夕暮れに燃える赤い色 (風神莉亜)
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プロローグ

 夕暮れ時の空を窓から眺め、一人の青年はお湯の入ったケトルを手に取った。もうそろそろ、この家には客人が訪れるだろうと、紅茶を入れる為のカップを横目で確認し、たまにはオシャレにカップ&ソーサーでも出してみようか、と穏やかに微笑む。

 既に茶葉の入ったポットに、お湯を勢いよく注ぐ。いつからか愛用していた砂時計をひっくり返し、二人分のティータイムの準備を整えていく。

 来客を告げるチャイムが鳴ったのは、彼が抽出用のポットから、直接カップへと紅茶を注ぐサーブ用のポットへと中身を移し終えた時だった。

 

「お疲れさん」

「あぁ、お邪魔させてもらうよ」

 

 凛とした声で、けれど嬉しさを滲ませながら微笑んだ彼女は、その赤い長髪を耳にかけながら履き物を脱ぐと、迎えられるままに奥へと進んでいく。

 とすん、とソファに座り込んだ彼女は、制服のネクタイを緩めると、ひとつふたつとワイシャツのボタンを外す。必然的にその胸元が開かれていく訳だが、別段気にすることもなく、バサバサと胸元をはためかせていた。

 

「はしたないぞ」

「別にいいだろ? 他所ではしないさ」

「よくないから言ってんだがな」

 

 視線のやり場に困るのか、皿に盛ったクッキーを机に置いた彼は、リモコンを手に取ってエアコンの温度を下げた。少し肌寒いが、まぁ結構うまい。

 そんな彼を見てケラケラと笑う彼女は、ボタンをひとつ止め直し、代わりにブレザーを脱ぐ。立ち上がり、台所に立っていた彼の隣に立つと、袖をまくって手を洗い始めた。

 

「バンドはどんな調子」

「ん? そりゃあ、楽しいさ」

「そりゃそうだろうけども」

「そういえば、皆がアキラのこと気にしてたな」

「んん? 俺をか」

 

 アキラと呼ばれた彼は、怪訝そうに隣に立つ彼女の顔を覗きこむ。そんなアキラに、手元の泡で、少し遊びながらも、顔は彼に向けて、おかしそうに笑って。

 

「ひまりがさ。ちょうどここから出るアタシを見掛けたらしいんだ。で、『誰の家なの』って聞かれたから」

「正直に答えた、と。まぁいいけど」

「アキラの出す紅茶は美味しいんだって教えたら、皆興味津々って感じだったよ。ひまりなんか、『(ともえ)ばっかりズルい! 私も行ってみたいーっ!』って」

「それ俺じゃなくて紅茶目当てだろ……」

 

 溜め息をつきながら巴に手拭いを渡し、さっさとソファに座り込んでテレビのチャンネルを回し始める。そんなアキラの背中に小さく笑いながら、自分の手を確認してから、ぐしゃぐしゃとアキラの頭を撫で回した後に、その隣に座った。

 

「いきなりなんだよ……。にしても、ひまりはともかく、他のメンバーはあんまり面識ねぇな」

 

 来るのはいいけど、大したことできんぞ。

 そんなアキラの言葉に、巴は注がれた紅茶を一口飲むと、多分大丈夫だろ、と気楽に溢す。また無責任な、と言いたげなアキラの視線もどこ吹く風。先程までバサバサ胸元を扇いでいた彼女はどこかへ消え、背筋を伸ばして紅茶を楽しむその姿に、アキラはまたしても溜め息をついた。

 しっかりしてんだから、からかい混じりにだらしなくするのは勘弁してくれ――そう言ったところで帰ってくるのは素敵な笑顔のみ。諦めて、自分も紅茶を手に取った。

 

「で、本当に来るのか?」

「んー……。来ると思うけど」

「曖昧だな。なんだその変な間は」

「いや、その……」

 

 何かをごまかすようにクッキーを手に取り、口に放り込む巴に、しかしわざわざ問い詰める必要もないな、とテレビへと視線を向ける。嫉妬をした女が男に詰め寄るシーンが流れていて、最近のドラマはどろどろしてるなぁ、なんて考えながら、紅茶を一口。

 

「えっと……。モカとつぐみはわかるよな?」

「あぁ。ギターとキーボードの子だろ」

「その二人と、ひまりは結構乗り気だったな。つぐみは紅茶に興味あるみたいだったし、モカはパンとの相性をリサーチするだとかなんとか」

「いや普通に相性いいけど」

 

 軽く突っ込みを入れながらも、巴から出た名前と記憶にある姿を組み合わせてみる。

 モカというのはあの半分眠たそうにしてるダウナー系の子だろう。白に近い灰色の髪が印象的だ。つぐみという子は、一所懸命にやっているのが見てわかる、真面目そうな女の子だ。

 となると、あのボーカルは、とアキラが口を開こうとして、巴が、それに被せるように。

 

「蘭も来るよ。なんだかんだ言って」

「ふーん……」

「なんだよその反応」

 

 先程までの反応とは明らかに違うアキラの反応に、こちらもまたあからさまに不機嫌そうにする巴。それにたじろぐわけでもなく、いいや、とアキラは紅茶を口に含んだ。

 別段その蘭という人間が気に入らない訳ではない。そもそも付き合いがないのだから、嫌いになどなりようもない。しかし、アキラは半ば本能的に、ひとつの予想がついていた。

 

「俺とその蘭ってやつ。多分相性悪いぜ」

「……そ、そんなこと、ないんじゃないか?」

「お前も大概誤魔化すの下手くそだよなぁ」

 

 思い当たる節があるのだろう。アキラの、確信しているかのような言い方に、巴の頭の中で、目の前にいる男と大事な親友が鉢合わせる空間が創造される。

 結果は、思わしくなかった。

 

「類は友を呼ぶと言うか、或いは巴がそんな人間に好かれやすいだけなのか。苦労するな」

「お前がそれを言うのか……。それに、蘭はお前とはちょっと違うよ。あいつは、少し不器用なだけなんだ」

「はいはい。そんな話をするつもりはねぇよ。辛気くさい面も見たくないしな」

 

 何やら沈みがちな巴の表情に、少し話題を間違えたか、と頬を掻く。良くも悪くも直情的な彼女の頭に手を乗せて、先程やられたように、けれどそれよりは優しく巴の頭を撫で回した。

 

「わっ、な、何をするんだ」

「仕返しと気晴らしだよ。俺はやり返せる、お前は気晴らしになる。一石二鳥だな」

「……別に、落ち込んでる訳じゃあないんだけどな」

「そうだな。お前がそう言うなら、些細なことなんだろ」

 

 片目をつぶり、されるがままの巴を見ながら、力を弱めて乱れた髪を手櫛で整えていくアキラ。立ち上がり、最後にひとつ、ぽんと巴の頭に手を乗せた彼は、

 

「言わなくても構わん。ただ、ここに来て何か楽になるなら、いつでも来いよ。バンド仲間にも、そう言っとけ」

 

 今日はもう帰りな。クッキーは包んでやるから、妹と飯の後にでも食え。そんなことを言いながら、彼は台所に消えていく。

 その後ろ姿を眺めながら、巴はクスリと口元を綻ばせた。口調は乱暴なのに、やっていることはまるで親戚のお婆ちゃんだ。

 そう考えると、少しは余裕も出てくる。仕返しと言って人の頭を掻き乱してくれた礼は、軽口で返してやろう。

 

「二個上の先輩は頼もしいな」

「当たり前だ。年上なめんな」

「アタシより小さいのにな」

「お前やっぱりしばらく来なくていいよ」




今回は短めですが、次回から5000字目安で書いていこうと考えています。
巴ファンを増やすために私は戦う。


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一話:ダージリンはストレート

 授業が終わり、放課後の時間。授業道具を部活で使っていたエナメルバッグに入れていたアキラは、ポケットにあるスマートフォンの振動に気付いた。

 自分に電話などしてくる人間など限られている。果たして、とカバーを開き画面を見ると、そこには予想していた名前が表示されていた。

 昨日の今日での電話だ。大体要件は知れているけど、とスワイプして耳に当てる。

 

「よう。学校終わりか」

『あぁ。今大丈夫か』

「大丈夫じゃなかったら出ねぇよ。何かあったか」

 

 巴の声が聞こえてきて、片手間に帰る準備を終えたアキラは机に肘を立てた。帰っていくクラスメイトに手を振りながら、会話を続ける。

 

『いや、今皆で集まって話してたんだけどさ』

「早速家に来てみたいってか? ひまり辺りが話出したんだろ」

『話が早いな』

「流れ的にな。別にいいけど、少し用事があるから遅くなるぞ。先に入ってるか? 合鍵無くしてないだろ?」

『いいのか?』

「構わねぇよ。ティーセット周りは触るなよ」

『わかってるって。じゃあ、後でな』

 

 通話を切り、壁の時計に目を向ける。あまり遅くなるのも悪い、ましてや初めて家に招く人間もいるのだ。早めに切り上げてさっさと帰ることにしよう。

 そう決めたアキラは、それを実行するべく席を立った。どうせならば、しっかり準備した上で出迎えたい所だったが仕方ない。そう考えながら、早足で教室を後にする彼だった。

 

 

 

 

「お邪魔してるよ」

「明さん、お久しぶりー!」

「あぁ。悪いな、遅くなって」

「押し掛けたのはこっちさ。いきなりで悪かった」

「今更の事だろ。着替えたら淹れてやるから、ちょっと待ってろ」

 

 予定よりかは早く帰宅したアキラだったが、やはり巴達は彼よりは早かったようだ。既に、テーブルを囲むように配置されているソファに座ってくつろいでいた。

 いいや、くつろいでいたのは慣れている巴と、彼と面識のある一人のみ。他の三人は、どことなく緊張して……いいや。

 

「まだパンの準備は早いんじゃないか。てか随分持ってきたな」

「えぇー。これくらいないと物足りないですよー」

「も、モカちゃん。まず挨拶しないと……」

「あ、そっかー。どーも青葉(あおば)モカでーす」

羽沢(はざわ)つぐみです。あの、すいません、いきなり押し掛けちゃって……」

 

 早くも机の上に多種多様なパンを並べ始めた彼女に、というよりはそのパンの量に軽く突っ込みを入れるアキラ。それに答えるモカは、どこからどう見てもリラックスしているように見える。

 緊張しているのは、その隣にいるつぐみと、巴ともう一人、ピンク色の髪が巴と同じように目立つ上原(うえはら)ひまりに挟まれた、黒髪に赤いメッシュが一筋走った、何やら難しい顔付きをした少女ぐらいだ。

 

「ほら、蘭も」

「わかってる……美竹(みたけ)(らん)。よろしく……お願いします」

「よろしくされるようなこともないけどな。まぁ、ゆっくりしてけ」

 

 挨拶もそこそこに、アキラはリビングの奥にある私室にて制服から私服へと着替える。既に待たせているのだ。少しは急がないと申し訳無い。

 そうしてリビングへと戻ると、何やら巴がニヤニヤと視線を向けてくる。意味が分からず眉を潜めつつ、しかし紅茶の準備をしようとダイニングキッチンへと向かうが。

 

「自己紹介はないのかな。先輩」

「うざい」

「おいおい」

 

 反射的に出た返事に、気を悪くする訳でもなくクスクスと笑う巴。それに、何故かモカがおー、と反応する。

 

「今の、蘭にそっくり」

「……どこが」

「そーいうとこだよー」

「全然わかんない」

 

 モカの弄りだと思われる発言に、にべもなく返す蘭。それを耳だけで聴きながら、これは思ってるよりも自分と同じようなタイプの人間だと蘭を評価するアキラ。多分だが、一緒にするなと言いたいところだろう。

 今よりも子供だった頃を見ているかのようで、微笑ましいような、むず痒いような、そんなえもいわれぬ感覚を覚える。

 考えていても手は動く。茶葉を何にしようか横目で見つつ、ケトルに水道から水を入れる。全開でぶちこんでいるために、結構派手な音が響いているが、気にしない。

 が、すぐ横から聞こえてきた声には、さすがに驚いた。

 

「これは、何を?」

「……水に酸素を含ませるためにやってるんだ」

「水道水で淹れるんですね」

「紅茶にはミネラルウォーターみたいな硬水は合わないからな。安全面や味辺り、その辺ひっくるめて考えると、水道水が結局割りがいいのさ」

 

 へぇ、とアキラの横で感嘆しているのは、先程までモカの隣に座っていたつぐみだった。

 聞けば、実家は珈琲店を経営しているらしく。そういえば羽沢珈琲店の姿は確かに記憶にあったな、と顎に手を当てる。

 

「それじゃあ、適当なものは飲ませられないな」

「そんな……私だって、まだまだですし」

「まぁ、俺は好きで色々やってるだけだしな。気に入ったのがあれば飲みにくればいい」

 

 棚からダージリンとウバの茶葉を取り出し、二つのポットに入れていく。ダージリンはストレートで、ウバはミルクティーにでもしよう。パンがどっちに合うかは……まぁ、パンの種類によるか、と深く考えずに。

 

「まーだでーすかー」

 

 モカの気の抜けた声が聞こえてくる。黙って待ってろ、と言いたいところだが、待たせたのは自分だ。そう言い聞かせて、黙々と準備を進めていく。隣で苦笑しているつぐみだが、その目はアキラの手元に釘付けだ。正直やりづらかった。

 火にかけた二つのケトルをただ眺めていてもつまらない。そう感じて、ふと顔を上げたアキラと、じっと彼を見ていたのか、ちょうど巴の視線がかち合った。

 先程のようないたずらっぽい笑みではなく、柔らかい慈愛すら感じる微笑みだ。隣にいる蘭が妙に驚いていたが、気恥ずかしさを感じていたアキラは気付かない。すぐに視線をケトルに落とし、照れ隠しそのままに口を開く。

 

「そういえば、今日は練習なしか」

「スタジオの予約は明後日だからな。それまでは自主練さ」

「明さんもたまには見にくればいいのに。ねぇ巴」

「冷たい男だからな。アタシ達の練習なんて興味ないのかもな」

「言ってろ。俺は俺で忙しいんだよ」

 

 ケトルのお湯が沸騰しはじめる。つぐみがアキラへとチラチラ視線を向けているが、まだ早いとだけ彼は返した。

 

「大会あるんだろ? 調子はどうなんだ?」

「小さなイベントだよ。勝ち負けより、盛り上げる為に出るようなもんさ」

「なになに~? アキラ、さんは何かやってる人なの?」

「呼びにくいなら好きに呼んで構わんぞ。軽くダンスをかじってるだけさ」

 

 温めておいたポットに茶葉を入れ、つぐみを下がらせて煮立った熱湯を高い位置から注ぐ。余談だが、アキラはこの作業にて火傷の常習犯であった。今でこそ慣れたものだが。

 そうして、二個の砂時計をぽいぽいひっくり返し、ここでようやく一息つく。そういえば、ミルクティー用の牛乳はあっただろうか。低温殺菌の牛乳は長持ちしないので買い置きはしないが、先日何の気なしに買っておいたような。

 

「へー。じゃあ、リサさんとおんなじだ」

「今井リサか。最近見ないな」

「あれ、知らない? リサさんもバンド始めたからねー。あんまりダンス部に顔出せてないらしいよー」

「そういや、なんかそんなこと言ってたような……」

 

 つらつらと会話をしているうちに、茶葉の抽出も終わる。どうせだから、と出してきた新品のティーセットをテーブルの上に乗せ、

 

「いや、パン邪魔くせぇ」

「ひどーい」

 

 ちょくちょく妨害に遭いながらも、無事にお茶会の準備は整った。紅茶のお供はパンで充分だろう。後は自分達で楽しんでくれればいいか、とアキラは私室に向かおうとして、

 

「明さーん。ほれほれ」

「……なんだよ」

 

 四人掛けのソファだから、一人分空くのはわかる。が、アキラは隣の空いた部分をぼふぼふ叩くひまりの意図がわからない。

 いや、座れと言うのはわかる。わかるが、何故自分をこの仲良しメンバーの中に加えようとしているのかがアキラにはわからなかった。

 その疑問に答えるように、ひまりはニコニコしながら、

 

「だってぇ、久しぶりなんだもん! 楽しく話しましょうよ~」

「いや、お前らで楽しめばいいじゃん」

「往生際が悪いぞ、アキラ先輩っ、と」

「わお。トモちんだいたーん」

 

 大して渋っていた訳でもないのに、いつの間にか立ち上がっていた巴に、半ば押し倒されるように座らされる。手で押すだけならまだしも、肩で押し込まれ、全体重をかけて座らされたものだから避けようがない。

 ちゃっかりひまりからアキラの隣を強奪する形になっているのは、果たして計算付くか成り行きか。

 

「アキラの家なんだから、堂々としてればいいのさ」

「……全く」

 

 観念したかのように頬を掻いたアキラを見て、満足したように笑う巴。彼女は気付いていない。他のメンバーが、そんな巴の行動に少なからず驚き、視線を向けていることに。ひまりだけは、ちょっぴりむくれていたりもするのだが。

 

 

「まぁ、気になることは後で聞くとしてー。まずは」

 

 

 ――いただきまーす。

 一人切り替えの早かったモカが、パンを頬張りながら言って。

 

「もう食ってんじゃねぇか」

 

 アキラが、いつもより疲れた声で突っ込んだ。



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二話:笑い声に波打つ紅茶

「へぇー。紅茶もいけるもんだねー」

「飲みにくかったら砂糖でも入れればいい。まぁ、甘いパンと合わせるんだったら、ストレートの方が良いとは思うが」

「ミルクティーも美味しいよ! はぁ~、巴は毎日これを味わってたなんて……やっぱりズルい!」

「毎日でもないし、巴はあんまりミルクティーは飲まないな。好きなのはディンブラだったか?」

「あぁ。スッキリしててアタシはあれが気に入ってる。今時期は採れないんだったか?」

「採れるのは一年中採れるらしいがな。年明けから三月辺りまでが特に物が良いみたいだ」

「この紅茶って、名前はなんて言うんですか?」

「別に珍しいもんじゃないぞ。ストレートがダージリン。ミルクティーがウバって名前。ついでに言うと、よく聞くアールグレイって言うのは、茶葉にベルガモットってやつで香りが付いたやつだな。次の機会があれば飲ませてやるよ」

「ベルガモット……?」

「ミカンみたいな柑橘系の果物。因みに、アールグレイはベルガモットだけど、レディグレイなんてものもある。こっちはレモンピールやらオレンジピールやら、何種類か入ってるな」

 

 結局そのままお茶会に参加することになったアキラは、五人から次々飛ぶ紅茶の質問に淀みなく答えていく。ダージリンもウバのミルクティーも一杯ずつ口にしており、その際にガッカリされない程度には美味しく入れられているのを確認済みである。

 顔には出していないつもりの彼であったが、内心皆の反応に胸を撫で下ろしていたのを見抜かれたか、巴にニヤニヤされたのは意図的に無視してある。

 

「それにしても、トモちんとアッキーはどんな関係なの?」

「うん? アタシとアキラは親同士仲が良くてさ。小さな頃から割りとよく遊んだりしてたんだ。学校は今まで全部違ったけど、不思議と顔を合わせなくなることはなかったな」

「不思議でもないだろ。あれだけ互いの家に行き来してりゃあ、嫌でも顔合わすわ」

 

 アキラの言葉通り、一月と空けずに交互にお互いの家を訪れては夜中まで酒を飲みながら語り合う親に付き合っていれば、学校が違おうがそんなことは関係なかった。勿論、アキラ、巴共にそれに付いていかずに家に残ることもありはしたが、翌月には向こうが自分の家にやってくるのでそこで顔を合わせることになる。

 更に言えば、互いのどちらかが欠けた状態で集まりに参加すると、親同士で盛り上がってしまって子供の自分が暇をすることになる。それがわかっていたので二人ともなるべくそれには参加することにしていたのだ。巴には妹がいたので然程困りはしなかったが、アキラが一人になった時が大変だった。主に、酔っぱらいの絡み的な意味で。

 余談だが、モカのアッキー呼ばわりは特に突っ込まずにスルーである。元より好きに呼べと言ったのはアキラの方であるし、文句を付ける程のものでもない。

 

「まぁ、それも俺が高校に入るまでのことだったけども」

「んー? どういうこと?」

「あぁ、別に会わなくなったわけじゃなくてな。……んー。青葉は不思議に思わないか? 割にデカイ家ではあるけど、親の姿がまるっきり見えないだろ」

「あー、お仕事かと思ってたし。でも、そう言うってことは」

「そ。見えないんじゃなくて、実際にこの家にはいないわけだ。何を隠そう両親は海外勤務でな。一軒家を放置すんのもどうかってことで、俺が管理ついでに一人で暮らしてるわけ」

 

 じゃなきゃ、こんな気軽にお前らを招けねぇよ。アキラはそう言って、モカから手渡されたパンを一口かじる。

 実のところ、アキラの両親は自分達の一人息子を一緒に連れていくつもりだった。が、本人から日本に残りたいと言われてしまい、当時は少し揉めていた時期だった。

 いくらかしっかりしていたとはいえ、まだ高校にも入っていない子供だ。手放しで、しかも何かあってもどうにも出来ない程に離れた場所に置いていくのは、親として不安以外の何物でもない。

 しかし息子の意志も尊重してやりたい気持ちもあり、アキラの言葉通り自分達の暮らしてきたマイホームを手放すのも惜しい。そこで、断腸の思いで、ひとつ条件を出して決断した。

 その条件に深く関わる巴は、紅茶をすする彼をにこやかに見つめながら口を開く。

 

「アタシも驚いたよ。てっきりお前はついていくもんだとばかり思ってた」

「……まぁ、俺の我が儘でお前には面倒な思いはさせちまってたな」

「そんなことないさ。お陰で、アタシは好きな時に紅茶が飲めたし。……あぁ、アタシを紅茶好きにさせた責任ぐらいはあるかもな」

 

 言いながら、カップを持ち上げてクスリと巴は笑う。何がそんなに楽しいのか、と苦笑したのはアキラの方だ。

 隣合って互いにしかわからない話をされ、唇を尖らせたのはひまりだ。軽く巴の肩を揺さぶりながら、

 

「もう! 二人だけで楽しんじゃダメ! 何かあったなら聞かせてよぉ」

「何をお前はふくれてんだ……別に大した話じゃない。単に、両親から日本に残る為の条件を出されて、それに巴が協力してくれたってだけだ」

「正確には、宇田川家が、だけどな。こいつがちゃんとやってるかどうか、毎日アタシが確認しに行って、それをアタシの親がアキラの親に伝えてたんだ」

「やってることは、夜にふらっときて紅茶飲んで帰ってくだけだったが……。まぁ、そんな訳で、互いの家を行き来するのはそこで終わったわけさ」

 

 手元のパンを完食し、ダージリンへと手を伸ばす。何故かその射線上にパンをねじ込んでくるモカを、というよりはパンを追い払いながら、無事にカップに手を付ける。

 そのモカの横では、何か感心したかのようにつぐみが息を吐いていた。

 

「じゃあ、私達とおんなじ幼なじみなんですね。今まで知り合わなかったのが不思議だなぁ……」

「まぁ、そこはそれ、友達関係にも色々あるだろうし。巴の幼なじみ同士が絶対に仲良くなくちゃいけないわけでもなし。巴が言わなかったのは、単に必要性を感じなかったからだろうし」

「そんなわけじゃ……いや、そうなのかもな。アタシには、どっちと過ごす時間もおんなじくらい大切だったから」

 

 手元の紅茶に視線を落とし、静かに呟く巴。

 何かとその性格から頼られることの多い彼女だが、こうして気心の知れた人間の前では、相応に年頃の女の子だ。

 そして、その姿を長年見てきたアキラには、彼女の内心が何となくだが見てとれる。この場でやるのは少し躊躇いがあったが、彼の手はその躊躇いとは裏腹に動き出した。動いてしまえば、止められない。

 結局、その手のひらは、その目立つ赤い頭の上へと着地していた。

 

「んなっ!?」

 

 反応は、劇的だった。

 まさか、こうして皆のいる前で頭を撫でられるとは思っていなかったのだろう。瞬く間に顔を赤く染めた彼女は、目に見えて動揺――つまり、あたふたしはじめる。

 カップを持っているのではねのけることも出来ず、視線で訴えようにも手の持ち主は肘をついたまま、顔がこちらに向いてすらいない。唇は震えるばかりで満足に動いてくれず、巴に出来ることと言えば、恥ずかしさで潤みそうになる瞳で周りの反応を伺うだけだ。

 

「トモちん顔真っ赤~」

「ほ、ほんとだ。こんな巴ちゃん初めて見たかも……」

「巴~? 口元がにやついてるよ~?」

「こ、ここ、これはひきつってるって言うんだ!」

 

 やっとの思いで口が動き、紅茶が零れそうになりながらカップを置いて、尚もそこにとどまっているアキラの手を勢いそのままはねのける。

 居場所を無くしたその手が、迷った挙げ句に持ち主の膝に落ち着く前に、勢いよく巴はアキラに噛み付いた。

 

「馬鹿! 馬鹿じゃないのか!? こんな、皆の見てる前でなんてこと……!!」

「んだよ……随分な言い種だな。そんな大袈裟なことしてねぇだろ」

「恥ずかしいだろうが! そういうのはアタシ達しかいないときに……大体お前は」

「ほぉ~。聞いたかね、ひまりさんや」

 

 顔を真っ赤にしたままに詰め寄る巴だったが、不意に聞こえてきた声に一瞬動きを止める。止まってしまえば、否応にも自分の失言に気付かされてしまう。

 アキラの肩を揺さぶっていた両手。その体勢のまま、首だけがゆっくりと横へと向いた。それを横目で眺めながら、油の切れた人形みてぇだな、と他人事のような感想を持つアキラ。

 巴の視線の先には、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているモカと、自分を見て何やら頬を染ながら口元に手を当てているつぐみ。

 つぐみの反応はまだいい。問題なのはモカの方だ。あの笑みは、間違いなく新しいオモチャを見つけたと喜んでいる顔だ。

 

 ――なんとか、なんとか誤魔化せないか。

 

 オーバーヒートしそうな頭を必死に回転させる。が、それも、隣にいるひまりの言葉で即座に無駄な努力に落とされることになる。

 アキラに身体を向けている為に、背を向ける格好になっていたそこを、ひまりは両手でしっかりと肩を掴んでいた。

 振り向くよりも先に、どこかネットりとした口調で、声が聞こえてくる。

 

「『そういうのはアタシ達しかいない時に』……って、どういうことかなー?」

「ひ、ひまり?」

「『アタシ達』って、あたし達のことじゃあないよねー」

「とーもーえー。その後に、なんて続くのかなー?」

 

 ――これはひどい。

 

 事の発端は自分だと自覚しながらも、突如始まった悪乗りに、弾かれた手をさすりながらそう思うアキラ。

 モカのニヤニヤとした笑みに、巴からは見えていないが明らかに楽しんでいる顔のひまり。声色こそ不穏なので、顔が見えない巴からはさぞかし恐ろしく思えるだろう。

 そして、そんな巴の姿がひどく珍しいのだろう。口元を抑えていたつぐみも、だんだんとその口元が緩んできて、

 

「フフ……アハハッ」

「ら、蘭?」

 

 部屋に響いたのは、つぐみの声ではなく、蘭の笑い声だった。

 すっかり情けない声でその名前を呼んだ巴は、そこでようやく体勢を変えて、ひまり達の方へと身体を向ける。

 

「そんな巴、ふふ……初めて見るかも、ふふふ、アハハハっ」

「そ、そんなに笑わなくてもいいだろっ」

「無理、我慢出来ない、あは、アハハハっ」

 

 蘭の笑い声が伝染したように、一人、また一人と笑い始める。最後には巴まで笑い出して、部屋には五人の笑い声が響く。

 そんな光景を眺めながら、アキラは少し温くなった紅茶に口をつけた。

 

 

 

 

「お前のせいだ」

 

 時は過ぎ。

 ソファの背もたれに顔を乗せた巴は、膨れっ面で台所に立つアキラを非難していた。

 当の本人は、素知らぬ顔で洗い物を続けている。

 

「お前のせいだ」

「…………」

「お前のせいだー」

「…………」

「お、ま、え、の、せ、い、だ」

「…………」

「おーまーえーのー」

「しつけぇな。悪かったっつうの」

 

 放っておけば何時までも続きそうだったので、根負けしたアキラが白旗を上げる。ちょうど洗い物も終わり、手を拭いて変わらぬ膨れっ面の巴の元へと向かった。

 隣に腰を下ろすと、巴もまた身体を入れ替えて、座り直すかと思いきや。

 

「お前、言ってることとやってること違うだろ」

「うるさい。好きにさせろ」

 

 そのまま身体を倒し、アキラの膝へとその頭を預ける巴。多少驚いたアキラだったが、ひとつ息をつくとその額へと頭を乗せる。

 

「冷たくて気持ちいいな」

「そうかい」

「……考えても見ろよ。こんなとこ見られたら恥ずかしいに決まってる」

「だから悪かったって」

 

 あの後、他のメンバーが帰るまで、ちょくちょく弄られ続けた巴。ひまりがアキラにまで飛び火させ、二人でいるときの事を聞き出そうとする度に、巴の打撃じみた一撃で口元を抑えられては、その行動でまたしても弄られる。今日ほど空回りした日もそうそうないだろう、とは本人の談だ。

 

「仲、良いんだな」

「あぁ、最高の仲間だよ」

 

 額から頭へと、優しい手付きで撫でられる。巴の目が細くなり、やがてゆっくりとその瞼が閉じられた。

 

「……別に、アキラを紹介したくなかった訳じゃなかったんだ」

 

 かわりに、その小さな口が開かれる。予想していたのでアキラは何も言わずに巴の頭を撫で続けた。

 

「蘭も、ひまりも、モカもつぐも皆、アタシの大切な親友だ。けど、アキラだって」

「わかってるよ。わかってるから、気にしなくていい」

「……そっか」

 

 どこか、無理に吐き出そうとしていた言葉を、先んじて制して黙らせる。巴はそれに小さく返して、自分の腕で顔を隠した。

 返事はもう帰ってこないだろう。そう考えて尚、アキラはもうひとつだけ、言葉を放つ。彼の、偽らざる想い。

 

「お前は、自分の思うままに動けばいいんだ。あいつらは良い仲間なんだなって、実際に見て思ったよ。だから、大切にしろ。何かあったら、皆で頑張れ。……俺の所には、疲れた時に帰ってきてくれれば、充分だよ」

「……うん」

「いい子だ」

 

 からかい気味に放った最後の言葉には、軽く額を指先で弾く返事が返された。

 



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三話:苦くて甘いアッサムティー

「ん……」

 

 平日の夕暮れ。部活動を終えたアキラは、ひとつの店へと目が止まる。今まで何度となく通った道で、存在こそ知ってはいたが、なんとなく寄ることはなかった店だ。

 店の名は、羽沢珈琲店。先日彼の家に訪れた、羽沢つぐみの家がやっている店だった。

 

「…………」

 

 ――真っ直ぐ帰宅しても構わない。が、寄り道するのもたまにはいいか。それに、たまには店の味というのも味わってみるのもいい。

 アキラは財布に手を伸ばし、中身を確認してひとつ頷くと、店への扉へと手をかけた。

 

 

 

「いらっしゃい。お一人様かな?」

「はい。……席は、どこでも?」

「どうぞご自由に。初めてだね、今メニューを持っていくから」

 

 店主らしい男性が、端正な顔付きを綻ばせて出迎える。

 適当にカウンターの席を選んで座ると、直ぐにメニューを手に持った店主がカウンター越しに手渡してきた。

 それを受け取り、さて紅茶にするかそれとも珈琲にするか、と目を走らせるアキラだったが、ふと視線に気付いて顔を上げる。

 何故か、店主がアキラの元から離れずに、なにやらニコニコと見つめてきていたのだ。

 

「人違いだったらすまないが、アキラ君、で合ってるかな? 紅茶好きの」

「……確かに、自分の名前はアキラですが……どうして?」

「いや、この間娘がね」

 

 いきなり自分の名前を当てられて驚いたアキラだったが、話を聞けばなるほどと納得させられる。単純な話、彼はつぐみの父親で、つぐみは家でアキラのことを話題に出していたのだ。

 

「まさか、とは思ったけれどね。紅茶の匂いがしたから、確認してみようか、と」

「あはは。気を付けてはいるんですけど」

 

 毎日毎日紅茶を触っているアキラには、本人はともかく周りの人間には近付かれればわかる程度には紅茶の香りが付いている。

 酷くなると自分でも笑えなくなるのでそれなりにケアはしているが、生活臭レベルで染み付いているものはそう簡単に消えはしない。

 結果、今のように、鼻の良い人間や、紅茶を触るような詳しい人間には、近付かれずとも気付かれてしまうわけだ。

 

「メニューを渡しておいてなんだが、是非とも家の紅茶を飲んで、感想を聞かせて貰いたいところだね」

「そういうことなら、任せますよ。僕の言葉が役に立つかどうかは別にして」

 

 パタリ、とメニューを閉じて、羽沢にそれを返す。

 羽沢はそれを受けとると、了解したよ、と一言返して、早速準備をしはじめた。

 その姿を視界に納めながら、茶葉が並んでいる棚に目を向ける。流石に、個人で楽しんでいるアキラと店では品揃えに差があり、中にはなかなか手が伸びなかったものまである。

 コーヒーに関してはあまり触ることがないのでどうも思わないが、これから出てくる紅茶には、少しわくわくしているアキラ。

 その背中から、カランカランと、店の扉が開く音がした。

 

「こんにちわー」

「おや、いらっしゃいひまりちゃん。つぐみも一緒だったかな」

「はい! 直ぐに店に出てくるって言ってましたよ……って」

 

 声の時点で誰だったのかはわかっていたので、振り向くことはしなかったアキラ。その顔を覗きこんだひまりは、やっぱり! と、楽しそうに言うや否や、その隣の椅子を引いて座り込んだ。

 そんなひまりに対して、頬杖をついたままに片手を上げて応える。

 

「最近良く会いますね、明さん」

「まだ二回しか会ってないがな。まぁ、珍しいとこで会ったのは認める」

「本当ですよー。明さん、こういうお店なんて滅多にいかないのに。『店で飲むくらいなら自分で淹れた方が気楽』とか言ってたじゃないですか」

「俺だってたまには店で飲むことくらいあるさ。今回は特に、羽沢……つぐみと話したばかりだったしな」

 

 それにしても、と。

 どこか納得がいかなそうに店の中を見渡し、カウンターの内側にある各種道具に目を走らせていくアキラ。その姿を見て、怪訝そうに首を傾げるひまり。

 そんな彼女に、アキラは頬杖を外して背もたれに身体を預けた。

 

「いや、これだけコーヒーも紅茶も扱ってるってのに、つぐみがあれだけ俺の話に食い付いてきたのが妙だと思ってさ。普通、興味があったとして、俺が言ったくらいの知識ならあってもおかしくないんだが」

 

 そのアキラの言葉に反応したのは、ひまりに何やら一皿のケーキを出してきた羽沢だ。

 注文もしていないのに出てきたそれに目を瞬かせるひまりに、にこりと笑いかけてから、

 

「つぐみは店の手伝いや、新メニューなんかも良く考えてくれているけれどね。それはフルーツジュースだったり、今出したケーキやデザートだったりで、コーヒーや紅茶には手を出していなかったんだ」

「ってことは、つぐの新作ケーキ!? やった、いただきまーす!」

「ためらいがねぇな……晩飯前なんだろ?」

「ケーキは別腹なの!」

「別にいいけどよ」

 

 言うが早いか、早速フォークを手にしてそれを口に運び始めるひまり。それと同時に、店の奥からパタパタとつぐみがやってくる。

 一緒にここまできたのであろうひまりはともかく、その隣にいるアキラの存在は予想外だったのだろう。一瞬、その顔が驚きに染められるも、すぐに笑顔になって駆け寄ってくる。

 

「アキラさん! いらっしゃいませ!」

「お疲れ。帰ってすぐに店に入るなんて、偉いもんだな」

「いいえ。昔からやってることですし」

 

 アキラの言葉にはにかんで応えるつぐみは、今度はひまりに目を向ける。当の本人は、うっとりした顔でケーキを口にしている最中だ。それでもちゃんと味わって食べているのだろう、ワンピースのケーキは、まだ半分も減っていない。

 

「ひまりちゃん、それどうかな? 少し冒険してみたんだけど……」

「美味しいよ~つぐ~! ……でも、もうちょっと酸味は抑えてみてもいいかな~。イチゴをリンゴに変えてみるとか、もしくはジャムにしてみるとか! マーマレードでも美味しくなりそうだな~」

「ふむふむ……」

 

 エプロンのポケットから取り出したメモ帳に、ひまりの言葉をメモしていくつぐみ。その表情は真剣で、アキラは思わずクスリと笑いを漏らす。

 

「なるほど。新メニュー製作の裏には、ひまりの力もあるってわけだ」

「はは。ひまりちゃんはウチのお得意様さ。彼女の意見には随分助けられているよ」

「そ、そんなぁ。私は、ただ思ったことを言ってるだけで……」

「だからこそ、さ。店にとって、お客の真っ直ぐな意見は何よりの宝物だ。お客の意見を無視するような店には、未来はないよ」

 

 と、言うわけで、と。

 ひとつのカップ&ソーサーがアキラの目の前に置かれる。

 

「ウチで、紅茶の中では一番売れ筋の茶葉だ。是非、キミにも忌憚のない意見を聞かせて欲しい」

 

 その言葉に、妙な責任感を感じて軽く頬を掻く。好きで様々な紅茶を飲んできたとはいえ、アキラのそれは結局は個人の遊びのようなものだ。果たして気の利いた感想など言えるだろうか……と不安になりつつも、とりあえずは紅茶に視線を落とす。

 色は濃い紅色、持ち上げて香りを嗅ぐと、深い香りが鼻に通る。

 

「アッサムか……」

「正解。ミルクティーでもよかったんだが、ストレートの方が味を見るにはいいだろう?」

「さっきも言いましたが、あんまり期待しないでくださいよ」

 

 言いながら、目を閉じてカップに口を付ける。

 実のところ、アキラはアッサムのストレートはあまり飲んだことがない。というのも、羽沢が先程言ったように、アッサムはミルクティーにするととても美味しく頂ける紅茶である。アキラもまた、例に漏れずアッサムを淹れる時はミルクティーにして飲んでいたのだ。

 だからこそ、彼は驚いた。

 

「……美味しい」

 

 最初に感じたのは、甘味。強いコクと共に広がる、ほのかで、しかし確かな甘味が舌に残り、苦味やくどさは感じない。味が濃い紅茶でありながら、しつこさも殆ど無かった。

 驚きに目を開いたまま、羽沢に顔を向ける。どうやら、アキラの反応に満足しているかのようで、数回目を瞬かせた後に、アキラは少し気恥ずかしさを感じて視線を下ろす。

 

「驚きました。アッサムはアッサムでも、CTCじゃなくてリーフの方ですよね」

「本当に紅茶が好きなんだね。それも正解だ」

「アッサムのストレートが、こんなにさわやかになるなんて……」

 

 アッサムはミルクティー。その固定観念が壊されて、なんだか嬉しいような悔しいような。表情に出てしまいそうな複雑な感情を、再度口にした紅茶と共に飲み下す。この場に巴がいたならば、恐らくは見抜かれて脇腹辺りをつつかれていたさことだろう。

 そんな彼の袖を、隣からちょいちょいと引く手。

 ケーキは完食していたらしいひまりが、何か聞きたそうにアキラの顔を覗きこんでいる。

 

「CTCって?」

「あぁ……。茶葉の製法だよ。リーフはそのまま葉っぱの形を残してるんだが、CTC製法だと小さな粒になる」

「今アキラ君が飲んでるアッサムってお茶は、殆どがそのCTC製法で作られているんだ。けれど」

「それだと抽出も早けりゃ味も濃くてな。ミルクティーなら濃くて上等でも、ストレートだときついんじゃないかと思ってたんだが……リーフだとこんなにウマイなんて」

 

 勿論、目の前で笑っている店主の淹れ方が上手いのもあるんだろうが、と考えながら、カップを置く。

 

「店の味も悪くないだろう?」

「意地悪なマスターですね」

「これは手厳しい」

 

 ひまりとの会話を聞かれていたか、と若干苦い顔をして返したアキラの言葉に、優雅に笑いながら応える羽沢。何となくだが、敵わないものを感じさせる対応に、完全にアキラは白旗を上げる。

 結局、その後何杯か紅茶を頂き、紅茶トークに花を咲かせて何だかんだ仲良くなってしまい、羽沢珈琲店の常連となってしまうアキラであった。

 

 

 

 

 

「なんてことがあってなー」

「ははは。流石のアキラもつぐの父さんには敵わなかったか」

「敵うわけねぇだろ、と言いたいとこだけどなぁ。正直結構ショック受けてたりするんだぜ、これで」

「珍しく素直じゃないか。昔なら」

「……まぁ、何にも言わずに黙ってるとこだろうな」

 

 時間は過ぎて、すっかり星が見える頃。

 玄関前で待っていたらしい巴と共に家に入り、巴にだけ紅茶を出して、のんびりとソファでくつろぐアキラ。

 そんなアキラの姿を見つめ、何やら顎に手を当てて考え込む巴に、必要以上に脱力していたアキラが身体を起こす。

 と、同時に。

 

「……いきなり何をする」

「随分な反応だな。もっと喜んでもいいんだぞ?」

「もう少し心の準備ってモノをだな」

「多少強引にでもしないと、させてくれないだろう?」

 

 巴の長い髪が、アキラの顔に触れる。見上げる格好になったその視線の先には、ニッコリと笑う彼女の顔。

 後頭部には柔らかな感触。額には、暖かな巴の手のひらが当てられて、アキラは小さくため息をついた。

 

「この間はアタシがしてもらったからな。お返しだ」

「膝枕って返し返されるようなもんじゃないんだがな」

「そう言うな。たまにはいいだろ」

 

 二人きりなら強気になりやがって、とその頬に手を伸ばす。動揺を誘っての行動だったが、巴はその手に自分の手を重ね、不思議そうに首を傾げるだけ。それが、アキラには見事なカウンターになり、直ぐに自らの腕で顔を隠した。

 何故か巴の頬に当てた手はそのまま捉えられたままなのが継続ダメージを誘う。

 

「……?」

「………………」

「……!」

 

顔を隠したまま動かないアキラに、しばらくそのまま首を傾げていた巴だが、アキラの様子を見てピンときたものがあったのか、自らも若干頬を染めつつも、嬉しそうに身体を曲げてアキラをホールドしつつ、

 

「恥ずかしいのか? 恥ずかしいんだろう? 正直に言ったらどうなんだ~?」

「……うるさい」

「お前が恥ずかしがるなんて珍しいな。この際だから、今までのお返しもしてやろうか」

「うるせぇなぁ! てか近ぇ、顔が近ぇんだよテメェ!」

「恥ずかしいと口が更に悪くなるのは変わってないな、可愛いやつめ」

「年下が何言ってんだよくそがっ! えぇい身体を屈めるな!」

 



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四話:ダンスナンバーに誘われて

「ふっ……ふっ……」

 

 とある部屋の中で、息を漏らしながら汗を滲ませる一人の男の姿。

 額から流れた汗は頬をつたい、顎から床へと滴り落ちる。上半身は何も身につけておらず、そちらにも玉のような汗が滲んでいた。

 男は同じ行動を何度も何度も繰り返し、その度に荒い息をはいては更に繰り返す。

 その姿を、丸椅子に腰掛けて眺めるのは、ドラムスティックを手持ちぶさたにくるくると回している巴だ。彼女もまた、彼ほどではないにしろ、額に汗を滲ませている。

 

「それにしても……」

「んん?」

「いいや、終わってからでいいさ」

 

 巴の声に、器具の上で延々と腹筋運動を続けていたアキラが反応する。その苦しげな声に、軽くスネアを鳴らしてから返し、巴は足元の水を一口飲んだ。

 やがて、決めた回数を終えたらしいアキラが器具から身体を下ろす。一連の動きを眺めていた巴に近付くと、同じように水を口にしながら、で? と、先程の言葉の続きを促した。

 

「別に大したことじゃないよ。流石に、鍛えられてるなぁって思っただけさ」

「初めて見る訳じゃああるまいし、今更だな」

「アタシはそうだが、多分普通なら驚くくらいにはすごい身体だと思うぞ」

 

 そうかぁ? と、さして気にする訳でもなく巴に背中を向けて、準備していたタオルで身体を拭きはじめるアキラ。

 実際、アキラは身長が巴よりも低く、男性としては小柄な部類に入る。それでいて、身体の線も細く、服の上から見れば一見ひ弱そうにも見えるのだ。

 更には手足も身長の割には長く、母親に似てそれなりに整った顔付きをしているのも相まって、見た目だけなら文化系の大人しそうな男の子だ。

 しかし、あくまでも見た目だけならの話。中身はバリバリの体育会系であり、態度と口調があれな上に、極めつけはその鍛え上げられた身体だ。引き締められたその身体は、服に包まれればその細さばかりが目につくものの、当然ながら力はある。具体的には、巴くらいなら軽く抱え上げられるくらいには。

 

「見慣れてるだろうに、いきなりどうしたんだ」

「いや、この間学校でお前の話題が出てさ。男なのにスタイル良くて羨ましいって話になったんだ」

「どうせひまりだろ」

「正解」

 

 知ってた、とシャツを着ながら言うアキラに、苦笑する巴。実際、アキラはひまりにちょくちょく体型に関して話題を振られている。大体がどうやったら体重を減らせるか、またはスタイルの維持などの若干のやっかみが入ったものではあるが。

 出る結論はほぼ、間食を止めろのひとつに収まるわけだが、どうやらよっぽどこの細さが羨ましいらしい。と、壁一面に貼られたガラスで自分の身体を見つめてみるアキラ。

 本人的にはあまり細過ぎるのも嫌なもので、もう少し太っても良いんじゃないかとも思わなくもない。が、それは何も自分だけの話ではなく。

 

「あれはあれでナチュラルで良いと思うけどな」

「ひまりのことか? アタシもそう思うけど……お前が言うとなんかなぁ……」

「んだよ」

「なんというか……勝者の余裕みたいな?」

「それ盛大なブーメランだからな」

「はぁ? なんでだよ」

「好物が豚骨醤油ラーメンなんて言うくせにさ」

 

 そこまで言って、ドラムセットに隠れている身体を見るために、わざわざ回り込んでその腰回りをまじまじとわざとらしく見つめるアキラ。

 今の巴の服装は非常に薄着である。下はともかく、上はへそ出しルックの黒いインナーのようなTシャツ一枚だ。

 あらわになった腰回りには、余計な肉付きは一切見当たらない。女性らしいくびれや丸いラインはしっかり残しながらも、健康的に引き締まったその身体は掛け値なしに魅力的と言える。

 と、そこまでアキラが考えたところで、身体を隠すような素振りをするわけでもなく、ただジト目を向けられていることに気付いた彼は。

 

「冗談も解せないのかよ、参っちまうな」

「女の身体をそうまじまじと見つめるもんじゃないって忠告だよ」

「お前じゃなきゃやらねぇよ、と。そろそろ俺は上がる。巴も、良いとこ切り上げろよ。もう昼時だ」

 

 ため息をつきながらさっさと背中を向けたアキラは、手元のタオルを振り回しながらそう告げる。壁に掛けられた時計は、ちょうど針が頂点をさしたところ。

 それを巴が確認した時には、既にアキラは階段を登り、その先にある扉から部屋を後にしていた。

 立ち上がった巴は、ふと背後にある鏡に映る自分の姿を眺め。

 

「……卑怯だ」

 

 身体を動かしたのとは別に、顔が熱くなるのを自覚して、持っていたペットボトルを自分の頬に当てていた。

 

 

 

「んー……。さて、今日はどうするかな」

「練習しなくていいのか?」

「後は夜だな、夜。それまでは休日らしく気ままに過ごしたい」

「自由に使えるスタジオがある人間の贅沢だな、全く」

「自覚してる。てか、別にお前らだって使いたいなら使ったって構わないんだぞ。ライブハウスとかに比べりゃあ、設備はショボいだろうが……音合わせくらいなら出来るだろ」

 

 昼食を終えた二人が、どことなく緩い雰囲気のままに会話する。

 本日は日曜日。つまり休日である。

 先程まで二人が身体を動かしていたのは、この家の地下室にある、普段はアキラがダンスの練習をするのに使っているスタジオだ。壁一枚が鏡張りになっており、広さは二十畳とそれなりの広さ。地下室故に天井はさほど高くないが、電気も通り防音もしっかりしている、格好の練習場だ。

 何故にアキラの家にこんな場所があるのかと聞かれれば、それは親の趣味の結果としか言いようがない。元はただの物置だった場所を、スタジオにして趣味に活用しようと購入時に改装したのがこの部屋だ。

 因みに、巴が使っていたドラムセットは父親の私物であり、その他にもベースギターやらキーボードやら、持ち主がいないために使われなくなった楽器もそこには存在している。早い話、アキラの両親も、バンドを組んでいたという話だった。

 海外に出る前に、両親からは好きに使っていいとお達しを受けていて、巴に関しては是非とも使ってやってくれと直に父親に頼み込まれてすらいる。結果、暇な休日には時折こうしてスタジオに籠る日が生まれているわけだ。

 

「まぁ、考えとくよ。あんまり頼りすぎるのも良くないとは思うんだけど」

「無理強いはしねぇよ。もし使いたくなったらでいいさ」

 

 食後のアイスティーを飲みながら言うアキラ。因みに、茶葉は巴の好きなディンブラである。

 

「そろそろアタシは行くとするよ。シャワーと昼ごはん、ありがとうな」

「夜は来るのか」

「いや、最近こっちにきてばっかりであこがむくれててさ。しばらくはこれないかも」

「仲が良くて結構なことじゃねぇの、姉バカさん」

「褒めるなよ。じゃ、またな」

 

 着替えやドラムスティック等、荷物を持って玄関から外へと消えていく巴。一度振り向いて手を振られ、それに軽く手を上げて応えたアキラは、改めて今日これからの予定を考え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 結局さしてやりたいことも見付からず、ただ家に籠っているよりかは、と結論付けるまで三十分程かかり、適当に身支度を整えて外出することに決めたアキラ。

 たまには新しい服でも見に行こうか、とショッピングモールへと目的地を定め、ついでに途中で目に入ったコンビニに立ち寄った彼は、そこで予想外の人物と顔を合わせることになった。

 

「――らっしゃーせー。あ、アッキーじゃん、やっほー」

「なんてノリの軽い店員か。それで怒られたりしねぇのか」

「これがモカちゃん風接客なんで~」

 

 自動ドアをくぐって出迎えたのは、なんとも緩い接客を始めたモカだった。バイトでもそのテンションなのか、と呆れたように返すアキラに、にへら、と笑う彼女。

 そんな彼女に、同じくレジにいた女性が振り返り、モカをたしなめようと口を開こうとして、

 

「うっそ、アキラ先輩じゃん!」

「なんだ、今井までいんのか」

「なにさー、その反応! 可愛い後輩にする態度じゃなくな~い?」

「はいはい可愛い可愛い。からあげひとつ」

「久しぶりなのにつれないなーもう」

 

 軽口を叩きながら、それでもニコニコしながらケースからからあげを取り出した今井(いまい)リサに対して、相変わらずだな、と此方も笑顔を見せるアキラ。

 そんな二人を、ほへーと気の抜けた声を出して見守るモカが、手渡されたからあげをレジに通しながら、

 

「お二人は知り合い?」

「そういうモカこそ、先輩のこと知ってる風だけど? アッキーとか呼んじゃって……アッキー!?」

「うるせぇな」

「いや、だって……」

 

 自分で言って自分で驚き、二、三度小さくアッキー、アッキー……と確かめるように呟いたリサは、不意にその頬を膨らませて、直ぐに吹き出した。

 

「アハハハハッ! なぁに、アキラ先輩アッキーとか呼ばれちゃってるの!?」

「何だよ、変か?」

 

 言いながら、いや確かにそんなアダ名で呼ばれるのは初めてではあるな、と心の中で思うアキラ。昔であれば、もしかしたら不機嫌になっていたかも知れないことを思うと、今のリサの反応も当たり前と言えば当たり前なのだ。

 

「好きに呼べって言ったらそう呼び始めたんだよ。そうおかしな話でもないだろ」

「で、でも……あんなにキレッキレなダンスする先輩が、アッキーって……ウフッ」

「好きに笑え馬鹿野郎。俺はもう行くぞ」

「あぁん、ちょっと待って! アタシもう終わりの時間だからさ!」

「何の話だよ」

「久々に会ったんだよー? もう少し話したいじゃん?」

「俺はさほど」

「冷たい! でも先輩は優しいから待っててくれるの知ってるもんねー。じゃ、着替えてくるから、待ってて!」

「一人で話進めやがって……」

「でもー、待っててあげるんでしょー?」

「……別に、暇ではあるしな」

「ほほー。これがツンデレ、むぐ」

「頼むから黙ってろ」

「美味しー。ゴチでーす」

 

 

 

「よーし。じゃあいこっか」

「引き継ぎとか大丈夫なのか?」

「もう休憩室に次の人来てるから。モカー。ちゃんとしっかりやるんだよ?」

「りょーかーい。リサさんも、デート楽しんでね」

「あはは、うん、頑張っちゃう」

「何を頑張るんだよ……」

 

 予想外の連れが増え、そのまま二人揃ってコンビニを後にする。後ろからは、ありゃーしたー、と来たときと変わらないトーンでモカの声が聞こえてきた。

 眉間に指をやり、難しい顔をしたアキラは、

 

「あいつ改善する気ねぇだろ」

「ま、モカらしいっちゃあらしいんだけどね」

 

 その隣で、クスクス笑うリサの顔を見て、そんなもんかと顔を緩めるアキラ。そもそも最近知り合ったばかりの人間が躍起になって突っ込むようなものでもなし、周りが軽く受け止めるようなら、アキラが口を出すこともない。

 そう考えて、取り敢えず話題を変えることにする。

 

「そういや、お前もバンド入ったんだって?」

「あれ、言ってなかった?」

「そもそも頻繁に会うような仲でもねぇだろ」

「それもそっか。うん、幼なじみのバンドでさ。Roselia(ロゼリア)っていうの」

「ロゼリア、ねぇ……」

「聞いたことある? アタシが言うのもなんだけど、それなりに話題のバンドで」

「いんや。知らねぇ」

 

 悪気なく言ってのけるアキラに、ですよねぇ、とため息をつくリサ。そもそも、アキラは音楽こそ人並みに聴きはするし、ダンスナンバーとしてそれなりに洋楽やらを聴き込みもするが、インディーズの、それも駆け出しのガールズバンドなどそもそも耳にする機会がない。

 最近ようやく巴と関わる関係上、そんな連中もいるんだよなぁくらいには思い始めてきてはいるが、業界では注目のRoseliaであっても、残念ながらアキラの耳には届かないのだ。

 アキラの両親はその辺り、ちょっぴり残念に思っていたりするのだが、本人は知るよしもない。

 

「で、ポジションは? ネイルが剥がれてる辺り、ギターとか?」

「おー、いい線ついてる。アタシはベース担当だよ。実は昔ちょっとやってたんだけどさ、ブランクがあるから、取り戻すのに必死で必死で……」

 

 その後、ショッピングモールに到着するまでに、どれだけ周りのメンバーが凄いかを力説され、その中に知った名前が出てきて少し驚いてみたり、リサの幼なじみ自慢が走りに走って、それを適当に流していたら無駄に詰め寄られたりするのだが、一人よりかは余程楽しかったので良しとするアキラであった。

 

 

 

 

「あ、これとか似合うんじゃないかなー」

「えぇ……緑とか絶対俺に合わねぇ」

「たまには冒険しなきゃ! 去年の文化祭を思えばこれくらい楽勝じゃん?」

「その話はするんじゃねぇ」

「今年はやんないの? アタシ売り上げに超貢献しちゃうんだけどな~」

「絶対、ぜっってぇやらねぇ」

「また力強いね……」

 

 そんなこんなで、無事目的地にて本来の目的を果たすことが出来たアキラは、なんだかんだでリサと共に楽しくショッピングモールを回っていた。

 ちょくちょくリサの、これはあの子に絶対似合う、もしくは気に入ってくれる発言が飛び出すので、逆にその幼なじみの方が気になってくるアキラ。取り敢えず猫好きなのは過不足なく伝わった気がする。

 と、服から靴のコーナーに変わったところで、不意に練習用の靴がくたびれていたことを思い出したアキラが、ついでだからと手頃なのを手に取ったところで、そういえばとリサが手を叩く。

 

「アキラ先輩は、再来週のイベントに参加する?」

「あぁ、ダンスバトルのやつなら出るぞ。……生憎相方が見付からなかったお陰で、ソロにしか出れないけどな」

「ホント!?」

「嘘ついてどうするよ」

 

 リサの喜ぶかのような反応に、怪訝そうにそちらを振り返るアキラ。

 そのイベントは一対一のソロバトルと、二人協力してバトルする二対二のタッグマッチの二部門があるのだが、今回アキラとペアを組める人間が部内には居らず、仕方無しにソロにだけ参加することにしていたのだ。

 他の参加する仲間はきっちりペアを作れているため、一人での参加はアキラのみ。つまり有り体に言って溢れてしまったわけである。

 そんな訳で、そこで喜ぶとはどういうことか、と眉を潜めたアキラだったが、リサは笑顔のままに胸の前で手を組むと、

 

「じゃあさ、アタシとペア組んで!」

「……はぁ?」

 

 予想だにしなかった提案に、アキラはそんな声しか返せなかった。



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五話:夕暮れから夜更けへと

 突拍子もないリサの言葉に、アキラはしばらく靴を持ったままにリサを見つめ続ける。対するリサもまた、胸の前で手を組んだままに動かない。ともすれば懇願するかのような眼差しに、どうやら冗談の類いではないようだと判断したアキラは、腰に手を当てて考え込む。

 

「またなんで俺と」

「先輩とおんなじでさぁ、アタシもダンス部の中にペア組んでくれる子いなくてね。ちょっと自信ないけどソロに参加しよっかなーって考えてたんだけど……」

「都合よくおんなじような奴が目の前にいた、と」

「アキラ先輩なら不安もないしさ。ちょっと大胆なルーティーンだって出来ちゃうし。何より絶対楽しいし! ね、ね? だからお願い!」

「……まぁ、これが初めてって訳でもねぇしなぁ」

 

 ポリポリと頭を掻いて、特に断る理由もないんじゃないかと思い始めるアキラ。

 基本大きな大会以外は部員の自由参加であり、学校として参加している訳でもないので、アキラとリサのように学校を跨いでペアを作る人間もいないわけではない。両方の顧問に一応の顔見せだけしておけば、なんら問題なくイベントには参加出来るだろう。

 それに、アキラの言った通りリサと組んで踊るのもこれが初めてな訳でもない。むしろ、合同練習がある度に彼女と組んで遊び半分ながらに合わせて踊ってきている。

 基本とするダンスジャンルこそ違うものの、むしろそれを知っているからこそどうフォローすれば互いのダンスが映えるかもおぼろげながら把握している。

 リサとしても、アキラが基本いやらしい下心をダンスに持ち込まないのがわかっているので、互いの身体が密着するような、もしくはそれに準ずるような振りでも遠慮なく使えるので、パートナーとしては充分な存在なのだ。

 

「エントリーは……今日でも大丈夫だったな」

「じゃあ!」

「決まったならこれ買ってさっさと行こうぜ。もういいだけ見て回ったろ」

 

 返事は聞かず、アキラはレジに向かって歩き出す。その後ろでは、嬉しそうに小さくガッツポーズをしたリサが、小走りで彼に駆け寄り、その両肩を後ろからパシッと掴んだ。

 

「アッキー優しくてアタシ好きだな~」

「言ってて違和感ねぇか、そのアッキーっての」

「……今ちょっと恥ずかしくて後悔してる」

 

 

 

 

 

 そして、滞りなくエントリーも終わり、すっかり夕暮れ時。

 二人は最後に羽沢珈琲店へと訪れていた。

 

「アキラ君も隅におけないねぇ」

「そんなんじゃないですよ。後輩ってだけです」

「アキラ先輩……アタシってその程度の女なの……?」

「顔が笑ってんだよてめぇ」

 

 カウンター席に座るや否や、二方向からニヤニヤと笑みを向けられ、鬱陶しいと言わんばかりにメニューをバサバサ振るうアキラ。

 そんな彼にけたけたと笑いながら、リサが手元のカフェオレを口元に運んだ。

 

「そういえば、娘さんは?」

「今日はバンドの練習で遅くなるらしい。いつも暗くなるまで帰ってこないから、今日もそうだろうね」

 

 それを聞いて、ふうん、とダージリンを一口飲んだアキラは、なるほどとひとつ納得していた。いつもなら、この時間は大体巴が隣にいるものだが、当然巴だって用事があればそちらを優先するのだから。

 

「へぇー。娘さんもバンドやってるんですか」

「お前なら知ってんじゃねぇの。Afterglowのキーボードやってる子だよ」

「Afterglow? あこのお姉さんがいるとこだよね。アキラ先輩、仲良かったりするの?」

「ここの娘さんとはこの間知り合ったばっか。あこの姉貴と幼なじみでな、そのつながりでメンバーと顔合わしたんだよ。青葉が俺のこと知ってるのもそれ」

「はぁ。じゃあ、あこも先輩のこと」

「勿論。とはいえ、しばらく会ってないんだがな」

 

 実際、巴の妹――宇田川あことは、そこまで頻繁に顔を合わせているわけではない。まだ中学生なので、巴のように夜に一人でアキラの家に来ることもなければ、アキラもまた宇田川家に足を運ぶことも少ない。

 時折、外出先でばったり出くわしたりする程度の頻度でしか二人は会うことがないのだ。

 それでも、あこはアキラのことを実の兄のように慕っており、たまに会うその時には飛び付かれ、またそれを当然のように受け止めるくらいには仲が良いのだが。

 

「それにしても、あこがお前と同じバンドに入ってるとはなぁ」

「意外?」

「筋金入りのお姉ちゃんっこだから、バンドそのものにはさほど。遅かれ早かれそっちに行くのは読めてたし。でも、まさかそんなガチなとこに入ってるとは思わなかった」

「あはは。プロ意識高いからねー、ウチは」

「どれだけ叩けんだろうな……ちょっと家に呼んで叩かせてみっかな」

「え、アキラ先輩ドラム持ってるの?」

「ドラムどころか、ギターやらキーボードやら色々あるぞ。俺じゃなくて親父のだけど」

 

 俺もたまに触ってるけど、難しいもんだよなー、なんて。他人事のように呟くアキラと、口元に手を当てて驚いた様子のリサ。因みに羽沢は他の客の注文に追われ、既に二人の前にはいなかったりする。

 その体勢のまま、恐る恐る、といった様子で、

 

「……もしかして、スタジオとかあったりするの?」

「もしかしなくともある。最も、俺は自分の練習にしか使ってないけども」

「ウッソ!?」

「うるせぇな」

 

 立ち上がらんばかりに耳元で叫ばれたアキラは、露骨に顔をしかめてリサに横目で視線を向ける。流石にハッとした様子で口元を抑えたリサだったが、一度深呼吸をすると、

 

「……信じらんない。でも、そっか。それなら、あんなにキレッキレで踊れるのも納得かも」

「まぁ、家にスタジオあるとか普通なら驚くわな」

「ホントだよ……。流石にビックリ」

 

 はへ~、と感心なのか呆れなのか、恐らくは半々であろう吐息を漏らし、少しの間リサは顎に手を当てて考え込む。

 アキラはと言えば、次に何を言われるかは予想がついているので、呑気に紅茶を楽しみつつ、リサの次の言葉を待っている。

 そして、リサは椅子ごとアキラに身を寄せて、小声でアキラに訪ねた。

 

「ちょ、ちょ~っと、覗かせて頂く訳には」

「別に構わんぞ」

「だよね……って、いいの!?」

「別に立ち入り禁止の札とか立ててねぇし」

「い、いや。でもご両親とか」

「あれ、そういや知らないのか」

 

 自分から聞いてきた割には弱気だな、なんて少しずれた感想を持ちながら、アキラはリサに、ある意味では問題ともとれる事実を口にする。

 

「一人暮らしだぞ、俺は」

 

 

 

 

 

「お、お邪魔しま~す」

「いらっしゃい。てかなんだその及び腰」

「い、いや、だって」

 

 結局アキラの家までやってきてしまったリサは、とっとと靴を脱いで家に上がったアキラに対して、どうにも腰が引けていた。

 そんなリサを怪訝そうに見つめるアキラだったが、続くリサの言葉に、少し考えが及ばなかったことを理解する。

 靴を脱ぎながら、リサは恥ずかしそうに頬を掻きながら言う。

 

「男の子の部屋、じゃなくて、家? ……入るの、初めてでさ」

「あー……悪い」

「あ、アキラ先輩は悪くないんだよ? でもその、なんか緊張しちゃって」

 

 たはは、と頬を染めて苦笑するリサに、頭を掻いて自分の失念に後悔する家主。いくら二人がそんな関係ではなく、ましてやアキラにやましい気持ちが一切無かったにしても、リサからしてみれば男と一対一の空間に足を踏み入れることになるのだ。

 普段当たり前のように出入りしている巴は、既に気心の知れた仲だからこそ、ああして自然体で振る舞えているわけであって、それに馴れていたアキラはそこまで考えが至らなかった。

 基本、自分の家に招くことに関しては非常にオープンな彼の対応が、多少裏目に出た瞬間だった。

 

「……ともかく、案内する。つっても、そこの階段降りるだけなんだけど」

「よ、よろしくお願いします」

 

 緊張のせいか様子がおかしいリサを連れ、階段を降りていく。防音扉にかかっている南京錠を外し、地下室故に真っ暗なそこに足を踏み入れ、手探りで電気をつけると、

 

「……わぁ」

 

 背後のリサから漏れ出た声に振り返ると、スタジオを目の当たりにした彼女が、両手を口に当てて驚愕している彼女の姿があった。

 取り敢えず、不要な緊張はほどけてくれたかな、と小さく息を吐いたアキラを余所に、数歩前に出たリサがキョロキョロとスタジオを見回す。

 

「ここ、防音なの?」

「元々バンド活動の為に改装したらしいからな。その辺りは完備ささってるよ」

「凄いキレイに見えるけど……」

「俺のスタジオであって、俺のためのスタジオじゃないからな。使う度に掃除してるし、月一で手入れもしてる」

 

 言いながら、考えてみれば、こうしてスタジオに招くのは巴以外にはこいつが初めてだな、と考えるアキラ。だからどうしたんだよ、と自分に突っ込むものの、その答えは返ってこなかった。

 

 

 

 

 

「――なにこれ、美味しいんだけど!」

「反応がまんまギャルで逆に違和感」

「……誉めてんだからその返しは頂けないんだけど」

「冗談だよ。ようやく元の調子に戻ったか」

「ん? んー……、そうかな。そうかも、アハハ」

 

 せっかく来たのだから、と客人に対するアキラなりのルーティーン、つまり紅茶をご馳走されたリサは、朗らかに笑う。

 今リサが飲んでいるのは、アッサムのミルクティーである。羽沢珈琲店で飲んだリーフタイプのものではなく、一般的なCTC製法で作られた茶葉で淹れたものだ。

 濃厚な味に加えられたミルクは、強いコクに丸みを与え、ミルクティーとして満足感一杯の品へと仕上がっている。

 

「アキラ先輩が紅茶マニアだなんて、知らなかったな」

「似合わないか?」

「見た目だけなら」

「中身は」

 

 アキラの切り返しに、クスクス笑いながら彼に視線を向けるリサ。

 その彼は、ダイニングキッチンで視線を下に向けながらも、普段はあまり見せない柔らかな笑みを浮かべている。

 その顔をしばらく見つめ、リサは。

 

「ねぇ、先輩。アタシもここで練習させてよ」

「…………」

「イベントまで、練習する場所が必要じゃん? 息合わせるのに、二人揃って練習したいし」

「バンドの方は」

「勿論、スタジオ練がある日はそっちを優先する。でも、その他は自主練だから」

「ついでにここで、ってか? 厚かましいな」

「…………」

 

 暫く、水の流れる音だけが部屋に響く。リサも、アキラも何も言わない。

 その時間が長引くにつれ、リサの顔が下がり始め――やがて、水の音が止まった。

 

「――お前の先輩は優しいらしいしな」

「……!」

「都合のつく時間、後で教えとけ。それに合わせる」

 

 手拭いで手を拭きながら、アキラが言う。その顔は、どこか大人びて見えて。

 

「うんっ」

 

 子供のような笑顔で、リサが頷く。

 

 夕暮れに染められた空は、月明かりに照らされ始めていた。




巴「アタシの出番は?」


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六話:恋する乙女は止められない

 リサとの約束から、その翌日。

 完全に事後承諾となってしまった顧問への顔見せをするために、アキラは羽丘女子学園へと足を運んでいた。

 

「流石に一人ではちょっとな……」

 

 放課後、校門前まで訪れて、そこで待っていてくれているはずのリサを探す。女子高だけあって、当然周辺にいるのは女子生徒ばかり。男一人でここにいるのは、さしものアキラと言えど気まずいものがある。

 下手をすると不審者扱いされるんじゃないか、とあまりキョロキョロする訳にもいかず、取り敢えず校門から少し離れようか、と不安から行動に移そうとしたところで――

 

「そこの貴方。何か用事でも?」

 

 踵を返したところで、凛とした声に歩みを止められる。

 別にやましいこともなし、多少どきりとしたのを面に出さずに、努めて冷静に口を開いた。

 

「人を待ってるんだ」

「人を?」

「あぁ。今井リサってわかるか。そいつと、ここのダンス部の顧問に通さなきゃいけない話があるんだ」

 

 変に疑われても嫌なので、早々に用件を告げるアキラ。

 そこでようやく違和感を覚え、怪訝そうに振り返ったところで、その顔がぐにっと両方から挟まれる。情けない顔のままに、アキラは小さくため息をついた。

 

「誰かと思ったじゃねぇか……」

「ははっ。アタシの声に気付かないなんて、相当緊張してたんじゃないのか?」

「わざとらしく冷たい声で話しかけられたらドキッとするだろうが……。場所が場所だぞ」

 

 ぐにぐにと頬を揉まれながら、楽しそうにそれを続ける巴に内心を告げる。そろそろ人の目が痛くなってくるのでやめてくれ、とぺしぺし手を叩き、離れたところで自分でも頬を揉みながら、

 

「で、巴。お前今井リサって知ってるのか?」

「あぁ。先輩だし、バンドって共通点もあるしな。あこがお世話になってる人だから、感謝してるよ」

「なら話は早い。出来れば呼んできて――」

「あ、いたいた。ごめーん、ちょっと遅れちゃった?」

「――もらわなくてもよかったな」

 

 生徒玄関からパタパタと駆け寄ってくるリサに、ようやくどこかひと心地ついた気分になるアキラ。巴に声をかけてもらった時点で居心地の悪さは大分解消されてはいたものの、やはり目的を果たす為の張本人が来なければ始まらない。

 頬を揉んでいた手を腰にやり、巴と共にそちらに身体を向けた。

 

「大して待っちゃいないがな。出来たなら先に待ってて欲しかった」

「ごめんごめん。あれ、巴は……って、そっか。そういえば幼なじみだって言ってたもんね」

「こんにちは、リサ先輩。あこが世話になってます」

「そんなお世話なんかしてないよ。むしろこっちがあの子に元気もらってるくらいなんだから!」

 

 アキラの横で、挨拶と共に会話を始めてしまう二人。この後はリサを連れてこちらの顧問にも顔通しをしなければならないのだが、とため息をつき、なんだか最近ため息のし通しだな、と目を細めるアキラ。

 手持ちぶさたに羽丘の校舎を眺めていると、職員玄関から見覚えのある女性が出てくるのが確認出来た。その姿に、どうやら女の花園に足を踏み入れる必要はなくなったか、と安堵の息を吐く。

 

「久しぶりね、アキラ君」

「ご無沙汰してます。えーっと、話は……」

「勿論、リサから聞いてるよ。ペアで出るんだってね。自由参加なんだから、わざわざこんな真似しなくてもいいのに」

「一応、ですよ。男女のペアになるわけですし、学校も違うんですから」

「貴方とリサなら大丈夫、って話よ。何回も組んでるんだし、今更許可出さない訳にもいかないじゃない?」

「まぁ、ここでいきなり駄目だとか言われても納得しませんが」

「でしょう?」

「でも、今回はちゃんと顔通ししますよ。これからこっちの顧問にも会いに行きますし」

「今回は今回はって、結局最後まで続きそうだけど。ま、いいわ。練習場所はあるの?」

「一応は」

「そ。怪我には気を付けて」

 

 なんとも軽い感じで会話は終わり、羽丘ダンス部顧問である女性は手を振って校内へと戻っていく。

 とにかく、自分まで校内に行くことは回避出来たか、と胸を撫で下ろしたアキラは、尚も談笑を続ける二人へと近寄って、

 

「今井。次はうちの顧問に顔見せに行くぞ」

「あれ、話終わっちゃってた? ごめんごめん」

 

 わざとらしく両の手を合わせるリサに、大して謝る気もないくせに、と呟きながらバッグを肩に掛けなおす。リサもまた、同じように下ろしていた手提げ鞄を持ち直して、言外に行こうかと目配せをしていた。

 

「巴は? 何か用事でもあるのか」

「今日はスタジオ練」

「昨日もじゃなかったか?」

「たまたまキャンセルが出てさ。そこにアタシ達が滑り込んだんだ。だから、今日はここでお別れだな」

「そうか。ま、あまり無茶すんなよ」

「それはこっちのセリフだな。リサ先輩、アキラのことお願いしますね」

「ん? んふふ、わかった、任せて」

「一応先輩なんだがな……」

 

 これ以上ここにいると、余計な飛び火をくらいそうだとさっさと歩き始めるアキラ。その後ろから、巴との別れを元気に済ませたリサが追い付いてくる。

 横から覗き込んでくるその顔、口元は、横目でもわかる程度にはニヤニヤ、によによとしており。

 

「巴には悪いけど、しばらくは先輩を独占だね」

「誤解を生むようなこと言うな」

「だって事実だし?」

「はぁ……とっとと行くぞ」

「はーい」

 

 

 

 

 

 

「…………」

「随分物憂げですなー、トモちん」

「わあっ! ……なんだモカ、驚かすなよ」

「別に驚かそうとしたわけじゃないけど。あんまりにも寂しそうにしてるからさー」

「……そう見えたか?」

 

 アキラとリサの後ろ姿をしばらくそのまま眺めていた巴だったが、背後からの突然の声に一瞬身体が跳ねてしまう。

 巴に声をかけた張本人のモカは、そんな巴の姿に口元をにへら、と弛ませつつ、思ったことをそのまま巴に伝えていた。

 それに対して、いつもよりも力の無い笑みを浮かべながら、頬を掻きながら返す巴。

 

「寂しい……のか、な。よくわかんないや」

「トモちんにわかんないなら、モカちゃんにもわかりませんなぁ」

「それはそうかもしれないけどさ」

「気になるならついてけば?」

 

 簡単に言ってくれるな、と。口には出さないまでも、モカに対してそんな風に考える。

 先程の会話で、リサはアキラの家で共に練習するのだと、至極嬉しそうに巴に話していた。笑顔でそれに相槌を打ってはいたものの、その際に感じたチクリとした胸の痛みは、二人が居なくなった今も、変わらずにその胸を内側から刺している。

 この感情の名前はなんと言うのか。知ってはいるが、わかりたくない。理解したところで、巴にはどうしようもできない。

 

「そういうわけにもいかないだろ。二人の邪魔はしたくない」

「……邪魔?」

「そうだよ。アタシはダンスなんてからっきしだし、行ったところで邪魔にしかならないだろ? そもそも、今日はスタジオ練だし」

 

 言いながら、踵を返して校舎へと足を進める。

 今まさにそのスタジオへと向かおうとしていたんじゃないのか、とモカがその背中に声をかけ、

 

「先に行っててくれ。ちょっと忘れ物」

「わかったー。待ってるねー」

 

 その姿が校舎の中へと消えていくのを最後まで見つめてから、ぽつりとモカは呟いた。

 

「嘘つきー」

 

 

 

 

 

「そもそもさ」

「あん?」

 

 ところ変わって、時も過ぎ。

 アキラの家にて、スタジオで軽く身体を動かしていた二人は、汗を拭きながら打ち合わせを始めていた。

 

「今回のイベントって、何でもアリのバトル形式じゃん?」

「何でもアリが何処までのつもりか知らんが、まぁそうだな」

「アキラ先輩、どのジャンルで踊るつもりなの?」

 

 リサの問いに、顎に手を当てて少し考え込むアキラ。

 そもそもの話、アキラとリサではダンスジャンルが違う。更にアキラに関していえば、面白いと思ったジャンルにはちょくちょく手を出してきているので、こういったイベントに出る際にはどれで攻めるのかを決めてから練習に入ることが多かった。

 

「まぁ、基本はフリースタイルでいくつもりだけども……ブレイクは今回あんまり使わないでいくかね」

「えぇ~。格好いいのにぃ」

「美味しい音があればワンポイントでぶっ込むかもしれんが……それ以上は身体がちょっと」

 

 言いながら、軽くステップを踏んでからいくつかのフリーズと呼ばれる、本来なら最後の決め技に使われるようなポーズを決めていく。

 マックス、という技を最後に床に座り込み、右手首を回しながら、使うならこれぐらいだな、と息を吐くアキラに、拍手しながらもリサは怪訝そうにその右手に視線を向けて、

 

「なに、具合悪かったりするの?」

「ちょっと練習中になぁ。フットワークからスワイプスくらいなら問題なさげなんだが」

「そっか。技名言われてもわかんないけど……まぁ、そんな無理することもないよ。あたしはいつも通りジャズで」

「ジャズか。どうせなら俺もその辺に寄せてみようか」

「出来るの~? って、出来ちゃうのが先輩だもんね」

「器用貧乏とはよく言われる」

 

 その後、初日ということで細かいことは抜きにして、自由気ままに二時間程踊ってその日は終了。

 それなりに楽しい汗を流し、気分が良いままに掃除を終えて、スタジオから居間へと戻る最中。ふと、そういえばとアキラが口を開き、その内容を聞いたリサが、ああそういえば、と手を叩いた。

 

「今日はベース持ってきてないしね。また今度……てか、明日?」

「まぁ、もう暗くなるしな。明日にするしかねぇだろ」

「アンプに繋がなくても練習出来るし、帰ってから少しでもやっておくよ」

「腱鞘炎には気をつけろよ。お前、努力に歯止めが効かないタイプだろうし」

「今現在無理して怪我してる先輩には言われたくない」

 

 俺は別にいいんだよ、と居間への扉を開く。そこで、アキラは固まった。突然立ち止まったせいで、後ろを歩いていたリサがアキラの背中にぶつかり、唇を尖らせながら疑問の声を上げようとして、その肩口から見えた光景に口を閉じた。

 そんな二人へと、どこか申し訳なさそうに視線を向けながら、その長い髪を指先でいじくり回している彼女へと、アキラは声をかける。

 

「……驚かせんなよ。今日は来ないんじゃなかったのか」

「いや、その……あの……」

 

 ばつが悪そうに視線を逸らす彼女――巴に、腰に手を当てて溜め息をつくアキラ。

 ほんの少し、沈黙がその場を支配して、どこか慌てたようにアキラの横をくぐり抜け、ソファに置いてあった荷物を回収したリサは、

 

「じゃ、じゃあ今日は帰るね? また明日、よろしくっ!」

「あぁ、またな」

 

 パタパタと短い距離を走り抜け、玄関から勢いよく飛び出していくリサを見送る。そうして、未だに明後日の方向へと視線を投げている巴をしばらく眺めてから、アキラは居間の奥にある私室へと足を向けた。

 

「あっ……」

 

 小さく聞こえた巴の声を聞きながらも、返事はせずに私室に消えるアキラ。扉が閉まる音が聴こえ、口をつぐんで気持ち顔を落とした巴だったが、直ぐに扉が開く音が聴こえてきて、

 

「シャワー浴びてくるから、待ってろ。……帰るなら止めはしなねぇけど」

「……お、怒らないのか?」

「はぁ? 何に」

「……勝手に、その。家に」

 

 肩に着替えとタオルを掛けて現れたアキラの姿を見ながら、そう告げる巴。その瞳が微妙に潤んでいるように見えなくもないことに、アキラは今日何度目になるのかわからない溜め息をついてから、その頭へと手を乗せる。そのまま乱暴に、撫でると言うには荒々し過ぎる程に、ぐしゃぐしゃとその髪を掻き乱してから。

 

「勝手に来るとか今更過ぎるし。そもそも、来て怒るぐらいなら合鍵渡すはずがないんだが」

「だけど」

「めんどくせぇなぁ。こっちは来てくれて多少嬉しかったりすんだから、辛気くせぇ顔してんじゃねぇよ」

 

 言わせんな恥ずかしい、と捨て台詞のように吐き捨ててから、アキラはそのまま風呂場へと向かってしまう。

 その言葉に一切の言葉を封じられた巴は、熱くなった自覚のある頬を両手で挟みこんだままに、今度こそうずくまってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 アキラが頭を拭きながらリビングに戻ると、ソファの上で静かに丸まっている存在が目に入る。

 まさかあれからずっとこうしていたのだろうか、としばし立ち止まって観察してみたものの、両手に隠された顔からでは表情は読み取れない。

 寝ているわけでもあるまい、としゃがみこんでその腕を掴み、無理矢理にでもその顔を拝んでやろうとするものの。

 

「くっ……この……」

 

 その瞬間から全力で抵抗が始まり、その細腕からは信じられない程の力のせいで顔から手を引き剥がせない。腕を引いて身体ごとついてくる辺り、本気の抵抗である。

 それでもアキラが本気でやればどうにかなるだろうが、あまり無茶をして怪我をさせても困る。ので、アプローチを変えてみることにするアキラ。

 守りが硬い箇所をばか正直に攻めることはない。すなわち、弱点を攻める。

 

「っ!?」

 

 丸まっている身体を被さるように乗り越え、首筋に手を当てる。普段は長い髪で隠れているうなじに、アキラはゆっくりと指を這わせた。

 反応は劇的だ。そもそも触れた瞬間にその身体が跳ねてしまう程なのに、アキラはそこからゆっくりと、触れるか触れないかというほどの繊細さで、五指を駆使してその肌へと柔らかな刺激を与えている。端的に言って、凄まじくやらしい手つきと言っていい。

 

「む……強情な」

「…………ぅ」

「なら根比べだな。早いとこ諦めた方が互いの為だぞ」

「んぅっ!?」

 

 それでも我慢するのか、と半ば感心したアキラは、ならばと意地になってしまった。

 自らの身体を支えていた片手を自由にするために、自分もソファへと座り込む。丸まっていた膝は手ほどの抵抗はなくあっさりと伸ばされ、座った時点でアキラの腰と巴の腹部は密着することになる。

 この時点で、というよりはうなじに触れられた時点で巴の鼓動は早鐘を打っていたのだが、アキラはそこから更に、

 

「次はこっちかな」

 

 空いた手を使い、流れていた髪を耳に優しくかけてやり、そのままその耳を軽く揉んだ。こちらの手つきも、あまり子供には見せられないような感じである。ちなみにだが、もう片方の手は、休むことなくうなじを攻め抜いている。

 アキラ自身、今の行動がほぼセクハラであることは自覚している。微妙に漏れている吐息に何も思わないわけでもなく、当然続けていればおかしなことになる可能性も否定は出来ない。なので、早いとこ音を上げてくれないものかと願いつつ、しかし両手は止まらない。

 

「…………」

 

 攻めが三十秒程続いたところで、いい加減これまずいだろ、と今更ながら思い直し、流石に力も抜けているだろうと素早く腕へと標的を変える。

 その読みは正しく、多少の抵抗はあったものの、あえなく巴の両手は開かれることになり――

 

「……あー、その、なんだ。悪かっ、た?」

 

 ――その顔は、頬どころか見る箇所全てが真っ赤に染まり上がり、羞恥心からかその瞳は一目見てわかる程度には潤んでしまっている。

 歯を噛み締めているであろう口の形と、潤みながらも確かに目の前の人物を睨みつけている切れ長の目。そして、その状態の彼女を、結果的に言えば組伏せているかのような体勢の自分。これには、さしものアキラも、疑問符をつけながらも謝罪の言葉を口にして。

 

「おわっ!?」

 

 突然、掴んでいたはずの腕が逆にアキラの腕に絡み付き、巻き込まれるような形で体勢を入れ替えられる。体格で劣るアキラでは、咄嗟の勢いに抗うこと叶わずに、気がつけばソファの上で巴に馬乗りになられていた。

 

「お前が悪いんだ」

「えーっと……」

「仕返しさせろ」

「いや、流石にこの体勢はまずいだろ」

「関係あるかセクハラ男」

「大いにあるかと……」

 

 言いながらも、やっぱりやり過ぎだったかと反省するアキラ。事の発端を考えると若干腑に落ちないものもあるが、そこは飲み込んで無抵抗だとばかりに両腕を投げ出す。

 頭突きの一発やビンタの二、三発なら潔く食らってやろう。そんな心づもりで。

 

「か、覚悟はいいか」

「悪かったよ。好きにしろ」

 

 ふと気付く。巴の表情を見て、どこか雰囲気がおかしいことに。

 怒りの表情ではない。彼女のそれは、どこか覚悟を決めたかのようであり、顔の赤みは多少引いたものの、うっすら染まった頬はそのままだ。

 そして、その手がアキラの頬に添えられる。やはり殴られるのか? と舌を噛まないように歯を噛み締めるのと、巴が自らの唇をぺろりと舐めたのは同時であり。

 

「ちょっと、待――」

 

 もしかして、と静止の言葉をかけるよりも早く、巴はアキラに覆い被さるように、その唇を奪い去った。



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七話:紅茶の香り

短いですが、切りがいいので。


 間近に、それこそ今までに無いほどに間近に迫った巴の顔。瞬く間にその距離が正真正銘ゼロになり、感じたのは、熱。

 触れた唇だけではない。添えられた頬が、顔にかかる彼女の髪が、密着した柔らかな身体が、接している全てが、熱い。

 投げ出していたはずの両腕が、気が付けば彼女の背中に回されていて、真っ白になった頭とは裏腹に、その身体を掻き抱く。

 それに呼応するように、巴もまた、アキラの頬に添えていただけの手を、今度は両腕で。

 

「……あぁ」

 

 漏れでた声は、果たしてどちらのものだったのか。

 一度離れた唇。触れただけの、子供のキス。しかし、離れていった熱がどうしようもなく惜しくなって、アキラの頭を抱き抱えるように持ち上げた巴が、本能のままにもう一度行為に及ぶ。

 その時には、互いに正気は取り戻していた。巴は、熱に浮かされながらも。アキラは、鈍いながらも動き始めた頭で。

 目の前にいる存在を求め、受け入れる。

 

 二度目のキスは、一度目よりも長く触れ合っていた。

 それも、アキラが巴の頭を抱えながら起き上がったことで、終わりを告げる。

 唇こそ離れたものの、互いの距離は果てしなく近いまま。

 その至近距離で零れた涙に、アキラは少し動揺して。

 

「……ごめん」

「……なぜ謝る」

 

 堰を切ったように、ぼろぼろと涙を流しながら謝る巴。両手で目を抑え、しゃくりあげて肩を揺らす彼女に、アキラはぼやけた頭でその身体を抱き締めようとして、それは濡れた両手で突き飛ばされて拒否される。

 まるで力の無い、しかし明確な拒否に、彼は一度顔を片手でぐしぐし擦った。

 

「お前の、気持ちも、考えずにっ。アタシは、アタシはぁ……」

「……俺の気持ちだぁ?」

「そうだよっ!」

 

 キッ、と鋭い視線をアキラに向けて、しかしすぐに弱々しくなるそれを受け止めて。

 

「確かに、順序は逆だったな」

 

 がしがしと頭を掻いて、また顔を覆ってしまった巴の両腕を掴み、先程のようにそれを開いて、

 

「こっち向け」

「見れないよ、見れるわけ……」

「いいから見ろ。男の告白を無下にする気か」

「――――え?」

 

 聞こえた言葉が信じられなくて、巴は目を見開いた。

 目の前にある彼の顔は、数えるくらいにしか見たことがない、頬を染めて、恥ずかしそうな顔で。

 アキラは、ひよりそうになる心を叱咤して、逸れそうになる視線を、しっかりと彼女の瞳に向けて。

 

 

 

「好きだ」

 

 

 

 ――ぶわり、と。

 

 全身の産毛が逆立つような感覚が巴を襲う。

 意味を理解する前に、耳から入ったその言葉だけで、燃え上がるような熱が胸に灯り。

 数瞬遅れて全てを理解した瞬間に、その熱が全身に燃え広がった。

 涙こそ止まったものの、真っ赤になったまま動かない巴に、ついに視線を逸らしたアキラが、頬をぽりぽりと掻きながら、

 

「あー……、返事をくれると、ありがたいんだが」

「……バカ」

「えぇ……てかなんでまた泣くんだよ。勘弁してくれ」

「……うるさい、お前のせいだぁ……」

 

 ぼろぼろとまたしても溢れだした涙を拭いながら、困った顔でそれを指で掬い、拭っていくアキラ。

 その手を払い、どん、とアキラの胸へとすがりついた巴は、くぐもった声で言う。

 

「いつから……いつから待ってたと思ってるんだ。ずっと、ずっと、アタシは待ってたんだぞ」

「口下手でな。態度で示してたつもりだったが」

「女は口に出して欲しいものなんだよ」

 

 ぐりぐりとアキラの胸に頭を擦り付ける巴と、その頭を優しく撫でるアキラ。彼からは見えはしないが、巴の表情は嬉しくてたまらない、抑えきれないその気持ちが、笑顔となって溢れている。

 脇の下から通された手は、アキラの両肩をしっかりと掴んで離さない。

 

「で? そろそろ返事を聞かせてくれないか」

「馬鹿。そんなの決まってるだろ」

「男だって、口で言ってくれなきゃ安心出来ないんだよ」

「……ずるい生き物だな、男って」

「ずるくて結構。俺だけに言わせて満足なんて、許さねぇよ」

 

 言いながら、巴の肩を掴んで身体を離そうとして、

 

「ちょ、ちょっと待った」

「……なんだよ」

「こ、心の準備を」

「人の唇勢いで奪っておいて、今更だな」

「なんでもいいから!」

 

 顔を上げて、その真っ赤な顔のままに見上げて懇願してくる巴に、呆れながら告げる。涙は既に止まっており、今はただただ恥ずかしいと言わんばかりに、もう一度胸に顔を押し当てる彼女に、不覚にも彼は心を激しく揺さぶられる。とはいえ、あまり顔に出ていないだけの話で、アキラもまた内心では動揺のし通しではあるのだが。

 

「こ、このままでもいいか」

「ダメ。ちゃんと俺の目を見て言うこと」

「そんなことしたら、恥ずかしさで死にそうだ……」

「お前、自分だけが恥ずかしいとでも思ってんのか? 俺の心臓は今にも破裂しそうなんだけど」

 

 え? と。

 疑問の声を上げながら、その言葉を確かめるように、アキラの胸へと耳を押し当てる。

 そこから伝わる鼓動は確かに、今の自分にも負けないくらいに脈打っており。自分のことでこんなに緊張してくれているアキラのことを想うと、巴は恥ずかしさよりも嬉しさの方が強くなってしまって。

 

「はは、なんだこれ」

「だから言ってんだろ。……初恋で、長年好きだったやつとこんなことになってんだ。緊張しない方がおかしい」

 

 だから、早く楽にしてくれ。

 そう言いながら、再度肩を掴んだアキラの力に逆らわずに、巴は少しだけ身体を離す。

 そして、緩んでいるであろう自分の顔を軽く両手で張ると、

 

「よし」

「……気合いの入れ方が男らしいな」

「茶化すな」

「ごめんなさい」

 

 要らぬ言葉を挟んだ男に、同じようにその頬を張ってやると、巴は一度深呼吸を挟んでから、告げた。

 

「アタシは……ううん。アタシも、アキラが好きだ。ずっとずっと、好きだった。だから」

「待った。そこからは俺から言わないと、格好がつかねぇな」

 

 これからも、と続けようとしたところで、アキラの人差し指が巴の口に当てられる。一瞬呆気に取られた巴だったが、直ぐに笑顔を彼に向けて。

 きっと同じことを言ってくれるであろう彼の言葉を、待つ。

 

「両想いなら、躊躇うこともない。……俺と、ずっと一緒にいてくれ」

「……アタシでいいのか?」

「お前じゃなきゃ嫌だ」

 

 臆面もなく言い切られ、恥ずかしいやら嬉しいやらで頭の中がごちゃ混ぜになってしまった巴は、引き締めたはずの頬がどうしても緩むのを感じて、たまらずアキラの頭を自らの胸に抱き抱える。

 そして、勢いで動いてしまったことをごまかすように、

 

「あ、アタシは。お前の紅茶を毎日飲みたいから、さ」

「ふふっ、なんだそれ」

「う、うるさいっ」

「……好きなときに飲ませてやるよ」

 

 胸に抱えられた体勢から抜け出し、不意打ちのように、アキラは巴の唇に自分のそれを重ねる。

 目を見開いた巴だったが、すぐにふにゃりと強ばった表情は身体と共に力が抜けて、

 

「……紅茶の香りがする」

 

 離れた後に、自分の唇に触れた巴は、小さく小さく呟いた。




次回更新は水曜日。
巴の☆4ようやく来たよ……!


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八話:堕天使キューピッド

あれ……今日木曜……


「ところで」

「うん?」

 

 膝の上に巴の頭を乗せ、またアキラの膝枕でくつろぎながら。テレビに映るバラエティ番組を見ていた二人の片方が、そういえばと疑問を口にする。

 

 時刻は夜の七時過ぎ。

 少し前までは、晴れて恋人になったことから微妙にギクシャクしてしまったものの、そこは長い付き合いの二人。気が付けばお互いに元通りの状態に戻っていた。多少雰囲気に甘いものがあることを除けば、の話ではあるが。

 

「何かあったか?」

「いや、今日いきなりここに来た理由を聞いてなかったな、と」

「……言わなきゃダメか?」

 

 テレビから頭上のアキラへと視線を移し、躊躇いがちに尋ねる巴。それに対し、アキラはテレビへと視線を向けたまま、

 

「俺と今井が二人きりで不安になったとか」

「……わかってるなら聞くなよ」

「え、マジか。冗談のつもりだったんだけど」

「…………」

「痛ぇ痛ぇ。脇腹をつねるな」

 

 唇を尖らせながら、わりと遠慮なく脇腹をつねられる。その手をぺしぺし叩きながら、先程自分で言った言葉を頭の中で繰り返すアキラ。

 それは、有り体に言えば嫉妬と言うのでは? そんな意味合いを込めて巴へと視線を向ければ、彼女はぷいとそっぽを向いてしまう。

 まるで小さな子供のような拗ね方に、アキラは小さく笑いながらその頭を撫でた。

 

「そう拗ねんなよ。俺は嬉しいぜ?」

「……アタシだって、自分でも意外だったよ。いつもアタシがいた場所で、リサ先輩が楽しそうにしてるのを想像したら、どうにもならなかった」

 

 今日の練習だって、あんまりにもアタシがひどいから早めに切り上げる羽目になってさ、と。苦笑して言う巴は、テレビ側に向けていた身体を反転させて、つまりはアキラのお腹へとその顔を埋める。

 どうにも今日は甘えたがりだな、なんて思いながら、ぽんぽんとその背中をあやすように叩くアキラ。

 

「で、どうなんだ」

「……どうなんだって、何が」

 

 その体勢のまま、くぐもった声で聞いてくる巴に、アキラは思わず首を傾げる。

 少し顔を傾けた巴は、じとっとした眼でアキラを片目で見据えてくる。訝しげに眉を潜めたアキラは、何がどうというのかと本気で考え込もうとして、

 

「リサ先輩とは何かあったんじゃないのか」

「あるわけねぇだろ」

 

 次いで放たれた疑惑を切り捨てるように即答して、大きく、それは大きく溜め息をついた。

 

「仲良いじゃないか」

「仲悪い奴とパートナー組むわけねぇだろ」

「だから不安なんだ」

「気持ちはわからんでもないが……」

 

 先程互いに気持ちを伝えあったというのに、何故早くも疑惑をかけられなくてはいけないのか、と嘆息するアキラ。

 アキラからしてみれば、今井リサという存在は『なついてくれているかわいい後輩』というものだ。そこに、共通の趣味であるダンスでの関係もあり、波長が合う気安い間柄としてアキラはリサと友人関係を築いている。

 が、それをそのまま伝えても、巴は納得しないだろうと考え、

 

「あれだな。今井はあこと同じようなもんだ」

「あこと?」

「あぁ。かわいい妹と、かわいい後輩とで多少違うけども。あいつらに向けてんのは親愛であり友情。お前に抱いてるのは恋心であり愛情だ。区別するなら、そんなとこ」

 

 ふむ、と。我ながら上手い例えを出せたんじゃないのか、とうっすらどや顔を覗かせるアキラ。

 事実、リサとはダンス仲間でありパートナーとして活動するが、巴の妹であるあこもまた、中等部ではダンス部に所属しているのだ。

 流石にパートナーを組むことこそ無いにしろ、発表会やら何やらで顔を合わせることもある。案外、リサとあこはアキラと関わる部分が似通っているわけだ。

 

「納得したか?」

「え!? あ、あぁ。うん、大丈夫」

「驚くとこあったか……?」

 

 返事が無かったので声をかけると、びくりとして慌てた様子で返事をする巴。そんな巴に瞬きを数度繰り返したアキラだったが、まぁいいかと再度テレビへと視線を向けた。

 巴にしてみれば、遠回しとはいえ改めてストレートに好意を伝えられた訳で。

 この無自覚たらしめ、とぼふぼふ腹に頭突きをするという精一杯の抵抗をする巴であった。

 

 

 

 

 翌日。

 昼休みにて、昼食を求めて校舎から出ていったアキラは、近場に存在するとあるパン屋へと足を向けていた。

 周辺にはあの羽沢珈琲店や、懇意にしている精肉店等、なにかと足を運ぶことの多い商店街である。

 

「いらっしゃい。お昼休み?」

「どうも」

 

 そのパン屋――やまぶきベーカリーでは、夫婦である二人が交代しながら店番をしている。今カウンターに立っているのは奥さんの方で、アキラはパンを物色しながら、

 

「身体の方は大丈夫なんですか?」

「あら優しい。大丈夫よ、無理なら出させて貰えないし」

「あんまり信用出来ないですけど」

「ひどいわぁ。その言葉で倒れちゃいそ」

「別にいいですけど、また担いで病院まで運びますよ」

「そ、それは勘弁して欲しいかなぁ」

 

 放たれた冗談に、こちらも冗談ながら、けれど大真面目な顔で返された女性――山吹(やまぶき)千紘(ちひろ)は、苦笑しながらパタパタと顔を手で扇いでいた。

 そこに、新たな人物が現れる。

 

「お母さーん」

「あら、沙綾まで」

「までって、誰が……ありゃ、アキラさん。そっちもお昼?」

「沙綾。そういうお前は心配が先走ったと見た」

「せーかい。随分良くなったとはいえ、まだまだ不安でさー」

「わからんでもないな」

「もう。完全に一人って訳じゃないんだから、そんなに心配しなくても」

「っていうか! 立って接客はしなくていいってお父さんにも言われてるんでしょ? お母さんは座ってて」

「さっきまで座って……」

「アキラさん?」

「バッチリ立ってたけどな」

「お母さん!」

「アキラ君の裏切り者……」

 

 言いながら、すごすごとレジの裏にある椅子へと腰かける千紘。どっちが親だかわからない会話が終わると、そこそこパンを収穫していたアキラへと近付いていく。

 パンと言えば青葉のパンはすごい数だったな、と思い返しつつ、チョココロネの前に立ち思案しているアキラに、

 

「そういえば、巴とはその後、どうなの?」

 

 ここ数日の中でも一番のインパクトを持つ話題に、ピンポイントで質問をぶつけられたアキラは一瞬、身体が固まった。それでも表情は変えなかったのだから、当たり障りのない返事でも返せば追求はされまい、と口を開こうとして、すぐ横にいた沙綾のニンマリとした笑顔が目に入る。

 

「おやぁ、らしからぬ反応」

「……黙秘権を行使する」

「ちょっとちょっとぉ~まさか、まさかぁ?」

 

 チョココロネをひとつ確保したアキラは、これ以上情報を与える気はないと言わんばかりに早足でカウンターへと向かう。

 とっとと会計を終えて逃げてしまおう。そんなアキラの試みは、

 

「ごめんなさい、レジの調子が悪くて~。楽しいお話聞かせてくれたらすぐ直るんだけどなぁ」

 

 現れた二人目の敵により、早くも頓挫することとなった。

 病弱で儚げだった千紘が元気にこうしたやり取りをしていること自体は喜ばしい。が、その矛先が自分に向いているとなればまた話は変わってくる。

 一瞬、パンを放棄して逃げの一手を打とうかとも考えたアキラだったが、そうすると間違いなく晩まで持たない。二次成長がほぼ終わりかけているアキラと言えども、日頃動いている高校生は燃費が悪い。昼飯抜きはほぼ死刑宣告に等しい問題なのだ。

 しかし、話さなければ手元のパンはレジを通ることがない。こうして考えている間に、適当に誤魔化せる雰囲気でもなくなってしまった。

 もうこの際暴露しちまおうかな、などと諦めが顔を覗かせ、不意にポケットから着信音が鳴り響く。

 まさかな、と思いつつトレイを置いて、スマホを取り出して見れば。

 

「渡りに船って感じ?」

「三途の川を渡る船かな……」

 

 言いながら、電話に出る。

 もう面倒臭いので、あちらの要件を聞く前にこちらの現状を話してしまおうと口を開こうとして、それよりも早く、電話先の巴が言う。

 

『どうしようアキラ……』

「何がだよ……どうしようはこっちの台詞だよ……」

 

 何ともまぁ弱々しい声か、と。そう考えるアキラの返事もまた力無いもので。

 そのほんの少しのやり取りで、二人の頭に嫌な閃きが走った。

 そう。

 互いの置かれている状況が、同じようなものなのではないか、という、根拠こそ見当たらない、けれど半ば確信出来るような閃きが。

 

「まぁ、隠すことでもないか。お前が良いなら言ってしまえ」

『アキラがそう言うなら……。ちなみに、お前は誰に気付かれたんだ?』

「やまぶきベーカリーの親子にな。言わなきゃパンを買わせて貰えねぇんだ」

『なんだそれ』

 

 電話の向こうでクスクスと笑う巴に、アキラも苦笑する。

 どうやら、アキラも巴も、お互いが構わないなら関係を隠すつもりはないようで。

 それならまぁ話は早い、と。早々に通話を終えたアキラは、ニヤニヤと親子で良く似た笑顔を向ける二人へと、巴との関係を打ち明けるのであった。

 

 

 

 

「聞いたよ~アキラせ、ん、ぱ、い!」

「何をだよ。どんだけ広まるの早ぇんだよ」

「言葉が矛盾してるぞ?」

「うるせぇよ、誰から聞いたんだよ」

「ふふ~ん? さぁ誰からでしょうか」

 

 その日の晩、わざとらしくこちらを煽ってくるリサに向けて、割りと本気で嫌な顔を向けるアキラ。無意味にベースにて重低音を響かせてくるのが妙に腹立たしく、準備運動を止めて腰に手を当てた。

 

「多分、もうすぐ来るんじゃない?」

「お前勝手に人の家に呼ぶんじゃねぇよ……」

「それはごめんなさい。でも、先輩だって昨日言ってたじゃない? 今度呼んでみるかってさ」

 

 流石に少し申し訳なさそうにしたリサだったが、次いで放たれた言葉に少し考え込んだのはアキラ。

 昨日そんなような言葉を口にしたとすれば、該当するには一人しかいない。と、すれば。

 

「アキ兄! 久しぶりー!」

「だよなぁ、お前しかいねぇよなぁ」

 

 防音扉を勢い良く開き、勢いそのままアキラへと飛び付いてくる少女を抱き止めて、その紫色の頭を撫でる。

 撫でられた少女――宇田川あこは、ふふ~、と満足げに鼻を鳴らしながら胸元に頭を擦り付けていた。

 あこが一人で来る訳もなし、遅れて巴が階段の奥から現れて、妹の姿を見ては苦笑する。

 

「成る程、今井はあこから聞いたわけだ」

「そそ。学校終わりにあこがはしゃいであたしに会いに来てさー。話を聞いたらびっくりしたわけ」

「帰ってすぐにあこに疑われてさ。誤魔化しきれなかったんだ」

「だって、お姉ちゃんすっごいニコニコしながら帰ってきたんだもん。アキ兄の紅茶の匂いするし、何かあったのかなって」

「一日でえらく広まったもんだな……」

 

 巴の幼なじみメンバーは言うまでもなし、あこからリサに、アキラから沙綾へ。恐らくは沙綾からまた別の人間へと――恐らくは精肉店の娘さん辺り――話がいったと考えれば、近しい友人にはあらかた巴との関係が広まったことを思うと、悩みを通り越して感心すら感じてしまうアキラ。

 悩むといっても、精々がちょっとしたからかいを食らう程度。開きなおってしまえば大した問題でもないと、この問題に対するスタンスを決めてしまう。

 

「んで? ただそれだけで呼んだのか?」

「まさか。イベントにあこも出るって」

「友達と出るんだ。リサ姉に誰と出るのって聞いたら、アキ兄とって言うし。一緒に練習してるなんて羨ましくって」

「じゃあライバルじゃねぇか。敵に塩送れってか」

「冷たいやつだな。少しくらいいいだろ」

「別にやだなんて言ってねぇだろ……」

 

 腕を組んで冷めた視線を向けてくる巴に、妹には本当に甘い奴だなと嘆息するアキラ。

 ちらりと胸元に視線を落としてみれば、悲しそうにこちらを見上げてくる小動物の姿。

 

「やるなら上で着替えてこい。まさかその格好で練習するつもりか」

「やったー! 色々教えてね、アキ兄!」

 

 言うが早いか、アキラから離れて来たときよりも勢い良く階段を駆け上がっていくあこ。その後ろ姿に、転ぶなよと声をかけつつ、準備運動を再開する。

 その姿に、じゃああたしもー、とベースを片付け始めるリサ。

 

「ここで着替えた方が良い?」

「だ、ダメに決まってるじゃないですか!」

「お前が反応すんのか……」

 

 ケラケラと笑いながら、リサも階段を上っていく。

 残された二人は、

 

「…………」

「いや、俺は悪くねぇ」

 

 むぅ、と微妙に頬を膨らませる巴と、悪くないはずなのに何故非難されなきゃならんのだ、と腑に落ちないアキラなのであった。

 

 

 

 

 

「あこはオールドスクールだったか」

「一番得意なのはロッキンだけどね」

「ロッキンか……あんまり教えられねぇけど」

「でもあこ、アキ兄の見てこれに決めたんだよ?」

「たまたまやってたんだろうな。どっちかって言えばポッパーだし」

「んー……でも格好いいからロッキンでいく!」

「まぁいいさ。絞った方が良いし」

 

 適当なダンスナンバーが流れる中で、靴のグリップ音が響く。

 リサでは畑違いになってしまうので、あこの練習はアキラが見ることに。

 先ずは適当に合わせてみろ、との言葉に、言われるままに踊り始めるあこの動きを眺めつつ、気になった箇所にぽつらぽつらと指摘していくアキラ。

 あこの為に、合わせやすい、多少早めの曲をかけてやると、

 

「せんぱーい。曲はやーい」

「頑張って合わせろ。イベントで都合良くジャズなんてそうそう流れんぞ」

「うへぇー……」

 

 と、リサが微妙に文句を言ってみたり。

 

「そうだな、もうちょっとしたらバトルの真似事でもしてみるか。ジャッジは巴で」

「うぇ!?」

「ただ見てるだけとかつまらんだろ」

「でも、何が良いとかわかんないぞ?」

「純粋に凄いと思った、とかでいいんだよ。今回のジャッジはそんな感じだろうし」

 

 遊びながらプチバトルを始めてみれば、

 

「……アキラがインパクトあったな、やっぱり」

「アキ兄大人げない!」

「ブレイク使わないって言ってたじゃん!」

「イベント前に負け癖付けたくないし」

 

 ほぼ大技で勝負を決めたアキラに、負けた二人が苦言を呈してみたり。

 はたまた、

 

「どうせだからなんか叩けば?」

「あ、じゃあベースで入ろ」

「アキラも入れよ。ピアノやってたろ」

「アキ兄ピアノ弾けるの?」

「母さんから妙にスパルタに叩き込まれてな……」

 

 妙なところで過去を掘り起こされ、遠い目をしながらガタガタとキーボードを引っ張り出して、素人一名が混じったセッションをしてみたり。因みに、ここでは体力切れを起こしたあこは不参加である。

 

 楽器を触ったぶん、前日よりも一時間程遅く、その日の練習は終わりを告げる。

 つつがなく清掃を終えた四人は、順番にシャワーを浴びて、少しの間リビングで寛いでいた。

 

「他二人はともかく、あこは何にする」

「コーラ!」

「帰ったら歯磨けよ」

「あたし達には聞かないの?」

「アイスティーに文句があるなら聞く」

「ないですけどー」

「なら言うなよ……」

 

 言いながら、確か、あこが飲むぐらいなら、缶でいくらかあったはずだな、とキッチンの奥にある冷蔵庫を探るアキラ。

 その間、女子だけとなったリビングでは、二人による尋問が始まっていた。

 

「で、どっちから?」

「えっ?」

「とぼけないとぼけない。どっちから告白したの? 聞かせて聞かせて~?」

「アキ兄じゃないかな!」

「でも先輩、あぁ見えて奥手なとこあるからなー。巴から動かなきゃ、進展しなかったんじゃない?」

「え、えーっと……」

 

 巴から行ったのは事実ではあるが、それを正直に伝えるには少々内容が危ないことに、笑顔を浮かべてごまかそうとする巴。

 まさか嫉妬に駆られて押し倒した挙げ句、勢いでキスしちゃいました、なんて。

 

(……言えるわけあるかっ!)

 

 内心で叫びながら、どうなのどうなのと迫り来る妹と先輩に、早く戻ってきてくれとアキラに助けを求め、しかし現実は無情である。

 その手に何も持っていないアキラは、一度自室へと姿を消すと、財布片手に現れる。

 

「あこ、コーラ無いから自販機で買ってくるわ」

「ちょっと待っ……!」

「いってらっしゃーい」

「こ、紅茶はどうするんだ!? 見てなきゃ……」

「あん? 今蒸らしてるだけだし、帰ってきたら淹れてやるよ」

「そうじゃなくて……!」

「はいはーい。行ってきた行ってきた」

「男は邪魔ってか? 肩身狭ぇなぁ」

 

 巴による必死の引き留めも、リサによって背中を押されたアキラは飄々とした態度で行ってしまった。

 玄関の扉が閉まる音に、これだけ絶望感を感じるのは初めてだ、と彼女は思う。

 家主が消えた今、巴の味方はどこにも居ない。いるのは好奇心に舌なめずりをする、二人の獣と哀れな獲物のみだ。

 

「さて。ではでは? 色々聞かせてもらおっか?」

「はは、は……」

 

 

 

 

 

 

「すまん、巴」

 

 玄関から外に出たアキラは、両手を合わせてそう呟いてから歩き出す。

 彼女の様子を見れば、自分に助けを求めていたのは一目瞭然。しかし、あそこで素直にあの場に残るのは、見えている落とし穴に自ら引っ掛かりにいくようなもの。

 あの様子では、自分が帰る頃には洗いざらい、根掘り葉掘り質問されて蹂躙されているだろう。

 自分にも関わるので当然後でダメージは食らうだろうが、それでもアキラはあの場から逃げることを選んだ。

 

「コーラ無いのは本当だし、うん」

 

 可愛い妹分の為だ、致し方なし。

 そう自己を正当化し、アキラはいつもよりもゆっくりと、近場の自販機に向かうのであった。

 

 

 

 

 

 そうして帰ったアキラを出迎えたのは、ゆでダコのように顔を真っ赤にして俯いている巴と、こちらもまたいくらか頬を染めたリサとあこで。

 

「あたしってば……結果的に天使なキューピッド?」

「アキ兄、ファーストキスって紅茶の味するんだね!」

「マジでお前ら容赦ねぇな」

 

 思ったよりもひどい暴露っぷりに、生け贄にしてしまった巴に流石に申し訳無くなるアキラであった。




本作の千紘さんは割りと元気です。沙綾はまだバンドに参加していないので、ポピパは未だ未結成。時系列に不安を感じる今日この頃。
次いでに言えばあことリサのダンススタイルは勝手に決めてます。あんまり描写は深くしないので、適当に読み流してくれれば。


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九話:カプチーノ、チノ

「ん……」

 

 薄暗い部屋の中、横になったまま瞼の上がりきらない目を擦りながら、何やら胸の上に重たいものを感じるアキラ。

 視線を向けないままに手をそこにやると、ふわふわとした手触り。次いで、ざらざらと湿った何かが指を舐め、小さく、にゃあと鳴き声が聞こえてくる。

「チノか……おはよう」

 

 胸の上で箱座りをしていた猫――チノと呼ばれた猫は、じっとアキラの顔を眺めたままに動かない。

 いつものことなので、抱き上げて横にずらしてから起き上がる。くわぁっ、と大きな欠伸をするチノにつられて欠伸をしながらも、朝日を遮っていたカーテンを開け放った。

 

 

「ほれ」

 

 朝食の準備を片手間に、チノの飲み水とキャットフードを皿に盛って置いてやる。

 アキラの足元をうろうろしていたチノは、そちらにおとなしく向かって水を飲み始めた。

 それを確認してから、アキラも朝食を取り始める。チノのおかげか普段より早く目覚めたので、いつもよりも余裕がある時間帯だ。

 

「ん。もういいのか」

 

 ドライフードを食べるカリカリ音が消え、ソファに座るアキラの横へと寝そべるチノ。膝の上に乗らないのは、まだアキラが朝食を食べているからなのか。

 

「食ったらブラシかけてやるからな」

 

 そんなアキラの言葉に、チノはそのふわふわの尻尾を軽く動かした。

 

 

 

 

「おはよ」

「おう、おはよう」

「お? 珍しいな、チノじゃないか」

 

 登校し始める三十分程前には、巴が家にやってくる。

 恋人関係になってから一週間、以前はそうでもなかったのが、あれから毎日こうして朝には顔を出すようになった彼女。

 そんな彼女を出迎えるアキラの足元には、ふわふわとした物体がまとわりついていた。

 巴が手を伸ばすと、特に逃げるわけでもなくされるがままに撫でられる。

 

「あんまり降りてこないのにな」

「慣れたんだろ。お前には元々ちょくちょく顔出してたし」

 

 リビングに戻ると、座り込んだアキラの膝上にすぐさま陣取るチノ。撫でろと言わんばかりのリラックス体勢に、そのふわふわの身体に手を這わせながら、適当にテレビのチャンネルを回す。

 アキラの家で飼っているこの猫。バーマンという大きめの、それでいて体毛の多い種類である。カプチーノみたいな色をしているので、アキラは安直にチノと名付けている。年は四歳でメス、利口で大人しい猫だ。

 アキラの両親が海外に行く際に、一人では寂しかろうと買い与えた猫であり、恐らくはアキラの人格形成に一役買っているであろう存在でもある。

 基本的に、アキラが居ないとき、もしくはアキラ以外の客人が家に来ている時は、人前に姿を現さない。二階にある、日当たりの良いチノ用と化している部屋にいるか、バルコニーにて日向ぼっこをしているのが常である。

 時折、外から確認出来る、リビングにある大きな出窓にて寝そべっている姿も確認出来るが、そんなことはレア中のレアであり。

 そんなものだから、アキラが猫を飼っていることを知っているのは、宇田川家の人間くらいのもので。ここ最近練習でアキラの家に訪れているリサにも、チノの存在は知られていない。

 昔から知っている巴には、姿を見られてもどこ吹く風とその場に留まり続けるチノだが、これがあこになると一目散に二階へと消えていくのだから、結構な人見知りである。

 ごく稀に初対面でも何故か逃げないこともあるが、その時にチノが何を考えているのかはわからない。

 賢く利口ではあるが、猫なので基本は気まぐれなんだろうな、とアキラは気にしてはいないのだが。

 

「品種的には人懐っこいはずなんだけどなぁ」

「アキラには懐いてるし、いいじゃないか」

「まぁそれはそれで優越感あるしいいけど」

 

 膝に感じる重量感に心地好さを感じつつ、その豊かな毛並みに指を通す。細やかな毛が指の間を走り、知らず知らずのうちに笑みが溢れているアキラ。

 普段あまり笑わないアキラの安らかな笑顔に、頬杖をついてその横顔を眺める巴。

 羨ましいような、嬉しいような。そんな何とも言えない感情を抱えていると、チノが此方をじぃっと見つめていることに気づいて。

 

「わっ」

「はは、珍しい」

 

 のそり、とアキラの膝から巴の膝の上へと移動して、我が物顔で身体を丸めてしまうチノ。

 こんなことは初めてだな、と思いつつ、恐る恐るその身体を撫でてみる巴。

 

「丁度良い、着替えてくる」

「あ、あぁ」

 

 自室に消えるアキラ。

 普段なら必ずその足元に付いていくチノが、ちらりと目を開いてそれを確認しただけで、膝の上からどく気配がない。

 

「認めてくれてたりするのか?」

 

 そんな巴の言葉に、チノは大きく欠伸を返すだけだった。

 

 

 

 

 

「今日は休みにする」

『休み? イベントまで一週間切ったのに』

「だからだよ。二週間ぶっ通しで練習するつもりは端からない」

『んー……』

「そもそも、俺はともかくお前の疲れが気になる。たまにはダンスからもバンドからも離れて休むのも必要だぞ」

『……わかった。今日は大人しく早く帰るよ』

「遊ぶなとまでは言ってねぇけど。ほどほどにリフレッシュするんだな」

『りょーかい。あ、それとひとつだけ』

「?」

 

 昼休みにて、適当に購買で昼食を終えたアキラは、リサに休みを告げる為に電話をかけていた。

 微妙に難色を示すリサを納得させ、通話を終えようとしたところで、リサがアキラを言葉で引き留める。

 窓枠に肘をついて眉を潜めたアキラに、リサは多少申し訳無さそうに。

 

『あのね、前に話した幼なじみなんだけど……』

「あぁ、それがどうかしたか?」

『なんて言えばいいのかなぁ……その、アキラ先輩を疑ってるって言えばいいのか』

「疑われるようなことは……あぁ、いや。なんとなくわかった」

 

 別に悪いことも怪しいこともしてねぇだろ、と一瞬思ったものの。

 よくよく考えてみれば、その幼なじみがリサの行動を知っているとして。彼女からしてみれば、見知らぬ男の家に毎晩幼なじみが出入りしているのだ。

 

「毎晩毎晩男の家に出入りしてるのが不安なわけだ」

『察しが良くて助かるわぁ……。あこもアキラ先輩なら心配ないって言ってくれてるんだけど、友希那ってば自分の目で見なきゃ安心出来ないって』

「お母さんか何かか」

 

 言いながら、けれどその幼なじみの言い分もわからなくもないな、なんて思うアキラ。

 もし、自分の立場なら――巴が、見知らぬ男性の家に毎日出入りしていたとして。アキラは自分を自制出来る自信等欠片もない。まかり間違えば殴り込んでいる可能性もあり、そんな自分の姿があっさり想像出来た辺りで、彼はその考えを打ち切った。

 

『もしかしたら、今日辺り会いに行く、なんてこともあるかもしれないかな』

「それ自体は別に構わんが……」

 

 頭にちらつくのは、当然ながら巴の姿だ。あまり頻繁に別の女性と会っていては、彼女も面白くないだろう。

 そもそもリサを毎日家に招いているのも、口にはしないがきっと不満はあるであろうことを考えると、連絡くらいはしておかないといけないだろう。

 そんなアキラの悩みを知ってか知らずか、リサは先程よりも申し訳無さそうに、

 

『一目見れば友希那も納得するだろうし、面倒かもだけど、そういうことで。あ、巴にもこっちから言っておくからさ』

「気遣いどうも。頭には入れておくよ」

 

 そう言って通話を終え、アキラはひとつ息をつくと、またすぐ別の人間に電話をかける。

 

「……あぁ、巴? ちょっと話があってな」

 

 

 

 

 

 時は過ぎ、放課後。

 何の連絡も無かったにしろ、今日は真っ直ぐ帰った方がいいな、と予感に従って家路についていたアキラは、家の通りに差し掛かったところで、見慣れない人物が家の前に立っていることに気が付いた。

 紫がかった銀髪。腰まで伸びたそれを風に揺らしながら、姿勢良く立っているその姿に、不覚ながらも一瞬目を奪われる。

 羽丘の制服を身に付けた彼女を、アキラはあれが件の幼なじみであろうと推測し、

 

「……ねこ」

「家の猫に何か?」

「っ!?」

 

 何やらとろけた声で放たれたひらがな二文字に気を削がれながらも、それを切っ掛けに声をかける。

 身体を跳ねさせてアキラに反応した彼女――(みなと)友希那(ゆきな)は、彼を見定めるような、厳しい瞳を彼に向けた。

 

「貴方が、リサの」

「そう言うってことは、今井の幼なじみってのはアンタのことだな」

 

 玄関の鍵を開けながら言うアキラは、背中に視線を受けながら、そのまま扉を開け放ち。

 

「まぁ、上がれよ。一目見ただけで納得するほど単純でもねぇだろ

「…………」

「警戒するぐらいなら一人で来るんじゃなかったな。立ち話なんてする気はねぇし」

 

 言いながら、足を踏み入れたところで、チノがアキラの身体を駆け上がり、肩から下げているエナメルバッグの上にその身を落ち着ける。

 にゃあ、と鳴くその頭を軽く撫でながら、変わらず視線を向けてくる――微妙にその先がずれているような気もするが――友希那へと振り返った。

 あわよくば帰ってくんねぇかな、なんて期待を込めながら。

 

「……失礼、するわ」

 

 凛とした声で、此方へと歩いてくる彼女に溜息をついて、彼女が家に入ったところで玄関を閉めた。

 

 

 靴を脱いで、リビングへと向かう。その後ろをついてくる友希那へと、ソファに座るように進め、アキラは自室に荷物を置いて、そのままダイニングキッチンへと足を進めた。

 ふと、初対面の人間がいるのに、チノが変わらず足元にいることに気づいて。

 

「珍しいな」

「……?」

「ああ、アンタじゃない。この猫の話」

 

 流れる手付きで紅茶を入れる準備をしながら、足元をうろうろするチノを踏まないように気を付ける。

 

「何か飲むか」

「……遠慮しておくわ」

「そうかい、と」

 

 どうにも警戒され過ぎだな、と。

 そう思うと同時に、ソファに座っている彼女に対し、相性は良くねぇな、と自分との評価を下すアキラ。蘭とは同族的な意味で反発しそうであったが、友希那とは真っ正面から対立してしまいそうな雰囲気がある。

 元より自分を取り繕うつもりのないアキラである。下手をすれば、安心させるどころか、その真逆の結果にもなりかねない。

 そんな未来がちらほら頭にちらついたところで、ポケットのスマホが震えた。画面に表示された名前に、これはいいとすぐに耳に当てた。

 

『先輩! もしかしてだけど――』

「そのまさかだよ。来れるなら来い」

『もう来てる! おじゃまします!』

 

 早ぇな、と突っ込む前に、玄関の開く音。

 びくりとしたチノを抱き抱えると同時に、肩で息をするリサと、同じように息を乱した巴がリビングに駆け込んでくる。

 

「リサ?」

「もう、友希那ってば……! 行くなら一緒にって言ったじゃん!」

「それは……」

「あんまり騒がしくすんなよ。チノが怯える」

「あ、ご、ごめん。先輩猫飼ってたんだ」

「いいから座って落ち着けよ。巴、パス」

「ん? あぁ。二階に行かせればいいのか?」

「そのつもりならとっくに暴れて二階に逃げてるよ。座って動かないようなら好きにさせてやれ」

 

 チノをアキラから受け取り、そのまま抱き抱えてソファに向かう巴。

 手を離せば直ぐに逃げるだろうな、との巴の予想は外れ、チノは朝と同じく巴の膝の上で丸くなった。

 そのままチノを撫でながら、別のソファに並んで座っているリサと友希那を眺める。

 

「まさかホントに一人で行っちゃうなんて。先輩に連絡しといて良かったよ……」

「見定めるだけなら、一人でも充分だわ」

「互いに初対面なんだから、先輩だって身構えちゃうでしょ。それに……」

 

 言葉を切り、ちらりと巴に視線を向けるリサ。その視線で何が言いたいのか理解した巴は、別に気にしないでいい、と軽く首を横に振った。

 前もってアキラが連絡をくれていたので、巴としては今回に関して特に心配はしていない。

 そんな様子の巴に息を吐いたリサが、まぁいいや、と小さく呟いたところで、アキラが紅茶の準備をしにテーブルへとやってきた。

 

「ミルクティーでいいか」

「あ、アタシは大丈夫。友希那もいいよね?」

「私は別に……」

「いいから頂きなって。美味しいんだから」

 

 目を逸らしながら言う友希那に、笑いかけながら薦めるリサ。随分性格の違う幼なじみだな、と思いつつ、巴の膝上にいるチノへと視線を向ける。

 アキラがいることで微妙に身体を起こし気味になったチノの首もとを指でくすぐりつつ、ゴロゴロと喉を鳴らす彼女に柔らかく笑いかけ、

 

「すっかり巴にも懐いたな。良いことだ」

 

 もう少しそこにいろよ、と最後にひと撫でしてから、アキラは再度キッチンへと向かう。

 その一連の流れを見ていたリサが瞬きを数回繰り返した。

 

「猫飼ってるのも知らなかったけど……」

「ふふ。一応、あんな風にも笑うんですよ?」

「なぁに~? 幼なじみの特権、的な? それとも……」

 

 巴の言葉に、何やら余裕のようなものを感じたリサが、ニヤニヤとした笑みを巴に向ける。

 彼女に散々からかわれたので耐性でもついたのか、それともこの一週間ですっかり慣れてしまったのか、巴は笑顔を返すだけ。

 そんな巴を微笑ましく思いながら、でも! といきなり隣にいる友希那の腕を取る。驚いた友希那の視線を華麗にスルーした彼女は、

 

「友希那だって、猫と遊んでる時はスッゴい可愛いんだから!」

「ちょっと、リサ……」

 

 気恥ずかしいのか、その頬を赤く染めながら、その話はやめて、とリサの袖を引く友希那。そんな友希那の姿が意外で、今度は巴がパチパチと瞬きを繰り返すことになった。

 そうこうしているうちに、アキラが準備を終えて戻って来る。

 四人分の紅茶をテキパキと淹れてしまったアキラは、巴の隣に座りこむと、先に一口ミルクティーを口に含んだ。

 次いで、リサが一口飲むと、味の違いに気付いて首を傾げる。

 

「これ、前と違う?」

「あぁ。何の茶葉かわかるか?」

「えぇー、わかるわけ……」

「ディンブラ、だろ? ミルクティーでも美味しいんだな」

「好きなだけあるな。正解」

「好きにさせたのはお前、だけどな」

 

 にっこり笑って言ってくる巴に、む、と一瞬口をつぐむアキラ。慣れたのか開き直ったのか、人前でも言動に遠慮がなくなってきたような気がして、軽く動揺したのをごまかすように軽く膝を叩く。

 それを見たチノがのそのそと移動して、アキラの手に顔を擦り付けてから丸くなった。

 

「……で、どうだい。湊、だったか」

「どう、とは?」

「俺が信頼するに値するか、って話だよ。それを見定める為に来たんだろ」

 

 その割には視線がチノを捉えて離そうとしないが、そこを指摘すると話が進まなくなるので、今は取り敢えず置いておく。

 そんなことを考えながら、膝元のチノをゴロゴロ鳴かせるアキラ。友希那はチノとアキラの顔を交互に眺めて、ひとつ息を吐いてからミルクティーを口にした。

 

「……そうね。悪い人じゃなさそうなのは、認めるわ」

 

 でも、と。隣に座るリサの顔を一瞥した彼女は、直ぐにアキラへと視線を戻し、どこか厳しい目付きのままに。

 

「本当は、ダンスなんかにかまけてないで、音楽に集中して貰いたいのが、私の本音。貴方に惑わされてバンド活動に支障が出るなら、私はそれを看過できない」

「ちょっと、友希那!」

「リサは黙ってて」

 

 言葉を挟んだリサに、厳しい目付きのままでそれを切り捨てる。そんな彼女に、アキラは目を伏せて頬を掻いていた。

 一昔前なら、友希那の物言いには真っ正面から食ってかかっていただろう。特に、ダンスなんか、の辺りに気に食わないものがある。

 今までの付き合いで、リサがダンスを楽しんでやっているのを見てきたアキラからすれば、それを全くの無駄だと言わんばかりの友希那の言動が気に入らないのは当たり前だ。

 

「ふん」

 

 ここで自分の気持ちを抑えて穏便に済ませることは簡単である。簡単では、あるのだが――

 

 目を開ければ、多少不安げな巴の視線が自分へと注がれており、それを感じながらも、アキラはあえて。

 

「すると、何だ。お前は今井に、音楽以外に無駄な時間を使って欲しくないと。そういうことか?」

「端的に言って、そうね。私達は頂点を越えて、遥かその向こうの高みを目指している。その為には、一切の無駄を省いて進んでいくしか道はない」

 

 友希那が言い切ったその瞬間、チノがアキラの顔を見上げて、直ぐ様膝から飛び降りてその場から走り去っていく。

 巴はそれを見て額に手を当てて、リサは漂い始めた剣呑な空気に、不安げに二人の顔を交互に見ることしか出来ない。

 そんな空気の中、ついにアキラが口火を切った。

 

「つまんねぇな」

「……何?」

「つまらない、って言ったんだよ」

 

 鼻で笑ってそう告げたアキラの顔は、嘲笑で歪んでいる。対する友希那の顔は、先程よりも増して固いものになり、空気は更に冷たいものへと変化した。

 それでもアキラの態度は崩れない。ソファの肘掛けに頬杖を付いた彼は、友希那を挑発するかのように言葉を紡ぐ。

 

「音楽音楽って、そればっかやってて良い音楽が出来るとでも思ってんのか? ましてやお前らバンドグループ、全員がそんな考えしてんなら尚更だ」

「……それは、私達を侮辱しているのかしら」

「先に馬鹿にしたのはお前の方だぜ? それに、ダンス『なんか』にかまけてる奴の言葉だ、軽く聞き流せば良いじゃねぇか。音楽『なんか』。そんな程度にしか考えてない奴の戯れ言なんだ」

 

 挑発しているとしか思えないアキラの言葉に、みるみるうちに場の空気が冷えていく。

 そうして、どちらも何も言わなくなり、重く冷たい空気のままに時間ばかりが過ぎていく――かのように思えたところで。

 

「……はぁ。やめましょう」

「なんだ、思ったよりも冷静なんだな」

「わざとやっていた人がよく言うわね」

「そいつはお互い様だな」

 

 不意に、緊張が弛緩する。

 先程まで冷戦状態に見えた二人の間にあった空気は、瞬く間に消えてなくなり。

 

「少し、冷めてしまったかしら」

「淹れ直すか?」

「いいえ、充分よ。……悪くないわね」

「そいつはどうも。っと、戻ってきたな」

 

 若干二名が急激な空気の変化に付いていけずに唖然としている中、友希那は自然と紅茶を楽しみだし、アキラはアキラでいつの間にか戻ってきたチノを可愛がり始める。

 そこから数秒経って、ようやく目の前の状況を把握した二人のうち、より唖然としていた片方が、

 

「ちょ、ちょっとちょっと。なにこれ」

「どうかした?」

「どうもこうもないって! アタシは二人がケンカするんじゃないかってハラハラして……」

「ま、そうなるわな」

 

 リサの言葉に、つらっとした顔でそう返す二人。

 え、えぇ? とそんな二人を見て動揺を隠せないリサを横目で見つつ、巴は溜息をつきながらアキラへと顔を向けた。

 

「で、どういうことなんだ?」

「どういうことかって言われると、だな……」

 

 どう説明したものか、と友希那へと視線を向けるアキラだったが、彼女は彼女でリサに問い詰められているようで。そのクールな表情を微妙に崩しながら、彼女もまたアキラへと視線を向けている。

 ここは年上が言うべきか、と頬を掻いたアキラは、取り敢えずざっくりと今のやり取りを説明することにした。

 

「早い話が、互いにカマ掛け合ってたってことだ」

「カマ?」

「そ。ダンスやってる人間に、わざわざそれを貶すようなこと言わねぇだろ? そもそも幼なじみである今井がダンスやってんのに。もっと言うなら」

 

 あちらは既に説明を終えたらしい二人に視線を向ける。

 と言っても、聞こえてきた会話は、単に試してみただけよ、との一言だけだったのだが。

 

「音楽に集中して欲しい、ってのは本音だとしてもだ。本当にダンスを辞めて貰いたいなら、イベントになんか許可出さねぇだろ。ましてや自由参加だしな」

 

 今井に言ってあこに言わねぇのも変だし、と続け、なるほどと巴が納得したところで、友希那が立ち上がる。

 見れば、カップは既に空になっており。

 

「取り敢えず、リサも信頼してるみたいだし、今回の件に関しては何も言わないことにするわ。でも」

 

 去り際に、一度振り向いた彼女は、会った時と同じ目付きを彼に向けると。

 

「リサに怪我なんかさせたら、許さないから」

 

 そう言い放って、彼女は玄関から外へと出ていってしまう。ご馳走さまくらい言ってけよなぁ、とぼやくアキラは、けれど然程気にした風でもなくカップを回収。

 慌てたように立ち上がったリサが、友希那を追いかけようとして、

 

「ちょっと友希那、待ってってば! ごめん、先輩! また明日から宜しくね! あとご馳走さまっ」

 

 ばたばたと騒がしく去っていくリサの後ろ姿を見送りながら、はいはい、と空いたカップを片付け始める。

 既に巴の膝上へと移動していたチノを、彼女は抱き上げて顔を近づけると、

 

「騒がしいにゃあ。な、チノ?」

 

 アキラは手元のカップを落としそうになった。

 

 

 

 

 

 

 

「もう、友希那ってば。聞いてる?」

「聞いてるわよ。今日のリサ、そればっかりね」

「誰が言わせてるのさっ」

 

 わかりやすく憤慨している幼なじみの姿に、悪かったわよ、と小さく笑いながら返す彼女。

 全くもう、と小さく肩を落としたリサは、けれどすぐに気持ちを切り替えたようで。

 

「でもさ、なんで友希那は、先輩がわざとやってるってわかったの?」

「あぁ……それはね」

 

 友希那は一度振り返り、アキラの家をしばし眺める。

 初めて訪れた、訳ではない(・・・・・)

 彼とは初対面ではあるが、友希那は彼のこと自体は知っていた。一人で訪れたのも、リサのこととは関係なく、彼の人となりを確認してみたかったから。

 

「……友希那? 忘れ物でもした?」

「いいえ」

 

 リサの言葉に、再び前を向いて歩き出す。

 ちょっと、と後ろから聞こえる幼なじみの声を聞きながら、友希那は小さく呟いた。

 

あの人(・・・)の子供が音楽『なんて』とか、言うはずないじゃない」

 

 




次回更新は日曜日。


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十話:放課後デート

更新し直し。


 放課後。アキラがいつも通りに帰る支度を整えていると、机の上に置いていたスマートフォンが震え出した。画面を見れば、そこには今井リサの名前が映っており、用件自体には半ば予想がついているものの、素直に電話に出るアキラ。

 電話の向こうから、あ、もしもーし。と明るい声が響いて、

 

『今日はスタジオ練でーす』

「知ってる。てか昨日言ってたじゃねぇか」

『アハハ、まぁ、一応?』

 

 やっぱりな、と椅子に背中を預けて苦笑いする。彼女はこういうところで律儀なのだ。

 

「イベントまであと三日。まぁ、これといって詰めるようなこともないし。俺も今日は休みにするかね」

『それもいいかもね。先輩、最近妙に気合い入れてたし……あ、今更だけど。先輩はどこまで狙ってる感じ? やっぱり優勝?』

「殊更優勝にこだわるつもりはないが……お前と組む最後の機会かもしれんし。手を抜くつもりはないよ」

 

 言って、電話先のリサは黙りこんで。少ししてから小さく笑った。

 

『……なーんだ、気付いてたんだ』

「こないだの幼なじみさんの言葉と、お前から誘われた時の様子を考えれば、何となくな」

『察しが良すぎるのも困っちゃうなぁ』

「わかりやすいお前が悪い。長話もしてられないだろ、練習頑張れよ」

『うん。ありがと』

 

 通話が切れたのを確認してから画面を落とし、机を指でとんとんと叩いてみる。

 テーピングが巻かれた彼の右手首。それをじっと見つめてから、アキラはバッグを肩に掛けて立ち上がった。

 元々痛めていたその部分。イベントまでの時間を考えれば、今更追い込んでも逆効果になるだけ。

 当初の予定通り、一人での参加なら怪我をおしてまで無理をするつもりはなかった。しかし、幾度となく組んできたパートナーとの最後のイベントとなれば、嫌でも力が入るもの。

 根が体育会系のアキラは、リサが今回のイベントを最後にして、バンド活動に集中しようとしていることに気付いてから目に見えて練習に力を入れていた。

 イベントで十全の力を出すならば、どの道後一日は休みをいれなければならない。そう考えれば、今日はちょうど良い機会だったのかもしれない。

 

「かといって、一人で過ごすのもなぁ」

 

 夜になれば巴が家に来てくれるとはいえ、それまでの放課後はまるっきり空いてしまう。そこで、彼はふと気づいた。

 思えば、恋人になってから、たったの一度も、いわゆるデートと言うものをしたことがないんじゃないか、と。

 

「やばいな。愛想つかされるかも」

 

 言葉の割には気楽な口調で、教室を後にするアキラ。

 連絡してみようかと思ったが、なんとなくそれは止めて、ポケットに伸びた手をそのまま突っ込んだままにする。

 向かうは羽丘女子学園。先に帰ってたりするかもしれないが、それはそれで仕方なし。取り敢えずは、行くだけ行ってみようと彼は足早に学校から出ていくのだった。

 

 

 

 

 

「うーん……」

 

 巴は微妙にモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、机の上に乗るスマートフォンを睨み付けている。

 放課後に入って約十分。既に授業道具等は鞄に収まり、今すぐにでも帰れる状態になっているものの。彼女は立ち上がる素振りも見せずに唸っている。

 指先で、つつい、と画面を操作して、映ったのは想い人の電話番号。後ひとつ、一ヶ所タップするだけで電話がかかるそこまでいって、彼女はまた(・・)画面を暗くさせた。

 

「イベントが終わるまではお預けかなぁ」

 

 スマートフォンを持ち、教室の窓から外を眺める。

 ちょうど一人の女子学生が校門から出ていって、その先にいた男の腕に絡み付く。きっと、これからどこかへ遊びに行くのだろう。そう考えると、巴は出てくる溜息を抑え切れなかった。

 彼女とて、思春期の女の子である。ましてや、ついこの間、長い間想っていた人間と結ばれたばかりであって。

 恋愛脳、とまではいかずとも、頭の中をそれが占める割合はそれなりに大きいものがある。けれども――

 

「邪魔はしたくないし……」

 

 一緒にいたい。出来るならば触れ合いたい。それは、恋人ならば当然の欲求でありながら、彼女はそれをどこかいけないことだと自制している節があった。

 それというのも、一度それらを欲求に任せて行動に移してしまうと、歯止めが効かなくなるんじゃないか、と彼女は考えているからだ。

 会えばずっと一緒にいたいし、手が触れれば繋ぎたくなる。繋いでしまえば腕を抱きたくなるし、最後には身体ごとこの腕で抱いてしまいたい。

 ……前科があるゆえに、巴はその辺りの自制心を全く信用していなかった。

 

「はぁ」

 

 もう一度溜息をついて、自分の席へと戻る。

 欲を言えば、放課後デートなんてものをしてみたい彼女だったが、それは半ば諦めてしまっていた。

 夜になれば家に行ける。親にも関係がばれてしまってからは、むしろどんどん行けと背中を押されているくらいなのだから、そこに懸念は必要ない。

 ここは我慢、我慢の時だ。蘭かひまりでも誘って遊びに行こう。遊んでいれば放課後なんかあっという間さ。

 そう、沈みそうになる気持ちを無理やり引っ張り上げて――

 

「トモちーん。愛しの彼がお迎えだよー」

 

 ――鞄を引っ付かんで、椅子を撥ね飛ばして走り出した。

 

「わぁお。……うんうん、トモちんもやっぱり女の子ですなぁ」

 

 

 

 時は少し戻り、巴がうんうん唸っていた頃。アキラは羽丘の校門に背中を預けて立っていた。

 もう帰ってしまったかな、とスマホを取り出し、時間を確認しようとして、

 

「不審者はっけーん」

「割りと冗談にならんからやめろ」

 

 ぬっ、と。顔だけ出したモカに間髪いれずに突っ込んでいた。

 場所が場所なだけに危ない言葉を吐いた張本人は、いつも通りの緩い微笑みをたたえたまま、アキラの隣へと移動して、同じように背中を校門の壁に預けた。

 

「トモちん?」

「色々言葉が足りないけども、その通り」

「呼んできてあげよう……お代はやまぶきベーカリー」

「色々突っ込みたいところだが、それで済むなら頼もう」

「話が早くてけっこうけっこうー」

 

 くるり、と。言いながらアキラの前へと移動したモカは、直ぐ様学校へと戻る、わけではなく。

 しばらくじっと、アキラの顔を見つめた後に。

 

「トモちんも女の子だから、あんまり寂しくさせないであげてね」

 

 それだけ言って、今度こそ、校内へと戻っていった。

 残されたアキラは、ポリポリと頬を掻きながら呟く。

 

「……泣かせたりしたら、後がおっかねぇな」

 

 

 

 

「アキラ!」

「悪いな、連絡もしないで。……走ってきたのか」

「えっと……待たせたら悪いかと」

「勝手に待ってただけなんだがな」

 

 クスクスと笑うアキラに、急いできたことがすぐにばれて微妙に恥ずかしくなる巴。

 しかしすぐに気を取り直して、腰に手を当てて、どうしたんだ、と彼に問いかける。もしかして、なんて淡い希望に高鳴る胸を無意識に抑えながら。

 そんな巴に、アキラはバッグを肩にかけ直してから、彼女の右手を捕まえて歩きだす。

 

「放課後デート。たまにはいいだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

「で、どこに行くつもりなんだ?」

「これがな、ぶっちゃけ思い付きだから考えてねぇんだよ」

 

 ボリボリと左手で頭を掻きながら、若干気まずそうにアキラは言う。右手はそのまま繋がれたままで、少し力を入れれば同じようにギュッと握られて返されるそれが、お互いどうにも離せなかった。

 どちらかが早すぎることも遅すぎることもない歩調は、付き合いの長さから来るものか。初なところはまだまだあれど、ここだけくりぬけば長年の恋人だと言い張っても疑われはしないだろう。

 

「いきなり誘ってなんだが、予定は大丈夫だったのか」

「あぁ。何ならアタシから誘おうかと思ってたくらいさ」

 

 そっか、と前を向いたままに返したアキラに、先程までの自分の姿を思い返して苦笑する巴。どうかしたか、との彼の言葉に首を振るだけで返す。

 十分かそこらとはいえ、あれだけ迷って結局諦めた人間が何を言っているのか。そう考えると、どうにもおかしくて仕方がない彼女だった。

 

 

 

 

「で、イベントで着る服を選びに来た訳だけど」

「これ、アタシが相手でいいのか? 今井先輩の方が良かったんじゃ」

「デート中に他の女の名前を出すとは感心しないな」

「それアタシが言う側の台詞だよな……?」

 

 取り敢えず、とショッピングモールまで足を運んだ二人は、どうせだから、とアキラがイベントで着る服を選ぶことにしていた。

 もっともと言えばもっともな巴の言葉に、茶化すように返したアキラがざっくりと服を見定めていく。ちなみに、ここではさすがに二人の手は離れている。繋いだままで服を選ぶ具合の悪さに、どちらからともなく手をほどいた結果だ。

 

「いや、冗談とかは置いといてだぞ? パートナーと選んだ方が色々はかどるんじゃないかって思うんだけど」

「発表会でもあるまいし、ビシッと衣装合わせることなんてしないからいいのさ。精々が色合い決めるくらいか」

「そんなものなのか?」

「あぁ、そんなもんだ」

 

 んー、とひとつ服を手に取ったアキラが、首を傾げてそれを元の位置に戻す。

 なかなかお気に召すものが見当たらないのか、と巴がその姿を見つめていると、不意にアキラが彼女の方を向いて、どこかイタズラっぽく言う。

 

「それに、お前なら俺に似合うやつ選んでくれるだろ?」

「……しょうがないな。全く」

 

 腰に手を当てて、眉尻を下げながら言う彼女は、けれど楽しそうにアキラの隣へと並ぶ。

 頼ってくれていると思えば、それはそれで悪くない。そう思いつつ、手頃な服をひとつ手に取って。

 

「……お前ならレディースでも着れるよな。後で見にいくか?」

「選択肢には入れておこう……一応」

 

 

 

 

「悪いな、ちょうどスティックを変えようとしてたの思い出してさ」

「いいさ、気ままに行きたいところに行くのが放課後ってもんだろ」

 

 ショッピングモールでの目的は果たし、一度アキラの家へと荷物を置きにきた二人。次は楽器店へ、と巴が提案したところで、なら先に大きな荷物だけでも置いていこうと決めた結果だった。

 紙袋とバッグを自室に下ろし、ソファに座っていた巴は、制服のまま戻ってきた彼を見つめて首を傾げる。

 その視線の意図を察したアキラは、ソファの背もたれに軽くよしかかって。

 

「片方制服のままじゃ浮くだろ」

 

 と、ごく当たり前の答えを口にした。

 それもそうだな、と返した巴は、ふと思い付いたことをそのまま口にしてみる。

 

「アタシも、幾らかこっちに着替え置いておこうかな。それなら、色々便利だろ?」

「例えば」

「着替え持ってきてない時でも、ドラムで汗流せるし。後は……その。お泊まり、とか?」

 

 長い髪を耳にかけながら、少し恥ずかしそうに言う巴。そんな彼女に、アキラは軽く天井を仰ぎつつ。

 

「巴って結構グイグイ来るよな」

「べ、別にそういう意味で言ってるわけじゃ!」

「ないの?」

「…………なくも、なくもない、かも」

「どっちだよ」

「うるさいっ、荷物置いたならさっさと行くぞ!」

「わかったわかった、そんなに引っ張るなって」

 

 恥ずかしいなら言わなきゃいいのに。そうぼそりと呟くアキラと、言わせたのはお前だっ、と彼の腕を抱きながら玄関まで引きずっていく巴。

 外に出てからもしばらくそのまま腕を抱いたままだったことに気付き。

 

「…………」

 

 ちらり、と横にある彼の顔を見て、どうせだからと改めて腕を絡ませる。

 付き合う前までは、やりたくても出来なかったことのひとつだ。こんな些細なことでも幸せになれる自分の単純さに笑いそうになりながら、アキラの歩調に合わせて歩いていく。

 そんな彼女を横目で見つつ、アキラが何を考えていたかと言えば。

 

(……背が足りん、せめてあと五センチ……)

 

 寄り添って歩くことによって顕著になった互いの身長の差に、ちょっぴり悲しい気分になっていた。

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませー! あれ、巴ちゃんに……ふふ、いらっしゃい、アキラさん」

「なんだか意味深な含み笑いだな」

「生暖かな視線っていうんだよな、あれって」

「羽沢はそういう悪ノリするタイプには見えなかったけどなぁ」

「つぐのあれは悪ノリじゃないぞ。ただ純粋にアタシ達を見て、ああいう視線になってるだけ」

「尚タチ悪いな」

「なんだか心外なこと言われてる気もするけど、席にどうぞ!」

 

 夕暮れ時、暗くなる前に訪れた最後の行き先は、最近安定となってきた羽沢珈琲店だった。

 アキラはいつも座っている、カウンターのど真ん中の席に迷いなく向かって座り込む。左隣に座った巴は、接客に動き回るつぐみの姿をしばらく眼で追ってから、店主から手渡されたメニューを開いた。

 

「アキラ君ってさ」

「はい」

 

 他に客がいるのに、油売ってていいんですか。そんな意味合いを込めた視線を送りつつ返事をするアキラ。

 返ってきた視線は、ちょっとくらい良いじゃない、なんてニュアンスで。別に大丈夫ならいいけど、とカウンターに肘を付いたアキラは、

 

「結構な女たらしだと思うんだけど、どうかな」

「止めて」

 

 視線を逸らした一瞬で、羽沢の目が隣にいる巴へと向いていることに気付いたアキラが、間髪いれずに口を出した。

 羽沢が二人の関係を知っているかどうかはともかくとして、流石に目の前でそんなことを聞かれるのは些か辛いものがある。

 そんなアキラの心情など伝わるはずもなく、巴は何でもないことのようにこう言った。

 

「昔からですよ。いちいち気にしてたら疲れちゃうくらいには」

「だってさ。気を付けた方がいいんじゃないかな?」

「………………」

「おや、だんまり」

「拗ねちゃいました」

「からかいが過ぎたかな。ご注文はお決まりで?」

 

 唇を尖らせてそっぽを向いてしまったアキラの横、巴と羽沢がやり取りを済ませてしまう。

 アキラに聞いてこなかったのは、頼むものが毎回同じだからだろう。いつもの、というやつである。

 それにしても、やはり羽沢は二人が恋人同士であることを知っていたらしい。話の内容は、アキラからすれば余計なお世話だと言いたくなるようなものではあったが。

 

「ほら、本気で拗ねてる訳でもあるまいし。こっち向けよ」

「けっ」

「普段は大人な癖に、妙なところで子供っぽいやつだな」

「彼女に女たらしとか言われたら拗ねたくもなるわ」

 

 つーん、と効果音が出そうな態度で、頬杖を付いたまま目をつぶるアキラ。

 思ったよりも拗ねてしまっているらしいアキラに、巴も笑顔を潜めて怪訝そうに首を傾げてしまう。そこまで気に入らないことを言ってしまったか、と羽沢とのやり取りを思い返すも、どうにも思い当たらずに頬を掻いた。

 

「まぁいいや。つぐみ」

「あ、はーい」

 

 それでも、本気で拗ねてる訳でもなかったアキラは気を取り直してつぐみを呼び寄せる。

 何やら満面の笑顔で近寄ってきたつぐみは、巴とは反対側の位置に陣取った。

 どうしてそんなに嬉しそうなのか。その答えは、本人から直接明かされる。

 

「えへへ。初めて名前、呼んでくれたなぁって。あ、深い意味はないのはわかってますよ? お父さんがいて紛らわしいから、名前を呼んでくれたんですよね」

「その通りではあるけどな。名前呼びが良いなら、これからもつぐみって呼ぶぞ」

「はい、是非! で、えっと……」

「あぁ、注文。チーズケーキ、頼む」

「かしこまりましたっ!」

 

 元気に返事をしたつぐみは、先程までよりも元気にホールを回り始める。

 そして、アキラはすぐ横にいる巴の視線に気が付くと、微妙に頬をひきつらせた。

 左腕で頬杖を付きながら、半目にてアキラの顔をじっとりと見つめている彼女は、わざとらしく、ゆっくりと言葉を吐き出す。

 

「おんなたらし」

「今のも駄目か……」

「自覚してないのがな。……まぁ、たぶらかされたアタシが言うのもなんだけど」

 

 眉尻を下げて、にかっと歯を見せて。ともすれば少し困ったようにも見える笑みで笑う巴。

 そんな彼女に、アキラも少しだけ笑みを溢してから。

 丁度、目の前に出された紅茶とケーキに目を落として、呟いた。

 

「お前は特別だよ」

「うん?」

「何でもない。さ、頂くとしようぜ」

 

 

 

 

「……渋っ」

「おや失礼。間違ってつぐみの練習したものを出してしまった」

「お父さんっ!?」

「まぁある意味甘すぎたし、丁度良かったんじゃないのかな。はい、いつもの」

「なんてマスターだ全く……」

 

 

 

 




次回更新は日曜日。
遅れた理由は活動報告にて。


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十一話:そんな君だから

 家を出る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 羽沢珈琲店で軽食がてらに紅茶を楽しんだ後は、いつものようにアキラの家にてまったりと過ごす。そんなこんなで気が付けば、結構な時間になってしまったのだ。

 巴は気にするなと言うが、流石に夜の女の一人歩きはいただけない。

 人目が無いのを良いことに、腕を組んで肩を寄せあって歩く。会話はとりとめのないもので、それでも構わない。こうして二人きりでいられる時間が大切なんだと、口にはせずともお互いがそう想っていた。

 

「さ、着いたぞ」

「あぁ、ありがとう」

 

 巴の家の前までたどり着いた二人は、一度顔を見合わせる。今日一日で、この距離感にもすっかり慣れてしまったな、と。これから離れなければいけないことに名残惜しさを感じながらもアキラは思う。

 

「すっかり遅くなっちまったな。連絡はしてあるんだろ?」

「勿論。さっきもう一回電話した時も――えっと。まぁ、とにかく大丈夫さ」

「……?」

「とにかく大丈夫なの!」

「ま、待った待った。どこまで連れていくつもりだ」

 

 果たして電話にて何があったのか、アキラにはちんぷんかんぷんではあったが、何故か腕を組んだままに玄関へと向かおうとする巴を止める。

 それで幾分か冷静になったのか、「そ、そうか。そうだよな」と立ち止まった巴だったが、頭の中では母親との電話での会話が巡り回っていた。

 

 

 

 ――――

「あ、母さん? 今から帰るよ」

『あらそう? 晩御飯は?』

「アキラと一緒に食べた。もしかして、準備してくれてた?」

『明日のお父さんのお弁当にするから大丈夫。それより……』

「? それより、なに?」

『これからは一度帰って着替えてからの方がいいんじゃない? 制服だとほら、シワになっちゃうじゃない』

「え? 別にそんな汚れるようなこと……」

『あぁ、巴が上なら関係ないか』

「待って母さん。何の話してるの」

『何のって、そんなの決まって……え? あこにはまだちょっと早い話。そうねぇ……って、なにお父さん泣いてるのよ。花嫁姿が待ち遠しくて? 今から泣いてたら貴方脱水症状で死んじゃうわよ。もう、お酒飲んだら本当に涙脆くなるんだから……』

「母さん? ちょっと」

『あらごめんなさい。でも、そういうことはきっちりしなさいよ。お母さんアキラ君を信用してるから、禁止にはしないわ。でもちゃんと着けるもの着けること。あ、もう暗いから送ってもらいなさいよー』

「お母さん!?」

 ――――

 

 

 

「どうした、急に固まって」

「い、いや、何でもない。何でもないぞ」

「どう見たって何でもなくは無いんだが。まぁ、そろそろ家入れよ」

 

 言いながらやんわりと、絡んでいた腕をアキラからほどく。

 そうだな、と赤くなっていた頬を少し抑えて、それとは別に少しだけわいてきた寂しさをごまかすように、巴はアキラに向き直って笑顔を見せた。

 けれど、アキラはその笑顔の裏にある寂しさをしっかりと見抜いていて。

 少し周りを見渡して、次に宇田川家の窓を軽く確認してから、巴へと一歩近付いた。

 

「あ、アキラ?」

「あんまりガラじゃあない気もするけど」

 

 言いながら、巴の頬へと右手を添える。手から伝わる体温を感じながら、自分のそれよりも少しだけ高い位置にある唇を見据え、

 

「っ――」

 

 軽く、唇を触れあわせる。

 抵抗か戸惑いか、咄嗟に動き出した巴の右手を左手で掴んで抑えたまま、数秒程のキスだった。

 息を飲んだのがダイレクトに伝わるのを感じたアキラは、唇を離すとポンと彼女の肩を押す。

 街灯に照らされた彼女の顔は、多少の暗がりでもはっきりとわかるくらいに赤く染まっていて。驚きに手が口元に添えられたまま、押されたことで後ずさった。

 

「さよならのキス……だと寂しいか。明日会うまでの駄賃代わり、みたいなもんか?」

「……お前は、本当に」

「なんてな。ただしたいからしただけ」

 

 また明日、と。やることはやったと清々しさすら感じさせる踵の返しかた。

 自由と言うのか、飄々としていると言えばいいのか。とにかく、アキラのこういう行動にはとかく弱い。それを自覚しながらも、それを嬉しく思ってしまう自分がいて。

 

「あぁ、もう!」

 

 頭を振って、悶々とした何かを振り払うように身体を返し、玄関へと手を掛ける。クセになったらどうするんだ、とか、明日の朝にお返しでもしてやろうか、とか考えてしまっている辺り全く振り払えていないのだが、とにかく先程までの寂しさはどこかへ飛んでいってしまったらしい。

 そうして、玄関を開けて入った先には。

 

「あ」

 

 今正にリビングへと突撃します、といった体勢のあこがいて。一瞬、二人の間で時が止まる。

 お互いに何かを言ったわけでもなく、しかし巴の頭は瞬時にあこが何をしようとしているのかを把握、理解した瞬間に、時は再度動き始めた。

 

「お父さんお母さーん! お姉ちゃんとアキ兄が」

「やめてくれあこー!!」

 

 一体どこから、なんて聞いている暇はない。

 とにかく、今は妹の口を塞ぐことが第一。巴の一日は、まだまだ終わりそうになかった。

 

 

 

 

 翌日。いつものように家に訪れた巴と、それを出迎えたアキラは、二人寄り添って登校していた。

 何気無い会話をする中で、ふとアキラの右手首が目に入った巴は、気遣わしげな顔でそれを口にする。

 それに対して、アキラはテーピングで固定されたそれを軽く振りながら問題ないと返した。

 

「そんなに心配そうな顔しなくても、大したことねぇって」

「お前の『大したことない』はあんまり信用出来ないんだよ。ひまりの時だって、後から大変だったじゃないか」

「あれだってお前らが騒ぐから余計話がでかくなっただけだ」

「……余計疑わしくなった。ちょっと貸せ」

 

 鼻を鳴らして言うアキラに、心配そうな顔から疑わしげな顔へと変わった巴が、多少強引に手を取る。

 まじまじと手に取ったその右手を眺める巴に、まぁ好きなだけ確認すればいいさ、とアキラは視線を前へと向けて歩き続けた。

 どうにも疑惑が拭いきれない巴は、軽く手首を小突いてみたり、テーピングで固定された以上にはいかない程度に曲げてみたり。それに対して彼の顔に変化がないか、手首と顔を交互に確認していた。

 それだけなら、問題はなかったかも知れない。問題は、それを歩きながら(・・・・・)行っていたことだ。

 

「っ、巴っ!」

「え……」

 

 前を向いて歩いていたのは、アキラだけ。

 アキラに意識を集中していた巴は、前から来ていた自転車に気付いておらず。アキラの声に反応して前を見たときには、既にそれは目の前に迫っていて――

 

「うわっ……!」

 

 衝撃。

 

 咄嗟に閉じてしまった目。尻餅をついて鞄を取り落とした巴は、しかし自転車が激突してきた割には……と片目を開き、目の前に倒れている二人の男の姿を確認した瞬間に血の気が引いた。

 カラカラと回る自転車のタイヤ。その横で、巴と同じように尻餅をついて頭に手を当てている若い男と、膝をついてうずくまっているアキラがいる。

 見れば、二人は同じ制服を着ている。アキラと同じ高校か、とうっすら考えて、直ぐにそんなことを考えている場合じゃないと立ち上がろうとして。

 

「っ痛ぇな、どこ見て歩いてんだよっ」

「……あぁ?」

 

 自転車でぶつかってきたであろう男の言葉に、低い声が返る。

 うずくまっていたアキラが、顔を上げて男を睨み付けていた。愛想が良いとは言えないものの、普段穏やかなその表情が歪んでいる。つり上がった目に、噛み締めた歯が見える程に引きつった頬。尖った牙を剥き出しにして威嚇している狼のような相貌に、巴は慌てて彼の名を呼ぶ。

 それに反応したのは、アキラ本人ではなく。

 

「アキラっ、て……あ、あ、あのアキラ、先輩!?」

「だったらどうだってんだ」

 

 立ち上がったアキラが、憤りを隠さずに転がっている自転車を蹴り付ける。鈍く、しかしやかましい音を立てて、自転車は地面を削りながら転がった。

 どこか壊れていてもおかしくない威力。その蹴りを目の当たりにした男は、慌てて体勢を整えようとして、しかしすぐにアキラに胸ぐらを掴まれる。ひぅ、と漏れでた声が、彼の心境を物語っていた。

 

「アキラ!」

「テメェ、今なんて言った」

「アキラっ! 駄目だって!」

 

 巴が後ろからアキラの身体を捕まえて、必死に男から引き離そうとする。しかしびくともしないその身体に、巴は内心で驚いていた。自分とアキラとで、こんなにも力の差があるのかと。

 

 ――マズイ、力じゃ絶対止められない……!

 

 そう悟りながら、しかしこのまま見過ごす訳にもいかない。この力で暴れられたら、もし自分にまで流れ弾が飛んできたら。そう考えると背筋が冷える。けれど、止めなければいけない。止めなければ、

 

また(・・)、停学になる……!」

「ひっ……す、すいませんでしたぁっ!?」

 

 漏れでた巴の悲痛な声に、とうとう恐怖を抑えきれなくなった男が、アキラの右手を振り払う。

 もつれた足が絡んで転び、這うようにして自転車までたどり着いた彼は、それを立ち上げてガシャガシャ音を立てながら二人の前から消え去った。

 

 しばらくして、

 

「巴」

「…………」

「おい、巴。放せ」

「……もう、何もしないか?」

「相手がいねぇのに何ができんだよ。もう落ち着いたから」

「本当か? 本当に、本当?」

「本当。だから放せ。苦しい」

「あっ、悪い……」

 

 必死過ぎて、腕がアキラの首に入っていることに気付いた巴は、慌てて彼を解放する。

 やれやれと首を鳴らしたアキラは、振り返って巴の身体を下から上まで眺めると、どこか安心したように息を吐いた。

 その仕草がいつもの彼のそれであることに、巴もまた安心して息を吐き、

 

「って、身体、大丈夫か!? どこか怪我してたり……」

「それはこっちの台詞だよ。俺なら心配いらん。ハンドルが腹に入ったのと、太ももにタイヤの跡がついてるかも、くらいのもんだ」

「そ……っか。なら、うん。アタシも大丈夫。……庇ってくれたんだな。ありがとう」

「どういたしまして。お互い平気ならもう行こうぜ」

 

 ポケットに手を突っ込んで、悠々と前を歩き出したその後ろ姿に、本当に大丈夫そうだな、と胸を撫で下ろす巴。

 スカートを払い、どこもほつれたりしていないのを確認してから、彼の横に駆け足で並んだ。

 

「悪いな。怖かったか」

 

 直後に放たれた言葉が妙に弱々しく聞こえて、巴はアキラの顔を覗き込む。その目は前を向いたまま、けれどどこか悔やんでいるかのように思えて。

 

「怖くないよ。ひまりも、そう言ってただろ」

「そりゃあ、まぁ」

「それに……」

 

 胸の前で腕を組む。隣にいる彼がいつも言うような、こちらをからかうような口調を意識して。

 

「これでもお前の彼女だからな。お前の怖いところも可愛いところも、全部ひっくるめて、アタシはお前が好きなんだ。だから、そんな顔しないでくれ」

 

 言ってから、少し恥ずかしかったかな、と頬が熱くなるのを感じつつ、言ってしまったものは仕方ないと堂々と構える巴。

 そんな彼女に、アキラは少しだけ呆気にとられて。すぐに笑った。

 

「カッコいいな。惚れ直しちまうよ」

「だろ?」

 

 ふふん、と鼻を鳴らす巴。その頭を、わしわしと左手で撫で回しながら、

 

(言えねぇよなぁ)

 

 震える右手を、ポケットの中で握りしめ。

 悟られないように、アキラは微笑み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 




前半と後半の落差。ようやくタグのシリアスを回収しはじめました。
次回更新は日曜日。


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十二話:安い嘘

 イベントを翌日に控えた、最後の練習。

 いくつかのルーティーンの仕上げを終え、アキラは汗を拭いながらリサへと視線を向けた。

 彼女もまた同じように汗を拭いながら、後ろで結い上げていた髪の毛をばさりと下ろす。髪型が変わるだけでガラリと印象が変わるのだから、女というのは不思議なもんだな、と呑気なことを考えていると、

 

「右手、平気?」

 

 突然、リサからアキラへとそんな問いが飛んだ。

 内心でドキリとしながら、そして努めて平常心を装いながら、右手を二、三度握りしめ、軽く手首を回す。

 今は、痛くない。

 

「問題ないな。多少の無茶なら利きそうだ」

「出来るなら無茶はしてほしくないんだけど。……本当に?」

「本当だって。お前も巴も心配性だな」

「だって、アキラ先輩隠すの上手だから。もう一回聞くよ? 本当に大丈夫? ……もし無理して大怪我なんかしたら、悲しい思いするの巴なんだからね?」

「お前は違うのか、寂しいもんだな」

「…………」

「冗談だよ。とにかく今は問題ないんだ、明日どうなるかなんてやってみなきゃわからんし、今から気にしたってどうにもならねぇだろ」

 

 軽口を吐くと、そういうのいらない、と言わんばかりの顔を向けられたので、仕方なく真面目に返す。嘘はついてないぞ、と心の中で呟きながら、ではあったが。

 そんなアキラに、リサは腰に手を当ててため息をつくと、上半身を倒してずいっとアキラへと詰め寄ると、指先で彼の胸元を突いた。

 

「アタシの為に、とか考えてるんだったら。それを理由に無茶するのだけは止めて。……最後のイベントだけど。いいや、最後のイベントだから、アタシは先輩と出られるだけでも、それで充分なの」

「…………」

「図星だった?」

 

 真面目な顔から一転、小悪魔のような笑みを浮かべて、つんつん胸元をつついてくるリサ。

 アキラは一瞬困ったように眉を下げて。

 しかしすぐに、はん、と鼻で笑ってその手を軽くはねのけた。

 身体を曲げたままのリサの横を通りすぎ、スタスタと出口の扉に向かって歩きだして、

 

「自意識過剰だな。俺がそんな人間に見えるか?」

 

 プラプラと右手を振りながら、そのままスタジオから出ていってしまった。

 残されたリサは、しばらくアキラが出ていった扉を見つめ、ポツリと小さく呟く。

 

「見えるから、心配なんじゃん」

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びに行ったリサの戻りを待ちながら、アキラはいつものように紅茶の準備を進めていた。

 その顔はいつもと変わらない、ように見える。基本的に表情の変化が多少乏しい彼は、他人が居ようが一人だろうがそれは同じである。

 が、ここに巴が、もしくは彼の両親がいたならば、その些細な変化に気付いていただろう。

 

「痛み止め、もう切れたか……?」

 

 リサよりも先にシャワーを浴びたアキラは、その際にしっかり巻き直したテーピングの上から手首をさする。

 顔を歪める程ではないが、なんでもない日常の動きで鈍い痛みが走る。腫れはないので骨に異常はないのだろうが、捻挫ぐらいはしているのだろう。

 練習前に飲んだ痛み止めが効いて、リサをごまかすことは出来た。しかし、明日のイベントを最後まで勝ち抜いた場合、確実に右手首は途中で悲鳴を上げるだろう。リサの言うとおり、下手をすれば大怪我にも繋がりかねないのは確かだ。

 しかし、アキラはそれを打ち明けるつもりはなかった。彼からしてみればそれは当然の判断であり、意地でもある。

 そもそも、スポーツには多少の怪我など付き物だ。この程度で弱音を吐くつもりは更々ない、とここまで練習を重ねてきている。

 明日一日持てばそれでいい。多少悪化したとしても、イベントが終わってしまえば、無理をする理由は無くなるのだから。

 

「ふー、さっぱりしたー」

「お疲れ。適当に座って寛いでろ」

「はーい。テレビつけていい?」

「好きにしろ」

 

 しっかりと身だしなみを整えて現れたリサが、ソファにポフンと座り込みながらリモコンを操作する。

 しばらく適当にチャンネルを回していた彼女だったが、あ、と声を出してとある局で止めた。その声に反応して顔を上げたアキラは、テレビに映し出されたニュースを見て、わずかにその目を見開く。

 字幕には、『世界的ピアニスト、日本での公演を無事終える』の文。ニュースキャスターが喋る中で、その講演の様子がVTRで流されていた。

 ピアニストの名は、二階堂(にかいどう)美空(みそら)。日本が誇る天才ピアニストだ。二日間の公演を終えた彼女が、にこやかに礼をする姿を最後に画面が切り替わった。彼女を賞賛する様々な声がテレビから流れる中で、リサがぽつりと呟く。

 

「燐子がこの人の大ファンらしいんだよねー」

「りんこ?」

「うん。Roseliaのキーボードの子なんだけど、ピアノ出身でさ。普段はとってもおとなしくて可愛い子でさ」

 

 カチャカチャと、ティーセットを運んできたアキラから紅茶を受け取りながら、リサは続ける。視線はテレビに向いたままだ。画面は、公演を見た客がインタビューを受けている場面に変わっていた。

 

「そんな子が、憧れの人だって珍しく強く言い切るもんだから、アタシもなんだか忘れられなくて。……って、どうかした?」

「いいや」

 

 何となく、本当に何となくアキラの様子が普段と違う気がして、リサはアキラの顔へと視線を移す。が、目を伏せて紅茶を啜る姿はどう見てもいつも通りで。気のせいか、とリサもまた手元の紅茶に口を付ける。が、ここでもうひとつ、頭に引っかかるものがあり。

 

(そういえば、アキラ先輩の名字って……)

 

 そこまで考えて、それこそありえないか、と笑う彼女。その様子をじっと見ていたアキラが怪訝そうに眉を潜めた。

 

「なんだ、一人でニヤニヤして……」

「なんでもないなんでもない。あ、そういえば、衣装見てないよね」

「衣装? いや、確認はしただろ」

「着たとこは見てないでしょ? ね、着替えてきてよ。アタシもここで着替えるから」

 

 実は持ってきてるんだ、とニコニコしながら荷物から服を引っ張りだしているリサに、多少の腰の重さを感じながらも立ち上がるアキラ。

 自分の衣装は自室に置いてある。衣装とはいえ、ダンスをする上でそんなに凝ったものは着られない。とどのつまり普通の服なので、さほど時間は必要ないだろう。

 

「あ、良いって言うまで出てこないでよ」

「はいはい、と」

 

 後ろ手を振ってから、ドアを閉める。

 覗きなんてするタイプではないアキラは、さっさとたたんである衣装を手に取ってベッドに投げ、今着ている服を脱ぎ始めた。

 上半身裸になったところで、なんとなく視線を感じて振り返り、

 

「むふ」

「ふざけんな」

 

 扉を開けて此方を覗いていたリサへと向けて、アキラは脱いだばかりのシャツを全力で投げつけた。

 

 

 

 

 

「いいよー」

 

 着替え終わったアキラより数分遅れて、リサから声が飛んでいく。

 やっとか、とベッドから立ち上がり部屋から出ると、モデル立ちしているリサが彼を出迎えた。どうやらわざわざ髪までおろしたようで、そのままイベントに出られるような格好になっている。

 

「どうよどうよ」

「へぇ」

 

 身体のラインが映えるタイトな黒のシャツには、紫で蝶の意匠が施されている。長袖の指穴カットソー、そして肩がほぼ見えているオフショルダーというデザイン。

 下はこちらも黒のシフォンスカートに深いスリットが入っており、

 

「着てみると割りと大胆だな。踊ったら色々見えるんじゃねぇの」

「大丈夫大丈夫。ちゃんとスパッツ履いてるから。ほら」

「見せなくていい」

 

 スカートをつまんでたくしあげようとしたリサに、咄嗟に顔を背けるアキラ。

 リサはそんなアキラの珍しい反応に目を瞬かせて、スカートをつまんだままに首を傾げる。

 

「見えてもいいように履いてるんだけど」

「今見せなくてもいいだろうが」

「妙なとこで初ってゆうか……ルーティーンとかこれでやったら先輩の前で全開だよ?」

「全開とか言うな。結果的に見えるのと自分から見せるのじゃあ意味が違うだろ」

「……まあ、そういう人だから安心してペア組めるんだけどさ」

 

 ぱさり、とスカートを離した音が耳に届いて、アキラは息を吐いて視線をリサへと戻す。

 何やらその顔はどこか不満げで、そっぽを向いたままに唇を尖らせながら、小さな声でぶつぶつと呟いていた。その内容はアキラには聞き取れなかったのか、彼は改めてリサの姿を眺めるに留める。

 そこに、玄関の扉が開く音。次いで、二人共に聞き慣れた声が聴こえてきた。顔を見合わせ、リビングの扉へ視線を向ける。

 

「アキラ、見てくれ! チノが初めてアタシを出迎えてくれたんだ!」

 

 開いた扉からは、嬉しそうにチノを抱き抱えた巴が現れて。

 

「……ん?」

 

 出迎えた二人の視線を前に、なんだこの空気は、と困惑する羽目になる巴であった。




短いので、次回更新は水曜日。
ほんとはリサがスカートつまんでるとこで巴が来る予定だったけど、色々とこじれるのでボツに。


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十三話:ファーストコンタクト

新キャラ祭り回。


「なんだかすげぇ長かった気がする」

「そう? アタシは結構短かったけどなー」

 

 てくてくと歩いていく二人。

 とうとう迎えたイベント当日、それまでの日々を思い返して呟いたアキラの言葉に、頭の後ろで手を組んだリサが返す。アキラにしてみれば、色々あったと言う意味で。リサからしてみれば、充実していたからこその感想である。

 かといって、感慨深くそれまでの話をするわけでもなく、他愛ない話を交わしながら目的地に到着する。様々なイベントに使われる、いわゆる多目的ホールと言うべき建物を見上げた二人は、ちらりと横目で互いを確認してからそこに足を踏み入れた。

 受付にて出場者の確認を終え、指定された選手控え室の場所を聞き、先に進む。

 

「思ったよりも集まってんな……ほら」

「ありがと」

 

 既にイベントホールではDJが音楽を流しており、サークルが出来て小さなダンスバトルが始まっていた。

 はぐれては大変だ、と手を差し出したアキラのそれを、躊躇いなく掴みとったリサが、そのまま駆け寄り肩を寄せる。

 

「熱気がすごいね」

「確かに……でもちょっと妙でもある」

「まぁ、そうかも。こんなにギャラリー入るようなイベントだとは思ってなかったよ」

「大物でも来てんのか? いやまさかなぁ」

 

 既にかなりの盛り上がりを見せている会場に、リサとアキラは顔を寄せて話をしながら進んでいく。巴に見られたら文句を言われること受け合いの距離感の二人だが、残念ながら今の二人は全くその辺りを意識していなかった。

 やっとのことでたどり着いた控え室は男女で区分けされており、一旦そこで別れる二人。

 

「イベント開始までまだあるな。着替えたら、ここで待ち合わせでいいか」

「りょーかい。じゃ、またね」

 

 

 

 

「さて、と」

 

 荷物置き場にバッグを置き、さっさと衣装に着替えてしまったアキラ。黒と灰色のライン、そこに赤の蝶が刻まれたスウェットに、上はこちらも黒を基調とし、紫の蜘蛛の巣がデザインされたシャツ。最後にキャップをかぶってしまえば、それでアキラの着替えは終了である。

 適当な壁に腰かけて、今まで巻いていたテーピングを外し、改めてきつめに巻き直す。

 その中で、軽く控え室に集まった人間を見渡したアキラは、どうにも参加しているメンツが多いことに気付いた。

 ちょくちょく大会やイベントで見る他校の人間や、大学、社会人のダンサーがいるのはわかる。

 だが、明らかに初めて見るような人間が大量にいるのは何故か。

 まさか隣街から来ているのだろうか、と首をかしげる彼に、一人の男が近寄る。それに気付いたアキラは、キャップのつばを軽く上げて、その人物に笑いかけた。

 

「よう。お前も出てたのか」

「そいつはこっちの台詞だよ。お前はこういうイベント無視するかと思ってた」

 

 背の高い男だ。アキラとは頭ひとつ以上違う身長を持つその男は、アキラの隣に腰かけると、短く刈り上げられた頭をボリボリと掻いた。

 

「とーぅ」

 

 その直後に、伸ばしていたアキラの足に滑りながら飛び付いてくる人間も現れる。その顔を見て、驚きに目を見開いたアキラは、その頭を軽く叩きながら口を開いた。

 

「なんでお前がここにいんだよ」

「出るからに決まってんじゃーん。察しが悪いぞアキラ君」

「いや、お前演劇部……」

「演劇に躍りがないと思ったか! なめるな!」

「いやなめちゃいねぇけど」

 

 足に抱きついたままジタバタする彼女(・・)……に見える()に、片足をされるがままにされながら、アキラはえぇ……? と困惑してしまう。

 まさかな、と隣にいる人間に目配せして見れば、彼は指先で自分と暴れる小動物を交互に指して見せた。

 

「……そのコンビは予想出来なかった」

「安心しろ。俺もそれと組むつもりはなかった」

「なんか馬鹿にしてない!?」

「してなくもない」

「してんのかよ!」

 

 バッ! と顔を上げた彼は、そのままごろりと反転してアキラの脚を枕にしてしまった。

 硬い、と呟く、男にはあまり聞こえないソプラノボイスの彼――井上(いのうえ)真緒(まお)は、目にかかった前髪を掻き上げた。

 ぱっちりした二重のつり目、薄い唇に泣き黒子。アキラよりも更に小柄で、なおかつ彼はまた違う種類で線が細い身体を持っており、男の服装をしていても女に見える稀有な存在である。

 アキラと同じ学校、クラスに通っており、先程指摘したように演劇部所属の高校生だ。この辺ではちょっとした有名人で、羽丘女子学園との合同演目で色々と伝説を作っている。

 昨年の学園祭ではアキラと共に喫茶店をやり、全学年売上ナンバーワンを取っている為に、付随してアキラの存在も知れ渡っている。

 ……アキラにしてみれば、内容が内容なので全く嬉しくはないのだが。

 

「にしても、切っ掛けは何だ切っ掛けは」

「元々俺はソロの方で出るつもりだったんだけどよ、真緒が出てみたいってうるさくて」

「だってさー。二人がいる世界を私だけが知らないのは不公平じゃない?」

「知るかよ。そもそもお前踊れんのか」

「それが結構なもんでよ。出来るなら良いぞって言っちまった手前断れなくなってな……」

 

 困ったように言う、アキラの隣に腰かけている男。こちらはアキラとは違う高校ではあるが、真緒と共にアキラとは小学生からの間柄、つまりは幼なじみだ。

 彼――倉畑(くらはた)健吾(けんご)は、grand slam(グランドスラム)というブレイクダンスチームに所属しており、こちらもこの界隈では結構な有名人である。大きな身体から繰り出されるパワームーブは大迫力の一言で、かつてはアキラと共に練習に励んでいた。

 

「チームには戻ってこないのか? 皆待ってんだけどな」

「あんないざこざ起こしてどの面下げて戻れんだよ。それに、今みたいに踊りたい時に踊るのが俺には性に合ってるみたいだし」

「あれは完全に向こうが悪い話なんだがな……。ま、ダンス続けてくれてるだけでも嬉しいからいいけど」

「ねー、アキラは誰と組んでんの? やっぱりリサちゃん?」

「正解。さて、着替えたら待ち合わせの予定だからそろそろ行く。俺と当たる前に負けんなよ」

「こっちの台詞だな。けどまぁ、楽しくやろうや」

 

 アキラの言葉に、真緒が頭を上げて体勢を変える。そんな些細な動作にも妙に女っぽさを感じて、本当にこいつは性別を間違えてると思いつつ、二人に別れを告げた。

 控え室から出たアキラをリサが出迎えて、適当に開いている場所を探して歩き始める。

 

「妙に人が多い理由、わかったかも」

「ん?」

 

 空いたスペースにたどり着くと、リサがそんなことを呟いた。その言葉にアキラがリサの方へと視線を向けると、リサは壁に向けてその細い指を向けている。

 その方向へと目を向けたアキラは、直ぐになるほどと得心していた。

 そこには、このダンスイベントのポスターと、もう一枚ポスターが飾られている。

 

「ダンスバトルと、バンドイベントの二本立てか。なんで気付かなかったんだろ」

「まぁ、受付も別々だしねー。グリグリ人気だし、ダンス目的の人とバンド目的の人が合わされば、これだけ集まるのも納得出来るよ」

「グリグリ……聞いたことねぇや」

「先輩本当にバンドとか興味ないんだね……」

「そんなことないぞ。最近はちょっとだけ興味ある」

 

 このイベントが終わったら、巴に聞いてAfterglowの練習でも見させて貰おうか、と思っているぐらいには。

 アキラがその辺りのことを言葉にすると、リサは目を輝かせてぐいぐいと彼の袖を引く。

 何を言おうとしているのかは何となくわかるので、アキラはその頭にぽふっと手を乗せた。わふっ、と目を閉じた彼女に小さく笑って、まぁその内な、と手を離し――

 

「どーん!」

「うおっ」

 

 背後からの突然の衝撃。バランスを崩しそうになりながらも、踏み出した足で何とか転ぶのだけは回避するアキラ。

 その衝撃を与えた犯人は、彼の身体を這うように正面へと回り込んで、ぐりぐりとその頭を胸へと押し付ける。

 

「リサ姉ばっかりずるい! あこも撫でろー!」

「……背後からの奇襲とは感心しないな」

「ふぇっ? い、いふぁいいふぁい(痛い痛い)~!」

 

 いきなり現れたあこ。そういえばお前もいるんだったな、と内心で呟いたアキラは、珍しくにっこりと彼女へと笑いかける。

 そして、いつもならその頭へと乗せられる手が、今回は更にそこから下へ向かって、柔らかそうな頬をぐにぐにとこね始めた。

 アキラの背中に回されていた手が、バタバタと上下に振られて必死の抵抗を示すも、アキラはニヤニヤとしたまま頬を弄び続けた。

 

「むぅーっ! 漆黒の堕天使に、えーっと……不敬が過ぎるぞっ!」

「そいつは悪いな堕天使サマ。お詫びの追加だ」

「うわーん! リサ姉、アキ兄が苛めるよぉー!」

「おぉーよしよし。怖かったねぇ」

 

 反省が足りない、と今度は両手で頬を摘まんでやろうとしたアキラから逃げ出し、そのままリサの胸へと飛び込むあこ。それを受け止めたリサが大袈裟にあこの頭を抱いて、よしよしと慰め始めたのを見て、アキラはなんだこの寸劇は、と溜め息をついた。

 

「んで? 何か用事でもあったのか?」

「ん? んーん、アキ兄が見えたから、つい」

「飛び付いてくんのは条件反射なのか……。パートナーはどうした」

 

 微妙に呆れ気味なアキラの言葉に、あこがリサから離れてキョロキョロと辺りを見回す。

 そして、

 

「……はっ! いっちー置いてきちゃった!?」

「いや……いるけど……」

「うっひゃあ!?」

 

 突然背後から聞こえた声に、リサが跳び跳ねてアキラの腕へと取りすがった。リサが飛び退いたことで、そこにいた彼女の姿が露になる。

 まず目に入ったのは、その青い髪。瞳が半分隠れる程の前髪がゆらりと揺れて、その青い瞳がアキラを見据えた。

 すらりとした手足。身長は、アキラと同じくらいか、やや低め。色白の肌は儚げと言うよりかは、無機質なものを感じさせる。

 そんな彼女の第一印象は、本当にあこと同じ中学生なのか、というものだった。

 

「なぁんだ、いっちーちゃんとついてきてくれてたんだ」

「あこは元気だから。目、離さないようにしてた」

「えへへ、ごめんごめん」

「大丈夫。気にしてない」

 

 あこが彼女に近寄ると、なおのことその印象は強くなる。ピョコピョコと跳ねるあこのツインテールが余計に彼女を幼く感じ、対する青髪の彼女の物静かな受け答えがそれに拍車をかける。

 

「……その子がパートナーか? 一応聞くけど、同い年だよな?」

「そうだよ! いっちー、男の人がアキ兄で、女の人がリサ姉って言うの。あこのカッコいい先輩だよっ!」

「そうなんだ。……一ノ瀬(いちのせ)一花(いちか)です。あこがお世話になってます」

 

 ま、一番はお姉ちゃんだけどね! と胸を張るあこを置いてぺこり、と頭を下げる彼女に、つられて頭を下げるアキラとリサ。独特なペースに二人を巻き込んだ一花は、しばらく二人をその髪の奥にある瞳でじいっと見つめ、不意にくるりとを踵を返して歩きだす。

 微妙に無視された自覚があるのか、それとももしかしたらいつものことで気にしていないのかはわからないが、あこが慌ててその背中を追いかけた。

 

「ちょっといっちー、もう行くの?」

「イベントの予選、もう少しで始まるよ。用意、しに行く」

「嘘っ、もうそんな時間!?」

 

 ばっ、とあこが壁掛け時計に目をやり、二人もつられて時間を確認する。予定時刻まで、残り三十分を切っていた。

 あこと一花の二人は、アキラ達と違って会場に来たばかりなのだろう。着替えと準備にかかる時間を考えれば、あまり余裕があるとは言えなかった。

 

「じゃああこ達もう行くね! あ、そういえば」

 

 言うが早いか、一花の背中を追い始めた、かと思いきや直ぐに振り返るあこに、忙しい奴だなと二人は苦笑する。が、次にあこから放たれた言葉は、二人共に予想出外のものだった。

 

「お姉ちゃんも友希那さんも、イベント見に来るって言ってたよ!」

「あこ、置いてくよ」

「あーん、待っていっちー! じゃ、頑張ろーねっ!」

「は? ちょっと待っ……」

「友希那が!? うっそ!?」

 

 嵐のように去っていったあこ。その方向をしばしじっと見つめていた二人は、やがてどちらからともなく顔を見合わせて。

 

「……準備運動でもするか」

「……そだね」

 

 下手な所は見せられない、と。気持ち新たに準備運動を始めるのであった。



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十四話:青の眼差し

「……あ」

「あら、奇遇ね」

 

 リサとアキラが準備運動を始めた頃。

 建物の外で、二人の女性が互いの顔を見て足を止めていた。

 

「なんだか意外ですね。湊先輩がこういうところにくるなんて」

「私だって、音楽ばかりだけの女じゃないわ。つまらない女、なんて言われたくないもの」

「アハハ、その件はアイツが失礼しました。ああ見えて結構気が強くて」

「ああ見えて、というか、見た目通りに思えるけど」

 

 腰に手を当てて笑う巴と、口元に手を当ててくすりと笑う友希那。性格の出る笑いを溢した二人は、連れ添って建物の中へと足を踏み入れる。

 イベントホールでは会話がままならないと、二人は少し離れた通路にある休憩所へと向かい、そこにあるベンチへと腰かけた。

 

「――ところで、貴女は彼と付き合っていたりするのかしら?」

「ぶふっ」

 

 すぐそばにある自販機にて購入した飲み物を口に含んだところで、予想外の人物から予想外の質問が飛んで、巴は軽く噴き出してしまう。

 あら、ごめんなさい、と優雅に差し出されたハンカチを受け取り、口元を拭きながら気持ちを落ち着けている巴を見て、友希那は、へぇ、と腕を組んだ。

 

「その反応を見る限り、やっぱりそうなのね」

「ど、どうしたんですかいきなり」

「いえ、特に意味はないのだけれど。何となく……そう、何となく、ね」

 

 表情を崩さずに言う友希那の意図が読み取れず、ただただ困惑するばかりの巴。

 リサやあこにからかわれるのはすっかり慣れてしまった巴だが、流石に真面目な顔で問われてしまうと少し動揺してしまう。

 こんな時、アキラなら『何か問題でも?』と平気で返してしまうのだろう。こういう時ばかりは、あの豪胆さが羨ましく思えてしまう巴だった。

 

「じゃあ、今日は彼のことを応援に?」

「どちらかといえば、あこの方がメインですかね」

「あら」

 

 巴の言葉に、キョトンとした表情を見せる友希那。こういう表情は年相応なんだな、とどこか安心する巴に、友希那が意外そうな顔をして組んでいた腕をほどいた。

 まぁ、巴も勿論アキラを応援したい気持ちはある。あるのだが、彼の……彼女としては、少しばかりひっかかるモノがあるのも事実なのだ。

 

「アタシだって、その……彼氏が、他の女の子と仲良くしてるとこ見るのはイヤですから。それが、今井先輩であっても」

「……そういうこと。何となくだけど、彼はそういうところ、疎そうではあるわね」

「疎いというか、切り替えが利きすぎるんですよ、アイツ」

 

 特に、ダンスに関して言えば、アキラは異性との垣根が異様に低くなる、と巴は常々思ってきている。

 普段から親しい間柄のあこやリサに関しては、多少身体が触れても特に何も言わないし気にしない彼だが、それでもある一線を越えることはない。

 あこに関しては飛び付き飛び付かれが挨拶みたいなものなので例外として、リサが相手だと必要以上の接触はしない。リサからからかい混じりで腕に抱き着いてみても直ぐに振り払うし、露出が多い時は露骨に顔を逸らすのがアキラという人間だ。

 しかし、これが一度ダンスという世界に入ってしまえば、際どい衣装だろうが目を逸らすこともなく、振り付けならば平気で自分からパートナーを抱き寄せる。

 本人が言うには、

 

『恥じらいとかあったらダンスやってられねぇよ』

 

 とのこと。

 曰く、なんであれ人に見せる目的でダンスをするのであれば、それは顕示欲に他ならない。顕示欲の敵である恥じらいなんて捨てるのが当たり前、そもそもが必要のないものだとアキラは巴へと言ったことがあった。

 確か、それを聞いたのは、初めてアキラとリサが組んで踊っているのを見たその日の夜だったと巴は記憶している。

 

「今思えば、もうその頃から嫉妬してたのかも知れませんね。一年も前の話ですけど」

 

 たはは、と恥ずかしそうに笑う巴の姿に、今まで持っていた巴へのイメージを大幅に修正していく友希那。

 そもそも、巴と友希那は同じ学校に通っているだけの間柄であって、そこまで親しくもない。

 リサや、彼女の妹であるあこからたまに話を聞くぐらいのものであって、直接二人で話すのは、思い返しても今が初めてだ。

 そんな友希那が持っていた印象といえば、良く言えば姉御肌。言い方を変えるならば、男らしい。そのぐらいの、話せば直ぐにわかるくらいのものでしかない。気っ風の良い性格は彼女の大きな魅力であるが、それは彼女の持つ一側面でしかなかったと思い知る。

 

「今の貴女、とっても魅力的だわ」

「うぇ!? な、何を……」

 

 突然の褒め言葉。しかも目の前にいるのは、あまり人を褒めるようなことはしないと思っていた人である。

 巴は頬を染めながら、恥じらいから視線を外してしまう。

 が、友希那は淡々と、

 

「純然たる事実を言っただけ。恋は人を美しくする、なんて俗っぽいと思ってたけど、目の当たりにすると信じざるを得ないわね」

 

 まるで興味深い事象を観察した後のように、うんうんと頷いている。

 巴は赤い顔のまま、少し伏し目がちに彼女へと視線を向けて、多少失礼かと思いつつも、感じたことを口にした。

 

「……湊先輩、少し変わりました?」

「どうかしら。私としては、変わったつもりはないのだけれど」

 

 言いながら、友希那は思う。それでも何か変わったとするならば、それはきっと幼馴染のせいなのだろう。おかげ、だと少し悔しい気がしないでもないので、せい(・・)、だ。

 

「そろそろ始まる時間ですね」

「そうね……こうして見る側に立つのも久しぶりだわ」

 

 時間を確認した巴の言葉に立ち上がり、イベントホールへと向かって歩きだす友希那。

 それに少し遅れる形で隣に並んだ巴は、ふと前方に立っている女性の姿が目に入り、

 

「あ、れ」

「あの人は……まさか」

 

 何故あの人がここに居るのか。

 いいや、彼女の予定こそわからないので、居てもおかしくはない。おかしくはないのだが、あまりにも唐突過ぎる。

 もしかしたら他人の空似かも、と目を擦った巴だったが、パタパタとどこか可愛らしく手を振られてしまっては、本人だと思わざるを得なかった。

 顔に手を当てて項垂れる巴の横で、友希那もまた驚きで目を見開いたままに動かない。

 取り敢えず、巴が今一番聞きたいことは。

 

「アキラは知ってるんですか……?」

 

 女性は、いたずらっ子のような幼い笑みを見せて、人差し指を口に当てるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「なーんか、嫌な予感がするんだよなぁ」

「なにさ、いきなり」

「いや、なんつーか、こう……背中がむず痒いっていうか」

「……この辺?」

「そういう意味じゃねぇけど……もう少し上」

 

 予選が始まってしばらくした頃。

 出番を控えた二人は、今まさに行われているバトルを見ながら、そんなゆるいやり取りをしていた。

 とはいえ、嫌な予感という言葉は本当のようで、アキラはしきりにギャラリーの中を見渡しては眉間にシワを寄せている。

 

「本当に見にきてんのかな」

「う~ん……。巴は来てもおかしくないんだけど、あの友希那がねぇ」

「まぁ、来てたとして多分前までは来ない……」

「……? 見付けたの? どこどこ」

 

 ある一方向を見て急に固まったアキラの肩を揺さぶり、どこだどこだと訴えかけるリサ。

 何やら硬い顔のまま指でその方向を指したアキラの横顔を怪訝そうに眺めたリサだったが、直ぐにその指が指す方向に目を向けると、確かにそこに、目立つ頭が二つ並んでいた。

 

「おー、本当に見に来てくれてる! あれ、でもあの人誰だろ……なんか巴が苦笑いしてるけど」

「気のせいだろ。気のせいにしとけ。昨日の今日でいきなりこっちに来る訳ない」

「……何の話?」

「見なかったことにする。……うん、あれが本物でもそっくりさんでもどうでもいい。そういうことにしとく」

「だから、何の話を……って、ちょっとちょっと」

「出番だ、早く行くぞ」

「わかってる、わかってるからそんなぐいぐい引っ張らないでよ~!」

 

 言葉通り、ぐいぐいとリサの手首を掴んで引っ張っていくアキラ。微妙にあの女性の姿が頭に引っ掛かり、会ったこともないのにどこか見覚えがあるんだよなぁ、と思案しながらも、サークルの中へと足を踏み入れるリサ。

 

「予選落ちは勘弁だ。大人げなくいかせてもらうか」

「ふふん、いいんじゃない? ほら、あっちだってやる気満々って顔してる」

 

 ざわざわと、前バトルの熱気が冷めやらぬ中で、リサが両手を腰に当てながら言った。

 正面に現れた相手は、歓声を受けながら片や元気に、片や物静かに佇んでいる。

 

「……うん?」

 

 その片方――一ノ瀬一花の姿を確認したアキラは、ふとその姿を見て眉を潜めた。

 あこの隣で静かに佇む彼女の顔。フェイスペイントで、左目の下に青いハートから滴が落ちるものが描かれている。そして、ゆったりとしたシャツに、一部太ももが露出しているガーターデニム。更には、青髪。

 強烈な既視感を感じて、アキラは一度視線を外して後ろを向いた。そこには、かつてのチームメイトが片膝で座り込んでいる。

 

「健吾。あの青髪、もしかして」

「おう。うちのチーム所属だ。よく気付いたな」

「今気づいた」

「お前に憧れてうちに入ったらしいが、ちょうど入れ替わる形になっちまってたな。責任もって全力でぶつかってやれ」

「…………」

 

 どん、ど胸をどつかれたアキラは、多少唇を尖らせながらも振り返る。彼女の視線は、変わらず自分へと注がれたままだ。

 MCが場を盛り上げていたようだが、アキラの耳には全く入っていない。予想外の観客といい、目の前の相手といい、気を裂かれることが多すぎる。

 

「妙なドラマはいらねぇんだけどなぁ」

「?」

 

 ぼやいたアキラと、そんな彼を不思議そうに覗きこむリサ。

 バトルが始まる。曲が流れ、元気に飛び出してきたあこを見て、アキラはリサの背中を軽く叩いて、自分は一歩下がるのだった。

 

 

 

 



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十五話:渾身

前半、ブレイクダンスの技の名前がいくつか出ますが、なんかすげぇ動きしてんだな、程度の認識で構いません。


 薄暗いイベントホール。

 その中心、ライトアップされたダンスサークルの中心で、彼の相棒であるリサが、楽しげに、しかし力強いムーヴを見せている。

 その女性らしいしなやかさと、普段は見せない色気を存分に振り撒く彼女。音に合わせてアキラを誘うような仕草を見せると、ギャラリーから歓声が上がった。

 腕を組んだままに、アキラは苦笑する。

 

(味方挑発してどうすんだよ)

 

 リサとアキラのコンビはそれなりに知名度が高い。

 全てのイベントに二人で参加している訳ではなく、かといって出たイベント全てで優勝をかっさらっている訳でもない。

 そもそもリサがこうしたダンスバトルのイベントに出るようになったのはアキラと出会ってからで、それも彼女が高校に入ってから。つまりはここ一年程しか活動していない。

 それなのに、周りから注目されるようになったのは、一重に――

 

 

 

 

 

 ――悔しいけど、やっぱりお似合いなんだよな。

 

 リサが何やら合図を出したのか、飛び出して彼女の隣に並んだアキラが、リサと共に踊り出す。

 ジャズダンスでのルーティーン。リサとは種類の違う、かっちりとしたキレのある動き。その息の合った動きに、会場の熱は更に上昇していく。

 最後にアキラがリサの腰を抱き抱え、空を仰ぐように大きく体をのけぞらせたリサが相手――あこと一花に向けて腕を伸ばした体勢でピタリと止まった。瞬間、オーディエンスから大きな声が上がり、肩で息をしながらアキラの肩にもたれ掛かったリサは、笑顔で彼の背中を叩いた。

 二人の人気の源は、ダンスの実力もさることながら、この仲睦まじい様子にもある。

 華やかな見た目のリサに、無愛想ながらも彼女を受け止めるアキラのペアは、ある種の目の保養にもなっていた。

 しかし、巴の立場からしてみれば、それは。

 

「…………」

 

 ――ぶっちゃけ、面白くない。その一言に尽きる。

 

 アキラがダンスに真剣で、そこに恋心や下衆な下心を持ち込まないのはわかっている。彼女もきっとそれがわかっているからあれだけ身を任せられるのだろうし、振り付けに文句を言うだなんて身勝手な我が儘なんて言うつもりもない。

 しかし、それとこれとは話は別である。先程、隣でじいっとサークルを見つめている友希那にも言った通り、自分の彼氏が他の女とベタベタしているのを見るのは、当然ながら気に入らないのだ。

 今日の夜にはその辺りを理由に意地悪でもしてやろうか。

 ――つらつらとそんなことを考えていた巴だったが、不意にその唇に横から指が伸びてきて、知らず知らずのうちに尖っていた唇が優しく押されてしまう。

 指の持ち主に視線を向けると、彼女はにっこりと笑うだけ。きっと今の気持ちを読まれてしまったんだろうな、と考えると、無性に恥ずかしくなってしまう巴だった。

 

 

 

 

 巴のそんな内心も知らず、リサの背中を軽く叩いて下がらせたアキラは、一ノ瀬一花と視線を絡ませる。

 あこ、リサと踊り、次は彼女のターンだ。が、数秒程彼女は前に出ず、ただアキラを見つめて――いいや。

 

(睨んでやがるよな、コイツ)

 

 アキラがそう判断したと同時に、彼女が動き出す。

 ステップを踏みながら、彼女は自分の両目を両手の指で指し示す。アキラは肩を竦めて軽く顎を引き、彼女がどう動くのかを注視した。

 女性のブレイクダンサーに、オーディエンスが沸く。

 その熱に乗るかのように、一ノ瀬一花はその表情とは裏腹に荒々しいムーヴを見せ、表情こそ変えないものの内心でアキラは驚いていた。

 しかし、彼女はそこから更にアキラを驚かせる。

 

 フットワークからのウィンドミル。そこからトーマスという技に繋ぎ、エアートラックスに移行。

 

(マジか)

 

 最後に、1990という片手逆立ちのような状態で回転する技をかましてみせた彼女は、見事に着地した後に、無表情のままに両手の親指で自分の首もとを切るジェスチャーを見せた。

 

 爆発的な歓声。恐らくは、イベントが始まって最高の盛り上がり。ジャッジの人間は立ち上がり、歓声で大音量で流されているはずの音楽が霞む。

 それだけのムーヴを見せた彼女は尚も変わらない表情で、大喜びで彼女に抱き付くあこの頭を撫でている。

 

「やってくれるじゃん」

 

 既に勝負はついたかのような雰囲気の中で、アキラはサークルの中心へ――そこから更に進み、一ノ瀬一花の目の前まで飛び出した。

 そして、見つめ返してくる彼女へ、手をひらひらと横に振る。

 

 ――別に大したことねぇよ、と。

 

 そのジェスチャーを見たオーディエンスは更に盛り上がり、ならその証拠を見せてみろと言わんばかりに声を上げた。

 あこがべーっと舌を出しているのを見て口角を上げたアキラは、地面を蹴って後退。そのままフットワークへと突入する。

 

(俺に憧れたってのは本当みたいだが)

 

 そこから、ウィンドミル、トーマス、そしてエアートラックス。

 一花の動きをそのまま真似たようなダンスに、彼女は怪訝そうに形の良い眉を潜めた。

 

(最後の首切りはいただけねぇなぁ)

 

 最後まで同じだとしたら、ただの一花の焼き直し。しかし、完全に熱くなっていたアキラは、当然そんなつまらないことでは終わらせない。

 

 ――お前はもう終わっている。そんなジェスチャーをやられて、黙ってる訳にはいかないのだと。

 

 最後の1990という技を、2000に変える。片手の1990に対して、それは両手で回る技だ。難易度は下がるが――アキラは、そこから更に繋げる。

 もう一度エアートラックスに戻した上で、再度1990に移行。そして、エアチェアーというフリーズ技で締めて見せた。

 立ち上がったアキラは、澄ました顔で煙草をふかす仕草を見せる。

 もはや、会場は予選とは思えない程の盛り上がりを見せていた。

 

 

 

 

 

「――――疲れた」

「大人げないとか言ってらんなかったとはいえ、飛ばしすぎだよ」

「人のこと言えるかよ、いきなり1個ルーティーン使っちゃった奴が」

「使わずに終わるよりいいじゃん!」

 

 予選の全てが終わり、小休憩に入った二人。

 既に結果は出ており、無事に予選は突破している。十六組中の三位という結果で、どうやらアキラの後先考えないムーヴが評価されたらしい。あこと一花のペアも、あのバトルでこそアキラ達に破れはしたものの予選は突破していた。こちらは八位と、中学生コンビ唯一の予選通過ペアとなっている。

 

「っていうか、さ」

「あぁ。言いたいことはわかる」

 

 会場の外、自販機の横に配置されているベンチに座っている二人は、空を仰ぎながらぼやく。

 

「レベル高い人多いよ……アタシ場違い感すんごいんだけど」

「たかが街のイベントのはずなんだけどなぁ。なんであんなに……なんか賞金でも出たっけか」

「んー……出るには出る、けど。商品券だよ?」

「そんなんに集まる訳ない……」

「お前だよ、お前」

「あん?」

 

 目をつぶっていたアキラの顔に影が差す。同時に聞こえてきた声に目を開けたアキラは、そこにあった顔に、何だお前かと溜め息をついた。

 隣に真緒を連れた健吾は、予選三位おめでとさん、と軽く言うものの、それに返すアキラの表情は苦いものだ。それもそのはず、彼等はアキラとリサの上で、二位で予選を通過しているのだから。

 

「嫌味でも言いに来たのか?」

「違う違う。実際お前のムーヴは良かったぜ? 尚更チームに戻って欲しいと思ったくらいだ」

「本題があるならさっさと言えよ」

「せっかちだなぁ。自分勝手はモテないぞ?」

 

 腰に手を当てた真緒が、むくれた顔で言う。

 今この瞬間に何の関係があるんだ、と思ったアキラだが、ふと巴の顔が思い浮かんだので、ほんの少しだけ自慢げに笑いながら。

 

「生憎間に合ってるんでな。殊更モテる必要がない」

「えっ……まさか、リサちゃんと」

「ち、違います違いますっ! あたしじゃなくって、いっこ下の」

「だから本題に入れって。健吾、さっきのはどういう意味だ」

 

 余計に話が拗れた、とちょっと自慢したくなったさっきの自分に呆れつつ、もう一度自分で話を戻すアキラ。

 健吾は、あぁと返事をしながら自販機に小銭を入れつつアキラへと横目で視線をよこす。

 

「予選の相手の青髪、アイツがお前と入れ替わりでウチに入ったのは言ったろ?」

「あぁ」

「んで、アイツがお前に憧れてるのも言ったわな」

「がっつり睨んでやがったがな」

「はは、それはわざとだ、わざと。最後の首切りジェスチャーも、本心からの挑発じゃない」

 

 おらよ、とスポーツドリンクの缶が二個飛んできて、アキラがそれをキャッチする。片方をリサに渡して、アキラは怪訝そうな顔のままにそれを開け、一口飲んだ。

 

「一花はな、お前と踊るのが夢だったんだと。憧れの『Akira』の隣に立てるように、俺らの動画で勉強して、独学で覚えてウチに申し込んできた。ウチにそれまで女はいなかったからな。それなりに出来ないと、入れないと思ったらしい」

「…………」

「それだけ苦労して入ったのに、肝心のお前はもうチームにいない。それを知った時に、アイツ泣いちまってな。いや、号泣したとかじゃないんだが」

 

 いやぁあの時は焦ったな、と頭を掻いて笑う健吾。確かに、あそこの連中は、自分も含めて女の扱いなんて不馴れな奴らばかりだ。実際、自分がその場にいて何が出来たろうか、とつらつらアキラは考える。

 

「でも、アイツはチームに残った。『ブレイクダンスが好きなのは変わらない』って、ほろほろ涙流しながら言われちゃあ、ウチだって入れない訳にはいかなかったし」

「……なんとなく、話はわかってきたけどよ。入れ替わりで入ったなら、それは一年前の話だろ? 今更俺に何の関係が」

「バッカお前、会えなくて泣くほどの憧れが一年やそこらで消えるわけねぇだろ。逆なんだよ、逆。一年経って、一花の力は目に見えて上がった。チームにいた頃のお前と瓜二つのムーヴはお前だって見ただろ」

 

 それは、まぁ、と。

 彼にしては歯切れの悪い返事。だんだん何故だか説教でもされているかのような雰囲気に、いたたまれなくなってきたアキラ。しかし、ここで話を終わらせてもモヤモヤするだけなので、黙って話を聞くことにした。

 

「今回のイベントが発表された頃かな。皆でイベントのポスター見て、ワイワイやってた時によ」

 

 

 

『もしかしたらアキラの奴これ出てくるんじゃねぇか?』

『有り得るな。ダンスイベントにはちょくちょく出てるみたいだし……健吾、出てみろよ』

『俺っすか』

『同い年のお前なら取っ付きやすいだろ? ついでに勝ったらそのまま引っ張ってこいよ』

『いや、けど多分アイツ2on2の方に出ると思うし……ほら、あの可愛い娘と』

『ならこっちも可愛い娘ちゃん出すだけだろ……一花!』

『はい……なんですか? 皆さん集まって』

『お前の憧れの人に一発かますチャンスの話。興味あるか?』

『聞かせてください』

 

 

 

 

「……そんなに即答だったのか?」

「即答どころか食いぎみだったよ。けどまぁ、一花は先にあのツインテと出る約束してたらしく、俺はこの女モドキと出る羽目になったわけだが」

「話の流れでさらりとバカにすんのやめろっ」

 

 げしげしと、どこまでも女の子っぽい動きで健吾に蹴りを入れる真緒。そんな、昔から変わらない流れに微妙に癒されながらも、アキラは続きを促した。

 が、健吾は首を横に振る。

 

「……なんだよ」

「いや、最後は本人から聞いた方がいいんじゃないかってな」

 

 言いながら、顎である方向を促す健吾。それにならってその方向に目を向けると、そこには確かに本人――一ノ瀬一花が立っていた。

 ぺこり、と一礼してから歩き出してくる彼女の姿に、缶を置いて立ち上がるアキラ。

 ゆっくりとした歩み。やがて、彼女がアキラの目の前にたどり着く。そして、しばし沈黙が訪れる。

 

 先に口を開いたのは、アキラだった。

 

「一花、だったか」

「……はい」

「粗方話は聞いたけどよ。いまいち、お前の目的が俺にはわからん。勝手にチームを抜けた俺に文句を言いたいのか、もしくは、単に俺とやってみたかったか。……もし、チームを抜けたことで文句があるんだったら聞いてやる――謝りはしねぇけどな」

「ちょっと先輩! そんな言い方……」

「リサちゃん」

 

 あんまりと言えばあんまりなアキラの物言いに、たまらずリサが立ち上がる。しかし、それはいつしか近付いてきていた真緒にいさめられる。

 小声で、大丈夫だからと言われて再度座らされるリサだったが、内心ではハラハラして仕方なかった。どうしてこう、あたしの大事な人は不器用な人が多いんだ、と。

 そんなリサを他所に、二人はまた沈黙に身を委ねている。

 アキラから言いたいことは言った。後は、目の前の彼女から本心を聞くだけだ。

 そんな、アキラのもつふてぶてしいとも言える余裕は――不意にその瞳から溢れた涙によって、呆気なく崩れ落ちていた。

 

「……ずっと、夢だったんです」

「…………」

「貴方に憧れて、ブレイカーになりました。貴方と踊りたくて、crewになりました。でも、どこにも貴方はいなかったんです」

「……なんで、そんなに俺にこだわる? 俺ぐらいのレベルなら、他にもいるだろ」

「――貴方に、憧れたからです」

 

 はらはらとその瞳から涙が零れ、目の下にあるハートの上を滑り落ちていく。

 その表情は変わらない。会った時も、バトルの最中であろうと――そして、涙を流している今であっても、変わらない。

 けれども、震えた声は、彼女の内心をしっかりと表していた。

 

「謝る必要なんて、ないです。だって、私は今とっても嬉しいんです。顔には出てないかも、ですけど。本当です。本当に、嬉しい」

 

 流れる涙を拭いもせずに、胸の前で手を組んでそう言う彼女からは、大人びた雰囲気は無くなっていた。

 そこで、ようやくアキラも目の前の少女の言葉を信じた。この娘は本当に、ただ自分に憧れてくれていたのだと。

 あの睨みも挑発も、アキラに本気を出させる為のものだとすれば納得いく。まんまと意地になったのを考えれば、踊らされたのは俺の方かと彼は頭を掻いた。

 

「……そんなに嬉しいか」

「はい。本当に」

「そうか、じゃあ」

「ふぇっ」

 

 急に、アキラの両手が彼女の顔に伸びる。流石に予想外だったのか、驚きながらも抵抗する間もなく――

 

「笑え」

 

 ――ぐいっと、その口の両端が強引に指で押し上げられる。

 

「嬉しいなら、笑ってみせろ。泣いてばっかりじゃ信じられないんでな」

「い、いきなり言われても……」

「いいから」

 

 いきなり顔に手を当てられ、しかも至近距離に憧れの人物がいる状況に、一花の頬が急激に熱を持ち始める。

 長年の夢を叶えて内心感激でどうにかなりそうな中で、これだ。けれど、とにかく笑わなければいつまでもこのままの可能性がある。そんなことになれば、間違いなく頭が熱暴走を起こす。

 既にクラクラしてきた頭でそう判断した一花は、言われるままに不慣れな笑顔を浮かべようとして。

 

「……なんだ、笑えるじゃん」

 

 そう言って、アキラは彼女の顔から手を離す。

 不慣れだったはずの笑顔。それなのに、一花は今自分でも信じられないくらいに、自然に笑顔を浮かべられていた。

 そう考えると、止まりかけていた涙がもう一度込み上げてくる。

 目の前で、自分と同じように笑ってくれている人。ああ、本当に嬉しいと、笑顔ってこんなに溢れて、止まらない――

 

 

 

 

「――――こんのぉ、浮気ものぉぉっ!!!」

「ぶっ!?」

 

 そんな一花の笑顔も、ついでに涙も、いきなり目の前で横っ面を張られたアキラを見て、一瞬で引っ込んだ。

 

 そこにいた一同が唖然とする中で、肩を震わせた巴が、渾身の張り手を放った右手を握り締めていた。

 

 

 

 



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十六話:その花は咲かないままに

 パァン! と小気味良く響く乾いた音が頭の中で反響する。いきなり頬を思い切り張られたアキラは、その勢いに二、三歩横に足を縺れさせ、芝生とコンクリートの垣目につまづいてしまう。

 転びそうになったところを咄嗟に手をついて受け身を取ろうとした彼だったが、

 

「おぉ、流石」

 

 呑気な声で健吾が呟いた。

 身体が完全に倒れてしまう前に、アキラは思い切り地面を蹴った。勢いそのままに抱え込み側宙を見せたアキラは、芝生に着地してそのまま座り込んでしまう。咄嗟に駆け寄ったのはリサだった。

 

「ちょっと、大丈夫? 何もそんなアクロバットな動きしなくても……」

「別にしたくてした訳じゃねぇし……それより、いきなり何しやがる」

 

 胡座をかいたまま、自分の頬を張り付けた張本人へと視線を向ける。その人物――巴は、罰の悪そうな顔を一瞬だけ見せたものの、直ぐにそっぽを向いてしまった。

 どうやら完全にヘソを曲げてしまっているらしいが、アキラとしては納得がいかない。そもそも、何故浮気者と罵られた挙げ句に思い切り殴られなくてはいけないのか。

 実際に浮気認定されるような行為をしたならまだしも、やったことといえば多少一花の顔に手を当てただけである。多少距離は近かったかもしれないが、それでもここまでされる覚えはない――そこまで考えて、彼はピンと閃いた。

 しかし、それを口にする前に、真緒がピョコピョコと巴へと近付いていき、どこか意地悪な笑みを浮かべながら彼女へと話しかける。

 

「巴ちゃん巴ちゃん」

「……なんですか、先輩」

「さっきの、どこから見てた感じ? あの陰から?」

「そうですけど」

「やっぱり。まぁ、あそこからなら見えなくもないよね~。二人がキッスしてる風にもさぁ」

「キッ……!?」

 

 真緒の言葉に、顔を染めて反応したのは一花だった。口元に手を当てた彼女の目は見開かれており、わかりやすく動揺しているのが見てとれる。

 対して巴は、真緒に対して微妙に呆気に取られているような顔で、

 

「してる風に、も?」

「にしても、巴ちゃんがそんな風に先走るなんて意外かなー」

「意外でもないぞ。コイツは一回思い込んだらそのまんま突っ走るタイプだ」

 

 立ち上がったアキラは、叩かれた頬をさすりながら巴へと近付いていく。

 何となく、雰囲気から自分の勘違いだと察し始めた巴は、最初とは別の意味でアキラから顔を背けてしまっていた。

 そんな巴の顔に手を伸ばしたアキラは、左手でその頭を――わしづかむ。

 

「いや、まあな? ちょっと紛らわしい体勢だったのは認めるわ」

「いや、その」

「お前という女がいて、いらない不審を抱かせちまったのは、まぁ俺が悪いと認めてやろう。ちょっと腑に落ちないものはあるが、そこも飲み込もう」

「あ、アキラ」

「でも」

 

 無理矢理視線を合わせられた巴が見たアキラの顔は、これ以上ないくらいの、笑顔だった。巴の顔が、ひきつる。

 この笑顔は、駄目なやつだ。具体的には、よくあこがイタズラしてお仕置きされている際によく浮かべているそれだ。しかし、紛らわしい真似をしたのも事実なのだ。自分を不安にさせたのは目の前のコイツであり、アタシはそこまで悪いことはしていない。

 多少の痛みになんて屈しないぞ、とひよる心を奮い立たせた巴の覚悟は、

 

「少しは物事を確認してから行動を起こせっつうの……!」

「アタシは謝らないたたた! ごめんなさいごめんなさいすいませんでしたぁっ!」

 

 アキラが繰り出したアイアンクローの前に、呆気なく崩れ去っていた。

 

 

 

 

「ったく。少しは信頼して欲しいもんだがな」

「いやぁ~、あたしは正直巴の気持ちもわからなくもないかなー」

「なんでだよ」

「だってぇ。先輩結構なたらしだし?」

 

 頭を抱えて涙目で唸る巴を慰めながら言うリサ。

 その言葉に、そんなつもりはないんだがなと頬を掻くアキラだが、流石に色々な方面から言われては若干認めざるを得ないのかもしれない、と考える。そばでうんうんと頷いている幼なじみ二人を見ると尚更だった。

 

「にしても、見に来てくれてたのか」

「……あこのついでだけどな」

「憎まれ口たたかないの。もう」

 

 ぶすっ、とベンチに座って唇を尖らせる巴の頭を撫でるリサ。普段から考えるとあまり想像できない巴の姿に苦笑しながら、彼女は巴の耳元に口を寄せて、小さな声で言う。

 

「ごめんね、面白くないのはわかってるんだ」

「…………いえ、そんな」

「いいのいいの。好きな人が他の女とベタベタしてたら、あたしだってヤな気持ちになるもん。でも、このイベントの間だけは許して欲しいんだ。多分、これが最後になると思うから」

「……今回だけですよ?」

「うん。ありがと」

 

 リサとて、今のこの状況に全く気まずさを感じていない訳ではない。

 元々、アキラと巴の関係に水を差すのはリサの本意ではない。アキラが尊敬できる大切な先輩であると同時に、巴もまたリサにとっては可愛い後輩である。二人に向ける想いは同一のそれであり、恋人になったのなら上手くいって幸せになって欲しいのが本音だ。

 しかし、今回は自分の我が儘を通した。

 二人が恋仲になるよりも、イベント参加をアキラに持ちかけた方が先ではあった。それでも二人の関係を知った後からなら、それなりにやりようはあったはずだ。何も毎日のように二人きりになる必要なんてなく、頻度を落としたって良かったはず。

 

 ちらりと、リサはアキラへと視線を向ける。彼は、幼なじみの二人と一花とで、何やら話に花を咲かせている。きっと二人が内緒話をしはじめた時から、それを聞かないようにそちらへと向かったのだろう。

 

 ――巴のことが無かったならば、もしかしたらそういうこと(・・・・・・)もあったかもしれない。

 

 しかし、そうはならなかった。きっとこれから先、彼とここまで時間を密に接することは出来なくなる。リサはバンドに集中する為に。アキラは、巴という存在の為に。

 だからこそ、リサは我が儘をそのまま通した。巴が良く思わないことなんて百も承知で。

 だって、そうでもしないとどうしようもなくなってしまうから。

 不完全燃焼では燻りが残る。芽生えそうになった毒の芽は、全て摘んでしまった方がいい。後腐れなく燃え尽きてしまえば、再度燃え上がることもない。

 その為に、リサはこのイベントを全力で楽しむのだ。勝敗なんて関係無く、諸々に笑って終わりを迎えられるように。

 

 ――まぁ、欲を言えば? 優勝なんかしちゃったら最高なんだけどね。

 

 そんな想いを胸にアキラを見つめるリサの横顔を、巴は黙って眺め続けるのだった。

 

 

 

 

「にしても、想像はしてたがえらくハイレベルな連中が集まったもんだなぁ」

「それだよ、なんでこんな街のイベントにあんな連中が集まってんだよ」

 

 リサと巴が内緒話をしている間に、此方はそんな切り出しで会話が始まっていた。

 アキラの当然と言えば当然な言葉に、しかし呆れた顔を彼に向けたのは健吾だった。一花も何かを知っているらしく、わかりづらい程度の苦笑を浮かべている。

 

「……なんだよ」

「原因はお前なんだって。お前」

「……あぁ、あの言葉はそういう意味か。いや意味はわからんけど」

 

 確かに、健吾がそんなことを言ってはいたな、と首を傾げながらアキラは言う。しかし、腑に落ちない。何故原因が自分になるのか、全く心当たりがないアキラからしてみれば疑問しか浮かばない。

 そんなアキラに、健吾は一花の頭に手を乗せた。

 

「つまりだ。このイベントにはお前を含めると、grand slamから三人出場している」

「まぁ、な」

「それを知った他チームから、アイツが出るなら俺も、あの子が出るなら私もって形で人が集まる」

「……いや、まぁ」

「その原因を作ったのはお前。お前が出るから、俺と一花が出ることになった。三人もgrand slamから人が出たことで、他チームも追いかけてくる格好になった。で、この結果だ」

 

 実際、予選に残った連中の半分はそいつらだしな、と健吾が話を締めた。アキラは顎に手を当てて口を歪めている。

 

「……バンドイベントに集まってたわけじゃないのか」

「ライブは夜からだぞ。流石にダンスバトルで騒いだ後にライブで盛り上がれる程のタフな奴、こんなにいないだろ」

「私はライブも見てくけどねっ」

「人間機関車のお前はそうだろうけどな」

「初めて聞いたんですけどそのアダ名っ!?」

 

 健吾の弄りに目を見開いて突っ込む真緒を他所に、それもそうかと頭を掻くアキラ。

 実際、予選を通った連中はアキラから見てもハイレベルな連中ばかりだ。アキラや健吾にも見劣らないブレイカーもいれば、リサと同じジャンルで実力派の女性もいる。他も様々なジャンルの実力者ばかりで、本選は勝ち抜くのも難儀しそうな混戦状態だ。

 因みに、今まで触れられなかった真緒に関しては、会場内でも女扱いされ、MCに男だと紹介されて物議を醸し出した挙げ句に、無闇に女性らしさを振り撒くダンスで更にオーディエンスを混乱に陥れていた。パートナーの健吾と共に、インパクトという面ではそれなり以上に厄介な敵と言える。

 

「さ、そろそろ戻ろうぜ。本選、もう始まってんだろ」

「あこが待ってるので、私は先に行きます。あの……アキラ、さん」

「なんだ。言っとくが、次も容赦なく行かせてもらうぞ」

「……はい!」

 

 アキラの言葉に、嬉しそうに返事をして駆けていく一花。その背中を見送ってから、アキラもリサへと声をかける。

 何やら一言二言隣の巴へと声をかけてから立ち上がった彼女は、大きく身体を伸ばしてからアキラへと駆け寄った。そのまま会場へ向かおうとして、ふと。

 

「そういや、巴」

「なんだ?」

 

 いつもと変わらない声色に、どうやら機嫌は治ったようだと微妙に心を撫で下ろすアキラ。

 その様子を見て、巴は少しだけポカンとした後に、カラッとした笑顔を見せる。

 

「……なんだよ」

「なんでもないさ。頑張ってこいよ、応援してる。リサさんも、頑張って」

「うん。行ってきます!」

 

 元気に返事をして、リサが巴に抱きついた。いきなりの行動に驚いた巴だったが、すぐにその背中に腕を回して抱き止めた。

 その様子に、本来しようとしていた質問を止め、頭を掻いて歩き出す。

 

 ――本物だったとして、忙しい人だからな。もうここにはいないのかも。

 

「あっ、ちょっと待ってよ先輩! じゃあね、巴! 友希那にも宜しく言っといて!」

 

 そんなアキラの背中を、リサもまた追いかけるのだった。

 



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十七話:前進あるのみ

水曜日とか書いてた癖に忘れてた救いようのなさ。


 その後も、アキラとリサは順調に勝ち進んでいた。

 ベスト16,ベスト8と勝ち抜いて、今正にベスト4へと名乗りを上げる。

 三人いるジャッジの内、二人が彼らの方へと手を掲げたのを見て、リサは無邪気に跳び跳ねた。そのままアキラを軽くハグすると、相手の二人とも同じように健闘を称え合う。

 アキラもまた、相手チームから差し出された手を握り、笑顔を見せてサークルを後にした。

 

「――ふぅ」

「疲れた?」

「バカ言え、そんな柔な鍛え方してねぇよ」

「でも汗スッゴいよ? タオル貸そうか?」

「自分のあるし。まぁ、少し汗は拭いてくる。ここで待ってろ」

「りょーかい」

 

 額に手を当てて敬礼の格好を取ったリサは、まだまだ元気です、といった風情。勝利の興奮が疲れを感じさせないんだろうな、と分析したアキラは、背を向けて荷物を置いてある控え室へと向かう。

 

「…………」

 

 ひとまずのバトルを終えたはずなのに、彼の額からは尚も汗が吹き出ている。

 それが体温が上昇した故の汗ではないのは、本人が一番わかっていた。

 

「誰も、いないのか」

 

 たどり着いた控え室には、訪れたアキラ以外に人の気配は見当たらなかった。

 扉を閉めて、人目が無くなったことにより張っていた気が緩むのを感じたアキラは、

 

「うぅ…………」

 

 扉に背を預け、苦悶の表情を隠しもせずにずるずると座り込んでしまう。

 左手で掴んだ右手は痛みに震えており、今なら何かがぶつかっただけで彼は悲鳴を上げてしまうであろう。

 つまるところ、その汗は痛みによる脂汗。気合いと根性で顔に苦痛を出さずにいれたとしても、身体は憎らしい程に正直だ。

 

「捻挫とか、打撲とかのレベルじゃねぇ……」

 

 絞り出すような声で呟きながら、ベリベリと巻き付けていたテーピングを剥がしていく。それだけでも顔が歪むのを感じたアキラは、露になったその手首を見て、力なく吹き出し、笑った。

 

「なんだよこの色」

 

 テーピングで圧迫していたからか、腫れてはいない。

 しかし、異常なのは明らかだ。見事なまでに不健康な色が、手首から手の甲へと向かって伸びている。裏返して見れば、こちらは手首から親指が赤く染まっていた。

 完全に内出血を起こした手首を軽く曲げたアキラは、思い切り後頭部を扉へと打ち付ける。

 

「っ痛ぅ……!」

 

 手首のそれと後頭部の痛みに涙目になりながらも、立ち上がったアキラは自分の荷物まで向かい、左手でごそごそと鞄を漁った。

 イベント前に飲んだ痛み止めはとうに切れている。

 ここまでする意味は本当にあるのか、と自問自答しつつ、アキラはゼリー飲料を一息に飲み干すと、次に持ってきていた痛み止めを水で喉に流し込んだ。

 そして、痛みを堪えてもう一度テーピングを巻きなおす。今度は先程よりも頑丈に。変色した部分を覆い隠せるように。

 そうして、五分ほどかけて右手首を補強したアキラは、座ったままに項垂れた。

 

「弱音は吐きたくねぇけど……」

 

 ――最後までは、持たないかもしれない。

 

 ひまり辺りが見れば、その弱々しい姿に別人かと疑われそうな程に今の彼は弱ってしまっている。

 いくらテーピングを巻こうと、激しい運動に耐えられる程の強度はない。そもそもの手首が、贔屓目に見ても病院行きのそれだ。強がりを言うのも馬鹿らしい、と本人ですら思っている程度には。

 痛み止めだって、今飲んで直ぐに効果が出る訳でもない。下手をすれば副作用で、立っているのも辛くなる可能性だってある。

 

「ばっかみてぇ」

 

 立ち上がる。

 扉に向かい、開ける前に強い自分を張り付ける。

 直ぐに剥がれるであろうメッキであることは瞭然で、きっと次のバトルで巴辺りに無理していることがばれるだろうと漠然とアキラは考える。

 下手をすればリサにすらばれてしまい、二人から説教を受ける羽目になるかもしれない。

 それでも――

 

「男の子ねぇ。そういうとこ、どっちに似たのかしら」

 

 扉を開けると、すぐ横の壁に女性が寄りかかっていた。

 先程巴の隣にいた女性だ。アキラに良く似た目元に、肩口で切り揃えられた髪。ほぼ彼と同じ背丈をした彼女は、腕を組んだままにアキラへと横目で視線を向ける。

 そんな彼女に、アキラは一瞬だけ動きを止め――

 

「爪が割れようが腱鞘炎になろうが、挙げ句の果てに疲労骨折してもピアノを弾き続けようとした誰かさんに似たんじゃねぇかな」

 

 ――そのまま、目を合わせないままその場を後にした。

 

「……逞しくなったというか、そんなとこまで似なくてよかったというか。……あ、もしもしパパ? 先生に連絡取れるかなぁ? 整形外科の、うん……」

 

 

 

 

「おかえり、長かったね」

「そうか?」

 

 ダンスサークルの端、イベントホールの入り口近くの壁に寄りかかっていたリサにそう返したアキラは、その隣に同じように寄りかかる。

 既に次のバトルは始まっていた。対決しているのは、どちらも顔見知りの四人。つまり、あこと一花の中学生コンビ対、健吾と真緒の幼なじみコンビというバトルである。

 今は、あこがその小さな身体を目一杯使って、見る人間全てに移るような笑顔を振り撒きながら踊っている。

 どこかオーディエンスも保護者の視点に立っているような暖かい雰囲気で、それはダンサーとして喜んでいいのかどうか微妙なところだな、とアキラは考える。

 まぁ、あこはダンスそのものを楽しんで踊るタイプなので、勝敗がどうとかはあまり考えていないのだろう、という結論が直ぐに出たのだが。

 あこの後に出てきたのは、踊り子のような衣装に身を包んだ真緒だ。それなりに露出の多い服で、脚も見えればへそだって露になっているのだが、

 

「……あの人見てると、自分が女だって自信なくなってくるんだけど……」

「慣れろ。あれはもうそういう生き物だ。俺はそう考えてる」

 

 どこの部位に注目しても男だと判断出来るものがなく、かといって全体像を見ればもうそこにいるのは女ですとしか言えなくなる人間。それが井上真緒である。

 生物学的にはまごうことなき男性であり、精神面も本人が言うには立派な男らしいのだが、こうして見ているとそれも段々疑わしくなってくる。

 長年の付き合いであるアキラですらそうなのだから、ほぼ初対面になるリサとなるとその衝撃は計り知れないだろう。

 

「ワックってやつ?」

「だろうな。ある意味期待通りっていうか」

 

 女性らしい見た目、女性らしい服装。そして見せ付けるかのような自己主張の強いダンス。

 流石に本業は演劇の人間。技術以上に人の目を惹き付けるものがあり、指先から爪先、表情の細やかな変化など、正に全身で表現するということを実行している。

 元々人目を惹く見た目の真緒だ。その彼が、自ら注目を集める為に本気を出したならば。そのポテンシャルの高さに、少しばかり嫉妬のような何かを感じてしまうアキラ。

 

 その流れを断ち切るように、一花がスライディングからの片手逆立ちのフリーズで入って会場を沸かせる。

 どこか肩の荷が降りたのか、アキラ達とのバトルよりも良い意味で力が抜けている。

 細やかな立ちのステップから、フロアのステップ。そこから、一花はそのしなやかな身体の柔軟性を生かしたムーヴを流れるように決めていく。てっきり自分と同じパワームーバーだと思っていたアキラは、軽く目を開いて一花のスキルの多さに驚いていた。

 

 最後に飛び出して来たのは、四人いる中で唯一の(わかりやすく)男の健吾だ。

 長身で非常にガタイの良い彼が一番得意とするのは、ブレイクダンスの中でもストロングスタイルと呼ばれる種類の、要するに筋肉にモノを言わせるスタイルである。

 ウインドミルやエアートラックスといった回転系の技を多用するのがパワームーバー、フットワーク中心の立ち回りをするのがスタイラーと呼ばれ、アキラはパワームーバーであり、フリーズ系の技も多用する為にスキル系とも言える。ではストロングスタイルとは、

 

「うっわ、すごっ」

 

 アキラの隣で、若干引き気味に呟くリサ。その視線の先では、健吾が軽いフットワークからスパイダーという技、そして上水平の体勢で止まっている。

 腕立ての体勢で足をつけていない、と言えば一番わかりやすいだろうか。その体勢を腕の力だけで実現させている健吾は、更にそこから重力を無くしたかのような動きを連発していく。

 腕力も去ることながら、筋肉の柔軟性、そもそもの身体の頑強さがなければ、とてもではないが出来る芸当ではない。

 

 結局、そのバトルは3-0で健吾と真緒が勝ちを奪い、準決勝はアキラとリサ、健吾と真緒のコンビがぶつかることが確定したのだった。

 



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十八話:ひとつの終わり

超難産回。


「…………」

「どうかした?」

「いいえ。仕方無い奴だな、と」

 

 準決勝、一試合目。サークルの端に立つアキラの姿を見つめながら友希那へとそう返す巴。

 目を細めて眉間に軽くシワを寄せた彼女は、腕を組んで小さく溜め息をついていた。

 

 

 

「…………」

 

 そんな巴の視線に、アキラはしっかりと気が付いていた。横目で軽くその顔をうかがい、その難しい顔付きに肩をすくめたアキラは、

 

「また見慣れた顔してるぜ」

「いきなりなにさ」

「こっちの話」

 

 後ろ髪を結ったリサの言葉に、目を向けないまま返す。

 どうやら、バトルを待つまでもなく気付かれてしまったようだ、とアキラは軽く頭を掻いた。自分ではしっかり隠しているつもりなんだが、と顔を揉んでみる。ポーカーフェイスもこれではあまり意味がない。

 それでも止めにこないどころか、問いただしにも来なかったということは――信頼してくれているのか、言っても無駄だと思われているからなのか。きっと後者なんだろうと苦笑する。

 心配してくれているのだろうな、と。悪いとは思いつつも止めるつもりのない自分に呆れつつ、アキラは対面にて立っている二人へと視線を向けた。

 

「強敵だぜ。気合い入れろよ」

「今更だねぇ。アタシはずっと全開だよ」

 

 隣にいるリサと、拳を合わせる。

 

 ――そんな単純な動作でさえ、彼の右手首は悲鳴を上げた。

 

 彼女と組む最後の機会、怪我で不戦敗など笑えない。倒れるなら前のめりで、やるだけやって、駄目ならそれだ。その想いは変わらない。しかし、確実に終わりは見えていた。

 

 不完全燃焼は何より自分が納得出来ない。

 

 リサの為に、無理をしている訳じゃあない。俺は俺が納得する為に無理を通すだけだ、と。

 そんな子供じみた意地だけで、ここまで勝ち上がってきたのだが。

 

「…………」

 

 準決勝――MCの煽りが会場を盛り上げる。アキラの目に映るのは、幼なじみであり、負けられない相手。

 

「楽しんでいこうぜ」

「もっちろん!」

 

 ――曲が流れ出す。真っ先に、リサがサークルの中心へと飛び出した。

 

 故にアキラは気付かない。彼女は最早、勝利など望んでいないことに。

 

 

 

 

 

「――楽しそうね、リサ」

 

 軽快に流れる音に乗り、弾けるような笑顔を見せて踊るリサの姿。それを見た友希那が、口元に笑みを浮かべながら小さく呟いた。

 友希那は、彼女が自分に思い詰めた表情で話しかけてきた時のことを思い出す。次のイベントを最後にして、個人的なダンスイベントにはもう出ない。その後は、Roseliaに集中する。そう宣言したリサの姿に、友希那は咄嗟に言葉を紡げなかった。

 嬉しかったのは確かだった。元より、自分の目標の為にメンバーには厳しい言葉を投げ掛けてきた。それはリサにだって例外はなく、中途半端なら誰であろうと切り捨てる覚悟もあった。

 しかし、面と向かって、リサは友希那へとこう言ったのだ。

 

『アタシは、友希那の足手まといには絶対になりたくないの。友希那と一緒に、隣に立って歩き続ける為なら。……アタシは、ダンスを捨てる』

 

 普段、自分が言ってきた言葉を省みたならば、その言葉は好ましいもののはずだった。

 しかし、その言葉を聞いて胸に芽生えたのは、微かな痛み。リサがダンスが好きなのは、当然友希那だって知っている。音楽しかなかった自分には、様々な趣味を持っているリサがとても輝いて見えて。その眩しさから目を逸らして、邪険に扱ってしまった時もあった。

 それなのに、彼女は自分と共に行きたいが為に、ひとつの趣味を捨てようとしている。それがとても、友希那の胸を締め付けて――

 

『そう。嬉しいわ』

 

 口から出た言葉は、そんな素っ気ないものだった。

 それしか言えなかった。言いたい言葉はあった。けれど、それは彼女の覚悟を侮辱しかねないもので。

 それを胸の奥底に押し込めた友希那は、尚も冷たい口調のままに、こう続けたのだ。

 

『悔いは、残さないで』

 

 ――本当にいいのか、と聞きたかった。

 ――私の為に、そこまでしなくてもいいという想いがあった。

 

 確かに、Roseliaのメンバーの中で、技術的な面でリサは他に一枚劣っている。そこを補う為には、並々ならない努力が必要になるだろう。

 Roseliaのボーカルとしてなら、リサのその決断は喜ばしくもあり、当然のことだ。

 しかし、幼なじみとしての気持ちを言うならば……。

 

 きっと、そんな気持ちはリサにはばれていたんだろうと友希那は思う。それでも、リサは笑顔で頷き返したのだ。

 我が儘言ってごめんね、と申し訳なさそうに笑いながら言ったのだ。

 

「悔いは、残さないで」

 

 もう、友希那の気持ちは決まっている。いいや、今回のことで、更に固く、断固たるものになった。

 貴女が私を選んでくれた。そのことに、絶対に後悔なんてさせたりしない。だからこそ、最後のイベントで悔いは残して欲しくない。

 その一心で、友希那はリサの躍りを目に焼き付けるように見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 リサが先陣を切って、真緒、アキラ、健吾と続く。

 リサのジャズには真緒がワックで対抗し、アキラと健吾が喧嘩腰のブレイクダンスでぶつかり合った。

 準決勝からは2ムーヴ、各人もう一度ずつ場が与えられている。

 曲も代わり、リサが二回目の場に向かう――その前に、

 

「――先輩、ありがと」

「…………」

 

 不意に振り返って、アキラの肩に両手を置いて耳元で囁いた。 力無く眉尻を下げた彼から身を離し、流れるジャズに身を任せて踊り出す。

 髪を結い上げていたゴムを動きの中で外し、その長い髪がばさりと解放された。オーディエンスが一瞬息を飲む。

 ファーストムーヴ、笑顔と元気で押したそれとはうってかわり、儚げながらもキレのあるダンス。それなのに、全てをこの躍りにかけて吐き出すかのような、見るものの胸を打つダンス。

 

 ――いいや。かのような、ではなく、事実彼女は――

 

(もう、充分。これ以上先輩に無理させらんない)

 

 そもそも、彼女の知るアキラは、多少の怪我をしたとしてもそれをこちらに伝えるようなことはしない。

 今回は珍しく自分から右手首の不調を訴えてはいたが、リサがこのイベントを最後にすることを知ってからはひとつも怪我のことを自分から口にすることはなかった。

 それでも、リサはうっすらと勘づいていた。

 

 本当に問題ないなら、それで良かった。

 

 しかし、前バトルでの異様な汗。そして戻ってきた時のテーピングの変化。もっと言うなら、巴にビンタされた時の不自然なアクロバット。

 それらひとつひとつが、疑念を確信へと変えていった。

 それでも、当初の予定通りブレイクダンスを封印しておけば最後まで持ったのかもしれない。しかし、このイベントは何の因果か、最優の手札を保持したまま勝ち抜けるようなものではなかった。

 勝つ為には、アキラはブレイクダンスで勝負するしかない。しかし、それでは彼の怪我では最後まで戦えない。

 

(何にも言ってくれないけど、もう限界なんでしょ?)

 

 どれだけの怪我で、どれだけの痛みがあるのかはわからない。

 けれど、リサはもう確信している。間違いなくあの先輩は、こんなことをしている場合じゃない程の怪我を抱えながらこの場に望んでいるのだと。

 もう既にどれだけ酷使させてしまっただろう。付き合ってくれるのが嬉しくて、向き合える瞬間がどうしようともなく尊くて。でも、それもこのバトルで最後にしなければいけない。

 そう思うと目の前が滲む。終わってしまうのがこれほど悲しいのは久しぶりだ。その想いとは裏腹に手足は最高のパフォーマンスを見せ、そして。

 

「――――」

 

 リサのダンスが、終わった。

 リサの躍りに見入っていたオーディエンスから、歓声が沸き起こる。いつの間にか目の前に来ていた真緒がにっこりと笑いながら、リサの身体を回してその背中を押した。

 

「お疲れさん」

「わふっ」

 

 目元を擦りそうになったリサの顔に、アキラが水で濡らしたらしいタオルを押し付ける。そしてその頭に左手を乗せて、軽く撫で回した。

 その顔は困ったような、それでいてどこか諦めたかのような笑顔。

 

「先輩」

「わかってるよ。このバトルくらいは最後までやらせてくれ」

 

 そう言って前に出たアキラの背中に、リサは軽く手を添える。彼の無念が、伝わってくるかのようだった。

 

 

 

 

 

 ――情けない。

 

 目元を滲ませながら戻ってきたリサにタオルを押し付けながら、アキラは無念にかられていた。

 リサのダンスは、近場で見てきたアキラから見ても最高だった。技術云々の話だけではない。これまでの集大成、全てを一分足らずの持ち時間でまとめて出し切ってみせたのだ。

 だからこそ、その隣に立つ自分の今の状態が憎らしい。

 限界まで行くつもりだった。しかし何のことはない。前のバトルか、はたまたその前か。とっくの前に、限界なんて越えてしまっていたのだ。

 痛みがある内ならまだましだった、とファーストムーヴで文字通り痛いほどに痛感した。自分の右手首が、まるで言うことを聞かない。絶え間無く襲う痛みの中で、痛みを越えて何も感じない瞬間が現れる。

 痛みが消えた、訳ではない。何も感じなくなる(・・・・・・・・)のだ。

 地面に手をついた感覚すら消えた瞬間は背筋が冷えた。激痛が恋しくなったのは後にも先にも、きっと今日が最後だろう。

 真緒のダンスが終わる。その後ろに控えている健吾とて、アキラの様子がおかしいことには気付いている。しかし、手を抜くような野暮な真似はしない。それがわかっているアキラは、笑みを浮かべてリサの頭に手を乗せる。

 

「まぁ、見ててくれよ」

「うん。見てる」

 

 不甲斐ない先輩で申し訳ない。そんな本心は口に出さないまま、リサに背を向けてサークルへと飛び出した。

 最早満足なムーヴは望めない。

 しかし、最後の舞台に上がらずに終わることだけは、他の誰が許してもアキラ本人が許せない。

 結果度外視、無様でも何でもいいと、アキラはラストムーヴのステップを踏み始めた。

 

 

 

 

 

「で、どうだった?」

「ヒビで済んでる、だと。でも時間が経ってるのと内出血やら炎症やらで酷いことになってるから、向こう一月は右手を使うなとさ」

「そんなものか。むしろ良くそれで済んだわねぇ。痩せ我慢してたんでしょうけど、痛かったでしょ?」

「最後の辺りはもう痛いのかすらわからなかった」

 

 とある整骨院の待合室にて、処置された右手首をさすられながらアキラが言う。

 隣に座り、彼の手首をさする女性――二階堂美空は、手首を解放すると愛息子の頭を優しく撫でる。

 

「悔しかった?」

「……まぁ、ね」

「顔に書いてる。あの娘、リサちゃんって言ったっけ? 組んで踊る最後のイベントだから、無理してたのね」

「別に、優勝したかった訳じゃないんだ。全力出して負けるんなら満足出来た。けれど、最後に俺がアイツの足を引っ張る格好になったのが、どうしても」

 

 椅子の背もたれに頭を乗せて、白い天井を仰ぐ。

 あの後、結果は当然ながらアキラ達は敗北を喫した。最早取り繕うことも出来ない程にガタがきた手首では基本すらもままならず、アキラはかろうじて体裁を保つのが精一杯のダンスしか出来なかった。

 ジャッジが下された直後、今と同じようにアキラは天井を仰いだ。対照的に、笑顔で真緒と健吾に駆け寄ったリサの顔が、今もその頭から離れない。

 

「お母さん、もう行かなきゃ。迎えは頼んであるから、無理しないで待ってなさいね」

「ん。母さんも、忙しいからって無理しないで」

「その優しさ、少しは自分にも向けてあげなさいな」

 

 世界的ピアニストである母親との、あまりにも短く、そしてあっさりとした別れ。

 こうして会える機会は年に数える程にしかないが、互いに顔を見れただけで満足しているので、後ろ髪を引かれるものはさほどない。

 父親は既に日本にはいない。妻である彼女のマネージャーである彼は、時に母親以上に多忙な人間なのだ。此方も、この整骨院に来るまでに顔を合わせているので、そこまで寂しさを感じることはなかった。

 

「じゃあね。アキラが元気で、嬉しい」

 

 最後に、後ろからアキラの頭を抱き寄せた美空が、その頭に口付けを落としてその場を後にする。

 残されたアキラは、ポリポリと左手で頬を掻いてから、

 

「元気、ねぇ」

 

 しばらく使用不能となった右手に視線を落として、大きな溜め息をつく。

 そして立ち上がり、迎えにきたのであろう人間へと向き直る。どういう顔をすればいいのかわからない、と言った雰囲気で立っている彼女に向けて、アキラは努めて普段通りに振る舞って。

 

「お迎えご苦労さん。じゃ、帰ろうぜ」

 

 

 

 

 整骨院からアキラ達が住む街へは、電車一本で繋がっている。電車内での会話は皆無だった。

 少しの間電車に揺られ、徒歩への移動へと移ったところで、ようやく一人が口を開く。

 

「結局、あいつらが勝ったって?」

「あ、うん。相手もスゴかったんだけど、それ以上にあの二人が圧倒的でさ」

「けっ、悔しくなんてないね」

「……悔しいんだ」

「そういうお前はどうなんだ?」

「アタシ? アタシは」

 

 トン、と並んで歩いていた状態から一歩踏み出したリサに、アキラは立ち止まる。振り返ったリサは、儚げな笑みを彼へと向ける。

 

「実はね、そんなに悔しくない」

 

 軽く目を細めて、後ろ手を組んだ彼女は軽く空を仰いだ。そんなリサを、黙って見つめるアキラ。

 

「だって、楽しかった。今までダンスを続けてきて、一番今日が楽しかったかもしれないくらい。全部出せたって、胸を張れるってこういうことなんだってわかるくらい。……でも」

「…………」

「先輩の怪我、薄々気付いてた。ちょっとでも無理だと思ったら棄権しようって考えてた。でもごめんなさい。あんなに終わるのが嫌だとは思わなかった。結局、限界まで先輩に付き合わせちゃった。……それを、後悔してる」

 

 夕日が、落ちていく。薄暗くなり始めた空が、リサの表情に影を落としていく。

 言葉通り、リサの胸中は後悔で一杯だった。自分の我が儘で無理を通させてしまった事実に、作り笑いをするぬが精一杯だった。

 

 が。

 

「――なんだ、それなら良かった」

 

 そんな、ともすればまるで場違いな彼の言葉に、リサは目を見開いた。

 目の前にいる彼女の先輩は、ボリボリと頭を掻くと、少しはにかみながら笑っている。

 

「大事なのは、お前がバンドに向かう為の締めとして納得出来るかどうかだ。その点、全部出したって胸張れるんだろ?」

「う、うん」

「だったらいいじゃねぇか。負けたのは俺の健康管理と力不足が原因だ。間違ってもお前が気に病むことじゃない。……俺も本音を言わせて貰えばな、この怪我が原因で、お前が納得出来ずにダンスから離れることになるんじゃねえかって、ずっと不安に思ってたんだ。残念ながらお前の心中は俺には計れんし、わかりやすく勝ち続けることでしか不安を晴らせなかった。優勝出来りゃあ言うこと無しだったんだが……まぁ、そこは仕方無し」

 

 言いながら、リサの隣に並ぶ。

 今度は歯を見せて笑ってみせたアキラは、横目でリサへと視線を向けながら。

 

「もう一回聞くぞ。俺の怪我とかは抜きにしてだ。――楽しかっただろ? やりきったって、言えるんだろ?」

「――うん。楽しかった。やりきったよ、アタシ」

「ならよし」

 

 満足げに頷いたアキラが歩き出す。

 その背中に、ドン、と軽い衝撃。立ち止まったアキラが、ポケットに手を突っ込んだまま、光始めた星に目を向ける。

 

「悪いな。胸、貸せなくて」

「ううん、ここで、いい」

「バンド、頑張れよ。怪我しない程度にな」

「先輩見てたら、大丈夫だよ」

「どういう意味かはあえて聞かない」

 

 

 

「……ごめんっ……でも、今だけ、だからっ……」

「お前の先輩は優しいみたいだしな。好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

「悪いな。この手じゃ紅茶は出せん」

「別に、構わないさ」

「さっきからずっとそんな感じだな。そんなに怪我を隠してたのが気に入らなかったか? ……悪いとは思ってるよ」

「いや……そういうわけじゃないんだ。いや、それもあるのは確かなんだが」

 

 帰宅したアキラを出迎えたのは、当然ながら巴だった。

 が、どうにも先程から様子がおかしい。

 巴へと視線を向ける。が、その視線は交わることがない。つまるところ、巴の方がアキラに視線合わそうとしないのだ。

 そんな彼女に、怪我を隠していたという負い目から素直に謝罪するものの、それに対する反応も芳しくはなかった。

 

 ――怒っている? いいや、そんな雰囲気ではない。

 

 少なからずその点については不満を持ってはいるようだが、それが原因なら既にアキラは説教を受けている頃だ。そうなっていないということは、何か他に言いたいことがあるということなのだろう。

 他に心当たりがあるとすればリサのことだろうが、嫉妬、というような感じでもない。

 じゃあ何が、と頭を捻ろうとしたところで、彼の横に座っている巴が、よし、と小さく声を漏らした。

 軽くアキラへと身体を向けて座り直した彼女は、軽く両手を広げると、

 

「来い」

「…………は?」

「いいから、来い」

 

 力強く言う巴に、呆気に取られるアキラ。

 何やら決意を秘めたような彼女は、しかとアキラがその腕の中に来るのを待っているかのようで。普段なら赤く染まっていそうな顔も、今は至極真面目な顔である。

 アキラは困惑しながらも、おずおずと身体を近付ける。同性では良く見られる、いわゆるカッコいい巴の姿だ。そのまま、巴はアキラをその胸へと抱くと、優しくその髪へと指を通した。

 

「……なんだよ、いきなり」

「いいから、たまには甘えてくれ。アタシだってお前を支えてやりたいんだ」

「……そんなに頼りなく見えたか?」

「お前が無理をするのは、決まって誰かの為に何かする時だ。どうせ、今まで強がってきたんだろ?」

 

 胸に抱かれ、されるがままに撫でられるアキラ。

 身体から力が抜けていき、そのせいか普段なら絶対に人前で出さない弱音が、口から漏れ始めた。

 

「……不甲斐ない先輩だよな。結局、強がりも最後まで持たなかった」

「あぁ」

「最後まで付き合ってやりたかったんだ。せめて、決勝の舞台くらいには立たしてやりたかった」

「あぁ」

「それが、この様だぜ。最後なんて、きっとカッコ悪かっただろうよ」

「あぁ」

「……あぁ、悔しい。悔しいんだ、巴」

「あぁ」

「カッコ悪ぃ、駄目だ。……本当、駄目だ」

「そんなことない。お前はアタシの自慢の彼氏だ。今井先輩だって、自慢の先輩だって言ってたんだぞ」

「…………くそ。しばらく、胸貸せ」

「アタシの胸でいいなら、いくらでも貸してやるよ。なんだったら、くれてやる」

 

 いつになく弱い自分をさらけ出してくるアキラに内心ドキドキしながらも、優しくその頭を撫で続ける巴。

 去り際にアドバイスをくれた彼の母親に感謝をしつつ、巴はアキラの弱音を受け止め続けた。

 

 

 

 

 

『巴ちゃん。ひとつ、お願いしていいかしら』

『はい、なんでしょう?』

『あの子、びっくりするぐらい甘えるの下手くそでしょう? 顔には出さないけど、結構堪えてるみたいだから、貴女が受け止めてあげて』

『……アタシに、出来ますかね』

『大丈夫。私が保証する。付き合ってるんでしょう? 支えてあげて。……大事な時に近くにいれない、情けない親のお願いよ』

『――わかりました。アキラのことは、任せて下さい』

 

 

 

 

 もちろん、小さな嫉妬がなかったわけではない。

 けれど、こんな彼の姿を見てしまえば、そんな些細な感情は消しとんでしまった。

 強い人間なのは確かで、けれどその裏には確かに弱い部分が存在する。それを打ち明けてくれて、そして受け止められるのは自分なんだ。そう巴は自分を叱咤した。

 ともすれば、その人間性から強い部分に目がいきがちな彼。ならば自分は恋人として、見えづらい弱い部分を支えていこう。

 そう、決意を新たにした巴だった。

 

 




長らくお待たせしました。元々難産気味で色々書いては消しての繰り返し。こういう形に落ち着きました。
そして、話の内容にリサが深く絡んでくる中でのバンドリでの衝撃的なニュース。
皆さんはどんな感想を持ったでしょうか。私は取り敢えず気持ちを切り替えて楽しむことにしてます。
これでリサ姉回は取り敢えず終了。次回からはしばらく普通に巴との日常を書く予定です。
次回更新は水曜日。


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十九話:気の抜けた先に

リハビリがてらに軽く一本。


「んー……」

「ず、随分お疲れなんですね……」

「……明さんのこんな姿初めて見るかも」

「二人とも、そんなにジロジロ見るものではないよ」

 

 羽沢珈琲店、そのカウンターにて片肘をつき、半分落ちた瞼をゆっくり動かしながら力無い声を漏らすアキラ。

 そんな彼を、この店の娘である羽沢つぐみと、そのバンドメンバー上原ひまりが物珍しげにテーブル席から眺め、更にそんな二人をつぐみの父であり店主の男が苦笑しながらたしなめる。

 全く覇気の無い姿と声であったが、一応その声は聞こえていたらしい。アキラは緩慢な動作で振り返ると、二人へと視線を向けた。

 

「別に疲れてる訳じゃないぞ。ただやる気が出ないだけだ」

「やる気って、何の?」

「いろいろ」

 

 ひまりの問いに短くそう返したアキラは、また背を向けて同じような体勢に戻る。と、そこで店には新たな客が訪れた事を示す鐘の音が鳴り響いた。

 赤い長髪を靡かせながら店内に足を踏み入れた彼女は、彼の背中を見てクスクスと笑った後に、その右隣の椅子へと腰かけた。

 

「まーだ黄昏てる。カッコ悪いぞ」

「カッコ悪くて結構だ」

「冗談だって。いつも通りカッコいいカッコいい」

「どの辺りがいつも通りなのか教えて欲しいもんだな」

 

 背中をパンパン叩かれながら、それでも眠たい顔のままで巴を横目で捉えるアキラ。その顔は既に店主の羽沢へと向いていて、簡単な注文を済ませているところだった。

 注文を聞いていたつぐみがパタパタとカウンターの奥へと消えていき、ひまりが巴とは反対側、アキラの隣へと席を移す。

 

「巴~、明さんどうしちゃったのさ?」

「ん……まぁ、原因はこれだな」

 

 巴は少しだけ身を乗り出すと、頬杖をつく逆の手、つまり右手をその手に持って軽く揺らした。その手首には頑丈にテーピングが施されており、全く力が入っていないであろうにも関わらず、手首から先は固定されていて動かない。

 気怠げそうに軽く掴まれた手を振り払ったアキラは、随分温くなった紅茶を口にする。

 

「何をするにも不自由なもんでな。どうにもやる気がでん」

「というよりは、好きに紅茶を淹れられないのがストレスなんだろ?」

「おや、ウチの紅茶じゃ不満かな?」

「だったら毎日晩まで入り浸ったりしませんよ……」

「ふふ、すっかり常連さんですもんね。私は嬉しいですよ?」

「つぐ、その言い方だと巴が嫉妬しちゃうよ?」

「アタシはそこまで心狭くないぞ」

「どの口が言うんだろうな……」

「え、明さん。それってもしかして」

「おいやめろ。変なこと言うんじゃないぞ」

「えっと、巴ちゃん。大丈夫だからね?」

「つぐ、それはどういう意味なんだ……?」

 

 ピークタイムを過ぎた羽沢珈琲店。どこか緩い雰囲気のまま、少し騒がしい時間は過ぎていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうした、早く口開けろよ」

「……これ、まだ続けるのか?」

 

 場所が代わり、アキラの家。

 夜になり夕食の場にて、二人は隣り合って食事を取っているの、だが。

 

「もう何日もやってきたことじゃないか」

「いや……フォークとかスプーンとかなら左手で」

()だ」

「嫌だってお前」

 

 スプーンを持ったまま、身体をアキラへと寄せていく巴。

 つまり、利き手が使えないアキラに代わり、巴が食事の面倒を見ている、俗に言うはい、あーん、というやつなのだが。

 

「こういう時でもないとさせてくれないじゃないか」

「いや、まぁ……」

 

 こんな恥ずかしい真似、平時であればさせることはまずない。からかう目的であれば逆にやることはあるかもしれないが、やられるのは色々と、というよりは、普通に恥ずかしい。

 これが始まったのは、あのダンスイベントが終わったその翌日から。

 一人で夕飯を取ろうとして左手で四苦八苦していた所を、何やら決意に溢れた顔をした巴が家を訪れたその瞬間から始まったのだ。

 その日から一週間。この通り今でも巴は夕飯時、休日ならば三食隙あらば甲斐甲斐しく世話を焼いている。

 

「ほら、早く」

「…………」

「よしよし。どうせアタシしかいないんだからさ」

 

 お前だから余計に恥ずかしいんだよ、と。優しく引き抜かれるスプーンを見つめながら咀嚼するアキラ。ポーカーフェイスは崩れないが、目の前の彼女の顔を見ることはしない。羞恥から視線は先程からスプーンに固定されたままだ。

 

「動かせるまで、どれくらいだっけ?」

「あと一週間もすれば固定しなくてもすむんじゃねぇかな……むぐ」

「あと一週間か……」

「怪我治るのに残念そうな顔はやめろ」

「お前が元気になるのは当然嬉しいさ。けど」

「……あむ」

「こうして世話を焼けなくなるのは、ちょっと寂しいな」

 

 最早慣れたもの、と次々アキラの口にスプーンを入れていく巴の顔は、その言葉通りほんの少しだけ悲しそうな笑みであり。

 それを視界の端で見たアキラは、まだ差し出されていないおかずが乗ったスプーンを見てから、

 

「うわっ」

 

 それを自分から迎えにいく形で口にすると、そっぽを向いて小さい声で呟いた。

 

「……これでも頼ってるつもりなんだけどな」

「もっと頼って欲しいんだ。アタシも寄りかかってばっかりじゃな」

「今みたいに、か?」

「カップルっぽいだろ?」

「人前で出来れば、な」

「それは勘弁だ。こんな緩い顔人前に出せないさ」

 

 なんだかんだで、恋人らしい甘い空気を作り出す二人であった。

 

 

 

 

 

 それから更に一週間。晴れて右手首がテーピングから解放されたアキラは、自他共に認める常連と化した羽沢珈琲店にて、珍しくafterglowメンバー全員が集まる中で口を開いた、

 

「練習を見せてほしい」

「なんであんたに見せなきゃいけないの」

 

 瞬間に、アキラと蘭の間で視線が交差する。

 姿勢の良い蘭の真っ直ぐな目線。対し、深く椅子に腰かけ、蘭の言葉に反応するように足を組んで顎を引く。睨み上げるような目線である。

 しかし、アキラの人となりがわかってきているメンバーはそこまで不安にはなっていない。巴はむしろ笑っているし、モカはのほほんと蘭を眺めているし、ひまりに至っては新作のケーキに舌包みを打っているしで、ハラハラしているのはつぐみただ一人という状況である。

 そんな訳で、剣呑な雰囲気なのは二人の間のみ。店の中は変わらずゆったりとしたままである。

 

「ただ見学したいだけの話だが。そこまで睨まれることか?」

「邪魔されるのが嫌なだけ。あんたがいて得なことが見当たらない」

「随分な言い様だが……そ」はいはいそこまでな」

「蘭もどーどー」

 

 そこで、アキラには巴が、蘭にはモカが抑えに入った。

 巴がアキラの口を優しく抑えたのを見て、モカも真似して蘭の口元に手を伸ばし、それを避けようとする蘭とで何やらわちゃわちゃしている。

 完全に緩い雰囲気になったところで、ひまりがケーキを完食してから口を開いた。

 

「ついに明さんがafterglowに興味を……よよ」

「ケーキついてんぞ」

「取ってと……と、巴~冗談だよ~……」

「トモちんが怒ると迫力ありますなー」

「やめてくれ、なんでか知らんが大体俺に矛先向くんだから」

「お、怒ってなんかないって! ただ、アタシにもやらないことをひまりにやるのかお前はって……」

「やっぱり俺じゃねえか」

「み、皆? 話が盛大にずれてるけど……」

 

 ぶつかり合うアキラと蘭。引っ掻き回すモカとひまり。アキラが絡むと最近ブレーキが効かなくなる巴。ここで、つぐみの常識人という個性にもなりそうにないものが光る。

 ここから先はそこまで話が拗れることもなく、無事アキラの要望通り次のスタジオ練習を見学することに決まる。

 

 ……余談ではあるが。

 

「ん」

「クリームついてんぞ」

「……ん」

「んだよ。ティッシュなら目の前にあんだろ」

「……んー!」

「あっこのっ! 人の手で拭うんじゃねぇ! ぐりぐりすんなって伸びるだけだろうが!」

 

 そんなやり取りがその日の夜にあったとか、なかったとか。

 



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二十話:重なる雰囲気

祝い二十話。ちょっぴり短め。


「巴、少し走ってるけど」

「あぁ、悪い。少し抑えて、な」

「ううん……いいかもしれない。ちょっとリズム変えてようか」

 

「ひーちゃーん。誤魔化しはダメだよ~?」

「うぅっ、精進します」

 

「…………」

 

 afterglowメンバーが音を合わせ、時に提案を、時に注意を仲間内で交わし合う。

 自宅にスタジオを持つアキラではあるが、やはりいくつもの楽器が集まる本格的なスタジオは違うな、としきりに頷いていた。

 まぁ、もちろんあのスタジオもしっかりポテンシャルを引き出してやれば、負けないものはあるのだが。

 

「ふぅん……」

 

 スタジオの端にて見学するアキラにとってはあまり縁の無い光景であり、なるほどこうして練習しているのかと感心混じりで観察するには充分なafterglowの練習風景。

 特に、巴がこうしてバンドメンバーと、音楽と深く接しているのを目の当たりにするのはこれが初めてと言ってもいい。長い付き合いではあるが、まだまだ知らない部分もあるものだ、とそれらを眺め続ける。

 

「ん?」

 

 と、そこで一人の人物でアキラの目が止まる。キーボードの前に立つ彼女は、真剣な顔で同じフレーズを繰り返しているところだった。

 

 ふむ、とアキラは顎に手を当てる。ドラムもギターもベースも触ったことがあるだけで素人だが、キーボードだけは彼も心得がある。もちろんベースである技術はピアノであり、彼の母親から叩き込まれたピアノのそれは伊達ではない。恐らくその道を進んでいたならば、輝かしい道を行くことも出来たかもしれない程だ。

 

 ――無論、その気が無ければその未来もあり得ない訳だが。

 

 ちらり、と巴と何やら話している蘭に視線を向ける。こちらに一瞥もくれない彼女を確認してから、アキラは座っていた丸椅子から立ち上がり、つぐみの元へと歩を進めた。

 ぐるりと迂回してつぐみの背後に回るアキラ。よほど集中しているのか、アキラの存在に全く気付かないつぐみ。その背からスコアを覗き見たアキラは、弾いていたのはこの辺か、と当りをつけてまじまじと見つめた。

 

「えっ」

 

 そして、つぐみが何度も弾いていた箇所を弾いてみせる。

 一通り弾いて、もう一度譜面を見返してから、頭の中で自分とつぐみの音を重ねて考えたアキラは、自分が間違っていないことを確認した上で口を開く。

 

「うん……。ピアノ出身で合ってるか?」

 

 言われたつぐみはそこでようやく正気に戻り、見開いていた目をパチパチと瞬かせてから口を開いた。

 

「経験者……ですか?」

「同じくピアノだけどな。キーボードは遊びで触ってるだけ」

 

 答えながら、コードをポロポロ弾いて見せるアキラ。なかなか面白い曲だな、なんて笑みをこぼす彼の顔を、つぐみは瞳を輝かせながら見つめている。

 興が乗りそうになるところを、これじゃあ練習邪魔してるだけじゃねえかと思い留まったアキラが身を引く。

 

「その……少し聞きたいんですけど」

 

 そこで引き留められるように掛けられたつぐみの声に、質問の内容を察したアキラがあえて気軽な口調で答えた

 。

 

「音自体は間違ってないんじゃないか。問題はリズムだな」

「リズム……やっぱり」

「ただでさえやること多いキーボードだからな。完璧にリズム取るとかしんどいだろうけど。ピアノ出身の人間は、他と合わせるっていう意味でのリズム感はあんまり鍛えられてないらしいからな」

 

 言いながら、スコアを手に取ってペラペラとめくるアキラ。何度も捲られた形跡のあるそれを、どこかいとおしげに指で撫でる。

 

「お前が感じてる違和感の九割はリズムのズレから来てると言っていいんじゃないか。後は……音の強弱や音圧、音作りの領域だろうな。ま、何度も合わせてここっていうポイント掴むしかない。……あぁ、あと」

「は、はい」

「腱鞘炎には気を付けろよ。手の怪我は面倒だからな」

 

 ヒラヒラと包帯が外れて自由の身となった手を振りながらつぐみのそばから離れていくアキラ。

 本人からしてみれば、これ以上は本当に練習の邪魔になるだろうという想いから。ついでに言えば、約二名からの視線がそろそろ痛くなってきたから逃げの一手を打ったというのもあった。

 ……まぁ、だからこそ、その背中に向かうもうひとつの視線に気付かなかったのだが。

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 いつものように紅茶を楽しみながら、飼い猫であるチノを膝上で愛でていたアキラだったが。

 

「…………」

「なんだよ……言いたいことでもあるのか?」

 

 その隣に座る恋人からの視線にとうとう耐えきれなくなり、カップを置いてそちらに顔を向けた。

 かれこれ二時間は同じような視線を向けられていたことを思えば、充分に我慢した方であろう。

 

「……うん。下心は無いみたいだな」

「意味がわからん」

「いやな? 今日のスタジオ練でつぐみとなんかやってただろ?」

「あぁ。助言のようなそうでないようなことは言ったな」

 

 実際、アキラもピアノは弾けてもバンドでのキーボード等やったことが無い。聴いた感じから、母親から聞いた知識を取り敢えずそのままつぐみに伝えただけだ。

 もちろんあの程度のことはつぐみとてわかっていただろうし、あの助言に意味があったかと聞かれるとアキラは首を横に振るところである。

 なら何故、わざわざあんな真似をしたのかと言えば――

 

「なんつーのかな。一生懸命さに心打たれたのかね」

「つぐみはいつだって一生懸命だからな。少しそれが心配でもあるんだが」

「後は……」

 

 次いで理由を言おうとして、言い淀むアキラ。

 そんなアキラを横からじいっと見つめる巴だったが、その顔は優しい。アキラがつぐみに自分から関わりに言った理由が、彼女にはなんとなくわかっていた。

 例え本人がわかっていなくても、長年彼を見てきた彼女にはわかることだってあるのだ。

 

「……なんだよ」

「なんでもー?」

「ふん」

 

 彼がピアノを引いていた頃の姿を思い返し、それが今のつぐみと雰囲気が瓜二つなのを思い返す。

 勿論、性格なんかは丸っきり違うわけだが。

 

「つぐってるならぬ、あきってた頃だな」

「何の話だよ……」

「いいや。ふふ」

 

 怪訝そうに巴を伺うアキラの横で、頬杖をついてクスクス笑う彼女であった。

 



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二十一話:ピンチヒッター

「お待たせ致しました。どうぞごゆっくり」

 

 注文の品であるショートケーキ、そして紅茶を二人分女性客へと届ける青年。

 どこか無愛想にも見える彼だったが、去り際にふわりとした笑みを浮かべてカウンター裏へと消えていく。

 その後ろ姿を女性客達はしばらく見送った後に、近場にいたもう一人の店員に話しかけた。

 

「新しい人よね?」

「はい! とっても頼りになる方ですよ!」

 

 女性店員――羽沢つぐみは笑顔で返す。心底そう考えているのがわかるくらいの真っ直ぐなその笑みに、女性客もつられて笑顔を返す。

 その会話が聞こえていた話題の青年――アキラは、ぽりぽりと頬を掻いた後に、洗い物に取りかかるのだった。

 

 

 

 

「今日もお疲れ様でした」

「お疲れ。つぐみは凄いな。毎日これやってる訳だろ」

「そんなぁ。アキラさんだって、まだ三日目なのに要領良くてすごいです」

「これでも緊張し通しなんだけどな」

「またまたぁ」

 

 時刻は午後九時過ぎ。羽沢珈琲店の終業時刻を過ぎた店の中で、私服姿に戻ったアキラが店の紅茶を楽しんでいる。その真向かいに座るつぐみは店の制服のままだったが、纏う雰囲気はリラックスした自然体のもの。

 それを何の気なしに眺めながら、男と二人きりなんだから少しは危機感を持て、という注意をしようかしまいか悩むアキラ。

 

「でも、まさか本当に受けてくれるなんて思いませんでした」

「まぁ、バイト自体は初めてじゃないし。この店にも世話にもなってるしな。俺程度で助けになるならやれることはやるさ」

 

 こうやってバイト代の他に紅茶も飲ませてくれるしな、と笑うアキラの顔を楽しそうに眺めるつぐみ。closeの看板がかかった店の中では、営業中とはまた違った緩やかな時間が流れている。

 そこに、アキラにバイトを頼み込んだ張本人である店主がやってきた。

 

「今日もお疲れ様。いや本当に助かってるよ」

「まだ大した働きは出来てない気もしますけど」

「いやいや、謙遜も過ぎれば嫌みになるよ。君の働きはそれぐらい立派なものだ」

「そうですよー。ほら、胸張ってください」

「って言われてもな。ただ注文取ってそれ届けて、片付けて。しかもそれ全部つぐみの劣化版みたいなレベルだし」

 

 テーブルの下で足を組み、頬杖をついてそんなことを言うアキラ。実際、アキラのバイト経験は体力仕事ばかりだったのでこういう接客業のノウハウは無いに等しい。つぐみにマニュアル的な教えを受けてなんとなく形にしてはいるものの、彼女のように来た人に元気を与えるような接客など望むべくもない。そうアキラは自己を評価していた。

 が、それは他の二人から見れば低すぎる自己評価と言わざるを得ない。

 多少無愛想なのは仕方ないにしても、その分時折浮かべる(本人が言うには)営業スマイルを際立たせているし、接客も経験していないとは思えないほど丁寧なものだ。

 また、その紅茶の知識を活かしてメニューに悩む客にはお節介にならない程度に注文を促すことも出来る。このデザートにはこの紅茶、こんな気分ならこの紅茶、という風に自然に売り込みをかけているのだ。

 実際、アキラがバイトに入ってから目に見えて、と言うほどではないにしろ売上は確実に伸びている。この調子なら彼目当てのリピーターなんてのも出てくるのでは、と店主は目論んでいたりした。

 

「けどまぁ、よくこの仕事量を数日とはいえこなしてたもんだな」

「あ、あはは……確かにちょっと大変ではあったかな……」

 

 アキラが羽沢珈琲店でバイトをすることになった理由。それは純粋に人手不足からのヘルプである。

 もといた従業員が事故により出勤出来なくなったことに加え、雇っていたバイトがやめてしまったことにより人手不足に陥った羽沢珈琲店。地元では人気の店なので、従業員が減っても客が減るわけでもなし。数日営業して無理を悟った店主は、ひとまずの希望としてアキラにバイトの話を持ちかけたのだ。

 

「しかし、放課後からこの時間までフルで入ってくれるのは有難いことこの上ないけれど……本当に平気かい?」

 

 店のピークタイムは夕暮れから。それまでは店主と他にいる従業員で回すことが出来るものの、ピークタイムはどうしてもホールの人間が足りなくなる。

 基本二人体制で回していたホールがつぐみ一人になり、彼女の負担が大きくなりすぎていた。そこに入ったアキラの予想外に大きな戦力は店主としても、娘の父親としても喜ばしいことではあるが、それで彼ばかりに無理をさせるのも間違っている。そんな想いから出た言葉だったのだが、当の本人は紅茶を楽しみながらどこ吹く風といった風情。

 

「家にいても紅茶触ってますし。帰ってから全く時間がなくなる訳でもないから、平気です」

「……助けて貰っておいて何だが、無理な時は無理と言ってくれて構わないからね」

「無理は禁物、ですよ!」

 

 追ってかけられたつぐみの言葉にさてどう返してやろうかと紅茶を飲んでいたアキラだったが、不意になる着信音に意識を奪われる。

 自分ではない。なら、とつぐみに視線を向けると、ちょうど彼女が私のだ、と携帯を取り出していたところだった。それを耳に当てる姿を見てから、さてそろそろ帰りますかね、と身体を伸ばした瞬間、

 

「もしもし、巴ちゃん?」

「む」

 

 その体勢のままに再度つぐみへと視線を向けた。

 何故に今時間に電話。単に用事でもあるのか、もしくは俺の様子でも聞くために電話をかけてきたのか。後者の可能性が高いな、と再度頬杖をつくアキラ。

 

「うん。いるよ。……えっ? ううん、とんでもない! すっごく頼りになるよ!」

 

 今のは、アキラが迷惑かけてないか、とでも聞いたのだろう。アキラは、何となく電話の向こうにいるのであろう巴の言動予想を続ける。

 

「そうなんだ。この時間までいてくれて……うん。感謝感謝、だね」

 

 今さっきまで店の手伝いだったのか? 辺りだろうか。良い線言ってる気がする、とアキラはカップを揺らして紅茶を波打たせた。

 次辺り、悪いけど、代わってくれるか? がくる気がするな、と次の予想を先に済ませてそれに口をつける。

 

「うん、わかった。今代わるね……アキラさん。巴ちゃんです」

「だろうと思ったわ」

 

 巴検定一級から初段に昇格。二段から先はあこを含めた巴の行動を読まなければ。

 そんなくだらないことを考えながら手渡された携帯を耳に当てると、

 

『浮気は許さないからな』

「……流石にそれは予想してなかった」

『あっはっは! 冗談だよ、冗談』

 

 スピーカー越しに楽しげな笑い声が鼓膜に響き、色々と苦い表情をしつつアキラが溜め息をついた。

 

「俺に初段は早かったか……降格だな、残念」

『? 何の話してるんだ?』

「巴検定。さっき初段に上がったつもりだったけど今しがた一級に落とされた。どうしてくれる」

『そんな意味不明で理不尽な言いがかり初めて聞いたよ……。てかなんだ、アタシの検定かそれ』

「他に何がある」

『それならアタシが段位くれてやるよ。五段でも六段でも持っていけ』

「残念ながら二段からはあこという不確定要素が混じってくるからな。お前の独断で上げることはできん」

『あこを不純物扱いするな!』んー? お姉ちゃん呼んだー?』いや、呼んだわけじゃないんだけどな……』

「じゃ、俺これから帰るから」

『え、ちょっと、待』

 

 良い感じに会話が入り乱れたところで、およそ自分勝手なタイミングでアキラが通話を終了させる。

 はい、と携帯を手渡されたつぐみは苦笑いしており、どうやらなんとなくだが、勝手にアキラが通話を終了させたのがわかったらしい。

 

「巴ちゃん、怒りますよ?」

「それならそれで俺に電話かけ直してくるだろ」

 

 直後に、アキラのポケットから着信音とバイブレーションが響く。

 

「……こんな風にな」

 

 ちょっぴりおどけて言って見せたアキラに、つぐみはクスクスと笑っていた。

 

 



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二十二話:黒歴史とお兄ちゃん

勢いがあるうちに。


 日曜日。この日は羽沢珈琲店、当然ながら営業日である。基本世間様は休日ということもあり、老若男女問わずに人が訪れこの店が最も繁盛する一週間で最後の日。

 当然、アキラはこの日もバイトに精を出していた。

 つぐみと共にホールを担当し、時には客と他愛のない会話を挟みながら。顔と態度には然程出さないものの、充実してると言ってもいいくらいにはアキラはバイトを楽しんでいる。

 

 そして午前十時を過ぎた頃。またひとつ、来店を告げる鐘の音が響く。アキラとつぐみが同時に反応して、

 

「いらっしゃいませー!」

「いらっしゃいませ」

 

 先につぐみの元気な声が、ワンテンポ遅れてアキラの落ち着いた声が訪れた客を迎え入れた。今まではそれなりに重なっていた二人の声が今回に限ってずれたのは、来店した人物達が見知った顔であったからである。

 

「よう、やってるな」

「お疲れ様。ちゃんとやってる?」

 

 一人は巴。もう一人は、この店の近所にあるパン屋の娘、山吹沙綾である。

 知り合いとはいえ客は客。アキラはとりあえず店員としてこの二人の対応を試みる。

 

「お二人様ですね。テーブル席へどうぞ」

「おぉ……アキラに敬語を使われるなんて」

「フフ、新鮮だね」

「いいから早く座れ。注文取るんだから」

 

 早くも対応が崩れていた。

 

 が、今は客もまばらな時間帯。見苦しくない程度なら口調は元に戻しても構わないだろう。そう思いつつチラリと店主を伺えば、にっこり微笑まれたので問題なしと判断するアキラ。

 二人から注文を聞き、店主に伝えに戻る。

 

「カフェオレにアイスティー。フレンチトーストがふたつです」

「了解。少しくらい話していても構わないよ」

「……まぁ、気が向けば」

 

 そう返事をしたアキラは、空いているテーブルを手際よく片付けていく。食器を運んで、ちょうど洗い物をしていたつぐみの元へと向かうと、小さく溜め息をついてから、

 

「知り合いに働いてるとこ見られるとこそばゆいな」

「あー、ちょっとわかりますよ、その気持ち」

 

 もう私は慣れちゃいました、と笑いながらささっと洗い物を済ませてしまうつぐみは、 すぐに次の仕事に取りかかってしまう。

 その様子を腰に手を当てながら見送ったアキラは、困ったような笑みを見せてから配膳の準備に入るのだった。

 

 

「お待たせ致しました。どうぞごゆっくり」

「どーも。アキラさん、随分手慣れてるんじゃない?」

「……必死に取り繕ってるだけだよ。ようやく慣れてきたところだ」

「コイツはこう見えて社交的ではあるからな。アタシはそんなに意外でもないぜ?」

「やれることやってるだけだ。大層なことは何にもしてない」

 

 先程とは違い、本当に困ったようにそう返すアキラ。本人にしてみればまだまだ慣れないことばかりであり、ついていくのがやっと――とはいかないまでも、余裕綽々とはいっていないのが現状なのである。

 それも仕方なし、アキラにはこの手の経験値が不足しているのは事実。無いよりマシ、程度の経験があるとするならば――

 

「あぁ、それに学祭で喫茶店の真似事もしてたしな」

 

 そういえば、とぽんと手を叩いて放たれた巴の言葉にピタリとアキラの動きが止まる。それを見た巴はニヤリと悪い笑みを浮かべてから、フォークを手にとってそれをふらふら揺らしながら続けた。

 

「それを考えれば、全くの無経験って訳でもないよなぁ」

「……頼むからその話は掘り下げないでくれ」

「あぁ、そういえばやってたね! あれは私も驚いたなぁ」

「沙綾」

「すっごい可愛い子が迎えてくれた、なんて思ってたら、それがまさか」

「沙綾さん」

「ごめん、ごめんって。だから真顔止めて怖いから」

 

 思い出したくもない黒歴史を思わぬところから抉られて、顔から表情が抜け落ちたのはアキラだ。それを見た沙綾はこちらも半ば本気で謝罪してしまう。巴は面白くてたまらないといった風情でくつくつと笑っていた。

 この話題から離れたいアキラが、とにもかくにも話題を変えようと口を開こうとする。が、そんな時ほど思った通りにはいかないものだ。ひょこっとアキラの背中から顔を覗かせたつぐみが、純粋な興味から質問してしまったからだ。

 

「アキラさん、接客業の経験は無いって言ってませんでした?」

 

 顎に人差し指を当てて虚空に視線をさ迷わせるその姿は、わざとであったならばとんだくわせものである。が、つぐみはこんなあざとい仕草でからかいに走るような人間ではないとアキラは知っている。

 が、だからこそ苦しい。今はその純粋な疑問ですらアキラには猛毒となる。苦虫を噛み潰したかのような顔をしながら、どうにか口を開き、

 

「バイトはな。学祭で喫茶店の真似事したことがあったんだよ」

「へぇ……! いいですね、今年もやるんですか?」

「ど、どうだろうな」

「アタシはやってほしいな」

「私も私も」

「お前らな……」

 

 流石に事情を知らないつぐみには強く当たれないアキラに、ここぞとばかりに二人が追い討ちをかける。

 珍しく弱々しく呻いたアキラに、巴がついに吹き出して笑い出した。沙綾もクスクスと笑い、つぐみは取り敢えず浮かべたらしい笑みのままにきょとんとしている。

 

「つぐみ。先に言っとく……。頼むから、この話は深く聞かないでくれな」

「? ……何か、大変な話なんですか?」

「いや、話の種類としてはこのうえなくくだらない話なんだけどよ……」

「よくわかんないけど、アキラさんがそう言うなら聞きません」

「ありがとう。つぐみみたいな妹がいたらなって今本当に思うよ……」

「いっ、妹ですか!?」

「深い意味はないぞ。年的にしっくりくるのが、って話な」

「あこが聞いたら怒るんじゃないか?」

「怒りはしねぇだろ。じゃああこのお姉ちゃんにもなりますねっ! とか深く考えないで終わらせるのが関の山だ」

「うーん……言いそうだな」

「そういえば、あこちゃんも来る予定だったんじゃないの?」

「今日はバンドの人達と集まるんだと」

「あぁ、そういえばあこちゃんもバンド入ったんだもんね」

「まあな。沙綾の方はどうなんだ?」

「私はねー……」

 

「アキラ君、ちょっと」

「あ、はい。今いきます」

 

 他愛のない話から、巴と沙綾は雑談へと突入。アキラも店主に呼ばれてその場を離脱する。

 つぐみはと言えば――

 

「お兄ちゃん……お兄ちゃんかぁ……ふふ」

 

 何やらそんなことを呟きながら、離れたテーブルへと向かうとその上を綺麗に拭き始めるのだった。

 



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二十三話:隠せない気持ち

「取り敢えず、明日で毎日入るのは終わりってことになるな」

「新しい人でも入るのか?」

「元々の事故で抜けてた人が復帰するのと、新しくバイトを雇ったらしい。元々は緊急のヘルプで入っただけだからな。毎日は流石に疲れてきたし」

 

 バイトからの帰り道。巴を横に連れたアキラが伸びをしながら胸中を言葉にする。彼がバイトに入ってから約三週間が経ったところで、店主から礼の言葉と共に人員の復活と補充をしたことを告げられていた。

 許可を取っていて、元々強制参加ではないとはいえアキラも放課後はダンス部の練習がある。何より学校が終わりそこから九時まで働くというのは疲労面でそれなり以上に身体に負担をかけていた。

 働く内容に不満は無いし、バイト代にも文句は無い。しかし、それなりに疲労もあったのであろう。胸を撫で下ろすというのか、とにかく肩の荷が降りた気分をアキラは感じていた。

 

「で? すっぱり辞めちゃうのか」

「いや、続ける」

「へぇ? お金には困ってないよな」

「まぁな。けど、仕送りに頼りっぱなしなのも良くないだろ」

 

 現在、アキラは学費から生活費等、生きていく上でかかる全ての出費を両親からの仕送りで賄っている。節約する必要も無く、贅沢したとしてもなんら困ること無く暮らしていける程の金額が毎月振り込まれてくるのだ。

 アキラが好きに紅茶を楽しめるのもそれのお陰であり、両親も彼の金の使い方には口を出すことがない。それが、息子を放って仕事を優先することからの罪悪感からなのかはわからない。もしそうなら、そんな理由ならとアキラは不必要な出費を抑えて口座に入れっぱなしにするだろうが。

 

「真面目だな」

「つぐみが学校の用事でいない時だってあったしな。そういう時に入れたらいいと思ってる」

「……なら、今よりは二人で過ごせるようになるんだよな?」

「バイトする前よりかは少なくなるだろうがな」

 

 淡々と事実を口にするアキラに、もう少し気の利いたことは言えないのかと唇を尖らせる巴。

 実際、今は殆ど彼と過ごせる時間が無くなってしまっている。あったとしても朝の登校時間と、今のようなバイト終わりの帰り道。そして、店が休みの日の放課後ぐらいのもの。恋人になったからにはもっと親密な時間が欲しいのが本音の巴としては不満があるのだ。

 勿論、巴は彼にその辺りのことは言葉として伝えているし、

 

「不満そうだな」

「……わかってるなら、少し意地悪だな」

 

 今のように言わなくてもわかってくれている彼に、殊更不満をぶつけるような真似はしたくない。よしんば我慢出来ずに思い切りぶつけようとしたところで、彼は。

 

「そう言うな。彼女にくれてやるプレゼントくらい、自分の金で買いたいもんだろ。今年は――まぁしょうがないにしてもな」

「……ほんと、そういうとこ卑怯だよな、お前」

「こういうとこは嫌いか?」

「――もう! 言わないからな、絶対言ってやらない!」

「残念。俺不安になっちゃうな」

 

 おどけて言うアキラの腕に、それはこっちの台詞だと腕に絡み付く。他の人なら振り払うだろうが、巴ならばアキラはそれを受け入れる。それに安心と優越感、それに少しばかりの情けなさを感じながら、巴は彼の隣を歩き続けた。

 

 不満は言えても、不安は言えない。

 そしてそれ故に拭いきれないそれが、この三週間で確実に育ち続けていた。

 

 

 

 

 

 そして迎えた翌日。日曜日ということでキリが良い、といつもより気力が充実したアキラが開店準備を整えていた。

 そんな彼を見たつぐみが、笑顔で、しかし少しだけ寂しそうに口を開く。

 

「アキラさん、今日で辞めちゃうんですよね」

「ん。別に辞めはしないぞ。毎日入るのが無くなるだけで、週に二、三回くらいのシフトを組んでもらう……って、俺と親父さんで話してただろ」

 

 近くに居たよな、とテーブルを拭きながら聞くアキラ。

 つぐみがはその言葉を聞いて、あ、あれ? と記憶を辿った。今朝はアキラが店からいなくなると思い込み、それからくる予想よりも遥かに大きな寂しさから、少しだけボーッとしていたかもしれないと思い返して恥ずかしくなる彼女。

 しかし、それなら話は別だ。お盆を持ったままにアキラに詰め寄った彼女は、本当ですか!? と目を輝かせた。

 

「本当。そんな喜ぶことか?」

「だって、この数週間とっても楽しかったから……。そっかぁ……」

 

 心底安心した、とお盆を抱き締める彼女に苦笑する。が、そこまで頼りにしてくれるなら悪い気はしない。ぽふ、と撫でるというよりかは置いたくらいの力で彼女の頭に手を当てたアキラは、

 

「ま、そういうことだ。お前も無理はしないことだな」

 

 

 そう言ってカウンター奥の部屋へと消えていった。

 触られた頭に手を当ててその背中を見送ったつぐみは、少しだけ頬に熱いものを感じながら、しかしその言葉に首を傾げる。

 そんな娘とアキラのやり取りを見守っていた店主が、そこでようやく口を開いた。

 

「ちゃんとお礼言っておくんだよ、つぐみ」

「え?」

「学校での生徒会、バンドに店の手伝い……きっと友達から聞いたんだろうね。正式にバイトを続ける理由の中に、つぐみの負担も減るだろうからって彼は言ってたんだ」

「私の負担を、減らすため」

 

 言葉の内容を噛み砕くように復唱するつぐみ。

 店主は変わらず娘を見守りながら、おどけるように、けれど半ば本気で思っていたことを口にする。

 

「良い男だよね。彼ならつぐみを任せられるんだけどなぁ……。残念だなぁ……」

「ちょ、ちょっとお父さん」

「ちなみにだけど、つぐみはアキラ君のことどう思ってる? 大丈夫、ここからなら彼には聞こえないから」

「っもう! からかわないでよ! アキラさんには巴ちゃんがいるんだから……それに、私はそういうのじゃなくって……」

「ん? そういうのじゃなく?」

「その……お兄ちゃんがいたなら、こんな感じなのかなって……」

「そっちかぁ……けどまぁ、いいんじゃない? 呼んでみたら?」

「っ、無理無理、絶対無理だから!」

「そう? 結構受け入れてくれそうだけど」

「私が無理なのっ!」

 

「何が無理なんだ、珍しくデカイ声出して」

「あ、アキラ君。つぐみがね……」

「お父さんっ!!」

 

 珍しく騒がしい、開店前の羽沢珈琲店であった。

 

 

 

 

 

 

 ピークタイムも終わり、時刻は夜の七時過ぎ。

 現在客はつぐみ以外のafterglowメンバーという極めて身内の空間の中で、それは起きた。

 バランスが悪かったのか、それとも今までの疲れが顔を出したのか――つぐみが、手を滑らせて皿とグラスを落としてしまったのだ。

 

 甲高い音が響き、全員が振り返る。

 

「大丈夫かつぐっ!?」

「ご、ごめんなさい! すぐ片付けるからっ」

 

 巴が立ち上がり、慌てた様子で走り出そうとするつぐみ。しかし、更に不幸がつぐみを襲う。

 

「あれっ?」

 

 前へ進もうとするつぐみの身体が、一瞬後ろに引っ張られる。エプロンの紐が椅子に引っ掛かり、しかしすぐに結び目がほどけて解放される。

 当然ながら、つぐみはバランスを崩し足をもつれさせた。

 

「つぐっ!」

 

 afterglow全員が、転びそうになるつぐみに手を伸ばした。転んでしまえばその先は凶器が散らばる床になる。酷い怪我を負うのは目に見えていた。

 しかし、場所が悪かった。唯一立ち上がっていた巴でも、あと一歩届かずに伸ばした手も届かない。本人を含む全員が、これから起こることに固く目をつぶろうとして。

 

「そそっかしい奴だな、全く」

 

 間一髪、前から滑り込んだアキラがつぐみの身体を下から支えることで、最悪の自体だけは回避されていた。

 そのまま立ち上がるとつぐみを肩に担ぎ上げてしまうので、ぽんぽんと回した腕で背中を叩き、彼女に自分で立つように伝える。

 

「アキラ、ナイス!」

「一歩間違えたら俺も怪我してたけどな……」

 

 ガラスの破片が散らばる床に遠慮無しのスライディングである。しかも自分の身体を制動する為に片手は普通に床についてしまっている。

 自らも立ち上がって掌を確認し、どこも切れていないことを確認してからズボンを軽く手で払った。

 そこで、地面に何やら滴るものが目に入り、即座につぐみの手を取る。つぐみが少しだけ呻いた。

 

「痛っ……!」

「切れてるな。破片が跳ねたか」

「うわぁ、痛そう……大丈夫?」

 

 見れば、つぐみの手の甲から確かに出血してしまっていた。ひまりがポケットティッシュに血を吸わせるが、直ぐに傷口から滲んできてしまう。彼女は直ぐに手を引き戻そうとしてその怪我を隠そうとするものの、アキラが掴んでいる為にそれが叶わない。

 

「待て待て、ちょっと見せろ」

「だ、大丈夫だから! お兄ちゃんは片付けお願い!」

 

 言うが早いか、今度こそ手を引き戻してパタパタと店の奥に走り去っていくつぐみ。

 残されたメンバーは、皆一様に固まっていた。

 いの一番に再起動を果たしたのは、やはりマイペースなモカであった。

 

「……え? いつ養子に入ったの?」

 

 違う。多分そういうことではない。他の全員がそう思ったものの、実際何がどうなっているのかがわからないので、誰もモカの発言に突っ込むことが出来ないのだった。

 

 

 

 

 

 

「つまりー、前にアッキーに妹みたいって言われたのが満更でもなかったって感じ?」

「うぅ……恥ずかしい……」

 

 手の甲に大きな絆創膏を貼って戻ってきたつぐみの顔は既に真っ赤になっていた。両手で顔を覆って椅子に座る彼女の耳すら赤く染まっており、しかし時折指の隙間からアキラへと視線を送っている。

 当の本人はガラスの処理を淡々と進めていた。

 

「じゃあ、普段からそう呼んでる訳じゃないんだね」

「そんなの出来るわけないよ……」

「呼ばされたりは? 無理矢理とか」

「そこ。俺を悪者に陥れようとするな」

 

 失礼な、と袋に入ったガラスをガシャガシャいわせているアキラが文句を飛ばす。ちなみに先程の発言は蘭である。

 

「お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかなってここ最近ずっと考えてて……それでさっき咄嗟にアキラさんを……」

「いいなー。あたしもお兄ちゃんって呼んでいーい?」

「呼ぶ理由が適当過ぎるわ」

 

 カウンター裏にそれを置いたアキラが戻り、自身はカウンター席に腰かける。店主はといえば、客もこないのでと店終いの準備をしていた。札はすでにcloseになっている。

 

「でも、怪我が大したことなくて良かったよー。あのまま転んでたら大変なことに……」

 

 うぅ、と身体を震わせるひまり。そこは全員が同意なのか、皆うんうんと頷くばかりである。

 巴が振り返り、

 

「……? 巴?」

「アキラは大丈夫なのか? おもいっきり滑り込んでたけど」

「……あぁ。大丈夫だ」

 

 その姿に何か違和感を覚えたものの、巴の言葉にそう返したアキラ。実際、ついた掌も滑り込んだ足も全くの無傷である。怪我もやむなしと判断した上でのある程度捨て身のアクションだったが、結果良ければ全て良しの精神だった。

 そこに店主が顔を出す。アキラへと一枚紙を渡すと、エプロンを脱いで手元でたたみながら告げる。

 

「さ、今日は皆帰りなさい。明日は学校だしね」

「あ、はい。ごちそうさまでした!」

 

 店主の言葉で解散が決まる。

 その後玄関先にてつぐみと別れ、ひとり、またひとりと別れていき、最後は当然アキラと巴の二人きりになる。

 

 そして――

 

 

 

「アキラ」

「どうした。さっきから様子おかしいけど」

 

 アキラの家。玄関をくぐり先に家に入ったアキラが、声をかけられて振り返る。

 巴が後ろ手で、玄関の鍵をかける。

 

 そして、言った。

 

 

 

「アタシ、今日は泊まってく」

 

 

 

 

 

 

 

 




つぐみにお兄ちゃんって呼ばせたいのと最後の展開につなげたいが為に三時間で書いた。書けてしまった。


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二十四話:長い夜

 アキラは一瞬、巴が何を言ったのか分からずにいた。

 自分には向かない視線。うつむき加減に傾いた顔。その表情を隠すかのような赤い髪と、そこから覗くほのかに赤い頬の色。

 その様子から、少なくともふざけて言っている訳でも、軽い気持ちで提案した訳でもなさそうだった。

 

「……巴」

「シャワー、借りるな」

 

 何を言っていいのかわからないままに名前を呼んだ彼を避けるように、巴はその横をすり抜けていった。

 普段の彼なら、強引にでもその肩を掴んで止めていたことだろう。しかし、今はそれが出来ない。

 彼女が、自分の家に泊まっていく。文字にすればただそれだけの話。だというのに、不自然なまでに高鳴る自らの胸を舌打ちを打って殴り付けた。

 ほんの少し前までなら、なんのことは無かった。幼馴染のままだったなら、おかしなことを考えることも無かったのだ。

 しかし、今の二人は想いを伝えあった恋人同士。そんな二人が、ひとつ屋根の下で、邪魔の入りようのない正真正銘の二人きりで一夜を過ごす。

 そんな状況で、何一つ意識せずに過ごせるほどアキラは達観しておらず。

 

「なんだよあの顔……勘弁してくれよ」

 

 どこまでも女を感じさせる先程の巴の姿を思い返して、更に激しくなった鼓動を感じながら、自身はリビングへと向かう。

 

 

 帰って来たばかりの無音のリビング。そこに、微かながら水を流す音が聞こえてきた。ただのシャワーの音のはずなのに、やけに胸をざわつかせるそれに頭を振るうアキラ。

 とにかく気持ちを落ち着かせようとその身体はキッチンへと向かっていき、瞬く間に紅茶の準備をし始める。煩悩を掻き散らすようにケトルに水道水を叩き込み、そこからは無心で作業を進めていき。

 

「……うん」

 

 気付けばソファに座り紅茶を楽しんでいる自分がいて、少しは落ち着いたかと彼はひとつ頷いた。が、何を淹れたのか記憶に無く、味も殆どわかっていない。しかもそれを自覚していない辺り全く彼は落ち着いていなかった。

 

 そこに、ヒタヒタと小さな足音が現れる。彼らしくないことに、緊張で軽く身を固くするアキラ。

 足音の持ち主はアキラの隣へと腰かけると、目の前に用意された紅茶には目もくれずに、すぐ真横にある腕へとしなだれかかった。

 

 言葉はない。ただ、そこには確かな熱がある。

 静かな部屋に、小さく巴の声が響いた。

 

「我が儘、言っていいか」

「……聞くだけなら」

「一緒に、寝たい」

 

 互いに視線は向けないままに、短く簡潔に交わされた会話がそれだった。

 その言葉を聞いた瞬間に、一際大きく心臓が跳ねるのをアキラは感じていた。抱かれた腕からは、柔らかな感触の奥からもうひとつの鼓動が聴こえてくる。

 湿った感触が胸を撫でた。何かをせがむように巴の身体が身を乗り出して、アキラの胸元にすがり付いたのだ。乾ききっていない髪に手を這わすと、巴はアキラに微かに潤んだ瞳を向けた。

 ここでようやく、二人は視線を絡ませて。アキラは、少しだけ自分を恥じた。

 

「……悪かったよ。そんなに、不安にさせちまったか?」

「だって……お前が――お前は、ズルいじゃないか」

 

 間近で互いの顔を見て、彼女の不安に染まった顔を見て、アキラは熱に浮かされそうになっていたことも忘れて彼女に向かい合った。

 今にも泣いてしまいそうな彼女の頭を抱き寄せて、その背中を優しく撫でる。

 

「馬鹿だな、俺がお前以外に行くわけないのに」

「わかってるし、信じてるけど……それでも不安なんだ。不安、だったんだ」

 

 胸の中にいる彼女がどうしようもなく愛しくて、心の内を吐露し始めた彼女の額に口付けを落とす。直ぐに、そこじゃ嫌だと唇を奪われた。

 久しぶりのキスに酔うこともなく、すぐに離れていく。

 

「今井先輩の時もそうだ。今回のつぐもそうだ。アタシの知らないところで、アタシよりも長い時間を二人で過ごして。不安になるなって方が、無理な話だ……」

 

 もう一度、重なる。今度は深い、大人のキス。

 お前はアタシのものだと言わんばかりに、口内を蹂躙される。逃がさないと頭を掴まれたアキラは、抵抗せずにその全てを受け入れた。

 

「っ……アタシの見えないとこで笑ってるお前を知りたくない。見たくないんだ。自分でもおかしいってわかってるし、抑えなきゃいけないって思ってるけど……」

 

 呼吸も忘れたキスが一度終わり、再開した息と共に溜まった想いが吐き出されていく。

 その吐露がひとつ途切れたところで、アキラはひとつ笑って、

 

「結構、嫉妬深いんだな。薄々気付いてたけど、今確信したよ」

「……悪いか」

「いいや? それだけ好きでいてくれてるって訳だし」

 

 今度は逆に、アキラが巴の頭を両手で捕まえた。

 そして、彼女が自分ですら醜いと感じている感情――嫉妬、独占欲、その他諸々、全てを受け止める。それを言外に伝えるように、両目を閉じて、額をこつりとぶつける。

 

「全部見せてくれよ。丸ごと受け止めてやる」

「……嫌いになったりしないか?」

「懐の深さには自信があってな」

「……身体は小さい癖に」

「張り倒すぞ」

 

 ぽつりと放たれた唐突な悪口に、今度は強めに額をぶつけてやったアキラは、痛がる彼女をぽすりと胸に納めた。

 軽口を叩かれ、また軽口で返せる程度にはお互いに余裕を取り戻すことが出来たのかな、なんて。

 

「……まずっ」

 

 改めて口にした紅茶の味に顔をしかめたアキラに、彼の胸でくすりと笑いを溢す巴なのであった。

 

 

 

 

 

 

「ところで、家に連絡はしてあるのか?」

「……本当に泊まってっていいのか? いや、連絡はしてあるし、許可も取ってあるんだけど」

「何を今更。突っ走るなら最後まで走って見せろよ」

 

 しっかりと淹れ直した紅茶を飲みながら言うアキラに、どこかおどおどとした様子を見せる巴。

 

 彼女もまたカップを手に取ると、頬を染めながらそれを口にする。

 

「え、今恥ずかしがるのか」

「だ、だって! 本当はちょっとだけ甘えたかっただけで、シャワー浴びてたら、なんか変な気分になってきて。我慢出来なくてお前にくっついたら抑えが効かなくて、気付いたら言うつもりの無いことまでポロポロ出てきて……」

「責めてるわけじゃないから。で、なんでそっちに座ってんの?」

 

 聞いてもいないのに自白をしていく巴を眺めながら、もうひとつ気になったことを指摘する。リビングにあるソファは四人掛けのものがひとつと、二人掛けのものがふたつ。テーブルを囲むように配置されているそれの内、アキラは四人掛けの端に座っており、巴はその反対側に座っている。つまり、人間二人分の隙間が空いている訳で。

 

「……ふ、普通じゃないか?」

「今までが異常だったとでも言いたいのか」

 

 目を逸らしながら言う巴に、呆れたように返すアキラ。それもそのはずで、恋人になってからというもの、二人きりになれば必ずと言っていいほど互いの肩がぶつかるぐらいの距離で過ごしていたのだ。

 もっと言うならば、恋人になる前ですら今よりは近かったくらいで。更に重ねるならばついさっきまでのアレは何だったのかと聞きたくなってくる。

 が、そこまで言うのは流石に野暮かと溜め息をついて時計へと目を向けたアキラは、聞こえてきた言葉に大いに動揺することになる。

 

「……しょうがないだろ。今お前に触ったら、アタシは止まれる気がしない。それでもいいならアタシはいくぞ」

「ぶふっ」

 

 赤い顔のままで、しかし開き直ったらしい巴ははっきりとそう言い切った。

 まさかの貴方が良いなら襲います宣言に紅茶を吹き出したアキラは、ティッシュで口元を拭きながら咳き込んでいた。

 

「お前な」

「受け入れてくれるんだろ。言ったじゃないか」

「いや言ったけどさ」

「さっきので寸止め食らってるみたいになってるんだ。お前のせいだぞ」

「寸止めとか言うな」

 

 色々と止まらなくなっている巴に、この茶葉に媚薬効果でもあっただろうかと現実逃避をし始めるアキラ。しかし今飲んでいるそれはノンカフェインのフレーバーティー。効果はリラックス、鎮静である。全くの真逆であった。

 

「一応聞くが、意味わかって言ってるよな?」

「女に言わせるのか」

「下手な男よりも思い切りが良いから聞いてるんだが……」

 

 どうやらそのつもりで言っているのは間違いないようだ、と紅茶を飲み干してカップを置くアキラ。その心中、これは参ったの一言である。

 嫌な訳ではない。むしろその逆なのは当然なことで、好きな女を抱きたいと思うのは男として当たり前なこと。

 しかしあまりにも唐突過ぎて頭が追い付いていないのだ。

 

「一緒に、寝てくれるんだろ? もういい時間だし」

 

 ずりずりと巴が寄ってくるのを視界の端で捉えながら、その声がやけに艶っぽいことに落ち着いていた心音がまた騒がしくなるのを感じたアキラは、しかし最後の懸念を口にしようとする。

 最早この流れからは逃れることが出来ないだろう。何より自分が逃れようとしていないことを自覚している時点で勝敗は決まっている。

 が、必要なものが無いのでは話は別だ。詰まるところ、これが最後の壁である。

 

 そして、その壁すら、巴は軽く飛び越えた。

 

「アタシ、持ってるから」

 

 いつ取り出したのか。アキラの最後の壁を飛び越えた彼女は、必要な()を指に挟んでいたのだから。

 

 

「……でも、優しくしてくれ」

 

 

 ――長い夜が、始まりを告げた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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二十五話:胸焼けするほど甘いものを

多分R15相当の描写があります。


 目が、開く。

 アキラが最初に感じたのは、普段とは違う素肌に擦れるベッドシーツと掛け布団の感触だった。

 次いで、右腕に感じる温かく、柔らかな人肌の温もりと、さらりとした長い髪の触感。

 腕に伝わる穏やかな鼓動と、呼吸による腹部の動き。耳からは静かな寝息が鼓膜を震わせる。

 徐々に覚醒していく五感が、昨夜の記憶を蘇らせた。

 

「…………」

 

 ちらりと横に視線だけをやったアキラの目には、至近距離で巴の寝顔が目に入っていた。彼と同じく、その肢体には何一つ身に付けていない。今は布団で大部分は隠されているものの、しっかりと捕まえられた左腕がその事実を伝えてくれていた。

 

「…………」

 

 彼は黙ったままに、空いている腕で目を覆う。

 ゆるやかに覚醒してきた意識と記憶。巴と一夜を共にした事実。所謂――朝チュンとでも言うのだろうか。そんなぼんやりとした思考の中で、アキラが若干の諦観を感じていると。

 

「ん……起きてるのか……?」

「今起きた」

「そっか……。今、何時だ?」

「起きないと遅刻する時間だな」

 

 ぐしぐしと目を擦りながら言う巴に、時計を見たアキラが返す。実際、朝食を取って身支度を整えて、となると少し危険な時間帯である。

 が、二人は目が覚めたその体勢のまま動かない。どちらも寝起きは良い人間にも関わらず、どちらもが倦怠感と微睡みに支配されていた。

 

「……なぁ」

「どうした」

「……しちゃった、な」

「……あぁ」

 

 会話が途切れ、しばしの沈黙。

 身動ぎする巴の身体が腕に触れ、嫌がおうにも腕に意識が集中してしまうアキラ。

 

「身体は平気か?」

「少し、痛いかな。でも意外と平気だ……優しくしてくれたもんな」

「言うな」

「なんだよぉ、恥ずかしがるなって」

 

 つんつんと頬を巴につつかれながら、うるさい、とだけ返して背中を向けるアキラ。抱いていた腕が逃げたせいでフリーになった両腕で、そのまま背中から胸へそれを回した巴は小さく呟いた。

 

「今日は休んじゃおうか」

「悪いやつだな」

「同じこと考えてるくせに」

「…………」

 

 返事はしない。それが何よりの肯定だとわかっている巴はその背中で笑みを深め、代わりに自分の胸の内を晒す。

 

「アタシも、今日はお前と居たい。今日ぐらいいいだろ?」

「……両親の許可があればな」

「それはきっと大丈夫……ちょっとごめんな」

 

 ギシリと二人のいるベッドが揺れる。アキラを乗り越えるように身を乗り出した巴が、すぐそばにある机から自分の携帯を手に取った。

 そのままアキラの身体によしかかり携帯を操作し始める巴に、溜め息をつくアキラ。上半身を遮るものは何もなく、また隠そうともしない彼女に少しだけ、文句とまでは言わないまでも突っ込まざるを得なかった

 

「堂々とし過ぎだろ」

「……ちょっぴり恥ずかしいけどな。もう今更だろ?」

 

 が、ほんのり頬を赤くしながらはにかむ姿を見ては、それ以上何か言えることもない。しかし、巴ほど開き直れないアキラは微妙に視線のやり場を見失い、結局その目をつぶる事を選んでいた。

 そうこうしているうちに、巴の電話が家へと繋がる。相手は母親だろう、と目をつぶったまま考える彼。

 

「あ、母さん? あの、さ……え? いや、その……う、ん。使った、な」

「……おい」

「うん。上手くいった……のかな、ははっ。――うん。いる。変わるか?」

 

 何やら言葉に不穏なものを感じて目を開けば、そこには先程よりも顔を赤く染めた巴の姿。

 次いで渡されたそれを受け取り、恐る恐るそれを耳に当てる。直ぐ様、聞き馴染みのある声がアキラの耳に飛び込んできた。

 

『おめでとう、って言って良いのかしら?』

「……どう返せばいいかわからないので止めてください」

『あらぁ、否定しないのね』

 

 予想通りに巴の母親である彼女の声が、反応に困る言葉を投げ付けてくる。アキラは苦い顔をしながら、きっとこの電話の先ではこんな表情をしているのだろう、と脳裏にその顔を思い浮かべた。

 

「事実なので」

『ふふ、そういう正直なとこ好きよ。というか、私からすればようやくか、って感じなんだけれど』

「そういう関係になったのが最近なので」

『それも含めて、の話よ。たまには家にも遊びにきてちょうだいな。もう随分来てないでしょ?』

「えぇ、近いうちに」

『あーっと、何だっけ。そうそう、巴の方からかけてきたのよね。大方学校休みたいとかそんなんでしょ、どう?』

「まぁ、そんなとこです」

『アキラ君は?』

「……まぁ、一日くらいなら」

『うーん……三十点』

 

 意地の悪い人だと溜め息をつく。すぐそばに巴がいるのを知っている上で言わせようとしている辺り、本当に。

 その点数を塗り替える為の言葉を、アキラはたっぷり時間をかけて絞り出す。

 

「…………一緒にいたいので、巴がいるなら、俺も」

『宜しい。……保護者としてはダメなんでしょうけどね、こういうの。今回だけよ? それじゃ』

 

 返事をする前に、プツリと通話が切れてしまう。どう返せばいいかわからなかったアキラはひとつ息を吐くと、巴の携帯を机の上に置いた。

 そして、何やら自分の腹の上で顔を隠すように蹲っている巴の頭に手を乗せる。

 

「良いってよ。……何してんのお前」

「何でもない」

「何でもないって感じじゃないから聞いてるんだが。てかくすぐったいからそのまま喋るな。顔を腹から離せ」

「……じゃ、こうする」

 

 ぱっと身体を起こした巴は、仰向けになっていたアキラの上に覆い被さり、そのまま身を任せるように横になった。

 胸に乗せられた彼女の頭を撫でながら、だからあんまり言いたくなかったんだ、と気恥ずかしさから逆の手で顔を隠すアキラ。

 

「ふふ、へへへ」

「何だよ……変な笑い方するなよ」

「だってさ。お前の口から一緒に居たい、だなんて」

「……お前の母親に言わされたようなもんだ。それに、本音を言って何が悪い」

「だからだよ。お前の本音がアタシとおんなじで、それを目の前で言ってくれたんだ。嬉しくない訳がない」

 

 顔を上げ、無警戒に笑顔を向けてくる巴。その真っ直ぐな愛と信頼が気恥ずかしくて視線を逸らす。

 が、背けたその顔を追い掛けるように上から唇が落とされた。

 激しさは微塵もない、柔らかく静かな触れ合い。数秒程で離れ、互いに息がかかる距離で視線を交わし、どちらからともなく瞼を落として、その距離がゼロになる。

 

「――もうしばらく、こうしていたいな。我が儘かもしれないけど、いいか?」

「……それが我が儘になるなら、お前はもっと我が儘になっていいと思う」

「そんなこと言ったら、今日一日ずーっとべったりになるかもしれないぞ?」

「今既にこれ以上ないくらいべったりしてるくせに」

「嫌だって言っても離れないぞ? なんならこの後風呂も一緒に入りたいくらい」

「それ以上のことしたじゃねぇか」

「……それこそ、我慢出来なくなるかもしれないぞ?」

 

 恐る恐る、といった感じに最後の言葉を放つ巴。

 それに対してアキラは少しだけ考えるように視線をさ迷わせた後に、上に乗る巴の肩を掴んであっという間に身体を入れ替えた。

 押し倒されたような格好になった巴は、いきなりのことにパチパチとまばたきを繰り返す。そんな彼女に、アキラは意地の悪い笑みを覗かせて、

 

「俺がそう言ったとしたら、お前はどう答えるつもりなんだ?」

 

 アキラの問いに、巴は言葉を返しはしなかった。

 

 

 代わりに、少しだけ間を置いてその両手がアキラの顔に伸びて、自分へと誘うように、その腕が縮んでいった。

 

 

 

 

 

 



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二十六話:二人きり

「そういえばさ」

「うん?」

 

 手元で白濁したお湯を弄びながら、アキラの胸に背を預けていた巴が口を開く。水音と共に微かに反響する声に、濡れた髪を掻き上げたアキラが声を返した。

 

「昔もこうやって一緒に入ったことあったよな。覚えてるか?」

「あー……そういや小さな頃はよく風呂は入ってたな。あこも混じってバカ騒ぎしてた」

「そうそう。騒ぎすぎて怒られたりしてな」

 

 クスクスと笑い合う二人。それに合わせるように湯船の水面が揺れて波打ち、巴の立てた膝が見え隠れする。

 あれから時間は然程過ぎてはいない。何よりもまず汗を流したいと二人の意見が一致した上で、ならばとこうして共にバスルームでくつろいでいる。

 一線を越えたことで、主に巴が素直に欲求をぶつけるようになったことも、この状況を生み出したことに大きく影響していると言えた。

 

 二人の会話は、思い出話へと流れていく。

 

「そういえば、昔は髪伸ばしてなかったよな」

「そうだなぁ……中学からだな、伸ばし始めたのは」

「何か理由でもあるのか」

「んー? 何で伸ばし始めたんだったかな……」

 

 湯船に浸かる関係上、今はその長い髪をアップにして纏めているそれを触りながら悩み始める巴。

 そんな巴を眺めながら、まぁ何でもいいんだけど、と湯船の縁に肘を立てて頬杖をつくアキラ。その頭の中では、まだショートカット時代の彼女の姿が思い返されていた。

 

「腹立つほどカッコよかったんだよな、あの頃の巴は」

「褒めてるのか、それ」

「更にバンド始めてドラムまで叩き始めた日にはもうな」

「……褒めてないな、それ」

「事実だし。俺の学校にお前のファンとかチラホラいたしな。……女の」

 

 実際、アキラは何一つ嘘は言っていない。

 髪が短かった頃の巴はビジュアル面ではもちろん、その気っ風のいい性格もあって同性からも慕われていた。身長こそ今よりは低かったが、バレンタインには女子生徒からチョコを貰うこともあったくらいだ。当時本人はアキラにチョコを渡す為に色々と四苦八苦していたせいで、あまり記憶には残っていない。

 かといって、髪が伸びて女性らしさが増した彼女から、その手の魅力が無くなったかと言われるとそうでもない。むしろ年を重ねたことで落ち着きが生まれ、背も伸びたことによりパワーアップしたとも言える。

 ……アキラの前では色々と乙女が顔を出すので、知る人間からすれば果てしないギャップがあるのも確かなのだが。

 

「……アキラは、どっちが好きなんだ?」

「好きな髪型すりゃあ良いと思うけれども。……まぁ、長い方が似合ってるとは思うな」

「じゃ、今のままでいるな」

「……その言い方だと、俺が切れって言ったら切るように聞こえるんだが」

「お前が短い方が好きだって言うなら、本気で考えるかもな」

 

 冗談めかしていう巴ではあるが、アキラの耳にはどうにもそれがジョークには聞こえない。切れと言ったら翌日にはバッサリやってきそうで笑えないアキラである。

 

 その後も、他愛ない昔話に花を咲かせていた二人だったが、不意に巴が両手で顔を覆って声を上げた。何事かと肩口からその顔を覗こうとしたアキラの頬に頭を擦り付けた巴は、

 

「もう取り繕える気がしない……! 皆にバレたらどうごまかせばいいかな?」

「…………普段からわりと取り繕えてないから、今更じゃねえかな」

「――えっ」

 

 何だかんだ、いつも通りの二人ではあるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆から漏れなく連絡が来てるな」

「ま、健康優良児がいきなり休めばそりゃあな」

「母さんは体調不良で話をしてくれたみたいだな……」

「見舞いにでも来られたらバレるな」

 

 時刻は昼時。ずる休みなので迂闊に出掛けるわけにもいかず、かといって特に出掛ける予定もない二人。アキラは台所に立って食事を作り、巴はチノを膝に乗せてくつろいでいる。フライパンからの焼き音と漂ってくる香りが食欲を刺激するのか、巴とチノはしきりにアキラへと顔を向けていた。

 

「完成、と。チノはちょっと待ってろ」

 

 そんな一人と一匹に苦笑しながらも、取り敢えず自分達の食事を完成させる。無闇に綺麗に仕上げたオムライスを机に置いたアキラは、今度はチノの分を用意しにいった。その足下についていったチノを見てから、巴は目の前のオムライスに目をむける。

 

「…………」

「よいしょ……っと。どうした、食べないのか」

「いや、食べるけど」

「? なんか不満でもあったか? 何にも言わねぇから好きにやっちまったけど」

「いや、そういうわけじゃないんだ。ただ……」

 

 スプーンを手に取り、何やら真面目な顔でオムライスを口にする巴を不思議そうに眺めるのはアキラだ。自分もそれを口にしたものの、特に妙な味もしない。別段特別なこともしていない、ごく普通のオムライスである。強いて言うなら、中身のケチャップライスの味付けが多少薄いくらいだろうか。作るのはアキラなので、その辺りは完全に彼の好みになってしまうのは仕方のないことであろう。

 不安とまではいかないものの、何か問題があるなら言って欲しいものだな、と咀嚼しているアキラの横で、やがて一口目を飲み込んだ巴が口を開いた。

 

「アタシも料理できた方がいいのかな」

「まぁ、生活回りのスキルは出来るに越したことはないな」

「……そういうのじゃなくてだな」

「そりゃあ彼氏として彼女の手料理はちょっと興味あるけどな。そんなの無理してやるもんでもないだろ」

 

 別に隠すようなことでもないので、思っていることをポンポン口に出していくアキラ。実際、巴とアキラではアキラの方が家事スキルが高い。元々手先が器用だったり、凝り性であったり。そういうやれば上達するであろう素質そのものがあった人間が、その上で一人暮らしというどうしたって最低限自分で身の回りのことをしなければならない状況にあったのだ。そこに差が出るのは仕方ないことだ。

 重ねて、無理してやることでもない、とはまごうことなきアキラの本音である。アキラ自身、やらざるを得なかったからやってきただけ。そうして結果的に今のレベルまできただけの話であって、やってくれる人がいたならばやることはなかっただろう。

 

「でもなぁ」

「人間、やってもらえるのならその方が得だぞ。特にお前みたいな色々抱え込みやすい奴は」

「うーん……」

「俺がいるならその辺は俺にやらせりゃいい。……まぁでも、将来的に全く出来ないのは困るか? 今度からは一緒に作るのもいいか」

「そうだなぁ……うん、そうする。ずっとアキラに任せっぱなしなのはちょっと、な」

「それに、将来何があるかわからないからな」

 

 話が纏まりそうだったところに、アキラが最後に放った言葉が巴にひっかかる。

 む、と口をつぐんだ巴がスプーンを置くと、不満たらたらの表情でアキラの横顔を睨みはじめた。

 それを横目でチラリと確認したアキラは、こちらもスプーンを置いた、その手でティッシュペーパーを手にとって。

 

「んむっ」

「怪我とか病気とか。その辺りどうしようもなくて少し離れることもあるかもな、って話だよ。そうでなくても四六時中一緒にいれる訳でもねぇんだから」

「……そういう話は、あんまりしたくない」

「わかったわかった、そんな子供みたいな顔すんなって……ほら、取れたぞ。妙なとこまで子供に戻るんじゃない」

「……ふふ。あぁ、ごめんな。困らせちゃったか?」

「こんなことで困ってたまるか」

 

 巴の口を吹いたティッシュペーパーを丸めて捨てたアキラは、澄ました顔でオムライスを口に運び始める。

 巴はその横顔をまた暫く眺めてから、自分もまたそれを食べ始めた。

 

「参ったな……お前の前だと、何でか子供みたいになりがちな気がする」

「年下なんだし別にいいんじゃねぇの。それに、ある意味じゃお互い様だよ」

「お互い様、か。ふふ、確かにそうかもな」

 



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二十七話:宇田川家の祝いの日

「なぁなぁアキラ」

「どうした」

「さっき家から電話があってな、家に来いっていうんだけど」

 

 ゆったりと二人でくつろいでいたこの一日。晩の五時を過ぎたところで、二人でべったり身体をくっつけた状態でソファに寝そべっていた巴がそう切り出した。

 ちなみにだが、この日はアキラが紅茶の準備やトイレなどやむを得ない場合を除いて四六時中巴がくっついて回っている。それを面白がってか若しくは嫉妬してか、今もそうだがチノもセットでくっついているので、少しだけ暑苦しいというのがアキラの本音である。

 

「うーん? まぁ、今朝に今度顔を出すっていったけども……今日か?」

「それがさ」

 

 アキラの言葉に起き上がった巴が、たはは、と照れ臭そうに頬を掻く。それに訝しげに起き上がり、横に腰を落ち着けたアキラが机にあるクッキーを口にしたところで、

 

「その……ほら、晴れてアタシら、一線を越えたわけだろ? それを聞いたらしい父さんがさ」

「あー……」

 

 成る程、と目を細めるアキラは、それは確かに行かねばなるまいと覚悟を決める。

 世話になり、仲良くさせてもらっている宇田川家。同性ということもあり、アキラは巴の父親にはある種一番世話になっていると言える。本人は気さくで冗談も通じる優しい人物なのだが、それ故に一番頭が上がらない存在なのだ。

 そして今回のお呼ばれである。愛娘に手をかけた男である自分だ、誠意を持って挨拶に行くのが礼儀であろう、と密かに決心して、

 

「お祝いだとか言って盛り上がってるみたいでさ。もう料理とかケーキとか準備しちゃってるみたいだ」

「あれ」

「はは、父さんらしいだろ?」

 

 予想とは違う状況に、突こうとしていた立て肘が外れるアキラ。そんな彼にケタケタ笑う巴は、で、どうする? とその顔を覗き込む。

 返事はもちろん、決まっていた。

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだなぁ、アキラ! まぁ座れ座れ、一杯やろう!」

「父さん、まだアタシら未成年」

「何を言うんだ巴。高校三年にもなれば立派な大人だぞ? ってことで、母さん酒出してくれ!」

「はいはい、飲みすぎないでよ」

「アキラ」

「わかってる。少しだけな」

「飲むなって言ってるの!」

 

 そうして訪れた宇田川家。満面の笑みで迎えた巴の父親に招かれ、その隣の椅子に腰かけるアキラ。肩を組まれて身体を揺らされながらも表情が変わらない彼だが、流石に付き合いの長い第二の家族。嬉しそうにしているのがしっかり全員に伝わっていたりする。

 

「ただいまー……あれ、アキ兄の靴がある!」

「おっ、あこも帰ってきたな!」

「そういえば母さん、あこは……」

「そりゃあ知ってるわよ。あの子も来年は高校生、その辺の知識ぐらいあるんだから」

「だよな……うぅ、どんな顔してればいいんだ」

 

 バタバタと近付いてくる足音にテンションを上げる父親。あっけらかんとカミングアウトしたことを告げる母親。そんなのなるようにしかならんだろ、とどこふく風の彼氏。悩んでいるのは巴のみという状況の中で、宇田川家最後の人間がリビングに現れる。

 当然というかなんというか、あこが最初に取った行動は、

 

「アキ兄っ!」

「よう、ダンスイベント以来だな」

 

 迷わず椅子に座るアキラに飛び付きにいったあこを、慣れたものと椅子ごと倒れないようにしっかりと受け止めるアキラ。

 相も変わらず仲の良い二人に両親はニコニコ微笑んでおり、ひとまずいつも通りの流れに息を吐いたのは巴である。

 

「右手、治ったの?」

「ああ。もう何ともないぞ」

「良かったぁ。じゃああこ着替えてくるね!」

「転ぶなよ」

 

 大丈夫ー! と元気に私室に消えていったあこを見送り、ちらりと横目で巴の姿を確認するように見るアキラ。どうかしたのか、と首を傾げる巴にアキラは、

 

「毎度思うが、年の差がひとつなのがなかなか信じられねぇな」

「あこはあれだから可愛いんだよ。それにお前が思うほど子供でもない。文句つけるな」

 

 直ぐにムッとして反論してくる巴に苦笑するアキラ。相変わらずの姉バカだな、と柔らかく笑うアキラであった。

 

 

 

 

 

「いや、それにしても」

「?」

 

 家族がそろい、飲めや歌えやの騒ぎが始まって数時間。すっかり酔いの回ったらしい父親が不意に小さな声で言いながら目元を押さえた。

 どうかしたのか、と此方も少しだけ赤い顔をしたアキラがその顔を覗き込むと、そこには微かに光るものが。

 慌ててその背中を強く擦ったアキラが、

 

「ちょ、ちょっと、どうしたんです」

「あー、やっぱりこうなったか。ごめんなさいね。この人お酒が入ると涙もろいのよ」

「お父さん泣いてるのー?」

 

 やれやれ、とその肩をさする母親。てこてこと近寄ってアキラの背中によしかかり、同じようにその顔を覗き込むあこ。巴は苦笑しながらジュースの入ったコップを傾けている。

 父親は微かに肩を震わせながらも、その顔を上げるとアキラの両肩を突然ガシッと捕まえた。わっ、とあこが離れて巴の元へ逃げるも、アキラにそちらを気にする余裕がない。

 

「巴のこと、宜しく頼むぞ。母さんに似て男勝りな娘だけどなぁ……君なら安心して任せられるからなぁ」

 

 赤い顔で、赤い鼻で真正面からそう告げられる。

 酒が入ってぽやっとした頭でも、その言葉にかかる重みはしっかりと理解出来たアキラは、

 

「父さん、少し飲み過ぎじゃないか?」

「そう言わないの。お父さん感動してるとこなんだから」

「感動するなら素面の時にして欲しいんだけどな」

 

 そんな外野の言葉も気にならず、逆に相手の両肩をガシリと掴む。言葉にこそしないものの、アキラは真っ直ぐにその瞳を見据えて深く頷きで返していた。

 それに感極まったのか、流れる涙が一際多くなった父親は一度がっしりアキラと男の抱擁をかますと、鼻をかんで声を上げた。

 

「ようし! 母さんもう一杯! これで最後にするから!」

「はいはい。アキラ君は大丈夫?」

「えぇ。付き合います」

「無理しないでね。巴、帰りは送って上げなさいな」

「なんだ。帰しちゃうのか」

「もう一日休まれても困るから。節操は持ちなさい」

「べ、別にそういう意味で言った訳じゃない!」

「お姉ちゃんもお酒飲んだの? 顔真っ赤だし……」

「飲んでないから!」

 

 時刻は八時過ぎ。騒ぎも佳境に差し掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か? あんまり強くないのかもな」

「具合悪いとかないから、きっと大丈夫だろ……帰ったら寝るけどな」

「そうしとけ」

 

 宇田川家の祭りが終わり、アキラが帰ることに不満を漏らす父親やあこを振り切ってアキラを連れて帰路へつかせた巴は、彼に肩を貸しながらゆっくりと歩いていた。

 とはいえ、家同士の距離はそれなりに近い。酔っぱらいの歩みでもあっという間にアキラの家は近づいてきて、気が付けばもう玄関前である。

 

「ほら、着いたぞ」

「ん……」

「――ど、どうしたんだよ。らしくないぞ」

 

 アキラの身体を解放しようとして、離れたくないと言わんばかりに身体を抱きすくめられる巴。どちらかと言えば嬉しいのだが、アキラからこうされることにはあまり馴れていない彼女の心拍数は上がる一方である。

 それを知ってか知らずか、酔いのせいで理性のブレーキが効きにくくなっているアキラは一層強く想い人の身体を抱き締めた。

 

「……離れたくないんだ」

「う、うぅ」

「けど、ここまでだな。送ってくれてサンキューな」

 

 耳元で、普段ならあまり明かさない本音を漏らしたアキラだったが、完全に酔っていないおかげか最後のブレーキは効いていたらしい。

 名残惜しげな顔でその身体を解放すると、

 

「気を付けて帰れよ」

「うぅ……!」

「……?」

 

 そんな寂しそうな顔で言わないでくれ、と巴は動きそうになる身体を必死に押し留める。

 庇護欲と情欲が混じり合った感情ががんがん理性の壁を打ち崩してくるのを感じながら、しかしなんとかそれを堪えきって笑顔をむけた。

 

 ――アタシは勝った……堪えてみせたぞ!

 

 そんな、妙な達成感を感じて、じゃあな、と踵を返そうとして、

 

「あ、忘れ物」

「えっ」

 

 ぐっ、と腕を掴まれて引き寄せられる。

 次の瞬間には、少しだけ酒の匂いが混じった、それでも消えることのない紅茶の香りがふわりと香っていた。

 

「おやすみ」

 

 素面ではきっと見られないふにゃりとした笑みを残して、アキラは家に消えていく。

 ガチャン、と鍵が閉まる音が聞こえて、

 

「もう………あぁもうーーーー!!」

 

 言葉にならない何かを吐き出しながら、巴はその場から走り去るのだった。

 



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二十八話:嘘つき

リサ姉、つぐみときてひまりの出番。


「……ふむ」

 

 とある日曜日。

 ここ最近では珍しく一人で自宅にて寛いでいたアキラは、膝に乗るチノの身体を撫でながら何かを思案していた。

 相も変わらず素晴らしい毛並みとボリュームを持つチノの体毛だが、幾度か指を通したところでアキラはこれからやることを決める。

 チノを抱えて横に置き、テーブルをずらしてスペースを確保。一度自室に戻ると、目的の物を手にリビングに戻る。

 

「よし、そこに転がれぃ」

 

 既に広くなったスペースに伏せていたチノが、アキラの手によって仰向けに転がされる。何の抵抗も見せない彼女の腹を軽く撫でてから、アキラはチノのブラッシングを始めるのだった。

 

 

 

 さて、基本的にアキラと巴以外の人間が家に訪れると一目散に自らのテリトリーである二階に消えてしまうチノではあるが、それにもいくつかの例外が存在する。

 そのひとつに彼女の気まぐれがあり、この前は逃げたのに今日は逃げずにその場にとどまる、なんてことも往々にしてあり得ることである。触ろうとすれば逃げるのは変わらないのだが。

 そしてもうひとつ。今のようにアキラにブラッシングをされている間は、余程のことがなければその場から動くことがない。

 

 つまり――

 

「アキラー。入っていいかー?」

「巴かー? 今手が離せないから勝手に入ってくれー」

 

 玄関から巴の声が聞こえ、座ったままそう返すアキラ。パタパタと聞こえる足音に、会話する声。どうやら一人では無いようだ、とブラシを動かしながら予想する。

 その予想通りに、リビングに入ってきた二人に声だけで出迎えた。

 

「なんだ、珍しいなひまり」

「えへへ、お邪魔しま~す……うわぁー!」

「なんだ、ブラッシングか?」

「こまめにやらないと抜け毛で大変なことになるからな」

 

 チノの超リラックスモードを、というよりはチノ自体を初めて見るひまりが声を上げ、その関係上ちょくちょく目にする機会が多い巴がチノの鼻を軽くつつく。

 普段ならひまりがいる時点で二階に逃げ出すのが当たり前なのだが、こうしてブラッシングをしている間はそれもない。

 そもそも、ひまりに関しては巴からアキラが猫を飼っているという話こそ聞いてはいたが、必ずと言っていいほど玄関が開いた瞬間に二階に消えるので出会うことがなかったのだ。

 

「可愛い~……! 触ったら怒るかなぁ」

「間違いなく怒るな」

「即答!?」

「人見知りするからな。巴ですら仲良くなれたのは最近だ」

 

 腹の部分を仕上げたアキラが、次は横っ腹だとまたしてもチノを転がす。人形のようにされるがままのチノだが、その目はひまりを警戒しているのか微妙に瞳孔が開いていた。が、ブラシが通された瞬間にどうでもよくなったのかその目を閉じてしまう。

 そんな姿に完全に心を撃ち抜かれたひまりは、触れないならと自分のスマホでここぞとばかりに写真を撮りまくっていた。

 

「楽しそうですね、明さん」

「アキラはチノ大好きだもんな。……アタシとのデート遅らせてまでブラッシング優先するくらいだし」

「お前だって俺とあこの約束ブッキングした時あこを選んだじゃねぇか」

「あこはまた別だからな」

「つまりそういうことだ」

「……なるほど?」

「い、今ので納得するんだ」

 

 目の前のカップルの多少おかしな会話に、突っ込んでいいのかわからずに微妙な言葉を返すひまり。

 そうこうしているうちにブラッシングも終わり、無駄な抜け毛が処理されて心無しすっきりしたチノが起き上がっていた。

 

 

 後片付けを終えたアキラがテーブルを元に戻し、客人が来たときのルーティーン、つまり紅茶の準備をし始めた。チノは巴の膝の上で丸くなっている。

 

「ひまりがいるのに逃げないな」

「多分一回見られたからどうでもよくなったんだと思うぞ」

「ねぇー、どうしたら仲良くなれるのー? 教えてよ巴~」

「って言われてもな……アタシにも切っ掛けがよくわかってないんだよな」

 

 言いながら、膝元のチノの顎をくすぐる巴。ぐるぐる喉を鳴らすチノはご機嫌なようで、それを羨ましそうに見つめることしか出来ないひまりは、

 

「ずるいなぁ。明さんの紅茶も好きな時に飲めるし。明さんもチノちゃんも独り占めー、だなんて」

「アキラはともかく、チノは努力次第でどうにかなるんじゃないか?」

「その方法がわからないもん」

「ついでに言うなら、俺の淹れた紅茶ならつぐみの店にいるときなら飲めるぞ。個人的には別に家に来たって構わないんだけど」

 

 慣れた所作で紅茶を淹れて二人の前に置いたアキラは、自分が言った言葉による巴の反応をちらりと確認。そしておどけるように肩をすくめる。

 それを見たひまりが、流石にそれは、と苦笑する。もし二人の関係が前のように幼馴染のままだったならば喜んでお邪魔するところだが、流石に二人の仲をこじらせるような真似はしたくないのがひまりの本音である。

 かたや唯一無二のと言えるメンバーの親友。かたやかつて自らの窮地を身体を張って助けてくれた憧れの人間である。どちらも大切な存在であるが故に、ひまりは二人の邪魔をするようなことは絶対にしないのだ。

 

「んで、何か用事あったんだろ? 用件は」

「別にそんな用事みたいなものは無いですよ。ただ、少しだけお話があって」

「話?」

「はい。今日は巴と買い物に行ってたんですけど……そこでとある人に会いまして」

 

 とある人? と再度疑問符を頭の上に浮かべたアキラ。彼とひまりに共通するような知り合いは、afterglowのメンバーを除くと殆ど存在しない。故に話の流れが見えない彼は、ひまりに続きを促した。

 少しだけ口ごもったひまりは、ちらりと巴と目配せをした後に、巴が頷くことでその口が動き始めた。

 

「その……Liar styleのリーダーだって言う人が」

「Liar style?」

「あいつらじゃない。あいつらの所属してたチームの人だ」

「んなことわかってる。だが、今更どの面下げてお前の前に顔出してんだって話だよ」

 

 見るからに不機嫌になったアキラが、眉間にシワを寄せてそう吐き捨てた。それもそのはずだ、ひまりとアキラにとって、その名前は悪い意味で因縁がある。

 

 Liar style(ライアースタイル)。かつてアキラが所属していたgrand slamと同じブレイクダンスチームで、この近辺ではブレイクダンスチームとしては二強と言われていたグループである。

 grand slamがどちらかと言えば正統派であったのに対し、Liar styleはその名の通り嘘のような奇抜なスタイルを武器とするハイレベルな集団だった。

 

「……で、なんだって」

「……聞いてくれるんだな」

「突っぱねるなら聞いてからでも遅くない」

 

 ふん、と唇を尖らせたアキラは、頬杖をついてそっぽを向いてしまう。実際、アキラの口からは否定と拒絶の言葉が飛び出しかけていた。寸でのところで抑えられたのは、一重に彼が――俗な言い方をするならば、大人になったからだった。

 

「話せ。その価値もあるのか知らんが」

「そんなに喧嘩腰になるなって」

「これでも我慢してるんだ。いいから話せ」

「大丈夫だって巴。えっとね、明さんに伝えて欲しいって言われたのは……」

 

 ひまりの話はごく単純なものであった。

 かつてのチームメイトが迷惑をかけたことを改めて謝罪したい、そして、あの彼に伝えて欲しいことがある。ひまりと巴の前に現れた一人の男は、真剣な眼差しで二人にそう告げた。

 過去にあったことから、二人は勿論警戒していた。しかしそれ以上に、彼のその伝えて欲しいという言葉が胸に残ってしまったのだ。

 

 

「ねぇ、明さん……もう、本当にチームには戻らないの?」



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二十九話:終わっていて、終わらない話

短め。


 少しの間、沈黙が部屋に訪れる。

 

 ひまりの言葉、そしてその表情や雰囲気から、どうやら誤魔化しや茶化しはお呼びじゃなさそうだな、と嘆息するアキラ。

 他の誰かに言われたならば適当に流すところだが、他でもない当事者のひとりであるひまりからの言葉である。無下に返す訳にもいかず、しかしあまり口にはしたくない内容にどうしたものかと溜め息をついてから一口紅茶を口にして舌を湿らせた。

 

「……それは、お前からの質問か? それとも、そいつからの伝言なのか」

「どっちも、ですかね。私、明さんのダンスも好きですから……その、私が言えたことじゃないのかも知れないですけど」

 

 言いながら視線を斜め下に逃がしたひまりは、しかし直ぐにアキラの目を真っ直ぐに見つめ直す。

 

「明さんがチームに戻らない理由があの事なら、もういいんじゃないのかなって」

「…………」

「リーダーだって人も、自分達のせいで明さんが辞めちゃったことを気にしてます。だから」

 

 ひまりの言葉を聞きながら、アキラはソファの背もたれに身体を預けて腕を組んだ。

 確かに、アキラがチームを抜けた原因はLiar styleとの揉め事が原因なのは間違いない。もっと言うならば、チームどころか当時は完全にダンスそのものから離れるつもりだったのだ。それだけの事件と言えたし、周りへの迷惑を考えるとけじめをつけるならばそれが落とし所だとアキラは考えていた。

 

「……って言ってもな。自分で起こした揉め事が原因で、自分勝手にチーム抜けてだ。今更どんな顔して戻ればいいのかもわかんねぇし……。そもそも、俺自身そこまでチームに戻りたい訳でもない」

「…………」

「そりゃあ、grand slamを立ち上げた一人でもあるし、それなりに責任持ってチームを引っ張ってはいたさ。でも今じゃ、踊りたい時に踊る今のスタンスに馴染んじまってる」

 

 アキラがダンスを始めたのは小学校に通っていた頃。そもそもが身体を動かすのが大好きな活発少年だったのもあり、ピアノ以外の何かをやりたいと手を出したのがブレイクダンスだった。そうして中学に入る頃にブレイクダンスチームgrand slamを結成。アキラがチームを抜けることになる去年まで、チームの顔として活動し続けていた。

 それまではそれが当たり前であったし、責任感もあった。しかし、チームを抜けた今となっては。

 

「悪い意味で自由に慣れちまったのかな。チームに戻ると、窮屈に感じそうで怖いのもある」

 

 好きな時に、好きに踊る。チームにいた時とそれは変わらないはずなのに、今の気楽さに慣れてしまったアキラにはそう考えてしまう。

 ダンスそのものは大好きだが、そこには以前ほど熱が無い。その熱が戻らない限り、チームに戻っても周りの足を引っ張るだけな気がしてならないのだ。

 

「皆がそれを望んでいても、ですか?」

「周りの意見は正直どうでもいいんだ。俺が本気で戻りたいと思ってたら、言われるまでもなく戻ろうとしてるさ」

「……じゃあ」

「今は少なくとも戻るつもりはない。誰に何言われようとも、これは俺の意思の問題だしな」

 

 この話はこれで終わりだと言わんばかりに言葉を打ち切ったアキラは、そこから口を閉じてしまう。その様子に、ひまりはそれ以上話を掘り下げることは叶わなかった。

 

 

 

 

 

「なぁ」

「ん?」

 

 その日の夜。

 彼にしては珍しく、ボケッとした表情でテレビを眺めていたアキラに巴が声をかけた。視線は向けずに声だけを返した彼に、巴はごく軽い口調で問いかける。

 

「考えてること、当ててやろうか」

「別に何にも考えてねぇけど」

「それはそれで正解なんだろうけどさ。……昼間のことが引っ掛かって、何にも考えられないんだろ?」

 

 正確に今の心中を言い当てられたアキラは、察しが良すぎるのも考えものだと溜め息をつく。横目で巴の顔を見ると、仕方のない奴だと言わんばかりに困ったように笑う彼女の顔が彼の目に写っていた。

 

「俺の返事は変わらないぞ」

「わかってるよ。人に言われて意見変えるような人間じゃないのは昔から知ってる。……けど」

「けど?」

 

 歯切れの悪い言葉に、また視線をテレビに戻して耳だけを傾ける。少しの間が空いた後に、巴はこう続けた。

 

「戻りたい想いはあるんだろ?」

「…………」

「ひまりに言った言葉に嘘は無いんだろうけど、ちょっと引っ掛かってさ。どうにも、アタシにはお前が気持ちを抑えてるように見えるんだ」

「……どうしてそう思う」

「正解はひまりが言ってたんじゃないのか。つまり、お前はまだ引きずってるんだよ、あの時のこと」

 

 その声に、アキラはテレビを消して目を閉じてしまう。

 剥き出しの心、その自分でも見えづらい核の部分に直接触れられたかのような違和感、そして嫌悪感。言ったのが巴でなければ、不快を迷わず前面に打ち出しているであろうその言葉。

 それを迷いなくぶつけてきたのが彼女だからこそ、彼はひまりにも言わなかった本音を漏らすことが出来る。

 

「仕方ねぇだろ。本当にどの面下げて戻れってんだ。大事な大会の前に、チームの中心にいたヤツが暴力事件の警察沙汰だ。その結果が入院した挙げ句の停学で、大会出場は流れに流れた。迷惑なんてもんじゃない」

「お前がああしなきゃひまりは酷い目に遭ってた。それこそ、仕方なかったんだ。だからひまりも」

「あぁ仕方なかった。あの場にいたのは俺だけだ。警察なんて呼んでる暇もなかった。全員ぶちのめして動けなくするぐらいしかやれることがなかった。今でも俺はそう思ってるし、後悔なんてしてない」

「それでいいだろ。アタシだってあいつらのことは今でも許しちゃいないし、お前がやりすぎだって言いたい訳でもない。ただ、いつまでもとらわれてたってしょうがないだろ?」

「……それでもだ。俺がもっと上手く動けてたなら、チームに変なレッテルが貼られることはなかった。もっと高いところに行けるチャンスを、俺が全部潰しちまったんだ」

「……当時はそうだったかもしれないけど。一年経ったんだ。誤解だってもう広まってるじゃないか。それに、チームメイトはお前が悪くないのを知ってる」

「だろうな。おかげで、俺は今でもダンスを続けられてる。……だからこそ、俺は皆に合わせる顔がない。……頼む。今日はもう、この話はしないでくれ」

「アキラ」

「らしくねぇのはわかってる。けど、混乱してんのか、考えがまとまらないんだよ。俺は今でもチームに戻りたいのか、自分でどう思ってんのかもわからなくなってきた。……どうしたいのか、自分でもわかんねぇんだ」

 

 ついに項垂れてしまったアキラに、巴はそれ以上何かを問いかけることをしなかった。

 導くことはしない。悩む彼を慰めることもしない。本当は直ぐにでもその手に触れて励ましてやりたいところを、彼女は拳を握って押し止めていた。

 

 

 その日の夜は、二人が恋人になってから、一際重い雰囲気になってしまうのだった。



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三十話:過去の傷

過去回。


 それは、全くの偶然だった。

 

「……?」

 

 普段ならまず通ることのない、賑わう本通りからは数本外れた裏通り。店の換気扇や通風口から流れる生ぬるい風が吹く、コンクリートの鈍色ばかりが目立つ廃れた通りだ。

 そこを歩いていたアキラは、機械の騒音に紛れて何かが聞こえたような気がして足を止めていた。

 暫くそのまま動きを止めて、

 

「やだ―――か―――けて!」

「……気のせいじゃねぇな」

 

 確かに聞こえた女の声に、少しだけ顔を引き吊らせたアキラだったが、直ぐに声がした方向に当てをつけて走り出す。

 そう距離は遠くない。こんな廃れた人気のない場所で聞こえてきたのは女の叫ぶ声だ。それも聞き間違えでなければ、助けを求めるような内容だったと走りながらアキラは考える。

 勘違いならそれでも良い。しかし、ここで自分が行かないことで嫌な結果になってしまったならば。――そんな目覚めの悪いことはない。

 

 

 

 

「……おい。何やってんだよてめぇら」

 

 そして、その判断は正しかった。

 一際人気のない路地裏、三方向を建物に囲まれた袋小路にいたのは、三人の男と、そして。

 

「むーっ! ――っ!」

 

 三人がかりで手足を封じられ、口元にガムテープを貼られた一人の女。

 男達は見つかることすらも予想していなかったのか、突然現れたアキラに視線を向けるばかりで固まったまま動かない――ようにも見える。

 

「…………」

 

 およそ数秒。恐らくは、アキラも男達も次に起こす行動は同じものに決まったらしい。

 一人、また一人と立ち上がり、剣呑な空気を醸し出し始める。

 押さえ付けられていた女は解放されたが、彼女の背中は壁で後ろには逃げられない。彼女だけを逃がすような真似は出来そうになかった。

 

(警察……仲間……どっちも呼ばせてはくれなさそうだな。失敗した、先に呼ぶべきだったか)

 

 ポケットに突っ込んでいた手。携帯を掴んでいたそれを仕方なしに離し、代わりに軽く拳を握り込んだアキラは、三人を睥睨すると、

 

「おい、ピンク髪」

「……!?」

「助けた方が良いか? いいなら、少しだけ目ぇ閉じてて、耳ふさいでろ。ちっと、女に見せるにはショッキングな絵になるからな」

 

 一瞬だけ柔らかく微笑みを向けられた女は、見知らぬ彼のその言葉が不思議と簡単に受け入れられた。今まさに男性への恐怖で動けなくなってしまっているというのに、信じてもいいような気がすると思えたのだ。

 

 そして、女が両手で耳を塞ぎ、曲げた膝に顔を埋めたその姿を見たアキラは、覚悟を決めてポケットから両手を解放する。

 少しだけおどけた声で、

 

「大人しく捕まるつもりがあるんなら、今からでも遅くはないんだが」

 

 そんな言葉への返事は、顔面に迫る拳であって。

 

「あっそ」

 

 予想通りの肉体言語での返事を鼻で笑ったアキラは、それをかわすと相手の土手っ腹に前蹴りを打ち込んだ。

 そこから、一対三の殴り合いが始まりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……けっ、割りに合わねぇな」

 

 ――数分後。

 

 人数の不利を腕っぷしと父親直伝の喧嘩スキルで辛くも勝利を掴んでいたアキラは、壁に寄りかかりながら血混じりの唾を吐き捨てた。脇腹を抑えた彼は、しかし全く衰えない鋭い目付きで彼等を見下す。

 地面に呻き声を上げながら転がる三人の男の顔を改めて確認して、やっぱり見間違いではないと男達の素性をひとつ確定させた。

 

「あそこもろくでもねぇのチームに入れたもんだな」

 

 わざと聞こえるように呟いたアキラを、苦しげに声を漏らしながらも睨み付ける男達。

 それらを真正面から受け止めながら、イラついてるのはこっちの方だと言わんばかりに目を開き吊り上げるアキラ。

 

 ――そこで、新たな人物が現れる。

 

「ひまりっ! ここにいるのかっ!?」

 

 赤い髪を靡かせながら。息を切らした彼女はようやくその場にたどり着いた。

 

 親友から届いた不可解なメール。他の誰が連絡しても返らない返事。不安になって彼女の家に行ってみればそこにはおらず、人伝に聞いて道を辿れば途中で途切れてしまう。

 途方にくれかけた彼女に届いたのは、親友の母親からのGPSの座標情報だった。明らかに人気のない不自然な場所から動いていないという。まず間違いなく、女が一人で留まるような場所ではない。何かに巻き込まれていると考えるのが妥当だった。

 そうしてたどり着いたその場所で、彼女は予想以上の惨状に目を見開くことになった。

 

 アスファルトに転がり呻く三人の男。

 

 壁に寄りかかり、満身創痍ながらも現れた彼女に驚いた様子の幼なじみ。

 

 しかし何よりもこの場で優先するべきは――奥でうずくまっている彼女の友人、上原ひまり、その人だった。

 顔を上げさせ、口のテープを優しく剥いだ彼女は、その顔を両手で包んで自分と目線を合わせるように覗きこむ。

 

「ひまり」

「……とも、え?」

「あぁっ。無事だったか? 怪我はないか?」

「――――う、うぅ~……! 怖かったよ巴ぇ……!」

「良かった……もう大丈夫だから、な。よくメール送ってくれたよ、本当」

 

 緊張の糸が切れ、すがりつくひまりを抱き止める彼女――宇田川巴は、心底安心して息を吐く。次いで、彼女の身体に怪我がないか確認しはじめた。

 一通り確認する中で、目立つようなものが無かったことに安堵はしたものの、胸元は無理やり脱がされそうになったのだろう。ボタンは外れ大きくはだけて、その下にある下着が見え隠れしてしまっている。

 男達がひまりに何をしようとしていたのか。それを考えてしまった巴は、激しい怒りを胸の内に芽生えさせて。

 

 

 ――その、無防備な背中に、悪意が迫る。

 

「巴ッ!」

「えっ」

 

 その結果は、彼女の反射神経の賜物か。もしくは偶然の産物か。

 アキラの叫びに反応した巴は、振り向き様に見えた銀色の線を目に捉えた瞬間にそれから逃れようとして、足に力が入らずに体勢を崩したのだ。

 その結果が、

 

「っ!」

「巴っ!?」

 

 ひまりの悲鳴。

 巴の頬からじわりと血が滲み、やがて流れ始める。

 体勢を崩したのが好を奏していた。男が容赦なく振るったナイフの軌道は、巴が反射的に動こうとした線上に振るわれていたのだ。

 

 もし動けていたならば――大惨事になっていたことを理解して巴が身体を震わせて、頬に手を添える。

 

 ここで黙っていられないのは、アキラだった。

 彼とて無傷な訳がない。三人、大人と言ってもいい男を相手にして、殴られ蹴られで身体のダメージは相当なもののはず。

 しかし、目の前で密かに想いを寄せている女に傷を付けられたその事実が、瞬間で彼の頭を沸騰させた。

 

「――くたばれ」

 

 グシャ、と嫌に鈍い音が響いた。

 

 性懲りもなく巴へと襲いかかろうとしていた男の顔面に、アキラの蹴りがめり込んでいる。

 何の遠慮もなく振り抜かれた爪先は、何本かの歯と鼻の骨を砕き、男の意識を刈り取った。

 素人目に見ても危険だとわかる倒れ方をした男の身体を尚も踏みつけたアキラは、残る男二人へと視線を向ける。

 その視線に、先程までとは明らかに違うものを感じた二人は、言うことの聞かない足で立ち上がり、背中を向けて走り始める。それが逃走だと頭で理解し、逃がすかと足を踏み出したところで、

 

「……っ」

 

 アキラが立ち止まるのと、

 

「動くなぁ! 警察だ! こら、どこに行く!」

 

 警官が駆けつけたのは、ほぼ同時。

 振り向いたアキラは、巴へと視線を向ける。

 

「お前か?」

「あぁ。念のために、ぐらいだったんだけど……正解だったな」

「大正解だよ。花丸くれてやる」

「……色々、聞きたいことあるんだけどさ。とにかく、アキラがひまりを守ってくれてたってことでいいんだよな。ありがとう」

「……ただ怖がらせただけかもな。その子が落ち着いたら謝っといてくれ。今はまだ、落ち着く暇もないだろうからな、その子も、俺も」

 

 そう言って、アキラはその場に座り込む。

 そのすぐそばには、ピクリともしない無惨な男の姿。

 

 ――正当防衛って、どこまで通用するんだろうな。

 

 そんなことを考えながら、アキラは逃げ出した男二人を確保したらしい警官が近づいてくるのを、ただ待つのだった。

 

 

 

 



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三十一話:落とせない涙

久しぶりに更新。
久しぶりなので短め。


 ──いかに人助けの為とはいえ、学生の身で流血沙汰を起こしてしまってはいけない。

 

 警察署にて事情聴取を受けたアキラは、警官からそのような説教を受けた後に解放された。

 説教こそ受けたものの、巴とひまりの証言と、捕まった二人の男の自白が一致。アキラに下される罰は通う高校と両親への連絡ということで話が決まる。

 男達は、ひまりの親告により少年院送りが確実となる。向こう一年は出てくることはないだろう。

 少年院どころかアキラの手によりまずは病院送りとなってしまった男も、入院の後に少年院に入ることになる。

 

「……まぁ、上手くまとまってくれたのかね」

 

 警察署を振り返り、ひとつ息を吐いてからてくてくと歩き始めるアキラ。

 両親への連絡は先程事情聴取の中で済ませてしまった。連絡を受けたのは父親で、警官とどのようなやり取りをしたのかはアキラにはわからない。

 が、アキラに直接聞いてきたのは喧嘩の勝敗のみであった。流石に警官の目の前で病院送りにしたとは言えないので、遠回しにやんわりと勝利を伝えると、なら問題ないと今回の事件を非常に軽く受け止められてしまった。学校についても、退学なら退学で迎えにいくから安心してろ、とも。

 もし負けていたらまだ話が拗れていたのだろうか、と考えたアキラは、色々と勝っておいて正解だったな、と気楽に考えることにした。

 

「良くて停学……大会は……諦めるしかないか」

 

 近場に控えているブレイクダンスの全国規模の大会。そこから世界への代表選抜……。地区予選に県大会も勝ち抜いた、アキラが所属するチーム、grand slam。

 その大会への参加は望めなくなってしまったことに大きな虚無感を感じながら、しかし仕方ないかと両腕を頭の後ろで組んだ。

 この時のアキラは、まだこの事件が周りに及ぼす影響をそこまで考えていなかった。あくまでも当事者である自分の問題、他に責任がいくような話ではないと考えていたのだ。

 

 しかし、そのある種楽観視とも言えるようなアキラの考えは、翌日に、覆されることになる。

 

 

 

 

 

 

『……まぁ、そういうことだ。責任感じるなとは言えねぇけどさ。皆、お前を責めるようなことは言ってない。それなら仕方ねぇなってさ』

「……悪い。もっと上手くやってりゃ、こんなことには……」

『良いって言っても納得しねぇんだろ? 今は取り敢えず大人しくしてよ。次会うときに全部聞いてやるから。……待ってるからな。あんま思い詰めんな。じゃあな』

 

 通話が終わり、アキラは携帯を握りしめたまま項垂れる。

 学校から下された処分は十日間の停学と自宅謹慎。それは予想の範囲内であったアキラとしてはそこまでショックを受けることはなかった。

 問題は、今しがたチームメイトから告げられた、無慈悲な現実。

 

「……これは、流石に」

 

 端的に言えば、大会運営側からの出場拒否。暴力事件を起こした面子が、代表チームのメンバーであるアキラ。そして二位通過をしているLiar styleの三人であることで、問題視されてこの二チームの出場許可を出さなかったのだ。

 大会には繰り上げで下の二チームが出場になるらしいが、アキラの頭は後悔と謝罪で埋め尽くされてしまっている。

 無論、やったこと自体には後悔は無い。あそこで自分がいかなければ、きっと彼女は女性としての尊厳を滅茶苦茶にされていた。それを未然に防げたことは素直に良かったとアキラは思っている。

 しかし、何もかもが上手くいっていたかとは言い難い。状況を隠れ見ていたならば、そこで先に警察なり何なりに連絡することだって出来ていた。

 そうしていたならば、アキラはあそこで介入こそする必要はあったが、殴り合いまでする必要は無かった。ただのらりくらりと連中と相対して時間稼ぎするだけで。最悪暴力を振るわれても警察が来るまで耐えきるだけで、自ら力にモノを言わせるような真似はしなくて良かったのだ。

 

 自業自得。後の祭りとは言え、なぜもっとよく考えて行動しなかったのか。

 大会に向けて緻密な打ち合わせを重ね、時間をやりくりして練習してきた日々を思うと、アキラは下がった頭を上げることすら難しい。

 後悔先に立たずとはこの事か、と。その言葉の意味が本当の意味でわかってしまった気がして、自室のベッドに力無く倒れ込む。

 本当なら泣いてしまいたい。けれど、男と言うのはおかしなもので。見られてもいないのに流れそうになるそれを飲み込んでから、自分には泣く資格もないとそれらしい理由をつけるだけで涙すら引いてしまう。

 結局、その日はそのままそこから動くことすらしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。ようやく自室から這い出してきたアキラを出迎えたのは、目の覚めるような赤い髪をした彼女だった。

 一瞬呆気に取られたアキラだったが、すぐに表面だけを取り繕って、

 

「……何か用か」

 

 すっかり掠れた声に、巴が目を見開いた。そして気持ち眉尻を下げた彼女は、立ち上がって軽く息を吐く。

 

「驚いたよ。そこまで弱ってるお前を見るのは初めてだ」

「…………」

 

 口を返そうとして、この声では意味が無いとその横を通りすぎて台所へと向かうアキラは、適当な飲み物を冷蔵庫から掴んで口に含んだ。

 喉が乾いていたことをそこでようやく自覚した彼は、確かに弱ってるのかもしれないなと一人ごちた。

 それが聴こえたらしい巴は、またひとつ息を吐いてからソファに座り直していた。

 

「らしくないな。いつもなら絶対に認めないのに」

「ほっといてくれ」

「いやだね。今のお前は放っておけない」

 

 そのまま飲み物を持って、ソファの端に腰かける。一体どれだけ自分はひどい面をしているのか。そう思ったものの、確認すら今のアキラには億劫に思えた。

 

「……傷、大丈夫か」

「ん? あぁ、大丈夫だぞ。本当に掠めただけだったし、跡も残らないさ。……というか、お前本当に大丈夫か? 顔色悪いぞ」

 

 頬に大きな絆創膏を貼った巴が、眉を潜めて距離を詰めていく。

 

「平気だよ」

「どこも平気そうに見えない……うわ、顔冷たいぞ」

「平気だって言ってるだろ」

 

 顔を触られ、それを振り払う。

 これ以上近くにいると余計な詮索をされそうだ、と立ち上がり、

 

「いいから……学校いけよ」

「お、おい。本当に──」

 

 自室に戻ってしまえば諦めるだろう、そう考えたところで、アキラの記憶は途切れている。

 当然だった。この瞬間に、アキラは突然意識を失って倒れてしまっていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十二話:きっと、私の番だから

 目が覚めて、最初に視界に入ったものは、知らない部屋の天井であった。

 

(……どこだここ)

 

 ぼんやりした頭で考えるアキラは、その知らない天井を見つめながら記憶を手繰るものの、そもそも自分から眠りについた覚えが無い。徐々に覚醒していく意識と共に甦る最後の記憶は、自分の家にて巴を振り切り自室へと戻ろうとしていたところまで。

 そこから先の記憶がまるっきり無く、今現在へと至ってしまっている。

 

「…………」

 

 何が何だかさっぱりわからないままに身を起こす。天井以外の情報が目に入ってきたものの、やはりそこがどこであるのかがわからない。が、しばらく部屋を見渡していると、すぐ脇にとあるものを見付けていた。同時に、自分がどこにいるのかを理解するアキラ。

 

「なんだってこんなとこに……」

 

 頭を掻きながらも、とにかく事情を知るために見付けたそれに手を伸ばす。そして、それ──ナースコールを手にすると、躊躇いなくボタンを押した。

 

「すいません、目覚めたんですけど」

 

 それだけ告げて、ポイと枕脇に放り投げたアキラは、どうやらそこそこ長い時間眠っていたらしい自分の身体を目一杯伸ばす。

 部屋の扉が開いたのはその時だった。

 

「──なんだ、起きてたのか」

「巴……と、お前は」

 

 扉の向こうにいたのは、私服姿の幼なじみ。そして、いつか見たピンク色の頭をした女子の姿。その直ぐ後ろから、看護師がひょこりと顔を出す。

 

「お見舞いに来てちょうど目を覚ますなんて、タイミング良かったわね」

 

 背後からの声に、二人は声を返さずに笑顔で答えていた。

 

 

 

 

 

「んで、何がどうなってんだ?」

「どうもこうもあるか。いきなり目の前で倒れられて、こっちは大慌てだったんだぞ」

「……倒れた? 俺が?」

「他に誰がいるんだよ」

 

 ベッドの脇に置かれた椅子に座っている巴が、腕を組んでそう返す。どう見ても怒っているのが伝わってくるのだが、記憶が無いアキラからしてみればどこか他人事のように聞こえてしまう。そんなアキラの態度に、ますます巴はご立腹のようだ。

 

「倒れるようなことした覚えも無いんだが……」

「実際倒れてんだよ。医者が言うには貧血とストレスが主な原因らしいけど」

「ストレス……は、ともかく。貧血ねぇ」

「とにかく! お前は! アタシの目の前で! 倒れたの!!」

「わ、わかったって。心配かけてすまん」

「全く……」

 

 バンバンとベッドを叩かれて憤慨する巴に押され、取り敢えず謝罪するアキラ。過程がどうあれ心配させたことには変わりなく、そこは素直に申し訳なく思うからこその謝罪である。

 ひとまずはそれで落ち着いてくれたらしい巴の様子を見てから、アキラはその隣に座る彼女へと視線を向けた。

 

「んで、君は?」

「忘れたのか? 薄情なやつだな」

「そうじゃねぇ。そんなすぐに忘れる訳ねぇだろ」

 

 まだ怒りは燻っているのか、どことなく攻撃的な巴に肩を竦める。アキラが聞きたいのは、彼女が何者かということではなく……いや、それも知りたいには知りたいが、今この状況で聞きたいのは。

 

「ひまりは、お前が倒れたって聞いて自分からついてきたんだ。自分のせいかも知れないってさ」

「そんな訳ねぇだろ」

 

 本当は黙って聞いてればいいのだろうが、アキラは反射的にそう口から溢していた。自分が倒れた原因には確かに関わっているのかも知れないが、かといって責任があるかと聞かれればそれは間違いなくノーである。

 

「で、でも」

「俺が倒れたのは、まぁ事実かもしれんが」

「しれんが、じゃなくて事実なんだよ」

「だから悪かったって……まぁ、色々あって参ってたのも認める。それが原因で倒れたのかもだ。けれど、それは完全にこっちの話だ。君に責任がいくようなもんじゃない。むしろこれで責任感じられたら、俺はもう肩身が狭くて仕方がねぇよ」

 

 ただでさえ倒れて病院の世話になっている時点でそこそこに恥ずかしいところに、それで目の前の彼女が責任を感じられたらアキラはそれこそ自分が恥ずかしくなってしまう。ここで倒れたのはあれのせいだこれのせいだと言える人間ならともかく、アキラはそんなタイプの人間ではないのだから。

 

「それより、あれから何とも無いのか? 変な奴等に絡まれたりとか」

「それは、大丈夫です。皆がそばにいてくれるので」

「そっか……。男が怖くなったりしてないか?」

「それも、まぁ大丈夫みたいです。一人で移動する時に警戒するようになったくらいで」

 

 ひまりの言葉に、なら大丈夫か、と胸を撫で下ろすアキラ。最近自分のことでいっぱいいっぱいになっていて考えが及ばなかったが、今回の一番の被害者は間違いなく彼女なのだ。その彼女が、目立つ傷も無く無事でいてくれたことに、アキラは自分でも驚く程に安心していた。

 

「そうか……ならまぁ、いいのかもしれないな」

「……えっと。話は聞いてます。あれで、先輩のチーム? が、大会出れなくなったって……」

「アキラでいいぞ。……まぁ、そうだな。それでへこんでたのも、事実だ」

 

 アキラのその言葉を聞いて、ひまりは膝の上でぐっと拳を握りしめる。そして突然立ち上がり、思い切りアキラの前で頭を下げた。

 

「ごめんなさい! わた、私を助けたばっかりに、先輩の、大事な……!」

「あぁ、やめろやめろ。お前は隣の怖い女に怒られたいのか」

「そうだな。ひまり、今のはアタシも怒るぞ」

「え……」

 

 取り敢えず頭を上げて座れ、と。アキラの言葉に顔を上げたひまりは、その涙ぐんだ目を擦りながらも椅子に座りこんだ。そのぼやけた視界に映る彼は、頭を掻きながらも苦笑していて。

 

「ようやく納得出来たところなんだ。そこでお前に謝られたら、色々と台無しになっちまう」

「でも……」

「確かに、大会に出れなくなったことは悔しいし、辛い。……けれど、今こうしてお前が無事だってことを確認したらさ。まぁ、いいかって思えるんだ。もっと上手くやってりゃあ大会も潰すことは無かったんだろうけど、それはもう俺の力不足、判断不足ってな」

 

 もしあの時に自分があそこにいなかったら。もし、気のせいと片付けて素通りしていたりしたら。

 きっと、ひまりは今こうして無事に過ごせてはいない。心にも体にも傷を負って、下手をしたら一生それを引きずって生きる羽目になっていたかもしれない。

 それを思えば、アキラは自分の行動に後悔など有り得ない。だから、これでいいのだと。

 

「だから謝るな。むしろ俺に胸を張らせてくれよ。大会をふいにしてでも、お前を助けることが出来たんだってな」

「なんかカッコいいこと言ってる」

「茶化すな」

「ふふ。そうだぞ、ひまり。ここは謝るんじゃなく、お礼を言うところだと思うな」

 

 二人から言われ、ひまりは溢れそうになる涙をぐっと堪える。なんて優しい人だろうと。私は、本当にこの人に救われたんだと、目の前にして強く実感する。

 だったら、確かに謝るのは違う。自分がこの人に伝えるべきは、謝罪ではなく、感謝だ。それを、言葉にしようとして、ついに涙が堪えきれなくなった。

 

「ありがとう、ございます、ぅ……! ぅぅぅ~……!!」

「忙しいやつだな」

 

 

 

 

 

 ひまりは、この時の彼の姿と、声。それに、優しく頭を撫でられた手の感触を忘れていない。……もしかしたら、撫でてくれていたのは巴だったのかも知れないけれど。

 

 これが、上原ひまりと彼の、最初の出会いだったのだ。

 

 

 

 

 

「……だから今度はきっと、私の番、だよね! うん! がんばろー!」

 

 

 



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