ひとなつの化け物 (ジェイコブ)
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ひとなつと日本語を話せる男

 暗い倉庫の中で、椅子に括り付けられて口を噤んで大人しく座っていること。

 それが今の俺にできることである。

 

 恐らく英語を話している三人の男と、その中で日本語を話せる一人の男と、腕組みをしながら貧乏ゆすりをする女。 ついでにドイツ語と思われるニュースが流れるラジオ。

 

 そのラジオから一言一言音声が聞こえるたびに周りの人間の表情が険しくなっていくことから、彼らと俺にとって状況が悪くなっていくことが伺える。

 

「なあ、一夏くんや。」

 

「なんだい?」

 

「お前の姉貴は弟を大切にしている、と俺は聞いたんだが。」

 

 彼がその話をどこで聞いたのかは知らないが、今後その情報筋は信用しないほうがいい、と助言をしたい。

 

「ああ、確かに姉さんは大切にしてるよ、俺の双子の弟を。 俺はそのスペアにもなれやしない不良品だよ。」

 

 事実を伝えると、その男は一層顔を険しくさせて、流暢な英語で仲間に話しかける。

 その男たちと女の間で会話が行われ、暫く経つと日本語を話せる男が再びこちらに近づく。

 

「悪い、一夏くん。 非常に心が痛むが… あんたは姉のところへは帰れない… そんでもって、多分死ぬ。」

 

「へえ… うん、ありがとう。」

 

「…俺の記憶が正しけれゃ、そいつは誘拐犯に向けて言う言葉じゃねえな。」

 

「いや、あんたらはただの誘拐犯じゃないよ。 俺をあそこから助け出してくれた勇者たちだ。 特にあんたは、俺に話しかけてくれる。」

 

 その日本語が話せる男は、一瞬呆れたような顔をして、次に本当に哀しそうな顔をする。

 

「なあ、スッパリ死ぬのと、死にそうになって少しだけは生き延びんの、どっちが好きだ?」

 

「じゃあ、生き延びようかな。」

 

「そうかい…」

 

 男が振り返り、また仲間に何かを話す。

 今度はすぐに終わり、男がまた俺の方に近寄る。

 

「お前は何とか生きられるようになった… 死ぬ程苦しいかもしれんが、俺を恨まないでくれ。」

 

「恨まないよ。」

 

「そうか、じゃあ… 悪いが少し寝ててくれ。」

 

 申し訳なさそうな顔をしながら、俺に叩きつけようと拳銃を振りかぶる男を制止する。

 

「どうした?」

 

「いや、聞きたいことがあるんだ。」

 

「なんだ? お前の今後については詳しくは分かんねえぞ。」

 

「なんであんた、日本語が話せるんだ?」

 

 男は目を剥いて、銃を一度下ろす。

 男の仲間たちから… 内容はわからないが、恐らくは急かしているような声が出る。

 

「クォーターでな。 両親はアメリカ人、母方のじいちゃんが日本人で、そのじいちゃんに習った。」

 

「へえ… うん、ありがとう。 それだけが心残りだったんだ。 うん、もう満足だ。 …あ、あと。」

 

「なんだ?」

 

「あんた、この仕事絶対向いてないよ。」

 

「…ああ、そいつは分かってる。 …できれば辞めてえんだがなぁ…」

 

 悩ましげに呟いたあと、男は小さく謝り、銃を振り下ろした。

 

 ♢

 

「…ハァ…」

 

「おいジェイク、そんなん気にしてちゃキリがねえぞ。」

 

「ああ、分かってる… 分かってるが…」

 

 気絶した拉致対象を椅子から解いて黒いバンの中に運び込み、仲間が運転する車内で溜息をこぼした時、隣の仲間から声をかけられた。

 

「…あれで、よかったのかねぇ…」

 

 あの時、俺が仲間たちに提案したこと。 それは『この見てくれのいい少年を物好きに売りつけよう』という内容だった。

 場合によっては大事にされるだろうし、あのまま死ぬよりかはよかった筈… その筈なんだ。

 

「今更間違いなんて気にしてんじゃねえよ、こんな仕事についた時点で人生間違ってんだからよ。」

 

「違えねえや。」

 

 その問答に、車内に笑い声が響く。

 助手席に乗る女だけは仏頂面なのがミラーを通して伺える。

 

「なあ、あのガキと何話してたんだ?」

 

 助手席の女が話しかけてくる。

 明るい茶髪の、目つきの悪くて気が強い、若い女だ。

 

「ああ… あのガキ、最後になんて言ったと思う?」

 

「…命乞い。」

 

「不正解。」

 

 懐からタバコを取り出そうとして、それを隣にいる仲間から止められながら答えを言おうと口を開く。

 

「なんであんたは日本語が話せるんだ? だとよ。 それだけが心残りだった、とも言いやがった。」

 

「…そうか、後車内でタバコは吸うな。 煙いのは嫌いだ。」

 

「へいへい。」

 

 犯罪組織の中で俺の上司に当たるこの女に逆らうことはできず、再び懐に突っ込んでいた手を外に出す。

 

「…にしても、随分なサイコ野郎だ。 日本の学校じゃあんな子供を育ててるのか?」

 

「いや、あいつをああ育てたのは多分あいつの姉と弟だ。 …ああちくしょう、辞めてえなぁこの仕事。」

 

「辞めて何すんだ?」

 

 赤信号で車を止め、こちらを向きながら問う運転手に少し悩んだ後、こう返した。

 

「日本語を教えてくれたじいちゃんに孝行するさ。」



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