Running On The Rockin' Road (あさ。)
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Lesson1:ギターを習おう

 初めまして。あさ。と申します。
 ハーメルン様での投稿は初めてとなりますので、タグ等に不適切な内容があればご指導いただけますと大変助かります。
 数年ぶりの執筆になりますが、何とかエタることの無いよう、続けていこうと思います。
 いつまで続けるかも、方向性も、どのような展開にするかも決まっていませんが、せめて少しでも、多田さんを可愛くてカッコいいアイドルにプロデュースできるよう努めさせていただきます。

 なお、一話目は多田さんの登場は少な目となります。


 人生で最高の演奏(ギグ)

 一つ挙げるとしたら、世のミュージシャンは、一体どの瞬間を語るのだろう。

 

 ――僕だったら答えは決まっている。人生で最初の演奏(初ライブ)だ。

 

 学校の試験でも、徒競走でも、美術の授業でも、いつだって脇役だった僕が、初めて主役になれた瞬間。

 承認欲求が満たされた快感を忘れることができず、僕は輝かしくも腐った世界にのめり込んでいった。

 最低な人生が始まった瞬間であり、人生で最高な瞬間だった。

 ロックンロールとは何か、なんて知りもしない。知ろうとも思わなかった。

 ただ初めての感覚をまた味わいたくて、追い求めて――堕ちていくだけだ。

 ひたすらに、坂道を外れ、道なき道を転がり続けていくだけ。

 スポットライトに呪われた人間なんて、誰でもそんなものだと思う。

 

 そんな中で、稀に、常に最高の瞬間――いつまでも初期衝動を保ち続けるやつがいる。

 擦れることなく、飽きることなく、輝きが鈍ることが無い。

 ロック()()()とはよく言ったものだ。

 その星は、摩天楼の輝き程度にかき消されることはない。むしろそれらの輝きを見えなくさせるほどに、強く、常に輝いている。

 僕らのような、五等星程度の輝きなんて簡単にかき消されてしまう、一級品の一等星。

 

 多田李衣菜という少女は、まさにそんな存在だった。

 

 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

 

「もうバンドをやりたいとは思わないですね。一人の方が楽ですし」

 

 行きつけの居酒屋で、管を巻きながら口にしたのは、本音であり、建前であった。

 大学在学中から活動していたバンドが、メンバーの一身上の都合(できちゃった)により去年解散した。

 それから、さして歌も上手くない気楽なシンガーソングライターとして活動していたのだが、唐突に飲み仲間の大学時代の先輩から、バンドはもうやらないのかと聞かれたのだ。

 解散直後であれば答えも違っただろうが、今でははっきりとそう答えられる。

 この一年で実感したことだが、練習も、ライブも、日程を他人と合わせる必要もない。一人は思った以上に気楽なものだった。

 

「大学まで辞めたのに、もったいない。太郎だったら、他のバンドからも誘われるんじゃないの?」

「それを言ったら先輩だって」

「俺はそんなモチベーションないよ。仕事もしてないし」

「じゃあ仕事しましょう」

「考えておく」

 

 この先輩は、オリジナル曲を演奏するようなバンド(バンドマンは「外バン」なんて言葉を使う)を組んでこそいないものの、在学中はコピーバンドで一緒に演奏したり、馴染みのなかった海外のバンドを教えてもらったりして、音楽的にもお世話になった。

 大学卒業後は、悠々自適な自由人(ニート)生活を送っており、いつだって誘えば酒に付き合ってくれる。そんな貴重な存在だ。

 

「なら僕だって一緒ですよ。大学も卒業してないし」

「いいじゃん大学中退。ロックだよ。さあ、またロックンロールしよう!」

「そんなんロック履き違えてるわ」

 

 音楽から離れたやつっていうのは、大概が他人には「夢を追い続けて欲しい」と無責任に願うものだ。

 まあ仮に、僕も同じ境遇でくすぶっているやつを見たら、同じことを言うだろうと思う。

 脱落者とは、いつだって残った者に勝手な期待をするものなのだ。

 そして相手が成功すると、盛大に嫉妬する。

 居酒屋に一つだけある、ミュートに設定されているテレビでは、音楽番組が流れており、タイミングの悪いことに、対バンしたことのあるバンドが出演していた。

 非常に妬ましいが、アルバムは買ってやろう。

 

「当方ボーカル未経験、全パート募集、プロ志向、みたいなメンバー募集、行ってみたら意外と凄い才能のやつに会えるかもよ」

「それこそ先輩が行けばいいじゃないですか。女子高生と出会えるかもしれませんよ」

「やだよ。その女子高生、絶対地雷でしょ」

「違いない」

 

 先輩の言うようなあからさまなハズレは避けたが、実は何度か、元々の知り合いのバンドや、メンバー募集の張り紙を見て、セッションに行ったことはある。

 あるのだが、僕の演奏は本当に上手いものではなく、どうも相手を選ぶようなので、あまり手応えを感じることはできなかった。

 相手はそれでも良いと言ってくれるのだけど、自分が楽しくない。

 思っていた以上に、僕は音楽的な協調性に欠けていたらしいと、解散早々に実感したのだ。

 

「ま、僕は女子高生とバンドなんて死んでもごめんですけどね」

「あっ。察し」

 

 自分で出した女子高生という単語は、僕の地雷でもあった。完全に自爆だ。

 ネット用語をわざわざ口にした先輩に気を使われる。

 非常に申し訳ない。

 

「……ポン酒飲むけど、太郎も飲む?」

「あ、はい。飲みます。飲みましょう。

 すいませーん! 注文お願いしまーす!」

 

 解散の一年前、就職のためベーシストが脱退し、代わりに空いたパートに加入したのは、ボーカルがスタジオでスカウト(ナンパ)した女子高生だった。

 モデルのように容姿の整っていた新ベーシストは、拙い演奏ながらもライブハウスのろくでなし共からは瞬く間に人気を獲得し、バンドの看板娘になるのは遅くなかった。

 その功績は数字としても表れ、彼女のおかげで客数が数倍にもなったことは、とても感謝している。

 性格も明るく、社交的で、練習にも遅刻しない。所謂()()()()()()って印象はなかった――のだが、思い返してみると、赤の他人であるボーカルの誘いに乗って、男臭いバンドに加入を決めた時点でまともではなかったのだと思う。

 顛末としては――ボーカルとできちゃってたのだ。色々な意味で。

 

「お待たせしましたー。ご注文をどうぞ!」

「こんちきちんをもっきりで二つと、あとなめろうください」

「あとたこわさもお願いします」

「はいっ! よろこんで!」

 

 快活な女性店員――この店で初めて見るが、それこそ女子高生ぐらいだろうか――に注文を済ませ、思い出してしまった嫌なことを煙に巻くため、どこで買ったのかも思い出せない安物のライターで煙草に火をつける。

 そういえば、あの娘は煙草も吸っていたなと思い出し、そもそも初めからまともな女の子ではなかったことに今更気付いて、ニコチンとのダブルパンチでダウナーな気分が加速した。

 煙草のせいか、飲みすぎのせいか、視界が歪んでくる。日本酒のあとは水を飲もう。

 

「女子高生に手出すなんて、いばらの道なんだから気にすんなよ。

 太郎にも良い出会いがその内あるって」

「いやそういうんで落ち込んでるわけじゃないですから。ほんとに。別に女子高生とか興味ないですから。先輩と違って」

「おおお俺だって三次元の女子高生には興味ないから」

「箸震えてんじゃないですか。今更隠したっても、泥酔したら最近道端で見た女子高生の話しかしないじゃないですか」

 

 ただただ、元バンドメンバーというだけ。それ以上の関係性はなく、更に恋愛感情はなかったはずだと思う。

 そりゃ、かなり可愛い、若い女の子だ。

 メンバーとして加入した時だって、練習やライブ、それ以外の日常でも共に行動できたことは、悪い気はしていなかった。

 だけど、恋人になりたかったかと聞かれると、明確にノーと言えるだろう。

 そうは言っても、昔馴染みのボーカルと実は付き合っていて、子供までできたと聞いたときには、なんだか残念な気持ちになるものだ。

 男女混合の仲良しグループ内でカップルがいたことを知らされた、なんてシチュエーションがあるなら、その状況に近いと思うが、こちらは新しい生命の誕生まで告白されたのだ。

 更にバンドは寿解散。素直に祝福なんてできるはずもない。

 

「お待たせしました! お先にこんちきちんになります!」

 

 この居酒屋では毎回頼んでいるお気に入りの日本酒を、先ほどの快活な女の子が慣れた手つきで升に入ったグラスへ注ぐ。

 きれいに透き通った酒が、グラスに並々注がれ、溢れ、升に溜まっていく。

 徳利に入れて、おちょこでちびちび飲むのも良いのだが、密かにこのもっきりを目の前で注いでもらうのが僕は好きだ。

 

「ありがとうございます――」

 

 升からも溢れそうなぐらいまで注いでもらい、注ぎ終わったところでお礼を言うため、目線を酒から店員の女の子に移し、僕は目を見張った。

 その女の子は、ボーイッシュな雰囲気だが、とても整った顔立ちで、件の元バンドメンバーと比べても遜色がない――美少女だった。

 まじまじと見てしまっていたのか、女の子は先ほどまでの溌剌な接客態度ではなく、少し怪訝な表情で僕に問いかけた。

 

「……お客様、もしかしてどこかで会ったことありますか?」

「え!? い、いや、どうだろう……」

「んー、そうですか……。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」

 

 こんな不審者に謝ってくれるなんて、この子はとても良い子に違いない。

 言われてみればどこか見覚えがある気がするが、こんなに顔の整った女の子、一度会えば忘れることはないだろう。

 そして僕の顔なんて平々凡々。どこにでもいるような顔だ。

 ――つまり、おそらく双方とも勘違いだろう。

 

 やましい気持ちなど少しもないのだが、じっと見てしまったことは事実だ。

 しどろもどろな返事になってしまって、却って怪しまれてしまったかもしれない。むしろ謝りたいのはこちらのほうだ。

 謝りはしたものの、曖昧な僕の返答に納得いっていないのか、不思議そうに首をかしげる女の子との間に不穏な空気が流れていたが、それをぶち壊す野次が外野から飛んできた。

 

「あ、おっちゃん! 太郎が店員の子ナンパしてる!」

「なんだと! 太郎さん、JKはダメだぞ!」

「いやいや、何言ってんすか先輩! おっちゃんも……おい! にやにやしてんな!」

「あ、あはは」

 

 先輩の茶化しに、場外から店主であるおっちゃんが乗ってくる。

 多くて週に二回ほど飲みに来る僕らは、店主のおっちゃんとも気さくな仲だ。

 この六十歳間近の店主は、酒を飲みながら仕事をしていることも多々あり、大概ノリが良い。稀に二日酔いで塩対応。

 今日も、おそらくあの手に持っているマグカップの中身は焼酎なんだろう。どう見たっても、仕事中にしては不相応に顔が赤い。だが、それでも料理の味が落ちることはないのだから不思議だ。

 こんなお店だから面倒な酔っ払いに囲まれる状況は慣れてはいるのだろうが、愛想笑いを浮かべている女の子には申し訳なく思う。

 ひとしきり賑やかされたあと、その面倒な酔っ払いの内、店主であるおっちゃんが思い出したように聞いてきた。

 

「そういや太郎さんって、ギター弾けたよね?」

 

 おっちゃんとはバンドを解散してからの仲になるので、僕が音楽活動をしていることは特に話しているわけではないのだが、弾き語りや練習帰りにギターを持って飲みに来ることもある。

 それで僕がギターを弾けると思ったのだろう。

 事実、僕はギタリストだった。

 

「ええ、まあ人並みには」

 

 おっちゃんは僕がどのくらい弾けるのかは知らないだろうし、僕も自分がどのくらい弾けるのかいまいちわかっていないので、当たり障りのない返答をした。

 先輩が横から「プロ並みだ」とか「クラプトンの生まれ変わりだ」とか言ってるが、クラプトンは死んでねえ。

 そして、関連性はわからないが、店員の女の子が何かを期待するように僕を見ている。

 ――その眼差しの意味は、すぐにわかった。

 

「ナンパはダメだけど、JKにギター教えてみない?」

「えっ?」

 

 気安く口にされた予想だにしていなかった提案に、僕は思わず女の子に目を向ける。

 ……すっごいきらきらした目で見られているし、あるはずのない尻尾がぶんぶん振られているような幻まで見える。犬だな。この子は犬か猫かで言ったら、犬だな。

 この調子だ。言わずもがな、教える相手はこの子なんだろう。

 

「そんな、教えるってほどのもんじゃないし……」

 

 僕は、人に物を教えるような器ではない。そう自己評価している。

 更に自分の演奏スタイルも、技巧派ではなく、感情的(エモーショナル)な演奏が得意――と言えば聞こえが良いが、要は雑なのだ。

 そんなギタリストに教わることなんて何もないだろう。この子の将来を思って断ろう。そう決意したが、旗色が悪いと見るや、目に見えて女の子の表情が曇っていった。

 少し騒がしかった僕らは狭い店内で目立ってしまっていたので、周りの客からの注目も集めてしまっている。

 女の子も段々と泣き顔に一歩ずつ近づいていくため、感じる視線に非難の色を強く感じる。

 何より、この子のあるはずのない尻尾が丸まっていくように見えて、なんだかほっとけなくなってしまった。

 ……仕方ない。おっちゃんには、今度から僕だけお通しを豪華にしてもらおう。

 

「はあ……まあ、簡単なことでよければ」

 

 先ほどまでこの世の終わりのような顔をしていた女の子の表情が、瞬く間に輝いていく。

 こんなどこの馬の骨とも知れぬ男にギターを習うなんて、不安じゃないのだろうか。

 そういえば、結局まだ誰に教えるのかしっかりと聞いていないが、この顛末を見守っている誰もがわかっていただろう。

 それでも、これから簡単なものであるとはいえ、師弟になるのだ。一応聞いておかなければならない。

 

「それで、僕は誰に――」

「はい! はい! 私です!

 これからよろしくお願いします!」

「お、おお」

 

 僕の人生初めての弟子は、かなり走りがちなようだ。

 ぐっと身を乗り出し、僕の眼前までその整った顔を近づけ、食い気味に僕の質問に返答をしてきた。もはや、仕事中であることは忘れているに違いない。

 美少女の勢いに押されながら、僕も言葉を返す。

 

「シンガーソングライターもどきをやっている、田中太郎と言います。

 どうか、お手柔らかに頼むよ」

「シンガーソングライター……かっこいい!

 あ、でも、ロックじゃないかも……」

 

 もどき、という単語は彼女の耳に入らなかったようだ。

 こちらも、おそらくロック好きであろう彼女が残念そうに漏らした本音は、聞かなかったことにする。

 どうも過剰に期待されている気もするが、まあ一回や二回会って、ローコードで弾ける曲を一曲ぐらい教えれば、気が済むだろうと、軽く考える。

 先ほどからにやにやしている先輩やおっちゃんを見ないように、彼女の顔を見る。

 ――改めて見ると、やっぱりどこかで見た顔な気がする。

 そんなまじまじと見ていたのがどう取られたのかはわからないが、彼女は先ほどの接客スマイルとは違う、人懐っこい笑顔で、馬鹿みたいな目標と共に自己紹介をしてくれた。

 

「多田李衣菜と言います! ロックな()()()()目指して頑張ります!

 よろしくお願いします! 師匠!」

 

 は? ロックな……アイドル?




 タイトルは、敬愛するミュージシャンの曲名を一部拝借しております。
 サブタイトルは、今後の展開によって変更する可能性があります。


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Lesson2:チューニングをしよう

 設定的には、基本的にはアニメ時空で、多田さんがなつきちと出会う前、ということだけが決まっています。


 多田李衣菜。

 年齢十七歳。蟹座。血液型A型。右利き。趣味、音楽鑑賞。

 346プロダクション所属。同プロダクション内の企画「シンデレラプロジェクト」に選出されデビュー。

 アイドルユニット「*(アスタリスク)」のメンバー。

 

 初弟子の情報は、少ないながらもインターネット上ですぐに見つかった。

 

「プロじゃねえか」

 

 彼女は、こんな素人シンガーソングライターとは違って、正真正銘のプロのアイドルだった。

 既視感があったのは、おそらくテレビだか何かで見かけたのだと思う。インターネットで調べるまでわからなかったのは、普段からテレビを観ることが少ないからだろう。

 そんな、ある種のプロミュージシャンが、なぜ居酒屋の店員なんてやっていたのか。それは簡単な理由だった。

 ――あの居酒屋の店名は「多田呑み屋」という。

 若い人や、お小遣いの厳しいお父さんにも、気軽に飲みに来てほしいという思いで、店主の苗字である「多田」と「タダ飲み」をかけたのだそうだ。

 そんな多田のおっちゃんから見ると、多田李衣菜は大姪に当たる。

 彼女には、そこそこのお小遣いをちらつかせ、スタッフの都合でシフトが埋まらない場合などに手伝いに来てもらっているそうだ。

 一年ほど多田呑み屋に通っているにも関わらずこれまでに会ったことはなかったが、僕が通い始めたぐらいにアイドルとしてデビューしてから、活動が忙しくてあまり手伝いに来ていなかったらしい。

 ここ最近は買いたいものがあるとかで、アイドルの収入に加えて小遣いも欲しかったため、アイドル活動の合間を縫って手伝いに来ているとのことだった。

 

「すみません。十九時からの田中ですが」

「はいー。Dスタジオですが入れ替えになりますので、もう少々お待ちくださいー。

 何かレンタルするものはありますか?」

「ストラト1本お願いします」

「かしこまりましたー。では後ほどスタジオにお持ちしますね」

 

 早速レッスンのために予約したリハーサルスタジオの受付を済ませ、打ち合わせや時間待ちのために用意されている待合スペースの壁に自分の愛機を立てかけ、近くの椅子に座る。

 そして椅子とセットで設置されているテーブルに突っ伏し、一休みする。

 

 何故プロのアイドルがギターを習いたいのか。

 それはアイドルであることとは無関係で、単純にエレキギターを弾けるようになりたい、という理由で、単純明快だった。

 どうも「買いたいもの」というのがエレキギターだったそうで、念願叶って目標金額が溜まってきたらしいが、未だにちょくちょく手伝いに来るため、それを怪しんだおっちゃんが聞くと、「下手くそなまま試奏をするのが恥ずかしい」という理由で、なかなか試奏に踏み切れないまま楽器屋に通い続けて、欲しいギターのグレードだけがどんどん上がってしまっていったんだとか。

 僕は、初めてギターを買ったときは、試奏しなかったが、個人的には気持ちはわからなくもない。

 だが、それだと埒が明かないので、誰かに弾き方を教えてもらってから買いに行ったらいいんじゃないか、という考えに至ったが、趣味のためなので、当然事務所に頼んでプロにレッスンしてもらうわけにもいかない。

 更にギターの弾ける知り合いなんて、彼女にはいなかった。

 そんな感じで困っている――そう聞き出したところを、酔っ払った常連客にでも言ってみれば教えてもらえるだろうと思いついて僕に話を振ったんだと、おっちゃんが種を明かしてくれた。

 いくらなんでも酔っ払いを舐めすぎだと思うし、可愛い大姪をそんな適当に預けていいのか、とも思ったが、結局おっちゃんの思惑通りに事が進んでいて悔しい。

 今度お通しと別に一品肴をサービスしてくれるという報酬だけでは納得していないので、追加でホッピーの中を少し多めにしてもらおうと思う。

 

「お待たせしましたー!

 すみません、遅くなっちゃって……」

 

 まだレッスンの時間まで十五分ほど空いており、彼女がスタジオに着くのに時間があるだろうと思い、煙草に火を着けたところ、少し慌てながら弟子がスタジオに到着した。

 女子高生に煙草の臭いが付くのもあまりよくないので、まだ一口しか吸っていない煙草の火を消し、弟子に座るよう促す。

 

「あれ? 煙草消しちゃっていいんですか?」

「ん? ああ。

 それより、まだ時間も結構あるし、ちょっとそこで待っててね」

 

 ちょっと不自然だったか、不思議そうに聞いてくる弟子に気を使わせてしまいそうだったので、 適当に返して、その場を離れる。

 まだ時間もあるし、簡単な準備のレクチャーをやってしまおう。

 入れ墨が半袖のスタッフTシャツからはみ出ているが丁寧な口調の金髪店員に声をかけ、先ほどスタジオまで持ってきてくれると言っていたギターと、頼まずとも一緒に渡してくれたクリップチューナーを受け取り、初めてのギター演奏に期待を膨らませている弟子の元へ戻った。

 輝いた瞳を向けるのは、もちろん僕の持っているレンタルギターだ。

 

「お待たせ。今日はこれを使って。

 ストラトで良かったかな?」

「わー! フェンダーのストラト!

 はい! 欲しいのもストラトなので、ちょうどいいです!」

 

 受け取ったギターへチューナーを取り付け、この一時間のレッスンの間、弟子の相棒となるギターを渡した。

 そこまで上等なモデルではないが、彼女にとっては初めて弾くギターになる。

 ギターを弾く、ということへの期待からか、その端正な顔をほころばせていた。

 そして、僕から受け取ったストラトキャスターの、ネックとボディをしっかりと掴んで、膝の上に乗せた。

 オーソドックスなサンバーストのカラーが、むしろギターを持ち慣れていない初々しい様子を引き立てているように感じた。

 

「これって師匠のですか?」

「いやこれはスタジオのレンタル品だよ。僕のはそこに置いてあるやつ。

 リハスタって大概こういうレンタル品が置いてあるんだ。だいたい一時間で百円とか二百円とかかな。

 ギター買うまでもこうやって借りて練習することもできるし、一人で練習したいときは使うといい」

「はい!」

 

 特にこの弟子はアイドル活動もあるだろうし、ギターを買った後でも、いつでも愛機でスタジオに入れるとは限らないだろうから、きっとレンタル品の世話になるだろう。

 初めての講義に対する反応に満足しながら、僕もテーブルを挟んで弟子の向かいに座り、愛機の赤いSGをギターケースから出して、弟子と同じように膝の上に乗せた。

 

「あ、SGなんだ……」

 

 僕の愛機は、弟子の反応としてはレンタル品に惨敗なようだった。

 非常に薄いリアクションと共に、真顔でそう呟いた。

 ……美少女の真顔は傷つくからやめて欲しい。

 まあ今時の若手バンドだとストラトとかテレキャスとかのフェンダー系、ギブソン系でもレスポールが主流だろうし、女子高生の琴線には響かないのだろう。

 そう無理矢理自らを納得させ、弟子の微妙な反応には特に触れず、レクチャーを始めるとする。

 

「ピックは持ってる?」

「はい!」

 

 元気の良い返事と共に、自慢げな表情で眼前に出したのは、べっ甲柄のティアドロップ型ピックだった。

 よく見ると、フェンダーだ。

 ――そして今気づいたが、弟子が今日来ているTシャツも、某ファストファッション店で売っているフェンダーTシャツだった。

 先ほどの反応もあって、僕の中の弟子プロフィールに、フェンダー派だという記述が足された。

 

「よし。じゃあ、弾いてみよう」

「えっ? ここで鳴らしても大丈夫なんですか? うるさくないですか?」

「大丈夫大丈夫。アンプにつないでないエレキなんて大した音も出ないよ」

 

 BGMに流れている流行りのバンドの曲以外には、僕らの会話と、スタジオ店員の作業音しか聞こえない受付前の待合スペースは、確かに楽器の音が響きそうだ。

 だけど、たまたま今僕らしか利用者がいないだけで、入れ替えのタイミングになればどうせ騒がしくなる。

 それに、待合スペースで軽く楽器を鳴らすぐらい、リハスタでは日常の光景だ。

 

「そ、それじゃあ……」

 

 きっと、たくさんイメージトレーニングを積んできたのだろう。

 意外とピックの持ち方が様になっている上、左手の指も、しっかりとCコードの形に配置されている。

 しかし、ピックアップの辺りを覗き込むような形で頭を下げ、力みすぎてぷるぷると震える両腕が、彼女がまだ初心者ですらないことを示していた。

 旋毛が見えるぐらいに頭を下げているため表情は伺えないが、きっと緊張しているに違いない。

 そして、しっかりピックが握られた右手を弦と垂直に降ろし、彼女が初めて鳴らした六本の弦が奏でた和音は――誰が聞いても不快な不協和音だった。

 

「……ししょお……」

「ま、まあ待つんだ弟子よ。泣くんじゃない」

 

 出会ってからまだ総計で十数分程度しか会話をしていないにも関わらず、もうこの弟子の表情は色々と見た。

 わくわくしたり、しょんぼりしたり、感情が忙しいタイプなんだろう。

 なんとか持ち直した彼女に、ギターのヘッド部に着いたクリップチューナーを指さし、説明する。

 

「左手の方、ヘッドって言うんだけど、そこに機械がついてるだろ?」

「……この光ってるやつですか? BとかGとかに光ってますけど……あっ! なるほど。これがチューナーですね!」

「なんだ、知ってたのか。

 ならチューニングは知ってるな?」

「た、たぶん」

「たぶんかー」

 

 自信はなさそうだが、 きっとギターが欲しい気持ちを募らせながら、ずっと下調べをしていたに違いない。

 この分だと最低限の知識は持っていそうだし、すぐに実践に入れそうだ。

 チューナーの説明を簡単に済ませ、弦を一本ずつ指さし、説明を続ける。

 

「太い方の弦から、六弦、五弦、四弦と続いて、一番細い弦が一弦。

 それぞれチューナーを見ながら、E、A、D、G、B、Eってなるようにペグを回すんだ。

 このチューニングをはじめにやらないと、さっきみたいな酷い音になっちゃうわけだ」

「ええ……それなら先に言ってくださいよ……」

 

 恨めしそうに、抗議されたが、これは大事なことだと僕は思う。

 自前の楽器であれば、使用しないときに普段から弦を緩めている几帳面なプレイヤーでもない限り、そのまま演奏しても大きくピッチがずれていないことが多い。

 だが、レンタル品は大概弦が緩められているため、油断していると、初心者でなくともそのまま演奏を始めてしまうことがある。

 一度でも経験するとそこそこ気を付けるようになるから、敢えて不協和音を鳴らさせたのだ。

 

「酷いですよ師匠……こんな酷い初めてになるなんて……。

 初めてはもっと気持ちよくしたかったのに……」

「……誤解を招くような言い方をするんじゃない」

「?」

 

 無自覚な卑猥な台詞にギョッとして周りを見渡すが、まだ僕ら以外の利用者は見当たらなかった。

 きっと気持ちよく綺麗にコードをならしたかったんだ。そうだと思う。

 女子高生で、それもアイドルにレッスンをする、というだけでも知り合いに見られたら冷やかされそうなのに、かつ誤解されるような会話を聞かれた日には、このスタジオは使えなくなる。

 それだけは避けなければと思うが、この無自覚さだと、今後が危ぶまれる予感しかしなかった。

 

「さっ。気を取り直して、チューニングやってみようか」

「むぅ……師匠って顔に似合わず意地悪なんですね」

「……悪かったよ。でも大事なことだからさ。

 ほら、チューニングしてみてくれ」

「はーい」

 

 これまでの会話から、この弟子は立ち直りは早い方であることはわかっている。だが、「初めて」には理想の形があったのかもしれない。未だにむくれている。

 ……ギターを教える代わりに、彼女から女心を学ばせてもらったほうが良いのかもしれない。

 今までのはきはきとした返事とは違い、不満げに間延びした返事で僕に応えた弟子は、さっそく左手で六弦のペグを摘む。

 チューニングも、動画でも見ながら予習してあったのだろうか。右手に持ったピックで弦を弾きながら、左手に摘んだペグを()()()()()()回していく。

 初めてとは思えない手際で、さっそく六弦から四弦、巻弦のチューニングが終わっていた。

 そして三弦のチューニングに入ったが、巻弦をチューニングするように、これまた()()()()()()ペグを回していき、ピックが奏でる音が勢い良くシャープしていく。

 ……見ているこちらが冷や冷やする。

 

「いやー、チューニングって思ったより簡単なんですね。

 ネットで調べたとき、良くチューニングで弦を切るっていうから、ちょっと緊張してたんですよ」

「その通りだから、三弦からはもうちょっと慎重に回したほうが――」

「――えっ? きゃっ!」

 

 三弦、二弦、とさらっとチューニングを終え、最後の一弦に差し掛かり、油断した弟子は、これまた()()()()()()ペグを回した。

 ――回し過ぎたのだ。

 瞬間、「ばつんっ」と、弾け飛ぶように一弦がはち切れ、ボーイッシュな弟子からとても女の子な悲鳴が発せられた。

 よく見ると、おでこの辺りに、赤い点ができている。よく見なければわからない程度だが、はじけ飛んだ弦の先が当たってしまったのだろう。

 そして、数秒の間をおいて、先ほど不協和音を奏でたときよりも数段悲しい顔で、こちらに助けを求めるのだった。

 

「……ししょぉ……。

 初めてって、痛いんですね……」

「わかってて言ってるな? わかってないんだったらお前絶対にバラエティとか出ないほうが良いぞ!?」

 

 この短い付き合いで、この泣きっ面を何度拝んだのか。

 そして、これから何度拝まなければいけないのか。

 これからの師弟生活、一筋縄ではいかなそうな予感がした。




 多田さんが持ってるバンドTシャツ、だいたい某ファストファッション店のやつだと思う。ストーンズとかレッチリとかNIRVANAとか。
 あとFender以外にもPearlのやつも絶対持ってる。

 書き溜めは以上です。続きはベストエフォートで。


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Lesson3:アンプを鳴らそう

 リハスタの設備としては、N◯AH様とかPent◯を想定してます。


「すみません。申し訳ないんですが、一弦切っちゃいまして……。

 別のやつ借りても大丈夫ですか?」

「もちろんですよ。こっち使ってください」

 

 和彫りがTシャツからはみ出ている愛想の良いスタジオ店員に、先ほどまで弟子が調弦していたストラトキャスターを渡した。

 遠めに僕らの様子を見ていたようで、受付には既に代わりのギターが準備されていた。

 

「チューニングしちゃってますけど、大丈夫ですか?」

「あ、全然大丈夫です。むしろありがたい。どうせもうすぐ時間ですし」

 

 厳つい風貌に似合わず、こちらの顔色を窺うように確認してきた店員にお礼を言い、用意された黒のストラトキャスターを受け取る。

 そのまま軽く指で弦を爪弾くと、店員の言う通り、チューニングが済ませてあることがよくわかった。

 このリハーサルスタジオは、見た目は派手な店員が多いが、この価格帯のスタジオにしては接客が丁寧だ。

 

「うぅ……」

 

 受付で店員からギターを受け取り、振り返ると、弟子の不安げな視線に出迎えられた。

 まるで母親に怒られる直前の子供のようだった。

 

「そんなにおびえなくても大丈夫だよ。弦なんて良く切れるもんなんだから」

「……そんなもんなんですか?」

「そうそう。そんなもんそんなもん」

「良かったあ……」

 

 僕が子供をあやすように励ますと、弟子はほっとしたようで、目に見えて表情が明るくなっていく。

 

「一応またストラトが借りれたけど、次弦切ったらテレキャスかレスポールしかないからな」

「き、気を付けます……」

「……まあ、ギターを弾く限り弦を切っちゃうのは良くあることだから、ほんとに気にしないで大丈夫。

 ただ、チューニングのときはもうちょっと慎重にやること」

「はーい……」

 

 やはり失敗というのは一番経験値になる。

 弦を切ることは想定していなかったが、今後は気を付けるだろうし、まあ結果オーライだ。

 思ったよりスムーズにチューニングのレクチャーを終えたことに安堵していると、僕らが使う予定の部屋から楽器を持った三人組が出てきた。

 前の時間帯の利用者だろう。入れ替えの時間となったようだ。

 

「田中様ー。もう入れますので、Dスタジオにどうぞー」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 

 先ほどの三人組に続いて部屋から出てきた店員が、前の時間帯の片づけと、僕らの時間帯の準備が終わったことを知らせてくれた。

 

「ほら、そのギター持って行くぞ」

「はいっ!

 わっ! 黒のストラト……ブラッキーみたい!」

 

 黒のストラトを弟子に渡すと、これはこれで気に入ったのか、機嫌直ったようで、良い返事とはしゃぐ声が聞こえた。

 本当にころころと表情が変わる女の子だ。

 そんな弟子を連れて、部屋までの狭い通路を歩くと、別の部屋からまた他の利用者が出てきた。

 

「お疲れ様でーす」「おつかれっすー」

 

 部屋までの通路は、人がぎりぎりすれ違えないほどの狭さなので、すれ違いそうな時は壁ぎりぎりに寄り、すれ違いざまに挨拶をする。

 刺々しい鋲ジャケットを着たモヒカンのギタリストや、受付の店員が可愛く思えるぐらいに全身をタトゥーで武装しているスキンヘッドのドラマーなど、リハスタやライブハウス以外ではなかなかお目にかかれないパンチの効いた方々も、みんなしっかりと挨拶を返してくれる。

 僕の後ろに引っ付いていた弟子も、突然の他人からの挨拶に戸惑いながらも、「お、お疲れ様でーす」としっかり挨拶ができていた。

 

「い、今の人、師匠の知り合いですか?

 私、頭にまでタトゥーが入ってる人、初めて見たんですけど!?」

「いや、知らん」

「えぇ!?」

 

 リハーサルスタジオってのは不思議なもので、見ず知らずの他人でも、どう見ても堅気に見えない人でも、入れ替えですれ違うときは一様に「お疲れ様」と口にするのだ。

 店員すらも「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」ではなく、「おはようございます」や「お疲れ様です」と、同僚のように挨拶をする人が多い。

 リハスタに通うようになってそこそこ経つが、何故なのかは未だに謎である。自分の師に当たる人に初めてスタジオに連れてこられたときは「まあそういうもんだ」と言われた。

 混乱している弟子にきちんと説明してあげたいところだが、伝統を守って「まあそういうもんだ」と言っておいた。伝統なのでしかたない。

 

「うーん……よくわからないですけど、なんかそういう暗黙の了解みたいなのもロックっぽくてカッコいいですね! 覚えておきます!」

「そうそう。ロックだから。そういうもん」

 

 ロックンロールの先人達に心の中で謝りながら、いい感じに納得してくれた弟子の背中を押してあげた。

 完全にロックを履き違えてるとは思うが、きっと先人達は心が広いので、ラブアンドピースの心で許してくれるのではなかろうか。

 頭に浮かんだロックンローラーたちは、大概薬物中毒者だったが、ハイになってるときなら機嫌が良さそうだし、たぶん大丈夫。

 酔っ払いみたいなもんだろう。生憎、薬中の知り合いはいないのでわからないが。

 

「Dスタジオ、Dスタジオ……ここだな」

「わー! ドラムセットだ! マーシャルもある!

 おお! ヒューケトまで!

 ここがリハスタ……!」

 

 今まで雑誌や映像の中でだけ見ていたのか、これが初リハスタになる弟子が、プロも使っているような機材に目を輝かせて歓喜の声を上げた。

 利用者が二人の場合、多くのリハスタでは個人練習扱いとして、一律の金額で空いている部屋をあてがわれるため、やけに広い部屋に通されることがあるが、今回の部屋もその類だった。

 部屋は長方形になっており、入口は長方形の短辺にあたる部分だ。

 入口付近には、マイクや電子ピアノなどを繋ぎ、メインスピーカーなどの音量を調節するミキサーが鎮座している。

 また長方形の長辺にあたる壁際にドラムセットがあり、そのすぐ隣にアンペグのベースアンプが存在感を放っている。

 その向かいの壁は鏡になっており、邪魔にならないようローランドのジャズコーラスが床に置いてある。

 入口の向かいの壁には、壁際に沿うように、マーシャルとヒュースアンドケトナーのスタックアンプがそれぞれ一台ずつ並べてある。

 弟子は、というと、スタックアンプの裏側を覗いて真空管を眺めてみたり、ハイハットのフットペダルを踏んでみたり、初めてプレイランドで遊ぶ子供のように、様々なものに興味津々だった。

 あちこち触ったり弄ったりして歩き回っている弟子を遊ばせているうちに、部屋の隅に積んである丸椅子を二つ手に取り、部屋の中心に向かい合って座れるように置いた。

 そして、浮ついている弟子にそろそろ準備を進めてもらおうと、声をかける。

 

「なあ――」

 

 呼びかけようと声を発したところで、重要なことに気付いた。

 そういえば、弟子のことをどうやって呼ぶのか、自分の中で決まっていなかった。

 少し悩んだが、苗字だと多田呑み屋のおっちゃんと被る。

 女の子を名前で呼ぶことに抵抗はあるが、小学校も被らないほどに歳も離れているので、もはや妹のようなものだろう。

 そうやって無理矢理に自分を納得させ、さっそく呼びかけた。

 

「――()()()

 そろそろレッスンを始めるぞ」

「ひゃっ!? ひゃい!」

 

 夢中になっていたところに声を掛けられたからだろうか。弟子――李衣菜はえらく間抜けな声で僕に返答を返した。

 つい先ほどまで、勝手にヒュースアンドケトナーのスタックアンプの電源を付け、青く光るアンプヘッドに目を輝かせて「うっひょー!」とか叫んでいたにも関わらず、今や李衣菜はぴんと背筋を伸ばし、くるっと振り返ったその表情は、鳩が豆鉄砲を食らったようだった。

 顔は、首まで真っ赤である。

 夢中になっているところに声を掛けられたら、誰でも恥ずかしいものだろう。悪いことをした。

 

「急に声を掛けてすまん。

 とりあえずレッスン始めるから、まずはギターをアンプにつないでみようか」

「は、はい!

 えーっと、私はどのアンプを使えば……」

 

 李衣菜は、僕の顔色を窺いつつ、青く光るヒューケトをちらちらと見て、僕に聞いた。

 

 うーん……これは、ヒューケト使いたいんだろうな……。

 

 女心がわからないとか、空気が読めないとか、そんなことをよく言われる僕でも、さすがにそれは李衣菜の様子から読み取ることができた。

 本当はどのスタジオやライブハウスにも置いてあるマーシャルかジャズコを使ってもらおうと思っていたのだけど、初めてだからこそ、使いたい機材を使ってみるのが良いだろう。

 

「今日のところは自分で選んでいいよ。

 とは言っても、ジャズコとマーシャルとヒューケトの三種類しかないし、もう使いたいアンプは決まってるようだけど」

「えっ!? いやいや、別にヒューケトなんてミーハーなアンプ、興味ないですし!」

「それ、間違っても他のところで言わないようにな」

 

 ヒュースアンドケトナーは、暖かい特徴的な中音域、煌びやかなクリーントーンに加え、きめ細やかなディストーションにも定評がある。

 更になんといっても、電源を入れた後に蒼く光るアンプヘッドが印象深い。

 見た目もさることながら、動静の激しいエモ系の楽曲にあうため、そういったジャンルのギタリストに人気のあるアンプメーカーだ。

 その中でもこの機種――トライアンプのディストーションは個人的には素晴らしい歪みだと思うが、暗闇で映える幻想的な見た目も相まって、ビジュアル先行で記憶に残る人が多く、ミーハーな印象を持っている人も少なくない。

 

「や、やっぱりロックって言ったらマーシャルですよ! マーシャル!」

「いやいや、ヒューケトだってロックだから」

「……ヒューケトに目移りしたのは確かですけど、マーシャルが使いたいんです」

 

 やはり、僕には女心がわからないみたいだ。

 どうも百間違えたわけではないようだけど、李衣菜が使いたいアンプはヒューケトではなくマーシャルらしい。

 

「……正直、初めてヒューケト見てテンション上がっちゃいましたけど、なんかかっこ良すぎるっていうか……、ガラじゃないっていうか……。

 あと、ギターが弾けるようになったら、初めて音を出すアンプはマーシャルって決めてたんです!」

「へえ。好きなギタリストがマーシャル使ってるとか、そういうの?」

 

 マーシャルは、ロックを冠するジャンルのみに限らず、ポップスやフュージョンなどでも使われることは多く、世界で最も使われているアンプメーカーだろう。

 それは日本でも例外ではなく、ライブハウスやスタジオはもちろん、学生のサークルや部活動でもマーシャルを所有しているケースは珍しくない。

 使用者と言えば誰か、と聞けば、誰でも著名なギタリストの名前を並べることができるだろう。

 李衣菜の好きなギタリストがマーシャルを使っていたとしても何ら不思議ではない。

 そんな軽い気持ちで発した僕の問いに、李衣菜は数秒の間をおいて――

 

「……はいっ!」

 

 ――先ほどまでの困り顔ではなく、はにかんだ笑顔で、はっきりと肯定した。

 その表情は、清々しく、そしてどこか愁いを帯びていて――女心のわからない僕だけど、恋する乙女って、こんな感じなんだろうなと思った。

 同時に、その表情はあまりに魅力的で――白状すると、見惚れてしまった。

 

 アイドルって恐ろしい。

 小学校も被らないほど歳の離れた少女に、こんなにどきどきさせられるのだ。

 きっと、女子高生に耐性が無ければ、僕はこの少女に恋をしていたかもしれない。

 それほどに、先ほどの一瞬の表情は、魅力的だった。

 

「――なら、僕はジャズコを使うから、好きにしなよ」

「了解です!

 ……で、マーシャル使いたいんですけど、このインプットって書いてあるところに繋げば良いんですか?

 電源もついてないみたいなんですけど……」

「繋ぐ前にちょっと待って。電源もそのままで大丈夫。まだ確認することあるから」

「あ、はい。わかりました!」

 

 気を取り直して、レッスン再開だ。

 ギターアンプを使う上で、いくつか音を出す前に確認しなければいけない。

 

「まずは、ボリュームだ。

 ボリュームの上がった状態で電源を入れると、故障の原因になるので、必ずゼロになっていることを確認するように」

「ボリューム、ボリューム……あった!

 ……あれ? 二つあるんですけど、どっちですか? 一応どっちもゼロになってますけど」

「ああ。このアンプはチャンネルが二つあるから、ボリュームも二つだな」

「チャンネル?」

 

 このマーシャルのスタックアンプ――JCM2000は、クリーン用と歪み用のチャンネルが二つ用意されている。

 チャンネルという言葉だとわかりづらいかもしれないが、ボタン一つで簡単にオーバードライブさせることができる、ということだ。

 更にクリーンと歪みでそれぞれ音量やゲインを調節することができるため、ボリュームとゲインのつまみがそれぞれについている。

 ――と、簡単に李衣菜に説明し、それぞれゼロになっている状態なら大丈夫だと伝えた。

 

「それじゃあ、インプットって書いてあるところにジャックを挿して、左にあるパワーってボタンをオンにして」

「りょーかいです!

 ちなみに、パワーは電源だってわかるんですけど、その隣にあるスタンバイっていうのは何ですか?」

 

 僕の指示に従い、李衣菜は、先に片側の先端をギターのジャックへつないでいたシールドを、ヘッドアンプのインプットジャックに挿し込む。

 そして、電源を点け、隣にあるスタンバイスイッチを見て、疑問に思ったのだろう。

 

「わかりにくいかもしれないけど、音が出る状態にするかしないかって感じだな」

「? じゃあ、電源は何のためにあるんですか?」

「真空管を温めるためかな。

 電源を入れると真空管が温まり始めるんだ。

 こういうアンプは、ある程度真空管が温まってからじゃないと音がちゃんと出ないんだよ」

 

 リハスタの場合、自分が使う前にすでに使われていれば充分温まっていることがほとんどだが、本来アンプの電源を入れてから数分程度は温まることを待ったほうが良いとされている。

 まあ音自体は数秒で出るようになるから、大概使っているうちに良い具合になってることがほとんどなので、実際に気にすることは少ないけれど、基本は重要だ。

 

「アンプの頭のところ、ちょっと穴が開いてるでしょ?

 そこに手かざしてみて」

「……あ、ほんとだ! てっぺんのところが温かくなってきた!」

「そろそろ大丈夫そうだね。

 もうスタンバイ点けて大丈夫だよ」

「はいっ!」

 

 スイッチを点けた李衣菜に、ボリューム以外のつまみを十二時の方向に回すよう教え、その間に自分の準備を進める。

 僕が使うアンプは、マーシャルと並んで、至る所で目にするジャズコーラス――通称ジャズコだ。

 マーシャルと同じようにチャンネルが分かれているが、基本的に音色の違いはない。

 違う点は、エフェクト機能の有無だ。

 左側のチャンネルは、音量とイコライザー、高音域を強調するブライトというスイッチのみになる。

 右側のチャンネルは、左と同じ設定に加え、コーラス、ビブラート、リバーブ、ディストーションの四つのエフェクト機能を使うことができる。

 基本的に音に違いはないため、普段は右側のチャンネルを使っている。今日も深く考えず、右側のチャンネルの、ハイインピーダンス側のジャックにジャックを挿入し、電源を投入する。

 ジャズコはマーシャルやヒューケトと違い、真空管ではなくトランジスタアンプなので、スタンバイスイッチは存在しない。

 

「ししょー。このトーンシフトとかディープって書いてあるスイッチってどうすればいいですか?」

「んー、オンになってたらオフにしておいて」

「りょーかいでーす」

 

 だんだん弟子の声の調子が緩くなってきている気がするが、なかなか良い質問が飛んできた。

 マーシャルのJCM2000には、チャンネル切り替え用のスイッチ以外に、トーンシフトとディープというスイッチもある。

 トーンシフトを有効にした場合、中音域が削られ、所謂()()()()()な音になる。ディープは低音域がブーストされ、歪ませたときのズンズン感が増す。

 どちらも今は必要のないものだ。

 

「よし。じゃあ、お待ちかねの音出しだ」

「うっす! 心構えはできています!」

「……あんまり体育会系のノリはあってないと思う」

「……わ、私も自分でそう思います……へへ」

 

 気合を入れた感じで僕に返す李衣菜の敬礼は、明らかにぎこちなかった。

 自覚があったのか、僕に突っ込まれた李衣菜は、少し恥ずかしそうに、そして楽しそうに笑った。

 

「アンプのボリュームを上げてみようか。

 どっちのボリュームも、時計で言うと九時ぐらいになるまで回して」

「はい……おおっ! なんだかノイズが聞こえてきましたよ!」

 

 ギターからの信号がなくとも、真空管アンプは音量を上げると「ジー」という感じの軽いノイズが出る。

 特に歪みのチャンネルではそれが顕著だ。

 改めてマーシャルを見ると、チャンネルを示す光は赤く、ウルトラゲインチャンネルが選択されていることを示していた。

 僕は、アンプが息をしているように感じて、この独特なノイズは嫌いではない。

 李衣菜はどう思っているのかわからないが、この反応からすると、なんだか気が合いそうだ。

 ボリュームを上げた後はアンプは弄らないので、椅子に座るよう李衣菜に促して、次の指示を出す。

 

「次はギターのボリュームとトーンを左に目いっぱいに回して。

 ……回した?」

「は、はい!」

 

 李衣菜は、僕の指示に従い、膝の上に乗せたストラトの下部に三つ並んでいるノブをすべて回した。

 すると、マーシャルから聞こえてくるノイズの質が変わってきた。

 今までただの電気信号から鳴る雑音だったのが、彼女の一つ一つの挙動に合わせるように、ボディの鳴る音や、フィンガーノイズなど、楽器から発せられる音が中心になった。

 ギターが鳴り始めたのだ。

 

「それなりに予習してきたみたいだけど、何かコードは覚えてきたかな?」

 

 少し試すように、弟子に抜き打ちテストを出してみた。

 僕は今、とても意地が悪い顔になっているに違いない。

 だが、そんな意地悪な大人の質問に、我が弟子は少しも臆さず、にやりと笑みすら浮かべて僕にこう返した。

 

「もちろん!

 それはもう、ロックなコードを覚えてきましたよ!」

 

 そう大言壮語を吐いて、李衣菜は力んだ指使いでジミヘンコードを抑え、右手を振りぬいた。

 ――瞬間、紫色の煙が、立ち上がったような幻を視た。

 その紫の中に見えた弾けんばかりの歓喜の笑顔は、幻ではなく、僕の網膜に焼きつくほど輝いていた。




 多田さんの好きな音楽(公表版)って、超有名な洋楽アーティストとロキノン系のインディーズバンドってイメージです。


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Lesson4:パワーコードを弾こう

 お久しぶりです。
 アニメでは、前川氏の部屋に泊まった時にギターを持ちこんでいた描写とかありましたが、後々その辺の矛盾点は回収する予定です。
 アニメやゲームとの矛盾点を見つけた方はもう少々お待ちいただけると嬉しいです。


 ジミヘンコード――おそらく世界で最も有名なギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの名を冠しており、彼が好んで使用していたコードだ。

 代表曲である『パープルヘイズ』でも惜しげもなく鳴らされており、メジャーともマイナーとも区別をつけがたい、どこか不安定で独特な響きなのに、昔からそこで鳴らされることが当然のように、コード進行に納まっている。

 ギターを歯で弾いたり、燃やしたり、パフォーマンスの派手さが目立つが、ジミヘンコードの他、ファズやワウを多用してロックギターの音色の幅を広げた功績は大きく、未だに世界で最も偉大なギタリストとして崇められている。

 

「――おお、すごい。ジミヘンコード弾けるんだ。

 勝手に今日初めて弾くんだと思ってたけど、実はそうでもないの?」

 

 僕が素直に驚きを伝えると、李衣菜は、ギターを鳴らす緊張から解放され、ふやけた笑顔を見せ、その理由を答えた。

 

「えへへ……。正真正銘、初めてですよ!

 実は、このコードだけスマホのアプリで練習してたんです。

 ロックって言ったらジミヘンですから!」

 

 力が抜けながらも、どこか自慢げにそう言った。

 ギターのコードが鳴らせるスマートフォンアプリで、このコードだけをひたすらに練習していたそうだ。

 愚直にもジミヘンコードだけを練習し続けたため、他のコードはからっきしわからないらしい。

 

「それにしたって良くここまで綺麗に音が鳴らせたね。

 特に女の子向きの抑え方じゃないからなあ――」

 

 ジミヘンコードは、一般的なローコードとは異なり複雑な抑え方のため、お世辞にも初心者向きのコードとは言えない。

 さらに、多くの場合はネックを握り込む形になるため、手の小さい少女には物理的な障壁がある。

 そんなことを考えながら、李衣菜が指板を抑えている左手を見てみると――あることに気付いた。

 李衣菜の使っているストラトキャスターは、通常のストラトよりもフレットの幅が狭く、李衣菜の小さな手でも無理なく抑えることができていたのだ。

 

「――なるほど。

 それ、ミディアムスケールだったんだな」

「ミディアムスケール?」

 

 今になって気付いたが、李衣菜が使うためにレンタルしたギターは、全体的に少し小さく、ミディアムスケールのストラトだったようだ。

 

「普通のストラトはロングスケールとかレギュラースケールって言って、レスポールとかSGとかと比べて、フレットの間隔が広いんだけど、そのギターは僕のSGと同じぐらいのフレットの間隔なんだよ」

 

 これが通常のロングスケールのストラトだったとしたら、うまく弾けていなかったかもしれない。

 李衣菜が弦を切ってしまった方のギターがレギュラースケールだったのかは確認していなかったが、結果的に弾きやすいミディアムスケールを使えているのだったら、かえって良かったみたいだ。

 

「へえー! ギターによってそういう違いもあるんですか?

 てっきり形とか音とかぐらいしか変わらないんだと思ってました」

「大きさだったり、ネックの太さだったり、意外と細かいところが違うんだ。

 結構弾き心地が違うから、ギターを試奏するときは少し気にしたほうが良いかもね」

「ミディアムとかロングっていうと、なんだか髪型みたいですねー。

 ショートもあるんですか?」

「もちろん。

 ショートスケールのギターだと、ムスタングが有名だな」

 

 髪型が思い浮かぶような発想は、なんだか女子高生らしいと思った。

 この頃はどこか感性の壊れたろくでなしとしか触れていなくて、十代の少女の感覚は新鮮だ。

 僕も世間的にはまだ若者なのだけど、こうやって段々自分より若い人との意識の差を感じておじさんになっていくのかもしれない。

 ――そんなジェネレーションギャップに思いを馳せていたのだけど、音楽には世代なんてあまり関係ないのだろう。

 

「ムスタングって……カートコバーンが使ってたギターですよね?!

 私、ニルバーナ好きなんです!」

 

 ――正直なところ、ムスタングと聞いて、今時の女子高生の口からニルバーナが真っ先に出るとは思っていなかった。

 ロックが好きと公言している李衣菜だし、ニルバーナを知っていること自体は不思議なことではない。

 だが、ムスタングと言えば、巷で話題になってきている女子高生バンドの放課後ティータイムなんかの方が、最近の女の子はイメージするんじゃないかと思っていた。

 予想外ではあったが、これは好都合だ。課題曲が決まった。

 

「それならニルバーナから始めるのも良いかな」

「え!? 私、ニルバーナ弾けるんですか!?」

 

 ニルバーナは、海外のバンドだが、日本ではかなりの知名度があるバンドだろう。

 曲を聞いたことが無い人でも、おそらく一度はあのポップなスマイルマークを見たことがあると思う。

 夏になると、あのマークが描かれたTシャツを着ている若者が巷に溢れるが、実は、あのTシャツを着ているファンはいない、とされるぐらい、()()()ご用達とされ、一部からは忌み嫌われている。

 そのバンドの音楽を知らない人が、Tシャツから興味を持ったなら、グッズの役割としては大成功だろうけど、世の中には新参者や半端者を嫌う自称玄人がたくさんいるものなのだ。

 音楽を好きになる動機なんて、崇高である必要もないのだから、それがきっかけになって好きなバンドのファンが増えるなら、悪いことなんてあるはずがない。

 僕はそう思うのだけど、どうもある層の人たちは、そうは思わないらしい。

 

「うん。スメルズならそんなに難しくないから、今日中には弾けるようになるかも」

「おお! スメルズ! 名曲ですよね!」

 

 僕もギターを始めたてのころ、スメルズ・ライク・ティーン・スピリットのギターリフを練習したものだし、李衣菜が初めて弾くにもちょうど良いだろうと思う。

 リフもシンプルだし、ギターソロも早弾きなどの初心者に無理のあるフレーズもなく、入門曲として練習したギタリストも多いはずだ。

 ニルバーナの代表曲でもあり、この曲を練習したことでニルバーナやカートコバーンを好きになったギタリストは少なくないだろう。

 当のカート本人は、色々な場面でこの曲があまりに求められすぎて嫌気がさしたらしいが、ここまでシンプルで耳に残るフレーズは、ニルバーナ以降ではグリーンデイのアメリカン・イディオットのリフぐらいしか僕は思いつかない。

 

「それなら、今日はスメルズのリフを弾くのを目標にしようか」

「わーい! 私、頑張りますっ!」

 

 元気の良い返事と共に、合いの手のように、李衣菜はダウンストロークでジミヘンコードを鳴らした。

 褒めると調子に乗るタイプなのか、そうやってジミヘンコードを鳴らす李衣菜はどこか得意げだった。

 知り合って間もない少女には申し訳ないが、憎らしい額にデコピンを食らわせる。

 

「あてっ」

「……ジミヘンコードは使わないから、とりあえず指は離そうか」

「はい……」

「指離したままだと音出ちゃうから、軽く押さえててね」

 

 ジミヘン気分から覚めてもらうよう通告すると、デコを少し赤くした李衣菜はドヤ顔から一転、軽く言った冗談が滑ったような羞恥の表情を見せた。

 完全にネックから指を離してしまうと、アンプの音に弦が共鳴してしまうフィードバック現象が発生してしまうため、少し力んでジミヘンコードを抑えていた李衣菜に優しくネックを握るよう伝えた。

 

「は、はい! こういう感じで良いんですか?」

「そうそう。その状態で弾いても"ジャッ”って感じの歯切れのいい音しかしないでしょ?」

「――あ、ほんとだ! レッチリみたいな音ですね!」

 

 レッチリ――レッド・ホット・チリ・ペッパーズ。

 ファンクをベースに、ロックやヒップホップ、パンクなど、様々なジャンルを織り交ぜた、ミクスチャーバンドの代表格で、海外勢としてはトップクラスに日本で人気のあるバンドかつ、今世界で最も人気のあるバンドと言っても過言ではないだろう。

 代表曲のバイ・ザ・ウェイの序盤では、当時のギタリストであるジョン・フルシアンテの歯切れの良いブラッシングが目立っており、おそらく李衣菜のイメージはその部分だろう。

 それにしても、ジミヘンに、ニルバーナに、レッチリ――李衣菜の趣向が段々見えてきた。

 あとはオアシスとグリーンデイ辺りが好きそうだ。レディオヘッドも聞いているかもしれないが、おそらく苦手だろう。

 

「その音はブラッシングって言って、これが綺麗に鳴らせるようになるとレッチリとかも弾けるかな。

 まあスメルズでも少し使われてるから、鳴らし方はその中で覚えていこう」

「はーい」

「それじゃあ、ちょっとお手本を見せるから、ちょっと見ててね」

 

 少し脱線気味だった話を強引に修正して、レッスンを進めるべく、自らの愛機――ギブソンSGのリアボリュームノブを回す。

 人差し指で六弦一フレット、小指で五弦三フレットを抑え、不要な弦を人差し指の腹で軽く触れる。

 ディストーションを少しかけたジャズコーラスからは、少しばかりのノイズだけが出力されている。

 SGに穴が空きそうなほどに弟子が見つめる中、左足で軽くカウントを取り、世界中どこで弾いても誰かは知っているであろうリフを弾き始めた。

 

「わあ――」

 

 Fのパワーコードを弾いた瞬間から、李衣菜の口から感嘆の息が零れた。

 僕にとっては単なるパワーコードだが、彼女にとっては何か別の意味を持つのか。

 多田呑み屋で、ギターを教えるだか教えないだかの話が出たときと同じくらい、もしくはそれ以上にきらきらとした眼差しを感じながら弾くスメルズ・ライク・ティーン・スピリットのイントロは、バンド時代に経験した六十分のワンマンライブよりも遥かに長く感じた。

 未だに弾き語りをしている身でありながら、たった一人の観客を前に、緊張で手汗がにじみ出て、ピックを滑り落としそうだった。

 何とか堪え、八小節を弾き終えると、一人分の拍手が僕を迎えた。

 

「師匠! 師匠のギター、すごいロックです!

 私、感動しちゃいました!」

「あ、あはは……それはどうも……」

 

 李衣菜にとっては違うのだろうが、こんなに簡単なフレーズでこんなに大げさに反応をされると、恥ずかしさを通り越して申し訳なさを感じてしまう。

 こんな()()()()の演奏したリフでこんなに興奮してくれるのなら、実際には観ることは出来ないが、本物のニルバーナのライブを観たとしたら、彼女はどんな反応をするのか。

 狂乱のモッシュピットへ飛び込んで、怪我でもしてしまうのではないだろうか。

 

「もっと! もっと弾いてください!」

「い、いやいやいや。今日はそういうんじゃないでしょ!?」

 

 僕の心配なんて知らずに、モッシュピットではなく、僕の眼前へ、思い切り飛び込んできた。

 

「あっ! そういえばそうでした……えへへ……。

 あ、あれ? 師匠、そんなに顔赤くしてどうしたんですか? も、もしかして怒ってますか?」

「そういうんじゃないから! 大丈夫だから!」

「?」

 

 鼻先がぶつかりそうなくらい顔を近づけ、続きを懇願する李衣菜の肩を抑え、窘めると、李衣菜はバツが悪そうに笑った。

 よっぽど昂ったのか李衣菜は全く気にしていないようだが、一方僕はというと、鼻息を感じるぐらいに近距離で美少女の顔を見るなんてこと、ここ一年ほどなかったものだから、心臓に良くない事態になっていた。

 一旦李衣菜から顔を背けて深呼吸をし、「変なししょー」なんて言われながら心拍数を整えて、改めて李衣菜に向かい合う。

 

「気を取り直して、レッスンを再開するよ」

「気を取り直すようなことあったんですか?」

「いいからっ! 再開するよ!」

 

 なおも「やっぱり変なししょー」なんて呟いて怪しむ李衣菜を勢いで誤魔化し、レッスンを再開する。

 

「まず、六弦の一フレットと五弦の三フレットを抑えようか。

 僕の抑え方を真似すればいいから」

「はーい」

 

 手本を見せた先ほどのように、それでいて李衣菜に抑え方が見えやすいように少し大きめの動きで、左手人差し指で六弦の一フレット、小指で五弦の三フレットを抑える。

 スメルズ・ライク・ティーン・スピリットのメインリフは、所謂パワーコードという奏法が用いられる。

 通常三音以上の和音を鳴らすことが多いコード演奏で、二音だけの和音を鳴らす奏法だ。

 ――奏法、なんて表現すると大層な技術にも思えるが、つまりは簡易コードである。

 

「簡易ってことは、初心者向けってことですか?

 なんかゲームの初心者モードみたいで、ロックじゃないような……」

「う、うーん……、初心者向けではあるけど、初心者モードとは違うかなあ……」

「初心者しか使わないってわけじゃないんですか?」

 

 確かにパワーコードを多用するバンドの曲は、初心者向けの練習曲として良く挙げられる。

 だが、単音とも和音とも違う響きから様々なジャンルで用いられるため、ギタリストは一生付き合うことになる奏法だ。

 

「ハードロックとかヘヴィメタルでも良く使われるし、初心者だけってことはないかな。

 ジミヘンだってよく使ってるよ」

「ジミヘンも使ってるんですか!? パワーコードってロックなんですね!」

「……」

「どうかしましたか?」

「いや、なんでも……」

 

 インターネット上で李衣菜の情報を少し調べたとき、「ちょろそう」だとか「ニワカワイイ」だとか言われていたのを思い出し、ロックだって言えば何でも納得しそうな李衣菜の将来――というか普段から変な奴に騙されていないかが不安になった。

 今度多田呑み屋のおっちゃんに忠告しておこう。

 

「とりあえず抑えたら、弾いてみようか。

 さっきジミヘンコードを弾いたみたいに、思いっきり()()()にいってみよう!」

「ロックに……! 任せてください!」

 

 僕がけしかけたからか、それとも本心から思い切り弾くのがロックだと思っているのかもしれないが、李衣菜はその小さな右手を肩の辺りまで上げ――思い切り振り下ろした。

 ――しかし、その振り下ろした右手に応えたのは、ほぼほぼ開放弦で構成された、間の抜けた不協和音だった。

 

「し、ししょー……。

 これ、初心者向けじゃなかったんですか……」

「ま、まあ待て。泣くんじゃない……」

 落ち着いて、音が鳴っているときの僕のSGの弦を見てごらん」

 

 ジミヘンコードを弾いたときの感覚で弾いたのだろうが、まさかチューニング前のような不協和音が鳴るとは思ってもいなかったのだろう。

 先ほどまでの勇ましい表情とは一転して、鳴らした音のような間抜けな泣き顔になった李衣菜を宥め、僕も李衣菜と同じように指板を抑え、()()()を出す。

 結果は、李衣菜と同じく間抜けな不協和音だ。

 

「ぬう……やっぱりちゃんと()()()()()()()()()()のに、変な音になってる……」

「それは、ちゃんと()()()()()()()()()()から、だよ」

「? どういうことですか?」

「これは失敗例。正解はこう――」

 

 改めて、先ほどまで指板と垂直に立ててフレットを抑えていた人差し指を寝かせ、不要な弦に人差し指の腹で軽く触れ、六弦と五弦を始め、()()()()を鳴らすよう、右手を振り切った。

 

「おおっ! 今度はロックな音――あっ! 下の方の弦が鳴ってない!」

 

 違いを見極めるために僕のSGの弦を凝視していた李衣菜は、すぐ答えにたどり着いたようだ。

 ジミヘンコードの場合、抑えない六弦と一弦が開放弦として鳴っていても、和音に大きな影響はない。

 その癖がついていたのかもしれないが、李衣菜のパワーコードの抑え方では、そのままかき鳴らそうとすると、不要な四弦から一弦まで鳴ってしまう。

 これを防ぐために、不要な弦を鳴らさないようにする技法をミュートというのだが、このミュートは、一人で練習しているとなかなかに苦戦するし、必要性になかなか気づけないものだ。

 

「ほら。さっき、レッチリみたいって言ってた音あるでしょ?

 あの音を出した時みたいに、他の弦を軽く触れておけば、必要ない弦が鳴らないように弾けるんだよ」

「なるほど!

 でも、全然、思ったように、出来ないですねっ……ああもう!」

 

 李衣菜はそう言いながら、不格好なパワーコードを何度も鳴らし、試行錯誤を重ねている。

 僕の言っていることを聞きながらも、自分の左手人差し指をじっと見て、力加減やネックの握り方を色々と試している。

 僕が何か言わずとも、見る見るうちにコツを掴んでいるようで、徐々にミュートが出来てきていた。

 

「なんか、全然、初心者、向けって、感じ、じゃないですねっ……!」

 

 だけど、李衣菜自身はまだ納得がいっていないようで、ああでもない、こうでもない、と一人呟きながら、ギターに向き合っている。

 僕にコツを聞くとか、教えを乞うとか、そういう発想は無いようだ。

 一つのことに集中できることは良いことなのだけど、このままだと二人でスタジオに入ってレッスンをしている意味がないので、五分ほど見守ってから声を掛ける。

 

「おーい。李衣菜さん」

「ひゃっ!? な、なんでしょう?」

 

 あまりにロックじゃない素っ頓狂な声をあげたことには触れてあげないことにし、驚いて立ち上がった李衣菜を「どうどう」と座らせる。

 ギターに予め取り付けられていたストラップを肩にしっかりかけていたようで、ギターを落とさなかったことは幸いだった。

 どうも李衣菜は熱中すると周りが見えなくなる傾向にあるようなので、声をかけるときは少し気を付けたほうが良いのかもしれない。

 まだ出会ったばかりの少女の取り扱い方を考えながら、先ほど覚えたこの多田李衣菜というアイドルの扱い方を実践する。

 

「もうしっかり()()()に弾けてるから、次のステップに進もうか」

 

 自分でもちょっと雑にロックに頼ってしまったかと思ったが、このロッキンガールは満面の笑みで「はいっ!」と答えてくれるのだから、やっぱり将来が心配だ。

 




 今回はニワカなウンチクが多かったかもしれません。
 ここ違うよーとかありましたらご指摘いただけると助かります。


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