともかく反撃としてまた大声出されちゃ(耳が)一溜まりもない。…それに、依未が元気だった事は分かったしな。

 

「ほんっとに、あんたはもう……」

「悪い悪い。まぁ、要件は済んだしそろそろ切るとするさ。気分を害して悪かったな」

「あんた何回悪いって言うのよ……」

「それは知らん。んじゃ、勝手に外出たりすんなよ?」

「そんな事しないっての…。……けど、その…」

 

 世の中引き際が肝心。そう思って耳元から携帯を離そうとしたところで、依未はごにょごにょと何かを言いかける。

 さて、依未は何を言いたいのか。まだ言い足りない事があるのか。そう思って次の言葉を待っていると……再び毒気の抜けた声で、依未は俺に言ってくる。

 

「……ほんとに、気を付けなさいよ…?…あ、貴方には…まだまだ、色んな所に付いてきてもらわなくちゃ困るんだから……」

「…心配すんな。依未との約束は、何があったって絶対に守るさ」

「…それが分かってるなら、いい……」

「おう。心配してくれて、ありがとな」

「…うん」

 

 最後に依未の素直な声を聞いて、俺は依未との電話を切る。ほんと、人への心配は何ら隠す事じゃないし、恥じるような事もないのに、一体依未は何がしたいのか。それとも、外に出られなくなってストレスでも溜まっているのか。…まぁ、何にせよ……

 

(……こういうところは、可愛いよなぁ…)

 

 今は状況が状況だし、御道の事で不安もある。だがまぁ、何というか…自分でも無意識過ぎて、後になってから迂闊だなぁという思いにはなったが……電話を切る間際にしおらしい依未の声を聞いて、不覚にもそんな事を思ってしまった俺だった。



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百四十二話 翻弄されども楽しくて

 星のよく見える空の下を、ゆっくりと飛ぶ。空気の乾燥している冬の夜空は、本当に星がよく見えて、天体に興味がある訳じゃなきゃロマンチストって訳でもない俺でも、あぁいいなぁ…と思わせてくれる。そして、そんな夜空を女の子三人と空中散歩出来る俺は……結構、幸せ者かもしれない。

 

「顕人は、女の子と空を飛ぶのが好みなの?」

「いや地の文だから!基本作中の人物には見えてない物だから!それをさらっと読まないで!?」

「でも、綾袮は時々……」

「それはそういうネタなの!そして今のは読んじゃ不味いやつだからね!?」

 

 もういきなりメタ発言で冒頭の流れをクラッシュされた俺は、路上だったら確実に周りから変な目で見られるレベルの声量で突っ込む。怖っ!天然怖っ!

 

「へー、顕人君にはそんな下心が……」

「うっ……気分上げようとしたんだよ…一種の自己暗示であって、今現在浮ついた気分になってるとかではないからもう触れないで……」

「あ、そうなんだ。じゃ、ちょっと面白いもの見せてあげよっか?」

「面白いもの?」

「ふふーん、見ててよ?ていっ!」

 

 追撃されて俺がげんなりしていると、その当人である綾袮さんは先行する形で少し前へ。何だろうと思って俺が目で追うと、綾袮さんは振り返り、一度自分の身体を包むように蒼の翼を閉じて……そこから勢い良く展開。

 その瞬間、きらきらと輝きながら周囲へと舞い散る霊力の光。蒼色の粒子が揺らめきながら消えていくさまは、本当に幻想的で……思わず俺は、息を飲んでいた。

 

「……凄ぇ…」

「でしょ?基本無駄だからやらないけど、こうやって盛大に散らしながら飛び回る事もできるんだよ?」

「マジか…あ、どうしよう想像したらほんとにマジかっけぇ…!」

 

 大太刀を携え空を縦横無尽に駆け巡る綾袮さんを思い浮かべた俺は、つい興奮をしてしまう。女の子の想像をして興奮、って言うとアレな感じだが……これは仕方ない。だって、『光の翼(蒼)』って時点でもう十分少年の心をくすぐられるんだから。

 

「まぁ、隠密性を考えれば、無駄どころかマイナスにすらなり得る気がしますけどね」

「…フォリンさん……」

「え、あれ?…私、何か不味い事言いました…?」

「うーんと…今のは不味いっていうか、『そういう事じゃないんだよなぁ…』のパターンかなぁ…」

 

…と、俺が思っていたところへ不意に無粋な発言をしたのは、なんとフォリンさん。苦笑気味にそう言ったフォリンさんは、どうやら俺が半眼を向けた理由が分からなかったらしく、その発言に対して苦笑いしていた綾袮さんに教えられていた。

 とまぁ、こんな感じで駄弁っている俺達だけど、これでもれっきとした任務中。そして、その任務というのは…慧瑠の捜索に他ならない。

 

「…その、すみません顕人さん……」

「いや、うん…別にいいよ。悪気があった訳じゃないのは分かってるから…」

「…顕人、よしよし」

「え…あ、あの……」

「よしよし」

「……ねぇ綾袮さん、感性のズレって中々酷いもんだよね…」

「あ、あはははは……」

「……?」

 

 同性同年齢の人だって個人個人で趣味や価値観が違うんだから、生まれも育ちも経験も全然違うフォリンさんと認識の相違があったって仕方ない。そう思って言葉を返した俺だけど…何を思ったか、ラフィーネさんは俺の頭を撫でてくる。

 恐らくそれは、慰めとか気遣いとか、つまりは善意の気持ちからくるものだとは思う。けど、この流れで年下の相手に頭撫でられて慰められるなんて、気が晴れるどころかむしろ余計に悲しい訳で……さっきから俺、ロサイアーズ姉妹の無自覚攻撃でガリガリテンション削られてるよ…。

 

「…え、と…そ、そういえば綾袮さん。今回はどうして私達もなんですか?」

「あ…う、うん。それは相手が相手だから捜索にも双統殿の警備にも多くの人手を割かなきゃいけないし、しかもこれまで霊力を奪われていた顕人君は、今後もまた狙われる可能性があるからだよ」

「つまり、私達を遊ばせておくような状況じゃない…という事ですか。…あの、遊ばせておくの使い方は……」

「今ので合ってるよ。それに二人は強いし、わたし達で組めば結構ハイレベルでバランスが良いからね」

 

 俺が再びげんなりする中、綾袮さんとフォリンさんは今の組み合わせについて会話。…言われてみると確かに、近接戦に長けるラフィーネさんに、アウトレンジからのピンポイント攻撃が出来るフォリンさんに、圧倒的機動力の綾袮さんって、かなり良いチームになってるよなぁ…。

 

「あぁ…それもそうですね。ラフィーネが正面戦闘を行い、綾袮さんが前衛として連携しつつ遊撃も担当し、顕人さんと私でそれぞれ面と点の火力支援…と言ったところでしょうか」

「…うん?え、今の話って俺も入るの?」

「そりゃ入るよ。前に妃乃とも言ったけど、顕人君の火力と手数は距離を取って援護に徹した場合、相手にとってはかなり厄介になるからね。わたしとラフィーネが前衛にいて、しかもフォリンの狙撃もある中で後方から高火力の面制圧をされたら、それこそわたしでも突破は諦めちゃうかな〜」

「うん。顕人が支援してくれるなら、わたしは前で顕人を守る」

「ふふっ、では更に私が二人を守りますよ」

 

 まさか自分も入ってると思わなかった俺は、フォリンさんの言葉に驚いた。それに綾袮さんの言ってくれた言葉も(俺自身は前にも出たいとはいえ)嬉しかったし、続くラフィーネさん達の言葉は、まぁちょっとむず痒くもあったけど…決して嫌な気はしない。

 

「えーわたしはー?わたしだけ仲間外れー?」

 

 隣では綾袮さんがちょっと可愛らしく口を尖らせているけど、それが冗談半分…まぁつまり本気で気にしてる訳じゃない事は、その顔を見れば一目瞭然。

 そして俺は、ふと気付く。さっき俺は少々アレな事を考えてでも気分を高めようとしていたけど……そんな事はしなくたって、皆といればそれだけで気持ちは安らぐんだと。

 

(…いや、安らぐとは違うか。少なくとも平穏な気持ちではいられてないし。でも…うん、楽しい気持ちになっている事は間違いないよな)

 

 そう、俺はこうして皆と話している時間が好きだ。かなり振り回されているけど、それも俺は楽しいと感じている。この気持ちは間違いないし、だからこそ……

 

「……?顕人君、どこ見てるの?UFOでも見つけた?」

「ん?あぁいや別に、何かを見ていた訳じゃないよ。ちょっと考え事していただけ」

 

 俺は思う。思いを馳せる。今はどこにいるかも分からない慧瑠と、もう一度話をしたいと。話せばどうなるって訳じゃないし、話した先の事なんて見えないけど……もっとちゃんと、慧瑠の事を聞きたい、と。

 

「…しかし、その魔人どころか魔物の気配もないですね…」

「まー、今はこっちも色んなところで動いてるからね。色々画策もしてるし……魔物の方も警戒して人気のない場所へ行ってるんじゃない?」

「魔物…そういえば、その前の魔人は?」

「その前…って、文化祭の時の奴だよね?そいつも行方知れずだけど、わたし達があの日確認したのと同じタイプの魔物は数日前にも討伐されてるし、多分近くに入ると思うよ。…はぁ…今のところは平和だけど、結構不味い状態なんだよね……」

 

 そんな思いを俺が胸中で抱く中、綾袮さん達は別の話題で話を続ける。…そっか…失念してたけど、そっちの問題もあるんだよな……。

 

「今年…っていうか今年度入ってから魔人の発見が続いてるし、魔王まで出てくるし、流石のわたしでも悲観的な思考になっちゃいそうだよ…とほほ……」

「綾袮さん……とほほってはっきりと言ってる辺り、実は内心まだ余裕はあるね…?」

「あ、バレた?…まぁとにかく、三人共魔物を見つけたらすぐに仕掛けるんじゃなくて、可能なら連絡する事。ちょっとでも危険の方が大きいって思ったら、迷わず逃げる事。撃破より予想外の事態に対応出来る状態作りの方が大事だって事は、忘れちゃ駄目だよ?」

『はーい』

 

 ちょっとふざけてた綾袮さんだけど、その後の忠告はしっかりと胸に刻み付ける。

 この楽しい時間も、慧瑠の事も、一時の「俺一人でもやれるんじゃね?」なんて油断と引き換えにするには惜し過ぎる。なら、どうするか。…そんなの、言われた通りに気を付ける以外ないよな。

……とまぁ、そんな感じで飛び回る事約一時間。結局何も発見出来ず、体力的な余裕もまだあったけど、今日の捜索は終了となった。…相手が魔人だからこそ、余裕がなくなるまでの捜索はしないんだとか。

 

「はー…今日も身体が冷え切った……」

「だよね〜…あ、そうだ顕人君!ちょっと帰りにコンビニ寄らない?わたし中華まん食べたくなっちゃった」

「ん?…まぁ、俺は良いけど…二人はどうする?」

「中華まん…?」

「前にCMか何かで見た覚えがあるような気もしますが…お饅頭の一種、ですか…?」

 

 双統殿へと向かう最中、きょとんと小首を傾げる二人。それを見た俺と綾袮さんは顔を見合わせて……数十分後、俺達は揃って家の近くのコンビニに。

 

「…という訳で、あれが実物だよ」

「…ん、画像で見た通り」

「そ、そりゃまぁね…」

 

 ここに来るまでに携帯で検索した中華まんの画像を見せていたから(ついでにその時、ベースは中国の料理でも中華まんそのものは日本の料理なんだと知った)、保温機内の実物を見た二人の反応は割と地味。…まぁ、驚かせようとしてた訳じゃないから別に良いけど。

 

「わたしはあんまんにしよっと。皆は?」

「俺は…やっぱ肉まんかな」

「ラフィーネは何にしますか?」

「んと…ピザまんか、カレーまん」

「ですよね、私もです。ですから二人で半分こしませんか?」

「うん、そうする」

 

 前に二人と初めて食事をした時にもあった光景を目にしながら、俺はレジへと向かって注文。…そういや、誰も被らずメジャーな四種を見事に網羅してるなぁ…。

 

「はい、三人共お待たせ」

「ありがと、顕人。はい、フォリン」

「では私も…っとと、思ったより熱いですね…」

 

 そうして俺達は各々中華まんを手に、後少しとなった帰路を歩く。元から食べたい味を選んだ俺と綾袮さんは勿論の事、興味半分で選んだ二人も中華まんの味はお気に召したようで、そのご満悦な顔を見て俺も一安心。

 

(…良いなぁ、こういうのも青春って感じで)

 

 用事終わりにコンビニへ寄って、皆で買った物を食べながら帰る。そういう経験はこれまでにもあったけど、やっぱり何度経験しても俺はこれを良いと思える。そして皆も同じように感じていてくれたのなら…それは、尚嬉しい。

 

「…顕人、今日は?霊力が減ってる感じない?」

「ん?あー…っと、多分大丈夫。心配してくれてありがとね、ラフィーネさ……」

「……?」

「…口元、ソースが付いてるよ」

 

 自然に心配してくれたラフィーネさんに、表情を緩めて感謝の言葉を返す俺。…だったけど、言い切る直前でラフィーネさんの口の端…頬との境目辺りにソースが付いているのを発見して、思わず苦笑をしてしまった。全く、ラフィーネさんはほんと天然だなぁ…と。

 

「…どっち?」

「右。…あ、ラフィーネさんからすれば左だね」

「そっか。…ん」

「ん?」

 

 位置を聞かれた俺が答えると、何を考えているのかラフィーネさんは俺を見たまま若干顎を上げる。…どうしよう、ほんとに何がしたいのか分からない…。

 

「取って」

「あぁ…いや自分で取りなよ…ハンカチないの?」

「ある」

「なら何故俺に…!?」

 

 二度の返答を受けた結果、余計に意味が分からなくなる俺。え、何、面倒なの?だとしたら横着にも程があるんですけど!?

 

「顕人は、頼れる相手だから」

「こんな事で頼らないでよ…絶対頼るタイミング間違えてるって……」

「…なら、ちょっと頭下げて」

「頭…?」

 

 横着ではなくふざけているのだ、と分かったのは次の返しを聞いた時。けれどそれにも言葉を返すと、ラフィーネさんはちょいちょいと手招きしながら頭を下げてと言ってくる。

 これは…なんだろう。頭下げたところで、何も面白くはならないよね?…なんて思いつつも、まぁ取り敢えずと頭を下げる。すると下がった俺の頭に合わせるように、ラフィーネさんは顔を近付けてきて……言った。

 

「…なら、舐め取ってくれてもいい」

「んなぁ……ッ!?」

 

 耳元で囁かれたあり得ない提案に、舐め取るという魔性の言葉に、仰け反りながらその場を飛び退く。その最中、ちらりと側で見えたラフィーネさんの表情は……蠱惑的。

 

「顕人君?どったの?」

「静電気でも起きましたか?」

「な、ななな…ッ!?」

 

 見慣れない…いや、普段は一切見る事のない、男を誘い惑わすような魅惑の顔付き。それは一瞬の事で、きょとんとした綾袮さん達がラフィーネさんの方を見た時にはもういつもの表情に戻っていたけど……ほんの一瞬なのに、たった一瞬にも関わらず、その時の表情は俺の目に焼き付いていた。

 

「……ふっ」

「……っ!ら、ラフィーネさん…またか!またやりやがったな!?」

「……?」

「あぁ……」

 

 俺が目を白黒させるのを見て、ふっと笑うラフィーネさん。その笑みで嵌められたと、まだふざけていたのだと気付いた俺は悔しさを言葉に込めて叫ぶ。そしてそれを聞いた綾袮さんは小首を傾げ…フォリンさんは気付いた様子で、これまたちょっぴり笑っていた。ぐ、ぐぐぐぅ……!

 

「…顕人君大丈夫?色んな意味で……」

「うっ…だ、大丈夫…ってか、綾袮さんも餡子付いてる……」

「あ、そうなの?じゃあ取って〜」

「いや綾袮さんもかい!」

 

 まだラフィーネさんの方も片付いていないのに、まさかの天丼ネタ発生。一瞬綾袮さんにも同じ事をされるのか…!?……とビビった俺だけど、どうやら綾袮さんはシンプルにふざけているだけの様子。…べ、別に残念じゃないけど!?安心しましたけどー!?

 

「顕人くーん、ハンカチかもーん」

「ティッシュでも構わない」

「あのねぇ……」

 

 こっちを見て拭き待ちしている二人の態度は、してもらう側なのにびっくりする程堂々としたもの。なら紙やすりで擦ってやろうか…とか思ったものの、残念ながら俺は紙やすりなんか持ち歩いてないし、そんなエグい事が出来るメンタルは持ち合わせていない。…という訳で仕方なく、俺はポケットからハンカチを手に。

 

「…ったく、もう……」

「んっ……」

「んむっ…」

 

 毅然な態度とりゃ良いのになぁ…と自分に対して思いつつ、俺はまずラフィーネさんの、続いて綾袮さんの口元を拭いていく。その途中、「あれ?でも、ハンカチ越しとはいえ口の近く触られるのに対抗ないって…俺、もしや脈有り?」…なんて一瞬思ったけど、多分ここで変な事をするような男じゃないって思われるだけだろう。……前のコタツの件みたいに、俺だってやる時はやるけど。後ラフィーネさんの場合、また色々事情が違うけど。

 

「はぁ……」

「ふふっ。なんだか顕人さん、二人のお兄さんみたいですね」

 

 溜め息を吐きながら拭いていると、横のフォリンさんからはそんな声が。お兄さん、ね…まぁ確かに、やってる事はそんな感じがしないでもないけど……これは喜べばいいのかな、嘆けばいいのかな…。

 

「…その場合、フォリンさんにとっても兄にならない?」

「そうですね。…あ、呼んでみましょうか?」

「呼ぶ?」

「はい。顕人さんが兄というのも…別に嫌じゃありませんよ、お兄ちゃん」

「ぬぁ……ッ!?」

 

 突如として、気を抜いていた俺の心を撃ち抜かんとばかりにフォリンさんの口から発されたのは、全国の妹がいない男待望の言葉『お兄ちゃん』。そのあまりの破壊力を持った不意打ちに、澄んだ声と微笑みの表情によるブーストがかかったお兄ちゃん呼びに、気付けば俺はまた飛び退いていた。あ、ヤベぇ…さっきのラフィーネさんもだけど、こっちはこっちでほんとにヤベぇ……!

 

「なっ、何を言ってんの!?何を言ってんの!?」

「何って…顕人さんの返しに乗っただけですよ?後、言葉が完全に重なってますが……」

「そ、そこはどうでもいいでしょうが!ちょっ、ほんと急にそんな事言うのは止め……」

 

 わたわたと慌てる俺に対し、今度は澄んだならぬすまし顔で返してくるフォリンさん。こっちはもう完全にふざけてると分かっていたから、これ以上やられる前にとかの話を締めようとして……気付く。綾袮さんとラフィーネさんの二人が、にやにやしながらこっちを見ている事に。

 

「ほほーう…嬉しそうだねぇ、顕人君」

「今の顕人、凄く良い顔してる」

「うぅっ、うっさいよッ!別に嬉しくねーし!良い顔してねーし!」

「えー、ほんとに?おにーちゃん」

「本当ですか?お兄ちゃん」

「ほんと?にぃに」

「〜〜〜〜っっ!…う、うぅ…うぅぅ……」

 

 自分でも分かる位に赤面しながら、それでも認めたくなくて俺は否定。そんな俺に対してぶちこまれたのは、三人による擬似妹トリプルアタック。それを諸に受けた俺は、三人におにーちゃんだのお兄ちゃんだのにぃにだの呼ばれた俺は……

 

「お、覚えてやがれぇぇぇぇえええええッ!」

「えぇぇぇぇ!?逃げたぁぁっ!?」

 

──そりゃあもう、ドキドキと恥ずかしさと湧き上がる何かに耐えられず、家まで全力疾走するしかなかったさ。後、後……ラフィーネさんはどこで「にぃに」なんて覚えたの!?

 

 

 

 

 週末。朝…と言うにはやや遅いけど、間違いなく昼ではない、まぁ言うなれば昼よりの朝の時刻。俺は道路を歩いていた。

 

「えーと、牛乳にインスタント味噌汁、後……あぁそうだ、確か砂糖も残りが少なくなってたよな」

 

 外に出た俺の目的は散歩ではなく、近所のスーパーでの買い出し。別に今すぐ必要な物じゃないし、別の買い物の時に一緒に買ってこられるような物ばかりだけど……大概こういうのはいざ買い物に行く時には忘れてて、必要になってから「あ、ないんだった…」と思い出すのが関の山。だったら気付いた時点で買いに行った方がいいよねぇ。

 

(…なんか、前よりマメになった気がするなぁ……)

 

 どちらかと言えば、俺は元から細かい事も気にする性格。でも家事をするようになってから、今まで以上にマメに色んな事をやるようになった気がしている。実際この買い物だって、前の俺なら「まぁ、急ぎじゃないし別に今すぐじゃなくてもいいか」とか考えて、ゲームするなり何なりしていたと思う。

 

「……なんか、買っていこうかな…」

 

 そして俺は無駄遣いなんてしない性格でもあるけど、ついでで出来るような事をわざわざやってるんだから、何か買ってったっていいんじゃね?って思いがよぎる。

 とはいえ、やっぱり無駄遣いをするのも、無駄遣いしちゃったなぁ…と後悔するのも嫌。だからここは一つ、スーパーに着くまでじっくりと思考を……

 

「ほほぅ、それは綾袮さんにですか?」

「え──?」

 

 その時、不意に聞こえた声。俺の独り言に反応した、返答の言葉。それが、その声が聞こえた瞬間、俺は反射的に振り返る。そして、振り返った先にいたのは……慧瑠、だった。

 

「……慧、瑠…?」

「はい。天凛慧瑠ですよ、先輩」

「…な、んで……」

「なんでって…そんなの、先輩に会いに来たからに決まってるじゃないですか」

 

 口が渇く。寒いにも関わらず汗が噴き出す。目の前の光景が信じられなくなる。だって、そうじゃないか。目の前にいるのは、魔人…それも魔王級かもしれない程の存在で、あの日以来姿を消した、慧瑠なんだから。

 自分でももどかしいと思う位、上手く声が出てこない。けれど慧瑠はいつも通りの…誰も正体を知らなかったあの時までと同じ雰囲気で、俺に微笑みかけている。…まるで、あの日から今日までの事が、全て間違いであったかのように。

 

「…俺、に……?」

「はい。…ご迷惑、でしたか?」

「……っ…そ、そんな事…そんな事はこれっぽっちもない…!」

「なら良かったです。それに先輩が元気そうで安心しました」

「安心、って…。…慧瑠…俺は、あの日からずっと…慧瑠と話したい事が……」

「まぁまぁ落ち着いて下さい先輩。ここで話すのも良いですけど……」

 

 

 

 

 

 

「──それよりも、今日はデート…しませんか?」



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第百四十三話 さよならのデート

 ほんの少しですが、前話に加筆を行いますました。しかし十文字前後で流れもほぼ変わらないので、読み返さずとも大丈夫です。


 俺は今、ある喫茶店の中にいる。そこは落ち着いた雰囲気のある、THE・喫茶店って感じの店舗で、ありがたい事に窓際の席の確保に成功。

 いい感じに入ってきている冬の日差しに、綺麗なカップとそこに注がれた紅茶。そして、どこを取っても雰囲気が良いと言えるこの喫茶店で、テーブルを挟んで向かいに座っているのは……慧瑠。

 

「どうです先輩。素敵な喫茶店でしょう?まぁ、自分も入るのは初めてなんですけどねー」

 

 レモンティーを一口運び、カップをソーサーに戻した慧瑠は朗らかに言う。その姿は…やっぱり、ただの少女にしか見えない。

 

「…いや、あの…慧瑠……」

「はいはい。自分はいつでも慧瑠ですよ?」

「う、うん…それは知ってる……」

「まぁそうですよねぇ。……あ」

「……?」

「…ごめんなさい先輩、今の嘘です。自分、いつでも慧瑠って訳じゃなかったです」

「…はい?」

 

 けれど、見た目や雰囲気がどれだけ普通だったとしても、慧瑠は魔人だ。人じゃないんだ。…そんな思いが渦巻く中、どういう訳か慧瑠は前言撤回。しかも、続く言葉の意味がまるで分からない。

 

「えぇとですね……あー、やっぱりこの説明は後でいいですか?話すと結構長くなるかもしれないので」

「…ごめん、意味分からな過ぎてこのまま飲み込めっていうのはちょっと…」

「まぁまぁ、飲み込んで下さい。理由まで話すと長くなりますけど、意味自体は単に『前は別の名前で生活していた』ってだけですから」

「あ、あぁそういう事…なら最初からそう言ってよ……」

「すみません、つい流れで返してしまいました」

 

 てへっ、と舌を出す慧瑠。あんまり反省している感はないけど…いつもこんな感じだから気にしない。それに、今の返答で意味も理解出来たしここはこれで良いとする。…訊きたい事、気になる事は、まだまだ沢山あるんだから。

 

「…慧瑠は、何のつもりなの?」

「…何のつもり、とは?」

「俺の前に、こうして姿を現した理由だよ。…どうして?」

「どうしてって…それはさっき言ったじゃないですか。自分は先輩とデートをしに来たんですよ?」

「デートって…慧瑠、俺は真面目に……」

「真面目、ですよ。自分だって、ただからかう為だけに先輩の前に現れたんじゃないんです」

 

 俺が最後まで言う前に、ふっと落ち着いた…それこそ真面目な表情を浮かべて、慧瑠は言う。自分だって、真面目なんだと。…それを聞いた俺は、そう言われた俺は……

 

「…って事は、からかうのも目的の一つだったのか……」

「それはまぁ、折角先輩と会うのに冗談の一つも無しじゃ味気ないですし?」

「あのねぇ…。……俺は、霊装者だよ?」

「えぇ、知ってますよ?」

「さっきだって今だって、攻撃しようと思えば出来るんだよ?」

「それも知っています。けれど先輩はそうしていない。そうする気もない。…そうでしょう?」

 

 真っ直ぐ見つめて言う俺に、慧瑠も真っ直ぐ俺を見つめ返す。全て見透かしているような瞳で、俺の心の中を言い当てる。

 

「…本気、なんだね?慧瑠は…全部」

 

 俺は別に、目を見て心が読めるような人間じゃない。俺が出来るのは、せいぜい「こんな事考えてそうだなぁ」と想像する程度。…だけど、そんな俺でも分かった。慧瑠は…慧瑠の瞳はどこまでも澄んでいて、ふざけていても心の中には真摯な思いがあるんだって。

 

「……分かった。今日は、慧瑠に付き合うよ」

「ありがとうございます、先輩♪」

 

 にこっ、と浮かぶ慧瑠の笑顔。そこには作ってる感じなんて微塵もなくて、本当にただデートをしたかっただけなんじゃ…とすら思えてしまう。

 勿論、真摯な思いがどういうものなのかは分からない。目的もはっきりとはしていない。…でも、そういう疑問は一度頭の隅にでも置いておこうと思う。だって俺は、慧瑠が魔人どうこうじゃなく……俺の知る慧瑠だからこそ、慧瑠が慧瑠である事には変わりないんだって感じたからこそ、付き合おうと思ったんだから。

 

 

 

 

「はー…凄いものですねぇ、映画館って。自分、小さい画面で見ようが大きい画面で見ようが、映像なんて一緒だと思っていました」

「まあ、機材の質とか見る環境が違うからね。後はまぁ、『映画館』っていう場所自体に特別感があるし」

 

 喫茶店を出た俺と慧瑠は、まず映画館へと向かった。何故映画館かというと…それは単に、慧瑠が行ってみたいと言ったから。まぁ、この口振りから考えるに、今見た映画に興味があった…とかじゃなく、映画館そのものが気になってたっぽいけれど。

 

「それに最近は3Dどころか、4Dだの4DXだのもあるからね。俺はどれも興味ないけど」

「そういえばそんなのも書いてありましたね。…そこまで現実味がほしいのなら、現実で体験すればいいものを……」

「いやそれが出来ないから創作物…っていうかフィクション作品はあるんだって。勿論ある程度再現出来たりするものもあるけど」

「まぁ確かにそれもそうですね。さて先輩、今は丁度お昼時ですが…どうです?お腹空いてます?」

「…つまり、次は昼食にしたいと?」

「ふふ、察しが良い先輩は好きですよ〜」

「そりゃどーも。じゃ、どこにする?」

 

 全く響かない告白を軽く流した俺は、近くで食事の出来る場所を思い出す。一番近いのは、ハンバーガー店だけど…曲がりなりにもデートでジャンクフードっていうのはどうだろう…。

 

「先輩は何が食べたいですか?自分はそれでいいですよ?」

「何、って言われてもなぁ…元々今日は家で普通に食べるつもりだったし…」

「何をですか?」

「ん?スパゲッティ」

「ほほぅ、スパゲッティですか…ではそれにしましょう」

 

 という訳で、お昼ご飯はスパゲッティに決定。やけに主体性のない決め方だなぁとは思ったけど…慧瑠を見る限り、俺に遠慮してる感じはない。…食べるものは何でも良くて、それよかさっさと決めてさっさと行きたかった…とか?

 

「…ほんとにいいの?」

「ほんとにいいんです。料理より、先輩と一緒に食べる事の方が楽しみですから」

「……っ…!…そ、そう…」

 

 にこり、と喫茶店の時と同じように…いや、あの時以上に自然な微笑みを浮かべて、そんな事を言ってくる慧瑠。不意打ちのように言われた俺は一瞬どきりとしてしまい、若干声が小さくなりつつ慧瑠の方から目を逸らす。

 

「……?どうしました?」

「な、何でもない……」

 

 逸らした視線の先に回り込んでくる慧瑠から更に目を逸らし、俺は心の中で「落ち着けー、落ち着け俺」と呟きながら歩き出す。

 

「なんですかー、先輩。あ、もしかして漸くデートだった事が恥ずかしくなっちゃいました?」

「ち、違うわ……えぇと…イタリアンのお店の方がいい?それともスパゲッティがあれは普通のレストランとかでも大丈夫?」

「どっちでもいいですよー。強いて言えば、近い方がいいかなぁ…って位です」

 

 相変わらずふわっとしている慧瑠の返答を受けて、俺は近い方であるイタリアンレストランへ。入ってからはこれまた窓際の席に座り、俺はカルボナーラのセットを、慧瑠はミートスパゲッティを選んでまったりと待つ。……うん、魔人とまったり待つとか異常にも程があるけど…気にするな、俺。慧瑠は慧瑠だ。

 

「お待たせしました。こちらがカルボナーラセット、こちらがミートスパゲッティとなります」

「あ、ありがとうございます」

 

 来店から数十分後。俺はまず自分の注文を受け取り、続いてミートスパゲッティも受け取って慧瑠の方へと置き、おしぼりで手を拭いてフォークを持つ。

 頂きます、と手を合わせ、フォークで麺を巻き、ぱくりと一口。その瞬間カルボナーラの濃厚な味とベーコンの程良いしょっぱさが口の中で広がって…はぁ、やっぱりお店の料理は美味いなぁ……。

 

「はふぅ…いいですねぇ、この口の中で広がっていく感覚……」

「…楽しそうだね、慧瑠」

「あ、そう見えます?」

「うん、そう見える。美味しいっていうより、楽しいって感じ」

 

 俺と同じようにスパゲッティを口に運んだ慧瑠は、もごもごしながら愉快そうな表情を浮かべる。

 そしてそういえば、慧瑠と一緒に食事をするのは初めての事。基本生徒会は放課後だから当たり前なんだけど、もっと言ってしまえば慧瑠が食事してる姿を目にするのも初めてで……

 

(…ん……?)

 

 そこでふと、俺はある事が気になった。それは、場合によっては雰囲気を壊すかもしれない疑問で…でも俺からすれば、本当に気になる事。だから俺はちょっとの間だけど考え…口を開く。

 

「……あの、さ…慧瑠…」

「ふぁい?…んっ…なんですか?」

「…魔人も、そうやって食事したりするの…?」

 

 ごくん、と飲み込んだ慧瑠に向けて、半ば伺うように俺は訊く。すると慧瑠は一度目を瞬かせて、フォークを置いて…それからうーん、と腕を組む。

 

「そうですねぇ…魔人というか、自分は偶にしますね」

「偶に…?」

「はい。ご覧の通り、食べる事は普通に出来るんですよ。けど魔物は勿論、魔人だって見た目は人と似ていても、中身は全然違います。なので味や食感を楽しむ事は出来ても、基本栄養摂取には繋がらない…って感じですかねー」

 

 だから自分は娯楽として食べる事もありますが、大概の魔人は興味すらないと思いますよ、と言って慧瑠は締め括る。

 それを聞いて、俺は…正直、残念だった。だって、もし人と同じように食事で栄養を得られるのなら、争う必要はないんじゃないのかって思っていたから。…でも、考えてみればそんなのは端からあり得ない事。だって、もしそうなら…農作物や動物だって、魔物に襲われる筈なんだから。

 

「…そ、っか……」

「…気落ちする事はありませんよ、先輩。だって、先輩が悪い事なんて何にもないじゃないですか」

「そりゃ、そうだけどさ…。…ん?基本的に…?」

 

 確かに魔人や魔物の性質に関して、俺に非なんかある訳ない。でも気落ちしてるのはそういう事じゃなくて…と思ったところで気付いた。慧瑠が、含みのある言い方をしていた事に。でもどうやら、それは俺の考えている事とは違うらしい。

 

「あ、そこは言葉の綾というか、深い意味はないです。自分は他の魔人や魔物の事なんて全然知りませんし、魔人という存在について調べてみた事がある訳でもないので、断言は出来ませんよー、位の気持ちで付けました」

「そ、そうなの…まぁそれもそうか……」

「む、なんですか先輩。自分が友達の少ない奴…今で言うぼっちだとでも思ってたんですか?」

「い、いやそういう訳じゃ…てか、ぼっちはぼっちでしょ。だって一年のとこ探してみたけど、慧瑠を知ってる人なんて全然いなかったぞ?」

「…へぇ。自分の事、探してくれてたんですね」

「うっ……そこは食い付かなくていいの…」

 

 これは良い事を聞いた、とばかりに愉快そうな顔をする慧瑠。まさかこんな反撃をされるとは思っておらず、俺はまたまた目を逸らしてしまう。…俺、よっわ……。

 

「…ま、知らないのは当然ですよ。そういう風にしていたんですから」

「…え?それは、どういう……」

「それよりも先輩、食べるの遅いですよー。まだ自分は色々やりたい事があるんですから、早く食べて下さいね」

「えぇ…ってうわ、もう食べ終わってる…いつの間に……」

 

 何やらはぐらかされた俺だけど、にこにこと無言で急かされちゃったら食べるしかない。ペースを握られっ放しな気もするけど、そっちはほんとどうしようもない。

 

(…てか、綾袮さん達はこの状況をどう見てるんだろう…相手が相手だし、下手に動く事はせず…とかかな……)

 

 出来る範囲で急いで食べる片手間に、協会としての判断について考える。多分俺の動きは誰かしらが気を付けてると思うけど、さっき今日は夜まで出掛けるかも…とメッセージを送った時、「りょーかーい。でも周囲には気を付けてね」なんて驚いてる感じゼロの文面が返ってきたから、正直どう見てるのか分からない。

 けど、綾袮さん達はプロだ。俺よりずっと、俺の想像もつかない領域まで精通してる人達だ。だったら俺も変な事はせず、このまま普通にいた方がいいかもしれない。……そう思って、俺はこの思考に区切りを付けた。…それに、今日一日付き合うって決めたんだし、さ。

 

 

 

 

 食後最初に向かったのは、デパートの洋服店。これにはちょっと驚いた。だって慧瑠は高校のブレザーを着ていて、そこから俺は「慧瑠は服装に無頓着なんだ」と思っていたから。

 

「さぁさぁ先輩。自分に合いそうな服を選んで下さいな。そうしたら自分、なんでも着てあげますよ?」

「え、ほんとに?物凄く恥ずかしい服でも着る?」

「いいですよ?物凄く恥ずかしい服を着ている女の子の隣を歩く自信があるならですけど」

「うっ……しまったそうだった…」

 

 軽快なカウンターにしてやられた俺は、内心でぐぬぬ…とか思いながら店内を見回す。理由は勿論…慧瑠の服を選ぶ為。

 

「…何か、服装の好みとかはある?」

「特にはないですね。というか身も蓋もない事を言うと、服装どころか服そのものにあまり興味ありませんし」

「あそう……ふーむ…」

 

 ほんとに身も蓋もない事を言われた俺は、呆れながらもふと思う。ならなんで今は服着てるのよ、と。

 でも言わない。そりゃ言わないよ。今さっき慧瑠が言った通り、慧瑠の外見は間違いなく女の子のそれだし、俺自身そういう認識でいるんだから。

 

「…結構真面目に考えてくれるんですね」

「ま、適当に決めたら折角着てくれる慧瑠に悪いしね」

「…そういう気持ち、魔人的に好感度高いですよ」

「魔人的にかよ…怖くて全然喜べんわ……」

 

 こんな感じの会話もしながら店内を回る事十数分…か、数十分。俺なりに頭を捻って、どんな服が似合うか考えて、服同士の組み合わせなんかも意識して、遂に俺は着てもらう服一式を決定。若干緊張しつつそれを慧瑠に手渡すと、慧瑠はこくりと頷き試着室の中へ。

 

(…慧瑠が気に入ってくれるといいけど……)

 

 当たり前だけど女の子の服を選ぶなんて初めての経験だし、しかもその相手は元から趣味がよく読めない&実は人ですらなかった慧瑠。だから自信なんて微塵もないけど…もう渡しちゃったんだから後戻りは出来ない。出来るのは待つ事、不快にさせてない事を祈る事だけで……そして数分後、更衣室のカーテンが開く。

 

「お待たせしました、先輩。…どう、ですか…?」

「…おぉ……」

 

 仕切りとなっていたカーテンを開いて、一歩前に出て、いつもより少しだけ自信なさげに俺を見てくる慧瑠。

 暖かそうなクリーム色のパーカーに、髪と瞳の中間の色を想像して選んだシャツワンピース。薄い黒とでも言うべきミニスカートに、純粋な黒のニーハイソックス。良くも悪くも軽快な、慧瑠らしい服装は…というコンセプトの元選択したのがこのチョイスで……はっきり言おう。思った以上に、俺の選んだ服は似合っていた。シンプルに、可愛かった。

 

「おぉってなんですかおおって…」

「あ、わ、悪い……えっと、その…」

「…………」

「……似合ってるよ、慧瑠…」

 

 じぃっ、と見つめてくる慧瑠に恥ずかしさを覚えながらも、「ここで濁したら流石に男らしくねぇ!自分で選んだ服だろうが!」と心の中で鼓舞した俺は、頬を掻きつつそう返答。すると慧瑠は、ぴくっと肩を揺らしながら目を丸くして……それから興奮したように目を輝かせる。

 

「…嬉しいです…自分今、びっくりする位嬉しい気持ちです!」

「え、あ、そう…?なら良かった…」

「いやぁ、服装を褒められるってこんなにも気分の良いものだったんすね。…あ、それともこれは、先輩が選んでくれたから…ですかねぇ?」

「し、知らないよそれは…!てか一々俺弄り繋げようとするの止めてくれる…!?」

 

 言葉通り嬉しそうに喜んでくれて、緊張から解放された俺は一安心。けど冷静に考えてみると、俺はスカートやらニーハイやらまで選んでる訳で……あぁぁ想像したくねぇ!選んでる間、周りはどう見てたんだろうとか考えたくねぇ!

 

「えへへ、すみません先輩。つい気分が乗ってしまって」

「ついってか、今日はいつも以上に弄ってるよね…?」

「それはまぁ、ご愛嬌ですよ。…で、この服ですが…折角ですし、自分今日はこのまま着ていたいと思います」

「…そっか。じゃ、お金払ってくるから一度着替え直してくれる?」

「え…いいんですか?」

「いいのいいの。俺はこういう時、ちゃんと払える男になりたいからね」

 

 遠慮される前に俺は押し切って、慧瑠に更衣室へと戻ってもらう。待ってる間、「あれ?言えばそのままお会計してもらえたんじゃ?」とも思ったけど、まぁ今更言っても余計手間が増えるだけ。だから出てきた慧瑠から一式を受け取って、お会計して、またまた更衣室へ行って……学生服から買いたてほやほやのファッションとなった慧瑠と共に、俺は洋服店を後にする。

 

「〜〜♪」

「…ご機嫌だね」

「えぇ、現在自分は上機嫌です。でも、惜しい事をしましたね先輩」

「惜しい事?」

「忘れたんですか?自分の力を使えば、誰にも怪しまれず、認識すらされずにこの服持ち帰れたんですよ?」

「…え、と…それは冗談で言ってるんだよね…?」

「……?そうですよ?先輩、そういうの好きじゃなさそうですし」

「…そりゃ、好き嫌い以前に窃盗だからね……」

 

 平然と言ってのける慧瑠に対し、肩を竦めながら俺は返答。…でも、正直…今の慧瑠の発言には、複雑な気持ちだった。

 冗談としては、まぁありふれている部類の発言。けど慧瑠からは言葉通り、『俺が好きじゃないからしない』って雰囲気しか伝わってこない。倫理とか、道徳とか…そういう感じの空気感は、微塵もなかった。

 それも当然と言えば当然の事。だってそれは人の倫理や道徳であって、人同士ですら時代や地域でそれ等の捉え方は変わるんだから、人じゃない慧瑠が持ち合わせてなくたって、何もおかしいところはない。…ない、けど……

 

(……いや、止めよう。慧瑠は実際に盗んだ訳じゃないし、俺だって倫理や道徳が完璧な人間なんかじゃないんだから)

 

 軽く髪を揺らすように頭を振るった俺は、何か別の話題に切り替えようと思って周囲を見やる。そして、視線は慧瑠の方へも行って…あれ?と気付く。

 

「…そういえば慧瑠、さっきまで着てたブレザーは…?」

 

 手を後ろで組んでぽてぽてと歩く慧瑠。完全にブレザーはどっかに行ってしまっていて、それを疑問に思った俺。…まさか、置いてきちゃった…?

 

「あぁ…ブレザーは力を服の形にしていただけなので、もう無いですよ」

「え、力って…あの靄みたいな…?」

「それですそれです。靴もそうですし、だから細部は結構雑なんですよ。気付きませんでした?」

「それは…気付かないよ。男の物ならまだしも、女子のブレザーの細部なんて……あ」

「……?」

 

 女子の制服をじろじろ見るような趣味はないからな、的な事を返そうとして、ふと俺はある事を考えてしまう。制服が作ったものなら、下着はどうなんだろうって。下着もそうなのか…或いはそもそも着ていないのかって。で、まぁ……当然の如く、ちょっと頬が熱くなる俺。

 

「…どうかしました?」

「い、いや何でもない…」

「本当ですかー?先輩、頬赤いですよー?」

「何でもないって!そ、それより次は?次はどこ行きたい?」

「誤魔化し方雑ですねぇ…まぁいいです。次は……あ、あそこなんてどうです?」

 

 我ながら雑だという自覚はあったけど、幸い慧瑠はあまり追求したりせず、すぐに次の事へと興味を移してくれる。

 さて、ここに他意はないのか、それとも俺の思考なんかお見通しで、俺を翻弄して遊んでいるのか。そこが全く読めない慧瑠だけど、浮かべているのは本当に楽しそうな明るい笑み。だから…それを見て、俺は思うのだった。慧瑠が楽しめてるなら、まぁいいかな…と。

 

 

 

 

 それからも、色々な場所を回った。アクセサリー店に入ってみたり、パン屋に寄っておやつ代わりに一品ずつ買ったり、カラオケに行って歌ったり…そんな、普通のデートをして慧瑠と過ごした。霊装者も、魔人も、そんなの関係ない一日を。

 

「はー……遊びましたねぇ、今日は…」

 

 沢山の場所を回って、沢山の事をして、最後に来たのは街外れの広い公園。と言っても最終的にここに辿り着いたってだけで、別に目的地にしていた訳じゃない。…というか、あれだな。よく考えたら昼に魔人の事訊いてるし、全く関係ない一日でもなかったわ…。

 

「慧瑠って、結構好奇心旺盛なんだね。意外だったよ」

「そういう訳じゃないですよ。ただ、普段はあまり出歩いたりしないので、色々気になったというのは事実ですね」

「そっか…。…楽しかった?」

「はい、とても。…先輩はどうでした?」

「俺も、凄く楽しかった」

 

 数歩先の位置で振り返った慧瑠に、俺は答える。…これは嘘じゃない。俺は本当に、今日一日楽しかった。

 

「…………」

「…………」

 

 向かい合って、数秒沈黙。俺は慧瑠を見つめて、慧瑠は穏やかな表情を浮かべていて……

 

「…先輩、訊きたい事があるんですよね?自分に…天凛慧瑠という、魔人に」

 

 穏やかな表情のまま、だけど瞳には真面目な雰囲気を灯して、慧瑠は言う。

 その言葉に、俺は頷く。このまま訊かなければ、楽しかったで終われるけど……それは出来ない。俺の心は、納得しない。

 

「…どうして、俺を狙ったの?どうして、普通の人として俺と接していたの?どうして…俺を、殺さなかったの?」

「…順番に、話しましょうか」

 

 目を逸らさずに、俺は訊く。聞いた慧瑠は、一拍を置いて…口を開く。

 

「先輩を狙ったのは、先輩が膨大な霊力量を有しているからです。先輩を殺さなかったのは…殺さずいれば、何度も何度も先輩を養分に出来るからです」

「……っ…」

「……なんて、嘘ですよ先輩。…勿論、全く無関係という事ではありませんが……先輩を殺さなかったのも、先輩を狙ったのも……本当は、自分が殺したくなかったからです。先輩の事も、他の人も」

 

 温かくも冷たくもない、何の心も籠ってないような慧瑠の言葉に、一瞬俺は心が辛くなって…けれど慧瑠は撤回する。撤回して、言った。殺したく、なかったんだって。

 

「自分達魔人や魔物が生きる上で、霊力は必要不可欠です。生きる為に、奪う必要があるものです。けれど、それとは別に…本能的に、自分達は強くなる事を求めます。その為に、より多くの霊力を得ようとするんです」

「…そう、なんだ……」

「けど…自分はあんまり、強くなる事への欲求がないんですよね。いや、全くないって訳でもないんですけど…自分、元からかなり強いからなのか、多分他の魔人や魔物よりずっと欲求が薄いんです」

「あ、あぁ…確かに、魔王級らしいもんね……」

「魔王?…あー、そういえばそういう呼び方もありましたね。ふっ…悪くない響きじゃないですか、魔王って」

 

 魔王という呼び方を聞いて、満更でもなさそうな笑みを浮かべる慧瑠。まあ確かに、魔王って響きは悪くないよね…。

 と、俺が思ったのは一瞬の事。それは慧瑠も同じみたいで、すぐにまた真剣そうな顔に戻る。

 

「…だから、ずっと…ずっと悩みだったんですよ。強くなりたい訳ではないけど、生きる為には霊力が必要で、そして霊力を奪う中で命すらも奪ってしまう事になるのが」

「…………」

「自分も気を付けました。こっそり行動するのは得意なので、殺さずに済みそうな人を頑張って探して、負担にならないように同じ人から二回以上奪うような事はしないようにして。それにこっそりやったとしても何度も知らぬ間に霊力がぞっそり奪われてる…なんて事になったら怪しまれるので、どこかに定住する事もありませんでした。…苦労してるのは、わざわざ大変な事を自らしている自分の自業自得ですが……それでもやっぱり、ずっと続けていたら…疲れ、ちゃいますよね」

 

 静かに語る慧瑠の言葉に、俺は想像する。これまで慧瑠が、どんな生活をしてきたのかを。

 知らなかった。慧瑠が、そんな苦労をしていたなんて。生きる為に命を奪うのは、生命として当然の事で、過剰に殺したり楽しんだりしない限りは否定されるべき事でもないのに、わざわざ他人の為に苦労をしていた慧瑠の事を。

 

「…そんな時…って言っても、この生活を随分と長く続けていたんですが…ある時、自分はある人を見つけました。魔人…いえ、魔王の自分が霊力を奪ってもまるで身体に悪影響なんて起きず、それどころか気付きもしない程多くの霊力を有する、一人の人を」

「…それ、って……」

「はい。それが、先輩です」

 

 そう言って、慧瑠は微笑む。今日だけで何度も見た…でも、そのどれとも違う、落ち着いた笑みを見せてくれる

 傲慢かもしれない。自信過剰かもしれない。…でも、俺は思った。その微笑みには…感謝の感情が、籠っていたんじゃないかって。

 

「驚きました。自分の感覚が間違っているんじゃないかと思いました。先輩程膨大な霊力を有している人間なんて、これまでに一度見た事あるかどうかでしたから。…だから、ですかね…その驚きが興味になって、殺す心配なく得られる事が安心感になって……先輩と、話してみたくなったのは」

「…じゃあ……」

「…これが、三つ目…いえ、二つ目の答えです。自分は先輩と接してみたくなって、もっと知りたくなって…いつしか、楽しいって思うようになったんです。こんな、先輩との日々が」

 

 そこで慧瑠は、一度語りに区切りをつける。俺が投げかけた質問三つを、答えたところで。

 俺を殺さなかったのは、殺したくなかったから。俺を狙ったのは、俺を狙えば誰も殺さなくて済むから。俺と接していたのは……俺といる事を、楽しいと感じたから。……嗚呼、それは…なんてそれは、優しいのか。そんな優しい慧瑠に、俺は一緒にいて楽しいと思ってもらえたのか。

 

「あぁ…それと、もう一つありましたね。後で、って言ったものが」

「後で……あ、名前…」

「…先輩、天凛慧瑠って名前を聞いて、何か連想したりしませんか?」

「連想…?…連想って言われても…全体的に画数が多いな、としか……」

「では、平仮名にして考えてみて下さい」

 

 慧瑠に言われて、俺は置き換える。慧瑠の名前を、漢字から平仮名に。

 てんりんえる。てんりんえる、てんりんえる……うぅん…?

 

「…ごめん、分からない……」

「…やっぱり、無理がありますよね。じゃあ……」

 

 その反応は想定済み、と言いたげに苦笑いしつつしゃがむ慧瑠。それから慧瑠は、地面に文字を書く。まずは漢字で『流転輪廻』と。続けてそこに振り仮名も書く。それぞれ『る』『てん』『りん』『え』と。……え、あれ?

 

「…それ、最後は『ね』じゃないの…?」

「そのまま読んだらそうですね。けど、これは『え』とも読むんですよ」

「あ、単独で読んだらか……って、待った…これって……」

 

 ねではなくえだという答えを聞いて、まず俺が思ったのは「何故そこだけ…?」という疑問。…けど、気付く。これは…『るてんりんえ』って文字列、これを入れ替えたら……

 

「……てんりん、える…」

「…ご名答。自分はこれまで何度も名前を変えてきました。人と殆ど接しないのに、名前はあった方が便利だ…なんて、適当に理由を付けて。そして…天凛慧瑠という名前は、流転輪廻から付けたんです。何度も何度も違う名前で、違う場所で、生まれて死んでを繰り返してるような自分には、これがぴったりな名前なんじゃないか…って」

「…何度も何度もって、だったら…慧瑠は……」

「…この地球上で今も生きてる生命の中で、自分より長生きな存在なんて…そうそう、いないでしょうね」

 

 流転輪廻。迷いの為に生死を繰り返す事のアナグラムが、天凛慧瑠。

 それは単なる言葉遊び。何度も名前を変えてるって事は、慧瑠的にはハンドルネーム位の感覚で決めたのかもしれない。だけど、俺は……その程度の事だなんて、思えなかった。だって…そんな名前を付ける程に長い間、慧瑠は生きていて……ずっとずっと、他人の為の苦労をしてきたって事なんだから。

 

「……慧瑠…」

「…これで、疑問への回答は終了です。…先輩は、どう思いましたか?」

「ど、どう?…どうって……」

 

 言いたい事は分かる。けどざっくりとした質問に、一瞬詰まってしまう俺。けど、慧瑠の真っ直ぐな目を見た俺は……余計な思考なんて一切捨てて、正直に答える。

 

「…良かった、かな。慧瑠が、悪人じゃないって分かったのもそうだし……慧瑠の過ごしてきた時間からすれば短い間でも、慧瑠にとっての助けに俺がなれていたなら」

「……っ…そう、ですか…先輩は、そう思って…くれるん、ですね…」

「…え、と…慧瑠……?」

「ふふっ…全く、もう……嬉しいですよ、先輩…」

 

 ぴくんと肩を震わせて、一度呟くような声になって…それから慧瑠は言う。言ってくれる。俺の思いが、嬉しいって。

 そう言われて、俺も嬉しかった。光栄だった。やっぱり、訊いて良かったって思った。…でも……それから慧瑠は、またこれまでとは違う笑みを俺に向ける。

 

「…ほんとに、良かったです…最後に、そう言ってもらえて……」

「……え…?…最後…?」

「…はい、最後です。自分…見つかってしまいましたから。このままじゃ、ずっと狙われ続けますし…自分が、争いの種になってしまいますから」

 

 慧瑠は、言っていない。だからどうするのか、って部分を。だけど分かる。分かるに決まってる。つまり、慧瑠は…またどこかに、どこか遠くに行くんだって。これまでと同じように、また。

 それはきっと、辛い事。折角得られた絶好の場所を、失うって事だから。…なのにまだ、なのにまた、慧瑠は笑っている。自分の事より、争いを起こさない事を優先して……受け入れていた。

 

「そんな……」

「だからこそ、今日はデートに誘ったんです。最後の思い出作りの為に。ちゃんと先輩と、お別れしてから消える為に」

「最後って…待ってよ、それは……!」

「仕方のない事です。それにいつかはまた、会いに来ます。だから先輩、最後のお願いです。どうか、自分を…自分の事を……」

 

 嗚呼、嫌だ、聞きたくない。認めたくない。そう、心が拒絶する。聞いてしまえば、認めてしまえば、それで終わりになってしまうから。楽しかった慧瑠との時間が、少し前までこれからも続くと思っていた日々が、俺の手から消えていってしまうから。

 だけど慧瑠は言葉を止めない。止めてくれない。もう慧瑠は受け入れていて、それしかないと分かっているから。だから慧瑠は一歩前に、一歩俺の近くへと歩み寄って、何かを言おうとした……その時だった。

 

「……──ッ!?」

 

 俺の目の前を駆け抜ける、蒼い光。一瞬俺は、それが何なのかまるで分からず…次の瞬間、反射的に光の行き先を目で追った事で、理解する。それが…得物を手にした、綾袮さんと妃乃さんだって。

 

「な……ッ!?どうして、二人が…!?」

「顕人君、無事?怪我はない?」

「え……?け、怪我はないけど…って、そうじゃなくて…!」

 

 ひとっ飛びで俺の前へと移動してきた綾袮さんの言葉に、戸惑いながら俺は返答。でも言いたいのはそういう事じゃなくて、もう一度訊こうとして……そこで、慧瑠が着地した。いつの間にか、俺の前から消えていた慧瑠が。

 

「随分と間の悪い事をしてくれますね。まぁ、貴女方も仕事なんでしょうけれど」

「ふん、よく言うよ。警戒担当からの報告がなんか変だと思って探してみれば……」

「…と、いう事は気付いたんですね。ははぁ、流石歴史ある家系の霊装者です」

 

 さっきまでの空気から一転して、一触即発の雰囲気となる公園内。…いや、違う。既に綾袮さん達は先制攻撃を仕掛けていて……だからもう、三人にとっては交戦状態なんだ。

 

「これまでは上手く隠れてたみたいだけど…もう逃がさないわよ」

「それは困りましたね。自分は戦いたい訳じゃないというのに」

「魔人の戯言なんて聞く気はないよ。…顕人君、戦えるなら援護お願い。無理そうなら…下がってて」

「……っ…!ま、待って…待ってよ綾袮さん!それに妃乃さんも!俺は…ッ!」

 

 そう言って、装備一式を渡してくる綾袮さん。瞳は、声はあの時と同じようにもう完全に慧瑠を敵と認識していて…止めなくちゃ、と思った。俺は、慧瑠が討たれる事なんて絶対に嫌だし…綾袮さん達と慧瑠が戦う姿も、見たくないから。

 だけど、それは止められる。綾袮さんでも、妃乃さんでもなく…慧瑠によって。

 

「…無駄ですよ、先輩。先輩は知らないと思いますが、霊装者にとって魔人は敵で、討つべき悪なんです。そういうものなんです。良いとか悪いとか…そういう話じゃ、ないんです」

「……っ!でも……!」

「…知ったような口を聞かれるのは不愉快だけど…奴の言う通りだよ、顕人君。あれは魔人で、わたし達の敵。それ以上でも、それ以下でもないよ」

「綾袮、さん……」

 

 綾袮さんは、そう冷たく言い放つ。優しくて、お茶目で、子供っぽいところもある綾袮さんが…これっぽっちの躊躇いもなく。

 その隣にいる妃乃さんも、眉一つ動かさない。…それが、何よりの証明だった。二人にとって…霊装者にとっては、それが常識だっていう事の。

 

「はぁ…ほんとに残念ですが、仕方ありません。どちらか片方ならともかく、お二人が相手では何があるか分かりませんからね。…ですから、これでお別れです、先輩」

「……ッ!慧瑠!俺は、まだ…ッ!」

「これが、霊装者と魔人の在るべき形なんですよ、きっと。だけど自分は楽しかったです。幸せだったと思います。ですから先輩、ありがとうございました。そして……さようなら、先ぱ──」

 

 最後に…本当に最後だって、そうするつもりだって分かってしまう、儚げな笑み。俺は追おうとするけれど、心のどこかで分かっていた。間に合わないって。俺の手は、届かないって。

 そうして、慧瑠は言った。俺へ向けた、感謝の言葉を。そして、別れの言葉も。両方言って、最後に俺の…俺を示す単語である、『先輩』って言葉で呼ぼうとして…………

 

 

 

 

 

 

「……ぇ──…?」

 

 次の瞬間、天空から飛来した紅い閃光が──慧瑠の背後を、斬り裂いた。



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第百四十四話 誰にも討たせやしない

 夜の帳が下りつつある空から、流星の様に飛来した閃光。霊装者にとっては見慣れている青色とも、綾袮さんや妃乃さんの翼が放つ蒼の輝きとも違う、神々しくも禍々しくも感じる紅の光。それが……慧瑠の背中を、斬り裂いた。

 

「…なッ、ぁ……!?」

 

 ふらりと一歩前によろけ、愕然とした顔で慧瑠は振り向く。慧瑠を背後から斬り裂いた、その存在を確かめる為に。

 そこには一人の女性がいた。真紅の刃を携えた、一人の女性が。……俺は、その人を知っている。忘れなどしない、忘れられる訳がない。それは、その人は……

 

「…ふむ。一撃で仕留めるつもりでしたが…流石は魔王級と称されただけはありますね。まさか、この私が狙いを外す…いえ、外されてしまうとは」

 

 ゼリア・レイアード。BORGの代表であるウェインさんの秘書であり、俺にとっては遥か雲の上の霊装者である彼女が……今、ここにいた。

 

「ですが、それならば数を持って斬り伏せるだけです」

「……ッ!」

『逃がさない(わ)よッ!』

「……!慧瑠ッ!」

 

 視認するのも困難な程の速度で振るわれる刃。それが横一文字に駆け抜けた時、慧瑠は地を蹴り空中にいて……その慧瑠へ向かって綾袮さん達二人が飛ぶ。空へと逃げた、慧瑠を追撃する為に。

 

(そんな…なんで、なんでゼリアさんが日本に……ッ!)

 

 繰り広げられるのは、凄まじい程の空中戦。双統殿を魔王が襲った時と同じような戦いが、俺の目の前で巻き起こる。

 俺は混乱していた。全く状況が飲み込めなかった。綾袮さんや妃乃さんが来るのは分かる。けれどゼリアさんは協会の人間じゃないし、普段いるのはイギリスの筈。なのに、どうして……!

 

「…いや、違う…そんな事より、今は……」

 

 何故、という思考を振り払い、渡された霊装者用のコートを着る俺。そしてライフルに手をかけ、引き抜こうとして……固まる。俺はそれで、どうするつもりなんだって。俺は今、何をすればいいんだろうって。

 三人と共に、慧瑠を討つ?違う、そんな事は絶対に御免だ。だったら、綾袮さんや妃乃さんを撃つ?…それだって違う。そんな事だってしたくない。なら、撃つのはゼリアさん?……それも、違う。状況は分からないけど、霊装者として見れば今のゼリアさんは間違ってないし、二人と共闘しているのも明白。…そもそも、今は…これで、武器で…誰かを撃って、誰かと戦う事が…正解、なのか…?

 

「……っ、ぅ…!」

「やりますね。先程よりも上手く当たらないとは…」

「…それは、こっちの台詞ですよ…正面に気を取られていたとはいえ、自分の認識している外から、一発で攻撃を当てるとか…貴女、本当に霊装者ですか…?」

 

 そう俺が迷っている間にも戦闘は続いて、半ば落ちるように慧瑠が着地。綾袮さん達も広がって着地し、戦意はそのままに構え直す。

 

「ふん、それだけは同感よ。…で、まだ抵抗するつもり?素直にやられるってなら、苦しまないよう仕留めてあげるわよ?」

「あぁ、命だけは助けてくれる…とかじゃないんで──」

「…させないよ?」

 

 ある種の勝利宣言、けれど一切の油断や慢心を感じさせない妃乃さんの言葉に、慧瑠は残念そうな顔をしながら一歩下がり……かけた瞬間、綾袮さんの飛ばした斬撃が足元へ飛来。酷く冷たい、無情な声が俺の心に響き渡る。

 

「この距離でその傷なら、隠れるよりもわたし達の刃の方が早い。…そうじゃないと思うなら、試してみなよ。どっちにしろ、斬り裂くだけだから」

「…はー…ほんとに全く容赦がない…はは、ここまで追い詰められたのはいつぶりっすかねぇ……」

 

 俺に向けられている訳じゃないのに、綾袮さんの声が、言葉が突き刺さる。慧瑠に向けて、綾袮さんがそんな事を…そんな目をするのかと思うと、やり切れない思いが立ち込めてくる。

 三人に囲まれ、敵意…いや殺意を向けられ、痛みからか表情を歪ませたままの慧瑠。だけど、それから慧瑠は呆れたように小さく笑って……ふっ、と身体の力を抜く。

 

「……これが、年貢の納め時ってやつですか…」

「……ッ!」

 

 そう言って、慧瑠はゆっくりと両手を挙げる。観念したように、諦めるように。

 年貢の納め時。それは、もうどうにもならない…って時に使う言葉。…けど、待ってよ…待てよ慧瑠…今そんな事を言うなんて、それじゃあまるで……

 

「ふぅん、案外物分かりがいいのね。…で、何を企んでいるのかしら?」

「何も、企んではいませんよ…魔人だって死ぬ時は死にますし……自分は、もう…十分、生きましたから…」

 

……慧瑠は、笑う。自信でもない、嘲りでもない…諦観に満ちた、同時にどこか満足げな、寂しい笑顔で。

 嘘だと、思った。何かの間違いなんじゃないかと、俺は思おうとした。でも…違う。そんな訳がない。慧瑠が浮かべているのは…そんな嘘や間違いで浮かべるような表情じゃないから。

 

「…そう。なら……」

「でも…その前に、一つ…最後に、さっき言えなかった事を、言わせてくれませんか…?信用ならないというのなら、手脚は斬り落としてくれて構いません…だから……」

「…聞くに値しないね。妃乃」

「えぇ。恨むなら、人に仇なす存在に生まれた自分自身を……」

 

 諦めた慧瑠。受け入れてしまった慧瑠。けれど慧瑠は言う。死ぬ前に、せめて後一言言わせてほしいと。たったそれだけで、それだけの為に苦しむ事となってもいいから、最後に一言言いたい、と。

 俺には分かる。それは、俺へ向けた…さっきは言えなかった言葉なんだって。最後まで慧瑠は、俺の事を…俺との時間を大切にしようとしてくれてるんだって。

 だけど、綾袮さんはそれを拒絶した。論外だとして、妃乃さんと共に慧瑠の生を終わらせようとする。…そして、その言葉が俺の耳に届いた時…綾袮さん達に討たれる慧瑠の姿が脳裏に浮かんだ時……俺の身体は、もう動いていた。

 

「……ッ!慧瑠ぅぅううううううッ!!」

『な……ッ!?』

 

 全力で、持てる力の全てで慧瑠の前へと飛び出す俺。咄嗟に二人が止まるべく地面へ足を突き立て、ゼリアさんがぴくりと眉を動かす中、俺は慧瑠の前に立つ。慧瑠の前で、立ち塞がる。

 

「……っ…先、輩…?」

「…顕、人…君……?」

 

 背後から聞こえてくる、二つの声。一つは慧瑠のもので、もう一つは綾袮さんのもの。どっちも唖然としたような声音をしていて…同時に俺は、少し安心していた。…だって、俺は妃乃さんとゼリアさんの前には立っているけど、綾袮さんから見れば俺は慧瑠の向こう側にいるから。もし俺に構わず、綾袮さんが攻撃を続けていたら…俺にはどうする事も出来なかった。

 

「…貴方…何を、しているの……?」

「…話位…聞いてやったって、いいじゃないか……」

 

 信じられないものを見ているような目をしている妃乃さんに向けて、俺は言葉を返す。普段の俺なら、やってしまった…と内心で物凄く焦っていたと思う。…でも、今の俺は違う。今の俺に焦りはないし…後悔も、していない。

 

「話…?話って…最後に、ってやつの事…?」

「それもだけど…それ以前に、慧瑠は自分からの攻撃なんてしてないじゃないか…。綾袮さんは知ってるでしょ…?慧瑠は、前だって戦闘意思がなかった事を……」

「…今はそもそも反撃するだけの余裕がなかった。前回は、わたしの実力を見定める事が目的だった。…それだけだよ、顕人君」

「……っ…なんで、そうなるのさ…普通そうなったら、対話の余地があるかもしれないって考えるものじゃないの!?現に俺だって怪我一つしてない!これまでだって、危害を加えられた事はない!そうだろ!?」

「あ、顕人君…それは、魔人の本性が分かってないからそう思えるだけで……」

「分からないのは聞かないからだろ!?聞きもせず、端っから倒そうとしたからだろ!?俺は聞いたよ!知ったよ!慧瑠が何を考えていて、どうして俺を傷付けなかったのかを!確かに、俺に慧瑠の言葉の真偽を見定める方法はないけど、これは思い込みなんかじゃない!思い込んでるのは、何も聞かない綾袮さん達の方じゃないかッ!」

 

 あまりにも霊装者側一辺倒な、決め付けるような綾袮さんの言葉に、俺の中で渦巻いていた思いが一気に噴き出す。

 俺は、綾袮さんが嫌いな訳じゃない。そんな訳がない。俺にとって綾袮さんは恩人で、一緒に居たいと思える人の一人で、俺の憧れでもあるんだから。…だからこそ、その綾袮さんが、同じく尊敬している妃乃さんが慧瑠の話をまるで聞こうとしなくて、慧瑠の気持ちを考えてすらいない事が耐え切れなくて、俺は思いの丈をぶちまけた。──だけど、

 

「……そ、っか…顕人君…顕人君は、そんな事を考えてたんだね…」

「そうだよ、だから……ッ!」

「……散々食い物にしたばかりか、ぬけぬけとまた現れて、あまつさえ顕人君を誑かすなんて……やっぱり生きてる価値ないよ、さっさと死ぬべきだよ、魔人」

「……っ!?綾袮、さん……?」

 

 聞こえてきたのは、どこまでも冷たく凍てついた言葉。あの日、手負いの魔人に投げかけたのと同じ声。俺の知る綾袮さんとはかけ離れた、冷徹そのものなその声に、思わず俺は振り向いてしまう。

 

「…妃乃、顕人君の事はお願い。魔人はわたしが討つ」

「…あんまり感情的になるんじゃないわよ?ここで取り逃したらそれこそ……」

「分かってる、だから……」

「はいはい、顕人の事は引き受けたわ」

 

 氷の様な眼差しを慧瑠に向ける綾袮さんに対し、妃乃さんは言う。あまり感情的になるな、と。

 俺には分からない。これのどこが感情的なのかが。…けど、綾袮さんは本気だ。元から、本気で慧瑠を討とうとしていたけど……何となく分かった。分かってしまった。今の綾袮さんには…どんな言葉を投げかけようと、伝わる事はないんだって。

 

「…綾袮さん…どうして……」

「大丈夫だよ、顕人君。悪いのは全部そいつだから。すぐにわたしが始末するから、そしたらゆっくり話そ?」

「違う…違うよ綾袮さんッ!俺は……!」

「…そこまでよ、顕人」

「……!?」

 

 にこり、と微笑む綾袮さん。声のトーンはいつも通りで、確かに微笑みも浮かべているのに……なのに、綾袮さんからは凍て付いた雰囲気しか感じない。

 伝わらないんだって事は分かってる。でも諦められなくて、今の冷酷な綾袮さんは見たくなくて、それでも…と俺は食い下がる。

 だけどその瞬間、完全に俺が振り返ってしまった瞬間に、逆に俺の背後にいる形となっていた妃乃さんは動き出していた。

 

(なぁ……ッ!?)

「同情はするわ。でも、貴方も少し頭を冷やしなさい」

 

 俺が振り返るよりも早く、声が聞こえたのとほぼ同時に、左右後方から蒼い壁が俺を慧瑠の前から隔離。それが妃乃さんの拡大させた翼だと気付いた時には腕を掴まれ、力尽くで慧瑠から距離を取らされる。

 

「くっ……慧瑠、慧瑠ッ!」

 

 霊装者として遥か高みにいる妃乃さんの手を、何もなしに振り払える訳がない。悔しいけどそれが絶対の事実で、だからこそ俺は思いを言葉に乗せて呼ぶ。慧瑠の名前を叫ぶ。そこに意味なんかなくたって、そうせずにはいられなかったから。

 翼が戻され、開けた視界の先には二人の姿。大太刀を腰に構えて突進する綾袮さんと、慧瑠の後ろ姿の二つ。そして、コマ送りのようにゆっくりと視界の中の光景が進む中、遂に綾袮さんが大太刀の届く距離に慧瑠を捉えて……

 

 

──次の瞬間、弾丸の様な勢いで何かが空から飛来した。…いや、違う…これは……

 

(う、で……!?)

 

 目を疑った。あり得ないと思った。でも違う、見間違いじゃない。確かにそれは……空から伸びてきた、一本の腕。

 

「なっ、うぇッ……!?」

「これ、って…まさか……!」

 

 流石にこれには綾袮さんも驚いたらしく、目を見開きながら跳んで後退。同時に妃乃さんも声を上げるけど…その声に籠っていたのは、綾袮さんとは違う響き。

 俺はと言えば、反射的に見上げていた。伸びている腕の大元を、それを放ったであろう何かの方を。そうして、見上げた先にいたのは……魔人。

 

「…間一髪とは、このような時言うのでしょうね。皆様お初にお目にかかります。そして…お久し振りですね」

「あんたは……ッ!」

 

 恭しく頭を下げる魔人に対し、妃乃さんはギロリと睨んで視線を返す。

 間違いない。間違いなくあれは魔人で…妃乃さんはあの魔人を知っているんだ。恐らくあの魔人が、前に妃乃さんと千㟢が一戦交えたって奴なんだ。

 

「…なんであんたがここにいるのよ…!」

「それは勿論、目的があるからですよ。…お嬢さん、援護致します。ですので私と共に来て頂けますか?」

『……!』

 

 肩を竦めた魔人は、慧瑠の方へと視線を移してもう一礼。ずっと高所から頭を下げたところでむしろ煽っているようにしか見えなかったが……それは二の次。それよりも問題は、この魔人が慧瑠を連れて行こうとしている事。

 魔人が何を考えているのかは分からない。けど、もしそれに同調してしまったら。…俺と三人とでその意味は違っても、それが最悪の展開だという認識は変わらない。

 

「援護……貴方一人で、この状況が何とかなると…?」

「まあ、やれる限りの事を尽くしますよ」

「はぁ…なら、嫌だ…と言ったら?」

「それは困りますね。私も通りかかったついでに手を貸す訳ではありませんから」

「ま、そう言うと思ってましたよ…そもそも自分の事を嗅ぎ回ってた相手が、軽く引いてくれる訳が……」

 

 けれど、慧瑠は魔人の誘いに同調しない。その表情はむしろ迷惑そうで、魔人の方から目を逸らす。そして……次の瞬間、慧瑠が言葉を言い切るよりも早く、それまで見上げるだけだった二人が動き出す。

 

「はっ、そんな事させる訳がないでしょうがッ!綾袮!」

「分かってるッ!今度こそ確実に……って、またッ!?」

 

 翼を広げて飛び上がった妃乃さんと、再度慧瑠に肉薄をかける綾袮さん。二人共狙う相手に向けて刃を翻し……だけどそこに、先の腕の様に次々と飛来する黒い何か。

 でも、これは俺も見覚えがある。それは攻撃であっても、無機物やエネルギーなんかじゃない。

 

「……っ…文化祭の時の魔人まで来てる、って訳っすか…もてもてですねぇ、自分…!」

「ちっ…ゼリア!貴女ちゃんと協力するって話よね!?だったらこいつら蹴散らすの手伝いなさいッ!」

「えぇ、構いませんよ。ですが宜しいのですか?」

「何がよッ!」

「貴女方だけで、作戦を完遂出来るのか…という話です」

「……ッ!うっさいわねッ!減らず口を叩く暇があったら……」

「勿論、その分も動きますよ」

 

 黒い何か…いや、文化祭での魔人がどこからか放ったのであろう小型の魔物が、慧瑠から綾袮さん達を引き離すように殺到する。一部は俺の方にも襲いかかってきて、当然俺はその魔物達を迎撃するが…やっぱり大半が向かっているのは二人の方。

 さっきまでは、一方的な戦いだった。けど、今はもう乱戦状態。次々襲ってくるのとは別の、もしかしたら戦いを嗅ぎ付けてきた無関係の個体かもしれない魔物達まで現れて、どんどん状況は変化していく。

 

(くそッ、これじゃあ本当に止められない…ッ!こんな乱戦じゃ、まともに話す事だって……!)

 

 横槍が入った事で、慧瑠がこのままやられる…という可能性は下がったかもしれない。慧瑠が魔人に着いていく気がない、って事もさっきの言葉で分かった。…でも、それじゃ駄目だ…それだけじゃ駄目なんだ…ッ!俺は、慧瑠が生きてさえいてくれれば…なんて格好良い事を言える人間じゃない…!俺は、俺は……ッ!

 

「あぐ……ッ!」

「……──ッッ!」

 

 その時、魔物の妨害を受けながらも無理矢理綾袮さんが大太刀を振るった。その刃からは飛翔する斬撃が放たれ、一直線へ慧瑠の前へ。怪我の影響が酷くなってきたのかふらついていた慧瑠は咄嗟に靄を纏わせた両腕で防いだものの、その拍子に姿勢を崩して倒れてしまう。

 そして、それを見た綾袮さんは邪魔な魔物を一気に蹴散らしにかかる。魔物を寄せ付けないどころか通り過ぎた場所の魔物は全て両断された後、なんてレベルの力を見せるゼリアさんもその時視線が慧瑠を捉えていて……だけど、慧瑠はこの瞬間フリーだった。三人の内、誰からも攻撃を受けておらず、魔物も周囲にはいない、完全なフリー。三人にも、魔人にも及ばない俺が……それでも、何か出来るかもしれない、一瞬のチャンス。だから俺は……飛ぶ。

 

(何が出来るか、じゃない…ッ!俺が助けるんだッ!慧瑠をッ!)

 

 心の中で叫んで、力全てを注ぎ込む位の思いで、俺は地を蹴り真っ直ぐ突進。尻餅を突いた状態の慧瑠を掴んで、抱えて…そのまま夜空に飛び上がる。

 

「…ぇッ、ぁ…先輩……?」

『顕人(君)!?』

 

 驚愕に目を見開いた慧瑠の声と、後ろから聞こえてくる綾袮さん達の声。

 まさか俺が、こんな行動に出るなんて。三人の声には、そんな響きがあった。でも、驚くのも当然の事だ。だって俺自身、俺の行動に驚いているんだから。

 

「しっかり掴まってて、慧瑠…ッ!」

「あ、は、はい……!」

 

 首と膝の裏に腕を回したお姫様抱っこで、肩と太腿を強く掴んで、スラスターフル点火、最大推力で公園から離れていく。

 俺に、具体的なプランがある訳じゃない。感情的に、衝動的に…ただ慧瑠を失いたくないという思いだけで、俺は動いた。動いてしまった。…だけど……

 

「待って顕人君!そんな……ーーッ!邪魔をしないでよッ!」

「そうはいきません。逃げられてしまうのはこちらとしてもありがたくはないですが…貴女方をここで押し留められれば、数に勝るこちらに利がありますからね」

「ちッ…だったら……ッ!」

 

 数は分からないけど、魔物が追走してくる気配はある。でも、綾袮さん達の気配は感じない。

 乱戦状態。さっきまで俺から言葉を…話す事を奪っていたその状態は、今は俺に味方していた。襲ってくる魔物が邪魔で、綾袮さん達は俺の方に来れないでいた。勿論、魔物は追走してきているけど……綾袮さん達に比べれば、ずっといい。

 

「…先輩…どこへ……?」

「分からない!けど、とにかく遠くッ!」

「む、無策…ですか……?」

「そうだよ、悪いッ!?」

「いいや…ふふ、無策で遠くへなんて…まるで駆け落ち、ですね……」

 

 辛そうな顔をしながらも、小さく笑ってそんな事を言う慧瑠。その発言にちょっとだけ俺は安心して…けどすぐに気を引き締める。

 綾袮さん達と違って、魔物なら対応は出来る。でも楽勝ではないし、仮に戦うとしても俺は両腕が塞がった状態。両腕が塞がったままで、まともに戦える訳がない。

 

(……っ…振り切れない…!)

 

 飛びながら背中の砲を後ろへ向けた角度で止めて、気配を頼りにさっきから何度も撃っている。でも多分当たってない。俺は気配で相手の位置を正確に捉えられる程の実力者でもなければ、背中にも目を付けられるようなエースでもないんだから、そもそも撃墜を望める訳がない。

 それでも牽制にはなると思って撃っていた。だけどそれも限界があって、次第に気配が近付いてきている。

 

「こう…なったらッ!」

 

 張り切るのは困難。後ろから攻められたら、回避も難しい。ならば取れる手は一つしかない。

 そう思った俺は、一か八かで身を翻す。そして俺の視界に入ってきたのは……魔物三体。

 

「……ッッ!」

 

 不味い、と思った。三体じゃ、縦に並んでない限り同時に撃ち抜く事は出来ないと。でも今更動きを変える事なんて出来ず、俺はそのままの勢いで砲撃。だけど振り向きざまで、碌に相手を見定める事も出来なかった砲撃は狙いがブレ……撃ち込んだ二体の内、一体は横をすり抜けてしまう。

 

「……!しまっ……」

 

 振り向いた事で、速度の落ちてしまった俺。魔物は好機とばかりに翼をはためかせ、弾丸の如く俺へ向かって突っ込んでくる。

 慣性に引っ張られ、もう回避は間に合わない。迎撃も出来ない。出来るとすれば、せいぜい慧瑠を庇う事だけ。でも…耐えれば、堪える事が出来れば、まだ何とかなる可能性はある。だから俺は痛みを覚悟し、歯を食い縛って……次の瞬間、横からの光が二体の魔物に遅いかかった。

 

(これ、って……)

 

 一つは光芒。その光芒は、魔物の頭部を的確に撃ち抜く。もう一つは二振りの刃。その刃は、魔物の首を一瞬で撥ね飛ばす。…そう、それは…その攻撃は……

 

「…ラフィーネさん…?フォリンさん……?」

 

 呆然とする俺の前に、それぞれナイフと長大なライフルを携えて現れる二人。そのあまりにも絶好な、嬉しさから頬が緩んでしまいそうなタイミングでの登場に、思わず俺は肩の力を抜きかけて……けどすぐにハッとする。もし綾袮さんや妃乃さんの考えが、霊装者として普通の事なら…二人も、慧瑠を討とうとするんじゃないかって。

 だから俺は、身構えた。身構えたけど……返ってきたのは、思いもしない意外な言葉。

 

「顕人さん、追ってくる魔物は全て私達が迎撃します」

「だから、顕人は行って」

「へ……?」

 

 意外も意外、思っていたのとは真逆の言葉に、俺はぽかんとしてしまう。するとラフィーネさんもきょとんとした顔で見つめ直してきて……え?…じゃあ……

 

「…二人は、慧瑠の追撃に来たんじゃないの……?」

「……?何を言ってるの?」

「な、何をって…慧瑠は……」

「わたし達は、顕人の味方」

「……っ!」

 

 真っ直ぐな目で、何の淀みもなく言うラフィーネさん。あんまりにも自然な…だからこそ、本心だって素直に思えるその言葉に俺が何も返せないでいると、フォリンさんも言葉を続ける。

 

「…言いたい事は分かります。実際私達は元々、伏兵として別の場所で待機していましたから。顕人さんの行動に、理解出来ない部分だってあります」

「…なら……」

「ですが、そんな事は関係ありません。どうだっていいんです。確かに私達は、協会からの命で動いていましたが……私もラフィーネも、協会ではなく顕人さんの味方ですから。協会ではなく、顕人さんの力になりたいんです」

「わたしもフォリンさんも、顕人の為に戦う。顕人の願いの為に、わたし達はいる。だから……」

 

 

「行って、顕人」

「行って下さい、顕人さん」

 

 信念の籠った瞳で、強い意思を思わせる声で、二人は言った。俺の背中を、押してくれた。本気で助けたい、力になりたいと思った二人が…今は、俺の力になってくれた。

 だから…だから俺は、反転する。もう一度振り返って、再度推進器をフル稼働させる。

 

「…分かった……ありがとう、ラフィーネさん!フォリンさん!」

 

 本当はもっと、感謝を伝えたい。無理はしないでって、色々な言葉をかけたい。…でも、そんな事をしてる場合じゃない。二人は俺の為に引き受けてくれたんだから…一刻も早く飛び去る事こそが、二人の思いに応える行為。

 そうして俺は、夜空を駆ける。ただひたすらに、飛び続ける。力の限り、体力の続く限り……慧瑠を、守る為に。



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第百四十五話 存在、零れ落ちて

 俺は飛んだ。慧瑠を抱えて、とにかく遠くへ。飛んで、飛んで、飛び続けて……遂に限界に達した俺は、大きな自然公園らしき場所へ着地する。

 

「はぁ…はぁ……っ、降ろすよ…慧瑠…」

 

 緩い坂となっている場所へ足を付けた俺は、ゆっくりとその場に慧瑠を降ろす。

 霊力的には、まだ飛べる感じがある。でも、超長距離を飛び続けるなんて事は初めてで、ずっと全方位へ気を張り続けるというのも初めてだった。だから、俺が今感じている疲労は、どちらかと言うと精神的な部分が大きい。

 

「…先輩…大丈夫、ですか……?」

「一応、大丈夫…。このまま飛ぶと…最悪、制御ミスって墜落する危険があったから降りただけ…。…慧瑠こそ、大丈夫…?」

「…これ、大丈夫に見えます…?」

 

 慧瑠の隣に俺も腰を下ろし、邪魔になる武装は一旦縮小。取り敢えず、追っ手がいない事に一安心した俺だけど……慧瑠の言葉で、すぐに現実に引き戻される。

 そうだ、慧瑠はゼリアさんに背中を斬り裂かれていて、そこから綾袮さん達とも一戦交えている。そんな状態で、そんな事をして……大丈夫な、訳がない。

 

「…ごめん、慧瑠……」

「先輩が謝る事じゃないですよ…。それに…自分こそ、ごめんなさい…折角、先輩が買ってくれた服なのに……」

「気にするなよ、そんな事…それは、慧瑠のせいじゃない……」

「なら…お互い様、ですね……」

 

 そう言って、慧瑠は笑う。だけどその笑みに元気はない。その表情に、いつもの掴み所がない感じもない。浮かんでいるのは…苦しそうな、歪んだ笑顔。

 

(どうしたらいい…どうしたら、慧瑠を助けられる…?)

 

 見ていたくない、こっちまで辛くなるような表情。でも目を逸らす事は出来ない。これは現実だから。目を逸らして、見ないようにしたら……俺はその先で、慧瑠を失ってしまうから。

 だから考える。どうすれば、どこに行けばいいんだって。思考して、思案して、考えを巡らせて……いや、違う。今はまだ、逃げる事を優先しなくちゃいけない。ある程度休憩出来たら、もう一度飛ぶんだ。もっと距離を取って、完全に振り切って、それでやっと次に進める。どうすればいいかは、その段階になってから考えたって遅くはない。

 

「…先輩…夜空、綺麗ですね……」

「…あぁ…綺麗、だね……」

 

 俺が休息を取る中、ぼんやりと慧瑠は空を見上げる。いつの間にか、完全に夜となってしまった空を。

 夜空が綺麗だと、慧瑠は言った。でも俺は…それ以上に、見上げる慧瑠が綺麗に見えた。儚げで、目を離せばすぐに消えてしまいそうな慧瑠が…酷く綺麗に見えていた。

 けれどそんなのは、嬉しくない。どんなに絵になっていたとしても…こんなの、嬉しくなんてあるものか。

 

「…無茶苦茶、し過ぎですよ先輩……」

「…そうかな?」

「そうですよ…敵である自分を守る為に味方と正対するわ、あの状況で自分を連れて離脱するわ……やってる事、殆ど裏切り行為じゃないですか…」

「う……それは、確かにそうだけど…」

 

 呆れたような、困ったような、慧瑠の言葉。裏切りじゃないかと言われた俺は、一瞬答えに詰まってしまう。

 慧瑠の言う通り、俺がしたのは利敵行為だ。どんな理由があろうと、それを協会が肯定してくれる訳がない。そして俺だって、所属している組織に反する事の意味位分かってる。…でも……

 

「…それでも俺は、そうしたかったんだよ…協会や綾袮さん達を裏切りたいとは微塵も思わないけど…それ以上に、俺自身の願いを裏切りたくはなかった…ただ、それだけだよ」

「…………」

「…慧瑠?」

「…格好良いですね、先輩…元々面白い人だとは思ってましたが…今日一日で、更に評価うなぎ登りです…」

 

 それでも貫きたい思いがある。守りたい人がいる。だから、俺はそうしたんだ。それ以上でも、それ以下でもなく…何よりも、俺自身の為に。

 なんて部分まで言うのはちょっと恥ずかしかったから(夏には言った気もするけど…あの時はそんな事考える余裕もなかった)、そこまでは言わずに締めた俺。すると慧瑠は俺を見つめた後…言ってくれる。俺が、格好良い…と。

 

「そ、それは…その、ありがと……」

「…ほんと、やっぱり先輩に会いに来て…最後に会おうと思って、正解でした…こんな傷なんて、どうでも良いと思える位…自分は、満足です……」

 

 嬉しかった。恥ずかしいけど、嫌な気はしなかった。けれど続く言葉に感じるのは不穏な空気。まるで、もう思い残す事はない…そんな感じの空気が慧瑠にはあった。

 

「…最後なんて、言わないでよ…ほら、そろそろ移動するから、もう一度掴まって」

 

 そんな空気を誤魔化すように、俺は立ち上がって手を伸ばす。本当は、もう少し休みたいところだけど…このまま話をするのは怖かったし、休み過ぎて追い付かれた…なんて事になったら目も当てられない。

 そして後者の理由は、慧瑠だって分かってる筈。この手を掴んでくれる筈。…そう思って、俺は慧瑠に手を伸ばした。だけど……慧瑠は、首をゆっくりと左右に振る。

 

「……っ…どうして…」

「…もう、いいんです…自分はもう、満足…しましたから……」

「……──っ!」

 

 儚く、悲しそうで、けれど穏やかな顔。…そんな顔で、慧瑠は言う。もう、満足したって。もう、いいんだって。

 

「満足って…なに、言ってるのさ慧瑠…それじゃあ、慧瑠は……」

「はい…自分はもう、十分生きましたから…。それに…こう見えて、実はかなり限界なんです…正直…もう、持たないんです……」

「そ、んな……」

 

 声が掠れる。心が締め付けられる。慧瑠の怪我を見れば予想位はつく筈なのに、慧瑠の口振りはいつも通りのままだったから……いや、それ以上に俺がそれを信じたくなかったから気付かなかった現実が、はっきりと言葉で突き付けられる。

 そして、言われて気付く。離脱する前よりも、更に慧瑠の表情に浮かぶ陰りが強くなっている事に。

 

「……ッ…いや、まだだ…まだ諦めちゃ駄目だよ慧瑠…!まだ手を尽くした訳じゃないんだから、諦めるのは……」

「…違いますよ、先輩…自分は、無理だから諦めるんじゃないんです…もう十分だから、満足したから…もういいって、言ったんです……」

「満足って…何が、何がさッ!?」

「全部、です…言いましたよね、自分…自分は物凄く、長生きだって…人の何倍以上も生きてるんですから…悔いがなくても、おかしくは…ないでしょう……?」

 

 認めなくない。受け入れたくない。そんな思いで声が荒くなってしまう俺に対し、慧瑠の声音は穏やかなまま。…その声からは、否が応でも感じてしまう。本当に、悔いなんてないんじゃないか…って。

 

「だったら…だったら、なんで俺にいつかまたなんて言ったんだよッ!あれは俺を納得させる為の、建前だったって事!?」

「あれは……はは、痛いところ…突いて、きますね…。…建前、なんかじゃ…ないですよ…あれは自分の、本心です…」

「なら……ッ!」

「…けど、分かったでしょう…?いや…分かったん、ですよ…前までと違って、霊装者にも…魔人側にも目を付けられている今はもう、隠れ続けるのは難しいんですよ…仮に隠れられても、今日のように…自分は争いの種になる…それは嫌だって、言ったじゃないですか……」

 

 いつかまたなんて、嫌だと思っていた。いつかまた会えるから別れてもいいなんて、そう思える程俺は大人じゃないから。

…そう、思ってた事までも引き合いに出して、俺は慧瑠に言葉をぶつける。やっぱりまだ死ぬ訳にはいかないって、終わりにはしないって言ってほしくて。…だけど、慧瑠の思いは変わらない。変わらないし…逆に俺が、何も言えなくなってしまう。だって…あまりにも俺の思いは利己的で、慧瑠の思いは利他的だから。

 

「いつかが無くなってしまうのは、悲しいですけど…それ以上に、自分が争いを招いてしまう事は嫌なんですよ…それに……長く長く生きて、ずっと一人で生きてきた果てで、一緒に居たいと思えた相手に看取られて死ぬんです…そう考えれば…悪く、ありませんから……」

「……ぅ、くッ…なんで、だよ…なんでそんなに割り切れるんだよ…ッ!なんで、そこまで…思えるんだよぉ…ッ!」

 

 感情的な俺と違って、慧瑠の言葉はまるで俺を諭すよう。そんな声で俺に訴えながら、今日何度目かも分からない優しい笑顔を俺に向けてくれる慧瑠は、本当に本当に優しくて……だから、諦められない。利己的だって分かっていても……俺は慧瑠を諦めたくない。

 

「それは…まぁ…長く生きてるから、ですか…ね……」

「分からねぇよ、そんな理由じゃ…ッ!慧瑠だって、死にたい訳じゃないだろ…ッ!?そうするしかないから、仕方なくそうするってだけだろ…ッ!?なのに、なんでそんな……」

「…そんな、落ち着いた顔をしているのか…ですか…?」

「……そうだよ…まだ何か、方法があるかもしれないじゃないか…まだ終わりにしなくたって、いいかもしれないじゃないか…なんで、それを探そうともしないんだよ…」

 

 熱くなって、それから理路整然とした事の言えない、ただ感情的に訴えかける事しか出来ない事が切なくなって、俺は拳を握り締める。それを見た慧瑠は、少しだけ申し訳なさそうな顔になって…でもやっぱり、首を横に振る。

 

「…無理ですよ、先輩…何のリスクも、何のデメリットも負わず…ただ望む事だけを得るなんて…それこそ、魔王だって出来はしません……」

「…だとしても、俺は…俺は慧瑠を、諦めたくないんだよ……ッ!」

「そんな事、言われたら…自分だって、困りますよ……自分は納得してるのに、これでいいって思ってるのに…先輩が、そんな辛い顔するんじゃ……」

「……っ…!」

 

 その瞬間、その言葉で俺の心にのし掛かる、強い自己嫌悪。どう考えたって一番辛いのは慧瑠なのに、今も苦しんでいるのに、余計慧瑠を困らせてしまった自分が情けなくて、思わず謝ってしまいそうになる。

…でも、謝らない。謝らない。ここで謝ったら…きっと俺は、そのまま流されてしまうから。そしてそうなった時…俺は慧瑠を失ってから、きっと死ぬ程後悔するから。

 

「…お願いです、先輩…分かって、下さい……」

「…駄目だ、慧瑠…それだけは、慧瑠の頼みでも聞けないよ……」

「なら……あの時の約束を、行使させてもらいます…」

「あの時……?」

「約束、じゃないですか…自分が、先輩の探し物を見つけたら…要望を一つ、聞いてくれるって…。…だから、先輩…自分からの、要望です…。最後に、笑って下さい…笑顔で自分を、見送って下さい……」

 

 その言葉と共に、伸ばされた右手が俺の頬に触れる。まだ温もりのある、慧瑠が生きている事を証明してくれる、温かな手が。

 確かに俺は約束をした。あの時は、誤魔化す為の話の延長で、流れで何となく言っただけだけど……間違ってない。だってその探し物は、自分自身という形で今日、確かに俺の前に用意してくれたんだから。そして、もしかしたら……あの時点でもう、慧瑠は全て分かっていたのかもしれない。

 

(ああ、狡い…狡いよ慧瑠…そんな事、言われたら…そんな顔で、そんなお願いをされたら、俺は……)

 

 揺らぐ、揺らいでしまう。頷いてしまいそうになる。これは本当に心から望んでるんだって、伝わってくるから。きっとそうすれば…慧瑠は、最後を幸せな思い出にする事が出来るから。

 分かってる。仮に死なない道を俺が見つけたとしても、その道は絶対平坦じゃないって。俺のエゴで、慧瑠を苦しめるだけになるかもしれないって。……だけど、それでも……

 

「…ごめん、慧瑠……それは…聞けない」

「…やっぱり、そう…ですか…。出来る範囲じゃ、ないん…ですね……」

 

 溢れそうだった涙を袖で拭って、俺ははっきりと言い切る。出来ないって。そして慧瑠も、薄々分かっていたように小さく呟く。

 そう、俺は言った。俺が出来る範囲の要望なら、って。単なる予防線として言っただけだけど…言葉にした事には変わりない。そして…今も言葉にした事で、漸く俺の中で吹っ切れる。嗚呼、そうだ…無理だ。どうしたって、どう考えたって……俺は慧瑠を、諦められない。

 

「……慧瑠、俺は受け入れないよ。見送らないよ。俺は絶対に、慧瑠の事を諦めない」

「それは……」

「あぁ、そうだよ。これは慧瑠の為じゃない。慧瑠じゃなくて…俺は俺の為に諦めないんだ。これは俺の我が儘だ。だから……代わりに、何があろうとこれから慧瑠に降りかかる災いは全て俺も一緒に背負う。慧瑠が、なんて言おうと…ね」

 

 そう言って、俺は慧瑠に手を伸ばす。慧瑠を抱え、再び移動する為に。まずは、何とか慧瑠の傷を癒す為に。

 

「…酷い言い草ですね、先輩…先輩は、自分の意思を踏み躙ってまで…自分自身の望みを、貫こうとするんですか……?」

「そうだよ。けど、違う。踏み躙るんじゃなくて探すんだよ。慧瑠が、死ななくてもいい道を」

「…一緒に背負うなんて、聞こえの良い事を言ってますが…そもそもここで終わりになれば、自分は何も背負う必要がないんですよ…?」

「それもそうだね。だから、俺は全部背負って、その上で慧瑠を抱えたっていいと思ってる」

「……自分の為じゃなく、他人の為でなく…自分がそうしたいから、嫌だから助けようと…いや、生かそうとする…それが、どれだけ傲慢で身勝手な事なのか…先輩は、分かってますか…?」

 

 非難するような、問い詰めるような…その裏側で心配するような表情を浮かべて、慧瑠は言う。言って、俺を見つめてくる。

 俺は答える。実を言えば、自分でも漠然としてると思うような…けれど混じり気のない、俺の心そのままの言葉で。そして、最後の問いには……何も言わず、ただ慧瑠の瞳を見つめ返す。

 これが、俺の意思だ。もう揺らぎようのない、本気の思いだ。

 

「…本気、なんですね……」

「本気だよ」

「…はは、驚きました…まさか、ここまで言い切るとは…先輩に、こんな一面があったとは…。…全く……」

 

 

 

 

「……そこまで言われたら…そこまで言ってくれるのなら…いいですよ、先輩。自分も…もう、躊躇いません」

 

 小さく笑って、ゆっくり首を横に振りながら俯く慧瑠。驚いたような、でもどこか感心したようにも聞こえる声で、俯いた慧瑠は全く、と呟く。そして、慧瑠が顔を上げた時……そこには、不敵な笑みが浮かんでいた。さっきまでの、諦観や申し訳なさの籠った笑みじゃなく……いつも俺に見せてくれていた、捉えどころのない笑みが。

 

「…躊躇わない、って…それは……」

「言葉通りの意味ですよ。でも、まずは……すみません、先輩…。さっき、無理だの何だの言いましたが…あれは、嘘です。実は…方法、思い付いてます…」

「な……っ!?」

 

 そう言いながら、更に慧瑠は笑みを深める。けどこれは、俺を安心させようと…なんて、殊勝な意図によるものじゃない。これは、この笑みは……驚く俺を見て笑ってるだけだな…!

 

「……っ、たく…もう…やってくれるね慧瑠……」

「ここまで散々無茶苦茶な事をされたんです…ですから、自分だって…ちょっと位、いいでしょう…?」

「それとこれとは話が……いや、それは後だ。方法があるのは本当なんだね?だったらすぐにでも……」

「待って下さい。…その前に、確認です先輩。…確かに、方法は思い付いていますが…これは確証も前例もない、机上の空論一歩手前の策です…。やった事ないけど、多分出来る…って位のものです…。成功する保証なんてありませんし…仮に成功しても、先輩は死んでしまうかもしれません…多くの大切なものを失ったり、死ぬまで苦しみ続ける事になるかもしれません…。そしてそれは、失敗した場合でも十分起こり得ます…。……それでも、先輩は…自分といる事を、望みますか…?」

 

 気持ちを逸らせた俺を落ち着けるように、慧瑠は俺の眼前へ手をかざす。

 それから慧瑠は言った。意思の確認を。俺への忠告を。本当に…これだけの危険や不安があっても尚、俺の心は折れないのか、と。

 それを聞いた俺は、迷った。でも俺は、やるかどうかについてじゃない。そんなのは、もう決まってるんだから。俺が迷ったのは、どんな形で返答をするかで……一瞬の沈黙の末、ゆっくりと俺は頷いて言う。勿論だ、って。

 

「…その言葉、待ってました。今の先輩は…先輩史上、一番格好良いです…」

「ありがと。…で、俺はどうすればいい?」

「先輩は、じっとしていて下さい…それだけで、大丈夫です…」

 

 言われた通り、慧瑠の方を向いたままじっとする俺。するとさっきと同じようにまた慧瑠の手が伸びてきて…その指先が、俺の首筋に触れる。

 

「少し…いえ、そこそこ痛いと思いますけど…我慢、して下さいね…」

「…何するかは、訊いても…?」

「何、って…先輩は、自分に背中が斬り裂かれたままでいろと…?」

「あ……ごめん、どうぞ…」

 

 返答からまずは治癒をするのか、と考えた俺は、首を触れられていない側に傾ける。すると、探るように慧瑠の指が首筋で動き……止まったと思った次の瞬間、首に走る鋭い痛み。

 

「……ッ、ぅ…!」

「…先輩、辛くなったら言って下さい。自分…直接するのは、久し振り…ですから…」

「あ、あぁ…分かって…うぁ……っ!」

 

 首への痛みを感じる中、慧瑠の顔が近付いてきて、ふにゅんと温かく柔らかい何かが首筋へと触れる。…いや、勿論分かってる。今触れたのが…慧瑠の、唇だって。

 

(……っ…こ、これは…ドキドキ、するな…)

 

 変な意図があろうとなかろうと、慧瑠がしたのは首筋へのキス。そんなの、平然となんてしていられる訳がなくて……けれどすぐに、首筋から全身へと力の抜けるような感覚が襲いかかる。

 多分、これは霊力を吸われた事によるもの。血液を介して吸っているのか、俺の体内に触れる事で吸っているのかは分からないけど……力の抜けてく感覚は、あまり気持ちのいいものじゃない。

 

「…ふ、ぅぅ……」

 

 ゆっくり息を吐いて、深呼吸。初めは脱力感があって、途中からは上手く形容の出来ない、何かが出入りしているような感じもあって……気を抜いても、気を張り過ぎても、内側から何かが崩れてしまいそうな気がしてくる。…でも、駄目だ…崩れる訳にはいかない…折れる、もんかよ……!

 

「……慧瑠…俺が、慧瑠を助けようとするのも…失いたくないって意思を通すのも…全部、俺の勝手だ…俺の我が儘だ……」

「…んっ…ふ……」

「だから……慧瑠は、何も気にしなくていいから…慧瑠だって、俺に我が儘をぶつけてくれていいから…。…俺は、ただの…ちょっと霊力が多いだけの、霊装者だけど……慧瑠を守るって意思は、覚悟は…絶対に、何があろうと貫くよ…慧瑠……」

 

 崩れそうな感覚に対抗するが如く、俺は慧瑠に向けて言葉を紡ぐ。そして、俺の肩と二の腕を掴んでいる慧瑠の身体を、半ば無意識に抱き締める。傷に触れないように優しく、けれど無くさないようにしっかりと。

 抱き締めてから、慧瑠に嫌がられるんじゃないかと思った。デートだなんて言ったけど、あれは冗談で、俺と慧瑠はそういう関係ではない筈だから。でも…俺が抱き締めた数秒後、俺に応えるように慧瑠の掴む力はほんの少しだけど強くなった。

 

(…でも、意思や覚悟だけじゃ駄目だ…もっと、もっと…俺は、強くならなきゃ……)

 

 それから俺は空を見上げる。脳裏によぎるのは、さっきの俺。状況が味方をしてくれなきゃ、きっと何も出来なかった俺自身。

 どんなに偉そうな事を言ったって、どんなに意思や覚悟があったって、力がなくちゃそれを実現する事は出来ない。もっと強くならなきゃ、今あるものだって守れやしない。だから、もっともっと俺は強くならなきゃいけない。慧瑠は勿論の事……他にも俺には、守りたいものや貫きたい事があるんだから。

……そうして、数分…或いは、十分以上の時間が過ぎた。ここまで吸われた事はないからなのか、俺は気付けば不思議な感覚が身体の中にあって……そこで漸く、慧瑠の唇が俺から離れる。

 

「……ぷはぁ…はぁ……」

「…慧瑠、もう大丈夫そう?」

「……ふふっ…♪」

「…慧瑠……?」

「凄く…美味しかったです、先輩……♪」

「ちょ、ちょっと…慧瑠……?」

 

 口を離して吐息を漏らした慧瑠に向けて、特に何か考える訳でもなく訊いた俺。そんな俺に対して返ってきたのは……これまで慧瑠からは見た事もないような、蠱惑的な笑み。自分の唇を舐めて、笑みを深めて…表情から、声から、雰囲気から……得体の知れない、異質な何かを俺に感じさせてくる。

 その時、一瞬俺は思った。このまま俺は、喰われるんじゃないかって。だけど、次の瞬間…慧瑠は笑みを浮かべたまま……俺の腕の中で、崩れ落ちる。

 

「…え……?…慧、瑠…?……慧瑠ッ!?」

 

 元々強く抱き締めていた訳じゃない。だけどおかしい、そんな訳ない。だって…ついさっきまで、慧瑠はちゃんと自分の力で自分の身体を支えていたんだから。俺を掴む手にも、力が籠っていたんだから。

 なのに、時間をかけて霊力を吸っていた筈なのに、俺の目の前で…俺の側で崩れ落ちる慧瑠。その姿に俺は混乱して、頭が一瞬真っ白になって……叫ぶ。

 

「…は、は…すみません、先輩……久し振りに…直接、したからか…ちょっと…気分が、舞い上がっちゃい…ました……」

「そ…そんな事はいいよッ!それより、それよりなんで…ッ!?」

「…大、丈夫…です、よ……」

「何が大丈夫だって言うのさッ!?何が……あ、あぁ…っ!?」

 

 唖然としながら肩を抱いた俺に対して、慧瑠が口にしたのはさっきの蠱惑的な笑みに関する謝罪。けど、そんな事はどうでもいい。どうだっていい。

 慧瑠は大丈夫だと言う。けれど、今の慧瑠が大丈夫なようには微塵も見えない。ちっとも大丈夫だなんて思えない。なのに、それだけでも俺の心は締め付けられるのに……気付く。気付いてしまう。慧瑠の身体が…ゆっくりと、消え始めている事に。

 

「どう、して…そんな…なんで……ッ!?」

「…先、輩……」

「慧瑠……く…ッ!まだ足りない!?足りないの!?だったら…だったら俺の事は気にしないで吸って!俺なら大丈夫!だから……ッ!」

 

 魔物と……あの時の魔人と同じように、慧瑠の身体が光の粒子となって消えていく。理由は分からない。だけど、今俺の目の前で起きているのは疑いようのない事実。

 だから咄嗟に、俺はもっと吸うよう言った。足りないなら、足りるまで吸ってくれればいいって、起き上がる事も出来ないなら俺が自分から手首を切って、それで吸ってくれればいいって思った。…だけど、慧瑠は首を横に振る。

 

「…いいん、です…もう…全部、やりました…から……」

「やったって……まさか、失敗したの…!?出来なかったの…!?」

「…いいえ…何も…何も、心配する事も…悲しむ必要も、ないんですよ…先輩……」

「そんな事…そんな事、ある訳ないじゃないかッ!だって、慧瑠は……ッ!」

 

 頭の中に浮かぶのは、失敗の可能性。治癒だけじゃなく、慧瑠の言っていた『方法』も始めていて……けれどそれが、叶わなかったという可能性。

 狼狽える。居ても立っても居られないなる。だけどやっぱり、慧瑠は穏やかに言う。訳が分からない。どうしてこれに心配も悲しみも不要なのか、これっぽっちも理解出来ない。

 この時の俺は、きっと酷い顔をしていたんだろう。だからか、また…慧瑠の手が、俺の頬に触れる。まだ温かい…けれど震える、慧瑠の手が。

 

「…先輩…自分、先輩の言ってくれた言葉…凄く、凄く…嬉しかったです……自分、正直…人の感情なんて、分かりませんけど…きっと、今の自分は…先輩を、大切な相手だって…大事な人だって、思ってるんです……これからも、先輩と…一緒に、いたい…それが…自分、の…気持ち、です……」

「慧瑠……あぁ、あぁ…!俺もだよ、俺だってそう思ってるよ…!だから、だから…ッ!いなくならないでくれよッ、慧瑠……ッ!」

「だから…大丈夫、ですから…先輩……」

 

 紡がれる慧瑠の言葉は、本当に本当に嬉しい。俺は慧瑠に、そこまで思ってもらえていたのかと、心の中がじんわりと暖かくなりそうになる。

 でも、なりそうになるだけ。嬉しいけど、慧瑠の言葉はまるで今生の別れを伝えようとしているみたいで、慧瑠の身体もどんどん消えていっていて、心が押し潰されそうになっていく。

 だから言う。だから叫ぶ。嫌だって、いなくならないでくれって。だけど、だけど……もう、遅い。

 

「…自分は、ずっと…先輩の、側に…います、から……」

 

 はらり、と俺の頬から落ちていく手。俺の手の中で、崩れて消える慧瑠の肩。最後に慧瑠が見せてくれたのは、最高の……だからこそ、絶望してしまいそうな程の温かな笑みで……

 

「慧瑠ッ!慧瑠!慧、瑠ぅぅ……!あ、あぁ…あぁぁぁぁ……ああああああああああああああああッ!!慧瑠ぅううううううううッ!!」

 

 闇夜に響く俺の声。心の底から慧瑠を呼ぶ、俺の叫び。だけど、もう誰も反応しない。誰の声も返ってこない。俺の手の中で、俺の目の前で、慧瑠の身体は崩れ去って……

 

 

 

 

 

 

────その日俺は、初めて……大切な人を失う痛みを、経験した。



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第百四十六話 これからは、いつまでも

 今日、妃乃は不意に家を飛び出して行った。かなり急いでいて、具体的な事は聞けなかったが……例の魔人絡みらしい。

 となれば引き止める訳にはいかない。そう思った俺は、何かあれば連絡しろとだけ言って見送り、それからはずっと家にいた。元々、出掛ける予定はなかったが…何か胸の中が騒ついて、緋奈にも妃乃から聞いた事を話して、とにかく妃乃を待っていた。

 そうして、結局連絡はないまま、妃乃が帰ってきたのは……深夜。

 

「…ただいま」

「…お帰り、妃乃」

 

 扉が開き、リビングに入ってきた妃乃の声に俺は返す。続けて点いていたTVを消し、座っていたソファから立ち上がる。

 

「…起きてたのね」

「まぁな。夕飯はどうする?食べるなら温めるぞ」

「…じゃあ、お願い」

 

 妃乃からの返答を受けて、俺はラップをかけておいた夕飯をレンジへ。中に入れ、レンジを起動させて…妃乃を見やる。

 単刀直入に言って、妃乃の表情は曇っていた。それも、急用でやりたい事が出来なかったとか、深夜までかかって疲れたとか、そういうレベルの事による陰りじゃない。

 

「……逃げられたのか?」

「…え……?」

「魔人の事だよ。それとも、急用ってのは別の事だったのか?」

 

 一瞬迷い、それからストレート過ぎない程度に言葉を選んで問いかける俺。

 迷ったのは、訊くかどうか。何も言わず、世間話でもする…って選択肢もあった。だが…多分、雑談位で妃乃の心は晴れないだろうし、俺自身何があってどうなったのかは聞いておきたい。…そう思ったから、俺は訊く。

 

「それは……えぇ、悠耶の言う通りよ」

「そっか…まぁ、相手は魔人…それも魔王級の奴なんだ。だったら、無事に済んだだけでも良かったと思うぞ」

「あ……ううん、そうじゃないわ。私が言う通りって言ったのは、魔人の件かどうかであって……」

「っと、それは悪い。……って、ん?じゃあ…まさか、誰かが……」

 

 ふるふると首を横に振る妃乃の言葉で、別に逃げられたから気落ちしてる訳じゃないと俺は理解。だが、誤解した事を謝った次の瞬間…気付く。なら何故、妃乃は表情を曇らせているのか、と。それはつまり、逃げられた上に何かあったって事じゃないのかと。

 最初に浮かぶのは、誰かの死傷。それも妃乃にとって近しい相手に起こったが為に、気落ちしたのかと俺は思った。けど、それにも妃乃は頭を振る。

 

「…そういう事でもないわ。…けど……」

「けど…?」

「……そうね。順を追って話すわ」

 

 数秒間の沈黙の後、妃乃は少し表情を引き締めて言う。そしてそれから、妃乃は話してくれた。急用とは何だったのかを。経緯に、起きた事に…最終的な結果まで、細かく俺に教えてくれた。

 その間、俺は黙っていた。というより…驚く事が多過ぎて、理解をするので手一杯だった。

 

「……マジ、か…」

 

 最後まで聞き終えた俺が、一拍置いた後に初めて口にした言葉がこれ。色々思うところはあったが……本当に、最初はこれしか出なかった。

 御道の前に、またあの魔人が現れた事。何とか取り返しがつかなくなる前に見つけ出す事が出来た事。取り引きやら両組織間の思惑やらが組み合わさった結果BORGから戦力が派遣され、魔人相手に優勢だった事。だがそこで御道が庇うような動きを見せ、更に複数の別の魔人(しかも一体は例の身体の伸びる奴)による強襲を受け、対応している最中に御道が連れて行ってしまった事。そして……御道に追い付いた時、魔人はもう討たれていた事。…はっきり言って、出来事は俺の予想を遥かに超えていた。

 

「驚くのも無理はないわ…けど、全部事実よ」

「あ、あぁ…別に疑っちゃいないが…。…魔人へのトドメは、御道が刺したのか…?」

「…恐らく、ね。ほんとに僅かだけど、その場には魔人の残滓が感じられたし…」

 

 幾らダメージを負っていたとはいえ、魔王級の相手を御道が撃破するなんて。…疑う、とまでは言わないにしろ、ある意味一番驚きだったのはそこだった。

 だが、妃乃がそう言うのなら、本当に倒せていたんだろう。……が、そうなると再び疑問が浮かぶ。今の話のどこに、ここまで気を落とす要素があるのだろうか、と。…まさか、御道に手柄を取られたのが不服…とかじゃねぇよな……。

 

「…………」

「…他に、何かあったのか?」

「他…って……?」

「いや、具体的にどうって訳じゃないが…何となく、さ……」

 

 これまでの経験から、ここで踏み込み過ぎると逆に誤魔化される…というか、心配かけまいと強がるような気がした俺は、一度踏み込んだ上で敢えてぼかす。

 それを、妃乃がどう捉えたのかは分からない。だが…俺のぼかしを聞いた後、妃乃は俯き…それから顔を上げて、ぼそりと言う。

 

「…別に、大きな事じゃないわ…他の物事に比べれば、ちっぽけな事。…ただ……」

「…ただ?」

「……顕人に、納得させられるような言葉…何も、かけてあげられなかったの…」

 

 顔を上げ、けれど視線は下がったままの妃乃の口から出てきたのは、御道の名前。一瞬、意味が分からなかったが…すぐに思い出す。俺や妃乃にとってはただの、学校に紛れ込んでいた魔人でも…御道にとっては、ずっと交流のあった相手であった事を。

 

「それは…仕方ない、事じゃないのか…?気持ちってのは、頭での理解とは別のところにあるもんだし…」

「そうかも、しれないけど…けどそれでも、考えるまでもない事ってあるでしょ…?」

「考えるまでもない事…?」

「魔人や魔物は、討つべき存在…相対的な認識なんて関係ない、絶対的な悪だって事よ…」

(…それ、か……)

 

 考えるまでもない事として妃乃が口にしたのは、魔人や魔物…即ち霊装者にとっての敵への認識。それを聞いた俺の心には、少しだけ複雑な感情が渦巻く。

 魔物は絶対的な悪。魔物を討つ事は、不変の正義。それは霊装者の中での常識とでも言うべき事で、かなり初期に教わる事だからそれを疑う奴は少ない。かく言う俺は、教わった頃とにかく荒れててまともに周りの話なんざ聞いていなかった上、ぶっちゃけ対人戦の方が多かったから、今も昔も強い害獣位にしか思ってないが……生粋の霊装者であり、霊装者としての英才教育を受けてきた妃乃には恐らく、その考えが「1+1=2」レベルで思考の根底に存在している。だから…妃乃は、理解出来ないんだろう。幾ら、人だと思って接していたとしても……相手が魔人だったなら、討つのが当たり前。当たり前の事をするんだから、感情が動く余地なんてない。…そう、思っているんじゃないかと思う。

 それを悪いとは思わない。幼少期からそう教えられて、そういう環境で育ったなら、そうなるのが当然だから。ましてや実際、魔人も魔物も人に仇なす以上は、決して間違った考えって事でもない。

 

「…私は、どうしたら良かったのかしら…ううん、私は時宮の人間として、周りを正しく導かなきゃいけないのに、こんな当たり前の事すら納得させてあげられないなんて……」

「…使命感、か……」

「それが時宮家に生まれた者としての、義務だもの…。…それに、親しい人が落ち込んでたら…悠耶だって、出来る事はしてあげたいって思うでしょ?…なのに私は…こんな普通の事も……」

 

 続く言葉を聞いて、俺の予想は確信に変わる。それと同時に、ある思いも俺の中でふわりと浮かぶ。

 俺は、聞いてからの事を考えていなかった。気になったから、放っておけなかったから訊いたが、励ますとか、アドバイスするだとかのその後の行動はノープラン。そして、それじゃあ行動としては片手落ちだが……だからって訳じゃなく、ただ思ったままに、俺は妃乃の頭へ右手を置く。置いて、驚きで目を丸くする妃乃を見ながら、呆れ混じりの声音で言う。

 

「…ったく…ほんと真面目だな、妃乃は」

「え……?」

 

 それは、半ば自然と出た言葉。妃乃を見て、話を聞いて、心の中に浮かんだ感想。対して妃乃はそんな事を言われるとは微塵も思っていなかったとばかりに、ぽかんとした顔で俺を見つめる。

 

「別にそこまで気負う事はねぇよ。妃乃の責任感や義務感は凄いと思うし、実際時宮の人間として必要な事なのかもしれないが……まだ妃乃は子供だろ?…いや、俺も一応そうだが…心身どっちも、まだ成熟なんかしちゃいないんだ。だったら完璧に出来ない事が一つや二つあったって、そんなの駄目でも恥でもないだろ」

 

 そんな妃乃の頭に手を置いたまま、俺は俺なりに真面目な思いを持って言う。

 思えば、これは前々から妃乃に抱いていた思いかもしれない。もうちょっと肩の力を抜いてもいいんじゃないかって、そう思う事はこれまでにもあった。

 

「……急に、何を言い出すのよ…」

「何だろうな。まぁ俺は妃乃にどうこう言えるような人間じゃねぇし、俺にゃ分からない事とかもあるだろうから、別に軽く受け流してくれたって構わないさ。ただ、まぁ……」

「…まぁ……?」

「…俺は今のままでも、十分妃乃は立派だと思うし、自信を持っていいと思うけどな」

 

 そう言って俺は言葉を締め括り、同時になんとなく置いた手で妃乃を撫でる。普段から緋奈に対してはよく撫でていて、少し前からは依未とも交流を持つようになったからか、本当に自然に俺は撫でていた。

 別に、励まそうだなんて考えてない。ただ俺は、妃乃へ思っていた事を言っただけ。本当に真面目で、責任感が強くて……でも決して近寄り難い訳じゃない、ほんとは変に庶民的だったり、ジャンクフードが好きだったり、プライドが高いのか意地っ張りな一面もある、そんな妃乃だからこそ今のままでもちゃんと人としての魅力が、人を惹きつける力があるんだろうって、本気で俺は思っている。…実際、宗元さんだって若い頃は、今より…ってか、妃乃より雑な性格してたしな。

 

「……それは、その…ありがと…」

「別に礼なんていらねぇよ。それより、変に気負うな。緋奈だって綾袮だって、妃乃が気負ってたらきっと皆心配するだろうしよ」

「……じゃあ、悠耶は…?」

「え…お、俺……?」

「…………」

 

 少し頬を赤くして、ぼそりと呟くように言う妃乃。それを聞いて、俺は一番伝えたかった事を口にしたが……何を思ったのか、そこで妃乃は俺について訊き返してきた。

 まさか俺がどう思うかを訊かれるなんて思っていなかったから、思わず俺は固まってしまう。だが妃乃の瞳は俺の顔をじっと見ていて、なんだか誤魔化す事も出来ない雰囲気。だから俺は数秒迷って、そして……ちょっと目を逸らしながら、逆の手で軽く頬を掻きつつ、言った。

 

「……そりゃ、まぁ…どうでもいいと思ってたら、わざわざこんな事…言わねぇよ…」

 

 努めて俺は、普段通りの言い方で返した。普段通りのつもりで言った。…だが、恥ずい。超恥ずい。一人だったら頭を抱える位……もう、ほんっとに恥ずかしかった。…で、それを訊いた妃乃はと言えば……

 

「……え、妃乃…?」

 

 何故か、一層顔が赤くなっていた。もう赤ってか真っ赤って感じで、口元はもにょもにょしていて、「あぅぅ……」とかなんとか言いそうな雰囲気。え、何?どうして?俺なんか不味い事言った?下品な事でも言ってた?…っていやいやいや、幾ら何でもそれはない。流石にこの流れで品のない事なんて言ってない筈。…でも、だったらほんとにどういう事?いや、ちょっ…マジでなんなの!?ぶっちゃけ辛い!何が辛いって、顔赤くしてる妃乃見てるとドキドキするんだもの!そら俺は男だもの!てか、この状況は後どれだけ続くんですか!?

 

「…い、いつまで頭に手を置いてるつもりよ…馬鹿……」

「あ……す、すまん…」

 

 と、完全に心の中でテンパってしまっていたところで、恥ずかしそうに呟く妃乃。その言葉で反射的に俺は手を離し、その勢いのまま背を向けて、一先ずドキドキの状態からは脱出成功。

 だが、相変わらず空気は気不味いまま。しかも背を向けてしまったものだから、今妃乃がどんな顔をしているかも分からない。勿論、このままリビングを出ていってしまう事も出来なくはないが、それはそれで勇気がいると言うか……

 

「…あ、お帰りなさい妃乃さん」

「……!?あ、た、ただいま緋奈ちゃん…」

「お、おぅ緋奈か…どうかしたのか…?」

「……?…レンジの音が聞こえたから、来ただけだけど……」

 

 なんで俺が思った次の瞬間、いきなり耳に届いた緋奈の声。不意打ち過ぎる緋奈の登場に、俺も妃乃も(と言っても、妃乃に関しては声からの想像だが)びくぅ!…と滅茶苦茶驚いたが、そのおかげで空気が変わって俺は胸を撫で下ろす。あぁ、緋奈…やっぱり緋奈は頼りになるよ……。

 

(…けど、ん…?考えてみりゃ、温め始めたのはまあまあ前で、もうとっくに温め終わってるよな…?)

「…お兄ちゃん?中の物出さないの?」

「あ……いや、出すさ。出さなきゃ意味ないしな(…まぁ、いいか)」

 

 そうして俺はレンジから妃乃の夕食を取り出し、食卓に並べる。妃乃は流しで手を洗って、その後すぐに食べ始める。

 ほんと何故ああなったのかは分からないが、とにかく夕食を食べる妃乃の様子を見る限り、少しは心も晴れた様子。それに俺は安心感を覚え……けれど同時に思うのだった。…御道の方は、大丈夫なんだろうか…と。

 

 

 

 

 俺は慧瑠を連れて、逃げた。誰かに指示された訳ではなく、綾袮さん達が戦っている中、協会にとっての討伐対象である慧瑠を。

 これは慧瑠の言った通り、協会への裏切り行為だ。普通なら、許される筈がない。情状酌量の余地はあるのかもしれないけど……やった事実は、何があろうと変わらないんだから。

 けど、俺は一切罰されなかった。裏切り行為とすらされなかった。──俺が、慧瑠を討伐したという事になって。

 

「…………」

 

 綾袮さん達の猛攻によって弱った魔人は、俺がトドメを刺したというのが協会としての決定。連れて行った事に関しても、乱戦で逃げられる事を危惧した俺の、現場判断によるものとされた。

 別に、誰かがそういう決定になるよう動いた訳じゃない。状況的にはそう判断するのが一番自然で、最も丸く収まる決定で……何より、全くの事実無根って訳でもない。あれは、慧瑠は……俺が、殺してしまったようなものだから。

 

「…着きましたよ、顕人さん」

「…うん、分かってる。……悪いね、ここまで心配させちゃって…」

「ううん、大丈夫」

 

 心配してずっと側にいてくれたラフィーネさんとフォリンさんにお礼を言って、俺は自分の部屋に入る。

 普通魔人討伐ともなれば、いつものようにすぐには帰れない。ましてや今回はかなり複雑な状況になっているから、綾袮さん達が来てからすぐに、俺は双統殿へ行く事になった。

 けれど綾袮さんが気を回してくれて、出来る範囲でやる事を明日以降に回してくれたから、今俺は家にいる。それでも、深夜どころか朝の方が近い時間だけど……綾袮さんには、感謝しなきゃいけない。

 

「……慧瑠…」

 

 ゆっくりと歩いて、ベットに座る。俺の頭の中にあるのは、失意と後悔。大切なものを失ったという、絶望的な気持ちの渦。

 食欲がない。風呂に入りたいとも思わない。ただただ、今は身体も心も酷く重くて……そこで、ポケットの中で携帯が鳴る。

 

「…綾袮さん?」

「うん。顕人君、もう家には着いた?」

「着いたよ。…ごめんね、色々……」

「謝らないでよ。何も顕人君は悪くないし…むしろわたしは、仕留めてくれた顕人君を誇りに思ってる位なんだから」

「……そっか…」

 

 電話越しに聞こえる、満足そうな声。本当に、誇りに思ってるんだろうなと思える、綾袮さんの落ち着いた声音。

 憎悪でも、湧くかと思った。初めて綾袮さんを不快に思うんじゃないかって、嫌いになるんじゃないかって、聞こえた瞬間俺は思った。でも…何も、感じなかった。綾袮さんにとって…いや、霊装者にとってはそれが普通で、悪意も性格も関係ない、単なる価値観の違いなんだって事を、薄々気付いていたってのもあると思うし、俺を見つけた時の綾袮さんの顔を見て、本当に俺の事を心配してくれてたんだなって分かったからってのもあるんだとは思うけど……もう、ほんとに…俺は、疲れていた。多分…気持ちを動かすのも面倒な位、俺の心は疲弊し切っているんだと思う。

 

「顕人君、明日は…っていうかもう今日だけど…ゆっくり休んで。学校は、行かなくても大丈夫だからさ」

「…綾袮さんは、どうなの…?まだ、休めないんでしょ…?」

「まぁね。でも一日徹夜する位なら平気だよ。何とか学校に間に合わせる事が出来れば、休み時間で仮眠も取れるしさ」

「…休まないの…?」

「そりゃ、もしかしたら妃乃も来れなくなっちゃうかもしれないし、それでわたしが休んだら最低でも三人が休みになっちゃうでしょ?多分大丈夫だとは思うけど…それで変に思われるのも嫌だから、ね」

 

 けれど、疲弊しているのは綾袮さんだって同じ事。程度はどうあれ綾袮さんも疲れていて…だけど綾袮さんは、俺の事を気にかけて、他の事も気にして、自分の務めを夜通し果たそうとしている。……あぁ、やっぱり…俺はこの人を、嫌いになれない…。

 

「…凄いね、綾袮さんは……」

「そんな事ないよ、わたしはそれが出来るように育てられただけだから。凄いのは環境だし…普段は顕人君にお世話になってるんだから、こういう時位はしっかりしないとね」

「…なら、無理はしないでね」

「もっちろん。顕人君も、ちゃんと休むんだよ?」

 

 心配をする綾袮さんの言葉に答えて、通話終了。携帯をベットに落として、俺もそのまま倒れ込んで……天井を、見つめる。

 

「…皆、凄いな…しっかりしてて…強い心を持ってて……」

 

 綾袮さん、ラフィーネさん、フォリンさん。俺の側には強い人が何人もいて、この三人以外にも強い人、尊敬出来る人が沢山いる。そんな人達に俺は追い付きたくて、並べるようになりたくて、頑張ってきた。その気持ちは今も変わらないし…その為には、立ち止まってなんかいられない。

 

「…そうだよ、俺は立ち止まる事は出来ない…立ち止まってたら、俺は強くなれない…だから、だから慧瑠を…慧瑠の、事を……」

 

 分かっている。本当は理解している。そうするしかないって。もう選択肢自体がなくて、受け入れて前に進むか、受け入れないまま前に進むかのどっちかでしかないんだって。…それに、慧瑠はきっと、落ち込んだままの…後悔を引き摺ったままの俺なんて望んでない。だったら…やるべき事は、一つだ…慧瑠の為にも、俺は受け入れて…前を見て…慧瑠の死を…糧に、して……

 

 

 

 

「……出来る、かよ…こんなの、こんなのっ…受け入れられる訳、ないじゃないか…ッ!」

 

 見上げた瞳から溢れる涙。拳を握った腕をベットに叩き付けて、やり切れない思いを胸から吐き出す。畜生…ッ!何でだよ、何でだよ…ッ!受け入れられる訳ないじゃないかッ!俺は助けたいって、失いたくないって思ったんだッ!だからッ、何だってしようと思ってたんだッ!なのに、なのに…ッ!なんでまだッ、何も…してない、のに……ッ!

 

「う、ぁっ…ぁぁあぁああぁぁ……っ!」

 

 思いを吐露し、吐き出し、咽び泣く。もうどうしようもない事は分かってるのに、どうしようもないと分かってるからこそ、濁流の様に流れる悲しみを抑え切れない。

 いや、違う。俺は抑えようとも思っていない。俺は……こんなの、認めたくなんか…ないんだよ…ッ!

 

「畜生ッ、畜生ッ、畜生ぉぉ……っ!」

 

 何度も何度も、絞り出すように叫ぶ。腕で目元を押さえて、後悔して、後悔して、後悔して、泣き続ける。そして……気付けば、もう朝になっていた。

 

「……ぁ、ぁ…」

 

 どれだけ吐き出そうと、この思いが尽きやしない。けれど、数十分…或いは数時間も泣いていれば、涙の方は枯れて尽きる。そうして、それ程に泣けば……流石に感情よりも疲れが勝つ。

 次第に重くなっていく瞼。寝るというより、落ちる感覚。このまま寝てしまうんだろうなというのは頭の隅にあって…でもやっぱり、頭と心の一番多くを占めているのは慧瑠の事。俺が失ってしまった、もう帰ってはこない、大切な……

 

「……ごめん、慧瑠…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────はい。呼んだっすか、先輩」

 

 

 

 

…………え…?

 

……………………え……?

 

「……え、る…?」

「どうしました?先輩。慧瑠っすよ?」

 

 その瞬間、聞こえた声。聞こえる筈のない、もう聞けない筈の…一人の声。

 唖然として、頭が真っ白になりながら、俺は目元から腕を離す。離して、首を動かして、声のした方をゆっくりと見る。そして、そこに…その先にいたのは……

 

「うわぁあぁぁぁぁああああああッ!?」

 

 巨大な槌か何かで殴打されたかのように、横になっていたベットから転がり落ちる俺。

 凄く痛い。だけどそんなの気にせず、気にすらならず、俺は叫びを上げたまま立ち上がる。立ち上がって、もう一度見て…あぁぁマジだッ!マジでいるッ!でもなんで!?え、幽霊!?幻覚!?或いは世界改変!?

 

「ちょっ、顕人君大丈夫!?何かあったの!?」

「……ッ!?」

 

 あり得ないものを見た&聞いた俺がテンパりにテンパる中、どたどたと大きな音が聞こえたと思えば部屋の扉が勢いよく開けられ、綾袮さんとロサイアーズ姉妹が駆け込んでくる。…あ…綾袮さん、帰ってたんだ…って、それどころじゃねぇ……ッ!

 

「あ、あのだね綾袮さん!こ、これは…っていうかそもそも見えてる!?これはどういう状況!?」

『……はい?』

「い、YES!?今の『はい』は、肯定の表現!?」

「や、あの…顕人君、ほんとに大丈夫…?びょ、病院…行く……?」

 

 ヤバいヤバいと更に俺がテンパる中、揃って三人は青い顔して俺を見てくる。

 それは明らかに、ヤバい人を見る表情。でも真にヤバいのは、絶対この状況の方で…と、思った俺だけど……気付く。

 

(…あれ…?綾袮さん達…本当に、見えてない……?)

 

 確認の為、ゆっくりと後ろを向く俺。そこ…出窓の窓台と呼ばれる部分には、さっきと変わらず慧瑠がにこにこしながら座っていて、位置的に見えない筈はない。

 でも、綾袮さん達は気付いていない。そちらに視線を向けてすらいない。…って事は、やっぱり……

 

「……あ…え、えっと…ごめん!ちょっと…嫌な夢、見ちゃったみたいで…まだ俺、疲れてるのかな…」

「あ…そ、そっか…なら、わたし達一緒にいた方がいい…?」

「そ、それは大丈夫!むしろそれを理由に一緒にいてもらうのは恥ずかしいから、皆はいつも通りにしてて!」

「そ、そう?じゃあ、わたしは学校に行くけど…何かあったらすぐに連絡してね?」

「うん。わたし達も、すぐに呼んで」

「家事の事もお任せ下さい。私達で何とかします」

「う、うん…ありがと、皆……」

 

 どうやら俺の言葉を信じてくれたのか、三人は俺を安心させるような表情をして部屋を出ていく。そうして、十分な時間が経ったところで……俺はその場に座り込む。

 

「…な、何とかなったぁぁ……」

「ふふ、中々即興の嘘が上手っすね先輩」

「上手っすね、じゃないよ……君は、慧瑠…なの…?」

「だから、そうだって言ってるじゃないっすか」

「…本当に?」

「本当に」

「双子の姉妹とかじゃなく?」

「双子の姉妹とかじゃなく」

「心の弱い俺が生み出した幻想とかでも?」

「ないっすね」

 

 軽い調子で悉く否定してくる慧瑠。ぶっちゃけまだまだテンパってて、今も不明だけど…話している内に、段々実感が湧いてくる。あぁ、本当に…今目の前にいるのは、慧瑠なんだって実感が。

 だけど同時に、ある思いも俺の中で湧き上がる。それは、どうしても飲み込めない思いで…呟くように、俺は言う。

 

「……どうして…」

 

 それは、様々な意味を込めた言葉。例え訊こうが訊くまいが、事実は変わらないとしても…俺は訊かずにはいられない。そして、その思いは慧瑠にも伝わったようで……窓台から降りた慧瑠は、ふっと真剣な顔に変わる。

 

「…端的に言えば、無事成功したからっすよ。自分が、先輩と一緒にいる為の策が」

「え……?でも、それは……」

「…失敗した、なんて言ったっすか?自分、大丈夫って言ったっすよね?」

「あ……」

 

 そう言われて、初めて気付く。確かにその通り、慧瑠は失敗しただなんて言ってないし…大丈夫という言葉を「心の中で生きてる」とか、「思い出は消えない」みたいな意味だと曲解したのは俺自身。

 

「け、けど…あの時確かに、慧瑠は消えて……」

「そうっすね、消えたのは事実っす。けれどここにいるのも事実っす。ここまではお分かりで?」

「お、おぅ……」

「…つまりですね、全部自分の思惑通りなんです。そもそも、先輩は自分が霊力と血を吸っていただけだと思っているのでしょうが…あの時自分は、先輩の中に送り込んで…いえ、刻み込んでいたんっす。自分という、存在そのものを」

 

 それから慧瑠は、話してくれた。慧瑠が俺にした事を。今の慧瑠は個としての魔人ではなく、俺ありきの存在で、だから俺にしか認識出来ず、他に人には見えも聞こえもせず……だけど確かに、実在しているんだっていう事を。今になるまで見えなかったのは、馴染むまでの時間が必要だったかららしくて…もしかしたら、俺が死を受け入れてしまっていたら、認識が上書きされてそのまま死んでいた可能性もあった事を。

 話してくれたのは、信じ難い超常の事柄。でも現実が…見えている俺と、見えなかった綾袮さん達という事実が、それを真実だって証明している。

 

「…だけど…それって、本当の事なの…?いや勿論、本当の事だから今があるんだとは、思ってるけど……」

「まぁ、自分も出来ると確信していた訳じゃないっすからね。けれど、言うじゃないっすか。事象は認識によって確定する、認識が可能性を事実にする…って」

「あ、あぁ…シュレディンガーの猫的な…?…あ、でもあれはまた違うか……」

「さぁ?自分はそういうの詳しくないんでなんとも言えないっすが……認識を操作出来る自分が、先輩へ力と共に自分という存在を、認識を刻み付ける事によって、先輩の存在へと混ぜ込む事によって、この状態を成し得たんです。要は、自分はこうして先輩の前にいる。そういう事っす」

 

 上手く纏めているようで、実際にはただそのままの事を言っただけの慧瑠。ここまでの説明があるから、何とか理解は出来ているけど…「要は」の先は、全くもって説明の体をなしていない。…だけど、それでもいい。説明にはなってないけど……それが、俺にとっては何よりも嬉しい事だから。

 

「…まぁ、それと引き換えに色々危うくもあるんっすけどね。先輩依存なんで当然先輩が死んでしまえば、自分を認識してくれる相手がいなくなる事で自分も消滅しますし、そうでなくてもさっき言った通り、認識が一つ変わるだけで何が起こるか分からないんっす。それに何より、それが出来る人物がいるかどうかは分からないっすけど……先輩の中に自分を見つけて、先輩を人の皮を被った魔人だと思う人が出てくるかもしれません。…自分は先輩に、そんな可能性を背負わせてしまった訳っす…」

「慧瑠……」

「自分は、そういう事を考えて先輩に覚悟を問いたっす。でも、こういう事になるだなんて先輩も想像してなかったでしょうし…もしも望まないというのなら、自分の事を忘れて下さい。忘れ去って下さい。そうすれば、きっと……」

 

 自分は消える。消えて、元通りになる。慧瑠は、そう言おうとしたんだろう。だけど言わなかった。言わせなかった。俺が慧瑠を…胸の中に抱き寄せる事で。

 

「…そんな事、思う訳ないだろ。俺が望まない事は、ただ一つ。…慧瑠を、失う事だけだよ」

 

 そう言って、強く強く抱き締める。あの時は出来なかった、何としても離さないという本気の抱擁。十秒、二十秒と、時間をかけて俺は抱き締め、慧瑠がここにいるんだって事を感じて……そこで少し、力を緩めた。そうして見えた、慧瑠の表情は…穏やかな微笑み。

 

「……そういえば…慧瑠、その口調は…」

「これが自分の元々の口調っす。後輩という設定だったので、ちょっと矯正してたんすけど…元に戻した方がいいっすか?或いは、先輩って呼び方も変えてみます?」

「それは……べ、別の呼び方だと違和感ありそうだし、呼び方は先輩のままがいいかな…。で、口調は…うーん……」

「…半々もありっすよ?」

「…じゃ、それで」

「了解です。…それじゃあ……」

 

 こくんと一つ頷いた慧瑠は、俺の首へと両手を回す。そして……

 

「──これからは、ずっと一緒ですよ。先輩」

 

 慧瑠は、俺に見せてくれた。嬉しそうな、幸せそうな……最高の、笑顔を。

 それを見て、俺は思う。やっぱり、諦めなくて良かったって。やっぱり俺は、慧瑠と一緒にいたいって。だからこそ……取り戻した大切なものを守る為に、何があっても守り通す為に、俺は強くなろうって。…そう、腕の中で慧瑠を感じながら……更に強く、心の中で決めるのだった。



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第百四十七話 安心してる、信頼してる

 若干寝不足だった昨日、御道は欠席した。体調を崩した…って事になってるらしいが、十中八九崩しているのは身体の調子ではなく、精神だろう。けれど綾袮の様子からして、最悪の状態…って程悪い訳でもないんだろう。……そんな事を、昨日の俺は思っていた。

 見舞いに行くかどうか考えて、精神的なものならそっとしておいてやる方がいいだろう…と、携帯にメッセージを送るだけに留めた俺。ただまぁ、何日も休むようなら見舞いに行った方がいいかもなー、とも考えていたんだが……

 

「おはよ、千嵜」

「…お、おぅ…おはよう……」

 

……次の日、即ち今日学校に行ったら、普通に御道も登校していた。何食わぬ顔で、自分の席に座っていた。

 

(…え、えぇー……)

 

 御道に、無理をしている様子はない。それどころか、魔人の事で気に病んでいたここ最近の中じゃ、一番顔色も良い気がする。…いや勿論、それが悪いとは言わないし、むしろ良い事ではあるんだが……そんな、一日休んだだけで回復するかね普通…。

 

「……ん?何?俺の顔に何か付いてる?」

「いや、別に……」

 

 で、今は昼休み。何かしら訳ありなんじゃないかと俺は午前中ずっと御道を観察していた(無論、これは御道を心配しての事であって、決して面倒な授業から目を逸らす理由にした訳ではない)が、これといっておかしな点はなく、今も普通に昼飯を食べている。…うーむ……。

 

(…綾袮…も、知らないみたいだな…。となれば、妃乃も知らないだろうし……)

 

 ちらりと視線と綾袮に送ると、伝わったようで綾袮は肩を竦める。

 様子を見ていて分かる事はなく、綾袮も知らないとなると、もうこの時点で探る手段はほぼ全滅。俺は同居してる姉妹の方とはそこまで交流がある訳じゃないから知っていたとしても訊き辛いし、あんまりこそこそ嗅ぎ回るような事も気が乗らない。

 というかぶっちゃけ、何が何でも明かさなきゃいけない事でもない。無理に明るく振舞ってるならともかく、そうじゃないならそれでいいんだから。…けどまぁ、気になるもんは気になる訳で……

 

「うぉわ…っ!?ちょっ……!」

『……?』

「あ…ご、ごめん…なんでもない……」

 

 そこで不意に、御道が変な声を上げ、明後日の方向へと振り向いた。それに関して、本人は何でもないと言っているが…なら今のは何なんだろうか。一瞬虫でも飛んできたのかと思ったが…今冬だし。

 と、そんな事もあってか、やっぱり気になって仕方ない俺。だから迷い、考え……その上で、俺は言う。

 

「…なぁ、御道…昨日、何かあったのか?」

「え……?」

 

 そう言った瞬間、御道は持っていた箸を止め、妃乃と綾袮もぴくりと肩を震わせる。

 俺に残された最後の手段、それは直接訊く事。少なからずリスクもあるし、不安もあったが…それでも俺は、今訊いた。何となくだが…これは、なあなあで済ませちゃいけないような気がしたから。

 

「…勿論、無理に話せとは言わねぇよ。けど、話せる部分があるなら……」

「…そう、だね…うん。正直、全部は話せないけど…ただそれでも、言える事があるとすれば……」

 

 ちゃんと聞いておきたい。けど、それはあくまで俺の意思。御道の意思を踏み付けてまでするような事じゃ断じてない。だから、嫌だというならさっぱり止めて別の話をしようと思っていたが…俺の問いに対して、御道は頷いた。

 それから少しだけ考える様子を見せながらも、落ち着きのある表情を浮かべる御道。そして御道は、言った。

 

「……俺がした事、願った事は、間違ってなかったんだって分かったから…かな」

「…そっか」

 

 それは、具体性のない言葉。した事というのが、魔人ならトドメを刺した事だろうか…と想像するのが精一杯で、それ以上の事は分からない答え。だが……そんな言葉でも、声からは、言葉からは、伝わってくるものがあった。…随分と、いい顔するじゃねぇか、御道。

 

「うんうん。顕人君が間違ってない事は、わたしも保証してあげるよ!ふふん!」

「なんで最後胸張ってるのよ…まぁでも、良い事だと思うわ。そうやって、自分に自信を持つ事はね」

「二人共ありがと。さて…ちょっと俺は失礼するね」

「どうした、自信を持って早引きか?」

「そんな事に自信は持たんわ…ちゃんと戻ってくるから、綾袮さんは俺のおかず食べないようにね?」

「うっ…何の事カナ-?」

『…………』

 

 くるりと振り返った御道に先手を打たれ、綾袮は分かり易く目を逸らす。そんなしょうもないやり取りを見て、無言で半眼を浮かべる俺達二人。

 まぁ、ともかく…御道がもう心配要らないって事は、さっきの答えではっきりした。であれば、俺も午前中みたいに気にかける事なんてしなくていいし……午後はゆっくりさせてもらいましょうかね…。

 

 

 

 

 教室を出た俺が向かうのは、屋上…ではなく、その手前の空間。前に来たのは文化祭の時で…でも別に、その時の事は関係ない。で、そこに到着した俺は、はぁ…と一つ溜め息を吐いて…振り返る。

 

「…あのさぁ…あんな千嵜達が見ている前で春巻き取って食べるの止めてくれない…!?超焦ったんだけど…!?」

 

 あまり大声にならないようにしつつも、言葉に猛抗議の意思を込める俺。その俺が言葉をぶつけている相手は……愉快そうににやにやと笑みを浮かべている慧瑠その人。

 

「いやぁ、失礼失礼。あまりにも美味しそうだったので、つい」

「ついでこんな冷や汗かくような事しないでくれる…!?」

 

 そう言って慧瑠は、てへっと舌を出してくる。その仕草自体は、まぁ可愛いんだけど……今の俺は、それを素直に可愛いと思えるような心境にない。

 昨日の朝再会(?)して以降、ずっと慧瑠は俺の側にいる。…まぁ、それはいい。プライバシーの問題はあるけど、取り敢えず昨日の今日だからまだ良かったって気持ちの方が優っている。

 学校に着いてくるのもいい。だって誰にも認識出来ないんだから。俺の弁当のおかずを横から取るのも…それ単体なら、まあまだ「あのねぇ…」位で許せる。けど、けど……千嵜達が見てる前でそんな事されたら、見えてないって分かっててもビビるに決まってんじゃねぇか…ッ!

 

「冷や汗も何も、自分の事は見えてないんですよ?それは先輩も分かってますよね?」

「分かってるけどさ…確証があっても不安になる事ってあるじゃん……」

「そうっすか?」

「そうなの…てか、慧瑠は見えてなくても、春巻きは見えるでしょ?その場合、春巻きが浮いてるように見える訳でしょ?だったらやっぱり……」

「あぁ、違うっすよ先輩。あの時は、春巻きも認識出来なくなってる筈ですから」

 

 余程自信があるのか慧瑠はけろっとしてるけど、俺にそんな度胸はない。だから少しは自重するように言葉を続けていると…その途中で、慧瑠は口を挟んでくる。俺の考えに対する、否定の言葉で。

 

「…そうなの?」

「えぇ。自分は透明になっているのではなく、認識出来ないようになっている…つまり、自分が干渉しているのは自分自身の身体じゃなくて、相手の認識能力なんっす。だからさっきの春巻きみたいに自分を認識する事に繋がる要素も自分同様認識出来なくなりますし…場合によっては、勝手に誤認してくれるんです。目の前の『あり得ない事象』に対して、常識というフィルターが、『あり得る事象』になるよう、都合の良い補正をかける事で」

「えぇ、っと…つまり、慧瑠は『自分を認識出来なくなる』って設定の力を周りに発していて、その影響を受けた回りの人は、見たもの聞いたものを設定の通りに頭の中で捻じ曲げてる…って、事…?」

「そういう事っす。あ、でも今の自分は力を発してるというより、『ほぼ誰にも認識されない』って性質の存在になってるっていう方が近いです。先輩は理解が早くて、自分嬉しいですよー」

「それはどうも…」

 

 立てた指を軽くくるくるさせながらの説明を聞いて、何とか一応の理解はした俺。自分の言葉にする事で、一歩理解が深まったような気もするけど…やっぱり難しい。…ふーむ…って事は、見えてたり聞こえてたり自体はしてるのか…ただそれを、脳が正しく受け取れない、即ち認識出来ないって訳で……むむ、考え過ぎると逆に分からなくなりそうだ…。

 

「…ん?って事は…もしかして、俺も慧瑠の事は正しく…というか、頭の中での補正がかかってない状態では見えてないの?」

「お、鋭いですねぇ先輩。それは違うっすけど、その視点はかなり重要な事ですよ〜」

「…と、いうと……?」

 

 ごちゃごちゃと考える中、不意に浮かんだ「じゃあ、俺は?」という疑問。俺としては、そこまで深く考えた訳じゃない…それこそふっと思い浮かんだだけの疑問だったけど、どうやら今のは鋭い視点らしい。

 

「まず前提として、先輩は周りの人とは全く違う法則で自分を認識してるんっす。そもそも認識出来る先輩と、出来ない周りの人って時点で、そこは明白だと思いますが」

「そりゃ、そうだね…それで?」

「で、その法則ですが…あの時自分は、自分という存在を先輩の自分へ抱く認識と組み合わせて、先輩の中に刻み付けました。なので先輩の中には、『天凛慧瑠』という基本となる認識があって、その認識によって自分は存在してるんす。なのでその観点で言うと、先輩の頭の中で補正はかかっていないものの、ありのままの自分が見えているって訳ではないっすね。何せ、もうありのままの自分はいないっすから」

 

 尚も続く難しい説明。そしてその中でさらりと発せられた、「もうありのままの自分はいない」という言葉。

 それの意味は分かってる。今の慧瑠は魔人としての慧瑠ではなく、俺の認識によって成り立っている、凡ゆる常識を逸脱した存在なんだって。慧瑠は、慧瑠であって慧瑠ではないんだって。ただそれでも、言葉自体に何か無情な響きがあって…やっぱり、嫌だな。なんであろうと…失う、って事は。

 

「そして、ここからが一番重要っす。今自分は、基本の認識によって存在してると言ったっすが…基本はあくまで基本。深層部分は自分も予想が付きませんが、表層…服装だったり髪型だったりの部分は、先輩の思い次第で割と変わります。流石にほいほいとは変わらないっすけど、強い思いや願いであれば、自分に反映されるという訳なんです」

「…それは、例えば…慧瑠はもっと髪が長い方が合いそうとか、そもそも慧瑠ってもっと髪長くなかったっけ、みたいな事を本気で、故意じゃなく無意識レベルから思っていれば、実際に慧瑠の髪は長くなる…って事?」

「そうっすそうっす。どうです?重要でしょう?先輩が良からぬ事を考えていると、最悪自分は裸に剥かれてしまうんっすよー?きゃー、先輩ってば破廉恥っすねぇ〜」

「ぶ……っ!?な、何を言い出すんだ急にッ!てか想像してないし!今慧瑠は普通に服を着てるでしょうが…って、んん?…その服は……」

「はい。折角先輩が選んでくれた服なんですよ?基本こう見えるようにしたに決まってるじゃないっすか」

 

 根も葉もない、それでいて思春期男子には刺激の強い、言われるとうっかり想像してしまいそうな危険発言をぶち込まれて、一気に顔が熱くなる俺。で、酷い言いがかりだ、と邪な思いが浮かばないよう反論しようとしていたところ、はっと気付いた慧瑠の服装。しかもそれについて触れると、慧瑠は何の恥ずかしげもなく、訊いたこっちが照れ臭くなるような事を言ってきて……むぅ、相変わらず慧瑠は掴み所がなさ過ぎるよ…。

 

「…あれ?どうしたっすか先輩。そんな『そう言われたら怒るに怒れないじゃないか…でも、そこまで気に入ってくれたのか…なら、俺も選んで良かったな…』みたいな顔をして」

「サイコメトラー!?え、慧瑠の能力ってそんな事も出来んの!?」

「いや、今のは勘っす」

「あ、なんだ勘か…勘なら……それはそれで凄いよ!?後恥ずいから勘でも当てないでくれる!?」

「当てるなっていうのは流石に横柄っすよ…勘なんですから……」

 

 ほぼドンピシャな読心(勘)を働かされて、再び俺は全力で突っ込み。勢い余って確かに横柄な事も言っちゃったけど…まぁ、これは仕方ないと思う。何せ滅茶苦茶びびったんだから。

 

「…こほん。まぁ、慧瑠の状態…っていうか、性質?…については分かったよ。……あ、因みに今の慧瑠って、暑いとか寒いとかの感覚はある?」

「ありますよ?どっちに関しても、元が魔人なので普通の人よりずっと強いっすけど。…けど、それが何か?」

「いや…その服装、夏は暑いでしょ?だからまだ先だけど、気温が高くなってきたら夏服に変えられるよう俺も頭働かせなきゃなぁ…と思ってさ」

「……先輩、それ狙って言いました?」

「え、狙って?…って、何が…?」

「まぁ、そうですよねぇ…いえいえ、何でもないっす。でもその気持ちは嬉しいっすよ〜、先輩」

 

 何やら頬を緩ませつつ、慧瑠は含みのある言葉を口に。一体何が言いたかったのかと気になるところだけど、下手に訊いてまたからかわれたりするのも勘弁。それにあんまり長く席を外していると変に思われる…もっと言えば心配されるだろうと思って、俺は「とにかくひやっとする事はしないように。弁当のおかずが気になるなら朝あげるから」と言って階段の方へ。

 

「…っと、先輩。最後にもう一つ言っておきたい事があるんですけどいいっすか?まぁ、別に今でなくても話せますし、なんなら授業に話してもいいんですけど」

「授業中は先生の声を聞かせてくれ……で、なに?」

「昨日から自分はずっと先輩の側に居っ放しですけど、こっちから何かしたい事がある訳でも、先輩が自分と何かしたい訳でもない場合は、多分自分は消えると思うっす。でも別に消滅してる訳じゃなくて、所謂霊体化してる…みたいな感じになると思うので、それを覚えておいて下さいっす」

「あ…うん、それは了解。それも認識絡み?」

「そっす」

「そっか」

 

 それで屋上前での会話を終えて、俺は自分のクラスへと帰還。どうやら浮けるらしい慧瑠は浮遊しながら付いてきて、その後もずっと俺の側へ。

 それから数十分後の授業中。ふと思い出して後ろを見ると、慧瑠は空中に座るような姿勢でにこにことしていた。それが一体何に対する微笑みなのかは分からないけど…まぁ、別にいいかと思った。だって…あんなにも気兼ねなく、慧瑠が笑えているんだから。

 

 

 

 

 と、学校にいる間は思っていたし、下校時なんか今度こそ一緒に、横槍が入る事なく帰る事が出来て、ほんと「良かったなぁ…」って気持ちで一杯だったんだが……

 

「〜〜♪…あ、先輩お風呂上がりっすか?」

「…ここ、俺の部屋なんだけど……」

 

 家事を終えて課題も済ませて、皆と被らない時間で急いで風呂にも入って、さぁ漸くゆっくり出来るぞ〜と思って自分の部屋に入ってみたら、ベットに仰向けで寝そべって脚をぱたぱたさせつつ俺の本を読んでる慧瑠がいた訳で……。

 

「……はぁ…」

「また深い溜め息ですねぇ…気落ちしているならこの本どうです?中々面白いっすよ?」

「知っとるわ、それも俺の本なんだから…」

「じゃあ、肩でも揉みましょうか?」

「要らない要らない…てか慧瑠、ある程度俺から離れる事も出来るのね…」

「出来るみたいっすね〜。色々未知数なので、どこまで離れられるのかも、そもそも距離の制限があるのかどうかも分からないっすけど」

 

 寝そべったまま、顔だけこっちに向けている慧瑠。因みに今本を持っている事からも分かる通り、慧瑠は触れる事が出来るのも俺だけ…みたいな事はなく、ちゃんと実体もあるらしい。…まぁ、春巻きの件でもそれは分かるだろうけど。

 

「隣、失礼するよ。…って、これは俺のベットじゃん…なんで断り入れたし俺……」

「謙虚な性格が出てますねぇ」

「うっさい…あ、そうだ慧瑠。部屋はどうする?皆に変に思われちゃうから、しっかり用意する事は出来ないけど…ある程度なら、空き部屋を使えるように準備するよ?」

「あー…それは保留でいいっすか?取り敢えず今は要らないですけど…」

「ん、あいよ。なら欲しくなったら言って」

 

 なんとなく読みたくなった俺は、慧瑠の持っている本の四巻を本棚から取って座る。何故四巻かと言うと…それも純粋になんとなく。

 で、それから数分は静かに読書。慧瑠も本に集中していて……そんな中で不意に、部屋の扉がノックされる。

 

「顕人君、ちょっといいかな…?」

「綾袮さん…?」

 

 続けて聞こえてきたのは、普段よりちょっと静かな綾袮さんの声。俺は普段の調子で立って、扉を開けようとして…振り向いた。見えていないともう実証されていても、まだまだ俺は安心出来る程この状況に慣れてないから。

 

「大丈夫ですよ、先輩。不安なら、入れ替わりで出ていきますが…」

「…いや、いいよ」

 

 でも、慧瑠の事は信じている。だから小声で答えて、ゆっくりと首を横に振り…俺は部屋の扉を開ける。

 

「…どうしたの、綾袮さん」

「ええ、っと…御道ー、野球やろうぜー…的な?」

「中島君!?…いや今は夜でしょうに…そもそも普段野球やらないでしょ……」

「だよねー、あはは…」

 

 何か言い辛い事でもあるのか、妙な冗談を言う綾袮さん。流石にそれだけじゃ何が言いたいのか分からないから俺が見つめていると、暫し綾袮さんは爪先でカーペットを弄っていて(ちょっといじらしくて可愛い…)……

 

「…あ、あのさ…本当に、元気?無理、してない…?」

 

 それから綾袮さんが口にしたのは、俺へ対する心配の言葉だった。その澄んだ青色の瞳には、俺への不安が浮かんでいた。

 

(…あぁ、そっか…そうだよな……)

 

 その声と表情で、俺は理解する。考えてみれば…いや、考えるまでもなく、綾袮さんは心配してるに決まってるじゃないか。あの日あった事を誰よりも知っていて、あの時の俺も見ていて、毎日一緒にいるんだから。

 綾袮さんが心配するのは当然の事。俺は綾袮さんに心配をさせてしまった。不安にさせてしまった。だったら…きちんと、安心させてあげなきゃだよな。

 

「…大丈夫だよ、綾袮さん。ごめんね、心配かけて」

「う、ううん…それはいいけど…ほんとに、無理してない…?」

「してないよ。…本当に辛い時はちゃんと言うから安心して。これでも俺、綾袮さんの事は信頼してるからさ」

「そ、っか…うん、そうだね…今の顕人君、いい顔してるし……」

 

 信頼してるなんて、面と向かって言うのは少し恥ずかしい言葉。でも…嘘じゃないからか、それとも綾袮さんだからかは分からないけど…自分で思っていたよりもずっと、その言葉をすっと言う事が出来た。

 それを聞いた綾袮さんは、不安そうな顔から少しだけ安心したような顔に。そして、ふっと一度俯いて……すぐに、顔を上げる。

 

「あのね、顕人君!わたし…やっぱり顕人君は、元気な方が良いって思うの!」

「…元気な方が…?」

「うん!だからね、今大丈夫だって分かって安心したよっ!だけど、これからも色々あると思うから……また何かあったら、わたしに話して!わたしに相談して!そしたらわたし、顕人君の力になるからっ!だから……」

「…うん。頼りにしてるよ。…いつもありがとね、綾袮さん」

「……っ…!」

 

 打って変わって明るくなった、綾袮さんの表情と声音。それは、いつもの調子を取り戻したようで、でもどこか必死そうな感じもあって……だから俺は、綾袮さんが言い切る前に言葉を返した。感謝を伝えた。だって、俺の思いは一貫して…綾袮さんに安心してほしい、ただそれだけだから。

 

「…綾袮さん?」

「…ぁ…や、ぇっと…その……」

 

 けれどどういう事か、俺が言葉を返した瞬間綾袮さんの勢いがどっかに消えて、代わりにほんのりと頬が赤く染まる。声もしどろもどろになっていて、普段見せない表情をした綾袮さんは、これまた可愛かったけど……急にこうなると、今度はこっちが不安になる。

 

「えーと…大丈夫?」

「ふぇっ!?あ、だ、大丈夫大丈夫!もう元気元気だから!」

「そ、そう?変に連呼してるけど……」

「ほ、ほんと大丈夫だって!それよりわたしの心配するなんて、顕人君の癖に生意気だぞっ!?」

「えぇー……じゃあ…綾袮さんこそ、何かあったら話してね…?俺だって、話を聞いて頭を捻る位なら出来るからさ」

「あ、う、うん!だったら顕人君の力が必要な時は借りさせてもらうね!それじゃあ顕人君、ちょっと早いけどお休みっ!」

「お、おう…お休……って、出てくの速っ…」

 

 何か明らかにテンパっていた綾袮さんは、俺の返答も待たずに退室。一方俺は、綾袮さんの変化に半ば置いていかれたような気分で…ほんと、何だったんだろう……。

 

(…まぁ、でも…いっか。綾袮さんに、安心はしてもらえたみたいだしさ)

 

 疑問はある。けど、思いは伝わった。安心はしてもらえた。なら、いいじゃないか。慧瑠は勿論だけど…綾袮さんだって、これからも話す事は出来るんだから。

 ラフィーネさんだってそうだ。フォリンさんだってそうだ。俺は話す事が出来る。触れ合う事も出来る。だから不安になる事なんてないんだって、俺は自然に思う事が出来て……いつの間にか俺の口元には、小さな笑みが浮かんでいるのだった。

 

 

 

 

「…いやぁ、昨日は自分を抱いて、今日は宮空綾袮さんへ甘い言葉をかけるなんて、先輩も中々たらしっすねぇ」

「ぶ……ッ!?ち、違っ、違ぇよ!?そんな意図ないからっ!邪な意図はないからね!?」



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第百四十八話 楽しかった、筈なのに

 人間、いつどこで何があるか分からないもの。意外な事から想定外の出来事が起こる事も、往々にしてあるのが人生というもの。

 そんな一件深みのあるようで、実際には深くも何ともない、そこそこ生きてれば大体の人が悟る事を、どうしてわざわざ俺がここで言っているかと言えば……

 

「お、おじゃ…お邪魔します……」

「えぇ、いらっしゃい依未ちゃん」

 

 依未が、うちに訪れる事となったからである。しかも俺ではなく、妃乃が招き入れたからである。

 

「…………」

「…そんな緊張すんなよ……」

「…し、してないし……」

 

 玄関を潜ると…というか、その前から依未は借りてきた猫状態。呆れ気味に指摘した俺に対し、依未は口を尖らせて反論してきたが……全然説得力ないぞ、依未…。

 

(…また、妙な事になっちまったなぁ……)

 

 頬を掻きつつ、どうしたものかと考える俺。今日俺は、依未の外出に付き合っていた。これまで通りにまず目的を果たして、それからぶらぶらとして、のんびり過ごしていたのが十数分程前までの事。んで、偶々うちの近くを通ったからその話をしたら、折角だから見てみたいという事になって、その時点じゃ外から見てみるだけのつもりだったんだが……なんと家の前まで来たところで、買い物に出ていた緋奈&妃乃と遭遇。そこから何を考えているのかは知らないが、妃乃が依未を招いて…今に至る。

 

「依未さん、どうぞ」

「あ、ありがとう…」

「お兄ちゃんと妃乃さんも」

「ありがとね、緋奈ちゃん」

「おう。今日も緋奈は気が利くなぁ」

 

 これは一人にしておくと一層緊張するんだろうな…と思って俺が依未の側にいると、緋奈が全員分のお茶を淹れてきてくれる。この気遣いを誰かに教えられるでもなく、自然に出来るようになったんだから、緋奈はほんとに立派な子だ…。……って、違う違う。ほっこりしたってしょうがねぇだろ…。

 

「…で、妃乃。何かするのか?」

「え?なんでよ?」

「なんでって……まさか、ノープランで能天気に招いたと…?」

 

 お茶を一口飲んだ俺は、取り敢えず妃乃に話を振る。…が、返ってきたのはなんとも不安になる言葉。

 

「失礼ね…別に何も考えず招いた訳じゃないわよ。それに、見知った相手が家の前まで来てるのに、誘いの言葉一つもかけないで家入ったら良い気分はしないでしょ?」

「…妃乃と緋奈がか?」

「私達も、依未ちゃんもよ」

「…まぁ、それはそうかもだが……」

 

 依未に聞こえないよう、俺と妃乃は小声で会話(やり取り自体は見えてる筈だから、変には思われてるだろうがな…)。このやり取りで、妃乃が何を考えて招いたかは分かったが…具体的なプランがないっぽいのもほぼ確実。…マジでどうすんだ、これ……。

…と、この時点での、妃乃の方を向いていた俺は思っていたんだが……

 

「……ん?」

 

 視線と姿勢を戻した時、依未はこっちを見ていなかった。依未の視線は、テレビの方…より正確に言えば、テレビ下のゲームが入っている場所へ向かっていた。

 

「…やりたいのか?」

「へっ?い、いや別に…じゃなくて、な、何の事よ……?」

「もう悲しい位全然誤魔化せてないな…ゲームだよゲーム。四人いるし、人数としちゃ丁度良いだろ?」

 

 哀れでからかう気にもならない位、ばれっばれの誤魔化しを口にする依未。

 考えてみれば、依未がここのゲームに興味を示すのは当然の事。何故なら依未はゲーマーだが、事情が事情なせいでパーティーゲームをやる機会なんて殆どなかったんだろうから。少なくとも、オンラインではない形でのパーティープレイなんて、したくても出来なかっただろうから。まぁ勿論、これは推測の域を出ちゃいないが…決して嫌そうな顔はしていない。

 

「ふ、ふぅん…あんたはやりたい訳…?」

「んー……ま、そんなとこだ」

「そ、そう…ならまぁ、妃乃様達がやるって言うなら、あたしもやってあげてもいいけど…?」

「…との事だ。二人共どうよ?」

「いいわよ、緋奈ちゃんは?」

「わたしもいいよ。そういえば、最近やってなかったしね」

 

 という訳で、四人でゲームをする事に決定。早速俺がハードを引っ張り出して準備をしていると、三人もテレビの前にわらわらとやってきて……ふむ、今俺微妙に女子に囲まれてるな。だからなんだって話だが。

 んで、俺がまず選んだのはレースゲーム。各々キャラを選び、1Pの俺がコースを選択し……勝負開始。

 

「あ、ちょっ!?何車体ぶつけてくれてんのよ悠耶!」

「はっ、ただの戦術ですが?…妃乃のマシンは軽量だからな、このままコースアウトさせて……あ」

「お先に行かせてもらうよ、お兄ちゃん」

「ちぃ!だが癖を知り尽くしている緋奈なら、多少抜かれたところで……」

「あたしも先に行かせてもらうわね、妃乃様失礼します」

「……!この加速力…スリップストリームを利用しやがったな…!」

 

 最初は他にする事もなかったのと、折角なら依未が楽しめるものを…と思って始めたレースゲームだったが、やはり対戦なだけあって次第に熱くなっていく。

 抜いて、抜かれて、妨害して、妨害されて。レース一番の醍醐味とも言える、追いつき追い越せの接戦も何度も演じて、競い合う事数分間。

 

「ふぅ…まずはわたしの一勝だね」

「二着…まぁ、まずまずってところね……」

『ぐぐぐぐ……』

 

 最初の勝負で見事一位を勝ち取ったのは、何年も前からこのシリーズを俺とやっている経験者緋奈。二位はこのシリーズの経験は薄いながら、レースゲーム自体は普通に何作もやった事があるらしい依未。んで、三位は俺だったが……ぶっちゃけ妃乃と足の引っ張り合いをしていたせいで、四位の妃乃とは半ば泥仕合状態だった。

 

「じゃあ、どうする?もう一回違うコースでや……」

『勿論!』

「あ、う、うん…じゃあ、お兄ちゃん操作お願い……」

 

 緋奈からの問いかけに対し、食い気味で答える俺達二人。何やら緋奈と依未から半眼で見られていた気もするが…そんな事は関係ない。次だ…次こそ勝つ……ッ!

 

「退いてもらおうか、妃乃ォ!」

「退くのは貴方よ、悠耶ッ!」

「……ね、ねぇ…この二人って、普段からこうなの…?」

「う、うーん…普段から偶にあるといえばあるけど…ここまで張り合うのは珍しいかも……」

 

 二戦目以降、俺と妃乃は殆ど常にデットヒート。勿論妃乃一人に勝ったってしょうがないが…これは避けては通れない道。そうだ、妃乃との戦いに勝たなきゃ…その先にしか、レースゲームの勝利もねぇ!……多分。

 

「おらぁぁぁぁッ!」

「はぁぁぁぁッ!」

「……なんか、ごめんね…お客の依未さんの事、完全に忘れちゃってて……」

「あー…うん、まぁ…別にいいわよ、熱量凄いし……」

 

 競って、競って、競いまくって。数十分にも及ぶ、何度もコースを変えての激戦は一進一退のまま続いていき……ある時、不意に脈絡もなく終了した。俺と妃乃が、「…何やってんだ、(俺・私)達……」…と、我に返った事によって。

 

「み、見苦しいところを見せたわね……」

「すまん…ちょっとテンションがおかしくなってた……」

「い、いえ大丈夫です…それに、悠耶のテンションがおかしいのはいつもの事だし…」

「おう…って待てやこら、それは聞き捨てならないんだが?」

「まぁ、いつもの事よね」

「妃乃もそっち側かよ…変わり身の早いやつめ……」

 

 そんなこんなでレースゲームは終了。となれば当然次は何のゲームをするかの話になるんだが…醜態を晒したばかりなので、直接ぶつかるようなゲームはNG。だがうちにあるパーティー用ゲームは、全体的に対戦系寄り。選択肢がかなり限られてしまった中で、さぁどうするかという話になり……そこで、緋奈が言った。別に、TVゲームである必要はないよね?…と。

 確かにその通り、何もTVゲームじゃなきゃいけない訳じゃない。依未はゲーマーだが、電子ゲーム以外に興味がないって訳でもない。その点を気付かせてくれた緋奈の発言により、発想がある程度広がって……

 

「えぇと…『道で財布を拾った、一万円ゲット』?…これ、謝礼だよな…?財布に入ってた金を懐に入れた訳じゃないよな…?」

 

 最終的に、俺達は人生ゲームをする事となった。…人生ゲームって、ある程度年を取ってからやると、中々突っ込みどころがある事に気付くんだな……。

 

「ふっ…起訴マスに止まらないといいわね、悠耶」

「なんでくすねた前提なんだよ!?てかそんなマスねぇし!」

「へぇ、起訴されなきゃそのまま隠し通そうとするのね」

「だから違ぇっつの!僻むなしアルバイター!」

「はぁぁ!?誰がアルバイターよ誰が!それにこれは『会社が倒産した』なんてマスに止まっちゃっただけでしょうが!」

 

 人生ゲームなら競い合いはあっても、直接ぶつかる事はない。そう思って選んだ筈なのに、何故だか今度は依未と滅茶苦茶言い合う俺。

 

「お兄ちゃーん、わたしルーレット回してもいい…?」

「あ、おう。頑張れ緋奈。俺は依未を言い負かしておくからな」

「なんで貴方は言い負かそうとしてるのよ…はいこれ、一万円」

「え、賄賂?」

「な訳ないでしょうが、そういう事言うなら渡さないわよ?」

「あ、すまん嘘だからちゃんと下さい」

 

 危うく謝礼(の筈だ!くすねてはいない筈だ…!)の一万を受け取り損ねかけた俺は、謝って銀行担当の妃乃から一万円の券を貰う。その間にルーレットを回していた緋奈は自分の駒を出た分だけ進め…転職マスを踏んだ事で、ネイリストからラーメン屋の店主になっていた。…何この転職……。

 

「じゃ、次は私の番ね。えーっと…『ペットが失踪。ショックで五マス戻る』…うわ、確かにこれは悲しいわね…いつの間にペット飼ったのよとか、どうして下がってるのよとか気になるところはあるけど……」

「アタシは六…『副業が軌道に乗り始める。収入として10万円ゲット』……いや、本業が倒産で潰れちゃったんだから、そうなるともう副業じゃないでしょ…まぁ、十万はありがたいけど…」

「やったなアルバイター。さて、俺は〜……『人懐っこい野良犬を発見、ペットとして飼い始める。食事代で二千円支払う』…?」

「ちょっと!?その犬うちの子でしょ!何勝手に飼ってんのよ!?」

「いや知らん知らん!そういうマスだから!そういう指示だから!」

「お兄ちゃん、色々見つけるね……あれ、株券購入マス?…うーん、折角だし買ってみようかな」

(おおぅ…妹が株主になった……)

 

 妙にしっかりしているというか、その癖淡白な説明が多いせいで色々気になってしまうというか…まぁ総括すると、中々人生ゲームは面白い。それは皆でわいわいやる事による面白さも含めてではあるが、実際リビングは大賑わい状態。おまけに一人でどんどん進められる訳じゃないから、結構時間を潰す事も出来て……あれ?人生ゲームって、実はかなり凄い遊びなんじゃ…?

 

(…なんてな。でも……こうやってわいわいするのは、やっぱり悪くない)

 

 妃乃がうちに来てからかなり経って、もう三人で過ごす事が普通になった。普通になったから、特段賑やかになる事もなくなってきて…だが、一人増えるだけでこうも変わる。勿論、何か特別な事があれば、三人でも盛り上がったりするだろうが……それこそ人生ゲームなんて、依未が来なきゃまずやる事なんてなかったと思う。

 これが、人の繋がりってものなんだろう。賑やかな所には人が集まるもんだが、人が集まる事で賑やかな空間は生まれるものなんだろう。そして俺は、可愛い妹の緋奈、信頼する妃乃、力になってやりたい依未の三人と、こうして賑やかな時間を過ごせる事を……嬉しく、思っている。

 

「……?お兄ちゃん、何か良い作戦でも思い付いたの?」

「うん?どうしてだ?」

「え、だって…頬緩んでるし」

「へ?…あ、ほんとだ……」

 

 言われて、触ってみて、そこで初めて気付いた緩み。俺が笑っていたんだというその事実。

 傍から見れば変な反応をしている俺に対し、緋奈は小首を傾げて、妃乃と依未は「変な奴…」とでも言いだけな顔で俺を見ている。ここでも性格が出るというか、もうほんといつでも緋奈は素晴らしい妹だなぁとか思う俺だが、今回に関しては妃乃達の反応もまあそんなにおかしなものじゃない。俺だって、近くの奴が何もないのにいきなり頬を緩ませたら、変な奴だって思うんだから。

 

「何でもねぇよ。それより折角だから、このゲームに何か賭けようぜ」

「じゃ、悠耶の毛髪でも…」

「うん、依未は後でテキサスクローバーホールドな」

「な、なんであたしプロレス技掛けられなきゃならないのよ…!しかも結構本格的なやつだし…!」

「あ、伝わるのな…俺は伝わった事が一番びっくりだよ……」

 

 そうして俺達はゲームを続け、一喜一憂しながら対戦。イベントの内容に突っ込んだり、談笑したり、途中菓子を摘みながらも遊びを続ける。

 元々、今日はこういう事をしようと思ってた訳じゃない。最初は、依未が居心地の悪い思いをしてしまうんじゃないかとも思った。だが…今は、想定外でもこういう事になって良かったと…そういう思いが、俺の胸の中にはあった。

 

 

……で、その人生ゲームの結果だが…ラーメン屋の店主から更に女優と税理士を経て、最終的に骨董商となった緋奈が最も稼いで一位となった。…マジでどんな職歴してんだよ、人生ゲーム内の緋奈…。

 

 

 

 

 色々なゲームをしているうちに、気付けば夕暮れ。冬だからもう外は暗くて…それに気付いた時、お兄ちゃんは依未さんに言った。何なら、このまま夕食もうちで食べていくか、って。

 

「もう、お兄ちゃんってば気さくで優しいけど、こういうところ抜けてるよねぇ…」

 

 お兄ちゃんの優しい姿を見られるのは気分が良いし、わたしとしても依未さんとはもっと仲良くなりたいと思っているから、夕食を一緒に食べる事はわたしも賛成。妃乃さんも賛成で、依未さんも「まぁ…妃乃様や緋奈が言うなら…」とうちで食べていく事に決まったんだけど、そこで予定していた夕食を四人分で作るには微妙に食材が足りないと発覚。だから今、わたしはその分を買いに行った訳で…。

 

「…やっぱり、お兄ちゃんにはわたしがいなきゃ駄目かなぁ……」

 

 だけど、わたしはそれを嫌とは思わない。いつもお兄ちゃんは色んな事を頑張ってるし、わたしの事を気にかけてくれるし、お兄ちゃんには沢山良いところがあるのと同時に、短所だって色々ある事をわたしはよーく知っている。

 それに兄妹は、家族は協力し合うもの。何かあったら、笑って手伝ったり引き受けたりするのが家族ってもの。特にうちは、もうお母さんもお父さんもいないんだから…この絆を、絶対大切にしなくちゃいけない。

 

(…でも、そういう意味じゃ妃乃さんも、依未さんも大変だよね…二人共家族がいるのに、一緒に暮らせないなんて……)

 

 うちにいる妃乃さんは任務として、依未さんは事情があって、それぞれ家族とは別で暮らしている。二人共それに折り合いは付けてるんだろうし、一人暮らしをする人は世の中に沢山いるんだから、それを「可哀想」と思うのは間違っているんだけど…やっぱりわたしとしては、こう思う。家族と一緒に居られるなら、そっちの方がいいよねって。

 

「…妃乃さんには感謝しなきゃだよね。家族と別で暮らす事になってまで、わたし達の事を考えてくれてるんだから」

 

 そんな事を思いつつ、わたしは食材の入った袋を持って家へと帰宅。ちょっとシリアスな事考えちゃったけど…それはそれ、これはこれ。依未さんが遊びに来てるんだから、気持ちは切り替えていかないと。

 

「ただいま、っと」

 

 独り言位の感覚でそう言って、勝手知ったる家の中へ。そこから向かう先は、勿論リビングであり台所。

 

(ふふっ、最初にお兄ちゃんはなんて言うかな?お帰り…はまぁ前提として、『ありがとな、助かった』とかかな。『早かったな』って言うかもしれないし…あ、でもお兄ちゃんは心配性だから、『夜道で変な男に絡まれたりしなかったか?』とか言うかも…?)

 

 お兄ちゃんが最初にかけてくれる言葉を想像しながら、リビングの扉に手をかけるわたし。ちょっと子供っぽいかもしれないけど、こうしてお兄ちゃんのかけてくれる言葉を想像するだけで、わたしは楽しい気分になる。お兄ちゃんが笑顔を見せてくれるだけで、わたしは嬉しい気持ちになる。あぁ、そうだ。きっとお兄ちゃんは、お帰りって言いながら笑顔を浮かべてくれる。いつもわたしに笑顔を見せてくれるお兄ちゃんだけど、今日は特に気分も良いみたいだから、素敵な笑顔を見せてくれる筈。ふふふっ…やっぱりわたし、お兄ちゃんの事が……

 

 

 

 

「…意外に美味しい……」

「だろ?って、意外には余計だ意外には」

「あ、やっぱり依未ちゃんもそう思う?この性格で一通り家事が出来て、料理もしっかり出来るって、似合わないっていうか意外よねぇ」

「だから意外も似合わないも余計だっての!いっつも思うが二人はもうちょい素直に褒めろやツンツン娘共!」

『ツンツン娘!?』

「ツンツンしてるからツンツン娘だ。そういう事なら俺だって意外なんだぞ?妃乃が実はジャンク「わー!わーわー!」…依未がコスプ「わぁぁっ!?わッ、わぁぁぁぁ!」……ぷっ…ふ、二人揃って分かり易っ…」

『うっ…あ、(貴方・あんた)ねぇぇ……!』

 

 扉を開いた瞬間、聞こえてきたのは賑やかな声。さっきまでと変わらない、愉快そうなお兄ちゃんの声。そして、お兄ちゃんの顔に浮かぶ…楽しそうな、本当に楽しそうな……混じり気のない、明るい笑顔。

 

(……あ、れ…?)

 

 それを見た時、何故かわたしは動けなくなった。そこには楽しそうにしてるお兄ちゃんがいるのに、お兄ちゃんはわたしが素敵だって思う笑顔を浮かべているのに、さっきまで募っていた温かな思いが消えていって……

 

「ん?おぉ、お帰り緋奈。悪かったな、俺がちゃんと確認しなかったばっかりに買い物行かせちまって……」

「…………」

「でも助かったよ、ありがと……って、緋奈?」

「…へっ?あ、う、うん…もう、お兄ちゃんってばうっかりしてるんだから……」

「ほんとすまん…けどほら、これは緋奈がいる安心からくるうっかりというか……」

「いや、あんたのミスはあんたのミスでしょ」

「…ちぇ、そうですよー……」

「依未ちゃんって、ほんと悠耶に容赦ないわね…くふふっ……」

「何笑ってんだ妃乃……」

 

 はっとして、一拍置いてからお兄ちゃんに声をかけられていた事に気付く。その時は、慌ててお兄ちゃんの言葉に反応して、何とか笑顔を作ったけど…それから二人の言葉を受けて、拗ねたようなお兄ちゃんの顔を見た瞬間、またわたしの心は冷えていく。

 何故か分からない。何も嫌な事なんてないのに、わたしだって時にはお兄ちゃんを弄ったりするのに、どうしてかわたしの心は冷えて、沈んでいって……

 

 

 

 

 

 

(……あぁ、そっか…)

 

 

(…ねぇ、お兄ちゃん…どうして?どうしてお兄ちゃんは、そんな顔をしているの?お兄ちゃんの一番は、お兄ちゃんが一番大切なのは、妹だったんじゃなかったの?なのに、どうして…妃乃さんや依未さんに対しても……)

 

 

 

 

(……わたしの時と、同じようにしているの…?)



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第百四十九話 それは、普通のようで

 冬もどんどん深まって、気付けば年末もそう遠くない今日この頃。なんか大分前に「冬休みまで後四ヶ月弱…」的な事を言ったような気がするが、もうその休みが目前に。…いやぁ、嬉しいなぁ。

 

「…何気分良さげな顔してんの?」

「冬休みがもうすぐで嬉しいなぁって思ってんの」

「あそう…」

 

 最早お馴染みの昼食シーン。いつの間にか妃乃や綾袮と机を囲んでいる事をクラスの誰からも奇異の目で見られなくなった、昼休みの時間。てか俺、表情に出てたのか…さらっと返したが、これは少し恥ずいな……。

 

「うんうん分かる分かる。長期休暇って、近付いてくるだけで嬉しくなるよね」

「そうそう、気が合うな綾袮」

「…でも、冬休みって二週間位しかないから、それを考えると悲しくなるよね…」

「全くだ…」

「うわ、瞬く間に二人のテンションが落ちてった……」

「ほんとに急降下だったわね…」

 

 あっという間に、マジであっという間に終わってしまう事に対してげんなりとする俺と綾袮。夏休みの半分もねぇから、冬休みって始まるまでは楽しみだが、なった途端に「後○日か…」って終わりが頭をちらつくんだよな…はぁ……。

 

「むむぅ…せめてもう数日、いや数週間…いやいや数ヶ月あればなぁ……」

「順を追って強欲になってくね…まあ元気出しなよ。クリスマスとかお正月とか、イベント自体は割とあるんだからさ」

「クリスマス…顕人君は、わたしに何プレゼントしてくれる…?」

「え、プレゼントする前提なの…?」

「お年玉は、幾らくれる…?」

「お年玉もあげる前提なの…?同年齢だし、絶対綾袮さんの方がお金持ちなのに…?」

 

 とかなんとか思っていたら、いつもの様に御道と綾袮が漫才を開始。ほんと毎日よくやるなぁと思いつつ、弁当のおかずを食べていると…俺はクラスの出入り口に、ある人物を発見した。

 

「…ん?」

「どうかした?」

「いや、緋奈がいた…なんかあったのか…?」

 

 その人物とは、一つ下の学年に所属している緋奈…って、この説明は今更か…こほん。緋奈は俺と目が合うと、こちらは軽く手を振ってきて…俺はそれに答えるように、立ち上がって出入り口へ。

 

「どうしたんだ、緋奈。何か用事か?」

「ううん、別の用事でこっちに来たから、ついでに寄ってみただけだよ。駄目だった?」

「いや、シンプルに嬉しい」

「ふふっ、ありがとお兄ちゃん。今日もお弁当美味しかったよ」

「そっか、って早いな…」

 

 ついでとはいえ、わざわざ寄ってくれたのならそれは兄として嬉しいところ。もう弁当を食べ終わってた事には少し驚いたが…まぁ、俺だって用事がある時はさっさと食べるしな。

 

「ところでお兄ちゃん、お兄ちゃんはいつも妃乃さん達と一緒にお昼食べてるの?」

「うん?まぁ、そうだな。前は御道と二人でだったが…文化祭の辺りから、四人で食うようになったんだ」

 

 そう。なんかもう前から四人で食べてる気もするが、実際にはまだそこまで経っていない。…つっても御道とは前から食べてるし、妃乃も春から同居してるから、面子的には前から…と言えなくもないが…。

 

「ふぅん…お兄ちゃん、ちゃんと午後の授業も受けなきゃ駄目だよ?」

「えー…仕方ないなぁ……」

「もう、そんなんじゃ留年しちゃうよ?わたしと同じ学年になってもいいの?」

「正直それは嫌じゃない」

「開き直らないの。ほら、ほんとにちゃんと受けてねお兄ちゃん」

 

 くるりと反転させられ、軽く背中を押される俺。一方前に出てから振り向くと、緋奈はこちらを見ながらまた手を振り、それからどこかへ…恐らくは自分の教室へと戻っていく。

 

(世話焼きだなぁ、緋奈は……)

 

 歩いていく緋奈を見送りながら、心の中で今のやり取りを振り返ってそう呟く。こうも真面目に授業を受けるよう言ってきたのは、妹として恥ずかしい…とかではなく、本当に俺の事を案じてくれているのだろう。緋奈なら、きっとそうだ。

 

「お帰り、何の用だったの?」

「いや、用事のついでに寄ったんだとさ。後、ちゃんと授業を受けるよう言われた」

「そ、そう……緋奈ちゃんに言われたんだから、しっかり受けなさいよ?」

「何言ってんだ妃乃。学業は誰かに言われたからじゃなく、自分の為にするもんだぞ」

「……そ、そうね…癪に触るタイミングだけど、全くもってその通りよ…」

「ま、俺はそんなの知ったこっちゃないけどな。それよか緋奈の言葉の方が貴重ってもんだ」

「…………」

「あ、妃乃が殴るかどうか迷ってる…」

 

 そうして席に戻った俺は、片手間で妃乃を弄りつつ残った弁当を腹の中に収めていく。んで昼休みが終わり、授業が始まる頃には予想通り睡魔が襲ってきたが……ま、今日は緋奈に言われたんだ。どこまで持つかは分からんが…出来る限り、頑張ってみましょうかね…。

 

 

 

 

「はー、さっむ…カイロ持ってくりゃよかったかな……」

 

 昇降口で上履きから靴に履き替え、入り込む寒風にコートの前を締めて対抗。

 時間は現在放課後。なんとか爆睡する事なく午後の授業を乗り切った俺は、漸く今日も帰路に着く。

 

「さて、今日の夕飯は……」

「和食が食べたい気分かな」

「そうか、ならおでんでも……え、緋奈?」

 

 何気なーく聞こえてきた声に、俺も何気なーく言葉を返し……数秒後、少し驚きながら声のした方を振り返る。

 するとそこには、案の定緋奈。高校なんだし、下校のタイミングが一緒になっても何らおかしい事はないが…緋奈よ、いつの間にお兄ちゃんの斜め後ろへ…?

 

「ごめんね、後ろ姿が見えたからつい」

「いやまぁ、それは別にいいが……」

 

 いきなり声をかけられりゃ誰だって驚くが、別に怒るつもりはない。どっちかって言うと、接近にまるで気付けなかった事の方が気にはなるが…まぁ、一緒にいるのが普通過ぎて、逆に気付かなかったとかそんなところか。

 

「…で、実際おでんはどうよ?」

「うん、おでんでいいよ。あ…おでんがいい、って言った方が良かった?」

「いやいや緋奈、お兄ちゃんがそんな些細な部分で怒る訳ないだろ?」

「そっか、お兄ちゃんだもんね」

「あぁ、お兄ちゃんだからな」

 

 という訳で、今日は校舎を出る時点から緋奈と一緒。うむ、緋奈がいるだけで寒さをちょっと忘れられるな。

 

「お兄ちゃん、あの後ちゃんと授業受けた?」

「受けた受けた、珍しくちゃんとノートも書いたぞ」

「お兄ちゃんにとって板書するのは『珍しく』なんだ…流石にそれはちょっとどうかと思う…」

「心配するな緋奈。俺はまだ、本気を出してないだけだ」

「あ、うん…ほんとにそうである事をわたしは信じるよ…」

 

 何だか緋奈にマジの心配をされてしまった気がするが…それより今考えるべきは夕食の事。昨日はうっかりしてて緋奈に苦労をかけちまったし、二日連続で同じ轍を踏む訳にはいかないよな。えーと、確か冷蔵庫には…。

 

「……ん?」

 

 スーパーの方へ歩きつつ、考える事数十秒。買うべき物を頭の中で一通りピックアップしたところで、ふと横を見てみると…緋奈は楽しそうな表情を浮かべて、こっちを見ていた。

 

「…俺、何か面白い表情でもしてたか?」

「ううん、考え事してる時のお兄ちゃんは素敵だなって思っただけ」

「そうかそうか。つまり普段の俺は、あんまり素敵じゃないのか……」

「あ、ち、違うよ!?そういう事じゃなくて…って、些細な部分は気にしないんじゃなかったの…!?」

「…なんてな、冗談だから大丈夫だぞ」

 

 わたわたと慌てる緋奈の表情を見て、俺は内心したり顔。撤回しつつ軽く頭を撫でてやると、緋奈は初め「むー…」と不満そうな顔をしていたが、そこまで怒ってはいない様子。

 最近は妃乃やら依未やらをよく弄ってる俺だが、反応自体は緋奈だって良いし、何なら慌ててる緋奈は普通に可愛い。してやった感はやっぱり強気だったり生意気だったりする二人の方が大きいが…って、何の話してんだ俺は……。

 

「もー…お兄ちゃんってば意地悪なんだから……」

「悪い悪い。っとそうだ、記憶違いがあっても困るし、一応妃乃にも訊いておくか…」

「…訊く、って…冷蔵庫の中身の事?それならわたしが……」

「いや、妃乃なら正確な数も覚えてる可能性高いしな。あー、もしもし?」

 

 緋奈の記憶力に不安がある訳じゃないが、やっぱりこういうのは普段から料理をしている妃乃の方が意識して覚えてる筈。そう考えて俺は首を横に振り、その直後に電話に出た妃乃と手早く通話。記憶違いがなかった事を確認し、ついでにちょこっとからかった後に電話を切る。

 

「お待たせ、緋奈。んじゃ、スーパー入ろうぜ」

「…また、妃乃さん…今は、わたしがいたのに……」

「うん?緋奈?」

「あ…ううん、何でもないよ。行こっか」

 

 携帯を仕舞いつつ声をかけた時、何かをぼそりと呟いていた緋奈。考え事でもしていたのかと思ってもう一度声をかけると、今度は声が届いたみたいで俺より先に歩き出す。

 

「お兄ちゃん、折角だから今日は夕飯作るの手伝うよ?」

「え……?…じゃ、じゃあ緋奈には大根に火が通ったかどうかを串で確認してもらおうかなぁ…」

「え……何その出来ない事をやりたがる子供に、最後の一行程だけやらせてあげる的なのは…」

「は、はは…じゃあ、おでんに青のりをかける役を……」

「だからそれは手伝いとは言わないよね…!?な、何…!?お兄ちゃんは何かを企んでるの…!?」

 

 油断をするからいけないんだ、とばかりに突如として襲来する危機。咄嗟に思い付いた言葉で誤魔化そうとするも、むしろ変な不信感を与えてしまうという結果に。だが当然、ここは乗り切る他に選択肢などなく……

 

「…ふっ……つまり、そういう事さ」

「どういう事…!?」

 

 結局この後、俺は雑な誤魔化しの一点張りで何とか窮地を脱するのだった。……まぁ、その結果緋奈からかなり引かれてしまったがな…はぁ…。

 

 

 

 

 おでんと言っても、食べるのは家。だからわざわざこんにゃくやはんぺんを串に刺したりはしないし、当然アルコールが一緒に食卓に並んだりはしない(未成年だし)。あくまでメインの『おかず』として、俺達はおでんを食し…今現在は、夕食後。

 

「家で食べるおでんも中々良いものね。…まぁ、そもそもおでんを食べる機会自体がこれまで殆どなかったけど……」

「だろ?うちじゃ毎年冬になると、二〜三回は食べてるぞ」

「へぇ、そうなの。なら今年…っていうか、今年度中にもう一回位は食べたり?」

「するだろうな」

 

 口振りからして、妃乃からの評価は上々。ほんと、どうして妃乃がここまで庶民的なのかは分からないが…美味しく食べてくれたんだ。そりゃ、作った側として悪い気はしないわな。

 

「さてと、んじゃあ食器洗いするか…」

「あぁ、それなら拭くのは私がするわ。今日は特にやる事もないし……」

「あ、それならわたしがやるので大丈夫ですよ」

 

 リビングからキッチンへ向かうと、すぐに後をついてくる妃乃。だがそこで俺が「なら頼んだ」と言いかけた瞬間、同じくリビングにいた緋奈もすっと俺達のいるキッチンの方へ。

 

「え…緋奈ちゃん?」

「やる事がないなら、今日はゆっくり休んで下さい妃乃さん。ここのところ、あんまり休めてませんよね?」

(…そういや、そうだったな……)

 

 驚く妃乃に、緋奈はにこりと微笑みながら返答。妃乃へ割って入るような緋奈の言葉に、俺も一瞬驚いたが…どうやらその申し出は、妃乃を思っての事らしい。

 確かに緋奈の言う通り、ここのところ妃乃は忙しくしていた。御道に近付いていた魔人は何とかなったとはいえ、同時に現れた別の魔人はまだ姿をくらましたままなんだから、妃乃がその対処や会議に追われていても当然の事。学校じゃ普通に生活しているが、逆に言えばその分学校外で時間を取られているのが今の妃乃で…休息が足りていないのは、恐らく間違いない。

 

「…もしかして…心配、かけちゃった…?」

「いえ、妃乃さんはしっかりしてるので心配はしてませんよ。でも、休めそうな時はわたし達の事を気にせず休んでほしいなって思ってます」

「緋奈ちゃん……」

「…だとよ。折角の緋奈の厚意なんだ、甘えたっていいと思うぞ?」

「…そう、ね…えぇ。ありがとう、緋奈ちゃん」

 

 数秒間、考え込むような表情を見せ…それから、さっきの緋奈へお返しをするように妃乃は微笑む。その微笑みと、お礼の言葉は…厚意に甘えるという意思の表明。

 上手いものだ、と思った。俺には性格的にも関係性的にも出来ない、年下や後輩ならではの言葉。妃乃のプライドや自尊心…っていうとアレだが…要は妃乃が自然に受け止められる、それでいてちゃんと筋も通っている言葉だからこそ、反発する事も強がる事もなく、妃乃はそれを受け入れた。…もしこれを狙ってやったなら……やるな、緋奈。

 

「それじゃ…少し早いけど、お風呂頂こうかしらね」

「はい。お兄ちゃんはわたしが見張ってるので、ゆっくり入って下さいね」

「おーい緋奈。気遣いの隙間に変なものを混ぜ込むんじゃないぞー」

 

 キッチンから出て、廊下へと向かう妃乃をぐわんぐわんと緋奈を揺らしながら二人で見送る。そうして妃乃がリビングの扉を閉めたところで、俺は手を止め…言う。

 

「…ありがとな、緋奈」

「わたしはわたしがしたい事をしただけだよ、お兄ちゃん」

「…そうか…」

 

 それから俺は食器を洗い、緋奈が洗った物を拭いて、二人で食器を片付ける事数分。その間、これといって話したりはしなかったが…だからなんだと言う事はない。話したい事があれば話すし、無言になってもそれを居心地悪いとは感じないのが、何年も一緒にいる家族ってもんだから。

 

(……けど、したい事を…か)

 

 したい事をしただけ。なんつーか、これは良い言葉だと思う。自分本位な言葉だが、本当に自分の事しか考えてない奴は、こんな言葉を言ったりしない。これは自分がと言いつつも、相手の事を思っている時にこそ言える言葉で……って、よくよく考えたらこれ、俺も偶に言うじゃん…うわはっず!自画自賛になるじゃんはっず!

 

「…お兄ちゃん?何変な顔してるの?」

「あ、い、いや……妃乃も、自分のやりたい事をやるってタイプだと思ってな…」

「……妃乃、さんも…?」

 

 何気なく、さも穏やかな感じに自画自賛をしようとしていた…なんて言える訳がなく、咄嗟に思い付いた事を言う俺。まあ当然、それが表情を歪めてた理由じゃないが…別に嘘でもないだろう。何せ妃乃も、したい事をしただけ…って言う奴の一人なんだからな。

 

「ほら、妃乃って俺に対しては当たりが強かったりするが、基本的にはいつも周りに気を配って、誰が相手でも真摯な姿勢で接するだろ?」

「…そうだね」

「それは環境や育ちも要因の一つだとは思うが、やっぱ一番は本人の気質ってか、性格の影響が大きいと思うんだ。…でも、妃乃はそういう気配りをして、それを感謝されたり凄いと思われた時、決まって『したい事をしただけ』とか、『時宮の人間としてこの位は当然だ』って返すんだよな」

 

 誤魔化しに「それっぽさ」を付ける為、続けて俺は妃乃のエピソードトーク…というか、俺から見た妃乃に対する印象を展開。勢いで言い出した事の割には、自分でも少し驚く位にすらすらと言葉が出てくるが……無論それなら好都合。このまま話題そのものも変えてしまおうと思って、更に俺は言葉を続ける。

 

「これさ、普通に考えれば謙遜とか、それこそ相手が申し訳なさを感じなくて済むようにする為の言葉だって思えるけど、多分実際には違うんだよな。勿論、相手の為にって思い自体はあるんだろうが…建前とかじゃなく、妃乃は本当に思ってるんだよ。相手がどうこうじゃなくて、本当に自分がしたかっただけなんだって。これは、して当然の事なんだって」

「…………」

「…それって、凄い事だよな。自分って存在の柱をちゃんと持ってなきゃそういう思考は出来ねぇし、利他を利他と思わない、当たり前の行為として捉えてるなんて……よっぽど人間が出来てる奴じゃなきゃ、やろうとしたって出来ねぇよ」

 

 人の為にってのは、得てして窮屈なもんだ。自分の得にならないのなら、少なくとも直接的には無駄な事をしてる訳だし、ましてやそれを当然の事として行うのなら、「良い事をした」って自己満足すら得る事が出来ない。勿論、人の為に動く奴は周りから信頼されるし、いざって時に助けてもらえたりする訳だが……それは行為に対する副産物であって、見返りそのものであったりはしない。

 そして、いつかは辛くなる。労力のかかる「人の為」をしていたら、その内疲れてきてしまう。でも、きっと…妃乃はそれで疲れを感じる事はあっても、辛いと思う事はないんだろう。だって妃乃は…本気で「したい事をしただけ」って思っているんだから。

 

「んまぁ、その分…ってか自分の中の柱がしっかりし過ぎてるせいか、変に強情なところもあるが……ほんと、心に凄い強さを持ってるよな、妃乃はさ」

 

 妃乃の在りようを言い表すならば、それはきっと強さだ。妃乃は、強いんだ。力があるから、環境に恵まれてるからそういう心を持てたんじゃなくて…強い心があるから、あれだけの力を律し、環境に怠ける事なく自らを高め続ける事が出来るんだ。だからこそ……俺は妃乃を、尊敬している。

…なんて、そんな締め括りをしていると少し恥ずかしくなって、頬を掻きつつ明後日の方向へ目を逸らす俺。…てか、気付いたらもう食器洗い終わってるし……。

 

「…あー、っと…まあとにかく、そんな感じの事を考えてたんだ。食器洗いの最中って、ふとした事を考えたりしちゃうよな」

「…………」

「あ、けど俺は緋奈の事も凄いと思ってるぞ?流石に経験してきた事は違ぇが、緋奈だって十分……って、緋奈?」

「…………」

「おーい、緋奈?緋奈も何か考え事か?だったらここまでは緋奈が聞き手だったし、今度は俺が話を聞いてや──」

 

 

 

 

「……お兄ちゃんッ!」

「……っ!?…緋奈……?」

 

 不意に、突然に、叩き付けるように……俺に向けて、声を荒げる緋奈。それまでは至って普通だった、静かに俺の話を聞いていた緋奈の、突然の豹変に俺は思わず面食らう。

 一瞬、頭が真っ白になった。只でさえ、緋奈に声を荒げられるなんて…そんな声をぶつけられるなんてショックなのに、今回はその理由すら分からないから。ただ普通に、話をしていただけなのに…何故緋奈が声を荒げたのか、全くもって分からない。何か、緋奈の気に触る事でもしちまったのか…?緋奈を不愉快にさせるような、或いは気に食わないような事を、いつの間にか俺はして……

 

「……凄いよね、妃乃さんって。わたしも思うよ、妃乃さんは強い人だって」

「…え……?…あ、お、おう…だろ……?」

「うん。…妃乃さんは、ほんとに凄い人…だからさ、お兄ちゃん。わたしが妃乃さんを超えられたら、お兄ちゃんは嬉しい?妃乃さんの出来ない事をわたしが出来たら、お兄ちゃんは凄いって思ってくれる?」

 

 すっ、と緋奈は俺に背を向ける。背を向け、後ろで手を組んで、そうして口にしたのは静かな声。さっきの荒げた声が聞き違いだったんじゃと思う位の、落ち着いた言葉。

 それに再び驚いた俺が同意すると、緋奈は更にくるりと回って、今度は俺と向かう合う。いつも通りの、明るさのある声に戻った緋奈が浮かべているのは…穏やかな笑み。

 

「……それは…そりゃ、そうだな…やっぱ俺の妹は最高だわ、とか思うと思う……」

「ふふっ、だよね?お兄ちゃん、兄に二言はないよね?」

「いやそれを言うなら男に二言…って、それはどっちでもいいか。どっちにしろ、これを撤回する事なんざないだろうしさ」

「そっかそっかぁ。ふふふっ、でもびっくりしちゃった。お兄ちゃん、凄いって思う人の事は結構饒舌に語るタイプなんだね」

「うっ…そ、その認識はまぁいいが…妃乃には言わないでくれよ…?」

「大丈夫。言おうなんて思ってないよ」

「なら良かった……ありがとな、食器洗い手伝ってくれて」

「うん、どう致しまして。お兄ちゃん」

 

 笑ったままの緋奈を見て、これなら大丈夫そうだなと一安心。あの時声を荒げた理由は分からないが…どう見たって緋奈は元気。ならきっと、些細な何かでつい大声になってしまったとか、そんな程度の事だろう。そう考えて俺は訊く事なく、緋奈と共にキッチンを後にする。

 思い返すと、今日はよく緋奈と話している気がする。特に今日は一緒にいたように思える。今日は可愛い妹と一緒にいる時間が多くて、妹の立派な一面も見られて、兄としては大満足。だから俺は、廊下に出ても心の中は温かいままで……それからは何の気兼ねもなく、何もおかしいと思う事なく、普段通りに夜の時間を過ごすのだった。



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第百五十話 彼の事は

 流れるように、激流のように、息つく間もなく繰り出される刃の乱撃。青く輝く、二振りのナイフ。見切れなどしないそれを、後退しながら全神経を集中し……何とか、凌ぐ。

 

「…ッ、ぐ……ッ!」

 

 右からの斬撃を、霊力で編まれた剣で阻む。左からの追撃を、霊力を込めた短刀でギリギリ逸らす。何とかなったと思った次の瞬間には、阻んでいた筈の刃が手首の捻りで剣を超えて俺に迫り……咄嗟に俺は、その場でブリッジ。

 

「ぬぉぉ…ッ!」

 

 上体を思いっ切り逸らす事で、紙一重の回避に俺は成功。そこから勢いのまま、思い付いた事を即実行する形でバク転に派生してみるも…右手で片手剣、左手で短刀を持ったままの状態でやった事もないバク転が上手く出来る筈もなく、俺はそのまま跳べずに転倒。びたーん!…と、顔から足まで揃って床に打ち付けてしまった。

 

「〜〜〜〜ッッ!?」

 

 想定していなかった激痛と痺れに、うつ伏せとなりながら悶絶する俺。そして、それを最後に……訓練を目的とした模擬戦は、終了する。

 

「…顕人、大丈夫?」

「あ、あんまり大丈夫じゃない…」

「そう…」

 

 上から下まで一気に強打という、経験した事のない事故(自爆)で俺が立ち上がれずにいると、模擬戦を受けてくれた相手…ラフィーネさんが声をかけてくる。

 その声に反応して顔だけ上げると、ラフィーネさんは俺の前でしゃがんでいた。…うん、この位置でその格好は不味いよラフィーネさん…何が不味いとは言わないけど……。

 

「痛た…そのままやられるよりはマシなんだろうけど、回避後の動きでミスってこれじゃ世話ないよね…。…模擬戦やってみて、どうだった…?」

「ん…良い運動になった」

「い、いやそうじゃなくて…綾袮さーん、フォリンさーん……」

 

 俺の動きは、という主語を付けなかった俺も悪いとはいえ、返ってきたのはまさかの感想。これを真面目な顔で言っているラフィーネさんは、ほんと天然というか純朴で……っていうか、俺は必死そのものだったのに、ラフィーネさんにとって今の模擬戦はまだ『良い運動』レベルなのか…。

 

「はいはーい。まあ、前より良い動きになってると思うよ?近接戦での判断力も向上してる感じがあるし。でもやっぱり、顕人君は近接戦向いてないよね。不向きって事じゃなくて、長所を活かせないって意味だけど」

「それは分かってる。でも、接近戦の心得自体は身に付けておくべきでしょ?」

「そうですね。ですが顕人さん、射手にとってはまず近付かせない、近接戦に持ち込ませない事の方が大切ですよ」

「う、うん…それも分かってる……」

 

 流石はやる時はやる綾袮さんと、基本はしっかりしてるフォリンさんと言うべきか、今度こそちゃんとした答えが返ってくる。…いやまぁ、ラフィーネさんだってちゃんと答えてはくれたんだろうけども…。

 

「んー…いっつも言ってるけど、自分から射撃捨てて近接戦かけに行くのだけは駄目だからね?不意打ちとしてやるなら、状況次第で有効に働くと思うから絶対駄目とは言わないけど」

「不意打ち、か…うん、きちんと覚えておくよ」

「宜しい。じゃ、今日はこの位にしておこっか」

「そうだね…って、うぉっ…鼻血出てきた……」

「え、何か変な妄想でもしてたの?」

「違うわ!普通にぶつけたからに決まってるでしょうがッ!さっき俺が転倒するのを見てたよねぇ!?」

 

 フォリンさんからティッシュを受け取った俺は、鼻を拭きつつ皆と共にトレーニングルームを後にする。鼻血はすぐに止まってくれたからまぁいいとして、向かう先は装備の保管室。…うー…まだちょっと身体痛い……。

 

(これでよし、っと。近接武器だけだと、片付けも大分楽だなぁ……)

「それでよ……って、んん?」

「……?」

 

 仕舞い終わったその瞬間、出入り口の方から聞こえてきた会話の声。ちらりとそちらを見てみると、その声の主……たった今入ってきた二人と、もろに目が合ってしまう。

 

「…あ、えっと……」

「…えぇと、お前…御道……顕、人…だったっけ…?」

「え?あ…そう、だけど…(うん?この二人…見覚えがあるような……)」

 

 目が合ったのは、多分同年代の男二人。ばっちり目が合ってしまった気不味さから何か言おうとした俺だけど、二人の内の片方がそれより先に俺の名前を呼んでくる。

 名前を呼ばれた俺は、当然戸惑った。あれ、俺はこの人と知り合いだったっけ?…と。でも、よく見るとこの二人とはどこかで会ったような気がして……気付く。あぁそうだ、この二人は…合宿的訓練の時、俺が最初に行った部屋で会った二人じゃないか。

 

「…夏ぶり?」

「そうなるな…訓練終わりなのか?」

「そう。…そっちもこれから訓練を?」

「まぁな」

 

 やはり彼等はあの時の二人。どうも片方は人見知りなのか、それとも俺達二人で問題なく会話が成立してるから黙っているのかは分からないものの、もう片方の彼とだけで会話しているのもあの時と同じ。…ほんと、偶然は案外起こるもんだよなぁ…まあここは普通に使われてる部屋だし、現実的に起こり得る偶然でもあるけど…。

 

「そっか、じゃあ頑張って」

「うーい。…あぁそうだ、聞いたぜ?春先の魔王戦に参加しただけじゃなく、最近は魔人の討伐もしたんだろ?」

「あ、あー…まぁ、一応は……(その魔人、実は今こっち見てるんだけどね…)」

「はー、いいよなそういう機会に遭遇出来て。…いや、俺だって実力を付ければ自然と機会も寄ってくるか…うん、そうだよな…!」

 

 耳が早いのか、それとも慧瑠の件はもう周知の事実なのか、どうやら二人は俺が討伐した(って事になっている)のは知っている模様。そして俺は羨望の視線を向けられて……正直ちょっと、困った。

 だって、別に俺はどっちも倒した訳じゃないから。魔王戦は役に立てたかどうか今でも不安だし、慧瑠の方は全く逆の事が真実だし…ましてやそれをまだそこまで交流のある訳じゃない相手に言われると言うのは、中々反応に困るものだった。

……でも、分かる。羨ましいと思う気持ちは、俺も分かる。それと同じ、こういう世界への憧れが…俺の元々の原動力だから。

 

「って訳で、じゃあな。機会があれば、いつか一緒に戦おうぜ?」

「…おう、お互い頑張ろうか」

 

 俺は帰る為、二人は訓練を始める為、各々ここでする事を済ませた事で会話も終了。保管庫の中を出て、それぞれ違う方向へと歩き出す。

 まさか、こういう風に声をかけられるとは。さっき挙げられた二件だったり、ロサイアーズ姉妹との模擬戦だったりで時々俺は注目されるような事もしているものの、やっぱりこうして声をかけられるというのは意外な印象。…でも、別に嫌って訳じゃない。有名になりたくて頑張ってる訳ではないけれど、良い意味で名が知れるというのもそれはそれで……

 

「よっ、顕人」

「うぉわッ!?…あ、か、上嶋さんですか……」

 

 とかなんとか思ってたら、いきなり声をかけられた。っていうか、いつの間にか前に上嶋さんがいた。

 

「なんだ、向こうから俺が来たのに気付いてなかったのか?」

「す、すみません…ちょっと考え事をしていたもので……」

「いや、別に良いけどな。…で、最近の調子はどうだ?」

 

 気にすんな、とばかりに軽く肩を竦めた上嶋さんは、俺にどうだと訊いてくる。

 さて、これは何に対する「どうだ?」なのか。霊装者としてなのか、学生としてなのか、はてまた深い意味なく言っただけなのか。訊き返せば一発で分かる事だけど……まぁ、別にテストじゃないんだしいいか…。

 

「それなりに、上手くいってると思います。最近だと、魔人の件もありましたし」

「あー、そうだな。…で、どうなんだ?」

「へ……?いやですから、最近だと魔人の討伐戦にも……」

「出来事や成果の話じゃなくて、こっちの話をしてんだよ。…心の中で、何かがブレちまったりしてないか?」

 

 当たり障りのないよう返した結果、再びほぼ同じ質問が俺に。その意味が分からず、もう一度俺は答えようとして……そこで、上嶋さんは言った。親指で軽く自分の胸を突いた後、真剣さと優しさの籠った視線を俺に向けて。… …ブレちまったりしてないか、か…それなら……

 

「…大丈夫です、上嶋さん。あれから色々あって、思う事も沢山ありましたが……強くなれてるって、俺は思います。…自画自賛かもしれませんけど、ね」

「そうか……へっ、いいじゃねぇか自画自賛。自分を強く持ててる、自分の中の柱に自信が持ててるってのは、大切な事だと俺は思うぜ」

 

 ほんの少しだけ頬を緩めて、自分の言葉に力を込めて、俺は言う。俺はあの時より…上嶋さんに自分の命を大切にしろって言われたあの時よりも、きっと力も心も強くなれてるって。

 真っ当に、真っ直ぐに伸びているとまでは言えない。俺の在り方は、心の向いている方向は、一般的な霊装者のそれとは違うだろうし、協会に対しても少し思うようになったけど……それでも俺は、進んでる。前かどうかは分からないけれど、俺が望む方向へと。

 そしてそれを聞いた上嶋さんは、にやりと笑って俺の言葉を…自画自賛を、肯定してくれた。今日も変わらない、大人というより兄貴分って感じの笑みで。

 

「…ありがとうございます、上嶋さん」

「おう。でも強さってのは、硬さだけじゃなくて柔軟性も必要だぞ?ほら、五重塔ってあるだろ?」

「あぁ……地震に強い塔って言われると、正直某国民的ゲームを連想しますよね」

「あ…顕人お前、俺が後で言おうとしてたネタの先回りをするんじゃねぇよ……」

「えぇ…それは知りませんよ……」

 

 そんな事言われても…的な文句をつけられ俺が半眼で返すと、上嶋さんは再び笑って「まぁいいさ」と言ってくる。

 それから俺達は二言三言雑談を交わし、上嶋さんがこれから用事があるとの事でこの場を去る。…用事あるなら、そもそも俺に話しかけてる場合じゃなかったんじゃ…?

 

(…なんて、ね。用事がある上で、わざわざ上嶋さんは声をかけてくれたんだから…心配をかけないよう、しっかりしないと)

 

 こうやって言えば、上嶋さんは「なんとなく声をかけただけだ」とでも言うと思うけど…分かる。上嶋さんは、そういう人だから。綾袮さんであったり、綾袮さんのご両親であったり…俺の周りには、俺を気に掛けてくれる人が数多くいるから。

 心配をかけない為には、危ない事をしないのが一番。でも常に安全な戦いが出来るなんて訳ないし、俺が俺の思いを貫くのなら、これからも危険な目に遭う事はきっとある。だったら、やっぱり……危ない事が起きても乗り切れるよう、生きて思いを果たせるよう…頑張らなくちゃ、いけないよな。

 

 

 

 

 人間誰しも、息抜きは必要なもの。気持ちを張り詰めていれば、張り詰める事に慣れていれば、そういう状態でいる限りは高いパフォーマンスを発揮する事が出来るけれど、ずっと張り詰め続けられる訳がない。そんな事しようとしても、殆どの人はどこかで緩んでしまうものだし…緩むどころか、大切な時に切れてしまう事もある。そして切れてしまった場合、持ち直すのは容易じゃない。

 だからこそ、息抜きは大切。重要な時に、最後まで気持ちを張り詰めていられるよう、緩急つけておく事が体調管理。つまり…私が今している事も、いざという時への備えと言っても過言じゃない。……筈。

 

「〜〜♪」

 

 買ったばかりのあるセットを手に、お店の中から出る私。気分は高揚してるけれど、視線はしっかり周辺を警戒。近くに知人がいない事を確認してから、私は家に向かって歩き出す。

 

(ポーク南蛮バーガーなんて、ここのお店はほんと新商品開発に意欲的よね。時々迷走してる感もあるけど、このスタンスには敬意を表したいわ…♪)

 

 私の手元、カモフラージュ用のバックへ入れた紙袋の中に入っているのは、他でもないハンバーガーセット。私の密かな楽しみである、ジャンクフードの王道とでも言うべき料理。

 無論、栄養の観点で言えばジャンクフードは優れてるとは言えないし、時宮の人間である私がジャンクフード全般を好んでいるなんて、我ながらちょっと変わってる…って自覚もある。…けど、仕方のない事よね。だって…本当に、ジャンクフードが好きなんだものっ!

 

「…っと、浮かれ過ぎるのは禁物ね…前と同じ轍は踏まないようにしないと……」

 

 家の近くにまで来たところで、私は一度深呼吸。人は後少しという状況になると無意識に油断し易くなるものだから、ここで一度気を引き締めておかなきゃいけない。

 紙袋は外から見えていない。誰かが付いてきてるって事もない。勿論表情はいつも通り。…よし、これなら仮に家に入った瞬間悠耶や緋奈ちゃんと鉢合わせるような事になったとしても、危なげなく乗り切る事が出来る……

 

「あ、お帰りなさい妃乃さん」

「わひゃあぁぁっ!?ひ、緋奈ちゃん!?」

「えっ……?」

 

 そう思った正に次の瞬間、突如として聞こえてきた私への声。思わず軽く悲鳴を上げてしまった私が声のした方を急いで見ると、そこには窓を開けた緋奈ちゃんの姿。……な、なんかこれに似たような事…夏にも一度あった気が…。

 

「…ど、どうかしました…?」

「あ、う、ううん何でもないわ。ただ、急に声がしたから驚いただけよ」

「あ、それはごめんなさい…妃乃さんの姿が見えたので、つい……」

「き、気にしないで。私こそ、変な声出しちゃって悪かったわ…」

 

 それはともかく、重要なのは私の秘密がバレていないかどうか。内心その事に緊張していた私だけど、どうやら見えていたのは私だけの様子。という訳で私は表情と態度を取り繕いつつ、自然に家へと入って自室へ。…せ、セーフ……。

 

「ひ、緋奈ちゃんにもバレるかと思った…二人との生活は悪くないけど、ほんとこれだけは一人暮らしの方が楽だったわね……」

 

 部屋の中に辿り着いた私は、机にバックを置いて漸く一息。…でも、これで終わりじゃない。というか…ここまでは謂わば準備で、私がしたかったのはここから先。

 部屋の鍵を閉めて、バックと共に窓の外からは見えない位置に移動して、遂に私は紙袋を開く。その瞬間私の鼻孔をくすぐるのは、ジャンクフード特有の匂い。

 

「んっ…はぁ、もう待ちきれないわ……♪」

 

 一度危機に陥った事もあって、私の我慢はもう限界。匂いと立ち昇る温かな空気に促されるように私は紙袋の中身を取り出し、まずはメインのバーガーを手に。

 片手で持って、包みを開いて、半分程顔を出したバーガーを口元へ。そして私は味を想像しながら……一口。

 

「…んーっ♪お肉の柔らかさと濃いめの味付け、それにタルタルソースの適度な酸味…やっぱり今回のバーガーは当たりね…!」

 

 美味しさに思わず頬を緩ませながら、私はもう一口。続けてポテトを一つ摘んで、それも口に。こっちは普通の、食べ慣れた味だけど…だからこそ感じる安心感。

 時には大きく、時には小さくバーガーとポテトを食べ進めながら、時々ストローを介してホットティーを嚥下。一人黙々と食事をするのは少し寂しいものだけど、ジャンクフードに関しては別。誰にも邪魔されず、余計なものは一切無しにセットを味わう……はぅ、やっぱりこれが至福ってものよね…。

 

「…ふぅ…ご馳走様」

 

 十数分後、完食した私は両手を合わせて感謝の一言。少しの間食後の余韻を楽しんで、それからゴミを片付け始めて……そこで私の耳に届いたのはノックの音。

 

「妃乃さん。ちょっとお時間いいですか?」

「時間?まぁ、別にいいけど……っと、リビングで待っててもらえるかしら?」

「あ、はい」

 

 その音と緋奈ちゃんの声に反応した私は、途中で今入られたら不味い事に気付いてこちらから提案。危ない危ない、仮にゴミは何とかなったとしても、匂いは数秒じゃ消し切れないものね。

 

(けど、何の用かしら。内容を言わず、先に空いてるかどうかを訊いたって事は、多少なりとも時間がかかる事なんでしょうけど……)

 

 そんな事を考えながら私はゴミを片付け終え、換気の為に窓を開く。そして部屋を出た後、一度洗面所で手を洗って、緋奈ちゃんの待つリビングへ。

 

「お待たせ、どうかしたの?」

「え、っと…お兄ちゃんの事、なんですけど……」

「悠耶の?」

「はい。わたし最近のお兄ちゃんについて、ちょっと不安な事があるんですけど…妃乃さんは、今のお兄ちゃんをどう思いますか?」

 

 食卓の椅子に座っていた緋奈ちゃんからの、少し…いや、かなり意外な質問。これが悠耶なら、「何よ藪から棒に…」と返すところだけど…私にとっても緋奈ちゃんはもう、妹みたいなものだものね。

 

「どう、ね。まぁ、どうかって言われたら……悠耶にちょっと不安を抱くのは、いつもの事じゃない?」

「…そうですか?」

「えぇ。確かに悠耶はだらけてる割に生活面はしっかりしてるし、意外と気遣いも出来る男だけど…感情的になり易い面もあるし、何より『どことなく不安を感じる』…って雰囲気、緋奈ちゃんも感じてない?」

「…それは、まぁ…ありますけど……」

「でしょ?…けど、緋奈ちゃんが言いたいのはそういう事じゃないのよね?」

 

 どことなく不安を感じるなんて失礼な物言いだけど、実際そうなんだから仕方ない。上手く言葉には出来ない不安があるのが、千嵜悠耶なんだから。

 でも、緋奈ちゃんが本当に聞きたいのはこういう答えじゃない。それは分かってるから、私は一度間を空けて、ゆっくりと息を吐いて…それから再び、緋奈ちゃんへと目を合わせる。

 

「…大丈夫よ。緋奈ちゃんには言うまでもないかもしれないけど…悠耶は、強いから」

「…………」

「霊装者としても強いし、人としても強い。周りの事なんてどうでもいい…みたいな感じに振舞ってはいるけど、周りの為に出来る事があるならそれをするのが悠耶だし、あんまり人と付き合うのは上手じゃないみたいだけど、それが必要な時は不器用なりにちゃんとしようとするんだもの。それは普通の事にも思えるけど……強い人間は、得てして心や人としての在り方に強さの根元があるものよ」

 

 人には二つの強さがある。身体…即ち能力の強さと、心の強さ。目に見えて分かるのは能力の強さだけど、力ばかりで心の強さのない人間は、どこかで堕落し潰れていくもの。逆に心の強さがある人間は、努力であったり周りからの助力であったりと何らかの形で、自然と力も身に付ける事が出来ていく。そして悠耶は……間違いなく、その心の強さを持っている。

 とはいえ、これだけならまだ悠耶以外だって持っている人はそれなりにいる。つまり、私が悠耶に心の強さがあると思うのは…それ以上の事を、悠耶がこれまでしてきたから。

 

「…依未ちゃん、いるでしょ?一体何があって、どういう経緯で今に至るのかは知らないけど…彼女は、周りの人全てと距離を置いて、自分で作り出した壁越しにしか人と接していなかったの。いや…今だってそうよ。悠耶がいるからか、ある程度は歩み寄ってくれてるけど…それでもまだ、私や緋奈ちゃんに対しては壁を作って接してる」

「…少しだけど…それは、分かります。…わたしはそれを、遠慮だと思ってましたけど……」

「遠慮…それもあるかもしれないわね。…でも、悠耶に対しては違う。勿論、私も見た事はないから断言は出来ないけど…悠耶に対して見せている態度は、きっと依未ちゃんの素なのよ。何年もの付き合いがある人すら知らない素を、約半年で悠耶は引き出して……いや、違うわね。引き出したんじゃなくて…依未ちゃん自身が、素の自分で触れ合いたいって思ったのよ、きっとね」

 

 半分は想像でしかない。悠耶と依未ちゃんの事なんて、私にはその一部しか知る事は出来ない。でも、その一部ですら分かる。悠耶が依未ちゃんの中の何かを変えて、依未ちゃんもそれを受け入れて、ありのままに悠耶と触れ合う事を選んだんだって。

 それに、もう一つある。私が緋奈ちゃんに語れる…悠耶の、強さが。

 

「…それに、ね…私も一度、助けられたのよ」

「…お兄ちゃんに、ですか…?」

「悠耶によ。…は、恥ずかしいからあまり深くは言わないけど…あの時悠耶は、危険だって分かってた筈なのに、その時自分は危なくも何ともなかったのに、私の為に全力を尽くしてくれた。その上で…最初から最後まで、私を信じてくれていたのよ、悠耶は」

 

 あの時の事は、忘れない。忘れる筈がない。だってあの日は、自分の未熟さが、浅はかさが……悠耶が持つ心の強さが、はっきりと分かった日なんだから。

 緋奈ちゃんの前だから言わないけど、悠耶はあの日命を張ってくれた。命懸けで、私を助けてくれた。あの時は見捨てる事だって、魔人の提案を受ける事だって、選択肢としてあった筈なのに……それでも、私を選んでくれた。…だから、あの日から私は疑ってない。悠耶の持つ、心の強さを。私は信じてる。千嵜悠耶という、一人の人間を。

 

(……って、よく考えたら…な、何を考えてるのよ私はッ!私を選んでくれたって…そ、そんな表現したらまるで違う意味みたいじゃない!うぅ、しかもなんか顔熱いし!な、何なのよもうッ!)

 

 雰囲気というか自分の語りに乗せられて色々考えていた私だけど、何気にかなり恥ずかしい事を思っていると気付いた瞬間一気に頬が熱くなる。口に出してないだけまだマシだけど、それにしたってあまりにも恥ずかしい。恥ずかしいし、しかも何故か恥ずかしさとは違う…自分でも上手く言葉に出来ない気持ちもあって、そんな事を考えてたら段々あの日の記憶すらも鮮明に蘇ってきちゃって、私の脳内は大パニック状態。

 そして気付けば、向けられているのは緋奈ちゃんからのこれまで見た事ないような視線。理由は……か、考えるまでもないわよねッ!あーもうっ!

 

「と、とにかくそういう事だから!悠耶は強い人間だし……それに、凄い人だから!そこは私が保証するわ!だから安心して、緋奈ちゃん!」

「……凄い人、ですか…。…ふふ、そこまで評価してもらえているなら、妹として嬉しいです。それに、参考にもなりました」

「そ、そう?それなら良かったわ。じゃあ話は済んだし、私はこれで……」

「……妃乃さん」

 

 私らしくない、冷静さに欠ける強引な話の締め方だけど、今は頭がパニックを起こしてるんだから仕方ない。というか、このままいたら余計恥ずかしい姿を緋奈ちゃんに見せてしまいそうで、一刻も早く離脱したいというのが私の本心。幸い緋奈ちゃんは納得してくれたみたいだから、私は家に入る直前と同じかそれ以上のテンパりをしながら、慌ただしくリビングを出て……

 

「…これからも、これまで通りに暮らせるといいですね」

「…そうね。私もそう思うわ」

 

 扉を閉める直前、緋奈ちゃんからのそんな声が聞こえてきて……私は緋奈ちゃんの顔を見ないまま、その場で頷いた。

 これからも、こうして生活出来ればいい。愛想とかじゃなく…本当に、心からそう思って。



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第百五十一話 これからの事を

「いやほんと、妃乃って律儀だよな」

 

 冬の早朝。遂に終業式を迎える今日も、妃乃は庭で素振りを行っていた。

 

「前にも言ったけど、これは私にとっての日課だもの。やるのが当たり前になってる事に、律儀も何もないでしょ」

「まぁそうだわな。これも今更な話だし」

「でしょ?悠耶もやる?」

「いいや、俺は見るだけで満足しとくわ」

「あ、そう」

 

 縁側に座る俺と会話をしながらも、妃乃は木槍での素振りを続行。

 夏休みに始めてこれを目にしてから、俺は時々こうして妃乃の日課に付き合っていた。今日みたいにただ眺めてる日もあるが、時にはあの時みたいに模擬戦の相手をしていたりもする。…まぁ模擬戦の相手をするのは、専ら休みの日だが。

 

「…ふぅ。こんなところかしらね」

「お疲れさん。茶を入れておいたぞ」

「…まさかホット?」

「まさか。流石に冷茶はキツいと思って、ぬるめにしておいた」

「気が利くわね。それじゃあ早速頂いて……あっ…」

「っと、すまん。…妃乃?」

 

 窓を開け、リビングのテーブルに置いておいた湯飲みを持ってくる俺。それを一度縁側に置き、妃乃が早速飲む素振りを見せた事で俺は湯飲みをもう一度持って渡そうとしたが、妃乃も湯飲みを取ろうとしていた為に俺の手と妃乃の手が重なってしまう。

 完全に偶然とはいえ、重なった…というか、妃乃の手の上に俺は手を重ねてしまった。だから咄嗟に謝りつつ俺は手を引っ込めたものの……妃乃の顔は赤く染まっていく。

 

(あ、不味い……)

 

 本当に、マジで今のは偶然の事。けれど偶然だろうと故意だろうと重ねてしまった事には変わりなく、そしてそれはセクハラも言われても仕方のない行い。

 グーか、ビンタか、それとも木槍でフルスイングか。…まぁ、ちょっと触れた程度で暴力を振るってくる妃乃じゃないが…少なくとも怒られるのは免れないと思い、身構える俺。だが……

 

「…ちょ、ちょっと…気を付け、なさいよね……」

「あ…お、おぅ…気を受ける……」

 

 返ってきたのは、暴言どころか勢いすらもない言葉。勿論その方がありがたいものの、拍子抜けの返しに思わず俺は緩和してしまう。

 直近で、妃乃が俺に引け目を感じるような出来事はなかった。素振りの様子からして、体調も至っていつも通り。にも関わらず、妃乃の反応はしおらしく、顔もまだ赤いままで……何だか俺も、次の言葉が出てこない。

 

(な、なんだ…?なんだこの空気感は……)

 

 重なった手を胸元に持ってきて、逆の手で包むようにして押さえる妃乃。頬を紅潮させたままの妃乃を見てるとドキリとしてしまいそうで…っていうか現にちょっとしてて、余計に声が出てこない俺。そのまま数秒、互いに目を合わせないままの時間が続き…急に妃乃が慌ただしく動き出す。

 

「あ、そ、そうだ!私登校前に少しやっておきたい事があるから、先に戻るわねっ!」

「え、あ、そ、そうか。朝食は食べ……って、早っ…」

 

 まくし立てるように言ったかと思えば湯飲みの中の茶を一気に飲み干して、妃乃はリビングに上がっていく。電光石火…って程じゃないが、それでも妃乃はあっという間にリビングも出て見えなくなってしまった訳で、なんなんだ今のは感が凄まじい。…もしや、それ位に急がないと間に合わない事なのか…?…って、んな訳ねぇか。そんな急ぐ事なら、そもそも素振りの前にやるだろうし。

 

「……俺も、戻るか…」

 

 なんだったのか全くもって分からないところだが、多分これは考えたところで分かる事じゃない。後、いつまでも外に出てるのは寒い。

 そういう訳で、俺も縁側の窓からリビングに戻り、ある程度進めておいた朝食の準備を再開するのだった。

 

 

 

 

 今日の学校は午前で終わり。…俺は、これの嬉しさは半端無いものだと思ってる。そりゃ勿論午後どころか一日休みの方が良いし、大概こういう日は事前に分かるものだかは、サプライズ的な嬉しさは基本皆無だけど…それでも午前で帰れるというのは、物凄い魅力が詰まっている気がする。つまり、何が言いたいかというと…その一日休みが長く続く長期休暇の前日の、午前で学校が終わる今日みたいな日は……凄く、気分が良いよね。

 

「…って訳で、この冬休みにどれだけ差を付けられるかが入試に、皆の将来に関わってくる。それは分かってるな?」

『はーい…』

「あからさまに気分落ちてるな…まあでも、どんな過ごし方をしようと過ぎた時間は戻らないんだ。だから勉強するのは大切だが、楽しい事が何もなかった冬休み…なんて悲しい事にならないよう、適度に息抜きしたり遊んだりもするんだぞ?じゃ、以上!」

 

 先生が言葉を締め括り、日直が号令をかけ、今日の…今年最後のHRが終了。熱心な部活はここから普通に、冬休みも恐らく三が日以外毎日のように部活動があるんだろうけど、そうじゃない人にとってはこれで暫しの間学校からは離れる事となる。

 

「ふー…終わった〜……」

 

 午前終わりな今日はこれと言って大変な事もなかったけれど、学期終わりと考えると何だか疲れが湧いてくる。…いや、疲れがってより、大変だったなぁって思いがだけど。

 それはともかく、荷物を纏めて、持ち帰り忘れた物がないか確認して、クラスを出る俺。今日は生徒会があったものの、仕事は年明けの始業式に行う諸々の確認だけで、三十分とかからず終了。終わった終わった〜、とか思いながら生徒会室を出て靴箱に向かうと、そこにいたのは綾袮さん。

 

「あれ?まだ帰ってなかったの?」

「ふふん、顕人君を待っててあげたんだよ?」

「え、そうなの…?…それはその、ありがと…」

「まあ、本当は友達と話してたら、結構長くなっちゃっただけなんだけどね」

「おい……」

 

 軽い調子で綾袮さんが投げ込んできたのは、上げといて即落とすという、しかも一度は感謝を感じさせるという、何ともタチの悪い冗談。午前中からなんちゅう冗談をぶち込んでくるんだ綾袮さんは……いや午後でも酷いものは酷いが…。

 

「あはは、ごめんごめん。でも顕人君、実はこれは照れ隠しで、ほんとは本当に顕人君を待っていたのかもしれないよ?」

「いや、自己弁護にしか聞こえないんだけど…」

「えー、でもこのわたしだよ?」

「このわたしだから何なのさ…今日の夕飯のメイン、綾袮さんの分はちょっと少なめにしようかな…」

「えぇ!?ちょっ、それは酷いよ顕人君!女の子だって、晩ご飯は楽しみなんだよ!?」

「そう思うなら、夜までに俺の機嫌を取る事だね」

「むむぅ…まさかこんな返しをされるなんて……」

 

 ちょっぴりしょげる綾袮さんを尻目に、上履きから靴へと履き替えて外に。…うん、ちょっとすっきりした。

 

「…顕人君、銀のキョロちゃん欲しい?」

「機嫌取り早っ!しかも銀のキョロちゃんって…よ、よく当たったね……」

「ふふん、後一枚なんだ〜。……ほ、欲しい…?」

「い、いいよ…後一枚なら大事に取っておきなよ……」

 

 (当然だけど)後を追ってきた綾袮さんとそんな会話をしながら、俺達は学校を後にする。…ちょっと早いけど、もうすぐ年末なんだよなぁ…。

 

「…あ…そういえばさ顕人君、話変わるけど…顕人君って、高校出たらどうする気なの?やっぱり高校を強くてニューゲームする?」

「高校にそんな制度あるか…まぁ、普通に進学かな。どこに行くかはまだ決めてないけど」

 

 隣を歩く綾袮さんからの、中々珍しいタイプの質問。一緒に出されたボケに突っ込みつつ俺は少しだけ考え、特に着飾る事もなくそのまま答える。言ってしまえば、それは『何となく』の考えでしかないが…今の時代、普通科でそれなりの学力がある学生なら、大体の人は取り敢えず進学を考えるんじゃないだろうか。

 

「そっかぁ、やっぱり普通はそうだよね」

「綾袮さんは違うの?」

「わたしも進学だよ。って言っても推薦を受ける事になってて、ちゃんと面接とかはするけど合格ももう内定してるようなものだけどさ」

「え、何その超羨ましい状態……でも、大学は行くのね」

「うん。でも、ほんと行くだけ、その大学を卒業したって形を得るだけの進学だけどね。どっちにしろわたしの人生は、最初っから決まってる訳だし」

 

 そう、あっけらかんと言う綾袮さん。本人は、本当になんて事ないと思っているんだろうけど……一瞬俺は、言葉を失ってしまった。

 高三になる前に大学の合格がほぼ決まってるなんて、高校生にとっては羨ましくない訳がない。けれど綾袮さんは、大学どころかその後も…いや、これまでの人生すら、大枠がほぼ決まっているようなもの。俗に言う、レールの上を歩いていくのが綾袮さんの人生。それは、前から知っている事ではあるけど…それが幸せか不幸せかは、綾袮さん本人が決める事だけど…やっぱりそれは特殊な訳で、だから俺は一瞬なんて返せばいいのか分からなかった。

 

「…それは……」

「…それは?うん?それはって何?」

「あ、いや…その……」

 

 思わず口を衝いて出かけたのは、その人生は楽しいの?…という質問。余計なお世話にも程がある、訊いてどうすんだって問い。それを思わず言いかけて、引っ込めて…でも、上手く話を切り替えられなかった。…どうしても、気になってしまったから。

 そんな俺の口籠った表情を見て、ふっと真面目な顔をする綾袮さん。そして綾袮さんは、前を見たまま静かに言う。

 

「…大丈夫だよ、顕人君。わたしの人生はわたしが選んだものじゃないし、選ぶ事も出来ないけど…すっごく、充実してるって思ってるから。色んな人に出会えて、色んな…普通の人なら経験出来ないんだろうなぁって事も沢山やれて、その上で今はこうして普通に学校に通ったりも出来てる、そんなわたしの人生を良いものだって思えてるから」

「……そっか」

「…勿論、君も…顕人君も、その中の一つだからね」

「…そう思ってくれてるなら、俺も嬉しいよ」

 

 穏やかな、でもだからこそ感情の伝わってくる、それが本心だって信じられる綾袮さんの言葉。それに、綾袮さんの言葉には暖かさもあって……何様だって話だけど、安心した。綾袮さんが、自分の人生を楽しいものだって思えているんだと分かったから。

 それに、綾袮さんは言ってくれた。俺も、その中の一つだって。俺との出会いも、俺とやってきた事も、良いと思ってくれてたんだって。だから俺も自然と微笑み、感じた思いを素直に伝えて……

 

(…え、ちょっ…待って何これ!?段々恥ずかしくなってきたんですけど!?)

 

 数秒後、俺は上向きの曲線を描くように湧き上がった恥ずかしさから、綾袮さんの方を見られなくなっていた。いや、ちょっ…恥ずい恥ずい!綾袮さんは何気なく言ったんだろうけど、君と出会えた事も良かったと思ってる(意訳)とか、言われる側は滅茶苦茶照れ臭くなるんですけど!?しかも、俺も俺でまあまあ恥ずい返答してるし…ッ!

 

「…………」

「…………」

 

 羞恥心で完全に俺が言葉を出せなくなっていると、何を思ったか綾袮さんも沈黙。まだ振り向けないながら、目だけをちらりと動かして綾袮さんの方を見ると、綾袮さんもやっぱさっきの発言は恥ずかしかったのか、それとも言ったから恥ずかしいと気付いたのか、いつの間にやら赤面していて……なんかもう、どうにもならない状態だった。両方恥ずかしくなって言葉を失ってるんじゃ、どうにもならないしどうしようもなかった。

 

「…あ…え、えとさ……」

「う、うん……」

「…今日の夕飯、何がいい……?」

 

 そうして何とか絞り出したのは、これでもかって位当たり障りのない問い掛け。それに綾袮さんは、まだ若干声に動揺を残しつつも(いや俺もだけど)食べたい物を言ってくれて……本日の夕飯は、スープカレーに決まるのだった。そして綾袮さんは、減らされる事なく無事に夕飯を食べられるのだった。

 

 

 

 

 今日の昼食は、昨日の残り物を使ったあり合わせ料理。午前で終了という事で、その昼飯を家の中で食べていた時…不意に緋奈がある事を提案した。

 

「あのさ、お兄ちゃん、妃乃さん。クリスマス、ちょっとしたパーティーをするのはどうかな?」

 

 緋奈の急な提案に、箸を持つ手が止まる俺。驚いた…って訳じゃないが、その提案は予想外。

 

「パーティー?…そりゃ、やるのは構わないが…どうしたんだよ、急に」

「いやほら、お兄ちゃんってクリスマスパーティーした事ないでしょ?」

「そりゃまぁ…ないが……」

 

 こちらを見て話す緋奈に、俺は首肯。確かに俺はそんな経験した事ないし、なんなら誘われた事だってない。一度か二度は、うちで緋奈が友達とやってた事もあるが、そこに混ざった事もない。…んまぁ、これは当たり前だが。

 

「だからだよ、お兄ちゃん。流石に二人じゃ味気ないけど、今は妃乃さんもいるし、依未さんも呼べば人数的にもちょっとしたパーティーは出来ると思わない?」

「…緋奈…いつもありがとな、お兄ちゃんの事を気にかけてくれて…」

「ううん、これ位妹として普通の事だよ」

 

 パーティーをしたいのは、俺の為。俺にクリスマスパーティーを経験させてあげたいから。…そんな優しい心に触れた俺は思わず右手の箸を置き、その手で緋奈の頭を撫でる。反対側からは、妃乃の「また始まった…」とでも言いたげな視線が向けられているが、そんな事はどうでもいい。

 

「…けど、具体的には何するんだ?てか、妃乃はいいのか?」

「私も構わないわよ。その話だと、私も参加しなきゃ成り立たないでしょ?」

「いや、まぁ…じゃあ後で依未にも連絡しておくか…」

「お願いね、お兄ちゃん。何をするかは…うーん、まぁ…ゲームしたり、料理食べたり、他愛なく駄弁ったり…とか?」

「……それ、普通の休日と変わらなくね?」

「それは、まぁ…ただ羅列するだけだと確かにそんな感じになっちゃうけど……」

 

 という訳で、早々にパーティーをする事が決定。つい緋奈の言ってしまった事に突っ込みを入れてしまい、緋奈も軽く言葉に詰まっていたが…緋奈が今言った通り、要素だけを羅列すりゃそうなるわな。協会でのパーティーだって、要は立ちながら料理食って話をしてただけだしよ。

 

「悪い、パーティーってのはやる事より雰囲気とかの方が大事なんだよな」

「あ、うんそう!どんなに準備をしっかりしても、当日皆の気分が沈んでたら良いパーティーにはならないからね」

「じゃあ、今の内に決められる事は決めておきましょ。日…はまぁ当然24日として、料理はどうする?作るか買うか……」

「…妃乃、内容より気持ちが大事だって言った直後にそれを言うか……」

「うっ…いいでしょ別に、気持ちの話はそれ以上発展しないでしょうし……」

「まぁ、そりゃそうだが…。…全部買うんじゃ味気ないからな、何品かは作ろうぜ」

 

 昼食を食べ進めつつ、どんな料理を用意するか、いつから始めるかなんかを話し合っていく俺達三人。パーティーつっても所詮はお遊びの延長線だし、きっちりしなきゃいけない訳でもないんだが…そういう細かい部分も、きっちりしておきたいのが妃乃の性分だって事は知ってるし、緋奈のやる気も分かってる。だから例え、そこまでする必要はなかったとしても…水を差すような事はしないさ。…俺だって、それなりに楽しみだしな。

 

「…っと、そうだ悠耶。依未ちゃんへの連絡は早めにした方がいいわよ。理由は言わなくても分かるでしょ?」

「あー、そうだな。じゃ、早速訊いてみるか」

 

 丁度完食した俺は食器を水に浸けて、それから携帯を持って一度廊下へ。来られるかどうかの確認だけならメッセージを送るだけでも十分出来るが…早く答えを得られるに越した事はないって事で、依未の携帯へと電話をかける。

 

「出るかなー…っと、出た。よう、依未」

「…どうかしたの?」

「うん?今日は開口一番の悪態や嫌そうな声はないのか」

「…何それ、期待してた訳?」

「いや、上手い事返して悔しがらせられたらいいなぁと思ってた」

「あ、そ。なら残念だったわねー」

 

 依未が出てから数秒後、思ってた通りの事を言ってやると、嫌味たっぷりの声が返ってくる。うむ、今日も依未は元気だな。

 

「まぁ、そんな事はどうでもいいんだ。唐突だが、今月の24日って空いてるか?」

「…何で?」

「いや、空いてるならうちに来てほしいと思ってな。あ、勿論迎えには行くぞ?」

「え……うちって…24日に…?」

 

 恒例の煽り合いを早々に切り上げ、本題へと入る俺。すると場所を聞いたところで、依未が驚いたような声を上げる。

 

「そうだが…もしかして、何か先約があったか?」

「い、いやそれは無いけど…24日って、クリスマスイブよ…?その日に、あんたのうちに…?」

「クリスマスイブだからこそだよ」

「…………」

「…依未?」

「ああぁうんそうよねクリスマスイブだからこそよねっ!…って、あたしは何を言ってる訳!?はぁ!?はぁぁっ!?」

「え、ちょっ…依未さん……?」

 

 何やら様子のおかしい依未は、妙に訊き返してきたかと思えば黙り込み、更にその直後自分に対して軽く絶叫。……何これ怖いんですけど…!?電話越しで声しか分からねぇから一層怖い…!よ、依未の中で今何が起こってる訳…!?

 

「……っ…ごめん、ちょっと取り乱したわ…」

「お、おぅ……」

「…確認、なんだけど…24日に、あんたの家なのね…?間違いないわね…?」

「間違いない。で、どうだ?来れそうか?」

「……う、うん…」

 

 さっきのテンパり(?)で一気に体力を使ってしまったのか、しおらしい声で同意の言葉を口にする依未。マジでさっきのはなんだったんだって感じだが…まぁ、来られそうなら取り敢えずは安心だな。

 

「なら良かった。んじゃこれからまた何か決まったら連絡するから、電話なりメッセージなりはちゃんと確認してくれよ?」

「え、えぇ…。…その、た…楽しみにしてる、から…!あたしも一杯、準備するから…!」

「あぁ、期待してるぜ?」

「〜〜〜〜っ!」

 

 聞こえてくるのは息を飲んだような音。何に対して息を飲んだのかはさっぱりながら、その前の声は素直で、本当に楽しみにしてくれてるって事が分かるものだった。

 緋奈が発案のパーティーながら、依未が楽しみにしてくれるならそれは嬉しい。折角来てくれるんだから、楽しませてやろうって気持ちにもなる。さって、そんじゃ約束は出来たし、早速二人に話すとするか。

 

「んじゃ、また今度な。緋奈と妃乃も乗り気だし、24日は良いパーティーにしようぜ」

「…………はっ…?」

「うん?あ、乗り気っつったけど、緋奈は発案者だからこの表現は少し違ったかもな」

「い、いや…そうじゃなくて…緋奈と妃乃様も、って言った…?」

「言ったけど……って、ん?あー…すまん、そういや言ってなかったかもな。24日にうちでクリスマスパーティーやろうと思ってんだよ」

「…………」

「へ、何?また?また無言なの?おーい、依未ー?聞こえてるかー?」

 

 もしかしたら最初に言い忘れていたかもしれん、と思って俺はやる事をはっきりと口に。すると再び依未は黙り込んでしまい、全く反応が返ってこなくなる。そして……

 

「……ち…」

「ち?」

「──千切れろッ!!」

「えぇぇぇぇええええええええッ!?」

 

 言霊というものが実在するなら、本当に何かしらが引き千切れそうな程の怒号が俺の耳へと突き刺さる。更に次の瞬間、間髪入れずに通話は切られ、俺に残ったのは片耳がキーンとしている感覚だけ。

 確かに、言い忘れていたのならそれは俺の落ち度。けれど、だからってここまでブチギレられる事なのだろうか。いやそもそも、何に対して怒ったのだろうか。

 

「…っていうか、千切れろって…何がだよ……」

 

 耳から離した携帯の液晶画面に目をやるが、当然そこに写っているのは通話終了時の表示。なんだか俺は取り残された気分となり……数分間、寒い廊下でぽつーんと立ち尽くすのだった。

 

 

 

 

 因みにその後、依未からは悪態混じりの「紛らわしい事をするな」というメッセージと、でもパーティーは行くというメッセージの二つが送られてきた。なら何をどう思ったんだ、と思わず返信したくなった俺だが……そこを追求するのは何かヤバそうな気がして、謝罪と普通の返信だけをする俺だった。



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第百五十二話 落ち着ける場所

 冬休みと言えど、俺が家でやる事は変わらない。早く起きて朝食を作って、昼には昼食を、夜には夕食を作って、食器洗いや洗濯だって勿論やる。ラフィーネさんが手伝ってくれるから、最近は少し楽になったけど、それでも昼辺りまで寝て〜…なんてのは、今となっては完全に過去の事。けどやっぱり、学校はないし一つ一つの家事ものんびりと出来るから……長期休暇が素敵である事には、変わりない。

 

「んふぅ……」

「はふぅ……」

 

 時刻は正午前。そろそろ昼食を作ろうかね…とリビングに俺が入ると、そこにはこたつに入って心地良さそうにしているフォリンさんとラフィーネさんの姿。…なんかもう、見慣れた光景である。

 

「…ほんとこたつ好きだよね、二人共」

「暖かいですからね〜…」

「一度入ると、中々出られない…」

「はは…まぁ、気持ちは分かる」

 

 少し前、綾袮さんに言われてこたつを出した初日から、二人はこたつを満喫していたけど…今はもう、二人がこたつに入ってない日はないと言っても過言じゃないレベル。確か最初は、こたつそのものへの興味もあって入っていた筈だけど……ほんと凄いよね、こたつの魔力って。

 そんなこたつへ俺も入りたい(…や、疚しい意図はないぞ!?ないからね!?)気持ちはあるけど、それよりまずは昼食の準備。一度入るとほんとに出たくなくなっちゃうから、一度こたつで暖まってから…って訳にもいかない。…と、思っていたら……

 

「よいしょ、っと。…ふー…霊装者も魔人も、これには敵わないっすねぇ……」

 

 共にリビングへと来ていた慧瑠がぽてぽてと歩いていき、何とも自然な感じでこたつの中へと入っていった。…暑さにも寒さにも強いんじゃなかったのかい、慧瑠さんや……。

 

「…まぁ、いいけどさ……」

「……?顕人、何か言った?」

「ううん、独り言」

 

 二人と一緒に(まあ認識されてないけど)ぬくぬくしている慧瑠を半眼で見つつ、俺は一人台所へ。

 別に恨めしい…とかは思ってない。慧瑠は元から料理の手伝いをしてくれる訳じゃないし、仮に手伝ってくれるとしても、二人がいる以上は意思疎通の為に話す事もままならないから。だったら近くにいようとこたつの中にいようと変わりない訳で……それに口には出せないけど、女の子三人がこたつでほっこりしてる姿を眺められるのは、正直悪い気分じゃない。

 

(さて、ちゃっちゃと作っちゃうか)

 

 という訳で、俺は手を洗って調理開始。暫くしたところでラフィーネさんが手伝いに来てくれて、そこから二人で昼食作り。そうしてもうすぐ出来上がるというところで、出掛けていた綾袮さんが帰ってきて……今日は食卓ではなく、こたつを囲んで昼食を食べるのだった。

 

 

 

 

「ねぇねぇ、うちもクリスマスに何かやろうよ!」

『え?』

 

 食後、いきなり綾袮さんはそんな事を言い出した。前置きも、一切の脈絡もなく、全員揃って訊き返してしまう程突然に。

 

「いや『え?』じゃなくてね、わたしはクリパがやりたいの!」

「何その焼肉が食べたいな言い方…色々気になるけど、取り敢えず一番疑問に思った事訊いてもいい?」

「ならば答えてしんぜよう」

「それはどーも…うち『も』、ってどういう事?どっかでクリスマスに何かやるって話でも聞いたの?」

「うん。妃乃がね、悠耶君の家でちょっとしたパーティーやるんだって」

 

 やりたいオーラが溢れ出している綾袮さん。一先ず一番気になった部分を訊いてみると、案の定人から影響された様子。…子供か……。

 

「パーティーねぇ…協会の方じゃ用事は何もないの?」

「ないよ?本分は戦闘の組織が、わざわざクリスマスだからって事で何かすると思う?」

「あ、そりゃそうか…でもパーティーったって、具体的には何をやりたい訳?」

「んっと…楽しい事と、盛り上がる事かなっ!」

「OK、具体的な部分は何も考えてないのね……」

 

 これまた案の定というかなんというか、綾袮さんは衝動だけでやりたいと言っている様子。まぁ、パーティーってのは盛り上がる事を目的にしてる面あるし、そういう意味じゃ回答として間違っていなくもないけど……。

 

「ねー、やろうよー。顕人君はやりたくない?」

「いや…やるのはいいよ?いいけど…それ絶対、面倒な事は全部俺がやる事になるよね?」

「いやいや、わたしもちゃんとやるって。ね?だからやろ?」

「…ほんとにやる?嘘だったら俺怒るよ?」

「うん、ほんとにやる」

 

 信用してない訳じゃないけど、地味な準備や片付けを綾袮さんがしたがらない事を俺はよーく知っている。だから念を押すようにじっと綾袮さんを見つめて訊くと、綾袮さんも俺の目を見てこくりと首肯。その目には、かなり真剣な意思が籠っていて……

 

「…なら、約束だよ?楽しい事だけじゃなくて、面倒な事もちゃんとやるって」

「勿論!じゃあ、顕人君はOKなんだね?」

「そうだよ。…俺だって、パーティーに興味ない訳じゃないし、さ」

 

 何だかちょっと素直じゃない人みたいな答え方になってしまったけど、とにかくこれが俺の本心。それを聞いた綾袮さんはぱっと表情を明るくさせて、そのまま今度は視線をロサイアーズ姉妹へ。

 

「二人はどう?きっと楽しいよ?」

「楽しいなら、やりたい」

「私も構いませんよ。私達は恐らくその日も予定ないですし」

「なら決まりだね!よーし、それじゃあ早速パーティー会議だよ!」

 

 俺の時とは打って変わって、二人は殆ど即決で了承。全会一致での賛成となって、綾袮さんも上機嫌。……因みにこの時、「自分はそこで何をしましょうかねぇ…」なんて声が上がったりもしたけど、まあそれはどうでもいい。

 

「えー、酷いっすよせんぱーい。魔人はパーティーなんてるなと?」

「いやだって突っ込み待ちなの目に見えてたし…」

「でも分かってても突っ込むのが先輩でしょう?」

「俺だって時にはスルーするっての…後止めて、誤魔化すのも大変なんだからスルーさせて……」

 

 残念ながら慧瑠はスルーさせてくれず、俺は変に思われないよう飲み物を取りに行きながら慧瑠へと反応。小声で返したから、三人には聞こえてないと思うけど…次はちゃんとスルーしよう、うん……。

 

「パーティーといえば、やっぱりパーティーゲームだよね!」

「そんな事ない。パーティーといえば、豪華な食事」

「食事かぁ…七面鳥とか?」

「うん。七面鳥」

「七面鳥…あれは美味しいよねぇ…」

「…買えと?」

 

 わざとらしく言ってくる綾袮さんに半眼で訊いてみると、じーっとした二人の視線が返ってくる。…えぇー…何故に無言の圧力……?

 

「あー、はいはい分かったよ。他には何食べたい?」

「ケーキ!」

「グラタン」

「ケーキにグラタンね。ラフィーネさんは?」

「私ですか?私は…その、出来ればどっちも作ってみたいです。…出来ますか…?」

 

 食べたい物を即答してくる二人とは裏腹に、少し考えた後伺いを立てるようにおずおずと訊いてくるフォリンさん。自由奔放な二人とは違って良識的で、俺の都合や負担を考えつつも、普通の女の子らしい思いを抱く彼女の存在は、ほんと俺にとって支えというか心の安堵。時にはラフィーネさんと共謀してからかってくるけど…なんかもう、こういう気遣いをしてくれると許せてしまう。

 

「そうだね…上手く出来るかは不安だけど、やってみようか」

「はい…っ!」

「むー…顕人君、なんかわたし達の時と反応ちがーう」

「そりゃ回答も日頃の行いも違うからね」

「顕人、贔屓は良くない。…でも、フォリンに優しくするのは良い」

「あ、うん…(つまりどっち…?いや、どっちも本心なんだろうけど……)」

 

 七面鳥にグラタン、それにケーキと何品か出たところで一先ず食事の話は終了。他をどうするかは…まあおいおい決めるとして……っと、そうだ。

 

「一つ訊いておきたいんだけど、クリスマスに何かあったらその場合はどうする?まさか魔物もクリスマスは休業…なんて事はないよね?」

「その時はその時だよ。というかそういう事言うと実際に起きちゃったりするから言うのはだーめ」

「えー……まぁ口は災いの元って言うし、ない事もないか……」

 

 綾袮さんの返しに納得した…って訳じゃないけど、根拠のない「もしも」を言い出したらきりがない。そう自分の中で結論付けて、その後も暫く俺達は会議続行。家の中でやる事だから、半分は雑談だけど…それでも大まかな事は決定し、当日の事が段々と想像出来るようになった辺りで会議は決着。外部からお客を呼ぶ訳じゃないし、何から何まできっちり決める必要はないよね…って感じでお開きとなった。

 

「それじゃ、皆準備はしっかりやろーね!」

「綾袮さんも、言ったからにはちゃんとやってね?」

「分かってるって。フォリン…は大丈夫だろうから…ラフィーネもサボっちゃ駄目だよ?」

「大丈夫。わたしも、やる時はやる」

 

 若干の不安はあるものの、綾袮さんもラフィーネさんも準備に対してはかなりやる気。それがちゃんと、いざ準備するという時、そして終わってからの片付けでも発揮される事を祈りつつ、俺は誤魔化しの為に持ってきたお茶をぐっと喉へと流すのだった。

 

 

 

 

 それから数時間後。うっかり部屋でうたた寝してしまった俺は、壁を背にベットに座ってあるものを調べていた。

 

「ふぁぁ…へぇ、結構種類あるんだなぁ……」

 

 調べ物と言っても別に課題じゃないし、何かに纏める訳でもないから、片手持ちのスマホでのんびりと検索。面白い…というか「お、これはいいな」と思える物も幾つが見つけられたから、それの名前だけメモのアプリに書き入れようとして…そこで、部屋の扉がノックされる。

 

「はいはい、空いてますよー…っとラフィーネさん?」

「うん、ラフィーネ」

 

 ベットから立って扉を開けると、廊下にいたのはラフィーネさん。…今名前を呼んだのは、どうしたの?…って意味だったんだけど…まぁ、ラフィーネさんらしいしいいか。

 

「ラフィーネさん、何か用事?」

「暇だったから来た」

「あ、そ、そう…なら、入る…?」

「入る。廊下寒い…」

 

 暇潰し感覚で来たらしいラフィーネさんは、俺の言葉を受けてすぐに部屋内へ。…わー、俺今女の子を部屋に連れ込んじゃったナ-。

 

「…顕人は、何してたの?」

「俺?俺はグラタンのレシピを調べてたとこだよ」

「グラタンの?」

「うん。どんなグラタンがあるかも気になったしね」

 

 そう言って俺が見せるのは、某有名なレシピサイト。流石に大手なだけあってグラタンのレシピも豊富で、簡単に作れる物から中々凝った物まで盛り沢山。まぁ勿論、俺が作れそうなのは比較的簡単なやつだけだろうけども。

 

「…どれも美味しそう…」

「だよね。ラフィーネさんは、この中じゃどのグラタンがいい?」

「んと…これ」

 

 数十秒程画面とにらめっこしていたラフィーネさんが指差したのは、具材たっぷりのシーフードグラタン。実はその上にチキングラタンっていうのがあって、それを選ばれたら七面鳥と鳥被りをするところだったけど…一先ずセーフ。

 

「シーフードグラタンね。レシピ…は、そこまで複雑でもないし、それならこれを第一候補にしておこうかな」

「顕人は、これでいいの?」

「俺は別に、何としてもこれが食べたい…ってものがあった訳じゃないからね。それに、元々グラタンが食べたいって言ったのはラフィーネさんでしょ?」

 

 食材や分量を確認しつつ(どうせ食材買いに行く時また見るだろうけど)答えると、ラフィーネさんは何も言わずにこくんと首肯。そして「何をしてたの?」から発展した話は終わり…代わりに沈黙が訪れてしまう。

 

「…………」

「…………」

 

 何となくの気不味さに俺が若干目を逸らすと、ラフィーネさんは眉一つ動かさずにぽふりと俺のベットへ座り、じっと俺を見つめてくる。じーっと見てる訳じゃなく、ぼんやり見てる訳でもなく、どこまでも普通にただ見てくる。

 

(これはあれだ。言いたい事があるとか、何かを待ってるとかじゃない。マジでただ、これといった目的も無しに俺を見てるんだ……)

 

 慣れというのは凄いもので、もう俺は表情どころか瞳ですらラフィーネさんの気持ちが分かってしまう。……まぁ、分からない事も多いけど。今回だって、別に感情が読めてる訳じゃないけど。

…ともかく、何か意図あっての視線じゃないって事は何となく分かった。つまり、「どうかしたの?」と訊いても大方「別に」と返ってくるだけで……はは、これはもう俺が話のネタを探すしかないな…。

 

「……あ、そうだ…」

「……?」

「ラフィーネさんさ、もうここでの生活は慣れた?」

 

 何かないかと考えていた俺の頭に浮かんだのは、そんな質問。これは勿論、話題を探す中で思い浮かんだ事だけど…同時に俺にとっては、至極真剣な質問。

 

「…慣れた。けど普通」

「普通?」

「環境に慣れるのは、わたしやフォリンにとって当然の事。これまで、色んな国の、色んな場所へ行ってきたし…環境程度で躓いていたら、わたし達のしていた事は成り立たない」

「…そ、っか……ごめん、野暮な事聞いちゃったね…」

 

 この家が、この環境が、ラフィーネさんやフォリンさんにとって住み良い場所かどうか。これからもきっと暮らす事になるここへ、慣れる事が出来たかどうか。…そんな思いで訊いた俺へ返ってきたのは、感情の籠らない淡白な言葉。とても楽しい気持ちを抱いてるなんて思えない、沈むばかりだった過去の話。

 多分ラフィーネさんは、こんな事を話させて…なんて思ってない。無意識の部分までは分からないけど、意識の上じゃただ事実を言っただけ…そう思ってるんじゃないかと思う。

 だけど俺がしたかったのはそんな話じゃない。決別した過去を掘り起こす話なんて、俺もラフィーネさんも何一つ楽しくない。だからもう俺はこの話を終いにしようとして……

 

「…でも、ここは…ここでの生活は、落ち着く。BORGの、ずっと暮らしてた部屋より……ずっと」

 

 だけどラフィーネさんは言ってくれた。ここでの生活は、自分にとっていいものだって。落ち着くんだって。…その顔に、頬に、ほんの少し柔らかな表情を浮かべながら。

 

「…なら、良かった」

「…うん」

 

 嬉しいし、安心したし、温かい気持ちになる。素直で良くも悪くも正直なラフィーネさんだからこそ、その言葉に嘘偽りはきっとない。心からそう思ってくれてるんだって、信じられる。

 抱いた気持ちは沢山。だけど、今は多くを語る時じゃないような気がして、俺は静かにラフィーネさんの隣へ座る。ラフィーネさんも、俺の答えに小さく一つ頷いて……再び部屋に訪れる静寂。

 

(…落ち着く場所…気が休まるって、ここなら心を張り詰めてなくてもいいんだって…そう、思ってくれてるのなら…あぁ、そうだ。…幸せだ)

 

 俺はラフィーネさんとフォリンさんに、普通に暮らして、普通に笑顔になれる…そんな未来へ歩んでほしいと思った。傲慢だけど、まだ俺には足りないものが多いけど……それでもその思いは、その未来へは一歩ずつ進んでいる。…それが俺には嬉しくて、幸せだった。良かったって、心から思えた。

 

「…顕人。あの時言ったのは、あの時だけの言葉じゃない」

「……へ?」

 

 それから十数秒後、不意にラフィーネさんが発した言葉。けど…正直言って、何を言っているのかよく分からない。

 

「…覚えてないの?」

「お、覚えてないっていうか…いきなり『あの時』って言われても、どの時か分からない……」

「…それは、確かに。ごめんなさい」

「う、ううん、それは別にいいけど…いつなの?」

「顕人が、魔人を連れて行こうとしていた時」

「……!」

 

 説明不足を理解してくれたラフィーネさんに訊き返し、その答えが明らかになった時、俺は一瞬どきりとした。

 でもそれは、慧瑠と直接関係する事じゃない。ラフィーネさんが言いたいのは……

 

「…俺の、願いの為に……」

「そう。…あれは、わたしとフォリン、二人の思い。わたし達の、大切な気持ち。だって顕人は、わたし達の…諦めて、考えないようにしていた事を、叶えてくれたから」

 

 俺の方を向いて、澄んだ目で俺を見つめるラフィーネさん。真剣で、純粋で……混じり気のない、真っ直ぐな眼差し。それが俺を見ている。俺だけを、見つめている。

 

「だから、次何かあったら…その時は、わたし達に声をかけて。説明なんて必要ない。迷う必要もない。一言言ってくれれば……それだけで、わたし達は力になるから。どんな事でも、何回でも」

「…ありがとう。なら、次は…ううん、次も二人を頼りにするよ。けどそれなら、俺だってまた力になる。…いいよね?それで」

「…ん。でも、いいの?」

「いいの」

 

 発されたラフィーネさんの言葉からは、危うさも感じる。…いや、実際危ういんだ。多分ラフィーネさんとフォリンさんは、俺が頼めば本当に何でもしてしまうから。慧瑠を連れて逃げようとした時は、俺の為に事実上の命令違反をしていた訳だし……俺はまだ覚えている。フォリンさんがラフィーネさんの為とはいえ、俺に夜這いをかけてきたあの日の事や、俺の物になると本気で言ってきたあの夜の事を。あれを思い出すと、今も顔が熱くなる…というのはともかくとして、あんな事をやってのけるのが、ラフィーネさんとフォリンさん。だからこそ俺は、二人の事を頼りにしたいし……俺もこれからも、二人の力になりたい。二人の気持ちは嬉しいけど、俺は尽くす尽くされるの関係にはなりたくないから。

 

「…………」

「…………」

 

 三度目の沈黙。でも何故か、今はもう気不味さを感じながった。何というか、このまま何もせず、ラフィーネさんと二人でいるのも悪くないような気がしてきて……そんな中、ぽふりと俺の肩に心地の良い重さがかかる。

 

「…ラフィーネさん?」

「…駄目?」

「…仕方ないなぁ」

「嬉しくない?」

「……まぁ、男としては…嬉しい、けど…」

「なら、問題ない」

 

 寄り添うように、俺の肩は頭を乗せてきたラフィーネさん。そちらを見てみれば、変わらず純粋な目で嬉しくないのか、なんて訊いてくる。そしてそれに、誤魔化す事なく答えてみれば、ラフィーネさんは少し悪戯っぽく笑みを浮かべて……全く、なんで問題あるかどうかをラフィーネさんが判断するのさ…。

 

「……♪」

(…けどまぁ、いっか)

 

 天然だし、言葉足らずな事もあるし、綾袮さんと同じく子供っぽい一面があるし、でもこうして時々『男としての俺』をからかってくる。全くもって、ラフィーネさんは自由奔放だ。力になると言いつつ、俺を振り回しまくるのは一体どういう事なのか。

 でも、それでいい。それがいい。そういう自由奔放で、考えてる事が分からない事も多くて…けど妹の事を深く愛しているのが、ラフィーネさんなんだから。そういうラフィーネさんの事を、俺は大切に思ってるんだから。

 

「……反撃、させてもらうよ」

 

 そう呟いて、俺は逆の手で軽くラフィーネさんの頭を撫でる。聞こえていないのか、聞こえた上での無言なのかは分からないけど、俺の手を嫌がる素振りはない。だから俺は触れて、撫でて、ラフィーネさんの柔らかな髪の感覚を掌でゆっくりと感じた。

 それから数十分位しただろうか。気付けばラフィーネさんは寝息を立てていて、肩にかかる重みもいつの間にか増していた。けれど俺は雰囲気に当てられたのか、それすら俺には心地良くて……

 

(…ラフィーネさん。ここでの生活だけじゃなくて…俺の側が、こうして俺と居る事も心の安らぎに繋がっているのなら……俺は、凄く嬉しいよ)

 

 再び俺は、ラフィーネさんの頭を撫でるのだった。この可愛らしい女の子が、ここまで俺に気を許してくれている事に、確かな幸せを感じながら。

 

 

 

 

 

 

……ただまぁその後、「あれ?これって…ラフィーネさんが起きるまで、俺動けねぇじゃん…」と気付き、段々手持ち無沙汰になってしまったんだけど…それは、秘密って事で。



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第百五十三話 パーティー、その目前に

 どうせやるなら、楽しめる方がいい。折角やるんだから、最低限の事だけじゃ物足りない。ただ遊んで、いつもより豪華な食事をするだけじゃ、楽しくはあっても味気ない。だって、やろうとしているのはパーティーなんだから。

 計画して、準備を始めた俺は、そんな事を思うようになった。俺一人で準備をやるなんてとか、片付けどうこうとか言いはしたけど、いざやるとなると華やかなものにしたいと思い始めた。要は、クリスマスパーティーで得られる楽しさに期待していて、わくわくしてるって事なんだけど……多分これは、ごく普通の事だと俺は思う。

 

「ま、取り敢えず輪飾りは定番だよな。それと風船と、旗…あぁこれガーランドフラッグって言うのか。ツリー…は、綾袮さんが用意してくれるって言ってたし……ウケ狙いでヒゲメガネも買っておこうかな」

 

 ぶつぶつと小声で独り言を言っている俺が今いるのは、行きつけ…って程よく行く訳じゃないけど、時々お世話になってる百均。そこで何を買っているのかといえば…今言った通り、パーティーグッズとそれに使えそうなアイテム。

 

「はー…我ながら、ノリノリだなぁ俺……」

 

 見るからに楽しみにしている、楽しみにしてなきゃやらないような事をしている自分自身に、思わず苦笑いをしてしまう俺。別に悪い事じゃないとは思うけど、やっぱり男子高校生としては、家での、身内だけでのパーティーの準備を積極的にやってる自分というのは少し恥ずかしい。でもまぁ、だからって止める程俺は子供でもない(と思いたい)んだけど。

 まずは元々考えていた物を買い物カゴに入れて、それからパーティーグッズ売り場をうろうろしながら「あ、これは良さそう」と思った物を手に取る時間を過ごす事十数分。あんまり沢山買っても使わず仕舞いになる物が出てくるだけだし、この辺にしておくか…と思ったところで、俺はある人物を発見した。

 

「ん?千嵜?」

「…この気配…御道だな?」

「いや百均で気配での判別とかしなくていいから…絶対使いどころ間違ってるって……」

 

 どんなに格好良い事でも、やるタイミングと場所を間違えるとふざけてるようにしか見えなくなる。それを体現した(或いはそれを狙ってわざとやった)人物は、やっぱり千嵜。持っているカゴの中は、俺と似たようなラインナップになっていて…ははーん。

 

「千嵜もパーティーの買い出しなのね」

「も?…あぁ、そういう事か。帰りにスーパーも寄ってくつもりだけどな」

 

 案の定同じ目的だった千嵜は、俺の言葉とこっちのカゴで全てを理解した様子。こりゃ多分、誰がパーティーなんて言い出したかも見抜かれてるなぁ…。

 

(…って、うちは面子的に推理するまでもないか)

 

 考えるまでもなかった事に、俺は内心苦笑い。俺は積極的にパーティーを企画するタイプじゃないし、フォリンさんも同様だし、ラフィーネさんは言わずもがな。慧瑠に至ってはそもそも認識されてないんだから、まあ綾袮さん以外ないよね。

 

「けど意外だな。千嵜が買いに来るなんて…」

「さっきも言った通り、スーパーに行くついでだ。何買うかは殆ど緋奈が決めてるしな」

「へぇ。っと、じゃあお先に」

 

 会話しながらレジへと並び、俺が先に会計へ。そこそこの数買ってはいるけど、百均だから当然商品は全て百円。…まぁ、折紙とか風船は他で買ってもそこまで値段変わらないだろうけど。

 

「そういや、冬休みの課「やってない」早ぇって…まだ『か』しか言ってねぇじゃん……」

「御道こそいい加減覚えろよ。俺が課題を毎日コツコツやる訳ないだろうが」

「何を偉そうに言ってんだ…俺が被害被る訳じゃないからいいけど…」

 

 そんな会話をしながら俺達は百均を出て、俺は帰路に、千嵜はスーパーへの道に。と言っても今のところ道は同じだから、男二人で並んで歩いて……って、あれは…。

 

「あ、茅章だ」

「うん?あ、ほんとだ…よう、茅章」

「うぇ?あ、二人共…」

 

 横断歩道を渡る直前、向こう側にいた茅章を発見。俺の言葉で気付いた千嵜が呼ぶと茅章もこっちに気付いて、小走りでこっちに来てくれる。

 

「今日は二人で買い物?」

「偶然だ偶然。茅章ならともかく、休みに野郎と二人で買い物になんか行かねぇよ」

「全くだね。茅章ならともかくとして」

「え、えーっと…この場合、僕はありがとうって返せばいいのかな…?」

 

 うんうんと千嵜の言葉に同意していると、茅章は頬を掻きつつ困り顔に。うーん、ここで最初に出てくる言葉が「ありがとう」な辺り、茅章の優しさは今日も健在だなぁ…。

 

「…そうだ、茅章。うちでクリスマスイブにちょっとしたパーティーやるんだけど、茅章もどう?」

「え?僕?…いいの?」

「いいも何も、茅章なら大歓迎だよ」

 

 ぶっ飛んだ事をする事もなく、気配りも出来る茅章なら、楽しさは増えても面倒事が増えるなんて事はきっとない。そう思って茅章を誘ってみる俺。けれど茅章が答えてくれる前に、何故か千嵜が口を開く。

 

「まあ待て御道。うちって言ってるが、あくまで家主は綾袮だろ?ならその綾袮に何も言わず家でのパーティーに逆呼ぶのはどうなんだ?」

「う、それは……って待った。別の家でのパーティーならともかく、自分の住んでる家ならよくね…?」

「それはどうだろうな。って事で、うちはどうだ茅章。うちは一応俺が家長だから、問題ないぞ」

「おいこらそれが目的か。人の足引っ張りやがって…」

「いやいや俺は後でトラブルになったら大変だと思って言っただけだぞ?それにどうするかは茅章の決めることだしな」

「そりゃまあ、そうだけど……」

 

 微妙に筋は通っている、けど釈然としない千嵜の主張。ただ少なくとも最後の言葉は全くもってその通りだから、俺は視線を茅章の方へ。

 どうするかは茅章次第。うちに来るか、それとも千嵜のところへ行くか。その答えを聞くべく、俺達は茅章を見つめて、茅章も迷うような顔をして、そして……

 

「…その…ごめんね、二人共。クリスマスイブは僕、予定があるんだ…」

 

 そもそも、どっちにするとかの話じゃなかった。それ以前に、予定が空いていなかった。

 

「あ…そ、そっか。こっちこそごめん、先に空いてるかどうかを訊くべきだった……」

「う、ううん気にしないで!それに僕、誘ってくれたのは嬉しかったから!」

「そう言ってくれると助かる…茅章も誰かと何かするのか?」

「うーん…まあ、それも間違ってはいないかな。ライブに行くつもりだから」

「ライブって…あのライブ?」

「どのかは分からないけど、世間一般で言うライブだよ」

 

 少し意外な答えに俺が訊き返すと、茅章はこくんと一つ首肯。ライブか…どのジャンルかは知らないけど、茅章はそういう趣味があったのか…。

 

「…ま、そういう事なら仕方ないな。それじゃ暫くは休みなんだし、別の日に飯でも行こうぜ」

「あ、うん!他の日は大概何もないから、僕はいつでも大丈夫だよ」

「なら、大晦日より前いいだろうね。それ以降は年末年始で開いてる店が少ないだろうし、開いてても混むのは確実だしさ」

 

 それから俺達は近いうちに食事に行く事だけは決定し、家に帰る道中だったらしい茅章と別れる。飯か…そういや、双統殿以外で初めて茅章と会ったのもラーメン屋だったなぁ…。

 

「しっかしライブか…茅章にそういうイメージはなかったなぁ……」

「同感。でもほら、普段の性格や好き嫌いが趣味に直結するとは限らないしね」

「あー…うん、それはマジでそうだよな。後…ほんっと、茅章と話すと和むよな……」

「分かる…凄く分かる……」

 

 話していると楽しい人、もっと色んな話を聞いてみたいと思う人はそこそこいるけど、『和む』という点においては恐らく茅章がトップクラス。そしてこの点は、今後もそうそう抜かれる事はないと思う。

 てな感じで茅章と別れた後も数分話しながら俺達は歩き、それから十字路で千嵜とも別方向へ。さてさて、パーティーに飯か…夏休みも色々あったけど、この調子じゃ冬休みも何だかんだ色々ありそうで…やっぱ、楽しみだな。

 

 

 

 

 戦いは、始まる前から勝敗が決まっているという。まあこれは色々な理由、様々な要素があった上での事だが、その中の一つに『準備』があるのは間違いない。

 本番は、準備の上に成り立つもの。ぶっつけ本番なんて言葉もあるが、基本的に準備はしておくべきで、それをどれだけしっかりやれるかが本番の成果に直結する。そしてそれは、戦い以外でも言える事。準備とは即ち過程であり、過程なくして結果は存在しないのだから。

 なんて、それっぽい事を並べ立ててみたが…要は、家での(ほぼ)身内パーティーだろうと、準備は入念にしておいて損はないってこった。

 

「食材はどれも不足なし、っと。緋奈ー、飾りの方はどうだー?」

「順調に進んでるよー。お兄ちゃん、そっちは一人で大丈夫?」

「だ、大丈夫だ。というか、緋奈がこっち来たら飾りの準備が進まないだろ?」

「まあ、そうだよね。こっちは任せて」

 

 一瞬ひやりとしたが、すぐ緋奈が引いてくれた事で一安心。それと同時に「こりゃのんびりしてたら、先に飾りの方が終わっちまうな…」と、自分のエンジンを入れ直す。

 緋奈に返した通り、今妃乃は家にいない。何でも今日は協会で外せない仕事があるとかで、前日準備は俺と緋奈の二人でやる事に。まあ勿論責任感の強い妃乃なだけあって、代わりに昨日かなり飾りの準備を進めてくれていた訳だが。

 

(…そういや、前日から料理だなんて、久し振りだな……)

 

 引き受けた(というか緋奈には任せられない)料理の作業を始めながら、ふと俺は思い返す。

 家庭料理において、前日から準備を…なんて事は基本しない。そんな当日だけじゃ作れない料理なんて大概は本格的なものだし、本格的な料理を食べたいのなら、無理に作るより店に行った方が美味いし確実。ましてや家の食事は一日三食作るもんなんだから、そもそも一食にそこまでの労力はかけられない。実際今日だって、今日の内に済ませられる行程はやっておこうとしているだけで、何時間も掻き回し続けたり寝かせたりする料理をしている訳じゃないしな。

 

「…あ、そうだ緋奈。今更だが、緋奈は友達に別のパーティーに誘われたりはしなかったのか?」

「え、どうして?」

「いや、もしそれを断らせてたなら悪い事をしたな…と思ってさ」

「なんだ、そんな事気にしないでよお兄ちゃん。そもそもこれは、わたしが提案した事なんだから」

 

 確かにその通り、今回のパーティーの提案者は緋奈で、その緋奈がやむを得ない訳でもない理由で抜けたらなんじゃそりゃって話になる。だがそもそもと言うならば、緋奈が提案したのは俺の為。俺を気遣って提案してくれた訳なんだから、その結果別の事を断らせてしまったのなら、それは本当に申し訳ない。

 なんて、思っていたが…口振り的にも、緋奈が何か残念そうにしている様子はない。…これなら、明日は気兼ねなく楽しめそうだ。

 

「それに、クリスマスイブだよ?少なくとも彼氏がいる子なら、何よりもまず彼氏と過ごすに決まってるじゃん」

「あぁ、それもそうか。…………」

「……お兄ちゃん?」

「な、なぁ…一応、一度訊くが…緋奈には、いないよな…?」

 

 続く緋奈の言葉に納得をした数秒後、とてつもない不安に駆られて恐る恐る訊いてみる俺。…ま、まさか…いや、まさかな…。…けど……

 

「あはは、安心してお兄ちゃん。わたしは、お兄ちゃん一筋だよ」

「だ、だよな…(良かったぁぁぁぁぁぁ…っっ!)」

 

 まるで裁判所で判決を言い渡されるかの如き緊張感と(いや俺そんな経験した事ないが)、そこから解放される圧倒的な安堵感。…良かった…本当に良かった……。

 

「あ、やべ…安心し過ぎて逆に手が震える……」

「…手が震える?お兄ちゃん、大丈夫?」

「お、おう…大丈夫だぞー、緋奈。ちょっと何かの中毒症状が出ただけだ」

「そっか……ってそれは全然大丈夫じゃないよ!?え、中毒症状!?何の!?」

「…か、かき氷……?」

「この時期にかき氷を中毒症状起こすまで…!?というかそれ、中毒云々じゃなくて単に身体冷えただけじゃない…?」

 

 煩雑な俺の誤魔化しを間に受けた緋奈は、それはもうがっつりと突っ込みをしまくってくれる。何かのと言いつつすぐ具体的な事を言えてたり、そもそもかき氷中毒ってなんだよとか、他にも色々突っ込むべきところはある訳だが……まあ多分、緋奈も本当は分かっているんだろう。だって、現にこっちに来る気配はないし。ちょっと覗いてみたら、もう飾りの作業に戻ってるし。

 

(…まあ何にせよ、良かった良かった。緋奈の彼氏なんて…うん、誰であろうと絶対想像したくないしな)

 

 心の中で安心の溜め息を吐きつつ、俺も俺で調理再開。兄として良い事なのか悪い事なのかは分からないが…緋奈が彼氏を作るなんて、本当に嫌だ。これはもう、完璧にエゴだが…これからも緋奈は、俺の側にいてほしい。

 

「……ふっ…」

「…今度はどうしたの?」

「いや、今度は本当に何でもねぇよ」

 

 そう思った数秒後、半ば勝手に漏れ出た笑み。料理中、何もないのにいきなり笑い出したらいよいよヤバい奴だなと表情は戻すが、思考はそのまま続いている。

 去年…春のあの出来事が起こるまで、俺にとって大切な人は緋奈一人だった。少なくとも、側にいる人の中で、何としても守りたいと思っていたのは妹である緋奈だけだった。…けど、今は違う。今の俺は、妃乃や依未だって守りたい。これまで築いてきたものを、絶対に失いたくなんてない。

 その枠にいたのは、両親が死んで以降ずっと緋奈一人だったのに、この一年足らずで二人も増えてしまった。しかもそれが両方同世代の女の子だなんて、全く俺は何を考えているのか。…でも……こうして大切にしたいって思える人が増えた今は、全然嫌じゃないし…悪くない。

 

(…ま、こんな話緋奈達には話せないけどな)

 

 この思いを、正直に話したらどうなるか。妃乃なら間違いなく、「へぇ、無愛想な癖に中々可愛いところもあるじゃない」とか言って煽ってくるだろうし、依未は「……きもっ」と一言で俺の心を抉ってくるだろうし、忘れちゃいけないが緋奈も時々俺の事を弄ってくる(※これは悠耶こと俺の勝手な想像です)。こんな話、普通に話すだけでも恥ずいだろうに、その上で弄られたり煽られたりしたら……流石に引き篭もっちまうだろうな。数時間位。

 

「……よし。こんなもんか」

 

 そんな事も考えながら、料理の準備を進めて数十分後。一先ず前もって出来る事を全て終わらせた俺は、ラップをかけて冷蔵庫へ。これで明日は、多少なりとも楽になるな。

 

「緋奈ー、そっちは…」

「…ふぅ。ご覧の通りだよ」

 

 台所からリビングに戻ると、俺を迎えてくれたのは何本もの輪飾りを始めとする各種飾り。緋奈と妃乃、二人の性格が表れてるのかどれも作りは丁寧で、たった一日…それも家でのパーティー用としては勿体無いなと思う程。

 

「お疲れさん、緋奈。まだ何かあるか?」

「ううん。残りは後数分で出来ると思うし大丈夫だよ」

「なら、俺は茶でも入れてくるよ」

 

 くるりと台所へと戻り、二人分の茶を入れて再度リビングに入る俺。今更だが、緋奈はソファではなくカーペットへぺたんと座っての作業をしていて…その後ろ姿が、とても愛らしい。いや勿論、前から見たって緋奈は愛らしいんだけどな。

 

「ほいよ」

「ありがと、お兄ちゃん。料理の方はばっちり?」

「おう。明日は期待しておけよ?」

 

 湯飲みを置き、自分の分の湯飲みは持ったまま俺はソファへ。緋奈も丁度完成したようで、軽く片付け俺の隣に腰を下ろす。

 

「良い出来じゃないか」

「それはそうだよ。明日は大事なパーティーだもん」

「…ほんと、ありがとな。わざわざ俺の為に…」

 

 楽しむ為とはいえ、準備というのは面倒なもの。それも丁寧にやってるんだから、少なからず苦労もあった筈。そしてそれは、そもそもしなくてもいい事によって発生した苦労な訳で……

 

「…もう。わたし達は兄妹なんだから、余計な気遣いは不要でしょ?」

「……っ…緋奈……」

「…そうでしょ?お兄ちゃん」

 

 顔に出てたのか、それとも声から察したのか、俺の心を見透かしたような事を言う緋奈。はっとして振り向くと、緋奈はこっちをじっと見ていて……ははっ、やっぱ緋奈には敵わないな…。

 

「…そうだな。でもそれを言うなら、先に気を遣ったのはこれを提案してくれた緋奈の方じゃないか?」

「う…それは、その…親しき仲にも礼儀あり、とか…?」

「じゃ、やっぱり気遣いは必要だな」

「うぅ……」

 

 なーんて思いつつも、ふと魔が差して意地悪な事を言ってみると、緋奈は言葉を返せず軽く追い詰められた顔で俺を見つめてくる。…あ、ヤバいな。これは虐めたくなってくる……。

 

「…なんて、な。気持ちはちゃんと伝わってるから、大丈夫だぞ緋奈」

「むぅ…お兄ちゃんの意地悪……」

「んー、俺が意地悪だってか?」

「だって……あぅ…」

 

 実際意地悪な自覚はあったし、緋奈の文句は尤もなんだが、困らせたい欲求のあった俺はそれ以上の言葉を封殺するようにくしゃくしゃと緋奈の頭を撫でる。すると案の定緋奈はまだ何も言えなくなり、可愛らしく声を漏らして素直に頭を撫でられていた。…よし、ここまでにしておこう。じゃないとマジで変なテンションになる。なんか変な事しかねない…!

 

「ご、ごほん。それじゃ、飾りは一度仕舞っておくか。明日までに破けたりしたら悲しいしな」

「あ……そ、そうだね。飾り付けはそこまで時間かからないし…」

 

 という訳で俺は緋奈の頭から手を離し、緋奈と共に飾りを仕舞う。緋奈はそこそこの量の飾りを作ってくれたが、元々飾る予定なのはリビング一部屋だけだったから、その作業もすぐに終了。…これでほんとに、後は明日を迎えるだけだな…。

 

(っとそうだ、一応食器も確認しておくか。あるつもりでいたら無くて、結果料理と全然合わない皿に盛り付ける事に…ってのは虚しいもんな)

「…ね、お兄ちゃん」

 

 リビングから出ようとしたところで俺はその事が思い浮かび、扉に手を掛ける直前でストップ。扉前から台所の方へと方向転換しようとして、そこで後ろからかけられる声。それに何気なく振り向くと、緋奈は言った。

 

「──明日は、忘れられない日にしようね」

「うん?…あぁ、そうだな」

 

 にっこりと、何も迷いがないような笑みでそう言った緋奈。忘れられない日だなんて、やけに大仰な言い方な気もするが…それ位楽しみにしているんだろうと俺は思い、軽く首肯し同意する。

 クリスマスイブ、それにそのパーティーを控えた前日でも、俺と緋奈はいつも通り。俺にとって大切な、普段通りの日常と時間。…そう、俺は思っていた。そう思っていたから、俺は緋奈の中に、緋奈の心の中に潜む思いに、微塵も気付く事が出来なかった。そして全てが済んだ明日の夜、漸く俺は知る事になる。緋奈がパーティーを開こうとした、本当の理由を。その笑みの、その言葉の……本当の、意味を。



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第百五十四話 ドギマギのパーティー

「ハッピークリスマースっ!……あれっ、これなんかおかしいかな?」

 

 ぱんっ、と弾けるパーティー用クラッカーと共に、これまた弾ける元気一杯な綾袮さんの声。…それが、今日の…クリスマス(イブ)パーティーの、始まりの合図だった。

 

「や、まぁ…変な感じはするけど、それは言わない方がグダらなかったんじゃない?」

「え、グダっちゃった?」

「ちょっとね」

「おおぅ…わたしとした事が、なんたるミスを……」

 

 自分から自分の発言に水を差してしまった綾袮さんは、その旨を聞いて軽くしょんぼり。でも今は気分が舞い上がっているからか、すぐさま表情に笑顔が戻る。

 

「…ま、いっか。皆ー、飲んでるかなー?」

「いや飲んでない飲んでない。まだ食事の時間じゃないし、そもそも全員未成年だっての」

「えー、自分は違うっすよー?違うというか、年齢の概念自体がないんですけども」

「そーね。皆、まずはクラッカーのゴミを回収しようか」

「ちょっ、自分への対応雑じゃないっすか?酷いっすよせんぱーい」

 

 綾袮さんのボケに突っ込み、慧瑠の絡みを軽く流して、俺はそれぞれのクラッカーから出た紙を回収。あー、揺らすな揺らすな。というか慧瑠、周りの目を気にして俺が反応躊躇ってるのを分かった上で絡んできてるだろ……。

 

「ただ音を鳴らして紙を散らしてるだけなのに、何故かちょっと楽しいですよねこれ」

「あ、フォリンさんもそう思う?」

「えぇ。…まぁ、もっと無慈悲な破裂音なら、これまで何度も立ててきましたけどね……」

「あ、お、おぅ……フォリンさん、ブラックジョークのつもりならそれはちょっと重過ぎる…」

「で、ですよね…すみません、私も言ってから『あ、これはないな』と思いました……」

 

 何とも気の重くなる発言と、完全に冗談のチョイスを間違えてバツの悪そうな顔をしているフォリンさん。フォリンさんも内心テンションが上がってて、つい普段は言わないような冗談を言いたくなったんだとしたら可愛らしいものだけど、その結果出てきたネタが重過ぎて俺は軽くげんなり状態。で、気分を変えようとラフィーネさんの方を見ると……

 

「…強く引き過ぎた……」

 

 不発状態のクラッカーと、抜けた紐を持ってずーんとしていた。具体的にはどういう失敗で不発になったのか分からないけど、どうやら引き方に問題があった(とラフィーネさんは見ている)らしい。…どんまい、ラフィーネさん……。

 

「え、えーっと…よし!早速だけど、総当たり戦のゲーム勝負といこうじゃないか!」

「あ、そ、そうだね!ふふん、負けないよー!」

 

 各々ミスって下がりかけている(綾袮さんは既に回復してるけど)テンションを何とかすべく、俺は皆に向けて提案。するとすぐに綾袮さんが乗ってくれて、予定通り最初はゲームで勝負する流れに。二人も首肯をしてくれたから、すぐに俺達はゲーム開始。

 

「……!流石フォリンさん…ゲームでも射撃が上手い…!」

「ゲームと言えど、駆け引きは駆け引きですからね…!」

「良い勝負だねぇ。でも……」

「…両方遠くから撃ってるんじゃ、地味……」

 

 まずは某大乱闘ゲームからで、今は俺とフォリンさんが対戦中。むむ、確かに地味と言えば地味…それに、正直この距離じゃ手数もフォリンさんのキャラの方が上…ならば……ッ!

 

「お、果敢ですねぇ先輩。…そうやって時々見せる大胆さ、自分は凄く素敵だと思いますよ」

「うぇっ!?……あっ…」

「貰いましたッ!」

 

 射撃を止め、一気に接近をかけようとした俺。けれどその瞬間、後ろから近付いてきた慧瑠に耳元で囁かれてしまい、思わず俺は操作ミス。そこをフォリンさんに突かれて、一気に俺のキャラは倒されてしまう。

 

「ふぅ。私の勝ちですね、顕人さん」

「フォリン、おめでと」

「ふふ、駄目っすよ〜先輩。戦いの中で、そんな簡単に狼狽えちゃ」

「狼狽えちゃ、じゃねぇ…!こっちは真剣勝負……」

「……?顕人、どうかしたの?」

「うっ…な、何でもないよー、何でも。いやぁ、所詮は敗北かぁ…(くそう…やってくれたな慧瑠…!)」

 

 タチの悪い悪戯に当然俺は文句を言いかけるも、ラフィーネさんに訊かれた事で慌てて軌道修正。誤魔化すしかない俺を、慧瑠は愉快そうに眺めていて…全く、こちとら二重の意味でドキッとしたんだぞこら…!

 

「じゃ、次はわたし達だね。悪いけど、手は抜かないよラフィーネ!」

「それはこっちの台詞。綾袮に負けるつもりはない」

 

 ともかく決着は決着な訳で、次の勝負は今やっていなかった二人。そこからは予定通り総当たり戦(と言っても四人だから一人三戦だけど)を行なっていって、最終的に勝者となったのは……今や完全にゲーマーであるラフィーネさん。

 

「これが、わたしの実力」

「ふふっ、流石ですラフィーネ」

「むむぅ、勝てると思ったのになぁ…。…でも、確かに強かったよね、ラフィーネさん」

「だね。ただまぁ強かったというか、一人だけ一切ネタ行動もロマン技もしなかったというか……」

「それは本人の自由なんだから、わたし達がどうこう言う事でもないんじゃない?」

「…ま、そうだよね。おめでとう、ラフィーネさん」

 

 綾袮さんの言う通り、プレイスタイルは個人の自由で、俺の発言も結局のところ単なる負け惜しみ。ならこれ以上言っても自分が悲しくなるだけだよなと俺はラフィーネさんを祝福し、ラフィーネさんもご満悦そうに頬を緩める。

…とまぁ、これだけなら良かったんだけど…何やら綾袮さんもまた、含みありげに笑みを浮かべる。

 

「よぉし、それじゃあ勝ったラフィーネには、顕人君からご褒美だね!」

「え、何それ?俺聞いてないんだけど…」

「それはそうだよ。だってさっき三人で決めた事だもん」

「あぁそっか…いや俺が関わる事を俺抜きで決めないでくれる!?」

 

 さも当然のように勝手な事を言う綾袮さんに、思わず俺はノリ突っ込み。酷くね!?シンプルに酷くね!?

 

「まあまあ落ち着いてよ顕人君。その場ですぐ出来て、負担にもならない事じゃなきゃ駄目って事にはしたからさ」

「うん、それより俺はその話に俺を混ぜるとか、もっと公正公平なルールにしてほしかったんだけど……」

「…顕人は、わたしへのご褒美…嫌?」

「うっ…それはその、嫌…って訳じゃないけど……」

 

 こんな話、多少配慮はされているとしても不服じゃない訳がない。こんな無茶苦茶に乗るもんか!…と突っ撥ねてやりたいところだけど……ラフィーネさんの純朴そうな目で、ほんのりと表情に悲しそうな色を浮かべながら「嫌?」なんて言われてしまったら、そうだと返せる筈がない。そして上手く乗り切る手段を考えようにも、ラフィーネさんはそんな顔でずっと俺を見つめてくる訳で……結局俺は、ご褒美をあげる事を了承してしまった。…くそう…。

 

「…なら、何をすればいいの?」

「んと…じゃあ、撫でて」

「な、撫でる?…撫でるって…頭を…?」

「うん。…他に、どこか撫でたいの?」

「い、いやそういう訳じゃ…こらそこにやにやすんな!邪な事なんか考えてないからね!?」

 

 若干身構えていた俺に対し、ラフィーネさんが言ってきたのは意外な要求。それに俺が戸惑っていると、綾袮さんと慧瑠が「わー、へんたーい」みたいな視線を向けてきて、更に俺は慌てる羽目に。で、軽く慌てた十数秒後……

 

「…えぇと、じゃあ……」

「……ん…♪」

 

 俺は求められた通りに、正面からラフィーネさんを撫でていた。

 決して上手い訳でもないであろう俺の撫でで、気持ち良さそうにするラフィーネさん。皆の視線がある中で、こんな事をするってのも恥ずかしいけど…それ以上に俺の頭を占めるのは、数日前俺の部屋でラフィーネさんを撫でた時の事。あの時と変わらぬ柔らかさがあって、でも今は撫でられているとラフィーネさんが分かっていて、その上でラフィーネさんは嬉しそうで……あぁぁヤベぇ!顔あっつ!ラフィーネさんの顔直視出来ないんですけど…!?

 

「…ふぅ。満足した、ありがと顕人」

「そ、そう…そりゃ良かった……」

「ふふふ、照れてますねぇ顕人さん」

「俺の事はいいから…!そ、それより次いこう次…!」

 

 満足という言葉を聞いて、湧き上がったのは安堵感とちょっぴりの名残惜しさ。そんな俺を茶化すようなフォリンさんに言葉を返し、すぐさま俺は次の準備へ。えぇい、こんな事が何度も続いて堪るか…!次は、俺が勝つ……!

 

「そんな…フォリン、なんで……」

「ごめんなさい、ラフィーネ…たとえラフィーネでも、この勝負を譲る気はなかったんです…。……という事で、一位は私ですね」

『むむぅ……』

 

……とか思ってたらこれだよ!某有名パーティーゲーム(デジタル)をやった結果、勝つどころかそもそも最後のミニゲームの時点で、俺は一位争いから落ちてたよ!早速フラグ回収じゃねぇか!…うぅ……。

 

「フォリン、中盤の引きが凄かったよね…まさかあそこまで立て続けに稼げるなんて……」

「自分でもそれには驚きです。でも綾袮さんこそ、危険な選択をしつつも上手く損は回避していく技術は凄いと思いますよ?」

「ふふん、今回はフォリンに持ってかれちゃったけど、基本わたしって運が良いからね!」

 

 皆はにこやかに健闘を讃え合っているところだけど、俺はそこに混ざらない。…そりゃ、ゲームは楽しかったし、結果にケチを付けるつもりはないよ?…けどほら、俺はあれがあるし……。

 

「ふふ、それでは顕人さん。私にも、ご褒美をくれますか?」

「やっぱりあるのね…はぁ、いいよあげるよ…」

「…顕人、わたしの時よりすぐいいって言った…フォリンばっかり、ズルい」

「えぇ!?い、いや差別してる訳じゃなくてだね、これでフォリンさんは駄目って言った場合、それこそラフィーネさんとフォリンさんとで差別してるって事になっちゃうでしょ…?」

「そっか…うん、それなら納得」

「そりゃ良かった…で、えぇと…フォリンさんは、何がお望みなの…?」

「では…私も、撫でてくれますか?顕人さん」

 

 フォリンさんの勘違いに慌てて弁明し、もう抵抗する事も諦めてフォリンさんへと問い掛けると、返ってきたのはラフィーネさんの時と同じ…だからこそ、その時以上に意外な言葉。…天丼ネタ、って訳じゃ…ない、よね…?

 

「…フォリンさんも…?」

「はい。…駄目、ですか…?」

「そ、そんな事は……いいんだね?撫でるだけで…」

「いいんです、それだけでも」

 

 撫でるなんて、男女間である事を除けば(そこが大きいんだけど)決して難しい要求じゃない。だからそれでいいのかと俺は訊き返したけど、フォリンさんは躊躇う事なくしっかりと頷く。

 はっきりと返されてしまえば、もう俺から言う事はない。さっきも言った通り、ここで断ったらただの差別になっちゃうから。そして、こういうのは時間をかければかける程恥ずかしくなるってのをさっき知ったから、俺は一拍の後手を伸ばし……フォリンさんの、頭を撫でる。

 

「……んっ…」

 

 今年まで至って普通の人生を送ってきた俺に、撫で方のコツなんて知る訳がない。だけど丁寧に、相手の事を考えながらするのが大事だって事くらいは分かってる。だから俺は、丁寧にフォリンさんを撫でる。手を置いて、髪型を崩さないように、でもしっかりとフォリンさんの事を思いながら。

 初めは期待と、ほんの少しの不安が混じったような表情をしていたフォリンさん。でも撫でている内に、少しずつ頬が緩んで、ラフィーネさんとそっくりな反応を浮かべて……気持ち良さそうに、目を閉じる。

 

(…あ…ヤバいな…超可愛い……)

 

 表情はほぼ同じなのに、受ける印象は全然違う。普段から自由奔放な、それこそ子供っぽいラフィーネさんだと、撫でた時の表情もその延長線上にあるんだけど…フォリンさんの場合は真逆。普段は落ち着いてて年相応かそれ以上に大人っぽいからこそ、緩んだ表情のギャップが俺の心に突き刺さる。

 勿論、フォリンさんの方が良いって訳じゃない。二人共甲乙付け難くて、そもそもこんなに可愛らしいものに順位を付ける事自体がおかしく思えて……そうこう考えている内に、そこそこな時間が経っていた。

 

「…はふぅ……ありがとうございました、顕人さん。もういいですよ」

「うぇ…?あ、そ、そっか…」

「個人的にはもう少ししてもらいたいですが…今は、パーティー中ですから」

 

 ふふっと笑って、手を離した俺からフォリンさんは離れる。一瞬、また俺の心を見透かしてからかいの笑みを浮かべているのかと思ったけど…嬉しそうにラフィーネさんと笑い合う姿を見て、そうじゃないと気付いた。…むず痒いな、そこまで喜んでもらえると…。

 

「むー…次行こう次!ふっふん、次はトランプだからね!対面してのゲームなら、今度こそ勝利はわたしが頂くよ!」

「…綾袮さん、トランプ得意だっけ?」

「得意も何も、騙しも心理戦もポーカーフェイスも謀略の範疇だし」

「あー…そういう……」

 

 無自覚に俺が心を緩ませる中、ばっと綾袮さんが取り出すトランプカード。質問に対する返答を聞いて、俺は何とも言えない感情に。

 確かにトランプは、人と人との探り合いが大きいゲーム。普通にやる分にはそこまで意識しないけど、そういう勝負となれば綾袮さんが圧倒的有利なのは考えるまでもない事実。そして実際、ババ抜きや大富豪等各種勝負をしていった結果……

 

「……8」

「ダウト」

「…ぐふっ……」

 

 圧勝だった。ラフィーネさんとフォリンさんはまだ善戦していたけど、俺は幾度となく読まれ、幾度となく騙されてしまっていた。

 

「ふっふっふっ…宣言通りの完全しょーり!」

「分かってはいたけど…綾袮さんつっよ……」

「ですね…まさかこんな形で実力を再認識させられるとは……」

「やっぱり綾袮、侮れない……」

 

 それはもう気分良さそうに綾袮さんが拳を突き上げる一方、俺達はげんなり気味。…いやほら、ラフィーネさんはまだゲームの範囲内でのガチだっただけだけど…綾袮さんは最早、一人だけ戦闘レベルの事やってきたし……。

 

「…というか…ここまで心理戦の実力があるなら、普段から人を騙し放題なんじゃ…?」

「そんな事はないよ。確かに本気になればそこそこは騙せると思うけど、ルールも明確な勝敗もあるゲームと、そういうものが一切ない日常生活とじゃ、難易度が全然違うからね」

 

 若干の恐ろしさも抱きながら呟くと、それを耳にした綾袮さんは軽く肩を竦めて返答。言われてみれば確かに、ルール無用(法律とか倫理とかはあるけど)な日常生活は同列に語らないのかもしれない。…って、なんだこの思考…パーティーとはかけ離れてるじゃん……。

 

「そんなものか……んで、綾袮さんは?綾袮さんは何が望み?」

「え…軽くない?わたしの時だけなんでそんなに雑なの…?」

「いや、もう三度目だし…綾袮さんなら、普段から俺に色々言ってくるし…」

「むむむ…それはその通りだけど、なんかちょっと納得いかないなー…」

 

 今更どうこう言ったって往生際が悪いだけ。そう思ってさっさと話を進めようとすると、どうも綾袮さんは不満そう。…というか、今日は「むー」とか「むむ…」とか多いな綾袮さん…。

 

「うーん…まぁ、そういう事ならごめん。でもちゃんと、負担にならない事ならしっかり叶えるから、綾袮さんの望みを教えて」

「全くもう、最初からそういう感じで言ってくれればいいのに…けどそういう真面目さ、わたしは良いと思うよっ!」

「あ…う、うんありがと。えと、それで……」

「うんうん分かってる、賞賛を込めてわたしにもご褒美あげたいんだよね!それじゃあご褒美として、わたしも撫でて──」

「……えっ?」

 

 雑な態度を謝罪し、改めて訊いた事が良かったのか、ぱっと表情が好転する綾袮さん。好転というか、やや調子に乗り出した感もあるけど…んまぁパーティーだし、今日は少し位寛容になろうかなとそのまま話を聞くスタンスの俺。するとそれがまた良かった様子で、完全に気分の舞い上がった綾袮さんはその勢いのまま……言った。要望らしい、けれど全くもって想像していなかった言葉を。

 

「…今、撫でてって言った…?」

「あっ…や、ぇ…ぁ…そ、その……」

 

 ラフィーネさんは分かる。フォリンさんも、まあ色々あったからあり得ないって程じゃなかった。でも綾袮さんが「撫でて」なんて、まず聞き間違いを疑うようなレベルの事。だから戸惑いながら訊き返すと…綾袮さんは途端に顔が赤くなり、一気に喋りもしどろもどろに。

 

「…綾袮さん……?」

「……っ!…それは……そ、そう!流れだよ流れっ!」

「…流れ?」

「ほ、ほら、ラフィーネとフォリンで同じお願いだったでしょ?となればここは、わたしも同じ事を言うのが芸人…じゃなくて霊装者ってものだよ!」

「あ、あー……いや霊装者は関係ないでしょ!そして何故芸人と言い間違えを!?」

「い、いやー…突っ込みを狙って、的な?」

「つまりはいつもの綾袮さんかい…なんだ、そういう事なら『ここは流れを読んで』的な前置きをしてくれればいいのに……」

「あ、あはは……」

 

 明らかに動揺していた綾袮さんだけど、はっとした顔になった次の瞬間何ともそれっぽい理由を口に。どうして一度動揺したのかは全くの謎だけど…それなら一応納得出来る。だって実際、この面子の中じゃ綾袮さんが一番「ノリ」を重視する人だから。そして、その為だけに俺に…異性に撫でられてもいいのかって部分は…この際、考えないでおこうと思う。だって、ここでそういう男女間の話を掘り下げるのは、なんかちょっと自意識過剰っぽくなっちゃうし…。

 

「…じゃあ、いくよ…?」

「う、うん…」

 

 とはいえ、女の子は女の子。撫でるとなればやっぱり少なからず緊張する訳で、確認するように俺は一言。すると綾袮さんもどこか緊張したような面持ちになり…ってだから、そうやって色々考えるから余計恥ずかしくなってくるんだって…!えぇい、無心だ無心…!

 

「…ぁ、ぅ……」

「……っ…」

 

 前の二人と同じように、でも相手は綾袮さんだって事を意識しながら、綾袮さんの頭も撫でる。癖はないけれどもふわりとしていて、ついついずっと触っていたくなりそうな髪を感じる。

 いつもは天真爛漫で、明るさ一杯の綾袮さん。でも今は恥ずかしそうに顔を赤くしながら、時折ぴくりと震えながら目を閉じ撫でられていて、いつもとは全然違う様子。こんな綾袮さんを見た事なんて……

 

(…いや、ある。そうだ、あの時も……)

 

 思い出すのは、慧瑠の件があって、一日休んだ次の日の事。あの夜、俺を心配してくれた綾袮さんも似たような様子をしていて……あぁ、駄目だ。フォリンさんの時もあったけど…それ以上に、ギャップが強い。綾袮さんがこんなにもしおらしい、ただの女の子みたいな様子を見せる事なんかまず無くて、普段とはかけ離れていて、だからこそドキドキしてしまって……そんな中、綾袮さんが目を開ける。

 余程恥ずかしかったのか、潤んでいる綾袮さんの瞳。そんな瞳が、艶めく黄色の双眸が、紅潮した頬の上から俺を見上げていて……正直、どうにかなりそうだった。

 

「…顕人、まだ撫でるの?」

『……っ!?』

 

 何秒経ったか分からない中、不意にラフィーネさんが発した一言。それが聞こえた瞬間俺も綾袮さんも我に返って、二人同時に後方へ飛び退く。

 

「……何してるんですか、二人して…」

「う……や、やってくれたね顕人君!わ、わたしの頭をアイアンクローするなんてっ!」

「いやしてねぇよ!?そんなガッ、ってやってなかったよね!?ソフトタッチだったよね!?後位置も違うし!」

「じゃ、じゃあアルテマフリーズ!」

「もっとやってねぇわ!てかやれねぇし!」

 

 物凄いテンパった顔をしながら、俺に全部擦り付けてくる綾袮さん。まだある意味平常運転だけど…これ綾袮さんが言い出した事だからね!?

 

「むぅぅ…!ちょっと休憩にしよ休憩!ゲームのやり過ぎは良くないもん!」

「なんで俺に圧かけながら言うのさ…はぁ、ならなんか汲んでくるよ…お茶がいい?ジュースがいい?」

「…………」

「…綾袮さん?」

「いや、その…我ながら無茶苦茶言ってる自覚ある時に、普通に良い人の部分を出されるとシンプルに辛い……」

「えぇー……」

 

 とまぁ、要は自業自得でダメージを受けている綾袮さんに呆れた後、俺は三人の要望を聞いてリビングから台所へ。まずお盆を、続いてコップを用意し、そこに飲み物を注いでいく。

 

(…にしても、まさか三人の頭を撫でる事になるとは……)

 

 持っているのはジュースのボトルなのに、まだ手には三人の髪の感触が残っている。綾袮さんだけじゃなく、ラフィーネさんフォリンさんの感触もはっきりとまだ覚えている。

 こんな事になるとは思わなかった。俺からご褒美なんて聞いてないし、しかもそれが全部それぞれの、同居している女の子の頭を撫でる事になるなんて。

 全くもって理不尽で、横暴な話。恐らく俺が勝った場合は何もないとちうのが、本当に酷い話だと思う。…ただ、まぁ……

 

「…何だかんだご褒美という名目で、三人を撫でられた俺が何気に一番得してるかも…みたいな事考えてますねー、先輩」

「…止めて…お願いだからそういう事を読まないで……」

「うひひ、先輩は分かり易いっすねー」

 

 もの見事に心の中を見透かされて、俺は両手で顔を覆う。…何なの…なんで慧瑠はここまで正確に読めるの……?

 

「しかしほんと、先輩も隅に置けないっすよね。自分にあれだけ熱烈な事を言っておきながらこれなんですから」

「うぐ…べ、別に自分からやろうとした訳じゃないし…ご褒美として要求されただけだし……」

「ほほぅ、じゃあこのパーティーに混ざれない事に対して不満を言わない、自分にもご褒美欲しいっす。撫でてほしいっすー」

「えー……じゃあ、ほい」

「うぇ…?」

 

 暫くまともに話せなかった分溜まっていたのか、飄々とした態度で俺を弄ってくる慧瑠。でもその時の俺はもう三人の頭を撫でた後だったから、もう撫でる事に対する抵抗が薄れていて(一日もすれば元通りだろうけど)、いつもの軽くあしらう感覚のまま手を慧瑠の頭の上へ。

 そのままわしゃわしゃと、さっきよりは少し雑に腕を動かす。でも慧瑠も慧瑠でやっぱり綺麗な髪をしていて、それを崩してしまうのは何か嫌で、途中からは整えるように優しく撫でる。ゆっくりと、なでなでと。

 

「…………」

「…………」

「……言ったのは、自分っすけど…い、いざ撫でられると何故かこそばゆいですね…」

「そ、そう…」

 

 初めは意外そうに、「え、やるんすか?」みたいな顔で見つめていた慧瑠の表情へ次第に紅色が差し、ちょっぴりだけど困惑した感じに。それと同時に目を逸らしながら、こそばゆいと慧瑠は言う。

 綾袮さんやラフィーネさんとも違うけど、慧瑠もまた自由人。特に掴み所のなさは四人の中じゃトップクラスで、人じゃないからか感性も独特。故に男女的な事を気兼ねする事なく話せる部分があったんだけど、今の慧瑠はいつもよりずっと女の子らしくて……って、いい加減そういう思考になるのは止めろっての俺…!

 

「…あー、はい!もうお終い!…これでいいよね…?」

「…えぇ、と…はい。ありがとう、ございました…」

「お、おう……慧瑠も、何か飲む…?」

「あ、いや…自分はいいっす…」

 

 照れてる、恥ずかしがってるというより戸惑っている感じの強い慧瑠に俺も調子が狂って…いや、今日は狂いまくりだけど…何とも言えない気持ちに。

 けど、決して嫌な気分じゃない。そりゃそうだ、理由はどうあれ可愛い女の子四人の頭を撫でられて、それぞれの表情も見られたんだから。そしてそれは、全て向こうから言ってきた事とはいえ…何でもない、ただ一緒に住んでるだけの相手に求めるものじゃないって事位は、俺も分かってる。だから……

 

(…楽しもうじゃないか。最後まで……皆で)

 

 それは、最初から思ってる事。思うまでもない事。だけどこの時、俺は改めて……そう、思うのだった。



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第百五十五話 最高のイブ

 大概の物体は、バランスが保たれているからその場で立っている事が出来る。どんなに軽くたって、どんな物質を使っていたって、バランスが崩れていたら倒れてしまうのが物理ってもの。

 そのバランスを崩す事なく、如何に状態を変化させるかが人の技術の見せどころ。支える上でどこが重要になっているかを見極めたっていいし、逆に変化させた事でそれまでとは違う形でのバランスが保たれる事を見越して作業したっていいし、どうするかは人それぞれ。ただ何にせよ、必要なのは考える事とその考えを正確に実現する為の精密動作で……

 

「……っ…あぁぁー!…駄目だったか…」

 

 たとえ前者がそれなりちゃんとしていても、後者が不十分じゃ上手くいかないよねー…。

 

「あらら、残念だったね顕人君。という訳で、ジェンガしゅーりょー!」

「まただ…また俺の負けじゃん……」

 

 崩れ去った積み木を前に、がっくりと肩を落とす俺。今やっていたのはジェンガで…俺はぐらついたタイミングで焦った結果、リカバリー出来ずに倒してしまった。

 

「確かに、今日はやけに調子が悪いですね。…もしかして、何か具合が……」

「いや、至って健康だよ…なんだろう、今日は厄日なのかな……」

「いやいや顕人君、クリスマスイブが厄日とか縁起悪いって……」

「厄日…縁起…なんだっけ……?」

「えぇと…どちらも神社に関係している言葉だったような……」

 

 楽しめてはいるけど、やっぱりゲームなら勝った方が嬉しいし、負けてばっかじゃ気持ちも沈む。で、軽く俺がしょげていると、二人は久し振りにこの日本語なんだっけトーク。…てか、久し振りって…二人もほんと馴染んできてるなぁ…。

 

「さて…どうする?もうご飯にする?それとももう一戦位やる?」

「んー…もう一戦やらない?わたしまだまだやれそうだったし」

 

 二人に意味を説明した後、夕飯には少しだけ早いって事でもう一戦ジェンガをする事に。でも俺は参加を遠慮して、勝負は綾袮さん、ラフィーネさん、フォリンさんの三人でスタート。

 俺が遠慮したのは、多分また負ける気がしたから。三人にはギリギリの戦いをしてほしいと思って、俺は参加者から観戦者に回った。…のは、いいんだけど……

 

「……!…ふぅ…次はラフィーネですよ…」

「…分かってる」

 

 高く、もう明らかに普通じゃ到達しないレベルの高さにまで積み上がったジェンガの塔。緊迫した雰囲気で、一本一本危険物を扱うかのような集中力で抜いていく三人。…それを見ながら、俺は後悔していた。ハイレベル過ぎて、全然終わる気配がねぇ…って。

 

「…先輩、自分はこれやった事ないんで実際のところは知らないんすけど…これって、こんなに下がすっかすかになるものでしたっけ…?」

 

 元の安定感ある姿が見る影もない程になってしまったジェンガを指差しながら、唖然とした顔で訊いてくる慧瑠。慧瑠の言う通り、もう下の方はすっかすかになっていた。ただでさえ上が重くて下ががっしりしていない物体は倒れ易いのに、どうしてバランスを保っていられているのか理解出来ない場所もちらほらとあって、最早今のジェンガはミステリー。…なんなの?ここは不安定と不安定を掛け合わせると、安定に変わる特異空間か何かが発生でもしてるの…?

 

「む…むむ、む……っとぉ…!」

 

 既に真ん中が抜けた段から、俺から見て左のブロックを抜き取る綾袮さん。普通、真ん中が抜けた状態で左右のどちらかを抜けばジェンガは崩れてしまうものだし、実際ぐらりと塔は揺れたけど……十数秒後、ジェンガは倒れる事なくバランスを維持。これが念動力…とかではなく、上の積み木の重心との釣り合いが上手く取れた結果だったのは分かるけど、それにしたって凄過ぎる。そして何より、ほんと全くもって終わりが見えない。

 

(……あ、そうだ)

 

 更に観戦する事数分。凄いには凄いけど、常時その状態で続いているから流石に見ているだけの俺は飽きてしまって、ぶっちゃけ手持ち無沙汰状態。

 そんな俺の脳裏に、不意に浮かんだある悪戯。それはいつだそうかとずっと気を伺っていたもので……早速俺は、こっそり『それ』を付けるべく反転。

 

「……?どうしました先輩…って、なんっすかそれ?」

「ジョークグッズ、ってやつだよ。くくっ……」

 

 気付かれないよう背を向けて、俺は用意していた物をセット。正直、これは滑る可能性もあるアイテムだけど…今なら、この緊迫した状態ならきっと大爆発を起こしてくれる筈。加えて俺は、(自分で言うのもなんだけど)どっちかって言えば真面目なキャラって認識されているだろうから、それもこの空気感と相乗効果を発揮してくれる…と、信じている。

 準備は完了、状況もばっちり。後は初動をミスなくこなすだけだと確信した俺は……鼻眼鏡を掛けた姿で、振り向きながら厳かに告げる。

 

「…まだ、勝負は続きそうかい?」

「…………」

「…………」

「ぷっ…あははははっ!な、何それ顕人君っ!あははははははははっ!!」

「…あ、あれ……?」

 

 真剣そのものな顔で、渋めの声も出して、でも外見は鼻眼鏡。そんな渾身の一撃を放った俺だけど……あろう事か、ロサイアーズ姉妹は完全な無反応。ちらりとこちらを見ただけで、すぐに視線はジェンガの方へ。

 綾袮さんは笑ってくれた。それはもうがっつりと。でも、綾袮さんの大爆笑は想定し切っていた事で…むしろそれより、二人の反応の方が俺の心には突き刺さる。…うっそぉん……。

 

「……綾袮、次」

「あははっ、顕人君ベタ過ぎっ!ネタがベタ過ぎだってばー!…っと、そうだったそうだった…ぷぷっ、おっかしーの…!」

 

 いっそ見えていなかったんじゃないかと思う位平然とラフィーネさんは続行し、大爆笑の綾袮さんも笑いつつしっかりと成功。そうなってくると一人は笑っていたにも関わらずド滑りしたような気持ちになってしまって、一気に湧き上がる羞恥心。あ、ヤベぇ恥ずい!超恥ずい!ジェンガ中断になるレベルの笑いが取れると思ってた分くっそ恥ずいんですけどぉ!?うぅぅ…これならやらなきゃ良かった…ッ!やるにしても、もっと別のタイミングにするべきだっ……

 

 

 

 

──ガチャーンッ!

 

『へっ……?』

 

 その瞬間、音を立てて崩れ去るジェンガ。まず鳴らないと思っていた音に、まず起こらないと思っていた展開に、慧瑠含む全員がこたつの上へ視線を移す。

 そこにあるのは、やっぱり崩れてバラバラとなった元・ジェンガの塔。そしてその上で一つの積み木を持ったまま、抜く姿勢のままで微動だにしないフォリンさんの姿。

…いや、違う。一見微動だにしていないけど…よくよく見ると、ぷるぷると肩が震えている。

 

「…フォリン?」

 

 一体どうしたのか。そう思って俺達が見つめる中、ラフィーネさんが名前を呼ぶ。するとその数秒後、フォリンさんは持っていた積み木を天板に置くと、おもむろに立ち上がって部屋の外へ。そして……

 

「〜〜〜〜っっ!〜〜〜〜〜〜っっ!!」

 

 聞こえてきたのはくぐもった、ただ明らかに笑いまくっている声だった。…あれ、これ…もしかして……。

 

「…あ、戻ってきたっすね」

「フォリン、大丈夫?」

「えぇ、急に席を外してすみません。でも何もありませんよ」

「えっ…?いやでも今……」

「何でもありません」

「…笑って……」

「何でも、ありません」

「……そう…」

 

 数分後、フォリンさんは何事もなかったかのように帰還。無論スルー出来る訳もない俺は訊こうとするも、口にする度目の奥が笑っていない微笑みで圧をかけられ廊下での事は有耶無耶に。…いやそんな…圧をかけてまで隠す事…?

 

「え、えーっと…あぁそうだ、今のはフォリンの負け…で、いいよね?」

「はい、私の負けです。やはり微細な力加減は、ラフィーネや綾袮さんの方がお上手ですね」

「あ、そういう事にするんだ…はは……」

 

 綾袮さんすら茶化さない(茶化せない)フォリンさんが負けを認めた事で、長かった戦いも遂に終結。…まぁ、その…凄く消化し切れない要素はあるんだけど…とにかく俺は、ハイレベルな戦いを繰り広げていた三人に賛辞を送る。

 

「お疲れ様、皆。いやもう、ほんと皆は凄いよね」

「うん、凄い。だから顕人、またご褒美頂戴」

「え、ま、また…?」

「今度は褒め言葉付きがいい」

「……本気?」

「本気」

 

 ある意味さっきのフォリンさん同様一切の意見を受け付けない感じのラフィーネさんに、お願いしますね…とばかりにまた微笑んでいるフォリンさんに、戸惑った顔でちらちらこっちを見ている綾袮さん。…色々、思うところはあるけれど…俺に拒否権も跳ね除けるだけの度胸もない事だけは間違いない。

 という事で、また俺は期待している姉妹と何やら引くに引けない感じの綾袮さんを、今度は褒め言葉付きで撫でる事になるのだった。……や、役得だなんて思ってないからなっ!?

 

 

 

 

「おぉー…!これは中々の出来だよ顕人君、フォリン!」

「うん。グラタン、美味しい」

 

 静かなるジェンガの激戦が終了し、漸くパーティーは夕食の時間に。出来合いのものは温めて、そうじゃないものはフォリンさんと一緒に準備して、テーブルにずらりと並んだ豪華な食事の数々。

 その中からまず綾袮さんとラフィーネさんが口にしたのは、フォリンさんが特に頑張っていたシーフードグラタン。口に運んで、咀嚼し、飲み込んだ二人は笑顔をフォリンさんに見せる。

 

「そ、そうですか?…ふふっ…それは、良かったです…」

 

 二人からの賞賛の言葉を受けたフォリンさんは、言われた瞬間目を丸くして…それから、本当に嬉しそうに顔を綻ばせる。……可愛い…。

 

「ふむふむ、確かに美味しいっすね。この旨、彼女に伝えてくれると嬉しいです」

「え…?それ、マジで言ってる…?」

「冗談で言ってるっす」

「…さいですか」

 

 ふざけてこそいるものの、グラタンは慧瑠からも好評。因みに今日は慧瑠も空いている場所に座り、皆と一緒に食卓を囲んでいるんだけど、慧瑠本人は勿論食事や食器の事すら三人は気付かない…いや、認識していない。…まぁ、それでいいっていうかそうじゃなきゃ困るんだけど。

 

「ポテトも七面鳥も美味しいし、正にクリスマスイブに相応しいお夕飯だね!いやぁ、やっぱり提案したわたし偉い!」

「調子良いなぁ…でもほんと、よく出来てるよフォリンさん。…って、一緒に作った俺がこういう言い方するのは変か…」

「いえ、そう言ってくれると嬉しいです。それに、感謝もしていますよ」

「俺こそ、手伝ってくれて助かったよ。二人も後片付けはちゃーんとやってくれるよね?」

「うぇ、ほんほひふ」

「へ、返答は飲み込んでからでいいよ…(まさか、ぼかす為にわざと今言ったんじゃないだろうな…?ちゃんとやるって言ってた気がするけど……)」

 

 いつもそうと言えばそうだけど、いつも以上に賑やかなようにも思える夕飯。俺も皆も浮かれてて、だからこそより会話も弾む夕食の時間。…そういや、パーティーこそやりはしないけど、うちでも毎年クリスマスにはチキンとかポテトを食べてたなぁ…。

 

「ふぅ…あぁそうそう、デザートにケーキもあるから、少しお腹には余裕を持たせておいてね?別腹って言うなら構わないけど」

「確かケーキも丸々一つ作ってましたよね。お疲れ様っす」

「ありがと。…てか、ケーキを切り分けた場合でも、皆は違和感を持ったりしないのかな…?」

「しないと思うっすよ?仮に変に思っても、自分なりに納得の出来る答えを脳内で勝手に作ると思います」

「…ほんと、慧瑠の能力の底知れなさが分かる度残忍な性格してなくて良かったと思うよ……」

「それ程でもないっすよー。…それに、使い方次第で強力になると言えど、基本は戦闘能力に直結しない能力だからこそ、自分はこういう性格なのかもしれません。ま、今ふと思い付いた程度の想像ですけどねー」

 

 軽い調子で、でも考えさせる事を言う慧瑠。健全なる精神は健全なる肉体に宿るとも言うし(まぁこれは誤訳らしいけど)、環境同様生まれ持った能力が慧瑠の人格形成に影響を与えてるっていうのは案外あるのかもしれない。

 

「……?顕人、間違って骨まで食べた?」

「へ?な、何故に…?」

「だって顕人、ぼんやりしてたから」

「あ、あー…大丈夫、魚ならともかく七面鳥でそんなミスはしないよ…。…しっかしほんと、我ながらよく作ったなぁ…」

「顕人君、初めは料理の度に四苦八苦してたのに、今や普通に作っちゃうもんね。出来の平均も前より上がってる気がするし、毎日食べてきたわたしは誇らしいよ…」

「うん、ありがとう綾袮さん。なんで綾袮さんが誇らしく思ってるかは、微塵も理解出来ないけど」

「おおぅ、笑顔で言葉に棘を混ぜてきた…突っ込みのバリエーションにも磨きがかかってるね、顕人君っ!」

 

 と、少し考え込んでいた俺はラフィーネさんから変に思われたり、ご機嫌な綾袮さんに好評価を受けたりと、全体的になんて返せばいいのかよく分からない展開が続く。

 

(突っ込みに関しては、皆が故意天然混ぜこぜて俺に突っ込ませまくるからなんだけどなぁ…)

 

 普段からボケまくりの綾袮さんを筆頭に、天然のラフィーネさん、油断すると撃ち込んでくるフォリンさん、しょっちゅうからかってくる慧瑠と、この家はボケに事欠かない。でもそれが、俺にとっては楽しくもある訳で…なんて事は、口にしたら弄られるから言わないけどさ。

 そんなこんなでほぼ賑やかさが静まる事なく夕食の時間は過ぎていき、全員が全員綺麗に完食。けふ〜、と綾袮さんラフィーネさんが満足そうに吐息を漏らす姿を見ながら、俺は立ち上がって冷蔵庫前へ。

 

「さて、それじゃあケーキを切るとしようか。えぇと、ケーキ用の包丁は……」

「これ使う?」

「っと、ありがと綾袮さん…ってこれ天之尾羽張じゃねぇか!オーバーキルだわ!ケーキ切るのに使う物じゃねぇわ!てか大事な武器をそんな理由で差し出すなよ!?」

「キレッキレだねぇ。でも実際わたし、下手に包丁使うよりはこれの方が正確且つ滑らかに斬れそうな気がするんだよね」

「だとしても使用用途を間違え過ぎでしょう…『切る』じゃなくて『斬る』になってるし……」

 

 代々受け継がれている刀を貸してもらうという、格好良い展開をまさかのケーキカットで使われかけた俺は、なんかもう心底げんなり。…まぁ、ボケとしては面白いんだけど…ほんと、家族に見られたら怒られると思うよ……?

 

「おぉ、スポンジがしっかりしてる…これも手作りなんだよね?」

「そうだよ。試しに一回作った時は、もっと見るからに固いスポンジになっちゃったんだけどね」

「レンガ位?」

「そんな固くなったらリアルお菓子の家が作れちゃうでしょうが…ほら、お皿とフォーク出して」

 

 突っ込みつつもケーキを切り分け、お皿に乗せて皆の下へ。さっき慧瑠と話した件もあって、少しばかり緊張していたけど…五つに切り分けたケーキの事を、誰も変に思わない。…こうなると、慧瑠の力が何を基準に及ぶのか気になるな…今はまぁいいけど。

 

「ん……甘い」

「生クリームの甘さと苺の甘酸っぱさが上手くあってますよね。美味しいです」

「でしょ?苺ケーキって、シンプルだけどだからこそ安定の美味しさがあるよね(まぁ、生クリームも苺も両方市販の物なんだけど…)」

「これ、元は粉と液体だった訳っすよね…それがこんなふんわりとした物になるんですから、料理は中々奥が深いっす…」

 

 ケーキもまた皆には好評。結構苦労したスポンジも皆柔らかいと言ってくれたから、俺としても頑張った甲斐があるというもの。

 続く談笑と共に、一口、また一口と減っていくケーキ。そうして真っ先にケーキを完食したところで、ぴょこんと綾袮さんは立ち上がる。

 

「よーしラフィーネ!ジェンガ…はもう十分やったし、何か別ので決着を付けるよ!」

「…望むところ。何の勝負でも構わない」

「あぁラフィーネ、その前にこっちを向いて下さい。口の端にスポンジの欠片が付いてますよ」

「いやぁ、若い子は元気っすねぇ…」

 

 食後の一服…なんて知らないのか、すぐ臨戦態勢となる子供っぽい二人に、それを見ている残りの二人。次またケーキを作るなら、もう少し形を良くしたいなぁ…なんて思っていた俺はそれに出遅れて、でもまぁいいかとのんびり完食。

 

「ふー…洗うのはいいから、せめて皆流しに運ぶ位はしようか」

『はーい』

 

 そうして皆が持ってきた食器を、俺はリビングを眺めつつ洗う。やはり二人の勝負は激戦となり、フォリンさんはラフィーネさんの応援に熱が入っているみたいで、今日の食器洗いは俺一人。

 フォリンさんはともかくとして、綾袮さん達が手伝ってくれないのはここで強く言わないからってのが大きいと思う。でもまぁ…いいじゃないか。ここでのんびり洗いながら、皆の様々な表情を眺めているのも案外悪くないんだから、さ。

 

 

 

 

 家でのパーティー…というか、身内だけのパーティーだから、時間を気にする必要はない。それは良い事なんだけど、裏を返せばそれは終わりにするタイミングがないって事。夜になっても余裕で続けられるし、極論パーティーのテンションのままその後過ごす事だって出来ない事はないんだから、どこでお開きにすればいいのかさっぱり分からない。

 さて、そんなパーティーをしているうちは、最終的にどうなったか。それをこれからお見せしよう。

 

「やっぱこの時間は冷え込むなぁ…」

 

 ついつい飲み過ぎた結果無くなった飲み物を買い出しに行った帰り、真っ暗な夜道でぼそりと呟く。

 当たり前だけど、十二月末の夜は本当に寒い。厚い上着を着てマフラーを巻いても、寒気が貫通してきてるんじゃないかって位に冷えを感じる。

 

(…でも、こういう時間帯に出歩くのは少しテンション上がるよな…なんて)

 

 我ながら子供っぽい事を考えつつ、早足で家へと帰る俺。着いたところで一応かけておいた鍵を開け、幾分和らいだ玄関の寒さにほっと一息。

 

「ただいまー。今は何やって…って……」

 

 リビングの扉を開け、流れるように声をかけるも、三人からの返答はなし。というか…三人揃って、こたつの天板に突っ伏していたりソファに横になったりしている。こ、これはまさか…俺のいない間に、魔人か何かが襲撃を…!?……なんて、ね。

 

「んぅ……」

「すぅ……」

「くぅ……」

 

 非常事態…とかではなく、三人は単に寝ているだけ。全員寝ている、ってのには少し驚いたけど…まぁ、皆ゲームや勝負の一つ一つに全力で当たっていたもんね。そりゃ疲れるか。

 

(…皆、こうして静かだと普通に可愛いんだよなぁ…。…まぁ、らしさ全開の三人もやっぱり可愛いけど)

 

 こたつに脚を入れたままカーペットの上で丸くなっている綾袮さんに、天板に乗せた両腕を枕にして寝ているラフィーネさんに、ソファに座った状態から身体を倒したような姿勢のフォリンさんと、三人は三者三様のスタイルでお休み中。見るからに柔らかそうな頬に、冬でも瑞々しさのある唇に、そこから漏れる小さな寝息。全員が全員、見つめているとそれだけでドキドキしそうな位の女の子で……って、いやいやいやいや何考えてんだ俺…クリスマスイブにその思考は不味い…男として何か非常に不味い魔が差しちゃう可能性出てくるだろうが…。

 

「先輩先輩、これから全員自分の部屋にお持ち帰りっすか?」

「ぶぅぅッ!?だ、だから人の心読むなって言ってんじゃん!」

「へ?…いや、今は状況から適当に言っただけっすけど……」

「んな……ッ!?」

「…先輩…先輩って、割と大きめな欲望を内に秘めてたりするんですか…?」

「き、訊くな…訊かないでくれ……」

 

 不意に現れた慧瑠への返答で大自爆をしてしまった俺は、顔を塞いでしゃがみ込む。…流石に引いたと言うか唖然としている慧瑠の言葉が、物凄く心に刺さったよ……。

 

「…………」

「せんぱーい?大丈夫っすかー?びっくりはしましたけど、基本自分は先輩が何しても幻滅とか失望はしないと思うので、安心してくれていいですよー?」

「うぅ…ありがと慧瑠……」

「いえいえ。というか自分もう先輩ありきの存在なので、先輩が自分を拒絶しない限りはほんと大丈夫っすよ」

「…なんでここで重めの話加えてくるのさ…でも、まぁ……」

「……?」

「そういう事なら、慧瑠こそ安心していいよ。俺が慧瑠を拒絶なんて、それこそあり得ないんだからさ」

「…えぇ、知ってますよ先輩。自分、先輩の事は誰よりも信じてますから」

 

 立ち上がり、小さく笑みを浮かべて俺は伝える。それを聞いた慧瑠も同じように小さく微笑んで、俺に言葉を返してくれる。…全くもう…こういうとこがあるから、散々俺をからかってきても慧瑠を嫌いに思うような気持ちは1㎜足りとも生まれないんだよな。

 

「……さて、と…」

「何するんすか?先輩。……え、まさか本当に…」

「いやしねぇよ…そうじゃなくて……」

 

 置きっ放しだった飲み物を冷蔵庫に入れた俺は、自分の部屋へ。そこでベットと押し入れから三人分の毛布を取ってリビングへと戻り、その毛布を三人へかける。

 

「あぁ、そういう…三人をそれぞれの部屋に連れていくって発想はなかったんですか?」

「それはほら、勝手に部屋に入られるのは嫌かもしれないでしょ?」

「ははぁ…で、自分が使ってる毛布もかけちゃった先輩は今夜どうする気で?」

「俺はまぁ…何とかするよ」

「…自分、多少は温かいと思うっすよ?」

「さ、最終手段ねそれは…(んな事したらドキドキしてむしろ眠れんわ…)」

 

 俺をドギマギさせたいのか、それとも魔人故の感性の違いなだけなのか。まあともかく慧瑠からの提案に表情と声音を取り繕いつつ、肩や足が出ないよう毛布を調整。そして……

 

「…お休み、皆。メリークリスマス」

 

 ぐっすりと眠る三人に、俺に向けて微笑んでくれているもう一人に……俺の大事な、大事な四人の女の子に向けて、俺はそう告げるのだった。

 あぁ、ほんと……今年のクリスマスイブは、最高に良い日を過ごせたよ。



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第百五十六話 やるのはやっぱり

 二十四日。クリスマスイブであり、クリスマスパーティーの当日。その日に今俺がいるのは、双統殿。

 別に、緊急の事情が出来たって訳じゃない。パーティーは予定通りに行う。なら何故ここにいるかと言えば…それは勿論、依未を迎えに来たから。

 

「依未ー、準備出来てるかー?」

 

 依未の部屋の前に到着した俺は、ノックをした後早速依未へ呼びかける。普通ならその前に言うべき事があるが…まぁ、双統殿着いた時点で一回連絡入れてるし大丈夫だろ。

 と、思って待っていると、十数秒後に扉がオープン。いつものように顔だけ出して、依未は俺の方を見てくる。

 

「…………」

「……ん?何かあるのか?」

「いや…今日は特に文句が無かったから……」

「なら普通に『準備出来てる』とか言えばいいじゃねぇか…なんで文句出てこなかったからって言葉に詰まるんだよ……」

 

 こっちを見たまま何も言わないもんだから、何かあるのかと思ったら…返ってきたのは想像以上にしょうもない理由。いや確かに、毎回依未が不機嫌そうに出てくるかどっちかが煽るかがスタートになってる気はするが…だからって、ねぇ…?

 

「…まぁ、いいや。で、準備出来てるのか?まだなら待つぞ」

「出来てるわよ、そもそも招かれる側のあたしはそんなに荷物もないし…。…でも、その……」

「……?」

「…ちょ、ちょっと来て……!」

「うぉ……っ!?」

 

 何か言いたげな表情をしたかと思えば、いきなり俺の腕を引っ張って部屋の中へと連れ込む依未。まさかそんな事をされるなんて思っていなかった俺は、引かれるままに部屋の中へ。

 ビビった。そりゃあもうびっくりしたし、何なら何かヤバい事でもされるのかと不安にもなった。だが、引き込まれた部屋の中で俺を待っていたのは……

 

「……ど、どう…かしら…」

 

──明るい赤の布地に、見るからに柔らかそうな白の毛があしらわれたトップスと、赤ベースで黒のアクセントが入ったミニスカート。そして上下とは対照的に真っ黒なニーハイで身を包んだ、所謂サンタ風の衣装を纏って少し恥ずかしそうにしている、篠夜依未ただ一人だった。

 

「…ど、どうって……」

「…………」

「…そりゃ…似合ってる、と…思うが……」

「……っ…ほ、ほんとに…?」

「あ、あぁ…」

 

 ちょっと…いやかなり状況が分からず混乱するも、依未の目は俺に回答を要求している。だから戸惑いながらも答えると、依未は更に顔を赤らめ、けれど消して嫌そうではない表情を浮かべる。

 今のは嘘じゃない。日光と縁が薄い依未の肌と衣装の赤は互いに引き立て合ってる感じがするし、まぁぶっちゃけた表現をすれば…可愛いと思う。衣装のおかげで明るい印象も抱くから、そういう点でも悪くない。

 けれど俺の戸惑いは、似合う云々とは全くもって別の話。そして依未の様子を見る限り……依未はそれに、気付いていない。

 

「そ、それなら良かったわ…うん、良かった…」

 

 もごもごと、何やら一人呟く依未。なんかもうこの時点で、訊いたら碌な目に遭わないような気がしてならないが…多分これは、そのままにした場合も碌な事にならないと思う。だから俺は意を決し……言う。

 

「……あのー、さ…依未…」

「…何?」

「…なんで、サンタの衣装着てんの…?」

「へ……?」

 

 その瞬間、訊いた瞬間依未は硬直。でも俺だって意味分からないままだから、数秒間は沈黙が支配。

 

「…今日、って…クリスマスパーティー、よね…?」

「そう、だが……?」

「…クリスマスパーティーって、こういう格好するものじゃないの…?」

「…そうなの……?」

「…………」

「…………」

「……な…なんで言ってくれなかったのよ馬鹿ぁああああああッ!!」

「えぇぇぇぇッ!?いやいやいやいや俺知らねぇし!依未がそんな格好するだなんて俺今さっき知ったばかりなんですがッ!?」

 

 呆然とした顔で訊いてくる依未に俺も戸惑いながら回答すると、依未は再び沈黙。そして依未は震え出し…次の瞬間、真っ赤な顔で依未はキレた。それはもう、理不尽極まりない文句を言って。

 

「じゃ、じゃあ何!?あたしは無意味にこんな格好して、あんたに見せたって事になるの!?」

「い、いやまぁそうなるな…」

「〜〜〜〜ッッ!う、うぅ…うぅぅぅぅううぅッ!!」

「ちょおッ!?こ、こんな狭い所で暴れるなっての!危ないから!マジ危ないからぁッ!」

 

 気持ちは分かる。俺だって依未の立場なら、恥ずかしさで暴れ出したくもなるだろう。けれどだからって、普通の家でいう玄関部分で暴れられたら溜ったものじゃない。

 という訳で俺も焦りながら、一先ず廊下へエスケープ。即座に扉を閉める事で依未を隔離し、その状態でとにかく依未が落ち着くのを待つ。で、数分後……

 

「うぅぅ…もうやだ、折角の日にこんな目に遭うなんて……」

「だからこれは依未の勘違いだろうが…てか、元から時々コスプレしてんじゃん……」

「うっ…そ、それとこれとは別の話よ……!」

 

 漸く落ち着き着替えた依未は、ネガティヴ思考全開になっていた。…まぁ、今回は仕方ない。

 

「…けど、依未も今日の事を、『折角の日』って思ってくれてたんだな」

「あ…それ、は……」

「ん?違うのか?」

「ち、違わない…けど……」

「なら良いじゃねぇか。そう思ってくれるなら俺も誘った甲斐があるし、緋奈だって喜ぶだろうよ」

 

 けれど何にせよ、依未はわざわざ衣装を用意する位には今日の事を楽しみにしていてくれた。それは疑いようのない事実で、落ち込んだのもその証左。…そうだよな…折角の日なんだから、明るい気持ちでいきたいよな。

 

「…よし。この件はもう終わりにしようぜ。依未だって、いつまでも話したくはないだろ?」

「な…何よ、急に……」

「勘違いはさっさと過去の事にしちまおうぜってこった。ほらほら、早く行かねぇとパーティーの時間が減っちまうぞー?」

「何その喋り方…キモっ……」

「うっ…と、とにかく話は今言った通りだ。…どうするよ?依未」

 

 ストレートな悪態で軽く傷付きながらも、俺は三度目の問い掛けを口にし依未を見る。

 捻くれている依未だが、考え方はしっかりしてるし、俺の言いたい事はちゃんと伝わっている筈。だからそれ以上は言わず、黙って依未を見つめていると…依未は少し目を逸らしながらも、言う。

 

「…い、行くわよ…妃乃様達に待たせるのは悪いし……」

「はいよ。じゃ、行くか」

 

 依未からの答えに頷き、俺は先んじてまた廊下へ。そこに数十秒後、依未も出てきて…俺は依未と共に、自宅へと向かうのだった。

 

 

 

 

「帰ったぞー…って、こりゃまた本格的なの用意したな……」

 

 帰宅しリビングの扉を開けた俺の目にまず飛び込んできたのは、部屋の中で段違いの存在感を放つモミの木。元々屋内に飾る用なのか、大きさこそタンスや冷蔵庫程度だが…とにかく特別な物感が半端ない。

 

「お帰り悠耶。どう?中々悪くないツリーでしょ?」

「まぁ、それはそうだが…(こっちも楽しみにしてたんだなぁ…)」

「いらっしゃい、依未さん。ありがとね、今日は来てくれて」

「こ、こっちこそ…招いてくれた事、感謝するわ…」

 

 今のやり取りから分かる通り、このツリーを用意したのは妃乃。なんつーか…偶に妃乃は子供っぽくなるよな。生まれ育った環境が特殊故になんだろうけど。

 まあ、それはともかく俺たちが来た事で早速パーティー開始。既に準備してあった据え置き型ゲームとTVの前に座り、俺達はそれぞれコントローラーを持つ。

 

「さて…前やった時は全員で戦ってたし、今回は一戦毎に組み合わせ変えてタッグマッチでもしてみるか?」

「いいんじゃないかな?なら取り敢えず最初の組み合わせは…シンプルに1Pと2P、3Pと4Pとか?」

「それでいいと思うわ。どうせこの人数なら組み方は三パターンしかないし、どの組み合わせでも複数回はやるだろうしね」

 

 快諾を受けて2対2スタイルが決定し、すぐに対戦ゲームが幕を開ける。

 ジャンルは対戦型アクションゲーム、最初の相方は隣のコントローラーを手に取った依未。…ふーむ……。

 

「依未、自爆特攻は任せた」

「えぇ、ってそんなの了承する訳ないでしょうが…!」

「向こうは早速仲間割れしてるわね…こっちは上手く連携しましょ」

「ですね。お兄ちゃん、依未さん、口論してるなら二人纏めて倒しちゃうよ?」

 

 こっちは冗談半分で軽く弄ってただけなのに、そこに二人は容赦無く強襲。仕方なくこっちも迎撃するも、半端に弄ったところだったからか向こう程上手く連携が効かない。…うん、これはあれだ。やっちまったパターンだわ。

 

「くそう…悪かった依未。だからせめて、ここは俺に任せて先に行けぇッ!」

「悠耶……って、これそういうゲームじゃないから」

「ですよねー。…あ、やられた」

 

 普段は優しさに溢れる、でもゲームの対戦においては普通に容赦してくれない緋奈にコンボ攻撃を叩き込まれ、俺のキャラクターは脱落。一進一退の攻防ならともかく、かなり押され気味だったが為に緋奈妃乃組のキャラクターはどちらもあまりダメージを受けておらず、その後善戦するも依未も脱落。二人ともやられた事で、第一戦目は俺と依未の敗北で幕を下ろす。

 

「ふぅ。勝ちましたね、妃乃さん」

「完勝ね。まぁ、あっちが序盤不仲起こした結果だからあんまり爽快感はないけど…」

「ぐっ…い、言ってくれるじゃないか妃乃……」

「けど、妃乃様の言う通りでしょ。誰かさんがいきなりあんな事言わなきゃ、また違ったんでしょうけども」

「いやでもほら、俺が依未に『よし、力を合わせて頑張ろうぜ!』とか言ったらそれはそれで調子狂うだろ?」

「調子狂うどころかあんたの体調が心配になるわね」

「だろ?…ってそこまでかよ…」

 

 disりが完全に平常運転な辺り、やはりもうサンタコスの事は引き摺ってない様子の依未。それは良い事だが、この相変わらず生意気な娘の鼻を明かしてやりたいというのもまた事実。そしてそんな思いを抱きながら、俺は同じゲームの第二戦へ。

 

「悠耶。ここは冷静に、協力していきましょ。貴方だって、連敗はしたくないでしょう?」

「そりゃあ、な。同じ轍を踏むのも馬鹿馬鹿しいし…ここは一つ、やってやろうじゃねぇか」

 

 二戦目の相方は妃乃で、相手は緋奈と依未の年下コンビ。今答えた通り連敗は避けたいところだし、実戦におけるコミュニケーションに慣れている妃乃ならゲーム中の意思疎通も上手くいく筈。

 そう、戦いの経験という意味では、俺達の側に圧倒的なアドバンテージがあるのだ。…とか、始まる前までは思ってたんだが……

 

「あ、悪い妃乃!」

「だから何度邪魔するのよ!…ってあぁっ!?」

「ぬぉっ!?じゃ、邪魔なら妃乃こそ散々してるじゃねぇか!こうなったらいっそ一人で……」

「ごめんねお兄ちゃん。よっと」

「…おおぅ……」

 

 実際にやってみた結果、全然上手くいかなかった。意思疎通自体は狙い通りに出来たが、どうも癖やらやりたい事やらが被っているのか、連携するつもりはあるのに足を引っ張り合う形となってしまった。

 

「…………」

「…………」

「……あれよね。実戦だったらこんな二次元的な戦いはしないし、もっと色んな動きをするものね」

「だな。楽しい事は間違いないが、やっぱりゲームはゲームであって、実戦とはかけ離れてるよな」

「…なんていうか…基本頼りになる年上の人がしょうもない負け惜しみを言うって……」

「う、うん…凄く、見てられないよね……」

 

 うんうん、とお互い頷き納得し合う俺達二人。何やら年下組が失礼な事を言っていたが、俺と妃乃の実力がこのゲームじゃ発揮し切れなかった事は紛れもない事実だろう(因みに依未が「頼りになる」と言っていたが、そこを指摘したら真顔で「え?それは妃乃様にしか掛かってないけど?」と返された。…全く、依未も素直じゃないなぁあっはっは)。

 で、一周目の最後は俺と緋奈の兄妹コンビで勝利した。ん?描写はゼロかって?残念ながら無いのさ、何せ特に見所も笑い所もなく、普通に俺達が勝っただけだったからな。…いや、ほんと…シンプルに戦って、シンプルに勝敗が決しただけですわ…。

 

「ふー…流石に貴方達二人の連携が一番強いわね」

「当たり前だ。何せ兄妹だからな」

「あはは…まあ、ずっと一緒にいるんだもんね」

 

 数十分後。出てくるアイテムを変えたり特殊ルールを付けたりする事で変化を付けて何周か回したところで、一つ目のゲームを終了。今妃乃が言った通り、やはり一番の勝率を誇ったのは俺と緋奈の兄妹コンビで、俺としては大満足の結果。惜しむべくは、もっと色んな組み合わせでやってみたかったってところだが…ま、それは仕方ないわな。

 

「…やっぱり、あそこはもう少し弱攻撃でダメージを蓄積させてからの方が良かったかしら…いやでも、あの場面からなら一度わざと攻撃を外して……」

「…依未ちゃんはまだやりたい?」

「うぇっ!?あ、だ、大丈夫です…!い、今のは独り言なので…!」

「いや独り言なのは分かってるけど…まあ、そういう事なら次はこれね」

 

 唯一コントローラーを持ったままだった依未に声をかける妃乃。案の定その途端に依未はテンパり、妃乃はそれを見て苦笑いし…その後、机に一つの箱を置く。

 そこに入っているのは、あるパーティー用の玩具。当然箱には商品名やらイラストやらも載っていて、それを見た依未は目を丸くする。

 

「これ、って……」

「えぇ。緋奈ちゃんが提案してくれたんだけど…依未ちゃんもこれをやるのは初めてじゃない?」

「は、はい…という事は、妃乃様も……」

「そうよ。だってこれ、それこそこういう機会でもなきゃ目にする事自体ほぼ無いし」

 

 そんなやり取りをしながら妃乃は箱を開け、中の物を…犬の目を覚まさないようにして骨を取るあの玩具をセッティング。…確かにこれ、家で一人でやったって虚しいだけだもんなぁ…。

 

「…誰からやります?」

「それはまぁ、悠耶でしょ。男なんだから」

「何だその理由…まぁいいか。なら俺から時計回りで、負けた人はなんか罰ゲームな」

『え?ちょっ……』

「よし、まずは成功っと」

 

 さらりとゲームに罰ゲームを付加し、三人が俺の方へ振り返っている内にゲームスタート。悠々と俺は一本取り、ターンを左隣の緋奈へと渡す。

 

「ま、待ちなさいよ悠耶!貴方、勝手に変なルールを付けるんじゃ……」

「勝手に俺からにしようとした妃乃がそれ言うか?」

「うっ…ひゃ、百歩譲って私は良いにしても、二人はどう思うかしらね…」

「確かにそれはそうだな。…緋奈、俺は別に無茶苦茶な罰ゲームを用意してやろうだなんて思ってない。賑やかに楽しくやれるのが一番だって思ってる。だから…賛成、してくれるか?」

「お兄ちゃん…うん、そういう事ならわたしは良いよ」

 

 緋奈へと向き直り、真剣な表情と声音で俺は訴える。その二つで緋奈の心を叩き、ぽんと肩に置いた手で後押し。すると緋奈は、俺の言葉へ答えるようにこっちをじっと見つめ…それからこくりも頷いてくれた。…ふっ…計算通りだぜ。

 

「な、なんて姑息な…でも、そういう手を使ってる時点で底は見えてるわね」

「…底、か…言われてみればその通りだな」

「…へ……?…や、やけに潔いわね…」

「そりゃあそうさ、楽しくやれるのが一番なんだからよ。だから、依未が『もし罰ゲームを受ける事になったら…』って考えると不安で不安でしょうがなくて、楽しめないってなら俺は素直に取り下げるさ」

「な……っ!?べ、別にあたしは不安なんかじゃ…!」

「でも、緋奈は賛成してくれたし妃乃だって反対は取り下げたんだ。にも関わらず反対するって事はつまり…って、こんな事言うのは野暮か。けど安心しろよ依未。何も言わなくたって、俺はそれ位察して……」

「だ…だから不安じゃないって言ってるでしょ!?い、いいわよ!あたしも賛成だっての!っていうか、そもそもあたしは反対なんかしてないんですけど!?」

「じゃ、問題なしだな」

「えぇないわよ全然構わな……は…っ!?」

 

 真っ赤な顔で思いっ切り賛成した末、愕然とした顔になる依未。だがもう言質は取ってあり、確認の言葉にも依未は同意してしまっている。そして、ここで撤回するのは恥の上塗りそのものな行為。それが分かっているからこそ、依未はそれ以上何も言わず…ってか何も言えず、罰ゲームの採用は正式な決定となった。

 

「…くっ…まさか、完全にやり込められるなんて……」

「すみません妃乃様…あたしが迂闊なばっかりに……」

「…気にする必要はないわ。迂闊だったのは、私もだもの……」

「いや…ほんとにキツい罰ゲームを用意するつもりはないからな…?」

 

…うん、まぁなんか俺が極悪非道な罠で三人を嵌めたみたいな雰囲気になっちまったが…気にしないでおこう。

 

「こほん。じゃ、改めて…緋奈の番だぞ」

「そうだね。よし……」

 

 玩具の前に立った緋奈は、俺よりもゆっくりと、正に慎重派って感じで骨を掴んで枠の外へ。クリアしたところでふぅ…と一息吐いて、正面の位置を妃乃と変わる。

 妃乃も緋奈同様慎重に、だが危なげなく成功。一周目最後となる依未は…まぁぶっちゃけかなりおっかなびっくりだったが、取り敢えず抜き取った事で再び俺の番へ。

 

(…一回目は会話の流れのままぱぱっと抜いちまったが…静かな中だと、流石に少し緊張するな……)

 

 こういうゲームの常として、ゲームが軌道に乗ると途端に緊張感ある雰囲気となる。当たり前というか、最低でも取る瞬間は静かじゃなきゃ台無しになるんだから当然の事なんだが、空気は個々人の心にも干渉するもの。…まあ尤も、この程度で手元が狂う俺じゃないが。

 

「……っ…っと、と…セーフ…」

「これ、結構集中力を鍛える事が出来るかもね…はい」

「…む、む……」

 

 二周目も全員失敗する事なく、雰囲気も深まりながら三周目へ。割とまだ余裕のある妃乃に、緊張しながらも楽しんでいるのが伝わってくる緋奈に、一人だけビビり度の違う依未と、ゲームに対するスタンスも様々。抜き取る瞬間のスリルは勿論、三者三様の反応を見るのも中々愉快て、案外面白いんだって事を俺は実感。だから俺は、次第に思い始めた。もしかするとこれは、罰ゲーム無しで十分楽しめるんじゃないかって。

 だがそれは…その事件は、緋奈も慣れ始めた四周目に起こった。

 

「よ、っと。はい、依未ちゃん」

「は、はい……」

 

 変わらずの安定感で妃乃が取って、依未の番に。毎回かなり緊張しながらやってる依未は元々体力がないのもあって一人見るからに消耗しており、パフォーマンスにも影響しそうな様子。

 そして実際、俺の見立ては的中。依未は一本を摘んで持ち上げるところまでは上手くいったものの、詰めが甘かったのか骨の端が別の骨を押してしまい……押されたその骨は、隙間で傾き音を鳴らす。

 

「ひゃああぁぁぁぁぁぁッ!?」

「なッ、ちょっ……!?」

 

 その瞬間、目を見開きがばりと口を開けながら吠える犬。どういう感じになるかは分かっていても、やはり豹変と共に咆哮を上げられれば驚くもので、俺達は揃ってびくりと肩を震わせる。

 とはいえそれは普通の反応。ただびっくりしただけの話だったんだが…そういうレベルじゃ済まなかったのが当人の依未。吠えられた瞬間依未は本物の犬に飛びかかられたのかって位の悲鳴を上げ……俺の方に飛び込んできた。

 勿論それは狙ったものじゃなく、反射的な飛び退き。当然飛び退いた先に俺がいる事なんて分かっている筈もなく、まさか飛んでくるなるなんて思ってなかった俺も避ける事が出来ずに直撃。こっちもこっちで反射的に受け止めようとはしたが、人一人の質量を身構え無しにキャッチし切れる筈もなく……依未諸共、背中から転倒。

 

「わ……ッ!?」

「ちょ、ちょっと!?二人共大丈夫!?」

「い…ったぁ……」

「う、ぅ…って、あ…ご、ごめん悠耶──」

 

 頭と背中に鈍い痛みが走る中、真っ先に聞こえてきたのは緋奈と妃乃の声。続いて依未の狼狽した声、それに謝罪の言葉も聞こえてきて、俺はそれに取り敢えず「大丈夫だ」と言おうとしたが……次の瞬間、俺も依未も気付く。咄嗟に受け止めようとした俺の両腕は依未のお腹周りに回っていて、俺が寝転がったまま後ろから依未を抱き締めているような体勢になっている事に。

 柔らかでほっそりとした依未のお腹。俺の顔にかかっているのは、シャンプーの良い匂いがする依未の髪。白くシミのない依未の頬もすぐ側にあって…っ違う違う!何この状況で惚けてんだよ俺ぇ…ッ!

 

「……あ、そ…そのだな依未、これは……」

「……っ…ぁ、ぅ…!」

「……!ま、待て待て依未!悪かった!でもこれはわざとじゃ……」

「うにゃあぁぁぁぁああああああっ!!」

「うぇぇぇぇっ!?」

 

 起き上がろうとした事で半分だけ見えている依未の顔。その顔がかぁっと真っ赤に染まり、ぶん殴られるかヘッドバットでもされるかと思った俺は慌てて弁明の言葉を口にするも、予想に反して依未は猫みたいな奇声を上げながら再び飛び退く。

 ホールドしたままの俺の腕を一瞬で弾き返す程の勢いで飛び退いた依未は、そのまま飛び込むようにベットの裏へ。…え、えぇー……?

 

「…あー…えと、依未……?」

「来んなッ!来たら蹴り飛ばすわよ馬鹿ッ!」

「お、おう…マジですまん……」

「……っ…べ、別に怒ってる訳じゃないわよ…!そ、そもそもこれは…あたしが、あんたの方に飛んだ事で起きた事なんだから……」

「そ、そうか…大丈夫か……?」

「大丈夫な訳ないでしょうが!…うぅぅ……」

 

 どうしたらいいか分からない俺の言葉に、烈火の如き声音で答えるソファ…じゃなくて、その裏の依未。まさかここまでの事になるとは思わなかったが…事故とはいえ、異性に抱き締められる形になったんだ。それによって生まれる動揺が分からないような俺じゃない。

 

「…この場合…ど、どうしたらいいんだ…?」

「どうって……」

「それは自分で考えなさいよ、馬鹿」

「ひ、妃乃までそれ言うか…?」

 

 けれどどうすればいいかは分からず、俺が頼ったのは女子二人。だが緋奈はよく分からない表情をしていて、妃乃に至っては少々不愉快そうな顔。…いやうん、分かるよ?兄が自分より年下の女の子抱く場面見せられた妹や、訳あって同居してる同い年の異性が、抱えている事情を知っていて気にもかけていた年下の女の子を抱く姿を見せられた女子が、にこやかにアドバイスくれる訳ないって事は。でもさ…俺だよ?人付き合いに難がある事を自覚してる千嵜悠耶だよ?その俺に、一人で考えろってのは流石にちょっと無茶じゃないかい?

 

「…えっと…その、えー……取り敢えず、罰ゲームは無しにする…?」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 

 

 

『……それは、まぁ…うん…』

 

 本当に分からず、無い頭で必死に考えて捻り出した言葉を口にする俺。それがベストじゃないって事は分かってる。なんか違う気もしている。それでも何もしないのは一番駄目だと思って、俺は言葉を捻り出した。

 その結果、訪れる数秒の沈黙。何とも言えない怖さから緋奈や妃乃の方を見れず、ただひたすらにソファだけを見つめる俺。すると、沈黙の後ゆっくりと依未が、ソファから頭と目だけをこちら側に出し……形容し難い雰囲気の中で、罰ゲームは廃止となるのだった。



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第百五十七話 気の迷い…?

 タッグマッチで色々遊んだり、パーティー用の玩具をやってみたり、その結果依未と…うん、まぁその…ドキッとするハプニングに襲われたりと、思っていた以上に濃い一日となっているクリスマスイブ。…だが、まだまだ終わりじゃない。

 

「あーがり、っと。ふぅ、危ねぇ危ねぇ」

 

 最後に残った一枚のカードを出して、最下位を避けられた事に安堵する俺。

 今やっていたのは、手札が残り一枚になった時に商品名を言わなきゃいけないあのカードゲーム。運もかなり絡むこのゲームは、最終的に俺と緋奈の三位争いとなり…俺が上がった事で、最下位は緋奈となった。

 

「あー…やっぱり序盤で特殊カードを出し惜しみしたのが不味かったかなぁ……」

 

 残り三枚という後一歩の段階で負けてしまった緋奈は、残念そうにカードを置く。確かにこのゲームにおいて特殊カードの存在は重要だし、温存したくなる気持ちは分かるが…だからって出し惜しみし過ぎると、その間にリードされて追いかける形になっちまうんだよな。何事も判断が大事ってこった。

 

「…まぁでも、楽しめたしいいかな。えっと、次はわたしの番だよね?」

「そうね、はい緋奈ちゃん」

 

 慰めの言葉でもかけようかと思った俺だが、それより早く緋奈は気持ちを切り替える。そしてその緋奈に妃乃が渡したのは、折り畳んだ紙が複数枚入った箱。

 その箱の中の紙に書かれているのは、各々が書いたゲームや遊びの名前。全て予定通りに進めるのも味気ないという事で、ゲームの内幾つかはそれを一回ずつ引いて出たものをやろう事にしていた。

 で、今は緋奈の番。箱の中に手を入れた緋奈は、ごそごそと暫く漁り……一枚を取り出す。

 

(さて、次は何かね…っと)

 

 当然折り畳んであるから、まだ何が書いてあるかは見えない。だからこそ開く最中に生まれるドキドキ感。そうして俺達が見つめる中、開き切った緋奈は紙を表にしてテーブルに置き……

 

「……あ」

 

 その瞬間、ぴたりと一瞬全員が固まった。そこに書いてあった文字は……『ツイスターゲーム』。

 

『…悠耶……』

「いや違う違う!俺じゃねぇって!…って、ん?という事は……」

 

 俺へと突き刺さる、妃乃と依未の視線。だが勘違いされちゃ敵わんと、俺は慌てて否定する。

 考案者及び愛好者の為に言っておくが、決してツイスターゲームはいかがわしい遊びじゃない。だが身体的接触を避けられないこのゲームを異性同士でやるというのは、中々ハードルが高い訳で……と、そこまで考えたところで気付いた。俺は書いておらず、妃乃も依未も俺を疑った…つまり二人も書いていない(勿論演技じゃなきゃだが…こんな事でする訳ないよな)とすれば、残るのは緋奈しかいない。

 

「…緋奈…もしや……」

「…あ、あはは…実は物置で見つけてから、一回やってみたいなーって思ってて……」

 

 実質的な肯定の言葉を口にしながら、少し恥ずかしそうに頬を掻く緋奈。…マジか…てか、うちの物置になんでツイスターゲームがあるんだよ……。

 

「そ、そうだったの…ま、まあ時々サブカルでは見かける割に現実じゃやる機会ないものだし、気持ちは分からない事もないわよ…?」

「あ、ありがとうございます妃乃さん…」

「え、えぇ…でもその、ね……?」

 

 相手が緋奈だからか、幾分優しい言い方で妃乃が理解を示すも、やはり俺の存在があってか「じゃあやろう」という事は言えない様子。依未もさっきの事があってか俺をちらちらと見ていて、少なくとも積極的にやりたい…って感じには見えない。

 となれば、多分緋奈はこれを取り下げるだろう。間違いなく強行はしないだろうし、仕方ないと緋奈も自分を納得させる筈。だが緋奈は、やりたいって気持ちがあったからこそ入れた訳で…うーむ、何か方法はないものか…。妃乃や依未が気にしている、俺という問題を解決した上でツイスターゲームをやれる方法が、何か…何か…………って、あ。

 

「…そういえば確か、このゲームって指示役が必要だったよな…?」

「え?あ…うん、そうだね…」

「なら、その役を俺がやるよ。それだったら問題はないだろ?」

 

 閃いた…なんて大層なものじゃない、単にふと思い出しただけの事。だがそれでも確かに、俺は気付いた。これなら、俺が誰かと接触する事はまずなくなると。

 

「それは、確かに…でも、あんたはそれでいい訳?基本ルーレット回して、出た指示を口にするだけよ?」

「構わねぇよ、どっちにしろ誰か一人はこの役をやらなきゃいけない訳だし。てか、俺を気遣ってくれるとはな」

「うっ…べ、別に気遣いじゃないわよ!後々文句言われたくないから先に訊いただけ!」

「へいへい。で、どうするよ?」

 

 俺は自分のスタンスを示した。後は三人が決めるだけで、勿論後からケチを付けるつもりもない。

 その俺からの問いを受けて、顔を見合わせる三人。そして……

 

「えー…左足青」

「あ、青!?ちょっ、無茶言わないでよ…!」

 

 戦闘中でも魔物程度が相手なら出さないような声を出して、俺に抗議をしてくる妃乃。ツイスターゲームは…提案通り、俺が指示専門になる事で無事(?)に行われる事となった。

 

「いや、無茶も何もそういう指示だし…」

「もうちょっと無理のないところで止めてよね…!」

「狙って出来るかそんな事…それこそ無茶じゃねぇか……」

 

 無茶苦茶な事を言いながらも、妃乃は青マークの所に左足を乗せようと奮闘。

 既に開始から十分前後が経っていて、今は全員両手足共どこかしらのマークへ乗せている状態。当然姿勢や互いの身体が障害となる事で中々指示通りの場所には動けず、もう見るからに三人は大変そう。

 

(てかこれ、一度に三人とか四人でもやれるものなのか…?見てる分には面白いが……)

 

 懸命に脚を伸ばす妃乃を見ながら、不意に俺が抱いた疑問。だがそれを口にしたりはしない。だって三人共集中してるし、この中々カオスな光景をもう暫く見ていたいし。

 

「うぁっ、ちょ…妃乃様……!」

「あ、ご、ごめんね依未ちゃん…!重い…?」

「い、いえ…身体的な負担は、ない…です、けど……」

「……?それは、どういう……」

「…訊かないで下さい……」

 

 依未へと覆い被さるような形で何とか青へ足を乗せられた妃乃だが、下の依未からは何やら複雑そうな声が。うーむ、俺からはよく分からないが、何か大変な事でもあるのだろうか。

 

「…ちょっと…悠耶、早く指示出してくれない…?」

「あ、そうか悪ぃ。えーっと…残念、タワシ!」

「そういうのいいから…!」

「えー……こほん。左手緑」

「緑ね…ふ、くっ……!」

 

 冗談をマジトーンで返された俺は、口を尖らせながらルーレットを回して依未へと指示。もう一個位悪態を吐いてくるかと思ったが…それより早く何とかしたかったのか、依未はすぐに動き出す。

 真横に広げていた左手をシートから離し、そのままその他を斜め前へ。位置的には然程難しくなさそうなものの、依未は両手脚とも伸ばしている…つまりは突っ張っているに近い状態だった為、バランスを取るのに苦労している様子。最終的には無事緑へ手を置けたものの、見ているこっちがハラハラするような動きだった。

 

「じゃ、次は緋奈だな……ええと、右足黄色」

「う、うん…え、黄色?もう右脚乗せてるけど……」

「へ?あ、ほんとだ…あーっと、この場合は……」

「は、早くしてくれない…!?」

「あぁすまんすまん!もう乗せてる場合は同色で別のマークに乗せなきゃいけないんだとさ…!」

 

 現状一番キツい体勢をしている妃乃に急かされ、俺は急いでルール確認。プレイヤーに比べれば楽とはいえ、案外こっちも忙しいな…!

 

(…でも、こういうのも悪くないなぁ。機会がありゃ今度は俺も…って、誰とやるんだ?御道…は選択肢的に贅沢は言えねぇから仕方ないとして……そうだ、茅章がいるじゃないか。うん、茅章となら楽しくやれそうだ…)

 

 段々やりたくなってきた俺は、指示しつつ見て楽しみつつも密かに計画。最近飯の約束はしたし、上手くいけばその日にやれるかもしれない。そして出来たのなら…っと、またルーレット回さなきゃか。はいはいお待ち下さいねー、っと。

 そしてツイスターゲーム開始から数十分。何周もした事で三人の位置及び体勢はかなり複雑なものとなり、もう脱落者が出てもおかしくない状態。それは同時に緊迫感も増しているという事で、俺もさっきから少し緊張している。

 

「よーし…妃乃、左足赤」

「ま、また左足!?なんか私の時、やけに左足の割合多くない!?」

「そうなっちまってんだから勘弁してくれ。狙ってはいねぇよ」

「それはそうかもしれないけど…!」

 

 ヨガみたいなポーズで不満の滲む声を発する妃乃。でもほんとに偶然なんだから、俺は勘弁してくれとしか言いようがない。妃乃も妃乃でそれは分かっている…というか、分かった上でそれでも言っておきたかったってだけらしく、文句を言いつつも左足を上げて…って……

 

(…………あ)

 

 その瞬間、俺は硬直。身体は勿論視線も…いや、何よりも視線の位置が固まり、視界の中の光景に思考が一気に占められていく。

 すらりと伸びる両脚に、ほんのりと大人っぽさを感じさせる黒のニーハイ。その上には白くも健康的な太腿が存在していて、ニーハイの黒が肌の白さを際立たせている。そして何より、脚を登っていった先で俺の視線をロックしている──赤みがかった暗色の布。更に更に、その左右斜め下では適度に曲線を描きながらもきゅっと締まった白桃があって……うん、つまり…あれだ。チラどころか、モロだった。

 

「…………」

「……っ…これ、どうしても爪先立ちになっちゃうのが辛いわね…悠耶、手も足も取り敢えず付いていればセーフなのよね…?」

「…………」

「……悠耶?聞いてる?」

「…あっ…だ、大丈夫…じゃ、ないカナー…?」

「な、何よその変に上擦った語尾は…まぁ、大丈夫ならいいけど……」

 

 先に断っておくが、別に俺は性欲を持て余して日々困っている的な奴じゃない。ほんとそれは断じてない。だが、俺は男であり、身体は思春期男子であり、妃乃はぱっと見で分かる位には容姿の整っている女性で、その女性が大きく股を開いてアレをモロに出してるなんてなったら……それはもう、視線の一つや二つが釘付けになったってしょうがないじゃないか。

 しかも当の本人は気付いていない様子で、当然続行する気も満々。となれば俺がすべきは……見て見ぬ振り、ただ一択。

 

「(うむ、これは合理的且つ様々な安全を考えた上での選択…だから問題ないぞー、俺)…えぇー、と…依未、右手青」

「青、ね…もう少し…もう少しで届、くっ……って、わ、わっ…うわっ!?」

「ひぁっ!?よ、依未さん大丈夫…?」

「ご…ごめん緋奈…でもその、今動くのは……」

「そ、そっか…気にしないで、わたしは大丈夫だから…!」

 

 違和感を持たれては不味いと自分の務めを思い出し、普段の調子を装いながら依未へと指示。聞き取った依未が動いた結果、後一歩(足じゃなくて手だが)のところでバランスを崩してあわや転倒という状態になるも、横の緋奈が支えとなった事でセーフ。これが有りなのかどうかは分からないが、まあ被害を受けた側の緋奈が続行を望んでいる感じだから俺も何も言わずに……

 

(…って、おおぅ…こっちもですかい……)

 

 一応掌と足の裏以外がシートに触れていないかを確認しようとしたところで、俺は気付いてしまった。向かい合う形で接触している緋奈と依未の胸が、二人の間で潰れ合っている事に。俺は理解してしまった。冬服だとあまり起伏が分からない二人でも、各々の身体でぐっと挟めば潰れる程度には膨らみが存在している事に。後、どっちかっていうと多分緋奈の方が大きい事に。

 

「あ、あー…緋奈、動けそうかー…?」

「…う、うん…でも出来れば、楽なものにしてくれると助かるかな…」

「よ、よーし任せろ!上手い事体勢変えずに何とかなるやつ出してやるッ!」

『いや狙って出来る事じゃないでしょ……』

 

 妃乃と依未から呆れ混じりの突っ込みを受けながらも、俺は全力を込めてルーレットをスピン。もう一度言っておくが、ほんと俺に変な意図はあったりしない。体勢維持に他意なんてありゃしない。だってほら、女子同士が密着してるとか別にそこまでおかしくないもんな!てか緋奈に至っては妹だからな!実妹だからな!滅茶苦茶可愛いけど妹だし、依未も二人に引けを取らないけど半分庇護対象みたいな相手だもんなっ!さぁそれよりもルーレット、良い感じのところで止まれぇいッ!

 

「……!…左足、黄色」

「え、左足黄色?…わっ…ほんとに割と楽なところに……」

「ふっ…本気を出しゃ、こんなもんさ…」

 

 謎の達成感と共に言葉を返した俺は、ふぅ…と一つ吐息を漏らす。これで緋奈と依未の体勢は保たれた。いやいやほんと良かった。これで二人はすっ転ぶ事なく……

 

「ちょ、ちょっと失礼するね依未さん……」

「え、えぇ…んっ……」

 

……すっ転ぶ事なく、黄色に向けて動かした緋奈の脚は依未の軽く開かれた両脚の間を通って、二人の脚は絡み合うような状態となった。…うん、まぁ…これも偶然だから…ツイスターゲームって、時にこういう事にもなる競技だから…。

 

「さ、また私の番よね…そろそろ手も脚も疲れてきたし、早めに頼むわ」

「はいよ。…左足緑だな」

「ま、また左足…?しかもこれ、この体勢じゃどうにもならないわね…こう、なったら…!」

(…ん?まさか、自分の身体の下を潜らせるつもりか…?)

 

 見慣れた…とかではないものの、 「そうなってしまった瞬間」という最大風速を発する状態を乗り越えたからか、少しだけ落ち着きを取り戻した俺。それがまた崩れない内にとすぐに回して指示を出すと、妃乃はマークから離した左脚を振り始める。

 これは恐らく、勢いを付けて緑へと足を付けようとする作戦。そして身体能力の高い妃乃なら多分成功する筈。となればやはり、最後まで残るのは一番安定感のある妃乃……

 

「……えっ、きゃああああぁぁっ!?」

『わぁああぁぁぁぁっ!?』

「へ──?」

 

 そう、思った時だった。予想通りに妃乃が勢い良く脚を伸ばした瞬間、右足側がシート諸共ずるりと滑り、妃乃が回転しながら転んだのは。それに巻き込まれ、緋奈と依未も揃って崩れてしまったのは。

 ドミノの様に、連なって転ぶ三人。まさか妃乃が真っ先に倒れるなんて思ってなかった俺は、一瞬反応が遅れてしまう。

 

「うぅ…いつの間にかシートが弛んでるなんて…って、二人共大丈夫!?怪我はない!?」

「うぅぅ…だ、大丈夫です……」

「わ、わたしもです…でもその、少し圧迫感が……」

「あ、そ、そうよね!ごめんなさい、すぐに退いて…ひゃわぁぁっ!?」

『ぐぇっ!?…むぎゅう……』

「お、おい…無事かー…?」

 

 状況を理解した妃乃がはっとした顔で声をかけると、まず依未が、続いて緋奈が返答。依未はまだしも、一番下の緋奈は声からして少し苦しそうで、慌てて離れようとする妃乃。

 だが、三人は元から複雑な体勢をしていて、そこから転んだのが今の状態。当然そうなれば揉みくちゃにもなる訳で、そこから慌てて離れようとした妃乃は……手脚のどっかが引っかかって更に転倒。上から圧力を受けた二人は呻き声を漏らし……

 

「……大変よろしゅう、ございます…」

『……はい…?』

 

 手も脚も絡み合って抱き合っているような緋奈と依未に、その上から二人の間へ割り込みながらも胸を二人の頬へ押し付けているかのような体勢の妃乃。…そんな濃厚且つ濃密な『絡み』を前に、ちょっと自分でも何を言っているのかよく分からない事を口走ってしまう俺だった。

 

 

 

 

 ある意味物凄く、物凄ーく貴重なものを見られた気がするツイスターゲームも終わり、三人共疲れてしまった事もあってその後俺達は夕食にした。

 クリスマスイブという事もあって、いつも以上に丹精を込めて作った、俺謹製の料理の数々。パーティーの雰囲気もあってか三人からは好評で、あの依未でさえ「……美味しい」とはっきり言った程。俺自身、今回の料理は中々良い出来になったと思っていて……結論から言うと、十分に満足の出来る夕飯になった。

 

「悪いわね、結局料理は殆ど任せちゃって」

「気にすんな。ばっちり前払いは受けたからな」

「前払い…?」

「あ…すまん、今のは忘れてくれ。なんか暫く前からちょっと俺の頭はバグってるんだ…」

「そ、そう…よく分からないけど、取り敢えず忘れるわ……」

 

 どうにも頭の中から抜け切らない妙な思考を隅へ追いやりつつ、俺は食器を洗っていく。隣では妃乃がその食器を拭いていて、緋奈と依未は食卓を拭いたり拭いた食器を仕舞ったりと、全員が片付けを手伝ってくれている。…これを頼まずともやってくれるんだから、ありがたいよなぁ…。

 

「…よし。悪いな、依未にまで手伝わせて」

「別にいいわよ、あたしだけ何もしないんじゃ寧ろ居心地悪いし」

「…依未って、割と素直な一面もあるよな」

「うっさい、茶々入れるならこの布巾であんたの顔も拭くわよ?」

「へいへい悪かったな。さて、どうするよ依未」

 

 突き出してきた布巾を受け取り、流しで洗って布巾掛けに。それから依未に問い掛けたのは…いつ帰るかという事。

 俺としては、まだ居てもらったって構わない。けれど依未はまだ十四歳な訳で、たとえ送っていくとしてもその依未を夜遅くまで…それこそ深夜になってから帰すというのは出来れば避けたい。…って、これだとマジで保護者サイドの思考だな…はは……。

 

「……そうね。あたしがいるんじゃ妃乃様達も休めないでしょうし、悠耶のタイミングで送ってくれればいいわ」

「別にそんな気遣いはしなくていいと思うがな。こっちは呼びたくて呼んだんだしよ」

「…悠耶も、悪いわね。こんな日まで送らせて……」

「それこそ気にする事じゃねぇよ。どうして付き合ってるのかは、もう何度も言ってるだろ?」

「……うん…」

 

 自分の存在に引け目を感じているような依未だが、そんなの思い過ぎもいいところ。自信過剰ならまだしも実際と乖離した卑下なんて、誰も幸せにはなりゃしない。だからいつもの調子で、諭すように…俺の意思をはっきりと伝えるように依未の肩へと手を置くと、依未は小さく頷いて……

 

「お兄ちゃーん。そういう事するなら、せめて廊下に出てからの方がいいと思うよ?」

『あっ……』

 

 二人揃って、緋奈にかけられた声でここには緋奈も妃乃もいるんだって事を思い出した。…うん、これはあれだな。くっそ恥ずいなっ!

 

「い、いやあのそのだな…」

「あからさまに動揺してるわね…依未ちゃんも大丈夫……?」

「う、うぅぅ……」

「あはは…あ、そうだ。…ねぇお兄ちゃん、折角だし…今日、依未さんに泊まっていってもらうのは駄目かな?」

『え?』

 

 俺は頬が熱くなるのを感じ、依未は恥ずかしさから背を向け、妃乃は何やってんだか…とでも言いたげな顔に。声を上げた緋奈も苦笑いしていたが…そこでふと思い付いたように(ってか実際に思い付いたんだと思うが)、依未を泊める事を提案してくる。

 

「わたし、詳しい事は知らないけど…依未さん、いつも一人で暮らしてるんでしょ?って事は、お兄ちゃんが送ったらその後は一人になっちゃうんでしょ?今日はこれだけ賑やかで楽しい時間を過ごせたのに、その最後が一人なんて…わたしだったら、寂しいなって……」

「緋奈……」

「でもうちなら依未さん一人位問題ないし……って、よく考えたらこんなの、依未さんからすれば勝手に決め付けるなって話だよね…だ、だからその…もし良かったら…どう、でしょう…?」

 

 少し驚いた俺が緋奈を見やると、前半緋奈は流れるように、後半は表情が見えない位の俯きがちに自分の気持ちを言葉へ乗せる。

 それを聞いて、俺は思った。あぁ、なんて緋奈は良い子なのかと。改めて思った。なんて優しい妹なのかと。依未の事を思って、依未の気持ちを慮って、だがそれでいて気持ちの押し付けになってはいけないと反省もする。もしこれが意図せず言っていたのなら緋奈の優しく清い心の表れって事になるし、意図して言っているのならそれはそれで他人に優しくしようって思考をいつも持っているって事になるんだから、どっちにしろ俺からすれば誇らしいところ。そしてそんな優しい緋奈の気持ちを後押ししてやりたいと思うのが、兄である俺の気持ち。

 だが、一番大切なのは依未の意思。緋奈が気にした通り、気持ちの押し付けになっちゃいけない。だから依未の気持ちを確認しようと振り向くと……

 

「…あぅ…緋奈ちゃん……」

 

……なんだかよく分からないけど、依未が緋奈に落ちかけていた。…まぁ、気持ちは分かるけどな。でもやらんぞ、俺の妹は。

 

「…どうしますかい?依未さんや」

「…はっ……!…え、と…その…妃乃様と、あんたは…」

「俺は問題ねぇよ。妃乃はどうだ?」

「私だって構わないわ。ここは悠耶と緋奈ちゃんの…というか、千嵜家の家なんだし」

「……だ、だったら…一晩、泊まらせてもらいます…」

 

 伺うような依未の瞳に俺と妃乃が頷きを返すと、依未は借りてきた猫のような感じで緋奈からの提案に同意。それにより、今から送っていく話はなくなり…今日はこのまま、依未もうちに居る事となった。

 

「うん。…っと、それじゃあお風呂出た後のパジャマをどうにかしないとだよね。依未さん、わたしの服で良いなら貸すけど……」

「い、いいの…?」

「勿論。だって、わたしが言い出した事だもん」

「…じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 着替えの件も速攻で決まり(というか緋奈が決め)、パジャマを選ぶべく緋奈は依未を連れて自分の部屋へ。依未も若干躊躇いながら付いていき、アイコンタクトで「一人で大丈夫」と伝えられた俺は見送る形に。

 俺と違って優しい性格である事、それに同性且つ一歳とはいえ俺より年齢が近い事もあってか、初めて会った時から依未は緋奈をそこまで拒絶する感じがなかった。とはいえ依未は人付き合いに対して俺以上に消極的な訳で、そんな依未が緋奈へ少しでも歩み寄れているのなら、歩み寄れる雰囲気を緋奈が作れているのなら、俺は嬉しいし安心する。どっちも俺からすれば守りたい、何かあれば力になってやりたい…つまりは、比較的近い思いを抱く相手なんだから。…しっかし俺の為にこのパーティーを提案して、今は依未の為にも泊まる事を提案するなんて…ほんっとほんっと、緋奈は優しくて可愛い妹だなぁ…。



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第百五十八話 心の向く先

 考えてみれば、自分も随分と変わったなと思う。人は日々変わるものだけど、同時にそう簡単には変わらない事も沢山あって、少なくとも去年の私ならクリスマスイブの時間を空ける為に仕事を調整するなんて事はしなかった。

 勿論、去年まではクリスマスイブと言っても別段何かをする訳じゃなかったから、というのもある。あってもせいぜい毎年せがんでくる綾袮と軽いプレゼント交換をする位で、私にとってクリスマスイブは『世間ではイベントとして扱われている日』位の認識でしかなかった。

 だけど、今年は違う。今年はパーティーをしていて、今年のクリスマスイブは私にとって、『楽しみな日』だった。誘われて…というか緋奈ちゃんが提案してくれなければ多分そうはならなかったし、逆に去年までだって誰かに誘われれば参加していた可能性もあるけど、現実として去年までのクリスマスイブと、今年のクリスマスイブは違っていて、私は確かに変わっている。今の生活をする中で、ここに住むようになった事で、悠耶と霊装者として出会った事で、私はどんどん変わってきている。そしてそれを、わたしは──。

 

 

 

 

「あれ?依未ちゃんと悠耶は?」

 

 綾袮から送られてきた、いかにも楽しそうなパーティー写真を携帯で見ていた私。そこでリビングの扉が開いて、中に入ってきたのは緋奈ちゃん一人。

 

「今はお兄ちゃんが、隣の部屋を寝られる状態にしてる最中ですよ」

「あ、そうなの。悠耶って、割と面倒見がいいわよね…」

「それはまあ、ずっとわたしを見てきてくれたお兄ちゃんですから」

 

 思い浮かぶのは、文句を言いつつもしっかり準備をしてあげている悠耶の姿。その光景に軽く苦笑いをしていると、緋奈ちゃんはさらりとそんな事を口に。…悠耶は分かり易くシスコンだけど、緋奈ちゃんも地味にブラコンの気があるのよね…。

 

「…まぁ、何にせよ…楽しいわね、今日は」

「はい。わたしもここまで盛り上がるとは思ってませんでしたし、結構ドキドキもしました」

「ドキドキ?…あぁ、確かに言われてみるとそういう場面も多かったわね…ふふっ」

 

 今日一日の事を思い返すと、自然に零れる小さな笑い。それは私が、本当に楽しんでいたんだって証明で…こんな時間を過ごさせてくれた緋奈ちゃんには感謝しかない。

 

「…ほんと、やって良かったって思えるパーティーになったと思います。いや勿論、わたしは提案しただけですけど…」

「しただけ、って事はないわよ。何をするにも最初の一歩が一番肝心で、緋奈ちゃんはその一歩目を担ってくれたんだもの」

「…そうですか?」

「そうよ。だからありがとね、緋奈ちゃん」

 

 そんな事を言われるとは思っていなかったとばかりの表情をする緋奈ちゃんに、私ははっきりと感謝を伝える。伝えたいと思ったから、抱いた気持ちをそのまま告げる。すると緋奈ちゃんはわたしをじっと見つめた後、神妙な顔になって……

 

「…妃乃さん。もう一度、聞かせて下さい。妃乃さんは…お兄ちゃんを、どう思っていますか?」

 

 パーティーの提案よりも少し前にした話を、今一度口にした。

 今、それを訊く意図は分からない。でも緋奈ちゃんの顔は真面目そのもの。だから私も今一度、しっかりと考えて…答えを口にする。

 

「…今も、あの時と同じように思ってるわ。どうと思うところも多いけど…それでも悠耶は、強くて凄い人だって」

「…本当ですか?」

「本当よ。それに悠耶が強い事は、緋奈ちゃんだってよーく知ってるでしょ?」

「…そうですね。えぇ、はい。お兄ちゃんの強さ、凄さは妃乃さんよりも知っているつもりです。…じゃあ、その…お兄ちゃんの事、大切な相手だとは…思って、いますか?」

「へ?…た、大切……?」

「大切、です」

「……そ、そうね…大切だとも、思ってるわ…」

 

 こういう話は気恥ずかしくもあるけど、だからって適当な事を言うのは緋奈ちゃんにも悠耶にも不誠実だし、緋奈ちゃんが茶化したりする子じゃない事は知っている。

 そんな思いではっきりと私が答えると、緋奈ちゃんは続けてもう一つ言う。それは答えるとなると一つ目以上に恥ずかしくなる問いだったけれど、緋奈ちゃんの真剣さは本当に伝わってきて…その問いにもまた、私は答えた。少しばかり、頬が熱くなるのを感じながら。

 

「…こ、こほん。けど、なんでまたそんな話を?もしやまた何か不安でもあるの?」

「いえ、そうじゃなくて…その……」

「……?」

 

 取り敢えず質問に答えた私は、今度はこっちの質問を口に。すると緋奈ちゃんはまず否定した後、私からは表情が見えない方向へと顔を向けて…それからまた、私の方に。

 再び浮かんでいる真面目な顔。それに私が内心身構える中…緋奈ちゃんは、言う。

 

「今の話…お兄ちゃんにも、伝えてあげてくれませんか…?」

「うぇ…っ!?い、今のって……」

「分かってます、わたしが凄く無理なお願いをしてるって事は。…でも、お兄ちゃん言ってたんです…お兄ちゃんも、妃乃さんの事は凄いって言ってたんです。その妃乃さんに、クリスマスイブに、妃乃さんからの気持ちを知ったらきっと…それを切っ掛けにもっと自分を振り返ってくれて、見つめ直してくれて……それでお兄ちゃんの不安な部分が、ちょっとでも変わるんじゃないかって……」

 

 話す内容は同じでも、本人の前とそれ以外とじゃ全然違う。本人の前じゃなくても恥ずかしいのに、本人の前で言うなんて、出来る事ならしたくはない。

 でもそれに理解を示しながらも、緋奈ちゃんは声に感情を籠らせて言う。それが、私が伝える事が、悠耶を変える事になるかもしれない、と。

 緋奈ちゃんは不安と言った。でもこれは、危うい部分と言い換えても良いと思う。…悠耶には、そういう部分があるから。私もそんな危うさには不安を感じていて…もし何とかする事が出来るのなら、私だってそうしたいから。

 

「…そういう事ね。そういう事なら……えぇ、分かったわ緋奈ちゃん。上手くいくかは分からないけど…やるだけやってみるわ」

「……すみません、妃乃さん」

「いいのよ、緋奈ちゃんの気持ちは分かるし」

「…そういう事じゃないんです。それにわたしは…妃乃さんが思っているような人間でもありませんから…」

「え…?それって、どういう……」

 

 真摯な緋奈ちゃんからのお願いに、しっかりと一つ頷いた私。けど返答の謝罪に気にしないでという旨の言葉を返すと、何故か緋奈ちゃんは影のある表情になって……でもその直後に依未ちゃんと悠耶が戻ってきた事で、私はその意味を聞けず終いだった。

 

 

 

 

 一泊とはいえ、人を泊めるんだったら家主として適当な事は出来ない。それに何かあったら困るという事もあって自室の隣を即席の客間とした俺は、依未と共にリビングへと戻ってきた。

 で、その数分後。風呂の順番を決めたところで、俺は緋奈からある事を頼まれる。

 

「…買い物?今からか?」

「ごめんね。でも女の子は色々と必要になるって事は、お兄ちゃんも分かるでしょ?」

 

 その内容は依未の為に何やら買ってきてほしいというもので、ふと見てみれば依未がこちらへちらちらと視線を送っている。分かるでしょ?…って言われてもあんまり分からないが…ここは頷いておこう、うん。

 

「あ、あぁ…けどそれ、俺でいいのか?そういう事なら、妃乃の方が良いんじゃないか?」

「お兄ちゃん…こんな時間に、妃乃さんを一人で行かせる気?」

「あー…了解、行ってくる」

「お願いね、お兄ちゃん。はいこれ上着」

 

 納得の理由を返された俺は、もう一度頷きお願いに同意。緋奈から上着を受け取って…って、準備良いなぁ…。

 

「妃乃さんも、お願いします」

「任せて。緋奈ちゃんも、私達が出てる間依未ちゃんを頼むわね」

「ひ、妃乃様…いやまぁ、ご尤もではありますけど……」

「何かあればすぐ電話しろよ…っとそうだ、携帯をテーブルに置きっ放しに……」

「なってたから、上着のポケットに入れておいたよ」

「緋奈…ほんと気が回る妹だよ、緋奈は……」

 

 気配りばっちりでほんと俺の妹なのか時々疑わしくなる緋奈にしみじみとした思いを抱きながら、俺と妃乃は玄関へ。

 

「うー…一層冷え込んでるなぁ……」

「こうも寒いと、戦闘にも少なからず支障が出るのよね…」

「うん、それは分かるが最初に言うのが戦闘への影響って…女子として、それでいいのか…?」

「う…さっさと行くわよさっさと…!」

 

 返す言葉がなかったのか、ずんずんと歩いていってしまう妃乃。その子供っぽい反応に苦笑しつつ、俺もすぐに追って隣へ。

 何を買うかは知らないが、それは妃乃が聞いてるとの事。つまり俺は単なる付き添いで…後は重い物があったら、それを持つって事位かね。

 

「にしても、ほんと寒いなぁ…こりゃ降るんじゃねぇの?」

「雪が?」

「金の雨が」

「いや…やるならやるでちゃんとポーズ取りなさいよ…それじゃよく分からない時のジェスチャーじゃない……」

 

 両腕を軽く開きながら一言で返すと、妃乃からは半眼での呆れ突っ込みが返ってくる。…伝わるのね……。

 で、それから十数分後。店に着き、待機を命じられた俺がボケーっと待っていると、買い物を終えた妃乃が戻ってくる。

 

「うーぃ、店に入る時の犬感覚で待たされてた悠耶ですよー」

「何拗ねてるのよ…一緒に来たかった訳?店内の女性から変な目で見られる事になるかもしれないのに?」

「いや、うん…それは勘弁…」

 

 よく考えたら酷い扱いだよなぁと思って不満っぽい声を出してみたら、ぐうの音も出ない返しをされてただただ普通の反応をするしかないという結果に。…なんか最近、妃乃が俺の弄りやボケに慣れてきたせいか反撃受ける機会多くなった気がするな…俺ももっと捻ったり予想の外を突いたりしねぇと……。

 

「…こほん。んで、何を買った…かを訊いちゃ妃乃だけに話した意味がないな。重くはないか?」

「ありがと、でも軽いから大丈夫よ。うっかり中が見えちゃった、ってなっても困るし」

「まぁ、それもそうだな。…んじゃ、帰るか」

 

 他に買う予定の物はなく、店内は温かいとはいえ、今は真冬の夜。遅くなれば更に冷える訳で、となればまったりしている理由もない。という訳で俺達は外に出て、当然行きと同じ道を通って家へ向かう。

 

(……ん?)

 

 だがそれから暫くしたところで、俺は違和感を抱いた。さっきから無言の妃乃に、何か変だな…と感じた。

 何も俺と妃乃はべたべたするような関係じゃないし、生活する中で無言の時間ってのもそれなりにある。けれど何というか、今の無言は特に話す事がないから生まれる結果的なものとは違うような気がして……俺が何かあったのかと訊こうとした直前、妃乃は立ち止まって口を開く。

 

「…ね、ねぇ…ここ、何かと縁のある公園よね……」

「うん?…あー、確かにな……」

 

 ここというのは、今俺達が歩いていた道路に面している公園の事。俺が一度は妃乃からの話を断って、夏休み明けには緋奈が魔物に襲われた…あの公園。

 

「けど、それが何だってんだ?今日は単に通りかかっただけだろ?」

「それは、そう…なんだけど……」

「…何か、あるのか?」

 

 問いに対して妙に歯切れの悪い妃乃。何かあるのか、その思いが強くなった俺は妃乃に向き直ってから改めて訊き…それに妃乃は無言で首肯。話半分で聞くべきような事じゃないと感じた俺は、妃乃を連れ立って公園の中に。

 

「…飲むか?」

「ううん、いいわ…そんなに長く話すつもりはないから……」

 

 自販機の前に立って訊くと、妃乃は首を横に振って否定。だから俺も買うのは止め、少しだけ俯く妃乃を見つめる。

 

「…………」

「…………」

 

 十数秒間の静寂の中、俺は待った。何となくだが、今は妃乃の中にあるのは自分から言い出せないような事じゃない。そう思ったから、俺は妃乃が言い出すまで何も言わなかった。そして俺が見つめる前で、妃乃は顔を上げ……

 

「…悠耶。貴方は…私の事、どう思ってる…?」

「え……?」

 

 緊張の感じられる面持ちで、でも目は逸らす事なく、妃乃は言った。思ってもみない、俺への問いを。

 

「ど…どう、って……」

「…私は貴方の事を、認めてるわ。馬鹿だし、性格も曲がってるし、無茶もするけど…それでも私は、悠耶を凄いと思ってる。だって私は…貴方に、助けられたから。あの時は勿論、普段から些細な事で貴方の手を借りたり、手伝ってもらったりしてるから」

 

 急な質問に戸惑う俺の前で、妃乃は続けて言う。自分は、凄いと思っているって。助けられてるって。

 

「…それは…それを言うなら、俺だってそうさ。一番最初に助けられたのは俺の方だし…妃乃がうちにいる事、それ自体が俺や緋奈を助けてくれてるんだからよ…」

「そうね。でもだからって、私の気持ちは変わらない。…言っとくけど…わ、私がこうして面と向かって言うなんて、そうそう無いんだからね…?」

「お、おう…それはそうだろうな……」

「…それはどういう意味よ……」

「い、いや別に深い意味はないけど…」

 

 まさかこんな話になるとは思ってなかったから、まさか妃乃からこんな事を言われるとは思ってもみなかったから、どうにも返しに詰まってしまう俺。一方の妃乃も取り敢えず言う事が終わったからか、黙ってしまって…再び静寂に。

 こういう静寂は気不味い。何かで話を続けたくなる。で、迷った末に俺が口にしたのは…ありきたりな、感謝の言葉。

 

「…え、と…その…ありがと、な。今、妃乃が言ってくれた事は…正直、嬉しかった…」

「…そ、そう……?」

「そりゃ…そうだよ。だって、俺だって……妃乃の事は、凄いって思ってるんだからよ…」

 

 ほんのりと上目遣いで訊いてくる妃乃に、躊躇いながらも俺は返す。感謝から続ける形で、最初の質問…俺が妃乃をどう思っているかって問いに、頬を掻きながらも答える。

 はっきり言って恥ずかしい。これじゃ気不味さと恥ずかしさをトレードしただけ。だが、言い出しちまった以上…半端なところじゃ終われない。

 

「凄いと思ってるし、尊敬もしてる…これまで生まれ変わってからは普通の生活をしてきた俺なんかとは比べ物にならない程の苦労をして、不愉快な世界もきっと見てきて、今だって多くの責任を背負ってるだろうに、そんな事を微塵も感じさせない…俺よりずっと普通の生活もちゃんとしていて、両立させて、どっちも充実させてる…そんなの、凄いに決まってんじゃねぇか。尊敬するに、決まってるじゃないか」

「そ、それは…別に…私一人の力じゃないし、私は時宮の人間である事に誇りを持っているからこそ、大変な事も耐えられたって面もあるし……」

「そういう謙虚で、力も地位もあるのに欠片もそれを鼻にかけないのも尊敬出来る理由の一つだ。実力とか、自分で掴んだものには常に自信を持ってるからこそ、一層それが際立つしな」

「……っ…そ、そんな事まで…?」

「そんな事までだ。けど……ぶっちゃけ、ここまで言った事は全部、二の次三の次の理由だ。一番は…その、何だろうな…自分でも上手く言えないが……俺はさ、信頼してるんだよ。時宮妃乃って人間の全てを」

 

 ほんと、恥ずかしい事を言っている自覚はある。普段なら言えないし、性格がひん曲がってる俺は言える訳がない。…けどそれでも、今は言いたかった。妃乃にありのままの気持ちを伝えられて…あぁ、そうだ。思ったんだ。俺も、その気持ちに応えたいって。俺も俺の気持ちを、伝えたいって。妃乃に…聞いてほしい、って。

 

「普段の妃乃も、戦いの中での妃乃も、どっちも俺は信頼してる。勿論それは宗元さんや時宮家なんか関係なしに、だ」

「…………」

「だから…だから、さ…あー、だから……これは、依未とかにも言える事だけどよ…妃乃と出会えて、こうして一緒に生活出来てる…そういう意味じゃ、俺がまた霊装者になっちまった事も、決して不幸なだけじゃなかったんだって思える…って、いうか……」

 

 重ねる言葉。積み上げていく思い。妃乃へと伝えた、俺の気持ち。それ等は全て、嘘偽りのない本心で、だからこそ止まらなくなっていて……でも最後には、止まる。最後まで行き着けば、次の言葉は出てこなくなる。そして……爆ぜるように、一気に俺の頭の中を占領していくのは…羞恥心。あ、駄目だ…これは駄目だ…マジで、マジでマジでマジで……恥ずかし過ぎるッ!!

 

「う、うんまあその…そういう事だっ!なんかよく分からんくなってきたけど、以上!っていうかうん、いっその事今のは聞かなかった事にしてくれても……」

「……ゆ…悠耶…っ!」

「…ぅ、え……?」

 

 濁流の如く一気に思考を押し流し埋め尽くしていく羞恥心にどうかなりそうだった俺は、もう勢いのまま強引に話を締め、とにかく思い付いた言葉を考えなしに並べ立てた。

 とにかく終わりにしたい。これ以上は本当に顔から火が出てきてしまう。いやほんと、霊力で編まれた炎的な何かが出てくるって!

…と、後から考えれば意味不明としか思えないような思考をしてしまう位にはテンパっていた俺。だがそんな俺の思考は不意に…何かこれまでに感じた事のない雰囲気を見せる妃乃によって、全く意図しない形で切り替わる。

 

「…何よ、それ…こっちから言い出した事で、私はちょっとしか言ってないのに…なんで、そこまで…しかも、信頼してるとか…出会えて良かったなんて…そんな、そんな事言うなんて…ズルいじゃない……」

「…え…い、いや…出会えて良かったとまでは……」

「…違うの……?」

「……ち、違わない…けど…」

 

 胸の前で両手を握った妃乃の、心の内を漏らすような…霊装者ではなく、一人の女の子としか思えない声と表情。それに羞恥心とか混乱なんて忘れた俺が戸惑いながら言葉を返すと、妃乃が浮かべる悲しそうな顔。それは可憐で、思わず見惚れてしまいそうな儚さもあって、俺は捻りもない返しと共に首を振るので精一杯。

 

(……っ…なんだこれ…妃乃って、こんな顔もするのかよ…こんな、こんな……)

 

 どくん、と跳ねる胸。前から妃乃は整った容姿をしているとは思っていたが…今は格好付けてなんかいられない。妃乃が、可愛くて可愛くて仕方ない。俺にとって一番可愛いのは緋奈の筈なのに、その緋奈と同じ位…妃乃の事を、可愛いと思ってしまっている自分がいる。

 そして俺が何も言えなくなる中、妃乃は俺を見つめている。見つめたまま、震える唇をゆっくりと開く。

 

「悠耶…わ、私…貴方を…貴方、と……」

 

 妃乃は今、何か凄く大切な事を言おうとしている気がする。にも関わらず、俺の目は唇を、艶めき柔らかそうなその唇の動きばかりを追ってしまう。

 ただそれでも、俺の耳は…心はちゃんと聞いていた。一言足りとも聞き逃しまいと集中していて、妃乃の声だけが俺の頭の中で響いていて、そんな中で遂に妃乃は、俺と視線を交じらせ合っていた妃乃は……

 

「……つ…す…あ…ぅ、ぁ…ぃ…ぇ…………」

「……ひ、妃乃…?」

「…ぁ…ぉ…あ、ぅ……〜〜〜〜っっ!!?!?」

「はいぃぃッ!?え、ちょっ…妃乃ぉっ!?」

 

 何故か急に、言葉に詰まり…言葉どころか単語にすらなっていない何かを絞り出した末……ぶっ飛んだ。

 

「う、ううぅぅぅぅぅぅぅぅっっ…!!」

「何!?何なの!?えぇぇぇぇッ!?」

 

 一瞬前までの空気感は、クリスマスイブの公園という、俺ですら分かる程に特別感ある雰囲気はどこへやら。その場跳びのバク宙から一切揺れる事なくしゃがみ込んで顔を両手で覆うという、凄いんだか凄くないんだかよく分からない離れ業を見せ、その後くぐもった呻きを上げる。…いや、凄いよ?やった事は間違いなく凄いんだが…凄いって雰囲気が微塵もねぇ……。

 

「おーい、妃乃ー?妃乃さーん?さっきは何を言おうとしていらっしゃったんですかー…?」

「そ、それは…あ、あれよッ!ちょっと早いけど、来年も宜しくって言おうと思ったのッ!」

「あ、あー……え、そんだけ…?」

「そんだけよッ!悪いッ!?」

「いや、悪くないっす…」

 

 顔を覆う手を離したかと思えば、凄まじい迫力でキレてくる妃乃。なんかもう訳が分からな過ぎる俺は、理不尽なキレに言い返す事も出来ず……

 

「じゃ、じゃあ…こっちこそ、ちょっと早いが来年も宜しく…」

「……う、うん…」

 

 同じ家に住んでるのに、なんでクリスマスイブに、しかも寒い公園の中で大晦日みたいな事を言ってるんだろう。……ただただ、そんな思いだけが胸の中に渦巻く俺と妃乃だった。

……この後は、お互い一回も目を合わせられなかったさ。恥ずかし過ぎて。

 

 

 

 

「はー…つっかれたなぁ……」

 

 家に帰ってから数時間。風呂を済ませ、何となーく四人で駄弁り、これまたいい頃合いかなぁっていうのを何となーく感じ取った俺達はパーティーを終わりにし、今俺がいるのはベットの上。どさりとベットに寝転がってから、自室の天井を眺めて呟く。

 

「いやほんと…俺今日、何度心拍数上がったよ……」

 

 たった一日とは思えない程濃密だった今日の事を振り返りながら、俺は軽く苦笑い。思い返すと……うん、マジで信じられねぇな。実はこれ、全部夢なんじゃね?…なんて、な。

 

(…ったく…ほんと個性的なんだよなぁ、緋奈も妃乃も依未も…)

 

 ついつい寝転がりたくなる程の疲労感。身体的というより、精神面で凄く今日は疲れた。…けど、不満はない。不満どころか、色んな意味でとにかく…本当に本当に充実していて、だからこそ感じる心地良い疲労。

 さっきは口走っちまった形だが…緋奈の兄になれた事、妃乃や依未に出会えた事、それ等全てを俺は良かったって思ってるし、そんな三人と一日楽しく過ごせたんだから、そこに不満なんてある筈もない。…あぁ、そうさ…今日は楽しい、良いクリスマスイブだったよ。

 

「ふぁ、ぁ……」

 

 段々と感じてくる眠気に一つ欠伸をして、起きるかどうかを暫し考え…寝る事に決定。目覚ましをセットすべく、携帯を手に…ってそうだ、上着に入れたまんまだったな…。

 

(…ん?…こんな充電減ってたっけ……?)

 

 仕方なく身体を起こして上着のポケットから携帯を取り出すと、残量は残り三割を切っている。けど確か、前に見た時はまだまだ余裕があった筈で……

 

「…まぁ、いいか…」

 

 でも別に、それは重要な事じゃない。思い違いの可能性があるし、そもそも残量に関しては時々嘘を吐くのが携帯ってもの。だからそれ以上は気にせず俺はアラームをオンにし、部屋の電気を消して、再び仰向けでベットにダイブ。携帯電話を横に置いて、ゆっくりと目を閉じる。

 

(この分じゃ、大晦日や元旦も何かやりそうだなぁ……けどまぁ、そうなったらそうなったで…また楽しむのも、悪くないな…)

 

 前の俺なら頭に浮かぶ事すらなかったような、ある意味普通の高校生っぽい思考。その変化に、そしてそれをどこか期待もしている俺自身にもう一度心の中で苦笑いしながら、俺は眠りに落ちるのだった。

 

 

 

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

 

 

 

(……っ、ぅ…?)

 

 それから、どれ程したのかは分からない。ただ恐らくはまだ夜、深夜という時間帯で……不意に、俺は目が覚める。それも、偶然ではなく…何かを感じて。

 

「────」

 

 暗くてよくは見えない。けれど感じる。何かがいる。考えるというよりも、直感的な…感覚的な何かで、俺は気付いた。

 

(……ひ、な…?)

 

 寝起き特有の、ぼんやりとした思考の中、そこに…俺以外でベットの上にいる何かに対して、俺は緋奈であるように思った。シルエットというか、なんというか…とにかく、緋奈のような気がした。

 けれどおかしい。俺はリビングで寝てしまった訳じゃないし、ましてやうっかり部屋を間違えた…なんて事もない。そして緋奈も、部屋を間違えるなんてある訳がなく……だけど、だったら今ここにいるのは誰なんだ。なんなんだ。…そんな、不安混じりの疑念の中俺が首を動かし、そちらへ目を凝らしていると……ベットの上にいる誰かも、俺が向けている視線に気付く。そして……

 

「あ、起きた?…おはよう、お兄ちゃん」

 

 聞こえた声。それは幾度となく聞いた、誰よりも耳に馴染んでいる声。…けれどどこか、まるで別人のようにも思える声音。

 見えた顔。俺の脳裏に焼き付いている、何があろうと絶対に忘れる事はないであろう容姿。…だけどその瞬間、一瞬疑ってしまいそうにもなった表情。

 ああ、そうだ。確かにそうだ。意味は分からないが、理由は想像も付かないが、ここにいるのは間違いなく……

 

 

 

 

──俺の妹、今は一人になってしまった最愛の肉親……千嵜緋奈だ。



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第百五十九話 この想いに誓って

 明かりを消し、カーテンも閉め、そのカーテンの隙間から僅かに射し込む月明かり以外は何の光源もない、殆ど真っ暗な部屋。その中で、横になった俺の傍らに、寄り添うようにして佇む緋奈。一瞬どきりとするような、そして実際、どこか幻惑的にも思える雰囲気の中、緋奈は微笑みながら俺を見ている。

 

「びっくりさせちゃってごめんね。あぁ、勿論まだ朝じゃないよ?」

 

 妹とはいえ、緋奈が勝手に俺の部屋へと入った事には変わりない。しかも雰囲気からして、何か事情があって俺を呼びにきた…とかでもない様子。にも関わらず、緋奈に悪びれる、或いは慌てる気配はなく、それどころか妙な落ち着きと共に俺へと微笑み続けている。

 

(…なん、だ…?緋奈、だよ…な……?)

 

 一見、ここにいるのは緋奈。それはよく見たら違う…とかではなく、正真正銘緋奈で間違いない。この俺が、緋奈かどうかを見極められない訳がないんだから。

 だが、何か違う。何かがおかしい。間違いなく緋奈だが、今いるのはまるで俺が知らない緋奈のような……

 

「……っ!?」

「あ、気付いた?…悪いけど、ちょっとだけ縛らせてもらったよ」

 

 訳が分からないながらも、一先ず起き上がろうとした俺。だが腕が持ち上がらない。それどころか、腕が頭の上から動かない。

 

「な……っ!?」

「それもごめんね。勿論、お兄ちゃんの事は信じてるけど…わたしも今日だけは、これだけは…絶対に、失敗出来ないから」

 

 縄か何かで両手首を縛られ、ベットに固定されている。そう気付いた瞬間背筋を駆け上る悪寒と、目を見開く俺を前にふっと真面目な顔をする緋奈。

 寝込みを襲われる。こう表現するといかがわしい事を連想する奴も多いと思うが、俺の場合まず頭によぎるのは……暗殺。

 

「…緋奈…まさか……」

「……?…あ、もしかしてわたしがお兄ちゃんを殺しにきた…って思ってる?」

「…違う、のか…?」

「違うよ?もう、そんな訳ないでしょお兄ちゃん。わたしはたとえお兄ちゃんに殺されそうになったとしても、お兄ちゃんを殺さなきゃ自分が死ぬってなったとしても、お兄ちゃんを殺したりなんかしないよ?」

 

 浮かんでくるのは、最悪の思考。緋奈が本当は何らかの理由で俺を殺そうとしていて、これまでその機会を伺っていたんだという想像。これまでの緋奈の言動は、全て演技だったんじゃないかという可能性。だがそれは、すぐに緋奈自身が否定した。嘘だとは微塵も思えない声音で、平然と言い切った。

 けれど安心は出来ない。むしろ不可解さは増してすらいる。暗殺でないというなら、一体何が理由で緋奈はここにいて、こんな事をしているのか。

 

「…何か、不満があるのか…?それとも、どうしても伝えたい…今じゃなきゃ駄目な、大切な事があるのか…?」

「…流石だね、お兄ちゃん。それは、当たらずとも遠からずかな」

「……っ…だったらこんなの必要ないだろ…。緋奈の話ならいつだって、幾らだって聞く。聞かない訳ないじゃないか。だから……」

 

 こんな事をするなんて、只事じゃない。切羽詰まった何かを緋奈が抱えてるのかもしれない。そしてそうなら、俺は放っておけない。

 そんな思いで緋奈を見つめ、その思いを緋奈へと伝えようとする俺。だが緋奈は、人差し指を俺の唇へと当てる事によって俺の言葉を断ち切り、俺の耳元へと顔を寄せて……言う。

 

「…ねぇ、お兄ちゃん…キス、しよ?」

「──っっ!?」

 

 その声が聞こえた瞬間、俺は頭が真っ白になった。あまりにも唐突過ぎて、あまりにも非現実過ぎて…何も言葉を返せなかった。

 その俺の反応を心を知ってか知らずか、ゆっくりと顔を上げた緋奈は、俺を見下ろしながら…蠱惑的に、再び微笑む。

 

「お兄ちゃんは、するのとされるのどっちがいい?わたしはどっちでもお兄ちゃんとなら嫌じゃないけど、やっぱり男らしくて頼りになるお兄ちゃんだから、されるよりする方が……」

「ま…待て…待てよ緋奈…!…本気で、言ってるのか…?」

「…冗談で、こんな事言うと思う?」

 

 ほんのりと頬を染め、自分の妹が発しているとは思えない言葉を並べ立てる緋奈に、混乱の増す俺の頭。

 冗談ならばタチが悪過ぎる。けれど冗談なら良かった、冗談であってほしかった。だがそんな俺の僅かな願いも緋奈の返しで打ち砕かれ、明らかに異常な事を言っているにも関わらず落ち着いている今の緋奈は…いっそ不気味。

 

「…どうして、そんな事……」

「…忘れちゃったの?妃乃さんが出来ない事をわたしが出来たら、凄いと思ってくれる?…ってわたしが訊いたら、お兄ちゃんそうだなって言ってくれたよね?」

「妃乃…?なんで、今それが出てくるんだ…?」

「……気付いてないんだ…酷いよね、お兄ちゃん…お兄ちゃんはわたしのお兄ちゃんなのに…お兄ちゃんは、ずっとわたしのお兄ちゃんだったのに…」

 

 分からなくなる一方の俺が訊き返すと、緋奈の表情は暗く変わる。そのまま小声で、独り言のように緋奈は呟き…それからまた、その瞳を俺に合わせる。

 

「…お兄ちゃん。妃乃さんにとって、お兄ちゃんは特別な存在だよ?わたし、妃乃さんの事自体は好きだし、尊敬もしてるから勝手に色々話す事はしないけど…妃乃さんにとってお兄ちゃんが特別なのは間違いない。…だからね、色々用意して、絶好のシチュエーションも作って、試したんだ。妃乃さんが、どうするかを。どこまで出来るかを」

「試した…?試したって、何を……」

「よく思い出してみて。今日は色々あったよね?妃乃さんとは勿論、依未さんともドキドキする事、何回もあったよね?それって、全部偶然?」

「…偶然も何も、それは実際そう……」

 

 そうだ、と言い切りかけて、俺は止まる。確かに色々あった。ハプニングだって一度や二度じゃない。…けど、果たしてそれは偶然だろうか。本当に偶然だけで起こったのだろうか。

 いや、違う。例えば番犬ゲームで依未は俺に乗っかる形となったが、それは間違いなく偶然だが……思い返せば、妃乃が言っていた。提案したのは緋奈だったと。

 それだけじゃない。その後のツイスターゲームもやろうとしたのは緋奈だ。俺に依未を泊めるという選択肢を提示してくれたのも緋奈で、俺と妃乃が買い物にという体で話を進めたのも緋奈。そして何より、そもそもの話として…クリスマスパーティーを言い出したのだって、緋奈だったじゃないか。…つまり、緋奈は…平然を装って、さも自然な雰囲気と流れで……

 

「…幾つも種を…何かが起こりそうな切っ掛けを、緋奈が蒔いていた……?」

「そういう事。わたしに物事を思い通りに進める力なんてないけど…沢山蒔けば、『結果的に』上手くいく物事も二つや三つ出てくるよね?」

 

 あっさりと言ってのける緋奈に対し、俺が抱いた思いは戦慄。

 用意された切っ掛けは、別に特別なものじゃない。誰だって出来る。けれどそれを幾つも用意し、気取られないよう自然に提示し、更には状況に合わせて新たな切っ掛けまでも作るとなれば話は別。…それを何のボロも出さず、俺にも妃乃にも依未にも気付かせないなんて……普通じゃない。

 だが、それだけじゃなかった。俺が真に戦慄したのは…そこから先。

 

「でもまさか、あんなに雰囲気が出来上がってのに有耶無耶になっちゃうなんてね…公園でのやり取りは、わたしも少し…ううん、かなり焦っちゃった」

「公園…?…待てよ、どうして緋奈がそれを……」

「携帯。ずっと通話状態のままなの、気付かなかった?」

「な……ッ!?」

 

 その瞬間、明らかになる携帯の謎。寝る前は、記憶違いか何かだと片付けてしまったが…緋奈の言う通り、ずっと通話状態で開いていたのなら、残量が減っているのも当然の話。

 最早説明されるまでもない。緋奈は置きっ放しだった俺の携帯を通話状態にしたんだ。それをバレないようにする為の策として、上着へと携帯を入れ、その上着を俺に渡してきたんだ。そうして俺と妃乃のやり取りを盗聴し…恐らくは、俺が風呂に入っている間に通話履歴を消去した。…今この瞬間に至るまで、微塵も俺に気付かせないまま。

 

「これに関しては、本当に謝らなきゃいけないよね。ごめんなさい、お兄ちゃん」

「……なんで、だよ…」

「え?」

「なんで、そこまで手の込んだ事をしてんだよ…!そこまでして、そうまで試して、緋奈は何を…」

「──示すんだよ。お兄ちゃんは、わたしのお兄ちゃんだって事を」

 

 両頬へと手を当てられ、一気に近付けられる顔。吐息がかかり合うような距離で、それを気にも留めずに緋奈は続ける。その瞳に浮かんでいるのは……歪んだ光。

 

「妃乃さんは、結局最後の一歩を踏み出せなかった。それが踏み出せなかったのか、わたしの見当違いだったのかは分からないけど……わたしは違うよ、お兄ちゃん。わたしは、妃乃さんとは違う」

「……っ、待て…待てって緋奈…!」

「ねぇ、見て。わたしを見て。わたしは躊躇わないよ、踏み出せるよ?お兄ちゃんなら、お兄ちゃんが見ていてくれるなら、わたしは何だって……」

「待てって…言ってるだろ……ッ!」

 

 逃さないよう俺の両頬に手を当てたまま、更に近付く緋奈の顔。降りてくる緋奈の唇。

 避けられない、振りほどきようもない。でも駄目だ。だからってこのまま許してしまう事だけは、絶対にしちゃいけない。その思いで俺は心を鬼にし……ヘッドバット。軽くだが、額を緋奈の鼻へとぶつける。

 

「ふきゃっ……!」

「…悪い、緋奈…でも、頼む…冷静になってくれ……」

「…冷静……?」

「あぁそうだ。おかしいだろ…そもそも話が、一番根っこの部分が見えねぇよ…俺は緋奈の兄貴だ。それはいつだって変わらねぇし、兄である事を止めた事なんざ一度もねぇ。…そうだろ?緋奈。確かに、小学生の頃に比べりゃべたべたする事も増えたし、それが嫌だってならこれからは気を付けるが……俺はずっと、緋奈のお兄ちゃんとして変わらずにいただろ?」

 

 鼻を押さえる緋奈を見つめながら、俺は訴えかける。緋奈なら誤魔化さず、真摯な言葉をぶつければ、きっと分かってくれるから。俺と緋奈との間にある、兄妹の絆はそれ程のものだと思っているから。

 そうだ、俺が…兄の俺が動揺してどうする。兄なら、緋奈が安心出来るようにしていなくちゃ駄目だろうが。それに緋奈は素直で、俺よりもずっと立派な人間だ。だからきっと、俺が真摯に話せば、緋奈の事を信じて伝えれば、緋奈は俺の言葉を分かってくれ──

 

「……違うじゃん…」

「え……?」

「そんな事、ないじゃん…お兄ちゃんは…お兄ちゃんは、変わっちゃったじゃんッ!」

「……っ!?」

 

 そんな俺の、そう思っていた俺の心へと叩き付けられる、緋奈の怒号。それまではずっと、何かおかしくとも穏やかだった緋奈の雰囲気が、その瞬間からまるで別人かと思う程に豹変する。

 

「変わったよ、変わったよお兄ちゃんはッ!でも、最初はそれでもいいかなって思ってた!何もかも、何一つ変わらずにいられる訳がないもん!お兄ちゃんが明るくなって、人の輪を広げられているなら、それは妹としても嬉しいもんっ!でもわたしは信じてた!どんなに沢山の事が変わっても、一番大事なところは…家族を一番に思ってくれる心だけは変わらないって!あの時みたいに、わたしの側にいてくれるって!」

「…緋奈…けど、それは……」

「なのに、なのになのになのにッ!何でお兄ちゃん、妃乃さんの事を話した時、あの笑顔を…わたしにだけしか見せてこなかった、わたしだけの笑顔をしたのッ!?あれは、その思いは、わたしにだけ向けてくれるんじゃなかったの!?ねぇ、ねぇッ!」

 

 ぶつけられるのは、剥き出しの感情。怒りなんてものじゃない、マグマの様に煮え滾る思いが、言葉となって俺を襲う。

 正直、俺は気圧されていた。緋奈の迫力に、見た事のない緋奈の形相に。…緋奈にこんな一面があるなんて…思いもしなかった。

 

「わたしは信じてたのにっ!お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけはいなくならないって!約束してくれたからっ、俺は離れないって…いつまでも側にいるって……そう言ったよねぇ…?約束、してくれたよねぇ……?」

「……ッ…言ったよ、約束したよ…だから…」

「…嫌だ…お兄ちゃんまでいなくなるなんて嫌だっ!渡さない、渡さないよお兄ちゃんはっ!妃乃さんにも、依未さんにも、誰にも渡さないッ!ずっと側にいてよ、一緒にいてよっ!じゃなきゃ、じゃなきゃ……わたし…今度こそ…一人に、なっちゃうよぉぉ…っ!わたしを、置いてかないでよお兄ちゃぁん…!」

「…緋、奈……」

 

 俺の肩を掴み、引き裂かんばかりに揺すったかと思えば、ゆらゆらと揺れながら、生気のない声で俺に問いかける。だが俺の答えは聞かずに俺へと再び言葉を叩き付け、けれど今度は事切れたように俯き、俺の胸を叩きながら、震える声で俺へと訴える。その瞳に、その声に、涙の色を滲ませながら。

 そこまで言われて、そこまでの言葉と思いをぶつけられて、漸く分かった。緋奈の根底にあるのは、あの時と…両親を失ったあの時と同じ思いなんだと。悲しみ、恐怖、不安に寂しさ、そういう思いが混ざり合ってぐちゃぐちゃになった感情が、今再び緋奈の心を締め付けているんだと。

 けどそこには二つ、致命的に抜け落ちているものがある。それが抜けたままだから、これまで俺は分からなかったし、緋奈の心へと寄り添えていなかった。…が、その内の一つ…物理的な喪失は、あり得ない。俺は死ぬ訳でもなければ、どこか遠くに行ってしまう訳でもないんだから。そして、もう一つは……

 

「……だからね、お兄ちゃん…これでわたしは、取り戻すの…お兄ちゃんを、お兄ちゃんの心を…わたしだけの、お兄ちゃんの笑顔を……」

「…………」

「大丈夫…お兄ちゃんは、何も気にしなくていいんだよ…だってわたし達は家族だもん…兄妹だもん…だから戻るだけ…これで全部、元通りに……」

 

 また、緋奈の顔が近付いてくる。俺だけを見る、今の俺だけしか見えていないその瞳で、ずっと俺を見つめながら。そして、その瞳の端から、溜めていた涙が一粒落ちる。

 

(──あぁ、やっぱりかよ)

 

 何となく、そんな気がしていた。ずっと違和感あって、何かがおかしいと思っていた。一度俺は、それを俺の知らない緋奈の一面だと、俺が引き出してしまった心の闇だと思っていたが…それは、抱いた違和感の一部でしかなかった。

 もう目前まで迫った緋奈の顔を、瞳をもう一度見る。やはり、緋奈は俺しか見ていない。千嵜悠耶という、千嵜緋奈の『兄』しか見えていない。だから……

 

「……もう、戻らねぇよ。何をしたって、時を超えたって…上書きは出来ても、元通りになんか、ならないんだよ」

「え──?」

 

 俺は、緋奈の両肩を掴んで、横に倒す。そのまま俺自身も回転し…今度は俺が、上になる。

 

「…嘘…どうして……」

「前に話したが、俺も色々経験してきたからな。……甘いんだよ、縛り方が」

 

 自由になった俺の両手を見て、茫然とする緋奈。…もっとちゃんと、俺全体を見ていれば、気付けただろうよ。

 

「…俺も、信じてたよ。緋奈はどんどん成長して、どんどんしっかりしてきて、でも俺なんかを慕ってくれる優しい心は変わらないままなんだって」

「…そう、だよ…?わたしは前も、今も、お兄ちゃんの事を……」

「違ぇだろ。…緋奈は何も変わっちゃいなかった。成長はしても、俺を…俺を見る目は、緋奈の中の俺は、あの日から何一つ……これっぽっちも、変わってねぇじゃねぇか」

「…お兄ちゃん……?」

 

 これまで一度たりともする事のなかった、突き放すような言い方。けれど緋奈は理解していない。俺が何を言っているのか、全くもって理解出来ないという顔で、下から俺を見つめている。

 やっと分かった。今日初めて知った。緋奈は、俺に対する表面的な印象や感情こそ、時間の流れと共に更新されているみたいだが…一番根っこの部分は、自分にとっての(千嵜悠耶)は、ずっと変わっていないんだって。真に緋奈が見ているのは、今の俺じゃなく…あの日からずっと、ずっと側にいると言った俺なんだって。

 気付けなかった。或いは、気付こうとしなかった。緋奈との関係が心地良かったから。俺も緋奈も幸せな今が、変わってしまうのが怖かったから。そして何より、緋奈がそう思っている限りは…俺も、『兄』でいられるから。…だけどもう、終わりだ。気付いて、それを口にしたから…もう、元には戻らない。

 

「…さっき、言ったよな緋奈。キス、しようって」

「…うん」

「いいんだな?今ならまだ、冗談だったで済ませる事も出来るぞ」

「冗談なんかじゃないよ…わたしは、お兄ちゃんを…お兄ちゃんが、わたしの側にいてくれるなら……」

「そうか…なら良かった。……正直、俺は…緋奈を、異性としても見ていたからな」

「……ぁ、ぇ…?」

 

 それを言った瞬間、心を締め付けるのは後悔。これは言わないつもりだった。一生言う事なく、俺自身すらも『シスコン』の影に隠す事で誤魔化して終わりにするつもりだった感情。

 だが、言わなくちゃいけない。それが、散々兄だなんだ言ってた癖に緋奈の心の底を理解してやれていなかった俺の責任であり…今の俺を見てもらわなくちゃ、たとえ今この場を何とか収める事は出来ても、いつかまた同じ事が起こる。いつかまた、俺は緋奈を泣かせてしまう。

 

「俺は緋奈を、妹だと思ってる。親父とお袋を、両親だとも思ってる。けど前に言った通り、俺は元々今の時代の人間じゃない。何十年も前に生まれて、今の時代に生まれ変わった人間だ。だから…心のどっかで、ずっと『義理の家族』のようにも感じてたんだよ」

「義、理……?」

「勿論実の家族だとも思ってたがな。でも、緋奈がその気なら俺だってもう気にしねぇよ。…悪いのは、緋奈だからな…」

 

 茫然自失。そんな顔で俺を見つめる緋奈へ吐き捨てるように言いながら、俺は緋奈の太腿へと触れる。

 指先で感じる、滑らかな肌と柔らかい腿の感覚。これまで抱いた事のない背徳感で背中が熱くなって、自然に鼓動が速くなる。……っ…不味いな…これは、予想以上に…。

 

「…ぁ、やっ…お兄、ちゃん……」

「まさか、今更嫌なんて言わないよな?」

「…そ、れは……」

「…ま、嫌なら嫌でもいいけどな。結局自分が求めるばかりで俺の思いに応える気がないってなら、それが緋奈の思う兄妹だってなら、俺は諦めるしかねぇし」

「ち、違う…そんな、事……」

「でも現に、緋奈の中に俺を受け入れられるような気持ちはない。…それが紛れもない事実だろ。ならもう良いじゃねぇか。自分の思いを押し付けるだけの妹に、妹に手ぇ出そうとしてる兄なんて、ある意味お似合いじゃねぇか。だからこれまで通り、互いに勝手に期待して、表面的な仲良し兄妹でもしてようぜ」

 

 脚の付け根、その直前にまで伸びていた指を脚から離して、俺は緋奈の上から降りる。諦めたように、全ての期待を捨てたように。

 そして、ベットからも立ち上がろうとする俺。自分の言葉で、行いで心が荒む中、俺は緋奈から離れようとして……次の瞬間、掴まれる腕。

 

「…や、だ…待ってよ、待ってよお兄ちゃん……」

「…何だよ。もう、話は……」

「終わってない…終わってないよ…っ!やだ、やだやだ行かないで…っ!わたしもう勝手な事言わない…っ!もっと良い子になるからっ、お兄ちゃんの気持ちも受け入れるからっ、もっともっとお兄ちゃんに良い妹だって思われるようにするからっ…!だから…だからっ…わたしを一人に、しないでよぉぉ……っ!」

 

 終わった。そんな事は言わせないとばかりに俺に縋り付いて、追い詰められた顔で、今にも泣き出してしまいそうな表情で、緋奈は言った。何度も何度も、親に見捨てられる事は怯える子供のように、言われているこっちが切なくなってくる位に、自分の兄を引き止めた。

 それから、緋奈は泣き噦る。嗚咽を漏らして、大粒の涙を流して、言葉にならない声を上げて。あの時と同じように。絶対に、何があっても一生緋奈を守ると誓った、あの日と同じように。だから、だから……

 

「…ばーか。俺が本気で、本心からこんな事言う訳ないだろ……っ!」

 

──だから俺は、緋奈を抱き締める。胸の中に抱き寄せて、両腕を背中に回して、離さないように、離れないように、強く強く。

 

「で、でもっ…だって、お兄ちゃん……」

「ああ、ごめんな…怯えさせちまって、怖がらせちまって、ごめんな緋奈…。でもな、俺はちゃんと知っておきたかったんだ。緋奈が俺をどう思ってるのかを。俺も緋奈に知ってほしいんだ。緋奈をどう思ってるかを。けど…あぁ、くそっ…駄目だ、駄目だなぁ俺は…結局緋奈を、また泣かせちゃったじゃねぇかよ…っ!」

「…っ、ぅ…うぁ、うぁぁ……っ!」

「だけど、だけどな緋奈…どう思ったって良い、どう感じてくれたって良い…緋奈にどう思われようが、俺は心から緋奈を大事に思ってる…っ!諦めるかよ、代わりなんているかよ…こんなに大事だって思える妹は、緋奈以外いる訳ねぇよ…っ!」

「……っっ!お、兄ちゃん…お兄ちゃん、お兄ちゃん…ぅ、あ…うぁああああぁぁっ!うわぁぁぁぁぁぁんっっ!」

 

 恥ずかしいなんて思わない。体裁なんて気にもならない。ただただ今は、俺の気持ちを伝えたい。それだけの思いで、俺は俺の気持ちを吐露し、更に強く抱き締める。俺は緋奈が、大切だから。

 その俺の腕の中で、胸元で、緋奈もまた更に強く泣き濡れる。その声で、涙で胸の中に溜まっていた思い全てを吐き出すように。俺に思いをぶつけるように。…だから俺も、受け止める。緋奈も、緋奈の気持ちも、全部全部。

 ちゃんとした話はしていない。俺も緋奈も、勝手に思惑を巡らせて、勝手にその思いをぶつけただけ。…だがそれでも、通じるものがある。伝わる気持ちがある。俺はそう、信じている。

 

「う、ぅぅ…ぐ、すっ…ひっく……」

 

 そうして、五分か十分か、或いはそれ以上か。緋奈はひたすら泣き続け、俺はその緋奈を抱き締め続け、揺れる感情に触れ合った。涙が枯れて、泣き疲れて、俺の服の背を掴んでいた両手の力が弱くなってきた頃、俺はゆっくりと緋奈の頭を撫でて…静かに訊く。

 

「…少しは、落ち着いたか…?」

「……うん…」

「…もう、涙は出し切ったか…?」

「……多分…」

「そっか…」

 

 服に顔を埋めたままの、くぐもった声。その声で返答を貰った俺は、一度天井を見上げて、小さく息を吐いて……言葉を、続ける。

 

「…さっき言った事は、全部事実だ。俺は緋奈を心から血の繋がった妹だと思ってるが、その裏側で異性として見ている俺もいる。俺があの日以降、色々過剰な事をするようになったのは、緋奈の寂しさを少しでも紛らわせてやろうって思ったのもあるが…異性にはそうそう出来ない、妹だからこそ出来る行為をする事で、俺自身を誤魔化してたんだよ…」

「…………」

「それに…緋奈にしか見せない笑顔を、妃乃の話をしている時にしたってなら…それは、偶然じゃない。妃乃も依未も…今の俺にとっては、大事な存在なんだ。出会えて良かったって思ってる、この繋がりは絶対に失いたくないって思う程の、大切な相手なんだ」

「……っ…じゃあ…やっぱり……」

「でも、だからって緋奈はもういい…なんて訳あるかよ。俺の中で緋奈の価値が落ちたなんて訳ねぇし、そもそも上も下もねぇよ。…親父とお袋は、俺が…どうしてもどうしても欲しかった、ずっと夢見ていた、俺の両親に…俺の家族になってくれたんだ。緋奈も家族に、俺の妹になってくれたんだ。本当に夢みたいな時間をくれて、その上で緋奈は今も俺の側にいてくれている。緋奈が俺や親父達を思ってるのと同じ位、俺も緋奈や親父達の事を思ってるし……最初っからずーっと、緋奈は俺の中でかけがえのない妹なんだよ」

 

 今の俺は千嵜悠耶だが、そうじゃなかった頃の俺もいて、今の人生はそこから続いている、そこからの続きの人生だ。その続きの人生だから、肉親でありながらどこか他人にも思えているんだ。

 これまでなんだかんだ言ってきたが、妃乃や依未も俺にとっては大切な存在だ。死ぬ気はないが、二人の為なら俺は命だって懸けられる。今の俺には、それ位に思える相手なんだ。

 そして何より、俺は三人に感謝している。家族の幸せをくれた三人には、感謝してもし切れないし、この思いは生涯変わる事がないと宣言出来る。

 

(そうだ、これは全部俺の思いだ。この全部の思いがあって、他にも色んな思いを持ってる、それが俺なんだ。今の、千嵜悠耶なんだ)

 

 どうしようもない。だってそれが、偽らざる俺の思いだから。それが俺ってものだから。色んな人に育てられて、鍛えられて、支えられて…それで今の俺があるんだから。

 

「…緋奈。さっきも言ったが、変わったものは元の通りになんか戻らない。俺はいつまでも、あの時の俺じゃいられないし、それは緋奈だって同じ事だ。けどさ、変わる事は失う事じゃないんだよ。緋奈が今も親父とお袋の事を思っているように、俺も家族で過ごした時間を覚えてるように、大切なものは色褪せる事なく残り続けて、柱として今の自分を支えてくれるんだよ」

「支えて…くれる……?」

「少なくとも、俺はそう思ってる。俺自身の中じゃ、そうなってるんだって言える。だからさ、緋奈があの時の俺を求めるなら、俺はそれに答えられないが、あの日から続く…いや、緋奈が俺の妹として生まれた時からずっと続いてる、今も積み重なっていってる、全部ひっくるめた俺を好きになってくれるなら……俺達は絶対、前に進める。唯一無二の兄妹として、進み続けられるし、俺はそうありたいと願ってる。…どうだ?緋奈。緋奈は…どうしたい?」

 

 顔を上げた緋奈に、俺は問う。徹頭徹尾、俺の持論でしかないが…同時に俺が積み重ねてきた俺なりの言葉で、俺だけの思いで、見つめる緋奈へと手を伸ばす。

 後はもう、緋奈次第。掴んでくれるか、背を向けるか、それは緋奈の選ぶべき事で…だがどんな選択をしようと、俺の気持ちは変わらない。緋奈への想いも、俺の中じゃ色褪せない柱なのだから。だから俺は…答えを待つ。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。わたしはね…お兄ちゃんが、好き」

「……あぁ」

「これは、家族愛だよ。お母さんも、お父さんも大好きで…だけど二人がいなくなっちゃってから、お兄ちゃんがずっと側にいてくれるって言ってくれたあの時から、もっともっとこの気持ちを強く意識するようになったの。兄妹愛とか、家族愛とか、そんな言葉じゃ収まり切らない位、お兄ちゃんが大好きで……だから、怖かった。お母さんとお父さんがいなくなった世界で、残ってくれたお兄ちゃんまで、お兄ちゃんの心までわたしから離れていっちゃうのが…一人になっちゃうのが、怖くて怖くてどうしようもなかった…。…それは、今も同じだよ…」

「…俺だってそうだ。緋奈を失う事なんて考えたくないし…そんな世界、絶対に嫌だ」

「…前に、進めるのかな…?わたしの中で、この大切な気持ちが、消えちゃったりしないかな…?」

「大丈夫だ。それは俺が保証する。守ってみせる。…大切な、緋奈の願いならな」

 

 緋奈の言葉は、胸の中へ染み入るようだった。漸く俺は、緋奈の心の底に触れられたような気がした。

 最後に緋奈が言葉へと込めたのは、未来への不安。守ってきたものが壊れてしまうんじゃないかという、進む事への恐れ。だから俺は、言い切った。きっととか、極力とか、そんな言葉は全て捨てて…俺は誓う。兄として、男として、家族として。そして……

 

「…そ、っか…それなら…大切な、お兄ちゃんがそう言ってくれるなら…信じて、みようかな…頑張って、わたしも…進んで、みようかな……」

 

 やっと浮かぶ、見慣れた…いつも俺に元気をくれる、緋奈の笑顔。その瞳の端からは、最後の涙の雫が一粒落ちたが…今はそれも、緋奈の笑顔を…踏み出そうとする緋奈の決意を、強く輝かせているように見える。…あぁ、そうだ。緋奈は掴んでくれたんだ。俺の伸ばした手を、自分の意思で。

 

「…ありがとな、緋奈。ずっと、俺の事を想っていてくれて」

「ううん。お兄ちゃんこそ、ありがとね。ずっとわたしの、側にいてくれて」

「おう。…これからは、一緒に進んでいこうな」

「うん…っ!」

「よし…って、なんだまた泣いてるじゃないか…出し切ったんじゃなかったのか?」

「う…多分、って言ったでしょ……?」

 

 泣き過ぎて腫れてしまった瞳から、それでもまた涙を零す緋奈。肩を竦めながらティッシュを渡すと、緋奈は少し口を尖らせて反論。それ聞いて、「しょうがないなぁ」と俺が苦笑すると、緋奈もまた笑って……今の俺は、断言出来る。たとえ涙で濡れていようと、目が腫れぼったくなっていても……今の緋奈は、最高に可愛いと。

 

「…久し振りに、二人で寝るか?」

「え…?…いいの……?」

「いいのってか…どっちかっつーと、俺が訊いてるんだけどな…」

「そ、そっか…ふふっ、それじゃあ顔だけ洗って……」

「…っとそうだ、緋奈」

「うん?なぁに、お兄ちゃ──」

 

 元気を、笑顔を、繋がりを取り戻した緋奈は、穏やかな笑みを浮かべつつひょいと俺のベットから降りる。だがそこで俺は緋奈を呼び止め、何気なく振り返った緋奈の唇へと顔を寄せ……ほんの一瞬、刹那よりも短い時間…………

 

 

 

 

 

 

「…えっ…ふぇっ……?」

「…クリスマスプレゼントだ。愛してるぞ、緋奈」

 

 目を丸くし、次の瞬間一気に赤面していく緋奈ににやりと笑いつつ、俺は言う。……ごめん親父、お袋…でも俺、絶対に緋奈を幸せにするから。それがどういう形になるかは分からねぇし、緋奈と同じ位妃乃と依未も大切だが…それでも息子として、ちゃんと二人が胸を張れるような生き方をするからよ。

 

「なっ、あ、んにゃっ……!?」

「これはまた想像以上にショートしてるな…もっかい言ってやろうか?」

「い、いいよっ!それはそれで嬉しいけど今は止めてっ!…あ、後…それって、妹として…?それとも……」

「さぁて、それはどうだろうな」

「ちょっ…はぐらかさないでよお兄ちゃんっ!ねぇ!」

 

 テンパった顔で肩を揺すってくる緋奈に対し、俺は涼しい顔。……実際には窓を突き破って庭で転げ回りたい位精神がヤバい事になってるんだが…流石にここは格好付ける。だって俺、格好良いお兄ちゃんだし。

 

 

 そうして、俺達のクリスマスパーティーは…そして、深夜の出来事は幕を閉じた。

 俺は、この日を忘れないだろう。出会えて良かったと心から思える三人と過ごした、愛する妹と共に進む事を誓った、この日の事を。



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第百六十話 自分なりのけじめ

 あれから俺は、本当に緋奈と寝た。俺の部屋で、同じベットで、一度内側へ寝返りをすればそれだけで触れてしまうような距離で。

 だがそこに、邪な感情はなかった。…というより、懐かしさから二人で随分と昔の話をした。なんて事ない、他愛ない家族の会話をのんびりと。特に明確な終わりなんて決めず、何となく話し続けて、最後はどっちかが寝落ちする事で終了になる、目的のないただの雑談。…でも、それが心地良い。自然と思い出が蘇ってくるのが、そんな話を出来る事が…それ自体が、俺たちにとっては幸福だった。

 そんな時間を緋奈と過ごし、共に同じ場所で寝て、迎える朝。一日の、始まり。

 

「ふぁ、ぁ……」

 

 目が覚めた俺は、冬の朝の寒さに思わず二度寝してしまいたくなる衝動に抗いながら、ゆっくりと身体を起こす。…まぁ、大丈夫だとは思っていたが…もう縛られていたりはしない。

 

「…ん、みゅ……」

 

 隣を見れば、勿論そこにいるのは緋奈。俺が起き上がった事で掛け布団が捲れて寒くなったのか、緋奈はきゅっと身体を丸める。

 

「…おーい、起きろ〜」

 

 寒そうに丸くなる緋奈は何とも可愛いが、一夜明けた今の俺は至って冷静。だからこそこの状態を妃乃や依未に見られちゃ不味いって事は理解出来てるし、何なら「何かあったらいつでも俺の部屋に来い。遠慮すんな」と、隣の部屋にいる依未に話した事も思い出した。つまり…今はかなりリスキーな状態なのである。…いや、ほんとマジで。

 

「…んぅ……?」

「んぅ?…じゃなくてだね…ほれほれ起きろ」

「んぅぅ……おにぃひゃん、おはよぉ……」

「おはようさん。早速だが、この状況を冷静に考えてみてくれないか?」

「冷静に…?……あ…」

 

 見た目通りに柔らかい頬をつっつく事十数秒。目を擦りながら起きる緋奈に頭を働かせるよう言うと、ぽけーっとしていた緋奈の顔は数秒後固まり、その後「あー…これは……」みたいな感じに。

 

「…ご理解頂けたかな?」

「うん…今妃乃さんや依未さんが入ってきたら、お兄ちゃんは二人から軽蔑の視線で見られる事になるね……」

「だろうな…って訳で緋奈、悪いが……」

「待って、お兄ちゃん。その前に…どうしても、これだけは言っておきたいの」

 

 十中八九理由や経緯も聞かずに軽蔑の視線を向けてくるだろうし、それは何ともまあ理不尽な訳だが、 状況的には完全に「そういう感じ」になっちゃってるんだから仕方ない。てか、俺だって妃乃達の立場なら同じように思うだろうし。

 ともかく、このままは不味い。最低でも緋奈がベットから降りてくれなきゃ軽蔑必至。そしてそれは緋奈も理解してくれたようだから、俺は降りるよう言いかけて…けれどそこで、緋奈が遮る。真剣な顔と、真剣な声で。

 それから緋奈は、ある事を言った。これから自分がしようとしている……自分なりの、けじめの話を。

 

 

 

 

 数十分後。着替えて顔を洗った俺は、ソファに…緋奈の隣に座って、待っていた。妃乃と依未が、姿を現すのを。

 

「お待たせ。悪いわね、待たせちゃって」

「いえ、わたしこそすみません。朝から呼び出してしまって…」

 

 依未に少し遅れる形で、リビングへと入ってくる妃乃。最初に緋奈に呼ばれた時点で、緋奈の只ならぬ雰囲気を感じ取っていたのか、妃乃は既に真面目な顔。

 

「…で、話っていうのは……」

「…うん」

 

 同じく真面目な、同時に少し緊張も感じられる顔で依未が緋奈へと話を振る。振られた緋奈は答えながら頷くが…やはり、その表情は固い。

 

「…大丈夫か?どうしてもキツいなら、俺から話しても……」

「…ううん、大丈夫。これはわたしが、わたし自身で話さなきゃいけない事だし…お兄ちゃんから言うのも、変でしょ?」

「…そう、だな…なら、頑張れ緋奈」

 

 助け舟を出そうとした俺だったが、緋奈は首を振って拒否。普段なら、ここで食い下がる俺だが…今回は別。緋奈からの返答に頷いて、助け舟の代わりにエールを送る。

 今の俺の言葉が、緋奈の背中を押せたのかは分からない。だが俺と言葉を交わした緋奈は胸の前で右手を握り、深呼吸をし……立ち上がる。

 

「…妃乃さん、依未さん」

「…………」

「…………」

「…ごめんなさい。わたしは二人に、謝らなきゃいけない事があります」

 

 そして、緋奈は語る。どうしてパーティーを提案したのかを。その中で、自分が何を画策していたのかを。包み隠さず、はっきりと。

 それが、俺の部屋で話してくれた、緋奈のけじめ。自分の思いの為に、二人を利用した事への、最初の償い。流石に全てを話した訳じゃなく、二人には関係ない…例えば俺が緋奈に語った内容とかは、飛ばすか要約するかに留めていたが……それでも緋奈は、二人の前で明かした。自分の気持ちも、した事も、しようとした事も…全て。

 

「……これが、わたしの考えていた事、していた事の全てです。本当に…ごめんなさい」

 

 最後まで言い切った緋奈は、二人に向けて頭を下げる。深々と、誠意を込めて。

 聞いている間も、緋奈が話を締め括ってからも、妃乃と依未は何も言わなかった。話の最中の表情から驚いている事は分かったが…緋奈にどんな思いを抱いているのか、それは全く分からない。

 

「…二人共、ただで許してくれとは言わない。でも……」

 

 話し終えた事で、訪れた沈黙。緋奈も頭を下げたまま。この件に関して無関係じゃない…それどころか責任の半分は自分にあると自負している俺が、その沈黙の中で声を上げ…けれどそれは、妃乃が俺に向けて挙げた手によって止められる。

 俺と依未が見つめる中、妃乃もまた立ち上がる。そして妃乃は、緋奈の前へ。

 

「…頭を上げて頂戴、緋奈ちゃん」

 

 落ち着いた、穏やかな声で話す妃乃。その言葉を受けて、ゆっくりと緋奈が顔を上げると、妃乃は緋奈の肩へと右手を置く。

 

「まずは、隠さずに話してくれてありがとね。その話は、私達には知る由もない…隠そうと思えば黙っているだけで隠し通せる事なのに、緋奈ちゃんは包み隠さず話してくれた。…それが、嬉しいわ」

「…はい」

「それに、緋奈ちゃんが悠耶をどう思うかも貴女の自由よ。その中で私や依未ちゃんに実害を、迷惑をかけた訳じゃないし、むしろ私達は緋奈ちゃんがパーティーを提案してくれたおかげで、これまでした事のない体験をする事が出来た。…そうでしょ?依未ちゃん」

「あ……はい。あたし、誘われるまでこんな経験出来るなんて、思ってもみませんでした…」

「…妃乃さん…依未さん……」

「ね?私達は、感謝してるのよ。理由はどうあれ、私達は昨日本当に楽しかったから」

 

 妃乃が口にしたのは、感謝の言葉。何よりもまず正直に話した事へ、それからこのパーティーで自分達が得られたものについて感謝を伝え、訊かれた依未も頷いて同意。…だが、優しさと甘さの違いを知っている妃乃は、だけど、と続ける。

 

「…緋奈ちゃん。貴女は、私と悠耶の…外での会話を盗み聞きしていた。自分の目的の為に私を焚き付けて、私も依未ちゃんも利用して、何食わぬ顔をしていた。…分かるわよね?緋奈ちゃんが私に言わせようとした、私が言った言葉は、誰もいないからこそ…相手と二人だったからこその言葉だって。それを誰かに聞かれる事が、どれだけ恥ずかしいのかって」

「…………」

「貴女は正直に言ってくれた。だから私も丸く収める為だけの言葉なんて言いたくないし、緋奈ちゃんは覚悟を持って話したんだと思うから…私も正直に言うわ。……不愉快よ、そういう事をされるのは」

「……っ…ごめん、なさい…」

 

 不愉快。真っ直ぐに緋奈を見て、妃乃はそう言い切った。そのすぐ前に挙げた「丸く収める為だけの言葉」の方がずっと楽だろうに、それを分かった上で妃乃は、非難の言葉を緋奈へぶつけた。

 その言葉を聞いた瞬間、緋奈の表情が歪む。覚悟があろうと、非難されたのならそれは当然の反応で…だけどほんの少し、俺は安心もした。

 何故なら、緋奈にとって妃乃がどうでもいい相手なら、表情に出る程心が揺れたりはしないだろうから。昨夜妃乃についても緋奈は言っていたが、あれは建前ではなく、本当に妃乃に対して尊敬の念を抱いているんだって分かったから…良かったって、俺は思った。

 

「聞かせて頂戴。緋奈ちゃん、貴女のした事は、したかった事は、私達を利用するだけの、私を裏切るだけの価値が…意味がある事だったの?」

「え…?…それは、さっき……」

「私が聞いてるのは行為じゃないわ。緋奈ちゃんの、気持ちよ」

「……はい。反省はしています。こんな程度で許してもらおうなんて思っていません。でも…後悔も、していません」

「…よく、私の前でそれを言えたわね」

「包み隠さず話すって、決めましたから」

「…そう。じゃあ、ちょっと目を閉じてくれるかしら?」

「え…?あ、はい……」

 

 普通なら緊張してしまう、聞いているだけの俺でも若干の威圧感を感じるような妃乃からの問い詰めを前に、緋奈は一度も目を逸らす事なく、正直に答えた。はっきりと、堂々と。

 それが、その姿が、妃乃の目にどう映ったかは分からない。けれど妃乃聞き終えた妃乃は緋奈に目を閉じるように言い、その要望に不思議そうにしながらも緋奈が目を瞑った数秒後、妃乃はゆっくりと右手を上げて……

 

「……あぅっッ!?」

 

 べちんっ、と結構大きめの音が鳴る位のデコピンを、緋奈の額へと打ち込んだ。

 

「その潔さ、素直さに免じて、今回はこれで許してあげるわ。文句はないわよね?」

「……こ、これでって…こんなので、良いんですか…?」

「こんなのでも良いって思ったから言ったのよ。むしろこれも、お咎めなしじゃ逆に緋奈ちゃんが気に病むと思ってやっただけだし……理由はどうあれ、私も前に緋奈ちゃんを騙してたんだもの。それを緋奈ちゃんは許してくれた以上、私も許さない訳にはいかないわ」

「…でも、それとこれとは……」

「だから、私が良いって言ってるでしょ?…それに、聞こえなかった?私は、『今回はこれで』って言ったの。…その意味は、分かるわよね?」

「……ありがとうございます、妃乃さん。…肝に、命じておきます」

 

 緋奈が両手で額を押さえ、『(>x<)』…こーんな感じの顔をする中、ふっと表情を緩めて妃乃は続ける。戸惑う緋奈を諭すように、許す理由を緋奈へ伝えて…だが最後は、トーンを落とした本気の声で言葉を締めた。それを受けた緋奈も、しっかりと一つ頷いて、引き締めた顔で妃乃に答えた。

 これを、デコピン一つで許すのを、甘いと見るかどうかは人それぞれ。だけど俺は、これで良かったと思う。良いに決まってる。何せ、緋奈と妃乃がそれで納得したんだから。

 

「…さ、次は依未ちゃんね。ごめんなさい依未ちゃん、勝手に私から言っちゃって」

「うぇ…!?あ、い、いやその…あたし、は……」

「……依未。勝手で悪いが…許すであれ怒るであれ、ちゃんと緋奈に言ってやってくれないか。依未の、依未自身の言葉で」

「……っ…」

 

 次は貴女の番よ、とばかりに元居た場所へ戻る妃乃。振られた依未は慌てていたが…俺は依未に頭を下げて、頼み込む。どんな言葉であっても、きちんと伝えて…ぶつけてほしいって。

 それは勿論、緋奈の為。だからどうしても嫌だと言うなら、俺は依未に強要なんて出来ない。けど、依未は暫く迷った末…口を開く。

 

「…あたし、的にはその…正直言うと、ショックだった…妃乃様の時も言ったけど、あたしこんなの初めてだし…だから楽しかったし、嬉しかったし……」

「…ごめんなさい。その思いを、踏み躙って……」

「う、ううん。怒ってる訳じゃないの…ただ、ショックだったってだけで…それに、あたしも『家族』ってものには色々思うところがあるから、気持ちは分かる…じゃないけど、許せない…って気持ちにはならなくて……」

 

 すぐ前で、緋奈を見据えて話していた妃乃とは対照的に、依未は落ち着かない様子で指を突き合わせながら、何度も視線を逸らしながら言葉を紡ぐ。

 声音も、妃乃のように堂々とはしていない。でもだからこそ、用意した言葉ではない、ありのままの本心だった事が分かる。…勿論、妃乃の言葉だって本心には違いないが。

 

「…ねぇ、緋奈…あたしも、一つ…訊いていい…?」

「…うん」

 

 数秒間沈黙し、再び口を開いた依未の問い。一拍置いて緋奈が頷くと、依未はもじもじとさせていた指を離し、緋奈と目を合わせて、言う。

 

「…あれも…あたしが泊まっていくのを提案してくれたのも、切っ掛けを作る為だったの…?それだけの為に、あの場で思い付いて言ったの…?」

「…それは……」

「……い…言い辛かったら、言わなくてもいいから…!あ、あたしは別に……」

「…そうだよ。切っ掛けを作る為に、わたしは提案した。そうじゃないって言ったら…それは、嘘になる」

「……っ、そ…そうよね…うん、ごめん…訊くまでもない事だっ……」

「でも、でもね…それだけじゃ、ないの。信じてもらえないかもしれないけど…それだけの為に、言ったんじゃない」

 

 その視線にも顔を逸らす事なく、緋奈は答える。答えて、その返ってきた答えに依未は悲しそうな顔になって…だがまだ、緋奈の答えは終わっていなかった。ふるふると首を横に振って、改めて依未の方を向いて、緋奈は続ける。

 

「わたし、依未さんには感謝してるの。凄く凄く、感謝してる。だって、わたしとお兄ちゃんが喧嘩した時、仲直り出来たのは依未さんがお兄ちゃんと話してくれたからだから」

「…あれは…ただ、あたしが気に食わなかっただけで……」

「だとしても、あんなに早く仲直り出来たのは、依未さんのおかげだよ。だから感謝してるし…あの時は、本当に思ってたの。こんなに楽しい時間を過ごせたのに、最後は一人で、自分しかいない場所に帰るなんて、そんなの寂し過ぎるって。家族と過ごせたいのは、悲しいって。切っ掛けになるとも思ってたけど、わたしなりに依未さんへ何か出来ないかなって、ちょっとでも恩返ししたいなって思いもあって、そんなことを考える内に気付いたら言ってて……」

「…緋奈……」

「だから、その…今更、虫の良過ぎる話だって思うと思うけど…ずっとわたしの中では、依未さんと…友達になりたいな、って…思ってたから……」

 

 初めはしっかりと、妃乃と相対していた時と遜色ない雰囲気で話していた緋奈。だが次第にその落ち着いた雰囲気が崩れていき……最後はさっきの依未の様にもじもじと、少し恥ずかしそうにしながら緋奈は言った。依未と、友達になりたいんだって。

…正直に言おう。この瞬間の緋奈は、めっさ可愛かった。いじらしいというか、愛らしいというか…とにかく頬をちょっぴり染め、ちらちらと依未を見ながら言う緋奈の仕草は、依未に嫉妬してしまいそうな程に可愛さが振り切っていた。

 そして、そんな緋奈に友達になりたいと言われた依未は……

 

「…はぅっ……」

「えっ…よ、依未さん……?」

 

 まるで胸を撃たれたかのように、胸元で両手を握って軽くよろめいていた。…うん、この流れ昨日も見たぞ。

 

「……ちょ、ちょっと悠耶…」

「お、おぅなんだなんだ…」

 

 緋奈が驚き、妃乃もまたほっこりした表情を浮かべているながら、俺の前に来た依未は俺の袖を引っ張りながら部屋の外へ。俺も抵抗せずに廊下に出ると、依未は俺へと迫るようにして言ってくる。

 

「あ、あんたの妹何なのよ…!?可愛過ぎるんだけど…!?」

「…だろ?」

「自信満々な顔すんな…!」

 

 予想通りというか何というか、やはり依未が言ってきたのは緋奈の可愛さの事。滅茶苦茶可愛い緋奈が見られたのと、その可愛さの理解者を得られた嬉しさからつい俺が中身のない反応をしてしまうと、依未は怒って返してくる。…って、ん?

 

「…なんで怒ってんの…?」

「お、怒ってないわよ…!そうじゃなくて……」

「…そうじゃなくて?」

「……あ、あたしみたいに捻くれ切った人間が、あんな清い女の子に『友達になりたい』なんて言われても、どう返せばいいか分かる訳ないでしょ…!それ位察しなさいよ馬鹿…!」

「えぇー……俺はその発言にどう返したらいいか分からねぇよ…」

 

 気持ちは分かる。俺も捻くれてる側の人間だから、凄く分かる。でもそれをさらりと入れた自虐と共に、変な圧で言われちゃ流石に俺も困惑する訳で……。

 

「あのー…依未さーん……?」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 さてどうしたものか。それを考えようとした瞬間に、開かれた扉とそこから出てきた緋奈の顔。呼ばれた依未はびくぅ!…とこれまた分かり易く反応していて、声も裏返ってしまっていた。…これはこれでちょっと可愛いな…。

 

「その…困らせたのならごめんなさい…依未さん優しいのに、こんな事言えば気を遣わせてしまう事位、ちょっと考えれば分かるのに……」

「や、優しい…?…あたしが……?」

「うん…さっき話した事もそうだし、お兄ちゃんには遠慮がないけど、本気で傷付けようとしてる訳じゃないのは何となく伝わってくるっていうか…文化祭の時も、勝手に手伝ったお兄ちゃんに対して、最後お礼を言ってたから…」

「う……」

 

 友達になってほしいなんて言われたら、優しい人は断るのを躊躇ってしまう。それが負担になってしまう。そんな思いがあってか緋奈の方がまるで年下の様な雰囲気になってしまい、依未も依未でまさか優しいと言われるなんて思ってなかったからか、助けを求めるような視線を俺の方へ。…うん、これも分かる。俺達の心をぶっ刺し合うやり取りの中から優しさを見出だすとか、一番優しい心を持ってるのは間違いなく緋奈だよな。…でもまぁ、このままじゃ埒があかんし、助け舟を出してやるか…。

 

「あー、こほん。緋奈、分かってると思うがこの通り依未は俺と同類、即ちぼっち予備軍だ。いや、ひょっとすると予備軍じゃなくて真性のぼっちかもしれん」

「な……ッ!?だ、誰がぼっちよ誰がッ!」

「あ、すまん。友達いたなら今のは訂正するわ」

「うぐっ……」

「…とまぁ、こんな感じなのが依未だ。だから緋奈、友達になってほしいっていうか、友達になってやってくれ。依未もそれで良いだろ?」

「……っ…ぅ、うぅぅ…!」

 

 こういう時は、流れを変えて強引に進めてしまう方が良い。綺麗にお膳立てするより、引っ掻き回す方が上手くいくって事もある。そういう意図の下、話の主導権を俺が奪い、俺から緋奈に向けて提案。…どさくさ紛れに依未を弄ったなんて事はないぞー?あったとしても、それは偶然だぞー?

 

「…え、と…お兄ちゃん、こんな事言ってるけど……」

「……そうよ、ぼっちよ…でも、あたしだって好きでこうなったんじゃ…」

「そっか…じゃあ、わたしが依未さんの始めての友達だね」

「うぇ…?…い、いいの……?」

「勿論だよ。だってそもそもわたしから言った事だもん。…だから…改めて宜しくね、依未ちゃん」

「……っ…う、ぁ…」

「……依未」

「……こ、こっちこそ…よ…宜しく…緋奈…ちゃん…」

 

 しょぼくれる依未を前に、にこりと笑いかける緋奈。完全に立場が逆となる中、依未からの訊き返しに緋奈は軽く肩を竦めて、依未の両手を包むように握る。

 微笑まれ、物理的にも精神的にも曇りのない優しさに包まれて、またさっきの状態になりかけた依未だったが、俺が小突いた事で我に返り、滅茶苦茶緊張しながらも返答。ぎこちなく、かなり恥ずかしそうな様子を見せながらだが笑みも返して……ここに、新たな友達関係が一つ生まれるのだった。

 

「良かったわね、二人共」

「あ、妃乃さん…」

 

 いつの間にか近くへと来ていた妃乃の言葉に、緋奈は首肯。次に妃乃は俺へと視線を移してきて…俺もまた、軽く肩を竦めてみせる。

 二人が友達になる事で、俺に何か影響がある訳じゃない。だが、実際のところ俺も安心していたっていうか、良かったと思っている。何せ二人は可愛い妹といつでも力を貸してやりたい相手なんだ。その二人が仲良くなるなら嬉しいし…依未が俺以外に少しでも気の許せる相手が出来たのなら、それは俺にとっても嬉しいんだからな。

 

「さて…それじゃあこれで、この話は一件落着ね。皆、異論はないでしょ?」

「そうだな。…俺からも感謝するよ。ありがとう、二人共」

「そのお礼には及ばないわ。色々言ったけど…結局は、今日とこれまでの緋奈ちゃんの在り方が、私達に許そうって思わせたんだもの」

 

 腕を組み、軽く頬を緩めて妃乃は言う。それに依未もこくりと頷く。そして二人の反応を聞いて、見て、俺は思う。確かにそうかもしれないが…同時に、二人の優しさもあってこそ、この件は全員が納得する形で、誰も不満や負の感情を抱く事なく一件落着したんだろう、と。あぁ、そうだ…全く三人とも、俺には不釣り合いな位良い性格をしてるんだよな…。

 

(…って、良い性格じゃ逆の意味っぽくなるな…ややこしい皮肉があるもんだ……)

「さ、話は済んだし朝食にしましょ。依未ちゃんも、朝ご飯食べていくでしょ?」

「あ…えっと、はい。ご迷惑でないのなら……」

「勿論よ、こんな朝から食事も出さないで帰す方が無礼だし」

「妃乃もすっかりうちの一員である事が板についてきたなぁ…んじゃ、ぱぱっと作っちまうか」

「あ、ならわたしも手伝うよっ、お兄ちゃん」

「うぉっ…!」

『な……っ!?』

 

 そうして緋奈自身が選んだけじめも付いて、妃乃の言う通り一件落着。後はもう、昨日までと同じ日常に戻るだけで……と思った瞬間、屈託のない笑顔で俺の腕に抱き着いてくる緋奈。時々スキンシップ取ってるし、何なら昨夜は添い寝だってした俺な訳だが、それでもいきなり抱き着かれれば驚く訳で…それは勿論、妃乃や依未だって同じ事。二人共妹というか彼女みたいに抱き着いた緋奈の行為に目を見開いて、その場で固まってしまっている。

 

「…ね、お兄ちゃん…愛の形は色々あるし、わたしだってはっきりしない、曖昧な心の部分はあるけど…それでも、お兄ちゃんが大好きだって気持ちは、変わらないからね?」

 

 抱き着いた状態からほんの少し大人びた表情を浮かべ、小声で…妃乃と依未には聞こえているかいないかの微妙なラインで、俺に向けて緋奈は言う。その表情と仕草に、真っ直ぐな言葉に、思わず俺は惚れそうになってしまい……それから、思うのだった。やっぱり緋奈は、最高に可愛い、俺にとって最高の妹だな、と。

 

 

 

 

「……で、お兄ちゃん。わたしは何をすればいい?」

「あぁ、うん。それじゃあ緋奈は、ラジオ体操に行ってスタンプ貰ってきな」

「はーい。…って、いやもうわたし高校生だよ!?今は冬だよ!?何より料理全く関係ないよ!?な、何故に!?」



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第百六十一話 年末は実家で

「前回で漸くクリスマス編が終わったと思ったら、今回はもう年末年始編だよっ!」

「いきなり何!?そしてどこへ向けて言ってんの!?」

 

 十二月末。単なる月の終わりではなく、一年の終わりという特別な時期。そんな中のある日……突如として綾袮さんは、奇声を上げた。

 

「ちょっとー、奇声って表現は酷くない?わたしちゃんと言葉を発してたよ?」

「その内容が奇抜過ぎるんだよ…」

「でも、これって第一話からメタ発言とかパロディネタとか出てくるような作品じゃん」

「だとしてもだよ…!そうだとしても、突っ込み不在でメタネタやパロネタが処理されないまま流れるとかアウトに決まってるでしょうが…」

 

 開幕からフルスロットルでぶっ込んでくる綾袮さんに、俺は辟易。…うん、まぁ…俺も開幕とか普通にメタい事言ってるけど…仕方ない仕方ない。だって、発端は綾袮さんだし。

 

「…フォリン、二人は何を話してるの?」

「さぁ?でもこの件に深く突っ込むのは止めておきましょう」

「ん、分かった」

 

 背後から聞こえてくる、ロサイアーズ姉妹のやり取り。それは一見、普通の会話なようだけど…さぁと言いつつ深く突っ込むのを避けてたり、説明になってない返答で即納得してる辺り、二人も実は分かってるな…?

 

「(まぁ、いいけど…)…で、もう準備は済んでるの?」

「もっちろん。このわたしがやるべき事を疎かにしてボケに走ると「思う」…おおぅ、即答どころかフライングで答えが返ってきたよ…ほら、ちゃんと出来てるよー…?」

 

 そう言って綾袮さんは荷物の入った鞄を持ち上げる。尚且つ傍らにはキャリーケースも置いてあって、確かに準備は済んでいる様子。だから俺は納得し、綾袮さんに向き直る。

 今は年末。つまり、普通は実家に帰って家族と過ごす時期。で、その普通は綾袮さん…というか霊装者にも該当する訳で、ついさっきまで綾袮さんはその準備を行っていた。

 

「なんか、久し振りに帰る感じだなぁ…双統殿にはしょっちゅう行ってるし、向こうに泊まる事もちょくちょくあるのに……」

「それは綾袮さんが今自分で言った通り、『帰る』じゃなくて『行く』、って感覚だったからじゃない?」

「あー…言われてみるとそうかもね。顕人君、何かあったらすぐ連絡してよ?二人がいるとはいえ、わたしも年末年始の行事で忙しかったりもするんだから」

「…忙しいのに、連絡してなの?」

「忙しいからこそ、だよ。忙しいと、普段なら気付ける事も気付けなくなっちゃうからね」

 

 一瞬忙しい事から抜け出す口実に…なんて思った俺だけど、話してくれた理由は至ってまともなもの。純粋に俺の身を案じてくれていた訳だから、俺は心の中で謝りながらその言葉にしっかりと頷いた。

 

「宜しい。じゃあ、次に会う時は……」

「うん、次は新年──」

「法廷だねッ!」

「なんでッ!?」

 

 びしりっ、と謎の宣戦布告をしてリビングから出ていく綾袮さん。でも流石にこれを最後の言葉にするのは嫌だったのか、すぐにまた扉を開いて、「じゃあね皆。一年間…じゃないけど、今年はありがと」と今度こそ挨拶。それを受けた俺達も玄関に行って、三人で出ていく綾袮さんを見送る。

 

(…いやはや全く…夏も冬もいつでも綾袮さんはブレないなぁ……)

 

 見送ってからの数秒後、自然と浮かぶのは苦笑い。一体何をどうしたらあの全体的に落ち着いてる感じの家庭環境で、こんな賑やかな性格になるんだろうとか思いつつも、俺はくるりと振り返る。

 

「さて、それじゃあ俺達もそろそろ行こうか。戸締り確認してくるから、二人も荷物の確認しておいて」

「うん。顕人のも見ておく?」

「俺の荷物は物色しなくて結構です」

 

 自然な感じで差し込まれた発言にさらりと返しつつ、俺は家の中を回る。

 当然年末なんだから、ちょくちょく帰ってる俺だって帰るし、家でゆっくりするつもり。だがその旨を電話した際、何故か段々話が逸れていき、何と最終的に「イギリスから来た二人の子もうちに来てもらったらどう?二人もそっちの家に残るんじゃ心細いでしょう?」…という話になってしまった。しかも、経歴から考えれば心細くも何ともないだろうなぁ…と思いつつその場で二人に聞いたら、うちに来てみたいとか言われてしまった。しかもしかもこれを綾袮さんに話したところ、「そっちの方が何かと安心出来るし、良いんじゃないかな?」と返され、完全に決定事項となってしまった。詰まる所…ラフィーネさんとフォリンさんが、うちの実家に泊まるのである。

 

(…まぁ、良いけどね…後になってからだけど、母さんからは文化祭で二人の姿を見かけたって話も聞いてるし……)

 

 男として緊張するところはあるけど、もう家から出るところなんだから今更考えたって仕方ない。という訳で確認を終えた俺はリビングに戻り、荷物を持って、二人と共に家の外へ。

 

「これでよし、と。んじゃ、行きますか」

『おー』

 

 鍵を閉めて振り向くと、返ってきたのは何とも緩い感じの声。その声にまた俺は苦笑いし……帰省するべく、家を後にするのだった。

 

 

 

 

 元々自動車や公共交通機関を使わなくても行ける距離にある、俺の実家。そこそこの頻度で帰ってるから、久し振りって感じはあんまりないけど……それでもとにかく、俺は実家に帰ってくる。

 

「ほほぅ、ここが先輩の実家ですか。中々趣のあるご自宅ですね」

「え、そう?」

「いや、適当に言ってみただけっす。そもそも自分、人の言う『趣』自体いまいち分かりませんし」

「なら何故言ったし…」

 

 軽い感じで上げられ即落とされるという、全然嬉しくない経験を家の前でする事となった俺。家出る時は姿がなかったから、「まさか…」って思ったけど、やっぱ普通に付いて来ていた様子。

 

「……?顕人さん、何か言いました?」

「いや、何でもない」

 

 フォリンさんからの問いに肩を竦めて誤魔化し、俺は敷地の中へ。そのまま進んで、玄関の扉に手を掛け、いつものようにその戸を開く。

 

「ただいま〜」

「…あ、お帰り。それに…二人共、いらっしゃい」

「…お邪魔します」

「数日間、お世話になります」

 

 中に入って数秒後、リビングの扉が開いてそこから母さんが姿を現す。その母さんを見て、ラフィーネさんとフォリンさんはぺこりも頭を下げ…母さんは目を丸くする。

 

「…母さん?」

「…何でもないわ。さ、上がって頂戴」

 

 何だろうと思って呼んでみると、我に返った様子の母さんは二人をリビングへと案内。…うん、ちょっと緊張するな…。

 

「…これが、顕人の……」

「やはり、向こうより色々と使われている感じがありますね…」

 

 手を洗い、勧められた食卓の席に二人は座ると、母さんがお茶を淹れている間にそんな事を口にする。

 確かに改めて見ると、家具も壁も向こうの家より年季…じゃないけど、使われてるって雰囲気がある。まだ使われ始めて数年の家と、俺が生まれる前から使われてる家なんだから、そこに差があるのは当然だけど。

 

「顕人ー、ちょっとそこの棚から紅茶用のスプーン取ってくれる?」

「え?あー、はいはい」

 

 二人につられて俺もリビングの中を見回していると、そこで母さんからかけられる声。それを受けてスプーンを取りに行くと、すぐ近くで紅茶を淹れる母さんから次なる声が。

 

「…話には聞いていたけど…二人共、凄く日本語が流暢じゃない」

「(あぁ、だからさっき驚いてたのか…)うん、霊装者の世界じゃ日本語が重く見られてるんだってさ。だからって誰でも話せる訳じゃないらしいけど…」

 

 流暢に日本語を話せるなんて俺からしたらもう今更な話だけど、確かに母さんからすれば驚くのも当然の事。だから簡単に説明つつ、俺は「そういえば初めて二人と会った時もこんな会話したなぁ…俺は訊いた側だったけど」なんて事を思い出す。

 それから紅茶は食卓へ運ばれ、二人はそれを飲んで一息。俺も俺で淹れてもらった紅茶へと口をつけ、二人と母さんのやり取りを眺める。

 

「ごめんなさいね、こんな広くもない家に呼んじゃって」

「いえ。私達も顕人さんの家には来てみたかったので、呼んでくれてありがたいです」

「そう?そう言ってくれると助かるわ。…えぇと、それで…貴女が妹で、貴女が姉…なんだっけ?」

「そう。フォリンは、わたしの妹」

「そうなのね。ふふっ、うちは息子一人だから、姉妹の二人が少し羨ましいわ」

 

 

「…………」

 

 俺の母親は、どちらかと言えば社交的で他人と話す事も気兼ねなく出来る人物だと思う。ってかそんな感じに思ってた。でも流石に今回は初めて話す相手だし、日本語が通じるとはいえ外国人相手なんだから、適宜俺が間に入る必要もあると思ってたんだけど…なんかすっごい、普通に話が盛り上がってるんですが…。え、何これ?何この予想以上の手持ち無沙汰……。

 

「蚊帳の外っすねぇ、先輩。また自分と出掛けます?」

「そんな悲しい理由で出掛けてたまるか…母さーん、一旦二人を部屋に案内したいんだけど……」

「…っと、そうだった。二人共、布団で大丈夫…なのよね?」

「大丈夫。わたしもフォリンも、大体の所で寝られる」

「気を回した振りして、体良く蚊帳の外状態を解消する…強かですねぇ、先輩」

「うん、褒める体でがっつり弄るのは止めようか慧瑠」

 

 威圧を込めた笑みで慧瑠を黙らせた俺は(って言っても俺がそんな威圧感ある顔出来る訳ないし、黙ってくれた…が正しい表現だけども)、二人をリビングから客間に案内。そこで同じく移動させてきた荷物を置いてもらって、布団の敷き方を説明する。

 

「…って感じで、しまう時は三つ折りにしてね。まあ、何か分からなければその都度呼んでくれていいんだけどさ」

「大丈夫ですよ、流石に私達もこれ位は分かります」

「はは、それもそうか…」

「それもそうです。…しかし…気さくなお方ですね、顕人さんのお母さんは」

 

 布団の話から移る形で、フォリンさんが口にしたのは母さんの事。それはラフィーネさんも思っていたようで、フォリンさんの言葉に軽く頷く。

 

「まぁ、ね。俺も母さんとは結構冗談言い合ったりもしてるし」

「親と、ですか…。…少し、羨ましいです…」

 

 そこはかとなく気恥ずかしくて頬を掻きつつ答えると、フォリンさんは意外そうな顔をして……それから彼女が浮かべたのは、儚げな表情。

 その顔と声で、俺は思い出した。フォリンさんとラフィーネさん…二人は幼い頃に孤児になった事、それにフォリンさんは両親の顔ももう殆ど覚えていないって事を。

 

「…ごめん、フォリンさん。配慮が足りなかった…」

「え…?…あ…わ、私こそすみません…!私、そんなつもりじゃなくて…ほんとにただ、そう思っただけで……」

 

 自然と口を衝いて出た謝罪に対し、フォリンさんもまた慌てて謝罪を返してくる。表情からして、ほんとに他意なんてない…思った事をそのまま口にしただけなんだろう。でも、それが分かってもお互い謝った事で「そういう空気」は出来てしまって、その空気の解消は難しいもの。

…と、思っていたけど…そんな気不味い空気の中で、ラフィーネさんが口を開く。

 

「顕人のお母さん、顕人に似てる」

「…そ、そう…?」

「そう。話し易いところとか、笑った時の感じとか……後、何となく普通な感じがあるとことか」

「へ、へぇ…まあ、俺の母さんな訳だからね……」

 

 急にラフィーネさんが言い出した、俺と母さんの似ている部分。三つ目で軽くダメージを受けた俺だけど、ラフィーネさんの事だから他意はない筈。だってラフィーネさん、俺を弄る時はもっとがっつりしてくるし。…でも、そういう事じゃないのなら……

 

「…………」

「…………」

「……?」

「いや、『……?』…じゃなくてだね…もしかして、気を遣って話を振ってくれた?」

 

 俺からの問いに、こくんと頷くラフィーネさん。…あぁ、やっぱりそういう事だったのね…続きのない単発で変な空気になっちゃった辺り、ラフィーネさんらしいな……。

 

「…うん、まぁその…さ。浅い付き合いでもないんだから、母さん…それにその内帰ってくると思う父さんの事は、親戚の人だとでも思ってよ。二人も、それを嫌だとは思わないだろうしさ」

「…はい。顕人さんがそう言ってくれるのなら、出来るかどうかは分かりませんが…お言葉に甘えようと思います。……でも、義理の両親だと…とは言わないんですね?」

「な……ッ!?そ、それは…いや、ほら…」

 

 何はともあれ、気遣ってくれたラフィーネさんの気持ちを蔑ろになんてしたくないから、頬を掻きつつ俺が提案すると、きっと俺と同じ気持ちだったフォリンさんは、さっきのラフィーネさんのように首肯。抽象的な言葉ではなく、具体的な事を言ったのも良かったのか、それによって空気は改善され、俺も俺で一安心。

……と思いきや、そこに続けてフォリンさんが言ってきたのは、含みのある…というか、含みしか感じられない際どい言葉。不意を突く形で発された言葉に俺は狼狽えてしまい、それを見ていたラフィーネさんもまた口を開き……

 

「ところで顕人。さっきの『いや』と『…じゃなくてだね』の間の部分って、どうやって発音してるの?」

 

 全っ然今の流れと関係のない、天然100%の質問を俺に向けてしてくるのだった。…みーんなブレないよね、うちの面子って…。

 

 

 

 

 よく帰っているから積もる話なんてなく、元々冬休み中という事もあって、それから夕飯まで俺はのんびりと過ごした。母さんが作ってくれるから夕飯も俺がやる必要はなく、丁度出来上がったところで父さんが帰宅。夕食は五人で食卓を囲む事となり、お馴染みのようでも新鮮なようでもある空気の中で食事を取った。

 

「ふぃー…ちょっと暑い……」

 

 で、今俺がいるのは脱衣所。今し方風呂から出たところで、風呂場内でも拭いた身体を軽く拭いてから寝巻きに着替える。さてと、冷蔵庫の中に何か飲み物はあったかな……

 

「…これも、顕人?」

「そうよ。これは地域の餅つき大会で撮った写真ね。えーっと…そうそう、確か小学二年生の時よ」

「ふふっ、この頃の顕人さんも可愛らしいですね。特に幼稚園の頃なんて、普通に女の子にも見えますし」

「でしょう?今も男らしいかと言われると微妙だし、まだこの頃の顕人がどこかに残っているのかもしれないわ」

「え、ちょっ…おぉおおおおおおいッ!?」

 

 扉を開けた瞬間、はっきりと聞こえるようになった声。それはラフィーネさん、フォリンさん、母さんによる何とも賑やかなもので……テーブルの上で開かれていたのは、俺の写真が収められたアルバム。

 そこまで認識した時点で、俺は冷静さを失った。理由は…説明するまでもないでしょうッ!?

 

「…いや、急にどうしたの。そんな江頭さんみたいな声出して」

「そりゃ出すよッ!な、なに人のアルバム勝手に見てんの!?」

「息子のアルバムなのに?」

「思春期の息子のアルバムだからだよッ!と、父さんも何で止めてくれないのさ!」

「いや…悪い。でもお前…この状況で止められると思うか…?」

「そ…それはそうかもしれないけどさ…!」

 

 速攻でアルバムを引ったくった俺は、それを胸元に抱えながら猛抗議。夕刊を読んでいた父さんにも訴えるけど、何とも言えない感じの視線と声で返されてしまう。ぐ、ぐぬぬぅ……!

 

「と、とにかくこのアルバム見るの禁止!絶対禁止!」

『えー』

「えー、じゃない!二人だっていざ自分がそういう側になったら恥ずかしいでしょ!?」

「仕方ないわねぇ…じゃ、こっちのアルバムを……」

「二冊目!?そ、それも禁止!」

「だったらこれで……」

「何で三冊もあるの!?そこまで写真撮ってたっけ!?」

「残念でした、これは顕人関係ないアルバムよ」

「さ、三段オチなんか要らんわ!二人には伝わってないと思うよ!?」

 

 まさかのボケで母さんから弄られた俺は、もう風呂上がりの暑さなんか忘れて全力で突っ込み。え、何!?こうなる事を予期して関係ないアルバムまで持ってきたの!?怖っ!だとしたら母さん最早予知能力者じゃん!身内にも未来が見える人がいたって事になっちゃうじゃん!

 とか何とか考えながら、俺はそれ以上のやり取りには応じずアルバムを持ってリビングから退室。自分の部屋の押し入れを開け、そこに仕舞ってあった毛布の下へと突っ込み隠す。

 

「…はぁぁ…酷い辱めに遭った……」

「災難でしたね、先輩。自分は何がそこまで嫌なのかよく分からないですけど」

「人は自分の写真…特に小さい頃の物を見られるのは恥ずかしいものなんだよ……」

「いやでも、ほんとに可愛かったっすよ?ちらっとしか見えなかったっすけど」

「そういう問題じゃないんだって!後慧瑠まで見てたの!?」

「だからちらっと見えただけですって。先輩、気が立ち過ぎっすよ…」

「う…それは、すまん……」

 

 軽く呆れ気味の慧瑠に指摘され、流石に俺も冷静に。…うん、まぁ確かに慧瑠にまで勢いのまま食ってかかるのは違うよな…。

 

(…ふぅ…てか、そうだ…何か飲み物……)

 

 落ち着いた事で疲れと共に喉の渇きを思い出し、俺は再びリビングへ。さっき一騒動あった訳だけど、母さんはさっぱりした性格をしてるし、二人だってこの件をいつまでも引っ張ろうとは思ってない筈。つまり俺が…ってか俺も普段通りにしていれば、何らかにする事はない。

 そう思いながら、到着したリビング前で扉を開けようとした…その時だった。

 

「…お二人共。私達は、お二人に謝罪しなければならない事があります」

 

 開く寸前に扉の向こうから聞こえてきたのは、フォリンさんの神妙な声。それが聞こえた瞬間、俺は動きを止める。

 

「…それは、どういう事かな」

「どこまで話して良いのかは分からないので、具体的な事は言えません。ですが、夏に顕人さんが大怪我を負ったのは…私と、ラフィーネの責任です」

 

 落ち着いた声音で訊き返す父さんの言葉に、フォリンさんは静かに…けれどはっきりとした声で答える。続けて二人の、謝罪の言葉も聞こえてくる。

 驚いた。でも確かにそうだ。俺が入院していた時、父さんも母さんも何度も来てくれたけど、その時二人は協会に拘束されていたんだから。二人の口から説明する機会も謝る機会もなかったのは当然だし…幼くして孤児になった二人は、ひょっとしたら親に謝罪という事自体、うちに来る事が決まるまで思い付かなかったのかもしれない。

 

「…それは、事故か何かなの?それとも……」

「…先程言った通り、具体的な事は言えません。でも……」

「…顕人は、守ってくれた。わたしとフォリンを…わたし達を、わたし達の未来を」

「…そう。貴女達が言えるのは、それだけ?」

 

 母さんの言った言葉には誰も返さず、聞こえてくるのは暖房の音だけ。けれど恐らく、二人はそれに無言で首肯したんだろう。根拠はないけれど、そんな気がする。そして、その沈黙は数秒続いて…また、母さんの声が聞こえる。

 

「だったら…誇りに思わなきゃ、ね」

「ああ。全く、あの時はどれだけ心配かけさせるんだと思ったが…まさか、そんな事をしていたなんてな」

「…あ、あの…そんなも何も、私達は……」

「分かっているよ。我々は、何が起こったのかは何も知らない。でも、君達二人の…二人の人の未来を守ったんだ。だったらそれは、親として誇らしいものなんだよ」

「…いいの?それで…わたし達がいなければ、顕人は……」

「いいのよ、ラフィーネちゃん。それにフォリンちゃんも。二人は知らないと思うけど、顕人はこれまで電話で何度も二人の話をしてくれたのよ?いつも楽しそうに話してくれていたし、さっきだって二人に遠慮するような素振りはなかった。…それだけ信頼を顕人は二人に持ってるんだから…そんな二人を怒ろうだなんて、思わないわ」

「加えてこの件は、協会からも謝罪を受けている。どうも大人の思惑が絡んでいるようだし…謝ってくれたんだから、それだけでいいんだ。君達はまだ子供で、きちんと反省している子供の行いは許すのが、大人ってものだからね」

 

 戸惑う二人を諭すように、優しい声音で父さんと母さんは気持ちを話し、怒っていない事、許すという事を二人に伝える。

 何か、凄い事を言っている訳じゃない。父さんも母さんも、きっと今思っている事を口にしただけ。けれど何故か響く。自分に向けられた言葉じゃなくても、心の中へ染み込んでいく。…父さん、母さん……。

 

「…そういう訳だから、二人はのびのびと過ごしてくれればいいよ。勿論、二人は客人だけど…近所に住んでる知り合い、或いは親戚の人とでも思ってくれて構わないからね」

『…………』

「…うん?何か、意味が分からなかったかな?」

「あ、いえ…そうではなくて……」

「…今の言葉、顕人も言ってた。二人の事は、親戚の人と思えばいいって」

「ふふ、なんだそういう事ね。顕人と同じ事を言ってらしいわよ?」

「い、言われなくても聞こえてるさ…まぁ、親子だからな……」

「…うん。二人からは、顕人と同じ優しさを感じる」

「ですね。それでは、改めて…数日間、宜しくお願いします」

 

 そうして、俺がいない中での会話は終わる。勿論そこからはずっと無言…なんて事はなく、ちらほら雑談は聞こえてきたけど、取り敢えず今の話はお終い。…あぁ、全く……

 

(…中に入り辛い話、聞いちゃったなぁ……)

 

 タイミングが悪いというか、俺が途中で入ってきたらどうするつもりだったんだというか、色々言いたい事や思うところはある。だけど、扉のすぐ近くの壁に背を預けている俺の口元には……自然と、小さな笑みが浮かんでいるのだった。

 

 

 

 

「……てか、さっむ…ヤベぇ、折角風呂入ったのにもう身体冷えちゃったじゃん…」

「そりゃ、今は冬真っ盛りですからね。何を今更言ってるんすか?」

「…返す言葉もないよ……」



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第百六十二話 新年もいつも通りに

「…あ、そうだ。俺自身は言ってないんだった。あけましておめでとう」

「あーうん、おめっとさん」

 

 いきなり何を言っているんだ。これ一話飛んでるんじゃないのか。…そう思う方がいても仕方ないとは思うが、一先ず落ち着いてほしい。そして安心もしてほしい。

 そう思った方々の感性は間違っていない。だって、俺もまだ飲み込み切れていないんだから。

 

「…なぁ、御道」

「んー?」

「もう地の文で説明するのも面倒だから、代わりに口頭で説明してくれ」

「えぇー……地の文で説明するのが面倒って何を言ってんの…?しかも、二話連続で初っ端からメタネタって……」

 

 隣にいる御道が物凄い半眼でこっちを見てくるが、それはスルー。説明が面倒だから任せたのに、それに纏わる部分で弁明だの何だのするんじゃ任せた意味がない。

 

「無視かい…ったく……こほん。本日は一月一日、元旦。時刻は早朝。深夜から朝にかけてやってる正月恒例のお笑い番組を見ていた俺の元に綾袮さんから、『初日の出と初詣行こうよ!今からそっちの家行っても大丈夫?』というメッセージが届き、大丈夫だと返信した瞬間家の前まで既に来ていた様子の綾袮さんと物凄く申し訳なさそうな妃乃さんが来訪。色々あって連れ出された俺とロサイアーズ姉妹は綾袮さんに率いられる形で千嵜宅へ行き、同様の手口で千嵜達も連れ出し初日の出へ。そのまま初詣も行くのかと思いきや、何故か双統殿による事となり、その後悠耶が連れてきた篠夜さんと共に綾袮さん達はある部屋へ入っていって…今に至る。…これで満足?」

「なっがい台詞だなぁ……」

「なっがい台詞だなぁ、じゃねぇわ。人に任せといてなんて態度しやがる…」

 

 マジでちゃんと説明するとは思ってなかった…というのはさておき、ここまでの経緯は大体今御道が言った通り。一つ付け加えるなら、依未を連れてきたのは緋奈からの要望があっての事で、依未も緋奈の名前を出した事で来る気になってくれたんだが…それは余談だな。

 で、今いるのはその部屋前の廊下。しっかしまさか、元旦から双統殿に来る事になるとは……。

 

「てかほんと、正月の朝っぱらからって…奇想天外にも程があるだろ綾袮……」

「でしょう?…綾袮さんがいなかったここ数日が、どれだけ穏やかだった事か……」

「…うん、その点に関しちゃ本当に凄いと思うわ…」

 

 尊敬と憐憫の混ざった視線を御道へと送ると、御道は遠い目をして呆れ笑い。しかもその後「まぁ、ラフィーネさんとフォリンさんも時々思いも寄らない事するから、『比較的』穏やかだったに過ぎないけどね…」とか言ってくるものだから、俺の中の同情も止まりゃしない。…苦労、してんな……。

 

「はは…てか、結局何の準備してるんだろうね」

「さぁな。待ってりゃ自ずと分かるだろ」

「いやそれはそうだけども……」

 

 考える必要のある事について思考するのは普通の事だが、これは別にそういうものじゃないし、そもそも考えて分かるような事かどうかも分からない。って訳で、これまで通りに何をするでもなく待っていると……不意にがちゃり、と扉が開く。

 

「あ、やっと出てきた。皆、何をして……」

 

 お、漸くか…と俺が思う中、御道はまだ扉が開き切らない内に声をかける。…が、その言葉は最後まで言い切られる事なく、その途中でふっと止まる。…だが、まぁ…無理もないだろう。何せ……

 

「お待たせ〜。ふふん、やっぱり初詣と言えばこれだよね!」

「悪いわね、思ったより手間取っちゃって」

「あ、う、うん……」

「お、おう……」

 

 最初に出てきた妃乃と綾袮が…いいや、入っていった女子全員が、色とりどりの着物を身に纏っていたのだから。

 

「…それは……」

「見ての通り着物よ。まさか、初めて見る…なんて事はないでしょ?」

「そ、そりゃ見た事あるけどよ…」

 

 腰に手を当てた妃乃が身に付けているのは、椿の柄が描かれた黒の着物。黒が印象の基本になっているからなのか、着物という服装そのものの力なのか、妃乃はいつもより大人びた…少女というより女性とでも言うべき雰囲気。その姿に一瞬気後れしてしまい…だが何とかそれはバレまいと、すぐに俺は表情を整える。

 

「まあ、見た事はあってもあんまり馴染みはないよね。浴衣と違って簡単には着られないし」

「う…妃乃様、あたしこれで合ってます…?凄く動き辛いんですけど……」

「大丈夫よ、動き辛いのも着物ならそれが普通だもの」

 

 続いて俺が認識したのは、薄紅色を基調に様々な色で彩られた着物を着る緋奈と、灰色、薄紫、それに山吹色の三色が組み合わさった着物を纏う依未の姿。やはり二人も普段より大人っぽく、されど使われている色の違いもあってか少女的な可愛らしさもあって、またもやどきりとしてしまう。

 ふと思い出すのは、海に行った時の事。あの時も似たような思いを抱いたが、露出に関してはあの時と真逆。今は手と首から上以外、殆ど肌が見えておらず……それでも異性を感じさせられる。

 

「…ね、お兄ちゃん。似合ってる?」

「へ?あ、あー……に、似合ってるぞ…」

「…ほんとに?今の間は何?」

「す、すまん…でもお世辞を言ってるつもりはない。本当に似合ってるって思ってるよ」

「そう?…そっか、うん…えへへ、ありがとねお兄ちゃん」

 

 平常心を取り戻すよりも早く、すぐ側まで寄ってきた緋奈に上目遣いで訊かれた俺は、我ながら説得力がないなぁと思うような返答を緋奈へとしてしまった。だが二度目はちゃんと言えて、それを聞いた緋奈も嬉しそうな顔をしてくれて……うむ、着物姿の緋奈も可愛いなぁ。緋奈は何着たって可愛いけど。

 

「新年早々兄妹仲が宜しい事で…」

「そりゃ、一年の計は可愛い妹に有りって言うしな」

「え、何堂々と偽諺言っちゃってんの?きもっ…」

「へいへいキモくて悪かったな。…しかし……」

「…な、何よじろじろと……」

 

 言葉と目によるダブルの棘に刺されつつも、俺はある思いを抱いて依未をじっと見る。…流石に完成度が違うとはいえ、普段から時々『そういう格好』をしているせいか、コスプレ感凄いな…。

 

「…………」

「だ、だから何よ…似合ってないとでも言いたい訳…?」

「いや、似合ってるか否かで言えば間違いなく似合ってるぞ?(ぱっと見でも普段のコスプレ衣装より生地の質が良いって分かるし)」

「んなぁ……っ!?」

 

 ほんのり頬を染めつつ訊いてきた依未に思考を続けながら返すと、依未の顔は一瞬で爆発。いや勿論、爆ぜた訳じゃないが…そういう表現がぱっと思い付くレベルで、一気に顔が赤くなっていた。

 

「う、うぅぅぅぅ……」

「悠耶…貴方緋奈ちゃんだけじゃなく、依未ちゃんにまで真顔で言うなんて……」

「ん?だって別に、茶化すような事でもないしな」

「……じゃ、じゃあ私は…?」

「え?」

 

 顔が沸騰してしまった依未を緋奈が介抱(?)する中、今度は妃乃が呆れた顔でこっちを見てきて…それから妃乃もまた、俺へと訊いてくる。

 幾ら俺でも、ここで「え、何が?」とは思ったりしない。理由はどうあれ妃乃も俺からの感想を求めている訳で…でも、わざわざ訊いてくる点が気になる。ただおかしくないか訊くだけなら、俺以外でも良いだろうに。

 にも関わらず訊いてきたって事は、何かしら俺じゃなきゃいけない理由があるんだ。例えば異性の意見を聞きたいとか、自分より明らかに背が高い相手からどう見えるか気になるとか……

 

(…いや、違うだろ。理由はどうあれ…妃乃は俺からの言葉を求めてるんだから)

 

 理由は気になる、ほんと気になる。でも妃乃が求めてるのはそんな事じゃなくて、きっと俺ならちゃんと答えてくれると思って訊いてきたんだ。だったら…その気持ちには、答えなきゃいけない。

 

「…こういう時、『も』って表現は良くないのかもしれないが…妃乃も二人に負けない位、似合ってる…と、思う」

「……そ、そう…それはその、ありがと…」

「え、っと…おう…。それと…綾袮もだが、段違いに着慣れてる感があるな…」

「…それはまぁ…実際着慣れてるからね……」

 

 恥ずかしさを感じつつも言葉にした答えを聞くと、依未程ではないにしろ妃乃も頬を染め、その頬を掻きつつ小声で感謝の言葉を口に。

 目を逸らし、されど決して満更でもなさそうな顔をする妃乃の白い肌、紅潮した頬。そのどちらも黒い着物との対比で映えていて……っていかんいかん、平常心平常心…。

 

「ご、ごほん。にしてもまた、随分と気合い入れた格好だな。…これから討ち入りか?」

「う、討ち入りなんかしないし百歩譲ってそうだとしても、討ち入りだったらこんな格好しないわよ…何?まさか初詣行く事忘れたの?」

「いや忘れちゃいないが…それだけの為に、それだけの格好を…?」

 

 初詣とか夏祭りとか、イベント絡みで和の装いをするのは別段おかしな事じゃない。だが明らかに妃乃達の着る和服はそういうレベルを超えていて、とても「折角だから行こうよ!」感覚の装いには見えない。…まぁ、全力でやってこその楽しみってもんもあるとは思うが…。

 

「一年の初めに行う事だもの、やる気入れたってバチは当たらないでしょ?…まぁ、私と綾袮に関しては、元々後にこれ着て出席しなきゃいけない会があるから…って言うのもあるんだけどね」

「あー……え、じゃあその為の服で初詣なんて行っていいのか?」

「何かあったら不味いわね。だから…エスコート、頼むわよ?」

「……出来る範囲でな」

 

 んな勝手な…と思った俺だが、声音から冗談混じりで言っている事は伝わっている。そして責任感の強い妃乃が、何あったとしてもそれを俺のせいにする訳がない。だから俺も、「出来る範囲で」という条件を付けつつ妃乃の要望を承諾し……俺と御道は、各々お嬢様方を連れて神社へと向かうのだった。…因みに着付けは、全員妃乃と綾袮がやったんだとか。……凄いな…。

 

 

 

 

 正直言うと、眠かった。だって寝てないし。TV見てたし。綾袮さん達を待ってる間なんて一回うとうともしたし。

 けれどその眠気は、出てきた綾袮さん達の着物姿を見た瞬間に吹っ飛んだ。着物に身を包んだその姿が、あまりにも綺麗だったから。

 

「顕人、初詣とお祭りはどう違うの?」

「あー、っと…うーん…どう説明したものかなぁ……」

「…難しい?」

「難しいっていうか、そもそもお祭りって沢山の出店を楽しむものじゃないんだよ。だから違うというより…初詣でもお祭りでも、本来の目的とは別に出店が出てる…って感じかな?詳しい事は俺も分からないけど…」

「顕人さん、いつも私達の質問には頑張って答えようとしてくれますよね。それ、結構嬉しいです」

「そう?そう思ってくれてるなら、俺も頭捻った甲斐があるかな」

 

 他の参拝者さんや出店へ寄ろうとしている人達の邪魔にならないよう、あまり広がらずに歩く俺達。説明を終えたところでフォリンさんが感謝を口にしてくれて、ラフィーネさんも頷いてくれて、俺は嬉しいと思いながらも照れ臭さから頬を掻く。

 からんからんと音を立てながら下駄で歩く二人が着ているのは、お揃いの柄をした着物。ラフィーネさんは瑠璃色、フォリンさんは白とそれぞれ自分の髪に合わせた色をしていて、髪に差している簪もまた二人お揃い。服装が同じな分、いつも以上に二人が似て見えて…ほんと、色んな意味で落ち着かない。

 

「あ、ねぇねぇりんご飴買って行こうよ!それと綿菓子も!」

「なんでそんなべたつきそうなの選ぶの…その着物で出席しなきゃいけない会があるんでしょ?」

「じゃあ、落書きせんべい…」

「お詣りした後でね…もう……」

 

 屋台へ駆け出して行きそうな綾袮さんを捕まえて、着物をもってしてもまるで抑える事が出来ないその元気さに俺はまた辟易。…え、一度目はいつだって?そりゃあ、綾袮さんが家に来た時ですわ…。

 

「もう、って言うけど…わたしが静かに、穏やかな感じにしてたらそっちの方が顕人君は落ち着かないでしょ?」

「う…そう言われると、そうだけど……」

 

 そんな綾袮さんの着物は、鮮やかな赤。桜の柄も含めて一見主張の強い色合いながらも、少し綾袮さんが落ち着きを見せると途端に深みを感じさせられる。いつもの元気で賑やかな綾袮さんではない、宮空家の娘として振る舞う時の凛々しさが自然と頭に思い浮かぶ。そしてそんな綾袮さんに見つめられてしまえば、綾袮さんの調子関係なしに落ち着いてなんかいられなくて……

 

「お祭りと初詣について説明したり、お参りを優先するよう言ったり、さっきから先輩保護者感が凄いっすねぇ」

「…仕方ないでしょ、慧瑠含めてそういう面子なんだから……」

「え、自分もっすか…?」

 

 こういう時においては、普段の調子にさせてくれる慧瑠の茶々が中々ありがたかった。

 

「…でも、良いっすね着物…昔を思い出します……」

「…え、と…俺の意識次第で、慧瑠の外観は変わるんだっけ…?」

「そうですよ?…あ、いや、大丈夫っすからね?遠回しに自分も着たかった…って文句言ってる訳じゃないですから」

「…いいの?やるだけやってみるけど……」

「その気持ちだけで十分っす。前言った通り、意識して出来るレベルじゃそう簡単には変わらないと思いますし…それよりほら、置いてかれますよ?」

「っと、それは不味い…なら、着たくなったら言ってね?頑張ってはみるからさ」

 

 女性陣皆着物のおかげではぐれてもすぐ見つけられそうとはいえ、はぐれたらその件で弄られまくる事は間違いない。だから急いで後を追いつつも、俺は慧瑠へと念押しした。…慧瑠、無遠慮に見えて実は結構気を遣うタイプだしね。こういう事はちゃんと言っておかないと。

 

「…にしても、初詣か…来るのは何年振りだろう……」

「あれ、顕人君初詣は行かないタイプ?」

「そら、明け方までTV見て、それからお昼辺りまで寝るのがこれまでの元旦だったからね」

「わー、だらけてたんだねぇ去年までの顕人君は…」

「はは…っと、順番きたよ」

 

 皆に合流し、列に並ぶ事数分。最前列に出られた俺達は、用意しておいた五円玉を賽銭箱に放り、大縄を揺らして鐘を鳴らす。そして二礼二拍手一礼を行い…目を閉じる。

 

(……今年も良い一年でありますように)

 

 我ながらありきたりな願いな気もするけど、何としても叶えてほしい事が今ある訳じゃないし、思うのはただなんだから…と思い付く事を片っ端から挙げていく程強欲でもない。…勿論、もっと強くなりたいとか、大事な人達を守りたいとか、そういう思いもあるけど…それは何かに頼るんじゃなく、自分の手で掴み取るものだしね。

 去年…と言ってもまだ今年に入ってから半日も経ってはいないけど…とにかく去年は、本当に良い一年だった。良い事だけの一年ではなかったけど…俺は思う。今年もこんな一年が過ごせるなら、それだけで十分幸せだろうって。

 

 

 

 

 参拝後、各々出店で好きな物を買い、暫く祭りの様に楽しむ事となった。初めはうちのメンバー+依未って組と、御道と関わりが深い三人って組で回っていたが、今は女子面子が全員一つに固まり……俺達は、ベンチに座ってのんびりしている真っ最中。

 

「なぁ、ぶっちゃけた事言っていいか?」

「何?」

「……寒い。めっちゃ寒い」

「…まぁ、お正月だからね…」

 

 串焼きステーキ片手に発した俺の言葉に対し、何を今更…と言いたげな視線を送ってくる御道。一方苦笑いを浮かべているのは、妃乃達を待っている間に連絡し、ついさっき合流する事の出来た茅章。

 

「はぁ…よくもまぁ、女性陣はこの中で楽しめるもんだ…」

「そりゃ、着物は暖かいだろうしねぇ。後はまぁ…楽しんでるのとただ眺めているのとじゃ、意識にも違いがあるでしょ」

「…それにしても、皆さん綺麗だなぁ……」

『…だな』

 

 唐揚げを食べながらふと茅章が呟いた言葉に、俺達も首肯。本人や他の女子がいる前じゃ多かれ少なかれ躊躇う部分はあるが、全員が全員綺麗である事は間違いない。…まぁ、実際には綺麗云々なんて要素の一つでしかないって位に個性的な面々だもあるんだが…。

 

「それと、今日も誘ってくれてありがとね」

「いいっていいって。俺達が一緒に行きたいって思っただけなんだからさ」

「年末の食事に行った時は、何だかんだ食事するだけで終わっちまったしな」

「二人共…うん。新年早々二人と会えたし、今年も良い一年になりそうな気がしてきたよ」

 

 そう言ってにこりと笑う茅章を見て、心の中に浮かぶぐっとした気持ち。はぁ…ほんと御道と二人じゃ味気ないような場でも、茅章がいるだけで段違いなんだよな…。

 

「茅章…ほんと、今年も宜しくね」

「こっちこそ宜しく。…あ、二人共一個食べる?」

「いいのか?じゃ、頂くよ」

 

 こういう時の出店で売ってる唐揚げは大量に入っている訳でもないのに、快く茅章は差し出してくれる。その優しさに甘えて差し出された唐揚げを口に入れると、俺の持つ牛肉とは違う鶏肉の旨味が口内に広がる。…うむ、美味い。

 

「顕人君もどうぞ」

「ありがと茅章。…じゃ、こっちも一口食べる?」

「…いいの?まだ一口も食べてないのに…」

「それは単に串持ってるだけで分かる程熱かったってだけだから気にしないで。多分多少は冷めてきてると思うし」

「そう?じゃあ、一口貰おうかな」

 

 あ、しまった先越された…と内心俺が思う中、御道は持っていたフランクフルトを茅章の方へ。その申し出を茅章も受けて、フランクフルトへと顔を近付けていく。

 

「…ちょっとまだ熱そうだね…ふー、ふー……ひぅっ…!」

「…茅章?」

「…こ、こりぇ…ちょっとじゃらくて、結構あふぃぃ…」

 

 何度か息を吹きかけた後、フランクフルトの先端にかぶり付いた茅章。だが茅章は小さな悲鳴の様な声を上げたかと思えば、フランクフルトを咥えたままの姿でぷるぷると震え出す。

 いや、何故かは分かる。ソーセージとかたこ焼きみたいな包むタイプの料理は、表面に対して中が滅茶苦茶熱くなってるって事はよくあるし、これもそういう事なんだろう。で、その熱さのせいで噛み切る事が出来ず、かと言って貰った物を口から離すっていうのも気が引けるからと、茅章は咥えたままになっているんだと思う。理由も原因も分かる、分かるんだが……

 

「ひゃ、ひゃんと食べるから…ちょっと待っへね顕人くぅん……」

((…超エロい……))

 

 長い棒状の肉の先端を咥え、状態のせいで呂律が若干怪しくなり、涙目と上目遣いのコンボを決めるという、それはもうエロい茅章が出来上がってしまっていた。……やりやがったな(よくやった)御道…。

 

「ふひゅぅ…ん、んっ…はぁぁ……お、美味しいね…」

「う、うん…もっと熱さ確認してからの方が良かったね…すまん茅章……」

「全くだな。…って訳で、口直しにこっちもどうだ?」

「ちょ、口直しって……」

 

 数秒後、外気に触れて冷え始めたおかげか何とか噛み切った茅章は、飲み込んだ後御道へとぎこちないながらも笑みを見せる。

 そこを狙って、俺も茅章へとステーキを差し出す。こっちは既に五切れある内の三つを食べて熱過ぎない事を確認してるし、茅章を苦しめるような要素はない。…と、思っていたが……

 

「ん、ふっ…も、もう少し待ってね悠耶君…後、ちょっと……」

 

 串に刺さった食べ物は、下の方が食べ辛い。それを完全に失念していた結果…尖っている串の先端が喉に刺さらないよう何度も角度を変えながら、何とかステーキを咥えようと四苦八苦するこれまたエロい茅章が生まれてしまった。…悪い、茅章…それとご馳走様、茅章……。

 

「…はふぅ…美味しかったけど、これなら僕はもっと違う物にした方が良かったかな?」

「はは…そんなのは、些細な事さ…」

「あぁ…全然気にならないよね…」

「……?」

 

 ある意味着物姿に負けず劣らず良いものを見る事が出来た俺と御道は、穏やかな気持ちで空を見上げる。当人故に茅章は何の事だが全く分かっておらずきょとんとしていたが、こういう事は言わぬが花。そもそも言ったところでただただ気不味くなるのが明白であり……と、そんな事を考えていたところで、出店を回っていた女性陣が戻ってくる。

 

「いたいた。もしやとは思ったけど、貴方達ずっとここに?」

「そうだが?」

「ほんとにそうだったのね…まぁ、楽しみ方は人それぞれだけど……」

「……?もう帰るの?というか、ラフィーネさんとフォリンさんは…?」

「ううん、帰る訳じゃないよ。二人がいないのも関係してる事なんだけど…三人共さ、ちょっとお願い…聞いてくれる?」

 

 何かしら意図があるように戻ってきた女性陣へ御道が問いかけると、綾袮が首を横に振る。そして、綾袮は俺達を見回し……お願い事を、口にした。



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第百六十三話 拍子抜けの戦い

 神社というのは、得てして自然の中にあるもの。流石に樹海とかジャングルレベルに草木が生い茂っている中にある神社なんて見た事はないけど、基本的に神社の敷地内には木々や励みがそれなりにある。そして、そんな茂みの一つに…今俺達は、身を隠している。

 

「…あれ、だよね?」

「うん、あれ」

 

 茂みの裏から指差した俺の言葉に、ラフィーネさんが静かに返答。フォリンさんも小さく首肯し、二人は視線を元に戻す。

 数分前、俺と千嵜、それに茅章は綾袮さん達にある事を頼まれた。それに応じて、案内された場所へ向かうと、そこにいたのはラフィーネさんとフォリンさん。二人は見張りをしていたらしく……その二人の先には、魔物がいた。つまり、綾袮さんの言ったお願いとは…そういう事。

 

「全く、人手が足りないってなら仕方ないが、まさか着物じゃ動き辛いからなんて理由だったとはな……」

「ま、まぁ仕方ないよ。実際着物じゃ、思うように動けないだろうし…」

 

 呆れ混じりの声でそう口にする千嵜と、逆にフォローをする茅章。当然俺達は普通の洋服を着ている訳で、別段動き辛いって事はない。

 

「…にしても、動かないね……」

「動かないっつか、寝てるな。さっきからずっとそうなのか?」

「はい。私達が見つけた時からずっとです」

 

 神社の一角、特に何もないが故に人も来ないその場所で横になっているのは、翼の生えた馬の様な魔物。…というとペガサスっぽいけど、その翼はどちらかというと蝙蝠のそれに近いし、首も短いし、何よりその翼が生えているのは背中ではなく前脚から。その為どうもペガサスの様な神秘さはなく、どちらかといえばそれこそ魔物や悪魔のよう。…まぁ、だからって何か変わる訳でもないけど。

 

「わざわざこんな場所に出てきて、しかもそこそこ人も集まってんのに寝てるなんて、よく分からない奴だな…」

「けど、寝てるならチャンスじゃない?仮に寝たふりだったとしても、先制攻撃はこっちが取れる訳だし」

「でも寝たふりなら、知性の高い魔物って事になる」

「ですね。それに奴は、綾袮さんや妃乃さんでも目視するまで発見出来なかった魔物です。もしもそれが隠匿によるものだった場合、実力面も相当なものである可能性が高いです」

「これもそうか…だけど、何であろうとやる事は変わらないでしょ?双統殿から味方が来る前に目を覚まして人を襲い始めたら、取り返しが付かないんだからさ」

「…ま、そうだな」

 

 二人の言う事はご尤も。けど見なかった事にして立ち去るなんて選択肢はないし、可能性の話をするなら熟睡している事だってあるかもしれない。詰まる所、俺の中の「今、自分達で討伐する」って気持ちには変わりない。そして、その意思を俺が示すと、千嵜は言葉で、茅章は頷きでそれぞれ同意を返してくれる。

 

「…そういう訳だから、二人共任せて」

「…分かりました。そもそも私達は満足に動けないからこそ、お三人を呼んだんですもんね…」

「でも、服なら切ればいつも通りに動ける。だから顕人、無理はしないで」

「うん。でも、大丈夫。折角の着物を、駄目にさせたりなんかしないよ」

 

 そう言って俺は、二人に安心してもらえるよう笑う。今でこそ戦闘モードに意識が切り替わってる二人だけど、お揃いの着物を喜んでいた事を俺は知っている。女の子として、普通の喜びを感じていた二人の表情を曇らせる事なんて…絶対にするもんか。

 

「ひゅー、格好良いねぇ御道」

「…茶化すなよ……」

「ならそういう話はすぐ側に俺や茅章がいる時にするなっての。…まぁとにかく…やるぞ」

 

 呆れ気味の半眼から鋭い目付きに変わった千嵜に頷き、後を追う形でゆっくりと立ち上がる。魔物は未だ、こちらに気付く様子はない。

 

「…さっき話した通り、まずは俺が一気に距離を詰めて一撃与える。そっからは奴の反応次第で追い討ちをかけるか引くか決めるが、前者だった場合は退路を断つ為に、後者だった場合は……」

「悠耶君への反撃阻止を兼ねた十字砲火を、だね」

「あぁ。とはいえ拳銃じゃ火力は期待出来ねぇし、強行突破を仕掛けてきたら回避を最優先にしろよ?」

「それはお互いに、な」

 

 綾袮さん達から借りた拳銃も、御道が持つナイフも、あくまで自衛用。少なくとも何十発と撃ち込んで蜂の巣にするだとか、一太刀で深々と斬り裂くなんて事は困難な訳で、その点は念頭に置いておかなきゃいけない。

 とはいえ千嵜は勿論の事、俺だってもうそこそこの戦いはしてきたし、それは茅章もきっと同じ。

 真っ直ぐ進む千嵜から別れるように、俺と茅章は左右へ。位置に着き、拳銃を構え、千嵜へと視線を送る。そして俺達から準備完了の視線を受けた千嵜は小さく一つ息を吐き……跳躍。

 

「悪ぃが寝首を掻かせてもらうぞ…ッ!」

 

 石が敷き詰められた地面を蹴り、強化された身体能力で一瞬の内に肉薄する千嵜。元々一跳びで肉薄出来る距離まで進んでからの跳躍だった為に動きの無駄はなく、近付くと同時に振るわれる刃。朝日を浴びる青い刃は魔物の喉へと向かって一直線に伸び……そのまま鍔まで突き刺さる。

 

(さぁ、どう出る…暴れるか、それとも……)

 

 刃が喉を捉えた瞬間、俺の中にあったのはそんな思考。ラフィーネさん達の言葉で比較的強い個体だと思っていたからこその、次があるという前提での考え。けど、次の瞬間…その思考は、覆る。

 

「……は…?」

 

 初めにそれに気付いたのは、刃を突き立てた千嵜自身。その意外…というより想定外の事象へ遭遇したような千嵜の声に、俺や茅章も目を凝らし……気付く。魔物が、生き絶えている事に。

 いや、当然の事ではある。だって首にナイフ突き立てられてるんだから。普通の生命なら即死したっておかしくないし、魔物だって生物の形をしているタイプは顔や首に当たる部位を潰せば致命傷になる場合が多いんだから。でも俺達は、たった一撃で倒せるような相手だとは思っていなくて……

 

『…えぇー……』

 

 詰まる所、拍子抜けだった。ゲームで例えるなら、強力なボス敵とのバトルになると思って臨んだら、会話イベントだけで終わってしまったとか、手下を放つだけでボス自身とは戦いにならなかったとか、そんな感じ。勿論、汗一つかかずに勝てたって点は喜ばしいんだけども…うーん……。

 

「…っと、そうだ。こいつは誘き出す為の罠だったって可能性もある。周囲に別の魔物の気配は……」

「…ない」

「私も感じ取れません。ですので少なくとも、通常の魔物は周囲にいないかと」

「そうか……」

 

 一瞬の後、罠の可能性を考えた千嵜が言葉を発するも、それをロサイアーズ姉妹が否定。俺も探してみたけど特にそれらしい存在はなく、少し離れた場所から万が一に備えている綾袮さん達からの連絡もない。

 

「…つまり、これって……」

「ああ。元々なのか、弱ってたのかは分からんが…ただただ奴が弱かっただけ、って事だろうな」

 

 魔物が消えていく中、武器を下ろして合流する俺達。茅章はまだ納得いっていない様子で…そんな茅章の言葉に答えるように、千嵜は結論を口にした。

 ただただ弱かっただけ。綾袮さん達が探知出来なかったのは、探知出来ない程微弱な力しかなかったから。それで筋は通るけども…いやほんと、拍子抜け感半端ないな…。

 

「…お疲れ様?」

「うん、そりゃ疑問符付くよね…だって俺と茅章なんもしてないし。実際疲れてないし…」

 

 ラフィーネさんの、小首を傾げながらの言葉。その労いに苦笑いしつつ俺は答え……新年初の魔物討伐は、拳銃を構えるだけで終わってしまったのだった。

 

 

 

 

「そっかそっか、確かにそれなら不発になったやる気のやり場に困るよねぇ」

「いや、別に困ってはいないんだけどね……」

 

 数分後、討伐を終えた俺達は綾袮さん達と合流した。この結末は綾袮さん達も意外だったみたいで、話すと皆驚いていた。

 

「まさか、完全な思い過ごしだったとはね…まぁ、放置する訳にもいかないしどっちにしろ倒す事には変わりないけど」

「っていうか、それならわたし達でも何とかなった可能性あるよね。刺すだけならこの格好でも出来るし、翼は服関係なく動かせるし」

 

 腕を組んで話す妃乃さんに、肩を竦める綾袮さん。実際、それだけで何とかなったんじゃないかと思う。てか、多分何とかなってた。

 

「でもほんと意外だったよ。弱過ぎると逆に探知出来ない場合があるってのは知ってたけど、まさかあのサイズでとは……」

「大きさと強さは比例するとは限らないけど、基本極度に弱い個体は大きさも手乗りサイズとかそれ以下の事が大半だからね。そういう意味じゃ……」

「…えぇ、かなり特殊な事例よね」

 

 ちらりと綾袮さんが妃乃さんを見ると、締めを引き継ぐ形で妃乃さんが一つ首肯。…特殊な事例、かぁ…まあ千嵜も可能性の一つとして「弱っていた」を挙げてたし、件の魔物はもう消滅しちゃったんだから真実は闇の中なんだけど。

 

「でも何にせよ、お兄ちゃん達が誰も怪我せず、無事に済んで何よりですよね」

「同感です。新年早々負傷なんてしたら、一年の始まりが暗いものになってしまいますからね」

「ん、二人共言い事言う」

 

 そんなこんなで合流しての報告は終了。良い頃合い…という訳ではないけれど、この一件で一度空気がリセットされたし、発見までに皆そこそこ楽しめたって事で、初詣はこの辺りでお開きにする事に決定。後は各自解散…といきたいところだけど、流石に女性陣はそのまま帰る訳にはいかないって事で再び向かうは双統殿。

 

「じゃあね、皆」

「おう、じゃあな茅章」

「まだ寒い日が続くし、身体に気を付けてね」

「はぁ…着物って、結構着てるだけでも疲れるのね…」

「あはは…それは流石に、ちょっと体力なさ過ぎだと思うよ…?」

「うっ…な、慣れれば疲れないと思うし……」

「あ、そっち方面での解決を図るんだ…」

 

 最初に茅章と別れ、のんびり歩く帰り道。双統殿に着いてからはさっき同様部屋前で待ち、脱ぐ方が楽だからかさっきよりは早く出てくるラフィーネさん達(千嵜は話の流れで依未さんを家に誘い、色々言いつつ依未さんはその誘いを受けていた。…仲良いんだなぁ…)。

 そうして綾袮さん、妃乃さんを残して、俺達はそれぞれの家へと向かって帰路につく。…はぁ…初詣も終わったからか、なんか眠くなってきたな…昼まではまだ時間あるし、帰ったら少し寝よ…。

 

 

 

 

 家に帰ってから数時間後。決めていた通り寝ていた俺は、ラフィーネさんに起こされリビングルームへ。

 何故起こされたかと言えば、それは勿論昼食だから。そして、元旦の昼食と言えば勿論…あれである。

 

「これが、お雑煮…」

「これが、おせち…」

 

 それぞれの器によそわれたお雑煮と、食卓の中心で各々取れるように置かれたおせち。それを見たラフィーネさんとフォリンさんは、興味深そうに正月の定番料理を見つめていた。

 

「君達、こういう料理を見るのは…って、あぁそうか。雑煮もおせちも、基本的には正月にしか食べないもんね」

「というか…顕人、最近はちゃんとご飯作ってる?二人や綾袮ちゃんに出来合いのものばっかりで我慢してもらってるとかじゃないでしょうね?」

「ちゃ、ちゃんと作ってるよ…てかそれ言うなら、母さんだって普段はそこそこ冷凍食品使ってるじゃん…」

「へぇ、言うようになったじゃない。でも…便利でしょ?冷凍食品」

「そりゃ、まあ…日頃お世話になってるけど……」

 

 簡単な手順さえ踏めばすぐ一品用意出来る冷凍食品は、台所を預かる身にとっては心強い味方。…そういや確か、おせちも家事から女性を解放する…つまり『楽』って点を要素に取り込んでる、って説があるんだっけ?

 

「でしょう?さ、二人共中のお餅が硬くならない内に食べて食べて」

「うん、頂きます」

「頂きますね」

 

 娘が出来たみたいだから、とここ数日機嫌の良い母さんに進められて、早速食べ始める二人。と言っても別に俺の分がまだ出来てない…なんて事はないから、俺も席について手を合わせる。

 

「頂きます、っと。……うん、毎年変わらない味だ」

「そりゃ、雑煮は毎年母さんが作ってるんだからな」

「おせちは周りの様子を見て各々取って頂戴。後、顕人そこのお皿取ってくれる?」

「あぁ、はいはい」

 

 料理こそ正月独特なものと言えど、だからって特別な何かをする訳じゃない。一般家庭の正月のお昼なんて、多分大概はそういうもの。

 

「…お餅…お団子と同じようなものかと思っていましたが……」

「…凄い伸びる…ちょっと面白い…」

 

 一方二人は、初めて食べるお雑煮…特に餅の食感を楽しんでいる模様。そうか…そういや、餅自体初めてなのか…あれ?おはぎとか赤飯もまだ食べた事ないのかな…。

 

「…母さん、餅ってまだある?」

「とても正月だけじゃ食べ切れない位にはあるけど?」

「なら、向こう戻る時少し持ってって良い?餅ならそこそこ保存効くし、二人も餅はお気に召したようだしさ」

「へぇ…要は自分で料理したお餅を食べさせてあげたいのね」

「そ、そうは言ってないじゃん!とか前半は掠りもしてないでしょ!?」

「はいはい。どうせお父さんと二人じゃ全部処理するのにも時間がかかるし、好きなだけ持っていきなさい」

 

 という事で、俺は餅を持っていく確約をゲット。…代わりに母さんにからかわれたけど。はっとして振り返ったら、ラフィーネさんもフォリンさんもにやにやしてたけど。…くそう…。

 

「先輩、自分はきな粉餅とかあんこ餅とか、割と単純な食べ方が好きですねー」

「あぁ、はいはい。じゃ、そういう食べ方もそのうちしようか」

「後、そこの数の子と里芋も欲しいっすー」

「あいよ。…チョイスが渋いなぁ……」

 

 横から顔を出す慧瑠と小声で受け答えしながら、重箱より求められた料理を小皿へと移す俺。元からこういう料理が好きなのか、それとも長生き故なのか、はてまた単に今食べたくなっただけなのか…まあ何れにせよ慧瑠だけ食べられないんじゃ可哀想だし、俺が自分の分を取り過ぎないようにすれば、慧瑠の分を取っても変には思われない……

 

「…うん?顕人、数の子取るなんて珍しいな」

「へっ!?…あ、う、うん…偶には食べてみようと思ってね…」

 

 なんて思った正に次の瞬間、俺は父さんに声をかけられた。当然父さんにも慧瑠は見えないから、焦りながらの誤魔化しでも納得してくれたけど……びびったぁ…。

 

「先輩のお父さん、中々の観察眼…いや、普段からよく先輩の事を見てるんっすね」

「…みたいだね……」

 

 バレる訳ないとはいえ、本当に指摘をされた瞬間は焦った。同時に慧瑠が直接何かした場合は認識されなくても、慧瑠に渡す為に俺が取った場合は、渡すまでは俺の行動なんだから普通に認識されるって事も改めて思い知った。…けど、普段から俺をよく見てる、か…嫌じゃないけど、ちょっと気恥ずかしいな…。

 

「…顕人、お雑煮食べないの?」

「え?あ、いやいや食べるよ?…二人こそ、お雑煮もおせちはどう?美味しい?」

「はい。味が濃過ぎないのも、身体に優しい感じがありますね」

「おせち、色々あるから食べてて楽しい」

「そっか。好評みたいだよ?母さん」

「ふふっ、そうね。お雑煮はまだあるから、二人共沢山食べて」

 

 自分の母親が作った料理だからか(おせちは注文した物だけど)、二人に好評なのは何となく嬉しい。お雑煮もおせちも、去年までは嫌いじゃないけど好きって言う程でもない…なんて印象だったけど、今年はいつもより美味しく食べられているような気がする。

 これが、こういうのが、誰かと食べる事の美味しさや楽しさなんだろう。…去年までとの比較でそんな事を思った俺は、それからも五人とのんびり昼食を取るのだった。

 

 

 

 

 一面に畳の敷かれた、双統殿のある大部屋。そこでは双統殿及び協会各支部の重鎮や有力者が集まり、新年会が開かれていた。

 

「いやぁ、今年もご両人は変わらず美しいですな」

「ふふ、ありがとうございます。皆様こそ、ご健在で安心致しました」

「それは我々も同じ事です。御二方は先日も複数の魔人…特に一体は魔王級の可能性もある個体と一戦交えたとお聞きしました。そのような場に何の助力も出来ず、申し訳ありません」

「いえいえ。私達が万全の状態で戦えるのは、偏に皆様が各地の魔物に対処して下さっているおかげ。感謝こそすれども、皆様への不満など微塵もありません」

 

 普段は会う事も少ない各地の者同士で談笑を交わし、酒を酌み交い、賑やかに過ごす有力者達。その中には妃乃と綾袮の姿もあり、有力者達に笑顔を振りまいている。

 

「はは、本当に妃乃様、綾袮様共にお若いながら落ち着いた物腰をしていますな。…ところで、この後の事ですが……」

「失礼します。綾袮様、妃乃様、御当主様方がお呼びです」

 

 それから数分後。二人を半円状に囲う形で出来ていた集まりへ、一人の霊装者が声をかける。

 それを受けて、申し訳ないと断りを入れてから離れる妃乃と綾袮。呼んだ相手が協会のトップである為に誰も引き留める者はおらず、そのまま二人は案内人の後を続いて大部屋の外へ。

 

「はふぅ…あー、疲れた……」

 

 ある程度歩き、周りに人がいない事を確認したところで綾袮が漏らしたのは嘆息。それに対して妃乃は、瞳に若干の理解を浮かべながらも言葉を返す。

 

「疲れたって…この場にいないとはいえ、そういう事を言うんじゃないわよ……」

「でも、妃乃だって疲れはしたでしょ?」

「…それは、まぁ……」

「ねー?そりゃ、優しい人とかちっちゃい頃よくお世話になった人とかもいるけどさー…」

 

 口を尖らせて不満を吐露する綾袮に対し、今度は妃乃が嘆息を漏らす。

 とはいえ、二人がそう思うのも無理はない。会場内での会話などお互い多くが社交辞令であり、新年会として純粋に雑談をしているのはせいぜい気心の知れた者同士だけ。加えて大半が自分達よりずっと高齢者且つ、未成年故にアルコールを楽しむ事も出来ず、別段機嫌を取りたい相手がいる訳でもない二人にとっては、とにかく疲労ばかりが重なっていく場なのである。

 無論、このような場には二人共慣れてはいる。だが数刻前まで気を許した相手、一緒にいて楽しいと思える者達と初日の出や初詣に行ってきたばかりであるが故に、普段よりも疲労を感じてしまっていた。

 

「…来たか」

「お待たせ、おじー様」

「お待たせしました、宗元様、刀一郎様」

「ふっ…新年でも変わらず伸び伸びとしているな、お前の孫娘は」

「わたしはわたしらしくが一番だからね!…それとも、私も佇まいは正した方が宜しいですか?」

「…いや、いい。肩の力も抜けない家族など、悲しいだけだ」

 

 そんなやり取りを交わしながら角を曲がった二人を待っていたのは、宗元と刀一郎の二人。祖父であり協会の長でもある二人に対し、早速二人は各々挨拶。

 小さく笑みを浮かべ、綾袮の緩い挨拶に返答する宗元。それを受けて綾袮は切り替えるように物静かな雰囲気へと変わるも、刀一郎は首を横に振って否定。すると綾袮はにこりと微笑み、「でしょー?」と口調も元に戻す。

 

「家族、か…妃乃、お前も昔はもっと無邪気で……」

「うっ…わ、私の事はいいですから!それより何か話があるのでは!?」

「あはは、妃乃照れちゃって〜。…大丈夫だよ、宗元様。妃乃も、肩の力はちゃんと抜けてるから」

「あぁ、分かっているさ。…だが、あまり長く席を外せは変に思われるのも事実。本題に入るとしようか」

「自分から話を逸らしておいて何を…。…まあいい。二人共、先程遭遇した魔物の討伐を行ったようだな。報告は聞いたぞ」

 

 両者の祖父である二人が表情を引き締めた事で、妃乃と綾袮も同様の顔をして刀一郎からの言葉に首肯。その言葉に続けるように、宗元もまた口を開く。

 

「その件はご苦労だった。だが報告を聞く限り、何やら気になる事があったようだな」

 

 それは、確認の言葉。同時に、その気になる事について問う意味も持たせた言葉。宗元、刀一郎、そのどちらも真剣そのものな表情を浮かべ、鋭い視線で二人を見やる。

 話せという意図の言葉に、目を見合わせる妃乃と綾袮。アイコンタクトで意思疎通を図った二人は頷き合い、それから視線を前へと戻して……言う。

 

「はい。その魔物の討伐を行ったのは、私達ではない為可能性の域を出ませんが……討伐時の状況及び情報からして、その魔物は──無極域の影響を受けていたのかもしれせん」



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第百六十四話 決行、擬似合コン

 思いもよらぬ展開となったクリスマス(イブ)も、のんびり過ごした大晦日も、朝っぱらから出掛ける羽目になった上魔物討伐する事にもなった元旦も終わり、そのまま冬休みも終了した。…くそう、まただ…また平日は毎日学校に行かなくてはならない日々が始まってしまった…。

…みたいな心境で始まった三学期の、最初の週末。と言っても、三学期は週の中頃から始まったからすぐ週末になった訳だが…まあともかく、明日と明後日は休みだって事で少しだけ気分のいい俺は今、双統殿の技術開発部…その奥にある、園咲さんの部屋にいる。

 

「…という事で、調整点はここに纏めておいた。要望通りにしたつもりだけど、一応確認してくれるかな?」

「あ、はい」

 

 ここの主、園咲さんからタブレットを受け取り、軽くだが武器の調整の内容を確認。その殆どが性能には直結しない、多少使い易く感じられるかなぁ…位の調整ではあるが、その程度であろうと武器は武器。戦いに絡む事を、おざなりには出来ない。

 

「どれどれ…」

「見んな変態」

「なんで!?いや、勝手に見るなってだけなら分かるけど…何故に反対!?」

「さぁ?」

「うん、だろうね!適当に言っただけだろうなとは思ってたよ!」

 

 同じく部屋にいる御道が覗き込むのに気付いた俺は、殆どそちらへは意識を傾けず思い付いた言葉を口に。…御道は元気だなぁ……。

 

「あー、五月蝿い五月蝿い。…大丈夫です、園咲さん」

「それは良かった。…今回も、調整だけで良いのかい?」

「えぇ。今のままで十分です」

「ふむ、そうか……」

 

 調整だけで良いのかというのはつまり、本格的な強化や改修やしなくても良いのかという事。それに俺が首肯すると、園咲さんは少しだけ残念そうな表情を浮かべる。…いや、まぁ…そういう反応されると少し申し訳なくもあるが、だからってそんな理由で必要でもない改修をするのはちょっと……。

 

「…こほん。まあそれはそうと、これ以外にも俺達に何か用事があるんじゃないんですか?」

「おや?どうしてそう思うのかな?」

「先に済んだ御道を引き留めた事と、その時俺が何かあるなら先に済ませてくれれば良いって言った時、そうはせずに調整の話を優先した事から、俺達両方に用事があるんじゃないかと思っただけです」

「…鋭いね。その通りだよ、悠耶君」

 

 推理なんて程でもない、単に想像してみただけの事口にした俺だが…どうやら合っていたらしい。

 

「あ、そうだったんですか…それで、用事と言うのは…?」

「うん。と言ってもこれは、私個人の話…というか、相談のようなものだ。霊装者ともあまり関係しないから、軽い気持ちで聞いてくれて構わない」

『は、はぁ……』

 

 発された返答に、若干の困惑を抱く俺達二人。園咲さんは、リラックスしてもらおうと思ってこれを言ったんだろうが…俺達からすれば、園咲さんは成人している年上の女性。その女性に個人的な相談なんて言われても、正直あんまりリラックスは出来ない。

 

(…まぁ、調整で何度も世話にはなってるし、聞くだけ聞いてみるか……)

 

 とはいえ、リラックス出来ないってだけで断る程俺も器量のない男じゃない。それは御道も同じなようで、俺達がソファに座ったまま佇まいを正すと、園咲さんも話し始める。

 

「さて、それじゃあ結論からだが…私は君達に、食事に付き合ってほしいんだ」

「あ、食事ですか……え、食事?」

「食事って…俺と、千嵜にですか…?」

「うん、そうだが…流石にこれじゃ伝わり辛かったかな?すまない、多少噛み砕いた表現をしたのが裏目に出てしまったようだね」

「い、いえお気になさらず…えぇと、では結局何を…?」

 

 一体どんな相談なのか。そう思っていたのに、出てきたのはなんと食事のお誘い。しかも口振りからして、その食事というのは恐らく外食。相談云々以前に訳が分からな過ぎて逆にスルーしかけてしまった俺だが、どうも園咲さんなりに伝わり易くしてみようとした結果らしい。…まぁ、その結果は自覚した通り完全な裏目な訳だが…下手に噛み砕いた結果だというなら一安心。御道が改めて訊いてくれたし、今度こそ何の話だか分かる……

 

「──擬似合コン。二人には、それに付き合ってもらいたい」

 

……前言撤回。二回目も何の話だか全然分からねぇ。むしろ余計に分からねぇ。つかそもそも…擬似合コンって何!?それが意図するものどころか、言葉の意味すら分からないんですけど!?

 

「…勿論、嫌だと言うのなら無理強いはしない。けれど協力してくれるなら、当然食事代は全て私が持つし、謝礼も……」

「いやいやいやいやいや!ちょっ、何で普通に話を進めているんですか!?」

「…不味かったかい?」

「不味いも何も、飲み込めてすらいないんですが!?え、ちょっ…合コン!?擬似合コン!?それは霊装者の用語か何かで!?」

「そんな霊装者用語あるか…!…すみません、時間かかってもいいんで一から説明をお願いします……」

 

 まさかの説明無しに思いっ切り突っ込む御道に続き、俺も軽く額を押さえながら説明を要望。…駄目だ、この人感性が独特過ぎる…天然にも程があるって……。

 

「そうかい?と言っても、そこまで深い理由がある訳じゃないんだ。つい最近、友人から新年会を兼ねた食事会…まぁ、合コンに近いものに呼ばれてね。でも私はそういうものに無縁過ぎて、友人の助けになれない可能性が高いんだ。だからその練習をしたい…という事さ」

「あ、あぁ…やっと少し話が見えてきました…。…友人の助け、というのは…?」

「この食事会、私の友人が『意中の相手とより仲良くなる機会が欲しい。けれど大胆な事は出来ないし、それなら食事…それもそこそこの人数でやるものならどうだろうか』…という考えから発生したものでね。そこに参加してほしいと頼まれたんだよ」

「…俺から言うのもアレですが、それって断る事は……」

「そうだね、場違いにも程がある私が言っても邪魔になるだけと、一度は断る事も考えた。けど、他に頼れる相手がいないようでね……彼女は昔からの友人で、他者やその場に合わせるのが苦手な私と周りの間を上手く取り持ってくれていた恩人でもある以上、力になりたいんだ」

 

 質問を重ねる毎に、はっきりとしていく擬似合コン…ってかその裏にあるものの輪郭。…最初からこんな感じで話してくれれば…ってのは口にしない。

 てか、考えてみりゃ擬似合コンなんて結論が突飛過ぎる以上、多少噛み砕いても意味不明なままなのは当然だわな……。

 

「…どうだろうか?先にも言った通り、嫌ならば断ってくれていい。お礼はするとはいえ、君達にとっては無関係な話なんだからね」

「いや、まぁ…けど、俺達に相談してきたって事は……」

「情けない話だが、頼めるのが君達位しかいなくてね。…いや、正確には全くいない訳ではないのだが…なにぶん事が事な以上、誰でも良いとはいかないんだ」

 

 若干返答に困りながらも言葉を返した御道へと、園咲さんも肩を竦めてすぐに答える。

 それもそうだ。合コンの練習ってならその時点で同性じゃ駄目だし(…あれ?いやでも、友人が女性だともその友人の意中の相手が男性だとも言ってないな…異性の俺等を呼んだんだから、間違っちゃいないとは思うが…)、年齢層もある程度は限られてくる。それでも「本当に俺達以外いないの…?」感はゼロじゃないが…交友関係に関しちゃ、俺も人の事言えないもんなぁ……。

 

「…………」

「…すまないね、こんな事を頼んでしまって。すぐに答えを出すのが難しいのであれば、一旦……」

「…いえ。俺も合コンの経験なんてないですし、あまり役に立てないかもしれませんが…それでも良いのなら、協力します」

「…いいのかい?」

「はい。園咲さんにはお世話になってますし、そういう事でしたら断れません」

「そうか…ありがとう顕人君。恩に着るよ」

 

 口元に手を当て、少考していた御道。それを見て園咲さんは何か…恐らくは後でも良いという旨の言葉を言おうとしたが、それを制する形で御道は頼みを引き受ける。…そういう事なら断れない、か…人が良いなぁ、ほんと……。

 

「…千嵜はどうするの?」

「俺か?俺はまぁ…日程次第ですかね。その擬似合コンはいつやるつもりなんです?」

「明日でも来週以降でも、君達の都合の良い時で構わないよ。勿論、本番前ならば…だけどね」

「なら、善は急げで明日なんてどうでしょう?早めにやるに越した事はないですし」

「…という事は……」

「…えぇ、俺も引き受けますよ」

 

 提案しつつも御道の方へと視線を送り、明日で大丈夫かどうかを確認。御道からは何も返ってこなかったが、何もないって事はつまり大丈夫って事。そして園咲さんからの言葉に頷き…俺も意思を表明する。

 

「二人共…あぁ、やはり君達に頼んで正解だったよ」

「ま、俺も前に使ってた武器の件で恩がありますからね。それに御道一人だと、不安でこっちまで落ち着かなくなりそうですし」

「失礼な…てか、早めにやるに越した事はないって、よく千嵜そんな事言えたね…」

「うん?俺は元々そういうタイプだぞ?必要な事はさっさと片付けるし、そうじゃない事はそもそもやらないんだからな」

 

 安心したように頬を緩める園咲さんへと肩を竦め、そこから俺は御道を見やる。御道からは半眼を返されたが、まぁそれは想定済み。だからその半眼を軽く流し…俺は明日、擬似合コンと称して外食をする事になるのだった。

 

 

 

 

 ドレスコードを気にしなければならない…という程ではなく、けれども高校生が立ち寄るにはちょっとハードルが高い、街中にあるそんな感じのレストラン。そこへ今日、つまり園咲さんからの相談を受けた翌日の夜…俺と千嵜は、予定された時刻に訪れていた。

 

「…よくよく考えたらさ、家族とか親戚って訳じゃない大人の女性に食事に誘われるって…中々に凄い事じゃない…?」

「そうか?…あー、まぁ…そんなもんか……」

 

 厳密に言えば今俺達がいるのはそのレストラン内ではなく、レストランが見える距離の待ち合わせ場所。立ち合わせるなら双統殿の方が分かり易いと思ったけれど、このレストランがあるのは俺の家から見ても千嵜の家から見ても双統殿より手前の位置。なら双統殿まで来る必要はないだろうと、園咲さんがここでの待ち合わせを提示してくれた。

 まぁでもそれはそうとして、ほんとよく考えたらこれは凄い事な気がする。だって擬似とはいえ合コンだし。相手は大人の女性だし。

 

(うーむ…というか、人生初の合コンが擬似になるとは…ある意味レアってか、擬似合コンなんて殆どの人はした事もないんだろうけど……)

「すまない。待たせてしまったようだね」

 

 動揺とまではいかないにしても、あまり落ち着かない心境の俺。そこへ不意にかけられたのは、昨日も聞いた落ち着いた声。

 

「あ…こ、こんばんは園咲さん…」

「こんばんは、二人共」

「どうも…俺も御道もそこまで待ってた訳じゃないんで、お気になさらず…」

 

 はっとして振り向いた先にいるのは、当然ながら園咲さん。普段は制服の上から白衣を着ている彼女だけど、プライベートである今は黒のコートに白のブラウス、深い赤のフレアスカートに茶色のブーツという、園咲さんらしく落ち着いた服装。けれど華美でも着飾っている感じでもないからこそ、その服装は大人の女性ならではの魅力というか、綾袮さん達とは全く違う類いの雰囲気を醸し出している。

 

「それは良かった。では、外にいても寒いだけだし早速入ろうか」

 

 そう言って、先導するように園咲さんは歩き出す。一応俺も男だし、擬似とはいえ合コンなんだから、むしろ俺が回す位の気概を見せたいところだけど…それ以前に園咲さんは大人の年上であり、これも園咲さんが言った事。男らしさを取るか、目上の人を立てるかという二択であり……まぁ、そこは後者を取りますわな…。

 という訳で、俺も千嵜も園咲さんに続いて入店。店員さんに案内された席へと移動し、座ったところで上着を脱ぐ。

 

「取り敢えず、先に注文してくれればいいよ」

「は、はい。…でも、合コンの場合って各々が自分の頼んだ料理だけを食べる…ってもんじゃないよね?」

「さぁ?それは俺に訊くな」

「えぇー…まぁ、じゃあ…全員で食べられるような一品料理も、一つか二つ注文する…で、いいですか…?」

「勿論」

 

 役に立たない千嵜を早々に諦め、俺は頭を捻って合コンらしい事を提案。その後やってきた店員さんに注文を伝え、ふぅ…と小さく吐息を漏らす。

 

「…で、えぇと……」

「何かな?」

「何だよ?」

(…やり辛ぁッ!分かってはいたけど…この面子、絶対合コン向いてないよねっ!)

 

 まだ始まって数分…というか、合コンとしては始まっているかどうかも怪しいというのに、既に感じるやり辛さ。まぁ、そりゃそうなんだけどさ!合コンって積極的に関わっていく場(だと思う)な以上、我が道を行くタイプは光るか浮くかの二択に決まってるんだけどさ!そして三人中二人がそれじゃ、光るも何もないんだけどさッ!……はぁ…。

 

「…あの、いきなりで悪いんですけど…そしてある意味もう遅いんですけど…俺と千嵜の二人だけで、練習になります…?」

「それは…どうだろうか。私自身合コンというものをよく知らない以上、何とも言えないのが実際のところだ」

「それつまり、上手くいってるのかどうかすら分からないって事じゃないですか…」

 

 園咲さんも判定出来る人材、こういうのが合コンだと分かる人間がいないのは宜しくないと理解はしてくれている…と思うけど、こんなやり取りが出てきてしまってる時点でなんかもうアウトな感じ。…いや、そもそも合コンに決まった形がある訳でもないんだろうけど…うぅむ…。

 

「…別に、そこはそこまで気にしなくてもいいんじゃね?」

「…なんでさ」

「だって、園咲さんは合コンを主催する訳でも合コンで成功したい訳でもない…言ってしまえば、頭数として邪魔にならない程度の事が出来ればいい訳だろ?だったら無理に盛り上がる必要はねぇし、それこそ話を振られた時に上手くやれればそれだけでいいんじゃねぇの?」

 

 困った。非常に困った。…そんな事を思う中、運ばれてきたお冷を一口飲んでからおもむろに口を開く千嵜。また適当な事を…と発された言葉に呆れ混じりで訊き返した俺だけど、それに対して返ってきたのはなんと至極真っ当な論調。

 

「…………」

「…ん?なんか間違ってたか?」

「いや…うん、その通りだわ…」

「だろ?…って、なんでちょっとテンション下がってんだよ…」

 

 全くもってその通り。反論のしようがない千嵜の言葉に納得してしまった俺は、だからこそ「じゃあ頑張って合コンらしさを考えてた俺は何なのよ…」という気分になってしまう。…や、千嵜は悪くないけどね…?要は俺が空回りしてただけだし……。

 

「…ご、ごほん。じゃあ、こっちから何か質問を……」

「分かった。答えられる限りで回答しよう」

「えと、取り敢えず本番はもう少しフランクでも良いと思います…。…えーっと…あ、そういえばここにした理由は何かあるんですか?」

「ここには何度か来た事があってね。初めてのレストランよりはやり易いと思ったんだ」

 

 十数秒の消沈を経て当初の目的、園咲さんに協力するという事を思い出した俺は、気を取り直して質問開始。そこから俺達と園咲さんは、暫しの間質問と回答を繰り返す。

 

「それは…っと、料理来たみたいですね」

 

 回答に対する更なる質問を千嵜がしようとしたところで、運ばれてくる料理。若干のタイムラグこそあれど注文した料理は全て来て、そこからは一旦食事に移行。そこそここの形式で喋っていた事もあってもう俺は落ち着いており、料理も普通に喉を通る。

 

(うん、それなりに高いだけあって美味いなぁ…擬似合コン云々は別として、ちゃんと帰りにお礼を言わないと……)

 

 そんな事を考えながら、俺はふと顔を上げる。するとそれは、丁度園咲さんがミネストローネを口に運ぶタイミング。

 

「…ん……」

 

 艶のある白の髪がスープの中へと落ちないよう指で耳にかけ、掬い上げたスプーンへと口を付ける園咲さん。それは何か特別な事をしている訳じゃない、本当にただスープを飲んでいるだけなのに……なのに凄く、絵になる光景。上手くは表現出来ないけれど、それが俺の目には美しく映る。

 というか実際のところ、園咲さんは本当に美人だと思う。基本静かだからこそ大人っぽいというか、整った顔立ちが映えるというか……

 

「……?どうかしたかい?」

「へっ?…あっ…え、えーっとその…あぁそうだ、ご友人!もし良ければ、その人の話をもう少し聞かせて頂けたらなー…と…」

「ふむ…そうだね、いいよ。色々勝手に話してしまうのは彼女に悪いし、何でも…という訳にはいかないけれど」

 

 気付けばこちらを見ていた…というより俺の視線に気付いた園咲さんに尋ねられ、俺は慌てて誤魔化しにかかる。割と良い事が思い付いたから、何とか誤魔化しに成功したけど…食事中の女性を見つめるとか、デリカシー面でアウトだな…(後、千嵜には誤魔化してる事がバレてたようで、「何言ってんだこいつ…」みたいな視線を向けられていた)。

 

「彼女は…そうだね、一言で表すなら快活な人間だよ。綾袮君程ではないけど、私とは正反対な性格さ」

 

 一方園咲さんは一度スプーンを置き、友人の事を話し始めてくれる。これを訊いたのは視線を誤魔化す為だったけど…どういう人なんだろうとは思っていたし、ちゃんと聞こうと俺もその場で座り直す。

 

「私は昔から興味のある事にばかり没頭しあまり周りの事は気にしない性格だったが、彼女は社交的な上気遣いも出来る、所謂コミュニケーション能力が高い人物でね。実を言うと、ここも初めて来たのは彼女となんだ」

 

 語り始めた園咲さんが、その最中で浮かべるくすりとした笑み。

 それだけで伝わってくる。園咲さんにとって、その人は本当に仲の良い相手なんだって。

 

「今思えば、彼女がいなければ私の学生時代は本当にただ過ごすだけの日々だっただろう。そしてそれを、味気ない日々だとすら思わなかったかもしれない」

「…普通を知らないと、自分がどういう状態なのかも分からないものですもんね」

「そういう事さ。けれど彼女がいたから、学生時代に様々な思い出を作る事が出来た。…なんて、君達にはあまり面白くもない話かな」

「そんな事ないですよ。俺から訊いた話ですし」

「えぇ。それに…俺は分かりますよ、その気持ち」

 

 一度区切って肩を竦めた園咲さんの言葉を、俺は否定。続けて千嵜も俺に同意し…そういや千嵜も、かなりしっかり…てか、真剣に聞いてるな…。

 

「それなら良かった。こういう話は、普段した事がなかったからね」

「…園咲さん、その人とはどういう経緯で友人に?」

「経緯かい?経緯は…何か特別な事があった訳じゃないよ。ただ、彼女は私の事を前から知っていた…というか見ていたみたいでね、彼女から話しかけてくれたんだ。で、それについて訊いてみた時、彼女はこう答えたよ。なんだか面白そうな子に見えたから、とね」

「面白そう、ですか…(…そういや千嵜との関係も、元々は俺が興味を持ったからだったな……)」

「…あ、それと『後、美人さんだし!』とも言っていたよ」

『へぇ……え?』

「うん?言っていなかったかな?彼女はちょくちょく私に抱き着いてくるんだよ。何度か頬擦りされた覚えもある」

 

 千嵜からの問いに答えた園咲さんは、それから懐かしむように目を細め、その時言われた言葉を口に。それを、俺もまた連想から少し懐かしい気持ちで聞いていたところだけど……続けて発された斜め上過ぎる発言に、思わず俺も千嵜も呆然。え、何?ちょくちょく抱き着いてくる…?頬擦りもされてる…?

 

「ふふ、お茶目な友人だろう?」

「え、えと…そう、ですね…(これをお茶目で済ませているのか…流石は園咲さん……)」

 

 全く嫌そうな素振りのない園咲さんに、付いていけないこっちサイド。…いや、まさか…ご友人の意中の相手って、園咲さん自身だったってパターンじゃないよね…?女性サイドの人数が足りないから…っていうのは建前で、園咲さんと友達以上の関係になるのが望みだったとかなら、びっくりにも程があるぞ…?

 

「…まぁ…そんな感じで、彼女は本当に大切な友人なんだ。私が彼女の為に出来る事があるなら何でもしたいし、彼女が幸せになってくれるのなら、それは私にとっても嬉しい事だ。…私は彼女に、これまで沢山のものを貰ってきたからね」

「…大丈夫ですよ。俺、合コンの事は何も言えませんが…それならきっと、その人も園咲さんが隣にいる事で安心出来ると思いますし」

「…だよね。園咲さんの気持ちは、きっと伝わってると思いますよ」

「…そう、だろうか。…うん…そうだったら、いいな……」

 

 実際のところ、ご友人が誰と結ばれたいのかは分からない。けれど、園咲さんがそのご友人を大切に思っている事、一緒にいて楽しいと思える間柄である事は本当に伝わってきたし、もし仮に上手くいかなかったとしても…園咲さんは、園咲さんの出来る形でその人を支えてあげるんだろう。…締め括る言葉を聞いて、俺は自然にそう思えた。

 それからも、訊いて答えてのやり取りは続いた。途中からは擬似合コンだからではなく、ただの雑談として、食事しながら園咲さんと色々話した。それが合コン繋がるかどうかは分からないけど…楽しい時間だった事は、間違いない。

 

「ご馳走様でした、園咲さん」

「こちらこそありがとう、二人共。今日は良い予行練習になったよ」

 

 食事を終え、レストランの外へと出た俺達。決めていた通りにお礼を言うと、園咲さんも感謝の言葉を返してくれる。

 

「…何かあれば、また連絡して下さい。ほんと、合コンとか全然分からないっすけど…出来る範囲で、また協力します」

「そうだね、何かあればまた頼むよ。それじゃあ、二人共夜道は気を付けて」

「はい。園咲さん…は、この後また何か研究したりするんですか…?」

「いいや、今日はこのまま帰ってゆっくりするつもりだよ。予行練習の振り返りもしたいからね」

 

 園咲さんも気を付けて。そう言いかけて「目上の人にこういう事言うのは良いのか…?」と不安になった俺は、そこから何とか方向転換。それに答えて園咲さんは歩き出し、俺達二人も帰路に着くべく身体の向きを……

 

「…ああ、そうだ。顕人君、悠耶君」

『……?どうしまし……』

「──今日は、とても楽しかったよ。もし良ければ…また一緒に、食事をしてくれないかな?」

 

 その瞬間、背を向けて歩き出そうとしたその時振り向いた園咲さんが浮かべていたのは、穏やかで、大人っぽく…けれどどこか可愛らしさもある、にこりとした笑み。夜の街並みを背景に、綺麗な白の髪とコートの裾を軽くはためかせながら俺達へと向けられた、大人の女性の純粋な好意。それに、その言葉と微笑みに、一瞬俺は息を飲み……こくりと一つ、首肯をするので精一杯だった。

 

「…………」

「…………」

「……ねぇ、千嵜…」

「ん……?」

「…お前も、また誘われたら行くんだな…」

「…うっせ…」

 

 そうして、擬似合コンという訳の分からない食事は終了。これを通して俺達は園咲さんの交友関係を少し知り、園咲さんの人となりをこれまでより一歩深いところまで理解し……そして最後に、俺の心にはこんな思いが浮かんでいたのだった。

 

 

(……年上の女性も、素敵だな…)



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第百六十五話 霊峰にて

 寒い日が続く一月中旬。冬至はもうとっくに過ぎているのにまだ寒いし日が落ちるのも早いし、冬至も夏至もあんまり当てにならない気がする今日この頃。…まぁ、冬至は一番昼が短い日であって、冬至が寒さのピークだって訳じゃないんだけど……。

 

「顕人、まだきな粉ある?」

「あるけど…ラフィーネさん、きな粉使い過ぎじゃない…?」

 

 今日の夕飯は実家で貰ってきた餅。勿論おかずはあるけど、メインはこれ。…美味いよね、きな粉餅。

 

「そんな事ない。成長には、沢山の栄養が必要」

「え…な、何故私を見ながらそれを……?」

「……負けない」

「や、あ、あの…えぇー……」

 

 餅にきな粉をどれ位付けるかなんて個々人の好みだけど、ラフィーネさんはやけに多いような気がする。それを疑問の形で指摘すると、ラフィーネさんは妙に真剣な顔をしながら妹であるフォリンさんを…より正確に言えばある部分を見つめ、それからフォリンさんへ向けて一言。

 かなり一方的な対抗心(?)を向けられたフォリンさんは、どうしたらいいか分からないと言いたげな表情を浮かべていて……俺は思わず、苦笑い。

 

「ラフィーネ…そうだよね。何にしても、まずは栄養だよね…!」

「うん。綾袮なら、分かってくれると思ってた」

 

 続けてそのラフィーネさんに綾袮さんが同意し、視線を合わせて頷き合う二人。そこから二人は俺が持ってきたきな粉をがっつりと皿に…って、まさか甘いきな粉を沢山食べたいだけとかじゃないだろうな…?

 

「…顕人さん、私今凄くこの場に居辛いのですが……」

「うん、まぁ、だろうね…でもこれ、俺にどうこう出来る事じゃないから……」

「…ですよね……」

 

 持つ者と持たざる者。持たざる者は持つ者の対抗心を、嫉妬心を抱くものであり、持つ者もそれが自分の意思で手にした物ではない場合、時として何も言えなくなってしまう。…そんな残酷な現実が今食卓には広がっていて……俺は思う。平和だなぁ、って。

 

「ふー……あ、そうそう顕人君。来週末って空いてる?空いてなくても空けてもらわなくちゃいけないんだけど」

 

 それから数分後。ごくんと餅を飲み込んだ綾袮さんは、思い出したように俺へと話を振ってくる。

 

「…そういう言い方をするって事は、もしや……」

「うん。来週末……登山に行こうか」

「……はい?」

 

 真面目な顔で、俺の問いへと答える綾袮さん。それに俺は一瞬やっぱりか…と思ったものの、綾袮さんが口にした答えは俺の想像とは全然違うもの。え、登山…?何を言ってんの……?

 

「…ごめん、確認だけど、それはただ綾袮さんが山に行きたいだけって事では……」

「ないよ?」

「だよね、そりゃそうだよね…わざと結論だけ言うのは止めようよ綾袮さん……」

 

 訳の分からない答えだったけど、このパターンをやられるのももう一度や二度の事じゃない。だから何となく理解はしつつも確認すると、綾袮さんはけろっとした顔で言葉を返し…俺は軽く肩を落とす。

 

「あはは、ごめんごめん。で、その山だけど…行くのは富士山、霊峰富士だよっ!」

「富士山…それはまた大御所だね…」

 

 山に大御所も若手もないだろう…という心の中でのセルフ突っ込みはさておき、日本一高い山、日本の山の代名詞と言っても過言じゃない富士山へ向かうという事で、ふっと芽生える緊張感。場所だけで緊張してたらきりがないとも思うけど……って、

 

「霊峰富士…霊峰……?」

「お、鋭いね顕人君。…霊峰富士なんて呼ばれてるように、富士山はこっちの世界でも特別な山の一つなんだ。って言っても、霊峰って呼ばれる山全てが特別な訳じゃないんだけどさ」

 

 ふと名前から思った通り、富士山はただの山じゃないらしい。それ自体は驚きだけど…同時に、何か納得出来る面もある。だって富士山は、遠目に見たって何か特別というか、他の山とは違う…って感じがあるし。

 

「…で、毎年富士山である儀式をやってるんだけど、今回行くのもそれ絡みだよ。儀式自体は来週末って訳じゃないけどね」

「そうなんだ…分かった。予定は特にないから大丈夫」

「それなら良かった。…あ、登山道具は必要ないよ?装備を纏っての活動になるからね」

 

 そこで一区切りを付けた綾袮さんは湯飲みを持ってごくりと一口。その間「富士山かぁ、この時期じゃまだ雪も多いだろうなぁ…」なんて事を思っていた俺だけど、そこで今度はここまで黙っていたラフィーネさん達が口を開く。

 

「…フォリン。富士山って、確か……」

「はい。…綾袮さん。富士山は、力のある魔物が多く住む場所…ですよね?」

「ん、そうだよ。霊装者だけじゃなくて、魔物にとっても特別な場所だから、『こっちの世界』って表現にした訳だし」

 

 湯飲みを置いて、話を再開する綾袮さん。…二人も富士山の事は知ってたのか……。

 

「…ん?でもそれなら、富士登山って滅茶苦茶危険な事なんじゃ……?」

「あ、そこは大丈夫。何も富士山全域に魔物がうじゃうじゃいる訳じゃないし、富士山を根城にするような魔物は普通の人なんてあんまり襲わないからね。それに富士山の近くにも支部が一つあるし、立ち入り禁止区域以外は案外安全なんだよ?…立ち入り禁止区域以外は、ね」

 

 言葉を繰り返す綾袮さんの表情は柔らかいけど、瞳だけは真剣そのもの。

 今の口振りで、何となく分かった。立ち入り禁止区域へ勝手に入って、魔物に襲われてしまった…という人が、過去に何人もいたんだろうって。

 

「そういう訳だから、何かおかしなものを見つけたりしても、勝手にどっか行っちゃ駄目だよ?魔物抜きにも富士山で遭難する人は毎年いるんだから」

「分かってるよ。…けど、装備があるなら迷っても飛べば良いだけじゃ?」

「まぁね。でも、安易な油断は禁物だって言うのは…顕人君なら、言わなくても分かってるかな?」

 

 綾袮さんの言う事はご尤も。実際何とかなるだろうけど、初めから油断しておいて良い事なんてまあまずない。それに、考えてみれば立ち入り禁止区域…強力な魔物がいるような場所で霊力噴射して飛ぶなんて、魔物に自分の場所を教えてるようなものだろうし。

 

「了解。じゃ、油断しない為にも任務の情報は逐一教えてよ?綾袮さん、ちょこちょこ伝えるべき事忘れてたり、ギリギリになってから言ってくる…って事あるし」

「う…わ、わたしも色々考えてるんだよ?組織において情報は、立場や状況によって誰にどこまで開示して良いかが変わるものだし……」

「そっかそっかぁ。って事は、うっかり伝え忘れたりはしないんだね?してないんだね?なら安心かなぁ」

「……ごめんなさい、伝え忘れたりしないよう気を付けます…」

 

 それっぽい事を言って自己弁護を図った綾袮さんだけど、それは自分の首を絞める行為。内心にやりと笑いならすぐに切り返すと、綾袮さんは言葉に詰まり……見事俺は、綾袮さんから勝利を収めるのだった。…これでほんとに、気を付けてくれれば助かるんだけどなぁ……。

 

 

 

 

 富士山での任務の件を聞いてからは特に事件や問題が起こる事もなく、そのまま来週末…つまり、任務当日を迎えた。

 用意してもらった車(まぁ、俺ではなく綾袮さんの為にだろうけど)で移動し、最初に到着したのは富士山…ではなく、その近くに位置するある建物。

 

「へぇ、ここが……」

 

 富士山及び、その周囲を管轄とする霊源協会の支部の一つ。それが、今俺達が到着した場所。本部である双統殿含め、他の支部はもっと管轄が広いらしく、規模もそれ程大きくはないとの事だけど…逆に言えば、富士山の為にわざわざ一つ支部が用意されてるって事。それだけで、富士山の重要性はよく分かる。

 

「お待ちしておりました、綾袮様。それに、顕人さん」

「うん、お出迎えありがとね」

 

 初めに声をかけてきたのは、それなり以上の地位にありそうな男性。もしかすると、ここの支部長さんかもしれない。

 その人に一つ頭を下げ、俺は綾袮さんの後を追う。…うーん…やっぱり初めて来る場所だから、緊張するなぁ…。

 

「早速だけど、今どんな感じか教えてくれる?資料じゃなくて、現場ではどんな感じに思ってるのかをさ」

「えぇ、勿論。ですが……」

「うん。顕人君、きて早々で悪いんだけど、ちょっと席を外しててもらえるかな?」

「あ、うん。じゃあ俺は廊下で待ってるよ」

 

 多分どこかの部屋へ向かう最中、綾袮さんから言われる言葉。でも何となくそんな気がしていた俺はすぐに頷き、それから出迎えてくれた人(やっぱり支部長さんだった)に教えてもらった休憩所へ。そこでドリンクサーバーの飲み物を飲みつつ、綾袮さんが来るまで時間を潰す。

 

「いやぁ、やっぱりいつ見ても富士山は綺麗っすねぇ」

 

 今回ラフィーネさんとフォリンさんはお留守番で、今ここにいるのは俺一人。だから窓から見える富士山をぽけーっと見ていると、暫く姿を見せていなかった慧瑠が現れて口を開く。

 

「だねぇ。…慧瑠はこれまで富士山登った事ある?」

「あるっすよ?登る事で得られるものより発生し得る面倒事の方が基本大きいので、そう何度も登りはしなかったですけど」

「面倒事?…あぁ、そっか……」

 

 元々強くなる事に興味のなかった慧瑠にとって、霊装者であろうと魔物であろうと多く居る場所へ行く事は、恐らく何のメリットもありはしない。…けど、それでも一回は登ってるって事は、それ位魔人にとっても富士山は綺麗な山なのかな…。

 

「…しっかし…ふーむ……」

「…慧瑠?」

「…先輩、気を付けて活動するんですよ?何となくっすけど…何か、嫌な予感とでも言うべきものを感じるっす」

「嫌な予感…?…了解、肝に命じておくよ」

「そうしてほしいっす。ま、自分も気を付けてはおきますけどね」

 

 それから慧瑠は、気を付けろと言った。それも具体性のない、嫌な予感という抽象的な表現で。

 でも、疑う事なく俺は信じる。だって慧瑠が、俺を謀る訳がないんだから。…まぁ、謀るってか、からかう事はちょくちょくあるけども……。

 

「お待たせ、顕人君。寂しくなかった?」

「いや、数十分一人になっただけで寂しくなるようなメンタルはしてないよ…(というか、そもそも一人じゃなかったしね)」

 

 気を付けるよう言われた数分後、聞こえてきた綾袮さんの声に俺は振り返る。どうやら一人になったのか、さっきの支部長さんの姿はない。

 

「…で、この後はどうするの?最初に登山なんて言ってたし、まさかこれで終わりって訳じゃないよね?」

「それは勿論。少ししたら、ここの支部の人達と富士山に行くよ。顕人君、今の内に装備の確認しておいて」

「…ここで?」

「わたしがいるから大丈夫。あ、でも発砲は止めてね?」

 

 いやそれはしないって…と思いつつ、俺は言われた通りに装備を確認。一つ一つサイズを戻して、霊力を流して、何もおかしな点はないと分かったらそれぞれの位置に仕舞い直す。

 

(山に行くって事は…何だろ。異常がないかの確認かな?…でもそれは、ここの支部の人達が普段からやってるか……)

 

 これから一体何をするのか。それを考えながら全武器の確認を済ませたところで、綾袮さんはサーバーから出した飲み物を飲み干し歩き出す。勿論それに俺も続き、移動した先は会議室らしき大きめの部屋。中には大人数じゃないものの装備を纏った人達がいて、すぐに俺はこの人達と行くんだって事を理解する。

 

「うん、皆揃ってるかな?今日は宜しくね!」

 

 集まっていた面々に向けて、いつもの調子で綾袮さんは挨拶。俺はここでも護衛の様に(違うけど)側で立ち、言葉の代わりに会釈を…と思ったけど、綾袮さんに振られた事で俺も挨拶。

 それから始まったのは、予想通りブリーフィング。今回の作戦は儀式に備えた安全の確保と確認であり、普段なら下手に戦闘に入るとその地域の魔物全体を刺激してしまいかねない…という事で見逃しているような魔物も、場合によっては討伐を行う事になる。

 

(話を聞く限り、運が良ければ一戦もせず終わるっぽいけど…ま、そう上手くはいかないだろうなぁ……)

 

 十数分程度で確認は終わり、俺達は車両で富士山の五合目へ。ここから先は、車で行くのは困難な場所で……同時にここからが、作戦の開始。…と、気を引き締めていた俺だけど……

 

「うー、さむさむ…毎年思うけど、こんな寒い時期に儀式やるなんて酷いよー……」

 

 徒歩で登り始めてから数十分。はっきり言って…全然作戦をしてる感はなかった。ぶっちゃけ、ほんとにただ登山をしている感じだった。

 

「…出てこないね、魔物」

「まぁね。儀式の時だってわざわざ危険な場所を通りに行こうとはしないし、襲ってくる気もない魔物の縄張りに自分から入って刺激しちゃうんじゃ、そんなの本末転倒でしょ?」

「んまぁ、それはそうなんだろうけと…うーん……」

 

 目的の事を考えればありがたいんだろうけど、俺としては拍子抜け。連戦になる事も考えていたもんだから、「あれぇ…?」って感じがとにかく強い。

 

「まあまあ、これだけの霊装者が来てるんだから、その内魔物の一体や二体はもっと力を付けようと襲って……っと、皆ストップ。ちょっと待っててもらっていい?」

 

 俺の気持ちを察したのか、綾袮さんは肩を竦めつつ話を…途中までしたところで、足を止めて全員へと指示。

 一瞬、俺も周りの人達も魔物が現れたのかと思った。けれどそうじゃないらしく、綾袮さんは「あ、大丈夫大丈夫!リラックスして待ってて」とか言いながら左手の茂みへ。…何だろう…魔物ではないけど、それっぽい痕跡を見つけたとか……?

 

「…な、おい」

「……?…あ…俺、ですか…?」

 

 待つ中で、不意に背後からかけられた声。振り向きながら訊き返すと、何人かの人…割と俺と年齢の近そうな人達が、俺へと視線を向けていた。

 

「お前って、あの御道顕人…だよな?」

「へ?…えぇ、と…多分、その御道だと思います…同姓同名の人がいなければ、ですけど……」

「やっぱりか…へへっ、会えて光栄だよ」

 

 そう言って、その内の一人から差し出される手。困惑しつつもそれに応えて握手をすると、彼はにっと笑みを浮かべる。

 

「いやぁ、まさかこんな形で会う事になるなんてなぁ…」

「てか、意外だったぜ。俺はてっきり、もっと屈強な奴なのかと思ってたけど、俺達と全然変わらないもんな」

「な?だから言ったろ?ぱっと見で判断するのは二流だぞって」

(…え、えーっと……?)

 

 恐らく話の話題は俺の事。けれど何の事だか分からないせいで、当の本人である俺が置いてけぼり。…どうしよう…内輪ノリで盛り上がってるから、全然話に割って入れない……。

 

「あぁそうだ。もし今回早めに済んだらよ、色々話を聞かせてくれよ。まぁ勿論、忙しくなかったら…だけどさ」

「え?…ま、まぁ…俺の話で良ければ…(俺の話、だよな…?)」

 

 俺の理解が追い付かないまま進む話。何か安請け合いしてしまったみたいだけど……うん、これじゃ駄目だ。こういう時受け身でいると、いつまで経っても話に入る事なんて出来ないんだから。…よーし…ここは一つ、そこそこはある筈のコミュニュケーション能力をフル活用して……

 

「お待たせー。皆、急に止まらせちゃってごめんね」

 

……と思っていたところで、「さぁ、話すぞ!」…という気持ちになったところで、綾袮さんが戻ってきた。戻ってきてしまった。…うぅむ、バットタイミング…。

 

「…どうかした?」

「…いや、何でもない……」

 

 小首を傾げる綾袮さんからの質問に、内心しょぼんとしながら首を横に振る俺。

 まぁ、正直言って助かった面もある。こっちから話した結果、微妙な空気になっていた可能性もあるし。けど同時に俺は奮起させたやる気を持って行く場所を失った訳で…詰まる所、それはそれで微妙な心境になった俺という……。

 

「…注目されてたね、顕人君」

「…見てたの?」

「戻る道すがらにね。だから見たっていうか、見えた…かな」

 

 移動再開から数分後。ふと綾袮さんが振ってきたのは、さっきの事。

 

「あぁ…びっくりしたよ。まさか、見ず知らずの人達に注目されるなんて……」

「それはそうだよ。だって、考えてみて?顕人君は霊装者になったばかりの頃にわたしや妃乃、悠耶君と協力して魔王を撃退させたのを皮切りに、夏休みの少し前には妃乃達が手負いにした魔人をわたしと二人で倒して、最近じゃ遂に魔人…ううん、恐らくは魔王にトドメまで刺した霊装者なんだよ?予言抜きにとんでもない活躍をしてるんだから、そりゃ注目もされるって」

「いや、それは……」

 

 確かに綾袮さんの言う通り、羅列すると俺のしてきた事は凄まじい。けど、あの時の魔王戦は運とタイミングが良かったとしか言えないし、二つ目の魔人の件は足を止めさせる為に一発撃っただけでほぼ戦闘に参加してないし、最後の…慧瑠の件に至っては、『そういう事』になっているだけ。当然トドメを刺した訳じゃないし……そういう事になっているの自体、俺はあんまり良く思っていない。…勿論、それが俺にとっても都合の良い纏め方になっているのは承知してるけど…。

 

「…ま、良いじゃないっすか。自分の件に関しては全くの間違いって訳じゃないですし……魔人に新たな道を示して、自分の生活は変えないままに共存している霊装者なんて、きっと先輩だけなんですから」

「…まぁ、慧瑠がそう言うなら……」

 

 ほんと、俺としては納得がいかない。納得してないけど、真実を真実のままに公表された場合、俺は今この場にいないだろうし…そもそも俺も、そっち側だ。本当の真実よりも都合の良い、捻じ曲げられた真実を夏に作り上げた側で、そういう意味じゃ俺にどうこう言えるような立場はない。

 ただそれでも、もやもやするのは変わらない訳で……そんな俺の心境を察したのか、慧瑠がのんびりした顔で宥めてくる。

 慧瑠はこの件において、一番の被害者。本来相容れない存在なんだから仕方ないとはいえ、討たれかけた慧瑠がそう言うのなら…俺もぶーぶーは言えないよね。

 

「……?顕人君、今何か言った?」

「あ、いや…けどそうなるとそれはそれで困るな…俺話せる程の活躍してないし……」

「…盛っちゃう?」

「そんなカメラアプリ感覚で言われても……まあでもあれか、やった事じゃなくて感想をメインにすれば何とかなるか…」

 

 そんなこんなでとにかく俺達は進み続ける。当然登れば登る程山は険しくなっていくけど、身体強化のおかげで多少の悪路では進行を阻まれる事もなく、今はもう左を見ても右を見ても、完全なまでの雪景色。

 

(…子供っぽい考えだけど、これだけ雪があれば雪合戦もスキーもし放題だろうなぁ…てか、綾袮さんはこれ見てもはしゃがないのかな?…ってそっか、毎年見てるんだからもう慣れてるか……)

 

 やる事がないからぼんやり色々考える中、ふっと浮かんだ疑問と共に俺は視線を綾袮さんの方へ。その疑問自体は一瞬且つ俺の脳内でセルフ解決したものの…俺が見た時綾袮さんが浮かべていたのは、いつになく真面目そうな顔。

 

「…綾袮さん?」

「……ほぇ?あ、どしたの?」

「……?…や、凄い真剣そうな顔してたから、どうしたのかなー…と」

「あぁ…まあほら、いつ襲われてもおかしくない場所だからね。わたし一人が油断して襲われるんだったら自業自得だけど…わたしが油断してなきゃ防げた筈の怪我や事故なんて、わたしは絶対嫌だからね」

「…そっか…うん、俺も気を付けるよ。最低でも、自分の事はちゃんと自分で守らないと…」

「うんうん、戦闘になったら顕人君の事も頼りにするから、ばっちり頼むよ?」

 

 会話の中ではっとさせられる、意識の違い。俺は安全が確保された場所でもないのに油断していて…しかもそれを、綾袮さんに言われなきゃきっと気付く事もなかった。最初にこの話を受けた時、油断するなって言われてたのに。

 経験の差はあるだろう。立場の差も大きいと思う。けど、もしその油断が仇となった時、後悔するのは…間違いなく俺。だったら経験だの立場だので言い訳せず、きちんと反省する方が良い。綾袮さんも、頼りにすると言ってくれたんだから。

 そうだ。今のところは何もないけど、本当に何もなく終わるかどうかは、最後の最後まで分からない。だから……

 

(…こっから先は、もっと気を引き締めていくぞ……!)

 

 周りに注目されない程度に頬を叩き、気持ちをがらりと切り替える俺。そして俺は、進む先をしっかりと見据え……最後まで油断しない事を、心に決めた。



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第百六十六話 先手の迎撃

「んー…ま、こんなもんか。緋奈、妃乃、ご飯出来たぞー」

 

 週末の昼。昼食が完成したところで、共に住む二人を呼ぶ俺。特筆する事のない、至って普通の千嵜家。

 

「……?お兄ちゃん、妃乃さんなら今日は出掛けてるよ?」

「へ?……あ、しまったそうだった…」

 

…と思ったが、前言撤回。今日の千嵜家は、俺と緋奈の二人きりだった。

 

「うっかりしてたなぁ…普通に三人分作っちまった……」

 

 出来上がったばかりで湯気を立てる昼食を前に、どうしたものかと呟く俺。

 今日の昼食は、かき揚げうどん。かき揚げはまだしも、うどんはもうつゆが入ってしまっている以上、このまま置いておく事は出来ない。

 

「あー…やっちゃったね……」

「…お隣さんにお裾分けするか…?」

「出来上がったかき揚げうどん一杯をいきなり持ってこられたら、お隣さんかなり困惑すると思うよ…?」

「だよなぁ…依未を呼んでも来る頃にゃ伸びてるだろうし、食べるしかないか……」

 

 出来る事なら誰かに食べてもらいたいところだが、何にせよ『伸びる』という問題がある以上どうにもならない。という訳で俺は諦め、少しでも伸びるのを防ぐ為に麺を別の皿へと移して台所から食卓へ。ほんとにタイミングが悪い(一番悪いのは忘れてた俺だが)なぁ…なんて思いつつ、緋奈と昼食を食べ始める。

 

「わたしも少し手伝うよ。半分…は無理だと思うけど」

「あぁ、助かる…。…何か、儀式絡みの準備だっけ?」

「うん、そう言ってたね」

 

 先に自分の分を片付けながら、向かい合って俺達は話す。因みにもう一人分のうどんは、丁度俺と緋奈の間。

 

「儀式、ねぇ……」

「…何か思うところあるの?」

「や、まぁ…霊装者だけに関わらず、儀式って色んな集団が、色んな場所でやるだろ?でも大概それってやらなきゃいけない訳じゃなくて、所謂『伝統』だからやってるってだけなんだろうなぁ…なんて思っただけだ」

「それは…うーん、そうなのかも?一括りに出来るものじゃないと思うけど…」

「んまぁその通りなんだがな。ただほら、その儀式ってのは富士山でやるらしいし、まだ寒い中でわざわざ富士山行って、そこでやるのが必要不可欠でもない儀式だったら俺はやってらんないなぁ…」

 

 別に伝統としての儀式を馬鹿にするつもりはない。たとえやってもやらなくても何も変わらない行為だとしても、そこに参加する人の思いにおいては意味がある事もあり得るんだから。けど思いの観点で言うのなら、俺は御免だなぁってだけで…逆に妃乃なんかは、実益がなくても伝統として真摯に行うような気がする。…何となくだけど。

 

「…でもさ、それで言ったら前に行った初詣もそうじゃない?初詣だって寒かったし、お詣りで必ず神様にお願い事が届くかどうかなんて分からない…というかそもそもどこかの次元と違って、わたし達の考えるような神様がいるかどうかも分からないし、お賽銭を投げ入れてる分明確な損だってある訳でしょ?」

「そりゃ…あれだ。緋奈の着物姿を見られるっていう、多大なプラスがあったからな」

「最初の時点では、着物着るなんてわたしもお兄ちゃんも知らなかったよね?」

「…むぅ…妹の癖に穴を論破しようなんざ、生意気だぞ緋奈!」

「あ、お兄ちゃん酷い!それはモラハラならぬシスハラ…ってお兄ちゃん!?わたしの丼に麺を入れるのは反則じゃない!?」

「ふっへっへ、戻したっていいんだぜ?俺の丼に移してもいいんだぜ?自分の食べてるうどんの汁に入った麺を、俺に食べさせられるならなぁ!」

「気持ち悪い!その発想はシンプルに気持ち悪いよッ!?」

 

 にやりと悪い笑みを浮かべて、ドン引きする緋奈をからかう俺。一瞬ここから更に「食べられないか?仕方ないなぁ、なら俺が麺も汁も全部頂いてやろう」…みたいな事を言うのも考えたが、流石にそれはキモ過ぎる。という訳で俺はキモ兄貴ムーブを適当なところで切り上げて、まだ皿にある残りの麺を全てこちらへ。変な目で見てくる緋奈を余所に、一杯強のうどんを食べ進める。

 

(まあでも実際、緋奈の言う通りだよな。人って案外、「そういうものだから」…で納得しちまうもんだし)

 

 良い悪いではなく、それが俺含めた世の大多数の人の性質。自分との関係の濃淡で意識が変わるのも人の性。何れにせよ、関わってる訳でもない事にケチ付けたって角が立つだけなんだから、この話はこの場で終わりにしておこう。…うどんを啜りながら、そんな事を思う俺だった。

……にしても、本気で嫌がる緋奈も…中々悪くないなぁ…。

 

 

 

 

 物事なんて、感覚の鋭い人にとっては徐々にでも、そうじゃない人には突然変わったように感じるもの。天災なんかがその分かり易い例で、人からすれば急に来たって思える事でも、動物は事前に察知していたりする。

 そして俺は、間違いなくそうじゃない側。だから早々に気付く事はなく……『それ』を知ったのは、突然の事だった。

 

「…全員、進むスピードはそのままで聞いてくれるかな」

 

 出発してからかれこれ数時間。何度か休憩を挟んだ後のある時不意に、綾袮さんは言った。結構な数の魔物が俺達を包囲しようとしてると。

 

「何人かは気付いてるよね?分かる人は、分かる範囲で教えてくれる?その方が正確性が上がるからね」

 

 気付かれている事を気取らせない為、止まったり構えたりはしない。ただ緊張感は一瞬で高まり、ぴりぴりした空気が俺達を包む。

 やり取りを聞く限り、魔物は半円状に展開している様子。そこから更に包囲しようとしているらしく、少しずつ距離を詰めているんだとか。

 

(…飛べるとはいえ、囲まれたらこっちが不利…って事は、包囲が完成する前に抜け出す…?それとも、こっちから打って出る……?)

 

 俺自身も神経を張り詰めながら、ここからの動きを考える。まさかこのまま何もしないなんて事はないだろうし、包囲を完成させない事が重要になる筈。

 そう俺が考えている間、確認を取った綾袮さんも顎に指を置いた格好で考えていて…数十秒後、再び全員に向けて声を発する。

 

「…皆。まだ魔物の総数は分からないけど、多分数はあっちの方が上。だから正面からやり合ってもこっちの負担が大きくなるだけだし…まずは、二手に分かれるよ」

 

 落ち着いた、指揮官としての雰囲気を纏う綾袮さん。移動速度の維持は徹底したまま、綾袮さんは作戦を話し始める。

 作戦はこう。最初に綾袮さんと今いる中でも手練れのメンバーで少数精鋭の分隊を組み、反転して魔物へと突撃。それに対応する形で半円状に展開した魔物が綾袮さん達を挟み込もうとしてきたら、残った本体も距離を詰めて攻撃開始。その攻撃で統率が乱れた瞬間に綾袮さん達は魔物の群れから抜け出し、逆にこっちが挟撃をかける。数で劣るこっちが二手に分かれるの?…と、最初は思った俺だけど…確かにその作戦が上手くいけば、向こうの集団としての強みを挫く事が出来る。

 無論、魔物が分隊を挟み込もうとする保証はない。向こうも戦力を分ける可能性がある。だからこそ、それをさせない為に突撃する分隊は魔物達にとっての『脅威』にならなくてはならないと綾袮さんは言った。

 

「…概要はこんなところだよ。何か意見、質問はある?」

「…あ、あの…飛んで、空から仕掛ける…というのは駄目なんですか…?」

「向こうに飛べる個体がどれだけいるか分からないし、数で劣ってる場合は木が障害物として便利に使えるからね。加えて突撃部隊は『手出しが出来ない』って状態になるのも駄目なんだよ。諦めて残った方を狙おう…って動きをされたら作戦が崩れちゃうし」

 

 質問を口にした人の事を思ってか、少し声音に朗らかさを戻した綾袮さんは、最後に一つ肩を竦める。それ以降は質問もなく、全会一致でこの作戦を行うと決定。続けて分隊の選出に入り、綾袮さんは何人かに声をかけていく。

 

「後一人…君、頼めるかな?」

「は、はい!全力を尽くします!」

 

 手早く進められるメンバーの選出。こちらも特に意見はなく……そのメンバーの中に、俺は選ばれていない。

 でも、その理由は分かる。選ばれたのは、全員じゃないけど比較的経験豊富そうな人達だし…前に言われた通り、俺は自分から突撃するよりも中・長距離から火力支援をする方が能力的に向いているから。となればこの作戦では、突撃部隊が抜け出し易いよう外から高火力を叩き込む役目の方が適切な筈。

 

「…よし。それじゃあ善は急げ、早速行動開始するよ。準備は良い?」

 

 そう言って綾袮さんは天之尾羽張を抜き放ち、最後尾へ。分隊に指名された人達もその後に続き、俺達は道を開ける。

 そして最後に一度、こちらを振り向いた綾袮さん。その視線には、「安心して」という意思が籠っていて……だけど、俺は気付いた。俺の方を見た瞬間、綾袮さんはほんの少しだけ頬を緩めて、「こっちは任せたよ?」…という視線を送ってくれた事に。

 だから俺は、その視線と気持ちの両方は答えるように、大きく一つ頷いた。それに対する返答はなかったけど…ちゃんと俺からの答えは通った。そんな気がする。

 

「…行くよッ!」

 

 鋭い掛け声と共に、綾袮さんは雪原を蹴る。跳ぶと同時に翼を展開し、後に続く味方の為に先陣を切る。そうしてものの数秒で、部隊は二つのチームに分かれた。

 

「…全員、突撃部隊が無事に切り抜けられるかどうかは、私達の攻撃にかかってるわ。いつでも全力を出せるようにしておきなさい」

 

 綾袮さんからこっちの部隊の指揮を任された人の言葉に、全員声は上げずに首肯。俺も各武器を稼動状態に移行し、二丁のライフルのグリップを握る。

 ここからは、待つ時間。魔物の、突撃部隊の動きを待ち、綾袮さんからの合図で俺達も攻撃を仕掛ける手筈。…ここで焦っちゃいけない。焦って魔物群が突撃部隊を挟み込み、集中攻撃をかける前に仕掛けてしまったら、魔物を側面や後方から叩くという事が出来なくなってしまうんだから。

 

「…なぁ…お前はこれまで、こうして待つって事はあったか…?」

「え……?」

「俺、支部とか作戦範囲外で待つ事はともかく、こういう形で待つってのは初めてでさ……」

 

 数分後、どう動くかをイメージしていたところで、また俺は声をかけられる。それは、さっき声をかけてきた内の一人で、他にも何人かが俺の方を見やっている。

 一瞬それに、俺はなんと答えればいいか分からなかった。でも、心に思っている事はある。そして俺は、ここで含蓄のある言葉を言えるような人間じゃない。なら…小難しく考えたって、意味ないよな。

 

「…俺もないですよ。けど…綾袮さんが、果てしなく強い事はよく知っています。だから…大丈夫ですよ。俺達も、突撃部隊も」

「…だよ、な…あぁ、勇敢に向かっていった仲間を信じなくて、何を信じるんだって話だよな…!」

 

 そう思って口にした俺の言葉は彼の心に響いたようで、彼はにっと笑みを浮かべながら拳を握る。

 それを聞いて、俺自身も思った。その通りだ。仲間を信じる事、それは自分を信じる事…何にしたって、まずはそれが大切だよなって。

 

(…そうだ、いざ撃つって時に手がかじかんだりしないようにしないと……)

 

 二丁のライフルを腰に引っ掛け直した俺は嵌めていた手袋を取り、その手を自分の首筋へ。冷えた手が触れた事でひやりと寒気が走るも、代わりにじんわりとした熱が指へと伝わっていく。…指先が寒い時って、こういう事するよね。…え、やらない?

 

「…………」

 

 突撃部隊が向かった直後はちらほらと会話が聞こえてきていたものの、時間経過でその声も消えていく。時間が経てば経つ程綾袮さんからの合図が来る瞬間が近付いてくるんだから、緊張しない訳がない。

 策が上手くいけば、挟撃を受ける形になる魔物は慌てて本来の力が発揮出来なくなる筈。そうなれば一方的に次々と撃破出来る可能性もある訳で、それを実現する為今綾袮さん達は頑張っている。

 でも挟撃が不完全になってしまえば、それ相応の反撃がくる。そうなれば数の差も響いてくるから、不安になるし緊張もする。…でも、それで良いんだ。この状況は、緊張して当たり前なんだから。

 

「…とにかく、俺のやる事は変わらない。いつもの通り、俺が出来る事に、全力を注いで……」

 

 口にするのは、自分を落ち着かせる言葉であり、同時に鼓舞もする言葉。いつ合図が来るかは分からないけど、もうそう遠くはない筈。もう少しで、俺の戦いも始まる筈。──そう、思ってた時だった。

 

「……!先輩、後方上空ッ!」

「……ッ!?」

 

 突如耳に届いた、慧瑠の鋭く通る言葉。その声に弾かれるように振り向いた瞬間……俺は見た。翼を広げ、こちらへと迫り来る巨大な一体の魔物の姿を。

 

「な……ッ!?」

 

 全長よりもありそうな一対の翼に、鋭い牙の並ぶ顔。がっしりとした胴体に、武器の様な鉤爪の生えた脚。一言で言うなら、ドラゴン…それもワイバーンとでも言うべき、現実じゃ絶対に目にする事のないような存在。唯一違和感があるとすれば、翼は皮膜ではなく鳥の様な羽根で覆われている事で……そんな魔物が、空からこちらへ突っ込んできた。

 殆ど条件反射的に、後ろは大きく跳躍する俺。同時に俺は声を上げるも、全員がその存在を認識するよりも早く魔物は雪原へ衝突し、周囲に激しく雪煙が舞う。

 

「(別働隊!?後ろの群れとは関係ない個体!?…いや、それより今は…ッ!)み、皆さん大丈夫ですかッ!?」

 

 俺達を囲もうとしていた魔物の群れは、綾袮さん達が引き付けている筈。にも関わらず襲ってきた魔物に強い疑問が浮かび上がるも、今はその理由を考えている場合じゃない。

 

「ぐっ…何だよッ、こいつ……ッ!」

「負傷した人は下がってッ!この個体、並の魔物じゃないわッ!」

 

 雪煙を吹き飛ばしながら魔物が飛び上がる中、味方の声も聞こえてくる。その中には指揮を任された女性の声もあって、続けざまに魔物へと向けて上がる射撃。

 

「あの女性、中々鋭いっすねぇ。…先輩、この魔物は相当強いっすよ?流石に魔人程じゃないですけど、まともにやり合うのはお勧めしないっす」

「だとしても、この状況で戦わない訳にはいかねぇよ…ッ!」

 

 対空射撃に続くように、俺も振り出した二門の砲で空へと砲撃。けれど見られていたのか単にタイミングが悪かったのかは分からないものの、更に上昇をかけた魔物には避けられ、光芒は何もない空を駆け抜けていく。

 

「なら…ってうぉぉッ!?」

 

 向こうが上空へ向かうのなら、こちらも空に上がるだけ。そう思って俺が飛び上がろうとした瞬間、魔物は空で大きく羽ばたき、生み出された烈風が叩き付けられる。

 再び雪煙が巻き上がり、奪われる視界。魔物がいるのは空とはいえ、誤射の危険がある以上こちらは不用意に攻撃出来ず、気を付けろという声だけが飛ぶ。

 

「なッ…ぐあぁぁぁぁッ!」

「……っ!こいつ、知性まで…ッ!」

 

 神経を張り詰める中、近くで聞こえた叫び声と、飛んでいく二つの影。一つは魔物で、もう一つは魔物に吹き飛ばされた一人の味方。魔物は空からではなく、横から突進をかけていて…それで気付いた。奴はこっちの裏をかくため、敢えて一度低空まで降りてから突進かけたんだって。

 それを理解した俺は、一撃離脱の如く再び空へ上がる魔物へとライフルでの射撃をかけながら歯噛み。何発かは当たっている筈なのに魔物の動きが鈍るような様子はなく、こうなると嫌でも分かる。この魔物は、本当に強いんだって。

 

(…でも、この状況は多勢に無勢。落ち着いて戦えば、十分に勝機はある…!)

 

 流石にビビった。見た目の威圧感も凄い。だけど所詮奴は一体で、しかも巨大な分狙いそのものは付け易い。となれば少しずつ、人数を活かして堅実に立ち回ればダメージを蓄積させる事で倒せる可能性はある筈で……

 

「……っ!?そんな、このタイミングで…!?」

 

 けれど、状況がそれを許してくれない。戦況は、こっちの都合で動いてくれたりなんかしない。

 距離を取るべく皆が散らばって展開する中、聞こえた指揮官代行の声。耳に入ってきたのは、本当に今の言葉だけだったけど…反射的に俺は察した。綾袮さんから、当初の作戦の合図が来たんだって。

 

「くっ…ほんとにタイミングが悪過ぎる…ッ!」

 

 地上からの攻撃の大半を自在に飛び回る事で回避し、隙あらば烈風を放ち、魔物は立て直そうとするこちらを荒らす。やはりタフなのか、散発的に当たる攻撃は全く意にも介していない。

 ついさっき、俺は思った。強いけど、勝てない相手じゃないと。それは今も変わっていない。だけど、今はもう状況が違う。今は突撃をかけた綾袮さん達の支援の為、そして挟撃する為に向こうの群れへと攻撃をかけなきゃいけなくて、けどそれをこの魔物が黙って見ている訳がない。背を向ければ、間違いなく後ろから襲ってくる。

 そして、ここから更に戦力を二分する訳にもいかない。特に向こうへ向かう戦力はそのまま綾袮さん達の命に直結する以上、間違っても戦力を削っちゃいけない。…つまり……

 

(…詰ん、でる……?)

 

 すぐには倒せない。無視は出来ず、戦力を二分する事も出来ず、だけど向こうへは一刻も早く行かなきゃいけない。危険を覚悟で向こうへ行っても、背後からの攻撃で大きな被害を受ければ挟撃すらも叶わなくなる。…それが、今の状況。どうにもならない、手詰まりの戦況。

 

「こうなったら…総員、全力でもってあいつを倒すわよッ!一秒でも早く、奴をッ!」

 

 合図が来たという事が全体に伝わり、指揮官代行さんが声を張り上げる。

 確かにこの状況で一番現実的なのは、速攻で奴を倒す事。それが出来るなら苦労しないけど、そうしなきゃどうにもならない。綾袮さん達が持ち堪えてくれる事に賭けるしかない。

 あぁ、そうだ。そうしなきゃ、それしか、この場で取れる手段なんか……

 

(…いや、違う…もう一つ、方法は……ある…!)

 

 その瞬間、ふっと頭に浮かんだ可能性。これなら確実に…なんて言えない、だけど上手くいけば、即座に綾袮さん達の方へと向かえる一つの手段。

 危険はある。俺の見込みが甘いだけかもしれない。でも…綾袮さんは言ってくれたんだ。頼りにするって。頼むって。だったら……迷う事なんて、ない…ッ!

 

「…ぅ、ぉぉぉぉおおおおおおッ!!」

「な……ッ!?先輩!?」

 

 上空の魔物が背を向けた瞬間、俺は装備のスラスター全てを点火。腹からの雄叫びと共に全力噴射で飛び上がり、同時に四万全てを魔物の背に。フルオートの実弾と光弾、それに二条の光芒を叩き込み、真っ直ぐに魔物へ襲いかかる。

 

「ぐぅッ…!こ、のぉおおぉっ!」

 

 寸前のところで気付いた魔物は反転し、俺の攻撃を避けつつ逆に烈風を放ってくる。ギリギリで避け切れなかった俺は実弾ライフルを左手から弾かれてしまうも、そんな事じゃ物怖じしない。だって俺は、魔人に魔王、それにゼリアさんと、もっともっと強い相手とこれまで何度も戦ってきたんだから。勝てなくても、負けただけでも、それは確かに俺の中で経験になっているんだから。

 ライフルを吹き飛ばされた次の瞬間には、純霊力刃の片手剣を抜剣。肉薄からの横薙ぎを放ち、避けた魔物をライフルと砲で追い立てる。

 

「き、君は何をしてるの!?今接近戦は……」

「奴はッ、俺が抑えますッ!だからその間に、皆さんは向こうへ行って下さいッ!」

 

 そう。これが、俺の掴もうとする可能性。戦力を二分するのではなく、極僅かな戦力だけで足止めすれば、元々の作戦通りに挟撃が出来る。

 足止めなら、無理して倒す必要はない。本隊に余裕が出来て、こっちに戦力を回してくれるまで耐えれば、それで良いんだから。勿論これだって、言う程楽な事じゃないけど…どうせ完璧な手なんてないなら、頑張ってくれてる綾袮さん達を最優先にしたいに決まってるじゃないか…ッ!

 

「無茶よ!この場は私が預かっている以上、そんな事はさせられ……」

「無茶じゃ、ありませんッ!」

 

 分かってる。俺が今してるのは勝手な事で、傍から見たら無茶そのものなんだから。

 でも、俺は本気だ。本気でこの策を貫くつもりで……本気で、耐え抜くつもりだ。捨て石になんて、絶対ならないんだ。その思いを、その意思を込めて、俺は叫んだ。トリガーは引きっ放しで、スラスターもフル稼動させながら。そして、旋回する魔物が唸りを上げながらこちらを向き、翼を広げて突進しようとしてきたその時、別方向から射撃が走る。

 

「だったら……俺等も、助太刀するぜッ!」

 

 それは、数人の男性の攻撃。さっき俺に話しかけてきた、彼等の声。驚く俺に、その中の一人が見せてきたのは……にっとした笑顔とサムズアップ。

 

「あ、貴方達まで…あー、もうッ!いいわよ!だったら、貴方達の策に乗ってあげるッ!だけどそれなら…絶対に、持ち堪えてみせなさいッ!」

『了解ッ!』

 

 数人とはいえ、あろう事か俺へ同調してしまった味方がいた事に対しキレる指揮官代行さん。だけど彼女がそこから続けたのは、この場を任せるという言葉。それが嬉しくて、でも同時に勝手な行動で困らせてしまった事が申し訳なくて、ならばせめてと俺は返答。助太刀に入ってくれた数人と共に、腹からの声でその指示に応える。

 彼女を先頭に、突撃部隊が向かった方向へと飛び去っていく皆。それを追おうとした魔物の進路上へと砲撃を撃ち込み、俺は空で構え直す。

 

「…無茶苦茶っすよ先輩…自分の声、聞いてます?」

「ごめん、慧瑠…でも、ちゃんと聞こえてるよ」

「聞いた上でこれっすか…まぁ、こうなった以上仕方ないですし…付き合いますよ、先輩」

「…ありがと、慧瑠」

 

 呆れた声で、でも少しだけ微笑んでくれた慧瑠に感謝の言葉を返し、俺は上昇。魔物と同じ高度にまで上がって……そして俺は、吠える。

 

「行かせねぇよ…絶対になッ!」



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第百六十七話 俺の力で

 霊峰富士の空を飛び回る、竜の様な魔物。その魔物を追い、魔物の機動に食らい付き、霊力を込めた攻撃を放つ。魔物をこの場所から離さぬよう、作戦の邪魔をされないよう…全力で。

 

「こん、にゃろ……ッ!」

 

 翼を広げての突進を避けた俺は、風圧に姿勢を崩されながらも何とか振り向き背中へと射撃。大きく羽ばたく事で高度を上げていく魔物を弾丸で追いながら、崩れた姿勢も立て直す。

 

「逃がすかよ…ッ!」

 

 ライフルの射撃で追い立てながら、二門の砲で偏差射撃…ではなく偏差砲撃。タイミングはばっちり合っていたものの、一門でも良いから当てようと左右の間隔を広げた事が仇となり、砲撃は身体を90度回転させた魔物によって避けられてしまう。

 ならばと次弾を放とうとしたところで、逆に魔物から放たれる烈風。ただの風とはいえ正面から喰らえば吹き飛ばされてしまう事は必死で、俺は攻撃中段からの回避行動を余儀なくされる。

 

(やっぱこいつ、知性も並の魔物より高い…ッ!)

 

 回避の方法、攻撃のタイミング、そして何より深追いをしない一撃離脱。流石に複雑な戦法や駆け引きは仕掛けてこないものの、強靭な身体能力に的確な判断が加わるというのはとにかく厄介なもので、この魔物を一人で倒すのは難しい。不可能ではないと思うけど、結構な怪我を覚悟しなくちゃ勝てないと思う。

 けど、何も今は倒す必要なんてない。それに…戦っているのも、俺一人じゃない。

 

「俺等もいるんだよッ!」

「この、何ちゃってドラゴンが…ッ!」

 

 続けて烈風を起こそうとする魔物を突き上げるような、下からの攻撃。それは、足止めする事を叫んだ俺に呼応してくれた、数人の味方からの射撃。彼等は弾幕で魔物の攻撃を封じ込めながら、俺の側まで飛んできてくれる。

 

「どうするよ?勢いで協力する事は決めたが、俺等に策はないぞ?ってか、お前はそのペースで撃ってて大丈夫なのか?」

「大丈夫です、霊力量だけは自信が……うおっとッ!…あるんでッ!」

 

 言葉を返している途中、強引に弾幕を突破し突っ込んできた魔物。突進というシンプルながらも巨体故に強力な攻撃を散開する事で俺達は避け、各々の火器で反撃をかける。

 それと同時に、俺は思考。味方の存在は心強いとはいえ、何も考えず全員がその場その場の動きをするんじゃ折角の数的優位も意味を成さない。むしろ足止めだからこそ、考えて動かなきゃ達成は出来ない。

 

(…とはいえ、一人一人の得手不得手なんか知らないし、今はゆっくり話している余裕もない。…だったら……)

 

 旋回しながらこちらを伺う魔物に向けて、さっきよりも込める霊力を増やして砲撃。それを魔物が回避したところで、俺は皆に向けて言う。

 

「…とにかく、俺が奴に喰らい付いて注意を引き続けます。だから皆さんは、フォローお願いします」

「フォローって…それだけでいいのかい?」

「はい、それだけで…というか、フォローが欲しいんです。とにかくやれる限りやり合うつもりなので」

「やれる限りやり合う…流石、魔王とすらやり合った奴は違うな!よっしゃ、フォローは任せろ!」

 

 にっと歯を見せて笑う一人の言葉に、俺も力強く首肯。…明らかに勘違いしてるっていうか、魔王も魔人も俺はこれまでまともにやり合えた事なんてないんだけど…理由はどうあれ、上がっている士気に水を差す事なんてしたくないし、訂正なんて事が済んだらその時改めてすればいい。

 

(そうだ、やってやる…やり合ってやるさ…ッ!)

 

 余裕綽々で飛ぶ魔物を見据え、構え直した俺は突撃開始。ライフルの射撃で魔物に回避行動を取らせながら、飛んで距離を詰めていく。

 

「……っ…付いて来られるか、ってか?…はっ、やってやろうじゃねぇか…!」

 

 回避はすれども距離を開けようとはしない魔物は、俺がかなり近付いたところで急上昇。それはまるで、俺を誘っているような動きで…敢えてそれに、俺は乗る。

 

「ふッ……ぉぉおおッ!」

 

 どんどん高度を上げていく魔物。そもそも日本一高い山にいる中じゃ少し高度を上げるだけでも結構キツくて、普段は感じられない負担が全身に…特に肺に襲い掛かるけど、歯を食い縛ってそれに耐える。

 魔物の誘いに乗ったのは、何も勢いに任せた選択じゃない。熱くなってる面があるのは否定しないけど、足止め…つまり時間稼ぎが目的な以上、重要なのは相手の興味を失わせない事。そしてその点において、相手の誘いに乗る事は最適な判断…だと、思う。

 

「ぐっ、ぅ…っ!もう、少し……!」

 

 上がる高度、締め付けられる肺。魔物の動きも悪くなっているような気がするけど、正直そこを狙い撃つだけの余裕はない。それどころか、解放を求める身体を意思の力で押さえ付けるので精一杯で……

 

「先輩ッ!」

「……──ッ!」

 

 慧瑠が俺の名を、名前を呼ぶ事による警告をしてくれなければ俺は魔物の後方宙返りに気付くのが遅れ、急降下からの一撃をきっと諸に受けていた。

 その声に反応し、咄嗟に左手に持った純霊力の片手剣を掲げる事で鉤爪での攻撃を防御する事には成功したものの、パワーの差に押し切られて落下する俺。すぐには姿勢を立て直せず、一方の魔物は更なる突進を仕掛けてこようとするも、そこで皆から撃ち込まれる集中砲火。そのおかげで俺は姿勢制御に専念する事が出来て、深く息を吸い込みながら立て直す。

 

「…あっぶねぇ…気圧に対する見立てが甘かった……」

「甘かった、じゃないですよ先輩…!自分がいなかったらどうするつもりだったんすか…!?」

「…慧瑠を頼りにしてた、って言ったら怒る…?」

「怒るというか……まぁ、先輩は気持ちが昂ぶると人を探知器扱いする程度には魔人使いが荒いんだなー、とは思うっすかね」

「うっ…ごめんなさい、以後気を付けます……」

 

 珍しく(いや当然だけど)語気の荒い慧瑠へ誤魔化すような言葉を返すと、半眼になった慧瑠はわざとらしい口振りでひらりと反撃。上手い事やり込められてしまった俺だけど、実際慧瑠がいなきゃ諸に喰らっていた訳で……この感謝と反省は忘れちゃいけないな…。

 

「全く…誘いに乗るのが作戦なら、のんびりしてる暇はないっすよ?」

「分かってる、のんびりしているつもりはないよ…ッ!」

 

 仕切り直すように片手剣を軽く振り、俺は魔物目掛けて再浮上。俺の邪魔にならないよう皆の射撃が和らいだ事で魔物までの道が開け、羽ばたく魔物への追走再開。

 先の上昇作戦では俺を仕留められなかったからか、今度は縦横無尽に飛び回る魔物。負けじと俺もスラスター吹かすが、離されないようにするので精一杯。連射が効かない上に反動の大きい砲じゃまともに狙う事も出来ず、ライフルの射撃も中々魔物に当たらない。

 

(くッ……これが噴射で飛ぶのと翼で翔ぶのの差か…!)

 

 追い付きそうになっては一度の方向転換で離され、再び近付いたと思えば高度を変えられ、いけると思った次の瞬間には追い越させられと、翻弄されるように後一歩が届かない俺。でもその理由はもう分かってる。

 俺は、霊力を推進剤とし噴射する事で飛んでいる。対して奴は、翼で羽ばたき、翼の角度を調整する事で揚力を得て飛んでいる。加速性や最高速度は個々の能力次第であっても、こと滑らかさにおいては翼での飛行の方が数段上で、しかも俺は霊力量にものを合わせた、繊細な霊力コントロールではなく強引な全力噴射で加速も方向転換もしている以上、その差は更に広がってしまう。早い話が俺の飛行は大雑把な訳で、極論それで追い付こうとする事自体がどだい無理な話でもある。

 だけどその欠点は、前々から分かってる事。だから俺だって、打つ手がない訳じゃない…ッ!

 

「……ッ!ここ、だぁぁッ!」

 

 何度も何度も離された末、翼を大きく広げる事でのブレーキングで俺は魔物よりも前に投げ出され、そのまま背後を取られてしまう。でもそれこそが俺の待っていた、奴が攻撃に転じる瞬間であり、背後を取られた瞬間俺は右半身側のスラスターへの霊力配給を全て停止。片側だけが推力全開となった俺は、視界が歪む程の速度で右回転し……その流れのままライフルのフルオートを叩き込む。

 俺の飛び方は力任せ。でもそれは逆に言えば、負荷さえ無視すれば無理な挙動もし易いって事。揚力による飛行よりもずっと、慣性を強引に捩じ伏せる事が出来るって事。勿論慣性そのものを消せている訳じゃないから身体への負荷は凄まじいし、精密射撃どころか普通に狙うのも出来ない位に身体がブレてしまうけど、魔物との距離が近い上、奴は俺の数倍はある巨大。方向さえ合っていれば当たるっていう状況があったからこそ、俺はこの手を敢行した。

 

「皆ッ!今だッ!」

 

 敬語を忘れ…というより敬語を意識する余裕もないまま叫ぶ俺。だけどその短い言葉で意図を理解してくれた皆は、俺の射撃で面食らって姿勢を崩した魔物へと一気に集中砲火をかけてくれて、更に皆の内の一人、大口径の大型ライフルを持った人の射撃が撃ち込まれた瞬間奴の悲鳴が聞こえてくる。

 

「こいつも…喰らえ……ッ!」

 

 気持ち悪さを覚える程に回転しながら飛んでいく俺は、止めていたスラスターを再点火し、意識を集中させる事で何とか勢いを殺し切る。そして間髪入れずに魔物を見据え、奴の胴へと二門同時に青い霊力の光を放つ。

 

「はぁ、はぁ…どうだ、これで少しは戦闘能力も落ちただろ…ッ!」

 

 多少の被弾はものともしていなかったとはいえ、奴は射撃に対して基本回避行動を取っていた。それはつまり、こっちの射撃が奴に対して有効打になり得るって事。少なくとも、ちょっと当たる程度は無視出来ても、まともに受け続ける訳にはいかないと見て間違いない。そうじゃなきゃ、避ける理由がないんだから。

 そしてその射撃を奴は、集中砲火で複数人から受けている。喰らいまくっている。であれば討伐には至らなくても、動きに支障が出る位のダメージは入っているに決まって……

 

「いや…まだっすよ先輩!」

「な……ッ!」

 

 そう思った、そう思おうとした瞬間、慧瑠が声を上げるのとほぼ同時に響いた魔物の咆哮。続けて今までで最大の烈風が放たれ、味方が一気に蹴散らされる。

 それに息を呑み、思わず烈風に襲われる皆の方を見てしまった結果生まれた隙。それを魔物は見逃さず、唸りを上げて猛然と突進。寸前のところで俺は避け、反撃の射撃を繰り出そうとするも羽ばたきの風圧で向けていたライフルの銃口が逸れ、一発も当てられないまま魔物がこちらを振り返ってしまう。

 

「んなろッ……がは…ッ!」

 

 次の攻撃は避けられない。避けようとしても回避し切れない。直感的にそう感じた俺は逆に突っ込み、先手を打たんと片手剣を振り出したものの、斬撃は魔物が突き出した脚の鉤爪に阻まれ、その直後逆の脚が俺を襲う。

 幸いギリギリ当たる位の距離だったおかげで骨が折れるような衝撃はない。それでも一発入れられた俺は蹴り飛ばされ…当然魔物も、それで満足をする訳がない。

 

「ちぃぃッ…こ、の……ッ!」

 

 ズキズキとした痛みに耐えながら、魔物に向けてライフル連射。立て直すのは後回しにし、飛ばされた勢いでの引き撃ちをかけるが、魔物の追撃を止め切れない。

 段々と近付く距離。近付けばその分当たり易くはなるけど、止められなきゃ次こそ重い一撃を喰らってしまう。

 

「くそがッ!タフ過ぎるんだよ…ッ!」

 

 その背後から魔物を叩く味方の弾丸。俺が狙われていた間に立て直せたみたいでそれは安心したものの、魔物は止まらない。瞳を怒らせ俺に喰らい付かんとする。

 

(……っ…こいつ…!)

 

 止まる気配すらない魔物。背を向け逃げたい衝動を何とか抑え込む中で気付いたのは、魔物の身体に幾つも残る銃撃の跡。羽根も一部が焼け焦げていて、胴には抉れた部分もある。動きもまた、さっきまでより手負いのそれになっているような気だってする。

 だから分かった。やっぱり、こっちの攻撃も効いていると。効いているからこそ、背後からの射撃は半ば無視してしまう程に怒り狂って、俺を喰らわんとしているんだと。

 であればもう、時間稼ぎなんて言っていられない。だけど、怒り狂う程のダメージを負っているのなら、生存よりも報復を優先する程に前のめりになっているのなら……

 

「一か八か…やってやろうじゃねぇかよッ!」

 

 覚悟の決まった俺は、スラスターを全開噴射。逆に俺から距離を詰め、翼の下をすり抜けるようにしながら霊力刃で一撃。それ自体は斬っ先が僅かに当たった程度で碌なダメージにはなっていないだろうけど、そんな事は気にせず即反転。振り返りざまにもう一太刀当てようとして……俺は同じく反転した魔物の片翼烈風で飛ばされる。

 

「……ッ…さぁ、付いて来やがれ…ッ!」

 

 でも、それで良い。烈風には逆らわずに俺は半回転し、今度こそ魔物に背を向け急降下。奴が追ってくる気配を感じながら、木々の間をすり抜けて飛ぶ。

 

「慧瑠!奴は!?奴はどんな調子で俺を追ってきてる!?」

「殺意剥き出しっすね!先輩これ、絶対諦めないつもりっすよ…!」

「好都合…ッ!」

 

 振り返る事なく問い掛ける俺の口元には、自然と小さな笑みが浮かぶ。それが緊張感が昂り過ぎた結果なのか、無意識にスリルを楽しんでいるのかは分からないけど…それを考えている余裕はない。

 もう、俺の中で次の手は…最後の一手は決まってる。後はタイミングだけ。確実に成功させる為、ギリギリまで奴を引き付けるだけ。

 

(まだだ…まだだ、まだ…まだ、まだ……まだ…ッ!)

 

 低空飛行故に、木は衝突する危険もある。タイミングを読み違えれば、喰らわれ噛み千切られる可能性だってある。けどもう止める事は出来ないし、止める気もない。

 引き付けて、引き付けて、直感を信じて飛び続けて。そして、自分の中で何かが強く叫んだ瞬間……俺は左前方の木の幹へと、腕を伸ばす。

 

「……ッ、らぁぁああああああッ!!」

 

 片手剣の柄頭を木の幹へ突き立て、表面を削りながら殆どスピードそのままに急速旋回。木の右側から左側へと一瞬のうちに回り込み……魔物の身体を、ギラつく瞳を真正面から見据える。

 

「沈み…やがれぇええええッ!!」

 

 旋回しながら振り上げていた、二門の砲。その砲口が向かう先は、臆する事なく吠えながら突進を掛ける目の前の敵。それを跳ね返すように俺もまた叫び……最大火力を有する二門の砲撃で、狙い違わず魔物を撃ち抜く。

 

「……ッ、ぅ…!」

 

 強引な方向転換の衝撃も抜け切らない内に行った砲撃の反動で、ひしゃげそうになる身体。それでも放った砲撃は、どちらも魔物の胴を直撃。冷静さを失う程にダメージを負っていた魔物にとって、それは間違いなく致命傷に……なっていた、筈だった。

 

「な……ッ!?」

 

 大きく仰け反り、砲撃との衝突で大きく勢いの落ちる身体。一切の疑いようなく、砲撃は魔物の内部にまで到達し……けれど次の瞬間、冬空に響く一つの咆哮。叫びを上げながら真上に逸れていた魔物の眼光は再び俺を憎悪で睨め付け、最早近付くまでもなくその開かれた顎門で俺を噛み砕かんとする。

 反射的に、無意識に、本能的に、俺はライフルを魔物につけようとした。間に合うかとか、これで止められるかとかは考えもせずに、身体はそう動いていた。だけど、俺が撃つよりも早く、魔物が俺に喰らい付くよりも先に──空から舞い降りた斬撃が、魔物の右翼を強かに斬り裂く。

 

「……ぁ…」

 

 突然の事過ぎて、理解の追い付かない俺。同じように、口を開いたまま目を見開く魔物。そして、飛来した斬撃の青い光が完全に消え去るよりも早く……綾袮さんが、魔物の首をを貫き穿つ。

 

「はぁぁああああぁッ!」

 

 吹き飛ばすような突進と共に、魔物の首を大太刀で貫いた綾袮さんは急降下。魔物諸共雪原に落ち、爆ぜるような雪煙を上げ、その雪煙を四散させながら綾袮さんは再び空へ。その手にはしっかりと得物、天之尾羽張が握られていて……刺突で首を貫かれた魔物は、雪原へと横たわっていた。

 

「……ふー、ぅ…顕人君、皆、大丈夫?」

 

 眼下の魔物を見下ろしていた綾袮さんは、魔物の消滅が始まったところで…即ち、絶命が確認出来たところでゆっくりと伸ばすようにして息を吐く。それが終わったところで、周囲を見回し…ふっとその表情に笑みを浮かべる。

 

「…綾袮、さん……」

「あ、綾袮様…?どうして、ここに……」

「どうしてって…ふふん、分からない?わたし実は、瞬間移動能力があるんだよ?」

『え……!?』

 

 ここにいる筈のない、離れた場所にいる筈である綾袮さんの登場に、俺も皆も揃って訳が分からないという面持ちで彼女を見つめる。すると綾袮さんは得意げに笑って、平然と言う。自分には、瞬間移動能力があると。

 そんな、まさか。聞いた瞬間、俺は信じられなかった。だけど、綾袮さんは俺とは別格の実力を持つ霊装者で、家系としても協会のトップの一角に立つ存在。だったらひょっとしたら、もしかしたら本当にそういう能力があるのかも、と俺は信じ始めて……

 

「…ま、嘘だけどねー」

「いや嘘かぁいッ!」

 

 てへっ、と舌を出した綾袮さんに対し、反射的に思い切り突っ込んでしまった。…いや、これは突っ込むって……。

 

「おぉ、思ったより元気だね。うんうん、綾袮さんは安心だよ」

「突っ込みで体調を判別しないでよ…。…てか、それならどうしてここに…?」

「それは勿論、突撃部隊の皆が無事に脱出出来そうってなった時点で、向こうは皆に任せてこっちにすっ飛んできたからだね。とにかく間に合って良かった良かった」

「す、すっ飛んできたって…つまり、多勢に無勢の状況下を戦い抜いた上で、普通に飛んで間に合わせたと…?」

「そーゆー事!君達、わたしの凄さが分かったかな?」

 

 唖然とする皆を前に、ご機嫌な顔で胸を張る綾袮さん。凄ぇ…って顔をされたのが嬉しいのか、それとも間に合った事で安心したのかは分からないけど、本当に綾袮さんの表情は嬉しげ。

 

「は、はい!…はぁぁ、なんとかって良かったぁ…」

「うんうん。まあ、色々言いたい事もあるけど…取り敢えず皆、ご苦労様。不測の事態の中でも作戦が崩れなかったのは君達が時間を稼いでくれたからだし、皆を代表して感謝するよ」

「つっかれたぁ…しかしお前、マジで最後まで喰らい付くなんてな。さっすが、魔人や魔王ともやり合ってる奴は違うぜ」

「え?あ…はは……」

 

 ヒーロー(女の子だけど)の様なタイミングで綾袮さんが登場した事、魔物が撃破された事によって張り詰めっ放しだった空気が解け、安堵や喜びの笑みを各々で浮かべる。中には俺に賞賛を送ってくれる人もいて、過大評価な部分はあるとは言えど、やっぱりそういう言葉をかけてもらえるのは嬉しいから、かけられた言葉には何とか笑みを作って返す俺。…だけど……

 

(…間に合って良かった、か……)

 

 ついさっき、綾袮さんが何気無く言ったその言葉。他意はなく、きっと本当にただ思った事を言っただけなんだろうけど……その言葉は、俺の心へ魚の小骨の様に刺さっている。

 確かに、綾袮さんが来てくれなかったらどうなっていたか分からない。やられていたかもしれないし…もしかしたら、ライフルで倒し切れていたかもしれない。でも…結果として、勝負を決めたのは綾袮さんだ。綾袮さんが倒して、綾袮さんが倒したから俺も無事で済んだんだ。

 嫌な訳じゃない。感謝してるし、尊敬もしてる。だけど…あぁ、それでも…心の端で、俺はこう思っていた。……また俺は、綾袮さんに助けられたのか…と。



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第百六十八話 終われば後は

 あれから、俺達を包囲しようとしていた魔物の群れの方も、無事挟撃によって撃破された。流石に殲滅とはいかず、大勢がほぼ決まった時点で何割かには逃げられたらしいけど…何も討伐を目的に来た訳じゃないし、逆転からの敗北を喫した以上、少なくとも群れとしては暫く守りに入るだろうと綾袮さんも言っていた。

 そしてその後は特筆する事もなく、また群れで大規模な襲撃をしようとする魔物の一群へ甚大な被害を与えられたという事で、上々の成果と共に富士山探索任務は終了。無事……ではないけど俺達は下山し、今は支部に戻っている。

 

(うっ…ちょっと染みる……)

「これで良し、と。君、他に痛い所や違和感のある場所はないかな?」

「えっ…と、ない…です。はい」

「うん、それなら痛みが引くまでは安静にする事。消毒したとはいえ絶対大丈夫とは限らないし、傷口が熱を持ったりいつまでも痛みが引かなかったりした場合は、すぐにまた診てもらうように。いいね?」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 白衣を着た、中年…と思われる男性医師の方に、座ったまま頭を下げる俺。ここは支部内の医務室で、俺は今回の戦闘で負った切り傷や打撲、その他軽傷と言っていい程度の怪我の手当てを受けていた。

 

「良かったっすね先輩。骨折とか靭帯損傷とかの重傷にはなってなくて」

「全くだよ。強襲を受けた時には何人か結構酷い怪我を負ってたし、この幸運には感謝しないと……」

「…ま、骨の一本でも折ってた方が、先輩には良い薬になっていたかもしれませんけどね」

「うっ…き、厳しい事言うね……」

 

 医務室を出て廊下を歩いていると、隣を歩く慧瑠が話しかけてくる。かけられた言葉は割と普通…というか、状況的によくあるものだったけど、その後発されたのは中々毒のある指摘。普段とは違う意味で容赦のない発言に俺が振り向くと、慧瑠は真面目な顔付きで更に俺へと言葉を返す。

 

「厳しい事言うね、じゃないですよ。先輩、分かってるんっすか?先輩は自分がいなかったら、少なくとも一度は諸に攻撃受けてるんですからね?気持ちの話じゃなく、本当に戦力として自分を計上した上での判断なら良いっすけど、先輩がそんな事考えてたとは思えないですし」

「それは、その…ごめんなさい……」

「はぁ…自分には理解出来ないっすねー。あんな危険な策を提案するだけならまだしも、自分からその役回りを引き受ける…というか、速攻で始めるなんて」

「それはほら、一刻を争う事態だったし、頑張ってるのは他の皆…特に分隊の人達も同じな訳だし……」

「なら、尚更理解出来ないっす。他の誰かが頑張ってようが自分の状態には関係ないですし、綾袮さん以外は今日会ったばかりの相手でしょう?…それともこれが、魔人と人間の違いっすかね……」

 

 慧瑠が怒るのは当然の事で、慧瑠に助けられたのも事実。でも俺だってそうした理由はある訳で、それを説明しようとするも…返ってきたのは淡白な答えと、その後のどこか遠くを見るような瞳。

 悲しそうな感じはない。諦めてる感じもない。ただ、そういうものだと、そういうものなんだと事実を口にしているだけのようで、だけどそれに俺自身がどこか、寂しさのようなものを感じて……

 

「……それは、違うよ。慧瑠の言うのと、同じように考える人はいるだろうし…魔人だから冷たいとか、情が薄いとかじゃないと思う」

 

 気付けば俺は、慧瑠の言葉に返していた。そんな事はないよという、俺の気持ちを。

 それを聞いた慧瑠は、こちらを振り向く。振り向いた慧瑠は目を丸くしていて…その目で俺を見たまま言う。

 

「先輩……自分、冷たいとかは言ってないっすよ?」

「あ…う、それは……」

「わー、先輩酷いっすー。自分の事、無意識に冷たい奴だと思ってたんですねー」

「な、ち、違うよ!?今のは取り敢えずそれっぽい言葉を並べただけで、他意も裏の意図も一切合切ないからね!?」

 

 口元に手を当て、わざとらしく言ってくる慧瑠に俺はテンパり、慌てて弁明。まさかこんな返しがくるとは思っていなくて、完全に不意を突かれてしまった。うぅ…でも確かに、冷たいとか情が薄いとかは余計だった……。

 

「分かり易いですねぇ先輩は…そういうつもりじゃなかったんだ、ってさらりと返せば良いものを……」

「俺だってそれが出来るならそうしてるよ…。…でもほんと、それは一人一人の違いであって、人間だの魔人だのの話じゃないと思う。それに、さ…もう一つ、意識はしてなかったけど、無意識下にはあったんだろうな…って理由があるんだよ、俺には」

「…無意識下の、っすか?」

「うん。俺の中には、こうでありたいって姿…理想像、って言えば良いのかな?…があって、それに反したくはないんだよ。それに反したら、俺は理想から…夢から遠ざかってしまうって、いつも思ってるから」

 

 だから今日も、その理想に近付く為に、裏切らない為に動いたんだ。…そう、心の中で付け加える。

 いつだってそうだ。俺の行動原理には、俺の中の理想がある。俺はなりたい自分の為に戦っている。合理性なんかなくたって、無茶や無謀、時には愚かな選択だって…その道に、その先に自分の理想があるのなら、これからも俺はするだろう。そしてそれを、後悔だってしない筈だ。

 

「……そう言われたら、自分もこれ以上は言えないっすかねぇ…」

「え、そう?我ながら、主張としては全然強くないと思ったんだけど……」

「かもっすね。けど……あの時自分を助けたのも、理由の一つはそれでしょう?」

 

 そう言って立ち止まる慧瑠。反射的に振り向いた俺を見つめる慧瑠は、まるで俺の心を見透かしているような表情をしていて……そんな慧瑠に、俺はなんて返せば良いのか分からなかった。

 

「だったら自分は、先輩はそういう人なんだと思って行動するだけっす。自分は、そういう先輩のおかげで今ここにいて、先輩と一緒にいられるんですからね」

「慧瑠……」

「どうです?良い後輩でしょう?ま、実際には自分の方がずっと長く生きてるっすけど」

「はは…うん、そうだね。俺も、慧瑠がいつも側にいてくれて心強いよ」

「そう言ってくれると、何だか温かい気持ちになるっす…。…けど、心強い…っすか……」

「……慧瑠?」

 

 肯定してくれる事。これまでと今を、良いと思ってもらえる事。それは凄く嬉しい事で、その嬉しさもあって俺は慧瑠に笑いかける。すると慧瑠は、少しだけ口角を上げた柔らかな表情と共に右手を胸の前で握って……それからふと、柔らかな表情ば何かを考え込むような顔へと変わる。

 

「…元々、考えてはいた事なんっすけどね…。先輩、自分の物理的な干渉能力って、どこまであると思います?」

「物理的な…って、物を持ったり、何かを食べたり…って事?」

「そういう事っす。自分は認識されてこそいませんが、先輩の脳が作り出してる幻…って訳じゃ勿論ないっすからね。だから自分は……」

 

 再び真面目な顔となり、含みのある問いをかけてくる慧瑠。よく分からず俺が訊き返すと、慧瑠は自分の考えを口にしようとして……けれどそれは、廊下の先から聞こえてきた声に阻まれる。

 

「お、いたいた。おーい、怪我は大丈夫だったかー?」

 

 それに反応して前を向くと、声をかけてきた男性…それに、共に戦ったあの数人が揃ってこちらへと駆け寄ってくる。

 大丈夫だったかという問いに首肯を返すと、各々安心したような表情を浮かべる皆。そういう皆も全員が無傷って訳じゃないけど…幸いな事に、俺より酷い怪我をした人はいない。

 

「ふー、危ねぇ危ねぇ。帰る前に見つけられて良かったぜ」

「……?俺に何か用が…?」

「何かって…冷たい事言うなよー。俺達はもう、一緒に苦難を乗り越えた仲だろ?」

「お前、相変わらず人との距離の詰め方が雑だよなぁ…。悪いな、馴れ馴れしくて」

「あ、いや…言ってる事はその通りですし…」

「だよな?くーっ、あの状況で颯爽と時間稼ぎを買って出て、あんな奴相手に正面から空中戦をやるなんて、ほんと俺等とは経験が違ぇなぁ…!」

 

 ぐいぐいとくる一人の言葉に、他の人は苦笑い。俺も正直ちょっと苦笑というか、どうしたものか…という反応になって……それから、思い出す。俺は彼等に、きちんと言っておかなくてはいけない話がある事を。

 

「…あの…ちょっと聞いてくれませ…いや、少し聞いてくれないかな…?」

『……?』

 

 言葉の途中で敬語から向こうと同じようにタメ口に切り替え、俺は静かに話を切り出す。皆が浮かべているのは不思議そうな表情で、でも全員が俺の次の言葉を待ってくれている。

 だから俺は全員を見回し、伝え始める。俺の、これまでの戦いの事を。魔王と戦った事も、魔人と何度も合間見え、一度はその撃破の場にもいた事も、全て事実ではあるけど…そこでは決して、賞賛されるような活躍はしてないんだと。大体はとにかく必死で戦ってたか、本当にただその場にいただけかのどちらかでしかなかったと。口を挟まず聞いてくれる皆に向けて、真摯に、真剣に。

 話している間、恥ずかしさや負い目はなかった。分かってほしい、理解してほしいという思いだけが話している間俺の心の中にあって……その気持ちは、話し合えた瞬間安堵の感情へと変わる。

 

「……だから、俺は別に凄くなんてないんだよ。…いや、魔王と曲がりなりにも戦って、その上で生き残ってる時点で凄いのかもしれないけど…それでも俺は、皆の思ってるような霊装者じゃない」

 

 そう締め括った俺は、皆の方をじっと見つめる。謙遜は美徳だけど、自分に対する過小評価は時に嫌味にもなるものだ、と自分に対して言い聞かせながら。

 言えたから、最後まで言い切る事が出来たから、安心している。でも同時に、緊張もしている。だって、俺は自分の手で皆の想像する『御道顕人』を崩したんだから。もしも期待してくれていたのなら、それを裏切ったんだから。それは例え俺の責任でなくとも、俺の事なんだからどうしても気になって……

 

「そうか、そうだったのか……」

「確かに、俺等が聞いたのはどっかで盛られた話っぽいな…。…けど……」

「あぁ、それでも十分凄くね?」

「……そ、そう?」

 

 それでも十分凄い。…その言葉が出てきた瞬間、何だか俺は狐につままれたような気分になった。そう思ってくれるのは、勿論嬉しいし安心もしたけど…それ以上に、拍子抜けだった。

 

「だって、俺等はそもそも魔人と戦った事もないんだぜ?」

「あっ…と、それは…巡り合わせというか、運というか……」

「運も実力の内って言うしなー。…それにさ、君は今日、一人で時間稼ぎを買って出て、あの魔物相手に怯まず突っ込んで行ったろ?あれもやっぱ俺達からしたら凄いし、だから俺達も負けてられない…って思ったんだよ。だよね?」

「そうそう。オレだったら、絶対あんな真似出来ないね!」

「いや、偉そうに言う事じゃないだろそれ…」

 

 賑やかに話を進める皆の表情は、全員が楽しげ。そこに俺への気遣いや周りに合わせてる感じはなくて……だから俺も、つい吹き出す。あぁ、全く要らん心配をしてしまったなぁ…と。

 

「んぉ?どったよ、急に吹き出して」

「あぁいや…何というか、良い人達だよね。皆」

「ははっ、そりゃそうだろ。魔物は毎回容赦無しに襲ってくるんだから、仲間同士で協力しなきゃやってらんないっての」

「…だね。ありがと、今日は。皆が協力してくれたおかげで…俺、凄ぇ心強かった」

「だろだろ?俺達もお前の姿に鼓舞されたようなもんだし…普段いる場所は違ぇけどよ、お互いまた共闘するって時は協力し合おうぜ?」

「あぁ、勿論!」

 

 俺は、まだまだ強いなんて言える霊装者じゃない。それは皆も多分同じ。だけど、そんな事なんて関係なしに、皆の存在は心強かった。呼応してくれる人がいる、共に戦ってくれようとする人がいる…今日会ったばかりの人がそうしてくれたからこそ、綾袮さん達が力を貸してくれるのとは違う心強さがあった。

 次に共闘する事になるのが、いつかは分からない。ずっと先なのかもしれない。でも、そうなった時は…もっと強くなって、盛られた話に負けない位の霊装者になっていたい。…協力し合おうという言葉に力強く頷きながら、俺はそう思っていた。

 

 

 

 

 そうして数時間後。綾袮さんが明日も朝から用事があるという事でそのまま帰る事になった俺達は支部を後にし、行きと同じ交通手段で帰ってきた。

 

「ふぁ、ぁ……」

「お疲れ様、顕人君。もう眠い?」

「や、欠伸は出たけど眠気的にはそれ程…って感じかな。綾袮さんこそ大変だね。今日もあれだけ動いて、その上で明日も朝から用事なんて」

「でしょー?って訳で、おぶって〜」

「い、いやそれはちょっと……」

 

 一度双統殿に寄った俺と綾袮さんが、今歩いているのは家近くの住宅街。女の子をおんぶという行為に思わず俺が目を逸らして頬を掻くと、からかっていたのか綾袮さんはにまにまと笑う。…ぐっ…綾袮さんまで狙ってそういう事してくるのか…。

 

「へへー、顕人君は分かり易いなぁ。さっきは男の子、って感じのやり取りしてたのに」

「それとこれとは話が…って、ん?さっきって…もしかして、見てたの…?」

「見てたっていうか、見かけただね。男の子同士仲良くしてたから、綾袮さんは声をかけずに立ち去ったのだー」

「あ、そうなの…んまぁ、向こうから友好的に接してくれた訳だしね…」

「それに顕人君も友好的な態度を取ったから、ああして打ち解けられたんだと思うよ?…ふぅ、ただいまーっと」

 

 支部での事を話していたところで、俺達は家の前へと到着。先に玄関へ行った綾袮さんに続いて、俺も家の中へと入る。

 

「お帰り、顕人」

「綾袮さんもお帰りなさい」

「うん、ただいま二人共(…ん……?)」

 

 靴を脱いでいたところでリビングから出てきたラフィーネさんに、遅れて出てくるフォリンさん。出迎えてくれた二人に俺は声を返し…たところで、何となく俺は違和感を覚える。

 何が、と言われたら困る。どこに、と言われても上手く答えられない。ただ何となく、何かが普段と違うような気がして…うーん、何だろ……?

 

「疲れた疲れた〜、顕人君ご飯ー…って、あ…今日夕飯どうするの?まさか今から作るんじゃないよね?」

「いやいやまさか。二人に買っておいてって頼んだよ。ラフィーネさん、フォリンさん、何買ってきたの?」

「ふふっ、それは見てのお楽しみですよ」

『……?』

 

 今日は帰るのが遅くなる、或いは泊まり込みになる事も容易に想像出来たから、二人には買い物を頼んでおいた。で、何を買ってきたのか訊いてみると、フォリンさんは含みを持たせた笑みを浮かべる。

 ラフィーネさんはともかく、フォリンさんは我が家の良識人担当なんだから、妙な物は買ってきてない筈。けどその口振りには本当に何か特別な物を買ってきたって感じがあって、何なんだろうと小首を傾げる俺達二人。という訳で手洗いうがいをした後、リビングに入ると…食卓に置かれていたのはおにぎりと味噌汁、おかず数品という至って普通な食べ物を数々。でもそれは、ただの食べ物じゃ……ない。

 

「え…これって……」

「はい。今日のお夕飯は、私達で作りました」

 

 お惣菜か、お弁当か、ひょっとしたら出前か何かか。そんなところを想像していた俺にとって、どう見ても家で作った感じの料理が並んでいるというのは意外な光景。驚いて俺が振り向くと、頷いたフォリンさんはにこりと笑う。

 

「…って事は、少し前に『帰る時連絡してほしい』ってメッセージが来たのも……」

「折角作った以上、温かい状態で食べてほしいですからね。お味噌汁は鍋で温め直して、おにぎりは頃合いを見計らって…」

「わたしが握った。どう?凄い?」

 

 引き継ぐ形でラフィーネさんが俺へと答え、それから自慢気に胸を張る。

 ふふんと澄まし顔をしているラフィーネさんと、にこにこしてきるフォリンさんの様子を見て、そこで遂に俺は気付く。違和感の正体は、二人がそれを隠していた事だって。実際に見てもらうまでは隠したいけど、早く自分達で作ったんだって事を伝えたい。その気持ちがほんのちょっぴり雰囲気に現れて、それで俺は違和感を覚えていたんだって。

 

「そっか…そっかそっか、そうだったんだ……」

「やけに同じ言葉を連呼していますね顕人さん…」

「あ、あはは…ありがと、二人共。びっくりしたし…こうして作って待ってくれてるのって、嬉しいよね」

 

 実家にいた時は、普通の事。でもこっちの家ではいつも俺が作るか買ってくるかで、強いて言えばフォリンさんが手伝ってくれる位で、誰かに全部作ってもらうなんてほぼ初めての経験。だから嬉しさだけじゃなく、上手く言葉に出来ない感情も俺の中で湧いてきて…なんだか自然に頬も緩む。

 

「そっか。顕人が嬉しいなら、わたしも嬉しい」

「う…そういう言い方されると、少し照れるな……」

「そう?…まあいいや。それじゃあ…ん」

「……?」

「んっ」

「…え、いや…何……?」

 

 普通は躊躇ったり遠回しに言ったりするような事でもラフィーネさんはストレートに言えちゃうもんだから、逆にこっちが照れてしまう。…というのはいいにしても、その後何を思ったのか俺に近付いてきて、ちょこんと俯くラフィーネさん。訳が分からず見ていると、ラフィーネさんは少し背伸びをするけど…やっぱり何の事かさっぱり分からない。

 だから戸惑いながら俺が聞くと、一度俺の方を見たラフィーネさんは少しむっとした顔になり……

 

「…撫でて。頑張った、ご褒美に」

「あ、あー……そして、えぇー…。頑張ったって…一応言っておくけど、俺は毎日三食作ってるんだからね…?」

「…それはそうだった」

「でしょ?だから感謝はするけど、それを言っちゃうと俺も……」

「うん。だからこれからは、わたしも顕人撫でる」

「お、おおぅ…そうきますか……」

「…撫でられるの、やだ?」

「やだというか何というか…ごめん、やっぱ撫でるわ…」

 

 ラフィーネさんの言う事は、筋が通ってる。そしてラフィーネさんの事だから、毎食必ず撫でてくれるだろう。でも思春期男子にとって歳下の女の子から撫でられるなんて、羞恥心爆発必至の行為な訳で…半ばそれを回避すべく、俺はラフィーネさんの頭を撫でた。…勿論、いざやるとなったらちゃんとラフィーネさんへの感謝の気持ちを込めながら。

 

「…こんな感じで良い?」

「ん…満足した。またその内やろうと思う」

「そうだね、手伝ってくれるなら大歓迎だよ。…じゃ、次。フォリンさんも」

「え?…わ、私も良いんですか…?」

「うぇ?あ、あれ?違った?てっきりクリスマスの時と同じ流れで、フォリンさんも来るのかと……」

「あ、い、いえ…実を言うと、私もそのつもりだったんですが…まさか、顕人さんの方から言ってもらえるとは思っていなくて……」

 

 つい流れに任せるようにして言った言葉が招いた、これまた何とも言い難い雰囲気。今更取り消せないし、取り消すつもりもないけれど、お互い意外な展開になった事で躊躇いというか、変な気恥ずかしさが生まれてしまって、結果撫でもさっきよりぎこちないものとなってしまう。しかもその間、フォリンさんは恥ずかしさからか頬を染めていたもので……うん、勢いで何かを言ったりするのは良くないねっ!ほんと、考えて喋るべきだねっ!

 

「わー、先輩照れと恥ずかしさが混じった顔してるっすねぇ」

「う、うっせ…(…って、ん?さっきから綾袮さん、やけに静かな気が……)」

 

 茶々を入れる事も小ボケを挟んでくる事もなく、普段からすれば妙に静かな綾袮さん。おかしいなと思って見てみると、何やら綾袮さんは考え込んでいるというか…何か、さっきのラフィーネさんとはまた違う風にむっとしているような感じ。

 

「…綾袮さん?何かあった…?」

「…被った……」

「被った?」

「おにぎりは、わたしが……って…あ、な、何でもないよ!というか、折角温かいんだから早く食べようよ!」

「うーん…?…まぁ、それに関しては俺も同意だけど……」

 

 ぽつりと一言呟いた後、どうも誤魔化してる感のある答えを口にした綾袮さんだけど、俺が追求するより先に彼女は先へと着いてしまう。

 そんなに誤魔化したい事なのか、それとも本当にお腹がぺこぺこで待っていられないのか。でもまぁ、話したい事は積極的に話すのが綾袮さんだし、その綾袮さんが誤魔化したって事は詮索しない方がいいのかなと俺も思い、同じように自分の席へ。

 

「それではどうぞ、召し上がれ」

「早く食べてみて」

「そうさせてもらうよ。じゃ…頂きます」

 

 二人の言葉に応じるように、俺は自分の箸を手に。食前の挨拶をし、まずは(一回箸持っちゃったけど)ラフィーネさんの作ってくれたおにぎりを手に。口まで運んで、中の具材を想像しつつ…ぱくりと一口。

 それから十数分、雑談をしながら遅くなった夕飯を食べ進める俺達。味に関して言えば、凄く美味しい!…って訳じゃないけども、それを言ったら俺だってまだ上手なんてレベルじゃないし、本当に一番嬉しいのは二人が作って待っていてくれた事。そういう場所で生活している、そういう人達と繋がりを持てている…それが嬉しくて、だから今日は良い夕食の時間を過ごす事が出来たと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…って感じかな。徒党を組むだけの知性があるなら暫くは回復を優先させるだろうし、大丈夫だと思うよ」

「了解です。綾袮様、この度は部下を守って頂けた事、誠に感謝致します」

「ううん、守ったなんて事はないよ。わたしが一人で何とかしたんじゃなくて、皆と協力して切り抜けたんだから」

「はは、それを聞けば皆喜ぶでしょう。…して、例の件は……」

「…うん。今回は建前…って言っても、これも重要な事だけど…があったから、ルートから外れた位置の事は殆ど調べられなかったけど……」

「…………」

「…やっぱり、当たってほしくない推測が当たってるかもしれないみたいだね。もう少し調査が必要だけど…こっちでも、警戒を強めておいて」

「はっ。何かありましたら、その都度連絡させて頂きます」

 

 数刻前。顕人が手当てを受けていた時間。支部の支部長室では、綾袮と支部長が人知れずそんな会話を交わしていた。



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第百六十九話 見えたものは

 中学や高校の二年生三学期は、三年ゼロ学期なんて言われる事がある。いきなり何を言っているんだと思うかもしれないが、それはむしろ三年ゼロ学期に対して言うべきだろう。

 二年の三学期は、二年の三学期だろうが。確かに何事も、早めに準備しておくに越した事はないが……それは普通が普通として機能している状態、これで言うなら二年の三学期は二年の三学期だって認識が普通であればこそ、早めに動いた個々人に意味が発生するのであって、早めに動くのがさも普通のようになったら、三年ゼロ学期とやらが明文化されようとされまいと当たり前の事になってしまったら、そんなのは期間が前倒しになっただけて、何の意味もありゃしない。100m走が120m走になったって、全員が余計大変になるだけじゃないか。

 

「だからな、俺は思うんだよ。真面目な奴は前倒しなんかしなくたってちゃんと勉強するし、不真面目な奴は前倒ししたって真面目になんてやりゃしない。結局無意味どころかそれ基準で他が詰まったり負担が大きくなったりするんだから、こういうのは後世に残しちゃいけない悪しき文化だろうが、ってな」

「ふぅん…で、本音は?」

「受験めんどい、試験勉強やりたかない」

 

 ほんとまだまだ寒いある日の事。俺は家に招いた依未に、前々から思っていた持論を熱弁した。…勿論、二人でゲームをやりながら。

 

「ま、不真面目極まりないあんただしそんな事だろうとは思ったけど…いっそ清々しい位に捻くれてるわね。…いや、屁理屈捏ねてる時点で清々しくもないか……」

「屁理屈、ねぇ…いいか依未。屁理屈ってのは、ちゃんと相手の論調に返しもしない癖に、体良く『自分は正しい、相手は間違ってる』って形にしたい奴が使う言葉であって、屁理屈なんてものは存在しないんだぞ?あるとすれば理屈として合ってる、間違ってる、そもそも理屈になってないのどれかだろうな」

「それは分からないでもないけど、『面倒臭い』って本心をそれっぽい持論で塗り固めて、さも自分が個人的な不満から否定してる訳じゃない…的な形にしようとしてたのは事実でしょ?」

「…受験なんて中学の一回で十分なんだよ…てか中学の一回だって、出来る事ならしたくなかったっての……」

 

 雄弁に色々語ってはみたものの、返ってくるのは一貫して冷ややかな視線と声だけ。内容的にも、依未の性格的にも、こうなる事は火を見るより明らかだったが…あーあ、誰かにこの気持ちを共感してほしいなぁ……。

 

「じゃ、あんたは今後どうする気なの?」

「どうもこうも、のんびり暮らせればそれで…というか、既に仕事は一応してる訳だし……」

「仕事してるって言ったって、あんたかなり融通効かせてもらってるじゃない。…てか…よくもまぁ、こんな話をあたしに向けて言えたわね……」

「ん?依未だったらこういう話しても大丈夫だと思ったんだが…違ったか?」

「……そういう言い方は狡いわよ…」

 

 依未の言わんとしてる事は分かる。満足に学校に行く事も出来ない人にする話じゃないだろう…ってのは俺だってそう思うし、もし不快にさせたのなら本気で謝る。けど俺は、何となく依未だったら…出会ったばかりの頃じゃなく、今の俺と依未なら大丈夫な気がしていて…その旨を伝えると、何故か依未は俯きぼそぼそとした声になっていた。…何だ?急に…。ってか……

 

「よっ、隙有り…っと」

「あっ!?ちょっ、卑怯よッ!」

「いや卑怯も何も、自分から動き止めてたじゃねぇか…」

 

 結構がっつり話しているが、今は対戦ゲーム中。そんな中で思いっ切り隙を見せた依未(のキャラ)をコンボ攻撃で一気に仕留めると、自分から隙を見せた癖に依未は滅茶苦茶文句を言ってくる。…理不尽だ……。

 

「ぐぐぐ…ふんっ。散々面白くもない話を聞かせておいてこれなんて、随分といやらしい心理戦術を身に付けたものね!」

「えー、そこまで言う…?別に何か賭けてた訳じゃねぇし、不満ならもう一戦……」

「ただいま〜。あ、やっぱり依未ちゃん来てたんだね」

「あ…う、うん。お邪魔してるわ」

 

 不満を爆発させている依未を前に、どうしたものかと思いながらもう一戦提案しようとした俺。けどそこで丁度妃乃と出掛けていた緋奈が帰ってきて、にこやかにリビングへと入ってくる。

 

「おう、お帰り。今日も外は寒かったかー?」

「それはそうだよ、冬だもん。それより依未ちゃん、前に勧めてくれた作品見たよ。背景すっごい綺麗だったし、しっかり一人一人の掘り下げをしてくれてたから、自然と見入っちゃう作品だったよね」

「……!でしょ?そうでしょ?あれはあたし的にもぐっときた作品だから、そう思ってくれるのは嬉しい…!」

 

 リビングに緋奈が入ってきた時点で視線を向けていた依未だったが、勧めたという作品への好評価を聞いた瞬間、目を輝かせて緋奈の前に。それから二人はその作品の話に花を咲かせ始め……キャラ選択画面のまま、俺は放置されてしまう。

 

「……緋奈ちゃんに依未ちゃん取られたわね。あ、むしろ緋奈ちゃんを依未ちゃんに取られた感じ?」

「いや、別に…そんな事思ってナイシ-」

「分かり易く語尾が変な感じになったわね……」

 

 ぽつねんと俺が見つめている中、不意に隣へ立った妃乃からからかい混じりに言われた言葉。それには普通に返したつもりなのに、何故か語尾が妙な感じに。…いや、ほんと…別になんて事ないからな?緋奈が魅力的なのは論ずるまでもない事なんだから、ぼっちでコミュニケーション面に難のある依未が惹かれるのはなんらおかしくないし、我が妹緋奈が依未…というか誰かに取られるって事は…うん、まぁ…あの一件的にもほんとあり得そうにないし…。だから別に、全然全く気にしてなんかイマセンヨ-。

 

「…仕方ない、今は妃乃で我慢するか……」

「そうね、ここは私で…って、なんで私が妥協案みたいになってるのよ!?凄く失礼なんだけど!?」

「え?じゃ、本命の方が良かったか?」

「うぇっ!?…ぁ、や…べ、別にそうは言ってないじゃないっ!馬鹿なの!?自信過剰なの!?」

「あ、お、おぅ…なんかすまん…(凄ぇ怒られた…)」

 

 キレられて当然の事を言ったとはいえ、それを差し引いても妃乃のぶつけてくる怒りは苛烈。顔も一気に真っ赤になったし、思わず普通に謝ってしまった。…てか、馬鹿はまあ良いにしても…自信過剰……?

 

「ほんっとに、そういうところが困るのよ悠耶は…!」

「えっと…はい、気を付けます……」

「ったく…でも、ほんと仲良いっていうか、依未ちゃんの心の開き具合が凄いわね。貴方もそうだけど、彼女は千嵜家との相性が良いのかしら……」

 

 これ以上茶化してはいけない。そう感じ取った俺が素直に反省の意を示すと、俺から目を逸らしつつも(というか、向こうに目を向けつつ?)依未の事について触れる。…相性、ねぇ……。

 

「俺はあんまそんな感じしないけどなぁ…。俺に関してはそれなり以上の偶然と紆余曲折の末だし、緋奈は……こう、依未の中でぐっと来てる節があるというかなんというか……」

「…ぐっと来てる……?」

 

 俺の見解を口にしながら思い出すのは、クリスマスパーティー及びその翌日に依未が緋奈に対して見せた、なんか明らかにlikeとは違うタイプの感情。けどあれは緋奈単体じゃなく、依未側の性格や認識もあっての結果だから……って、ん?それ等が上手く合ったって事は、やっぱ相性が良いって事か…?

 

「う、うぅん…?」

「なんで私は訊き返しただけなのにそんな頭捻ってるのよ…。…まぁ何にせよ、こうして心を開ける相手が増えるのは良い事──」

 

 当然俺の頭の中なんて分からない妃乃は勘違いしてるが、それはそれで…という感じに頬を緩める。そして俺も、その言葉に同意を示そうとしていた……その時だった。不意に依未の身体がふらりと揺れ、力が抜けて倒れ込んだのは。

 

「わ、わ…っ!?依未ちゃん……!?」

「……ッ!依未…!」

 

 突然の事ながら、自分の方に倒れてきた事もあって依未の身体を受け止める緋奈。即座に俺と妃乃も駆け寄り、緋奈から預かる形で依未を抱える。

 

「依未ちゃん、聞こえる?意識はある?」

「……っ…ごめん、なさい…大丈夫、です…」

 

 ゆっくりと依未をソファに寝かせた数秒後。妃乃からの呼び掛けに答える形で依未は目を覚まし、俺達三人は揃って安堵。依未もすぐに状況を理解したらしく、申し訳なさそうな顔をしながら身体を起こす。

 

「無理に起きなくても良い、寝てろ依未」

「ううん…今のは立ち眩み位だから…それに、三人に覗き込まれてる方が落ち着かないし……」

「そ、それもそうか…」

 

 気を遣った俺だったが、言われてみれば確かに、皆に心配そうな顔で覗き込まれちゃ逆に気になって仕方ないだろう。

 という訳で俺は一旦離れ、温めの水を汲んで戻ってくる。それを依未に渡すと、依未はぐっと一口飲んで、それから小さく息を吐く。

 

「…お兄ちゃん、今のって……」

「あぁ。ありがとな、咄嗟に受け止めてくれて」

 

 小声で訊いてきた緋奈に俺は首肯し、肩へと軽く右手を置く。

 依未の体質とでも言うべき能力については、緋奈にも話していた。けどやはり、突然気を失うというのはショックが大きかったみたいで、まだ緋奈の表情には心配の色が濃い。

 けど、逆に言えばそれは、本当に緋奈が依未の事を大切な友達だと思ってるって証明な訳で…この事は、からかいついでに後で依未に教えてやるかな。

 

「依未ちゃん、体調に異変はない?いつも通り?」

「はい。いつもと同じです」

「だったら良かったわ。…それで、今回は……」

 

 俺と緋奈とが話している間、妃乃がしていたのは具合の確認。判別手段が依未からの回答のみとはいえ、本当に何もないって結論に行き着くと、妃乃は最後まで言わずに依未へと問いを投げかける。

 それは、依未が見たもの…意識の途絶を副作用とする、予言の内容に対する問い。声音に心配を残しつつも真剣な顔で訊く妃乃に対し、依未は一瞬躊躇うような表情を見せ…それから、言う。

 

「…ここのところ、何度か見ているものです。飛び回る幾つもの青い光と、駆け抜ける何条もの赤い光。そしてその中で戦ってるのは…霊装者」

「そう…何か他に気付いた事、気になった事があればいつでも言って。私は勿論、綾袮や他の人でも構わないわ」

 

 聞き終えた妃乃はさっき俺が緋奈へとしたように依未の肩へと手を置き、それから離れる。多分それは、それだけで十分だ…って事なんだろう。今聞いた限り、あんまり具体的な内容ではなかったが…妃乃であれば、分かる事があるのかもしれない。

 

「…その、ほんとに悪かったわね…空気も変な感じになっちゃったし……」

「気にするなって。でもそう思うなら、爆笑必至な一発ギャグでもしてくれて良いんだぞ?」

「あ、ごめん。今のはあんた以外に言った言葉だから」

「…さいですか……」

 

 一回気を失って申し訳なさに溢れても、依未の言の葉の切れ味は抜群。全く…けどま、平然とこういう毒を吐けるんなら、本当に体調面の問題はなさそうだな。…ここで判別するってのもどうかとは思うが……。

 

「あはは…でも、大事にならなくて良かったよ。話は聞いてたけど、あそこまで急にだとは思ってなかったから……」

「ごめん…それにありがと…。あたしが気を失った時、すぐに受け止めてくれたんでしょ…?」

「そんなの気にする事ないよ。立場が逆なら、依未ちゃんだってわたしを支えてくれたでしょ?」

「え、あ……うん…」

「ね?だから謝る事はないし…でも、ありがとうって言葉はやっぱり嬉しいかな。ふふっ」

 

 安堵から優しげな表情へと変わり、最後は依未へと微笑みを見せる緋奈。それは思いを向けられている訳でもない俺でも心がほっこりとする笑みで、そしてそれを受けた依未はといえば……そりゃあもう、ときめいていたさ。

 

「…悠耶、ちょっと」

「ん?」

 

 それから数分後。さっきまで話していた話題を再び緋奈が口にし、緋奈と依未は会話を再開。それによって部屋の中の雰囲気も戻り…俺も何かしようかと思ったところで、妃乃から廊下に呼び出される。

 

「うへぇ、さっむ…リビングの中じゃ駄目なのか…?」

「リビングの中で良い話なら、わざわざ廊下に呼び出さないわよ」

「いやそりゃそうだろうがよ…。…で、なんだ」

「さっきの依未ちゃんの話よ。貴方も聞いてたわよね?」

 

 途端に感じる寒さはマジで辛いが、真面目な話をしようってのは一目瞭然。なら早く戻る為にもちゃんと聞くべきだろうと俺が首肯すると、妃乃は腕を組みつつ本題へ。

 

「あくまで依未ちゃんが見た光景って形だから、断定は出来ないけど、青い光というのはまあ霊力でしょうね。ここは問題ないし、これ以上語る事でもない。けど、念頭に入れておかなきゃいけないのはここからよ」

「ここから…っつーと、赤い光と霊装者…ってやつだよな。けど、霊力が発されてる以上霊装者がいるのは当然の事だし、赤い光ってのが気になる…って話か?」

「えぇ。でも恐らく、その赤い光も霊力よ。どうして本来青い筈の霊力が赤いのかは分からないけど…少なくとも私は赤い霊力の光を見た事があるし、それは私だけじゃない」

「…見た事ある、って事は…協会の中に、そういう霊力の使い手がいると?」

「ううん。…ゼリア・レイアード。BORGの彼女が、その赤い霊力を使っているのよ」

 

 真剣な眼差しと共に発せられた、一人の名前。一瞬、誰だか分からなかった俺だが…続く言葉で思い出す。

 確かそれは、双統殿で行われた会議の後に話しかけてきた、BORGの代表と共にいた女性の名前だ。代表同様に、只ならぬ雰囲気を感じさせた、あの女性の。だが…そうなるとつまり、どういう事だろうか。単にイギリスでの一場面が見えただけなのか、それとももっと、何か深い意味があるのだろうか…。

 

「…分かってるわよね?彼女が、BORGが、油断ならない存在だって事は」

「だから、念の為頭に入れておけ…って事か」

「理解が早くて助かるわ。思い過ごしかもしれないけど、後からもっと気を付けていれば…って後悔するより、見当違いな事に気を張って損した…って肩を落とす方がずっと良いもの」

「ま、それはそうだな。俺も俺で気を付けておくさ。…つっても、今の情報だけでどう気を付けろって話だが……」

「それは言わないの。依未ちゃんが、望んでもいないリスクを背負って見てくれたものなんだから」

「…あぁ、分かってるよ」

 

 何も分からなきゃ、気を付けようがないのは事実。今分かってる事だけだと、そもそも彼女やBORGに気を付けておく…という考え自体、合っているのかどうか分からない。

 だが、分からないのなら、分かってる範囲で予想を立てて、それに沿って動けば良い。何せ、それをするのが知性ってものなんだから。

 そう、俺が自分の中で話に結論付けていると、ふと思い出したような顔をして妃乃は言う。

 

「…ところで悠耶。貴方、まだ霊装者として自分を磨くつもりはないの?」

「…なんでだ?」

「最近、顕人がまた活躍したみたいだからね。もしかするとそう遠くない内に、実力で抜かされちゃうかもしれないわよ?」

「実力、ねぇ。別に俺は、誰に抜かされようがどうだって……」

 

 顕人が活躍したって話を聞いても、これといって思う事はない。あいつが霊装者としての道に本気で取り組んでいる事は知っているし、顕人には綾袮という何だかんだ言っても良い師が付いているんだから。

 それに、俺はあくまで今の生活を守れればそれで良い。強過ぎる力は戦いの世界に引き摺り込まれる要因にもなり得る以上、最低限の力されあれば俺は十分。…そんな答えを、俺は口にするつもりだったが……何となく、それは違うような気がした。前は確かにそう思っていたが、今は……

 

「…いや、そうだな…抜かされる云々はどうだって良いが…必要な時に、必要な力がないのは…嫌だ」

 

 自ら口にした事で、少しだけ見えた。少しだが、分かった。今の俺が、自分の中でどう思っているかが。

 前は正直、緋奈さえ守れれば良かった。妃乃には感謝していたが、妃乃は一人でも大丈夫だろうと思っていた。

 だが、今俺が守りたいのは緋奈だけじゃない。依未だって守りたいし、妃乃も時に迷ったり自信を持てなくなる時があるって事を、今の俺は知っている。そして、そんな皆の力になる為に、今よりも実力が必要だと言うのなら…俺だって、進む事は厭わない。

 

「…そう。その気があるなら、私が鍛えてあげてもいいわよ?」

「妃乃、人に物事を提案する時は、そんな上から目線じゃない方が良いぞ?」

「そ、それは確かにそうかもね。気を付けるわ…って、なんで教えて上げるのに下手に出なきゃいけないのよ!」

「いやぁ、妃乃はほんとノリの良さばっちりだよな。普段はふざけてないだけで、実は妃乃って内面は綾袮と大差ないんじゃないのか?」

「な訳ないでしょうが!……あっ、でも…」

「え、何?マジで内面は大差ないの?」

「だからそうじゃなくて…!…ああ見えて、綾袮も根の部分は真面目なのよ。厳密に言うと、おちゃらけてる面と真面目な面が共存してる…って感じだけど…」

「あ、そっち…そっすか……」

 

 自身の事かと思いきや綾袮に対する言及がなされて、何とも言えない気持ちになる俺。まー、何つーか…妃乃も大概、綾袮の事が好きだよなぁ…。

 

「…何にせよ、真面目に鍛錬する気があるなら手を貸すわよ。真面目にやる気があるなら、ね」

「へいへい。ま…必要になったら、その時は頼む」

 

 そうして廊下でのやり取りは終わり、俺も妃乃もリビングへと戻る。ふへー、寒い寒い。身体冷えちまったし、熱い茶でも入れてリビングでゆっくり……

 

「あ、戻ってきた。ちょっと」

「え……?」

 

……したかったのに、戻るや否や依未に引っ張られて再び俺は廊下に出る羽目になってしまった。…酷い……。

 

「ぶるぶる…しゃむいしゃむい……」

「……キモっ…」

「止めて、マジトーンとマジな目で言われるのは流石に俺でも辛いから……」

 

 ナイフの如く突き刺さった言葉に俺はダメージを受けているというのに、依未は変わらず冷ややかな視線。…いつか懲らしめてやる…或いはさっきの事でふにゃっとさせて、その時の顔でも撮ってやる…。

 

「…真剣な話したいんだけど、ちゃんと聞いてくれる?」

「あ、はい…。…で、何だよ。まさか、本当はどこか具合悪いのか?」

「身体は本当に大丈夫だって。…そうじゃなくて、その…見えたのよ……」

「見えた?何が?」

「だから、その…あんたの……」

 

 表情から本当に真面目な話だって読み取った俺は聞く姿勢を見せるが、今度は依未は口籠る。

 言い辛い事なのか、こっちを見ながらも中々その内容について切り出してくれない依未。ただ俺に関係する事ではあるのか、何度も俺を見ては目を逸らしてを繰り返していて……

 

「はっ……ま、まさかチャック開いてたのか!?」

「ぶ……ッ!?ち、違うわよ馬鹿ッ!あんたのモノになんて興味ないしッ!全然ないしッ!」

「えっ……何故にパンツじゃなくて、その奥の事を…?」

「え、あ……〜〜〜〜ッッ!!?」

 

 慌てて俺が股間を隠すと、どうも違ったようで依未は顔を真っ赤にしながら全力で否定。だがその返答から感じた妙な部分を指摘すると、依未自身は気付いてなかったのか一瞬固まり…次の瞬間、既に赤かった顔が更に赤く、もうほんとに燃え出すんじゃないかって位に染まり切った。…わー、凄ぇ…人の顔って、こんなに赤くなったりするのか……。

 

「う、うぅぅ…バカ、ばかぁ……!」

「お、おおぅ…なんかごめんな依未…大丈夫、俺は誰にも口外しないぞー……」

「もう、お嫁に行けない……」

「いやそこまでじゃないだろ…てか、それを実際に言う人を俺は初めて見たよ……」

 

 茹で蛸状態の顔を両手で覆って座り込む依未は何というか不憫過ぎて、そこから暫し俺は慰める事に専念。いや、うん…もうさっきの懲らしめるとかいいや……。

 

「…うぅ…さっきのは忘れて、頭を壁にぶつけてても忘れて……」

「それは嫌だがまぁ、ネタにはしないよ…というか、結局依未は何を言いたかったんだ…?」

「…それは…さっき見た…妃乃様に話した内容の事よ……」

「内容…?けど、あれは俺も聞いて……」

「あの時は、言わなかった部分があるの。…まずは、あんたに話しておいた方が良いと思ったから…」

 

 大分雰囲気が狂ってしまったが、その狂った雰囲気を引き戻す依未の言葉。

 立場も実力もあり、依未からしても信頼しているであろう妃乃より先に、俺に話そうと思った内容。それは一体何なのかと俺が表情を引き締めると、依未は立ち上がりつつ言葉を続ける。

 

「…その光景の中には、あんたがいたわ。悠耶がいて、戦ってた」

「俺が、か…?」

「うん…それに、もう一人……えっと…あんたの友達で、御道……」

「…顕人か?」

「そう、彼。彼もいたわ」

 

 どうしてなのかは分からない。だが依未の見た光景の中には、俺と御道もいたと言う。

 それは流石に驚いた。妃乃は念の為気を付けろ、って風に言っていたが…まさか、それが的中していたとは。いつかどこかで、俺は赤い霊力を使う存在と、戦闘又は共闘する事になるとは。

 

「そうか…一応今月の頭も一緒に戦ったが、そうなると今後もどっかでまた共闘する事になるって訳か……」

「…………」

「けど、それなら別に妃乃に話したって……って、依未?どうかしたか…?」

「…一瞬よ…?これから言うのは、一瞬そう見えたってだけで、もしかしたらどっちかの後ろに敵が回り込んでたとか、そういう可能性だってある話よ…?」

「はい?いや、今度は何を言って……」

 

 とはいえ、それは狼狽えるような内容じゃない。驚きはしたが、あぁそうなのか…と受け止められる程度の事。…そう、俺は捉えていたが…依未は酷く神妙な顔で、俺の顔を見つめている。

 それは、まだ何か言いたい事が、最も言うべき核心部分の話が残っているって表情。言わなきゃいけない、大切な事があるって顔。加えて依未はやけに気を遣うような前置きを入れてきて、その言葉に俺は不安を煽られる。

 これから何を言うのか。依未が一瞬見たと言うのは、一体何なのか。俄かに俺の中で緊張が募っていく中、依未は俺の目をじっと見つめ……言った。

 

「…最後、途切れる寸前の光景では…あんたと顕人が、共闘じゃなくて……敵対してるように、見えたのよ…」



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第百七十話 この気持ちは手作りで

 二月になった。四季の観点で言えば、冬ももう後半戦。まだまだ春には程遠いけど、それでも一番寒い時は過ぎた…そんな時期に該当する月だろう。…いや寒いけど。んなの知った事かって位、相も変わらず寒いけど。

 

「お兄ちゃん、わたし薬局寄るつもりなんだけど、どうする?着いてくる?」

「んー?まぁ別に薬局位付き合うが…どうしたんだ?具合が悪いのか?」

 

 少しでも暖を取ろうと手をポケットに突っ込んだまま歩く、学校からの帰り道。信号を渡り終えたところで、隣にいる緋奈がそんな事を言ってくる。

 

「ううん、乳液切れちゃったから買ってこようと思っただけだよ」

「へぇ、乳液ね…牛乳じゃ駄目なのか?」

「え、お兄ちゃんそれはギャグで言ってる…?」

 

 回答に対して何気なく思った事を返してみると、緋奈は唖然とした顔で俺の事を見やってくる。とてもじゃないが、それは普通仲良し兄妹の間で発生するような表情じゃない。

 

「いやまぁ、流石に冗談だが…全くもって別物って訳でもないだろ?いや全然知らないけども」

「それはまぁ、実際乳が使われてる乳液はあるし、牛乳石鹸なんてものもあるから、肌に毒って事はないだろうけど…それは服が無いなら大きい紙を纏えばいいじゃないか、って言ってるようなものだからね?」

「ま、そりゃそうだよな…というか、牛乳をばしゃばしゃ肌にかけてる緋奈は見たくない……」

「わたしだってそんな奇妙見られたくないよ……」

 

 ふざけて言ってはみたものの、ちょっと乳液について詳しくなっただけで、あんまり話は盛り上がらない。むしろ空気的には、変な感じになってしまった。…むぅ、チョイスをミスった……。

 

「…しかし、ほんと女って大変だな…夏は日焼けを気にしなきゃならないし、冬は乾燥に気を付けなきゃいけないし」

「まあね。でも、見た目の為には色々気にしなきゃいけないなんて、当たり前の事じゃない?例えばだけど、男女関係なく不摂生な食生活をしていたら大概の人は太っちゃうし、スタイル良くいたいなら日々の食事に気を使ったり、適度な運動をしなきゃいけないでしょ?」

「…言われてみれば、確かに」

「ね?それに、わたしが綺麗でいた方がお兄ちゃんも嬉しくない?」

「それは違うぞ緋奈。肌とか外見云々じゃなく、緋奈は緋奈という存在の時点で可愛いんだからな」

「存在の時点でって…そういうのは流石にちょっと気持ち悪いかなぁ……。…それ位愛してくれてるのは、嬉しいけどね」

 

 今度は冗談とかじゃなく、割と本気で言ってみた俺。だがそれに返ってきたのは、ちょっと気持ち悪いという発言。確かに我ながら普通じゃない発言だって自覚はあったが…これは辛い。この思いに対して気持ち悪いは、心へ中々に突き刺さる。

……と思っていたところへ付け加えられたのは、嬉しいという言葉。見れば緋奈は、ほんのりと頬を染めていて…うん、ここが外じゃなかったら、取り敢えず抱き締めてたな。てか周りに人いないし、ちょっと位は良いんじゃないだろうか。

 

「…緋奈、ちょっとちょっと」

「……?どうかしたの?」

「いや、ちょっと抱き締めようと」

「…欲望に忠実だね、お兄ちゃん……」

「…緋奈がそれ言うか?」

「うっ…あ、あの時の事は掘り返さないで…後悔はしてないけど、我ながらとんでもない事をしたって自覚はあるんだから……」

 

 今度はバツが悪そうに顔を逸らし、同時に恥ずかしさもあるのか顔の赤みを増す緋奈。…良かった、そういう自覚はあるのね……。

 

「と、とにかくどうする?…ってそっか、最初に付き合うって言ってたね…」

「そんな何時間もかかる訳じゃないんだろ?」

「普段使ってるやつを買うだけだからね。それじゃ一緒に……あ」

「ん?」

 

 無理矢理話を切り替えた緋奈だが、実際蒸し返すのは可哀想だから俺はその事について何も言わず、ついでに抱き締めるのも取り敢えず我慢。すると緋奈は一緒に行こうと言いかけて…しかしそこで、何故か止まる。

 

「えー…っと、ごめんねお兄ちゃん。やっぱり先に帰っててくれるかな…?」

「はい?え、何故に?」

「や、あの…他にも寄りたいお店があったの。でもそうすると時間かかっちゃいそうだから…ね?」

「う、うん?緋奈、何か隠してないか…?」

「そ、そんな事ないよ?それよりほら、今日はお兄ちゃんがご飯作るんでしょ?だったら寄り道は控えないと…!」

「いや、まぁ…それはそうだが……」

 

 あからさまに何かを隠してる様子の緋奈だが、話してくれる感じもない。しかも言うだけ言った緋奈は「それじゃ、また後でね!」と慌ただしく走っていき、俺は置いていかれる形に。本気で走ればまぁ追い付けるだろうが…そういう問題ではない。

 

「うーむ…これは追求すると、お互い得しない展開になるパターンか…?」

 

 これが悩みを抱えてるとかなら放ってはおけないが、ここまででそういう風なものはなかった。となると、困ってはいないが俺には話せない…例えばそう、下着を買おうと思ってたとかなら、それは間違いなく訊いちゃいけない。下着買いに行こうと思ってる事を無理矢理聞き出して、しかも付いていくとかになったらもう、お兄ちゃんとしても男としても完全にアウトな所業じゃないか。…いや、他の目的が下着かどうかは知らないけども。

 という訳で若干釈然としない気持ちになりつつも、俺は一人で家へと向かうのだった。

 

 

 

 

 夕食後。一日の疲れと、食べた物を消化しようとする身体の動きで自然と眠くなるその時間に、緋奈ちゃんが声をかけてきた。

 

「妃乃さん、相談があるんですけど…聞いて、もらえますか…?」

 

 携帯でメールを確認していたところでかけられた声。断る理由もないからと私が頷くと、私は緋奈ちゃんの部屋へと呼ばれる。…って事は、悩み事…それか、悠耶には聞かれたくない話なのかしら…。

 

「…あ、ちょっと待ってて下さいね。すぐ暖房点けますから」

「急がなくて大丈夫よ。…まぁ、ボタン押すだけの事に急ぐも何もないでしょうけど……」

「あはは…じゃ、それは機械の方に言ったって事で……」

「いや私機械を気遣うタイプじゃ…って、いきなり脱線しちゃったわね。…で、相談って?」

「はい。その…もうすぐ、バレンタインデーじゃないですか」

 

 毒にも薬にもならないやり取りの後私が本題を切り出すと、緋奈ちゃんはある日の事を口にする。

 バレンタインデー。それは今や、クリスマスやハロウィン並みに日本で定着した外国のイベント(まぁ、かなり日本独自の要素が強くなってるらしいけど)の一つで……即座に私は意図を理解。

 

「あぁ、悠耶にチョコかお菓子を送りたいのね」

「え、と…はい。そういう事です…」

 

 ふっと頬を緩めながら言葉を返すと、緋奈ちゃんは少しだけ照れた顔をしながらそれに首肯。…ほんと、緋奈ちゃんは素直で可愛いわね。

 

「でも、どうしてその話を私に?何か、渡せない事情でもあるの?」

「あ、いえ、そうではなくて…わたし去年までは、市販のチョコをあげてたんです。でもそれだと普段の、『このお菓子一口食べてみる?』…の延長戦でしかないように最近思えてきまして…なので高校に上がったのを機に、今年からは手作りのチョコをあげたい…と思ったんです」

「え、手作り……?」

「……?はい。…けど、わたしチョコ作りなんて初めてですし、お兄ちゃんならどんなチョコでも喜んでくれるとは思いますけど、やっぱりせっかくあげる以上は美味しいものを食べてほしくて…だから、妃乃さんに一緒に作ってほしいな、なんて……」

 

 微笑ましいと思える話へ不意に飛び込んできた、手作りというワード。緋奈ちゃんの料理下手を知っているが故に、思わず訊き返してしまったけど…結論部分は、私にチョコ作りへの参加を求めるというもの。それを聞いた私は、内心でほっと胸を撫で下ろし…それから緋奈ちゃんに向けて微笑む。

 

「そういう事ね。勿論良いわよ、緋奈ちゃん」

「本当ですか?ありがとうございます!」

「気にしないで。私も元々毎年綾袮からせびられてチョコ作ってるし、今年も作るつもりだったもの」

 

 私の快諾を受けてぱっと表情を明るくする緋奈ちゃんだけど、私は綾袮の事抜きにもこの頼みは引き受けるつもりだった。だって、毎日同じ屋根の下で生活を共にしている、他ならぬ緋奈ちゃんからのお願いだもの。だったら、聞かない訳にはいかないわよね。それにこれは、新年絡みの務めは大方終わったとはいえ、新たに浮かんだ懸念事項の関係で考えなくちゃいけない事が多いここ最近とっての良い息抜きにもなりそうだし。

 

「じゃ、折角だしこのまま何を作るか決めましょ。緋奈ちゃんは何にしたい?別にチョコじゃなくても良いわよ?」

「そう、ですね…でもやっぱりバレンタインですし、お兄ちゃんにはチョコを……」

 

 計画は決められる時に決めた方が良い。その考えで私が訊くと、緋奈ちゃんは右手の人差し指を頬に当てつつ考えた後に、私の問いへと答えようとしてくれて……けれどそれを遮るように、私の携帯が音を鳴らす。

 着信音が示しているのはメッセージの受信。ならすが携帯を取り出す必要はないと思ったけど、大丈夫ですよという緋奈ちゃんに促されて、私はメッセージの内容を確認。すると、メッセージの送信相手は今さっき名前を出した綾袮で……

 

「…あー……」

「…どうかしました?」

「えっとね、緋奈ちゃん…今約束した件、もっと大人数になっちゃっても…いい…?」

 

 意外というか、ある意味でタイミングばっちりなメッセージの内容。不思議そうにしている緋奈ちゃんへと、メッセージの内容を見せる私。

 綾袮から送られてきたメッセージ。そこに書いてあったのは……綾袮と共に住むラフィーネとフォリン、二人のチョコレート作りの指南役を頼みたいというものだった。

 

 

 

 

 翌日、双統殿の食堂の一角。時間帯を選んで確保したこの部屋の中には、現在私含めて六人の女性がいる。

 

「よーし、それじゃあ早速始めてくれ給え!」

「あー、はいはい…」

 

 何故か偉そうにしている(まあ平常運転とも言えるけど)綾袮を適当にあしらい、私は改めて今回の面子を確認。

 まずは緋奈ちゃん。彼女がいるのは当然の事で、緋奈ちゃんのチョコ作りに支障が出ない範囲で、というのが綾袮からの頼み事を請け負う条件。

 同様に、件のロサイアーズ姉妹がいるのも当然。私が知る限り料理なんてする柄じゃないけど、仲介役となった綾袮がいるのもまぁ一応理解は出来て……でも一人だけ、どうしても「何故?」と思う女の子がいる。

 

「ええっと…どうして、依未ちゃんが…?」

「ですよね…あたし、場違いですもんね……」

「ああぁ違う違う!そういう意味で言ったんじゃないわ!」

「わー、妃乃酷〜い」

「だから違うって言ったでしょ!?」

 

 訊き方が悪かった…んじゃないと思うけど、私が問いかけた六人目…依未ちゃんは自信なさげに言葉を返す。…しまった…ここ最近は元気な姿もよく見てたから、依未ちゃんはちょっと卑屈なタイプだって事を忘れていたわ…。

 

「…こほん。依未ちゃん、料理に興味があったの?」

「あ…いや、その……」

「…あの、わたしが誘ったんです。折角だから、依未ちゃんも一緒にどうかな…って」

 

 気を取り直して訊いてみると、何やらまごつく依未ちゃんの代わりに、隣にいる緋奈ちゃんが回答。確かに連れてきたのは緋奈ちゃんだし、緋奈ちゃんが誘ったから…っていうのは、私も予想していたけど……

 

「…理由は、それだけ?」

「ぅ、あ…そ、の……そ、そう…!…あたし、友チョコ…っていうか、こんな事をするのも…一度位は、やってみたいって思ってた…なんて……」

「…依未ちゃん…そうだったのね。なら、要望があれば言って頂戴。出来る範囲で、応えてみせるわ」

「うんうん。あ、勿論わたしも応えるよ?わたしも依未ちゃんとは長い付き合いだからね」

「あ、ありがとうございます…」

 

 若干の淀みを残しながらも、自分の言葉で理由を言ってくれた依未ちゃん。恥ずかしさ、或いは引け目からか、最後は声が萎んでいってしまったけど…思いはちゃんと伝わってきた。だから私も、聞いていた綾袮も、依未ちゃんに向けてにこりと微笑む。

 そう。その力故に小さい頃からずっと双統殿にいる依未ちゃんと、時宮と宮空それぞれの娘である私達は、歳が近い事もあって接する機会も多かった。多かっただけで、悠耶の様に依未ちゃんの日常を変える事は出来なかったけど…それでも頼りにしてくれるのなら、いつだって私は力になりたい。

 

「…あのー…もしかして、私達はお邪魔だったり…?」

「あ…ごめんなさい、そんな事はないから気にしなくていいわ」

「大丈夫。わたしは気にしてない」

「そ、そう…じゃ、時間もあるし早速始めましょ。取り敢えず、全員レシピの用意はしてあるわね?」

 

 フォリンちゃんからの声で本題を思い出した私は、皆へと確認し、一先ずそれに沿って作ってもらう事で料理開始。

 毎年作ってるとはいえ、別に私はチョコ菓子を作るのが得意って訳じゃないし、各々作ろうとしてる物も違う。だから今日は練習の日として、私も意見を求められたり困っていたりしたら適宜アドバイスをするという事に決めた。

 

(普段から料理の手伝いをしてるらしいフォリンちゃんと、味見係位しかやらないであろう綾袮はまぁ大丈夫よね。依未ちゃんとラフィーネちゃんは未知数だから何とも言えないけど……)

 

 一通り見回したところで、私は視線を緋奈ちゃんのところへ。緋奈ちゃんには悪いけど…やっぱり、一番不安になるのは彼女。自然な流れで「え…?」と思う事をするのが緋奈ちゃんだから、正直あんまり目を離せない。

 

「えぇと…ラフィーネはまず、牛乳を温めるところからですね。お鍋の空焚きはいけませんよ?」

「…電子レンジじゃ駄目?」

「電子レンジで沸騰は難しいかと……」

 

 一方ロサイアーズ姉妹の方は、早速ラフィーネちゃんがフォリンちゃんに教えてもらっている様子。…なんかあの二人のやり取りって、ちょっと私と綾袮を思わせるわね…ラフィーネちゃんは綾袮と同じようにマイペースって感じだし、フォリンちゃんも私と同じ位しっかり者の雰囲気があるし。

 

「あ、あの…妃乃様……」

「うん?何か困り事?」

「その…ここのオーブンって……」

「あぁ、そういう事。確かに分かり辛いものね」

 

 ちょっとだけ姉妹のやり取りを眺めた後、私は視線を緋奈ちゃんに戻し…たところで、私の事を依未ちゃんが呼ぶ。何かと思って訊いてみれば、オーブンの使い方が分からなかったらしい。

 という訳で依未ちゃんの作るものに必要となる操作を一通り教えて、今度こそ私の視線は緋奈ちゃんの方へと帰還。目を離している隙に、独特の調味料とか入れていないか若干不安ではあるけど…ま、まぁ今回は練習だものね。練習で失敗する分には良いのよ、うん。

 

「ねーねー妃乃〜。今年も作ってくれるんだよね?」

「あー、はいはい。作ってあげるから貴女は大人しくしてなさい。…というか、一応訊くけど…綾袮は作る気ないの?」

「ふっふーん!」

「何で思いっ切り自称宇宙一可愛い理想の後輩みたいな反応するのよ…まあなんだって良いけど別に……」

 

 意味の分からない返しが来たけど、綾袮が意味分からないなんて今更の事。どっちにしろもう綾袮にあげるのは恒例行事みたいになってるし、特に気にする事でもない。…んまぁ、勿論…もし手作りのお返し…っていうか、綾袮からもチョコなり何なりをくれたら、そりゃ嫌な気はしないけど……。

 

「あ…妃乃さん…」

「ひ、妃乃様……」

「え、と…すみません。宜しければ少し助言を……」

「お、引っ張りだこだねぇ妃乃。わたしと話してていいのかな?」

「話しかけてきたのは貴女でしょうが…はいはい順番にね」

 

 それから私は緋奈ちゃんを中心に見つつ、呼ばれる度に向かうという行動を繰り返す。それぞれやってる事も違えば料理への経験値も違う訳で、そういう意味じゃ気の抜けない時間だったけど、同時にちょっと楽しい時間でもあった。だって私、人に教えるのは嫌いじゃないし…頑張ってる人達の手助けが出来るって、素敵な事だもの。

 

「フォリン、とろっとしてきた。これ位?」

「うーん…妃乃さん、度々申し訳ないのですが……」

「大丈夫、気にしないで。それで、今度は何?」

「これ。まだかき混ぜた方がいい?」

「そうねぇ…このままでも、ちゃんと完成はすると思うわ。ただでももう少しかき混ぜると完成した時の食感がまたちょっと変わるから、後は好みの問題じゃないかしら」

「好み…わたしはぷるぷるしてるのが好き」

「い、いや貴女のじゃなくて…というか、ラフィーネちゃんは誰にあげる気なの?勿論、言いたくないなら訊かないけど…」

「んと、顕人にあげる。でもフォリンにもあげるつもり」

 

 料理は完成した時点じゃなくて、食べる、或いは食べてもらう事を目的にしているものだから、食べる人の好みも考えなくちゃいけない。という訳で訊いてみると、ラフィーネちゃんは特に躊躇う様子もなく、顕人の名前を口にした。…緋奈ちゃんは…まぁ、何はともあれ兄妹って名目がある訳だけど…そういうのが特にないのに、ラフィーネちゃんは平然と異性の名前を出せるのね…。

 

「ふふ、ありがとうございますラフィーネ。勿論私も、顕人さん、それにラフィーネにあげますよ」

「あ、二人してあげるのね……」

「えぇ」

「お返しが楽しみ」

 

 姉だけでなく妹も躊躇いがないこの姉妹に、むしろ私の方が少しだけど照れてしまう。しれっと下心がある事も判明したけど…それが望みなら市販のチョコをあげれば良いだけなんだから、間違いなくメインの理由はそれじゃない。

 二人がそうしようと思う理由は分かる。私は全て知ってる訳じゃないけど、二人にとって彼は自分自身の、そして家族の恩人でもあるんだから。

 だからきっと、二人にとって彼は大切な人なんだと思う。緋奈ちゃんが悠耶を大事に思うように、二人は顕人を大切な相手だと思っているから、その思いを形にして送りたいんだと思う。そういう思いは尊いものだし、時に苦しくなったり切なくなったりする事があっても、やっぱり幸せな思いなんじゃないかって、そう思える。そして、私の中にもそんな思いがあるとしたら、そんな気持ちを向ける日が来るとしたら、それはきっと……

 

「……──っ!?」

「うぇ?妃乃、どうかした?」

 

 傍から見れば急に、何の脈絡もなく顔が真っ赤に染まった私。本人である私からしても、それが…その人物の事が、悠耶の事が頭の中に思い浮かんだ。

 別に、悠耶の事を考えようなんてしてない。そんな気なかったし、そういう流れでもなかった。私はただ、大切な人へ送ろうとする気持ちは良いものだと思ってただけで、もしも私もそちら側になる日が来るとしたらって想像を働かせてかせていただけで…なのに、なんで悠耶の事が思い浮かぶのよぉ……!

 

(……っ…い、いや…落ち着きなさい私。緋奈ちゃんも二人もチョコを上げようとしているのは身近な男の人で、私は緋奈ちゃんと同じ家に住んでる以上、悠耶は私にとっても身近な男性。ただ、要素の一部が被っていたから連想しただけよ、うん。そうに違いないわ!)

「妃乃ー?心ここに在らずって感じだけど、大丈夫ー?」

「…はっ…だ、大丈夫大丈夫。ちょっと思考が短絡的になっていただけだから…」

「思考が短絡的…?…何の話か分からないけど…大丈夫なら、わたしも皆のをもう少しのんびり見てるね」

 

 他意などなく、深い理由もなく、ただただ偶々そうなっただけ。あくまで共通項から浮かんできただけの事。勢いのままそう結論付ける事で私は何とか落ち着きを取り戻し、怪訝な顔をしていた綾袮を誤魔化す事にも成功。この事をこれ以上掘り下げないよう気を付けながら、もう少しかかりそうな皆のチョコ作りを私は丁寧に見つめていく。

 一応は指導役って事になっていたし、身体的に休めたかどうかは怪しいところ。でも普段はしない体験が出来て、バレンタインに向ける皆の思いも少なからず知る事が出来て…そういう意味では、今日のこのひと時は良いリフレッシュになる時間だった。

 

 

 

 

(…そう、だから…本当に、特別な理由なんてないの。偶然思い浮かんだだけなの。確かに悠耶は、単なる同級生とか、単なる同居人…なんて相手じゃないし、悠耶との関係性には唯一無二の部分だってあるけど……ほんとただ、それだけなんだから……)



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第百七十一話 三者三様のチョコレート

 霊装者の力は、とにかく身体を虐めて、何度も何度も反復練習をすれば高まるってものじゃない。勿論それが無駄って事じゃなく、前者はともかく後者は必要な訓練ではあるが…それはあくまで技術だとか身体に覚え込ませるだとかの領域であって、霊力…言うなれば超常の力そのものの向上に直結するものではない。

 詳しい事は知らないが、嘗ての俺の時代じゃ霊力そのものの鍛え方に対する明確な答えは出ていなかったし、妃乃が言うには今もあまり変わっていないらしい。体力と同じように日々大きく消耗する事で高まっていくという意見もあれば、元々霊力という才能の上限は決まっていて、日々の鍛錬はその才能を少しずつ解放しているだけに過ぎないなんて意見もあるし、中には心の強さが霊力に関係してくる…なんて説もあるんだとか。ただまあ何にせよ、最初に挙げた技術やら何やら…即ち『戦闘能力』の向上を図る中で、大概の人は霊力方面も向上していく傾向があるから、一つ目の意見が割と有力だったりする。

 結局のところ、勉強や運動と同じように努力すればそれなりに力はつくし、何もしなきゃ多分何も変わらないって事だろう。だが…俺の場合はどうなんだろうか。かなり特殊な経緯を持っている、知識や経験、それにある程度は直感的な部分は引き継ぐ形で持ち合わせていて、けれど才能の部分はリセットされた…というか別物になっている俺の場合、普通に鍛えて普通の効果が出るのだろうか。…そんな事を思う、今日この頃。

 

「ふぁぁ…はー、今日も眠かった」

 

 本日最後の授業が終わり、空気の緩んだクラス内。俺も一つ欠伸をした後に身体をぐっと伸ばし、教科書や筆記用具を鞄へと入れていく。

 

「眠かった?何度も寝たの間違いじゃなくて?」

「失礼な。何度もじゃねぇよ、何度かだよ」

「よくもまぁ平然と……というか、今の川柳でも意識した?」

「だとしたら、字余り気になるし風情も何もない川柳だな」

 

 何言ってんだか…という表情で話し掛けてくる御道を一蹴し、忘れ物がないか机の中を覗く俺。てか、冬場の教室は暖房が効いている場合暖かい上換気もおそろかになりがちだから、眠くなるのはある意味仕方ないと思うんだよな。夏場の水泳後の授業と同じで。

 

「失礼な 何度もじゃねぇよ 何度かだよ…うーん、何度もではなく 何度かだ…の方が字余り減って締まりも良くなるか…?」

「どうでもいい事考えてんなぁ……」

 

 授業で頭を散々使っただろうにまだそんな事を考える余裕があるらしい御道を半眼で見ながら、俺は帰り支度を終わらせる。

 それから約十分。担任が来てHRも終わり、各々部活へ向かったり帰路へ着いたりで教室内から去っていく。当然俺も帰る為に、鞄を持って教室を出る。

 

(さて、今日の夕飯は…うん、塩味のあるものの方が良いだろうな……ん?)

 

 夕飯の事を考えながら廊下を歩いていると、ある程度したところで後ろから声をかけられる。

 聞き覚えがあるなと思って振り返ると、俺を呼び止めたのは一人の女子。と言っても妃乃じゃないし、緋奈でもない。

 

「千嵜くん、今から帰るの?」

「…そうだが?」

「そっか、じゃあはい。千嵜くん、甘い物苦手じゃなかったよね?」

 

 端的に言うなら、彼女はクラスメイト。一つ付け加えるなら、文化祭で同じ調理担当を担った女子の一人。そして、たった今差し出されたのは…小さな袋に入ったチョコレート。

 

「……えっ?」

「えっ、って…まさか、今日が何の日か知らないの…?」

「い、いやそれは知ってるが…俺にか…?」

「それ、疑う余地ある…?」

「…誰かに渡してほしい、とか……」

「いやいやいや……」

 

 ちょっと…いやかなり意外な展開に俺が困惑していると、彼女は何とも怪訝そうな顔に。いや確かに、そんな微妙な空気になる事間違いなしな行為をする奴が実際にいるとは思えないが…それにしたって、俺に…?

 

「ええ、っと…つまりこれは、俺が貰っていいと…?」

「な、なんかさっきから失礼じゃない…?」

「う…それはすまん…確かに超失礼だわ……」

「もー…。…あ、因みに義理だよ?でも頑張って作ったから、今度感想聞かせてね」

「お、おう…ありがとな…」

 

 義理と強調しつつもにこりと笑って彼女は立ち去り、その場に一人残る俺。念の為もう一回見てみるが…やはりこれはチョコレート以外の何物でもない。つまり、俺は2月14日…即ちバレンタインデーにクラスメイトの女子からチョコを貰ったという事になる。

 

「…マジか……」

 

 状況を再認識し、今一度驚く俺。文化祭以降、彼女とは何だかんだでちょこちょこ話してる(正しくは向こうから話しかけてきてくれてる、だが…)し、その時点でも物好きなもんだと思っていたが…まさか、義理とはいえチョコレートをくれるとは。この俺に、緋奈以外でくれる女子が存在したとは。

 

(…って、これは流石に悪いな…わざわざ作ってくれたんだから、んな卑屈な事考えずに感謝しねぇと……)

 

 割と本気で「え、何故…?」と思ってる俺だが、何であろうと彼女はくれたんだ。ならそれは、素直に感謝し喜ぶべきだ。それが、人の厚意を無下にしないって事だ。

 

「うん?なんだ、まだいたんだ千嵜……って、それは…」

「チョコだが?」

「…驚いた…なんだ、案外千嵜もやるじゃん」

「おう、さらっと失礼だな」

 

 そこで現れた御道の無礼発言に言葉を返しつつ、俺は袋を鞄の中へ。

 はっきり言って、まだ困惑してる。渡す相手間違えたと言われても、多分納得出来る気がする。それ位、俺にとって今さっき起こった出来事は意外なもので…それでもまぁ…こうして貰えると、悪い気はしないよな。

 

 

 

 

 帰宅をすると、もう緋奈は帰っていた。だからと言って別にどうだって事はなく、いつもの通りに俺は過ごそうとして……

 

(…うん、駄目だ。やっぱちょっとそわそわする…!)

 

 無理だった。俺はどっちかって言うと何かあっても平然としていられるタイプなつもりでいたが、もう全然無理だった。

 と、言ってもよく分からないだろうから、端的に説明すると…恐らく今日は、というか例年通りなら、緋奈はチョコレートをくれる。だってバレンタインデーだから。でもいつくれるから毎年まちまちで、しかも何だかんだ言ったって俺も男な訳だから、チョコ待ちというのは落ち着かない。加えて下校前になんと一つ貰えたから、余計に今日という日を意識してしまう。

 

「あ、お兄ちゃん」

「うぉっ、おう。なんだ緋奈」

「さっき回覧板回ってきたよ。一応目を通しておいたけど、お兄ちゃんも見ておく?」

「あ、か、回覧板か…そうだな、俺も見ておこうかな……」

 

 家に帰ってから十分弱。リビングのソファに深く座り込んだところで声をかけられた俺は努めて自然な態度を取(ろうとす)るも、いざ出てきた話題は全く関係性がないもの。それに内心俺は落胆してしまい……次の瞬間、くすりとした笑い声が聞こえてくる。

 

「お兄ちゃん、もしかして今期待してた?」

「う…さ、さぁて、何の事やら……」

「別に誤魔化さなくたって良いのに…」

 

 俺の反応を見て、更ににやっと笑う緋奈。確かに緋奈の言う通り、こういう時は下手に誤魔化すより堂々と肯定して話の主導権を掴んだ方が、結果的には恥ずかしい思いをしなくて済む場合が多いんだが…誤魔化したいという思いがあると、分かっていても中々出来ない。

 とにかくそんな理由で俺は翻弄されてしまい、心に残る恥ずかしさ。だがそれから緋奈はふっと表情からからかいの色を消し…ぽふりと俺の隣に座り込む。

 

「…なんて、ね。期待も何も、わたし毎年お兄ちゃんにはあげてるもんね」

「そ、そうだな…(落ち着け落ち着け、動揺する事なんてないだろ千嵜悠耶…!)」

「…でもね、今年は一味違うんだよ?」

「…一味違う…?」

 

 にこやかに言葉を続ける緋奈に頷きながら、俺は自分へと言い聞かせる。すると緋奈はそこで、少し得意気な顔となり…その言葉の意味が分からず首を傾げる俺の前へ、差し出される両手。そしてそこに乗っていたのは、綺麗にラッピングされた半透明の小袋。

 

「じゃーん。今年は、手作りチョコレートだよ」

「手作り……え、手作り…!?」

 

 くれる事は分かっていたが、それでも自然と緩む頬。だが次の瞬間…手作りという言葉を頭の中で反芻したところで、俺は戦慄。…て…手作り、だと…!?

 

「……?うん、手作りだけど…もしかしてお兄ちゃん、チョコは市販品の方が好きだった…?」

「い、いやいやそんな訳ないじゃないか!緋奈から初めて手作りのバレンタインチョコを貰って、心が震えていただけさ…!」

「そっか…ふふっ。そう言われると、やっぱり嬉しいね」

 

 つい見せてしまった動揺を誤魔化すべく、それっぽい理由を俺は口に。すると緋奈はにこっと笑って、言葉通りに嬉しそうな顔を俺へと見せてくれる。となれば当然、痛み出すのは俺の心。…ごめんな…騙すような事言っちゃって、ほんとにごめんな…でも、嘘は言ってないんだぞ…?本当に心が震えてはいるんだ…多分、緋奈が思っているのとは違う理由だけど……。

 

「…ね。食べてみて、お兄ちゃん」

「…ぅ…お、おう……」

 

 手作りだからか、受け取った袋を見つめる俺に対して緋奈はそんな事を言ってくる。

 自分の作った料理が、美味しいかどうか。気に入ってくれるかどうか。それは誰だって気になる、自然な事で…心の痛んでいた俺に、それを拒むだけの余力はない。

 

(くっ…だが考えてみろ。緋奈の料理下手は、何もあり得ない物を入れたり、常識が欠落しているが故に発生しているものじゃない。味の濃さなんかは不安だが…これはチョコ。甘くない味付けをしている可能性は低い上、濃い分には全く問題のない食べ物…!つまり、案外悪くない出来になっている事も…十分に、ある……ッ!)

 

 半ば自分へ言い聞かせるように、心の中で並べ立てる希望的観測。どう思おうとチョコレートの味は変わらないが…それでも、こう考えれば少しは気持ちが楽になる。

 そうして俺は意を決し、ゆっくりと開封。中にあるチョコレートの一つを手に取り、不安そうにこちらを見つめる緋奈を見て…俺はチョコを口の中へ。

 

「…………」

「…ど、どう…かな……?」

「…美味い……」

「ほ、ほんと?…良かったぁ……」

 

 目を見開き確認してくる緋奈に向けて、俺は首肯。緋奈が安堵するのを眺めながら、俺自身も内心で安堵。

 今言った事は、嘘じゃない。お世辞でも何でもなく…本当にチョコレートは甘くて美味しかった。

 

「この蕩ける感じ…生チョコレートか…?」

「あ…うん、そうだよ。…やっぱり妃乃さんに見ていてもらって正解だったなぁ……」

「…妃乃に…?(そうか、だから美味いのか…)」

 

 ぽつりと呟かれた言葉、そこに含まれていた名前を聞いて、俺はこのチョコレートが普通に美味しい理由を理解した。確かに妃乃が見ていてくれたのなら、この美味しさも頷ける。…グッジョブ、妃乃。

 

「…けど、緋奈が手作りのチョコレートを作ろうとしてくれた気持ち、それだけ俺を想ってくれてるって事は、味や出来とは関係ないんだもんな。いや、ほんと美味いけど…」

「…お兄ちゃん?え、っと…それは、独り言…?」

「独り言だよ。…手作りのチョコレートを送ってくれて…いつも俺の事を大切に思ってくれて、ありがとな緋奈」

 

 こうして貰えるのは嬉しい。美味しかったのも嬉しい。でも一番嬉しいのは、緋奈の気持ち。緋奈の思い。緋奈の愛。そしてそれを感じた俺は、自然と頬が緩んでいて…感謝の言葉と共に、俺は緋奈の頭を撫でた。

 目を細め、心地好さそうに俺からの手を受け入れる緋奈。愛らしい顔にさらさらの髪と、本当に緋奈は魅力に溢れている。かれこれ十五年以上緋奈とは一緒にいる訳だが、きっと…いや間違いなく、俺はこの魅力に飽きる事なんかないだろう。それ程までに、緋奈は可愛いんだから。

 

(しかしほんと、緋奈は撫で心地が良いんだよな…猫や犬じゃないが、この際顎の裏とかも……)

 

 撫でている内にふっとよぎる、変な欲求。それを特に躊躇いもなく行おうとした俺だったが、その瞬間携帯がメッセージを受信。何だと思って見てみると、送信主は……

 

「…もしかして、依未ちゃん?」

「…そうだが…何で分かったんだ?」

「ちょっとね。…寄り道せず、すぐに行ってあげて。きっと大切な用事だから」

「そ、そうか…じゃあ、行ってくる」

 

 何故かは分からないが、何かを知っている風な緋奈の言葉。その表情は、本当に真剣で…だから俺も気持ちを切り替え、最後にぽんぽんと緋奈の頭を軽く触ってソファから立つ。

 簡素な呼び出しメッセージからは、その内容なんて分からない。けど依未は下らない事で俺を呼んだりしないし、緋奈の言った事もある。だからきっと重要な事なんだろうと思いながら、俺は双統殿へと向かった。

 

 

 

 

「い、いらっしゃい……」

「おう、入るぞ」

 

 言われた通りに真っ直ぐ依未の部屋まで向かった俺は、開けられた扉から部屋の中へ。…今日はいつになく素直に入れてくれるんだな…。

 

「…て、適当に座って……」

「じゃ、そこの棚の上にでも…」

「そ、そういう意味じゃないし…!常識の範囲でだから…!」

 

 探りを入れるようなつもりでボケてみると、返ってきたのは毒なんて殆どない普通の突っ込み。…なんだ…?体調が悪くて呼んだのか…?様子からして、緊急事態って感じでもなさそうだが……。

 

「ほ、ほら…早く座りなさいよ…!…あ、いや…べ、別に立ったままでも良いけど……」

「どっちだよ…てか、俺を呼んだのは……」

「それは今から言うから…!」

 

 どうも落ち着きがないように見える依未。どうしたものかと俺が立ったまま後頭部を掻いていると、依未から感じるそわそわが加速。視線もこっちに合わせてこないし、その様子は緊張しているようにも見える。

 

「…だ、ぁ…その、あれよ……」

「…どれだ…?」

「うっ……だ、だから…ちょ、チョコレート……」

「…チョコレート?」

「……の、賞味期限…そう、賞味期限!さっさと食べないと賞味期限切れそうなチョコがあって、でも今はそういう気分じゃないから、処理を頼もうと思ったの!ほら!」

「え、あ、おぉう……?」

 

 しきりに目を逸らしながら口元をもにょもにょとさせていた依未が、ぼそりと口にしたのはチョコレートという単語。それを俺が聞き返すと、更に依未はもにょもにょとして……かと思えば次の瞬間、今度は打って変わってまくし立てる。

 その流れのまま、ボディーブローでもするのかと言いたくなる勢いで突き出されたのは、どうやら背に隠していたらしい袋。そしてその中に入っているのは…チョコラスク。

 

「……っ…!ぁ、やっ…違っ……」

「ん?違うのか?」

「うぁっ、ち、違わないから!…違わ、ない…し……」

 

 びしりと突き出されたところで、途端に崩れる依未の表情。だがそれもすぐまた変わり、変わったと思ったらまたまた目を逸らし……情緒不安定にも程がある。いやほんと、冗談抜きに心配になるレベルで、今の依未は感情のブレが凄まじい。

 

「…えーと、じゃあまあ…頂くぞ?」

「……どうぞ…」

 

 とはいえそれを指摘したところで、恐らく依未は反発するだけ。ならばと俺は袋を受け取り、リボンを解いて口を開ける。

 中のチョコラスクは、ラスクそのものがチョコ味になっているタイプではなく、ラスクをチョコでコーティングしたタイプ。その内一つを手に取り口に放ると、まずはパリッとした食感が、それからチョコ特有の甘みが口に広がる。

 

「…美味いな。味もだが、コーティングも綺麗に出来てるし」

「そ、そう?それは良かっ……じゃない、それなら作った人も喜ぶでしょうね…。ま、まぁどこの誰かは知らないけど…!」

「そうだな」

 

 素直な感想を口にすると、依未はぷいっと腕を組みつつ顔を逸らす。…だが、俺は見逃さなかった。その直前、依未が安堵と喜びの混じった…さっきの緋奈の様な表情を浮かべた事を。

 それから俺は一気に…じゃないが、中に入っていたチョコラスクを全て食し、依未の言う「作った人」を思い浮かべながら食後の挨拶を一言。…さて、これで依未の用事は済んだ訳だが……

 

「依未、まだ何かあるか?」

「…べ、別に……」

「そうか、じゃあ帰るとするよ」

「…うん……」

 

 俺からの言葉に答える依未は、結局殆どずっと俺から目を逸らしたまま。だがそれだけじゃなく、今の依未はどこか残念そうというか、後悔しているような表情で……だから俺は一度背を向けた後、思い出したように振り向いて言う。

 

「…チョコラスク、作ってくれてありがとな」

「えっ……?」

 

 俺が感謝を伝えた瞬間、目を丸くして固まる依未。その反応は、完全に俺が予想していた通りのもので…つい、俺は笑ってしまう。

 

「あ、なっ…何笑ってんのよ…ッ!」

「すまんすまん。依未って、時々物凄く分かり易くなるよな」

「うぐっ…い、いつから気付いてた訳…?」

「いつからも何も、見るからにラッピングがプロのやった感じじゃないからな。それに…これ、緋奈と一緒にやったろ」

「な、何でそこまで…って、あ……」

 

 決して下手てはないとはいえ、完璧ではないのが逆に「頑張ってやってくれた」感を出しているとはいえ、既製品だと偽るには些か杜撰なラッピング。だが、俺の中で確信を得たのはそこではなく……ラッピングに使われた袋とリボン。

 それは、緋奈がくれたチョコレートと同じ物。緋奈と同じ物を使って、しかもプロがやったようには見えないラッピングの仕方となれば…誰だって分かる。

 

「…じゃ、じゃああんた…まさか、あたしの手作りだって分かった上で……」

「ま、そうなるな」

「〜〜〜〜っっ!…う、うぅぅぅううぅぅ〜…っ!」

 

 状況を理解していくにつれて、赤面度合いが増していく依未の頬。声を震わせながら発された問いに対し、俺がさらりと答えると、そこで依未の羞恥心は限界突破し……うーうー唸りながら、クッションに顔を埋めるばかりの状態になってしまった。…小動物感、すっごいな……。

 

「依未ー、依未さーん?俺はどうしたらいいんですかねー?」

「うっさい!帰ればいいじゃない!或いは笑えばいいじゃない!見抜かれてる事にも気付かず感情を右往左往させてたあたしを、馬鹿な女だとでも思って笑えば──」

「笑わねぇよ。まあ確かに、嘘に関しちゃ雑だと思うが…俺の為に菓子を作って、それをラッピングまでして、こうして渡してくれた依未の事を、馬鹿な女だなんて思う訳がねぇだろ」

 

 ちょっと弄ってみようか、それともこのまま眺めていようか。そんな事を考える中、不意に依未が言った自虐。それは恐らく、感情が先行していて深く考えてなんかいない発言なんだろうが…それでも俺は、本気の意思を込めて否定した。

 理由はどうあれ、渡すまでの経緯はどうあれ、依未は俺の為に作ってくれたんだ。迷いが躊躇いかは分からないが、その感情を右往左往させてたってのも、その思いがきっと大元にはあるんだ。…だったら俺は、それを否定なんかしないし、否定もさせない。俺の事を思ってくれた依未に、そんな悲しい気持ちになんてなってほしくないんだから。

 

「…間違ってたら悪いけどよ、要は恥ずかしかったんだろ?…そんなの普通じゃねぇか、普段はやらない事なんだから。バレンタインに手作りチョコなんて、気合い入ってますって言ってるようなものなんだから。立場が逆なら、俺だって少しは照れるし、誤魔化したりする事も考える。だから…いいんだよ、気にしなくたって。俺以外見ちゃいねぇし…俺は本気で、依未からの気持ちを嬉しく思ってるんだからよ」

「……馬鹿…そんな事言われたって、恥ずかしいものは恥ずかしいし…」

「それは…まぁ、そうか……」

「…けど、そう言ってくれるのは嬉しい…。…ありがと、悠耶……」

 

 顔を埋めたままの依未の隣に座り、依未の頭を軽く撫でる。緋奈とは違う、緋奈よりも少し小さくて、自然と庇護欲を駆り立てられる…幸せにしてやりたいと本気で思う、依未の事を。

 多分、埋めた顔では口を尖らせているんだろう。だが…俺にはちゃんと聞こえた。くぐもってはいたが…思いの籠った、ありがとうという言葉が。

 

(…こういうとこ、ほんと可愛いよな……)

 

 それから黙り込んだ依未の頭を、俺も暫くの間撫で続けた。顔が見えないから、これをどう思ってるから分からないが…静かに撫でられてるって事は、きっと悪しからず思ってくれてるんだろう。

 

 

 

 

 十数分か、数十分か。俺が頭を撫で続けていた依未は、いつの間にか寝てしまっていた。起こすのは悪いと思った俺は、依未にベットから持ってきた毛布を掛け、書き置きを残して部屋から退室。起きるまで待たなかったのは…何せ依未だ。自分が撫でられている内に寝てしまったなんて気付いたら、一体何をしてくるか分からない。であれば依未的にも、俺がいない方が落ち着く事も出来るだろう。

 廊下を通り、エレベーターに乗り、また歩いて双統殿のを出た時、外はもう暗くなっていた。という訳で、今俺はかなり急ぎめに帰宅中。

 

(やっちまったなぁ…夕飯全然支度してねぇ……)

 

 場合によっちゃ、帰りにスーパーに寄って惣菜か何かを買う方が良いかもしれない。そう考えてながら俺は家周辺の住宅街まで辿り着き…そこで、後ろから声をかけられる。

 

「あれ?悠耶?」

「んぁ?…妃乃か…」

 

 振り向いた先にいたのは、まだブレザー姿の妃乃。…って事は、妃乃も今帰るところなのか…。

 

「…珍しいな。学校で何かしてたのか?」

「ちょっとね。悠耶こそどうしたの?手ぶらって事は、買い物帰りじゃないんでしょ?」

「こっちもちょっと、依未の所にな」

「へぇ…そう、そうなのね」

 

 返ってきた質問に俺が答えると、何やら妃乃はちょっと笑って訳知り顔に。…どゆ事?

 

「あー…それとすまん、今日は夕飯作るの今からなんだ。どうする?スーパーで何か買ってくか?」

「別に遅くなっても構わないわよ。緋奈ちゃんも同じ気持ちだろうし」

「そうか?なら良いんだが……」

 

 そんなやり取りをしながら、家へと向かって俺達は歩く。何の変哲も無い、同じ家に住んでいる者なら普通の会話で……けれどなんだろうか。段々家が近くなるにつれて、妃乃はそわそわとし始める。…あ、これはまさか……

 

「…妃乃、一人で先に帰っても良いぞ」

「え?な、なんでよ…」

「何でって…俺だってそれ位のデリカシーはあるさ。やっぱ、外歩いてると身体が冷えちまうもんな」

「…デリカシー?身体が冷える?貴方、何を言って……って、は、はぁぁッ!?ちょっ、な、何を勘違いしてる訳!?違うわよ、別に催してなんかないわよ馬鹿ッ!」

「えぇぇ!?だ、だって妃乃、さっきからそわそわしてたし……」

 

 俺としては気を遣ったつもりが、結果は何故かキレられる流れに。ボケに対してこういう反応をしてくる事は時々あるし、特に下世話な冗談だった場合は基本こういう憤慨が返ってくる訳だが…今回はほんとにふざける気持ちなんか微塵な訳で、そのまま軽く気圧される俺。一方の妃乃もそう思った理由を聞くと、はっとした顔をした後何とも言えない表情を浮かべて後頭部を掻く。

 

「あー…それは、その……」

「……やっぱり本当は催してて…」

「だからそうじゃないっての!あー、もう!なんで気を伺ってるところで貴方はそういう事言うのかしらね!」

「よく分からないが物凄く理不尽じゃね!?いやほんとよく分からんが、なんで俺文句言われてんの!?」

「五月蝿い五月蝿い、はぁ……っていうかそもそも、相手は悠耶よ…?あの、単なる悠耶なのよ…?それをなんで私は、気を見計らうなんて事を……」

「えーっと…何故にさっきから、妙に一言一言が酷い訳…?妃乃、もしや俺に対して滅茶苦茶怒ってる…?」

「違うから…なんかもう馬鹿らしくなってきたし、ここで良いや…止まって頂戴」

 

 訳が分からな過ぎて変な汗が出てきそうになる中、げんなり顔で妃乃は止まるよう言ってくる。

 それがまた、よく分からない。もう家は目前だってのに、何故ここで止まるのか。止まってそれでどうするのか。俺がそう困惑し、けれど言われた通りに止まると、妃乃はある物を鞄から取り出して…言った。

 

「…はい。今年は色々あって、普段より多く作ったから…貴方にも、一つあげる」

 

 その言葉と共に渡されたのは、リボンで巻かれた赤い小箱。視線で開けても良いと示された俺が、リボンを解いて蓋を開けると、その中に入っていたのは一口ショコラ。

 

「…これは……」

「そうよ、バレンタインのチョコ。…い、言っとくけど他の人にも渡してるから。貴方の為だけに作ったんじゃないんだからね?」

「…って事は、一応作る時点で俺にもくれようとしてたのか?」

「あ……あ、揚げ足取らなくていいから!い、今のは言葉の綾よ言葉の綾!」

「そ、そっすか…ここで食べても?」

「…まぁ、良いけど……」

 

 綺麗に並べられたショコラの横には、プラの小さな二股フォーク。食べる段階の事まで考えてる辺り、本当に妃乃は几帳面というか気が回るというか、それもあって俺は外ながらもここで食べてみようという気分に。

 妃乃からの了承を受けた俺は、フォークでショコラの一つを指して、それを箱から口の中へ。入れた途端にじんわりと甘さが広がり、一口噛めばその甘さは更に広がり、けれどその甘さは決してしつこくない。食感自体も、ふんわりとしていて心地が良く……

 

「…美味しい。凄く、美味しいよ」

「…そう?そう思ってくれたのなら…ちょっと、安心したわ…」

 

 率直な感想を口にしながら、自然と俺は二つ、三つと食べていた。

 無論、緋奈や依未が作ってくれた物も美味しかった。けれどやはり経験の差か、総合的な美味しさで言えばこのショコラが一番上。この数時間足らずで三種類も食べているのに、まるで飽きたと思わないのもその証左だろう。

 

「ふぅ……って、もうないのか…」

「ぱくぱく食べてたわね…悠耶、甘いの好きだっけ?」

「いや、人並みには好きだが特別好きって訳じゃねぇよ。ただ…これが、気に入っただけだ」

「う…そう言われると、ちょっとむず痒いわね…」

 

 そうして気付けば俺は完食。寒いし一つか二つ食べて残りは家で…と思っていたのに、一つ残らず食べてしまった。

 それはつまり、それだけ美味しかったって事。それと…もしかしたら、妃乃は俺の味の好みをある程度分かっていたのかもしれない。分かってて言わないのか、それとも無意識的に理解はしてるってだけなのかまでは、流石に判別が付かないが。

 

「ま、とにかくご馳走様。ありがとうな。こんな美味しいショコラを作ってくれて」

「えぇ、お粗末様。私も喜んでくれて良かったわ。…け、けどほんとこれは皆にもあげてるものだから!悠耶だけが特別って訳じゃないんだからね!」

「わ、分かってるって……っと、そうだ妃乃。少しいいか?」

「へ?何よ、まだ何か言いたい事が……」

 

 くれた事、美味しかった事、その両方への感謝を乗せて、俺は妃乃へありがとうを伝える。するとそれを聞いた妃乃は、感謝自体は素直に受け止めながらも、再三の如く他の人にも渡してるって事を強調してくる。…案を売る為「貴方だけに」って言うならともかく、何故その逆をこんなにも強調するのだろうか…。

 なんて事も思いながら、俺は緋奈や依未と同様妃乃の頭も優しく撫でて……

 

「なっ…なぁぁ……ッ!?」

「あっ……」

 

…って、何やってんだ俺ぇぇぇぇええええッ!?な、何してんの!?何緋奈や依未と同じ流れで、妃乃の頭まで撫でちゃってんのぉおおおおおおッ!?

 

「あ、あなっ、貴方…わ、私の頭…撫でて……」

「あああすまん!いやっ、これはその、他意があった訳じゃないんだ!ただほんと、ついやっちまったっていうか、そういう流れがあっただけで……ッ!」

「……な…撫でる、なら…先にそう、言いなさいよ…」

「…………へっ…?」

「…ぅ、え…?……あ、ああああぁぁッ!!?」

 

 あまりにもアウト過ぎる、自分で自分が信じられない程の行為に、ぶわっと全身から汗が出てくるのを感じながら必死に弁明を図る俺。だがそんな程度で何とかなる訳がなく、顔を真っ赤に染めた妃乃は唇を震わせ……されどその口から発されたのは、これまた思いもしなかった言葉。その暴言でも非難でもない、消極的ながらも今の俺の行いを肯定するかのような言葉に、今度は俺が固まって……次の瞬間、間近で響く妃乃の困惑したかのような絶叫。

 油断から妃乃の頭を撫でてしまった俺と、それを肯定してしまった妃乃。互いに恥ずかしい、互いにパニクってしまって仕方がない中、心臓の鼓動ばかりがひたすら早くなっていき……そこから先はもう、どう言っていいのか分からないような惨事だった。妃乃への感謝、こうして妃乃もチョコレートを送ってくれたんだという嬉しさなんて、俺の頭からは吹っ飛んでいて、俺も妃乃もまともな思考力なんてこれっぽっちも頭に残っていないのだった。…いやぁ、全く…全然寒くないなーっ!さっきまで寒かったのに、今は滅茶苦茶暑いなー!特に頬の辺りは最早燃えてるんじゃないかと思う程だなー!ほんと、なんでだろうなぁああああぁぁぁぁッ!

 

 

…………はぁ…。



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第百七十二話 伝わる思い

 漫画やアニメじゃ、よく「記念日を忘れてるキャラ」が出てくる。誕生日であったり、クリスマスであったり、とにかくそういう日の事を忘れてて、誰かに言われてから「あ、今日はそうだったか…」なんて反応を見せるシーンを、大概の人は一度は見た事があるんじゃないだろうか。

 それに関して、俺はこう思う。「え、忘れる…?」と。例えば誰にも会わず、テレビやネットも見ず、家の中一人で代わり映えのない日々を送ってて日付けの感覚がなくなってるとか、そもそも全く記念日に興味がないとかなら分かるけど、そうじゃなきゃどっかしらで「あぁ、もうすぐあの日か」ってなるだろうと。仮に当日忘れていたとしても、それはある種のど忘れであって、「あ、そうだ!そうだった!」…って反応になるのが普通なんじゃないだろうかと。…まぁ、絶対そうだとまでは言わないけど…やはり、忘れているのには違和感がある。

 そして、そんな事を思う俺は基本的に記念日を忘れない。忘れないっていうか、その日が近付いてくれば自然と「おー、もうすぐか」と思う。だから…忘れてなんかない俺は、ちょっと期待してしまうのだ。ある記念日である、今日に対して。

 

「冬の空気ってさ、なんか澄んでる感じあるよねぇ」

「あるっすねぇ」

 

 下校の最中、少し空を見上げながら言った一言。特に意味のない、単なる感想。だからそれに答える慧瑠の言葉も、至ってシンプル。

 

「特に夜とか明け方は、ほんと澄んでる感凄いっていうか…ま、だからなんだって話だけど」

「そっすか。ところで先輩、さっき何か貰ってましたね。密売っすか?」

「なんでそうなる…チョコだよチョコ。バレンタインデーだからね」

「あー…なんか、そういう行事もありましたね……」

 

 雑に俺が話を締めると、思い出したように慧瑠は学校でのある場面の事を口にする。

 今慧瑠が言った通り、俺は学校で何個かチョコレートを貰っている。と言ってもそれは所謂友チョコ…というか、「あ、これあげるよ」位の感覚で貰った、箱や袋の中に幾つも入ってる既製品の一つな訳だけど…それでも嬉しい。そりゃ嬉しいさ、曲がりなりにも女の子から貰ってるんだから。…いや勿論、男から貰えてもそれはそれで嬉しいけど。

 とかなんとか思っていたら、慧瑠は興味の無さそうな言葉を口にする。…おおぅ、まさかこんな身近に「記念日を忘れてる(魔)人」がいたとは……。

 

「…慧瑠は、割とどうでも良い感じ?」

「どうでも良いというか…自分に縁、あると思います?」

「あぁ……」

 

 肩を竦めてそう答える慧瑠に、俺は一瞬で納得。確かに今の状態になる前から俺以外とは殆ど接する事はなく、そもそも霊力を得る事以外で人と関わる事を避けてきた慧瑠が、相手がいなきゃ成り立たないこのイベントに興味を持つ筈がない。っていうか慧瑠は魔人なんだから、俺の考える「記念日を忘れてるキャラ」と同列に語る事自体が大間違いだ。

 

「そういう事っす。あ、でもお菓子には興味あるっすよ?甘いものは美味しいですからねー」

「はいはい。じゃあ夏に買って以降何故か食べず今や冷蔵庫の肥やしになってるカップアイスを一つあげるよ」

「いやそれ処理を自分に頼んでるだけじゃないっすか…まあ貰いますけど。こたつの中で食べると中々贅沢な気もしますし」

 

 バレンタインにしろ何にしろそれは人のイベントであり、魔人の慧瑠からすれば興味だの何だの以前の話なのかもしれない。そう考えるとほんの少し寂しいというか悲しいけれど、それを慧瑠自身は気にしていないというのがせめてもの救い。だから俺も、遠回しにお菓子が欲しいとアピールしてくる慧瑠に冗談混じりの答えを返し……って、人の普通の尺度じゃ測れないと思いきや、慧瑠はこたつアイスの良さが分かるのか…。

 

(…でも、クリスマスパーティーは多少なりとも楽しんでくれたと思うし、これまでは縁がなかった事でも、これからはきっと違うよね)

 

 人と魔人じゃ色々違う。けれど同じところだってあるし、何よりこうして一緒に暮らせている。ならば、それを俺が悲観する必要なんてどこにもない。…何気ない会話を続けながら、俺は心の中で確かにそう思っていた。

 

 

 

 

 学校を出てから数十分。家に着いた俺は、もうすぐ温かい室内だという思いから小走りになりつつ、敷地に入って玄関を開ける。

 

「ただいまー、っと」

 

 中に入り、靴を脱いで、手洗いうがいをしてリビングへ。いつもの流れは今日も変わる事はなく、リビングに入ってほっと一息。

 

「ふー…温かい……」

「お帰り、顕人」

「今日もお疲れ様です。お茶飲みます?」

 

 リビングでは本日もロサイアーズ姉妹がこたつに入っており、どうやら今はドラマの再放送を見ていた様子。…あ、この作品再放送やってたんだ…。

 

「ありがと、頂くよ(…考えてみれば…いいや考えるまでもなく、この家で男は俺一人なんだよな。うん、他は全員女の子だ、間違いなくそうだ)」

 

 フォリンさんにお茶を頼んだ俺は、着替える為に一度自室へ。

 その道中、やはり考えるのは例の事。ぶっちゃけ男女比なんて関係ないだろうし、魔人にも人と同じように男女って区別があるのかは謎だけど…それを差し引いても、俺には十分可能性があるのではないだろうか。自意識過剰感もあるが、少なくとも俺は皆の事をただの同居人だとは思っていないし、皆もそうであってほしい。

 それにこのご時世じゃ、義理は勿論友チョコという便利なくくりだってある。そこまで踏まえれば、全員からとまでは言わずとも、誰か一人は…一人位は……

 

(…って、それを期待出来るような面子じゃなかったぁぁぁぁ……)

「…顕人?」

 

 再びリビングへと入った瞬間、悲し過ぎる推測に至って崩れ落ちる俺。ラフィーネさんから見下ろされる形となっているが、俺の心は今それを気にしていられるような状態じゃない。

 

「え、えーと…どうか、しました…?」

「相性が…イベントと面子の相性が悪過ぎる……」

『相性……?』

 

 上から聞こえてくる声からして、きっと今二人は小首を傾げているんだろう。でも、それを見ようと思う心境でもない。

 普段は意識する事もないから忘れていたけど、元々日本のバレンタインは日本独自の要素が強い。ずっと日本にいる人同士なら、そんなの「だから何?」で終わる事だけど、ロサイアーズ姉妹はイギリス人。しかも色んな国へ任務で行っていたという経歴の持ち主なんだから、日本のバレンタインなんて現地の風習の一つ位にしか思っていなくても何もおかしくない。しかも日本一年目な以上、当然バレンタインの経験自体ある筈がない。…そんな二人に、何を期待出来ようか。……勿論、二人に非なんて微塵もないけど。

 

「…………」

「……?ほんとにどうしたんっすか?」

 

 ちらりと視線を横に向ければ、そこには不思議そうにこっちを見ている慧瑠の姿。慧瑠に関しては、最早論ずるまでもない。何せ、そこら辺はさっき明らかになったんだから。

 そして最後の一人、日本生まれ日本育ちで、各種イベント…というか面白そうな事は全般的に大好きな綾袮さんは……いや、もうよそう…これ以上傷を広げたって辛いだけさ…。

 

「は、はは…お茶が上手いなぁ……」

「そ、そうですか…それは良かったです…」

 

 儚くも崩れ去った期待が、心の中に吹く木枯らしによって消えていくのを感じながら、俺はよろよろと立ち上がってお茶を口に。

 熱めのお茶の、じんわりとした苦味。それは今の俺の心を表しているようで、自然と浮かぶのは自嘲的な笑み。…あぁ、そうだ…別に良いじゃないか俺…。仮に今日のイベントとは無縁でも、こうしてお茶を淹れてくれる女の子がいるんだから…前は、ご飯を用意してくれた事もあったんだから…それにそもそも、毎日が充実している事を考えれば、悲しむ事なんて何にも……

 

「…顕人、顕人」

「うん…何かなラフィーネさん…」

「バレンタインチョコレート、あげる」

「そっか…ありがとうラフィーネさ……ぶふぅぅッ!?」

『……!?』

 

……俺はお茶を吹き出しかけた。いや、多分数滴は口から出た。あまりの驚きに、不意打ちにも程がある衝撃に、ギャグ漫画みたいな反応をしてしまった。

 

「げほッ、げほげほッ!ぁ、うぇっ…ば、バレンタイン…?」

「あ、顕人大丈夫…?…フォリン、まさか毒を……」

「し、してませんしてません!私は普通にお茶を淹れただけですよ!?」

「ご、ごめん二人共…大丈夫、今のはむせただけだから……」

 

 俺がびっくり仰天する中、むせた事に驚いた二人は…というかラフィーネさんは、何やら凄い勘違いを口に。フォリンさんもフォリンさんで慌てていて、リビングの中は軽くカオス。俺がなんて事ない姿を見せた事で誤解は解けたけど…あっぶな、危うくとんでもない話になるところだった…。…後、ちょっとお茶が鼻に入った…痛い…。

 

「そ、それなら安心しました…その、熱過ぎましたか…?それとも、お茶っぱが多過ぎでしたか…?」

「ううん、今のはお茶云々じゃなくて、飲んでる最中に驚いただけだから、フォリンさんは何も悪くないよ。だから気にしないで」

 

 安堵の表情を浮かべながらも、見るからに自責の念を抱いているフォリンさんの目を見て、俺はそんな事はないと否定。それで今度こそ本当にフォリンさんが安心してくれたのを確認し…視線をラフィーネさんの方へ。

 

「…で、だけど…ラフィーネさん、さっき…チョコレートくれる、って言った…?」

「ううん、言ってない」

「へ…?あ、あれ?じゃあ、聞き違い…?」

「うん。わたしはチョコレートあげるって言った」

「あぁ…そういう事ね……」

 

 訊き方が悪かった(ラフィーネさんじゃなきゃ伝わってた気もするけど…)せいで一瞬落ち込みかけるも、やっぱり俺がさっき耳にした事は聞き違いなんかじゃないらしい。

 嬉しい。そりゃあ嬉しい。一度諦めてたから、余計に嬉しい。…けれど今、その嬉しさに勝っているのは驚きの感情。

 

「…どうして…?」

「バレンタインデーだから」

「そ、そうじゃなくてね…ラフィーネさん、日本のバレンタインについて知ってたの…?」

「ん、ちょっと前にテレビで特集をやってた。で、気になって調べた」

 

 日本のバレンタインについて、一番知らなそうなラフィーネさんが、まさか知っていたなんて。そう思っていた俺だけど、言われてみれば確かに文明の利器であるTVを二人はよく見ているし、こういうイベントは大概近くなれば何かしらの番組で取り上げる。であれば、ラフィーネさん…それにフォリンさんが知っていても、何もおかしな事はない。

 

「そうだったんだ…えっと、その……」

「ふふっ…駄目ですよラフィーネ。物もなしにそれだけ言っても、顕人さんも返す言葉に困ってしまいますよ?」

「…確かに。ちょっと待ってて」

 

 くれるのであれば、返す言葉はありがとう一択。でもまだ俺は渡されていない訳で、この時点で言っていいものかちょっと迷い…それを察したフォリンさんからの言葉を聞いて、ラフィーネさんはキッチンへ。軽快に入っていったかと思うと、冷蔵庫を開け……中からある物、それにスプーンを持って帰ってくる。

 

「…これは……」

「チョコゼリー。わたしの自信作」

 

 すっと俺の前に差し出されたのは、ガラスのコップを容器に使ったチョコレートゼリー。俺が受け取ると、ラフィーネさんは決して起伏が激しい訳ではない胸をふんすと張って…このゼリーとは全く関係ないけれども、ラフィーネさんのこういう姿はいつも可愛い。

 

「…食べてみていい?」

「勿論」

 

 こくりと首肯を返された俺は、出入り口前から食卓の椅子へと移動。湯呑みを置き、空いた手でコップの縁に置いておいたスプーンを持ち、それをゼリーの中へと差し込む。

 程良い弾力を見せながらも、スプーンの侵入を受け入れるゼリー。そして俺は一口分掬い、持ち上げて…口の中へ。

 

「…どう?」

「…うん、美味しい。甘いけどゼリーだから全然くどくないし、これはどんどん食べられる美味しさだね」

 

 広がっていく爽やかな甘さを感じながら、問いに対して俺は回答。

 こうしてバレンタインチョコを用意してくれただけでも、凄く嬉しい。手作りだから、尚更嬉しい。けれど、今の感想に対してそれは一切関係ない。そう思える位には…本当に、このチョコゼリーは美味しかった。

 

「それは良かった。…うん、良かった…」

「…ありがとね、ラフィーネさん」

「ううん、お礼は不要。顕人が喜んでくれたなら、わたしも嬉しい」

 

 あげる側からすれば少なからずドキドキしそうなものだけど、ラフィーネさんの表情は今日も希薄。…そう、一瞬思った俺だけど…一拍置いてラフィーネさんが浮かべたのは、小さく笑った穏やかな顔。それはいつもの、普段の表情を知っていないと変化が分からない…なんて微細なレベルじゃない、きっと誰が見ても分かるはっきりとした笑みで……気付けば俺は、お礼の言葉を口にしていた。言おうと思った訳じゃなく、自然にありがとねと言っていた。

 

「…これさ、一人で作ったの?」

「違う。フォリンと一緒に作った」

「という事は…二人で?」

「あぁいえ、私とラフィーネでそれぞれ別の物を作ったという事です。…顕人さん、まだ食べられますよね?」

「…って、事は……」

「はい。顕人さん…私からのチョコレートも、受け取ってくれますか…?」

 

 一口、また一口と食を進めながら、何気なく俺は質問。するとその途中、訂正という形でフォリンさんもやり取りに入ってきて…そこで含みのある確認を口に。

 この流れは、もしかして…そう思いながら、軽く頷きを返した俺。返事を受けるとフォリンさんは先程のラフィーネさんのようにキッチンへ向かい……戻ってきた時、その手にあったのは細長いお皿と、そこへそれぞれが半分重なった状態で並べられた焦げ茶色のドーナツ。それからほんのりと漂ってくるのは…チョコの匂い。

 

「…頂くね、フォリンさん」

「えぇ、どうぞ」

 

 一つを手に取り、一口食べてもぐもぐと咀嚼。ふんわりとした食感を持つドーナツは、ラフィーネさんのチョコゼリーに比べると印象の強い甘さがあり、だけどそれが逆に食欲をそそる。

 二口、三口と口に運び、残りは一気に口内へ放る。ごくりと飲み込み、普段の調子で指を舐めかけて…それを回避した俺は、フォリンさんの方を見て言う。

 

「これも美味しい。俺、ドーナツは表面がサクサクしてる方が好きなんだけど…正にこの位なんだよ。俺が一番好きなのは」

「そ、そうですか?…サクサクにしたのは、特別な理由があるからではないですが…良かったです、顕人さんの好みに沿う事が出来て……」

「…もう一つ、貰ってもいい?」

「ふふっ、勿論です」

 

 俺はドーナツの好みについて話した覚えはないし、このベストマッチは完全に偶然。それに内心驚きながら喜びを交えて伝えると、フォリンさんも目を丸くして…それから浮かべる、ラフィーネさんと同じ笑み。ラフィーネさんの時もフォリンさんの時も、その穏やかな笑みを見ているとむしろこっちが嬉しくなるというか、その笑みに対して「ありがとう」と言いたくなって……

 

「…期待、していてくれていいからね?」

「期待…ですか?」

「ホワイトデーのお返しだよ。二人共、こんなに美味しいゼリーとドーナツを作ってくれたんだもん、それに応えない訳にはいかないよ」

「顕人……その言葉を、待っていた」

「はは、ラフィーネさんらしいや」

 

 当然それは、まだ一ヶ月先の事。でも俺は、心に決めた。ホワイトデーには、目一杯の気持ちを込めてお返しのお菓子を渡そうと。

 

「さて、と……」

「…どこか行くの?」

「いやほら、ドーナツで手…っていうか、指がべとべとしてるからね。うっかり何か触っちゃう前に洗わないと」

「…そういう事でしたら……顕人さん、その手をこちらに差し出してもらえませんか?」

「うん?良いけど、それが何か……」

 

 呼び止められた俺が振り向きつつ答えると、ちらりとラフィーネさんの方を見てからまた俺に向き直るフォリンさん。何だろうと思いながらも、言われた通りに差し出す俺。すると二人は、ふっ…と顔を近付けてきて……

 

「んなぁぁ……っ!?」

 

 次の瞬間、ラフィーネさんは親指を、フォリンさんは人差し指を…差し出した俺の指を、二人同時に舐め咥えた。

 ちゅぷり、と二人の冬でも潤いを一切失っていない二人の唇が俺の指を捕らえ、途端に感じる生温かさ。口内の濡れた感覚が一気に俺の指を包み…更にそんな中で、殆ど同時に舌で指を舐められる。

 つるりと滑らかな部分。ほんのりとざらついた部分。巻き付くように動く舌の触感が鮮明に伝わってきて、遅れて指を舐められている、しゃぶられたまま指を舌で好きなようにされているという官能的な事実が俺の意識と心を焦がす。…あ、あぁ…ヤバい、エロいエロいエロいエロいっ!!

 

「…ん、むっ…はふぅ……」

「ちゅ、ぷっ…ふふっ……」

「なっ、なな……っ!」

 

 舐められているというシチュエーション、感じる口内の熱とうねり、上目遣いで俺を見つめる二人の瞳。それだけで俺の頭は飽和状態、まともな言葉なんか出てこない程パンクしていたのに、吐息を漏らしながら唇を離した二人の口と、俺の指との間に出来た、二つの唾液の橋が更に俺を混乱させる。

 その橋が途切れた時、熱を持った吐息と共に堪能したとばかりの表情を浮かべるラフィーネさんと、唇の端に人差し指を当てて蠱惑的に笑うフォリンさん。二人の表情が、仕草が醸し出すのは刺激的過ぎる程に扇情的な雰囲気で……

 

「…ご馳走、様」

「美味しかったですよ、顕人さん」

 

 もしも視界の端に、にまにましながら眺めている慧瑠の姿が映っていなかったら、何かとんでもない事をしでかしていたかもしれない。……ちょっぴりだけど、割と本気でそう思った俺だった。

 

 

 

 

 夜。いつものように食器を洗っていた俺は、いつもとは違うある事に気付いた。

 

(……うん?)

 

 食器を洗い、それを水切り台に置く最中、俺が感じたのは視線。ふと視線を上げると、こちらを見ていた綾袮さんと目が合って…けれど一秒と経たずに、慌てて綾袮さんは目を逸らす。

 

「…顕人さん?どうかしました?」

「あぁ、いや…何でもないよ」

「…もしかして、さっきの事を思い出してました?」

「ち、違うっての…てか、ほんと二人はどこからそういう知識を得てくるんだ……」

「……聞きたいですか?」

「…止めとくよ」

 

 拭いてくれているフォリンさんからの言葉に声を返しつつ、俺も再び手を動かす。

 知識に関して訊かなかったのは、またからかわれそうだから…というのもあるにはあるけど、一番の理由はそれじゃない。一番の理由は、フォリンさんの声音に暗い何かを感じたから。

 俺は思い出す。夏休みのあの日、フォリンさんに迫られた事を。フォリンさんは…いや、恐らくはラフィーネさんも、所謂「そういう技術」を教えられているんだ。それがどこまでのものなのかは知らないけど…そんな話を、フォリンさんがしたい訳がないし、ならば俺も訊きはしない。

 

「これでよし、と。お疲れ様、後は俺が拭くよ」

「そうですか?では、私はお先にお風呂を頂きますね」

 

 それから俺はフォリンさんを見送り、手早く残りの食器も拭き終え、夕飯に纏わる片付けも終了。

…と、そこで再び俺は感じる。綾袮さんからの、不思議な視線を。

 

(…うー、ん……)

 

 意図の読めないその視線は、夕飯前も、夕飯の間も何度かあった。もっと言えば、いつもより帰りの遅かった綾袮さんは、帰ってきてからずっと何か様子が変で……流石に何でもないって事はないだろうと思った俺は、ソファに座る綾袮さんの方へ。

 

「…綾袮さん」

「へ?あ、ど、どうかした?」

「…俺に、何か話しがあるの?」

「…どうして…?」

「うーん…何となく、かな」

 

 動揺を見せる綾袮さんに対し、敢えて俺はふわっと返答。勿論本当は、視線が気になったからだけど…そうは言わない。

 

「そ、そっか…ううん、別にないよ…?」

「そう?だったら良いけど…本当に?ほんとに、何もない?」

「う、うん」

 

 念押しするように訊いてみると、若干の躊躇いを見せながらも綾袮さんは首肯。反応を見る限り、何かしらはありそうだけど…それを見抜く程の読心術は俺にはない。それに、無理に聞き出すのはきっと綾袮さんも喜ばないだろうし…どうしたものか……。

 

「え、っと…あ、そ、そうだ!図書館で借りた本、もうすぐ期限だから読まないと…!」

「…綾袮さん、図書館で本借りたりするんだ…」

「失礼な、私だって借りる時位あるよ…5強が仲間になる位の確率で……」

「256分の1の確率で!?低っ!ひっく!っていうか、本を借りる確率ってどういう事!?」

「うっ…い、良いじゃん別に。とにかくわたしはそれ読むから、この話はこれでお終……あ"っ」

「へ?な、何今の大きなミスに気付いたような声は……」

「な、何でもない何でもない!ほんと何でも……」

 

 謎の発言をしたかと思えば話を切り上げようとし、かと思えばこたつの上に置きっ放しだった鞄から本を出しかけて固まり、今度は鞄諸共慌てて抱えるという、本当に何なのかよく分からない行為を続ける綾袮さん。どうして良いか分からず俺が困惑を深める中、本を隠すようにして立ち上がった綾袮さんはそのまま出ていこうとし……次の瞬間、ぽとりとカーペットに何かが落ちる。

 

「……?綾袮さん、落とし物…って……」

「……!?あ、顕人君!それは……ッ!」

 

 他の人がどうかは知らないけど、俺は人が何か落としたら、取り敢えず拾おうとするタイプ。だから特に何か考えるでもなく、いつもの調子でその落ちた物を拾おうとして……気付いた。それが、半透明の袋に入ったクッキーである事に。

 

「…これ、って……」

「…う、うぅ…そうだよ…最初は顕人君にあげるつもりだった、チョコクッキーだよ……」

「そ…そう、なんだ……(え、俺になの…?そこまで俺、気付いてなかったよ……?)」

 

 これは不味かったかもしれない。直感的にそう感じつつも俺が拾い上げると、綾袮さんは恥ずかしそうに顔を赤らめ、肩を落としてそう呟く。

 よく見れば、綾袮さんが抱えているのはお菓子作りの本。…もしや、今日帰ってくるのが遅かったのって……。

 

「…えぇ、っと…ありがとう、綾袮さん。食べても、いいかな…?」

「……駄目…」

「え、駄目…?」

「うん、駄目…それ、失敗作だから…妃乃にも手伝ってもらって、何とか形はそれっぽくなったけど…それでも、普段からちゃんと料理してる顕人君からすれば、きっと笑っちゃうような出来だから……」

 

 本人が出すより先に気付くなんて、台無しも良いところ。事故とはいえそれをしてしまった俺は申し訳なく思いつつも、ならばせめてとこの場で食べ、感想を言う事で少しでもリカバリーする事を考えた。

 けれど、返ってきたのは駄目という言葉。俺が驚いて訊き返すと、綾袮さんは悲しそうに…珍しく元気のない声音で、駄目な理由をぽつぽつと言う。

 

「…綾袮さん……」

「あはは…ごめんね、ぬか喜びさせちゃって…。でもまぁ、そうだよね…理由はどうあれ、普段はやりもしない事を当日の一発勝負で成功させようなんて、虫がいいにも程があるもんね…」

「…………」

「だから、その…これは忘れてくれると嬉しいかな…。代わりに何かあげるし、お返しは良いから、取り敢えずそれでこの件は……」

 

 本当に悲しそうな、しょんぼりとした綾袮さんの顔。不甲斐ない自分を恥じるような、普段とはかけ離れた今の綾袮さん。

 気持ちは分かる。俺だって、失敗したと思った料理を人に出すのは気が引けるから。それが練習不足によるものなら、考えの甘い自分が情けなくなるから。…だけど、それ以上に俺は嫌だった。今の綾袮さんが。綾袮さんが、あんな悲しそうな顔をするのが。だから俺は、袋に入ったクッキーを見つめて…告げる。

 

「…綾袮さん。これ…貰うから」

「え、え……?」

 

 許可は取らず、断りだけを入れて俺は袋の口を開く。困惑する綾袮さんの前で中のチョコクッキーを一つ摘み、それを袋の外へと出す。そしてそのまま、俺はそれを口の中へ。

 

「あ、ちょっ…駄目だって!失敗だから!無理して食べなくてもいいから!」

 

 食べるのを見た綾袮さんはわたわたと俺を止めようとするけど、既にクッキーは口の中。俺は咀嚼し、味と食感を感じ、しっかりと噛み砕いた後に飲み込む。

 喉を落ちていく、咀嚼された後のクッキー。フリとかじゃなく、本当に俺は食べて飲み込んで……

 

「……美味い…」

「…良いって…わたしの為に食べてくれたのは嬉しいけど、そんな事……」

「いや、本当に美味しいんだって。綾袮さん、これ味見した?」

「うぇ…?…してない……」

「なら食べてみてよ、っていうか味見はしなきゃ駄目だって…」

 

 そう言って俺は、袋のクッキーを綾袮さんの方へ。それで単なる世辞ではないと分かってくれたのか、綾袮さんも自分のクッキーを一枚口に運んでくれて……次の瞬間、驚きに染まる綾袮さんの表情。

 

「…ほんとだ、美味しい…味も食感もお菓子としては微妙だけど…全然不味くない……!」

「でしょ?いやほんと、クッキー感はないけど…最初からそういう食べ物だと思えばいけるって!」

 

 確かにクッキーにしては柔らかいし、見た目も「あ、あれ?生焼け…?」って思う色だし、味なんてチョコ入れてるらしいのにあんまり甘くないという、何とも突っ込み所のあるクッキーだけど…本当に、美味しいか不味いかで言えば美味しい。少なくとも、無理しなきゃ食べられないようなものじゃない。

 だから俺は、躊躇う事なく二つ目も口に。一つ目より強い味に「あ、これは偏ってるな…」と思いつつも食べ進め、あっという間に残りは一つ。そして綾袮さんが俺を見つめる中、その最後の一つも口に運び…俺は綾袮さんからのチョコクッキーを、綾袮さんが食べた一枚を除いて全て食べ切る。

 

「ふぅ…ご馳走様。確かに色々荒くはあるけど…全部、美味しく食べられたよ」

「…顕人、君…でも、どうして…?どうして、そこまでわたしに気を遣ってくれたの…?」

「そこまで、って程じゃないけどね。…なら、逆に俺も訊くけど…綾袮さんは、どうして俺に作ってくれたの?」

「それは……その…いつも頑張ってる顕人君に、ご褒美ー…っていうか…あげたら、喜ぶかな…って…」

「…そっか…やっぱり、そういう優しい理由だったんだね」

 

 俺が完食した事で、一度は緩んだ綾袮さんの表情。けどまた申し訳なさそうな顔になって、その顔で綾袮さんは訊いてくる。どうして食べてくれたの、と。

 そうした理由は、最初から決まってる。でもその前に、綾袮さんの気持ちを聞いておきたくて…それを聞かせてもらった俺は、言葉を続ける。

 

「…だからだよ、綾袮さん。綾袮さんは、きっとそういう理由で…俺の為を思って作ってくれたんだろうなって思ったから、俺も食べたんだよ。その思いに応えたくて、そう思ってくれた綾袮さんに悲しい顔なんてしてほしくなくて」

「…美味しかったのは、結果論だよ…?本当に不味かったかもしれないんだよ…?」

「その時はその時だよ。まあでも、不味かったとしても俺が言う事は変わらないよ。…本当にありがとう、綾袮さん。俺、綾袮さんがくれて嬉しかった」

「……っ…え、えへへ…そっか、そうだよね…顕人君は、そういう人だったもんね…。ふふっ、それなら…いつもみたいに、普通に渡してた方が良かったかなぁ…♪」

 

 そう。美味しくても不味くても、俺が一番伝えたい気持ちは変わらない。作ってくれた事、俺を思ってくれた事、それが何より嬉しいんだから。

 我ながら、ちょっと格好付けた事をしてしまった気がする。相手によっては、気取ってるなんて思われてしまうかもしれない。けれど綾袮さんは、俺が気持ちを伝えたかった相手は、俺の言葉で漸くふっと笑ってくれて……この時の、喜びの中に安堵とちょっとばかりの自嘲が混じったような、枯れかけていた花が再び元気を取り戻したかのような綾袮さんの笑顔は、凄く凄く可愛かった。



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第百七十三話 示された提案

 自分の事、緋奈の事、今の俺が大切だと思う人達の事…再びの始まりとなってから色々経験して、俺の中での思いも少しずつ変わっていって、必要な時に必要なだけの強さがなくて、そのせいで後悔するような事になるのは嫌だという自分の気持ちに気付いてから、俺は鍛錬をするようになった。普段の日課となっている筋トレではない、霊装者としての鍛錬を、昔の様に再び始める事にした。

 

「今日は、どうすっかな…っと」

 

 双統殿の廊下を歩きながら、今日行うメニューをざっくりと構築する俺。

 鍛錬を初めてから、そこそこ(つってもまだ一ヶ月弱だが)経った。筋トレと違って当然霊装者としての鍛錬の多くは家の中や敷地内じゃ出来ないから、鍛錬の際はこうして双統殿に訪れている。

 

「一番の問題は、感覚なんだよなぁ……」

 

 闇雲にただ練習を重ねたって、基礎以上のものは身に付かない。必要なのは目的…つまりは「どうなりたいか」で、一先ず当面の目標は嘗ての俺に追い付く事。自分で言うのもなんだが、嘗ての俺はそれなりに手練れの霊装者だった(筈だ)から、それを目標にするのは悪くない筈。

 だが目標にすると言っても、対象は嘗ての俺自身。具体的な技術や数値ではなく、感覚や記憶を頼りとする訳だが、記憶や精神は同じでも身体や能力は嘗てとは別。そしてそのせいで、どうしても抱いてしまうのが違和感。

 鍛錬そのものには問題ない。道のりは長そうだが、一歩一歩進んではいる。けれどやっぱり、しっくりこない感じは抜け切らない。

 

(靴を買い換えた時とか進学して通学路が変わった時みたいに、自然に慣れていってくれるといいんだが……)

 

 そんな事を考えつつ、俺が入ったのはトレーニングルームに繋がる休憩所。特に何かするでもなく、俺はそこを素通ししようとして…ふと気付く。備え付けられたモニターに、よく知る人物二人が映っている事に。

 

「…なんだ、御道達も来てたのか……」

 

 それは、この先で行われているであろう訓練の光景。映っているのは、御道と綾袮。今は模擬戦形式で訓練をしている最中なのか、二人はトレーニングルーム内を飛び回る。

 

(…相変わらず、派手なもんだな……)

 

 ひらひらと軽快に飛ぶ綾袮に対し、御道は次々と射撃を撃ち込む。両手のライフルは勿論の事、背負った砲を好きあらば放ち、更に綾袮へと追い縋るべく霊力を吹かすその姿はとにかく豪快。力任せの動き方…って訳じゃないが、技術や戦法よりもまずはその霊力を惜しまない戦い方が印象に残る。

 出し惜しみなしの攻撃なだけあって、その火力は大したもの。だが綾袮はその砲火をすり抜け、光弾を斬り裂き、巧みに御道の攻撃を凌ぐ。今のところは回避と防御に徹しているが……恐らく、攻勢に出ようと思えば出られるのだろう。

 

「妃乃もだが…ほんと、半端ない実力だな……」

 

 嘗ての俺には、霊装者としての能力しかなかった。宗元さんや部隊の皆に良くしてもらって、今となっては良い人達に恵まれたって思える事も沢山あったが、それでも俺は戦い以外能のないような人間だった。

 対して綾袮や妃乃は、それぞれ宮空、時宮の娘としての立場がある。多くの事を学び、経験しなきゃいけなかっただろうし、今は普通に学生としても生活している。にも関わらず、他の追随を許さない程の実力があるんだ。そりゃ勿論、最高クラスの才能を持つ家系に生まれたからってのもあるだろうが…一体どれだけの時間を、どれだけの日々をその両家の人間として費やしてきたのか。昔よりずっと平和な現代でさえ、それ程の事をしてきた…或いはさせられてきた二人は、自分の歩んできた人生をどう思っているのだろうか。妃乃は、時宮の人間として生まれた事を誇りに思っているらしいが、果たしてそれは本当なのか。…気付けば俺は、随分と飛躍した思考をしていて……その間に、戦況は変わっていた。

 

「…そう動くか……」

 

 先程までとは打って変わって、真正面から弾幕を突破し肉薄をかける綾袮。ある程度迫られたところで追い払うのは無理だと判断したのか、御道は左のライフルを手放し純霊力の片手剣を抜く。そして振るわれた大太刀と片手剣が激突し、火花の様に片手剣の刀身を形成している霊力が散る。

 無理だと判断してからの思い切りの良さは、悪くない。だが曲がりなりにも大太刀一本で魔王と『戦闘』が出来る程の力を持つ綾袮から仕掛けられた近接戦に乗るのは、どうだろうか。実際最初のせめぎ合いこそそれなりの形にはなっていたものの、そこからは完全に翻弄されている上、綾袮は上手く立ち回る事によって一度も御道に撃たせていない。

 接近戦となっていた間、綾袮が致命傷を負わせられたであろう場面が何度もあった。されどあくまで稽古だからか、その全てを綾袮は斬るふりをするかそもそも何もしないかで終わらせて、戦いを続行。そうしてある時、両者の距離が多少ながら開き…そこで御道は、大きく跳ぶ。

 

(…確かに、強くなってんだな……)

 

 後方へ跳び上がりながら御道は片手剣を拳銃に持ち替え、四門での重遠隔攻撃を再開。圧倒的な霊力量を活かした「撃ちまくる」戦い方を眺めながら、俺は思う。

 妃乃は、その内俺が御道に抜かされるかもと言っていた。あれは冗談混じりというか、俺を煽る意図が含まれている発言だったんだろうが…今の俺は、この弾幕を凌ぎ切れるだろうか。綾袮の様な正面突破は無理だとしても、何とか攻略する事が、今の俺に出来るだろうか。

 

「…全く…俺も随分と怠慢なもんだ」

 

 色々とイレギュラーな俺と違って、四月の時点で御道は完全な素人だった。霊力量が飛び抜けていると言っても、訓練なしでそれを活かす事なんて出来ない。そして今の御道には、その結果が…俺が何もしてこなかった間の努力の成果が表れている。

 無論、成長速度は人それぞれだ。だが、俺は見つめなくちゃいけないだろう。積み重ねてきた御道と、過去の経験や知識に胡座をかいていた俺の間にある、確かな差を。実力ではない、使ってきた時間という差を。

 

「……さて」

 

 その後も御道は善戦していたが、最終的には背後を取られてからの軽いチョップで決着となり、模擬戦形式の訓練は終了。ふぅ、と軽く吐息を漏らすだけの綾袮に対し、御道は疲労困憊で、そこからも二人の実力差が伺える。で、そこまで見たところで俺はモニターの前から離れ、休憩所からルームの中へ。

 

「…って意味じゃ確かに悪くないけど、遠距離に比べたら全然脅威を感じられないし、やっぱりただ斬り結ぶだけじゃ……って、あれ?悠耶君?」

「よぅ、結構ハードな訓練してんだな」

「師匠として、顕人君のやる気に応えない訳にはいかないからねー。悠耶君も訓練?」

「そういうこった」

 

 気付いた綾袮からの言葉に応えつつ、俺は手に馴染んだ直刀を抜く。軽く構え、霊力を流し、その通り具合で今日の自分の調子を確認。

 

「…千嵜…あんまり霊装者としての活動は、しないんじゃ…ないっけ…?」

「俺にも色々あんだよ。つか人間なんだから、いつまでも同じ考えな訳あるか」

「あ、それもそうか…」

「へぇ、なら悠耶君の相手もしてあげよっか?」

「遠慮するよ。良い経験にはなりそうだが、うちには『なんで私の協力は断る癖に、綾袮には一発で協力してもらってんのよ!』…って言ってきそうなお嬢様がいるもんでね」

「あー、そうだったね。そういうとこは結構意地張るタイプだし」

 

 今日も問題ない事を確認した後俺が鍛錬を始めると、少ししてから御道の方も訓練再開。今度は先程の結果から見えた問題を改善していく事が目的のようで、お互い淡々とトレーニングを繰り返す。

 

「…………」

 

 御道は真面目というか、どちらかと言えば素直なタイプだ。そりゃ、俺の知らない面も当然あるだろうが、変に捻くれず目の前の事へ真剣にぶつかる性格だってのは、恐らく間違いないだろう。

 だからこそ、分からない。俺よりずっと真っ当な精神をしているであろう御道だからこそ…分からないんだ。あの日、依未の見た予言の意味が…俺と御道が、敵対しているように見えたその意味が。

 

 

 

 

 前に比べて、綾袮さんとの訓練はハードになっているような気がする。…というか、間違いなくなっている。現に、千嵜もハードだと思ったみたいだし。

 けれど同時に、充実感もある。少しずつでも、強くなれている実感がある。それがあるから、強くなれた、前に進めたという感覚がいつも疲労で滅入りそうになる気持ちを凌駕してくれるから、俺はここまで一度も訓練を嫌だと思った事はない。

 

「ふー…お待たせ、綾袮さん」

 

 訓練終了後、シャワーを浴びた俺は待っていてくれた綾袮さんと合流。

 模擬戦以外でもかなり動いた俺と違って、綾袮さんは見ているだけの時間も結構あったとはいえ、模擬戦中は綾袮さんだってそれなりに動いていた筈。でもシャワーを浴びる必要がない位、全然汗をかいてないんだとか。…凄いなぁ、ほんと……。

 

「はい、顕人君」

「わ、ありがと。悪いね、待たせただけじゃなくて飲み物まで」

「んーん、これ位どうって事ないよ。待ってる間はやる事もなかったしさ」

「けど、わざわざ用意してくれた事には変わりないでしょ?だからやっぱり、ありがとうだよ」

「そ、そう?…そう言うなら、素直にありがとうは貰っておこうかな…」

 

 何気なく俺が重ねて感謝を伝えると、綾袮さんはちょっぴり頬を赤くして、つんつんと両手の人差し指を突き合わせる。その漫画やアニメじゃ時々出てくる仕草を実際にやってる綾袮さんの姿は、ついついじっと見てしまいたくなる位には可愛らしさがあって…けれどその仕草を始めた数秒後、はっとした顔をした綾袮さんはぷるぷると首を左右に振る。

 

「そ、それより顕人君、今回言った事はちゃんと覚えてる?身体だけじゃなくて、頭にもちゃんと叩き込まなきゃ真に『成長した』とは言えないんだからね?」

「あ、うん…。…そういえば…綾袮さんは、普段訓練とかしてる?俺の指導に時間を取られちゃって…とかになってない?」

 

 若干あたふたしながらも、話を訓練の事に戻す綾袮さん。困惑しつつも一先ずそれに頷いたところで、ふと俺は綾袮さんの事が気になった。

 元から訓練なんてしてない…って事はないと思う。学業はともかく、霊装者の事に関しては本当に真面目なんだから。でも思い返せば訓練らしい訓練をしている姿を見た事がないし、もしかしたら今は俺がその時間を取ってしまっているのかもしれない。…そんな不安を抱いて訊いた俺だけど…綾袮さんはそれを否定。

 

「大丈夫だよ、顕人君。ちゃんと自分の事をする時間は取ってるから」

「って事は、訓練が出来てるんだよね?」

「…それはどうでしょう?」

「え、な、何故にここではぐらかしを…?」

 

 全く意味の分からないタイミングではぐらかされ俺は頭に疑問符が浮かびまくるも、綾袮さんは教えてくれない。ぐぐぐ…しまった嵌められた…多分これ、綾袮さんに乗せられる形でからかわれたパターンだ……。

 

「…はぁ…まあ、問題ないなら良いけどさ……」

 

 結局分からないまま廊下を歩く事数分。粘ってどうにかなる感じもなかったから俺は諦めて……っと、着信だ。

 

「…へぇ、やるなぁ……」

「どれどれ…おー、確かにやるねぇ」

「うん、何さらっと人の携帯の画面見てんの?」

「大丈夫大丈夫、見ちゃ不味そうな画像とか動画開いてる時は見ないって」

「許可なく見るなって言ってるの!」

 

 送り主は富士の任務で仲良くなった内の一人で、内容は趣味のトランプタワーで新記録を出せたという、単なる雑談のメッセージ(と、タワーの画像)。綾袮さんからすれば、「これは大丈夫な気がしたから見たんだよー」って事なんだろうけど…ちゃんと叱らないからこういう事するのかなぁ…。…って、俺は保護者か……。

 

「にしても、こうやってちょくちょく連絡取り合ってるの?」

「ちょくちょくって程じゃないけど…まぁね。折角交流が出来た訳だし」

 

 携帯一つでぱぱっとやり取り出来るんだから、便利なものだよなぁ…と思いつつ賞賛のメッセージを送り、携帯をポケットはしまう俺。…そうだ、富士と言えば……。

 

「そういえばさ綾袮さん、富士山での儀式ってどうなったの?もうやった?」

「やったよ。ほら、少し前にわたしが家を空けた日あったでしょ?」

「あぁ、あの日か…。言ってくれればいいのに……」

「あれ?言ってないっけ?」

「言ってないって」

「えー、言ったと思うけどなー」

 

 いつの間にやら終わっていたらしい例の儀式。まだならともかく、終わっているのであればもう話す事もない訳で、締めも何とも緩い感じに。強いて言えば、撃退した魔物の群れが今どうなっているかは気になるけど…ちゃんと儀式が出来たって事は、それもやっぱり問題ないんだと思う。

 そんな事を考えている内に、俺達は地下通路へ降りられるエレベーターの前に到着。そこで下降のボタンを押そうとして…再び鳴り出す着信音。でも今度は俺じゃない。

 

「っと、ちょっと待っててね」

 

 俺から少し離れつつ、綾袮さんは携帯を手に。距離的には、耳を澄ませば辛うじて聞こえそうな気もするけれど、それをやったらさっきの綾袮さんと五十歩百歩。だから聞いてしまわないよう逆に意識を張りながら待っていると、すぐに綾袮さんは戻ってきた。

 

「…早いね」

「まあ、ね。それで、なんだけど…ごめん、顕人君!今から一緒に、おじー様の所に来てくれる…?」

「…呼び出しの電話だったの?」

「呼び出しの電話だったの…」

 

 非なんてないのに申し訳なさそうにする綾袮さんに肩を竦めて、俺はそのお願いに首肯。確かに急な呼び出しは気分の良いものじゃないけれど、綾袮さんに申し訳なさそうな顔をされたら断れないし、そもそも呼び出し主は組織のトップ。つまりどっちにしろ俺に拒否するなんて選択肢はなく……くるりと方向転換した俺達は、刀一郎さんの執務室へ。

 

「来たよー、おじー様」

「失礼します」

 

 例の如く家族である綾袮さんはラフに、そうじゃない俺は緊張感を持って中に入る。

 執務室の中にいたのは、刀一郎さん一人。ぱっと見で厳格そうに感じるのも、いつも通り。

 

「ああ、急に呼び出してすまないな」

「ほんとだよ。家族なんだから、そんなの気にしないでよ…って、言いたいところだけど…そういう、ちょっとした用事じゃないんでしょ?」

 

 少しだけトーンを落とした綾袮さんの言葉に、刀一郎さんは首肯。実際のところ、俺もそうなんだろうなと思っていた。だって、俺も呼ばれてるんだから。

 

「…顕人。先日の任務はご苦労だった。想定外の事態に対して行った、作戦続行に適した判断、それは私も評価している」

「あ、は、はい。恐縮です」

「だが一方で、無茶な行動であった事も否めない。…勝算はあったのか?」

「…いえ、正直勝算はあまりありませんでした。運良く協力を得られた結果、何とか成功させられた…それだけです」

「運良く、か…」

「…え、と……」

 

 元々の目的は撃破ではなく時間稼ぎ。けれど刀一郎さんの言う『勝算』というのは、成功させられる見込みがあったのか、出来ると感じていたのかって事。それ位は分かるから正直に俺が答えると、刀一郎さんは何か含みのある声音で呟き…けれどそれに続く言葉はない。

 

「おじー様、用事ってそれじゃないよね?…それとももしかして、それと関係がある事なの…?」

「そういう事だ。綾袮、あれについて彼に何か話したか?」

「え?…ううん、話してないけど……」

「ならば良い。…顕人、君にはある調査に参加してもらいたいと思っている」

「……!?」

「ある、調査…ですか…?」

 

 俺から綾袮さんへちらりと移る、刀一郎さんの視線。何も聞いていない俺は当然、「あれ」が何なのかなんて分からないし気になるけど、それに対する言及より先に、刀一郎さんの口から発されたのは調査という言葉。

 それを聞いた瞬間、綾袮さんはぴくりと肩を震わせた。その反応からして、どうやらその調査というのは綾袮さんも知っている事らしい。

 

「今話した、富士の調査だ。編成中の部隊に、私は君を組み込む事を考えている」

「…それは、その…任務とあらば、尽力致します…」

「…相変わらず固いな。何故自分が?…と思うのであれば訊けば良い。何も考えずただ従うのが良い人間だとは、お前も思ってはいないのだろう?」

「では…その点について、お聞かせ願えるでしょうか」

 

 任務であれば、従わない訳にはいかない。無論、慧瑠の時みたいな事は、もう二度としない…とは言い切れないけど、基本的には従うつもり。俺はそういう人間で、理由を訊いてもいいのかという迷いもあったから、訊きはしなかったけど…むしろそれは不味かったようで、軽く呆れられてしまう。

 ただでも、訊いても良いという言葉は貰った。だから素直にその理由を問うと、刀一郎さんは頷く。

 

「私がお前を参加させようとしている理由は、お前の…予言された霊装者、その意味を確かめる事だ。予言された霊装者は、一体何をもたらすのか。存在する事そのものに意味があるのか、それとも何かを成すという事なのか、そもそもお前やもう一人…千嵜悠耶がもたらすのは、協会にとって利なのか害なのか。これまでは、その時が来れば自ずと分かると思っていたが…昨年の魔王強襲を始めとして、この一年は何かと予想外の事が起こってきた。故に、何かまだ潜んでいるのであれば、それが顕在化する前に突き止めたい。そう思っての選択だ。…まあ尤も、これに関しては杞憂で終わる可能性もあるが」

「…自分が、何故予言の霊装者なのか。それは、私も突き止められるものなら突き止めたいと思っていました」

「当然の思いだな。…同時に、お前の存在は任務に参加する者の士気に良い影響を与えると私は見ている。現に、富士の戦闘ではお前の行動に感化された者が現れ、その結果任務の成功に繋がったのだからな」

「…お…私が、士気に……?」

「少なくとも、私やあの場の代理指揮官はそう見ている」

 

 一つ目の理由は、普通に理解出来るもの。この調査任務で、判明するなんて保証はないだろうけど…そもそも証明とは、物事を積み重ねていかなくちゃ出来ないものなんだから。

 でも、二つ目の理由には驚いた。俺が士気向上に繋がってるなんて思ってなかったから。皆が優しさで、応えてくれただけだと思っていたから。けど、そうだとしたら…予言の霊装者だとか、魔王と戦った事があるとか、そういう俺自身が直接見せたり話したりした訳じゃないものも含めての効果だとしても、俺にそれだけの力があるとしたら……

 

「ちょ、ちょっと待ってよおじー様!顕人君をって…それ、重要な調査だよね…?不測の事態だって、起こり得るんだよね…?そこに顕人君をだなんて……」

「危険だ、と言うのか?だが危険なのは、誰しも同じ事だ。よもや、他の霊装者であれば多少危険に遭っても構わないと言うのではないだろうな?」

「ち、違うよ…!そうじゃなくて、危険な部分もあるからこそ、まだ霊装者になって一年も経ってない顕人君を参加させるのは、顕人君にも周りにも危険が及ぶっていうか……そ、そもそも顕人君にメリットはないよね?予言に関しても、直接何かプラスになる訳じゃ……」

「いいや。重要な作戦であるからこそ、そこで務めを果たす事は、彼自身の評価に繋がる。…綾袮も知らない訳ではないだろう?綾袮から目をかけられているも同然な彼の事を、快く思わない者もいる事を」

「…それは……」

 

 不意に発された綾袮さんの言葉によって、一度途切れる俺の思考。理由は…恐らくはその調査が大変な、危険もある任務だからだろうけれど、俺が調査に参加する事を止めようとしていて、けれど刀一郎さんからの言葉に綾袮さんは口籠ってしまう。

 俺を快く思わない者もいる。…それは初耳だった。でも、あまり驚きはない。俺自身、優遇…というか、色々良くしてもらってるとは思っていたから。それに、具体的な事がよく分かっていないにも関わらず、予言の霊装者だからってだけで現トップの孫娘といつも行動してるだなんて、反感を持たれても仕方ないんだから。

 

「無論、そう思う人間の中には、誤解や偏見で彼を評価している者もいるだろう。だがなんであろうと百聞は一見にしかず、実績で証明するのが最も確実な方法だ。違うか?綾袮よ」

「…そう、だけど…その通りだけど、でも……」

「…ならば、本人の意思を聞こう。綾袮も、彼の意思を無視して主張する気はないだろう?私とて、やる気もない者をこの任務に参加させるつもりなどない」

 

 叱るではない、窘めるような声音で刀一郎さんから説き伏せられて、語気の弱まる綾袮さん。そこから刀一郎さんは俺へと視線を向けてきて、その目で俺に問いてくる。その気があるのか、それともないのかと。

 横からは、綾袮さんの視線も感じる。二人からの視線で、少し緊張してしまう。だけど、意思は…俺がどうしたいかは、もう決まっている。

 

「…私は…その調査に、参加したいと…参加させてほしいと、思っています」

「……っ…顕人君、分かってる…?…ううん違う、この調査の事はさっき聞いたばかりだもん、危険かどうかも分かってないんだよ…なのにそんな、この場ですぐ決めるなんて……」

「大丈夫だよ、綾袮さん。確かに、綾袮さんからすれば俺はまだ不安な事が多いんだろうけど…自分の限界は、分かってる。自分の欠点も、富士の任務でまた一つ理解した。だから無理はしないし、出来ない事をやろうとはしない。…これでも綾袮さんにここまで鍛えてもらってきたんだから、少し位は期待してほしいな」

「…してるよ、顕人君には期待してる…してる、けど……」

 

 申し訳ない。…そんな気持ちはあった。綾袮さんが、俺の身を案じてくれてる事は伝わってきたから。

 でも俺は、頑張りたい。予言の霊装者である意味を知りたいし、士気の向上に繋がる力があるならそれも伸ばしたいし、証明もしたい。俺がどうこうじゃなくて、綾袮さんの為に「俺は依怙贔屓されているだけ」ではないと示したい。その思いがあるから、向き直った俺は穏やかな気持ちで綾袮さんへ伝えて…再び視線を奥へ戻す。

 

「…刀一郎さん。私は、自分が出来る事をする。それで、良いですよね?」

「当然だ、出来ん事をさせようとは思っていない。…それが、お前の意思で間違いないな?」

「はい」

「であれば、詳細は追って伝えよう」

 

 低く威厳のある刀一郎さんの言葉に、俺はしっかりと首肯。それをもって、刀一郎さんの中で俺が参加する事は決定。俺の中でも、参加するという意思は固まっている。

 ちらりと見た綾袮さんの顔は、やっぱり曇っていた。少なくとも、手放しに応援してくれるような心境じゃないようだった。

 でもそれは、仕方のない事。だからせめて、少しでも綾袮さんの心配が拭えるよう…これからも、俺は訓練を頑張りたい。綾袮さんが安心出来るよう、もっともっと強くなりたい。



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第百七十四話 正対し知る

 時が経つのは早いもので、もう今年度も終盤。まだ一ヶ月以上あると言っても、十二ヶ月ある内の一ヶ月と少しなら、それはもうどう考えたって終盤以外の何物でもない。

 

「えぇと、これ…は一昨年のか。こっちじゃなくて……」

「御道、お前志望校もう決めてる?」

「や、まだ…って言うか、まだちゃんと絞ってもいない…」

「だよなぁ…はー、まだ三年になってもいないのに気が重い……」

 

 生徒会室のパソコンで四月にやった入学式の資料を確認していると、同じ役員の一人からそんな話を投げ掛けられた。

 俺も、受験の事を考えると気が重い。特に志望校の話なんて、気が重過ぎる。というか、志望校の話で気が重くならない人なんて、滅多にいないんじゃないだろうか。…って考えてると余計気が重くなるし、この思考は早々に止めよう…。

 

「…………」

 

 一度パソコンから目を離し、ぐるりと生徒会室の中を見回す。

 生徒会本部。実権なんかありゃしないけど、一応は学校の生徒の代表と言える立場で、形だけで言えば企業で言う経営陣、政府で言えば内閣に該当しそうな集まり。いやほんと、実際にはそう表現するだけで悲しくなってくる位権限なんてものはないんだけど…まあとにかく、リーダー的な立場にある組織である事は間違いない。

 そしてその長、生徒会長は生徒全体の長でもある。だけど正直、今の生徒会長にカリスマ性があるかと言えば…微妙なところ。

 

(まぁ、親しみ易いし率先して動く人だし、同じ役員として信頼出来る人物だけど)

 

 会長に悪いな…と思って心の声でフォローしつつ、俺はぼんやりと思考を続ける。

 全くカリスマ性がないって訳じゃない。そもそもカリスマなんて漠然とした言葉だし、親しみ易さもカリスマ性の一つになり得る。ただでも、多くの人が何となくのイメージで考える『生徒会長像』からはやや離れているのが今の会長で…だけど確かに、会長はこれまでしっかりと務めを果たしてきた。間違いなく、生徒の代表をしてきていた。

 

「…決まった形なんてない、つまりはそういう事だよな……」

「うん?何がだ?」

「あ、ごめん。独り言だから気にしないで」

 

 そうぽつりと呟きながら、そして聞かれたその言葉を誤魔化しながら、俺は思考を結論付ける。

 何故こんな事を考えたかと言えば、それは先日刀一郎さんに言われた、俺の言動が士気の向上に繋がった…という言葉を思い出したから。どうしても俺には、俺が周りにそんな影響を与えたんだっていう実感がなくて…でも、頭では分かっている。生徒会長と同じように、「○○らしい」の○○に該当するかどうがが、絶対条件じゃないって事は。勇猛な姿を見る事で鼓舞される人もいれば、逆に情けない姿を見る事で自分が頑張らなくては…という思考に繋がる人もいて、結局のところ人それぞれなんだという事は。

 

(…でもだとしたら、俺はなんだろう。圧倒的な実力がある訳じゃない、弁が立つ訳でもない…だとしたら、一体俺は……)

「…先輩、何か困ってるんっすか?さっきからずっと手が止まってるっすよ」

「…あ…っと、指摘ありがと慧瑠」

「いえいえー。…こうしてると、自分がまだ普通に存在してた頃を思い出しますねぇ。と言っても、まだ半年も経ってないっすけど」

「…そうだね」

 

 結論付けたのにまだ続く思考を止めたのは、横から覗き込んできた慧瑠。続く感慨深そうな言葉に俺も一つ頷いて、自分がやるべき仕事を再開。

 俺の言動の内、具体的には何が士気の向上に繋がったのか、俺のどんな部分が良かったのか、それは分からない。

 だからこそ、確かめたい。確かめて、それも俺の力にしたい。……まぁ、今はそれより目の前の仕事を片付けなきゃいけないんだけどね。

 

 

 

 

 今日も双統殿で鍛錬。平日だからあまりがっつりとは出来ないが、そもそも努力ってのは積み重ね。そういう才能がない限り急いだってすぐには実力は付かないし、逆に続けていれば方向性が間違ってなきゃ誰だってそれなりに成長する。…つか、そうじゃなきゃやってらんねぇよな。

 

「一年前の…いや、半年位前の俺が今の俺を見たらどう思うかねぇ……」

 

 前の俺はあんなに頑なだったのに、今じゃ誰に言われるでもなく、自分から霊装者としての能力を高めようとしている。人は変わるものとはいえ、やっぱ嘗ての俺なら驚くんじゃないだろうか。血迷ったか…とか言うかもしれない。

…というのはまぁどうでもいいとして、当然向かうのはトレーニングルーム。長くやる気はないし、全体的に軽く流すか、それとも何か一つに絞るか俺は考えていて…そこで、見知った顔を発見する。

 

「ん?…あ、茅章」

「え?あっ、悠耶君。ここで会うなんて珍しいね」

「ま、そうだな。…もしかして、今から訓練か?」

「うん。…もしかして、悠耶君も?」

 

 訊き返してくる茅章の言葉に、俺は首肯。先日の御道といい今日といい、よくタイミングが合うなぁ。

 

「そっかぁ…そういえば僕、悠耶君が戦う姿を近くで見た事なかったかも。元旦のあれは、戦いなんてものじゃなかったし…」

「言われてみるとそうだな…。…ふむ……」

「…悠耶君?」

「…茅章。ちょっと相談なんだが……」

 

 茅章とも知り合ってから結構経ったが、確かに霊装者として関わった事は殆どない。…まぁ、そもそも俺自身が霊装者としての活動をあまりしてこなかったんだから当然だが。

 それはさておき、茅章の声音に混じっていたのは興味の感情。それを感じた俺は少し考え…ある頼みを、口にした。そして、十数分後……

 

「…よし。悠耶君、準備出来たよ…!」

 

 場所は移ってトレーニングルーム。先日の御道と綾袮の様に、俺と茅章は向かい合っていた。

 

「…悪いな、付き合わせて」

「もう、さっきも良いって言ったでしょ?それに…きっとこれは、僕にとっても価値のある経験になると思うから」

 

 見れば分かる通り、俺が茅章に頼んだのは模擬戦の相手。訓練と実戦は違う以上、ただひたすらに練習したって足りないものがある訳で…それを補うべく、俺は茅章に頼み込んだ。

 快諾してくれて、しかも積極性まで見せてくれる茅章は、もう良い人以外に表現のしようがない。これはもう、今度は何か茅章の頼みを聞かざるを得ないだろう。いやむしろ、聞いてあげたいという気分ですらある。

 

「…なら、合図はどうする?コインの代わりに小銭か何かを投げてみるか?」

「…悠耶君は、どうするのが良い?」

「俺はなんだって良いさ。何なら、もう始まってるって事でも構わない」

「そっか…じゃあ……」

 

 感謝している。けどそれはそれ、模擬戦は模擬戦。その思いで俺は意識を切り替え、茅章を見やると、茅章も小さく息を吐き…仄かに青く発光する無数の糸が、茅章の周囲に漂い始める。

 

(そういや、茅章の武器はそうなんだったな……)

 

 直接見るのは初めてだが、話は御道から聞いた事がある。だから驚きはしないが…何というかやはり、独特だなと思う。

 向こうはもう構えた状態。距離的にも、いつ攻撃が飛んできてもおかしくない。そんな状態で、互いに動かないまま数秒が経ち……俺が先に動き出す。

 

「先手は、貰った…ッ!」

 

 武器を抜かずに床を蹴り、目を見開く茅章へと肉薄。それと同時に右手を腰に下げた直刀へと当て、本来のサイズに戻しながら抜き放ち斬る。

 形としては、居合の様なもの。なんちゃって居合もいいところだが、インパクトは十分にあった筈。実際茅章は後退るようにして一歩下がり…されど刃は、集まった糸によって絡め取られた。

 

「いきなり、容赦ないね…!」

「手を抜いたら、模擬戦する意味ないからな…ッ!」

 

 俺からの斬撃を防ぎながら、茅章は防御に使っているのとは別の糸の束で左右から反撃。直刀を引き抜くようにして後ろに跳ぶ事で回避した俺は、空いている左手で拳銃を抜いて射撃を三発。元々これで決めるつもりなんてない射撃だったが、それ等は全て網の様に展開された糸によって阻まれてしまう。

 

「今度はこっちから行くよッ!」

 

 そう言いながら、何本かを束ねる事で細い縄の様になった糸を打ち込んでくる茅章。最初の攻撃で分かっていた事だが糸の強度はかなり高く、振るった直刀は糸の束を斬り裂く事なく横へと弾く。

 次々打ち込まれる幾つもの糸の束を、直刀と拳銃で続けて迎撃。今のところ、糸の動きを見切れてはいるが…まだ慣れない。

 

(結構多彩だな…攻防一体、ってとこか……)

 

 時に束ね、時に分離し、更に状況に応じて束ねた物同士で束ねる、或いは網目状に組み合わせる事によって、逐次形状を変えながら攻撃と防御の両方を担う糸。一本一本は細い糸に霊力を籠められるようにした技術も凄いものだが、感心するべきはそれを扱う茅章の技能。

 当たり前だが、霊力を籠めたからって糸は勝手に動く訳じゃない。配置や組み換え、動かす軌道と操作一つ一つを茅章が一人でやっている訳で、それには相当な集中力と霊力のコントロールが必要だという事を考えれば、茅章の努力は計り知れない。

 勿論、普通は糸を武器に…なんて想像もしないだろうから、茅章の才能に合わせた武器を探していった結果だろう。勧められた可能性が高いだろう。…だがだとしても…凄いものは、凄いんだよな…ッ!

 

「反撃は、させない…ッ!」

 

 何度目かの迎撃を果たした瞬間、俺と茅章との間の空間が開ける。その隙を逃すまいと俺は突進をかけるが、周囲で伸びたままになっていた複数の糸の束が一斉に内側、つまりは俺の方へと迫る。

 それはさながら、閉じていく傘の骨。無理をすれば一か八か刃が届くかもしれない距離だが、そういう危ない賭けはここぞという時に行うもの。だから俺は身体を捻って、束と束の隙間から離脱。着地と同時に床を蹴り、そこで改めて攻撃を仕掛ける。

 

「やっぱり届かない、か…ッ!」

 

 今度は接近に成功したものの、一度回避行動を取った分茅章には余裕が生まれ、振るった直刀は糸によって阻まれる。力を込め続ければ茅章に当たる事も出来るかもしれないが…まぁ、それを茅章が黙って見ている訳がない。

 それから俺は、何度かヒットアンドアウェイを敢行。攻撃を凌ぎながら何度も接近と離脱を繰り返すのは中々に体力のいる事で、しかも少しずつ茅章が俺の速度に慣れてきたのか、攻撃の精度も上がってきている。…けど、これでいい。何も焦る事はない。

 

「強いね、流石悠耶君…!けど、僕も負けないよ…ッ!」

「そうこなくっちゃ、な…ッ!」

 

 上体を逸らす事で糸の束による横薙ぎを避け、背後へ回り込もうとした俺。だがそうはさせないとばかりに茅章もその場で鋭くターンし、刺突の如く二つの糸の束を打ち出してきた。

 所詮糸。されど糸。何度も仕掛け、何度も攻撃と防御を引き出す事によって糸の強さを十分に知る事が出来た俺は、舐めてかかれば正に絡め取られる事をよーく分かっている。だから迫り来る束二つに対し、俺が取ったのは直刀によるフルスイング。二つを続けて捉えられる軌道で直刀を思い切り振り抜き、力技で糸の狙いを逸らさせる。

 

「からの…ここだッ!」

「……っ!」

 

 振り抜いた事で、大きく捻られた俺の身体。その状態から俺は身体を逆側…つまりは本来の体勢となる側へ改めて振るい、その動きの中で左腕を伸ばす。

 その先にあるのは、持ったままの拳銃。このまま動けば、途中で銃口は茅章の方を向く。そしてその事は俺の発した声で理解したのか、茅章は即座に防御体勢を取り……次の瞬間、俺は放つ。

 左手より飛んでいく、一つの物体。だがそれは、銃弾ではない。俺の左手より放たれたのは……拳銃そのもの。

 

「えっ……?」

「──際有りだ、茅章」

「な……ッ!?」

 

 飛んだのは銃弾ではなく拳銃。撃ち出される弾ではなく、発射装置そのもの。しかも茅章が展開した糸の防御を掠める事もなく明後日の方向へと飛んでいくそれに、茅章は呆気に取られた表情となり……その時点で、俺は殆ど勝利を確信した。

 茅章が拳銃の飛んでいく先に気を取られている間に踏み込んだ俺は、下段から両手で持った直刀を一閃。咄嗟に茅章は防御を下側へ集中させようとするが…もう遅い。

 

「……っ…!」

「おっと」

 

 完全に崩れる糸の防御。がら空きとなった事で茅章は腰に手を…恐らくは拳銃かナイフ辺りを抜こうとしたが、それより先に俺は左手でもう一本の刀を抜刀。純霊力の刀の斬っ先を茅章の胸元へと向け……模擬戦は、終了する。

 

「……っ、はぁあぁ……」

「…大丈夫か?茅章」

「う、うん…ちょっと緊張が解けて、力が抜けちゃっただけ…」

 

 息を止めていたかのように大きく息を吐き、すとんと尻餅を突く茅章。その反応に少し不安になった俺だが…単に身体が弛緩しただけの様子。

 二振りの刀を仕舞い、差し出す右手。掴んだ茅章を引っ張り上げると、茅章は恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「あはは…まんまと騙されちゃったなぁ……」

 

 そう。拳銃をすっ飛ばした俺だが、別にすっぽ抜けた訳じゃない。あれはわざと。茅章の注意を逸らす為にやった、陽動の一手。こういう意外な、一見ミスかふざけているかに思えるような行動程、相手の意表を突けるもので…特にこういう策は、真面目な奴程効果がある。

 だが勿論、それだけじゃ足りない。隙は作れるが、勝利を確信出来る程にはならない。だからこそ、俺は何度もヒットアンドアウェイを仕掛け…確かめた。糸の長所と短所を。どういう使い方をするのに長けていて、逆にどういう攻撃には弱いのかを。

 

「…やっぱ、衝撃には弱いんだな」

「…うん、結局の所糸だからね。僕が直接両端を持ってる訳でもないし」

 

 そう言って、茅章は肩を竦める。その反応からして、俺が突いた弱点に関しても、茅章は認識していた様子。

 攻防一体の糸の弱点。それは今茅章が言った通り、如何に霊力によって強化されていようと、糸は糸だって事。とにかく軽く、それ故に吹っ飛ばされ易いって事。これが普通の武器なら、咄嗟の反応になっても力を込める事である程度は耐えられるだろうが…茅章はこれを、霊力で動かしている。腕の振りに合わせて動かしている事もあるが、糸の性質上、一ヶ所だけ持っていたって衝撃になんか耐えられない。

 だからこその、拳銃の投擲。それで意識を逸らして、咄嗟の行動じゃ間に合わない状況を作り上げ…後は、さっきの通り。

 

「…はー…やっぱり強いね。完敗だよ…」

「茅章も中々のものだと思うけどな。ぶっちゃけ霊装者として勝ったってより、作戦で勝ったって感じだし」

「ありがとう、悠耶君。…でも、本気じゃなかったよね?」

「……?いや、そんな事は……」

「あるよ。悠耶君、ライフルの方は使ってなかったじゃん」

 

 俺の言葉を遮る形で、茅章は言葉を続ける。それと同時に、俺の腰…縮小させたままのライフルへと、視線を向ける。

 

「…それを言うなら、茅章もだろ?」

「僕は糸との併用が難しい…というか、射撃にしても近接格闘にしても、下手に別の武器を使うと邪魔になり兼ねないからだよ。けど悠耶君は、最初からライフルを使わず拳銃を使ったよね?それは……」

「あー…いや、ほんとに本気じゃなかったなんて事はないって。確かにライフルじゃなくて拳銃を選んだけど、それは俺が近接戦を選びがちっていうか、そういうタイプなんだよ、俺は」

 

 言いたい事は分かる。そう判断するのも理解出来る。だがそうじゃない。それはあくまで勘違いだ。そんな思いから、俺は頬を掻きつつ否定する。

 好きなものは真っ先に食べるタイプと、少しずつ食べるタイプと、最後まで残してから食べるタイプがあるように、人には誰しも『自分はこうする』ってものがある。それは戦闘においても言える事で、俺は近接戦を主体においた戦術を立てる。必要なら近付かずに遠距離戦に徹する事もあるが、そうじゃない場合は基本的に近接戦をメインにして、射撃は近接戦ありきで考える事が多いってのが、俺って人間。今回の模擬戦でも射撃は牽制や迎撃中心の使い方しかしなかったから、取り回しの良い拳銃を選んだってだけの事。

 だがまあ普通は、遠距離戦を主体にする。わざわざ相手に近付いて戦うなんて、よっぽど実力があるか、よっぽど射撃が苦手かじゃなきゃ、メリットよりもリスクの方が大きいんだから。もしも御道みたいに共闘した事があれば、俺はそういう人間なんだって実際に見て分かってもらえてたんだろうが…そうじゃないんだから仕方ない。

 

「…って訳で、敢えてライフルを使わなかった訳じゃないんだよ。そっちの方が戦い易いってだけなんだ」

「…そう、なんだ……ごめんね?なんか、疑うような事言っちゃって……」

「気にすんな。俺は気にしてないからさ」

 

 離れる場面が何度もあったのに、拳銃ばかりを使ってライフルは使わなかった。そんなの普通に考えたら「わざと」だと思えるし、それ抜きにも茅章へ怒ろうだなんて俺は思わない。

 俺の返しを受けても、最初茅章は浮かない顔だった。だがそれから茅章は一度顔を下に向け…次に顔が見えた時、そこには穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

「…うん。どっちにしろ、僕は悠耶君には敵わない。一歩じゃなくて、二歩も三歩も悠耶君は先にいる。それが事実だもんね」

「や…それに関しても、俺は……」

「ううん、良いんだって。悠耶君や顕人君が凄い事は知ってるし…その方が、頑張ろうって思えるから」

 

 人間、成長していくと段々素直さが無くなっていく。素直でいる事が恥ずかしいとか、得の為に小賢しくなっていくとか、捻くれてしまうとかで元々あった素直さが薄れていく。個人差はあれど、大概はそういうものだ。

 だが、茅章は違う。茅章からは、そういう事のない真っ直ぐな素直さを感じる。無邪気って訳じゃなく、前に話を聞いた限りじゃ色々悩みも抱えてきた過去があり…それでも茅章は、捻くれたり歪んだりしていない。そしてそれはきっと…茅章が、心の強い人間だからだろう。物事を真っ直ぐに見て、素直に受け止められる…それは間違いなく、誇れる強さだ。

 

「…負けてられないな」

「え?負けてられないって…誰に?」

「茅章にだよ」

「……?僕…?」

 

 案の定分かっていない様子の茅章を見て、俺はふっと軽く笑う。そりゃ勿論、説明すれば伝わるだろうが…捻くれ者の俺に、それをするだけの勇気はない。だって、なんかちょっとこれを話すのは恥ずいからな。

 霊装者となったその時からずっと努力を重ね、力を伸ばし続けてきた御道。大概の人は手放してしまう物を持ち続けている、それが出来る強さのある茅章。数少ない俺の男友達は、両方真っ直ぐと前に進んでいて…だからこそ、思う。今のままがいい、それ以外は知った事か…そんな考えは、俺なりの覚悟を持った意思だったとはいえ…きっと、後ろ向きの思考だったんだろうと。恥じはしないが…やはり、俺ももう前までの考え方に戻るつもりは、ない。

 

「…さて、今日はこれだけにしておくか」

「あ、そうなの?」

「帰ってからもやる事あるし、明日も普通に学校だからな」

「まぁ、そうだよね。じゃあ僕も今日はこれで終わりにしようかな。…思った以上に、疲れちゃったし」

「緊張すると、実際に動いた以上に疲れるもんなー」

 

 時間はそれ程長くなかったが、価値ある時間を過ごす事が出来た。そう判断して俺は切り上げ、茅章も呼応。という訳で俺達はトレーニングルームを出て、俺は軽く汗もかいたしシャワーにでも……

 

「…………」

「…あれ?どうしたの、悠耶君」

「…な、なぁ…茅章は、シャワー…浴びてくのか……?」

「え?…うん、そのつもりだけど……」

 

 次の瞬間、ぴたりと止まる俺の足取り。振り向いて訊いてくる茅章に対し、俺はおずおすと質問を返す。そして返ってきたのは…肯定の言葉。

 俺はシャワーを浴びようと思っていた。茅章もそのつもりらしい。という事はつまり、俺達は同じシャワー室を、同時に使う事になる。なるに決まっている。

 だが、待ってほしい。だからなんだというのだろうか。別に何か問題がある訳じゃない。茅章は本人も言う通り男で、同性が同じシャワー室を使うというのは至って普通な、どこにでもある事。そう、そうだ。何もおかしくない。何も変に思う事はない。何も、何も、何も……ッ!

 

 

 

 

 

 

「……そうか。じゃ、俺は少し寄るところがあるからここからは別だな。今日はありがとう茅章。またな」

「あ、う、うん。またね、悠耶君……」

 

……頭じゃ分かっている。理解してる。だけど出来ない事って…何か、目の当たりにするのは避けたい事って…あるよな……。



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第百七十五話 どうしても不安で

「来月末、ね…」

 

 先日刀一郎さんの執務室で、刀一郎さんから直々に言われた調査作戦への参加。それに纏わる話を…具体的に言えば実行日の事を、今日綾袮さんから聞く事となった。

 

「うん。三月はまだ春への差し掛かりだし、当日富士山に結構強く雪が降った場合は、延期する事になるけどね」

「まあ、それはそうだよね。大雪が降る中での山なんて、それ自体が危険だし」

 

 霊装者は霊力による身体強化が出来るとはいえ、それは雨風や雪の影響を無効化出来るって事じゃない。風が強ければ姿勢は崩れ易くなるし、豪雨や豪雪の中じゃ視界も悪くなるし、当然身体だって冷える。実行が来月末って事は、一刻を争う作戦じゃないんだろうし、だったら不要なリスクは避けるのが当たり前。

 そう思って俺が納得していると、綾袮さんはじぃっとこっちを見つめてくる。それはもう、何か言いたい事がありげな顔で。

 

「えー、っと…何かな…?」

「…ほんとに行く気?気持ち、変わってたりしない?」

 

 何とも言えない気分で何かと訊くと、綾袮さんは言外に否定を望んでいる事が伝わってくる声で返答。…やっぱり、それか……。

 

「…ごめんね、綾袮さん。気持ちは、変わってない」

「…別に、謝る必要はないよ。顕人君、何か悪い事をした訳じゃないんだし」

「それなら、この任務の事を応援してほしいんだけど…」

「それとこれとは話が別だよ」

 

 そうはいかないよ、とばかりに首を横に振る綾袮さん。普段なら冗談を交えるか、もう少し軽い調子で返してくるところだけど…この話になると、綾袮さんはほんとにふざけない。

 今日、たった今しているこれを含めて、この件の話はこれまでに数度してきた。でも結果は平行線で、お互い主張は同じなまま。

 

「…そんなに危ないの?これまでの任務とは段違いに危険な何かがある、って事なの?」

「それは…具体的には言えないけど、全然危なくない、普段通りの任務だったらわたしは止めないよ」

「…………」

「…分かってる、止めるんだったらちゃんと説明しろ…って事でしょ?…でも……」

「…それは俺…っていうか、一部の人以外には話しちゃいけない…俺だって、それ位は察しが付くよ。それに、そういう事なら綾袮さんを責めもしないし」

 

 互いに相手の考えている事を察して、口にして、それから沈黙。俺は具体的な理由を知りたいけどそれが言えないって事は分かってるし、綾袮さんも具体的な事を言わずに納得させるのは困難だって分かってるから、どうしても話が続かない。

 それに凄く、居心地が悪い。普段は何気無く、他愛なく駄弁るような間柄だからこそ、それとは真逆なこの沈黙は辛い。

 

「…………」

「…………」

「……あー、っと…さ…この任務、ラフィーネさんやフォリンさんも参加する…って事は出来ないかな…?」

「二人が…?」

「うん。自分で言うのは少し悲しいけど…二人がいるなら、少しは俺の事も安心出来るでしょ?」

 

 話が行き詰まってしまった時は、一度方向性を変えてみるのも手。そう考えて俺は二人の同行を提案してみた。ほんと、自分から言うのは悲しいけれど、実力は実力だし、人選としては決して悪くないと思ったから。…でも、綾袮さんは首を横に振る。

 

「二人にもまだ、快く思わない人がいるから厳しいかな…。普通の任務ならともかく、ほんとにこれは重要な調査だから…」

「そっか…いや、うん。今のは忘れて。そもそもの話として、二人に話さず勝手に決める事自体間違ってたから」

 

 俺自身が提案を取り下げ、そうしてまた沈黙。全然違う話に切り替えて雰囲気を変えるって事も出来なくはないだろうけど、そうしてしまっていいのだろうか。そんな思いがあるから踏ん切りが付かず、かといって良い案なんて思い付かないから、一秒、また一秒と沈黙の時間が過ぎていき……

 

『……あ』

 

 そんな中で、不意に…ではなく設定した通りの時間で、回していた電子レンジが温め終了の音を鳴らした。…何ともまあ、沈黙に横槍を入れるかのような感じで。

 

「……出さないの…?入れてたの、お持ちだよね…?」

「あ、う、うん。出すよ…?」

 

 空気が空気な故に取り出して良いものかと迷っていた俺だけど、綾袮さんに言われてそさくさと電子レンジをオープン。…因みに今は、ご飯の準備中だったのだ。

 

「あっつつ…ふぃぃ、やっぱミトン嵌めて持つべきだったか……」

「はは…にしても、まだあったんだねお餅…」

「まぁ、ね。頻繁に食べたら飽きるよな、って事で間隔開けてたら、まだ消費し切らず残ってる…って訳ですよ…」

「うん、知ってる…」

 

 持った数秒後から一気に伝わってくる熱に若干焦りながら、食卓まで餅と湯の入った丼を持っていった俺。それを見ながら綾袮さんは苦笑いし、俺も肩を竦めて苦笑いを返す。

 これは実家からの帰りに沢山貰った餅の、その残党。後少しとはいえ、もう三月が迫ってる訳で…春まで持ち越しなんて事だけは回避したい。…餅だけに。

 

「…上手くはないけど、嫌いじゃないかなそういうの」

「じ、地の文でさらーっとやったギャグには触れなくて良いよ…」

「でも、ギャグに反応がないのは辛いでしょ?」

「それはそうだけども…」

 

 さっきの音で雰囲気が途切れたからか、綾袮さんが交える軽い冗談。先程は迷っていた俺だけど、いざ変わってしまうと気が楽なもので、ちょっぴりだけど内心安堵。でもこのままだと、これまで同様有耶無耶になって終わりそうだなとも思っていて……

 

「…そういえば、さ」

 

 いつの間にか丼の中の餅を覗いていた綾袮さんは、ぽつりと独り言のように呟く。

 

「顕人君の両親にわたしとおとー様で霊装者の事を話した時、おかーさんもおとーさんも割とすんなり受け入れてくれたよね」

「え?…あぁ、うん…うん?すんなりだったっけ?俺的には、結構困惑とか動揺をしてたと思うけど…」

「それはそうだよ。わたしだっておかー様が実は並行世界からやって来たとか、おとー様がわたしの知らない所で巨大ロボットのパイロットをしてるとか言われたら、すぐには飲み込めないもん」

 

 始まったのは、脈絡のない急な話。綾袮さんの例えも少し謎だけど…平たく言えば、家族という身近な存在に想像も付かない要素があれば、誰だって驚くって事だろう。付け加えるなら、霊装者という特別な存在である自分でもきっと驚くんだから、普通の人間である俺の両親は尚更驚くに決まってる…って辺りだろうか。

 

「それにね、全く信じてくれない…っていうか、実際に霊装者の力を見ても信じられない人だっているんだよ。それに関しては、霊装者だらけの環境で育ってるわたしより、顕人君の方が理解出来るんじゃないかな」

「…そうだね。あんまりにも自分の中にある考えや価値観と離れ過ぎてると、実際見ても信じられないし…信じたくないって気持ちも生まれるんだろうね。何か悪い事をした人に対して、それは誤解だろう、真実だとしてもやむを得ない事情があったんだろう…って考えるみたいに」

「飲み込めない物を納得したり、信じたくないものを受け入れたりするのって辛いもんね。…だから、自分や家族が霊装者として生きる事を頑として拒否する人もいるらしいんだ。危険な事を家族にさせるってだけでも嫌なのに、ましてやそんな訳の分からない事柄で家族が危険な目に遭って堪るか…って」

 

 続く綾袮さんの言葉は、途中から「らしい」という表現に変わる。けど、それはそうだろう。幾ら立場ある人間で、実力も十分過ぎる程あるとしても、綾袮さんは俺と同い年の女の子。そんな子が説明に来たって冗談だと思うのが普通だろうし、恐らく基本は成人している協会の人間が行っている筈。

 それ位の想像は、俺にも付く。けど根本的な事が一つ分からない。

 

「…綾袮さん。どうして急に、こんな話を?」

「お餅を見てたら、思い出したんだ。…それでね、顕人君。わたしは凄いって思ったんだ。顕人君の両親の事を」

「…比較的すんなり受け入れられたから?」

「うん。受け入れてくれたのも、それからの言葉も…顕人君の両親には、はっきりとした意思があった。…きっと、これまで顕人君にしてきた事に自信があって、顕人君の事を信じてるんだよ。だから落ち着いていられたんだと、わたしは思う」

 

 くるりと身体の向きを変えて、俺と向き合う綾袮さん。その目も声も真剣で…伝わってくる。お世辞でも建前でもなく、本当に綾袮さんは俺の両親を凄いと思ってくれてるんだと。

 

「…はは…面と向かってそんな事言われると、照れ臭いな……」

「胸を張りなよ、素敵なおかーさんとおとーさんなんだから。…わたしには、まだまだそんな事出来ないかな……」

「え……?」

 

 親の事を称賛されたら、なんて返すのが正解なんだろうか。照れ臭くて頬を書きながら俺がそんな事を思っていると、小さく零れた綾袮さんの言葉。その言葉に俺が驚く中、綾袮さんはこっちを見たまま自嘲気味に笑う。

 

「わたしね、顕人君の事は信用してるよ。顕人君はどんどん強くなっていくし、ちょっとずつだけど頼もしくもなってるし、調子に乗って油断するようなタイプじゃないって事も分かってるもん。…だけどやっぱり、顕人君の両親みたいには送り出せない。不安な気持ちばっかりが勝っちゃう」

「…綾袮さん……」

 

 表情は柔らかいけれど、声音から感じる思いは真剣そのもの。俺を信用してくれてるんだって事、それでも不安なんだって事、その両方の気持ちがひしひしと伝わってきて、俺は返す言葉に詰まる。そんな綾袮さんへ、なんて声を返せばいいのか分からなくて、これだって言葉も出てこない。

 

「当然と言えば、当然なんだけどさ。顕人君といた時間も、教えてきた事の量も、自分が歩んできた時間の長さも、全部違うんだから。…けど、結局それって言い訳だから…わたし、こういう事にはあんまり向いてないのかな…」

「…それは…そんな事ないよ、綾袮さん。俺はそれを、言い訳だなんて思わないし…俺が強くなれたのは、綾袮さんのおかげだよ。綾袮さんが教えてきてくれたから、俺は強くなれたんだ」

 

 普段の綾袮さんからは程遠い、気弱な言葉。自信に欠けた、ただの女の子の様な思い。

 痛感する。どれだけ綾袮さんが、俺を気にかけてくれているのかを。だからこそ申し訳なくて、そんな自信のない綾袮さんでいてほしくなくて、俺は抱いた思いそのままに話す。俺の思っている事、感じている事を真っ直ぐに伝える。

 そうだ、間違いない。原動力は理想の世界への憧れで、俺を強くしてくれてるのは綾袮さんだけじゃないけど…綾袮さんがいなかったら、絶対に今の俺はない。全然違う俺になっていたか、もしかしたら既に終わっていたか…どちらにせよ、今の俺を作り上げている柱の一つは、綾袮さんなんだ。

 

「…ごめんね、気を遣わせちゃって……」

「そんなの、お互い様だよ。綾袮さんだって、これまでに何度も気を遣ってくれたんだから」

「…じゃあ、さ…もう一度、もう一度だけ考えてみて。さんかするか、どうかの事を」

「……綾袮さん、俺は…」

「分かってる。…だけど、お願い。無理に止めたりはしないし、それは間違ってるって理解してるから…考えるだけは、してみて…」

 

 俺の心はもう決まっている。でも、俺は綾袮さんの思いを振り解けない。ここまで俺の事を思ってくれる綾袮さんの思いは、出来る事なら裏切りたくない。それに綾袮さんの言葉には、胸の前で右手を握る綾袮さんの姿には、切実な感情が籠っていて……だから俺は、頷いた。一度固めた思いを崩して、もう一度組み立て直す事を約束する。

 

(…なんか、複雑な気持ちだな……)

 

 これまで俺は、とにかく強くなろうと思っていた。とにかく突き進んできて、その結果真実を都合の良い嘘へと捻じ曲げたり、本来霊装者としてすべき事を放棄したりする事もあったけど、俺なりに前へと進んできた。成長してきたと、思った。

 なのに、綾袮さんを不安にさせてしまっている。望んだ事をしてきたのに、望んでない事が生まれてしまった。世の中思い通りにならないのが普通で、好ましい事だけが起こるなんてあり得ないのは分かり切っていたけれど……それでもやっぱり、複雑だ。

 

「…………」

「…………」

 

 気持ちはともかくとして、話は付いた。取り敢えず妥協点には辿り着けた。でもだからって、即座にいつも通りに戻れる訳じゃない。むしろなまじ話が付いてしまったが為に、本日三度目となる沈黙が訪れ……るかと、思いきや。

 

「顕人さん、見つかりましたよ」

「見つけ出すのに苦労した。顕人は感謝するべき」

 

 滑らかに扉が開かれ、姿を現わすロサイアーズ姉妹の二人。何を言っているのかというと、二人は夕飯作りの為に中断していた探し物を引き受けてくれていた。で、それが見つかったらしい。

 

「あ…っと、うん…。ありがとね、二人共…」

「……?どうかした?」

「いや、別に…。じゃ、じゃあ二人も来たし、ご飯にしようか…」

「そ、そうだね。いやぁ、お腹空いたなー…!」

 

 俺も綾袮さんもついついぎこちない反応になってしまうけど、気不味い空気を霧散させてくれたって意味じゃグットタイミング。変に詮索をされない為に俺が一度台所に引っ込み、綾袮さんも自分の席に着いた事で、二人も若干気になってそうな表情をしつつもそれぞれの席へ。

 さっき綾袮さんに言った事は嘘じゃない。ちゃんと、もう一度考えてみるつもりだ。そしてその上で出した答えなら、それがどちらであろうとも、綾袮さんならきっと分かってくれる筈。それはそう、信じたい。…そう思いながら、俺は別のお餅をレンジで温めるのだっ……

 

「…顕人、お餅硬くなってる」

「あー…これは、水自体が温くなっちゃってますね……」

「…おおぅ……」

 

……当たり前だけど、冷えちゃ不味い食べ物を用意したら、すぐに食べなきゃ駄目だよね…。

 

 

 

 

 人間誰しも、休息は必要。それも空き時間での小休憩ではなく、心穏やかに過ごすちゃんとした休みがなくちゃ、気付かぬ内に溜まっていく疲労という負債を返済出来ない。って訳で俺が自室のベットに寝転がり、何をするでもなくのーんびりとしていると、妃乃が部屋にやってきた。

 

「聞いたわよ?「早めのパブロン?」…うん、シンプルに何?」

「いや、なんとなく言っただけだけど……」

 

 何と訊かれたって困る。だってふざけただけなんだから。…って訳で俺はボケを重ねる事はせず、今度はこっちから問いかける。

 

「で、何の話だ?」

「……貴方が最近、精力的に鍛錬してるって話よ。後、さっきのは『聞いた』じゃなくて『効いた』だからね?」

「あ、お、おう…(細かいとこ突っ込んでくるな…)」

 

 軽く呆れた顔をしながら答える妃乃。誰から聞いたのかは分からないが…基本的に鍛錬は双統殿内でしてるんだから、まぁその事が妃乃の耳に入るのは別段不思議な事でもない。

 

「調子はどう?少しは上達してる?」

「ま、ぼちぼちだな。…まさか、それを言う為に来たのか?」

「まさか。晶仔博士からの伝言よ。装備に関して何か要望があれば、可能な限り応える…だって」

「装備の要望、か…。…妃乃、ってか協会的にそれはいいのか?組織な以上、あんま個々人で独自の装備使われるのは好ましくないだろ?」

「まぁね。けど悠舎、どこかの部隊で活動する気なんてないでしょ?」

「ああ、そういう……」

 

 組織ってのは、纏まった数を力にするもの。特に戦闘を生業とする組織は統率を重視する訳で、一人一人が個性を出す事とは相性が悪い筈。…そう、俺は思った訳だが…今妃乃が言った通り、俺は殆ど組織として動いていない。立場的にも特殊な訳で、だから園咲さんもそういう話を持ちかけてきたんだろう。現に同じ立場の御道はよくお世話になってるみたいだし。

 

「折角の機会だし、近い内に一度出向いたら?貴方だって、装備が良くなるに越した事はないでしょ?」

「つっても、現状特に不満とかはないからなぁ…。近接戦の武器なんて、ぶっちゃけ強度さえあれば良いし」

「…ま、その気持ちは分かるけどね。シンプルイズベスト…じゃないけど、色々弄り過ぎると信頼性は落ちていくものだし」

 

 基本大槍一本で戦う妃乃なだけあって、意見は俺と同じな様子。というか俺と違って拳銃すら基本使わない(斬撃飛ばしたりはするが)辺り、俺以上に単純さを突き止めていると言っても過言じゃない。…まあその分、その槍捌きは相当奥が深いんだが、な。

 

「…あ、いや…でも、そうだな……」

「…急に何よ?」

「俺じゃなくて、緋奈のなら…って思ってな。勿論緋奈が戦う事にならないのが一番だし、その為の力でもあるが…避けてるだけじゃ、届かないものもあるからな」

「へぇ、緋奈ちゃんの…ね。あくまで悠耶への話だしそこは要相談だろうけど、良いんじゃない?…あ、でも……」

「…でも?」

「やる以上は使っての感想…っていうかデータが欲しいでしょうし、極力使わないように…っていうスタンスは、あんまり合わないかもしれないわね……」

「あー…どうしたもんかねぇ…」

 

 言われてみればその通り。こっちが金を払って依頼するとかならともかく、向こうも意図があって持ちかけてくれた話な以上はあまり好き勝手な事は言えない。勿論それを俺が使って感想を伝える、って事なら納得はしてもらえるだろうが、それじゃあ緋奈用の調整にならない。ふー、む……。

 

「…まあ、取り敢えず行ってみなさいよ。どうするにせよ、昌仔博士と打ち合わせしなきゃいけないんだから」

「んまぁ、それもそうか…。じゃ、一先ずそうしますかね」

「いつ行くかは教えなさいよ?私から連絡しておくから」

「へーい」

 

 いつ行こうかねとか、まあでも早い内の方がいいよな…とか思いながら、妃乃の言葉に答える俺。まあ何にせよ、これで会話の目的は済んだ訳だが…まだ、妃乃に部屋を出ていく素振りはない。

 

「…まだ、何か…?」

「…いや、別に」

「なら何故…。…あれか?自分の部屋より俺の部屋の方が居心地が良いってか?」

「そ、そんな訳ないでしょ!失礼ね!」

「え、失礼なの…?ってか、そうじゃないなら……」

 

 冗談とはいえ、失礼だなんて言われてしまえば俺も困惑。というか、本当に何故部屋に残っているのだろうか。

…と、そんな思考を始めたところで、俺は思い出す。御道と綾袮の模擬戦訓練に遭遇した際、綾袮としたあるやり取りの事を。妃乃は賑やかさの権化と言っても過言ではない綾袮と、十年を優に超える幼馴染み関係を続けているのだという事実を。…あー、こりゃやっぱり……

 

「…構ってちゃん、かぁ……」

「へっ?…何がよ…」

「いや、なんつーか…感覚が庶民派だったり、ジャンクフードが好きだったり、中々良い感じのキャラしてるよなぁほんと……」

「だ、だから何が?何の話してるのよ?ねぇ…?」

 

 何故か部屋に居座られるとなるとこっちも居心地が悪いが、それが構ってちゃんな性格によるものだと考えれば可愛いもの。というか、普段はどっちかって言うと大人ぶるタイプな妃乃が実は構ってちゃんだったんだと思うと、何だか凄く愛らしい存在に思えてくる。何を言っているのか分からない、って感じの反応も、多分構ってちゃんと言われて恥ずかしくなったからだろう。

 愉快な結論に行き着いた俺は、ふぃー…とベット寝転がる。妃乃は何やら困惑を増していたが、まぁその内また向こうから話を振ってくるだろうと思い、俺は再び自室でゆっくりとし始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

……因みにその後、俺は妃乃から「いい加減いつ行くか言いなさいよ!?」…と怒られてしまった。…あ、だから出ていかなかったのね……。



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第百七十六話 お試し試作品

 善は急げ…とは少し違うが、やる気がある事なら早めに行った方がいい。それはやる気が萎まない内にって事でもあるし、それが一回で終わらなかった場合、或いは続けようと思った場合、後に回すと別のやりたい事ややるべき事と被って、結局自分が困る事になるのがお決まりだから。

 という訳で、妃乃から伝言を受け取った二日後、俺は園咲さんの下を訪れた。

 

「よく来てくれたね。取り敢えずは座るといい」

 

 挨拶をするとそう促され、部屋のソファへと座る俺。今日は妃乃と一緒に来たが、その妃乃は何かの会議とかで現在は別行動中。

 

「あー…すみません園咲さん。妃乃から聞いていると思いますが、俺は……」

「うん、君自身に明確な要望はない…だったね。それと出来れば、君の妹さんに沿った装備を用意してほしい、で合っているかな?」

「そういう事です。ただほんと緋奈の件はこっちの都合なんで、無理なら無理で大丈夫です。というかそもそも、協会が了承してくれるのかも分からないですし」

 

 妃乃とかの話をした際には失念していたが、緋奈だって形式上は協会所属になっている。であれば勝手に装備をどうこうするのはアウトな可能性もある訳で、それを無視して話を進める事は出来ない。妃乃からは肯定的な発言が出たが、それだって装備の内容によるだろうし。

 

「まあ、私もプライベートでやる訳じゃないからね。試作品のテスト兼データ収集という形でなら出来ない事もないだろうが、そうなると実際に使ってもらう必要が出てくる。…それは、君の望むところじゃないんだろう?」

「はい。安全の為の装備の為に、自分から戦いに出るんじゃ本末転倒ですから」

「だろうね。けど、君には大きな借りがある。だからいざやるとなったら、その時は期待に添えるものを用意すると約束するよ」

「…ありがとうございます、園咲さん」

 

 借り…というのは、恐らく先日の擬似合コンの事だろう。俺や御道からすれば、ただ食事を共にしただけのあれを借りと言ってくれるのであれば、やはり無理な事を言う訳にはいかない。…そして、件の合コン(本番)の結果は気になるところだが…それを訊くのは、流石に不躾な事だろう。…多分。

 

「…さて、それでだ悠耶君。私は君に、幾つか試作品を試してみてほしいと思っている。一先ずは実戦ではなく、取り敢えずトレーニングルームでね」

「それは…まぁ、構いませんけど…何故俺に?」

「理由は二つ。一つは、普段使わない装備に触れる事によって、これまで気付かなかった『こういう物があってほしい』が見つかるかもしれないからだよ。そしてもう一つは…君ならではの視点を、知りたいんだ。大戦で実際に戦った事のある、君の視点をね」

 

 それから話は進み、園咲さんが俺へと投げ掛けてくる要望。質問を返した俺に対する回答は、どちらも納得出来るもの。それまで知らなかったものに触れる事で、現状を見直せるようになるってのは戦闘以外でも普通にあり得る事だし、後者に至っては言うまでもない。宗元さんみたいに、まだ存命の人もいるんだろうが…高齢の相手に、試作品のテストは色んな意味で頼み辛いもんな…。

 

「どうだろうか。無論君からすれば必ずしもやっただけの価値がある結果を得られるとは限らない訳だし、気が乗らないならこの話は無かった事にするよ?」

「…いや、内容はどうあれさっき了承しましたし、やらせてもらいます。妃乃の方も、すぐには終わらないって言っていましたしね」

「そう言ってくれると助かるよ」

 

 先に帰ったって別に悪い事はないが、印象的にはあんまり良くない。そして同じ家で生活している以上、印象の良し悪しは結構重要。

 って訳で俺は立ち上がり、園咲さんと共にトレーニングルームへ。園咲さんはモニタリング用の部屋に行ったから、実際にトレーニングルームへ入ったのは俺だけだが…って、これは別にどうでもいいか。

 

「悠耶君。分かっての通り、そこにあるのが君に試してもらいたい試作品だ。順番は君の自由で構わない」

「了解です。んじゃまぁ、こいつから…」

 

 そう言って俺が手に取ったのは、一本の剣。曰く「妃乃や綾袮、その他霊力による斬撃飛ばしが得意な霊装者からの協力を得て開発した、斬撃を飛ばし易い霊力剣」らしく、実際軽くイメージしながら振るっただけで、刀身からは薄い青の斬撃が飛んでいく。

 

「ふむ、動作に問題はないね。身体に負荷や負担はあるかい?」

「や、大丈夫です。確かに、ぽんぽん斬撃を飛ばせますね……」

「その為の剣だからね。…けど、口振りからしてあまり評価は高くないのかな?」

「あー…まぁ、飛ばし易過ぎる分、疲労で集中力が切れてきたりイメージが乱れたりした時には、普通に斬るつもりだったのに暴発した…って事がありそうな気はするんですよね。後多分これ、純粋な剣としては少し強度が低くなってたりしません?」

「うん。飛ばし易くする関係で、意図的に霊力付加が離れ易い…つまりは霊力が刀身に定着し辛くしているからね。そこについては私も気になっていたし、やや本末転倒かもしれないな」

 

 霊装者の使う武器は、霊力を纏わせる事で強度や斬れ味を強化している。その霊力を離れ易くしているって事は近接戦用武器としての性能を落としているとも言える訳で、ぶっちゃけ俺からしても本末転倒というのが正直な評価。最初の一発は色が薄かった事からも分かる通り、放ち易いと言っても適当に出した場合は霊力の量や収束率の関係で威力が低くなっていそうだし、そもそもそこまでして遠隔攻撃をしたいのなら、銃火器を使えば良いだけの事。協力…というか参考元となった妃乃や綾袮はあくまで近接戦がメイン、状況によっては斬撃を飛ばして遠隔攻撃もするってスタンスである事から考えても、「発想的には面白い」止まりの武器ってところかね。

 

「じゃあ、次はこれを……」

 

 振ったり突いたり連射(斬撃だけど)したりと一通り試した俺は、その剣を戻して隣の武器へ。それに関して園咲さんから説明を受けた後、同じように二つ目の武器も試し始める。

 二つ目として手に取ったのは、先端及び両側面が刃状となっている一対の盾。前腕に嵌め、取っ手を掴んで保持するタイプの装備で、これは結構使い易い。刃と盾が一つになっている攻防一体の武器且つ両腕でそれぞれ持つが故に攻撃と防御の両立がし易く、盾に斬る能力を付加した形なだけあって強度についても申し分ない。逆に言えば主体が盾である為中心部分は厚みがあり、深く斬り裂くには向いていそうにない訳だが…それについては、戦い方次第でどうとでもなるレベルの話。

 

「…良いですね、これ。さっきのみたいな派手さはないですけど、堅実で使い勝手も良さそうです」

「片手で扱えるサイズの盾は、昔から打撃に使われてきた歴史があるからね。だからある意味、通常の盾の延長線上にあると言えるかもしれないかな。…ただ……」

「…ただ?」

「盾に斬撃武器としての要素を加える。それによって起こりうる強度の低下は、霊力による強化で補う。…それではあまりにも普通というか、出来て当然の結果でね…。面白くないんだ、有り体に言ってしまうと」

「は、はぁ…そうですか……」

 

 面白くないも何も、重要なのは実戦でどれだけ役に立つかだろう。…そう思いはしたが、園咲さんが人命を軽視しているとは思えないし、技術開発部の部長という肩書きがある以上、きっと「やりたい事」と「やるべき事」の切り替えは出来ている筈。ならば言う必要もないだろうと俺は待機していた言葉を飲み込み、その武器のテストを暫く続ける。

 斬れ味であったり、取り回しであったりといった細かい性能も検証を行い、それから俺は三つ目の武器へ。途中休憩も入れながら順に武器を試していき、その度に俺は感想を報告。色んな物を試してみるというのは中々どうして面白いもので、段々と俺も気分が乗っていき、後半にはちょっと俺なりの改善案を提案したりもしてみたり。そんなこんなで進めていき……遂に最後の試作品へ。

 

「…えぇ、と……」

 

 一番最後に残った…というか残したのは、グリップも無ければ引き金も無い、銃とダーツを足したような外見の武器(と思われる物)。普通の両手持ちライフルよりも少し小さく、同じ形状の物が十基あるそれも、恐らくは試作品の一つなんだろうが…これはそもそも、一体何なのかすら分からない。…が、それは園咲さんも予想していた事らしく、俺が試作品を数秒程見つめていたところで声が聞こえてくる。

 

「それは遠隔操作端末だよ、悠耶君」

「遠隔操作端末って…SFとかロボット物で時々出てくる、あれですか?」

「そう、あれだよ。霊力配給用の装備はまだ調整中だから、接続部分から一先ず直接霊力を流し込んでくれるかな?」

 

 遠隔操作端末。言われてみればそんな感じっぽい気もするが、それにしたって驚きだ。遠隔操作端末って事はつまり、ラジコンやドローンの様に…或いは無人機の様にして扱うって事なんだから。

 言われた通りに接続部分らしき場所へと手を翳し、そこから普通の武器にやるのと同じイメージで霊力を流す。本来の配給方法じゃないからか、流し込んでいてもちゃんとチャージ出来ているのか、出来ているならどの程度溜まったのかという部分がさっぱりだったが、モニタリングしている園咲さん曰く順調な様子。大分溜まってきたところで俺もそれを感じられるようになり、一つ目が終わったら二つ目へ、それも終わったら三つ目へという作業を経て、全ての端末が充填完了。…しかし、ここからはどうするのだろうか。

 

「充填状態はばっちりだね。ならば後は単純だよ悠耶君。込めた霊力を介して、端末を動かすだけさ」

「か、簡単に言ってくれますね…」

 

 霊力を介して動かすだけ。確かにそこに複雑な順序や準備はないし、そういう意味じゃ至極単純。だがそれは複雑じゃないってだけで、簡単って意味じゃない。というか間違いなく、これは難しい事だろう。

 出来ないとまでは思わない。イメージとしては、茅章がやっていた糸の操作と近いんだと思う。勿論、物理的に繋がっているかどうかという違いはあるが。

 

(…ま、どうせテストなんだ。失敗は失敗でそういうデータになるんだろうし、気楽にやるか……)

 

 この端末群は、何基かが予備という事ではなく、十基全てを運用する想定になっているらしい。だからって十基を同時稼働させるかどうかはその時々の状況や使い手のスタイル次第だが、とにかく今は運用テスト。って訳で俺は十基全部を視界に収め、それ等全てへ意識を送る。

 考えるのは、電波の様に俺の意思を端末へと送り届けるイメージと、それを受けた端末が浮かび上がる光景。ゆっくりと呼吸を繰り返し、心を落ち着けて端末の操作に意識を注ぐ。

 

「……!…お、おぉ……!」

 

 数十秒…いや、もしかすると数分位はしたのだろうか。意識を注ぎ続けた末に、十基中八基が霊力を噴射し浮き上がる。残りの二基も、八基側をおざなりにしないようにしつつ意識を向けていると、多少動きは不安定ながら同じく浮上。十基全てが浮かび上がり、思わず感嘆の声が口から漏れる。

 

「…そこから更に動かせるかい?」

「やってみます…」

 

 指揮をするように両手を前に出し、その状態で動かす事を試す俺。まずは更に上へ、今度は左へ、次は右へ。一つの集団の様に十基の端末を揃って動かし、少しずつその速度を上げていく。

 

「…………」

 

 ただ動かすだけでも、かなりの集中力を要する。少しでも気を抜くと、意識がどれかに偏ると、何基かが落ちてしまいそうになる。

 だがそれは、慣れていないからってのも大きいだろう。例えば自転車は初めて乗る時、誰だって緊張するし集中しなきゃすぐコケそうになるが、慣れてしまえば気を抜いたって、中々クリア出来ないゲームの攻略方法を考えてたって普通に乗りこなす事が出来る。それと同じように、これの操作も繰り返す事で慣れ、感覚的に『覚える』事が出来れば、きっとこの負担は軽減される。…それよりも、問題なのは……

 

(…くっそ…駄目だ、個々で動かすのは難し過ぎる……)

 

 揃って動き、揃って飛ぶ端末。少しずつ動きが滑らかになっていってるような気もするが、今のままじゃ実用的には程遠い。ある程度の範囲に十基全てがあって、全基が同じ動きしかしないのなら、数が全く活きないどころか、むしろ集まってる分相手からすりゃ絶好の的。試しに射撃も行ってみたが、一発一発の威力はあまり高くなく、ぶっちゃけこれなら御道の一斉掃射の方がよっぽど脅威になるだろう。運用する当人とは別の場所から攻撃出来るって点も、この程度なら遠隔操作出来る罠を使うのと大差ない。

 

「……っ、あぁ…!」

 

 それからの数分間はバラバラに動かす努力をしてみたものの、結果は一層疲れただけ。いよいよ揃って動かす事もキツくなってきた俺は軽く呻きながらその場にどかりと座り込み、端末も全て床に降ろす。

 

「大丈夫かい?キツいようなら、テストはこの辺りで……」

「いや…一先ず休憩します…。続けるかどうかは、休憩後の体力次第で……」

 

 園咲さんからの言葉に返しながら、俺は額の汗を拭う。簡単に出来るとは思っちゃいなかったが、ここまで疲れるとも思わなかった。…こりゃ、これを最後に回して正解だったな……。

 

(…つか、考えてみりゃ茅章だって糸は基本束にして、別々に動かす数は減らしてたんだ…強度を上げる為ってのもあるんだろうか、あれは負担を減らす意図もあったんだろうな……)

 

 武器を自在に操り遠隔攻撃を仕掛ける。違いはあれど似たような事なら茅章がやっている訳で、しかも無線な分難度は間違いなくこっちが上。そう考えると、初使用で全部をバラバラに動かそうなんて事自体が、土台無理な話だったのかもしれない。少なくとも、今の俺に十基は無理だ。

 

「すまないね。厄介な代物まてテストさせてしまって」

「や、いいっすよ。確かにこれは厄介な代物ですけど、幾つか面白い物もありましたし」

「…実戦で使ってくれても構わないんだよ?」

「それは遠慮しておきます」

 

 脚を投げ出しぼけーっと座っていると、スピーカーではなく背後から声をかけられる。振り返るとそこには移動してきたらしい園咲さんがいて、手渡される紙コップ。

 

「にしても、驚きだ。私自身含め、これは他にも数名に試してもらったが…君が一番きちんと端末を動かせていた」

「…あれでですか?」

「あれでもだよ。私に至っては、滞空を維持するので精一杯だったからね」

 

 そう言って肩を竦める園咲さんに、お世辞を言っている雰囲気はない。…というか…多分この人は、お世辞なんて言えないんじゃないだろうか。いや、滅茶苦茶失礼な印象だが。

 

「…これ、十基じゃなきゃいけない理由とかはあるんですか?」

「ないよ。けれど一基や二基ならば、銃を構えて直接動く方がよっぽど強いし安定するからね。加えて空間認識は使用者の目に頼っている以上、戦域の外から端末だけを向かわせるなんて芸当も出来ない。ならば数を増やし、一人で多方面からの飽和攻撃を可能とする装備にしようと考えたのだが…やはり、十基は多いのかもしれないな。さて、どうしたものか……」

 

 端末を眺め、胸を乗っけるようにして腕を組む園咲さん。他にも実用性に欠ける試作品はあったが、その中でもこの端末装備は断トツで…けれど彼女の表情に、暗いと感じられるものはない。

 

「…楽しそうですね」

「うん?…あぁ、楽しいよ。どこを改良するか、どんな改善をするべきか、その結果生まれる別の問題があるとしたら、それにはどう対処したらいいか…それを考えている時は、いつだって楽しいものさ。例えるなら……」

「……?」

「…………」

「…園咲さん?」

「…例えるなら、なんだろうね」

「えぇー…それを俺に訊かれても……」

 

 何か出てくるかと思いきや何も出てくる事はなく、それどころか逆に意見を求められて、思わず俺は何とも言えない微妙な気分に。…ほんと読めないというか、色んな意味で独特だな、この人は……。

 

「…まあともかく、私にとってはそれも楽しいんだ。勿論、完成まではまだ遠そうだし大変だろうが…それでも、楽しいものは楽しいのさ」

「…周りにとっては苦行でも、本人にとっては楽しい事。…ありますよね、そういう事って」

 

 ただでも、その気持ちは分かる。何を楽しいと感じるかは人それぞれで、そこに大変かどうかは関係ない。達成感って意味じゃ「大変だからこそ楽しい」ってのもあり得る訳で、園咲さんにとっては装備を開発するのが、その楽しいって事なんだろう。……よし。

 

「今度は半分の五基でやってみます。もう少しそれっぽい動きが出来なきゃ、なんか締まりが悪いですからね」

 

 コップに残った中身を飲み干し、勢いを付けて立ち上がる。五基でもまだ決して楽じゃないが、一基二基じゃあ流石にしょぼいし、一基でのデータ位はもう事前に取っている筈。

 

(直接触れてるか、遠隔操作かの違いはあるが…霊力を操作するって意味じゃ、他の武器と同じなんだ。だったら、根本的な部分は変わらないだろう、よ…ッ!)

 

 それから約数十分間、俺は端末の操作を試し続けた。一基一基を別方向へ、バラバラに動かす事を目指して、五基の端末へと意識を注ぎ続けた。

 その結果、体力が尽きる頃にはそれなりに良い動きをさせられるようになって……などという事はなく、努力の結果は残念ながらちょっぴり加速や旋回が速くなった程度。だがそれでも、園咲さん的には良いデータが取れたらしく……へろへろになるのと引き換えに、俺は園咲さんから多大な感謝を得るのだった。

 

 

 

 

「あ"ー…疲れた、マジ疲れた……」

「お疲れ様。様子からして、本当にくたくたみたいね」

 

 体力切れでテストを終了した後、俺は少しだけ先に終わっていたらしい妃乃と合流した。で、今は帰路に着いている真っ最中。

 

「でも、誰かを手伝ってした疲労は、そんな悪いものでもないでしょ?」

「理由はなんだろうと疲労は疲労だっての…まあ、悪い気分って訳でもないが……」

「素直じゃないわねぇ」

「妃乃には言われたくない…」

 

 集中しっ放しだったからか、首が痛いというか肩が凝るというか、とにかく普通とは違う類いの疲労が俺の身体を襲ってくる。一方妃乃はそんな俺が面白いのか、こっちを見る度にやにやしている。

 

「…そういや、妃乃の方は何の会議してたんだ?」

「ある大規模調査の事よ。…そういえば……」

「…ん?」

「…ううん、何でもないわ。それにどうせ、悠耶は調査なんて興味ないでしょ?」

「内容に寄るな。人里離れてる場所にぽつんと立ってる家とか、繁盛してる感ないのに何故か潰れない店の調査とかか?」

「何よそのバラエティ番組みたいな調査は……富士山の調査よ、富士山の」

 

 日本を代表する山、霊峰富士。まあ当然地質調査とか行方不明者の捜索とかじゃあないだろう、だって霊装者だし。

 

「富士山ねぇ…富士山と言えば、昔宗元さんが富士山にはどうたらこうたら…って言ってたな。ちゃんと聞いてなかったから覚えてないけど」

「お、お祖父様の話はちゃんと聞きなさいよ、失礼ね…」

「いやだって、宗元さん下らねぇ話してくる事も多いんだぜ?…今から思えば、そうやって俺とコミニュケーションを取ってくれてたんだろうが…」

「お祖父様が、下らない話を?…貴方が理解出来なくて、下らない事だと勘違いしてただけなんじゃないの?」

「えー……」

 

 失礼も何も…と思った俺に対し、返ってきたのはそんな訳ないでしょ、と言いたげな妃乃の言葉。そう言う妃乃は、至って真面目な顔をしていて……俺からすれば表面的には俗な宗元さんも、妃乃からは立派な祖父らしい。いやまあ、お祖父『様』なんて言ってるし、妃乃が宗元さんを尊敬している事は前から分かっていた事ではあるが。

 

(歳をとって変わったのか、それとも立場が変えたのか、或いはあの宗元さんも、孫娘の前じゃ見栄を張りたくなるのか…まあ、そこはどうだっていいか)

 

 さっき園咲さんと「何を楽しいと思うかは人それぞれ」…って感じのやり取りをしたが、誰をどう見るかも人それぞれ。特に今回の場合、俺の知る宗元さんと妃乃の知る宗元さんは、何十年もの隔たりがあるんだから、差異があったって何らおかしな事じゃない。それに…宗元さんが尊敬出来る人物だって事は、俺だって知ってるんだから、な。

 

「ま、なんかあったら教えてくれ。調査なんて行く気はねぇが、簡単な手伝い位ならするさ」

「えぇ、何かあったら…ね。…ところで悠耶、装備の件は結局どうなったの?」

「あぁ?だから、試作品のテストを…って、よく考えたらその話、結論らしい結論出してねぇじゃん……」

「うっかりしてるわね、貴方も園咲博士も……」

 

 俺は特に希望がない。緋奈のは色々問題がありそうだ。…この二つの要素がある以上話を進めるも何もって感じではあったが、園咲さんがテストの話を持ち出した事で、有耶無耶になってしまったのは事実。だからって何か困る訳じゃないものの、それでは何とも締まりが悪く……何やってんだかなぁ、と疲れた肩を更に落とす俺だった。



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第百七十七話 お返しではなく

 ホワイトデー。特定の男にとっては『お返し』の関係からむず痒く、特定の男になりたくてもなれなかった男にとっては面白くもない、そしてそもそもあんまり興味のない男からすれば至って普通の、三月のある日。そんな日を迎えた今年の俺は……最初のパターンになっていた。

 

(…さて、どうしますかねぇ……)

 

 帰りのHRを終えた放課後。俺はいつものようにクラスメイトと話す綾袮さんを見ながら、あるタイミングを図っていた。

 何のタイミングかと問われれば…それは勿論、先月の…バレンタインのお返しを渡すタイミング。他のクラスメイトから貰った分のお返しはもう渡したけど、綾袮さん…それにラフィーネさんフォリンさんへは、まだ渡していない。いつ渡すのがベストなのか、そのタイミングで迷っている。

 

「無難に家か…?いやでも、家だと二人に渡すタイミングとの兼ね合いもあるし…けど、貰ったのも家なんだよな……」

「世界の中心で良いんじゃないか?」

「俺は愛を叫びたい訳じゃねぇよ……って、急に何!?」

 

 変なアドバイスに呆れながら突っ込…んだところで、遅れて驚きに襲われる俺。せ、千嵜か…びっくりしたぁ……。

 

「いや、お前こそ何だよ…急にぶつくさ言いだして……」

「…ちょっと、綾袮さんに渡すものがあってね…」

「んぁ?ならさっさと渡しゃ…って、あー…。そういう事か……」

 

 急に何なんだと思った俺だけど、どうやら自分で思っていたよりも声量のある独り言になってしまっていた様子。ならば隠しても余計変に思われるだけだろう、と思って俺が答えると、千嵜は返答の途中で何やら表情が変化し、分かる分かる…とばかりに大きく一つ頷いてくる。

 

「その反応…もしや千嵜も?」

「まぁ、な。…別に特別な意図がある訳じゃなく、単にお返しってだけなんだが…それでもこういうのって、タイミングを意識しちまうよなぁ……」

 

 明言はしないものの、立場的には同じであると認識し合った俺達は、はは…と乾いた笑いを漏らす。

 本当に千嵜の言う通りで、あくまで「お返し」として渡すだけなのに、場所やタイミングを意識してしまう。渡す以上は喜んでほしい…って気持ちは勿論あるし、何ならお返しは手作りだけど、別に何か特別な気持ちを伝えたい…とかじゃない。なのに気にしてしまうのは…若いからかなぁ……なんて、ね。

 

「…まぁ、やっぱり家の方がいいか…誰かに見られたら恥ずいし……」

「先回りして靴箱に入れとくとかはどうだ?」

「そんな事するタイプじゃないっての…後、食べ物を靴箱に入れるってどうなのよ……」

 

 ちゃんとした理由半分、取り敢えず先回りにしちゃえという理由半分で学校では渡さない事を決めた俺は、鞄を持って立ち上がる。そして同じく立った千嵜と共に、廊下を通って校舎の外へ。

 

「さっむ…いい加減暖かくなってくんないかねぇ……」

「一昨日は暖かったんだけどねぇ…」

 

 まだ冷たい三月の風に吹かれつつ、千嵜の言葉に同意した俺。それから俺は少しでも暖を取ろうと両手をポケットの中へ突っ込……んだところで、入れていた携帯が振動を起こす。

 

「ん?あ、茅章からだ…」

「なんだ、何か…っと、俺の方にも来たな……」

 

 俺へメッセージを送った後すぐに千嵜の携帯にもメッセージを出したのか、俺達は一度足を止めて内容を確認。

 書かれていたのは、これから時間があれば会いたい…という旨の文章。タイミングからして、会いたいというのは俺達の両方に対してだろう。

 

「…急だね…何かあったのかな」

「さあ?訊きゃいいじゃん」

「んまぁ、それもそうか…」

 

 送られてきたのは昔ながらの手紙ではなく電子メッセージなんだから、気になる事は返信で訊き返せば良いだけ。そんな当たり前の返しを受けた俺が「どうかしたの?」とメッセージを返すと、「出来れば今日の内にしたい事がある」という解答が戻ってくる。

 

「何だろう…急用…?」

「今日の内、って事はそうかもな」

 

 具体的な答えは返ってこなかったものの、具体的じゃないからこそ、何かそれなり以上に意味のある事なのかもしれない。そう思って俺が良いよと返すと、次に返ってきたのは場所の提案。

 

(あの公園か…綾袮さん達へのお返しは夜でも大丈夫、かな…)

 

 ここでいい?…という問いにも肯定を示し、多分似たようなやり取りをしていたであろう千嵜と共に、俺はそのまま指定された公園へと歩き始める。何か結果的に、更にお返しの件を後回しにしてしまったみたいな形となったが…本当に、お返しを先送りにしようとかは思っていない。いや、うん。マジでちゃんとお返しする気はあるし。

 

「…なんか…今年度はちょこちょこ行ってんな……」

「…公園に?」

「公園に」

 

 高校生にもなると、公園に用事が出来る事なんてまず無くなるし、何か別の施設と直結してるタイプでもなきゃ一年に一度行くかどうか…だと思っていたけど、何やら千嵜はちょこちょこ公園に行く機会があったらしい。何故かまでは話す気なさそうだけど。

 というのはまぁさておき、徒歩で俺達が到着したのは前に茅章の話を聞いたあの公園。あれからもう半年以上経ったのか…と思いつつ入って見回すと、茅章はベンチに座っていた。

 

「ごめん、待たせちゃった?」

「ううん、僕もさっき来たところだよ。二人共、来てくれてありがとね」

「まあ、忙しくなかったしな」

 

 俺達の存在に気付くと茅章はすぐに立ち上がりわ俺達も茅章のすぐ側へ。茅章も学校から直で来たのか、今は全員制服姿。

 

「で、したい事って?」

「あ…うん。えっと……」

 

 急ぐ事はないけれど、まだ寒い中外で突っ立ってるだけってのもかなりの苦痛。という訳で早速俺が問い掛けると、茅章は一つ頷き…それから何か言い辛そうな様子を見せる。

 

(…なんだ…?やっぱりちょっと、重い話なのか…?)

 

 急な連絡と、具体的じゃない目的。その二点から俺は、可能性の一つとして「気軽に話せない悩みや問題」である事を考えていて…躊躇うような茅章の姿に、俺の中でその可能性が俄かに膨らむ。

 どうやらそれは千嵜も考えていたらしく、隣を見ればそこにあるのは真剣な顔。なんであろうとまずは聞く…そんな雰囲気を纏った表情。

 そしてそれは、俺だって同じ事。茅章が何か悩んでいるなら放っておけないし、力になりたい。相談する相手として俺達を選んでくれたのなら、その気持ちに応えたい。そんな意思を胸に抱きながら俺達二人が待っていると、意を決したように茅章はこちらを見つめ返し……言った。

 

「あ、あの…もし、嫌じゃなかったら…これ、受け取ってくれないかな……」

『え……?』

 

 恥ずかしそうな声と、緊張の混じった表情。それ等と共に俺達の前へ差し出されたのは、小さな袋に入ったブラウニー。…って、これ…まさか……

 

「その…僕、こういう見た目だからバレンタインには、『可愛いからあげる』って感じにチョコを貰えたりするんだ。で、そのお返しとしてブラウニー作ったんだけど…折角なら、二人にも食べてほしいな…なんて思って……」

『…………』

「だ、だから持ってきたんだけど…や、やっぱり変だよね、ホワイトデーにお返しじゃないお菓子を渡すなんて…二人も、反応に困っちゃう…よね……」

 

 自信がないのか目を逸らし、もじもじと差し出した物の意味を話す茅章。初めはまだ普通だったものの、次第に声が小さくなっていき、どんどん声音も沈んでいく。そうして遂に茅章はしゅんとしてしまい、ブラウニーを持つ手も若干下降。対して俺は…更に恐らくは千嵜も、そんな茅章の言動を見聞きしている間、こう思っていた。

 

(…どうしよう、普通に可愛い……)

 

 何を考えているんだ、という指摘は分かる。その突っ込みは尤もだ。だがしかし、現に茅章は可愛い。可愛いというか、見た目と言動が相乗効果を発揮している事で完全に愛らしい印象になっているのだ。そしてその愛らしさは…誤解を恐れず言えば、女の子のそれと大差ないと思う。

 

「…悠耶、君…?顕人君…?」

「…あ……ご、ごほん。そういう事だったのか…だったら……」

「受け取らない訳には、いかないよね」

 

 大分邪な感情から茅章の呼び掛けで現実へと戻ってきた俺は、千嵜の口にした言葉に首肯。同時に袋を一つ受け取り、茅に感謝の言葉を伝える。

 

「…いいの……?」

「いいも何も、俺達は受け取る側だよ?断る理由なんてあると思う?」

「てか、普通に嬉しいしな。茅章にこういう事してもらえてさ」

 

 不用品回収じゃあるまいし、嫌な訳がないじゃないか。そんな思いで俺が肩を竦め、続けて隣の千嵜が首肯すると、茅章が浮かべたのは安堵の表情。

 

「よ、良かったぁ…。…普通、だよ…?不味くはないけど、特別美味しいって程でもないからね…?」

「普通に美味しきゃそれで良いさ。特別な美味さが分かる程立派な舌は持ってないしな」

「またそういう捻くれた言い方をして…。大丈夫だよ茅章、こういうのはくれるって事自体が嬉しいんだから」

「…御道、味に言及しないってのもそれはそれでどうなんだ…?」

「うっ…ま、まだ食べてないんだから言及はしようがないでしょうが…!」

 

 そこそこ良い事言ったつもりが、千嵜に突っ込まれてしまった俺。平然と返せれば良かったものの、一瞬「そ、それもそうだ…」と思ってしまったせいで言葉に詰まり、結果図星を突かれたみたいに。…むぅ……。

 

「…こほん。じゃあ…って訳じゃないけど、食べてみても良い?それはちょっと…って事なら、家で食べて後日感想を伝えるけど…」

「あ…う、うん。勿論食べてくれていいよ。もうそれは、二人の物だから」

「なら、俺も頂くとするかな」

 

 咳払いで仕切り直した俺は、茅章の了承を得て袋を開き、中の切り分けられたブラウニーの一つを摘まみ上げる。

 ちょっと固い上部に、しっとりしてそうな中身に、ちらほら見えるナッツの欠片。普通なんて言っていたけどベーシックなブラウニーは見るからに美味しそうで、漂ってくる匂いも良さげ。だから何の不安もなく俺はブラウニーを口へと運び…ぱくりと中へ。…ふむ、ふむ、ふむ…これは……。

 

「…うん。やっぱり美味しい」

「だな。特にナッツが主張し過ぎず、けれど埋もれない程度には存在感のあるサイズになっているのが良い」

「そ、そう?ナッツはこれ位かなぁと思ってそのサイズにしたんだけど…そっか、これ位が丁度良かったんだ……」

 

 千嵜から具体的な好評を受けて、茅章は表情を綻ばせる。確かにナッツの大きさは丁度良いし、甘さもくどくないというか、複数食べても全然嫌には思わない感じ。

 一つ目を飲み込んだところで、俺は二つ目のブラウニーを口に。食べている間、茅章はこっちを嬉しそうに見つめていて、まあ嬉しく思っているのならこっちも喜ばしい事ではあるけど…やはり、見られながらというのは少し食べ辛い。

 

「ご馳走様、っと。…けど、悪いな。俺達は何もしてないのに」

「ううん、これは僕がしたくてやった事だもん。それに…何もしてないなんて、そんな事ないよ」

「…そう……?」

「そうだよ。だって二人は、あの日僕の悩みを聞いてくれて、これまで色んな事に僕を誘ってくれて、今僕と何の気兼ねもなく接してくれてるでしょ?…いつもしてもらってるのは僕の方。だからこれは、そのお返しでもあるんだ」

 

 訊き返した俺に茅章はこくんと頷いて、穏やかに言う。普段のお返しが出来て嬉しい、そんな思いが伝わってくる声で、俺達に感謝を伝えてくれる。

 それが、どんなに清らかな事か。清く、優しく、歪みのない茅章の心が、そう言って感謝してくれている。そんなの嬉しいし…こう思うに決まってる。このお礼は、絶対にしなきゃいけない、って。

 

「…なぁ、千嵜」

「ああ、だな。…茅章、何か俺達に出来る事があるか?」

「え…?」

「茅章の気持ちは分かった。そういう事なら、俺達も悪いだなんて思わない。けど…これにお礼をしたいと思うのは、別に良いだろ?」

「勿論、感謝の押し付けはしたくないから、何もなければそれで良いよ。でも困ってる事でも、してほしい事でも、もしも何かあるなら言って。力になるからさ」

「二人共……」

 

 殆どアイコンタクトと表情だけで意思疎通を交わした俺達は、茅章に言う。茅章からの感謝に応えるように、お礼のお礼を申し出る。

 そこに深い理由はない。何かしてもらったらそのお返しをしたくなる。感謝の気持ちを向けられたら、自分も感謝で返したくなる。ただ、それだけの事。

 

「あ、ありがとね二人共。その気持ちは、凄く嬉しいよ。…うん、ほんとに…ほんとに嬉しい……」

「なら良かった。…けど、それを前置きっぽく言うって事は……」

「え、っと…うん…。急にお礼をって言われても、すぐには思い付かないって言うか……」

「あー…うん、そりゃそうだよね…ごめん…」

「あ、け、けど待って…!二人の気持ちを無下にはしたくないから、何かないか今すぐ考えるから…!」

「いや、無理に捻り出さなくてもいいぞ…?てか、それで茅章が悩むんじゃ本末転倒っつーか……」

「大丈夫…!考えれば何かしら出てくるから…!二人にお願いしたい事なら、何かしら…………あ」

『……?』

 

 真面目で優しい性格が災いして、ぱっと思い付かないのなら「じゃあ、何かあったらその時お願いするね」とでも言えばいいところを、真剣に考え悩み出す茅章。いやいやいや…と若干の呆れを抱きながら俺達は止めようとしたものの、何故か発揮される変な意地。それによって茅章の思考は続き…数十秒程したころだろうか。不意に茅章が「あ」と声を上げ、それからこちらをじっと見てくる。

 

「…その…ちょっと変なお願いでも、いいかな…?」

「構わないよ。まあ流石に、不可能な事や非常識な事の場合は要相談になるけど……」

「そ、そういう事じゃないの。ただその…肩を、組んでほしくて……」

『肩を…?』

 

 再びもじもじとしながら茅章が口にしたのは、ちょっと意味が分からないお願い。意図が分からずそのまま俺達が訊き返すと、茅章はそうだと一つ頷く。

 

「ほら、アニメとかドラマとかで、偶に肩を組むシーンってあったりするでしょ?…僕、前からそれに憧れてたっていうか、一度やってみたいと思ってて…でも、それが出来る相手も機会もこれまでなかったから……」

「あぁ…そういう事ね」

「そういう事。…も、勿論嫌なら嫌って言ってくれていいよ?…口にしておいてあれだけど、僕自身肩を組もうとして組むのはちょっと恥ずかしい気がしてるし……」

 

 肩を組む…と言っても幾つかの意味があるけど、茅章が言っているのはテンションが上がってる時にやりたくなるあれ(俺は自分からやった事ないけど)らしい。そして恥ずかしいという言葉の通り、少し茅章は照れた表情を浮かべている。

 まあともかく、それをやってみたいというのが茅章のお願い。茅章自身は、嫌ならそう言ってくれていいと言ったけど……

 

「…じゃ、やろうか千嵜」

「あいよ。てか茅章、こんな事でいいのか?」

「も、勿論。…それに、二人がしてくれるなら…僕にとっては、全然『こんな事』なんかじゃないから」

「そっか。だったら……」

 

 ちらりと目を合わせて頷き合い、俺と千嵜は茅章の左右へ。そしてぴくんと肩を震わせる茅章の姿に頬が緩みそうになるのを感じつつ……茅章の首へ、後ろから腕を回す。

 

「……っ!」

「よ、っと…これでいいんだよね?」

「俺に訊くな。俺だって正しい肩の組み方なんて知らん」

「いや別に正しさを求める訳じゃなくて……茅章?」

 

 茅章は俺達よりも少し背が低い分、若干ながら俺達は前に傾く形となる。更にそのままじゃ茅章越しになってしまうという事で、顔を前に出しつつ千嵜とやり取りを交わしていると…ふと、茅章の顔が目に入る。

 両側から肩を組まれ、挟まれる形となった茅章の表情に映っているのは、緊張の色。それに頬もさっきより赤く……何というか、ガチガチになっている様子。

 

「茅章ー?大丈夫?」

「うぇっ!?あ、うん大丈夫!大丈夫大丈夫っ!」

「いや、ほんとに大丈夫か…?かなり声上擦ってんぞ…?」

「こっ、これはそう!突発性の発作か何かだから!」

『それは普通に大問題じゃ(ない・ねぇの)!?』

 

 わたわたとする茅章の声を千嵜が指摘すると、返ってきたのはかなりヤバげな言葉。…ま、まぁ緊張で変な事を口走っちゃっただけだろうけど…それ位緊張してるってのも決して大丈夫な状態じゃないよね…?

 

(…けど、これはこれで……)

 

 調子が狂ったままの茅章を見ている事で、じわりと胸の中に浮かぶ悪い発想。

 皆さんご存知悪い事はしないこの俺御道顕人だが、時々魔が差してしまう事はある。例えばそう、昨年のコタツの一件の様に、凄く悪い発想が過ってしまう事があるのだ。

 

「……こいつめー」

「ひぁっ!?いや、ちょっ…あきひほくん…?」

 

 つぷり、と茅章の頬をつつく指。それは勿論、俺の人差し指。…何をしてるかって?正直、自分でもよく分からない。

 

「…柔らかそうだな」

「にゅわっ!?ゆぅやくんまれなに…!?」

『……何となく?』

「ふぇええっ!?」

 

 ぐにぐにと何度か頬を指で押していると、今度は逆側の頬が千嵜の餌食に。発想が被ったのか、まさか俺の行動を見てやりたくなったのか、その辺りは定かじゃないけど…そりゃあそうだよなと思う。だって実際、つつきたくなる雰囲気があるし。現に俺もつついてるし。

 

「うぅぅ…ひゃめてよふひゃりともぉ……」

 

 抵抗…のつもりなのか、ぷくっと頬を膨らませる茅章。だが当然それが抵抗になる筈もなく、押す度ぷひゅうと息が抜けていくばかり。

 加虐心を煽るというか、ついつい困らせてしまいたくなるというか。今の茅章はそういう感じに溢れていて、俺も千嵜もつんつんつんつん続けてしまう。

 対して茅章は俺達に挟まれ、腕を回されている事もあって完全にされるがまま。というか頬を膨らませる程度でそもそも抵抗らしい抵抗がなく、してる事といえば顔を真っ赤にしてる程度で……気付けば俺達は、十分位茅章の頬を弄り回していた。

 

「ひぅぅ、酷いよ二人共…まだ頬が変な感じする……」

 

 柔らかな頬をたっぷりとつつき回して満足したからか、ある段階から急激に襲ってきた「何やってんだ俺…」感。その感情に促されるように俺も千嵜も離れると、茅章は照れとか関係なしに赤くなってしまった頬をさすりながら、俺達二人を恨めしそうに見やってくる。…それがまた恐ろしさなんて一切なく、むしろ可愛らしい感じだったんだけど……うむ、不味いな。今日はマジで思考がおかしい。

 

「悪い、流石に少し調子に乗り過ぎた…」

「俺もごめん…なんかちょっと変な思考回路になってた…」

「ほんとだよ…二人じゃなかったら僕、もっと怒ってるんだけどね…?」

『…二人じゃなかったら?』

「あっ…う、うん…。…恥ずかしかったし、なんでつつかれてるのか全然分からなかったけど…別に、嫌な気はしなかったから……」

 

 行為はどうあれ反省しなくては。俺は冷静になった事でそういう思いを抱きつつあったというのに、これまた茅章が口にしたのはいじらしいというか、再び弄りたくなるような言葉。もしや茅章、誘っているのか…?…と一瞬思ってしまう程、無自覚なんだろうけど今のはあざとい。

 

「あー…こほん。茅章」

「な、何?」

「いや、仕切り直し…って訳じゃないけど、俺は一番最初に言うべき言葉を、まだ言ってなかったと思ってさ」

「最初に言うべき言葉…?」

「…そうだな。そういや、俺も言ってなかったわ」

 

 とはいえ、差した魔にいつまでも流される訳にはいかない。咳払いと共に気持ちを切り替えた…いや、魔が差す前へと戻した俺は、改めて茅章に向き直る。

 同様に佇まいを正した千嵜と共に、茅章を見つめる俺達二人。そして茅章がきょとんとする中、俺達は軽く笑みを浮かべて……言った。

 

『ありがと(ね・な)、茅章』

「あ……うんっ!」

 

──ホワイトデー。日本においては、バレンタインにてしてもらった事のお返しをする日であり……そんな日に俺と千嵜は、美味しいブラウニーと優しい思い、それに最高の笑顔を茅章から貰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

……え、綾袮さん達へのお返し?それは勿論帰ってからしたよ?ちゃんと一人一人に、感謝の言葉と一緒に渡したよ?…その時の描写?……貰う場面ならともかく…あげる場面、見たい…?



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第百七十八話 霊峰へ向かう、その前に

「妃乃、朝食用のおにぎりは冷蔵庫に入れといたからな」

 

 学校外では勿論の事、学校内でも何だかんだで色々あった今年度も、いよいよ終わりに差し掛かっている。遂に三年か、三年になってしまうのか…と思ってる真っ最中の春休み。…うん?そうだぞ?もう春休みだぞ?…別に急って事はないだろう。そりゃ勿論、終業式やら何やらは飛ばしてるが、それは見たって面白くないだろ?……ごほん。

 そんなある日の夜。俺は作ったおにぎりの存在を伝えるべく、ノックの後に妃乃の部屋の扉を開いた。

 

「悪いわね。わざわざ用意させちゃって」

「別に然程苦労する事でもねぇからいいさ。妃乃だって、明日はさっさと食べて行きたいだろ?」

「…まぁ、ね」

 

 このやり取りから分かる通り、おにぎりは特別に作ったもの。そして何故作ったかといえば、妃乃は明日朝早くから任務に出掛けるから。勿論市販のおにぎりを買っておくって手もあるし、実際妃乃はそうするつもりだったっぽいが…折角白米が残ってて、家の中には暇してる奴もいるってのに、スーパーやコンビニで買っておいた物を…ってのは味気ないからな。

 

「…入念な準備だな」

「えぇ。過剰に準備しちゃったってなら骨折り損で済むけど、準備不足の結果何か取り返しの付かない事に繋がったら、そんなの悔やんでも悔やみきれないもの」

 

 俺が部屋へと入った時、妃乃は天之瓊矛の手入れ…つまりはメンテナンスをしていた。幾ら霊力を纏わせる事で真価を発揮する武器だとしても、芯となるのは霊力ではなく実体の刃や柄である以上、武器の手入れは欠かせない。だが妃乃の手入れは焦れったく感じる程に入念で……そんな様子からも感じられる。明日より行われる任務が、どれだけ重要なものなのかが。

 

「…そんなに気を張り詰めなくてもいいと思うけどな。手入れはきっちりやっておくべきだが、妃乃ならそこまで入念にやらなくたってミスはねぇだろ」

「かもしれないわね。でも、そういう考えが油断を招く。安易な楽観視は、注意力そのものの低下に繋がるわ」

「んまぁ、それはそうなんだが…。ただ、俺が見る限り妃乃にそういう間違った楽観視や油断はなさそうっていうか、どっちかっつーと気を付け過ぎて疲れちまう可能性の方が高く感じるっていうか……」

 

 返ってきた言葉はご尤も。自分を勇気付ける為の「これだけやったんだから」は有用だが、楽をしたいが為の「これだけやったんだから」は油断を招く要因になる。とはいえ俺が伝えたかったのはそういう安易な判断ではなく、もっと別の……と思っていると、いつの間にやら妃乃が天之瓊矛から目を離し、こちらへと視線を向けていた。

 

「…悠耶…もしかして貴方、私を気遣ってくれてる……?」

「う……ま、まぁ…平たく言うと、そうなるな…」

「あ、そ、そう…そうなのね……それはその、ありがと…」

「お、おう……」

 

 じっと俺を見つめたまま、妃乃の口から発された問い。毎日の様に見ている相手と言えども、非の打ち所がない程整った顔立ちを持つ妃乃に、紅玉の様な瞳で、どこか真剣そうに訊かれてしまえば上手い事誤魔化すなんて出来ない訳で……正直に答えてしまった結果、何だか気不味い雰囲気になってしまった。…むむぅ…なんか最近、時々こういう事になるんだよな……。

 

「…でも、ほんとに大丈夫だから…それにこれの手入れは、正直安心感に繋がってるとこがあるし……」

「…武器マニアだったのか?」

「そ、そういう事じゃないわよ!これは先祖代々受け継がれてきた武器で、実際私の手にもよく馴染んで、私の全力にも応えてくれるから、これの状態が良ければそれだけでも何とかなりそうな気がしてくるってだけ!」

「だけって割には説明長いな…。…ま、気持ちは分かるけどよ…」

 

 武器は自分の力をより効率良く発揮する為の物。100%の力を発揮出来るかどうかは武器にかかってくる部分も少なからずあるし…何よりずっと一緒に戦ってきた存在であれば、安心感に繋がるのは普通の事だよな。

 そういう事なら、これ以上とやかく言う必要もないだろう。というか俺が作業の邪魔をしてちゃ世話ねぇよなという事で、部屋を出て行こうとする俺。…だが、頭では大丈夫だろうなと思っていても、やっぱり少し気になって……余計なお世話かもしれないけれど、振り返って俺はもう一言。

 

「…妃乃。妃乃は強いし、しっかりしてる。多分こう言うと自分はまだまだだって思うかもしれねぇが、昔の宗元さんや俺が世話になった人達と比べても、劣ってるなんて事はない。だから……」

「…えぇ。悠耶にそんな事言われても…って言いたいところだけど、貴方にそう言ってもらえると大丈夫だって思えてくるわ。…す、少しだけどね」

 

 お節介だとしても、1㎜でも妃乃の心に余裕が出来るのならと、妃乃の目を見て言った言葉。今度は込めた思いがちゃんと伝わったようで、妃乃も表情を緩めて頷いてくれた。…素直じゃない一言を最後に加えてきた辺りは、何とも妃乃らしいが…そういうとこに意識が回るって事は、気を張り詰め過ぎてるって事はないんだろう。……多分。

 

「…なら、その調査任務が終わったら、偶には何か出前でも取ろうぜ」

「それもいいわね…って、ちょっと!?何さらりと弱めのフラグ建ててるのよ!?」

「あ、悪い…って、これフラグになるか…?弱めってか、フラグとしちゃしょぼ過ぎね…?」

 

 結婚でも告白でもなく、出前。それでフラグになられても反応に困るだけだろうとか思いながら、俺は再び出入り口の方へ。そうして最後の最後で変な感じになってしまったが、俺はきっと大丈夫だという信用を胸に妃乃の部屋を出るのだった。

 

 

 

 

 冬は気温も湿度も低いからか、ぱりっとした空気感がある。朝はそれが特に顕著で、気持ちが引き締まるというか、やるぞ…という心待ちにさせてくれる。…まぁ、今は時期的に冬というより冬と春の境…それもかなり春よりの境なんだろうけど…ともかくそんな空気を、俺は玄関で感じていた。

 

「顕人君、忘れ物ない?」

「大丈夫…だと思う」

「じゃ、行く前に片付けておきたかった事とかは?」

「それもないよ」

「宿題やった?歯磨きした?」

「うん、それじゃまた来週になっちゃうからね?今回の話はまだ終わらないからね?」

 

 準備に対して抜かりはないか、それを訊いてくる綾袮さん。普段は訊かれる側である綾袮さんがこうして訊いてくるのは、それだけ綾袮さんが真剣な思考になってるって事。

 

(…と、思ったけど…普通に冗談も交えてるんだよなぁ…冗談に関しては、もう無意識に言っちゃうレベルだとでも……?)

「……?顕人君、わたしの顔に何か付いてる?」

「あ、ごめん何でもないよ。…よし」

 

 小声で軽く掛け声を口にし、俺は土間に繋がる廊下の縁から立ち上がる。頭の中で今日の朝、それに昨日の夜の行動を思い出し、何もし忘れた事がないのを確認。

 

「それじゃあ、お留守番頼むね」

「はい、お任せ下さい」

「大丈夫。泥棒が入っても叩き返す」

 

 振り向きながら掛けた言葉に返ってくるのは、ロサイアーズ姉妹の言葉。実際の話、二人なら大概の泥棒は返り討ちに出来るだろう。何なら霊装者だったとしても、相当な実力者じゃなければ二人を突破し金品を盗む事なんて出来ないと思う。だって二人、素手でも普通に強いし。

 

「間違って宅配の人とかを叩き返したりはしないようにね…?後、長期化した場合は悪いけど……」

「ちゃんと用意して食べますよ。もう、顕人さんは心配し過ぎです」

「その通り。わたし達なら、食事はどうとでもなる」

「どうとでもって…いやほんと、ちゃんと食べてね…?フォリンさん、ラフィーネさんの事頼むよ…?」

 

 相変わらずラフィーネさんはマイペースというか、言ってくる事がほんと予想の斜め上。だから変に不安になるんだけど…幸いフォリンさんの方は常識的。偶にズレてたりラフィーネさんに乗ったりするからフォリンさんもフォリンさんで時々油断ならないけど、こういう事なら大丈夫な筈。というか精神衛生の為に、大丈夫であると信じたい。

 とまぁ、ここまでのやり取りで分かる通り、これから俺と綾袮さんは任務に出る。そしてその任務というのが…あの調査。

 

「あはは…でもさ、実際顕人君は少し心配し過ぎだと思うよ?顕人君の性格的に、ついつい気にしちゃうんだとは思うけどさ」

「…やっぱそう?」

『そう』

「おおぅ、速攻で全会一致が…。…ま、まぁじゃあこれ以上は言わないとして…行ってくるね、ラフィーネさん。フォリンさん」

「行ってらっしゃい、顕人さん、綾袮さん。お二人共、お気を付けて」

「…………」

 

 真顔で即答×3をされてしまったとなればもう俺は何も言えず、内心で乾いた笑いを漏らした後に行ってくるよと二人に伝える。

 それを受けて、しっかりとした言葉を返してくれるフォリンさん。でも、答えてくれたのはフォリンさんだけで…何やらラフィーネさんは難しい顔を浮かべている。

 

「…ラフィーネさん?」

「…顕人、本当はわたし達の事嫌いなの?」

「へっ?」

 

 何か、気になる事でもあるのだろうか。そう思って呼び掛けた俺だったけど…返ってきたのは、微塵も予想していなかった言葉。き、嫌いって…え、一体何がどうして急にそこへ至ったの……?

 

「…え、と…どういう、事……?」

「だって顕人、ずっとわたし達の事を呼ぶ時『さん』を付けたまま。最初の時から、ずっと変わってない」

「それは…うん、確かにそうだけど…それがどうして、嫌いって事に……?」

「さん、を付ける対象は、偉い人か親しくないかのどっちかな筈。そしてわたし達と顕人に、上下関係はない。これまではずっと、顕人はさんを付けている期間が長い人なんだろうと思っていたけど……」

「あー……」

 

 ラフィーネさんの口から語られたのは、かなり飛躍を感じる思考。ただでも何から何まで間違ってる…って程ではないし、どういう考えで答えに至ったのかっていうのは分かった。

 普通、親しくなれば無くなる筈のさん付けが、未だに続いている。つまりそれは、親しく思っていないという事なんじゃないか。…要約すれば、ラフィーネさんの主張はこんな感じで…そういう考え方は、何ともラフィーネさんらしい。

 

「…別に、そういう事じゃないよ。それに、さん付けならフォリンさんだってしてるでしょ?」

「フォリンは、わたし以外皆に『さん』って言ってるから別。でも顕人は違う。顕人は、呼び捨てにする相手もいる」

 

 結論から言ってしまえば、そんなのただの勘違い。けどその勘違いを訂正しようとまず俺が言った言葉は普通に返され、同時に少し理解もいく。ラフィーネさんと出会う前から呼び捨てにしていた千嵜だけならともかく、茅章に対しても呼び捨てにしているとなれば、確かに「じゃあ、自分は…?」と思ってしまうのかもしれない。

 だからこそ、少し迷う俺。ちゃんと説明すれば分かってくれるだろうけど…その説明が恥ずかしい。でも、このままちゃんと説明せずに押し切ったり、有耶無耶にしたりする事はしたくない。思考はどうあれ、ラフィーネさんは真剣に俺へと訊いているのだから。そんなラフィーネさんからの言葉だからこそ、俺は数秒の躊躇いの後意を決し…そうしてきた理由を話す為に、口を開く。

 

「…その…別に、本当は嫌いだからさん付けのままにしてるとか、そういう事ではないんだよ…?」

「じゃあ、どうして?」

「(まあ、そりゃそう返すよね…)どうしてかって、言うと……」

「言うと?」

「…いや、だって…なんか…ハードルがあるんだよ、女の子をさん付け以外で呼ぶのって……」

 

 そう言いながら目を逸らし、若干熱くなった頬を掻く。言うだけでも恥ずかしい、そういう認識があるのも恥ずかしい、つまりダブルで恥ずかしい事だったけど、言わなきゃきっと分かってもらえないから、そんな事はないんだってちゃんと伝えたかったから、俺は言った。嫌いだからではなく、俺が所謂…奥手タイプな人間だからだ、って。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「う、うん。まあそういう事だから、皆もそういうものだと思って……」

『…へー……』

(…あ、不味い……)

 

 我ながら、何を情けない事言ってるんだとは思う。異性を呼び捨てであったりちゃん付けしたりする男なんて普通にいるし、マジで何を恥ずかしがってるんだって話。

 でも、実際そういう事に躊躇いがあるんだから、その躊躇いは心から出てきてるものなんだから、そう思っちゃうのは仕方ない。むしろ、それ以上に問題と言えるのは……それを聞いた事で、三人が獲物を見つけた女豹みたいな目をした事。

 

「そっかそっかぁ、顕人君はわたし達をさん付け以外で呼ぶのが恥ずかしくて、だからずっとさん付けだったんだぁ…」

「うっ…ま、まぁ…そう、だけど……」

「という事はつまり、さん付けじゃなきゃ駄目という事ではないんですよね?でも、恥ずかしくてそれ以外に出来なかった…そうですよね?」

「そ…そう、です……」

「…顕人、子供みたい」

「う、うぅぅ……」

 

 にやにやしながらわざとらしく言う綾袮さん。これは良い事を聞いたとばかりに確認してくるフォリンさん。そしてシンプルに突き刺さる言葉を言ってきたラフィーネさん。三人の言葉と視線でもう完全に俺は羞恥心に包まれてしまい、穴があったら入りたい気分。でも仮に穴があったとしても、この状況で三人が逃してくれる訳がない。

 

「そうですかそうですか。もう、駄目ですよラフィーネ。顕人さんを辱めるような事を訊いては」

「うん、こんな理由だとは思ってなかった。ごめんね顕人」

「止めて、そういう事言わないでっ!余計刺さるから、余計に恥ずかしくなるからぁっ!」

 

 もう明らかにフォリンさんは弄りにきてるし、瞳に浮かぶ感情からしてラフィーネさんも分かって言ってる。

 女の子三人からの、しかもその内二人は歳下からの、まさかの言葉責め。弱みを自ら見せる形となった俺に対抗する手段などなく、更に俺の窮地は続く。

 

「あれー?でも先輩、自分に対しては呼び捨てっすよねぇ?もしかして、それは自分が特別だって事ですかー?」

「そ、それはその……」

「それはその、何です?自分、ちゃーんと聞いてあげるっすよー?」

「もう止めて…慧瑠まで優しさの皮を被ったサディズム発言をしないで……」

 

 ここまで姿も見せなかったのに、いきなり現れたかと思えば愉快そうに追撃をかけてくる第四の女の子…もとい魔人。その煽る気満々の表情は正に魔の側に立つ者のそれで、先輩呼びも含めて生意気感が凄まじい。…けど、言い返せない。悔しいけど何一つやり返す事が出来ない。

 もしも俺が倒れていたのなら、ぐりぐりと踏み付けられていたんじゃないか。そう思う程に四人の視線と声には加虐的な何かが混ざり込んでいて……うん、これはヤバいね。何がヤバいって、そういう四人を俺は蠱惑的に感じてるんだもん。煽ってくる四人もこれはこれで…とか思っちゃってるんだもん。…え、俺ってそっち系の気があったの……?

 

「…もう、聞かん…何も聞かん……」

「あちゃー、顕人君耳塞いじゃった…流石にちょっとやり過ぎちゃったかな?」

「どうでしょう…でも顕人さんって、時々可愛いですよね」

「うん、可愛い」

「…うん、まぁ…わたしが言うのもアレだけど、顕人君の周りって性格とんがった子ばっかりだよね……」

 

 このままじゃ心が…特に羞恥心を感じる部分が持たないと悟った俺は耳を塞ぎ、皆に背を向けて自己防衛。それはそれで情けない対処だけど……仕方ないじゃない。ここで逆に皆を翻弄するような出来る俺じゃないんだもの。

 

「おーい顕人くーん、もう言わないから戻っておいでー」

「……言わなきゃ良かったって、今本気で後悔してるよ…」

「あはは…しかし顕人さん。こうなると、これまで通り『さん』を付けて呼ぶのももう恥ずかしいのでは?」

「それは誰のせいでしょうかねぇ…!」

「…自爆?」

「ごはぁッ!」

「うわぁっ!?ちょ、トドメは駄目だってラフィーネ!あ、顕人君大丈夫!?」

 

 たった二文字、平仮名にしても三文字の…けれど鋭過ぎるラフィーネさんの一言で、精神に致命傷を受ける俺。流石に心配してくれた綾袮さんに気遣われる中、残された僅かな力でラフィーネさんを見ると彼女は何をするでもなくただきょとんと俺を見ていて……天然、強過ぎるでしょう…がくっ。

 

「絶滅したー!?…って、ほんとに何これ……」

「俺だって知らないよ…てか、だったらどうしろってのさ……」

「…じゃあ、呼んでみればいい。わたしを、ラフィーネって」

「それは良いですね。呼んでみると、案外なんて事なかった…ってなるかもしれませんよ?」

「んな無責任な……」

 

 こんな事になった要因(ラフィーネさん)へと恨めしさを込めた視線を送る俺だけど、ラフィーネさんはそれに眉一つ動かず平然と返し、フォリンさんも軽く手を叩いてそれに賛同を示してくる。…まさかラフィーネさん…というか二人は、ここへ行き着く為にここまでの流れを…?

 

…………。

 

……いや、ないね。それはないわ。前やった模擬戦やゲームやってる姿を見る限り頭の回転は早いんだと思うけど、こんな事で計算高い一面を見せる…みたいな性格じゃ絶対ないもん。

 

「呼んでみて下さい、顕人さん。でなければ、仮に話を打ち切ったとしても何だか締まりの悪い終わり方になってしまいますよ?」

「だからなんで二人は勝手に……って言いたいところだけど、実際そんな気がしてる自分がムカつく…あー、もう……」

 

 わーったよ言うよ言いますよ!…みたいな気分になりながら、ゆらりとその場で立ち上がる俺。なんか上手い事乗せられてるみたいで癪だけど…どうせもう散々恥ずかしい思いをしたんだ、それに比べりゃ呼び捨てなんて大した事じゃないさ。……多分。

 

「…言っとくけど、何が起きても俺は責任取らないからね?」

「え、何か起きるの?」

「知らん、ほらいくよ」

 

 ただ呼ぶだけなのに?…という綾袮さんの返しはご尤もだけど、なんかもう投げやりな気分になっている俺は雑に処理。そしで気持ちが変わらないまま皆を見やり……俺は名前を、口にする。

 

「……ら、ラフィーネ」

「…ん」

「…フォリン」

「はい」

「…綾袮」

「うぇ?わ、わたしも?」

「…………」

『…………』

 

 

 

「……案外、普通に呼べたわ…」

 

 一人一人の名前を呼び、各々の反応を受けて、それから数秒後。呼ぶ直前までは、頬がすごく熱くなりそうとか、赤面してしまいそうとか思っていたのに…いざやってみたら、割と普通に呼べてしまった。そりゃ勿論、少しは恥ずかしさもあったけど……ぶっちゃけ、拍子抜けも良いところだった。

 

「…え、えーっと……」

「これは……」

「…良かった…ね……?」

「う、うん…反応に困る結果でごめん…でもこうなったのに関しては、そっちにも非があるからね…?」

「で、ですよね…何か、すみません…」

 

 困惑というか何というか、とにかく反応に困ってしまっている綾袮…達の姿を見て、責任は取らんと言っていたのに思わず謝ってしまう俺。一方フォリン達も流石にこれには思うところがあったのか、姉妹揃って俺へとぺこり。綾袮もずっと苦笑いをしていて……何とも言えない雰囲気のまま、結局締まりの悪い終わり方となってしまった。…ほんと、何でこうなったし……。

 

「は、はは…何だったんだろうか、この時間は……」

「先輩先輩、それに関してはよく分からないっすけど…まだのんびりしていていいんっすか?」

「へ?……あ、そうじゃん俺達出掛けるところだったんじゃん!」

「あぁっ!?そ、そうだったぁ!」

 

 物凄く珍妙な、そして無駄の多い時間を過ごしてしまった。そんな思いを俺が胸中で渦巻かせる中、事の成り行きを眺めていた慧瑠が軽い感じで質問をしてきて……その言葉で、漸く俺は思い出した。俺達は、今から任務に出向くところだったじゃん、と。

 

「ふっ…二人共、うっかり屋」

「こうなった原因がそれ言う!?ほんっとマイペースだねッ!」

「ら、ラフィーネがすみません…後、そんな事言ってるとまた出発が遅れるのでは…?」

「うっ、た、確かに…あーもー、なんで余裕を持って出る筈がこんな羽目になるのさぁぁッ!」

「先輩が最初の段階で、『そう言えばそうだね。じゃ、これからは呼び捨てにしてみようか』とか言えば即終わってたのでは?」

「そういう正論は要らないよ!ぐぐぐ…えぇいもう行ってきます!ラフィーネ、フォリン、何かあったら連絡してよねッ!」

『はーい』

 

 時間に余裕を持つと、心にも余裕が出来て、慌ててる時には気付かなかったり後回しにしちゃうものにも意識を向ける結果、それに時間を取られて余裕がなくなる…というのが真理なんだろうけど、そんなの今の俺にはどうだって良い事。今大切なのは、さっさと家を出て双統殿へと向かう事のみ。そう自分の中で言い聞かせた俺は「え、正論云々って誰に対して言ったの…?」と言ってる綾袮を連れ、ラフィーネとフォリンの返事を聞きながら家を出発するのだった。

 

「…あ、そうだ顕人君顕人君!」

「え、な、何!?まさか忘れ物!?」

「ううん、全然関係ない事なんだけどさ、今回の話は大部分が玄関のシーンだけで終わるとかびっくりだよね!」

「言わなくて良いんだよそういうのはッ!」



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第百七十九話 調査、始動

「──最後にもう一度だけ言っておくわ。いい?普段以上の危険があり、不確定要素も多いのがこの作戦よ。たとえ目的が調査であるとしても、全員気を抜かないように」

 

 双統殿の一角、ホールとなっている場所に集まった無数の霊装者。その前で話を締めたのは、綾袮さんの母親である紗希さん。二大トップの一角である宮空家当主の娘がこうして話の最後を締めている事からも、これから行われる任務の重要性が伝わってくる。

 

(不確定要素、か…普段以上の危険とも繋がってくるけど、山に絶対なんてないもんなぁ……)

 

 紗希さんが言っているのは、そこに住む魔物の事もあるだろうけど、一番はやっぱり『富士山』という場所の事だろう。そう解釈した俺は心の中でうんうんと頷き、解散となった事でふぅ…と姿勢を緩める。…いやあるだろ、例えば『山に酸素が存在している』は絶対だろう?……みたいな捻くれた事は、まあ思い付くけどそういう事じゃないから無視。

 

「さ、わたし達も行こっか」

「うん。って言っても、俺と綾袮は別部隊だよね?」

「でも途中までは一緒でしょ?それとも顕人君、わたしと行動するのは嫌なのかなぁ?」

「い、いやそういう事じゃないけとね…」

 

 今綾袮が言った通り、今回俺は綾袮と一緒じゃない。今回は富士山の内かなりの範囲を調査する関係で人数及び部隊も結構な数となっていて、綾袮は妃乃さんと一緒に全体指揮。だから想定外の何かが起こらない限りは作戦中に綾袮と一緒にいる時間はほぼないだろうし、むしろ一霊装者としてはそっちが普通。

 

「にしても、ほんと普通に呼び捨て出来てるじゃん。こうなると、いよいよ玄関でのあれは何だったのか分からないね」

「それは言わないでよ…俺だってそれは滅茶苦茶しにしてるんだから…」

 

 食わず嫌いならぬ言わず羞恥とでも言うべき、綾袮達へ対する俺の呼び方。もう済んだ話とはいえ、今考えても玄関での俺は情けない。というかなんて事ないと実際に分かった今だからこそ、尚更しょうもなく感じてしまう。

 そしてこの事は、きっと綾袮にとって格好の玩具。何もしなければ今後も今日の事で弄られるだろうし、出来る事ならそれは回避したい。…と思ったところで、俺は見知った人物を発見した。

 

「…あ、上嶋さんだ」

「え、あの上嶋さん?」

「何その反応…またよく分からないボケを…っと」

 

 何気なく俺が声を漏らすと、綾袮は変なボケで返答。それに俺が突っ込んでいると声が聞こえたのか上嶋さんはこちらへと振り向き、目が合った事で俺は会釈。すると上嶋さんは話していた人達と別れ、こちらへとやってきた。

 

「よ、顕人。それに綾袮様も。今回はお前も参加するんだったな」

「あれ、知ってたんですか?」

「そりゃ、一応俺も隊長だからな。お前とは部隊が違うが、名簿で名前を見かけたんだよ」

 

 そう言って肩を竦める上嶋さん。さらりと名簿で見かけた…なんて言った上嶋さんだけど、自分が担当してる訳じゃない部隊にもしっかりと目を通しているのは、中々に立派な事なんじゃないかと思う。……これで偶々俺の名前が目に入ったってだけで、別に他の部隊の人員にも目を通している訳じゃないとかだったら、とんだ思い過ごしだけど。

 

「…って、事は…上嶋さん、今回はどこかの部隊の指揮をするんですか?」

「応よ。…と、言いたいところだが…今回俺は副部隊長ってか補佐役だ。勿論いつもの面子の隊長も兼任してるけどな」

「あ、そうなんですね。…って…それ、中々凄い事では…?」

「だろ?副部隊長の中じゃ、俺が一番若いんだぜ?…まぁ、綾袮様の前じゃ自慢になんてとてもなりゃしねぇけどよ」

「いやいや、十分自慢に思っていい事だよ建さん。わたしなんて宮空家の人間じゃなかったら、ただの美少女霊装者だもん」

「ははっ、そういう発言は反応に困りますぜ綾袮様」

「そう?じゃあ、こういう時の反応の正解を、顕人君どうぞ!」

「え?……わ、謙遜してるようで自画自賛ぱねぇ…とか?」

「よく急に振られて出てきたな顕人…よっぽどそういうやり取りに慣れてるんだな、お前……」

 

 取り敢えず思い付いた返しを口にした結果、上嶋さんから向けられる…何だろう、ちょっとよく形容の出来ない視線。えぇはい、慣れていますとも。似たような台詞を前にも言われた事ありますとも。

 

「にしてもまぁ、やけに久し振りだなぁ…」

「久し振り…えと、会うのがですか?」

「いや、登場が」

「えー……」

「ふっ…主人公にゃ分からないだろうよ。最初はそれなりに登場機会のあるキャラっぽく出てきたのに、案外そうでもなかったんだって分かった時の虚しさはよ……」

「えぇー……」

 

 数十秒前までの、感じの良いお兄さん的な雰囲気は何処へやら。急に哀愁を纏って立ち去っていく上嶋さんは何というかまぁ独特過ぎて、俺は「えー……」とその派生の反応しか返せなかった。

 そしてその後普通に戻ってきて、綾袮へは目上の人に対する挨拶を、俺へは軽い調子で…それ故に気負わずにいられる言葉をかけて、今度こそ上嶋さんは立ち去っていく。…ふざけるところもいつも俺を気に掛けてくれるところも、やはり上嶋さんはブレない。そういうしっかりとした芯が自分の中にある人たからこそ、副部隊長に選ばれたのかもしれない。

 

(あれも強さだよな。綾袮さんに近い、相手をリラックスさせながらも鼓舞する力…上嶋さんは、それを鍛える事で会得したのかな……)

 

 リーダーとしての能力は先天的なものというか、「向いてる人は向いてるし、向いてない人は向いていない」…みたいに思われる事もあるが、そんな事はない。まぁ勿論才能もあるだろうけど、努力や経験だって当然必要。ただ、人間関係の話である以上は日々のコミュニケーションが技能向上に繋がる事もある訳で…何となくだけど、上嶋さんは元から積極的に人と付き合って、人を知る事でリーダーとしての能力を高めてきたんじゃないかと思う。

 

「……?顕人君、ぼーっとしてちゃ駄目だよ?」

「あ…そだね、ごめん」

 

 そんな事を考えていた俺は綾袮が歩き出した事に気付かず、小走りで振り向いた綾袮の下へ。会話しながらホールを出て、そのまま二人で廊下を進む。

 個人としての強さもある。集団でいる事で発揮される力もある。これまで俺は前者の強さを求めてきたけど、刀一郎さんの言う通りなら、後者の才能もきっとある筈。だけどその才能は、伸ばす事で始めて形となるんだから……試して、確かめて、あるなら伸ばしていきたいよな。

 

 

 

 

 車両で双統殿を出発し、富士山を管轄する支部に全員が到着し、そこで最終確認を行って、調査任務は開始となった。

 調査を行うのは、富士山という途方もない程広範囲の土地。その為に数十人の部隊か幾つも編成され…今回俺が属しているのも、その中の一つ。

 

「いやぁ、まさかこんなにも早く二度目の機会がやってくるとはな」

「はは、同感」

 

 周囲に気を配りつつ雪原を歩く中、横から俺へとかけられる声。それは同じ部隊所属の仲間からの言葉であり…その人は、今日が初めましての相手じゃない。

 本当にただの偶然か、それとも気を回してくれたのかは分からないものの、部隊の仲間には先日仲良くなった人達…即ち前の任務で行動を共にした彼等がちらほら編成されていた。おかげで知っている人がいなくて孤立…みたいな心配は最初からなかったし、やはり知っている人がいるというのは心強い。

 

(…いや、やっぱ偶然って事はないか…面子的に、これは多分……)

 

 ぐるりと部隊員を見回せば、若い人…もっと言えば年齢の近そうな人が多い。全員が近い訳じゃなくて、部隊長及び副部隊長は俺より一回り以上の年上だとは思うけど、少なくとも普通の部隊員の編成基準に年齢は入っているんだと思う。

 

「…けど、具体的には何を調査するんだろうな。お前は何か聞いてるか?」

「いや…けど何を探すか全員には伝えず、護衛要員と調査要員に分けてるって事は、かなり重要且つ秘匿にする必要のあるもの…なんじゃない?」

「あー…前に魔人絡みの調査だっけ?…を君の学校でやった時は、全員に情報共有がされてたんだよね?」

「あ、うん。つまり、今回のはそれ以上の事……と、言いたいところだけど…俺の場合実際にその魔人と戦ってるし、それもあって伝えられただけ…って可能性もなくはないかなぁ…」

 

 我ながらほんと、自分の経験は特殊過ぎて当てにならん…と、内心自分自身に呆れる俺。特別である事には前から憧れていたし、実際今も「…うん、でもこういう形で特殊さを感じられるのは悪くないな……」とか思っちゃってる俺だけど、今している話において当てにならないというのは事実。

 実際のところ、何故「何を調査する」という点が話されていないのか。厳密に言えばざっくりとした説明はされているけど、敢えて話していないという感は否めない。

 

「…………」

「…慧瑠?」

 

 話していないのは、きっと何か裏があるから。でも、それなら一体どんな裏があるのか。一旦話が途切れた後も、俺は頭の片隅でそれを考えていて……そこでふと気付く。慧瑠が、何やら神妙な表情をしている事に。

 

「…先輩。ここに来てから、何か感じてたりしないっすか?」

「…何か、って?」

「自分も上手くは表現出来ないっす。ただ、前に来た時よりもその感覚が強くなっているというか、何かがおかしいというか……」

 

 顎に親指と人差し指を当て、そう話す慧瑠は声音も真剣。俺は慧瑠の言う『何か』を全く感じられないというか、前も今もせいぜい「霊峰ってだけあって、なんかパワーを感じる気がするなぁ…」位だけど、慧瑠の言う事だからきっと全くの的外れ…って事はない筈。

 

「…先輩、回れ右して帰る…って事は出来ないっすかね…?」

「…そんなヤバそうなの?」

「いや、さっきも言った通り具体的な事は分からないっす。けど先輩、前回ここで大分無茶したっすから…」

「あー…今回は流石に大丈…夫……」

「歯切れ悪いですね…まぁ、先輩の事なんでそうかもとは思ってたっすけど……」

 

 

 思い返せば…というか今もしっかり覚えているけど、前回俺は戦闘の結果慧瑠に心配をかけてしまった。あの時は「それが先輩という人だから」みたいな感じで納得してくれたけど、だからってもう心配しない…なんて事はないだろうし、俺だって心配はかけないようにしたい。けど、また同じような状況となったら、今度は自分の身を最優先に出来るか…と言えばそれは素直に首肯出来ない訳で……ほんと心配かけてごめん、慧瑠…。

 

「いやいや、それは別にいいっすよ。そもそも自分が勝手に心配しているだけの事を、なんで先輩が謝るんっすか?」

「それは…うん、それはその通りなんだけどね……」

「なのにっすか…やっぱり人間は、魔人なんかよりよっぽど複雑で奥が深いんですねぇ……」

「慧瑠……色々思うところはあるけど、取り敢えずさらりと心を読むのは止めてくれる…?」

 

 頼んだ訳でもない心配について、責任を感じる必要はない。それは分かるし立場が逆なら俺だってそう言ってるとは思うけど、心配をかけている側としてはやっぱり「申し訳ない」と思ってしまうのが人の性。良いとか悪いとかじゃなく、心はそう感じてしまうもので……そこへ聞こえてきたのは、前方を歩く部隊長の声。

 

「……!各員、陣形を維持したまま構えろ。10時の方向から魔物が来る」

 

 聞こえた指示に続くように、ふっと感じる魔物の気配。弾かれるように皆が武器を構えていき、同じように俺も武器を展開。二丁のライフルのグリップを握り、指定された方向へと目を凝らす。

 

(数はそこそこ、速度は……速い…ッ!)

 

 雪を巻き上げながら接近してくるのは、大型肉食獣の様な姿をした魔物の小集団。四本の脚は殆ど雪に取られる事なく、この地に適応している魔物達である事は一目瞭然。

 

「後衛、攻撃開始。前衛はギリギリまで引き付けろ。迎撃を抜けたところを一気に叩く」

『了解!』

 

 一切の返答と共に俺は二門の砲を跳ね上げ、狙い易い位置にいる個体へと狙いを定め、撃ち抜くイメージを込めて砲撃を放つ。

 伸びていく光芒と、周囲からも放たれる光実の弾丸。雪煙が舞い上がり……次の瞬間、その中から次々と魔物が飛び出してくる。

 

「……っ、俺が狙った個体は…って分かるかよ…ッ!」

 

 やはり魔物達は俊敏性が高いらしく、過半数が生き残っている。けれどそれは十分予想出来ていた事で、俺は再び砲撃を敢行。弾幕によって少しずつながら魔物は被弾し、躱している個体も例外なく速度が落ち、相手の数が減った事で逆にこちらの攻撃は密集。幾ら俊敏な魔物達と言えども、集中砲火となってしまえばそう易々と超えられる訳がない。

 

「……今だッ!」

 

 そして生き残った一部の個体が攻撃体勢に移ろうとした瞬間、再び上がる部隊長の指示。その一言で前衛メンバーは次々と雪原を蹴り、手にした武器で容赦なく一撃。この時点で数はこちらが上回っていた為に魔物達は複数の近接攻撃を一度に受ける形となり、対応仕切れずどの個体も絶命。その後ろにいた数体も俺達後衛の砲撃によって逃げる間もなく蜂の巣となり……戦闘終了。

 

「…ふぅ、一体一体はそこそこ強かったのかもしれないけど……」

「ただ突っ込んでくるだけなら、格好の的だよなー」

 

 潜んでいる個体はいないと確認が取れたところで俺が左右のライフルを降ろすと、さっき話していた彼等の一人がうんうんと首肯。

 その通り。今回は相手が魔人レベルの強さじゃなく、真っ直ぐ突進してきただけだったから、余裕で対処する事が出来た。でも、こんな楽なパターンはそんなしょっちゅうない訳で、周りも「今回は運が良かった」と捉えている人が多い様子。この作戦に呼ばれただけあって、やっぱり皆少なからず場慣れはしてるらしい。

 

「…何か、関係があ……思うか?」

「いえ、調…た限り……偶然かと思いま…」

「そうか。ならば…ラン通り進むとし…う」

 

 俺が部隊内を見回している最中、微かに聞こえてきたのは部隊長と調査要員の一人の会話。所々聞こえなかったものの、これ位なら十分想像で補える。

 それから数十秒後、部隊は移動を再開し、その数分後に今度は停止。けれど魔物の接近はなく…危険がないのに止まったのであれば、その理由は一つ。

 

「総員、警戒を厳に。人命優先だが、基本的には魔物の襲撃があろうと調査は続行する」

(つまり、襲われた場合は防衛戦になるって事か…まあ、余程の大群でもない限りそうそうピンチには…って、危なっ!これフラグになるじゃん…!)

 

 部隊長からの言葉に続いて、調査要員は崖下へ。俺含む護衛要員は広がる事で警戒の陣形を取り、周囲の木々へと目を走らせる。

 フラグ…なんて表現をすると気が抜けてるみたいになるけど、別にふざけてる訳じゃない。言霊って考え方もあるし、それ抜きにも油断した思考なんて百害あって一利なしなんだから。

 

「…はー……」

 

 動いている時ならまだしも、止まっていると本当に寒さが身に堪える。それを少しでも紛らわせるべく手袋を取り両手に息を吐きかけていると、再度部隊長から指示が飛ぶ。しかも今度は部隊長も崖下に降りているからか直接ではなく、インカム越し。

 

「……!」

 

 それは、俺が警戒している方向に魔物の存在を感知したという情報と、警戒陣形を維持する為に俺を含む数人で対処せよという命令。その端的な通信を受けた俺は、同じく命令を受けた数人と頷き合い、雪原を蹴って飛び上がる。

 

「君、援護を頼めるかい?斬り込みは俺達がやるからさ」

「了解です。立ち位置は……」

「うーん…まぁ、狙い易い位置で良いよ」

 

 一回り年上っぽい人に援護を頼まれ、俺は首肯。俺が援護を頼まれたのは…まあ十中八九、背中の砲が見るからに火力支援向きだから。

 その人は他のメンバーにも簡単に指示を出し、片手持ちの火器を右手に構える。感知したという魔物の姿はもう見えていて、まだこちらには気付いていない様子。だから俺達は近くの木々へと身を隠し……俺は砲撃準備。

 

(もう少し…もう少し……今だッ!)

 

 基本的に最も攻撃を当て易いのは、不意打ち…つまりはこちらの存在に気付いていない状態の一発目。そしてその一発を確実に当てるべく、俺はタイミングを待ち……狙っていた地点に魔物が移動した瞬間、光芒を放つ。

 

「よしッ!一気に仕留めるぞッ!」

 

 撃ち込んだ二条の内、片方は狙い通りに魔物の胴へと直撃。もう片方も別の魔物の鼻先を掠め、それを合図に味方が突撃。

 突如の砲撃とそれによって仲間が一体やられた事で、慌てふためく魔物。そこを狙って二体目、三体目と続けて撃破に成功し…けれど完全に一方的だったのはその三体目まで。劣勢ながらも魔物達も立て直し、連携しての反撃に転じる。

 

「ちぃ、思ったより手強いじゃない…!」

「こっちも連携を…って、即席でやっても危ないだけか…ッ!」

 

 各個体が付かず離れずの位置を取る事で各個撃破を阻む魔物。砲撃による分断を図るも警戒されているせいか上手くいかず、こっちはちゃんとした連携が出来ない分どうしても魔物に対して攻め切れない。

 

(どうする…何としてもこの面子だけで倒せとは言われてないし、増援を呼ぶか…?…いや……)

 

 増援を呼ぶのは、何も悪い選択じゃない。部隊長も、人命優先と言っていたんだから。…けれどそこで、ふと俺は気付く。間違いなく魔物達は俺の砲撃を警戒しているのに、俺へは仕掛けてこない事に。

 それは、俺を相手にするだけの余裕がないからだろうか。…違うと断定は出来ないけど、砲撃はきっちりと避けている辺り、その可能性は低い。であれば、一番あり得るのは魔物達から『砲撃さえ気を付けておけば後回しで良い』と思われているという可能性。…だったら……

 

「……ッ、ここだぁああああぁぁッ!」

『んなぁ…ッ!?』

 

 撃ち込む砲撃。これまでと同じように、一度攻撃を止めて確実に避ける魔物。そして俺は、砲撃を撃ち込んだその直後に……雪原を蹴る。

 前に跳び、スラスターを点火し、真っ直ぐに突撃を掛ける俺。皆が俺の突然の行動に驚く中、俺は左右の手を前方に広げ、二丁同時に放ち始める。

 

「ちょっ、お前は後衛じゃ……」

「俺が頼まれたのは援護だからねッ!ぅらぁああぁぁぁぁッ!」

「…そういう事か…OK、そのまま頼むよッ!」

 

 味方すらも驚く俺の行動により途切れる、魔物の連携。どうやら思った通り、魔物は俺が動くなんて想定していなかったらしい。

 前の任務で知り合った一人からの言葉に声を返しつつ、俺はフルオート射撃で魔物を追撃。コントロールを失った機体の様にスラスター全開で飛び回りながら乱射する事により陣形の組み直しを阻止し、そこに入るのは仮のリーダーさんによる追い討ち。陣形が崩れ、味方と分断されたところに振り出されたナイフの一撃を魔物は避け切れず、首元を横から斬り裂かれた。

 

「数のゴリ押しなら…得意、なんだよ……ッ!」

 

 引き金は引きっ放し、スラスターも吹かしっ放し。ちゃんと狙っていない為に弾丸は殆ど当たらないものの、分断し続けるだけならそれで十分。

 連携に対して連携を返せないのなら、向こうも連携出来ない状態にしてしまえばいい。それが俺の狙いであり、察してくれた味方が次々と孤立した魔物を倒してくれる事によって、再度流れは俺達の方へ。

 けれど当然、そんなド派手に動けば俺に注意が向かない訳がないし、分断を図ってくる俺をまず処理しようと動く筈。でも裏を返せばそれも皆の援護になる訳で……

 

(何より、そう簡単に近付かせるかよ…ッ!)

 

 とにかく飛んで、とにかく撃って、暴れる様な動きをし続ける。後ろから来る魔物は張り切って、前から来る魔物は射撃で退かして、全力で続行。

 そしてまた飛び込んでくる、一体の魔物。その個体も押し返そうと左のライフルを向け、引き金を引いた……その時だった。

 

「……ッ!?弾切…ぁぐッ!」

 

 銃口より飛び出す弾丸。けれど放たれたのは一発だけで、以降ライフルは完全に沈黙。即座にそれが弾切れであると気付いたものの、その直後に俺は魔物からのタックルを喰らい、雪原へ落下。下が雪であった事、それに最後の一発か魔物に当たった結果突進が微妙に逸れた事で衝撃の割にダメージはなく、その点では助かったけど……俺が立ち上がるよりも早く、俺を組み敷く魔物の前脚。

 

「くッ…けど、俺の…勝ちだぁッ!」

 

 不味い、と思った。ゾッともした。だけど俺の頭は冷静で、恐怖よりも闘志のようなものが燃え上がって、直感的に繰り出したのは前蹴り。雪原を背にしていた俺の蹴りは、魔物を跳ね上がる形となり……仰け反った魔物の腹へと向けて、俺は右のライフルを接射。完全に俺の身体から離れた魔物へと、横から何発もの射撃が襲い掛かり…その魔物が倒れると同時に、雪原へは静寂が戻る。

 

「はぁ…はぁ…ふぅ……」

「大丈夫か!?怪我は!?」

「あ、おう…大丈夫、この通り無傷だよ…っと」

 

 上体を起こし、上がっていた息を整えようとしていたところで掛けられる声。駆け寄ってきた彼に無事を証明すべく立ち上がり見回すと、皆から向けられていたのはグーサイン。

 

「お疲れ、君の機転に助けられたよ。…けど、出来れば一言言ってからにしてくれないかな?」

「で、ですよね…それはすみません……」

「ははっ。まあ何にせよ…撃破完了だ」

 

 にっと笑みを浮かべた一回り年上の彼の言葉に、俺も他の皆も首肯。撃破した事を連絡した後まだ魔物が潜んでいないか確認し、それから俺達は部隊へ戻る。

 

(…実弾火器は、残弾には気を付けなきゃいけない。霊力がたっぷり残っていても、残弾がなきゃ撃てない。…一発残ってたから何とかなったけど…さっきのは、危うかったな……)

 

 それは、当然の事。当たり前にも程がある、常識的な真実。別に俺は忘れていた訳じゃなく……いや、忘れていた。霊力ばかりに意識が向いていて、霊力はまだまだあるから余裕だと思ってしまっていた。

 皆には、よくやってくれたと言われた。やっぱ凄いななんて事も言われたし、それは照れ臭いけど嬉しい。

 だけどまだまだ、改善が必要だ。改善して、隙は無くして、長所は伸ばして……もっと強く、上手くなるんだ。



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第百八十話 娘不在の中で

 例の任務で妃乃は早朝から出掛け、今日の朝食は緋奈と二人。一人いない事を除けば普段通りの食事を終え、片付け、今はリビングの掃除が終わった直後。

 

「ふー…早速やる事がなくなったなぁ……」

 

 掃除と言っても隅から隅までをがっつりやった訳じゃなく、単に掃除機をかけただけ。そういう意味じゃ窓や家具を拭くって事も出来るが…大掃除でもなし、普段の掃除でそこまでやろうって気にはならない。

 

「お兄ちゃん、ティッシュ箱の買い置きってまだあったっけ?」

「ティッシュ箱は…あー、ないかもな。今すぐ必要か?」

「ううん、取り敢えず必要になったら別の部屋の使うから大丈夫」

 

 さてどうしようかと思っていると、質問と共に緋奈が入室。ティッシュ箱か…トイレットペーパーもだけど、一度にセットで買えるからついつい買い忘れがちなんだよなぁ…。

 

「…………」

「……?どうしたの、お兄ちゃん」

「いや…今日は日差しも暖かいし、緋奈を膝に乗せてのんびりするのもいいかなぁ…と」

「わたしは猫じゃないよお兄ちゃん…」

「今なら喉を撫でるのは勿論、猫じゃらしで遊んでやってもいいし、何なら猫缶も好きなだけあげるぞ?」

「わー、二つ目以降が全然嬉しくない。特に最後のは全力で遠慮したくなるね」

(あ、一つ目は良いのか…可愛いやつめ)

 

 我ながら下らない事を言っているなぁ…とは思うが、こういうやり取りが出来るのも仲が良いからこそ。そして返答を聞いたところで俺の脳裏に浮かんだのは、猫耳の生えた緋奈の姿。もしも緋奈に猫耳があったら、少し…いやかなり可愛い。間違いなく可愛い。尻尾もあったら更に可愛い。

 残念ながら普通の人間は勿論、霊装者であっても猫耳を生やす事なんて出来ないが、コスプレグッズとかを使えば別。だからって猫耳カチューシャを付けるよう頼んだらまあ恐らく俺が変な趣味に目覚めたと誤解されるだろうが、それを差し引いてもやってくれるのなら価値はある……と、本当に下らない思考をしていたその時、家のインターホンが音を鳴らす。

 

「ん?朝早く…って程じゃないが、どちら様だ…?」

 

 何か知っているか、と視線で緋奈に訊くと、緋奈は首を横に振って否定。妃乃であれば何か注文していればその旨を伝えてくれるだろうし、となると考えられるのは回覧板か、何かの勧誘か、或いは近くで工事をやるという報告辺り。

 まあ何にせよ、出てみれば分かる。そう思って玄関まで移動し、扉を開けると…そこにいたのは、見知らぬ女性。

 

「こんにちは。…って言うには、まだ少し早いかしら…」

「え?…あー…まあ、少しだけ早いかと……」

 

 俺と目の合った女性は、普通に挨拶を…と思いきや、いきなり自分の発言に対して疑問を提示。何か訊かれるような形になった俺が反射的に意見を返すと、女性は頬に手を当て「やっぱりそうよねぇ…」と一つ首肯。…って、いやいや違う……。

 

「…あの、どちら様ですか…?」

「あぁ、ごめんなさいね。わたしは時宮由美乃。妃乃ちゃんが、いつもお世話になってるわ」

「はぁ…あ、千嵜悠耶です。こちらこそ兄妹共々妃乃さんにはお世話になってます……」

 

 にこりと穏やかそうな表情を浮かべ、誰なのか名乗ってくれた女性…もとい、時宮由美乃さん。有名人じゃない限り普通は名前を聞いたってどちら様感は拭えないものだが、同居人の親となれば別。

 ははぁ、妃乃の母親だったのか。道理で顔付きが妃乃と似てる訳だ。そしてそうなると、この人は宗元さんの実の娘又は義理の娘でもある女性……

 

「…って、妃乃の母親ぁああああぁぁぁぁッ!!?」

「えぇ。急に来た事、それに一年近く挨拶しなかった事も謝らせて頂戴、悠耶くん」

 

 玄関で、しかも客人の前という状況でありながらも、気付けば上げてしまっていた叫び。まるでコントみたいな反応だが…それ位驚いたんだから、そうなってしまう程にさらりと言われたのだから、それはもう仕方ない。というか…マジで訳が分からない。え、何?どゆ事?一体何がどうしたら、いきなり妃乃の母親が、妃乃が不在にしてる時に訪れんの……?

 

「お、お兄ちゃん!?急に大声上げてどうしたの!?」

「あら?お兄ちゃん…って事は、貴女が妹の緋奈ちゃんね。うふふ、資料で見た通り可愛いわ」

「うぇっ?…あ、えっと……」

 

 俺の叫びを近距離で聞いている筈なのに由美乃さんは動じない一方、当たり前だが緋奈は驚いた顔でリビングからこちらへと飛び出してくる。

 そんな緋奈に対しても、由美乃さんの言動は変わらず。突然可愛いなんて言われた緋奈は当然の様に困惑し、ゆっくりと視線を俺の方へ。

 その視線に籠っているのは、この人誰…?…という疑問。だから俺もその視線に目を合わせ、まだ整理が追い付かない思考を一旦脇に置いて…言った。この人は、妃乃のお母さんだと。

 

 

 

 

「日当たりの良いお家ね。妃乃ちゃんも、いつもはここで食事をしているのかしら?」

 

 全くもって想像の出来なかった人物の来訪から数分後。俺は由美乃さんへとお茶を出し、由美乃さんは食卓の椅子に座ってリビングをぐるりと見回していた。

 

「そ、そうですね…因みにそこが、いつも妃乃…さんの座っている所です…」

「まあ、そうなの?じゃあ、二人はそっち?」

「え、えぇ……」

「へぇ、こういう形で食べてるの…うん、ちょっとだけど思い浮かぶわ」

 

 両手を合わせて反応したかと思えば、今度は想像を巡らせる由美乃さん。今のところ感じた印象では…全然妃乃と似ていない。似ていないというか、綾袮とは別ベクトルで対照的な、何ともマイルドでふんわりとした感じ。

 

(顔は似てるのに、性格は全然違うんだな…緋奈とお袋だってそんなに性格似てる訳じゃないから、別におかしくはないが……)

「それじゃあ、ご飯の準備は?妃乃ちゃんは真面目で責任感が強いから、もしかして全部一人でやっちゃってたり?」

「や、そんな事は…食事は基本俺と妃乃さんが当番制で作ってて、他の家事は大概三人で分担してるって感じですね……」

「二人で…ああそうそう、そういえば前に妃乃ちゃん、貴方は結構家事が出来る人だって言ってたわ。それに他の家事も皆でやってるなんて…二人共、偉い偉い」

 

 次々繰り出される質問に答えていると、再び由美乃さんは笑みを浮かべて、何やら俺達を褒めてくれる。…が、未だに俺も緋奈もまだ状況を飲み込み切れていない訳で…そんな状態で褒められても、なんて返せば良いのか分からない。

 

「あ、あのー由美乃さん…」

「なぁに、悠耶くん」

「由美乃さんは、どうしてここに…?」

 

 訊きたい事、気になる事は色々とある。だがまずはっきりとさせておきたいのは、この訪問の理由。ここをはっきりさせない限りは、気になっちゃって他の話なんざ出来る訳がない。

 という訳で若干その雰囲気に押されながらも俺がおずおずと問い掛けると、由美乃さんは右手の人差し指を頬へ。その状態で数秒考え…言う。

 

「そうねぇ、簡潔に言うなら……来てみたかった、から?」

「……はい?」

「まだ玄関とリビングしか見ていないけど、ちゃんと整理整頓がされてて、けど生活感は伝わってくるわ。家事の話もそうだけど、悠耶くんも緋奈ちゃんもしっかり者なのね」

『あ、ありがとうございま…す……?』

 

 漠然とした答えに思わず俺は訊き返したものの、何故かスルーされて、或いは訊き返したという意図が伝わらなくて、普通に続く由美乃さんの評価。二度目の褒め言葉に俺と緋奈は顔を見合わせ、同時に釈然としないながらも一先ずお礼を……って、そうじゃねぇ…!

 

「い、いやあの由美乃さん。来てみたかった、というのは…?」

「だから、ここによ。…妃乃ちゃんが住む、妃乃ちゃんが毎日生活している、この家にね」

 

 変な焦りを感じつつも、改めて問い掛けてみた俺。されどやはり、由美乃さんの返答には具体性が足りず…けど、今度は分かった。由美乃さんは、一体何を知りたくて来たのかが。

 

「って事で、他の部屋も見せてもらえるかしら?あ、勿論嫌なら無理しなくていいのよ?二人共、思春期だものね」

「(うわ、そういう言われ方するとむしろ断り辛い…)…えぇと、俺は構わないですけど…緋奈はどうする?」

「わ、わたしも大丈夫。…あ、大丈夫です」

 

 これで断ったら何か思春期的に隠したい物があるみたいじゃないか、と内心思いつつ俺は首肯。緋奈も俺の言葉に頷き、それから由美乃さんを見て言い直す。

 となれば後は妃乃だが…その妃乃はいないし、由美乃さんは母親。妃乃の母親ならまぁ変な事はしないだろうと俺は判断し…それから暫しの案内タイム。

 

「…で、ここが妃乃さんの部屋なんですが……」

「うーん…実の娘とはいえ勝手に入るのは妃乃ちゃんに悪いし、ここはまた別の機会にするわ。それと悠耶くん、妃乃ちゃんの事は普段通りに呼んでくれればいいわ」

「あ…はい、じゃあ……」

 

 案内と言ってもうちは至って普通の一軒家であり、そう多くの時間はかからない。由美乃さんも全ての部屋に興味抱くという事はなく、最後に妃乃の部屋の案内(この通り入りはしなかったが)をして一先ず終了。トイレや風呂場の案内はしなかったが、まぁそこは泊まる訳でもないなら要らないだろう。…と、泊まる訳じゃないよな……?

 

「悠耶くん、思ったより質素な部屋をしてるのね。今の男の子って、皆そうなの?」

「いや、そんな事は…多分ないと思います。俺あんま他人の部屋入った事ないので、保証は出来ませんが……」

「大丈夫よ、気になっただけだから。逆に緋奈ちゃんは、女の子らしい部屋だったわね。わたし、結構素敵な部屋だと思ったわ」

「そ、そうですか…?」

 

 リビングへと戻る道中、由美乃さんが口にする感想。普通の一軒家の案内なんて面白いのだろうかと思っていた俺だが、どうやら由美乃さん的には楽しめた様子。…というか由美乃さーん、そう言われても緋奈は反応に困ると思いますよー…?…やっぱこの人、結構マイペースなのかもしれん……。

 

「ふぅ…っと、そうだ。今更だけど、二人は今日用事があったりするのかしら?あるならそっちを優先して頂戴ね」

「あぁいや、暇なので大丈夫です(って事は、まだ何かあるのか…?)」

「そう?それなら……もし良かったら、色々と話を聞かせてくれる?最近妃乃ちゃんとあった事とか、妃乃ちゃんが来た事で変わった事とか、妃乃ちゃん関係なしでも貴方達の事とか…何でもいいから、わたしに教えて」

 

 再び由美乃さんは普段妃乃が使っている席へと座り、俺と緋奈もそれぞれの定位置へと腰を下ろしたところで、由美乃さんが発した次なる質問。

 その問いは、由美乃さんがここへ来た理由が分かった時点で、訊かれるだろうなとは思っていた。ここでの妃乃の日々を知りたかったのなら、当然エピソードも訊いてくるだろうな、と。

 けどだからといって、話す内容を決めていたりとかはしない。だってそういう系統の質問はされるだろうなとは思っていたが、具体的にどう訊かれるかまでは分かる訳がないんだから。

 

「あー、っと…やっぱり、家の中での出来事の方がいいですかね…?」

「ううん、外での事でも良いけど……もしかして悠耶くん、妃乃ちゃんとデートしてたり?」

「ぶぅぅッ!?し、してませんよ!?そりゃ買い物とかで一緒に外行く事はありますけど、デートって……いや緋奈まで『え……?』って顔するなよ!?俺が切り出した話じゃないからな!?」

 

 にやっと口角を上げた由美乃さんによる驚きの返しにより、思いっ切りテンパってしまう俺。ふ、普通母親が娘とデートしたかなんて訊くか!?いや母と娘の普通なんて知らねぇけど!知らねぇけど多分これ普通じゃねぇよなぁ!?少なくともさらりと訊くような事じゃねぇ……!

 

「ふふふっ、冗談よ悠耶くん。…でも、うん…その反応は……」

「な、何ですか……」

「ううん、何でもないわ。でも一緒に買い物に行ったりはするのね」

「…ええ、まぁ…妃乃と買い物に行く頻度は、緋奈の方が多いですけどね…」

「そうなのね。じゃあ、買い物中の妃乃ちゃんはどんな感じ?」

「買い物中の妃乃さんですか?…買い物中と言えば……」

 

 思い出すようにして緋奈が話し出し、一旦俺は聞き役に。由美乃さんは緋奈の話を興味津々で聞いていて、緋奈がネタ切れになったところで俺が交代。…と、言っても俺の中にはそんな買い物時のエピソードなんてなく、買い物中の妃乃における一番の印象と言えば……

 

「…妃乃、基本的に買い物の感性は俺達と同じっていうか、やけに庶民的なんですよね…。…あ、も、勿論良い意味でですよ?」

「い、いやお兄ちゃん、そのフォローだとむしろ誤魔化してる感が……」

「え、マジ……?」

「気にしなくても良いわ、二人共。妃乃ちゃんが庶民的なのは、多分わたしの影響だもの」

『へ?』

 

 言った時点では気付かなかったものの、確かに言われてみると取り繕ってる感が否めない。そう気付いて「しまった…」と思った俺だったが、それに関する由美乃さんの返答は意外なもの。驚いて俺達が振り向くと、由美乃さんはこくりと頷く。

 

「わたしは時宮の家に嫁いだ側なのよ。わたしの実家も代々霊装者だしそれなりに裕福だけど、それも『普通』の範疇に収まる位でね。で、恭士さん…妃乃ちゃんのお父さんは『子育てはお前の方が向いている。だからオレはお前の考えに従うさ』って言ってくれて、周りも理解してくれたから、わたしは自分がされた通りに妃乃ちゃんを育ててきたの。勿論、時宮家の娘としての教育はまた別だけどね」

「そういう事だったんですか…あ、じゃあ家事全般が出来るのも……」

「今は多様性の時代だけど、それでも家事が出来る女の子は素敵に見えるでしょ?」

 

 続く疑問を口にした緋奈に答えつつ、ぱちんと俺に向けてウインクを一つする由美乃さん。今度はこっちへ飛んできた反応に困る言動に何とも言えない表情しか返せなかった俺だが、というかとても高校生の娘がいるとは思えない程若々しい女性(しかも妃乃の母親だけあって、普通に美人)からのウインクなんてどんな反応をすれば良いのかさっぱりだが、由美乃さんは気にしていない様子で会話が続く。

 

「…って事があって、わたし本当にびっくりしちゃいました。ほんと妃乃さんは凄いっていうか、わたしと一歳しか違わないなんて信じられないというか……」

「ふふっ、妃乃ちゃんが今の話を聞いたらきっと喜ぶわ。妃乃ちゃん、緋奈ちゃんの事を気に入ってるみたいだもの」

「そ、そうなんですか?」

「そうなのよ。緋奈ちゃんの事も、悠耶くんの事も、ね」

 

 時折そのマイペースさに翻弄はされるものの、ふんわりとした性格で楽しそうに聞いてくれるからか、由美乃さんに対して緋奈は買い物の事以外も色々と話す。

 そうして由美乃さんの口から発された、以外な言葉。妃乃が緋奈の事を気に入っているのは、普段のやり取りを見ていれば普通に納得出来る事だが…俺もとは思わなかった。何だかんだバレンタインに手作りショコラをくれる位には、同居人として悪しからず思ってくれてるんだろうとは思っていたが…まさか、気に入られていたとは。

 

「…って、それは勝手に言っていい事なんですか…?」

「本当の事だもの、大丈夫よ〜。…でもほんと、妃乃ちゃんの気持ちが分かるわ。緋奈ちゃんは、良い子だって事がもう十分に伝わってきたし…悠耶くんは、とっても素敵な男の子だもの…」

『…え、っと…あの、由美乃さん…?』

 

 噛み締めるようにして口にした俺への評価に、思わずハモってしまう俺達二人。緋奈への評価は普通だったのに、俺に対しては何か違う。娘の同居人へ対するものとしては些か熱がおかしいというか、上手くは言えないものの…何か、不味いような気がしてくる。

 

「……?何かしら?」

「(うぅん?…戻った…なんだったんだ…?)あ、いや…何でもないです……」

「そう?だったら……っと、ごめんなさい。少し待っていてもらえる?」

 

 すぐに元に戻った由美乃さんに俺が困惑していると、そこで鳴り出す着信音。その音の発生源は由美乃さんの携帯で、席を立った由美乃さんは少し離れてから着信に応答。

 

「どうしたの、あなた。…え、今?ほら、前に言ったでしょう?折角の機会だから、千嵜家に来てるのよ。……えぇそう、だって妃乃ちゃん恥ずかしがるじゃない。それに親として、ちゃんと会うのも大切でしょ?」

 

 和やかな顔で由美乃さんが話す相手は、「あなた」って呼び方からして多分夫。妃乃の父親で、確か恭士さんって名前の人。

 

「…お兄ちゃん、由美乃さんって、夫婦仲が良さそうだね」

「…みたいだな」

 

 小声でそう話し掛けてくる緋奈の言葉に、俺は首肯。勿論聞こえているのは由美乃さんの声だけだが…その声と表情だけで、夫婦仲が良好だった事は伝わってくる。そしてマイペースな性格は俺達が緊張しないよう演じてくれてただけなのか、恭士さんと話す由美乃さんは至って普通……

 

「そう、そうなのよ〜。悠耶くん、確かに明るいタイプの子じゃないけど、ちょっと斜に構えてる感じとか、家族を大事にしてる部分はあなたと似てて、よく見ると目元とか立ち振る舞いもあなたを思わせる感じがあって、それに服の上からだからしっかりとは分からないけど、多分鍛えてもいて……ど、どうしようあなた。わたしちょっと、悠耶くんにときめいてるかも…!」

『ぶ……ッ!?』

 

……じゃなかったよオイィイイイイイイ!?ちょっ…由美乃さん何言ってらっしゃるの!?貴女既婚者ですよねぇ!?今電話してる相手、夫さんですよねぇ!?だ、誰にときめいてんの!?そして誰にその報告してんの!?俺同居してるクラスメイトの義父になるとか、流石に勘弁なんですけどぉおおおおおおぉぉぉぉッ!?

 

「うぇっ!?あ、ち、違うの!そういう事じゃなくて…うん、うん……あぅ、ごめんなさい…」

 

 これはヤバい、色んな意味でアウト過ぎる。そう思っていた矢先、わたわたと慌てる由美乃さん。暫く何かを言われていると、段々由美乃さんはしゅんとしていき、最後には何ともしおらしい感じに。…何を言われたのかは分からないが……まぁそりゃ、怒られるだろうよ…。

 

「…え、悠耶くんに…?うん…渡せばいいの?それで…はぅっ……」

(…う、うん…?)

 

 その後も恭士さんの説教(?)は続き、しかも何やら俺に代わってくれと言ったのか、由美乃さんは俺へと携帯を手渡してくる。…そしてその直前、何かを言われたっぽい由美乃さんは奇妙な声と共に頬を赤らめたが……うん、まぁ、なんというか…これは触れない方が良さそうだ…。

 

「…え、と…代わりました、千嵜悠耶です…」

「あー…うちの由美乃がすまんね、悠耶君。俺の事は、由美乃や妃乃から聞いてるか?」

「あ、いや、殆ど何も……」

「そうか…まぁ、別にいいか。君も別に、俺に興味はないだろう?」

「…まぁ、ぶっちゃけ」

 

 由美乃さんとは打って変わってあっさりとした、うだうだ話す事でもねぇよな…という雰囲気を感じる、恭士さんの声。確かに俺と恭士さんは人としての方向性が似ているのか、たった二言聞いただけで俺の中には感じるものがあり…つい、雑な返しをしてしまった。

 だがそれに恭士さんは怒る事もなく、ふっと鼻で笑うだけ。俺の返しには特に言及もせず、言葉を続ける。

 

「由美乃には俺がしっかりと言っておくから、さっきの事は気にしなくていい。というか、気にされても困る。忘れろとは言わないが、頭の隅の隅にでも仕舞っておいてくれ」

「その件は、ほんとにそうさせてもらいます…」

「あぁ。…さて、取り敢えずこれさえ言えればいい訳だが……」

「…恭士さん?」

「…悠耶君。俺は時々、妃乃から君への不満を聞いている。しかもかなり、容赦のない言い方でね」

「え、えぇー……」

 

 数秒間の沈黙の後、不意に恭士さんが言い出したのは全然嬉しくない情報。不満の一つや二つは言われてたっておかしくないが、そんな事急に言われても困る訳で、しかもそんな事を言ってくる理由も分からない。

 

「…だが、勘違いはしないでくれ。妃乃は、人の陰口を言うような子じゃない。親の贔屓目がないとは言い切れんが…妃乃は他の人間なら肩が凝ってしまいそうな程でも普通にこなせる位の、根っからの真面目な性格だからな」

「…その妃乃が愚痴を漏らすって、俺相当不満を抱かせてるんじゃ……」

「いいや、逆だ」

「逆…?」

 

 次なる言葉から推測される結論に、流石にちょっとショックを受ける俺。だが、それを恭士さんは否定する。そうではないと、逆なんだと。

 

「妃乃は人の陰口を叩かない。陰で人を悪く言って、それでストレスを発散するのを是としないのが妃乃だ。その妃乃が、容赦なく不満を漏らせるのは…それだけ君という人間に対して、遠慮無しに何でも言えてしまう程に気を許しているからに決まっているさ」

「……っ…妃乃が、俺を……」

「…まぁ、それも俺の主観に過ぎないがな。だが、俺の言葉を、妃乃を少しでも信じてくれるのなら…これからも、妃乃と良い付き合いをしていってほしい」

「……はい。俺も、妃乃の事は…信用、してますから」

「ふっ、そうか。由美乃は斜に構えてるなんて言ってたし、妃乃も捻くれてるなんて言っていたが…案外、素直なんだな」

「…捻くれてる奴だって、偶には真っ直ぐになりますよ」

「はは、そりゃそうだな。今は俺も任務中で長話は出来ないが、いつかまた改めて挨拶をさせてもらうよ」

 

 最後に軽く愉快そうに笑って、それから真面目な感じに戻って、恭士さんとの会話は終了。会話に入ると同時に台所まで移動していた俺が戻り、由美乃さんに携帯を返すと、再び由美乃さんは恭士さんとの会話に入り……その間、俺は考える。

 妃乃は俺に、強く気を許している。本人が言った通り、それは恭士さんの主観だが…同時にそれは、父親の言葉。そして俺は、その恭士さんの言葉に信じ得るだけのものがあると感じている。

…いや、違うな。確かに、そう感じてる部分もあるが…俺は、それを信じたいんだ。妃乃が俺に気を許している…それが事実であると、本当であると。

 

「うぅ、恭士さん相変わらず容赦ない…でも、そんなところも素敵……」

「ゆ、由美乃さん…?」

「…こ、こほん。何でもないわ、緋奈ちゃん。それと…出来る事ならもう少し話していたかったし、折角だからお昼はわたしが作ってあげようとも思っていたけど…わたしもお仕事が出来ちゃったから、今日はこれでお暇するわ。来るのも帰るのも急で、本当にごめんなさいね」

 

 先程の通話の中で仕事に関する話も出たのか、由美乃さんは帰るとの事。帰り支度を整えた由美乃さんはそれから何故か俺を呼び、俺は由美乃さんと共に廊下の方へ。

 

「…な、何です?」

「悠耶くん。こんな事、親から言われても困っちゃうかもしれないけど…これからも、妃乃ちゃんと仲良くしてあげてね」

「え?」

 

 一体今度は何だろうか。さっきのトンデモ発言もあり、内心身構えていた俺だが…由美乃さんが口にしたのは、予想とは全然違う言葉。それと同時に、恭士さんとも似た言葉。…仲良くしてあげて、って……

 

「…その、由美乃さん…」

「何かしら、悠耶くん」

「俺、恭士さんにも同じような事を言われました」

「まあ、それは何だか嬉しいわ」

「…由美乃さんも恭士さんも、俺を高く評価してくれているなら光栄です。お二人は妃乃の両親ですし、宗元さんの子でもあるんですから。…けど…こんなひと時のやり取りだけで、娘をだなんて…そこまで言えるものなんですか…?そこまで俺は、信用に値する人間だって見えました…?」

 

 不信感を抱いている訳じゃない。けど俺は、昨日まで妃乃の両親の事を名前すら知らなかったし、今日だって話したのは専ら妃乃の事。なのに何故由美乃さんも、その話すらしてない恭士さんまで俺にそう言ってくれるのか、どうしても俺は分からなかった。

 そんな俺に対して、由美乃さんはじっと見つめる。俺の瞳を見つめ返し…それからまた、笑う。

 

「そんなの、簡単よ。悠耶くんの事は、妃乃ちゃんが心から信頼してる。可愛い愛娘が、時宮の人間として立派に成長してる妃乃が信頼してる相手ってだけで、貴方は十分信じるに値する人物なのよ。そしてそれを、今日確かめられたから言うの。妃乃ちゃんを、今後も宜しくね…って」

「……それが、親ってもの…ですか…」

「そうよ。勿論、わたしは妃乃ちゃん抜きにも君の事を信用してるけどね」

 

 穏やかな、優しげな、由美乃さんの答え。娘が信じてるから信じてる、そんな単純明快な理由で……だけどそれが心からの言葉だからか、俺は素直に納得する事が出来た。或いは…俺自身も妃乃の事を信用も信頼もしているから、その妃乃の両親の言う事なら…と思っているのかもしれない。

 

「…で、どう?妃乃ちゃんと、これからも仲良くしてくれる?」

「…はい。こっちこそ、これからも宜しくお願いします」

「えぇ、勿論。…あ、そうだ悠耶くん。ちょっと携帯、いい?」

「はい?…まぁ、いいですけど…」

 

 改めて訊かれた問いに、俺ははっきりしっかりと首肯。それから求められた通り俺が携帯を差し出すと、由美乃さんは受け取った俺の携帯に加えて自身の携帯も何か操作し……戻ってきた時、俺の携帯には由美乃さんの携帯番号が登録されていた。

 

…………。

 

「……あ、あの…これは……」

「何か困った事があったら、連絡頂戴。それに妃乃ちゃん絡みで困った時も、連絡してくれれば相談に乗ったり、妃乃ちゃんの弱点を教えてあげたりしてあげるわ」

「…いや、それは…色んな意味で、いいんですか…?」

「だから、言ったでしょ?妃乃ちゃんが信頼している貴方なら、って」

 

 からかっているとか、試しているとかじゃなく、本当に素でやっている。そうとしか思えない態度で返され、的確な返しも一切浮かばず、結局クラスメイト(同居中)の母親の携帯番号をゲットしてしまった俺。…なんかもう、なんて言ったらいいのか分からん……。

 

「それじゃあ、またねぇ二人共。それか今度はうちにいらっしゃい。二人の事なら、いつでも大歓迎よ」

 

 そうして我が家を去っていく由美乃さんと、それを見送る俺達二人。恭士さんに怒られてる最中を除けば、由美乃さんは徹頭徹尾ふんわりとした人だったし、接し易くても掴み切れない…そんな印象が心に残る。

 でも、やはり…妃乃の母親である由美乃さん、父親である恭士さんと話して、少しでも人となりを知って、二人の妃乃に対する思いにも触れて……俺は思うのだった。やっぱり、家族って良いな…と。



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第百八十一話 調査は続く

 言うまでもないとは思うけど、富士山は広大だ。結構な人数が参加しているとはいえその広大さはとても一日で探索し切れるレベルじゃなく、加えて環境だってかなり過酷。だから調査任務は一日中行う…なんて事はせず、決められた活動時間を超えたら進捗状況に関わらずその日は終了、場所や部隊の消耗具合によっては一度支部まで戻って休むという規則で進められている。

 ここでいう消耗というのは、勿論まず第一に身体の事。同時に精神的な消耗も各部隊の長は意識しているんだろうし…その上でもう一つ、状況次第で大きく消耗するものがある。…弾薬や破損紛失した武装という、戦う為の消耗が。

 

「はぁああああぁぁぁぁッ!」

 

 両足でしっかりと雪原を踏み締め、二丁のライフルと二門の砲、合わせて四門の火器による砲火を魔物へ叩き込む。

 二日目の午後。俺の所属している部隊は結構な規模の魔物の群れから強襲を受け、今も全力の迎撃戦が繰り広げられている。

 

(あの時よりは少ないんだろうけど…流石に骨が折れる…!)

 

 撃って、撃って、位置を変えて、また撃って。とにかくこっちへ来ようとする魔物と、味方を襲おうとしている魔物と、隙を晒している魔物を手当たり次第に撃っていく。

 まあまあ数がいるだけあって、割と当たりはする。けれど富士山に住む魔物は強い個体も多く、ライフルの射撃は立て続けに何発も当てられないと撃破に繋がらない。砲による攻撃の方は流石に一発で重傷ないし致命傷を与える事が出来るけど、こっちは連射が効かない上に射角もライフル程自由じゃないから、やっぱり基本はライフルになる。

…いや、この表現は少し間違ってる。ライフルと砲、それぞれの性能はあくまで俺が使った場合。俺よりもっと霊力付加が上手い人なら実体弾の、収束が上手い人なら純霊力弾の威力や貫徹能力が上がるだろうし、操作が得意な人ならただ撃つ以外の事もやっている筈。俺だって努力して霊力量以外も向上してるとは思うけど…やっぱりこういう場面になると、よく分かる。俺の戦い方は、霊力量によるごり押しなんだと。

 

「しまっ、抜けられた…ッ!」

「くッ……そ、がぁああああぁッ!」

「おぉう…って、驚いてる場合じゃねぇ……!」

 

 不意に聞こえた歯噛みするような声と、視界の端を飛んでいく、羽根の生えたカブトガニの様な魔物。その魔物は味方の一人へ突っ込み、構えていた火器を破壊し…けれど破壊されたその人はキレたような声を上げ、拳で硬そうな魔物を殴打。二発、三発と殴り付け…堪らず魔物が離れたところで、俺はそいつに向かって砲撃。直撃はしなかったものの掠った事で魔物はよろけ、別の人の一撃によってがくりと絶命。俺はそれを確認すると同時に雪原を蹴り、火器を破壊された味方の下へ。

 

「大丈夫ですか!?」

「あぁ、なんか思わずボコっちまった…。…けど、これじゃもう撃てねぇな……」

「……なら、これを使って下さい」

 

 肩を竦めつつ、砲身が完全にひしゃげた火器を見て顔をしかめる彼。その彼へと、マガジン諸共俺は実弾ライフルを差し出し渡す。

 

「いや、これを使ってって…そりゃ、あんたはまだそっちのライフルがあるだろうが……」

「大丈夫です。策はあります」

「策?…いや、そうだな。だったら親切心として受け取るさ、助かる…!」

 

 こくりと頷き、口角を軽く釣り上げてライフルのグリップを握った彼は、立ち上がりざまに引き金を引いて三点バースト。その三発で的確に接近してこようとしてきた魔物の眉間を撃ち抜いて、にっと更に口角を上げる。その姿を見て、俺も自然と口角を上げ……次の瞬間、俺は跳ぶ。クラウチングスタートの様に、真っ直ぐ前へ。

 

「あぁ!?おまっ、策って……」

「最終的な判断は各々に任せる、そう言ってましたから…ッ!」

 

 驚く彼へ言葉を飛ばしつつ、スラスターを吹かして更に前進。ここだと思った位置まで進み、下半身を前に振り出すようにして強引な着地を行った俺は、そこで改めて砲火を開く。

 それは、つい先程部隊長が言った言葉。乱戦になりつつある状況の中で、陣形はあくまで上手く戦う為の手段だと、その手段に固執し満足に立ち回れなくなるのなら、陣形はなんの意味もないのだと、そう言って自ら最前線へと向かっていった。

 勿論、その真意は「好きに動いていい」なんて短慮なものではないと分かっている。ただ言われた通りに動くのではなく、自分で見て、自分で考え、その上で行動しろって事なんだと…少なくとも、俺はそう捉えている。

 

(やっぱり、こっちの方が戦い易い……!)

 

 砲とライフルの集中砲火を前方へ撃ち込んだ後、再度俺は跳んで移動。ホバーの如く高くは飛ばず、滑るようにして動きながら射撃を続ける。

 動き回る分、射撃と飛行の両方に意識を割く分、どうしたって命中精度は劣ってくる。けどそもそも、俺の強みは正確無比な射撃なんかじゃない。とにかく長く攻撃し続けられる事、動き続けられる事で……霊力を垂れ流すような戦い方でなくちゃ、俺は力を発揮し切れない。

 

「いッ……っらぁッ!」

 

 引き撃ちの最中で木の枝が引っかかり、目のすぐ側に痛みが走る。後ろに目がある訳でも特異な空間認識能力を持っている訳でもない俺が、山中で撃ちまくりながら四方八方に動けばこういう事も自然と起こる。むしろ木の幹に背中からぶつかってひっくり返るとかにならなかった分、まだ幸運とすら言えるんだから。

 一体、また一体と倒していき、僅かな合間で深呼吸。空いた左手に拳銃を抜き放ち、再び射撃を敵へとばら撒く。何発外れたって良い、何発かかったって良い、そういう事気にしなくて良いのが俺の強みだ…ッ!

 

(…ちっ、流石に一人で動きゃ狙われ易くもなるか…ッ!纏めて返り討ち…っていければ格好良いところだけど、ここは一旦回避に徹して……)

「──位置取りがまだ甘いな」

「……!」

 

 半円状に広がり、揃って俺へと敵意に満ちた眼光を向けてくる魔物達。流石に処理が追い付かないと思った俺は、一度意識を回避だけに向けようとして……次の瞬間、俺の視界の外から放たれた片手斧が、左から二番目の魔物の首を撥ね飛ばす。

 それを放ったのは、部隊長。片手斧の後を追うように飛び込んだ部隊長は飛び膝蹴りで別の魔物も蹴り飛ばすと、片手斧を回収しつつも左手のサブマシンガンで残りの魔物を牽制し、俺が立っている場所まで後退。

 

「今のような立ち回りをするのであれば、もっと大きく動く事だ。そうすれば、敵の視界から外れてその分動き易くなる」

「あ、は、はい!」

「…体力は?」

「…た、体力?」

「まだやれるか、という事だ」

「あっ…や、やれます!」

「なら、俺が奴等を引き付ける。そこを狙って一気に叩け」

「……っ!分かりました…!」

 

 言うが早いか、行動を再開する部隊長。返事をしながら俺も雪原を蹴り、初日に俺がやったように…俺以上に鋭い動きで派手に注意を引き付ける部隊長を追う。

 何故、俺にこの話を持ちかけたのかは分からない。俺の能力を買ってくれたのかもしれないし、俺を一人で立ち回らせるのは危ないという気遣いからかもしれない。…でも何にせよ、俺は頼まれた。その役目を任された。であればその役目に、全力を尽くすのみ…!

 

「よ、っと…喰らえッ!」

 

 俺に注意が移っちゃいけないからある程度の距離を保ちつつ、邪魔となる魔物を両手の火器で適宜迎撃。その間も砲には霊力を充填し、部隊長の指示に合わせて砲撃。二門の砲で複数の魔物を纏めて灼き、すぐにその場を離脱する。

 

「まだ出力は上げられるか!?」

「出来ます!」

「なら、今撃った位置にいつでも行ける場所で動け!後は分かるな!」

 

 その言葉と共に、一発の弾が雪原へ着弾。その意味を理解した俺は(こっちを見てはいなかったが)小さく頷き、砲へ再充電を開始しながら素早く移動。

 右のライフルで魔物を誘導し、左の拳銃で偏差射撃を当て、止まったところで改めてライフルのフルオートで仕留める。俺は勿論他の味方も部隊長の動きによって立ち回りがし易くなり、若干ながら撃破の速度が上がっていく。そして……

 

「…今だッ!やれッ!」

「了解ッ!吹き飛び、やがれッ!」

 

 待っていた指示が飛んだ瞬間、俺は身体を捻りながら指定された地点へ着地。両足でしっかりと踏み締め、狙う先…部隊長がその動きで密集させた何体ものモンスターを見据え、最大まで霊力を充填させた砲撃を発射。輝く二条の霊力光が戦場を駆け抜け……密集した魔物全てを貫く。

 

「良くやった、流石だ。…総員、既に戦況はこちらへと傾いている。一気に決めるぞ!」

『了解!』

 

 最大出力の光芒に、何体も纏めて撃ち抜かれた事に、一瞬ながら動きが止まる魔物達。その瞬間を見逃さずに部隊長は全体へと指示を飛ばし、それに返ってくるのは味方からの覇気ある呼応。

 この時俺は気付かなかったが、俺のこの一撃は、何体だろうと関係ないとばかりに駆け抜けた砲撃は、部隊長の大立ち回りと共に味方の士気を引き上げていた。一切意図をしていなかったところで、俺は刀一郎さんの言う影響力を発揮していた。そしてそれに俺が気付くのは、戦闘が終わってから暫くした後、顔馴染みの面々から戦闘中の俺に関して聞いた時。

 

「ふー……よし…ッ!」

 

 一度力を抜くように息を吐き、それからエンジンを掛け直すようにして再集中。流石に最大まで出力するとなれば操作の方にも多くの意識が割かれる訳で、少なからず疲労を感じているところだけど…まだ戦いは終わってない。安全が確認出来るまでは、気を抜いちゃいけない。

 そうして俺達は戦いを続け、最終的には魔物側の残存戦力が散り散りに逃げ出した事で戦闘終了。無事…とは言えないレベルでこっちも消耗し、命に別状がないレベルで大きな怪我を負った人も何人かいたけど、とにかく勝利で戦いは終わった。そして戦闘終了後、被害状況を確認した部隊長は一時撤退の判断を下し…俺の所属する部隊は、一旦支部まで戻る事になるのだった。

 

 

 

 

「ふぃー……」

 

 シャワーを浴びてすっきりとし、支部内の自販機で温かい飲み物を飲んでほっと一息。支部に到着後、俺達部隊は明日の朝まで休息という、自由時間に突入した。勿論待機という形だから支部の外に出る訳にはいかないし、何かあったらすぐに再集合もする訳だけど…流石にここでなら、思いっ切り油断をする事も出来る。

 

「先輩、よくその飲み物飲んでますよねぇ。好きなんっすか?」

「好きっていうか…まぁ、そうだね。食に関しては冒険せず、美味しいと分かっているものを選ぶタチだ、ってのもあるんだけどさ」

「戦いではがっつり冒険するのにっすか」

「うっ…しょ、食に関してはって言ったじゃん……」

 

 慧瑠から「へー、ふーん……」みたいな顔で言葉を返され、軽くたじたじとなってしまう俺。食事と戦闘は全く違うし、俺が求めるものも違うんだから、真逆だったとしても何らおかしくはないんだけど…そう言われると、やっぱり弱い。

 

「ま、いっすよ別に。それより先輩、怪我の方は大丈夫っすか?」

「あ、うん。怪我って言っても擦り傷切り傷だけだからね」

「擦り傷切り傷だと思って油断するのは良くないっすよ?かの東川十蔵も、死因は切り傷の化膿が広がった事だったんすから」

「ひ、東川十蔵…?」

「あれ、知らないっすか?昔は結構有名だったんすけど……」

「そ、そうなんだ…歴史の教科書に載る程じゃないけど、当時は有名だった人とかかな……」

「まぁ、自分が今適当に考えた人物っすけどね」

「いや架空の人物かい!なら知らんわ!」

 

 真顔で言うもんだから俺は「そういう人がいたのか…」と本気で思ったというのに、なんとそれは慧瑠の作り話。まぁもしかすると東川十蔵という名を持つ人物は、どこかに実在していたのかもしれないけど……少なくとも、慧瑠が口にしたのは慧瑠が想像の話。知る由がねぇ…!

 

「ふっ、見事に騙されましたね先輩。自分、結構演技派でしょう?」

「演技派でしょう?じゃねぇし…まあ確かに、考えてみればずっと慧瑠は学生の振りをしていた訳…むぐっ」

「突然っすけど、お喋りは一旦止めておくっすよー。じゃないと、彼女に先輩が空気か何かへ話しかけてると思われるっすからね」

(彼女……?)

 

 突然突き出された手によって塞がれた俺の口。続けて発された言葉の意味が気になって振り返ると、そこにはこちらへと歩いてきている綾袮の姿。

 

「やっほー、顕人君。今日はここで待機になるんだってね」

「あ、あぁ…助かったよ、慧瑠」

「いえいえ、自分は気の利く後輩系魔人っすから」

 

 小声で俺が慧瑠へと感謝を伝えると、綾袮は俺が座っている椅子の右隣へと座る。そして、慧瑠がいるのは俺の左隣で……ちょっとだけど、ドキドキする。

 

「…綾袮も、今日はここにいるの?」

「今日はっていうか、わたしは基本ここにいて、何かあったら動くって形だよ。妃乃もそうだし、会議室にいるおかー様とか妃乃のおとー様とかもそう。まあとにかく、お偉いさんは後方でどっしり構えてるのだー」

「でも、何かあれば全力で駆け付けるんだよね?」

「そりゃそうだよ。その為に体力温存してるんだから」

 

 どうだ、羨ましいだろ…みたいな声音で言う綾袮だけど、俺は知っている。綾袮は本当に調査を行う俺達皆の事を考えてくれていて、我が身可愛さや自分が楽したいから…なんて理由では決してないんだと。

 上嶋さんや今回の部隊長もそうだけど、霊装者はこうして『人』を大切にしてくれる指揮官が多い。これが本当にそうなのか、それとも偶々俺が関わる人にそういう傾向があったってだけなのかは分からないけど…やっぱりそういう人達が多いと、組織そのものも信頼出来る。…まあ、だからって別に疑念を抱いてる訳でもないけど。

 

「…で、どう?わたしがいなくても、ちゃんとやれてる?」

「な、何その保護者的質問…。…大丈夫だよ、ちゃんとやれてる。それに、綾袮がいない場で任務を行うのは何も今回が初めてじゃないし」

「あ…うん、言われてみればそうだったね…。というか、わたしと別れて任務をするのって……」

「一時的に上嶋さんの部隊に入って戦ったのが、一番最初だね」

「だ、だよねー…はは……」

 

 余程うっかりしていたのか、後頭部を掻きつつ自嘲的な苦笑いを浮かべる綾袮。けど今言った春先の件は勿論の事、学校内を調査する際の警戒任務であったり、先日の任務中の別行動だったりと綾袮不在で俺が動く事はこれまでに複数回あった訳だし、それ等全てを忘れてる…というのは、流石に少し違和感がある。…もしかして、疲れてるのかな…ここにいるって言ったって、のんびりしてる訳じゃないだろうし…。

 

「…綾袮こそ、どう?有益な調査結果は上がってきた?」

「え?…うーん…それはちょっと言えない、かな」

「そっか…」

「でも、まだ調査は続いてるって事は…分かるよね?」

 

 疲れてるのかどうかを探ろうと、今度は俺の方から質問。返ってきた答えからは疲れてるかどうかが分からなかったし、質問そのものへの回答も伏せられたようなものだけど…まだ調査が続いているという事は、少なくともまだ、調査を終えると判断出来るような結果は得られてないって事なんだろう。

 

「…………」

「…………」

「…ね、顕人君」

 

 そこで一度会話が途切れ、訪れたのは静寂。いつもはぽんぽん話題を出してくる綾袮が、今は静かで……その数秒後、静かに綾袮は口を開く。

 

「もう作戦の最中だし、無理に止めても顕人君のいる部隊が困るだけだから引き止めはしないけどさ…無理と無茶、それに危ない事はしちゃ駄目だよ?」

「…分かってる。いつもその事は頭の隅に……」

「本当に分かってる?…顕人君の部隊の中で、結構な大怪我を負った人がいたよね?その人は、油断してた?危険な行動を取ってたりした?」

「…それは……」

 

 俺の言葉を遮り、身体ごとこちらを向いて俺を見つめる綾袮は、真剣そのもの。その瞳で、発された問いで、俺は言葉に詰まってしまう。

 その人は、油断していたか。危険な事をしたか。…答えはNOだ。俺も一部始終を見ていた訳じゃないけど…少なくともその人に、大怪我を負って当然な動きや判断はなかったと思う。そして、綾袮が伝えたいのも……つまりは、そういう事。

 

「気を付けてたって、万全の態勢を整えたって、どうにもならない時はあるの。何が起こるか分からないのが、戦場…ううん、こっちの世界なの。…それに、何も戦いだけじゃない。富士山は……」

「…環境も厳しくて危険?」

「…ぁ…そ、そう。仮に九死に一生を得ても、環境にとどめを刺される…なんて事が普通にあり得るんだから、気を付けるだけじゃ駄目なの。気を付け過ぎる位じゃなきゃ……」

「…ごめんね、綾袮。もし俺が支援に専念する、後方から撃ってるだけの霊装者なら…ここまで心配は、かけてなかったよね」

 

 一瞬見せた、奇妙な間。俺の言葉に綾袮は首肯していたけど、何となくそこには違和感があって…だけどそれより今は、言わなくちゃいけない事がある。伝えなくちゃならない思いがある。そう思ったから、俺はその違和感を一度頭の隅へと押しやり…言う。

 

「そ、そういう意味じゃないよ…?ただ……」

「うん、分かってる。だけどね綾袮、俺には信念が…夢が、あるんだ。絶対に譲れない、曲げられない思いがあるんだ。だから多分…これからも俺は、綾袮に心配をさせる。不安にも、させちゃうと思う。…そう思うから、俺は強くなりたいんだよ。俺は俺の在り方を曲げられないから…その分、折れないだけの強さを掴まなくちゃって、いつもいつも思ってる。…それが俺の答えだよ、綾袮」

 

 かけるのは、安心させる為の言葉じゃない。気休めの嘘を吐く事だけって出来るけど…そういう事は、したくない。本気で思ってくれる綾袮の為にも、俺自身の為にも。

 俺がしたのは、俺の意思の表明。それを言ったって何かが変わる訳じゃない、ただ俺の思いを示したってだけの事。…だけど……

 

「…うん、そうだよね…知ってた、知ってたよ顕人君。君の、思いの強さは。それがあるから、どんな時でも臆さずに、どんなピンチでも挫けなかったんだって…わたしは知ってた、筈なのになぁ……」

「…ほんとに、ごめんね」

「ううん、わたしこそごめんね。この話、何回も何回もぶり返して。…ほんと、何でだろうね…戦場に出れば誰だって危険なのに、顕人君がちゃんと気を付けてるって事も分かってるのに…君の事が、特別心配になっちゃうのは……」

 

 天井を見上げ、ぽつりと静かに呟く綾袮。何故俺が特別心配になるかなんて、それこそ俺には知る由もないけど……その表情に、陰りはない。

 

「…けど、顕人君がそう言うなら、わたしだってしつこーく、何度だって言っちゃうよ?心配なのが、わたしの正直な気持ちだもん」

「うん、それは受け入れるよ。じゃないとフェアじゃないから、ね」

「宜しい!…じゃあ、今日はベットでゆっくり寝られるんだから、明日からの為にちゃんと休むんだよ?どんなに注意したって、どうにもならない事はあるけど…コンディションが良ければ避けられる危険だって、沢山あるんだから」

「了解。…っと、そうだ綾袮。さっき……」

 

 俺ははっきりと言った。これが俺の意思だと。暗に伝えた。心配しなくて済むよう、強くなる気はあるけど…心配かけない為に、綾袮の思う「こうすれば」には従えないと。だから、綾袮にだって言い返す権利があるし…俺が俺の思いを貫くのなら、綾袮が綾袮の心配を貫くのだって、肯定されて然るべき事。俺と綾袮は、同居人やクラスメイトとしては対等であり…霊装者としては、俺が尊敬する大先輩なんだから。

 それから綾袮は一度にっと笑い、その後俺にちゃんと休むよう言ってくる。それを受けた俺はまず頷き、次にさっき保留にした違和感について訊こうとした……その時だった。

 

「…っと、ごめん顕人君。ちょっと電話出るね」

「あ、うん。どうぞどうぞ」

「何だろ、何か進展でもあったのかな。もしも……え…?」

 

 もしもし。その言葉を言いかけたところで、電話を持ったまま固まる綾袮。出る前に立ち上がって離れたから、今いる位置からだと表情がよく見えないけど…雰囲気だけで分かる。何か、想定外の事が起こったのだと。

 

「…綾袮…?何か、あったの…?」

「…うん。顕人君、君は待機……ううん、急いで出る準備をして。場合によっては、わたしに……」

 

 電話を切り、振り向いた綾袮の表情は真剣そのもの。その表情の時点で、何かが…それも相当な事が起こっているのがほぼ確定的。そして次の瞬間、綾袮の後を追うようにして……支部内へと、緊急事態を告げる放送が入る。



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第百八十二話 再戦の魔人

 表情の変わった綾袮と、支部内放送が告げたのは、部隊の一つが魔人と遭遇したという情報だった。

 支部内放送では、待機中の部隊は再集合の後各部隊長に従えと言っていたけど…俺は部隊へは合流せず、綾袮と共に行動している。

 

「顕人君、確認だけど不調は無いね?疲れてるのを隠していたりもしないね?相手は魔人だよ?」

「大丈夫、嘘は言ってない。見ての通り擦り傷切り傷は幾つかあるし、疲労もそりゃ少しはしてるけど…無理は、してないから」

「…うん、その言葉信じるからね」

 

 俺からの返事にこくりと頷き、綾袮は支部の前から飛び立つ。俺もその後を追い、目的の場所である富士へと飛ぶ。

 今俺がこの作戦で編成されていた部隊ではなく、普段の様に綾袮と動いている理由は二つ。一つ目は魔人の襲撃という緊急且つ危険度の高い事態において、必要となるのは即応力…即ちすぐに救援へ向かえる事であり、その点においては間違いなく俺と綾袮だけで動く方が適している為。そしてもう一つは…その襲撃してきた魔人は、恐らく俺が過去に二度遭遇したあの魔人である為。

 

(ここが奴の根城だったって事か?それともまた何かを探して富士山に…?)

 

 特に何か思い入れがある訳でもなければ、因縁の相手という訳でもない、魔物を使役する魔人。理由が何であろうと、撃破ないし撃退する事には変わりないけど…やっぱり気になる。何故富士山にあの魔人が現れ、部隊に襲撃をかけたのかが。

 

「…顕人君。最優先は襲われてる部隊を守る事だからね。倒せるに越した事はないけど、倒す事が一番の目的じゃない。仮に倒せても、例えば部隊が全滅するような事があったら…そんなのは、最低の結果以外の何物でもないって、わたしは思ってる」

 

 交戦地点へ向かう中、先を飛ぶ綾袮が発した言葉。その言葉に籠っているのは、強い思いと確かな重み。出来るだけじゃない、全員助けるんだという、綾袮の意思。

 それに、どう答えるべきか俺は悩んだ。なんて言葉を返すのが、ベストだろうかと。…けれど、最終的に俺は何も言わず、ただ一つ頷いた。後ろにいる俺の首肯は、綾袮に見える訳がないけど……それでも、伝わったんじゃないかと俺は思う。

 

「……!あそこだよ!先行するから、顕人君は部隊の援護に回ってッ!」

「了解…ッ!」

 

 降りる事なく飛び続け、遂に見えた戦闘の光。それが見えた瞬間綾袮は更に加速し、翼の軌跡を残しながら一気にその地点へ。その速度に追従出来ない俺は焦る事なく速度を維持し、目を凝らしながら砲を前へ。狙うのは…今見えている中で、一番大きな身体を持つ魔物。

 

「まずは、一体…ッ!」

 

 全くこちらに気付いていなかったその魔物は回避行動すら取る事なく、二条の光に貫かれて絶命。それに驚いたに近くの魔物はギロリとこちらを睨み付けてくるが…その隙に襲われた部隊の一人が距離を詰め、近接攻撃でそいつも仕留める。

 

「君は……」

「援護します!弾幕張ればいいですか!?」

「あ、あぁ…感謝する、頼んだぞ!」

 

 これは倒す為の戦いじゃない。襲われた味方を守る為の戦いだ。心の中でそう呟きながら俺は迎撃を行う部隊の上方へと合流し、回答を受けるのとほぼ同時に二丁のライフルで弾を前方へばら撒き始める。…守る為の戦い…一度口にしてみたい言葉だったけど、流石に今は格好付けてる場合じゃないね…ッ!

 

「皆、魔人はわたしに任せて魔物の迎撃に集中!他の増援もすぐにから、それまで持ち堪えてッ!」

「綾袮様…総員、最大の脅威は綾袮様が押さえてくれるッ!若い増援もいるのだ、情けない姿は見せるなよッ!」

 

 蒼の煌めきと共に夜の雪原へと響く、綾袮の凛とした言葉。その声に、続くこの部隊の部隊長の発破に腹の底から出すような返答が上がり、感じる雰囲気がふっと変わる。

 そして、夜闇の中にちらりと見えたのは、見覚えのある魔人の姿。…やはり間違いない。奴は高校の屋上で、あの公園で戦った魔人だ。

 

(…けど、こいつ等…奴が出した魔物だけじゃない、のか……?)

 

 その魔人も当然気になるけれど、今はこの部隊の支援をする事が俺の役目。だから魔物を近付けさせない事、妨害する事を第一に考えた射撃をする中で…すぐに気付く。

 こちらへと仕掛けんとする、無数の魔物達。けれど過半数の魔物は種類毎別々の外見や体色をしているのに、一部の魔物は形こそ違えど、色は決まって全身真っ黒。更に言えば、作りが甘い…というと妙な表現になるけど、全身真っ黒な魔物はそうじゃない魔物に比べると全体的に単純な外見をしていて…その違いから、この場には魔人が出した魔物と、そうではない魔物の二パターンがいる事を俺はうっすら理解した。

 勿論、後者も魔人が引き連れてきた可能性はある。ただでも、別である事を頭に入れておいて損はない。

 

「……ッ、こいつ…ッ!」

 

 小型の魔物は、弾をばら撒くだけでも攻撃を躊躇う。けれど比較的大きい魔物や、硬い外殻を持つ魔物はそうはいかない。今もアリクイとハリネズミを混ぜたような魔物が俺や他の人の射撃を物ともせずに突っ込んできて、その個体は二門同時の砲撃によって倒せたものの…もしこういう攻撃を主体にされたら、硬い魔物が盾となり、その背後に別の魔物達が付く事によって強行突破を仕掛けられたら、恐らくこちらの迎撃態勢は瓦解する。士気こそ綾袮の存在によって向上しているとはいえ…それ程までに、部隊は消耗してしまっている。

 

(どうする…先手を打ってその線を潰しておくか?いやでも、支援する事を考えるなら俺はこの位置にいた方がいい。…というかそもそも、魔物がそういう作戦を取ってくる可能性自体はあるのか…?)

 

 動くべきか、動かないべきか。脳裏に浮かんだ可能性を前に、俺は迷う。魔物はそんな事をしてこない…ような気はするけど、もしも俺の予想が当たっていた場合、そしてその時こちらが何の対策も講じていなかった場合、こちらの被害は恐らく免れない。いや…免れないなんて他人事じゃなく、俺がやられる可能性だって十分ある。

 だが…そもそもこれは、俺一人で考える事だろうか。…答えは否。ここには俺より経験豊富な人が何人もいるんだろうから、意見を仰げば良い。訊かずに俺一人で決める必要なんて、微塵もない。

 そう思って、声を発しようとした俺だけど……次の瞬間、選択を待たずにその問題は解決した。

 

「はぁああぁぁぁぁッ!」

 

 勇ましく覇気ある声と共に、空から飛来する一つの人影。その影は手にした大槍で先の個体と同種の魔物を易々と貫き、魔物の上で大槍を引き抜く。

 それは、妃乃さんだった。一瞬で一体片付けた妃乃さんは息吐く間もなく跳躍によって魔物の群れの奥へと突っ込み、豪快さと繊細さが共存しているかのような槍捌きで次々魔物を斬り伏せていく。

 

「私に構わず撃ちなさいッ!戦意を失わせられれば勝利は確実よッ!」

「りょ、了解!綾袮様だけでなく、妃乃様まで来てくれたのだ、これ以上の被害は一切出すなッ!ここで確実に、凌ぎ切るぞッ!」

 

 当たりはしない、全て避けられる。言外にそんな響きを持たせた妃乃さんの声に弾かれるように、もう一度飛ぶ部隊長の発破。俺もその声に押されるようにして砲撃を放ち、攻撃によって声に応える。

 妃乃さんの存在によって、完全に状況は変わった。魔人が相手でも互角以上に戦える妃乃さんに踏み込まれた事によって魔物側の攻勢は目に見えて削がれ、格段に攻撃がし易くなった。その姿は、正に一騎当千。そして、俺は綾袮と同時に来たから分からないけど…多分綾袮の存在も、魔人を抑え込んでくれている事も、大きく戦況を好転させたんだと思う。

 

「この状況なら、ここで…ッ!」

 

 攻勢を押し留める力に余裕が出来た事を感じた俺は、スラスターを吹かしてその場から上昇。魔物を横から撃つ体勢から、斜め上から撃つ体勢へと移行し、四門全てで一斉掃射。二丁と二門に惜しみなく霊力を注ぎ、その霊力を編んで、射撃及び砲撃として上から全力で叩き込む。

 上からの攻撃は、狙う対象が重ならない分通りは良い。その反面その場に押し留めるにはそこまで向かない位置取りだけど…今ならいける。今なら一気に、俺の全力を撃ち込める…ッ!

 

「持ってき、やがれッ!」

 

 上から叩き付ける俺の面制圧攻撃。攻勢を押し返す部隊の猛攻。そして反撃を許さない、妃乃さんの圧倒的乱舞。上方、前方からは物量で、内側からは格の違う質で責められる魔物の群れは遂に陣形が崩れ去り…集団からただの集まりとなった事で、完全に逆転。然程強くない魔物は次々と撃ち抜かれ、多少強い個体は妃乃さんが纏めて封殺する事により再逆転の芽は潰えていき…恐らく魔人が呼び出したものではない魔物達が逃げ出し始めた事で、勝敗が決する。

 

「や、やった…何とかなった……!」

「どうだ、人の力を思い知ったか魔物共…!」

「やはり、時宮と宮空の血を引く者はレベルが違う…お二人であれば、あの魔人も…!」

 

 次々上がる、歓喜の声。部隊の人達を守り切り、役目を果たせた事で俺も安堵。

 だけどまだ、戦いは終わっていない。通常の魔物は、もう大半が逃げ出しているとはいえ、魔人が呼び出した魔物…それに魔人自身は、まだ残っている。この場における最大の脅威は、未だ健在。

 

「よ、っと。妃乃、来るの遅いよ?」

「悪かったわね、けれどきちんと必要な時には間に合わせた。違う?」

「まーね。…で、どうするの?まだやる?」

「…はっ、あいつ等追っ払って勝利気分か?随分とおめでたい奴等だな」

 

 翼の一振りで減速し、バックステップの様に妃乃さんの側へと降り立つ綾袮。二人は軽く言葉を交わし…それから鋭い視線を、刃を標的である魔人へと向ける。

 対する魔人も両手に靄を揺らめかせ、吐き捨てるようにして綾袮に返答。綾袮も魔人も、その身体に大きな外傷はなく…敵の数は減ったというのに、先程までとまるで変わらない緊張感が周囲に漂う。

 

「いいぜ、そっちこそまだやる気があるなら遊んでやる。歯応えのない奴等を相手にしたって、詰まらねぇだけだしな」

『……!』

 

 にやりと口元に笑みを浮かべ、雪原を蹴って魔人は跳躍。けれど魔人と綾袮達の距離が縮まる事はなく、魔人が跳んだのはその逆側。木々の間へ魔人の姿は消えていき…まるで効果が切れたように、真っ黒だった魔物達も姿が崩れて消えていく。

 

「逃げた…?…いや…誘ってるわね、これは……」

「だよねぇ、うん」

 

 波が引くように消えていき、あっという間に全て消滅してしまう魔物。その頃には通常の魔物の姿もなく、この場に残るのは俺達人だけ。それは、この場における戦闘の決着を意味し……緊張の糸が解けるように、部隊の人達は一人、また一人とほっとした顔で座り込む。

 けれどそんな人達とは対照的に、綾袮達の顔は厳しいまま。一先ず俺も着地し側に寄ると、綾袮は思考に耽っていて……俺が側に来てから数秒後、顔を上げた綾袮は言う。

 

「…妃乃。わたしはあの魔人を追うから、ここを任せても良い?」

「ここを?まあ確かに、消耗具合を考えれば救援部隊が来るまでは……って、は…?今、追うって言った…?」

「うん、言ったよ?」

「…誘ってるって、分かってるのに…?」

「だからこそだよ。わたしが誘いに乗って追えば、追った先にいる戦力はこの部隊や別の部隊じゃなくて、わたしに仕掛けてくれる。そうなれば全部の部隊を守れるし……妃乃だって思ってるでしょ?魔人の襲撃は、きっと偶然なんかじゃないって」

「…綾袮の癖に、随分筋が通った事を言うじゃない…。…だけど、相手の戦力は未知数よ。何か策はあるの?」

「ううん。だから上手い事時間を稼いだ後、隙を見て逃げるよ。それかすぐに妃乃が来てくれたら、どれだけの戦力がいても何とかなると思うんだけどなー」

「うっ……そうやって調子に乗ると、足元掬われるわよ…」

 

 様々な視点や方向から自分の考えを言葉に乗せて、綾袮は妃乃さんを鮮やかに説得。普段とは逆の立場になってしまった事が不服だったのか、妃乃さんは口を軽く尖らせていたけど…発した言葉が反論ではなく忠告だった事が、綾袮の考えを了承したという他でもない証拠。

 確かに綾袮の言う通り、ここで乗れば待機していた戦力をまるっと引き付けておく事が出来る。勿論それは引き付け続けられるだけの力がある場合だけど……綾袮ならば、その点は一切心配ない。

 そうして妃乃さんからの理解を得た綾袮は、退いた魔人を追うべく再び蒼い翼を展開。その翼で飛び上がろうとして…俺は気付く。妃乃さんの視線が、いつの間にか俺へ向いている事に。

 

「…顕人、綾袮をお願い出来る?」

「えっ?」

「あ、綾袮を?…そりゃ、まぁ…付いてくるなって言われない限りは、そのつもりだったけど…」

「ちょ、ちょっと待った妃乃。お願いって…わたしに顕人君を、戦力未知数の場所へ連れて行けって言うの?」

「だからこそ、よ。一人でも味方がいるのといないのとじゃ対応能力が全然違うし、未知数なら尚更援護はあってほしいものでしょ?」

「そ、それはそうだけど…」

「ほら、分かったなら早く行きなさい。正直に待ってくれてる保証なんてないんだから」

 

 さっきのお返しだ、とばかりに同じ表現で妃乃さんに言われ、綾袮は返せる言葉が見つからない様子。更に妃乃さんから急かされると、むむむ…という顔になり…それからはぁ、と息を吐く。

 

「…まぁ、そうだね。顕人君、この追撃はかなり危険だろうし、出来れば残ってほしいけど…付いてくる気はある?」

「…あるよ。さっきも言ったけど…俺は、そのつもりだったから」

「…なら、わたしの指示を第一に動いて。いいね?」

 

 真剣な表情で発された言葉に、俺は真っ直ぐ綾袮を見つめ返して首肯。すると、一瞬だけ綾袮は頬を緩め…改めて飛翔。木々の間を通り抜けるようにして飛び、俺もすぐにその後を追う。

 

「顕人君、顕人君はもう少し高度下げても良いよ。ただでさえどこに何が潜んでるか分からないのに、それを木の枝を避けながら警戒し続けるのは大変でしょ?」

「…綾袮は大丈夫なの?」

「当然。高い所からの視点はわたしに任せてくれていいから、顕人君は無理しないで」

「…分かった、頼むよ」

 

 綾袮からの気遣いに頷き、俺は自分が飛び易い高さまで下がる。お願いされておきながら早速気遣われてしまった俺だけど…実際綾袮の言う通りだし、ここで意地を張ったって何の得にもなりはしない。

 

「(綾袮と違って、そもそも俺に魔人と正面からやり合えるような強さはまだないんだ。だったら、今は少しでも余力を……)──ッ!綾袮!右前方10…いや11時の方向ッ!」

「うん、見えてるよッ!」

 

 高度を下げた数十秒後。突如視界に映った黒い影に俺は声を上げ、綾袮は羽ばたきと共に影が消えた方向へ加速。高度はそのままに俺もそちらへ舵を切ろうとして……次の瞬間、側面から綾袮へ無数の小型の魔物が襲い掛かる。

 

「綾ッ……!」

「大丈夫ッ!それより気を付けて!多分まだ来るよッ!」

 

 反射的に上げた声と、それを言い切るよりも早く発された綾袮の返答。そしてその通り、急制動と素早い斬撃で魔物を凌ぐ綾袮へと、逆方向からも魔物が強襲。どちらの側から襲ってくる魔物も…その姿は、黒い。

 

「させ、るかよ…ッ!」

 

 一度目は真っ先に声を上げてしまったけど、二度も同じ事はしない。逆方向からの攻撃が見えた時点で俺は両脚を前に振り出し、急減速をしながら二丁のライフルで同時射撃。光実それぞれの弾丸を綾袮と魔物の間の空間へと『置く』ように放ち、突っ込んできた魔物を次々と撃ち抜く。

 

「よしッ、次はこれで…ッ!」

「あぁ?それで何すんだ?」

「──ッッ!?」

 

 フルオート射撃で押し留める事に成功した俺は、続けて背中の砲を展開。照射で一気に魔物を薙ぎ払おうとして……次の瞬間、背後から聞き覚えのある声をかけられる。

 反射的に、左へ飛び退きながら振り返る俺。振り返った瞬間、黒い何かが俺の左腕の二の腕を掠め……熱い痛みが、そこに走る。

 

「顕人君ッ!」

「おおっと、まぐれだろうがよく避けたじゃねぇか餓鬼。こりゃ、テメェの方も少し位は楽しませてくれそうだなッ!」

 

  俺と声の主である魔人、それぞれの次の行動よりも早く肉薄をかけた綾袮の、鋭く容赦のない大太刀の一撃。それを靄を纏った両腕で阻んだ魔人は綾袮の刃を押し返し、にやりと口元を歪めて笑う。

 

「どうせ楽しむなら、ゲームとかスポーツとかの方が良いんだけど、なッ!」

「あぁ?ゲーム?スポーツ?なんでテメェのしたい事をオレがしなきゃいけねぇんだ、よッ!」

 

 振るわれる天之尾羽張と魔人の両腕。距離はほぼ変わらないまま互いに仕掛け合い、互いの攻撃を凌ぎ合う。

 単純な手数は、当然魔人の方が上。けれど威力と範囲で上回る綾袮は数で応戦しようとせず、魔人の攻撃を斬撃で捩じ伏せる事によって攻撃自体に迎撃の要素を組み込んでいる。

 それこそ正に、攻撃は最大の防御。圧倒的な実力を持つ、綾袮だからこそ魔人に対しても出来る戦法。

 

「顕人君は周辺警戒お願い!邪魔さえ入らなければ……」

「オレを倒せる、ってか?はっ、いいぜやってみろよ。やれるもんならなぁッ!」

 

 後方へ跳躍…と同時に振るった腕から散弾の如く小型の魔物を放つ魔人。それを綾袮は盾の様に前へと展開した翼で防ぎ、即座に跳んで魔人を追撃。突き出した斬っ先は魔人が身を捻った事で避けられるものの、引っ掛けるようにして放った膝蹴りは魔人を捉え、防御諸共その身を背後の木へと吹き飛ばす。

 当然俺も、それをただ見ているなんて事はしない。飛び上がり、神経を張り詰め、周囲へ視線を走らせて……木の陰から綾袮へ襲い掛かろうとしていた一体の魔物を、光弾で撃ち抜く。

 

「ちッ…邪魔してくれやがってよぉッ!」

「二度目はさせないよッ!」

 

 木を蹴り俺へ突進を掛けてきた魔人を、逆に綾袮が横から突っ込む事で迎撃。蹴られた綾袮は一瞬離れるものの羽ばたきと共に宙返りし、その場で飛翔する斬撃を放つ。

 それを右の拳の一撃で砕き、左の拳で再接近を掛けた綾袮を殴り付けようとする魔人と、空からの踵落としによって打撃同士の衝突を繰り広げる綾袮。数瞬の拮抗の末綾袮が脚を振り抜き魔人の殴打を潰すも、すぐに次なる攻撃が綾袮を襲う。

 

「わたし達を襲ったのは何が目的ッ!?また何か探してる訳ッ!?」

「訊かれて素直に答える馬鹿がどこにいるんだっつのッ!…けどまぁ、一つだけ答えてやってもいいぜ?」

「…一つだけ?」

「テメェ等が気に食わなかった、っつー理由だよッ!」

「くぁっ……!」

 

 天之尾羽張と交差した両腕によるせめぎ合いの中、交わされる問答。その最中、一つだけ答えてもいい、と興味を引くような発言を魔人が口にし…その上で作戦も物理的な損益もあったものじゃない、感情丸出しの理由を口にした事で、魔人は綾袮の意表を突く。

 振るわれた手刀に対する防御の姿勢が間に合わず、天之尾羽張で受ける事は出来たものの跳ね飛ばされてしまう綾袮の身体。けれど幸いにも、綾袮の飛ばされた方向と俺が今いる位置は近く……俺は一気に高度を落とし、綾袮の背後へ滑り込む。

 

「綾袮っ!…と、とっ……!」

「あ、ありがと顕人く……」

「貰ったぁッ!」

「……ッ!顕人君ごめんッ!今度踏んでくれていいからッ!」

「はぁ!?…ごふッ……!」

 

 何とか間に合った俺は、胸と腕で綾袮をキャッチ。けれも息吐く間もなく突如綾袮は訳の分からない事を言い出し…次の瞬間、胸元に走る重い衝撃。綾袮は一気に俺から離れ…その動きを見て気付いた。俺は今、足場にされたんだと。

 

「なッ!?ちぃぃッ!」

「まだまだぁッ!」

 

 味方の俺だって予想だにしなかった行動を魔人が読める筈もなく、綾袮は目を見開く魔人へ正面から肉薄。追撃に対するカウンターを受ける形となった魔人の身体をすれ違いざまに綾袮は斬り付け、反転と同時に着地をすると、更なる攻撃を叩き込む。

 寸前で魔人が身体を晒した結果、斬り付けたと言っても恐らくその傷は深くない。深くないけど一太刀浴びせた事は事実であり、綾袮の攻撃も終わっていない。

 

「……っ…俺、も……ッ!」

 

 足場とされた事で後ろに倒れかけていた俺も、気力と下半身の力をフル稼働する事で何とか踏み留まり、上体を起こすと同時に砲撃。視界の端に見えていた魔物を一門で貫き、更にその後方にいる魔物へ突撃。

 最初に一発受けた左腕は痛む。けれどこの傷はきっと、綾袮が魔人に与えた傷よりも浅い、痛いだけで動かすのには何の支障もない程度の傷。

 

「でゃああぁぁぁぁッ!」

 

 潜んでいたもう一体に射撃をかけるも、その個体はさっきも戦った外殻が硬いタイプの魔物。ライフルの攻撃は効いているのかいないのか分からず、その魔物もこちらへ突っ込んできているが故に砲撃も間に合うかどうか微妙。だけど俺は…だからこそ俺は両手のライフルを共に手放し、純霊力の片手剣と霊力付加型の短刀を同時に抜刀。衝突の瞬間、魔物の顔面に向けて片手剣を突き刺し、その剣も手放す事で魔物の真上を一気に取り、その背へ短刀を突き立てる。

 顔と背中、その二点へ立て続けに刃を突き立てられた魔物は大きく数度痙攣し、そして絶命。流れるような挙動で倒す事が出来た高揚感を抱きつつも、俺は手放した武器の回収に動く。

 

「綾袮!顕人!聞こえる!?追った魔人はどう!?」

 

 いける。綾袮なら魔人にもきっと勝てるし、その戦いへの横槍を防ぐ事なら現在進行形で出来てる。そんな思いが過ぎる中で、インカムから聞こえてきたのは妃乃さんの声。一瞬俺は、多分綾袮も、その通信が「すぐに行けるから、もう少し待っていて」というか旨の連絡じゃないかと期待した。けれど、すぐに気付く。聞こえてくる声にあるのは、そういう良い知らせを伝えるような雰囲気じゃないって。

 

「…こっちは大、丈夫…!それより妃乃、何かあったの…!?」

 

 目まぐるしく立ち位置の変わる攻防戦を繰り広げながら、インカム越しに問い掛ける綾袮。発される答えを無意識的に想像しながら、ライフルを回収し戻る俺。そしてインカムの先、もし何もなければ今も助けた部隊と共にいる筈の妃乃さんは……言った。

 

「えぇ、戦闘中なら答えなくていいから聞いて頂戴。──別の場所にも、魔物の群れが…魔人が、現れたわ」



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第百八十三話 まだ続く戦い

 インカム越しに告げられる、期待とはかけ離れた言葉。襲い来る脅威は目の前にいる存在だけではないのだという、雪山の中であっても鮮明に感じる程の悪寒。

 強襲を受けたのは、先程の部隊だけじゃない。別の部隊も、撃退した魔物とは群れによって襲われたと…今交戦している魔人とは違う魔人も現れたのだと、インカムの向こうの妃乃さんは言った。

 

「オラオラ気が散ってんぞ女ぁッ!もうバテたのか、それとも逃げる算段でも建ててんのかよぉッ!」

 

 苛烈に、荒々しく、暴れるが如く綾袮を責め立てる魔人。普通の人間がやれば速攻で体力が尽きそうな動きで綾袮に仕掛け、綾袮はそれを天之尾羽張と体捌きとを駆使する事で凌いでいる。

 妃乃さんからの通信を受けてから数分。この場においては、何も起こっておらず…けれど勢いは、魔人の方へと傾きつつある。

 

「誰が、逃げる事なんか…ッ!」

「だったらもっとやる気見せやがれッ!折角本気を出してやってんだから、温い事してんじゃねぇよッ!」

「折角って…知った事じゃないよ、そんなのは…ッ!」

 

 振るわれた両腕の軌跡から生まれるように、至近距離で現れる二体の蛇の様な魔物。それを綾袮は一太刀で纏めて斬り裂き、返す刃で魔人を狙うも、その一撃は靄を纏った右腕で阻まれ左腕の貫手が綾袮へ迫る。

 身体を捻り、突き出された左手を寸前のところで避ける綾袮。如何に戦場においては冷静な綾袮でも、妃乃さんからの連絡には動揺を禁じ得なかったのか、さっきまでよりその動きは精細さを欠いていた。

 

「はっ、それこそ知ったこっちゃねぇな!いいから黙ってテメェは……っと、当たらねぇんだよッ!」

「ちぃ……ッ!」

 

 自分に高速で動く両者の内、片方には絶対当てないようにして撃つだけの技術もなければ、遠くから普通に撃って当てられる可能性も大してないと判断した俺は、追撃をかける魔人へ向けて突撃をかけつつライフルで射撃。近付けば両方解決出来るという単純ながらも確実な方法で撃ち込んだ光弾は、しかし魔人には避けられ何もない場所を通り過ぎていく。

 飛び退く両者。速度を落とす事なくその間を駆け抜ける俺。そして俺が振り向いた時、そこに迫っていたのは魔人が放った魔物達。二丁同時の引き撃ちで取り敢えずその小型魔物群は片付けられるものの……その内に距離を引き離される。

 

「どっかで見た事あると思ったら、そっちの餓鬼も前に見逃してやった奴かよッ!世間ってのは狭いんだ、なッ!」

「く……ッ!綾袮!」

「顕人君……!」

 

 跳ね上げた砲の照射で一気に一網打尽とし、今度は正確な狙いを付けずに弾をばら撒く。狙いはほんの僅かでも魔人の注意を晒す事で、綾袮の実力を考えればこれだって少しは援護になる筈。現に連絡を受けるまでは、互角以上に立ち回れていたんだから。

 

「綾袮、俺がこうして面の攻撃を続ければ、奴も魔物を出し辛い筈。当然その分俺も狙われ易くなるだろうけど、ここは……」

 

 直撃コースの弾を魔人が左手で叩き落としている間に綾袮は踏み込み、数度斬撃。攻めた綾袮と凌いだ魔人、両者共にその場を飛び退き…綾袮が着地した場所の側へと俺も降り立ち、魔人を見やりながら並び立つ。

 魔物を呼び出す魔人の能力は、凄まじく厄介。単純に遠隔攻撃として使えるだけじゃなく、壁としての活用どころか、独立した一つの戦力としても使えるんだから、そんな能力が弱い訳がない。だけど魔物故に、倒す事が出来る。やはりどこかから転送してるのではなく、即席で作り出す能力なのか、独立して動くと言ってもその動きは割と単純だし、あまり硬い印象もない。つまり、個々の力は強くない、けれど自在に無数に魔物を生み出せるという能力であるのなら……強力な個には敵わない、けれど膨大な霊力量に物を言わせて撃ちまくる事なら大いに得意な俺という存在は、魔人に対して有利に働くんじゃないだろうか。当然その『強力な個』である魔人自身には通用しなくても、能力を俺が妨害し、魔人本体を綾袮が叩くという形なら…きっと倒せるんじゃないのか。

 そんな思いを胸に抱き、俺は綾袮に提案した。俺よりずっと戦いを知る綾袮に、判断を仰いだ。けれど、それに対する反応は……何もない。

 

「…綾袮……?」

 

 否定ではなく、難色を示すでもなく、完全な無言。魔人の動きを警戒しての事かと初めは思ったけど…それならもっと前から無言の状態になっていた筈。理由の分からない無言に俺は少し不安となり…次の言葉を発しようとしたその時、綾袮が静かに口を開く。

 

「…顕人君。顕人君は、別の部隊の援護に行って。ここは…わたしに、任せて」

「え……?」

 

 発されたのは、全く違う言葉。否定でも肯定でもない、俺の言葉からはかけ離れた返答。

 

「…それは、どういう……」

「顕人君の言ってる事は一理あるよ。わたしもそう思う。だけどこいつは、状況が状況だったとはいえおかー様とおとー様が本気で戦って取り逃がした魔人。なら多分、顕人君の言う通りにしてもすぐには倒せない。立ち回り易くはなっても、きっとかなり時間がかかる」

「…だから、俺一人でも他の場所の手助けに……?」

「そういう事。…大丈夫だよ、顕人君。わたし一人でも、勝機はあるから。何とかするから」

 

 そう言ってほんの一瞬こちらを向き、にこりと笑みを浮かべる綾袮。そこに、嘘や強がりは感じない。多分本当に、綾袮には勝機が見えている。

 だけど…その代わりに、感じるものがある。俺を心配させまいとするのとは違う、別の無理をしているような、そんな何かが。

 

(…もしや、綾袮……)

 

 あるとすれば、それはきっと俺へ対する不安。別の部隊を守る為とはいえ、俺一人を…まだ群れや魔人が潜んでいるかもしれない中で、一人向かわせる事への不安と心配が、綾袮に無理をさせているんだと思う。無理に自分を納得させて、俺を送り出そうとしている…確証はないけど、そういう事なんだと俺は思う。だって綾袮は、いつでも俺の身を案じてくれてるんだから。

 だとしたら俺に、何か出来るか。そんな綾袮に、どんな言葉をかけたらいいのか。…正解は分からない。でも…伝えたい思いなら、ある。

 

「…綾袮。それ…思いっ切りフラグじゃない?」

「え?……あ"…ほんとだ、これ死亡フラグじゃん…!ここは俺に任せて先に行けのパターンじゃん…!」

「やっぱり気付いてなかったか…綾袮って、ちょこちょこ狙ってないところでボケを繰り出してたりするよね……」

「うぅ、何その評価…ちょっと恥ずかしいんだけど……」

「はは…。…だからさ、俺がそのフラグを折る。こっから八面六臂の大活躍をして、最速でここに戻ってきて、綾袮の言った事を成立させない。…それが出来たら、格好良いだろ?」

「…顕人君…ふふっ、それは難しいハードルだよ?なんたってわたしは、顕人君よりずーっと強い、世界トップクラスの霊装者なんだからね」

 

 それは、凡そ戦場…それも魔人という強敵を前にしてするような会話じゃない。あまりにも気の抜けた、ふざけた会話。

 だけど…いやだからこそ、俺と綾袮が普段している、日常的な会話だからこそ、しているだけで心の中に安心感が湧いてくる。変に理屈を捏ねるよりも、ずっと大丈夫だって伝えられているような気がする。それに、ちゃんと俺が今思っている事、俺の抱いている意思も伝えられたんだから…大丈夫。

 

「よぉ、作戦会議は終わったか?わざわざこのオレが待ってやったんだ、詰まらねぇ策だったらどうなるか分かってるよなぁ?」

「…行ってくるね、綾袮」

「うん。任せたよ、顕人君」

 

 やはり敢えて待っていたのか、高慢な言葉をぶつけてくる魔人。その魔人へと睨み返した後、俺はふっと表情を緩め…穏やかな声と共に、小さく雪原を蹴る。綾袮からの「任せた」という言葉を受け止めながら、救援を必要としている部隊の下へと飛び上がる。

 

「なッ……テメェ、まさかオレの相手はこの女一人だけでするってか!?舐めた事してんじゃ……」

「──舐めた事?そっちこそ、あまりわたしを…舐めないでよねッ!」

「……ッ!…そうかい、そりゃあ悪かったなぁッ!」

 

 俺がこの場から離脱しようとしている事に気付いた魔人は、怒りを露わに俺へと仕掛けようとする。けれど次の瞬間、俺よりもよっぽと強く雪原を蹴った綾袮が一気に魔人へと肉薄し、上段から天之尾羽張の一撃を魔人の身体へ叩き込む。

 その一太刀を魔人が防御したところまでを見て、俺は背を向けた。背を向け、スラスターを吹かし、夜空を駆ける。救援に向かう為に。今すべき事を果たす為に。そして……有言実行、する為に。

 

 

 

 

 通信を元に、俺は複数の場所を転々とする事になった。それは代わる代わる魔物の群れが侵攻と撤退を繰り返し、その場での勝利は出来ても富士という広い戦場そのものでの戦闘は終わらない為。

…という説明だと、少し間違っている。戦闘が集結しない理由は、その通りだけど…俺が転々としているのは、俺の意思。霊力量だけは飛び抜けてる俺なら、何ヶ所も渡り歩いて継戦が出来ると俺自ら進言し、それを了承された結果…今の俺は、一人遊撃部隊みたいになっているのだ。

 

「はぁ…はぁ……ふ、ぅぅ……」

 

 今俺がいるのは、小さな洞穴。そこに腰を下ろし、一旦背中の砲は収縮させ、カイロを手に休んでいる。

 幾ら霊力量が飛び抜けてると言っても、無限にある訳じゃない。何度も戦って、その都度撃ちまくって、移動にも霊力を使ってるとなれば、そりゃガス欠が見えてくる。それに戦ってる以上は霊力だけじゃなく体力だって消費する訳で、そっちはほんとに限界が近い。

 

(…この辺りが引き時か…?へろへろの状態で戦闘に参加したって、足手纏いになるだけだし……)

 

 富士山という高度が高い場所なだけあって、息が整うのも普段より遅いような気がする。

 このなんちゃって一人遊撃部隊の任務を拝任する際、妃乃さんは言った。貴方にこんな役をさせて、普通自分達がやるような立ち回りをさせてしまって、申し訳ない、と。これは俺から言い出した事なのに、申し訳ないと妃乃さんは思っているんだ。なら、更に申し訳ないなんて気持ちにさせない為にも、俺は無理をしちゃいけない。

 それに綾袮だってきっと、無理してまで救援に回る事なんて望んでない。俺は俺がしたいからこうしてるとはいえ……誰かに負い目を感じさせたり、悲しませたりする事に対してその言葉を使ったら、その瞬間からそれはただの自己正当化になる。この思いが、保身の為のものに成り下がるなんて…そんなのは嫌だ。

 

「…けど、言っちゃったもんな…大活躍…は、まぁ…主観的に出来てると言えなくもないような気がしないでもないからいいとして……最速で戻るが、まだ達成出来てないもん、な…ッ!」

 

 自分を鼓舞すると同時に膝へ置いた両腕へと力を込め、ゆっくりと立ち上がる。カイロを仕舞い、エンジンを温め直すように軽くストレッチし、俺は洞穴を後にする。

 確かに疲れてる、消耗してる。だけど気力は、まだ衰えていない。それどころか、戦う度に燃え上がっている。まだだ、もっといけるって、心の中で叫んでいる。

 これは、一概に良いとは言えないだろう。疲労からハイになってるだけの可能性もあるし、気力じゃ体力は回復しないんだから。でも、もう少しだけ俺はやれる。楽になりたい気持ちで限界を決めるなんて…出来るもんか。

 

「こちら御道顕人。状況はどうなっていますか?」

「…君、大丈夫?まだ若い君が無理する事はないのよ?」

「…疲労はあります。だけど…いえ、だから…次で、最後にします。そこに、残りの力を注ぐつもりです」

「…分かったわ。まずは場所を教えて頂戴」

 

 僅かな沈黙の後、答えてくれるのは情報を取り纏めている支部から、各部隊へ指示を出してくれている人。その人曰く、段々と魔物を一箇所に集められつつあると、けれど動きからして、まだ何か裏がある可能性もあるとの事。当然これから俺が向かうのも、その地点。一番近い部隊に合流し、その攻撃を支援する。

 ゆっくりと一つ深呼吸し、飛び上がる俺。今言った言葉に、嘘はない。流れや状況次第でなく、自分からちゃんと線を引いて、そこまでに全力を注ぎ込む。

 だけど、全力で行くけど、残った力を使い切るとは言っていない。俺が見据えた着地点は、最後にやると決めている事は……一つ。

 

「……!見えた…!」

 

 体力集中力温存の為にやや抑えた速度で飛んでいた俺だが、それも移動中だけの話。戦闘の光が見えた時点で抑えるのを止め、一気に残りの距離を駆け抜けて撃ち始める。

 今俺が握っているのは、用意してもらったライフル。弾丸だけでなく、銃器そのものだって消耗品な訳で、しかも戦い方の関係から俺は他の人よりライフルの磨耗が早い。だから今は交換したライフルを握っているし、転戦するようになってからは砲の使用も控えていた。

 やっぱり、普段使ってるものじゃない武器の感覚には違和感がある。でもそんなの、一流の霊装者だったら言い訳になんてしないもんな…ッ!

 

「でぇええぃッ!」

 

 弧を描きながら光弾を放ち、魔物の動きが止まったところで左手のライフル(こちらも交換済み)と同時攻撃。蜂の巣にしたところでその場を飛び退き、次の瞬間俺のいた場所へ飛び込んできた別の魔物をすぐに砲撃。周囲へと視線を走らせ、敵味方の位置を確認する。

 

(多い…けど、手負いの魔物も結構……)

「顕人、顕人じゃないか!」

「よぉ御道、良いとこに来てくれた…!」

「皆……!」

 

 一箇所に集めつつある、追い込みつつあるという話の通り、魔物の側にも消耗が見える。けど消耗してるのに各々逃げない辺りは、やっぱり何かおかしくて…けれどそこに関する思考が始まる前に、俺は何人かに名前を呼ばれる。

 驚いて振り向けば、そこには前の作戦で仲良くなった皆が勢揃い。これはまた凄い偶然…じゃないか、こっちも総力戦って事だよな…!

 

「皆、魔物の勢いは俺が押さえ付けるッ!だから皆は……」

「止まったところを倒せ、だよなッ!あいよッ!」

 

 言うが早いか俺は高度を上げ、ざっくりした狙いで攻撃をばら撒く。上手く当たる個体、避ける個体、当たったけどものともしない個体、鼻先や足元を掠めてつんのめる個体。魔物の反応も様々で、皆はその内の当たって動きの鈍った個体や、つんのめって姿勢を崩した個体を優先的に狙っていく。

 そこは次なる援護を…そう思ったところで、逆に魔物から放たれる遠隔攻撃。咄嗟に高度を下げると針の様な遠隔攻撃は頭のすぐ上を抜けていって…けれど俺は、それで調査を崩したりしない。既にこの位なら、恐れない。

 

「させねぇ、よッ!」

 

 放ってきた魔物をすぐに特定し、砲で反撃。ライフルは弾のばら撒きを続け、同時ではなく左右の砲を交互に撃つ事によって目標の魔物を追い立てる。

 全く恐怖がないと言ったら嘘になる。でも前程は怖くない。それよりやってやろうじゃねぇかって気持ちの方が強くて、気持ち関係なしに思考は回り続けている。

 アドレナリンのおかげか、重ねてきた経験の賜物か、或いはその両方か。まあ何にせよ、この程度…魔人や魔王、それにゼリアさんに比べりゃ驚異でもなんでもねぇ……!

 

「もらったぁッ!」

 

 敢えて対応が遅れたような砲撃を放った次の瞬間、回避に専念していた魔物はくるりと振り向き、口を開いて針を飛ばしてこようとする。

 けれどそうくると思っていた。反撃を狙っているという予想はついていたから、わざと外し…振り向く挙動に入った時点で、もう一門の砲を撃ち込む。結果本命の砲撃は、口を開いたタイミングとバッチリ重なり…針は発射される事なく、砲撃がその顔を貫く。

 

「ひゅー、俺等も負けてられないね…!」

「ああ、顕人だけに良い思いはさせねぇさ…!」

「…いいねぇ、若いって。なら、おじさんももう少し頑張ろうかな…!」

 

 聞こえてくるのは、思いが奮い立ったような声。俺が派手に撃てば撃つ程、それが加速しているような気がする。

 多分これが、刀一郎さんの言っていた事なんだろう。でも今は、そんなに気にならない。全力で戦い、全力で守り、綾袮の下に戻る…それさえ頭にあれば、それで十分だ。

 

「……っ、弾切れ…!えぇい、両方ビームの方が良かったか…ッ!」

 

 何も出てこなくなった実弾ライフルを手離し、代わりに純霊力剣を柄だけの状態で抜いて手に。まだ実弾ライフルはマガジンが一つ残っているけど…今はその余裕もない。やろうと思えば出来るけど、今俺の中にある勢いを止めたくない。

 味方へ突っ込もうとしていた数体の魔物の前へ砲撃を撃ち込み、進路上へ光芒を置く事によって味方を支援。続けてすぐに視線を宙へと向け、飛び掛かってくる魔物へと射撃をかける。

 単発の威力は決して高くないライフルじゃ、飛行し勢いが付いている相手は中々止められない。だからこそ俺は光弾をギリギリの距離まで撃ち込み…衝突の寸前、右に避けると同時に左に持った霊力剣で一閃。高い切断力を持つ霊力剣は魔物を深々と斬り裂き、射撃によるダメージと合わさる事でそのまま絶滅。ふっと小さく息を吐き、それで気を引き締めて次なる敵へ。

 

「さぁ皆、後少しで目標地点まで押し返せる!けどそういう時こそ一番油断しちゃあいけないよ!おじさん、経験だけは豊富だからね…ッ!」

(あの人が部隊長だったのか…!…でも確かに、相談をしそうなタイプの人だ……!)

 

 俺と同じ二丁ライフルスタイルで一見なよなよと…けれどよく見れば魔物の攻撃を的確に交わし、最小限の弾数で魔物を倒している中年らしきその人が、どうやらここの指揮官らしい。多分この人はぐいぐい引っ張ってくれるタイプじゃなきゃ、冷静且つ緻密な指示で部隊を動かしてくれるってタイプでもないんだろうけど…こういう人なら、些細な事でもきちんと報告しようと思える。殆ど知らない俺でもそう感じたんだから、きっとこの部隊の人はもっとそう思ってる筈。

 後一歩。それは気力に直結する言葉で、どんなに疲れていたとしても、後一歩だと思うだけでまだやれるような気がしてくる。そしてそれが気休めではなく、本当に後一歩ならば、十分な力となって魔物達を……

 

「うわぁああぁぁぁぁッ!?」

 

 そう思った次の瞬間、聞こえてきたのは悲鳴。弾かれるようにして振り返れば、そこには落下していく味方の姿。不味いと思った俺はすぐにその後を追い、ライフルの様に霊力剣も手離してその人を掴む。

 

「うっ……す、すまない…」

「ま、間に合っ──」

「先輩ッ!上っすッ!」

「……ッ!?」

 

 雪原に落ちる寸前に腕を掴めた俺は、そのギリギリ具合に安堵……しかけた次の瞬間、ずっと消えていた慧瑠がかなりの声量で突如叫ぶ。

 それに驚いて腕を離し、条件反射的にライフルを上へと向けた俺。そして気付く。俺がライフルを向けたその先にいた、一つの影に。

 

「…反応は悪くない。けど……」

「……ッ…!」

 

 ヤバい。本能的にそう感じた俺は、誰なのか確認する事もなくトリガーを引く。…いや、引こうとした。けれどそれよりも一瞬早く、その存在は俺のライフルを掴み……破壊する。

 

「な……ッ!?」

「後ろに飛ぶっす先輩ッ!早くッ!」

 

 力で握り潰した訳じゃない。武器を使った訳でもない。ただ、触れられた砲身が一瞬歪んだように見え…何なのか理解する前に、触れられた部位周辺がバラバラに砕けた。

 全く予想出来なかった事に茫然としそうになった俺を動かすのは、慧瑠の声。言われるがままに俺は飛んで…飛んでからそれが、奴から離れろって意味だと気付いた。

 俺が離れ、落下した人も奴の危険性を理解しているのか跳躍し、すぐにその存在へと放たれる味方からの射撃。それによって雪煙が上がり、一度奴が見えなくなり……けれどその煙が晴れた時、そこには健在な奴の姿。

 

(くッ……後一歩ってとこで、魔人かよ…ッ!)

 

 一見人の様な体躯。この場に突如現れた事。ライフルを破壊した、謎の力。そして防いだのか避けたのかは分からないものの、射撃を受けても落ち着いたままで一切揺らいでいない表情。あぁ、そうだ。間違いない。奴は……魔人だ。



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第百八十四話 飲み込む光

 激突して、離れて、またぶつかって、また距離を取って。攻撃して、防御して、放たれる魔物を斬り伏せて、隙を突いて。

 戦闘が始まってから、どの位時間が経ったかは分からない。でも、少なくとも…まだ戦いは、続いている。

 

「でぇえいッ!」

「ちッ…いい加減倒れろってんだよッ!」

 

 低空飛行の突進をかけて、間合いに入る寸前に雪原を踏み込んで、その分の勢いも加算させた斬撃を一発。それに対して靄を纏い、交差させた両腕で防御した魔人は苛立たしそうにわたしへ蹴りを入れてくる。

 当たる直前、わたしは天之尾羽張に込める力を抜いて、魔人の腕力を利用する事で蹴りを回避。すぐに翼を突き出して反撃に出るけど、魔人もそれは回避して、即座に掌から羽の付いた野球ボールみたいな魔物を数体打ち出す。

 

「こういう事も、出来るんだよ…ねッ!」

 

 翼をはためかせて斜め後ろに避けるけど、やっぱり魔物は追ってくる。だからわたしは右脇腹側へと天之尾羽張を引き、魔物を見据えて強く突き出す。

 その刺突が伸びるように、刀身から放たれるのは霊力の刃。放った霊力は魔物を纏めて突き崩し、その先にある魔人の方へ…行くけど、残念。靄を纏った手刀に斬られて、本体にダメージは入らない。

 

「…やっぱり、おかー様とおとー様が倒し損ねただけあって、中々強いね。魔人の中でも結構上位クラスなんじゃない?」

「中々強い…?…その言い方…まさか、最終的には自分が勝てる、とでも思ってるんじゃねぇだろうな…?」

「…だったら、何?」

「テメェも人間にしちゃ中々やる、って事は認めてやるよ。けどなぁ…調子に乗るんじゃねぇよ、人間風情がッ!」

「……ッ!」

 

 斬っ先を向けたまま言葉を返すと、ばっと両手を左右に広げ、怒号と共に次々魔物を出してくる魔人。魔人なんて大概は人を見下してるものだけど、この魔人は特にその意識が強いらしい。だからよっぽどわたしの態度が、これだけ戦ってもわたしを倒せていない事が腹立たしいみたいで、その目には怒りが満ち溢れている。

 別に怖くはない。敵意も殺意も慣れっこだし、本当にわたしは勝てると思ってるから。でも、確かに厄介。最終的には勝てると思うけど…多分まだまだ、時間がかかる。わたしも次の救援に向かいたいし、早く顕人君と合流したいのに…それが、遠い。焦らないけど、早くしたいって気持ちになっちゃう。

 

「そう思うなら、単独でくればいいのにッ!魔物を引き連れて、他の魔人も呼んでおいて、よく言うよッ!」

「っせぇな、テメェがオレに指図すんじゃねぇよッ!それに他の奴等の目的なんざ、知った事かよッ!」

 

 迫る魔物を可能な限り処理しながら、またわたしは距離を詰める。少しでも集中を削ごうと、接近しながら舌戦も仕掛けて…けれど返ってきたのは、後半が少し引っ掛かる言葉。

 

(…他の奴等の目的なんざ……?)

 

 単純に考えれば、そこから分かるのはこの魔人が他の魔人と仲が良い訳じゃないって事。けど、それだけじゃない。それだけなら、引っ掛からない。

 

「知った事かって…他の魔人とは仲間じゃないの!?別の目的で動いてる訳!?」

「あぁ!?んな事テメェに……」

 

 どうせまともに答えてくれる訳ないけど、訊くだけなら別に損はしないし、それで何かの拍子に情報を引き出せれば儲け物。そう考えて疑問のままに言葉をぶつけると、案の定魔人は一蹴…するような口振りだったのに、その言葉は一度途切れ……ぐにゃりと口元を歪めて笑う。

 

「…と、思ったが…いいぜ、教えてやるよ。そんなに訊きてぇならなぁ」

(……っ…!どういう事…?どうして急に心変わりを……)

 

 わたし…というか人を見下す態度は全く変わってないけど、その上でさっきまでなら絶対答えてくれなかった筈。なのに今、答えようとしてるのは明らかに変で…わたしは思った。魔人は味方が来た事に気付いて、わたしの注意を引こうとしてるんじゃないかって。

 だけど、そんな気配はない。探知でも感じない。…だから、余計に分からない。

 

「そうさ、奴等の事を仲間だとは思っちゃいねぇ。協力してやってるが、そんだけの事だ」

「なら、目的は……ッ!」

「さぁな、大方の予想は付いてるが、そこまでは教えてやんねぇよ。ただまぁ、あいつ等からすりゃあ、今の俺の行動は……良い()()()()だろうなぁ!」

「……──ッ!!」

 

 不可解さを抱えたまま続く交戦。もう何度目か分からない刃と腕とのせめぎ合いになり、押し合う中で魔人はこれが言いたかったとばかりに最後の最後で声量を上げ……その瞬間、漸く気付いた。この魔人の狙いに。今起こっている、魔物と魔人達の強襲の裏に隠れた真の目的に。

 

(不味い……ッ!)

「おおっと、どこ行くんだよオイ。オレがテメェを、逃がす訳ねぇだろうがよぉおおおおッ!」

「ぐぅぅ…ッ!」

 

 殆ど反射的にこの場から離脱しようとしたわたしへ、砲弾の様に突っ込んでくる魔人。一瞬意識が戦闘から外れてしまったわたしは対応が遅れ、防御自体は出来たものの大きくそこから跳ね飛ばされる。

 わたしを慌てさせる事…それも戦闘を有利に運ばせる為じゃなく、純粋にわたしの精神を苦しめる事。きっとそれが、わたしの問いに答えた理由。上手くいけば情報を…なんて考えていたのに、むしろそれを利用されてしまった。

 だけどそんな事は、どうでも良い。もしも、わたしの気付きが真実なら…もうこれ以上、ここで使って良い時間なんて一秒もない。

 

「邪魔を…するなぁッ!!」

「テメェの方から突っかかってきておいてよく言うぜッ!そんなに邪魔してほしくねぇなら……今ここでやられちまえッ!」

 

 鈍器を振り抜いたような蹴りを寸前で避けて、身を捻りながら天之尾羽張で素早く横薙ぎ。後方宙返りで避けつつ打ち込んできた二発目の蹴りは刀身で受けて、わたしは声を叩き付ける。

 焦るな、冷静になれ、判断を誤ればここでやられる。…頭の中では分かっているけど、ちゃんと頭は回っているけど、心が沈静化している訳じゃない。沸騰したように「不味い」って気持ちが湧き上がって、何とかしなきゃって思いで心が焦る。

 そう、何とかしなきゃいけない。この場を切り抜けて、恐らく最悪の展開に進みつつある流れを変えなきゃいけない。わたしはそうしなくちゃいけないんだ。手遅れに、なる前に。

 

 

 

 

 後一歩という状況は、後少しという認識は、踏ん張る為の気力をくれる。頑張る為の原動力になる。

 だけどそれは、現状が決して悪くはない、或いは登り調子の時に起こる事。頑張れば何とかなりそう、何とかなるんだって思える時だから、生まれる力。そして逆に、後一歩、後少しという時に脅威が、強大な壁が現れた場合……生まれる思いは、真逆になる。

 

「くッ、ぅぅ……!何なんだよ、こいつの能力は…ッ!」

「後少しだったってのに…ッ!」

 

 雪を蹴る音、弾丸を撃つ音、ぶつかり合う音に混じって聞こえてくるのは、歯噛みするような味方の声。少し前までは気力に、士気に満ちていた周りの声は今……重い。

 

「離れてッ!奴相手に近接格闘は不味い…ッ!」

 

 俺達霊装者側は、確かに魔物を追い詰めつつあった。一定範囲にまで後退させ、一網打尽にする狙いは、決して間違ってるようなものじゃなかった。

 けれど一定範囲に集めるという事はつまり、相手の戦力が集中するという事。これまでは向こうも消耗している事、こちらが勢いで勝っていた事から、何とかなっていたけど…その勢いが潰れてしまえば、状況も変わる。

 そして、勢いを潰し、状況を変える一手となったのは……間違いなく、魔人の存在。

 

(物量って意味じゃあっちの魔人の方が危険だったけど…対単体能力で言えば、もしかしたらこいつの方が……!)

 

 追われる味方を助ける為に放つ射撃。それを魔人は大きく上へ跳ぶ事で避け、視線をこちらへ向けてくる。

 当然俺は射撃を続行。けれどライフルじゃ魔人の纏う靄を抜けず、隙を突かなきゃライフルでダメージを与えるのは絶望的。ならばと落下してくる魔人へ続けざまに砲撃を撃ち込み、二門同時にぶつけるけど…それも魔人は掌で防御。手で受けた次の瞬間、触れている位置から何割かまでの光芒が消え、その影響で消滅しなかった部分も一気に四散してしまう。

 

「温い、所詮この程度か」

 

 光芒を消し去った魔人は、詰まらなそうにぽつりと呟く。最大出力ではなかったとはいえ、今のは並の魔物なら一条でも貫ける、高威力の砲撃。それを温いの一言で片付けられれば、焦りが生まれない訳がない。

 

「だったら…ッ!」

 

 降下してくる魔人から距離を取りつつ霊力剣を拳銃に持ち替えた俺は、ライフルと合わせて同時に連射。光弾実体弾の両方を撃ち込み、動き回る事で奴からの位置も目まぐるしく変える。

 ここまで見た限り、触れた物をある程度の範囲まで消滅させるのが奴の能力。何であっても消せるなら、どんな高威力であっても意味はなく…けれど『手で触れた物』を、『一瞬置いて』消す能力だとしたら、手数で攻める攻撃に対しては相性が悪い筈。ライフルはまだしも、拳銃弾なんて魔人に当たったところでどこまでダメージが入るか怪しいけど…少なくともただ砲撃をして消されるだけよりは、よっぽどやるだけの価値がある。

 

「はぁぁぁぁああああッ!」

「無茶だ顕人ッ!俺達だけで、魔人なんて……!」

「分かってる!けど…やれる事を尽くさなきゃ、どうなったって絶対後悔が残るだろッ!」

 

 案の定靄を纏った腕で阻まれ、防がれてしまう俺の攻撃。聞こえた声は全くもってその通りで、無茶である事も承知だけど…まだ俺は戦える。陣形が崩れ、部隊長とも距離が離れてしまった以上、誰かに託して逃げるって事も出来やしない。…なら、どうする?どうしたら、後悔や悔いが残らない?…そんなの、残った力を振り絞って、出来る事に死力を尽くす以外ありはしない…ッ!

 

(持ち堪えれば、きっとまた状況は変わる。そうならないなら、俺が変える。たとえ実際には出来なくたって…思いは絶対諦めるもんか…ッ!)

 

 撃って、動いて、動きながら撃って。魔物は他の皆が押さえてくれると信じて、俺は目の前の魔人を撃つ。何としてでも、一秒でも長く、時間を稼ぐ。

 その思いで動き続ける中、それまで防御に徹していた…というより淡々と弾丸を処理していた魔人は、不意に前方は軽く跳躍。一度俺の射線から外れ…次の瞬間、一気にこちらへ仕掛けてくる。

 

「……ッ!」

 

 距離も角度も不規則な斜め前方への跳躍を繰り返す事で、俺の射撃を避けつつ距離を詰めてくる魔人。みるみる内に奴との距離は縮んでいき、思わず後ろへ逃げたくなる。

 だけど俺は根性でその場に踏み留まり、両手の火器での迎撃を続行。恐れに耐えて、逃げたい気持ちを堪えて、気取られないよう魔人を引き付け……ここだと思った瞬間、砲を跳ね上げる。

 砲撃なら恐らく、能力での防御を図る筈。そうすれば両手が塞がり、一発与えられるかもしれない。願望込みだけど、それでも俺はその可能性を信じて、跳ね上げた砲で撃とうとし……けれど今正に撃つというタイミングで、魔人は跳んだ。斜めではなく前に、俺の真上を飛び越える形で。

 

「……終わりだ」

「…ぅ…ぁああああああああああッ!!」

 

 真後ろから聞こえる、平坦な声。取られた背後。迫るのは恐らく腕。そしてその手に触れられてしまえば……それで、終わり。

 そう思った瞬間、思考が止まった。状況を考える事も、どうすれば良いという思索も、この後起こる事への想像も、全てが止まり……本能的に、身体が動く。

 二門の内、左側の砲をパージ。逆に右の砲はそのまま撃って、反動に耐える事はせずターン。右側のみ放った事で、俺の身体は肩口からぐるりと回転し……パージした砲と背後にいた魔人、その両方が視界に映る。

 

「何……?」

「ああああああぁぁぁぁああぁぁあッ!」

 

 放つ寸前で切り離された砲の内部では霊力が暴走し、爆発の予兆が如く溢れ出す光。けれど砲は爆ぜる事なく…俺の目の前で、その大半が消滅。向こう側の魔人はほんの少しだけど目を見開き……そこは俺は、近距離射撃を叩き込む。

 本能的に俺が選んだのは、パージした砲を盾にする事。直感と本能で全てを推測し、計算し、俺から離れた状態の砲へと能力を発動させ……開いた空間へ撃ち込む光弾。叫びのままに力一杯トリガーを引き、流し込む霊力を弾に変えてただただ無心に撃ち続ける。そして……

 

「ああぁああああ……ぁ……?」

 

 乱射で雪煙が舞い魔人の位置が分からなくなる中、不意にその中から伸びてきた影。それが蹴りであるとわかった時、その脚はもう俺の胸元を捉えていて……俺は背後へ吹き飛ばされる。

 

「がは…ッ!?ぁ、ぐ……ッ!」

 

 蹴られた衝撃と、吹き飛んだ先の木に打ち付けられた衝撃。前と後ろ、双方からの衝撃で息が詰まり、一瞬遅れて痛みが熱く激しく広がる。

 ゼリアさんに斬られた時よりはまだマシ。けれど痛いものは痛いし、肺の中の空気を全部吐き出してしまったせいで身体に力が入らない。そして、雪煙が晴れた先…そこには未だ健在な魔人の姿。

 

「…今のは驚いた。まさか、反撃を受けるなんて」

「…く、そ……ッ!」

 

 乾坤一擲の、思考を超えた本能の動きすら、魔人に致命傷は、動きを鈍らせるだけのダメージは与えられていない。対して俺は、たった一蹴りでこのざま。多分まだ戦えるけど…受けたダメージの差は歴然。

 俺の名を呼ぶ慧瑠の声を耳にしながら、木の幹を支えにして立ち上がる。魔人の瞳は、今も俺を見据えていて…けれどそんな中で、ある声がインカム越しに聞こえてくる。

 

「顕人君、今どこ!?まだ無事だよね!?無事なんだよね!?」

「…綾、袮……?」

「良かった…くッ……顕人君、どこにいるか分からないけど逃げてッ!出来るなら周りにいる人も連れて、ここから、富士からッ!」

「…何、を……?」

 

 戦闘音と共に聞こえる綾袮の声は、これ以上ない程切羽詰まったような雰囲気。それは恐らく、綾袮が窮地に立たされているからとかではなく……けれど、唐突過ぎて意味が分からない。…逃げる…?それは何から…?どこへ……?

 

「…先輩、彼女は今何と?」

「…慧瑠…?…逃げろ、って……」

「そうっすか…先輩、自分も同感っす。理由まではよく分からないっすが…どんどんどんどん、計り知れない何かが膨れ上がってきてる感覚があるっす。明らかに、今ここじゃ異常事態が起きてるっすよ、間違いなく…」

 

 別の場所にいて、こっちの戦況なんて分かる筈のない綾袮からの言葉に俺が困惑する中、慧瑠も同じように言う。慧瑠が今の状態になってから初めてと言ってもいい位、神妙且つ厳しい表情で。

 全く分からない。慧瑠自身も「理由までは」って言ってるんだから、全くもって理解出来ない。…けど、それを言うのは綾袮と慧瑠。であれば、今は理解出来なくても…説得力は、十分にある。

 

(…でも、どうすれば良い…皆には説明のしようがないし、何より……)

 

 急ぐでもなく、かといって勿体ぶる様子もなく、ただ淡々と近付いてくる魔人。何とか射撃が出来そうな程度には回復したけど…今射撃だけ出来ても、どうにもならない。

 この状態で、魔人を振り切って逃げられるか。…そんなの、間違いなく否だ。それにたとえ、それが出来たとしても、俺は自分だけ逃げるなんて事は出来ない。

 勿論、綾袮の名前を出せば分かってくれる可能性はある。けど追い詰められた状態じゃ、ただ綾袮の存在に縋り、事実無根な言葉を発しているだけと取られてしまう可能性もある。つまり、どうするにせよ…このままじゃ、魔人に対して劣勢なこの状況を変化させなきゃ、逃げるのも助けるのも無理。

 

「…こうなったら、一か八か…幾ら魔人でも、砲の接射を受ければ……」

「…何、言ってるんすか先輩…聞いていなかったんすか!?何かが不味いんっすよ!信じられないかもしれないっすけど、一刻も早く逃げなきゃ何が起こるか分からないんっす!なのに……」

「…信じてる。信じてるさ、慧瑠の言う事なんだから。でも、俺は…自分一人だけ逃げる事なんて出来ない…。そうしたら、もうその時点で俺は…俺じゃなくなる」

「……っ…だからどうして、先輩はそこまで……」

 

 木から離れ、ライフルを持ち上げる俺に、慧瑠は切なそうに言う。慧瑠が言いかけて止めた言葉の先には、何が続くのだろうか。頑固って言葉か、お人好しって言葉か、それともシンプルに馬鹿か。

 でも、仮にどれだとしても、それは間違いじゃないし…それで良い。俺は自分の夢に頑固で、理想とする形に合うお人好しで、そんな馬鹿でいられる事が…望みだから。

 

「…だったら自分は、自分も……」

 

 思いだけじゃ、どうにもならない。普通に戦って勝つだけの力もない以上、この場を乗り切る方法がないか、今ここで俺が使える手札はどれだけあるのか、まずはそれを確かめる必要が俺にはある。

 そんな中、慧瑠がぽつりと漏らした言葉。それはどこか、迷いや不安を滲ませているようで……

 

「……あぁ、もうか」

「…は……?」

 

 それからすぐの事だった。急に足を止め、周囲を見回した魔人が、その言葉の意味も言わずにこの場から離脱したのは。

 一瞬呆気に取られ、続いて誰か別の人に標的を変えたんじゃないかと思った俺。けれど違う。そういう訳じゃない。少なくとも、魔人は俺が確認出来る味方を狙うような素振りはなく…そのまま夜闇に消えていく。

 

「…何、が……?」

「もう…いや、考えてる場合じゃないっす!先輩早くッ!」

「そ、そうだ…けどまずは、援護しないと……ッ!」

 

 何故離脱したのかは分からない。けど戦いそのものが終わった訳じゃないし、綾袮や慧瑠の言っている件もある。まだ今は、じっくり考えられるような時じゃない。

 申し訳ない気持ちはある。慧瑠の言う「早く」は、俺に対しての言葉であって、ここにいる霊装者全員への事じゃない。それは分かっているけど…俺の思いは、ずっと同じ。

 

(ここにいるのは、俺に同調してくれた人達が殆どなんだ。俺の言葉や行動を、良いと思ってくれた人達なんだ。だから最後まで、俺は……ッ!)

 

 気付けば疲労で随分と重くなった身体を動かし、周囲を確認。魔人は去っても魔物は攻撃を続けていて、今のままじゃまだ離脱出来ない。

 最後に頼りになるのは気持ちだ。思いだけじゃどうにもならないけど、最後に力となってくれるのは思いだ。だから絶対、俺はこの思いを裏切らない。俺を良いと思ってくれた皆の思いに、背は向けない。そういう事が、そういう人が、俺の望む理想の……

 

「……え…?」

 

 そう、俺の思いを、信念を胸の中で確認した次の瞬間、巨大な、膨大な……噴火の様な白い光が、遠くの場所で駆け昇る。雪崩の様に、滝の様に、地上から空へと向けて、光の奔流が迸る。

 

「…なんだ、あれ……」

「……あ、あぁ…まさか、そんな…」

「…慧瑠…?あれについて、何か知って……」

「逃げるっすッ!あれからッ、ここからッ、早くッ!!」

 

 神々しさすらある圧倒的な光の柱に、俺も、味方の霊装者も、魔物も…この場で戦っていた全ての者が動きを止める。唯一、茫然とは違う反応をしていたのは慧瑠で……その慧瑠に何なのか訊こうとした直後、慧瑠は俺の肩を掴む。両肩を掴み、聞いた事もない程の大声で、俺に迫る。

 

「なっ、き、危険なものなの!?だったら皆……」

「もう呼び掛けてる時間はないっすッ!どうしてもというなら、自分が先輩を無理矢理にでも──」

 

 掴む場所を肩から手首へ変えようとした慧瑠の言葉を遮ったのは、遠くに見えていたのとは違う光。かなり高い場所でも同じような光が昇り、次々とその光の柱が生まれていく。この富士山から、光の奔流が放たれていく。

 柱同士が繋がるように、どんどん広がっていく光。その光が迫ってきてから、漸く俺にも理解が出来た。それがどれだけ危険で、常軌を逸したものなのかが。綾袮や慧瑠の言う、逃げなきゃいけないって言葉の意味が。

 皆を見捨てるつもりはない。けど反射的に俺はスラスターを全力で吹かし、とにかく空へ飛び上がる。だけど…嗚呼、もう遅い。理解するのには、逃げるのには、あまりにも遅過ぎた。俺が飛び上がった時点で、広がる光は俺達のいる場所へと到達し、そして────。



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第百八十五話 目覚めた時には

 エースと指揮官は、違う存在。あくまで個としての戦果を求められる、卓越した個の強さを持つ者へ送られる称号がエースだとすれば、指揮官に求められるのは組織の戦果。集団を動かし、その集団に属する一人一人の力を引き出し、集団の脳となるのが指揮官の務め。その点で言えば、エースと指揮官は対極の存在で…けれど、両立不可能な概念ではない。

 理由は単純。エースの行為と指揮官の行為は、別カテゴリだから。個として戦果を挙げつつ、集団の長として指揮と判断を行えば、この二つは両立が出来るんだから。それが出来れば苦労しない、どちらも高次元で行うなんて普通は出来ない、となるんだろうけど…論理の上では、それを実現するだけの実力があるなら、両立は現実のものとなる。

 だけどそれには一つ、大きな問題もある。きちんと両立出来るのは、エースとして戦う相手、指揮官として見るべき状況、そのどちらもが「余裕を持って対処出来る」場合であって……同格かそれ以上の個を相手取る必要がある場合、意識の多くを指揮に集中しなければ乗り切れないような場合、その両立は…瓦解する。

 

「いい加減…鬱陶しいのよッ!」

 

 雪を巻き上げるようにしながら、下から上へと向けて一閃。天之瓊矛は私の狙い通りの位置を斬り裂き…けれど寸前で、狙った相手には躱される。

 跳躍によって避けた相手が振るう右腕。その腕は鞭の様に伸びながら迫り、私はそれを蹴り飛ばす。

 

「そう思うのでしたら、戦場に出ない事をお勧めしますよ。出てこなければ何とやら、です」

「はっ、悪いけどやられるのはあんたの方よッ!」

 

 弾いた時点で突き出されていた左の腕。右腕とは対照的に槍の如く突き出されたそれを私はしゃがむ事で回避し、その姿勢から雪原を蹴って前へ飛翔。腕の下を通る形の超低空飛行で、一気に奴との距離を詰める。今なら伸びたままの腕に一撃与えられるかもしれないけど…今は接近する事を優先。

 依然続く富士山での戦闘。自分という戦力をフルに活かす為、私はずっと戦域を渡り歩いてはエースと指揮官、その両方の立場を以てその場の戦況の後押しを行い……そんな中で、私の前に奴が現れた。私にとってはもう、軽い因縁と言っても過言ではない、この魔人が。

 

「全く貴女は大したものです。他の霊装者の数倍、数十倍もの働きをしながら、尚もまだこれだけ動けるとは…」

「ふん、うじゃうじゃ湧いてくる魔物と一々邪魔してくるあんたみたいな奴のせいで、そうぜざるを得ないだけよ…ッ!分かったらさっさと…やられて頂戴ッ!」

「そうはいきませんね、やられてしまっては目的が果たせないのですから…!」

 

 振るった横薙ぎを引き戻し済みの右腕で阻まれ、そこから魔人とせめぎ合う。真正面から力をぶつけつつ、言葉も奴に叩き付けるけど…やっぱり私は、こいつが気に食わない。丁寧過ぎる態度か、変にこっちを認めてくるのが、小馬鹿にされてるみたいで腹が立つ。

 

(まあ、下衆な奴とか傲慢な奴でも腹が立つし、結局は魔人だか腹立ってるってだけだけど…ッ!)

 

 相手は魔人なんだから、腹が立つのは当然の事。加えて今私はこいつに妨害されてる、足止めを食らっている最中な訳で、怒りを抱かない筈がない。

 だけど、物凄く業腹ではあるけれど、奴に魔人としての確かな実力と、魔人の割には比較的慢心せず、時には落ち着いて退く事が出来るだけの慎重な精神がある事も事実。怒りとは別で、しっかりと頭を働かせないと…足元を掬われる。

 

「そもそもッ、何が目的よッ!こんな大所帯を用意して…ッ!」

「残念ながら、それに応える程ワタシは親切でもなければ愚かでもありません。それに、大所帯はお互いでしょう?」

「…まさか……」

「えぇ、そのまさかかもしれません…ねッ!」

 

 押し切れないのならと私は天之瓊矛を回転させ、石突側で棒術の如く攻撃。そこからも天之瓊矛がギリギリ届く距離を保ちながら、流れるような連続攻撃で反撃を封じつつ攻め立てる。

 それから凡そ十分弱。指揮に回れない事はもう仕方ないと一旦諦める事で魔人との戦闘に専念し、今も戦闘は継続中。

 

(ちっ…時間稼ぎを徹底してるわね……)

 

 もう何十手と互いに仕掛け、攻防を繰り広げているけれど、お互い致命傷の数はゼロ。奴が私をここに留め、時間稼ぎに徹しているせいで私側のダメージは殆どないけど、私も奴にずっと大きなダメージを与えられていない。

 いい加減、この状況を打開したい。もし奴等の目的が私の想像してる通りならここで足止めされてる場合じゃないし、このままじゃ全体的な戦況把握もままならない。

 一か八か、一気に勝負をかけてみるか。それかいっそ『突破』ではなく『後退』をして、どこかの部隊と合流してみるか。膠着しつつあるこの場を何とか打開する手段を私の頭が模索し始め、幾つかの案に絞ろうとしたその時……私の背筋に、得体の知れない感覚が走る。

 

「……っ!?」

 

 反射的に天之瓊矛を横薙ぎで振るい、霊力の斬撃を飛ばしながら後ろへと跳ぶ私。な、何よこれ…何かとんでもないものが、押し寄せてきてる…?

 

「おっと……おや?貴女もこれも、感じましたか?」

「…なら、何だってのよ」

「いえ、だから何だという話ではありませんが……さぁ、始まりますよ。大地が、空が、白く輝くその瞬間が」

 

 まだ余裕そうな口振りの魔人を睨め付けると、魔人は軽く肩を竦め…それからサーカスの司会の様に、掌を空へ向けて両腕を広げる。

 あからさまにがら空きな胴。振って当たる間合いじゃないとはいえ、一気に詰める事が出来る距離。だというのにそんな姿勢を取る魔人が不愉快で、でもそれ以上に私の頭を離れないのは例の気配。

 明らかに不味い。危険なんてレベルじゃない。私の神経は、確かにそう叫んでいて……その感覚が更に膨れ上がった、次の瞬間──空へ光が、迸る。

 

「な……ッ!?」

 

 大地を割らんばかりの光の奔流が、宙を駆け抜け夜空の先へ。それはあまりにも強く、あまりにも眩しい光の柱で……神々しいからこそ、恐ろしい。あれは人が…霊装者ですら、生半可な考えで触れて良いようなものじゃない。

 

「…素晴らしい…やはり流石は霊峰、流石は始まりの地であるこの国の象徴たる存在。しかしまさか、ここまでのものだったとは……」

「……あんた…これが、どういうものなのか分かって言ってる訳…!?」

「当然分かっていますとも。…さて、それよりもここは一つ、お互い退くとしようではありませんか。あれに飲まれてしまえば、貴女とて一溜まりもないでしょう?」

「誰があんたの指図なんか…ッ!」

「指図ではなく提案です、ワタシは命が惜しいですからね。無論、今回もまた半端な終わり方、というのは些か思うところがありますが…如何しますか?」

「……ちッ…だったら私はあんたが巻き込まれる事を祈るとするわ。あんたにとってはどれだけ惜しかろうと、私からすれば無価値でしかないんだから」

「賢明な判断です。では、貴女もせいぜいお気を付けて」

 

 二条、三条と空へ昇る光の奔流が増えていく中、私の皮肉を軽く受け流して魔人は消える。私も腹立たしさを心の中に残しながらも、感覚を頼りに光を避けてこの場から離脱。

 範囲の広がる光の奔流。可能性は頭の隅に置いていた、けれどまさかと思っていた、最悪の事態。そしてこれから私がしなきゃいけないのは、離脱と指揮。私は冷静に、迅速に安全な場所まで導かなきゃいけない。まだこの富士山に残っている皆を、この光から守る為に。

 

 

 

 

 目が覚めると、そこは屋内だった。目が覚めた時屋内にいるというのは、当たり前の事だけど…当たり前じゃない時もある。暖かい日に、うっかり木陰で寝てしまったとか、運動会や体育祭で自分が出ていない競技を見ている時、ふと疲れから睡魔に襲われた時とか……或いは、外で気を失った時だとか。

 ただまあ何にせよ、今俺は屋内に…天井がちゃんとある場所にいる。それは、紛れもない事実だ。

 

「…ぅ、ん……?」

 

 身体の節々に痛みを感じながらも、俺はゆっくりと上体を起こす。

 ぐるりと見回す限り、ここは俺の寝室じゃなきゃ家でもない。見たところ、病室から医務室かって感じの場所で……どうして俺は、こんな所で寝ているのだろうか。

 

(…え、っと…俺は確か、富士山での任務に参加してて、何度も戦闘をして、緊急事態が起こって……)

 

 ぼんやりした頭で、記憶の糸を順に辿る。幸い記憶が飛んでるとかじゃないみたいで、頭が回り出すに連れて出来事もはっきりと思い出せるようになる。最後にしようと思った先で魔人に強襲されて、押されて、けど急にその魔人は撤退して……

 

「……っ、そうだ、あの光…!」

「お邪魔しまー……あ、顕人君…!…良かったぁ、目を覚ましたんだね……」

 

 ばっと俺が窓の方へ目をやったのと、部屋の扉が開き、綾袮が入ってきたのはほぼ同時。俺の姿を見た綾袮は、驚きの後安堵したような表情になって、俺の寝ていたベット横の椅子へと腰をかける。

 

「…綾袮、ここって……」

「うん、夏の時にも入院したあそこだよ。それから今日は、あれから二日…じゃ、ないね。顕人君が意識を失ったタイミングが分からないから正確な事は言えないけど、取り敢えずはあれから二日目だよ」

「…なんか、前の時も似たような事を言われた気がする…」

「そういえばそうだね。えっと、その時は…二日弱、だっけ?」

 

 綾袮から場所と時間経過を聞いて、取り敢えずその二つの疑問は解決した。この二点が同じだと、俺には意識を失う程の事があった時、そうなる運命でもあるのか…と一瞬思ってしまうけど、そうなった原因や、身体の状態は全然違う。

 

「…ねぇ、綾袮。調査は……」

「まあまあ焦らないで顕人君、まずは自分の身体を労わる事を考えなくちゃ。蜜柑あるけど、食べる?」

「あ、うん…。…何故に林檎でもバナナでもなく、蜜柑…?」

「いやー、わたしもお見舞いの果物といえばまずそれかなぁと思ったんだけど、蜜柑が美味しそうだったからつい…」

「自分の好みでお見舞いの品を決めないでよ……」

 

 何とも綾袮らしい理由で選ばれた蜜柑だけど、別に俺は蜜柑が嫌いじゃないし、お見舞いの品としてそんな悪い訳でもない。ついでお腹もかなり空いていたから、早速受け取った蜜柑を食べる。

 

「顕人君、どこか身体が痛かったり、ちゃんと動かなかったりするようなところはない?」

「大丈夫だよ綾袮。…いや、まぁ…怪我した所は何ヶ所か痛いけど、それは当たり前の事だし」

「そっか。今回外傷はどれもそんなに酷くないし、どこもきちんと手当て済みだから大丈夫だとは思うけど、何かあったら言ってね」

「分かってるって。…ラフィーネとフォリンは?」

「今は家だよ。でも二人も心配してたし、後で電話してあげて」

 

 やっぱり心配をかけちゃってたかと思いつつ、俺は綾袮の言葉に首肯。一緒に住んでる人が緊急事態で意識を失って、入院してるとなれば誰だって心配するだろうけど…それでも心配をかけたなら、心配してくれたのなら、謝罪と感謝を伝えるのが筋ってもの。慧瑠にもだけど、ちゃんと心配かけた事を謝らないとだな…。

 

「…そうだ、綾袮。この事、うちの両親は知ってる?知ってるなら、両親にも大丈夫だって連絡しないと……」

「あー…っと、うん。その事だけど…結論から言うと、知らないよ」

「って事は、俺の状態を伝えてないの?…そ、そう……」

「ほ、ほら、命に別状はないって事は分かってたし、今回はかなりごたついて……あ」

「…ごたついて…?」

 

 あからさまに「しまった」って感じの表情に変わる綾袮。それだけでも怪しいし、一日以上気を失っていたのに連絡してないっていうのもかなり妙。…綾袮、何か隠してる……?

 

「そのー…え、っと……」

「…………」

「…詳しい話は、顕人君が退院してから…とかじゃ、駄目…?」

「無理に言えとは言わないよ。けど、隠し事をされるのは…あんまり良い気分じゃない」

「だよね…そりゃ、そうだよね……」

 

 じっと見つめる俺の視線に観念したように、でも言い辛そうに綾袮は訊いてくる。

 こういう訊き方をしてくる時点で、気が重くなるような話になる事はほぼ確実。でも何かあるみたいなのに、それが全く分からないというのは居心地が悪いし…誤魔化すんじゃなくて先延ばしにしたって事は、きっと早かれ遅かれいつかは知る事。だったら俺は、今訊きたい。後でじゃなくて、今知りたい。

 

「…顕人君、気を失う前の事、どこまで覚えてる?」

「どこ、っていうか…最後に見たのは、どんどん広がる白い光。あれから逃れようと飛んだんだけど、間に合わなくて…多分そこで、気を失ったんだと思う」

「そう……じゃあ、何から訊きたい?」

「…作戦は、どうなったの?皆は?」

 

 複雑そうな顔をした後、綾袮は椅子に座り直し、俺の目を見つめ返す。それは覚悟を決めたような目でもあって…それ程のものなのかと、ほんの少し怖くなった。

 でも、やっぱり訊くのを止めようとは思わない。だから一番気になる「俺が気を失った後」の事をまず訊いて…綾袮は、答える形で話し出す。

 

「作戦は、中断する事になったよ。顕人君も見たなら分かると思うけど、あんな中じゃ続けられる訳ないし…あの現象が起こった時点で、そのまま続けても無意味になっちゃったからね」

「無意味…?」

「うん、無意味。…あの光に飲み込まれた人達は、顕人君と同じで命に別状はないよ。かなりの人がまだ意識不明だし、無事とはとても言えないけど…」

 

 一つ目の答えの中にあった、「無意味」という気になる表現。でもそれをさらりと流して、綾袮は続ける。本当にさらりと、まるでわざと流したみたいに。

 

「それから、魔物や魔人の事も心配しないで。あんなの、魔人だって逃げざるを得ない位の現象だからね」

「…あ、そうか…だからあの時、魔人は撤退したのか……」

「そうだ、聞いたよ顕人君。幾ら味方を守る為だからって、一人で魔人を引き付けようとしたなんて…もしかして、わたしの胃に穴を開けようとしてる?」

「い、いやそんな事は…。…ごめん、綾袮。後悔はしてないけど、反省はしてる」

「うわ、言い切るね顕人君……でももう、その心配も…」

「…綾袮?」

「あ、う、ううん。とにかく現象自体は収まったけど、普通の神経してる人なら今富士山に入ろうとなんてしないし、顕人君みたいに飲み込まれた人も全員運び出せてるから、調査の事は気に病まなくても大丈夫だよ」

 

 綾袮さんは協会において、立場と実力両方の面で重要な位置にいる人。その綾袮が、こうして普通に俺のお見舞いに来てるって事は…ここまでの話は、俺を安心させる為の嘘とかじゃなく、全部本当なんだろう。

 それは良い。けど、どうも話が明るいというか、安心出来る要素が多過ぎる。勿論、まだ意識不明の人達がいるって事は、明るくも何にもないけど…全体的に見てみれば、話すのを躊躇うような内容だとは思えない。

 

「次は、何を訊きたい?全体的な被害状況?それとも、顕人君が離れた後魔人とどう戦ったか、とか?」

「……綾袮。綾袮は…何を、隠してるの?」

「え……?」

「…流石に、それ位は分かるよ。かれこれもう一年弱、一緒に住んでるんだからさ」

「…………」

「…やっぱり、言い辛い?綾袮の口からは、話し辛い事?」

 

 固まる綾袮へ、俺は静かに言葉を続ける。意識が霊装者としてのものに切り替わっている時の綾袮ならきっと俺を騙し切れるんだろうけど、今の綾袮はただの、一人の女の子。だったら俺も、少し位は分かるし…やっぱり、隠されたくはない。

 だけど同時に、思った。もしかしたら、隠しているのは綾袮にとって凄く辛い事なのかも、と。例えば綾袮にとって親しい相手で、俺にとっても知人である誰かが…命を落とした。そういう話なら、綾袮だって話したくない筈。そう思って、この話を止めにする事も考えて俺が訊くと……綾袮は、ゆっくりと首を横に振る。

 

「……確認するね、顕人君。これは、絶対その内知る事だろうけど…それでも、今聞きたい?」

「…うん」

「多分、冷静に受け止められない話だよ。…今、聞ける?」

 

 もう一段階覚悟を決めたような、綾袮からの質問。それに俺は、一度目は声で、二度目は頷きで肯定を示す。

 俺からの返答を受け取って、数秒黙る綾袮。それから綾袮は、ある物を取り出し…言う。

 

「顕人君、これに霊力流してみてもらえる?」

「へ?…何故に?」

「それは、流してみれば分かるよ」

 

 渡されたのは、一見何の変哲もないナイフ。急な話に俺は戸惑うも、綾袮は取り敢えず流してみてという。

 何だか良く分からないけど、やってみれば分かるというなら、そうするしかない。それに綾袮が何か罠を張ってる訳もないし。という訳で、取り敢えず俺はナイフへと霊力を流し……

 

「……って、あれ?」

 

 試しにやってみようと思ってから十数秒後。俺はこのナイフに対し、ある違和感を抱いた。

 霊力が、入らない。いつもの流れていく感じが、全くない。一瞬、「もしや綾袮が普通のナイフと勘違いを?」…と思ったけど…流石にそれはない、と思う。

 

「どう?」

「ど、どうって…もしかしてこれ、試作のナイフ…?込めるのに特殊な手順が必要だとか、付加能力が相当ないと出来ないタイプだとか……」

「…ううん。それは普通の、一般的に使われてるやつだよ」

「え…?…おかしいな…俺、調子悪いのか…?」

 

 何度も試してみるけど、全く霊力が通る気配がない。いつも通りにやっているつもりなのに、全然上手くいかない。

 

「…顕人君。もしかして、全く霊力が込められない?」

「……うん。ごめん、綾袮。流せなきゃ話が進まないよね…」

「いや、いいんだよ顕人君。…別にこれは、流してどうこうする、って事じゃないから」

「…そうじゃ、ないの……?」

「うん。そういう事じゃなくてこれは、流せるかどうか…霊装者の力が、普通に機能してるかどうかの確認だから」

「……え…?」

 

 自分から話を聞こうとしたのに、これじゃあ格好付かないな…そう思う中で、綾袮の言う予想外の言葉。

 流してどうこうじゃない。流せるかどうか。能力が機能してるかどうか。予想していなかった、想像もしなかった言葉が、次々と綾袮の口から発される。けど、意味が分からない。言葉そのものは分かるけど、綾袮の意図が…何を言いたいのかが、まるで分からない。

 

「…確認だよ、顕人君。霊力が上手く流せない…それか、全然流れない。そういう事で、間違いないね?」

「う、うん…あ、あれかな。自分でも気付いてないだけで、内面的に不調なのかも。それか気を失う前は連戦且つ激戦だったから、その反動って事も……」

「顕人君」

「……っ…!」

 

 おかしい。これまで普通に出来てたのに、富士山でもあれだけやれていたのに、落ち着いている上(気絶とはいえ)一日以上寝ていた後の今、全然全く出来ないなんて。

 でもきっと、些細な理由だ。或いは原因を究明し、ちゃんと休めば何とかなる。そう思う俺の言葉を遮るように、綾袮は俺の名前を呼ぶ。そしてその声に、怖い位に真剣な表情に、俺が声を詰まらせる中……綾袮は、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いて聞いてね、顕人君。多分それは、調子が悪いとかじゃない。なくなってるんだよ────顕人君の中から、霊装者の力が」



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第百八十六話 潰える夢

 霊装者の力に目覚めた時、俺は嬉しかった。危うく死にかける、殺されかけるところだったのに、その原因は俺に霊装者としての才能がある事だったというのに、それでも俺は嬉しかった。

 それは何故か。…そんなの、決まってる。俺が、そういう存在に…非日常に、憧れていたからだ。ファンタジー、異能、常識の通用しない領域の何か…そういうものに憧れて、そういう世界に俺も行ってみたくて、ずっとずっとその思いを心の中に秘めていたからだ。どうせそんなものはない、つまらなくはないけど最後まで『普通』で終わるのが人生なんだと心のどこかで思いながらも、それでも期待を捨てていなかったから、あの瞬間は俺にとって夢が叶ったようだった。

 けれどそれは違う。確かに夢の一部は叶ったけど、同時にそれはまだ始まりでしかない。夢見ていた世界の入り口に立っただけに過ぎない。ちゃんとそれが理解出来たから、俺は頑張って、頑張って、色々な経験をして、多くの人にも出会って、楽しい事も苦しい事もあって、時には命を落としかけて、それでも一歩一歩進んで、大切だと思えるものも出来て、だからもっと頑張って、強くなろうと思って…やっと段々強くなってきたと思ったのに、それなのに……

 

「…何、を…言ってるのさ……」

 

──綾袮は、言った。俺から、その力が…霊装者としての能力が、なくなっているんだと。

 

「信じられないと思うけど…これは嘘でも、冗談でもないよ」

「ば…馬鹿な事、言わないでよ…そんな、訳……」

「現に、出来ないんでしょ?霊力の、付加が」

「……っ…!」

 

 そんな訳あるか。そんな馬鹿な事があるもんか。信じられない、信じられる筈のない俺は綾袮の言葉を否定しようとして…指摘される。今ここにある、目の前で起こっている、現実を。

 

「これは…だから、ちょっと身体が不調なだけで……」

「うん、確かにその可能性もゼロじゃないよ。だって今はまだ、それに流せなかったってだけだから。…でもね、顕人君…君だけじゃ、ないんだよ」

「え……?」

「言ったよね、かなりの人がまだ意識不明だって。かなりの人は、まだ目を覚ましてないけど…何人かはもう、目を覚ましてるの。顕人君より先に目覚めた人達もいて……その全員が、霊装者としての力を発揮出来なくなってる。あの光に飲み込まれて、能力の確認が出来た人の、全員が」

 

 俺から目を逸らす事なく、言い淀む事もなく、綾袮は言う。真剣な顔で、宮空家の人間としての表情で、俺に事実を伝えてくる。

 

「…だ、だとしても、そんな…そもそも急に、なんで……」

「…あの光だよ。あの光が、あの光に飲み込まれた事が、原因。…顕人君も、感じたでしょ?あれがどれだけ、常軌を逸したものなのかを」

 

 そう言われて、思い出す。あの光に飲み込まれる前、飛び上がった直前、俺は感じた。あれがどれだけ危険な光なのかを、本能的に。

 

「あれに飲み込まれた事で、霊力を…力を根こそぎ、吸収された。だから…だから、今の顕人君は、普通の人と同じような状態なの。完全に普通、って訳じゃないのかもしれないけど…少なくとももう、霊装者じゃ…ないの」

「…………」

「…これが、起きたばっかりの顕人君に言うような事じゃないってのは分かってる。すぐに飲み込めとも言わないよ。けど……」

「……あるもんか…」

「え……?」

「そんな事が…ある、もんかよ……ッ!」

 

 言葉を途中で遮るようにして、それ以上言わせないようにして、それは拒絶する。綾袮の言わんとしてる事を、突き付けられる現実を。

 

「霊力が…霊装者の力が無くなったなんて、そんな簡単に言われて堪るか…そんな簡単に、無くなって堪るか……!」

「あ、顕人君…あのね、これは……」

「俺は、認めない…そんな事、あるもんか…ッ!」

 

 毛布を捲り、立ち上がる。拳を握り締めて、怒りにも似た思いで肩を震わせて。

 立ち上がった俺を、綾袮は引き止めようとした。けどそれを俺は視線で制して、部屋を出る。別にどこか、行きたい場所がある訳じゃない。ただ今は、このまま話をしていたくなかった。この行為に、認めないという言葉に、たとえ一片の意味すらなくても…俺はこのまま、綾袮の言葉を受け入れるなんて、出来もしないししたくもなかった。

 

(そうだ、そんな訳ない…きっと何か、誤認があるんだ…他に理由が、ある筈なんだ……!)

 

 部屋を出てからも、頭の中を渦巻くのは話した事。ナイフに霊力を流せなかった事。

 あり得ない、あり得ないんだ。綾袮の言う事が、真実で良い筈がない。俺から力が無くなってるなんて、あり得る訳がないんだ。

 

「…ねぇ、慧瑠。慧瑠も、そう思うでしょ?慧瑠は、これについてどう考えてる?」

 

 当てもなく歩き、角を曲がり、行き着いたのは外の非常階段に繋がる突き当たり。そこで半ば俯くようにして、俺は訊く。綾袮とはまた別方面でこっちの世界の事に詳しい、慧瑠に。

 考えてみれば、慧瑠はかなり早い段階から違和感を抱いていた。その時点じゃ何もなかったし、任務中だからどうしようもないだろうけど、もしその段階から対応していれば、誰も被害に遭わずに済んだのかもしれない。非現実的なたらればだけど…それもまた、一つの可能性。

 そんな慧瑠は、きっと誰もが予想しなかった事を成し得た慧瑠なら、今の俺の状態をどう見るか。何が原因だと判断するか。きっと慧瑠なら、違う答えを出してくれる。無くなった訳じゃないと言ってくれる。…そんな根拠もない期待を抱きながら、俺は慧瑠へと訊いて……けれどそれに対する反応は、何もない。

 

「……慧瑠…?」

 

 変に思って、もう一度呼び掛ける。けどまた反応がない。無言とかじゃなくて、そもそも全く慧瑠の事を感じない。

 見回してみる。でもどこにも、慧瑠の姿はない。待ってみても、三度目四度目と慧瑠の名前を呼んでみても、常に共にいた慧瑠がいない。

 

(…どういう事…?まさか、結界的なものがここには張ってあって、入れなくなっているとか…?)

 

 ここは協会が管理する施設で、怪我をした霊装者が集まるという観点から、魔物や魔人に対する防衛策を講じていてもおかしくはない。

 けど、慧瑠はもう普通の魔人じゃ…普通の存在じゃない。綾袮でも全く認識出来ないような今の慧瑠へ有効な結界なんて張れるのかどうか甚だ疑問だし、そもそもそういう術自体があるのか不明な訳で、この線はあんまり濃厚じゃない。

 じゃあ、何なのか。何が理由で、慧瑠は今ここにいないのか。あれだけ特異な存在の慧瑠が、俺ありきの存在だって言っていた慧瑠が、こんなにも現れないし感じる事も出来ないなんて……

 

 

 

 

 

 

「…………ぁ…」

 

 

 

 

 俺は、気付いた。気付いてしまった。慧瑠が現れない…慧瑠がいない、その理由に。

 もしも俺が今気付いた通りなら、辻褄が合う。説得力も生じる。あぁ、でも、だけど…認めたくない。そうであってほしくない。だって、だって……

 

 

──もしその理由が、俺が霊装者でなくなったからだったら…霊装者としての俺が死んだ事で、慧瑠を繋ぎ止める力も失われたのだとしたら……もうどこにも、慧瑠はいないって事だから。

 

「…あ、あぁ…ああぁああああ……」

 

 心を捻り潰されるような、泥沼の中へ沈んでいくような、そんな感覚が俺を包む。

 そんな訳ないと、そんな事認めないと、俺は言いたかった。さっきのように、綾袮へ言ったように。けれど言葉が出てこない。呻き声しか、絶望が欠片となったような声しか音にならない。

 

「慧瑠…ああ、ああああああ……」

 

 膝を突く。だらりと両手が下に落ちる。湧き上がるのは、暗く冷たい絶望感。

 認められないから、認めたくないから、綾袮の言葉を俺は拒絶した。でもそれは、結局のところただの虚勢。綾袮に言っていたようで、本当は自分に向けて言っていた言葉。心の奥底では、綾袮の言葉と目の前の事実で、俺にもう力はないんだと理解してしまっていて…だけどそこから目を逸らす為に、奥底からの声を搔き消す為に、俺は強く否定していた。

 でももう、逸らし切れない。それ程までに大きな事実が、絶対的な現実が、争う事すら出来ない絶望が……俺の心に、『慧瑠はいない』という楔を打ち込んでいた。

 

 

 

 

「あ…顕人、君……」

 

 気付けば俺は、自分の当てがわれた部屋へと戻っていた。戻る道中の記憶はなく……心にあるのは、ぽっかりと開いた喪失感。

 

「え、と…そ、そうだ顕人君。顕人君の活躍は、結構色んな人が評価してるんだよ?勇敢さや周りに与える影響もだけど、結構周囲を見て動く事も出来るって……」

「…それを、今の俺が聞いて喜ぶと思う…?」

「…それ、は……」

 

 戻ってきた俺に対して。綾袮は励ますような事を言ってくれる。でもそれに対して俺が返したのは、卑屈な言葉。言ってからすぐに、その発言が性格の悪いものだって事には気付いたけど…今はそれを、訂正する気にもなれない。

 

「…ねぇ、綾袮…俺はもう、本当に霊装者じゃないのかな……」

「か、確定とまでは言わないよ?まだ状況証拠だけで……」

「気休めは、いいよ。…俺はもう、霊装者じゃ…ないんだね…」

「…気休めじゃないよ、気休めじゃないけど……うん」

 

 俺が言葉を遮り、語尾を変えてもう一度言うと…綾袮もまた、小さくだけど確かに首肯。…それで良い。もう、俺自身理解してしまったから。今の俺の事を。今の俺が、もう霊装者ではない事を。

 

「…俺さ、夢だったんだ…最初からこっちの世界にいた綾袮には、理解出来ないと思うけど…こういう世界に、憧れてたんだ……」

「…そう、だったんだ……」

「だからさ、嬉しかった…自分にそういう力があって、戦えて、色々な『普通じゃない』経験を出来た事が…そこに危険があったり、死にそうになる事もあったけど…それでも全然気持ちが揺らがない位、俺は一つ一つに喜びを感じていたんだよ…」

 

 それから俺は、語り出す。訊かれた訳じゃない。伝えたい訳でもない。ただ、でも…言わずには、話さずにはいられなかった。

 

「本当に嬉しかったし、毎日が充実してた…訓練だって、大変だったけど…少しずつ強くなってるって、自分が霊装者として一歩一歩進めてるって、そう思えたから何も苦じゃなかった…。それに、こうして綾袮と仲良くなったのも、ラフィーネやフォリンに出会えたのも……切っ掛けは霊装者なんだ。俺にこの力がなかったら、出会ったり仲良くなったりしなかった人は…沢山、いるんだ…」

「…顕人君……」

「たった一年…ううん、まだ一年も経ってないけど…この一年は、これまでの十六年強全部と比較しても遜色ない位、俺にとって満ち足りた、幸せな時間だったんだよ…俺が過ごしたこの一年は、そういう世界だったんだよ……なのに、なのに…なんで…ッ!」

 

 振り返れば、思い出が沢山ある。つい数日前の事のように思い出せるものだって、幾つもある。これは俺の、大切な思い出で…だけど漫画やドラマで言うような、「この思い出があるから」…なんて気持ちにはなれない。失った悲しみは、失われた未来への絶望は、思い出なんかじゃまるで拭えず…むしろ、余計に辛い。それがもう過去のものなんだと、もう続かないものなんだと思えてしまって、辛い気持ちしか湧き上がってこない。

 

「畜生…大怪我を負って、それで戦えなくなったなら納得もいくさ…!弱かった自分の、正しい判断の出来なかった自分のせいなんだから…!俺はあの日始まった霊装者としての人生に、その道に、命だって賭けるつもりだったんだ…!捨てる気はさらさらないけど、この命を燃やして突き進もうってずっと思ってたんだ…!なのに…霊力がなくなったって、なんだよ…ッ!あんな得体の知れない光に飲み込まれて、こんな訳も分からないまま、気付いたら力が無くなってて、もう霊装者じゃないだなんて……そんなの、納得出来る訳がねぇだろうがよぉッ!こんなにもあっさりと、こんなにも呆気なく夢を奪われて、まだまだもっと先に進みたかった思いもあって、守りたいものや貫きたいものも沢山あったのに…畜生、畜生、畜生ぉぉ……っ!」

 

 ダムが決壊したように、それまで少しずつ漏れ出ていた俺の思いが、やり切れない気持ちが、一気に溢れ出す。肩が震える程に拳を握り締め、床を見つめ、どうにもならない現実に向けて悔しさの丈を叩き付ける。

 これを綾袮に聞かせたかった訳じゃない。そもそももう、綾袮が聞いているという意識もなかった。ただ俺は思いを抑え切れなくて、吐き出したくて、ぶつけたくて……

 

「…ごめん、なさい…ごめんなさい、ごめんなさい…顕人、君…っ!」

 

──聞こえてきたのは、綾袮の謝罪の言葉だった。涙に濡れたような、震えるか細い声だった。

 その声に引き付けられるようにして、ゆっくりと顔を上げる俺。そして俺が見たのは…自らの肩を抱き、涙を零す綾袮の姿。

 

「やっぱり、止めるべきだった…もっとちゃんと、わたしが止めるべきだった…!わたし、顕人君が頑張ってる事も、霊装者である事に対して強い思いを持ってる事も知ってたのに、わたしが止めていれば、こんな事にはならなかったのに…!」

「…綾、袮…ち、違う…それは違うよ綾袮、俺は……」

「ううん、わたしの…わたしのせいなの…ッ!ほんとはわたし、知ってた…!あれを、あの光の存在を…!こういう事が起こるかもしれないって、富士山はそういう場所なんだって、前から知ってた…!知ってたのに、話さなかったから…秘密に、してたから…ッ!ごめんなさい、ごめんなさい顕人君……っ!」

 

 ぽろぽろと涙を零し、自分を責める綾袮に、思わず俺は違うと言った。だって、本当だから。綾袮は真剣に俺を止めていて、それでも俺は調査に参加すると言ったんだから。選んだのは、俺自身なんだから。

 けれど、綾袮の懺悔は続く。綾袮は言う。そうじゃないんだと。これは想像し得なかった事態ではなく、その可能性を初めから認識していた事態なんだと。

 

「…知っ、てた…?じゃあ、綾袮は…協会は、その危険があるって分かってて…その上で、この調査を実行したの…?分かってて、秘密にしていたの…?」

「…うん…今回起こった事は、協会にとって…ううん、霊装者の世界全体にとっても極秘事項で…それに、不明なままになってる部分も少なからずあるから、一部の人間以外には秘匿にするように、って決まりになっていたの……」

 

 思いもしなかった吐露に茫然となりながらも訊き返すと、綾袮は項垂れ罪を告白するかのように話を続ける。

 不幸な事故だと思っていた。予想なんてしようのない事故だからこそ、やり切れない思いをぶつける相手もいないと思っていた。だけど、そうじゃないのなら…故意ではないにしろ、予想し得た事態であり、その上でわざとその事を隠していたのなら……抱く感情は、大きく変わる。

 それに、そういう事なら全員が霊装者なのに、護衛部隊と調査部隊で、完全に役目が分かれていた事も合点もいく。調査部隊全員が、この事を知っていたのかは分からないけど…それもきっと、真実を隠す為。

 

「…そこまでして、隠さなきゃいけない事なの…?こういう危険があるって事は、それだけだったら話しても良かったんじゃないの…?霊装者が何人も、何十人も一気にいなくなる事は、協会にだって損失でしょう…?」

「…それがね、組織なんだよ…協会の形にしたのは、おじー様達だけど、霊装者の組織自体はそれよりも前からあって…普通じゃ見えないところに、色々なものが隠されるようになるのが…組織って、ものなの……」

「……っ…だったら、綾袮は……ッ!」

 

 それが、組織というものだから。そのあまりにも理不尽な、身勝手な理由に、湧き上がる怒り。

 俺だって、そういう事は理解出来る。ラフィーネとフォリンの件、慧瑠の件で俺も胸を張れないような事をしてるから、糾弾出来る義理じゃないかもしれない。でも今回の件は…そういうレベルの話じゃない。そういうものだから、で片付けられる訳がない。

 そしてそれはつまり、綾袮は分かった上で黙認していたという事。組織の側に付いていたという事。綾袮の事は心から信頼して、尊敬もしていたからこそ、俺は裏切られたような気持ちになって……だけど、気付く。

 

「…待てよ…じゃあ、今…綾袮が、俺に話しているのも……」

「…そうだよ。本当は、話しちゃいけないの…秘密にして、誤魔化さなきゃいけない事……」

「…なら、どうして……」

 

 あの白い光の事は、秘匿にしなければならない。もしそうなのであれば、仮に多くの人に見られたとしても、だからと言って真実を話したりはしない筈。現に俺は、言われるまでこれが想定外の事故だと思っていたのだから。言い換えるならそれは、そういう方向で誤魔化してしまう事も可能な筈だって事。

 にも関わらず、綾袮は話した。嘘を更なる嘘で覆い隠す事はしなかった。それを、まさかと思って訊くと…綾袮は言う。言って、続ける。

 

「だって、だって…わたしはもう、顕人君を裏切れない…っ!今更だけどっ、もう言い訳にしかならないけどっ、これ以上顕人君を傷付ける事なんて出来ないっ!したくない…っ!」

「……綾袮…」

「わたしもっ、楽しかった!最初は、役目で一緒に生活し始めただけだったけど、今はもう違う!霊装者とか、協会とか関係なしに、顕人君と一緒に居たいって思ってるのっ!顕人君と居るのが、顕人君が居るのが、今のわたしの『いつも』だから!…だけど、なのに…なのにっ、わたしは…うぁ、うぁぁぁぁ……っ!」

 

 綾袮もまた、堰を切ったように…抑えていたものを解き放つようにして、言葉を紡ぐ。紡ぎ、後悔と自責の涙を流す。

 知らなかった。綾袮が、そこまで思ってくれていたなんて。想像していなかった。こんなにも綾袮が、後悔をしていたなんて。

 

「わたしのっ、せいだ…っ!わたしが、止めなかったから…嘘を吐いて、騙してたから…そのせいで、顕人君は…顕人君のっ、夢は…わたしっ、が…顕人君からっ、夢を……ッ!」

「……もう、いいよ綾袮」

 

 明るく、前向きで、良くも悪くもいつだって快活だった『俺の知る綾袮』からかけ離れた、罪の意識に苛まれる姿。自分を責め、自分を否定し、自分を追い詰める今の綾袮。

 それは酷く悲痛で、霊装者でも何でもないただの…いいや、本来なら十代の女の子がとても背負うようなものじゃない責任や義務の数々と、一人の少女としての感情に押し潰されそうになっている綾袮が今も、泣き続けていて……だから俺は、抱き締める。側に寄って、座る綾袮の前で膝を折って包み込む。

 

「…あき、ひと…くん…?…なん、で……」

「…もう、いいんだよ綾袮。…良くないけど…俺だって辛いし、まだ認めたくもないし、綾袮の事を悪くないとは言わないけど……」

 

「…それでも俺は、綾袮に泣いてほしくない。綾袮が辛そうに、苦しそうに泣く姿は…見たく、ないんだ」

 

 頭を胸元に抱き寄せ、優しく抱き締め、俺は伝える。俺の気持ちを。俺の思いを。諭すように、ゆっくりと。

 

「…ぁ…ぅぁ、あ…ぁああああああっ!ごめんね、ごめんなさいっ、ごめんなさい顕人君…っ!わたしはっ、わたしはぁぁ……っ!」

 

 その言葉が、その行動が引き金となり、更に後悔の涙を流す綾袮。懺悔の言葉を零す綾袮。泣く姿は見たくないと言ったけど、だからといって無理に止めたりはしない。頭を撫で、背中をさすり、綾袮が落ち着くのを…落ち着けるまで気持ちを吐き出せるのを、静かに待つ。

 そうだ。多少取り繕いはしたけど、本当は綾袮に対する怒りもあるけど、それよりも今は綾袮に泣いてほしくない。霊装者としての力を失った俺自身への気持ちも、協会や隠していた一部の人達に対する気持ちも、俺の中では渦巻いているけど…それを差し置いても、俺は綾袮に笑ってほしい。……そう、心から思ったんだ。



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第百八十七話 それでもあるもの、もう無いもの

 幸い…なんてとても言えやしないけど、本当に身体は何ともなかった。普通の人間としての部分は、至って健康な状態だった。だから入院が延びる事はなく、今の俺の状態に関しては嘘の説明を医師の方から改めてされ(といっても、その先生もどこまで本当の事を知っているのかは分からないけど)、要安静と経過観察の旨を伝えられて俺は退院する事となった。

 

「…ただいま」

「お帰り、顕人」

「お帰りなさい、顕人さん」

 

 家に着き、玄関の扉を開けた俺を迎えてくれたのは、いつも通りの声と言葉。思っていた以上に家を開ける事になって、今の俺を構成する要素が激変してしまったその後でも、二人が…ラフィーネとフォリンが俺にかける「お帰り」の言葉は変わらない。

 

「…え、と…二人共、お昼は…?」

「いえ、まだですよ」

「ん、だからお腹空いた。ご飯作って」

「え、えぇー……」

 

 これまで通りに迎えてくれた二人だけど、俺の心はこれまで通りとはいかない。だから何か躊躇って、普通に上がれば良いのにその場でお昼の事なんて訊いて…結果、ラフィーネからよく言えば素直な、悪く言えば太々しい言葉が返ってきた。

 

「あ、あの…一応俺、さっき退院したばかりの人間だよ…?体感的には、やっと家に帰ってきたって感じなんだよ…?」

「うん。わたしも顕人が帰ってくるのは久し振りな感じ。顕人の作ってくれるご飯、何日も食べてない。だから、作って」

「……へい…」

 

 この子に人を労わる心はないのか…と軽くショックを受けながら言葉を返すと、またまたラフィーネはある意味「らしい」発言で返す。

 理由(?)を聞いても、やはりラフィーネは太々しい。ラフィーネの隣にいるフォリンも、俺の隣にいる綾袮も苦笑いをしてしまう程に、態度がブレない。でも、そのらしさはどこかほっともするというか、ラフィーネの発言には、「顕人の作ってくれるご飯を食べられるのを楽しみにしてた」という意図も恐らくある訳で……俺は帰ってきて早々に、何だか奇妙な敗北感らしきものも感じる事となるのだった。

 

「…取り敢えず、荷物置いてくる位の時間は待ってくれるよね…?」

「うん。でも出来るだけ迅速に」

「容赦全然ないなこの子…」

「は、はは…あ、食材なら既に冷蔵庫の中に十分ありますから、そこは大丈夫ですよ」

「ありがとうフォリン…と、思ったけどよく考えたらそれ、さらりと逃げ場潰してるよね……?」

 

 危うく素直に感謝してしまうところだった、と軽く戦慄しながらフォリンを見ると、フォリンがこちらに向けているのはにこーっとした微笑み。…姉も妹も揃って容赦なさ過ぎるでしょうこの姉妹……。

 

「…………」

「……?どうかしましたか?」

「いや…流石に手伝ってはくれるよね…?」

「それは勿論」

「あ、わたしも手伝うよ。一応顕人君は退院したてだし、さ」

「一応って……」

 

 しっかり退院したてですよー、と思うものの、多分そこを訂正しても意味はない。という事で俺はがっくりと肩を落とし……冷蔵庫の中を確認&調理開始。

 

(うーん…お昼だし、あんま手の込んだ物を作る気にはなれないから…炒飯にしようかな…)

 

 炒飯なら事前準備も必要ないし、冷凍ご飯があったから炊く必要もなく、ぱぱっと作ってしまいたい今にはぴったりな料理。…と、そこまで考えたところで俺にとって炒飯はもう軽く作れる料理なのか、と気付いてほんの少しだけど苦笑。去年の今頃はまだレシピを見ながらじゃないと恐らく作れなかった事を考えれば、俺も随分と経験値が貯まったものだと思う。

 

「フォリン、人参とソーセージを小さく切っておいてもらえる?綾袮は切った物を一旦入れとく用のお皿を出して。で、ラフィーネは……え、ラフィーネ?」

「うん、そう」

「ここにいるって事は…手伝ってくれるの…?」

「今日は特別」

「あ、ありがと…(なら手料理は夕飯に回して、お昼は弁当か何かにさせてほしかった…なんて、今は言わなくていいか…)」

 

 いつもは全く手伝ってくれないか、せいぜい配膳をする位の綾袮とラフィーネも手伝ってくれる事により、今日の昼食は四人体制。…まあ、正直言えば若干狭いというか、動き辛いけど…折角の気持ちは無下にしたくない。だから俺は普段なら片手間で、或いは調理後に回すような事も分担する事によって四人で料理を進め…数十分後、食卓に完成した炒飯が並ぶ。

 

「ありがとう、三人共。おかげでいつもより楽に作れたよ。…一服してからでも良かったなら、もっと楽だっただろうけど……」

「あはは…まあまあ根に持ってるんだね、顕人君……」

「それは今言っても仕方ない事。それより食べよう、顕人」

「そうですよー、顕人さん。では、頂きます」

「あのねぇ……頂きます…」

 

 この二人は俺を怒らせたいのかな、と思う程太々しい態度に、俺は最早軽くげんなり。でもこれが、会えなかった期間の分を取り戻さんとするが為の行為だったら、可愛くも見え……ないわ。やっぱり太々しい態度は太々しいだけだわ…。

 

「顕人、顕人がいない間にまたわたしはゲームの腕を上げた。だから、後で勝負」

「あ、うん…そりゃ構わないけど…」

「顕人さん、私何作か気になる映画があるんですが、もし知っていたらその中でどれが特にお勧めか教えてもらえますか?」

「それも、構わないけど……」

 

 やっぱちょっと味付けとしては濃いめだったかな、でも俺はこれ位の味付けでも良いんだよな…とか思いつつ俺が食べ進める中、ロサイアーズ姉妹から振られる話。それに答えると今度は二人で話し出し、途中からそこに綾袮も参加。三人で話し、俺は眺めつつも時々口を挟む…という流れが食事の中で展開していく。

 

「…………」

 

 皆の話を聞いたり、一緒に話したりするのは楽しいし、この雰囲気は疲れる時もあるけど…落ち着く。少し恥ずかしい表現だけど…ここは俺の居場所なんだなって思える。

 でも、だからこそ…ずっと違和感があった。ずっと心の中に、引っかかるようなものがあった。それは無視しようにも無視出来ない、忘れようとしても頭と心から離れない程、大きく深いもので……

 

「……触れないんだね。二人共、今の俺の事に…」

 

 呟くように、半分位は心から直接零れるように、俺は言う。俺は訊く。きっとその胸の内にあるのだろう、二人の真意を聞きたくて。

 

「あ…っと、そうだ顕人君!顕人君は四月からの準備出来てる?文具とかの買い足しも……」

「顕人は、その話がしたかったの?」

「ちょっ、ラフィーネ…!」

 

 真っ先に反応したのは、二人ではなく綾袮。綾袮は慌てたように話を逸らそうとして…けれどその言葉を、ラフィーネが断ち切る。

 更に動揺した様子の綾袮から見られながらも、俺へと真っ直ぐに向いているラフィーネの視線。それを俺は見つめ返し…ゆっくりと、首を横に振った。

 

「したい訳じゃないよ。したって、辛くなるだけだから。…でも、それとこれとは別の話。二人も、知らない訳じゃないんでしょ?」

「うん、綾袮から聞いてる。顕人が、もう戦えないって事は」

「…………」

 

 もう、戦えない。遠慮も何もないそのままの言葉に、俺は一瞬返す言葉が出てこない。

 分かってる。もう理解してる。だけど認めたくない気持ちは、まだあって…それにほんの少しだけど、こうも思った。まだ戦える、霊装者じゃなきゃ何も出来ない訳じゃない…と。実際にはそんなの絵空事で、一個人が霊力無しに戦うなんてほぼほぼ不可能だって事は分かっているのに…それでも俺は、思ってしまう。

 

「…気、遣ってくれた…?俺が傷付いていると思って、きっと触れられたくないんだろうなと思って、『何事もなかった』…ように振る舞ってくれてる…?」

「…そう、見えましたか?」

「どう、かな…。ただ、気になったんだ…力を失った、もう霊装者じゃない俺に対して…二人が、どう思っているのかが……」

 

 そうして口にしたのは、半ば逸らすような…でも、真剣に思っていた疑問。二人はどうして、いつも通りなのか。それは俺に、気を遣ってくれているからなのか。何より二人は、今の俺をどう見ているのか。…不安そうに綾袮が見つめる中、俺は訊いて……二人は顔を、見合わせる。見合わせ、俺の方へと視線を戻し……言う。

 

「…別に?」

「へ……?」

「ですね。一言で言ってしまうなら、『別に?』…です」

「え、え……?」

 

 別に何か、特定の言葉を期待していた訳じゃない。だけど、実際に発されたのは全くもって予想外の言葉。別に、もいう素っ気ないにも程がある返しに、思わず俺は呆気に取られ…そんな俺の反応を見てか、フォリンは軽く肩を竦める。

 

「別に、と言っても、それはどうでも良いだとか、興味がないだとかの意味ではありませんよ。戦う為の力を失ったのですから、当然それは辛いだろう、恐ろしいだろう…と思っています」

「ん、力が無くなるのは怖い。力があっても、守れないものはあるけど…力が無くちゃ、もっと沢山のものが守れない」

「私達の力…というより、霊装者の才能、でしょうか?…がもっと低ければ、どこかの任務で失敗し、始末されてたでしょうからね。…ですから、私達なりに顕人さんの心中を理解してはいるつもりです。それが、正しいかどうかは別として」

「…その上で、『別に』なの…?」

 

 二人も二人で、思うところがあるというのは分かった。そもそも俺は、二人が白状な人間じゃない事はよく知っている。

 けどだからこそ、別にの意味が分からない。分からないから、もう一度…今度はもっとはっきりと訊き……

 

「だって、わたし達にとって顕人が霊装者かどうか、どうでも良い事だから」

「…どう、でもって…幾ら何でも、それは……!」

「…あ、違う。どうでもは良くない。…そうじゃなくて、えっと……」

「…二の次、ですか?」

「そう、二の次。わたしとフォリンを救ってくれたのは、照らしてくれたのは、力じゃなくて顕人の心。きっと顕人なら、霊装者じゃなくても、わたしとフォリンへ同じように接してくれてたってわたしは思ってる。…それが、わたしの気持ち」

 

 言葉選びや話し方が上手い訳じゃない、むしろ要らぬ誤解を招くような…けれど何よりも率直で真っ直ぐな

ラフィーネの言葉が、俺の心へ入り響く。そしてそこに、フォリンも続く。

 

「…つまり、そういう事です。勿論私も、同じ気持ちです。私達を守り、救い、導いてくれたのは、今も一緒にいさせてほしいと思っているのは、顕人さんなんです。霊装者の、ではなく…今ここにいる顕人さんが、私達には一番大事なんですよ」

「……っ…ラフィーネ…フォリン……」

 

 ラフィーネと比較すると、かなり理路整然とした…けれど同じ位に真っ直ぐだと思える、ラフィーネに続いたフォリンの言葉。

 それは、それ等は、心の中で響いて広がる。染み込むように、馴染むように、より深くへ、より奥へと入っていく。

 嬉しかった。そこまで俺を、霊装者関係なしに俺そのものを見てくれていた事、見つめていてくれた事が、凄く凄く嬉しかった。暗いばかりだった心の中へ、二筋の光が射したと感じる程に…二人の言葉は、俺の心の内側を包む。

 

「…ありがとう、二人共。俺を…俺の事を、そうして思ってくれていて」

「うん。でもお礼は必要ない」

「そうですよ、顕人さん。私達は普段通りにしていて、訊かれた事に答えただけなんですから」

 

 そう言って肩を竦める二人を見て、俺は思い出す。あぁそうだ、二人はそういう女の子なんだって。俺が考え過ぎてただけで、二人は何も変わらず俺と接してくれてたんだって。

 多分、それで良いんだ。正解とか、間違いとか、そういう話じゃないけど…少なくとも俺は、そう接してほしいと思ってるから。

 

「…綾袮もさ、出来るならそうしてほしいな」

「え…?そうして、って……」

「綾袮、あれからずっと気を遣ってるでしょ。今日だって、普段より明らかにふざけてないし」

 

 少しだけ心の晴れた俺は、視線を綾袮の方へと向ける。驚いた様子の綾袮に向けて、俺は言葉を続けて言う。

 綾袮が俺に遠慮している事、負い目を感じている事は分かっていた。でも俺自身、ただ『気を遣わなくて良い』と言えば良いのかどうか分からなくて…でもやっぱり、今なら言える。そういう気の使われ方は…嬉しくないって。

 

「勿論、そう言われても…って部分があるだろうし、それは俺も理解してる。けど、やっぱ…綾袮も普段通りでいてくれた方が、嬉しいし落ち着くんだよ」

「……そっか…ごめんね、顕人君…。むしろわたし、顕人君の方にも気を遣わせちゃって…」

「…どうかな、綾袮。少しずつでも、ちょっとでも……」

「…うん、そうだね…顕人君自身がそう言うなら、頑張ってみる。…って、これ…頑張ってみる、で合ってるのかな…?」

「それは……さぁ…?」

 

 負い目のある相手に、悪いと思っている対象に、平然と接するのは難しい事。それは分かってるけど、俺は綾袮にもそうしてほしいと思った。だって、これ以上更に失うのは…皆との関係まで崩れてしまうのは、嫌だから。

 そしてそれが伝わった…からかどうかは分からないけど、綾袮は頷いてくれた。それなら多分、大丈夫だろう。大丈夫だろうって、俺は思う。

 

「…むぅ……」

「…どしたの?ラフィーネ」

「今は絶対、わたしとフォリンの番だった。なのに何故か、最後を綾袮に取られた……」

「えぇ、私も少々不服です」

「えぇー…それに関しては、わたしに振った顕人君に言ってよ……」

 

 話に一区切りがついて、紐が緩むようにして戻る雰囲気。再び話し出す三人を見て、俺は小さく吐息を漏らす。

 本当に、本当に嬉しい。二人は勿論だけど、綾袮だって俺を心から大切に思ってくれてる事は、あの時の涙と吐露で分かった。こんな形で三人が俺に向けてる思いの一端を知る事になるなんて、とは思うけど…三人の存在は、今の俺にとって救いだ。…だから、こそ……

 

(…慧瑠……)

 

 俺の心に浮かぶのは、今ここにはいない彼女。もうどこにもいないのかもしれない、綾袮やラフィーネ、フォリンと同じ位俺が大切に思っていた、守りたかった大事な存在。

 ここは、俺にとっての居場所だ。きっと皆も、そう思ってくれている。だけど、それは皆が居て、慧瑠も居て、初めて俺の居場所になるんだ。三人の代わりなんていないように、慧瑠の代わりもいないんだ。今、俺の居場所にはあるべきものがない、ぽっかりと空いたままの状態なんだ。

 

「…顕人さん?もうお腹一杯なんですか?」

「顕人、お腹空いてなかった?」

「え…?…あ、いや…ううん、食べる食べる」

 

 手が止まっていた事を指摘され、軽く誤魔化しながら残りの炒飯を口へ運ぶ俺。でも、思考は止まらない。

 暗く沈んだままの俺の心へ、二人は光を当ててくれた。綾袮を悲しませたくないという思いは、これ以上沈まないよう俺の心を支えてくれている。そんな三人がいるから、救われている部分は確かにある。

 でも、全てじゃないんだ。慧瑠の代わりはいないように、力を失った事への悲しみは、思い描いていた未来が消えてしまった事への絶望は、三人の存在じゃ埋まらない。だけど、それでも…俺は生きていかなきゃ、いけないんだ。力のない、ただの人間として…普通に、生きるしかないんだ。

 

(……そうするしか、ないんだから…畜生…)

 

 暖かい雰囲気。心休まる空間。今の俺を肯定してくれる三人。…その事に、幸せを感じながらも……俺の心の奥底には、暗い闇が残っていた。

 

 

 

 

 BORGの本部は、所謂宮殿と呼ばれる類いの外観を有している。当然それが霊装者の施設と一般に周知されている訳ではなく、他国同様大半の国民は霊装者の存在そのものを知らない為、とある法人の有する施設であるというのが一般の認識。

 そんな本部の一室、絨毯を始めとするインテリアから気品漂うその部屋では、ある報告が行われていた。

 

「…との事で、これに関しては調停無しでの早期解決は難しいかと思われます」

「そうか、彼等にも困ったものだね。とはいえこのまま流れに任せても、支部の士気低下は免れない。…ゼリア、君だけで何とか出来るかい?」

「ご命令とあらば」

「流石だ、ゼリア。それじゃあ君に頼むとしよう。僕の名前は好きに出してくれていい」

 

 執務机の前に立ち、淡々と報告を述べるのはゼリア・レイアード。それを受け、背もたれに身体を預けた状態で軽く表情を変えながらも、同じく淡々と返すのはウェイン・アスラリウス。彼等はただ、各々の職務に沿ったやり取りを交わしているだけなのだが…それでもどこか異質な空気感が、その部屋を包む。

 

「さて…それじゃあこの辺りで、休憩にするとしよう。君もどうだい?」

「では、そうさせて頂きます」

 

 そこから数分後、一度は戻していた背を再び背もたれへと預けてウェインは提案。それにゼリアは応じるが…だからと言って早速休む訳ではなく、彼女はタブレット端末の代わりにティーポットを手に取り、二人分の紅茶を淹れる。

 

「悪いね、ゼリア」

「いえ、貴方に任せるより、自分で淹れた方が美味しいので」

「はは、確かにそれはそうだ」

 

 さらりと返された言葉にウェインは軽く笑いつつ、静かに紅茶を淹れる彼女を、秘書であると同時に彼が何よりも信頼するゼリアの事を目を細めて眺める。

 ともすれば…いや普通に考えれば、今の発言は失礼に当たる。しかしそれについてウェインは咎める様子もなく、ゼリアもゼリアでさも当然とばかりの表情。それは、彼等の関係性の一端か垣間見えた瞬間であり…しかし同時に、全体からすればほんの一部の面でしかない。

 そうして二つのカップに注がれた紅茶。その内一つへ、ゼリアはたっぷりと砂糖を入れ…入れていない方のカップを、ウェインへと渡す。

 

「…相変わらず、沢山入れるね」

「えぇ、そのままでは苦いですから。私からすれば、これを素のままで飲む人間の方が理解出来ません」

「紅茶は、そういうものなんだけどね…」

 

 再びさらりと言うゼリアに、今度こそウェインは苦笑い。見た目こそ妙齢の、大人の雰囲気漂う美女と言うべき彼女ながら、その実何かとズレているのが彼女というもの。だがそれも悪くない、とウェインは思いつつ…ふと思い出したように、一口飲んだ後に言う。

 

「そうだ、さっき訊き忘れた事だけど…富士の件は結局何か分かったかい?」

「その件はまだ調査中です。ですが……」

「ですか?」

「…恐らく、アレで合っているかと」

「…そうか…」

 

 一拍置き、常人であればそれだけで気を張ってしまうような視線をウェインへと向けるゼリア。彼女からの言葉を受けたウェインは、ゆっくりとカップをソーサーに置き…ほんのりと、笑う。

 紅茶の心地良い香りと共に漂うのは、具体的に何かが変わった訳ではない、しかしその前後を比較すれば多くの者が「異質になった」と答えるような雰囲気。その雰囲気の中、ゼリアは続ける。

 

「それと…御道顕人が、その際行われていた作戦に参加していたとの事です」

「…彼が?なら、まさか……」

「そこについてもまだ不明ですが…可能性は、あるかと思います」

「…………」

「…気になりますか?彼が」

「…どうだろうね。けど…うん。確かにこれは、気になるというのかもしれない」

「……物好きですね」

「君には言われたくないな」

 

 御道顕人。その名前を聞いた瞬間、ウェインはぴくりと眉を動かし…それからまた、笑みを浮かべた。

 それが『気になる』という事に対してなのか、それともゼリアに「物好き」と言われたからなのか、はてまた別の理由があるのか…その真意は、ゼリアにすらも分からない。



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第百八十八話 心が信じる、その事を

 詳しい事は知らない…というか聞いていないが、今回の富士山での調査作戦は失敗寄りの一時中止となったらしい。理由は単純に、継続不能且つ仮に出来ても危険過ぎるから、との事。

 って訳で、妃乃が家に帰ってきた。それはもう、疲れた様子で。

 

「…おはよ……」

「おはようさん」

 

 ヤバいもうすぐ三月が終わる、これじゃあ春休みももうすぐ終わっちまうじゃねぇか…とテンションが下がり始めた三月末の朝。珍しく寝坊した妃乃が、まだ眠そうな顔でリビングへと入ってきた。

 一時中止となった事で帰ってきた…と言っても、その日中に戻ってきた訳じゃない。時宮の人間として、作戦においても重要な立場に就いていた一人として中止後も色々とやる事があったらしい妃乃が帰ってきたのは、それから数日後であるつい昨日の事。…一応、もう少し早く…というか一旦帰ってくる事も出来たらしいが、そこはやはり真面目且つ責任感の強い妃乃。ひと段落付くまで、自分のやるべき範囲を処理し切るまでは手を抜けないというスタンスで、かなり頑張っていたんだとか(因みにそれは、つい先日電話番号を知る中となった妃乃の母親、由美乃さんから聞いた)。

 

(…ま、そら寝坊もするわな……)

 

 俺はそういう役職や立場になった事なんてないから分からないが、大問題が起こった作戦の後処理なんて間違いなく大変だろう。作戦自体も大変だった、しかも聞くところによると魔人との戦闘すらあったらしい作戦の後にその後処理もやって、尚且つそこでの妥協を自ら許さなかったとなれば…疲労困憊にならなきゃ、むしろおかしい。

 そんな妃乃は今、冷めてしまった朝食を温め、もぐもぐと一人で食べている。…まだちょっと眠そうだし、うっかり白米にソースをかけたり、赤ちゃんみたいに食べながら寝たりしないだろうか。…したら面白いなぁ……。

 

「…昨日、聞きそびれたけど…私がいない間、何かあった?」

「いいや。強いて言えば、妃乃の母親が来た事と、その際携帯で父親と話した事位だな」

「それはお母様から聞いたわ。…やけに貴方の事を気に入ってたみたいなんだけど、何かした…?」

「い、いや…特には……」

 

 一度箸を持つ手を止め、ソファに座っている俺の方を見てくる妃乃。…ま、まぁ…思い当たる節もあるっちゃあるというか、夫の恭士さんとの会話中、アウトにも程がある発言を由美乃さんはしていたが…これに関しては、絶対黙っておくべきだろう。俺と妃乃の今後の為にも、時宮家の平穏の為にも。

 

「…今日は一日休みなんだよな。明日とか明後日はどうなんだ?」

「明日も明後日も休みよ。というか、ちゃんと休めってお父様に注意されたわ…」

「当然だな。今日は昼と夜も俺が食事作るから、ゆっくりしてろ」

「…悪いわね、気を遣わせて」

「疲れてる妃乃に料理をさせて、変な物が混入したりするのは勘弁だからな。靴下とか」

「それコントじゃないのよ!幾ら疲れてたってそんな事はしないわよ!?」

 

 ちょっと捻くれた返しにボケを混ぜると、返ってきたのは一切疲れを感じさせないような鋭い突っ込み。これも条件反射の一種だろうか…。

 

「ったく、失礼しちゃうわ…気遣う気があるなら、こういうしょうもない事で体力使わせないでよね」

「いやでも言うだろ?変に神経質になってまで身体を休めるより、普段通りに生活するのが一番だって」

「いや貴方、絶対そういう考えの下では言ってないでしょ…後間違ってはいないと思うけど、それ実際に誰かが言ってた言葉…?」

「さあ?」

「あのねぇ……」

 

 訝しげに見てくる妃乃にさらりと返すと、妃乃はがっくりと肩を落とす。…本当に面倒なら無視して黙々と食べりゃいいのに、そうしないとこがほんと律儀だよなぁ…。

 

「…ご馳走様」

「お粗末さん。俺が洗うか?」

「それ位は流石にやるわ。さっきの発言じゃないけど、そこまでやってもらうと逆に違和感あるし」

「…ま、そもそも自分の分の食器洗うのは、そんな負担でもないか」

 

 そういう事、と言葉を返し、妃乃は食べ終わった食器を持っていく。その時にはもう目も完全に覚めていたようで、リビングに来た時点のふわっとさはない。

 

「…で、貴方はさっきから何をやってるのよ」

「気になる料理のレシピ物色だ。便利なもんだよな、検索すりゃ色んなレシピを知られるんだからよ」

「ふぅん、女子力高そうな事してるわね。因みに何の料理?」

「漫画やアニメでよくあるタイプの骨付き肉」

「前言撤回、思いっ切り男の子の発想だったわ…」

 

 男なら一度は食べてみたい、かぶりついてみたいあのタイプの骨付き肉。そういや実際に作ってみた、って偶にテレビとかネットで見るけど、具体的にはどう作ってんのかな…と思ったのがつい数十分後前の事で、会話をしつつちょこちょこ俺は携帯の画面に目をやっていた。

 因みに知ってる人も多いと思うが、再現の場合実際には動物から切り出した肉をそのまま焼いてるんじゃなく、骨を両端に用意した状態で肉タネをそれっぽい形に固めて豚肉やら何やらで巻く…って形が殆どらしい。…見た目だけでも再現してる人は凄いと思うが…ちょっと残念だよな、それだと。

 

「いつか作ってみたいけど、普通の日に作っても途中で面倒臭くなりそうなんだよな…」

「あそう…なら、バーベキューの機会でもあった時にやればいいんじゃない…?」

「バーベキューか…そういや、去年の夏やったなぁ……」

 

 思い返せばあれはもう半年以上前の事。もうそんなに経ったのか、と思うと何となくしみじみとした気持ちが胸中に漂い…同時に思う。その前も、それ以降も、ほんと今年度は色々な事があったな、と。

…とまぁ、そんな事を考えていた俺だが…ふと視線を向けてみると、いつの間にか妃乃は神妙な顔。

 

「…ねぇ、悠弥。貴方…顕人から、何か聞いてる…?」

 

 何か考え事か。表情から俺がそう思っているところで妃乃が発した、一つの問い。それに俺が否定を示すと、次に妃乃はもっとはっきりと何かを考えるような表情となり……

 

「……正しさって、何なんでしょうね…」

 

 何ともまぁ、珍妙な事を口にした。…た、正しさって……。

 

「…なんか、ヒーロー系かダーク系の漫画でも読み始めたのか…?」

「ち、違うわよ…ただちょっと、今回の件の顛末…って言っても、まだ終わってないけど…に関して、思うところがあるっていうか、これまでは自分なりに納得出来てた事が、今回は素直に飲み込み切れてないっていうか……」

 

 いきなりそんな事を言われたら、こうも返したくなるだろう…と思った俺だが、妃乃の調子はあくまで真面目。…にしたって、急だなオイ…そんな、正しさなんて……

 

「…って、待った。何で今、先に御道について触れたんだ?今回の作戦で、御道に何かあったのか?或いはあいつが何かしたのか?」

「それは…本人に聞いて頂戴」

「んまぁ、そりゃ良いが…(やっぱ関係はあるのか…)」

 

 何があったのかは分からないが、重傷を負っただとか、それ以上の事だったなら妃乃が答えを控えるとは思えないし、ならもっとややこしい事か、逆にもっと単純で些細な事かなんだろう。

 むしろ気になるのは、妃乃の声音。何となくだが、御道は全体の一端というか、妃乃の言う「思うところ」に関わってる一人位のもののような印象があって……ひょっとしたら、俺が思ってるより遥かに不味い事が、富士山で起きたのかもしれない。

 

(…考えてみりゃ、妃乃は今更正しさなんて気にしない、もうばっちり信念が決まってるような性格をしてるんだ。その妃乃が、こう言うって事は…きっと、相当の事なんだろうな……)

 

 何があって、結果一時中止を余儀無くされたのかは、俺も聞いている。けど聞いた限りじゃ、そんな迷いを抱くような部分はなく…気になる。何があったのか、本当に気になる。でも…それよりも今は、目の前の事だ。

 

「…悪いわね、変な事言って」

「あ、そういう自覚はあるんだな」

「そういう返しをされるのはちょっと癪なんだけど…」

 

 無理に話に乗ってくれる必要はない。そんな雰囲気を出している妃乃だが…もうすぐ同居も一年になる相手の真剣な悩みを、面倒臭そうだからってだけで無視するような事はしない。…けど、正しさ…ねぇ………。

 

「…そもそも妃乃は、何を正しいと思ってるんだよ」

「何…って言われると困るわね…倫理とか、道徳とか、法律とか、該当するものは色々あるし…」

「って事はつまり、絶対的な一つの正しさを知りたい…って訳じゃないんだな」

「えぇ、第一正しさは普遍的なもの、とも思ってないし」

(なら、正しさは時代や状況、立場で変わるものだ…って答えじゃ、納得はしないんだろうなぁ……)

 

 答えるにしても、今のままじゃ問い自体が漠然とし過ぎている。だから一先ずその辺りを明瞭にしようと思って訊いてみたが…まだイマイチよく分からない。

 というか、妃乃が求めているのは俺の意見、俺の価値観なんだろうか。愚痴みたいにただ聞いてほしかっただけとか、求めているのは意見ではなく肯定だったとかはあったりしないだろうか。もし仮に、本当に俺なりの「正しさ」を求められていたとして、その内容を妃乃が納得出来ると思ったとしても…それで妃乃は、すっきりするのか…?

 

「…普遍的じゃない、とも限らないんじゃないのか?」

「…絶対的な正しさはある、って事?」

「そこまでは言わねぇよ。けど例えば、普通の人間は自分の命を最優先するだろ?で、それは生物として正しい判断な訳だが…それは、今も昔も、日本でもどの国でも、変わったりはしないよな?」

「…そうね、確かにそれはその通りよ。けど、私が言いたいのはそういう事じゃないっていうか…こう、正しさは正しさでも、正義とか善悪で言い換えられるタイプの正しさっていうか…今悠弥が例に挙げたのは、そういう観点より前にある本能部分の正しさっていうか、正解や間違い的な意味での正しさでしょ?」

「んまぁ、それもそうだな。ただでも、気持ちや精神における正しさも、元を辿れば本能的な部分に繋がってる…ってパターンもある訳で……って、言ってて思ったがややこしいなこれ…」

「…ほんと、面倒な話で悪いわね……」

 

 まだ本当に求められているものが何か分からないし、題材からして複雑なものなんだから、すぐに答えへ向かおうとせず少し話を膨らませてみよう。そう思って会話を掘り下げてみたものの…何だか余計に複雑な感じになってしまった。絡まった糸を解こうとして、余計にこんがらがってしまった…みたいな状況になった(気がする)。

 じゃあ、どうしたものか。変にごちゃごちゃ考えず、俺の思う「正しさ」を言ってみるか。けどぶっちゃけ、俺だってすぐに話せるほど確固とした正しさを持ち合わせてはいない訳で……軽く手詰まりになった俺が黙り込むと、妃乃は俺の顔を見た後軽く上を見つめて言う。

 

「…要はね、組織の中核としての思考、時宮家としての判断、先の事を考えた決断…これまで私は、そこに正しさを感じてたのよ。クリーンな正しさ、胸を張れる正義じゃなくても、そういう事には全体や将来の為になる打倒さがあるって、それも一つの正しさなんだって、そう思ってた。そう信じてた。…でも……」

「…それが、疑わしくなったのか?」

「そこまでじゃないわ。疑わしいじゃなくて……不安、なのよ…それが本当に、打倒さのある『正しい』なのか…それで良かったのか、って……」

 

 時宮妃乃は、大人な性格だ。社会ってもの、組織ってものを分かってるし、そこでの立ち回りや、考え方だって出来上がっている。それは、そういう教育を受けてきたからだろうし…多分元から、そういう意味での『分別』が付けられる人間なんだろう。

 けど、やっぱり…そういう観点、そういう思考を持っていても、妃乃はまだ少女なんだ。組織の中枢を担う人間としての考えを『理解』し『実行』していても、それ自体が自分の信念になっている訳じゃまだないんだ。そして、今語る妃乃は間違いなく、悩む一人の女の子で……ならきっと、何を求められているか…なんてごちゃごちゃ考えるより、俺が感じたままの言葉を言う方が良いだろう。だって妃乃は、対等な相手として、心の内を俺に明かしてくれたんだから。

 

「…別に、間違っちゃいないだろうさ。そりゃ俺は、協会の全部を知ってる訳じゃないが…宗元さんは、信用出来る人だ。私利私欲より仲間の事を…じゃ、ねぇな。周りの事を考えて、その上でちゃっかり自分も得をするような、そういう人だって断言出来る」

「…だから、不安に思う必要はないって事…?」

「いや、今のはあくまで俺から見た宗元さんの話であって、俺個人の考えだからな。…だから…まぁ、なんつーか…自分がそれを、信じられるかどうかじゃねぇの?自分が信じられないと思うものを、正義だとは思えないだろ?」

 

 正しさだの、正義だの、善悪だのは、言い出したらキリがない。個人個人でこれだ、と思うものはあったとしても、万人が納得するものなんてそうそうないだろうし、仮にあっても時代や国が変わればそれは簡単に崩壊する。

 だから結局のところ、何が正しいのかより、何を信じられるか、何を信じたいかなんじゃないだろうか。そこが大事なんじゃ、ないんだろうか。

 

「…正しいかどうかは関係ない…とまでは言わないにしても、正しいかどうかだけが、それを支持する理由にはならない…いや、むしろ…正しいから信じるんじゃなくて、信じられるものがその人にとっての正しさ、って事…?…そっか…深い、わね……」

「お、おう(ぜ、全然考えてもいないところまで読み取られた…。てか、今のでそこまで考えられるのが凄ぇ…むしろこっちが感心させられる……)」

「…悠弥?」

「あ、あーっと…そう、例えば緋奈だ。もし今急に、緋奈が高校中退して自分が考えたオリジナルスポーツの普及とプロ化を目指す、それで生きていくっつったら、親戚中が止めるだろうし、俺だってビビる。でももし緋奈が本気なら、覚悟があるなら、俺は止めない。多分、普通に考えたら止めないなんて間違ってるだろうが…俺は緋奈を信じてるし、信じたいとも思ってるからな」

 

 少し慌てながら口にしたのは、緋奈の事。即席で考えた内容だから、我ながら色々突っ込みどころがある気もするが…嘘は何も言っていない。俺なりに葛藤…というか激しく不安は抱くだろうが、もし本当に緋奈が今言ったような事を目指すってなったら…俺は緋奈を、応援する。それが兄の、家族の…俺の務めだと、思っている。

 

「…本当に、心から悠弥は緋奈ちゃんの事を思っているのね。…少し、羨ましくなっちゃうわ……」

「え…?」

「……へっ?あ、あれ?今なんで私、羨ましいとか言ってんの…?」

「い、いやそれを俺に訊かれても…てか、羨ましいの…?」

「う、ぁ…い、今のは言い間違いだから!違うからっ!」

「だ、だよな…うん、よく分からんが、そりゃ妃乃が羨ましいなんて言わんよな……」

「……えぇ、そうよ…」

 

 俺の話を聞き終えた妃乃が不意にぽつりと漏らした、羨ましいという言葉。何故か自分で戸惑った後に妃乃は否定し、その必死さから俺も弄らず納得する事を選んだ訳だが…そりゃそうだよなと返したら、何故かちょっと不機嫌な顔に。…ならどう返せば良かったんだ、これ……。

 

「…ともかく、貴方の信じる思いは凄いと思うわ」

「シスコン舐めんな、って事さ。…けどまぁ、今こう言えるのは緋奈との霊装者の件とか、この一年で緋奈とも色々あって、より深く緋奈の事を知れたから、緋奈との繋がりを見つめ直せたから…ってのも、あるかもしれないけどな」

「…そっか。…それ、よく真顔で言えたわね」

「だからシスコン舐めんな…と、言いたいところだが…言われてみると、確かに真顔で言う事じゃねぇなこれ……」

「ふふっ。…けど…うん、そうよね。自分にとっての『正しさ』は自分が決める以上、信じられるかどうかが大切…それは、その通りよね」

 

 指摘されて何だか恥ずくなった俺が少し目を逸らすと、妃乃は愉快そうに笑い…それから、普段の声音、自分に対して自信を持っているいつもの声音に声が変わる。視線を向けて見れば、表情もさっきより柔らかく……ほっとした。そんな妃乃の、顔を見ただけで。

 

「少しは参考になったか?」

「ま、少しわね。…だから…ちゃんとお礼も言わせて頂戴。ありがと、悠弥。私の相談に、付き合ってくれて」

「気にすんな。…俺なりに、思うところもあったからだしさ」

「思うところ…?」

 

 普段は素直じゃない癖に、こういう時は素直になるのが妃乃というもの。…いや、違うな。あまり弱いところは見せたくなくて、意地っ張りではあるが、不義理や恩を仇で返す事は嫌いで、礼儀を大切にしてるのが妃乃だ。

 だからこそ俺は、妃乃が困っている時、悩んでいる時は放っておけないし、妃乃の為になりたいと思う。妃乃は頑張っているんだから、俺よりもずっと努力して、自分に妥協しないで、しかもその上で多くの人に手を貸している、沢山のものを守っている妃乃だから…そんな妃乃には、元気でいてほしい。そう、俺は……

 

「…力になりたい、って思ったんだよ。さっき言った通り、俺は緋奈を心から信じてるが…妃乃の事も、信頼してるからな」

 

 力になりたい、力になりたいんだ。妃乃が元気でいられるように、妃乃が自分を信じられるように、妃乃が誇りを貫けるように。

 それから俺は手を伸ばし、妃乃の頭をぽふぽふと叩く。叩くというか、撫でるというか…とにかく俺は妃乃の頭に触れ、時々緋奈にするように撫でる。

 

「……な、何…してる、のよ…」

「悪いな、なんかそうしたくなったんだ。…嫌なら止めるぞ?」

「……いい…相談に付き合ってくれたお礼に、今は許してあげる…」

「そうかい」

 

 出窓から入る暖かい日差しのせいか、ここまでに思ってきた感情に浮かされたのか、それともまた別の…もっと単純に、妃乃に触れたい、撫でたいとでも思ったのか…自分でもよく分からないが、とにかく俺はその行為を続ける。妃乃も恥ずかしそうに頬を染めつつも振り払うような事はなく、許可を受けて行為は続く。

 

(…そういや、前にも一度似たような話をしたな…んで、その時も俺は撫でた気がするな…うーん…もしかすると俺は、撫でるのが好きなのか…?…なんて、な)

 

 それから俺は思う。力になりたいって思いは本物だ。けど、今回みたいな事ならともかく、力がなければ、力にはなれない。それ相応の力がなければ、支えられない。そして、俺は霊装者だ。妃乃と同じ霊装者で、だからこそ出来る事がある。相談に乗る事以外でも、力になる方法がある。今よりもっと積極的に鍛えて、嘗ての俺と同じ位の力を…或いはそれ以上の実力を今の俺が身に付ければ、今よりきっと支えられる。

 もう、その選択をする事に迷いはない。俺は妃乃の力になりたいから。緋奈を守りたいし、依未だって幸せにしてやりたい。穏やかな、普通の日々は今だって大切で、無くしたくないが…それを上回る程に、俺は皆が大切なんだ。ただの平穏じゃない、皆との日々が、今の俺の真の望みだ。その為なら……全力で、全身全霊で、やれる限りの事をするさ。

 もうすぐ新年度となる、春先の今日。妃乃を撫で、俺は今の俺の思いを再確認しながら……新たな決意を、決めるのだった。

 

 

 

 

 

 

……因みにこの後、普通に家に居た緋奈がリビングの中に入ってきて、物凄く気不味い空気になったんだが…それはまぁ、語らないって事で…。



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第百八十九話 寂しげな新年度

 月が変わり、数日が過ぎ……新年度が、高校最後の一年が始まった。…まぁ、留年しなきゃ高校は三年だし、最初でも最後でもない一年は二年の一回だけだから、最後っつってもな…って感じだが。

 

「お兄ちゃん、もう受験まで一年もなくなっちゃったね」

「言うな緋奈。家族にまで受験の事を言われるなんて苦痛過ぎる…」

「いや、むしろ家族は言って当然の相手だと思うんだけど……」

 

 朝っぱらから、そして話が始まった直後から気の滅入るような事を言われて、早速俺のテンションはダウン。くぅ…よく「受験出来るだけ幸せ」とか、「世の中には勉強したくても出来ない人がいる」とか言ってくる奴がいるが、違うからな!?そういう苦しみと、勉強の辛さや受験の大変さはそもそも違うベクトルだから、その『恵まれない環境の人達』も勉強や受験を強いられたらそれはそれで苦痛を感じるんだからな!?

 

「…うん、ほんと…平和な時代もそれはそれで大変だなんて、前は知らなかったよ……」

「え、何が?いきなり何を言ってるの?」

「気にするな、こっちの話だ…」

 

 と、朝からしょうもない思考で頭を働かせつつ、緋奈と共に学校へと向かう俺。掲示板に張り出されてるクラス表を見て、新たなクラスとクラスメイトを知る…などという事はなく、緋奈と別れた後は離任式後に説明されたクラスへと直行。えーっと、俺の席は……っと。

 

「あ、おはよー千嵜くん」

「そういや、千嵜もまた一緒だったわね。…っていうか、よくよく考えたら三年連続同じじゃない?」

「…おう、おはよう」

 

 席を探していた俺へと声を掛けてきたのは、昨年度も同じクラスだった女子二人。一昨年かぁ、俺は一昨年のクラスメイトなんてイマイチ覚えてねぇな…と思いつつ挨拶を返すと、二人は二人の会話に戻る。

 

「…ふぅん。改めて見ると、一年前より明らかに社交性上がってるわよね」

「うおっ…な、なんだ妃乃か……」

 

 自分の座るべき席を発見し、そこに腰を下ろそうとした瞬間、今度は俺の背後から声。振り向けば…ってか声でもう分かってはいたが、それは俺や緋奈より先に家を出た、腕を組んで軽くにやっとしている妃乃だった。

 

「なんだとは失礼ね。一応賞賛してあげたのに」

「ならいきなり背後から声かけんなっての…後それは賞賛とは言わん、性格の悪い発言って言うんだ」

「え、どこが?…っていうのは、流石に冗談として…実際、一年前なら想像もしない事だったでしょ?こうして私が、話し掛けてくるのも含めて、ね」

「…まぁ、な」

 

 想像もしないとまで言うのかよ…と言い返したいところだが、ほんと実際、一年前の俺なら想像はしていなかった。クラスメイトへの興味だって、ほぼゼロだった。けど、今はもう…違う。

 

「まあ、それでも世間一般からすればまだ交友関係は狭いでしょうし、その交友関係の中でも基本は受け身だって事も事実だけどね」

「あーはいはいそうですねー。…てか、なんで妃乃がここにいんの?」

「なんでって…同じクラスだからに決まってるでしょうが…」

「…そうだっけ?」

「いや私が同級生かどうか位は覚えてなさいよ…!っていうか、忘れる…!?」

「なんだ、ちゃんと聞いて覚えておいてほしかったのか?」

「うぐっ…そ、そんなんじゃないわよ馬鹿…!」

 

 すっとぼけた感じの態度を見せると、小声ながらも怒りの声をぶつけてくる妃乃。本当は聞いてたし覚えてもいたが…なんか厳しめの事を色々言われたし、そのお返しである。

 

(…まあ、別クラスだと何かある時一々そのクラスまで行かにゃならんし、同じで助かったってとこか。んで、他に同じクラスと言えば……)

「…おはよ、二人共」

 

 俺は誰がどのクラスなのかをちゃんと覚えておくタイプ…などでは勿論なく、妃乃とは特殊な間柄故に、意識せずとも覚えていたってだけの事。

 けど別に、他は誰も覚えてないって訳でもない。別の理由で覚えていたり、或いは偶々記憶に残っていたりする人も多少はいる訳で……その面々を思い起こそうとした瞬間、また俺は声をかけられた。馴染み深い、よく知るその声に俺は振り向き…挨拶を返す。

 

「よう、御道」

「……おはよう、顕人」

 

 何だかんだ縁があるというか、何というか。…御道顕人。高一の時…即ち接し辛そう感全開だった筈の頃の俺に話しかけ、あまつさえ男友達になってしまった物好きな彼もまた、もう一年一緒のクラスらしい。

 

 

 

 

 新年度最初の日である今日は授業もなく、やるべき事も午前で終了。正午を回る前に下校となり…俺は鞄を持ち上げる。

 

「なんか、えらい久し振りに学校来た気がする…」

「そうか?実際にゃ半月位だろ?」

「まあ、そうなんだけど…」

 

 千嵜の言う通り、実際にはそこまで久し振りって訳じゃない。でも俺が言っているのは、感覚の話。春休み…というか年明け以降は色々とあり過ぎて、何だか感覚がズレているような感じがする。

 

「凄いよねぇ。わたしなんて、この倍は休みでも良いって思ってるのに」

「全くだ。もっとがっつり休ませてほしいよな」

「…貴女達、長期休暇が終わる度にそれ言ってない…?」

 

 そんな事を俺が考える中、綾袮を皮切りに三人が軽く会話を展開。それは去年度までもよく見た…というより、去年度と全く変わっていない光景。

 

(…四人全体、今年度も同じクラスって…まあまあ凄い偶然だよな……)

 

 うちは一学年何十クラスもあるようなマンモス校ではないから、こうなるのは別にあり得ない程の事じゃない。他にも二年の時と同じクラスの人はちらほらいるし、普通に偶然で済むレベルの事。けどこういうピンポイントな偶然は、やっぱり珍しさを感じる訳で……これ、偶然だよね…?協会が何か手を回して…とかじゃないよね……?

 

「…さて、折角半日で終わりなんだから、さっさと帰るとするか。緋奈…は確か、友達と昼食食べるって言ってたな……」

「そういえば緋奈ちゃんって、夏休み明けの時もそうしてたわよね。あの時は確か…うっ……」

「…妃乃?どしたの、急に苦虫を噛み潰したような顔して」

「な、何でもないわ……」

 

 きょとんとした顔で小首を傾げる綾袮に、目を逸らす妃乃さん。そして千嵜はといえば、何か思い出したような顔をした後にやーっとしていて…うん、その時何かあったんだろうな、こりゃ…。

 

「…ま、いいや。わたし達も帰ろっか」

「あ、うん。…っと、そうだ綾袮。結局昼に何食べたいか決めた?」

「あ"……考えるの自体忘れてた…」

「えぇー……」

 

 という訳で、話しながら俺達はクラスの外へ。なんか慣れ過ぎて忘れそうにもなるけど、こういう同居が分かる発言は周りとか声量とかに気を付けなきゃいけないんだったな…とかなんとか考えながら綾袮の発言に呆れていると、何やら物珍しそうな視線が一つ。

 

「…御道、春休みの間に何かあったか?」

「え……?」

「…………」

「呼び方だよ呼び方。前はさん付けしてたよな?」

「あ、あぁそれね…まあ何というか、ふとした会話の結果から…かな…」

 

 何気なくその視線の主、千嵜の方へと顔を向けると、発されたのは一瞬どきりとする言葉。俺は驚き、千嵜の隣にいた妃乃さんはほんの僅かに表情を曇らせ…けれどそこに続いた言葉は、俺の想像していた内容とは全く違うものだった。

 けどまあ確かに、それだって変化は変化。あの時は酷い目に遭ったな…と思いつつ言葉を返すと、そこまで深い興味ではなかったのか、それだけの答えで千嵜は納得。

 

「あれは…うん、愉快な出来事だったねぇ。顕人君らしいといえばそうだけど、まさかさん付けが……」

「な、何で当人がぼかそうとした事を言おうとするの…!?何そのさらりとした鬼畜…!」

「え?今のは言えっていうパスだったんじゃないの?」

「な訳あるか!ほら、綾袮は会話に参加しなくていいからお昼を考える!」

「あ、顕人君こそまあまあ酷い事をさらっと言うね…」

 

 そこへ暴露しようとした綾袮の凶行を何とか食い止め、俺達は校舎の外へ。まだ風は少し冷たいけれど日は暖かく、その風に飛ばされた桜の花びらがちらほらと落ちる。

 

「もうすぐ一年経つってのに、そっちはやり取りが殆ど変わってないな…」

「…それはお互い様じゃない?というか、だったら千嵜は何か変わったと?」

「ああ変わったさ。どういう弄りをすれば反応が良くて、逆にどんな事を言うと身の危険があるかがもう粗方分かったからな」

「分かったからな、じゃないっての…後私が手を出す事なんて、滅多にないでしょうが……」

「は、はは…(やっぱこっちもあんまり変わってないじゃないか……)」

 

 何食わぬ顔で千嵜が弄り(又は煽り)、妃乃さんがそれに突っ込む或いは言い返すという、もう何度見たか分からないお決まりの流れを展開されて、思わず俺は苦笑い。けどまあそれでも、何となくだけど前に比べると千嵜の弄りにはより相手の人となりを知り、分かった上でやってる感じがあって…ほんと、人って変われば変わるものだと思う。

 

(…変わるもの、変わらないもの。変えたもの、変わってしまったもの…こうしてるだけなら前と同じようでも、そんな事はないんだよな……)

 

 去年度までと変わらない、愉快な会話。だけど、みなそれぞ日々の中で変わっているものはあるだろうし…何より俺は、この一年で俺の新たな根幹の一つとなっていたものを、失ってしまった。そしてそれは、他の事にも影響を及ぼす程に大きなもので……

 

「…あの、妃乃さん」

「……!…何、かしら…」

 

 俺は千嵜と言い合いを続けていた妃乃さんへ向けて呼び掛ける。その瞬間、妃乃さんはぴくりと肩を震わせて…取り繕うような表情で、言葉を返す。

 感じていた。妃乃さんが、俺に対して気不味さを抱いている事は。…当然だ。立ち位置や俺との関係性は違うとはいえ、妃乃さんもまた「知っていた上で黙っていた」側の一人で、尚且つ真面目で責任感のある人なんだから。そんな妃乃さんなら、綾袮さんと同じように、今の俺に対する負い目や申し訳なさを感じていたとしても、それは何もおかしな事じゃない。

 だからこそ、俺は言う。少なくとも俺は、このまま負い目を感じ続けていてほしい…とは思っていないから。

 

「綾袮にも似たような話はしたけど…こういう気不味さは、お互い本意じゃないだろうからさ。だから、気にしないでとは言わないけど…あまり、変に意識し過ぎないで。出来る範囲でいいからさ」

「…それは、気遣い?それとも……」

「本心だよ。こういう普段の生活だって、俺は楽しいと思ってるから」

 

 分かっているだろうから、一からは言わない。千嵜からは怪訝な、綾袮さんからは真剣な眼差しを受けながら、俺は妃乃さんへと伝える。今俺が思っている事を、正直に。

 それを聞いた妃乃さんは、一度口を閉じた。黙り、立ち止まり、俯いたまま考えて…それから、言う。

 

「分かったわ。貴方がそういうなら、私もそうする。…だけど、一つだけ言わせて頂戴。……悪かったわ」

「…うん。俺も別に、気にしてない…とは言わないよ」

 

 謝罪としては端的な、けれど様々な思いがあった上での一言だと分かる、妃乃さんの言葉。それに俺は頷いて…少しだけ目を逸らして、言葉を返した。

 言わないし、言えない。もう過ぎた事だけど、過ぎた事なんだから…とは捉えられない。それもまた、俺の本心で…この気持ちは今も、心の中で燻っている。

 

「…なぁ、御道、妃乃…それは……」

 

 前の…綾袮の時は良くも悪くも空気を読まないラフィーネがいたし、綾袮自身の性格もあったおかげで、割とすんなり元の雰囲気に戻る事が出来た。でもその時とは状況も面子も違う今、話が付いたからといってすぐに元通りとはいかず……そこで千嵜が声を上げる。

 けれどそれは、空気を和らげる為のものじゃない。恐らくは純粋な疑問として、真面目な問いとして、千嵜はこの会話の意味を訪ねかけ……丁度その時、妃乃さんの、携帯が鳴った。

 

「っと、ちょっと待って。…えぇ、えぇ……って事は、悪い方の想定が当たった訳ね…いいわ、そっちはそのまま続けて頂戴」

 

 ジェスチャーと共に千嵜を止めた妃乃さんは、少し離れて電話を受ける。こちらに背を向けているから表情は分からないし、当然相手の声も聞こえないけど…妃乃さんの返答だけで、どんな電話なのかは想像が付く。

 

「…妃乃、今のって…」

「えぇ。複数部隊で少しずつ追い詰めてた、足の速い魔物の群れの一部に逃げられたらしいわ。暫定的な部隊で連携が不十分だったのが要因ね…」

「場所は?準備してた部隊だけで何とかなるって?」

「厳しいでしょうね。だから、その逃げた一部をこれから叩きに行くわ。手伝ってくれる?」

 

 同じく察した様子の綾袮は妃乃さんと言葉を交わし、最後の問いにはこくんと首肯。妃乃さんにだけ連絡が来たって事は、恐らく時宮家の派閥中心で進めていた作戦なんだろうけど…この二人に関しては、そういう要素は関係なし。

 流れるように進んだ、二人のやり取り。けれど驚く事に、妃乃さんからの問いに対しては、千嵜もまたすぐに首肯を返していた。

 

「妃乃、俺にも何か出来る事はあるか?」

「そうね…悠弥は後詰めをお願い。私と綾袮で十分何とかなると思うけど、曲がりなりにも部隊を強行突破するような魔物相手なら、念の為の備えをしておいた方がいいもの」

「あいよ」

 

 これまでは積極的な戦闘をしようとしていなかった、出来る限り戦闘から…霊装者である事から避けていた千嵜には似つかわしくない、能動的な協力の意思。それをいきなり目にすれば…勿論驚く。

 けど、そういう事もあるだろう。千嵜の事だから、何かしら考えあっての事なんだろう。…驚きはしたけど、すぐに俺は思い直した。…それもまた、一つの変化なんだろうと思って。

 

「…そっか。じゃあ、皆…頑張って」

「…うん」

「……?…御道はいいのか?いや、勿論御道は装備が揃ってこそ長所を発揮出来るタイプだろうけどよ……」

「…千嵜は、知らないの…?」

 

 何もない…というには勿体ない程賑やかな日常の中には、今も変わらず俺の居場所がある。だけどもう、俺が夢見ていた非日常の中には居場所がない。少なくとも今の俺に、戦う為の力はない。だから、こういう時は送り出す事しか出来ないと、既に俺は分かっていて…だけど、千嵜は知らなかったらしい。先程から怪訝な顔をしていた時点で、起きた事の全部は知らないんだろうと思っていたけど…そっか、それも知らなかったんだ…。

 

「…御道、それは……」

「大丈夫、ちゃんと言える事だから」

 

 何か察してくれたのか、躊躇いの表情を見せる千嵜。だけど俺にとってはもう、これは口に出すのを躊躇うような事じゃない。吹っ切れてなんかいないけど、もう受け止めてはいる事だから。

 そうして俺は、千崎に話した。今の俺は、もう霊装者ではない事を。

 

「……っ…そう、だったのか…」

「…悪いね、これから戦闘に出るって時に、こんな気の重くなるような事言って…」

「い、いや気にすんな。それより俺こそ気の利いた言葉一つ……」

「そっちこそ、気にしないでよ。それより、早く行かないと不味いんじゃないの?」

 

 バツが悪そうに話す千嵜の言葉を遮って、俺は綾袮達に視線を送る。すると二人はその通りだと言うように頷いて、千嵜もまたすぐに表情を引き締める。

 その後、三人は討伐の為行動開始。小さくなっていく三人の後ろ姿を俺は見送り…見えなくなったところで、小さく一つ溜め息を漏らす。

 

「…ちょっと前までは俺も一緒に行って、一緒に戦っていたのにな……」

 

 少し前まで、確かにそこに俺はいた。だけど今は、もういない。近い内に、こういう事が起きるだろうっていうのは、十分予想出来ていた事で…それでもやっぱり、辛い。惜しさが、悔しさが、胸の中で重く渦巻く。それは、抱えているだけでも辛い事で……だから俺は、ぽつりと呟く。

 

「…ねぇ、慧瑠。これからも、こういう事が続くのかな。ただの人間として、見送るしか出来ない事が…これからの俺の、当たり前なのかな……」

 

 投げかけるように、呟いた言葉。ある存在を名指しして、呼び掛けた声。…だけどそれに、返事はない。俺には何も、返ってこない。

 分かってる。慧瑠ももう、いないんだから。感じる為の力がないんだから。けれど…それを分かっていても尚、あの日以来……俺は慧瑠に、時折一人語り掛けるようになっていた。

 

 

 

 

 なりふり構わず、必死の思いで、死に物狂いで。そう表現する他ない程の勢いで翼をはためかせ、逃げ去ろうとする最後の魔物。だがその両翼を飛翔する二つの刃が根元から斬り裂き、逃げる魔物を撃ち落とす。

 俺に翼はないから予想でしかないが、両翼を根元から斬り落とされるってのは、腕や脚を斬り落とされるのと同じ位の重傷だろう。それを背後からやられて、尚且つ翼を失った事で姿勢を立て直す事も出来ないまま地面に直撃したとなれば……そりゃあ、生き絶えるってもんだ。

 

「ふー、お疲れ妃乃」

「えぇ。悪かったわね、手伝わせちゃって」

「悠弥君もお疲れー」

「おう。つっても、俺は何もしてないけどな」

 

 絶命した魔物の消滅を確認した後綾袮は得物を鞘へと戻し、まず妃乃へ、続いて俺に声をかける。

 今言った通り、俺は何もしていない。後詰めとして、逃げようとするなら後ろから強襲を…と思っていたが、妃乃が来る前言っていたように、妃乃と綾袮の二人で何とかなってしまっていた。…別に良いんだがな。戦わずに済むなら、それに越した事はねぇし。

 

「んで、本体…っていうか、元々作戦に出てた方の部隊はどうなんだ?」

「そっちも既に大勢は決まったらしいわ。もう同じ事はない筈よ」

「なら良かった。んじゃ、帰るか」

「わたしは顕人君に連絡しよっと」

 

 普通その場の判断で作戦に参加したんなら、終わったからって即帰宅…なんて出来ないもんだが、幸いそこが妃乃が上手い事片付けてくれる。って訳で俺達は家に向かって歩き出し、途中で綾袮と別れ…特に何かするでもなく、静かに帰路を進む。

 

(……もう、霊装者じゃない、か…)

 

 御道からその話を聞いた時、すぐには飲み込む事が出来なかった。そんな事があるのか、って時点で大き過ぎる衝撃だったし、御道の霊装者としての自分にかける思いの強さも知っていたからこそ、気の利いた言葉なんて返せなかった。

 自分が霊装者じゃなくなる。そんな事、考えた事もなかった。それこそ転生でもしない限り、霊装者の力とは一生付き合ってくもんだと思っていたから。

 同時に俺は考える。もし俺もそうなったら、どうするだろうか。前の俺なら、その方がありがたいと思っただろうが……

 

「…あれが、妃乃を迷わせていた事の一端なんだな」

「…そうよ。顕人も、富士での作戦で光に飲まれた他の霊装者も……何人もの人が、霊装者の力を失った。しかも、それは……」

「…あぁ、うん。分からんが、分かる」

 

 遮るように言葉を発し、俺は頷く。俺は読心術なんて使えねぇから、当然予想でしかないが…この件に対し、人としては不誠実な事を、けれど組織としては妥当性のある事を、協会はしたんだろう。それに、妃乃や綾袮も加担していたんだろう。…ったく…宗元さんよ、いい歳した爺さんにもなって、なーに孫娘の心に陰差してるんすかね…。…って、あの時あのまま大人になる事を実質拒否して、一人やり直しをさせてもらった俺が言える事でもねぇか…。

 

「…それを知って、どう?私の事、侮蔑する…?」

「どうだろうな。全容を聞くまでは、するかもしれないししないかもしれないとしか言えねぇよ」

「…ここで全部を聞かずとも、『しない』って答えてくれるような事はしないのね…」

「しねぇよ。それとも何か?妃乃は俺に、気を遣った言葉をかけられる方がいいのか?」

「それは…そうじゃ、ないけど……」

 

 しおらしく…って程じゃないか、妃乃の声音は小さくなる。けど…俺は前に話をした時、ちゃんと妃乃なりに答えを出せたように見えた。だからこそ、俺は気なんか使わず…言葉を続ける。

 

「なら、そんな事はしないし、判断も全部聞くまではしないさ。それに…妃乃はそう簡単にへこたれたり挫けたらしない。それだけの意思が、妃乃にはある。…そうだろ?」

「悠弥……。…えぇ、そうね…分かってるじゃない」

「そりゃまぁ、な」

 

 別に、大した事は言っていない。簡単に言えば、気を遣わなきゃいけない程弱くなんてないだろ?…って言っただけの事。だがそれでも…或いは下手な気なんか使わなかったからこそ、妃乃には感じるものがあったようで、こくりと一つ頷いた後妃乃はにやりと笑みを浮かべる。そしてそれを見て、俺もほんの少しだが口角を上げる。

 あぁ、そうだ。こういう強さこそ、気丈さこそ、妃乃らしいってもんだ。しおらしい妃乃もそれはそれで悪くないが、やっぱり妃乃と言えばこうでないと。

 

(…って、何考えてんだ俺は……)

 

 何故か勢い余って変な事を考えてしまった俺だが、まあそれはそれ、これはこれ。中途半端にする気はねぇし、帰ったらちゃんと聞くとして……やはり、思う。

 嘗ての俺なら、霊装者の力なんて手放したいと考えただろう。緋奈に関しても、共に失う事が出来ればそれで良いと、迷いなく考えただろう。だがもう、今は違う。今は…失いたくない。失う訳にはいかない。だって、そうだろう?今の俺には……もっと沢山、守りたいものがあるんだから。




 今後の投稿に関する重要なお知らせを、活動方針に記載し載せました。一度確認して頂けると助かります。


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第百九十話 何を以って正しさと呼ぶか

 富士での出来事は、協会の上層部において起こる可能性があると認識していた事。長い歴史の中で、過去にも起こった事のある出来事。そう、俺は綾袮から聞いた。

 けれど同時に、『起こった』とはっきり分かっているのは今回を含めて数度しかなく、未だ謎の多い現象でもあるらしい。だから俺は、経過観察を兼ねて…或いはそれを建前に、何度か検査を受けるように言われている。

 

「桜の花弁が風で舞う光景は綺麗ですが、アスファルトに落ちた花弁を見ると、正直『掃除が大変そう』と思っちゃうんですよね、私…」

「あぁ…確かに桜の花弁って薄いし、引っ付いちゃってるのもよくあるもんね…」

「桜…そうだ顕人。桜とさくらんぼって、違うの?」

「え?…あー、なんだったかな…俺もよく覚えてないけど、確かよく見る桜の木の実は、所謂さくらんぼ、って感じの果実にはならないらしいよ?」

 

 双統殿の廊下を歩く最中、ロサイアーズ姉妹と共に交わす会話。桜絡みの話題となったのは…まあ恐らく、窓から桜の木が見えるから。

 今回俺は、検査を受ける為に来た。けど二人も二人で呼ばれたらしく、ここまで俺達は一緒に来た。勿論最終的に行く場所は違うし、そろそろ別れる事になるけど。

 

「さくらんぼ…そういえば、日本には桜の名前を冠する食べ物が色々ありますよね。桜餅であったり、桜エビであったり、後お菓子でもありませんでしたっけ?」

「桜大根の事?確かに言われてみると、結構あるね。多分春を象徴する花で、馴染み深かったりもするから…じゃないかな。…桜エビに関しては、料理じゃないけど…」

「…桜餅…顕人、桜餅食べたい。作れる?」

「桜餅を?…うーん…帰りに買ってくじゃ駄目?」

「ん、それでも良い」

「じゃ、そうしようか。…って言ったところで、ここで一旦別行動だね」

 

 何気ない会話を続けて俺達は廊下を進み、俺が目的の場所に着いたところで同行は終了。二人もどこへ行けば良いのかは分かってるらしいから、俺はそのまま見送って…指定された部屋へと入る。

 

(…もしかしたら、霊装者の力が戻ってるかもしれない。一時的に封じ込められていただけで、消えた訳じゃなかった。…なんて事は、ないんだろうな……)

 

 中へと入りながら、ぼんやりと俺は考える。いや…考えるというより、思う。

 もしもそういう可能性があるのなら、どんなに低確率だったとしても、俺はそれを信じたい。そうであってほしいと、願いたい。…だけど、分かってる。依然として俺は霊力を扱えず、感じる事も出来ていないんだから…そんな可能性が、ある訳ない。ある訳ないけど…そう願う心は、消えやしない。今はまだ使えないだけで、強固に封じられているだけで、もっと時間が経てば、もしかしたら……根拠のない妄想だとは理解しているけど、それでも俺はそう考えるのを止められない。止められないし、止めたくない。

 

「すみません、御道顕人です」

「御道…うん、時間通りだね。それじゃあまずはそこに荷物を仕舞ってもらえるかな?貴重品はそっちのロッカーね」

 

 それから俺は、検査開始。内容としては、人間ドックっぽいもの(って言っても受けた事ないけど…)と、霊装者ならではのものとが半々位で、退院前にやったものとほぼ同じ。そして、やってみての結果や、感じたものも…変わらない。

…実際のところ、この検査に意味はあるのだろうか。もしこれが、霊装者の力は失われていないのに、何らかの理由で引き出せなくなっている…って事なら、確かに検査して調べる価値はあるんだろうけど、そもそも無くなってしまっているのなら、何の反応も出てこない筈。

 

(…って、それは流石に素人考えか…駄目だな、何か卑屈になってる……)

 

 明るく考えられる訳ないだろ、っていうのが俺の正直な気持ちだけど、だからって必要以上に卑屈な考えをしたって、余計に気持ちが滅入るだけ。だったらまだ「近くに桜餅売ってるとこあったかなぁ…」とでも考えてる方がマシだと思い直して、検査を受ける事数十分。検査は滞りなく進み…一通り終わったところで、俺は一度待合室へ。

 

「……あ」

「うん?…あ」

 

 一日一人、って事はないだろうなぁと思っていた通り、待合室には他にも何人かの霊装者の姿。けどよく見れば、その中には知り合いも数人いて…俺がその事に気付いた直後、向こうも気付く。

 

「そっか…お前もだったんだな…」

「まぁ、ね…」

 

 お互い気付いたんだから…と俺がその数人の隣に座ると、何とも言えない感じの顔でその中の一人がぽつりと言う。

 

「…なんつーか…やっぱキツいよな、よく分からない内に力が無くなるとか……」

「俺、親も霊装者で生まれた時からずっと霊力はあって当然のものだと思ってたから、正直まだ慣れないわ……」

 

 俺へと話し掛ける形で、その数人は口々に呟く。当然だけど、話す皆の顔は暗く…その気持ちは、良く分かる。

 そう、失ったのは俺だけじゃない。あの光に飲み込まれた霊装者の全てが、例外なく失っている。加えて今一人が言った通り、その中には霊装者である事が当たり前として生きてきた人もいる訳で…もしかすると、俺以上に堪えてる人もいるのかもしれない。

 

「それに、やり切れないよな…自然現象のせいじゃ、文句をぶつけたって独り言にしかならないし……」

「だよね…まだ人為的なものなら、それをやった奴のせいだって言えるのに、自然じゃあ言っても仕方ないっていうか……」

(……っ…そうか、皆は…)

 

 ぽつぽつと続く皆の話。多分それは、俺へ話し掛けた事を皮切りにした、やり切れない思いの発散で……その途中、俺は気付いた。皆は、これが完全に事故だと、誰にも予想出来ないものだったんだと思っていると。そういう説明を、受けているんだと。

…当然だ。話してもらえた俺が例外で、皆の方が普通なんだから。皆は、真実を隠されていて…隠されてるって事すらも、知らないんだ。

 

「…………」

「はぁ…こうなるなら、もっと霊装者の力で好きなだけ空を飛び回ってみるとかしてみりゃ良かった……って顕人?どうかしたのか?」

「…あ…いや…俺もさ、まだまだ道半ばだったのにっていうか、すっぱり諦めるなんて…って感じで……」

「分かる。…何とか、ならないのかな……」

 

 話の内容的に当然ではあるけど、どれだけ話しても暗くなるだけ。雰囲気を好転させられるようなものもなく、沈んだ空気のままで会話は途切れる。

 どうかしたのかと訊かれた時、咄嗟に出てきた言葉は誤魔化しだった。真実を伝える事ではなく、そのままにする事を反射的に選んでいた。

 勿論、深く考えての行動じゃない。むしろ、深く考える時間がなかったからこそ、一先ず現状維持を選んだって部分もある。でもそれなら、今考えて、それから言う事も出来る。出来るけど…俺の中に、そうしようって気持ちはない。

 

(…話して、どうするんだ…それで一体、どうなるってんだ……)

 

 何故言わないのか。どうして隠されていた事に対し俺自身は怒りを覚えておきながら、隠すという同じ事をしようとしているのか。…そんな自問自答に対し、心の中で吐き捨てるようにして俺は呟く。

 あぁそうだ、どうにもならないんだ。真実が分かったところで、力を取り戻す術はなく…さっき「人為的なものなら」って意見もあったけど、実際知ったとしても、怒りや憎しみが燃え上がるだけでしかない。ある種傲慢な考えかもしれないけど…このまま予測不能だった、100%自然が悪い結果の事だと思っていた方が、皆の精神的にはまだマシなのかもしれないんだから。

 でも…結局それも、どんな理由があろうとも、勝手に真実を隠してるって点は全くの同じ。ここで俺が話さないのなら…例えそれが皆の為でも、俺への罪悪感から話してくれた綾袮の首を絞めない為だとしても、もう俺に協会を責める事は出来ない。したところで、自分本位な行動になるだけ。

 

「…っと、呼ばれたから行くわ。力が復活しそうだって言われたら、皆俺を祝ってくれよ?」

「…あぁ。お互いそういう事があったら…ね」

 

 そうして結局俺は話さず、最後まで知らない振りして、皆と同じ事しかしらないような言葉を返して、それで終わらせてしまった。

 悪いとは思わない…とは言えない。これで良かったんだと、胸を張る事も出来やしない。モヤモヤした気持ちだけが、俺の心の中に残り……

 

「顕人、眉間の皺が凄い」

「いでっ…ちょっ、力強い力強い……!」

 

 そのモヤモヤを合流した後も抱えたままにしていた結果、ラフィーネに眉間を突かれてしまった。軽く押すとか突っ付くとかじゃなく、指でかなりぐりぐりとされてしまった。

 

「ん、治った」

「荒療治っていうか、力尽く過ぎるでしょう…。しかもこれ、内面的には何の解決もしてないからね…?」

 

 肩凝りとかじゃないんだから…と思いながら軽く文句をぶつけてみるも、ラフィーネにそれが響いている感じはない。…いやまぁ、良いけどさ…ラフィーネさんだって、気を遣っての行動だと思うし……多分…。

 

「表情は気分に影響を与えるとも言いますけどね。…それで、何かあったんですか?」

「…いや、別に…ないとは言わないけど、話す程の事でもないよ」

「誰が見ても分かる程眉間に皺を寄せていたのに、ですか?」

「それでもなの。二人こそ、結局今日は何だったの?」

 

 少し雑だとは思うけど、俺は俺の事から話を逸らす。理由は単純。今俺の中にあるモヤモヤは人に話してすっきりするようなものでもないだろうし、ならまた違う話をする方が心も晴れる。それに、二人の用事が何だったのか興味があるっていうのも事実。

 そして実際二人はその雑さを感じたようで、互いに顔を見合わせる。でも無理に訊く事は避けてくれたみたいで…それ以上の追求はない。

 

「まぁ…端的に言いますと、これからはもう少し幅広く任務を、普通の任務もやってもらおうと思っている、みたいな話でした。勿論それだけなら綾袮さんからでも聞けますし、実際にはもう少し複雑な話だったんですけどね」

「普通の任務も…って、事は……」

「はい。好意的に解釈するなら、少しずつ信用してもらえている…という事です」

 

 気が滅入る一方だった俺の用事とは対照的に、二人の用事は明るいもの。

 これまで二人は、急を要する場合を除いて、あまり大っぴらにはしたくない類いの任務を任されていた。綾袮も知っているんだから、BORGにいた頃のような任務はさせられてないと思うし、装備のテストみたいな、割と普通の任務もした事があるって聞いているけど、それでも二人の立場は二人の持つ経緯や背景に強く影響を受けていた。

 その二人が「これからは普通の任務も」と言われたのなら、それは信用されつつあるって事に違いない。考えてみれば、いつの間にか二人の行動に対する縛りも、かなり緩くなっているような気がする。そしてそれは、俺にとって喜ばしい事。だって二人が、また一つ幸せな未来に近付いたって事なんだから。

 

「そっか…良かったね、二人共。…うん、ほんとに良かった……」

「…まあ、否定的に解釈する事も出来なくはないですけどね」

「否定的…いや、まぁ…確かにそうだとしても…」

「えぇ、私達にとって良い事であるのは変わりありません。それに……」

「これを聞いて、顕人が喜んでくれた。それも嬉しい」

「ですね。自分の事でないのにこうして喜んでくれるのって、かなり嬉しいんですよ?」

「…そりゃ、二人の事なんだから…ね」

 

 否定的に解釈すれば。そう言われて、俺も気付く。今協会は富士での出来事でかなりの数の霊装者を失い、そうでなくとも戦闘の中でそれなり以上に負傷者が出ている状況な訳だから、その穴を埋める為に仕方なく…って事なのかもしれないと。…でもそうだとしても、全く信用出来ない人にそんな話をする訳がない。つまりやっぱり、二人がある程度信用されてるっていうのは…確かなんだ。

 そう考える俺へと向けられた、言葉通りに嬉しそうな二人の微笑み。少し恥ずかしくはあったけど、頬を掻きつつ俺はそれに首肯する。…そうだ、俺はあの時もそれからも、二人の為に、二人の未来の為に頑張ろうと思って、強くなろうとも思って……

 

「……っ…」

 

──なのにもう、その力はない。今の俺は、強くなるどころかあの時よりもずっと弱くなってしまった。まだ俺も、二人も、全然ゴールになんか辿り着いていないのに。

 

「…帰りましょうか、顕人さん」

「うん。桜餅、買って帰ろ?」

「……そう、だね…」

 

 多分、また俺は心が表情に表れていたんだろう。次に二人から発されたのは、気を遣っている事がはっきりと分かってしまうような声で……情けないな、と思った。折角二人が嬉しそうにしていたのに、それに水を差して、しかも気まで遣わせて…力のない今の自分も知っている事を結局話さなかった今日の自分も、全部が俺は情けなかった。

 

 

 

 

 任務にしろ訓練にしろ、霊装者として活動するなら、自然と双統殿へ行く機会は増える。…まあ、そこは当然だな。一人で、家で出来る事なんざ、たかが知れてるんだから。

 って、訳で…って事でもないが、その日俺は双統殿に訪れ、その足で宗元さんにも会いに行った。ついでに顔を出しとくか、って位にな。

 

「…それで、妃乃から話を聞いて、俺の真意も気になったという訳か。昔に比べて、随分と人の事を気にするようになったな」

「あーいや、今日はほんとついでなんで。普通にこの後行く依未の方が主目的っすから」

「…相変わらず可愛くない奴だな、お前は……」

「宗元さんも相変わらずで…」

 

 よくもまあ言うもんだ…とばかりの視線を向けてくる宗元さんに、似たような視線で俺も返す。…いや、実際先に皮肉っぽい言い方したの、宗元さんですからね…?

 

「…けどまあ、話した事は事実ですし、宗元さん自身から聞きたいと思った事も本当です。…この件、直接的な影響はなくても、間接的には結構影響受けてるんで」

「間接的、か…。…なら、聞いてどうする。仮に気に食わない答えだったとして、お前はそのまま帰るのか?」

「えぇ、そうなのかって思うだけです。組織には組織の、トップにはトップの考え方があるでしょうし」

「…………」

「…まぁ…そうじゃない理由も、あってほしいとは思いますけどね……」

 

 特別鋭い訳じゃない、だが静かな圧力を感じさせる目付きで俺を見据える宗元さん。それに俺は、飄々とした態度で答えるが…その後から、少し目を逸らしながら付け加えた。恥ずかしいとは思いつつも、そう考えてるって事は伝えたくて。

 するとその数秒後、宗元さんはふっと目付きを緩めると吐息を漏らし、椅子へと身体を深く預ける。

 

「悪いが、俺はお前が思っている程善人じゃないさ。…だが、俺は自分の選択に対し、常に責任と自信を持ってはいる。俺がそうしたんだと、胸を張れる位にはな」

 

 協会の長としてではなく、嘗ての上司として(一応今もそうではあるか)の顔で宗元さんはゆっくりと言う。その声には深みがあり、強く感じさせるものがあり……だから俺も、静かに返す。

 

「…それ、ちゃんと答えてるようで全然具体的な事言ってませんよね」

「ちっ、体良く流そうとしたのに気付きやがって…」

「おい……」

 

 急に態度が変わるわ舌打ちしてくるわ、いっそ清々しい程に大人気ない反応。ほんとよくこれで妃乃に心から尊敬されてんな…と言いたくなってしまう程、若い頃と変わってない返し。率直な突っ込みに対して返されたのは、そんな返事だった。……うん、まぁ確かにあの頃と変わっちゃいねぇや、この人は…。

 

「こういう辛気臭い話は仕事の中だけで十分だってんだよ。お前だって楽しかねーだろ」

「いやここ執務室でしょうに、何だよ仕事の中だけでって…。…まぁいいですよ、真面目に話したくはないって言うなら……」

「…そんなもんなんだよ、組織の長ってのは。組織としての目的だけじゃなく、組織の中も外も気を付けなきゃならねぇ。特に今みたいな平和な時代は、情報面での緩みが生じ易いからな。…けどその上で、出来る限りの事で以て、少しでも良い方へ持っていく。その結果がどうなろうと、長として責任と自信は持ち続ける。…そこは今も昔も、変えちゃいねぇつもりだ」

 

 気を遣ってグイグイくる事はあっても、気を遣って遠慮したり相手に合わせたりする事はしない。少なくとも、俺に対してはそういう気の遣い方をしないのが、時宮宗元という人物だ。それが分かっているから、きっと話したくないんだろうと俺は判断し……だが俺の方から終わりにしようとしたところで、また少し真面目な顔になった宗元さんは言った。

 多分、今度こそ本心だろう。…いや、さっきのも本心である事には間違いない。ただ、さっきは言いたかった事を、今度は俺に気を遣った上で改めて言いたい事を、それぞれ言った。そういう事じゃないんだろうかと、俺は思う。

 

「…苦労、してますね」

「全くだ、冗談抜きで戦場に出てた頃の方がよっぽど楽だろうよ。んまぁ、その頃はその頃で手のかかる小僧がいたんだけどな」

「へいへい、申し訳ありませんね…」

「…やれる事が、手の届く範囲が増える事は悪くねぇし、その為にあいつと協会を作り上げたんだから、別に良いんだけどよ」

「…独り言ですか」

「独り言だ」

 

 俺から気遣われたり、ましてや賞賛されたりなんかしたら、それこそ宗元さんは表情を歪めるだろう。不快には思わない…でいてくれると思うが、まあ「調子に乗るんじゃねーよ、小僧」とか言われてしまうのがオチだ。

 であれば、こんな感じに返す方が良いだろう。宗元さんと妃乃の性格は全然違うが…人の上に立つ者として振る舞い、その為に行動を重ねる事を苦に思わない点じゃ、やっぱり似通っているからな。

 

「…で、結局お前はどうするんだ。そう思うだけで終わってんのか?」

「どうでしょうね。ただまぁ、聞いた結果何かが変わったりとかは…ないです」

「はっ、そうかい。なら良いさ」

「良いんですか?」

「要は、これまで思っていた通りだった。だから、変わってないって事だろ?」

「じゃあまあ、そういう事で」

 

 にやりと口角を上げて言う宗元さんに、俺は素っ気ない感じに…そう思いたいなら、それで良いですよ、とでも言う感じに言葉を返した。……けど…多分、伝わったんだろうなぁ…俺が思いっ切り見抜かれて、でもそれを認めるのは何か恥ずいから、こういう何とも思ってない風の返答をしたんだって事は…。

 

「素直じゃねぇよなぁ、ほんと。……あぁ、そうだ。一つお前から、訊いておきたい事がある」

「なんです?」

「今も尚、結局何故予言されたのかは分かってねぇ。…なのに今、こういう現状がある。その辺り、お前はどう思うよ?」

「それを俺に聞かれても…。…俺と違ってあいつは色々してきた訳ですし、俺とセットでの予言って訳じゃなく、それぞれ別の意味がある…ってとかじゃないですかね」

「別の意味、か…。なんだ、珍しく頭使ったな」

「そりゃ、宗元さんと違って若い頭してますからね」

「はっはっは、言うじゃねぇか。確かに頭の回転じゃ勝てねぇかもなぁ」

「いや、そう言いながら往年の雰囲気纏い始めるの止めてくれませんかねぇ!?」

 

 往年の、どころかあの頃から更に数十年の年月を重ねたからか、そこらの魔人なんかじゃ比較にならない程のヤバげな雰囲気を見せてくる宗元さん。あんまりにも大人気ない反応だが、流石にそんな雰囲気を出されちゃこっちも下手に出るしかなく、結局俺はやり込められた感じに。…ほんっと大人気ないな、この人は…!

 

「ま、冗談だ。気にすんな」

「悪い冗談にも程があるんですよ…!」

「あー、悪ぃ悪ぃ」

「ったく…じゃあ、失礼するんで…」

「あぁ、お前も頑張るこったな。…それと…また顔出せ、悠弥」

「…出しますよ。また来た時、宗元さんに時間がありましたらね」

 

 そうして俺は、宗元さんの執務室を後にする。ひらひら手を振り、部屋を出て…本来の目的である、依未の部屋へ。

 ついで、なんて表現はしたが…聞きたい事、確認したい事は、宗元さんの口から聞く事が出来た。宗元さんは、やっぱり宗元さんなんだなと、改めて思う事も出来た。

 はっきり言って、俺は人の上に立つような人間じゃないと思う。やった事もねぇのに何言ってんだって話だが、多分そうだろう。そして俺は、組織の中での信念なんて持ち合わせちゃいねぇが……俺個人としての意思や信念は、ちゃんとある。

 

(ああ、そうさ。俺に、組織だの全体だのについて語る口はない。けど……)

 

 あの日俺は、妃乃に言った。何が正しいかってのは、それを信じられるかどうかじゃないのかって。信じられないものを、正しいなんて言えないだろうし…信じられるのなら、それはそいつにとっての正しさなんだろうと。

 そして、俺は信じている。信じられると、思っている。妃乃へ向けている信用と同じように…ちゃんと俺へ対して、腹を割って話してくれた、宗元さんの事も。



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第百九十一話 思うところはあるけど

「つー訳で、今回は前回から引き続いての話だ」

「え、何よいきなり…怖っ……」

 

 説明をぶっ飛ばして即話を進めようとしたら、シンプルに引かれてしまった。…むぅ、これは流石は無理があったか……こほん。

 宗元さんとの話を終え、執務室から出て、依未の部屋へと向かい始めたのが数分前。部屋の前まで来て、依未を呼び出したのが十数秒前。そして、最初の発言で依未に引かれてしまったのが数秒前で……今に至る。

 

「こういう事だ、分かったな」

「分かったな、って…あんた傍から見たら、ただの頭のおかしい人だからね…?」

「周りに誰もいないから問題ない」

「いやそういう事じゃなくて…はぁ、まあいいや…言っても疲れるだけだし……」

 

 面倒臭そうに溜め息を吐いた依未は、部屋の扉を開けたまま中へ。

 それは、下らない事を言ってないで中に入れ、という合図。口も態度も捻くれてる依未だが、こういう部分は可愛いもんだよな。…そう言ったら、顔を真っ赤にして殴ってきそうなもんだが。

 

「んじゃ、失礼しまーす…って、またちょっと散らかり始めてるじゃねぇか……」

 

 そんな事を思いながら部屋内に入り、依未を追って奥に進む俺だったが、途中でテーブルの上に重ねられた雑誌や、箱の中でごちゃごちゃとなった複数本のコードを発見。それについて指摘すると、ぴくんと肩を震わせた依未は視線を逸らす。

 

「これは…今は偶々そうなってるだけで、普段からそうって訳じゃないし……」

「いや本とかゲームのパッケージとかならともかく、コードは一日二日でこんなごちゃごちゃにならねぇだろ。…ったく、時々片付けてやらないとすぐこうなるな……」

「う…べ、別にこの程度不便じゃ……」

「…………」

「…ごめんなさい……」

 

 ぶつくさ言いながら絡まったコードを解き始めると、依未は反論…というか、反発らしか発言を口に。だがその依未へ無言の半眼をぶつけると、観念したように依未は小声で非を認めた。…全く…世話のかかるお嬢さんだ…。

 

「ここはこんなもんか…いつも言ってるが、人間は後で片付けようと思ったら絶対片付けないんだからな?多少面倒でも、使い終わったらその場で片付けるようにしろ。それを続けていれば、自然に片付ける事が習慣になって、別に面倒でも何でもなくなるんだからよ」

「…はい」

「はいは百回」

「はいはいはいはい……って、言う訳ないでしょうが百回も…!」

(でもノリ突っ込みはするんだな…)

 

 そうして片付けを終えた俺は依未からの突っ込みを聞きつつ、何となく俺の定位置となった場所へ。そこに座ると依未もちょっと不満そうな顔をしつつTV前のクッションに座り…さて、俺は何をしに依未の部屋に来たんだったかな。……あぁ、そうだそうだ。

 

「依未は、先月の富士山の件って知ってるのか?」

「富士山?…あぁ、まあ…それなりには」

「それなり?」

「それなりはそれなりよ。…あんたも妃乃様から、大体は聞いてるんでしょ?」

「…そういう言い方をするって事は…大っぴらにされてない部分まで知ってんだな」

 

 ほんの少し声のトーンを落とし、質問と断定の中間位の語尾で言うと、依未はすっと首肯。何となくそんな気はしていたが…やっぱり、依未にはそういう情報も知らされるらしい。

 

「…依未って、実はかなり偉いのか?」

「え、何?喧嘩売ってる?」

「あぁいや、そういう事じゃなくてだな…」

「言い方が一々悪いのよ、悠弥は。…こういう事も知らされるのは、予言の関係よ。何か見ても、それについてあたしが知らなかったら、どうでも良い事だと誤認したり、何か別の物事と勘違いして捉える可能性があるでしょ?」

 

 我ながら確かに悪い訊き方だったな…とは思っていたものの、きちんと依未には伝わったらしく、素直に理由を答えてくれる。

 確かに能力の事を考えれば、通常は秘匿にしている情報も伝えているのが自然と言える。例えば普通じゃないレベルの引き潮が起きていたら、津波が来るかもしれないと用心出来るが、『引き潮=津波の可能性』という結び付きが頭の中で起こらない人間の場合、引き潮を見たって何とも思わない。それと同じように、知識の有無は取得した情報の解釈に影響を及ぼす訳で…ひょっとしたら、同じ位どころか俺より依未の方が色々とこの件を知っているのかもしれないな。

 

「…けど、それが何なの?」

「…ほら、覚えてるか?前に依未がうちの廊下で教えてくれた、俺と御道に関する予言を」

「それは覚えてるけど……って、あぁ…そういう事ね…」

 

 察しの良い依未に対し、今度は俺がこくりと首肯。折角来てこんな話、ってのも依未には悪いが…この件、流石に俺も放置は出来ない。

 あの時、依未は言った。予言の中で、俺と御道が敵対してるように見えたと。だが今、御道は力を失っている。そもそも戦えない状態にある。勿論、それだけなら霊装者関係ない、単なる喧嘩だって事も考えられるが…他に見えたという情報と合わせると…やはり、辻褄が合わない。

 

「さっき宗元さんとも少し話したが、俺も御道も予言された霊装者だ。…いや、未だになんで予言されたのか俺もさっぱりだが…その俺達が敵対してて、しかも現状御道の方は力を失ってるって、やっぱりおかしくないか?」

「…えぇ、そうね。確かにおかしさはあるわ。…けど、分らないわよ…。あたしは所詮、突発的に発動する能力に、一方的に光景を見せられているだけだもの。本当に必ず当たるのかも分からない、原理だってはっきりしてない、そんな能力で見せられた光景の矛盾点なんて……」

 

 ぶっちゃけ予言云々は、これまでそんなに気にしてこなかったし、今後も気にするかどうかは怪しいところ。だが明らかに妙な、それも危険を感じるおかしさがあるとなれば、話は別。そしておかしいにも関わらず放置した結果、判明した時にはもう全てが手遅れ…なんて事になったら、悔やんでも悔やみ切れない。

 そう考え、この件を訪ねた事は、別に間違ってはいないだろう。けど、この時俺は配慮に欠けていた。依未にとって予言の能力はどういう存在なのか、ちゃんと知っていたのに……こう言われたら依未はどう感じるかを、全然考えられていなかった。

 

「…すまん」

「…いいわよ、あんたが気になる気持ちは分かるし…。…ただ、でも…これにはもっと、見えたまま以上の意味があるような気がするの…。裏、っていうか…もっと深い、何かが……」

「見えたまま以上の、か……」

 

 俺と御道が敵対していた。…それを、額面通りに受け取るなって事だろうか。それとも、敵対はその場で起こっている事のほんの一部、一欠片に過ぎず、真に見るべきはもっと他にあるという事だろうか。…気にはなるが、俺は訊かない。依未自身、よくは分かっていないだろうから。何年もこの能力と付き合ってきた事で、培われた感覚…その感覚が何かを感じたってだけで、思考の下繰り出された判断ではないだろうから。

 端的に言えば、この件は分からない、で終わるんだろう。…が、依未にも分からないという事は分かった。分からない上で、何かありそうだって話も聞けた。…なら、この話をした価値はある。

 

「…ありがとな、依未。また何か訊くかもしれねぇが、その時は頼む。代わりに俺も、それ相応の事をするからよ」

「…それ相応、って…?」

「依未が休んでる間に途中のゲームを進めてやったり、俺の感覚で棚を整理し直したり、緋奈と遊ぶ約束を勝手に取り付けたりとかかな」

「普通に迷惑なんですけど!?見返りどころか有害なんだけど!?ゲーム勝手に進めるとか重罪だし、人の感覚で整理された棚とか絶対使い辛いじゃない!?……さ、最後のは別に良いけど…緋奈ちゃんとの約束なら、予定なんて幾らでも組み替えるし…」

(うーん、依未は今日も順調に緋奈へぞっこんだなぁ……)

 

 ばっちりふざけた筈なのに、何か最後で斜め上の反応が返ってきて、何とも言えない気持ちになる俺。…まぁ、それはおいとくとして……。

 

「…ごほん。冗談はさておき、ちゃんと訊く分の礼はするさ」

「…そこまで、気にしなくたって良いのに…あんたの力になる位、あたしは……」

「ん?」

「ひ、独り言よ!……因みに、だけど…あんた、予言の通りになったら…どうする気…?」

「…そりゃ、戦うさ。そうならないよう、やれる限りの事はするが…黙ってやられる事はしねぇ。やられちまったら、止める事も出来なくなるからな」

 

 もし、御道と戦う事になったら。…予言を聞いてから、何となくは考えていたし…それに対する回答は、一貫して変わってない。いざそうなったら、何をどこまで出来るかは分からねぇが…全力を尽くして、後悔しないようにするだけだ。

 

「…っと、そうだ。これに関して、もう一ついいか?」

「…今度は何よ」

「富士山の件で、何人もの霊装者が力を失った。そういう形で、霊装者の力は失われる事がある。…それを知って、何か思ったか…?」

 

 一番訊いておきたい事は訊けた。だから俺はもう一つの問いを、返答次第では一つ目に匹敵する程重要な話にもなり得る問いを、依未の目を見て静かに言う。

 どんな返答が来たとしても、そこへ俺は真摯に向き合う。そう考えながら、俺は訊いた。俺が訊き、依未が受け、数秒間の沈黙が起こり…それから依未は、吐息を漏らすようにして答える。

 

「…そりゃ、思うところはあるわ。あたしはこれまで、自分の力に何度も苦しめられてきて、それはきっとこれからも…何もなければ、一生続くんだもの」

「…やっぱ、そうか……」

「…けど、それだけよ。思うところはあるけど、それでお終い。…別に、一人で勝手に富士山行ったりなんてしないから、心配なんか要らないわ」

 

 もしかしたら、と思っていた。自らの力に散々苦労してきた依未は、失う事に、失われる事に…そしてその可能性に、惹かれてしまうんじゃないか…と。

 けど、続く言葉はそんな俺の不安を見透かしたような、冷静ではっきりとしたものだった。勿論言葉だけなら、嘘を吐いているって事も考えられるが…依未の落ち着き具合からして、それはないだろう。今見せている依未の落ち着きは、きっと率直に返しているからこそのものだ。

 

「…強いな、依未は」

「はっ、こんな能力と付き合わされて、自由の効かない毎日を何年も送っていれば、これ位誰だってなるわよ」

「…それは、まぁ…その……」

「…冗談よ。ただ、今のあたしにはそう言えるだけの…そう思えるだけの理由があるってだけ。こんな能力、って気持ちは今もあるけど…今は、あたしの毎日にそこまで悲観してないから」

「…それって……」

「こ、これ以上は言わないわ、察しなさい。……あ、いや、やっぱ察しなくてもいい…!どういう意味かは考えるな…!」

 

 決して明るい訳でも、快活でもない。緋奈や妃乃に比べればずっとネガティヴな依未が言った、それでも前を向いた言葉。そこには考えなくても感じられる、凛とした思いがあって…でも言ってから察されるのは恥ずかしくなったんだろう。一転して、途端に依未は慌て出した。だが俺の目には、そんな依未の姿が愛らしく見えて…自分でも気付かない内に、笑う。

 

「…な、何笑ってんのよ…」

「別に深い意味はないぞー。…あ、いや、深くない事もない…か……?」

「どっちよそれ…っていうか、ほんとになんで笑った訳…?」

「聞くか?後でどうなっても知らんぞ?」

「そんな大層な理由なの!?…じゃ、じゃあいいわよ…なんかあんたの事だから、本当に碌でもない事な可能性あるし……」

(なんで碌でもない方向だって決めるんだよ…まあいいけど……)

 

 気になる様子の依未を煙に巻き……俺は思う。自意識過剰かもしれないが、依未が今の、これからの自分を前向きに捉えられている理由の一つに、俺が関われているのなら…光栄だ、と。俺が守りたいと思っている、もっと幸せにしてやりたいと感じている依未からしても、俺の存在が少しでもプラスになっているのであれば…嬉しいに、決まってるさ。

 

「…よし、依未。今日はまだ時間あるよな?」

「え?…そりゃ、あるけど…」

「なら、屋内花見しようぜ。外に出なきゃ一々気にする必要もねぇし、双統殿の中にも桜がよく見える場所位、一つか二つはあるだろ」

「…急に何…?あんた、花見とかしたがるタイプじゃないわよね…?」

「まあまあ良いじゃねぇか。花よりランボーって言うしよ」

「言わないし帰還兵じゃないしそもそもそれ花見否定してる言葉だから…。…何を企んでるのよ……」

「双統殿内の花見スポットを探す為に歩き回らせて、今年度もまた体力の無さを自覚させてやろうかと」

「陰湿!しょぼいけど陰湿ね!じゃあ嫌よ!行きたきゃ一人で行けば!?」

「おう、じゃあそうする」

 

 ふざけて適当な事を言ったら、それはもうがっつりと憤慨してきた依未。だがそこで感覚的に「いける」と思った俺は、そこで敢えて「一人で行けば?」という返しに同意し、すくりと起立。出入り口に向かってすたすたと歩き出し、本当に一人で行くかのような素振りを見せる。

 もしこれで依未が何のアクションもしてこなかったら…ただただ虚しい。自分から出てった癖に蚊帳の外に出されたような気分になって、季節が逆行したが如く俺の心には寒風が吹き荒む事であろう。…だが……

 

「ちょっ、待っ…待ちなさいよっ!一人で行けばとは言ったけど…あたしが行かないとは言ってないでしょ!?」

「えぇ…?それは主張として苦しくね…?嫌だ、ってはっきり言ってるし…」

「うっさい!」

「うぉわ!?ひ、人の足の甲踏み抜こうとするんじゃねぇよ!?それ危ないからな!?マジで折れる可能性ある行為だからな!?」

 

 かなり無茶苦茶な事を言いながら、依未は部屋を出て行こうとする俺の横へ。その口振りは、着いて行くと明言したようなものであり……完全に俺は、依未を釣る事に成功した。…まぁ、危うく足の骨をへし折られるところだったが…そこはあまり気にしないでおこう、ギリ回避出来たし…。

 

「…っと、そうだ。花見なんだし、なんか摘める物あると良いよな。餅とか団子とかなら雰囲気出るが…」

「そんな都合良くある訳ないでしょ。あるのはスナック菓子位……あ」

「……?」

 

 別に俺はそこまで桜に興味がある訳じゃない、単に気分が良いから花見でも…位の感覚でいた訳だが、どうせやるならそれっぽくしたい。そう思って言葉にすると、依未は半眼と呆れ声のコンボで否定を…と思いきや、何かを思い出した様子で部屋の中へ。そして数十秒後、一体どういう事かと俺が待っていると……

 

「……大福、あったわ…」

「マジか……」

 

 戻ってきた依未の手元には、花見にぴったりな和菓子があった。…偶然って、凄ぇ……。

 

「…依未って、和菓子好きなんだっけ…?」

「いや、そうじゃなくて…先週家族と会った時に、貰ったのよ。この二つを、じゃなくて一箱分……」

「あぁ、そういう…。…それは、俺が貰っても良いのか…?」

「別に良いでしょ。全部あげる訳じゃないんだから」

 

 何ともまぁびっくりな偶然だが、幸運である事は事実。それに依未自身が良いというなら、俺が断る理由もない。…けど、そうか…家族から、か……。

 

「…あれから、ちょっとは何か変わったか?」

「あれから?…あぁ…別に、わざわざ言うような変化はないわ」

「そうか…」

「……でも、あたしが時々は出掛けたり、友達の家に行ってるって言ったら、喜んでた。喜んでたし…安心もしてた」

「…そっか」

 

 歩き始めてから、俺が依未へ向けた一つの問い。それを聞いた依未は、初めは何も変わらないトーンで話し…だがそれから横を向き、ちょっと恥ずかしそうにしながら残りの言葉も口にした。

 仲が悪い訳じゃない。けど、理解をしてもらえない。依未は家族と、そんな関係だと言っていた。けど…依未が普通の生活を、時々でも普通の人のように過ごせている事を喜べる家族なら、やっぱり依未の事を思っているのは間違いないんだろう。

 

(…まぁ、思ってるのと理解してやれてないのとは別問題だし、家族だからこそ理解してやろうと努力しなきゃいけないんだけどな。…って、これは俺が偉そうに言える事でもねぇか)

 

 俺自身、緋奈を思ってはいても心を理解しようとはしていなかった事があるんだから、しかもそれを指摘してくれたのが依未なんだから、何を偉そうに言ってんだって話。…だが、同じように家族との関係で悩んだからこそ、その時助けられたからこそ…もし依未が家族に理解してもらおうとする時があったら、その時はまず俺が協力してやらないとな。

 

「…お、ここなんて良さそうだな。大丈夫か依未、依未の背で見えるか?」

「ご心配どうも。悠弥こそ、その腐った目でちゃんと見えてる?」

「…………」

「…………」

「…桜位、普通に見ない…?」

「…そうだな……」

 

 それから数分後、俺達が見つけたのは窓が広く、背凭れ無しのソファがある場所。そこで俺達は、もうお馴染みとなった煽り合いをしてみたが…ただただ微妙な雰囲気になるだけで、少なくとも花見をしようって時にするべき行為ではなかった。…反省しよう…。

 

「…で、どうするの?」

「どうって…桜見ながら、大福を食う…?」

「…それだけ?」

「まぁ、うん…ゲームとかしてもいいが、二人でそれだと来た意味ねぇし……」

「……花見って、案外やる事ない…?」

「言うな…本格的に後悔しそうになるから言うな……」

 

 もっと人数がいるなら、駄弁るだけでも良いんだろう。もし互いに成人していたら、酒を…って選択肢もあっただろう。だが、そのどちらも今は叶わず…ただ花を見続けて過ごせる程、俺も依未も豊かな感性を持った人間じゃない。

 つまり、完全に手持ち無沙汰。大福を食い終わったら、それこそ何をすりゃ良いのか分からない。

 

「…そういえば……」

「ん?」

「…あんたこそ、どうなのよ。富士山で起きた事、聞いて」

 

 というか、よく考えたら飲み物すらねぇじゃん。大福何だから、欲しくなるの分かるだろ…とどんどん準備不足が気になっていく中、不意に依未が口にした問い。それは、少し以外で…でも確かに、気になるだろう。俺の事情は、依未だって知ってるんだから。

 その問いに対する答えは、もう自分の中にある。だがそれを、どう答えるべきか。そっちを俺は少し考え…それから外の桜に目をやりながら、そのままの姿勢で答える。

 

「…確かに俺も、前は勘弁してくれって思ってた。何でまた霊装者に…ってな。…だが、今は違う。今の俺にとって、これは必要な力だ。今の俺は…守りたいものが、ずっと増えたからな」

「…そう。なら、せいぜい頑張りなさいよ。……頼りに、してるから」

「ああ、任せとけ」

 

 淡白な声音と、つっけんどんな言葉。訊いといてそれか、と思う程依未の発した返しは無愛想で…だがその後に、依未は言った。小声で、だけどはっきりと。

 捻くれてる、本心を隠したがる依未が、包み隠さず言ってくれた言葉。頼りにしてるという、簡単な様でその実中々言えない言葉。それを依未が言ってくれたんだから、それに応えない訳にはいかない。元々何も言わなくたって、そのつもりだったが…頼りにしてると言ってくれたんだ、全身全霊で応えてみせるさ。

 そうしてゆっくりと過ぎていく時間。見える桜は美しく、口に運ぶ大福は甘く、何より過ぎゆく時間は穏やかで……

 

「……部屋、戻らない…?」

「…だな……」

 

……穏やか過ぎた結果、案の定早期に何もする事がなくなってしまった俺達は、何とも言えない気持ちで依未の部屋へと戻るのだった…。



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第百九十二話 引き摺る、続く

 時間は、過ぎていく。誰にでも等しく、例えどんな事があり、その結果どうなろうとも、変わる事なく流れ、過ぎ去っていく。

 理不尽でも何でもない。ただただそれは、当然の事。そういうものだとするしかない、世の摂理。…でも、だけど…だったら、諦めるしかないのだろうか。失ったものは、もう無いものは…過ぎ去った過去として、受け入れるしかないのだろうか。

 

「…よし、味の調整はこんなもんか」

 

 まだ夏に早いけど、それでもかなり日が沈むのが遅くなってきたな…と感じる平日の夕方。後はよそう直前に温め直そう、と夕飯のスープが入った鍋に蓋をし、丁度そこで鳴る携帯。誰からかと思って確認すると、それは茅章からのメッセージ。

 

(偶には僕の方から誘うよ、か…嬉しいけど、これは気を遣わせちゃってるかなぁ……)

 

 今日は少し前から茅章とアプリでのメッセージでやり取りをしていて、その中ではまた食事なら何なりを…という内容も出ていた。

 無論…って言うとおかしいけど、俺は茅章にも今の自分の状態を話した。茅章なら早かれ遅かれ話す事にはなるだろうし、だったら早く話しておいた方がいいから。…で、その結果少なからず気を遣わせてしまっていて、今の返信なんて正にそうなんだけど…これは仕方ない。気の遣い過ぎは良くないとはいえ、全く気を遣わないというのもそれはそれで大変だから。

 

「あんまり大丈夫アピールし過ぎても逆に無理してるように見えちゃうだろうし、どうしたもんかな…」

 

 普段通りにすれば良い、っていうのは分かっているけど、意図的に『普通』なように振る舞うっていうのもまた難しいところ。綾袮や千嵜みたいな、良くも悪くも我の強い人達と違って茅章は大人しく控えめ、でも優しいって性格だからこそ、俺としても色々迷い…そうこう考えている内に、玄関の扉が開いたような音が聞こえた。

 

「ただいま〜。…お、良い匂い」

「お帰り、綾袮。それに二人も」

 

 部屋の外からの音が聞こえたからそう経たない内にリビングの扉が開き、まずは綾袮が、続けてラフィーネ、フォリンが姿を現す。

 

「お疲れ様。今日はどうだった?」

「んと、普通」

「ですね、特筆する事ない任務でした」

 

 三人は今帰って来たところ。どこからかと言えば、それは双統殿で、今日姉妹の二人は綾袮に着いていく形で霊装者としての任務に出ていた。

 反応に困る、淡白な返しだけど、表情からして実際にそうだったんだろうし、わざわざ話すような事もないなら別に良い。フォリンはまだしも、ラフィーネはなんて事ない出来事から話を膨らませて…っていうのは苦手だろうし。

 

「そっか…でも今回は普通でも、だからって今後油断するとかは駄目だよ?油断は下手な魔物よりも怖い…って、誰が誰に言ってんだって話だね、これは…はは……」

「いや、まぁ…忠告は、きちんと受け取っておきますね」

 

 つい普段の調子で言ってしまったけど、霊装者や戦闘に関しては二人の方がずっと上手且つ経験者。その二人へ劣る俺が言っても変な話になっちゃうだけで……しかも今の俺は、劣ってるなんてレベルじゃない。そもそも、舞台に立ててすらいない。…なのに、本当に…何を言っているんだ、俺は……。

 

「ところで顕人君、その良い匂いのしている鍋の中身は何かな?」

「…あ…これ?これは……」

「待った!やっぱりそれは夕飯が出来てからのお楽しみって事で!」

「…あそう…なら完全に一個前の発言は無駄だったよね…?」

「無駄を楽しむ…それこそが贅沢な時間の過ごし方なんだよ、顕人君」

「そういう事じゃないと思うんだけどなぁ……」

 

 急に出てきたよく分からない、ボケかどうかも謎な発言に対し、困惑気味に突っ込む俺。…ほんと、何だったんだろ今のやり取り…まあ別に良いけど…。

 とまぁそんな会話をした後、一度三人は各々の部屋へ。少しするとまずフォリンが戻ってきて、今日も率先して食事の手伝い。今日は任務から帰ってきたばかりなんだから、と遠慮しようとしたけれど、好きでやっている事だからと返されてしまえば遠慮出来る筈もなく、残りの行程を二人でぱぱっと片付ける。

 

「…ほんと、いつもありがとね」

「いえいえ。代わりに私も料理の知識や技術を教えてもらっている訳ですから、これも持ちつ持たれつの事ですよ」

 

 からかいさえ無ければ本当に良い子なフォリンに軽く心を癒されつつ、俺は食事を食卓へ。それから俺が二人を呼ぶと、二人はすぐに戻ってきて…今日も皆で夕飯開始。

 

「んー、美味しい!これ、クラムチャウダーだよね?」

「そうだよ。…そういえば、クラムチャウダーってチャウダーの一種の料理だって知ってた?」

「えっ?そうなの?わたしてっきり、大阪の中でもかなり田舎の地域で作られた料理なのかと……」

「お、大阪?田舎?それはまた一体どうして…って、あ、ちゃうだー!?『○○ちゃう+○○だ』って事!?」

「おー、よく分かったね。えらいえらい」

「そんなんで褒められても嬉しくない……」

 

 再び出てきた謎の発言に、今度はかなり強く突っ込み。ちゃうだ、っていう発想はまぁ、面白くなくもないけど…何言ってんだ感が強過ぎる。現に、ラフィーネとフォリンはぽかんとしてるし…。

 でも、喜んでくれた事自体は嬉しい。初めて作ってみた料理だけど、我ながら上手に出来たしまた今度作ろう。…そう思っていたところで、不意にラフィーネが俺を呼ぶ。

 

「顕人、一人で寂しくなかった?」

「え?…それは、今日家で…って事?」

「それ以外、ある?」

「…んまぁ、ないよね……」

 

 スプーンを手にしたまま、『普通』としか言いようのない顔で訊いてくるラフィーネ。さ、寂しくなかった?…って……。

 

「…家にいるのが俺一人の事なんて、何も今日が初めてじゃないよね…?皆何かしらの用事で出掛けてる、って事は時々あるし、ラフィーネ達は別に何日もいなかった訳じゃないし……」

「そう。それなら良かった」

「……え、終わり?そんだけ…?」

「うん」

「あはは…ふと気になったから訊いただけ。ただそれだけの話ですよね?ラフィーネ」

「…ん」

 

 何か深い理由や続く話があるでもなく、ただただ訊いただけという結論に、なんだか俺は拍子抜け。ラフィーネの性格を考えれば、そういう質問をしてきてもおかしくないけど…それでも俺、一応もう高三だよ…?

…とはいえ、まあ全く理解出来ない話でもない。考えてみれば、ラフィーネとフォリンは別の場所にいる時間の方が少ないんじゃないかと思う程、毎日一緒にいるし(流石に家の中では別室にいる時間もそこそこあるけど)、そんなラフィーネであれば『一人』で家にいた俺が気になる事もあるんだろう。でもほんと、一人なんてこれまでにも……

 

「……ぁ…」

 

──いや、違う。確かに、一人の時間は過去にもあった。ラフィーネとフォリンがここに住むようになる前は俺と綾袮の二人だけだったから、その頃は家に俺一人って事もざらにあった。

 でも、ある時から俺は、『一人』という状況にはなっていなかった。常に、俺は誰かといた。だって…あの日の、あの出来事以来、ずっと俺の側には慧瑠がいたんだから。姿が見えていない時でも、そこには慧瑠の存在が確かにあった筈なんだから。

 だけど今は、もう見えない。もう慧瑠の存在を、感じられない。今日、俺は…本当に、一人だったんだ。

 

「やっぱりフォリンの援護は頼もしいよね。欲しい、ってタイミングで撃ってくれるんだもん」

「同感。他の人の何十発より、フォリンの一発の方が頼もしい」

「そ、そういう話は気恥ずかしいので、出来れば私のいないところでお願いします……」

 

 今日の任務絡みの話だろうか、綾袮達は普段の調子で会話を交わす。…当然だろう。それが、普通なんだから。皆にとっての普通の会話を、普段通りにしているだけの事だから。

 だからこそ、感じる壁。霊装者の三人と、今はもう違う俺との間に無意識の壁があるように、それによって隔てられているかのように、俺の心は感じてしまう。本当に一人だったんだという事を理解し、嘗ての俺とも隔たりがあるかのように感じてしまう。

 嗚呼、それでも時は過ぎていく。隔てられたまま、開いたまま、時間は進んでいってしまう。俺の心は取り残されたまま、無くしたものに囚われたまま…心と思いを、置き去りにして。

 

(…あぁ…なんで、だろうなぁ……)

 

 こういう事を考えるのは、今が初めてじゃない。何度も何度も考えて、けど考えて変わるようなものでもないから、途中で思考は有耶無耶になり、またふとした拍子に同じ事を考えてしまう。

 認めてしまえば、受け入れてしまえば、楽なんだろう、もう全部、過去のものなんだって。もう失った、無くなったものとして、進む時に従えば…きっと全部、諦観に変わるから。

 でもそれは、出来やしない。今も、これまでも、そして恐らくこれからも。

 

「…実際、前に模擬戦をした時は凄かったよね。フォリンだけじゃなく、ラフィーネもだけど」

「確かに確かに。二人は一人一人でも強いけど、連携してこそ真の力を発揮するってタイプだよね」

 

 俺は、思いを心の底へと封じ込める。どうせすぐに、また何かの拍子に浮き上がる程度の封じ込めしか出来ないけど…それでも今は思考を伏せ、苦悩を隠し、皆の賑やかな話へ加わる。

 それは、自分へ対する慰めじゃない。気遣われないようにする誤魔化しでもない。…これもまた、俺は大切な時間だから。失ったものばかりに目をやっていて、そのせいでまだ手の中にあるものが見えなくなる事こそが、一番勿体無い…それ位は、俺だって分かるから。

 だから俺は、この過ぎていく時間の中で、日常を続ける。心にはぽっかりと穴が空いたまま…楽しく、だけど心からは楽しめていないような気もする日常を、これまで俺がしてきた通りに。

 

 

 

 

「悠弥、話があるの」

 

 夕食を終え、片付けも済み、これで一息吐く事が出来る。…ある日の夜、そんな事を考えていた俺に、妃乃は話があると言ってきた。それが真面目な話であると、一発で分かるような表情と共に。

 

「…保険の見直しか?」

「そうそう、保険は一度入ったらそれでいいなんてものじゃなくて…って、違うわよ!そんな訳ないでしょうが!」

「んまぁ、だよなぁ……」

 

 試しにボケてみると、返ってきたのは鋭いノリ突っ込み。スルーしたっていいのに、わざわざきっちり突っ込む辺りは、流石妃乃クオリティ。

 

「なんか全然嬉しくない評価をされてる気がするんだけど…。…で、どうなの?今、話出来る?」

「あぁ、別に構わねぇよ。長くなるようなら、途中待ったをかけるかもだが」

「出来るだけ簡潔にはするわ」

 

 一回ボケを挟みはしたが、別に話をしたい訳じゃない。だから俺が了承すると、今度は俺の返しに妃乃が了承。けど、今リビングにいるのは何も俺と妃乃の二人だけじゃない。

 

「…妃乃さん。その話って、わたしはいない方が良いですか?」

「ううん、居てくれて構わないわ。最低限とはいえ、緋奈ちゃんも訓練をしてる、霊装者の一人なんだから」

 

 その方が良いなら、わたしは席を外す。声にそんな含みを持たせて言った緋奈に対し、妃乃は首を横に振る。

 分かっていたが、やっぱり霊装者絡みの話らしい。そしてこれは、緋奈が聞いても大丈夫な話だからって事で「構わない」と言ったのか、逆に重要極まりない、先に話しておくべきだった…って後悔する事もあり得る話だから言ったのかは…実際に聞いてみなきゃ、分からない。

 食卓の椅子で佇まいを正す俺と緋奈。逆側に座る妃乃は、こほんとひとつ咳払いをし…話を、始める。

 

「まずは軽く説明なんだけど、先月富士山で、協会は結構大規模の作戦を行ったの。ある事の調査を目的にした作戦をね」

「先月…あ、妃乃さんのお母さんが来た時の……」

「そう、その時のよ。で、先月の時点では一時中断を余儀無くされる事態が起こって、全部隊が撤退と解散をする事になったの。詳しい話は…また、後で話すわ」

 

  どうも話というのは先月の件に関係があるらしく、最初に妃乃は緋奈へと説明。物凄くざっくりとした説明で、細かい部分は丸っと後回しにしたが…これは多分、緋奈にどこまで話すべきか、どこまで緋奈も聞きたいのか、そこがまだはっきりとしていないからだろう。

 まあでもそれはいい。それはいいが…不安を感じるのは、先月の件絡みってところ。富士山の件な時点でもう、明るい話になるとは到底思えない。

 

「じゃあ、本題に入るとするわ。…続行不能になって一時中断になった作戦、その再開の目処が立ったのよ」

「再開…?」

「それは…良い事、なんですよね…?」

「…協会としては、ね。それにあの場に現れた魔人が何かしらの目的…それも私達にとっては不都合な何かを考えていたのは間違いないし、そういう意味でも再調査をしておく必要があるの」

 

 調査の再開。それを聞いた瞬間、俺は驚き…だが、すぐに「それもそうか」と思い直す。

 別にこれは、何もおかしい話じゃない。大規模な作戦として行った調査であれば、中途半端で終わらせられる訳がないんだから。そもそも「一時中断」なんて表現の時点で、その内再開する事を視野に入れているんだろうから。

 だが同時にこれは、『あんな事』があったにも関わらず、再びその場に踏み入れ、同じ調査をするという事。緋奈からの返しに、ほんの一瞬言い淀んだ事からしても、その自覚はあるんだろうが…。

 

「…で、つまりはなんだ?そういう事をする、って言って終わりじゃないだろ?」

「えぇ。前回と違って、今回は少数精鋭で動くわ。万が一があっても、今度は素早く対応出来るようにね。そして……その時は悠弥、貴方にも来てほしいと思ってるの」

「え……?」

「……そう来たか…」

 

 ただのお知らせなら、もっと軽く言ってくる筈。なら本題は、一番言いたい事は、この更に先にある。そう思った俺が訊くと、妃乃はゆっくりと頷き…そして言った。俺に、作戦に参加してほしいと。

 

「…どうして、お兄ちゃんが?」

「悠弥の実力は、私もお祖父様もよく分かってるからよ。それに悠弥は、今回の事情もしっかり知ってる。これも理由としては結構大きいわ」

「…………」

 

 俺より先に、緋奈が理由を聞く。それを受けて、妃乃が二つの理由を挙げる。…だが、妃乃が俺に来てほしいと言った時点で、理由は何となく予想が付いていた。付いていたし、当たってもいた。

 前者はまぁ、言葉通りの意味だろう。経験値は確かにあるし、今は実力もそこそこマシになってきてるんだから。だが後者は、半分正しく半分間違った…或いはわざと誤魔化すようにした言い方だろう。俺が事情を知ってるってのは、確かに間違いないが……

 

(最初から事情を知ってる面子で出来る限り固める事で、隠している真実が明るみに出る可能性を下げたい…ってのが、本当の理由ってとこだろうな……)

 

 それが、悪いとは言わない。想定し得る危険には警戒と事前の対処をしておくなんて、誰でもやってる普通の事なんだからな。だから、悪いと否定する事はしないが……俺にだって、思うところはある。

 

「…先に確認しとくが、それは強制か?それとも、要請なのか?」

「要請よ。少なくとも、今のところはね」

「そうか。…緋奈、緋奈としてはどう思う。緋奈は俺に、どうしてほしい?」

「お兄ちゃんに…?…え、それは……」

「別に自分で何も考えてない訳じゃないさ。けど、緋奈だって何となく察してはいるだろ?…この作戦は、かなり危険な部類になる筈だ。だから、緋奈としての思いを聞かせてくれ」

「わたしは…わたしは、勿論お兄ちゃんが心配だよ。だけど…わたしを理由に断る、っていうのは嫌。お兄ちゃんにはちゃんと、自分の為に考えてほしいし、わたしは自分の為に考えた答えなら、どっちでも応援するよ」

「…そっか、なら……」

 

 一度途切れさせ、けれどそこからは落ち着いた声音で発された言葉。俺の求めた通りに、素直な思いを言ってくれた緋奈の声。その内容は緋奈らしい、本当に俺を思ってくれている言葉で…何か不安に思っていた訳でもないのに、ただそれだけでほっとした。正直頬も、緩みそうになった。

 俺に、自分の為に選んでほしい。それを応援する。緋奈は、そう言ってくれた。なら、俺の答えは……一つ。

 

「分かった、了解だ。調査において、俺に何が出来るのかは怪しいところだがな」

「大丈夫よ、別に複雑な事を頼みはしないだろうから。…むしろ、いいの?」

「よかなきゃ了解なんてしねぇよ。妃乃だって、半端な気持ちで判断されても困るだろ?」

「それは、そうだけど…」

 

 しっかりと妃乃の目を見据えて、俺は言った。その求めに応じると。やれる事はやってやる、と。それが妃乃は意外だったようで、訊き返してくるが……あぁそうだ。確かに俺は了承したが、真面目に協力…っつーか参加するつもりだが、当然思うところはある。だから俺は一拍置き…トーンを落とした声で、続ける。

 

「…妃乃、前に正しさ云々の話した事覚えてるか?」

「覚えてるわ。そんな前の話でもないし…それをすぐに忘れる程、私は恩知らずじゃないわ」

「じゃあ、説明は不要だな。俺はその要請を受ける。手だって泣くつもりは一切ない。けどそれはあくまで、妃乃や宗元さんありきの話だ。その作戦に対しては、やろうとしてる事、考えてる事には……身勝手だとしか、思わねぇ」

「……っ…そう…肝に、命じておくわ…」

「…お兄ちゃん……」

 

 別にドスなんか効かせちゃいない。俺は脅す気なんか微塵もねぇんだから。あくまでこれだけは言っておく、そういうつもりで言っただけだから。だがそれでも、妃乃は一瞬表情を歪めつつ頷き、緋奈も恐らくは分からないなりに俺の事を見つめていた。

 結局のところ、富士の調査を諦めるって選択肢はないんだろう。人命を大切にはしても、その為にするのは中断止まりで、中止の選択はしないんだろう。勿論、調査もまた協会に所属する人間や、ひいてはもっと多くの人達の為になる行為なのかもしれないが…そうであろうとなかろうと、『今』へ対する事は同じ。

 だがそれでも、聞いた瞬間妃乃は表情を歪めた。褒められた事じゃないと分かっているから、歪めたんだろう。…それなら良い。そういう妃乃なら、やはり信頼出来る。だから…あぁ、その時は全力を尽くすさ。任された役目を果たし切るさ。そして…その上で俺は、仮に何かあってもちゃんと帰ってくる。御道の為…にはなりはしないが、御道の為にこの作戦そのものを否定するべきだったのかもしれないが…そうしたって、御道の『今』が何か変わる訳じゃない。だったらせめて…もしそうなりゃ、やれるだけの事はしてみせようじゃねぇか。俺の周りで、知っている範囲で、霊装者の力を、望みもしないのに誰かが失うなんざ……何度も起こって堪るかってんだ。



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第百九十三話 近付くもう一度

 富士山の調査再開は、表向きには富士山の状態確認と安全確保…つまりは調査という最大且つ最たる目的を伏せる形で行われるらしい。この件において協会は、本気で、徹底的に、不都合は隠してしまうつもりらしい。…作戦決行日が近付く昨日、俺はそれを聞いた。

 

「ふ……ッ!はッ…!」

 

 その俺が今日…というか今しているのは、双統殿内での鍛錬。作戦への参加を決めたからやってる、って訳じゃないが…それでもやっぱ、鍛錬一つ一つに熱が入る。

 この作戦の事や、協会の選択を、それがどうした、とは思わない。俺は自分を碌な性格じゃない奴だと思っているが、そこまで捻じ曲がっちゃいない。…だが、それはそれ、これはこれ。割り切りではなく、あくまで普通の判断として、俺は決行日に備えて努力を重ねる。自分の為にも、周りの為にも。

 

(…けど、こうも本気で隠そうとしてきてるってなると、自分が知ってる事柄も疑わしくなってくるな……)

 

 直刀を握り、ステップや跳躍も交えながら何度も素振りを行う中、俺の思考に浮かぶのは疑念。

 妃乃や宗元さん達を信用していない訳じゃない。だが立ち位置こそ特殊とはいえ、一霊装者に過ぎない俺は全ての情報を、一切の嘘偽りなく伝えられているのかと考えると…残念ながら、「もしも…」と俺は考えてしまう。それに宗元さんから聞いたなら別だが、妃乃からの場合は…こういう事も、あり得る。妃乃もまた、真実の全てを知らされている訳じゃないという事が。

 だがこれは、考えてどうにかなる問題でもない。むしろ自分自身の不安を煽るだけで、考えれば考える程思考が悪い方に加速していってしまう事もあり得る。だから俺は、思考が深くなってしまう前に切り上げ、改めて鍛錬に集中。

 

「……ふー…」

 

 それから数十分後、鍛錬を終わりにした俺はゆっくりと息を吐き出し、水分補給。今日やった事を振り返り、気になった点、改善が必要だと思った点をそれぞれもう一度だけ確認し…今度こそ、本当に鍛錬終了。少しトレーニングルーム内で休憩し、呼吸を整え、それから帰ろうとして…そこでよく見知った顔が、トレーニングルームへと入ってきた。

 

「お、茅章」

「あ、悠弥君。もしかして今…って……」

「あー…そういや、前にも似たような事あったなぁ……」

 

 途中まで言葉を言いかけて、そこから何かに気付いた様子を見せる茅章。それを見て俺も、少し前に似たような…というか、ほぼ同じシチュエーションがあった事を思い出す。…んまぁ、あったからって何か起こる訳でもないが…。

 

「悠弥君、訓練は順調?」

「まぁな。茅章こそ、あれからまた強くなったか?」

「どうかなぁ…なってると良いんだけど…」

 

 そう言いながら、茅章は自分じゃあまり分からないんだよね、とばかりに肩を竦める。確かに○○走におけるタイムや球技における得点率等、はっきりと数字で現れる事なら向上してるかどうかも分かるが、戦闘能力…それも個人で鍛錬をしてる範囲じゃ、強くなったかどうかを判断するのは難しい。俺の場合はそれでも『過去の自分』という比較対象を内側に持っているから比べて考える事も出来るが、茅章はほんと聞かれても…って感じなんだろう。武器からして使ってる人は少なそうだし。

 

「……そういや、茅章。最近、結構大きめの任務を控えてたりするか?」

「え?…いや、特にそんな感じの任務はないけど…どうして?」

「や、俺も少し前からちったぁ真面目に協会の一員してるからな。何か大規模な任務でもあれば、一緒になる事もあるのかもな…って思っただけだ」

「そっか。じゃあ、その内あるといいね。…って、これをあるといいね、って言うのは不味いかな…護衛とかならともかく、戦闘なんて無い方が良いものだし…」

「ただの雑談だし、そこまで気にする必要もないと思うけどな」

 

 続けて軽く会話を交わし、それなりに言葉のキャッチボールをしたところで、俺は例の作戦に関して質問。するとやはり茅章は呼ばれていないらしく、それが分かった時点で俺は考えておいた言葉で返答。

 別に茅章が弱いとは言わない。霊力の糸なんて明らかに使うのが難しそうなのを前の模擬戦の時は上手く操っていたと思うし、勘の域を出ないがまだまだ茅章には伸び代だってあると思う。だが、上手さと強さは関係こそあってもイコールで結べるものではなく、実戦で求められるのは将来性ではなく現時点の力。少数精鋭で事に当たるって事なら、そういう判断になるのも普通だろう。

 

「…ところで、さ、悠弥君…」

「ん?」

「…顕人君、元気…?」

 

 こちらから振った話が済むと、そこで数秒茅章は沈黙。その沈黙は話す内容がなくなってしまった、というより何かを考えている、迷っている時の沈黙で……その後茅章が口にしたのは、御道の名前。表情に浮かんでいるのは、心配な気持ち。

 

「…安心しろ、御道は元気だ。普通に学校にも来てるし、会話もこれまで通りにしてる」

「そうなんだ…良かった、それなら一安心…かな」

「…心配なら、会って直接話すのが一番だと思うぞ?」

「あはは、だよね…でもその、メッセージだけじゃ本当に元気か分からなかったから、下手に会って余計気落ちさせちゃったりするのも悪いかな、って……」

「御道もそこまで柔な精神はしてねぇよ。…まぁ、堪えてたのは事実みたいだがな………」

 

 根っからの気を遣う精神と、それ故に迷って行動に移せない部分がある、何とも茅章らしい理由を聞いて、今度は俺は肩を竦める。

 普段はそこまで意思の強さを感じない、どちらかと言えば周りを優先するタイプの御道だが、一度俺は御道の本気を、本気の意思を見た事がある。あの時はぶっちゃけ口喧嘩になってただけだが…強い意思は、十分に感じた。

 だがそんな御道だからこそ、こっちの世界へ目一杯の思いを傾けていたあいつだからこそ、堪えない訳ないだろう。そして、俺や茅章に出来る事といえば……

 

「…茅章、あまり気にしないでやってくれるか?気にするなってか、そういう雰囲気を出さないようにってか……」

「うん、分かってるよ悠弥君。変に気を遣われるのは、そっちの方が辛いもんね」

「そういうこった」

 

 霊装者としての力を取り戻す事、或いはそれに繋がる事を出来るなら別だが、そうじゃないならむしろ失った事を引き摺らせるだけ、思い出させるだけ。単純な話だが…だったらそんな事よりかは、霊装者関係ない話を自然として、これまでのように時々どっか行ったりする方が、まだ気持ちは晴れるだろう。……まぁ、もう失った直後じゃねぇから、気持ちが晴れるってよりはまた落ち込ませないようにする為、って感じになるけどな。

 

「さて…いきなり関連の邪魔して悪かったな、茅章」

「ううん、こっちこそ答えてくれてありがとね。…よし、今日も頑張ろう…!」

 

 気合いを入れる茅章の声を耳にしながら、俺はトレーニングルームを後に。前の様に模擬戦の提案を…とも思ったが、前と違って今回はこの後もやる事がある。

 

(茅章が心配してた事、御道に電話で……伝えるのは、悪手か。それこそ、御道は気を遣うだろうしな…)

 

 思い付くままに取り出した携帯を、逡巡の後ポケットへ仕舞う。連絡しときゃ茅章が今後電話したり、或いは直接会った時に多少なりとも楽だろうが…その為に御道が気を遣うんじゃ本末転倒。そもそもこういう気配りは俺の柄でもないんだから、慣れない事はしない方が賢明だろう。

 

「ってか、御道は言わずもがな、茅章だって俺よりは社交性高そうだもんな……」

 

 誰が誰にどんな気の回し方をしようとしてんだ、と自嘲しつつ、俺は園咲さんに会う為技術開発部へと向かう、今からするのは、作戦に向けた装備の各種点検で…これが、さっき挙げたこれからしなくちゃいけない事。…移動シーン…は、カットで良いよな。別に特筆する程の事もねぇし。

 

「失礼します」

「うん、時間通りだね悠弥君」

 

 いつものように部屋へと入ると、園咲さんからの第一声も大体普段と同じもの。道中もだが、ここも特に描写するようなシーンは……

 

「…って、あれ?俺、予定よりそこそこ早く来た気が……」

「うん?…あぁ、言われてみると確かにそうだね。…言い直した方がいいかな?」

「い、いやいいです…多分それ、凄く無駄な時間になるので……」

 

…なくもないが、やっぱり掘り下げる程のシーンでもなかった。園咲さんの何かズレてる感が見えた以外は、ほんと薬にも毒にもならないだろう。

 

「…で、早速ですがお願い出来ますか?」

「当然、私もそういう話を受けているからね。…けど、急いだ方がいいのかな?」

 

 作戦当日に間に合わなくちゃ、話にならない。だがまだそれは明日明後日の話ではなく、ならば急ぐ必要もない。そう思って俺は頷き、装備一式を園咲さんへ。後は園咲さんに点検と必要であらば修理をしてもらうだけで…即ちもう、ここで俺にやる事はない。

 

「ふむ…うん。使用頻度が少ない火器は勿論として、近接戦用の二振りの磨耗が少ないのは流石と言ったところだね。もう少しかっちりとした点検をするまでは下手な事は言えないけど、これなら時間もそうかからないだろう」

「…まあ、他の霊装者に比べれば、俺は実戦の頻度が少ないでしょうからね」

「だとしても、だよ。技術や経験に裏付けられた霊装者の武器には、自然とそれが浮かび上がる。武器を見れば使い手が分かる、とはよく言ったものさ」

 

 そう言いながらも、着々と園咲さんは点検を続ける。今のところはまだ道具を何も使わない、目視と手の感覚だけで点検をしているが、その内道具も使った本格的な点検に移ってくのだろう。

 そして、渡した以上もう俺にやる事はなく、このまま帰ってしまっても問題はない。だが俺には、彼女…俺や妃乃達とは、全くの別方向で霊力や霊装者の事をよく知る園咲さんへと、一つ訊いてみたい事がある。だから出て行こうとはしなかったし…本格的な点検へ入る前に訊いておこうと思い、俺は言う。

 

「…園咲さん。霊装者の力って…結局のところ、何なんでしょうね…元々超常的な、普通の人間からすればあり得ない力とはいえ…外部からの力で、消えるなんて事あるんでしょうか……」

「…それは、先日の件に纏わる話かい?」

 

 ふっと顔を上げ、こちらを見てきた園咲さんに俺は首肯。訊いちゃいないが…多分園咲さんも、色々と知っているのだろう。そして確認はしていないが、別に今はそれでも良い。

 

「…どうだろうね。ただ事実として、実際に失っている者がいる。しかもそれが、同じ現象を受けた者に共通する事例だとすれば…その時点でもう、信じる信じないの領域ではないだろう」

「事実として、ですか…」

「実際に起こった事は、覆りようがないからね。けれど君は、たったそれだけの話が聞きたい訳じゃないと見た。…あくまで私の、決して専門ではない身の個人的見解でも、聞くかい?」

「話してくれるのなら、是非」

 

 この話を園咲さんへとしたのは、彼女が技術者…霊装者の力を戦う為のものではなく、研究の対象としているから。俺や妃乃とは全く違う視点から霊装者と付き合っている園咲さんの考えを、聞いてみたいと思ったから。

 佇まいを正し、園咲さんを見つめる俺。園咲さんも、手にしていたライフルを下ろし…俺の方へと向き直る。

 

「霊装者の力と、その消失。それに関して私は、前々から気になっている事があるんだ。…悠弥感、霊装者の力…霊力は、どこからどう生み出されるものなのか知っているかい?」

「へ?…それは、俺達霊装者の体内で……」

「うん、それはその通りだ。でもそれなら、霊力は身体のどこで生まれる?」

 

 霊力は、身体の中から湧いてくるもの。これは疑うまでもない。感覚として、それが事実である事は恐らく全ての霊装者が知っていて…だが俺は、考えた事がなかった。霊力が体内で生まれるのは事実だろうが…体内っていうのは、あくまで全体の総称でしかない。体内で生成されるって認識でも間違っちゃいないだろうが、考えてみればそれはあまりにもざっくりとし過ぎだ。

 

「…………」

「生命活動の核となる心臓か、身体の司令塔である脳か、エネルギー吸収を行う胃や腸か…今あげた部位のどこかとは限らないし、どこか一ヶ所だけで生み出されているとも限らない。体力の様に、明確に『どこか』で生成されている訳じゃないという可能性もあるだろう。勿論、それを探る為に検査や研究は続けられている訳だが…こうして話している事からも分かる通り、未だはっきりとしていないよが現状なんだ」

 

 体内で生まれているのは間違いない。だが、どこからかなのかが分からない。普通に霊装者して活動する分には、気に留める事もない話が園咲さんによって展開され…それは続く。

 

「そしてもう一つ。そもそも霊装者としての力、才能は、一体どうやって遺伝してるのだと思う?」

「…血、とか……?」

「血…即ち遺伝子よるものだという事なら、それは一理あるね。実際私も、その可能性は高いと思っている。だけどそもそも、霊装者の力は普通の人間にはない。厳密に言えば、霊力自体は人なら誰しもあるものだが…霊装者とそうでない人間との間には、個人差の範疇を遥かに超えた、大きな差がある。そしてもしDNAに、塩基配列に霊装者としての部分が組み込まれているのなら、個人差を超える差を作り出すだけの要素が入っているのだとしたら…私達霊装者と普通の人々とを、果たして同じ種族と言えるんだろうか」

 

 霊装者と、そうでない普通の人間。多くの霊力を持ち、それを扱う事の出来る人間と、霊力がある事を認識すらも出来ない人間。そして、その才の遺伝。これまで俺は、霊力や霊装者の力をただ何となくあるもの、霊装者にとっては自然なものだという程度にしか考えていなかったが……もしそうだとしたら、園咲さんの言う通り、厳密には違うのだとしたら…結局霊装者とは、本当に何なのだろうか。霊力とは、一体どういうものだろうか。

 

「…すまない、悠弥君。ここまで話しておいて今更だが、君の疑問からは随分と離れてしまったようだ」

「あ…い、いえ…それはそれで、かなり考えさせられる内容だったので……」

「そう言ってもらえると助かるよ。…じゃあ、話を戻すとして…もしも霊力が人の身体に根付いた、臓器や感覚器官と同じような身体の機能の一つであるのなら、消えるというのはやはり不可解だ。霊力を生み出す力、制御する力が駄目になったという事であればまだ理解は出来るが…機能不全と消滅は、全く違う。雲泥の差だ」

「機能不全も消滅…そこにまだ、残っているかいないかの違い……」

「そういう事さ、悠弥君。…だが、そもそも霊力は超常の力だ。富士で発生したのも、正しく超常以外の何物でもない光。であれは、理解の及ばない事が起きても、私達の尺度では異常でしかない事も……本当は、至って普通の事なのかもしれない。ただ、それ私達が普通だと思えないだけで…ね」

 

 おかしさは確かにある。だがそれは、霊装者という立場から、現代の霊装者が持つ認識から作り上げられた尺度で見た場合であって、それが真理とは限らない。そんな結論で以って、園咲さんは俺の曖昧な質問から始まった話を締め括り……

 

「……うん、我ながら話が理路整然としたいなさ過ぎる。これでは纏まっていない思考をそのまま口にしたのと大差がないようなものだ」

「え?」

「申し訳ない悠弥君。これでは曲がりなりにも研究を担う者としての面目が立たない。だから、もう一度改めて説明をさせてほしい」

「えっ?」

「なに、そう時間は取らせない。ただ長々も知識をひけらかすのではなく、要点を纏めて話すのもまた研究者として必要な事だからね」

「……おおぅ…」

 

 どこかで変なスイッチが入ったのか、それとも天然(?)さが妙な炸裂をしたのか、謎の意地と拘りを見せてくる園咲さん。まさかの流れに俺が戸惑う中、園咲さんは完全に「説明し直す」表情へと変わっており……結局俺は、何とも難解な話を今一度聞く事になるのだった…。

 

 

 

 

「…なんか、凄ぇタメになる話を聞いた…気がする……」

 

 開発部を後にし、後は帰るだけという状態で協会の廊下を歩く。

 何故か火が付き、がっつり話してくれた園咲さんに不満はない。学びになったのは事実で、そもそも求めたのは俺なんだから。…とはいえまぁ、不勉強な俺の頭には中々に負担の大きい話だった訳で……有り体に言おう。…疲れた。

 

(…でも実際、どこに霊装者としての核があるんだろうな…或いは、どこかにじゃなくて一人一人の存在そのものに、霊装者の力は宿っているのか……)

 

 結局はっきりとした答えは得られなかった。強いて言えば、園咲さんの考えからすれば富士での出来事は決してあり得ない事じゃない、との事だが…それだって、園咲さんの中での推測に過ぎない。

 だがそもそも、はっきりした答えを求めていたかといえば、答えは否。ただ訊きたかった、知りたかったというのが俺の意思で……

 

「……ん?」

 

 そんな思考をしながら歩く中、ふと俺が見つけたのはある人物。バルコニーらしき場所に立ち、手に紙コップを持っているその男性は……多分、初見。

 

「…うん?…ああ、君か」

「(えっ?)……あ、ど、どうも…」

 

 うーん?初見な筈だが、どっかで見た事あるよなぁ…どこだ?てか、知り合いだったか?…とかなんとか思いながら眺めていると、俺の視線に気付いたのか、男性は振り向き…そしてなんと、話しかけてくる。しかも何やら、この人は俺を知っている様子。…不味い、こうなると逃げられない……。

 

(…つか、この声もどっかで聞いたような……)

「先月は悪かった。君も家族も驚いただろう」

「え、あー…はは……」

 

 話し掛けられた時点でもう逃げられないような状態だったが、バルコニーからこっちに来られてしまった事でいよいよ俺は逃げようがない。

 しかし、本当にこの人は誰なんだろうか。こうなるともう、むしろこの人が俺を誰かと勘違いして話し掛けてきただけとかじゃないだろうか。

 

「…それと、例の作戦は君も参加してくれるらしいな。協会としては助かるが…それは、君の本心か?」

「…それは、どういう意味で…?」

「言葉通りの意味だ。君の事情はそれなりに聞いている。霊装者である事を極力避けていた事も知っている。その君が、ここまで自ら関わろうとする理由を、聞いておきたいと思っただけさ」

 

 そう、思っていた俺だが…次に発された問いにより、その可能性はほぼ消滅。口振りからして、その内容からして…この人が話しているのは、千嵜悠弥()以外にあり得ない。

 そして…それを訊くこの男性の目は、本気だ。切っ掛けは、偶々会ったからなんだろうが…話のネタなどではなく、真剣に俺の本心を訊いている。ならば、相手が誰なのか未だに分かっていなかったとしても…いやまぁ、分からんならさっさと訊くのが誠意だろうが…ともかく、適当な答えを返す訳にはいかない。

 

「…えぇ、本心ですよ。けど別に、複雑な話じゃないです。…これまでは、関わらない事が、距離を取る事が、自分にとって…自分の求めるものにとって、必要だと思っていた。けれど今は、今俺が出来る事に全力を尽くすのが、後ろではなく前に突き進む事が、本当に必要な事だと思っている…ただ、それだけです」

「…そうか。…強いな、君は」

「俺が強いとすれば、それは俺の周りの人間のおかげですよ」

 

 誰なんだかよく分かっていない相手にするには些か恥ずかしい話でもあるが…俺は言った。俺の本心を。今の俺にとって、譲れない意思を。

 それをこの人が、どう思ったかは分からない。だがまあ、これをどう思ってくれようが構わない。あくまでこれは、俺の意思で…誰に何を言われようが、変えるつもりなんざねぇんだからな。

 

「ありがとう。君との会話はこれで二度目だが、今回も得るものはあった」

「そ、そうですか…(駄目だ、全く分からん…でもほんと、この声は知ってるんだよな…マジでどこだっけ…?)」

「さて…それじゃあ俺は行くとしよう。何かあれば訪ねてくるといい。今の答えは勿論だが、先日の件もまだ何も返していないからな」

「は、はぁ……」

「まあ、何もなければそれでもいいさ。…今後共、妃乃を宜しく頼む」

 

 そうして会話は終わり、男性は紙コップの中身を飲み干した後に立ち去っていく。この場に残るのは俺と、紙コップの中に入っていたらしいコーヒーの匂いと、結局解決していない疑問。

 まさか、本当に最後まで分からず終いになるとは思わなかった。取り敢えず乗り切る事は出来たが、こうなると逆に誰だったのか気になってしまう。だがあの人の手掛かりなんて、今や先月の件とやらと、俺についてよく知ってるって事と、後はまぁ妃乃を呼び捨てに出来る立場ってだけで……

 

(……って、んん?先月…俺を知ってる…これで二度目…妃乃を宜しく…それに、声だけは確かに知ってるって……)

 

 

 

 

「…いやあの人、妃乃の父親じゃね!?恭士さんなんじゃねぇの!?」

 

──時既に遅し。今気付いても後の祭り。バラバラだったピースが繋がり、一つになって……けれどすっきりどころか、どうしたら良いのか分からない気持ちになってしまう俺だった。…いや、うん…そりゃ確かに分からんわ…だって、電話で一回話しただけの人だもん……。



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第百九十四話 もう決まっているのなら

 毎日続く、なんて事ない日々。去年の今頃までは当たり前だった、普通の日常。そんなある日…綾袮が声を掛けてきた。

 

「顕人君。ちょっと、話があるの」

 

 学校から帰り、リビングのソファで一服していた時、不意に綾袮からされた呼び掛け。

 当たり前だけど、呼び掛けられる事自体は何も珍しくない。流石に未だそういう程度の関係だったら悲し過ぎるし、そもそも綾袮は自分から積極的に話し掛けてくるタイプだから、むしろ話し掛けられない日はほぼ無いと言っても過言じゃない。

 けど、真剣な面持ちで、静かな声音でとなれば話は別。そういう普段はしない雰囲気の時は…十中八九、霊装者絡みの事。

 

「…何か、あったの?」

 

 ソファの背凭れから身体を離し、佇まいを正す俺。投げ掛けた問いに対して、綾袮は首を横に振る。

 

「じゃあ、話っていうのは?」

「話、っていうか…報告、かな。これは、顕人君にちゃんと伝えておかなきゃいけない事だと思うから」

 

 思い当たる節はない。だからストレートに訊くと、返ってのは前置きのような言葉。それ自体は、内容なんて推測のしようがないものだったけど…こういう言い方をするって事は、きっと相当重要な話なんだろう。そう思って、俺が心の中の真剣さを高める中…綾袮は座る事なく、立ったままの姿で言う。

 

「…富士山の、調査。この作戦を…近々、再開するんだ」

「……っ…!」

 

 あの時の、あの任務の再開。それは、全く予想していなかった、予想も出来なかった…だけど、すぐに納得の出来る話。確かに、その件なら…俺に話す、理由も分かる。

 

「…ごめんね。そんな事言われたって、そんな話されたってっていう思いは、抱いて当然だよ。だけど……」

「…分かってる。話さないのは、黙ったままにするのは、不誠実だと思った…そういう事、なんでしょ」

 

 申し訳なさそうな顔で話を続ける綾袮を、俺は言葉を被せる事で静止。引き継ぐ形で言った俺の言葉に、綾袮はこくりと一つ頷き…そして沈黙。

 例の作戦が完全な中止ではなく、一時中断に過ぎない事は、俺も知っていた。しっかり考えた事はなかったけど…何となく、無意識化では理解していたような気もする。いつかはこの調査作戦が、再開されるんだろう…と。

 でも今、それを実際に聞いた時…俺が抱いたのは、自分でも上手く言葉に出来ない感情だった。勿論嬉しくはない、ほっともしない…けど怒りや嫌悪かと言われると…多分、それも違う。

 

「…その作戦はさ、一からやり直す形なの?それとも、続きから再開する形?」

「…一応、続きからだよ。でも、今回は前みたいな大規模じゃなくて、少数精鋭で進める事になってる」

「…綾袮も?」

「…うん。わたしもまた、行くよ」

 

 次に口から出たのは、作戦の進め方に対する質問。そんな事訊いてどうするんだ、と我ながら思うような、今の俺には無駄な問い。

 それに対して静かに答え、頷く綾袮。でも…そうだろうとは思っていた。訊きはしたけど、少数精鋭という事なら、間違いなく綾袮は行くんだろうと、そう感じていた。

 

「…何としても、協会は調査をしたいんだね」

「…うん」

「それが協会の決定で、協会の意思なんだね」

「…うん」

「……なら、頑張って。それと、気を付けて」

 

 自分や協会を取り繕うような事は言わず、ただ綾袮は首肯を返す。それは今も綾袮が負い目を感じているからかもしれないし、俺に誠実にいてくれようとしているからかもしれない。…だから、という訳じゃないけど…そんな綾袮に対して、俺は言う。強くじゃないけど、応援を。気を付けて、って言葉を送る。

 

「…優しいね、顕人君は。もっと、怒りをぶつけてくれたっていいのに……」

「…そりゃ、思うところはあるよ。あるけど…だからって、人の不幸を願ったりはしないよ。ましてやそれが綾袮なら…何事もなく、無事に帰ってきてほしいに決まってるじゃないか。こうして毎日、同じ家で過ごしてる相手なんだから」

「……っ…顕人、君……」

 

 言ってから、心の中に湧き上がる恥ずかしさ。柄でもないのに、キザっぽい事を言ってる自分自身が少し恥ずかしくなって…でも別に、自分を良く見せようと思って言った訳じゃない。言い方こそそれっぽくなったけど、無事に帰ってきてほしいと思っているのは本当で……気付けば綾袮は、胸の前で右手をきゅっと握っていた。

 

「…ちゃんと、帰ってくるから。顕人君がそう言うなら、そう思ってくれるなら、わたしは……」

「…綾袮。それが罪滅ぼしだって言うなら、それは止めて。それを、俺が失ったものの代わりにしようっていうのは…気に食わないから」

「…ぁ…ご、ごめん…顕人君……」

「…それにさ、綾袮ももう分かってるでしょ?俺は、そういうのを望む人間じゃないって。そういう暗い感じじゃなくて、もっと明るい考え方をしてよ。じゃなきゃ、綾袮らしくないよ?」

「…そ、れは…うん、そうだね…はは、敵わないなぁ……」

 

 肩を竦め、苦笑いし、そうして綾袮が漏らす乾いた笑い。自嘲にも、自分に呆れてるようにも見えるその笑い方は、やっぱり綾袮らしくなくて…でも、それも仕方ない事だろう。話が話なんだなら、それはもう仕方のない事。

 あぁ、そうだ。俺は罪滅ぼしなんか望んでない。綾袮には明るく、騒がしい位に賑やかでいてほしいし、俺の失ったものを何かで埋められるとは誰であろうと思ってほしくない。全部全部、どれもこれもが俺の本心。

 

「…それと、さ…多分、今度はラフィーネとフォリンも行く事になるんだ。まだ、反対だって人もいるけど…二人は強いし、余計な事を言ったり訊いたりはしないだろう、って事で……」

「…そう、なんだ…。じゃあ、その作戦の間は……」

「…ごめんね……」

「…気にしないでよ。その間俺は、何も気にする必要のない環境でゆっくり羽を伸ばしてるからさ」

 

 そういえば、つい最近ラフィーネから「寂しくなかった?」…なんて聞かれたっけ。…そんな事を思いながら、謝る綾袮へ言葉を返す。…うん、そうだ。数時間とか半日とかじゃなくて、偶には一日以上一人でのんびりするのも悪くないだろうさ、きっと。

 

「…話は、それで終わり?」

「あ…う、うん…他に何か訊きたい事とか、言いたい事がないなら、これで終わり…」

「そう。それじゃあ俺は、夕飯の準備に取り掛かるとしようかね」

 

 軽く勢いを付けて立ち上がり、リビングから台所へと向かう俺。その俺を、綾袮は複雑そうな顔で見ていたけど…俺は何も言わなかった。というより、何を言っても気を遣わせるか、余計気不味い雰囲気になるかのどちらかだろうから、ならば大丈夫だという事を行動で示した方が良いだろう。…そう思って、俺は言わない事を選んだ。

 今更質問なんてない。強いて言えば、他に俺の知人で作戦に参加する人はあるのか、って位だけど、それだって聞いても仕方ない。

 

(…一人、か……)

 

 そうして俺の参加する事はない作戦の話は終わり、俺は料理へと取りかかり、普段の時間が戻ってくる。それ以降、綾袮さんがこの話をする事はなく、ラフィーネさんフォリンさんも触れたりはせず、静かにその日が近付いていく。

 この時もっと、色々訊いていたらどうだったんだろうか。もっと思いをぶつけていたら、何かが違っていたんだろうか。…じっさいのところ、どうなのかは分からない。分からないが…多分、あまり変わりはしなかっただろう。だって、この件は…再開される作戦においてはもう、俺に直接の関係はないのだから。

 

 

 

 

 長期休暇の終わりにしろ、試験の日にしろ、まだまだ先だと思っているものは案外すぐにやってくる。それは本当に時間が加速しているとかではなく、単に過ぎ去ったものはどんな期間であろうとあっという間に感じてしまう、振り返るという行為そのものの性質なんだが…まあ、そんな事はどうでもいい。

 

「準備は全て問題なし、っと。後は明日の朝食の用意だな…」

 

 纏めた荷物と装備を全て見直し、抜かりがない事を確認して部屋を出る俺。何の準備かと言えば…そんなのは、一つしかない。

 

「あ、お兄ちゃん。明日の準備はもう万端?」

「万端万端。逆に不安になる位万端だ」

「そっか。逆に不安になるのはよく分からないけど、とにかく万端なんだね」

 

 さらーっとボケを流していく緋奈にちょっぴり寂しさを感じながらも、返された言葉に俺は首肯。…もうちょっと、突っ込みとかしてくれても良いんだけどなぁ…。

 

「…まあ、そういう訳で何日か家を空ける事になるが、その間家の事は頼むな。それと何かあったら、おじさん達に連絡するんだぞ?」

「分かってるって。一応言うけど、わたしお兄ちゃんとは一歳しか違わないんだからね?」

「止めろ言うな…去年の今頃の俺と、今の緋奈とが同年齢と考えると、何故か物凄くモニョるから言うな……!」

「え、えぇぇ…?お兄ちゃんがモニョるって…全然キャラと合ってないよ…?」

「あ、突っ込むのそこなのか……」

 

 兄というのは、いやシスコンというのは、妹に『妹』でいてほしいもの(異論は認める)。その点において、去年の自分と今の妹が、学生での立場においては同じところに位置している…そう考えるとほんとモニョる。言語化出来ない感情が湧き上がり、何だか凄くモニョってしまう。……が、それが緋奈には上手く伝わらなかったらしく…何やらズレた突っ込みをされてしまった。…まあ、良いけども。俺がモニョるって言葉を使うなんて、自分からしても違和感バリバリに感じるし。

 

「…こほん。とにかくほんと、何かあったら一人で何とかしよう…なんて思わなくていいからな?」

「うん、それも分かってる。それでさお兄ちゃん、お兄ちゃん今から、明日の朝ご飯作ろうと思ってる?」

「そうだが…何かリクエストか?」

「ううん。わたしも手伝おうかなと思っただけ。何を作るの?」

「う、それは……」

 

 話を変えてきたなと思ったら、次に発されたのは料理の申し出。不意打ちの如く出された申し出に、俺は内心一瞬たじろぎ、言葉にも数秒詰まってしまう。

 料理の状況や進行具合にもよるが、普段ならこういう時、テーブル拭きや白米の盛り付けを緋奈へと頼む事で、『料理』への手伝いはある程度避ける事が出来る。だが今回作るのは、これからの食事ではなく明日の朝食。即ち普段の方法では手伝いを避ける事など出来ず、かといってもし普通に手伝いを受ければ、明日は幸先の悪いスタート…って事にもなりかねない。

 ならばどうするか。どうすれば回避出来るのか。緋奈に見つめられる中、俺は僅かな時間で頭をフル回転させ……その結果、一つの案を思い付く。

 

「…そうだ、おにぎり…明日の朝食は、おにぎりにしよう……」

「…おにぎり?」

「あぁ。おにぎりなら忙しくても食べ易いし、ラップに包むだけで持っていく事も出来るだろ?」

「あ、それは確かに…」

 

 咄嗟に思い付いた誤魔化し案だが、我ながらそこそこ理には適っている。そのおかげで緋奈は納得してくれたようだし、実際こういう時はおにぎりと後一品、何か汁物って位の方が楽だろう。そして何より…幾ら緋奈でも、おにぎりなら変な味や食感にはならない筈、なったりなんてしない筈だ!…ちょっと、フラグっぽくはなってしまったけども。

 

「具材はまぁ、冷蔵庫の中にあるものから適当に選ぶとして…海苔はあったかな……」

「海苔なら、そこの棚になかった?」

「そういや確かに、ここで見た気が…おぉ、あった。後あっぶね、これ賞味期限今月までだ…」

 

 という訳で、おにぎり(と味噌汁)に決めた俺はまず白米を炊き、それからおにぎりの用意を開始。サランラップに白米を広げ、軽く塩を振り、具材を入れて両手で形を作っていく。

 

「こんなもんか。緋奈、これも頼んだ」

「任せて。まずはここをこうして、っと…〜〜♪」

 

 手始めに二つ作った後、俺は自然な流れで作業の分担、俺が具材を入れるところまでを担当し、緋奈は握る行程を担当するって形を提案。緋奈がそれを了承してくれた事で本当に心配はなくなり、更に握っている最中緋奈は楽しそうにしてくれるもんだから本当に俺としては一石二鳥。この結果へと導いてくれた、自分の抜群のアイデアを心の中で自画自賛し……だがふとそこである事が気になり、俺は手を動かしつつも緋奈に訊く。

 

「…緋奈は、やっぱり料理するのが楽しい…ってか、もっとやりたいって思ってるのか?」

「え?…もしかしてわたし、楽しそうに見えた…?」

「思いっ切り見えた」

「そ、そうなんだ…それはちょっと恥ずかしいね……」

 

 質問に質問で返される形にはなったが、日常の中じゃ別に起こる程の事でもない。だからストレートに肯定を返すと、緋奈はほんのりと頬を染め…うむ、可愛い。やっぱり緋奈は可愛いなぁ。

……じゃなかった。頬を染めた後、緋奈は軽く苦笑いし、それから完成したおにぎりを皿に置いて言葉を続ける。

 

「やりたいか…は、正直半分半分かな。わたしが作った物をお兄ちゃんに食べてもらえたら、それは勿論嬉しいけど、わたしはお兄ちゃんの作る料理を食べるのも好きだもん」

「そっか…嬉しい事言ってくれるじゃないか、緋奈……」

「ふふっ。…あ、でも別に妃乃さんの料理は嫌だって事じゃないよ?…で、楽しいかどうかは…勿論YESだよ。だって…今は、お兄ちゃんと一緒に作ってるんだもん」

 

 そう言って、俺はにこりと微笑む緋奈。その前の言葉も、滅茶苦茶嬉しかったが…今のはもう、反則級だった。一瞬もう一品と掛けて「毎朝味噌汁を作ってくれないか」と言いそうになってしまった位、もう最っ高の言葉だった。

 

「緋奈…俺は今、成仏出来そうな気分だよ……」

「成仏!?え、お兄ちゃん死んでたの!?いつの間に霊に!?」

「くぅっ、キレキレの突っ込みも心に染みる…!」

「余計に意味が分からないよ!?あ、あれ!?わたし暫くぼーっとしてた!?会話がちょっと飛んだとしか思えないんだけど!?」

「某ギャングのボスが能力を使ったのかもな…」

「それはないと思うけどねっ!」

 

 冗談半分、もし本当に霊ならマジで成仏しそうって気持ち半分で答えた結果、それはもうビビットな反応を返してくれた。全く…この数分で好感度うなぎ登りだぜ?緋奈。…あ、違うわ。既に緋奈は、好感度振り切ってたわ。

 

「結局なんなのお兄ちゃん……」

「やっぱり緋奈は最高に可愛くて文句無しの妹だなぁ、って事だ」

「…どうしよう、そう言われる事自体は凄く嬉しいのに、今は意味が分からな過ぎて全然心が揺れないよ……」

 

 げんなりとする緋奈を見やり、俺は苦笑。あんま素直じゃない妃乃や依未は弄り甲斐があるが、ほんと素直な緋奈は緋奈で、別ベクトルから弄り甲斐がある気がする。いやはや全く、本当に人間関係において俺は恵まれている人間だ。

…と、緋奈が変わらずのげんなり顔をし、俺がしみじみとしている中、開かれるリビングの扉。そこから入ってきたのは…勿論、妃乃。

 

「あぁ、賑やかな声がしてると思ったら、明日の朝食を作ってたのね。私も手伝うわ」

「ん?じゃ、俺がやってた行程頼むわ」

「えぇ、任されたわ」

「じゃあわたしは握るのを続けるね」

「……えっ、普通に受け入れるの…?ここは、『何一人だけ休もうとしてるのよ』って突っ込む場面じゃ…?」

「いや、私は遅れてきたんだし、それ位は別に良いかと思ったんだけど…」

「わたしも別に良いよ?一緒に作るのは楽しかったけど、多分わたしよりお兄ちゃんの方が仕事量多かったと思うし」

 

 これまた冗談半分でネタ…というか、突っ込まれそうだなぁと思った事をしてみた俺。だが突っ込まれないどころか普通に受け入れられ、しかも訊くと二人ともさも当然の事かのように返してきて……マジで俺、滅茶苦茶人に恵まれてんな…。

 

「…そういう事なら、俺は味噌汁の具を今の内に切っておくわ……」

「あらそう。…何でちょっとテンション下がってる訳…?」

「いや…人って時には、自分が与えられた幸せを噛み締め、謙虚に考える瞬間も大事だなって……」

『……?』

 

 どういう事…?と目を瞬かせる二人の後ろを通り、俺は冷蔵庫から野菜を外へ。洗って、皮を剥いて、それぞれ包丁で切っていく。

 

「あぁそうだ妃乃、明日の朝食はこれだけで良いか?」

「勿論。ご飯があって、味噌汁もあって、おにぎりだから中に具が入ってて、具の種類も一つじゃない…確かに豪華ではないけど、これだけあれば別に悪いって事もないでしょ」

「…ほんと、妃乃は庶民派だよな……」

「うん、感覚がわたし達と変わらないもんね」

「…それ、褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」

 

 全くお嬢様感を出さない妃乃の返しに俺達がうんうんと頷いていると、妃乃は半眼の視線を俺の方へ。けどまあこのやり取りももう何度かやっているからか、妃乃はそれ以上何も言わずに調理へと戻り……皿へと並ぶ、幾つものおにぎり。

 

(…こういうの、なんだよな…俺が求めてたのって……)

 

 家族とのんびり、ありふれた料理を作る。特筆する事もない、探せば日本中どこにでもありそうな…だけど前の俺には絶対に得られなかった時間が、今ここにはある。そんな時間が、流れている。…まあ、明日の日常とはかけ離れた任務の為に今おにぎりと味噌汁を作ってる訳だが…そこはご愛嬌。

 

「ふぅ。数はこれだけあれば十分よね」

「というか、少し多過ぎるかもですね」

「そしたらそれこそ持ってきゃ良いさ。緋奈の握ってくれたやつなら、栄養剤より栄養を得られるからな」

「そういう言い方は気持ち悪いかな…」

「普通に気持ち悪いわね…」

「あ、なんかすんません…」

 

……うん、まぁなんか最後の最後で引かれてしまったが、とにかくこれこそ俺の望んでいた時間の一つ。両親が死んでしまってからは、どこか遠くなってしまったような時間は、けれど確かに今もあり…本当に、感謝しよう。俺は俺が与えられた、今の俺にある、この人との繋がりに。

 

(その為にも、まずは明日からの任務…何がどうなるか分からないからこそ、気を引き締めないとな…)

 

 案外すんなり終わるかもしれない。その可能性だって妃乃からは言われている。だが、気を引き締めるに越した事はない。むしろ気を引き締めるだけで、少しでも「万が一」への耐性が出来るってんなら、安いものだ。

 そうして味噌汁の下準備も終えた俺は、それ等を冷蔵庫へ。風呂に入り、日課も済ませ、そして……

 

「じゃ、行ってくるな緋奈」

「留守番は頼むわね…って、私がこれ言うのは変かしら……」

「大丈夫ですよ、妃乃さん。それと…お兄ちゃんも、妃乃さんも、頑張って」

「おう」

 

 手を振る代わりに緋奈の頭を軽く撫で、微笑む緋奈に見送られ……俺と妃乃は、富士へと向かうべく家を後にする。



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第百九十五話 見つからないという事は

 前回…まあつまり本来の調査では、しっかりと広間に集まって最終確認やら何やらし、ちゃんと組織として一つ一つの事を進めていったらしい。だが初めに言ってしまうと、今回…俺が出る事になった、改めての調査任務では、その辺がかなり雑…というか、簡素なものとなった。

 まあ、理由は分かる。前回と違って今回は少数、それも色々と事情を知っている面々で行われる作戦なんだから、わざわざきっちりとした最終確認をする必要がないって事なんだろう。…って、訳で…俺は今、既に富士山にいる。

 

「さっぶ…やっぱ春になっても寒いな……」

「そりゃそうよ、富士山なんだから」

 

 そこそこの高度で飛行しながら、もうずっと思っていた事を遂に口にする俺。だが、それに対する妃乃の反応は冷たい。むぅ…寒さなんて気温で十分感じてるんだから、ここはもうちょっと温かい反応がほしかった…。

 

「…に、しても…ほんと、ぱっと見は普通なもんだな…ここだって、その光が発生していた場所なんだろ?」

「えぇ。あくまで物理的な影響力は持たない、エネルギー…っていうか、それこそ霊的な光だったんだと思うわ」

「……積もり積もった遭難者の無念とかじゃないだろうな、それって…」

「な訳ないでしょうが…演技でもない事言うんじゃないっての」

 

 霊的な力といえば、思い浮かぶのは幽霊。…という、凄まじく安直な考えから取り敢えず言ってみただけだが…実際、起こった事や聞いていた話の割に、富士自体は何の変哲も無い(ように見える)というのは、どうもやはり違和感がある。

 因みに現在、俺は妃乃と二人で行動中。調査済みの範囲もそれなりにあるとはいえ、広大な富士山を少人数で探すとなれば当然一つ一つのグループを大きくは出来ない訳で、他の組も大概は数人で動いている。

 

「…っと、ストップ。悠弥はここで周りを警戒していてもらえる?」

「あいよ」

 

 それから数十秒後。何かが気になったらしい妃乃は降下していき、俺は言われた通りに待機。このやり取り…っていうか妃乃が直接降りて調べに行くのも数度目で…だが調査を続けている事からも分かる通り、今のところ目ぼしい発見はない。

 そしてそもそも、結局何を調べ、何を探しているのかも俺は知らない。訊けば…まぁ、こんな状況となった以上は話してくれるだろうが、それは訊いて良いものなのか。訊いておいた方が良いものなのか。

…なんて感じの事を考えつつ、俺はぐるりと周囲を見回し……あるものを、発見。

 

(…あれは…動物、か?…いや、だが…ここは富士山だぞ……?)

 

 見つけたのは、するすると木を登っていった何らかの影。初めは猿かなんかだろうと思った俺だが…ここ最近で富士山に猿が生息してるなんて話は聞いた事がない。…と、いう事は……

 

「…妃乃、変な奴を見つけた。恐らく魔物だ」

「…分かったわ。すぐ逃げそう?」

「いや、ぶっちゃけ雪被った木の内側に入っちまったから、よく分からん」

「なら、急ぐべきね。どの木か教えて頂戴」

 

 渡されていたインカムで下の妃乃と意思疎通を交わし、俺は木の場所を伝えると同時に行動開始。俺は上昇した後、妃乃は今いる場所から目標地点へと向かって飛び、ある程度行ったところで妃乃の次の行動を待つ。

 その妃乃は、そのままの速度なら後一秒かそこらの距離まで近付いたところで一度着地。そこから俺へと目配せし、手にした天之瓊矛を構え…突進。積もった雪を巻き上げる勢いで雪原を蹴り、木の幹を駆け上がるようにして急上昇。枝と葉の広がる部分へと入った事で、一瞬姿が見えなくなり…次の瞬間、飛び出してくる猿らしき何か。

 

「やっぱり魔物か…ッ!」

 

 シルエットは、確かに猿。だが遠目じゃよく分からなかったが、その猿…いや魔物を覆っているのは、毛皮ではなく硬そうな鱗。加えてムササビの様に腕と胴の間には皮膜らしきものがあり…それを広げて、魔物は木から逃げようとしていた。

 だがそれは最悪手。妃乃一人なら(逃げられるかどうかは別として)それも悪くないんだろうが…今は、俺もいる。しかも、より上方にいる。つまり…俺からすれば、向こうから的が飛んできたようなもの。

 右手に携えていた直刀を逆手に持ち、急降下。勢いのままに距離を詰め…逃げる魔物の背中を一突き。刃は鱗を砕き、貫通し、そのまま俺と共に真下へ。雪原に激突する寸前でスラスターを蒸し俺が止まると、慣性で魔物は直刀から抜け落ち…落下。どさりと落ちた時にはもう息が無く、すぐに魔物の消滅が始まる。

 

「やるじゃない。鱗諸共一撃なんて」

「……いや…こいつ、見た目に比べて鱗が然程硬くなかった…妙な位に、な…」

 

 軽く振って直刀を収める中、軽やかに飛んでくる妃乃。着地しつつ労ってくれる妃乃だったが…俺としては、それを素直には受け取れない。そして抱いた感想を口にすると、逡巡の後妃乃は首肯。

 

「…この魔物、霊力をイマイチ感じなかったのよね。鱗が妙に脆かったっていうなら、多分それとこれとは関係があるわ」

「言われてみりゃ、確かにな…。…ん?これって……」

 

 確かめるように妃乃が片膝を突き、近くで消えつつある魔物を見る中、ふと俺が思い出したのは正月の事。あの時も確か、えらく弱い魔物がいて、しかもそれを妃乃達は感知出来なかった。…これは、偶然だろうか。いや、こういう場合…まあ、偶然じゃねぇだろうな…。

 

「……妃乃、さっきの場所で何か見つかったか?」

「いや…何もなかった、って訳じゃないけど、発見と呼べるようなものでもなかったわ。あれの影響か、前に来た時と比べて変になってる所も多いし…これは結構、骨が折れるかも」

「そうか…」

 

 魔物の完全消滅を確認し、それから俺達は調査へ戻る。骨が折れる、となった場合、普段だったら「えー…」とか言う俺だが、今回は事が事。流石に文句を言ったりはしない。

 

「悠弥、まだ体力は大丈夫?」

「大丈夫だ、問題ない」

「それすぐに大丈夫じゃなくなるやつじゃない…本当に大丈夫なのね?」

 

 言葉選びのせいで逆に心配されてしまったが、本当に俺はまだまだ平気。それはちゃんと伝わっているらしく、俺が肯定を返すと妃乃は頷き、再び空へ。俺も飛翔する妃乃に続いて、先の長い調査活動を再開する。

 そうして数十分が過ぎ、数時間が過ぎ、正午を疾っくに過ぎた頃。そこで漸く俺達は長めの休憩を入れ、かなり遅めの昼食に入る。

 

「こんな寒い中で食欲なんか湧くか、って思ってたが…まあ、湧くな。寒いだけあって、めっちゃ湧くわ」

「ま、当たり前ね。むしろ空腹を感じなかったらそっちの方が問題だもの」

「だよなぁ……」

 

 吹雪いてる…訳じゃないが俺達は見つけた洞穴へと入り、そこへ腰を下ろして昼食を食べる。携行性と食べ易さを重視して作られた食事だから、あんまり食としての楽しさはないが、流石は現代の技術と言うべきか、味自体は悪くない。というかもし俺が普段台所に立つような生活をしていなかったら、物珍しさが勝ってむしろ楽しめていたのかもしれない。…んまぁ、その楽しさは一回や二回で途切れるだろうが。

 

「行程としちゃ、今はどの位だ?」

「順調だけど、想定の範囲内ね。食べた後もまだまだ動くわよ」

「…さっきの話じゃねぇが…妃乃こそ、体力は大丈夫か?」

「あら、私がもうへばったように見える?」

「いいや。けど、妃乃は責任や使命感で無理をしちまう、無理が出来ちまうタイプだからな。…どうせ今は俺しかいねぇんだ、気を抜けるとこは抜いてけよ?」

「…そうね、貴方の前で気丈に振る舞ったってしょうがないし、出来る範囲でそうさせてもらうわ」

「おう。警戒位なら任せろ」

「……ありがと、気遣ってくれて」

 

 皮肉っぽく言いはしたものの、その数秒後に視線を俺から外へと移し、その状態でぽつりともう一言だけ呟く妃乃。…ほんと、素直じゃないが…多分ずっと前なら、「ありがとう、でもそれには及ばないわ」とか言って、出来る範囲で気を抜く事に同意なんかしなかっただろう。そして前と今とが違うのは、俺が変わったからか、妃乃が変わったからか、或いはその両方か。…まあどちらにせよ…こういうのは、悪くない。

 

「…ふぅ、ご馳走様、っと。すぐ出るか?それとももう少し休憩するか?」

「慌てる必要はないし、食後なんだからもう少し休んでおきましょ。…どこで、戦闘になるかも分からないんだから」

「…だな」

 

 落ち着いた声音の言葉に頷き、食後も十分前後休憩を続行。寒いせいで気持ちはいまいち休まらなかったが、それはもはや仕方のない事。むしろ変に気が休まって眠くなりでもしたら、それこそ一大事。

 そういう訳で俺達は食事+αの休憩を取り、それから調査を再開。ここまでと同じように基本は雪原がちゃんと見える高度で飛行し、何かあれば妃乃が確認し、外れ(?)を引いてはまた移動するを繰り返す。

 

(何もないのは良い事なのか、それとも悪い事なのか……)

 

 思っていたより戦闘や複雑な行動がなく、ともすれは『暇』と感じる瞬間もあるのがこれまでのところ。そして調査のやり方や具合から考えるに、「結局何もありませんでした」となる可能性もあるのかもしれはい。…ま、光の柱の件を思えば、何かしらはあるんだろうが…何にせよ、それはこの調査が最後まで進めば分かる事。

 あまり先の事を考えても仕方ない。先を見越した行動は大切だが、今は今に意識を集中するべきだろう。そう、俺は自分自身に言う事で気を引き締め…妃乃と共に、調査を続ける。

 

 

 

 

 またもや前回との比較になるが、前回は富士山内でキャンプを張り、それて夜を明かしたりもしたらしい。まあそれは普通というか、そりゃそうだなって話だが…今回は、少なくとも俺と妃乃の組は特にそんな事はなく、毎日支部まで戻るって事になっている。

 理由としちゃ、人数が少ない分移動に時間がかからないってのと、数が少ないんだから一人一人のパフォーマンスにより気を付けなきゃいけないってのが大きいんだろう。…後はまぁ、雪山で年頃の男女が、二人きりでテント…ってのは、色々不味いと判断された可能性もある。

 兎にも角にも、一日目の調査を終えた俺と妃乃は、一直線に支部へと帰還。一日富士山にいたとなれば、もう身体はキンキンに冷えている訳で…支部へと着いた俺は、最低限の事だけやってその後は大浴場へと直行した。

 

「あ"ーー…ほんと癒される……」

 

 冷え切った身体への、外からの熱。外側から暖まり、その熱が身体の中に籠っていくのを感じながら、俺はぼんやりと思考。

 一日目の、という表現からも分かる通り、調査が終了になるような結果は今のところ出ていない。ちらっと聞いた程度だが、他のところも同じな様子。であれは、まだ調査任務が続くのは、ほぼ確定。

 

「…いや、何かを発見したらそれで終了…って事もねぇか…確保するのか、破壊するのか、どうすんのかは分からねぇが……」

 

 学校の課題ならともかく、調査ってのはそれをするだけで終わったりはしない。というかそもそも、その先にある目的に必要だから調査をするのであって、詰まる所何かしらの事はするんだろう。そこに俺の出番があるかどうかは分からないが、それだってその段階になれば分かる事。

…にしても…男の風呂なんて、描写的に必要か?楽しいか?ぶっちゃけこれ、他の場所でもなんら問題ないよな…?……よし、出よう。

 

「……ふぁ、ぁ…風呂入って眠くなるって…子供か、俺は…」

 

 という訳で身体も十分に温まった俺は入浴を終え、割り当てられた部屋へ行く為廊下を歩く。子供か、と自分で自分に突っ込んだ俺だが、一日活動した上での風呂なんだから、そりゃ眠くなってもおかしくは……

 

「……って感じね。そっちはどうだったの?」

「うーん、妃乃と大体同じかな。やっぱり富士山全体が乱れてるっていうか特異さが増しちゃってる感じあるよねぇ…」

「あ……」

 

 角を曲がるのとほぼ同時に聞こえてきたのは、聞き覚えのある声と、それ以上に聞き覚えのある声。この声は…と思いながら曲がり切れば、やはりいたのは妃乃と綾袮。

 

「これだと大部隊で来てたとしても、かかる時間はあんまり…っと、悠弥君じゃん。やっほー」

「あぁうんやっほー、それを言うなら向こうの方角だと思うぞ?」

「え?…あ、そっか実際に山が近いもんね。いやぁ、これは一本取られたよ」

(いや、取ってないけどな…)

 

 こちらへ背を向けていた妃乃より先に綾袮が気付き、呼ばれるようにして俺は二人のいる方へ。休憩所の様に少し出っ張った場所、そこのソファに座っていた二人は、どうやら今日の事を話していたらしい。

 

「今日は一日お疲れ様、悠弥君。妃乃もちゃんと労ってあげた?」

「え?まあ、過去に戻った時にお疲れ様、位は言ったわよ?」

「その言い方だと、ほんとにそれ位しか言ってないね?んもう、駄目だよ妃乃。妃乃ってば素だとちょっと素っ気ないところあるんだから、意識して言う位の事しないと」

「素っ気ないとは失礼ね。なら綾袮こそ、ちゃんと言ってるの?」

「うん。それはもう軽快に、『はーいお疲れお疲れ〜』ってね!」

「いやそれ部活のノリじゃない…気さくを超えて、それじゃただの場違いだっての…」

 

 やっほー、と言われた以上スルーは出来ないなと思い、近くに行った俺……だったが、俺に対する言葉はそこそこに、二人はすぐ二人だけの会話を始めてしまう。

 

…………。

 

……いや、ほんと俺呼ばれたの?呼ばれはしたんだよな?それとも何か?山彦感覚でやっほーとだけ返して、後は素通りするべきだったのか?…だとしたら俺…普通に間抜けじゃね…?

 

「…あ、ところで悠弥、明日の事なんだけど……って、何黄昏てるのよ」

「訊くな、そういう気分だったんだ…」

「そ、そう…明日だけど、ポイントCまでは今日と同じ所を探すわよ。一日通して考えると、その辺りまでが特に気になる感じあったし」

「あ、おう…結構簡単に変えられるんだな、捜索ポイントって」

「そうよ、だって感覚頼りな部分も多いもの。…因みに、貴方は何か感じた事ってない?」

「え?寒いなぁってのと、近くで見るとやっぱ富士山は圧巻だよなぁって事位だな」

「あ、分かる分かる。わたしもそう思ったんだよね」

「あそう…そりゃ、富士山も喜んでるんじゃないかしらね……」

 

 答えた内容自体は冗談だが、特別気になる「何か」は感じられなかった、というのが実際のところ。俺より探知能力が高いであろう妃乃でも「気になる」止まりなんだから、それで言えばむしろ目に見えるおかしさ、違和感なんかを探した方が良いかもしれない。

…と、思ったところでまた出る欠伸。それ自体は噛み殺したが、噛み殺したって眠気が消える訳じゃない。

 

「あー…俺はもう寝るわ」

「そうね、ゆっくり休んで。…ま、私もそう長く起きてるつもりはないけど」

「現場に集中しろ、って言われてるもんね。じゃあ、わたしラフィーネとフォリンに話をしたら寝よっかな」

 

 一言言い、返答を聞き、更に綾袮の言葉も耳にしながら俺はその場を離れていく。特に何も考えず歩いていく俺だが…ふと頭に残ったのは、二人の名前。

 

(ラフィーネ、フォリン、か…もし巻き込まれてなきゃ、御道もいたんだろうな……)

 

 実力を伸ばし、綾袮からかなり信頼されている御道ならば、きっといたのだろう。いたら何か変わっていた…という事はないのかもしれないが、それに関しては誰だって同じ。

 そして、今俺は御道の事を、幸せだとは思っていない。戦いなんて無い方が良いに決まってるが、…今でも俺は、双統殿で言い争った時の事を覚えている。あの時と違って、今の俺は力がある事に強い価値も感じている。…だからこそ…今の御道の事を思うと、どうにも俺の中では複雑な思いが渦巻くのだった。

 

 

 

 

 二日目、午前中。俺と妃乃は昨日話した…というか言われた通り、まずは昨日と同じルートで、改めて同じ場所の調査をしていた。

 

「うー、ん……」

「…何にもない、って事はないが…って感じの顔だな」

「…えぇ、その通りよ」

 

 一度降り、ぐるりと周囲を見回した妃乃。その後の顔は、見るからにぱっとしておらず…やはり、思った通りらしい。

 

「こう、遠くには感じられてるんだけど、何か違うような気がするっていうか、その正確な位置が掴めないっていうか……」

「…それって、今いる位置の反対側位遠く離れた位置とかじゃないだろうな…?」

「幾ら何でもそこまでは遠くないわよ…そんな遠くのものを感じてるなら、この辺りが気になったりはしないし…」

「分かっちゃいたが、骨が折れるなこりゃ……」

 

 そう言いながら、俺もゆっくりと周囲を見回す。どこを見たって雪山としての景色しかないが、そう決め付けてしまうのは早計。目を凝らせば何か変な物あるかもしれないし、そうでなくとも何かしらのヒントは見つかるかもしれない。……まぁ、凝らしたって今のところ雪と木しか見えてこないが。

 

「…まさか、雪に埋もれちゃってるのかしら…もしそうなら、いよいよ見つけるのは困難ね……」

「…………」

 

 時々止まったり降りたりしつつ、低速で進む事数十分。妃乃はあってほしくない可能性を、独り言として漏らし……それを聞いて、俺はある事を考える。

 雪に埋もれているのか否か。…考えたのは、それじゃない。考えたのは…そもそも埋まるものなのか、という疑問。見つけようとしているものが分からない以上、仮に今の発言が俺に向けてされたものだとしても、それに答える事は出来ない。

 一体何を見つけようとしているのか。それっぽい理由で有耶無耶にしていたが、ここまで来て聞かないというのは流石におかしいってものだろう。聞いた結果答えるのを拒否されたというのならともかく、この期に及んでまだ敢えて聞かないというのは……

 

「……って、あ」

「え?何かあったの?」

「いや…ほら、もうここまで来たのか、ってな……」

 

 その瞬間、俺の視界に映ったのは、昨日遅めの昼を食べた洞穴。いつの間にかここまで、もっと言えばもう一度調査すると言った場所から、新たに行く場所の境となる付近まで来ていたのかと俺は驚き……

 

 

……あ、いや、待てよ…?まさかとは、思うが…そんな都合の良い展開ある?とは思うが…。

 

「…妃乃、ちょっと待っててもらえるか?」

「……?良いけど、やっぱり何かあったの…?」

「気になる事は、な」

 

 妃乃へ一言断りを入れて、洞穴へ向けて急降下をかける俺。着地の直前で逆噴射をかけ、軽く走る形で雪原に降りる。そこからそのまま洞穴の中へと入っていき、用意しておいたライトで中を照らす。

 昨日の段階では、ただの洞穴、ただのちょっとした横穴程度に思っていた。だがそれは別に、ちゃんと調べた訳じゃない。ぱっと見の判断で、単に「ここ昼食食べるのに良さそうじゃね?」位の感覚で見た結果そう思っただけで、本当にそうなのかはまだ分からない。

 だからライトで照らしながら、奥へと進む。本当にただの洞穴なのか、何の変哲もない穴なのかを確かめる為に、俺は奥へと向かって歩いていく。そして……

 

「…………」

「あ…悠弥。何か見つかった?」

「…ここ、昨日入った時奥は壁になってるように見えたよな?」

「えぇ、見えたけど…違うの?」

「あぁ。どうも奥は登り坂になってて、結果地面が壁に見えてたみたいでな。……あったよ、その奥に。結構な広さのありそうな、地下洞窟へと繋がる穴がな」

 

 何か、を隠していたのは、積もった雪ではなく地面そのもの。地下という、近くとも全く見えない場所。…その可能性を生み出す空間が…洞穴の下、洞穴の先には広がっていた。



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第百九十六話 そして再び

 的中した予想。ただの洞穴だと思っていた横穴の先にあった、地下空間へと広がる大穴。全くの未知であるその空間への調査は、当然必須。

 だが現状、この地下洞窟の事は何も分かっていない。何かあるかもしれないが、逆に言えば何もないどころか、ちょっと歩いたらすぐに行き止まりへとぶつかってしまう…なんて事も普通にあり得る。だから妃乃は、この洞窟の事を連絡だけして…まずは俺達二人だけで、先行調査をする事となった。

 

「流石に暗い…って言うか、真っ暗ね…足元どころか、頭や肩も気を付けないと何かにぶつけそう……」

「だな……」

 

 ライトの明かりを頼りに、奥の穴からゆっくりと降下。先に妃乃が降りていき、その後を俺が続く。

……因みにこれ、軽くだが下まで行った俺ではなく、妃乃が先なのにはちゃんと訳がある。理由は、妃乃がスカートだからだ。その状態で、俺が先、つまり下になれば……あぁ、そういう事さ。

 

「よ、っと…ここからは、歩いていくとして…広さ…も、見たところ大丈夫そうね……」

「…妃乃、その翼はそのままにしておいてもらえるか?」

「え、どうして?」

「や、これもそこそこ明かりになるし」

「あぁ…そういう事ね…」

 

 暗闇の中でも蒼く美しい光を放つ、妃乃の翼。照らす事を前提とした光じゃないからか、ライト程ではないものの、妃乃の翼はすぐ近くの視界を確保する位の光にはなる。

 無論それは、妃乃の翼限定の話じゃない。霊力剣や、何なら弾丸だって光源にはなるが、明かり目的に火器をぶっ放すというのは頭が悪いにも程があるし、剣にしたって表面積は翼の方がずっと上。

 

「じゃ、出来るだけ進んでみるわよ悠弥。一先ず今は、ここの構造や危険がないかの確認を優先して…って、ごめんなさい。多少とはいえ先に一回見てきた貴方を差し置いて、私がどうこう言うのは違うわね…」

「ん?いや構わねぇよ?」

「そ、そう?ならまあ、そうさせてもらうわ」

 

 ここで見栄を張ったってしゃあないし、俺に誇示するようなプライドもない。だから俺は舵取りを妃乃に任せ、隣に立って歩き出す。

 近くは妃乃の翼を頼りに、向かう先をライトで照らす。頭や肩も気を付けないと、と妃乃が言っていたが洞窟内は結構広く、壁際に寄らなければ概ねそういう心配はない。むしろ気を付けるべきは地面が欠けていないか、突然崩れないかであり…いつでも飛び立てるよう、周囲に気を付けながら心構え。

 

「…………」

「…………」

「…し、しかしほんと暗いわね……」

「まぁ、地下の洞窟だからな…」

「…どこか、光が差し込んでたりしないかしら……」

「この様子じゃ、近くにそういう場所はなさそうだが…(…うん?)」

 

 降下し、地下を歩き始めてから数分。暗闇という環境で自然と気が引き締まり、強い緊張感を持って進む中、妙に周囲へと目を走らせる…というか、しきりに周りを気にする妃乃。初めはそれを、単に警戒を強めているだけだと思った俺だが…それにしても、何かおかしい。おかしいというか…口調から、明るさを求めているような気配を感じる。

 それ自体は、なんらおかしな事はない。明るければ視界を確保出来るんだから、求めるのは当然の事。だが妃乃の様子を見るに、それともちょっと違うらしく……あ、まさか…。

 

「…もしや、妃乃……」

「…な、何よ…」

「…怖いのか?」

「なぁ……ッ!?」

 

 ふっ、と頭に浮かんだ可能性。いやでも妃乃だそ?あの時宮妃乃なんだぞ?…と思いつつも、それを俺が口にした瞬間、妃乃は絶句。人が誰かから何かを言われて絶句をするのは、幾つかのパターンがあるが…この反応は、間違いない。

 

「なっ、ななッ、何を言ってんのよ急に!?そ、そんな訳ないでしょ!?そんな訳ないでしょうッ!?」

「…うん、もう図星だって宣言してる位分かり易くテンパるのな」

「はぁぁ!?ず、図星じゃないわよ!テンパってもないわよ!適当な事言わないでくれる!?」

「えぇー……じゃあ、怖くないと…?」

「当然よ!たかが暗い程度、怖くも何とも……きゃあぁああああぁぁッ!?」

 

 なんかもう逆にわざとなんじゃないか、って位激しく反応する妃乃だが、案の定認めるつもりはないらしい。そのあんまりな見栄の張り方に思わず俺は呆れてしまうが、そんな事は御構いなしで妃乃は「怖くない」という自らの主張を貫こうとし……だが次の瞬間、どこかで飛び立つ何羽もの蝙蝠。バサバサッ、という羽で空気を叩く音が周囲へ響き……その音に完全にビビったのだろう。妃乃は思いっ切り悲鳴を上げ、俺の方に飛び付いてきた。

 

「うぉっ…!…ひ、妃乃ー……?」

「…ぁ…や、これは…その……」

「…怖かったんだな」

「…う、うぅ…そうよ、そういう事よ…悪い……?」

 

 別に俺だって、全く怖くない訳じゃない。暗闇からは何かが出てきそうだ、っていう感覚はあるし、蝙蝠の羽音には俺も肩がびくっとなってしまったし…何より悲鳴と共に妃乃が横から腕に抱き着いてきた事で、もうそっちへの驚きどころじゃなくなっていた。

 絡んでくる両手。服越しでも分かる、押し付けられた胸の柔らかさ。内心それにドギマギする中名前を呼ぶと、妃乃ははっとした顔になり…今度は言い訳のしようがないからか、顔を反らして口を尖らせつつも怖がっていたという事を認める。

 

「別に、悪いとは思ってないんだがな…まあ、正直意外ではあったが」

「…でしょうね…分かってるわよ、こんな風に怖がるなんて似合わないって……」

「あぁいや、そういう事じゃなくてだな。…んまあ、でも…あれだ……」

 

 妃乃はこういう状況にも割と平気なんじゃないか。根拠なんて全くないが、イメージとして俺はそう思っていた。

 だが、実際にはそうじゃなかった。そうじゃなかったし、妃乃から帰ってくる言葉には、自分へ対する情けなさ、もっと言えば卑下な感情が籠もっている。籠っているように、感じられる。だから俺は、逡巡の後左手を伸ばし…その手を、妃乃の頭の上に置く。

 

「…どうせ、今いるのは俺一人なんだ。あんまり体裁だのなんだのは気にする必要もねぇだろうし…こんなんでも役に立つなら、好きに使ってくれ」

「……何よ、急に…そんな、格好付けちゃって…」

「あぁ、柄じゃねぇよなぁ…」

「…でも、ありがと……」

 

 ぽんぽんと撫でるように軽く叩き、それから俺は少し肘を曲げた状態で腕を横に。格好付けちゃって、という妃乃からの返しはもう全くもってその通りで、ほんと柄じゃねぇなと思ったが……その数秒後、妃乃の指が俺の左腕の袖を摘んだ。先程のようにがっつりと掴むのではなく、親指と人差し指で、ほんの少し挟む程度の形ではあったが…なんだかその素直じゃない感じが逆に可愛いというか愛おしくて、思わず俺は頬が緩みそうになってしまった。

 

「こ、この事誰かに言ったら、ただじゃおかないわよ…?」

「言わねぇっての。俺をなんだと思ってるんだ」

「初めてまともに話した日の内に、引くような冗談を言ってきた男」

「…ぐうの音も出ねぇ……」

「…そんな男を今や信頼しちゃってるんだから、私も相当物好きになったものね…」

 

 そういやそうだった…と過去の俺に内心呆れていると、「信頼」という言葉がさらりと妃乃の口から漏れる。どうも妃乃自身は気付いていないようだし、その後の口振りからしていつもの皮肉的発言なんだろうが…ヤバいな、今の状態と合わさる事で、これまた可愛い。てか、なんだこりゃ。吊り橋効果か?いつどこから襲われるか分からない状況で、普段より可愛く感じてるとかそういう事か?

 

(…って、んな事考えてる場合じゃねぇだろ俺…いつどこから襲われるか分からない、一番気にするべきはこっちだっての……)

 

 何とも俗な考え方を追い出すように、俺は心の中で自分を叱責。冗談抜きに、ここじゃいつ襲われてもおかしくないし、襲われたと気付いた時にはもう致命傷を受けた後…なんて事も普通にあり得る。妃乃なら、まだ何とかなるんだろうが…妃乃程の実力がない俺の方は、本当に油断なんざしていられない。

 

「……っ…これは……」

「…妃乃?」

「…多分、ここを調べるのは正しい選択だったと思うわ」

 

 そう自分へと言い聞かせた数十秒後、不意に妃乃は見回すように視線を動かす。

 それは、さっきの怖がっていたものとは違う、明らかに何かを感じての動き。訊いた俺に、妃乃は真剣な声音で返し…その直後に、俺も感じる。並々ならぬ、普通じゃない何かを。

 

「…戻るか?」

「…どう思う?貴方の意見を聞かせて頂戴」

「…一旦戻るべきだろうな。既に何かしらある事は分かってる。そして万が一何かあっても、ここにゃ退路が一つしかない。その上で、今は危ない橋を渡る状況かっつったら……」

「…そうね。一度戻って、改めて調査をしましょ」

 

 状況によっては多少のリスクを背負ってでも行動を続けるべきだが、今はそうじゃない。むしろ今は、その判断こそが短絡的。…その考えがちゃんと伝わったのか、俺の言葉に妃乃は頷き、俺と妃乃で意見が一致。ならば次にする事は、さっさとここから離脱する事。

 

「良かったな、妃乃。特に何も起こらなくて」

「えぇそうね…って、それはどういう事よ…!?」

「さぁな。ともかくさっさと戻ろうぜ。…って言うと、フラグになるか……」

「フラグって…真面目にやりなさいよね……」

 

 半眼で見てくる妃乃の視線をさらりと流し、俺はその場でゆっくりと反転。あまりスピードを出さなかったのは、摘んでいる妃乃を振り切らないようにする為だが、それでも妃乃は引っ張られる形となり、わたわたと俺の横を回る。

 

(一度離しゃ良いのに…って訳にゃいかないか。そうした場合、そのままでいるかもう一度掴むかしなきゃいけねぇんだもんな)

 

 そんな事を考えつつ、だが決して油断はせずに、俺はここまでの道を引き返す。その道中もおかしな事は何もなく、それこそ蝙蝠が一番のハプニングだったと言っても過言じゃない程何もなしに穴の下、即ちここへの入り口へ到着。拍子抜けといえば拍子抜けだが…当然、悪い事態は無いに越した事はない。

 

(…さて。これが本当に何もなかったのか、それとも敢えてこっちに手を出してこなかったのか…前者であってほしいところだが、楽観視は出来ねぇな)

 

 穴を登っていく直前、俺は一度振り返る。振り返り、改めて地下空間の中を見る。

 広がっているのは、そこそこ広く…だが暗過ぎて、全容なんざ全くもって分からない場所。この場所の正体…っつーか、感じた『何か』の事は…人が集まり次第やるであろう、再調査が始まるまではお預けだな。

 

 

 

 

 通信機器があるとはいえ、音声だけ、それも通信に適した状態じゃない場所でやるんじゃ、意思疎通にも限界がある。それを考慮し、妃乃は一度支部まで戻る事を決めた。

 だが、だからと言ってここを空けたままにもしておけない。という訳で、どちらかはここに残る事となり…当然それは、俺の役目となった。立場的に妃乃の方が話が通り易い…ってのは勿論の事、妃乃の方が速度も出るし、上手く説明も出来るだろうしな。

 

「…あ、しまった…追加のカイロか何か頼みゃ良かった……」

 

 見張り番をする以上、遠くに離れちゃ意味がない。だがかといって洞穴の真ん前に突っ立っていたら、この奥に何かがあるんだと周囲に伝えているようなもの。だから今俺がいるのは、洞穴とその周囲を見る事が出来る、近くの林、その木の裏。

 何か温かくなるものがほしい。…その程度の要望なら、当然通信で頼めてしまう。けど…その程度の事を、支部に急いでるであろう妃乃に頼むのは、ねぇ…?

 

(…まぁ、いいか。妃乃の事だ、それ位の気は回してくれるだろ。それよりも、問題は……)

 

 勝手な期待を結論にし、一度その思考を区切る俺。その理由は、考えたって仕方ないから…ってのもあるが、一番はつい先程から感じている、魔物の存在。

 近くに入る。だが林の中に入っているが故に視界は悪く、その姿を視認出来ていない。動き回れば見つかるかもしれないが…あくまで俺の務めは、見張る事。すぐ片付けるから、と自分を納得させて目を離していた隙に何かがあったんじゃ、洒落にならない。

 

「……引き付けるしかない、か…」

 

 今打てる手はなんだ。どんな策なら、この状況でも有用か。それを俺は、体勢を一切変えずに考え…そして、呟く。

 出来る限り、目を離す訳にはいかない。離さざるを得ないのなら、その時間は最小限にしなければいけない。…ならやはり、引き付けるしかない。このまま気付いていないフリをし、俺自身を餌とする事で魔物を誘い出し、相手の方から近付いてくるのを待って、探知能力だけでも正確な位置を捉えられる距離まで近付いたところで、一気に仕留める。それこそが、今取れるベストな選択。

 そうと決まれば早速…といきたいところだが、動く訳にはいかない以上、これといってする事もない。今俺がすべきなのは、焦って動き、こちらの意図を気取られたりしないようにする為の忍耐。そして当然、見張りの方も同時に続ける。

 

(…まだだ…大方は分かってきたが、今焦れば全部が無駄になる…落ち着け、落ち着け俺……)

 

 少しずつ、警戒しながらも魔物が近付いてくるのが分かる。近付いてきているのは分かっているのに、構えるどころかそちらへ目を向ける事すら出来ないというのは、精神的に凄まじくキツい。全身がちくちくとなり、熱くもなり、とにかく動きたくて堪らない。

 それを何とか気力で押さえ込み、待つ事約数分。…いよいよ、魔物が近くなる。その位置も、感覚的に分かっている。……でも、まだだ。一瞬で、最速で仕留めるなら、更に近い距離にまで接近させる必要がある。奴が攻撃に出る直前、奴が攻撃に移ろうとした瞬間…その時こそが、最大のチャンス。

 

「…来いよ…もっと、もっと……」

 

 自ら隙を晒す、晒し続けるという恐ろしさで、逆に何故か緩む口元。人間追い詰められ過ぎると逆に笑えるというが…恐らく今の俺に浮かんでいるのは、そういう笑み。

 あぁ、だが…漸く後一歩のところまで来た。後一歩、一歩分奴が近付いてくれば、確実に仕留められる。まだ姿をちゃんも見てもいないのにかって言われても、出来ると断言出来る程、俺の中には確信がある。

 減速したように感じる時間。張り詰められた神経により、一秒ですら長く感じる。そして俺が限界まで引き絞った精神で待つ中、魔物は最後の一歩、俺にとっての『確実』の距離へと入り……

 

 

 

 

──その次の瞬間、どこか…だが恐らくは近い木の上から、積もっていた雪が落ちる。

 

「……──ッッ!?」

 

 積もった雪が雪原へと落ちる、どさりという音。不意に聞こえれば間違いなく驚く、驚かざるを得ないような、重低音。だから当然、俺は驚く。神経を張り詰めていたからこそ、殴られたかのような衝撃が走る。

 だが、そんな後はどうでもいい。どうだっていい。それより、致命的なのは……ッ!

 

「くッ、そぉおぉぉぉぉッ!」

 

 弾かれるように俺は振り向き、確認もせずそのまま跳躍。身体を動かしてから、雪原を蹴ってから、俺は自分が向いた先を見て……視認する。認識する。すぐ側まで迫っていた、されど今は驚いた顔で飛び退こうとしている、俺が誘き出したその魔物を。

 まだだ。まだ間に合う、まだ届く距離にいる。その一心で俺は魔物へと突進し、左の腰へと右手を伸ばし、そこに吊るした直刀で一閃。居合の如き横一文字を、魔物へと放ち……けれどもほんの僅かに距離が足らず、紙一重で斬撃は外れる。

 

「……ッ…こッ、のぉぉおおおおおおッ!」

 

 届かない斬撃。空を斬る刃。だが俺は諦めようとは思わなかった。ここまできて、本当に後一歩で、なのにあんな理由で失敗なんざ、絶対に認められるか。

 そう叫ぶように俺は吠え、本能的に左手も腰へ。正直、自分でも何を掴んだのか分からない。何を掴もうとしたのかも定かじゃない。それでも俺は、直感のままに掴んだ物へと力を込め、真っ直ぐに投擲。放たれたそれは、放たれる直前、その先端より青く輝く刃を作り……直撃。飛び退き、魔物が正に着地をした瞬間…その片目へと、吸い込まれるように刺さる。

 

「よ…っしゃあッ!」

 

 無我夢中で放った純霊力の片手剣。倒せる確信なんざなかった、怒りにも似た感情で以ってぶん投げた一撃。それがまさか上手く刺さるとは、それも目に突き刺さるとは思ってもみなかったし、だからこそ思わず歓喜の声を上げてしまう。

 無論、まだ魔物がピンピンとしていたら、こんな声は上げない。だが、剣は目に突き刺さった。そして大体の哺乳類同様その奥に身体を動かす中枢があったのか、びくんと一度痙攣した後、力が抜けるように魔物は倒れ…そのまま一切動く事なく、消滅を始めた。

 

「不幸中の幸いってのは、きっとこういう事を言うんだろうな…はぁ……」

 

 予想だにしなかった幸運で撃破出来た訳だが、そもそも予想だにしなかった不安さえなければ、多分想定通りに倒せていた筈。そう考えると不幸中の幸いと言っても、あんまり良いもんじゃねぇなと溜め息を吐き……っと、そうだ。ここで気を抜いてどうすんだ俺…。

 

「…よし、状況に変わりはねぇな」

 

 武器を回収し、それぞれ腰に戻し、元いた木の陰へと戻る俺。そこからさっき振りに洞穴の方を覗くと、これと言って変化はなく、何かや誰かがいたりもしない。

 まあでも、目を離してたのなんてせいぜい数十秒。普通に考えたらそんな短時間で何かが起こる可能性の方が低い訳で、魔物を倒した今となっては、そもそもそこまで急ぐ必要があったのか…?とすら思えてしまう。そう思うのは、喉元過ぎればなんとやら…ってやつだろうが、とにかくそう思うとなんだかどっと疲れが押し寄せ……

 

「おや、何かから隠れているのですかな?それとも…その方向に、何かがあると?」

「……──ッッ!?」

 

……次の瞬間、後ろ上方から聞こえた声。誰なのかは分からない…だがどこかで聞いたような気のする、微妙に鼻につく声音。

 反射的に振り向む身体。そこにいたのは、上から雪原へと降り立ったのは、一度しか見ていない…だが話にはその後も、つい最近も聞いたある存在。前回の調査の際にも現れ、妃乃と一戦交えた魔人。俺はまだしも、妃乃にとっては少なからず因縁のある魔人が今……浮かべた薄い笑いと共に、俺の前へと現れた。



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第百九十七話 勝利への賭け

 嘗ての俺は、魔人とまともにやりあえる…もっと言えば、勝てるだけの力があっただろうか。…答えは否だ。少なくとも、魔人に勝てるような強さはなかった。実際に交戦した事はないが、まあ多分そうだ。

 というかそもそもの話として、魔人に単独で勝てる人間なんかそういない。妃乃や綾袮が例外なのであって、普通は単独で魔人と遭遇するような事があれば、何とかして逃げるのが最善の選択。勇敢に戦い殺されるなんざ、自己満足以外の何者でもない。

…だが、そうもいかない事がある。勝てなくたって仕方ないが、そうも言っていられない、戦わざるを得ない状況ってのは、往々にして存在する。例えばそう……今の、俺の様に。

 

「テメェ、は……!」

「人間にとって、このような環境下での活動はさぞ大変な事でしょう。ご苦労様です」

 

 口調は丁寧な、だがまるで敬意は感じない、むしろ慇懃無礼ですらある魔人の言葉。奴がそれを自覚しているのかどうかは分からないが…不愉快な事には変わらない。

 

「…後ろから不意打ちせずに話しかけてくるとは、随分と親切じゃねぇか…」

「いえいえ、単に目的があって話しかけただけですよ。別に人を殺して楽しむ趣味はありませんし、先に殺してしまっては何も訊く事が出来ませんからね」

「…目的……?」

 

 皮肉を込めた、俺からの言葉。だがそれに魔人は眉一つ動かさず、平然と言葉を返してくる。その態度は、どこからどう見ても余裕綽々で…実際それは、間違っちゃいない。俺と奴の、どっちが強いかっつったら…そりゃ当然、奴の方なんだから。

 そこでふと俺の頭の中に浮かぶのは、奴が俺を覚えているのかって事。だが、それは考えたって意味がない。覚えてようが覚えてまいが、分かったところで全くの無意味。

 

「えぇ。貴方は、一体何を見ていたんです?」

「…それを訊いてどうすんだよ」

「それは内容次第です。訊いてみなければ、その判断も付かないでしょう?」

 

 軽く頷いた魔人からの、ストレートな問い。その言葉に、一瞬俺はどきりとしたが…こんな質問をするという事はつまり、まだ奴は俺が見ていたものを理解していない。…ならば、俺がするべき事は一つ。

 

「そうかい。だったら悪いが、俺はここで景色を見て楽しんでんだ。邪魔すんな」

「これは失礼。そういう事でしたら、どうぞご自由に」

 

 俺は奴へと発したのは、言うまでもなく嘘。かなり雑な嘘ではあるが…今は、洞穴の事がバレさえしなければいい。そして納得するような理由を言ったところで奴がどっか行ってくれる保証は微塵もない以上、それっぽい理由をでっち上げても意味がない。

 そう考えて俺が言った、適当な言葉。だが何を思ったのか、それに対して魔人は何も言わない。まるで今の内容で納得してしまったかのような…そんな態度を返してくる。

 

(…なんだ…こいつ、何を考えてやがる……)

 

 騙されてくれるなら好都合、単純な奴で助かった。…なんて、能天気には考えられない。そもそも奴は戦況を判断し、目的の為に退く事が出来る魔人。ならこんな馬鹿らしい嘘に引っかかる筈がなく…であればやはり、奴は敢えて今の態度を取っている。そうする事が得策と踏んで、俺の嘘に乗っている。

 だが、それなら奴の目的はなんだ。一体どんな企みがあって、俺の嘘に乗ったのか。今の発言自体が俺を油断させる為の罠である可能性も考えて警戒は最大レベルを維持しつつ、俺は奴の目論見を考え……すぐに、気付く。

 

「……ッ…テメェ、まさか…」

「おや、何です?何か面白いものでも見えましたか?」

 

 近くの木の下へと入りながら、腹の立つ丁寧な言い方で言葉を返してくる魔人。焦る様子もこちらへ探りを入れてくる様子もなく…正にそれは、余裕綽々。既に策は完了したと言わんばかりにこっちを見やる。

 あぁ、間違いない。こいつは踏んでいるんだ。『何を』は分からなくても、俺が『何か』を待っているんだという事を。そしてそれが、こちらから何かする必要もない…待っていればその内自然と現れる、向こうから答えがやってきてくれる事柄なのだと。

 

(くっそ…どうする?奴の事を通信するか…?…いや、駄目だな。それも奴は踏まえてやがる。踏まえた位置に、立ってやがる…)

 

 奴は身体を伸ばす能力を持っている。その速度から考えて、通信しようとしても妨害されるのは自明の理。そしてもし破壊されるような事があれば、緊急事態だと誰かしらがすっ飛んできてしまう。魔人がいると、知らないままに。

 それが、妃乃や綾袮辺りならいい。もし妃乃クラスの人間が来てくれるなら、形勢は逆転する。だがそうじゃないなら、そいつの身が危ない。霊装者が来るなら一網打尽にしようと奴が考えているなら、その場合は最悪の展開になる。

 かと言って、このままも不味い。万が一今何か洞穴に入ろうとしても、俺は止められない。止めた事で洞穴に何かあると奴にバレる以上、どうしようもない。

 

「……親切っつったが、ありゃ撤回だ。…随分と、姑息な事してくれんじゃねぇかよ…」

「はて、何の事でしょう?」

 

 とぼけてくる魔人だが、何故そう思うのか、とは訊かない辺り、やはりそういう事らしい。

 下手に連絡を取ろうとすれば危険。何もしなくても危険。見張りがある以上、俺が場所を変える、移動して俺の目的を誤認させるって手も実行出来ない。…そんな、八方塞がりの状況。こんな状況下で、打てる手なんか……

 

(…いや、ある…あるには、あるな……)

 

 自分の思考へ、自分自身で待ったをかける。打てる手はない。出そうとしていたその結論を、止めるようにして否定する。

 そう。確かに一つ、手はある。今この場で出来る、上手くいけば最高の成果をもたらす、最大の策が。逃げるのではなく、誤魔化すのでもなく…俺の手で奴を倒すという、この上なく無謀な策が。

 

「…一応訊く。邪魔だから帰れっつったら、帰るか?」

「勿論…と、言いたいところですが、ワタシも貴方の言う『景色』が気になってしまいまして…極力お邪魔にはならないようにしますので、お気になさらず」

 

 十中八九訊いても無駄だろうとは思ったが、一応俺は確認を取る。無謀な策な以上、避けられるならその方が良いと考えて。

 だが案の定、奴に応じる気配はない。それどころか案に俺の推測を肯定するような言葉回しを選んできて…俺は確信。やはりこの状況、俺が取れる最大の策は…奴の撃破、ないしは撃退しかない。

 

「…ふー、ぅ……」

 

 ゆっくりと、奴に聞こえない程小さく長く息を吐き、意識を完全に戦闘のそれへと移行する。

 考えるまでもなく、普通に戦ったら勝てない。ゼロでなくとも、勝ち目はかなり薄い。その上で勝とうとするなら、当然策を、駆け引きを、環境やその他諸々を全て駆使して、スペック以外で奴を大きく上回らなきゃならない。

 キツい戦いだ。だが幸い…心は落ち着いている。緊張感はあるが、精神はきちんと戦う事、勝つ事に目を向けられている。だったら、今考えた通り…全力を、尽くすしかねぇ…ッ!

 

(まずは……ッ!)

 

 ライフルを引き抜き、発砲する俺。魔人はぴくりと眉を動かすが、そこから移動する事はなく…撃った弾丸は、魔人の頭よりずっと上へ。

 この軌道が見えていたから、奴は動かなかったんだろう。それは奴からすれば、明らかな外れで…だが俺にとっては、狙い通り。狙った通り、弾丸は魔人の頭上へと飛び…次の瞬間、木に積もっていた雪が落ちる。

 

「容赦も、出し惜しみも、最初からなしだ…ッ!」

 

 音を立て、落下する雪の布団。だがこんなもの、魔人どころか大概の魔物にも一切ダメージになんかなりゃしない。なりゃしないが…目眩しには、十分なる。

 その雪が落ちると同時に、俺は雪原を蹴って真っ直ぐに跳躍。右手で腰の直刀の柄を掴み、肉薄し…魔人を覆った雪諸共、横一文字に一閃。斬撃は、落ちた雪を一瞬で斬り裂き…だがそこに、魔人の姿はない。

 

「中々上手い攻撃ですね、少々驚きました」

「ちッ、やっぱりかよ…ッ!」

 

 奴がいないと分かった直後、背後に感じる強い気配。振り向きざまに直刀を掲げると、そこへ奴の手刀が襲う。

 一先ず攻撃の防御に成功。だが、初撃で仕留める事には失敗。奴の不意を突けるであろう初撃で撃破どころか何のダメージも与えられなかったのは…正直、痛い。

 

「しかし、意外ですね。口振りからして、戦闘を避けようとしているのかと思ったのですが」

「それが出来りゃ良かったんだけど、なッ!」

 

 チャンスをものに出来なかったのは本当に痛いが、もうそれを嘆いたところで何にもならない。ましてや相手は魔人な以上、過ぎてしまった事を気にしてるような余裕もない。

 斬撃と射撃、二つを交えながら攻め立てる俺に対し、魔人は反撃してこない。だが巧みに捌く動きからして、反撃『してない』だけである事は明白。

 

(強引に仕掛けたって、そこで生まれる隙を突かれるだけ。だが普通の攻撃じゃ、奴の防御を崩し切れない。…だったらやっぱり、奴の体勢を崩すしかねぇか……)

 

 今左手にあるライフルは射程も連射性も全体的に使い易いが、やはり近接戦が行えるような距離じゃ取り回しが悪い。だから一度俺はトリガーを引きっ放しにし、その状態で振るう事によって薙ぎ払い、奴に後方への跳躍を選択させる。そして狙い通りに奴が下がったところで、俺はライフルを腰に戻して、左手は開けたまま再び突進。

 距離が開いたからといって射撃を主体に動いたりはしない。理由は当然、射撃で奴を倒せるような技量が俺にはないから。可能性で言えば、まだ接近戦の方が見込みがある。

 

「いつまでもそうやって、余裕ぶってられると思うなよ…ッ!」

 

 突進の勢いも乗せ、右手を突き出して放つ直刀の刺突。それ自体は靄を纏った左腕で逸らされ外れるが、勢いがまだある内に左脚で膝蹴り。それも右掌で受けられたところで俺は右の脚も振り出し、三度目の正直を叩き込む。

 だがそれを、魔人は即座のバックステップを用いて回避。今のは奴としても少しはひやりとしたのか、端から機会を伺っていてそれが今だったって事なのかは分からないが、着地の瞬間魔人は貫き手の様に右手を構え、雪原を蹴ると同時にその右腕を突き出してきて……俺はそれを、左手で掴む。前腕を掴み、握り、そこを軸に身体を飛ばして一回転。

 

(今だ……ッ!)

 

 回転の頂点、俺の身体が完全に上下逆となったところで、二度目の刺突。魔人の頭を狙って、そこを貫くように鋭く突き出す。

 俺は開けた左手に何も持たなかった。何も持たずに開けておいたのは、これが理由。開けておく事で、『腕』という機能を十全に使えるようにしていて…だがこれも、避けられる。避けられるというより、魔人が掴まれた腕を思い切り横に振った事で姿勢が崩れ、刺突は肩を掠めるに留まる。

 

「危ない危ない、どうも貴方は思ったより手練れのようですね。…いや、それどころか…貴方との交戦自体、これが初めてではないような……」

「はっ、やっぱ忘れてたって訳か…まあ、いいけどよ…ッ!」

 

 逸らされた俺はすぐに腕を離す事でそれ以上振り回されるのを避け、着地時に左手も突く事によって姿勢制御。すぐに身体を行動可能な状態にし、跳び上がるようにしてもう一度刺突。奴の胴へと狙いを定め…だがその上から肘鉄を直刀の峰へと打たれ、二度目の刺突も失敗に終わる。

 そして一度目の刺突が奴の中での警戒レベルを上げさせたのか、奴は舐め切っているような回避と防御だけの動きから変わり、明確な攻撃行動を見せるように。尚且つ俺を忘れていたっぽい事も言ったが…向こうからすりゃ一度切り、しかも妃乃よりは間違いなく印象が薄いんだろうから、そこはほんとにどうでもいい。

 

「この動き…あぁ、思い出しました。それと失礼。忘れていた事を、謝罪させてもらいます」

「謝罪するってなんなら、言葉だけじゃなく行動でも表してほしいものだな…ッ!」

「では、お望み通り…確かな実力を持つ霊装者として、ワタシも対応させてもらいましょう…!」

「ちぃ……ッ!」

 

 皮肉を交えて俺が発した言葉に対し、返ってきたのは並の刃物よりもよっぽど斬れ味のありそうな手刀。防御は出来たが姿勢を崩され、続く攻撃は対処し切れずに跳ね飛ばされて、さっきの意趣返しの様な飛び膝蹴りが顔へと迫る。

 間一髪、そこで俺は直刀を雪原へと突き立て、身体を後ろへつんのめらせる事でギリギリ回避。すぐに雪原から直刀を引き抜き横薙ぎをかけるが魔人には軽く回避され、その後も俺は押され気味。今のところ直撃は受けていないし、まだ体力も集中力も続いているが…消耗は、激しい。

 されどそれも分かっていた事。初手で決められず、速攻で叩きのめされる事もなかった時点で、こうなる事は予測出来ていた。つまりこれは、悪い方ではあるが…まだ、予想の範囲内。

 

(さぁ、どうする…予想の範囲内っつったって、そっからの策がなきゃ何の意味もない。…今の俺に、何が出来る。勝利に繋がるのは、一体なんだ…?)

 

 腕から脚から打ち込まれる、打撃の数々。神経を張り巡らせる事で何とか避け、捌き、時折生まれる僅かな隙間で少しでも反撃の刃を放つ。

 かなり押されてはいるが、焦ったところで勝利には繋がらない。今は少しずつ体力を削られているようなもんだが、まだ持つ。まだもう少しは、このままでも続けられる。なら、その間に…何としても、突破口を見つける…ッ!今は、そうするしかねぇ…ッ!

 

「何か、隠しているのでしょう?それを素直に話して下されば、ワタシも悪いようにはしませんよ?」

「馬鹿言え、それを言ったらテメェは俺を殺すのに躊躇う理由がなくなるじゃねぇか…!」

「おっと、流石にバレますか。別に、殺す事にそこまで拘りはありませんが、ね…ッ!」

 

 連撃に耐えかね後ろへと大きく跳躍…と見せかけ俺は空中で素早く前転。前へ回転する事によって後ろ向きの勢いを殺し、尚且つ魔人へ上から踵落とし。それを魔人は交差させた両腕で受けると、そのまま腕を開く要領で俺を弾き飛ばし…距離が開いた瞬間、貫き手を放つ。ここまで使っていなかった能力を解放し、距離など関係ないとばかりに俺の喉元に放ってくる。

 

「ぐッ…んにゃろ……ッ!」

 

 ギリギリのところで俺は右手の直刀を振るい、柄尻を手首の辺りにぶつける事で俺は奴からの貫き手を回避。続けて腕を斬り落としてやろうと思ったが、そうする前に腕は引き戻され、代わりに今度は奴がそのまま突っ込んでくる。

 迎え撃つように、腰溜めからの真横一閃。新体操の如く魔人は身体を捻りながら俺を飛び越え背後を取るが、そうくると思っていた俺は振り向く事なく突き出すように後ろ蹴り。防がれると同時に俺も俺で身体を捻り、振り向きながら逆の脚で横っ面にもう一発打ち込む。

 

「やはり、一つ一つの選択や判断が早い上に的確ですね。中々多くの経験を積んでいるようで…!」

「まぁ、見た目よりはな…ッ!」

 

 当たるかと思った蹴りも、腕を盾にして防がれる。数瞬力比べをしてみるが、少なくとも押し切れるような感じはない。

…やはり、奴の方が上だ。一つ一つの能力ならともかく、総合力は俺の方が負けている。そしてまだ俺は、奴に打ち勝てるような策を思い付いていない。格上の存在に勝てるような、確実に重い一撃を叩き込めるような、そんな策は……

 

(…いや、待てよ……?)

 

 そう思った次の瞬間、不意に、服を着ようとしたらポケットに入れっ放しだった小銭が出てくるかのように、ふっと俺の頭にある作戦が思い浮かぶ。あまりにもリスキーで、博打的で…だが上手くいけば、大きな隙を奴が晒すであろう策が。

 

「鬱陶、しい…ッ!」

「遠隔攻撃だけでは、容易に対応されてしまいますからね」

 

 危険だからこそ、落ち着いて考えたいところだが、それが許される状況じゃない。そもそもバレてしまえばその時点で機能しなくなる策だからと、俺は出来る限りそれが顔に出ないよう努めつつ、ほんの僅かな余力で以ってそれでも考える。この策を行うべきか、それとも別の策を考えるべきか、と。危険を冒してでもこの可能性に賭けるか、もっと安全な、確実な策を探し出して……

 

(…あるのか?安全な策が、確実な策が。それを思い付ける程の頭が、俺にあるってか?)

 

 安全性、確実性を重視するのは大切だ。自分の身を守る為にゃ勿論だが、それを軽視した結果、そもそも策自体が失敗し、ただ犬死にするだけで終わった…なんてなったら、それこそ目も当てられない。

 だが、今は俺一人。相手は魔人。不確定要素によって、洞穴の事がバレる事も十分あり得る。今思い付いたやつだって、ぶっちゃけ閃きのようなもの。そんな状況で、他に幾つも策が、もっと良い策が浮かぶって考えるのは…あぁ、そうだ。流石に楽観が過ぎるってもんだ。だったらもう、迷ってる場合じゃない。覚悟を、決めるしかない。

 

「…うん?何やら顔付きが変わりましたね…何か思い付いたのですか?それとも、話してくれる気になったと?」

「ああ、おかげさんで思い付いたんだよ。テメェを倒す為の、必殺の策がな」

「…ほぅ……」

 

 表情の変化に気付いた魔人へ向けて、にやりと笑みを浮かべている。それを聞いた魔人は目を細め、恐らく更に警戒を強める。

 今俺は、自ら策がある事をバラした。だが、これで良い。策の内容までバレてしまえば終わりだが、策がある事自体は、チラつかせる事で駆け引きの道具にする事が出来る。

 

「では、早々に終わらせるとしましょうか。策の一つや二つを弄したところで、とは思いますが…万が一という事もありますからね…ッ!」

「ふん、やってみろよ…出来るもんならな…ッ!」

 

 策があると知った魔人が選択したのは、早期の決着。策があるなら、それを実行される前に終わらせてしまおうという、堅実な判断。口振りからして、本気でやられるとは思ってないようだが…これが最も好都合。策を意識しつつも慢心してくれるなら、これ以上助かる事はない。

 振り出された蹴りを横に避け、抜き放った拳銃で一発。二発目以降も撃とうとしたが、伸ばす事で鞭の様になった脚が横から素早く俺へと迫り、射撃を中止し空へと離脱。すぐに跳んだきた魔人を迎え撃つ形で直刀を振れば、魔人は今し方靄を纏う事で銃弾を防いだ右手でもってこの斬撃も難なく防ぎ、お返しとばかりにヘッドバットが額へと襲来。

 

「ぁぐッ……!」

「そら、胴が空いていますよ?」

 

 額から頭へ駆けて走る、衝撃と鈍痛。若干首を伸ばした程度の攻撃だった分、頭を砕かれるなんて事にはならなかったが、それでも俺は姿勢が崩れ、その隙に魔人はもう一撃。ギリギリで何とか防御はしたが、衝撃はほぼそのままに受ける形となってしまい、勢い良く雪原へ落とされる身体。

 更に迫り来るのは、降下の勢いを付けた踏み付け。寸前で俺は一回転し、回避と同時に身体を跳ね上げ後退を図るが、既に魔人は攻撃体勢。一方の俺は強引に身体を跳ね上げたせいで、まだ体勢が整っておらず…隙を晒したも同然の状態。そして当然、奴はそれを逃さない。

 

「策士策に溺れる、なまじ思い付いて強気になった事が裏目に出ましたね…ッ!」

(それ、若干使い方間違ってるけどな…ッ!くるか…これで、奴は……!)

 

 俺と正対状態となった魔人は、某海賊主人公を思わせるようなパンチを発射。それは本命の攻撃に繋がる為の一発だと分かっていたが、かといって無視出来るような攻撃でもない。だからそれを直刀で弾けば、空中の俺は更に崩れ……次の瞬間、雪原を蹴った魔人が肉薄。弾いた左手が戻っていく一方、引かれた右手には靄が揺らめき、こっちが本命である事は明らか。

 奴は思っているところだろう。上手くいけば、これで決着。凌がれても姿勢は完全に崩れ、もう一発で終わりになると。これで、自分が勝利だと。

 そしてそれは、間違っちゃいない。よっぽどの幸運が起こるか、何か外的要因がない限り、俺が勝てる望みなんて薄いんだ。普通に勝つなんざ、困難なんだ。だから俺は魔人を見据え、その表情から勝利を思い浮かべているであろう事を見定め……()()()()()()()()、身体を倒す。

 

「な……ッ!?」

 

 正に突き出され始めていた右手。靄を纏った、右の拳。それを迎え入れるように、いっそ自殺するかのように、俺はそれが胸元に来るような位置で上体を倒し……そして次の瞬間、拳は、止まる。

 

「……へっ、だと思ったぜ。何も聞かないまま殺すのは…そっちだって、困るもんな」

「……ッ!?まさか…ッ!」

 

 愕然とした顔をする魔人。信じられないという目で見てくる魔人。そんな奴に対し、俺はぐっと視線を上げ…にやりとしたから笑い掛ける。

 そう、俺は自殺を図った訳じゃない。諦めた訳じゃない。むしろこれこそが狙い。これこそが作戦。奴は仕掛けきてはいるが、その目的は俺が隠している何かを知る事であり、つまりそれは殺せないという事。事故だろうと自殺だろうと、それは避けなきゃいけないって事。無論、「殺した後じっくり探したっていい」って考え直す可能性もあるが……瞬時の反応が求められる状況で、そんな思考は出来やしない。駆けだったが、相手に期待するなんていう馬鹿げた策ではあったが……それでも今、奴は隙を晒した。特大の隙を、俺にとっては最大のチャンスを。

 すぐに魔人は下がろうとする。俺の目論見を理解し、自己制限の為に行動を費やしてしまった身体を、無理矢理にでも下げようとする。だが……

 

「もう、遅いッ!」

 

 込めるのは、今俺が注げる全力。狙うのは、奴の撃破ただ一つ。もし失敗したら、なんざ考えない。今考えるべきは、集中すべきは、奴へと打ち込むこの一撃。

 吼える。奴へと向けて、更に力を引き出すように。そして俺は、全身全霊、今引き出せる全てを懸けて……直刀を、振り抜く。



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第百九十八話 乾坤一擲の先

 約一年ぶりの、身体を伸ばす能力を持った魔人との遭遇。逃げる訳にはいかない、何もせずただ状況が好転するのを待つ訳にもいかない中で、選んだ戦闘。そして決して有利とは言えない戦いの中で、危険を承知で…それでも行った、一か八かの賭けの策。そしてその賭けに俺は成功し…千載一遇のチャンスが生まれた。

 渾身の力を込めて、振り抜いた直刀。余計となる一切の思考を廃し、ただ全力で一撃叩き込む事だけを考えていた、頭と心。その一撃は、その一太刀は、俺が思い描いたのと寸分違わない軌道を描き……奴の身体を、確かに捉える。

 

「はぁッ…はぁッ……──ッ!」

 

 特別身体に負担がかかるような、体力を根こそぎ持っていかれるような動きはしていない。けれど息が上がっている。緊張感に、自殺行為も甚だしい策の実行に、身体は良くても精神がひっくり返りそうな程の負荷を感じ…結果気付けば、俺は荒い息をしていた。

 けど、それでも…俺には見えている。目の前に立つ、強大な魔人。その腹部へ、確かに…俺の振り抜いた直刀が、深々と斬り込んでいる事が。

 

(や、やった…ッ!…けど、浅い…ッ!これじゃ重傷でも、致命傷じゃ……)

「…ァ…ぐッ…ぁぁああああああッ!!」

「がぁ……ッ!?」

 

 勘違いでも何でもない、確かに魔人へと突き刺さった一撃。だがぎりぎりで、ほんの僅かでも身体を動かすのが間に合ったのか、食い込んだ位置は俺が考えていたよりも浅く…恐らくまだ、奴は終わりじゃない。これで終わりには、なってくれない。

 左手でも掴み、もっと深くへ押し込むか。それとも別の武器を抜き、首か頭にでももう一撃与えるか。致命傷でないと気付いた俺は、すぐに次やるべき事を考え…だがそれを実行するよりも早く、魔人は咆哮を上げた。唸りの様な叫びを上げ、直刀諸共弾かれる。

 防御のしようがなかった俺は胸元に腕を喰らってしまい、肺の中の空気を全て吐き出してしまう。それでも歯を食い縛り、苦痛を堪えて奴を見やる。

 

「ぅが、ぎッ……やって、くれ…ましたね……」

 

 斬られた胴を左手で押さえ、怒りの籠った瞳で俺を睨んでくる魔人。…あぁ、不味い。これは不味い。間違いなく、今の奴は大きなダメージを負っているが…まだ、戦意は消えていない。

 

「…こちとら、無意味に死ぬリスクを背負ってまで賭けに出たんだ…これ位の成果、出でもらわなきゃ困るんだよ…」

「…確、かに…理解の出来ない、愚かしいにも程がある…だからこそ、全く読めない策でした…それに、関しては…えぇ、賞賛しますよ……」

 

 先程までの、丁寧な口調をしていても尚感じられるような、強大な雰囲気はない。今は底が見える、間違いなく弱っている。だが…それはつまり、奴ももうなりふり構っては来ないだろうという事。同じ策はもう通用しない。俺が見ていたものなんて二の次で、殺す事を最優先にしてくると見て間違いない。

 有利になったのか、それともより深刻な危機に陥ったのか。どっちなのかは分からない。だが…やる事は、一つ。

 

(このまま決める…ここで、決める……ッ!)

 

 直刀を両手で握り、全身に力を込め直して奴を見据える。結局のところ、やる事は変わっていない。奴を撃破ないし撃退出来るか、奴にやられるか…そう考えりゃ、やはり状況は全くの同じ。

 

「…ですが…後悔、する事ですね…これさえなければ、私は本当に悪いようにはしないつもりだったもいうのに…貴方は自ら、助かる可能性を捨ててしまったという訳です…」

「悪いようにしないったって、結局生殺与奪権をテメェに渡しちまうんじゃ、良いもクソもあるかってんだ。…テメェこそ、退かねぇのかよ」

「まさか…。一体何を理由に、私が退くとでも…?」

 

 この重傷を負っても尚、俺一人なら勝てる。…奴は、そう思っているらしい。だが、退く気なんざないのは俺も同じ事。

 俺は直刀を構えたまま、魔人は左手で押さえたまま、数秒間の制止と沈黙。凍るように寒い富士山の中でありながらも、俺の背には一粒の汗が流れ落ち……次の瞬間、俺の方が先に動く。

 

「これでッ!」

「温い……ッ!」

 

 最短距離、即ち真っ直ぐに突っ込んでいっての、速攻の斬り上げ。だがそれを魔人はサイドステップで回避し、そこから杭のように蹴りを突き出す。その鋭い蹴りを俺が直刀で受けると、すぐに走る重い衝撃。奴は脚を伸ばし、逆脚で雪原を踏み締める事によって、それこそ本当に杭打ちが如き攻撃を俺へと仕掛けてくる。

 ならばと俺は上半身の力を抜き、わざとそのまま押されて横転。受け身を取り、その勢いを利用する事によってそこから俺は後転に移行し、立ち上がりながら腹へと刺突。避けられれば追い、捌かれても攻撃を続け、とにかく戦闘の手を緩めない。

 

「このしつこさ…対応を強いて、傷に負荷を掛け続けようという魂胆ですか…」

「卑怯な攻め方だってか…ッ!」

「いいえ、されど…だから温いと、言っているでしょう…ッ!」

 

 都合の悪い事に、或いは危機的状況を前に自然とそうなっているのか、奴の思考は至って冷静。それでも対応を強いれている以上、見抜かれたところで関係ないとまた俺は直刀を突き出し…だがその直前に腕を伸ばしていた魔人は木の枝を掴み、そこへ跳ぶ事によって回避する。

 木から木へ、伸ばした手を利用して飛び回る魔人。その姿は何ともアクロバティックで、気を抜けばその動きに翻弄されてしまいそうになる。…だが、狙われてるのは俺一人。だったら……

 

(タイミングさえ合えば、どうとでもなる……ッ!)

 

 奴を目で追う事には必死にならず、それよりも考える。どこから襲われるかではなく、奴ならどこから仕掛けたいかを。考え、神経も研ぎ澄ませ、ただその瞬間だけを待ち…本能が今だと叫んだ瞬間、ここならと思った方向へ跳躍。僅かに回避が遅れた結果、飛来した飛び蹴りに左脚の太腿を浅く裂かれるも、俺はすぐに立て直して次なる攻撃に向かっていく。

 

「小賢しい…もの、です…ね…ッ!」

「生憎ごり押しってのが嫌いなもんだな…ッ!(ぐ…こっちも流石に、負担が無視出来なくなってきた…)」

 

 動きの鈍った今の奴なら、俺だって対応出来る。だがその反面、俺だって無傷じゃない。疲労もあって、もう万全な状態からはかなり離れている。どっちが先に力尽きるかで言えば、重傷の奴の方…だと思いたいが……早く決めた方が良い。

 一度距離を話しながら上昇し、左手で純霊力の一振りを抜剣。追う形で迫ってきた奴の右拳を右の直刀で弾き返し、そこから一気に急降下。叩き付けるように上から純霊力剣を振り下ろし、俺から見て左側へ避ける魔人を追い掛けるように右回転斬りを叩き込む。

 

「ふ、ふふっ……」

「何が、おかしいってんだ…!」

「貴方は今、ワタシを倒せると思っているのでしょう…?その認識を覆す瞬間を考えると…つい、笑ってしまうのですよ……ッ!」

 

 直刀による追撃を避けられ、逆に上を取った魔人から放たれる一発。その一撃を防ぐ中、魔人は怒り混じりの声を上げ……幾度となく魔人は上からの殴打を、連続の拳を打ち込んでくる。防御を削り取り、そのまま決めると言わんばかりに。

 跳べばすぐに刃が届く、けれど殴打によって届かない攻撃。だが分かる。もう奴にこれをやり続ける余裕はない。どこかで一度は途切れる。そして、狙うのなら…そこしかない。再びリスクを負う事になろうと、果たしてみせる。

 

「いい加減…貴方も、これで……ッ!」

「……ッ!」

 

 刀で受けて、剣で受けて、受けて、受けて、受けて受けて。訪れる筈のチャンスを信じ、俺はこの場に踏み留まった。踏み留まり、堪え、耐え抜いて…そうして放たれる、一層の力が込められた一発。それは交差させた二本で受けても尚、ひやりとする程のもので……それでも次の瞬間、その攻撃の直後に訪れる。攻撃後の、僅かな…だが十分な隙が。

 

(ここだッ、これで……ッ!)

 

 込めておいた霊力を解放し、一瞬で奴と同じ高さにまで飛び上がる俺。二振りの刃をどちらも掲げ、この二つで勝負を決めんとかかる。迷いなく、俺は決めにかかろうとして…だがその時、魔人もまた…動く。

 

「終わりだ、とでも…ッ!?」

「な……ッ!?」

 

 奴から見るのは初めてかもしれない、野蛮な笑み。その笑みが示すのは、これを奴が予期していたという事。俺の反撃を、誘っていたという事。

 それを証明するように、鋭くこちらへと身を翻す魔人。身体は既に、蹴りの体勢に入っている。やられる前にやる、そんな意思を、全身から感じる。

 だが俺ももう、止められやしない。止めたところで、そっから回避に転じようとしても間に合わない。だとすれば、今俺の取れる最善の手は…一か八か、このまま武器を払う事だけ。

 

(負けっかよ…こんなところで、俺は……ッ!)

 

 限界の更に上まで研ぎ澄まされる神経。フル回転し続ける頭。何より思いを叫ぶ心。そうだ、俺は負けない。やられはしない。やられても良い理由はどこにもないが…やられる訳にはいかない理由なら、今の俺には幾つもある。

 迫る蹴撃。迫る瞬間。俺の意識、全てがその瞬間へと注ぎ込まれ…そして俺は、()()()右手を振り下ろす。

 

「……っ、ぅッ!」

「な、ぁ……ッ!?」

 

 真っ直ぐ下へと向かう直刀。その先にあるのは振り出された魔人の脚。ただ振るうよりも短い、曲線ではなく直線を描いて俺は右手に持った直刀を振り下ろし……当たる寸前の蹴りと、直刀の柄尻を衝突させる。

 走る衝撃。目を見開く魔人。俺の右腕は弾き返され、肩にも強い負荷がかかるが…それは魔人も同じ事。蹴撃はそれ、俺の身体に当たる事はなく、俺も魔人も共に落ちる。

 

「ぐぁっ……って、呻いてる場合じゃねぇ…ッ!今度、こそ…ッ!」

「まだた…まだ、ワタシはァァ…ッ!」

 

 雪原で跳ねる身体を無理矢理にでも立ち上がらせ、前を見やる。

 そこでは奴もまた立っている。最早態度を取り繕う事もせず、剥き出しの敵意を俺に向け、唸りの様に俺へと声を上げている。

 もう、ここからはどうなるか分からない。ただ残る力を掻き集め、その力を尽くして戦うしかない。そして俺が、全身から送った力で雪原を蹴って跳ぼうとした……その時だった。何の前触れもなく、何の予兆もなく、不意に──大の大人でも普通はまともに振るう事も出来ないような、重厚な大剣が魔人の前へと飛来し深く突き刺さったのは。

 

「ぁ、え……?」

「新、手…?こんな、時に……ぐぅぅ…ッ!」

 

 あまりにも唐突で、目の前の事に精一杯で、一瞬訳が分からなかった。大剣の飛来に対し、意味不明としか思えなかった。

 だが俺より先に魔人が状況を理解した直後、空から魔人に降り注ぐ光芒。続けざまに弾丸も殺到し、聞こえていた魔人の呻きもすぐに掻き消されて分からなくなる。

 

(…あぁ、そうか……)

 

 降り注ぐ光芒は、霊力の光。それに気付いて、やっと俺も理解出来た。今起こっている事の正体を。これは楽観視など出来ないと、それを理由に期待していなかった可能性の一つである事を。

 

「悠弥!無事ッ!?」

「…妃乃……」

 

 相手は魔人だからか、雪煙で姿が全く見えなくなった後も空からの攻撃が続けられる最中、そんな言葉と共に降り立つ青い翼。その声を、その姿を見た瞬間、俺の中で疲労と安堵がどっと溢れ出す。

 

「良かった、無事…じゃないけど、とにかく間に合ったみたいね……」

「まぁ、何とかな…今、ここにいるのは……」

「えぇ、例の場所の調査メンバー…の、第一陣よ。彼等と、それに……」

 

 真正面に降り立った後、俺の姿を見て安心したような声を出す妃乃。俺も俺で内心がっつり安堵していたが、男の意地でそれを隠して代わりに疑問を口にすると、頷いてから妃乃は答える。

 と、その最中、雪煙の手前…突き刺さった大剣のすぐ側に着地する、一目で強者だと分かる男性。その男性は、大剣の柄を握った状態でふっとこちらへ振り向き…言う。

 

「…よくやった、悠弥君」

「……!」

 

 それは、その人物は、妃乃の父親、恭士さんだった。恭士さんは俺を見やり、たった一言そう言った。

 たかが一言、されど一言。よく通る、落ち着いた…それでいて頼もしさを感じさせる言葉を、恭士さんは俺へと投げかけ、それから片手で大剣を引き抜く。

 その状態で、空の味方へと発される声。指示に従い攻撃が中断されると、恭士さんは左手でも大剣の柄を掴み…一閃。大剣が真横に降り抜かれ、雪煙が吹き飛ぶ。

 

(…いない……?)

 

 視認を阻む雪煙が晴れた時、そこにあったのは対地攻撃によって露わとなった富士山の地面。穴の様に、その部分だけ積雪がなくなっていて……だが、そこに魔人の姿はない。

 撃破出来たのか。集中砲火をしこたま喰らい、もう生き絶えて消滅してしまったという事なのか。それとも…あの重傷でありながら、攻撃を避けて逃げ果せたという事なのか。

 

「…総員、警戒を厳に。奴を撃破出来たかどうかは定かではない。加えて、まだ伏兵が残っている可能性もある」

 

 恭士さんも俺と同じ考えなのか、姿を確認出来ないと分かった時点で警戒を指示。再びこちらを振り向くと、妃乃と無言のアイコンタクトを躱し、それからゆっくりと周囲を見回す。

 

「…妃乃、奴の気配は……」

「ないわね。けど、ないだけじゃ撃破出来たかどうかの判断材料にならないわ」

「だよな…。…この戦力差だ、仮に逃れてたとしても、撤退を選んでるとは思うが……」

 

 一先ず最悪の状況は去った。去ったがまだ、気は抜けない。そう思って俺も周囲を見回そうとすると…そこで感じる、気になる視線。何だと思ってそちらを向けば、俺を見ていたのはすぐ側の妃乃。

 

「…な、何だよ」

「…前もそうだったけど…悠弥って、魔人相手だと無茶するわよね…なんで何も言わなかったのよ……」

「前?…あ、あぁ倒した…ってか、あの後倒された魔人の時か…いや、別に俺は無茶したくてしてる訳じゃねぇよ。相手が相手なせいで、そうせざるを得なくなるだけで……」

 

 かなりのジト目と共に軽く文句を付けられた俺は、若干気圧されつつも反論。通信しなかった事に関しても俺なりの判断を伝え、ちゃんと考えての行動なのだと妃乃に弁明。それを聞いた妃乃は、まあ取り敢えず理解はしてくれたようだが…そうだとしても不満な様子。

 

「そういう事なら、まぁ強くは否定しないけど…それでも……」

「あぁ、無茶は無茶だ。それは分かってるし、出来る限りそうせずに済むよう善処する。それに……」

「それに…?」

「…別に、玉砕覚悟で…なんて考えちゃいねぇよ。俺が無茶するのは、あくまで死なない為だ。ちゃんと、帰る為だ」

 

 俺は俺で、最善の選択をしたと思っている。だが妃乃がただ俺を糾弾したいのではなく、俺の身を案じたからこそ言っているのだという事も伝わっている。だから俺は、妃乃からの指摘を受け止め…その上で、言った。死んでもいいからの無茶ではなく、命を取り零さない為の無茶なんだと。

 

「……なら、自分で言ったんだから、これからもそれはちゃんと守りなさいよ?」

「そりゃ勿論。男に二言は、じゃねぇかこれに関して覆すような事は……ん、ぁ…?」

「……!…ほら、言わんこっちゃない……」

 

 念押ししてくる妃乃へと言葉を返す最中、不意にぐらりと揺れた身体。反射的に俺は傾いた側へ足を突き、更に妃乃も俺の肩を掴んでくれたおかげで事なきを得たが…やっぱ流石に、魔人と戦った後ともなりゃこうなるか……。

 

「悪ぃ、ちょっと気が抜けた…」

「いや、それだけじゃないでしょ…私も少しは手当ての心得があるから、ここでやれるだけの事はするわよ」

 

 言うが早いか妃乃は俺に肩を貸し…というか俺の反応を待つ事なく肩を貸させ、半ば連行される形で俺は近くの木の根元へ。そこで止血され、包帯を巻かれ、次の行動に移るでは安静にしているようにと言われる。

 

「いい?普通なら支部まで戻って休ませるところだけど、地下を見たのが私と悠耶だけな以上、一緒に来てもらう可能性も十分あるわ。だからそうなるまで身体を楽にしてる事、分かった?」

「へいへい」

「はいは一回」

「いや俺はいとは……んまぁ、はい……」

 

 有無を言わせぬ…って程じゃないが、ぐだぐだ言うとそうなりそうな気配を感じた俺は、早期撤退が如く首肯。すると宜しい、とばかりに妃乃は表情を緩めて、周囲へ視線を走らせている恭士さんの方へと向かう。

 

(…あのまま、戦ってたら…どうなってたんだろうな……)

 

 精神が落ち着いてきた事で、思い出すように感じる痛み。頭は勿論だが、他にも傷は受けている。だがその一方、奴もまた重傷だった訳で……だからこそ、思う。もしかしたら、勝てていた可能性もあるんじゃないかと。その確率は決して高くない、負けていた可能性の方が恐らくは高いんだろうが…それでも、撃退どころか撃破出来ていた可能性はあったと思う。

 だからなんだ、という訳じゃない。それを誇示したいとも思わない。だがもし、それだけの力が今の俺にあるというのなら…ありがたい。それならもっと、俺は俺自身に期待出来る。

 

「…けどまぁ、今回の場合は状況が味方してくれたってのもあるか……」

 

 とはいえ、浮かれるのは良くない。運も実力の内だが、運が味方してくれる前提で考えるのは、やはり単なる楽観主義。攻撃を止める事を見越してのアレは、まあ駆け引きだからいいにしても…初手で声をかけずに仕掛けられていたら、奴が殺しても別にいいと考えていたら。その可能性を考慮せずただ結果だけ見て判断するのは…短絡的ってもんだ。

 

「…影も形もなく、結局どうなったかは分からない、か…。…仕方ない。第二陣と合流し次第、警戒探索班と例の場所の調査班に今の人員を組み直す。奴がどうなったか分からない以上、逃げ果せている可能性を常に念頭に置いておけ」

『了解』

 

 それから数分後、面々からの報告を聞いた恭士さんは、これからの行動を全体に伝える。そして第二陣到着まで警戒を続行するよう指示を出すと、その後恭士さんは俺の方へ。

 

「調子はどうだ、悠耶君」

「あ…はい、取り敢えずは大丈夫です。動けます」

「それなら良かった。…悪いね、悠耶君。妃乃から聞いているかもしれないが、調査中に外で何かあった時、調査は続けつつも妃乃に急行してもらう事もあり得る。だからそれに備えて、君にも来てほしいんだ」

「…分かってます。何もないのが一番ですが…その時は、任せて下さい」

 

 立ち上がろうとした俺を手で制した恭士さんの、必要以上に俺へと気を遣う事のない、指揮官としての判断の言葉。だが俺としては、そっちの方が心地良い。変な優遇も気遣いもなく…ただ一人の味方として、信頼される。それが嫌な訳がない。

 恭士さんからの言葉に了承を示しつつ、俺はここからの事を考える。勿論、生死不明な魔人の事を放置は出来ない。されどそもそも、俺達の目的は調査の方。魔人の対処はあくまで安全確保や障害の排除に当たるのであって、そっちに躍起になるというのは本末転倒。

 そして、待つ事十分弱。言っていた第二陣が到着し、戦力を再編し、漸く地下の調査が再開される。そこで何があるから分からない。期待したものがあるのか、見つけなければ良かった…なんていう結果になるのか、はてまたその両方か。…まあいずれにせよ、何か重大なものがあるんだろう。頭の隅で、そんな事を考えながら……俺は再び、地下へと向かう。



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第百九十九話 霊峰の答え

 恐らくは魔人の撃破、或いは撃退に成功し、俺達は当初の目的通り、見つけた地下空間の調査を再開する事になった。

 初めに妃乃と来た時には、正に暗中模索(いや、言葉の意味的にはやや違うが)だった探索。だが今回は強めのライトが一人一つ用意された事である程度の視界が確保され、大分進み易くなっている。

 

「うわ…ほんとに驚きだよね。地面の下に、こんな空間があったなんて……」

 

 壁に、天井にとライトを動かし、その発言通りの感情を言葉に込めるのは綾袮。第二陣の一人としてきた綾袮も調査班の一人となり、今は共に地下空間を歩いている。

 多少のバラつきはあるが、やはりこの場所は結構広い。流石にそんなヘマはしないだろうが、こうなるとはぐれないよう気を付けるべきだろう。

 

(…つか、そういえば……)

「…何?」

「いや、何でもねぇよ」

 

 そこでふと思い出したのは、さっき妃乃が見せた一面。さっきは本当に怖がっていた妃乃だが、今は格段に明るいからか、それとも何人もいる中で醜態は晒さないと気張っているのか、とにかくビビる様子はない。

 

「…あ、そうだ。悠耶君が戦ったのって、あの身体が伸びる魔人だよね?」

「んぁ?あぁ、そうだな」

「…悠弥君的には、どう?倒せたって思う?」

 

 その後一拍の沈黙を置き、綾袮が俺へと訪ねてくる。表情や声音は軽い感じで…だが、その瞳の奥には真剣さを灯らせて。

 倒せたか否か。身も蓋もない事を言ってしまえば、そんな事は分からない。分からないが……

 

「…倒せてる、って思いたいもんだな。あんなのとまだ戦わなきゃいけないとか、勘弁してくれって話だ」

「同感ね。あいつは目の前の勝利よりも、目的の達成を考えて行動出来るタイプだもの。実力もそうだけど、そういう部分も含めてあいつは『厄介』なのよね」

「そっかぁ…でもこれはアレかな。こういう会話になったって事は、生存フラグかな」

『あの(なぁ・ねぇ)……』

 

 勘弁してほしいっつってるのに、あっけらかんと綾袮は言うものだから、俺も妃乃も呆れと共に額を押さえる。そりゃ確かにこういう会話も、爆発やら煙やらで相手の姿が見えなくなるのも、創作においては生存パターンのフラグとなるが…ほんとに勘弁してほしい。てかこれが理由で生きていたら、マジで洒落にならん。

 

「まあでも大丈夫だよ。仮に生きてても向こうは重傷、こっちはこれだけの戦力って状態なんだから、何があってもよゆーだって!」

「なんで悪いフラグを重ねてくるのよ…!…まさか、わざと言ってる…?」

「あ、バレた?てへっ」

 

 全くもって緊張感のない綾袮の態度。何を考えているんだと言いたいところだが、ここまでくると逆に凄い。真似しようとして出来るもんじゃない。…まぁ、真似しようとも思わないが。

 とまぁ、ここまで綾袮は平常運転だった。警戒はしてるんだろうが、表面上はいつも通りだった。だが、それもこれまでの事。ある地点…俺と妃乃が引き返した場所の近くまで来たところで、雰囲気は変わる。

 

「……これは…確かにこの先に何かあるのは、間違いないみたいだね…」

「でしょ?…お父様」

 

 顔付きが変わると共に、綾袮は更に奥…まだ見えない闇の中へと視線を送り、妃乃は中央よりやや後ろにいる恭士さんの方へと向かう。

 ここから先は、俺と妃乃も知らない場所。何があるか、何が出てくるかも分からない場所で、さっきと戦力が段違いでありながら、それでもやはり緊張する。

 

「…悠弥、貴方は後ろの方に回って。ここからは全員同じ条件だし、その状態で全力は出せないでしょ?」

「…ま、そうだな」

 

 戻ってきた妃乃の、初めの言葉は俺への指示。確かに俺は魔人との戦闘で怪我をしている訳で、当然その分のパフォーマンスも低下している。妃乃の(恭士さんからの指示かもだが)判断は、何も間違っていない。

 だから俺はそれは頷き、前方寄りから後方へ。他に移動する人はおらず、俺達はそのまま更に奥へ。

 

(…ん……?)

 

 暫く風景は変わらないまま。分かり辛いが足場は決して良好ではなく、多少の上下もある為多分自分で思っている程進んでいない。…だが、ある時俺は気が付いた。ほんの少しだが、さっきまでより周囲が明るくなっている事に。

 初めは単に、目が慣れただけなんだろうと思った。…が、だとしたら慣れるのが遅過ぎる。次にどっかから光が差し込んでいるのかとも思ったが…そういうのとも、何か違うような気がする。そして、そんな事を考えている間も、少しずつ明るさは増していき……

 

『おぉぉ……』

 

 曲がり道の様になった場所を抜けた瞬間、俺を含めた多くの面々が、揃って驚きの声を上げた。…地下空間内をぼんやりと照らす、仄かな白い光を見て。

 

「…凄いな、こりゃ……」

 

 地面や壁、天井のひび割れや隙間から漏れ出すような、白色の光。それが、地下空間内を照らしている。ライトなしでも十分視界が確保出来る程の明るさを作り上げている。

 同時に感じる、濃密な…だが澄んだようにも感じる力の気配。…やはり、ここまで感じてきたものは間違いない。この先に、きっとすぐ近くに…何かが、ある。

 

「…そうか…やはり、ここが……」

(…恭士さん……?)

 

 漏れ出ている光自体にも感じるものはあるが、それ以上の何かがこの先にある。そう思っていた中で、不意に聞こえたのは恭士さんの小声。その口振りは、何かを知っているようなもので…更に前へ目をやれば、妃乃も綾袮もかなり神妙な顔をしている。

 

「…う、ん…?…待てよ、この光って……」

 

 どこか幻想的にも感じる光景を前に、進行は止まっていた。その中で、ふと俺が思い出したのは先日聞いた、ここでの事。一度目の調査、その結果の話。

 あくまで俺は話を聞いただけ。直接見てはいないし、聞いた範囲の事しか知らない。けど確か…いや間違いなく、妃乃は言っていた。調査を一時中断に追い込んだ、そうせざるを得ない状況にしたのも、『白い光の』柱だったと。

 その時発生した光の柱と、今ここで漏れ出るように見えている白の光。これは、ただの偶然か?偶々同じ場所で、同じ色をした光が、無関係に発生してるというだけか?…いいや、まさか。

 

(…けど、何ともない…前の時より、エネルギーが減ってるって事か…?それとも、何かしらの条件が揃うと一気にかっせす?、とかなのか…?)

 

 少し身体に霊力を流すが、おかしいと感じるところはない。どうもその光の存在を知っていたらしい妃乃達も、今ここを照らしている光を避けるような様子はない。となるとやはり、今ここを照らしている光は危険じゃないって事だろう。…少なくとも、今は。

 そう俺が結論付けたところで、進行も再開。ある程度進むと光は更に強くなり、もう完全にライトは要らないと言えるレベル。その明るさに、もう『何か』目前なのだろうと何となく感じ…気付けば横には、いつの間に後ろに来ていた妃乃の姿。

 

「…悠弥。貴方何か、感じてたりする?」

「それは…この場にいる全員が、感じてるものなんじゃないのか?」

「いや、そういう事じゃなくて…けど、こういう反応が返ってきたって事は……」

「……?妃乃?」

「何でもないわ。…けど、この先にあるのは、貴方にとっても関係あるものよ。…それがあれば、の話だけど」

「何だよ、その言い方…」

 

 何とも気になる言い方だけして、妃乃は前へと戻っていく。俺にその『何か』を訊きたかったのか、単に関係があるのだと教えてくれただけなのか。…けどそれもきっと、もうすぐに解決する。

 少しずつ狭くなる道。まだ横に数人並んでも通れる広さとはいえ、狭くなった分その先にあるものもよく見えない。だがその狭い空間も数分足らずで終わり、ある時空間がぐっと広がり、そして……

 

「……──ッ!」

 

 大きく広がった、ドームの様な地下空間。昼間の外と遜色ない程明るいその空間の中央にあったのは……浮遊する、巨大な光。

 

「…全員、その場に止まれ。言うまでもないと思うが…この場にある物、その全てに不用意に近付くな」

 

 ただの光源ではない、エネルギーが収束しているかのような真白い存在。気圧される程の存在感に半数以上が息を飲む中、恭士さんは落ち着いた…だが真剣そのものの顔で待機を指示。続いて一周ぐるりと見回した恭士さんは、妃乃や綾袮、他数名と言葉を交わし、やり取りが終わると一旦ここから離れると決定。その理由は…まぁ恐らく、もしもの事を考えてだろう。

 

「…………」

 

 道が狭くなり始めた辺りにまで一度下がった俺達が次にする事は、やっぱり待機。少なくとも俺は調べる方面の技能なんて持ってないし、ならば下手な事はせず、指示があるまで待機をするのが無難…というか、当たり前の選択。

 何が起こるか分からないからこそ、周囲の全体へ気を配る。そうしながらも、ふと俺はここまで感じてきたものを振り返り……気付く。

 

(…知ってる、よな…俺は、この感覚を……)

 

 ある程度進んでから感じ始めた『これ』は、ありふれたものじゃない。当然ここに来るのだって俺は初めて。なのに、この感覚には既視感がある。何かで一度、経験済みのような気がする。

 でもじゃあ、どこか。どこで、何で感じたのか。記憶の糸を手繰るように、或いは解くように、俺は記憶を掘り返して…だが、この感覚だけじゃ思い出せない。

 

「……ん…?」

 

 何度も考えてみるものの、その成果は全く無し。厳密には、何か思い出しそうな感覚はあったが、その感覚だけがあったって無意味。結果気になるが思い出せない、分からないが気なるという、魚の骨が喉に刺さっているような煩わしさが心に残り……だがそこで、妃乃からの通信が入った。こっちに来てほしいという、単純な通信が。

 何故かは分からないが、呼ばれている。であれば無視なんて出来ず、再び俺は奥の空間へ。その途中で少し戻ってきていた妃乃と合流し、二人で向かう。

 

「どうしたんだよ、俺は調べる上で役に立ちはしないと思うぞ?」

「お父様が呼んでるのよ。…多分、さっきの事絡みでね」

 

 道中で交わす、簡単なやり取り。さっきのというのは、多分さっき妃乃が訊いてきた事。

 

「お父様、悠弥が来ました」

「あぁ、ありがとう」

 

 二度目であっても、やはり圧巻。そう思いながらこの場所に戻ると、妃乃はそれだけ言って離れていく。一方俺は呼ばれている訳だからついていく訳にはいかず…沈黙。

 

(…ど、どうするべきなんだ?こっちから何か訊くべきか?それとも……)

「…悠弥君。まずは聞かせてほしい。先程、妃乃が訊いた時は特段何もなかったようだが…それは、今もか?」

「…いえ。上手くは言えません。言えませんが…今抱いている感覚には、どこか覚えがあります」

「そうか。ならやはり、見立てが正しい可能性は高いな」

「見立て…?」

 

 どうしようかと内心で俺が考える中、視線を光へと向けたまま、おもむろにそんな事を言う恭士さん。急な問いに一瞬俺は戸惑ったが、声音からそれが重要な問いであるのだと理解し、今俺が出せる回答をしっかりと口に。

 とはいえこれだけじゃ、参考にもならないだろう。そう思っていた俺だったが、恭士さんはむしろ望ましい回答であった様子。

 見立て。それは一体、何に対しての言葉なのか。それを尋ねるように訊き返すと、恭士さんは暫しの間口を閉ざし……それから遠くを見るような目をして、静かに言う。

 

「前回の調査が、どんな理由で一時中止となったか、参加していた霊装者の一部がどうなったか。それは言うまでもないと思うが……はっきり言おう。力を失った者達は、霊装者としての能力を消されたのでも封じ込められたのでもなく…あの光に、力に飲み込まれたのではないかと、俺達は見ている」

「……っ!?…飲み込まれた…って事は…吸収された、と…?」

「あぁ。荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、根拠もなしにそう考えている訳じゃない」

 

 光に掻き消されたのではなく、光に飲み込まれ、奪われた。突如発されたその見解に、当然俺は驚いた。同時に、何故今その話を…とも思ったが、それに関してはすぐに理解の方が追い付く。今その話をしたという事はつまり、これから話す事とそれとが関係しているのだろう。

 

「ここ富士は、霊峰と呼ばれている。霊装者の歴史をそれなりに知る者の多くから、実際に特別な場所だと見られている。大半は単に、そういう場所だから、と思っているが……」

「実際には、ちゃんとした理由がある…?」

「その通り。そしてその理由の一つが、あれだ」

 

 引き継ぐようにして俺が想像した言葉を言うと、恭士さん一つ首肯。続けた言葉と共に指差したのは…亀裂の様な壁の隙間、比較的光に近いその場所で僅かに顔を見せている、周りの壁とは明らかに違う材質の鉱石。

 

「あれ、は…もしや、妃乃や綾袮の得物に使われている……」

「察しが良いな。ああ、あれは霊晶真石。採れる場所も頻度もごく僅かの、霊力と抜群の相性を持つ鉱石が稀ながら産出される事が、特別視される理由の一つだ」

 

 通常の素材を用いて作られた武器とは段違いの霊力許容量を持ち、純霊力の刃や弾丸よりも高い強度や斬れ味を実現する事が出来る物質、霊晶真石。俺自身その存在は知っていても、名前までは知らなかったそれがあるのなら、ごく僅かでも産出されるというのであれば、富士山が特別視されるのも頷ける。それ程までに霊晶真石は貴重且つ、高い価値を持つ物だから。

 

「…だが、それだけじゃない。真の理由、最大の理由が…悠弥君、君にも関わっている」

「…俺に、ですか……?」

「霊装者にとって、最たる奇跡。……それを君は、誰よりも知っているだろう?」

 

 一拍の間と、それを経て俺へと向けられる視線。落ち着いた、けれどまるで隙のない恭士さんの立ち姿。それに緊張が高まる中、恭士さんは言う。そしてその言葉と雰囲気が示しているものなんざ…一つしかない。

 

「……ッ…それって、まさか…」

「そう。嘗て顕現し、そして君が手にした熾天の聖宝…その発生にも、この富士が恐らく関わっているんだ」

 

 熾天の聖宝。あの時、嘗ての俺の前に気付けばあった、気付けば触れていたそれに…今の俺が在る最大の理由であり、言葉通りの奇跡を起こすその存在にも、何かしらの関わりがある。…比喩でも仄めかしでも何でもなく、恭士さんははっきりとそう言った。そう言い切った。

 成る程確かに、それなら、それ程までの事があるなら、ここか特別視されるようになったのも頷ける。リスクを背負ってでも調査するのも分かるし、この情報を不用意に広げたりしていないのも納得だ。……それが、本当に真実だと言うのならば。

 

「…………」

「…信じられない、とでも言いたげな顔だな」

「…恭士さんを信用していない訳じゃないです…ただ……」

「いい。こんな話、聞いてすぐに信じる方が少数だ。ましてや実際に、聖宝を目にした人間からすれば、奇跡を目の当たりにした者ならば、尚更荒唐無稽に聞こえるだろうさ」

 

 まだ数度しか言葉を交わしていない恭士さんだが、信用に足る相手だって事は分かってる。それでも内容が内容なせいで消化し切れずにいると、恭士さんは軽く鼻で笑って肩を竦ませて見せた。そうだろうと思っていた、と言わんばかりに。

 

「…けど、今はない…みたいですね……」

「そのようだな。条件が揃っていないのか、時期尚早なのか、或いはそもそも見当違いか…この光も含めて、まだまだ情報が足りていない」

「…ほんと、すみません。当事者だってのに、殆ど役に立たなくて……」

「馬鹿言え、それは謝る事じゃない。それとも君は、娘もいる大の大人が、その娘の友に頼って事を成そうとする方が正しいとでも思うのか?」

「あー…それは、確かに……」

 

 この事もあって、俺は選出されたのだろうか。だったら何も分からない、じゃ流石に情けない。…そう思っていた俺だが、恭士さんはそれを平然と、オブラートも何もない言葉と態度でさらっと否定。その全く動じていない、周りの考えなんざ知るかとばかりの雰囲気に、思わず俺は苦笑してしまい…同時にこうも思った。俺と恭士さん、単純な日数の積み重ねじゃ、今の親と子レベルよりずっとその差は少ないんだろうが…未成年二周目の俺と、大人として数十年生きているであろう恭士さんじゃ、やはり色々違うんだな、と。

 

「だが、経験者の意見や感覚が参考になるのもまた事実。何か気付いた事、感じた事があれば、その都度言ってくれると助かる」

「それは勿論です。何かあれば、その時は……」

 

 まあそりゃそうだよな、と思う続きの言葉に俺は首肯。実際伝えられるような事が今後出てくるかは怪しいもんだが、別段隠す理由もない。

 奇跡を現実のものとする存在、熾天の聖宝。身も蓋もない言い方をすれば、あり得ないような願いも叶えてくれる、スーパーアイテム。それが近い内に再び現れるのか、まだまだ先なのか、或いはそもそも見当違いでこれは全く別なのか。…まだそれすらも分かっていない状態。だとしても…いやだからこそ、こうして入念に調べるのだろう。聖宝が手に入った場合のメリットを考えれば勿論だが、逆に碌でもない奴が手に入れてしまった場合のリスクまで考慮すれば、そりゃ何が何でも発生条件を把握し、確保しておきたいと思う……

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふ…丁寧なご説明、ありがとうございます…感謝、しますよ…」

『……──ッッ!?』

 

 その瞬間聞こえた、力無く苦しげな声。聞き覚えの強い…ついさっきまで聞いていた、やたらと慇懃無礼な言葉遣い。

 まさか。そんな馬鹿な。心がそう叫ぶ中、弾かれるように俺は振り向く。振り向き…そして見たのは、奴の姿。戦闘の末、空からの集中砲火で行方知れずとなっていた…満身創痍の、あの魔人。

 

「…やはり生きていたか…だが、馬鹿な…ここまで誰にも気付かれずに、入り込む事が出来ただと……?」

「えぇ…ご覧の通り、今のワタシの命は最早風前の灯…しかしそれ故に、隠蔽は容易でした…元々消え掛かっている程、ワタシの力は小さくなっているのですからね……」

 

 俺も、恭士さんも、妃乃も綾袮も、ここにいる霊装者全員が武器を魔人へと向ける。多勢に無勢、奴は満身創痍。加えてここにいるのは多くが手練れという、俺達からすれば圧倒的に有利な、奴からすれば絶望的な程不利な、そんな状況。…にも関わらず、魔人は笑みを浮かべている。

 見間違いじゃない。魔人は、本当に全身傷だらけ。俺が最後に見た時よりも、更に夥しい数の怪我が魔人の身体に……って、

 

「…まさか、テメェ…俺達がしようとしてる事を知る為に、わざと……」

「ご明察…空からの攻撃には、ひやりとしましたが……ピンチはチャンスとは、よく言ったものですね…」

 

 更に笑みを深める魔人。全身の怪我でひょっとしたらとは思ったが…奴は、この状況を作り上げる為に、わざと攻撃を受けたんだと言う。

 だとしたら、それは凄まじい精神力以外の何物でもない。自ら攻撃を、それも重傷を負った状態で、更に瀕死レベルまで受けるなんざ、最早トチ狂っていると言うべきレベル。それを実現させているのは、根性か…或いは、執念か。

 

「…お父様」

「ああ、分かっている。…そんな身体でここまで来た事は大したものだが、それも今更の話。生きていたというなら、今ここで討つだけだ」

「取り逃がしておいて、よく言えたものですね…では、やれる言うのならやってみて──」

「言われるまでもない」

 

 次の瞬間、魔人の力無い声を遮る恭士さんの言葉に呼応するように、非常識な速度で斬り込む妃乃と綾袮の二人。左右から振り出される刃を魔人は辛うじて、間一髪で跳躍して避けるが、そこに他の霊装者からの集中砲火が撃ち込まれ、宙から地面へと落ちる魔人。

 その直前、俺は恭士さんからの視線を受けていた。その意図を、意味を感じ取った俺は奴を見据え…地を蹴る。

 

「…終わりだ、魔人」

「がッ、ふ……ッ」

 

 俺がフルスピードで魔人の背後を狙う中、恭士さんは真正面から魔人へ突進。そのまま、その勢いのまま恭士さんは両手で握る大剣を突き出し、受け止めようとした魔人の防御を一瞬で突破。そのまま真っ直ぐに刃は伸び……魔人の胴を、突き刺し貫く。

 それでも魔人は、最後の悪足掻きだとばかりに、何かをしようとした。だが何をしようとしたのかは分からない。それが、行動もなる前に…俺が背後から、既に腹部を貫かれた魔人への駄目押しとして直刀を背中へ突き刺したのだから。

 

「…悪いな、多勢に無勢で。けどこっちも試合をやってるんじゃねぇんだよ」

「…え、ぇ…構い、ませんよ…?数を、利用するのもまた…戦術…数を使いこなせるのも、強者というもの……そして、情報もまた…確かな、強み…」

「…なんだ…?テメェ、まだ何か企んで……」

 

 間違いなく致命傷。即死して普通な位の大怪我。だがまだ息のある魔人は意味深な言葉をぽつぽつと漏らし、尚且つ何もない方向へと視線を移す。

 これはまだ何かある。そう俺が思った直後、奴の懐から現れたのは、黒の球体に蝙蝠の羽が生えたような、生物風と呼んで良いのかすらも分からない存在。

 けどそれも魔物だ、そういう存在だ。直感的にそう思った俺は拳銃を抜き放ち、一瞬早く抜いていた恭士さんに続く形で球体へと発砲。二発の弾丸は奴へと迫り……当たる直前で、不意に消える。

 

「……っ!?消えた…!?瞬間移動…!?」

「そんな、大したものでは…ありませんよ…。ワタシはただ、伸ばしただけ…なの、ですから……」

「伸ばした……って、まさか…ッ!?」

 

 消失した球体。どこを見ても見当たらない、自壊した可能性を除けばどこかへ瞬間移動したとしか思えない目の前の現象。

 それに対し、魔人は「伸ばしただけ」だという。意味が分からない。さっぱり分からない。…一瞬俺は、そう思った。だが次の瞬間…気付く。

 思い返せば、初めて戦った時もそうだった。瞬間移動の様な方法で、一気に奴は距離を開けて撤退して行った。だから俺は、その現象から俺は瞬間移動をしたんだと思っていたが……そもそも恐らく、奴の能力は伸ばす事。何かを長くする事。…もしそれが、身体だけでなく…それ以外のものにも通用するんだとしたら?それは形のない、概念的なもの…それこそ例えば、()()()()()()()みたいなものすら『伸ばせる』んだとしたら…?

 

「……ッ!恭士さんッ!こいつ、誰かにここの事を、見知った情報を送る気ですッ!今消えた奴とこの場の何かとの距離を伸ばして、それで遠くに飛ばしてやがる…ッ!」

「そういう事か…ッ!飛べ、悠弥君ッ!」

 

 その気付きを、可能性を伝えるべく声を上げる俺。それを聞いた恭士さんは目を見開き、だがすぐに俺へと指示。反射的に指示に従い、俺が恭士さんとほぼ同時に飛んだ瞬間、再び妃乃と綾袮が斬り込み…今度こそ、それぞれの得物が魔人を直撃。大槍と大太刀、二振りによる斬撃は既に死に体の魔人を完全に斬り裂き……その身体は、崩れ落ちる。

 

「…ぁ、ぁ…お、見事…これだけの、数とはいえ…このワタシを倒した事は…賞賛に、値…します……」

「ぐっ…テメェ、最後までそんな態度を……ッ!」

「…です、が…目的は、果た…せた……さぁ、ここから…どうなるか…一先ずは、舞台裏に降り…眺めさせて、もらうと…しま、しょ…ぅ……」

 

 倒れた時点でもう、始まっていた身体の消滅。完全に命が断たれたのだという、紛う事なき証明。だが魔人は悔しがるでも呪詛を吐く訳でもなく…むしろ満足げな表情すら浮かべて、言いたいように言っていく。

 消滅した身体の割合と反比例するように、どんどんと小さくなっていく声。芝居がかったようにも、深みのあるようにも思える声は、いよいよ聞き取るのも困難となり……そして、魔人は完全に消滅。言い切ったか言い切らないか、そんな境で魔人は完全に消え去り……静寂が、空間を包む。

 広い地下空間と、その先にあったこの場所。ここで聞いた可能性と…少なからず因縁のある魔人の消滅。俺としても思うところのあったこの作戦は……俺が見ている中であまりにも多くの事が起こり、俺に幾つもの衝撃を残していくのだった。



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第二百話 失意の中、誘う招待

 綾袮さん達が富士山に行ってから、二度目の調査が始まってから、一日が経った。昨日の夜かかってきた電話じゃまだ「これだ」ってものは見つかっていないらしくて、恐らく明日…つまり今日もまだ帰ってこない様子なんだとか。

 まあ、それは仕方ない。何せ富士山は広いんだから。前回よりも、人数が少ないんだから。その上で、どこにあるか分かっている物を取りに行くとかじゃなく、まずどこにあるのかを探し出すところからやるとなれば……楽に終わる筈がない。それは俺自身、一度目の調査に参加したから分かっている。

 帰ってくるのは明日か、明後日か、更に先か。…何にせよ、俺は待つだけだ。参加していない俺には、その力のない俺には…待つ事しか、出来ないんだから。

 

「…お、何だ今日は卵が安いじゃん。助かる助かる」

 

 学校帰り、最寄りのスーパーに立ち寄った俺は、買い物カゴを手に店内を回る。今家にどの程度食材が残っているかを思い出し、それに合わせて食材や調味料等をカゴの中に入れていく。

 今日は平日。普通に学校のある日。だから綾袮も千嵜も妃乃さんも休んでいて、その理由の方は協会が上手い事誤魔化してくれている…んだと、思う。

 

「後は……あぁそうだ、ピーナッツバターも残り少ないんだったな」

 

 そうして買い物を終えた俺は、スーパーを出て家へと帰る。当然中には誰もいないけど、それでも習慣…というか普段の癖で、「ただいま」と言ってから家に上がる。

 

「ふぃー…今日も疲れた……」

 

 取り敢えず買った物を仕舞って、手洗いうがいもして、リビングにあるソファに座る。身体を沈み込ませるようにどかりと座り、のんびりと吐息を漏らす。

 普段はゆっくりするよりも前にやる事がある。ゆっくりしてる時間なんてない…って訳じゃないけど、一度ゆっくりしようとすると中々やる気を取り戻せないから、先にするべき事をある程度でも片付けておかないと、後々慌てる事になってしまう。……でも、今は俺一人。夕飯やら何やらが遅れたって問題はないし、食べるのも俺一人だから内容も簡素。だから忙ぐ事なく、疲労をソファへ押し付けるが如く身体を任せ…ふぁ、と一つ小さな欠伸。

 

(…今頃、綾袮達は何してるんだろうなぁ…って、調査に決まってるか…。…ラフィーネも、フォリンも、問題なくやれてるといいんだけど……)

 

 天井をぼんやりと見つめながら、考える。考えるというより、想像する。今は離れた場所にいる、綾袮達の事を。心配はないけど…やっぱり、気になる。

 とはいえ、だからと言って連絡は出来ない。それは言うまでもなく、任務中だから。邪魔になるのは悪いし、そもそも出るかどうかも分からない。

 

「…まあでも、大丈夫か…うん、きっと大丈夫だよ…皆俺より、ずっと経験豊富なんだから…」

 

 全く誰が誰に心配してんだ。相変わらず俺は心配性だなぁ。…そんな風に思い直しながら、俺は自嘲気味に笑う。…あぁ、やっぱり俺は、待つのは苦手だ。信じていても不安になるし、不安とまでいかなくたって気になるし、しかもそんな自分を客観視して呆れてしまう俺もある。ほんと…待ってるだけは、向いていない。

 

(…ほんと、なんでこうなっちゃったんだろうな、慧瑠…)

 

 力を失っていなければ、今も霊装者であったのなら、こうはならなかった。今日もまた、そう思ってしまう。無念さが心の中に染み出してきて、嘗てのように慧瑠へそんな気持ちを打ち明ける。

 もう何回、こんな思いを抱いたか。何度抱こうとこの思いが薄れないのは、解決する事も、思いが風化する事もなく、変わらないまま俺の心に残り続けて、燻り続けているからだ。

 そうこうしている内に、段々と眠くなってくる。心の中で燻る鬱屈した気持ちを忘れられる、睡魔に身を任せての眠りは何とも魅力的で、けど今寝てしまうとこの後予定していた事が色々と狂ってしまう訳で、今寝る訳にはいかない。でも眠いのも事実だから、ちょっとだけ目を閉じていようかななんて考えて……

 

「……ん、ぁ…?…あっ……」

 

……気付いたら、寝ていた。緩ーく、ほんと緩ーく寝落ちしていた。

 その事に気付いた、というか目が覚めた俺は、慌てて跳ね起き時間を確認。けど幸いにも、俺が寝ていたのは数十分。これなら取り敢えずは許容範囲。

 

「あっぶねぇ、やっぱ睡魔って恐ろしいな……」

 

 霊装者だろうとなんだろうと日々の生活のどっかしらで苛まれ、時に問答無用で意識を刈り取っていく存在、睡魔。三大欲求の中でも制御のしようがない、色んな事をしたい人や忙しい人に程牙を剥く、無情な力。それに一杯食わされた俺はやっちまったなぁと思いつつ、ソファから立って台所へ向かう。

 寝るならもっとしっかり寝たいし、半端な睡眠は時間を無駄にした感が凄いけど、もう二重の意味で起きてしまった事は仕方ない。それよかさっさと夕飯を作る方が、よっぽど前向きで建設的。普段よりも少し遅れてしまったけど、今からだったらまだ皆を待たせる事なく夕飯の支度を……

 

 

……って、何言ってんだ俺は…。皆は今日も、富士山だっての…昨日に引き続き、今日も俺一人だっての…。

 

「……ほんと、何やってんだろうな、俺…」

 

 無駄に慌てたせいか、気の重い疲労感がやってくる。急ぐ気どころか夕飯を作る気そのものすら失せてしまい、買い置きのカップ麺と冷蔵庫の残り物だけでいいか…って気分に変わっていく。

 

「…こんな筈じゃなかった…こんな筈じゃ、なかったのに……」

 

 ソファではなく食卓の椅子を引っ張り出し、腰を落とすようにして座り込む。

 一年前まで、俺はこんな世界があるだなんて知らなかった。そういう世界への憧れを、夢を抱いて…けれど抱いているだけの、ただそれだけの学生だった。それがあの日襲われて、助けられて、この世界と自分の事を知って…あぁ、何度も思い返しても、それからの一年は刺激的で、輝きに満ちた日々だった。辛い事や苦しい事もあったけど、それでも心踊る日常だった。幸せだった。

 少し前、三人共任務で家にいなかった時、帰ってきたラフィーネは俺に、寂しくなかったかと訊いてきた。その時はそんな事ないと、なんて事ないと答えた俺だけど…今はこの家が、広く感じる。いつもよりずっと、酷く広いように感じる。寂しいとは違う…虚しい思いが、シミの様に心へ広がる。

 

(…これが、ずっと続くのか…これからもずっと、俺はずっと…ずっと、このままで……)

 

 綾袮達は、その内帰ってくる。今後ずっと、俺一人の家になる訳じゃない。けど失った俺の力は、霊装者じゃない俺は、きっとこれからも変わらない。ずっとこのまま、煌びやかな舞台をその袖から見つめるだけの日々になって、今日の様に一人となる事もそれなりにはある…そんな毎日が、俺の日常になっていくんだ。

 そしてそれを、いつか俺は認めてしまうのかもしれない。無念な気持ちを、捨て切れない夢を抱えたまま、それでも慣れて、受け入れて、完全にただの人に戻るのかもしれない。嫌だ。そんなのは絶対に嫌だ。…だとしても、現実は…俺が歩む、これからの未来は……

 

「……っ…!」

 

 不意になった、チャイムの音。当たり前といえば当たり前の、突然の音が示す来客。それを聞いた俺は深い思考の沼から浮き上がり、渦巻いていた気持ちを一度押しやって玄関に向かう。

 

「はーい、空いてますよー…」

 

 玄関の鍵は掛けていない。けど空いていても家の人間が来るまで待っている人は普通にいるし、開いていると言っても反応がない事からして、多分今回の来客もその類い。

 宅配便か、協会の人か、それ以外の誰かしらか…まあそれは、開けてみれば分かる事。強盗だったら困るけど、それだって開けてみなきゃ分からない訳で、さてどなたでしょうなんて考えながら俺は玄関の扉を開き……

 

「お久し振りですね、御道顕人」

「な……ッ!?」

 

──そこにいたのは、俺を待っていたのは、BORGの霊装者…ウェインさんの秘書という肩書きを持つ女性、ゼリア・レイアードさんだった。

 目を見開く。絶句する。…そうならない訳がない。その人物は…俺の予想を遥かに超えた、想像絶する相手だったんだから。

 

「突然申し訳ありません。少々お時間、宜しいですか?」

「…どう、して…貴女が、ここに……」

「ご招待です。ウェインから、貴方へ向けての」

 

 訳が分からない。あまりにも訳が分からな過ぎる。そう俺が茫然とし、何とか質問を絞り出せば、ゼリアさんは眉一つ動かす事なく、平然と俺の問いに答える。ウェインさんからの招待だと、俺の動揺を他所に言う。

 

「招、待…?何を、言って……」

「驚くのも無理はありません。…して、どうでしょう?」

 

 招待に応じるのか、拒否するのか。その二択を迫る、ゼリアさんの瞳。真っ直ぐ俺を見つめる、ただ見られているだけなのに後退りしてしまいそうになる、静かながらも鋭いその眼光に、俺はたじろぎ…そこで漸く、頭も回り始める。

 ゼリアさんは、ウェインさんからの招待と言った。けれどまず、俺とウェインさんは気軽に会うような関係じゃない。つまりこれは、招待という名目の、別の目的がある可能性が高いって事。…でもそれを、俺に向けて行う理由がどこにある?綾袮の様な実力もなければ、ラフィーネやフォリンの様に元々の関係がある訳ではない俺に…予言された霊装者だと言ったって、今はもうただの人間に過ぎない俺に、招くだけの価値があると?

 分からない。ただ少なくとも、俺を人質に…というのはないだろう。ウェインさんにはそれを必要としないだけの立場が、ゼリアさんには実力があるんだから、そんな事をしても手間になるだけ。

 

「…何が…ウェインさんは、俺に一体…何を……」

「それに関しては、彼自身の口から聞くのが一番かと。ただ一つ、言える事があるとすれば……ウェインは、貴方に興味を持っているのです」

「……っ…!?…興味……?」

 

 色々と考える。思い付く限りを想像する。…けれどやっぱり分からない。どれも違うか、しっくりとこない。だから俺は、自ら突き止める事を諦め…ゼリアさんへと、訊く。俺に何をしたいのか、何をさせたいのかと。

 それに返ってきたのは、「興味を持っている」という言葉。依然として具体性のない、想像の余地があり過ぎて逆に分からない…ただ一つ分かるのは、それが「条件に合う誰かの内の一人」ではなく、完全に俺一人へと向けた招待だという事。

 

(…怪しいにも程がある。いきなり訪ねてきた時点で、ここを知ってる時点で怪し過ぎる。普通に考えれば、この招待に応じるなんて論外だ。…論外に、決まってる……)

 

 詰まる所の目的は分からない。一方で、俺とゼリアさん、ウェインさんは実質敵の様な関係性。その相手からの招待に、ほいほい乗るなんてどうかしてる。…分かってる。そうだ、そうに決まってる。…だけど……

 

「…付いていけば、良いんですか…?」

「えぇ、ご案内させて頂きます」

 

 それでも俺は、その招待に応じていた。何か報酬を提示された訳じゃない。強いられた訳でもない。なのにそれでも、俺が応じたのは、応じてしまったのは……今の俺が、『普通の世界』に取り残されてしまったように感じていたからかもしれない。その事で、知らず知らずの内に俺の心には隙間が出来ていて…もう霊装者ではない俺に、だとしても『興味』を持ってくれている事に、縋りたかったのかもしれない。

 

「さぁ、どうぞ」

 

 家の鍵を掛け、付いていく形で敷地から出ると、すぐ近くに車が停められていた。ゼリアさんが開けた後部座席に座ると、ゼリアさんは逆側に回って車内に入り、鏡越しに運転手へ目配せ。それを受けた運転手は車を走らせ、どこかへと向かっていく。

 

「…あの、ゼリア…さん」

「何でしょう?」

「この事を、連絡しても…?」

「構いませんよ。但し荒事となった場合は、対処をさせて頂きます」

 

 多分、ゼリアさんに脅しの意思なんてなかったんだと思う。ゼリアさんはただ、訊かれた問いに答えただけ。けれどそれだけでも、あからさまな脅しよりずっと緊張をさせる何かがあって…結局俺は、「これから少し出掛ける」という、具体性のないメッセージだけを綾袮へと送った。これじゃ何かあっても助けてもらえないし、危機管理が甘い(付いて行ってる時点でそうだけども)と言われても仕方ないけど…それで良い。メッセージを送った時、俺の心の中にあったのはそんな思い。

 

「…………」

 

 走る車内、静かな空間、俺が目を向けるのは窓の外。これから何があるのかは分からない。来て良かったと思うか、後悔するかも全くの謎。ただそれでも、不安はあっても…俺は降りようとは、一度たりとも思わなかった。

 

 

 

 

 車で移動する事、数十分から数時間。数十分と数時間じゃ結構空いてるけど…そういう表現になってしまうのは仕方のない事。何せ緊張して、あまり時間を確認出来なかったんだから。

 

「さぁ、どうぞ」

 

 そうして到着したのは、結構お高そうなホテル。言われるがままに付いていくと、案内されたのは上層階のある部屋で、ゼリアさんはそこの扉の前を開ける。

 これは入れ、って事なんだろう。今も緊張はしていて、というか強まっていて、実は心臓バクバクだけど…今更躊躇ったってどうにもならない。だから俺は、深呼吸をし…扉をノック。返事が聞こえたところで扉を開き、その部屋の中へ。

 

(お、おぉ…やっぱ広い……)

 

 外観同様豪華さを、何より広さを感じさせる部屋の作り。まず俺はそれに気を取られて、視線を動かしながら中を進み…そして廊下に当たる場所を抜けたところで、視界に入る男性の姿。

 

「お待たせしました、ウェイン」

「ああ。良く来てくれたね、御道顕人クン」

「え、あ……は、はい…」

 

 待っていた男性、ウェイン・アスラリウスさん。タブレット端末で仕事か何かをしていたウェインさんは、俺達が近付いて来た事で振り向き、ゼリアさんの言葉に首肯。それから俺に目をやって、にこやかに笑い…その表情に驚きつつも、何とか俺も挨拶を返す。

 

「招待に応じてくれた事、それをまず感謝するよ」

「い、いえ。…………」

「…どうしたんだい?僕に何か、聞きたい事でも?」

「それは……」

 

 一見すれば物腰の柔らかい、綾袮のお父さんである深介さんに近いような印象を抱くのが、ウェインさんという人。けれどそれは表面的な、表情や言葉使いだけを見た場合に抱く印象であって…実際は真逆。深介さんは穏やかな中にも深みや頼もしさがあって、健全な精神と実力を兼ね備えた事による雰囲気なんだなと思うけど、ウェインさんは底知れない。深いではなく、そもそも『底』があるのか、あるとしてその底にあるのが常人のそれなのかすら分からない…深淵を覗いているような、同時に深淵から覗かれているような、そんな感覚を抱かされる。

 そのウェインさんから問い掛けられ、一度俺は口籠る。その雰囲気に気圧され、一度言葉に詰まってしまった。…けど、俺には疚しい事なんてないし、もう来るところまで来てしまった。なら躊躇う事はないと気持ちを持ち直し、改めてウェインさんの目を見やる。

 

「…どうして、自分を…俺を、招待したんですか…?」

「うん?ゼリア、説明しなかったのかい?」

「えぇ、控えておきました。貴方の言う事には、少々理解出来ていない部分もありましたので」

「あぁ…そういう事なら、それを訊くのは当然の事だ。けれど折角招待したというのに立ち話では申し訳ない。そこに座ってくれるかな」

 

 よく分からない部分があったから説明しなかった。秘書の立場からすれば問題がありそうな発言をゼリアさんはあっさりと言い、ウェインさんもそれならば仕方ない程度に言葉を返す。…どうもこれが、二人にとっての普通らしい。

 そしてそんなやり取りを経て、俺は今ウェインさんが座っている席の逆側を指定される。それに従い着席すると、ゼリアさんは部屋に備え付けられていたティーセットを手に取り、これで紅茶を淹れていく。

 

「先に少し言うと、僕は一度、君とゆっくり話してみたくてね。君に対して、興味を抱いていたと言ってもいい」

「…どうして、俺に……」

「まあ、そう急がないでほしい。それと…聞いたよ、御道顕人クン。君の身に起きた、力の喪失の事を」

 

 どうして。再び俺が口にしたその言葉に対し、ウェインさんが切り出したのは能力の事。

 別にそれは、驚きはしない。むしろ、安堵感すらあった。今の俺に、もう霊装者としての力はない。それを認識した上で、「興味がある」と言ってくれているのだとしたら…つまり、今の俺にも特別な価値があるって事だから。

 

「あの、どこでそれを?」

「独自の情報網、と言っておこうかな。気になるかい?」

「…いえ、大丈夫です」

 

 どうやって知ったのかは気になるけど、訊かない方が良さそうだ。そう思った俺は首を横に振り、代わりに待つ。ウェインさんが、本題に入るのを。

 そんな俺の意図を察したのか、薄く笑みを浮かべるウェインさん。その表情は、これまでよりもどこか純粋なもののように見えて…俺がその事を感じる中、ウェインさんは話し始める。

 

「…顕人クン。君は今の世を…この世界を、どう思う?」

「……へ?」

「僕はね顕人クン。今の世界を、あまり快くは思っていない。今の世は、歴史的に見れば悪くないのかもしれないが…普通だ、あまりにも普通だ。言い換えるなら、面白くない。つまらない」

「……っ…面白く、ない…つまらない…?」

「妙な事を言っていると思うかい?だが、僕は本気だ。本気でそう思っている。本気でそう思ってきた」

 

 初めの問いは、質問というより話し始める切り口だったらしい。意外且つ漠然とした問いに俺が戸惑うのを他所に、ウェインさんは話を進め…いや、語る。自分の考えを、自分の思いを。

 いきなりこんな事を言われたら、誰だって混乱する。大の大人が言うとなれば、一抹の不安も覚える。けれどそれは、普通の場合。普通の感性を持っている場合で……ある一点において、ある思いにおいてだけは、俺はそれに当たらない。

 普通である、それが故に面白くない。つまらない。その言葉は、その感情は、俺にとって凄く響く、心を揺さぶられる思い。あぁ、まさか、もしかしたら。期待にも似た、驚愕混じりの思いが俺の心の中から湧き上がる中……ウェインさんは、言う。

 

「顕人君、僕は昔から憧れていたんだ。夢見ていたんだ。普通ではない世界を、非日常を。僕が今の立場に…いや、自分が霊装者であると知る前、少年だった頃の僕はずっと…ね」



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第二百一話 蘇り、染まる力

 ウェイン・アスラリウスさん。ウェインさんも一般の(と言っても、上流階級に位置してるらしいけど)家庭で生まれた霊装者らしく、俺と同様に霊装者の事もこの世界の事も、全く知らないまま十数年を生きてきたらしい。

 綾袮や妃乃さんの様に特別な家系を持つ訳ではないウェインさんが一代で、それも数十年前後でイギリスの霊装者組織の長となれたのには、幾つか理由があるとの事だけど…その理由の一つが、飽くなき期待と高揚感であったんだとか。俺と同じように、普通の世界で生きてきた、非日常に憧れていたウェインさんにとって、霊装者としての日々は刺激的且つ魅力的で、気力が幾らでも湧いてきたんだとか。たとえ戦闘に出ずとも、それがある世界に自分も存在している…それだけで気分が舞うようだったと、ウェインさん自身が言った。

 そんな思いを、快く思わない人もいるだろう。どんな言い方をしようと戦いは戦い、命のやり取りは命のやり取りであって、それに対する心構えとしてそんな思いは間違っている。…そう捉える、そう考える人もいるんだろう。実際命の危険はあるんだから、そういう思考も一理ある。一理あるけど……俺はウェインさんの考えが、その思いが、誤ったものだとは思わない。

 

「…という事があってだね。その時は流石に驚いたよ」

「分かります。よく想像するような事でも、実際にいきなり遭遇すると、驚いてしまうものですよね」

「あぁ、そうなんだよ。全くその通りだ」

 

 いつの間にか始まっていた、ウェインさんの昔話。霊装者となってからの日々。それに俺は相槌を打ち、時に言葉を返し、じっくりと聞いていた。聞きながら想像し、もっと聞きたい、より知りたいと思っていた。

 つまらない、とは思わない。だってそれは…語るウェインさんの抱く思いは、俺と同じものだから。俺と同じ、気持ちだったから。

 

「…そんな中で、ある日僕は彼女と…ゼリアと会った。あの日の事は、よく覚えているよ」

「ゼリアさんと、ですか…?」

「そう。…まあでも、これは一度置いておこう。ゼリアとの話となると、また長くなってしまうからね」

 

 続く会話、続くやり取り。楽しい、ああ…凄く楽しい。今の俺の状態だとか、ウェインさんとの年齢差だとか、これまでにあった事だとか…そういうものは、一切合切関係ない。気にもならない。

 これまで俺は、俺の思いを人に語る事は少なかった。俺の思いが子供っぽい…普通なら割り切ってしまうようなものだと分かっていたから。けど今は、そんな事を考える必要はない。同じ思いを持つ人が相手なら…その思いを秘めたままにしておく必要は、全くない。

 

「…そうだ、こんな事もあったんだ。ある時、変身する魔物との戦闘になってね。変身と言っても、肥大化し、その関係で外見が変わるという程度の存在ではあったけど…姿が変わっていく魔物と対峙した場合、君ならどうする?」

「…待ち、ますね…」

「何故だい?警戒の為かな?」

「それもありますけど…変身中に攻撃をするのは、色々と台無しですから」

「ふふ、君ならそう言ってくれると思ったよ。変身するというのなら、それが終わるまで待ってこそ。変身中の隙を突いて倒してしまうなんて、勿体無いというものさ」

 

 変身中は攻撃しない。最近はそれをネタにする、或いは破る作品もちらほらあるけど、それでも基本は『お約束』となっている、創作においては普通の事で…でもそれを現実でやったら、まずふざけていると見られるだろう。明らかな隙があるのに、それをみすみす捨てるなんて…ましてやそれが戦略性皆無の理由であったとするならば、怒られたって仕方のない事。

 けれどその時、きっとウェインさんはふざけていた訳じゃないだろう。真剣に、純粋に、自分の心に従ってそうしただけだろう。憧れの世界で、憧れた通りの経験が出来ているのなら…そこから覚めてしまうような選択を、したい訳がないんだから。

 

「勿体ない…ですか。けれど、場合によってはその勿体なさこそが輝くと私は…俺は思うんです。例えばそう、使える火器の全てを使って……」

「全門砲撃…それも、過剰火力と分かった上での一斉掃射、かな?」

「……!そうですそれです…!全門砲撃を、純粋な高火力を叩き付ける…無駄の多い、非合理な攻撃だったとしても、そこには熱いものがあるっていうか…!」

「分かるよ、顕人クン。確かそういうものを、日本では『ロマン』と言うのだったね」

 

 次から次へと浮かぶ話題。これまで誰かに話す事を避けてきた、心の中で一人語るだけだった話を、思いを、気兼ねなく話す事が出来る。聞く事が出来る。それが楽しい、それが嬉しい。自然と言葉に熱が籠り、気付けば俺は前のめりになり、更に多くの話をする。より多くの、思いを紡ぐ。そしてその間…ウェインさんもまた、笑みを浮かべていた。底知れない、得体が知れない…そんな印象なんて微塵もない、純粋にしてどこか少年の様にも感じる笑みを。

 

「ふふふっ、やはり…やはり思った通りだったよ顕人クン」

「思った通り…?」

「君の行動や活躍を聞いて、思ったんだ。君は、僕と近いのかもしれないと。霊装者に、この世界に、憧れと夢を抱いているかもしれない、と。それを果たす為に、戦っているんじゃないのだろうか、とね。…そうだろう?顕人クン」

「…えぇ、そうです。俺はずっと、こんな世界に憧れてました。その世界に踏み出す事が出来た事が心から嬉しくて、もっと進みたくて、だからここまで駆け抜けてきて……」

 

 俺は頷く。そうだろうという言葉に、はっきりと頷く。それは本当にその通りで、霊装者となってからの俺の原動力…その最たるものは、夢への思いだった。自分の中の理想へ辿り着く、それを形にする…その思いが、どんな状況でも俺を奮い立たせ、俺に力を与えてくれた。

……だけど、それはもう過去の事。今の俺に、霊装者という力はない。思いはあっても…憧れの世界、その舞台へ立つ為の資格が、もう俺の手の中にはない。

 

「……顕人クン。知っての通り、こうして今の僕はBORGの長となった。持てる手を駆使し、彼女にも力を貸してもらって、僕は今の立場を手に入れた。…漸くここまで来たと思ったね。長にまでなれば、もう大概のものには縛られない。自由に、好きなように、自分の夢を追う事が出来ると、そう思ったんだ」

 

 声が尻窄みになっていき、心の中が冷えていくのを感じる中、話を戻すようにウェインさんが自分の過去を語ってくれる。

 初めは、俺を気遣い話を変えてくれたのかと思った。…けど、違う。声音からは、雰囲気からは、そういう事じゃない何かを感じる。

 

「…けれど、そうはいかなかった。自由にやろうと思えば、出来たけど…ここまで来て、確信してしまったんだよ。自分が感じていたものは、立場が大元の原因ではないんだ、と」

「…自分が、感じていた事……?」

「君も、感じた事はないかい?…僕達が憧れた、夢見た世界は、もっと自由だった筈だ。もっと無秩序だった筈だ。もっと個人が、主人公が、悪人が活躍している世界だった筈だ。…なのに、今の霊装者の世界は…あまりにも社会として、成熟し過ぎている」

「…それ、は……」

 

 じっとこちらを見据えてくるウェインさんの言葉と瞳に、俺は詰まる。正直に言うのなら、今ウェインさんが言った内容を、はっきりと感じた事はない。けど…思い返せば、そう感じられる事は幾つもある。

 例えばそう、霊装者として活動するなら、何に対しても協会の存在が関わってきた。夏には組織の、組織間の駆け引きにおいて、俺自身関わり真実を歪めた。つい最近も、組織の…全体の為に、協会は富士の調査任務に関する隠し事をしていて、その事を俺は口外出来なかった。良し悪しは別として、俺の知る今の霊装者の世界は、本当に『組織』の存在が大きく、それは普通の世界と同じようで…時に不満も抱きながらも、俺はそれを認めていた。そういうものだと、考えていた。…だけど、それは…そんなのは……

 

「…俺が望んでいた、世界じゃない……」

「同感だよ、顕人クン。一つの組織がではなく、今の霊装者の世界そのものが、そういう状況になっている。真に憧れた、望んだ世界に辿り着く為には…その在り方を、変えるしかない」

 

 気付けばウェインさんが浮かべているのは、どこか不気味さも感じる笑み。企んでいるとも違う、もっと恐ろしさすら覚える表情。

 それでも嫌悪や否定の感情が生まれないのは、共感出来る部分があるから。そうだ、その通りだ…心のどこかに、そう叫ぶ自分もいるような気がするから。

 では…ならば、どうする?ウェインさんに、賛同するか?分かる分かると、同意を示すか?…違う。ウェインさんから向けられている思いは、そんなすぐに返せるものじゃない。…でも、それ以前だ。応える、応えない以前に…今の俺は、その立場にない。

 

「……っ…だけど、俺には…もう……」

 

 結局、こうなのか。今も俺は、霊装者として培った繋がりがある。ただの人に戻ったからといって、経験や記憶までもが消えてしまった訳じゃない。

 でも、だからこそ辛いんだ。何も出来ないのに、知る事だけは出来るなんて、それは何も知らないより辛い。結局また俺は、知る事聞く事は出来ても、その先に進めず…見送る事しか、出来ないんだ。そう思うとあまりにもやるせなくて、悔しさが胸に込み上げる。

 今の俺の中には、ウェインさんへ対する、俺自身でも上手く言語化出来ない感情がある。今はもう、どれだけの話を聞いても、俺には何も出来ない。だけどもしも、もっと早く…力を失う前に、ウェインさんの心を知る事が出来ていたら……

 

「──いいや。まだ、終わってはいないさ」

「え……?」

 

 そう、思った時だった。ウェインさんが…そう、言ったのは。まだ終わってはいないと……俺の中の悔しさと諦観を、否定したのは。

 

「…終わって、ないって…一体、何が……」

「君の、物語だよ。まだ君の物語は、終わるべきじゃない。そして、その為の手段ならば…ここにある」

 

 文脈から考えれば、それが何を指した言葉なのかは明白。けれど俺には分からない。それは、その発言は、現実と真っ向から反する言葉で…だから何を言っているのか、分からなかった。

 そんな俺に対して、ウェインさんは言葉を続ける。俺の心の底までを見据えているような、そんな瞳で言葉を続け……そしてテーブルの上に、ある物を置く。

 テーブルに置かれ、離れる手。そこにあったのは、置かれていたのは……宝石の様な、紅い結晶。

 

「…これ、は……?」

「…顕人クン。僕ははっきり言って、霊装者としての能力は低い。恐らく才能もあまりないんだろう。けれど代わりに、ある力があったんだ。他の霊装者にはない、僕だけの力が」

「…固有の、能力……?」

「そう。そして僕は、この結晶を作る事が出来る。……適合する者へ霊装者としての力を与える、この結晶をね」

 

──その言葉を聞いた瞬間、俺は全身に緊張が走る。心が一気に張り詰められ…自分ではっきりと分かる程に、心臓が強く鼓動を打つ。

 

「霊装者の、力を…。…じゃあ、これは…これが、あれば……」

 

 全身から汗が噴き出ているような感覚。鼓動は早まり、身体は暑くなり…けれど頭は冷静なまま。鋭敏過ぎる程に思考は冷えて。回り続け…ウェインさんは、ゆっくりと頷く。最後まで言わなかった俺からの言葉に頷き、そのまま視線を俺へと向ける。俺からの言葉を、待っている。

 俺は本気で、全身全霊で、夢を追いかけていた。憧れた先に辿り着く為に、ずっと手を伸ばしてきた。そしてその夢が、憧れた先が断たれた今、俺の心には無念さとやり場のない思いばかりが積み重なっていて…だったら、何かを考える必要なんてない。

 

「……お願いがあります、ウェインさん」

「何かな、顕人クン」

「自分に出来る事なら、何でもします。何だって、やってみせます。だから……」

「ああ、構わないよ。元々これは、君の為に…君に受け取ってほしくて、用意したものだ。だから…見せてくれ、顕人君。君の願いの…渇望の、強さを」

 

 それは、あまりにも愚かな選択。どんな理由があろうと、どんな思いを秘めていようと、ウェインさんはラフィーネ、フォリンの二人を実験の道具にし、その後も都合の良い駒として利用し続けた…そういう事を、出来る人物。その人に、何でもなんて、何だってなんて…間違っても言うべきじゃない。

 それでも俺は、手を伸ばした。終わってしまったと、潰えてしまったと思った夢を、まだ追えるかもしれないのなら…それがどんな道であろうと、諦められる訳がない。捨てられる、筈がない。

 そんな思いのままに、俺は頼み込んだ。失った力を、夢を、諦めたくなくて。取り戻したくて。そして……取引は、成立する。

 

「……っ…」

 

 作り手であるウェインさんの手元から、俺の手の内へと移る結晶。紅く深い輝きを持つ…底の見えないウェインさんの心の様な、どこか禍々しさすら感じる、小さな深淵。

 

「難しく考える事はないよ。ただ、それを受け入れてくれればいいんだ」

 

 それで、それだけで、結晶は霊装者としての力を与えるんだとウェインさんは言う。本当かどうかは分からないけど…分からないからこそ、信じるしかない。

 懸念要素があるとすれば、これに適合するかどうか。適合条件がなんなのか、適合しなかったらただ目覚めないで終わるだけなのか…それ等一切を、ウェインさんは言ってない。…けど、なら止める?リスクを重く見て、止めておく?……いいや、そんな選択は…ない。

 

(俺は、取り戻すんだ。駆け抜けてきた、積み重ねてきた…充実していた、霊装者としての日々を。全部、全部、何もかも取り戻して……続けるんだ。夢を、憧れを…俺の望む、俺の世界を……ッ!)

 

 結晶を胸の前に持っていき、それを右手で握り締める。あの日開かれ、今は閉ざされてしまった夢への扉を再び開ける鍵の様に、その結晶へと願いを込める。

 失った力を取り戻す。創作なら、それこそ重要なイベントだ。大切な人を守りたいとか、世界を救いたいとか、そういう理由と覚悟を懸けて、全身全霊を込める出来事だ。…それに比べたら、そんな世界に憧れる俺の理由は、なんて個人的だろうか。なんて矮小だろうか。……分かってる。そんな事は、分かってる。分かってるけど…それでも俺は、取り戻したいんだ…格好悪い理由だって、それが憧れた姿じゃなくたって…それでも俺は、嫌なんだ…ッ!諦めたくなんか、ないんだ……ッ!

 たったそれだけの、他の人から見れば小さな…だけど俺にとっては今何よりも大切な思いを胸に、俺は願う。俺が望む、憧れた未来を。まだ道半ばだった、俺の夢を。そして……

 

「……ッ…ぁ、ぐ…っ!」

 

 心の底から、思いの全てで願った次の瞬間、俺を襲ったのは何かが入り込むような感覚。形のない何かが入り込み、内側から広がり、頭に、心に染み込んでいくような…痛いとも違う、異質な何か。それは奥深くまで、俺の根底にまで沈み込み、包み込み……消える。

 

「……気分はどうかな、顕人クン」

「……ぁ、え…っと…少し、胸焼けの様な感覚がある…気が、する…?」

 

 熱されたアスファルトの上で蒸発する水の様に、染み込んだと思った数秒後には消えてしまったその刺激。刺激なんていう表現すら合っているのか分からない、上手く形容出来ない何か。

 戸惑いながら、俺はウェインさんからの言葉に声を返す。…どうかと言えば、悪くはない。あるのは胸焼けの様な、軽い違和感だけで…それすらも、答えている内に薄くなる。弱まり、薄まり…それも消える。最終的に残ったのは…なんだったんだろうかという、疑問だけ。

 

(…これ、は…成功、したのか…?それとも……)

「…ゼリア」

「はい」

 

 分からない。成功したのか、失敗したのか。適合したのか、出来なかったのか。心に、身体に広がったのは、間違いなく異質な感覚で…でもそれにしては、あまりにもあっさりしていたような気もしている。

 そう俺が戸惑う中、ゼリアさんから渡された物体。片手で持てるサイズのそれは…恐らく、純霊力の剣の柄。

 

「後々、データ収集を兼ねて検査させてもらいたいところだけど…確かめるには、これが一番手っ取り早いだろう?」

 

 これを差し出された時点で、その意味は分かっていた。偶然ではあるんだろうけど…俺が目覚め、霊装者の力を失ったのだと分かった時もまた、同じ方法を用いていた。

 心の中へ、不安が過る。渡された希望。けれどそれに適合していなかったら、力を取り戻せていなかったら、一度は希望を抱いた分、絶望はより大きくなって戻ってくる。

 

(…だけど……)

 

 ここまできて、今更尻込みをして、それで何になる。確かめないのだとしたら、それは力を失ったままと同じ事。なら…迷いなんて、するものか。

 霊力剣の柄を横に持ち、力を込める。いつの間にか意識せずとも、自然に出来るようになっていた霊装者の基礎を、一年前を思い出すように一つずつなぞる。

 そして、最後の行程。そこまで行き着いた俺は、小さく深呼吸し…出力。込めた霊力を、込めた筈の力を刃形に…霊力で編む剣の形へと、作り上げる……ッ!

 

「……っ…!」

 

 嗚呼、だが悲しいかな。ほんとに俺はヘタレというかなんというか、出力した瞬間に思わず目を瞑ってしまった。それでも今は不安よりも確かめたいという思いの方が強く、俺はゆっくりと手を開く。

 薄っすらと開いた瞳。俺は緊張を感じながらも、柄の先へと目をやって……そうして俺は、この目で見る。柄の先から伸びる…紅く輝く一振りの刃を。

 

「…あ、か…?…けど…は、はは…ははっ、ははははははっ!やった、やった…っ!ああ、あぁ……ッ!」

 

 今も霊力剣とは逆の手の内にある結晶と同じ、紅い光。確かに違う。これは力を失う前の青とは違う、紅い霊力。…けど、そんなのは瑣末事。この際色なんてどうでも良い。だってこれは間違いなく、霊力の光なんだから。俺が、霊力を取り戻した…霊装者の力を再び手にした、その証拠なんだから。

 

「おめでとう、顕人クン。君が再び力を手にする事が出来て、僕も嬉しいよ」

「あ…ありがとうございます、ウェインさん…!この恩は、必ず……!」

「ああ。それともう一つ、普段はこれを巻いていてほしい」

 

 取り戻せた、俺の力。ウェインさんのおかげで、再び歩める憧れへの道。込み上げる思いを胸に感じながら俺が感謝を伝えると、ウェインさんは軽く笑い…それから細く短い鎖を俺に渡してくる。

 

「…これは……?」

「霊力の反応を抑える道具さ。これをその結晶に巻いておけば、まず霊力に気付かれる事はない。優秀な霊装者に意識して見られれば、流石に看破されてしまうだろうけど…霊力を失っていると思われている人物に対し、わざわざ意識して見るような事は、そうそうない筈だよ」

 

 代わりに巻いている間は、霊装者としての能力そのものも壊滅的なまでに落ちてしまうんだけどね、と言ってウェインさんは締め括る。まだ今はこの能力を…自身の能力を秘匿しておきたいんだ、という隠してほしい理由と共に。

 勿論それに、俺は快く頷いた。躊躇う訳がない。躊躇う理由がない。確かに大手を振って「力を取り戻した」と言えないのは残念だけど、今日の事はBORGのトップの人間との内通を疑われかねない事だし…何より恩人の頼みを、断る事なんて出来る筈がない。

 

(ああ、これで…これでまた、俺は……)

 

 心に渦巻く高揚感。喜びと、興奮と、安堵と感謝と…色んな思いが混ざり合い、熱となって心の中を熱くさせる。

 後から思えば、俺はかなり不味い思考をしている。ラフィーネやフォリンを散々苦しめた人を恩人と評するのは、はっきり言ってまともじゃない。…でも、感謝の念を抱いているの事実で…その『後』となってからも、俺はこの事を間違っているとは思わない。

 失った霊力を、元々とは違う形で取り戻した。これは俺にとって、大きな転機の一つであり……俺の道が、大きく激しく変化した…その、最初の分岐点だった。



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第二百二話 取り戻した繋がり

 失っていた力。霊装者の力。俺が夢見た世界の、憧れた先へと繋がる道。それを取り戻す手立てをくれたのは……BORGの代表、ウェインさん。ラフィーネとフォリンを苦しめてきた、これまでは得体の知れない人だと思ってきた…けれど根底にあるのは俺と同じ、非日常への憧れを手放す事なく抱き続けていた心。

 前触れなく訪れたゼリアさんから始まって、ウェインさんからの招待、ウェインさんの抱いていた思い、そして取り戻した力の事と、この数時間の間で信じられない程に想像の遥か上をいく出来事が何度も起こった。…だけどこれは、嘘でも幻でもない。ウェインさんの話、俺が取り戻した力……それ等全てが、現実だ。

 

「今日はありがとう、顕人君。君が来てくれたおかげで、とても有益な…いいや、楽しい時間を過ごす事が出来た」

「こちらこそ、ありがとうございます。楽しい時間を過ごす事が出来たのは……俺も、同じです」

 

 あの後も暫く、俺とウェインさんは話した。霊装者の話は勿論の事、それ以外も…自分の中にある夢や憧れ、それに懸ける思い、その思いを抱く切っ掛けとなった事…生まれも立場も関係なく、ただ同好の士の様に語り合った。

 自分も楽しかった。…この言葉は、お世辞でも何でもない。同じ思いを持つ人に会えて、その思いを話したり、逆に聞いたりする事が出来て、本当に楽しかった。仮に力を取り戻せる、なんて事が一切なかったとしても、俺は招待に応じた事を後悔しないと断言出来る位には、ウェインさんとの時間は充実していた。

 

「…あの、それで…力に関して、俺はどんな形でお礼をすれば……」

「今は良いさ。さっきも話した通り、暫くは秘密にしてもらう訳だからね。それに…折角ここまで良い時間を過ごせたというのに、最後にその話をしてしまっては、お互いそっちが主目的だったかのようになってしまうだろう?」

「それは…そう、ですね。…ウェインさんが、そう言うのであれば……」

「あぁ、それで頼むよ。それと…また、こうして話そうじゃないか。僕は君を…僕の友だと、思っている」

 

 その言葉と共に、差し出される右手。浮かんでいるのは、曇りのない瞳。これまで…いや、数時間前まで深淵の様にも見えていた、今はその奥にあるのが俺と同じものだと分かっている、そんな光。

 ある一点、原動力たる思いを除けば何もかも違う、俺とウェインさん。そのウェインさんから差し出される手は、普通なら躊躇う。拒否する方が失礼だと分かっていても、自分が応えて良いものかと迷ってしまう。…だけど、今は…他の凡ゆる事が違おうと、その一点できっと誰よりも自分と近いと感じるウェインさんからの握手だからこそ……俺はしっかりと、その手を握る。

 

「ウェインさんに…俺と同じ思いを持って、俺より先に進んでいる人に、そう思ってもらえるのなら…俺も、嬉しいです」

 

 分かってはいる。ウェインさんが、ただの人じゃない事は。気を許す事の危険性も、ラフィーネやフォリンにしてきた事も、ちゃんと理解している。それでもこの手を取りたい、応えたいと、俺の心は感じていた。

 そうして交わした握手を最後に、ウェインさんとの語らいは終わる。ゼリアさんに付き添われる形で部屋を、ホテルを出て、それから行きと同じ車に。

 

「では、お気を付けて。…ウェインとの約束を、くれぐれもお忘れにならないよう」

「…はい」

 

 元々俺が見送りを遠慮していた事もあり、一緒に乗りはしないゼリアさん。そのゼリアさんからの、声音に重みのある忠告に俺は頷いて、挨拶の後に車の中へ。ゼリアさんと運転手さんのやり取りは簡素に終わり車は俺を乗せて走り出す。

 

(…そういえば…ゼリアさんの使う、霊力も……)

 

 ホテルから、ウェインさんやゼリアさんから離れていく中で、思い返す今日の事。話した事、今日会った事、それ等を一つずつ思い返していき…それからふと、思い出す。

 俺が出力した霊力の色は紅。そしてこれまでに二度見たゼリアさんの霊力もまた、深い紅の色をしていた。これが偶然かと言われれば…多分、そんな訳がない。それとこれとは、きっと何かしらの関係がある。

 けどそれは、思考を巡らせ推理する程複雑な話でもなければ、今ここにはウェインさんとゼリアさん、そのどちらもがいない。だから考えが大きく膨らんだり発展したりするような事がなければ、答え合わせも当然出来ず…そもそも別に、はっきりさせなきゃいけない事でもない。そんな結論に俺は行き着き、到着するまでまたゆっくりと俺は今日の事を振り返っていた。

 

「ありがとうございました。…えと、失礼します」

 

 馴染みのない景色から、良く見慣れた光景へ。更に普段から利用している道へと変わり…車は家の付近に到着。お礼を言って俺は出て、車が走り去ったのを確認してからほっと一息。何だかんだ言ったって緊張する時間も多かったからか、家に帰ってきたんだって思うと自然に身体を疲労感が襲い、鍵を開けて中へ入る。

 

「…ただいま、っと…」

 

 誰もいない事は知っている。帰りの車中で綾袮からの、やはり今日もまだ帰れないというメッセージを確認したから、今の挨拶は普段の調子でしただけの事。

 こうして家に戻ると、現実に帰還したような感覚がある。今の誰もいない家は、あの日以降の俺の状態を否が応でも思わせる。…だけど、それは数時間前までの事。今は、今の俺は……

 

(…そう、だ…俺はもう、力を失った…霊装者じゃなくなった、ただの人間の俺じゃない…だったら……)

 

 その瞬間、ふっと脳裏に浮かぶ一つの可能性。…いや、これは可能性なんてものじゃない。希望的観測、ただの願望。確かな事なんて一つもなく…だけど、いやだからこそ、絶対にないとも言い切れない望み。

 俺は、失ってしまったと思っていた。霊装者の力と共に、一度は守れたその存在を、再び失ってしまったんだと…もう二度と、取り戻す事は出来ないんだと、そう思っていた。その事は俺の心の中に、ずっと暗雲として残り続け…多分今も、心の奥底じゃ認められていなかった。受け入れる事を、拒否していた。

 それ程までに、大切な存在。綾袮やラフィーネ、フォリンと全く変わらない、俺にとってのかけがえのない存在。その存在が、今なら…力を取り戻した今の俺なら、何かが変わっているかもしれない。だから、俺は…願いと祈りを込めて、その存在の名前を呼ぶ。

 

「──慧瑠」

 

 忘れもしない、忘れる訳がない、その名前。天凛慧瑠…ずっと後輩だと思っていたその魔人の名を、俺の願いに応えて俺と共にいる事を望んでくれた彼女の名前を、俺は呼んだ。

 この先にあるのが喜びか絶望かは分からない。力が戻ったかどうかを確かめた時と同じように、確かめるのは怖い。だけど…また会いたい。また話したい。慧瑠はいなくなってなんかいなかったんだって、心の底から噛み締めたい。その思いで俺は名前だけを呼んで、一瞬静寂が俺を包んで、そして……

 

「……はい」

 

 ほんの数秒にも満たない僅かな…けど俺にとってはその何倍、何十倍にも感じる時間の先、時間の末に、俺の元へと届いた声。呼び掛けに対する…確かな返事。

 聞こえた声に引き寄せられるように、振り返る俺。さっきまでは誰もいなかった、俺一人だった玄関には、今確かにもう一人の姿が…俺の声に応えてくれた、慧瑠の姿があって……気付けば俺は、抱き締めていた。目の前の慧瑠を、硬く強く。

 

「……っ、ぁ…慧瑠…慧瑠、慧瑠ぅ…!」

「…えぇ、慧瑠です。先輩の後輩…に扮していた、魔王級とまで言われた魔人、慧瑠っすよ」

「知ってる、知ってるよ…分かってるに、決まってるじゃないか…っ!」

 

 心の底から込み上げてくる思い。一気に目頭が熱くなって、声も上擦る。全然男らしくない姿を、今の俺は次々と晒し…だがそんな事は、どうでも良い。

 確かに聞こえる。確かに見える。確かに触れられて…何より慧瑠を、確かに感じる事が出来る。ああ、夢じゃない…夢でも、幻でもないんだ……っ!

 

「まあ、元々今の自分は先輩にだけ認識の出来る、幻以上に幻な存在っすけどねー」

「こんな時にそんな事言わなくて良いんだよ…!しかも、心を呼んでまでって…!」

「いやぁ、けれど自分と先輩といえば、こういう関係でしょう?」

「そりゃ、そうだけど…そうだけどもさぁ……!」

 

……と、俺としては本当に心が震え、泣きそうな位になっていたのに、返ってきた…というか、返されたのはまさかの茶々。堪らず俺は突っ込むも、慧瑠は至ってけろっとしたかお。その何ともなさそうな、飄々とした感じは正しく俺の知っている慧瑠で…怒りながらも、俺の声には喜びが混じる。つい、頬が緩んでしまう。

 

「…先輩?何かちょっと、変な顔になってるっすよ?」

「誰のせいだと思ってるんだ…!……本当に…本当に、慧瑠…なんだよね…?」

「…自分は、先輩の認識によって存在しているんです。先輩の見ているもの、見えている自分が、今の自分の真実です。…今、自分は…先輩の目に、ちゃんと映っているでしょう?」

「…あぁ、映ってる…ちゃんとここに、慧瑠はいるよ」

 

 喜びの後を追うようにして心の中で生まれる不安。本当に失ってしまったのだと思ったからこそ、どうしても不安な気持ちが生まれてしまう。

 だけど静かに穏やかに、慧瑠は答えてくれる。俺が見えているもの、感じているものが、真実なんだと。最後はちょっぴり悪戯っぽく笑って、俺を見つめて尋ねてくる。…だから、俺は頷いた。確かにここに、慧瑠はいるって。

 

「…に、しても…先輩は、偶に大胆な一面を見せるっすよねぇ。まさか、こんなに熱い抱擁をされるとは……」

「うっ…だ、だからなんで人の気持ちに水を差すような事言うかなぁ…!」

 

 再びからかうような事を言われて、ばっと慧瑠を離す俺。その反応で一層ニマニマとする慧瑠に俺は嘆息を漏らし…それからまた、慧瑠を見つめる。今度は、真剣さを込めた表情と目で。

 

「…慧瑠。一つ、訊いてもいい?」

「はい。自分に、答えられる事なら」

「なら…今まで慧瑠は、どうなっていたの?単に、俺にも認識出来なくなっていただけ?それとも……」

「…大丈夫っすよ、先輩。自分は別に、死んでいた訳じゃありませんから」

 

 慧瑠が消えていなくて良かった。本当に良かった。だけどなら、今まで慧瑠はどうしていたのか。どうなっていたのか。思考に浮かぶその疑問を話すと、慧瑠は軽く肩を竦め…それから俺の心境を察したように、優しさを感じる声で言う。

 

「どういう状態だったかと言えば…そうっすね、確かに先輩にも認識出来なくなっていた、というのが一番近いです。自分という存在自体は、先輩そのものの中へ刻み込まれている訳っすが、自分を認識する為には霊装者の力…霊力が必要なようでしたからね」

「って、事は…これまでもずっと、慧瑠は俺の近くに……」

「いや、そうでもないんっすよ。前にも言ったっすよね?自分は、先輩の認識によって存在している、と」

「…あ……」

 

 真っ直ぐ見つめ返しながら言う慧瑠の言葉に、俺は思い出す。今より前、これまでとは別の形で慧瑠を失ったと思い、けれどそうじゃなかった…別の形で慧瑠はこれからも居続けてくれるんだと知ったあの日、慧瑠が俺に話してくれた事を。

 俺の中に存在を刻み付けた今の慧瑠は、俺依存で成り立っている。俺以外にはまず認識出来ない、俺の認識によってそこにいる存在。だからつまり、霊装者の力ありきで認識していて、その力を失った事で俺が認識出来なくなっていた間は……

 

「…存在していなかったようなものなの…?あれから、今日までの間、慧瑠は……」

「…まあ、そんなところっすかね…」

「まあそんなところって…曖昧だね…」

「正直なところ、自分にもよく分からない部分が多いんっすよ。あの光も、先輩の力の喪失も、こんな形で取り戻した事も…ただでさえ今の自分の状態は何もかもが未知な以上、そこにこれだけの想定外が重なれば、自分が認識している事すらどこまで正しいのかあやふやになってしまうんですよ」

「…そっか…いや、そうだよね。…ごめん。この位考えれば、分かりそうなものなのに……」

「気にする事はないっすよ。自分と先輩とじゃ、立場も知識も前提だって違うんっすから。…それに一つだけ、それでもはっきりと分かる事があるんです」

 

 そう言って、慧瑠が浮かべる小さな微笑み。それは一体、どういう事だろうか。気になった俺が何も言わずに見ていると、慧瑠はその笑みをほんのりと深めて……言った。

 

「先輩、自分の在り方は先輩の認識次第って事は分かってるっすよね?見た目は勿論の事として…極論、先輩が自分の事を『死んだ』と心から思えば、完全に認識がそうなければ、自分は死にます。そしてそうなれば、後々『やっぱり死んでいなかった』と認識が変わったとしても、まあまず自分は生き返りません。存在そのものは先輩の中に刻まれていても、認識の部分には自分の…魔人としての力も関係しているっすからね。であれば死の認識をされれば、死んでしまえば、能力も切れてもう認識がどうなろうが関係ない、という訳です。…今の説明で、分かるっすか?」

「う、うん…ところどころぼんやりとしてるけど、大方は……」

「なら良いっす。とにかく死んだと心から思われていれば自分はお終い。けれど今、自分は確かにここにいる。…つまりこれは、意識的にしろ無意識的にしろ、先輩は心のどこかで自分はまだ死んでいない、消えていないと信じてくれてたって事なんすよ。少なくとも…自分は、そう思っています」

「……っ…」

「だから…感謝してるっすよ、先輩。自分の存在を、信じてるいてくれて…これからも、先輩と居られるように思っていてくれて」

 

 真っ直ぐに、真っ直ぐな瞳で俺を見て、真剣ながらも柔らかい表情で慧瑠は言う。自分を、自分の存在を、信じていてくれてありがとう、と。

…さっきも、目頭が熱くなる事はあった。でも、今は…それ以上に、泣いてしまいそうだった。霊装者としての力を失って、慧瑠の事も感じられなくなって、消えてしまったんじゃ…そう思う心もあった。その可能性もある事は分かっていて…だけどそれを、俺は受け入れられなかった。認めたくなかった。そうなのかもしれない、消えてしまったのかもしれない、頭ではそう思いながらも、心のどこかでずっと慧瑠がまだいる事、消えてなんかいない事を信じていた、望んでいた俺がいて……その思いは間違いなんかじゃなかったって、今日漸く分かった。分かっただけじゃなく、それが慧瑠を繋ぎ止める『認識』になってたんだって知ったら……思いが、溢れてこない筈がない。

 

「感謝なんて、いるもんか…俺は、ただ…ただ慧瑠に、居なくなってほしくなかっただけなんだよ…っ!信じるに、決まってるじゃないか…あの時失いかけた慧瑠が見えなくなったってのに、それを簡単に受け入れられる訳…ないじゃ、ないか…ッ!」

「…そんな思いが、自分という存在を消滅から守った。守ってくれた。だから感謝してるんっすよ。自分だって…先輩との時間は、失いたくなんてありませんでしたからー

「……っ!慧瑠…っ!」

 

 自分よりも小さく、華奢な慧瑠を、もう一度俺は抱き締める。どれだけ呼んでも、探しても感じる事すら出来なかった慧瑠が、再びこうしていてくれている。…それだけで、嬉しかった。幸せだった。失ってしまったんだという絶望感も、慧瑠のいなかった日々も今はどうでも良いと思える程に…心からの喜びが、今の俺の中にはあった。

 だけど、今俺の中にある思いはそれだけじゃない。俺には慧瑠に、謝らなくちゃいけない事もある。

 

「…ごめん、ごめん慧瑠…慧瑠は忠告してくれてたのに…何かおかしいって、言ってくれてたのに…俺は……」

「そんなの、気に病む必要はないっすよ。あれは、警戒してたってどうにもならないです。元々知ってる位でないと、凌ぐ事なんて出来ないです」

「だけど、もしあの時俺が凌げていたら……」

「それを言うなら、もっと不味い事になっていたかもしれない可能性もあると思うっすよ?…自分はそんなの、望まないっす」

 

 安堵を追う形で広がる、後悔の感情。あの時もっと○○出来ていたら…きっと人なら誰でもどこかで思う事のある、過去への苦悩。

 でもそれすら、慧瑠は穏やかに受け止めてくれた。受け止め、言ってくれる。俺が重傷に、死に至る可能性だってあった。そんな事になる方が、嫌なんだって。

 

「…慧瑠…俺はさ、嫌だったんだ。力を失う事が、ただの人に戻る事が…非日常側の人間じゃ、なくなる事が。最初からそっち側…というか、そもそも人間じゃない慧瑠からすれば、何を言ってるんだって話かもしれないけど…前に大怪我を負った時よりも、力を失ったんだって分かった時の方が…ずっと辛かった」

「…そうっすね。その気持ちの理解は出来ないっすが、これまでの先輩の事を考えれば、おかしいとまでは思わないです」

「ありがと、慧瑠。…けど、今はこうして慧瑠との時間を取り戻す事が出来た。それに、結果論ではあるけど、俺と同じ思いを持つ人がいるんだって、知る事も出来た。…怪我の功名、とは言いたくないけど…世の中、何が起こるか分からないものだね」

 

 我ながら半ば呆れてしまうけど、今はもう少しだけこのままで…腕の中で慧瑠を感じたままでいたい。その思いで慧瑠を抱き寄せたまま、俺は話し…それから苦笑気味に笑う。

 本当に、怪我の功名なんて…失って良かっただなんて思わない。今でこそ、力も慧瑠も取り戻したからこそこんな事を考えられている訳で、もし力を取り戻せていなかったら、ウェインさんが俺と同じ思いを持つ人じゃなかったら……そう思うと、ぞっとする。

 だからこその、安堵も籠った苦笑気味の笑み。その顔で俺は慧瑠に笑いかけ…でも俺を見つめ返す慧瑠の顔は、一瞬ながらふっと曇る。

 

「…先輩。先輩は…それで、本当に良かったんですか…?その選択は、先輩にとって……」

「…慧瑠……?」

「…いや、何でもないっす。それより先輩、今はこの家に先輩しかいないんですよね?不在とはいえ、普段はお三方もいるこの家でここまで抱擁を続けるのは流石に…いやむしろ、お三方がいないからこそっすか?」

「ぶ……っ!?な、何を言い出すのさ慧瑠!他意はない!そういう他意はないからねっ!?」

「えー…そんなはっきり断言されるのは辛いっすー。自分は先輩の事を、特別な相手だと思っているというのに…」

「うっ……そういう言い方は、ズルいでしょ…それに、それを言うなら、俺だって…」

「…えぇ、分かってるっすよ先輩。ただ久し振りなので思いっ切り先輩をからかおう、そう思っただけですから、安心して下さい」

「なら良…くねぇよ!?そういう事なら悪質だわ!余計悪質だわ!」

 

 ほんの一瞬慧瑠が見せた、複雑そうな…俺の事を案じるような表情。でもそれはすぐに消え去り、代わりに現れたのは何とも慧瑠らしい、俺をからかって楽しむ姿。特にドストレートな発言は流石に俺も看過出来ずかなり強めに突っ込みを入れるも、にやりと笑った慧瑠はするりと俺の腕から逃れ、そのままにやにやと周囲を漂う。

 忘れていた…とまでは言わないけど、油断していた。元々慧瑠はこういう性格だ。飄々としていて、さらりと俺を弄ってきて、けど何だかんだ親身になってくれる…それが、天凛慧瑠って魔人なんだ。

 万事解決…って言ったら、少し違うと思う。ウェインさんとの約束があるから、暫く力の事は隠さなきゃいけないし、やっぱり『BORGのトップから貰った力』というのは、忘れちゃいけない。…けど、それでも俺は断言出来る。俺の夢を、憧れを追う為に力を取り戻した事、ウェインさんの心を知れた事、そして慧瑠を再び認識出来るようになった事……その全てを、間違いなく俺は後悔しない。



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第二百三話 戻ってきた日々

 富士の再調査では、最終的に幾つかの成果が上がった。一つ目は、地下の最深部で発見した霊晶真石を確保出来た事。最高の質を持った武器を作る上で必要となる素材、それ自体が宝として扱われるのに相応しいだけの価値を持っている(らしい)存在を確保出来たというのは、それだけでもかなりの成果と呼べるんだろう。

 二つ目は、魔人の撃破。これは論ずるまでもない成果であり、散り際にあの地下の情報を奴の仲間へと送り届けらられた可能性もあるが…それならそれで、それを踏まえた対策が講じられる。少なくとも、知らぬ間に情報が流れていたとなるよりはずっといい。

 そして何より、聖宝の存在。まだ不確定の要素も多い、可能性の域を出ない存在だが…ひょっとすると、近い内…何十年何百年先ではなく、もっとずっと前に再びそれが現れるかもしれないという可能性は、ただそれだけの情報でも、大きな価値が…いや、意味があるんじゃないかと思う。得られた成果が、今後どんな結果に繋がるのかは分からないが…調べなきゃ良かった、なんて事にはならないだろう。…俺の参加した、本来の調査作戦の様に。

 

「…びみょーに、久し振りな気がするんだよなぁ……」

 

 作戦が終わり、事後のあれやこれやも済み、俺はこれまでの学校生活に戻る事となった。

 実際の日数で言えば、夏休みは勿論の事、冬休みよりも任務に費やした時間は短い。だが出来事の濃密さは圧倒的であり、それがある分そこそこ長い期間学校を休んでいた…そんな感覚が、俺にはある。

 とはいえ別に、だからってどうこうする訳じゃない。だから俺は呟くだけ呟いてからクラスの扉を開け、その中へ。

 

「…ん、千嵜おはよ」

「ああ、おはようさん」

 

 ある程度中に入って進んだところで、先に来ていた御道から声をかけられる。それはなんて事ない、普段通りの挨拶で……

 

(……ん?)

 

 だが俺は、それに何となく違和感を覚えた。具体的に、何かが変…って訳じゃない。新鮮さを感じる程任務が長かった訳じゃないから、それも違う。けど確かに、何かがしらに対して俺は違和感を抱き……でもそれが、何なのかは全くの謎。

 

「……?千嵜?」

「…や、何でもない」

「あ、そう。何でもないって割には変な顔してたけど…体調が悪いとかじゃないんだよな?」

「そういう訳じゃねぇよ。体調は至って健康だ」

「じゃ、あれか?ヘンナカオスキーにでも目覚めたとか?」

「なんだその奇妙な化石集めるのが趣味みたいな名前は…ってあぁッ!?」

 

 訳の分からない事を言い出す御道。まあ一応こういうネタなんだろうなと分かった俺は、呆れつつもそれに突っ込んで…って……

 

「え、な、何……?」

「御道が、朝からボケてきた…だと……!?」

「…それ!?突然驚いたと思ったら、そんな事!?いや俺だって、朝からボケる時位あると思うんだけど!?」

 

 馬鹿な、そんな事が…!?…みたいな感じの反応を、オーバーな位のリアクションで見せてやると、御道もまた食い気味前のめりで返してくる。これぞ御道と言わんばかりに、がっつり突っ込みで応えてくる。…ふーむ…この無駄に全力な突っ込みは、確かにいつもの御道だな…てか、言われてみりゃ確かに、御堂だって偶には朝からボケるか…。

 

「紛らわしいなぁ…」

「何がだよ…こっちからすれば、紛らわしいところかひたすらに意味不明だからな…?」

 

 勘弁してくれ…的視線を御道から受けるがそれはさらりと軽く流し、結局何へどう違和感を抱いたのか考える。

…が、さっぱり分からない。至っていつも通りな御道の、どこが変だったのか分かりゃしない。…となると、気のせいだったのかねぇ…そうは思わないんだが……。

 

「…そういや、調査の件…結果やら何やらを、御道は聞いたのか?」

「え?…うん、まあね。綾袮達も、千嵜や妃乃さんも…皆無事で良かったよ」

「…御道……」

 

 話を変えた俺だったが、返された言葉を聞いたところで、しまったと気付く。

 この話題自体、御道からすれば気分の良いものじゃないだろうなとは思っていた。だが、それ以上に御道は気遣いの出来る人間だという事を留意しておくべきだった。何であれ、自分は力を失ったにも関わらず、同じ場所で俺や綾袮達は同じ目に遭う事なく成果を上げられたとなれば…普通だったら、妬ましいと思ってしまう。

 善悪関係なく、それが人ってもの。その妬みを直接口にはしなくても、抱く位は大概の人がしてしまうもの。だから今のは軽率だった、そう謝ろうとした俺だが……再び気付く。無事で良かった、その言葉を口にした御道の顔には…妬みどころか曇りすら、一切浮かんでいなかった事に。

 

(……っ…何も、妬んでないって事か…?幾ら御道がお人好しだっつっても、それは……)

 

 無事で良かった。その言葉は本当なんだろう。御道ってのは、そういうやつなんだから。けど同時に、御道は霊装者である事に強い思いを抱いていた筈。だったら尚更、妬みの一つや二つ…そう思った俺だったが、本当に御道の浮かべている表情には暗さなんてものはなく、疑うような要素もない。

…凄いな。だとしたら、凄いとしか言いようがない。本当に妬んでないなら、その善良さは尊敬するレベルだし、妬みを隠し切ってるなら、当然それはそれで凄い。んで、結局どうなのか分からねぇなら…凝った事は、するもんじゃねぇな。

 

「……俺、普通にここ怪我してるんだが…?」

「あ…ご、ごめん千嵜…!そういう意味で、無事って言ったんじゃなくて…」

「わぁってるよ。…ま、その上で言ったんだがな」

「タチ悪…っ!」

 

 妬んでないならお門違い。隠してるなら、安易に掘り下げる方がずっと失礼。だから俺は魔人との戦闘の怪我を指差し、茶化して逸らす。

 

「ったく…さっさと荷物を机に入れて、鞄は横に掛けとけっての…!」

「いや元々はそっちから話しかけてきたんだろうが……」

 

 何か最後は八つ当たりの様に投げられた言葉へ今度は俺が突っ込みつつ、言われた通りに俺は鞄の中身を仕舞っていく。

 結局のところ、どっちだったのかは不明。違和感の原因だって、全くもって分からないまま。…だがまあ、今は良しとしよう。分からんものは分からんが…御道そのものは、至って調子良さそうだしな。

 

 

 

 

 恋をすると、世界が色付いて見えると言う。それはまあ、単なる例え話というか、恋の素晴らしさを謳う為の文句だろうけど…気持ち一つで見える景色、そこから感じるものは大きく変わるって事は、割と実際あると思う。

 現に、今の俺がそうだ。霊装者の力を失って以降、俺の目に世界は、どこか色褪せたように見えていた。あった筈の魅力が欠けたように、そんな風に映っていた。けど今は…再び景色が、一つ一つのものが、はっきりと色付いた存在に見える。霊装者の力を、慧瑠を取り戻した今の俺には…そう、感じられる。

 

「御道ー、英表の教科書貸してくんね?」

「あー、はいはい。うちも午後に授業あるから、終わったらすぐ返してよ?」

「御道くーん、次の古文の小テストって何ページからだっけ?」

「え?んーと…44ページからだったかな」

「人気だなぁ御道は。じゃ、俺にもクレジットカード貸してくれ」

「持ってないし持ってても渡さんわ」

 

 移動教室から戻る最中の、休み時間。クラスメイトだったり、隣のクラスの相手だったりと話しながら、俺は自分のクラスへと戻る。

 なんて事ない、というか日本全国でほんとに幾らでもあるような、ありふれたやり取りと時間。けどそれすらも、鮮やかに見える。…まあ、流石にこれはまだ力を取り出してから日が浅く、その興奮の余韻が多少なりとも残ってるからだろうけど…そう見えているのだって、力を取り戻す事が出来たおかげ。

 

「先輩は前から人気ですよねぇ。…よくよく聞いてると、頼み事してくるパターンが多い気もするっすけど」

「それは言わないで…」

 

 実はちょっと気にしてた事をふよふよ浮いてる慧瑠に言われ、軽く肩を落としながら返す俺。…うん、分かっちゃいるよ…?こうやって可能な事なら軽く何でも応えるから、周りからも「頼めば応えてくれる人」って認識になっちゃってるのは…。けどさ、嫌だったり難しくもない事なら、極力応えてあげたいじゃん…。頼んでくる相手だって、別に悪意は抱いてないだろうし……。

 

「顕人君、何落ち込んでるの?」

「うおっ…あ、なんだ綾袮か……」

 

 自分で自分に悲しくなる思考の沼に陥る中、ぴょこんと俺の前に綾袮が登場。ついいつもの調子で綾袮、と呼び捨てにしてしまったけど、一緒に歩いていた面々から離れて自分の席に座ろうとしたところだったから、それに関しては何とかセーフ。…でも、去年からの付き合いって訳だし、いい加減普通に呼び捨てしても大丈夫かな…。

 

「…別に、落ち込んでた訳じゃないよ。ただちょっと、過去の事を振り返って気落ちでしていただけだから」

「うーん、それを落ち込んでるって言うんじゃないのかなぁ…。でもまあ、元気なら良いんだよ。現金があれば何でも出来るって言うしさ」

「それじゃ名言が台無しだよ…」

 

 全くもって支離滅裂な言葉ならともかく、現金があれば…は現代じゃまあまあ合ってるのが余計に悪い。…いや、ボケとしては良いんだろうけど。単純ながらも使い易いボケだろうけど。

 

「…そうだ、綾袮。今の俺って、何か変だったり、何か変わってるって感じたりする?」

「…え?毛先1㎝切った?新しい服を下ろした?」

「俺そんな細かい事を見抜いてほしいようなキャラじゃないし…後これ制服だから、新しいも何もないから……」

 

 それからふと朝の事を思い出した俺は、何かおかしな点があるのだろうかと綾袮に訊く。千嵜以外何もそんな感じの事を言ってきたりはしなかったから、もしや霊装者じゃないと分からない事なのだろうかと考えて、綾袮に訊いてみる。

 でもその結果返ってきたのは、普段と同じ調子のボケ。こういう風にふざけるって事は、まあ恐らく何もおかしな点はなかったって事。となると朝の千㟢の怪訝そうな顔の理由はいよいよ分からなくなるけど…分からないものは仕方ない。

 そして今のやり取りで、綾袮が今の俺の状態に、霊装者の力に気付いていないという事も分かった。これについてはこれまでも、ロサイアーズ姉妹にも自然な感じで確かめているけど、一度も看破されたり何か変に思われたりするような事はなかった。あくまで霊装者としての探知をされていない、平時での状態なら、って話ではあるけど…複数回こうして見られてもやはり気付かれないって事は、あの鎖の力は本物らしい。

 

(持っていなきゃ本当に気付かれないけど、持っていない状態じゃ霊装者の力は使えない…か。…なんかほんとに、変身アイテムみたいだな……)

 

 今は制服の内ポケットに入れてあるあの結晶に一度軽く触れて、それから思う。

 この結晶は霊装者の力を取り戻してくれた訳じゃなく、あくまで適合した相手に霊装者の力を発現させる物質。これを使う事で、これを用いている間だけ、身体には霊力が流れ、霊装者としての能力を行使出来る。一先ず比喩として挙げた『変身アイテム』だけど、ほんとにそんな感じで…そういうのも、個人的には悪くない。

 

「…あ、もしかして友達に貰った香水でも付けたとか?いやぁ、顕人君も遂に洒落っ気が出てきたかぁ…」

「うん、普通に違うから…変な事訊いて悪かったね。それよりそろそろ次の授業始まるよ」

 

 授業を理由に綾袮を自分の席へと帰還させ、俺も意識を切り替える。

 力を取り戻したとはいえ、一先ずは隠す事が最優先。暫くはこれまでのように振る舞う必要がある訳で…藪蛇になるのも馬鹿馬鹿しいし、探りを入れるのは程々にしておこうかね。

 

 

 

 

「…ねっむい……」

 

 学校の授業と、雪山での任務。どっちがより心身に負担の掛かる行為かといえば、そりゃ勿論後者だが…本日の授業を全て終え、帰路に着いている俺は今、昨日までよりずっと眠かった。

 授業を受ける事、やる気も出ない事に長時間向き合い続ける事と、戦闘にもなり得る、否が応でも集中出来る任務とじゃ、強いられる負担の系統は全然違う。眠くなってしまうような状況か、寝てる訳にはいかない状況かの違いもあるが、兎にも角にも超眠い。

 

「ぼーっとしてると電信柱にぶつかるわよ?」

「はた迷惑な電信柱だよな…」

「予想外にも程がある返しがきたわね……」

 

 冗談半分、眠いから適当に答えた半分でふざけた反応を返す俺。まぁ実際には、今にも意識が飛びそうな程眠い訳じゃないから、何かにぶつかるようなヘマは(多分)しない。

 

「お兄ちゃん、そんなに眠いなら今日はわたしが夕飯を変わって「ふんッ!よっしゃあ目が冴えたぜ!」……お、お兄ちゃん…?」

「ふっ…眠くてぼけーっとしながら道路を歩く姿なんて、緋奈のお兄ちゃんとして恥ずかしいからな」

「えぇ……?」

 

 ばしぃっ!…と両手で頬をぶっ叩く事により意識を覚醒させた俺は、怪訝な顔で見てくる緋奈に対し、多分頬が赤くなってるのは無視して澄まし顔で言葉を返す。…喉を殴って咳を誘発させるのも、結構目が覚めるんだよな…咳き込むんじゃ格好悪いから、今回はやらなかったが……。

 

「…全く変わらないわよね、緋奈ちゃんに対する貴方の言動って……」

「そりゃ、緋奈が生まれてからずっとの付き合いなんだぞ?そろそろ二十年弱の関係で出来たものが、一年で変わると思うか?」

「いやまあ、それはそうだけど…」

「…その一年で、わたしもお兄ちゃんもかなり色々変わったと思うけどね」

「…いやまあ、それはそうだが……」

 

 そんな感じのやり取りをしつつ、俺達は帰宅。…なんとなーくまた眠気が戻ってきたし、今日は夕飯の支度まで少し仮眠でもするか…。

 

「…ふぁ、ぁ……」

 

 ソファに深く座り込み、身体を預ける。そのまま目を閉じ力を抜くと、待ってましたとばかりに睡魔が強まり、閉じた瞼を重くされる。

 そこから先の事は、いまいち覚えていない。多分、数分で寝入ってしまったんだろう。あ、やべ、携帯でアラームセットしておかないと…とは思ったが、それすらせずに俺は落ち……しかし結論から言うと、割と早めに目が覚めた。

 

(…ん、ん…?…まだ、数十分か……)

 

 何が理由かは分からないが、数十分で目が覚めた俺。だが目が覚めても目が冴えている訳じゃなく、携帯の時計で時間確認をした俺は今度こそアラームをセットし、もう少し睡眠を取ろうとする。…が、そんな中で聞こえてきたのは、二つの声。

 

「…って感じね。話すのが遅くなっちゃって悪かったわ」

「いえいえ。ほんとにいつもいつも、お疲れ様です」

 

 恐らくは食卓で交わされている会話。話しているのは緋奈と妃乃で、内容も…聞こえてくる言葉からして、任務の顛末。

 であれば別に、聞いている必要もない。何せその任務の場に俺もいたんだから。…と、思っていたが……

 

「…それで、その…話の途中にも出てきましたが、お兄ちゃんって魔人と戦ったんですよね?…やっぱり、無理…してましたか……?」

(……!)

 

 緋奈の口から発されるのは、俺の話。それも魔人の件という、俺が関わってるどころじゃない話について、どうだったのかと妃乃に問う。

 

「そうね…まあ確かに、無理っていうか無茶な選択をしてたとは思うわ。…けど同時に、間違った判断でもなかった。結果論の部分もあるけど、それが魔人の撃破に繋がった訳だし、悠弥自身も私達が間に合わなければ死んでいた…とは限らないもの」

「そう、なんですか…。…お兄ちゃんって、強いんですね」

「…えぇ、強いわ。才能もあるし、技術や経験は言うまでもないし、底力もあるし。…ほんと時々無茶するし、しかもなまじそれを成功させちゃうのが困りものだけど…頼りになるって、私は思ってるわ」

 

 今回の任務の事、そして俺自身を分析し、そうして最後に妃乃は言った。俺が、頼りになると。緋奈も緋奈で、妃乃に対して言ったのは疑問ではなかった。話を聞いた上ではあるものの、俺が強いんだという前提を持っての返答だった。…ふーむ、これはあれだな。

 

(…起きるタイミング、完全に逃したぁぁ……!)

 

 頭を抱え…るとそれだけで気付かれる可能性があるから、心の中で頭を抱えて叫ぶ俺。…何?お前はそんな事気にするやつだったかって?もっと傍若無人な性格してただろって?…だとしても、気不味い事位あるってーの…!

 

「ふふっ。妃乃さん、一年前に比べるとお兄ちゃんの話をする時、ずっと柔らかい表情をするようになりましたよね」

「へ…?い、いや、そんな事は……」

「ありますよ?」

「……そ、そう…うぅ、緋奈ちゃんが言うなら…そう、なんでしょうね…」

 

 どうも緋奈曰く、妃乃は柔らかい表情をしていたらしい。…ちょっと気になる、気になるがやっぱ恥ずい…!俺の話で妃乃が表情を柔らかくしてたとか考えると、背中がむずむずしてくる…!

 

(くっ…これはあれか…?たった今起きたっぽい演技して、これ以上聞く前に逃げるのが吉か…!?いやでも、それで演技を見抜かれた場合は致命的な……)

「…それで、言うなら…緋奈ちゃんも、まだ……?」

「えぇ、お兄ちゃんの事は大好きですよ?」

(ぐはぁ……っ!)

 

 照れも躊躇いもあったもんじゃない、少なくとも言い淀むような事は一切なかった、緋奈の大好き。それに俺の心は撃ち抜かれ、思わず俺は吐血してしまう。……勿論、心の中で。

…やはり、早期に逃げるべきだった。大好きと言ってもらえるのは嬉しい、嬉しいが…こういう実質盗み聞き状態で聞くのは、色々とアレ過ぎて喜べない。やってしまった感が強過ぎて、喜べないんだよぉぉ…!

 

「…凄いわね、緋奈ちゃん。私、貴女のそういう真っ直ぐで、温和だけど思いは譲らないところ、素敵だって思うわ」

「ありがとうございます、妃乃さん。…でも…これって本当に、素敵な事ですか?自分の大切な思い、負けたくない気持ちを、はっきりと口にする事って…自分が後悔しない為に、必要な事だってわたしは思いますが……」

「……緋奈ちゃん…それ、って…」

「深い意味はないですよ。ただ、わたしは思った事を言っただけです」

「…そっか。そういうとこ、ちょっと悠弥に似ているわ」

「え、そうですか?…えへへ……」

「素直なところは、やっぱり全然似てないけどね」

 

 

「…………」

 

 ヤバいヤバいと思っていたのに、気付けば全然違う雰囲気。恐らくは緋奈が顔を綻ばせた事で、元の雰囲気に戻ったが…多分、緋奈は妃乃の本質、或いは抱いている何かに対して触れた。確信はないが、きっとそういう事で、そしてその触れた部分は……

 

(…いや、余計な詮索だな。こんな状態で聞いて、それで考えるような事じゃねぇよ)

 

 二人の会話は、聞こえている。だがそれは二人の間で交わされている会話であり、俺に向けられたものじゃ…いや、そもそも俺が聞いている事を前提にしたような話じゃない。そしてそれは、言い換えるなら…俺に聞いてほしくない部分だって、あるって事だ。

 こういう状況になっちまったのは、仕方ない。俺だってわざとじゃないし、寝てたとはいえ俺が聞こえる距離で話していた二人にも少なからず落ち度はある。有り体に言ってしまえば、日常で起こり得る事故の範囲で…ならば流してしまうのも一つの手だろう。本来なら聞くつもりのない、相手としても話すつもりのなかった言葉なら…余程悩んでるとかでもない限り、それ一つの正解の筈だ。

 そして幸い、そこで一先ずは俺の話だったり、何か心の中に触れるような話だったりは鳴りを潜め、本当にただの雑談に移行。これならば大丈夫だと思い、完全に目の覚めてしまった俺は今起きた風を装ってソファから身体を起こすのだっ……

 

「…あ、ところで話は変わるんですけど、ちょっとブラの事について訊いても良いですか?」

「えぇ、構わないわよ。何か困ってるの?」

(……おおぅ…)

 

……人間、タイミングが悪い時は本当に悪い。まるで運命が操作されているかのように、重なる事なく連続して不都合が起きてしまう。…それを心から痛感する俺だった…。



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第二百四話 取り戻した今、何をする

「……よし、ここなら大丈夫そうだな」

 

 今住んでいる場所から大きく離れた、ある森の中。電車で数駅行った先にあるこの町の森は、かなり木が生い茂っていて…言い方は悪いけど、見通しは悪い。…でも、だからこそ良い。この視界の悪さが、俺には助かる。

 

「…ふー……」

 

 小さく息を吐いて、ポケットから紅の結晶を取り出す。まずは周りを見回して、それから急病で倒れた……ふりもして、更には慧瑠にも調べてもらって、誰もいない事を確認。それがはっきりとしたところで、結晶を強く握り…霊装者の力を呼び覚ます。

 全身に、霊力が流れ出していく感覚。それを感じながら、俺は探知でもう一度だけ誰かいないかを確認し…それから短剣と拳銃を抜く。

 

「……よし…!」

 

 意識を切り替えるように呟き、短剣と拳銃それぞれに霊力を充填。刃が仄かな光を浴びたところで俺は軽く身体を屈め…大きく跳躍。真っ直ぐ前へと向かって飛び、斜め下から上へと短剣を振り抜く。

 

「ふっ…てぇいッ!」

 

 振った先には、何もない。だから当然短剣は空振るし、けれど俺は攻撃を続ける。霊力で強化された身体能力で以って動き回り、何度も右手の短剣を振るう。

 一体俺は何をしているのか。そういう遊びか、不可視の魔物を追っているのか。…勿論違う、どっちでもない。俺が今しているのは…この力の、霊装者としての訓練。

 

(…やっぱり、何となくだけど違う…違うっていうか、違和感がある…これはまだ慣れてないからなのか、それとも……)

 

 霊装者の訓練の方は、言うまでもない。霊力を取り戻したって言っても、訓練実戦その両方から俺は離れてしまっていたんだから、多少なりとも鈍ってしまっている部分はある。仮に鈍っていなくても、俺は今の強さ…より正確に言えば失う直前の段階の強さに満足なんかしてないんだから、訓練はするに決まっている。秘密にしてる関係から普段使ってた装備は使えないし、拳銃の方も弾薬補充が出来ない関係から持っているだけ、撃つふりをするだけしか出来ないけど…それでも、やるとやらないとじゃ全然違う。

 そして、霊力の方は…確かに何か、違和感がある。霊力の行使、運用には全く問題がないけど、何かが感覚に引っかかる。その原因も、出来る事なら突き止めたいところだけど…一先ずの目的は、その感覚に慣れる事。そういうもんだと慣れてしまえば、少なくとも戦闘中それに気を取られる危険はなくなる。

 

「…って、その機会は次いつあるんだ…って話だよね…はは……」

「…先輩、何を一人で言っているんですかー?自分がいない間に、変な癖でもついたんっすか?」

「ち、違うよ…今のは単なる独り言だって……(…まあ、全く違うとは言い切れないけど…)」

 

 自分の思考に対してぼそりと軽く突っ込むと、その言葉に慧瑠が反応。違うと否定はしたものの…あれから力を取り戻すまでの間、時々俺は慧瑠に話し掛けていた。見えない、聞こえない、感じられない…いるかどうかも分からない慧瑠へ、さもそこにいるかのように声をかけていた以上…慧瑠の言ってる事は、実は強ち間違いでもなかった。

 

「…って、そういう話をしたくてここに来たんじゃないんだよ…あんまりのんびりともしてられないんだから……」

 

 半分は慧瑠に、半分は自分自身に言葉を返すように言い、訓練を再開。ここからは跳躍や木に跳び乗る事も交え、より立体的な動きと訓練を進めていく。

 のんびりしていられないと言っても、後に予定が入っている訳じゃない。…けど、今の俺の事は隠さなきゃいけない以上、見つかってしまえば誤魔化す事なんて不可能なこの時間は、極力伸ばさないようにしなきゃいけない。

 

「(…けど、もしも知ったら、綾袮達はどう思うのかな…驚くだろうし、これがウェインさんの力によるものだって事には、良い顔はしないだろうけど…俺が力を取り戻した事、取り戻せた事には……)…っと、と……!」

 

 訓練を続ける中、ふと頭に浮かんだ思考。危うく木に突っ込みかけた事で一旦俺はその思考を脇に置くも、やっぱり気になる。俺が力を、霊装者として戦う能力を取り戻したと聞いて、綾袮達は喜んでくれるのか、それとも悲しむのかが。頭の隅に追いやりながらも、時折その思考はちらちらと俺の意識の中へとよぎり……それから暫くしたところで、不意にポケットの中の携帯が鳴る。

 

「…ふぅ…時間、か」

 

 音を立てたのは、自分でセットしておいたアラーム。俺は木を魔物に見立てて構えていた拳銃をしまい、アラームを解除し短剣も収納。体力的にはまだやれるけど…だからってもう少し、もう少しと許してしまえば、そこからはずるずるどんどん伸びてしまう。自制は初めに決めた事をきっちに守るのが肝心、ってね。

 

「お疲れ様っす、先輩。…調子、良いみたいですね」

「そりゃあそうだよ。元々夢見てた力だけど、一度失った事で、より大切に思うようになったんだからね」

「…そう、っすよね。いやはや、愚問だったっすねぇ。こういうのを無駄な質問って言うんですよ?」

「えぇ…?何その訳分からない返し…」

「分からないと?今のは、実例を参考にしての説明という……」

「いや違う違うその辺りの事は分かってるから!何自分の言った事なのに他人事っぽく言ってんだ、的な意味で言っただけだからね!?…ってか、分かってて言ったな…?」

「流石先輩、その鋭さに自分脱帽っす」

「そらどーも……」

 

 基本弄る気満々な綾袮や、時には連携してまで際どい弄りを仕掛けてくるロサイアーズ姉妹とも違う、方向性がよく分からない慧瑠の弄り。全部狙ってやってるのか、それとも中には人と魔人の価値観の違いによるものがあるのか、それすら俺にはよく分からない。ただ一つ、言える事があるとすれば……慧瑠は間違いなく、俺の反応を見て楽しんでいる。…全くもう…。

 

「…そうだ。今日は帰りに協会に寄るんだけど、大丈夫?」

「勿論。特にやりたい事がある訳でもないですし、どこに行こうと自分は先輩以外に認識されませんからねー」

 

 そうして訓練を終わりにした俺は、元来た道を歩いて駅へ。双統殿の最寄りとなる駅まで電車で移動し、時間を確認しつつ向かう。

 目的は、まだ続いている定期検診。力を取り戻してからは初の検査で…結晶を身に付けていなければ大丈夫らしいとはいえ、やっぱり緊張はする。

 

(け、けどここでバレた場合は、仕方ない事の筈…検査を拒否する方が、よっぽど怪しまれるだろうし……)

 

 俺自身は隠しておきたい訳じゃないけど、ウェインさん達の不都合になる事は起こしたくない。何とかバレないでいてほしい。けど、これに関しては俺がどうこう出来る事でもなくて…ウェインさんからの説明、それに検査技術のレベルが高過ぎない事を祈るしかない。

 貴重品をロッカーに入れ、そこに結晶も置いていき、俺は検査へ。そして……うん、結論から言おう。結果から言えば…バレなかった。厳密に言うと、前の検査とほんの少し違うデータになったらしいけど…元々得られるデータは、その日の体調や状態によって僅かに変化するんだって事。俺の身体にあった変化も、その一環だと判断されたおかげで俺は無事検査を乗り切る事が出来た。

 

「ふぃー…やっぱ、検査って落ち着かないな……」

 

 検査を終え、荷物も回収し、それでほっとして一息吐く俺。俺にあった変化が霊装者の力を取り戻した事によるものなのか、説明の通り体調か何かの問題なのかは全くの不明。ただ何であれ乗り切った事には変わりないし、今回大丈夫だったって事は、今後も多分誤魔化せる筈。

 

「…うん?」

「…あ、おう…」

 

 と、いう訳で検査を終えて帰ろうとした俺は、廊下に出たところで知り合いを発見。相手もこっちに気付いたようで、ちょいと軽く右手を上げる。

 彼は、俺と同じ富士で霊装者の力を失った一人。場所やタイミングからして、彼も検査に来たんだと思う。

 

「今、終わったとこか…?」

「そう。結果は……前回と、殆ど変わりなし…だった、かな…」

「そうか…まあ、そんなもんだよな……」

 

 尋ねられた問いに対し、一瞬迷ってから俺は答える。…嘘は、吐いていない。実際検査の上では、大して変わらない…力を失った元霊装者としてデータが出ている筈なんだから。…けど、だからと言ってこれを平然と、さらりと言えてしまう程、俺の神経は図太くない。

 

「…そっちは、これから?」

「ああ。…………」

「…その、大丈夫…?」

 

 短い返事だけをして、そのまま彼は立ち去る…というか、検査に行こうとする。俺と彼とはそこまでの間柄じゃないし、別におかしい事でもない。

 けれど俺には、その彼が酷く…見た目以上に気落ちしているように見えた。霊装者の力が戻らない、失ったままの自分を再確認するのが嫌だから、っていうのもあるんだろうけど…それだけじゃないような気もして、つい俺は問い掛ける。

 すると肩をぴくりと動かした彼は、数秒黙った後振り向く。振り向いて、言う。

 

「…なんて言うかさ、慣れないんだよ。俺はずっと霊装者だった…っていうか、霊装者である事、霊装者として生活する事が普通だったからさ」

「…分かるよ。俺はずっとって程長く霊装者をしていた訳じゃないけど…それでも、失ってからは居心地の悪さを感じる事があったから」

「たよな…。そりゃ勿論、生活に困ってる訳じゃない。何なら、自由な時間は増えてる。…けど、やっぱり違うんだよな…そうじゃないんだよ、って気持ちがずっとあるんだよな……」

 

 話してくれた、彼の気持ち。…それは、分かる。根源となる思いは別でも…「そうじゃない」と感じる心は、本当に分かる。だって俺だって、そうじゃないと…失った現実を、完全に受け入れる事なんて出来なかったから。

 

「…なんか、悪いな。反応し辛い事言っちゃって」

「あ、い、いや気にしないで。というかそも、俺が訊いて始まった話だし…」

「あ、それもそうか…まぁ、それはどっちでも良いや。…多分望みは薄いだろうけどよ、力が戻ったり、戻す方法が見つかったりするのを祈るとするわ…」

 

 望みは薄い。そう自分自身で思っている…分かっているからか、表情は浮かないままの彼。それから今度こそ彼は通り過ぎ、検査ルームのある方へ。…今、話した限りじゃ…多分彼も、この件における真実を知らない。

 

(…見送って、良いのか…?知ってる事も、今の俺の事も全部隠して、同じ立場ぶって終わりか…?)

 

 ふっと浮かぶ自問自答。それへの答えはある。話したところで現実は変わらず、聞いても彼は負の感情を募らせるだけかもしれないだとか、今の俺の事を話すのはウェインさんとの約束を破る行為で、衝動的にそんな事はするべきじゃないだとか、見送る理由なら幾つもある。

…けど、それで良いのか。それをして俺は、胸を張れるのか。そんな思いが、迷いが俺の中を渦巻いて、何かするべきなんじゃないかという感情も生まれて……

 

「……顕人君?」

 

……そう、思っている時だった。廊下の左手側から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえたのは。

 

「…今の、声…茅章?」

「あ、やっぱり顕人君だ。双統殿で会うのは久し振り…だったよね?」

 

 この声は…と思って振り向けば、その声の主はやはり茅章。……言われてみれば確かに、久し振りな気がするな…。

 

「茅章は…任務?それとも、訓練?」

「訓練だよ。僕の武器は…まあ、やろうと思えば家の中でも出来るんだけど、ただ動かすだけじゃ基礎の訓練にしかならないから」

「あー……」

 

 そう言って茅章は肩を竦め、俺も俺で軽く頷く。茅章が武器として使うのは霊力を通した特殊な糸で、確かに糸なら銃や剣よりよっぽど安全に練習出来るし、家の中でも訓練として出来る事は多い筈。

 とはいえ、それじゃ実戦形式の訓練は勿論の事、開けた場所の訓練であったり、何かに当てる攻撃や防御の訓練だってする事は出来ない。そしてそれは…今の俺も、似たようなもの。

 

(…勘の鈍りを抑える事なら、今の訓練でも出来る…でも、それ以上を望むなら……)

「…顕人君?何か考え事?」

「あ…いや、何でもない。…茅章は、真面目だよね。こうしてしっかり訓練してるのもそうだけど、あの時だって、思い返せばかなりサポートを重視していたし」

 

 誤魔化すように、また思考を一旦頭から追い出す為に首を振った俺は、それからふと思う。

 俺も(自分で言うのはアレだけど)訓練はきちんとやっていた。けど俺の場合は自分の中の憧れに近付く為や、非日常そのものへの興奮から頑張れていたのが大きいし、茅章にそういう感情は多分ない。それにサポートだって、自分自身は派手な…とは言わずとも、はっきりとした成果を上げられないんじゃ、普通はやる気が下がってしまうもの。でも茅章の士気は最後まで落ちていなかった気がするし…やっぱり茅章は、本質的に真面目なんだと俺は思う。理由あってではなく、純粋に。

 

「そんな事ないよ。…僕も、頑張りたいだけだから」

「…僕も?」

「顕人君や、悠弥君の事だよ。二人共、僕より凄いし強いから、僕は…うん。僕は、二人に近付きたいんだ。だから…真面目、っていうのとは違う…と、思うかな」

 

 でも、そうじゃないんだと茅章は言う。強くなりたい、頑張りたい理由があるから、頑張れているだけだって。…凄いし、強い…か……。

 

「…茅章にそう思われてるなら、嬉しいよ」

「そ、そう?僕はほんとにただ、二人…を……って…あ、そ、その…凄いって言うのは、何も力だけの話じゃないよ?優しさとか、心の部分だって僕は……」

「…うん、分かってる。ありがと、茅章。それにごめん。俺から振った話で、気を遣わせちゃって」

 

 言葉を返す中で不意に茅章ははっとした顔になり、慌てて自分の発言を取り繕う。理由は勿論…今の言葉が、俺を傷付けてしまうものだと思ったからだろう。…でも、そんな事はない。力を取り戻した今は当然だけど…取り戻す前でも、茅章からのこの言葉なら、きっと俺は悲しさを抱く事はあっても、傷付いたりしない。

 凄いし、強い。…それは俺が、綾袮や千嵜に…これまで関わってきた、多くの霊装者に抱いてきた気持ち。俺より上に、俺より前にいて、見習う対象、目指す対象…勝ちたい対象になってきた、そういう人達へ感じていた思い。それを俺が、ずっと見上げる側だと思っていた自分が、いつの間にか誰かにとっての「近付きたい存在」になっていたというのは、何というか…感慨深い。気恥ずかしさも、少しあるけど…嬉しいって、素直に思う。

 

「う、ううん!僕こそごめんね、折角嬉しいって言ってくれたのに……」

「いやいや、それを言うなら俺こそ…って駄目だ、これは不毛な謝り合いになるだけだ……」

「そ、そうだね…ごめ……あ…」

 

 自分で言うのはアレだけど、俺はどっちかって言えば低姿勢なタイプだし、多分それは茅晶も同じ。だから互いに「悪い事したな…」と思うと今みたいなやり取りが起こり得る訳で、今の時点でもう軽く不毛になりかけていた。で、だからと俺は止めたものの、それに同意しつつもうっかり茅章はまた謝りかけてしまい…思わず俺は、笑ってしまった。

 

「うぅ…ごめん、顕人く……ってあぁっ、また…!」

「茅章…一応訊くけど、わざとではないよね…?」

「ち、違うよ!?わざととか、狙ってやってた訳じゃないからね…!?」

「まぁ、だよなぁ…ははっ」

 

 わたわたと否定する茅章を見て、更に軽く零れる笑い。茅章としては、恥ずかしいミスなんだろうけど…この天然(?)具合には、笑わずにはいられなかった。

 何ともまあ、気の抜けるミス。そして茅章自身、笑っちゃうような失敗だって自覚はあったらしく、最後には茅章も笑っていた。全く、何やってるんだろうなぁ…と半ば呆れるように。

 

「はぁ、ほんと締まらないなぁ僕は…」

「雑談の延長線での話だったんだし、俺は別に良いと思うけどね。…まぁ、笑っちゃうミスだった事は事実だけど」

「うぐっ……でも…良かったよ、顕人君。前に会った時よりも、何だか元気みたいだし」

「え?……あ…」

 

 俺の言葉にダメージを受ける茅章だけど、それから茅章は安堵を感じさせる表情を浮かべ、柔らかな声音で俺へと言う。言われて、俺も気付く。俺は力を取り戻した事を気取られないよう、上手く振舞っていたつもりだったけど…やっぱり、無意識レベルで隠し切れない部分はあるんだな、と。

 

「…顕人君。何かあれば、僕も力を貸すからね?悠弥君とか、他に顕人君の周りにいる人達に比べれば、僕なんて頼りないと思うけど…それでも、話を聞く位は出来るから」

「茅章……ああ、ありがとう。それと…頼りない、なんて事はないよ。俺は茅章をそう思った事なんて、一度もない」

 

 真剣な、けれど温かみのある顔で俺の事をじっと見つめて、茅章は言ってくれた。自分も力になると。卑下しながらも、卑屈さなんか微塵も感じさせない、芯と心の籠った声で。

 こう言ってくれる事、こう言ってもらえる事自体が、嬉しいし心強い。茅章と友達になれて良かったと、本当に思う。でもその反面、俺は感じさせられる。この言葉は、俺が力を取り戻したと知らないからこそのもので…真実を隠し、違うと言わないのは、嘘を吐いているのと何ら変わらないんじゃないのか、って。そんな事はないのかもしれないけど…俺の中には、確かにそんな思いもある。

 

「そう、かな…?…うん、でも…顕人君がそう言ってくれるなら…嬉しいよ、凄く」

「おう。……ほんと、ありがと茅章。茅章と話して、少し頭…っていうか、考えがすっきりしたような気がする。恩に着るよ」

「お、恩だなんてそんな……」

「んまぁ、我ながら仰々しい言い方になっちゃった気はしてるけどね。…ってか、茅章訓練は…?」

「あ……そ、そうだった。あはは…」

 

 そうして俺と茅章は別れ、茅章は予定通りに訓練へ向かう。その茅章を見送って…俺はゆっくりと、吐息を漏らす。

 

「…ごめん、茅章。それと、本当に…恩に着るよ。俺を、凄いし強いと思ってくれて」

 

 もう茅章の姿のない廊下へと向けて、小さく呟く。結局本当の事を言わなかった事への謝罪と、俺に大切な事を気付かせてくれた感謝を込めて。

 さっき、俺は迷っていた。彼を見送るのか、それでいいのか。そうしないのだとしたら、代わりに一体何をするのか。あの時は、答えが出る前に茅章が来たけど…多分、茅章が来なかったとしても、暫くは迷ったままだっただろう。迷い、動けなくなっていたと思う。

……けど、そうじゃないんだ。大切なのは、見送るか否かじゃない。行動は、結果に過ぎない。形に過ぎない。なら何が大切かといえば…そんなものは、決まっている。俺の中の……憧れだ。

 

(力を取り戻したのは、そうしたいと願ったのは、その憧れを捨てない為だ。その憧れを、また夢に返さない為だ。だったら…その憧れに背を向けない、凄くて強い、夢に見た俺で在る事が…大切なんだ)

 

 動けなかったのは、これを失念していたからだ。何が正しいか、これは合っているのか…そんな思考だけで、俺がどうしたいかは考えていなかった。だから考えは浮かんでも、気持ちは付いていけなかった。

 でももう、大丈夫だ。…はっきり言ってしまえば、まだ「なら何をするか」の部分は出てないし、間違った選択をする可能性もあるけど…少なくとも、指針はちゃんと思い出した。そう…俺がやる事、願う事は前も今も変わらない。俺は…俺が夢見る、憧れる、そんな存在を目指すんだ。

 そして、考えよう。考えようじゃないか。その為に、力を取り戻したのは俺は新たに何をするべきか。何をすれば……後悔、しないのかを。



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第二百五話 新たな務め

「…よし。これでやっと完治だな」

 

 普段の生活に戻り、ある程度の時間が過ぎたある日。俺は家の洗面台の前で額のガーゼを取り、怪我の状態を…完治した事を確認する。

 これは、富士山での魔人との戦闘中に負った怪我。霊装者(実用性を考えるとその組織)にゃ現代医学が馬鹿らしく思うような、大怪我だろうと急速に回復へ向かわせられる技術がある…が、それは同時に失敗する可能性も、失敗した場合のリスクもある治療。つまり普通の手術同様、やらなきゃ損…なんていう代物ではなく、この額の怪我含め俺はどこも重傷じゃなかったからこそ、その治療は行わず自然治癒に任せる、という判断をする事となった。…まぁ、そうした場合入院しなきゃいけない、その期間が長くなる…的な要素があったらまた別の選択もしていただろうが、ぶっにゃけ頭の怪我、それも額の怪我なら生活する上じゃ全く困らない。せいぜい顔や頭を洗う時厄介な位で他はほぼ支障がなかったから、俺もその提案をされた際にすぐ頷いた。

 

「ふー…何だかんだ言っても、やっぱ身体は資本だよなぁ」

 

 とはいえ、一切合切影響の出ない怪我なんて、それこそ擦り傷位しかない。それだって少しは痛かったり、治りかけの時は痒くなったりして時に悩ませてくるんだから、怪我なく健康でいられるっていうのは素晴らしい事だと俺思う。

 

「…さて」

 

 その後、軽ーく髪を整えた俺は脱衣所を出てリビングへ。中に入り、待っていた妃乃へ準備が出来た事を伝える。

 

「…ん、ちゃんと治ったみたいね。良かったじゃない」

「おかげさまでな。もう、すぐ行くか?」

「そう…ね。まだ少し時間があるけど、問題がなければもう行きましょ」

「あいよ」

 

 軽やかにソファから立ち上がった妃乃の言葉に俺は首肯。行く、というのは双統殿で、行くのは俺が呼ばれたから。妃乃から俺に伝えてお終い…という形を取らないって事は、まあそれなりに重要な話なんだろう。

 

「行ってらっしゃい、二人共。今日は、遅くなりそうなの?」

「ううん、夜までには帰ってくる筈よ。そんなに幾つもの事を話したり、会議したりする訳じゃないもの」

 

 そうして俺と妃乃が玄関に出ると、緋奈が見送りに来てくれる。その緋奈からの「行ってらっしゃい」に言葉を返し、俺と妃乃は家の外へ。…に、しても…今日は遅くなりそうなの?、に夜までには帰ってくる筈、か……。

 

「…何よ、悠弥。ちょっと口角上がってるけど、何か面白い事でもあったの?」

「いや、今さっきのやり取り、親子とか夫婦みたいだなと思ってよ」

「へ?……あー…うん。言われてみると、確かに……」

 

 家庭環境の賜物か責任感が強く面倒見も中々良い妃乃と、皆さんご存知我が可愛い妹である緋奈は、互いの性質もあって時々姉妹の様なやり取りをしている事がある。けど今のは姉妹というより親子や夫婦っぽいやり取りで…それがさらっと出てきたら、そりゃふふっともするだろう。

 

「…ん?いや、待てよ…もし緋奈が娘だったら…うん、それもそれで悪くない……」

「何変な妄想してるのよ…幾ら緋奈ちゃんでも、そんな事言ったら呆れ……って、私と緋奈ちゃんのやり取りが親子みたいで、悠弥がもしも緋奈ちゃんの親だったらって、それって……」

「…うん?妃乃?妃乃さーん?」

 

 緋奈は滅茶苦茶可愛い妹だが、もしも娘だったらと考えると…やっぱり可愛い。絶対可愛い。

…とか何とか考えている俺に対し、妃乃は呆れ顔。とはいえこれに関しては呆れても当然っちゃ当然だから、俺も文句は言わずに想像を中断し…たところで、今度は急に妃乃の方が何やらぶつぶつと言い出した。そして何度か呼び掛けると、妃乃は我に返ったようにはっとなり……

 

「ぅ、あ……べ、別にそんな想像なんかしてないんだから!してないんだからねっ!」

「…は、はい……?」

 

 何か、言葉を叩き付けるように言ってきた挙句、一人でさっさと歩き出してしまうのだった。…えぇぇ……?

 

 

 

 

 家を出てから数十分。目的地の双統殿へと到着した俺達は、現在廊下を歩行中。

 

「そういえば悠弥、晶仔博士がまたテストに付き合ってほしいって言ってたわよ」

「あ、おう。んじゃま、それに関して今日話だけは聞いてみるか」

 

 会話しながら廊下を進む。ほんと慣れというのは凄いもので、前はまだ多少なりとも緊張していた気がするが、今やどこを通っても全然緊張なんかしない。…まあ、「どこを」であって、「誰と会っても」ではないが。

 

「……ん?こっちじゃないのか?」

 

 いつものように、廊下の十字路をそのまま進もうとした俺。だが妃乃はそこで角を曲がり、俺の問いにも首を振って否定する。

 

「今日はお祖父様忙しいの。だから呼んだのは、お母様とお父様よ」

「そうだったのか。ま、相手が誰でも関係な…くはねぇか、流石に……」

 

 よく知らない相手なら誰だって関係ないが、宗元さんはよく知っている相手だし、妃乃の両親もしっかり会話を交わした事のある相手。であれば、何だって良いやって気持ちにはならないし…うん、ちょっと緊張してきたな。妃乃がいる状態で由美乃と会うのは初めてだし、恭士さんも前の時は任務中で色々特殊な状況だったし…。

 

「さ、ここよ。お母様、お父様、失礼します」

「(うおっ、もうか…)失礼します…」

 

 頭の中でぶつくさ考えていたらもう到着。すぐに妃乃はノックし中へと入ったから、俺も続かない訳にはいかない。え、ええぃ!気にすんな俺、よくよく考えたら俺、そもそもこういう事で緊張するタイプじゃないんだから!変に意識するから緊張感抱いてるだけなんだよ!……多分!

 という思考を働かせてながら、部屋の中へと入った俺。執務室らしきこの部屋には、当然恭士さんと由美乃さんがいて……

 

「ふふ、いらっしゃい悠弥くん。丁度お茶を淹れたところなの。君もどう?」

「え?…あ、じゃあ、頂きます…」

 

…なんかすっごい普通の事を、普通に友達の家に遊びに来たみたいな事を、開口一番で言われてしまった。あんまりにも自然に言われたものだから、戸惑いつつも頼んでしまった。

 

「お母様……」

「由美乃……」

「あら、二人共どうかした?立場はどうあれこっちから呼んだんだから、お茶を出すのは当然でしょ?」

「い、いやそうですけども……」

 

 呆れ顔の時宮父娘。一方の由美乃さんは、あっけらかんと言葉を返す。…うん、分かるぞ妃乃。そういう事じゃないないんだよな…。

 

「…ごほん。悪いな悠弥君。本来なら、父が話す予定だったが……」

「いえ、それは別に……」

「…まあ、そもそもここまで呼び出して話す必要があるかどうかも怪しい事だがな。面倒だとは思うが、そういうものだと思ってほしい」

「お、お父様もそんなはっきりと言わないで下さい…」

(あ、この口振りだと妃乃も似たような事を思ってはいるんだな…)

 

 恭士さんも協会でかなりの立場にいる筈なのに、そんな事を言ってしまうのか。或いはそれだけの立場にあるからこそ、さらりと言えてしまうのか。まあ何れにせよ、そこを掘り下げても仕方ない。

 

「…えぇと、それで話というのは……」

「あぁ、だが順を追って話そう。まずは、君にも見てもらった地下の存在だが……やはりあれは、聖宝の前段階、聖宝となり得るものである可能性が高い」

「……!…やっぱり、ですか。…けど、なり得る…?」

「聖宝が顕現する条件や手順は、まだはっきりしていない部分も多い。だから、確証はない…って事よ。熱いから火傷には気を付けてね」

「あ、どうも…」

 

 促されて妃乃と共にソファへと座った俺の中に浮かぶ、一つの疑問。それに応えてくれたのは由美乃さんで、応えつつ淹れたお茶を出してくれる。…美味いな、このお茶……。

 

「今由美乃も言ったが、あそこからどのようにして聖宝なるのか、本当にそうなるのか、そこもまだはっきりとはしていない。そして故に、下手に手出しをする事も出来ない」

「つまり、移動させたりも出来ないって事よ。…まぁ、あの環境、あの場所でなくちゃ形成が進まないのなら、どっちにしろ動かせないけどね…」

「…って、事は何かあっても…いや、何かあった時に備えて場所を移す事も出来ない、と……?」

 

 反対側のソファに座る恭士さんの説明と妃乃からの補足を受けて俺が言うと、この場の三人全員が頷く。

 動かせない事による問題は、色々あるだろう。何かをする時、毎回富士のあの地下空間まで行かなければならないし、研究やら情報収集やらも、やるんだったらあの場で行う以外ない。何より問題なのが崩落やら何やらの危機が迫った場合で、動かせない以上、危機に気付くのが遅れてしまえば、もうどうしようもなくなる。

 ただそれでも、自然現象が原因となる危機は、用心と周辺の調査を徹底しておけば、事前に察知する事もある程度は出来る。予め分かれば、それなりに対策も打てる事だろう。だがその危機が自然現象によるものではなく、魔物によるものだった場合、事前に察知するのは自然現象の場合よりも遥かに難しく、そして……

 

「…あの魔人の最後の一手で、他の魔人に場所が伝わっている可能性がある……」

「そういう事だ。そして聖宝に関する知識のある魔人ならば…まあまず、狙ってくるだろう。聖宝を我が物とする為に、人間や他の魔人に聖宝を与えない為に」

 

 自分が利益を得る為、不利益を被らないようにする為に、魔人があの場を狙ってくるかもしれない。ある程度推測が入っているとはいえ、それは十分あり得る事で…だから段々と、見えてきた。この話の、今後の展開が。

 

「…だから、あの場に駐留する戦力を増やす…そういう訳ですか」

「ああ。厳密には、富士の支部に戦力を回す、だがな。それがいつまでになるか分からない以上、問題も多いが…やらない訳にはいかない」

 

 確かに、それはそうだと思う。聖宝が顕現し、万が一にもそれが魔人の手に渡ったら、一体何をするか分かったもんじゃない。残念、魔人には使えませんでした!…ってなる可能性もまぁあるが、それは単にかもしれないってだけの話。いつまでもその体制で続けるかどうかはともかくとして、一先ずは(今もいるらしい)駐留の戦力を増やし、防備を固めている間に別の案を考えるのがベターな判断ってものだろう。

 ここまでを言い終えて、恭士さんは湯呑みを口へと向けて運ぶ。まだ前提となる説明が終わった段階だが、本題はどんな話か…ってのはもう分かっている。それへどんな回答をするかはまた別として、取り敢えず本題としてはこの追加戦力の一員として俺を……

 

「…で、だ。先の一件で多少なりとも戦力が減っている中で、更に戦力を新たに割くとなれば、これ以上に余裕のある霊装者を遊ばせている訳にはいかない。だから今後は、これまで以上に君に動いてもらう事、或いはここ双統殿で有事に備えて待機してもらう事が増えるとは思うが、その事を念頭に入れておいてほしい」

「……へっ?…あ…は、はい。そういう事でしたら、勿論…」

 

……と、思ったけど違った。これに纏わる話ではあったけど、俺が思っているのとは違っていた。…そっちだったかぁ…。

 

(いや、まぁ…考えてみりゃ、そっちの可能性も普通にあったわ…ほんと、わざわざそれだけの為に呼ばれたなら、「えぇー……」って感じだが……)

 

 長期の出張的任務と、これまでより忙しくなると思うぞって話なら、後者の方がずっと良い。だってまだ高校生だもん。仕事に生きるのはもっと先…いや、出来る限り避けて生きたいものである。

 って訳で、前者じゃなかった事自体はありがたいんだが、後者だと思っていた分、俺がまず感じたのは拍子抜けだって思い。というか大概の人は、この流れなら後者だと思うんじゃないだろうか。

 

「…意外そうな顔だな。違う事を言われる、指示されると思ったか?」

「あー…っと、はい。正直に言うと、そうです」

「まあ、だろうな。…今のはあくまで、本題の入り口だ。より重要なのは、ここからの話だ」

 

 軽く笑い、恭士さんは話を続ける。ここからだ、と言われた俺は相槌を打つように頷き、そのままの姿勢で恭士さんの言葉を待つ。

 

「今言った通り、協会の戦力は低下している。加えて霊装者の力が消失する現象がある…それ自体が、各員の士気に悪い影響を与えているのも事実だ。今のところは空気の問題に留まっているが、その内パフォーマンスや任務そのものへの意欲が低下してしまう可能性もゼロではないだろう。…富士の真実を知れば、ゼロではない、どころじゃ済まないだろうが…」

「…………」

「…ともかく、聖宝絡みで今後大きな戦いが起こる事もあり得る中で、今の状況を放置するのは得策ではない。だからまず、オレと由美乃は、暫く行動の拠点を富士の支部に移す。宮空の二人、紗希と深介も同様だ。これは指揮を取る責任者、両家からの戦力という実務的な意味もあるが、同時に俺達が行く事で多少なりとも士気に良い影響が起きるのを期待しているという面もある」

「ふふ、そんな言い方しなくても良いのに。あなたはあなたが思っている以上に、支持と信頼をされてるのよ?」

「であればそれに越した事はないんだが、な。…次に、妃乃にはこちらに残り、これまで通りに活動してもらう。協会は問題なく機能している、不安を抱く必要はないと示す為にな。そしてその上で…君だ。予言された霊装者の一人という立場を持ち、去年の魔王戦において真正面から立ち向かい、今は実力も伸ばしつつある君が妃乃と共にその力を発揮する事で、協会全体の士気を上げる。若い世代が頑張っているのなら、とな」

 

 一つ一つ重ねられる説明を、俺は口を挟む事なく最後まで聞く。ここで終わりかどうかはともかくとして、ここまで話した恭士さんは湯呑みからお茶を一口飲み、その間に俺は説明を整理。

 要は、俺に一個人としての活躍ではなく、旗手的な効果を期待しているらしい。単なる「数」の上での戦力だけでなく、それ以上のもの…集団の、組織への影響を期待し見込んでいるらしい。

 んまぁ、分かる。俺のしてきた事を箇条書きの様にしてみれば、先の富士での行動含め、確かにぴったりな人材だと思う。自分で言うのもアレだが、実際実力もそれなりにはあるから、祭り上げられていた存在が簡単にやられて、逆に士気がどん底まで落ちる…って危険も、そこまで高くはないだろう。…だが……

 

「…俺、そういうのに向いてますかね…今更言ったってどうにもなりませんけど、そういう事なら、御道の方がずっとも向いてたかと……」

「言うと思った。別に上手く振る舞えって事じゃないわ。そもそも毎回大規模な部隊で動く訳じゃないんだし、少数のところで普通に任務をこなす以上の事を何度もしたら、悪目立ちするだけじゃない」

「そういう事よ、悠弥くん。でも悠弥くんなら、その気になれば付いてない事なんてないと思うわ。だって悠弥くんは、昔の恭士さんと似ていて……」

「止めろ、脱線させるな由美乃…由美乃の言葉はともかく、今妃乃の言った通り、特別何かをする必要はない。それに、話す内容には個人差があるが、他にも何人か同様の話を倒す予定の霊装者もいる。あくまで君や妃乃任せではなく、若い『世代』が頑張っている、という形が理想だからな」

 

 やる前から無理だと決め付けるのはどうかと思うが、重要な事なら向いてる人間がやった方が良いとも思う。そう考えていた俺ではあったが、どうも俺一人が妃乃の横に立ち、先導するように動く…みたいなレベルではないらしく、であれば俺も一安心。…因みに額を押さえ、呆れ声で脱線させるなと言われた由美乃さんは、「そういう反応するあなたも素敵…」とかなんとか言っていた。…深くは考えないでおこう。

 

「…とまあ、ここまでが君に頼みたい事、君にしてもらう事だ。何か質問は?」

「いや、特には。…けど、ここまで…という事は……」

「悪いな、面倒だろうがもう少し話は続く。だが、ここからは聞くだけでいい。残りは今後の推測と、起こり得る懸念事項を頭に入れておいてほしいというだけの話だからな」

 

 そうしてその後話されたのは、最も可能性のある「別の魔人や魔物の襲来」や、聖宝の状態次第で想定している体制は幾らでも変わるという事。これに加え、細々とした話も幾つかあり…そして、最後に言われた。聖宝を狙ってくるのは、決して魔人だけではないという事を。

 それは、何らおかしな話じゃない。凡ゆる願いを叶えられるとされている、実際に未来への転生という奇跡を引き起こしている聖宝が再び現れるかもしれないと知れば、誰だって手に入れたいと思うだろう。霊装者組織同士の力関係、実際の関係性はよく知らないが、どんな兵器、どんな戦力よりも強大な存在となり得る聖宝を協会の管理下に置かせたくない…それを理由で動いてくる組織がある事だって、十分考えられる。勿論、そういう厄介事を避ける為に協会は聖宝の情報を隠してるだろうが…絶対に漏れない情報なんて、そうそうない。

 

(…折角、世界大戦なんて冗談じゃねぇ規模の戦いが過去のものになったんだ。なのに人と人の争いの歴史にまた一ページ増やすとか、あって堪るか……)

 

 戦争の悲惨さを語るつもりなんざないが、戦争なんてゲームとかサブカルだけで十分だ。あれは間違いなく、架空のものとして楽しむのに留めておくべきで、実際にやるようなもんじゃ絶対にない。…と、俺が思ったところで何か変わる訳でもなく、戦争してまで手に入れようとする程、聖宝に価値があるのかよといえば……ああ、そりゃあるだろうさ。どんな願いも叶えられるってのは…計り知れない価値がある。

 

「これまでの事からして、魔人同士が協力関係を作ってる可能性は高い。って事は、集団…組織としての考えも持ってるだろうし、そうなるとこれまでより手薄になるここ双統殿を狙ってくる事も…って、悠耶聞いてる?」

「…なあ、妃乃」

 

 話が終わり、部屋を出たのが数十秒前。廊下を歩きながら妃乃はこれからの事について話していて、俺も頭の中で考え事をしつつ聞いてはいたが…聞いてるかどうか尋ねられたところで、逆に俺から言う。一度足を止め、しっかりと妃乃に向き合って。

 

「魔人にせよ、何にせよ、襲われて良い事なんざ一つもねぇ。けど、俺にそれ自体を防ぐ力なんてものもない。だからせめて、襲われた時その被害を減らせるよう、少しでも何とかなるよう、俺なりに出来る事はするつもりだ」

「…そうね。私だって、協会の中じゃそれなりに力があるけど、何でも出来る訳じゃない。…だから、頑張るのよね。それでも、出来る範囲で理想や最善に近付ける為に」

 

 良い案でも問題提起でもない、別に妃乃へ言う必要もない、ただの意思表示。今俺がしたのは、そういうもので…だが妃乃は頷き、言葉を返してくれた。妃乃の意思を、俺へと表明してくれた。

 出来る事をする。これは当たり前だが…大切な事だ。出来ない事は頑張っても出来ない、出来ないから出来ないって言われるもんだし、けど出来る事を積み重ねる事で、出来なかった事も出来るようになるかもしれないんだから。どんな目標だろうと、出来る事から始めなきゃ、そこにゃ辿り着けねぇんだから。

 さっきは向いてるかどうか怪しいみたいに言いはしたが、実際向いてないかもしれねぇが、それはまた別の話。向いてるなら良いし、向いてないなら向いてないなりに、頑張りゃ良いだけだ。少なくとも、そうすれば後悔する可能性は減る。取り越し苦労に終わっても、それならそれで呆れ笑いで終わらせられる。そして、そして、後悔の可能性が減る方が、呆れ笑いで終わる方がずっと良いと思いながら、俺も妃乃の言葉へ強く頷きを返すのだった。



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第二百六話 不安な元気

「顕人、甘い。その程度見え透いている」

「く……っ!けど、それならこっちも……」

「それだって、予想済み」

「んな……っ!?」

 

 遠距離から着実に距離を詰めつつ放たれる攻撃。避けはすれども、距離が近付くにつれ攻撃は俺が移動しようとした先へ、置かれる形で繰り出されるようになっていく。キツい、でも距離が近付く事で当て易くなったのは俺も同じ。ならば押し切られる前に、積極的にこちらも仕掛けようと攻撃に移った俺だったが、その先にすらも攻撃を置かれる。完全に動きを読まれている。

 追い詰められていた。手玉に取られていた。そして打開の策を考える余裕すら与えられず、肉薄からの一撃で以って屠られる。……ゲームの、中で。

 

「うっそぉ…ラフィーネさん、いつの間にここまで……」

「ふふん、伊達にやり込んでない」

 

 バトルが終わり、画面に映るのはラフィーネが操作していたキャラの勝利ポーズ。まさか負けるとは思っていなかった俺が肩を落としつつ視線を向けると、ラフィーネは自慢げに鼻を鳴らす。…伊達にやり込んでないって…ラフィーネ、もう完全にゲーマーじゃん……。

 

「…にしても、ほんと凄いね…ここまで読んでくるなんて……」

「相手の得意な事、苦手な事、癖や傾向を見抜く力…それはゲームも実戦も変わらない。それに顕人とはもう何回もやってるから、大体分かってる」

「…流石だよ、ほんと…色々な意味で……」

 

 今俺は負けた訳だが、操作技術で大きく劣ってた…訳じゃないと思う。それでも手玉に取られてしまったのは、偏に動きを、次どうするかの思考を読まれてしまったから。…実際に軍の訓練の一環として、FPSを…なんて話は聞いた事あるけど、戦闘経験やその勘をフルに活かしてゲームっていうのは、凄くてもシュール感が否めないよ…。…まぁ、それに関しては去年のクリスマスイブにも似たような事があったけど……。

 

「二人共、そろそろ休憩してはどうです?」

「あー…そだね。ありがと、フォリン」

「フォリン、わたし勝った。次はフォリンもやる?」

「ふふっ、おめでとうございますラフィーネ。私は…いえ、今日は見てるだけにしておきますね」

「ん、分かった。やりたくなったら言って。いつでも代わる」

 

 と、そんな事を考えていたところでふわりと感じたのは紅茶の匂い。その良い香りと共に台所からフォリンがこちらへやってきて、紅茶をテーブルに置いてくれる。…フォリンはほんと良い子っていうか、順調に女子力が高くなっていってるよね…ラフィーネ、姉として思いっ切り遅れを取ってるけどそこは大丈夫なの…?

 

「問題ない。代わりにわたしは地の文を読む技術を身に付けた」

「そんなメタい技術身に付けてどうするの!?釣り合わないよ!?確かにある意味貴重な技術だけど、絶対釣り合わないからね!?」

「…という、冗談を言ってみただけ」

「冗談かい……(…けど、地の文読む技術は本物という……)」

 

 にやり、とほんの少し…いつもと同じ、見慣れていなきゃ気付かないレベルの小さな笑みを口元に浮かべて、冗談だと言葉を返してくるラフィーネ。…これ、ほんとに冗談かな…ネタの内容が独特過ぎて、冗談だと言われても反応に困るよ……。

 

「…ふぅ…あ、そうだ。洗面台のタオル、もう補充しないと替えが……」

「それなら先程私が補充しましたよ。丁度ない事に気が付いたので」

「…………(くぅ…!言わないけど、言わないけど思いはするよ!フォリン、フォリンは絶対良いお嫁さんに……)」

「ふふふ、お嫁さんにしてくれるのなら大歓迎ですよ?」

「読まないでよ!?そういう思考は特に読まないでよぉぉッ!?」

 

 そんなラフィーネとは対照的に、フォリンは本当に気が効く子。助かるし、その気遣いに心だって癒される。……こういう弄りさえなければねっ!なんで姉妹揃って人の心読んでくるかなぁ!?

 

「はぁぁ…なんで休憩って事なのに、さっきよりもより疲れなくちゃいけないのさ……」

「お、これはあれっすか?自分も乗ってもう一段階疲れさせた方がいいっすか?」

「止めて、ほんとに疲れちゃうから止めて……」

「本気でそう思うなら、わざわざ思いっ切り反応しなければいいだけだと思いますけどねー」

 

 さっきは紅茶を飲んだ事によるほっこりとした溜め息が出て、今は遠慮なく弄られた事に対するげんなりとした溜め息が出て。そして慧瑠が乗ってこようとした事で、更に俺はがっくりげんなり。…慧瑠、確かにスルーしたら適当にあしらえば、そりゃ疲れずには済むけど…それじゃ、詰まらないじゃないか…。

 

「…あれ?そういえばラフィーネ、前と違う人物を使ってるんですね」

「うん。顕人を相手にする時は、こっちの方が上手くいく。顕人は咄嗟の判断が必要になると上に跳ぶ癖があるから、対空性能の高さが重要」

「は、はぁ…ほんとにやり込んでますね、ラフィーネ……」

 

 まさかここまでになるとは、とばかりに苦笑いを浮かべるフォリンに対し、ラフィーネはやっぱりふんすと自慢げ。ただ何にせよラフィーネが充実した気持ちでいる事が嬉しいみたいで、フォリンの苦笑いは次第に穏やかな微笑みへと変わり、それを見たラフィーネもまた、しまいならではのそっくりな微笑みを表情に浮かべる。

 何でもない…というには少々濃密過ぎる気もするけど、それでも特異ではない、そんな日常の中にある穏やかな幸せ。二人の微笑みを生み出しているのは、そんな環境とそこから生まれてくる思い。その二人の微笑みを見ていると、俺も何だか心の中が温かくなり……けれど同時に、思う。…ああ、やっぱり俺が求めている世界と、二人が求めている世界は、違うんだなって。前から分かっていた事を、今この時に改めて感じる。

 

(隣の芝は青く見える…とも、違うんだよな…)

 

 人は自分にはないもの、自分とは違う環境の人を羨ましく思うもので、その際には多かれ少なかれ理想が、自分にとって都合の良い想像が入り込む。だからいざ立場や環境が変わった時、理想とは違う現実を目の当たりにして落ち込むものだけど、二人の場合は違う。もう半年以上、今の生活を続けているけど二人は今も楽しんでいて…そしてそれは、俺も同じ。戦いの痛み、苦しみ、上手くいかない現実に何度もぶつかって…それでも尚、俺の気持ちは変わっていない。

 じゃあ、何が違うのか。…それはきっと、思いの強さだ。良くない現状への言い訳や、軽い気持ちでの理想として違う自分、違う環境を望んだのなら、どんな環境でも結局は不満を持つんだろうけど…俺や二人は違う。俺や二人は、本気で望んでいたんだから。

 

「…あのさ、二人は……」

「……?」

「何です?」

「…いや、何でもない」

 

 浮かんだ問いを俺は口にしようとして…でも、止める。きょとんとしている二人に軽く謝り、それからまた紅茶を一口。

 二人は今、幸せ?…俺はそう、訊こうとした。その問いが頭に浮かんで…けどこんなのは、訊くまでもない。もしそうじゃなかったのなら…俺が頑張るまでだ。もっともっと、頑張るまでだ。…だって、約束したんだから。

 あぁ、そうだ。俺は俺の夢を諦めない為に、憧れをもう一度掴む為に、力を取り戻した。でも忘れちゃいけない。今の俺は、他にも大切なものがあるんだって事を。

 

「…変なの」

「ですね。…あ、でも…思い返してみると、前から顕人さんは時々変になる傾向が……」

「…確かに……」

「おいこら…冗談めいて言うならまだしも、真剣な表情でそういうやり取りはしないでくれる…?」

 

 特筆する点もない、普通の休みの午後、その一幕。だけど、そんな日常の一幕だからこそ…俺は感じていた。今もここには、二人にとっての自然な幸せがあると、それも俺にとっては大切だと思えるものなんだという事を。

 

 

 

 

 あれから暫くして、綾袮が家に帰ってきた。その頃俺も夕飯の支度を開始して、いつものように全員で食事。それも終わり、俺が食器を片付けてるところで…不意に綾袮が言ってきた。

 

「なんかここのところ、わたし出番が少ない!」

「…えぇぇ……?」

 

……不意に、言ってきた。これを突然、何の脈絡もなく…いきなりぶっ込んできた。

 

「…ラフィーネもそうだったんだけど、最近はメタ発言が流行ってるの…?」

「最近も何も、元から偶にあったじゃん。何なら第一話で、初っ端から初のメタ発言を行ったのは顕人君じゃん」

「い、いやまぁそうだけども…」

 

 思いっ切り困惑した俺は取り敢えず言葉を返したものの、返ってきたのはぐうの音も出ない回答。…うん、確かにそうだった…そうでした……。

 

「…でもさ綾袮、少ないも何も数話前に普通に登場してるよね…?」

「あんなちょっとの登場じゃわたしは満足しないよ!冗談も少ししか言えなかったし!」

「あれで少し、なんだ…ハングリー精神凄まじいね……」

 

 良い悪いは別として、綾袮は今日も今日とて元気。そしてその綾袮に引っ張られて、俺もかなりメタ発言をしてしまっている。…き、気を付けよう、うん……。

 

「…で、それなら俺にどうしろと?話し相手になって、的な?」

「うんうん。あ、でも出番確保出来るなら、それ以外でも大歓迎かなー」

「じゃあ、俺が拭いた食器を棚に「おっと、そういえばわたしやる事があるんだった。顕人君またねー!」そんなに嫌!?直後に掌返しをする位手伝いは嫌だと!?」

「あっはは、なーんてね」

 

 思わず俺が全力の突っ込みで言葉を返すと、綾袮は愉快そうに笑った後、普通に片付けをしてくれる。…助かる、それは助かるけども……はぁ…。

 

「…で、結局本当の理由は?」

「本当の理由?」

「…え、まさか本当にただ出番が欲しかっただけ…?」

「ふっふっふ……っていうのは、冗談で…うん、ほんとは顕人君と、少し話がしたかったんだ。本当は、っていうか一番の理由は、だけどね」

 

 そう言って肩を竦める綾袮は、いつもの朗らかな笑みを浮かべていて…でも、その瞳に灯るのは真剣な色。

 であればここまでの冗談は、あまり深く考えず、肩の力を抜いてほしい…っていう意図があったのかもしれない。…まあ、言葉通りの思いもあったんだろうけども。

 

「最近、調子はどう?」

「え?…まぁ、良い方だけど…久し振りに会った親戚とか友達みたいな事言うね…」

「あはは、言われてみると確かにそうかも。…けどそっか、良い方か…まあまあとか、悪くはないみたいな表現はしないんだね」

 

 何とも漠然とした、取り敢えず何か訊こう、って考えた時に出てくるような質問に俺が呆れ笑いをしつつ答えると、綾袮も苦笑いをし…それから俺の答えを振り返るように、独り言にも聞こえるような言い方で言う。

 良い方、というのは何となく浮かんだ言葉で、この言葉にした理由もこれと言ってない。でも…言われてみると、俺はこれまでこういう系統の質問をされた時、今綾袮が挙げたような返し方をしていたような、そんな気がする。

 それに気付くと同時に、不味い…とも思った。まあまあや悪くないと比べて、良い方って表現は、多少なりとも前向き且つ明るい返答であると思う。そしてこれ単体ならなんて事ないけど…それでも、最近俺に何かあった、良い事があったんだって考える切っ掛け位には、なるかもしれない。…勿論、俺の考え過ぎかもしれないけど。

 

「…もしかして、まだ心配してる?というか、心配させちゃってる…?」

「ううん。心配してない…って言ったら嘘になるけど、変に気遣ってる訳じゃないよ。それに…ちょっと情けない話でもあるけど、ここのところは忙しくもあって、そんなに余裕がある日ばっかりでもなかったから、ね」

「あぁ…そっか」

 

 その言葉と共に、言葉通り少し情けなさそうに肩を竦める綾袮。その返しを受けて、それもそうだと考え直す。

 忘れていた訳じゃない。綾袮はそういう立場にある身だし、再調査を含む富士の件を考えれば、そりゃ忙しいに決まってる。それに、綾袮は俺と一つも変わらない女の子。その子が、きっと大の大人でも大変な務めを果たして、しかも同居人の事を毎日気遣うなんて……

 

「…情けないのは、俺の方だよ」

「え?」

「男がいつまでも、過ぎた事で心配かけさせてるんじゃないって話だよ。ごめん、いきなりこんな事言って」

「あ、う、うん…それは別に、良いけど……」

 

 自分自身への呆れ声を出した俺は、それから表情を引き締める。

 ああ、全く情けない。綾袮に泣いてほしくない、これまで通りの綾袮でいてほしい…そんな思いはあっても、俺は綾袮の苦労や忙しさまでは考える事が出来ていなかった。そもそもそこにまで、考えが行き着いていなかった。今だから分かるけど…本当に力を失ってからの俺は、酷いものだったと思う。自分で分かってる、思ってる以上に、力を失う前の、もっと言えば霊装者になる前の俺からも…その時の俺は、離れていたんだ。

 

「…でも、本当にもう大丈夫だよ綾袮。俺は今、やろうと思ってる事も、やらなきゃと感じてる事もある。ちゃんと…前を、向けているから」

「顕人君…。……うん、そうみたいだね。うんうん、だったら心配は本当に必要ないみたいだし…話した甲斐も、あるってものだね!」

 

 変に勘繰られるのは不味いから、言動には気を付けなきゃいけない。…それはきちんと分かってる上で、俺ははっきりと言った。本当に今は、もう大丈夫だって。勿論、まだ力の事は隠すつもりだけど…隠す為じゃなくて、安心してもらう為に、綾袮にも「もう大丈夫なんだな」って思ってほしかったから。

 そしてそれを聞いた綾袮は、まずゆっくりと頷いて…それから元気に溢れた表情で、もう一度頷き笑ってくれた。俺が見たいと思う、その笑顔で。

 

「よーし、それじゃあ安心もした事だし、チョコでも食べよっかな!」

「ん?まぁ、それは好きにすれば良い…ってそれ俺のだから!俺が買って仕舞っておいたやつだからね!?」

 

 しれっと俺のチョコを取り出した綾袮に突っ込みを入れると、綾袮は「てへっ♪」とばかりに舌を出してチョコを戻す。それは反省してる様子も悪びれてる様子もない、何とも太々しい反応で……だけど可愛いんだよなぁ、くそう…!

 

「…あ、でも顕人君。何かあったり、身体に違和感を覚えたりしたら、些細な事でも言ってね?」

「分かってるよ、綾袮。綾袮も、俺に何か出来る事があれば言ってくれて構わないからね?」

「それなら、宿題代行サービス……」

「残念ながら、現在当店では取り扱っておりません」

「そんなー!」

 

 わざと丁寧な言い方で拒否ると、綾袮も綾袮でオーバーなリアクションをし…それからお互い、にやっと軽く笑い合う。

 俺は俺で隠し事をしているし、綾袮も綾袮で大変だろうし、俺も綾袮も今は対する不満がない…って事は、多分ないと思う。…でも…それでも、俺も綾袮も今は元気だ。それだけあっても仕方ないけど…元気である事、元気でいられる事、それは大事だって…俺は思う。

 

 

 

 

 顕人君が霊装者の力を失ってから、そこそこの時間が経った。最初は本当に、本当に傷付いていた顕人君も、少しずつ元気を取り戻してくれて、安心した。顕人君は、わたしに泣いてほしくないと言ってくれたけど…わたしだって、顕人君には笑顔でいてほしいから。

 少しずつ元気を取り戻してくれた顕人君だけど、それでもやっぱり、その顔に浮かぶ笑顔は違った。作り笑いじゃないけど…何かが欠けてしまったような、そんな笑顔を浮かべる時が何度もあった。

 

(…見間違い、なんかじゃない…本当に顕人君は、どこか悲しそうな笑顔だった、筈なのに……)

 

 だけど、今は違う。昨日見た笑顔も、ついさっき話した時の笑顔も…心からのだって分かる、本当に安心出来る笑顔だった。わたしが顕人君にしてほしいと思った、そんな顔だった。

 でも、わたしはその事を、心の底からは喜べない。勿論、嬉しくはある。またそういう笑顔が出来るようになったんだから、嬉しいに決まってる。…けど、どうして?どうして急に、また顕人君はそんな笑顔が出来るようになったの?何ヶ月も、何年も経って、やっとそこまで回復したって事なら分かるけど…そうじゃない。少し前から、急に顕人君はそうなった。…それが気になるから、どうしても「良かった」じゃ済ませられないから…わたしは今日、顕人君と話した。その理由を、手掛かりだけでも探す為に。

 

「…やっぱり、何かあった…のかなぁ……」

 

 はっきりこれだ!…って思うようなものは、感じられなかった。心が読めたら楽だけど、幾ら霊装者だって、そんな事は出来ない。

 その上で感じたのは、感じられたのは…何かが変わってるって事。単純に元気になったってだけじゃなくて、意識というか、なんというか…もっと深いところが、変わってる気がする。さっき口にした、調子に関する表現もそうだけど…顕人君にとって霊装者としての力は、本当にかけがえのないものだった筈。なのにそれを、「過ぎた事」だなんて…おかしいとまでは言わなくても、感じる違和感は拭えない。

 それに結局、分からない。何かあったのかもしれないけど、その何かが分からない。今の顕人君はただの人と変わらない筈だから、何かあったとしてもそれは日常の範囲の事で…その中で、顕人君の心を埋める、本当の笑顔を取り戻せるような事なんて……

 

「……はっ!まさか…彼女…!?」

 

 ぱっとわたしの頭に浮かんだのは、そんな可能性。恋をすると世界が変わって見えるって言うし、愛なら顕人君の気持ちを埋められる…の、かもしれない。それに、顕人君はモテる…訳じゃないと思うけど、優しいし面白いし一緒にいて楽しいと思える男の子だから、彼女が出来たとしても…別に、おかしくはない。

 

「これは…ちょっとしたら、ひょっとするかもしれないですぞー?」

 

 色恋沙汰かな!?まさかの本当にそういう事かな!?…と思うと、何だか変にテンションが上がるわたし(あ、因みに説明忘れてたけど、今いるのは自分の部屋だよー)。もしもそうなら色々訊いてみたいし、一体誰が彼女さんなのかも凄く気になる。

 まあ、正直言えば、絶対そうとは限らない。でも、これなら納得が行くのも事実。…彼女、かぁ…本当にそうだったらやっぱりびっくりだけど、そういう事なら一安心だよね。無理して空元気出してるとか、ヤケになって言ってるとかじゃなくて、本当に心から元気になったなら…それが彼女さんが出来たからで、顕人君の悲しみを埋められる位の、素敵な彼女さんと出会えたなら……

 

「…………」

 

 さっきまでは、盛り上がっていた気持ち。だけどそれが、段々沈んでいく。落ち込むように、心から元気が無くなっていく。

 どうして?……どうしてかは、分からない。分からないけど…顕人君に彼女がいて、その人が顕人君を笑顔にしてるんだと思うと、心の中がきゅっとなって、切なくなった。それは顕人君にとって幸せな事で、だったらわたしとしても嬉しい事な筈なのに…わたしの心は、全然喜べていなかった。

 

(…そもそも、確定じゃないんだよね…うん、そうだよ…まだ別に、彼女さんが出来たって決まった訳じゃ…ないんだから…)

 

 それからわたしは思い直す。そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないって。そう思うと、少しだけ心が楽になって…違うよね、そうじゃないよねって、わたしの心は思い始める。

 もし違うってなると、疑問は一つ前に後戻り。結局何があったのか分からないまま。逆に思った通りなら、全然問題ない事だし、安心も出来る筈。その筈の事。…あぁ、なのに…だけど…それでもわたしは、思っていた。顕人君に彼女が出来たから…そのおかげで、笑顔を取り戻せて、前も向けるようになった……そういう事では、あってほしくないと。



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第二百七話 協会の今

 富士山を管轄下とする支部…もっと言えば、厳重な警戒を敷く事になったあの場所への増援の為、協会本部…双統殿としての戦力、動ける霊装者の数が減り、そこを埋める為に力を貸してほしい。俺は妃乃の両親からそう言われていて、実際その後俺は駆り出されるようになった。

 別段不満はない。そういう話だと理解した上で了承したのは俺自身だし、そもそも組織の人間である以上、指示に従うのは当然の事。

 それにこれは、ある意味ありがたい話でもあった。暫く前から霊装者としての鍛錬にも力を入れている俺だったが、やっぱり実戦じゃないと得られないもの、磨けない感覚ってもんはある訳で、その点においては絶好の機会でもあるって事。富士の任務じゃ特殊な戦闘を強いられるか対魔人戦かのどっちかだったから、尚更好都合にも感じられる。…んまぁ、戦闘なんて起こらずに済むのが一番なんだが…今日も俺は、それを理由に戦っていた。

 

「はっ、中々良い動きするじゃねぇか…!」

 

 振り出された鉤爪に対し、俺も左手の剣を振るう。純霊力の刀身で攻撃を逸らし、開いた胴へと右の手で持つ直刀を突き出す。

 目の前にいるのは、爪一つ一つが小さな鎌の様になった、がっしりとした体格のイタチ……の、様な魔物。二足歩行と四足歩行を使い分けるこいつは、俺が近接戦を仕掛けたところで迎え撃つように立ち上がり、今に至るまで何度も爪と刃で打ち合っている。

 

(魔人クラスにゃ及ばねぇが、ほんとに単なる魔物としちゃ良い動きをする……去年の俺だったら、もっと苦戦してただろうな…)

 

 間一髪魔物はバックステップが間に合った事により、俺の刺突は腹部を浅く斬っただけ。お返しの右フックを同じように、だが魔物と違って完全に避けた俺は腕を引き戻される前に前腕を斬り付け、呻く魔物へ追撃をかける。

 右、左、右、左。リズム良く打ち込まれる攻撃は威力も鋭さも十分だが…悲しいかな、なまじ後脚で立ち、人と似たような動きが出来る分、むしろ動きそのものは読み易い。魔人クラスならパワーや速度で圧倒する、或いは知略を混ぜてくる事でこっちの対応を潰してくるものだが、それだけの力がこいつにはない。だから一つ一つの隙を突き、攻撃の先を読む事で俺はダメージを蓄積させていき…初めはかなりあった勢いが、今や見るからに減衰していた。

 

「そら、隙が見えてんぞ」

 

 焦りで冷静さを欠いたのか、魔物が放ってきたのは大振りの一撃。だがそれは完全に見えていた。対応する余裕は十分にあった。だから俺は斜め前へ出るようにして攻撃を避け…すれ違いざまに、直刀で脇腹の辺りを深く斬り裂く。

 夜空に走る魔物の叫び。一度は振り向き俺を睨み付ける魔物だったが、次に奴が選んだのは逃走。勝つのは無理だと悟った様子で身体を倒し、四足歩行で逃げていく。

 まあ、悪い判断じゃない。一対一だったのなら、こうして逃げられるほうが厄介。……一対一で、あったのならば。

 

「逃がさねぇよ。…今だ、頼むッ!」

 

 逃げる魔物の行く先を確認し、声を上げる俺。次の瞬間、複数方向から銃撃の音が響き…何発もの光弾と弾丸が、魔物の身体に突き刺さる。

 

「いよっし当たった!」

「ふふ、どんなものよ!」

 

 撃たれた衝撃とダメージで魔物が倒れ転がる中、ここまで空中でタイミングを見計らっていた、或いは身を潜めていた数人の味方が姿を現す。

 詳しく説明するまでもない、単純な話。士気向上の為に俺に声がかかってる以上、誰も見ていないところで俺一人戦ったって意味がないんだから、これは至極当然な事。特に今回いるのはまだ実戦慣れしていない(らしい)面々で、だから俺は安全を考え今みたいな形を取った。こういう形で実戦経験になるかっていうと、まあ微妙なところだが…俺は指導者じゃないしその訓練もしてないんだ、そこまでは知らん。それに教えた事があるのなんて緋奈位な俺にどうこう言われても困るって話だろう。

 

「いやあ、流石ですね。攻撃も防御も、その一つ一つが洗練されてるというか、実力者…って感じでした」

「…それを言うなら、妃乃の方がもっと凄いと思うけどな」

 

 その中の一人が、俺に声をかけてくる。賞賛を受けていきなりこう返すのは、一瞬感じが悪いかもしれない…とは思ったが、そもそも今回の戦闘には妃乃もいて、その妃乃が半数の魔物を引き付けくれた上であるのが今。半数を妃乃一人が、残りの半数を妃乃以外の全員がという形でやっている時点で、どっちがより凄いかなんてのは明白。

 

「けど、びっくりしたわ。後脚だけで立つし、結構強いものだから、あたしてっきり魔人かと思っちゃったもん」

「あ、だよなぁ…撃破されてないらしい魔人がまだ複数いるらしいし、どこかで遭遇するかもしれない、とは思うよな」

「……うん?(あの魔物…)」

 

 妃乃は大丈夫か…っていや、心配する必要もないか。…と俺が思う中、残りの面々も降りてきて、安堵混じりの会話を交わす。俺からすれば見た目的にも実力的にも魔人、って感じじゃなかったが…実際に見た事ないのは勿論、知識としてもよくは知らないんだとしたら、勘違いするのも無理はないのかもしれない。

 けど、魔人なんて会えて嬉しいようなものでもない。でもこれは、それこそ遭遇しなきゃ分からない事だしなぁと考えていた俺は魔物がまだ消滅を始めていない事に気付き、念の為確実なとどめを……そう、思った時だった。倒れている魔物がぴくりと動き…次の瞬間、唸りと共に起き上がったのは。

 

「え……?」

「ち……ッ!後ろに跳べッ!早くッ!」

 

 弾かれるように起き上がった魔物が狙われる、一人の霊装者。彼女は跳ね起きた魔物に茫然としていて、どう見ても冷静な対応が出来るような状態にない。次の瞬間、咄嗟に俺が声を上げた事で彼女は半ば転ぶようにして後ろに跳び、その結果間一髪で振るわれた腕からは逃れられたものの…着地時に足をもつれさせて転んでしまい、魔物に対して致命的な程の隙を晒す。

 だが、一発避けられたのならそれで十分だった。声を上げると同時に俺は地を蹴り、一気に距離を詰めていた。そして魔物が逆の腕を叩き付けようとした直前、その横っ面へ膝蹴りを打ち込み…斬撃一閃。再び倒れた魔物の首を直刀で撥ね飛ばし、一切の抵抗を許さず絶命させる。

 

「ぁ、う……」

「っとと、大丈夫か…?」

 

 今度こそ、魔物はぴくりとも動かず、消滅が始まっている。それが確認出来たところで俺は小さく吐息を漏らし、それから武器を仕舞って振り返ると、彼女の方もやはり無事。また少し動揺しているようではあったが、駆け寄ってきた仲間の手を掴み、しっかりと自分の脚で立ち上がっていた。

 

「…す、すみません…あたし、油断して……」

「あー…いや、まあ…今回は何とかなった訳だし、今回の事を糧にしてくれれば、それで…」

 

 真正面から謝られた俺は、ちょっと気不味さを感じながら、歯切れの悪い言葉で返す。

 今回は何とか間に合ったとはいえ、この油断が死に繋がっていた可能性もゼロじゃないだろう。だからその事について強く言うのも、はっきり指摘するのも、間違いじゃない…とは思う。だが…さっきも触れた通り、俺は指導者じゃない。だから知った事か、って訳じゃないが…餅は餅屋。特段仲が良い訳でもなければ、指導者の立場にいる訳でもない俺が高説を垂れるよりは、差し障りのない事を言って今の行為に対する余計な印象を持たせない方が無難ってものだろう。現に彼女も、油断が招いた危機だったと自覚はしてるみたいだしな。

 

「他に魔物の姿や気配はなし…なら後は向こうと合流して、そっちも片付いていたら完了だな」

 

 元々確認していた魔物は全て撃破済み。言ってからもう一度だけ確かめるが、やはり魔物の気配はなく、それに関しては全員が一致。だから俺ば最低限の警戒だけは続けるように皆へと言って、先導するような形で飛翔。数人の味方を引き連れて、先に決めておいた妃乃との合流ポイントへ向かう。

 そうして合流ポイントに着いた時、そこにはもう妃乃の姿があった。移動中に通信で状況確認はし合ったから、特にそれで驚くような事もなく、当然魔物も全て討伐。目的が達成された事により…今回の任務は、多少ひやっとする場面こそあったものの、つつがなく完了するのだった。

 

 

 

 

 任務を終え、双統殿に戻り、それで即席の部隊は解散。次も同じ面子になるかは分からないが…まあ、多分そうじゃないんだろう。固定の面々、限られた関わりだけにするより、もっと色んな部隊の面々と会う方が、全体の士気も上がるだろうしな。

 

(…ってそれは、俺が本当に士気向上に繋がってる場合か……)

 

 妃乃はまあ言うまでもないだろうが、俺にそれだけの力…というか、影響力があるのかは本当に謎。少なくとも俺だったら、俺に対して憧れたり、「なら俺も頑張ろう」とは思わんけどなぁ…。

 

「何ぼさっとしてるのよ。それとも何か待ってるの?」

「っと、悪ぃ。少しどうでもいい事を考えてただけだ」

 

 窓から外を見る形で考えていた俺は、声を掛けられて我に返る。実際どうでもいい事かと訊かれれば…まあ、そうだろう。何せどっちにしろ、俺は続行するつもりなんだからな。

 

「…富士の方で、何か進展はあったか?」

「今のところは何もないわ。聖宝にも、想定し得る驚異の方も、全くね」

 

 先を行く妃乃の隣へ駆け寄った後に俺は尋ね、すぐに答えが返ってくる。こっちは…さて、何かあった方が良かったか、それとも何もなくて良かったか。

 

(……いや、前者だな…)

 

 何もないに越した事はない…とは言うものの、この件において最後まで何も起きない、というのは考え辛い。そして警戒ってもんは期間が長くなればなる程疲労も溜まるし、悪い意味での慣れが広がる。それにそもそも、向こうは雪山。凡そ人が長時間居るのに適した場所じゃない以上、何かあるならさっさと起きてくれた方が、楽だし安全と言えるだろう。

…と、そう考えていた俺だが、そこで一つ、結構大きな事に気付く。

 

「…なぁ、妃乃。割と当たり前な事を一つ言ってもいいか?」

「何よ、藪から棒に」

「いや…魔人なり何なりの攻撃を受けたとして、仮にそれを退けられたとしても、一回で済むとは限らないんだよな?」

 

 俺が気付いたのは、深く考えるまでもない、本当に当たり前な事。

 今の段階だと、一先ず聖宝か完成するか、あの場から移動させられるようになるかが、この体制を続ける期限…言い換えるなら、作戦の上での勝利条件となる。聖宝が何らかの理由で消失してしまったとしても、それは『失敗』という形で、終了の条件を満たす事になる。だが、驚異の撃破、撃退は、そのどちらも満たさない。狙ってくるのが魔人や魔物だけだったとしても、どれだけの魔人が知っているのか分からない上、当然魔人や魔物だけが敵となり得る訳じゃない以上、驚異からの防衛は敗北条件の回避にしかなり得ない…。

 

「…そうね。いつ終わるのかも定かじゃないし、どれだけの敵がいるのかも分からない。やる事は簡単だけど…凄く、厄介な事よ」

「だよな…こっちから先に相手の拠点を叩く、ってのも叶わねぇ訳だし…」

 

 間違いなく敵である魔人、魔物の拠点は、見つける以前に今あるのかどうかも謎。敵になり得る可能性のある、他の霊装者の組織に関しては…そもそも敵になるかどうかも分からないのに、攻め込める筈がない。

 考えれば考える程、厄介な状況。一瞬、「ならいっそぶっ壊しちまえ」と思ったが…奇跡を起こす程の存在を強引にぶっ壊そうとしようものなら、それこそ何が起こるか分からない。こういうのを、短気は損気って言うんだろう。

 

「(だとしたら…ここまで不利な状態なんだとしたら……)…なあ、妃乃。今更だが…聖宝の事を、明らかにするのは不味いのか…?」

「明らかに?…あぁ、成る程。明らかにすれば出し抜くとか奪うとかじゃなくて、普通に同じ霊装者の組織として協力してくれる所が出てくるかもしれないし、そうでなくても組織同士が牽制し合う事で、同じ霊装者からの危険を抑制出来るんじゃないか…って事よね?」

 

 そもそもの話を口にする俺と、数秒考えた後に、理路整然とした言葉で俺の伝えたかった事を返答してくれる妃乃。こういう真面目な話をする時、頭の回転が速い妃乃はほんと頼りになる。

 今妃乃が言った通り、明らかにしてしまうのはどうだろうか。下手に隠して何もかも用心しなきゃいけなくなるよりは、明らかにしちゃった方がむしろ楽なんじゃないだろうか。そう思った俺ではあったが…腕を組んで考える妃乃、その表情は明るくない。

 

「確かにそれは一理ある、とは思うけど…明らかにしちゃった以上はこれまでの経緯を色々と説明しなきゃいけなくなるだろうし、当然聖宝となれば各国の組織も調査をしたがるだろうし、それを拒否すると聖宝を独占しようとしてるんじゃないかと思われるのは必至だし…そうした場合は、別の問題が浮上してくるのよね…」

「あー……面倒なもんだな、組織と組織の関係も…」

 

 それよりまずは防衛体制をより強固なものにし、魔人や悪意ある存在に奪われないようにするべきだろう。優先順位をちゃんと考えろ。…と、言いたいところだが、仮に言ったところで「確かにそうだな」となる見込みが薄い事なんてのは、俺だって分かる。それに、同じ霊装者の組織と言っても、あくまでそれぞれが別の組織な以上、まず自組織の利益を考えるのは当然の事。となるとやはり…明らかにするっていうのも、一概に良いとは言えないんだろう。

 

「…これ、見つけなかった方がうちとしては楽だったんじゃね…?」

「いや、それで魔人に見つけられたら、それこそ一番アウトでしょ。ある事を私達が知らなかったら魔人が利用しようとするのを止める事だって出来ないし…このまま聖宝を確保出来たのなら、これだけ厄介な状況を抱えても尚お釣りがくる程のメリットになるのは間違いないもの」

 

 触らぬ神に祟りなし…じゃないが、あのまま見つける事なく、誰の目にも映らないまま地下で眠っていてくれた方が、楽だったのかもしれない。返しの言葉でそれも否定されたが…そもそも聖宝の発生自体が起こってなきゃ、きっとこういう面倒な事にもならなかったのは事実だろう。…まぁ、聖宝に一度願いを叶えてもらっている俺がそれを考えるのは、何とも身勝手な話でもあるが。

 

「…ま、分かるわよ?こんな厄介事、私だって抱えたくはないし、上手い事やる方法を探したくなってなるもの。けど、そう都合良くはいかないのが現実ってものだし…前向きかどうかはともかくとして、今は出来る事の方に意識を向けましょ」

「そりゃ、そうなんだろうがよ…」

 

 妃乃の言っている事は正しい。時には八方塞がりになってしまうのが現実ってもので、もっと根本的な事を言ってしまえば、既に俺程度が思い付く事なんて、大体は今の段階に至るまでに色々話し尽くされ、その上で否定されてるに決まってる。なのに俺が「何かあるんじゃねぇかなぁ」と考えるのは、いっそ滑稽な事なのかもしれな……

 

「……ん?」

「……?今度はどうしたのよ」

「や…今、御道っぽいやつが歩いてた気が……」

 

 歩きながら話していた俺達二人。その足でロビーにまで来た時、不意に視界の端に移ったのは見覚えある人影。

 見えた方に首を動かす。だが、御道はいない。ここにはそこそこの人がいる事もあって、ぱっと見じゃ御道の事を見つけられない。

 

「…見間違い、か…?ぶっちゃけ、そんな特徴ある見た目してる訳でもねぇし……」

「さぁ?私は気付かなかったからどっちとも言えないけど…気になるなら、電話してみたら?」

「いや…別にそこまでする程の事でもねぇよ。御道がここに来る事自体はそんなおかしくもねぇし、仮に見間違いじゃなかったとしても、だからどうしたってだけの事だし…」

 

 今ロビーにいたのかどうか訊く為だけに電話をするのは何か恥ずかしい。そう思った俺は妃乃からの言葉を否定し、御道探しも中断する。…っていうか、マジで見つけたところでどうすんだって話だよ。別に話したい事がある訳じゃねぇし、毎日学校で会ったんだから、わざわざ今探す必要もないんだよな、うん。

 

「…………」

「…ん?どうしたよ、妃乃」

 

 そんな事を考えながらエレベーターへ向かおうとした俺だが、今度は妃乃が何やら考え事をしている様子。気が付いた俺が声をかけると、妃乃は一瞬止まって…だが、すぐにその考え事を口にしてくれる。

 

「…そこそこな時間が経ったとはいえ、まだあの件から何ヶ月、何年と過ぎた訳じゃないわ。だからまだ、継続した考えや対応を取ってはいるけど……」

「あぁ……」

 

 途中で一度区切った妃乃に、俺は理解の意図を込めた声を返す。

 妃乃が言いたいのは、御道や他の力を失った霊装者達の、これからの事だ。数ヶ月、数年と経てば否が応でも富士での一件、力を失ったという出来事が過去のものとなり、力を失った、普通の人と同じになっている状態が『普通』となる時が、必ず来る。そしてその時を、組織の中枢にいる人間としてか、一個人としてかは分からないが…妃乃は、憂いているんだろう。

 

「…そっちは、何も分からないままなのか?」

「そっち、って…?」

「今妃乃が言った事だよ。状況的にも、聖宝とそれとは全くの無関係…って事はないんだろ?」

「…そうね。私も何かしら関係があるとは思っているわ。けど……」

「けど……?」

「力の消失なんて、聖宝以上に情報がないから、まだ全然進んでないのよ…」

 

 無念そうに首を振る妃乃を見て、俺は本当に進んでいないのだと理解。詳しくは知らないが、完全に力がなくなってしまっているなら、普通の人間と同じ身体になっているのなら、御道達失った人間から情報を得るのは困難だろうし、戦力が必要な今、普通なら力を取り戻させる事に尽力するだろう事から考えても、妃乃の言葉は間違いない。

 

(これが今の…協会を取り巻く現実、か……)

 

 今は特別、何か動乱が起きてる訳じゃない。平和…とまで言えるかどうかはともかくとして、多くの霊装者が落ち着いて生活している事が、その何よりの証左。

 だが、聖宝の件、それを取り巻く状況と可能性の件、力を失った霊装者の件……協会が避けては通れない問題が、今は幾つも存在している。俺が知らないだけで、もっとある可能性だって十分にある。

 落ち着いた状況だとしても、それは問題がないという訳ではない。…妃乃との話をする中で、その事をはっきりと理解する俺だった。



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第二百八話 何をすべきか、何が出来るか

 俺は力を取り戻した。取り戻す事が出来た。それは、偶然なんかじゃない。自分の力…とも違うけど、これまでの俺の…霊装者として重ねてきた経験が、結果として取り戻す事に繋がった。俺は、そう思っている。

 初めは、ただそれだけで嬉しかった。力を取り戻せた事、慧瑠との時間も取り戻すに至れた事…それだけで、これ以上を望むのは罰当たりだと思う位に、俺は嬉しくて幸せだった。

 だけど、失ったのは俺だけじゃない。失い、嘆き、やり切れない思いに苦しんでいたのは、俺一人なんかじゃない。俺はウェインさんのおかげで取り戻すに至れたけど…それはきっと俺だけだ。間違いなく失った人達の大部分は、今も失ったままで…引き摺ったままだ。前は俺もその一人で、俺自身余裕がなかったけど…今は違う。今の俺は幸せだし、余裕もある。なのに、何もしないのは…その辛さを知っていながら、何しないのは……違う。

 

「悪い、急な話で。それにありがと」

「や、別に良いって。元々俺等も、今日この後は暇になってたからな」

 

 双統殿の廊下の一角、様々な箇所にあるちょっとした休憩スペースらしき空間。その内の一つに俺は小走りで近付き、そこで待っていた数人へと声をかけた。

 その数人は、初の富士任務で出会い、あの時にも共に作戦に参加した仲間達であり……皆、俺と同じように失った。失ってしまった、その時の数人。

 

「…で、話ってのは?」

「あ、うん。…まあ、なんていうか…最近の調子が、気になってさ。前に検査が一緒になった時も話したけど…あれからまた、少し経った訳だし」

『あぁ……』

 

 辛さを知っているのに、理由はどうあれ俺はもう一度歩み出す事が出来たのに、自分は取り戻せたからと知らんぷりをするのは違う。そんなのは、俺の憧れる姿じゃない。だから俺には、やるべき事があると、心の中で感じている。

 でもなら、何をすればいい?俺には何が出来て、一体何がすべき事?…それが分からなきゃ始まらない。闇雲に動いたって、空回りにしか…いやきっと、こういう時は空回りにすらならないんだから。

 そう考えて、その第一歩として、俺は訊く事にした。今一度、改めて…今の俺の状態で、同じように失った皆の事を。

 

「…別に、変わってないさ。身体は健康で、意識もはっきりしてて、日常生活はこれまで通りで…だけど、霊装者としての力は失ったままだ。霊装者としての時間は、無くなったままだ」

 

 一人の言葉に、他の皆もそれぞれ頷く。俺もまた、同じように頷く。…だって、分かるから。同じように感じていたから。多くのものを失ったんじゃなく、失ったのは霊装者の力だけで、無くなったのも霊装者としての時間だけで…だけどそれは、その喪失は、大きく深い。

 

「…そっちこそ、最近はどうだ?…って、訊くのも野暮だよな……」

「いや…そんな事はないよ。それに…俺は最近、やりたいと思う事…やらなきゃいけないと感じる事が出来たんだ」

「……受験勉強?」

「うっ…ま、まあそれもその通りではあるけども…」

 

 学生の本分は勉強で、今俺は高校三年…というのは置いておくとして、俺は問いへの返しをぼかす。勿論具体的に言う事だって出来た。でも包み隠さず話すのは、正直に言うのは、いつも正しい事とは限らない…ってのは、わざわざ説明するまでもないか。

 

「…だから、それもあって訊いてみた感じ…かな、うん」

「そっか…良かったじゃん、やりたい事があるのは」

「だな。俺もいい加減、切り替えられるようにならないと…」

「……っ…あのさ、もし……」

『……?』

「…あ…や、その…切り替えるのは、そんな焦ってやるべきではないかな、って思ってさ…焦って、取り敢えずでやった事って、割と後悔し易いもんだし…」

 

 切り替える。それは一見前向きな言葉だけど、要は諦めると同じ事。だからつい、「もしもそうせずに済むのなら?」…と言いかけて、そこから何とか誤魔化した。…それを俺が言うのは、無責任だから。俺という一例だけで期待をさせるような事を言うのは、俺の自己満足でしかないから。

 そんな誤魔化しの言葉に対し、皆は「まあ、それは確かにな…」と各々納得をしてくれた。そしてそれから、俺は皆が話してくれる範囲で、もう少し詳しい話を…今の皆の日々を聞いた。もっとちゃんと、しっかりと知る為に。

 

「…ま、自分はこんな感じかな。特に面白くもない話だったろ?」

「ああ、全くだ」

「やっぱり…っておいこら、オレは御道に言ったんだからな…!?」

「はは…まあでも、面白かったかと言うと……」

「うぐっ…止めてくれ、そこはいっそ普通に面白くなかったって言ってくれよぉ……」

 

 気遣い半分、冗談半分で目を逸らすと、返ってきたのは予想通りの反応。その返しに笑いが溢れ、俺も思わずにやっとする。

 安心…と言っていいのかは分からないけど、切り替え云々は別として、もう皆かなり受け入れてはいる。少なくとも、『失った直後』からは抜けている。…当たり前だけど、もうあれからそこそこの時間が経ったんだから。俺自身、認めたくないとは思っていても、現実自体は受け入れていたんだから。

 そうして全員から話を聞けた事もあって、その後は暫し皆で雑談。それが暫く続いたところで、一人が電話の為に一旦離れる。

 

「…皆、最初も言ったけど今日はありがと。話を聞けて良かったよ」

「そんな、ありがたがられるような話はしてないけどな」

 

 そう言って肩を竦める一人に俺は「そんな事ない」と返し、電話をしに離れていたもう一人にも礼を言って、それで会話を終了する。俺が呼んだんだから、という事で皆が戻って行くのを見送り…ふぅ、と一つ溜め息を漏らす。

 

「…お疲れですか、先輩」

「いや、疲れた訳じゃないよ。…ただ、色々思うところがあって…さ」

 

 姿を現し話しかけてくる慧瑠へ言葉を返しながら、俺もこの場を後にする。皆から直接聞くのはたった今終わったけど…まだ、やろうと思っている事はある。

 

(時間は…ちょい早いけど、まあいいか。最悪部屋の近くで潰せばいい訳だし)

 

 携帯の時計で時間を確認し、次なる目的地へ。早くもなければ遅くもない歩みで廊下を移動し、エレベーターに乗り、また廊下を進んで…ある部屋の前に。

 

「……失礼します」

 

 そこで数分程時間を潰し、そろそろ良いだろうと思ったところで、俺は中へ。

 

「今日は、お時間を頂きありがとうございます」

「いいや、構わないよ。休憩がてら人と話すのは、良いリフレッシュになるものだからね」

 

 中を進み、更に奥の部屋に入り…俺の挨拶に言葉を返してくれるのは、園咲さん。でも当然、その目的は昨年度までお世話になっていた、装備の調整や要望とかでは、ない。

 

「…最近は、どうだい?」

「まあ…それなりですね。悪くは、ないです」

 

 先に質問をしてきたのは園咲さんの方。つい先日の、綾袮からの問いを思い出しつつ俺は答え、考えてみればこれは訊かれて当然か…なんて思う。何せ俺は、力を失うまでは上の理由で時々顔を出していたけど、力を失ってからは顔を出す理由もなくなり、会う頻度がぐっと減っていたんだから。

 

「そうか…今日は、訊きたい事があったんだったね?」

「はい。…力の消失の事、そうなった人達の事…また改めて、聞きたいと思ったんです」

 

 今さっき園咲さんは休憩がてらと言った…つまり、仕事中に時間を割いてもらった訳ではないけど、決して暇じゃない筈のところへわざわざ俺へ対して時間を割かせてしまっているのは事実。だから園咲さんに訊かれた俺はすぐに本題を口にし、そのまま続ける。

 

「何か、明確な進展や発見があった…とかじゃなくて良いんです。単に、園咲さんから見て思った事、感じた事を聞きたいというか……」

「…うん、言わんとしている事は伝わっているよ。要は、意見や見解ではなく個人的な感想だね?」

「あ…はい、そういう事です」

 

 ばっちり理解してくれていた園咲さんの返しに、俺は首肯。流石は研究・開発に携わる人と言うべきか、やっぱり園咲さんは理解が早い。……ま、まあ独特というか、天然な部分はあるし、本当にしっかり伝わってるかは微妙に不安だけど…だ、大丈夫だよね。個人的な感想、ってドンピシャな返しをしてくれて訳だし…。

 

「話は分かった。話すのも勿論構わない。…けれど、私は人の機微には疎くてね。君の期待するような話を出来るかは怪しいところだが…それでも良いかな?」

「勿論です」

 

 断る理由はない。話してくれるだけでもありがたい訳だし…そもそも俺自身、「こういう話を聞きたい」っていう、明確なビジョンがある訳じゃないんだから。

 俺からの頷きを受けて、始まる園咲さんからの話。医療は専門外とはいえ、研究者である園咲さんには俺以外にも多くの人が話を聞きに来たり、或いは相談をしに来たらしく、プライバシーを侵害しない範囲でその時の事も話してくれた。

 

「…というように、霊力を消失させる力を持った魔人…或いは霊装者によるものなんじゃないか、と考えていた人もいたね。これは実際に破壊ではなく、消滅させているとしか思えない能力を行使する魔人が富士での戦闘で確認されたのも大きいのだろう」

「…そういえば、確かにそんな魔人もいました…いたというか、交戦したというか……」

「…君も大した巡り合わせだね。ここまでの遭遇率となると、たった一年足らずで一生分の…或いはそれ以上の魔人と遭遇していると言っても過言ではないよ」

「それは、その…何と言ったらいいのか、反応に困りますけども…」

 

 確かに考えてみるも、遭遇率が凄い。しかも初めて目にした魔人は魔王だし、その魔王級の存在と今はいつも一緒にいる事を考えると、遭遇率以外にも俺の巡り合わせはもうかしてる。…まあ、それを不幸と感じているかと言われると…実はそうでも、ないんだけど。

 

「…私から話せるのは、こんなところだ。少しは参考になったかな?」

「は、はい。凄く有意義な……って、あ、あれ…?…何かの参考にする、なんて言いましたっけ…?」

「うん?いや、恐らくは言ってないね。ただの言葉の綾、特に理由もなくこの言葉を選んだだけだが…何か不味かったかな?であれば謝罪を……」

「い、いえ大丈夫です!ま、まあ質問内容からして、何かの参考にしたい感溢れてますもんね…」

「……?」

 

 何気ない言葉から、見透かされていたのかと動揺する俺。けどそれはただの偶然だったらしく、俺は誤魔化しつつもほっと一息。い、いかんいかん…分かり易く慌てたら、何かの参考にするつもりだったんだって公表しているようなものだよ…。

 

(…ん?けど、これって…隠さなきゃ不味い事なのか……?)

 

 ここまで何となく隠していた俺だけど、ここに来てそこに疑問を抱く。

 まあ、一応隠す理由はある。この行動を紐解いていけば、途中で俺が力を取り戻した事に繋がるんだから、それを避ける為には隠す必要がある。けど、逆に言えばその部分だけ隠せば良い訳で、単に「今俺は立ち直れた。だからこそ俺と同じような境遇の人達の事を……」って駄目だ、これはこれで立ち直れた理由とか、だからこそへの説得力とかが抜け落ちて……

 

「…顕人君?大丈夫かい?」

「あ……すみません、ちょっと考え事を…って、あの…何故、首筋に手を…?」

「ふむ…脈拍は正常だね…」

 

 声をかけられた事で我に返った俺ながら、その直後俺の首筋に園咲さんの右手が添えられる。

 マニキュアだとか、アクセサリーだとか、そういうものが一切付けられていない、至って普通な園咲さんの右手。けれどその白くすらりとした指や、袖から見える手首は大人の女性のものだからか、ほんとにただ触れられているというだけでも何だかドギマギとしてしまう。しかも当の園咲さん自身は、全く気にしていない…というか気付いてすらいないからタチが悪い。

 

「…うん?いや、少し脈拍が速くなったような……」

「や、ほ、ほんとに大丈夫ですから…!それより園咲さん、自分から時間作ってもらってアレですけど、そろそろ戻った方が良いのでは…!?」

「いいや、問題ないよ。そもそも私の務めは、時間で区切れるようなものではないからね」

(そうだったぁぁ……っ!)

 

 さらりと退路を塞がれて追い詰められる俺。ただ、幸運にも不調という訳ではないという事は伝わったのか、俺が心の中で頭を抱えているうちに園咲さんは離れてくれた。…せ、セーフ…。

 

「…ともかく、君にとって意義のある話になったのなら良かったよ。話した結果が全くの無駄、では流石に悲しいからね」

「…すみません。前だったら、開発したもののテストなりなんなりでお返しも出来たんですが……」

「…顕人君。この通り、私は研究と開発しか能のない人間だが、それでも一応は大人だ。ただ話をする位で見返りを求めるつもりはないし…子供の君が、そんな気を回す必要もないんだよ」

「…園咲さん……」

 

 今の俺に、これまでのようなお礼やお返しをする事は出来ない。だから少し申し訳なく思っていた俺だけど…それを否定し、園咲さんはさっきと同じ右手を、今度は俺の肩へと触れる。

……あぁ、全く情けない。お礼出来ないどころか、追加で気まで遣わせてしまった。今の俺は、子供なんて言葉で誤魔化していいような域を超えた行動して、嘘も吐いているというのに。

 

「…ありがとう、ございます」

「うん。君の要望に沿った話は終わったが、まだ何か訊きたい事はあるかな?」

 

 手を離し、こくりと頷いてくれた園咲さんに、俺は首を横に振る。これは遠慮とかじゃなく…本当に、ここまでで十分話は聞けたから。

 それにしても…本当に、俺は周囲の大人に恵まれている。人付き合いの運で言うなら、俺はきっとかなり幸運だ。だからこそ…心に余裕のある今なんだから、気を付けたい。今みたいに、そういう尊敬出来る人達へ、余計な気を遣わせてしまわないように。

 

 

 

 

「ふー、ぅ……」

 

 部長室、それに技術開発部の部屋を後にした俺は、その後も双統殿内を回って、決して広くもない俺の協会内における人脈の限りで、力を失った人や、その人と交流のある人達から話を聞いていった。勿論数時間で全て当たれる程俺の人脈は極小じゃないし協会にある人達も別に暇って訳じゃないから、実際には数件なんだけど…話はちゃんと、聞く事が出来た。

 

(…やっぱ、そりゃ…そうだよなぁ……)

 

 皆が皆、同じ思いを抱いている訳じゃない。でも、多くの人は受け入れていた。何かの間違いや、不調ではなく、もう霊装者でないのだと、それを前提として考えていた。

 そこからの様子は人それぞれ。俺の様に受け入れはしたけど認めたくない、って人もいたし、死ぬよりはマシだって捉えている人もいたし、むしろ喜んでいた人もいた。…まあ、当然だ。特殊な力なんて何もないからこそ非日常に憧れた俺という例がある以上、霊装者であるが故に何もない日常が続く事を望む人がいたって、それはおかしな事じゃない。

 

「俺に近い人もいるけど、そうじゃない人もいる…だけど……」

 

 今日聞けた話を思い返しながら、俺は思う。考え方、受け止め方は人それぞれ。だけど…その殆どが、ひょっとしたら俺以外の失った人全員が、真実を知らない。上層部はこういう事が起こる可能性もあると分かっていて、その上で秘密にし、調査を実行したんだって事を、知らされていない。

 例えば、それを知ったら俺と同じ境遇の人達はどう思うだろうか。…きっと、多くの人が怒るだろう。中にはそれが組織というものだから、と理解を示す人もいるだろうけど…なんであれ、隠されていた事は事実。それを快く思う人はいないだろうし……今の考えも、変わるかもしれない。真実を隠されていた事、明かされていれば何か変わっていたかもしれないという事、そして今も隠し続けているという事…それ等は人の思いをがらりと変えてしまう程に、重く深い事だと思う。

 

「…先輩、聞いてどうするつもりだったんっすか?」

「え?」

 

 もやもやとする気持ちを抱えていたところで、慧瑠が声をかけてくる。話しかけつつも慧瑠は俺ではなく、窓の外を眺めていて…でもその声音は、普段よりも真面目。

 

「言葉通りの意味っすよ。先輩は聞いて、何かするつもりだったんすか?何か、出来るんですか?」

「それは……」

「そうじゃないなら、自分はよく分からないです。先輩がしている事の意味、必要性が」

 

 まぁ、魔人だから分からないだけかもしれないっすけどねー、と付け加えて、慧瑠は俺への言葉を締める。…そんな事はない。魔人だから分からないんじゃなくて…慧瑠の、言う通りだ。

 勿論、何も考えてない訳じゃない。そもそもこうして聞いて回ったのだって、「何をするべきか」を探す為。そういう意味では、聞いて回っている時点で「次」が決まっていなくても当然。だけど今、取り敢えず今日回った範囲で何か決まったかと言われれば、何か見えてきたかと訊かれれば……答えに窮してしまうのが実情。

 

(力を蘇らせる…のが出来れば一番だけど、それが出来りゃ自分自身にやってる。今ある俺の力の事を、勝手に話せる訳もない。だったら、俺に出来る事なんて……)

 

 聞いて満足する事も、聞いた結果出来る事なんてなかったから、仕方ないって事で終わりにする事も、俺には出来ない。

 でも、だったら何が出来る。力を取り戻したといっても、以前と全く同じ状況にはない、仮にそうだったとしても、結局は一介の霊装者に過ぎない俺に出来る事なんて……

 

「…いや、ある……」

 

 思考がそのまま言葉になるように、ぼそりと呟く。俺には綾袮の様な飛び抜けた実力も、組織の中枢にまで至れるような立場もない。だけど知識は…協会が隠している、あの時の真実の事は知っている。

 けど、ならばそれをどうする。俺がそれを真実だと言って回ったところで、嘘だと思う人もいるだろうし…この真実だけを知ったところで、誰も幸せになんてなりはしない。それこそ、知らない方が幸せ…っていうやつだ。少なくとも…ただ真実だけを、明かされるなら。

 

(…それだけじゃなくて、こうなった事について…その上で尚も隠していた事について……けど、だけど…)

 

 俺の頭の中に浮かんだのは、一つの行動。こうすれば、そうなれば、皆が納得出来るかどうかは怪しいけど…このあまりにも一方的な状態は、多少なりとも解消される。

 だけど迷う、迷うに決まっている。だってそれは、その行動っていうのは……刀一郎さんや深介さん、紗希さん達に直談判し、力を失った人達へ真実を話す事、それについてちゃんと謝罪してもらう事、その二つの約束を得るってものだから。



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第二百九話 それが出来るとするならば

「うへぇー、つっかれたぁぁ……」

 

 妃乃の両親…いや、協会からの話を受けて以降、俺が魔物と戦う頻度は増した。士気高揚の為、って部分が印象に残り易いからうっかりしてると忘れそうだが、そもそもの理由はそっちではなく、減ってしまっている双統殿の戦力の補強。となれば呼ばれる、交戦する事になる機会も当然増える訳で、しかもここで効いてくるのが、俺…『千嵜悠弥』に期待されている役目。後方からの支援や援護じゃ意味はない…って事はないが、俺の出来る事、得手不得手の観点から言っても、役目を果たそうとするなら積極的に動くしかない。

 とはいえそれは仕方のない事。理解はしてるし、必要としていた実戦経験が向こうから来てくれる訳だから、今のところそこまでの不満はない。…が、不満はなかろうが疲れるものは疲れる訳で、今日もまた連携する事になった隊と共に魔物の討伐を終えた俺は、疲労を癒すべく部屋のソファに身体を預ける。

 

「……ちょっと、何我が物顔でソファに横になってるのよ。ここ、あたしの部屋なんだけど…?」

 

 ぐでーっとソファにうつ伏せとなり、顔だけは横を向いていると、足元の方から聞こえてくる声。えぇ、そうですが?ここはうちじゃなくて、双統殿にある依未の部屋ですが?

 

「太々しいにも程があるわね…!前々からデリカシーはなかったし、性格も悪いし、おまけに太々しいとか何よその最低三拍子…!」

「いや聞いた事ねぇよそんな三拍子…てか、依未こそ来て早々に態度キツくね…?…まあ、態度キツいのはいつも通りだが…」

「来て早々に人の部屋のソファへ寝っ転がるからでしょうが…ッ!」

 

 (立っているから)物理的に上から目線で文句をぶつけてくる依未。なんかもう殴ってきそうな勢いの依未だが…無理矢理俺をソファから落とすような事はしない。…まぁ、単に腕力とか体力的に無理だと思ったからだろうが。

 

「まあまあ、怒るなって。折角来たんだからよ」

「誰もあんたなんか呼んでないんですけど…!?」

「ん?じゃあ、歓迎してないと?」

「ふんっ。これが歓迎してるように見えるなら、休む前にまず眼科か精神科に行く事ね」

「そうか、じゃあ帰る」

「え……?」

 

 鼻を鳴らした後の、何とも依未らしい辛辣な言葉。だが、それを聞いた俺はすっと立ち上がり…これまでとは真逆の態度を見せて、部屋の出入り口の方へと向かう。

 するとこの反応は全くの予想外だったらしく、依未は鳩が豆鉄砲を食ったような顔に。狙った通りの様子を見せてくれた事で、内心俺はにやりとしつつも、「部屋主が歓迎してないなら仕方ないよな…」みたいな表情を作ってドアノブを掴む。そして俺は、そのまま扉を開けようとして……

 

「ちょ、ね、ねぇ…!…ぅ……べ、別に…別に帰れたまでは、言ってないでしょ…!?」

「んー?つまり、居ていいと?」

「……っ…か、勝手にすれば…?」

「あそう。じゃあ俺はやっぱり帰……」

「だぁーッ!あー、もうッ!居ていい、居ていいってのッ!」

 

 がしがしと両手で頭を掻き毟りながら、なんかもうブチギレた感じで依未は俺の滞在を許可。完璧に狙い通りとなった俺は心の中どころか実際の表情でもにやりと笑い、再びソファへと腰を下ろす。

 

「ぐぅぅ…ほんと、なんなのよあんたはぁぁ……!」

(…ほんと、良い反応するよなぁ……)

 

 駆け引き(?)に敗北した依未は俺を恨めしそうな瞳で見つつ、ぶつぶつ呟き表情を歪める。…こういう反応をするから、生意気で素直じゃない態度を取るからつい弄りたくなるんだし、なんならそこも可愛いんだが…気付いてないんだろうなぁ、依未は。改善されたら詰まらないから、俺も別に言う気はないし。

 

「…まあ、座れよ。立ち話もなんだしさ」

「あ、うん、それはそうね……って、だからなんでそんな我が物顔な訳!?え、何!?今日からここあんたの部屋になるの!?」

「そうなったらアレだな、本格的な整理整頓と不要物の撤去からスタートだ」

「現実的…!」

 

 とまぁ、一頻り楽しませてもらったところで取り敢えず俺は弄りを終了。こういうのは引き際が肝心。特に依未の場合は、前みたいにまた物理的に反撃してくる可能性があるからな。

 

「はぁ…なんでこんなのとのやり取りでこうも疲れなきゃならないのよ……」

「悪かったなこんなので。…それと、先週は悪かった。あんな、ドタキャンするような形になって」

「…だから、それは良いっての。指令無視してまで来られても、逆にこっちが気不味いし…」

 

 がっくりと肩を落としながら依未が座ったところで、俺は依未への謝罪を口に。

 先週は、依未も出掛ける用事があった。これまでののうに、呼ばれた俺は付いていくつもりだった。だが、そこに入ってきたのは協会の指令。その際も電話で謝りはしたが、やはり急にというのは心苦しく…今日依未の所へ来たのも、改めてちゃん謝りたかった…というのが、理由の一つ。

 

「近い内に必ず埋め合わせはする。だからまた、連絡してくれ」

「…あんたって、そういうところ律儀よね…性格的には、むしろ急用が入ったんだから仕方ないだろ、って言ってきそうな感じなのに…」

「…ま、これに関しちゃほんと大事な事だからな。他の事ならまだしも…依未に付き合うのは、出来る限り優先させたいんだよ」

 

 失礼な…と言いたいところだが、元々俺は人付き合いが雑だった事を考えれば、そう言われても仕方ない。

 だが、依未の外出、依未が自ら外に行こうとする時は、出来る限りその応援をしてやりたいっていうのが変わらない俺の本心。その思いで言葉を返すと、依未は胸の前で右手を握り、そのまま俺をじっと見つめる。

 

「悠弥…それ、って……」

「ああ、あの時約束したんだからな」

「……うん。そう、よね…」

 

 蔑ろには出来ない、したくない約束なんだから。…重ねる形で答えると依未はほんの少しだけ視線を落とし、何か心の中で反芻しているような表情を浮かべて小さく頷く。その時依は、安心したような、なのにどこか切なそうでもある表情を浮かべていて……だがそれに俺が触れるより早く、依未の表情は元に戻った。

 

「そういう事なら、延滞料もしっかりと上乗せしてもらわないとね」

「延滞料?…緋奈も一緒に連れてくるとか…?」

「えっ、ほんと?来てくれるの?」

「ま、まあ緋奈次第だけどな…」

 

 再び浮かぶ、小生意気な表情。だがその表情はまた俺が弄るまでもなく、緋奈の名前を出しただけで瓦解。途端に嬉しそうな、期待するような表情に変わって…うーんこれ、ひょっとすると俺は行かず、緋奈と二人になった方が喜ぶんじゃないのか…?…いや、そうはしないけども。

 

「ちゃんと緋奈ちゃんに訊きなさいよ?あ、後予定が空いてるかどうか分かるまでは、あたしの名前出さない事。緋奈ちゃん優しいから、あたしの名前出したら気を遣って自分の予定よりも優先しようとするかもだし…」

「へいへい、依未がそれで良いならそうしますよ」

「それと…もし今回と同じようにどうしても予定が合わなくなったら、その時もまた次で良いから。…あんたの負担を、増やしたくはないし…」

 

 妙な熱の籠った注文に対し、へいへいと軽く受け止める俺。まだ言い足りない様子の依未を見て、ほんとに緋奈は愛されてるな…と一瞬思った俺だったが、次なる言葉は他ならぬ俺を気遣ってくれたもの。

 理由はどうあれ、延期にさせてしまったのは俺の方。なのに依未は、俺の事を気にしてくれていて…だから俺は依未へ近付き、その頭を軽く撫でながら言う。

 

「ありがとな。けど…大丈夫だ。少なくとも、依未に付き合う事は、俺にとって負担でも何でもないんだからよ」

「…なに、勝手に撫でてんのよ…馬鹿……」

 

 自分から言い出した事だし、出掛ける時も大変なのなんて精々荷物持ち位だから、ってのもあるが…そんな事よりまず、俺は依未と出掛ける事に対し、負担を感じた事なんて一度もない。だから大丈夫だと伝えると、依未はまた文句を言ってきて…だがその顔には、照れのような感情が浮かんでいた。

 実際、完全に予定が被ってしまえば、どうしようもない。依未は気にしてくれてる訳だし、疲労が残るような事も避けたいと思う。…だが、絶対に有耶無耶にはしない。約束は守る。男として、年上として…頼ってもらえてるものとして、これは譲れない事だからな。

 

 

 

 

 あの後も、俺は自分が出来る範囲で話を聞いていった。何をするにも、ちゃんと力を失った人達の事を知らなきゃ、独り善がりで自己満足な行動にしかならないから。聞いて、話して、考えて…やっぱり多くの人が、仕方ないと受け入れつつも、失った力を惜しんでいるのだと、俺は理解した。突然に、訳も分からないままに、力を失ったのだという現実へと嘆きつつも、自然災害ならば仕方ない…と、諦めにも似た自分の心を納得させる為の言葉を、多くの人が持っていた。……きっと真実を知らされていない、多くの人が。

 だから、だからこそ俺は思った。嘘を嘘だと知っているのに、それを隠し続けるのは、俺が目指す在り方じゃない。そのままにして、見ない振りをして、それもしょうがない事とするのは…俺が望む、姿じゃない。

 勿論、真実を知る事が幸せに繋がるとは限らない。せっかく受け入れ、霊装者でない生活に馴染み初めてきたというタイミングで真実を知っても、再び心を掻き乱されるだけだ…ってなるかもしれない。秘匿とされていたものが明らかになる事で、俺には予想も付かない場所での問題が起こるって事もあり得る。…だけどそれを、何もしない理由にしちゃいけない。最終的に「やらない」という選択をするにしても、俺の出来る事を尽くした上で、独り善がりにならない答えとしてそれを選ぶようにしたい。そしてまだ…俺には、やれる事が残ってる。

 

「綾袮、ちょっといい?」

「ほぇ?」

 

 夜。夕飯を終えて、食器も片付けたところで、俺は綾袮の部屋へ行く。なんか毎回…とまでは言わずとも、結構な頻度で話がある時は夕飯の後な気がするけど、ゆっくり落ち着いて話がしたいってなると夕飯の後なんかが都合良いんだからそうなるのも当然の事。

 

「どしたの顕人君。…はっ、変な壺だったら買わないよ!?知り合いに紹介して会員を増やせば増やす程お金が増えるとかって話も興味ないよ!?」

「なんでいきなり怪しい商売やセミナーの紹介だとでも思った訳!?だ、騙されとらんわ!」

「騙されてる人はね、皆そう言うんだよ…」

「狡い返し方を…!」

 

 何とも狡い返しをしてくる綾袮。そう、これは凄く狡いのだ。否定しても今みたいな返しで騙されてるって事にされるし、肯定したら「ほらね?」で終わるという、どっちを選んでも相手の言う通りになってしまう姑息な返し。「屁理屈を言うな」とか、「言い返すのはそう思っている証拠」なんかと同じ、一見真っ当な事を言っているようで、その実言ったもん勝ちな卑怯論法……って、違う違う。何の話をしてるんだ俺は…。

 

「そうじゃなくて…これ、綾袮のじゃない?」

「え?あ、ほんだ。あれ、もしかして洗面台に置き忘れてた?」

「ご明察」

 

 呆れ気味に話を切り替え、俺が差し出したのは化粧水。さっき入れ替わる形で俺が洗面台の所に行って、その時見つけたからもしやと思ったんだけど…やっぱり綾袮のだった様子。

 

「綾袮も化粧水って使うんだね」

「え、ひどーい。化粧水なんて、身嗜みの基本だよ?化粧水、なんて名前してるけど、化粧関係なしに大切なものなんだよ?なのにその言い方…うぅ、綾袮さんはそのデリカシーのない発言にショックです…」

「え、あ、ごめん…別に綾袮を悪く言おうとした訳じゃ……」

「なーんてね。分かってるから大丈夫だよ顕人君。わたしも元々は、妃乃から『貴女は宮空家の人間として…ううん、家系関係なしに、女の子として最低限やるべき事を何も分かってないわ!』って駄目出しされてから気を付けるようになっただけだしねー」

 

 小石を蹴るようなジェスチャーをして傷付いたと言ってくる綾袮に、慌てて俺は謝罪を伝える。何気なく言ってしまったけど、確かに今のは失礼な発言で…だけど今のは、冗談半分だった様子。なーんてね、と苦笑い気味に言う綾袮の表情を見て俺はほっと一安心し……じゃない。だから、何を脱線してるんだ俺は…。

 

「(まぁ、今のは綾袮のせいでもあるけど…)…あー、綾袮?もう一つ、綾袮に話があるんだけど…」

「あ、そうなの?何々、水素水も置いてあった?」

「いやもう○○水の話はいいから…。…綾袮。深介さんや紗希さん…それに出来れば、刀一郎さんに話したい事があるんだ」

 

 綾袮とこういう雑談をするのはいつも楽しいけど、今はしなきゃいけない話がある。だから呆れ気味に突っ込んだ後、俺は真っ直ぐに綾袮の目を見つめ…本題を、切り出す。

…と、言っても既に目的までを言っている。俺から言いたい事は、頼みたい事は…ただ、これだけ。

 

「…それって、どういう話?聞かせてもらっても…いい?」

「勿論。綾袮にも、無関係な話じゃないからね」

 

 訊き返しの言葉がある事は、予想していた。いきなりこんな事を言えば…いや、いきなりじゃなかったとしても、こんな話をすればどういう事なのかは訊かれるに決まっている。だから俺は、しっかりと頷いて…隠す事なく、話す。俺が力を失った人達の為に、何か出来ないか探していた事を…その中で、力を失った何人もの霊装者と話した事を。

 

「…顕人、君…そんな事を……」

「うん。当人だけじゃなくて、その人と関係の深かった人達なんかとも可能な限り話して、色々聞いて、考えて…俺は、思ったんだよ。俺が、俺だけが、真実を知っている…それじゃあ、駄目だって」

「……っ!?…それ、って……」

 

 息を呑み、目を見開いた綾袮に首肯。何も言わず、だけど気付いた様子の綾袮に対し、頷きという形で肯定を示す。そうなのだと。俺はそうしたいと思っているんだと。

 

「…まあ、当然快く受け入れてはもらえないだろうね。それは分かってる。分かってるけど…『どうせ』を、やらない理由にはしたくないんだ。他の事ならまだしも…この件だけは、やれる限りの事をしたいから」

「…わたしとしては、あんまり…ううん、全然賛成出来ない…かな…。無理に決まってるって事もそうだけど…その考え方自体が、良い顔はされないと思う…」

 

 出来る事を、やれる限りの事をしたい。…俺のその思いを聞いた綾袮は、その表情を曇らせる。

 それも、分かっていた。そりゃそうだ。秘匿にしようとしてる事なんだから、良い顔されないに決まっている。…それでも、俺は…やらないという選択肢を、取りたくない。

 

「…無理にとは言わないよ。綾袮が乗り気になれないって事なら、綾袮から話を通す…って事はしなくてもいい。俺からは何も聞いてない、って事にしてくれても構わない」

「いや、それは…顕人君、わたしが言いたいのはそういう事じゃ……」

「…うん。ただ、無理強いはしない…ってだけだよ。無理言ってやってもらうんじゃ…結局は、俺がしたい事をしてるだけになっちゃうから」

 

 だけどそれは、俺の思い。人の意見を聞かず、誰かに無理強いをして、それで押し通したんじゃ、完全な本末転倒。それにそもそも、この件を…俺がしようとしている事を、力を失った人達には話していない。俺が言ったところで信憑性に欠けるって言うのもあるけど、力の消失に関わる真実を明かす…とかなんとか言っておきながら、刀一郎さん達を説得出来ず、ぬか喜びさせるだけに…ってなったら、それこそ俺がただやりたい事をやって、それで多くの人を振り回す以外の何物にもならないんだから。

 

(…いや、分かってる…分かっているさ……)

 

 そう。詰まるところ、どんなに理屈を捏ねようと、どこかしらで「俺がしたいだけ」の部分が出てきてしまう。力を失った人達に頼まれてやっている訳じゃない以上、「何かしなくては」という、俺の中から生まれた気持ちで動いている以上、その部分はどうやったって存在しているんだから。

 だからこそ…俺は間違えないようにしたい。完全な独り善がりになってしまわない為の、自分がしたいだけって部分があったとしても、それを意味のある行為にする為の、その境界線を。

 

「…ごめん、綾袮。急にこんな事言われても答えに困るだろうし、別に俺は答えを急がない。一旦保留にしてくれても構わないし、さっき言った通り聞かなかった事にしてくれても……」

「…ううん。聞かなかった事にはしないよ。それは、わたしを頼ってくれた顕人君に失礼だもん。だから…ちゃんと答えるね、顕人君」

 

 ふるふると首を横に振り、そうはしないと答える綾袮。それを聞いて、俺は少し反省した。失礼云々を言うなら、不要な…ともすれば綾袮を過小評価するような選択肢を提示してしまった俺の方こそ綾袮に悪いじゃないか、って。

 でも…そうだ。綾袮はそういう人だ。いつもはほんとにふざけてるけど、真剣な話になれば真っ直ぐで、誠実で、責任感もあるのが綾袮なんだ。だから俺は、綾袮の言葉に黙って頷き…綾袮も数秒間目を閉じた後に、ゆっくりと目を開いて言う。

 

「…いいよ、顕人君。もしも、顕人君が本気だって言うなら…絶対に気持ちは変わらないって言い切れるなら、わたしから話を通してみる」

「…いいの?」

「うん。…これは、わたしにも責任のある事だから」

 

 綾袮からの答えは、了承。話を通すという、俺からすればありがたい答えで…でも、続ける形で綾袮は言った。これは自分にも責任があるから、と。

 それは、秘匿にしていた結果、俺が力を失ってしまった事へ対する責任か。それとも、俺に真実を話した事への責任か。今の言葉だけじゃ、そのどちらなのかは分からない。

 

「…本当に、いいの?頼んだ俺が言うのも変な話だけど、そんな負い目からみたいな理由で……」

「うん。負い目はあるけど…それは、理由の一つだから。それだけが、理由じゃないから。顕人君が、心から…信念を持って言ってるなら、無下になんてしたくないもん」

 

 一体どっちの理由なのか。…俺はそれを訊かなかった。気にはなったけど…どっちであろうと、綾袮がちゃんと考えて、真剣に出してくれた答えである事は伝わってきたから。俺は本気で考えた事を綾袮に頼んで、綾袮もちゃんと考えた上での答えを出したなら…これ以上、どうこう言うような事は不要。

 

「…ありがとう、綾袮」

「お礼なんていいよ。…だけど、ほんとに…自分の事を考えるなら、顕人君のやろうとしてる事は、自分の首を締める以外の何物でもないよ」

「かも、しれないね。…でも、それが俺だよ。俺は俺の気持ちに、正直でありたい。霊装者……だった自分に、誇れる自分でありたいって思っているから」

 

 自分の立場を悪くする行為だと理解してても尚しようとするのは、ここで我が身可愛さに止めるような自分が、憧れた未来の先に立つ自分じゃないと分かっているから。

 危うく「元霊装者」である事を忘れかけていた俺は軌道修正をかけ、それから言い切る。それを…いや、俺からの話を聞き終えた綾袮は、俺との会話を振り返るように何度か頷き……でも俺がもう一度お礼を、今度は話を聞いてくれた事へのお礼を言って出ていこうとすると、少し慌てた様子で呼び止める。

 

「あ、ま、待って顕人君…!…その…もしかして、少し前から、今言ったみたいな事を考えたの…?」

「え?…それは、まぁ……」

 

 少し前、というのは曖昧な表現だけど、YESかNOかで言えば勿論YES。だから若干釈然としない気持ちを抱きつつも俺は綾袮の言葉を肯定し…それを聞いた綾袮は、一瞬ほっとした顔をしていた。その顔で、「そっか、そういう事ならきっと違う…」と呟き、でもすぐに複雑そうな顔となっていた。

 

(なんだろう…俺が前々からこの件を思い悩んでたんじゃ…とか、そういう事を気にしてるのかな……)

 

 部屋を出てからそう思った俺は、声をかけるかどうか悩む。でも結局、俺はも言わない事にした。何せさっきも思ったけど、これはこの場での結論の出た話なんだから。ならば一々言うより、さっぱり切り上げて気持ちを切り替えられるようにした方が良い…そう思ったから。

 綾袮が話を通してくれる事となった。でも、これはまだ通過点。俺が本当に頑張らなきゃいけないのはここから先…目的の為の準備じゃなく、目的を果たす為の話なんだ。



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第二百十話 雲泥の差

 あれから綾袮はすぐに…俺が話した翌日にはもう、刀一郎さん達に話を通してくれたらしい。そして綾袮を介して俺の考えている事を知った刀一郎さんは、これまたすぐに時間を作ってくれた。

 これには少し…いやかなり驚いた。話す機会を用意してくれた事自体は嬉しいしありがたいけど、てっきり機会を得られたとしても、実際に話せるのは割と先になると思っていたから、正直少し慌てた部分もあった。え、こんなサクサク話が進むものなの?…と。

 けど別に、慌てはしても困る事はない。だってすぐと言っても、綾袮が話を通してくれた翌日…なんてレベルの早さじゃないし…そもそも俺の考えは、意思は、はっきりと決まっているんだから。

 

(とはいえ緊張はする、っていうね…いや、とはいえも何も、これは緊張して当然か……)

 

 時間を作ってもらった当日となり、現在俺は双統殿に訪れている。これまで刀一郎さんや深介さん、紗希さんと会う時は(偶々出くわした場合を除いて)大概綾袮も一緒だったし、今回もそうだけど…夏の一件の時と同じように、今回綾袮は付き添ってくれてるだけに過ぎないし、綾袮に頼る事も出来ない。何せこれは、俺からの話なんだから。俺が、俺個人として頼み込む事なんだから。

 エレベーターに乗り、刀一郎さんが待つ階へ。時間を作ってくれたという事は、最低限俺から話を聞こうとはしてくれている筈。けどただそれだけ。上手く話が進む保証なんて微塵もないし…それも緊張している理由の一つ。

 

「…顕人君。半端な事を言っても、おじー様には届かないよ。正論も、理屈も、感情も…半端な事じゃ、『だからなんだ』位で返されちゃう。多分、今日顕人君と話す時のおじー様は…本気、だろうから」

「…忠告ありがと、綾袮。けど俺は、初めから本気で……」

「本気の言葉でも、だよ。半端な言葉や思いなんて論外だけど、本気の思いでもおじー様が納得してくれたり、妥協してくれたりする保証はない。…顕人君が求めようとしてるのは、それ位の事だもん」

 

 階数表示を見つめている中、隣から聞こえた綾袮の声。その声も表情も、まだ部屋どころか同じ階にすらなっていないのに、真剣そのものな様子になっていて…更に一段、俺の中の緊張が強まる。

 だけど、分かっている事だ。俺の求めが、簡単に通る訳がないって事は。ならば、臆する必要はない。臆して尻込みするようなら、そもそもここに来ちゃいない。

 

「…いつもと同じだよ。自分に出来る事を考えて、それに全力を注ぎ込む。やれる限りの事をして…後は、結果を信じるしかない」

「…逞しくなったね、顕人君。実力が、っていうより…心の部分が」

「…そう?」

 

 目的の階に到着し、廊下に出る。廊下へと足を踏み出しながら言葉を返すと、綾袮は小さく笑う。そして更に俺が訊き返せば、綾袮はこくんと一つ頷き、そうだよと言った。

 

(心、か…確かに少しは、逞しくなれてるのかもな…。それが誇れる形かどうかは…また、別だけど)

 

 色々な経験をして、楽しい事も辛い事も、本気の戦いも駆け引きも重ねてきて、その上であるのが今の俺。…と、表現すると何かそれっぽいけど、自分の事…24時間365日一切離れる事のない自分の精神の事だからこそ、いまいち変化の実感は出来ないというもの。

 そして、そんな中でも間違いなく「変わった」と思えるのは、不都合な真実を捻じ曲げたり、組織に無断で警戒しなきゃいけない相手と交流を持ったりするような…世間一般でいう「正義」とは呼ばないような行動も、出来るようになった部分。それを後悔なんてしていないけど…流石に誇ってしまう程、捻くれた人間になったつもりもない。

 

「…怖気付いちゃ駄目だよ、顕人君。もう、ここまで来たんだから…当たって砕け散れ、だよ」

「ありがと、綾袮。けど、出来れば砕けろで止めてほしかったかなぁ…砕け散れだと、微妙に悪口感が……」

 

 目的地である部屋の前、そこに立ったところで綾袮から投げ掛けられたエールの言葉。語尾が気になって素直には受け取れなかった俺だけど…その綾袮らしさ、冗談感が、逆に俺にとっては多少なりともリラックス出来る要因となった。もしかすると、それを狙ってわざと綾袮は言ったのかもしれない。

 そう。もうここまで来たんだから、後はもう力を尽くすしかない。ほんとに当たって砕けろだ。そんな思いで、俺は深呼吸し…ノックも挨拶の後に、部屋へと入る。

 

「…来たか」

 

 部屋内へと踏み入れた瞬間に、俺の中の緊張感が高まる。けどこれは、中の人物…刀一郎さんが何かした訳じゃない。これからの事を考えて、自分で自分を緊張させてしまっているだけ。

 でも、そう分析出来る位には、頭はちゃんと働いている。緊張は滅茶苦茶してるけど…何となく、落ち着いてもいる…と、思う。

 

「刀一郎さん、本日はお時間を頂き誠にありがとうございま……」

「挨拶は良い。それよりも早く本題に入れ。…お前とて、何も二言三言で終わらせる気はないのだろう?」

「…分かりました」

 

 まずはちゃんとした挨拶から…と思っていた俺だけど、言い切る前にそれは不要だと返される。これがさっさと話を進めたい、余計なところに時間を割きたくないという意味なのか、別の意図のある言葉なのかは分からないけど…そう返されるのなら、俺も挨拶に拘る理由はない。だから俺は一つ頷き…一拍を置いて、言う。

 

「刀一郎さん。自分は…この現状を、富士の件の真実を隠し、今も隠し続けている今の在り方を、良いとは思っていません」

 

 余計な部分を削ぎ落とし、初めから意思を伝える俺。普通ならもっと丁寧に、悪く言えば無駄に回りくどく言うのが大人の世界なんだろうけど…刀一郎さんが求めているのは、きっとそういう事じゃない。

 

「…だろうな。そう思うのが、普通の感性だ」

「…元々隠していた事、例の件が起きた時も隠したままであった事、それ等を今に至るまで隠し続けている事…全て、理解は出来ます。実際、今もきちんと協会が組織として機能している事を考えれば、組織の運営の上での判断としては、特に間違いでもなかったのだろう、と感じているのも事実です」

 

 無駄は減らして、けど焦らず順に話す。ただ話すだけ、聞いてもらうだけが目的なんかじゃない以上、必要な部分まで削ぎ落としてしまってはそれこそ話にならないのだから。

 

「…ですが、自分は自分と同じように力を失った、多くの者の話を聞きました。彼等は皆、それぞれの思いを抱きながらも現状を、失った事を受け入れ、諦観を混じらせながらも前を向いています。今を飲み込み、その上で進もうとしています。…真実を、知らないままで」

「…………」

「それは、あまりにも理不尽ではないのでしょうか。危険を知らされる事なく、心構えをする機会もないまま失い、避けられたかもしれない力の消失を不幸な事故だと思ったまま、何も知らない、知らされないままに失った現実が過去のものとなる…自分にはそれが、理不尽なように思えてなりません」

 

 理不尽。そう、理不尽なんだ。例えば怪我なら…任務の中での死ならば、納得は出来る。それが戦闘のいうもので、死傷の危険は皆分かった上で任務に参加するんだから。

 でも、この件は違った。わざと真実を、起こり得る危険を隠され、その結果危険を踏まえての選択や行動が出来なくなっていた。それだけでも酷いというのに、本来なら危険を踏まえられた筈だったんだという事実すら、隠されたままだというのは…あまりにも、理不尽じゃないか。不誠実じゃないか。

 

「…だからこそ、自分は刀一郎さんに…隠す事を選んだ方々に求めます。何も、協会全体へとは言いません。しかしせめて、力を失った者達には、きちんと真実を伝え…隠し続けてきた事を、謝罪して頂けないでしょうか」

 

 だから、俺は求める。不誠実な秘匿を止め、きちんと真実を伝える事を。

 たかが真実、されど真実。例え力を失った人達が、今後と満足のいく日々を送れるようになったとしても、本当の事を隠されたままだっていうなら…それは、偽りだ。自分で選んで、真実から目を背けたのならともかく…知る機会すらないなんて、絶対に間違っている。

 それが、今ここへ持ってきた俺の思い。俺の本心と、要求。そしてそれを聞いた刀一郎さんは…小さく静かに、吐息を漏らす。

 

「お前の言いたい事は分かった。確かに理不尽だろう。我々が初めから明かしていれば、違う結果となっていた可能性も十分にあり得る。真実を求めるというのも、人として当たり前の感情だ」

 

 一言目として返されたのは、俺の主張へ対する理解。確かにそうだろうと、俺の言った事を肯定してくれる。

 けど、まだ俺は喜ばない。喜べない。何せ今の言葉、一見俺を支持してくれてるようだが…その実、理解を示しているだけ。確かにそういう可能性もあるなと、感情としては当たり前だと、ただ時沙汰を述べているだけ。そして、先んじてこういう言葉を言うって事は、と俺が内心身構える中…次なる言葉が、発された。

 

「…だが、理由としては弱いな。その意見、その主張は参考にはなるが、現状を考え直すだけの意味があるようには感じられない」

「……ッ、それは…!…それは、理不尽である事、不誠実である事を理解した上で…認めた上での、言葉でしょうか」

 

 意味がない。辛辣ではなくとも、容赦のないその言葉に、反射的に俺は言い返しそうになってしまった。

 だが、いけない。感情的になったら、ちゃんとした意見を返せない。寸前で踏み留まった俺は、落ち着くよう内心で自分に言い聞かせ…出かかっていた言葉を、静かに言い直す。秘密にされたまま、本当の事を知らないままで終わらせる事になってしまいそうな人の事を考えても尚、意味がないと言うのかと。

 

「そうだ。逆に問うが、真実を知ったとしてどれ程の者が感謝をする。知る事が出来て良かったと、そう思う。知ったとてどうにもならない、自分の固めた気持ちを今更揺さぶられるような真実を知らせる事が、彼等の為になるとでも?」

「…分かりません。必ずなるとは言い切れません。ですが…知らない方が幸せも言うのを、知っている側が言うのは、ただの傲慢であると自分は思います。それに、知るか否かの選択肢があった上で、訊かない事を選ぶのと、初めから選択肢を与えられず、選択肢を知る事もなく何も知らないまでいるのは…状態は同じでも、そこにある意味は全く以って違う筈です」

「不確実だな。曖昧な部分を、はっきりとしない要素をそのまま組み込んで話すのなら、幾らでも言える。加えて、お前の物の見方に関しては同意出来るが…それもまた、傲慢な考え方だろう。お前個人で思う分には個人の信条、価値観の範疇だが……」

「…それを他人に当て嵌めた時点で、当て嵌めようとする事自体、傲慢な考え方だ。…分かっています、その通りだと思います。それでも…動かなければ、変わらない。動かない理由を作って、それで仕方ないと言っているだけじゃ、現状を肯定しているも同じ。…違いますか?」

 

 正しいと思う。刀一郎さんの指摘は正しいんだろうし、俺は「それでも」ってスタンスでしか返せていない。…けど、それも当然だろう。まだ二十年弱しか生きていない俺と、その何倍も生きている刀一郎さんなら、ただそれだけでも圧倒的な差があるんだから。何とか食い下がってるだけでも、俺は自分を褒めてやりたい。

 

「…だから、動いたと?私にはそれが、むしろそれこそが、言い訳に聞こえるな。自らの行動を正当化する為の理由として、動かねばならない理由を挙げている…そんな事はないと、断言出来るか?」

「……っ…」

 

 だけど、自分を褒めたってどうにもならない。そんな気休め、今この時には何の意味もない。

 自分の考えの、行動の、自己満足の可能性は分かっていた。自分の為の行いでしかないものになり得ると分かっていたから、気を付けようと思っていたし、その上で今言った通り、「かもしれない」をやらない理由にはしたくなかった。…でも、刀一郎さんの思考は更にその先を行っていた。やらない理由ではなく、やらなきゃならない理由に…俺がこうして動く事を正当化出来る理由に、力を失った人達の事を挙げているんじゃないかというのは、俺が考えつかなかった事で…それを俺は、即座に否定出来なかった。図星じゃない、その通りだったから言い返せなかった訳じゃないけど…絶対ないとも言い切れない、そう俺は思ってしまった。他の人達は知らない中、俺だけは真実を知っていて、紆余曲折の末とはいえ力を取り戻す事も出来た…そんな、俺ばかりが手を差し伸べられている状況に、罪悪感を感じていたのかもしれないと…そう思って、しまったから。

 

「…力を失った、他の人達は…声を上げる事も、出来ないんです。真実を知らない以上、上げようがないんです。動かなければ変わらず、自分以外は声を上げる事も出来ない…それは、理由になりませんか?それは言い訳で、理由には…ならないと言うんですか…?」

「…いいや、なるさ。そもそも言い訳か否かなど、結局は主観だ。故に、明確な言い訳など存在はしない。何であろうと、真っ当な理由にはなり得る。…それを挙げる本人が、心からの自信を持っているのならば、な」

 

 真っ直ぐに俺を見つめる、刀一郎さんの瞳。それはきっと、俺の主張の奥にある、俺の心を見定めようとする目で…同時に突き付けている、突き付けられている気もする。現実を、俺と刀一郎さんの間にある差を。

 

「…まあ、いい。心情の部分は分かった。お前の真剣さも、生半可な気持ちで今ここに望んだ訳ではない事も、十分に分かった。そして…お前の言葉に、一理ある事も認めよう。……だが、それまでだ。依然として、この現状を変えようとは…その必要があるとは、思わん」

「ッ…何故……」

「何故?…単純な話だ。お前の言う通り、明かす事と現状のままでいる事、それぞれのメリットとリスクを比較すれば前者が後者を上回る見込みがないからに決まっている」

 

 理解はした。一理あるとも認める。それでも今のスタンスを変えるつもりはない、妥協案や折衷案を考えるつもりもない様子の刀一郎さんに、思わず俺はただ尋ねる。何故なのか、どうしてなのかと問い掛ける。

 そして返ってきたのは、純粋な合理的思考。メリットとリスク、それぞれを天秤にかけてどちらがより大きく、重いかを判断しただけなのだと、刀一郎さんは言う。

 

「…メリットが薄いから、リスクが大きいから、真実を隠したままで…意図的に誤解させたままで、良いと言うんですか…?」

「組織の長は、おいそれと感情にほだされてはならない。組織という全体、集団としての視点を持たねばその役目は務まらないものだ。特に今の様な状況にあっては、尚更その行動に、判断に細心の注意が求められるのだ。真実を知った者に個人として怒りをぶつけられるのであれば、その程度は謹んで受け入れよう。だが万が一にもそれが組織全体の不和、或いは外部からの干渉を引き寄せる要因になるのだとすれば、組織の長として選ぶべきは……」

「……っ…だからって…だからってその為に、一部の人に不幸を強いるのはッ──」

「ではその一部の為に、全体が未知数の危険を背負う事になっても良いと?」

「……──っ!」

 

 論は分かる。やっぱり、正しい事を言ってるんだと思う。それとこれとを一緒にするな、と怒られてしまうかもしれないけど、俺も生徒会の中で組織を動かすという事を多少なりとも知ったから、その点でも刀一郎さんの正しさは感じている。

 でも…納得出来ない。出来る筈がない。だって、正しくともそれは一方的だから。話し合いの末、相手の同意を受けた上で一部の人に苦労を背負ってもらうのではなく、「組織の為」を理由に、一方的に苦労を、不幸を背負わせているだけだから。

 それがどうしても認められなくて、俺は感情的になる。感情的に、そんなのが「正義」の筈がないと、そう言い返そうとする。…だけど、その上を行くように、俺の言葉を制する形で、更に刀一郎さんは言った。俺の主張の中にあった、浅はかで致命的な穴の事を。

 

「ああ、確かに全体の為に一部が犠牲となるのは、その犠牲を強いるのは、理不尽な行いだ。だが、一部の為に全体へ犠牲を強いる事は…それ以上の理不尽だ、違うか?」

「そ、れは…そんな、大小の問題じゃ……」

「いいや、大小の問題だ。現状のままであれば、一部に。真実を明かせば、全体に。何れにせよ問題が生じるのであれば、組織として選ぶべきものは決まっている。…尤も、そもそも犠牲を強いる必要のない選択肢があるのなら、話は別だが、な」

 

 少数の犠牲なら良い、多数の犠牲だったら良くない。…そんな数で、単純な考え方で決めて良い話な訳がない。それが正義だなんて、微塵も思わない。

 だけど、俺は言い返せない。失念していたから。考えも付かなかったから。力を失った人達…協会から見れば少数の人達の為に俺がやろうとしている事は、別の危険を…より多くの人に、可能性レベルと言えども背負わせてしまう事だったなんて。

 軽々しく始めた訳じゃない。俺なりに考えて、迷いもして、その上で選んだこの選択。…だからこそ、何も言えなくなる。本気で考えて、それでも狭い視野でしか見れていなかった自分の未熟さ、不甲斐なさが俺の心を占めていき…反論を、主張の言葉を紡げない。

 

「…………」

「顕人君……」

 

 ここまで無言を貫いていた綾袮が、俺の名前を呟く。俺の事を、案じるように。

 これは、より良い結論を出す為の会議じゃない。俺が現状に異を唱え、綾袮さんの協力を得て「ならば話してみせろ」と機会を貰えただけの事。故に、俺が何も言えなくなればそれでお終いだし…現に刀一郎さんは、ふぅ…と吐息を漏らしている。これで終いだな、と言うかのように。

 

(……っ…俺は…俺は……)

 

 納得なんかしていない。現状のままで良い筈がない。だけどもう…俺自身が、自覚してしまった。俺の浅はかな考えを押し倒しても、別の問題が…より大きな問題が発生するだけだと。そしてそれを自覚したにも関わらず、今の主張を押し通そうとするのなら…それはもう、意固地なだけだ。自分の為に主張するのと、何ら変わらない。

 立ち上がる刀一郎さん。何も言えない俺が俯く中、刀一郎さんは俺の側まで来て…俺の肩へと右手を置いて、言う。

 

「…御道顕人。お前のその思いは、理不尽を受ける者の為に出来る事を尽くそうとする姿勢は、何も間違っていない。その心の在り方は、立派なものだ。故に、恥じる必要はない」

「…………」

「それに、私達とて力を失った者達を蔑ろにするつもりはない。少なくとも現段階で明かす事は出来ないが、明かす明かさないに関わらず、出来る事はしていくつもりだ。…状況的に、厳しい部分もあるが…な」

 

 かけられたのは、これまでとは違う穏やかな言葉。高齢だとはとても思えない程がっしりとした手は温かく…感じる。分かる。刀一郎さんも、何も力を失った人達の事をどうでも良いと考えている訳じゃないんだって。自分の立場で、組織全体の事も考えて、その上で最善の選択をしているだけなんだって。

…あぁ、そりゃあそうだ。優しく頼もしい綾袮さんの祖父、信頼出来る深介さんや紗希さんの父である刀一郎さんが、利己的で冷たい人物な訳がないんだから。そして、そうであるのなら…余計に、尚更、不甲斐ない。より広い視野で、現実を総合的に見て下された判断に対し、狭い視野で、限られた視点で「間違っている」と主張をしてしまっただけなのだから。

 

(…間違ってたって、事なのか…?現状のままが正しい訳ない、それは絶対に間違ってない…。でも……)

 

 真実を知らないまま、理不尽を受けている事すら知る事が出来ないまま、それを受け入れるなんて間違ってる。少数が犠牲になればそれで良い、なんて筈もない。それでも何も言えないのは…俺が、間違っていたから。俺の行動が、目指していた形が、今よりも悪い方へと進んでしまうものだったから。

 本当は、この現状が間違っているんだ。間違っている筈なんだ。…だけど俺に、それを正すだけの力がない。策も、手段も、何もない。あるのはただ、間違っているという思いだけ。その思いと…浅はかで不甲斐ない、何も変えられない俺だけだった。



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第二百十一話 やり切った、だなんて

 顕人君の意見、顕人君の思いが通る事はない。…それは、初めから分かってた。考えが甘いとか、荒唐無稽過ぎるとかじゃなくて…協会として、今そんな事が出来る訳ないと、分かり切っていたから。顕人君の言っている事は、感情的には正しくても、それだけで上手くいく訳じゃないのが、組織ってものだから。何より…お祖父様は、顕人君一人で説得出来るような相手じゃない。わたしだって、お祖父様の主張に明らかな穴でもない限り、一対一で意見をぶつけ合ったら勝てる気なんてしないんだから。

 それでも顕人君のお願いに応えて、こうやって話す機会を用意してもらったのは、顕人君に…顕人君と同じように力を失った人達への負い目があったからだし、顕人君の本気のお願いを無下にしたくもなかったし…顕人君なら、止めるよりちゃんと気持ちを貫けた方が、駄目だったとしても前に進めると思ったから。そういう人だって、知ってたから。

 だけど、顕人君の「こうだ」としていた思いは、お祖父様に打ち砕かれた。それは、そこまでは、届かないところまでは予想通りで…だけど、こうなるまでは分からなかった。打ち砕かれた顕人君の心が、あんなにも沈んでしまう事は。それを見て、わたしが…凄く凄く、切ない気持ちになる事は。

 

「…綾袮」

 

 話が終わって、最後にお祖父様が気遣いの言葉をかけて、それでわたし達はお祖父様の執務室から出る事になって。だけど出ようとしたところで、わたしはお祖父様に呼び止められる。

 廊下で待ってて。顕人君に視線と頷きでそう伝えたわたしは、顕人君が出て扉が閉まったところで、お祖父様へと向き直る。

 

「全く…意地が悪いな。この程度の結果、予想出来なかった筈もなかろうに」

「ううん、違うよお祖父様。わたしなりに、これが…駄目だって、やらない方がいいって突っ撥ねるよりも、こうする方が顕人君の為になるって、そう思ったからだよ」

「そうか…ならば、良いのだがな…」

 

 そう言ってお祖父様が見るのは、扉の方。でも間違いなく、見ているのは扉じゃなくて、その向こうにいる顕人君の事。

 お祖父様だって、顕人君を嫌ってる訳じゃない。むしろ多分、「礼儀がなっていて、しかも中々気骨もある若者だ」って感じに、評価は高いような気がする。でもあれだけはっきり言ったのは…お祖父様が、そういう立場だから。そしてわたしも…こういう事が、出来るようにならなきゃいけない。

 

「…本当に、大したものだ。自分の利にもならない事を、よくもまあ自らこの場であそこまで言ったものだ。…だが、危ういな」

「危うい…?…って、顕人君が…?」

「そうだ。…綾袮、指導者には『保身』の心が必要となる。その理由は、分かるか?」

 

 それからお祖父様が口にした、危ういという言葉。それへわたしが訊き返すと、次にお祖父様は『保身』の必要性が分かるか、とわたしに訊いてくる。

 保身。普通プラスの意味で使われる事なんてない言葉だし、指導者と保身の組み合わせなんて、一般的には最悪だと思う。…でも、分かるかどうかで言えば…分かる。

 

「部下を守る為、将来の問題に対処する為…だよね?」

「そうだ。だが、それだけではない」

 

 自分の為に、周りを…部下を犠牲にするような保身なんて、良い訳がない。でも、ちゃんとした地位や立場があれば、その権力で部下を理不尽から守る事が出来るし、発言力を持って未来への備えを組織内で進めておくような事だって出来る。必要な『力』を守るって意味での保身は、状況にもよるけど大切な筈で…わたしの答えを聞いたお祖父様は、そうだと一つ頷いてくれた。

 でも、お祖父様は続ける。それだけじゃないんだって、もっと大きい理由があるんだって。

 

「いいか綾袮。保身とはつまり、立ち止まる事。今の自分を、これから進む道を見直す事。過ぎた保身は瞳を曇らせるが…そうでなければ振り返り、自らを確かめる力となるのだ」

「そっか…そう、だよね。保身って、自分に目が向いている状態なんだから…」

「その通りだ。そして、保身のない状態とは即ち、ある意味で自分の見えていない、外に目がいき過ぎた状態。故に、保身無き者は……止まらない」

 

 自分を見つめる機会、見つめ直せる機会。保身はそれを生み出す力があって、だからそれがないと立ち止まれない…見つめ直す事も出来ない状態になっちゃうんだって、お祖父様は言う。

 確かにそうだと思う。言われて気付いたけど、自信があり過ぎたり、何かを盲信してる人が暴走し易いのも、これと同じ理由だと思う。だって迷いなく何かを信じてる人は、保身なんて不安からくる行動をする必要がないんだから。

 そして、今お祖父様がこの「保身」の話をしたのは、きっと……

 

「…お祖父様は、顕人君も、そういうタイプだって…全く保身を考えない人だから、逆に危うい…って言いたいの…?」

「少なくとも、人並みに保身の視点がある者ならば、こんな事はまずしない。行動力や、その根源となる意思の強さは長所だが、夏の一件といいこれといい…どうも彼は、信念の為なら危険や無茶を厭わないきらいがあるように、私にら見える。…これが杞憂ならば、良いのだが…な」

 

 私も心配性になったものだ。…そう言って、お祖父様は言葉を締め括った。

 今の話は、お祖父様の推測であって、動かぬ証拠…みたいなものは何もない。でもお祖父様の言う事には、納得出来る部分もあるし説得力もあったから、わたしはお祖父様に頷いた。

 行動力も底力もあって、意外と頼もしいのが今の顕人君。そう思うわたしの気持ちは、顕人君が力を失った今でも変わらなくて…でも、危なっかしいのも本当の事。…だから、わたしが支えてあげなきゃって思う。だってわたしは、顕人君の師匠で、これまでにも色んな事を一緒にしてきて、これからもそうしたいって思ってる……

 

(……あ、あれ…?これって……)

 

……何だろう。これを、今のわたしにとって顕人君はどういう存在として呼べば良いのかを、何故かわたしは分からなかった。

 大切な相手だとは思ってる。信頼もしてるし、勿論友情だってある。だけど、これだって言葉、しっくりする言葉はどうしてか中々出てこなくて…でも、別に良いよね。だって大事なのは、言葉じゃなくて、形じゃなくて、思いだもん。顕人君を支えてあげたいって思いには…変わらないんだから。

 

 

 

 

 重要な選択や判断には、それ相応の理由がある。組織における選択は、いつも全体への影響や、組織全体から見た最善が選ばれる。それは少し考えれば分かる、当たり前の事で、俺も分かっていた筈の事で……だけど俺は見落としていた。なのに俺は、気付いていなかった。俺が掲げていた主張、そこに存在する欠点に。

 呼ばれた綾袮が出てくるまでの間、ずっと俺はその事ばかりを考えていた。どうして気付けなかったのか。もしもっと前の段階で気が付いていたら、こうはならなかったんじゃないのか。そんな後悔が、こんな簡単な事で終わってしまった無念さとやるせなさが、何とも俺の心を巡り…そうして綾袮は、執務室の中から出てきた。

 

「お待たせ、顕人君。…それじゃあ、帰ろっか」

「…だね……」

 

 落ち着いた綾袮の声に頷き、今は廊下を歩き始めている。過ぎた事は仕方ない、や、喉元過ぎれは熱さ忘れる、なんて言葉もあるけど…今の俺は、そんな楽観的には考えられない。

 

「その…さ。顕人君は、十分頑張ってたと思うよ?普通だったら、もっと早くおじー様の気迫で上手く言えなくなっちゃってると思うもん」

「…そうかな?」

「そうだよ。わたしだって、二人が話してる間は緊張したもん。わたし、特に言う事もやる事もないのに」

「そっか…。…悪いね、気を遣わせちゃって…」

 

 励ましてくれる綾袮。それはありがたいし、綾袮の言う通り善戦出来てたって事なら、少しは救われるけど…ならいっか、った思える程俺は楽天家じゃない。

 善戦じゃ、駄目なんだ。これは試合ではなく、駆け引きだった以上、こっちの主張を通せるか、ある程度納得出来る妥協案が生まれるか位にまで至らないと、意味がない。やるだけやったんだから満足…とは、思えない。

 それに俺は、死力を尽くしてそれでも届かなかったって訳じゃない。浅はか故に届かなかったのが現実で…それが情けないし、不甲斐ない。何やってるんだ俺は、って気分がずっと胸を渦巻いている。

 

「気なんて、そんな……」

「…いや、こっちこそごめん。こう言われたら、そりゃそうなるよね……」

 

 気を遣わせてごめん。…これを沈んだトーンで言えば、そんな事ない…って、社交辞令ではなく本当に心配や罪悪感から相手に言わせてしまうに決まってる。そこからすぐに明るい話題へ切り替えせるならまだしも、それも出来ないのにただ心配や罪悪感を、更なる気を遣わせてしまうんじゃ、お互い損しかない。互いに、「相手に悪かったな…」って気持ちしか湧いてこない。

 でも、それなら気持ちを切り替えられるのかといえば…それも、出来ない。外面を取り繕う事位は出来るけど…そんな空元気、綾袮ならきっとすぐ見抜く。

 

「……後悔、してない?」

 

 空気の沈黙が暫く続き、それから不意に綾袮は言う。はっきりと問い掛けるというよりも、静かにぽつりと呟くように。

 

(…後悔、か……)

 

 何に対してかなんて、訊くまでもない。この状況で、こんな結果になれば、後悔してるんじゃないかと思うのも当然の事。だけど……

 

「…ううん。大丈夫、後悔なんてしてないから」

「…本当に?」

「本当に。何もせず、仕方ないって諦める…俺が後悔するとしたら、それはそうしていた時だよ」

 

 俺は答える。不安そうな、申し訳なさそうな綾袮に向けて、俺の思いをはっきりと。

 これは嘘でも、建前でもない。間違いなく、何もしなかった時こそ俺は後悔していただろうし…こうして行動しなければ、分からなかったものも沢山ある。無謀でも、自分の印象を悪くする可能性が高くても、抱いたこの思いを貫く。それはきっと無駄じゃないし…俺が俺である為に、憧れた先へ向かう為に、必要な事でもあったと思う。

 だから、こうした事に後悔はない。だけど…やっぱり、やっぱりやるせない。こんな結果になってしまった事が、この程度で終わってしまった自分自身が。

 

(ああ、そうだ。後悔なんかない。でも…満足も、していない。こんなんで満足なんか…出来るもんか)

 

 これが、今の俺の意思。こんな不甲斐ない結果で、それで止まれる訳がないという、俺の結論。

 だけど、これじゃあただの思いだけ。今もう一度チャンスを得たとしても、結果は変わらない。視野の狭さ、想定の甘さを反省して出直してきても…結局きっと、どこかで躓く。何故ならそこには、地力の差があるから。俺の主張通りにした結果生まれる理不尽、それに気が付けなかった事…それは地力の差が生んだ、結果の一端でしかないんだ。

……でも、それならばどうする?地力の差は、一朝一夕で埋まるものじゃない。数多くの経験、時間でしか埋められない。けど、だとしたらそれはいつになる?どれだけの経験を、月日を重ねれば…俺は俺の意思を、最後まで貫けるのだろうか。

 

「…ね、顕人君。今日は疲れただろうし、出前とか仕出しとかにしない?それか、デリバリーとかさ」

「え?…あぁ、そうだね…後それ、多分全部同じ意味だからね…?」

 

 思考にばかり意識が向いていた俺は、気付けばもう外にいた。…流石に少し危ないから、一旦この思考は置いておこう。ここまでは屋内だったから何とかなったけど、ここからは周りに迷惑をかけてしまう事もあり得るんだから。

 そう考え直しながら、俺は綾袮の言葉に首肯。実際緊張しっ放しで今の俺には疲労感があるし、注文で済ませられるならそっちの方がありがたい。

 

「じゃあハイターツとか、チュウモンスルトモッテキテクレールとか?」

「うん、前者はともかく後者は最早ボケが軽く飽和しちゃってるから…。…ほんと、大丈夫だからね綾袮。そりゃ、ショックもあるけど…だからって別に、塞ぎ込んだりしないって」

 

 何となく感じた、普段とは違う冗談の気配。そしてそれが俺への気遣い、気持ちを明るくさせようとしてくれてる綾袮の思いからくるものだって分かったから、一度綾袮の方を振り向いて言う。

 建前でも取り繕いでもなく、本当に塞ぎ込んだりはしていない。勿論気落ちはしたけど、今もまだ好転はしてないけど、立ち止まっちゃいない。立ち止まってなんか、いられるもんか。

 

「…それなら、良いんだけど…ね」

 

 同じく立ち止まり、俺の目を見て聞いていた綾袮は、そんな言葉を俺に返した。そこにはどこか、含み…というか、「本当にそうなら」…って思いも籠っているように感じたけど…それは仕方ない事だ。逆の立場なら、俺だって同じような事を思う。

 さっぱり諦めてしまえば、やるだけの事をしたって思えば、綾袮を心配させる事もないだろう。楽だろうし、そうしたって別に間違っちゃいないと思う。だけど…そうだ、俺の思いは変わっちゃいない。このまま、何もせずに終わったりなんて…絶対に、しない。

 

(…でも、どうする。そもそも、そもそもの話として…主張して、提言して、それで終わりか…?確かに俺に出来るのはそこまでかもしれない、けど……)

 

 それから暫くして、俺と綾袮は家に到着。帰るまでにラフィーネ達へ電話を掛けて、何が良いか聞いて、出前の注文はもうしておいたから、後は届けられるのを家で待つだけ。そういう状態になったから、俺の頭には再びこれまでの思考が流れ始め…そんな中で、持ったままだった携帯が何かの通知の音を奏でる。

 

「ん?一体誰からのメッセージ……」

 

 無視する理由もなく、何気なく画面を見やる俺。けど表示された相手を見て、俺の中に緊張が走る。

 念の為、こっちの設定じゃ仮の名前にしてあるけど…それは、ゼリアさんからのもの。もっと言えば、ゼリアさんを介したウェインさんからのメッセージ。

 

「……?顕人さん、入らないんですか?」

「へっ?…あ…ご、ごめん…」

 

 思わずその場で止まってしまった俺だけど、今俺がいるのは丁度リビングと廊下の境。どう考えたって邪魔になる位置で…背後、即ち廊下の方からフォリンの声が聞こえた事で、俺ははっと我に返る。

 

「…顕人、何か面白いものでも見つけたの?」

「あぁいや、単に来てたメッセージを確認…って、何姉妹揃って何食わぬ顔で画面覗き込もうとしてきてんの…!」

 

 どれどれ…とばかりに平然と見ようとしてくる二人から逃げつつ、俺は反省する。邪魔になる場所に突っ立っていた事も、不用心だった事も…何だかんだ好奇心は強い方(だと思う)な二人のいる前で、「あれ?」と思われるような行動をとってしまった事も。いやほんと、迂闊だった…。

 

(油断も隙もないな…流石ロサイアーズ姉妹…)

 

 多分大丈夫だとは思うけど、この流れで部屋を出て行ったら変に思われるかもしれない。そう考えて俺は食卓の方の席に座り、姉妹が見にこないのを確認してから送られてきたメッセージを開く。

 

「…………」

「顕人くーん、注文したのってそろそろだっけ?」

「……うん?…あー…っと、そうだね。うちから店まではそんなに離れてもないし、頼んだ時間よりちょっと早く来るって事も十分あり得……おっと、噂をすれば…」

 

 正にドンピシャと言うべきか、俺が話している最中に鳴った家のチャイム。玄関に出て代金を支払い、受け取ったものを食卓へと運んで、飲み物を用意し俺達はすぐに夕飯タイムへ。

 

「ん、やっぱり天ぷらは良い。この食感は、食べていて楽しい」

「ですね。他の揚げ物とはまた違う、独特の良さがありますよね、天ぷらって」

「あー、それは分かるかな。…にしても改めて見ると…ほんと二人も、お箸使うの上手くなったよねぇ。顕人君もそう思わない?」

「…確かに。まぁ…こっちに住み始めてから、二人も毎日使ってる訳だもんね」

 

 そんな事を話しながら、各々注文した丼を食べ進める。思い返せば、初めてこの四人での食事を取った時も、場所は違えどこんな感じだった。あれからほんとに長い時間が経って、色々変わったんだなと思うと…しみじみとした気持ちになる。

 

「…それで、本日顕人さんは何をしに双統殿へ?」

「おー、某バラエティ番組みたいな言い方だねぇ」

「…まあ、ちょっと…直談判を、ね」

「直談判?…給料の交渉?」

「い、いやそういうのじゃなくて……」

 

 今日してきた事は、大っぴらに話すような事じゃない。それに結局当たって砕け散った、相手に綻びを突かれる形となったのが今日の俺で、語るのも恥ずかしい話。

 でも、相手はラフィーネさんとフォリンさん。この二人が気になるというのであれば、話しても良いんじゃないだろうか。けど、話した内容全てを語るのは、何か不味かったりするのかもしれない。二人の視線を受ける中、俺はそんな事を考えていて……けれどその内に、俺が判断するよりも早く、二人は言った。

 

「…やっぱりいい」

「え?」

「そうですね。どうも込み入った話のようですし、訊くのは止めておこうと思います」

「…いいの?」

「うん。顕人を困らせたくはない」

 

 こくり、と俺の言葉に頷く二人。続く言葉がない事から推測したのか、それとも迷っている事が表情に出てしまったのか、何れにせよ俺は気を遣われてしまった。…帰りにゃ綾袮に気を遣わせて、今は二人に気を遣わせて…なーにやってんだかな、俺は…。

 

「…ごめん。それと…ありがと、二人共」

 

 再びの気遣い。刀一郎さんが最後にかけてくれたのも含めれば今日三度目の、更に刀一郎さんと話す前にした綾袮とのやり取りも含めれば四度目の、気遣いの言葉。でも、さっきと同じ轍は踏まない。ただ空気が重くなるだけの結果を招かないよう、俺は謝罪だけじゃなく、続けて感謝の言葉も伝えた。

 その甲斐あって、二人は微笑みと共にまた揃って頷いてくれた。空気も殆ど重くならず…ただ一個あるとすれば、この時二人が見せてくれた微笑みが、多分俺がする微笑みなんかよりも大人っぽかった事だけは、年上としてちょっとばかし悔しかった。

 

「ふー…出前で丼もの、ってのも中々悪くないもんだなぁ……」

 

 そうして数十分後。食べ終え、食器を軽く洗い、後は回収を待つだけという状態になった事で、俺は一度自分の部屋へ。椅子に座り、その椅子にかなり深く身体を預け、その格好でまた携帯を見る。そこに表示された、受信したメッセージの内容を。

 

「…………」

 

 別に、そんな驚きの内容や、複雑な話が書かれている訳じゃない。むしろ、内容そのものは至ってシンプル。流し読みでも、何ら問題なく理解出来るような単純な事。

 ゼリアさんより送られてきた、ゼリアさんを介してウェインさんから届けられた、俺へのメッセージ。それは、そこに書かれていたのは……再びの、俺へ対する招待だった。



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第二百十二話 野望が如き理想

 突如招かれ、ウェインさんと一対一で、これではずっと胸に秘めるばかりだった思いを語り合ったあの日の少し後、また俺はある場所へ呼ばれた。

 まず呼び出されて、そこで車に乗って、最終的に辿り着いたのはなんと船。BORGのものらしいその船の中で、俺は取り戻した力の検査を受ける事になって、身体検査他各種武器を使ってのテストも行った。検査、なんて基本は楽しいものでもないけど…テストという枠組みの範囲でとはいえ、気兼ねなく力を振るえるのは気持ちが良かった。

 その後も定期的に近況報告(と言っても、毎回これといった特筆する事はなかったんだけど)は携帯を介して行っていたけど、直接会うのは、そのテスト以来。で、そのテストはどちらかと言うと「俺の能力」がメインだった訳で…だから俺自身を呼ばれたのは、あの最初の招待以来の事だ。

 

「…失礼します、ウェインさん」

「うん、待っていたよ御道顕人クン。今日もこうしてきてくれて、僕は嬉しいよ」

 

 挨拶をし、部屋の中に入る。中にいたウェインさんに、歓迎の言葉と共に迎えられる。

 思い出すのは、初めて招待された時の事。まだそこまで昔の事でもないのに…何故かそれが、ずっと前の事にも感じる。

 

「…あの、今日は……」

「おっと、その前に食事としようじゃないか。どうかな、顕人クン」

「あ…はい、頂きます」

 

 まあそう焦らずに、と言うかのように話すウェインさんに、俺は首肯。

 ここは、前回と同じ高そうなホテル。俺が席に着くと、この部屋まで俺を連れてきたゼリアさんがルームサービスを注文し、まずは話の前に食事の時間へ。…まあ、食べながら話す事になるとは思うけど。

 

(う…き、緊張するな……)

 

 最初である前々回も、検査となった前回も緊張した。今回も緊張している。けど、それとこれとは…食事の緊張とはまた別物。というか、偉い立場にいる人との食事なんて、それがプライベートであっても緊張するものなんじゃないだろうか。

 とはいえ、先日の刀一郎さんとの話とは違う。どちらも組織の長ではあるけど…関係性が、全く違う。

 

「顕人クン。何度か報告はしてもらっているけど、検査以降調子はどうかな?」

「えと、問題ないです。…いえ、問題ないというか、何もないというか……」

「ふむ…いや、何もないというのもまた一つの情報だよ。まあ勿論、色々と起きた方が得られる情報が多い、というのも事実だけどね」

「現状彼は、そもそも力を行使出来る機会が限られています。その状態でそれを求めるのは無理があるかと」

「ああ、分かっているよ。その点についても、出来るならば何とかしたいものだ」

 

 食事が始まり数分後。緊張はともかく美味しいな…と思って用意された食事を食べていると、やはりまずは力の話に。

 出来るならば何とかしたい。…それは、俺も思っている事。人というのは欲深いもので…あの時は力を取り戻せただけでも十分と思っていたのに、今はちょっとだけど、そう思うようになっていた。

 

「まあ、一先ず問題ないのであれば安心だ。色々と情報を得られるのであればありがたいが、君との会話も僕にとっては貴重なものだからね」

 

 その言葉を口にし、ウェインさんはグラスの飲み物を一口煽る。

…本当に、今でもまだ少し信じられない位に驚きだ。それまで数度しか会った事のない、関係性的にはむしろ敵対寄りなウェインさんが、こうも俺に対して興味を持ってくれただなんて。ウェインさんが、俺と同じ思いを抱く人だったなんて。

 

(…俺を利用して、協会の情報を引き出したりしようとしている?…いいや、違う)

 

 普通に考えれば、嘘だと思う。俺を利用する為に、懐柔してるだけだ…って。

 でも、それならそれこそ一度ゼリアさんに殺されかけてる俺を選ぶなんて事しないだろうし、ウェインさんは俺が力を失った事も知っていた。独自の情報網があるって事なら、わざわざ俺を利用する必要性もよく分からない。

 何より、あの時ウェインさんが俺に語った言葉には、その時の表情には、本物の思いが…熱が籠っていた。これについては、「信じたい」って気持ちもあるのかもしれない。同じ思いを持つ人の存在を、俺が信じたいからそう思ってるって面も否定は出来ないけど…それでも俺は本当だって、そう信じている。

 

「…どうたい、顕人クン。新たな力を得てからの、身体ではなく…心の部分は」

 

 ふっと生まれた疑念を否定していた俺の事を、いつの間にか見ていたウェインさん。俺を、俺の奥底を見据えるようなその視線に俺は一瞬固まり…それから息を吐くようにして力を抜く。

 

「…力を取り戻して、思いました。やっぱりこれは、霊装者としての力は、自分の一部だと。期間としては、一年にも満たないですが…それでも自分の中には、失って以降ずっと喪失感がありました。それは単に、元から俺が渇望していたものだから…というだけではないと、そんな気もするんです」

「一部、か…確かにそうだろうね。自分の内側にあり、自分の中から発現し、自分の意思で行使する力…それは間違いなく、自分の一部というものさ」

「…だからこそ、思うんです。思ったんです。俺はまだ、それでも目覚めてから一年弱の力だった。けれどもっと前から、幼少期からこの力と共にあった人の喪失感は、きっと俺とは比べ物にならない…って」

 

 緊張するのは仕方ない。内に秘めている思いを知った今でも、ウェインさんから得体の知れなさを感じているんだから、二重に緊張するのも仕方のない事。

 だから、俺は自分に言い聞かせる。もう余計な事は気にするな、と。思うように話せば良いじゃないか、と。…前のように、あの日のように。そう言い聞かせて、言葉を続ける。

 

「幼少期から目覚めていた人、霊装者の両親を持って生まれた人にとって、霊装者の力は自分の一部であり生活の一部、あって当たり前の…ない事の方がおかしい存在だった筈です。だからこそ、それを真実だと受け入れるのも容易じゃない位の喪失感があった筈で…それでも、現実は変わらない。時は進み続ける以上、どうやったって受け入れるしかない…。……すみません、何か脱線してしまって…」

「構わないよ。最後まで話してみるといい」

「…力を失って、ウェインさんのおかげで取り戻して、そうして今のある俺は、俺と同じように失った…俺以上に長く力と付き合ってきた人達の思いを、よく考えるようになりました。それから、その人達の為に何かしたいと、出来る事をするべきだと思いました。だから自分は、多くの人の話を聞いて、考えて、結論としての直談判に至りました。…や、話す場を用意してもらっての主張だったので、厳密には違うかもですが…とにかく話して、意見をぶつけて……」

「…そして、君の主張が通る事はなかった…そうなんだね、顕人クン」

 

 いつの間にか、俺の心の話じゃなくなっている。そう気付いた俺は止める事も考えたけど、そのままでいいと言ってくれる。だから軌道修正しつつも、俺は先日の事までもウェインさんへと口にした。

 結論を読まれた事に対しては、特に驚きもない。何せそもそも、普通に考えたら一蹴されるような事を俺はあの日したんだから。同じ霊装者組織の長であるウェインさんからすれば、その結果は考えるまでもなく分かっていた事…なのだろう…。

 

「…不甲斐なかったです。持てる手全てを尽くして、それでも尚届かなかったんじゃなく、主張に致命的な欠陥があって、それを指摘されて二進も三進もいかなくなって……けど、これで終わるんじゃ、これが限界だったと終わりにするんじゃ…何の意味もない」

「…その、欠陥というのは?」

「少数の『今』に手を加える事が、多数の…いや、少数含めた全体での『これから』に対し、危険を及ぼすかもしれない…俺はそれに、気が付かなかったんです…」

 

 少し経った今でもやはり、自分の思いそのものが間違っていたとは思わない。

 だけど、視野が狭かったんだ。想像力が足りていなかったんだ。だからあの時、俺は言われるまで気付かず、そんな状態だったから立て直す事も出来ず、終わってしまった。不甲斐ない、納得なんかこれっぽっちも出来ない結果に。

 でも、それでも、俺はこれを仕方ないで終わらせたくない。こんな終わりで良い筈がない。だって俺は、こんなのは……

 

「…けど、まだ終わりにする気はないような顔をしているじゃないか」

「…えぇ、そうです…まだ、まだ終わりになんて出来るもんか…!まだ俺は、諦めてなんか……!」

 

 まだ終わりにする気はないように見える。その言葉に意思を、感情を引き出されるようにして、俺は言い放つ。握った両手でテーブルを叩き、あの時果たせなかったままの思いを、燻り続けていた意思を、言葉に乗せてウェインさんへぶつける。

 けど、すぐに俺は我に返る。これは、この意思は、ウェインさんにぶつけるべきものじゃないだろう、と。

 

「…すみません、急に大声を出して…それに、テーブルまで叩いてしまって…」

「…まだ諦めていない、か。うん、顕人クン。君ならそう言うと思っていたよ。…だが、それだけでは無力だ。思いは、どれだけの思いがあろうとも、それだけでは何にもならない」

「そ、れは……」

 

 予想通り…いや、期待した通りだとばかりに言葉を返してくれるウェインさん。けれどそこへ、ウェインさんは続ける。思いだけでは、無力なんだと。

…知っている。分かっている。それを俺は、力を失った事で…いいや違う。霊装者出会った約一年の間も、更に前…非日常に憧れ続けていた頃も、ずっと感じていた事なんだから。

 君なら分かるだろう。ウェインさんの言葉は、俺の心をそう見透かしているようでもあって……

 

「…それだよ、顕人クン。君の望みを阻んだものと、僕の願いを阻んだもの…それは同じだ」

「…それ……?」

「前に話しただろう?…霊装者の世界は、あまりにも成熟し過ぎている、と」

「……っ…!」

 

 それは確かに、初めてこうして話した時にも聞いた言葉。聞き、そして俺自身、理解出来ると思った言葉。

 そうだ。俺の果たそうとした事を阻んだのは、悪じゃない。無力だと言っても、それは霊装者としての力が足りなかったという訳じゃない。俺を阻んだのは、秩序ある組織…そこにおける正しさの一つであって、足りなかったのはその組織の中で、秩序の中で意見を通すだけの力だ。己の至らなさから、不甲斐ない終わり方をしてしまったけど…仮にあそこでしっかりと返せていても、もっと欠陥のない主張を俺が有していたとしても、それが一切合切の問題がなく、誰にとっても利となり、尚且つ実現可能という理想的なものでない限り、きっとどこかで却下をされていた。

 そして…その形は、それを正しいとする今の在り方は、間違っちゃいない。ただそれは…俺の、俺やウェインさんの望む、夢見た、そんな在り方じゃない。

 

「…………」

「君は無力だった。だがそれは、君の責任じゃない。今の霊装者の世界において、君の在り方と、正しいとされている在り方…いいや違うな。当たり前だとされている在り方が、合致していなかっただけなんだよ」

 

 胸の中を渦巻く思いに俺が閉口する中、ウェインさんは言葉を続ける。

 自分の在り方と、霊装者の世界における当たり前の在り方とが合致していないだけ。…そんな考え方、した事もなかった。でも、その言葉は俺の中で響く。確かにそうだ、そうかもしれないと、心の中から思えてくる。

 

「そしてこれは、そう簡単には変わらない。長い歴史と、先の大戦の上で成熟を迎えている今の霊装者組織で、その在り方と真っ向から反するような主張を…それも些細な事ではなく、組織全体に影響を及ぼすような事柄を通すのは、十分な立場にあったとしても難しいだろう。権力も立場も、その組織ありきのものだからね」

「……だとしても、組織は人の集まりです。なら、組織の在り方は一つでも、その中の一人一人の在り方は…」

「違うよ顕人クン。確かに個人的な事に関してはそうだとしても、組織に纏わる事となると、そうはいかない。人は組織の中で過ごす事で、その組織の在り方に染まるものさ。『世の中そういうものだ』…と、ね。…組織を変える、というのは果てしない事なんだよ。ドラマの様に、そう都合良くはいかない。根本から変えるのなら、それこそ…一代では、ほぼほぼ不可能だ」

 

 ウェインさんは、淡々と語る。現状を強く糾弾するでもなく、変わらない現実に諦観の念を籠らせるでもなく、ただただ淡々と、興味のない文章を読み上げていくかのように。

 それはどこか、あの日刀一郎さんが語った声音とも似ているような気がした。同じ組織の長として、そこに至ったからこそのものがあるという事なのか、それともこれは俺が思っているだけ、同じように聞こえているだけなのか。…どちらであろうと、何であろうと、その言葉には説得力ごあった。そういうものなんだろうと思わせるだけの、深みがあった。

……だからこそ、俺は言う。そうなんだろうと思ったからこそ…真っ直ぐに見返して、ウェインさんへと向けて言う。

 

「…だから、諦めろと言うんですか?俺の力では、いや他の人だったとしても、絶対に無理なんだと。それが現実だとして、諦めるしかないんだと」

「…そう、思ったのかい?」

「まさか。そうなんだろうとは思います。でも……そんなつまらない結論が、そんな夢も理想もない現実が、この世界の正しい在り方だなんて…真っ平御免だ…ッ!」

 

 ふざけるな、冗談じゃない。…体裁も何もない、剥き出しの感情が叫ぶのは、そんな思い。

 長い時間の中で積み上げられてきた結果?組織としての合理性?正当性?…あぁ分かる。理解は出来る。だけどそんなの、知ったこっちゃないんだよ…俺が夢見たのは、憧れたのは、そんな『日常』も変わらない普通の在り方じゃないんだよ…!

 

……そう、俺は俺の思いをぶちまけ…次の瞬間、ウェインさんは笑う。額に手を当て、さぞ楽しそうに。嬉しそうに。

 

「ふ…くくっ、はははッ!はははははははは!そうだ、そうだよ顕人クン!僕も同じだ、やはり君は僕の思いを理解してくれる!」

「……っ…ウェイン、さん…?」

「ははっ…いや、すまない顕人クン。君の言っている事はまともじゃない。普通はそんな事、したいとは思わない。なのに君は言い切った。何の躊躇いもなく、本気だと分かる意思を持って…ね。それを見て、気分が良くならない訳がない。自分と同じ思想を持つ人物が目の前にいて、高揚しない筈がない」

 

 まるで子供の様に、なのに…或いはだからこそ狂気も感じさせる声で一頻り笑ったウェインさんは表情を整え、口角を軽く上げつつも真面目に語る。

 まともじゃない。そう言ったウェインさんだけど…それを言うなら、ウェインさんこそまともじゃない。非常識な意思表示を聞いて、それで至極楽しそうに笑うなんて、嬉々として受け止めるなんて、それはもう普通の神経じゃないし……あぁでも、そういう自覚もあるんだろう。分かった上で…まともじゃないと、表現したのかもしれない。

 

「…だからこそ、僕は君に期待している。可能性を、見出している」

「…可能性、ですか?でも、俺には…それは、ウェインさん自身が……」

「そう簡単には変わらない。ああ、確かにそう言ったね。…そう簡単には、変わらない…と」

「……っ!…それ、って……」

「ところで、だ。顕人クン、正義側の定番と言えば、世界の平和を守る事だ。逆に悪役、黒幕の定番と言えば、君はなんだと思う?」

「……は、い…?」

 

 そう簡単には変わらない。…そう強調したウェインさん。その強調は恐らく…いや間違いなく、何か案があってのもの。

 けれどそれを話す事なく、おもむろにウェインさんは違う話をし始める。当然そんな事をされれば困惑をするものだけど…雑談の様な声音とは裏腹に、ウェインさんの瞳は真剣そのもの。だから俺は、一度困惑を置いておき…答える。

 

「…世界征服、ですかね。その形や、その為に行う事は違っても、世界を我が物にしてやろう…っていうのが、定番だと思います」

「そう、それだよ顕人クン。悪役は世界征服をしようとし、それを正義の主人公達が阻む。それが物語の定番で…だが悪側の目的が達成される事はそうそうない」

「それは…まあ、そうですね。悪側が勝つ事も偶にありますけど、あくまでそれは邪道…王道は、正義が勝ってこそですし」

「うん、それは別に良いんだ。だが、だからこそ見てみたい。空想の世界ですら滅多に描かれない、世界征服というものを。それが果たされた先、征服された後の世界を…ね」

 

 一見…いや、一聞すれば、ただの雑談。けれどその流れのまま、だからこそ…とウェインさんは言う。自分は世界征服を…その先の世界を、見てみたいと。

 思えば確かに、ウェインさんの具体的な憧れは聞いた事がない。非日常という漠然としたものではなく、俺にとっての『主人公』の様な、はっきりとした理想は聞いた事がなく…だがこれが、そうなんだろう。俺が主人公へ憧れるように、ウェインさんは空想の中ですらそうそう描かれないものを、夢見ていたという事だ。

……けど、そこで俺は気付く。思い出す。ここまでの流れを、ウェインさんが俺に言った言葉を。この流れに、期待という言葉が合わされば…見えてくるものなんて、一つしかない。

 

「…ウェインさん…?それは、まさか……」

「…言ったろう?簡単には変えられないと。変えるのであれば、異なる在り方を通すのであれば、本質から改革してしまうしかないという事だよ。…霊源協会だけではなく、霊装者の世界…その全てを覆す程の、結果で以って。そして君なら、それが……」

「ま…待って下さい…っ!それは…それは、俺の憧れじゃない…!そんなものを、そんな事を…俺が、俺が憧れているのは……ッ!」

 

 俺に、そうなれと…私利私欲で以って、世界を我が物にしようとするような悪役になれと言うのか。

 それは、幾ら恩のあるウェインさんからの言葉だとしても聞き入れられない。今度こそもう、何があろうと…憧れへの道を失う事も、そこから離れる事もしたくはない。

 だからこその否定、だからこその拒絶。

 けれど、それを分かっていたかのように…理解していたかのように、ウェインさんは笑みを浮かべ……言う。

 

「だから、君の思う形で進めてくれれば良い。僕が見たいのは、世界征服がされた後の世界…そして善人によって救われ、正義によって良い方向へと変わった世界もまた、それが全体ではなく個によって成されたのなら──世界征服と、言えるだろう?」

 

 善意による、正義による、結果的な世界征服。俺の憧れにも反しない、むしろそれに沿っているようにも思える、新たな道。その先にあるのは…自分の主張を貫き通せる、理不尽を覆せる、そんな世界。

 そう上手くはいかないだろう。いや間違いなく、困難を極める。そこに辿り着くまでの事を思えば、やはり俺にはあまりにも力が足りないのではないかと、そう思う。

 嗚呼、でも、それでも…非現実的であっても尚、ウェインさんの言う期待は、今示された道は、心が震える程に魅力的で……だから、だから俺は────。



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第二百十三話 既に動き始めた歯車

「……あれで、良かったので?」

 

 ガラス越しに見える、広い夜景。グラスを手にその夜景を眺めるウェインへと、背後からゼリアが声をかける。

 

「あぁ。焦って青いまま果実を採っても、それで満足のいく味は得られない。十分に成すべき事をしたのなら、後は下手に手を出さず熟すのを待つのが最善だろう?」

 

 振り返る事なく、ウェインは返す。再び顕人と、じっくりゆっくりと話した事を思い返しながら、口元に笑みを浮かべて続ける。

 

「それに、僕は彼の選択、彼の行動、彼の歩む道を見たいんだ。だから僕は、道の提示や進む為の力は用意しても、決定にまでは口を出さない。いつ、どの道を、どのように進むのかは、彼自身に委ねてこそ…僕の心は、満たされるんだよ」

「…まあ、貴方自身がそう思うのなら良いですが…それで当てが外れたとしても、自業自得というものです」

「分かっているとも。もしそうなってしまったら悲しいが…確実性ばかりを選んでいては、真の成功なんて得られないものだからね」

 

 彼の表情に浮かぶ薄い笑み。嬉しそうな…しかしそれでいて得体の知れないその笑みを浮かべるウェインが思い出しているのは、顕人との会話。交わしたやり取りと、そこでの思い。

 再び会話し、彼の思いを聞き、そしてウェイン自身も明かした。自らの抱く理想を。顕人へと向けた期待を。

 されどその結果、その場で顕人は答えを出さなかった。出さなかったが、ウェインはそれに対する不満などない。内容が内容故に、聞いたその場で答えを出す事など端からウェインは考えておらず…その上で、感じる事が出来たのだから。示した道へ対する、顕人からの可能性を。

 

(友の選択を、答えを待つ。これもまた新鮮な気分だ。……顕人クン、君は何を選ぶ。何を選び…どれだけのものを、僕に見せてくれるんだい?)

 

 都合良くいく保証はない。それどころか既に、ウェインは幾つかの事柄を顕人へと明かしてしまっている。それでも不安や懸念などなく、期待と答えへの興味が渦巻くのだから、全く同士というものは良いものだ、とウェインは心の中で密かに呟く。

 そうしてウェインは、グラスを口へと向けて傾け…小さく吐息を漏らすのだった。

 

「……ところでゼリア、君はまだ食べるのかい?」

「ええ。貴方は少食ですね、ウェイン」

「…淡々と食べ続ける君からすれば、大概の人間がそうだろうね…」

 

 

 

 

 期待されている役目の関係上、いつも味方の顔ぶれは変わる。勿論妃乃という、変わらない味方もいるが、逆に言えば変わらないのは妃乃だけ。…まあそもそも、昨年度までは妃乃以外と戦闘に出る事も、実戦をする事自体も少なかった訳だが。

 ともかく顔ぶれは毎回変わる。それ自体は、前にも似た感じで触れた気がするが…毎回変化するが故に、意外な巡り合わせになる事も…偶に起きる。

 

「悠弥君、準備出来たよ!」

「あいよッ!」

 

 埠頭での、高機動低空空中戦。蝙蝠と蛇が合体し、大きくなったかのような複数の魔物を追い立てる。素早く、且つ同種同士だからか連携してくるこの魔物達は厄介で、中々仕留める事は出来ない。有利か不利かで言えば有利なものの、無数のコンテナによって作られた十字路を右に左にと逃げる事で、鬼ごっこがずっと続いてしまっている。

 そんな中で聞こえたのは、茅章の声。茅章からの合図を受け取った俺は、攻撃二の次で逃げ続けている魔物へと突進。案の定無理な突進では魔物への攻撃に移れず、左側から迫られた魔物群は右側の道へと逃げたものの…そちらへ向かわせる事こそが俺の狙い。

 

「よぉし、一気に追い立てるぞ!場所間違えるなよッ!」

 

 次に聞こえたのは、上嶋さんからの指示。俺が上昇し、コンテナに邪魔されない高さから移動する中、味方が次々と仕掛けていき、誘導していく。ある地点へと、追い立てていく。そして……

 

「逃がさない……ッ!」

 

 恐らくはこちらの意図に気付きもしていないであろう魔物群。その魔物群がある地点を通った瞬間…通ろうとした瞬間、茅章による罠が作動する。コンテナとコンテナの間に緩んだ状態で仕掛けられていた糸が霊力を帯び、その状態で引き絞られる事によって魔物群を絡め取る。

 それだけでも十分なダメージ。加えた絡め取られてしまえば、速度も数も全くの無意味。茅章の仕掛けに掛かった時点で…結果はもう、決まったも同然。

 

「……!引っ掛かった奴等のトドメはこっちで刺す!悠弥!逃げた一体頼めるか!?」

「そのつもりです…ッ!」

 

 仕掛けられた罠で一網打尽…と一瞬は思った俺ながら、魔物同士がぶつかる事で一体だけ仕掛けに掛かり切らず、泡を食ったように離脱。だがその魔物が逃げた先は上であり…同じく高度を上げていた俺にとっては、むしろ向こうからこちらへ来てくれるようなもの。

 どうも高度を上げての飛行は向いていないのか、見るからに速度の落ちていく魔物。その魔物を見据えた俺は、直刀を構えた状態で力を込め…それを爆発させるようにして、一気に肉薄。すれ違いざまに刃を振るい……一刀の下、逃げる魔物を斬り伏せる。

 手にあったのは、確かに芯で捉えた感覚。振り返れば魔物は、顔から胴の中程までが捌かれた(というか俺が捌いた)、間違いなく致命傷の状態となっており…残りの魔物も、上嶋さん達の攻撃によって例外なく絶命をさせられていた。つまり…これにて、戦闘終了。

 

「ふー…お疲れさん、茅章」

「悠弥君こそお疲れ様。やっぱり、流石の動きだね」

「茅章こそ、ばっちりな仕掛けだったじゃねぇか。助かったぜ」

 

 張っていた糸を回収し終えた茅章に話し掛ける。ちょこまか逃げ回る今回の魔物(しかもやたらめったら撃ってコンテナや施設を壊す訳にはいかない)に対しては、罠を仕掛けて機動力を奪うのが最適だった訳で、糸という性質上開けた場所では上手く機能しないとはいえ、茅章の即席で罠を作れる力は本当に心強い。

 そんな茅章に罠を用意してもらい、その間の時間稼ぎと誘導を俺…それに上嶋さんの部隊で担い、今の通りの一網打尽に持っていったのが今回の作戦。つまり、何かっていうと…期せずして、今回は知っている相手ばっかりだったのである。そして妃乃は今回、別件でいないのであった。

 

「お疲れお疲れ。悠弥、最後はお前に任せちまって悪かったな。出来れば俺が対処したかったんだが…」

「や、場所とタイミング的にも俺が一番対応し易かった訳ですし、気にしないで下さい」

「うん?そうか…茅章の方も、責任の重い役目を担ってくれた事、今回のリーダーとして感謝させてくれ」

「い、いえそんな!僕は僕の出来る事をしただけなので……」

「くーっ…最近の若者は謙虚だよなぁ。実際に楽じゃねぇ役目を任されて、しかもそれを十分にこなしたんだから、もっと自慢気になったっていいのによ」

「いや、私達も世間一般じゃまだ十分若者でしょうが。何年長者ぶってるんだか…」

「良いじゃねぇか別に、二人よりは年長者なんだからよ」

 

 別に、特別感謝されるような事じゃない。それが合理的な判断で、戦闘中のものとなれば当然の事で、少なくとも俺にとっては一喜一憂する程のものではなかった。茅章の反応も、茅章の性格からすれば普通のもので…何というか、これを謙虚と称されても反応に困る。部隊の…えぇと、杉野唯さん…だったか?…に突っ込まれた後の反応を見る限り、冗談半分っていうか、「別にそこまで遜らなくたっていいんだぞ?」…という表現なのかもしれないが…ともかく俺が謙虚ってのを千嵜や妃乃辺りが聞いたら、すぐに否定してくるだろう。

 

「年長者、ねぇ。仕掛けの提案は彼だったし、そこからの作戦立案も後輩二人が主導だったように見えたんだけど、年長者ねぇ…?」

「うぐっ…俺は自主自立、一人一人の自らやろうとする意思を尊重するタイプなんだよ…!……多分」

「最後の最後で本音漏れてるぞー」

「うっせ、てかそれを言うならお前等だって似たようなもんじゃねぇか。全く、先輩が聞いて呆れる…」

『(あんた・隊長)がそれを言うな』

(なんだこりゃ…漫才か?漫才を見せられているのか…?)

「は、はは…愉快な人達だね…」

 

 似たような事を思っていたらしい、茅章の言葉に俺は同意。確かに愉快な人達だろう。…よく言えば、だが。勿論、味方としては普通に頼もしくもあったが。

 

「ごほんっ。…まぁ、実際茅章が発案して、二人が主導で作戦を立てたっていうのは事実だ。だから…よくやってくれた。ほんとにありがとな」

「あ…は、はい!僕こそ、色々と勉強になりました!」

「…同じく、こちらこそありがとうございました」

「おう。んじゃ、戻るとするか。もう気配はないとはいえ、油断だけはするなよ?」

 

 兎にも角にも、任務は達成したのだから後は協会に戻るだけ。なんか今の上嶋さんの台詞は、微妙に厄介な敵が出てくるフラグになりそうな気もしたが…アニメや漫画じゃないんだから、それっぽい発言一つ一つが律儀にフラグ化する筈もない。……え、わざと小説は外したのかって?…いいんだよ、そういうのは気にしなくて。

 

(…しっかし、今回の場合は俺の意味があったのかねぇ……)

 

 始めに言っておけば、これは結果論だ。毎回人が変わるんだから、こういうパターンもまああり得なくはないとは理解している。だがその上で、俺は思った。今回の面子は、俺の存在が士気高揚に繋がらない…というか、俺がいなくても良いモチベーションを維持していたんじゃないのか、と。

 素直で実直で向上心の強い茅章にしろ、軽い調子なようでしっかりと味方を気遣い、隊長としての手腕を発揮している上嶋さんにしろ、今回の面々は元から精神に安定性がある、周りの状況にあまり左右されず力を発揮出来る…みたいな感じの人ばかりだと思う。勿論、大規模戦闘で相当押されているだとか、去年の魔王強襲の様に、全く想像も付かなかった自体に見舞われるとかになれば、そうもいかないだろうが…それは誰だって同じ事。俺が言いたいのは、そこまでの事態じゃない…今の、全体として起こり得る「なんとなく悪い雰囲気」で士気が下がる様な人達じゃないって事で…まあでも、そりゃありがたい事か。少なくとも、協会にとっては。

 

「悠弥君、戻った後はどうするの?」

「ま、取り敢えずは妃乃と合流だな。妃乃の用事がまだまだかかりそうってなら、先に帰るか別の事するか考えるが」

「そっか。…………」

「……茅章?なんか考え事か?」

 

 帰る道中、軽い会話の後にふと考え込むような表情を浮かべる茅章。何か悩みか、困っている事でもあるのかと思って訊くと…茅章は軽く、肩を竦める…。

 

「別に、考え事って程のものでもないよ。ただちょっと、もっと攻撃面…糸そのものの切断力とか破壊力を向上させられれば、ただ捕まえるだけじゃなくて、そのまま切り裂く事も出来るんじゃないかな…って」

「あぁ…(それ、実際やったら普通に倒すのとは比べ物にならない位グロい光景に…ってのは、置いとくとして…)…まあ、出来ない事はないだろうな。けど、無理に目指す必要もないと思うぞ?そもそもの性質として、糸は剣や銃みたいに戦闘特化の武器じゃない…ってか、普通は武器にならないものだしよ」

 

 あぁ、やはり茅章の向上心は凄い。今の言葉で、自然とそんな思いを抱く。俺もまぁ、そこそこは向上心を持って鍛錬もしているが…過去があったり、去年一年で色々と経験してきたからこその俺と違って、茅章にそこまでの経緯はない筈。動機も前に聞いた通り、俺や御道への…身近な存在への憧れなんだろう。それだけ…って言うと、茅章に失礼だが…特別な覚悟がある訳でもない、面倒になれば手を抜けてしまう中でも、余念無く向上心を持ち続けるというのは…間違いなく、凄い事だ。

 とはいえ、手放しで応援するのは違う。努力ってのは、ただがむしゃらに頑張るって事ではない。

 

「攻撃面も強いに越した事はないが、やっぱ糸は柔軟性、霊力を通していない状態での低視認性、それに収束させるか分散させるかを選べる対応力の高さが持ち味だろ?そっちが伸び悩んでるとかならともかく、そうじゃないならそっちを伸ばす方が良いと俺は思うな。…まぁ、これについては俺以外からも意見を貰った方が良いと思うが…」

「うーん…そうか、確かにそれも一理あるよね…うん。ありがとう、悠弥君。言われた通り、他の人にも訊いてもう少し考えてみるよ」

「ああ、頑張れよ」

 

 こくりと一つ頷いた茅章の、感謝の言葉。それに俺は、その意気だ…っていう含みも込めて、頑張れよ、という言葉を返す。

…なんて、偉そうな事を言った俺だが、俺だって自分に対する課題は多い。人に教える事で自分もより上達するって事もあるが、それよりまずは自分自身、頭を捻って努力もして、それで向上していくべきだ。

 

「…また今度、都合が合う日にでも手合わせするか?っていうか、相手になってくれるか?」

「え?も、勿論だよ!こっちこそ宜しくお願いします!」

「よし、決まりだな」

 

 そうして今回の任務も終わる。つつがなく、こちら側の完全勝利で。現状、俺へ期待された役目をどこまでこなせているかは分からないが…今後も、やれるだけはやってみよう。

 

 

 

 

 双統殿に戻り、決めていた場所へ向かうと、そこにはもう妃乃がいた。どうやら、今日は妃乃の用事の方が先に済んだらしい。

 

「今来たところか?」

「えぇ、まあそんなところ…って、開口一番何決め付けてくるのよ…普通それ、貴方が『待たせて申し訳ない』って感じの発言をした時に、私が返しとして使う言葉でしょ……」

 

 当たり前だが、早速肩を落とす妃乃。しかしこの場合、任務だったんだから仮に待たせたとしてもそれは仕方のない事。…まあ、それはそうとして、待っていたなら「悪い」とでもつもりだったが…。

 

「…ま、別にいいけど。それより、今回はどうだった?その様子じゃ、今回も順調だったんでしょうけどね」

「おかげさまでな。今回は味方も味方だった分、多少時間はかかったが楽なもんだったよ」

「へぇ?…あぁ、そっか。そういえば今日は、知り合いが多いって言ってたわね」

 

 話しながら、廊下を歩く。実際実力もそうだが、知り合いか否かってのはかなり大きい。そりゃ、知らん相手と知ってる相手とじゃ、大概は後者の方がずっと意思疎通し易いしな。

 

「妃乃こそ、今日はスムーズに用事が済んだんだな。まあ、何してたのかは知らないが」

「あぁ…うん、まぁね…」

(ん……?)

 

 返ってきた、微妙に歯切れの悪い反応に俺は少し違和感を覚える。

 少なくとも俺は、返答し辛いような質問はしていない。というか、厳密に言えば質問の形ですらないし、現に妃乃は俺より先に来ていた訳だから、その通りだと肯定するだけの場面だった筈。にも関わらず、歯切れが悪くなったのは何故か。…何か、その用事とやらで言い辛い事でもあるのか。

 

「…妃乃。今日の用事ってのを、訊いてもいいか?」

「…気になる?」

「それなりに、な」

 

 考えたって仕方ない。だから取り敢えず訊いてみて、拒否られたら素直に引き下がろうと思い、俺はそのまま妃乃へと尋ねる。

 すると返ってきたのは、然程嫌そうでもない回答。どうやら、絶対触れてほしくない…って程の事ではないらしい。

 

「…あれよ。例の件の報告と、それを踏まえての会議をしてたの」

「あぁ…けどその様子じゃ、内容はそんな芳しくなかったっぽいな」

「ううん、そうでもないわ。報告…っていうか、調査自体はしっかり進んでるし、今後の方針会議の方も……」

「…妃乃?」

 

 実りのある内容じゃなかったから歯切れも悪かったのか、と思った俺だが、妃乃はそうではないと言い…何故かその後、中途半端なところで止まる。急に何だと思って呼び掛ければ、今度はツインテールを揺らしながら周囲を見回し…次の瞬間、俺はある通路へと引き込まれる。その先にはお手洗いしかない、人影のない通路へ。

 

「えっ…いや、ちょっ…妃乃さん……!?」

「な、何よそんな驚いた顔して。確かにいきなり引っ張りはしないけど、何もそこまで……」

「…妃乃。俺は妃乃を、大事な相手だと思っているし、尊敬もしてる。魅力だって、十分どころか十二分にあると思う。…けどな、だからこそ俺は、こんなよく分からん勢いでなんて……」

「へ?いや、何を言って……って、あ、あんたまさか…はぁ!?はぁぁぁぁッ!?」

 

 突然の引き込み、お手洗い、人気のない場所。そこからある事が思い付いた俺は、まさかとは思いつつも…もしそうならば、なあなあになんかしちゃいけないと、はっきり俺の意思を言おうとする。

 だが、それを伝えようとしている最中、怪訝な顔をしてた妃乃の顔はある時一気に赤くなり…次の瞬間、大音量の「はぁ!?」が俺へと返ってくる。

 

「ばっ、馬鹿じゃないの!?バッカじゃないの!?はぁぁッ!?」

「う、五月蝿い五月蝿い…!いきなりそんな大音量の声出すなよ…!後、勘違いだってんならそりゃ妃乃のせいだからな…!?」

 

 いきなり引き込んだかと思えば、今度は酷くシンプルな罵詈雑言をぶつけてきやがる妃乃。分かる。確かにこんな勘違いされたら、そりゃ恥ずいし憤慨もしたくなるだろう。…けど、これ妃乃のせいだからな!?俺はむしろいきなり訳分からん事されて、状況から意味深さを感じさせられた側だからな!?

 

「な、何よ!あんな事言っておいて、私に責任なすり付ける……」

「…………」

「……ごめんなさい、今回は私が悪かったです…」

 

 だがそんな俺の反論は意にも介さず、烈火の如く妃乃は怒り……続けるかと思いきや、何かに気付いたように横を…お手洗いの方を向き、掴んだままの手首を見て、俺の方へ視線を戻し……自分で自分にショックを受けたような顔をして、項垂れたまま謝るのだった。

 

「ったく…で、結局そうじゃないならなんなんだ?」

「う…た、単に誰かに聞かれる危険性を考慮しただけよ…」

「なら、ここじゃ不味いからこっち来て、とか言えばよくね…?」

「うぐっ……」

 

 何も言い返してこない辺り、それが思い付かなかったらしい。それに対して「何やってんだかなぁ…」と思う俺だが、取り敢えず今は言わないでおく。反省はしているようだし…今は変に責めると、また爆発しそうだしな。

 

「…まあ、それは良い。それよりも、本題を聞かせてくれ」

「…そ、そうね。なら、まず調査の方だけど…聖宝、その完成には、霊装者の力である霊力や、魔物や魔人の持つ力…便宜的に言うなら魔力かしらね。…が、更に必要だって分かったわ」

 

 俺も妃乃も気を取り直し、する筈だった話に戻る。聖宝の完成に必要なもの…それはかなり重要な情報で、それを明らかにする事が出来たというのなら、調査としてはかなりの進展……

 

「…って、ちょっと待て…今、『更に』って言ったよな?という事は、やっはり……」

「えぇ。あの時力を失った霊装者、その霊力は…恐らくその殆ど、或いは全部が、聖宝の糧になったんだと思うわ」

「……っ…なんで、そんな事が…」

「それは今も調査中よ。富士山という土地に、そういう性質があるのか、それとも別の理由なのか……」

 

 そう予想出来る要素はあった。だが、それが調査によってはっきりしたとなると、やはり思うところがある。俺自身は被害を受けていなくても、勝手に力を奪われるなんて、その力を疎んじていた人以外は不幸以外の何物でもない。

 

「そして、もう一つ。力の吸収は、あの光以外からでも行われる事も分かったわ。富士山では発生した霊力や魔力は、自然と聖宝の糧として吸収されるみたいね。…と言っても、そっちは意識しても気付かない位、ほんの少しずつしか吸収されないみたいだけど」

「…つまり、富士山での戦闘行為は、聖宝の完成においてはプラスな訳か。けど、単に霊力を吸収させるだけなら、戦闘じゃなくて単なる訓練でも…と、思ったが、一人二人でやるんじゃ途方もねぇし、集団でやると魔物をおびき寄せちまうだけか……」

「…………」

「……妃乃?」

 

 ふと案が一つ思い付いたが、それを実行するのはリスクが大きい。そう思って言うのを止めた俺だが、いつの間にやら妃乃は神妙な顔。

 

「…ねぇ、悠弥。この件は、どうしても受け身に回るしかなくて、完成までは仮に襲撃に勝てても、それで解決にはならない…って話、前にしたわよね?」

「あぁ、したな。けど、なんで急に……」

「…その状況を、大きく変えられる方法があったとしたら、どうする?」

「え……?」

 

 そう言いながら、更に深まる神妙な表情。そんな方法があるのか。聞いた瞬間そう思った俺は、反射的に訊き返し…だが、今し方聞いた話が頭をよぎる。

 聖宝は、富士で発生した霊力や魔力を糧にする。そしてそれ等が発生する状況と言えば、勿論戦闘。それを前置きとした上で、それが分かった状態で、大きく変える方法なんてものが出てきたとしたら。

 そんな思考が、俺の頭の中をよぎり…その答え合わせをするように、妃乃は…言う。

 

「──わざと戦闘を引き起こす。聖宝を朝に、敢えて魔物や魔人を誘い出して、大戦力での迎撃を行い、膨大な量の霊力や魔力を発生させる事で、聖宝を完成させる。…そんな案が、今日の会議で出て…それを行う方向での作戦立案と調整をしていく事が、決定されたわ」



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第二百十四話 君の思いは

 狙われる対象であり、守らなくてはいけない対象であり、その完成が望まれる存在、熾天の聖宝。…その要素を逆に利用する事で、敢えて聖宝を絶対の防衛対象ではなく餌とする事によって、狙っているであろう魔人を誘き出す。微弱ながら、富士山という土地の中で発生した霊力や魔物、魔人の力を吸収するという性質を活用し、完成という形での作戦完了を目指す為に、誘い込んだ上での迎撃戦を繰り広げる。…それがそう遠くない内に行われると、妃乃は言った。

 あの地下空間から動かせないからといって、何もせず、いつになるかも分からない完成を待ち続ける…なんて判断を、協会がする訳がないっていうのは分かっていた。そんな作戦でも何でもない、受け身オブ受け身の選択をしていたんだとしたら、それは先行き不安にも程がある。

 けど、だったらその誘い込み作戦に賛成なのか、良い作戦だと思っているのかと言われれば……そうだとは、言い切れない。

 

「そっか…お兄ちゃん、そんな話をしてきたんだね」

 

 妃乃からの話を聞いてから、数時間。家に戻り、普段通りの事をしていた俺だが…多分、考え事をしてるってのが、顔に出てしまっていたんだろう。何かあったのか、と緋奈から訊かれ…俺は答えた。双統殿の廊下で聞いた、その作戦の話を。

 

「まぁ、なんつーか…意外だったよ。まさかそんな作戦が立って、しかも実行する方向で話が進む事になったなんてな」

 

 ソファに深く身体を沈めながら、俺は答える。色々思うところはあったが…というか今もあるが、まず抱いたのは驚きだった。思いもしなかった、そんな感情だった。

 

「誘き寄せる、って事だけど…その、聖宝?…の事を、本当に魔人は知っているの?その確証はないんだよね?」

「そうだな、それはその通りだ。けど確証はなくとも、そう考えられるだけの要因はある。それに…これは俺の推測だが、誘き出されてこなかったら、それはそれで良いんだよ」

「そうなの?」

「ああ、何せその場合は、絶好のチャンスなのに仕掛けてこなかった…つまり、そもそも知られてないって事がはっきりする訳だからな。知られてないなら狙われる事もねぇし、そっちの方がずっと助かる」

 

 まあ尤も、それは誘い込もうとしてるのを見抜かれなかった場合だけどな…と、説明した後心の中で俺は続ける。

 何にせよ、こういう作戦はバレない事が重要になる。当然誘い込む為には、チャンスと思わせる…つまり、見える戦力を減らした上で、多くの戦力を伏せておく必要がある訳だが、こういう類いの作戦は一度やったら警戒される以上、やり直しなんて効きはしない。

 

「やるとすりゃ、また大規模な戦いになるだろうな。奪われちまったら元も子もねぇし、狙い的にも少数精鋭より大規模戦闘の方が良いだろうし…魔人側も、組織立った動きをしてくるなら、攻略戦の定石として半端な戦力で仕掛けようとする筈がねぇ」

「へ、へぇ…定石なの…?」

「ん?…あ、悪ぃ。例外もまあまああるから基本的な考え方の一つに過ぎないんだが、攻撃する側と防御する側だったら、攻撃する側の方が難易度が高いんだよ。攻撃する側は防御を突破しなきゃいけない…つまり、それなり以上の『勝ち』を戦いの中で上げなきゃいけないが、防御する側は突破さえされなければ負け気味でも大丈夫だし、加えてそれが基地や拠点への攻撃だった場合、攻撃側は移動してきたんだから当然自分達の基地から離れた場所で戦う事になる訳だから、な」

 

 しまった、妃乃を始めとする他の面々と違って、緋奈は(当然だが)その辺りの知識がそんなにないんだった…と思い出して俺は説明。上手く説明出来たかどうか分からなかったが、俺の説明に対して緋奈は「お兄ちゃんがそう言うって事は、きっと正しいんだよね」と頷きながら返してくれた。話は誰が言ったかじゃなくて何を言ったかで判断するべきだ、って言葉があるし、実際「誰の発言か」「どんな発言か」はそれぞれ分けて考えるべきだと思うが…緋奈に対しては問題なし!これからも存分に「お兄ちゃんの言葉だから」で判断してくれて構わないぞっ!

……ごほん。違うな。いや、俺のスタンスは変わらんが…流石に今は、んな事考える流れじゃない。

 

「とにかく実行したとすれば、協会の想定する形で事が進むなら、大きな戦いになる事は間違いない。気になるのは、それを実行する場合のこっち、双統殿側の戦力で……」

「…ねぇ、お兄ちゃん」

「うん?また何か分かり辛かったか?」

「ううん。…お兄ちゃんはさ、この作戦に賛成なの?」

 

 その後もぶつくさと話していた俺へ対する、緋奈からの新たな問い。それは、かなり単純な質問で…それでいて、核心を突いた問いでもある。

 俺はそれを、ここまで意図的に話さないでいた。話したくなかったんじゃなく…言わない事で、ぼかしていた。

 

「…そう、だな。少なくとも、絶対反対…って訳じゃない。現実問題として、雪山でいつ終わるのかもよく分からないまま、何がどの程度来るかもはっきりしない敵に対する備えをし続ける…っていうのは、心身共に負担が大き過ぎるからな。これは可能なら、出来る限り早くケリをつけた方が良い。こっちから状況を動かせるなら、それに越した事はない」

「…けど、だから賛成…って訳でもないんだね」

「…よく分かったな」

「分かるよ。生まれてからずっとお兄ちゃんの妹やってきたんだもん」

 

 そりゃそうか、と俺は納得。ずっと俺の妹だったんだから…そこには具体的な理由も根拠もなかったが、納得出来る。そうだと思える。それだけの積み重ねが、俺と緋奈の間にはある。

 

「…協会の判断が合理的で、現実に即してる…ってのは分かる。俺だって、そうだと思う。けど…結局のところ、これはこっちの意思で起こす戦闘なんだよな。しかも通常の任務とは違う、普段の魔物討伐とは比べ物にならない程の大規模戦闘を、こっちから誘い込む形で起こすんだ。はっきり言ってこれは、魔人側から普通に襲撃を受けた場合よりも、大規模な戦闘になるかもしれない」

「…そっか…そうだよね。仕掛けてくるように、こっちからそうしたくなるようにする訳だもんね…」

「それに…多分、これまでと同じように聖宝の事は公表しない。大半の霊装者には別の名目で作戦参加をさせるんだと思う。…前の時と、同じようにな」

 

 仮にそうだったもしても、そうする理由は「公表する事で別の勢力、別の組織による横槍や漁夫の利を狙った襲撃が起こる可能性を生じさせない為」という、これまた合理的なものだろう。総合的に考えても、この誘い込む作戦には、妥当性も正しさもあるんだと思う。そして合理的で、妥当で、正しさもあるのなら…やはり、余程の問題が起きない限り、この作戦が実行されるのは間違いない。

 だが…結局のところそれは、協会の上層部が、組織が決めた事だ。確かに合理的で、しかも富士での任務に当たっている霊装者の負担の事も考慮している作戦ではあるが…一方通行な、上から押し付けられる正しさであるような気が、俺にはしている。

 組織っていうのは、そういうものなのかもしれない。合理的、って言うとまるで冷たいように感じるが、色々考えた上で、一番良い結果になるもの、なりそうなものを選んでるって意味じゃ、何も間違ってなんかいない。ただ、それでも……

 

「…正義は一つじゃない、正義は人の数だけある…っていうのを支持する訳じゃないが、一人一人価値観や重視するものは違う。けど組織は、集団全員分じゃなくて、何か一つの事を決めなきゃいけない。…それって、凄く難しい事だよな」

「難しいね…」

 

 長々と緋奈に対して話してしまったが、自分の思考を話す事で、少しだけ纏まった。

 俺はこの作戦に、賛成出来ていない。けど、これにある正しさが分かっているからこそ、反対も出来ないんだ。こういうどっち付かずなのが一番困るもんだが…それが今の、俺の考えなんだ。

 だが恐らく、そうだとしても、呼ばれりゃ俺は従うしかない。こんなどっち付かずな考えで、上層部を変えられるとも思わない。だとすれば俺に出来るのは、楽して余計な事は考えないようにするか、俺の中での考えを変えるか、或いは……

 

(従う中で、俺が納得出来る事を出来る限りするか、だな……)

「…ねぇ、お兄ちゃん。わたしに出来る事って…ある、かな」

 

 そんな思考に耽る中、不意に緋奈が言った言葉。それは俺にとって、全く予想もしてなかった事で…だが、緋奈は優しい性格をしている。そんな緋奈が、こんな話を聞けば、「自分にも何か出来ないか」…そう思うのも、無理はない。

 

「…緋奈、それは……」

「うん。全部、含めてだよ」

 

 兄妹故の以心伝心…かどうかは置いておくとして、緋奈は答える。俺が最後まで言うよりも早く、はっきりと。俺の目を見て、真っ直ぐに。

…いつの間に、こんなにも頼もしくなったのだろうか。あれからの一年間と少しで、俺が大きく変わったように、緋奈も変わったという事だろうか。或いは、俺が変わった事で、『今の緋奈』をちゃんと見られるようになったのか。…まあ、どっちだっていい。どっちであろうと…今の緋奈は頼もしく、且つこれまでと変わらず可愛いのだから。

 

「それが、本気の言葉なら…ってのは、無粋だよな。…そういう事なら、妃乃に言った方が良い。妃乃なら、緋奈が力になれる事があれば…言ってくれるさ」

「うん。お兄ちゃん、わたしも頑張るよ。…出来る事があったら、だけどね」

「ははっ、そりゃそうだな。…けど、あるさ。緋奈は、お兄ちゃんの妹なんだからよ」

 

 そう言って俺が笑えば、緋奈も頷き笑みを返す。大丈夫だと、そう答えるような笑みを。

 反対する気持ちが、何もないといえば嘘になる。今の俺は変わったと言ったって、緋奈に危険な事はしてほしくないという気持ちは変わらずにあるし、緋奈が安心安全に過ごせる事が一番良いに決まってる。だが…当たり前だが、緋奈だって一人の人だ。だから自分の事を自分で決める権利があるし、緋奈が何も知らない、何の力もない少女だったのは、もう完全に過去の事。何より俺は兄だからこそ…緋奈の味方でいたい。緋奈を応援出来る、背中を押せる兄でありたい。

 そして…それならばやはり、俺のやる事は決まっている。ただ流されるか、更に変わるか、変わらないまま出来る事に力を尽くすか。やれる事をやろうとしている、立派な妹に相応しい兄として選ぶべきは、選びたいのは……一つだ。

 

 

 

 

「ラフィーネ、フォリン、話があるんだ。…いや、話があるっていうか…聞きたい事がある、かな」

 

 その日俺は、リビングで二人へとおもむろに切り出した。えらい唐突に聞こえるかもしれない…というか、二人からすれば完全に唐突なんだけど、これは順を追ってするような話でもない。

 

「聞きたい事、ですか?」

「ひとつなぎの大財宝の正体?それなら……」

「いや違う違う、それを訊きたいんじゃ…え、知ってるの!?嘘ぉ!?なんで知ってるの!?」

 

 内容を言いもしない内から答える姿勢に入るラフィーネ。けど当然俺がまず言ってないんだから、その回答もトンチンカンなもので…ただそのトンチンカンな回答というのが、予想外の極みみたいな回答だった。

 もし知ってるなら、それはそれで訊きたい。超訊きたいけど…そうじゃない(後、普通に冗談だった。…そりゃそうだよね…)。

 

「けど、読む人の時期によっては、既に普通に知っている可能性も……」

「そうだけども!俺は今現在の話してるから!投稿日時点の話だからね!?」

「あのー、顕人さん…私の勘違いなら別に良いのですが、顕人さんは割と真剣に訊きたい話があったのでは…?」

「あ…ご、ごほんっ。しまった、完全に乗ってしまった……」

 

 返しがエキセントリック過ぎて思わず乗ってしまったけど、俺は駄弁りたかった訳じゃない。だから指摘された俺は咳払いをする事で意識を切り替え…って、よく見たらちょっと笑ってるじゃんフォリン…!さては俺とラフィーネのやり取りを見て楽しんでたな…!…全く……。

 

「…俺が聞きたいのは、二人が見てきた世界各国の事だよ。これまで二人は、色んな国に行ってきたんだよね?」

「それは、そう」

「うん。だから、その時の話を聞きたいんだ。…って言っても、別に観光とか名所とかの話じゃなくて…霊装者としての視点から、見てきたもの、感じた事を、聞かせてほしい」

 

 頭をクールダウンさせて、俺は軽く二人を見回し本題に入る。俺が何を二人から聞きたかったのかを、そのままに話す。

 

「…どうして、そのような事を?」

「知りたくなったから、かな。日本の外、それそれの国の事を。…俺はまだ、知らない事が多いから」

「そう、ですか…顕人さんのお望みであれば、話すのは構いません。ただ、その……」

「分かってる。二人の話せる範囲で…話していいと思う範囲で大丈夫だよ。無理して話すなんて事は、しなくたっていい」

 

 漠然とした回答でも俺の心が伝わったのか、或いは察してくれたのか、フォリンさんは今の説明だけでも了承してくれた。そして、それからフォリンさんは表情を曇らせ…今度はそれに、俺の方から言う。無理はしなくていいんだ、と。

…当然だ。二人は、好きで世界各地へ行っていた訳じゃない。それはBORGからの命令で、他に行く宛てがなく従わざるを得ない中で行ってきた、暗殺という陰惨な過去そのものであり…俺は断れる事も、普通に考えていた。断られたら、喰い下がる事なく諦めようとも思っていた。

 けれど、二人は話してくれるという。ならば、感謝しなくてはいけない。拒絶する事なく話してくれようとする、二人の気持ちに。

 

「ありがとうございます。…ですが、私達もどこまで顕人さんの期待に添えるかは分かりません」

「わたし達が潜入してきたのは、霊装者の組織だけじゃない。殺してきたのも…霊装者、だけじゃない」

「それも、分かってる。その上で、俺は二人に訊いたんだよ。だから…二人の出来る、二人の話。それを、お願い」

 

 そうして二人は話し始める。二人がこれまでに行ってきた、経験してきた、数多くの事を。

 当然それは、楽しい話なんかじゃなかった。それぞれの国、それぞれの場所での目的が明るくなんてない、暗いばかりのものなんだから、楽しい話になる筈がない。

 それでも二人は、俺の意図を最大限汲んでか、見てきた国の霊装者、組織、それ等の雰囲気や現状を、知っている範囲で語ってくれた。過去について話すなんて、どうしたって忘れたくても忘れられない、抱え続けなきゃならない闇を掘り返す行為だというのに、一つ一つ教えてくれた。

 

「…こんな、ところでしょうか。そして、その次は…顕人さんの、知っての通りです」

「そ、っか…それで、日本に……」

「…顕人、今の話で良かった?顕人の気になる事、聞けた?」

「…うん。ありがとう、二人共。二人には、感謝しかないよ」

 

 ラフィーネからの問い掛けに、強く頷く。頷いて、感謝を伝える。

 要望に応えてくれた事、知れた事。これは勿論ありがたい。けどそれ以上に、話してくれた事そのものが、嬉しかった。感謝したいと、強く思った。二人はきっと、俺の頼みならばと話してくれたんだと思うから。

 

「それなら、良かった。…けど顕人、フォリンにもっと、感謝してるって伝えてあげて。フォリンはきっと、話している間辛かった筈だから。だからもっと……」

「そ、それを言うならラフィーネの方ですよ…!顕人さん、もっとラフィーネを労ってあげて下さい…!ラフィーネは平気な顔をしてるだけで、本当は……」

「あ、う、うん。分かったから二人共落ち着いて、ね…?」

 

 お互いに「相手へもっと感謝してあげて」と迫ってくる二人。それは互いを思い合う、自分以上に相手の事を大切にしている姉妹の絆の表れで…でもそんな感じで迫られてしまえば、正直反応に困るのも事実。

 

「えぇ、と…もっとって事だけど、具合的にはどうしたら…?」

「…………」

「…………」

『…撫でて』

「あっ、はい…」

 

 そしてどうしたらいいのか訊くと、二人は顔を見合わせ、それから揃って「撫でて」、と回答。…なんだろう、この微妙にシュールな流れ…。

 

「…じゃあ、失礼して……」

「ん……」

「んっ……」

 

 差し出された二人の頭に触れ、頭の形に沿うようにしてゆっくりと撫でる。始めるとすぐに、二人は小さな吐息を漏らして…どきりとする。どきりとさせられてしまう。

 髪の色は違えど、その柔らかさは同じ。柔らかく、さらさらとした髪はただ撫でているだけでも心地良く、加えてその下で二人もまた心地良さそうに、気分が良さそうに表情を緩めてくれるものだから、なんか普通に続けたくなってしまう。

 けど、俺は知っているのだ。こういう時調子に乗ると…誰か(大方は綾袮)に見つかって、大変慌てる羽目になると。

 

「…ごほん。二人共、そろそろいいかな?」

「…何故に咳払いを?」

「う…な、何でもない……」

「…顕人、後ろめたい事が?」

「だ、だから何でもないって…!」

 

 じぃっと見てくる二人の視線から流れるように顔を逸らしつつ、でもちらちらと二人を見る。

 最後まで淀みなく話してくれたとはいえ、やっぱり本当は語った事で心に影が差し込んでいるんじゃないかと、そんな不安が俺にはあった。

 けど…二人が浮かべていたのは、少し意地の悪い笑み。顔を逸らした俺を見て、してやったりと思っている…そんな風な顔をしていて…だから、安心した。

 

(…けど、そうか……)

 

 ほっとした事で、意識は二人の事から、二人から聞いた内容へと移る。

 何故、他国の事を訊いたのか。…これは本当に、他国の事も知りたかったから。協会だけじゃない、世界全体における、『霊装者の世界』を知りたいと思っていたから。

 そしてその点においては、残念ながら詳しいレベルまでは分からなった。まあでもそれは、仕方のない事。俺の知りたい組織の在り方、組織の中の人の認識なんて、長期間そこに所属して、組織の人間として思われていなければ、ちゃんとは分からないものだから。

 

「……ねぇ、ラフィーネ、フォリン」

「ん、何?」

「二人から見て、霊源協会は…良い組織だと、思う?」

 

 背けていた顔を戻して、二人へと訊く。それは二人からすれば、多少の脈絡こそあれど、やっぱり「急に何を」という話で…けれど顔を見合わせた後、ちゃんと問いに答えてくれる。

 

「…正直、特別良い組織だ…とまでは言いません。私達の扱いの事を考えれば、情のある組織だとは思いますが…良くも悪くも、霊装者の世界において強大である『日本』の組織なのだなと、私は思います。ただ……」

「顕人もそう。綾袮もそう。ここには…優しい人が、多い。だから…感謝している」

 

 引き継ぐ形でラフィーネが言い、「ですね」とフォリンが微笑み頷く。…それは、正直な思いなんだろう。間違いない。ラフィーネもフォリンも、そういう人だ。優しい人が多いと思ってもらえているのなら、その中の一人として自分が思われているのなら…光栄だって、心から思える。

 けど、これが答えだ。ラフィーネの言葉は、一人の人としての思いだろうけど…フォリンが語った部分は、「霊装者として」の認識だろう。やはり現代の霊装者の世界においては、「こういうものだ」という認識が一人一人の中にも、組織全体にもあって…それは今の霊装者世界においては正しくとも、俺の信じる正しさじゃない。

……少しずつ、俺の中で心が、意思が固まっていく。その先あるものが、まだどうなるかは分からない。それでも俺の心は…確かに「そちら」へと向かいつつあった。

 

 

 

 

 

 

 因みにこれはもう完全に余談だが、その後暫くしても、リビングに誰かが来る事はなかった。…なんか少し、損をした気分だった。



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第二百十五話 それでも親は子を思う

 あのホテルで再びウェインさんと言葉を交わしてからも、俺は色々な人と話し、思いや考えを聞き、それを俺の中で溜め込んでいった。聞く度に俺は考えていった。それとなく、今の協会や霊装者の世界について聞いてみて、自分の中に蓄積していった。

 当然ながら、一人一人の意見は違う。同じ事について、同じ条件であったとしても、それぞれ大事にしている事や重要としている部分が違って、だから簡単には括れない。

 けど…全員が全員、全く違う考えや意見なのかといえば、そうでもない。多くの人に共通する部分というものはある。共通認識の様に、常識の様に見られていて、それ故に肯定されている…部分的に批判される事はあっても、根底までを否定される事はない、そういう部分が確かにあって…それ等は要約すると、こうなる。──協会は、真っ当な判断をしている、と。

 

「…まあ、確かにそうだろうさ。それはそれも否定しないけど、さ……」

 

 ベットに横たわり、膝から下はベットの外に出した状態のまま、ぽつりと呟く。

 寝起きでも、これから寝るところでもない。昼食を取ってからもう数時間。自分の部屋で、何をするでもなく俺は黙々と考えていて…けれど、行き詰まっていた。その行き詰まりが漏れ出るように、俺は独り言を呟いていた。

 

(そういやさっきから、全然慧瑠が話しかけてこないな……)

 

 普段ならこういう時、割と慧瑠は声を掛けてくる。真面目に俺の考えている事について意見や質問をしてくる事もあれば、茶化すような事を言ってくる事もあるのに、今日はさっきその姿を目にして以降、全く見えなければ慧瑠から話しかけてもこない。

 俺が黙々と考えていたから、邪魔をしないようにと気を遣ってくれたのだろうか。それとも俺の意識が思考に集中していて、普段以上に全く別の事を考えていたりしないから、慧瑠は現れようにも現れられないという事だろうか。…どちらなのかは分からない。どっちも違う可能性もある。ただ、今は…今頭の中にある思想以外へ、あまり意識を割きたくない。

 

「組織がそう決めたのなら、協会も協会で出来る限りの事をしている筈だから…その考え方も間違っちゃいないだろうが…結局これって、組織にとっちゃ都合の良い思考なんだよな…」

 

 協会への擁護。それは力を失った人達からも、よく耳にしている。まあ確かに、あの場の真実を知らなきゃただの事故な訳で、そうでなくとも組織に所属するか否かは自己意思で決めるものなんだから、協会に責任を求めない、というか責任転嫁しないって事なんだろうけども……

 

「…あー…駄目だ、やっぱり駄目だ。どうにももやもやしてる感じがある…イマイチ集中し切れない……」

 

 右手の甲を目元に当てて、一人ぼやく。こう、やる気はあるのに集中出来ない、考えなきゃとは思っているのに思考は纏まらない…多分誰しも偶にあるその状態に、今の俺は陥っていた。

 こうなると、もう時間をかけたってどうにもならない。普通にこのまま寝てしまう可能性もある。

 

「…散歩でも行くか…」

 

 だから俺は、気分転換をする事にした。ゲームしたりしても良いけど、散歩ならばついでに外の空気も吸う事が出来る。それに段々暖かく…というか暑くなってきてるけど、まだ今なら外に出ても過ごし易い時期。気分転換としては、結構悪くない選択肢だろう。

 

 

 

 

「…と、思って出たは良いものの…どうすっかなぁ……」

 

 家を出てから数分後。初めは散歩なんだから目的も決めず、ぶらぶらと歩こう…と思っていた俺だけど、すぐにそのプランは駄目だと気付いた。

 残念ながら、俺はまだまだ多感な高校生。さっきまで思考がもやもやしまくっていたとはいえ、何も考えずぶらぶらと歩き続けられる程、のんびりした心は持ち合わせていないのだ。

 加えて言うまでもなく、ここは見知った住宅街。景色を楽しみながら、知らない方へ適当に…という事も出来ず、はっきり言って全然気分転換になっていない。むしろ「どう散歩したものか…」と、悩みが増えてしまってすらいる。

 

「これは完全に選択ミスだったかもしれない…」

 

 はぁ、と軽く項垂れながら、取り敢えず知っている道を歩いて進む。せめて誰かと一緒にいたのなら、とも思うけど、今そう思ったところで後の祭りだし、いきなり散歩に誘われたら、何かあるのかも…と思われかねない。…うーん、何だろうこのしょぼい八方塞がりは。

 

(やっばいな、マジでなんも良い方法が思い付かない…俺やだよ、こんな変な事に思考を割いて無駄に歩き回った挙句、家に戻ってもやもやしてて考え再開するとか……)

 

 気分転換をする為に出てきたのに、全くその気分は晴れず、微妙な心境だけ抱えて帰ってくるんじゃ話にならない。それならそれこそ、寝ていた方がまだ気分転換になるというもの。

 でもそれが分かっていたって、良い案が出てくるもんじゃない。出ない時はほんとに出ないし、もういっそ散歩はこの時点で切り上げちゃう方がまだダメージ(時間の無駄遣い)は軽く済むかもしれない…と、そこまで思った時だった。

 

「…あれ…?この道筋、って……」

 

 半ば無意識的に、けどちゃんと信号を見て横断歩道を渡っていた俺は、渡り合えたところで気付く。

 ここは、俺の家…綾袮達と住んでいる家ではなく、元々の家の近くの交差点だ。そして、思い返せば俺がここまで通ってきた道は、普段実家に帰る時の道筋と全くもって違いない。

 

「…………」

 

 偶然か?偶然俺は、実家に帰る時の道筋を的確に歩いていたって事か?……まさか。そんな事、ある筈がない。色々練り歩いた末、偶々実家の近くに来たとかならともかく…これは、偶然なんかじゃない。

 分からない。はっきりした理由なんて、分かりやしない。けど…これは、無意識的に俺が家への道を歩んでいたって事。理由は分からずとも…それは、事実。

 

「…家、か……」

 

 立ち止まったまま、少し考える。無意識に家へと向かっていた事、そこにある意味を。今の自分の事と、ずっと考えていた事を。そして……

 

「…ただいま」

「へ?…どうしたのよ、急に。今日、帰ってくるなんて電話した?」

 

 俺は、実家へ…父さんと母さんの下へ立ち寄る事を決めた。はっきりとした理由がある訳じゃなく…ただ、そうしたいと思ったから。

 

「や、その…近くに来たから、立ち寄ろうと思ってさ」

「そう…ま、元々歩いて来ようと思えば来られる距離だし、そういう事もあるわよね」

 

 丁度二階から降りてきた母さんは、俺がいきなり帰ってきた事に驚き…でも俺の説明で納得したのか、それとも何か察してくれたのかは分からないものの、普通の調子で迎え入れてくれた。

 リビングへ向かう母さんに続く形で、俺もリビングへ。今日は休みという事もあり、ソファに座っていた父さんは母さん同様俺に驚き…母さんの時と同じ説明で、分かってくれた。

 

「久し振り…って感じもあまりしないな。最近はどうだ?」

「まあ…ぼちぼちかな」

「ぼちぼちぃ?…まぁ、悪くないなら別にいいが…今は三年なんだ、真面目に大学行く気あるなら、ちゃんと勉強もするんだぞ?」

「はは…分かってるって…」

 

 父親からの、ちゃんと勉強しろ発言。それは子供なら、言われて当然の事で…だけど凄く、懐かしく感じる。

 というか実際、言われるのは久し振りだ。何せ、今は別の場所に住んでいるんだから。

 

「顕人、そこのところ協会はどう言ってるの?」

「ああ、うんまぁ…協会としては…というか、協会から行く行かないの指示を受けてるって事はないよ。勿論意思表示はしなきゃだから、大学行くつもりだって返してるし、綾袮もそのつもりらしいし」

「ふぅん。そういう事なら、ちゃんと大学も行って…って待った。今、『綾袮』って言った?」

「え?…あ……」

 

 二人は、俺が一度力を失った事を知らない。伝えてないんだから当然の事で、だからこれまで通りだと思って接してきている。でも別に、それが理由で辛くなったり微妙な気持ちになったりする事はなく…むしろ問題は、その直後。

 目敏く(この場合は耳敏く?)気付いた母さんの言葉に、俺ははっとする。…そう、これも二人は知らないのだ。昨年度末から、俺が綾袮達を呼び捨てにするようになった事は。隠してた訳じゃないけど…いざそこに目を付けられると、ぶっちゃけ恥ずい。

 

「へぇ…何かあった訳ね」

「う…特別何かあった訳じゃないよ。ただ、そういう話の流れになったってだけで……」

 

 にやりと口元を緩める母さんに対し、目を逸らす。何か言い訳みたいな言い方になってしまったけど、ほんとに特別な何かがあって変えた訳じゃないし…あの時は、結構恥もかいたから、掘り下げないでほしい。うん、いや、マジで止めて母さん…。

 

「呼び捨てなぁ…呼び方一つで一喜一憂したってしょうがないぞ、顕人」

「べ、別に一喜一憂してる訳じゃないよ。そもそもこの話題にしたのは母さんだし…(ぐふっ…父さんも止めてくれ…その発言は、あの時滅茶苦茶躊躇った俺に効く……)」

 

 恐らくは偶発的ながら両親のコンボ攻撃を受ける事になった俺は内心でまあまあダメージを受けつつ…けれど同時に、気付く。

 実家に戻り、母さんと最初に言葉を交わして以降、完全に俺は気兼ねなく会話をしていた。向こうの家ではもやもやとした思考に、外では全然気分転換が出来ない事に頭を悩ませていた俺が、今は普通の調子で、いつも通りに父さん母さんと話せている。

 

(…これが、家族…いや、親ってもんなのかな……)

 

 言うまでもなく、俺の両親はカウンセラーでなければ、人の心理の把握に長けた人間でもない(と、思う)。なのにこうも気兼ねなく、普段通りの調子で話せるのは…やっぱり相手が父さんと母さんで、俺が二人の子供だからだと思う。

 

「…あの、さ。父さん、母さん」

「どうした、顕人」

 

 そう、頭で理解した…いや、心の中で感じた俺は、ぽつりと呟くようにして呼び掛ける。父さんと母さんへ、俺の両親へ。

 それに返ってきたのは、至ってシンプルな言葉。けれど父さんも母さんも、俺を見ている。今のだけで、或いはここまでのやり取りで察してくれたのか…俺が話せるように、待っている。

 

「…俺さ、少し分からなくなってきちゃって…。前は俺、がむしゃらに目の前の事へ全力を注いできたんだ。その頃はまだそれが精一杯だったっていうのもあるし、あまり遠くまでも見えていなかったから、それが一番だって思ってたんだよ」

 

 だから俺は、両親に話す。二人の親に、語り始める。今俺の中にある、正直な気持ちを。

 

「それから少しずつ経験を重ねたり、これまでのようにはいかない事にもぶつかったりして、俺の考えも変わっていった。色々な見方、考え方があって、真っさらなものから裏があるものまで在り方も沢山だけど…何があろうと、俺は俺だって、俺は自分の思いを貫きたいって、そういう気持ちを大切にするようになったんだよ」

「自分の思いを、か…大切な事だな。常にとは言わずとも、自分に正直にいられないんじゃ、そんな生活は苦しくなっていく一方だ」

 

 俺の語りに頷いて、父さんは理解を示してくれる。ただそれだけで、深く長く何かを言う事はしなかったけど…それがありがたい。聞き手に徹してくれていたから、俺も躊躇う事なく言葉を続ける。

 

「俺は今も、自分の思いを貫きたいと思ってる。でも今思うと、これまでは思いを貫きつつも、八方美人っていうか、上手く立ち回れていたからこそ、迷いなくそう思えてた気がするんだよ。貫いても、何とかなりそうな状況で、何とかなる立ち回りが出来てたんだよ。でも…結局それは、運が良かったり、頼れる人がいる状況だったからこそのもので……」

「…どうにもならない、どうしようもない壁にぶつかったのね」

「…うん。その前にも結構大きい事があったりして、本気で落ち込んだりもした事もあって…だけどそれでも、それだけなら良かったんだよ。…いや、良くないけど、やっぱり自分の思いを貫き続ける為には多くの障害があって、多くの力も必要でっていう事を、より深く認識するだけに留まっていたんだと思う」

 

 ラフィーネとフォリンの事、慧瑠の事、力を失った事、刀一郎さんに完全に説き伏せられてしまった事…一つ一つ思い出しながら、自分自身俺の頭の中にある事を纏めるようにして、二人に言っていく。

…あぁ、そうだ。ここまでだったら、悩む事はなかった。自分の不甲斐なさ、未熟さに歯噛みをする事はあっても、すぐには『今』を変えられないと、認めるしかなかったんだから。けど……

 

「…だけど、今はそれだけじゃなくて、さ。今の俺には、これまで通り…いや、これまで以上に、俺の奥底にある思いすらも貫ける道があって、でもそれは多くの人に支持されない…これまでは味方になってくれた、手を貸してくれた人達でも否定をするような、父さんや母さんもきっと止めろというような道で……だから、迷ってるんだ。凄く、凄く…どうしたらいいか、迷ってる」

 

 そこまで話して、迷ってた理由と経緯を全部言って、それでやっと俺は一度話を区切る。

 我ながら、凄く抽象的な話だ。細かい部分までは言っても恐らく伝わらない、余計分かり辛くしてしまうだけだとはいえ、相談に乗ってほしいと本気で思ってるなら、もっと分かり易い話し方をするべきだったんだろう。

 だけど…そもそもの話、俺は二人に、相談に乗ってほしかったのだろうか?それともただ、もやもやしたものを誰かに聞いてほしかっただけなのだろうか?…それも、よく分からない。父さんと母さんになら話せる…今俺が語ったのは、二人に対してそう思っただけだから。

 

「そう、か……」

(あぁ、やっぱり困ってる…悪い事したな……)

 

 一言父さんが呟いて、それから二人は黙り込む。…当然だと思う。俺だってこんな話をされたら、なんて返せば良いのかよく分からない。

 でも、一つ言える事はある。ただ話しただけでも、少しすっきりしたような気がする。誰かに話せたというだけで、感じ方が変わってくる。

 それにこれは、俺の問題だ。どうするにせよ、俺が考えて、俺が選ばなきゃいけない事だ。じゃなきゃ俺自身が納得出来ない、そんな話なんだ。だからこれでいい、これだけでいい。いきなり来て、親子らしい会話もそこそこによく分からない話をしたにも関わらず、嫌な顔一つしないで父さんと母さんは最後まで聞いてくれた…それだけだとしても、今の俺には十分ありがたい事で……

 

「…よく、頑張ってるんだな、顕人」

「え……?」

 

 そう、思っていた…困らせてしまったであろう両親からの返答ではなく、自分自身で納得させようとした俺へとかけられたのは、優しい表情をした父さんからの言葉だった。

 戸惑った。そんな言葉をかけられるなんて、「頑張ってるんだな」と言ってもらえるなんて、思いもしなかったから。

 

「そうね。霊装者…の事はよく分からないから、顕人がちゃんとやれているのかどうかいつも気になっていたけど…この様子なら、問題はなさそうね。まあ、大変そうではあるけども」

「なんであれ、仕事は仕事だ。大変なのは仕方ないだろうさ」

「あ、や、ちょっ…ふ、二人共…?」

 

 何気なく、俺がただのバイトか何かの話でもしたような返答を口にする二人。

 更に戸惑う。更に訳が分からなくなる。そりゃ、好意的に捉えてくれるのはありがたいけど…そ、そういう事じゃ、ないでしょう…?

 

「顕人、どうかしたの?」

「ど、もうかしたって…いや、あの…俺結構、『そんな話をされてもな…』って感じの事を話したよね…?厄介そうで、しかも漠然とした話をしてたよね…?」

「そうだな」

「うん…って、い、いやだからさ…俺はちょっとした困り事を話したんじゃなく、俺なりに滅茶苦茶迷ってるっていうか…正直これ、場合によっては父さんや母さんにも迷惑が及びかねない事っていうか…だからその、そんなあっさり飲み込まれても逆に困る──」

「なーに言ってるんだ、お前は」

「へっ……?」

 

 自分で考えていたよりもずっと軽い、あっさりとした反応に俺は混乱していくばかり。分からないし混乱するしで俺は上手く話を紡げず、ただ感情を羅列するだけみたいになって…そんな中で、父さんは言う。俺の言葉を遮って……言ってくれる。

 

「確かに顕人の言う通り、漠然としていたな。母さんも言ったが、父さん達にはよく分からない部分も多い。だが、そんなの関係ないんだよ。なんだろうと、父さん達は顕人を応援するさ。何せ顕人は、父さんと母さんの子なんだからな」

「……──っ!」

 

 漠然かどうか、分かるかどうかは関係ない。なんであろうと、応援する。…父さんは、そう言った。

 よく分からないけど応援だなんて、そんなの普通社会人じゃあり得ない。ほんとにただの応援、言葉だけのものならともかく、利害が発生するもので適当に応援すると言うだなんてのは、いっそ非常識な行為の筈。

 それでも父さんは俺に言った。一切躊躇う事も、迷う事もなく。

 

「他人に迷惑をかけないように、っていうのは大切だけど、家族にまでそういう事は気にしなくて良いの。勿論、悪いと分かっている事なら止めなさい、って言うけど…そうじゃないんでしょう?顕人なりに、貫きたい事なんでしょう?…なら、やるだけやってみなさい」

「母さん、まで…けど、だけど…迷惑っていうのは、そんなちょっとした事じゃ……」

「子供のした事の責任を取る、それを受け入れる事が、大人の役目だ。そして…子がちゃんとした道を進めるよう、後悔しないように歩けるように育てるのが、親の責任なんだ、顕人。だから…そんな事は、気にするな。一年前に、言っただろう?顕人は、もう一人でも大丈夫だと思える程成長していると、そう信じてると」

「私も言ったわね。顕人の味方だって。…胸を張って、自分の思うようにやってみなさい。それが一番の、親孝行ってものなんだから」

「父さん…母さん……」

 

 リスクなんて考えない言葉を、応援をかけてくれるのは、父さんだけじゃなかった。迷惑な事なんか考えなくていいと、母さんまでもが言ってくれた。

…いや、違う。きっと、そうじゃないんだ。リスクとか、そういう話じゃなくて…ただただ、俺を信じてくれてるんだ。家族として、親として、俺の味方として…俺の事を思ってくれているんだ。

 胸が熱くなる。一年前のあの時と同じように、涙が出てきそうになる。…嬉しい。嬉しいからこそ、応えたい。二人の思いに、信じてくれる親の気持ちに。だから、あぁ…だから……

 

「──俺、決めたよ。もう迷わない。もう躊躇ったりしない。父さんと母さんの子として…俺は夢の、理想の、目指すものの為に、全力で、全身全霊で……自分を、貫く」

 

 父さんと母さんの子で良かった。その思いを噛み締めて、二人の前で宣言する。御道顕人の意思を、決意を。

 それに二人は、黙って頷いてくれた。俺を見る目に、その頷きに、俺は背中を押してもらった…そんな、気がした。

 

「…ごめん。来たばっかりだけど、俺行くよ。けどまた、帰ってくるから」

「ああ。行ってこい、顕人」

「また今度、話を聞かせてね?」

 

 今度は俺が二人の言葉に頷き、席を立つ。また来ると、帰ってくると行って、俺は俺の実家を出る。

 ゆっくりしたい気持ちもあったけど、普通に夕食の準備もある。それに今すぐ行いたい、ちゃんと話したい事もある。だから俺は家を出て、振り返って、心の中で行ってきますと家に…両親に伝えた。そして……

 

「…突然すみません、ゼリアさん。会って、ちゃんと話すつもりでもありますが…まずはこれだけ、ウェインさんにお伝え下さい。────俺が、俺達が憧れる世界の様に、霊装者の世界を……在るべき形へ、変えてみせると」

 

 俺は貫く。俺の意思を、俺の理想を。俺は変えてみせる。成熟した結果、組織に、その形に、複雑な社会に縛られてしまっている霊装者の世界を。

 その事に、躊躇いはない。不安もない。だって、そうだろう?物語の主人公が、正義の味方が、その行動を…正義を貫く事へ躊躇ったりしないように……俺もまた、そんな憧れの存在へと、未来へと、本気で到達する気なんだから。



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第二百十六話 進む針、近付く時

 段々と、例の作戦の決行日が近付いてくる。…が、この表現は正しくない。何せこの作戦…魔物や魔人を誘き寄せ、それを迎撃する事によって聖宝の完成を狙うこのプランは、魔物や魔人が実際に攻めてこなきゃ進まない…つまり、開戦は向こう次第なんだから。

 つまりそれは、向こう次第で長期間待つ事にもなり得るもいう事。争いにおいて、相手が動くまで待つ事になるのは別段珍しくもないが…珍しかろうとそうでなかろうと、それが大変な事には変わりない。

 

「このポイントでの待機、ね…」

 

 タブレット端末に表示された地図の情報とマーカーを見て、俺は呟く。

 今俺がいるのは、家のリビング。その端末を使い、妃乃から作戦に関する具体的な説明を受けていた。

 

「…遠くない?」

「そうね。けど別にこれは…っていうか貴方は、最初から戦う人員じゃないのよ。悠弥の役目は、魔人側の戦力が想定以上だった場合や不測の事態が起こった際の予備戦力兼、双統殿に何かあった時に備えた防衛戦力なんだから」

「ああ、だからこんな中途半端な位置な訳か」

「そこは中間、って言いなさいよ…中途半端なのは否定しないけど…」

 

 指定された場所について、俺は妃乃と言葉を交わす。中間、と言っても富士山と双統殿、どっちもかなり離れていてすぐには辿り着けない距離だが…地理的な問題は、もう仕方ないとしか言いようがない。だから流石に文句も言わない。

 と、いうやり取りからも分かる通り…この作戦、俺も関わる事になった。今の説明を聞く限りじゃ、何もせず終わる事もありそうだが。

 

「で、一応言っておくとこの時私達は別行動になるわ。まあ、悠弥と同じ役目を担う人は他にもいるから、貴方は単独行動にはならないけど」

「(って事は、妃乃は単独行動なのか…)…妃乃、一つ確認したい事がある」

「何かしら?」

「俺個人の役目の方だ。…この作戦でも、それは意識されているのか?」

 

 配置の意図と狙いが分かったところで、俺は妃乃に対して問う。

 俺個人の役目。それは即ち、双統殿全体の意識と士気を向上させる、その為の要因の一つとなる…というもの。要はここ最近していた活動って事で…その問いに対して、妃乃は頷く。

 

「えぇ、そうよ。というかこの配置は、それを意識した上でのものよ」

「待機なのにか?」

「なのに、よ。考えてみなさい。富士山にしても、双統殿にしても、悠弥が向かった場合、そっちに元々いた人からすれば、悠弥は『増援』として映るでしょ?厄介な状況や想定外の事態に陥った中、増援として現れてくれる存在…それは、士気の向上にはもってこいの要素だもの」

「…まぁ、そりゃ確かにな。そこまで想定してるってなると、戦いを演出の場か何かと思ってるのか、って言いたくなるけどな…」

「いや、言いたくなるも何も、言ってるじゃない…」

 

 呆れ気味に「言ってるじゃない」と返してきた妃乃だが、表情から察するに俺の言葉を否定する気はないんだろう。

 だが俺も、理解はしている。戦いの事をよく理解しないまま、或いは軽く見て上手く活用してやろうとする奴は大概碌な事にならないが、ちゃんと理解した上で「使えるものは何でも使う」のスタンスで活用した場合、確かに戦場の緊迫感は有用となる。今ある状況に対し、最大限活用しようとした結果としてのこれなら…別段、反対する必要もないだろう。

 

「…ああ、そうだ。一応訊くが、万が一迎撃し切れない場合…あの地下を制圧、又は仮に聖宝が完成して、それを奪取されそうになった場合はどうするんだ?まさか、負ける訳ないから想定もしてない…なんて事はないだろ?」

「勿論。何もしても守らなきゃいけないものだけど…そうなった場合は、危険を承知で破壊を試みるしかないわね。何が起こるか分からないけど、魔人の手に渡ろうものなら、間違いなく最悪の形で使われるでしょうし」

「無理に壊そうとした結果、世界中を巻き込む程の爆発が起こったりして……」

「ちょっ…え、縁起でもない事言うんじゃないわよ…!ぜ、絶対ないとは言い切れない事なんだから…!」

 

 つい魔が差して禄でもない事を言ってみれば、妃乃は顔を引きつらせて突っ込んでくる。

 実際ほんとに、絶対ないとは言い切れないだろう。何せ転生を実現させちまうだけの力があるんだからな。

 

「悪い悪い。んじゃ、悪いついでにもう一ついいか?」

「何よ、悪いついでって…で、何?」

「…緋奈から、何か話をされたか?」

 

 切り出し方こそ軽くふざけたが、それから俺は表情を引き締め、至って真面目なトーンで訊く。

 こんな問いをするのは、当然その可能性があると思ったから。そんな話を、緋奈としたから。そして俺の問いを聞いた妃乃もまた、真面目な顔になり……頷く。

 

「…されたわ。自分にも、何か出来る事があればしたいって」

「なら、その返答は……」

「…ある、って返したわ。あったし、緋奈ちゃんも真剣だったから…その『出来る事』を、頼もうと思ってる」

「……!」

 

 それを聞いた瞬間、心臓が締め付けられるような感覚を抱く。理由なんか、考えるまでもない。理由なんて、一つしかない。

 ふざけるな。…前の俺なら、そう憤慨していた事だろう。だが今の俺は、前の俺じゃない。駆け登る衝動を押さえ、自分を律し、何とか冷静さを保って、訊く事が出来る。妃乃に対して、もう一歩訊く。

 

「…なぁ、妃乃…だったら、その頼もうと思ってる事ってのは……」

「…安心しなさい。頼むのは、双統殿での雑用よ。今回の作戦は長くなる可能性が高い分、ほんとに人手不足だからね」

「……っ…な、なんだ雑用か…それを先に言えよ妃乃…」

 

 緊張の糸が切れ、解き放たれたように広がる安堵感。妃乃がすぐには言わず、返答と内容を分けて言う形を取ったものだから、やたらと緊張してしまった。くっ…もしもわざと分けて言ってたんだとしたら、何かでお返ししてやるからな……。

 

「私は普通に質問に合った回答をしただけじゃない。……けど、双統殿内にいる事になるからこそ、余計にそっちが襲われた場合は全力で迎撃しなくちゃいけないわよ?最終的にはそれが良い結果に繋がったとはいえ、勝手に出撃した誰かさん達みたいなケースもあり得るんだから」

「うっ…そ、そうだな……」

 

 にやり、と冗談めかした妃乃の言葉に、俺は同意しつつも目を逸らす。いやむしろ、同意せざるを得ないからこそ反論出来ずに目を逸らした。緋奈はそんな事しない、と言いたいところだが…ずっと生活を共にしている、俺の実の妹だもんなぁ…。ぐぐぐ、緋奈が妹である事が仇になる瞬間が来ようとは……。

 

「…ま、でも富士山と違って双統殿は今すぐ狙われるような状況にある訳じゃないし、過剰に心配する必要もないけどね。というか、緋奈ちゃんの事気にして精彩を欠いたら、それこそ本末転倒よ?」

「あぁ、分かってるよ。…確認だが、双統殿の防備はあくまで『普段ならいる、或いはすぐ駆け付けられる戦力の多くが富士にいるからこそ、普段以上に気を引き締めておかないといけない』…ってだけの話だよな?」

「そうよ。去年魔王に強襲された時と少なからず共通する要素があるから、双統殿の防備にも意識が割かれてるってだけの事。…そういう前例があるからこそ、気を付けなきゃいけないって話でもあるけどね」

 

 そうして取り敢えず説明は終了。迎撃戦の中で、俺が出る幕があるのか、あるとしたらそれは富士山と双統殿とどっちなのか、緋奈の身に危険が及ばないか…色々気になる事も多いが、そういうのは始まらない限り、その状況にならない限りは分からないもの。ならば妃乃も言った通り、神経質になって逆に精彩を欠く…なんて事にならないよう、程々に捉えておく方が賢明だろう。

 

「さて、じゃあもう終わりだけど…場所の確認、しておく?勿論当日は各々現地に…なんて事にはならないけど、するんだったら付き合うわよ?」

「そうだな…予め見ときゃ色々考えられるし、そうするか」

 

 幸い今日は時間もあるし、勝敗は戦う前に決まってる…なんて言葉もある通り(その真偽は置いとくとして)、下見や下準備はしておくに越した事はない。そう考えて俺は頷き、妃乃と共に指定されたポイントへと一度行ってみるのだった。

…何もせず終わるかもしれないとはいえ、俺は関わる事を、やる事を選んだ。下見だって、その一つだ。やれる事、出来る事を精一杯やる…俺はそう、決めたのだから。

 

 

 

 

 下見はあくまで下見。それ以上でもそれ以下でもない。だから下見は何一つとして滞りなく、つつがなく終わった。

 そしてその後用事があるという事で、俺達は双統殿に寄る事に。勿論俺は用事なんてないから、先に帰ったって良いんだが…下見という用事に付き合ってもらいながら、「じゃあ俺先帰るわ」というのは不義理というもの。だから俺は双統殿で待つ事に決め…けど特にやる事もないから、現在俺はぶらぶらとしている。

 

「ほんと、広いなここは……」

 

 行く当てもなく、気分だけで廊下を歩いたり階段を上り下りしている俺。

 ほんとに双統殿は広い。多分もう少し小さくても協会本部としては問題なく機能するんだろうなぁと思う程に広く、そのせいで前は迷うような事もあった…ような気がする。んまぁ、そんだけ広いおかげで、ただぶらつくだけでも時間潰しになっている訳だが。

 

(鍛錬…は、ここじゃなきゃやれないようなのをやるとすると、準備やら片付けやらで時間を喰うし、依未に会いに行く…と、弄るのが楽しくてうっかり長時間留まっちまう可能性あるんだよな。一応来たし、帰る前に顔出す位はするとしても……)

「おっと、すまないね」

「うおっ…!…あ、こっちこそすみませ……あれ?園咲さん?」

 

 とはいえ、時間までずーっと歩くだけというのは幾ら何でも虚し過ぎる。そう思って歩きながら考えていた俺だが、そのせいで注意力が落ちていたらしく、廊下の角で危うくタイミングの合った人とぶつかりかけてしまう自体に。幸い回避は出来たが、言葉を返す形で俺もその相手へ謝罪をし……たところで、気が付いた。その相手というのが、園咲であった事に。

 

「うん?ああ、奇遇だね悠弥君。今日は何か用事かい?」

「あーいえ、用事があるのは妃乃の方で、俺は時間を潰してる最中です」

「ほぅ。…ふふ、棚から牡丹餅とはこういう事を言うのかもしれないな…」

「はい…?」

 

 何やら含みのある、それはもう分かり易く「何かありますよ」感のある言葉を発する園咲さん。当然そんな発言をされれば気になる訳で、俺は一先ず訊き返す。

 

「いやなに、暫く前に君へ試作品のテストをしてもらっただろう?その内の一つに、改良を繰り返していてね。それがつい昨日一定の段階まで進み、また私以外の誰かにテストをしてほしいと思っていたところで……」

「…そこで俺と遭遇した、って訳ですね。暇を持て余している真っ最中の俺に」

「そういう事さ。…どうだろうか、悠弥君」

 

 どうだろうか、と俺は協力を求められた。当然上下関係がある訳じゃないから(まあ園咲さんの方が間違いなく偉いが)、そこに強制力はないが…その改良品というのは、ぶっちゃけ気になる。それに俺は今言った通り、暇を持て余していた訳で……

 

「…分かりました。妃乃の用事が終わるまでの間でしたら、協力します」

「ありがとう悠弥君。君ならそう言ってくれると思っていたよ」

 

 妃乃の用事が終わるまでの間、俺はその改良型のテストに付き合う事にするのだった。

 

「…これは……」

 

 トレーニングルームへと移り、俺が見たのは細長い武器…らしき何か。細長いと言ってもそれなりのサイズや厚みはあって、同じ形の物が全部で五つ。

 もしこれが初めて見る物なら、何の武器なのかさっぱり分からなかった事だろう。だが、俺には分かる。多少外見は変わっているものの…これには、覚えがある。

 

「…園咲さん、これって遠隔操作のやつ…でしたよね?」

「その通り、これは個々が浮遊し使用者の意思によって移動や攻撃を行う遠隔操作端末…の、改良型だよ」

 

 やはり思った通り、これは先日俺が最後にテストしたアレらしい。…あの時は疲れたなぁ…かなり集中力を持ってかれたし、我ながらムキになってた気もするし…。

 

「…今回は、というか改良型は五基なんです?」

「そういう事だよ。数が半分になれば、運用の難度も半減…とはいかないにしても、十基の同時運用は難しいと前回はっきりしたからね」

「(いや、五基でもまだ難しいと思いますけど…?…ごほん)じゃあ、取り敢えず使ってみます。動かし方は、同じですか?」

「勿論。前より大分使い易くなっている筈だよ。色々な意味で、ね」

「……?」

 

 何やら含みのある言い方だな…と思いつつも、俺は五基の端末へと霊力を充填。十分な量を流せたところで、俺は前回の感覚を思い出し、それを再現するようにして意識を端末へ集中させる。

 

(お、お……?)

 

 大分使い易くなっている。その言葉を実感したのは、割とすぐだった。

 初めてと二度目じゃ、全然違う…というのを差し引いても、前回より明らかに起動が、浮き上がるのが速い。動き自体も前回と比較して滑らかで、それぞれを別方向へ動かす難易度も若干下がっているような気がする。…まぁ、これに至っては数が減って、意識として「前より楽そう」と思っているのも関係してるかもしれないが。

 

「よし…次は、攻撃を…って、へ……?」

 

 一通り動かした俺は、次に五基の内一基へと意識を集中させ、霊力によるビーム攻撃を試してみる。

……が、そこで端末の砲口から発生したのは、ビームはビームでも飛んでいく光ではなく、発生したまま留まっている青い光。しかしこれは不具合でも想定外の事態でもないらしく、俺が目を瞬かせている中、園咲さんは言う…。

 

「ふふ、驚いたかい悠弥君。そこが、最大の改良点さ」

「これが最大の改良点…つまり、砲台から突撃用の武器に変えた、と…?」

 

 攻撃として出力した霊力がその場に留まっていれば、それが弾丸ではなく刃なのだという事は分かる。そしてそうであれば…この思い切った改良には、俺は肯定的意見を示したい。

 使い易さでいえば、間違いなく今の方が上だろう。砲台の場合、近距離じゃない限り少し向きがズレるだけで外れてしまうという問題は、操作の難しい遠隔操作端末との相性が悪いが、突撃用の武器なら取り敢えず突っ込ませれば良い。何せ投擲武器じゃない分、途中の軌道修正が効くんだから。それに確か、端末の火力は然程高くなかった。それはある程度弾数を確保する為に火力はやや控えたって事なんだろうが、その点霊力刃は一発毎に消費する砲撃型より燃費で優れているからか、出力不足に感じない。つまり、ぶつけりゃちゃんとダメージを期待出来るという訳で…ここの差は、俺としてはかなりデカいものだと思う。

 無論、全てにおいて長けている訳ではない。突撃させるという事は破壊もされ易いという事で、見えない場所に攻撃を行う場合、見える位置から撃てばいい砲撃型と違って、突撃型だと端末自体も見えなくなってしまう欠点もある。ただ、それを踏まえても尚、こっちの方が使い易い仕様ではないのだろうか。

 

(…ま、結論を出すのはもう少し動かしてみてからだな…!)

 

 意識を操作の方へと戻し、刃を出力した端末を動かす。まずは真っ直ぐ突撃させ、そこから方向転換や、急加速なんかも試してみる。

 そうして、分かった。これは…思っていた以上に、使い易い。

 

「は、ははっ…こりゃ凄ぇ……!」

 

 元々俺は射撃より近接格闘の方が得意…ってかそっちに重点を置いている。それもあってか、本当に使い易い。勿論それは前のやつと比較した場合であって、難しいしやっぱり集中力を持ってかれる事には違いないが……今俺は、複数基に別方向からの同時攻撃や、時間差攻撃をかけさせる事が出来ていた。

 移動、攻撃、反撃を想定した回避行動と一連の流れを何度か行い、最後に俺は五基中四基をそれぞれの位置に配置してからの、逃げる敵を想像しての連続攻撃。一基ずつ放っていき、四基目も打ち込んだところで、俺は端末全てを引き戻して一旦操作を終わりにする。

 

「ふぃー……」

「…どうだったかな、悠弥君」

「どう、ですか……正直に言うなら…使えますよ、これは」

 

 腰を下ろして休憩していると、前回同様園咲さんがモニター室からやってくる。その園咲さんからの問いに対し、俺は口角を上げて返答。流石にやりはしないけど…気分的には、サムズアップもしたくなっている。

 

「まだ減速がし辛い点だとか、反応速度だとか、主兵装として自在に使うんだとしたら、物足りない部分は多いと思います。けど、ここだってタイミングで使う、奇襲や追撃用の装備だとしたら…本当に、今のままでも実戦投入可能なんじゃないでしょうか」

「ふふっ、まさかそこまで言ってくれるとは。であれば、この方向性での改良は間違っていなかったようだね」

「…あー…でも、人を選ぶ事はあるかなと思います。例えば妃乃みたいな近接戦を主体にする霊装者なら、距離に合わせて使い分ける事が出来るでしょうけど、射撃主体だと操作も狙いもややこしくなるでしょうし」

「うん、それは分かっているよ。特に端末を突撃させるこの仕様の場合、端末が自分の射線に入る問題もあるからね」

 

 話しながら、そういやそうだなぁ…と俺は考える。遠隔操作端末といえば、それを縦横無尽に動かし攻撃を仕掛けつつも、自身も積極的に射撃や近接攻撃を叩き込む…みたいなイメージがあるが、実際にそれをやるのは恐らく難し過ぎる。それこそ特殊な能力が必要なんじゃないかと思う程で、それがないなら遠隔操作端末は別の武器と…ではなく単独で使う、連携するにしても一斉掃射だとか自身と共に突撃をするだとかの、限られた形になるんだと思う。

 それでも尚、この特異な武器には価値がある。遠隔操作端末という、それ自体が持つインパクトも含めて。

 

「しかしそうか…限定的とはいえ、実戦でも使えるとまで言ってくれるか……ふふ、ふふふ…」

「う、嬉しそうですね園咲さん…」

「当然だよ悠弥君。発明は持っていれば嬉しいただのコレクションじゃない。いや、勿論作り出す事、発展させる事自体も面白いものだけどね?けれど発明は、使われるようになる事が本来のゴールであり、そこを目指しているものなんだ。そして今、これはそのゴールが見えるところまで来ている。となれば、嬉しいというものだよ悠弥君」

「あ、は、はい…そっすか……」

 

 思った以上にガチの語りをされて、何か圧倒されてしまった俺。その内容は普通に理解出来るものだし、研究者、技術者でなくても作っていたものが完成を見れば嬉しいのは当たり前だと俺も思うが…特別ハイテンションになる訳じゃない、なのに何故か圧倒される勢いで語られるというのは、ほんとになんと言ったらいいのかよく分からない感覚だった。

 

「……さて、ところでだ悠弥君」

「な、なんでしょう?」

「私の都合に付き合わせた結果なのだから、間に合わなかった場合は私が謝罪しようと思うが…そろそろではないのかい?」

「え?あ……」

 

 うっかり待ち合わせの事を忘れていた俺は、言われて初めて時間を確認。そしてもうかなりギリギリだという事に気付いて、急いで立ち上がる。

 

「す、すみません園咲さん。俺、これで……」

「うん、行きたまえ。それと今日の事も、その内お礼させてもらうよ」

「あ、はい。じゃ…!」

 

 別にいいですよとか、気にしないで下さいとか、そういう返しも特にしないまま俺はトレーニングルームを走って退室。んまぁ、少しでも遅れたら妃乃は滅茶苦茶起こる…って事はないが、時間を潰す為の事に集中し過ぎて元々の目的を忘れてたっていうのはあまりにも情けないし、それで遅れるというのは出来る限りさせたいというのが俺の心情。だからさっきみたいに誰かとぶつかったりしないよう速度は抑えつつ、けど軽く走る形で俺は廊下を進んでいき……

 

(…ん?今のは……)

 

 十字路をそのまま突っ切った際、視界の端…左側の通路の突き当たりに見えたのは、顕人…らしき人の姿。一瞬だったから確証はない、だがそんなような気がする人影。

 そういえば、少し前にも似たような事があった。あの時は結局分からなかったが、今回はどうなのか。それは少し気になる……が、それより今は待ち合わせが先決。そう考えて、俺は目的の場所に急ぐのだった。

 

 

 

 

 霊源協会の中心である双統殿には、当然各階に幾つもの監視カメラが設置されている。しかし全ての場所を網羅している訳ではなく、設置されていない部屋、カバーし切れない場所というのも、これまた当然のようにある。

 そんな、監視カメラには映らない場所の一角に…若い、そこそこの人数の人が集められていた。

 

「…で、なんだよ話って」

「というか、何でこんな場所に?」

 

 集まった面々は、皆がそれぞれ訝しげ。しかしそれも当然の事。話がしたいという理由で、分かり辛い…普段はあまり通らないような場所に呼ばれれば、変に思うのも当然の事。

 

「うん、悪いねこんなところで。…けど、重要な話なんだ。誰かに邪魔されたり、立ち聞きされたくない話だから…さ」

 

 そんな若者達へ向けて、彼等と向き合う形で立つ一人が言う。言いながら、廊下の先へ視線を走らせる。誰かいないか、来る者はいないかと鋭く確認する為に。

 落ち着いた…それでいてどこか独特の雰囲気があるその声と内容に、更に疑問を深める若者達。その彼等へ対して、彼等に…『元』霊装者である若者達へと、その一人は……少年は、告げる。

 

「…ねぇ、皆。今の状態に、この現状に、満足してる?これでいいと、思っている?今の在り方は、協会は、霊装者の社会は……間違ってると、思わない?」



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第二百十七話 確かなこの思い

 一日、一日と過ぎ、例の作戦の開始が近付いていく。一応立場的には俺は高三で、つまり普通に受験勉強に追われる訳だが、そんな事よりもこの作戦の方が大事。この結果如何で、協会の…いや下手すれば日本どころか、世界全体の今後に大きく響いていくのだから。それを考えれば、俺一人の今後に関わる程度の受験勉強なんざ、天秤にかけるまでもない…!

……と、いうのは冗談半分だが、この作戦が大きなものである事は事実。そしてそれが間近に迫った今日、俺は緋奈を連れて双統殿に来ていた。

 

(作戦期間中の、人手不足の穴埋め、か…)

 

 今緋奈は、同じような役目を担う人達と共に、具体的な話や注意事項を聞いている。俺はそれを、離れたところで眺めている。

 各支部はどうなのかよく知らないが、ここ双統殿は一般には文化財と見られているが為に、一般の人をほいほいと入れる事が出来ない。つまりそれは、霊装者でなくても出来る仕事でも…それこそ掃除だったり経理だったりも基本霊装者がやらなくちゃいけない訳で、だから今回みたいな状態になると、組織としての協会本部を回す面でも人手不足になるんだとか。普通の人はそもそも基本立ち入れない組織作りは、秘匿性って意味じゃ抜群だが…まあ、どんな事も一長一短って話だな。

 

「お兄ちゃん、お待たせ」

「おう。雑用ったって、仕事は仕事だ。ちゃんとやれよ?」

「もう、分かってるって。それに、雑用とは限らないでしょ?」

「そうだな。けど、臨時要員に重要な仕事を任せる程…というか任せられる程、協会は小さい組織でもないだろうさ」

 

 短期バイトみたいな立ち位置となる緋奈に重要な仕事を任せるのだとしたら、それは経験も知識もない人間に任せられる程度のものだという事になる。幾ら何でもそれはない訳で、実際緋奈も雑用という表現に対して「否定」は特にしていなかった。

 

「…で、まだ何かやる事はあるのか?」

「ううん、今ので終わりだよ。ありがとね、付いてきてくれて」

「ふっ、お兄ちゃんにとってこの位は過労や負担の内に入らないのさ。…んじゃ、帰るか?」

「あ…そのさ、帰る前に一回依未ちゃんに会いに行ってもいい?折角来たんだし」

「勿論。依未も喜ぶだろうしな」

 

 喜ぶっていうか、慌てるだろうなぁ…と思いつつ、俺は緋奈の頼みに首肯。それから依未の部屋へと案内すべく、俺はその場から歩き出す。

 

「…てか、そういや緋奈は、依未の部屋に行くのは初めてだったよな?」

「うん。いつも依未ちゃんがうちに来てくれてたし、わたしはここに来る事自体少ないしね」

「…緋奈。先に言っておくが、依未は整理整頓能力が低い」

「え?あ、そうなんだ……」

 

 心しておけ、みたいな感じで伝える俺。別にゴミ屋敷レベルで散らかってる訳じゃないが、まあ予め想定してるのとそうじゃないのとじゃそれなりに違うってものだろう。緋奈の事だから心配はないが…二人には、これからも仲良くしていてほしいしな。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。依未ちゃんって、家族と離れて一人で暮らしてるんだよね?」

「…そうだな」

「それは、自分からそうしたいと思ってしてる訳じゃないんだよね?」

「…あぁ」

 

 エレベーターで依未の部屋のある階へ登る中、緋奈が唐突に俺へとかけてきた問い。そのどちらにも俺が肯定すると、緋奈は黙り込んで…俺も何も、言わない事にした。

 同情は、しない訳がない。憐れむなと言うのも、無理を言うなという話だろう。特に家族を大事にしている緋奈にとっては、「まあ、一人暮らしは気楽だしね」…なんて肯定的には考えられない筈。

 それでもまあ、大丈夫だと思う。緋奈は不憫には思ったとしても、だからって態度を変えるような子じゃない。兄の俺がそう思ってるんだから、間違いはないさ。

 

「ここだ、緋奈」

「ここが依未ちゃんの…えと、普通にノックすれば良いんだよね?」

 

 こくりと俺が頷けば、緋奈はコンコンと数度ノック。そうして待っていると、依未の部屋の扉が開いて……

 

「誰……?」

「えと、わたしだよ依未ちゃん」

「あぁ……え、え…!?ひ、緋奈ちゃ…うぇ…ッ!?」

 

 なんかもう、既に面白い展開が始まっていた。ここに至るまでのやり取りは取り敢えず置いておくとして…早くも愉快な場面になっていた。

 

「あ、ごめんねいきなり来て。今、忙しかった?」

「う、ううん…!全然、全然大丈夫で…ぁ、ゆ、悠弥……!」

 

 かなり驚いた様子の依未へ緋奈が気遣うような事を訊けば、依未はぶんぶんと首を横に振って否定。それから俺の存在に気付き、視線で俺を呼び出してくる。

 

「はいはい、緋奈と一緒に最初からいた悠弥だぞ」

「ど、どういう事よ…!?緋奈ちゃんが来るなら来るって、予め言っておいてくれればいいのに…!」

「前回と同じく、今回も別件で来たついでだからな。文句なら、寄りたいって言った緋奈に言ってくれ」

「も、文句があるだなんて誰も言ってないでしょ…!?うぅ…ちょ、ちょっと待ってて…!」

「え?うん…」

 

 小声で、だが感情増し増しの声で俺に言葉を返してきた依未は、それから一度部屋へと引っ込む。気を遣って少し離れていた緋奈は、きょとんとしながらもそれに頷き…その後部屋の中から聞こえてきたのは、どたどたという慌ただしい音。

 

「…なんか、ごめんな緋奈」

「ううん。人と会う時に準備が必要なのは、女として当然だからね」

「あ、そうなの…」

 

 何となく申し訳なくなった俺が謝れば、緋奈は肩を竦めて軽く返答。俺の時は、準備なんかしてないと思うんだが…というのは、一旦置いておく事にしよう。

 

「…お、お待たせ…えと、入って緋奈ちゃん。……あ、も、勿論嫌じゃなきゃだけど…」

「うん、お邪魔しま……あ、お兄ちゃん。別にいいよね?それともお兄ちゃん、この後何か用事ある?」

「や、別にないから気にするな。…てか、俺は……?」

「入りたかったら入れば?」

(うーん、この清々しいまでの態度の差……)

 

 数分後、おめかし…って程じゃないんだろうが、跳ねていた髪を直し、服も緩い部屋着っぽいのから取り敢えず女の子っぽいものに着替えて出てきた依未は、ほんのり慌てながらも緋奈を部屋の中へと呼ぶ。その時の依未は、初めて友達を家に誘ったみたいな雰囲気で(実際のところはどうなのか知らないが)…けど俺も入っていいか訊いたら、途端に普段の依未へと戻っていた。多分緊張と喜びで赤くなっていたのであろう表情はどこへやら、俺は向けられた視線は完全に冷めたものだった。……流石にちょっと泣きたくなった。

 

「…あ、部屋って言っても一室じゃないんだね。どっちかって言うと、アパートとかマンションで言う『部屋』って感じなのかな…」

「う、うん。他の部屋がどうなってるかは知らないけど、あたしの部屋はそう…」

 

 本当に他愛のないやり取りをしながら、先に行く緋奈と依未は廊下を進む。そして廊下の先の扉を開いて…例の部屋、収納家具を買ったり俺が時々整理したりしても尚、長期間綺麗な状態を維持する事が出来ない部屋へ。

 

「あー…これは……」

「あっ…そ、その…あの……」

 

 予め言っておいたとはいえ、やはり物の量と、整理整頓をしていないが故にごちゃっとしている部屋の状態には驚いたのか、何とも言えなさそうな表情を浮かべる緋奈。一方依未はこの問題を失念していたのか、はっとした顔をした後暫くわたわたと手を動かし…それから視線を俺の方へ。どうやらこの状況を切り抜ける言い訳や策が、何も思い付かない状態らしい。…ったく……。

 

「…さっき言った通り、依未は整理整頓が苦手でな。けど、緋奈も知っての通り、依未はあまり外を出歩けないし、これまでは殆どずっと部屋にいたんだ。そういう生活にならざるを得なかった訳だから、そこは理解してやってくれるか?」

「あ…そっ、か…そうだよね……うん、大丈夫。びっくりはしたけど、だからって別にどうこう言ったりはしないよ」

「緋奈ちゃん……でもその、はい…散らかってるのは事実なので、片付けられるよう努力はします…」

 

 緋奈なら変に誤魔化さない方が良いだろうと思い、俺が選んだのは極力事実を伝える事。それが功を奏したようで、納得した様子の緋奈は依未へと向き直り、優しい笑みを浮かべて大丈夫だと伝えていた。一方依未はその飾らない言葉が逆に堪えたようで、叱られた後の子供みたいになっていた。…ほんと、緋奈に対しては弱いなぁ依未……。

 

「えと、それでその…何か飲む…?」

「ううん、気にしなくて大丈夫だよ。っていうか、わたし達こそごめんね。いきなり来て、しかも部屋の中にまで入っちゃって」

「い、いや、大丈夫!全然大丈夫だから…!むしろ来てくれて嬉しいっていうか、なんかそれだけでもちょっと幸せっていうか…か、感無量…?」

「感無量って…もう、依未ちゃんってばそれは大袈裟だよ〜。…でも、そこまで言ってくれるのは嬉しいな」

「……〜〜っ!…はぅぅ……」

 

 自分でも「これは言い過ぎか…?」と思ったのか、最後にちょろっと付いた感無量への疑問符。しかしその「感無量」へ対して大袈裟とは称したものの、そのすぐ後に緋奈は「だけど嬉しい」と微笑みながら言葉を続け…それが依未の心に、クリティカルヒットを叩き込んだ。…だが分かる、分かるぞ依未…ちょっと笑いながら大袈裟だと言ってからの、微笑み×嬉しいのコンボは、どう考えたって反則級だもんな…。

 

「…依未ちゃん?」

「…あ……う、うん大丈夫、ほんとに大丈夫…!…そ、そうだ。緋奈ちゃんは、どうして今日双統殿に…?」

「それは…うん。富士山での作戦が終わるまでの間、ここでわたしも手伝いをする事になったんだ」

「え、それって……」

 

 返答を聞いて目を丸くした依未は、それからすぐに俺を見てくる。見るだけで、何かを言う事はなかったが…きっと依未は、俺の意思が、そうしようとする緋奈へどう思っているのがが気になったんたろう。

 だから俺は、首肯を返した。相手からすれば、ただ頷いただけだが…察しが悪い訳でもない依未なら、きっと伝わる筈だ。

 

「…そ、っか…まあ、そうよね…失敗した場合のリスクを考えれば、出し惜しみなんて出来ないでしょうし…」

「…作戦の、事?」

「あ…う、うん。…まぁ、あたしはいつもの通り、何もする事なんてないんだけどね…」

「…別に、それでいいだろ。というか、依未すら出なきゃいけなくなるような作戦なら、そりゃもう実行に移してる時点で間違ってるようなもんだ」

 

 固有の能力の性質上、常に唐突な戦闘不能の危険がある依未すら戦力として数えなきゃいけない作戦なんて、実行しない方が良い。それが実行されるんだとしたら、その組織は末期も末期だ。…そう思って言葉を返した俺な訳だが、そこに続く発言はない。沈黙状態になってしまった事で、俺はこっち方面に掘り下げるべきじゃなかったなと思い、咳払いして話を変える。

 

「…それより、もっと普通の雑談でもしたらどうだ?わざわざ来たのにこんな堅苦しい話したって、誰も面白かねぇだろ」

「普通の雑談って…そんなざっくり言われても……」

「話の振り方が致命的ね……」

「うっせ、てか別に俺司会じゃないし…」

 

 軽く呆れられる結果にはなってしまったが、話の流れを変える事には一先ず成功。

 そうしてそこから暫くは、俺や依未よりずっとコミュニケーション能力の高い緋奈が話を振る事で、緋奈と依未のお喋りは続いた。ただ話してるだけではあったが、どちらも表情は楽しげで、お互いのびのびと話せているような感じだった。

 

「…緋奈。盛り上がってるところ悪いが、そろそろ帰るとするか。俺もだが、緋奈も用事はないって言ったって、帰ってからする事が何一つないって訳じゃないだろ?」

「へ?…あ、いつの間にこんな時間に……」

 

 やはりと言うべきか、時間を忘れて話していた二人。俺が声をかけるときょとんとし、それから時間を確認して、やっと長話をしていたんだと気付いた様子。

 

「ごめんね、依未ちゃん。まだ話したい事は色々あるけど……」

「き、気にしないで。っていうか、部屋に引き込んだ時点であたしが帰り辛くしたようなものだし、こっちこそ悪いっていうか……」

「そんな事思わなくても良いのに…今度は普通に遊びに来るからね。あ、それかここで活動する間に、会う機会もあるかな…?」

「それは、まぁ…あたしも双統殿からはまず出ないだろうから…ある、かも…?」

 

 そんなやり取りを最後に交わして、緋奈は立ち上がる。同じように俺も立ち、緋奈に続いて出入り口へと向かおうとして……引っ張られたのは、服の袖。

 

「…ん?」

「…あ、あのさ…さっきは、ありがと……」

「…ま、あんな追い詰められた小動物みたいな目で見られたら、無視する訳にもいかないしな」

「うっ…べ、別にそんな目してないし……」

「そうかい。どっちにせよ、このまま俺の袖掴んで引き留めてると、緋奈になんて思われるか分からないぞ?」

 

 恥ずかしそうに、目を逸らしながら依未が言った感謝の言葉。何だかその様子が愛らしかったのと、少し気恥ずかしかったのとで茶化してしまった俺だが、この感謝一つでさっき助け舟を出して良かったなぁとシンプルに思える。

 その後、俺の発言で顔を赤くした依未は袖を離し、離された事で俺は出入り口へ。扉を開けて出ると、廊下では緋奈が待っていて、遅かった俺へと不思議そうな視線を向けていた。

 

「ちょっと話してただけだ。…んじゃ、またな」

「またね、依未ちゃん」

「ま、またね。…悠弥も…頑張り、なさいよね」

「おう」

 

 何を?…と訊くまでもない依未の言葉に俺は頷き、見送られる形で俺と緋奈は歩き出す。

 

「…確かに、整理整頓が苦手なんだね…」

「あぁ。そのせいでハプニングが起きた事もあったし、あの時は大変だった…」

「…そう言う割には、楽しそうだねお兄ちゃん」

「……なんか、構いたくなるんだよ、依未は」

 

 エレベーターに乗り、扉が閉じたところで始まった会話。俺がある時の事も思い出して苦笑していると、緋奈はそんな俺の顔をよく見ていて……少しだけ躊躇った後に、俺は答える。否定ではなく、肯定の意思を込めた言葉で。

 

「うん、分かる。依未ちゃん可愛いし、でもちょっとわたわたしてるし、自己評価も低い感じだから、気にかけてあげたくなるよね」

「俺の場合と緋奈の場合は、またちょっと違うんだがな…俺の場合は弄り甲斐がある的な面もあって…ご、ごほん」

 

 依未の緋奈に対する態度と、俺に対する態度はまるで違う。そりゃ、色々煽ったりもする俺と、優しくて可愛くて気遣いもばっちりな緋奈で同じ接し方になる訳がなくて…だが、弄り甲斐がある、というのは余計な話。今のやり取りにおいてはいらん情報。だから俺は誤魔化すように咳払いをし…だがいつの間にかまた、緋奈は俺の顔を見ていた。顔を、目を見ていた。真剣…ともまた違う、心をじっと見るような瞳で。

 

「…お兄ちゃんは、依未ちゃんにとっても大切な存在なんだよね。それにお兄ちゃんも、依未ちゃんの事は大事に思ってる…そうでしょ?」

「それは……そう、だな。…あぁ、そうだ。依未の事は放っておけないし、力になってやりたいんだ」

 

 また、迷った。そうだというか、それともそれっぽい事を言って誤魔化すかを。よくよく考えれば、クリスマスイブのパーティーに連れてきてる時点で、しかもそれが年下の異性である以上は、ただの知り合いや友達以上である事は分かり切っているようなものだが…それでも、あの日の事を思えば、誤魔化す事も考えてしまった。

 だが俺は誤魔化さなかった。バレるかバレないかではなく…緋奈に、妹に対して俺は誠実でいたかったから。それに…依未へ対する思いを、その場凌ぎの嘘で誤魔化したくもなかったから。

 それを、緋奈がどう思うかは分からない。けど俺は正直に言った事を後悔せず、見つめる緋奈を見つめ返した。そして、俺からの言葉を受け取った緋奈はまず、そっか…と短く声を漏らして…それから、言う。

 

「…うん、だよね。やっぱりお兄ちゃんはそうでなくっちゃ。わたしの頼れるお兄ちゃんは、それ位堂々と言ってくれなくっちゃ」

 

 うんうん、と満足したように頷く緋奈。頷きを終え、また俺の事を見た時…緋奈が浮かべていたのは、どこか安心したようにも見える笑みだった。

 そうして止まったエレベーターの扉が開き、俺達は外へ。出たところで一度緋奈は止まって、後ろで手を組んだままくるりと振り向く。

 

「それじゃあさ、わたしは?わたしの事も放っておけなかったり、力になってくれたりする?」

「勿論。緋奈の事は絶対放ってなんかおかないし、緋奈の為なら幾らでも力になるさ」

「ありがと、お兄ちゃん。お兄ちゃん、わたしの時は即答してくれるんだね♪」

 

 そりゃ、緋奈は迷う余地なんてないからな。…なんて言う間もなく先を行く緋奈に、俺は軽く肩を竦める。

 正直、今の緋奈の心は分からない時がある。あくまで家族としての感情を向けているのか、それ以上か、或いはそういう区別なんてない…どちらでもあるとでも言うべき感情なのか、話しているだけじゃ分からない。だから俺は日々、本当に緋奈を喜ばせられているのか、緋奈は幸せだと感じられているのか…時々、不安になる。

 

(…けど、俺は家族で、兄で、緋奈が大好きだ。緋奈のどんな気持ちだって受け入れるって決めてるんだ。だったら…堂々としていなきゃ、な)

 

 だが、緋奈の心は分からずとも、俺の心ははっきりしている。依未の力になってやりたい、妃乃を支えてやりたいと思うのと同じように、緋奈を幸せにしてやりたいという気持ちは、常に変わらず俺の心の中にある。

 なら、それでいいじゃないか。元々俺は、人の心の機微に聡い人間でもなきゃ、器用な人間でもない。そういうのは苦手な、そういう事が出来ない人間だって自覚してんだから、出来もしない事をうんうん悩むより…今の俺に自信を持って、俺らしくいた方がずっと良い。…少なくとも緋奈は、そんな俺を今も昔も慕ってくれているんだから。

 

「…って、いやいや…なんで今、依未と妃乃の事まで出したし……」

「え?お兄ちゃん、なにか言った?」

「や、言ったが独り言だ、気にするな」

 

 俺からの返答を聞いた緋奈は怪訝な顔をしつつも視線を前に戻し、俺も少し早歩きをして先を行く緋奈の隣へと追い付く。

 まあ何にせよ、俺の中にある思いは全部本物だ。今の俺にとっては、それぞれが原動力の一つだ。だから、三人とのそれぞれの日々を…学生であり霊装者でもある、千嵜悠耶の毎日を守る為に、出来る事を頑張りたい。やれる事に…全力を尽くしたい。そう、俺は思っている。

 

 

 

 

 

 

──そうして、未完成の聖宝を守る為の、完成を目指す為の戦いが始まる。そして俺は、知る事になる。予言の意味を。これからではなく……もう既に、幕は上がっていたのだと。



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第二百十八話 そして、幕が上がる

 魔人及び魔物を誘い出しての迎撃と、土地の性質を利用しての聖宝完成へ向けた加速…その二つを行う作戦、聖導作戦は始まった。

 大規模な攻撃が予期される、そしてそれを確実に迎撃し切る事、その中で膨大な量の霊力や魔物側の力を発生させる事を目的としたこの作戦には、かなりの人員、戦力が投入されている。一度交戦が始まれば、激しい戦いになる事は間違いないであろう…そんな作戦。

 とはいえ、その立ち上がりは静かなものだった。…が、それも当然の話だ。何せ、最初に行った事は…聖宝の防御を緩める事なんだから。

 

「ふー……」

 

 コップに入った飲料をちびちびと飲みつつ、俺はゆっくりと息を吐く。

 今俺がいるのは、待機場所として指定された地点のキャンプ。双統殿と富士山、その中間辺りに位置するこの場所は、当然ながら戦闘となる可能性が極めて低く、作戦がまるっと相手側に筒抜けになっているか、作戦とは無関係にただ襲われるとかでもない限りはまず戦闘になんかなる訳がない。だから身も蓋もない言い方をすると、今の俺はそれこそ普通にキャンプをやっているような状態。

 

(今気にしても仕方のない事だが…これ、いつまで経っても仕掛けてこなかった場合はどうするんだろうな……)

 

 軽くストレッチをしながら、何となく俺は考える。作戦が始まってから今日で三日目、まだ焦れるには早いが、今のところ富士で動きがないのも事実。

 そもそも魔人側は聖宝の事を全く知らない…という事はないだろう。100%無いとは言い切れないが、地下空間での出来事からして、何かしら情報は伝わっている筈。であればこちらの防衛を突破し、聖宝の奪取か地下空間の占拠を図るタイミングを伺っているであろうと考え、協会はこの作戦を実行に移した。

 だが、一見防御が手薄になった事を、不審に思う可能性だってある。チャンスを逃さない事より、石橋を叩きまくる事を重視する魔人がいたとしてもおかしくないし、何なら魔人の方も今は戦力拡大に勤しんでいて、まだ暫くは攻め込む気がない…なーんて事も、まあ可能性としちゃあるだろう。…問題は、本当にそうだった場合なんだ。いつまで経っても仕掛けてこないなら、組織としてはどうするつもりなんだろうか。…まさか、仕掛けてくるまでずっと待つ訳じゃないだろうが……。

 

「…少し、電話でもしてくるか」

 

 残念ながら、今いる場所は圏外になっている。だが少し移動すれば電波の通じる所があって(そこは逆にキャンプを張れないんだが)、そこでなら普通に通話も出来る。だから気分転換に緋奈か依未辺りに電話をしようと思った俺は、ここの隊長にそれを伝えて、軽く走ってそこへと向かった。数日で終わるとは限らない事と、とにかく仕掛けられるまでは待つしかない事、それにここが戦場になる可能性は低い事から、割とその辺りの融通は効くのだ。

 

「…ここ、風が通るなぁ……」

 

 キャンプを張る訳にはいかない道路へと出た俺は、吹き抜ける風を感じながら携帯を出す。出して、掛ける。

 

「…あれ?お兄ちゃん?」

「おう、お兄ちゃんだ。重要な電話じゃないから、用事の最中だったらそっちを優先してくれればいいぞ?」

「ううん、今は大丈夫。お兄ちゃんこそ、電話してていいの?」

「まぁな」

 

 そう言って俺は、今の状況を端的に説明。それが済んだ後は、早速雑談を…と思ったが、困った事に「これを話したい」というものがない。その日あった事の簡単な話なら昨日や一昨日の晩にもう電話でしているし、今すぐ伝えたいような面白エピソードや感動話も現状ない。んで逆に、緋奈が何をしているかって話も当然既に聞いてる訳で…不味ったな、それについては考えてから電話をするべきだった…。

 

「あー…あれだ。緋奈の仕事的には大丈夫だと思うが、家族でも話しちゃいけない内容だったり情報だったりはあるものだからな?守秘義務、ってやつだ」

「え?うん、それは分かってるけど…なんでいきなりそれを…?」

「…何となく?」

「へ、へぇ…」

 

 話す内容について困った俺は、ぱっと思い付いたものを口にしたが…しまった、「突然変な事を言ってきた兄」みたいになってしまった…。内容そのものは真っ当なのに変だと思われるって、それ凄く悲しいぞおい……。

 

「こ、こほん。まあそれはともかく…そっちって、どんな雰囲気なんだ?」

「雰囲気?」

「緊張感があるのか、それとも普段通りか…って事だ。…いやまぁ、普段通りもなにも、普段緋奈は来てない訳だが……」

 

 咳払いを一つして、今度こそ俺は変じゃない質問を、そういえば訊いた事なかったなって話を緋奈にする。…これもまあ急いで考えた問いではあるが、どうなんだろうと思っているのは本当の事。

 

「うーん、そういう事なら…緊迫してる、って感じはないかな。まだちょっと、慣れない仕事に対しては緊張感もあるけど、それは慣れない事してるからだし」

「やっぱそうか…こっちだってそうだし、そんなもんだよなぁ……」

 

 緋奈の回答は、概ね俺が思った通り。この作戦において双統殿での仕事は完全な後方勤務で、やっている事も(少なくとも緋奈が行っているのは)平常の雑務の範疇の筈。となれば緊張してないのも当然の事で、むしろ後方勤務の人員すら緊張してたら、それは不味い状況どころの騒ぎじゃないだろう。

 加えてその双統殿より戦場に近いここでも今のところ緊迫はしていないんだから、双統殿は緊迫していない事こそが正常な状態。…とはいえ、緋奈のいる場所がそうだと実際に聞くと…やっぱりちょっと、安心する。

 

「…緋奈、緊張感を持てとは言わないが、今は平時って訳じゃない。それは、頭の片隅に置いておいておけよ?」

「うん、分かってるよ。わたしはまだ、本物の戦いを殆ど知らないけど…それを知ってるお兄ちゃん達の、真剣な表情や声は知ってるから」

 

 念の為、万が一って事もあるから…と俺が言えば、返ってきたのはこれまた安心の出来る言葉。この様子じゃもしかすると、本当に万が一が起きても冷静に…とまでは言わずとも、ちゃんとその時必要な事を出来るかもしれない。一人でも適切な判断をしてくれるかもしれない。そんな風に思えてきて、でもやっぱそんな万が一は起きてほしくない訳で、二転三転する思考に思わず俺は笑ってしまった。

 ともかくしっかりとした答えをもらえたんだから、これ以上念押しする必要もないだろう。だから後はのんびり話して、それで終わりに……

 

「……──ッ!」

 

……そう、思っていた時だった。通信機から、魔物がこっちの策にかかった…つまり、戦闘が始まったという連絡が届いたのは。

 

「…悪い緋奈、動きがあった」

「それって……」

「あぁ。…緋奈も、気を付けろよ」

 

 短い言葉で通話を締め、踵を返してキャンプ地へ。三日目でかかったというなら、首尾は上々。

 けど、ここからだ。作戦が成功するかどうかは、ここからの戦いで分かれていく。

 

「すみません、遅くなりました…!」

「いや、大丈夫だ。…皆、先の通信は聞いたね?今の段階ではまだ、私達に出ている指示は待機だ。けど全員、いつでも行動を…戦闘を出来る状態でいるように」

 

 隊長からの言葉を受け、全員が装備を準備し確認。先程までの緩んだ雰囲気はどこにもなく…あるのは、俺と緋奈とで何度も口にした緊張感。

 

「…………」

 

 当然、全体としての口数も減る。富士の戦況、戦場からの次なる情報が気になり、皆が通信機へ耳を傾ける。

 そうして、暫くの時間が経ち…幾つかの事が、はっきりした。

 

(…不味いな……)

 

 最初に分かったのは、現れた魔物の群れの規模や動きからして、偶々ではなく、やはり聖宝を狙っているという事。これにより、魔人側に聖宝の情報が行っている…という推測はほぼ確定となり、作戦そのものが空振りで終わるという、ある意味目も当てられない結果になる事は恐らく避けられた。

 次に分かったのは、その魔物側の規模。まだざっくりした規模しか判明してないが…その段階でも既に、こちらの想定以上らしい。もう少し戦闘が続けば、更にはっきりしてくるんだろうが、実は早とちりで全然多くありませんでした…って事はまあまずないだろう。

 そして、そこから予想がされている。…このままだと、迎撃し切れないかもしれないと。

 

「…全員、司令部より連絡が来た。状況に対応すべく…私達は、富士の戦闘へ増援に入る」

『了解!』

 

 このままだというのは、今の勢いのまま攻められ続けたらという話。上手くそれを削ぎ、もっとこちらが動き易くなれば、まだ迎撃は十分に望める。

 その判断の下、増援に向かう決定が下され、全員装備と作戦行動を最終確認。隊長を戦闘に次々と飛び立ち…増援として、富士の戦場に向かうのだった。

 

 

 

 

 富士山が見えてきた…という表現は正しくない。何せ富士山そのものは、キャンプ地点からでも見える程大きいんだから。より正しい表現をするのなら、富士山がただの山の形ではなく、ちゃんと地形や自然として見てるようになった辺りで……その時点からもう、俺はひしひしと感じていた。今聖宝へと向かって侵攻しようとしている魔物の数、その夥さを。

 

(出し惜しみなし、ってか…!)

 

 流石に雪原が見えない程ではないが(そんなに多かったらもう無理だ)、それでも群れなんてレベルは遥かに超えた、軍団とでも言うべき物量。そして今俺は、反射的に出し惜しみなしかと思ったが、もしこれですらまだ余力を残した戦力だというなら…って、根拠もなしに悪い方へ考えたって意味はねぇ…!

 

「とにかくまずは、目に付くところから始める…!」

 

 ライフルを抜き、フルオートで放ちながら突っ込んでいく。着地したところで直刀も抜き放ち、足を止めずに攻撃しながら動き回る。

 俺が担っているのは前衛。この場においては相手の集団に向かって突っ込み、翻弄する事で連携を断つ事。

 

「…っと、うぉぉ……ッ!」

 

 横から飛び掛かってきた魔物を寸前のところで避け、直刀を突き刺しそのまま捌く。続けて瞬時にその場から飛び退き、射撃で牽制しやがら魔物の視線を俺に集める。

 数が多いせいで、一体一体倒している余裕はない。今倒した個体は何とかなったが、一撃で倒せなかったからとそこに留まり追撃をしようとすれば、二体三体からの同時攻撃で逆にこっちが引き裂かれる。つまり、俺は動き回る割に中々有効打を与えられない、という立ち回りになる訳だが…何ら問題はない。それが、俺の役目なんだから。

 

(よし……!)

 

 大きく後ろへ跳躍し、一度構え直す俺。動きが止まった事で、俺という敵を認識した魔物達は一斉に襲いかかってこようとするが、次の瞬間別方向からの射撃が、後衛からの集中砲火が逆に魔物達を襲う。

 続けざまに、数人が斬り込む。俺が翻弄した事で連携が断たれ、集中砲火でダメージを負って止まったところで、容赦のない近接攻撃が魔物の命を奪っていく。

 

「無事か?」

「問題ありません、すぐ次に行けます」

 

 俺も斬り込みに参加し、援護射撃を受けながら魔物を掃討。数体逃げる個体もいたが、そいつ等は気にしない。そいつ等を一々追って倒す程、悠長にやってる余裕はない。

 

「はっ、探さなくても見つかるってのは、楽なもんだな…ッ!」

 

 皮肉たっぷりに呟きながら、次の魔物の集団に仕掛けていく。

 夥しい数と言っても、全個体が一つの集団になっている訳じゃなく、大小様々な規模の集団が集まっているのが魔物側。だからこそこっちが取るのは、その集団一つ一つの各個撃破。

 

「甘、いんだよ…ッ!」

 

 直刀を目の前の魔物に投げ放ち、その腕の動きのまま純霊力の刀を逆手で抜いて即座に出力。霊力で編まれた青の刃は背後から俺を襲おうとしていた魔物を突き刺し、だが俺は与えたダメージを確認する事なく前に跳んで直刀回収。直前に戻したライフルと入れ替える形で二刀流の構えを取り、更に魔物を引き付ける。

 

(ちっ…やっぱ手応えで与えたダメージを測れないのはこういう時歯痒いな…)

 

 聖宝及び地下空間を防衛する部隊で魔物の侵攻を抑え、隠れていた部隊や支部に待機していた部隊が側面や後方から魔物を叩き、複数方向から迎撃していくというのがこちらの作戦。そしてそれ等の部隊…特に防衛部隊のキャパシティを超える物量が雪崩れ込まないよう、外側から少しずつ潰していくのが俺の属する部隊の役目。同じ役目を持った部隊は他にもいて、恐らくそれ等の部隊も既に他の場所で交戦状態に入っている筈。

 だが結局やる事は、どの部隊も然程変わらない。とにかく片っ端から魔物を倒す事には、変わりない。

 

「わらわらと富士山に集まりやがって…!」

「お前等には過ぎた場所だろうがよ…ッ!」

 

 戦闘音や魔物の唸り声に混じって聞こえてくる、味方の声。皆士気は高く、動きも中々。ここのところは年齢の近い、それ故に練度もまだ低い仲間と戦う事が多かったが…やはり元から状況によってやるべき事が変わる部隊だからか、練度の平均値も高いように俺には見えた。…これなら、良い。これなら味方として、頼りになる。…なんていって、俺の方がむしろ助けられてたら、情けない事この上ないが。

 

「これで……ッ!」

 

 倒した魔物を踏み台にしての、飛び掛かっての上段斬り。今の一撃で、相手にしていた集団最後の魔物が絶命し…戦闘が始まって以来の、目の届く範囲に魔物はいないという状況が漸く訪れる。

 

「各員、怪我は?内容であれば、次のポイントへ移行する」

 

 一旦武器への霊力供給を止め、息を整える。怪我は一応あるっちゃあるが、どれも擦り傷や軽い切り傷だから気にはしない。

 うちの部隊が動く前、戦況としてはやや押されていた。だが無事に立て直し、今は他の場所でも上手く魔物を捌けている。窮地は脱した…そう思っている人間も、一定数はいるんだろう。

 けれどまだ、安心するのは早い。各増援の到着で立て直せた、って事自体はその通りだと思うが…相手側が、このまま少しずつ勢いを削がれてやられていく、なんて単純な流れになる筈がない。

 

「各員に通達。ポイントDにて、魔人らしき個体を確認。各隊での指示に従い、十分に注意されたし」

「……!やっぱ来るか…!」

 

 その時不意に、通信機から届く連絡。次の瞬間、部隊内の空気はふっと張り詰め、やっぱりな…と俺は呟く。

 魔人が現れる事は分かっていた。というより、現れない筈がないと考えていた。これだけの魔物が一斉に襲ってくる…そんな行動が魔人以上の存在もなしに発生するとは思えず、以前の任務…そして昨年度末の作戦でも現れたという意味でも、今更戦域外に隠れているだなんて到底考えられないのだから。

 俺以外にも、似たような事を考えていた霊装者は多いだろう。そして…うちの部隊は今、そのDポイントの近くにいる。

 

「…了解、直ちに向かいます。…皆、分かっての通り、私達は今魔人の確認された…いや、交戦には行った地点の付近にいる。よって、これより私達はDポイントへ向かい、後退支援と陣形再編までの時間稼ぎを行う」

「時間稼ぎ…という事は、魔人を我々が……」

「心配は要らない。私達が相手にするのは、同じくDポイントに残る魔物だ。魔人に対しては、急行している妃乃様、綾袮様が対応して下さる」

(二人が、か…まぁ、妥当だな……)

 

 生半可な霊装者じゃ、魔人の相手にならない。抑え込むだけでもかなりの人数が必要となり、そうなればその間に他の魔物が迎撃を抜けてしまう。数で上回っている訳じゃない以上、強力な個に対しては、こちらも同じく強力な個で対応するというのが妥当な判断。

 とはいえそれは、こっちも妃乃や綾袮という一騎当千の戦力が、暫く魔人にかかりきりになるという事。前に聞いた時は、二人は魔人が現れる事を見越して、出現までは体力の温存優先で立ち回る…とかなんとか言っていたから、二人が抜けて防衛部隊が脆くなる…って事はないだろうが、それでもこれまで以上に気を張って魔物と戦わなきゃけない。

 

「……!…へっ、噂をすれば……」

 

 Dポイントへの移動の為飛び上がった瞬間、更に上空を駆け抜けていった蒼の翼。何だ、誰だなんて事は考えるまでもない、二人の姿に俺は軽く笑みを浮かべて、部隊と共にその後を追う。

 聖宝の完成も狙っているとはいえ、まずは迎撃し切れなければ意味がない。もっと言えば、こうして命張って戦ってる以上は、そんな事まで気にしてられない。

 命あっての物種。生き残って事、終わった時に立っていてこそ、得られるものも守れるものもある。だからこそ俺は、余計な思考を振り払い…意識を戦闘に、向かう先の脅威へと集中させる。

 

 

 

 

「…これで良し、と」

 

 持っていたシャーペンを置き、ぐるりと一度首を回す。この時、音が鳴ると少し気持ちが良い。逆に疲れてるのに鳴らないと、何かすっきりしない気分になる。…まあ、だからなんだって話だけど。

 

「…………」

 

 文具を仕舞って、今書き終えた手紙を机の真ん中に置いて、立ち上がる。荷物を確認し、部屋の中をぐるりと見回す。

 

(…もうここに、一年もいたんだよな……)

 

 一年という時は長い。最初は他人の家に来ている感じだった(実際そうだけど)のに、今はここを自分の部屋だとしか思えない。

 勿論それは、この部屋だけじゃない。この家全体が、自分の住む、自分が居て当たり前の所だと思っている。

 

「…後悔は、ないさ。躊躇いも、もうない」

 

 心地良い、落ち着ける自分の場所。そこへ伝えるようにして、俺は言う。言って、深呼吸して…俺は、荷物を持つ。

 

(綾袮、ラフィーネ、フォリン……悪い)

 

 部屋を出て、廊下へ。ゆっくりと家の中を回りながら、最後は玄関へ。

 今この家に、三人は居ない。綾袮は富士での任務、ラフィーネとフォリンは手薄になっている双統殿の戦力として呼ばれているから、その作戦が終わるまでは帰ってこない。

 だから、俺は手紙を残した。…いや、違う。仮に三人が居たとしても、俺は同じ事をしただろう。…皆は、優しいから。皆優しく……結局は、俺と違う人生を歩んできた三人だから。

 

「……さようなら。行ってきます」

 

 そうして俺は、家を出た。玄関から外に出て、振り返り…言った。思い浮かんだ二つの言葉を、どちらかではなく両方とも。

 ここは、あの日から始まった俺の新たな日々…非日常の、象徴の一つ。ここの中でも、一年間で様々な事があって…そして今、俺はここを去る。俺の進むべき、示すべき在り方の為に。

 帰ってくるのは、いつになるか分からない。もう帰ってこないかもしれない。故に、これは別れであり……出発だ。

 

 

 

 

 

 

──そうして俺は、歩んでいく。予言の霊装者・御道顕人ではなく……世界を変える主人公・御道顕人としての道を。



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第二百十九話 待っているから

 前に少しからかわれたけど、その時のお兄ちゃんが言った通り、今わたしがしているのは…任されているのは、雑用みたいなもの。でも雑用だって、重要そうじゃなくたって、仕事は仕事。わたしから頼んで紹介してもらった事でもあるから、一つ一つに真剣な気持ちで取り組んだ。

 それに今は、お兄ちゃんが、妃乃さんが…多くの人が、わたしよりずっと大変な事をしている。これまでも、わたしは関わってこなかっただけで、戦いは数え切れない程あったんだと思う。だから…わたしだって、今目の前にある事を、出来る事を頑張りたい。

 

「ふぅ…段々慣れてきた、かな……」

 

 双統殿の廊下。任されていた仕事が一段落ついて、休憩に入ったわたしは、廊下の休憩スペースで腰を下ろしてぽつりと呟いた。

 仕事の内容もそうだけど、ここ…双統殿そのものにも、慣れてきたような気がする。これまでは殆ど来る事自体がなかったから、来る度に少し緊張してたけど…今はもう、そういう緊張感はない。…勿論、仕事はまだ少し緊張するけど。

 

(…さっきお兄ちゃんが急に電話を終わらせたのって、やっぱり戦いが始まったから…だよね…)

 

 あの時はお兄ちゃんが急いでるのが分かったし、あんな雰囲気になる理由なんて一つしかなかったから、訊かなかった。だから確証はないけど…きっと、そう。

 それに関して、わたしには…というか、代理で雑務をしているわたし達には、今のところ連絡がない。最初はそれを変に思ったけど…よく考えたら、戦ってるのはずっと遠くの富士山でだし、戦いが始まったからからって、わたし達のする事に何か変化がある訳じゃない。…って事は、知っても不安な気持ちになるだけで、それを避ける為に秘密にしてる…の、かもしれない。後で伝えられるのかもしれないし、本当の理由は分からない。

 

「大丈夫かな…大丈夫だよね……」

 

 今まではお兄ちゃん達が任務でも、わたしは家にいたからあんまり実感がなかったけど…ここにいると、自然に意識をする。その任務は、お兄ちゃん達のしている事は、命に関わる戦いなんだって。

 わたしはまだ、戦いを知らない。稽古はつけてもらってるけど、実戦を知らない。だから、分からない事への不安もあるし、もっとわたしに何か出来たらって気持ちもあって……

 

「……へ?緋奈ちゃん…?」

「え?……あ」

 

 そんな時、不意に聞こえたわたしの名前。反射的に声のした方を向けば、そこにはこっちを見て驚いている女の子が一人いて…女の子というか、それは依未ちゃんだった。

 

「ど…どうして、こんなところに……?」

「休憩、だよ…?依未ちゃんこそ、どこか行くの?」

「あ、あたしは…その…日課というか、運動というか……」

「日課…?」

 

 あれ?依未ちゃんの部屋があるのってこの階だっけ?…と思って訊いたら、返ってきたのは不思議な返答。それにわたしが首を傾げると、依未ちゃんは恥ずかしそうにしながらその「日課」の意味を答えてくれた。

 

「あぁ、そっか…こういう時でも、続けてるんだね」

「まぁ、その…毎日やってる事だから、やれる状況なのにやらないでいると、そわそわするっていうか…」

「あ、それは分かるかも。時間とか場所も、普段と違ったりすると少し違和感があるっていうか、抵抗があるよね」

 

 こういう事かな、と思ってわたしが返すと、依未ちゃんはこくこくと頷いてそうだとわたしに答えてくれる。…ふふっ。依未ちゃん、こういう何気ない動作に小動物感があって可愛いんだよね。

 

「…けど、偉いなぁ。日課って言っても、すぐ終わる事じゃないし、楽しい訳でもないでしょ?なのに、こういう時までちゃんとやるなんて……」

「うぇっ!?…あ、や、あたしなんて別に…だって、結局はただ歩いてるだけ、だし……」

「それでも、だよ。それに歩きじゃなくてランニングだったとしても、比較対象がアスリートの人なら『ただ軽く走ってるだけ』になるだろうし、卑下する必要なんてないと思うな」

「……っ、緋奈ちゃん…。…けど、やっぱり…偉くは、ないわよ…これに命は、掛かってないんだから…」

 

 自分を悪く言わないでほしい。そう思って首を横に振ったわたしだけど、依未ちゃんは虚しそうな顔で俯く。

…その意味は、すぐに分かった。その気持ちは、考えなくても理解出来た。だって…それは、わたしも同じだから。

 

「…信じて待つ、って素敵な言葉だし、実際信じられる位の関係や思いを築けるのは、幸せな事だと思うけど……何も出来ない、待ってるしかないっていうのは、辛いよね…」

「…うん……」

 

 隣に座った依未ちゃんの方は向かないまま、でも依未ちゃんへ向けて言う、依未ちゃんも多分、わたしの事は見ないまま、わたしの言葉に答えてくれる。

 これまでは、ずっとそうだった。今だって、出来る事はあるけど、それをしているけど…直接助けている訳じゃ、支えたりしている訳じゃない。大事なのは、直接かどうかじゃない…そう言う人もいると思うし、そっちの方が正しいんだと思うけど…これは、気持ちの問題。待つ側が、無事を祈る側が、納得出来るかどうかの話。

 だけど、辛くても不服でも、待つしかない。今のわたしには、直接助けるだけの力なんてないから。まだ未熟で力不足の、わたし自身が理由だから。…だから……

 

「…ね、依未ちゃん。だから…こんなにわたしや依未ちゃんに心配をかけてるんだから、無事に帰って来なかったら、お兄ちゃんを怒らなくちゃね」

「それは……いい、かも。…えぇ、そうよ…悠弥の癖にあたしに心配をかけさせてるんだから、帰ってきた時には……って、ひ、緋奈ちゃん…!?あ、あたしは別に、悠弥の事だけとは……」

「うん、分かってるよ?妃乃さんもそうだし、他の沢山の人が、今は頑張ってるんだもんね」

「う…そ、そうなんだけどぉ……!」

 

 勿論そうだよ、と言うみたいに笑ってわたしが言葉を返すと、かぁっと顔を赤くして慌てる依未ちゃん。

 もうこれは、完全に狙った通りの反応。わたしは別に弄る趣味も弄られる趣味もないつもりだったんだけど…どうしよう、わたし依未ちゃんにだけはちょっとSになりそうかも。別に普通に話したりするだけでも楽しいし、その内依未ちゃんの方が慣れて平然と返してくるかもしれないけど…。

 

(…お兄ちゃん。お兄ちゃんの事を気に掛けてるのはわたしだけじゃないんだから、本当に…ちゃんと帰ってきてくれなきゃ、怒るからね?)

 

 ついちょっとふざけたわたしだけど、依未ちゃんに言った言葉は全部本物。妃乃さんだって無事に帰ってきてほしいし、知り合いは勿論だけど、知らない人だって傷付いてほしくないし…お兄ちゃんには、いつもみたいにまた何でもないように、無駄な心配しちゃったかなって思うような顔で、ただいまと言ってほしい。そんなお兄ちゃんに、お帰りってわたしは言いたい。

 今はまだ、出来る事はあっても、直接支える事は出来ない。それが事実、それが現実。だけど…だから、わたしはいつか…今は無理でも、いつかはお兄ちゃんの側で、お兄ちゃんを支えられるようになりたい。…ううん、違う。なりたいんじゃなくて……なるんだ、絶対に。

 

 

 

 

 友軍の後退支援と、陣形再編までの時間稼ぎ。噛み砕いて言えば、魔物を押し留める事が俺の属する部隊の役目であり、これはこれまでよりも数段気を張る必要があった。極論、とにかく見つけた魔物の集団に攻撃を仕掛け、その集団を崩壊させられれば良かったこれまでと違い、下がる味方を常に意識し、時間稼ぎとして部隊単位で魔物の軍勢の注意を引かなくてはいけないというのは、かかるプレッシャーがかなり違う。逆に、こっちから移動して攻め込む必要がない分、楽な部分もある訳だが…俺からすれば、今している事の方が難しい。

 

「そら…よッ!」

 

 右腕を突き出し、飛び掛かってきた魔物を正面から一突き。掛かる衝撃は両脚で踏ん張る事によって何とか耐え、そこから右足の裏で魔物を蹴り出す事によって直刀を引き抜きつつも後続の魔物に対してぶつける。そこで俺は後ろに下がり、味方の射撃で今蹴り出した魔物諸共後ろの個体を撃ち抜いてもらう。

 

(やっぱ、こういう味方は心強いな…!)

 

 今の連携攻撃は、別に打ち合わせたものじゃない。それでも成功した事に対し、俺は軽く口角を上げ、また次の魔物に仕掛けていく。

 ある程度経験を重ねてくると、状況や味方の動きから、味方が何をしようとしてるか、何を求めてるかが何となく分かるようになる。それはあくまでざっくりしたもので、緻密な連携は入念に打ち合わせをするか、深い信頼関係を築くかしないと成立しないが、単純な連携だったらそれだけてもいける。そして単純だとしても、瞬時に連携が成立するというのは強いもので…っと、集中集中。余分な事を考えてる暇はねぇぞ、俺…!

 

「これで、終わりだ…ッ!…よし、次……」

「お待たせしました、皆さん!」

 

 一撃浴びせて動きを鈍らせた魔物への、光実二振りによる同時斬り。斜め十字、Xを描くように斬り裂く事で魔物を沈め、次の魔物へと向かおうとした直後、背後からうちの部隊員じゃない霊装者が前へと降り立つ。

 いや、一人だけじゃない。続く形で数人が現れ、更に射撃が魔物へと飛ぶ。現れた見知らぬ霊装者達に、その一人が言った言葉。それが示す答えは一つ。

 

「…よし。目的は果たされた、一度後退する」

「了解、っと……!」

 

 隊長の声に応じながら、俺は左手の武器を持ち替え。ライフルを握って、魔物を狙い、今装填してある分を撃ち切る勢いで放ちながら跳躍をかけて後退していく。

 

「ふー…取り敢えず何とかなったみたいだが……」

 

 そうして戦闘になっていない場所まで後退した俺達は、ささやかながらも休憩に入る。まずは火器に弾を込め直して、接近戦用の装備も大きな破損がないか確認して、それから楽な姿勢でゆっくりと呼吸を整える。

 戦闘継続、ではなく後退の判断が下されたって事は、陣形の再編がきっちり出来たと思って間違いない。魔人の方も、妃乃達が撃退したと聞いている。つまり、魔人強襲からの状況には、完全に対応し切れたって事で…だがまだ所詮、一つのピンチを乗り越えたに過ぎない。

 

(止むを得ずの退いたのか、これ以上は無駄な消耗になるって考えて退いたのか…前者だったらありがたいが、実際は恐らく……)

 

 そこまでの思考をしたところで、次の指示が隊長の口から発せられる。もう休憩終わりか…と思いきや、また移動するんだとか。

 何でも司令部曰く、魔物側の攻勢に関して気になる部分があるらしい。だから念の為、遊撃系の部隊はやや後ろ寄りに位置を変えるとの事。

 

「…順調、ではあるんだよな……」

 

 指定された位置まで下がり、そこでまた小規模な群れの各個撃破に当たる。ほんとに魔物の数は多いが、こっちもかなりの人数がいる訳で、先の魔人の様な事がなければもうこっちが押されるような事にはならない。まだ余裕はないと思うが、戦況としては順調に進んでいる…そう感じられる状況が続いている。

 だからこそ、逆に気掛かりだった。順調に進んでるなら、司令部の感じたものは何だったのか。相手側は結局、数を集めたのごり押しってだけで、魔人の強襲が一回こっきりで終わるのか。…いいや違う。それは幾ら何でもこっちに都合が良過ぎる。…そう思った、時だった。

 

「……ッ!?この、魔物は…ッ!」

 

 突如突っ込んできた、一体の魔物。反射的に直刀を振るい、それが見事に当たった事で、斬り伏せる事に成功したが…現れたのは、一体じゃない。それに現れた魔物には、魔物群の外見には…見覚えがある。

 

「奴か……ッ!」

 

 魔物であって魔物でない、この魔物の正体はあの…例の魔人が使役する魔物擬き。俺自身は、奴との戦闘経験なんてないが…その能力の厄介さは、十分に聞いている。

 まだ見えていないだけで、別の魔物擬きがいてもおかしくない。そう思って目を走らせながら、俺はこれが魔人によるものだと味方に伝える。そしてその発生源、即ち魔人を叩かなくてはキリがないと、魔物擬きだけでなく魔人本体も探そうとした俺だったが、次の瞬間連絡が入る。──今俺達が戦っている場所以外でも数ヶ所、同様に新たな魔物が現れたと。そしてその内の一つ…ここまで最も攻勢が激しく、こちら側としても戦い易くなるよう誘導していた方位の真逆から、かなりの数が押し寄せていると。

 

(一気に押し切ろうってか…?くそっ、物量戦と相性良過ぎんだろ…って、そりゃ相性良いに決まってるよなこんちくしょう……ッ!)

「悠弥君…ッ!」

「へ?あ、はい…!」

 

 次々と…それこそ弾丸位の感覚で魔物擬きを行使する、行使出来る奴の能力は、対多数戦で強力な武器となるのは当然の事。

 だがそこに納得がいったところで意味はなく、兎にも角にも戦うしかない。…そう思った直後、隊長が飛び蹴りで魔物擬きの一体を蹴り飛ばしつつ、俺の正面に現れる。

 

「今は丁寧に説明している時間がない。だから単刀直入に言わせてもらうよ。悠弥君、君は魔人の捜索に向かってほしい」

「お、俺…自分が、ですか…?」

「そうだ。この状況、目の前の魔物を無視する訳にはいかないが、それだけでは解決しない。無論、対魔人の動きも始まってはいるだろうが…君には複数の魔人との交戦経験、そして恭士様達と共に撃破した経験を持つ霊装者だ。違うか?」

 

 火器で魔物に牽制を掛けながらの、隊長の言葉。丁寧に説明している時間は…と言いつつも、結構ちゃんと示された理由。

 これが、どういう心境からの言葉なのかは分からない。俺になら任せられると思ってくれたのか、知っている情報からただ判断しただけなのか、聞いただけじゃ判別のしようがない。…けど、はっきりしている事もある。俺は今の、隊長の要求に対して…100%、賛成だ…ッ!

 

「了解……ッ!」

 

 隊長からの頷きを受け、俺は飛び上がる。殺到する魔物擬きの元凶…魔人を捜索する為に、戦域を離脱し高く空へ…。

 

(…けど、どこにいる?普通に考えりゃ、隠れて魔物擬きの運用に徹してるんだろうが……)

 

 空から富士を見回しながら、俺は考える。普通なら、兵器の生産工場、兵士の訓練校を最前線に持ってくるなんて事はしない。もし魔物擬きが自立していない、遠隔操作端末の様なものだとしたら、尚更後方に下がって操る方が戦い方としては堅実と言える。

 だが聞いた話じゃ、この能力を持つ魔人は、好戦的且つ人への見下しが特に強い性格らしい。…なら、そんな性格をしている魔人が、自分は後ろに引っ込んでいるなんて戦い方を…ある種臆病な、相手が強い事を前提にしているような戦法を取るだろうか?…答えは、否だ。

 

「…けど、今んところ本体の発見報告はねぇ。魔物や地形に隠れてるってのも、可能性としちゃ低い筈。…いや待てよ?安全の為じゃなくて、魔物擬きを前座にして、場を整えてから自分自身で一気に突破ってのを考えてる可能性も……」

 

 視線を走らせ、頭も回転させ続ける。色々と可能性はある。だがこれだというもの、確信が持てる程のものはない。

 それでも、どこかにいる事は事実。推理で見つけられなくても、とにかく発見さえ出来りゃそれで良い。だから俺は思考を続けつつも目を凝らし、せめて手掛かりだけでもと探し続ける。その中で雲が広がっていたのか、空からの光がほんのりと弱まり……

 

(……空?…まさか……!)

 

 直感なんて、閃きなんて大層なものじゃない、ただの気付き。これまで俺は下ばかり、地上ばかり見ていたという、普通ならば別段おかしくもない状況。

 けどその時、その可能性が頭の中に浮かび上がると同時に、俺ははっとした。そして、弾かれるように振り向いた……次の瞬間だった。

 

「──よぉ、漸く気付いたかよ」

「……ッッ!」

 

 眼前に、すぐ側にいた、一体の魔人。ずっといたのか、それとも俺がはっとした際、気付いた事に気付いて接近してきたのかは分からない。だが、奴が……魔人が目の前にいる事は、紛れもない絶対の真実。

 反射的に、俺は直刀を振り抜いた。しかしそれを、魔人はひらりと難なく回避。

 

「地上じゃなくて空…合理的な判断だろ?ここなら全体が見えるし、見えるからどこにどれだけ送れば良いかも一目瞭然。しかもテメェ等は、地上の敵で手一杯で、空にいるだなんて事は思いもしねぇ。…ま、テメェは気付いた訳だがな」

「…自分は一人、文字通り高みの見物ってか」

「見物?違うな、待ってたんだよ。必死こいて戦ってるテメェ等人間の守りを、一気にぶっ潰す瞬間をなぁ…」

 

 そう言って、魔人はにやりと笑みを浮かべる。情報通り好戦的な、見るからに人を自分より格下だと思っている、そんな笑みを。

 だが、それだけじゃない。今の発言ではっきりしたが、こいつは頭が回る…というか、人を見下してはいても、何も考えずごり押しするような奴じゃない。

 

「…けどまあ、お前みたいな餓鬼が一人で気付いたんだ。その頑張りに応じて、少しだけ遊んでやろうじゃねぇか」

「…………」

「さあ来いよ。それとも逃げるか?どうせ勝てやしねぇんだ、逃げたって構わねぇぜ?」

 

 悠々と、俺より上方から見下ろしてくる魔人。その表情に浮かんでいるのは、余裕の笑み。

 余程自分に自信があるのか、負ける筈がないと考えているのか、向こうから仕掛けてくる気配はない。どうやら本当に、「少し遊んでやるからかかってこい」…と思っているらしい。……だったら。

 

「…なら、少しばかり付き合ってもらおうか」

「はっ、足掻いてみろよ人間」

 

 笑みを深める魔人に対し、俺はゆっくりとライフルを抜く。…だが、その銃口を向けるのは、魔人に対してじゃない。俺が向ける先は……下。

 その瞬間、魔人の表情は怪訝なものに。それは当然の反応で…同時に、俺の意図に気付いていないという証明でもある。だから俺は、狙う先を確認し……放つ。

 

「あぁ?お前、何して……って、まさか…」

 

 トリガーを引きっ放しにした事により、眼下へと飛来する弾丸。それ等は狙った木へ、次々と降り注ぎ……そして、気付く。その周辺にいた味方が、霊装者が、木の異変に。空で何か、起きているのだという事に。

 

「…ちっ、テメェ…詰まらねぇ事してくれるじゃねぇかよぉッ!」

「……ッ!悪いな、趣味が合わなくて…ッ!」

 

 舌打ちが聞こえ、ゆらりと身体を動かした次の瞬間、魔人は俺の真正面へと一気に肉薄。反射的に掲げた直刀の腹に魔人の蹴りが衝突し、一撃で姿勢を崩される。

 とはいえ、それは想定内。崩された姿勢のまま、俺はその衝撃を利用して距離を離し、振り上げたライフルで迎撃を掛ける。

 

「はん、緩いんだよ攻撃がッ!」

 

 最初の一太刀を避けた時とは違う、機敏な動きで射撃を回避した魔人は、腕を振るい小型の魔物擬きを放ってくる。

 速度とサイズのせいで、どんな見た目をしているのかよく分からない無数の魔物擬き。対して俺は飛び回りながら射撃を撃ち込み、凌ぎ切れなかった魔物擬きは斬り払う事で何とか対応していくが……俺の装備じゃ部が悪い。

 

(くそっ、顕人が使ってた背負うタイプの霊力砲でもありゃ楽なんだけどな…ッ!)

 

 群体生物の様に固まって飛んでくる魔物擬きは、照射型の霊力砲なら一撃で相当数を蹴散らす事が出来ただろう。或いは地上なら、上手く障害物を利用する事で躱す事も出来たかもしれない。

 けど、そんなたらればに意味はない。俺が今相対しているのは、この厄介な状況であり……しかしそれも、俺一人で切り抜ける必要はない。その為に俺は、下へと射撃を撃ったんだから。

 

「けッ…敵いもしねぇのにわらわら来やがって…」

 

 俺へ魔物擬きの第二波を仕掛けようとしていた魔人だったが、その魔人へ下から射撃が殺到。押し寄せる弾丸と光芒は攻撃を潰し、続けて何人もの味方が攻撃をかけながら登ってくる。

 その間に魔物擬きを片付けた俺は、空中で武器を構え直す。あの魔人と違って、端から俺はこの戦闘を楽しもうなんざ思っちゃいない。敵を軽んじてもいない。

 だから、これで良い。俺の目的は、ただ一つ。しっかりと、無事に勝って…これまでと同じように、妃乃達と帰る事だけだ。



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第二百二十話 降り注ぐ光

「はぁああああぁぁッ!」

「そんな攻撃が当たるかよッ!」

 

 上方を取り、全身の勢いを乗せて斬りかかる。それを避けられ、お返しだとばかりに放たれる殴打。それを最小限の動きで、斬りかかった際の勢いを用いてそのまま降下する事で避け返した俺は、振り向くと同時に次なる攻撃を奴へと…魔人へと仕掛ける。

 

「ちッ…鬱陶しい野郎だなテメェは……!」

 

 突き出した直刀の刺突を、右前腕で阻まれる。ならばとそこから直刀を上に滑らせ、刀と腕でせめぎ合う形を作る。

 魔人を発見し、木への射撃で味方に魔人の存在を伝えた後の戦闘開始から、少しの時間が経った。具体的に、何分経ったかは分からない。それを考える程の余裕はない。

 

(鬱陶しくて、結構…ッ!)

 

 せめぎ合う中、魔人の左腕が見せる貫手の構え。その瞬間に俺も拳銃へ持ち替えていた左手を振り、腰の辺りに向けて連続で撃つ。

 直後、直刀諸共押し切られて崩れる姿勢。魔人自体が反動で下がった事もあり、弾丸は全て空を切るだけ。とはいえそれでも、攻撃を潰したと思えば十分。

 

「こっちもこっちで…ウザいんだよッ!」

 

 距離の空いた魔人が魔物擬きを出そうとした直後、魔人を複数の射撃が襲う。邪魔された魔人は防いだ後に射撃が飛んできた方向、その一つへ目を向けるが、その時点ではもう射手全員が場所を動いており…その隙に、再び俺は接近する。近付き、斬撃を放つ。

 今俺は、こちらへと来てくれた味方からの援護を受けて魔人と戦っている。魔人の能力である魔物擬きの使用を徹底的に潰してもらい、逆に魔人がそちらへ目を向けた時はその隙を突いて俺が接近戦に持ち込むという、そんな戦い方で魔人と空中戦を繰り広げている。

 

「随分と、気が立ってるみたいじゃねぇ、かッ!」

「はっ、テメェ等みたいに強くもねぇ奴等に絡まれてんだ、イラつくに決まってんだろうがよッ!」

 

 右手の直刀を主体に、合間合間を縫う形で拳銃による攻撃も織り交ぜながら、魔人へと喰らい付く。だが無理はせず、強引な攻め方はしないで、味方の援護射撃にも思い切り頼る。

 結果、数ではこっちがかなり有利でありながら、今のところ大きなダメージは与えられていない。こっちも擦り傷程度で済んでいるとはいえ、魔人に負担を強いるような流れを作れていない以上、この戦闘での魔人の消耗もあまり期待は出来ない。

 つまり、今は魔人をこの場に押し留められてはいるものの、とても優勢とは言えない状況。…けど、それで良い。

 

(もう少しだ…ちゃんと情報が伝わっているなら、もう少しで……)

 

 再び刀と腕とでせめぎ合いになった際、今度は直刀の峰に拳銃のグリップの底を当てがう事で両腕の力を刀に乗せる。あくまで俺は全力なのだと(実際手抜きはしてないが)、このままの戦闘で倒そうとしてるのだと、そう思われるように本気で務める。

 

「…うん?ああ?…けどそういやテメェ、あいつを追い詰めた人間だったか?」

「あいつ…?…あの色々伸ばせる魔人か…!」

「そうだよあいつだよ。けどその割にゃ、大した力もねぇんだなぁオイッ!」

 

 続くせめぎ合いの中、不意に、思い出したように魔人が触れたのはあの時の戦闘。俺一人で「追い詰めた」と言える程にまで至っていたかどうかはともかく、どうやらこいつはその戦闘の情報も持っているらしい。

 そして次の瞬間、俺は魔人に押し切られる。先程とは違い、その場で腕を振り抜いて強引に俺の姿勢を崩す。

 

「手ぇ抜いてんのか?数で勝ってるからって余裕ぶっこいてんのか?…まあ、どうせ潰すんだからどうだっていいけどなぁッ!」

 

 体勢が崩れたところへ振り出される右脚の蹴り。何とか腕を交差させて防ぐものの、崩れた姿勢で衝撃を逃がせる筈もなく、大きく飛ばされる俺の身体。その最中、見えたのは次の攻撃の姿勢に入った魔人の姿。

 こっちの援護射撃はほんの一瞬間に合わず、俺に肉薄をかける魔人。何とか身体を捻り、防御をしようと動く俺。そうして靄を纏った手刀の斬っ先が、俺の胴へと狙いを定め……だがその直後、魔人を強烈な斬撃が襲う。

 

「……ッ!…漸く本命が登場、ってか…!」

 

 寸前で攻撃から防御に転じ、その靄を纏った腕で防いだ魔人は、奴を襲った攻撃…飛来した斬撃の下へと突進を掛ける。

 対する攻撃の発生源、斬撃の放ち手はこちらも怯む事なく空を駆け、両者は交錯。靄と蒼の光を散らしながらぶつかり、すれ違い……妃乃が、俺の前に舞い降りる。

 

「待たせたわね、悠弥。…見つけるなんて、中々やるじゃない」

「偶々閃いて、な。…来てくれて助かる」

 

 魔人に対し、妃乃や綾袮が来ない筈がない。…そう信じて、ここまで俺は時間を稼ぐ事、倒す事より無理しない事を優先してきた。勿論、必ず来るという保証はなかったが、来るにしてもどの程度時間がかかるかは分からなかったが……俺は、来る事に賭けてその賭けに勝った。だから笑みを浮かべ、妃乃の隣へと出て、構え直す。

 

「皆、ここは大丈夫だから魔物の迎撃に戻って頂戴!あくまで目的は守り切る事、ここで勝てても突破されたら意味はないわ!」

 

 集中砲火で魔人の邪魔をしていた味方への、妃乃の言葉。それを受けた味方は短い返答と共にこの場から離脱し…その後ろ姿を、魔人は追わない。

 

「ここは大丈夫?おいおいいいのかよ、もっと応援を呼んでくれ、って言わなくてもよぉ…」

「生憎こっちも四方八方の魔物に対応しなくちゃいけなくて、そんなに余裕がないのよ。だからあんたの相手は、私達だけでさせてもらうわ」

 

 追う必要はないと思ったのか、それとも妃乃に背中を向けるのは危険だと判断したのか、追わないどころか魔人は俺達以外を見もしない。

 だがそれならば、こっちも正面切っての戦闘に集中するまで。手数においては奴が数段上な以上、そうしてくれるのならむしろ好都合。

 

「そうかよ、だったら…呆気なく終わってくれるなよなァッ!」

 

 吠え、両手を前に突き出す魔人。その直後、突き出された両手から大型肉食獣の様な魔物擬きが現れ、それが翼も無しに突っ込んでくる。

 されど妃乃は、その魔物擬きへと得物を一閃。煌めく軌跡が空に描かれ、一撃で魔物擬きを両断。そこから合間無く妃乃は仕掛け、俺も妃乃の動きに続く。

 

「おらおらぁッ!その程度じゃねぇんだろ!?」

「ふん、絵に描いたような苛烈さね…ッ!」

 

 急接近からの刺突に対し、魔人は蹴りで攻撃を逸らすと同時に、足の甲と足首で天之瓊矛の柄を引っ掛けて妃乃を横へと投げ出させる。尚且つその反動で自分も逆側へと飛び、再び魔物擬きを…今度は小型を次々と出しては放つ。

 対する妃乃は即座に姿勢を立て直し、素早い斬撃で魔物擬きを迎撃。攻撃そのものだけでなく、斬撃の風圧でも魔物擬きを散らし、奴からの被弾を許さない。

 

「そこだ……ッ!」

「…っと、忘れてるとでも思ったか?」

「ちっ…忘れててくれた方が、不意打ちし易かったんだがな…ッ!」

 

 その間に俺は回り込み、背後から首に向けて一太刀…浴びせようとしたが、寸前で魔人は振り返り防御。今度はせめぎ合う間もなく魔人に弾かれ、俺は下がりながら舌打ちを漏らす。

 即座に返されたとはいえ、対応の為に妃乃へ対する攻撃は止んだ。振り返った事で、妃乃に背を向ける形となった。数秒とはいえ、それは妃乃ににとっては十分な隙で、再度接近をかけた妃乃は突き出すような横薙ぎを放つ。靄を纏った腕で防いだ魔人と、力比べの形に入る。

 これでいい。相手は強力な魔人で、妃乃もトップクラスの実力を持つ霊装者である以上、俺は妃乃の隙を埋める事、一瞬の隙や猶予を生み出す事に徹していれば……

 

(…いや、違う……!)

 

 その時俺の頭に浮かんでいたのは、ある種消極的な思考。自然とそういう考え方をしていた自分に気付き…俺は、その思考を頭の中から振り払う。

 確かにそれも、間違っちゃいない。 下手に出しゃばるより、ずっと堅実なサポートである事は間違いない。…だが俺は、 もう霊装者の力を取り戻したばかりの頃の俺じゃない。その時は、それが最善だったが…その時の俺は、とっくに終わっている。

 

「あの大太刀使いの餓鬼もそうだったが、人間風情が意気がったって所詮……」

「背中が、がら空きだッ!」

「……ッ!」

 

 何も言わなければ、もう一瞬反応は遅かったのかもしれない。だが俺は敢えて声を出した。声を出して斬りかかった。俺に反応させる為に。腕を片方離させる為に。

 

「テメェ……ッ!」

「押し切るわよ、悠弥ッ!」

「そのつもりだ…ッ!」

 

 一瞬前まで両腕で妃乃の攻撃を防いでいた魔人は、俺の攻撃と妃乃の攻撃、それぞれを片腕で阻む形となった。俺が、そう仕向けた。そして俺達は、左右から挟み込むようにして圧力を掛ける。二人がかりで、潰しにかかる。

 無論、声を出さなければ、防御なんてさせずに一撃与えられたかもしれない。だが寸前で気付いた魔人が、反射的に後ろ蹴りでカウンターしてきた可能性もある。それより前、一瞬早く気付かせたからこそ、魔人は対処しなくてはという思考の下、防御を図った。反射的な行動は得てして単純になりがちだが…なまじ思考を介するからこそ、失策を打ってしまうという事もある訳だ。

 

「押し切る、だぁ…?そのつもり、だぁ…?…舐めた事、抜かしてんじゃねぇ…ッ!」

『……ッ!』

 

 少しずつ崩れていく、魔人の防御姿勢。だが崩れ切る前に、魔人はギロリと俺達を睨め付け…次の瞬間、両腕の肘から先を完全に覆った靄から、百足の様な魔物擬きが現れ俺と妃乃の手にした武器に絡み付く。

 咄嗟に俺も妃乃も奴から離れ、刃から柄に、腕に絡み付こうとした魔物擬きを振り払った。結果飛行能力のないらしいその魔物擬きは、そのまま下へと落ちていき…されど魔人は、もう一瞬前までいた場所にいない。

 

「あんな程度で勝てるとでも思ったのか?調子乗ってんじゃねぇよ、人間風情がッ!」

「ち、ぃ……ッ!」

 

 直感を頼りに直刀を振り上げれば、刀は上空からの飛び蹴りと衝突。とはいえ勢いは向こうの方がずっと上で、俺は耐える間もなく吹き飛ばされる。

 直後、奴の正面に割って入ったのは妃乃。魔人のしようとしていた追撃を潰し、打撃を交えた槍捌きで激しい近接戦を繰り広げる。

 

「やっぱりあいつ、直情的なのは性格だけか…!」

 

 推進器を吹かし、逆噴射の様にする事で勢いを殺した俺は、次の切り口を考えながら魔人の繰り出す動きを見やる。

 普通に考えれば、天乃瓊矛で手脚の届かない距離から攻撃出来る妃乃が有利。だが魔人は攻撃の瞬間、手脚に魔物擬きを発生させる事により、そのリーチを伸ばしていた。そして活用する魔物擬きを次々と変える事により、リーチも攻撃の形状も頻繁に変化させ、妃乃の把握を拒んでいる。

……が、それでも妃乃は負けていない。妃乃も妃乃で翼による攻撃を織り交ぜ、互いに変幻自在な攻撃同士をぶつけて戦闘。どちらも手を替え品を替え…けれどほんの僅かに、魔人の殴打攻撃は遅い。

 

(よし、さっきのが多少なりとも効いてるな…なら……!)

 

 先の同時攻撃は、切り抜けられた。だが、その際の負荷は当然奴に残っている。故に、そこが付け入る隙となる。

 

「まずは……!」

 

 左手の武器をライフルに持ち替え、俺は魔人の側面へ。回り込む軌道のままに銃口を向け、連射しながら魔人へ突っ込む。

 当然魔人はそれに対処。最初は出した魔物擬きを盾にする事で防いでいたが、俺がそのまま突っ込んでいくと、今度は魔物擬きを妃乃に放つ事で妃乃に防御の対応をさせ、その隙に後方へ。

 既にスピードに乗っていた俺は、下がる魔人を追う事が出来ない。結果俺は、妃乃の真ん前を通り抜ける形となり…その瞬間、俺と妃乃は互いに視線を交わらせた。

 

「逃がさないわッ!」

「逃げる訳ねぇだろうがッ!」

 

 俺が駆け抜けた直後…いや、その寸前から動き出していた妃乃は、距離を詰める動きそのままに刺突。杭打ち機が如く得物を突き出し、魔人の胴の貫通を狙う。

 されど魔人は、再び魔物擬きを出して盾に。魔物擬きは出てきた直後に貫かれるも、妃乃の刺突はほんの僅かに速度が落ちた程度で…しかしその直後、魔人は妃乃の刺突を止める。その僅かな猶予で間に合わせ…真剣白刃取りの様に、両手で刃を挟んで押し留める。

 

「な……!?ち…ッ!」

 

 目を見開く妃乃。魔人の身体は揺らぎこそしたものの天之瓊矛がその手を押し退ける事はなく、にぃっと口角を上げた魔人は再び百足の様な魔物擬きを天之瓊矛に走らせる。

 対する妃乃は天之瓊矛から霊力を放ち、それによって魔物擬きを一瞬で灼く。だが靄に包まれた魔人の手まではダメージが通らず、魔人は今一度魔物擬きを準備。

 天之瓊矛を伝っての攻撃を避ける為には、霊力を放ち続けなければいけない。直接飛ばされれば、その防御も意味がない。…そんな状況で判断を強いられた妃乃が選んだのは、拡大した翼による攻撃。全身を包み込まんばかりに翼を拡大させ、防御ではなく攻撃によって切り抜けようと左右から魔人へ翼を打ち込む。

 

「これで……ッ!」

「はんっ…そいつが元々攻撃用じゃねぇ事は、とっくに見抜いてんだよッ!」

「そんな……っ!」

 

 蒼く、雄々しく、それでいて美しさもある霊力の翼。その翼が、左右の斜め上から、恐らくは視界の上方を殆ど覆うようにして魔人に迫り……けれど次の瞬間、その一対の翼は噛み砕かれる。魔人の背後から現れた、二体の魔物擬き…いや、魔物擬きですらないのかもしれない二つの顎によって、噛み砕かれて四散する…。

 聞こえたのは、息を詰まらせたような妃乃の声。翼が砕けた事で見えたのは、勝ちを確信したような魔人の笑み。…これで終わりだ。そんな言葉を言うかのように、魔人の口は開いて、そして……

 

「ここだぁああああぁぁぁぁぁぁッ!」

「ん、な……ッ!?」

 

 俺は魔人に、斬り込んだ。大上段の直刀で…今正に攻撃しようとしていた魔人の、真上から。

 両手で持った直刀の、全力の一撃。目を見開いた魔人は、それでも防御をしようとする。右腕を掲げ、左腕は前に滑らせ天之瓊矛の柄を掴む事で、両方の攻撃を止めようとする。

 だが如何に魔人であっても、片手で妃乃を押さえつつ片腕で防御し切れる筈がない。それだけの力があるなら、さっきも俺と妃乃を同時に押し返している筈。そして微々たる影響かもしれないが、その際の負荷で今の魔人は100%の腕力を出せない状態。だからこそ俺はここで、全力を込めた上段斬りを仕掛け……直刀と靄を纏った魔人の右腕が一瞬拮抗した直後、魔人の姿勢は大きく崩れる。魔人の身体が…がら空きとなる。

 

『喰らい(やがれ・なさい)ッ!』

 

 空中で魔人がよろめいた瞬間、それへ俺以上に早く反応した妃乃は、砕かれ再生し切っていない翼を羽ばたかせて猛進し、力尽くで魔人の左手を振り解く。そしてすれ違う瞬間天之瓊矛を鋭く突き出し、魔人の脇腹を抉り貫く。

 その妃乃が駆け抜ける中、俺も振り絞る勢いで力を込めて直刀を振り抜き、魔人の右の肩口へ一撃。刃で深く肩を斬り裂き、そのまま魔人の正面を下へと過ぎ去る。

 正面から後方へ抜けた妃乃と、上から下へと過ぎ去った俺。二つの霊力の光が空中で交差し、深い二つの傷口から血が溢れ…俺達二人は、同時に振り向く。

 

「…がッ、ぐっ…ぁぁぁぁァァアアアアッ!!」

 

 素早く反転したのは、反撃を警戒する為。加えて可能なら、更に攻撃を重ねる為。だが振り向いたその時、魔人は呻きを…続けて絶叫を空に響かせ、狂ったように全方位へ魔物擬きを放ってくる。

 先の顎と同じ…或いはそれ以上に魔物らしい形を持っていない、不完全なまま力が溢れ出しているかのような攻撃。それを前に俺も妃乃も一度下がる事を選択し、ある程度離れたところで構え直す。

 

「…やるじゃない、悠弥。期待通り…ううん、期待以上だったわ」

「そっちこそ、流石としか言いようがない陽動だったぜ?最後の演技を含めて、な」

 

 魔人の周囲を離れるとすぐに消えてしまう魔物擬き(の擬き)を見やりながら、俺はにっと口角を上げる。

 そう。これは全て、狙っていた事。妃乃の前を通り過ぎた時、俺はアイコンタクトで注意を引いてくれるよう頼んでいた。つまり、そこからの妃乃の動きは全て、俺の一撃へのアシストであり…恐らく翼による攻撃は、上に回った俺を隠す事も兼ねられていたんだと思う。

 完璧なまでの、魔人へ対するミスリード。それをアイコンタクトなんていう曖昧なもの一つでここまでやってくれた妃乃は、本当に流石以外の何物でもない。

 

(致命傷まで行ってるかは怪しいが、重傷なのは間違いねぇ。なら、奴が何かしてくる前に、このまま一気に……)

 

 重傷であろうと魔人は魔人。撃破出来たと確信を得られるまでは、気を抜く訳にはいかない。

 だが一方で、奴の動きが鈍くなるのも恐らく間違いない。ならば安全性を取って、近付く事なく射撃で削り切るのも一手だと、先の上段斬りを放つ為に腰へ戻しておいたライフルに手を掛け……た、その時だった。

 

「…ハァ…ハァ…は、ハハ…ハハハハハハハハハハッ!」

『……っ!?』

 

 噴き出すような魔物擬きの勢いが弱まると共に、小さくなっていった魔人の絶叫。それも収まり、荒い吐息だけになったと思った次の瞬間…再び魔人の声が響く。絶叫ではなく笑い声が、戦域の空に響き渡る。

 

「あいつ…急に、何を……」

「そうか…そうか、そうか…やってくれるじゃねぇか…やって、くれるじゃねぇかァアアアアアアァァッ!!」

『なぁ……ッ!?』

 

 狂ったか?いやまさか。…そんな思いから、思わず呟きを漏らした俺。そんな中、一頻り笑った魔人はゆらりとこちらに視線を合わせ、爛々と怒りを滾らせる瞳をこちらへ向け……怒号が轟いた直後、凄まじい勢いで魔物擬きが俺と妃乃に飛来した。

 

「まさか、さっきのでタガが外れたって言うの…!?」

「ちぃッ、なんつー物量だ…!」

 

 殺到する魔物擬きを前に、俺と妃乃は左右へ退避。すると多数の魔物擬き、多過ぎてぱっと見二本の黒い大蛇にしか見えないような魔物擬き達はそれぞれ俺と妃乃の方へと進路を変えて、逃がさないとばかりに追ってくる。

 決して速度は、これまで魔人が放ってきた魔物擬きと変わらない。…が、数が違い過ぎる。もうどう頑張ったって、刀やライフルじゃ捌き切れない。

 

「(くそっ…だが、奴が重傷な事には変わりない。落ち着いて狙うのが無理だってなら、これまで通り突っ込んで……)…って…おいおいマジかよ……」

 

 霊力の噴射全開で魔物擬きから逃げながら、俺が考えるのは勢いそのままの一撃離脱。仮にこれが妃乃の言う通り、タガが外れた結果だとしても、本体を倒せば魔物擬きも今のようにはいかない筈。

 そう考えて、魔人の方へと旋回しようとした俺だったが…その時見たのは、魔人の頭上に広がる…いや、頭上で蠢く靄の塊。大の大人でも余裕で包み込みそうな靄は、更にその大きさを増しており…何が起こるかは、何となく分かった。

 それは妃乃も感じ取っていたようで、魔物擬きを振り切り魔人に肉薄。だが魔人は手元から更に別の魔物擬き群を生み出し、それを三体目の大蛇の様にして迫る妃乃を追い払う。そして……

 

「理解しやがれ、人間共…テメェ等とのッ、格のッ、違いをなぁああああッ!!」

 

 靄が脈動したように見えた次の瞬間、その塊から溢れ出す魔物擬き。決壊したダムの様に、豪雨の中での濁流の様に、溢れ出した魔物擬きは押し寄せる。

 その先にあるのは、地下空間へと繋がる洞窟。即ち、絶対に守らなければいけない場所。防衛部隊は勿論の事、気付いた別の部隊も可能な限り射撃や砲撃を放つで一度はその猛攻を押し留めるものの、少しずつ迎撃は押されていく。瞬間瞬間で押し返す事はあるものの、物量の持続力に差があり過ぎる。

 

「…やらせるかよ…後一歩だってんだ、そこでおめおめ好き勝手なんかさせるかよ……ッ!」

 

 加えて地上にはまだ普通に魔物がいる分、この魔人の攻撃だけには対応出来ない。それが実情、紛れもない事実。

 ならどうする?諦めるか?…いいや、違う。結果論だが、こうなったのは俺と妃乃が奴に重傷を与えたからだ。敵を追い詰めた責任、ってのも変な話だが…関わっている以上、ただ眺めてるなんて選択肢は俺にはない。

 

「テメェの…相手は……ッ!」

 

 幸か不幸か、魔人の意識は狙う先と、今も飛び回りながら肉薄のチャンスを伺う妃乃へ多くが割かれている。つまり、今こそが仕掛ける機会。やるなら、今しかない。

 少しずつ飛行の軌道を変えていき、ここだと感じた瞬間に脚を振って方向転換。身体を魔人の方へと向けて、全速力で魔人へと駆ける。

 今の奴の状態からして、どうなるかなんて分からない。妃乃と同じように追い払われるかもしれないし、逆に魔人が反応し切れず呆気なく倒せてしまうかもしれない。だがどっちだとしても、どちらでもなかったとしても、それは結果だ。未来予知能力なんてない以上、動いて、自らその結果に辿り着くしか答えを知る事なんて出来ない。だからこそ、俺は飛ぶ。分からないが、結果を得る為に。そして絶対に、俺は勝って……

 

 

 

 

 

 

 

 

────そう、意思と信念を込めて宙を駆けた、魔人の下へ辿り着き、もう一度一撃浴びせようとした…その時だった。空から、赤い光が降り注ぎ……魔物擬きの濁流を、大きく削り取ったのは。

 

「え……?」

 

 完全にではない。それでも文字通り、濁流の何割かを薙ぎ払った赤い光芒。続く形で同じ色の光弾が、弾丸の連打が濁流を襲い、地上からの迎撃と合わさる事で大きく勢いを押し留めていく。

 援軍か。…確かに一瞬は、そう思った。だが、こんな援軍の話は全く知らないし、そもそも赤い光という時点で明らかにおかしい。だがそれ以上に…何故かは分からない、分からないが…激しく心が掻き乱される。

 だからか俺は、半ば無意識に顔を上げた。上空からの攻撃が続く中、引き付けられるように、視線をゆっくりと上げていった。そうして、完全に見上げた先…俺が見た先にいたのは……赤い霊力の光を空に散らし、頭にバイザーの様な装備を纏った、何かが違う霊装者の一団だった。



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第二百二十一話 決別の正義

 青の光。それは、霊装者が発する、霊力の色。時に刃として、時に弾丸として、時に駆ける為の力として放たれる、青く輝く霊装者の光。

 暗色の靄。強いて言うなら闇色とでも表現するべきそれは、魔人の力。霊装者にとっての霊力と、同じようなものなのか、それとも全く違うのか…未だ未知の領域である、魔の存在が有する力。

 そして…そのどちらでもない、赤色の光。強く、されどどこか禍々しいようにも思える、赤の輝き。一見それは、霊力の様で…だからこそ余計に理解し切れない光景が、今ここに……富士の空に、それを放つ者達と共に、広がっていた。

 

「…霊、装者……?」

 

 無意識の内に口を衝いていたのは、湧き上がる疑問がそのまま表れた言葉。

 あの光は、霊力の様に感じる。空に人が立っている時点で、何かで吊っているという可能性を除けば、超常の力…つまり、霊装者の力によるもの以外考えられない。

 だが、だからといってすぐに「じゃあやっぱり霊装者なんだろう」という結論には行き着かなかった。あまりにも突然で、あまりにも想定外で、俺の思考はまだ冷静な分析にまで追い付かず……俺の困惑は、怒号によって遮られる。

 

「…なんだァ…?テメェ等はよぉおおおおぉッ!」

 

 それは、俺がつい数瞬前まで仕掛けようとしていた魔人の声。その声で我に返った俺がそちらを見やると、魔人は数体の魔物擬きを…俺や妃乃に放ったのとは違う、翼竜のなり損ないの様な魔物擬きを嗾けた。

 翼を広げ、真っ直ぐに向かっていく数体の魔物擬き。対して赤い霊力の霊装者達は、散開し、魔物擬きの迎撃にかかる。その内の一人、大出力の光芒を放っていた人物は、後方宙返りで魔物擬きの突進を交わし、一回転すると同時に両手それぞれに持った火器で魔物擬きへ射撃を浴びせていく。

 

(…動きは悪くない。が、卓越してるって程でもない。少なくとも、妃乃みたいなレベルのやつは……って、違ぇ…!いつから観客になったんだ、俺は…ッ!)

 

 迎撃する様子を技量の観点で見ていた俺だが、自分が戦場にいながら他人事の様に考えていた事に気付き、自分自身へ向けて叱咤。今度こそ俺は意識を戦いに、目の前の事に戻し、全身に力を込め直す。

 今気付いたが、さっきまで俺に迫っていた魔物擬きの束がいない。完全に俺の事は意識から外れているのか、魔人は妃乃、地上、それに現れた赤い霊力の霊装者達に怒涛の攻撃を仕掛けていた…だから俺は、斬りかかる。乱入される直前にやろうとしていた事を、今一度。

 

「いい、加減に…ッ!」

「……ッ!…だから、テメェは…何度も、邪魔を…ッ!」

 

 寸前で気付かれてしまったようで、ギリギリ靄を纏った腕によって阻まれる一撃。防いだ魔人は怒りに染まった瞳で俺を睨め付け、俺も真っ向から睨み返す。

 無茶苦茶な力を見せてきてるとはいえ、こいつは重傷を負った魔人。ここまできて、そんな奴に凄まれた位で気圧されるような俺じゃない。

 

「妃乃!今だッ!」

「……っ!えぇッ!」

「ち、ぃぃ……ッ!」

 

 せめぎ合いの中、俺は押し切ろうと力を込める。だが魔人も魔人で押し返してくる。ならばと俺はその力を利用して後ろに飛びつつ、妃乃に向けて声を上げる。

 たったそれだけで理解した妃乃の放つ、飛翔する斬撃。すぐさま防御しようとした魔人だったが、やはり重傷なだけあって対応し切れず、斬撃の端が右腕の二の腕辺りを軽く斬り裂く。

 

(まだだ…まだ、このまま……ッ!)

 

 チャンスはまだ続いている。続いているが、これがいつまで持つかは分からない。だから俺は噴射で再度の突撃をかけると同時に二刀流へ持ち替え、踏み込むように直刀で横薙ぎ。防がれた瞬間それを見越して引いていた左腕を突き出し、純霊力剣での刺突をかける。

 頬を掠める。後一歩大きなダメージには届かなかった。だとしても、まだ俺の攻撃は終わっていない。触れるだけでもダメージを与えられる…つまり雑な振りでもある程度のダメージにはなる純霊力の利点を活かして左の剣を斜めに振るい、下がる事で避けた魔人を今度は右手の直刀で刺突。重傷で動きの鈍っている魔人だからこそ、連続して仕掛ける。俺の動きを押し付ける。

 

「悠弥!少しで良い…貴方にそいつを任せさせてッ!」

「あぁ、任せろ…ッ!」

 

 追撃する俺の耳に届いたのは、覇気の籠った妃乃の声。何故そんな事を言ったのか、妃乃が何をしようとしているのか…それは分からない。けど俺は、迷う事なく請け負った。それが、妃乃の頼みならば。その思いだけで、魔人の相手を引き受ける。

 振り上げるように、右脚で蹴り込む。左手で掴まれるが、即座に純霊力剣を振るい、右腕も防御に使わせる。そうして両腕の動きを封じた上で、狙うのは直刀による袈裟懸け。反撃の余裕なんて与えない、前のめりな位の全力攻撃で、右に続いて左の肩にも刃を喰い込ませ……

 

「粋がんじゃ…ねぇえぇぇッ!」

「ぐぁ、ふ……ッ!」

 

 だがその直後、腹に叩き込まれた重い衝撃。直刀が魔人の肩を斬り付ける中、魔人もまた蹴りを、足の裏を叩き付けるような蹴撃を放ち、斬撃諸共俺の身体を吹っ飛ばす。

 胴の奥に入り込み、そこからじわじわと広がっていくような痛み。息も吐き出してしまって、肺も同時に苦しくなる。…けど、それがなんだ。痛みなら、奴の方がずっと感じている筈だ。その奴から、一発蹴られた程度で、動きを止めてやるもんかよ…ッ!

 

「潰す…テメェも、他の奴も…ぶっ潰す……ッ!」

(……ッ!持ち替える?避ける?…いいや、俺は…ッ!)

 

 距離が開いた中、再び放たれる二条の魔物擬きの束。迫り来る魔物擬きに対し、火器に持ち替えて迎撃するか、さっきのように避けるかが俺の頭に浮かび…だが両方を否定する。俺の中にある流れを、俺に向いていた流れを逃がさない為に、俺は正面突破の道を選ぶ。

 二条の束は、あくまで魔物擬きの集合体。斬ったところで極一部が消えるだけ。つまり正面突破といっても、真っ向からぶつかるんじゃ勝ち目はない。突撃を交わし、道を塞がれる前に肉薄しなければ届かない。そしてそれは困難な事だが、やるしかない。

……そう、俺は思っていた。俺一人に出来る選択肢は、それしかなかったから。だが、意思を決めた俺が歯を食い縛って立て直し、今一度真正面から突っ込もうとした瞬間…赤い光が、俺の前を駆け抜ける。

 

「……──ッ!」

「…援護する。迎撃は任せろ」

 

 進路の先へ置くように放たれた光芒は、突っ込んできた魔物擬きを例外なく全て消し去っていく。続けて撃ち込まれる光弾も束の中腹辺りから魔物擬きを蹴散らし、大蛇の様な大群そのものを揺らがせる。

 それと同時に聞こえた、援護するという声。それはこの攻撃の主、赤い霊力を放つ霊装者の一人で……俺にはその声が、何故か一瞬引っ掛かった。引っ掛かったが、身体は前に出る。反射的に、弾かれるように、成すべき事の為に動く。

 

「諦めろッ!お前の…負けだッ!」

「うるせぇんだよッ!」

 

 魔人からの攻撃が乱れた隙に、俺は突進。すぐさま魔人は新たな魔物擬きを放とうとするが、赤の霊力の霊装者が射撃でそれを妨害する。後先考えないような大盤振る舞いで強引にその動きを邪魔し、言葉通りに俺を援護してくれる。

 驚いたのは、俺が攻撃出来る距離に入る直前にそれを止めた事。絶妙…と呼べるレベルじゃないが、今のを即興でやったんだとしたら、その技術は相当なもの。そして遮るものの無くなった魔人へ向けて、俺は渾身の連撃を打ち込む。横薙ぎから始まり、袈裟懸け、斬り上げ、刺突に振り下ろしと、途切れる事なく攻め続ける。

 

「テメェ等、如きがッ…テメェ等、如きに……ッ!」

 

 もう戦闘不能でもおかしくないような手傷を負いながらも、それでも接近戦で踏み留まる魔人もまた大したもの。気力で持ち堪えているなら、根性があると言わざるを得ない。

 だとしても、手心を加えるつもりはない。俺は左の一撃で防御を崩し、右の刃を振り上げる。カウンターを狙うかのように、魔人は手刀の形を作る。だがその直後…感じたのは、何かが脈打つような気配。

 

「……ッ!?あの、女……!」

「貰ったぁああぁぁぁぁぁぁッ!」

「しまっ……!」

 

 それは、妃乃による一閃だった。既に事は済んだ後で、どうやったのかは分からない。されど、天之瓊矛が振り抜かれた後の妃乃が立っているのは、魔物擬きの濁流を吐き出していた靄の塊があった場所で…その姿と感じた気配、それに表情を歪ませている魔人となれば、何が起きたのかは明白だった。

 そして生まれた、大きな隙。防御が崩れたまま、魔人が晒した最大の隙。それを捉えた俺は、全身全霊の力を込めて……奴の身体を、斬り裂く…ッ!

 

「が、ふッ……!…て、めぇ……ッ!」

 

 この手に響いた、確かな感覚。胸元から腰にかけて、深く鋭く斬り裂いた斬撃。

 よくは知らないが、魔人の身体の構成が人と同じとは限らない。だが人型である以上、ある程度の共通点は存在する筈。即ち…胴体を斜めに斬り裂かれて、重傷にならない筈がない。

 脇腹、両肩、そして胸から腰。これだけの傷を負った魔人は、刃物の様にギラつく眼で俺を睨み……落ちていく。未だ侵攻が続く、魔物達の群れの中へ。

 

「…って、不味っ…ぐぅッ……!」

 

 奴はもう瀕死状態。だが人ではなく魔人な以上、確実にトドメを刺しておく必要がある。にも関わらず群れの中へ落ち、その姿が見えなくなった事で俺は慌て…急いで追おうとした中、腹部へと走った痛み。

 当然それは、先の蹴りで受けたダメージ。打撃特有の、響くような痛みに思わず俺は動きが止まってしまい…その内に、完全に分からなくなってしまう。

 

「……っ…妃乃!」

「分かってる…!」

 

 言うが早いか、富士へと急降下していく妃乃。魔人を探す為、俺も降下をかけようとし…その直前、俺は赤い霊力の霊装者の一人…援護をしてくれた人物へと、目をやった。

 この霊装者達は一体何なのか。気になるし、適当に済ませていいような事じゃないのも間違いない。だが…今はそれよりも、魔人だ。

 

(くそっ、どこだ…奴はどこにいった……ッ!)

 

 殺到する群れの中へ妃乃は突っ込んでいき、魚を取る海鳥の様に離脱と再突入を繰り返しているが、流石に同じ真似は出来ない。少なくとも消耗した今の状態でやるのは、危険が過ぎる。だからライフルで魔物を撃ちつつ目を凝らして探す俺だが…見つからない。

 

「…って、うん…?…これは……」

 

 焦りを抱きながら、突っ込んでくる魔物は迎撃しながら、俺は魔人を探し続け…その内に、気が付いた。…魔物の勢いが、落ちている事に。

 既に、あの魔人が放ったのであろう、魔物擬きは見当たらない。いるのはどれも、普通の魔物で…確かにその勢いは、魔人と交戦を始める前より減っている。その物量が…減ってきている。

 

「総員、魔物の攻勢は陰りを見せている!ここが正念場だ!」

「既に魔人は退けられた!故に最早、恐れる事はない!」

 

 直後聞こえてきたのは、二人の声。一つは恭士さんのもので、もう一つは知らないが…恭士さんに続くタイミングで言った事からして、同等の立場の人物だろう。

 二人による、空からの言葉を聞いた事で、俺は魔物の勢いが減っているのだと確信。味方も今の鼓舞で士気が上がり、勝ち戦の流れに変わっていく。魔物側の勢いが落ち、こちらの勢いが増した事で、加速度的に魔物は富士の大地へと散っていく。そして……

 

「……!魔物が…魔物が逃げていくわ!」

「は、はは…どうだ、見たか魔物共!このまま完全に押し返してやる…!」

 

 これまでは次々と、やられた仲間の事など気にしていないとばかりに押し寄せ続けた魔物達。その魔物が、魔物の群れが、攻める勢いを完全に失う。動きを止める魔物、その場で唸り威嚇する魔物と、攻撃以外の行動を取る魔物が増え始め…遂に一体、また一体と逃げていく。

 勿論まだ、戦闘を続ける魔物もいる。だがその魔物も身を守る為、或いは霊装者を喰らう為に戦っているような動きで、決してこれまでの、全体としての動きらしきものは見えてこない。

 逆にこちら側は迎撃から追撃…迫り来る魔物から守るではなく、逃げていく魔物を追う形となった事で、完全に戦況は逆転。戦闘を続ける魔物は包囲からの一斉攻撃を受け、逃げる魔物も撃たれ……勝敗は、決する。

 

「……ちっ…後一歩だったってのに…」

 

 だが、喜ばしい事ばかりでもない。ここまではまだ、どこかに魔人が倒れている…或いは逃走や反撃のチャンスを伺っている可能性があった。けど魔物が逃げ、見渡せるようになった事で、その可能性も完全になくなってしまった。どうなったかは分からないが…少なくとももうここに、魔人はいない。

 更に…いやひょっとするとそれ以上かもしれない事柄もまだ、ここには…この戦いには、残っている。

 

『…………』

 

 滞空したまま、こちらを見下ろす赤い霊力の霊装者達。魔人が落ちた後も、あの霊装者達は魔物を敵として動いていた。通信で分かったが、他の場所にも同様の霊装者が現れ、同じように戦っていたらしい。

 

「…まずは、協力に感謝するべきかもしれないわね。けど、それは理解した上で言うわ。……何者よ、貴方達は」

 

 魔物の数が減っていく事で、その霊装者達に向けられる視線が増えていく。行動としては敵の敵…つまり味方とも取れる集団ながら、正体不明の霊装者達である事には変わりないが為に、これまでとは違う緊張感が少しずつこの場に広がっていく。

 そんな中で、真っ先に声を上げたのは妃乃。鋭い視線で、霊装者達に何者だと尋ね…それに答えたのは、あの援護をしてくれた霊装者。

 

「…これが、正義か。組織の都合を理由に、不要な危険を冒し、加えて味方にすらも真実を話さず戦場に立たせる…これが、霊源協会の守るべき在り方か」

「…回答になっていないな。問いたいのなら、言葉を選べ。そして答えてほしいのなら、まず自らが向けられた問いに答えてみろ」

 

 その霊装者は、答えはした。だがそれは回答ではなく、質問返し。それに恭士さんが、剣呑な雰囲気を纏って返し…更に高まる緊張感。

 

「…私は、我々は、それを正義と認めない。確かにそこには、合理性があるのだろう。私欲ではなく、全体の為に、最善の判断でもあったのだろう。…今の組織は、世界は、成熟段階に至っている。それ故に、身動きが取り辛く、しかし組織としての形を放棄すれば、多くの者にとって不利益となる…そんな中で最善を選んでいるというのなら、私はそれを正義と認めないが、同時に悪とも言いはしない」

「…そのような返しをするという事は、こちらからの問いに答える気はない…という事かな?けれどそれは、あまり賢明な選択とは言えないね。見たところ、素人集団ではないようだが…それならば、今の状況が分からない訳でもないだろう?」

 

 滔々と、その霊装者は言葉を続ける。正義、悪…この良くも悪くも複雑化した現代においては、少し陳腐にも感じられる善悪の話を声高に…それでいて言いたい事のはっきりしない言葉を、俺達に投げかけてくる。

 しかしそれを、恭士さんの隣に立つ男性は…妃乃達は、取り合わない。向こうも問いに答えない以上、これは当然の事。

 更に気付けば、こちら側の霊装者が向こうの霊装者達を包囲している。それも配置や表情からして、恐らく練度は今回の作戦に参加した霊装者の中でもかなりの方。

 

(…けど、待てよ…今、あの霊装者が言った事って……)

 

 「何が」「どう」という、具体的な表現や単語を用いないあの霊装者の言葉は、難解で分かり辛い。だがその指摘は…明らかに、何かを知っている人間の口振りだ。もっと言うなら、富士に纏わる一連の作戦や行動…それにおいて協会が隠している、全体には公表していない事柄を、何かしら知っているとしか思えない言葉だ。

 つまり、あの霊装者達は、協会の関係者?…いや、まだそうとは言い切れない。どこかから情報が漏れていて、それを知ったどこか別の霊装者組織の人間という可能性もある。ただ、何れにせよ…この霊装者達が、協会に好意的じゃない事だけは、間違いない。

 

「…わたしからも、ここは一度武装解除する事をお勧めするよ。少なくとも貴方達は、わたし達に援護をしてくれた。それを度外視する程、わたし達も冷たくはないから」

 

 緊迫した空気の中へ流れる、新たな声。それは綾袮の声であり…後で知ったが、綾袮は別の魔人の迎撃に辺り、撃退後はその場での魔物掃討に当たっていたんだとか。その綾袮が現れ、俺達より少し離れた位置で武装解除を勧め…その瞬間、そこまで様子の変わらなかった霊装者が、一瞬だがぴくりと肩を震わせた。震わせ、綾袮を見やり…けど、それだけ。

 

「賢明な選択?武装解除?…それをしてどうなる。それをして、何が変わる」

「変わる…?それは、どういう……」

「──何も、変わりはしない。変わる事など出来ない。霊源協会は…否、今の霊装者世界全体が、一定の完成に至り、進歩から維持に舵を切っている以上、何も変わらない。変わる事は出来ない。……組織の在り方、世界の在り方、それそのものを揺るがす程の事態が起きでもしない限り、な」

 

 訊き返そうとした綾袮の言葉を遮るように、その霊装者は自ら答えを……いや、違う。問いのようでいて、その実否定だった言葉の続きを、その目に写っている今の霊装者の世界の在り方を、俺達に向けて投げ掛ける。

…確かにそれは、あるのかもしれない。良し悪しではなく、状態として、今は変化し辛い固まる前でもなければ、固まり長い時間が経った事で腐り始めている訳でもない今の在り方は、確かに変化し辛いんだろう。だが、あの霊装者が言っているのは……

 

「大きく出たな。なら、どうする。霊源協会を打倒でもするつもりか?」

「いいや。言っただろう?組織の在り方、世界の在り方…と。目の前にある組織一つを変え、それで満足するのであればただの自己都合だ。正義はそんな矮小な、局地的な存在ではない」

「だったらまさか、世界全体を相手取るとでも言うのかしら?だとしたら、それは流石に荒唐無稽が過ぎる……」

 

 荒唐無稽。…そうだ、その言葉だ。それが一番しっくりとくる。

 あの霊装者の言う事は、別に間違っちゃいないだろう。間違っちゃいないが…荒唐無稽過ぎる。地に足の着いていない言葉に思えて仕方ない。恐らく妃乃もそう思ったからこそ、荒唐無稽だと言い……しかしそこで、妃乃の言葉が止まった。…それはまるで、何かに気付いたかのように。

 

「…まさか……」

「荒唐無稽…確かにそれも否定はしない。現体制の側にいる者、それを守る者からすれば、戯言にも聞こえるだろう。…だが、それはたった一つの要素で変わる。ここにある、ある存在一つで…状況は、一変する。だろう?」

 

 まさか、と妃乃が見つめる中、その霊装者は首を動かしある方向を見やる。

 そこにあるのは、地下空間へと繋がる洞窟。一見すれば、ただの洞窟でしかない…地下空間と、その奥にあるものを知っていなければ、このタイミングで注視する筈のない…そんな場所。

 そして、バイザーの下で向けているのであろう視線、ここまで続けられていた言葉、その意味を、その真意を……霊装者は、言う。

 

「故に…我々は奇跡を、貴君等が発見しながらも隠匿し、その完成を目指した熾天の聖宝を頂く。それを以って、我等が意思を…我が正義を、世界へ示す」

『……ッ!』

「だが、それは聖宝を用いて、その力によって成すのではない。聖宝はあくまで、戯言と吐いて捨てる事を出来ないようにする手段であり……正義を示すのは、世界を変革するのは、我々自身だ」

 

 聖宝を自分達のものとする。その影響力、聖宝そのものが持つ価値と危険性を用いて、自らが世界へ働きかける。…赤い光の霊装者は、何の躊躇いもなく、淀みもなく、堂々と言った。言い切った。

…俺には、訳が分からなかった。言っている事は分かる、今は理解している。そうではなく…心が、分からなかった。そんな事をしようとする理由が、あまりにも大それていて、それこそ絵空事の様な目的を、本気で話すその心理が、全く理解出来なかった。

 同じように理解出来ていない人も多いんだろう。話についていけていない人や、或いはその主張に呆れている人もいるかもしれない。ただ、全ての人に共通しているのが、その言葉に対し沈黙していたという事であり……そんな中でただ一人、綾袮が動く。

 

「…分かったよ。言いたい事は…その一方的過ぎる主張は、よーく分かった。だから、わたしからの答えは一つだよ。……あんまり、ふざけた事を言うんじゃ……」

 

 ゆっくりと、その霊装者の前へ移動した綾袮。静かな…普段の綾袮からは大きく離れた、宮空家の人間としての、静かで落ち着いた響きの声。その声音のまま、真正面まで行き着いた綾袮は、静かな響きから更に下がった、これ以上無駄な話をするつもりはないとばかりの冷えた声で、その霊装者の言葉を一蹴しようとし……

 

「──ふざけてなんかいないよ、綾袮」

「え……?」

 

 その声が、纏っていた雰囲気が、止まる。何かを突き付けられたように。信じられない現実…その片鱗を、目の当たりにしたように。

 

「俺は本気だよ、綾袮。本気じゃなきゃ、こんな事はしない。本気だからこそ…今俺は、ここにいる」

「……ぁ、え…?…ま、待って…あれ、おかしいな…ううん、違うよ…違う、そんな訳ない…そんな、そんな事が…ある訳……」

 

 これまでの不遜な、堂々とした口調とは違う、柔らかで親しげな話し方。それを真正面から受ける綾袮は、空中で後退り…声に困惑を滲ませる。動揺が、混乱が雰囲気となって綾袮を包み…だがそれは、綾袮だけじゃない。

 この時、俺も激しい胸騒ぎに襲われていた。あの霊装者の声には、何となく感じるものがあって、とはいえそれ以上に何かある訳じゃなかったが…今の口調と組み合わさる事で、感じていた何かが広がった。信じられない何かが、今目の前に現れる…そんな感覚が、胸騒ぎとなって俺の中で渦巻いていた。

 

「……私が何者か…初めにそう言ったな。私は私だ、私以外の何者でもない。そして……」

 

 まさか。いやそんな訳ない。だが、だとしたらこの胸騒ぎは何だ。…頭に、心に、何度も何度も渦巻き巡る。

 その中で、広がり続ける胸騒ぎを俺が感じている中で、バイザーへと手を掛けた霊装者。手を掛け、外し、そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

「他の誰でもない私が、俺が……御道顕人が、正義を示し、世界を導く。目標ではなく、大望でもなく…決定事項として」

 

────富士の上空、空に散る赤い光…その中で顕わとなった顔は、その霊装者の正体は、力を失っていた筈の…良識的で、理性的で、温和でけれど強い意思や感情を持つ……他の誰でもない、御道だった。



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第二百二十二話 突き付けられた選択

 聖導作戦は、作戦としては成功に終わった。誘い出した魔物との戦いに勝利し、聖宝も守り切る事が出来た。今回の作戦では、聖宝が完成には至らなかったが…確実に、完成へと近付いていると、そんな話を聞く事が出来た。

 それはまあ、喜ばしい事と言えるだろう。もし守り切れず、聖宝が魔人の手に渡っていたのなら間違いなく最悪の結果で、けれどそんな事にはならず、俺も妃乃も負うのは軽傷だけで済んだ。だから想定していた作戦の範囲内で言うのなら、文句のない結果と言えるだろう。

 だが…恐らくこの作戦において、少なくとも最後に起こった事を知る者においては、成功ではあっても決して大団円ではない。大団円である筈がない。そう思う程に、そう思わざるを得ない程に……終わった今の空気は、重かった。

 

「…………」

 

 富士山を管轄区域に持つ、霊源協会の支部。作戦が終了した現在、聖宝の防衛部隊を除く大半の霊装者が、ここに戻ってきていた。

 大規模な激戦を勝利で収めた今、本来なら活気と高揚感がこの支部に広がっていたんだろう。されどそうはならない。勝利の余韻に浸る間もなく、想像絶する事態を、現実を目の当たりにする事になったのだから。

 そして、俺もその一人。あれが現実だという事は、十分に分かっている。それでも俺はまだ…その現実を、信じ切れていない。

 

「……悠耶」

「…妃乃……」

 

 暫くここで待っていてほしい。そう言われた部屋で、ぼんやりとしていた俺を呼んだのは、部屋へと入ってきた妃乃。その表情は、いつになく暗く…俺も恐らくは、今の妃乃と似たような顔をしている。

 

「…確認が取れたわ。やっぱり…顕人の所在は、不明よ…」

 

 分かっていた。他人の空似でも、同姓同名の別人でもない事は、分かり切っていた。それでも、妃乃の言葉は…その事実は、突き刺さる。

 はっきりしたのだ。はっきりしてしまったのだ。あそこに現れた、赤い霊力の霊装者達の正体が。その内の一人が…顕人だった事が。

 そうして、俺の頭の中で再び流れる。その時の光景、言葉…衝撃を。

 

 

 

 

 仮面の様に顔を隠していたバイザーの下、そこにあったのは、御道の顔。発されたのは、御道顕人という名前。ここにいない筈の、そんな事なんて出来ない筈の御道が……そこに、いた。

 

「顕人、君……?」

「はい。偽者でも、幻影でもありません。…と言っても、それだけで納得してもらえるとは思いませんが」

 

 俺や綾袮、御道を知る人間が茫然として見つめる中、ぽつりと声を上げたのは恭士さんと共に来た霊装者。彼からの声に、御道はこくりと頷いて…見回す。

 

「…は、はは…何、やってるのさ…どうしちゃったの、顕人君……」

「何をしているかは、今話した通り…そして、ここまでに行動した通りだよ。どうしたかは…少なくとも切っ掛けは、分からない訳じゃないでしょ?」

「……っ!」

 

 乾いた笑いと、震えた声。先程の雰囲気が完全に消え去り、ただの少女の様になった綾袮の言葉に、御道は静かに答える。感情の籠った…その上で、静かな声で。

 

「…私は御道顕人。霊源協会の霊装者として銃を持ち、刃を振るい、予言されし霊装者と呼ばれ……そしてここで力を失った、嘗ては貴君等と同じように、協会の正義を、正しさを信じていた人間の一人だ」

 

 再び演じるように、仮面を被るように、口調の変わった御道はここにいる霊装者の全員へと向けて言う。言い、続ける。

 

「そしてそれは、私だけではない。ここには同じように信じ、だが裏切られた霊装者達がいる。富士の真実、力の消失の可能性を知っていながら秘匿とした協会に騙され、力を失い…それでいて、さも予期出来なかった事故かのように処理された…協会が違う選択をしていたら、今も貴君等と共に戦っていたかもしれない、仲間達が」

「……!まさか……」

 

 はっとした表情と声でまさかと言ったのは妃乃。俺も御道の言葉から、ある可能性が脳裏を過ぎり…その答え合わせをするように、御道の言葉の意味を示すように、他の赤い霊力の霊装者達も、それぞれにバイザーを外していった。

 次々露わになっていく顔。俺は、その殆どを知らない。辛うじて一人二人、見た事があるような…と思う程度で、はっきり誰なのか分かったのは、それこそ最初の御道だけ。…だが、ちらほら声が聞こえてくる。驚きの声が。愕然の声が。恐らくはあの中の誰かなのであろう、ぽつりぽつりと呟かれる幾つもの名前が。

…もう、誰もが分かる。ここに現れたあの霊装者達は…皆、協会の霊装者だった人間だ。元は霊装者で、されど力を失い、もう戦場に立つ事はなかった筈の仲間達だ。

 

「これは他でもない、協会が招いた結果だ。真実を隠し、偽りを語り…そして隠されていた真実を知った事で、信用が失われた結果だ。そして我々は、それを過ぎ去った事としないべく、ここにいる」

「……復讐か。騙した事、騙されたという事実にすら気付けないよう嘘を重ねた協会へ対する怒りが、復讐心が、原動力か」

「いいや、違う。怒りはある。復讐心を持つ者もいるだろう。だが私は言った筈だ。それも組織の為であり、組織を守る事こそが、組織を構成する人々へ向けた最善の選択ならば、悪とは言わないと。正義を示し、世界を導く…それが私であると」

 

 初めは、知る者が…仲間だった者が、失った筈の力を再び手にし、仲間ではない形で目の前に現れた事への驚きが中心だった。だが次第に、御道の言葉へ…協会の嘘へと味方の意識が移っていく。…当然だろう。割合は分からないが…大半の霊装者は、それを知らなかった筈なんだから。

 その空気の中で、恭士さんは問い掛ける。静かに問い詰めるようなその言葉に、御道は真っ向から視線を向けて返す。怒りではなく、仕返しではなく、変革…その為に自分は、ここにいるんだ…と。

 

「故に、私は戦う事に躊躇いなどない。これは敵を害する為でも、私欲を肥やす為でもない、世界をより良くする為の行いなのだから」

「……っ!」

 

 止まる事なく紡がれる言葉と共に、向けられる銃口。それが向く先にあるのは…地下空間へと繋がる洞窟。

 そうなった瞬間、最大まで高まる緊張感。御道は言った。自分達の目的を果たす為に、聖宝が…機能ではなく保持する事そのものが必要であり、故にそれを頂くと。

 されど当然、それを協会が飲む訳がない。逆に御道達が諦めるとも到底思えず、話し合いで解決するような事でもない。つまり、この先にあるのは間違いなく戦いで……だがいつ戦いが始まってもおかしくないと思うような沈黙が、静かな緊張が数秒の間続いた末に、御道はすっと武器を降ろす。

 

「…が、今回の目的は、我々の意思を貴君等に示す事だけだ、何も今、このまま一戦交えようというつもりはない」

「…余裕だな。それとも、このまま事を交えても勝ち目は薄いという判断か?」

「今はまだ、その時ではないという事だ。貴君等にも、よく考えてもらいたい。これまで信じてきたものは、本当に信用に値するのかを。自分は本当に、正しく真実を知らされているのだろうかという事を」

 

 茫然と立ち竦むばかりの綾袮や、綾袮程ではないにしろ動揺している妃乃と違い、恭士さんは冷静に…明確に『味方ではない勢力』として御道達を見て、言葉を交わしている。御道も恭士さんに、依然として真っ向から言葉を返している。

 実際のところは、どうなのだろうか。大分消耗しているとはいえ、数は勿論、質でも恐らくこちらが優勢で、恭士さんの言葉通りにそれが分かっているからこそ、御道はこのまま戦うのを避けようとしているのかもしれない。その一方、こちら側に動揺が…協会へ対する不信が多少なりとも生まれたが為に、このまま戦うのではなく、一度落ち着ける状況を作る事で、個々人の不信に思った気持ちをより意識させようとしているのかもしれない。

 ただ、何れにせよ御道達は、このまま撤退する事を選んだ。御道が目配せをし、それを受けた味方は順に、振り向きどこかへ飛び去っていく。

 

「顕人君…!君は、私達がこのまま見過ごすと思うのかい…?」

「…えぇ、思いますよ。少なくとも深介さんは、ここでこのまま撃って、仲間にも、仲間だった霊装者にも、ちゃんと向き合わず強引に終わりにするような事はしない…俺は、そう思っています」

「……言ってくれるね、君は…」

 

 次々離脱していく中で、恭士さんの隣の男性…深介さんは、どこか引き止めるように御道を呼ぶ。呼ばれた御道は、また普段の口調に戻り…信用を感じさせる声で、問いに答える。

 深介さんは、その返答に対し、肯定も否定も行わなかった。だが、攻撃を…その指示を出さない事が、何よりの答え。

 

「……っ…御道…!」

 

 最後の一人となった御道も、ここから離脱しようとする。どこに向かうのかは分からないが…少なくとも、それは今の御道の家や、実家なんかじゃ絶対にない。

 分からない。どこへ向かうのかも、御道をそうさせたのが今言った理由だけなのかも、一人で決めた事なのか、いつ決めた事なのかも。何も知らないし、分からない。けど、このまま何もせず、ただ見ているだけではいられなくて…何か考えがあった訳でもないのに、俺は御道を呼んだ。声を上げ、呼び止めた。

 

「…御道、お前は……」

「…千嵜。俺はずっと…ずっと、思っていたよ。俺と、千嵜は違う。何もかも違う、って。…そうだろ?」

 

 ゆっくりと振り向いた御道と、視線が交わる。衝動だけで呼び止めた俺は、紡げる言葉がなくて詰まり…そんな俺に向けて、御道は言う。俺と御道は、千嵜悠耶と御道顕人は、違うんだと。

 その意味は、御道が俺に向けていた感情は、言葉に出来ない。分かるような気も、分からないような気もして…俺が黙り込む中、再び御道は背を向けた。今度こそ、この場から飛び去った。そして、赤い霊力の光が消えた時……富士の空は、不気味な程に静まり返っていた。

 

 

 

 

 あれから、別の場所の霊装者達も離脱をしていったらしい。今は、離脱先を特定するべく、協会側も動いてるとの事だが…その結果は、まだ出ていない。

 

「…悠耶。顕人から、何か…伝えられてたり、しなかった…?」

「…してりゃ、止めるなり妃乃に伝えるなりしてたさ。何をするかは、普通その本人の自由だが…これはもう、普通の域じゃねぇんだからよ…」

 

 腰を下ろした妃乃からの、視線を合わさず発された問い。俺も少し顔を逸らし、一切何も知らないと返す。

 これが妃乃からの、疑いの言葉ではない事は分かっていた。声音や表情で、それ位は分かる。

 

「…協会としちゃ、どうする気なんだ…?」

「そりゃ…何もしない訳にはいかないわ…。どんな目的だろうと、聖宝を狙ってる以上は敵対人物、敵対組織と見なきゃいけないし…今の段階でも、協会内でかなり動揺が広がっているんだもの…」

 

 今度は俺から訊いてみたが、その答えは殆ど思っていた通り。正しいとか、正しくないとかじゃなくて、それが組織として当然の思考。

 それに、今挙がった事以外でも、御道達を見過ごせない理由は数多くあるんだろう。あの装備はどこから用意したものなのかや、富士に現れた霊装者以外にも仲間はいるのかや、そもそもあの赤い霊力は……

 

「…って、そうだ…あれは、あの霊力はなんだったんだよ…?御道は霊装者としての力を失ったんじゃなかったのか?違ったのか?違うんだとしたら、あの色は一体……」

「…分からないわよ、私だって。顕人も、あそこにいた他の霊装者も、確かに力は失っていた筈だもの。…けど…あの赤い霊力には、見覚えがあるわ…」

「知ってる、って事か…?だったら、それは……」

「…ゼリアよ。BORGの代表秘書、ゼリア・レイアード。…彼女の霊力も、そっくりな紅色をしていたわ」

 

 俺が問いの言葉を言い切る前に、妃乃は答える。赤い霊力、御道達が放っていたあの光と酷似した霊力の使い手である、その人物の名前を。

 名前を聞いて、思い出す。会ったのは、一度きり。それも戦場ではない双統殿内で、どんな戦い方をする霊装者なのかは知らないが…会うだけ、見ただけでもよく分かった。そのゼリアという霊装者が、凄まじく強いという事は。

 

「…なら、BORGがこの件に関わってる、って事じゃないのか?いや、じゃないのか…っていうか、こんな事を何かしらの組織も無しに出来る訳ないだろ…?とにかく一度、その方面で確認を……」

「それ位、もうしてるわよ。彼女が特殊な霊力の持ち主だって事は、私しか知らない訳じゃないんだから。…けど、問い合わせた結果はこうよ。ただ色が酷似しているというだけで、疑いの目を向けるのは止めてほしい。それだけの理由で疑うのであれば、身内による自演自作を始め、他にも疑うべき要素はあった筈だ、ってね」

「自演自作…?そんな事して、何の意味が……」

 

 再び言いかける形になった俺に、妃乃は頷く。俺自身、言い切る前に気が付いた。意味云々を言い出すのなら、BORGだってそうだろう、と。考えてみればBORGがそんな事をする理由も浮かぶかもしれないが…それを言い出したら、キリがない。

 

「…けど、何かしらの後ろ盾もなしに、こんな事が出来る訳ない…って言うのも事実よ。それに…もうこの情報が、起きた事が、各地に流出してる…意図的に顕人達の行動を流してる人物なり組織がいるって事よ…」

「…何だよ、それ…どうなってんだよ、そりゃ……」

 

 危険を隠されていた事、そのせいで力を失った事、更にそこからまた騙されていた事…彼等からすれば、その恨みや怒りを離反という形で爆発させるのも無理はないかもしれない。御道は正義だなんて語っていたが、御道の言葉が全体の総意かどうかも全くの不明。だから、負の感情による反逆であれば…十分、理解出来る。

 だが、同じ怒りを持つ者同士の組織的反逆…その域を、遥かに超えている。ほぼ間違いなく後ろ盾となる組織がいて、その組織は積極的な支援をしていて…そうなるともう、単なる内ゲバなんかじゃなくなる。もっと厄介な、組織間の問題になる。

 

「…分からないわよ、私だって…なんで、こんな……」

 

 俯く妃乃の拳は震えている。それは上に立つ者としての焦りか、離反した御道達への怒りか、それともそんな事態になってしまった事への不甲斐なさか。

 

(御道…お前は、お前はどうして……)

 

 言葉の途切れる妃乃だが、俺も今はかけてやる言葉が見つからない。俺自身まだ、見たもの、起こった事の処理をし切れていなくて……あの時と同じような言葉を、心の中でまた呟く。

 意思を、行動を、本気を俺達は示された。嘘でも何でもない、本心からの離反である事は、あそこで十分に伝わった。…けど、分からない。御道にとって力を失った事、それに協会の選んだ道は、そこまで許容出来ない事だったのか。それがここまで御道を変えてしまったのか。力を失ってから、これまで俺が接してきた御道は、全部偽りだったのか。分からない事があまりにも多く、大きくて…全然俺には飲み込めていない。

 そして、最後に御道が言った言葉。俺と御道とは違うんだという、俺に向けて発された言葉。それは音が響くように、何度も俺の心の中で渦巻いていた。

 

 

 

 

 海中を進む、潜水艦。洋上に出た艦へと降り、潜水によって追跡を断った俺は、俺達は、そこで漸く一息吐いた。

 

「ふー……緊張した…」

 

 霊装者としての装備を解除し、壁にもたれかかりながら呟きを漏らす。けれどすぐに、俺は仲間達に囲まれる。

 

「いやー、やったなオイ!あの時は、完全に俺等が空気を支配してたよな!」

「堂々とした語りだったぜ?流石、予言された霊装者は違うな!」

 

 戦勝ムード(目的は達成出来たし間違っちゃいないけど)で次々とかけられる言葉に、俺は苦笑をしつつも当たり障りのない言葉を返す。

 とはいえ別に、距離を取りたい訳じゃない。ただ、思うところがあるのと…とにかく緊張で疲労したから、同じテンションにはなれそうになかった。

 

「君達、ご苦労様。無事に目的を果たせたようで何よりだ」

「あ…ウェインさん…」

 

 暫くその空気が続いたところで、現れたのはウェインさんとゼリアさん。二人に気が付いた途端、空気は静かになり…視線で呼ばれた俺は、一つ頷き場所を移る。

 

「中々凝った言いようだったじゃないか。正に征服者、世界を征服せんとする者に相応しい言だったよ」

「ありがとうございます。…その表現だと、悪人みたいですけどね……」

 

 道中での、ウェインさんからの言葉。賛辞を送られるのは、そりゃ嬉しいけど…その評価は、俺の目指すところとは大分違うような気がする。

 それに俺としては、ほんとに緊張してたせいで、なんと言ったかよく覚えていない部分もある。それでいて、ウェインさんや仲間からは賞賛される訳だから、俺はこういう事をするのが得意なのか苦手なのかよく分からない。

 

「…それで、どうだったかな、御道顕人クン。君の意思を、君の持つ正義を、霊源協会に示す事が出来て」

「どう、ですか…。それは……」

 

 そうして移動した先は、艦内の個室。そこで穏やかな口調のまま…けれど俺の心の中を見据えるような雰囲気と共に向けられる、ウェインさんからの問い。

 ただ感想を聞きたいのか、それともそれ以上の意味があるのか。心を読む事も見抜く事も出来ない俺に、今の言葉だけでウェインさんの真意を掴む事は出来ない。けど、その問いに答える事は出来る。今、心にあるものなら伝えられる。そしてそれは、それがウェインさんの求めているもので…だから俺は、真っ直ぐに顔を見返して言う。

 

「…どうも何も、ありませんよ。今日はまだ、今日はただ、俺達の存在を…意思を、示しただけなんですから。…ここからです、霊装者の世界を変えるのは。この世界を、もっと望む形に変えていくのは」

「…ああ、そうだ。その通りだね、顕人クン。僕は君に、君が進む道の為に、幾らでも力を貸そう。だから…見せてくれるかな。君の選んだ道の先を…僕の見たい、世界征服の先の世界を」

 

 そう。今はまだ、多く見積もっても一歩目を踏み出しただけ。まだ始まったばかりだというのに、満足も何もある訳がない。感じるものが、満たされるものがあるとすれば…それは、これから先の事だから。

 その返答を、答えを聞いたウェインさんは、期待した通りだとばかりの表情を浮かべる。それから俺の肩に手を置き、心強い…けれど引き込まれてしまいそうな笑みと共に、これから進む先を見せてほしいと俺に言う。

 重い。ウェインさんからのその言葉は、重みがある。けど、それをプレッシャーには感じない。だってこれは…方向性は違えど、同じ夢を持つ人からの期待なんだから。

 

「…あの、ウェインさん。一つ、お願いをしてもいいですか?」

「うん?何かな?」

 

 俺はウェインさんに、ある頼みを口にする。それを聞いたウェインさんは、ほんの少しだけ目を丸くして…俺の頼みを、快諾してくれる。

 そうして俺は、部屋を出る。出て、通路を歩きながら…振り返る。

 

(後悔はない…けど、罪悪感…というか、悪い事をした…って感じはあるよな……)

 

 思い出すのは、綾袮や千嵜、妃乃さんや深介さん達の顔。皆愕然としていて、俺の話を聞く中で酷く複雑そうな表情を浮かべていて……心が、痛む。俺は今の霊装者の世界を変えたいし、それは今の綾袮達の否定でもあるけど…俺は皆を、嫌いな訳じゃないから。今だって大切に思っていたり、尊敬していたり…これまでと変わらない思いを、抱いているから。

 それに…仲間の事も、今の俺の頭にはある。俺と同じように力を失い、俺の言葉に賛同し、そして俺と同じくウェインさんの能力によって力を取り戻した…今の俺にとっての仲間。全員が全員、力を失った元霊装者という訳じゃないけど…この仲間への責任も、呼び掛け導いたからこそ背負わなくちゃいけないものも、頭で…心で感じている。

 これから、どうなっていくのか。俺の望みが果たされるかどうから分からないし、皆がどうなるかも分からない。今の時点でも、気になる事が…まだほんの違和感程度だけど、思うものがあるのも事実。けど…俺はもう、動き出している。本気の意思で、信念で、歩み始めている。なら、立ち止まる事なんてしない。俺は俺の願いを、理想を叶える為に……俺の道を、進むだけだ。



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第二百二十三話 欠けた絆

 熾天の聖宝に纏わる問題を、一気に解決する事を目的とした作戦、聖導作戦は終わった。作戦としては概ね成功で……だけどわたし達には、協会には大きな陰を落とす形で。

 普通なら、わたしは作戦そのものの後処理だったり、最後に起きた事態に対する緊急の会議だったりで、終わった後も色々やらなきゃいけない事があった。だけど、そうはならなかった。最低限の事と、聞き取りだけして、今日は終わりって事になった。それは、おかー様達の気遣いで…だけど多分、今のわたしじゃ務めを十全には果たせない、果たせる状態じゃないから、っていうのもあったんだと思う。……それ位、ショックだった。暫くの間は嘘か、何かの間違いだとしか思えない程、ショックだった。あの場に顕人君が現れて、失った筈の力を宿しながら……わたし達に、敵対した事が。

 

(…どうして……)

 

 信じられなくて、でもそれが現実で、本当の事だと受け入れるしかないんだって理解してからは、ずっとその言葉が…どうしてって思いが、わたしの中を回っている。

 顕人君が、霊装者の力を凄く凄く大切にしていた事は、無くなったんだと伝えた日に後悔で押し潰されそうな位に思い知ったし、そこから立ち直ってくれた事には安心したし…でもきっと、完全に立ち直った訳じゃないって…心のどこかは、今も置き去りになったままなんだろうと思って、わたしは顕人君を支えようと思っていた。後悔とか、責任とか、理由は色々だけど…わたしが奪ったも同然なんだから、そうしなくちゃって…そうしたいって、ずっと思っていた。

 だけど、顕人君はもういない。支えたい顕人は、わたしが支えなくちゃいけない顕人君は、どこか遠く離れた場所に行ってしまって……

 

「綾袮…!」

「綾袮さん…!」

 

 ぼうっとしたまま、一人で双統殿に戻ったわたしの名前を呼んだのは、焦った表情のラフィーネとフォリンだった。…その表情の理由は…考えなくたって、分かる。

 

「顕人、顕人は…!?」

「一体何があったんですか…!?」

「…顕人君、だったんだよ。作戦に乱入してきた、霊装者の一人が。…あのゼリアとそっくりな色の霊力を持った、霊装者の一人が……」

『……っ!』

 

 問い詰めるみたいな二人の言葉に、わたしは答える。自分でも情けないと思う程、力の籠っていない声で。

 ゼリアの名前を出した瞬間、目を見開いた二人。BORGからは、無関係を主張するような返答がきたって話だけど…霊装者としての感覚的に、全くの無関係だとは思えない。そう感じられるものがあったし…そもそも霊力は、自由に色を変えたり出来るようなものでもない。

 

「…顕人は、どこに行ったの…?」

「…分からない……」

「追跡はしていないんですか…?」

「してたけど、撒かれたって…分かってるのは、所属不明の潜水艦に降りた事まで……」

「そんな、悠長な…顕人さんの事なんですよ?もっと色々手を……」

「その手があるなら…打てる方法があるなら、もうしてるよ…ッ!」

 

 追及するフォリンの言葉に、思わず声を荒げてしまうわたし。…でも、すぐにわたしは冷静になって…フォリンに、謝る。

 

「…ごめん、フォリン」

「…いえ、私も短慮な問いをしてしまって、すみません…」

 

 わたしが謝って、フォリンもわたしに謝って…でも、お互い謝ったからこれですっきり、なんていかない。

 分かってる。フォリンがわたしを責めたくて言ってきた訳じゃない事も、二人が今抱いている気持ちも。分かるし、同じ気持ちだからこそ…余計に、空気も気持ちも重い。

 

「…綾袮は、今日、帰るの?」

「帰る…?」

「今日は、ここに残るの?それとも…」

 

 一瞬意図の分からなかった、ラフィーネの問い。けど、続く言葉で理解した。ラフィーネが訊いているのは、双統殿…わたしの実家に残るのか、それとも今のわたし達の家に戻るのかって事なんだって。

…正直、双統殿にいた方が、気は楽かもしれない。今はこっちの方が、落ち着けるのかもしれない。…でも……

 

「…ううん、帰るよ。わたし達の、家に」

 

 気は楽でも、それは目を逸らしているだけだから。見なくて済むなら、そっちを選びたい気持ちもあるけど…見たものが、起こった事が、現実だから。それは逃げられるようなものじゃなくて…だからわたしは、帰るよと返した。わたし達の家に…顕人君もいた、あの家に。

 

(…嫌でも、見なきゃいけないんだ…だってわたしは、宮空の…宮空綾袮なんだから……)

 

 双統殿の中に入って、こっちでやらなきゃいけない事だけはして、聖導作戦が終了した時点で同じように任務の終わっている二人と一緒にわたしは帰る。

 その道中、殆ど会話はなかった。普段なら、ずっと黙ってるだけの空気なんて嫌いなわたしだけど…今はとても、雑談なんて出来そうになかった。

 

「……!綾袮様…!」

「あ…うん、ご苦労様」

 

 そうしてわたし達が家に戻ると、家…というか、玄関では二人の霊装者が待っていた。

 この人達の事は聞いている。顕人君の所在を確認する為に、双統殿の方から派遣された霊装者で…その時家の鍵を壊して入ったらしいから、その事もあって帰らずに待っていてくれたんだとか。

 

「鍵の修理は手配済みです。そろそろ来ると思いますが…」

「分かった。修理屋さんの対応はこっちでするから、二人はもう帰っても大丈夫だよ」

『はっ』

 

 今は取り敢えずでも頭が回っているおかげで、表面上だけでも取り繕って会話が出来る。それが出来るから、二人に対しても普段通りっぽい受け答えが出来て……でも何故か、二人は気不味そうな表情を浮かべる。

 

「…どうか、したの…?」

「その…この件に関する情報がないか探る為、家の中もある程度調べさせて頂いたのですが、彼の部屋らしき場所を確認した際、お三人の気を悪くするかもしれない事を致しまして……」

「ただ、これも任務上無視出来ない事だったのです。それはどうか、ご理解頂けますでしょうか」

 

 二人が気不味そうにしていた理由。それは、自分達の行動でわたし達が気を悪くするかも…という事らしかった。そういう事なら責める気はないし、ラフィーネ達も任務や命令の重さは理解しているから、大丈夫…って事でこの件はお終い。今度こそ二人は帰っていって…わたし達も、家の中に。

 

「…ただいま」

 

 玄関に入ったところで、当たり前の言葉を呟く。帰ったらただいまって言う、これは普通の事で……だけど、それに対する返答は、「お帰り」の言葉はない。言ってくれる人が、待っている人が……今は、いない。

 

「…殆ど、変わっていませんね。長い間いなかった訳ではないので、当然ですけど……」

「うん……」

 

 リビングに入って、フォリンが言った言葉に、わたしは頷く。…ほんとに、変わってない。変わってないから、分かる。ほんの少し前まで、ちゃんと顕人君はここにいて、普通に生活してたんだって。

 少ししたところで、聞いていた鍵屋さんが来てくれた。その人に修理をしてもらって、見送って、またリビングに戻って…でも空気は暗いまま。

 

「…取り、敢えず…ご飯とか、お風呂とかにする…?」

「…賛成。ただ座っていても、意味ない」

 

 深くなるばかりのような気がした重苦しさを誤魔化すように、わたしは提案。けど、疲れてる筈なのに食欲がなくて、二人も食べる気分じゃないみたいで、二人は荷物の片付けだったりお風呂の準備だったりでリビングを出ていく。

 わたしだって、荷物の片付けをしなきゃいけない。…それは、分かってるけど…手に付かない。

 

(顕人君…やっぱり、わたしのせいなのかな…わたしがもっと、顕人君の心を支えられていれば…もっと頼れる、信頼出来るわたしだったら…ううん、そもそもわたしが最初に本当の事を伝えていれば……)

 

 ぐるぐると、後悔ばかりが頭を巡る。過去の事、過ぎた事を気にしても仕方ない。…いつものわたしなら、そう言うかもしれないけど…無理だ。出来る訳がない。顕人君が遠く離れてしまった事を、きっとその原因になってる事を、仕方ないで済ますなんて。

 前髪を搔き上げるように掌で目元を覆って、何度も何度も後悔する。こうしてたって何も変わらない、無意味だって事も分かってるけど、分かってたってわたしは気持ちを切り替える事も、立ち上がる事も出来なくて……

 

「綾袮っ!」

「……っ!?…ラフィーネ…?それに、フォリンも…どうしたの…?」

 

 数分か、それとも十数分か分からないけど、俯いていたわたしを我に返らせたのは、酷く慌てたラフィーネの声。入っていたラフィーネの後ろには、フォリンもいて…ラフィーネの手にあるのは、一枚の紙。

 

「…それは……?」

「顕人さんからの、手紙です…!ラフィーネが、顕人さんの部屋の机で、見つけたんです…!」

「……──ッ!」

 

 どくん、とその瞬間…顕人君からの手紙だと聞いた瞬間、わたしの胸は跳ね上がった。

 読まなくたって分かる。それは間違いなく、顕人君の置き手紙。それにわたしは、理解する。さっき二人が言っていた、わたし達が気を悪くするかもしれないっていうのは…多分、これを読んだ事なんだって。

 

「な、なんて…なんて書いてあったの…!?」

「…まだ、読んでない」

「読むより先に、綾袮さんに伝えようと思いまして…」

「そ、そっか…」

 

 身を乗り出して、その内容を聞いたわたしだけど、ラフィーネはふるふると首を横に振る。それからフォリンの言葉で、気を遣ってくれたんだって事を理解して…自分で自分を、落ち着かせる。

 それからラフィーネはリビングのテーブルに手紙を置いて、そのすぐ前に座る。フォリンはその左に、わたしは右に。

 何が書いてあるかは分からない。読んで後悔する可能性だって、ゼロじゃない。…けど、読まずには…顕人君からの手紙を読まないままにする事なんて、今のわたしには絶対出来ない。だからわたしは、早鐘を打つ心臓を押さえるように、胸の前に握った右手を当てて…読み始める。わたし達へ向けて残された、顕人君からの手紙を。

 

 

 

 

──綾袮、ラフィーネ、フォリンへ。

 

 この手紙を読んでいるって事は、もう俺が協会に反する立場を示した後かな。…なんて書き出しをすると、何だかそれっぽいね。この手紙を読んでいるという事は…なんて文章を、実際に書く日がくるとは思わなかったよ。

 

 まずは、ごめん。皆に何の相談もせず、何も話さず、こんな事をして。他の多くの人にもそうだけど、三人には本当に、悪い事をしたと思っている。混乱させたと思うし…もしも悲しんでいるなら、心から謝りたい。

 

 俺にとって、皆との日々は楽しかった。綾袮と二人で、ここで暮らす事になったあの日から、二人で一緒に、同じテーブルで食事をした事も、テスト勉強をした事も、ラフィーネやフォリンと出会って、多くの話をした事も、皆で海に行った事も、色々あった末に二人だった食卓が、四人で囲むようになった事も、それからあった沢山の事…クリスマスとかお正月とかのイベントも、毎日の何気ない会話や遊びも……全部全部、楽しかった。一つ一つが良い思い出で、大切な記憶で、霊装者である事とか、経歴とか、そういう事は一切関係なく……俺にとって充実した毎日が、ここにはあった。そんな幸せな時間を、皆はくれた。

 

 俺は皆に、感謝してる。明るくて、賑やかで、ふざける事も多いけど、凄く頼れて俺を気にかけてくれる綾袮。純粋で、真っ直ぐで、意図が読めない事もあるけど、いつも真摯に俺と向き合ってくれるラフィーネ。優しくて、気遣い上手で、しれっと俺をからかってくる事もあるけど、それ以上に俺の味方になってくれるフォリン。…皆、俺が一緒に生活するには勿体無い位良い人達で…こう書くのは恥ずかしいけど、俺は皆の事が好きだ。何書いてんだ、と思うかもしれないけど…本当に、俺は皆と過ごせて良かったと思ってる。

 

 だけど…間違いなく俺は幸せで、そう思ってもいるけど…それだけじゃ、嫌なんだ。俺は俺の夢を、諦められない。夢を、憧れを諦めて今に満足する事なんて出来ないし、俺は何としても夢を、理想を叶えたい。それがどんなに馬鹿げている事だとしても、他の人から見れば下らない子供の妄想だとしても、俺にとっては、譲れない…命だって懸けられる、心からの夢だから。

 

 だから俺は、この道を選んだ。たとえそれが、今ある幸せを手放す道だとしても…夢を、憧れを、理想を諦めない道を進む。

 

 本当に、ごめん。それに、今までありがとう。俺は皆と出会えて、過ごせて、笑い合えて……幸せだった。

 

                顕人

 

 

 

 

 綴られていた。紡がれていた。顕人君の、思いが。顕人君の文字で、顕人君の言葉で。

 読み終わった。読み終わったけど、またわたしは始めから読む。何度も何度も、読み返して……言う。

 

「…何さ…ごめんって…楽しかったって…幸せだったって…だけど夢を諦められないって…そんなの、そんなの……直接言いなよッ、馬鹿ぁッ!」

 

 抑え切れない、身体の奥から…心の奥から溢れ出した言葉と共に、わたしはテーブルを叩く。

 顕人君の気持ちは、よく伝わった。文字から思いが、伝わってきた。でも…あんまりだ、こんなのあんまりだよ…!そんな大切な言葉を、思いを手紙にして、それだけ残して行っちゃうなんて…!そんなに大切に思ってるのに、それだけ大切だって分かってるのに、なのになんで…なんで……っ!

 

「……っ、ぅ…わたし、だって…わたしだって、楽しかったに…幸せだったに、決まってるじゃん…!なんで、自分だけ伝えてっ…自分の思いだけ残して、顕人君は……っ!…ぁ、ぐっ…うぁ、ぁっ……!」

 

 テーブルを叩いた手を握り締めて、抑えの効かない思いを、届かない言葉を吐き出す。

 その内に、溢れてくる涙。視界が歪んで、目が熱くなって、その熱は頬に流れて…落ちる。悲しい、悔しい、不甲斐ない…色んな気持ちが混ぜこぜになって、自分でもなんて言えば良いのか分からない感情になっていって、それも一緒に溢れていく。

 

「…そう、ですよ…あんまり、です…顔も、合わせないまま…手紙と、思いだけを残して……顕人さん、顕人さんは…貴方は…私達の幸せの為なら、何でもするって言ってくれたじゃないですか…っ!」

 

 聞こえてきたのは、絞り出すような…今にも折れてしまいそうな、そんな切なさの溢れる声。それは、フォリンの声で…フォリンも、泣いていた。ぽたぽたと涙を流して、きゅっと太腿の上で両手を握り締めて、訴えるように手紙へ言葉をぶつけていた。

 

「…フォリン……」

「…ごめん、なさい…こんな事を、ここで言ったって…意味はない事は、分かってます…分かって、いるんです…でも、でも……っ!」

「いい、いいよフォリン…フォリンは、何も悪くなんてない…その気持ちは、わたしだって……」

「……探しに、行く」

 

 いつもは冷静…っていうか穏やかで落ち着いていて、わたし達の中じゃ一番年下なのに、むしろ一番大人っぽいフォリン。そのフォリンが感情を、悲しみを露わにして、肩を震わせている。

 悪い事なんてない。謝る必要もない。やり切れない思いなのは、ぶつけたい言葉があるのは、わたしだって同じだから。

 その思いもあって、寄り添いたい、寄り添わなくちゃ…そんな気持ちになっていく。だけど、わたしが何かするよりも早く、ラフィーネが呟く。呟いて、立ち上がる。

 

「…ラフィー、ネ…?…探しに行く、って…何を、です……?」

「決まってる。勿論、顕人」

「あ、顕人君を…?…どこにいるか、分かるの…?」

「分からない…でも、探す」

 

 そう言って、ラフィーネはリビングの出入り口に向かう。ラフィーネが思いもしなかった言動をするのは普段からある事で、それ自体には慣れている。…けど、慣れていても今の言葉、やろうとしている事には驚かない訳がないし…何より、無謀だ。何の手掛かりも無しに、闇雲に探そうとするなんて。

 

「ちょ…ま、待ってよラフィーネ…!気持ちは分かるよ、分かるけど…幾ら何でも、手掛かり無しじゃ無理だって事位分かるでしょ…?」

「分かっている。でも、ここでじっとしているよりは、可能性がある。何もせずにいる事は、出来ない」

「で、ですがラフィーネ…そんなの、ラフィーネらしくないですよ…。私が言える立場ではないですが、少し落ち着いて……」

「…落ち着いてなんて、いられない…。顕人は、勝手過ぎる。顕人は、フォリンを泣かせた。顕人は、顕人は……わたしにも、約束、してくれた…何かあれば、頼りにするって…また、力になるって…」

 

 引き止めるわたしとフォリンの言葉に、ラフィーネは振り向く。振り向いて、こっちを見て……わたし達を見るラフィーネの瞳にも、目尻に涙が浮かんでいた。

 段々と弱く…震えるようになっていく、ラフィーネの言葉。…もう、誰も…何も、言えなかった。

 

(…顕人君の人生は、顕人君のもの。自分の夢を、本当にやりたい事を心の奥に仕舞って、見ないようにして、周りを優先するだけの人生なんて、辛いしそれを誰かに求めるなんて…そんなの絶対、間違ってる。…けど、だけど……)

 

 頭では、理解も出来る。良い事か悪い事かは別として、それを顕人君が本気で、心から選んだ道だって言うなら、その選択を駄目だって言うのは違う。顕人君の事を思うなら、応援してあげるのも一つの手だ…ってのも分かってる。止めるとしても、それは顕人君の為にするべきであって……わたし達が嫌だから、そんな理由で否定するのは本当に間違っている。そんな事は、分かってる。

 だけど…分かっていても、この気持ちは、悲しみは止められない。ラフィーネを止めはしたけど、ちょっとでも手掛かりがあるなら、何よりもまずわたしが探しに行きたい。探したい、会いたい。会って訊きたい。どうしてって、なんでって。訊いて、言って、それからわたしは、わたしは……っ!

 

「……っ…」

 

 二人の事で意識が逸れて、一度は止まっていた涙がまた流れそうになる。そんな中で不意に響いたのは、わたしの携帯の着信音。

 正直、今誰かと落ち着いて話せるとは思えない。だけどだからって、無視をする事もしたくない。だからわたしは、何とか今の気持ちを胸の片隅に移動させて、携帯を取り出し……

 

「……ぁ、え…?」

「…綾袮……?」

「……う、そ…顕人、君…?」

 

 画面に表示された名前を見た時、茫然とした。一瞬、訳が分からなくて…次に思ったのは、見間違いなんじゃって思いだった。電話なんてくる筈ない、かけたって通じる筈ない…無意識に、そう思っていたから。

 だけど、見間違いじゃない。本当に、顕人君の名前が表示されていて……今も、着信音は鳴り続けている。本当だって分かった瞬間、一気にわたしは緊張して…手が震えるのを感じながらも、その電話に出る。

 

「……顕、人…君…?」

「…あぁ、良かった。出てくれたんだね、綾袮」

「……っ!…顕人君…顕人君、今どこにいるのっ!?手紙、あの手紙は何!?そんな、あんな、一方的に自分の思いだけ書くなんて……っ!」

「綾袮」

 

 声が聞こえて瞬間、呼び掛けた声に応えてくれた瞬間、わたしの中で抑えていた感情が破裂した。宮空家の人間としては、もっと訊かなくちゃいけない事や、連絡が取れたからこそやらなくちゃいけない事があるって分かっていても、わたしはわたしの気持ちを抑えられなかった。

 だけど、わたしは止まる。顕人君に一言名前を呼ばれて…それだけで少し、冷静になる。…何故かは分からない。だけど顕人君の、落ち着いてて…静かだけど優しい声を聞いた途端、流れる思いは一瞬止まった。

 

「…そこにさ、ラフィーネとフォリンはいるかな?」

「え…?…う、うん…いる、けど……」

「なら良かった。それじゃあさ、二人に伝えてほしい事があるんだよ」

 

 わたしがはっとする中、顕人君は訊いてくる。それにわたしが答えると、顕人君は安心したように言葉を続ける。そして、顕人君は二人に…ううん、わたし達全員に対して……言った。

 

「──綾袮、ラフィーネ、フォリン。皆でさ…デート、しようよ」



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第二百二十四話 かけがえのない皆と

 曜日の上では、今日は休日。俺は予定の時間より少し早くに、待ち合わせの場所へと訪れていた。

 ちゃんと、来てくれるだろうか。誘った側だからというのもあって、少し緊張する。…と、表現すると乙女っぽい気もするけど…実際緊張するんだから仕方ない。というか、男だってこういう風に思ったりするだろう。

 携帯の時計を見て、周りを見回して…を数分おきに繰り返す。何度か繰り返して、期待と不安が入り混じって……そうして待ち合わせの時間、その五分弱程前になったところで、彼女達は現れた。

 

「…お待たせ、顕人君」

 

 初めに呼び掛けてきたのは、綾袮だった。俺が顔を上げると、綾袮はじっと俺を見ていて…その後ろには、ラフィーネとフォリンもいた。…俺が呼んだ三人が、皆来てくれた。

 まずは、ほっとした。次に、嬉しくなった。来てくれないかもしれない…そう思えるだけの理由があるからこそ、俺の中には不安があって…だけどそれは、要らぬ心配だったらしい。少なくとも…今の、段階においては。

 綾袮、ラフィーネ、フォリン。俺が大切だと思っている、同じ家で日々一緒に過ごしてきた三人。特殊な存在である慧瑠を除く、あの時手紙を残した三人と…こうして俺は、会っている。俺が誘い、三人が応じてくれた事で。

 

「…顕人さん、これは……」

「デート、だよ。言いたい事、思う事はあるだろうし、それは尤もだけど…俺は三人を、デートに誘ったんだよ。…それじゃあ駄目、かな」

 

 一歩前に出て、フォリンが何かを言おうとする。けど俺は待った、と右の掌をフォリンに見せて、誘いの内容を改めて口にする。

 そう、これはデート。俺が誘った、初めて三人に対して誘った、デートなんだ。

 

「…駄目、って言ったら?」

「駄目って言われたら…悲しいかなぁ…」

「ん、分かった。ならこの話は、今はしない」

「ら、ラフィーネ…!?…もう、勝手に決めて…。……まぁ、すぐに答えてくれるとは思っていませんでしたし、私もそれで良いですけど…」

「ごめんね、フォリン。それと…ありがと、二人共」

 

 演技も芝居もせず、素直に答える。するとラフィーネは、迷う事なく「ならそれで良い」と受け入れてくれて…少し口を尖らせてはいたけど、フォリンも同じ答えを出してくれた。

 その二人に、感謝を伝える。感謝しているのも、素直な気持ち。そしてそれを伝えた後…俺は視線を、綾袮の方へ。

 

「…綾袮は、どうかな」

「…わたしもフォリンと同じだよ。素直に答えてくれる気なら、電話の時点でそうしてくれてたと思うし、そういう事ならこんな誘い方だってしないだろうし…。…でもさ……」

「でも?」

「女の子三人を、纏めてデートに誘うっていうのはどうなの…?これ、普通にドン引き案件だよ…?」

「…それは、まぁ……はい。正直言うと、格好付けたくて『デート』とか言っただけです…我ながら馬鹿な誘い方したって自覚はあります…」

 

 半眼で突っ込んでくる綾袮に、俺はがっくりと肩を落とす。これについてはほんとに、言い訳のしようがない。何せ、自分自身でもアレだと思ってるんだもの。

…でも、やっぱり……それも含めて、俺は感謝したいと思う。そんな馬鹿な誘いでも、三人はこうして来てくれたんだから。

 

「全くもう…これで内容も駄目駄目だったら、好感度ガタ落ちだからね?」

「は、はは…こほん。…じゃあ、行こうか」

 

 なんとも綾袮らしい言いように、俺は乾いた笑いを漏らし…それから、三人を見回し行こうかと告げる。

 デートというのは、格好付けたくて言った言葉。でも言った以上は、適当になんてしない。三人に来て損したなんて思わせないよう、エスコートしてみせるさ。

 

(…ま、エスコートなんて言ったら、それこそ笑われそうな気もするけどね)

「…ね、まずはどこに行くの?」

「まずはありきたりだけど、ゲームセンターなんてどう?四人だから、二対二のプレイとかも出来るしさ」

 

 後ろで手を組み、少しだけ前傾姿勢でこっちを向いてくる綾袮に、最初に行こうと思っていた場所を話す。

 綾袮が着ているのは、ふわっとした白のオーバーサイズチュニックと、淡い赤のミニスカート。膝より少し高い水色のニーソックス含め、綾袮は明るい色で纏めてきていて、服装自体も少女らしい、綾袮に合ったイメージを受ける。明るくて、天真爛漫で、油断するすぐ振り回される…だけどついつい目で追ってしまう、そんな綾袮らしさが前面に出たコーディネート。トップスもボトムスも、ふわりとした部分があるからこそ、動いた時にはまた別の魅力が出てくるのかもしれない。…可愛い。なんか分析っぽい思考をしてるけど、有り体に言えばただただ可愛い。

 

「ゲーム…それは良い案だと思う。わたしは賛成」

「ラフィーネはゲームをしたいだけでは…?」

「当然。顕人とするゲームは楽しい。フォリンはどう?」

「う…どうも、なにも……私はゲームセンター以外でも、顕人さんとのお出掛けなら楽しいですよ」

「え、何故俺に…!?…うぐっ、早速やってくれたね…」

 

 姉妹間での会話…と思いきや、突然俺の方を見て、ふっと笑いながら言ってくるフォリン。さらっと「顕人とするゲームは楽しい」と言われただけでも少し照れそうだったのに、そこへこんな発言をされたら当然顔も赤くなる訳で…けどすぐに、そういう弄りであると気付いた。しかも今回の場合、自分がラフィーネの返しでまごついたのを誤魔化す形で俺に振ってきた訳だから、尚フォリンの手口はタチが悪い。

 そんな二人の服装の内、ラフィーネは髪とよく似た深い青のパーカーに、裾が折り返しとなっている茶色のショートパンツに、綾袮より長い黒のサイハイソックスという出で立ち。暗めで落ち着いた色の選択はどれも物静かなラフィーネに似合っていて、三人の中で一番動き易そうな格好をしているのも、結構活動的なラフィーネらしい。けどボーイッシュっぽい服装ながら、パーカーから見える首元だとか、パンツとソックスの間の太腿だとか、随所でドキッとする部分もあって…無自覚にそういう部分を作ってるんだとしたら、それは最早恐ろしい。けど、やはり可愛い。

 そしてフォリンが身に纏うのは、紺色のワンショルダートップスと、白に近い桃色のスカート。スニーカーを履く二人と違い、フォリンだけは短めのブーツを履いていて、ちらりと見えるソックスはこれまた薄い色合いの黄色。三人の中では一番スタイルの良いフォリンは、服装も一番大人っぽくて…穏やかなフォリンらしい、ラフィーネとは別の落ち着きがその服装から伝わってくる。…けど、大胆に露出した片側の肩とか、長めのソックスできゅっと包まれた二人とは逆に肌色が大いに見える脚だとか、穏やかという言葉には収まらない魅力もあって…これまた可愛い。

 

「…………」

「……えっ、顕人君?急にちっちゃくガッツポーズしてどうしたの…?」

「…や、何でもない。何でもないよ」

「そ、そう…?なんか顔も、妙に充実してる感が見えるんだけど…」

 

 充実してる感?そりゃあそうでしょう!…などという返しは心の中に収めておいて、俺は誤魔化すように肩を竦める。

 それから暫しは徒歩で移動。…ただ、三人で歩いているだけなのに、たったこれだけでも懐かしく感じる。

 

「…でも、驚いたよ。あんな手紙を残しておきながら、普通に電話もしてくるなんて」

「電話出来るかどうか、かけても応じてくれるかどうかは分からなかったからね。……うん、だからだよ」

「そっか…あぁそうだ顕人君。わたしは今日、わたしの意思で…わたしの思いでここに来たけど、それは……」

「分かってる。見られていようが、邪魔されようが…それは、仕方のない事だよ。…お互い様、だろうしね」

 

 俺からの連絡が来たと、こういう誘いを受けたと、綾袮が秘密にしているとは思っていない。こう見えて綾袮は責任感が強いんだって事を、知っているんだから。だからまあ、協会が何かしてきたとしても、それは仕方ない。邪魔されたくはないが…されたとしても、非難はしない。

 そういう事も踏まえた上で、俺は今日を楽しみたい。だから俺は、その一つ前のやり取りの中でも、返答を一つ飲み込んだ。…もう話せる時も、会う事もないかもしれないから、ちゃんとお別れを伝えたかったんだという、心の中にあった答えを。…でも、これは飲み込んだっていい答えだろう。何せ…俺の道を示した上で、その上で今俺は皆と会っているんだから。

 

 

 

 

「おわっ!顕人君!」

「くぅッ、際どい所を攻めてくる…!」

「対応し辛い場所を狙うのは、当然の戦法」

「ですね、このまま勝ちは頂きます!」

 

 最初の目的地である、ゲームセンターへと着いた俺達四人。ガンシューティングとか、レーシングとか、四人で対戦ゲームを中心にやっていって…今しているのは、ホッケー対決。

 

「こうなったら…顕人君!フォーメーションDだよ!」

「了か…って何それ!?D!?知らないんだけど!?」

「え?知らない?Cの後で、Eの前の……」

「アルファベットのDは知ってるよ!そうじゃなくて、フォーメーションの……」

「隙有り」

『あっ……』

 

 定番みたいなボケに俺が突っ込む中、すこーんとゴールに入るホッケーのパック。前を見れば、さも当然みたいな顔をしたラフィーネが打った後の格好をしていて…ロサイアーズ姉妹チームへ1ポイント。ただでさえ姉妹の卓越した連携に押され気味だったというのに、更に一点向こうが有利になってしまった。

 

「もー、何してるのさ顕人君」

「いや、今のは綾袮が訳の分からない事言うからでしょ…何なの、フォーメーションDって…AからCもあるの…?」

「さぁ?わたしには分かんない」

「なら俺にゃ尚更分からないよ…!…はぁ、とにかくまずは一点返そう」

「おー!」

 

 散々ふざけた癖に悪びれる様子もなく、普通にやる気ありそうな声を出す綾袮は、調子が良いというかなんというか。けどまあ、綾袮と組んだ時点でこういう展開も起こり得ると分かっていた訳で…気持ちを切り替えていく事にする。

 

「それなら…フォリン、こっちは顕人作戦でいく」

「え、何その作戦……」

「綾袮さんより崩し易い顕人さんを徹底的に狙って、無慈悲に点数を稼ぐ作戦ですね、了解です」

「何その遊びでやったら冷めるようなえげつない作戦…!というか、よく今ので伝わったねフォリン…!」

「当然です。ラフィーネは相棒であり、私は生まれてからずっとラフィーネの妹をしてきたんですから」

(くっ…ほんとこの仲良し姉妹でチーム組ませちゃ駄目でしょ…!)

 

 少し自慢げなフォリンと、無言で軽くドヤ顔をするラフィーネの二人に、俺は内心で抗議を叫ぶ。…まあ、チーム決めの時俺もいたし、「ま、遊びだしいっか」と組むのを了承しちゃったんだから、実際には文句言う権利なんてないんだけど。

 ともかく俺達は、隙のない姉妹に対して奮闘。連携が強いだけじゃなく、普通に個々のスペックも高いし、その二人や綾袮に比べるとどうも俺は見劣りするから、頑張ったところでやはり苦しい試合運びに。…だけど…まだだ、まだ終わらんよ……ッ!

 

「そうさ、俺は勝つんだ…いつだって……!」

「打てぇぇぇぇッ!顕人・御道ぉおおおおッ!」

「いやこれ戦争でも対艦戦でもないんですが……」

「ハァン…!」

「パックが、曲がる…!?…って、ラフィーネまで……!?」

「そういうフォリンもノってるけどね」

 

 とまぁ、全員遊び心を忘れないまま最後までやった結果、やっぱり結局は俺達の負けに。でも、楽しめたか否かといえば…勿論YES。そういう意味では、WIN-WINで終わったんじゃないかと思う。

 

「ふぅ…やっぱ時には身体をがっつり動かすゲームも良いよね。っていうか、ゲームって本来は運動も含む表現なんだっけ?」

「そうですよ。遊び、競技、試合…全体的に言えば、娯楽や競い合いの事を指す言葉ですね」

「ゲーム、はまだ有名な方だけど、普通に通用すると思いきや実は通じない和製英語って多いみたいだね。エアコンとか、キャッチフレーズとか、チョベリバとか」

「モボ・モガとか?」

「うん、さらっと今は亡きギャル語が混じってるね綾袮…ってラフィーネ!?モボ、モガって…それはもう次元が違うよ!?古いってレベルじゃないんだけど!?」

 

 綾袮がこういうボケに走るのはまだ予想がついていたけど、ラフィーネの発言は予想の遥か斜め上。これには綾袮も「!?」…って顔をしていて、なのに当人はぽてぽてと歩いていってしまう。そのせいでボケなのか、それとも本気で言っていたのか表情で見分ける事も出来ない。

 

「は、はは…つ、次はどうしますか?まだ何かやります?」

「そうだね…まだやりたいものがあるならやってもいいし、そうじゃないならお昼にしない?」

 

 気を取り直すようなフォリンの発言に俺は答えつつ、先を行くラフィーネとも合流する。四人で話し、取り敢えずやりたいゲームはやれたという事で、次の目的を昼食に決める。

 

「じゃ、次は何を食べるかだけど…誰か、これにしたいっていうのはある?」

『…………』

「…まぁ、こういう訊き方されたらそうなるよねぇ…」

 

 勝手に決める訳にはいかないよな、と思って訊いてみた俺ながら、返ってきたのは無言&困り顔。

 漠然とした質問程、答えるのは難しいもの。選択肢が多過ぎると、逆に絞り辛いのは(多分)万国共通。つまりこれは、ある意味なるべくしてなった状況な訳で、ならば少しずつでも狭めていこうと俺はジャンルの質問を……

 

「…ん。和食がいい」

「和食?」

「初めて顕人と、綾袮と一緒に食べたのも、そうだった。だから、折角だからまた和食がいい。店は…別に、あの時と違っても構わない」

 

……しようとしたところで、ラフィーネがリクエストを言ってくれた。

 そう言われて、思い出す。確かに初めて一緒に食べたのは、和食…というか蕎麦にうどん。思えばあれも、去年…それも夏休み前の出来事だった訳で……随分と、経ったものだ。あれから数多くの事があったし…だけど、何年も経った訳じゃない。こんな何気ない会話一つでも…俺は俺が過ごしてきた時間を、再認識する…。

 

「…そうだね。和食を中心に取り扱ってるお店なら、メニューの幅も広いし良いかも。俺は賛成だよ」

「私もです。なんだか私も、和食を食べたくなってきました」

「じゃ、和食に決定だね!そうなると、定食屋さんとかかな?」

 

 これで決定、と言うように綾袮は手を叩き、それからこくりと小首を傾げる。

 確かに洋食やその派生ならレストランだけど、和食となれば定食屋や、食事処…みたいな看板を出している所になる。で、あの時の店じゃなくても良いって事だから、後は近くで和食を多く取り扱っているお店を探せば良いだけで…雑談しつつ、のんびり歩く事數十分。俺達はここなら良さそうだな、という場所に入店した。

 

「…ほんとに、懐かしい感じですね。違うお店で懐かしい、というのも変ですが」

「まあ、他の部分は共通してる訳だしね」

 

 案内された先に座り、メニューを見た後注文し、品物が運ばれてくるまで待つ。フォリンは自分の発言に軽く肩を竦めていたけど…懐かしく感じているのは、俺も同じ。

 

「そういえば、あの時は似てる食べ物の違いの話とかしたよね。今はもう、どれ見ても分かる感じ?」

「えぇ、大体は。ラフィーネはどうです?」

「わたしは未だに、明らかに食べ辛そうな料理なのに、嬉々として写真を撮って喜ぶ人の事がよく分からない……」

「あ、う、うん…それはまた、別の話だね…はは……」

 

 思い出したように話す綾袮の問いにまずフォリンが答えて、次にラフィーネが再び予想の斜め上を行く回答をして、色んな意味で答えに困った俺は苦笑いしつつお茶を濁して…そんな、ほんとに何気ない会話を三人と交わす。

 これが、俺にとっては普通だった。毎日の様に行われる、当たり前にある事だった。そしてこれが、俺の手放したものでもあって……っと、いけないいけない。俺の方からデートだ、って言ったんだから、俺も今はこういう思考は置いておかないと…。

 

「…っと、来たみたいだね」

 

 そうして待っていた俺達の席へ、注文した品物が運ばれてくる。

 俺が頼んだのはトンカツ定食で、綾袮は五目うどん。ラフィーネは天丼、フォリンはマグロ漬け丼と、皆結構分かれていて、どれも中々美味しそう。これとは別に、デザートも注文してあるんだけど…勿論それは、もう少し後。

 

「それじゃあ、頂きます!…ん〜、麺がモチモチしてて美味し〜♪」

「こっちは衣がサクサク、中の海老がプリプリ。タレのかかったご飯も美味しい…」

「肉と違って、魚は割と生でも食べる事が出来る。これ中々、凄い事ですよね…」

 

 三者三様の反応見せながら、食べていく三人。美味しそうに食べる女の子の顔、っていうのは凄くほっこりするもので、しかもそれが綾袮達三人ともなれば、俺は見ているだけでお腹一杯に…は、流石にならない。ほんと、ほっこりはするけども。

 そして、俺の定食のトンカツも美味しい。サクッとした衣に、柔らかい肉、それに旨味が口の中でぐっと広がるし…味噌汁や漬け物も、濃い味付けのトンカツ&ソースとよく合う。

 

「あー…美味い。やっぱ出来立ては美味いよなぁ……」

「…そんなに美味しい?」

「うん、ばっちり美味しい」

「…顕人、提案がある」

「ん?何かあげるから、一切れ頂戴とか?」

 

 まず半分はそのまま食べ、残り半分は白米と一緒に食べていると、ラフィーネは提案があると俺に言う。で、その内容を予想して答えると…ラフィーネは目を丸くする。

 

「…以心伝心?」

「ははっ。流石にこれは流れで分かるよ」

「そう?」

「そうそう。…で、何くれる?」

「じゃあ、海老を」

「交渉成立だね。じゃあ……」

 

 トンカツ一切れと海老の天ぷらなら、交換としては好条件。という訳でソースをかけたトンカツを箸で一切れ持ち、小皿へ載せてラフィーネに俺は渡そうとし……

 

「顕人、違う」

「え、違う?」

「ん、違う。あーん」

 

 俺は、求められる。口を開けたラフィーネに、直接食べさせてくれ、と。所謂「あーん」を。

 それを見て、綾袮はほんのりと顔を赤くしながら「わぁお…」といい、フォリンはくすりと軽く笑って見ている。…これはあれだ、逃れられないやつだ。

 

(…はは。正直、男としては嬉しいけど…やっぱ恥ずいよなぁ……)

 

 嬉しさと恥ずかしさは両立し得る。こういう事を求められるのは嬉しいけど、恥ずかしいものはいつだって恥ずかしいんだから。……けど、俺だって…いつまでも変わらない俺じゃない。

 

「…もう、しょうがないなぁ。はい、あーん」

「んっ…うん、美味しい……。もう一度、あーん」

「はいはい、落とさないようにね?」

 

 恥ずい、という気持ちをぐっと堪え、俺はトンカツをラフィーネの口に運ぶ。ラフィーネが三分の一程を口にすると、一度離し…飲み込みまた口を開いたところで、再び差し出す。

 それが良い事かどうかは分からないけど、これまでだってあーんをする機会はあったし、してきた。ならば、何を躊躇う事があろうか。…いやあるわ、普通に躊躇うわ。特に今回の場合、普通に他のお客さんもいるわ。……とか何とか色々考え…まあとにかく、俺は普通にラフィーネにあげた。内心ちょっとドキドキしてたけど、表情は何とか保って、ラフィーネへとあーんをした。

 小さな口でもぐもぐと食べ、ちょっぴり笑みを浮かべ、また食べるラフィーネは…何というか、雛鳥のよう。雛鳥に餌をあげてるみたいで…だけどそのちょっぴりとした笑顔が、美味しいという表情が、俺に可愛いと思わせる。もう一切れあげれば、また今の顔を見られるだろうか…そんな欲が心の中で見え隠れする。

 

「顕人さん顕人さん。私も一切れ欲しいです。このマグロ漬けと交換してくれませんか?」

「あ……うん。…えっと…フォリンも?」

「えぇ、当然です」

 

 と、そんな事を考えていた俺の思考を現実に戻したのは、フォリンの要望。もしやと思って訊き返すと、フォリンは何故か自信満々で表情で頷く。

 トンカツとマグロ漬け。これもやはり、交換としては悪くない。けどこれはただの交換ではなく、オプション付きの交換で……フォリンもラフィーネと同じように、俺を待つように口を開く。

 

「(う…なんか二人目だと、ちょっと悪い事してる感が…)じゃ、フォリン…あーん」

「ふぁい。…ん、ぅ……あ、良いですねこれ…お刺身とは大分離れた食べ物だからこそ、全然違う楽しみがあるというか……」

「あー…そりゃそうだね。…残りいける?」

「はふぅ…はい。もう一口、お願いしますね。あー、ん」

 

 姉妹なだけあって顔立ちもよく似ているラフィーネとフォリンだけど、雰囲気はまるで違う。ラフィーネの時は雛鳥っぽさの中で見えた可愛さに欲が芽生えたけど…フォリンの場合は、最初からずっと微妙にイケナイ事をしてる感が頭をよぎる。目を閉じたフォリンの口にトンカツを入れ、唇が閉じていくのを見て、その後はまた開く姿も眺めるという、一連の流れがそこにはあって……なんかほんと、ラフィーネとは違う意味でドキドキしてしまった。

 

「ふふふ、顕人さんどうでした?」

「ど、どうって…。…良かったよ、とっても」

「へっ?…あ、は、はい…それは、その…私も、良かったです……」

 

 悪戯っぽく笑いながら訊いてくるフォリン。その問いに俺は一瞬動揺し…けど既に「あーん」という恥ずかしい事をした後だったから、動揺を飲み込み「良かったよ」と返してみる。するとフォリンは驚いたように目を見開き…それから、顔が赤くなっていた。…正直、色んな意味でぐっときた。それはもう、ぐっ…っと。

 

「…ねー顕人君。わたしも一切れ欲しいなー。ネギ一切れあげるからちょーだい」

「もう、綾袮まで…っておい!流石にネギ一切れとじゃ嫌なんだけど…!?」

「いやいや冗談だって。麺一口分と一緒に好きな具を取っていいから、一切れ頂戴。それなら良いでしょ?」

「まぁ、それなら…。…じゃ、綾袮もあーん」

「あー……って、え…?」

 

 ついつい流れでOKを出しかけたけど、流石にそれは割りに合わな過ぎる。…と思った訳だけど、どうも冗談だったらしく、改めて出された条件に俺は納得。

 というかそういえば、交換を切り出した時の綾袮の声音は、少し普段と違ったような…そんな事を思いつつも、交渉が成立した俺は、また一切れ持って綾袮の口元へ……持っていったは良いものの、目をぱちくりさせる綾袮を見て気が付いた。…綾袮は別に、あーんまでは要求していないと。

 そう。俺は要求されてもいないのに、あーんをしようとしてしまったのだ。

 

「あ…え、えぇっと…その……」

「…ぅ…あ、あーん…したい、の……?」

 

 差し出した手前、引くに引けない俺。一方綾袮も驚いていて、しかも恥ずかしさもあるらしく(…いや当然だけど)、ちょっぴり上目遣いをするような目であーんしたいのかと訊いてくる。

 こういう時、どう答えるのが正解なのか。…俺には全く分からない。分からないけど、黙っていてもお互い余計恥ずかしくなるだけだ、って事は理解していたから…小さくこくりと、頷いた。

 結果、綾袮は沈黙。不味い、これは下手を打ったか…そう思った俺だけど、その直後にゆっくりと綾袮は口を開く。綾袮が俺の、あーんに答える。そして俺は、開けられた口へとトンカツを運び…綾袮は、一口。

 

「…ど、どう?」

「…お、美味しい…」

 

 結局恥ずかしくなってしまった俺が心の中で動揺しつつ尋ねると、綾袮も顔を赤くしながら返答。お互い恥ずかしいもんだから、二人の時より粛々とあーんは進み…でもぶっちゃけ、恥ずかしそうに食べてる綾袮は可愛かった。可愛いし、これもこれで悪い事してる感あるしで、さっきさらもう食事とは思えないレベルでドキドキが連続しっ放しだった。でもそのドキドキは、見られたものは、三者三様のものであり……後悔は、ない。

 

(…そういう意味でも、何だかんだ変わったよなぁ…俺)

 

 昔の俺なら、どうだったろうか。…昔の俺なら、間違いなくこんな事しなかった。思い切りテンパって、やらなかった…というか、やらなかったと思う。けど、色々経験した今は…ほんと良い事かどうかは怪しいけど、こうして三人に次々とあーんをしたり、結果的にとはいえこっちからやってみたりが出来るようになった訳で……ほんと良い事じゃない気が凄くするけど、俺は変わったんだ。変わったからこそ、気付けた事や、得られたものが、沢山あるんだ。

 そして俺は、そんな思考と男としての満足感、その両方を感じながら、食事の続きを……

 

「……あっ…」

『……?』

「…そうか…一切れ食べて、その後三切れもあげたら、そりゃもう残りは半分もないよな……」

 

 皆に一切れずつあげた事で、ドキドキする体験が出来た。お返しも貰える。だけど当然、トンカツは大きく減ってしまうんだよなという事を、あげた後に気付く俺だった。

──三人とのデートは、まだ続く。まだ、終わりじゃない。まだ俺は…三人との、今日という日をやり切っていないんだから。



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第二百二十五話 この繋がりは、途切れはしない

 三人が誘いに答えてくれた事で実現した、三人とのデート。まずはゲームセンターで遊び、次に和食の料理屋で昼食を取った。そこではお腹は勿論の事、ある意味胸も一杯になった。

 そして、昼食を取った定食屋を後にしたのが数十分前。俺達は、俺が提案した次の目的地へと辿り着き……先に言おう。非常に、非常に癒されていた。

 

「にゃー、にゃにゃ〜。これが欲しいのかにゃ〜?」

「わっ、わわっ。もう、くすぐったいですよぉ…ふふっ」

「…もふもふ……」

 

……正直、活字だけだと分からないと思う。少なくとも、俺なら分からない。何か如何わしい事でもしているのか、と思ってしまう。けど勿論、如何わしい店じゃない。至って健全な店にいる。

 俺達が今いるのは、とある猫カフェ。猫が沢山いて、その猫と触れ合える店。つまり…綾袮達は今、その猫達と戯れていた。

 

「ほーれほーれ、猫ちゃん頑張るにゃ〜」

 

 語尾ににゃを付け、明らかに楽しんでいる綾袮は今、猫じゃらしを使って猫と遊び中。左右に振ったり高く上げたりして巧みに掴もうとしてくる猫を躱し、ノリノリで猫と遊んでいる。…言うまでもなく可愛い。にゃーにゃー言ったり、ちょっと猫をからかってる感じに時々悪戯っぽい笑みを浮かべるのがとても可愛い。

 その綾袮と対照的なのが、ぎゅっと猫を抱いたラフィーネ。ある時波長が合ったかのように一匹の黒猫が近付いてきて、やはり波長が合うのか抱き上げられてもその猫は静かていて、ラフィーネは猫の抱き心地を堪能している。…こっちも可愛い。ラフィーネはちょっと猫っぽいところあるし、猫とのツーショットでダブルに可愛い。

 そんな二人とは逆に、フォリンは受動的。…と、いうよりいつしか猫の方から積極的に群がってきていて、フォリンは全部の猫に対応し切れていない。さっきから脚やお腹、脇腹なんかを猫にテシテシされていて……これがまた可愛い。翻弄されちゃってるのも良いし、困った声を出しつつも嬉しそうなのがやっぱり可愛い。

 

(……なんか俺、今日は可愛いってばっかり思ってんな…)

 

 そこでふと、同じ事ばっかり考えている事に気付いた俺は軽く自嘲。けど実際、可愛いんだから仕方ない。それに表現としては同じ「可愛い」でも、毎回その可愛さは違っていて……って、落ち着け落ち着け。俺は一体何を考えているんだ…。

 

「……うん?」

 

 自分の変な思考を振り払うように頭を軽く振っていると、近付いてきたのは一匹の白猫。俺がその白猫を見ると、猫の方も丸い目で俺を見つめ返してきて…何気なく俺は、右手を差し出してみた。すると猫は、みゃ〜と小さく泣いてから、差し出した俺の指を舐めてきて……うーむ、綾袮達へさっきから可愛い可愛いと思っていた俺だが、普通に猫も可愛い。愛らしい。

 

「おー…よしよし。…ん?ここかな?ここが好きなのかな?」

 

 舐め続けている猫の頭を逆の手で撫でると、猫はぶるぶるっと身体を震わせる。けど、気に食わなかったのかと思い、今度は額の辺りを指先で軽くなぞると、今度は心地良さそうに目を細め、額をこちらに向けてくる。

 やっぱりここが好きらしい。猫は気紛れだなんて言うけど、こんな風にもっと撫でてほしそうにする姿は、気紛れどころかむしろ素直。そしてそんな反応をされたら、もっとしてあげようと思わない筈がなく……

 

『……ふふふっ』

「……はっ…!」

 

 うっかり俺は、俺が三人を見ていたように、三人も俺を見てくる可能性を失念していた。俺が気付いた時にはもう遅く…三人は生温かい目で、俺を見ていた。

 

「い、いやっ、これはその…ね、猫カフェだし…!猫カフェで猫と戯れるのは、至って普通の行為だし…!」

「…顕人、わたし達は見ていただけ」

「そうだよー顕人君。急に慌てちゃってどうかしたのー?」

「ぐっ…な、何でもないよ…何でも……」

 

 思わず言い訳しようとした俺だったけど、それは悪手。乗り切るどころか逆にドツボに嵌まってしまい、余計恥ずかしくなる羽目に。しかも何が辛いって、この場合俺が自爆しただけだから、怒る事も出来やしない…。

 

「…ま、それはともかく顕人君が猫カフェって言った時は驚いたけど、実際来てみたら大当たりだったね。はー、癒されるぅぅ……」

「ん、同感。これは定期的に来たくなる」

「確かに猫に囲まれるのは、他の娯楽にはない魅力が…きゃっ、わわ…っ!?だ、だから何故私にはこんなにも猫が…!?」

 

 ただ、幸い(?)なのは三人にそこまで追求弄りをする気がなかった事で、すぐにまた三人の興味は猫の方へ。今度は綾袮がさっきのラフィーネの様に猫の一匹を抱っこし抱き締め、ラフィーネは近くで丸くなっている猫の頭や背中をのんびりと撫で、何故か俺達の中でも断トツで猫に人気なフォリンは猫に飛びかかられて目を白黒。俺がさっきまで撫でていた白猫も、「なーぅ」と鳴きながらまた俺の方を見ていて…さっきの赤っ恥を「まぁいいや」と思える程、癒される空間がここにはあった。

 

 

 

 

 心が洗われるようだった猫カフェでの時間を満喫し終えた俺達は、今現在街中を歩いている真っ最中。

 ここまでは基本、行く場所を俺がある程度決めていたり、決めていないにしてもどうするかの話を主導していたりして、一応は俺がリードを…リード?…ま、まあとにかく、誘った側らしい事をしてきた…と思う。

 でも、決めていた通りに進めるだけっていうのもどうなんだろう。そう思って俺はその旨を伝え、けど三人もすぐに「これをしたい」っていうのは出せなかった事で、取り敢えず今は歩いている。

 

「…こうやって、四人で街の中を歩く事も久し振りな気がするよね」

「言われてみると、そうですね。最近してなかった、というかする場面がそもそも少なかった、って事だと思いますが…」

 

 まぁ、そりゃそうだよなぁ…とフォリンの返しに俺は頷く。同じ家で毎日会っていたんだから、何か特別な理由でもない限りわざわざ全員で街に出る事なんてないし、日常な買い物で四人も必要になる程多くの物を買ったりもしないから、ほんと四人で出掛ける…って事自体がこれまでもあまりなかった。

 

「って、いうか…それを言い出したら、何かのついでとか帰りとかで街を歩く事はあっても、人数関係なく最初からこういう感じに街を歩いたりする事自体、あんまりなくなかった?」

「それもそうか…まあほら、出掛けなくても同じ家にいる相手と、わざわざ外に出る理由って?…って話になるし…」

 

 身も蓋もない話だけどなぁ…と思いつつ言った俺だけど、それを聞いた皆は「あー」という表情をしていて、割と納得してくれた様子。…うん、そうだ。こうしてわざわざ、出掛ける事自体を目的にするとなったら…それこそ、デート位しかないと思う。

 

「…ところで、何か思い付いた?それともいっそ、ウィンドウショッピング……あ」

『……?』

「あ、いや…昼食の時の話じゃないけど、ウィンドウショッピングって和製英語…日本で勝手に作られた言葉なんじゃないかと思ってさ」

「それなら大丈夫。その言葉は、普通にある」

 

 ウィンドウショッピング…そのまま訳したら「窓の買い物」になりそうだし、これは所謂和製英語なんじゃ…と思った俺だけど、なんと普通にあるらしい。…言語って、奥が深いなぁ…。

 

「ふむ…えぇ、いいと思いますよ。明確な目的は決めず、のんびり歩くのも素敵だと思いますから」

「まあ、わたし達だとそれぞれ興味の引かれるものが結構違って、暇になる時間が多くなったりする可能性も……」

「…綾袮?」

「…ね、ラフィーネ、フォリン」

 

 それはともかく、フォリンはいいと言ってくれた。一方綾袮は、ウィンドウショッピングにした場合に起こり得る事を口にし……ている最中、不意に止まる。いきなり止まって、なんだ?…と俺が話しかけると、二人を読んで内緒話に。

 

「…えっと、あのー…皆さーん…?」

 

 目を盗んでこっそりと…とかじゃない、がっつりした内緒話。突然蚊帳の外にされた俺は呼びかけるも、全然反応が返ってこない。

 で、その状態が続く事数十秒。バレて白い目で見られるのも嫌だなぁ、と思って俺が聞き耳も立てずに待っていると、三人はくるりと振り向き…言う。

 

「顕人君。あそこの自販機で飲み物とか買ってていいから、ちょっとここで待っててくれるかな?」

「へ?ま、待っててって何故……あ、ちょっ…!」

 

 伝えるべき事は伝えた、とばかりに立ち去ってしまう三人。俺は完全に置いてけぼり状態で、心の中に吹くのは木枯らし。

 

(待って、どゆ事…?これ、一応デートだよね…?三人も、取り敢えずそういう体でここまで付き合ってくれてたんだよね……?)

 

 誘いを拒否されても仕方ない、とは思っていたけど、こんな途中で、いきなり置いてかれるのは想定外も想定外。これがまた地味にショックで、俺は飲み物を買いに行く事も出来ず…というか、喉乾いてなかったからそれで時間を潰す事も出来ず、ただただその場に立ち竦むばかり。

 これは俺が悪かったのだろうか。悪いとしたら、それはどこなのだろうか。ぽつんと待つ中、俺はそんな事ばかりを考えていて……そうして体感数十分(実際どうなのかは不明)もの間放置された末、漸く三人が戻ってくる。

 

「お待たせー、顕人君。…あれ…なんか、顕人君の場所が全然変わってないような……」

「あぁ、うん…ただただここで待ってたからね……」

「えぇぇ…?数十秒程度で私達が戻ってきたならともかく、今までずっとですか……?」

「いや、だって…ねぇ……」

 

 なんでそんな事を…とばかりの目で見られる俺だけど、こっちからしたら全く訳が分からないまま置いていかれたんだから、のんびり気楽に待てる訳がないでしょうが…って話。でも恐らくは出ているのであろう、俺の哀愁を全く三人が気付いていないようだったので、三人に文句を言うのは止めた。…別に、喧嘩したい訳でもないしね。

 

「…で、三人は一体何をしに行ったの…?」

「それは秘密」

「え、何故に…?某一つの言葉しか言っちゃいけなちコーナー的な返しだった事も含め、何故に…?」

「まあまあ、ここは秘密で納得してよ顕人君。後でちゃんと教えてあげるからさ」

「今じゃ駄目なの?」

「今より後の方が良いんです」

 

 いきなり放置された挙句、理由もすぐには教えてもらえないらしい。…なんかほんとに酷い事されてる気がしてきたけど、どうも三人の雰囲気からして、ただの意地悪や悪意によるものじゃないように思える。

 勿論、実際のところはどうか分からない。でも…そう感じられたんだから、今はそれを信じよう。俺はそれを、信じたい。

 

「…なら、後でちゃんと教えてよ?」

『はーい』

 

 やっぱり何かプラスの気持ちがありそうな三人を見て、俺は軽く肩を竦める。ほんと、何をしてきたんだろうか。

 そして、その後俺達はウィンドウショッピングを行った。ウィンドウショッピングというか、四人で散歩しつつ、気になるものがあったらちょっと見る…という程度だったけど、これはこれで楽しかった。楽しかったし…三人が楽しんでくれてたなら、行動としてはあまり中身のない時間だったとしても、俺は良い時間だったと思える。

 

 

 

 

 訳が分からないまま置いてかれた後の、散歩の様なデート。そこでは一応は本来の目的であるウィンドウショッピングっぽい事もしたけど、それ以外にも入った事のない路地を覗いてみたり、駅の前でやっていたちょっとしたライブを少しの間眺めたり、休憩も兼ねてカップの中にソフトクリームとたい焼きの入ったスイーツを買って食べたりと、色々な場所を回ってみた。その後も、デート…っぽいかどうかはともかく、皆で楽しいと思える時間を過ごした。

 充実していた。本当に可愛くて、個性的で、しかも俺の事を悪しからず思ってくれてる三人とデートが出来て、本当に本当に楽しかった。…だけど、時間は永遠じゃない。少しずつでも、時間は過ぎていって……気付けばもう、夕暮れだった。

 

「わー…!…なんていうか、じーんとくる光景だね…」

「ん、分かる。何か、引き込まれる」

 

 最後に訪れたのは、街外れの高台。観光スポット…って程じゃないのであろう、けどその高さもあって、見晴らしはまあまあ良いような場所。その場所から見える光景は、沈みつつある夕陽でほんのりと紅くなっていて……俺も思う。これには、心が引き付けられる、って。

 

「夕暮れに染まる街は、普段から見ているものなのに…場所が変わるだけで、印象も大きく変わるものですね…」

「場所もだけど、改めて…というか、見ようとして見てるかどうかもあるんだろうね。普段見てるって言っても、それは見てるというより、視界に映ってるだけ…って感じでしょ?」

「あー、それってあるよね。普段は何気なく見てたり、普通に話してたりしたものが、心の状態一つで大きく違って見えたり、逆に特別だって思ってたものが、何かを知った事で、急に冷めちゃったり…あるでしょ?そういう事」

 

 俺の言葉に頷く綾袮だったけど、最後は逆に訊いてくる。同意から、逆質問に内容が変わる。

 街と同じように、夕陽に照らされている綾袮の顔。夕日に照らされ、逆側は影になっているからか、綾袮の顔は普段よりも大人びて見えて…でも、すぐに気付く。すぐに感じる。そう思えたのは、何も夕陽のせいだけじゃないと。

 

「…ね、顕人君。今日一日、どうだった?」

「え?…それ、立場的に俺の台詞……」

「あ、それもそっか。ごめんごめん」

 

 このデートは、俺が誘ったもの。多様性が尊重される今の時代にはそぐわないのかもしれないけど、感覚としても、こういう質問は男からするもの…のような気がする。だからそれをさらっと言われた俺がぽかんとすると、綾袮は苦笑いし…改めて、視線で俺に訊いてくる。今の問いへ対する答えを。

 

「…そりゃ、楽しかったさ。最高に楽しかった。俺は今幸せだって、そう言い切れる位…楽しいデートだった」

「そっか、それなら良かったよ。それならわたし達も、一安心だもんね」

「…じゃあ、綾袮達は?三人は、どうだった?」

 

 その問いへ、俺は答える。隠す理由も、必要もないから、楽しかったと正直に伝える。すると三人は、ほっとしたような顔をしていて…そりゃそうだよなと、俺も思った。誘われた側だって、相手がどう思ってるかは気になるに決まってる。

 でもそれだけじゃ、皆の心は分からない。だから俺も、三人に訊く。三人の顔を見回すようにして訊くと、三人は一度目を見合わせて…言う。

 

「そんなの…わたし達だって、楽しかったに決まってるじゃん」

「正直、ただのお出掛けとどう違うのかは分からない。でも…楽しかった。凄く、凄く、楽しかった」

「三人同時に誘われた時は、唖然としましたけど…今なら言えます。来て、良かった…って」

 

 返ってきたのは、言葉と笑顔。楽しかった、良かったって言葉と、優しい笑み。……ほっとした。まずはほっとして…それから嬉しかった。さっきの時点で、俺の心は充足してたけど…今は、それ以上に満たされている。

 

「…ありがとう、三人共。俺の願いに、応えてくれて」

「違いますよ、顕人さん。私達は、顕人さんに応える為に来たんじゃなくて…私達が会いたかったから、来たんです」

「…綾袮、そろそろ」

「うん、そうだね。顕人君、手を出してくれるかな?」

 

 伝えたい、伝えなくては…そう思って発した感謝の言葉は、フォリンがゆっくりと首を横に振って、柔らかな表情を浮かべて、そうじゃないと否定する。

 それからラフィーネの言葉を受けて、俺の前へと出てくる綾袮。なんだろうか、そう思って俺が手を差し出すと、綾袮は両手を俺の差し出した右手に重ねて…その手が離れた時、俺の右手に置かれていたのは一つのお守り。

 

「…これ、って……」

「ほら、わたし達が一度別れた場所の近くって、小さい神社があるでしょ?だからそこで買ったんだ。顕人君は…ほんとに、ほんとに危なっかしいから」

「…そ、っか…はは、駄目だなぁ俺は…結局いつも、皆に心配をかけちゃってる…。…でも、うん…ありが……」

 

 思いもしなかった「お守り」という存在に俺は驚き顔を上げると、綾袮は言う。真剣な、でも優しさを感じる顔で、これは危なっかしい俺へのお守りだと。ラフィーネやフォリンも、綾袮と同じ瞳で俺を見ていて…抱いたのは、嬉しさと情けなさ。嬉しいけど、やっぱり俺は心配を…怒りでも恨みでもなく、心配をかけてしまうんだなと、どうしてもそんな情けなさが過ぎる。

 だけどそれはそれ、これはこれ。ちゃんと嬉しく感じた事を伝えようと思い、俺はもう一度、さっきとは違う感謝を伝え……

 

「…え、家内安全…?」

 

……なんか違くね?…と思った。じゃあ何が良いんだ、って言われたら俺もぱっとは出てこないけど、恐らく綾袮達が想像している事に対して、家内安全は些かずれているような気がする。…なんて、何気無く俺はそう思った。思ったし、訊き返すような声音で口にもしていた。…けど…次の綾袮の言葉で、俺は全てを理解する。

 

「家内安全だよ?だって顕人君はわたしの…わたし達の、大切な家族だもん」

「……──っっ!」

「それにこれ、お守りそのものは普通の…いや、お守りを普通とか言うのもアレかもだけど…とにかく神社で売ってたやつそのままじゃなくて、わたし達三人の思いと霊力を込めてるからね。付与出来る素材じゃないから霊力は完全な素通りかもだけど…それでもわたし達の思いは詰まってるお守りなんだから、大切にしなきゃ駄目なんだからね!」

 

 家内安全は違うだろう。…そう思った自分を、俺は殴り付けたくなった。わざとそういう捉え方をした訳じゃないけど……それでも、何を考えてるんだお前はと大声で言ってやりたくなった。

 ちょっと茶目っ気を込めた、綾袮のウィンク。それは夕陽で視界が効き辛くなっている今でも一切霞まない程、強く明るく輝いていて……俺は空を、真上を見上げる。みあげて、ゆっくりと息を吐く。

……涙が、出そうだった。お守りを手で包むと、本当にそこに込められた三人の思いが…俺を家族だと思ってくれてるその思いが伝わってくるようで、込み上げてくる思いの前じゃこんな誤魔化しをするので精一杯だった。

 

(…あぁ、くっそ…恵まれてるよ、本当に恵まれてるんだよ俺は…やっぱり、やっぱり俺は…三人が、皆が…大好きだ……っ!)

 

 心が揺らいでしまいそうだった。いや…揺らいでいた。やっぱり止めようって、俺にはこんなにも幸せな居場所があるんだからって、この三人を悲しませるなんて絶対駄目だって…心の中から、そんな叫び声が響いた。その思いは、その気持ちは、全く間違ってなんかいないって、頭も心も確信していた。……──でも。

 

「…ありがとう、皆。これがあれば、きっと大丈夫な気がするよ。……たとえ誰と、戦う事になったとしても」

 

 俺は、答える。俺を思ってくれる、皆への感謝と…これから先の、俺の意思を。俺はもう、霊源協会の霊装者ではないんだと。

 

「…顕人、君……」

「…朝は、デートだから…って答えなくてごめん。けど…今なら、話すよ。皆の訊きたい事、全部」

 

 曇る綾袮の表情を視界の中に捉えながら、三人に向けて言う。…初めから、三人の問いには答える気だった。でもまずは、三人との時間を過ごしたくて…だから俺は、今言った。

 

「…なら、顕人。顕人は…わたし達の、敵?」

 

 初めに問いてきたのはラフィーネ。それは初めから、核心に迫ろうとするような問いで……それに俺は、答える。

 

「俺の目的は、今の霊装者世界を変える事。その為に力を貸してくれる人、同じ志を持ってくれる人は味方だろうし…そういう意味では、俺の目的の邪魔をする人は敵になるだろうね」

「…顕人。わたしが言いたいのは、そういう事じゃない」

「そっか、ごめんね。…けど…ならラフィーネが言いたいのは、どういう事?」

「決まっている。…その目的に、顕人が目指す場所に、わたしは…わたし達は、必要?」

 

 あぁ…やっぱりそうか、そういう事か。…俺の目をじっと見て答えるラフィーネの言葉は、頭の片隅で俺が思っていた通りのもので…同時に少し、安心した。ラフィーネらしい、一切飾る事なく真っ直ぐな…俺には勿体ない位の、純粋な思いを今も持ってくれていたから。

 これが、頼もしいかどうかという問いなら、勿論肯定する。けど、必要かどうかなら…それがラフィーネが確かめたい事なら……

 

「…俺はラフィーネに、ラフィーネとフォリンには、自分がしたいと思う…そう思える選択をしてほしい。ただ、それだけだよ」

「…訊いた内容と、合ってるようで合ってない…」

「わざとだよ、ラフィーネ。…けど、これが俺の正直な答えだ。正直な、本心だ」

「…なら、良い。それで…それが、良い」

 

 今の答えを、どう受け取ったのか。それは分からないけど…ラフィーネは、こくりと頷いた。いつもと同じ、淡白な表情で…でもその瞳には、はっきりとした思いを灯らせて。

 

「…私も、いいですか?」

「勿論」

「では…顕人さん、貴方の力は…貴方の、ものですか?それとも、ゼリア・レイアードに…BORGに関わる力ですか?」

 

 ラフィーネと入れ替わるように、フォリンが俺の前に来る。じっと見つめて言う。

 

「……同じ夢を、持ってたんだよ。ウェインさんは、俺と」

「ゆ…夢、ですか…?…つまり、世界を変えるというのは……」

「あぁ、そっちじゃないよ。それにそもそも、世界を変えるっていうのは、目的であって夢じゃない。…もっと抽象的で、空想的で、子供っぽい…そういうものなんだよ、俺やウェインさんの抱いている夢は」

 

 物語への、創作の世界への憧れ。きっと普通の人は、それに「架空の話だから」…と折り合いを付け、諦めてしまう思いを、夢としてずっと俺は諦めていなかった。そして、より具体的な方向性は違えど、ウェインさんもそうで…この共通点があったからこそ、今俺は行動出来ている。憧れを語り合える相手であり、恩人でもある…俺にとってウェインさんは、そういう存在と言えるだろう。

 また俺は、訊かれた通りには答えていない。ただでもこれで…伝わっては、いると思う。

 

「…私には、理解が出来ません…顕人さんは、彼等に…ゼリアに一度殺されかけているんですよ…?なのに、どうして……」

「だとしてもそこに、俺の掴みたいものがあった。取り戻したいものがあった。…それ位にさ、俺にとっては大切だったんだよ」

「…分かりません…そんな説明じゃ、分かりませんよ…!顕人さん、貴方の選ぶ道は、貴方の自由です。それを止める権利は、私にはありません…でも、私は…私は……っ!」

「…大丈夫だよ、フォリン。俺はフォリンとの…二人との約束を、交わした言葉を忘れてなんかいない。都合の良い事を、なんて思うかもしれないけど…俺は他の全てを捨てて、諦めて、この道を選んだ…なんてつもりは、微塵もないから」

 

 その言葉と共に、俺はフォリンの頭を撫でる。撫でられたフォリンは、ぴくりと肩を震わせて…けれどそのまま、俺に撫でられる。

 

「…ラフィーネ」

「…ん」

 

 更に俺はラフィーネを手招き。何となく察した様子のラフィーネは、何も言わずにフォリンの隣に来て…逆の手で、俺はラフィーネの事も撫でる。

 色々な理由で忘れがちだけど、俺は二人より年上だ。情けない年上だけど、今も見習える年上らしさなんてないだろうけど…それでも、今位は年上らしい事をしたい。

 

「俺は俺の道を選んだ。この道を進む事に躊躇いはないし、その為になら誰とだって戦う。幾らでも戦う。それに俺は、自分が間違ってても…だなんて思わない。むしろ俺は本気で、俺自身を信じてる。……でもさ、その俺が信じてる俺っていうのは、皆と過ごした時間を含めての俺なんだよ。霊装者に目覚めてから今までの時間で、大きく変わった…のかもしれない俺を、俺は信じてるんだよ。だから…俺は俺を、裏切らない。俺が心から大切だって思ってる二人の事も、二人と交わした言葉も…今の俺の柱となってるものは、絶対に全部裏切らないよ」

 

 今の言葉で、分かってもらえるだろうか。こんな一方的な言葉で、納得してもらえるだろうか。…分からない、分からないけど…建前の言葉や、もっと理解を得られるような言葉を選ぶって事はしなかった。…俺は俺を裏切らないと、俺の道を進む事を躊躇わないと…そう言ったばかりなんだから。

 

「…なら、約束です…絶対に、絶対に…裏切ったりなんて、しないで下さいね……?」

 

 そうして、実際よりも長く感じる時間が経ち…フォリンは言った。きっとそれが、今フォリンが俺に向けてくれてる思いなんだろう。

 心配をかけて、相談もせずに決めて、立ち止まるつもりもない事を示した俺と、それでもまだ「約束」を交わそうとしてくれるフォリン。…ならば、やっぱり俺は裏切っちゃいけない。フォリンを、ラフィーネを……この二人を。

 

「……顕人君」

 

 撫で終え、俺は手を離す。ラフィーネは俺に頷き、俺も頷きを返し…二人は俺の前を空けた。

 そこへ、綾袮が再び歩んでくる。さっきは俺に、お守りを渡してくれた綾袮は…今一度、俺を見つめる。

 俺もまた、綾袮を見つめる。綾袮は何を言うのだろうか。…分からないけど…どんな内容であれ、俺は俺の思いを返す。それが、誠意ってものであり……皆に対し、真っ直ぐ向き合うって事だから。



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第二百二十六話 紡がれた愛──それでも

 少し、話そっか。…そう言って、綾袮は俺を誘った。三人が応えてくれた、三人とのデート…その最後に、綾袮は俺と二人になる事を望んだ。

 元々そうすると知っていたのか、それとも綾袮の心情を察したのか、ラフィーネとフォリンは俺に行くよう言った。理由はどうあれ、俺は今日デートとして三人を誘ったんだから、俺の方から綾袮と二人になり、ラフィーネとフォリンを放置するなんて事は出来ない…なんて思っていたけど、俺に行くように言う二人を見て、俺は考えを改めた。きっと二人は、自分の意思として俺に行くよう言っている。だったらそれに応えない事こそ、二人に失礼ってものだろうと。

 一体どういう理由で、俺を誘うのかは分からない。想像は付くけど、思い付くのは一つじゃないし、どれも確信はない。でも、どんな話、どんな言葉であろうと受け止めよう…そんな思いを胸に抱き、俺は歩き出した綾袮に続く。

 

「今日のデート、ほんとに楽しかったよ。顕人君、THE・草食系…って感じだけど、結構やるじゃん」

「はは、どうも…って、それ褒めてる?」

「褒め半分、茶化し半分ってところかな〜」

 

 手を後ろで組んで、俺より半歩先を歩く綾袮は、いつも通りの調子で話す。俺も、いつものような調子で返す。

 

「…でも、本当に驚いた。富士山でも、手紙の存在を知った時も、その後に電話がかかってきた時も。驚いたし…辛かったんだよ?苦しかったんだよ?…申し訳なくて、不甲斐なくて…凄く、悲しかった」

「…ごめん。何も言わなかった事、相談しなかった事は、俺も悪い事をしたと思ってる」

 

 一度言葉を区切って、次に綾袮が発したのは、さっきよりも落ち着いた…静かな声。申し訳ない、不甲斐ない…俺への悪態ではなく、自責の言葉をふっと紡ぐ。

 その言葉だけでも、綾袮の感じていた気持ちが伝わってくる。夢の為であっても、覚悟を決めての行動でも、俺が綾袮を悲しませたのは事実。だから俺は、ごめんと謝り…綾袮は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「いいの。…あ、勿論良くはないけど…何も言わなかったのは、当然の事だって思うから。だってわたしは、宮空綾袮だもん」

 

 そう言って、綾袮は足を止める。仕方ないよね、というように綾袮は小さく肩を竦めて…そして、振り向く。

 

「ねぇ顕人君。わたしに…霊装者としてのわたしに初めて会った時の事、覚えてる?」

「勿論だよ。あの時の事は、今でも良く覚えてる。…あの時の綾袮は、凄く格好良かった」

「ふふっ、ありがと。…あれから、色々あったよね」

 

 もー、あの時の綾袮「は」じゃなくて、あの時の綾袮「も」でしょ?…普段ならそう言うであろう綾袮も、今は軽く笑うだけで…そうだね、と俺も綾袮からの言葉に頷く。…本当に、色々あった。予想外の事、驚きの出来事も数多くあって…あれからの日々は、毎日が刺激的だった。

 

「今だから言うけど、わたし最初から、顕人君の事は良いな、って思ってたんだよ?変な意味じゃなくて、人間としてね」

「…そうだったんだ」

「うん。真っ直ぐで、ひたむきで、真面目だけどそれ一辺倒って訳じゃない…普段は温和だけど、実は結構根性がある顕人君なら、良い霊装者になれると思ってたし、仲良く出来るとも思ってたんだ」

 

 語られるのは、俺への思い。それは普段なら、照れ臭くなってしまいそうな語りで…でも今は、自然に受け止められた。そう思ってたんだ、そう思ってくれてたんだ…そんな思いの方が、強く心の中を締めていた。そう思えたのは、綾袮が落ち着いた声音だからかもしれないし…俺が綾袮と出会ったばかりの頃を、随分昔の様に感じているからかもしれない。

 

「で、顕人君と一緒に生活をして、霊装者の先生として沢山の事を教えて、色んな事を一緒にやって……間違ってなかったなぁ、って思ったの。初めに抱いた印象の通り、真っ直ぐで熱意もあるのが顕人君なんだって、ね」

「…そこまで、真っ直ぐに見えてた?」

「うん。それは勿論、正直とか真面目とか、そういう意味でもあるけど…自分の気持ちに、向かいたいと思う先に、誤魔化しなんかせず本気で向き合って進む姿…それをわたしは、顕人君から感じたんだよ。…今だって、そうなんでしょ?」

 

 その問いかけに、俺は頷いた。確かに俺は、これまでそうしてきたし、今もそうしている。そういう自分で在りたいと思っている。そしてそれを、俺の在り方を、綾袮は前から見抜いていたって事で…流石だなぁと、思う。

 

「…でも、それだけじゃないんだよね。結構細かい性格してたり、慌てるとなんか変なキャラになったり、偶にだけど『あー、顕人君も男の子だなぁ…』って思うような事してたり、わたしは顕人君の凄いところも変なところも、良いところも悪いところも、一杯一杯知ったし見てきた。人としても、霊装者としても…わたしは君を、顕人君を知っていったんだよ」

「…俺もだよ。俺だって、綾袮の事は沢山知った。明るくて、気さくで、でも良い加減で…なのに凄く頼りになる、信頼出来る、心から敬意を持てる相手だと知ったし…それは今でも、思ってる」

「えへへ…面と向かって言われると、やっぱり恥ずかしいね。…顕人君。わたしははさ、自分を結構高めに評価してるんだ。勿論苦手な事、出来ない事も普通にあるけど、それは別に出来なくても困らないとか、別の事で補えるとかが殆どだったから、今の自分に満足してた。今のまま、今の方向性で自分を伸ばせれば、それで十分だろう…ってね」

 

 沢山知ったのは、綾袮だけじゃない。綾袮が俺と過ごしてきた時間の分、俺も綾袮と過ごしてきた訳で…俺も綾袮の事を、沢山知った。知る毎に感心して、呆れて…より深く知っていった。

 知る事は、繋がる事は、一方的な関係じゃない。そう、お互いに思っていて…綾袮は、続ける。

 

「だけど、顕人君の事を知っていって、沢山の時間を一緒にいる内に、それが少し変わったんだ。顕人君にわたしの居場所を取って代わられる…なんて微塵も思わないのに、顕人君を見てるともっと頑張ろうって、これまではやってなこったこういう事もしてみたいって、それを顕人君に見てほしいって…そう思うようにも、なっていったの。…大きくなって、いったんだよ。わたしの心の中で、顕人君の存在が」

 

 そう言って、綾袮は胸の前で右手を握る。今そこにある思いを感じるように、確かめるように。

 

「…だから、なんだろうね。わたしは顕人君の事を信頼してて、期待もしてて、顕人君の思いには応えてあげたくて…でもその結果が、その思いを優先した結果が、顕人君から力を奪っちゃった。霊装者としての道を、失わせちゃった」

「…綾袮、その事は……」

「うん、分かってる。全部が全部、わたしの責任って訳じゃないよ。わたしにはどうしようもなかった部分だってある。でもやっぱり…一因は、わたしなんだよ。わたしの選択次第で、変わってたかもしれないのは事実なんだよ」

「…………」

「…怖かった…顕人君が悲しむのも、元気じゃなくはっちゃうのも…輝いて見えた顕人君の在り方が曇るのも、顕人君に拒絶されるのも…全部全部、怖くて怖くて…心の中が、痛かった。わたしの中で、顕人君の存在が大きくなってなかったら、そこまで辛くはならなかっただろうし…でも、でもやっぱり…なら、大きくならなければ良かったのに…とは、思えないんだよね……」

 

 綾袮は笑う。口を挟まず、静かに聞く俺に向けて、自分に困ったような笑みで。困ったような笑みなのに、同時にどこか嬉しそうでもあって…本心なんだなと、俺は感じる。…綾袮はずっとずっと、本心で話している。

 

「…今なら、分かるよ。顕人君が元気を取り戻したのって、霊装者の力を…望む自分を、取り戻せたからだよね。心の整理がついたとか、新しい何かを見つけられたとかじゃなくて…やっぱり顕人君にとって一番大切なのは、霊装者である事、霊装者の道を歩む事…なんだよね…」

「…それは……」

「…ねぇ、顕人君。わたし…どこで、間違えちゃったのかな…。やっぱりあの時、止めるのが正しかったのかな…それとももっと、全部話して、顕人君にもこっち側になってもらえば良かったのかな…。こんな辛くなる程、仲良くならなければ…もっともっと、信頼されるわたしになっていれば…今とは違う考えが顕人君の中心になる位、わたしが顕人君の特別になっていれば…あの時無理にでも追いかけて、そのまま顕人君の味方になっちゃえば……何か、変わっていたのかな……」

 

 否定は、出来ない。俺にとって、霊装者である事…憧れ続けていた非日常の存在である事は、何よりも重要で妥協の出来ない事だから。でもだからと言って、向けられた気遣いや、非日常とは関係のない、皆との日常に感謝や尊さを感じていたのもまた事実で…けれど俺が返しの言葉をいうよりも早く、綾袮は一人言葉を紡ぐ。

 それは、取り留めのない思いの羅列。理路整然とした文章ではなく、心の中で渦巻く思いが…後悔がそのまま漏れ出るような、そんな言葉が綾袮の口から発せられ…気付けば綾袮の顔からは、いつもの元気も明るさもなくなっていた。咲いた向日葵の様な、華やかで可愛らしいいつもの笑顔とはかけ離れた…強く揺さ振れば折れてしまいそうな、強くも何ともないただの女の子の、心が深く沈んだ顔がそこにはあった。

…嫌だ。これはやっぱり、嫌だ。俺は綾袮に…こんな顔を、させたくない。

 

「…間違ってなんか、いないよ。勿論、綾袮の選択次第では、俺は力を失わずに済んだのかもしれない。あの時の辛さも、絶望も、諦めたくないのに諦めるしかないんだって現実を突き付けられるやり切れなさも、感じずに済んだのかもしれない。…俺は綾袮を一度も恨まなかった。そんな事を言ったら…それは、嘘になる」

「……っ…」

「…けど、さ…それでも、選んだ先にあるのが今なんだよ。これまで綾袮が選んで、進んできた道の中にあるのが、綾袮の…俺達の時間なんだよ。一緒に過ごした楽しい時間も、一緒に乗り越えた経験も、一緒に悩んだり考えた事も…全部全部、俺にとっては大切な思い出なんだよ。替えなんて効かない、効かせない、皆と俺との最高の思い出だ。だから、間違ってなんかいない。俺は綾袮といられて、皆との日々を紡げて……本当に、幸せなんだから」

「…だったら…だったら、戻ってきてよ…ッ!いなくなったり…しないでよぉぉ…っ!」

 

 最高の選択、最善の判断…それが出来ていたかどうかなんて、分かりはしない。何を以って正解とするのか。そんなのは、分かる訳がない。でも…楽しかった事、嬉しかった事、日々が輝いていた事…それは紛れもない事実で、確かに俺が感じてる真実で…だから、間違ってなんかいないんだ。間違いなく俺は、幸せだったんだ。…そう、俺は伝える。綾袮の肩に手を置いて、一度も目を逸らす事なく思いを伝え、そして……零れたのは、綾袮の涙。

 

「分かってる、分かってるよ…!顕人君の人生は、選ぶ道は、顕人君のものだって…!それを、こんな理由で止めようとするのは間違ってるって…!だけどっ、嫌なのっ!顕人君との時間が、顕人君との毎日が終わっちゃうなんて、顕人君がいなくなっちゃうなんてっ、わたしは嫌なのっ!ねぇ、帰ろうよ…帰ろうよ、顕人君…っ!」

「……ごめん。でも…それは、出来ない」

「どうして!?やった事の問題なら、わたしが何とかする!なんだってする!それでも無理なら…その時は、わたしが顕人君と……」

「それは、駄目だよ。それは、しちゃいけない。綾袮は、自分の為に家族を、友達を…周りを悲しませる事なんて、絶対しないでしょ?自分自身が、それを許せないでしょ?」

「……っ…!」

 

 堰を切ったように、次々と綾袮の口から流れ出る言葉。感情そのものの言葉は、俺と一緒にいたいと言ってくれるその思いは、俺の心の中で深く響き……俺は止める。綾袮が言おうとした、その言葉の続きを。

 はっきりと、その先の言葉が分かった訳じゃない。けど…多分綾袮が言おうとしたのは、俺の為に今の自分を、霊装者の宮空綾袮を捨てるという事。そこまで俺を思ってくれているというのなら、嬉しいけれど…それはしちゃいけない。間違いなく、いつか綾袮が後悔する選択をさせる訳にはいかなかったから…俺は止めた。止めて、否定した。俺は綾袮からすれば、信じられないような選択をしておいて、綾袮の選択は早速止めようだなんて、虫のいい話かもしれないけど、それでも止めなきゃいけないと思った。

 

「ありがとう、綾袮。…でも、そうじゃないんだ。俺には、やりたい事がある。果たしたいものが、辿り着きたい未来があるんだ。そしてそれは、協会じゃ…今までの俺じゃ、きっと届かない…もう届かなくなっていた事だから。だから、俺は帰れないし…止まる気も、ない」

「…分からないよ…そんなに、大事な事なの…?顕人君の夢は、憧れは、そんなにも輝いていて…そんなにも、遠いものなの…?そこに届く為に、顕人君は……」

「…うん。これはもう、漠然とした夢じゃない。絶対に届かせるって、行き着くって決めた、俺の未来なんだ。俺は今度こそ失わない。必ず憧れた自分になってみせる。その為に、俺の持てるもの、全てを──」

 

 全てを懸ける。俺の胸にあるもの、培ってきたもの、俺を支えてくれる柱…全てを力に変えて、進み続ける。…そう、言おうとした。包み隠さず、最後まで綾袮に話そうとした。けれど、言えなかった。言おうとした瞬間、涙に濡れた綾袮の顔がふっと近付いて、華奢な綾袮の身体が密着して……唇を、塞がれた事で。

……気付いた時にはもう、唇が重なっていた。綾袮は少しだけ背伸びをして、俺の背に手を回して…俺の唇へ、自らの唇を重ねていた。

 

「…ん、ぅ…ふぅ、んっ……」

 

 柔らかく、温かな綾袮の唇。鼻腔から漏れる空気が肌に触れ、繋がった口では互いの唾液が混ざり合い…思考が熱く、熱く蕩けそうになる。言葉にならない感覚が全身に広がって、距離なんて関係無しに綾袮の事しか見えなくなる。

 聞こえる吐息に引き寄せられるように、舌を絡める。甘く思える唾液を感じながら、深く熱く綾袮と繋がる。気付けば俺も、綾袮の事を抱き締めていて……一瞬の様にも、永遠の様にも思える時間がそこにはあった。

 

「……んっ、く…ぷは、ぁ…」

「…綾、袮……」

 

 けれどそれは、本当の永遠じゃない。綾袮の唇が離れ、感じていた熱が消えた事で、俺の意識は名残惜しさと共に現実へと戻される。

 

「…この気持ちは、前からあった。あったけどもやもやしてて、霧がかかったみたいに自分でもこれがなんて気持ちなのかよく分からなくて…でも、分かった。やっと分かった。顕人君…わたしは、顕人君の事が好き。大好き。わたしは顕人君に、どこにも行ってほしくない。側に、いてほしい。だって、顕人君の事が…好きだから」

 

 離れても尚、潤んだままの瞳。元から可愛かった綾袮は今、これまでよりも…今までで一番可愛く、そして綺麗に見えて、腕にもまだ綾袮の華奢な身体の感覚が…柔らかさと温かさが残っていて……そんな中で告げられる、綾袮からの「好き」という言葉。ほんのり赤く染まった頬で、まだ潤んだままの瞳で…それでも真っ直ぐに俺を、俺だけを見つめて伝える、想いの告白。

 どういう意味で?…とか、友達として?…とか、そんな返しをしようとは思わなかった。幾ら俺でも、分かる。それが、異性に向けた…恋愛という想いの籠った、告白だって事位は。

 

(…ああ…本当に、本当に、本当に……俺は人との繋がりに、恵まれているんだな……)

 

 家族、友達、仲間…俺には色んな縁が、繋がりがあって、そのどれもが俺に力や勇気をくれている。自分で言うとあれな気もするが…この繋がりは、俺にとっての大きな武器と言えるのかもしれない。

 そして、その中の一つ…綾袮との繋がりの中で紡がれた、綾袮との間にある想い。それはきっと、あの日ラフィーネとフォリンから示された、あの時の想いと同じで……こんなにも強く、優しく、可愛らしい女の子に、女の子達に好いてもらえる事は、幸せ以外の何物でもない。

 何の不満が、あるというのだ。家に帰れば、綾袮がいて、ラフィーネがいて、フォリンがいて、三人は笑ったり、ちょっとからかってきたり、俺が作った料理を美味しいと言ったり、でも時には真面目な話をして、だけどやっぱり普段は一緒にゲームをしたり、他愛のない雑談をしたり、偶にお互いドキドキするような事もあったりして……そんな時間が、そんな幸せが、もう俺にはあったんだ。物足りない、なんて事はないんだ。…でも…だけど……

 

「ごめん…ごめんね、綾袮…それでも俺は…俺の居場所に、帰る事は出来ない。綾袮も、ラフィーネも、フォリンも…皆みんな、大好きだけど……俺はなりたいんだ。俺が夢見た…ずっとずっと憧れてた、理想の自分に。俺は生きたいんだ。一度も諦めなかった、追うのを止めなかった、理想の世界で」

 

──気付けば俺も、一筋の涙を零していた。…後悔を、しているのか?やっぱり帰りたいと、思っているのか?……いいや、違う。これが、この思いが、俺の本心だ。全てを懸けて、俺は俺の中にある理想を貫く…その気持ちに、偽りはないんだ。

 けど、離れるのは事実だから。俺は捨てたなんて思ってないけど…今ある、今あった幸せとは違う道を進む事もまた、事実だから。それは、綾袮の…皆の想いに背を向けるって事でもあるから。だから…辛いんだ。自分で選んで、自分で悲しませて、なのにそれに対して心を痛める…そんな、身勝手な心の涙だ。けれどそれも俺だから、全部の思いを引っ括めて御道顕人だから…俺は隠さず、涙を流したままで、言い切った。

 

「……変わら、ないの…?顕人君の、気持ちは…どうしても、絶対に……」

「変わらないよ。半端な気持ちでいたのなら、あそこまでの事はしないし…今ここで止めたら、諦めたら、それはもう俺じゃない。俺は俺を、貫きたいんだ」

 

 縋るような、手の中から滑り落ちていくものを必死に掴もうとしているような、綾袮の言葉。それにもはっきりと、俺は返す。曖昧な言い方はしない。俺に迷いなんかないし…曖昧な表現、その場凌ぎの言葉なんか使っても、綾袮を悲しませるだけだから。

 納得は、してもらえるだろうか。全部勝手に決めて、一方的に話しているだけだから、納得してもらえなくても仕方ない。それは分かっていて…分かっているのに、納得してほしいと思うのは……やっぱりそれだけ、俺にとっても綾袮は大きく大切な存在だって事だと思う。

 

「…そ、う…だよね…うん、知ってる…分かってた……顕人君は、こうだって決めたらそれがどんなに面倒な事でも、大変な事でも…絶対にやり通すって、そういう覚悟を決められる人だもん…そういう姿を、わたしは見てきたもん……」

「…それに綾袮が関わってたり、その為に綾袮に力を貸してもらったりしてきたもんね」

「だから…そう、これで…これで、良いんだよ…。だって、顕人君らしい答えだもん…わたしが好きになったのは、そういう顕人君だもん…。顕人君の思いをちゃんと聞けて、わたしも気持ちを伝えられて、顕人君はやっぱり顕人君だって分かったんだから、それで…それで……」

 

 綾袮は言う。震えた声で、どこか独り言を言うように、自分で自分に言い聞かせるように。そうして綾袮はこれで良かったと、これで良いんだと言って……

 

「…でも、やっぱり…やっぱり、辛いよぉ…!やだよ、やだよぉぉ……っ!」

 

 だけど、再び綾袮は涙を流す。必死に、懸命に耐えようとして、それでも溢れてしまった涙を零すように。

 さっきの涙が、心の決壊によるものだとしたら、今のはきっと染み出した涙。激しさはなくとも、一度そうなってしまったら、止まらない涙。そして、どっちも…どっちの涙も、俺が流させたんだ。俺が泣かせたんだ。綾袮の言葉に、願いに応じる事が出来ない以上、俺は綾袮を笑顔にする事は出来ず…ただ、受け止めるしかない。涙も、言葉も、思いも全部。

 

「…綾袮、ごめん」

「そんな、言葉じゃない…!わたしが欲しいのは、わたしが望んでいるのは、そういう事じゃないもん…!」

「…………」

「…離さ、ないよ…今離したら、離れたら、ずっと後悔し続けるかもしれないから…わたしは、物分かりが良くなんかないから……」

 

 背に回されたままだった両腕を強く締めて、顔を俺の胸板に埋める。言葉で、その手で、離さないという意思を示す。

 多分、綾袮自身が分かっているんだろう。これは、ただの我が儘だって。協会の人間として、組織の為に…じゃなく、綾袮の中にある正義に準じる訳でもなく、純粋に個人の思いで俺を止めようとしているんたから。…でも、だからこそ離さないようにするこの手は、思いは、強い。一切の回り道がない、真っ直ぐそのままな思いは、きっと組織の為…っていう理由よりもずっと折れない。

 それに…俺は、説得しよう、分かってもらおうとも思っていない。相談せずに決めた、俺の勝手で選んだ道について、理解してもらえれば嬉しいと思うけど…納得を得よう、納得してもらおうなんて思うのは違う。だから、俺は…俺も、綾袮を強く抱き締める。

 

「本当に…ごめん、綾袮」

「だから、わたしはそんな事……」

 

 両腕で綾袮を抱き締めると共に、今一度俺は謝る。それに綾袮は、少し不満げな声で言葉を返し……そして、途切れる。言葉を途切れさせ、俺の顔を見上げ…目を、見開く。…そう。今の俺の言葉は、ごめんは……そういう、事じゃない。

 

「…な、にを……?」

「綾袮。俺は綾袮が…綾袮も、ラフィーネも、フォリンも皆、大好きだ。俺にとって、かけがえのない存在だ。だから、いつか…いつかまた……」

「……っ、ぅ…」

 

 茫然とした目で俺を見る綾袮を、真っ直ぐと見つめ返す。ここで綾袮以外の名前を出すのは、女の子からすれば嫌なのかもしれない。好きだと言ってくれた綾袮に向けて、綾袮以外の事も好きだという…これを不誠実だと思う人もいるんだろう。…でもこれが、俺の気持ちだ。俺の本心だ。全員かけがえのない存在だと思っているのが、俺の心で…それを偽る方が、よっぽど不誠実だと俺は思う。

 そんな思いを伝える俺の言葉は、綾袮には届いていないのかもしれない。けど、仕方のない事だ。今し方俺は、綾袮に睡眠剤を使ったんだから。ウェインさんにわざわざ用意してもらった、万が一に備えた睡眠剤。自分でその内の一本を使って効果を確かめたそれを、俺は綾袮に投与した。…本当に綾袮は、本気で離さないつもりなんだと分かってたから。

 

「…顕、人…君…わたし、は…それ、でも…わた、し…は……」

 

 効果が現れ、急速に綾袮の意識を奪っていく薬剤。綾袮は意識を繋ぎ止めようとするみたいに、背に回した手で俺の服を強く掴み…けれどその手から、全身から、糸が切れたように力が抜ける。

 その綾袮が倒れ込まないよう俺は支え、それからお姫様抱っこをし、近くのベンチへ。片膝を突き、ゆっくりと綾袮をそこへ寝かせて、少しだけその髪を撫で……立ち上がるのとほぼ同時に、俺は半円状に包囲された。包囲されていた。

 

「…綾袮様に何をした」

「彼女は、眠っているだけです。数十分か数時間もすれば起きる筈です」

「それを、素直に信じるとでも?」

 

 振り向けば、そこにいたのは霊装者達。全員、俺に銃口を向けている。

 こうなる事は、予想出来ていた。どこかしらに、今日の事を監視している霊装者がいて、何かあればすぐ姿を現すであろう事は、分かっていた。何せ綾袮は重要人物で、俺は協会を裏切り、その上で綾袮達とコンタクトを取ってきた人間なんだから。

 

「何れにせよ、このままお前を見過ごす訳にはいかない。付いてきてもらおうか」

「…………」

「…抵抗しないのなら、こちらも手荒な事はしない。だが、そうでないのなら……」

 

 投げ掛けられた言葉に対し、無言を返す。けどここで答えないのは、意思表示をしないのは、穏便に済ませる事に繋がらない行動。それを受けた霊装者の一人、恐らく隊長であろう人物は、視線を鋭くさせつつ俺に一歩近付いて…次の瞬間、彼等は気付いた。俺の後ろを取った彼等の、更に後ろを取る、味方ではない霊装者の存在に。

 

『……っ!』

「…俺も今は、ここで事を荒立てる気はありません。ここでの戦いに、意味はない。ましてや、ここで戦えば……」

 

 宙に展開した、赤い光の霊装者部隊。協会の霊装者達は素早く振り向き、睨み合い…俺が、前に出た。戦う気はないと、言葉で示し…ちらりと、綾袮の方を見る。今戦えば、一番危険なのは意識のない綾袮であり…綾袮を傷付ける気はないと、意思を示す。

 

「…いいのかよ。今なら、こっちが優位に動ける可能性も……」

「いいんだ。こんな形で戦ったって、正義も、協会が間違ってる事も示せはしない。それに…今の綾袮を傷付けようとするなら、俺は……」

「…そうだな、訊いてみただけだ」

 

 俺の近くに降り、小声で声をかけてきた味方へ、言葉を返す。今言われた通り、あくまで訊いてみただけらしく、お前がそういうつもりならいい…というように、彼は今の言葉で納得してくれた。

 空気は、緊張したまま。けれど誰も、撃とうとはしない。協会の霊装者は綾袮を守るように並び立ち、こっちの霊装者達も警戒したまま離脱していき…俺も、続く。俺もここから…三人の下から、去っていく。

 

(…今度こそさようなら、綾袮、ラフィーネ、フォリン。今まで…本当に、ありがとう)

 

 最後に俺は、心の中でもう一度だけ三人に向けて言葉を送る。俺に幸せな時間をくれた、三人に向けて。

 そして……これでもう、心残りはない。ならば後は、俺の夢へ、憧れへ、理想へと──突き進むだけだ。



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第二百二十七話 だから後は進むだけ

 人を好きになる事。好きだって思う事。それは誰にだってある、ありふれた事で…でも凄く、難しい事。気持ちを正確に、明確に言葉にする事なんて出来ないし、自分の思いだからって全部分かる訳じゃない。家族に対する好きと、友達に対する好きと、架空の人物に対する好き…何となく区別する事は出来ても、迷わず自信を持って全部の好きを区別出来る人なんて、殆どいないんだろうと思う。

 でも…最近、思うようになった。別に、はっきり区別する必要なんかないのかも、って。だって気持ちを正確に定義する事なんて出来っこないし、無理に区別をしようとしても、それは正確さより「区別する事」自体を優先した、歪な分け方になっちゃうと思うし……何より、好きって気持ちは本物だから。それがどんな形で、どんな性質で、どんな種類かはあやふやでも、好きな気持ちは、そう感じてる心は、確かにここにあるんだから。なら頭でごちゃごちゃ考えるより、そう感じている心のままに、素直な自分でいる方が良い。その方がきっと、その好きの意味を、答えだって理解出来る。

 そう、わたしが思えるようになったのは……多分わたしが、これまでのどの思いとも違う、好きを知ったから。恋を、知ったから。…間違いない。間違いだなんて、誰にも言わせない。この恋は、この想いは……わたしは、顕人君の事を──。

 

 

 

 

「……っ…ぅ…」

 

 目が覚めた時、わたしがいたのは外じゃなかった。天井がある場所だった。

 頭が、まだぼーっとしてる。外にいた気がするけど、間違いなくここは中。天井もあるし、壁もある。じゃあ、外にいたような…っていうのは、気のせい?……分からない。ぼーっとしたままの頭じゃ、そこまで考えられない。

 

「…起きたのね、綾袮」

「…妃乃……」

 

 ここはどこだろう、と思って見回していたら、声をかけられた。声の主は妃乃で、わたしの横に座っていた。…何となく、この部屋には見覚えがある…多分、双統殿の中……?

 

「…わたし、どうしてここで寝てるんだっけ…?」

「覚えてないの?…まぁ、寝たんじゃなくて眠らされたなら仕方ないか……」

「眠ら、された…?」

 

 分からないなら訊いちゃえ、と思って身体を起こしながら訊くと、妃乃はまず訊き返して、それから一人で納得したみたいな言葉を漏らす。

 でも、一人で納得されても困る。訊いてるのはわたしの方なんだから。…眠らされた、って事は、誰かにそうされた…って事だよね…?催眠術をかけられたとか、首筋をトンっ…ってやられたとか、後は薬か何かで……

 

「……──っっ!妃乃っ!顕人君!顕人君はッ!?」

 

 そこまで考えて、わたしは思い出した。蓋が外れて飛び出たみたいに、一気に眠る前していた事を。

 そうだ。わたしは顕人君と、ラフィーネやフォリンと一緒にデートをしていた。色んな場所を回って、遊んだり食事をしたりして、夕暮れまで満喫した。最後には顕人君と二人きりになって、思いを話して、聞いて、ずっとわたしの中にあった…少しずつ紡がれてきた想いも伝えて、わたしは顕人君を離したくないと思って……でも、結末を知らない。それを知る前に、顕人君に眠らされちゃったから、わたしには分からない。

 わたしは妃乃の両肩を掴んで訊く。冷静じゃないのは自分でも分かってるけど…冷静でなんて、いられない。

 

「お、落ち着いて綾袮。それより身体の調子は……」

「それよりじゃないよッ!顕人君は!?それにラフィーネとフォリンは!?近くにいた筈だよね!?わたしが寝てた間に何か──」

「……アヤ」

「……っ…!」

 

 身体の調子なんてどうでも良い。悪くないし、寝てただけなんだから気にするまでもない。そんな思いで、その思いのままに、わたしは妃乃に迫って……けれど次の瞬間、妃乃にアヤって…今はもう滅多に言わない、昔の呼ばれ方をされた事ではっとする。はっとして、気付く。自分が今、自分で思っていた以上に冷静じゃなかった事を。

 

「…まずは、落ち着いて頂戴。調子の方は…まぁ、その様子なら大丈夫みたいね」

「…ごめん、妃乃」

「別に、怒ってはいないわよ。…気持ちは分かるし」

 

 強く掴んでいた妃乃の肩から手を離して、わたしは謝る。普段だったら妃乃は、「全く…」って呆れ混じりの声を出すところだろうけど…今は静かに声を返すだけ。

 

「…じゃあ、最初はラフィーネとフォリンの事から。二人は無事よ。…貴女が気にしているのが、無事かどうか、って事なのかは分からないけど…何かあったって事はないし、双統殿の中にもいるわ」

「そっか…じゃあ、顕人君は……」

「…いないわ。綾袮が眠らされた後、尾行していた部隊が彼を包囲して、でもやっぱり向こう側も伏兵がいたみたいで、結局お互い衝突はしないまま顕人達の方が撤退。こっちも貴女の安全を優先して行動は起こさず…っていうのが事の顛末よ」

 

 二人が無事…っていうか、どうにもなってないなら一安心。二人だってわたしにはもう家族みたいなものなんだから、何事もないのが一番。でも、顕人君は…わたしが何が何でも止めたかった人は、もういなくて……でも、そんな気はしていた。妃乃の声音や表情から、明るい話はないんだろうなって分かっていた。

 

「…でもまさか、顕人が睡眠剤なんて使ってくるとはね…もっと信じられない事をしてるんだから、今更だけど……」

「うん…顕人君は、本気なんだよ…。本気で、あの時言った事を…自分の思いを、果たそうとしてるんだよ…」

 

 行ってほしくない。これまでみたいに、これからも一緒にいてほしい。…そんなわたしの思いは顕人君を止められなかったけど、顕人君の気持ちはよく分かった。本当に…本当に本気でなんだって、伝わってきた。

 普通なら、それは良い事。応援したいって思える事。だけどそれは、わたし達の…協会にとっての敵になるって選択。そして、絶対に折れない位本気だって事は…多分もう、戦うしかないって事。

 

(…もう…そうするしか、ないのかな…強引に、力尽くで…顕人君を、止めるしか……)

 

 そう思うと、胸が苦しくなる。言葉じゃなくて、武器を…傷付ける為の道具を向け合って、分かり合う事じゃなくて強引に相手の思いを捩じ伏せる…それを顕人君とやらなきゃいけないだなんて、本当に嫌。それに…戦いである以上、絶対の安全なんかない。前よりずっと顕人君は強くなっているから、仮にわたしが一対一で戦えたとしても、傷付けずに止められる保証なんてどこにもない。

…分かってる。わたしは宮空綾袮で、立場ある人間で…だから、顕人君の事ばっかり気にする訳にはいかない。顕人君だけを特別視するのは、間違っている。だけど…きっと、無理だ。顕人君の事を考えず、自分の役目に徹するなんて。

 

「…紗希様と深介様も、さっき来ていたわ。心配かけてたんだから、ちゃんと謝りなさいよ?」

「そうだったんだ…うん。教えてくれて、ありがと」

 

 さっきの話も含めてわたしがお礼を言うと、妃乃は頷いて立ち上がる。そうして妃乃は、部屋の扉の所まで行って…立ち止まる。止まって、振り向いて、わたしを見る。

 

「…その、大丈夫…?」

「え……?」

「いや、なんていうか…全然平気とか、そういう状態じゃないのは分かってるわよ…?事が事だから、しゃんとしなさいとか言う気もないし…。…えっと、だから……」

「…心配、かけちゃってごめんね。でも、大丈夫。平気じゃないけど…でもまだ、大丈夫」

 

 妃乃に返したのは、嘘の言葉じゃない。凄く辛いけど、心が苦しいけど…何も分からず、顕人君の思いも聞けず、わたしの気持ちも伝えられず…そんな状態じゃもうないから、その分だけ…ちょっとだけだけど、わたしは『今』を飲み込めてもいた。だから、やっぱり…デートは、無駄じゃなかった。

 

「…そう。でも、辛い時は言いなさいよ?…長い付き合いなんだから」

「分かってるって。…また迷惑かけちゃうかもだけど、わたしもそうならないよう気を付けるけど、もしそうなったら…お願いね?」

 

 勿論、って言ってくれるみたいに妃乃はまた頷いて、今度こそ部屋を出ていった。多分、自分のやる事に戻る前に、医師か誰かを呼んでくれるだろうから、わたしは静かに待つ事にする。

 もう、顕人君はいない。きっとすぐには帰ってこない。でも私には、幼馴染みの妃乃だったり、毎日を一緒に過ごすラフィーネやフォリンだったり、家族だったり仲間だったり、色んな人がいる。顕人君だけがわたしの全てじゃないし、そういう人達がわたしを気にかけてもくれてるんだから…わたしも、しっかりしなきゃ……!

 

 

 

 

 BORG…或いはウェインさんが所有する施設は、日本国内にもある。それは全てがBORG(又はウェインさん)の有する施設だと公になっている訳じゃなくて、外見や情報の面で偽装され、所謂隠れ家の様になっている場所もある。

 そんな施設の内の一つ、山中にある建物の屋上で、俺は立っていた。

 

(本当は、ラフィーネやフォリンにも、もっとちゃんとお別れを伝えたかったんだけどな…)

 

 色々あったけど、正直今思い返すと顔が滅茶苦茶熱くなりそうな事もあったけど、綾袮に対してはちゃんと別れを告げられた。…協会の霊装者にも、こっちの味方にも、少なからずあの場での事は見られていた訳だけど…それはもう、気にしない事にする。気にしていたら、羞恥心で心が持たない。

 けど、最後まで話せた綾袮と違って、二人には別れを言い切れていない…ような気もする。少なくとも綾袮程は話してないし、でもあの状況からじゃ二人のところに戻る訳にもいかないしで、正直それが心残り。…初めは三人が誘いに応じてくれただけで嬉しかったし、これだけでも十分だと思っていたのに…分かっていても、人の欲求というものは絶えない。

 

「…これで、良かったんすか?」

 

 そんな思いを抱く中で、ふと後ろから聞こえた言葉。振り返ればそこには慧瑠がいて…俺の事を、じっと見つめていた。

 

「良かったのか、って…あの場で何もせず、綾袮を連れて行ったりもしなかった事?」

「全部っすよ。今先輩が言った事も、これまでの選択も、これから先輩がしようとしている事も」

 

 あの時俺は戦闘を避けたし、睡眠剤を使った後すぐ味方に来てもらえば、何とか綾袮を誘拐出来たかもしれない。もし出来ていたら、かなりのアドバンテージになっていた事も間違いない。でも俺はそうしなかった訳で、そこに対する指摘かと思ったけど…そうではないと、慧瑠は言う。言って、更に俺の目を見る。俺の思いを、瞳を返して確かめるように。

 

「…これで、良いんだよ。全部が全部、最高の結果を得られてる訳じゃないし、選択だってその場その場での最善は選べてるのかもしれないけど、それだって最善だったと確信を持てる程じゃない。……けど、俺はここまでしてきた事に、後悔はないんだ。もっと上手くやれてたらとか、あれも出来ていたら…とか思う事はあっても、やらなきゃ良かったと思う事は一つもない」

「…迷いも、っすか?」

「迷いもないよ。不安はあっても、迷いはない。…迷いがあったら、俺はここにいないよ。少しでも迷う心があれば…俺はきっと、説得されてるから」

 

 慧瑠の問いに、俺は答える。隠す理由なんて一つもない。慧瑠は綾袮達とはまた違う形で、ずっと俺の側にいてくれた相手なんだから…その慧瑠が確かめたいというのなら、俺は全て正直に話す。そして…きっと俺は、ちょっとでも迷いがあれば、綾袮達を選んでいただろう。…それ程までに、皆の言葉が、思いが俺には刺さったんだから。

 

「…それなら、良かったっす。迷ってるのに、後悔してるのに、もう後戻り出来ない…なんて理由だけで突き進む先輩なんて、見たくなかったですからね」

「俺も、そんな自分にはなりたくないよ。…それと…今日はありがと」

「何がです?」

「気を遣って、ずっと出てこなかったでしょ?」

 

 一応俺の意識や認識も関係してるらしいけど、基本慧瑠は神出鬼没。いきなり現れる事もあれば、いつの間にかいなくなってる事もあるし、多分慧瑠側でもある程度任意に現れたり消えたり出来るんだと思う。

 その慧瑠は、今日…より正確に言えばデートの間、一度も姿を見せる事はなかった。綾袮達といたんだから、この表現はおかしいけど…デートの最中、俺を一人にしてくれた。でも俺は、別にデート中は現れないでくれ…なんて一言も言っていない訳で、ならこれは気遣い以外の何物でもない。

 

「あぁ…これだけの事をしておいて、まさか普通…ではないにしろ、しれっと会いに行くとは思いませんでした。やっぱり先輩って、偶に大胆な事するっすよねぇ」

「うぐ…実際その通りだから、何も言い返せない……」

「…まぁ、先輩が特別な思いでいた事は伝わっていましたからね。自分と違ってお三人は先輩と同じ人間なんです、優先したいって思い位は、自分にだって分かるっすよ」

 

 やれやれと首を横に振る慧瑠と、何も言えずにただただダメージを受ける俺。そんな俺の姿ににやりとした後、少し真面目な声になった慧瑠は、慧瑠の考えていた事を教えてくれた。

 やっぱり、慧瑠は気を遣ってくれていた。それは嬉しい。ありがたい。…でも……

 

「…違うよ、慧瑠。それは、違う」

「違う?自分、なにか勘違いしてました?」

「ああ、大間違いだ。確かに今日、俺は三人との時間を過ごしたいと思った。慧瑠が気を遣ってくれた事も、感謝してる。…けど俺は、三人が同じ人間だから、魔人の慧瑠より優先したい訳じゃない。そもそも俺は、自分の大事な人に、順番なんか付けた覚えはない」

「あ……」

 

 多分、慧瑠に自分を卑下する意識はないんだろう。当然の事として、淡々と考えていたんだろう。…でも、俺は違う。俺はそれを…同じ人間の方が大事だなんて微塵も思っちゃいないし、慧瑠にもそう思ってほしくない。自分の価値を、低く見積もってなんかほしくない。

 

「慧瑠。慧瑠だって、俺にとって大事な相手だ。立場っていうか、在り方っていうか…とにかくそういう部分が違うから、今回のデートに限っては別枠だったってだけで、優先度が低いだなんて事はこれっぽっちもないんだよ。人間とか、魔人とか…大事だって思いには、そんな事関係ないんだ」

「……そう、っすね…えぇ、そうでしたそうでした。自分は、自分が思っている以上に…先輩に、大事に思ってもらえてたんでした」

「そういう事。だから、今みたいな言い方は…出来れば、してほしくないかな」

 

 真正面からじっと見つめて、俺は伝える。今日デートした三人と、慧瑠との間に、差なんてないと。皆大事なんだと。…やっぱり、こういう表現をすると軽薄っぽくなるけど…そんなの知った事じゃない。これが俺の思いなんだから。

 そして、俺の思いを受け取った慧瑠は、少しだけ顔を下げて…それから、そうだったと言ってくれた。ちょっぴり呆れたように、でもどこか嬉しそうに。

 

「…慧瑠こそ、これで良かったの?」

「…どういう事です?」

「俺は慧瑠を縛るつもりはないし、そもそもそんな事が出来るのかどうかも分からない。…別に、付いてこなきゃいけない理由はないって事だよ」

 

 そんな慧瑠に、俺は自然と出てきた笑みを浮かべ…それから、訊く。何か、ついでのようになってしまったけど…こういう話をした今だからこそ、俺からも訊いておこうと思った。

 霊源協会にしろBORGにしろ、慧瑠からすれば変わらないと思う。どちらも慧瑠の存在を知れば討伐しようとするだろうし…どっちの霊装者にも、慧瑠は襲われているんだから。

 だからこそ、今の俺の立場が慧瑠のメリットになるなんて事もないだろうし、どうするのも慧瑠の自由だ。そう思っているから、俺は問い……慧瑠に、呆れられる。

 

「…はぁ…なーに言ってるんっすかねぇ、先輩は。付いてこなきゃいけない理由も何も、今の自分は先輩ありきの存在だって、もうお忘れで?」

「や、それは覚えてるよ?けどそれは別に、一定距離内にいないと存在を保てない…とかじゃないでしょ?」

「それはそうですね。じゃあどれだけ離れても大丈夫かってなると、そこは不明な訳ですが。…けど、自分が言いたいのはそういう事じゃなくて……先輩のいるところが、自分のいるところなんっすよ。そこが、どこであろうとも」

 

 何か不味かっただろうか…と思いつつ、言葉を返す俺。すると慧瑠は、一度はその通りだと頷きつつも、浮かんだ表情は呆れのままで……そして、どうしても分からず俺が見つめる中、慧瑠は俺を見つめ返して、言った。自分は先輩ありきの存在…その言葉に込められた、本当の意味を。

 

「…悪い、慧瑠。訊くまでもない…いや、訊くだけでも失礼な事だったね、これは」

「全くですよ。そんなんだから先輩は、街の中でいきなり放置されるんっす」

「い、いやそれは関係ないだろ…!てか、見てはいたのか…!」

「そりゃ、姿を見せなかっただけで自分という存在そのものが消失していた訳じゃないっすからねー」

 

 軽く口角を上げて愉快そうに言葉を続ける慧瑠に対して、俺は敗北感を禁じ得ない。

 放置された事への結び付けは、明らかなこじ付け。でも、その前に言った言葉…慧瑠が伝えた、一番大事な言葉は本当に考えるまでもなく分かっていた筈の事だったから、にも関わらず訊いてしまった情けなさ故に俺は言い返せず…だからこその、何ともし難い敗北感。くそう…そういう時、図太さとは無縁な自分がちょっと恨めしい…。

 

「…ま、そういう訳っすから…自分はこれからも、ずっと先輩に付いていくっすよ。それが今の、自分の在り方ですから」

「…あぁ。心強いよ、慧瑠」

 

 依然としてちょっと笑ったまま…でも今度は優しい笑みの慧瑠の言葉に、俺は頷く。…本当に、心強い。こうして慧瑠が、いてくれる事は。

 

「…さて、そろそろ戻るとしようか。ずーっと風に吹かれてちゃ、身体も冷えるし」

「そうですね。尤も、今の自分には無縁の話っすけどね」

「…そうなの?あれ?でも確か、慧瑠って暑いとか寒いは……」

「感じてるっすよ。その上で、『感じる』と『冷える』は違うって事っす」

「あ、そっか…そういう……」

 

 人は四十度位の湯に触れたら温かいとか熱いとかは思うけど、だからって火傷したりはしない。寒暖以外もそうだけど、感じるラインと実害が出るラインは違う訳で、慧瑠にとって今の環境は、実害の出るラインには至ってなかったって事なんだろう。

 それに納得し、俺は屋上の出入り口へと歩いていく。そしてドアノブに手を掛け、中に入ろうとしたところで、携帯に電話が…これまで使ってたのとは違う、渡された携帯に連絡がかかった。

 その相手は、ゼリアさん。つまり内容は、間違いなく雑談や他愛のないものじゃない。

 

「…何か、ありましたか?」

「先日お話しした装備の件、用意が完了しました。早速調整に入りますので、エントランスにまで来て頂けますか?」

「…了解です」

 

 無駄のない、連絡という目的だけが果たされた電話。エントランスに来てほしい、という言葉に俺は了承を返し、電話が切れたところで改めて扉を開く。

 本当に、本当に、今日は良い一日だった。心残りは何一つない…とまでは言えないけど、きっとずっと忘れない、幸せな思い出になった。

 でも俺は、これで満足する為にデートをした訳じゃない。俺が満足するとしたら、それは今歩き始めている道の先、その果てに辿り着いた時。だから…俺は、進む。この思い出も、心に秘めて……俺の望む、理想へと。



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第二百二十八話 真っ向から、ぶつかるだけ

 どんなに初めは混乱していても、時間が経ち、様々な情報が入り、情報が纏められて精査される事により、正確な状況が見えてくるもの。御道を中心とする、元霊装者の離脱についても情報が纏められ、離反した霊装者の推定人数が明らかになった。

 全体からすれば、それは一部。大問題ではあっても、それだけならば協会として致命傷にまでは至らない人数であるらしい。…だが、妃乃曰く、離反したのは元霊装者だけじゃないんだとか。離反した一部、その中の更に一部にはなるが、力を失った訳ではない霊装者の中にも所在不明になっている人間がいるとの事。離反した元霊装者に共感したとか、単に別の理由で協会に不満があり、この機に乗じただけとか、まあ理由は色々あるだろうが……それだって、協会がすぐに潰れる程のダメージには繋がっていない。

 なら、何とかなりそうなのか。ただの、組織内の騒動で済む話なのか。……いいや、違う。

 

「…………」

 

 双統殿内の廊下。背もたれのないベンチソファに座り、背もたれ代わりに壁へと背中を当てて……俺は、何もしていない。何言ってんだって話だが、実際俺は何かをする為にここにいる訳じゃない。

 元から一部の霊装者が力を失い戦えなくなった事で、協会の戦力は低下した。その対応及び協会内の士気を上げる為に、これまで俺は頑張ってきた訳だが…当然、離反事件以降士気はかなり不味い状態。単に仲間が敵になったというだけでなく、協会が秘密にしていた事が明かされ、組織へ対する信頼が揺らいだんだから、そんなの落ちるに決まっている。

 だが、話はそれだけじゃ終わらない。御道達の明かした情報は、協会内だけでなく、聖宝の存在諸共各国の霊装者組織にも渡ってしまっている為に、霊装者世界における外交的な問題と…各国組織から聖宝を狙われていてもおかしくないという、物理的な懸念も抱えているのが協会の今。

 

「…時間、か」

 

 携帯で時刻を確認し、担当の時間が過ぎた事を確かめた俺は、ソファから立ち上がる。所定の場所へ行き、終了すると報告する。

 今の協会は、戦力が低下してるにも関わらず、いつ何が起こるか分からない。御道達や、聖宝狙いの別組織に攻撃される可能性は勿論の事、更なる離反が起こる事だって否定し切れない。故にそんな事態へ備える為、双統殿及び各支部では、常に一定以上の数の霊装者が、即座に動ける状態で待機するという形を取る事になった。俺が今日双統殿にいたのも、それが理由。

 とはいえその待機は、そこまでかっちりしたものじゃない。通常の警備があった上で、状況が状況だからこそ念の為…と設けられている待機戦力。故に、指定された範囲内にいて、すぐ動ける状態ならば、何をしていても良いという事になっていて…だから逆に、俺みたいなやつは困ったりする。こういう時、時間を有効に使えない、俺みたいなやつは。

 

(せめて依未の部屋が範囲内だったらまだ良かったんだけどなぁ…って、無い物ねだりしてもしょうがないんだが……)

 

 そんな事を考えながら、帰る為に廊下を進む。今は妃乃も双統殿にいるが…今日は泊まりになるとの事。ここは妃乃の実家でもあるんだから、泊まりっていうのも少し変かもしれないが、まあとにかくそういう事で俺は帰る。

 

「…っとそうだ、帰りに電池を買って……ん?」

 

 ふと思い出した、TVのリモコンの電池切れ。こういうのは思い出した時に買っておかないと、またすぐに忘れてしまうもの。だから俺は、帰宅の途中でスーパーに寄る事を決め…た時だった。エレベーターの前に立つ、見覚えのある後ろ姿を発見したのは。

 

「茅章…?」

「へ?…あ、悠耶君…」

 

 声を掛けてみれば、やはりその人物は茅章。…なんというか…双統殿内で、こうして会うのも結構久し振り…の、ような気がする。

 

「悠耶君は…待機任務?」

「あぁ。茅章もそうだったのか?」

「ううん。僕は…なんだろう、事情聴取って言えばいいのかな……」

 

 あまり浮かない様子で答えた茅章に、俺は「そうか…」と軽く頷く。

 事情聴取、なんて言うからには、それも今回の件絡みだろう。俺同様、茅章も御道と親しかったから(ひょっとしたら茅章の周りで他にも離反した人間がいたのかもだが)、茅章自身に離反の可能性がないか確認する事も兼ねて、話を聞いた…十中八九、それで間違いない。

 

「…まあ、あれだ。事情聴取されたからって、別に気にする事はねぇよ。そもそも気にしてないなら、余計なお世話以外の何物でもないが……」

「そ、そんな事ないから大丈夫。それに…気持ちの方も、大丈夫だよ。…ありがと、心配してくれて」

 

 少なくともされて気分の良い事じゃないんだから、と俺がフォローを口にすると、茅章は小さく笑う。そして一度、会話が途切れる。

 茅章はエレベーターを待っていた。俺も帰る為にここへ来た。茅章の方は、帰るのか上の階に行くのかはは分からないが、どっちにしろ乗るんだからここに引き止めるのも悪い。そう思って、俺が話を終わらせようと考えた時…少し伏し目がちにしながら、茅章は言った。

 

「…顕人君…帰って、くるよね…?」

 

 それは、不安と願いの混ざった言葉。帰ってきてほしい、そんな思いの込められた問い掛け。

 どうして離反を、という疑問ではなく、自分が何か気付いていれば、という後悔でもなく、帰ってきてほしいという思いを初めに言うところに、茅章らしさが出ているな、と思った。

 それに、良いも悪いもない。そこにあるのは、物事に対する心の在り方のみだから。

 

「…御道に、錯乱した様子も自暴自棄になった様子もなかった。俺にだって、分からない事は多いが…今御道がしてる事は、御道の意思で、御道が本気でやってる事なんだよ、きっと」

「…顕人君の、やりたい事……」

 

 きっと戻ってくる。…そう言えれば一番だが、根拠もなくそんな事は言えない。そういう耳触りが良いだけの言葉を、気持ちを吐露してくれた茅章へ言うのは間違っている。

 

「…それって、何なのかな…僕は、その場にはいなかったから、顕人君の言っていた言葉も又聞きだけど…不満とか、怒りとか、後は功名心とか…そういう理由じゃ、ないと思う。顕人君は、そういう人じゃないから」

「…そうだな。少なくとも、そういう理由だけでやってる訳じゃないんだろうってのは、俺も思う。…御道は…正義を示す、とは言ってたな…」

「正義…つまり、顕人君は今、正しいと思う事を、思える事をしてる…そう、なのかな……」

「……やってる事を、前向きに考えてるって事はあるんだろうな。それを、正義って言い換えてるのかもしれないが…」

 

 普段は落ち着いてる御道だが、あれで割と行動的というか、感情の爆発で無鉄砲な事をするのは知っている。だがだからこそ、俺は茅章に同意出来る。もし今の…そしてあの時の御道が感情先行の行動をしているなら、もっと感情が剥き出しになっている筈で…けれどあの時はむしろ、感情を完全に律しているようだった。仮に原動力が感情だとしても、ちゃんと向かう先を見据え、覚悟を決めた人間の目をしていた。

 それは間違いない。だがそれならば、その原動力かもしれない思いは何か。正義っていうのは、本当に自分が信じているものなのか、正当化の為の方便として言っているだけなのか。協会への不信や是正、気取った言い方をすれば天誅が全体としての目的のように語ってたが、それも御道自身思っている事なのか、それともこれも方便か。……分からない。想像は出来ても、こうだと言える事なんて、まるでない。

 

「…駄目だな……」

「え……?」

「すまん、茅章。はっきりした事は何も言えない…ってか、ほんとに分からない。御道の意思で、本気でやってる…ってのも、雰囲気からそう感じたってだけで、確たる証拠がある訳でもないしな…」

 

 御道の事はよく知っている…なんて言うつもりはない。それなりには知っているが、逆に言えば「それなり」で済む程度で…意図的に、踏み込み過ぎないようにもしていた。ただの高校生として、霊装者も魔物も何も知らない御道だからと、適度な距離感で付き合うのが一番だと思っていたあの頃のまま、今に至るまで関係を続けてきた結果がこれ。人付き合いの形なんて自由で、だからそうしてきた事が間違いだとは思わないが…もっと踏み込んでいれば、分かる事があったのかもしれない。事前に気付けたのかもしれない。そう思うと、微かに自嘲的な笑みが浮かんできて……

 

「…すまんって、どういう事?」

「…へ?」

「今のって、もしかして僕が求めてた答えを出せなかった事への謝罪?…だとしたら、それは違うよ。だって、僕だって分からないんだから。僕だって、顕人君の友達で、でも全然分からないんだから、それは悠耶君が謝る事じゃない。勿論、付き合いの長さは違うけど…そういう問題でも、ないでしょ?」

 

 いつの間にか、俺は向けられていた。茅章からの、少しだけ怒った…というか、不満そうな視線を。

 その茅章に言われて、気付く。確かにその通りだ。俺と茅章は、御道との付き合いの長さは違うが…関係性で言えば、そこまでは変わらない筈。同じ「男友達」という枠になる筈。にも関わらず、俺がまるで「教える側」かのように考えるのは……違うってものだ。

 

「…ごめん。茅章の言う通り…ここで俺が謝るのは、違うよな。……あ、勿論今の『ごめん』はまた別だぞ…?」

「それは流石に分かってるよ。それに…ふふっ。違うって言ったけど、実はちょっとだけ、嫌でもないように思う気持ちもあったんだ」

「嫌でもないように思う気持ち…?」

「だって、ああ言うって事は、悠耶君なりに顕人君を理解してたって気持ちがあった証拠でしょ?…僕にとって、二人は大事な友達だもん。その二人が、仲良いなら…それは、嬉しい事だよ」

 

 そう言って、茅章は笑う。それもただ口角を上げただけでなく、ほんのりとはにかむように。そんな表情で、そんな事を言われたら、こっちだって恥ずい気持ちになる訳で……だから俺は、ちょっと茅章の頬を引っ張る事にした。

 

「うぇっ!?ちょっ…ゆ、ゆーやくん…!?」

「そういう事を、面と向かって言うんじゃない。…後、柔らかいな…」

「えぇぇ……!?」

 

 今の何か不味かったの…!?…と動揺している茅章の反応を余所に、俺は茅章の頬をむにむにとやる。…いや、ほんと同年代の同性とは思えない柔らかさだな…ヤバい、反応含めてちょっと楽しい…。

 

「…ふぅ」

「うぅ、理不尽だ…しかも、なんで満足気な顔してるの…?」

「まあ、そこは気にするな。それと…俺にしたって茅章にしたって、御道の事は分からねぇ。だから…うだうだ考えるより、直接御道に訊くとしようぜ?案外世間なんて狭いもんだ、機会とチャンスさえ見逃さなきゃ、それが出来る瞬間がいつかは来るさ」

「悠耶君……うん、そうだよね。分からなかったら訊く、それは当然の事で…友達なんだから、それ位出来るに決まってるよね」

 

 魔が差して少々長めに弄ってしまった事はさらっと流し、俺は少し真面目に…その上で軽く口角を上げて言う。半分は茅章に向けて、もう半分は自分自身の心へと向けて。すると茅章は、初めは目を丸くして…それから深く、頷いた。

 出来るに決まってる。それが、実際に会えたなら訊ける筈だという意味なのか、それとも友達なら再び会うチャンスを、可能性を掴む位当然の事だっていう、中々に前のめりな意味なのかは分からない。けど世の中には、言霊なんていう考え方もある。それが本当なら、言葉にも力があるのなら…それを味方に付けられるのは、茅章位本気で言い切る人間なんだろう…。

 

「…しかしまぁ、さっきの言いようといい、友達って言葉といい…茅章は、あんまりそういうのを気にしないっていうか、恥ずかしいとは思わないタイプか?」

「…どういう事?」

「…って事は、やっぱそういうタイプか…まあ、しょうもない見栄や斜に構えた考えをするより、そういうスタンスでいる方が、人としては胸を張れるよな…」

「え、え?ほんとに何の話をしてるの…?」

 

 純粋、と言うとまるで子供っぽいようにも聞こえるが、意識的にしろ無意識的にしろ、そんな心を忘れず、恥ずかしがらずにいられるのは、芯のある人間じゃなきゃ無理だと思う。少なくとも俺には無理な事で…やっぱり茅章は凄いと、俺は思う。

 御道にしたってそうだ。正しいか否かはともかくとして、度胸があるにも程がある。方向性は違えど、御道も茅章も心の中に強い芯を持っていて……だがそこで、凄いと思った上で「負けられないな」という思考に繋がった辺り、俺も捨てたもんじゃないだろう。…なんて、な。

 

(面と向かって、問い質す…悪くない目標だ)

 

 自分で言った言葉だが、それがすとんと心に落ちた。御道の離反、御道の行動…それに対しずっともやもやしていた気持ちに、一つの道標が出来た。

 当然これは、努力すれば何とかなるって話じゃない。最終的には恐らく運で、それは自分じゃどうにもならない。…けど、そういう事は目標にしちゃ駄目か?確実性のある目標じゃなきゃ意味がないか?…そんな訳ない。そんな訳がないんだから…本気でそれを目指してやる。…そう、俺は心に決めた。

 

 

 

 

 協会に反旗を翻し、俺は異なる道を歩み始めた。その道の先は、俺一人では辿り着けない場所で…俺ばかりが真実を知り、俺だけが力を取り戻せていた状況を、俺は良しとしなかった。それで良いとは、出来なかった。

 だから俺は仲間を集め、一人ではなく集団として動いた。仲間と共に、今の協会を否定した。けれど、その時纏っていたのは、協会の装備。それも、ある程度の味方を、協力者を協会内で得られたとはいえ、好き勝手に装備を持ち出せる筈がなく、あり合わせの装備になってしまった部分もあった。でも、そんな状態も…今日で終わる。

 

「……っ…これが、俺の……」

 

 全身に装備を纏い、霊力を流す。火器に、推進器に、一つ一つへ霊力を行き渡らせ…軽く、動かす。

 電話で呼ばれ、まずエントランスへ、続いて体育館…の様な広間へと移動した俺は、用意された装備を…ウェインさんから贈られた、BORGで秘密裏に作られた装備を纏って、動作テストを行った。広間は訓練に使えるような、本格的な施設じゃない分、出来る事も限られるけど…それでも、感じる。想像出来る。この装備によって実現出来る、俺の戦いを。

 

「はははっ、凄いなこれは!こんなものがあるなんて、BORGは協会よりも進んでるって事か?それとも、協会は俺等にこれだけの物を作れるのに用意してくれなかったってだけの話か?」

「さぁな。けど、不都合な事は隠すのが協会なんだ、後者だったとしてもおかしくねぇよ」

「ま、どっちでも良いじゃない。これがあれば、あたしもこれまでよりずっと戦える…!」

 

 そしてそれは、俺だけの話じゃない。全員あり合わせの装備だったんだから、当然といえば当然だけど、ここには全員分の装備がある。

 聞こえてくる声の通り、用意された装備は凄い。正直、俺は園咲さんのテストを兼ねた装備を使っていたから、そっちに関しては一概にどっちが凄いとも言えないけど…ライフルを始めとする通常装備の方は、確かにこっちの方が高性能なのかもしれない。

 技術の差なのか、つぎ込んだリソースの差なのか。けど、それを確かめる手段はなく……それよりも気になる事が、俺にはある。

 

(ウェインさんは、俺に協力してくれている。俺の知らない、分からない事もしているんだろうけど…それでも俺は、ウェインさんを信用している。…でも、それは…この協力は……)

 

 自分で言うのもアレだけど、ウェインさんが俺に協力してくれるのは分かる。俺の理想とウェインさんの夢は同じ方向を向いていて、互いにそれを叶える為に協力しているようなものだから。

 でも、皆に対しては違う。目的の為には仲間が必要で、その話をしたのも、その手助けはすると言ったのもウェインさんで、実際ウェインさんの作り出した結晶の力により、皆も再び霊装者となった訳だけど…ウェインさんが必要だと見ているのは「戦力」であって、決して一人一人じゃない。言い換えるなら、ウェインさん視点での皆は、皆じゃなくてもいい訳で…同意の上とはいえ、皆を引き込んだ俺としては、一抹の不安は拭えない。それに……

 

「使用してみた感覚は如何ですか?何か、不調は?」

「あ…ゼリア、さん…」

 

 不意に聞こえた声が、思考を遮る。振り返ればそこにはゼリアさんがいて…訊いて当然の問いに対し、俺は首肯。

 

「悪くない…いえ、凄く良いです。まだ全力は試してませんが…これならきっと、思うように戦える筈です」

「問題がないのなら、何よりです。何か、ご質問は?」

 

 丁寧且つ淡々としたゼリアさんからの問いは、何となくお役所的なものを感じる。…いや、役所になんて殆ど行った事ないけども。完全にイメージでしかないけども。

 と、いうのはさておき、質問があるかといえば…答えは、YES。

 

「あの、俺の装備は、皆とは違うように思うんです。これって、もしや特注……」

「いえ、基本的には他の物と同じです。貴方からの意見と要望を反省させ、最適化こそされていますが、別物という程ではありません。あくまで基本の装備は、ですが」

「あ、そ、そうですか…」

 

 直接比較をした訳じゃないから確信はないものの、自分の装備は少し違う気がする。その疑問について訊き、決して別物ではないという回答を受け……内心ちょっと、がっかりした。何せ、俺は男だから。多くの男にとっては、専用機とか、フルカスタム装備とかに憧れるものだと思う。……量産機も量産機で格好良いけどね。試作機も魅力的だけどね。

…ごほん。まあとにかく、がっつり違うものではないらしい。けどまあ、重要なのは互いの有無ではなく性能な訳で、そこに懸念点はないんだから問題な……って、ん?

 

「…基本の装備、は…?」

「えぇ、貴方の戦い方に合わせ…そして、中核となる貴方に必要なだけの力を用意する為の、追加装備も存在しています」

「……!」

「そちらはこの場での確認に適さない為、別途また確認して頂く事になりますが、宜しいですか?」

 

 それで良いかと訊かれたのだから、勿論俺は首肯。自分の為の装備で、しかもそれは戦いの為のものなんだから、確認しない理由はない。

 

「では、私はまだ用事がありますのでこれで。後の事は、彼等に伝えてありますので」

「あ、はい。……じゃない、ゼリアさん…!…もう一つ、いいですか…?」

 

 その言葉と共に、ゼリアさんが見たのは装備の調整担当者達。彼等もBORGの人間らしく…本当に、俺達はBORGのバックアップを受けている状態。ある意味、協会とBORGの間接的な衝突状態。

 そうして話の済んだゼリアさんはこの場を去ろうとし…それを俺は、引き留める。引き留め…聞こえてくるのは、皆の声。

 

「ふふっ、やってやろうじゃない…これは協会が、わたし達を騙してた結果なんだから…!」

「そうだな。だから示してやろうぜ、本当に正しいのはどっちなのかをよ…!」

 

 闘志は十分な、今すぐにでも戦えそうな、皆の様子。普通に考えればそれは心強いし、後悔してないって事なら安心もする。

 けど…初めから皆、こうだっただろうか。こうも好戦的な人が多かっただろうか。…いや、違う。俺が誘い、同調を得た時点じゃ、こんな敵意剥き出しだったようには思えない。…だとしたら、それは……。

 

「……ゼリアさん。俺は、ウェインさんを信用しています。逆にウェインさんにとって、皆は同じ思いを持つ者なんかじゃないって事は、分かっています。…なら…ウェインさんは、皆を…どう、思っているんですか…?」

「それは、私には分かりかねます。ですが…少なくとも彼等は、彼等の意思でここにいる。貴方が誘い、ウェインが力を与えたのだとしても…選択は、彼等自身がした。…違いますか?」

「……っ…」

 

 否定は、出来ない。その通りなのだから。何があろうと、なんであろうと、結局ここにいるのは、全員自分の意思でそれを選んだ人間だから。俺も含めて、自分自身で選んだ以上…その責任も、自分にある。

 そしてそれは、今だけの話じゃない。これから起きる事だって、全部そうだ。これから先の、協会との戦い…それは避けられないものであり、その先に果たすべき目的があるのであり……その日は、そう遠くない。



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第二百二十九話 己が為の覚悟

「偽移送作戦?」

 

 茅章と話した次の日、俺と妃乃は宗元さんに呼ばれた。やはりいつものように、執務室へと呼ばれ……ソファへ腰を降ろしたところで、早速始まった話、その中で出てきたのが、今の偽移送作戦という言葉。

 

「えー、っと…取り敢えず一回、確認を取っても?」

「確認?なんだ」

「偽も何も、そもそも移送作戦自体俺は知らないんですけど…」

 

 いきなり質問から始まったから、話はある程度進んだ状態なのか、と思った人もいるだろう。だが、そんな事はない。まだ話は始まって、一分も経っていないのだ。まだ冒頭も冒頭だというのに、突然知らない作戦…それも偽verの話になってしまったんだから、理解出来る訳がない。

 

「それはそうだろうな。存在しない作戦を知っていたら、そっちの方が驚きだ」

「はい…?…駄目だ、余計訳が分からなくなった…妃乃、分かり易く教えてくれ…スリーステップ位の、単純明快な感じで……」

「私はその例えがよく分からないわよ…。…分からないのは事前知識が不足してるからではなく、まだ話が始まったばかりだから…ですよね?お祖父様」

「そういう事だ。やはり悠耶一人より、妃乃がいた方がスムーズに話が進むな」

 

 ちらりと視線を向けた妃乃へ宗元さんは頷き、言葉を返された妃乃は今度はこっちを向いてにやっと笑う。…なんだ今の笑みは。もしも宗元さんに認められた事を自慢したくて浮かべた笑みなら可愛いから許すが、煽りの笑みだったってならその喧嘩買うぞこらぁ!

…などというのは、無駄な思考。そういう考えは一旦脇に置いて、ならばと俺は座り直す。

 

「よく聞け、順を追って話す。…まず、今もまだ不明な点、はっきりしない部分はあるが……一部の霊装者及び元霊装者の離反は、覆りようのない事実だ」

『…………』

「そして、彼等の目的…は置いておくにしても、行動目標として、聖宝が挙げられている。離反した人間の言葉を素直に受け取るのは些か短絡的だが、疑わしいというだけで、根拠もなく否定するのはそれこそ短絡的な判断だ。はっきりしていないのなら、はっきりしていないなりに取るべき行動がある。ここまでは、いいな?」

 

 神妙な面持ちで、改めて宗元さんは話し始める。最初に触れたのは現状についてで…俺達は、無言という形での理解を示す。

 離反は、覆りようのない事実。そんなの分かっていたことだが…いざ言葉として聞くと、やっぱり少しくるものがある。

 

「…話を続けるぞ。最早これは言うまでもないが、富士の地下空間…お前達が見つけた場所に、今も聖宝の原形とでも言うべきものが、存在している。先の作戦で完成には近付いただろうが、まだ完全な状態ではない。…現在狙われている可能性があるのは、その聖宝だ」

「顕人…離反した側は、そのような旨で言っていましたね。…つまり、移送というのは……」

 

 見つめる妃乃の言葉に、宗元さんは静かに頷く。さっきまではさっぱり分からなかった俺も、こういう流れがあれば分かる。…移送作戦というのは、『聖宝』移送作戦なのだと。

 だが同時に、分かった事で疑問も浮かぶ。謎が謎を呼ぶ…じゃないが、内容が分かった事で逆にその内容に対しても気になり始める。

 

「移送するかどうかは、俺がどうこう言える立場じゃないですが…移送出来ると?というか、そもそも完成まで移動はさせないって話だったんじゃ?」

「ふっ、だから言っただろう。移送作戦ではなく、『偽』移送作戦だと」

「あ……」

 

 その端的な返しで、俺は理解した。実際にはどうするのかも、移送作戦の前に付けられた『偽』の意味も。

 

「方向性としては、先の作戦と同じだ。移送すると見せかける事で、聖宝を狙う勢力を誘い出す。現在の協会全体としての戦力は落ちている以上、こちらが後手に回るのは避けたいからな」

「聖宝を狙う勢力…」

「そうだ。聖宝の情報が流出した今、搦め手や交渉ではなく、力尽く奪いにくる存在がいてもおかしくはない。使い方次第ではあるが、どんなに組織としての評価や信用を捨てる結果になろうとも、聖宝を使える状態で確保出来たのなら十分過ぎる程の釣りが来る。…聖宝とは、そういうものだ」

 

 そこまで話して、宗元さんは視線を妃乃から俺の方へ。確かにそれはその通りだなと、俺はその視線に頷く。

 普通はリスクがでか過ぎて出来ない事でも、それを上回る成果が得られるんだとしたら、リスクを冒すのも当然選択肢に入り得る。そして聖宝が現状一つしかない…つまり他の勢力に使われてしまえばもう手に入らない以上は、悠長に構えてる勢力なんてないんだろう。

 そしてそれを踏まえた上で、移送という防御が手薄になる隙をわざと作って、攻めさせる。誘い込んで敵を倒し、同時にどこの勢力が狙っているのかもはっきりさせる。本当に、富士での作戦…わざと一見防衛戦力が減ったように見せ、魔物と魔人に攻め込ませた先の作戦と、狙わんとしている事は同じであり……だからこそ、そんな上手くいくものなのかと俺は思う。

 

「偽移送作戦が、何を目的にしてんのかは分かりました。…けど、そう都合良くいきますかね?別の国の勢力はともかく、御道達は最近まで味方だった、それこそ聖宝が簡単には移動させられない事も、防御が手薄に見せかけて…って作戦をしていた事も知っている相手な以上、『偽』の移送だった事は、簡単に予想されるんじゃねーかと思いますね」

「だろうな。…だが、無視はしないだろうさ。偽の行動だと予想は出来ても、間違いなく仕掛けてくる」

 

 断言をする宗元さん。断言するって事は、何かしら根拠がある筈。だから、そりゃまたどうして…と俺が訊けば、宗元さんは言葉を続ける。

 

「確かに先の作戦や聖宝の実情を知る者からすれば、それは怪しい行動だ。だが万が一、本当に移送していたらどうする。その場合、折角のチャンスを逃す事になる。それどころか、凡そ防衛には向かない山中から、組織の総本山へと聖宝が移ってしまう事にもなる。…どれだけ怪しかろうと、本当に移送していたにも関わらず無視してしまった場合の損失が大き過ぎる以上は、動かざるを得ないという事だ。心理的にも、合理性の面でも、な」

 

 もしも、本当だったら?…その可能性を完全否定するだけの根拠がない事と、無視した場合に起こり得る変化が相当なものである事の二つがある限り、無理する事など出来ないのだと、宗元さんは言った。…確かに、そうだ。十中八九偽の移送だったとしても、それを考えれば無視は出来ない。自分達以外にも狙っている勢力があると分かっているのなら、尚更先を越される事を恐れて動かざるを得ない。

 

「そして、富士での作戦を引き合いに出しているが、その時とは大きく違う点が一つある」

「防衛対象…聖宝の有無ですね」

「その通りだ、妃乃。富士と違い、今回は誘い出す場所に聖宝はない。初めから突破される事を意識するんじゃ世話ないが…仮に防衛を突破されたとしても、そこに存在しない以上は、奪われる事もまたないという事だ。…尤も、富士から碌に離れない内にバレてしまえばそれも意味はなくなるが」

 

 そう言って、宗元さんは肩を竦めた。ここまで聞いてきて、俺も大体作戦の事は理解出来た。やろうとしている事は単純だが…作戦にしろ機械にしろ、単純な作りの方が壊れ辛いというもの。だからこの作戦を悪いとは思わないし…とはいえまだ、疑問も残っている。

 

「…まさかとは思いますが、聖宝が本当にある場所…富士の地下空間から、全戦力撤収させるなんて事は……」

「するか馬鹿。移送が嘘だった場合に備えて富士にもある程度の戦力を向かわせてくるに決まってるのに、そこで地下を丸腰にしてどうする」

「いやんな事は分かってますよ、しませんよね?…って訊きたかったんですよ俺は…。…けど、そうだとしても戦力は……」

「えぇ、移送を装う以上、表立って残せる戦力は本当に僅か。逆に移送の方は、これが本当の移送だと思わせる為、誘き出した勢力に勝つ為に、かなりの戦力を用意しなきゃいけない。…目立つ準備も出来ず、僅かな戦力で…少数精鋭で聖宝の防衛に当たらなきゃいけない事が、この作戦最大の難点って事になるわ」

 

 酷ぇ、決め付けからの馬鹿呼ばわりなんて…というのは置いとくとして、妃乃の言う通りだと俺も思う。作戦の性質上、どうやったって富士には極一部しか残せないだろうし、だというのに責任は重大。移送が嘘だとバレなきゃ、そもそも戦いにすらならないかもしれないが…間違いなく、一番大変になるのは富士に残る部隊だろう。

 

「…因みにこれ、どの勢力も全く仕掛けてこなかった場合はどうするんで?」

「これだけの餌と万が一のリスクがあっても尚、動かないようならそれは初めから脅威などではないという事だ。眠れる獅子は本当に獅子かどうか見極める必要があるが、眠り続けるのであれば、獅子だろうと何だろうと関係ないからな」

「それは……や、それもそうですね…」

 

 そんな単純な話なのか?一度の作戦で、仕掛けてこないなら脅威じゃないと判断するのは早計じゃないだろうか。一瞬俺はそう思ったが、すぐに考え直す。動くという判断、動くという決心…それも実力の一つであり、仮に相手の中に「いざとなれば動く」という勢力があったとしても、それは裏を返せば追い詰められるまでは碌に動かないという事であり、ならばやはり積極的な警戒は不要だろうと。こっちの想像が及ばないような理由で仕掛けてこなかったんだとしても、その理由が想像出来ないレベルなら、どっちにしろ対応なんて出来ないだろうと。

 戦いにおいては、優先度を見極める事も重要。全てに全力を注げるだけの力があるなら別だが、そうでなければ無駄を削り、必要なところへ必要なだけのリソースを割く事が、全体としての勝利に繋がるんだから。

 

「目下、部隊編成を構築中だ。実質的な内部抗争の面もあり、聖宝も完成が近い以上、絶対に失敗を…敗北をする訳にはいかん。必要ならば、俺が出る事も考えている」

「……!?お、お祖父様がですか…?」

「心配するな、妃乃。じじいにはじじいなりの戦い方がある。…まあ尤も、俺が出にゃならん状況になった時点で、これまで協会が築いてきた地位が崩れかけてるようなものだがな」

 

 だから、そうならないようにしなきゃいけない。宗元さんの言葉の裏には、そんな意図もあるように感じた。

 まあともかく、それ位出し惜しみなしで作戦を遂行させる気だって事は分かった。最悪の場合とはいえ、宗元さんも出るって事は、恭士さんや由美乃さんも出る可能性はあるんだろう。そして、要職に就いている人間が富士山側に残っていたら、間違いなく怪しまれる訳で……って、うん…?

 基本は騙す事前提な以上、宗元さん達がいるとすれば、各拠点や移送部隊の方だろう。逆に富士山で、本当の意味での聖宝防衛に就くのは、単純な強さだけじゃなく、単独での戦闘でも十分実力を発揮出来て、本当はこっちに聖宝があると知っていても口外しないという信頼を置けて、更には離反しないという意味での信頼も開ける霊装者に限られる。そしてわざわざ、ここに呼んで作戦の話をしてるって事は……

 

「…ほぅ、その顔…中々察しが良くなったじゃねぇか、悠耶」

「…俺は、一介の霊装者な筈なんですけどねぇ……」

 

 俺の顔を見て、宗元さんがにぃっと口角を吊り上げた事で、俺の中の「まさか」は「やっぱり」に変貌した。…俺こと千嵜悠耶、どうやら担当は富士での聖宝防衛になるようである。

 

「お祖父様から信用されてるって事なんだもの、光栄に思いなさいよね」

「いや、俺そんな忠義の人間じゃねぇし…まあもう歳いってる宗元さん自身が出る覚悟決めてるってなら、それに応える位の事は俺もするけどよ…」

「へっ、ぶーぶー言いつつも毎度頑張るお前のそういうところ、俺は前から悪くないと思ってるぞ」

「そりゃどーも…」

 

 今も昔も、宗元さんはこうやって俺を子供扱いする。実際俺は年下だし、今となっては子供どころか祖父と孫レベルの差になってる訳だが…歯痒いなぁ、こういうのって。子供扱いするなって言ったら、それこそ子供っぽく映るんだから。

 

「…ごほん。とにかく悠耶、それに妃乃にも、俺は聖宝の防衛に就いてもらいたい」

「分かりました、お祖父……え、私も…?」

 

 既に伝わってるとはいえ、ちゃんと言っておくべきだろう…って事なのか、改めて言う宗元さん。それに俺は頷こうとし…「へ?」となった。目を丸くした、妃乃と共に。

 

「妃乃もだ。戦闘能力、判断力、信頼…凡ゆる面において、妃乃は申し分ないからな」

「あ、ありがとうございますお祖父様…。…でも、私が残ると……」

「おかしいと思う、か?…いいや、逆だ。司令としてだけでなく、一騎当千の霊装者としてもこれまで動いてきた妃乃ならば、『何らかの目的を持った別働隊』として見られる可能性も高い。別の作戦も同時展開している、敢えて遅れて出発する事により、移送車両が襲われた際、移送部隊と共に敵を挟撃出来るようにしている…なんであれ、妃乃の存在はむしろ、勘違いを誘発する要因になり得ると、俺は見ているのだ。今回もまた、大変な役目をさせる事になるが…引き受けてくれるか?妃乃」

 

 高評価に一度は嬉しそうな顔をした妃乃だが、自分が…立場ある人間が残るのは、偽装の面で大丈夫なのかと問いを返す。そして、それに対する宗元さんの回答は、分かるような、分からないような…少なくとも、ここまでの説明に比べるとすとんと納得がいくものではなく、だが当の妃乃自身にはちゃんと伝わっていたようで……引き受けてくれるか?という言葉に、妃乃はしっかりと頷いていた。

…もしかすると、この責任感の強さも理由の一つかもしれない。全員とは言わずとも、離反した霊装者達の中には、妃乃の責任感の強さを見てきた人がいる筈で、それを知っているが故に、妃乃へ対し「完全に撤退が終わるまで、責任を持って現場に残っている」…という勘違いをする可能性がある。そんな事も、宗元さんは考えているのかもしれない。

 

「ならば、必要事項は順次伝える。当然妃乃は、会議の場で直接知るだろうが、な」

「分かってます。…因みに、私達以外の人員は……」

「選定中だ。移送部隊の方もだが、離反せずスパイとして残っている者がいるかもしれないからな。だからこそ、ここで話した事は口外厳禁だ。実際の作戦でも、大半の霊装者には『偽』移送であるとは伝えない事になるだろう」

(大半の霊装者には、か……)

 

 情報流出の危険を避ける為、そしてそれが失敗に繋がらないようする為に、情報の統制をするのは至って普通の事。一般の社会や組織でも当たり前のように行われてるだろうし、言ってしまえばサプライズパーティーだって、実質的には同じもの。だからこれを悪くないというのなら、その善悪の価値観は現実に全く即していないものだろう。

 だが、組織の都合で真実を隠し、しかもそれを幾度となく行う在り方が、離反の要因となった事も事実。…そこについて、宗元さんはどう思っているのだろうか。仕方のない事だと思っているのか、それとも……

 

「…悠耶、悠耶ってば」

「んぁ?…あ、すまん。なんも聞いてなかった」

「いや話の最中なんだからちゃんも聞きなさいよ…」

 

 ちゃんと話を聞けという、全くもってご尤もな返しを受けて、俺はこくりと一つ首肯。

 どうやらまだ、後一つ宗元さんから言いたい事…というか、訊きたい事があるとの事。それが作戦の事か、それ以外の事なのかは分からないが、質問されるのであれば答えるまで。そう思い待つ俺、それに妃乃へ向けて、宗元さんは言った。

 

「最後になるが…この作戦は、間違いなく同じ霊装者との戦いになる。移送部隊はまだ、弾幕や陣形で接近を許さず、そのままここ周辺まで逃げ切るという戦い方も出来るが、聖宝防衛はそうはいかない。もし勘付かれ責められた場合、撃破ないし撃退は必ず迫られる。同じ人間を…いや、元は同胞だった、友だった相手であろうとも、戦う事は出来るか?」

 

…それは、基本にして最も重要な事。考えなければいけない、避けては通れない壁。

 歴戦の妃乃でも、人と戦う事が予め分かっている作戦なんて、躊躇う部分はあるだろう。むしろ個人的には、躊躇い無しの方が嫌だ。

 一方俺は…ああそうだ。昔はそっちの経験の方が多かったから、戦う事自体に躊躇いはない。だが、元仲間と…もしかすると、御道と矛を交えるかもしれないと考えると……正直、戦えると即答する事は出来なかった。

 

「すぐに答えろとは言わない。だが…覚悟は、決めてほしい。覚悟なく戦場に立てばどうなるかは、分かっている筈だ」

 

 頭では答えが出ている。だが心がそれに躊躇いを抱く。そんな中で、真剣な眼差しをした宗元さんに言われ…それには俺も妃乃も、深く頷いた。覚悟なく戦場に立てば、それは迷いや躊躇いに繋がり、そのせいで命を落とす事は決して特別な事じゃないと…戦いにおいては普通にあり得る事だと、分かっているから。

 ならば…自分の身を守るのであれば、無理矢理にでも覚悟を決めるのが一番だろう。……それで、後悔しないのなら。

 

「…すまないな、こんな覚悟を強いる事になって」

「…いえ。そりゃ確かに、楽な覚悟じゃないですが…戦いから逃げれば、得られないものも、失うものも、俺にはあります。そうしない為なら…覚悟決めてやりますよ、全力で」

 

 すまない。…そう謝る宗元さんに俺は首を振り、言葉を…思いを返す。

 ああ、そうだ。俺は死ねない。俺には大切なものが、大切な人達が、いるんだから。その為なら、悲しませない為なら、なんだってする。だが…俺は茅章と話したじゃないか。直接会って、聞いてやろうって。そして俺がちゃんと聞きたいのは…御道が下らない事を言い合って、一緒にしょうもない事もやってきた、そういう事が出来る相手だったからだ。なら、俺が決めるのは、死なない為の覚悟じゃない。死なない、悲しませない事も含めた……後悔しない為の覚悟だ。

 

(…まあ、覚悟は決めるって思えば即決まるもんでもないんだけど、な)

 

 軽く啖呵を切ったような俺だが、覚悟を決める事を決めただけじゃ意味がない。覚悟を決めた「つもり」も意味がない。そして覚悟ってのは、こうすれば決まるってものでもなく…強いて言うなら、とことんまで自分を見つめるしかない。

 それに、覚悟以外にも必要なものはある。ただ待つだけじゃなく、出来る事もある。だから俺は、話を終え、宗元さんの執務室を出た後に、電話で園咲さんと連絡を取りつつ技術開発部へ。突然の連絡にも関わらず話す時間を作ってくれた園咲さんにまずは感謝を伝え…それから、言った。

 

「園咲さん、例の試作品の件で…お願いがあります」



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第二百三十話 するべき事、したい事、出来る事

 戦いではなく、和解での…話し合いでの解決を目指す。…顕人君達離反した(元)霊装者達への対応として、初めは戦い以外の道も探そうって意見は出た。出たけど、すぐにそういう意見は立ち消えになっていった。話し合うも何も、こっちから向こうに呼び掛ける方法がないから。顕人君達自身が言葉じゃなくて力で今を変えようとしてきてる以上、何もなしに対話なんて成立する筈がないって結論になったから。

 組織としての、全体としての利を優先し、一部の霊装者にその弊害が及んだ事が、そのような体質の組織である事が原因の一端であるのは事実で、離反した霊装者達へと配慮すべき点はある。だが協会の敵となり、協会を危機に陥れようとするの以上は、元同胞であっても戦い、そして倒す他ない。…それが、協会全体の方針。それを踏まえて、顕人君達…それにいるかもしれない別勢力を排除する為の計画が、聖宝(偽)移送作戦で…その準備は、進んでいる。

 

「うん、そう。だから道路だけじゃなくて、その周りの土地とか環境も確認しておいて。早い段階で移動させる事に気付かれたら、先回りして待ち伏せしようとしてくるかもしれないから」

 

 今いる数人の隊長に、それぞれへの指示を伝える。指示の内容そのものはわたしが一人で決めた事じゃないから、今してるのはどっちかっていうと中継役で、決してわたしからの指示とは言えないけど…中継だって、必要な仕事。それに大まかな部分は決まってても、実際にやる上で気になる細かい部分は、隊長と話しながら決めるって事になってるから、ただの中継役って訳でもない。…って、これは誰に対する、何の説明なんだろう…。

 

「分かってると思うけど、出来るだけ目立たないようにね?早めに気付かれた場合に備える為の確認で、逆にこっちが何しようとしてるか気付かれちゃった…じゃ洒落にならないもん」

 

 最後に一つ注意してほしい事を言って、話は終わる。隊長達は早速歩いていって、それを見送ったところでわたしはふぅ…と一息吐く。

 

(この作戦が上手くいけば、顕人君達と、本当にいるかどうか分からない別の勢力の、その両方に対処が出来る…仕掛けられる前にこっちが状況を動かせば、余裕を持って対応が出来る…。…策としては、間違ってない…間違ってないけど……)

 

 わたしは宮空綾袮で、協会の人間の一人。だから、協会としてこうする、って決まったならその中で最善を尽くすし、わたしはその決定までに口を挟める、意見を言えるだけの立場にもあった。その上で、今があるんだから…わたしは本気で、この作戦に当たるつもり。わたしには、立場と責任だってあるんだから。

 だけど、心は乗り気じゃない。乗り気になれる訳がない。…顕人君と敵として見て、顕人君も戦うなんて…嫌で嫌で、仕方ない。

 

「…でも、それはわたしだけじゃないよね…皆だって、仲間だった相手と戦いたい訳ない…なら、わたしだけ拒むのは、違うよね…。…ううん、わたしには責任がある。自分の知らないところで起きた事の結果じゃなくて、自分も関わってる事の結果なんだから、拒める訳ない……」

 

 拒める訳ないし、やらなきゃいけない事もある。離反したのは顕人君だけじゃないし、顕人君の事だけを考えるのも間違っている。全体を見て、宮空綾袮としての行動を、しなくちゃいけない。立場、責任、責務…そういうものが、わたしにはあるから。それがあるおかげで、自由にやれたり、自分の意見を通せたりもするんだから、恩恵を受けている以上は、義務も果たさなきゃいけない。

…自分で自分を追い詰めてる、っていうのは分かってる。こんな事を考えても、余計苦しくなるだけって理解してる。…でも、思ってしまうのは止められない。

 

「…はぁ…わたし、前はもうちょっと良い意味で楽観的だった筈なのにな……」

 

 このまま考えてちゃ不味いと思って、わたしは廊下に。まだ次の用事までは時間があるから、少し気分転換か何かをしたい。

 でもほんとに、前はもっと前向きに考えられてた筈。事が事だから明るく考えるのは違うけど、前向きっていうか、自分を追い詰めるような事ばっかりは考えてなかったと思う。なのに今こうなってるのは、敵が人だからか、正しのは自分達だって胸を張れる状態じゃないからか、それとも顕人君の存在によって、わたしの中で変わった何かが……

 

「綾袮」

「え?…んぇ?」

 

 呼ばれた。肩を軽く叩かれた。反射的に、触られてる肩の方へ振り向いたら…頬を、指で突っつかれた。…え、何この多分昔からある悪戯は……。

 

「ん、やっと反応した」

「やっと…?…って、もしかして…何回も呼んでた…?」

 

 その悪戯をしたのはラフィーネ。隣…というか、斜め後ろにいるのはフォリン。つまり、同じ家にいる二人。

 もしやと思って訊くと、二人は同時にこくりと頷く。…全く気付かなかった…我ながら、思考の沼に嵌まり過ぎてた……。

 

「ごめん…ほんとに気付かなかった…」

「あ、いえ。そういう事でしたら別にいいのですが…作戦の準備に、難航してるんですか?」

「ううん、そういう事じゃなくってね…」

「…なら、顕人の事?」

「うっ…まあ、そうと言えばそうかな……」

 

 じぃっと見つめられながら大体合ってる事を言われて、わたしは思わずたじろぐ。ラフィーネは勘が良い方だし、雰囲気もあって迷わず言ってる感が強いから、それで本当に当てられるとどうしてもどきりとしてしまう。

 けど別に、当てられて困る事でもない。むしろ二人の場合、分かってもおかしくない訳だし。そして同時に、わたしはある事を思い…二人に言う。

 

「…あのさ、少し話せるかな…?急ぎじゃないから、用事があるならまた後でもいいんだけど……」

 

 問いかけに帰ってきたのは、二つの頷き。同じタイミングで、多分角度もほぼ同じな二人の首肯は、ほんと姉妹っていうか双子みたいで(いや双子も姉妹だけど)…ちょっぴりそれに笑ってから、わたしは二人をバルコニーに呼んだ。…今からしたいのは、誰かに聞かれたくない話だから。

 

「…移送作戦の事は、もう話したから分かってるよね?何をやるかも、その目的も」

「えぇ。…その中で、顕人さんと戦う事になるかもしれない…そうですよね」

 

 バルコニーに出て、周りに誰もいない事を確認して、早速わたしは話を始めた。まずは確認するように切り出して、返してくれたフォリンの言葉に、今度はわたしが頷きを返す。

 今は余裕のない状態なんだから、当然実力のある二人を出し惜しみなんてしない。二人にも作戦には出てもらうし…だけど二人は、本当は移送なんてしない事を知らない。殆どの霊装者は知らないし、知らせない…そういう事に、なっているから。

 

「うん。…二人は、どう…?二人は、顕人君と…戦えるの…?」

 

 二人の事を見つめながら、わたしは訊く。戦う事になるかどうかは分からないけど、もしそうなったとしたら、二人はどうするの…って。

 それに対して、二人は一瞬沈黙。でも、黙っていたのは一瞬だけで、すぐにラフィーネは頷いた。

 

「戦える。任務の為に、心を切り離すのは…慣れてる」

「……っ…それは……」

「…でも、辛い。辛いから…顕人を傷付けないで、止める。その為に、頑張る」

 

 首肯に続いて発されたのは、落ち着いた…でも、凄く悲しい言葉。割り切るとか、覚悟してるとかじゃなくて…心と行動を別のものにしてしまう、悲しい形。それが出来る事に、それをさらりと言えてしまう事に、わたしはやり切れない気持ちが湧き上がって……だけど、それだけじゃなかった。出来るけど辛いって、だから頑張って止めるんだって、そうラフィーネは言う。

 

「出会ったばかりならともかく、実力を伸ばしている今の顕人さんを、無傷で無力化するのは難しいでしょう。集団同士の戦いであれば、尚更困難です。…でも、私達は諦めたくないですから。その為に危ない目に遭おうとも、絶対に私達はそうしてみせます。出来たらいいじゃなくて、そうするんです」

 

 続くフォリンの言葉も、そこに込められた思いは同じ。二人共、戦うと決まれば相手も事情も無視出来て…その上で、思いはちっとも捨ててなんかいない。

 そんな二人を、わたしは凄いと思った。…ううん、凄いなんてものじゃない。そういう心の持ちようは、わたしよりずっと先を行っている。勿論わたしにも二人に負けないと思える事はあるし、立場も経歴も全く違うんだから、出来る事出来ない事の違いがあるのは当然だけど…うじうじ悩むばっかりの自分が情けなくなる程、二人の答えと思いは凄くて、格好良かった。

 

「…強いね、二人は」

「それ程でもある」

「綾袮さん程ではありませんが、私達も積み重ねがありますからね」

「あ、否定は全くしないんだ…らしいっちゃらしいけどね…」

 

 そういうところも含めて、これが二人の強さなのかもしれない。その強さを手に入れた経緯は、凄く悲しいものだと思うけど…それは誇れる強さだって、わたしは思う。

 

「…じゃあさ、もう一つ訊いてもいい?」

「なんでしょう?」

「二人は…顕人君に、付いていこうとは思わなかった…?…ううん、違う…二人にとっては、そっちの方が良かったんじゃないの…?」

 

 二人の覚悟はよく分かった。だからわたしは、もう一つの問いも口にする。

 これは、二人の気分を害する…二人にとって失礼な質問かもしれないと思っていた。だから、訊くのは少し迷っていた。でも今はもう、迷いはない。一つ目の答えを聞いて、一つ目の答えで、わたしはそう思えた。思えたからこそ、わたしは訊いた。

 さっきは一瞬だった、二人の沈黙。でも今度は、二つ目の問いは、確かに数秒の間黙っていて……それから二人は、ゆっくりと頷く。

 

「…ずっと、迷っていた。わたし達は、どうすればいいか。顕人の力になる、その為に顕人を追う…それも、考えた」

「受け入れてくれた協会や、その為に色々としてくれたのであろう綾袮さんには、恩も感謝も感じていますが…それ以上に私達は、私達に光を、二人での未来をくれた顕人さんの力になると、顕人さんが望むなら剣にも盾にも、何にでもなろうと決めていましたから」

「だったら…なら……」

「でも、顕人は言った。わたしとフォリンに、わたし達がしたいと思う事をしてほしいって」

 

 強い思い、きっと誰にも譲りはしない想いを二人が持っている事は知っている。今も、それが間違いじゃない事が分かって…ならどうしてと、わたしは問いを重ねようとした。それこそが、二人の望みじゃないのか、って。

 だけど、わたしの言葉を遮るように、ラフィーネが言う。二人は、言葉を続ける。

 

「その言葉を受けて、私達はよく考えました。私達の願いは、顕人さんの力になる事、顕人さんの為となる事です。ですがそれは、顕人さんに付いていく事で果たされるのか、本当にそれが顕人さんの為に、私達が出来る事なのか、二人で考え続けました」

「考えて、考えて…やっと、分かった。顕人は、わたし達を信じてくれている。だけど、わたし達を呼ばなかった。必要だって、力を貸してほしいって、言わなかった。…だから、分かった。わたし達に、出来る事は…ここにある」

「…それが、顕人君を止めるって事……?」

「そうです。そうですし…考える中で、思ったんです。それは、私達のしたい事でもあると。顕人さんの力になりたいと思うと同時に、戻ってきてほしいと…ここで、今の私達の日常で、顕人さんと共にいたいと、私達は思っていたんです。…だから、止めるんです。追うのではなく、取り戻すんです。それが私達の、したいと思う事ですから」

 

 思いを、心を語る二人の言葉。そこに、淀みはなかった。二人は通じ合っていて、同じ思いを抱いているんだと言うように、二人は交互に話してくれて…フォリンが言い切った時、ラフィーネは一つ…深くも浅くもない、けどしっかりとした頷きを添えていた。

 自分の願いと、したい事。それは同じなようで、実際近いもので…でも、必ずしも同じという訳じゃない。願いは結果で、したい事は手段…行動だからこそ、一見食い違っているように見える事もあるし…両方を見つめ直す事で、自分でも気付いていなかった別の望みや、そういう望みがある中で自分が出来る事なんかも、見えてくるって事もある。そしてそれを経たからこそ、二人はこんなにも落ち着いて、こんなにも信念を持って、「自分はこうするんだ」って決められているんだと…そう、思う。

 

「本当に…強いんだね、二人は」

「…綾袮は、強くない?」

「どう、かな…。今のわたしは、自信がないや…やらなきゃいけない事は見えてるし、理想もわたしの中にはあるけど……」

 

 自分の胸に手を当てて、呟くような調子で言う。やらなきゃいけない事は、支えにならない。考えずに行動する為の、言い訳にしかならない。理想も、それだけじゃ漠然とし過ぎていて、遠くのものを眺めているのと変わらない。…でも……

 

(自分の願いと、したい事…それは確かに、わたしの中にもある。わたしの願いは何?わたしのしたい事はどれ?その為に、わたしは…何が出来る?)

 

 分からない、自信がないからって、何もしなかったら本当に変わらない。それで良いの?迷いと躊躇いを抱えたままで、やらなきゃいけない事に逃げて、追うのはぼんやりした理想だけで…それでわたしは、納得なの?良かったって思える結末に、辿り着けるの?……違うよね、わたし。

 

「……ふー…」

 

 一回思考を中断させる為に、ゆっくりと息を吐く。出し切ったところで、今度は少しだけ吸って…自分の両頬を、叩く。

 痛い。叩いてるんだから、当然痛い。だけど叩いて、その痛みで、喝が入った……気がする。

 

「ありがと、ラフィーネ、フォリン。二人に話を聞けて、良かったよ」

「……?よく分からない、けど…綾袮の為になったなら、良かった」

「さっきも少し言いましたが、綾袮さんにもお世話になっていますから。そのお返しが出来たという事なら、私としても嬉しいです」

「ふふっ。…わたしさ、まだ思いがごちゃごちゃしてるけど…顕人君を、顕人君との毎日を取り戻したいのは、二人と同じだよ。だから、わたしも…全力を尽くす。それにじゃなくて…全部に、全力で」

 

 わたしには理想とか、わたし個人としての願いの他にも、宮空家の人間としての使命だったり、やらなくちゃいけない事がある。けどそれは、嫌な事じゃない。顕人君と同じように離反した人達にも、協会に残ってる人達にも、それぞれに思ってる事があって……だけど、どれか一つだけを選んで、他を諦める必要はない。出来るなら、出来る事全部に、全力を尽くす。それは凄く単純で、でも難しくて…だけどそれなら、わたしは迷わずにやれる。ごちゃごちゃ後ろ向きな事を考えるんじゃなくて、わたしらしく、わたしのしたい事は全部やるっていうのが…一番、わたしに合ってるもん。

 

「よーし!それじゃあわたし、先に戻るね!」

「あ、はい。…って言っても、私達もすぐ戻りますけどね」

「うん。ここにいても、やる事ない」

 

 ま、それもそっか、と二人の声に対して思いながら、一足先にわたしは中へ。曲がり角からいきなり人が出てきても大丈夫な位の早歩きで、わたしは次の用事に向かう。

 結構わたしって、単純だと思う。単純だから一人で考えて、ぐるぐると悪い部分で思考が堂々巡りして、さっきまでみたいに悩んじゃう事もあるし、単純だからこそ、切っ掛け一つでこんなにも元気になれる。それが良い事か、悪い事かと言えば……それはこれから、わたし自身が証明する。わたしが、わたしの望む結果を目指す事で。だから…覚悟していなよ、顕人君。本気になったわたしは、凄いんだから。

 

 

 

 

「これが、能力及び脳波検査の結果です」

「あぁ、ありがとう。相変わらず、仕事が早いね」

 

 これまでに数度、顕人が訪れたホテル。今日もそこには、ウェイン・アスラリウスの姿があった。

 

「ふむ…個人差はあれど、やはり皆こうなるか。中々君や顕人クンの様にはいかないね」

「むしろこれが普通かと。私はともかく、彼が例外的なのです」

 

 手渡されたタブレット端末、そこに表示されたデータを一つ一つ見ていったウェインは、肩を竦める。

 協会より離反した元霊装者及び、顕人の弁で彼の側についた一部の者達。ウェインの固有能力により赤い霊力を灯す事になった彼等のデータは……予想通り、異変を起こしている事を示していた。

 

「上手くいかないものだね。…いや、顕人クンのおかげで、これでも上手くいっている方だと言うべきかな」

「それは確かにそうですね。…霊装者としての力を引き出す一方、心身にも影響を…貴方の在り方に侵食とでも言うべき影響を受ける。貴方らしい、何とも業の深い力です」

「酷いなぁ、君は。僕だって、別に意図してこういうものした訳じゃないというのに。…まあだからこそ顕人クンに一切の影響がない…というより、影響を受けている筈にも関わらず、変化していない事が嬉しいんだけどね。それは彼が僕の思いに共感してくれる、同じ思いを抱く者だという、これ以上ない証明なんだから」

 

 そう言って笑うウェインの表情は、どこか子供のよう。そんな風に思わせる純粋さが、思いに対する真っ直ぐさがあり……同時に、他の霊装者に対する影響などは然程気にしていない、少なくとも心配という感情は抱いていないのだという事を表していた。

 そしてそれを、ゼリアも特に指摘はしない。そもそもそんな事は重要でもないとばかりに、軽く流され話は続く。

 

「それで、協会の方は何かしているかい?」

「いえ、今の段階では主だった動きはありません。ただ、どうやら聖宝の移送を計画しているようですね」

「移送?…ふむ…確かに奪われないようにするなら、もっと防衛し易い場所に移すのが当然の選択。けれど、あれはそう簡単に動かせるものでもない筈。…そうだろう?ゼリア」

 

 顎に親指と人差し指を当て、ウェインはそれが本当の事なのか、本当に出来る事なのか考える。その最中に、一度ゼリアの方を見やり…見られたゼリアは、深く頷いた。迷いなく、それをとてもよく知っているかのように。

 

「何か、裏がある可能性も大いにあるかと。どうなさいますか?」

「どうも何も、あれは彼等が狙っているものだよ。僕達は協力しているだけであって、上部組織でも出資者でもない。だからどうするかは、彼等次第さ」

「…………」

「はは、怖い顔をしないでくれ。…君にとってあれがどういう意味を持っているかは分かっている。僕は顕人クンを友であり、同士だと思っているけど…ゼリア、君との関係も唯一無二のものだと思っているよ」

 

 我関せずと言うように語るウェインに対し、ゼリアが向ける鋭い視線。絶対強者たる彼女の視線は、ただそれだけでも他者に恐怖を抱かせるには十分なだけの威圧感があり…されどそれを、ウェインは軽い調子で受け止めた。受け止めた上で、ふっと真面目な表情を浮かべた後、右手を伸ばして彼女の頬に触れ……彼の返答を受け取ったゼリアは、それなら良いとばかりに視線を緩めた。

 そう。彼等とて、本当にただ顕人の望みを後押しする為、ウェインの言う「見たい世界」を実現する為だけに行動している訳ではない。二人には顕人に語った以外の目標もまたあり……特にゼリアにとって、その目標は絶対に譲れぬものであった。

 

「とにかく、はっきりと分かる事がないのなら、よく考えた上で、最後は実際に動いて確かめるしかない。顕人クンも、それは理解しているだろうさ」

「…えぇ。彼が奮闘してくれれば良いのですが」

 

 期待するような声音で言うウェインと、期待外れにならなければ良いが…と言うような雰囲気で答えるゼリア。そこからも二人は会話を交わし、今後起こり得る事、その場合に選ぶ行動についてを確認していく。

 協会、顕人達離反者、そしてウェインとゼリア。聖宝を狙う別勢力の存在も頭の一角に留めながら、それぞれの立場、それぞれの勢力での…それぞれの思惑が、戦いに向けて渦巻いていた。それは偏に、思いを…望みし願いを果たす為に。



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第二百三十一話 覚悟は決まり…?

「あんた、いつの間にか霊装者として戦う事に対して、積極的になったわよね」

 

 偽移送作戦の決行日が、近付いている。その一度で決着がつくのか、ずるずると続いていく事になるのか…だが何れにせよ、負ける訳にはいかない戦いが。

 そんなある日、俺は依未を家に呼んだ。けど別に、何かをしようって訳じゃない。ただ、偽移送作戦の後、どういう事が待っているか、何が起こるか分からないんだから、時間の合う今日は、家にでも呼ぼうか。そんな事を考え家に招き、いつもの調子でゲームをしている最中…依未から、そんな事を言われた。

…因みに、何が起こるか分からない…って事の中に、俺が生きているかどうかは含めていない。死ぬ気なんざ、微塵もないんだから。

 

「それは俺が積極的になったんじゃなくて、協会が使える戦力を遊ばせておく余裕がなくなったって話だろ。組織の人間は、あくまで指示を受けて動くんだからよ」

「そういう意味で言ってるんじゃないっての…」

「そうだよお兄ちゃん。後、それについてはわたしも同感かな。わたしの事抜きにしても、今のお兄ちゃんは積極的でしょ?」

 

 コントローラーで操作しつつ淡々な調子で返答すると、依未からは不満げな、同じ部屋(リビング)にいる緋奈からは自分も気になる、という雰囲気の声を返される。…まあ、なんだっていい雑談のネタとして振られた訳じゃないのは分かっていたが…どうも、二人は俺が思っている以上に本気でそれを訊いているらしい。…だったら依未も依未で、ゲーム中に訊くなよ…まあいいけども。

 

「…まあ、確かに前より積極的なのは否定しねぇよ。けど、さっき俺が言った事も、別段間違っちゃいないだろ?」

「それは…まぁ、そうだけど…」

「そもそも何にもなきゃ、平穏無事なら、俺だってのんびりしてるさ。けど、今はそうもいかない現実があって、俺も俺で前とは考え方が…いや、違うな。考え方と、思いが変わった。戦う理由、自分の出来る事に向き合う意味が増えた。ただ、そんだけだよ」

「…そんだけ、って割には、複数言ったね…」

「う…そこはいいんだよ、そこは……」

 

 重箱の隅をつつくような緋奈の指摘に言葉を返し、まだ説明が必要か?…と二人を見やる。必要だ、って返されて場合、これ以上の説明なんかないんだから困る訳だが…どうやら二人はそれで納得してくれたようだった。

 

(…積極的、か…前の俺にゃ、呆れられるかもだが…後悔はねぇさ)

 

 ありきたりな日常さえあれば良いと思っていた、去年度初めの俺からすれば、何を血迷ったんだ…とか思われるかもしれない。だが、守りたいものが増えた事を、今の俺は後悔していない。後悔どころか、増えてよかったとすら思っている。そして、ただ守りたいものを守るだけじゃなく、失いかけてる『日常』を取り戻す為にも、俺はこれからの戦いを……

 

「はい、隙有り」

「あっ……」

 

 無防備なところへ容赦無く攻撃を浴びせられ、無残にもやられる俺の操作キャラクター。画面では依未の操作キャラが、隣では依未本人が満足そうに口角を上げており……え、ズルくね…?語らせといてそれは、ズルくない…?

 

「戦いは非常よ、悠耶」

「…よし、ちょっと俺の部屋行こうか依未。今言った言葉の重み、しっかりと理解させてやるからよ…」

「えっ、ちょっ…うぇっ!?」

「え、お、お兄ちゃん…!?」

 

 俺が軽く流すような返答をしたら不満そうに返され、真面目に考えて言い直したらその隙を突かれ、しかも何故か煽られた。……ほーぅ…今日はまた、随分と舐めた事をしてくれるじゃないか依未…。

 と、いう訳でお返ししてやろうと思った俺はゲームを止め、おもむろにに依未の腕を掴んでゆっくりと立つ。すると依未は目を見開いた後途端にあたふたと慌て始め、頬も赤く染まっていく。何なら緋奈も依未と似たような声を出している。

 全くもって予想通りの、思った通りの反応。だから俺は内心でほくそ笑みつつ、表面上はそれ一切出さずに…一拍置いて、言った。

 

「うん?何慌ててんだ二人共。俺は俺の部屋にある別のゲームの内、誰にするか選ぶ為に依未も連れて行こうと思っただけだぞ?」

『…へ……?』

 

 きょとんとした表情を浮かべた数秒後、再びみるみる内に顔が赤くなっていく二人。…もう、完璧に狙い通りである。歳下の女子(それも片方は実妹)に勘違いを誘発するような事を言って、こっちから知らんぷりしてその勘違いを指摘し、恥じる姿を見て勝利の感慨に浸る。……冷静に考えるとヤバい男だが、依未はともかく緋奈はとばっちりもいいところだからちょっと可哀想でもあるが…気分はとても良かったです、はい。

 

「くっ……ほんっとあんたって、捻くれてるっていうか捻じ曲がってるわよね…!」

「はっはっは、それはお互い様だろ依未」

「あたしはあんた程は……ぐっ、うぅぅ…!」

 

 優越感たっぷりな今は毒づかれても余裕で返せる。逆に依未はといえば、言い返そうとしたっぽいが途中でその言葉は途切れていた。…自分を省みて、否定し切れないと思ったんだろうか。そしてそれで止めたのなら…やっぱり依未は、表面的な性格が捻くれてるのとちょっと後ろ向きなだけで、根は普通に良い子なんだと思う。

 

「…まぁ、それはともかく…なんでまた急に、そんな事を言い出したんだ?」

「…別に…ただふと思ったから、言っただけよ…」

「本当か?…ここ最近の事、これからの事…そこに思うところがあって、だから言ったんじゃないのか?」

 

 ちょっと上がってたテンションを戻して俺が訊くと、依未は今し方してやられた事もあってか目を逸らす。だが何となく、本当にそうだとは思わなかった俺がじっと見つめてもう一度訊くと…依未は、小さく頷く。

 

「…こういう時だけ、無駄に鋭いんだから、あんたは……」

「悪いな。…で、なんなんだ?」

「…前に、話したでしょ?…あたしは、未来が見えていた…見えてたのに、何も出来なかった……」

 

 そう言って、依未は小さく俯いた。情けない、申し訳ない…そんな感情を、言葉に籠らせて。

 俺は、思い出す。確かに俺は、依未の見たものを、予言を聞いていた。赤い光と、敵対しているように見えた俺と御道の姿…それは現実となったものであり、避ける事が出来なかったというのも間違っちゃいない。そしてもし、避ける事が出来ていたのなら…そっちの方が、ずっと良かったに決まっている。…けど……

 

「なんだ、そんな事気にしてたのか」

「そ、そんな事って…どう考えてもこれは、『そんな事』で片付けられる事じゃ……」

「そうだな。けど避けられなかったのは、何も出来なかったのは、俺や妃乃も同じだ。その事を聞いていた人間は他にもいて…全員が、何も出来なかったんだ。だから別に、依未が責任を感じる事じゃねぇよ」

 

 気にするのは分かる。自分が発端なら、気にしてしまうのも無理はないのかもしれない。だが、だったらこれは依未が悪いのか?こうなったのは、依未のせいか?…そんな訳があるものか。依未の話した通りの光景だったってなら、実際に起こった事を予想するなんざ土台無理な話で…それでも責任を求めるのなら、それは全員の力不足ってものだ。

 

「……でも、友達でしょ…?友達が、取り返しのつかない事をする前に止められてたら…そうは、思わないの…?」

「うん?…なんだ依未、もしかして責任感じてたってよりは、俺に悪いと思って気にしてたのか?」

「……っ!?ぁ、う、そ、それは……」

「…だったら、尚更気にする事なんざねぇよ。まあ勿論、事態的には起きずに済んだ方が良かっただろうが…御道だって、あいつなりの覚悟や信念を持ってやってるんだ。そういう心構えで以って行動に移した筈だ。…だから俺は、それを無視してただ『未然に防げていたら』なんて思ったりはしねぇよ。…それは、御道に失礼ってもんだからな」

 

 もし未然に防げたのなら、そっちの方が楽だったのは間違いない。苦労や苦心をせずに済んだ人も多いだろうさ。けどそれが、今御道の中にある意思の行き場を失わせる事なら…俺はそれを、望めない。力を失い、それでも…どんな形であれ再び進んでいた御道から、意思の行き先をも奪うというのは、違うだろうと俺は思う。

 だが…それとは別に、今俺はある事を思った。だから俺は、それを伝えようと思い…依未の、頭を撫でる。

 

「…けど、ありがとな。俺の事、気にしてくれてさ」

「……っ…べ、別に…こんなの、感謝されるような事じゃ…」

「いいんだよ、俺が言いたかっただけなんだから。…いいだろ?感謝したって。俺は、嬉しく思ったんだからよ」

 

 また顔をほんのり赤らめる依未へ俺は軽く笑い、そのまま言葉も撫でるのも続ける。

 もし依未が俺の事をどうでも良いと思ってたなら、こんな話はしないだろう。そして、昔の俺でもまぁ、気にかけてくれた相手を邪険に扱う事はなかった…と思うが、今ははっきりと、気にかけてくれた相手には感謝を、ありがとうって気持ちを伝えたいと思っている。だから依未へ、何だかんだ言ってもよく俺の事を気にかけ心配してくれる依未へと感謝を伝え……そこで感じたのは、背後からの視線だった。

 

「…お兄ちゃんって、依未ちゃんとは結構躊躇いなく距離詰めるよね…」

「ふぇっ…!?ひ、緋奈ちゃん…!?」

「ん?…あー、言われてみるとそうかも…?」

 

 振り返れば、緋奈は見るからに不満そうな顔。その発言を受けた俺は、言われてみるとそうかもなぁ…なんて普通に受け止め、一方依未は更に赤面。

 

「気にかける云々なら、わたしも普段からお兄ちゃんの事、凄く気にかけてるんだけどなー?」

「なんだ、そういう事か…勿論、緋奈が気にかけてくれてるって事も分かってるさ。緋奈からの気持ちは、もう俺にとっては自分の一部みたいなもんだからな」

「い、一部って…あんた、何言ってるの…?」

「ん…分かってるなら、良いけど…」

「え…緋奈ちゃん…?…待って、今のは緋奈ちゃんにとってスルー出来るレベルなの…?」

 

 身近過ぎて気付かないものってのは色々あるが、どれだけ身近でも忘れたりしないのが緋奈の思い。そう思っている俺が普通に頷き、緋奈もまだちょっと不満を残している様子ながらも「なら良い」と言ってくれて…一人、依未だけは唖然としていた。…まあ、仕方ないね。俺と緋奈の絆は、言葉じゃとても言い表せない領域なんだから。

 

(…っていうのは、置いとくとして……)

 

 別に今の思考はふざけてた訳じゃないが、それを考えてたところで何かが変わる事はない。

 それより考えるべきは、緋奈の思い。さっきは普通に返してしまったが、本当にここ最近は今まで以上に色々気にかけさせて…心配をさせてしまっただろうし、次の作戦だってそうだ。俺は緋奈に色々心配をさせて…なのにいつも、変わらず俺に日常の温かさを、家族の幸せを感じさせてくれている。感謝を示したいと思えるのは…決して、依未に対してだけじゃない。

 

「…緋奈も、ありがとな。いつも俺の事を、待っていてくれて」

「…うん。それが今の…まだ弱いわたしに、それでも出来る事だから」

 

 依未を撫でていたのとは逆の手で緋奈を手招きし、緋奈の事もゆっくりと撫でる。普段感じている、いつもの感謝を…何気ない、けれど凄く大切な事を。

 

「ほんとに、いつも助けられてるよ。こういう言い方をすると、緋奈としては不満かもしれないが…緋奈がいつも通りにいてくれる、それが俺にとっては嬉しいし安心するんだ」

「分かってるよ、お兄ちゃん。…どんな形でも、お兄ちゃんにとってそういう存在でいられるなら、わたしは嬉しいな」

「…くぅ…!良い妹だろう、依未…!」

「いや、この流れであたしに振らないでよ…。……分かるけど。ほんと緋奈ちゃん良い子過ぎるっていうか、見てるだけで心が癒されていく感あるけど…!」

「あ、おう……」

 

 ほんとに緋奈は、俺の心をがっちり掴むような言葉を言ってくれる。その嬉しさを噛みしめるように、俺は依未へと軽く自慢し、依未はそれに対して呆れ……たものの、その後小声で、ギリギリ聞こえるか聞こえないか位の声で、がっつり俺に同意していた。…緋奈だって近くにいるのに、よく言ったな依未……。

 

「…後、いつまで頭に手を乗せてるのよ悠耶…流石にもう、何これ感が凄いんだけど……」

「っと、悪い。確かにそれもそうだな…」

 

 とか何とか思っていたら、今度は依未が半眼で俺を見やってくる。

 ほんと確かに、何もせずただただ頭に手を乗せられるだけ…というのは、何これ感が凄い。俺から見てもなんじゃこりゃなんだから、依未からすれば反応に困るなんてレベルじゃないんだろう。だから俺は、すぐに手を離そうとし……

 

「……悠耶?」

「…お兄ちゃん?」

 

 二人の頭から離そうとした手。それを俺は、離しかけたところで止める。そして、きょてんとしている二人の頭に触れ直し…再び、撫でる。

 

「…俺は二人に、心配すんなとか、いつも通りに戻ってくるとか、そういう言葉しかかけてやれない。二人には、待っていてもらうしかない。依未は能力の事があるし…緋奈だって、まだ自衛以上の訓練はしていないんだから、力を貸してほしいとは言えない。…それは、誰も幸せになれない事だからな」

「…分かってるよ、お兄ちゃん」

「そこは気にしないで頂戴。自分が、そういう事は出来ない人間なんだって事は理解してるし…ずっと前に、割り切ってるから」

「そっか…でもな、自分勝手な考えかもしれないが…そう言える相手がいるのって、凄く心強い事なんだよ。…や、心強い…って表現だと、微妙に間違っているような気もするんだけど、さ」

 

 柔らかな二人の髪を撫で、その手触りを感じながら、ゆっくりと俺は二人に話す。緋奈も依未も、今の自分に対しては冷静に、それが現実なんだと受け止めていて…けどそれは、諦めによるものなんかじゃない。今を受け止め、その上で前を、未来を見ている…二人の表情からは、そんな風に感じられた。

 だから俺も、言葉を続ける。そんな二人がいてくれるからこそ、俺がいつも思えてる事を。抱けている気持ちを。

 

「昔の俺は、その場の事が全てだった。一人じゃなかったが、俺が世話になった相手は皆、同じように戦場に立っていたからな。それが普通だったし、ある意味楽でもあったよ。何せ、全員が当事者だからよ」

「…昔…そっか、お兄ちゃんは……」

「あぁ。だから、家族だとか友達だとか、待ってる人がいるってのは、さぞ大変だろうなと思っていたよ。重荷が多いと、身動きも取り辛いんだろう…ってな」

 

 何一つ守るもののない人間は、弱い。弱点がないんじゃなく、生きる意志や目的もないんだろうから、脅威になんかなりゃしない。それは分かっていたが、戦うなら身軽な方が、余計なものは少ない方が良いとも思っていた。だから、昔の俺はその時の環境が(満たされないものはあっても)生きるのには適してると思っていたし、そういう考えも多分間違っちゃいない。…けど、今の俺は……違う。

 

「でも、緋奈や依未っていう存在が出来て、そういう立場で戦って…分かったんだよ。待ってる人がいるってのは、他のどんなものより、死ぬ訳にはいかない…って思わせてくれるってな。そりゃ勿論、誰もがそうって訳じゃないだろうが…俺にとっては、重荷どころか苦難の中で踏み留まる為の楔、流されないようにする為の錨みたいになってくれるんだよ。…だから、心強いんだ。二人の存在が、俺の底力を引き出してくれるから」

 

 だから、感謝してるんだ。守りたいんだ。待っていて、ほしいんだ。……そう、俺は二人に伝えた。こんな話をするのは恥ずかしくもあるが…伝えられて良かったと、そう感じた。

 

「…勝手なんかじゃ、ないわよ。仮に、勝手だったとしても…あたしはあんたに、悠耶にそう思われても…ちっとも、嫌だとは思わない」

「…そうか?」

「そうだよ。待つしかないのはもどかしくて、辛いけど…そう思ってもらえるなら、そう思ってもらえるから、わたしは…ううん、わたし達はお兄ちゃんを信じられる。お兄ちゃんは絶対裏切らないし…帰ってきて、くれるって。…ね?依未ちゃん」

「う……そう、ね…うん。…信じてるわ、悠耶。あたしだって…緋奈ちゃんに、負けない位」

 

──それが、その思いが、どれだけ嬉しく心強いものか。あぁ、言える、断言出来るさ。こう言われ、こう思われたのなら…この先何があろうと、どんな事が起きようと、絶対に俺は帰るんだと。裏切ったりなんかするもんかと。

 

「…よし。じゃあ、行ってくる」

「うん、行ってらっしゃいお兄ちゃん」

「待ってるから、気張りなさいよ。悠耶……って、ん…?」

 

 大切にしたい。絶対に悲しませたくない。その為なら、幾らでも力を出せる。そんな思いを胸に抱きながら、俺は感謝を込めて二人を撫で…手を、離す。

 心の準備は、もう万端だ。気負う必要はない、何故ならこれは重荷でも責任でもなく、俺を支えてくれる力なんだから。

──最後に一つ、二人に向けて頷いて、それから俺は行く。二人の信頼と期待を胸に、帰ってくる為に、俺は戦いへと向か…………

 

 

 

 

 

 

「…いや、今からじゃねぇよ!?今からでもなきゃ、今日でもねぇよ!?俺今、どこに行こうとしたんだよ!?」

 

……俺は突っ込んだ。自分の行動に対して、それはもう全力で突っ込んだ。…何しとんねん、俺…雰囲気に流され過ぎやろ…。

 

「し、知らないわよ…それはこっちが訊きたいわよ…。…あたしも最初、普通にそれを受け入れちゃったけども…」

「は、はは…なんかもう、完全にそういう雰囲気だったよね…わたし、何にも疑わずに見送っちゃいそうだったよ……」

 

 流石に阿呆過ぎる勘違いに俺が項垂れる中、依未は自分含めて呆れたような声を出し、緋奈も乾いた笑い声を漏らす。…本当に、訳が分からない。雰囲気に流されたってのは間違いないが…なんで、疑問を抱かなかったのか…。

 

(…でも、ま…受け取った思いは、なくなったりしないしな)

「…あ、ところで依未ちゃん、今日は泊まっていける?」

「え?…えと、め…迷惑じゃなければ……」

「そんなの勿論だよ。お兄ちゃん、いいよね?」

「構わねぇよ。…さて、もうちょいしたら夕飯の準備をするか。二人共、何かリクエストは?」

 

 何ともまぁ、馬鹿馬鹿しい勘違いをした俺達三人。他に誰もいなかったから良かったが、もしもこの勘違いを誰かに見られていたら、さぞ赤っ恥だった事だろう。…まぁ、依未に関してはそれ以前に、撫でられている姿を見られた時点で恥ずかっただろうが。

 とまぁ、そんな馬鹿な事をした訳だが…最後は馬鹿馬鹿しくても、受け取った思いは本物だ。それを受けて、俺が感じたものも、本物だ。だから無駄にはならないし……思いが変わりも、しない。

 ああ、そうだ。俺は妃乃を支え続けるつもりだし、世話になった多くの人の為にも俺なりに出来る事をするつもりだし、御道には面と向かって訊くつもりだ。そして、その上で……帰ってくるさ。必ず、ここに。

 

 

 

 

 千嵜悠耶。嘗て一度、戦いの果てに穏やかな日々を、温かな日常を望んだ彼は、再び戦いへの道が開き、初めはその道を否定しながらも数々の出来事を、人との関わりを重ねて……今、戦場に立つ。大切なものを、守る為に。

 御道顕人。ありふれた日々の中で夢を抱き続け、その夢の舞台に踏み入れてからも進み続け…消失の果てすら超えて突き進む彼は止まらない。妥協を捨て、望む世界を掴む為に……今、戦場を駆ける。大切な思いを、貫く為に。

 予言とは、これを指していたのかもしれない。二人の霊装者が指し示すのは、この事だったのかもしれない。──二つの理想、対極の場所から始まった思いが、真なる決意として交錯する瞬間は……まもなく、訪れる。



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第二百三十二話 決戦の始まり

 偽移送作戦、その行動は至って単純。熾天の聖宝を双統殿へと移動させると見せかけ、聖宝を狙う勢力を誘き寄せ、迎撃によって撃破するだけ。目論見や準備の段階は複雑でも、想定される戦闘の内容は、ただ襲ってくる敵を迎撃するのみというもの。

 それは、移送護衛の部隊も、地下空間周辺での待機…本当の意味での、聖宝防衛部隊も、対して変わらない。

 これは、ただの小競り合いで終わるのか、それとも決戦になれのか…それを知る由もない俺は、ただ全力を尽くすまで。それ以上でも、それ以外でもなく…全身全霊で、果たすべき事全てを果たす。

 

「悠耶。始めに言っておくけど…今回の作戦で貴方は、前と同じかそれ以上に、重要な戦力として見られてる。…その意味は、分かるわよね?」

「ああ、分かってる。その言葉の意味も、ここに立つって事の意味もな」

 

 富士での待機、建前上は「聖宝の移送によって起こり得る事態の警戒と調査」…という事で防衛拠点跡地(大半は撤収済み)に身を置く中、真剣な眼差しの妃乃によって、そんな言葉をかけられる。当然俺は、それに首肯し…それからふと、ある事に関して訊き返した。

 

「…その『見られてる』ってのは、協会としての認識か?」

「え?…まぁ、そうだけど…それがどうかしたの?」

「別に、だからなんだって訳じゃないさ。…ただ、妃乃個人はどう思っているのか、それが少し気になっただけだ」

 

 そう言って、俺も妃乃へと視線を向ける。問いの形は取らなかったが…察しが悪かったりはしない妃乃なら、今の言葉の意図は分かる筈。そんな思いで見ていると、妃乃は一度ほんのりと顔を赤くしてから目を逸らし…だが俺へと視線を戻して、言う。

 

「…私だって、期待してるし信頼もしてるわ。悠耶は…仲間として、心強いって思ってる」

「…ありがとな、妃乃。だったら俺は、その期待と信頼に応えてみせるさ」

 

 恐らくは感じていたのだろう恥じらいや照れ臭さを飲み込んで、返してくれた期待と信頼。それは俺にとって、嬉しいものでも、光栄なものでもあり…けれど何より、思う。その期待と信頼には、応えなくてはと。

 

「その言葉、信じるわよ。…ところで悠耶、その装備は……」

「この戦いは、譲れないものが多いからな。やれる限りの事は、しておきたかったんだよ」

 

 立場が変わり、今度は妃乃が俺に質問。その問いに俺は答え…もう一つ、妃乃に尋ねる。

 

「それで言ったら、あれは作戦に関係あるものなのか?」

「あれは…まあ、おまじないみたいなものよ。勿論選択肢の一つとして、必要なら使う事もあるだろうけど、ね」

 

 あれというのは、サラシの様な布で包まれた一振りの刀剣。それが今、地下空間で安置されるように置いてあり…妃乃の回答からして、戦闘にも使える儀礼用の物、って辺りなのだろうかと考える俺。

 まあでも、それはどうだって良い。これに関しては、ただ気になっただけだから。そういうもんならそういうもんだと片付けて…集中するとしようじゃないか。俺の役目を、目的を果たす為に。

 

(さぁ、いつでも来やがれ…じゃあ、駄目なんだが……来るなら来いよ、御道)

 

 作戦的には、来ない方が良い。こっちに強奪部隊が来るって事は、移送が偽りだって事がバレちまってる訳だから。だがその上で、俺は自分を奮い立てる。奮い立て…そして、待つ。もしもあり得るのだとしたら……御道とぶつかる、その瞬間を。

 

 

 

 

 聖宝を移送するという情報は、得ていた。実際に、その作戦が行われるのも、恐らく間違いない。けど、本当に運ぶかどうかは、全くの別。疑わしいどころか、本当は移送なんてしないんじゃないかと思う気持ちの方が強い。

 けど、確証はない。分かり易く疑わしいからこそ、裏の裏をかいて、逆に移送するのかもしれない。どうせ嘘だろと思わせ、安全に移動させる事こそが真の目的という事もあり得る。

 もしも移送が本当の事で、双統殿に運ばれてしまったら、手出しは今より難しくなる。こっちが手をこまねいていればいる程、どこか別の組織が動いて強奪してしまう可能性も高くなるし、ずっと動きが無しじゃこっちの士気も下がっていく。つまり、怪しくても動かざるを得ない状況がそこにはあって……俺は、俺達は選んだ。…ならば、その策略に乗ってやろうと。乗った上で、それを覆してやろうと。

 

「御道顕人。聖宝の移送車と思しき車両が、第二地点を通過しました。間もなく第三…そして第四地点にも到達するでしょう」

「了解です」

 

 インカムから聞こえるのは、ゼリアさんからの連絡。すぐに俺は全員へ伝え…少しでも緊張を和らげようと、大きく一つ深呼吸。

 第四地点。そこを通過した瞬間に、こっちは全力で強襲をかける。戦力の出し惜しみも、分散もしない。物量差は歴然な以上、全力でぶつからなきゃまず成功の可能性すら出てこない。

 そして、これから俺達が仕掛けるのは、移送車両。疑わしくともこっちをまず狙うのは、こちらは移動する対象であり、もし仮に富士山の方へ仕掛け、そっちがもう空だった場合、まんまと移送する時間を与えてしまう事になるから。

 

(…見える限りじゃ、人の姿もない…今更だけど、ほんとに凄いものだ……)

 

 今は夜間とはいえ、それを加味しても人影がない。その理由として挙がるのは二つ。一つは協会が、政治方面から上手く人払いをしているというもので…もう一つが、霊装者の…非日常側の性質そのもの。霊装者も魔物も、力を解放すると普通の人を遠ざける性質が…或いは普通の人の方が、霊装者や魔物を認識しない方向で動こうとする性質があって、霊装者は勿論魔物の事すら人間社会で一切騒ぎになっていないのは、これが理由。

…こうなっていてくれて、助かった。協会側もだろうけど…俺だって、関係ない一般の人達を巻き込みたくない。極力じゃなくて、絶対に誰一人として傷付けたくない。目的の為なら、犠牲も許容する…そんなのは、俺が理想とひている姿じゃない。

 

「まだ来ないの…?こっちは早くやりたくてうずうずしてるのに……」

「漸くやってやれる…間違ってんのはどっちなのかって、やっと示してやれるんだ…」

 

 聞こえてくるのは、昂り混じりな皆の声。好戦的な…剥き出しの刃の様な感情を露わにする皆から、躊躇いの気持ちは感じられない。

 やっぱり、おかしい。間違いなく、皆の精神には何か変調が起きている。しかもそれは、霊装者として…この紅い結晶を用いる度に、よりはっきりして言っているような気がする。けど俺には、同じように用いてる俺には、少なくとも自分で分かる範囲じゃ何もなく…あの時ゼリアさんの言った言葉も、一理ある。皆は自分で選んでここにいるのであり、変だからと言って俺が止めるのは、正しい事だろうか。勧誘したのは…切っ掛けを与えたのは俺なのに、その俺が皆の思いを邪魔する事が、正しいと言えるのだろうか。

 

「…先輩、表情が硬くなってますよ」

「へ…?…あ…はは、みたいだね……」

 

 思考の海に落ちかけていた俺を呼んだのは、隣に現れていた慧瑠。その言葉で我に返った俺が、自嘲気味に苦笑いをすると…真面目な顔で、慧瑠は言う。

 

「…今ならまだ、引き返せますよ?」

「…引き返す…?…いや、そんなのもう……」

「いいや、引き返せますよ。元通りの日々には、無理でしょうが…投げ出す事なら、簡単です。…先輩には、自分がいるっすからね」

 

 そんな選択肢ある訳ないと、考えもしなかった事を言われ、俺は困惑。でも…投げ出すだけなら、確かにそうだ。今の慧瑠がどこまで本来の力を使えるのかは分からないけど…避け、隠れる事においては、慧瑠の力は右に出る者がいない程なんだから。

 そして投げ出してしまえば、楽だろう。これが一番楽なのは明白だ。…でも……

 

「…ありがとう、慧瑠。けど、俺は引き返さないし、投げ出しもしない。…だってこれは、俺が望んだ事なんだから。望んで、自分の意思で走ってる道を…途中で投げ出したりなんてして堪るもんか」

 

 それは違う。根本的に間違っている。確かに今、俺は自分の行動がもたらしたもの…その中で生まれた、望まなかったものを目の当たりにはしてるけど、後悔はしていない。責任は感じているし、これもこのままでいいとは思ってないけど、自分の道を否定したいとは微塵も思わない。

 

「…ま、そうっすよね。そんな感じの返答がくると思ってました」

「あ、そうなの…。…ほんとありがと、気を遣ってくれて」

「いえいえ。先輩あっての自分っすからねー」

 

 軽い調子でそう答え、慧瑠はふわりと下がっていく。それを俺は追わずに…気持ちを、切り替える。戦いへと、照準を合わせる。

 多分慧瑠は、こうやって気持ちを切り替えられるよう、声をかけてくれたんだろう。きっとそうだ。慧瑠はマイペースに見えて、その実いつも俺を気遣ってくれているんだから。

 

「…皆、少し良いかな?」

 

 気持ちを切り替え、小さく息を吐き、インカムを用いて全員に呼び掛ける。作戦や行動は、もう確認を終えている。だからこれから言うのは、ただの言葉。ただ俺が、皆へと伝えたいだけの思い。

 

「この戦いに勝ち、聖宝を手に入れられれば、一気に変わる。霊源協会から離反した一部の霊装者から、聖宝を…唯一無二であり、絶対でもある存在を有する勢力へと変わる。何が起こるかも分からないまま、知らされないまま協会を信じて戦い、結果道を閉ざされた俺達が、何もかもをひっくり返す事になるんだ」

 

 俺と皆は、完全に同じ境遇という訳じゃない。俺は皆より早く本当の事を知っていて、そこから再起する機会も得られた。それは、その理由を一言に纏めるなら、やっぱり『縁』や『繋がり』であり、良い方面でも悪い方面でも他者と結んだ関係こそが、今俺をここまで導いている。そう思うからこそ、俺は続ける。こうして繋がりを持った、皆に向けて。

 

「だから、皆には信念を、自分の思う道を貫いてほしい。怒りとか、復讐とかじゃなく…胸を張れる意思で、皆に力を貸してほしい」

 

 言いたい思いを言い切って、俺は通信を終える。いきなり何を言い出すんだと、困惑されたかもしれない。でも、困惑されたとしてもいい。俺は伝えたかった、ただそれだけだから。

 あぁ、そうだ。これは仕返しの為に、協会へ後悔をさせる為にしている事じゃない。俺にとっては夢、憧れ、理想…望む俺自身となり、望む自分で在り続けられる世界を作る事こそが目的であり、信念であり、それが正義。絶対的な、俺の正しさ。そしてそれぞれに形や方向性は違えど、皆も同じように信念を、諦められなかった思いを持っている筈で…それを忘れなければ、貫ければ、きっと変調も乗り越えられる。…そう、信じたい。

 

「…当然だ。貫こうじゃねーか、俺達の正しさを」

「そうね。ここまで来て、やってやるって思いを無駄になんか出来るもんですか」

 

 インカムから、或いは直接聞こえる形で、返答の思いが返ってくる。その言葉に頷いて、俺は意識を研ぎ澄ます。恐らくは、成功より失敗の可能性の方が高いこの作戦で…それでも可能性を、掴み取る為に。

 

「第三地点を超えました。…準備は、宜しいですね?」

 

 再び聞こえたゼリアさんの声。第三地点を超えた、それが聞こえた数十秒後……遂にそれが、視界に映る。

 

「……さあ、始めるよ。総員…攻撃開始!」

 

 路上を走る、数台の大型車両。一台以外は…いや、もしかするも全てがダミーで、空には護衛の部隊も見えている。それ等を確認したところで…俺は、始動の合図を出す。

 何も恐れる事はない。時は来た、心も完全に決まっている。ならば後は…全身全霊で突き進むまで。

 

「やってやる、やってやるさ!」

「どれに乗ってるか分からないなら、全部確かめるまでよ…!」

「逃がしはしない……ッ!」

 

 味方が次々と飛び立ち、夜空に赤い光が灯もり始める。俺も地面を蹴るようにして飛び上がり、そのまま高度を上げていく。

 けど、俺が向かうのは車両でも、護衛部隊でもない。俺は高く、高く昇っていき……俺の新たな装備、その背中に備える四基の大型スラスターを可動させる。斜め十字をつくるように動かし、その状態で一気に霊力を流し込み…空に、巨大な十字を描く。

 

「聞け、全ての霊装者よ!正義は私に、我々にある!我々が望むのは支配でも、混乱でも、復讐でもない!自由であり、真実であり、己の心の中にある信念を貫ける世界こそが、我々の望み、我々が目指すものだ!同じ世界を志すのなら、正しくより良い未来を願うのなら、道を開けよ!」

 

 赤い霊力の光を、二対四枚の翼が如く夜空に広げ、俺は声を轟かせる。これは私利私欲を満たす為だけに襲う、無法者の襲撃ではないのだと、正義は自分達にこそあるのだと示す為に、わざと目立ち、わざと俺の存在を意識させる。

 これは、建前じゃない。自分の、自分達の行動を正当化する為の方便でもない。…当然だ。俺は、正しい事を言っているだけなのだから。

 

「……ッ!」

 

 とはいえ当然、本当にこれで道を開けてくれるとは思っていない。道を開ける霊装者は勿論、こちら側に付いてくれる人もまた存在せず…お返しとして放たれたのは、長距離攻撃。光芒は回避した私のすぐ側を駆け抜けていき、これを皮切りにするようにして、双方の激突が幕を開ける。

 

「……すぅ…はぁ…──ッ!」

 

 緊張で、不安で、心臓が早鐘を打つ。それを落ち着かせるように、俺は大きく深呼吸をし……迷いや躊躇いが鎌首をもたげる前に、両手の火器と、砲との兼用でもあるスラスター四基を前へと向ける。

 そして、発射。六門で同時に放ち、霊力の光芒を戦場へと撃ち込む。撃ち下ろす形となった光弾や光芒は、狙った通りの位置へと伸びて……一発たりとも誰かを傷付ける事がないまま、全弾避けられ虚空に消えた。

 

「よし…ッ!」

 

 完全な空振り。狙った部隊の連携を崩す事には成功したけど、撃破はゼロ。けど、それで良い。それも含めて、狙い通り。

 もう既に、何人も車両に向けて切り込んでいる。四基を元々の、通常の推進器としての形態に戻した俺も、その後を追うように突撃を始める。

 

「馬鹿な事は止めろ!君達の言う事にも、同情の余地はある!だがどんな理由があろうとも、これは単なる反逆だ!許される事じゃない!」

「許すか否かは、私が決める事だ…ッ!」

 

 迎撃の為上昇してくる協会の霊装者に対し、両手の火器を用いて牽制。幾ら対多数戦…手数や面制圧能力を必要とする戦いが比較的得意だと言っても、囲まれてしまえば対処し切れない訳で、そうならない為俺は空で動き回る。

 その最中、投げ掛けられる糾弾の声。それを言っているのは、俺より一回り歳上らしい霊装者で、味方の援護を受けながら俺に接近を仕掛けてくる。援護射撃でこっちも狙い撃ちし辛いとはいえ、俺の攻撃をしっかりと避けている辺り、相手の実力は侮れない。

 

(この人に接近戦をされたら厄介だ…だから……ッ!)

 

 引き撃ちをかける俺と、そのまま距離を詰めてこようとする相手。ならばと俺は四基の大型スラスターの内二基を動かし、肩越しに砲撃。相手は確実に避ける為か速度を落とし…見立て通り、余裕を持った動きで避ける。

 けれどそのおかげで、俺には余裕が出来た。そして俺はその余裕を活かし、推力最大。即座に二基を戻し、真っ直ぐ真正面へ…相手の霊装者へと突っ込んでいく。

 恐らくは咄嗟の判断で、相手は防御する事を選択。対する俺は、フルスロットルのまま肉薄を仕掛け……身を、躱す。軌道をずらし、相手の真正面から逸れ…すれ違う。

 

「……!しまっ……!」

「これで…ッ!」

 

 駆け抜けた直後、してやられたとばかりの声が聞こえた。けどもう遅い。俺の狙いは、こうして躱す事であり…俺が銃口を向けるのは、援護射撃をしていた後衛の一人。

 後衛と言っても、そう距離は離れていない。十分射程圏内であり、相手は面食らっている。明らかに反応が遅れ、動きが俺に追い付いていない。だから俺は躊躇う事なく右手の火器、連射型の霊力ライフルの引き金を引き……相手の持っていた、両手持ちのライフルを撃ち抜いた。

 

「先輩、上!すぐ側っす!」

「了、解ッ!」

「何……ッ!?」

 

 撃たれた衝撃で相手の手から落ちていくライフル。直後に聞こえたのは慧瑠の声であり…その声に従って、俺はオーバーヘッドキック。後方回転で上下が逆さまになった瞬間、援護射撃をしていたもう一人…今は上から俺に強襲しようとしていた霊装者の身体へと蹴りが直撃し、そのまま俺は蹴り飛ばす。

 二人の内、片方の携行火器を破壊し、片方を蹴り飛ばして、最初の霊装者が蹴られた味方を受け止めている間に俺は三人の相手を振り切る。

 

「慧瑠、ありがと。助かった…!」

「自分ももう腹は決めてますからね。最大限支援するっすよ」

 

 再び両手の火器で牽制を、敢えて分かり易く避け易い…それ故に回避を誘発出来る射撃を仕掛ける事で道を開き、車両に向けて突っ込んでいく。回避から鋭く反撃に転じる相手や、そもそも射角の外にいる相手に対しては面制圧の攻撃をかけ、足止めしつつ距離を取る。

 

(よし、やれる…圧倒は出来なくても、目的は果たせる…ッ!)

 

 今俺は、部隊を組まずに戦っている。それなりに強くはなれたとはいえ、俺以上の実力を持つ霊装者なんてこの場に何人もいるだろうし、普通なら大立ち回りをする前に押し切られる。…けど、今俺はそうなっていない。押し切られる事なく…元々は味方であった協会の霊装者達に対しても、装備のみの破壊や打撃だけで立ち回れている。

 それが出来ている理由は二つ。一つは、慧瑠がサポートしてくれているから。単に死角もカバーしてくれるだけじゃない、傍から見れば見えている筈のない、気付かれる訳のない位置からの攻撃へ的確に対応出来るというのはかなりのアドバンテージで…慧瑠がいてくれるから、俺は見えている範囲の対処に専念が出来る。相手の想定を超えられる事と、死角を気にしなくて良いと思えるのは…本当に、強い。

 

「先輩、また来るっすよ…!しかも今度は……」

「段々マークされるようになってきたか…だったら、ここで……ッ!」

 

 言うが早いか、何本もの光芒、何発もの弾丸が周囲に飛ぶ。今のところは無事だけど、既に何発も掠めてはいる。…けど、怖じる事はない。気持ちが昂ぶっているおかげで、危ないとは思っても怖いとは思わない。ちゃんと、視界の中にあるものが見えている。

 一度攻撃を止め、真上に向けて飛び上がる俺。上空への道を射撃で塞がれる前に、可能な限り高度を上げ…次の瞬間、俺は足を振り上げる。振り上げ、推力の向きも変える事で宙返りをし……全身に纏う装備、その全てのハッチを開放する。

 これまでの、協会で使われている装備は、基本的に武器一つ一つを身に付けるだけだった。それに対し、今俺が…俺達が装備しているのは、謂わばパワードスーツ。全身の各部に纏う重武装であり…その内の俺の装備、そこに備えられているのは、幾つもの砲門。集中力をフル稼働させる事で、眼下へ一気に狙いを付け……充填しておいた霊力で以って、全ての砲から一斉に放つ。

 

『……ッ!』

 

 それは俺が知る限り、一人の霊装者が一度に放つ事はまずないような光芒の幕。相手の霊装者は皆ぎょっとした様子で回避に移り…俺はそのまま砲撃を続行。派手に撃ち、その後も激しく飛び回る事で、視線を…注目を集める。

 これが、もう一つの理由。格段に伸びたこの対多数戦能力が、手数で薙ぎ払う事の出来るこの装備が、今の俺の立ち回りを実現させている。当然メリットばかりでなく、デメリットもある装備ではあるけど…今重要なのは、俺がすべき立ち回りを実現させてくれてるという事。単独で飛び回り、重火力で目立ち…味方の為、味方の前進の為に、全力で注意を引くという役目を。

 

(もっと、もっとだ…もっと引き付け、もっと俺の存在を印象付けて、そして……ッ!)

 

 今の戦い方が、ずっと続く訳がない。霊力は膨大でも、体力や集中力は、もっとずっと前に尽きるんだから。それが尽きてしまえば、まともに戦えず…仮に戦えたとしても、直撃はさせずに注意だけを引き続けるという「俺の戦い」はきっと、出来なくなるのだから。

 だかそれは、今より後の事。そうなってしまっても尚、目的や目標が果たされていないのなら、その時点でもう作戦は失敗。即ち考えるべきは、そうなった場合ではなく…そうならないようにする事のみ。

 先ではなく、今。今の先にある未来の為に、聖宝の奪取という目的を果たす為に、手始めの目標へと向けて……俺は、全力を尽くす。



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第二百三十三話 交錯する二人

 どんなに魅力的な何かがあっても、どんなに今動かなければ取り返しがつかなくなるって状況でも、絶対仕掛けてくる…なんて事はない。戦いに絶対なんてそうそうないのと同じように、待ち伏せとか誘い込みだって空振りに終わる事はある。…この偽移送作戦に対して、わたしはそうなってほしいような、ほしくないような…そんな心境だった。出来る事なら顕人君と戦う事はしたくないけど、何も起きなかったら顕人君を止める事も出来ないから。

 でも、顕人君は…顕人君達は、来た。聖宝を手に入れる為に、顕人君達の言う正義を示す為に、移動中に仕掛けてきた。…だから、始まった。聖宝を賭けた…霊装者同士の戦いが。

 

「待って、前に出ないで援護を続けて。人数はこっちの方が多い分、あんまり前に出過ぎると、仲間同士で邪魔になっちゃうから。…うん、そう。追い払うだけでも勝ちなんだから、無理はしないで」

 

 双統殿に向かって走る、移送の車両。どれに聖宝が載っているか分からないように、数台が並んで走っている。…でも本当は、どの車両にも載っていない。

 その内の一台の上で、わたしはインカムを使って指示を出していた。いつもみたいな、前線で戦いながらの指示じゃなくて、今は指示に専念していた。

 

(やっぱり皆、攻撃が弱い…けど、そうだよね…わたしだって、同じ気持ちだもん)

 

 数は、こっちの方が上。個々の強さも、離反したのは若い元霊装者が比較的多くて、だからその面でも平均で言えばこっちの方が上だと思う。なのに、簡単に返り討ちに出来ないのは…今はもう味方じゃなくても、元は仲間だった相手だから。離反した原因は、協会にあるから。ただの敵なんかじゃないんだから、皆多かれ少なかれ躊躇いはあるんだろうし…そうでなくても、相手は同じ人間。人なんだから、攻撃が鈍っちゃうのも仕方ない。

 だから正直、勢いとしては押されてるようにも見える。奪われさえしなければこっちの勝ちだし、もっと言えばここに聖宝なんてないんだから、今の段階じゃ負けそうって訳でもないけど…押されてるって空気は良くない。

 

「くっ…無茶苦茶だ、こんな強引に突っ込んでくるなんて…!」

「そこまで覚悟が決まってるっていうの…!?」

 

 それに、もう一つ空気を良くないものにしている要素がある。それが、向こうの動きで…向こうからは、全然躊躇いを感じない。攻撃するのもそうだし、撃たれたり斬られたりする事への躊躇いみたいなのも凄く薄いように見える。

 今聞こえた通り、傷付ける事も傷付く事も…死を招く事を全然恐れない位の覚悟があるって事なのか、こっちが躊躇ってるのを逆手に取って強引に動いているだけなのかは分からない。分からないけど…このままじゃ、駄目だ。今はまだ良くても、そのうちどこかでこっちに綻びが生まれてしまう。

 

(もう少し…もう少し、何かがあれば……)

 

 出来る事なら、すぐにわたしも出たい。いつもいつも前に出る事だけが正解じゃないのは分かってるけど、分かってる危険の芽へ自分で対処出来ないのは凄く歯痒い。

 だけど、下手にわたしが出たら、相手を更に勢い付かせちゃうかもしれない。わたしを引き摺り出せた、自分達の方が実は押してるんだって、そういう自信を与える事になるかもしれない。だから、ただわたしが動くんじゃ駄目で……けど、そう思っている時だった。

 

「んなっ、また…!…すみません…御道顕人に抜かれました…!」

「……!お母様、お父様、やっぱり顕人君はこっちの想定より厄介になってるよ!それに多分、顕人君の存在が向こうの士気高揚に繋がってる…!だから……ッ!」

「あ、ちょっ……失敗するんじゃないわよ、綾袮!貴女の為にも、彼の為にも…!」

 

 伝えられたのは、押し留める事に失敗したという連絡。それは勿論、良くない事で…だけど、わたしにとっては好都合。

 通信でおかー様とおとー様に伝えてすぐに、わたしは飛び上がる。一瞬、止められると思ったけど…帰ってきたのは、激励の声。それにわたしは、見えてる訳ないけど頷いて…飛ぶ。顕人君を止める為に、顕人君のいる場所目掛けて。

 

(あの時わたしは、止められなかった…だけど、だから…今度こそ……!)

 

 

 

 

 左右でそれぞれ性能の違う二丁のライフルに、主推進器兼用の四門の大口径砲に、ユニット各部の小口径砲。主となる火器全てが非実体弾になっている今の俺の装備は弾切れもリロードも気にする必要がなく、霊力量が最大の武器である俺にとっては、純粋に継戦能力の向上に繋がっている。

 でも当然体力が切れればまともに戦えなくなるし、攻撃で重傷を負っても戦闘能力の維持は困難になる。つまり、物量や役目的にも下手に長期戦を意識するとむしろ俺は危険なのであり、長期戦より素早く目的を果たす事こそが、勝利の為には賢明となる。

 その目的というのが、まずは役目でもある目立つ事。目立ち、攻撃をばら撒き、一人でも多くの相手の意識を引き付ける事で味方を支援し、尚且つ大立ち回りで味方の士気を上げる事。そして、もう一つの目的が──。

 

「こ、ん、にゃろぉおおおおぉッ!」

 

 左手のライフルでわざと滅茶苦茶に、避けずにその場で留まった方が安全そうな乱射を行う事で動きを阻みつつ、必要以上にスラスターから霊力を吹かして回避行動を取る。避けながら、その霊力の噴射で目眩しを狙っていく。

 一瞬も気を抜けない。気を抜けばすぐに集中砲火や接近を受けるし…俺は決めている。誰も殺すものかと。俺が目指すのは、殺す覚悟の出来る人間なんかじゃないと。

 

(は、はっ…思ってた以上に、上手くやれてるじゃないか…!)

 

 上手くといっても、格好良くじゃない。むしろ相手からは、必死こいて戦ってるように見えてるかもしれない。けど俺は、ちゃんと引き付けられている。引き付けた上で、やられずにいる。それは間違いなく、上出来ってもので……

 

「……先輩、ここまでで一番の強敵がお出ましっすよ…!」

「……!…それって……」

 

 俺は俺が思っていたよりも、強い霊装者なのかもしれない。…そんな淡い期待を即刻打ち切らせるが如く、慧瑠からの言葉が俺の気持ちを引き締めさせ…全身に、更なる緊張を抱かせる。

 何故慧瑠が、名前で呼ばなかったのかは分からない。でも…今の言い方だけで、俺には誰か分かった。直感的に、頭に浮かんで…その感覚は正しかったのだと、対面した事で実感する。

 

「…綾袮……」

 

 深く澄んだ蒼色を持つ翼と、同じく澄んだ…けれど同時に強い意思も籠った青の瞳。その瞳ははっきりと俺を見据えていて…瞬時に俺は悟る。綾袮相手じゃ、どうやったってここまでのように上手く躱す事は出来ないと。

 

「皆、ここはわたしに任せて!焦らず、落ち着いて戦う事が出来れば、これは勝てない戦いなんかじゃないよ!」

 

 よく通る綾袮の声が広がった数秒後、周囲の霊装者は皆指示通りに移動していく。正に鶴の一声で、俺としては非常に良くない。ここまで少しずつ得てきた俺への注意を、こうも簡単にリセットされてしまったんだから。

 そして当然、ここから注目を集め直す事も難しい。そうするには…相手が、強過ぎる。

 

「…そこを退いてほしい、って言っても聞いてはもらえそうにないね」

「退かないよ。わたしにはやらなきゃいけない事も、やりたい事も…叶えたい事も、あるから」

「そっか。なら…俺も俺の意思を、貫くまで…ッ!」

 

 言葉と共に、左手のライフルを向ける。躊躇う事なく、綾袮に向けて撃つ。…けれど、放った赤い光弾は、綾袮に届く事はない。その前に、俺が予想した通りに、綾袮の一太刀で斬り払われて…一気に綾袮は、距離を詰めてくる。避けられない。避ける時間が、一切ない。

 

「……っ、ぅ…ッ!」

「反応が早いね、顕人君。今の射撃と、この防御だけで、よく分かるよ。ほんとに顕人君は、強くなったって…!」

 

 左手のライフルをそのまま掲げ、銃身下部の実体を持つ銃剣で攻撃を受ける。とはいえこっちは片手持ちなのに対し、綾袮は天之尾羽張を両手持ちしていて、しかも突進の勢いが乗っている。辛うじて防御は出来ても、受け止め切る事なんて出来ず、俺は押し切られる。

 こうなる事も分かっていたから、俺は即座に下がりつつ、右手のライフルで連射をかけて追撃を阻止。強くなった…その言葉を綾袮に言ってもらえるのは嬉しくて、正直今でも心が舞い上がりそうで…同時に少しだけ、悲しくもなった。…こんな形で言われるのは、望んでいた事じゃなかったから。

 

(多分綾袮はここまで殆ど戦ってない。万全の状態だってなら、本当に俺の勝ち目はほぼゼロ。…けど、勝てなくたって……!)

 

 すぐに距離を詰めてくると思いきや、綾袮が次にしてきたのは斬撃を飛ばす遠距離攻撃。狙っていたのはそれで注意を逸らしてからの接近であり、実際接近への対応が一瞬遅れてしまった俺は、四基の砲を同時に撃ち、その火力で強引に迎撃する事を図る。

 綾袮は強いから、俺よりずっと強いからこそ…もしも当たってしまったらなんて、気にせずにいられる。よっぽどの状態でもない限り当たる訳がない。それは相当不利な事で…でもそのおかげで、戦い易い。

 

「顕人君!顕人君達は、本気で勝てると思って…勝ち目があると思って仕掛けてきたの!?」

「勝ち目もないのに、何も考えず正面から仕掛ける程、俺も皆も馬鹿じゃないさ…ッ!」

 

 真正面から迫る四条の光芒に対し、綾袮は戦闘機の様にロールをかけ、終始光芒を背にするような軌道を描いて鋭く避ける。微塵も無駄のない、殆ど減速も無しな、俺にはとても真似の出来ない空中機動で。

 更に距離を詰められた俺は、ならばとユニット各部の砲を展開。四門砲以上に連射が効かず、しかも一門一門の火力はそれ程でもないこの砲は、状況を見極めた上で使う必要があって…だから、今放つ。主推進器が全て砲撃モードで、姿勢も万全じゃない今、迎撃するならこれしかない。

 

「そんな攻撃……んな…ッ!?」

 

 密集はさせない、範囲を重視した一斉砲撃。恐らく綾袮の目にこれは、驚異には映っていない。多少面倒って位で、これも確実に分けられる…そう考えているんだと思う。だからこそ…次の瞬間、綾袮は驚愕する。俺の撃ち込んだ霊力の砲撃が…花弁の様に、外へと大きく開いた事で。

 

「ビームが、曲がった…!?」

 

 目を見開き、翼を地面に対して縦にする事で急ブレーキをかける綾袮。動きが止まったその瞬間、そのチャンスを少しでも活かすべく、俺は推進モードに戻した四基で姿勢を立て直しながら二丁での射撃で反撃をかける。

 そう。綾袮の言う通り、俺の放った砲撃は曲がった。俺が曲げた。撃ってから一度のみ…それも撃つ瞬間に決めたタイミングで、決めた方向にのみという形ではあるけど、ユニット各部の砲ではビームの曲射が可能になっている。本来…というか理想は所謂ホーミングビームの実現で、ただそれをするには霊装者側の高い操作能力が必要で、俺にはそれがない為に一度限りの曲射という形にはなっているけど…それでも使い方次第では、これも強力な武器になる。

 

「綾袮こそ、ここにいるのは綾袮の意思なの!?宮空の人間だから、責任があるから…そんな言葉で自分を縛って、自分から道を閉ざしているだけじゃないのッ!?」

「言うね、顕人君…わたしも勧誘したいの、かな…ッ!」

「まあ、綾袮が自分の意思で味方になってくれるなら…それ程心強い事は、そうそうないだろうね…ッ!」

 

 連射の間隔が違う二丁の射撃を、巧みに綾袮は斬り払い、素早い動きで避け続ける。少しでも隙があればそこに身体を捻じ込んで、そのまま一気に攻めてくる。俺もまた、頭と五感をフルに使う事で何とか綾袮の攻撃を避け、射撃と砲撃でカウンターを狙う。

 仕掛け合う最中に交わす会話。これは、相手の動揺を誘う為…ではない。誘えたらありがたいけど、俺は勿論綾袮もきっと、思いをぶつけ合ってるだけに過ぎない。思っている事、言いたい事…それ等を攻防の中でぶつけてるだけ。

 

「残念だけど…わたしは今の、顕人君の味方にはなれない…!だってわたしには、責任があるから!やらなくちゃいけない事があるから!…でも、これは自分を縛るものじゃない…ここにわたしがいるのは、こうしてるのは、誰でもない…わたし自身の、意思なんだよッ!」

「く……ッ!」

 

 正面からの振り下ろしを真上に飛ぶ事で避け、上からライフルの銃剣で刺突。形としては俺が上を、尚且つ背後を取った状態で…けどそれを、綾袮は避ける。背中にも目が付いているのかと思わせるようなタイミングで、俺の反撃を引き付けた上で後方宙返りをかけ…回避しながらも、俺から上を取り返す。

 咄嗟に俺はそのまま下へ加速する事を選択。結果、ユニットの一部を斬られたものの俺自身にダメージはなく、ユニットの方も斬られたのは外装だけ。ゆっくり確認する時間はないから確証はないものの、少なくともすぐに感じる不調はない。

 ただ…今ので改めて、痛感する。俺が強くなっているのだとしても…依然として、綾袮との間には大きな溝がある事を。

 

「顕人君の、顕人君達の怒りは当然だよッ!最善とか、必要な事とか、そんな理由で不誠実だったわたし達は、ちゃんと謝って、償わなきゃいけないって思ってる!だけど…だからって、こんな事していい訳がないんだよッ!立場を表明した上で、話し合う道だってあった筈なのに、そうしなかった…それがある限り、絶対にわたしは味方出来ないッ!」

「そうだね、その通りだ…ッ!けど話し合ったって、互いの納得出来る答えが出たって、それは問題が一つ解決するだけだ!協会が少し変わるだけだ!言った筈だよ、綾袮…ッ!俺は、世界を変革すると!」

「そんな事、本気で……」

「本気だッ!」

 

 引いて、撃って、また引く。元から俺の本領は中距離以上、綾袮の本領は近距離である事に加えて、今の装備は協会の装備よりゴテゴテしてる分、柔軟な動きには欠けるのだから。

 その中で、俺は言い切る。誇張でも方便でもなく、本気で世界を変えてやるつもりだと。言い切ると共に、ここまで下がり続けていた俺は一転して突進をかける。今言った言葉、そこに込めた思いを示すように。

 それには綾袮も面食らったようで、腕が止まり…されどそこは歴戦の霊装者。身を包むように翼を盾にし、俺の突進を阻み、直後に勢い良く開く事で俺を正面から弾き返す。

 

「俺は、本気だ…ッ!だから今も、こうしてッ、全力で…ッ!」

「…ごめん、だよね…顕人君は真面目で、誠実で、でもちょっと小心者で…本当に本気じゃなきゃ、全身全霊の思いをかけてなきゃ、こんな事する訳がないよね…!だから…そんな顕人君だから、わたしは…わたし達は、止めるッ!」

 

 突進をシャットアウトされた俺はスラスターの噴射ですぐに弾かれた勢いを殺し、近距離から撃つ。トリガー引きっ放しで、撃ちながら腕を振って飛び回る綾袮の姿を追う。

 まだチャンスだった筈の近距離射撃すら、やはり当たらない。こうなるともう、よっぽどの奇策か、一か八かの賭けでもしなきゃ、掠める事すら出来ないかもと思えてくる。本当に当てる気なんかなくとも、そんな思考が頭を過る。…でも、だからこそ…燃える。心が燃え上がる。自分にとっては師とも呼べる相手と戦場で相対し、本気で戦い、改めてその強さを知る…そんな劇的な状況に自分がいると思うと、湧き上がる熱が抑え切れない。

 

(嗚呼、そうだ…一瞬でいい、一瞬だけでいい…たった一瞬でも、次の瞬間が決着だとしても…俺は引き出す…!綾袮の、本気を…ッ!全力を…ッ!)

 

 横っ飛びのようにして突進刺突を避けた俺は、横蹴りのように脚を振り出し方向転換。フルパワーでスラスターを吹かし、そのまま駆け抜けていった綾袮の背中を追いかける。

 砲は一つも使わない。可能な限りの集中を飛行に当てる為、右手のライフルのみで後ろから綾袮に仕掛ける。燃える思いのままに、目的を果たす為に。

 

「俺はまだ、止まりはしない…ッ!力を貸してくれる人の為に、仲間の為に…俺自身の、為にッ!」

「絶対に、やらせはしないよ…ッ!わたしの為に、皆の為に……何より、顕人君の為にッ!」

 

 機動性も安定性も劣る中、それでも喰らい付く。追い掛けて、喰らい付いて…本気を、全力を、俺自身の手で以って綾袮から引き出す。

 縦横無尽に夜空を駆け回る綾袮は、フルスピード故にこっちも狙いがブレているとはいえ、背後からの射撃を見る事なく避け続ける。だが、このまま追い続ければ、必ず綾袮が攻撃に転じてくると、俺には分かっている。霊力量に長ける俺に我慢比べを仕掛けてくる訳ないし…綾袮はきっと、真っ向から、真正面から俺を倒しにくる。綾袮は、そういう人だから。

 そして…読み通り、俺が感じた通り……その瞬間が、訪れる。

 

「顕人君ッ!君は、わたしが……ッ!」

「……ッ!いっ、けぇええええええぇッ!」

 

 殆ど直角に飛び上がり、一気に高度を上げる綾袮。それには付いていけない、そんな機動は取れない俺は、脚を前へ投げ出し、主推進器全てを用いて一気に速度を落としていく。逆噴射でかかる身体への衝撃を、気力と根性だけで捩じ伏せ…月の下で宙返りし、方向転換を果たした綾袮と視線を交える。

 煌めく翼をはためかせ、綾袮がかける急降下。それを見据える俺はユニットの全砲門を開き、二丁のライフルの銃口も向け、四門の砲を除いた主力火器の全てを用いて一斉掃射。空から飛来する蒼の光を、昇る赤の光で迎え撃ち……綾袮は、駆け抜ける。急降下という、最も制動が難しい動きの中で、空を…弾幕の中を。避け、躱し、斬り払い……俺の迎撃を、掃射を、突破する。

 これが、それが、綾袮の実力。綾袮の本気。こっちも全砲門は使えなかったとはいえ…仮に使えてたとしても、迎撃し切れたか分からない。…でもだからこそ、俺は左手を引いていた。綾袮が突破する直前に、振り被るようにして引き…迫る大太刀、振り出された天之尾羽張に対し、ライフルの銃剣を叩き付けた。

 

「はぁああぁぁぁぁッ!」

「…ぐ、ぅ……ッ!(やっぱり、重い…ッ!…けど、これで……ッ!)」

 

 激突する二つの刃。どちらも振るわれた状態でぶつかり、綾袮は翼で、俺は推進器で押し込む事を狙い、ほんの一瞬ぶつかる力は拮抗し…されど次の瞬間、それは崩れる。綾袮に押し切られ、左腕諸共ライフルを弾かれ、俺は大きく姿勢を崩す。

 だけど、これで良い。これが良い。綾袮は今、突進の…駆け抜ける為の力から、振り抜く為の力へと移行した。だから綾袮の勢いは一気に落ち、俺も姿勢を崩してはいるけど…出来る事が、ある。左腕の武器を弾かれた、その勢いを利用して身体を右に回し、右手のライフルを綾袮に向ける事が出来る。

 これは両手に別々の武器を持っているからこそ出来る事。振り抜いた状態である綾袮じゃ、どう頑張ったって防御は間に合わない。そうだ、これで…これで俺は、本気の綾袮から……──ッ!

 

 

 

 

 

 

「これッ、でぇぇぇぇええええぇッ!」

「な……ッ!?」

 

──いける。そう思っていた。相手が綾袮じゃなければ…それこそ魔人だったとしても、きっといけていた。…だけど、綾袮は…ほんの一瞬の差で、それを上回る。

 得物を振り抜いた時、綾袮はそのまま回転していた。振り抜いた勢いを利用し、空中前転をかけていた。そして、本当に…本当に一瞬早く、俺の攻撃より一瞬だけ早く、必要な状態まで回った綾袮は……そのまま俺に、前転の挙動からの踵落としを叩き込んだ。

 左肩に、そこにあるユニットに打ち下ろされる、全力の踵落とし。一瞬、肩が抜けるんじゃないかと思う程の衝撃が走り、その衝撃で頭も、視界も揺れ…俺は、落ちる。振り抜かれた脚によって、一気に地上へ落ちていく。

 

(やら、れた…あぁ……本当に凄いなぁ、綾袮は…)

 

 落下する中、湧き上がったのは悔しさと、脱帽感と…それに、ほんの少しの安心感。やっぱり綾袮はこうでなくちゃ、まだまだ届かない存在でいてくれなきゃ。そんな思いが、俺の中にはあって……だから、俺は思っていた。…これで、良かったと。

 でも別に、だからって別に、俺は諦めた訳じゃない。良かったって言うのは……ただそれだけの、今じゃない。

 

「…慧瑠……!」

 

 回りながら落下する中、力を振り絞って俺は軌道修正。何とか眼下に見えた雑木林へ落ちるような軌道を取る。

 そうして最後に、揺れる視界の中で見たのは、慧瑠の姿。名前を呼び、揺れる視界で尚見つめ、慧瑠からの小さな頷きを受け取って……俺は雑木林へ、墜落した。

 

 

 

 

 初めて、顕人君と本気で勝負した。訓練の中で、模擬戦をした事はあったけど…ここまでやったのは、初めて。

…うん、そうだ。間違いじゃない。わたしは出したんだ。顕人君に…強いと思える相手に、わたしの本気を。

 

(…嬉しくて、悲しいよ…顕人君が強くなって…それを、こんな形で実感した事が……)

 

 顕人君とぶつかり合ってから、大体十分。わたしは今、前線指揮で戦況の立て直しを図っている。

 あれから、わたし達の側は持ち直した。持ち直したっていうか…悪い空気の流れが、消えつつある。そうなったのは、その理由は……

 

「綾袮…!」

「綾袮さん…!」

「……!ラフィーネ、フォリン!二人共…無事、みたいだね」

 

 聞こえた声に振り向けば、やっぱりそれはラフィーネとフォリン。分かってはいたけど、二人共ぴんぴんしてて…フォリンなんて、頷いた直後に振り返ったと思えば、狙撃能力のあるライフルで近付こうとしていた相手側の一人を撃っていた。振り上げた剣の刃を撃ち抜くっていう、相当凄い射撃をさらっとしていた。

 

「二人共、遊撃お疲れ様。まだ別の勢力が漁夫の利を狙ってくるかもしれないし、ペース配分には気を付けてね?」

「えぇ、分かってます。それよりも……」

「綾袮、顕人は?綾袮は顕人と会って、戦った…違う?」

 

 周囲を確認しながらわたしが言うと、フォリンは頷いた後すぐに「それよりも」と言って…ラフィーネが、続けてくる。二人からすれば、気にして当然の事を尋ねてくる。

 分かってた…というより、訊いてくるような気がしてた。だから気構えは出来ていたけど、それに対してどう答えればいいのか、それがまだわたしは決められていなくて……首を、横に振る。

 

「……!?綾袮…それは、どういう事……?」

「まさか…綾袮さん、貴女は顕人さんを……ッ!」

「え……?…あ、ち、違う違う!そういう事じゃないの、二人共!大丈夫!命を奪ったとかじゃないから、それは断じて違うから!」

 

 適当に答える訳にはいかないと思って、首振りだけで返したわたしだけど、二人の反応を見てすぐに後悔。慌ててそうじゃないと否定して…二人からの誤解を解く為に、纏まり切らないままに言う。

 

「…そうじゃなくて、分からないの……」

『分からない…?』

「うん。確かにわたしは顕人君と戦って、一撃入れて落下させたの。顕人君は、あの雑木林に落ちていったの。…なのに、落ちたっぽい場所に顕人君の姿がなくて……」

 

 そう言って、わたしは雑木林を指差す。雑木林に、木々に隠れる前までははっきり顕人君が見えてたし、落ちたのは間違いない。でもわたしも追って中に入った時、顕人君の姿はどこにもなかった。勿論雑木林全体を探した訳じゃないから、本当にいなかったかと言われたら断言は出来ないけど……今はまだ戦闘中。ゆっくり探す程の時間はない。

 

「探知で探そうにも、こんな戦闘状態じゃ探し出すのは困難だし、顕人君と戦ってたわたしの姿が急に消えるのは不味いしで、探すに探せないから、こっちに戻ってきたんだけど…二人がそう訊いてくるって事は、二人も知らないんだよね…?」

「そういう事ですか…。自力ですぐに立て直して、身を隠した可能性は…?」

「ある、とは思う。一撃入れたって言っても、肩に踵落とししただけだし…」

「…なら、戦線離脱…?」

「離脱…は、どうなんだろう…。顕人君の行動からして、士気の高揚を狙っていたのは多分間違いないし、だったら姿が見えなくなる事の士気低下だって分からない筈は……」

 

 二人とやり取りしながら、改めてわたしは考える。姿がないなら、何らかの方法で移動したのは間違いない。自分の力なのか、偶々味方が近くにいて、運んでもらったのかは分からないけど、移動したなら近くで隠れてるか、完全に逃げたかの二択になる。

 でもやっぱり、ラフィーネの言う戦線離脱…逃げたっていうのは考え辛い。今言ったのもそうだし、あれだけの意思、決意を見せていた顕人君が、そう簡単に離脱するとは思えない。むしろ去年の夏の事を考えれば、ボロボロになっても立ち上がって、力を振り絞って、でもそれだけじゃなくて頭を働かせて何か策も……

 

(…策、も……?)

 

 ふっ…と思考が止まるわたし。代わりにある可能性が、もしかしたら…って考えが脳裏に浮かぶ。

 勿論それは、確証なんてない。想像の域を出ない。だけどもし、今浮かんだ可能性の通りなら…どこかで誰かに、わたしにやられる事も想定に入れて、その上で狙ってる事があったとしたら……。

 

「…まさか……」

 

 生唾を、飲み込む。もしも本当にそうだったら、完全にわたしはしてやられた事になるから。勝負に勝って、試合に負けた…わたしはその状態かもしれないから。

 わたしは急いで連絡をかける。かけながら、その可能性の先にあり得る事を思考する。今すぐにしたとしても、遅れた対応の形になるのは避けられないけど……それでも、その可能性が現実のものとなった時、それが完全に手遅れになってしまわないように。



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第二百三十四話 聞きたかった君の心

「痛た…動くとはいえ、まだちょっと痛いな……」

 

 肩に残る、何かを押し付けられているような鈍い痛み。これが頭ではなく肩に当たって、頭に当たらなくて良かったと思いつつ、俺は低空飛行で移動を続ける。

 

「…慧瑠、追っ手はいる?」

「いえ、今のところいないっす」

「そっか。だったら作戦成功、かな」

 

 自分自身でも見回した後、慧瑠に訊く俺。慧瑠からも大丈夫だという答えを受けて、ふぅ…と小さく息を吐く。

 聖宝の移送が疑わしいのは自明の理。それでも仕掛けない訳にはいかないというのが、こっちの状況で…だから、俺達は考えた。無視出来ないなら、戦力を二分し二ヶ所で強襲する事も現実的じゃないなら、途中でやられたと見せかけて離脱し、富士山の方へ奇襲を仕掛けてみたらどうだろうか、と。移送の方へ戦力の全力投入をすれば、富士山の側は(防衛部隊がいるなら)油断し、少数の戦力でも突破する隙が生まれるんじゃないかと。

 そして俺は、その移動からの奇襲をかけるメンバーの一人。目立つように戦っていたのは、士気高揚だけじゃなく、この作戦に気付かれないよう、あの場に全力を注いでいる…と思わせるのも狙いの一つ。とはいえ、やられたふりして姿を眩まし離脱するっていうのは、かなり難しい事で…その点において、綾袮が一人で仕掛けてきてくれたのは、本当に僥倖だった。なにせ綾袮が相手なら、やられたって何の不自然さもないし、綾袮は立場的に、いつまでも俺一人に構ってる事なんて出来ないだろうから。

 

「にしても、大胆な事をしましたね。先輩、自分がいなかったら逃げる前に見つかってたかもしれないんっすよー?」

「慧瑠がいるから、自信を持ってこういう事が出来たんだよ。…まあ、絶対上手くいく、とまでは思えてなかったけどさ」

「…自分がいるから、っすか…普段は恥ずかしがったりする癖に、意識してない時は割とこういう事もさらっと言える、先輩のそういうところも自分は嫌いじゃないです」

「うっ…そ、それはどうも……」

 

 一先ず追っ手はいないとはいえ、油断は出来ない。仮に今は気付かれてなくても、何かの拍子にただ離脱した訳じゃないと気付かれてしまう可能性はあるんだから、急ぐに越した事はない。…そう思っていた中で、こんな事を言われてしまえば調子が狂わない筈がなく…でも少しだけ、安心した。慧瑠め、こんなタイミングでなんちゅう事を…と思った俺だけど、そういう風に考えられるって事は、まだ体力も精神も余裕があるって事なんだから。……まぁ、好意的に解釈すればだけど。言ってくれて嬉しい、とかじゃ全然ないけど。

 

「…で、この後はどうするんです?仲間と合流して仕掛けるんですか?」

「いや、もう後は各々の判断で動くだけだよ。ゆっくり合流してる時間はないし…何人上手くいったかも分からないしね」

 

 やられたふり、しかもその後上手い事姿を眩ますなんて、場所や戦況等の運もかなり関係してくる。だから、最悪俺一人で仕掛ける事になるかもしれないし…仮にそうなったとしても、俺は止めない。一人だとしても、俺は目的を果たすまで。

 

(一人で無茶を覆し、皆の思いを叶える主人公(ヒーロー)になるか、それとも一人じゃ無理なんていう、極当たり前な結果を迎える普通の人間になるか、ここからが分水嶺。……負けるかよ、俺が…負けねぇよ、俺は…!)

 

 不安はない。緊張も、ない事はないけど…それよりも、湧き上がってくる「やってやろうじゃないか」という感情の方がずっと強い。

 上手くいかなかったら…とか、想定外の事が起きたら…なんてのは考えない。備えとしての思考はしても、気持ちは前だけを見続ける。勝つ為に。目的を果たす為に。俺が理想を、掴む為に。

 

 

 

 

 輸送部隊の方で襲撃が起こり、戦闘が始まったという連絡を、暫く前に聞いた。予想していた通りに、協会上層部が思っていた通りに、御道達が動いてきた。

 向こうじゃ、霊装者同士の激しい戦闘になっている事だろう。聞く限りじゃ、御道達は戦力の出し惜しみもしていないらしい。だが、そんな向こうとは対照的に…こっちは、静かなまま。

 

「……こりゃ、フラグかなぁ…」

「え?」

 

 やる事がない。まあ勿論警戒はしてるし、それは絶対疎かにしちゃ駄目な事だが、それにしたってやる事がない。そしてそんな状態に対し俺が呟くと、妃乃は怪訝な顔でこっちを見てきた。

 

「いやほら、別の場所じゃ激しい戦闘が起きているらしいが、こっちは平和なもんだぜ…みたいな展開って、絶対何かが起こるフラグだろ?」

「あ、あぁ…縁起でもない事言うんじゃないわよ。それで本当に何かあったらどうする訳?」

「いやどうもこうも、何かあったら対処するしかないだろ…後何かあったとしても、俺のせいにされても困る…」

 

 確かに口は災いの元と言う。言霊って思想もあるし、精神衛生的な意味で下手に縁起でもない事は言わない方がいいのかもしれない。けどもしも本当に何かが起きたとしても、「俺が言ったから」なんてのを理由にされたら堪ったもんじゃない。ならまず、俺にそういう能力があるって裏付けを用意してから言ってほしい。

…などとどうでもいい事を考えられる位には、とにかく静かなものなのだ。

 

「(…まあ別に、おかしな訳じゃないんだよな。今回の作戦は、向こうに『こうせざるを得ない』…って状況を作るもんなんだから。そういう意味じゃ、むしろ警戒すべきは漁夫の利を狙ってくるやつがいるかどうか……)…ん?」

 

 ふざけた思考を一度切り上げ、代わりに先の事を考える俺。その最中、妃乃は通信が入ったのか、一度離れ……戻ってきた時、その表情は明らかに行く前より真面目な、何かあったと分かるものだった。

 

「…向こうで、大きな動きでもあったのか?」

「大きいかどうかはともかく…そうよ。目的はまだ分かってないけど…綾袮と戦った顕人が、不審な身の眩まし方をしたんだって」

「……!」

 

 その言葉に、俺は身体が反応するのを感じた。何かあった、という予想通りの内容ではあるが…御道が、ってなると途端に自分事の様に感じられる。

 

「…不審な、ってのはどういう事だ?量子化とか光子化でもしたのか?」

「いやそんな、機動兵器や精霊じゃないんだから…そうじゃなくて、地上に蹴り落としたのは間違いないのに、降りてみたら見当たらなかった…って事らしいわ」

「見当たらない…って事は、隠れたって訳か……」

 

 ふと一瞬、透明化してる…みたいな事も考えたが、まあまずない。絶対ないとまでは言わないが、そういう「もしも」を言い出したらキリがない。現実的に考えるなら、隠れたってのが妥当で…でも御道の事だ、そのまま隠れっ放しって事はない筈。だとしたら、反撃のチャンスを伺っているか、隠れて何か仕掛けを…罠か何かを用意しているか、それとも……。

 

「…いや、何にせよ俺達のやる事は変わらない。そうだろ?妃乃」

「えぇ、その通りよ。分からない事は警戒しておくべきだけど、それに惑わされて本来やるべき事を疎かにしちゃったら、それは本末転倒だもの」

 

 それぞれの言葉に、俺も妃乃も頷きを返す。勿論御道の動向も気にはなるが、それはあくまで向こうの事。こっちはこっちで、やるべき事を果たすだけ。

…欲を言えば、御道と直接話す機会がないまま終わってしまうのは残念だが…いや、違うな。どっちかが死にでもしない限り、チャンスは何れやってくるものだ。何せあり得ないとか、ある訳ないと思う事が、案外起こったりするのが…この世の中、ってもんだからな。

 

 

 

 

 迎撃も追撃もなく、想定外の事態が起こる事もなく、俺は富士山の近くまで到達する事が出来た。そういう邪魔を受けないようにする為、やられたふりをしたんだから、何もなくて当然…というか、あっちゃ困るんだけど、とにかくここまでは順調に進んだ。

 周囲を確認し、木陰で少しだけ休憩。仕舞っておいたゼリー飲料を飲み、出来る範囲で…ほんとに絆創膏を貼るとかその程度の手当てをし、息を整えた俺は富士へと突入。山中に入り、木々の間を縫うようにして進んでいく。

 

(落ち着け、焦るな。博打を打つより、慎重に、堅実に事を進める方が、俺は得意な筈だろう…?)

 

 自分に言い聞かせるようにしながら、気を張り詰めながらも俺は急ぐ。木より上、上空を飛ぶ形で進む方が速いし障害物がないから飛ぶのも楽だが、当然そうすれば見つかり易くもなってしまう。そして俺は、その二択なら絶対隠れて進む方が性に合ってるんだから、一気に進みたい気持ちを抑えて低空飛行を続ける。

 ただそれでも、そこそこの距離は進んだ。流石に聖宝(があるなら)の所には部隊が配置されてるだろうけど、ひょっとしたらそこまでは一切邪魔される事なく進めるかもしれない。──そんな希望的観測を俺が抱いた、次の瞬間だった。

 

「え?…な……ッ!?」

 

 突然感じた、微妙な衝撃。綾袮の踵落としを浴びた時の、激しく響くような衝撃とは違う…緊張感のないたとえだが、「あれっ?今なんかぶつかった?」…みたいな、そんな感覚。

 何でもない、ただ街中を歩いてる時なら、そこまで気にはしない。けど今は、ほんの些細な不調でも無視は出来ない。だから俺は一気に減速し、その衝撃を感じた場所を見て…愕然とした。そこにあったユニットの一部が、本当に端の部分ではあるが…何かで切断されたように、なくなっていた事で。

 

(攻撃!?追い付かれた…!?…いや、違う…確かこれは、前にも……ッ!)

 

 反射的に振り返るが、追撃の姿はない。ならばなんだ、何が切断した。そう俺は考えようとし…直後に、思い出す。

 あの時も、そうだった。同じように、木々の間を縫うように飛んでいて……けどその時は、引っかかり、絡まるだけだった。今のように、切断されるとまではいかず……あぁでも、同じだ。夏に行った、あの大規模模擬戦と。

 

「…って、事は……ッ!」

 

 周囲へと、目を走らせる。走らせ、凝らす。そしてそれは、見つける。暗さもあって見つけ辛い…けれど確かにそこにある、何本もの糸を。

 それ等は俺が気付いた時、既に俺へと向かっていた。俺を捕らえようと、領域とでも言うべきものが狭まっていた。

 

「やられた…けど、この程度…ッ!」

 

 跳ね上げるように、背部の四基の内二基を振り出し、肩越しに霊力の砲撃を放つ。四門中の二門、半分の数とはいえ、一門辺りの火力は今の装備の中でも最大である砲の攻撃は、見えていた糸全てを焼き払い……

 

「流石に一度受けた事のある手だと、対応も早いな、顕人…ッ!」

「……っ!上嶋さん…!」

 

 だが、糸がただの罠ではなく、俺を狙った明確な攻撃をしてきた時点で…いや、軽微なダメージとはいえ俺が糸に引っかかってしまった時点で、俺は策に嵌まっていた。

 真上から感じた気配に飛び退けば、そこへ勢い良く飛び込んできたのは上嶋さん。続けざまに十字砲火が俺を襲い、俺は上昇。まだ他にも糸の罠があるかもしれない木々の中には逃げられず、遮蔽物なんて何もない空へと押し出される。

 

「…中々元気そうじゃないか。そのゴツい装備の割に、動きも悪くない…いや、装備に推進器を点在させて、それをお前の霊力の豊富さでフル稼働させてるのか…」

「…一瞬で見抜いてきますね、上嶋さん……」

「ま、瞬時に相手や状況を把握するのも、隊長に必要な技能だからな。…っつっても、今のはひょっとしたら…と思っただけだが」

 

 誰がいる、何人いる。そう俺が考え、視線を走らせる中、上嶋さんも上昇してくる。恐らく今さっきの十字砲火を行ったのであろう、赤松さんと杉野さんも姿を現し……そしてもう一人、糸の罠を仕掛けていた霊装者とも、俺は対面した。

 

「…茅章……」

「待ってたよ、顕人君。君が来るのを…こうしてまた、会えるのを」

 

 真剣な眼差しと、真っ直ぐな声。普段の穏やかな…もっと言ってしまえば少し気弱な様子とは大きく離れた、本気そのものの茅章。糸の罠の時点で、そうだとは思っていたけど…直接対面した事で、より一層俺の心に緊張が走る。

 分かっていた。綾袮以外でも、見知った相手、仲の良い相手と、こうして正対し得るという事は。そして今…俺は、それを迎えている。

 

「…顕人君。どうしてこんな事を…とは訊かないよ。なんでこんな方法で…なんて事も訊かない。顕人君なりの意思、決心でやってるんだって事は…悠耶君から、聞いたから」

「(千嵜から…?…あぁ、そうか…)…けど…訊く事はしなくても、俺の前に立ち、行く手を阻む…そうなんだね、茅章」

「うん。僕は顕人君達がしている事を正しいとは思ってないし、任務関係なく、知らんぷりも出来ないから。……だから…その上で訊かせて、顕人君。どうして顕人君は…悠耶君にも、僕にも…何も言ってくれなかったの?それは、反対されると思ったから?味方になってくれないと思ったから?」

 

 気を遣っているのか、それとも何か策があるのか、上嶋さん達は動かない。茅章も仕掛ける事なく、俺に語りかけ…訊く。きっと茅章が、ずっと思っていた事を。俺が離反してから、今この瞬間まで、胸の中に秘めていた思いを。

 当然それに、答える義務はない。特に今は、敵対している関係なんだから。……でも、茅章は友達だ。茅章も友として訊いていて…立場が逆なら、俺だって訊いていた事だろう。…だから、俺が取る選択は一つ。

 

「…誰にも相談しなかった訳じゃない。だけど、俺が選んだ道は…最初から決めてた事なんだよ。一度は霊装者の道を失って、でも取り戻して、これまでとは違う景色が、世界が見えて…迷う事なく、俺はこうするって決めたんだ。…けど、迷っていたら…決められず、決め切れず、迷って悩んでいたなら……茅章や千嵜にも、きっと話していたと思う」

「…そっか。……うん、今はそれだけ聞ければ十分だよ。他の話は…また後で、また改めて聞けばいいんだから」

 

 嘘じゃない。父さん母さんと話すだけじゃ決め切れず、綾袮やラフィーネ、フォリン達と話しても尚迷っていたとするなら…俺はきっと、茅章や千嵜の事も頼っていた。二人の事も、俺は信頼しているから。勿論、協会を離反する事を、協会所属の相手に素直に話す事はなかっただろうけど…いやむしろ、そういう事情を考えれば、綾袮より先に茅章には話していたかもしれない。現実とは違う架空の話だから、絶対はないけど…きっとそうだったろうと、俺は思う。

 そんな俺の答えを聞いた茅章は、満足そうに表情を緩める。…また後で、の意味は訊かない。その言葉だけで、茅章の思いは伝わったから。

 

「悪いけど、俺はここで止まる気も、引き返すつもりもない。だから…押し通る……ッ!」

 

 二丁のライフルを同時に撃ち、それで正面の空間を空けて突っ込む。狙うのは、少しでも今いる場所から離れる事。このまま一気に振り切る事は難しくても、ある程度離れる事が出来れば、糸の罠を気にしなくて済む。そうなれば、木々を盾に振り切りを図る事だって出来る。でも勿論、そんな簡単に成功するような話でもない。

 

「……!すみません…!僕の話の間、待ってもらって…!」

「いいや、気にすんな…!その話のおかげで、話している間ここに足止め出来たんだからな…ッ!」

 

 先手を打った攻撃で、抜ける事は出来た。されどその際を射撃で阻まれ、回避行動を取ったところで上嶋さんが突進してくる。

 振るわれた斬撃を、銃剣で防御。押し返しは一切考えず、その勢いを利用して離れようとし…そこへ回り込んでくるのは、束ねられた糸の追撃。

 

「こっちこそ悪いな、四対一で…ッ!」

 

 素早く目を動かして糸の軌道を捉え、射撃で撃ち抜く。その間に再び上嶋さんが距離を詰め、仕掛けてくる。それに対し、俺は防御に回らざるを得ない。

 動きで言えば、上嶋さんは綾袮程じゃない。けど、大きく離れようとすれば赤松さんと杉野さんの射撃が襲い、誤射の危険のある距離は茅章が自在に動く糸で支援を務め、その三人への攻撃は上嶋さんが前衛を、距離を詰め続ける突撃型前衛を担う事で徹底的に潰してくる。一人一人の脅威度はさっきより低くても、連携を活かした戦い方は中々付け入る隙を見せてはくれず…振り切るどころか、離れる事もままならなかった。

 

(…けど、茅章は元から上嶋さんの部隊にいた訳じゃない…どこかで必ず、連携のほつれが生まれる筈だ…ッ!)

 

 当たらなくとも、大体の位置でも攻撃を飛ばす事が出来れば、回避や警戒を優先させられる。当たり前だけど、有利な状態で一か八かの攻撃を仕掛ける人は、まずいない。だから右手のライフルのフルオートで後衛の二人に牽制をかけつつ、左手のライフルを腰に戻す。代わりに左手で純霊力剣の柄を掴み、突進を仕掛けてきた上嶋さんの振り下ろしを受ける。引き抜くと同時の、斬り上げ気味の横薙ぎで上嶋さんと斬り結ぶ。

 すぐに切り抜ける事は出来ない。けど突破口はきっと出来る筈だ。そしてその為に必要なのは、耐える事。

 

「なぁ、顕人…お前の言う正しさを示して、世界を変えて…それで、どうする気だ…?」

 

 互いの刃越しに、上嶋さんが投げかけてくる問い。それは、訊かれた内容は、完全に予想外の事で…一拍置いてから、俺は答える。

 

「示す事、変える事…それ自体が、目標です。俺は、自分が望む世界を作る…それが俺の、行動理由です…ッ!」

「デカい目標だな、俺よりよっぽど目指す先が壮大だ…!けどな顕人、その先で続くものが…果たした後に、新しい目標を見つけられないような望みじゃ、果たしても虚しくなるだけじゃねぇのか、よッ!」

 

 斬り結ぶ距離となれば、支援の射撃は飛んでこない。茅章からの糸も、せめぎ合う中で少しずつ動けば上嶋さんに絡まってしまう事を避ける為に、刺突や捕縛を狙ってこない。

 とはいえ今はまだ良くても、ここから肉弾戦に移行されたら、動き易さの差から俺は一気にやられてしまう。そんな状況下で、返した言葉を上嶋さんらしい、ただの否定じゃない投げかけで更に返され、直後に上嶋さんは剣から左手を離してナイフを抜く。そこからそのまま、逆手持ちで横に振るい…堪らず俺は後ろに下がる。

 

「……ッ…俺はそうは、思いませんよ…ッ!むしろ望んだ世界になるんだ、そこからの日々が虚しくなんてなるものか…ッ!」

「ま、望んだ世界にする事そのものがゴールじゃなきゃ、確かに虚しくはならないかもな…ッ!その世界が、本当に望んだ通りだったんなら…ッ!」

「……!」

 

 後退した直後に、再び十字砲火が襲ってくる。避けた先には無数の糸で編まれた網が、そこを砲撃で突破しようとも再度上嶋さんの近接格闘が迫ってくる。

 俺はこの連携に対し、茅章の存在がどこかで穴となると思っていた。けど…実際は違う。茅章の動きは常に誰かの後であり、その誰かが落ち着いて行動する為の余裕を作っているのであり…それ故に、そう簡単には綻びない。綻び辛いような連携を敷いて、上嶋さん達は仕掛けてきている。当然その分、上嶋さん達は負担が大きいだろうし、長時間の維持は厳しいんだろうけど…体力の消耗においては、一人である俺の方がずっと劣勢。つまり負担から崩れるのを待つのも、得策じゃない。

 そしてそこに、俺の心に上嶋さんの言葉が響く。望む世界が、本当に望む通りになるのなら。その指摘は、何ら特別なものじゃなく…けれどだからこそ、絶対に避けては通れないもの。

 

(…あぁ、そうだ。何もかも、全部理想の通りになる保証はない。そもそも俺の理想は、設計図の様に細部まできっちり決まってる訳じゃない。…でも……ッ!)

 

 理想通りじゃないかもしれない。多分これは、何をしようとも絶対にゼロには出来ない可能性で、それか後悔に繋がる事だってあり得るかもしれない。どうなるかなんて、分かる筈がない。

 でも…いやだからこそ、分からないからこそ、そうだとしても止める理由には、諦める理由にはならない。そして、そんな可能性があろうとも突き進むだけの覚悟なら…ある…ッ!

 

「先輩、ここまでこのまま長い間戦うのは不味いんじゃないっすか…?」

「不味いね、色んな意味で本当に不味い…!…だから、こうなったら……」

 

 それぞれが独立可動し別々の方向へ向けられる主推進器の柔軟性を活かし、回避と迎撃に専念する事で何とか波状攻撃を凌いでいく俺。その中で聞こえた慧瑠からの言葉に俺は頷き…強行突破を、考える。

 けどそれは、この高度での突破じゃない。木々の中まで降り、砲撃で前を開けながら…あるかもしれない糸の罠を強引に破壊しながら進む強行突破。当然撃ちながらじゃ速度は落ちるし、こっちから道を開く分後ろからの追撃が容易になる…つまり追ってくれと言うような方法で、決して賢明な策じゃないけど…このままジリ貧になり、時間を浪費するだけよりは、ずっと良い。

 決めたのなら、即刻行動するまで。躊躇う時間すら、今は惜しい。そんな意思の下、俺は一瞬でも連撃から逃れ、そこから一気に降下を……そう考えていた時だった。

 

「……ッ!?長距離攻撃…!?」

「まさか、増援…!?」

 

 誰か…というより、この場へとにかく放つ事を目的としたような赤い光芒。その光に、赤松さんと杉野さんが振り向き…俺は振り向くより早く、理解する。その光芒、放たれた霊力ビームの意味を。

 

「今だ、行けッ!」

「悪いけど、私達の目的はあんた達なんかに邪魔されて良いものじゃないってのよッ!」

 

 背中で聞いた言葉に振り向き、俺はその声に…追い付いてくれた二人の味方に頷きを返して、そのままターン。主推進器は勿論、他のスラスターも全て用いて、全力で加速。新たな敵の攻撃に止まった連携の穴から抜けて、再び振り向く。ユニット各部からの一斉砲撃で全員に回避行動を取らせて、今度こそこの場から離脱する。

 

「……ッ!隊長、顕人君が…ッ!」

「気持ちは分かるが追うな!今下手に追えば、前後からの挟撃を受けるぞ!」

 

 恐らく追おうとしたのだろう茅章の声と、それを制止した上嶋さんの声。次に聞こえたのは戦闘音で…もう、俺に向けられる声はない。

 よく言えば元々の作戦が功を奏して、悪く言えばただただ運良く、俺は茅章達の迎撃を突破出来た。こんな形で迎撃が来たって事は……やっぱり、まだ富士山に聖宝があると見て間違いない。

 

(…また聞けばいい…世界が望み通りになるのなら…そうだよな、皆だって……)

 

 向けられた言葉を、心の中で思い出す。二人共…いや、赤松さんや杉野さんも、俺を裏切り者として恨んだり、軽蔑したりしてるような様子はなかった。そうしなかった理由の中には、協会にも非はあるから、ってのもあるかもだけど…同時に、四人がそういう人格、そういう精神の持ち主だって事もあるんだと思う。

 止めようとした四人にも、それぞれ思いや意思がある。引き受けてくれた二人だった同じ事。望みがあり、その為に覚悟を決めてるのは俺だけじゃなくて…これは、そのぶつかり合いだ。それをぶつけ合い、意地でも自分の意思を通そうとする戦いだ。

 だからこそ、俺は止まれない。最後まで走り切らなきゃいけない。それが、自分の意思を、正義を押し通す人間の…責任ってやつだ。



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第二百三十五話 迫り来る者達

 移送車両を守る協会側と、聖宝を狙う離反側の戦闘は、続いていた。協会側は数で勝りつつも躊躇いを捨て切れず、それが攻撃の甘さとなり、協会側よりも少数且つ若者が中心である離反側の攻撃を何とか押し留めつつも、離反側の勢いを殺し切れないという状況のままだった。

 されど、離反側の勢いもまた、初めよりは落ちている。そもそも数は勿論、連携や個々人の技量等質の面でも離反側は劣っているのであり、それ等の要素は戦いが長引けば長引く程如実に表れていく。だかしかし、離反側も諦めず…というより、激情に突き動かされているかの如く、少しずつ劣勢になろうとも攻める意思だけは一切変わらず、誰一人として撤退するような素振りは見せない。

 

「そうだ、突破さえさせなければいい。確実な撃墜を狙ったところで、それをした人間の精神が削られるだけだ」

「もう少しで双統殿の守備範囲に入るわ。後一歩だって事を、各員に伝えて頂戴」

 

 宮空深介と時宮由美乃、それぞれの家系の血を引く二人の指示が通信で走る。

 戦闘そのものはどちらかに偏り切らない状況ながら、協会側の目的は移送…つまり双統殿に辿り着く事であり、離反側はその前に聖宝を奪取、或いは移送が嘘ならばそれが嘘だという確信を得る事。そして双統殿までの道はもうそう遠くなく、即ちそれは協会側の勝利もまた近いという事。走る指示はそれを踏まえてのものであり…この場での勝利が近付いている事は事実ながら、指揮を司る者達の顔は明るくなかった。

 

「くそっ、くそぉぉッ!どうして、こんな…ッ!」

「ごめんね、でも…!」

 

 全力で後退をかけながらも、乱射をかける一人の霊装者。離反側であるその霊装者が相手取るのは、綾袮であり…実力者という訳でもなければ、綾袮の戦い方をよく知る訳でもない彼にとっては、あまりにも分の悪過ぎる存在。トリガーを引きっ放しにして撃とうとも、舞うように飛ぶ綾袮を捉え切る事は出来ず…肉薄の直後、持っていた火器を両断される。一瞬呆気に取られた後、彼は歯噛みしながら近接戦用の装備を抜こうとしたが、それも手にした瞬間手刀を膝に受けた事で落としてしまい、駄目押しが如くすれ違う瞬間翼で身体を叩かれる。手加減された攻撃ながら、姿勢が崩れた彼は落ちていき、綾袮は次の相手の無力化へ向かう。

 

(後少しで、ここは勝てる…勝てるけど……!)

 

 ここまで誰一人として命を奪わないどころか大怪我すらもさせず無力化してきた綾袮だが、それでいて自身はほぼ無傷な彼女だが、動きに反して表情は硬い。浮かべているのは焦燥とも言える表情であり…その理由は、富士山を管轄内とする支部から入ったある通信。

 それは、富士に離反側の霊装者が現れ、侵攻しているというもの。その通信により、顕人がいなくなった理由へ対する予想が確信へと変わり…元々作戦の関係から富士には少数の戦力しか配置されておらず、それもあって未だ止め切れていないという現状から、綾袮は焦燥感を抱いていた。

 

「綾袮様…わたし、信じてたんですよ…?大きい組織に秘密は付きもの、でも綾袮様は嘘も隠し事もなく、誠実にわたし達に接してくれてるって…!」

「そうだ…裏切ったのはオレ達じゃない…協会が、協会がオレ達を……!」

「……っ!」

 

 無意識的に、移動を止めてしまっていた身体。そこへ側面から襲いかかる、二人の霊装者。

 切実な叫びにも、呪詛にも聞こえる言葉を発しながら、二人は綾袮に向けて迫る。先手を取られてしまった綾袮は反射的に防御態勢を取り、その綾袮へ銃口が向けられ…だが放たれる直前、一条の青い光が双方の間を駆け抜けた。直撃こそしていない、されど目の前を駆け抜けた光芒に、思わず二人は身を竦ませ…次の瞬間、光実それぞれのナイフを逆手で構えた霊装者が、素早く接近すると一瞬で女性側の武器を破壊。続けてその身体を蹴り飛ばし、もう一人にぶつけて二人纏めて落下させる。

 

「二人共…。…ごめん、ちょっと油断してた…」

「分かってる、そう思ったから代わりに片付けた」

「綾袮さんでしたら、やられる事はなかったでしょうし、余計なお世話だったかもしれませんけど、ね」

 

 二人の霊装者を落としたラフィーネと、その隙を作ったフォリンの姉妹を見て、綾袮は一瞬目を丸くする。

 彼女達二人は、暫し前に綾袮と話して以降、綾袮の近くで戦っていた。そしてその結果、綾袮を助ける形に…或いは止まっていた綾袮が囮の様に機能したところを、上手く横から叩いた形となったのだ。

 

「顕人の事、気になる?」

「うん……って、あ…い、いや顕人君の事だけじゃないよ?顕人君もだけど、他にも……」

「分かっていますから大丈夫ですよ。…やはり、立場ある人間は大変ですね。目の前の事以外も考えなくてはいけないんですから」

 

 理解はしている、というようなフォリンの言葉に、綾袮は苦笑い。確かにそれはその通りで、もし綾袮が一介の兵であれば、先のように隙を晒す事はなかっただろう。ラフィーネやフォリンも、顕人の事は気になっているが…逆に言えば彼の事以外は気にする立場にいない為に、綾袮の様な状態にはなっていない。

 

「はは…まあでもそれは今言ったって仕方ないからね。油断したわたしが言える事じゃないけど、今は目の前の事と役目に集中して……」

「いや、綾袮。お前は今すぐ富士へ向かえ」

「え…おじー様…?」

 

 軽く頭を振り、思考をリセットするような素振りを見せた綾袮。そこから綾袮は飛び出そうとし…だがそこで、刀一郎からの通信が入る。

 

「富士へって…どういう事?まさか、顕人君が最後まで……」

「いいや。だが今の状況では、予想外の侵攻をされる可能性もある。それに…どうも勘が騒ぐのだ。であれば下手に部隊単位で向かわせるよりは、足が速く実力も確かな綾袮が向かった方が確実だからな」

「か、勘って……」

 

 戦闘こそしていないものの、戦場に来てまで万一に備えている祖父が口にした、勘という単語。それに一瞬呆気に取られる綾袮だったが、その祖父は嘗ての大戦を潜り抜けた猛者。経験なら今の自分より遥かに豊富な祖父の勘なら軽視は出来ないと思い直し…その上で、言葉を返す。

 

「でも、おじー様。そうした場合、ここは……」

「問題があればその時は深介達が、万が一の時は私が対応する。…が、綾袮。既に我々は、十分な距離を移動している。その意味が分からない訳でもないだろう?」

 

 そう。綾袮の懸念も間違ってはいないが、これはあくまで『偽』移送作戦。目的は謂わば、騙して誘き寄せる事であり、仮に綾袮が抜けた結果突破されてしまったとしても、聖宝を奪われる事はない。そして本当の場所が分かったところで、既に大きく引き離しており、尚且つ戦力もそれなり以上に損耗させているのだから、この場自体はどうとでもなる……それが今の、協会側としての状況なのだ。

 無論、だからと言って油断は出来ない。第三勢力の可能性は勿論、如何に被害を抑えて終わらせるかもまた、戦闘においては重要なのだから。それを踏まえた上で、刀一郎は綾袮に指示を出したのであり…綾袮の言葉や様子から通信の内容を察した姉妹は、後を押すように言う。

 

「大丈夫です、綾袮さん。私達が、ここに残りますから」

「え?…けど、二人だって……」

「わたし達は、望む結果さえ得られればいい。役や立場は、気にしない」

「……分かった。おじー様、後で文句が出てきたら…」

「戦場は、その場に応じた判断こそが正義だ。そして結果さえ残せば、後はどうとでもなる」

「それはさらっとプレッシャーだよおじー様…でも、任せて…!」

 

 離反の中心人物、御道顕人を擁していた宮空側に聖宝の防衛は任せられない。その論調を覆し切れなかった為、妃乃と違って移送側にいた綾袮だったが、ラフィーネとフォリンに頷き、刀一郎に言葉を返し、戦線を離脱。フォリンが狙撃で援護し、ラフィーネが積極的な攻勢に出る事で注意を引き、一気に綾袮は富士へと向けて加速していく。

 刀一郎の感じた、悪い勘。それが決して勘違いではなく…そして想像とは違う形で現実のものとなるのは、これから少しだけ先の事だった。

 

 

 

 

 富士山を管轄に持つ支部の部隊…言うなれば、俺達最低限の戦力以外で唯一怪しまれる事なく配置出来る戦力の中に、茅章がいる事を知ったのはついさっきだった。御道の侵攻…行方が分からなくなっていた御道が、そのまま隠れてギリギリまで富士山に接近してきていたのだと知るのと、ほぼ同時の出来事だった。

 

「増援の援護を受けて、突破した、ね…やるじゃない、今は全く喜ばしくないけど…」

 

 侵攻を遅らせは出来たものの、今も御道はこっちに向かってきている。その事実を前に、妃乃はそう呟いていた。

 あぁ、確かに凄い。仲間ありきとはいえ、協会全体で言えばまだ経験が浅く、実力も特別高い訳じゃない御道が、ここまで迎撃を切り抜けて、まだ足を止めていないなんて。

 

(いや、違う。こんだけやれてる時点で、少なくとも御道の実力は低くない、そう言えるレベルにあるんだ。それに経験だって、日数がそのまま経験の量になる訳じゃねぇ)

 

 運も実力の内なんていうが、運だけで出来る事なんざたかが知れてる。そしてその運だけじゃ出来る訳ない事をしているんだから、それ自体が今の御道にそれなり以上の実力があるという事への裏付け。加えて経験ってのは、質や密度も重要な訳で…何度かその経験に被りがある俺だからこそ、分かる。御道の重ねてきた経験は、並みの霊装者とは比較にもならないものだと。

 

「…妃乃?」

 

 だとすれば、御道がここまでやれているのも、必然かもそれない。そんな事まで俺は考えていて…次の瞬間、妃乃は立ち上がる。

 

「何ぼさっとしてるのよ」

「え、いや…動くのか…?」

「えぇ。これ以上、顕人を近付かせる訳にはいかない。…迎撃するわよ、悠耶」

「……っ…」

 

 訊き返しへ対する言葉、妃乃からの答えが、俺に緊張感を抱かせる。迎撃する…その言葉が持つ意味なんて、一つしかない。

 

「…戦えない、なんて言わないわよね?」

「…言わねぇよ、その覚悟がなきゃここにゃいねぇ。…けど、良いのか?こっちから離れて迎撃をしてる間に、別方向から仕掛けられて奪取されたら、洒落にならないだろ?」

「だからこそ、他に敵の影がない今の内に動くのよ。何も全員で迎撃に出る訳じゃないし…このままここに陣取ってたとしても、複数方向から同時に仕掛けられたら厄介なのは変わりないでしょ?」

 

 思うところはある。それを隠す気はないが…覚悟だって、ちゃんとしてきてる。それに、戦術的な意味できになったのも本当で…だがそっちに関しては、妃乃の言う事もご尤も。防御に専念するってのは、相手を自由にさせるのと同じな訳で、そこは臨機応変に行動を考えなくちゃ意味がない。

 それに…ある意味で、良かったのかもしれない。この件、この戦いに関しては…自分の知らぬ間に、知らぬ所で終わってただなんて、なってほしくないから。

 

「…ふー……よし」

 

 息を吸い、ゆっくりと吐き出す。深呼吸そのもの…というより、深呼吸という行為をスイッチにするようにして心を整え、俺も立つ。

 

「妃乃。理由はどうあれ、曲がりなりにも綾袮が御道に出し抜かれたのは事実だ。だから……」

「分かってる、本気でいくし油断もしないわ」

「…油断に関しちゃ、誰もしようと思ってするもんじゃないと思うけどな」

「う…だったらどう言えってのよ…」

 

 冗談めかしてそんな事を言いながらも、俺と妃乃は移動。まずは地下空間を出て、周囲を見回し確認し…飛び立つ。

 今はまだ見えていない。だが御道の方もこっちに向かってきてる事を考えれば、数分足らずで接触になる。

 

(茅章は、ちゃんと御道と話せたんだろうか…いや、きっと話せてるよな。ああ見えて、茅章は意思がしっかりしてんだからよ)

 

 確証はないが、茅章は訊きたい事、言いたい事をちゃんとぶつけられたような気がする。そして、ぶつけられているのなら…御道は、答えている筈だ。御道顕人って男は、そういう律儀なやつなんだから。

…そう、誰かの事を気にするのはここまで。ここからはまず自分の事を、自分と妃乃の事を考える。相手がなんであれ、誰であれ、それが戦い、生き残る為に必要な事で…遂に、俺は視認する。木々の間を見え隠れする、赤い光を。

 

「…妃乃」

「…分かってるわ」

 

 妃乃が空中で制動をかけたのは、俺とほぼ同時。ただ、俺が呼び掛けた時、妃乃はもう天乃瓊矛を振り上げていて…一閃。振るわれた刃の軌道が形になったような、飛翔する斬撃が放たれ…眼下へ、赤い光が見えた場所の少し先へと飛来する。

 斬り裂かれる草木。舞い上がる煙。その煙によって、御道の位置もどうなったのかも分からなくなり……次の瞬間俺のすぐ近くを駆け抜けたのは、赤の光芒。

 

「……っ!…今のは……」

「視界が効かない中で、飛んできた攻撃の方位を頼りに撃ち返してきたわね…ほんと、やるようになったじゃない…」

 

 返ってきた光芒は二条。どちらも外れたとはいえ、これは闇雲に撃ったんじゃない、明らかに場所を読んでの攻撃。その反撃で実力を感じ取る中、砲撃によって一気に煙は晴れ……その敵が、御道が上昇してくる。

 

「…ここまで姿が見えなかったから、ひょっとして、とは思っていたけど……」

「そういうこった。今度はやられたふりして隠れず、すぐに出てくるんだな」

 

 姿の見えた御道に、今の斬撃で受けたらしいダメージはない。ひょっとしたら、何かしらの武装には当たって、それは投棄してきた…なんて事もあるかもしれないが、とになくまだ御道には、十分な戦闘能力がある。目に浮かんでいるのも、退く気はないという意思に他ならない。

 

「ここじゃあ、隠れたところでじっくりと探されて終わりだからね。…やっぱり、移送はされてなかった訳か」

「あら、何の事かしら。…一応言うけど、綾袮の様に出し抜こうなんて思わない事ね。そもそも綾袮の時だって、あの状況で、何も知られてない状態でやったからこそ…でしょ?」

「まぁ、ね。けど、出し抜けるかどうかは別の問題だよ。そっちこそ、俺がもう何も策なく、ただ突っ込んでくるだけだと思う?」

 

 こっちと同程度の高度まで上がり、御道は止まる。遠距離攻撃の間合いのまま、妃乃と御道は駆け引きを交わす。

 御道に何か策があるのか。そんな事は分からない。本当に策があるなら、わざわざ心理戦を仕掛けたりはせず、策を警戒される前にさっさと行動に移す筈。だが一方で、これも策の一部…策に誘い込む為の会話という線も捨て切れない。

 つまり、はっきりしているのは二つ。策があるかどうかは、判別のしようがないって事と……まともにやり合えば、やはり勝つのはこっちだって事。

 

「…御道。妃乃は違うだろうが、少なくとも俺は器用じゃねぇ。押し通るつもりなら…覚悟しろよ?」

「今更だよ、千嵜。俺が覚悟もなしに行動してると思ってるなら……」

「そうは思っちゃいねぇよ。俺が言ってんのは…別の覚悟だ」

「そっか。……してないよ、その覚悟は。そうはならないから。そうなる事が、俺の望む道じゃないから」

 

 楽観視ではなく、現実の話として、御道に勝ち目なんざありはしない。思い切り高く見積もって、一対一なら妃乃相手にも善戦出来る…そこまでの実力があったとしても、二対一である以上は、勝てやしない。

 それでも押し通る気なら…それ相応の覚悟があるって事だ。そう思っていた俺だが…御道からの返しを聞いて、一瞬呆気に取られた。何を言っているんだ、こいつは…と。

 だが…御道は本気だ。その考え方は理解出来ないが、本気で自分を、自分の思いややろうとしている事を信じている。

 

(御道に策がある可能性はゼロじゃねぇ。御道に勝ったって、その時点で戦いが終わる訳でもねぇ。何より…こういう目をしている人間は、最後まで何をするか分からねぇ。……だったら…)

 

 速攻で決める。初手から全力で、出し惜しみなしで、策だろうと本気だろうと、とにかく何かをされる前に勝負を付ける。そうするべきだと俺は感じ、アイコンタクトを妃乃に送り…微かにだが、妃乃もそれに頷いた。

 呆気ない終わり方になるかもしれない。御道からすれば、納得なんて微塵もいかない終わり方になる事だろう。だが、それでいい。譲れないものは…俺にだって、あるんだから。

 気取られないよう、息を吐く。神経を張り詰め、全身に力を行き渡らせ、そして……

 

『……!』

 

 動こうとした、その時だった。側面から、魔物が飛来するミサイルが如く襲ってきたのは。

 

「ちっ、間が悪い…ッ!」

 

 瞬時に飛び退き、引き抜いたライフルで迎撃をかける。速度はかなりのものだが、動きは直線なおかげで偏差射撃自体はし易い。

 躱し、迎撃し、視線を周囲に向ける。群れで、それこそミサイルの一斉射の様に襲ってきた魔物は妃乃や御道にも襲いかかっており…けど二人も躱しながら着実に迎撃している。妃乃は巧みに躱しながら次々と、御道はその火力で以って複数纏めて落としていく。

 

(然程強くない…が、おかしいな…余裕で倒せる程度の魔物なら、俺や御道はまだしも、妃乃まで攻撃をかけられるまで気付かないなんて事はない筈…。見た目も動きもミサイルっぽいだけに、ステルスタイプだってか…?…いや、待て…こいつは……)

 

 引き離し、振り向き、連射で一体を撃破。続けて引き付け、真っ直ぐに突進してきた個体へは右手に持った直刀の刺突で一撃必殺。引き抜きその場から離脱しながら、同時に俺は考える。

 魔物が現れる事自体は何もおかしくない。だが、そこそこの数いる魔物が、攻撃の直前まで誰にも気付かれなかったってのはおかしい訳で…俺は気付く。この魔物に、見覚えがある事に。この魔物群そのものに見覚えはなくとも…似た見た目、似た特徴を持つ魔物なら……魔物擬きなら、俺は知っている。

 けど、その通りなら…俺の見立てが間違っていないっていうなら、これは……

 

「悠耶ッ!上よッ!」

「……──ッ!」

 

 弾かれるように、妃乃の声で直刀を振り上げる俺。次の瞬間、振り上げた直刀に、右腕に衝撃が走り…俺は目にする。爛々と瞳をぎらつかせ、俺へ向けて拳を振り下ろしていた、一体の魔人を。魔人の姿を。

 

「よぉ…待ってたぜぇ、この時を…テメェを、テメェ等を…このオレにこれ以上ない程の屈辱を味わわせてくれやがったテメェ等に、その礼をする時をなぁッ!!」

 

 力任せの振り抜きで、強引に弾かれる。距離を取りながらも立て直し、俺は今一度魔人を見る。

 あぁ、やはり間違いない。この魔人は、魔物擬きを使う魔人だ。前の戦いで、重傷を負わせ…後一歩のところで見失った、あの魔人だ。

 だが、全く同じという訳じゃない。姿形はあの魔人で間違いないが…その身には、傷痕が残っている。あの時、俺と妃乃が与えた傷…その痕が、身体にくっきりと残っていた。



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第二百三十六話 執念と再来

 前回は第百三十五話の筈が、間違って第百三十六話と表記してしまいました。ですが、内容は第百三十五話のもので間違いありません。間違えた事を謝罪します。


 千嵜と妃乃さん。厄介…なんて言葉じゃ片付けられない、勝ち目なんてほぼゼロの組と、真正面から相対する事になってしまった。切り抜けてやるって気持ちはあっても、それを実現する為の方法なんて思い付かない…言い切りはしたものの、比喩ではなく本当に肉を切らせて骨を断つ位の事をしなくちゃ突破出来ない、突破の可能性すら出てこないような状況に俺はあった。

 その中での、魔人の強襲。千嵜達にとっての敵である…でも俺の味方でもない、間違いなく俺の敵でもある第三者の強襲は…完全な、想定外。

 

「ちっ、やっぱり生きてやがったか…ッ!」

「ったりめーだ、テメェ等なんかにやられる訳がねェだろうがよぉッ!」

 

 最初のせめぎ合いから離れ、立て直す千嵜へと、即座に魔人は突っ込んでいく。突撃からの拳を千嵜は刀で受け、けれど勢いに身体が押されてしまう。

 反射的に、俺は援護する事を考えた。考えたし、それを思い直す気もなかったが…魔人の左右に現れた靄の塊から、先程迎撃したのと同じ魔物が、魔物擬きが襲い掛かってくる。左側の靄からは俺に向けて、右側の靄からは妃乃さんへ向けて。

 

(こいつは、あの時の…ッ!)

 

 両手の二丁で撃ち落とし、スラスターを吹かしてその場から移動しながら、俺は思い出す。この魔人は、俺も数度交戦した事のある、前の富士山での戦闘にも現れていた魔人で間違いない。

 

「見ろよこの傷痕…馬鹿な事をしたって思わせながら殺す為に、わざわざ残してやったんだよッ!」

「そら、随分と…人間らしい心理だこった…ッ!」

 

 再び魔人は千嵜を強引に突き飛ばす。そこから空気を蹴るように、凄まじい勢いで後退する千嵜へと追撃をかけようとし…そこへ妃乃さんが割って入る。迎撃もそこそこに魔物擬きを躱し、振り切った妃乃さんが横から魔人を斬り付ける。

 

「霊装者同士の戦闘に乗じて、奪取に失敗した聖宝を狙いに来たって訳…!?だったら残念だけど……」

「はぁ?さっき言っただろうがよ!オレの目的は…テメェ等に、この傷の礼をする事だってなぁッ!」

 

 靄を纏った腕で斬撃を受け止めた魔人は、そこから妃乃さんと数度攻防。その間に千嵜が立て直したのを見ると、上空へと飛び上がり、ここまで放ってきたのとは別の魔物擬きを、小さな蝙蝠の様な魔物擬きを大量に二人へけしかける。でも魔人自身は高みの見物…なんて事はせず、敵意剥き出しで向かっていく。礼をする為、恨みを晴らす為…それが真実だと思わせるには十分過ぎる程の勢いで以って。

 

「あの魔人……」

「…慧瑠?何か…ふッ!…おかしいの?」

「いえ、つくづく自分とは真逆だなぁと思っただけです。自分だったら、これ幸いとそのまま遠くに行くっすからね」

 

 横回転をしながら躱し、通り過ぎた魔物擬きを後ろから撃ったところで訊けば、返ってきたのは慧瑠らしい答え。確かに戦いを、人を傷付ける事を好まない慧瑠は、怪我を負おうと相手を撒けたなら仕返しよりそのまま離れる事を優先するだろうし、昔はそうやって生きてきたと慧瑠自身が言っていた。だとすれば、慧瑠に思うところがあっても、別に変な事はない。

 でも、それは今関係ない。あの魔人は明確な敵意を持って襲い掛かってきているんだから、一先ず休戦し、千嵜と妃乃さんの援護を……

 

(…いや、待て…あの魔人が、二人への仕返しを目的としてるなら…その上で、他の魔物や魔人もいるとしたら……)

 

 動き出そうとして、止まる。今最もやるべきは、援護し共にあの魔人を倒す事…それは、本当だろうか。

 現に、二人に比べて俺に放たれる魔物擬きの数は少ない。俺が魔人本体に仕掛けてないから、っていうのもあるだろうけど…二人は対しては本気で攻撃してるようなのに対して、俺には動きを妨害する程度の攻撃しか飛んできていない。つまり俺は、相手にされていない…或いは、されていても優先順位は恐らく低い。

 加えて、本当にあの魔人が私怨で戦っているとは限らない。嘘の可能性は勿論、仮にあの魔人自身はそうでも、別の魔人が聖宝目的で動いている可能性だって十分にある。

 

「おらどうしたぁッ!まさか今は調子悪いなんて言うんじゃねぇよなぁ?簡単に倒しちまったんじゃ、こっちの気が済まねぇんだからよぉッ!」

「んな事、知るか…よッ!」

 

 両手両脚を用いた打撃の連続に対し、千嵜は二刀流で対応。後退しながらも受け、凌ぎ、蹴り上げからの踵落としには刀二本を交差させた防御で受け止め…押し返すと同時に、千嵜を飛び越える形で妃乃さんが魔人へ突撃。懐へ飛び込む動きのままに刺突を放ち、腕で阻む魔人を更に押し飛ばす。

…やっぱり、魔人は二人を狙っている。少なくとも、それは間違いない。だったら……

 

「……ッ、今だ…!」

 

 まるで苦戦しているように、わざと向かってくる魔物擬きの対処に時間をかける俺。そうしつつも、向こうの戦いの動きを伺い…双方の距離が大きく開いたその瞬間に、俺は動く。

 スラスター全開で魔人の方へと向かいつつも、俺は上昇。同時にユニット各部の砲をフル展開し、完全に俺を二の次としている魔人へ向けて一斉発射。予想通り俺への警戒が甘くなっていた魔人は、攻撃として放とうとしていた魔物擬きを全て砲撃の方へと回し、ぶつける事で辛うじて防御。

 魔人の攻撃が潰れる中、俺は千嵜の方へと目をやり、返ってきた視線に小さく笑みを返し……その上で、魔人の上空を駆け抜ける。二人と魔人の戦い、そこに加勢するように見せかけて……この場を、突破する。

 

「なッ…御道ッ!」

「くっ、これ以上先には……ッ!」

「…おい…何背中見せてんだよぉおおおおッ!」

 

 こっちから笑みを見せた御道は勿論、妃乃さんも俺の行動に目を見開き、直後突破しようとしている事に気付いて、追い掛ける動きを見せる。けれど、更にその後ろから怒号が響き…二人から向けられた敵意が、消える。

──完全に、狙い通り。まずは魔人の動きを阻み、そこで一瞬加勢するような動きを見せる事で、突破への対処を遅らせる。遅れればその分、魔人の動きが間に合い易くなる訳で…二人を狙っている魔人に、その足止めを担ってもらう。それを狙っての行動で、確実性はない…というか、期待した通りの展開になる確証はなかったけど……作戦は、成功。

 

(けど、こうなると他にも魔人や…最悪魔王と出くわす可能性がある。最悪の場合、それ等と単独で戦わなきゃいけないとしたら……)

 

 もう木々を隠れ蓑にする事はせず、一直線に目標地点へと向かう。そうなる事、戦いになる可能性そのものは怖くない。でも、それで失敗する事だけは避けたい。だからもう隠れず…全力で、最速で俺は掴みに行く。

 

「後少しだ…後少しで、俺は……」

 

 緊張が…戦いに入ってからは、別の感情や感じる危機に埋もれていた、目的を果たせる…より正しく言えば、最終目標へ向けた大きな前進となり得る存在がもうすぐ手に入るかもしれないという緊張感が、身体の奥から昇ってくる。

 結局のところ、まだ俺達は「協会から離反した霊装者達」としか見られていないんだろう。協会ありきの見方しかされていないんだろう。けど、聖宝を手に入れてしまえば、状況は一変する。そこから、状況は一気に……

 

「…………」

 

……変わる。変わる事は、間違いない。でも、この瞬間俺の頭に過ぎったのは、上嶋さんの言葉。変わる状況、変わっていく世界…それは、果たして俺達の…俺の望む、俺の夢見たものになるだろうか。

 その疑念が、俺の足を止める事はない。なるかどうかも俺が決める事だ、そう考えている自分も確かにいる。けれどもし、本当に望まない形に、夢見たのとは違う世界になったとしたら、俺は……

 

「……っ!また…ッ!」

 

 戦いにおいては余計な…なんて言葉じゃ片付けられない思考を断ち切ったのは、長距離からの狙撃。反射的に俺はバレルロールをかける事で避け、反撃をかけようとしたものの、まだ遠い。多分まだこっちの攻撃は届かない距離で、ならばと俺は狙い辛い低高度、一度は止めた木々を遮蔽物にする形での前進に切り替えようとし…それが安直な判断だと、気付かされる。低空飛行に移った次の瞬間には、別の射撃をかけられた事で。

 

「ぐっ……ッ!(誘導された…!)」

 

 今度は先の狙撃程精度が良くなかった為に難なく避けられたけど、誘導されてしまったのは事実。不味いと思って移動しようとするも、すぐに突進してきた霊装者に距離を詰められ、純霊力の剣を辛うじて左のライフルの銃剣で受ける。

 幾ら何でも、さっきの狙撃をした人がもうここまで来たなんて事は考えられない。つまり、この人は別の霊装者…!

 

「悪いが、子供だろうと容赦はしない…ッ!」

(この人、強い…ッ!)

 

 距離を開け、火力で圧倒しようとする俺だけど、相手はそれを許してくれない。火器も剣を一つずつ構えた形で、射撃をかけつつ滑るように再度の接近を図ってくる。綾袮程のプレッシャーはないにしても…間違いなく、俺より強い。

 それだけでも、危ない状況。狙撃をしたもう一人がこっちに近付いてきてるなら、更に不味い状況になる。…でも、現実は違った。現実は…更に厄介な状況を、俺に向けて突き付ける。

 

「こ、の…ッ!」

「そうくるか、ならば…ッ!」

 

 次第に距離が詰まっていく中、これ以上後手に回る訳にはいかないと俺は発砲。けど狙いは相手の霊装者ではなく、俺と相手の間、その上方に伸びた木の枝で、それを撃ち抜く事によって相手の目の前に枝を落とす。

 これで相手が転倒でもしてくれれば御の字、そうでなくても動きが止まれば次の攻撃に移れる訳で…でも相手は、止まらない。即座に飛び退く事で、一度距離を離してしまうのと引き換えに俺の狙いを完全に潰し…その足で着地した、その時だった。

 

「…何?魔人だと?まさか、元から隙を伺って……おい、どうした!?おい!」

 

 聞こえてきたのは、恐らく通信でのやり取り。相手は多分、さっきの狙撃手か、同じ任務を遂行している霊装者で…でも今は、それよりももっと重要な事がある。

 

「……っ…くそ…ッ!」

 

 歯噛みと共に、俺を睨む霊装者。その顔には逡巡が浮かんでいて…次の瞬間、離脱。俺に背を向け、地下空間がある方向へと戻っていく。

…それは、俺にとって助かる選択肢だった。けど別に、「助かる」というのは、命拾いするみたいな意味じゃない。

 

(共闘…とはいかないだろうな。さっきそれを自分から捨てた手前、持ち掛けるのも筋が通らない。…だと、しても……!)

 

 後を追うように、俺も地を蹴り同じ方位へ。反転からの攻撃に移られても大丈夫なよう、あの霊装者とは距離を取った上で…俺も、同じ目的地へと向かう。

 さっき聞こえたのが全て真実なら、やっぱり他にも魔人が、聖宝狙いの敵がいたという事。そして魔人に聖宝を奪われるのは、自分達が奪取に失敗する事以上に避けなきゃいけない事であり、元味方の霊装者には…いや、そうでなかったとしても、俺はこの戦いの被害を、傷付く人を、少しでも減らしたいと思っている。自分達から仕掛けておいて何を身勝手な、と思われたとしても、俺はこのスタンスを撤回しようとは思わない。

 そしてさっきの瞬間、起こり得る最悪の選択肢として、あの霊装者が俺との戦闘を続行する、というのがあった。そうされると、魔人を止められない上、対魔人の負担は全て遭遇した誰かにかかってしまう訳で…だけどそれは、回避された。

 

「……っ!あの魔人は、確か……」

 

 気付いていないのか、それとも気付いた上で今は魔人の迎撃を優先しているのか、あの霊装者は一度も振り返る事なく飛び続け…その斜め後方に位置する俺の視界にも、現れた別の魔人が映る。

 ぐったりとして木にもたれかかる霊装者、その人物の前に立つのは、こちらも一度交戦した事のある魔人だった。今と同じく富士で…俺が力を失う前に戦った、消滅の力を使うあの魔人に違いない。

 

「貴様…ッ!」

 

 止まる事なく、一直線に突っ込んでいくあの霊装者。声が聞こえたのか、それとも気配か何かを感じたのか、魔人がこちらに振り向いた直後にその霊装者は射撃を撃ち込み…されど放たれた弾丸は、魔人が跳躍した事によって空を切る。ただ躱しただけでなく、魔人は捻りを加えた跳躍で山なりにその霊装者へと接近をかける。

 対する霊装者は、射撃を続行。初めこそ完全に避けられていた射撃は、距離が縮まっていく事で少しずつ迫り…遂に、完全に弾丸の軌道が近付く魔人の姿を捉えた。……が、次の瞬間弾丸は消滅。直撃コースに乗っていた弾が、魔人が片手を振り出した瞬間に消滅し…そのままその手がその人へ迫る。

 

「……っ!」

 

 だけどそれを、その霊装者は避けた。弾丸が消滅した時点で、射撃を止めると同時に横へと飛び退いていて…そこからは先程の俺の様に、距離を取る引き撃ちで攻撃を続ける。

 やはり、あの人は実力者。単純な能力だけじゃなくて、瞬時の判断やそれに基づく対応からも、その実力が見て取れる。…だったら、ここは……

 

「こっちだ、魔人ッ!」

「……!?お前、何の……」

「それよりまずはその人を!早くッ!」

 

 一歩遅れて辿り着いた俺は、わざと大声を上げ、同じくわざと射撃をばら撒く。魔人がこちらへ視線を移したところで四門の砲による同時砲撃を放ち、魔人の意識を引き付ける。

 俺の言葉と行動に、霊装者は驚愕していた。何のつもりだ、多分そんな感じの言葉を言おうとして…でも俺がまくし立てると、その人は立ち止まった後に一つ頷き、そこから反転。味方の霊装者の元へ近付き、武器を仕舞い、担ぎ上げて離脱に動く。

 

(良かった、あの人が味方を大事にする人で……)

 

 この場から離れていく後ろ姿に、俺は内心で安堵の籠った吐息を漏らす。ここまでの言動、見て取れた性格から、こうなれば味方の命を優先するとは思っていたけど…半分以上はただの期待。そうであってほしいという希望を込めた選択で…俺は賭けに勝った。今ならまだ、やられた霊装者も助かるかもしれないし…これで暫くは、あの霊装者に邪魔をされない。

 

「…お前は、どこかで……いや、それはどうだっていい。今すぐ立ち去るなら、見逃そう。けど、邪魔をするなら……」

「先に言う、立ち去る気は無い…ッ!」

 

 言い切る前に俺は答え、そのまま火器での攻撃を続行。上昇をかけながら、上から射撃と砲撃を撃ち込む。

 さっきの行動は狙い通りになったとはいえ、結果今あるのは魔人に対する一対一の状況。これは間違いなく不利であり…だとしても、やるしかない。それもただ耐えるのではなく、撒くのでもなく…聖宝を手に入れる為の、勝つ為の戦いを。

 

 

 

 

 諦めない事、挫けない事、自分の意思を貫き通す事。それは大切な事だ。常にそうしてたら日々疲れてしょうがないだろうが、ここぞって時にその精神を発揮出来る人間は、強いし頼りになると思う。

 だが、それはあくまで味方か、全く関わりのない相手の場合の話だ。当たり前っちゃ当たり前だが…敵がそんな精神を持ち合わせていると、厄介ったらありゃしない。

 

「くっ、こいつ…単純な力なら、そこまで変わってない筈なのに……ッ!」

「気持ちの変化ってやつだろうな…ッ!」

 

 大小様々な魔物擬きを放っては仕掛け、仕掛けは放ち、休みなく攻撃を続けてくる魔人。俺も妃乃も攻撃を捌き、凌ぎ、反撃のチャンスを伺ってはいるが…その瞬間は、そう簡単には訪れない。

 今妃乃が言った通り、魔人の能力そのものが前より格段に向上している、って感じはない。つまり、今と状況は違えど相手は一度倒す直前までいった魔人な訳で…されど、明らかに前とは違う。前と違って、出し惜しみがない。俺の事も妃乃の事も…見下してはいても、敵に対する侮りが一切今の魔人にはない。…まさか、こんな形であの時取り逃がしたツケを払う事になるとはな…!

 

「もっと来いよ…手ぇ抜いてっとぶっ殺すぞッ!」

「手抜きしてようがしてまいが、テメェは殺す気だろうがよ…ッ!」

 

 突っ込んできた魔人の手刀と、正面から斬り結ぶ。何とか左に受け流し、妃乃の反撃に繋げたが、魔人も靄を纏った両腕で防いで、お返しの魔物擬きをけしかけてくる。

 勝ち目がない…って訳じゃない。こっちも出し惜しみなしで戦えば、もっと攻め立てる事も出来る。だが、ここで全力を使い果たす訳にはいかない。こいつも厄介な敵ではあるが…本来止めるべき、倒すべき敵じゃねぇんだから。

 

(…けど、温存をした結果こっちが戦闘不能になるだとか、ここで時間がかかった結果、聖宝を御道か誰かに奪われたとかじゃ洒落にならねぇ。それに…相手は魔人だ、アレを使うにゃ十分な相手じゃねぇか…!)

 

 押し返し、追撃をかける妃乃の斬撃を両腕で捌きながら、魔人はサマーソルトのように妃乃を蹴り上げる。その脚からは魔物擬きの顎門が現れ、その蹴りの攻撃範囲を拡大する。妃乃はそれを、素早く下がる事で回避するが…連撃は、止まる。

 そこで俺は、牽制の射撃をかけながら突進。ギリギリの距離までフルオートで弾丸を撃ち込み…勢いそのままに、直刀を振り出す。

 

「はっ、そうだよ…本気で、全力で、死に物狂いで来やがれ人間ッ!その上でオレがッ、ぶっ倒してやるからよぉおおッ!」

「さっきから、いちいち、勝手な事を……言ってんじゃ、ねぇッ!」

 

 数秒の間直刀と手刀でせめぎ合い、互いに押し出すように離れる。直後に妃乃が突進からの刺突をかけ、防御こそされるものの姿勢を崩し、そこは俺が再び切り込む。肉薄し、振り上げた直刀を振り下ろす……そう見せかけて、肩から突っ込む。姿勢の崩れた状態から、強引に再度防御姿勢を取ったからこそ、俺はタックルを浴びせて後ろに飛ばす。

 

「……ッ、テメェ…!」

「これで……ッ!」

 

 今度こそ、本当に姿勢を崩す魔人。当然タックルをかました俺も姿勢は崩れ、再び距離も離れている。…だが、いける。ただ追撃するんじゃ立て直しの分、相手にも時間を与えてしまうが…あれなら、いける。

 相手を見据える。先の事を、次の動きを、はっきりとイメージする。目指すはただ一つ、奴を倒して御道を──

 

「チェストぉおおおおおおぉぉッ!」

『……ッ!』

 

 その、次の瞬間だった。全く予想外の声と共に……飛び込んできた綾袮が、魔人に大太刀の一撃を叩き込んだのは。

 全くもっての予想外。攻撃どころか、綾袮の存在そのものが想定外そのもので……だが、魔人は吹っ飛ぶ。斜めに地面へ落ちていって…幾本もの木の枝がへし折れる音が、周囲に響く。

 

「あ…綾袮!?」

「ふー…いきなりごめんね!」

「へ?…あ、いや…まぁ、うん……」

 

 驚きのままの声を妃乃が上げる中、大太刀を振り抜いた体勢から身体を戻した綾袮は、あっけらかんと俺に言う。一先ず俺は頷くが……いや、マジでどゆ事…?

 

「ちょっ…なんで貴女がここに……」

「おじー様に言われて、ね。けどまさか、魔人なんて…おじー様の勘、ドンピシャじゃん……」

 

 今の回答だけじゃ、よく分からない。…が、取り敢えずこっちに来るよう指示された事、それが綾袮のおじー様の勘だって事だけは理解出来た。…あれ?よく分かんねぇと思ったが、割と理解に必要な事は今の発言だけで揃ってね…?

 

(…まあ、何にせよ…結果的には、万々歳か……)

 

 仕掛けようとした瞬間に現れた綾袮。ある意味俺は攻撃のチャンスを奪われた訳だが…俺より実力のある綾袮の一撃が強かに入ったんだから、むしろこれは好都合。これで撃破出来たのなら本当に御の字で、そうでなくてもそれなり以上のダメージが……

 

「く、くくっ…そうだ、もっとだ…数だろうと、力だろうと…ありったけ出してこいよ人間…全部ぶっ潰して、捻り潰してやるからよぉ……!」

「……っ…まさか、受ける直前で魔物擬きを…」

 

 聞こえた声。隠し切れない驚愕。目を凝らせば、自分に引っかかる木の枝を振り払いながら、こちらへ依然敵意に満ち溢れた瞳を向ける魔人がいて……その傷は、浅い。今綾袮が言った通り、まるで何かを盾代わりにしたとしか思えない程傷が浅く……次の瞬間、全員が驚愕する中で真っ先に動いたのは、妃乃だった。

 

「…悠耶!貴方は顕人を追いなさいッ!」

「……!…追うって…そりゃ確かに、妃乃と綾袮なら大丈夫だと思うが……」

「そうよ、だから行って!行って…止めるのよッ!」

 

…それが、どういう意図によるものなのかは分からない。この様子じゃ三人がかりでもまだ時間がかかりそうで、二人で連携するなら妃乃と綾袮が組むのが一番だからっていう、合理的判断で俺に追えと言ったのか、それとも別の理由、別の思いで俺に御道を追わせようと…或いは追わせてくれようとしているのか。それを判断するには、あまりにも情報が少なく…だが妃乃の真剣さは、本気は、今の言葉だけで十分過ぎる程に伝わってきた。

 俺は頷く。分かったと、言葉ではなく行動で返し、反転する。そして追おうとする俺に、不意に妃乃が投げ渡してきたのは……布に包まれた、あの刀剣。

 

「これは……」

 

 訳が分からず困惑する俺だが、その俺に妃乃は頷く。任せたとも、信じてるとも言っているように見える顔で、そんな風に思える瞳で。

 だから俺は、それ以上の事は言わずに追走を開始する。妃乃と綾袮が迫り来る魔物擬きを斬り払う中、先に行った御道を追って空を進む。

 分からないが、それでも妃乃は俺に行けと言ったんだ。俺に託したんだ。だったら俺は、その思いに応えるだけだ。思いに応えて…俺が、御道を…止める……ッ!



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第二百三十七話 そして、彼と彼は向かい合う

 少数の戦力で守る協会と、それより更に少ない戦力で突破及び奪取を図る離反勢力。そこに強襲を仕掛けた、複数の魔人。霊峰富士と呼ばれ、実際に霊装者の世界においては特異な地とされているここで、聖宝を中心とした三陣営が激突し、鎬を削る。それぞれの目的、それぞれの意思を持った者達が、それを貫き、果たす為に動き、戦い…また一つ、富士に人影が現れる。

 

「到着しました。…かなり、状態が進んでいますね。これならば、或いは……」

 

 戦場となっている地点からは離れた、人気のない麓。そこに現れた人影は富士を見上げ、目を細めながら小さく呟く。

 

「えぇ、可能性は十分にあるかと。…勿論、期待しています。その瞬間の為に、これまで私は月日を重ねてきたのですから。…これでも、私も気が逸っているのです」

 

 その人影は、一つ。しかし発する言葉は間違いなく他者へ向けた、会話の為の言葉であり、そこに応答があるのは明白。

 

「…どうでしょうね。何事もなければ協会の優位は揺らがないでしょうが…断言は出来ない程度には、結果が覆る可能性もあるのでしょう。……分かっています、貴方の期待を台無しにするような行動を取るつもりはありません。ここまできて、貴方の機嫌を損ねたくはありませんから」

 

 流石に麓から、戦闘の動きが見える筈はない。しかしその者は見上げながら目を細め、言葉を紡ぎ……次の瞬間、もう一つの人影が、インカム越しに話していた相手もそこへと姿を現わす。

 

「いよいよ、か…ふふ、君と出会ってからの日々は、長いようで短いものだった。そして今、その日々の先で、僕の友が君の…僕と君の大望を現実のものとしかけている。──嗚呼、感謝してもし切れないよ」

「その瞬間が訪れるまで…訪れてくれるまでは、果たされるかどうかも分からないままですが、ね。…まあ、期待するとしましょう。彼に、今ここで戦う者達に」

 

 交わされるのは、静かなやり取り。どちらも声を張る事はなく、落ち着いた声音で言葉を交わし…しかし後から来た者は、その表情に笑みを浮かべる。その容姿、その外見には不釣り合いな程の純粋さを、子供らしさを感じさせる笑みを。

 彼等の大望を、他の者が知る由はない。そしてその大望は、今繰り広げられている戦いにおいては完全に異物であり……されどもそれを気にする事はなく、迷いもなく、彼等はその大望が果たされる瞬間へ向かおうとしていた。

 

「さぁ…見せてくれ、顕人君。君の物語の大一番を。僕と君が夢見る世界、それを本気で叶えようとする、君の果てを」

 

 

 

 

 俺はこれまで、複数の魔人と戦ってきた。どの魔人も例外なく強く、驚異的な力を持ち…自分がまともに戦えば、単独で戦闘をしようものなら、まず勝てないと思ってきた。

 それが間違っているとは思わない。魔人はそういうもので、単独で互角以上にやり合える綾袮や妃乃さんの方が特殊なんだと聞いているし…実際綾袮や妃乃さんの強さは、段違いなんだから。

 普通一人じゃ勝てないし、一人で戦うべきじゃないのが魔人。それが事実で、それが常識。…だとしても、そんな事実や常識が俺を守ってくれる訳じゃない。無茶だろうが何だろうが…そうなってしまえば、やるしかない。

 

「こん、にゃろぉッ!」

 

 地上からの、四門同時砲撃。自画自賛にはなるけど、全てを同じ相手に放てば結構な威力になる攻撃。けどそれを、魔人は難なく対処する。腕を振るう、ただそれだけで砲撃を消し去り、そのまま俺に突っ込んでくる。

 

(やっぱり、威力は関係ないのか…ッ!)

 

 迫る魔人に対し、俺は後ろに跳んで距離を取る。尚且つそこから射撃を仕掛け、近付かせない事を最優先に。魔人の方も、油断はしていない…少なくとも真面目に戦うつもりはあるようで、旋回するように走りながら詰め寄る隙を伺ってくる。

 この魔人の能力は、対象を問答無用で消し去る…というので間違いない。先の砲撃も消し去った事からして、高火力で強行突破…というのも通じないか、通じるにしても俺の出せる火力じゃ困難だと考える他ない。そして何より、問答無用で消し去るのなら…近付かれるのは、絶対にアウト。どの程度かまでは分からないものの、触れた対象ではなく一定範囲の物を消滅させているようだから、最悪近付かれた時点で死が確定してしまう。

 

「けど、どうしようもない訳じゃ…ねぇ……ッ!」

 

 走っての回避を続ける中で、不意に向きを変え、俺に突進してくる魔人。二丁による射撃を腕を交差させ、靄を纏う事で防ぐのならばと俺は数ある木の内一つに砲撃。幹を抉る事で木を倒し、それで突進の妨害を図る。

 少し前にあの霊装者へやったのと同じ要領の、妨害作戦。あの時、あの霊装者は回避に転じたけど…魔人は止まらない。一瞬で自分の邪魔となる部分を消し、突進を続ける。まるで止まらないその様子は恐ろしく…だけどこれで、また一つ分かった。

 

(この魔人の能力…多分、短いスパンでの連続使用は出来ないタイプだな…ッ!)

 

 断定までするのは危険だろう。けど魔人はここまで、能力の連続使用を行っていない。連続で…というか、発動させっ放しにして、俺の攻撃は全て消してしまえば接近も楽な筈なのに、防御が容易だったり、回避しても動きのロスが殆どない攻撃に対しては、能力を使わず対処している。連続で使えない能力なのか、やれるけど連続使用は負担が大き過ぎるからやらないのか、そこまでは分からないにしろ…わざわざ回避や防御をしてまで能力の使用を散発的なものに留めてるって事は、そうする理由がきっとある。怖いのは、そう思わせる為のブラフ、って線だけど……そんなブラフかける位なら、さっさと連続使用で近付いた方が、楽だし確実性も高い筈だ…!

 

「…しぶとい」

「……ッ!」

 

 推力最大で真上に、空に逃げると、魔人はその場で俺を見上げてくる。それと共に、一言発し…次の瞬間、大跳躍で一気に距離を詰めてくる。地を踏み締め、膝を深く曲げての跳躍に、咄嗟に俺は脚回りのユニットの砲を開いて迎撃するも、それを防御させる事で近距離までの接近は阻めたものの、ひやりとさせられた事は事実。

 あぁ、そうだ。仮に俺の見立てが正しかったとしても、最低でどの程度のスパンがあるか分からないんじゃ、こっちも仕掛けるに仕掛けられない。それに連続使用は出来ないっていうのは、能力の欠点であって、魔人の弱点じゃない。その隙を突いても決して「倒し易くなる」訳じゃない以上…能力の性質が分かったとしても、強敵である事は変わらない。

 

(だとしても、やるしかない…だとしても、俺は……!)

 

 空中で防御する魔人に向けて、攻勢をかける。ライフルと砲、それぞれを同時ではなくバラバラに、次々と放ちながら自分の高度を落としていく。

 

「狙いはなんだ…ッ!聖宝を狙って、あの魔人を囮にしたのか……ッ!」

「そんな問いに、答えるとでも?」

 

 少しでも意識を分散させてやろうと、攻撃に続いて言葉もぶつける。でも、これは失敗。にべもなくやり取りを拒否してくるんじゃ、ぶつけたって意味は……まあなくはないだろうけど、心理戦を仕掛けられる程の情報がないんだから旨味は薄い。

 高い連射性を持つ右のライフル。威力と連射性のバランスがいい左のライフル。それに威力重視の砲の内、飛行に回していない二門。それ等をバラバラに、防御の突破より攻撃が途切れないようにする事を重視しながら撃つのを続け…その上で、見計らう。勝負を仕掛ける瞬間を。

 

「…ふぅ、ん」

 

 強行突破も後退もせず、魔人は防御に徹している。ひょっとすると、魔人も同じように、仕掛けるタイミングを探っているのかもしれない。だとすればこれは、お互い自分の望む状態へ相手を持っていけるかどうかの戦いで……

 

「こうすれば、防御するしかないと思ってるんだ。…甘いね」

「な……ッ!」

 

 淡々と、ただ思っている事を言っただけのような言葉が聞こえた次の瞬間、突然に魔人は攻撃に転じる。防御を解き、突っ込んできて…射撃が身体を掠めるも、まるで止まらない。躊躇う素振りすらもない。

 これは不味いと、俺は全力で引き撃ちに移る。強引に距離を詰めようとしてこられると、こっちが不利になるんだから。

 

(まさか、こっちが見抜いた事を見抜かれた…?…いや、まだそうとは限らない……!)

 

 見抜かれたからこその発言にも聞こえるけど、「絶え間ない攻撃をしていれば防御するしかない」という発想に対して「甘い」と言っているだけなら、まだ気付いていない体でのプランも立てられる。上手くいくかどうかはともかく、色々な案があるだけでも心的な余裕はかなり違う。

 

「…もし、聖宝を狙ってるんだとしたら…残念だったな…ッ!聖宝はとっくに運び出されて、今はもうずっと遠くだ……ッ!」

「なら、どうしてここにいる?何もないなら、何故人間同士で争いを?」

「……っ…」

 

 仕掛けるチャンスは待ってても来るとは限らない。隙はこっちも動かなくちゃそう簡単には生まれない。だから俺は今一度、今度は質問ではなく、こっちから情報をぶつける事で揺さぶりをかける。

 けど、結果は空振り。形としては訊き返してきているものの…声音で分かる。これはハッタリだと、魔人は俺が動揺させようとしている事を理解している。厳密に言えば、この目で確かめてない以上は絶対聖宝が運び出されてはいない、と断言する事は出来ないけど…今重要なのは魔人が揺さぶりにかかるかどうかであり、この魔人は微塵もかかる気配がなかった。

 

「それにしても、本当にしぶとい…強くもないのに、弱くもない…」

(くっ…調子が狂う……)

 

 上空に出れば、咄嗟の時に利用出来るものがなくなる。かといって木々の頂点よりも低い位置で引き撃ちをすると、どうしても背後を気を付けなきゃいけない分一気に距離を取る事は出来ない。そんな中で下を選んだ俺は、とにかく一定以上の距離は取り続けるようにしながら引き撃ちを続け、どうも熱を感じない…言葉にしろ戦いにしろ、どうも淡々としている魔人の言動に振り回されないよう自分へと言い聞かせながら、ならば何なら隙を作れる、どうしたら勝負を仕掛けられるのかと頭を全力で回転させる。

 こっちからの全力攻撃?…駄目だ。能力抜きにした防御をある程度のチャージで貫ける位じゃないと、耐えられて終わってしまう。ならば、今は絶える事を優先して、さっきの霊装者や、千嵜達が来るのを待つ?…それも駄目だ。敵の敵は味方だけど、共通の敵がいなくなった後は、結局また戦う事になるんだから。だったらいっそ、わざと隙を見せて、能力を使わせて、そこからカウンター……っていうのは最早論外だ。隙を見せても能力無しで倒しに来るかもしれないし、一つ目と同じで「能力抜きでも」って問題もあるし、そもそもわざと使わせるのリスクが高過ぎる。カウンターの為に使わせて、でも避け切れずに喰らいましたじゃ話にならない。

 

「…ふ……ッ!」

「……っ!木を、足場に……ッ!」

 

 木を背にし、突進してきたところで俺は左へ。あわよくばぶつかってほしいと思ったものの、案の定ぶつかる訳もなく、むしろ魔人は木を足場にする事で一気に方向転換。一度着地する形になっていた俺は目一杯地を蹴ってその場を離れ…次の瞬間、魔人の能力で地面が抉れる。一瞬でも遅れていた場合の事は…考えたくない。

 どの案も、上手くいく気がしない。そうなると、残る案は後一つ。能力云々の事は考えず…どこかのタイミングで、完全に想定外であろう瞬間に引き撃ちから猛攻に移る事で、不意を突くって作戦だけ。

 

「…へっ、上等じゃねぇか……」

 

 それだって、リスクはある。完璧な作戦にゃ程遠い、作戦と呼べるかすら分からない単純な事。

 だとしても、恐れはない。むしろ、これでいい。だって物語の主人公、ヒーローならば、それが普通なのだから。分の悪い賭けや、一か八かの勝負に望み、そこから勝利を捥ぎ取るのが、俺の夢見る存在なんだから。…って、それだと「ならカウンター作戦でも良いじゃないか」って話になっちゃうな。まあ、主人公やヒーローに必要なのはここぞって時の覚悟や勇気であって、闇雲に危険を冒す事、蛮勇を振るう事じゃないって事だ。

 

(これで失敗して、逆転の何かも起こらず終わるなら、結局俺は主人公の器じゃなかったって事だ。…勝負と、いこうじゃねぇか……!)

 

 これは、自分との戦い?…いいや違う、可能性との、運命との戦いだ。この魔人を介して…俺は世界に証明する。俺の、在り方を。

 

「まだ、逃げる気?」

「俺の問いには答えようとしなかったのに、自分も訊いてくるのか、よ…ッ!」

 

 向こうが木を足場に使うのなら、と俺も木の幹を蹴り、それで不規則な方向転換をしながら撃つ。撃ちながら、一定以上の距離を取りながら同時にやってるものだから、自分でも方向転換の角度を制御し切れていないけど…そのおかげで、不規則さが生まれてる。動きの先を読まれず、さっきより安定して距離を取れている。

 

「そこだッ!」

 

 一度だけ、四門全てを攻撃に回し、同時砲撃をかける。それは当然、隙あらば反撃し、倒すつもりだと示すもので…だけど、問題ない。全力で逃げる訳でもなく、かといって仕掛ける訳でもなく、半端に距離を取り続けるだけの方が、余程俺の目論見を勘付かれ易い。それに……

 

「だから……無駄だよ」

(やっぱり、来た……ッ!)

 

 放った砲撃は、一点…とまでは言わずとも、魔人の上半身を狙って集中させた。故に魔人の能力によって完全に消され……主推進器全てが砲撃に回った結果、大きくスピードが落ちた俺に魔人が迫る。魔人との距離が詰まり、飛び蹴りが近付き……辛うじて俺は、またすぐ側の木を蹴る事で…今度は踏み台にするのではなく、本当に蹴って反動を受ける事で、何とか魔人の肉薄と攻撃を躱す。

 ズキリと痛む足首。変な体勢から木の幹を蹴り付けたんだから当然の事で、しかもそこから木の枝のある場所に突っ込み、後頭部や首に引っかかれるような感覚が走る。…でも、躱せた。痛いし、足の方は痛いで済むかどうかも分からないけど……ここからだ…ッ!

 

「ぐ、ぅ……ッ!」

「へぇ、避けるんだ。でも……」

 

 俺は落下する。ただ驚いただけのような魔人の声を聞きながら、地上に落ちる。姿勢を崩し、隙を晒した状態で、ピンチに陥った……そのフリをする。

 直感を研ぎ澄ます。神経を張り詰める。次に俺が狙うのは、タイミングが命。望む効果を得る為には、早くても遅くてもいけない。ギリギリのギリギリ、本当に寸前という瞬間を狙って…全感覚を、フル稼働させる。

 慧瑠には頼れない。説明する余裕のない今、俺は自分を、信じるのみ。

 

(まだだ、まだ…まだ…まだ……)

 

 少しずつ近付く地上。ただの落下なのに「少しずつ」と感じるのは、きっとアドレナリンか何かが出ているから。落ちるなら落ちるでいい。もうこの際、その位のダメージは受けてやるさ。そんな思考さえ、今の俺の中にはあった。

 まだ違う。まだ耐えろ。逃げた方が良いと主張する声を押さえ付け、感覚を信じて俺は待つ。自分なりに重ねてきた努力と経験、それが支える感覚に判断を任せ、力を抜き……そして、心が叫ぶ。身体に走る。今だ、行けという本能の指示が。

 

「……ッ、ぁぁぁぁああああッ!」

 

 それは、身体が地へと落ちる寸前。手を伸ばせば絶対に触れる、そう思える距離まで落ちた瞬間に俺はスラスター全てを点火し、今の姿勢のまま、スライドするように前へと移る。

 直後、俺のいた…俺が落ちる筈だった場所に突き刺さったのは、魔人のフットスタンプ。後一歩遅ければ直撃していたし、後少しでも早ければ立て直す余力があったと見抜かれてしまう…そう思ったからこそ、俺はこのタイミングで避けた。死に物狂いで、もがくようにして運良く避けられただけと思わせる為に、この瞬間での回避を選んだ。

 避け切った俺は噴射を切り、地上で前転。回り切ると同時に身体を跳ね上げ、さっき木を蹴ったのとは逆の足で踏み切り、今一度飛ぶ。手を伸ばし、比較的大きな木に手を引っ掛けて、その裏側へと回り込む。

 

「…先輩、まさか……いや、何でもないっす。先輩の思う通りにやれば…まあ、上手くいくかどうかはともかく、後悔はしないと思いますから」

 

 動作の最中で聞こえた、慧瑠の言葉。初めその声音には、俺に無茶するなと言うような雰囲気があって…でも、俺が慧瑠を見つめた瞬間、ほんの一瞬見つめ返した瞬間、何かを感じ取ったように、俺の背を押すようなものへと言葉の続きを変えてくれた。

 

(後悔、ね…そうさ、俺は……ッ!)

 

 誇りや思いは、時に命よりも重い…そんな考えがある。逆に、どんな思いも命あってこそのものだって考えもある。価値観の話とすれば、どっちが正しいじゃなく、状況やその人次第って話で……俺なら後者だ。後者だが、命を守る為なら思いを捨てても良いって訳じゃなく…むしろ逆。俺はもう、俺の思いを諦めたり、妥協したりする事はしないと決めている。だからこそ、俺は命を落とせない。命がなくちゃ、理想は果たせないんだから。望む世界で生きる事が望みな以上、思いと命、その両方を俺は手放す訳にはいかない。

 そしてこれが、思いと命、両方を持って進む為の選択。手を引っ掛けた事で一気に旋回をかけた俺は、木の裏側に入っても尚加速を止めず……反対側から再び魔人の前へと躍り出る。

 距離を取る事に専念し、隙を見つけたように撃ち、カウンターされ落下し、辛うじて追撃は避け、尻尾を巻いて逃げる……そんな一連の「溜め」の末の、油断を誘っての全力突進。乾坤一擲、出し惜しみなしの攻撃に転じて魔人を……

 

「……ッ!」

「んな……ッ!?」

 

 次の瞬間、木の裏から飛び出した俺を待っていたのは、驚愕だった。魔人がこちらに向かって、次の攻撃を仕掛けようとする…その魔人に真っ向から突っ込むという状況だった。

 一瞬、読まれていたのかと、魔人の方が一枚上手だったのかと思った。…が、違う。声こそ出していないものの…魔人もまた、目を見開いている。飛び出してきた俺に対して…確かに、驚いている。

 驚愕する魔人を見て、俺は理解した。単に魔人は即時の追撃をしようとしていただけで、俺の反撃は読めていなかったのだと。互いに相手の次の行動を読み切れず…その結果の今なんだと。

 

(こうなりゃもう、やるしかねぇ……ッ!)

 

 想定外且つ、攻撃を受けるかもしれない危険な状況。けど今からじゃ回避行動も取れないし…チャンスである事もまた事実。最大の懸念は、魔人がもう能力を使える状態かどうかで…けどそんなのは分からないし、考えている余裕はない。

 俺が選んだのは、自分で引き込んだ可能性、千載一遇のチャンスに賭ける事。射撃でも刺突でも、何ならタックルだって良い。とにかく当ててみせる。当てて、この戦いを切り抜けてみせる。その覚悟を胸に、その意思を勇気に、俺はそのまま真っ直ぐに突っ込み……

 

 

 

 

 

 

──その、次の瞬間だった。研ぎ澄まされた槍の様な、凄まじい力を感じる赤い閃光が、魔人を真横から吹き飛ばしたのは。

 

「……は…?」

 

 目の前を駆け抜けていった光芒に、俺は呆気に取られる。吹き飛んだ…今の一撃でやられたのか、それとも防御し跳ね飛ばされただけなのかも分からない魔人の姿を確認する事もせず…その場で止まってしまった。…あまりにも、予想外過ぎる事のせいで。

 今の閃光が、霊力のビーム…それも今の俺が扱うものと同じ種類だって事は理解している。…けど、だったら味方の誰かが援護してくれたって事だろうか?状況的にはそれが考えられるものの…魔人を一発で吹っ飛ばす程の攻撃を、出来る味方がいただろうか。それに今の攻撃は、死角からとはいえ完全に気付かれていなかったし、そういう意味でも今の攻撃を放った人物の実力は……

 

「──さぁ、先へ。ウェインもそれを、期待しています」

「……っ!」

 

 不意に届いた、一つの通信。インカム越しに聞こえたその声で、俺は全てを理解し…飛翔する。富士の夜空へ舞い上がる。

 

(…もう少しだ…後、少しで……)

 

 じんわりと感じる痛みを思考から押し退け、後僅かな道を進む。綾袮に茅章、上嶋さん達に千嵜と妃乃さん、それに魔人にも阻まれ、それでも潰える事はなかった道を。

 まだ、防衛戦力がいるかもしれない。さっきの霊装者が戻ってくるかもだし、下手すりゃ別の魔人と遭遇する事だってまだあり得る。だとしても俺は進むのを止める気はないし、何とだって戦ってやる。そんな思いのままに、空を駆け……背後からの弾丸で、俺は振り向く。

 

「…………」

 

 その一発は、俺の近くへ飛び立つも当たる事なく離れていく。外れた射撃を見て、俺がただ振り返ったのは…それが気付かせる為の、初めから当てる気なんかない射撃であると、すぐに分かったから。

 警戒こそすれど、武器は一切構える事なく振り向いた俺。振り向き俺が目にした相手も…構えてはいない。今の一発を撃ったのであろうライフルを下げて…俺を見る。

 

「…追い付いたぜ、御道」

 

 静かな声と、落ち着いた瞳。彼の目が…千嵜の目が俺を見やり、俺も千嵜の事を見返す。

 千嵜悠耶。二年前、俺が何も知らないままに知り合った、霊装者となる前からの友。俺と共に、予言の霊装者とされた一人。その千嵜と…俺とは何もかも違う道を、人生を歩んできた友と……俺は、真正面から向かい合う。



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第二百三十八話 負ける気も、譲る気も

 妃乃に託され、魔人を妃乃と綾袮に任せ、俺は飛んだ。御道の後を追い、地下空間のある場所へと向かった。

 間に合うかどうか分からない。分からないから、突っ走るしかない。そんな思いで駆ける中、見えたのは空に浮かぶ赤い光。そこへ向けて、少しズラして、俺はライフルで一発発砲。撃った後も、接近を続け…俺は、相対する。ゆっくりと振り向いた……御道へと。

 

「…さっきの魔人は、妃乃さんが?」

「あぁ。今はまだ綾袮と一緒に戦ってるだろうが…じきに来るだろうさ」

「…そっか、綾袮も……」

 

 振り返りざまに反撃…って事も考え警戒はしていた俺だが、御道は構える事もなく、自然な雰囲気で訊いてくる。それに俺が答えると、御道は俺の後ろへと目をやり…視線を戻す。

 

「よくもまあ、ここまで来たもんだ。頑張り過ぎだろ」

「それは、どっちの意味?」

「…さぁ、な」

 

 この戦いで、ここまで侵攻を果たした事に対して言っているのか、それとも『こんな今』にまで辿り着いた事、行き着いてしまった事に対して言っているのか。…そんな御道の問いに、俺は答えをはぐらかす。どっちの意味かだなんて……俺自身も、決めちゃいない。

 

「…俺は、ここまで来られて良かったと思ってる」

「そりゃ、両方の意味でか?」

「うん、両方の意味でね」

 

 問いも、答えも対照的。…意趣返し?いいや、違う。御道はきっと、思っている通りの事を言っただけだ。この対称性が…そのまま俺と御道の違いなんだ。

 

「…そんなに、諦められないかよ」

「諦められないね。諦められないし、諦めたくもない」

「俺からすりゃ、元から御道は充実した毎日を送ってたように見えたんだがな。…それが御道にとっては、味気なかったって事か?」

「そんな事ないよ。霊装者になる前から、それなりに良い生活を出来ていたと思ってるし…霊装者である事を抜きにしたって、今の俺にある…俺にあった毎日は、充実していた。だけどそれは、俺が望んだ日々じゃない。それはそれで充実してるから良い…そう思って妥協出来る程の望みじゃないんだよ。それに…ただ想像してた頃より、一度知ってから失った後の方が、状況は同じでもずっと堪えるもんだよ?」

「…まあ、それはそうだろうな」

 

 価値観も望みも人それぞれだが、最後の部分は理解出来る。確かに人は、何も知らない時より、知ってから失った後の方が辛く感じるものだ。それがある喜びも、それがない喪失感も知ってしまうからこそ、人は失ったものを取り戻したくなる。俺だって、もしも緋奈を失ったら…今ある繋がり、昔は得られなかった結び付きを無くしてしまったら、その時の悲しみは昔の比じゃないだろう。取り戻そうと、躍起になるのは間違いない。

 けど、だからって俺は、御道をそのまま行かせる訳にはいかない。俺だって、そんな柔な気持ちで今ここにいる訳じゃない。

 

「千嵜こそ、どういう風の吹き回しでここに?まあ、任務だからって事なら、そりゃそうだなって話だけど」

「…深い意味はねぇよ。ただ、分かっただけだ。自分の本当の、望みってやつが」

「…変わったね、千嵜」

「御道こそ……いや、御道は変わってないのかもな。俺が、知らなかっただけで」

 

 前の俺は、戦いや霊装者の世界そのものを避けていた。俺の望む日常と、霊装者の世界は違うと。関われば関わる程に、再びそちらの人間に染まっていってしまうと思って。

 それが多くの人と知り合い、色んな経験をし、日々を重ねていく中で、何気ない日常以上に、守りたいって思うものが増えた。そして今は、はっきりと言える。霊装者の世界も、何気ない日常も、結局は要素に過ぎないんだと。俺の本当の望みは…自分が大切だと思うもの、尊いと思えるものを、全部取り溢さずに、掴んで守る事だって。これは人に誇れるような、立派な望みじゃないのかもしれないが…それで結構、大いに結構。元から人に誇れるような人間じゃねぇのが、この俺だ。

 

「…止めるなとは、言わないよ」

「あぁ。俺も止めはするが、考え直せとは言わねぇよ」

 

 互いに、相手を説得しようとは思っていない。戦場だろうが何だろうが、戦わずに済むのなら、それに越した事はないが…もう、そういう段階じゃない。相手の思いや真意が分からない、不理解故の対立ではなく…これは互いに譲る気のない、自分の行動を、思いを貫く為の戦いだ。

 俺はそれ以上の言葉を言わず、御道も何かを言う事はなく、正対したままで静寂に包まれる。穏やかではない、だが張り詰めているとも違う、上手く形容出来ない空気がこの場に流れ……先に動いたのは、御道の方だった。

 

「ふ……ッ!」

「……ッ!」

 

 背中から腰の左右へ滑り出るようにして、俺へと向けられた二門の砲。反射的に俺は斜め上方へと飛び退き、次の瞬間赤色の砲撃が放たれる。

 先制攻撃と、それに対する回避。すぐに俺はライフルを向け、反撃を与えようとしたが…すぐに気付く。向けられた砲は二門ながら、放たれたのは一条だけである事に。砲撃に移らなかったもう一門は、俺の動きを追っている事に。

 

(やってくれるじゃねえか…!)

 

 初めに向けられたのは二門。だから同時砲撃が来るものと思った俺だが、当たり前の話として、向けた砲は全て一度に撃たなきゃいけないなんて道理はない。ブラフとしては、誰だって出来る単純なもので…だが単純化しがちな「一瞬の判断」を利用したブラフだからこそ、案外強い。

 今度こそ放たれたもう一門の攻撃も避ける為、俺は反撃中止。身を翻せば、当然次の攻撃が、二丁の携行火器による追撃が俺を襲ってくる。

 

「なんだ、逃げないんだな…ッ!」

「この程度で逃げても、碌に距離は稼げないだろうからね…ッ!」

 

 傾向火器と、四基の内の二つ、合わせて四門の射撃と砲撃があれよあれよと飛んでくる。反撃したいところだが、下手に射撃戦をしたとしても、火力の差で押し切られるとは明白。

 その一方で、御道の動きはそこまで激しくない。どうもあの砲は主推進器を兼ねているらしく、その内二つを攻撃に回してるなら、機動力が大きく落ちるのも当然の事だが…だからって、安直に高機動戦を仕掛け、火力を活かせない近距離にまで接近を…という訳にはいかない。

 

(あの装備の各部にも砲があるって話だったな…全く、飛び抜けた霊力量をフル活用出来る装いをしやがって……)

 

 如何に多くの霊力があっても、一度に使える武器の数には限界がある。だから霊力は多いに越した事はないが、霊力量だけあっても有効活用は難しい、ってのが普通の考え方な筈だが…御道の今の装備は、武器にしろ推進器にしろとにかく増やして強引に霊力の多さを活用出来るようにしている。御道のバックにいる組織がそれだけの技術を持ってるって事なのか、それとも身体に負荷をかけて無理矢理実現してるのか…何れにせよ、弾幕の正面突破は難しい。頑張れば出来るかもしれないが、わざわざ大火力も正面からやり合う必要もない。

 それに、必要不要の話で言えば、別に勝つ必要もない。妃乃や綾袮が追い付いてくるまで足止め出来りゃ、それだけでも勝利はほぼ確実になる。…が……

 

「狙いが甘いんだよッ!」

 

 上昇をかける…と見せかけ、右手の直刀を横へ振り出し方向転換。俺の上を通り過ぎていく攻撃を視界で捉えながら、やっと俺は御道に反撃。ライフルを向け、射撃を御道に浴びせていく。

 当然御道は回避する。回避中は攻撃ばかりに意識を向けられない分、弾幕の質は大きく落ちる。

 

「悪ぃがそっちが連戦だからって、手を抜くつもりはないからな…ッ!」

「当、然…ッ!」

 

 薄くなった弾幕を避けながら、射撃と共に接近をかける。こっちも魔人からの連戦ではあるが、疲労は間違いなく御道の方がしている筈。

 とはいえ御道も、そこまで簡単にはやられない。下手に回避に徹するのではなく、薄くなろうとも射撃と砲撃を続け、俺の接近を阻まんとする。そして、撃ちつつ近付こうとする俺と、回避しつつ迎撃を図る御道との最初の攻防は、御道へと軍配が上がった。

 

「そう簡単に…近付かせるかよ…ッ!」

 

 いけるか、と思った瞬間、肩越しに俺を狙う追加の二門。ここまで飛行と回避に回していたもう二基も攻撃に転じさせ、真正面から俺の接近を押し返す。

 尚且つ御道は、主推進器全てを砲にしたからか軽く落下。他の推進器で姿勢はすぐ立て直しつつも降下していき…高度を下げる形で、距離を取ってくる。

 

(…上手いな。随分と、戦い慣れてるじゃねぇか)

 

 落ちるを降りるに、落下を降下に置き換えた、技術ではなく発想の技。さっきのブラフもそうだが、御道は大火力を持ち味にしながらも、ゴリ押しはしてこない。大火力や手数の多さを活かしつつ、欠点や足りない部分を上手く発想で補っている。純粋に強い、シンプルに格上である妃乃や綾袮には敵わなくても、そうじゃない相手となら…御道は自分の能力以上の相手にも食らい付き、躱して凌いでここまで到達したんだろうと、本気でそう思わせるだけの力を、実力を感じる戦いを御道はしていた。

 

「……けど、甘いな。上手いが…まだまだ甘ぇよ、御道」

「……っ、何を…くぉ…ッ!」

 

 降下する御道を追う。真っ直ぐにではなく、渦巻きを描くように旋回しながら、その形で少しずつ距離を詰めながら俺は撃つ。回避を主体にしやがらも左手で撃ち、右手の直刀で迎撃を斬り払い、俺は御道への接近を続ける。

 霊力量という才能はある。技術も悪くないし、戦いの思考や上手い発想だって備えている。それに御道は感情…激情を力に変えられるタイプだし、戦闘が長引けばそんな部分が出てくる可能性もあるだろう。はっきり言って、一筋縄じゃいかない相手である事は間違いない。だが既に、強みと同時に、俺は御道の弱みも見つけていた。

 

「言ったろ?こっちは手を抜く気はない、ってよ…ッ!」

 

 焦る事はない。落ち着いて狙い、落ち着いて見極める。動きを、弾道を見切って、それに合わせて射撃や斬撃を叩き込む。加減速をかけながらの旋回で、曲線主体の動きでしっかりと避け、避け切れない分を的確に対応して、カウンター気味にこっちも仕掛ける。

 俺が見つけた弱みは二つ。一つは、攻撃にしろ動きにしろ、結局のところは霊力量任せだという事。それに合わせた装備を纏い、フル活用する事で中々の弾幕形成をやってのけてるんだから、凄くはあるが…質を量で誤魔化すような攻撃故に、纏めて対処しようとすると厄介だが、一発一発は大した事ない。きっちり避け、残りを防御するというスタンスを徹底出来れば、弾幕にも対応出来るし…動きに関しても、急な加減速や細かな部分の滑らかさに欠けている。制御、調整が求められる部分を、別方向へのより強い推力で強引に捩じ伏せ動いているんだから、どうしてもそこが欠けてしまう。…まあ、見方を変えりゃ得意分野でそれ以外を補ってるとも言える訳だが。

 

「そっちはまだ余裕そうだね、千嵜…ッ!」

「ったりめーだ、連戦云々抜きにしても…こっちは年季が違うんだよ…ッ!」

 

 時に宙返りを混ぜ、時にはわざと射撃を変な方向に外す事で困惑を引き出し、攻撃と接近を続行。近付けばその分、弾幕の密度も上がるが…当たりはしない。

 当たらない理由の一つは、その為の動きをしているから。連射される光弾は勿論、砲撃も一見強そう…というか当たったら一溜まりもないが、しっかりやれば両断出来る。高密度の収束ではなく、とにかく霊力量を増やして威力を上げているだけだからこそ、斬って斬れない事はない。

 だがこれだけなら、御道にはまだ届かない。何せ俺だって、妃乃レベルの実力がある訳じゃねぇんだから。恐らく霊装者としての能力は、今の俺と御道とでそこまでの差はなく……されどある一点で、俺は御道を遥かに上回っている。御道の弱みでもある、とあるもう一つの点においては。

 

「年季…確かに年月じゃ千嵜の方が上だろうさ、でも『今』の経験だけで言えば……」

「──そういう意味じゃ、ねぇんだよ」

「な……ッ!?」

 

 仕掛けるタイミングを計り、無理に攻めず、だがプレッシャーは与えられるギリギリの距離を保つ俺。御道もその微妙な距離を保たれるのは不味いと思ったのか、砲撃で追い立てつつ、左手のライフルを向けてくる。

 そうする瞬間を…ライフルによる偏差射撃をする瞬間を待っていた。砲は使わず、ライフルでのみ…もっと言えば、どちらか一丁のみが偏差射撃に移る瞬間を、俺は狙っていた。

 偏差射撃…つまり今の俺の先を狙う動きが見えたと同時に、俺は空で急ブレーキ。一気に速度を落とすと、御道もそれに合わせて銃口を予測地点から今俺がいる場所、俺自体へと向け直す。その一瞬で、俺は心の中でほくそ笑み…身を、翻す。射撃が来ると分かった上で、自ら的になるが如く真っ直ぐに突っ込む。

 

「……ッッ!…ぁ、しま……ッ!」

 

 普通ならそれは、自殺行為。銃口が自分に向いている状態で突っ込むなんざ、撃ってくれと言うのと同義。……だが、放たれた霊力の弾丸は当たらない。俺の側を掠めはすれど…御道自身が銃口を逸らした事により、攻撃は外れる。

 これが、御道に欠けるもう一つの点。なんて事ない、単純な、シンプルな…人を殺す事への躊躇い。俺は御道の攻撃が、さっきからずっとギリギリズレている…一発で致命傷となる、急所への直撃にはならないように放たれている事に気付いていたからこそ、それを利用した。わざとその直撃コースに入る事で、御道の攻撃を鈍らせた。

 別に、短所だとは思わない。人を殺す事に躊躇いを持つのは当然で、まともな精神があるならそうそう出来る事じゃない。……相手が見える状態で、命の取り合いを何度もしているような人間でもない限りは。

 

「そこだッ!……なんて、なッ!」

「あぐ……ッ!」

 

 突進する俺に対し、御道は逸らした。そうなれば当然、一気に俺は距離を詰められる。そして格闘戦が出来る距離まで接近した俺は、直刀を持つ右手を振り上げ…左脚を振り抜く。直刀での攻撃を囮に、直刀で斬ると見せかけて、手薄な腰の辺りを蹴り付ける。

 諸に蹴りが入った事で、回転しながら落ちていく御道。大きな隙を作り上げた俺は、今度こそ本命の攻撃を仕掛けようとし…だがそれは、例のユニット各部からの砲撃によって阻まれる。回転しているからか、狙いは滅茶苦茶だが…結果それが拡散攻撃の様になって、俺は回避を余儀なくされた。

 

(一発蹴りを入れられたとはいえ…一回限りの手で得られた成果としちゃ、正直薄いな……)

 

 仕方ない、と俺は思考を切り替えながら、構え直す。殺しへの躊躇いは意識したからって消えるもんじゃないが、二回目は一回目より冷静に対応される可能性が格段に上がる。そうでなくとも、反射的に逸らせない攻撃ってのもある訳で…この奇策は恐らくもう使えないか、かなりの工夫をしなきゃ通用しない。

 

「だが……ッ!」

 

 連射は出来ないようで、各部からの霊力ビームはすぐに収まる。その直後に俺は再度突進をかけ、二度目の近接戦に入る事を狙う。成果は薄くても、一撃は一撃。先に一発当てられたという事実だけでも、意味はあると切り替えて。

 

「御道!御道じゃ俺には勝てねぇよ!将来はどうか知らねぇが…少なくとも、今はなッ!」

「あぁ、かもね…だけど、こっちだって負ける気はないんだよ…ッ!」

 

 立て直す御道を射撃で妨害しつつ、接近。再びの近接攻撃を仕掛けようとし…だがそこで、御道の方から突っ込んでくる。

 左手のライフルの銃剣を用いた、突進そのままの刺突。そう来るとは思わなかった俺が直刀で逸らすと、御道は次の攻撃に移る事なく、逸らされたままに加速し俺から離れていく。ちっ、これを狙ってやがったか…!

 

「(上手くやられた…が、背中を見せるなら追うまで──)うぉ…ッ!?」

 

 即座に反転し背後を取る、ドッグファイトなら有利な位置につけた俺だが、四基の主推進器の内二つが後ろを向いたまま切り替わり、背後へ向けた砲撃を放ってくる。連続で予想外な事をされた俺は回避に移るのが手一杯で、御道に距離を取られてしまう。

…やはり、油断は出来ない。勝機はあるが…油断をすれば、こっちが負ける。

 

「そう何度も、簡単に近付けると思うなよ…ッ!」

「そっちこそ、策を駆使すれば何とかなるなんて…思わねぇ事だ…ッ!」

 

 距離を取ったところで振り向いた御道は、再び射撃と砲撃を撃ち込んでくる。ライフルで応戦しつつ次の機会を探っていた俺だが…やっぱりさっきより警戒されている。同じ調子じゃ切り込めない。

 だが、それならこっちも攻め手を変えるまで。俺はライフルを純霊力の刃へと持ち替え、二刀流に移行。二振りの刃で迎撃を斬り裂き、狙うは弾幕の正面突破。

 

「ごり押し…!?」

「だと思うなら、押し返してみやがれッ!」

 

 真っ向からの突破を狙うとは言っても、高速連射…要はマシンガンタイプの射撃は捌き切れない。だからそれは避け、右程そこまで連射速度が高くない左のライフルの射撃と、砲による単射を斬り裂きながら進む。少しずつ御道の射撃に慣れてきた事で、見えてくるのは攻撃の隙間。

 

(けど、もう一手だ…もう一手、重ねる事で……)

 

 引き撃ちに移行する御道と、斬り払いながら追い掛ける俺。攻撃に向かう事になる俺と違い、取り敢えず下がれば良い分また距離が開き始める…が、御道だってこれじゃ勝負が付かない事位分かっている筈。そして御道はのんびり戦ってなどいられない以上、必ずどこかで仕掛けてくる。

 そう思い、突撃を続ける。近付く事を止めず、諦めず、しつこく御道に追走をかけ……その瞬間が、訪れる。

 

「千嵜が強いって事は、分かってさ…!だから、これで……ッ!」

「……ッ!」

 

 不意に、突如として止む攻撃。反射的に俺は、一気に距離を詰めようとし…だが経験が柱となった勘とでも言うべき何かが、俺の意識に待ったをかける。本能的に、俺はその勘に従い……次の瞬間、放たれたのは無数の光。二丁のライフル、四門の砲、そしてユニット各部の砲……その全てを用いた一斉掃射が、俺の視界を埋め尽くす。

 

(これ、は……ッ!)

 

 殆ど思考を介さず、直感的に俺は二振りの刃を走らせる。出来るかどうか、どう捌くのが一番効率的かなんて全く考えず、ただひたすらに下がり、捌き……霊力刃の発振部、謂わば持ち手と刃の境に光弾が直撃した事で、爆ぜる霊力剣。何とか爆ぜる直前に手放した事で、手が駄目になる事は避けられたものの、俺は落ち……

 

 

 

 

 

 

──次の瞬間、複数の刃が御道の纏うユニット、その一部を貫き斬り裂く。

 

「な……ッ!?」

 

 衝撃と、それに恐らくは驚愕で止む御道の攻撃。武器を一つ失い、身に纏う戦闘用のコートに細かな焼け跡が幾つも残ってしまう状態になりながらも、一斉掃射を切り抜けた俺。そして御道の攻撃を終わらせた刃は…五基のユニットは、弧を描くように飛びながら使い手の下に……俺の下に、戻ってくる。

 

「遠隔操作端末…?…まさか、さっきの一瞬のタイミングで……」

「言ったろ?御道じゃ俺には勝てねぇって。…負ける気なんざ、こっちだってねぇんだよ」

 

 空中で立て直し、改めてライフルを抜き、俺は歯噛みをする御道を見やる。構え直し、神経を研ぎ澄ます。

 俺と御道の戦い。予言された霊装者同士の…依未が見た通りとなってしまった戦い。勝機はあるが、絶対に勝てるとは限らない。負ける可能性もゼロじゃないが、勝つ可能性だって十分にある。そんな、俺達の戦いは……まだ、終わらない。



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第二百三十九話 激突する彼等の思い

 運命なんて、実生活で感じる事はまあまずない。ない、っていうか…そもそも運命っていうのは概念的なものだから、はっきりと「これは運命だ!」…と感じられるようなものじゃない。せいぜい凄い事に遭遇したり、とても偶然とは思えないような何かが起こった時に、驚きを示す表現として「運命」って言葉を使う程度。

 けど、感じられない事と、存在しない事とは別。別に認識がどうたらとか、思考実験的な意味じゃなく、はっきり運命と呼べるような、これは運命だと確信出来るような出来事に、まだ遭遇していないだけであるとも考えられるんだから。

 そして今…俺は、対面している。俺にとって、運命と呼べるような…運命と呼べるだけの、戦いに。

 

「ふっ…はぁぁぁぁッ!」

「うらぁああああぁッ!」

 

 急上昇からの反転。後方宙返りでもするような軌道から身体を逆向きにして、トリガーを引く。千嵜に向けて、霊力の光弾を連射で撃ち込む。

 それを千嵜は、バレルロールの機動で避ける。俺の射撃を背中で躱して、そのまま俺へ突っ込んでくる。

 

「させるかよッ!」

「させてもらうさッ!」

 

 近接攻撃を仕掛けようとする千嵜に先んじて、俺が上から急降下の飛び蹴り。所謂後の先を取るような形で蹴り込んだ俺だけど、千嵜は身を捩り、すれ違うような動きを取る事で蹴りを回避し、上を取りつつ右手の直刀を俺へと振るう。その一撃を、振り向きざまに突き出した左のライフルの銃剣で受け…交錯するのは、力と視線。

 

「もう距離を取るのは止めたのかよ…ッ!」

「取らせてくれるなら取ってるさ、取らせてくれるならね…ッ!」

 

 純粋な近接武器である直刀と、一応これで近接戦も出来るって程度の銃剣じゃ、どっちが力を込め易いかなんて明白。言葉をぶつけ合っている間にも、少しずつ俺は押され…押し切られる前に、俺は自分から下がる事を選択。千嵜の力と重力を利用して一気に下がり、ユニット各部からの砲撃を用いて追撃を阻む。

 

(強いな…戦えば戦う程、それが実感出来る……!)

 

 距離を取らせてくれるなら取る、そんな風に返した俺だけど、もうそこまで距離を取る事に拘ってはいない。確かに距離を取った方が、堅実に戦えるけど…それじゃ長期戦になる事を避けられないと、ここまでで十分に理解した。そして味方が来る確率で言えば、俺より千嵜の方がずっと高い以上、堅実な戦い方なんて出来ない。危険度は上がっても、早期の決着を目指す他ない。

…いや、これは少し間違ってんな。距離を開ければ安全に戦える訳じゃない。少なくとも、千嵜が格下の相手ではない以上、どう戦ったって危険は消えない。

 

「そらよッ!」

「喰らう、かよ…ッ!」

 

 上から撃ち下される射撃を、四基のメインスラスターを複雑に組み合わせる事で避けていく。避け、余裕を作り、反撃を…そう思った瞬間に襲ってくるのは、飛翔する千嵜のオールレンジ攻撃。

 アニメで見るような、無茶苦茶な動きはしてこない。早くはあるけど、軌道そのものは割と単純で、一つ一つには然程脅威を感じない。…けど、千嵜もそれを踏まえてか、端末を攻撃の主体にはせず、接近や射撃の隙を埋めたり、今の様に瞬間的な追撃として活躍したりと、端末を主体としない運用に専念している。

 だから回避や防御は出来ても、撃ち落とすまでには至らない。ローリスクローリターンの運用をする事によって、千嵜は端末の撃墜を回避している。

 

「んなろぉッ!」

 

 突進してくる端末を何とか全て避け、お返しにユニット各部の砲を発射。最初のオールレンジ攻撃で一部潰されたとはいえ、砲門はまだ十分な数残っており、曲射の設定も組み込む事で左右から挟み込むような砲撃を放つ。

 それを千嵜は、上下に避ける訳でも後退するのでもなく、前に出る事で、挟撃の内側に入る事で避けつつ接近を仕掛けてくる。…俺が、思った通りに。

 

(ここだ…ッ!)

 

 踏み込んできた瞬間、そのタイミングを見計らって俺は二丁を同時発射。挟撃からの、カウンターとして突っ込んだところへ撃ち込まれる同時射撃には千嵜も堪らず回避を選び、俺の上を抜けるような形で回避に移った千嵜へ俺は追撃に入る。

 避けられはしたが、これで良い。向き合った状態じゃ、俺の攻撃は回避を交える事で千嵜に捌き切られるが、後ろから追いつつ撃つ形なら、千嵜だって捌けない。制圧射撃で押し切れる。

 

「……っ、なら…!」

「火力ならっ、こっちの方がずっと上なんだよッ!」

 

 背後への攻撃手段がほぼない(というか、普通の人はない。俺だって、やろうと思えば出来るけどまともな狙いなんかつけられない)千嵜は、振り向きざまの射撃を放ってくる。けどそう来るのは分かってた事、当然の事で、予め構えていた俺は千嵜の射線か、逸れつつ角度を変えて攻撃続行。

 火力の違いは圧の違い。その違いがあるまま撃ち合えば、どっちが優位かなんて明白。

 

「ちっ…けど、忘れちゃいないよな?俺にもまだ、遠距離で打てる手が……」

「オールレンジ攻撃は、ちゃんと見てなきゃ使えない!脳波とか特殊な力で動かせるもんじゃない!違うかよ、千嵜ッ!」

「ご明察だよ、鋭いやつめ……ッ!」

 

 射撃を止め、また逃げる千嵜を追いながら、千嵜の策へ言葉を返す。

 これまで千嵜は、一度も死角を補うような形で端末を使用していない事や、自分自身の複雑な動きと端末の使用を同時に行っていない事から、俺は遠隔操作端末がフリーハンドで使えるラジコンみたいなものだと予測し…そして、その通りだったらしい。もし違うなら、この状況を打破するのに使える筈なのに、そうしていない事からしても、あの端末はそこまで便利じゃない……強力ではあっても、あくまで一つの武装に過ぎないものだという認識で間違いない。

 

(このまま攻め続ければ、オールレンジ攻撃も封殺出来る。撃ち合いになったとしても、俺の優位は揺らがない。…いける、のか…?俺が、千嵜に……)

 

 オーバーシュートを狙ってか、上下左右に動き回る千嵜を追いながら、千嵜に火力のプレッシャーを与えつつも近接攻撃によるカウンターが出来ない微妙な距離を維持しながら、俺は考える。感情混じりの思考が頭を過ぎる。

 負ける気はないと言ったけど、そこに嘘は一つもないけど、千嵜は俺より強いと、俺の先を行く存在だと、そう思っている部分が俺の心の中にはある。でも今、優位なのは俺だ。押しているのは千嵜ではなく俺なんだ。そう思うと、心が震えて、心の中から何か熱いものが込み上げてきて……

 

「千嵜…勝つのは、俺だッ!俺が、千嵜に…勝つッ!」

 

 登る思いがそのまま口から出たかのように、気付けば俺は言っていた。叫んでいた。

 あぁ、そうだ。俺はずっと千嵜を意識していた。意識するに決まってる。同じ日に霊装者の道を踏み出した、同じ予言された霊装者で、その前から付き合いがあって……けど俺と違って過去がある、霊装者として生きていた『昔』という記憶を、経験を持つ相手が、千嵜なんだから。敵ではなくとも、壁ではなくとも、千嵜という存在は…俺にとって常に、綾袮とは違う形で俺の前にいる相手だったんだから。

 目指していたと、憧れていたと言ってもいい。その千嵜に今、追い付きかけている。追い付き、追い抜けそうになっている。それ故の興奮が、だからこその衝動と高揚感が俺にはあって……思いのままに、されど頭もフル回転させて偏差射撃をかけようとしたその時──千嵜から、刃が飛来する。

 

「……──ッ!?」

 

 反射的に、ブレーキをかける。後ろ向きにしていた主推進器を前に振り出し、逆噴射の形を取って、慣性で身体が軋むのも構わず俺は無理矢理減速をかけた。

 それと同時に、剥離するが如く飛来した刃へ射撃をかける。飛来する刃の数は五。とにかく撃って、俺の方へ迫る一本を撃ち落として…そこで気付く。それは射出されないと思っていた遠隔操作端末である事と…それは囮である事に。

 

「舐めんなよ…御道ぉおおおおおおッ!」

「ぐッ、ぁ……ッ!」

 

 気付いた時点で既に千嵜は攻撃態勢。肉薄をかけた千嵜の直刀が俺に突き出され…避けようと思った次の瞬間には、綾袮の踵落としでひしゃげていた肩のユニットを貫かれ、そのまま肩のユニットは剥がれるように瓦解する。

 わざと千嵜が外したのか。それとも辛うじて、僅かにでも回避が間に合った結果がこれなのか。何れにせよ…まだ千嵜との距離は、近い。

 

「こ、の……ッ!」

「遅ぇッ!」

 

 突き貫いたまますれ違う千嵜に対し、何とか身体を捻って射撃。けど右手のライフルで一発撃った時点で腕ごと千嵜の左腕に振り払われ、逆に直刀を振り出される。寸前で左手のライフルの銃剣で受けたものの、崩れた今の体勢じゃあっという間に押し切られる。

 

「遠隔操作端末は、ちゃんと見てなきゃ使えない。確かにそうだ、その通りだ。…けど、ちゃんとじゃなくてもいいなら、見ていなくても使えるんだよッ!」

「……っ…!」

 

 やはり俺は押し切られ、飛ばされる。三点バーストの射撃が続き、それを無理に回避した俺は余計に姿勢が無茶苦茶になる。

 油断していた。判断を間違えていた。自在に動かす遠隔操作端末じゃなく、ただの飛び道具として、適当な方向に放つだけならノールックでも動かせるのは当然の事。でも俺は、無意識に思っていた。外れても、雑に撃っても霊力をその攻撃分消耗するだけな砲撃と違って、一度破壊されたらそれきりな遠隔操作端末を、雑に放ってくる事なんてしないだろうという、勝手な思い込みで警戒するのを忘れてしまっていた。結果的に、一基を破壊出来たとはいえ…代償は、重い。

 

「それとな、御道…お前が強くなった事は認めるが…俺に勝とうなんざ、何年か早ぇッ!」

「くっ、ぅぅ……ッ!」

 

 もう反撃やカウンターは一度諦め、とにかく姿勢の立て直しを優先しようと考える俺。スラスターを崩れた姿勢とは逆側に吹かす事で強引に正し、何とかまともな姿勢に戻れたものの、その時には既に四基の端末が迫っていた。二基は避け、一基は銃剣で逸らす事が出来たが、もう一基が対処し切れずに右腰のユニットを貫かれ、尚且つ千嵜自身も突っ込んでくる。

 

「先に言っておくが…なんか癪なんだよッ!御道に、そう思われるっつーのはッ!」

 

 これ以上後手に回ったら本当に対処が追い付かなくなる。反射的にそう思った俺は、近接攻撃を受けるより先に俺からも踏み込み、銃剣を振るい…けど、分かってたとばかりに銃剣を直刀で弾かれる。そこから突き出すような蹴りに移られ、ユニットがなくなった右腰へ正面蹴りを一発喰らう。

 斬撃や射撃よりはマシとはいえ、これだって痛いし衝撃もある。…でも…今の攻防と同時にぶつけられた言葉が、俺の中で響く。反響し、俺の心を内側から叩き…俺の中で、何かが爆ぜる。

 前屈みのような姿勢になった俺の前で、動く気配。恐らくそれは、今度こそ本命の攻撃に出ようとした千嵜のもので…そこは俺は、突っ込む。構えも技術もありはしない、ただただスラスターを吹かしながら頭を上げるだけの動きで以って…千嵜にヘッドバットを叩き込む。

 

「…何だよ、それ…何年かって、なんでそこざっくりとしてんだよッ!」

「つぁ……ッ!?」

 

 衝突する頭と頭。鈍器で殴られたような…頭同士がぶつかったんだから、そりゃそうだろって感じの痛みが走り、くらっとして、俺も千嵜も揃って蹌踉めく。そこから何とか喝を入れ…もう一度、突っ込む。

 

「おまっ…気にするとこ、そこかよ…ッ!」

「そこも気になったんだ、悪いかッ!」

 

 立て直しよりも攻撃を優先した結果、出来たのはただの体当たり。それでも少なくはない反動と引き換えに、俺は千嵜を突き飛ばす事に成功し…右手の武器を、ライフルから純霊力の剣に変える。

 

「あれかよ千嵜ッ!自分の生まれ変わる前から今までの時間分換算しようと思ったが、流石にそれは長過ぎるってか、自分だってその期間の半分以上は飛んでるから変な感じになるよな、的な事考えていい感じの時間を思い浮かべられず、結果さっきの適当な表現になったってか!?」

「お…お前はサイコメトラーかッ!霊装者の力を取り戻したついでに、固有能力まで手にしたのかよッ!?」

「違ぇよッ!そんな事があったら良かったんだが、なッ!」

 

 形成した霊力の刃を振るい、掲げられた千嵜の直刀と斬り結ぶ。手を伸ばせば相手の身体に手が届く程の至近距離故にお互いライフルの銃口は向けられず、砲も上手く向けられない。千嵜の端末も、僅かなミスで自分を刺す事になるだろうからか、使ってくる気配はない。こう近付けば、四方からの攻撃は無理だな、ってな…ッ!

 そんな状態で、斬り結ぶ互いの刃越しに、言葉をぶつけ合う。いきなり下らない言い争いに発展し…互いが互いを押し出す。結果俺も千嵜も下がり、遠隔攻撃も出来る距離となり……

 

『……っ…でりぁああぁぁぁぁッ!』

 

……だが俺も千嵜も、選んだのは再度の接近戦だった。恐らく、お互いが狙われる前に懐へ飛び込もうとしたが為に、再び斬り結ぶ形となる。

 

「大胆な事、しやがるな…ッ!だが、接近戦なら…ッ!」

「んな事こっちも、織り込み済みだ…ッ!」

 

 さっきは防御を強いる事が出来た為に、互角の状態となった。けど条件が同じとなると、経験の差で近距離は千嵜が上回る。技術や細かな駆け引きで俺は押し返され…だから左のライフルを横にし、外側から千嵜へ振るう。引っ掛けるような動きで、銃剣での斬撃をかける。

 それは躱される…が、追撃を阻止する事には成功。結果また距離が開き…今度は肩越しに二門での砲撃を放つ。

 ここまでは、近付かせない戦い方をしていた。時間ばかりを消耗する攻防を打ち切る為に勝負を仕掛け、それには失敗した。であれば、残る道は一つ。積極的な近接格闘も視野に入れた、これまでより近い距離での白兵戦のみ。

 

「まだやる気かよ、御道ッ!消耗戦になりゃ、有利になるのは俺の方だッ!経験的にも、時間の問題でもなッ!」

「はっ、何言ってるんだかッ!消耗戦なら、霊力量の面でガス欠が遠い俺の方が有利だと思うがなッ!」

「そりゃどうだろう、よッ!」

「どうだろう、ねッ!」

 

 ライフルで撃ち、回避先へ突っ込んで横薙ぎ。それは直刀で擦り上げるように凌がれ、ライフルでそのまま殴ってくる。その打撃を、前に振り出した主推進器の逆噴射でギリギリ避けて、ユニットからの砲撃を撃ち込む。…が、寸前で避けられる。俺の様に装備をフル活用するのではなく、純粋且つ単純な回避行動で。

 あぁ、実感させられる。近い距離での戦闘は、相手の動き…視線や手足の、一つ一つの動きから先の行動を瞬時に、反射的に予測し行うものであり…それは遠距離戦より、よっぽど経験が表れる。分かっちゃいたけど、ほんとに近距離戦じゃ千嵜の方が一枚も二枚も上手。

 だとしても、俺が勝利を…目の前の一勝ではなく、作戦としての価値を得る為には、こうして攻めるしかない。もっと先を見据えた、戦術的な……

 

(…いや、違うな。聖宝の奪取の為に、それに繋がる選択と結果が必要なのは勿論だ。…けど、俺は…俺が望んでいたのは……)

 

 四基の端末が、それぞれ別方向から迫ってくる。微妙にタイミングがズレて飛んでくるそれが、ズレを利用し避ける…そんな動きを誘発する為の策だと気付いたのは、まんまと誘導された後。回避し切った先に飛んで来た千嵜のけさがけを受け止め切れず、姿勢が崩れた俺は……そのまま蹴り上げる。仰け反るように崩れたのだからと、そこからサマーソルトに移行し追撃しようとしていた千嵜に向けてカウンターを打ち込む。

 慣れない事をやったせいで、キックは空振り。…だが、意表を突いたカウンターにより、千嵜の追撃も止まった。そして、一回転した俺と千嵜の視線が交わり……俺は、確信する。今の俺の中の、俺の心で燃え立つ思いを。

 

「…こんな日が来るなんて、思わなかった……」

「ったりめーだ。俺だって、こんな事になるなんざ……」

「こんな劇的な…想像の世界の話みたいな事を、当事者として、実際に経験するなんて…思ってもみなかったよ、千嵜ッ!」

「……っ!?御道、お前……!」

 

 振り出すように左手のライフルで一発撃って突進。俺の言葉に面食らった様子で、一瞬反応が遅れた千嵜に接近をかけ、何度目かの激突とせめぎ合いを繰り広げる。

 

「馬鹿だって思うかよ、戦う事を…命のやり取りを舐めるなって思うかよ?けどな、千嵜…こっちだって本気なんだよッ!本気だから貫きたい、貫きたい程に本気だってんだよッ!それが、これが、俺の……望んでいた世界なんだよッ!」

 

 刃同士をぶつけ合ったまま、スラスター前回で突進をかける。押し切るのではなく、そのまま突っ込み空中で千嵜を引き摺り回す。

 我ながら、訊かれてもいないのに何をいきなり言っているんだ、とも思う。だが、俺はこの思いを千嵜にぶつけたかった。俺とはまるで違う人生を歩んできた…俺の憧れる、夢見た非日常的の中で生きてきて、なのに非日常より日常を、何もない日々を望んでいた千嵜だからこそ…俺は、ぶつけたかった。恨みでも、妬みでもなく…対極な存在である千嵜に、俺の理想をぶつけ…貫いて、みせたかった。

 

「だから俺は、力を望んだんだッ!どんなに充実していたって、周りの人に恵まれてたって…力がなきゃ、俺の理想には届かないッ!この戦いだって、何もしなきゃ触れる事すら出来ない経験だった!理解なんか求めねぇよ!俺はただ、俺の……」

「…ふん、分かるさ…これっぽっちも、分からねぇけどなッ!」

 

 押し込むだけ押し込んだ後、俺は何度も斬撃を浴びせる。仕掛け続け、直刀を防御に回させ続ければ反撃もされないだろうと見立て、とにかく攻撃を重ねる。言葉と共に、何度も何度も。遠隔攻撃での対応もさせない為、距離を開けないまま、全力全開で。

 感情が乗る。これまで以上の力が出る。聖宝を手に入れるという目的も忘れちゃいないが、それと同じ位に今は千嵜に勝ちたくて、対極且つ俺の先を歩んでいた、ある種憧れすらあった千嵜に真正面から勝利を掴み取りたくて……けど次の瞬間、思い切り振り抜いた一太刀で、千嵜の直刀を持つ腕を完全に外側へ弾いた次の瞬間に、俺の身体は跳ね飛ばされる。弾いた直後、弾かれた腕の遠心力で逆の肩をこちらに向け、そこから千嵜が打ち込んできたショルダータックルを諸に受けてしまった事で。

 

「がふっ…千嵜、お前…また曖昧な事を……」

「共感どころか理解も出来やしねぇが、本気だっつー思いも、何が何でも叶えたい、貫きたい願いが存在する事も分かるって事だッ!…だがな、そんな思いを聞こうが俺のやる事は変わらねぇ。俺にだって、譲れないものはあるし…純粋に、御道に負けるのは気に食わねぇんだよッ!」

 

 肩を胸元にぶつけられた事で怯んだ俺だが、千嵜も強引な攻撃で追撃までは進めず、一瞬の間が空く。先に刃を振るってきた千嵜の攻撃を銃剣で受け止め、その間に霊力剣で横薙ぎをしようとし、前腕に前腕をぶつけるという形でこっちからの攻撃も止められて…睨み合う。ほぼ同時にお互い離れ、ライフル同士で撃ち合い、回避し旋回しながら俺は砲撃、千嵜は遠隔操作端末での追撃をかけ…相手の攻撃を避けながら、攻撃をしながら、頭をフル回転させ次に仕掛ける瞬間を図る。

 

(気に食わないってなんなんだ…だけど……本気で来てくれるなら、それで良い…!気に食わないってのが気に食わないが、そうこなくちゃ意味がない……ッ!)

 

 ただ勝ったって、勝ちを譲られたって意味がない。本気の千嵜に勝たなきゃ、互いに全力を、全身全霊を尽くした先の決着じゃなきゃ、決戦じゃない。そしてその全力を尽くした先の決着にこそ…俺にとっては何物にも代え難い、それ位の価値がある瞬間が待っている筈だ。

 推力として霊力を吹かし、射撃に砲撃、それに斬撃と霊力を惜しみなく注ぎ、互いに力を振り絞り、富士の空で俺と千嵜は激突を繰り返す。霊装者として、思いをぶつけ続ける。そうして向かう先にある決着は、終わりは…きっと、そう遠くはない。無意識に、心のどこかで、そう感じていた俺だった。



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第二百四十話 信念の為に、願いの為に

 広大な富士の領域内で繰り広げられる、幾つもの戦い。人間と人間、人間と魔人…それぞれの立場、それぞれの目的を掲げて激突し、力と力をぶつけ合い、鎬を削る。

 正義が勝つのだろうか。それとも勝った方が正義なのか。或いはそもそも、正義は複数あるものなのか。哲学的な思考や観点は無数にあり……だがしかし、正義を含めた自らの意思、思想や信念を高らかに語る事が出来るのは…勝利を収めた者に他ならない。

 

「ここでッ!」

「これでッ!」

 

 夜空に煌き、疾駆する二対の翼。蒼い光を持つその翼は、同じ光を浴びる刃と共に輝きを放ち…敵を、斬り裂く。

 

「がッ…ふ……」

 

 天之瓊矛と天之尾羽張。二つの家系で代々受け継がれる、それ自体が宝と言っても過言ではない二振りをそれぞれ持つ少女、時宮妃乃と宮空綾袮の同時攻撃により、相対していた魔人は胴を斬り裂かれ、苦悶の声と共に落ちていく。どちらもその太刀筋に迷いはなく…為すべき事を果たさんとする彼女達を阻んだ魔人に、確かな深い傷を負わせる。

 

「…前にも戦った事ある相手だけど…前より手強かった気がするよ…」

「執念、でしょうね。敵ながら天晴れ、とでも言いたいところだけど…この重要な時に襲ってくるなんて、勘弁してほしいわ…」

 

 気は抜かずとも振り抜いた得物を戻し、幼馴染でもある相手とのやり取りを交わす二人。

 綾袮の言う通り、二人からしてもこの魔人は手強い相手だった。大きなダメージは免れないような重傷を負わされ落ちた魔人だが、そもそも単独でも魔人と互角以上に立ち回れる上、二人で組んだ場合は抜群の連携を見せる妃乃と綾袮を同時に相手にし、ここまで持ち堪えていた…善戦していただけでも大したもの。だからこそ、妃乃も「敵ながら天晴れ」という言葉を思い浮かべたのであり…だがその直後、二人を黒い影が、魔物擬きが下方から襲う。

 

『……ッ!?』

 

 反射的に二人は得物を振るい、魔物擬きを斬り裂く。虚を突かれた状態でも、瞬間的に対応出来るのが二人であり…しかし内心では、動揺を禁じ得なかった。

 魔物擬きそのものは驚異ではない。しかし魔物擬きが現れ、襲ってきたという事実は重く…続けて目にした存在により、魔物擬きが見間違いでも何でもなかった事が確定する。

 

「…何、終わったみたいな雰囲気出してんだよオイ…言ったよなぁ…?テメェ等は、オレが潰すってよぉ……」

 

 胴体に浴びた斜め十時の深手。人間ならばまともに動く事もままならないような重傷でありながら、その状態でふらつきながらも二人を見上げているのは魔人。重傷とは思えない程に鋭く、戦いの意思が微塵も薄れていない眼光。

 それを見て、二人の意識は完全に切り替わった。既に追い詰めているような状態とはいえ…確実な勝利を収めるまでは、目の前の戦いに専念するべきだ、と。でなければ、ここからでも魔人にやられかねないと。

 

「…ヒメ」

「分かってる。ここまでも手を抜いてた訳じゃないけど…ここからは、本当に全力でいくわよ、アヤ」

 

 それぞれの得物を構え直し、翼を広げるように左右へ展開した二人は、迎撃として放たれた魔物擬きを鋭い機動で避けながら接近する。執念含め、この対峙する魔人を正真正銘の強者だと認めた上で、確実に勝利を掴まんと全力で仕掛ける。

 急降下をかける最中、ふっと一瞬脳裏に過ぎったのは、今はもう「大切な人」だと確信を持てる相手の事。その相手へ向け、半ば無意識的に心の中で二人は呟き……交戦を、続ける。

 

(絶対に、勝って貴方に追い付くわ。…信じてるわよ、悠耶)

(顕人君…君は、君の事は……)

 

 

 

 

 空で行われる戦いもあれば、地上で行われる戦いもある。協会の絡む戦いもあれば、絡まない…ある意味で、第三勢力同士とも言える戦いもある。そして、まだ続く戦いもあれば……既に勝敗の決した戦いも、そこにはあった。

 

「…ァ…が、は……ッ!」

 

 腹部を刺し、背を貫き、尚も伸びる真紅の刃。他の純霊力剣とは一線を画す程に高出力、高収束の霊力刃が魔人にどうしようもない程の深手を負わせ……その使い手、ゼリア・レイアードは刃を振り抜く。発振を止めればそれだけで引き抜いたのと同じ結果を得られる純霊力剣を横に振るい、更に脇腹を捌きながら魔人より離す。

 

「如何なる対象であろうと消し飛ばす力…成る程確かに強力ですが、所詮連続使用が効かなければ範囲も限定的、加えて手を基点としなければ使えない制約もあるとなれば、まあこんなものでしょう」

「…なん、なんだ…お前、は……」

 

 こんなもの。初めからこの結果は分かり切っていたとばかりに言ってのける彼女は完全な無傷であり、表情も冷ややかなもの。対する魔人は木を背にする形で崩れ落ち…魔人側は連戦であったという事を差し引いても、その勝敗は歴然。

 既に明らかな致命傷とはいえ、まだ息がある魔人へと背を向け、ゼリアは見上げる。悠耶と顕人、二人の激突を見やり…それから静かに目を閉じる。

 

「…ふふ…嗚呼、後少し…後少しで、遂に……」

 

 その言葉と共に浮かんだのは、大抵の事には淡白な反応しか見せない彼女が普段は見せないような、興奮と高揚の混ざった面持ち。開け放ったような反応とは違う、心の奥底から漏れ出たような、無意識の発露とでも言うべき静かながらも感情の熱が籠った表情を浮かべ…しかしその時、魔人は動いていた。致命傷である事を感じながらも、目の前の敵を…余裕を見せてトドメも刺さずに背を向けた敵を葬らんと、一切音を立てる事なく右腕を掲げ……次の瞬間、ゼリアの姿がそこから消え去る。

 一瞬、魔人は自らの手で消し去ったのだと思った。だが、すぐに気付く。直感的に、そうではないのだと理解し……その直後、突き出していた右腕が肩から落ちる。…振り下ろされた、刃によって。

 

「まだ勝てると思っていたのか、それとも一矢報いたかったのか…何れにせよ、無駄な事です」

「…調子に、乗るな霊装者…お前の様な、存在など…我が、主の前では……」

「それは、こちらの台詞です。所詮は紛い物な魔物や魔人風情が、図に乗らないでもらいましょうか。…尤も、これから消えゆく者には関係ありませんが」

 

 特別、何かをした訳ではない。ただ単に、魔人の最後の攻撃を察知したゼリアは真上に飛ぶ事で能力を回避し、斬撃を魔人に返したというだけの事。

 致命傷に加え片腕も失い、最早魔人は睨む事しか出来ない。これまでは覇気や強い意思の感じられなかった魔人も、死の間際だからか…或いは圧倒的な力の差で捻り潰された事への苦渋故か、恨みの籠った表情でゼリアを見上げ…見下ろすゼリアは、無情な声と瞳で一蹴。そして刃の斬っ先を魔人に向けて……彼女が純霊力剣の柄を腰の装備へと戻した時、魔人は既に生き絶えていた。

 

「…さぁ、最後まで戦い抜いて下さい。輝きが満ち、今度こそ来たるべき日を現実のものとする為に」

 

 戦いを終わらせたゼリアは再び見上げる。更に煌めく二つの光、意思をぶつけ合う二人の霊装者の姿を目に収め、一人呟き…それからその場を後にする。

 魔人すら余裕を持ったまま屠る存在。妃乃や綾袮をして、世界最強と言わしめる霊装者。彼女の持つ、宿命とすら言える望みが形になる瞬間は……刻一刻と、近付いている。

 

 

 

 

 一進一退の戦い。互いに長所、得意とするところが違い、目的や勝利条件も違うが為に、俺も御道も消耗を重ねながらも大きなダメージは追う事なく…今も戦いは、続いている。

 

「なぁ、覚えてるかよ千嵜!魔王と戦いになった日の事、綾袮や妃乃さん達と一緒に戦った日の事をさぁッ!」

「普通に死んでてもおかしくない相手だったんだ、忘れるかよ…ッ!」

 

 四基ある主推進器の内、下の二つで機動力を確保しつつ御道は上の二つで砲撃を放ってくる。それを旋回機動でさければライフルのフルオートによる射撃が続き、俺もライフルで撃って反撃。…が、既にただ撃つだけじゃ勝負が付かないなんて事はお互い分かっており、回避しながらも接近戦の間合いへ踏み込む。

 

「あぁ、確かに誰が命を落としてもおかしくはなかった!自分の危機だって何度も感じた!けど、千嵜と共闘する事になって、綾袮や妃乃さんがこれでもかってタイミングで戻ってきて、二人とも共に戦う事になって…俺は感じた、感じたんだッ!ある意味、本格的に俺の霊装者としての道が幕を開けたのは、あの時だったのかもしれないって!」

「大した度胸してんじゃねぇか、よッ!俺ならそんな壮絶な始まり方、真っ平御免だがな!」

 

 突進からの、銃剣を備えるライフルからの単射。それをギリギリで、紙一重で避けた俺は、続く銃剣での刺突も直刀で逸らし、逸らしたところから跳ね返すような動きで柄尻での打撃をかける。御道は腕に装備したユニットのパーツでそれを受け、推力で俺諸共弾き返しにかかる。

 大きなダメージこそ与えられていないが、攻撃自体はもう何度も当たっている。逆にこっちは武装の破壊こそされているが、ダメージに関してはヘッドバットを一発受けた程度で、俺の方が優位な筈。…だというのに、御道の勢いは衰えない。体力というより、精神面でのギアが全開になりっ放しなようで、御道は止まらない。

 

「俺だって、まともじゃない感じ方だってのは分かってるさ!けど…だとしても俺は焦がれる!心が踊る!こういう世界を、非日常を感じる事に!そこに俺が、いるって事にッ!」

「だったら、ここまでの行動をする必要はねぇだろうがよ…ッ!ここまでの事をして、お前は何が望みなんだ!本当に、世界を憂いてんのかよ!刺激を、闘争を…御道の言う『非日常』を、自分で作って感じる為の建前に過ぎないんじゃないのか!?」

「いいや違うねッ!世界を変えたいのも、俺だけが力を取り戻せれば良いだなんて思わなかったのも、全部俺の意思で、思いだッ!笑いたきゃ笑え千嵜!俺はずっと……ヒーローに、主人公に憧れてたんだよッ!」

「……ッ!」

 

 更に数度激突と撃ち合いをした末に、御道は両手の武器を共に純霊力剣へと持ち変えるという思い切った選択をし、そのまま俺に向けて突進。砲撃は行う事なく、特攻でも掛けるのかとばかりに突っ込んできて…反射的に俺は三点バースト射撃を放つ。その内の一発がまだ無事だった方の肩ユニットの一部を砕き、一発が御道の首を掠め…なのに御道は止まらない。そのまま真っ直ぐ肉薄をかけ、二本同時に刃を振り出す。

 その行動に、発された言葉に、反射的に俺は面食らってしまった。その一瞬で、俺は回避のチャンスを逃し…何とか直刀での防御はしたが、姿勢を崩される。二本越しの両腕と片手じゃ力負けにも繋がり、御道は勢いと力で振り抜く。

 押し切られた俺は、真下へ落下。ならばと身体の前面を空に、御道のいる方へと向け、今度はフルオート射撃を浴びせようとライフルを振り出す……が、その時にはもう、御道は完全に砲撃態勢。主推進器を兼ねる砲での、都合四門による砲撃が放たれ、その内の一発でライフルを撃ち抜かれる。

 

(ぐッ…これは、不味い……ッ!)

 

 上部が消し飛び、どう見ても使い物にならなくなったライフルを投げ捨てる。すぐに拳銃を引き抜こうと考えたが、そこに再び御道が迫る。重力に引かれ、落下という形で主推進器無しの接近を御道は敢行し……俺は、窮地に立たされる。

 引き付けてからの一撃で、振るわれた一太刀を逆に弾き返す事は出来た。けどまだ、御道には左の剣が残っている。端からそれは分かっていた事だが、今の自由落下で余裕のある御道じゃ下手に直刀で防御しても、もう一本で確実に斬られると分かっていたからこそ、こうするしかなかった。思い切り弾き、それで姿勢を崩してくれるのを期待する他なかった。

 だが、御道の姿勢は崩れない。若干は崩れたが、まだ振るえる状態にある。そして俺は、弾く為に直刀を振り抜いてしまった以上防御が出来ず…脳裏に浮かぶのは、どうにもならないという可能性。このまま負けてしまう未来。俺が御道に…俺より消耗している筈の、色んな面でまだ俺が上回っている筈だった御道に、接近戦の距離で……

 

「……ッ…負けて…堪るかよぉぉおおおおおおぉッ!!」

 

──その瞬間爆ぜる、俺の感情。俺は反射的に、本能的に、腰にかけるだけにしておいたある物を左手で引き抜き……それで御道の斬撃を止める。

 受けた瞬間、切れてはらりと落ちたのは布。…妃乃から受け取った一本の刀剣、その刀身を包んでいた部分。

 

「千嵜…お前、まだ刀を…って、それは……」

 

 せめぎ合いにより散る霊力。それに焼かれるように、触れた部位の布が消え、段々と剥がれていき……露わとなった刃を見て、御道は目を見開いた。

 だがこの時、俺も驚いていた。腕に感じる重み…重量とは違う、存在そのものが持つような重みと、霊力を吸われるような感覚に。普通の霊力付加装備とは明らかに違う…この一振りを扱う事の、難しさに。

 

(…とんでもねぇものを託してくれたな、妃乃……)

 

 身体を捻るように押し返して、同時に後退もして、俺は距離を取る。御道も『これ』を警戒してか、構え直し…正対する。

……間違いない。この刀は、この一振りは、妃乃や綾袮の得物と同じ…両家で代々受け継がれている大槍や大太刀と同じ、特別な素材で作られた一本だ。恐らくだが、聖宝のあった空間で取れた分を使って、生み出された一本なんだ。

 その一振りを、俺は託された。初めから俺の為に作られたのか、俺しかいなかったから渡されただけなのかは分からないが…重い。これを扱うというのは、物凄く重いものであり…だが、やれる。やってやる。怖気付くなんて選択肢は…俺には、ない。

 

「…終わらせようぜ、御道。全力で、全身全霊で……俺が、お前を倒す」

「…あぁ、そうだね。そっくりそのまま…その言葉を返すよ、千嵜」

 

 託された刀と、ずっと使い続けてきた愛刀。その二振りを両手に構え、俺は小さく息を吐く。御道も赤い光を放つ、二本の純霊力の剣を広げ……次の瞬間、また俺達はぶつかり、刃と刃で打ち合い…離れる。

 

「俺はッ、変えるんだよッ!誰かにしてもらうんじゃない、変わるのを待つのでもない…俺自身の力で、意思で、世界を!俺の未来をッ!」

「好きにすりゃいいさッ!だがな、俺にも守りたいものがある!大切なものが、日々がある!それを曇らせるなら、陰を落とすなら…俺はそれを、ぶっ潰すッ!」

 

 次々放たれる砲撃を、縦横無尽に飛び回り避ける。反撃として、左の刀から飛翔する斬撃を放ち、御道は上昇で反撃を躱す。見よう見まねで放った斬撃は粗末なもので、飛距離は勿論威力に関しても妃乃や綾袮がやるものには大きく劣るだろうが…今は飛ぶだけでも十分。

 躱した先へ、捻り込むような機動で突っ込む。左の刀を振り上げ、武器そのものの力も交えてこちらに注意を向けさせつつ、素早く右の直刀で刺突。ギリギリで御道が引いた事により、刺突は斬っ先が掠めるだけに留まり、逆に俺がまた砲撃で追い立てられるが…俺も俺で、端末を放つ。二振りの剣に端末を操作する機能なんてないが、操作イメージを強くする為に双方振るい、四方向から御道へ打ち込む。

 

「ぐ、ぉッ…まだ、まだぁぁッ!」

 

 完全同時にぶつけるんじゃ、一度の回避で済む分逆に避けられ易い。それを踏まえた俺の攻撃の一基目を避け、二基目も避け、三基目は純霊力剣で受けた御道だが、そこで姿勢を崩し、最後の一基が御道に迫る。

…が、あんな啖呵を切ってるだけあり、御道もそう簡単には終わらない。崩れた姿勢のまま、四門の砲での砲撃をする事で身体をずらし、寸前で避けたかと思えば今度はユニットの方から明後日の方向へ霊力ビームを……

 

「つぁ……ッ!(しまった、曲射狙いだったのかよ…ッ!)」

 

 がくんと曲がり、俺の頭上を通り過ぎる数本の光線。狙いが甘かったのか、曲げられる角度にも限界があるのか、その反撃自体は動くまでもなく外れたものの…追い討ちを阻まれている隙に御道は立て直し、また突っ込んでくる。

 迎え撃つ俺と突っ込む御道との、互いの右手の刃が激突。即座に俺は左脚で蹴り、当たってよろめきながらも御道はユニットの砲の一つを俺に向け、近距離砲撃をひっくり返るような回避運動で何とか避け…そのまま一回転した俺は、今度は左の刀を振るう。左手の刃同士で、またせめぎ合う。

 

「だったらッ!」

「そう来るならッ!」

 

 右の刃の時は、ほぼ互角だった。だが左での激突では、初めこそ互角だったものの、少しずつ俺の刀が食い込み始める。武器の性能と、能力面の差が現れてか、刀が霊力の刃を断ち斬り始める。

 それにこのままじゃ駄目だと判断したのか御道は下がり、俺は追う。四基全てを推進に回し、右手の武装を連射型ライフルに持ち替えた御道の射撃を旋回機動で避けながら、こっちも端末での追撃をかける。

 

「……っ…いい加減、四基だけなら…ッ!」

「俺からの射撃もなきゃ、何とかなる?…甘ぇんだよッ!」

 

 端末、それも四基のみなら、対応し切れない事もない…というのは俺も分かる。アニメで出てくる遠隔操作端末程自在には動いていないんだから、それなりに実力がある霊装者なら、見切りも出来るようになるだろう。

 が、俺だってそれは分かっている。だから三基突進させたところで、今度は俺が接近を仕掛け…だが接近戦の距離に入る直前に、急上昇。射撃から逃げる動きを取り…俺自身を壁にする事で隠していたもう一基を、突撃させた。俺自身に注意を引かれ、射撃も上に向けてしまった御道は左の霊力剣を掲げるのが精一杯で…霊力の刃を発振した端末が、その突撃で剣を手から弾き飛ばす。

 無論、それだけじゃ終わらせない。急上昇していた俺は直刀を一度空に放り、代わりに抜きはなった拳銃で上から追い討ち。手から落ちた霊力剣の柄を目で追えない(まあ夜なんだからどっちにしろ追えないだろうが)ようにし、撃てるだけ撃って投げ捨てる。落ちてきた直刀を再び掴み、御道の回避先へと急降下。

 

「はぁああぁぁぁぁッ!」

 

 勢いそのままの斬撃で、御道の左腕のユニットを斬り裂く。逆の手の刀も振るう事で、当たりはせずとも反撃を封じ、その間に端末を回収。霊力の再充填をしながら、斬撃と打撃を交えた連続近接攻撃を仕掛ける。

 

「負けるかよ…まだ負けてないんだよッ、俺はぁああああッ!」

 

 刺突をし、それを躱され、だがそこから腕を曲げて肘打ちへと移行する事によって、御道がもう一本の純霊力剣を引き抜いた瞬間そっちも手から落とさせる。大きく下がり、両手にライフルを握る形へと戻った御道に距離を取らせず、散発的な斬撃飛ばしをしながらも推力全開で追い掛ける。

 もう諦めろとは言わない。まだ十分戦えるだけの装備があるのは勿論だが、言ったって止まらないと…感情の火に油を注ぐだけにしかならないと分かっているから。それに…今更諦めろなんて言葉をかけるのは、御道の本気へ対する愚弄。…そんな風に、俺には思えた。

 

「だとしても、勝つのは…俺、なんだよッ!」

 

 こっちだって、ライフルと純霊力の刀、端末一基を失い、自分からだが拳銃を捨てている。まだ逆される可能性は、残っている。

 だからこそ追い下がり、直刀を振り、ライフルの銃剣で受けた御道を弾き飛ばす。フルチャージは出来ていないが、勝負を決める為に端末四基を再展開し、四基全てを向けて放つ。同じタイミングで届くように、託された刀を振り抜き飛翔する斬撃も正面から打ち込む。

 五方向からの、斬撃と端末による一斉同時攻撃。これでもう決まるかもしれない。そんな気すら心に抱きながら俺は放ち……されど、御道は超える。攻撃を、危機を…全力で以って、乗り越える。

 

「いッ、けぇええええええぇぇッ!」

 

 両手のライフル、主推進器兼用の四門の砲、それに残るユニットの全砲門。その全てを用いて、今一度見せる一斉掃射で、真っ向から御道は超える。大出力の砲撃で斬撃を飲み込み、乱射による面制圧で端末を全て撃ち落とし、避けるでも防ぐでもなく、真正面から迫る攻撃を全てを打ち砕く。

 砲門が減っている事を加味しても、大した一斉掃射…本当に、大した霊力量と、それを最大限活用した戦い方であると、俺は思う。だから、だからこそ……それを大きく注ぎ込んだこの瞬間に、俺も残りの力をありったけ懸ける…ッ!力の全てを、叩き込む…ッ!

 

「御道ぉぉぉぉおおおおおおおおッ!!」

「千嵜ぃぃぃぃいいいいいいいいッ!!」

 

 斬撃と端末を蹴散らしても尚止まらない全開攻撃の中を駆け抜け、一閃。回避も防御も一切合切を許さず、突き出した直刀で左上部の砲を貫く。続く一太刀、左での斬撃で右側の砲の両方を斬り裂き、右側へと回り込みながら引っ掛けるようにして脚のユニットも破壊する。

 俺が直刀を振り抜いたのと、御道が掃射を止めて同じように左のライフルを振るったのはほぼ同時。直刀と銃剣がお互いの渾身の力と共にぶつかり合う形となり…一瞬の激突の末、どちらの刃もへし折れる。だが俺は止めない。折れた直刀をそのまま振るい、ユニットを次々と壊した末に御道の主推進器、その最後の一つへと突き立て、そのまま手放す。空いた右手で御道の右のライフルの銃身を掴み、左の刀でそのライフルも破壊する。火器としての機能は残っていた左のライフルを放たれ、その射撃でこっちのスラスターも大半が駄目になったが…裏拳をぶつけて、最後に残ったライフルも御道の手から落とさせる。

 こっちに残ったのは、託された一振りのみ。御道は、まだ護身用の武器を残しているかもしれないが…今見えている武器は、もう何もない。ユニット各部の砲も、きっとあっても後数門だけ。お互いまともに飛ぶだけの推進器はもうなく……それでも御道は諦めなかった。俺も、まだ止めなかった。身体を振るい、捻り…期せずして、お互いに蹴りを振り出し放つ。

 

「ぁぁぁぁああああああああああッ!」

「ぉぉぉぉおおおおおお……──ッ!」

 

 多分、互角だった。もう技術なんてなく、ただただ気力と根性だけで放った一撃だったから、その時点では優劣などなく……だが、最後まで振り抜けたのは俺の方だった。御道は激突の最中、不意に表情が歪み、力が鈍り…それが、勝敗を決する事となった。

 落ちていく御道。追う形で落下する俺。何とか残りのスラスターで減速は出来そうな俺と違い、完全に御道は落ちていき……俺は、手を伸ばす。思考はせずに、戦闘における判断も微塵も介さず…考えるより先に、手を伸ばしていた。伸ばし、掴もうとし、指が御道に触れかけて……

 

 

 

 

 

 

────その瞬間だった。地上から…地下空間のある方向から、神々しいまでの光が、真白き光の奔流が天へと駆け昇り……奇跡が、顕現したのは。



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第二百四十一話 思いの果て

 ただ勝つだけなら、この場での勝利だけに目をやるなら、別の戦い方もあった。でも俺にとって、ここでの戦いは過程の一つに過ぎず、全体としては更に重要な目的があったから、分の悪い賭けもする必要があった。そして、それと同じように…或いはそれ以上に、俺は千嵜と全身全霊で、血湧き肉躍るような戦いをしたかった。今ここにあるシチュエーションに対し、俺の心は魅入られていた。だからこそ俺は、全力でぶつかっていき……この目で、この身体で、再認識した。千嵜悠耶という霊装者の…男の、強さを。

 最後の激突で、俺は悉く装備を破壊され、落ちていく。一番最後に明暗を分けたのは、蹴りでの敗北。魔人との戦いで脚を痛めた事が押し負けた結果に繋がってしまった。俺も俺で、かなり削りはしたが…どっちが優勢かなんて明白。ただ、何というか…落ちていく今、俺の心の中には充足感もあって……そんな中でだった。限りなく白い、全てを飲み込まん程の純白の光が、地から放たれ空を貫いたのは。

 

(あれ、は……)

 

 膨大な光の奔流、光芒の柱を見て、俺が思い出すのはあの日の事。俺が霊装者としての力を失った…その時にも目にした光。一瞬、またあれが起こるのかと思い…でもすぐに、気付く。確かに今見えている光と、あの時の光は似ている。近いものも、何となく感じる。けど、違うと。似ていても、同一ではないと。

 

「がふ……っ!」

「……っ、ぅ…!」

 

 墜落した俺は身体を叩き付けられ、全身に痛みが走る。幸運にも、落ちた場所は比較的柔らかく、多分全身骨折とか脊髄損傷みたいな事にはなっていない…と思う。

 その俺に続いて、千嵜も落下。けど俺よりは減速出来たらしく、降りた直後に蹌踉めき転倒こそしていたが、千嵜は着地が出来ていた。

 ただ今は、それより気になる事がある。意識が、白い光に引き寄せられる。

 

「…熾天の、聖宝……」

 

 聞こえたのは、千嵜の呟き。茫然とするような声で、千嵜はそう言い…俺も理解する。その言葉の、この光の意味を。奔流の中にぼんやりと見える…より強く輝く『何か』の事を。

 

(くっ…確保、を…それが無理なら、せめて……)

 

 痛む身体を、何とか起き上がらせようとする。元々の目的は聖宝の奪取で、それが出来なきゃ勝利にはならない。ただ、今の聖宝を…富士での霊装者同士や霊装者と魔人の戦いにより恐らく完成状態となった聖宝を運べるのかどうかは分からず、もし無理ならせめて、俺の手で奇跡を起こしたい。俺や賛同してくれた皆にとって価値ある何かを起こさなきゃ、この戦いの意味がない。

 どうやって?…なんて考えなかった。今の装備の状態じゃもう飛べないし、それじゃあ届く訳がない。もっと言えば、触れれば聖宝は奇跡を起こせるのか、それとも何か条件があるのかだって知らないし…だけど俺は、ここまでしてきた事を、皆の思いを無駄にはしたくない。その思いだけで、身体を動かし……次の瞬間、インカム越しに声が届く。

 

「──御道顕人クン。君は本当に…本当に、素晴らしい。僕も、それなりに色々な事があった人生だが……君に出会えた事、君と友になれた事は、僕にとって最上位級の喜びだよ」

「……え…?…ウェイン、さん…?」

 

 確かに聞こえた、ウェインさんの声。互いの「好き」を語り合ったあの時と同じような、愉快さを隠し切れていない声音。その声に、俺は……困惑した。ウェインさんがいきなり何でこんな事を言い出すのか、何故このタイミングなのかも分からず…次の瞬間、空を赤い光が駆け抜ける。

 

「……!…今のは……」

 

 高さと、赤光が目立ち過ぎている事が原因ではっきりとは見えなかったけど…それは、ゼリアさんだった。先程俺の支援をしてくれたゼリアさんが、夜空を駆けて光芒の下へと向かっていく。

 そのゼリアさんが抱えていたのは、誰かしらの人。俺の位置からじゃ、誰かは見えなかったものの…状況からして、ウェインさんに違いない。

 

「…その上で、顕人クン。君には謝っておくよ」

「謝、る…?」

「うん。僕は世界征服が成された後の世界を見たいと思っていた。これは本心だし、その為に君に協力したのも嘘じゃない。…だけど、僕にはもう一つ、何としても果たしたい目的があって…その為に君を、この戦いを……利用させて、もらったからね」

「……──っ!」

 

 発された声、伝えられた言葉に、俺は息を呑む。想像もしなかった…なんて事はない。具合的にこうだ、っていうのはなくても、ウェインさんになんらかの意図が…俺への協力には、同じ夢を、憧れを持つ相手だからって事以外の理由もあるんだろうと、じゃなきゃそっちの方が不自然だろうと思ってはいたものの、それでもいざ本人から言われると、心が揺さぶられたような感じになる。

 一方千嵜も、今は行動する事なく光芒を…ゼリアさんを見つめていた。驚いているだけか、それとも千嵜なりに思うところがあるのか…何れにせよゼリアさんは誰にも邪魔される事なく、光芒と聖宝へ向かって飛んでいく。

 

「…ウェイン、さんも…聖宝を……?」

「そういう事さ。けど、求めているのは僕じゃない。そして、聖宝が持つ奇跡の力…これも正確に言えば、その力を目的としている訳でもない」

「なら、何を……」

 

 騙された、裏切られた…そんな感情は、ない。ただ、俺は知りたくて…ウェインさんの果たさんとしている事を、真実を知りたくて、行動する事も忘れてただ尋ねる。

 そうしている内に、ゼリアさんは光芒の間近まで近付いていた。そして光芒は、聖宝らしき輝きも、ゼリアさん達の存在に呼応するように光を増す。

 

「それを説明するのは難しくてね…ただ、敢えて言うなら──悲願、だよ。彼女の、ゼリアの…ね」

 

 その悲願を叶えさせる事が、僕のもう一つの目的なんだ。…ウェインさんの声は、そう言っていた。直接は言わずとも、そう感じ取れた。

 

「聖宝の持つ、奇跡の力。だがそれは、ゼリアの求める…聖宝本来の意義からすれば、副次的なものに過ぎない。そして…ゼリアは何かを得ようとしている訳じゃない。得るんじゃなくて…取り戻そうと、しているのさ。…そうだろう?ゼリア」

 

 最後の一言は、俺ではなくゼリアさんへと向けられたもの。今の言葉に対し、ゼリアさんはなんと答えたのか。それとも、答えず無言だったのか。それは分からないけど、今の話はどこか現実味がない、自分も関わっている事柄の話ではないように感じられて……最後にウェインさんは、言う。

 

「…暫くの間、お別れだ顕人クン。僕は本当に、君と出会えて良かった。だからこそ、感謝と隠していたお詫びを込めて、僕から贈り物をさせてもらおう。──いつかまた、再び会う日を楽しみにしているよ」

「……っ!ウェインさん…!」

 

 次の瞬間、更に強まる白い光。眩いばかりの、混じり気ない閃光。お別れ、いつかまた…突然そんな事を言われたって分からず、分かる訳がなく…だけど言葉と光から、これが一時的だとしても『最後』なんだって事だけは分かり、気付けば俺はウェインさんを呼んでいた。俺にとっては最も奇妙で、非日常に憧れる御道顕人にとってはきっと一番の理解者でもあった友、ウェイン・アスラリウスという人の名前を俺は呼び……全てが光に、包まれる。包まれ、何も見えなくなり……光が収まった時、聖宝と光の柱、ウェインさんとゼリアさん…全てが消えてなくなっていた。

 

(…光に、飲み込まれた…?…いや、でも……)

「……っ…そうだ、間違いねぇ…今のは…今の、光は……」

 

 消えたという事実に対し、一体何が…と回る思考。推理には程遠い、ただの想像に過ぎない思考ばかりが浮かんでいき、一方で千嵜は何か確信を持っている様子。

…俺は、どうしたら良いのだろうか。まだ千嵜は近くにいる。けどもし聖宝がもうないのなら…作戦は、この戦いは、失敗以外の何物でもない。今の、この場での戦いだけじゃなく、これから先の事においても、もう俺達は……

 

「…………ぁ…」

 

──そう、思っている時だった。何かをした訳じゃない、確かめた訳でもない…それでもふっと身体の奥から、身体の芯から浮かんだ感覚。確かにある、ここにある…そんな実感が、確信が俺を包み…笑みが、浮かぶ。

 

(……ありがとうございます、ウェインさん)

 

 これがそうなんだと、ウェインさんからの贈り物なんだと、直感的に理解した。 同時にはっきり、それの存在を認識した事で、胸の奥から湧き上がるのはさっきの熱。燃え上がり、燃え盛り…だけどまだ燃え尽きてはいない、燃やし切ってはいない思い。

 

「──まだだ、千嵜…」

「……っ!?…御道、お前……」

 

 全身に力を込め、思いで力を振り絞り、俺は立ち上がる。積極的に戦う為の武器はなく…それでも残った一振りの刃を手に、立って千嵜と向かい合う。

 

「俺はまだ負けてねぇ…勝負も、俺の物語もまだ終わっちゃいねぇ…だから…最後まで付き合ってもらうぜ、千嵜……ッ!」

 

 物語の様な非日常の世界に行きたい。そこで、主人公の様な経験をしてみたい。俺の夢は少しずつ叶って、辛い事や大変な事もあって、一度は道を完全に失った。それでも進み続けた先である今に、ここに…俺は千嵜と正対する形で、存在している。

 今の俺が、憧れた姿なのかは分からない。そもそも俺の夢や憧れは漠然としていて、はっきりこうだって言える事は何もない。だけど…あぁ、間違いない。この思いだけは、心の中で燃える感情だけは、全てが本当で全てが真実。だから俺は、この燃え盛る感情を…全身全霊を尽くし、最後まで貫きたいという思いを力に変えて……刃を、俺自身の力で輝かせる。

 

 

 

 

 聖宝の奇跡は、起こされた。広がっていく光の中で、俺は直感的に理解した。一度、同じように奇跡を起こした…奇跡を与えられたからこそ、思考関係なしに感じ取れた。

 完全に想定外な存在によって、引き出された奇跡の行使。一体何が…どんな奇跡を起こしたのかは分からず、けど俺には確かめる術がなく、何をどうすればいいか分からない。緊急事態と想定外が重なった今、ただ成り行きを眺めるなんて訳にはいかないが、ならばこうすれば、と言えるものも何一つなく……そんな中で、御道が立ち上がる。まだ消えていない闘志…執念とすら言えるような感情を纏い、俺と相対するように立つ。

 

「…取り戻したって、言うのかよ…その光を、霊力を……」

 

 疲労とダメージで見るからにボロボロ。だというのに心だけは一切欠けず…それどころか、ここに来て今までで最大級にまで燃え盛っているような立ち姿に、俺は息を呑む。そんな御道が手にする短刀、その短刀が帯びているのは……()の光。ここまでの赤い霊力とは違う…失われ、もうない筈の御道の力。

 それだけでも、俺の心は揺さぶられていた。だが、御道の短剣は更にショックを…どう表現すれば良いのか分からない思いを湧き上がらせる。

 

(……っ…ふざけんなよ、御道…なんで今、それを出してくるんだ…それは、その武器は…)

 

 なんて事ない、普通の短刀。性能だって、特筆する程じゃあないだろう一振り。だとしても、俺はやり切れない気持ちを抑えられない。その気持ちを、飲み込めない。だって……それは、俺が御道に貸した短刀なのだから。あの日…魔王を何とか撤退させ、柄にもなく語った言葉と共に渡した、死ぬなって思いを込めた一振りなのだから。

 もしも、皮肉としてわざと今出したのなら……いや、違う。御道はそういう事をする男じゃない。つまり今、こうして今、俺が渡した短刀を手に、御道が俺と決着を付けようとしているのは偶然であって……あぁ、くそ…糞食らえだ…!こんなふざけた運命が、あって堪るか……ッ!

 

「…そこまで、かよ…そこまでして、お前は……ッ!」

「…悪い、かよ…悪いとは、言わせねぇよ…やっと俺は、辿り着けたんだ…だったら、最後まで…最後の最後まで力を出し切って、走り切らなきゃ……ずっと後悔が、残る事になる…もう俺は、道の半ばで終わりたくなんかないんだよ…ッ!」

「……っ…」

 

 仮に運命なんてものがあるのなら、これが運命だって言うなら、そんなものに縛られるなんざ真っ平御免だ。そう思って、御道には御道の信念があると知っている上で、俺は言った。もうこれ以上の戦いに意味はないと、そう続けようとした。

 だが…言い切るより先に返ってきたのは、一言一言に力を込めた、心そのものを燃やしているような御道の言葉。剥き出しの思い。御道の言う理想、望み、一度失い味わった苦しみ…その全てを引っくるめたような思いを、俺は否定する事なんか出来なかった。

 それと同時に、理解した。御道の一番根っこにある武器は、霊力量ではなく、この思いだと。貫こうとする意思、理想に届こうと伸ばし続ける手……俺に一瞬敗北を思わせたのも、その心の力であると。──そして、これは止まらない。止まるとすればそれは、燃やし切った時か…思いの器である身体が、完全に潰れてしまった時だけだ。

 

「……御道。今まで、ありがとな」

「…何だよ、いきなり……」

「言いたくなったんだよ。御道には何かと世話になったし……何も気にせず、お気楽に馬鹿話や暇潰しをする…そんな俺の憧れを叶えてくれたのは、お前だったからな」

「…なら、こっちこそありがとう千嵜。俺は千嵜に、俺にはない…ただの日常にはないものを感じていたけど…結局のところ、そういうの関係なしに、普通に雑談したりゲームしたりするのが、毎日楽しかった」

 

 自分でもよく分からない心の揺らぎ、それが言葉となって口から出る。普段ならば言えやしない、考えもしない言葉は、御道に伝わり…御道からも、同じような言葉を返された。それを俺は…ただ真っ直ぐに、受け取った。

 最後に残った刀を、託された一振りを構える。両手で持ち、御道を見据える。

 

「…またいつか、普通に話そうぜ。面倒な事は何にも考えず…普通に、よ」

「あぁ、そうだね。日常も霊装者も関係ない…俺等にとっての、普通で…さ」

 

 最後に交わしたのは、何気ない約束。わざわざするまでもないような…だからこそ、これまではしていなかった、する必要もなかった、一つの約束。

 そして輝く、二つの刀。刀と短刀…強く輝く刀と、鈍く光る短刀。相手を見据え、力を込め、理想を信じ…地を蹴る。地を借り、互いに肉薄し──俺は刃を、振り抜いた。

 

「……あぁ…やっぱり強ぇや、千嵜は…」

「…馬鹿、野郎が…馬鹿野郎が……ッ!」

 

 砕け、宙を舞い、落ちる破片。粉々となった、短刀の欠片。それが落ち、先端が地へと刺さったところで……御道は、崩れ落ちた。…斬り裂いた俺の、その背後で。

 勝利の高揚も、死ぬ事なく切り抜けられた安堵感も、そんなものは一切ない。あるのは、吐き出したくなるようなやるせなさと……これで終わりにするもんか、最後まで振り回されるだけであって堪るかという、争う気持ち。あぁ、そうだ。このまま斬って、敵になった友を殺して、それで終わりなんざ…絶対に、認めねぇ…ッ!

 

「死なせるかよ…人間同士で争って、勝とうが負けようが傷と悲しみばかりが残るなんて…誰も望んじゃいねぇんだよ……ッ!」

 

 刀を手放し、倒れた御道を担ぎ上げる。傷は深い、深いがまだ御道に息はある。だったら諦めねぇ、諦めていい筈がねぇ。

 もう飛ぶ事は出来ない。御道の状態を考えれば、大跳躍を繰り返して運ぶのも不味い。あまりにも悪い状況。だとしてもと、このまま終わらせるものかと、俺は動き出そうとし……そこに降り立つ、二対の翼。

 

「悠耶!さっきの光って、まさか……──え…?」

「…あ、ぁ…そんな…顕人君…顕人君ッ!!」

 

 妃乃と綾袮。降りると同時に駆け寄ってきた二人は、まず光の事を訊こうとし…俺が抱えている存在に気付く。気付いて妃乃は絶句し、綾袮は真っ青な顔で叫びを上げた。顕人の、名前を呼んだ。

 

「……ッ!落ち着け綾袮!まだ御道は死んじゃいねぇ!だから、揺らすな…!」

「ぁ……そう、なの…?顕人君は、まだ……」

 

 思わず怒鳴ってしまった俺だが、それではっとした綾袮は顕人の胸元に触れ、まだ鼓動がある事に気付いて涙を流す。危機的状況である事には変わりないが…それでも、まだ生きてるだけでも良かったと、そんな感情を溢れさせるように。

 

(…ここまで思ってくれる相手泣かせて、何やってんだお前は…!これが、お前のしたかった、なりたかった姿なのかよ……ッ!)

 

 やるせなさは、御道への怒りにも変わっていく。俺は御道の理想、願いを否定する気はない。だが、人として…男して今、俺は御道をぶん殴りたい。既にぶった斬ってるだろ、って気もするが…それ位の怒りが、俺にはあった。どこの誰かも知らない相手ならどうだって良いが、御道だからこそ「ふざけんな」って言ってやりたかった。

 それと同時に、より大きなもの、広い世界への怒りも浮かぶ。御道のやった事は、御道の責任だ。御道がこうなったのも、自業自得だ。…けど、だとしても…元を辿れば、協会にだって非があるんだ。さっき見えた、あの赤い光…あれがBORGのゼリア・レイアードのものなら、やはり御道や離反した霊装者達に力を与え、それにより戦いへ駆り立てたバックの存在として、そのBORGが関わっているんだ。そしてこの組織はどちらも、ただこの戦いが終わるだけじゃ、きっと変わらない。BORGは責任追及出来るか怪しいだろうし、協会は確かに戦力的な意味でのダメージはあるが…聖宝が消えた以上、離反側も立ち行かなくなって終わりだ。…心底胸糞悪い、そんな終わり方があるだけだ。

 

「…悠耶君、顕人君はわたしが運ぶ…絶対に死なせないんだから…これでさよならなんて、そんなの絶対嫌なんだから……ッ!」

「…ああ、御道の事は任せる。飛べる綾袮の方が速いし確実だろうからな」

 

 頷き俺が御道を託せば、綾袮は即座に飛び上がる。…敵になったとはいえ、元仲間。尚且つ綾袮が運び込んで来たとなれば、治療を受ける事そのものに問題はないだろう。

 その御道を見送り、それから妃乃の事を見やる。妃乃の方は、すぐに行動を起こさない辺り…撃破か撃退かは分からないにせよ、魔人には勝利出来たって事かもしれない。

 

「…他の離反者の方は、どうなったんだ?」

「富士山まで辿り着いた相手は、全員鎮圧済みよ。…こうなったらもう、勝利でも何でもないけどね……」

 

 そうだろうな、と妃乃の言葉に返す。詰まる所、これは聖宝を賭けた戦いだ。そして、その聖宝を使われてしまったとなれば、御道達には負けてなくても、敗北である事は変わりない。

 俺達は、守り切る事が出来なかった。御道達も、得る事が出来なかった。恐らく聖宝は使われ…その使用者は、どこに消えたのか分からない。それが今ある、今分かる…この戦いの、結果。

 

「…なぁ、妃乃…これで、こんな事になって……一体誰が、満足するんだよ…」

 

 こんな事、妃乃に訊いたって仕方がない事は分かっている。それどころか、協会の上層部の人間である妃乃に訊くのは、皮肉の様な意味合いになってしまうのも理解している。

 それでも俺は、訊かずにはいられなかった。ちゃんと意味がある…価値のある戦いであったと、誰かに証明してほしかった。でなければ……あまりにも、やるせないから。

 

 

 

 

 そうして、富士山は静かになっていく。妃乃の言う通り、富士での戦いは終わり……輸送部隊側での戦闘も、形の上では協会が勝利で終わったという情報が入ってきたのは、それからすぐの事だった。



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第二百四十二話(最終話) 二つの理想

 俺は戦った。夢見た世界で、理想の為に、憧れた世界で在り続ける為に、全身全霊で、思いを燃やして、戦い抜いた。

 後悔はない。何もない。俺がもっと強く、賢く、より多くの力があれば、もっと上手く立ち回れたのかもしれないけど…俺は最後まで、最後の瞬間まで、俺の思いの向くままに戦い、進み続ける事が出来たのだから。

 そして、進み続けた先にあったのは…俺が掴もうとした世界じゃない。俺が作ろうとした、作り変えようとした、非日常の果てじゃない。分かってる、もう理解している。俺はそこに、辿り着いていないって。…でも、だけど…だったら俺は、幸せじゃないんだろうか。夢破れてしまったのだろうか。辿り着けなかった俺に残ったものは、俺は────。

 

 

 

 

 目が覚めると、初めに見えたのは白い天井。何となく見覚えのある天井で…それが昨年お世話になった施設の天井だと気付いた次の瞬間には、俺は全てを理解していた。

 

「……あぁ、そっか…俺は、負けたんだな…」

 

 上半身を起こすと共に、ぽつり、と呟く言葉。口にする事で、よりはっきりと認識する。自分の敗北を、俺は目指した場所に辿り着けなかったんだという事を。

 負けたのは、残念だと思う。けど同時に、俺の中には穏やかな気持ちもあって…直後、俺の身体に衝撃が走る。

 

「…顕人、君…?顕人君ッ!」

「顕人……っ!」

「え?ぐぇぇっ!」

 

 挟撃でもされたのか、と思わせる斜め左右からの(ほぼ)同時衝撃。それを諸に喰らった俺はひっくり返り…でも、文句は言わなかった。

 

「良かった…目が覚めて良かったよぉぉ……!」

「顕人、遅い…目を覚ますのが、遅過ぎる……!」

「顕人さん、貴方は…本当に本当に、心配をかけ過ぎです……!」

「綾袮、ラフィーネ…それにフォリンも…って、ちょおぉッ!?ぐふぅぅッ!」

 

 俺に抱き着いたまま、みるみる瞳に浮かんだ涙を流す綾袮とラフィーネ、二人の表情。そんなものを見たら、文句なんて言える訳がない。そして、ラフィーネの隣にいたフォリンは、位置の関係で動けずその場に留まった…と思いきや、俺がいるベットに乗り、真正面から飛び付いてくる。…文句は言わないけど、二連続は流石にちょっとキツい。

 そして、少しだけ視線を上げれば、そこには慧瑠の姿もあって…ほっとしたような表情をする慧瑠を見て、俺は実感した。辿り着けないまま終わって…でも、過去に戻ってきたんだって。

 

「…あの、皆…心配かけたのは俺だし、それについての反応には何も言わないけど…す、少し楽な姿勢をさせてくれませんかね…?」

「…ぁ…そ、そうだよ皆…!顕人君の傷はまだ塞がってないんだから、安静にさせてあげないと…!」

(そんな相手に軽めのタックルをかましたの…!?)

 

 すぐに気付いて退いてくれる…のはいいものの、今の自分の状態を聞いて俺は戦慄。こ、怖っ…下手すりゃこれで傷が開いて大惨事になってたんじゃないの…!?

 

「……でも、俺は…どうして、ここに…?」

「それは……うん。…今から、ゆっくり話すよ。まずは顕人君にも、今の状況を分かっていてもらいたいし」

 

 気を取り直し、思考も切り替えて尋ねる俺。すると綾袮は、少しだけ考えるような間の後、頷いて答えてくれる。教えてくれる。俺があの時…最後に千㟢に負けてから、一体何があったのかを。

 

「……負け、か…そりゃ、そうだよな…」

 

 説明の中で、俺は知る。負けたのは俺一人じゃなく、個人としての俺の道だけでなく、離反側全体としてもそうなのだと。そしてその決め手になったのが、俺の敗北…倒れた俺の存在が、全体に知れ渡った事だったんだと。

 これは、仕方のない事でもある。俺が先頭に立ち、旗として…大義を示す者として立ち回っていた以上、俺が負ければ一気に瓦解するのは当然。無理に組織としての形を作っていた、強引にでも組織としての機能させる為の手段としてそういう手を使っていたなら、そのリスクは必ず付いて回るものなんだから。

 よく言えば俺が中核になっていた、悪く言えばちゃんとした組織作りをしていなかった結果の、敗北。けど、理由はもう一つあって……

 

「…皆、戻ってたよ。無くなってた筈の…本来の、霊装者としての力が」

 

 あの時確かに戻った、本来の力。それは俺だけじゃなく、皆だったようで…これは詐欺で例えるなら、争ってる途中に何故か奪われたお金が手元に戻ってきていたようなもの。だからって騙された事を即許す事は出来ずとも、大元の部分が元に戻ったのであれば怒りにブレーキがかかるだろうし、それと俺の敗北が重なる事で、優勢な協会に牙を向け続ける価値を見出せなくなって投降した…そういう事だと、俺は思う。

 

「…皆は今、どうしてるの?」

「怪我がなかったり軽傷で済んでる人は、双統殿で監視中だよ。どんな事情、経緯があっても…協会にも非があるとしても、何もなしに『じゃあこれまで通りで』とはいかないし…皆多かれ少なかれ、精神に変調が起きてるみたいだから、ね…。その検査を含めての処置だよ」

「…………」

 

 やはり、そうなのか。精神に対する言及をされた事で、俺はそう感じた。

 変調の事もそうだけど、これからの事だって気になる。協会は皆を、離反した者をこれからどうするつもりなのか。…いや、違う。こういう表現じゃ他人事の様になるけど、他人事なんかじゃない。むしろ俺は首謀者であり…他人どころか、最たる当事者なんだから。

 

「…なら綾袮、俺は……」

「…それよりまず、怪我を治そうよ。大丈夫、協会だって怪我人を放っておく程非道じゃないから」

「…そう、だね」

 

 俺の身を案じてくれているのか、それとも話を逸らそうとしたのか、或いはその両方か。何れにせよ、綾袮に俺が言いかけた事を答えてくれる気配はなく…だから、そうしようと俺も気持ちを切り替えた。これから俺がどうなるかは分からないし、どうするかもまだ決められていない。でも何にしても、まずは身体を治すところから。じゃなきゃ、何も出来やしない。

 

「顕人さん、貴方は数日間寝続けていたんですよ?もっとご自身の事を第一に考えるべきです」

「す、数日も…?…そう、だったんだ……」

「顕人、酷い顔色なのにやり切った表情をしてた。…だから、不安だった。このまま目を覚まさないのかもって、不安になって……」

「ラフィーネ……」

 

 そう言って視線を落とすラフィーネ。やり切った…本当にそうかどうかはともかく、俺は全力を尽くせたし、充足感もあった。だから、そういう表情をしてたとしてもおかしくないし…本当に、本当に皆へ心配をかけていたんだなと痛感する。

 

「…俺は、欲張りなのかな…」

「顕人さん…?」

「俺には、俺を思ってくれる人がいる。俺を応援してくれる親もいて、周りの環境にも満足してる。それだけでも十分幸せだって、楽しいって思えるのに、それ以上を…それとは全く違う望みすらも果たそうとした俺は、やっぱり欲張りだったのかって…そんな事、思っちゃってさ…」

 

 呟いたのは、一度ケリを付けた迷い。欲張りだろうとなんだろうと、俺は俺の夢を追う…そう結論付けた迷いが、今一度俺の思考に浮かんでいた。

 いや…迷いって言葉は、もう相応しくない。既に決着はつき、結果は決まった後なんだから。故にこれは迷いじゃなく…自嘲であり、振り返り。間違っていたとは思わないけど、やり直せたとしても間違いなく俺は同じ選択をするけど…それでも俺は何となく思い、呟いていた。

 

「…どう、なんでしょうね。欲張りかもしれませんが…私は望むものを全て得ようとする事自体、間違いだとは思いません。むしろ私だって…大切に思うものは、全て守りたいですし、手に入れたいです。勿論、出来るかどうかはまた別ですが…私はそう、思います」

「…顕人は、欲張り、嫌?欲張りは、悪い事?…わたしら、そうは思わない。したいのなら、そうすれば良い。その方が、きっと後悔しない。…多分」

「多分、って…締まらないなぁ……」

 

 珍しく、ラフィーネも持論の様なものを…と思いきや、最後の一言で一気に台無し。でもまあ、こういう話の時は、多分とかでお茶を濁したくなるのも分かる訳で…自然と、苦笑が受かぶ。

 そうだな。確かに、何が一番後悔しないかで言えば、それはやっぱり全部掴もうとする事だ。大切に思うものは、全て守りたい…それは欲張りじゃなくて、普通の事でもあると思う。そして何より…今の俺が、証明だ。今の俺は負けたし、もっと上手くやれたらって思う部分もあるけど…やっぱり、してきた事に後悔はない。

 

「…綾袮。治療は、すぐ受けられるの?」

「あ、うん。戦いは終わったけど、一連の事態全部が終わった訳じゃないし…早く全部片付ける為にも、顕人君には早く元気になってもらわないと、っていうのが協会としての見解だからね」

「ま、そうだよね…分かった」

 

 どう片付けるのかは分からない。分からないけど、恐らく何もしなければ、俺にとって明るい終わり方にはならないだろう。だとしても、霊装者ならではの治療は受けて損する訳でもないし(というか多分拒否権ないだろうし)、俺は綾袮に向けて頷く。

 立ち上がり、部屋を出て行こうとする綾袮。一度は普通に見送ろうとした俺は、だけど途中で綾袮を呼び止め、ラフィーネとフォリンも呼んで……言った。

 

「綾袮。ラフィーネ。フォリン。──ただいま」

 

 全く、俺は身勝手な人間だ。それに関しては、多分三人共…慧瑠も入れるなら四人共思う事だろう。だけどこれが今の俺だ。俺なんだ。それを変える気はないし、その分問題や障害には全力でぶつかる。自分の責任として、向かい合う。…決意って程じゃない、ただ自分の意思を確かめるような言葉を、俺は心の中で呟き…そんな中で、三人は言ってくれた。…お帰り、と。

 

 

 

 

 何かが終わる時は、いつだって呆気ない。…とは限らないか。盛大に、凄惨に、或いは大団円で終わる事だってあるだろうし。…ごほん。

 ともかく、物事の規模と終わり方は、比例しない。やたら長く続いたのにあっさり終わったり、逆に小規模だったのに終わりだけ凄まじかったりするような事も、往々にあり……今回だってそうだ。協会からの離反、別組織の存在、魔人の介入、そして聖宝の顕現…内部抗争なんてレベルで終わる気がしない、もっと大規模な戦争にまで発展してもおかしくない程の要素、要因がありながらも、終わり方は酷く呆気なかった。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば」

「はいはい、本日もお兄ちゃんは営業中ですよ〜」

「…シンプルに気持ち悪……」

「酷ぇ……」

 

 呼び掛けられ、のろのろとリビングのソファから身体を起こす俺。するといきなり来ていた依未から辛辣な言葉をぶつけられ、シンプルに俺もダメージを受ける。

 

「あぁ、悪かったわね。つい本音が出ちゃって」

「悪いと言いつつ追撃してるんじゃねぇか…緋奈からも何か言ってやってくれ」

「…いや、今はわたしも依未ちゃんに賛成かな……」

「え"……?」

 

 まさかの返しに、俺は戦慄。そ、そんな…緋奈すら気持ち悪いって思ってたのか…?…あ、どうしよう立ち直れそうにない。なんなら気分も悪くなってきたような……。

 

「だってお兄ちゃん、あれからずっと腑抜けてる感じなんだもん。活力は元からあんまり感じないけど、それにしても…だよ」

「あ、そ、そういう…てか緋奈、緋奈もしれっと追撃するの止めてくれ…」

 

 結局ちょっと悪口を言われたが、言葉通り気持ち悪いと思われてた訳じゃないと分かって安堵。それと同時に、俺は緋奈や依未から見て、腑抜けてる感じだったんだって事を認識する。……依未もそういう意図で気持ち悪いって言ってたのなら、だが…。

 

「…別に、腑抜けてた訳じゃねぇよ。ただ…色々、もやもやしてる事があってな」

「…富士での戦いの事?」

「そういうこった。ま、俺の頭で考えたってしゃあねぇ事かもしれないけどよ」

 

 依未の問いに趣向を返し、ソファに深く背を預ける。考えたってしゃあないなら、気持ち切り替えて普通に生活した方が有意義そうな気もするが…生憎俺の思考や精神はそこまで単純じゃなく、そうしたいとも思わない。

 

「ただいま…って、今日も腑抜けた顔してるわね」

「妃乃まで言うのかよ…てか、そんなに腑抜けてるように見えるか…?」

『見える』

「お、おぅ…流石にちょっと、気を付けるわ…」

 

 帰ってくるや否やの悪口を言われ、しかも訊いたら全員に真顔でそうだと返され、俺は意気消沈。

 ただまぁ、こうも言われるって事は、それだけ俺が酷い状態だったんだろう。そう考えて俺は、意識を切り替え…というか、意識的にしゃきっとしようと思い、ソファに座り直す。

 

「…で、どうもやもやしてるのよ。負けた訳でもなければ新たな戦いの火種になった訳じゃないし、彼だって一命を取り留めたんでしょ?まぁ、完全勝利とは言えないけど…あんたが気にする事なんてある?」

「あるんだよ、それが。…ってか、依未は毎度辛辣な事言う割には、話になってくれようとするよな」

「うっ…こ、このままでいられると気持ち悪くて仕方がないから言ってるだけよ…!」

「はいはい、ありがとな〜依未」

「あっ、ちょっ…な、撫でるな馬鹿ぁ…!」

 

 滲み出る人の良さにほっこりしつつ俺が撫でれば、依未は顔を真っ赤にして(形だけ)抗議。何気なく撫でてしまった俺だが、緋奈も妃乃もほっこりとしており、暫しの間ゆるゆるな雰囲気が広がっていた。

…が、気を遣わせてしまったというのに、なあなあで流すのは依未に悪い。それに、緋奈や妃乃にも気にさせてしまってるだろうし……話すと、するか。

 

「…昔はな、組織の事とか、世界の事とかは考えちゃいなかった。気にしてなかったってより、そもそもそういう事を考えていなかった。けど…今は、違うんだよな。目の前の戦いに勝てりゃ、名前も人となりも知ってる仲間が無事なら、後の事は知らん…そう考えられた方が楽かもしれねぇけど、もうそこまで呑気には考えられない。…これで良かったのか…そう思ってるんだよ、今は」

 

 手を離し、小さく息を吐いてから語る。もやもやとしている思考を、気持ちを。別に凄い事は言っちゃいない、目の前の事以外も考えるっていう、大人なら当然の事だろうが…そんな思考が、曇った空の様に俺の心を覆っている。

 勿論、戦いの結果そのものはこれで良かったと思っている。依未の言う通り、あの場の戦い自体はベストじゃないにしろ、ベターな結果ではあった筈だ。…いや、むしろ悪くない結果だったからこそ、こういう思考になったのかもしれない。

 

「…言いたい事は分かるわ。分かる、っていうか……私も同じ気持ちよ。前にも似たような話をしたし、その時は納得出来る答えを見つけられたけど…今は、あの時と同じ答えじゃ飲み込み切れないもの…」

「だよな…悪い。妃乃だってそうたろうに、俺ばっかり腑抜けた姿してて…」

「別に良いわよ。それに…私は反感を持たれる側よ。分かっててわざとそうした、片棒を担いでいる人間よ。…だから、気の抜けた姿なんて見せられないの。そんな姿をしているのは…ただの責任逃れだって、思うから」

 

 だから自分は、普段通りにいるのだと妃乃は締め括る。その責任というのは、離反せず、不信感があってもおかしくない中で従ってくれた味方へ対してのものなのか、協会に犠牲を背負わされ、それ故に否を突き付けた離反者達へのものなのか、それとも両方に対してなのか。それは俺には、分からない。

 妃乃はよく、立場ある自分の責任を意識している。だが、それは本当に妃乃が背負うべき責任だろうか。心構えの話なら立派だが、まだ若い妃乃の持つ決定権は、どこまでのものなのだろうか。…それだって、俺には分からない。分かるのは、妃乃が俺と同じように、この終わり方を良しとはしていない事で…ただそれだけでも、意味はあるのだと思う。片棒を担いでいた側の妃乃にも、強く思うところがある…ただ、それだけでも。

 

「…妃乃様も、ですけど…苦労する考え方してるわね、悠耶は」

 

 数秒の空白と、その後に聞こえた別の声。苦労する考え方…そう評したのは依未で、どういう事かと俺が視線で訊けば、依未は「だってそうでしょ?」と言って返す。

 

「妃乃様は分かるわよ。自分でも言ってた通り、そういう立場にあるんだから。まあ、それを差し引いてもあたしは思うけど…ともかく妃乃様と違って、あんたは一介の霊装者でしょ?指揮官でもなければ、協会の舵取りに関わってる訳でもない、ちょっと立場が特殊なだけの戦闘員に過ぎないでしょ?違う?」

「や、それはそうだが…なんか反論したくなる言い方だな…」

「はいはい。…そういう指示を受ける立場、実際に行動をする役目なんだから、自分の範囲の外までごちゃごちゃ考える義務はないでしょって、あたしは思うけどね。妃乃様の言葉を借りるなら、悠耶には目の前の事以上に背負わなきゃいけない『責任』がないんだから」

 

 今俺が気にしている事は、俺が気にする事じゃない。何せそれだけの義務も責任もないんだからと依未は言う。途中、嫌な表現するな…とも思ったが、義務や責任…立場が上がり、より多くの情報に触れられ、自分の裁量で決められる事が増えるのと引き換えに、背負わなきゃいけないものも増える立場を強調する為に、それとの比較として、わざとそういう表現をしたのかもしれない。

 筋は通っている。妃乃と違って俺はこの事をどうこう考えなきゃいけない立場ではないんだから。けど、考える必要性の有無と、考えずにいられるかどうかは別で……

 

「…はぁ、あたしがわざわざ言ってあげてるのにまたごちゃごちゃ考えてるわね?」

「…分かる?」

「普段はしないような表情になってるんだから当たり前だっての。…悠耶自身が今の世界や社会を憂いてるなら好きにすればいいけど、そうでもないのに、責任も変える力もないのに、ただ悩みだけ抱えるだなんて、大損じゃない……」

「…大損、か…やっぱ依未、表面的な態度と性格以外は滅茶苦茶いいやつだよな」

「んなっ!?な、なんでそうなるのよ!?」

「いやだって、さっきは気持ち悪いから云々って言いつつ、今は俺の損得…ってか、普通に俺の事案じてくれてるじゃねぇか」

 

 これで素直なら文句なしと言うべきか、素直じゃないのが逆に味があると言うべきか。…まぁ、それはともかく…成る程な、と俺は思う。確かにそうなんだ。ただ「これで良かったのか」って思い悩むだけじゃ、俺の気持ちが滅入るだけで、つまりそれは損でしかないんだ。

 

「…わたしは、今のお兄ちゃんのままでもいいと思うけどね」

 

 また違う声が、一つ上がる。多分この中じゃ、一番霊装者の世界も在り方も知らない緋奈が、軽く表情を緩ませて…同時にどこか、穏やかに落ち着いた雰囲気で言う。

 

「だって、こういうのって考えようと思ってから考え始めるものじゃないでしょ?自然と浮かんで、自然と考えちゃうものだよね?だったら、病んじゃう位考えてる訳じゃない限り、変に考えないようにする方が、むしろストレスが溜まるんじゃないかな」

「…まぁ、それも一理あるわね。考えないでいるっていうのは、ある意味考えるより難しい事だし……」

「それに…何日も、何度も頭に浮かぶって事は、心の奥ではちゃんと考えたい、向き合いたいって思ってるんじゃないかって、わたしは思うな。お兄ちゃん、やるやらないがはっきりしてる分、やるって決めた事は些細でも何でも、いつも手を抜かずに向き合ってるでしょ?」

 

 確かに…と反応する妃乃へ小さく頷いて、俺に視線を戻して、緋奈は続けた。きっとこうなんだって、お兄ちゃんはこういう人だからって。それは、俺との付き合いが一番長い…正に年季が違う緋奈だからこそと思えるような言葉であり、だから説得力があった。基本緋奈は肯定する俺のスタンス抜きにも、そうかもしれないな、と思わせる雰囲気が緋奈の語りにはあった。

 

「…まぁ、だからってこれからも毎日うだうだされるのは、ちょっと…いやかなり嫌だけどね。…あ…も、勿論依未ちゃんの言葉を否定するつもりはないよ?単にわたしはそう思うってだけっていうか、言っておいてあれだけど、『考えない!』って意識的に決めた方が、楽になる可能性だってきっと……」

「うぇ?あ、う、ううん!いい、全然あたしの事なんて気にしなくていいから…!むしろあたしの考え程度と同列に語ってもらう事自体おこがましいっていうか…悠耶、参考にするならあたしじゃなくて緋奈ちゃんの考えにしなさいよね…!」

「お、おう…本人がそう言うなら、俺もそうさせて……」

 

 気を遣われた事で逆に変なスイッチが入ったのか、自分の意見を卑下してまで緋奈を推してくる依未。それに緋奈も目を白黒ととする中、若干気圧されつつも俺は了承しようとし……止める。

 

「…いや、そうはいかねぇよ。何であろうと、俺の事を案じて言ってくれた言葉を、相手を、蔑ろにする事は出来ない。それが依未の言葉なら、尚更だ」

「……っ…べ、別に…そんな事、思わなくても…いいのに…」

「いいや、思うね。…緋奈の言葉だって同じだ。俺の事を心から理解してくれた相手の言葉を、軽んじる事なんか絶対にしない。だから…緋奈の言う通り、ちゃんと考えて、向き合うさ。その上で、向き合ってもさっぱりだったら…その時は、依未に言われた通りこれ以上考える義務はねぇって、思考を頭から追い出すさ」

「お兄ちゃん…うん、そうだよ。それがいいよ」

 

 二人の意見は方向が逆。だとしても、どっちも俺を思ってくれる、俺が大切に思う相手の言葉だからこそ、俺はどっちも受け入れる。しっかり考えて、それから考えないようにすると決める。

 それと同時に、ふと思う。俺にとって二人は守りたい存在だが…振り返ってみると、二人に支えられ、見守られてもいたような気がする、と。

 

「…守って、守られて、支えて、支えられて……悪くないよな、そう言うのって」

「…えと、何が?」

「何でもねぇよ。…ほんとにいつも、ありがとな。緋奈、依未」

「…うん。こっちこそ、いつもありがとね」

「…あ、あたしこそ…ありがと……」

 

 自然に浮かぶ笑みと共に呟き、怪訝な顔をする緋奈に軽く答え…それから二人に感謝を伝える。二人からすれば唐突だろうが、俺にとっては意味も理由もある感謝で…二人はそれを受け取ってくれた。緋奈は微笑み、依未は少し恥ずかしそうにしながらも、感謝を返してくれた。…本当に…可愛いもんだ、緋奈も依未も。

 

「…………」

「…な、なんだよ」

「…べっつにー…?」

 

 何も解決してないのに、俺の心に流れるのは清々しい気分。そこで何となく視線を感じ、何だろうかと振り向いてみれば…凄まじくじとーっとした目で、何とも不満そうな表情で、妃乃が俺を見ていた。内心かなり驚きながらなんだと訊いたが、妃乃からははぐらかされてしまった。

 

「あー、っと…なにか、不味かったか…?」

「そんな事はないわよ。緋奈ちゃんや依未ちゃんには相当感謝してるのね〜、って思っただけ」

「そ、そうか…んじゃ、俺からもいいか?」

「…なに?」

 

 何か引っかかる…というか、本音を隠してる感がある言い方だが、本人がそう言うなら仕方ない。一先ず今はそういう事にしておこうと決め、俺は妃乃へ向き直る。そして…思いを、伝える。

 

「妃乃。俺は今回の戦いで、俺に出来る事をしようと思ってた。これまでもそうだったが…自分に出来る事を尽くせば、見えてくるものがあるんじゃないかと、やれる事を最後までやり切らなきゃ、どこかに悔いが残る筈だと、そう思って戦った。でも…いやだからこそ、今の俺の全力を出して、やれる事をやり切って、その結果『これで良かったのか』って思ってる事自体が、一つの答えなんじゃないかと思ってる。具体的にどういう意味だ、って訊かれたら上手く説明は出来ないんだが…全力の結果だから満足だ、やり切ったから悔いはない…そう思えては、いないって事だ」

「…うん」

「だから…ひょっとすると、これからの俺は、これまでとはまた少し変わるかもしれない。考える事、やる事、目標とする事…そういうものが、今までとはまた違ってくるかもしれない。或いは全く変わらないかも、分からない事を選ぶかもしれない。それがどうなるかは、俺自身もまだ分からないが…力を貸して、ほしいんだ。変わる場合でも、変わらない場合でも…俺は妃乃を、頼りにさせてほしい」

 

 長々と語った上で、心情を伝えた上で、俺は頼む。頼りたいと、力を貸してほしいと。これまでだって、色んな事で力を貸してもらっていたが…ここで、改めて頼む。

 

「…嫌だ、って言ったら?」

「妃乃はそんな事言わねぇだろ。頑固で、見栄っ張りで、自信家で…でも誠実で、他人思いで、誇りと責任を忘れない妃乃は、こんな頼まれ方をされて嫌だなんて言う訳がない。…だから俺は、妃乃を信頼してる。そんな妃乃だからこそ……これからは俺も、妃乃の力になる。妃乃の守りたいもの、貫きたい意思、叶えたい願い…何にだって、幾らだって、妃乃が望む限り手を貸すと約束するさ。……じゃなきゃ俺の望む事に…妃乃に、釣り合わないしな」

「……随分、気取った事を言うわね。あんまりそういうの、似合わないわよ?」

「うっせ、これでも気取った感じにならないよう努力はしたんだよ…」

 

 分かっちゃいたが、やはり指摘されると恥ずかしいもの。ちょっと頬が熱くなるのを感じながら、文句を付けるように言葉を返せば、妃乃はくすくすと小さな笑いを漏らす。

 そのおかげで、もっと恥ずかしくなる俺。若干のいたたまれなさも同時に感じる中、笑っていた妃乃はふぅ、と一つ吐息を吐いて…俺に向ける。真剣な眼差しを、本気の表情を。

 

「…私は、現状維持が出来ればそれで良いだなんて思わないわ。些細な事でも、困難な事でも、協会や霊装者の世界をより良く出来るなら、誰かを守る事に繋がるなら、私は努力を惜しまない。本気で力を貸すって言うなら、貴方に色々求めるかもしれないけど…付いてこれる?」

「付いていくさ。本気だから、な」

「なら…約束よ、悠耶。私はこれからも、これまで以上に、悠耶の力になり続ける。だから…悠耶も、私の力になり続けて頂戴。…信じてるから、悠耶の全部を」

 

 俺は、頷く。勿論だと、当然だと、俺からの信頼を目一杯に込めて。

 真面目で熱心な妃乃の事だから、努力を惜しまないっていうのは真実だろう。であれば、その妃乃に力を貸すのは楽な事じゃなく…だが、それで良い。それが良い。俺は妃乃の力になりたいとも思っているんだから。妃乃が頼ってくれるのなら、俺はその信頼に応えたいから。それに…油断すると頑張り過ぎかねない妃乃には、俺みたいにだらけてるやつがいた方が、良いかもしれないしな。

…今話したのは、これからの事。どうなるか分からないし、拍子抜けする程お互い何もない可能性だってあるが…それはその時考えれば良い。今大事なのは、互いに気持ちを確かめ合えた事と…この繋がりを、いつまでも持ち続けたいと思った事だ。

 

「……ズルいよね、妃乃さんって…」

「…ね…仕方ない事とはいえ、あたし達とは向けられてる思いが全く違うもの……」

 

 と、何か晴れ晴れした気持ちになっていたところで聞こえたのは、ネガティヴな気配の困る会話。ひそひそやり取りをしているせいではっきりとは聞こえなかったが…これは俺が悪いんだろうか。というか、俺が何かした方が良いのだろうか。

 

「…あ……そ、それと…悠耶と私が釣り合わないとか、そういう事は…な、ない事もない、って事もないんじゃないかしら…?うん、ほら…なんていうか、ほら……」

「えぇ…なんでいきなりややこしい上歯切れの悪い状態になってんだ……」

 

 しかも今度は妃乃が変な感じになり、辟易。…なんていうか…皆変わり者だよな。俺が他人の事言えるのか、って話だが。

 

(…まあでも…それ位の方が、楽しいよな)

 

 普通なのが悪い訳じゃないし、尖ってりゃ良いってもんでもないが、こうして皆と居られる今が、俺は好きだ。親父とお袋がどう思うかは分からないが…家族と居るこの家に、緋奈だけじゃなく、妃乃や依未もいる事が、俺にとっては心地良い。

 そして、それは何もここだけの、家だけの話じゃない。何だかんだ振り返れば、今は学校も悪くないし、協会も思うところは多いにしろ、必要な場所だと俺は思う。俺の周りの人間、環境、社会…色んなものを引っくるめた、今の自分を取り巻く世界を、俺は無くしたくないと思っている。だから……

 

「……よし。ちょっと俺、出掛けてくるわ」

「え…と、唐突ね……」

「少し、やりたい事があってな」

 

 我ながら確かに唐突だなぁとは思うが、何もただ散歩しにいく訳じゃない。まだはっきりと見えている訳じゃないが…これから俺がしにいくのは、これからの俺にとって大切になる、その最初の一歩となり得る事だ。

 ちゃんと説明した方が良いだろうかとも思ったが、三人共今の言葉で、言葉と顔で分かってくれたようで、それぞれ俺を見送ってくれる。…なんて表現すると、何だか仰々しくなるな。別に俺は、これから戦いに行くって訳でもねぇのに。

 

「それじゃ…行ってくる」

 

 リビングの扉を開けたところで足を止め、軽く振り返る俺。ちょっと出掛けてくるだけでも、顔を付き合わせてるなら、ちゃんとこういう事は言うもんだ。そう、俺は思っていて……そんな俺へと、予想通りで、至極当たり前で…だけど、だからこそ温かみのある一つの言葉が、返ってきた。──行ってらっしゃい、と。

 

 

 

 

 どこまでも広がっているように見える、どこまでも繋がっていそうに思える、青い空。本当はそんな事なくて、宇宙から見れば空なんてちっぽけなもので…それでも一人の人間である俺からすれば、果てしないものを感じる空間。

 これまでの人生で、空は数え切れない程に見上げている。呆れる程に、見飽きている。朝の空も、昼の空も、夕の空も夜の空も、全部見た事があって…それでも尚、見れば見るだけ広大さを心に抱かせる空の下で、屋上で、俺は千嵜といた。

 

「…よく、自分を殺しかけた相手と普通に二人きりになれるな」

「そりゃ、俺の望みに最後まで付き合ってくれた相手であり、俺を生かしてくれた相手でもあるからね」

 

 霊装者独自の治療は無事に完了。多少の疲労感はあるけど、身体は無事に治り、早ければ明日にも責任と…俺がしてきた結果や、敗北者としての事実と向き合わなきゃいけないって中で、千嵜が訪れた。

 俺と話をしたい、訪れた千嵜はそう言った。立場的に今俺は自由に出歩けないものの、綾袮が話を通してくれたおかげで、制限付きながら今の俺は、千嵜と二人だけで施設の屋上にいる。

 

「生かしてくれた相手って…物は言いよう、なんてレベルじゃねぇだろ…」

「けど実際、千嵜は俺にトドメを刺す事だって出来たんでしょ?…綾袮から、何があったかは聞いたよ」

「…俺は殺し屋になった覚えはねぇし、人を殺す趣味だってねぇよ。殺さずとも倒せるなら、無力化出来るならそうするし……無力化した相手を殺すのは、戦いじゃねぇ。それはただの、人殺しだ」

 

 聞いた話じゃ、千嵜は俺を運ぼうとしていたと言う。つまりそれは、生かそうとしていたって訳で…だから俺には、千嵜を恐れる理由も、千嵜を憎む理由もない。というか、聖宝を巡る戦いはこっちから仕掛けたんだから、憎むのに関しては全なお門違いってものだ。

 そんな俺の返しに思うところがあったのか、俺とは目を合わさないまま千嵜は言う。声に過去を…経験を感じさせる重みを籠らせて。

 

「…近い内に、協会に出頭するのか?」

「出頭…って表現になるかどうかは分からないけど、そつだね。…責任を取る、って言い方は、自分のやってきた事が間違ってたって認めるみたいだから嫌だけど…俺は俺が背負うべきをものを、投げ出すつもりなんてないから」

 

 問いに答えると、千嵜は「そうか…」とだけ言って口を閉ざす。俺も俺で何も言わず、少しの間互いに黙ったままの時間が続き……数十秒程したところで、再び千嵜が口を開いた。

 

「…御道は、どうなんだよ。こういう形になって、こういう形で終わって」

「…終わらせた張本人が、それ訊く?」

「まぁ、それはそうなんだが…。…別に、答えたくないなら答えないでいいさ。俺としても、訊きたかったから訊いただけ……」

「──満足、してるよ。こうなって、この形で終わって」

 

 半ば返答を遮る形で、俺が返した問いへの答え。それを聞いた千嵜は、驚いたように目を丸くし…まあそりゃそうだよなと思いつつ、俺は続ける。

 

「そら勿論、初めから負けるつもりだった…とかじゃないさ。本気で勝つつもりだったし、俺は霊装者の世界を変えるつもりだった。…いや、だったって言うと、なんかもう諦めてるっぽくなるけど…とにかく負ける前までの俺は、負けた後の事なんて考えてなかった。勝つ事しか、勝って貫く事しか、頭になかった」

「…今は、違うのか?」

「まぁ、ね。…充実してたんだよ、あの戦いは。ずっと憧れていたものが、焦がれていた世界が、千嵜との戦いの中にはあった。抱いていた使命感も、目的も、どうでも良い…とまでは思わないにしろ、他の何もかもが霞む程、俺の心を震わせる瞬間が…さ」

 

 思い出すと、今でも身体が熱くなる。自分の本質は、戦闘狂だったのか…そんな風に思ってしまう程、千嵜との戦いの中で俺は心から燃えていて……分かる。理解している。あんなにも俺の心が燃えていたのは…そこに、俺の夢や憧れが詰まっていたからだ。

 

「…反応に困るわ、んな事言われても」

「うん、我ながらそんな気はしてた…。……なんていうか…俺ははっきり、明確で具体的な終着点を持ってた訳じゃないんだよ。漠然とした憧れ、理想を追い掛けていて…でも、そうだよな…漠然とした事しか考えてないなら、仮にあの時勝ててたって、結局どこかで同じように終わってたよな、きっと……」

 

 屋上の柵に軽く背中を預けて、空を見上げながらそう呟く。本気だったし、全力だった。どこまでもとことんやってやると…全身全霊で、望む世界を作ってやると思っていた。でも…考えてみれば本当に、行き当たりばったりだった。短期の目標はまだしも、最終的な目標があやふやだから、長期的な視点での計画なんて立てれなかったし……俺は俺が力を取り戻して以降ずっと、自分で思っていた以上に感情が先行していたのかもしれない。だから、その結果あやふやなまま進んでしまったんだとしたら…負けるべくして負けたのかも、ね…。

 

(…いや、それだけじゃ…ないよな……)

 

 俺は、俺自身の事は信じていた。迷いも後悔もなかった。だけど…同調してくれた皆の事は、これで良かっただなんて思えていない。全力で走っている間は、今はまず走らないと、走り続けないとと思えても…それは考えを脇に置いているだけ。飲み込んだ訳でも、納得した訳でもない思いを抱えたままじゃ、結局どこかで進めなくなっていた事だろう。…あぁ、本当に…まだまだなんだなぁ、俺は……。

 

「…じゃあ、あれか。ある意味燃え尽きたってか」

「そんな感じだよ。漠然としたものを追い掛けていたから、全てを注ぎたいと思えるような戦いに、全身全霊を懸ける事が出来て…全身全霊で戦えたからこそ、惜しいなとは思っても、後悔はない。…ああ、いや……」

「……?」

「…ちょっとだけ、これで良かったって部分もあるんだよ。少しだけ、ね」

 

 怪訝な顔をする千嵜に、軽く肩を竦めてみせる。…千嵜には負けてほしくなかった。俺の前を行く、俺が目指す存在の一人だったからこそ、まだ俺には負けないでほしいって思いもあった……なんて、本人にゃあ言えないわな。

 

「よく分からないな……けど、そうか…御道はこの結果に…今に、満足してるんだな…」

「果たせなかった事はあったとしても、やり切る事が出来て、取り戻せたものもあって…今もここには、俺には大切なものが残っていてくれたからね。……けど、諦めた訳じゃないよ」

 

 心配でもしてくれていたのか、それとも自分自身で何か思うところがあったのか、千嵜は呟くような声で言う。それに俺は、肯定を示す言葉で返し…その上で、言い切る。柵から離れ、千嵜の方を向き、諦めてなんかいないと告げる。

 

「俺は負けた。俺は俺の望む世界を作れなかった。けど、まだ立ち止まっちゃいない。諦めちゃいない。いつかは必ず、今度こそは必ず、辿り着いてやる。憧れに辿り着いて…その先にまで、届いてやる。今は満足出来てるからこそ…これが、これからの俺の願いであり……理想だ」

 

 まだ諦めてなかったのかと言われれば、そうだと返す。どれだけ無謀な事か分かっただろと言われれば、だからこそだと言ってやる。無謀だからこそ、良いんじゃないか。無茶を、無理を、無謀を覆して、理想に届いてこそ…ヒーローであり、主人公ってものなんだから。

 まだすぐには辿り着けないにしても、もう俺の中では始まっている。出来る事も、必要な事も、これまでよりも見えている。そしてもし、今の俺の夢が、俺だけのものじゃないのなら…共に戦ってくれた皆や、今後味方になってくれるかもしれない誰かが、同じように望むというのなら…尚更今度こそ、行き着いてやる。今度は俺だけじゃない…望む者全ての満足を、俺が掴み取ってやる。

 これはその、意思表示だ。未来への宣言だ。そしてこれを聞くのは、非日常に憧れた俺が、初めて会った…本当は非日常側にいた存在であった、千嵜だ。…これ以上ない、この宣言にとって相応しい相手じゃないか。

 

「……なんて、ね。ともかくこれが、今の俺だよ。満足したから、その上でっていう……」

「…ふっ、はは…ははははははははっ!」

「え…ちょっ、え……?」

 

 実際格好良いかどうかはともかく、少し格好付けてしまった。そう感じて、いつもの調子で閉めようとしたところで、突如千嵜は笑い始める。

 あまりに唐突な、千嵜の笑い声。何が面白いのか分からない俺は困惑し、何ならちょっと引き、どうしたものかと言葉に詰まり…一頻り笑った千嵜が、次に浮かべていたのは不敵な表情。

 

「あぁ、そうだな…そうだよな。選ぶ事も、進む道も、誰かに与えられるもんじゃない。今ある選択肢の中から決めなきゃいけないってもんでもねぇし…選んだらそれで終わりって訳でもねぇ。当然だよな。それが人生ってもんなんだから」

「いや、あの…それっぽい事言ってる中悪いんだけど、何を言ってんだか全然分からん……」

「今のは無駄にデカい独り言だ、気にすんな。…礼を言うよ、御道。御道のおかげで、やっと俺も見えてきた。これで良かったかどうかなんて、迷う事じゃねぇんだ。違うなって思ったら、その時変えていけば…自分がこうだって思う道に向きを変えれば良いだけなんだ。世の中にゃしがらみが多いが…自分の向きと、目指したい未来は、自分の思い一つで幾らでも貫けるんだから、な」

 

 独り言と言いつつも、大いに千嵜が語る言葉。ともすればそれは抽象的で、何を言っているのか分からないもので…けど、俺には分かる。頭での理解は出来なくても…心がそれに納得している。

 千嵜は俺に語りかけている。そうだろ?御道と言うように。だから、俺も頷く。そうだ、と言葉に返すように。

 

「中々熱いってか、青臭い事言うじゃんか」

「老け込むにはまだ早いからな。…お前の進む道は、多分また色んな相手とぶつかるぞ?俺だって、俺の道の邪魔をするなら……もう一度、お前に満足のいく負けをくれてやるよ」

「構わないよ。色んな相手とぶつかるなら、それ以上に味方を増やせば良いだけだし…言ったろ?俺は憧れの先を行くって」

 

 そう言って、互いに口角を吊り上げる。半分は本気で、半分はふざけて、俺と千嵜は煽り合う。

 また敵となるか、それとも味方となるか。そんな事は分からない。だって、未来の事だから。分からないのが、未知なのが…可能性に溢れているのが、未来だから。

 

「だったら…辿り着いて、超えてみろよ。御道の望みを、想像する理想を。もしそれが俺にとって相容れないものなら容赦はしねぇし……俺の道と重なるってなら、協力もしてやるさ」

「勿論だよ。俺は理想の先に届いてやる、更に先を創造してやる。千嵜こそ、どんな理想があるのかは知らないけど…俺とは対極かもしれないけど……見せてよ、貫いてみせなよ、千嵜の理想を」

 

 向かい合い、言葉を紡ぐ。意思を、決意を、ぶつけ合う。富士山では、力と共にぶつけ合った思いを…今は、心だけで。

 これから俺の進む道は、間違いなく前途多難だ。そもそもまず、結構な危機に直面してるし…その後も苦労続きだろう。だとしても俺は止まらない。俺は諦めない。俺には夢が、憧れが、理想があるし…様々な形で俺を支えてくれる、力になってくれる人がいるんだから。そして、それはきっと千嵜も同じだ。俺と同じように、予言の霊装者とされた…俺とは真逆の「これまで」を歩んできた千嵜も、同じなんだ。だからこそ…俺と千嵜の関係は、俺と千嵜の、それぞれの道と共に…なんだかんだで続いていくんだろう。

 空を、見上げる。茜色に染まる空を、現実なのに幻想的な夕焼け空を。これまでにも、本当に色んな事があった。これからも、色んな事がある。良い事も悪い事も、楽しい事も辛い事も、希望も絶望も、数え切れない程にある。そんな日々を、そんな過去と、今と、未来を、この空の下で──この世界で、俺達は紡いでいく。




 タイトルの通り、今回の話が本作の最終話となります。ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
 ただ、まだエピローグとあとがきをそれぞれ一話ずつ投稿する予定です。今話が最終話でありますが、そこまでお付き合い下さると幸いです。


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エピローグ その先へ歩み続ける

 共に戦い、妃乃や綾袮達と辛うじて魔王を撃退した後のパーティー…その中で、バルコニーで会話を交わしたあの日を思い出すような、御道との屋上での会話。御道の割と無茶苦茶で、けど確かな意思…絶対に貫くんだという信念を感じる言葉を聞いて、俺の中でも道が…まだぼんやりとしたままだが、それでも俺の中で、俺の歩みたい道が見えてきて……だから、俺は確信した。俺がした事、俺が選んできた事は、間違いなんかじゃなかったと。ベストな正解には及ばずとも、堂々と前を向ける選択で…納得がいかない部分は、ここから取り返していけば良いんだと。

 今の俺は、ちょっとばかし肩書きがあるだけの、一介の霊装者に過ぎない。妃乃の力を借りる事が出来たって、それはあくまで妃乃の力。実力も、権力もまだまだ、俺という存在が持つ影響力もどの程度なのか具体的には分かってないってのが今の俺で…だがそれは、そんな事はどうだっていい。今はそうだというだけで、ならば伸ばしていけば、力を付けていけば良いだけなんだから。俺がそうしたいと思う限り、どんなに緩慢だとしても、歩み続ける事は出来るのだから。

 そして今日…恐らくこれから、転機を迎える。どんな転機になるか、誰にとっての転機になるかは…これから、決まる事だ。

 

「ふぅ…んじゃ、そろそろ行くとするか」

「あ、待ってお兄ちゃん。ちょっと襟がおかしくなってる」

「もう少し前髪整えておいた方が良いんじゃない?整えたところで焼け石に水でしょうけど、何もしないよりはマシでしょ」

 

 立ち上がり、部屋を出ようとしたところで、緋奈と依未に止められる。緋奈は優しく、依未は辛辣に、俺の身嗜みの乱れを指摘してくれる。

 

「っと、ありがとな緋奈。やっぱ緋奈は、俺にとって唯一無二の存在だよ」

「ふふっ、わたしもだよお兄ちゃん」

「依未も…まぁ、言ってくれた事には感謝する。って訳でお返しに言うが、依未はもう少し顔が見える髪型にした方が、可愛く見えるかもしれないぞ」

「んな……っ!?べ、別にそんなの求めてないし!求めてないしっ!」

 

 素直で優しい緋奈には感謝と愛情を、捻くれてるが優しい依未にはからかい混じりの感謝を返し、身嗜みを整えて今度こそ廊下へ。扉を閉める直前、軽く二人へ手を振ると、緋奈は微笑みながら、依未はちょっと悔しそうにしながらも手を振り返してくれて…何だかそれだけでも、気力が湧いたように思う。

 

(気力が必要になる事なんて、ないのが一番ではあるが……)

 

 心の中でそう呟きながら、廊下を進む。今俺がいるのは双統殿の中で…向かうのは、ある結論を下す為の場所。

 あれから、屋上で御道と話してから、暫くが経った。協会にとって落ち着かない、油断出来ない時間はあれからもまだ続いていて…それに終止符を打つのが、今日。今日の最終判断…最終判決で以って、一連の騒動は終わる。

 

「うん?おぉ、悠耶じゃねぇか」

「へ?あ、どうも…」

 

 俺も出席を求められた判決、その為の大部屋に入ろうとしたところで、俺は上嶋さんと遭遇。…あの時も富士山…ってか支部の方へ呼ばれてたし、この人実は協会から結構信頼されてるのか…まぁ、それを変だとは思わないが。

 

「お前も大変だな。まだ若いのに、こんな面倒な場にまで呼ばれちまって」

「いや、まぁ…それを言ったら、妃乃なんて毎日大変な訳ですし…」

「ま、そりゃそうだな。…さて、今日決まるのは顕人達の処分…だけで終わるのかねぇ…」

 

 適当な事を言ってるようにも、何かを知っている上で言っているようにも思える言葉を最後に、上嶋さんは離れていく。それを横目で見送りつつ、俺も部屋内を進んでいき…指定の席へと腰を下ろす。

 そう。これから決まるのは、御道を筆頭とする離反者の処分。それで協会は一先ずの決着を付けようとしていて……ただまぁ、どうするかはもう殆ど決まっているんだろう。あくまで形式的にやるだけであって…何もなければ、きっと淡々と進む。

 

(……妃乃)

 

 ゆっくり見回し、妃乃を見つける俺。数秒したところで妃乃も俺に気付いて、俺達は小さく頷き合う。

 この場において、俺に役目はない。多くの人と同様、出席する事、判決の瞬間を見届ける事が求められているのであって、そういう意味じゃぼーっとしていても問題ない。

 だが…俺は当事者として、ここにいる。その意思が俺にはあり……自分の道は、自分で決める覚悟もある。故に、俺は全身全霊を以って望む。これから先を左右する事にもなり得る…決着の瞬間へ。

 

 

 

 

 今日に至るまで、色々な聴取があった。何度も同じ話をする事になったり、長時間同じ場に拘束されたりもしたけど、むしろ俺は助かった。一日ですぐに終わらせるのではなく、時間をかけ、更にその間監視付きとはいえある程度は自由に行動出来たおかげで、改めて俺は多くの人と話す事が出来た。話が、出来た。これは俺にとっての幸運…僥倖と言っても過言じゃない。

 話が出来たし、じっくりと自分を振り返る事も出来たし、今現在の協会内の空気も分かった。そして、そういう事全部を引っくるめた上で…今俺は、ここにいる。

 

「……霊源協会に与えた被害、それに伴う多くの霊装者の重軽傷、動乱による他国の霊装者組織との緊張、そして熾天の聖宝の消失。離反した者達がもたらしたものは到底許容出来るものではなく、特にその扇動者となった御道顕人の罪は重い」

 

 淡々と読み上げられるのは、俺の行動の結果。行動によって生まれた、負の要素。読み上げるのは刀一郎さんであり…隣の時宮宗元さんを始め、協会上層部の多くの人が俺の前や左右にいる。見知った人もいて、静寂の中で刀一郎さんの言葉が続く。

 

「だが一方で、離反の直後、離反宣言の際に行ったのは我々の作戦の援護であり、彼等の行動がなかった場合、あの戦闘でより多くの被害が出ていた事は間違いない。御道顕人個人においては昨年の一体の魔王撃退に貢献したばかりか、複数度の魔人との戦闘や撃破に携わり、一度は魔王撃破にも至っている。他の者達も、離反までは霊源協会の一員として尽力していた事は間違いなく……またそもそもの問題として、彼等の離反には、他の霊装者組織の介入や、霊源協会の隠蔽体質や情報統制が一因となっている事も否めない」

 

 次に語られたのは、正の部分と、原因の追求。有り体に言えば、擁護意見であり…誰も口を挟まない。負の面、正の面、原因の面…全てをの部分を、この場にいる全ての人が肯定している。…勿論、表面的にはであって、全員が全てを『真実』だと思っている訳じゃないのだとしても。

 

「これ等は全て、過不足なく考慮されるべきであり、判決はこれ等を総合的に判断し下されるものとする。ここまでの事に、意見や異論のある者はいるだろうか」

 

 そう言って、刀一郎さんは周囲を見回す。意見の機会を作り、けどそこでは誰も何も言わず…完全に、ここまでの言葉が肯定される。そうして見回しを終えた刀一郎さんの目が、俺を向く。

 

「であれば、これより判決を下す。…その前に何か、言いたい事は?」

 

 首肯。小さく、少しだけ、刀一郎さんの問いに答え…俺は前へ。

 

「…では、まずは謝罪を。此度の私の、私達の行いにより、多くの方を傷付ける事になってしまいました。家族を、友を、街を守らんとする方々に、魔物や魔人…人に仇なす存在ではなく、同じ人との争いで傷を負うに至らせてしまった事…また人同士の争いという、殆どの方が望まないであろう戦いを招いてしまった事を、心よりお詫び申し上げます」

 

 一度言い切ってから振り向き、頭を下げる。ゆっくりと時間を取り、それから頭を上げる。

 俺に向けられていた視線は三つ。一つは、謝る位なら初めからするなという怒りの視線。一つは、どこまでが本心なのか…という淡々とした視線。そして、もう一つは…理解の視線。多くの人を傷付けた結果は否定すれども、動機や背景までは否定しないという、そんな視線。

…悪くない、上々じゃないか。向けられた視線に対し、俺はそう感じた。そう感じられたから…続ける。

 

「私自身、このような事が再び起こる事態は避けたいと思っています。あの戦いに関わった者、皆がそう感じているのではないかと思います。そして、その為に必要な事であるのなら、私はどのような罰でも受けましょう」

 

 戦いの中で、俺は満たされていた。夢見た世界で、全力を尽くせていると感じていた。けどそれは、俺が求めていたのは、俺の中にある理想であって、人同士が争う事でも、傷付け合う事でもない。だから本当に、こんな事はもうあってほしくない。それだけは誰もが思っていると、そう信じている。

 嗚呼、でも…ここまでは前置きだ。助走だ。準備段階だ。真に言うべき事、俺が掲げる事はここからなのだと、大きく一つ深呼吸し……始める。俺の、決着の為の…最後の戦いを。

 

「──ですが、もしもこれで私を罰し、離反した私達を断罪し、形だけの改善を謳うと言うのなら……私は断言する。いつの日かまた、同じような事は起きると。組織としても世界としても一定の成熟を迎えた今の時代だからこそ、能動的な変革を協会自ら進めなければ、再び革命を起こさんとする者が現れると。そして…もしその者が、その者達が、私を望むとならば…今一度私は戦おう。そしてその時こそ……私は、世界を変える」

 

──その瞬間、空気が凍り付いた。真空状態にでもなったかのように、ぴたりと全ての音が消え……俺が部屋の奥、二人の長が座る場所に近付こうとした事で、控えていた数人が、武装していた霊装者が俺を取り押さえようと動いた。動き……そして、巻き起こる乱入。

 

『な……ッ!?』

「…それ以上、顕人に近付かないで」

「全く…もうこれで、貴方以外頼れるものがなくなってしましました。まぁ、別に構いませんが…責任は取って下さいね?」

 

 俺が取り押さえられる寸前に、割って入った二人の霊装者。ラフィーネとフォリン、二人の存在に皆が目を見開き…そこから更に驚く。二人が纏っているのは、最低限の装備ではなくフル装備…それも、協会の物とは違う装備である事に。

 静かにラフィーネは牽制し、フォリンは肩を竦めて俺を見やる。それを受けた俺は「勿論」と軽く…けど本気で頷き、改めてもう一歩前へ。

 

「何人か、殆ど動かずに体勢だけは整えている人がいるっすね。…ここからは、一切隙を見せず、主導権を握り続ける事が必須っすよ」

「…うん。慧瑠もありがとう」

 

 いえいえ、自分と先輩は一連托生ですからねー…と軽い調子で答えながらも、目だけは鋭く周囲を警戒し続ける、し続けてくれる慧瑠。

 皆、こんな馬鹿げた事に協力してくれている。ならばこそ、俺は貫かなきゃいけない。力になってくれる皆の気持ちを、背負わなきゃいけない。…けど、それは重くない。俺にとってはその重みが、心地良い。

 

「あいつ、虎視眈々とこのタイミングを狙っていたのか…!」

「結果への謝罪はする、けど行動した事を間違いだったとは思ってない、って事…?…確かに、否定し切れる事じゃない、けど……」

「ちっ…どんな理由があってもこれは明らかな造反だ!警護部隊を……」

「待って、今下手に刺激する方が危険じゃないかしら。……どうやら、積極的に仕掛ける気はなさそうだもの」

「…どういう事…?この空気…何か、おかしい……」

 

 蜂の巣をつついたような状況となっている大部屋内。パニックになって逃げようとしたり、衝動的な行動に出たりする人がほぼいないのは、出席している人達が皆それなりの立場や経験を持っているからだろうけど…それだけじゃ、ない。これが狙いだったのかと憤る人もいれば、どこか迷いを感じさせる言葉を漏らす人もいて、この状況を収めようとする人もいれば、それを制止する人もいて……一貫していない。俺は思想的な意味で再び反乱の兆しを見せ、ラフィーネとフォリンが『俺を守る形で』威嚇をしてすらいるのに、俺に対する見方が複数ここに存在している。

 

「…大それた事をするね、君は」

(…園咲さん……)

 

 四方八方からの声が聞こえる中、不意に聞こえたのは覚えのある声。ちらりとそちらを見れば、そこにいたのは園咲さんであり…彼女の存在に、ここで初めて気付く俺。園咲さんは、俺の視線に気付いたようだけど、それ以上何かを言う事はなく…ただじっと、こちらを見ている。口を出すのではなく、最後まで見させてもらう…そう、俺へと伝えるように。

 

「…全員、落ち着きなさい。ここは、騒ぐ為の場じゃないわ」

「顕人君…それは君が、今も尚協会に敵対し、武力による変化を望んでいるという事かな?それとも何か、違う意図があっての発言かな?」

 

 そうして俺が次の行動、次の言葉を発するタイミングを見計らう中、決して大きくはない…されどよく通る、重みのある声が一言で騒ぎを鎮静化させた。それは紗希さんの声であり…続く形で、隣に座る深介さんが俺に問いを投げかける。

 心を、真意を見定めるような、二人の視線。俺の狙いを察して乗ってくれたのか、それとも何か考えがあり、その為の誘いなのか…何れにせよ、ここだと思った俺は、その問いに答える形で次なる言葉をはっきりと紡ぐ。

 

「勿論、武力による変化を望んでいる…訳ではありません。武力は手段…それも最終手段ですから。しかし、私はそれを辞さない。力は悪ではなく、誰が、どのように行使するかなのだから。そして…私は私の行いを、正しいと信じている。故に、私は正義を成すのみです」

 

 全く、我ながら本当に高慢な発言だと思う。でも、本気だ。無茶苦茶な事を言ってる自覚はあるが、嘘や出任せでは一切ない。これが俺の、本心だから。本気の本心、そのものだから。

 でも…これは賭けだ。今の言葉は、ここまでの言葉とは毛色が違う。俺のスタンスを、在り方をはっきりと示す事で、ここにいる人達の…俺に対する周りのスタンスも明確になる一方、俺に一定の理解を示してくれていた人が、離れてしまう危険性もある。

 

(さあ、どう動く。誰が、どうする…)

 

 堂々と言いはしたものの、緊張する。数秒後には、こんな賭けをしなきゃよかったと後悔する展開が待っているかもしれないんだから、余裕でいられる訳がない。

 次に動くのは誰か。その人は、俺を是とするか非とするか。どんな意思を持って動くのか。緊張で口が乾きそうになるのを感じながら、俺は次なる動きを待ち……一つの声が、発せられた。

 

「──随分と、自信があるみたいだな。その、御道顕人が掲げる正義ってもんに」

「……っ…!」

 

 一触即発の空気の中、何の躊躇いもなく前に…俺の正面に現れる一人の霊装者。その、どこか深みを感じさせる声の主は……千嵜。彼の存在に俺は息を呑み、何とか緊張を飲み込み見やる。

 千嵜もいる事は、出席している事は謝罪後に視線を受ける中で気付いていた。けどまさか、ここで動くなんて思ってもおらず…当然俺以外の視線も、千嵜の下へ。

 

「…あるさ、勿論だ。己が掲げる正しさ一つ信じられないものに、世界を変えられなどするものか」

「なら、その正しさはどう証明する。誰が証明する。確かに、自分の正しさも信じられない人間が、世界を変えるなんざ無理だろうが…自分だけが信じる正しさに、一体どれ程の価値があるって話だ」

(…千嵜……)

 

 普段なら絶対こんな場に出てこようとしないというのに、千嵜の言葉からは落ち着きが感じられる。俺の様に内心緊張してるのかもだが、それを感じさせない立ち振る舞いを見せている。

 そんな千嵜の姿に、俺は落ち着き以外ももう一つ…あるものを感じた。それはただの思い違いかもしれないが…信じるだけの価値はある。

 

「証明、か…ならばそれこそ、今ここで『過ち』とされている反逆行為こそが証明だ。あれは、個人ではなく、曲がりなりにも『組織』としての行動となった。直接の行動に出た者以外にも、賛同や共感を抱く者が確かにいた。誰にも通用しない、自分が信じるのみの正しさであれ程の事が起こるものか」

「どうだろうな。確かに、御道顕人へ、離反へ協力する人間は何人もいた。協会全体からすれば一部でも、一部の者の行い…なんて言葉じゃ恐らく片付けられない程度にはな。だがそれは、お前の言う正しさの証明とは言い切れない。協力する方が都合良いというだけで、違う本心を抱いていた者がいてもおかしくない筈だ。違うか?」

 

 返答へ、千嵜は鋭く切り返してくる。いてもおかしくない、はいなくてもおかしくないだが…それは言葉遊びであって、そんな返しをしたところで俺の説得力には繋がらない。

 ここでの無言は望ましくない…けど、半端に返せば答えに窮している事を晒すだけ。穴のある反論をしてしまえば、無言以上に印象が悪くなる。そう思い一度俺が黙ると、千嵜は続ける。ただそれは、次に出てきたのは、追い討ちをかけると言うより、返答のタイミングを与えず、話を変えているような…そんな風に思わせる言葉。

 

「それに何より、根本的な部分が御道の主張には抜け落ちている。自ら変革しないなら、と言っていたが…だったら御道は、お前はそれをただ見ているだけか?自分は傍観しておきながら、いざ変わらなければ正義の名の下革命を…っていうのは、あまりにも勝手が過ぎるんじゃないのか?」

 

 筋の通った、千嵜の主張。相手に何か求めながら自分は何もせず、結果求めたものが得られないと相手を糾弾し力に訴えるというのは、身勝手が過ぎる。そして…この主張で、俺は確信した。千嵜の考えている事を、千嵜の真意を。

 ならば俺も踏み込むだけ。最高のお膳立てを受け止め…俺は、言い放つ。

 

「あぁ、そうだ、その通りだ。あの時と今とは違う。知らず、分からず、それ故に見過ごしてきたこれまでとは違い、私は…そして皆が、今は真実を認識している。これまでの在り方を理解しようとも、手放しで是とする事など出来ないと、多くの者が思っている。であれば、する事など決まっている。自分の力の届く限り、一歩一歩、目の前の事柄に向き合い積み重ねていくのみだ。正義を為す事に、世界をより良くしようとする事に…資格など、要らないのだから」

 

 そこまで言って、言い切って、これを俺は返答とした。この言葉を答えとして、聞いている人全員に示した。

 答えとしては、何とも抽象的。けどこれで良い。俺が示したいのは具体的なプランでも、明確なビジョンでもなく、俺のスタンスと、可能性なのだから。具体的に言った事が出来そうじゃなく、何となく出来そう、何かを変えられそう…俺が求めているのはそういうイメージであり、そういうイメージの為には、抽象的な表現の方が適している。

…既に、中心は俺と千嵜になっている。協会の負の面を正さんとする俺と、俺を見定める千嵜という構図が出来上がっている。そういう雰囲気に、流れになったのであり、したのであり……ここからの後一歩も、決まる。

 

「──無茶苦茶だね。言いたい事を言ってるだけ。でも…いいんじゃないかな。危険性のある劇薬だとしても、劇薬だって下手に処理しようとしたり、触れないようにしておくよりは、いっそ使ってただ危険なだけの劇薬なのか、確かな効果もあるものなのか見定めた方が、霊源協会の…未来の為になるかもしれないよ?」

「…綾袮……」

「それに…立場が変われば考えも変わる。そうじゃない?」

 

 歩き、俺達の前に現れるのは綾袮。小さく笑い…でも瞳は宮空の人間である事を思わせる、静かに落ち着いた色を見せて、語る。俺を肯定する旨の言葉を。

 ぴくり、と眉を動かした紗希さんに対しては、振り向きながら言葉を返す。今は不穏分子であっても、敢えて体制に取り込む事で、考え方を…不穏な部分を変えられるかもしれない、と。その言葉によって、綾袮はただ俺を支持する訳じゃないのだと、わざと全員に聞こえるような声量にする事で示す。

 

「どう?この件に関しては、各国の組織からも注目されている。霊装者発祥の地として、強国としての立場を誇示する霊源協会にとって取るべき選択は…それに見合ったものだと、わたしは思うよ」

「…だったら、そういう事であるならこそ、厳しい判断が必要かもしれないわね。既に霊源協会は付け入る隙を晒している以上、判断は威厳を保てるものじゃなきゃいけない。…今の協会に変革が必要だとしても…道を誤れば、その先にあるのは変化じゃなくて衰退よ」

 

 どう?…その問い掛けに呼応し、妃乃さんも立つ。俺を…より正確に言えば、一連の騒動の中核である存在の価値を肯定する綾袮の言葉に対し、釘を刺す。それと共に千嵜の近くへ移り…俺の近くに立つ綾袮と対照的な姿勢を見せる。

 

「それに…判断を下すのはあくまで私達。離反し、これまでの在り方を糾弾し、力での革命を求めた末に敗れた者へ、協会はどうするのか。それ自体に、大きな意味が生まれるのは間違いないわ。だからこそ…この判断に生半可なものは相応しくない。そうでしょう?」

「…ああ、そうだな。これは我々にとっての一大事の終結であると同時に、始まりともなる。その一歩目が、行先を定める」

「…御義父様、刀一郎様。それを踏まえた判断を、どうかお願いします」

 

 妃乃さんが視線を向けたのは、部屋の正面。その一角に座る二人…妃乃さんのご両親である恭士さんと由美乃さんは、数秒妃乃さんを見つめた後にそれぞれ言葉を口にする。

…完全に、流れは確立された。俺一人が言っていたなら戯言と一蹴されていたような事も、綾袮や妃乃さんが、宮空と時宮両家の人間が次々と関わった事で、本来ならば脱線扱いだったような流れが本線に変わった。

 最高だ。これは俺が想定した、求めた流れを超える、天が味方をしたとでも言うべき程の状況で……

 

「ふ、ふふ…ふふふふ……判決を下す場を劇場にしたか。一体どこまで画策していたのかは知らないが…大したものじゃねぇか」

 

 激しくはない、ただ愉快だと言うように零れる笑い声。それと共に、その笑い声の主、宗元さんは口角を上げ…対して俺は、ひやりとする。隠し切れるとは思っていなかったものの…劇場にしたと、俺の目論見を見抜いたような発言をされた事で、心に再び緊張が走る。

 あぁ、そうだ。その通りだ。結局のところ、決めるのはトップの二人。どんなに流れを作ろうと、変えようと……それは変わらない。

 

「…随分と面白そうだな」

「いや何、若者はいつの時代も非常識を貫き通し、凝り固まった現状を変えるものだなと思っただけだ。…俺達が若造だった頃と、同じようにな」

「……ふん」

「…で、どうする気だ?この場は自分に任せてほしい、それが自分の責務だって言ったのはそっちだろ?」

 

 全体には聞かせるつもりのないらしい、俺の位置からじゃギリギリ聞こえるかどうか位の会話。刀一郎さんと宗元さんは、そんな声量で言葉を交わし…視線が、俺を見据える。まずは刀一郎さんの、続いて宗元さんの、鋭い視線が。

 

「…それがお前の意思が、御道顕人」

「……えぇ、嘘偽りない私の意思です」

「自身なら霊源協会を、霊装者の世界を変えられると…自らが正しいのであると、故に行いもまた正しかったのであると、そう言い切れるか。敗北し、道が潰えた今も尚、それは揺らがないと言うか」

「言い切れるからこそ、本気でそう思っているからこそ、私はこの場で宣言しました。それに…私は潰えたなどとは思っていません。私の道は、まだ続いている。私の意思は、まだ貫かれている。故に…今一度言います。霊源協会が変わらないと言うのなら、戦いは繰り返される。更に多くの痛みや悲しみを協会は抱く事になる。そして、変われないのであれば、私が変える。私の信念で以って、私と志を同じくする人々の決意で以って…何より正義の名の下で、私が正す」

 

 緊張する。身体に変な力が入って、平常心がどこかに行ってしまいそうになる。それを何とか繋ぎ止め、気力を集めて向けられた視線と対峙し…堂々と、はっきりと、言ってのける。言葉を返す。俺は俺の信ずる、俺の道を行くと。協会を、霊装者の世界を正し、変えていくと。

 

「…そうか。そこまでの信念が、覚悟が、揺るがぬ意思があるのなら、それを踏まえた判決を下すとしよう。ただ……」

 

 小さく息を吐くように、刀一郎さんはそうかと言った。その声はどこか納得したような…ここまでよく言ったものだと評価するような響きがあって、一瞬俺は上手くいったかと、押し切ったのかと思った。

 けどその直後、刀一郎さんは立ち上がる。立ち上がり、俺の前まで来て、ぽんぽんと軽く肩を叩く。そして、訳が分からず俺が反応に遅れる中、刀一郎さんは少しだけ顔を近付け……

 

 

 

 

 

 

「──変革の、革命の果てにあるのは討つ事だ。その覚悟があるのなら、必要だと思うのなら、この首を狙ってみるがいい。だが……そう簡単に、獲れると思うなよ?」

『……──ッ!!』

 

 ただ、言葉を言っただけ。言葉を投げかけられただけ。だと言うのに…その言葉を聞いた瞬間、そこに現れる刀一郎さんの『本気』に直面した瞬間……崩れ落ちて、しまいそうだった。喉元に刃を突き付けられる…なんてものじゃない、全身へ紙一重で止められた状況の刃を向けられているような、恐怖以外の何物でもない感情が俺の心身を支配していた。

 思い出すのは、あの時の…俺がラフィーネとフォリンを守る為、真実を捻じ曲げた時の事。あの時も同じような事があって…けれど今は、それ以上。側から見れば、軽く声をかけられただけなんだろうけど…俺からすれば、物理的な攻撃を受けた方がマシと思う程の威圧感でしかなかった。

 しかもそれは、俺だけじゃない。俺の前にいたラフィーネとフォリンは肩を震わせ、隣の綾袮も表情から血の気が引いている。…あぁ、そうだ。俺は、俺達は、思い知らされた。俺や皆と刀一郎さんの間にある、圧倒的な差を。俺達じゃ、刀一郎さんに…勝てないんだって事を。

 

「…はっ、相変わらず容赦ねぇな。けどまぁ…覚えとけ。お前の…いや、お前達がしてるのは…そういう事なんだよ」

『……っ…!』

 

 言うべき事は言った、というように刀一郎さんが戻っていく中、今度は宗元さんが座ったままの姿勢で話す。さっきの刀一郎さんと違い、決して威圧感はなく…されど、言葉と目付きだけで、この人の本気もあれと同等なんだと俺達へ思わせながら。

 そしてそれは、千嵜や妃乃さんにも向けられていた。俺に味方した訳ではない二人も含めて言い…二人も、息を呑んでいた。

 

「双方、矛を収めよ。ここは断じて、武力で物事を決める場ではない」

 

 置かれていた手が離れると同時に、宗元さんが言葉を発する。その声で、一瞬躊躇った後護衛の霊装者達が武器を下ろし…ラフィーネとフォリンもそれに応じる。

 

「…さて。では改めて、判決を下すとしよう。随分荒れてしまったが…他に何か、意見のある者は?」

 

 元いた場所へ戻った刀一郎さんからの呼び掛け。やはりそれに手や声を上げる者はいない。俺も、もうない。ないし…まだ、さっきまでの調査を取り戻せる気がしない。

 

「お前達も、それで良いか?」

「こっちは問題ないんだとよ」

 

 振り向いた刀一郎さんは、身内含む協会の中核陣にも問い掛ける。こっち…時宮家を中心とする側の確認は済んでいると、宗元さんが言葉を返す。その後に刀一郎さんは視線で確認していき…目線を、前へ。

 

「…ならば、これより判決を下す。この判決は最終決定であり、私宮空刀一郎と、時宮宗元の合意の上のものである。……一連の騒動に纏わる関係者及び、その中心人物である御道顕人、彼等の行為を──」

 

 厳かな声と、静かな空気。既にやれる事は尽くした。天が、色んな人が味方をしてくれた。ならば後は、最後まで真っ直ぐに向かい合うのみ。そして、俺が自らの足で、堂々と立って向かい合う中……判決が、下される。

 

 

 

 

 

 

 

 

──どこまでも広がるような空と大地。そこにあるのは、見渡す限りの自然。人の痕跡、人類の文明らしきものがまるで見受けられない…自然そのままの環境。

 しかし、ただの自然ではない。巨大な木々に、一見未知の様にも思える動物。そんな存在達が、さも当然の様に地上の一風景となっている中へ…一組の男女が、降り立つ。

 

「…圧巻、だね。あぁ…予想以上だ」

 

 彼方まで見渡せるような高地、その崖へと降り立った彼は、広がる風景に感嘆の声を漏らす。

 現代に生きる者からすれば、驚いて当然の風景。しかし、その隣に立つ彼女は…違った。

 

「ああ、嗚呼…漸く、漸くここまで行き着いた。漸く…()()()()()()()()()()()()

 

 表現の上では、同じ感嘆。しかし彼の声が驚きによるものに対し…彼女の声音に籠るのは、歓喜の感情。普段は感情を殆ど感じさせない彼女が深く笑みを浮かべ、頬には興奮の色すら灯し…身を震わせる。胸中で思いを溢れさせる。

 

「しかしまあ、思い返してみても信じ難いよ。まさか熾天の聖宝が…どんな願いも叶えられるなんていう、如何にもな規格外の存在が……まさか君の為の、君達『本来の霊装者』が残したものだったとはね」

「えぇ。聖宝は本来、やり直す為のもの。潰えた未来を取り戻す為のもの。その為の力を持ってすれば、流用すれば、大概の事は出来るというだけです」

「ああ、そのようだね。しかし…それだけの存在を創り出せる技術があるなら、仮に聖宝に力が溜まるまで待たなければならないにしろ、出現場所を固定する事も出来たんじゃないのかい?」

「完成させるより早く、終わりの時を迎えてしまったが故の事です。そしてその結果、紛い物が増えていった。紛い物風情が幅を効かせるせいで、こうも時間がかかってしまうとは……」

「…僕も、その紛い物の一人なんだけど、ね」

「ふっ…貴方は紛い物中の紛い物でしょう?でなければ、貴方の力など借りていませんよ?」

 

 にやり、とからかうように笑う彼女を見て、彼は多少ながら目を見開く。彼女が笑みを浮かべながら、こんな調子で冗談を言う事など、滅多にないどころかこれまでに数度あったかどうか。しかし、だからこそその笑みは、言葉は、彼女の喜びを証明しているのであり……彼もまた、笑みを浮かべる。彼女の行く末への興味と、彼女自身への期待の笑みを。

 

「さて…僕は君との約束を果たした。君をここまで導いた。だから…ゼリア。ここからは、見せてもらうよ?君の道を…君の言う、真の世界を」

「では、最後までついてきてもらいましょうか。ここは終着点ではなく、出発点です。紛い物風情の貴方が、ここまでついてきたのですから…途中で降りる事は、許しませんよ?ウェイン」

 

 悪意など微塵もない、ある種純粋でもありながら、同時にどこか異様さを感じさせる笑み。その笑みと共に彼は彼女の頬に触れ……飾らない微笑みと共に、彼女は翼を広げる。青でも、赤でもない……白の翼を。

 浮かんだ表情が表すのは大望か、それとも執念か。それを問う者などいない、()()()()()で、再生が始まる。

 

(ここからだ…本当に面白くなるのは、見たかった世界が見られるのは、この道の果てだ。……顕人クン、いつかまた会おうじゃないか。それぞれが思い描いた夢の果て…それを語り合えるのを、楽しみにしているよ)

 

 これより行われるのは、滅びを拒絶し、その先の誕生を否定し、異なる未来を望む道。霊装者であって霊装者でない、最後の始祖による始祖の再興。それが望みし未来に繋がるのか、未来を生きる者達に影響を及ぼす事になるのかどうか、及ぼすとしたらそれはどんな在り方なのか──それはまだ、誰にも分からない。

 

 

 

 

 双統殿から外部へ出る為の地下通路。複数ある内の一つ、中核である両家のみが知る緊急用通路から、四人の姿が現れた。

 

「ふー、まさかこんな形でここを通る事になるなんてね」

「まあ、ある意味緊急的な使い方でしょ。…こういう形で通るとは、ってのには同意だけど……」

 

 初めに出入り口用の建物から外に出たのは、妃乃とあやね。二人に続く形で出てきた残りの二人は…悠耶と顕人。

 

「……ありがとう、皆」

「…なんだよ、藪から棒に」

 

 四人が緊急用通路から出てきたのは、妃乃と綾袮、それぞれの両親からの指示。結果はどうあれ、顕人…それに彼等は大きな火種となりかねない状態であり、それを避ける為に迅速な退避をとこの通路を使うよう言ったのだ。ロサイアーズ姉妹も別の通路から退避しているのであり…完全出たところで、顕人が口にしたのは感謝の言葉。

 一瞬の間を置き、なんだと悠耶が返す。内心では分かっていたが…その上で、彼は訊き返した。

 

「元々俺なりに根回し…なんて程じゃないにしろ、色々手を打っていたとはいえ、ここまでの結果を得られたのは、皆のおかげだ。皆がそれぞれに乗ってくれて、流れを、話の中核となる部分が変わるようにしてくれたからこそ、俺は望む以上の結果を掴めた。だから…皆には、感謝しかないよ」

「ふふん、ばっちり感謝してよね!…って、言いたいところだけど…要らないよ、感謝は。今日わたしがした事は…わたしが望んだ事だから」

「望んだ事、ね…そういう意味じゃ、私も時宮…ううん、私自身が必要だと思った事をしたまでよ。協会が今なら買われるのは、事実だもの」

「俺は……」

 

 強い思いの…想いの籠った瞳を綾袮は浮かべ、妃乃は振り返って双統殿を見やる。そして悠耶も何か言いかけるが、一度言葉が止まり…怪訝な表情で三人が見る事数秒。ゆっくりと思考を纏め直したように、改めて悠耶は言う。

 

「…俺はこれまでも、今も、これからも…俺の関わってきたものを、何一つ手放すものかって決めたんだ。世の中は願った通りにも、都合良くいくもんじゃねぇ。それでも、やらねぇ言い訳や諦める理由にはしないって…あくまで俺の理想を貫き続ける。…ただ、それだけだ」

「そっか……なら俺も、示すさ。皆の選択、皆の行動…それが正しいものだったと、俺の全てを以って証明する。俺は理想の先へ、届いてみせる」

 

 それは、あの時の…悠耶と顕人が屋上で交わした言葉の、続きとでも言うべきものだった。悠耶が口にしていなかった、彼の望みであり…それを聞いた顕人は、今一度答えた。自身の望みを、自身が目指す理想への道を。

 

「…顕人って、ほんとキャラ変わったわね……」

「こう、眠れる部分が目覚めた感はあるよね。…けど、それを言うなら今の悠耶君だって同じじゃない?」

 

 相容れている訳ではない。だが、互いを理解し合ったようなやり取りを交わす二人を、妃乃と綾袮は肩を竦めながら眺めていた。妃乃は顕人を、綾袮は悠耶をそれぞれ変わったと評し…しかし妃乃も綾袮も、共に住む相手に対して内心では思っていた。一見変わったようだけど、変わった部分もあるけど…根っこの部分は変わっていないと。自分のよく知る、日々を共に過ごす彼と、変わらないままだと。

 取り敢えず双統殿を出たとはいえ、街中では落ち着かない。それにそもそもここに留まる理由もないのだからと、一度会話が途切れたところで四人は帰ろうとまた歩き始め…しかしそこで悠耶と顕人、それぞれの携帯がほぼ同時に鳴った。

 

「ん?茅章から…?」

 

 画面を見やり、着信の相手が茅章だと知った悠耶は、人気のない場所に移りつつ、さて何だろうかと思いながら電話に出る。繋がり、悠耶の方から先に声を発すると、緊張の滲む声が携帯越しに返ってくる。

 

「ゆ、悠耶君。なんかさっきから、双統殿の中に変なざわつきが広がってるんだけど…もう、話は終わったんだよね…?…どう、なったの……?」

「どう、か…。まあ、結論から言えば……顕人が勝利をもぎ取った、ってところだな」

 

 ったく、ほんとに御道は一々周りに心配をかけてやがる…と、若干自分の事を棚に上げつつ、悠耶は茅章の問いへ答える。ほんの少しだが口角を上げ…半ば冗談めかして言う。

 この件は多数の要素が複雑に絡んでおり、単純な加害被害の関係が成立しない。加えて現在教会は戦力が低下しており、その穴を埋める事は急務である。そして何より、離反者への処罰は次なる潜在的離反者の呼び水になりかねず、逆に離反者の存在が彼等を利用し教会を害そうとする存在を炙り出す餌にもなり得る事から、十分に警戒及び観察の上で、御道顕人及び離反した者全員への直接的な処罰は保留とし、今後の動向次第とする。──これが、最終的な判決だった。条件付きとはいえ、実質的な不問という結論を、顕人は協会から掴み取っていた。されど、これが全会一致の結論である筈もなく…そういう意味でも、彼等は早々に退散をする必要があったのだった。

 

「そ、そっか…!…良かったぁ…なんか、やっと落ち着ける気がするよ……」

「茅章にそんな気苦労をさせるなんざ、ほんとに御道はしょうもないやつだな…。…まあ、そういう事だから……」

「うん、また今度食事にでも行こうよ。電話でも良いけど、顕人君には直接言いたい事がまだ色々あるし」

 

 さらりと、しかしほんのり意気込むように言う茅章の口振りに、悠耶は軽く驚いた。驚いてから、茅章も変わったものだよなと思い…そうだな、と言葉を返した。

 そうして悠耶が見やる先、同じく通話をする顕人の表情は…彼よりも、かなり固い。

 

「全く、本当によくここまで引っ掻き回したものだ。保留という形にはしたが…暫くは、周辺に気を付けるべきであろうな」

「で、ですよね…分かってます……」

 

 何故電話を…とばかりの表情を見せる顕人は低姿勢。しかし通話の相手は先程駆け引きを行った宮空刀一郎その人なのだから、低姿勢になるのも無理からぬ話。

 初めからそのつもりで望んだ先程はともかく、完全に気が緩んでいたところで、彼と真っ向からぶつかれる精神力は顕人にない。されどそれを刀一郎は見抜いている様子で…小さく、笑う。

 

「ところで顕人よ、あの姉妹といい綾袮といい、あれだけ部の悪い賭けだというのに、ああも迷いなくお前の側に立つ者がいるとはな。…愚直で誠実な人間だと思っていたが、思想面でも、色事の面でも、どうやら私の見立ては間違っていたようだ」

「なっ…!?あ、いやっ…それは、その……」

「ふっ、別に責めている訳ではない。綾袮とて、もうただの子供ではないのだからな。…だが、そのまま進むのであれば、決して自分を曲げない事だ。自分自身すら安定していない者が、何人も繋ぎ止めておく事など出来るものか」

「……へ…?…それ、って……」

「なに、気にするな。ただ私にも、若い頃があったというだけの話だ」

 

 突然変わった話の流れに動揺し、答え方次第では別の意味で宮空家がまるっと敵になるという窮地(?)に顕人は大慌て。しかし幸いにも、彼が思ったような流れになる事はなく…それどころか思ってもみない発言に、顕人は茫然。その顕人へ、含みのある答えを返し…それから用は済んだとばかりに、刀一郎からの通話は終わった。

 ある意味、顕人へ対する肯定の言葉。だが当の本人からすれば、全く付いていけない話となってしまったのは、火を見るよりも明らかだった。

 

「顕人君、今のっておじー様からだよね?結構慌ててたけど…大丈夫…?」

「あ、う、うん!大丈夫大丈夫!ある意味心強いし!頼るのは絶対違うけど、心強いような気がしないでもないしっ!」

「えぇ…?声裏返ってるし、発言の内容も何か変だよ…?…ま、いいや。これぞ顕人君って感じだしね♪」

「そ、そっか…いやこんなテンパった姿で『これぞ』と思われても嬉しくないんだけど…!?…って、あ、綾袮……!?」

 

 大ごとの後という事もあり、心配そうにしていた綾袮だったが、どうやら危険な何かではないと分かった事で、表情が緩む。そして綾袮は顕人に近付き…そのままにひひと笑いながら、彼の腕へ迷いなく抱き着く。

 

「ちょっ、綾袮!?貴女何をして……」

「ふふん、色々あったからねー。っていうか…この際だから訊くけど、そっちはどうなの?妃乃だって、悠耶君となんだかんだでかなり仲良くなってるでしょ?」

「うぇっ!?な、なんでここで私に振るのよ!?」

「いや、そりゃ妃乃と話してるんだから、振るとしたら妃乃でしょ…で、どうなのどうなの?実際のところどうなのかは分からないけど、世の中何があるか分からないよ?…ほんと、いつ信じられないような事が起こるか分からないんだから……」

「あ、う、うん…確かにそれはそうね……」

 

 素っ頓狂な声を上げた妃乃に、綾袮は半眼を見せた…のも束の間、流れるように綾袮の表情は暗くなっていく。言うまでもなく自爆なのだが、その居た堪れない表情に思わず妃乃は同情的に。

 

「…こほん。そういう訳で、何か想いがあるなら伝えておいた方がいいよー?ほらほら、勢いでGO!」

「うわっ、ちょっと!?や、止めなさいって…きゃっ……!」

「……!…っとと……」

 

 ぱっと顕人から離れた綾袮は、にやにやとしながら妃乃を押す。それに対抗する妃乃だったか、強めに押し返した拍子に自身も姿勢を崩してしまい…そこで咄嗟に妃乃の肩を支えたのは悠耶。当然二人は密着寸前の距離となり…かぁっと妃乃の顔は赤く染まる。

 

「ぅ…あ、えと…その……」

「あー…別に、綾袮の話に乗る必要はないと思うぞ?どうせ冗談半分なんだ、『思いならあるわ、これからも宜しく

〜』位で適当に流しちまったって……」

「…ま、待って……」

「うん…?」

「…綾袮のおふざけに乗せられるのは、不服だけど…適当に流すのも、嫌…なのよ…。他の話ならいいけど、これだけは…適当に、流すのは……」

 

 しどろもどろな妃乃に頬を掻きつつ、適当に流してしまえば…と言った悠耶だったが、それは嫌なのだと妃乃が返す。

 そんな風に言われてしまえば、悠耶も平然とはしていられない。慌てこそしないものの、彼も言葉に詰まってしまう。

 

「わ、私は…私も……」

 

 恥ずかしそうに顔を赤らめ、妃乃は見つめる。悠耶もまた、表情に緊張を滲ませながら黙り込み、どんどんと雰囲気が作られていく。そして呆気に取られていた顕人や、まさか本当にこうなるとは…と実は驚いていた綾袮が見守る中、妃乃は震える唇を開き……

 

「……って、なんでこんな所で言わなきゃいけないのよッ!?」

「いやそれを俺に言うなよ!?止めたからな!?俺一回止めたからな!?」

 

……やはり妃乃は、妃乃だった。開かれた口より発せられたのは、ある意味最も彼女らしい…そんな風な言葉だった。

 叩き付けられるような言葉に、悠耶は抗議ばりの突っ込みを返し…しかしその後、笑う。妃乃らしいじゃないかと笑い…不満そうだった妃乃もまた、悠耶の笑みを見て頬を膨らませつつも怒りを収める。

 

「まぁ確かに、なんでこんな所で感はあるよね…普通に俺達も見てる訳だし」

「あはは、それもそうだね。…後が怖いし、早めに謝っておこうかな…」

「そうするといいよ。それと……俺はちゃんと、覚えてるから。ちゃんと受け止めたつもりだし…それで終わらせるつもりもないから」

「ふぇっ…!?…ゃ、あっ…い、今そういう事言わなくても良いんだけどな〜っ!」

 

 さて、それを見ていた二人はといえば、二人揃って苦笑い。しかしただ苦笑していただけではなく…ふっと真面目な顔をした顕人は、綾袮に言う。離反の後に、綾袮やラフィーネ、フォリンと過ごした日の事を忘れていないと。あれをただの過去にするつもりはないのだと。真剣そのものなその言葉に、完全に不意を突かれるような形となった綾袮は、先程の妃乃の様にみるみる顔が赤くなり、それから誤魔化すように言葉を返した。…因みにこの際、綾袮の中では今になって抱き着いた事への恥ずかしさが浮かんできたのだが…それはまた、別の話。

 

「うぅ…は、早く帰ろっ!早く帰ってゆっくりしようよ、うん!出来れば物語としても後一話早く終わってたら、同じ作者さんの新作とタイミングがあって良い感じになってただろうけど、まあともかく早く帰ろう!」

「最後の最後で何を言ってる訳!?…綾袮が変な話に持っていかなくちゃ、電話が終わった時点で普通に帰ってたわよ、もう…」

「はは…でもま、今度こそ帰ろうか。俺達の、家に」

「そうだな。さっさと帰るとしようぜ、妃乃」

 

 羞恥心を振り払うように綾袮が先頭を歩き、呆れながらも妃乃が続く。再び苦笑いをした後、柔らかい表情で顕人が綾袮へと声を掛け、悠耶もいつもの調子で、そうする事が今の自分達の『普通』であるように妃乃へ向けて呼び掛ける。二人の青年の言葉に、二人の少女は振り向いて、こくりと頷いて…四人は、二組は、帰っていく。彼等の住まう家に、彼等の日常に。

 

 

 

 

 

 

 

 

──二人の理想は、まるで違うものだった。何もかも違う二人故に、目指す先も違っていた。されど偶然二人の道は交わり、繋がりが生まれ、それぞれに…或いは共通してより多くの繋がりを紡いでいき、数多くの経験も経て、二人はそれぞれの道を進んでいった。

 果てしなく続く、理想への道。その道の中では、苦難も、挫折もあるだろう。進む事を断念したくなるような何かも、あるかもしれない。しかし二人は知っている。貫く思いの力強さを、誰かと手を取り合い、共に進む事の心強さを。だから、止まらない。だから、進み続け、理想への歩みを創り続ける。千嵜悠耶、御道顕人…数多の人が生きる、一人一人の道を歩むこの世界で、明日もまた、これからもまた、二人の物語は……二人の、双極の理創造は────続いていく。




 最終話でも書きましたが、ここまで、最後までこの作品にお付き合い頂けた事を、本当に嬉しく思います。私が描きたかった、その為の作品を読んで下さった方、読み続けて下さった方がいる…それだけでも、本当に誇らしいものです。
 この通り、物語としては一先ず終了ですが、最後にあとがきを丸々一話として投稿するつもりです。ただただ私が語るだけの話となりますが、もし宜しければ、あとがきも読んでみて下さい。


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あとがき

 皆様、初めまして。或いは、お久し振りです。当たり前ですが、この作品の作者であるシモツキです。

 えー、普段…というか、基本的に作者として語る際は、いきなりふざける事から始める場合が多いのですが、今回はそういう事をせず、普通に書き始めてみようと思います。思いますというか、そうしてみました。

 そして、これまでのあとがき…Originsシリーズのあとがきは、とある作家さんのあとがきをオマージュさせて頂いていたのですが、今回の、本作のあとがきは、私なりに書いていくつもりです。やはり本作は、私のオリジナル作品ですからね。……まぁ、オリジナルと言っても元ネタ…というか、モチーフにしたあれこれはあるんですけどね。

 

 

 さて、前置きは済んだので、ここから本編に入っていこうと思います。…あ、でも別に、本作のあとがきは真面目一辺倒でいくって事ではないですよ?普通にふざけるつもりですからね?何せ、私ですし。シモツキですし。というか、あとがきの本編ってなんでしょうね。存在そのものが矛盾してる気がします。

 まあそれはともかく、まずは双極の理創造を書き終わっての率直な感想をば。全二百四十二話+αという、とにかく長い作品が終わった訳ですが……

 

 無事に完結させる事が出来て、良かったぁぁぁぁああああああっ!嬉しい!疲れた!ほっとしたッ!

 

……こんな感じですね。色々な感情があるんですが、取り敢えず真っ先にくるのはこういう感想、思いです。

 いやほんと、完結させられて良かったぁ…って感じなんです。ちゃんと完結させられるのか、書いてて私自身不安でしたし、活動報告に書いた通り、今年度(これを投稿した時点)から執筆を減らそうと思っていたので、その為にもきっちり終わらせる必要があったんですよね。で、嬉しいと疲れたは言うまでもなく、ほっとしたというのも無事に完結してくれて…という意味ですね。

 

 でも、大満足で終わった、終わらせられたかというと、そうではありません。反省点やもっとこうしたかった…と思う点が多々ありますし、惜しいと思う気持ちもあります。

 という訳で、その話を…とする前に、一つ役に立たない事を教えましょう。先に言っておきますが、本当に役に立ちませんよ?私の個人的な話なので。

 

 こほん。上でも名前を出しましたが、私は連載作品としてこれまで、本作の他にもOriginsシリーズ(ネプテューヌシリーズの二次創作)を書いていました。でもってそれは今も書き続けているのですが、Originsシリーズ(扱いが特殊なOVは除く)は完成次第投稿する、定期投稿に間に合うように書いていくスタイルだったのですが、双極は投稿を始める前に多少ですが書き溜めておき、ストックを作った状態で始めたんです。そして、毎週ストックから一話投稿しつつも、同じペースで一話ずつ書いていた為、常に「書いているのは、投稿した作品の数話先の話」という状況だったのです。ずっと投稿と執筆のペースが同じだった為ストックは減らず、エピローグ含むラスト数話は幾つかの理由から『執筆ペース<投稿ペース』となってしまっていたのですが、なんとかストックが尽きる事なくここまでくる事が出来ました。つまり、このあとがきもエピローグが投稿される前に書いているのです。……どうです?本当に役に立たない話だったでしょう?

 

……この話、何でしたんでしょうね。これを読んでいる方が私の執筆状況を知ったところで、何になるんだって話ですよ。…まぁ、私がしたいからしただけですが。あとがきの…いえ、そもそもアマチュアの創作活動の時点で、したいからしてるだけですが。

 

 

 とまぁ、ここで「したいからした」という言葉が出てきたので、この作品を書こうと思った理由、目的の話をしましょうか。

 理由は勿論、したかったから…です。以上!単純明快で分かり易いですね!

 

…………。

 

…冗談です。えぇはい、嘘じゃないですがこの一文で終わらせるつもりはありません。色々書きたくて、わざわざあとがきを一話分として作っているんですから。

 では改めて。私がこの作品を作ろうと…創ろうとしたのは、あるシーンを描きたかったからです。そしてその、あるシーンというのは、悠耶と顕人、二人の最終決戦です。これを描きたくて、ここまで書いてきたのです。…えぇはい、先に結末から決めて、そこに向かって話を作っていく…という物語や、そういう形を取る作者さんもいるとは思いますが……我ながら、最終決戦の為だけに二百話を軽く超える作品を書く事になるとは思いませんでした…。Originsシリーズもどんどん長くなっていった訳ですが…一つの作品としては、私の中でも断トツですよ。えぇ。……あれ?でも、OEのコラボや設定系も含めると、断トツではないのかも…?

 

 ともかく、私がこの最終決戦を描きたかったから、私の中だけにある物語ではなく、明確な形にしたかったから、双極を書く事に決めたのです。もう少し言うと、単に書きたかったのではなく、実現したくても出来なかったものを、諦めない為に書こうと思ったのですが…そこまで書くとややこしいので、この辺りで留めておきます。…これも、何故書きたかったのかという部分も、あとがきで語りたかったんですよね。

 

 ですが、勿論それだけの為じゃありません。書く事を決めた理由は上記の通りですが、書いていく中で色々やりたい事、描きたいものが増えていき、それを片っ端から詰め込んでいったのです。…それが、これだけ長くなった理由の一つですね、はは…。

 

 

 作品を作る切っ掛けは語り終わったので、次はキャラ…というか、主人公の話をしていきましょうか。主人公以外のキャラに関しては…全員語るとキリがないんですよねぇ。何せ全員が(モチーフ的な存在はあれど)オリジナルキャラですし。

 って訳で、早速語るとしましょうか。まずは主人公の内ちょっと捻くれている方、千嵜悠耶です。

 

 悠耶のコンセプトは、後述する顕人と対照的な存在、ですね。何もかも対極、という訳ではないですが…割と真っ直ぐな顕人に対し、少し斜に構えている悠耶、何も知らない顕人と、霊装者の事を知る(というか元霊装者の)悠耶、非日常を求める顕人と、ありふれた日常を求める悠耶…ダブル主人公である事と、最終決戦でのぶつかり合いを意識して、対照的なキャラにしていったんです。

 ただ勿論、それだけを考えて作った訳ではありません。基本は過去の経験もあり、非日常に関わろうとしないながら、何だかんだで他人を見捨てられない、見て見ぬ振りが出来ない…そして根がそういう人間だからこそ、守りたいものが増えていく事によって、生き方への考えも少しずつ変わっていく…ちょっとありきたりですが、王道な面も併せ持つキャラとして描いていきました。奥手な顕人に比べればその辺りの躊躇いは少ない(比較的、ですが)ので、顕人には出来ない行動を…って面もありますね。これに関しては、逆に悠耶には出来ない事を顕人が…って展開もありますが。

 他にも両親の状態であったり、得意な戦闘距離(近距離か遠距離か)であったりと、本当に悠耶と顕人は対照的になっています。…まあ、対照的とまで言わずとも、複数の主人公を作るのであれば、キャラ被りしないように設定していくのが普通かもですけどね。

 

 単なる元霊装者ではなく、生まれ変わりの結果元霊装者という形になったのは、現代日本の設定との兼ね合いですね。戦時中でもないのに、十代で壮絶な戦いの過去が…なんてなる?…と思ったのです。それに、元霊装者であっても決して非常識ではない、ちゃんと現代人としての常識を持っている、未来に対しても絶望や諦観を抱いている訳じょないキャラとする為にも、生まれ変わり、普通の少年として生きてきた設定にした訳です。……多分…。

…あ、いや、今の「多分」は冗談じゃないですよ?実を言うと…というか、もう何度も書いていますが、悠耶は顕人と対照的な主人公、というコンセプトで生み出しており、謂わば顕人(と、ストーリー)を前提としたキャラなので、全てが全てきっちり意味を持った設定、という訳じゃないんです。一人のキャラとして意味のある設定もあれば、対照的にする為の設定もあるので、そして設定を考えたのは何年も前なので、ちょっと不安になってしまった…そういう訳です。

 後、どうでもいい話ですが、悠耶は異世界転生ならぬ、同世界転生キャラですね。過去の偉人が現代に…に近い感じでしょうか。顕人は偉人じゃないですし、本人ではなく生まれ変わりですけども…。

 

 ダブル主人公の一人、悠耶に関してはこんな感じですね。語ろうと思えばもっと語れますが、そうするとキリがない…って、主人公以外の話をするとキリがない、主人公も片っ端から語るとキリがないって、どんだけキリがないのよ、って話ですよね。

 こほん。では話を戻して、もう一人の主人公である顕人の事を語るとしましょう。

 

 上でも書いた通り、顕人は悠耶と対照的な存在です。良く言えば優男、悪く言えば軟弱な性格で、至って常識的で、でも主人公らしい勇気や諦めない気持ち、思いの強さを持っている…そんな人物です。悠耶はボケも突っ込みもしますが、顕人は完全にに突っ込み型の人間ですね。それも全力で突っ込むタイプの、ある意味ノリが良い人物です。

…が、本作を最後まで読んで下さった方であれば分かる通り、ただそれだけのキャラではありません。非日常に対する憧れを、夢を強く持っており、時にそれが何よりの原動力となるのも顕人ですし…その思いの果てに、ヒロインを苦しめていた組織のトップと仲良くなり、(ストーリー的な意味での)ラスボスになっちゃってますからね。悠耶より…というか作中全体から見てもかなり良識的に見えた顕人が、その実とてもまともとは思えないような精神を併せ持っていたというのも、顕人の大きな要素だと思っています。普通の主人公っぽく始まったのに、最後は普通からかけ離れた顕人と、ちょっと主人公らしくない(昨今の主人公事情からすれば、悠耶も十分主人公らしいかもですが)始まり方から、最後は王道要素強めになった悠耶という点でも、やっぱり二人は対照的ですね。

 更に顕人は、とあるプロの作者さんの言葉を借りるなら、過去のない主人公です。普通の人間としての過去はあっても、物語の要素たり得る過去はないのが顕人です。対象…というか、主人公二人ならそういう過去がある主人公とない主人公の方が良いかな、と思った部分もあるのです。

 

 そんな顕人ですが、彼は一言で言うと、私の理想の主人公…です。私の主人公に対する、好きな要素だったり求めている設定だったりを惜しみなく突っ込んでキャラにしたのが顕人なんです。独善的で、一歩間違えば悪人も同然、思いの方向性が善に向かっているだけで、考え方は悪人と変わらない…みたいな主人公が好きなんですよね、私。まあ尤も、そんな主人公は大概いませんけども。

 ただ、別に作中終盤で見せた部分が、顕人の本性という訳ではありません。いえ、普段の優しさも場合によっては独善的な面に繋がってなくもないですが、基本は普通の優しい人間…の筈です。普通の精神を持ちつつも、異様な程非日常への憧れや、そこから来る独善性を同時に有している、というだけなんです。…だけ、で済ませられるのかどうかはまた別として。

 あ、因みにこの好きな要素っていうのは、バトルスタイルもです。圧倒的火力…それも一条の巨大なビームではなく、何門も備えての一斉射だったり、マイクロミサイルの掃射だったり(これは曲射ビームに置き換えましたが)、ほんと私の好きを目一杯詰め込んだキャラが顕人なんです。…まあ、変形とか巨大な艦船とかも好きなんですが、その辺りは流石に組み込めないですから、ね…。

 

 もう一人の主人公、顕人に関してもざっくり語るとこんな辺りです。…が、この際なのでもう少し語ります。顕人云々ではなく、私の理想とする主人公観を書いていっちゃいます。

 

 私はどんな主人公を理想としているか…だと顕人が出てくるだけなので、もう少しざっくりとした表現をすると……うーん、これが難しいんです。いや、何となくのイメージはあるんですけど、言語化しようとすると、この表現で良いのかなぁ…って感じになるというかなんというか…。

 と、そんな話をしていても仕方ないので挙げるとすれば、達観していないでほしい、少年(青年)主人公なら少年(青年)らしく、少女主人公なら少女らしくいてほしい…でしょうか。これだけじゃざっくりし過ぎですので、もっと具体的に書きますと…ぶっ飛んだボケや言動があった時には思わずテンション高めに突っ込んでしまったり、ドキドキするシーンがあったら表に出すか内に秘めるかはそのキャラ次第でも心自体は揺れたり、『現実』とか『大人』って言葉を体のいい言い訳にして逃げたりせず、夢や守りたいものを取り零さない為に手を伸ばし続ける…そんな、ある意味じゃ未熟で未完成な心を持ったキャラにこそ、主人公でいてほしい…って思うんです。……え?最後のはちょっと違う?現実や大人って言葉を投げる言い訳と捉えるのは、また別の話?ちっ、バレちまったら仕方ねぇなぁ…。…はい、さらっと違う話混ぜました。違う主張を混ぜようとしました。ごめんなさい。

 

 ごほん。これは私が、割とコメディ要素のある作品…シリアス一辺倒の作品より、シリアスがあっても同時にコメディや緩い場面があったりする作品の方が好きだから…っていうのもあるのかもですが、いつもクールで、何が起きても動じず、ボケやヒロインとのドキドキ場面も淡々と対処しちゃう主人公は、どうにも勿体無さ、物足りなさを感じるんですよね。やっぱ主人公にも愉快さ、賑やかさがあってほしいと思うんです。明るかったり社交的だったりするキャラは勿論、クールキャラもクールなりに突っ込んだり、表面的には冷静でも内心ではテンパってたり…みたいな感じで。主人公なんだし格好良く(女性主人公なら可愛く)いてほしいですけど、三枚目要素も少しは求めるのが私というか…。

 無論、だからといってそうじゃないキャラは悪い、駄目だと評するつもりはありませんよ?これはただの好き嫌いの話ですし、大人が主人公ならむしろ、達観してる面が魅力になったりもするでしょうしね。というか、三枚目云々を言い出すと、「そもそも主人公は一枚目で、三枚目は主人公以外のキャラを指すんじゃないの?」ってなっちゃいますけども。…と、とにかくこれは私の主人公観であって、主人公はこうであるべき論ではないのです。

 

 

 ふぃー、主人公関連だけで結構語りましたね。取り敢えず主人公の話は終わりにするつもりですが、あとがきはまだ終わりじゃありません。まだまだがっつり続きますよー!

 

 上で語った通り、主人公以外のキャラは語ると本当にキリがないので個々には語りませんが、全体としては語っていきます。

 ヒロインを始め、色々なキャラを出してきましたが…キャラ造形に関しては、三パターンに分けられますね。と、いう訳で分けていくと、

 

1.結構はっきりモチーフがいるキャラ

時宮妃乃、宮空綾袮、ラフィーネ・ロサイアーズ、フォリン・ロサイアーズ、ウェイン・アスラリウス、ゼリア・レイアード

2.はっきりとはしていないが、何となくのモチーフはあるor私の好きな要素を形にしていったキャラ

千嵜緋奈、篠夜依未、天凛慧瑠、中佐賀茅章、上嶋建、園咲晶仔

3.物語に必要、或いは欲しいと思い、そこから他のキャラとの兼ね合い等も考え構築したキャラ

時宮宗元、時宮由美乃、時宮恭士、宮空刀一郎、宮空深介、宮空紗希、杉野唯、赤松高次、顕人の両親、その他学校や協会関係の各キャラ達

 

 こんな感じになりますね。取り敢えず人間キャラ(と慧瑠)に限定して書きましたが、魔人や魔王は3です。じゃあ、次は各項目について軽めに触れるとしましょう。

 まず1ですが、これは本当に読んで字の如し、好きなキャラをモチーフにさせてもらったキャラクターです。勿論、名前を始めとするプロフィール系の設定以外は全てそのまま…なんて事はなく、好きなキャラをモチーフにしつつも、この作品に登場させる上でどうするかを考えたり、或いは「ここはこうだともっと好みだなぁ」なんて思いから変えてみたりした結果生まれたキャラですが…まあ、全員とは言わずとも、何人かは「これは○○ってキャラがモチーフなんだろうなぁ」と思われてるんじゃないかなと思います。

 続いて2ですが、これは更に二つのパターンに分かれています。モチーフはあまりなく、好きな要素を中心に組み上げていったキャラのパターンと、一応モチーフはあるものの、モチーフ以外の要素も多めに組み込んでいるキャラのパターンです。まあ要は、1と3の中間位かなぁ…って感じのキャラ達なので、同じ2の枠でも、1に近いキャラ造形をしているキャラもいれば、逆に3寄りのキャラもいたりするのです。

 最後となる3は…これも読んで字の如しですね。親の様にポジションとして必要だったり、展開の関係上誰かしらいてほしい…って理由で生まれたキャラ達なので、1や2程練られている訳ではありませんが、それでも名有りキャラや誰か一発で判別出来るようなキャラは、私の中でちゃんとイメージが出来ています。

 

 全体を通して言える事は、多かれ少なかれ私の中で「こういうキャラでいてほしい。こういう人物であると嬉しい」という、願いを込めて生み出し、書いていった…という事でしょうか。これはOriginsシリーズのあとがきでもよく書いているのですが、私はキャラ一人一人を大切に思っています。キャラにはそれぞれ、物語における役割というものがありますが、ただその為の道具ではなく、物語…もっと言えば私の中にある、双極の理創造という世界で本当に生きているキャラとして思いを込めています。だからこそ、出来る限りどのキャラの事も尊重してあげたいんですよね。所謂モブキャラ、と呼ばれるようなキャラ達に関しても、名有りキャラや固有の肩書きを持つキャラ達と同等に…というのは流石に出来ていないというか、そういうキャラ達の設定までは詰めていないのですが、それはそれで「誰かはっきりしないキャラだからこそ、そのキャラの個人としての株は落ちていない」…というか、モブキャラみたいなものだからどうだっていい、とは思っていないんです。名前の設定のないキャラだって、出来る限りは幸せになってほしいですしね。

 

 もう少しキャラについて語ると、主人公達含め作中では描写し切れなかった要素や設定(私の頭の中にはあるもの)があるキャラも多いですし、後述しますが、用意した(考えていた)設定を活かせないまま終わってしまった部分もあります。やっはり、創作って難しいですよね。頭の中にあるものを形にする、ってだけでも難しいですし、私含め多くの方は執筆だけをしている訳にはいかないですし。でも同時に、凄く楽しくて続けたくなるものでもあると、私は思います。

 

 

 キャラの次は、世界観や設定…でしょうか。でもここはキャラ程長くならないかな、と思います。

 世界観は、言うまでもなく現代…ですね。勿論、霊装者の存在によって少しだけ違ったりもしますが、現代をモチーフにしている事は事実です。そして、舞台となっている…つまり悠耶や顕人が住んでるのは、まあ日本の真ん中辺り、その周辺のつもりです。この辺りは私自身、はっきりとは決めていないので、ご想像にお任せしますね。

…あ、因みに何度かパロディネタやメタネタを入れたりもしましたが、それはあくまでネタであり、深い意味があったりする訳じゃないです。まあ、コラボだったりクロスオーバーだったりをしたら、少なくともその作品(の世界)についてはちゃんと知ってる、って事になりますけどね。

 設定の方は…身も蓋もない表現をすると、一人一人が固有の能力を持っている訳じゃない異能バトル物、というそこまで珍しくないものですね。きっちり設定を決めてる部分も多いのですが、中には頭の中にはあっても語れていなかったり、逆にざっくりとしか決めていないせいであやふやになっていたりするところもあります。…割と困るのが、名称関連なんですよね。仕組みとか歴史とかは何となくのイメージでも大丈夫(=文章化出来る)なんですが、名前はきっちり決めるか完全にぼかした表現をするかのどちらかになってしまいますし、名前を雑に決めると後で後悔しますし、でも名前はその性質上ほいほいと変える訳にもいかないから、取り敢えず仮の名称を付けておく、という事も出来ないという…。まあ、予め考えておけば苦労しなくて済む事、と言われたら返す言葉もないんですけどね!

 

 と、いう感じで世界観や設定の話は終わりです。キャラクターの話とは、打って変わって短く終わりましたね。…キャラの話と比較したら、ですけども。

 

 

 ここまで明るく話してきましたが、次は暗い…訳ではないでしょうが、この作品に関する反省です。えぇ、あるんです反省。そりゃありますよね、反省。

 

 双極の理創造に関する反省は…OEの反省でも触れた事ですが、全体としての流れをしっかりと決めていなかった、という事です。そのせいでやたら話数が増えてしまったり、その割に終盤が駆け足(色々といきなり)だったり、挙句終わり方が強引…全ての謎が明かされ、全ての事がちゃんと片付き、すっきりと完結を迎えた…みたいな形にならなかった(取り敢えず締めの形を整えただけ)訳ですからね。大反省、猛省です。

 まあ、なんというか…自分でもほんと、惜しい事をしたなと思っています。上でも触れたのですが、本当は他にもやりたい展開があったりしたのに、全体の流れを考えていなかったが為に、入れられる場面を見つけられず諦める事になったり、或いはそもそも完結を優先してカットせざるを得なくなったりと、完結させられた事に対する安堵感がある反面、こういう形で完結になってしまったか…という思いもあるのです。特に、やりたい展開の為に用意しておいた設定が、その展開がお流れになってしまった結果、「あぁ、これはこういう事だったのか!」…と、読者の方に思ってもらえないのは、本当に残念です。

 元々は最終決戦を書きたいが為の作品なので、その決戦はしっかりと書けた…という意味では、最低限やりたかった事は出来たとも言えますが、やっぱり物語として始めた以上は、満足のいく終わりにまで辿り着きたいものですよね。

 

 ただでも、後悔ばかりという訳ではありません。後悔する部分は多いですが、それでも私なりに頑張って、ちゃんと終わらせようとして、結果投げ出す事なく終わらせる事が出来たんですから。雑な点はあっても、最初から最後まで、熱と思いを込めて書いてきたんですから。それは自信を持って言えますし…あんまりにも後悔だの何だのと評すると、この『双極の理創造』という世界で生きる、全てのキャラが可哀想ですからね。ミスや反省点は多いですが、もっと上手くやりたかったですが…それでも失敗なんかじゃないと、私にとってはかけがえのない作品の一つなんだと、そう言いたいです。

 

 

 反省点としてやりたいと思っていた事、予定とした事を入れられなかった…という話をしたので、これに纏わる事を、もう一つ話しましょう。

 実を言いますと…この作品には、続編の構想があるんです。続編というか、エピローグの段階で完結なのは間違いないんですが、その更に先の物語も考えてはいたんです。現段階だと、「え、これで終わり?あれはまだ続きがあるって事なんじゃ…?」って思う部分があった筈ですが、それも関わってくる物語が本当はあるんです。

 ただ…それは物語というより、単にイベントやシーンを幾つか考えてあるという程度であって、ちゃんと筋道の立ったストーリーにはなっていないんです。加えて私は、活動報告にも書いた通り、執筆活動をセーブすると決めたので……現段階では、その先の物語を書く予定はありません。ごめんなさい、そういう物語があるんだという事を公開しておきながら、書くつもりはない…なんて事になってしまって。……いつかは書きたいとは思うんですけど、ね。

 

 

 ふー…結局やっぱりちょっと後ろ向きの話になってしまったので、明るい話をしましょう。えー…この作品のキャラは、コラボ可能です!キャラはというか、作品自体がそうです!ふっふっふ、世界観の部分で語ったコラボだったりクロスオーバーだったりというのは、ここへの伏線だったのだ…!……という冗談はさておき、コラボは出来ますよ〜、という話でした。コラボしたいなら、待ってないで自分から動いた方が大概は良いですし、実際私もこれまではそうしてきたのですが…いかんせん、執筆活動をセーブするつもりですからね。とにかく、コラボに関してはそういう心境ですよ、ってだけの話でした。

 

 

 さてさて、実はもう一万文字を超えています。この作品の平均文字数を大きく超えて、五桁に突入してしまっているんです。語る事はまだ出来る、もっともっと出来るという感じですが、この作品最後の印象を「無駄に長いだけのあとがきがあった」…にはしたくないので、そろそろ締めに向かいましょう。…既に無駄に長いよ、とは言わないで下さい。ぐうの音も出ないですから。

 

…………。

 

 ごめんなさい、実はこれちょっと違和感あるんです。Originsシリーズのあとがきだと、毎回新作(続編)の紹介もしてるので、それがないと変な感じなんです。そう思うなら頑張って双極の続き書きなさいよって話ですけども。というか、ちょこちょこOriginsシリーズの話を出してしまって申し訳ないです…もう出てこないか、出ても一回位だと思います……多分。

 

 ごほん。それでは、気を取り直して……双極の理創造は、一つの展開だけの為に始めた作品でした。しかし考えていく内に、書き進める内に、どんどん私の中で思い入れが強くなり、今では…いえ、ずっと前から大切な作品の一つとなっています。だからこそ終わらせてしまう事が凄く凄く寂しくて、辛い部分もありますが…ちゃんと終わらせると決めましたから。私の生み出したキャラ達への、世界への敬意として、しっかり締める事にします。私の理想や思いを詰め込んだ、私の作品。オリジナルである、私だけの作品。それが、双極の理創造です。私の誇りの一つです。

 上に書いた通り、一先ず物語としては終わらせますが…いつか、その続きを書いたり、その他にも書きたかった展開を形にしたりと、そういう事をしたいものです。かなり先になったとしても、そういう時を作れるよう、頑張りたいものです。もしもそんな時を迎えられたら、是非また読んで下さいませ。

 それと、随分前に止まってしまっている人物紹介…あれは少しずつでも追記していく予定です。これもすぐやるかは分かりませんが、最終的にはちゃんとした紹介になるようにします。

 

 それでは、最後に感謝をお伝えして、あとがきも締めるとしましょう。

 この作品、双極の理創造は、多くの方によって成り立ったものです。まずはハーメルンを運営して下さっている方々。この方々がいなければ、ここで書く事も投稿も出来なかったのですから、運営している方々は、私に機会を下さったも同然です。次に誤字報告で私のミスを指摘して下さった方々…この方々も、私の間違いを私に伝え、作品をより良くしてくれた、ありがたい方々です。更に感想であったりお気に入りであったり評価であったり、その他色々な形で私の作品に反応をしてくれた方々も、私にやる気を与えてくれたと言っても過言ではありません。そして最後に、こうして読んで下さっている全ての方。ただの、私の想像が形になっただけでなく、そこへ読者という存在が…私の作ったもので楽しんでいる人という存在が生まれた事で、双極の理創造には新たな意味が、価値が与えられたと思っています。皆さんに、本当に本当に感謝です。

 

 創作活動というのは、素敵ですね。自分も楽しめますし、誰かとの繋がりも生まれますし、時にその誰かを喜ばせる事も出来るんですから。ほんの少しでも、私の作品を読み楽しんでくれたのなら、心に残るものがあったのなら…私は、幸せです。

 

 では……最後の最後までお付き合い下さり、本当にありがとうございました。また何かしらの形で縁があれば、その時は宜しくお願いします!

 

 

──どうか、双極の理創造に関わった全ての方の今に、未来に、ほんの少しでも楽しい事が…幸せな事が、ありますように。



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