転生河童の日常譚 (水羊羹)
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第一章 河童と日常その一
第一話 妖怪の山での一幕


 妖怪の山には、様々な妖怪が住んでいる。

 その中でも、数が多い種族は二つ。

 一つ目は役職毎に分かれている、天狗。

 ヒエラルキーの頂点に立っており、主に妖怪の山を支配しているのは彼等だ。

 そして、もう一方。

 玄武の沢付近を拠点に暮らしている──

 

 

 ♦♦♦

 

 

 一陣の風が駆け抜ける。

 鋭い風切り音を響かせながら、風はある方向へと吹いていた。

 いや、風と見間違うばかりの速さで、一人の少女が飛んでいたのだ。

 艶のある黒の羽を使い、天狗の少女は優雅な飛行を披露している。

 

「そろそろね」

 

 眼下を眺めていた少女は、山の中の開けた場所で目を止めた。

 川の近くにある、ぽつんと寂しく建てられた家。

 木造建築になっており、しかしその頑丈さは遠目からも窺える。

 ここに家主が住み始めてから、数百年。

 一度もガタが来ておらず、改めて呆れるほどにしっかりしている。

 苦笑いを零した後、少女は弾丸の如きスピードで家の前に突っ込む。

 このまま地面に激突するかに思われたが、見事な羽ばたきを見せて慣性をなくした。

 風を自在に操る彼女にかかれば、飛行の影響を潰すなどお手の物だ。

 軽く身だしなみを整えた後、ドアの隣にあるボタンを押す。

 家主曰く、これは“インターフォン”という物らしい。

 新聞を作っている記者の自分としても、家主の出所不明の知識は、大いに好奇心が刺激される。

 また取材でもしてみようか、と少女が考えていると。

 

「ふぁぁ……おはよー」

 

 開かれた扉から、あくびをしながら一人の少女が現れた。

 普段のツリ目はなりを潜め、眠たげに下がっている。

 青の長髪も乱れており、先ほどまで就寝していた事が容易にわかる。

 

「おはよう。相変わらず、夜遅くまで起きてたのね」

「まぁ、集中していたら楽しくなっちゃって」

「はぁ……いい加減、少しは女の子らしくしてみたらどうなの?」

「別に、文しか見てないからいいじゃん」

「まあ、それもそうね」

 

 天狗──文の苦言の返答から、彼女は直すつもりがないようだ。

 いつものやり取りなので、文本人も仕方ないかとあっさりと流す。

 わざわざ少女の世話をするつもりがない、という理由もあったが。

 友人として長い付き合いではあるが、それ以上の関係ではないのだ。

 

「それで、こんな朝早くからどしたん?」

 

 伸びた(・・・)左手で自家栽培していたきゅうりを手に取り、ポリポリかじりながら尋ねた少女。

 見慣れた光景でも、彼女の腕は不思議だ。

 本人が言うには、これは義手という物らしいが。

 妖怪ならば失った部位も再生できるのに、こうして変な道具を取り付けている。

 彼女を含めて、考えが理解できない種族だ。

 少女との価値観は、恐らく一生合わないだろう。

 まあ、そもそも価値観を合わせようと思う気すらしないが。

 そんな事を考えつつ、文は呆れた表情を浮かべる。

 

「なにって、貴女にカメラを預けたでしょ?」

「ああ、そうだったそうだった。定期的に点検してるんだったね。いやー、新たな機能をつけようとして本来の目的を忘れてたよ」

「……ちなみに、どんな機能?」

「シャッターを切ると、レンズからビームが出てくる!」

「却下!」

「ちぇー」

 

 口を尖らせていたが、少女なりの冗談だったのだろう。

 名残惜しい表情もなく、懐からあっさりとカメラを手渡してきたのだから。

 カメラを受け取った文は、一頻り弄ってみたが。

 少女に渡す前と変わりなかった。

 

「問題なさそうね」

「そりゃ、文の大事な物だからね。早々変な事はしないって」

「前に、自爆機能をつけようとしていたじゃない」

「自爆はロマンだから、仕方ない」

 

 ロマンだかなんだか知らないが、私の大切な道具に馬鹿な機能を追加するな。

 そう告げて少女をぶっ飛ばしたのは、文の記憶にも新しい。

 彼女は役に立つ道具をくれたりするのだが、こうしてふざけたりするのが玉に瑕だ。

 馬鹿と天才は紙一重と言うべきなのだろう。

 その閃きに賞賛する一方、やるなら勝手に一人で自爆していろと思うのだった。

 ため息一つで気持ちを入れ替え、文は宙に浮き始める。

 

「じゃあ、私はもう行くから」

「あいあい。気が向いたら、また遊びにきなよー」

「……ええ、そうね。気が向いたらね」

 

 呑気に手を振る少女に見送られながら、風を纏って天高く飛翔した。

 普通の人では一生お目にかかれない、幻想風景を視界に入れつつ。

 風神少女は、微かに眉根を寄せる。

 少女の事は嫌いではない……いや、どちらかと言えば好ましいとすら思っている。

 文が妖怪として誕生したばかりの時からの付き合いだし、腐れ縁とも呼ぶべきほど縁の糸は固く結ばれているだろう。

 しかし──苦手だ。

 幻想郷の妖怪の賢者と、同じような印象を受けるからだろうか。

 何故、少女に対して苦手意識があるのか自分でも理解できないが、文にとって彼女は色々な意味で近づきづらい存在であった。

 

「まあ、新聞の購読者なのはありがたいけど」

 

 それはそれ、これはこれである。

 ともかく、文にとって少女の存在が複雑なのは間違いない。

 だからといって、縁を切るほどの苦手意識はないが。

 

「これ以上考えても、仕方ないか」

 

 せっかくカメラが戻ってきたのだから、面白そうなネタを探したい。

 最近はパッとしないので、ここらで一つ特ダネでも見つけてみたいのだ。

 まずは、人里で情報でも集めようか。

 頬に笑みを形作った文は、風と化して妖怪の山を飛び立つのだった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

 風のように飛んでいった文を見送った私は、自分の状況にしみじみとした思いを抱いた。

 私こと“滝涼 みずは”は転生者である。

 気がつけば河童になっていて、驚いてひっくり返った時が懐かしい。

 しかも、性別も男から女へと、性転換まで果たしてしまった。

 まあ、転生した以上、性別が変わったぐらい些事であろう。

 なにより、一番驚いた事は、ここが東方Projectの世界だったという部分だ。

 前世では弾幕シューティングとして人気だった、この作品。

 先ほどの文も、立派な原作キャラである。

 いやー、まさか文と幼馴染みのような関係になるとは。

 人生、なにが起こるかわからないものだ……あ、今の私は妖怪だったか。

 

「さて、今日はなにをしようか」

 

 自分が知っている作品に転生した場合、いくつか取られる選択肢がある。

 すなわち、原作に介入するか否かだ。

 この世界でいう原作とは、幻想郷で起きる異変だろう。

 吸血鬼が現れたり、亡霊が春を集めたり、月が偽物になったり。

 個人的にも面白そうな内容なのだが、残念ながら今は原作前である。

 まあ、仮に原作が始まっていたとしても、私が原作介入するかはわからないが。

 その時の気分次第だ。

 

「そもそも、河童の自分じゃあ大妖怪に勝てっこないし」

 

 どいつもこいつも、能力がチート過ぎるんだよね。

 さっきまでいた文だって、【風を操る程度の能力】って厨二歓喜物の能力を持っているし。

 私も、あんなカッコイイ能力が欲しかった。

 これが種族格差か……河童は辛い。

 いや、よく考えてみれば、同じ河童のにとりも強い能力を持っていたよ。

 結局、私が特別才能がなかったってだけである。

 

「まあ、ないものねだりしてもしょうがないよね」

 

 朝日を身に浴びた私は、顎に手を添えて今日の予定を考える。

 やるべき事はちょうど昨日に終わったし、特に今からしたい事もない。

 ああ、そうだ。

 そういえば、にとりがなにやら行き詰まっているんだっけ。

 アイデアの出し合いを望んでいたし、せっかくだからにとりの家にでも行くか。

 

「そうと決まれば、早速行こう」

 

 予定が決まったので、私は家に戻って洗面所の蛇口を回す。

 川から水道管を引っ張っている事により、現代日本と相違ない使い心地だ。

 この家を建てる時、こうして前世の記憶を駆使して住みやすくしている。

 もちろん、大っぴらにしないで、ほどほどだ。

 あんまり目立つと、賢者さんじゅうななさいにピチュンされてしまうからね。

 根は小心者なのです。

 身支度を整え、朝食のきゅうりを五本ほど平らげた後。

 お土産のきゅうりのぬか漬けを持って、私は家を出る。

 にとりの家がある方向へと飛んでいき、途中の滝の近くでにとりを見つけた。

 側には白狼天狗である椛がおり、どうやら二人で将棋をしているらしい。

 二人の間に降り立つと、直ぐに向こうも私に気がつく。

 

「あ、みずは。おはよう」

「おはよー、朝から将棋とは元気だねぇ」

「あはは。気分転換でもしようかと思ってね」

「おはようございます、みずはさん」

 

 頭を掻いて苦笑いするにとりに、律儀に頭を下げた椛。

 二人も、東方の原作キャラだ。

 出会いは偶然であったが、こうして仲良くさせて貰っている。

 手を挙げて椛に応えた私は、手に持つぬか漬けをにとりに渡す。

 

「はい、いつもの」

「おぉー! みずはのぬか漬けはほんっとうに美味しいんだよね! ありがとう!」

「いやいや、にとりには色々と助けてもらったからね。これぐらい訳ないよ。あ、そうそう。椛の分もあるよ」

「え、いいんですか?」

「多めに持ってきたからね」

「あ、ありがとうございます……」

 

 恐縮そうに受け取るのとは裏腹に、飛び出した椛の尻尾が嬉しそうに揺れていた。

 原作ではどうだったか忘れたが、この世界の白狼天狗は耳と尻尾の出し入れができるのだ。

 素晴らしい。

 犬耳パラダイスだ。

 前に触らせてもらった時は、なんというか凄く幸せだった。

 自然と視線が吸い寄せられていき、椛達も尻尾の存在に気がつく。

 慌てた様子で尻尾を仕舞い込まれてしまい、思わず残念な表情を浮かべる。

 

「みずはは好きだねぇ」

「だって、気持ちいいんだもん」

「ダ、ダメです。みずはさんが触ってはいけません!」

「だってさ」

「むぅ……」

 

 肘で突っついてくるにとりに、私は唸り声しか返せなかった。

 やはり、あの時の触り方に問題があったのか。

 全神経を集中させて、椛が気持ちいいと思うポイントを触ったのだが。

 我ながら、良い手応えがあった。

 実際、あれから数日は椛の顔の血色もよく、仕事もバリバリにこなしていたし。

 しかし、前世の動物に好かれるあの人みたいにはいかなかった。

 心持ち気落ちしながら、私はここに来た本題に入る。

 

「それで、にとりはなにに行き詰まっているんだい?」

「えっと、これなんだけど」

 

 そう告げて取り出したのは、スイッチ付きの装置だった。

 にとりがポチッと押した瞬間、椛との間にあった将棋盤が飛び上がった。

 

「へっ?」

 

 素っ頓狂な声を上げて、呆然と空を見上げる椛。

 釣られて天を仰げば、将棋盤はある程度の高度で動きを止めていた。

 どうやら、なんならかの力を使って、将棋盤が空中に留まるようにしたらしい。

 視線を戻すと、ドヤ顔で胸を張ったにとりとかち合う。

 

「どうだい? 名付けて、天空将棋! 青空に囲まれながら、優雅に駒を指す。そして、片手にはきゅうりを持って将棋を楽しむ。これは、絶対に流行るね」

「いや、絶対に流行らないと思います」

「むむ。言うじゃないか」

 

 口をへの字にしたにとりは、もう一度ボタンを押す。

 すると、将棋盤は勢いよく下がっていき、地面にめり込んだ。

 当然、乗っていた駒はバラバラに吹っ飛んでいた。

 

「あぁ、せっかく勝ちそうだったのに……」

 

 がっくりと項垂れる椛を尻目に、にとりは足のつま先を回しながら腕を組む。

 

「というわけなんだけど、どうにもインパクトに欠けるんだよね。そこで、みずはにアイデアを聞きたいってわけさ」

「なるほど。経緯はよくわかった」

 

 頷きを返した私は、虚空を眺めて思案していく。

 将棋盤が飛ぶ以外に、なにかしら一捻り加えたいという事だろう。

 気持ちはわかる。

 私も、物足りないと思っていたし。

 しかし、これと言って直ぐに思いつくアイデアは──

 

「どうだい?」

「んー……あ、閃いた」

「お、流石はみずはだねぇ。その閃きは羨ましいよ」

「私からすれば、にとりの能力の方が羨ましいけどねぇ」

 

 まあ、隣の芝生は青いってやつだ。

 人は持っていない物に対して、羨望の思いを抱く傾向にある。

 俗に言う、俺もあれが欲しい、って感じだろう。

 妖怪になっても、人間の感情とは切っても切れない。

 改めて、不思議なものだ。

 思考を持ち、文明を築いた生物の宿命だろう。

 差別や欲を抱くのは。

 と、思考を戻そう。

 

「それで、アイデアだったね。例えばだけど、勝負が終わったら、将棋盤が爆発するとか」

「おー、なるほど。それは面白そうだ!」

「あの、みずはさん。あんまり、変な事を吹き込むのは……」

 

 伺うように尋ねてくる椛だが、大丈夫。

 しっかりと、他にも案を思いついているから。

 そんな思いを込めて見つめると、何故か引き攣った笑みが返ってきた。

 

「他には他には!」

「将棋を指すと、一定確率で爆発する」

「おお!」

「巨大な将棋盤で私達自身が駒になる」

「それ、凄く楽しそう!」

「後は、駒を奪うときゅうりが手に入る」

「いいねいいね!」

 

 そんな感じで、にとりと話し合う私達。

 対して、椛は疲れた様子でため息を漏らし、遠い目で天を見つめる。

 

「全部、私が実験台にされるんだろうなぁ……」

 

 心配しないでくれ。

 安全面には、ちゃんと気を遣うから。

 そう考えながらも、私はこの瞬間を噛み締めていた。

 小鳥がさえずる、気持ちの良い朝の一時。

 笑顔で改善案を話す河童二人と、現実逃避するように空を眺める白狼天狗。

 いつも通りの日々であり、私が好きな日常だ。

 転生等びっくりする出来事に見舞われたが、こうして楽しい日を過ごしている。

 これからも、のんびりと妖生を謳歌したいものだ。

 薄らと微笑んだ私は、この平穏な毎日に感謝するのだった。

 

 

 

 

 



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第二話 慧音先生との歴史講習会

 にとりとの話し合いが終わった後、別れた現在の私は人里の中にいた。

 青のニット帽を被り、背中にはお馴染みのリュックを背負っている。

 私以外の河童は野球帽のような物を被っているが、個人的にツバつきの帽子は合わなかった。

 だから、こうして自作したニット帽を被っているのだ。

 何事もなくすれ違う人間を見て、私は口角を吊り上げていく。

 

「ふむふむ。性能はばっちしだね」

 

 リュックの中に入っている、大きな金属球。

 この道具の性能テストを、今の私はしているのだ。

 妖怪の賢者である紫の能力を参考に造った、その名も妖怪誤魔化し装置。

 名前がそのままなのは、単に思いつかなかっただけである。

 この重い装置を使えば、なんと人間と妖怪の認識をズラす事ができるのだ。

 二つの境界を曖昧にしたと言ってもいい。

 ともかく、今日はその試作品の稼働テストをしている。

 結果は、上々。

 誰も、私を河童だとは思っていない。

 妖怪である私を避けないのが、良い証拠だ。

 

「後は、性能面の上昇と軽量化だね」

 

 これぐらいの重さなら、まだ問題ない。

 しかし、やはりもっと軽くしたいのだ。

 ゆくゆくは、アクセサリーのような形状にするのが目標である。

 まあ、当分は試行錯誤の毎日だろう。

 それはそれで、楽しいのだが。

 

「んー」

 

 人里を観察しながら、私はこの後どうするか悩んでいた。

 このまま店に入るのもいいが、あいにく人里で使えるお金は持っていない。

 この状態でやりたい放題すれば、ただの食い逃げや万引きになってしまう。

 妖怪だからこそ、人間でのマナーは守るべきだ。

 目をつけられないためなのもそうだし、なにより人間は盟友だからね。

 自分から裏切るような真似は、しない。

 

「どうしよっかなぁ」

 

 あ、そうだ。

 人里には、あの人がいるのではないだろうか。

 原作前だが、彼女は随分前から人里にいた気がする。

 他にやる事もないし、早速会ってみよう。

 思考で足を止めていた私は、向きを変えて歩みを再開するのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「お、いたいた」

 

 私が向かった先は、寺子屋である。

 十中八九いるとは思っていたが、外にいるとは運がいい。

 わざわざ中に入らなくて済むし。

 思わず笑みを零した後、私は寺子屋の前を掃除していた彼女の元に近づく。

 途中で、彼女の方も気がついたのか。

 振り向いて笑顔になったのだが、直ぐに怪訝げな面持ちに変わる。

 そして、最後には完全に警戒した顔つきへと変化。

 

「止まれ」

 

 端的にそう告げると、手を突き出して牽制する女性。

 青がかった綺麗な銀髪を揺らしながら、油断ない態勢を取っていた。

 ただ構えているだけに見えるが、その引き締められた厳かな形相。

 不動の仁王の如く佇んでおり、彼女からは人里を護るという気迫が迸っていた。

 これは、あまり刺激するとまずい。

 なにが彼女の逆鱗に触れたのかわからないが、私は大人しく指示に従う。

 手を上げて敵意がないのを示し、ゆっくりと穏やかな口調で告げる。

 

「落ち着いて。私は、貴女を害するために来たわけじゃない」

「嘘をつくな。お前は妖怪だろう。こうして、私の元に来たのがその証左だ」

「っ……わかるの?」

 

 目を見開いた私は、思わず尋ねかけていた。

 まさか、女性に見破られるとは。

 人間には効いていたから、と油断していたか。

 そもそも、彼女は人里の守護者だ。

 気配察知や勘の鋭さは、長年人里を護っている経験から冴えているのだろう。

 むしろ、ただの試作品で、そう簡単に誤魔化せるわけがない。

 驚いている私に、女性は厳しい眼差しのまま頷く。

 

「ああ。お前からは、妖怪の臭いを強く感じる。どうやって人里に潜り込んだのかは知らないが、私の目が黒いうちはお前の好きなようにはさせん!」

「ちょ、ちょっと待ってって! 本当に、私に貴女と争う意志はないから!」

「問答無用!」

 

 私の言葉には耳を貸さず、手のひらから無数の弾を放ってくる女性。

 後ろに飛び退きながら空に浮き、私はそれ等を躱していく。

 スペルカードが浸透していないからか、女性の弾幕には大きな力が込められている。

 当たれば、タダでは済まない。

 死にはしないだろうが、骨の数本は容易に持っていかれるだろう。

 だけど──楽しい。

 無意識に唇を舐め、小さく笑みを落とす。

 今のような緊張感はしばらくぶりだが、やはりたまにはこんな刺激も必要だ。

 弾幕ごっこが流行れば、もっと大っぴらにバトルができる。

 今から想像するだけでも、ワクワクした思いが湧き上がっていく。

 河童らしくない感情を抱いてしまうのは、私の性格だからだろう。

 まあ、楽しいからと言って、目の前の女性と真面目に戦うわけではないが。

 必要最低限の動きで、弾幕を避けながら女性へと突っ込む。

 

「なっ!?」

 

 まさか、真っ直ぐと自分の方に来るとは思わなかったのだろう。

 数瞬驚いたように固まるが、流石は人里の守護者である。

 直ぐに凜然とした様子に戻り、更に弾幕の密度を上げていく。

 あらゆる角度から迫りくるそれ等に、私は微かな隙間を見極めて入り込む。

 弾幕が肌を掠めて、痛みが走る。

 問題ない。

 この程度はかすり傷だ。

 地面スレスレまで滑空し、直後には鋭く上がって弾幕を回避。

 急制動から、落下。

 妖力を加速に使用した私の眼前には、目を見開く女性の顔が間近に映る。

 額に指を突きつけて、微笑を一つ。

 

「私の勝ち、かな?」

「……ああ、私の負けだ」

 

 私に害意がない事を理解したのだろう。

 ゆっくりと頷いた彼女は、苦笑を浮かべた。

 とりあえず、誤解は解けたようでなによりだ。

 残る問題は……

 

「目立っちゃったねぇ」

「しまった……」

 

 あちこちで穴が空いた地面に、遠巻きで様子を窺っている人間達。

 寺子屋の前で戦っていたのだから、さもありなん。

 むしろ、他に被害がないのが幸運なくらいだ。

 まあ、なんというか。

 ドンマイ。

 肩を落として項垂れた女性に、私は慰めのために無言で肩を叩くのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 二人で抉れた地面を埋め、野次馬の人達に問題ない事を教えた後。

 私は、女性の家に案内されていた。

 ちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座り、彼女が急須を持つのを眺める。

 

「粗茶だが」

「いやー、悪いね」

 

 渡された湯のみを傾け、香り立つ緑茶を飲んでいく。

 喉越しがさらさらで、なんの抵抗もなく胃に美味が入り込む。

 これは、良いお茶っ葉を使っていそうだ。

 私の家にある安物より、比べ物にならないほど美味しい。

 今度、高級のお茶っ葉でも買ってみようか。

 自分しか使わないからいいや、と妥協していたのがもったいなかったかな。

 湯のみをちゃぶ台に置いて息を吐くと、目の前で正座している女性は小さく笑う。

 

「どうやら、気に入ってもらえたみたいだな」

「うん。このお茶、すっごく美味しいね。お茶請けにきゅうりが欲しくなるよ」

「きゅうりと言うと、もしかして貴女の種族は……?」

「あ、うん。私は河童だね」

 

 具体的な種族までは、わからなかったのだろう。

 ただ、妖怪だと気がついただけで。

 そもそも、河童は人里の中では珍しいと思う。

 基本は家に引き篭もって、自分の欲望を満たすために機械いじりしてるだけだし。

 まあ、私も似たような者なので、別に彼等を蔑視するつもりは毛頭ないが。

 あっさりと頷いた私を見て、女性はむぅと唸り声を上げる。

 

「済まないが、私は河童の事をよく知らないのだ。なにか気に触る事をしてしまったのなら、遠慮なく教えてほしい」

「おっけーおっけー。特にトラウマとかもないし、そこまで気にしなくていいよ。で、まずは名前から聞いてもいいかな?」

 

 手を振って笑いかければ、女性は居住まいを正した。

 凛と伸びた背筋は一本筋で整っており、彼女の実直な性格が窺える。

 一度も外されなかった綺麗な瞳と併せて、前世でのキャリアウーマンを思い出す。

 端的に表すと、女性が憧れる女性だ。

 内心でそう考えている私に、できそうな雰囲気が漂う女性が口を開く。

 

「これは失礼した。私の名前は、上白沢慧音と言う」

「慧音、ね。了解。私は滝涼みずは。好きなように呼んでね」

「では、滝涼と。それで、改めて私の元に伺った理由を聞きたいのだが」

 

 生真面目な表情で、そう尋ねてくる女性──慧音。

 よほど気になっているのか、こちらを見つめる視線は力強い。

 まあ、敵意がないとはいえ、いきなり妖怪がやって来たら警戒するか。

 こうして家に案内してくれるだけでも、慧音が妖怪に友好的だとわかるし。

 

「理由かぁ……特にないかな?」

 

 元々、慧音に会った理由は、試作品の稼働テストのついでだ。

 強いて言うのならば、原作キャラに会いたかったという野次馬的思考だろう。

 正直にそう告げると、慧音はかくっと肩を傾けた。

 

「な、ないのか」

「うん、ないね。まあ、後は慧音に会いたかったって理由ぐらい?」

「なぁっ!?」

 

 原作キャラ云々をボカして、追加の理由も話してみた。

 すると、目を見開いた慧音が、びっくりした声を上げる。

 瑞々しい白い肌は赤くなっており、表情全体に朱が差していた。

 さながら、今の慧音はトマト人間だ。

 意味もなく右手を上げ下げしていた野菜は、ワタワタと目を泳がせていく。

 

「そ、その、私に会いたかったというのは?」

「え? うーん……興味?」

「興味!?」

「実際の慧音がどんな感じなのか気になってたし、個人的にも好きな方だしね」

「好き!?」

 

 指を折って告げる私に合わせて、慧音は小気味よく合いの手を入れてきた。

 うん、まあ。

 恐らく初心だろうな、と思って少しからかいの意味もあったが。

 いくらなんでも、初心すぎではないだろうか。

 一々大袈裟に反応しているのを見ると、なんというか微笑ましくなる。

 身体を縮こまらせている慧音に、私は努めて優しい笑顔を向ける。

 

「慧音は、本当に可愛いね」

「かわっ!?」

「そんなに過剰反応して、褒められ慣れていないの?」

 

 ここまで言えば、流石に私がからかっていたのを理解したのだろう。

 呆けた顔を披露した後、瞬く間に眉尻を鋭く上げた慧音。

 目つきは険しく細められており、全身から剣呑な威圧が滲み出ている。

 あれ。

 もしかして、やり過ぎた?

 思わず頬を引き攣らせた私の肩に、ちゃぶ台から回り込んだ慧音が手を置く。

 

「あまり、人をからかうのは良くないぞ」

「い、いやー。慧音の言葉遣いが固いからさ、私なりのお茶目ってやつ?」

「だとしても、物事には限度というものがある」

「ごめんなさい」

 

 頭を下げて、謝罪の気持ちを示す。

 今の慧音の顔、笑っていたが、どこか攻撃的な意を含んでいた。

 怒っている、と一目で察せられる笑顔だ。

 流石に初対面ではしないと思うが、慧音と言えばお馴染みの頭突きは受けたくない。

 半妖とはいえ、半分は人外なのだ。

 そんな石頭を額に喰らえば、大して強くもない種族である河童の自分では、容易く意識が奪われてしまうだろう。

 妖怪だから、手加減などしないだろうし。

 表面上では神妙に、内心ではぷるぷると震えていると。

 

「……はぁ」

 

 ため息を漏らす音が聞こえ、恐る恐る顔を上げる。

 呆れた表情を浮かべた慧音と目が合い、嘆くように首を振られた。

 

「あ、あのー?」

「なんとなく、滝涼の性格はわかった。次はないからな?」

「いえっさー!」

 

 よくわからないが、お許しをいただけたらしい。

 ありがとうございます、慧音たいちょー。

 額に手を当てて敬礼をした私を見て、慧音はもう一度ため息をついてから、ちゃぶ台の前に戻る。

 自分でも、浮かれているのはちゃんと理解している。

 やはり、この世界に産まれて永年が経っても、初見の原作キャラに会うと嬉しい。

 前世の繋がりを感じるからか、はたまた美少女と知り合いになれたからか。

 理由の沙汰はわからないが……ま、そんな些事はどうでもいいだろう。

 私が思うのは、ただ一つ。

 慧音と知己になれて、幸運だという事だ。

 

「とりあえず、寺子屋について詳しく知りたいな」

「ん、なんでだ?」

「んー。授業内容とか、慧音の指導に興味があるからかな」

 

 慧音の授業は眠くなるらしいが、実際はどうなのだろうか。

 前世のはあくまでも、ただの知識だ。

 この世界との差異は当然あり、実際は凄く面白い授業内容なのかもしれない。

 それに、こういうのは何事も経験である。

 せっかくなのだから、気の赴くまま好奇心を満たしたい。

 思わず口元を緩めていると、顎に手を添えていた慧音が微笑む。

 

「では、私の普段の授業を体験してみるか?」

「おお、いいねいいね! ちなみに、慧音はなにを教えているの?」

「主に歴史だな。これでも、知識の方には自信がある」

「ほほぅ。じゃあ、早速慧音せんせーの博識を披露してもらいましょうか」

 

 リュックから紙とペンを取り出し、私はちゃぶ台に置いた。

 稼働テストで感じた事を書き溜めるため、メモの用意をしていたのだ。

 こんな形で役に立つとは思わなかったが、備えあれば憂いなしである。

 自然と期待に満ちた目になる私に、慧音は部屋にある本棚から書物を持ってくる。

 見聞を深めようとする私が好ましいのだろう。

 心なしか彼女の表情は柔らかくなっており、それ以上に瞳の中で使命感が渦巻いていた。

 

「滝涼に、歴史の良さを教えてあげよう!」

「ん? いや、そこまで真面目ってわけじゃなくて──」

「遠慮をするな。妖怪なのに、自らが学ぶその姿勢。私は感激したぞ!」

「──え、ええ?」

「さあ、心ゆくまで語り合おうじゃないか!」

 

 あれ。

 もしかして、なにか地雷を踏んだ?

 爛々と目を輝かせている慧音を見ると、やっちまった感が拭えない。

 ……今日、家に帰れるのだろうか。

 ちょっと後悔しながらも、私は慧音の眠気を伴う講義に耳を傾けていくのだった。

 

 

 

 

 



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第三話 幽香とティータイム

 慧音の歴史講習は強敵だった。

 こちらから頼んだ事なので、訪れる眠気に頑張って耐えていたのだ。

 というか、私は何徹もできるのに、慧音が話し始めた瞬間から眠気が襲ってきたのだが。

 リュックの中にあった刺激的な薬草を食べた事で、なんとか最後まで授業は受けられた。

 慧音、凄く感動していたっけ。

 初見で全部聞いてくれた人がいなかった、とかなんとか言って。

 思わず目頭を押さえたのは、記憶に新しい。

 ともかく、こうして楽しい初体験は無事に終了したのだ。

 前世の学校を思い出し、少し哀愁を抱いたのは内緒だ。

 

「えーっと……」

 

 今日の私は、ある場所へと飛んでいた。

 リュックにはお土産を持参しており、これから会う人を思うと楽しみである。

 暫くすると、黄金色の絨毯が目に入る。

 いつ見ても荘厳だ。

 幻想郷は素晴らしい風景が沢山あるが、ここはその中でも格別に美しい。

 柔らかな風が吹くと、絨毯に一本の白い筋が駆け抜ける。

 風そのものが意思を持っているかのように、黄金の景色を際立てようとしているのだ。

 高度を下げて近づくにつれ、眼下の景色が克明になっていく。

 最高級の絨毯かと思われたそれは、太陽の方に向いている向日葵だった。

 どの花も力強く咲いており、生命力に満ち溢れている。

 また、向日葵の花弁一つ一つに艶があり、吸い込まれそうな魔性を宿している。

 この花達の様子を目にすれば、育てている人の愛情の深さがわかるだろう。

 花を愛で、花もそれに応えて一生懸命に輝く。

 植物は育て主の鏡、とどこかで聞いた覚えがある。

 その言葉を加味すると、向日葵を育ている人の心は綺麗に違いない。

 まあ、人里では恐れられているようだけど。

 千金にも勝る向日葵の群れ──太陽の畑に降り立った私は、清涼な香りに迎えられる。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 両手を広げて、全身にこの場の空気を行き渡らせていく。

 質の良い土の匂いに、暖かみすら感じられる向日葵の匂い。

 他にも様々な花の香りが混ざり合い、しかしそれぞれの芳香はお互いを邪魔せず、控えめに自己主張している。

 本来、匂いとは混ざれば混ざるほど、嫌な臭いになっていく。

 だけど、鼻から流れ込む空気は、悪臭になっていない。

 いつ嗅いでも……いや、いつまでも嗅いでいたい場所だった。

 

「さて、あんまり待たせすぎるのもあれだよね」

 

 気を取り直した私は、太陽の畑の中を進んでいく。

 暫く歩いていると、一軒の小洒落た家を見つける。

 玄関前には、白いテーブルに同色の椅子が二脚。

 そして、椅子に座ってティータイムを満喫している、一人の綺麗な女性。

 優雅な手つきでカップを持っており、彼女は穏やかな微笑を浮かべている。

 肩に乗せて差している日傘と併せて、まさに深窓の令嬢という言葉が似合う。

 かたん、と置かれたカップの音がやけに大きく響く。

 緑色のショートボブを揺らした女性は、私に深紅の目を向ける。

 

「遅かったわね」

「あれ、そう? 時間通りに来たと思ったんだけど」

「また、入口で花の香りを嗅いでいたからでしょう」

「あっはっは……ご名答」

 

 近づいて頬を掻く私に、女性は向かいの椅子に手を差し向けた。

 ありがたく座らせてもらうと、ティーポットを持った彼女がカップに紅茶を注ぐ。

 なみなみと液体が満ちていき、やがて最後の一滴が落ちる。

 そっと私の目の前にカップを置いた後、頬杖をついて微笑む女性。

 

「どうぞ」

「いただきます……うん、美味しい」

 

 本当に、それしか言葉が出てこない。

 前世のグルメ番組等で、ひたすら美辞麗句を並び立てる芸能人がいるが。

 今の私からすれば、彼等の言葉は薄っぺらく感じてしまう。

 単に私の語彙力がないだけかもしれないが、少なくともこの紅茶の味を言葉にする事はできない。

 相変わらず、素晴らしいお手前だ。

 

「美味しそうによく飲むわねぇ」

「いや、だって幽香の紅茶美味しすぎるんだもん」

「当たり前でしょ。私が育てたハーブで作った紅茶なんだから」

 

 当然だろう、と眉尻を上げた女性──幽香。

 口調からも強い自負が漂っており、自分の紅茶に絶対の自信を持っている事が窺える。

 まあ、幽香なら突然だ。

 なんたって、二つ名にフラワーマスターという名前がつくぐらいだし。

 さもありなんと頷き、私はカップを置く。

 

「さて、じゃあまずはここに来た目的を果たそうか」

「そうね」

 

 リュックから袋を一つと、タッパー容器を一つ取り出した。

 最初にタッパー容器の方を渡し、フタを開ける幽香に笑いかける。

 

「今回は、中々良い出来だよ」

 

 白魚のような指で、中から取り出した物を口に含む幽香。

 口元を手で覆いながら咀嚼しているだけなのだが、食べる姿一つを取っても優雅だ。

 また、どこか艶やかさも漂っている。

 そこらの美女なんて、裸足で逃げ出しそうな色気。

 今生では同性である私でも、幽香の仕草一つ一つにはドキッとさせられてしまう。

 ただ、今は別の意味でドキドキしているのだが。

 目を伏せて吟味している幽香を、緊張で手汗を滲ませながら見つめていると。

 顔を上げた彼女が、ハンカチで指を拭いて告げる。

 

「……ま、及第点といったところかしら」

「えー、採点厳しすぎない?」

「むしろ、これでも甘めよ」

 

 思わず口を尖らせるのだが、幽香の表情は涼しげのまま。

 残念だ。

 今回は、上手くいったと思ったのだが。

 先ほど幽香に食べてもらった物は、私が作ったきゅうりのぬか漬けである。

 幽香は植物関連に深い造詣があるので、こうしてアドバイスを貰ったりしているのだ。

 ちなみに、きゅうりの栽培方法等を教授してくれたのも、なにを隠そう目の前にいるフラワーマスターである。

 しかし、採点基準が厳しいので、中々合格点が貰えない。

 

「おっかしいなぁ。今回のぬか漬けなら、幽香も美味しいと言ってくれると思ったのに」

「不味くはないけど、それだけね」

「ちぇー」

 

 とはいえ、幽香は不味い物は不味いとはっきり言うタイプだ。

 最初のぬか漬けを食べた時なんか、眦を吊り上げて襲いかかってきたっけ。

 植物を冒涜するとはいい度胸しているじゃない、と。

 私個人は全くそのつもりはなかったので、ひたすら謝って許しを乞った。

 結局、色々とあってなんとかなったのだ。

 あの時は肝が冷えた。

 今生でベストスリーに入る、恐ろしい出来事だったと思う。

 ともかく、一応進歩はしているのだろう。

 激マズが普通──ただし、幽香基準である──になるぐらいには。

 

「まあ、貴女のぬか漬けからは、きゅうりへの愛を感じるからマシな方ね。植物をただの食料としてか認識していない者共の多いこと。花を愛さない奴も多いし……」

「ちょ、落ち着いてよ幽香!」

 

 嫌な事でも思い出したのか、幽香の全身から不穏な空気が流れ出す。

 ずしんと腹に来る威圧感。

 彼女の背後の空間が歪み、陽炎のようにゆらゆら揺れている。

 そして、微かに漏れている妖力。

 幽香本人にとっては、ただの絞りカスなのだろう。

 しかし、目の前にいる私にとっては、恐ろしい力としか感じられない。

 慌てて手を前に出す私を見て、目を据わらせていた幽香は嗤う。

 

「どうしましょう。身体が火照って辛いわ。ねぇ、みずは。この火照りを、貴女が鎮めてくれない?」

「セリフを卑猥にさせても、やる事はただの戦闘でしょ!?」

「あら、ヤるなんてみずはも乗り気じゃない」

「幽香のやるは殺す方のやるでしょーが!」

 

 瑞々しい唇に手を添え、淑やかに微笑む幽香。

 この場面だけを絵画として切り取れば、世の男は前屈みになってノックアウトするだろう。

 だが、煌々と光る殺意の瞳と、指の間から垣間見える三日月状に裂けている口元。

 どこからどう見ても、めちゃくちゃ元気な殺人鬼としか言いようがない。

 わたしゃしがない河童なのです。

 そこそこ平穏な日常に、ほどほどの刺激がスパイスとしてあるだけで充分なのです。

 決して、誰かと死闘を繰り広げたいわけではないのである。

 

「貴女とは、以前から()り合いたいと思ってたのよねぇ。噂で色々と聞いたわよ?」

「あー……あれは若気の至りというか。ただ単に調子に乗ってただけだから」

 

 痛いところを突かれた私は、思わず目を逸らして左腕を撫でた。

 河童なのに、天狗になっていた私。

 当時の私は絶頂期であり、できない事はあんまりないと有頂天になっていたっけ。

 で、結局ボコボコにされて、少なくない代償を払ってしまった。

 まあ、代わりに掛け替えのない人と出会えたし、今では良い思い出でもある。

 ……思えば、あの時から妖怪の山でも浮いている存在になっているような気が。

 文達以外の天狗とは親しくないし、むしろ避けられているような。

 

「あら、どうしたの? 突然悲しい顔をしちゃって」

「私って、あまり好かれてないのかもしれない」

「今更?」

「ひどい! あんまりにも、あんまりだよ!」

 

 こんなところで、ドSな幽香は求めていないのだが。

 口をへの字に結んだ私に、サディスティックレディーが呆れた表情を向ける。

 

「自分で言うのもなんだけど、私って人間の間で恐れられているのよ? そんな気難しい妖怪に好んで会いにいく河童なんて、貴女の同類や天狗からすれば狂ってるようにしか見えないわ」

「えぇー。それは、あいつらの見る目がないだけじゃん」

 

 確かに、幽香は気まぐれにイジメと称して妖怪達を殺す事がある。

 それは、仕方のない事だ。

 妖怪である私達にとって、気分で殺戮するのは呼吸と同意義である。

 ただ、理性がある大妖怪ともなれば、その本能を掌握して表に出さないのだが。

 幽香本人の場合、あえて本能に従って暇つぶししているのだろう。

 しかし、幽香は協調性もしっかりとある。

 最近は妖怪を殺す機会も減っているし、幼い人間や妖怪には穏やかに接している。

 子供に甘い、という事だろう。

 つまり、私はこう思うのだ──幼子に優しいゆうかりん萌え!

 

「ふっ!」

「あぶなっ!?」

 

 反射的に両手を合わせると、間一髪のところで幽香の日傘を止められた。

 あと一瞬でも反応が遅れていれば、私の顔はザクロのように弾けていただろう。

 頬を引き攣らせながら、私は目を細めている幽香に声を掛ける。

 

「な、なぜに私を殺そうとしたのでしょうか……?」

「貴女が不愉快な考えをしたからよ」

「いや、それは幽香の勘違いだと思います、はい」

「それならそれでもいいわ。愉快な河童の死体が一つ増えるだけだから」

「その考えは怖いって!」

 

 本心で言っているのか、冗談で言っているのか。

 私の切な叫びにも、幽香は艶然と微笑むだけであった。

 相変わらず、幽香の手の早さにはびっくりだ。

 少し気を抜いた矢先に、これだからね。

 友人としては好ましいが、こんな殺伐とした関係性は好きではない。

 まあ、それも含めて幽香なのだが。

 

「それで、私と()る気になったかしら?」

「滅相もございません! それより、ほら。新たに品種改良した土を検分してよ」

「…………仕方ないわね」

 

 一生懸命袋の方に目を向けていると、ようやく諦めてくれたらしい。

 迸る威圧を消した後、日傘を引いて差し直した幽香。

 袋を開いて中身を見ている彼女を尻目に、冷や汗を拭った私は安堵の息をつく。

 今回は、いつもより肝が冷えた。

 これが幽香なりの冗談だとわかっているが、やはり身に浴びると怖いものだ。

 とりあえず、待っている間は残りの紅茶を楽しもう。

 時間が経って冷めているが、それでも非常に美味しいし。

 口内に広がる芳醇な舌触りに感嘆しながら、私は幽香の姿を眺めるのだった。

 

 

 

 

 



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第四話 饅頭片手に異変観戦

 小さな光が飛んでいる。

 淡い輝きを放つホタルのようなそれは、紅い(・・)霧に覆われた幻想郷を漂う。

 風に乗せられているだけに思えたが、不意に光は規則的な動きで進行方向を変えた。

 チカチカと明滅してから暫し、やがて眼下に広がる深紅の館に向かう。

 ちょうど、二人の少女が門番らしき存在を倒したところで、堅牢な扉をぶち破っていた。

 ゆらゆらと揺れていた光は、彼女達の背後に張りついて一緒に館へと潜入。

 意思でも持っているのか、直ぐに天井付近まで飛び上がった光。

 光から見える一対の羽を羽ばたかせ、上空から少女達に付いていく。

 まるで、人が尾行しているように。

 暫くすると、広間の階段から一人のメイドが降りてきた。

 なにやら少女達と会話しており、やがて一人の少女がメイドと相対する。

 同時に、魔法使いのような格好をした少女が、箒に乗ってどこかへ行ってしまった。

 光は迷うように揺れていたが、やがて魔法使いの後を追うのだった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

「ふぅ……」

 

 慧音から貰った、質の良い緑茶を口に運んでいく。

 まったりとしながら、私は左右別々(・・・・)に映る景色に集中する。

 左目に入る光景は、いつも通り現代風である我が家のリビングだ。

 対して、右目には一人の少女の背中が見えていた。

 服装や箒に乗っている事から、恐らく彼女は霧雨魔理沙だろう。

 弾幕はパワーという持論を持っており、気持ちの良い性格をしている少女だ。

 ただ、この世界ではどうか知らないが、前世では本を死ぬまで借りようとしたり、色々とイイ性格でもあった。

 果たして、この魔理沙の性格はどうなのか。

 知らず知らずに笑みを浮かべながら、私は椅子の背もたれに寄りかかる。

 

「いやぁ、我ながら素晴らしい物を造ってしまった」

 

 魔理沙を追っている光。

 これは、私が発明した追跡装置だ。

 前世の勇者ゲームを形の参考にしており、便宜上は妖精さんと呼んでいる。

 なお、この世界のいたずら好きな妖精とは関係ない。

 この妖精さんは私の右目とリンクしていて、こうして離れた場所でも景色を見られるというわけだ。

 気分はさながら、防犯カメラを見ている警備員といったところか。

 観戦のつまみに饅頭を食べていた私は、この異変を楽しむ気満々であった。

 元々、原作である異変に介入するか悩んでいたのだが、あまり首を突っ込むのもどうかも考えたのだ。

 これは博麗の巫女である博麗霊夢が解決するべき内容であり、妖怪である私は部外者と言っても過言ではない。

 しかし、この幻想郷を揺るがす異変は、退屈を嫌う妖怪の性を持つ私からすれば、非常に魅力的すぎた。

 結果、妥協して観戦するだけにしたのだ。

 それに、これなら目をつけられる事もないので、ほどほどの平穏を守りたい私の目的とも合致する。

 

「異変をつまみに飲む酒は最高だね」

 

 と言っても、今飲んでいるのはお茶だが。

 しかし、もったいない。

 魔理沙達が別れるのはわかっていたので、妖精さんを二匹連れていけば良かった。

 リンクを切り替える手間があるが、これならば二場面の弾幕ごっこが見られたのに。

 まあ、霊夢達の方は、次の異変の楽しみにでも取っておこう。

 

「お、図書館か」

 

 妖精さんを伝って視界に広がる、壮大な本の群れ。

 それこそ無数の本棚がそびえ立っており、巨峰という単語が脳裏を過ぎった。

 本棚をなぞるように飛ばせば、様々なタイトルの背表紙が見える。

 私でも読める物から、魔術書らしき怪しい本まで。

 大いに好奇心が刺激されていき、思わず私は唇を舐めて身を乗り出す。

 

「読んでみたいねぇ……」

 

 この異変が終われば、紅魔館に入られるようになるはずだ。

 当主であるレミリア・スカーレットは気高いが、こちらが礼を尽くせば無下にはしないだろう。

 それに、もしかしたら前世の二次創作であった、俗に言うかりちゅまレミリアかもしれない。

 ただ、どちらであったとしても、私に紅魔館を訪れないという選択肢はなかった。

 椅子に座り直して饅頭を食べていると、魔理沙が紫の髪の少女と相対する。

 

「おお、パチュリーか」

 

 まさに魔女だという存在を思わせる、こちらまで伝わる厳かな雰囲気。

 長い間、魔法を研究していたからだろう。

 湖畔のように静かな双眸からは、飽くなき探究心と深い冷徹さが垣間見えていた。

 二人はなにやら話しているが、ここからでは声が上手く拾えない。

 近づきすぎると、流石に見つかってしまうだろう。

 妖精さんの稼働テストでは、文や慧音に見つからなかった。

 そのため、隠密性能等には自信があるが。

 魔法はそこまで詳しくないので、別のアプローチで見破られるかもしれない。

 付近の本棚の影に妖精さんを隠し、左目を閉じて視界を一つに絞る。

 恐らく、始まるのだろう。

 東方Projectの花形──弾幕ごっこが。

 

「おお!」

 

 始まりは、突然だった。

 弾けるように離れた両者は、小手調べと言わんばかりに弾幕を撃っていく。

 ただの通常弾だが、それでも一定の規則性は見える。

 上下左右、そして前後。

 三百六十度に広がる色とりどりの弾の群れは、私に大いな感動を与えていた。

 前世の東方Projectは、いわゆる2Dの画面だった。

 平面でも十分に綺麗な弾幕だったが、眼前で映される立体的な弾幕達は、やはり比べ物にならないほど美しい。

 自然と前のめりになりながら、私はこの弾幕ごっこに惹き込まれていく。

 魔理沙が一枚のカードを掲げると、出現した星型の弾幕がパチュリーへと駆ける。

 まるで、無数の彗星が現れたかのようだ。

 スペルカード──弾幕ごっこで使われる、必殺技のような物である。

 弾幕ごっこは、このスペルカードが鍵を握っていると言っても過言ではない。

 一人一人違う、スペルカードの形。

 それこそ人の数ほどあり、またどのスペルカードも美しい弾幕だ。

 

「これは、写真に撮りたいなぁ」

 

 妖精さんにシャッター機能はないので、残念だが心に焼き付けるしかない。

 気落ちする私をよそに、両者は互い互いに弾幕を魅せていく。

 魔女らしく、理詰めの動きで回避しているパチュリー。

 弾幕一つ掠らせないその手腕は、見事と手放しで褒められるであろう。

 暫くすると、魔理沙のスペルカードの効果が切れたのか。

 溶けるように弾幕が消え、同時にパチュリーがカードを掲げる。

 すると、彼女を中心に炎の渦が巻き起こり、瞬く間に円状に広がっていく。

 魔理沙は微かに面食らった表情を浮かべるも、直ぐにニヤリと表情に好戦的な色を宿す。

 箒を巧みに操り、炎の津波とも呼ぶべき弾幕を躱している。

 弾幕ごっこでは魔理沙に一日の長があるのか、パチュリーよりは幾分か余裕が窺える。

 卓越された技術で相手を追い詰める七曜の魔女と、裏打ちされた経験で流れを引き込む普通の魔法使い。

 ここに来て、危ういという枕詞がつくが、両者の戦況は均衡を保たれた。

 

「さて、どっちが勝つかな」

 

 どちらが勝っても、おかしくはないだろう。

 粗が目立つ魔理沙が回避し損ねるのか、はたまた攻めきれずパチュリーが落とされるのか。

 少し思考を巡らせていたが、直ぐに打ち切る。

 こういうのは、考えていても面白くない。

 予想をせずに楽しみ、この綺麗な弾幕を噛み締めるべきだ。

 急須に追加のお茶を注いでいる間にも、両者は一進一退の攻防を繰り広げていた。

 しかし、ここでなにかを掴んだのか。

 魔理沙の弾幕を避ける動きが、徐々に鋭利になっていく。

 実戦を通して、成長しているのだろう。

 魔法使いとして既に完成されている、パチュリー。

 対して、魔理沙はまだまだ伸び代が高い。

 それこそ、鯉が滝を登って竜になるかのように、恐るべきスピードで強くなっている。

 

「お、来るか」

 

 焦ってしまったのだろう。

 パチュリーの呼吸が微かに乱れ、魔理沙の姿を捉えきれなくなる。

 それに慌ててしまい、対応が追いつかなくなっていく悪循環。

 ここに来て、弾幕ごっこでの経験値が、勝負の差をつけ始めていた。

 パチュリーのスペルカードが終わり、数瞬両者の間を静寂が通る。

 紫の魔女が弾幕を放とうとするが、その機先を制するように。

 口角を吊り上げた金の魔法使い──魔理沙が、八卦炉を向けて高らかに叫ぶ。

 

『恋符「マスタースパーク」ッ!』

 

 ここまで伝わるほどの声量。

 ビリビリと電撃の如き震えが起き、八卦炉から極太のビームが撃ち出される。

 目を見開いたパチュリーが回避しようとするが、動くのには遅すぎた。

 自分に迫りくる力溢れる弾幕を見て、足掻く事を諦めたようだ。

 ビームに飲み込まれる直前、パチュリーは小さく笑った。

 徐々にマスタースパークは収束していき、最後は糸のように細くなって消滅。

 消えた弾幕の後には、目を瞑っているパチュリーの姿が現れる。

 しかし、気絶してしまっていたのか、ぐらりと身体が傾くと落ちていく。

 慌てた様子の魔理沙が飛び、彼女を抱きとめて地面に降り立つ。

 魔女達の弾幕ごっこは──魔理沙の勝利で幕を下ろした。

 

「……」

 

 その様子を最後まで見ていた私は、無意識に握っていた手を開いた。

 手のひらは汗に塗れており、多くの手汗をかいていたらしい。

 気がつけば、肩にも力が入っていた。

 ゆっくりと深呼吸をして、全身から力を抜いていく。

 

「ふぅ……」

 

 凄い。

 これが、弾幕ごっこか。

 魅入るというのは、まさにこの事だ。

 特に、最後の攻防。

 魔理沙がマスタースパークを放つ場面は、思わず手汗を握って興奮した。

 弾幕はパワー、という彼女の言葉も頷ける。

 あのビームは気持ちいいだろうし、圧倒的な力は胸を震わせた。

 

「良い物を見せてもらった」

 

 妖精さん越しでここまで感動したのなら、生で見たらもっとヤバいのだろう。

 今更だが、私も紅魔館に行けば良かった。

 まあ、行ったら行ったで、色々と面倒な事になるのだろうが。

 仮定のイフを考えていても、意味がないけど。

 

「うーん……」

 

 見たい物は見られたので、このままお暇しても問題はない。

 霊夢達の方は、今から向かっても間に合わないだろう。

 レミリアを一目見ておきたかったが、次の機会まで取っておこう。

 とりあえず、妖精さんに指示を出して──

 

「あ、そうだ」

 

 ふいに閃き、私は帰らせようとした妖精さんの動きを止めた。

 レミリアと言えば、忘れてはならない人がいたではないか。

 悪魔の妹と呼ばれる、狂気を宿した無邪気な破壊者──フランドール・スカーレットを。

 

「これは見ておかなきゃ損だよ」

 

 野次馬的思考が働いた私は、ほくそ笑んで紅魔館の地下へと向かわせる。

 いる場所は、大まかに見当がついている。

 あからさまに厳重な結界が張られており、恐らくこの先にフランドールはいるのだろう。

 

「楽しみだねぇ」

 

 己の好奇心を満たしてくれるであろう、地下室。

 眼前に広がるのは、一寸先の闇。

 深淵を覗いているかのような、邪な空気がこちらに流れ込む。

 良い妖力だ。

 遠くにいるのに、この妖気にあてられて気が昂りそうだ。

 浅く息を吸って意識を整えた後、目を細めて闇の先を幻視する。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 どちらにしても、退屈はしなさそうだ。

 チロリと唇を舐めた私は、結界を通り抜けて地下に続く階段へと進むのだった。

 

 

 

 

 



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第五話 賢者の来訪

 階段を降りた先は、暗闇であった。

 両脇にあるランプが辛うじて光を保っているが、廊下全体に漂う澱んだ空気。

 妖怪である私でも、ここに長くいると気が狂いそうになるだろう。

 こんな場所に、フランドールは四百九十五年、一人ぼっち。

 狂わないと思う方が、無理がある。

 

「とはいえ、本当に狂ってるのかはわからないけど」

 

 狂っている振りをしているかもしれないし、そもそもここにフランドールがいない可能性もある。

 厳重に警備されているから来てみただけで、ここに彼女がいると決まったわけではないのだ。

 まあ、十中八九この地下室にいるのは間違いないだろうが。

 迷路のような通路を飛びながら、とりとめもなく考えていると、妖精さんの視界に大きな扉が映る。

 ここまで近づく事で、改めて察する狂気。

 扉の隙間から漏れ出ており、可視化しそうなほど密度が濃い。

 

「さて、どうやって入ろうかな……おろ?」

 

 扉の一部分が欠けており、ここからなら潜り込めそうだ。

 妖精さんを下ろして扉に近寄ると、積まれた埃が目に入る。

 どうやら、瀟洒なメイドはこの地下室に行かせてもらえていないようだ。

 つまり、フランドールは生きた人間と会った事がない、と。

 まあ、だからなんだという話だが。

 ともかく、部屋に入った私は、直ぐに上昇して室内を見回す。

 

「これは、中々強烈だねぇ」

 

 一見すると、普通の女の子らしい部屋だ。

 可愛らしいぬいぐるみや、絵本等が納められた本棚。

 雰囲気もファンシーな感じで、ここまでならば微笑ましいだろう。

 しかし、所々壁にこびりついている血や、辺りに散らばる骨の残骸。

 ちぎれ飛んでいるぬいぐるみの破片等もあり、どこか薄ら寒くなるような光景だ。

 少女らしき無邪気な内装と、己の破壊衝動を表に出した末路。

 まるで、綺麗な二面性に分かれているかのように、両極端な部屋となっていた。

 一頻り観察し終わったあと、私はベッドの上にいる少女に注目する。

 彼女はベッドに腰掛けており、ぼーっと焦点の合わない瞳で虚空を見つめている。

 少女が僅かに身じろぎするたび、背中に生えている七色の羽が揺れ動く。

 キラキラと小さな光を放ち、今にも消えそうな少女の姿と相まって、どこか幻想的な雰囲気だ。

 身体年齢に見合わない表情を浮かべているのは、私の知っている通り──フランドール・スカーレットである。

 

「うーん」

 

 実物を見られて嬉しいのだが、同時に若干なんともいえなくなってしまう。

 前世での明るいフランドールを知っているからか、それとも傲慢さからの思いからか。

 端的に表すと、私はフランドールに同情していた。

 いつからこんな風になったのかはわからないが、少なくとも長い間この表情だったのだろう。

 植物のような在り方──まさに、生きる屍だ。

 今生は面白おかしく楽しんでいる私とは、正反対の思いを感じる。

 

「やりたいようにやればいいのに」

 

 フランドールは、吸血鬼だ。

 しかも、破壊という一点においては、他の誰の追随も許さないほどである。

 妖怪としての種族に優れており、また能力の才能にも恵まれている。

 何故、こんな場所に篭っているのか。

 思うがまま、外に出て暴れれば良いのに。

 前世では特に気にならなかったのだが、改めて目にすると疑問を抱く。

 狂気を宿しているはずのフランドールが、どうして大人しく地下室にいるのか、と。

 

「……戦っている?」

 

 外に出たい狂気と、レミリアを困らせたくない純粋なフランドールの気持ちが。

 それならば、ここにいる理由も納得できる。

 仮に、私の推測が正しかったとすると、四百九十五年の間、独りで自分の狂気と向き合っていたのだろう。

 

「強いね」

 

 身体はもちろん、その心も。

 だけど、気に入らない。

 誰かに気を遣っているその様子が、どうしようもなく腹が立つ。

 妖怪らしく傲慢に、全てを見下せばいいのに。

 

「……そうだ」

 

 私が──フランドールの狂気をなんとかしてやろう。

 そうすれば、こんな暗い場所で閉じこもる事もなく、外で吸血鬼としての力を振るうだろう。

 気の赴くまま、自由に生を楽しんでくれるはずだ。

 こんな無機質な表情は、見ていたくない。

 フランドールには悪いが、私のやりたいようにやらせて貰う。

 自然と笑みが浮かびながら、私はフランドールの前に妖精さんを飛ばす。

 ゆっくりと降りてきた視線と絡み、彼女は微かに目を見開く。

 

『あなたは、だぁれ?』

「私はしがない妖精さんさ。この館を散歩していると、君を見つけたのでね。興味が湧いて来てみたんだよ」

『ふぅん』

 

 興味なさげに呟く、フランドール。

 相変わらず目の焦点は定まっておらず、表情筋がピクリとも動いていない。

 これは、思ったよりも重症だ。

 自分の中で、全てが自己完結している……例外が、レミリアの言いつけなだけで。

 心を動かさないようにしているのだろう。

 感情面を表に出しすぎると、狂気が外に溢れてしまうから。

 半ば当てずっぽうの憶測だが、あながち間違っていないと思う。

 というか、狂気を内に溜め込みすぎているから、こうして危うい状態になっているのではないだろうか。

 ある程度発散すれば、もう少し笑ったりできると思うのだが。

 フランドールの様子を観察しつつ、私は言葉を繋ぐ。

 

「君は、どうしてこんなところにいるのかな?」

『お姉様がここにいろって言ったから』

「黙って外に出ればいいじゃないか。少しぐらい外に出たって、大丈夫だよ」

『ダメなの。私がここにいないと、全部壊しちゃうから……』

 

 途中で言葉を区切ると、フランドールは胸を押さえた。

 堪えるように目を伏せており、徐々に妖気が立ち上っていく。

 ほの暗く、それ以上に邪悪な妖力。

 禍々しさすら感じるそれを、彼女は一生懸命抑えようとしていた。

 対して、私は右眼に妖力を集めて意識を鋭くしていく。

 これは、チャンスだ。

 フランドールの、意識と狂気がせめぎ合う狭間。

 二つの感情を同時に見られるのは、今を置いて他にない。

 

『ぐ、ぐぐ……』

 

 苦しげな呻き声を上げる、フランドール。

 室内に重苦しい威圧感が漂い、重力が何倍にもなったような錯覚に陥る。

 妖精さんを通じて、私にも彼女の威圧は届いていた。

 額に一筋の冷や汗を垂らしながら、私はひたすらフランドールに意識を傾けていく。

 見る。

 観る。

 視る。

 覗る。

 看る──みえた!

 同時に、視界の端にあるぬいぐるみが、なんの前触れもなく破裂した。

 

「っ!」

 

 思わず肩を震わせた私は、傾けていた意識をフランドール全体に広げる。

 いつの間にか彼女は右手を閉じており、笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

 

『フフッ』

 

 子供のような無邪気な笑顔とは裏腹に、フランドールの表情は恐ろしい。

 内から滲み出る狂気に彩られ、その形相は醜いとすら思ってしまう。

 これが、フランドールの狂気か。

 想像以上に、堕ちている。

 鬱憤が溜まっている、とありありとわかる面持ちだ。

 仕方ない事だとわかっているが、レミリアもフランドールの気晴らしに付き合えば良かったのに、と柄にもなく悪態をついてしまう。

 数瞬で呼吸を整えた私は、ゆっくりとした口調で尋ねる。

 

「いきなり、どうしたんだい?」

『ねぇ、妖精さん。わたしと遊びましょう?』

「遊び?」

 

 私の問いかけには答えず、フランドールはベッドから下りる。

 空に飛んでくるくると回り、七色の光を降り注いでいく。

 この光景だけを見れば、思わず見惚れるぐらいに良い風景だろう。

 その中心のフランドールが、狂の貌を宿していなければだが。

 

『妖精さん。今からわたしが掴まえるから、それから逃げてね』

「いや、私はまだやると言ったわけじゃ──」

『じゃあ、いくよ!』

 

 話が通じていないのだろう。

 一方的に言い切ったフランドールは、回るのをやめると右手を突き出した。

 瞬間、私の背筋に物凄い悪寒が走る。

 視界に映る光景がスローになっていき、フランドールの右手が遅々と閉じられていく。

 まずい。

 あれは、いけない。

 止めなければ。

 止めなければ、なんだ?

 死ぬ。

 あっさりと、殺される。

 アリを潰すように、呆気なく命を摘み取られてしまう。

 だけど、どうやって止めればいい?

 フランドールの手は、もう閉じられようとしている。

 このままでは、間に合わ──

 

「ぐぅぅぅぅぅぅうううッ!」

 

 咄嗟に、妖精さんとのリンクを切る。

 だが、フランドールの能力は私の元にまで届き、右目が爆発した。

 訪れる激痛を耐えながら、私は目を押さえて歯を食いしばる。

 もがいた事で湯のみが肘に当たり、倒れ込んでお茶を零す。

 涙で滲む左目を動かし、タオルを探していく。

 直ぐ手前にあるのを見つけたので、それを取って右目に添える。

 いまだに酷く痛いが、幾分か慣れて状況を省みる余裕ができた。

 

「……末恐ろしいね」

 

 能力については、知っていた。

 フランドールの【ありとあらゆるものを破壊する程度の能力】。

 彼女だけに見える目を握る事で、文字通りあらゆるものを壊す事ができる能力だ。

 あまりにも規格外な能力に、私は口の中で笑みを殺した。

 この身に受けて、実感した。

 あの能力は、妖怪としての存在をも揺るがす物だと。

 被害は替えがきく(・・・・・)右目だけで、良かった。

 あと少しでも判断が遅れていれば、私の顔右半分は粉微塵になっていたに違いない。

 そして、破壊された事が自然だと身体が認識して、顔が再生しないままになっていただろう。

 可憐な少女が持つには、とてつもなく恐ろしい能力だ。

 

「はぁ……とりあえず、治療をしよっと」

 

 ため息をついた私は、救急箱を取りに向かうのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 右目を中心に包帯を巻いた後。

 テーブルの汚れも拭き取り、私は椅子に深く寄りかかっていた。

 チクチクと刺さるような痛みにも慣れ始め、ひとまずは一安心といったところだろう。

 治癒能力の高さは、流石妖怪といったとこか。

 あるいは、妖怪の再生能力を持ってしても、容易に治せないフランドールの能力を賞賛するべきか。

 どうでもいい事を考えながら、私は思考を整理していく。

 恐らく、妖精さんはフランドールによって破壊されただろう。

 あの能力を受けて、無事で済むはずがない。

 しかし、収穫はあった。

 私の眼にはしっかりと、フランドールの内面が映し出されていたのだ。

 

「あとは、二つのバランスをどう崩すかだねぇ」

 

 狂気に覆われた心の中に宿る、小さな光。

 あの輝きを引っ張りだせば、フランドールは自身の狂気を抑え込めるだろう。

 そこは、私の腕の見せどころってね。

 一頻り笑った後。

 いまだに昂っている感情を鎮めながら、私は目を細めて呟く。

 

「それで、いるんだろう?」

「──あら、見つかってしまいましたか」

 

 向かいの椅子に、一人の女性が座っていた。

 まるで、アニメーションのコマとコマの間に入り込んだかのように。

 いつの間にか──という言葉すら、生ぬるい。

 初めからそこいた、と脳が認識するほどの自然さで、彼女はここに現れたのだ。

 扇で口元を隠している女性は、紫水晶色の瞳をこちらに向けている。

 座っているだけで感じる、底知れない雰囲気。

 先が見えない奈落の底を覗いているかの如く、あるいは果てのない天を仰いでいるかの如く。

 彼女からは、圧倒的な威厳が自然と滲んでいた。

 女性の背後にも、一人の女性がいた。

 伏し目がちに佇むその姿は、目の前にいる女性に心からの敬意を表している。

 両者共に幽香に並ぶ妖力を持っており、同時に私の知り合いだ。

 

「今日は気配が敏感になっててね。紫の気配がなんとなくわかったんだよ」

「なるほど。それならば、納得ですわ」

 

 絹のような黄金色の髪を揺らし、女性──紫は小さく頷いた。

 細められた瞳は叡智が渦巻いており、凄まじい速さで思考をしているのだろう。

 紫の演算能力は、恐らく妖怪一だ。

 こちらが一つの事を考える間に、彼女は千の物事を考えている。

 それほどまでに、紫とそれ以外に隔絶された差があった。

 

「ほい、お茶」

「いただきますわ」

「藍もどうぞ」

 

 扇を閉じて湯のみを持つ紫を尻目に、私は背後の女性──藍にも勧めた。

 しかし、彼女は申し訳なさそうに首を振るのみ。

 今この場では従者としている、と言外に示しているようだ。

 プライベートならもっと気安いのだが、これは真面目な話でもするのだろうか。

 もてなしが終わった私が席につくと、見計らったように紫が口を開く。

 

「異変は解決しました」

「おろ? そうなんだ? いやー、ここからだとよくわかんなかったけど、解決したのなら良かった良かった」

 

 頭を掻いて朗らかに笑う私を、紫はじっと見つめていた。

 宝石そのものと言えるほどに輝き、人間味を感じさせない瞳で。

 無言で視線を絡ませあってから暫し、不意に紫が表情を和らげる。

 すると、先ほどまでの張り詰めた緊張感は消え失せ、代わりに穏やかな空気が満ちていく。

 

「随分と、酷いしっぺ返しを食らったようね」

「あー……わかっちゃう?」

「当然ですわ。みずはの存在が揺らいでいますもの」

「え、マジ? そこまで危険な状態だったかぁ」

 

 予想以上に、私は危なかったらしい。

 一撃で河童を殺しかけるとは、流石吸血鬼といったところか。

 まあ、一週間ほど安静にしていれば、大丈夫だろう。

 長年の経験からそう結論づけ、お茶請けの饅頭を口に運ぶ。

 そんな呑気な私の様子を、呆れた表情で一瞥した後。

 気品溢れる所作で、紫は宙に指を滑らせた。

 相変わらず、見惚れるような動きだ。

 幽香を動の妖艶と表すのならば、紫は静の妖艶といったところだろう。

 大和撫子のような淑やかさな仕草の節々に、とてつもない艶やかさが含まれている。

 また、交渉時に覗かせる胡散臭さと合わせれば、年齢不詳の絶世の美女という感想に落ち着く。

 見た目は少女なのだが、雰囲気が大人っぽく見せているのだ。

 不意に、前世での言葉を思い出す──ゆかりんさんじゅうななさい。

 

「みずは?」

「うぇい!?」

「今、なにを考えていたのかしら?」

「えっと、紫ってすっごく綺麗だよねぇって」

「……そう」

 

 思った事を素直に告げると、珍しく返事までに間があった。

 紫の顔を見てみれば、頬が微かに赤く色づいている。

 これは意外だったのだが、なんと紫は誰かに褒められた経験が少ないらしい。

 普段の胡散臭い雰囲気が全面に出ているからか、誰もが彼女を敬遠しているのだ。

 しかし、フタを開けてみればどうだ。

 こんなにも少女らしい、可愛らしい反応を見せるではないか。

 幻想郷の人達の見る目がない、と思ってしまう私であった。

 自然とニヤニヤしていると、紫は一睨みしてから手のひらを上に向ける。

 そこには、一粒の球が乗せられていた。

 

「これは?」

「触媒よ。これには私の妖力が込められているから、今まで以上の眼になるはずだわ」

「……紫には敵わないなぁ」

 

 苦笑いを一つ。

 誰にも言っていなかったのだが、私の絡繰はお見通しのようだ。

 紫が察した通り、元々私の右目は義眼だった。

 こうなってしまった経緯は当然あるのだが、色々と苦い記憶と共にある。

 私の左腕と右目を失った出来事。

 思えば、紫ともその時からの付き合いだ。

 そう考えると、彼女が知っていてもおかしくはないだろう。

 

「幻想が込められた触媒と、それを否定する科学技術。一見矛盾している二つを組み合わせ、義眼を創造する──その手腕には脱帽ね」

「私からすれば、紫の地頭の良さの方が凄いと思うけどねぇ」

「あらあら。みずはに褒められちゃった」

「全然嬉しそうな顔をしないくせに」

 

 紫にとっては、当然の賞賛だからだろう。

 他人に呼吸ができて凄いと言われても、素直に喜べないものだ。

 彼女の中では、そういう次元なのである。

 紫の偉大さを再認識した私は、ありがたく球を受け取って仕舞う。

 

「渡す物は渡せたし、もう行くわね」

「あいあい。またいつでも遊びに来てねー……あ、そうそう。藍には用事があるから、少し借りてもいい?」

 

 そう尋ねながらも、私の視線は藍のある部分に釘付けだった。

 ゆらゆらと柔らかく揺れている、九つの金の絨毯。

 ここからでも質の良さは容易に窺え、正直もう辛抱たまらない。

 無意識に手をワキワキさせている私に、紫はため息をついて口を開く。

 

「好きにしなさい」

「よっし! らーん! こっちにいらっしゃいっ!」

「わ、わかったから御手柔らかに頼む……本当に」

「善処するー!」

 

 藍の九尾は魔性なのである。

 一度触れてしまえば、中毒になるほどのめり込んでしまう。

 流石は傾国の美女だ。

 ここまで私を虜にしてしまうとは……藍しゃま、侮れぬ。

 藍と戯れ始めた私を見て、紫はもう一度ため息をつくのだった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

 無数の目玉が覗く、不気味な空間。

 普通の人間がこの光景を見てしまえば、理性が容易く打ち砕かれて発狂してしまうだろう。

 そんな恐ろしい場所を、日傘を差している紫は我が物顔で進む。

 当然だ。

 この空間は、紫によって創られたスキマなのだから。

 境界を操ってスキマを創造して、あらゆる場所へ行ける移動手段になっている。

 もちろん、紫の能力の規模はこの程度ではない。

 恐らく……いや、ほぼ間違いなく、紫の【境界を操る程度の能力】は、もっとも応用力に優れ、それ以上に強力な能力であろう。

 局地的には、この能力を上回る物があるかもしれない。

 しかし、総合力として考えると、紫以上の能力はないと言ってもいいだろう。

 ただ、紫は何名か己に匹敵する……あるいは、それ以上の能力者を知っているが。

 スキマを通り過ぎると、自分の家であるマヨヒガの居間にたどり着く。

 藍はみずはの元に置いてきたので、現在は紫一人だけだ。

 縁側に歩いて腰を下ろし、ししおどしの音色を楽しむ。

 

「……」

 

 かこん、と小気味よく響く。

 自然と癒されるような雰囲気が漂っていたが、紫の顔色は芳しくない。

 扇の先を唇に添えながら、眉根を寄せて思案していた。

 紫にとって、みずはは良き理解者である。

 昔から自分の夢を手伝ってくれて、今も紫が愚痴を零しに来ても、嫌な顔一つせずに聞いてくれる。

 友人の名前を述べよと言われれば、何人かと一緒にみずはの名前が挙がるぐらいだ。

 それほどまでに信用しているし、また信頼もしている。

 好意もある。

 様々な者から胡散臭い妖怪と思われる中、みずはは変わらずに接してくれているからだ。

 もちろん、その他の有象無象にどう思われようと、紫にとっては心底どうでもいい。

 しかし、やはり心を通わせる友人がいるだけで、自分は救われていると理解していた。

 藍もみずはの事を好ましく思っており、できれば末永く仲良くしたいところだ。

 

「ふふっ」

 

 しかし、それ以上に──みずはには利用価値があった。

 彼女の能力による閃きに、紫をして警戒せざるを得ないその眼。

 みずはの眼……いや、能力には、比喩でなく森羅万象を見通す力がある。

 彼女が河童という種族だからこそ、その能力が劣化して閃きだけに収まっていた。

 紫の脳裏を過ぎるのは、みずはの能力が開花した時。

 左腕を引きちぎられ、右目を抉られ、今にも死にそうだったあの日。

 確かにその瞬間、みずはの中でなにかが変わったのだろう。

 少なくとも、傍から見ていた紫が一目でわかるほど、彼女の雰囲気は異質であった。

 

「うふふっ」

 

 不意に思い立った紫は、スキマを使って幻想郷の中心に転移した。

 スキマに腰を下ろし、空から眼下に広がる景色を見つめる。

 紫にとっては、恐れるに足らない人妖が住まう楽園。

 ずっと焦がれて、ようやく手に入れた大事な大事な宝物。

 自分の宝を壊そうとする者が現れたのなら、紫は幻想郷を愛する者として対応するだろう。

 それこそ、誰に喧嘩を売ったか、文字通り死ぬほど後悔させるまで。

 ただ、普段の異変に関しては、博麗の巫女に任せる所存であるが。

 

「貴女の目には、幻想郷はどう映っているのかしらね」

 

 己の式と戯れている河童に思いを馳せ、紫は少女然とした笑みを浮かべる。

 彼女の性格ならば、紫が誘導しなくとも幻想郷を守ってくれるだろう。

 また、自分が困っている時には、その能力を惜しみなく使ってくれるはずだ。

 それ以上に、友人だからという理由で、自分を支えてくれる確信がある。

 

「幻想郷は全てを受け入れるのよ」

 

 一体、みずはは自分になにを魅せてくれるのだろうか。

 己の手のひらで転がる内は、愉しませてもらおう。

 だが、手のひらから余るような存在になるのなら、その時は──

 

「紫様」

「あら、もういいの?」

「はい。みずはには満足していただけましたので」

「そう」

 

 瞬時に主としての面立ちに戻り、紫は頭を下げる藍を一瞥する。

 彼女の手には二つのタッパーが握られており、みずはの迂闊さにため息を漏らす。

 どこから知識を仕入れているのかわからないが、彼女は外の世界の物を造っている事がある。

 今回のタッパーが良い例だ。

 本人は隠しているつもりなのだろうが、紫にとっては子供の誤魔化しにしか思えない。

 今度、一つ忠告でもしておこうか。

 顔色を真っ青にして慌てるみずはの姿を幻視して、自然と紫は口元に弧を描く。

 

「紫様?」

「なんでもないわ。それで、そのタッパーの中身はなにかしら?」

「稲荷寿司ときゅうりのぬか漬けです」

 

 どこか、藍の表情は嬉しげなのは見間違いではないだろう。

 九尾が左右に揺れており、よほど稲荷寿司が喜ばしいと理解できる。

 また、紫もみずはのぬか漬けが大好物であり、浮かべていた笑みに歓喜の色を宿す。

 

「じゃあ、しばらくはこれが食べられるわね」

「はい。私も、楽しみです」

 

 笑顔で頷き合う主従。

 スキマを開いて入り込み、閉じる間際にもう一度、紫は幻想郷を眺める。

 改めて自分の気持ちを再確認した後、居間に戻ってスキップしそうな藍の背中を見送る。

 これから、ご飯の支度をするのだろう。

 紫の目からでも、彼女の機嫌の良さは一目瞭然だ。

 

「まったく……」

 

 二人がみずはに友好的なのは、もしかしたら胃袋を掴まれたからかもしれない。

 ふとそんな考えが過ぎった紫は、心の中で苦笑いをするのだった。

 自分も柔らかくなったわね、と思いながら。

 

 

 

 

 



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第二章 河童と紅魔館
第六話 意外な訪問者


 紫来訪から、少し日が経ち。

 異変解決後に霊夢達は宴会をしていたが、部外者である私は気を遣って行かなかった。

 ただ、楽しそうな様子は遠目から確認していたので、羨ましくなった私は、文を自宅に呼び出す事にしたのだ。

 何故か文は微妙な顔をしていたが、なんとか承諾を貰えたのである。

 そして、宴会から数日後の現在。

 私達は雑談を交わしている。

 

「いやー、異変も終わったねぇ」

「そうね。あっさりと終わりすぎて、物足りないわ」

「あれ? 文って、異変に肯定的だったっけ?」

「もちろん、新聞のネタになるからに決まっているじゃない」

 

 堂々とそう告げると、文はテーブルにあるせんべいを手に取る。

 普通の醤油せんべいならば、色が茶色だろう。

 しかし、文が手に持っているせんべいは、なんと緑色をしていた。

 口に運ぶのを躊躇っているのか、彼女はなんとも言えない表情で私に目をやる。

 

「どうしたの? 食べないの?」

「いや、あのねぇ……これ、なに?」

「なにって、せんべいだけど」

「私が知っているせんべいは、こんな不気味な色をしてないわ」

「失礼だな!」

 

 これは、私が最近作ったきゅうり味のせんべいだ。

 前世からきゅうりは好きであったが、今生ではソウルフードと呼べるほど、私の好みとなっている。

 私はきゅうり味がしていれば、姿形は問わない。

 だから、こうして試行錯誤して、きゅうりお菓子を開発しているのだ。

 仲間の河童に見せると、このせんべいは邪道だとか憤慨されてしまったが。

 ともかく、私のきゅうりへの愛が、せんべいの新たな境地に至ったのである。

 もちろん、合成着色はしてなく、無添加で身体にも優しい。

 と、文に説明すると、大きなため息が返ってきた。

 

「もうなにも言えないわ」

「なにも言えないのなら、さっさとそのせんべいを食べたまえ! さあさあさあ!」

「わ、わかったわよ……」

 

 私の勢いに圧されたようで、渋々といった様子でせんべいをかじる文。

 もぐもぐと咀嚼してから暫し、目を丸くして驚きを露わにする。

 

「どう? 美味しいでしょ?」

「本当ね。なんで、ただのきゅうり味が美味しいのよ」

「そんなの、きゅうりだからに決まってるじゃん!」

 

 胸を張る私に、文はジト目を向けた。

 表情からは不満が見えており、あまり納得していないのだろう。

 実際は味覚の美味い、と思う部分を刺激しているからなのだが。

 前世であった、アボガドにわさび醤油をつけるとトロの味がする、の原理を参考にしたのだ。

 文の感想を聞く限り、上々で良かった。

 私が食べても美味しいとしか思わないから、こうしたモニターが欲しかったのである。

 ゆくゆくは人里で流行らせ、幻想郷中にきゅうり信者を増やすのが目的だ。

 まあ、半分冗談だが。

 東方胡瓜愛──なんて異変が起こったら、色々な意味で紫が泣いてしまう。

 幻想郷は全てを受け入れるが、流石にこれは残酷過ぎる。

 住人の頭の中が、きゅうりで埋め尽くされてしまうのは。

 

「変な風に笑わないでよ、気味悪い」

「おっと、顔に出ちゃったか。あはは、ごめんごめん」

「まったく……ぶほっ!?」

 

 頭を掻いた私を尻目に、私が用意したお茶を飲む文だったが。

 驚いたようにむせ、目を見開く。

 ある程度予想していた反応だったので、私は一転してニヤリと笑いかける。

 

「どうだい? きゅうり味のお茶は?」

「ごほっ、ごほっ……普通のを飲ませなさい!」

「えー、ダメだった?」

「当たり前よ! 私は河童じゃないんだから」

 

 残念だ。

 今回はハズレだったか。

 いや、いきなりの味で驚いただけだろう。

 見切りをつけるのは、まだ早い。

 数瞬思考を巡らせた私は、文に味の感想を尋ねてみる。

 

「それで、美味しかった?」

「……微妙」

 

 次回までには、文に美味いと思わせるきゅうり茶を作ろう。

 内心で決意を固め直した後、私達はとりとめもない雑談をしていく。

 

「最近どう? 天狗の新聞では、例の異変が取り上げられてたけど」

「どうもこうも、情報が足りないわね。一応、私も触りだけ触れておいたけど、詳しくは実際に取材をしてからよ」

「久しぶりの刺激だから、文も乗り気だねぇ」

「当然。……そういえば」

 

 浮かべていた笑みを消すと、文は私の右目に視線を転じた。

 黒の眼帯を巻いており、現在の私は片目でしか視界が見えない。

 これは、フランドールを見にいった時の代償だ。

 紫に触媒を渡されたとはいえ、義眼を作るのには時間がかかるので、こうして眼帯を身につけて応急処置を施している。

 私が見慣れない装備をしていたから、それが文にとって不思議だったのだろう。

 瞳には並々ならぬ好奇心が宿りはじめ、全身から記者としての顔が露わになっていた。

 表情に友人としての色が消え失せ、代わりに完璧な営業スマイルが貌に乗る。

 

「あやや。みずはさんのその目……詳しい話を伺いたいですねぇ」

 

 見た目は美少女で、笑顔も朗らかで隙がない。

 雰囲気からも真摯な記者と窺え、初見では天狗なのに腰が低いと思えそうだ。

 しかし、観察眼に鋭い大妖怪や、文の本性を知っているごく僅かな者。

 彼等が注意深く意識を尖らせば、彼女の瞳の奥──更に底で潜む中に、こちらを見下す感情を覗く事ができるだろう。

 妖怪としての強い自負を持ち、また天狗として仲間以外を下に見る。

 いや、同じ天狗仲間ですら、文にとってはどうとも思っていないかもしれない。

 彼女にはそれほどの傲慢さがあり、またその鼻につく思考が許されるだけの力があった。

 ほとんどの人に自身の感情を悟らせない、非常に狡猾で世渡りが上手い天狗──それが、射命丸文の本性である。

 まあ、色々と考えたが。

 意外と可愛らしい部分も知っている私からすれば、腹黒天狗もありだと頷けてしまう。

 ……こんな事を考えている私の方が、ある意味傲慢なのかもしれないか。

 思わず苦笑いをした私は、椅子から降りて口を開く。

 

「これは、ちょっとしくじってね」

「ほほぅ。あのみずはさんが、しくじったのですか。これはこれは、妖怪の山で騒ぎになるネタですねぇ。是非とも、その辺の詳細を教えていただきたいですね」

 

 いつの間にかペンとメモ帳を手に取り、興味津々の笑顔で身を乗り出す文。

 ともすれば、パパラッチに見えるような、強引な口調だ。

 しかし、仕草や声色の節々からは、そのような様子を微塵も感じさせない。

 記者として、話を伺う相手を不快にさせないのが文のやり方だ。

 巧みな話術に、自身の恵まれた美貌を活かし、取材対象者から気持ちよく情報をすっぱ抜くのである。

 内心で、容易く話す相手を嘲笑いながら。

 これは私の推測が混ざっているが、あながち間違っていないと思う。

 文と長い間関係を持っていると、自ずとそんな思考が透けてしまうのだ。

 なお、文がそんな風になるのは取材の時だけで、天狗として前に出るのなら、弱い者にはむしろ不遜な態度を見せつけている。

 そうした切り替えの早さも、文の狡猾さゆえだろう。

 

「詳しく知りたいの?」

「ええ、ええ。もちろんですとも」

「と言っても、大した事じゃないよ。異変を見学していたら、こうプチッと右目を潰されただけ」

 

 右手を閉じてそう告げると、文の頬が少し引き攣った。

 ペンでメモしながら、目を細めて言葉を繋ぐ。

 

「みずはさんをして、回避できない攻撃ですか。これは俄然興味が湧いてきました」

「うーん、気になるのはいいけど、直接会うのはやめた方がいいと思うよ」

「何故ですか?」

「文でも危ないから、かなぁ」

「……ほーう。これでも私、幻想郷最速だと自負しているのですが。それなりに強いとも思いますが、それでも危険だと?」

 

 文の細められた瞳に、ちろちろと火が灯る。

 どうやら、自分が下だと思われた事が、私の想像以上にムカついたらしい。

 しかし、相手はあらゆるものを破壊できる吸血鬼だ。

 いくら文でも、戦ったらタダでは済まないと思う。

 

「まあ、負けるとは思ってないけど、最悪相討ちになるかもね」

「そこまで言うほどですか……わかりました。心に留めておきましょう」

「話がわかる友人で、嬉しいよ」

「それで、なくなった右目を隠すために、眼帯をしているというわけですか?」

 

 あっさりと、友達云々のくだりはスルーされた。

 ちょっと悲しいと思ってしまったのは、胸のうちに秘めておこう。

 ともかく、文の言葉に頷いた私は、左手を開いて右目に翳す。

 薬指と小指だけは閉じ、バッと架空のマントを翻す仕草に合わせて言い放つ。

 

「我が名はみずは! 河童随一のきゅうり愛好家にして、義手と義眼を操る者! 私の科学技術は世界一ッ!」

「……うわー、これはないわ」

 

 素に戻った文の言葉に、私は顔全体に熱を持ってしまう。

 せっかくの眼帯なのだから、前世の記憶を使ってノッてみたのだが。

 予想していたより、かなり恥ずかしい。

 厨二的な言動をするには、私の心が汚れすぎていた。

 とはいえ、そもそも私の姿が厨二っぽいので、なにを今更という話なのだが。

 改めて、アクティブに行動してみると、なんというか心に来たのである。

 まあ、意外と楽しかったし、今は妖怪の身なのだ。

 少しぐらい弾けても、問題ないだろう。

 自己弁護しながら平静を装り、コホンと咳払いを一つ。

 

「というわけで、眼帯をしているんだ」

「誤魔化しましたね」

「だから! 今の私は弱体化しちゃったんです!」

「はぁ、そうですか」

「ちょっと、そのニヤニヤはなんなの!? 記者の仮面が剥がれかけてるよ!」

「おお、怖い怖い。みずはさんに睨まれると、怖くて死んでしまいそうです」

 

 か弱い口調とは裏腹に、文の口元はイヤらしく吊り上がっている。

 前世で見た、きめぇ丸のような表情だ。

 正直、ひっじょーに腹が立つ。

 私の身から出た錆とはいえ、その小馬鹿にした流し目はいけない。

 

「くっ……!」

「あやや。怒ってしまいましたか」

 

 肩を竦める素振りが似合っているという、納得がいかない文の態度。

 様々な面に彩るその面持ちは、紫に似た器用さを窺わせる。

 流石は古参の妖怪、といったところか。

 大妖怪らしい雰囲気は全く感じさせないが、文は幻想郷でもトップクラスに強い。

 だからと言って、私が臆する理由にはならないのだが。

 

「そうだ。私と弾幕ごっこしよう。きっと、楽しいよ?」

「これにかこつけてボコしてやる、という浅はかな狙いが見え見えです。

 何故、私がみずはさんの茶番に付き合わなければいけないんでしょうか──と、普段なら返すけど」

 

 皮肉が効いた口調から、天狗としての文が表れていく。

 顔には珍しく好戦的な色を宿し、立ち上がると唇を不敵に歪める。

 

「弾幕ごっこは、体験してみたかったのよね。いいわよ。やりましょうか」

「お、そうこなくっちゃねぇ。手加減なんてしてくれるなよ?」

「するわけないじゃない。貴女が万全じゃないとはいえ、そこで驕るほど落ちぶれちゃいないわ」

 

 バチバチと、文と火花を散らす。

 室内は緊張感で張り詰められ、妖力と妖力がぶつかり合う。

 文の全身から風が吹き、渦巻いて部屋中を駆け抜ける。

 その余波だけで窓が割れそうになっており、文の強さが垣間見えるだろう。

 

「じゃあ、早速外で……うん?」

 

 インターフォンが鳴った。

 こんな良いところで、まさかの来客である。

 それも、インターフォンの使い方を知ってる人が。

 幻想郷にこんな物はないので、尋ね人は自然と私の知り合いだろう。

 文と視線を絡ませ、やがてどちらともなく気を鎮める。

 やる気が失せ、ため息をつく。

 

「やるのは、次の機会にしましょうか」

「そうだね。私は玄関に行ってくる」

「はいはい」

 

 手を振って見送る文を尻目に、私は玄関に向かう。

 まったく、タイミングが悪いのにもほどがある。

 文と戦う機会はなかなかないので、かなり貴重だったのに。

 こうしたじゃれ合いを、幼馴染みとしたかったのだ。

 思わず不機嫌になりながら、勢いよく扉を開けていく。

 

「はいはーい。どちら様──」

 

 途中で言葉に詰まると、私は目を大きく見開いた。

 唖然と固まり、目の前で頭を下げる来訪者を凝視する。

 いつかはここに来るかもしれない、と漠然には思っていたが。

 まさか、こんなに早く相見える事になるとは。

 

「滝涼みずは様ですね」

「そう、だけど」

「我が主が滝涼様をお求めです。今から我が館へ来ていただけないでしょうか」

 

 断定口調で告げた、少女。

 慇懃に頭を上げると、夕陽に反射して輝く銀髪が揺れる。

 見惚れるほどの涼やかな美貌や、吸い込まれそうな怜悧な眼差し等々。

 様々な美辞麗句が頭に浮かぶが、真っ先に脳裏を過ぎったのは──瀟洒なメイド。

 先ほどまで、文と話していた異変の内容。

 そこでの中心となっていた紅魔館で、メイド長を務めているレミリアの満月。

 我が家の訪問者は──十六夜咲夜だった。

 

 

 

 

 



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第七話 吸血鬼からの招待状

 夕陽が沈み、月が顔を出す。

 幻想郷は闇に包まれ、人間は妖怪を恐れて家に籠る。

 対する幻想の存在達は、この時を待っていたと言わんばかりに闊歩していた。

 逃げ遅れた人間はいないか、呑気に出歩いている間抜けは見つからないか、と。

 妖しい空気がそこかしこで流れる中、私達は瀟洒なメイド──咲夜に連れられ、紅魔館の前まで赴いていた。

 月光を浴びて泰然と佇む紅い館は、全ての存在を歓迎するかのようだ。

 同時に、足を踏み入れて生きて帰れると思うな、といった恐ろしげな雰囲気も伝わってくる。

 

「いやー、荘厳ですねぇ」

 

 パシャパシャと写真を撮っているのは、記者の顔を張りつけた文だ。

 用があるのは私だけなので、彼女がここに来る必要はなかったのだが。

 なにやら面白そうな匂いがする、なんて言葉と共についてきたのだ。

 まあ、私は別にどちらでも良かったのだが、咲夜があまり良い顔を見せなかった。

 ただ、あらかじめレミリアから仰せつかっていたのか、文の加入を拒否しなかったが。

 

「お待たせいたしました。ただ今より、滝涼様方をご案内いたします」

「はいはい。よろしくねー」

 

 無言で頭を下げる門番──美鈴に見送られ、私達は悪鬼蔓延る悪魔の館へと足を踏み入れた。

 妖精さんの視界越しに見ていたので、ある程度は察していたが。

 やはり、内装も紅ばかりであった。

 普通なら気味悪い配色と思うのだろうが、不思議とそんな気持ちは抱かない。

 頭にレミリアの姿が浮かぶからか……いや、もっと根本的な物だろう。

 エントランスに入ってから私目がけて送られている、喉元に真紅の槍を突きつけられているかの如き、深みがあって威厳に満ちた威圧。

 隣にいる文がいつも通りな事から、この威圧の主は精密なコントロールで、私だけに悟らせているようだ。

 恐らく、レミリアがプレッシャーを放っているのだろう。

 この程度なんともないだろう──そういった、彼女の言葉が嘲笑と共に思い浮かぶ。

 実際、常人なら失禁してショック死しそうな圧迫感だが、紫や幽香といった大妖怪を知っている私からすれば、鼻歌を歌いながら受け止められる。

 やっぱり、嘘。

 まだまだ余裕なのは間違いないが、流石に鼻歌をするほどのものではない。

 

「かりちゅまじゃなかったか……」

 

 思わず呟きが漏れると、身体にのしかかる威圧感が増した。

 どうやら、レミリアに勘づかれてしまったらしい。

 うーうー言っているレミリアを、こっそりと見てみたかったんだけどなぁ。

 小さな吸血鬼が頑張っている姿を、こう微笑ましく眺めるような感じで。

 残念だ。

 内心で気落ちしていると、無言で案内していた咲夜の足が止まる。

 

「到着いたしました」

「君の案内はここまで?」

「はい。中で、お嬢様がお待ちです」

 

 そう告げると、もう話す事はないと示すように。

 咲夜は目を伏せてドアを開き、慇懃にお辞儀を披露した。

 隣で頻りにペンを動かす文を見て、私はため息を漏らす。

 相変わらず、文は全く意に介した様子はない。

 これから当主と会うというのに、この図太さは見習いたいものだ。

 まあ、メインは私だから、文自身は気負っていないだけなのだろうが。

 

「さあ、早く行きましょう!」

「はいはい。あ、案内ありがとねー」

 

 咲夜にお礼を言いながら、私達は部屋に入った。

 内装は玉座の間のようになっており、豪華な椅子が視線の先にある。

 煌びやかな真紅の玉座で、そこに一人の少女が座っていた。

 蒼ががった銀髪は月光を纏い、辺りに神秘的な雰囲気を漂わせている。

 椅子とは不釣り合いな、小さな体躯。

 しかし、私はもちろん、文ですらその姿を侮る事はできない。

 質量を伴った威圧感──今までのが児戯だと思わせるほど、感じるプレッシャーには重みがあった。

 髪から零れ落ちた光を絡めとり、魔性の輝きを秘めさせる真紅の双眸。

 妖しく揺れる魔眼を細めると、紅い悪魔は悠然と笑みを浮かべる。

 

「歓迎しよう。幻想郷の妖怪達よ」

 

 肘掛けに頬杖をつき、傲慢に振る舞った吸血鬼──レミリア。

 友好的な挨拶とは反対に、瞳からはありありとこちらを嘲る色が見えている。

 いや、あえて見せつけているのだろう。

 大妖怪特有の仮面を、レミリアは被らない。

 何故なら、彼女は吸血鬼だからだ。

 孤高で、誇り高く、高慢であり──そして、気高くもある。

 建前でも、自分を下に置かない。

 常に全ての存在を見下し、傍若無人に嗤う。

 レミリアはそう考えていると、根拠もなく私はそんな確信があった。

 横目で窺ってみれば、笑顔の文の額から一筋の冷や汗が垂れていた。

 霊夢に退治されたから、侮っていたのだろう。

 所詮、博麗の巫女に負けた弱小の妖怪だ、幻想郷に逃げ込んだ負け犬だ、と。

 しかし、実際のレミリアを目にした文は、その考えを改めせざるを得なかったはずだ。

 彼女も、自身に並ぶ大妖怪だ、と。

 ……まあ、私だって、長年を生きた妖怪である。

 人並みにプライドもあるし、また侮られる事を良しとしない。

 ここは一つ、吸血鬼と楽しいお話と洒落こみましょう。

 

「歓迎ありがとーございます。しがない河童ごときに用があると聞きましたが、何用で?」

 

 あえて気安い口調を心がけ、おざなりに手を挙げて反応を窺う。

 文がギョッとこちらに目を向け、信じられない者を見るような眼差しを送ってくる。

 確かに文の前では、こんな挑発的な行動をした事はなかった。

 いや、一度だけあったか。

 あの時は挑発的というより、ただの無知であったが。

 ともかく、私の行動を見たレミリアは、片眉を上げて足を組む。

 同時に、瞳の中で苛烈の意思を宿し始め、険が乗った口調で告げる。

 

「これはこれは。どうやら、貴様は礼儀を知らない愚者のようだ」

「いやいや。私は呼ばれた側で、君が呼び出した側。つまり、本当は君が私に礼を尽くす場面だからね? むしろ、初っ端から殺気を叩きつけてきてびっくりしたよ」

「ほぅ……それが、貴様の言い分か?」

「言い分もなにも、マナーの話」

 

 へらへらと笑って告げるたびに、レミリアの目つきが険しくなっていく。

 対して、私は気にせず、大仰に両手を広げて言葉を繋ぐ。

 先ほどの文のような、きめぇ丸の表情を意識して。

 

「あんまり言いたくないけどさ、私は君より歳上だと思うんだよね。先輩なの。そっちこそ、少しは立場を弁えたらどう?」

 

 レミリアの妖気にあてられたからか、どこか身体がふわふわする。

 自分の想定以上に鋭い言葉が飛び、また胸中で愉悦を沸かせていく。

 私には、レミリアに殺されない確信があった。

 この場で短絡的に手はくださないだろうし、仮に殺しに来られても凌ぐ自信がある。

 それに、私に大切な用があるのだから、この場で戦闘にはならないだろう。

 保証された命をベットに、私は今の状況を思う存分堪能していた。

 まあ、若干罪悪感はあるが、それ以上に楽しい。

 ()()レミリアと、こんな愉快な舌戦を繰り広げられるのは。

 小物のような残念な思考なのは、ご愛敬だ。

 こっそりと笑んでいると、レミリアは手で顔を覆って哄笑を上げる。

 

「……くくっ、この私に説いてきたか。たかが木っ端妖怪が、誇り高い吸血鬼である──この、レミリア・スカーレットにッ!」

 

 瞬間、紅魔館が激震した。

 地響きがとめどなく訪れ、室内の壁に巨大な亀裂が走っていく。

 レミリアの背に紅い満月を幻視し、感嘆した私は殺意の眼差しを感じ取る。

 黙り込んだ彼女の顔に視線を転じると、指の隙間から覗く鮮烈な真紅の眸が、こちらを鋭利に射抜いていた。

 思わず、膝をつけて頭が垂れそうになる。

 自然と目の前の吸血鬼を仰ぎ、産まれた事を後悔しながら自決したい衝動に駆られてしまう。

 黙ってやり取りを聞いていた文も、微かに足が折れかけていた。

 しかし、直ぐに気を強く持ち、感情を窺わせない笑顔に戻るのは、流石だと言うべきだろう。

 私達を戦慄させた部屋の主──レミリアは、濃密で禍々しい殺気を放出していた。

 想像以上だ。

 これほどの殺気を放つ妖怪が、たかだか五百年しか生きていない?

 冗談ではない。

 妖怪は、年月を経て強くなっていくのだ。

 それは、私はもちろん文だって、紫ですら例外ではない。

 しかし、目の前にいる吸血鬼は、年齢に見合わない風格を纏っていた。

 

「これが、吸血鬼……」

 

 口の中で言葉を転がし、思わず苦笑いを漏らす。

 甘くみていなかったと言えば、嘘になる。

 前世の知識もあり、どこかレミリア自身を侮っていた。

 つい最近、別の吸血鬼にやられたばかりなのに。

 我ながら情けなくなり、同時に胸の内から別の感情が顔を覗かせ始める。

 甘く抗いがたい、戦闘欲求が。

 

「──ッ!」

 

 口内を噛み締め、己の欲望を抑える。

 もう、懲りたではないか。

 死闘は楽しかったが、あんな痛い目には遭いたくない、と。

 ほどほどの平穏と、たまの刺激で良いと自分に誓ったではないか。

 やるならば、弾幕ごっこだ。

 紫の思惑とも合致するし、ちょうどいい塩梅で戦える。

 だから、我慢をしなければ。

 そう感情を鎮めていると、レミリアは顔を上げて口を開く。

 いつの間にか、痛いほどの殺気は消え失せていた。

 

「お前、名は?」

「メイドから聞いてないの?」

「二度は言わせるな。私の気は長くないぞ」

「……はぁ、降参降参」

「なに?」

 

 これ以上の問答は、無駄であろう。

 レミリアの凄さは身にしみてわかったし、あまりやりすぎるのも問題だ。

 対抗して噴出していた妖力を引っ込め、苦笑いを零した私は恭しく礼を示す。

 

「流石、誇り高い吸血鬼なだけはあります。紅い悪魔(スカーレットデビル)に心からの敬意を」

「ふんっ。見え透いた世辞はいらん」

「これは失礼いたしました。私の名は滝涼みずは。妖怪の山に住んでいる、しがない河童であります」

「滝涼、みずは……」

 

 噛み締めるように復唱したレミリアは、次に文の方へと目を向ける。

 込められた意に気づいたようで、天狗の少女は朗らかな笑顔で言う。

 

「申し遅れました。私は射命丸文。記者をしております」

「記者か。ふむ……咲夜」

 

 その言葉に、考え込む素振りを見せていたレミリア。

 暫くしてなにか思いついたのか、両手をパンパンと鳴らして咲夜を呼ぶ。

 すると、唐突に咲夜が現れ、手に持つ新聞紙をレミリアに渡す。

 

「こちらです、お嬢様」

「下がっていいぞ」

「御意」

 

 幻のように消え失せた咲夜を尻目に、レミリアは新聞紙を広げて目を走らせていく。

 こちら側から見える文面によると、どうやら文が執筆している文々。新聞のようだ。

 自信があるのだろう。

 文は胸を張っており、レミリアの言葉を尊大に待っている。

 やがて、新聞紙を閉じたレミリア。

 自慢げな文の表情を見つめたかと思えば、ニヤリと悪鬼の形相を浮かべる。

 

「鍋敷きには使えそうで、中々良かったぞ」

「な、鍋敷きっ!?」

「喜べ。私が定期的に購読してやろう。泣いて小躍りしたくなったか、ん?」

「い、いや……えっと、ありがとうございます」

 

 額に青筋が浮かびそうになっていたが、文は見事な笑顔で頭を下げた。

 どのような用途に使われようと、鋼の意思で我慢する記者の鑑。

 目頭が熱くなってしまう。

 密かに文に同情している私に、新聞紙を脇に置いたレミリアが声を掛ける。

 

「さて、茶番は終わりだ。本題に入るが構わないな?」

「ええ、もちろんです」

「お前も知っているかと思うが、呼び出した内容は私の妹……フランについてだ」

 

 やはり、フランドールか。

 私に用があるとしたら、彼女を置いて他にないだろう。

 私達の間に漂う雰囲気が固くなったのを感じたのか、蚊帳の外の文は静かに静観するようだ。

 微かに目を伏せた後、レミリアは威厳に満ちた顔つきで口を開く。

 

「私が異変を起こした時、お前はフランの部屋にいたな?」

「……なんの事でしょうか?」

「惚けても無駄だ。フランの部屋にお前の残骸が落ちていたからな。それに、お前の右目からはフランの力を感じる」

 

 目を細めたレミリアの視線の先は、私がつけている眼帯にあった。

 フランドールの能力を受けた残滓が、私の右目に残っていたのだろう。

 察知能力の高さは流石だ……いや、フランドールの姉だから気がついたのか。

 家族の力を、感じられないはずがない。

 頭を掻いた私は、右目を撫でて頷く。

 

「ご明察です。それで、無断侵入した私を罰するために呼んだのですか?」

「……否、それは違う」

 

 返答までに、間があった。

 口篭ったように言葉を転がし、逡巡した様子で目を泳がせているレミリアからは、先ほどまで醸し出ていた重い貫禄が感じられない。

 

「では、何故?」

 

 言葉を選んで端的に尋ねると、頬杖を解いて目を瞑ったレミリア。

 両手で肘掛けを握り、ビキリと亀裂ができる。

 なにかと戦っているのか、引き締められた表情は深い苦渋の色を帯びていた。

 数瞬今までで一番の妖気が放たれ、直ぐにレミリアの身体に戻る。

 次に瞳を開いた時には、真っ直ぐに私を見つめていた。

 

「私には、運命を操る能力がある」

 

 紅い悪魔としての威容が、紅魔館の当主としてのプライドが、剥がれ落ちていく。

 ゆっくりと玉座を下りた一人の吸血鬼は、気品溢れる所作でこちらに近寄る。

 

「お前の残骸に触れた時、私はある運命が見えた」

 

 徐々に、レミリアの見せつける貌が変わる。

 大きい姿だと錯覚していた体躯が小さくなっていき、私の前にたどり着いた時には、幼い少女にしか見えなくなっていた。

 

「お前と私とフランの三人で、笑い合う未来だ」

「……それで?」

 

 問うと、レミリアは唇を噛み締めた。

 一筋の血が垂れ、先ほどまでの優雅さが微塵もない。

 大きく深呼吸をした後、レミリア──妹を思う一人の姉は、私に向かって頭を下げる。

 

「頼む。フラン……あの子を救ってほしい」

 

 思わず目を見開き、動揺を露わにしてしまう。

 まさか、レミリアが私に頭を下げるとは。

 さっきまで感じていたのは、吸血鬼らしく冷酷で傲慢な姿。

 しかし、今はどうだ。

 肩を震わせて私の返事を待つ様子は、なにかに怯える幼子のようではないか。

 いや──違う。

 レミリアの本当の姿は、これなのだろう。

 誇り高い吸血鬼だから、紅魔館の主だから、なによりフランドールの姉だから。

 精一杯虚勢を張って、自分が舐められないようにする。

 部下の品位を落とさないために、幻想郷で自分達の居場所をなくさないために。

 ああ、私はなにを見ていたのだ。

 目の節穴さに、反吐が出る。

 先ほど、レミリアは五百年しか生きていない、と思ったばかりではないか。

 彼女の本質を見抜けず、こうして大切な誇りを汚してしまった。

 額に手を置き、天を仰ぐ。

 初めは、好奇心だった。

 原作キャラだとはいえ、所詮は対岸の火事。

 フランドールがどうなろうと、言い方は悪いがどうでもよかった。

 だから、私がフランドールにちょっかいをかけた時、自分本位の野次馬的思考だったのは否めない。

 しかし、しかしだ。

 高潔なイメージのある吸血鬼が、我が儘で横暴で──そして、孤高であるレミリアが。

 たった一人の妹のために頭を下げて、私に助けを乞うているのだ。

 ここまでさせたのに彼女の願いを無碍にするほど、私は落ちぶれていないつもりだった。

 

「頭を上げて」

 

 もう、レミリアには挑発的な口調も、礼を示した他人行儀も必要ない。

 その言葉にこちらを見上げた彼女へと、私は本心からの笑みを向ける。

 

「一緒に、貴女の妹を助けよう」

 

 そう告げて手を伸ばした私を見て、レミリアは微かに目を丸くした後。

 

「──ありがとう」

 

 柔らかく、破顔した。

 私の手を大切そうに握り、瞳に涙を湛えながらも微笑んでいる。

 その嬉しそうな笑顔は、少女らしい可憐な物であった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

 咲夜にみずは達を案内させ、室内に一人取り残されたレミリア。

 玉座に戻って座り、肘掛けに手を置く。

 

「……滝涼みずは」

 

 レミリアの脳裏に過ぎる、飄々とした片目の少女。

 こちらを試すような真似をしたかと思えば、今度は本心から敬意を示してきた。

 また、レミリアに合わせて迸らせていた妖力。

 吸血鬼である自身をして、油断できないほどの物であった。

 あらかじめ入手していた情報では、河童にあそこまでの力はない。

 むしろ、彼等は手先の器用さが警戒する要素のはずである。

 明らかに、みずはは河童の中でも異質であった。

 

「それに、あの天狗」

 

 みずはに気が向かいがちだったが、文も底知れない雰囲気だった。

 上手くみずはの妖力に紛れ込ませていたようだが、レミリアはしっかりと見抜いている。

 文も、みずはに並ぶほどの強さを持っていると。

 幻想郷に来てから、レミリアは驚きの連続だ。

 胡散臭い幻想郷の賢者に、自身を退治した博麗の巫女。

 また、パチュリーから聞いた話によれば、自称普通の魔法使いが彼女を倒したと言うではないか。

 短期間で面白い者達に会え、そして今日の二人の妖怪。

 特に、レミリアが気になるのは、博麗の巫女と例の河童だ。

 博麗の巫女は、人間の可能性を魅せてくれたから。

 対して、河童は……

 

「面白いわ」

 

 レミリアは笑みを零し、窓から覗く月を見上げる。

 この部屋は夜しか使わないので、こうして窓が取り付けられていた。

 窓から月がよく見え、ここはレミリアのお気に入りである。

 残念ながら、今日は満月ではなかったが。

 しかし、レミリアの目には、不思議といつもより月が綺麗に映った。

 

「フラン……」

 

 近いうちに、妹と一緒に月を仰げるだろうか。

 昔、フランドールが地下室に行く前に、一度だけ二人で見上げた満月。

 思わず手を伸ばし、視界に納まる月を握り込む。

 もちろん、手のひらに月はない。

 届かないとわかっているのに、みっともなく幻想を掴もうとするなど──

 

「無様ね」

 

 自嘲を漏らして、右手を翳す。

 月光に照らされて影が差し、同時に手の輪郭が白く光る。

 子供のような、小さな手だ。

 しかし、吸血鬼としての力を加えれば、途方もない握力を生み出すだろう。

 妖怪の中でも、恵まれた種族。

 だが、他人が羨む能力があっても、フランドールは救えなかった。

 地下室に行くように告げる事しかできず、今でも彼女の寂しげな笑顔が思い浮かぶ。

 

「いつか、フランと一緒に……」

 

 頭を振って思考を切り替え、レミリアは玉座から降り立つ。

 未来ばかり考えていても、仕方がない。

 今考えるべき内容は、みずはと共にフランドールの狂気を取り除く事。

 最後にもう一度月を眺めた後、レミリアは部屋を後にする。

 主がいなくなった部屋を、月はいつまでも優しく照らすのだった。

 

 

 

 

 



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第八話 健気なパチュリーと天然咲夜

 咲夜に寝室へと案内された私達は、そのまま館に泊めてもらった。

 泊まり道具を持参していなかったのだが、咲夜が一瞬で用意したのだ。

 流石、瀟洒なメイドである。

 人の意を汲む事には、非常に長けていた。

 そんなこんなで、次の日。

 朝早く、吸血鬼のレミリアが優雅に眠っている時間帯。

 私の姿は、図書館の中にあった。

 

「貴女が、レミィが言っていた妖怪ね」

「そうだよ。そういう君は、たしか魔女の」

「パチュリー・ノーレッジ。好きなように呼びなさい」

 

 興味がないのか、こちらを一瞥もしないで読書している紫髪の少女──パチュリー。

 緩やかにページがめくられる音が響き、傍らには無言で佇む咲夜もいる。

 テーブルの上には紅茶とクッキーが置いてあり、雰囲気は穏やかなお茶会だ。

 ただ、開催の場が重々しい大図書館内でなかったらだが。

 

「じゃあ、紫もやしって呼ぶね」

「それはやめなさい」

「えー、好きに呼んでいいって言ったじゃん」

「撃つわよ?」

 

 パチュリーは本を読んだまま、右手をこちらに突きつけた。

 涼しい顔つきで魔力を高めている事から、どうやら彼女は本気のようだ。

 傍にいる咲夜は、従者らしく傍観の構えを見せる。

 お腹の前で綺麗に指を揃え、伏し目がちに立っていた。

 思ったより、私の呼び名は気に食わなかったらしい。

 仲良くなるためのジョークだったのだが、難しいものである。

 そもそも、この呼び名を考えたの私じゃないし。

 

「わかったわかった。じゃあ、パチュリーって言うよ」

「わかればいいの」

「あ、咲夜は咲夜って呼んでるけど、大丈夫?」

「構いません」

 

 右腕を下ろして読書を再開するパチュリーと、事務的な口調で肯定した咲夜。

 明らかに、二人は私と仲良くする意思表示を感じさせていない。

 レミリアの指示だから仕方なくここに招いた、といった雰囲気がひしひしと伝わってくるのだ。

 それもそうだろう。

 紅魔館は異変を起こしたばかりであり、また霊夢や魔理沙に退治されたばかりでもある。

 勝負の内容は引きずっていないだろうとはいえ、そこに得体の知れない妖怪一匹。

 警戒しないと思う方が、無理な話だ。

 しかし、今後のためには彼女達の協力が不可欠で、私個人としても仲良くしたい。

 その第一歩として、雑談を試みよう。

 パチュリーから借りた学術書を読みながら、私は二人に問いを投げかける。

 

「二人は好きな食べ物とかある?」

「ない」

「ありません」

「じゃあ、好きなものは?」

「静かな時間」

「お嬢様方です」

「そ、そうなんだぁ。私はね、きゅうりが好きなんだよ」

「興味ないわ」

「左様でございますか」

 

 ……会話が続かない。

 特に、パチュリーのサバサバとした反応。

 あまりにもおざなりすぎて、悲しみを通り越して笑いが出そうだ。

 嫌われているというより、本当に欠片も興味が窺えない態度である。

 こんな時、文が側にいてくれれば、巧みな話術でコミュニケーションを広げていただろう。

 しかし、彼女はなにやらやる事があると告げ、今朝方妖怪の山に帰ってしまった。

 これ以上面白いネタがないと思って逃げたのか、はたまた本当に用事があったのか。

 どちらにしても、この館に文はいないのだ。

 ……仕方ない。

 これ以上の無駄話はやめて、さっさと本題に入る事にしよう。

 パタンと本を閉じると、ここに来てから初めてパチュリーが目を上げた。

 注ぎ直された紅茶を口に含んだ私は、冷徹な七曜の魔女に尋ねる。

 

「レミリアから話は聞いているよね?」

「ええ、妹様についてでしょう?」

「そう。レミリアの妹についてで、私はここにいる。とりあえず、まずは魔女殿の見解を聞かせてもらおうかな?」

 

 意趣返しも込めて不敵に微笑めば、パチュリーは瞳の中の湖畔を波打たせた。

 微かに目を細め、膝の上で本を閉じると口を開く。

 

「……そうね。私達の認識のすり合わせは必要かしら」

「魔法面のアプローチではどうなの?」

「ダメだったわ。レミィに言われて調べてみたりしたけど、妹様の狂気を取り除く方法は見つからなかった」

 

 自分の至らなさが悔しいのか、下唇を噛んで目を伏せたパチュリー。

 ほとんど動かない表情を見ていたから、てっきり彼女には情がないのかと思っていた。

 いや、なくはないのだろうが、少なくとも感情を乱すほどではないと考えていたのだ。

 魔法使いとは、常に冷静な思考が必至である。

 人間のように心を揺り動かしてしまえば、たちまち魔の深淵へと引きずり込まれてしまうだろう。

 私はそう教えられたし、実際知り合いの魔法使いはそう実践していた。

 しかし、目の前のパチュリーからは、僅かだが人間らしい部分が見えている。

 魔法使いからすれば、落第もいいところなのだろう。

 ただ、私はこちらのパチュリーの方が、先ほどの澄ました顔より好きだ。

 自然と柔らかい笑みを浮かべ、心を乱した魔女へと告げる。

 

「問題ないよ。私とパチュリーが力を合わせれば、なんの心配もいらない。だって、目の前にいる魔法使いは、私が知る限り最高の魔女だからね」

「……随分と、持ち上げるわね。貴女に魔法を見せた事なんてないのに」

「見なくたってわかるよ。レミリアの妹のために、こんなに一生懸命になれるんだから、パチュリーは最高の魔女に間違いないって」

 

 パチュリーの膝の上に視線を移す。

 本のタイトルには、精神面の魔法について書かれてる。

 先ほどから、パチュリーが私に適当だったのはこのためだ。

 よく見れば目の下のクマが濃くなっており、それこそ寝る間を惜しんで方法を模索していたのだろう。

 魔法使いに睡眠が必要だったのかまでは知らないが、少なくともパチュリーは顔に表れるほど頑張っていた。

 こんな健気な姿を見て、パチュリーの力量を信じられないだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 誰がどう言おうと、私はパチュリーを信頼できる。

 そんな風に考えていると、最高の魔女は呆れた様子でため息をつく。

 しかし、緩やかに綻んでいる口元を見れば、彼女の心境を察せるだろう。

 

「レミィが連れてきた妖怪は、変わっているわね」

「そう?」

「そうよ。咲夜だって、そう思うわよね?」

 

 水を向けられた咲夜は、目を瞑ったまま小さな微笑を零す。

 そこには、先ほどまでの固い雰囲気はなく、どこか隙が垣間見えていた。

 

「パチュリー様の仰る通りですわ」

「まあ、たしかに私は色々と変わっていると思うけども、なんか釈然としない」

「みずは様」

「んー……って、名前」

 

 咲夜の呼びかけに、私は驚きで目を見開く。

 つい先ほどまで、彼女は私の事をフルネームで呼んでいたのだ。

 その事も距離を感じると思った理由だが、今の咲夜は下の名前を告げた。

 これは、少しは私を認めてくれたのだろうか。

 自然と嬉しくなっていると、瀟洒なメイドは数瞬、従者としてではなく、一人の少女としての顔を見せつける。

 気品溢れるお辞儀ではなく、真心が篭った暖かみのある礼をしたのだ。

 

「どうか、妹様をよろしくお願いいたします」

 

 もちろん、言われるまでもない。

 一度やると決めたのなら、なんとしてでも遂行するのが私のポリシーだ。

 しかし、やはり誰かに頼まれるのは、気持ち的にも嬉しい。

 頬を緩めた私は、腕を振り上げて気合を入れていく。

 

「おっけー! このみずはさんにまっかせなさーい!」

「不安ね」

「ちょ、出鼻をくじくような事は言わないでよー」

 

 口を尖らせてそう返した私に、パチュリーはジト目を向けた。

 いや、普段からジト目気味の眼差しだが、更に呆れた色が増したというか。

 ともかく、肩に垂れる髪を払ったパチュリーは、膝の本をテーブルの上に置く。

 

「まあ、いいわ。それより、早く始めましょう」

「……そうだね。じゃあまず、私達の考え教え合おうか」

「妥当ね。貴女の見解も聞かせてもらうわ」

 

 こうして、私達は様々な本や資料を開きながら、対談していくのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「──こんなものかしら」

 

 手元のペンを置き、そう呟いたパチュリー。

 眉間の間を指で挟み、俯き気味に疲れた様子を見せる。

 対して、私も背筋を逸らして、ボキボキッと凝り固まった身体を鳴らす。

 一瞬で注がれた咲夜の紅茶を飲み、ふぅっと一息つく。

 

「とりあえず、大まかにはまとまったかな」

「お疲れ様です」

 

 咲夜が労いの言葉を掛けてくるが、個人的にはそこまで大変ではなかった。

 やはり、パチュリーという視点があったからだろう。

 普段では手に入らない、魔法使いとしての話は非常にためになったのだ。

 技術者としてはむしろ、礼を言いたいほど充実した時間だった。

 紙に書かれた内容を見とがめ、私は笑みを浮かべる。

 

「さて、パチュリー。少し休憩したら早速始めようか」

「ええ、そうね。早く、妹様には自由でいてもらいたいもの。そのためには、一分一秒を惜しんでいてはいけないわ」

「──進んでいるようだな」

 

 瞳に決意を秘めたパチュリーに、第三者の声が投げかけられた。

 声の方向に目を向けずともわかる、カリスマに溢れた言葉。

 緩んでいた辺りの雰囲気が、ピンと張り詰められた糸のように固くなる。

 自然と、休んでいた脳の回転も急稼働を始めてしまう。

 それほどまでに、彼女の言葉一つには、気を抜けない魔性が込められていた。

 私達の注目を一身に浴びる中、泰然と歩む吸血鬼──レミリアが口角を上げる。

 

「レミィ、起きたのね」

「大切なフランの転換期に、おちおちと就寝する事はできないからな」

「お嬢様、今はまだ陽が」

「いい」

 

 慌てた様子で駆け寄ろうとする咲夜を、レミリアは手で制して私に目をやった。

 綺麗な紅い瞳は揺れているが、表面上は凛とした姿勢を崩していない。

 虚偽は許さないといった刃物のような眼差しで、レミリアは腕を組んで口を開く。

 

「どうだ?」

「うーん、理論上は大丈夫だと思うけど」

「思うけど、だと?」

「わぁお……」

 

 剣呑に光る、レミリアの瞳。

 小さな身体から妖力を膨れ上がらせていき、私達から発言の意を奪う。

 大図書館に重苦しい圧が落とされる中、レミリアは解いた右手を上に向け、なにかを持つように握り締めた。

 そして、私の目を真っ直ぐに見つめ、大胆不敵に笑いかける。

 

「胸を張れ。発言には自信を持て。お前は、この私が見込んだ妖怪だぞ? 思うけど、ではない。お前なら必ず、成功する……いや、成功させろ」

 

 レミリアの言葉を聞き、私ははっと大事な事を思い出した。

 自分の理論に自信がないなんて、私らしくない。

 実験はトライアンドエラーが常だが、毎回その理論を信じて実践していたではないか。

 失敗したらなにがダメだったのか調べ、次の実験時には必ず成功すると確信を持つ。

 そうやって、いつも自分の力を信じていたのだ。

 発案者の私が信じなくて、誰がこの理論を信じられるだろうか。

 他人がどう思おうと、この理論では無理だと言おうと、私だけは信じ切るべきだ。

 

「……うん、そうだね。多分でも、恐らくでもない。絶対、大丈夫。それに、天才な私だからね、レミリアの妹をなんとかするぐらいわけないよ」

「それで、いい。お前はただ、確定された結末(運命)を紡げ」

 

 ニヤリ、と互いに笑みを向け合う。

 なんとなく、レミリアと通じ合った気がする。

 言葉を介さずにも理解したというか、心の中で思った内容は同じだろうとか。

 初めて、孤高な吸血鬼を身近に感じた。

 そんな事を考えながら、私は笑顔にからかいの色を混ぜる。

 

「ところで、レミリア」

「なんだ?」

「随分と、可愛らしいパジャマを使ってるんだね」

「はっ?」

 

 なにを言っているんだこいつ、といった様子で眉根を寄せたレミリアだったが。

 直ぐになにかに気がついたのか、さっと顔色を青ざめさせて自分の服を見る。

 恐らく、普段起きない時間だったから、寝ぼけていたのだろう。

 カリスマ一番、と書かれたピンクのパジャマを着ていた。

 

「あ、あ、あ、あ……」

「たしか、それってレミィが自分の威厳を見せつける日の前日に着る、いわゆる勝負服よね」

「はい。お嬢様は客人に舐められぬよう、就寝前にこれを着込んで己を見つめ返すのです。吸血鬼としての振る舞いを再確認するために」

「たまに着て練習していたのは、そういう事だったのね。いつもはネグリジェだったから、ちょっと新鮮だわ」

 

 合点がいった素振りで頷いたパチュリーを尻目に、レミリアは咲夜を睨む。

 若干涙目なのは、ご愛敬といったところか。

 

「何故教えなかった!」

「申し訳ありません。忘れておりました」

「そんなはずはあるか!」

「お似合いですよ、お嬢様」

 

 いきり立つレミリアと、どこかズレた回答をする咲夜。

 突然の喜劇が始まり、思わず呆気に取られていると、苦笑いしたパチュリーが教えてくれる。

 

「狙ってるのか素なのかわからないけど、咲夜って時々レミィをからかうのよね」

「からかうって、主従なのに?」

「主従なのに」

 

 なんというか、意外だ。

 今まで私が感じていた咲夜像は、まんま完璧で瀟洒なメイド。

 主に絶対忠誠で、敵対者には容赦がない冷徹な機械。

 しかし、威厳が消えたレミリアと戯れるその姿は、どこか人間味を感じさせる。

 ……人間味というより、抜けているというか。

 ともかく、私の咲夜に対する印象が変わったのは間違いない。

 

「直ぐに着替えを持ってきなさい!」

「既に取り揃えております。どの服にいたしますか?」

「ぐっ……はぁ」

 

 アフターフォローが完璧なだけに、怒るに怒れないのだろう。

 深いため息を漏らした後、レミリアは咲夜が持つ服の一つを手に取る。

 なお、揃っていた服の中に可愛らしい洋服があったが、レミリアは見向きもしなかった。

 

「お嬢様。僭越ながら、こちらの方が似合うと愚考いたします」

 

 黒を基調としたゴスロリ服を勧める咲夜。

 誇り高い吸血鬼が着るべきでない、とでも思ったのだろう。

 レミリアは目を据わらせ、忠実な下僕を睨めつけている。

 対して、完璧なメイドは大真面目な顔つきで、じっと主が頷くのを待っていた。

 無表情ながらも、この服を着て欲しい、といった切実な雰囲気を漂わせながら。

 

「おい……」

 

 ひくりとこめかみが動いたレミリアは、口元を震わせ始める。

 全身から威圧感が立ち上り、明らかに怒り爆発五秒前だ。

 

「さて、私達は避難しましょうか」

「いいの?」

「いいのよ。いつもの事だから」

 

 思ったより、紅魔館って平和なのだろうか。

 レミリアはカリスマブレイクしたし、なにより咲夜のギャップが凄い。

 魔法で私達が座っている椅子を動かすパチュリーを尻目に、私は遠ざかるレミリア達を呆れて見つめていた。

 

「……レミリアって、オチ担当なのかな」

「さあ?」

「咲夜ぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 馬鹿でかい重圧が襲いかかるのだが、私達は揃ってため息を漏らす。

 ここに来て間もない私でも、レミリアの苦労がなんとなく察せられる。

 とりあえず、咲夜には要注意しよう。

 それより、魔法について詳しく聞きたい。

 レミリアが来るまで、時間ができたし。

 

「興味があるから、魔法の理論を教えてくれない?」

「まあ、構わないけど」

「じゃあ、よろしく!」

 

 レミリアの暴れる音を耳に入れながら、私はパチュリーから魔法講義を受けるのだった。

 

 

 

 

 




レミリアさんごめんなさい……。


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第九話 小悪魔三姉妹

 暫くパチュリーと魔法談義していると、疲れた顔のレミリアがやって来た。

 早くも吸血鬼としての威厳が崩れているが、部外者の私に隙を見せても良いのだろうか。

 まあ、私個人としては、こちらのレミリアの方が接しやすいが。

 

「さて、詳しい話を聞かせてもらおうか」

 

 唐突に現れた豪華な椅子に座り、悠然とした笑みを形作るレミリア。

 背後には咲夜が音もなく控え、この場面だけ見れば非常に荘厳だ。

 しかし、先ほどのきゅうけつきを見てしまった私達からすれば、子供が背伸びしているようにか思えなくなってしまう。

 力や風格、その他諸々は大妖怪と言っても遜色ないのだが。

 まあ、その事には触れないで内心に留めておこう。

 肘掛けに頬杖をついているレミリアに、私はテーブルにある紙を渡す。

 

「概要はここにまとめてあるよ」

「ふむ……」

 

 受け取った紙を持ち、レミリアは目を通していく。

 読んでいるその様子は気だるげで、ともすれば適当とすら思えそうだ。

 しかし、真紅の瞳に宿る、深い知性。

 強い真剣さを感じさせる雰囲気と合わせれば、レミリアの心境は言葉にせずとも理解できる。

 また、仕草の多くからは気品が溢れており、微かに上がる口角が威厳を露わにしていた。

 先ほどまでの醜態がなかったかのようだ。

 背後に従者を侍らすその姿は──まさに、王者の言葉が相応しい。

 まあ、プライベートでは、カリスマブレイクしてしまうようだが。

 

「どう?」

「……なるほどな。私には理解できない部分があったが、大まかには理解した。つまり、あの幻想郷の賢者と似たような能力を再現するんだろう?」

「おお、よくわかったね」

 

 目を丸くして驚く私に、レミリアはふんと鼻を鳴らして紙を放る。

 

「フランの狂気を鎮め、意識を表に引き寄せる。そのために、二つの境界を弄らなければならない。それを再現するのがお前の技術で、能力を増幅させて生成するのがパチェの魔法。相違ないな?」

「パーフェクト!」

 

 流石、紅魔館の当主だ。

 わかりやすく説明をまとめていたとはいえ、一通り読んだだけで理解するとは。

 しかも、専門外の用語があったのに。

 私達が考えた方法は、概ねレミリアが推察した通りだ。

 まず、私が科学方面からアプローチをかけ、フランドールの狂気を抑えるプログラムを組む。

 もちろん、妖力と合わせたなんちゃって科学だが。

 私の眼に映った通りならば、フランドールの意識と狂気は繋がっている。

 だから、狂気を消すとフランドールそのものにも影響が出てしまう。

 それをなんとかするために、狂気の占める割合を減らすのだ。

 今のフランドールの心は、狂気が九割ほど満ちている。

 これを四割ほどまで下げられれば、増えたフランドールの意識が主導権を握れるはず。

 そうすれば、彼女の意識は多重人格レベルから、ちょっと情緒不安定程度まで改善されるだろう。

 もちろん、最終的にはフランドール個人の力で、この狂気を乗り越えてもらうつもりだ。

 と、無駄に思考を連ねたが、一言で表すと──魔法科学凄い。

 

「彼女が作った道具に私が魔法を施して、魔道具化して効力を強める感じね。何回か試行錯誤するだろうけど、まあ直ぐにできると思うわ」

「ほぅ、それは頼もしい言葉だ。期待しているぞ」

 

 気負いもなく告げたパチュリーを見て、レミリアは八重歯を光らせて笑う。

 そして、手の甲に頬を置き直しながら、私に流し目を送る。

 ただ目を向けただけなのに、まるで魅了の魔眼を使ったかのようだ。

 紫とはまた違う、見る者を妖しく惑わす双眸。

 一々行動が芝居かがっているような気もするが、不思議とレミリアなら鼻につかない。

 気品と畏怖が入り混じった、目が離せなくなるような魅力があった。

 思わず苦笑いした私は、レミリアの促しを察して口を開く。

 

「レミリアの出番は、当日までお預けね」

「なに?」

「お膳立ては私達がするから、妹はレミリアに任せるよ」

「言われるまでもない。フランは私の妹だ。当日は私一人で前に出るぞ」

「お嬢様、それは」

 

 この言葉は看過できないのか、咲夜が話に割り込んできた。

 従者としてあるまじき事をしたが、レミリアが意に介す様子はない。

 むしろ、咲夜へと笑みを向けている。

 

「なんだ、私を心配しているのか?」

「万が一の可能性を考え、妹様の件は私かみずは様に任せるべきです」

 

 さらっと、私を頭数に入れている。

 自分を含めてレミリアの捨駒にする姿勢、素晴らしき従者の鑑で目頭が熱くなってしまう。

 咲夜の忠誠心の高さは嫌いではない……嫌いではないが、当事者からすれば微妙な気持ちだ。

 私は客人ではなかったのだろうか。

 いつの間にか、客から肉壁へジョブチェンジしているのだが。

 そんな風に考えている私をよそに、レミリアの浮かべていた笑みの種類が変わる。

 泰然としていた笑顔から、獰猛さを湛えた笑いへと。

 

「愚問だ……ああ、愚問だな。私はフランの姉だぞ? 妹に負ける姉がどこにいる?」

 

 私の知る限りでは、結構な割合でいると思う。

 というか、フランドールの能力を加味すると、普通にレミリアでも危ないのでは。

 まあ、最初に言った通り、作戦実行の時はレミリアに任せるつもりだった。

 本人がここまで乗り気なのが意外であったが。

 いや、意外でもないか。

 辛い思いしている家族を止めるのは、同じ家族と相場が決まっている。

 紅魔館のメンバーも家族と言っていいかもしれないが、やはりフランドールを助けるべき相手はレミリアだ。

 私達は、確実に助けるためにサポートするだけ。

 改めて再確認した後、私はレミリア達に声を掛ける。

 

「それで、そろそろ始めてもいいかな?」

「ん、ああ。そうだな。早速始めてくれ」

「おけおけ。ふっふっふ、久々に全力を出しちゃうよぉ」

 

 指を絡めて音を鳴らし、同時に首もコキコキと鳴らす。

 自然と表情には笑みが張りつき、喉の奥からくつくつと声が漏れる。

 普段も本気だったとはいえ、正真正銘全力を出すの久しぶりだ。

 私の纏う雰囲気が変化したのに気がついたのか、この場にいる全員が注視している。

 パチュリーや咲夜は目を見開くが、レミリアの反応は片眉を上げるのみ。

 三者三様を尻目に、私はリュックから三つのノートパソコンを取り出す。

 

「それは?」

「私自作のパソコン。見た目は機械っぽいけど、中身はファンタジー要素満載だよ」

「ほぉ、自作なのか」

 

 興味深げなレミリアを一瞥した後、私はリュックに妖力を込める。

 すると、リュックから二つのアームが飛び出し、それぞれ左右のパソコンのキーボードに近づく。

 

「……なにをするつもりなの?」

「まあまあ、見てたらわかるって。じゃあ、いっくよー!」

 

 気合いを入れた私も指を添え、タイピングを始める。

 カタカタッと小気味よい音を響かせていき、やがて音色の間隔が徐々に細かくなっていく。

 高速で流れる三つの画面に目を走らせ、アームの操作も怠らない。

 そして、口笛を吹きながら、私はプログラムを組み始めた。

 

「これは……」

 

 レミリアの驚く声が聞こえたが、あいにく表情を確認するほどの余裕はない。

 片目というハンデもあり、脳の酷使が強くなっているのだ。

 本当はアームを四本使うつもりだったが、流石にこれ以上は難しいだろう。

 万全の状態ならば、パソコンを五つ使うつもりだった。

 ただ、今回は早めがいいとはいえ、制限時間が設けられていない。

 私を含めたパソコン三つでも、十二分に問題ないだろう。

 タイピング音が場に響き、無機質ながらも音色を奏でる。

 同時に、緩んでいた私の頬が、歓喜に吊り上がっていく。

 楽しい──そう、楽しいのだ。

 自分の能力が試されており、レミリア達の未来は私の腕にかかっている。

 見なくともわかる、期待に満ちた熱い眼差し。

 彼女達はフランドールのために、私へと運命を託したのだ。

 つまり、部外者である私を……いや、私の技術力を買ったのだ。

 ある意味、これはレミリアからの挑戦状である。

 依頼を完璧に遂行してくれるよな、と。

 ここまでさせて燃えなければ──技術者ではない。

 

「ハッハー! 私の両手が唸るぜぇ!」

「その目を見ていると不安だわ」

「大丈夫なのでしょうか……」

「くくっ、見世物としては面白いな」

 

 なにやら聞こえるが、気にせずタイピング速度を上げる。

 今の私は絶好調だ。

 視界のハンデ以上に、高揚していた気分が力を漲らせていた。

 このスピードなら、三日ほど徹夜すれば骨組みはできるだろう。

 その後は、パチュリーに魔法関連を任せる。

 概算をした後、私はキーボードを叩きながら口を開く。

 

「今から三日ほど、私はここから動けなくなりそう。だから、ご飯はこっちに持ってきて」

「かしこまりました」

「レミリアはパチュリーと魔法関連についてまとめておいて」

「ふむ、構わん」

「じゃあ、集中するから話しかけないでね」

 

 そこで会話のリソースを打ち切り、唇を舐める。

 待っていろよ、フランドール。

 必ず、君が普通になれるようなプログラムを組んでみせるから。

 だから、全てが終わった時には、妖怪らしく自由な姿を見せてくれ。

 何物にも囚われない、雲のような孤高な姿を。

 内心で笑いながら、私は意識を研いでいくのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 それから、咲夜に簡単な料理を食べさせて貰いつつ、私は三日三晩プログラムを組み続けた。

 段々テンションが上がっていき、変な笑い声が漏れたのはご愛敬だ。

 そんな私の様子を見て、パチュリーは引いていたが。

 ともかく、どうにかこうしてひと段落つく事ができたのである。

 

「終わったー!」

 

 両手を振り上げ、喜びを全身で表現した。

 しかし、直ぐにテーブルに頬をつけ、ぐでーっと身体の力を抜く。

 横になった視界で、呆れた表情のパチュリーが目に入る。

 

「理解不能ね。貴女のやり方は」

「まあ、魔法使いのパチュリーには馴染みがないよね。とりあえず、あとは任せたー」

 

 顔を横にしたまま、プログラムを組み込んだ腕輪を差し出す。

 見た目はシンプルなブレスレットで、ただのアクセサリーに思える。

 しかし、これはパチュリーと共同で開発した、対フランドールの狂気を抑える魔道具なのだ。

 骨格は私が組んだので、残りの細やかな部分はパチュリーの領分である。

 パチュリーはブレスレットを受け取り、少し触った後テーブルに置く。

 

「これから、私はこれを魔道具化するけど。貴女はどうするの?」

「うーん……ちょっとパチュリーの様子を見てから、寝る」

「そう。じゃあ、勝手にやってもいいのね?」

「どうぞー」

 

 下りそうになる目蓋を抑えながら、私は手を挙げてひらひらと振る。

 いつもより脳を使ったからか、今は酷く眠い。

 とはいえ、なにか問題が起きると危ないので、パチュリーの様子を見ておきたいのだ。

 この場にはレミリアも咲夜もいないし、なにかがあったら私が止めなければ。

 まあ、パチュリーに限ってミスをするとは思えないが。

 霞む思考を巡らせていると、目を瞑ったパチュリーから魔力が迸る。

 周囲には様々な魔法陣が描かれ、荘厳な佇まいと合わせて神秘的だ。

 本棚から無数の本がパチュリーの元に集い、開きながら回っている。

 一つ一つが力ある魔導書で、魔理沙等が見たら生唾を飲み込むしれない。

 

「──」

 

 私には理解できない言語で、パチュリーは滔々と呪文を紡ぐ。

 それに呼応してか、ブレスレットが淡く輝き始める。

 辺りには魔力の圧で風が吹き、私の髪やテーブルにある紙を靡いていた。

 ゆっくりと身体を起こした私は、あくびをしながら目を細める。

 実際に魔法を見るのは初めてだが、凄い。

 いや、初めてと言うと語弊があるか。

 魔法っぽい物を見たのは、パチュリーのが初めてと言うべきだろう。

 ともかく、少年心をくすぐるような体験が、今目の前で起こっている。

 私も魔法を使ってみたくなった……どうにかして使えないだろうか。

 火や水を出してカッコよく決めてみたい。

 今のはロイヤルフレアではない、アグニシャインだみたいな感じで。

 大魔王みずは……素晴らしい響きではないか。

 やっぱり、これは魔法を習得するしかないであろう。

 そんな事を考えていると、魔法の行使を止めたパチュリーが瞳を開く。

 魔の理を映す紫色の双眸は、水面のように澄んでいた。

 

「ふぅ……とりあえず、なんとかなりそうだわ」

「それは良かったけど、体調とかは大丈夫なの?」

「今日は調子がいいから、問題ないわよ」

 

 胸元に手を添え、小さく頷いたパチュリー。

 この三日間の間で、咲夜が世話をしていたから知っていたのだが。

 やはり、パチュリーは喘息を患っているようだ。

 酷い時には死にそうになっていたので、慌てて駆け寄ったのも記憶に新しい。

 まあ、大丈夫なら一安心だ。

 

「じゃあ、私はもう寝ようかなぁ」

「そうしなさい。後は私に任せて……こあ!」

「──はいはーい」

 

 パチュリーが声を上げると、どこからか少女の声が返ってきた。

 彼女はこあと言っていたが……そうだ。

 そういえば、紅魔館のメンバーのうち、まだ会っていない人がいたではないか。

 この大図書館の司書……あれ、実際は違うんだっけ。

 まあ、それはどうでもいい。

 ともかく、パチュリーと一緒にいる悪魔の一種──小悪魔である。

 全く出会わなかったから、てっきりこの世界にはいないのかと思っていた。

 自然と期待に満ちた顔になり、ワクワクと小悪魔が現れるのを待つ。

 やがて、本棚の影から赤い髪の少女が──

 

「呼びましたか?」

「御用はなんでしょうか?」

「今は本の整理をしていたのですが」

「ちょっと、手伝って欲しい事があるのよ」

 

 私の視線の先にいるのは、確かに小悪魔だ。

 背中には悪魔のような羽もあり、服装も馴染み深い白いシャツに褐色のベスト。

 ただ、問題なのが一点。

 パチュリーの元に現れた小悪魔は、なんと三人いたのだ。

 

「ええええええ!?」

 

 思わずひっくり返った私は、椅子から転げ落ちてしまう。

 どんがらがっしゃーんと大きな音が鳴り、場の全員の注目が集まる。

 

「いきなりどうしたの?」

「いや、だって……えぇ」

 

 お尻をさすりながら起き上がり、パチュリー達の元に近づく。

 隣に立って小悪魔を見つめるが、やはり三人いる。

 髪の長さはロング、ミドル、ショートと違うが、顔立ちや服装は全く同じ。

 一体、どうなっているのだろう。

 徹夜のし過ぎで幻覚でも見ているのか、あるいはここが夢の中なのか。

 頭を悩ませている私を見て、小悪魔達は同時に頭を下げる。

 

「初めまして、小悪魔です」

「この部屋の管理をしています」

「どうぞ、よろしくお願いします」

「ああ、うん。よろしく?」

 

 困惑していると、パチュリーが小悪魔が複数いる理由を教えてくれる。

 

「ああ、こあは分裂できるのよ」

「ぶ、分裂?」

「ええ。さしずめ、【分裂する程度の能力】といったところかしら。こあが一人いれば本の管理が楽でいいわ」

 

 小悪魔が能力持ちだとは知らなかったが、まあそういうものなのだろう。

 あまり深く考えるのも、良くない気がする。

 紫も言っていたではないか。

 幻想郷は全てを受け入れるのよ、と。

 たかが小悪魔が分裂できたところで、大きな問題はないであろう。

 どうにか折り合いをつけたが、どっと疲れが押し寄せてきた。

 

「よくわかんないけど、わかった。なんか疲れたから寝るよ」

「そうしなさい」

「部屋にご案内します」

「頼むよ咲夜……あれ?」

 

 しれっと、咲夜が話に混ざってきた気がする。

 振り向いた私の視界には、瀟洒なメイドが佇んでいた。

 いつの間に……まあ、流石である。

 とりあえず、早くベッドインしたい。

 後のその他諸々は、一眠りしてから考えよう。

 思考を放棄した私は、咲夜に連れられてここを後にするのだった。

 

 

 

 

 



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第十話 メイドの忠誠

少し書き方を変えました。


 一眠りする事で徹夜の疲れを癒した私は、現在ある場所へと向かっていた。

 手元にはバスガイドよろしく旗を持ち、廊下でサボっていた妖精達を連れている。

 わいわいしながら進んでいくと、紅魔館の入口にたどり着く。

 そこには案の定、門番として美鈴がいたのである。

 

「はーい。ここが紅魔館前でーす」

「でーす」

「いえーい」

「ちゅうごくー」

「……あの、なにしているんです?」

 

 全員で腕を振り上げていると、微妙な表情の美鈴が声を掛けてきた。

 居眠りしているかと思っていたが、意外と真面目に職務を全うしていたらしい。

 私なら退屈すぎて、立ったまま寝ているはずだ。

 そういう意味で考えれば、彼女は非常に優秀である事が窺えるだろう。

 まあ、サボっていると、咲夜に怒られるからかもしれないが。

 美鈴の生真面目さに感心しながら、私は首を傾げて答える。

 

「なにって、案内ごっこ?」

「ごっこー」

「いえーい」

「ちゅうごくー」

「はぁ、そうなんですか。それと、私は中国じゃありません!」

 

 気のない返事をしていた美鈴は、メイド服姿の妖精に反論していた。

 とはいえ、怒っているというより、どちらかと言えば叱るような口調だ。

 元来の人の良さでも出ているのか、彼女の言葉には怒気が感じられない。

 妖精も敏感に察しているようで、呼び名を改める気はない様子である。

 むしろ、楽しげに飛び回って、美鈴の服を引っ張ったりしていた。

 

「あそぼー」

「かねだせー」

「ちゅうごくー」

「あ、ちょ、やめてください。私はお仕事をしているんですから」

 

 あたふたとした様子で、妖精達を宥めようとしている美鈴。

 しかし、元々妖精という種族は悪戯好きだ。

 ここに来るまでに廊下に落書きしていた事からも、間違いない。

 ……霊夢達が暴れたせいで、今の紅魔館は散らかっている状態なのだが、それを助長するような悪戯をしているのを見ていると、咲夜に深く同情してしまう。

 だから、彼女は妖精達を私に引き連れるように言ったのだろうが。

 悲しい事にメイド妖精は、あまり役に立たない存在なのである。

 こんなに可愛らしいのに……いや、ドジっ子メイドと考えれば、むしろ妖精達は需要があるのではないだろうか。

 一生懸命雑用をしている小さな女の子。彼女を見ていると手伝いたくなり、そのまま二人の間で育まれる絆……これは、売れそうだ。

 少しずつ広げた私のコネを駆使すれば、新たな事業の改革ができるに違いない。

 さしずめ、妖精プロデュースといった感じだろうか。

 

「ふっふっふ。楽しくなってきたね!」

「笑ってないで助けてくださいよー!」

「おおっと、ごめんごめん」

 

 捕らぬ狸の皮算用をしていた私の耳に、美鈴の悲鳴が入ってきた。

 心なしか涙声で余裕がなさそうだ。

 頭を掻いて謝った私は、パンパンと手を叩いて全員の注目を集める。

 妖精達がこちらを向いたのを確認して、懐から一つの袋を取り出す。

 

「はーい、ちゅーもーく!」

「なになにー?」

「たべものかー?」

「イエス、その通り!」

『おおー!』

 

 声を揃えて目を輝かせる妖精達。

 彼女達は一様に私を凝視しており、今にも飛びつきそうな勢いを感じる。いや、既にジリジリとにじり寄っていて、静かな威圧感を漂わせ始めていた。

 妖精とは思えないその雰囲気に、助かった美鈴は綺麗な瞳をぱちくり。

 表情には疑問の色がありありと浮かんでおり、困惑気味な様子で私を見つめている。

 

「あ、あのぉ?」

「まあ、待ってて。……おっほん。では、妖精諸君! 無事に私をここに案内してくれた君達には、お礼に私お手製の飴を贈呈しようではないか!」

「あめー!」

「たべるー!」

「よこせー!」

「では、君に託そう。皆で分け合って食べるんだよ?」

 

 勢いよく群がってくる妖精達の一人に、私は笑顔で袋を渡した。

 彼女は満面の笑みで受け取り、輪を抜けて空に飛び立つ。

 その背中は自信に満ち溢れていて、身体全体からはキラキラとした粒子が舞う。

 よく見ると粒子の一つ一つが氷のようで、それらが光に反射して幻想的な景色に彩っているらしい。

 

「……あれ?」

 

 ふと、空にいる妖精がメイド服を着ていない事に気がつく。

 同じ妖精には違いないのだが、なんだか他の妖精より存在感があるというか、天真爛漫な姿が記憶にあるというか。

 思わず小首を傾げていると、彼女は途中で回転して私達を見下ろす。

 両腰に手を当ててふんぞり返り、見ているこちらが楽しくなるような可憐な笑みで口を開く。

 

「アメはさいきょーのあたいがもらったわ!」

「ああ、ずるい!」

「わたしも食べたいのー!」

「ふふん。あたいのものはあたいのものよ! だから、これもあたいのものだから!」

 

 そう告げると、妖精はどこかへ飛んでいった。

 当然、メイド妖精達は逃すはずがなく、慌てた様子で彼女を追いかけていく。

 自然と場には私と美鈴だけが残り、顔を見合わせる。

 

「行っちゃいましたけど……」

 

 どうしますか、といった面立ちの彼女を尻目に、私は全身から冷や汗を垂らしていた。

 衝動的に紅魔館へと振り向き、瀟洒なメイドがいない事実に安堵のため息。

 落ち着いた事で、内心の思いがポツリと零れる。

 

「……咲夜に、怒られるかな?」

 

 無断で彼女達を野に放ってしまったから、このまま帰ってくる保証がない。

 そもそも、妖精は気まぐれな性質な事もあり、かなりまずい事態なのではないだろうか。

 最初の想定では、妖精達を餌付けて仲良くなるつもりだったのだが、これでは妖精どころか、咲夜からの印象も悪くなりそうだ。

 というか、さっきの妖精……恐らく、チルノだろう。

 妖精としては破格の力を持つ、さいきょーの氷結娘。

 あまりにも自然に馴染んでいたので、今の今まで存在に全く気がつかなかった。

 思った以上に抜けている自分に、苦笑いしか出てこない。

 まさか、あんな強烈な子を見逃すとは。

 それほど美鈴に目を奪われていたのか、あるいは他の原因か。実際はわからないが、とりあえず目先の問題を解決すべきだろう。

 刹那でそう結論づけた私は、リュックから一つの機械を取り出す。

 これは妖怪探知機で、設定を弄れば他の種族も探す事ができるのだ。

 

「それは?」

「ただのレーダーだよ。とりあえず、これで妖精達を探す。じゃあ、私は急いで連れ戻してくるから!」

「あ、それだったら私も手伝いますよ」

「え、いいの?」

「はい。これでも、私は人を探すのが得意ですから」

 

 思わず問い返した私に、頷いた美鈴は朗らかな笑みを向けた。拳を手のひらに叩きつけた後、むんっと力こぶを作ってやる気を見せつけている。

 そんな頼りがいのある姿を見た私は、笑顔で近寄って彼女の両手を握る。

 

「ありがとう! いやー、本当に助かるよ!」

「あはは。お嬢様の客人ですからね。私にできる事があるなら、手伝いますよ」

「うぅ……紅魔館の人って、良い人が多くて嬉しいよ」

 

 感無量な気持ちで目頭を押さえながら、美鈴は紅魔館最後の良心、といった言葉が脳裏を過ぎった。

 いや、咲夜やパチュリーも優しいし、レミリアも面白いから違うか。

 ともかく、心強い味方を得た私は、メイド妖精達を探すため奔走するのだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「ふぃー、なんとかなったぁ」

 

 最後のメイド妖精が紅魔館に入ったのを目撃した私は、額の汗を拭って息を漏らした。

 傍にいる美鈴も同じようで、どことなく安堵した様子だ。

 あれから、美鈴の能力を行使した気の探知と、私のレーダーを使って探した結果、短時間で妖精達を回収する事ができたのである。

 数々の悪戯に翻弄されながらも、どうにか一息つけて良かった良かった。

 私達も紅魔館の前に降りると、美鈴がほっぺたを動かしながら口を開く。

 

「それにしても、美味しいですね。みずはさんの作った飴」

「当然さ! なんたって、あれは完成品だからね」

 

 私が開発した緑色の飴は、きゅうりの成分を濃縮しており、あの飴玉一つできゅうり五つ分と同じ感覚を味わえる。

 また、味も追求しているので、非常に美味に感じるようになっている。

 つまり、ちょー美味いきゅうり味の飴なのだ。

 妖精達にも好評で、次も持ってくるように要求されたほどである。

 きゅうりを気に入ってくれた人が増えて、私としても大満足だ。

 ゆくゆくは、きゅうりそのものの愛好家になるように……

 

「夢が広がるよね!」

「夢?」

「いや、こっちの話」

 

 首を傾げた美鈴に手を振りつつ、さぁて本題に入ろうかと考えた時、不意に私の肩が誰かに叩かれた。

 急速に嫌な予感が膨れ上がり、同時に目の前にいる美鈴が目を見開く。

 彼女は目を逸らそうとしていたが、直ぐに直立不動の形となって固まる。

 

「少々、よろしいでしょうか?」

「……よろしくないです」

 

 そう答えると、肩に置かれた手の力が増した。

 また、美鈴の顔色が同情一色に染まり、さり気なくすり足で後ろに移動している。

 物音どころか気配一つ感じさせない、忍者の如き静かな動き。

 流石は武道を磨いている妖怪だろう。こんな所で知りたくない凄さだったが。

 しかし、背後にいる誰かの気配が黒くなれば、途端に元の位置に戻っていた。

 調教されているというか、見捨てきれない人の良さが滲んでいるというか。

 ともかく、後ろの人物は美鈴も逃がすつもりがないらしい。

 

「手間は取らせません」

「嫌です」

「こちらを向いてください」

「いーやーだー!」

 

 勢いよく首を横に振っていると、突然眼前に怜悧な美貌が出現。

 思わずひっくり返りそうになる私に、心なしか冷たい目の彼女──咲夜が告げる。

 

「屋敷にいる妖精メイドのほとんどが、汚れているのですが」

「知らなーい。しーらない!」

 

 目を逸らして口笛を吹くも、無言の圧力を感じて冷や汗が垂れてしまう。

 視界の端にいる美鈴は諦めているのか、愛想笑いのまま静観していた。

 そんな私達の様子を見て、咲夜は手を動かす。

 数瞬鋭く光るナイフが覗き、直後にはマジックのように消え失せる。

 同時に、私の背後ですとんと音が鳴り、髪の毛が数本舞った。

 

「みずは様はお嬢様のお客人ですので、私の方からとやかく述べるつもりはありません」

「は、はい」

「ですが、私にも感情という物がある事を、お忘れなきように」

「妖精達を外に逃がしてしまい大変申し訳ありませんでした!」

 

 直角に腰を曲げた私は、咲夜へと深く深く頭を下げた。

 もっと、彼女達の行動を予想しておくべきだった。

 少し考えれば、外に出ていく事がわかったはずだろう。

 メイド妖精が野に放たれた責任は私にある……だから、次に告げる言葉も決まっていた。

 

「美鈴は怒らないであげて。彼女は私のお手伝いをしてくれただけだから。むしろ、美鈴のおかげで妖精が早く見つかったから、褒めるべきだよ」

「そんな、違いますよ咲夜さん。私も妖精を見逃してしまったから、同罪です! だから、みずはさんを叱るなら一緒にお願いします!」

「美鈴……」

 

 慌てた様子で近づき、そう咲夜に訴えかけた美鈴。

 瞳からは今の言葉を本気で思っていると窺え、力強く彼女を射抜いていた。

 燃えるような紅髪を風に揺らし、しかし身体は凛と伸びたまま。

 何百年も経た巨木の如き佇まいだったが、それが今崩れていく。

 私を庇うため、謝罪という意を示すため。

 まだ話して数時間にも満たないのに、一人の妖怪のために頭を下げられる性格。

 我が強くて自己中なのが多い妖怪とは思えないほど、美鈴の在り方は眩しく輝いていた。

 知らず知らず感動で目を潤ませていると、咲夜はゆっくりと目を伏せる。

 私達に見えない角度まで俯き、彼女の表情に妖しい影が差す。

 

「さ、咲夜さん……?」

 

 ゴクリ、と美鈴の生唾を飲み込む音が、いやに大きく響いた。

 太陽はもうすぐで上まで昇りきり、瀟洒なメイドに向けて光を降り注ぐ。

 陽光で輝くシルバーブロンドと、暗闇から伸びるような影のコントラストは、目が離せなくなるほどの妖艶さがあった。

 自然と緊張していると、やがて咲夜は影を取り払って顔に光を浴びる。

 その鋭くも見惚れるような美貌は、淑やかな笑みを浮かべていた。

 

「へっ?」

 

 予想だにしない表情に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 一体、どういう事だろうか。

 先ほどまでの雰囲気と、ナイフを投げられた点を考慮すれば、咲夜に怒られると思っていたのだが。

 しかし、今の彼女は怒りどころか、むしろ愉快とすら感じる笑顔だ。

 端的に表すと、してやったりといった風に。

 美鈴も同様な気持ちなのか、あれだけ固く引き締まっていた視線が緩まり、可愛らしく何度も瞬きしている。

 私達の疑問の眼差しを充分に浴びる中、咲夜は口元に指を添えて上品な微笑を一つ。

 鈴の音が鳴るような笑い声を落とした後、指を立てて子供に言い聞かせる母親の口調で告げる。

 

「みずは様。先ほどの私の言葉を、よく思い出してください」

「えーっと、咲夜にも感情があるって……あっ!」

「ふふっ。お気づきになられましたか」

 

 そう──今まで一度も、咲夜は怒ったなどと口にはしていない。

 ただ、妖精が汚れていた理由を問い、自分にも感情があると言っただけ。

 後ろめたい気持ちがある私達が、それを勝手に怒りの感情だと決めつけたのだ。

 つまり、咲夜は私達をからかった、という事なのだろう。

 

「かーっ! やられたー!」

 

 騙されてムカつく、なんて感情は微塵もない。

 これは咲夜の手腕を賞賛すべきであり、むしろ彼女の有能さを知られて満足すらしている。

 私達の思考を誘導する言葉選びに、それを補強させる演技力。

 瀟洒なメイドは、家事以外にも秀でていた。

 ……レミリアを翻弄しているのは、天然ではないと考えるべきか。

 この強かさを、素では中々出せないだろう。

 

「えぇと?」

「じゃあ、私の髪の毛が舞った理由は?」

「みずは様のお世話をしていた時に、抜けて落ちた髪を使用いたしました」

「なるほどねー。後は、時間を止めてそれっぽく見せればいいって事かな」

「ご明察でございます」

 

 慇懃に頭を下げる咲夜をよそに、私は振り向いて壁を確認してみる。

 そこには、壁の前に置かれた木の板と、そこに刺さっていたナイフがあった。

 改めて見ると、納得だ。壁に刺さったにしては軽い音だと思っていたが、このようなカラクリになっていたらしい。

 場所の関係から美鈴の死角にもなっており、咲夜の瞬間判断能力がずば抜けている事が窺える。

 

「その、咲夜さんは怒ってないのですか?」

「そうよ。そう言っているじゃない」

「……良かったぁ。私、また咲夜さんに叱られるかと思っていましたよ」

 

 安堵した様子で胸をなで下ろす美鈴を見て、咲夜は微かに眉尻を上げた。

 おとがいに手を添えて思案する素振りを見せた後、唐突にその場から消え去る。

 同時に、美鈴の背に現れ、肩に手を乗せて口を開く。

 

「美鈴。あなた、厨房のデザートをつまみ食いしたでしょう」

「な、なぜそれを……あっ」

「あなたがビクビクする時は、大抵デザート関係だからに決まっているからよ」

 

 美鈴って、大食いキャラだったんだ。

 さっきまでの凛々しい姿とのギャップに、正直微妙な気持ちにならざるを得ない。

 咲夜に告げられるたびに小さくなっている彼女は、控えめに言っても子供みたいだ。

 ……可愛い、のだろうか?

 美人系の顔立ちの少女が、涙目でメイドに許しを乞うている様子。

 普通にありだ。むしろ、ギャップ萌えと考えれば、素晴らしいとすら思えそうだ。

 

「ごめんなさい! 許してください!」

「ダメよ。後でお仕置きね」

「そんなー!?」

「さ。あなたは早く仕事に戻りなさい」

「……はい、わかりました」

 

 悲鳴を上げていた美鈴だったが、咲夜にばっさりと切り捨てられると、とぼとぼとした足取りで門の前に向かっていた。

 自業自得だとはいえ、少し同情してしまう。

 哀愁漂う背中を見送っていると、私の側に出現した咲夜が紅魔館へと手を伸ばす。

 

「まもなく昼食の用意ができますので、食堂にいらしてください」

「あいあい。美鈴は?」

「彼女には反省していただかなければいけませんので」

「そ、そう」

 

 深くは触れないでおこう。

 なにやら美鈴は常習犯のようだし、藪をつついて蛇を出す事もあるまい。

 目が笑っていない咲夜の笑顔を見た私は、そう結論づけて足早に紅魔館に向かう。

 途中、子犬のような眼差しを美鈴が送ってきていたが、私に彼女を助けられる理論武装はなかった。

 庇ってもらった恩を仇で返す事をして、申し訳ない気持ちである。

 内心で美鈴に謝っていたが、不意に察知した殺気に臨戦態勢。

 どこから攻撃されても良いよう、重心を落として我流の構えを取る。

 

「──申し訳ありません。言い忘れておりました」

 

 音もなく私の背後に現れた、冷血な狩人。

 表情を見なくとも容易に理解できるほど、背後の人物からは剣呑な雰囲気が漂っていた。

 今いる玄関ホールには、私達の二人しかいない。

 よって、ここでなにかが起きても、目撃者がいないというわけだ。

 

「穏やかじゃないねぇ。それで、私に言いたい事って?」

「今一度、忠告しておきます。くれぐれも、お嬢様を失望させないでください」

「レミリアを?」

 

 問い返すと、鋭利な殺気が更に研がれていく。

 万物を切り裂く如き鋭い威圧に、私は口角を上げながら振り返る。

 紅い満月と、目が合った。

 いや──そんな錯覚を抱くほどの、無機質で幻想的な瞳だったのだ。

 この一瞬では到底測れないであろう、深い忠誠が込められた視線。

 今の彼女の艶やかに光る瞳には、レミリア以外なにも映っていない。

 レミリアから殺せと命じられれば、誰であろうと任務を遂行するだろう。

 例え、美鈴やパチュリーといった紅魔館の住人でも。

 

「貴女様に限って、ないとは思いますが。お嬢様のお手を煩わせる事はなきように」

「……わかった。肝に銘じておく」

 

 真っ直ぐ見つめ返し、神妙に頷いた。

 無言で視線を絡ませ合うこと暫し、咲夜の雰囲気が常の瀟洒なメイドに戻る。

 涼しい美貌で眉尻を下げ、申し訳なさそうな仕草で頭を下げていく。

 

「御無礼を、申し訳ございません」

「いやいや、それだけ咲夜がレミリアを好きって事だからね。むしろ、微笑ましいかな?」

「そう仰っていただけると、恐縮です」

 

 歩みを再開しながら、私達は会話を交えていくのだが。

 やはり、咲夜の雰囲気が先ほどより固い。

 仕方ない事だとはいえ、私にとっても居心地が悪いので、ここは一つ冗談でも飛ばそう。

 咲夜が喜びそうな話題……あ、そうだ。

 

「ふむ……例えば、私の発明品を使って、レミリアのカリスマ写真集とか」

「乗ります」

「お、おお?」

 

 前に回り込んだ咲夜が、私の両肩に手を乗せて顔を近づける。

 ぐぐいっといった擬音が聞こえるほどで、あまりの勢いにタジタジだ。

 まさか、ここまで強く飛びつくとは。

 良くも悪くも、咲夜の忠誠心は随一なのだろう。

 

「お嬢様の写真集、素晴らしい響きです。みずは様、私と一瞬に制作いたしましょう」

「わ、わかったから落ち着いて!」

「……はっ! も、申し訳ありません!」

 

 私の促しで我に返ったのか、慌てた様子で離れた咲夜。

 珍しく頬が赤く色づいており、見慣れぬ彼女の動揺した姿に、思わず顔をにやけさせて懐からスマホ型カメラを取り出す。

 画面をタップしてカメラモードを開き、パシャリと一枚。

 直ぐにしまって何事もなく振舞ったので、自身を取り繕うので忙しい咲夜は気がついていないだろう。

 これは、先ほどのやり取りの仕返しだ。いきなりやられたのだから、これぐらいの役得があっても許されるべきである。

 

「ささ、早く行こう。私、お腹空いちゃったからさ」

「は、はい。こちらです」

 

 内心で自己弁護していた私は、いまだに恥ずかしそうな咲夜と共に食堂へ向かうのだった。

 

 

 

 

 



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第十一話 吸血鬼姉妹の遊戯

 薄暗い廊下を、一人の少女が歩いている。

 妖しく揺れるろうそくの炎を身にまとい、高貴なオーラを漂わせながら進む。

 暗がりの中で光る紅い瞳は強く、彼女の意志の固さが容易に窺える。

 迷路のように入り込む通路を歩いていると、ある一つの部屋の前にたどり着く。

 禍々しく邪悪な空気が扉の隙間から漏れており、少女は眉をしかめて舌を打つ。

 

『やはり、限界だな』

 

 皮膜の羽を揺らした少女──レミリアは、耳に手を添えてそう告げた。

 同時に、私の耳へと、彼女の声がやって来る。無線で通じた、イヤーカフスに。

 時間の関係で無線機は一セットしか揃えられず、レミリア達の声は私が伝える事になっていた。

 改めて、現状の確認をした私は、浅く息を吐いて言葉を返す。

 

「はいはい、聴こえている?」

『ああ。こちらの声は?』

「ばっちしだよ」

 

 レミリアの問いに頷き、対面にいるパチュリーにオッケーマークを向ける。

 興味深げな眼差しを送ってきていた彼女は、その仕草を見て笑みを浮かべ、次いでテーブルの上にある巨大な水晶を撫でた。

 

「これも、問題なさそうね」

「うん。ちゃんとレミリアの姿が映っているし」

 

 咲夜に釘を刺されてから、暫く経ち。

 現在、私達はフランドールの狂気を鎮める、作戦決行日を迎えていた。

 私とパチュリー、そして咲夜は大図書館で待機していて、レミリアが一人でフランドールの部屋へと向かっている。

 初めは私達も側で見守っていようか、と彼女に提案したのだが。

 

 ──これは、私達姉妹の問題だ。せめて、この日ぐらいは私一人に任せてくれ。

 

 と、不敵な笑み混じりで告げられ、こうしてサポートに徹しているというわけだ。

 レミリアの耳には私開発の無線機があり、私と声を繋げている。

 映像の方はパチュリー制作の魔道具で、これで視覚と聴覚はこちらも把握できるだろう。

 咲夜は私達の身の回りの世話と、万が一のためのバックアップ要因だ。

 彼女の時間停止能力を使えば、直ぐにレミリアを助けられるだろうから。

 ちなみに、小悪魔は妖精メイド達の監修で、美鈴はいつも通り門番を務めて貰っている。

 ないとは思うが、勘づいた妖怪を紅魔館に侵入させないために。

 

「レミリア。もう一度、おさらいしよう」

『まず、フランの狂気を表に出し、それをある程度発散させる。そして、フランが疲弊した頃合を見計らい、この魔道具をフランの腕に付ける──相違はないな?』

「うん、オッケー。ついでに言うと、魔道具の腕輪は予備を含めて三つしか創れなかったから、ドジ踏んで全部壊さないでよね?」

 

 からかいの意を含んで問うと、水晶内のレミリアが鼻で笑う。

 こちらまで伝わりそうなほどの威厳を湛え、八重歯を光らせながら口を開く。

 

『愚問だな。フランのためならば、私は全ての運命を掌握してみせる』

「……あっはっは! いいね、そういう啖呵。嫌いじゃない」

『ふんっ。で、準備はいいか?』

 

 レミリアの問いかけに、私はパチュリー達の方へ目を向けた。

 七曜の魔女は澄んだ瞳でこちらを見つめ返しており、身体からは微かに色濃い魔力が迸っている。

 底知れぬ威圧を漂わせながら、ただただ静かに私の言葉を待つ体勢だ。

 彼女の魔力の余波だけで大図書館は軋み、この場の空気が張り詰められていく。

 

「問題ありませんわ」

 

 対して、完璧で瀟洒なメイドは、莞爾とした笑みを浮かべたまま、慇懃な礼を示す。

 しかし、彼女から感じる鋭いナイフのような気配を考慮すれば、先ほどの笑顔が表面上でしかない事が容易に窺えるだろう。

 まさに、冷徹な狩人の如く、敬愛なる主の一挙手一投足を観察している。

 些細な問題を見逃さぬよう、己の身を挺して主人を助けるために。

 二人の気合いを十二分に受け取った私は、手を鳴らして言葉を返す。

 

「よっし! じゃあ、作戦スタート」

 

 私の合図を聞き、部屋の扉を押すレミリア。

 錆び付いた音を響かせながら、ゆっくりとドアが開かれていく。

 まるで、長年封じ込めていた封印を解いた事に、怒り嘆くように。

 水晶内のカメラも動き、レミリアと一緒にフランドールの部屋へと移る。

 以前私が見た通り、室内の様子はさほど変わっていない。

 相変わらずフランドールはベッドに腰掛けており、感情が込められていない目で虚空を眺めている。

 

「これは……」

 

 彼女の姿をこの目で確認するのは、初めてだったのだろう。

 パチュリーは驚きの声音を漏らし、対する咲夜は痛ましそうに目を伏せるのみ。

 私も前に会ったとはいえ、幼い少女のこんな姿を見てしまうと、胸を痛めてしまう。

 あの時は、フランドールを心底どうでも良いと思っていた……しかし、現在の私はレミリア達と言葉を交わした。

 少なくとも、私は彼女達を友だと思っていて、好ましく思っている。

 そんな今だからこそ、以前までの私の思考が許せず、自然と自嘲の笑みを零す。

 

『過去は過去だ』

「えっ?」

『昔のお前がどう思っていたか、というのは些末な問題だろう。私が知っている今のお前は、赤の他人の家族問題を無償で助けてくれる、どうしようもないバカで救いようのないお人好しだ』

「レミリア……」

 

 私の雰囲気を敏感に感じ取ったのか、偉大なる吸血鬼は真紅の瞳を細め、皮肉げに口角を上げた。

 表情は向いていなくとも、彼女の言葉は無線を通じて私に届いていた。

 それがレミリアなりの激励だと理解し、思わず目を濡らしてしまう。

 

 ──過去を振り返る暇があれば、今のお人好しとして私を支えろ。

 

 無言の背中からそう伝わり、私は目元を拭って気合いを入れ直す。

 レミリアにそこまで頼られたのなら、頑張らなくてはならない。

 この作戦が成功するように、吸血鬼姉妹が一緒に笑え合えるように。

 私はただ、レミリアのサポートに徹するだけだ。

 

『お姉様?』

 

 気持ちを切り替えていると、不意にフランドールの声が響いた。

 彼女はレミリアの方に顔を向けており、可愛らしく目を見開いている。

 七色の羽根は嬉しげに揺らめき、ぱっと表情に満面の花を咲かす。

 自分の衝動に突き動かされるよう、ベッドから飛び降りたフランドール。

 しかし、直ぐに立ち止まり、飛び退いて空中でレミリアを見つめる。

 

『フラン、久しぶりね』

『だ、ダメ! お姉様来ちゃダメ!』

 

 私が初めて見た慈愛の微笑みを浮かべたレミリアは、静かな歩調でフランドールとの距離を詰めていく。

 怯えた形相で後ずさる、自身の妹の声を無視して。

 零れんばかりの愛を胸に秘めた様子で、真紅の吸血鬼は澄んだ瞳で愛する家族と目を合わす。

 優雅に手を胸元に添えながら、どこか贖罪する口調で喉を震わせる。

 

『ごめんなさい。今まで、貴女には酷い事をしたわ』

『違う! お姉様は悪くない! 私が、自分からここにいるんだもん!』

『元々、フランに地下室へ行くよう言ったのは私だわ。貴女は私に罪悪感を抱かせないようにするために、私の提案を遮って自分から行ったんじゃない』

『違うっ! 違う違う違う! お姉様はなにも悪くない!』

『いいえ』

『っ!』

 

 言葉少なく、それ以上に思い強く否定の声を上げたレミリア。

 揺るがぬ瞳は紅く輝き、その固い意志を湛えた眼差しは、フランドールへと注がれている。

 吸血鬼としての威厳に満ち溢れ、しかしどこか暖かみのある視線。

 自身の言葉を曲げるつもりは微塵もない、といった様子が傍目からも一目瞭然だ──間違いなく、今のレミリアは幻想郷でもっともカリスマ性があった。

 そんな凄まじい姉の想いを受け取ったからか、フランドールは言葉に詰まり、次いで俯いて肩を震わせていく。

 

『私が未熟なばかりに、貴女に辛い思いを味あわせてしまったわ。ずっと独りで、地下室に籠らせて』

『………………て』

『きっと、フランは私の事を恨んだでしょう。妬んだでしょう。憎んだでしょう。自分はこんなに寂しいのに、姉はのうのうと外で皆と楽しく過ごしているに違いない、って』

『…………めて』

 

 フランドールの全身から、邪悪な妖気が零れ出ていく。

 抱えた頭を弱々しく振るその様子とは裏腹に、徐々に禍々しい気配が強くなっている。

 当然、レミリアも気がついているのだろう。しかし、彼女は一人の姉として話すのをやめるつもりは毛頭ないようで、自分の不甲斐なさを嘆くように胸元に添えていた手を握り締めた。

 骨が砕ける音が響き、レミリアの右手から血飛沫が飛び散る。

 血塗れた自身の手を翳すと、彼女は自嘲の笑みを零して言葉を繋ぐ。

 既に手は再生され始め、治りかけていた。

 

『吸血鬼として優れた力を持っていながら、大切な妹一人救えない。なにが、誇り高き吸血鬼かしら。我ながらバカバカしくて、滑稽よね』

『……やめて』

『でもね、フラン。こんなどうしようもなく未熟な私を、支えてくれている人達がいるの』

 

 そこで言葉を区切り、視線をカメラのある方に向けたレミリア。

 少し照れ臭そうに頬を赤らめながらも、誇らしげに胸を張っていた。

 

「レミィ……」

 

 固唾を呑んで見守っていたパチュリーは、その言葉に感動した様子だ。

 目元を潤ませており、頬が緩んでいた。

 また、咲夜も感無量といった様子で、ハンカチを目に当てて涙を拭っている。

 かく言う私も、レミリアの独白を耳にし、泣きそうになるのを堪えていた。

 あの、誰よりも誇りを大事にしていた彼女が、吸血鬼としての矜持を持っていたレミリアが。

 他人には決して言えないような胸の内を、告げてくれたのだ。

 心ない人なら、今のレミリアを弱いと評するだろう。

 だけど、私はそうは思わない。自分の弱さを認めた上で、大切な人がいてくれると胸を張れる心根──私ならば、レミリアをこう認識する。

 誰よりも誇り高く、それ以上に心が強い吸血鬼、と。

 

『ねぇ、フラン。彼女達のおかげで、貴女の狂気をなんとかする方法が見つかったの。だから、一緒に外へ──』

『やめてッ!』

 

 一人の少女が、慟哭の声を響かせた。

 顔を上げた彼女の目は血走っており、レミリアを強く睨んでいる。

 急変したフランドールの姿に、レミリアは目を見開いて一歩踏み込む。

 その姉の行動を見とがめる様子で、妹は犬歯を剥き出しにして口を開く。

 まるで、自分に言い聞かせるように。

 

『やめてやめてやめてやめてッ! 違う違う違う違うッ! お姉様はそんな事言わないッ! お姉様は強くて、誇り高くて、カッコよくて、私の憧れなのッ! だから、だから、お姉様はそんな弱音なんか言わないッ!』

『フ、フラン……』

 

 突然のフランドールの言葉に、レミリアは声も出ないようだ。

 唖然と佇んでおり、じっとフランドールを見つめている。

 しかし、そんなレミリアの反応すら気に食わないのか、フランドールは再び頭を抱えて苦悶の声を上げる。

 同時に、漏れていた妖気が、爆発的に膨れ上がっていく。

 

『やめろやめろやめろ壊したくない壊したくないこわしたくない──』

『フラン!』

 

 焦った表情で、フランドールの元へ飛んでいくレミリア。

 伸ばした彼女の手が触れる刹那、顔を上げた幼き吸血鬼は涙を流していた。

 

『──たすけて、おねえさま』

 

 フランドールがそう呟いたのが合図だったかのように、彼女の無邪気な瞳が濁る。

 輝く宝石が泥まみれになったかの如き仄暗く澱み、彼女の意志が消え失せていた。

 

「っ!」

「早まるな!」

 

 視界の端で、咲夜が動いた。

 すかさず手で制し、振り上げられたナイフを握り締める。

 右手が裂けて血が飛び、鋭い痛みに私は眉をしかめた。

 鉄の臭いが辺りに充満し始め、冷徹な瞳で睨むメイドと目を合わす。

 

「何故、止めたのでしょうか?」

「今の咲夜が行っても、レミリア達の邪魔にしかならないからだよ」

 

 横目で水晶内を窺うと、フランドールの貫手をレミリアが躱していた。

 彼女は苦渋の表情を浮かべており、対するフランドールは無邪気な笑顔だ。

 文字通り満面の笑みだったが、それはどこまでも攻撃的な意しか含まれていない。

 子供がアリを踏み潰すような、なんとなくといった様子で、哄笑を上げている。

 

『アハハハハッ! 楽しい、楽しいお姉様? わたしはとっても楽しいよ!』

『……ええ、私も楽しいわ。フランと遊べるんだもの。楽しくて楽しくて、仕方がないわ』

 

 二人の吸血鬼が激突するたび、部屋に亀裂が走って崩れていく。

 既に無事な家具は一つもなく、壁も瓦礫へと変貌していた。

 技術が微塵もない、純粋な力と力のぶつかり合い。

 己の特性を十全に活かした戦闘に、種族の規格外さが窺えるだろう。

 

「歯がゆいわね。見ているだけなんて」

「それは私も同じ気持ち。だから、咲夜。とりあえず抑えて」

「…………承知いたしました」

 

 目を細めながら爪を噛むパチュリーと、渋々といった様子で矛を下ろした咲夜。

 直後には私の右手に包帯が巻かれ、的確な治療が施された。

 笑顔で礼を告げた後、私は無事な左手で顎を撫でつける。

 

「予定とは違うね」

「そうね。元々は、妹様と弾幕ごっこで戦う予定だったのだけれど」

 

 パチュリーの言う通り、本初の想定では弾幕ごっこだったのだ。

 これは、レミリア達が怪我をしないためでもあるし、なにより幻想郷のルールに従ったからでもある。

 幻想郷の賢者である紫……実は、今回の事は彼女に告げていない。

 伝えるタイミングを逃していたし、万が一この作戦を止められる可能性があったからだ。

 

「無線機はまずいよねぇ……」

 

 紫は過度の技術革新を良しとしていないので、自分で使う分はともかく、他人に使わせるのは問題があるだろう。

 だから、刺激しないよう弾幕ごっこにする予定だったのだが……まあ、所詮予定は予定だったという事である。

 

「っ!」

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 

 パチュリーの疑問にそう答えつつ、私は密かに胸を撫で下ろしていた。

 神経が過敏になっているのだろう。いないはずの紫がいたような、錯覚に陥ったのだから。

 感じた気がする気配は既になく、私達以外誰もこの場にいない。

 

『もっと! もっと、お姉様の力を見せてよ!』

 

 大きく裂けた唇を震わせ、フランドールはレミリアに突貫。

 鎌鼬が起きるほどの速さで足を振り上げ、風切り音を鳴らす。

 しかし、レミリアは流麗な動作でその蹴撃を受け流し、返す拳でフランドールを吹き飛ばした。

 武道としての理にかなった動き──ではない。

 貴族がダンスを披露するかのように、気品溢れる所作で戦っているのだ。

 吸血鬼の力で絶大な畏怖を、レミリア自身の行動で心からの敬服を、フランドールを見つめる視線で止まらない親愛を。

 この戦闘を通して、私達に伝えていた。

 

「ねぇ、まだなの!」

「まだだよ! まだ彼女の狂気が強すぎる!」

 

 苛立つ様子で催促するパチュリーに、私はテーブルにある計測器を一瞥してそう返した。

 フランドールの狂気を大まかに測る機械を造っていたのだが、それが示す値が規定値に達していない。

 せいぜいが四十パーセント、といったところか。

 この状態で魔道具を嵌めても、直ぐにフランドールに壊されてしまうだろう。

 思わず歯を噛み締めながら、耳に手を添えてレミリアに声を掛ける。

 

「聴こえていたよね? もう少し保たせて」

『くくっ。保たせるもなにも、今の私は絶好調だ。フランのためならば、永遠に踊ってみせよう』

「そりゃ頼もしい返事だね」

 

 口角を吊り上げたレミリアは、今の言葉を証明するように勢いを増していく。

 吸血鬼としての特性を十全に活かし、鋭角な軌道で飛翔して相手を惑わせる。

 対するフランドールも、ますます笑みを深めてレミリアを追いかけていた。

 この光景だけを切り取れば、姉妹でじゃれ合っているとしか思えないだろう。

 しかし、フランドールが殺傷力の込められた弾を撃ち出していたり、レミリアがそれをバレルロール等で躱していなければ。

 既に場所は移り、咲夜の能力で拡張された通路で行われている。

 あちこちを破壊しながら飛んでいるうちに、吸血鬼姉妹は大きな空間へとたどり着く。

 

『さあ、フラン。鬼ごっこはおしまいよ。次はなにして遊びましょうか?』

 

 空中で振り返り、微笑を零したレミリア。

 慈しむ眼差しでフランドールを見つめており、腕を組んで彼女の言葉を待っている。

 対して、フランドールはギリッと歯ぎしりを鳴らし、瞳に宿る殺意を高まらせていく。

 ただただ暴力的に、獣としての本能が全面に現れた殺気へと。

 

『その余裕がムカつく! ムカつくから、お姉様をこわしちゃうね!』

 

 狂的に嗤うと、おもむろにフランドールが右手を掲げた。

 まるで、レミリアの命は自分が握っていると示すように。

 恐らく、あそこにフランドールだけが見える“目”があるのだろう。そして、それを握り潰してレミリアを殺すつもりなのだろう。

 ゆっくりと、閉じられていくフランドールの右手。

 無邪気な破壊者が勝利を確信した様子で、邪悪にほくそ笑んだ──

 

『甘いわね』

 

 ──瞬間、すぐ側に現れたレミリアに、右手をはたかれた。

 目をこれでもかと丸くしたフランドールは、ポツリと呟きを漏らす。

 

『なんで?』

『四百九十五年』

『えっ?』

『貴女の姉でいる年数よ。確かに、私はフランを地下室に閉じ込めたわ。でも、それだけで私がなにもしなかったわけないでしょう。ずっと……それこそ、気が狂うほど、貴女の事を見ていたの。だから、貴女の考えなんて簡単に読めるし、死角を突くなんて朝飯前よ』

 

 そう告げると、レミリアは儚く微笑んだ。

 姉としての不甲斐なさ、フランドールの姉という強い自負、彼女をやり込めた事へのしてやったり感……様々な感情が入り混じる、不思議で魅力的な笑顔だった。

 

『……』

「レミリア。規定値に達した。彼女に魔道具を」

 

 フランドールの心に影響されたからか、思ったより早く予定の値までいった。

 今の立ち位置は絶好のチャンスだし、これならば上手くいきそうだ。

 パチュリー達も安堵した様子で息を吐いており、辺りに弛緩した空気が流れ込む。

 

『さあ、フラン。これを付けて──』

『うるさい』

『──えっ?』

 

 ブレスレットを取り出したレミリアの右手を、フランドールが握り潰した。

 私の耳にも嫌な音が届き、思わず眉をしかめて立ち上がる。

 水晶内の映像からでは、影に隠れて二人の姿が詳しく窺えない。

 だから、自然とパチュリー達は私を見やり、なにがあったと無言で問いかけてくる。

 

「……レミリアの、手が潰された」

「レミィの手が!?」

『うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!』

『ぐぅっ!』

 

 咄嗟に両腕をクロスにしたレミリアは、フランドールに殴り飛ばされた。

 あっという間に壁まで吹っ飛び、激突して蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる。

 同時に、フランドールが更に濃い妖力を放ち、そのオーラにあてられた水晶にヒビが入ってしまう。

 

「レミリア!」

 

 私が悲鳴を上げ、パチュリーが冷や汗を垂らし、そして咲夜の瞳が冷めていく。

 瀟洒なメイドが吸血鬼の忠犬に変わる──直前、壁から抜け出たレミリアが吼える。

 

『貴様らは動くなッ!』

 

 声が届いた私はもちろん、聞こえないはずのパチュリー達までもが、その言葉に固まった。

 場の全員が水晶内のレミリアを見つめ、今の発言の真意を窺う。

 折れた両腕を壁に叩きつけ、無理矢理元の形に戻していたレミリアは、口元の血を拭って不敵に笑む。

 毅然と佇みながら、突っ込んでくるフランドールを静かに見守っていた。

 

「お嬢様!」

「待って! レミリアには、どうやらなにか考えがあるらしい」

「ですが……!」

 

 私の言葉を聞いても、咲夜は表情を歪めて今にも突撃しそうだ。

 従者として主の命令を守るか、咲夜としてレミリアの元に行くか。

 仕事と私情──二つの感情に心を板挟みにされ、瀟洒なメイドの仮面が剥がれていく。

 しかし、咲夜が行動を決定するのは、僅かに遅かった。

 

『アハハハハハ!』

 

 醜く口の端を広げたフランドールが、赤黒い妖気に身を包みながら、飛翔する速度を増す。

 既に音速近いスピードになっており、飛ぶ余波で物凄い風が巻き起こっていた。

 レミリアとぶつかふのも、もはや一秒にも満たない。

 私の思考速度は彼女達の行動を捉えているが、今の咲夜では時間を止める時に発する思考のせいで、二人の戦闘に横槍を入れる事は不可能だろう。

 もはや、人間の立ち入る領域ではなく、私達はレミリアの無事を祈る事しかできない。

 仮に、この場に紫がいたのなら、能力を行使して片手間に対処できたはずだ。

 しかし、それは仮定の話。動く様子のないレミリアを見れば──

 

「へっ!?」

 

 私達の目に、予想だにしない光景が映った。

 空間の反対側までフランドールが吹っ飛んでおり、翼を広げて怒りの形相を浮かべている。

 レミリアが今のを対処したのだろうか──いや、彼女の前にもう一人、新たな人物がそこにいた。

 

『くくっ。姉妹の遊戯に乱入するとは、不粋な輩だ』

『申し訳ないです』

『構わん。お前がこの場に来ることを、私は見えていたからな』

『あはは。バレちゃってましたか』

 

 燃えるような赤髪は薄暗い場に栄え、隙のない構えは幾百年も経た老木の如し。

 笑顔は陽だまりのような暖かみがありながら、フランドールを見つめる視線は鋭い。

 全身からは恐ろしく清廉な気迫が漂っており、我が主を何人たりとも触れさせぬ、といった不動の佇まいだ。

 玄武を思わせる堅い戦闘態勢を取っているのは、紅魔館の門番で侵入者を迎え撃つ華人小娘──

 

『お嬢様の危機に、参上いたしました!』

 

 ──紅美鈴だった。

 

 

 

 

 



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第十二話 予期せぬ闖入者

「美鈴!?」

 

 現在、私達全員は目を剥き、水晶内に映る美鈴を凝視していた。

 彼女はレミリアを庇う立ち位置におり、油断なくフランドールを見据えている。

 何故、この場に美鈴がいるのだろうか。

 彼女は門番をしていたはずで、ここに現れるはずがないのだが。

 

『なんなんだよ!』

『申し訳ありません、妹様。流石に先ほどの攻撃は看過できず、割り込ませていただきました』

『わたしとお姉様の遊びを邪魔するなッ!』

 

 睨みつけたフランドールは、再度風をまとって美鈴へと突っ込む。

 しかし、彼女の腕が柔らかい円運動をする事により、回転しながら吹っ飛ばされてしまう。

 苛立ちげに顔を歪める吸血鬼を尻目に、紅の武道家は苦笑いを一つ。

 

『いたた……腕が痺れましたよ。ほとんど衝撃は受け流したのに』

『ふん、当然だろう。フランは私の妹なのだからな』

『あの、お嬢様。いきなり誇られても困るんですけど』

 

 美鈴が困ったように眉尻を下げるが、レミリアは鼻を鳴らして発言を撤回する気はないようだ。

 こんな時でもフランドールを自慢するとは、やっぱり彼女はシスコンに違いない。

 まあそもそも、フランドールを大切に思っていなければ、こんな大掛かりな作戦を決行するわけないだろうが。

 

「とりあえず、美鈴が来たからには一安心かな?」

「そうね。一時的にでしょうけど」

「はい。彼女はお仕置きですね」

「え?」

 

 パチュリーの言葉はともかく、咲夜が見当はずれな事を言っているのだけど。

 冷笑を浮かべてナイフを取り出す彼女からは、冗談の色が窺えない。

 瞳が冷たく細められており、美鈴をじっと見つめていた。

 そんな咲夜の感情を受け取ったりでもしたのか、水晶内の赤髪が震える。

 

『ひっ!』

『どうした?』

『い、いえ。今、頭にナイフが刺さった気がして』

『……大丈夫か?』

 

 途端に可哀想な者を見る目に変わるレミリアに、美鈴は慌てた様子で弁明していく。

 

『ち、違うんですお嬢様! たしかに今、咲夜さんが私を狙っていたんですって!』

『お前はなにを言っているんだ?』

『ですから──』

 

 なにやら、二人でやり取りを始めた。

 フランドールがいるのに、随分余裕な事である。

 とはいえ、実際に美鈴の危険察知は正しかったので、あながち彼女の言葉は間違っていないかもしれない。

 未来にナイフが刺さる、という意味で。

 

「それで、突然そんな事を言った理由は?」

「持ち場を離れたからです」

「ふぅん……」

「なにか?」

 

 私と目を合わす咲夜の表情は、冷たい鉄仮面だ。

 しかし、ほんの数ミリ……些細な変化だが、微かに私から目を逸らした。

 ピンと閃き、自然と頬をにやけさせる。

 パチュリーも察したようで、呆れた面持ちで嫉妬深いメイドを一瞥した。

 

「可愛い咲夜は放っておいて、現状を整理しましょうか」

「パチュリー様?」

「そうだねぇ。レミリアの側にいる美鈴を羨ましがっている咲夜は置いておいて、状況を把握しなきゃねー」

「みずは様まで!?」

 

 喚く咲夜をよそに、私は顎を撫でてレミリア達の様子を観察。

 相変わらず二人はどうでもいい事を言っており、対するフランドールは……やばっ。

 

「レミリア! お宅の妹さんも嫉妬してる!」

『──』

 

 私がそう忠告した瞬間、獣じみた雄叫びを上げた破壊者が巨大な妖弾を放った。

 周囲の警戒は怠っていなかったのか、レミリア達は直ぐに迫りくる脅威に気がつき、弾けるように離れて躱す。

 しかし、二人は反対方向に跳んでしまったため、分断された形になってしまう。

 

『淑女足るもの、余裕を持たなきゃいけないわよ?』

『コロス!』

『わわっ! こっちに来るんですかぁ!?』

 

 苦笑いを零したレミリアを無視して、フランドールは殺意を込めた瞳を光らせたまま、着地した美鈴へと一目散に襲いかかる。

 しかし、彼女の慌てた言葉とは裏腹に、防ぐための行動は的確で、相手の進行方向をあっさりとズラしていた。

 錐揉み回転しながら宙に飛ばされたフランドールだったが、直ぐに態勢を立て直したかと思えば、瞳孔を開いて右手を突き出す。

 

『あはっ。こわれちゃえ──』

『美鈴とではなく、お姉様と遊びましょう?』

『──うぐっ!』

 

 フランドールの影から這い出るように出現した、レミリア。

 背中に一当てして腕輪を嵌めようとしたが、残念な事に避けられてしまった。

 狂気の本能でも働いているのだろう。あと一歩というところで、どうしても詰められない。

 

「ここから援護できればね……」

「今からでもレミィの元に駆けつける?」

「そうしましょう。美鈴が来てしまったのでお嬢様一人でなくなりましたし、ならば私達が行っても構わないでしょう。それに、全員で妹様を引きつける事ができれば、魔道具を取りつけられる成功確率が跳ね上がります」

「……それが無難、かな。レミリア、聞いてたね? 今から私達も向かおうと思う」

 

 美鈴が参入した事で、レミリアはフランドールと二人きりという状況が変わり、彼女の意思を尊重する必要は少なくなったはずだった。

 つまり、私達がここで待機している理由もなく、今から増援しに行っても構わないだろう。

 私と美鈴が前衛でパチュリーが後衛、咲夜は遊撃の立ち位置にいてもらい、レミリアがフランドールに腕輪を嵌める役目。

 バランスも良いし、これならばなんとかなりそうだ。

 高速で思考を巡らせていると、無線機からため息が聞こえてきた。

 

『やむを得ない、か。元々、私のワガママだったのだから、お前達の好意を無下にするわけにはいかないだろう』

「よし! そうと決まったら早速行こう!」

 

 レミリアからの許可を貰ったので、私達も地下室に向かおうと立ち上がる。

 咲夜は今にも時間を止めて行きそうであり、これは急がなければいけないなと苦笑を一つ。

 美鈴もいる今は余裕があるからか、なんとか笑える事ができていた。

 彼女が来るとは全く思っていなかったが、結果オーライと言えばその通りなので、正直グッジョブと言わざるを得ない。

 内心で美鈴に親指を向けていると、不意にパチュリーが眼差しを鋭くした。

 素早い動作で振り返り、ヒビ割れている水晶を見やる。

 

「待って! なにか、様子が変よ」

「様子?」

 

 私も追随して目を向ければ、水晶内の状況が一変していた。

 厳しい表情で拳を構えている美鈴に、彼女の側で宙に浮いているレミリア。

 その反対側には俯いているフランドールがおり、音が拾えないがなにやらブツブツと呟いている。

 彼女から迸る妖力が波打ち、心臓のように鼓動を刻んでいく。

 粘性の血を水面に垂らし、それが瞬く間に侵食していっているような、恐ろしげで名状しがたい雰囲気が空間を這っていた。

 

「──っ!」

「あ、咲夜!」

 

 一瞬で眼前から咲夜の姿が消え失せ、代わりに水晶内に現れた。

 彼女はレミリアの前で傅いており、彼女に頭を垂れる銀髪が淡く光る。

 まるで、吸血鬼に味方するために、満月がこの空間に降りてきたかのようだ。

 傍に控えて主を照らす十六夜……冷血な狩人が目覚めた瞬間だった。

 

『何故、ここに来た?』

『お嬢様の手足となるためでごさいます。命令に背いた処罰はいかにようにも』

『ほう、覚悟はできているのだろうな?』

『とうの昔に』

 

 打てば響くように返す、咲夜の忠誠が込められた言葉。

 一点の曇りなき忠義がここにあり、そこまで想われる人がいて羨ましいほどである。

 とはいえ、今はレミリア達のやり取りを羨望している場合ではない。

 フランドールの両脇に魔法陣が出現し、彼女の背後にも巨大な魔法陣が現れる。

 魔法陣から伝わる威圧感は絶大で、水晶を通して私達も敏感に感じていた。

 

「え、フランドールって魔法使えるの?」

「吸血鬼なんだし、使えてもおかしくはないわよね。それより、どうするの?」

「どうするって言われても……」

 

 助太刀したいのは山々なのだが、今から行っても邪魔にしかならないのでは。

 ただでさえ咲夜が来て、更にフランドールが魔法まで使い始めた。

 先ほどの肉弾戦だけならば、彼女一人に気を向ければ良かったのだが。

 別の攻撃手段まであるとなると、喘息持ちのパチュリーでは辛いだろう。

 後衛を集中狙いされる可能性もあるし、なによりパチュリーはともかく、私は紅魔館の人と連携ができない。

 見た感じフランドールの攻撃は弾幕なので、自然と回避する方法も弾幕ごっこと同じになる。

 そんな中に上手く連携が取れない私がいると、最悪一緒に堕とされかねない。

 

「こんな時にあれがあれば……!」

 

 しかし、あれは私の家の地下室にあり、厳重に保管しているのだ。

 いまだに完全ではないので、機械に取りつけている必要があったからである。

 思わず悪態をついていると、突如水晶のヒビが増えていく。

 パチュリーは眉を歪め、次いで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「まずいわ。妹様の圧力に耐えきれない」

「なんだって!」

 

 私達が話し合っている間に場面は進み、フランドールが繰り出した弾幕を、レミリア達が各々の方法でくぐり抜けていた。

 貴族然とした振る舞いで躱すレミリアに、武道を用いて着実に前に進む美鈴。

 咲夜はフランドールの周囲に現れて動きを止めようとしているが、彼女に避けられて有効打を与えられていないらしい。

 フランドールがばら撒く弾幕で地面は抉れ、壁は崩れていく。

 断続的に足元まで振動が届いており、威力のほどを想像するのは難しくないだろう。

 

「これほど強いと……」

『あははははははっ! すごいすごい! お姉様すごいよ!』

『咲夜』

 

 嬉しそうに嗤うフランドールの背後で、現れた咲夜がナイフを振るう。

 しかし、見向きもしないフランドールが裏拳を放った事により、後退を余儀なくされた彼女の斬撃は不発に終わってしまう。

 数瞬後には、先ほどまで咲夜がいた場所を弾幕が通り過ぎ、地面にクレーターを作りだす。

 レミリアが妹を傷つけるのを良しとするのかと思ったが、よくよく考えれば吸血鬼の再生能力なら問題なさそうな気もする。

 

『邪魔をするなぁッ!』

 

 冷徹なメイドを睨みつけると、金の吸血鬼が手を動かした。

 その機先を制するように、咲夜の姿がブレるとその場から消え去り、銀光の残滓が舞い散った。

 上手く照準を定められなかったのか、フランドールは苛立ちげにしているのみ。

 

「……なんとか、レミリア達は大丈夫そうだね」

「その代わり、こちらは問題あるけど」

 

 パチュリーがそう返した瞬間、水晶が砕けて欠片になってしまった。

 思わず舌を打ちながら、耳に手を添えてレミリアに声を掛ける。

 

「レミリア。こちらはそっちの状況を掴めなくなった。私達二人は援護に行った方がいい?」

『ふんっ、必要ない。パチェはともかく、他人のお前では私と合わせる事ができないだろう。それに、万全ではないお前は足でまといだ』

「ぐっ……言うねぇ」

 

 眼帯が巻かれた右目を撫でた私は、その事実にため息を漏らした。

 先ほどは張り切っていたが、普通に私がいても役に立つ事はないだろう。

 せいぜいがフランドールの気を引く、肉壁といったところぐらいか。

 こうなると、私達がすべきサポートは……

 

『お前はパチェと一緒に、祝賀会の準備でもしておけ』

『ああああああじゃまだじゃまだじゃまだ──』

 

 フランドールの怒声と同時に、鳴り響く爆発音。

 音は連続で刻まれており、合間合間で鋭い風切り音も耳に入ってくる。

 暫くすると一段落ついたのか、音が鳴り止んでレミリアの声が聞こえてきた。

 

『心配するな。私達は平気だ』

「いや、明らかにヤバい音が聞こえたんだけど」

『あははははははッ!』

『ぐっ!』

 

 狂笑が響いていたかと思えば、美鈴らしき人物の苦悶の声が耳朶を打つ。

 数瞬後に壁に叩きつけられたような音も鳴り、恐らくフランドールに殴り飛ばされたのだろう。

 思わず眉根を寄せた私は、無線機に手を当てて声を荒らげる。

 

「レミリア! 今なにがあったの!」

『少し油断しただけ──』

 

 途中でレミリアの声が途切れ、鈍い音が私の耳を通り抜けた。

 

「レミリア? レミリア!」

「ちょっと、なにがあったのよ」

「レミリアからの応答がなくなったんだ!」

「なんですって?」

 

 目を細めたパチュリーは、地下室へ続く道に顔を向けた。

 いつもは冷静なその様子は見る影もなく、思案している横顔は焦燥を帯びている。

 対する私も焦りが募り、衝動的にテーブルに拳を叩きつけてしまう。

 無意識に力が込められていたのか、それは容易く粉砕されて崩れ落ちる。

 

「くそっ! 見通しが甘かった!」

 

 初めから、レミリアを一人で行かせるべきではなかった。

 状況を把握できないのが、ここまで不安になってしまうとは。

 レミリアの事だからやられてはいないだろうが、相手は破壊の能力を持つ吸血鬼だ。

 最悪、美鈴達が殺されているかもしれない。

 彼女達がいるのが想定外だったとはいえ、第二プランは建てておくべきだった。

 ……いや、後悔するのは後だ。

 まずは、レミリア達に対して、私達ができる事を考えなければ。

 なにか、なにかがあるはずだ。

 今から急いで向かえば、レミリア達の助けになれるか?

 可能性はあるが、間に合うかどうかは未知数。

 しかし、行動に移さなければ、どの道レミリア達が危険な事は変わりない。

 

「なっ!」

「今度はなにさ!」

 

 高速思考で考え込んでいると、驚愕したパチュリーの声が耳を過ぎった。

 顔を上げて発言の続きを促した私に、彼女は厳しい面立ちで告げる。

 

「侵入者よ」

「……こんな時に?」

「こんな時に」

「めーりんヘルプミー!」

「門番は主の元で健闘中ね」

 

 門を守れない門番とは一体。

 いや、美鈴がレミリアを助けているのは知っているのだが、やはりどうしても悪態をつきたくなる気持ちは抑えきれない。

 美鈴はなにも悪くないけど、何故よりもよってこんな時に。

 ……私達で、食い止めるしかないか。

 レミリア達の事は心配であるが、そこは信頼するしかないだろう。

 代わりに、私達が不届き者をぶっ飛ばす。

 

「それでいいよね?」

「レミィなら問題ないわ。……信じるのも、親友の務めよね」

 

 本当は、心配で心配で堪らないのだろう。

 だが、吸血鬼と友誼を結んでいる魔女は、凛然と佇みながら気丈に振舞っている。

 瞳には深い叡智が渦巻いており、敵対者を滅する意志が垣間見えていた。

 対して、私も首を鳴らして意識を切り替え、ここに来るであろう敵を待つ。

 

「やはり、真っ直ぐこちらに来てるわね」

「目的は私達かな?」

「さあ、興味もないわ」

「それもそうだ。……うん?」

「どうしたの?」

 

 私も察知した気配は、驚くべき速さで近づいてきている。

 例えるなら風という表現が似合うほどで、同時に私の覚えがある気配でもあった。

 思わず首を傾げながら、横目を向けてきたパチュリーに言葉を返す。

 

「いや、なんか私の知り合いっぽくて──」

 

 続く私の言葉は、勢いよく開かれた扉の音で消え失せた。

 私達の間で風が吹き、意思を持ったかのように巻き上がる。

 ドアを開けたであろう人影が空を飛び、鋭角に曲がって眼前に降り立つ。

 埃一つ散らさない完璧な登場を見せ、輝く営業スマイルと共にお辞儀。

 

「──どうもー皆さん。幻想郷の文屋、ここに登場です!」

 

 紅魔館に侵入した人物は、風神少女である射命丸文だった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「あ、文! どうしてここに!?」

「私がここにいる事が不思議ですか?」

「そりゃもうびっくりだよ!」

 

 驚きながら尋ねる私を見て、文はしてやったりといった風に微笑んだ。

 楽しげに口角を吊り上げながら、私達の元に近づいてくる。

 しかし、パチュリーが魔力弾を放った事により、彼女は足を止めざるを得なくなった。

 自分に攻撃した魔女に目を向け、不思議そうに小首を傾げる。

 

「今のはどういう意味ですかね?」

「この場に天狗を呼び出したつもりはないの。私の気が変わらないうちに、帰ってくれるかしら」

「あやや。随分と嫌われたものですね、これは」

 

 肩を竦めた文の表情は、残念そうだ。

 しかし、全身から漂う雰囲気は鋭く、どこか挑発的にすら感じる。

 冷えた眼差しを自身に送っているパチュリーを、にんまりとした笑みを浮かべて一瞥。

 それから、直ぐに感情を窺わせない笑顔になると、わざとらしい仕草でため息をつく。

 

「仕方ありません。魔女さんに帰れと言われてしまったので、私はお暇させてもらいます」

「え、帰るの? 来たばかりなのに?」

「私は清い天狗ですので、家主の言葉には従うんです──」

 

 悲しげに目を伏せた文は、踵を返して扉の方に向かっていく。

 だが、途中で立ち止まったかと思えば、半分だけ顔を振り向かせながら上を見る。

 指を立てて白いおとがいに添え、独り言を呟くように口を開く。

 

「──それにしても、残念です。この状況を打破できる素敵な物を持ってきましたのに、無駄足となってしまいました」

「……なんですって?」

「おっと、声に出してしまいましたか。これは失敬失敬」

 

 ピクリと眉尻を上げ、強い疑問の声を上げたパチュリー。

 そんな彼女の様子を見て、文は営業スマイルで謝罪を示した。

 また、二人のやり取りを私は静観していたのだが、今聞き捨てならない事を聞いた気がする。

 この詰まり気味の現状を、なんとかできる物があるとかなんとか。

 

「その話詳しく!」

「いやー。みずはさんには申し訳ないですが、どうやら私はお邪魔虫のようですので」

 

 全体的に済まなそうな様子を見せているが、長年の付き合いがある私にはわかる。

 今の記者モードである文は、この状況を心底楽しんでいるという事を。

 恐らくパチュリーでは察せないほどの瞳の奥で、大層愉快げにほくそ笑んでいるのだ。

 嫌いな天狗に主導権を握られてどんな気持ちですか、と。

 今の文からは、悪役ばりの高笑いまで聞こえてきそうだ。

 

「くっ……!」

「おお、怖い怖い。私はか弱い一天狗にすぎないので、貴女の怒りを買うのがとっても恐ろしいです。ついでに吸血鬼さんからも狙われそうですし、急いで自宅に逃げさせていただきますね」

 

 わざとらしく肩を震わせると、翼を羽ばたかせて宙に浮いた文。

 本当に帰るつもりだと理解したのだろう。

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたパチュリーが、鋭い制止の声を投げかけた。

 

「待ちなさい!」

「なんでしょうか?」

「……お願い。現状を打破できる案があるのなら、私達に教えてちょうだい」

「いやいや。私如きの案など、七曜の魔女の深謀と比べれば幼稚なものですよ。とてもではないですが、恥ずかしくて聞かせられる代物ではありません」

「その辺にしておいてくれない? あんまりからかうと本当に後が怖いよ?」

 

 見ていられず間に入ると、彼女はチラリと私を一瞥した後。

 ため息を漏らして頷き、まとう雰囲気を一変させた。

 穏やかな気質があった記者から、私にとって馴染み深い素の空気へと。

 

「まあ、冗談はこれぐらいにしておくわ」

「ほっ……助かったよ。お礼になにかして欲しい事とかある?」

「とりあえず、用件から済ませるわよ」

 

 そう告げた文は、懐から取り出した物を私に投げ渡した。

 咄嗟に受け取って中身を確認するのだが、私は驚愕に目を見開く事になる。

 筒状のガラスの中で浮いているのは、無機質で冷たい青い瞳。

 透明な液体と一緒に揺れており、これは今の私が求めていた代物──義眼である。

 

「なんでこれを文が!?」

「貴女の家から取ったに決まっているじゃない」

「だけど、あそこには罠が沢山……まさか」

 

 よくよく観察してみれば、文の服装は汚れていた。

 まるで、つい先ほどまで探検していて、その過程でトラップに引っかかった人のようだ。

 これが私の家に行った結果だとわかり、思わず文の顔をまじまじと見つめてしまう。

 

「……なに?」

「ありがとう! 文のおかげで、なんとかなりそうだよ!」

「そっ。私の行動が無駄にならなそうで良かったわ」

「それで、その目をなにに使うの?」

 

 文は一旦置いておくことにしたのか、そう尋ねてきたパチュリー。

 焦りが乗るその言葉に、私は笑みを浮かべて手中のガラスを砕く。

 辺りに割れる音が響き、液体が床に散らばる。

 

「こうするのさ!」

 

 残った義眼を持った私は、歯の間に挟んで妖力を込めていく。

 すると、徐々に新たな視覚が増え始める。

 普通は右目にあるはずの場所とは違う、ちょうど口の半ばへと。

 

「な、なにをしているわけ?」

「気持ち悪い絵面ね」

 

 引いている様子を見せる二人をよそに、私は義眼に意識を集中。

 歯を通じて亀裂が走るのを感じ取るが、構わずに妖力を注いでいく。

 まだ義眼を完璧に創造できていないので、残念ながらこの眼は使い捨てになってしまうが、それでも一度だけ私の能力を行使できるはずだ。

 問題は間に合うかどうか……連絡が途絶えてから、まだ数分しか経っていない事を踏まえても、不安が募ってしまう。

 眉根を寄せながら、私は義眼だけが見える光景に意識を傾ける。

 

「くっ……!」

 

 偽りの瞳に映る視界は歪んでおり、ミキサーでかき混ぜられたように不気味だ。

 そんな長く見ていたくない景色に漂う、バクテリアの如き細長い線。

 うねうねと動くそれ等を観察して、求める事象を手繰り寄せる。

 

「ちょっと、大丈夫なの!? 顔が真っ青よ!」

 

 駆け寄ってこようとするパチュリーを手で制し、私は残る右腕を大きく振りかぶった。

 手を握り込んで線を掴み、手応えを感じて笑みを一つ。

 直ぐに左腕を突きつけ、両手で線をこじ開けていく。

 

「これは……」

 

 文が驚くのも無理はない。

 私の動きに呼応して、線が開いて穴ができ始めているのだから。

 穴の向こうは薄暗く、どうなっているのかは一見わからないだろう。

 しかし、ここに流れ込んできている妖気。

 禍々しさが宿るそれを感じれば、この先がどこに繋がっているのか一目瞭然だ。

 

「お……らあっ!」

 

 最後に気合い一声。

 人が一人通れるほどの穴が開き、同時に義眼が砕け散った。

 なんとか想定通りになり、安堵の息をつく。

 紫に貰った触媒だから期待していたとはいえ、想像以上の成果である。

 あの触媒を調べていた時、彼女の能力が込められている事が判明したのだ。

 だから、私の能力と合わせれば、スキマもどきを創れるのではないか。

 そう考えた結果、目の前の光景が広がっている。

 

「さて、レミリアは……」

 

 穴から顔を出して視線を巡らせると、視界の下の方で彼女を発見した。

 レミリアは膝をついており、身体からは血が流れている。

 美鈴達もまだ生きているようだが、息が切れていて余裕がなさそうだ。

 対して、フランドールは元気そのものの様子で、嗤いながらあちこちを破壊していた。

 

「あははははははっ! ぜんぶぜーんぶ! わたしがこわす!」

「そんな事は私がさせないわ」

 

 ゆっくりと立ち上がると、決然とした表情を浮かべたレミリア。

 その背中は上から見ている私にとっても頼もしく、自然と付き従いたくなるような威厳があった。

 しかし、今のフランドールには、彼女の言葉は不愉快だったらしい。

 眉をしかめて舌を打ち、能力発動の構えを取る。

 

「うざい。だから、こわれて?」

 

 これ以上は危険なので、私は穴から飛び降りて大声を上げる。

 フランドールの注意が向くように、とにかく目立つように。

 

「させないよ!」

「だれなの──」

「発射ッ!」

 

 笑みを浮かべて叫ぶと、伸ばした左腕が勢いよく飛んだ。

 白い煙を吹きながら放たれたそれは、目を見開いたフランドールへと向かう。

 

「ちっ!」

 

 直前で身を捻って回避したフランドールだったが、Uターンして戻ってきた左腕を背中に着弾。

 瞬間、義手全体が網目状に変形して、彼女を包み込んだ。

 

「アーハッハッハ! これが科学の力だー!」

「ぐがああああああ!」

「無駄だよ。それは特別製の金属でできているからね!」

 

 咆哮を上げながら、無理矢理破壊しようとするフランドール。

 しかし、一向に拘束が外れる様子はなく、満足のいく結果に私は高笑いが止まらない。

 私の義手は様々なギミックがあるが、中でもこのコンボはお気に入りだ。

 ロケットパンチからの変形に、相手を掴んで離さない二段構え。

 我ながら素晴らしい発明をしてしまった。

 

「なんで、お前がここに……」

「あそこから出てきたんだ」

 

 地面に着地した私に尋ねてきたレミリアに、私は上を指差してそう返した。

 穴は塞がり始めており、ちょうどパチュリーが飛び降りるところだった。

 微かに瞳を細めたレミリアは、フランドールに意識を戻しながら口を開く。

 

「スキマの力を感じるな」

「まあ、紫に貰った触媒を使ったからね」

「なるほど。要は劣化版という事か」

「そういうこと。さて……」

 

 私の側には、紅い悪魔と七曜の魔女。

 フランドールを挟んだ反対側には、紅魔館の門番に瀟洒なメイド。

 四方から囲む形になっており、状況的にはこちらが有利だ。

 

「じゃまをするなああああああッ!」

 

 雄叫びを響かせたフランドールは、拘束されたままこちらへと突っ込む。

 圧倒的なスピードが乗っていて、私は回避するために重心を落とす。

 片腕で動きにくいが、慣れているので問題はない。

 ギラギラと殺意が灯る赤い瞳と目を合わせながら、フランドールの様子を観察していく。

 しかし、私が行動に移す間もなく、状況は二転三転と変化していた。

 

「申し訳ございません」

「ぐっ!」

 

 まず、私の前に現れた、咲夜。

 彼女は大量のナイフを投げ、フランドールに突き刺していく。

 痛みで動きが鈍ったのか、光る赤い目の輝きが弱まった。

 その数瞬後、脚を地面に叩きつけていた美鈴が、爆発的な速さでこちらにやって来る。

 

「もう少し辛抱してください!」

「がぁぁああ!」

 

 フランドールの懐に潜り込んだかと思えば、美鈴はしなやかな脚を振り上げて宙に吹っ飛ばす。

 残心をしてから脚を下ろし、次に近くにいる紫の魔女へとアイコンタクト。

 

「わかってるわよ」

 

 既に彼女は魔法陣を展開しており、空中でもがいているフランドールを見やる。

 瞬間、彼女の周囲が輝き、光の帯に固定された。

 フランドールは苦悶の表情を浮かべており、怨嗟に貌を彩らせて歯ぎしりしている。

 

「こわすこわすこわすこわす──」

「もう、貴女は眠りなさい」

「──っ!」

 

 いつの間にか、フランドールの上にいたレミリア。

 羽を大きく広げていた彼女は、子供に言い聞かせるように告げ、目を血走らせていたフランドールの腕にブレスレットを嵌めた。

 すると、彼女の瞳に意志が宿り、ぼんやりと瞬きを始める。

 

「あ、え?」

「戻ったのね、フラン」

「……おねえさま?」

「そうよ、私は貴女のお姉様」

 

 優しい面持ちで頬を撫でてくる姉に、妹は眠たげな顔で呟く。

 

「なんだか私、とっても眠いの」

「沢山遊んだから眠くなったのね。私が部屋に運んであげるから、今は眠りなさい」

「うん……そうする……」

 

 瞼を閉じたフランドールを大事に抱えると、レミリアはゆっくりと降り立っていく。

 愛する家族を見つめるその横顔は、まるで天使のように可憐で澄んでいた。

 対して、私達は互いの顔を見合わせる。

 

「やった、のかな?」

「そうね。作戦は成功よ」

「……やりましたね」

「お見事です、お嬢様」

 

 実感が身体に染み渡っていき、徐々に顔に広がる満面の笑み。

 やがて、レミリアが着地した瞬間、私達は声を揃えて勝利の喝采を上げるのだった。

 

 

 

 

 



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第十三話 家族の絆

 フランドールとの戦闘終了後、私達は客用の寝室に訪れていた。

 拘束を解いた彼女はベッドに寝かせ、残りの面々は楽な姿勢で力を抜いている。

 

「ふぅ……」

 

 片腕で崩れたバランスを取りながら、私は咲夜が淹れた紅茶を口に運ぶ。

 鼻から入ってくる清涼な香りに、口内で広がるさっぱりとした味。

 疲れた身体に染み入る良いもので、思わず目尻を緩めてしまう。

 

「妹様の様子は?」

「大丈夫そうよ。気持ちよく眠っているだけ」

 

 美鈴の問いにそう返したレミリアは、優しい微笑を零して妹を一撫で。

 フランドールの寝顔は穏やかで、一定間隔で胸が上下している。

 とりあえず、魔道具の効果がちゃんと表れていて一安心だ。

 レミリアとの連絡が途絶えた時は焦ったが、終わりよければすべてよし。

 諸々の代償には目を瞑りつつ、まずはこの達成感に酔いしれよう。

 鼻からゆるーく息を吐いていると、レミリアがこちらに流し目を送ってくる。

 正確には、私の隣で図々しくもクッキーを貪っている文に。

 

「それで、何故この場に天狗がいる?」

「あ、どうもレミリアさん。このお茶請け美味しいですねー」

「質問に答えろ」

 

 剣呑に光る、吸血鬼の紅い瞳。

 小さな体躯から暴力的な威圧が漂い始め、呼応してか咲夜の表情も冷たく張り詰めていく。

 対して、パチュリーは読書しながら我関せずを貫き、唯一美鈴だけが慌てた様子で間に割って入る。

 

「お、落ち着きましょうよ、お嬢様! まずは冷静に抑えて抑えて!」

「私は冷静だ」

「そうですよー。偉大な吸血鬼様が、たかだか天狗一人如きに心を乱すわけないじゃないですかー」

「……私は、冷静だ」

「お嬢様!?」

 

 悲鳴を上げる美鈴をよそに、レミリアはベッドに座ったまま足を組んだ。

 右手を曲げて口元に添え、愉快げに目を細める。

 文の方も挑発的に見つめ返し、室内に重苦しい圧力が降りかかってしまう。

 このまま一触即発な状態が続くかと思われたが、意外な事に咲夜がこの場の空気を変えた。

 

「あっ」

「どうした、咲夜?」

「今日の夕御飯の仕込みを忘れておりました」

 

 辺りに微妙な空気が充満した。

 片眉を上げていたレミリアは肩をずっこけさせ、美鈴達もなんとも言えない面持ちだ。

 咲夜がミスをするとは思わなかったが、彼女も人間という事だろう。

 お茶目にしては、夕御飯抜きとか規模が酷いが。

 というか、これって私達のご飯もないのだろうか。

 

「申し訳ございませんが、今夜はサラダのみで」

「私はきゅうりが出れば文句はないけどさ……」

 

 レミリアなんてあからさまに不満そうな顔つきだし、美鈴に至っては絶望感に満ちた表情だ。

 胃袋を掴まれていると一目でわかるその様子に、パチュリーは呆れてなにも言えないらしい。

 嘆かわしそうに首を横に振っている。

 

「あやや。これは一本取られましたかね」

「んー? どうしたん?」

「いえいえ、なんでもありませんよー」

 

 朗らかな笑顔で流した文は、コホンと咳払いを落とした。

 自然と場の雰囲気が引き締まり、全員の視線が彼女に集う。

 ようやく本題に入れそうだが、果たして文が紅魔館に戻ってきた目的はなんだろうか。

 可能性としてありそうなのは、特ダネの取材といったところだが……

 

「私がここにいる理由は──ずばり!」

「ずばり?」

「特にありません!」

「……はぁ」

 

 自信満々に胸を張った、天狗の少女。

 その話を信じたのか、問いただしても無駄だと悟ったのか。

 レミリアは深いため息をつくと、膝の上で頬杖をついたまま、手の甲に顎を乗せた。

 姿勢をやや前屈みにしながら、艶のある唇の片側を上げて八重歯を見せつける。

 

「貴様に問うた私が愚かだった。まあ、大まかな予想はつくがな」

「ほほう、その心は?」

「そう急かすな。あっさりと答え合わせをするのは芸がないだろう? もう少し、腹の探り合いを楽しもうではないか」

「……いやー。やはり、レミリアさんは面白い方ですねぇ」

 

 文の笑顔の質が、変わった。

 表面上は変化がないように見えるが、私だけには理解できる。

 張りついている仮面の奥に宿り始めた、猛禽類が獲物を捕食する色が。

 

「あ、あのぉ。みずはさん?」

「あいあい、どうしたの?」

 

 なにやら黒い笑みを交わす二人を眺めていると、こっそりと近寄ってきた美鈴が肩を突っついてきた。

 肩越しに振り向いた私に、彼女は切実な眼差しを送ってくる。

 

「なんとかできませんか? 咲夜さんはいつの間にかいなくなっていますし、正直今すっごく胃が痛いです」

「残念だけど、レミリア達が満足するまで見守るしかないよ」

「そんなぁ……」

 

 そんな泣きそうな声を上げられても、無理なものは無理なのだ。

 例え、美鈴が捨てられた子犬の目で見つめても、オモチャを強請る子供の表情で縋っても、私が両者の間に入る余地はない。

 大人しく、二人が満足するのを待っているべきである。

 複数の意味が込められた会話をしている腹黒妖怪を尻目に、私は懐から取り出したきゅうりをポリポリかじっていく。

 

「かー! 運動後のきゅうりは最高だねぇ!」

「あ、私にも一つください」

「どうぞー」

「ありがとうございます……うま! なんですかこれ、めちゃくちゃ美味しいんですけど!」

「花妖怪曰く五十点のできらしいけどね」

 

 いつになったら、百点満点のきゅうりを作れるのか。

 やはり、きゅうり道の奥は深い。きゅうりは魔法に通ずるほどの難しさだ……新たに、きゅうりの哲学書でも書いてみようか。

 きゅうりとはなにか、その概念から紐解いていく。

 これはこれで面白そうではあるが、他にもやりたい事が沢山あるので、実現するのは難しそうだ。

 まあそもそも、幽香の満点が百点とは限らないわけで、千点中の五十点という可能性も十二分に存在するのではないだろうか。

 幽香ならやりかねないと思うのは、私だけではないはずである。

 ドS混じりの顔で言われても、おかしくはない。

 

「みずはさん?」

「いや、ちょっと悲観に暮れていただけだから」

「それ大丈夫じゃないような……?」

 

 美鈴と会話しながらポリポリしていると、視界の端に映るフランドールの身体が動いた。

 レミリア達も口を止め、遅々とした動きで瞼を開く彼女に注目する。

 ぼんやりと天井を見つめるフランドールの瞳は、純粋で綺麗な紅色だった。

 

「フラン、起きたのね」

「……おねえさま?」

「そう、貴女のお姉様よ」

「あれ……私、たしか……ッ!」

 

 先ほどまでの事を思い出したのだろう。

 瞬く間に顔色を真っ青に染め上げるや、飛んで逃げようとしたフランドール。

 しかし、レミリアに抱き締められた事により、唖然とした様子で固まってしまう。

 

「大丈夫。もう、フランが怯える必要はないの」

「で、でも!」

「貴女の狂気は収まったから。だから、もう独りでいなくてもいいのよ」

「えっ……?」

 

 困惑気味に見上げるフランドールへと、レミリアは慈愛の微笑みを向けた。

 右手は愛する妹の頭を撫で、左手でリズム良く背中を叩いている。

 ここから見えるその横顔は、止めどない家族愛に溢れていた。

 

「今までごめんね。貴女を独りぼっちにして」

「……もう、独りじゃなくてもいいの?」

「ええ」

 

 じんわり、と。

 フランドールの両目が滲み始め、透き通る雫が垂れていく。

 

「……お姉様と遊べるの?」

「ええ」

 

 対するレミリアも瞳を潤ませおり、涙声の彼女に向けて何度も頷いている。

 

「……みんなと、一緒にいてもいいの?」

「ええ」

「本当に、嘘じゃない?」

「もちろんよ。フラン──これからは、ずっと一緒よ」

 

 その言葉が限界だったのだろう。

 唇を震わせていた幼き吸血鬼は、堰き止めていた感情のダムを破壊した。

 顔をくしゃくしゃに歪めながら、大好きな姉に縋りついて声なき泣き声を響かせ始める。

 室内に木霊する産声──確かにこの瞬間、フランドールは生まれ変わったのだ。

 狂気に蝕まれていたかつての自分から、レミリア達と道を歩む新たな自分に。

 

「う、うぅ……お嬢様ぁ!」

「ちょ、顔を拭きなさい! その汚い顔でフランに近づかないでよ!」

「私は……私はぁ!」

 

 感極まったのか、釣られて泣いていた美鈴がレミリア達の元に突っ込んだ。

 なにやらレミリアの悲鳴が聞こえるが、これは嬉しい悲鳴というものだろう。

 いつの間にか、彼女達の側でハンカチを目元に添えている咲夜もいるし、読書を続けている振りをしているパチュリーも、先ほどから頻繁に鼻を啜っている。

 この光景を絵にでもすれば、家族愛という題名がピッタリだ。

 私も少しもらい泣きしそうで、なんというか本当に良かったと思える。

 

「……これ以上見ているのは、無粋かな」

「どこに行くので?」

「ちょっと散歩」

「そうですか。では、ごゆっくりー」

 

 笑顔で手を振る文に手を振り返した私は、静かに室内を後にした。

 廊下を少し進んだところで壁に背を預け、天井を見上げながら呟く。

 

「ハッピーエンド、かな?」

 

 フランドールの狂気は解決していないが、今後不用意に発症する事はないだろう。

 レミリアの依頼は完遂したと言っても問題なく、多少の犠牲を無視すれば最高の結果だ。

 

「腕は予備が家にあるからいいとして……」

 

 眼帯を撫でた後、ため息を漏らす。

 紫に貰った触媒……滅多にない高品質だったのだが、能力を使った時に壊してしまった。

 あの時の行動は全く後悔していないけど、やはり彼女に対して罪悪感は抱いてしまう。

 せっかくの好意を踏みにじってしまったのだから。

 

「……よし、正直に言って謝るしかないよね!」

 

 腹を括った私は、勢いをつけて壁から離れた。

 すると、なにやら柔らかい物に顔をぶつけ、咄嗟に手を伸ばしてそれを掴む。

 手のひらから零れる大きさに、安心する暖かみとほどよい弾力。

 同時に艶やかな香りが肺に流れ込み、このまま永遠に触りたい気持ちにさせる。

 というか、これはなんだろうか。

 揉む手が止まらないのだが、どこかで覚えがある感触な気も。

 暫く指を動かしながら思考を巡らせていると、突如として脳裏に走る電流。

 まさに天啓と呼ぶべき閃きが私に舞い降り、自信を持ってこの素晴らしい物体の答えを告げる。

 

「これは──紫のおっぱいだね!」

「いい加減にしなさい!」

「いたぁっ!?」

 

 頭頂部に激痛を感じた私は、うずくまって頭を押さえた。

 涙目で視線を上げると、こちらを睨みつけている紫の姿。

 とはいえ、頬が仄かに赤く色づいており、微妙に着崩れた服装と相まって、非常に可愛らしいという感想しか抱けない。

 私が自分に気づいた事を察したのか、スキマ少女は服を正して口を開く。

 

「まったく……いつやめるのかと思ったけど、まさか真面目な顔で胸を揉み続けるとはね」

「いやだって、気持ち良かったんだもん。……特に、紫の胸はおっきいし」

 

 思わず自分の胸に手を当てるが、目の前の母性の象徴には到底及ばない。

 平均……人並み……そこそこはあると思うが、私は決して巨乳と言えるほどはないのだ。

 今生しての年月も長く、この辺りの機敏も女性由来の物が備わっている。

 巨乳を見れば嫉妬を抱くし、貧乳を見て優越感に浸ったりもするのだ。

 また、それとは別に一般的な女性より胸の関心も大きく、つまり男と女二つの感性を宿しているのである。

 なにより、自分の胸を揉むのは飽きた。そもそも、楽しくもなんともない。

 だから、紫達の胸を触りたいと思う私の考えは、至極真っ当なはずだ。

 

「はぁ……もう一度、いく?」

「遠慮しておくよ。それより、なんでここに紫がいるわけ?」

 

 そう尋ねると、紫は艶然と笑った。

 扇を広げて口元を隠し、辺りの空間を張り詰めた空気へと変える。

 紫水晶色の瞳に先ほどまでの友好の色はなく、こちらを射抜く視線は叡智が覗いていた。

 

「さて、どうしてでしょうか?」

「……なるほどねぇ」

「あらあら。自己完結なさらないで、是非とも私にご教授願いたいですわ──貴女様が察した、私がここにいる理由を」

「聞かなくても、君なら察してるだろう?」

「見解の相違は悲しみを生みますわ。お互いの認識を擦り合わせるためにも、しっかりと会話をするべきだと愚考いたしますの。それこそが、言葉を交える知性ある生物の特権。そう思いませんか、ねぇ?」

 

 深淵から伸びる、不気味で恐ろしい無数の黒い手。

 私の影からゆっくりと這い上がり、足元から包み込んでいく。

 捕らえた獲物は絶対に逃がさず、己が満足する言葉を聞くまで数を増し続ける。

 そんな錯覚を抱かせている原因は、眼前で微笑む大妖怪だ。

 雰囲気一つで主導権を握り、言葉一つで相手を追い詰める手腕。

 これでも、紫は充分に手加減をしている。

 本来の彼女ならば、この程度の不快感では済まないだろう。

 恐怖すら覚えてしまうほどの幻覚を、視線一つで与えられるのだから。

 

「……見ていたんでしょ?」

「あら、酷い言い草ですわ。私に覗き見なんて悪趣味はありません」

「一度、感じたんだよね。あの時は気のせいと思っていたけど、あそこに紫がいたからなんでしょ?」

「……うふふ」

「へっ!」

 

 私の言葉を耳にした紫は、少女然とした笑みを浮かべた。

 あどけなさが残る可憐な笑顔に、今まで見た事がないほどの艶が乗る。

 愛おしげに目を細めるや、紫は流麗でしなやかな指を私の頬に添える。

 きめ細かい手袋越しに感じ取る、彼女の暖かな体温。

 身をゆだねたい心地良いぬくもりだったが、素直に力を抜けない恐ろしさも含まれていた。

 

「ああ、いいわ」

「っ……」

 

 妖しい輝きを灯したその瞳に見つめられ、私は蛇に睨まれたカエル状態だ。

 文字通り反応できないでいると、紫はどこか陶酔した様子で呟く。

 

「本当に、素晴らしいですわ。あんなものを見せられてしまうと──」

「ゆ、紫?」

 

 高鳴る心臓を鎮めながらなんとか声を上げれば、眼前まで迫っていた美貌が止まった。

 鼻先が触れ合っており、紫色の宝石が視界いっぱいに広がっている。

 瞬きを一つ二つ、三つ。

 長い睫毛を震わせた紫は、はっとした様子で飛び退く。

 頬はりんごのように真っ赤で、珍しく動揺を露わにしていた。

 

「ご、ごめんなさい。みずはを見ていたら、感情が高ぶっちゃって」

「そ、そうなんだー。紫にそんな風に言われて、私とっても嬉しいなー」

 

 手を仰いで頬の熱さを冷ましながら、なんとか返事をした。

 まさかこんな事になるとは思わず、先ほどから心臓の鼓動がうるさい。

 紫は気の置けない友人だが、恋愛感情を持ってはいないはずだ。

 今のはノーカン、空気に流されたからノーカウント。

 あれはさっきの仕返しだから、私をからかうためにしただけに違いない。

 そう考えて心を落ち着かせ、目を泳がせている紫に声を掛ける。

 

「そ、それで、結局紫は釘を刺しに来た感じ?」

「おほん……ええ、そうよ。みずはの科学技術を紅魔館に披露するのは、正直目に余る行為だわ」

「一応聞いておこう、理由は?」

「吸血鬼姉妹や魔女に、時間を止めるメイド。他にも人間の武術に精通する妖怪に、小さな力だけど悪魔もいたかしら」

「改めて並べると、荘厳な顔触れだよねえ」

 

 肩を竦めた私を見て、幻想郷の賢者は厳かな面立ちで頷く。

 

「ええ。侮れない勢力よ──だからこそ、貴女の科学技術がつくと、幻想郷のパワーバランスが崩れかねないの」

「私が機械を渡さなくても、科学技術を見た事による発想から、ブレイクスルーが起きるかもしれないしね」

「ご理解が早いようでなによりですわ」

 

 そう告げると、扇を持たない指で空を切った紫。

 同時に私の目の前の空間が裂け、スキマからなにかが落ちてきた。

 咄嗟に右手で受け止めると、以前貰った触媒と同系列な物らしい。

 感じる力は随分と落ちているが、これがあれば義眼を創造できる。

 

「いいの?」

「これは、みずはに無理を言ったお詫びよ。前のほど良い物ではないけど、それがあればそれなりな義眼にはなるでしょう」

「貰えるだけでありがたいよ! 本当にありがとう!」

「喜んでいただけて嬉しいですわ。では、用も済んだ事だから、この辺りで私はお暇するわね」

「あいあい。多分、近いうちに紅魔館で祝賀会があると思うから、紫も来てよ」

 

 スキマを開いた紫の背中に提案すれば、数瞬悩むような間を置いた後。

 振り返った彼女はウインクを零し、楚々とした仕草でこの場から消え失せた。

 どうやら、紫も来てくれるようだ。勝手に決めてしまったが、レミリア達は許してくれるだろうか。

 

「まあ、人数は多い方がいいし……ん?」

 

 自己弁護していた私の視界に、近づいてくる文の姿が映った。

 彼女は手を振りながら笑みを浮かべ、側に着くと声を掛けてくる。

 

「気分転換にはなりましたか?」

「口調は素の方でいいよ」

「それもそうね。で、なにか私に聞きたい事があるんでしょ?」

「流石は文。話が早い」

 

 肩を竦めていた幼馴染に、私は気になっていた事柄を問う。

 

「なんで、私の義眼が必要だと思ったわけ?」

「そりゃあ、備えあれば憂いなしだからよ。あの吸血鬼から話を聞いた時、これは必要になるなって直感したからね」

「じゃあやっぱり、私のためにわざわざ取ってきてくれたんだ!」

 

 思わず文の手を取って笑顔になる。

 私の事を理解してくれて、嬉しいことこの上ない。

 それだけ付き合いが長いとも言うし、絆が深いから行動してくれた……と、思いたい。

 やはり、持つべき者は友達だ。なにかお礼をしなければ私の気が済まないので、文にして欲しい事がないか尋ねてみよう。

 

「お礼……お礼ねぇ」

「可能な限りなんでも聞くよ。文の頼みだから、特に気合いを入れて頑張るし」

 

 左手を口元に添えて目を伏せていた文は、顔を上げるとにんまりと微笑んだ。

 軽やかな宙返りをして私を飛び越え、慌てて振り返った私に手をひらひら。

 そして、背中を向けたまま、歩き始めた。

 

「お礼ならもう貰ったから、あんたが気負う必要なんかないわ」

「へ? なんかしたっけ、私?」

「──これ、なーんだ?」

「そ、それは!?」

 

 文の右手にある物を見て、私は驚愕の声を上げてしまった。

 機械に包まれたガラスの瓶。

 中には液体が入っており、文が揺らす振動に合わせて美味しそうな音を立てている。

 また、瓶にはラベルが貼られていて、特注鬼酒と書かれていた。

 そう──あれは、私が千年以上をかけて熟成している、大切に大切に保存しているお酒なのだ。

 

「貴女の義眼を取りに行った時、ついでにこれを見つけてね」

「待って! 大人しくそれを返したまえ!」

 

 悲鳴に似た私の言葉を耳にした文は、半分だけ顔をこちらに向けた。

 イヤらしく目を細めながら、小さく舌を出す。

 

「お代。確かにちょうだいしましたー」

「逃がすかぁ!」

「あやや。危ない危ない」

「ちっ!」

 

 地を蹴って殴りかかったのだが、羽ばたいた文にあっさりと躱されてしまう。

 きめぇ丸の表情を張りつけている天狗に、思わず私は舌を打って宙に浮く。

 片腕で心もとないとはいえ、ここで彼女を逃すわけにはいかない。

 秘蔵のお酒、奪われてたまるか。

 

「ではではー。レミリアさん達にはよろしくお願いしますね」

「行かせるわけないでしょ!」

「また会いましょう!」

 

 風になって逃げる文と、それを追いかけていく私。

 こうして、吸血鬼の館で鬼ごっこが開始されるのだった。

 

 

 ▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●▼●

 

 

 闇に包まれている、紅の館。

 淡い月光がそこに降り注いでおり、不気味さと幻想さが入り混じる雰囲気が漂っていた。

 中では、レミリア達が祝賀会の準備をしているのだろう。

 どこか明るい活気がこちらまで伝わり、見下ろしていた紫の口元に微笑が浮かぶ。

 

「あらあら」

 

 紅魔館から少し離れた上空で、紫はスキマに腰掛けていた。

 開いた日傘をくるくると回しながら、()い輝きを放つ右目を細める。

 彼女の瞳は普段の紫水晶色ではなく、マリンブルー色をしていた。

 

「感度は良好。後は布石を打つだけ……それで、なにか御用かしら?」

「──いやいや。私は風に誘われて来ただけですよ」

 

 紫の前方に、一人の少女がやってきた。

 闇夜でも栄える黒い翼を開き、完璧な笑顔で頭を掻いている。

 しかし、朗らかな笑みの底に潜む、不快感と警戒。

 普通の人なら見逃しかねないその色を、紫は敏感に感じ取っていた。

 

「相変わらず、自分を取り繕うのがお上手ですこと」

「あやや。紫さんに褒められると、嬉しいですねぇ。まあ、貴女の胡散臭さには到底及ばないものですけど」

「そんな事ありませんわよ? 貴女の整いすぎて気味が悪い笑顔は、私にはとてもとても真似できない個性だと思いますの」

「清く正しい笑顔ですからねー。心が汚れている人には気味悪く見えるのかもしれません」

「まあ、なんと酷い言葉でしょう。清涼な心を持つ私は、悲しくて泣いてしまいたいですわ」

 

 扇で顔を隠すと、紫はおよよとわざとらしい泣き声を上げた。

 もちろん、嘘泣きである。

 天狗の少女……文とは、それなりな付き合いがあるのだが。

 大抵はこのような、皮肉の応酬が繰り広げられるのだ。

 顔見知り以上、友人未満。

 紫達の関係を表すならば、そう例えるのが妥当であろう。

 みずはとは違う、ある意味腐れ縁とも呼ぶべき間柄だった。

 

「はぁ……本当に、紫さんは面倒臭い人ですねぇ」

「か弱い乙女に向かって面倒臭いとは、心の機微に欠ける人ですわ」

「か弱い乙女って、ちょっと盛りすぎではないですか?」

「みずはなら、大いに頷いてくれますのに」

 

 扇を下ろした紫の言葉を聞き、バツが悪そうに目を逸らした文。

 

「あの子はほら、ちょっと抜けていますから」

「それには同意しますけども」

 

 どことなく微妙な空気が満ち、二人の間に沈黙が舞い降りた。

 あのきゅうり狂いの河童は、俗に言うポンコツな部分が多い。

 現に今回の件も、詰めが甘かった。

 上手くいったから良かったものの、下手すれば取り返しのつかない事になっていた可能性がある。

 とはいえ、致命的な失敗をした事はないので、そういう意味ではみずはは持っているのだろう。

 自分の都合の良い結末を手に入れる、幸運とも呼ぶべき要素を。

 

「なんか気が抜けましたけど、改めて本題に入ってもいいですか?」

「構いませんわ」

「では──」

 

 そこで言葉を止めると、文の纏う空気が研がれていく。

 触れれば鋼鉄だろうと容易く切断するだろう、恐ろしく鋭い威圧感。

 にこやかな笑みを湛えたまま、天狗はスキマ妖怪へと問いを投げかける。

 

「──今回、私に義眼を持っていくように頼んだ理由はなんですか?」

「もちろん、信頼されている貴女が適任だと考えたからです」

「紫さんが持っていけば直ぐに渡せましたのに?」

「ええ。実際に間に合ったのですから、私の判断は正しかったと思いませんか?」

「ギリギリ、らしかったですけどねぇ」

 

 当然だ──あえてそうなるように、紫は時間を調整していたのだから。

 元々、みずはに渡していた触媒は、今回の件で壊させる目的があった。

 短時間で妖力を込められれば、触媒の方は持つはずがない。

 そうしてみずは自身に破壊させた上で、紫は新たな触媒を渡す。

 彼女は罪悪感を抱くだろうし、改めて大事にこれを義眼として使ってくれるだろう。

 現に紫の目論見通り、みずはは大切そうに懐に仕舞っている。

 紫との繋がりを持った、触媒を。

 また、一度紫の能力が入った触媒を使わせる事で、みずはと自身の妖力を同調させる目的もあった。

 より強く、繋がりを保つために。

 

「安心してくださいまし。貴女が危惧しているような事は全くありませんとも」

「あやや。一体、私がなにを危惧していると仰るのですかな?」

「心配、なのでしょう? 彼女が」

 

 紫が意味深に笑えば、文の片眉が上がる。

 常の営業スマイルが微かに崩れ、内心で満足していた紫だった。

 対して、意趣返しされた結果になった彼女は、微笑みを深めて肩を竦める。

 

「見当はずれにもほどがありますよ。私とみずはさんは、ただの知り合い。私が彼女を慮る理由など、これっぽっちもないです」

「あらあら。そういう事にしておきましょう」

「……ほんっとうに、癪に障るんですよねぇ。その余裕面を見ていると」

 

 剣呑に目を細めると、吐き捨てるように呟きを落とした文。

 片手を額に押し当てており、酷く疲れた様子だ。

 くたびれたキャリアウーマンを思い出すその姿に、紫は胸中で愉悦を沸かす。

 実は、先ほどの乙女否定を根に持っていたので、笑いが止まらないのだ。

 器が小さいと思うことなかれ。少女はいつまでも、乙女でいたいのである。

 胡散臭いと思われるのは許容しようと、乙女否定やおばさんと思われるのは許さない紫だった。

 

「もう用は済みましたか?」

「ええ、ええ。これ以上貴女と話していると、こちらまで胡散臭さが移りそうですし」

「既に胡散臭いですよ。その、人の神経を逆撫でする笑顔は」

「あやや。子供には人気なんですけどねぇ……ああ、乙女ではない紫さんじゃあ、この笑顔の純粋さが理解できませんでしたか。察しが悪くて申し訳ないです」

「あらあら。どうやら、機敏以上に目までが悪くなっているようですわ。いえ、貴女は鳥目なのでしょうから、それも仕方がありませんね。あるいは、鳥頭の可能性もあるでしょうか?」

「いやいや。貴女の胡散臭さを一度目にしたのならば、例え鳥頭だったとしても決して忘れませんとも。ここまで乙女という言葉が似合わない女性は見た事がない、とね」

 

 打てば響くような、会話のドッヂボール。

 仕留めるつもりで投げているが、相手にキャッチされて返されてしまう。

 ある意味、似た者同士なのかもしれない。本人が聞いたら首を揃えて否定するだろうが。

 暫く皮肉を言い合っていると、不意に文が両手を上げた。

 

「やめましょう、時間の無駄です。とりあえず、もう行きますから」

「ええ。また会いましょう」

 

 その言葉に嫌な顔をした文は、天狗の名に恥じないスピードで去っていった。

 瞬く間に遠のく彼女の背中を見送った後、紫は日傘を回して微笑む。

 眼下に映る悪魔の館を眺めながら、楚々とした仕草で扇を閉じる。

 瞬間、紅魔館の中央で亀裂が走り、上下に分断されていく。

 

「まったく、世話が焼けるんだから」

 

 苦笑いしていた紫の前で、粉微塵に砕けた館は粒子となって舞う。

 残った跡には──先ほどと寸分違わない、建物の姿があった。

 なんて事はない。

 つい今しがたまで、紫は紅魔館周辺に結界を張っていただけなのだから。

 みずはがやろうとしていた事を予想し、紅魔館のメンバーの趣向を想定し、両者が邂逅した後の行動に見当をつけていく。

 万が一みずは達が失敗した事を考え、紅魔館を結界で隔離。

 次に、触媒を使わせるために、文にみずは秘蔵のお酒の情報を流して、遣いに向かわせた。

 無事に紫の想定通りになり、概ね満足した結果となる。

 何故、こんな縁の下の力持ちのような行動をしたのか……

 

「罪悪感、といったところかしらね」

 

 後ろめたい気持ちがあるのだろう。後悔はしていないとはいえ、無断でみずはを監視する行動を取ったのだから。

 あの触媒を義眼にすれば、紫は彼女といつでも視覚を共有できる。

 ついでに釘を刺し、二度目はないと言っておく。

 しかし、みずはは必ず同じ過ちを犯すだろう。彼女の性格上、後味が悪い結果は見過ごせないのだから。

 

「温情の次は枷、かしら」

 

 紫の思考は巡る。

 それこそ光の速度と間違えるほどに、高速で思索にふけていく。

 幻想郷の事、みずはの事、不穏因子の事。

 全ては、愛する宝物を守るため──今日も、妖怪の賢者は幻想郷を暖かく包み込む。

 

「うふふ……」

 

 この瞬間に浮かべた紫の笑みは、誰よりも可憐な恋する乙女のようだった。

 

 

 

 

 



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第十四話 ありふれたハッピーエンド

 結局、紅魔館での鬼ごっこは、文に逃げられた事により終了した。

 秘蔵のお酒は取り返せず、その日の晩に枕を濡らして睡眠したのが記憶に新しい。

 それから、数日が過ぎ──

 

「ひゃー美味い!」

 

 現在の私は、ひたすらヤケ食いを繰り広げていた。

 手当り次第目につく料理を手に取り、口の中に運んで味わっていく。

 取られたお酒の事を水に流すため、ひたすら胃に収めているのだ。

 どの料理も美味で、咲夜の料理スキルの高さが羨ましい。

 対する私が料理を創る場合、きゅうりを含まなければメシマズになってしまう。

 逆にきゅうりを使えば、それなりなできにはなるのだが、この極端な特性には苦笑いしか出てこない。

 

「それにしても……」

 

 辺りは煌びやかな装飾が施され、大広間を格調高い空間に変えている。

 今日は紅魔館でフランドールの祝賀会が開かれていて、招待した人妖を含めた少人数で、ささやかなパーティーが開かれているのだ。

 また、今回は立ち食形式になっているので、後片付けが大変そうだと咲夜には同情してしまう。

 

「はいはーい! 紅美鈴、踊りまーす!」

 

 陽気な活気にあてられたのか、それとも元々お酒には弱いのか。

 頬を真っ赤にしていた美鈴は、残像が残る足取りで演舞を披露する。

 時折近くにいる妖精メイドに攻撃したり、小悪魔を投げ飛ばしたりしているが、相手は怒っていないので問題ないだろう。

 みんなが悲鳴を上げて逃げているので、怒る余裕がないとも言えそうだが。

 にしても、踊り酒とは随分と器用だ。

 足癖が悪いのか、酒癖が悪いのか。どちらにしても、今の美鈴には近づきたくない。

 

「楽しんでるか?」

「んぐっ……レミリア」

 

 箸休めにきゅうりをかじっていると、レミリアがやってきた。

 彼女の背中にはフランドールがおり、小さく顔を出してこちらを窺っている。

 丸い瞳には思案の色が見え、なにやら気になっている事があるらしい。

 

「フラン、ご挨拶しなさい」

「こんにちは」

「はい、こんにちは。私の名前は滝涼みずはって言うんだ。君の名前を聞いてもいいかな?」

 

 本当は知っているとはいえ、やはり本人から直接聞くのが礼儀というものだろう。

 膝を屈めて目線を合わせると、幼き吸血鬼はぱっと表情を綻ばせた。

 花が開くような笑顔で、そこに邪悪な色は影も形もない。

 

「私はフランドールって言うの! フランって呼んで」

「私もみずはでいいよ」

「わかったよ、みずは。それで、もしかして……」

「うん?」

 

 首を傾げた私を盗み見ながら、フランドール──フランは指を絡ませる。

 俯き気味で口元をもごもごとさせており、どこか緊張している様子だ。

 彼女の背後にいるレミリアは内容を知っているのか、優しげな眼差しで見守っている。

 

「その……みずはって、妖精さん?」

「あー……」

 

 フランの言いたい事に察しがついた私は、思わず苦笑して頭を掻いた。

 恐らく、彼女と初めて会った時の事を言っているのだろう。

 妖精さんとして部屋に侵入した私と、それを破壊した狂気の吸血鬼。

 あれは私自身の落ち度もあったので、フランが気に病む必要は全くない。

 好奇心のまま赴いた自業自得の結果だし、そもそも被害は軽微だった。

 しかし、少なくともフランにとって、この事は見過ごせなかったのだろう。

 ぎゅっと自分の服の裾を握り、後悔が彩った幼貌で私を見上げる。

 上目遣いとなる赤い瞳では、滲む涙が揺れていた。

 

「ごめんなさい。みずはの妖精さんを壊しちゃって」

「いやいや。全然気にしてないから、そんな改まって謝らなくてもいいよ」

「で、でも」

 

 なおも募ろうとするフランの言葉を、私は両手を叩く事で遮った。

 身を竦めた彼女の手を取り、できるだけ快活に笑いかける。

 

「この話はもうおしまい! それより、せっかく知り合いになれたんだから、もっと君の事を聞かせてよ」

「……うん、わかった!」

 

 暫く逡巡する様子のフランだったが、表情に笑顔が戻った。

 立ち上がって彼女と横並びになりながら、私達はお互いの事を話していく。

 改めた自己紹介や、趣味趣向、フランがこれからやりたい事等々……。

 途中でレミリアが茶々を入れたり、咲夜が給仕しにやってきたり。

 和やかな雰囲気のまま、パーティーは続いていた。

 

「──よう、ちょっといいか?」

 

 そんな中、私達の方へと一人の少女が近づいてくる。

 頭には特徴的な帽子を被っており、紫とはまた違う金髪の片側をおさげにして、肩に垂らしていた。

 表情に浮かんでいるのは、大胆不敵な笑み。

 お皿を片手に、もう片方の手にはワイングラスが握られている。

 どこか男らしい口調と共に現れたのは、異変時にパチュリーを倒した──霧雨魔理沙だ。

 

「あら? 私はあなたをパーティーに呼んだかしら?」

「おいおい、そりゃないぜ。私は泣いて乞われたから仕方なく来ているのに」

「冗談よ。この場に集ったのは、私達と縁があるもの。お前がパーティーに呼ばれるのも、必然と呼ぶべき事柄だわ」

「回りくどい会話は無粋じゃないか? 今は宴会らしく、頭を空っぽにして楽しむもんだろ」

 

 グラスの酒を一呑みすると、魔理沙はテーブルに置いて皿の料理を手につける。

 美味しそうに頬張っているので、見ているこちらもお腹が空く。

 釣られてお肉を食べ始める私をよそに、レミリアは肩を竦めて微笑む。

 

「この程度の言葉遊びは、むしろ余興だと思わないかしら?」

「遊びは子供がする事でしてよ」

「……くくっ、言うじゃないか。ならお前に、大人の遊びを教えてやろう」

「私に同性愛の気はないんで、謹んでその申し出を断らせてもらうぜ」

 

 意外と気に入っているのか、魔理沙と話すレミリアの様子は楽しげだ。

 背中の羽がパタパタと動いているし、行動の節々からも容易に想像できる。

 とはいえ、貴族的優雅さを失っていないのは、流石レミリアと賞賛すべきだろう。

 

「お姉様楽しそうだねー」

「そうだねー。フランもわかる?」

「そりゃあ、あんだけ羽が動いてたらね。それに、あの人間面白そうだもん。私も興味があるし」

 

 テーブルに寄りかかったフランは、足をぷらぷらさせながら呟いた。

 視線は魔理沙へと注がれ、レミリアと話している姿を観察している。

 たしか、フランと魔理沙は初対面だと記憶しているが、なにか波長でも合ったのか。

 そういえば、原作では魔理沙がフランと弾幕ごっこをしていた……ような気がする。

 この世界ではまだしていないとはいえ、やはり不思議な繋がりがあるのだろう。

 

「あ、そうだ」

「ん?」

 

 手持ち無沙汰気味に手を翳していたフランは、なにか思い出した様子で姿勢を正した。

 疑問の声を上げた私を見やり、ブレスレットが嵌った手を突き出す。

 

「これ。お姉様から聞いたんだけど、みずはも手伝ってくれたんだよね?」

「手伝ったってほどじゃないよ。私ができた事はほとんどなかったし」

 

 実際、ある程度のサポートはしたが、それがなくともレミリアならなんとかしただろう。

 あの時、フランとしっかりと向き合っていたのは、愛する妹のために単身挑んだレミリアに、尊敬する主のために助太刀しにきた美鈴達紅魔館組だ。

 私はただ、彼女達の影で手を添えただけだった。

 しかし、そんな私の思考とは裏腹に、フランは笑みを浮かべて首を横に振る。

 

「それでも、みずはがいたおかげで、私はこうして外に出られた。お姉様と一緒のベッドで眠れたし、美鈴達ともいっぱいお話できた。だから、改めて言うね──助けてくれて、ありがとう」

 

 万感の想いが込められた、フランの言葉。

 それは意思を持った言霊となり、私の胸の中心を鋭く貫いた。

 心臓から血液を通して全身に染み渡っていき、思わず目を伏せて胸元に手を置く。

 本当に卑怯だ……そんな、そんな綺麗な笑顔と一緒に言われてしまうと、大した事はしていないとカッコつけていた私がバカみたいではないか。

 先ほど思っていた事は嘘ではないが、やはり自分もなにかしらできた、と承認欲求に近い思いがあったのも事実。

 しかし、それを素直に吐露するのは惨めに感じ、こうしてカッコつけていたわけだが……

 

「これじゃあ、逆にカッコ悪いじゃないか」

「カッコ悪い?」

「いや、こっちの話」

 

 過度の謙遜は嫌味、だったか。

 自分の行動を正しく判断して、ありのままに相手の言葉を受け止める。

 そうするべきであり、よって今の私が返す言葉も決まっていた。

 浅い呼吸で間を置いた後、顔を上げた私はフランへと不敵に微笑む。

 

「さっきの言葉は訂正するよ。私がした事は、結構多かったかな? パチュリーと一緒に魔道具を製作したし、レミリアと会話するために無線機も開発したし、なにより君を拘束した私の貢献があったからこそ、なんとかなったんだよ!」

「うわぁ……」

「ふっふっふ。全ては私の発明品のおかげなのさ!」

 

 胸を張ってドヤ顔を向けた私に、ドン引きした様子のフランが告げる。

 

「あれだね。みずはって、結構バカ?」

「バ、バカだって? よりにもよって、この私がバカですと?」

「なんて言うか、残念臭が凄いある感じ?」

「残念……」

 

 顎に指を添えたフランの言葉を聞き、私は項垂れてしまった。

 自分を飾らずにしただけなのだが、なんという言い草だろうか。

 私だって、一河童として発明品には誇りを持っているので、結果を出した事に対しては声高に自慢したいのだ。

 それをばっさりと切り捨てられるとは、悲しくて泣いてしまいたいほどだ。

 私が背中に暗雲を背負っていると、レミリアとの話に一段落ついたのか。

 彼女と一緒に、魔理沙がこちらに近寄ってくる。

 

「よう、お前がレミリアの妹か……どうした?」

「フランドールだよ。フランって呼んで。みずははちょっと、突きつけられた現実から逃避しているだけだから」

「違うからね! 私はバカでも残念でもないからね!」

「あー。とりあえず、こっちの妖怪が愉快な性格だってのはわかった」

 

 微妙な表情で頬を掻いていた魔理沙は、ニヤリと口角を上げると親指で自身を指した。

 

「私の名前は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだ。好きなように呼んでくれ」

「じゃあ、魔理沙って呼ぶね! 魔理沙って、魔法使いなんだ。パチュリーと一緒だね」

「ああ。あいつとは本を借りる仲だぜ」

「──死ぬまで借りている、不条理な仲だけどね」

 

 私達の間に割って入る、静かな声。

 聞こえた方に目を向けると、呆れた表情のパチュリーが本を読んでいた。

 どうやら、先ほどの会話が彼女の耳に入っていたらしい。

 魔女に訂正された魔理沙だったが、不思議そうな顔で見返している。

 

「それのどこがおかしいんだ?」

「一方的に私が搾取されているんだけど?」

「安心してくれ。その分、私が刺激的な弾幕ごっこを提供してやるから」

「安心できる要素が一欠片もないわ。貴女はもう少し慎みを覚えるべきよ」

「おいおい、冗談だろ? 私は謙虚の塊でできている美少女だぞ? 私から慎みを取ったら、なにも残らないじゃないか」

「分厚い面の皮が残りそうだけど」

 

 小気味よく交わされる、会話のキャッチボール。

 表面上は冷たい雰囲気に包まれているが、少なくとも魔理沙はこのやり取りを楽しんでいるようだ。

 先ほどから挑発的に笑っており、それ以上に悪戯好きな子供のような表情を浮かべている。

 対して、パチュリーの方も嫌悪感はなさそうなので、二人はそれなりに良い関係を築けているのだろう。

 とはいえ、魔理沙が本を死ぬまで借りると公言している以上、更に仲良くなるのは時間がかかるだろうが。

 

「類は友を呼ぶ、かしらね」

「パチュリー達の事?」

「同じ真理を追求する者だから、反発はしないんでしょう」

「ねぇ、お姉様。弾幕ごっこってなに?」

「──それには、私がお答えしましょう」

 

 再度、割り込まれた声。

 しかし、今度は私達の間に、声の主も現れていた。

 扇で口元を隠しながら、雅な雰囲気を漂わせている妖怪の賢者。

 私が招待した、八雲紫である。

 

「うげっ。紫じゃんか」

「あら、魔理沙には随分と嫌われたものですわ」

「スキマか。何故ここにいる?」

「こちらの方に誘われたからですわ。是非とも私に出席して欲しいと」

 

 指し示した紫の先を追ったレミリアは、私を見つけて一つ頷いた。

 対して、嫌な顔をしていた魔理沙は離脱し、パチュリーの隣に向かう。

 

「ちょっと、なんでこっちに来るのよ」

「あんなところにいたくないからに決まってるからだろ。ほら、見ろよ。レミリアと紫が熱く見つめ合ってるぞ」

 

 魔理沙の告げた通り、二人は綺麗な笑みを湛えて視線を絡ませていた。

 言葉を発していなくともわかる、黒い腹の探り合い。

 気配で牽制したり、仕草で相手を罠に陥れようとしていたり。

 明らかにパーティーには相応しくない、重々しく近寄り難い雰囲気だ。

 相変わらず、大妖怪は面倒な性格をしている。

 強烈な自負があるからこそ、相手に弱味を見せたくない。

 常に自分が優位に立ちたいと考えているので、こうして妥協という選択肢が取れないのだ。

 私にも同じ気持ちはあるが、やはり時と場所は弁えている。

 まあ今回の場合、主催者として振る舞っているレミリアと、賢者として出席している紫だから、両者共にへりくだれないのだろう。

 プライベートだったとしても、同様の結果になっていた可能性もあるが。

 

「はいはーい! そんなやり取りはやめて、パーティーを楽しもうよ。特に、レミリア。今日はフランの記念すべき日なんだからさ」

「……ふんっ」

「うふふ」

「紫も挑発しない!」

「あらあら、みずはに怒られちゃいました」

 

 茶目っ気混じりに舌を覗かせた紫は、にこやかな微笑のままフランに視線を移した。

 先ほどから彼女は胡散臭そうな表情を浮かべており、それを見た賢者の仮面にヒビが入る。

 

「紫、だっけ?」

「初めまして、小さな吸血鬼さん。私は八雲紫。以後お見知りおきを」

「なんか、胡散臭いねお前」

 

 初対面で言われるとは思わなかったのだろう。頬を微かに引き攣らせた紫の額に、小さな青筋が立つ。

 しかし、直ぐに完璧な淑女としての顔に戻ると、大人の余裕を見せつけながら言葉を返す。

 

「どうやら、貴女様は大切に守られていたようですね。筋金入りな箱入り娘のようですし、今後はお姉様に世間の常識を教授して貰うべきですわ」

「それに、見た目よりおばさんっぽい」

「お、おばっ……」

「ちょ、フラン! それは言っちゃいけない禁句だよ!」

 

 慌ててフランの口を押さえるも、時すでに遅し。

 扇から砕けそうな音が鳴り、紫は可憐な笑みを深めていく。

 対して、機嫌悪そうに腕を組んでいたレミリアは、その言葉にニヤニヤとしている。

 魔理沙とパチュリーは同時に額に手を乗せ、あちゃーっといった様子だ。

 また、離れた場所からお皿が落ちる音が聞こえ、目を向けると咲夜が落としたらしい。

 彼女は直ぐに片付けたが、なにやら頻繁に肩を震わせていて、瀟洒な面持ちが笑いで崩れかけていた。

 

「うふ、うふふ。彼女は一体なにを言っているのかしら」

「フランの声が聞こえなかったのか? 歳のせいで耳が悪くなっているのだな。同情するよ」

「あら、ごめんあそばせ。貴女方からすれば、私頃の歳はおばさんに見えてしまうのでしょう。子供にとって、歳上は実際より老けて見えますものね」

「ほう。それはつまり、私達は幼いと言いたいんだな?」

「そんな事ありませんわ。私はただ、客観的事実を述べただけです」

 

 紫が標的を変えた事により、再び面倒な空気になってしまった。

 腹黒会話を始めた二人をよそに、私はフランの頭を軽く小突く。

 

「ダメじゃないか。紫はとっても素敵な少女なんだから」

「ごめんなさーい」

「後でからかった事を謝っておくんだよ?」

「気が向いたらね」

 

 そっぽを向いたフランは、肩を竦めて言外に否定の意を示す。

 自由になった反動だからか、彼女は人をからかう事を楽しんでいる節があった。

 パーティーの準備をしている時にも、美鈴を弄って遊んでいたり、咲夜やレミリアを困らせていたり。

 遠目から見ていただけだが、子供が母親にじゃれているような様子だった。

 まさか、それを紫にもするとは思わなかったが。

 

「まあ、これはこれで元気な証でもあるかな」

「なにか言った?」

「いやー、なんでもないよ」

「ふぅん。あ、そうだ。あの紫って妖怪はお姉様と遊んでるから、みずはが弾幕ごっこについて教えて」

「弾幕ごっこについてなら、私が教えてやるぜ!」

「魔理沙が?」

 

 私達の方に近づいてくると、仁王立ちを披露した魔理沙。

 フランの興味に満ちた視線を浴びながら、懐から一枚の紙を取り出して渡す。

 

「これはスペルカード。まあ要するに、必殺技だな」

「でもこれって、ただの紙だよね?」

「これは必殺技を使う宣言に使う感じだ。とりあえず、論より証拠。まずは、私と弾幕ごっこをしながら身体で覚えてみないか?」

 

 にっと快活な笑みを浮かべた魔理沙は、フランへと手を差し伸ばした。

 これが彼女なりの歓迎なのだろう。仲良くなるため……いや、友達になるためには、弾幕ごっこを通してお互いを知る。

 勝って喜び、負けて悔しがり、切磋琢磨して高め合う。

 単純明快で混じりっけのない、気持ちの良い歓迎方法だ。

 フランにもその意図が伝わったのか、目を丸くした彼女は嬉しそうに破顔した。

 

「吸血鬼に挑むなんて、魔理沙もバカなんだね」

「妖怪を退治するのは、いつだって人間なんだぜ?」

「……あはは! いいね、そういう啖呵。でもまあ、妖怪らしく捻り潰してあげるけどね!」

「初心者に負けるほど、私は落ちぶれてないからな!」

 

 闘志を瞳に秘めながら、二人の決闘者はパーティーホールを出ていった。

 これから、外で弾幕ごっこをするのだろう。

 やり取りを黙って見送っていた私は、壁際の椅子に座って背もたれに寄りかかる。

 魔理沙達の弾幕ごっこを見学したかったが、付いていくのは無粋であろう。

 あれはフランと魔理沙の神聖な儀式でもあり、彼女にできる最初の友達との思い出でもある。

 

「楽しそうだったねぇ」

 

 私が期待していた、フランの無邪気で純粋な笑顔。

 妖怪らしくあるがままに振る舞い、しかし狂気に犯されていない少女の貌。

 まさしく私が求めていた答えがそこにあり、改めて無事に終われて良かったと思えた。

 今後、フランは魔理沙をはじめ、様々な人妖と友誼を結ぶだろう。

 壁にぶつかったりもするだろうが、少なくとも彼女の未来は明るい。

 

「おい」

「んー……って、レミリアじゃん。紫とはもういいの?」

「スキマはどこかへ行った」

 

 そう告げると、私の隣で腰を下ろしたレミリア。

 周囲に視線を巡らせてみれば、離れたところで紫が食事していた。

 パチュリーは咲夜と話しているし、相変わらず美鈴は踊っている。

 また、遠くの方では、博麗の巫女である霊夢もいた。

 

「霊夢が気になるのか?」

「んー、まあね」

 

 主人公だからという理由もあるが、やはり彼女の独特な雰囲気が気になるのだろう。

 どこか超然とした空気があり、瞳に宿る色は空虚にすら感じる。

 もちろん、感情はしっかりと窺えるし、特に無表情というわけでもない。

 しかし、私達を見る視線というか、滲み出ているオーラというか。

 それこそ天空から見下ろしているかの如く、平等で一律になっているのだ。

 人間なのに、人間らしくない少女。

 興味を持つには十分だし、レミリアが気に入る理由も理解できた。

 

「面白いだろう?」

「だねぇ。まあでも、それだけかな」

「ほう?」

「私は紫とかの方が、一緒にいて好奇心が刺激されるかなあ」

「お前も大概変わっているな」

「あはは、よく言われる」

 

 思わず苦笑いしていると、立ったレミリアが前に回り込んだ。

 引き締められた表情は真剣で、釣られて私も崩れた姿勢を正す。

 

「改めて、お前には言いたい事がある」

「聞こうか」

 

 頷いてレミリアからの言葉を待っていたのだが、肝心の本人は珍しく口篭っていた。

 忙しなく髪の先を弄りながら、目線を斜め下に落としている。

 普段の貴族らしさはなく、まるでどこか素直になれない少女のようだ。

 

「その、だな……」

「うん」

「お前……いや……」

「うん?」

 

 やがて、レミリアの中でなにかが吹っ切れたのか。

 荒々しい仕草で頭を掻いた彼女は、真っ直ぐに私を見つめる。

 

「貴女には、感謝しているの。フランのために色々と手伝ってくれて」

「いや、別にそれはいいんだけどさ。それより、その話し方──」

「だから、一回だけ言うわ!」

 

 私の言葉を遮ると、服の裾を摘むレミリア。

 楚々とした動きで見事なカーテシーを披露しつつ、鈴が転がるような声を風に乗せる。

 

「この都度の働き、紅魔館の代表として礼を申し上げます──私の頼みを引き受けていただいた事に、心からの感謝と敬意を」

 

 絶対に言わないだろう、と漠然に思っていた。

 何度も誇りを大事にしている事を実感していたし、相応にあるプライドの高さも知っていた。

 だから、レミリアが敬語を使うなんて、あまりにも予想外だ。

 こちらを射抜く視線からは、彼女の真摯な想いしか伝わらない。

 伊達や酔狂で言っているわけではなく、本当に心の底から感謝していると理解してしまう。

 数瞬して脳が追いついた私は、自然と身体が動いていた。

 椅子から飛び降りてレミリアの前に立ち、胸に手を添えてゆっくりと頷く。

 

「確かに、お礼の言葉はいただきました。こちらこそ、素性の知れない者の話を真剣に聞いてくださり、ありがとうございました」

「貴女様の返事、しかと拝聞いたしました」

 

 再びカーテシーをしていたレミリアだったが、徐々に肩を震わせ始めた。

 口元はおかしそうに綻んでおり、彼女の心境が一目瞭然だ。

 対して、私も内から笑いがこみ上げていき、やがてどちらともなく笑い声を響かせる。

 

「あはははは! 私達にこんな仰々しいやり取りは似合わないって!」

「ふふっ、そうね。こんなの肩が凝るだけだもの」

 

 暫く笑い合った後、私はグラスを手に持ってレミリアへと傾ける。

 その促しを正しく受け取ってくれたようで、彼女もグラスを取って私のにぶつける。

 場に小気味よい音が鳴り、同時にワインを喉に流し込んでいく。

 誰かと一緒に飲んだからだろう。今日飲んだお酒の中で、もっとも美味しい味だった。

 

「それで、なんで話し方を変えたの?」

「別に、そういう気分になっただけよ」

「ふぅん……そういう気分、ねぇ」

「なに? 言いたい事でもあるのかしら?」

 

 ジト目で見やるレミリアに、私は笑みを浮かべて誤魔化しながら、周囲に視線を巡らせた。

 こちらを一瞥した霊夢、にこやかに手を振ってきた紫、のんびりした様子で本を読んでいるパチュリー、テーブルに突っ伏して気持ち良さそうに眠っている美鈴。

 部屋の外からは微かな爆発音が聞こえ、各々がパーティーを楽しんでいるらしい。

 

「ハッピーエンド、だね」

「なにか言った──」

「それではこれより、お嬢様の一発芸がお披露目されます。皆様、大きな拍手をお願いいたします」

「──はっ?」

 

 あえて目を逸らしていたのだが、それも限界だった。

 目を丸くしたレミリアからは見えないだろうが、こちら側からは出現した壇上が目に入っている。

 天井には真っ白な垂れ幕がかかっており、でかでかと“お嬢様の優雅な一発芸”という文字が書いてあった。

 

「お嬢様、こちらです」

「ど、どういう事かしら?」

 

 私達の側に出現した咲夜の手には、二つのワイングラスが握られていた。

 中には真っ赤な液体が入っていて、鼻に流れ込む鉄臭い匂いから、どうやらこれは血らしい。

 頬を痙攣させている主をよそに、真面目な面持ちのメイドが口を開く。

 

「パーティーには余興が必要、とお嬢様がお考えになっていると耳にしまして、急遽用意させていただきました」

「待ちなさい。一体誰から……まさか!」

 

 慌てた様子のレミリアが目を向けた先には、本で顔を隠しているパチュリーの姿があった。

 彼女はおかしそうに肩を震わせ、呼応して揺れている指で壇上を示す。

 

「お、お膳立ては私がしておいたから、レミィは心置きなく余興を見せてちょうだい」

「パチェ!?」

「あらあらぁ? 紅魔館の主様は、客人を楽しませる事すらできないのですか?」

「ぐっ」

 

 胡散臭い笑みで扇を広げた紫の言葉に、レミリアは声を詰まらせていた。

 

「私も暇だから見たいわ。なんか面白い事をしてよね」

 

 霊夢も料理を片手にそう告げ、着実に外堀が埋められていく。

 無表情ながらも期待に満ちた咲夜の眼差しも送られ、遂に観念したのか。

 ため息を漏らしたレミリアは、吹っ切れた様子で壇上を登る。

 

「あ、咲夜ー。お酒もう一杯ちょうだい」

「こちらに」

「ありがとう。さて、私も楽しませてもらおうかな」

 

 場に残る血の臭いを感じながら、私はニヤニヤして椅子に腰を下ろした。

 あのレミリアが一発芸をする事になるとは、本当になにが起こるのかわからないものだ。

 そんな風に考えていると、ドアが開かれて文がこの場に現れた。

 たしか、彼女は用事があるから来られない、とレミリアから話を聞いていたのだが。

 

「何故、天狗がここにいる!」

「レミリアさんが面白い事をすると風の噂で耳にし、いてもたってもいられず飛んできました!」

「どんだけ地獄耳なのさ……」

 

 満面の笑みでカメラを構えた文を見て、なにを言っても無駄だと悟ったのだろう。

 嘆く様子で首を横に振ると、レミリアは壇上の上でグラスを掲げる。

 

「レミリア・スカーレット。人間の血の一気飲みをするわ」

 

 パーティーの雰囲気にあてられてもいるからか、普段よりレミリアのテンションが高いようだ。

 でなければ咲夜の頼みだとはいえ、このような余興をするはずがない。

 やんややんやと野次を飛ばす霊夢と、愉快げに眺めている紫。

 パチュリーも楽しそうに親友の姿を見つめており、唯一咲夜だけが瀟洒な仮面で拍手していた。

 宴会らしく、和やかで平和な光景。

 たまの刺激もスパイスとして好きだが、やはり私はこうした日常を好むと再確認する。

 暫くは事件も起きないだろうし、今はこの平穏を精一杯謳歌しよう。

 

「これにて一件落着ってね」

 

 頬を緩ませた私は、一気飲みを始めたレミリアに合わせて、ワイングラスの中身をあおるのだった。

 

「あら? これ、ただのワインよ」

「……あっ。みずは様に渡すお酒と間違えました」

「ぶーっ!?」

 

 

 

 

 




これにて第二章完結。
次話からはタイトル通り、日常メインになると思います。

いつも読んでくださりありがとうございます。
皆様の存在が励みになりました。
今後もよろしくお願いいたします。


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