ナオジとヨリコ (鈴本恭一)
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第1話:ナオジ

「私がいてもいなくても、結局それは同じなの。

 それなら、誰かここから私を連れ出して」

 

 

 ヨリコはそう願った。

 

「ならば、吾輩が叶えよう」

 

 

 とそれが応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中学時代の三年間を、ナオジは振り返ってみる。

 

 つかれた、というのが最終的な感想だった。

 

 

 

 彼女は小学生の頃よりも、自分が丸くなったと思った。

 

 教師の指示に従わないことは多々あったが、悪態をついたり、自分に指図をする教師へ暴力を振るったりということをしなくなった。

 

 

 ナオジの左頬には、細長く刻まれた、一筋の目立つ傷痕がある。

 

 小学校時代に変質者と争った際に傷つけられたもので、彼女自身の目つきの悪さや鋭角的な面立ちと相まって、ナオジは常に同級生たちの輪の外側にいた。

 

 友達と呼べる人間など、ナオジには出来なかった。

 

 

 昔からの習慣通り、ナオジはひとりで生きた。

 

 しかし、いつからだろう、と彼女は思う。

 難癖を付けに来た上級生と殴り合い、やかましく騒ぐクラスメイトへ椅子を投げつけて黙らせたりといったことに、むなしさを感じ始めた。

 

 

 むなしいと思えば、ひどく疲れた。

 

 

 その徒労と戦った三年間だった。

 

 

 そして暗澹と中学時代を終え、高校の入学式になったとき、ナオジはヨリコと再会した。

 四年ぶりに。

 

 

 

「また、殴らないの?」

 

 

 

 小学生の頃と変わらない白茶色の髪を長くなびかせながら、ヨリコは言った。

 

 

 ナオジは、それに何も返すことが出来なかった。

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 ヨリコはナオジと同じ団地の子供だった。

 ヨリコの母親は外国人のハーフで、団地の催しにあまり顔を出さないため、非社交的な人間と思われていた。

 

 しかしヨリコ自身は団地の子供を集めた催し物へ、それなりに参加していた。

 たとえば新年の餅つきや、季節ごとの行事、聖誕祭等。

 

 ヨリコはあどけなさの薄い、美しく整った顔立ちの少女だった。

 

 綿菓子のようにふわりとした白茶色の髪や、その下にある白い肌、やや緑がかった大きな瞳。

 人目を引く外見をしたヨリコだったが、催し物に参加した場合、必ず会場の隅にひっそりと佇んでいた。

 その見てくれと相反するように、彼女は目立つ行動を一切取らなかった。

 ただその場にいるだけで、自ら積極性を発揮することはなかった。

 

 そんなヨリコの隣にいたのが、ナオジだった。

 

 ナオジは催し物が嫌いだった。

 集団行動をそもそも嫌っていた。

 話しかけてきた同年代の子供や、注意をしてきた大人には罵倒をして突き放し、暴力的な振る舞いをすることも躊躇わなかった。

 

 ナオジがなぜそういった催し物に嫌々ながら参加したのかと言えば、この世で唯一ナオジが逆らえない人間、つまり母親の言い付けだからだ。

 

 ナオジは母親に養われて生きている。

 母親がいなければ自分は死ぬ。

 そのため、母親に従わざるを得ない。

 それがナオジの考え方だった。

 

 ナオジの母親は、ナオジのそういった反社交的な言動について咎めることをしなかった。

 ナオジの父親は、彼女がさらに幼い頃に他界している。

 ナオジの母親は娘が眠っている時間帯に帰宅し、また娘が起床前に家を出る生活をしていた。

 仕事に生きる女性であった。

 

 よってナオジの性格、触れられれば即座に噛み付く動物的なそれが形成することを、止める人間はいなかった。

 

 ナオジの母親が娘のそうした性格を理解していたのかはナオジには分からないが、とにかく団地で催し物があった際には自分は参加できないので、代わりに娘を寄越すことにしていた。

 ナオジはもちろん不服であった。

 不承不承その集まりに赴き、場の隅で終わるのを待った。

 

 そういったわけで、ナオジは結果的に、同じく会場の隅にいるヨリコに近い位置で催し物に参加することとなった。

 

 お互い、その催しに参加する意気込みはなく、だからといって似たもの同士で話をしようともしなかった。

 

 ナオジは、もし仮にヨリコが自分に話しかけてくることがあればその口に拳を殴り放つ気でいたが、ヨリコはまるで置物のように静かであった。

 団地の談話室で行われるイベントを茫と眺め、何の表情も浮かべない。

 ナオジのような不機嫌さもなく、もちろん興味ありげな顔つきでもない。

 作り物めいた、能面に似た無表情だった。

 

 ナオジはこの一風変わった同年齢の少女に、これといって関心を持たなかったが、自分の邪魔をしないという点では他の人間達よりましだと思っていた。

 

 しかし、非協力的なナオジとヨリコを団地の人間達は疎ましがっていた。

 ナオジもそのことは重々承知していたが、知ったことではない。

 彼らから嫌われても、ナオジは生きていけた。

 

 ひとりで生きなければならない。

 強く生きなくては。

 

 それがナオジの訓戒だった。

 

 同時に、ナオジの父親の遺言でもあった。

 

 病の床に伏せていた病院のベッドで、息も絶え絶えになった父親が娘に遺した最期の言葉。

 

 

 「ひとりでも強く生きろ」

 

 

と彼は言い、そして死んだ。

 

 ナオジは誰から嫌われても、ひとりで生きていこうとしていた。

 母親がいなければ寂しくて泣いてしまう幼女などを催し物の会場で時々目にした時は、ナオジは吐き気さえ覚えた。

 口の中にマグカップを突っ込ませて黙らせてやりたくなった。

 

 その点、ヨリコは平然としたものだった。

 ナオジの癇に障る行動を一切取らなかった。

 団地の全員がヨリコであれば楽なのに、とナオジは思ったものだ。

 

 ナオジとヨリコの関係はそういった不干渉で成り立っていたので、会話らしい会話などなかった。

 ひとりぼっちが二人いるだけだった。

 ナオジはそれで充分だと思っていた。

 

 しかし、その二人の関係を勘違いした人間がいた。

 ヨリコの母親である。

 

 ヨリコの母親は娘を大人にしたような人物で、口数の少ない物静かな女性だった。

 

 催し物の毎にヨリコの近くにいるナオジを見て、ヨリコといつも一緒にいる子、と認識したらしく、ナオジはヨリコの母親から夕食の招待をよく受けた。

 

 ナオジは他人から物を与えられることも、友達と思われることも嫌っていた。

 しかし自分の母親が用意する食事ばかりを食べる日々に反発を抱いていたこともあり、ヨリコの家に厄介になることがあった。

 

 そうした食事の間、もっぱらナオジに話しかけたのはヨリコの母親で、ヨリコ自身は黙々と機械的に食事をし、やはりナオジと話そうとはしなかった。

 ナオジも特に彼女と話すことなどないと思った。

 

 しかしこうした小さな夕食会はナオジの母親に露見し、これをきっかけとして、ナオジとヨリコの母親同士は親しくなっていった。

 親同士が親しくなると、どういうわけか子供同士も引き合わせるものなんだな、と幼いナオジは心の中で溜息をついた。

 

 ナオジの母親は多忙である為、団地の催し事にはあまり顔を出せなかった。

 しかしひとたび参加すると、必ずと言って良いほど人の輪の中心にいた。

 神経が図太いせいだ、とナオジは思ったが、とにかくナオジの母親は団地の中で顔の広い存在だった。

 

 そんなナオジの母親を通じて、ヨリコの母親は徐々に団地という集団社会に馴染んでいくことが出来たとナオジには感じられた。

 

 まったく馴染もうとしないのは、娘のヨリコの方だった。

 

 母親に連れられて団地の談話室に来ても、激しく人見知りをし、部屋の隅に行きたがった。

 誰とも話そうとせず、話しかけられても何も応えない。

 不安げな表情も、いたいけな笑顔を彼女は浮かべなかった。

 そんな無表情をしたヨリコがナオジと親しくなったのは、ある事件のせいだ。

 その事件の後、ヨリコはナオジの後を追いかけるようになった。

 最初の頃ナオジは鬱陶しいため、ヨリコを蹴り飛ばしたり殴りつけたりとしたが、ヨリコはくじけずにナオジの近くへ寄った。

 しまいにはナオジの方が根負けし、居たいなら居ればいい、と思うことにした。

 

 そうしてナオジが諦めてから、ヨリコは初めて、ナオジと話をした。

 

 

「私、ひとりなの」

 

 

 とヨリコは言った。

 

 

「おろすはずだった、ってお父さんは言ってた。

 

 

 お母さんは、最初は私を好きだったけど、どんどん、好きじゃなくなってったの」

 

 

「私はひとりがいい」

 

 

 ナオジはヨリコに言った。

 

 

「お前と一緒にするな」

 

 

 うん、とヨリコは頷いた。

 

 そうした寂寥とした関係が、ナオジとヨリコの幼い日々だった。

 

 

 

 

 



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第2話:人形変化

 

 

 高校生のヨリコが交通事故に遭い、入院した。

 

 

 ナオジは病院の廊下で、幼かった過去を振り返る。

 今はもう高校一年生になる。

 

 あの団地にナオジは未だ住んでいるが、ヨリコは小学校卒業を待たずに転校した。

 この町唯一の高校で、ナオジはヨリコと再会したのだ。

 

 病院の空気は独特だ、とナオジは思う。

 神経質に潔癖さを保持しようとする空間は、彼女にさらなる過去を思い返させた。

 

 ヨリコの父親との争い。

 割れたナオジの手。

 唯一の入院経験。

 

 笑っていたヨリコ。

 

 

「……くそ」

 

 

 ナオジは黒々とした自分の髪をかきむしり、意識を現在へ引き戻す。

 

 教えられた病室へ足を伸ばす。

 見舞いの品などない。

 ただ一度顔を見て、そうしたら帰るつもりだった。

 

 だが、そんな簡単なことにはならなかった。

 

 病室は六人用の大部屋で、最奥の病床がヨリコに割り当てられている。

 そういう情報を病室の入り口に記されたプレートで確認し、ナオジは部屋に入った。

 

 そして足早に、ヨリコのいるベッドに向かう。

 

 そこに、ヨリコはいなかった。

 

 

「……」

 

 

 ナオジは鼻白む。

 そのベッドは不在ではなかった。

 入院用の患者服をまとった人物がいたが、ヨリコではない。

 もっと年齢の低い、小学生にしか見えない少女だ。

 

 白に近い銀糸のような髪、その髪よりさらに白い、血の気のない肌。

 妖しげな輝きを帯びた金色の双眸を持つ、人間とは思えないほど整った顔立ちのその子を見て、ナオジは自分がどこにいて何をしに来たのか一瞬忘れてしまった。

 

 しかしすぐに踵を返し、病室の入り口にあったプレートの記載を確認する。

 ナオジの記憶に間違いはなく、ヨリコがいるはずの病室だった。

 

 そしてヨリコのベッドには、あの少女がいる。

 

 

「ねえ」

 

 

 病室の奥から、ナオジは声を掛けられた。

 鈴を鳴らすような軽やかな声。

 ナオジはついその声の主へ顔を向ける。

 

 

「そんなところにいないで、こっちにおいでよ。

 ヨリコに会いに来たんでしょう、お見舞いで」

 

 

 くすくす笑いを含んだ声質に、ナオジは眉根を寄せながらも再び病室へ足を踏み入れた。

 

 病室のベッドは白いカーテンで仕切られているが、その少女はカーテンを全開にし、自分の姿をまるで隠そうとしなかった。

 

 

「誰だ、お前」

 

 

 ナオジは詰問する。

 少女はふふっ、とやはり羽根のように軽い声で応える。

 

 

 「私は」

 

 

 そして少女はがらりと口調を変えた。

 

 

「吾輩は、魔物」

 

 

 途端、その少女からナオジまでを隔てる限定的な空気の気配も変貌する。

 ナオジはその空気に触れ、言いようのない感覚に肌寒くなった。

 

 少女は言う。

 

 

「貴様の大事な娘は吾輩が預かった。

 返して欲しくば、我が城へ危険を顧みず参上せよ」

 

 

 

「……」

 

 

 なんの冗談だ、とナオジは思った。

 

 

「ヨリコをどうした」

 

 

 空気が粘りけを帯びたように、ナオジの全身が見えない何かに絡みつかれる。

 それらははっきりとした意思を持ってナオジにまとわりつき、その意思の中心が目の前の少女なのだとナオジは確信する。

 

 

「娘は願った。

 吾輩がそれを叶えた。

 故にこの世界にはもはやおらぬ」

 

 

 羽毛の軽さで声を紡ぐ少女が、ナオジの問いかけに応える。

 ナオジには理解できない内容の言葉を。

 

 

「なんなんだ、お前。

 ヨリコはどこだ」

 

 

 

「娘は魔界の我が城へ移り住んだ」

 

 

 ナオジは不気味な性質に変化してしまった空気をかきわけ、ベッドににじり寄ると、少女の胸ぐらを掴みあげた。

 

 

「ここは精神病棟じゃない。

 くそ面白くもねえことばかり口にしたら、そのちっせえ歯をへし折るぞ」

 

 

 間近で睨み付けるナオジに対し、少女は小さな唇の端を細く吊り上げる。

 笑った。

 

 

「ここにあるのは、彼(か)の娘の代わりを演じる人形。

 魔物の人形だ。

 吾輩はここにいてここにおらん。

 この人形をどうしようと、何も変わらぬ」

 

 

「……」

 

 

 ナオジは少女の頬を拳で殴る。

 

 ベッドに殴り飛ばされた少女。

 くすりくすり、とその身から笑みがこぼれていた。

 

 

「なにしてるんです!」

 

 

 不意に、新たな声がナオジにかかった。

 振り返ると、看護士の女性がひとりいて、驚きの表情を浮かべている。

 

 

「あなた、ヨリコちゃんに何してるの!」

 

 

 ナオジはその看護士の言葉を聞いて、再度、少女に振り向く。

 頬を殴ったはずだが、少女にはその痕跡ひとつ見つからない。

 ただおかしそうに笑っている。

 

 

「出て行きなさいっ! ヨリコちゃんは怪我してるの、見て分かるでしょう!」

 

 

 どよどよと、病室がざわつき始めた。

 ナオジの起こした騒動が原因だと彼女には分かっていたが、そのナオジ自身は困惑でいっぱいだ。

 

 この看護士には、あの少女がヨリコに見えている。

 

 ナオジは直感でそう理解した。

 周りの人間達も、誰一人としてヨリコのベッドに別の少女がいることを指摘しない。

 彼らにも、ヨリコのベッドにはヨリコがいるように見えている。

 

 そこにいる少女はヨリコではない、ヨリコとして見えないのは、ナオジだけだった。

 

 ナオジの理知は混乱を始める。

 そして頭が考えるよりも早く、足がベッドからその身を遠ざけていた。

 ナオジはそのまま足早に病室を去る。

 

 ついに頭がおかしくなった、と彼女は思った。

 



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第3話:魔物

 

 10歳の頃、ヨリコは変質者に襲われた。

 

 小学校の校門の、すぐ近くだった。

 ひとりで下校していたヨリコに、突如として男が背後から掴み掛かり、彼女を脇の茂みへ連れ去った。

 茂みは路地から死角を作っており、そのとき周囲に人通りが絶えていたこともあり、男は簡単にヨリコを地面に押し倒すことが出来た。

 

 長いコートを羽織り、顔にサングラスとマスクを装着した男だった。

 それらで顔を隠していたが、ひどく興奮しているのか鼻息が荒い。

 ヨリコは完全に体を押さえつけられていたが、声ひとつあげなかった。

 抵抗もしなかった。

 

 いつもの無表情。

 その顔が驚きのそれに変化したのは、暴漢が不意に悲鳴を上げ、身を跳ね上げた時だった。

 

 暴漢の太股に、一本の鉛筆が刺さっていた。

 暴漢は地面に腰を落とし、そのまま背後を見る。

 

 そこには、今まさに飛びかかったナオジがいた。

 彼女の手には鋭く尖った鉛筆が握られている。

 ナオジは敏捷な動きで、その鉛筆を男の手のひらに突き刺した。

 男はさらに悲鳴を上げた。

 彼は叫びながら立ち上がり、無傷の方の手をコートのポケットに入れる。

 そしてその腕をナオジに向かって振り払った。

 

 暴漢の一撃がナオジの顔に当たった。

 彼女の頬に裂傷が走る。

 男の手にはカッターナイフがあった。

 

 ナオジは怯まず、思い切り勢いを付けて男の股間を蹴り込む。

 激しい痛みに崩れ落ちた男の顎に、ナオジは全力で肘鉄を放った。

 

 男はその打撃で昏倒し、地面に倒れ込む。

 

 息を切らせながら、ナオジはそれを見下ろした。

 そしてそんなナオジを、ヨリコは茫然とした表情で見詰めていた。

 

 その後、巡回中の教職員が男の叫び声を聞き、ナオジ達のところへ駆けつけた。

 失神した男はそのまま警察に引き渡され、ナオジは治療の為、病院に送られた。

 

 男に付けられた頬の傷は意外にも深く、痕が残るだろうとナオジは医者に言われた。

 

 ナオジは神妙な顔でそう告げた医者を鼻で笑ったが、ヨリコの方はそうはいかなかった。

 

 

「ごめんね、ごめんね」

 

 

 ヨリコはナオジに言い続ける。

 どういう表情を作ればいいのか分からない、困惑の貌で。

 それがうるさかったので、ナオジはヨリコをはたいた。

 ヨリコはそれ以上、何も言わなかった。

 

 その事件の後、ヨリコはナオジのあとをずっとついてくるようになった。

 

 

「ナオちゃん、ねえ、ナオちゃん」

 

 

 彼女はナオジを呼ぶ。

 今までになかったその変化にナオジは狼狽したが、先述のように最終的にヨリコの好きにさせることにした。

 

 以後、ナオジの頬には目立つ傷痕ができ、ヨリコはナオジを慕うこととなった。

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 ヨリコは退院し、高校へ復学した。

 

 しかしナオジに見えるのは、あの銀髪の子供だ。

 どこで手に入れたのか、学校の制服を子供用にした服で通学している。

 

 案の定、同級生も教師も、その少女をヨリコだと思っていた。

 ナオジだけが、ヨリコに化けたその子供の正体を見ることが出来た。

 

 

「なんなんだよ、くそが」

 

 

 ナオジは屋上で、忌々しく煙草を喫している。

 屋上は普段は閉ざされているのだが、ナオジは職員室にあった屋上の鍵を盗み、合い鍵を作っていた。

 その鍵は外側から閉じることが出来るので、ナオジはよく屋上を独り占めしていた。

 

 フェンスに張られた金網をすり抜ける風を浴びながら、ナオジは屋上でひとり煙草を吸う。

 

 何が起きているのか整理しよう、とナオジは思った。

 

 ヨリコが消えた。

 別の人間がヨリコに成り代わっている。

 そしてナオジにしか、それが分からない。

 

 

「意味わかんねえ」

 

 

 独り言の悪態をナオジは吐き出す。

 煙草を床に投げ捨て、苛つきながらそれを踏み潰す。

 

 

「ヨリコはどこに行ったんだよ」

 

「魔物の城だよ」

 

 

 突然、ナオジの後ろから別の声がやってきた。

 

 

「っ!」

 

 

 反射的に、ナオジは振り向きながら飛び退く。

 その動きは驚かされた野良猫を彷彿とさせたが、驚いたという点ではナオジは否定せざるを得なかった。

 まったく気配を感じさせず、ナオジのすぐそばにそれがいた。

 

 あの、銀髪の少女。

 

 

「……てめえ」

 

 

 ナオジは相手を睨み付けながら、ちら、と屋上の入り口を見やる。

 ドアノブの鍵が開いているのが分かった。

 

 

「どうやってここに入った」

 

「魔物の持ってる月光の魔剣に頼んだら、開けてくれた」

 

 

 ナオジには全く理解できない単語で説明しながら、少女は床に視線を落とす。

 

 

「未成年の喫煙は、体に悪いよ?」

 

「うるせえよ、お前こそ何なんだ。

 ヨリコじゃねえのにヨリコのふりしてまで学校に来やがって、糞餓鬼が」

 

 

 刺々しい口調で少女に噛み付き、ナオジは出来るだけ相手の眼から目をそらさずにいようと試みた。

 奇妙な瞳だった。

 見たことのない、黄金の色をしたその目は底なしの沼のようで、ナオジはその沼に身も心も沈められてしまう自分を錯覚してしまった。

 

 

「私は、ヨリコの代わり。

 ヨリコが戻るまで、ヨリコを演じていないといけないの」

 

「そのヨリコは、あの馬鹿はどこ行った」

 

「だから、魔物の城だってば」

 

 

 同じ言葉を繰り返すのが楽しいのか、少女はおかしそうに笑う。

 その仕草にナオジは苛立ち、無造作に彼女へ近付く。

 ナオジは少女を拳で殴った。

 

 

「いい加減にしろよ」

 

 

 殴った感触がナオジの手に残る。

 しかし、それはすぐに消えた。

 少女は何事もなかったかのごとくそこに立って、変わらず微笑んでいる。

 

 

「あなたこそ、いい加減、認めちゃいなよ」

 

 

 柔らかな声色で少女はナオジに言う。

 その穏やかな口調がナオジをさらに苛つかせた。

 

 

「何をだ」

 

「私達が、人間じゃないってこと」

 

 

 さらり、と少女は言う。

 

 ナオジは怪訝に眉根を寄せた。

 頭のおかしな子供だと彼女は思う。

 

 そして、頭がおかしくなっているのは自分の方なのか、とも思った。

 

 

「認めなさい、認めなさいって。

 おかしなものが目の前にあるの。

 おかしなことが起きてるの。

 その原因は、あなたの目の前にいる私達だってことを認めなさいよ」

 

 

 ナオジの心を見通しているのかのように、少女の声音は優しかった。

 諭しに似た話し方で、少女はナオジに言う。

 

 

「……お前らは、何がしたい。

 ヨリコに何をした」

 

 

 なんとか絞り出したような自分の声が、ナオジには我ながら情けなかった。

 そんなナオジの問いかけに、少女は口を開く。

 

 

 「あの子は」

 

 

 その瞬間、空気の質量が変化した。

 

 ナオジは不意に大量の重しが自分に乗せられた気分になる。

 空間が重さをともなっていた。

 重圧感のある風がどうしようもなくナオジの体を締め付ける。

 

 

「かの娘は願った。

 吾輩はそれを叶えた」

 

 

 少女の口調が、尊大なものに変貌した。

 表情も不遜きわまりない傲慢な顔付きになり、謎の圧力に苦しむナオジを嘲笑っている。

 

 

「此の人形は魔界への門。

 現世に接する門を潜り、貴様の知る娘は魔界の我が城へ移り住んだ」

 

 

 少女の言葉ひとつひとつに、言い知れない圧迫感があった。

 まるで声そのものが固体となってナオジにぶつけられているようで、ナオジはその声の主に怯まぬよう、自分を鼓舞した。

 

 

「ヨリコが、お前に何を願ったって?」

 

 

「此の世から去ることを、だ」

 

 

 魔物を名乗る少女は応えた。

 

 そうして応えてから、魔物はにやつき、嘲る。

 

「その理由を、貴様は知っているはずだ」

 

 

「……」

 

 

 ぐさりという音を、ナオジは聞く。

 音ではな音だ。

 途端、不愉快な気分に陥る。

 心の裏側を覗き見られた、そんな感情が涌き上がった。

 その感情を力に変えて、ナオジは魔物に問う。

 

 

「お前は、死ぬまでヨリコのままか」

 

「娘が戻らぬ限り、そうだ」

 

「死んだ後は?」

 

「また別の人間に取って代わる」

 

 魔物は応えた。

 

 

「吾輩は、現世から去ることを望む人間を魔界へ住まわす。

 己を世界から不要と思い、しかし生きるしかない悲嘆に暮れる者。

 そんな者達を救う、魔物だ」

 

「なりすます人間がいなかったら?」

 

「人間にそんな時代はない」

 

 

 魔物はきっぱりと言い切った。

 ナオジはその断言に目を細める。

 

 

「もし人間がひとりもいなくなれば、お前はどうなる」

 

「吾輩は変わらず魔界の城にいるだけだ。

 が、此の人形は、忘れられた者達の領域へ漂い去るだろう」

 

「……そこへ、行きたくないのか」

 

「それが此の人形の願いだ。

 その為に吾輩と契約した。

 人間の中にいたい、と」

 

 

 魔物はそこでいったん言葉を切った。

 束の間だが、ナオジは正体不明の重圧から解放される。

 

 しかしすぐに、少女の姿をしたそれが口を開く。

 瞬間的に、ナオジの身が強張った。

 

 

「人間。

 貴様の知る娘も、人間の中にいたかったようだな」

 

「なに?」

 

 

 魔物のその言葉に、ナオジは訝しむ。

 それは矛盾だと思ったからだ。

 

 

「ヨリコはもう生きたくなかったんだろ。

 なのになんで、他の連中の輪にいたかったんだよ。

 変な話じゃねえか」

 

 

「願った、されど叶わなかった。

 その為に悲嘆した。

 それだけの話にすぎん」

 

 

 そして吾輩が手を差し伸べた、と魔物は言う。

 

 魔物が続けた。

 

 

「吾輩の人形が取って代わっても、何も変わらぬ者では我慢ならんかったらしい。

 その様な物では御免被るそうだ」

 

 

 くく、と魔物は笑う。

 愉快げに。

 ナオジはその笑い方がどういうわけか気に入らなかった。

 

 

「名声を得られるのであれば、はたまた、慈悲になる心に因って、どのような者でも救おうという輩に、吾輩の人形を目にすることは出来ぬ」

 

 

「なんのことだ」

 

 

「視ることが出来るのは、故ある為だ」

 

 

 ナオジは、この魔物が何を言いたいのか察した。

 よけいに気分が悪くなる。

 

 憮然とした声で、ナオジは魔物に言い放つ。

 

 

「私はあの馬鹿が生きてようが自殺しようが、どこに行こうが、知ったことじゃない」

 

 

「虚言だ」

 

 

 魔物はこともなく嘲る。

 

 ナオジは「なにがだ」

 

と言い、魔物の言葉をはね除けようとした。

 しかし魔物はそんなナオジの抵抗を微塵も意に介さず、彼女へ言う。

 

 

「吾輩は人間ではない。

 貴様がどれ程に自分の心へ偽りを重ねようと、虚言の群れで幾重にも囲い込もうと、吾輩には通じん。

 吾輩は魔物だからだ」

 

 

 魔物は悠然と、傲慢にナオジを弄ぶ。

 言葉だけで。

 

 それから逃れるため、ナオジはポケットから煙草を取り出し、火を付けた。

 指先が震えていないことを確かめて、少しだけナオジは安堵を感じる。

 

 煙をゆっくり肺に入れ、同じように時間を掛けて紫煙を吐き出した。

 魔物はその間、何も言わずナオジを見詰めていた。

 その視線がナオジから落ち着きを奪い去ってしまう。

 

 

「……魔界っていうのは、どんなとこだ」

 

 

 ざわつく心を誤魔化すために、ナオジは魔物へ問いかける。

 魔物は一拍の間も置かずに応じた。

 

 

「飢えることも渇くこともない、眠らずとも良く、老いや病にも無縁だ。

 物質的な要求であれば可能な限り応える。

 吾輩の招いた客であれば」

 

「まるで天国だな。

 戻りたくないわけだ」

 

「そういった人間の場所へ、吾輩は赴く」

 

 なるほど、とナオジは思った。

 

 

「お前は、魔物だ」

 

 

「ようやく認めたか」

 

 

 魔物は唇を三日月の形に歪ませ、笑う。

 

 そして、その笑みを唐突に消す。

 するとそれまであった重圧が嘘のように消えてなくなり、ナオジは思わず前のめりになってしまった。

 口から煙草を落としてしまう。

 

 

「ヨリコは自分じゃ戻らないよ。

 誰かが連れて戻さないと」

 

 

 尊大な口調は消え、憐れみのある穏やかな声で、銀髪の少女が告げた。

 

 

「私は門。

 魔界へ人間を送ることも、その逆も出来る。

 あなたにその勇気があるのなら、私に声を掛けて」

 

 

 そうして、少女はナオジへ背を向ける。

 彼女は魔法のように軽やかな足取りで屋上の出入り口に去っていった。

 

 ナオジは、ひとり残される。

 粘つく油が胸の内側に溜まっている気分だった。

 

 

「勇気だと?」

 

 

 無理矢理に唾を出し、吐き捨てながら独白する。

 

 

「なんで私が、あいつのために、何かしなくちゃいけないんだ」

 

 

 風が吹き、ナオジの独り言をさらっていく。

 その風を冷たいとナオジは感じた。

 

 頬が、うずく。

 左頬。

 傷痕が。

 

 ナオジはしばし、ひとりでそこにいた。

 

 



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第4話:ヨリコ

 高校生になったヨリコは、ナオジの知っている小学生の頃のそれとはまるで別人だった。

 

 小学生の頃、ナオジはヨリコの笑った顔を一度しか見たことがない。

 

 しかし高校生のヨリコは、やんわりとした愛想のある表情を周りに惜しげもなく振りまき、易々と同級生の中に混じり込んでいった。

 団地の談話室で置物のように閉じこもっていた、あのヨリコが。

 

 ヨリコは美しくなっていた。

 元々、周囲から浮いてしまうほど目鼻立ちの整った容貌をしていたが、そこに明るさと社交性を身につけ、年齢離れした魅力を放っていた。

 

 だがナオジはヨリコの明るい表情のどこかに、灯っては消えるか弱い火に似た何かを感じた。

 今にも儚く消えそうで、それでいて誰の手にも掴ませない。

 

 強い一陣の風が吹けば、簡単に姿を失ってしまう、そんな幻想をヨリコはナオジに抱かせた。

 

 ナオジとヨリコは同じクラスに編入された。

 女子はいくつかの集団をすぐに作り、ヨリコもあるグループに紛れ込んだ。

 しかしヨリコはその気さくさで、平然と別の集団へ渡り歩くことが出来た。

 誰も彼女に嫌悪を抱いている様子はなかったと、ナオジは思う。

 

 一方、当のナオジは中学と同様、誰とも連むことをしなかった。

 ひとり教室から抜け出し、無人の中庭や屋上を練り歩く。

 授業にはそこそこ出て、成績もそこそこ稼いでいたが、やはり授業態度を何度も教師に指摘された。

 しかし、その注意に耳を貸すナオジではない。

 

 ナオジは帰りたいと思った時に学校を抜け出た。

 それは授業中であったり、昼休みの最中であったり、下校時間をとうに過ぎた頃でもあった。

 

 だが、そんなナオジの気まぐれな帰宅に付いてくる人間がいた。

 

 ヨリコである。

 

 

「ナオちゃんは変わらないねえ」

 

 

 ヨリコはいつの間にか、ナオジのそばにいた。

 授業中に学校を抜け出したナオジについてきたこともある。

 そしてナオジにひどい違和感を抱かせるその笑顔を向けるのだ。

 

 

「あ、でもちょっと変わったとこもあるね。

 大人っぽくなった」

 

 

 その日も、昼休みに学校から自主的に帰宅するナオジの横に、ヨリコは唐突に現れた。

 にこにことした笑顔で、その手に持った通学鞄を揺らしている。

 

 

「なんだよ、私がババアになったってのか」

 

 

 この突然さよりも、ナオジはヨリコのその笑顔が気になって仕方なかった。

 ヨリコはにこやかな朗らかさで笑みを浮かべていたが、どこか表面的で、作り物めいて見えた。

 その裏側には何が隠されているのかと思ったが、何もないのではないかとナオジは直感的に読み取ってしまう。

 

 表面しかない、うつろのような笑顔。

 

 その壊れ物めいた表情はむしろ妖艶で、ナオジは自分が耳にしてしまったヨリコの中学時代の噂を思い出した。

 

 

「子供の頃だったら、ナオちゃん、まず真っ先に殴ってたじゃない」

 

 

 ヨリコが笑う。

 

 

「ほら、小学校の頃。

 覚えてる? ナオちゃんがクラスで暴れてると、私が呼ばれるの。

 別のクラスだったのに」

 

「……」

 

「私が来るとナオちゃんは私を殴って、そしたらすぐどこかに行っちゃうの。

 それでその騒ぎはおしまい。

 ナオちゃんで困った時は、いつもそう」

 

 

 おかしそうにヨリコは笑った。

 

 

「みんな、私達をなんだと思ってたんだろうね」

 

「友達とか、か?」

 

 

 ナオジは過去を嘲笑する。

 ヨリコは小さいが、笑みをさらに深くしてみせた。

 それは同意を意味しているのか、ナオジには分からない。

 

 ナオジは言う。

 

 

「勘違いする連中ばかりだ。

 同じクラスになれば友達か? 近くにいれば友達扱いされて、なんでどいつもうんざりしないんだ?」

 

「一緒くたにまとめれば楽だから」

 

 

 ナオジの悪態に、ヨリコはくすっと笑む。

 その仕草で、ナオジはヨリコの心が垣間見えた気がした。

 

 ヨリコもナオジと同じく、勘違いしてばかりの他人を笑っているのだ。

 

 

「人と仲良くなるのは、簡単だったよ」

 

 

 とヨリコは言う。

 

 

「なんでもいいから受け入れちゃうの。

 その人達が求めてることとかを。

 そういうのに応えてあげれば、すぐ仲良くなれるよ」

 

 

 そうやって私は過ごしたよ。

 ヨリコは微笑みながらそう言った。

 

 

「……」

 

 

 ナオジは、ヨリコの噂、中学時代について一瞬だけ思いを馳せた。

 

 噂。

 誰とでも寝る女。

 

 あさましいまでに男を漁り、恋人を作ってはすぐに別の男に乗り換え、二股などの浮気も平気で行った、と誰か――別のクラスの人間だったか、それともクラスメイトだったかナオジには分からなかったが――が話していた。

 

 

「お前は変わったよ」

 

 

 ナオジはヨリコに言う。

 何の感情も込めずに。

 

 すると、ヨリコは笑んでいた表情をきょとんとしたものにし、ナオジを凝視した。

 

 そして、ヨリコは突然、笑声をあげてしまう。

 その唐突さに、ナオジは少したじろぐ。

 

 ひとしきり笑った後、ヨリコはナオジの顔をまじまじと見て、言った。

 

 

「ナオちゃんは変わらないでね」

 

「何が」

 

「私みたいに生きないでね。

 私みたいに、独りで生きられない子にならないでね」

 

 

 ヨリコはナオジの少し先を歩き、くるりと振り向き、後ろ向きに歩き始めた。

 危なげな足取りだったが、本人は気にせず口を開く。

 

 

「みんなね、誰でもいいの。

 みんな欲しいものがあって、それをくれる人なら、別に誰だってかまわないんだ。

 誰でもいいの」

 

 

 同じ事を二度言って、ヨリコはさらに笑う。

 

 

「たまたま私だったんだよ。

 それだけのこと。

 私はそのたまたまに乗っかって生きてきた。

 そんな生き方だった」

 

 

「私は、そんな生き方なんかしない」

 

 

 ナオジはヨリコの危うい言動に対し、憮然とした断言を返した。

 

 その言葉にヨリコは、どこか嬉しそうで、しかし遠い距離感を覚えさせる、掴み所のない笑顔を作る。

 

 

「知ってる。

 うん、だから私は、あなたが―――」

 

 

 突然、猛烈な風が吹いた。

 強烈な風の音にヨリコの言葉が掻き消される。

 長くなった彼女の白茶色は横になびき、ヨリコの顔をナオジから隠してしまった。

 

 その後、ヨリコはそれ以上ナオジへ何も言わず、自分の帰路へ付いた。

 ナオジもヨリコに対し、言うべきことが見つからなかった。

 

 ヨリコが交通事故に遭ったのは、その別れた直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 ナオジはヨリコの父親が嫌いだった。

 

 ヨリコの父親も、ナオジのことを嫌っていた。

 彼は子供嫌いであり、子供というものを見下していた。

 ナオジは子供嫌いな人間や、自分を子供扱いする者を嫌っていたので、両者が妥協や和解をすることはなかった。

 暴力を振るうことに何の躊躇いもないナオジに対し、ヨリコの父親も手加減せず殴り返した。

 すばしこいヨリコはそれを躱し、さらに蹴る。

 

 ナオジがヨリコの家にいる最中にヨリコの父親が帰宅すると、そういった修羅場へ変わってしまった。

 ヨリコの母親は何も出来ず部屋の中でおろおろし、ヨリコは不干渉の無表情で部屋の隅に座っていた。

 小学生の頃の話。

 

 そんな幼い頃、ナオジはヨリコに、あんな父親が好きか聞いてみたことがある。

 

 

「話しかけられたことないから、分からない」

 

 

 とヨリコは感情のない声と顔で応えた。

 

 ナオジの父親は彼女がさらに小さな頃に亡くなっていた為、彼が子供好きだったかどうかナオジには分からない。

 しかしナオジは遺言を与えられた事実から、少なくとも自分は彼にとって些末な存在ではなかったのだと思った。

 

 ヨリコにはそれがない。

 ヨリコとその母親による、母娘の会話もナオジはまれにしか聞いたことがなかった。

 

 

「帰るわよ」

 

 

「ご飯よ」

 

といった事務的な遣り取り程度で、ヨリコの家の食卓にいても、ヨリコの母親はもっぱらナオジに話を振った。

 自分の娘などその場にいないかのように。

 

 ヨリコの父親など、ことさら娘へ無関心だったに違いないとナオジは察した。

 

 ヨリコはひとりだった。

 

 ナオジも同じくひとりだったが、自分には遺言がある。

 ヨリコには何もない。

 

 そういった親近感をナオジは幼い頃からヨリコに抱いていたが、同時に同族的嫌悪も伴っていた。

 だから、ナオジはヨリコに手を挙げることに抵抗がなかった。

 ヨリコも文字通り抵抗しなかった。

 

 ヨリコは何にも抗わなかった。

 

 それが、ナオジには見ていられなかった。

 自分は、ヨリコのようにはならない。

 そう決めていた。

 小さな頃から。

 

 だから高校生になってヨリコから

 

「私みたいに生きないでね」

 

と言われても、そんなことは言われるまでもない、とナオジは反発を覚えた。

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 

「……遺言のつもりだったのか?」

 

 

 ナオジは団地にある自分の部屋で、小さく狭いベランダから外を眺めつつ呟く。

 

 夕暮れが町並みをなめていく。

 昼と夜の狭間、濃紺と橙色が空の両極を彩っていた。

 

 その景色を見ながら、ナオジは物思いに耽っていた。

 似合わないことをしている、と自分でも思った。

 

 

「遺言、か」

 

 

 独白しながら、ナオジは言葉の重みを感じてしまう。

 

 父親の遺言は、ナオジの幼い頃からの生き方を決めてしまった。

 彼女の中で最も大事なことは、その遺言を守ることだった。

 

 ヨリコはそのことを知っていたのだろうか。

 父親の遺言をヨリコに言ったことがあるか、ナオジはよく覚えていない。

 

 

「私は、ひとりでいい」

 

 

 無人のベランダで、彼女は呟く。

 

 

「ひとりで、強く生きてやる」

 

 

 遺言通りに。

 

 夕日が眩しかった。

 ナオジは部屋へ戻る。

 もうすぐ夜だった。

 今夜もナオジはひとりで過ごすだろう。

 それに対して何の感慨も彼女は持たない。

 幼い頃から何も変わらないからだ。

 

 ヨリコは変わった。

 どうしてああまで変わってしまったのか。

 

 その理由を、ナオジは知っている気がした。

 

 おそらく、あの出来事のせいだとナオジは思う。

 

 ナオジがヨリコと最後に会った、あの日だ。

 小学生のナオジが入院をした事件。

 

 ヨリコが初めて笑った日の出来事。

 

 



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第5話:この世で最も(醜い/美しい)もの

 それは秋と冬の境目の季節だった。

 

 小学校で五年生になったナオジは、その日も例のようにヨリコの母親から夕食に招待されていた。

 時季外れの寒波のため団地全体が異様に冷やされた夜に、ヨリコの母親はシチューをナオジに振る舞った。

 ヨリコは黙々とそれを食べ、ナオジも適当にヨリコの母親と会話を合わせながら食していた。

 

 そこに、ヨリコの父親が帰ってきた。

 

 彼は自分の家にナオジがいることに激昂し、またナオジも彼へ悪態と嘲笑を投げつけた。

 彼と彼女は罵り合い、暴力を互いに振るう。

 その様を、ヨリコとヨリコの母親は見守るのみ。

 これもいつも通りだった。

 

 しかしその日に起きた、普段と決定的に異なる出来事は、ヨリコの父親がナオジへある罵倒の台詞を吐き捨てたときに起こった。

 

 彼はナオジに憎悪を込めてこう言った。

 

 

「その薄汚い頬に、新しい傷をつけてやろうか」

 

 

 その言葉はナオジにとって取るに足らない戯れ言であった。

 実際に彼女はそう罵られても特に心を痛めることも気にすることもなかった。

 

 劇的に反応したのは、ナオジではない。

 

 ヨリコだった。

 

 

「やめて!」

 

 

 ナオジは最初、その大声の叫びが誰のものか分からなかった。

 ヨリコの大きな声など聞いたことがなかったからだ。

 そしてそれはヨリコの父親も同様であったらしく、彼は一瞬だが虚を突かれた表情を浮かべていた。

 

 だが次の瞬間、ヨリコの父親は苛立たしげに

 

 

「うるさいっ!」

 

 

と吼え、ヨリコを殴り飛ばす。

 ヨリコの小さな体が床に崩れ落ちた。

 

 床へ倒れ伏すヨリコ。

 

 一拍の間だけ、その場が沈黙する。

 

 ナオジも、ヨリコの両親も、ヨリコ自身も、誰ひとり声を発さなかった。

 

 その沈黙を破ったのは、他ならぬヨリコだった。

 

 ヨリコは床に倒れた姿のままで。

 

 笑った。

 

 笑い声を、上げたのだ。

 

 

「―――」

 

 

 はっきりとした声で、大きく、高らかに。

 

 嬉しそうにヨリコは笑い続けた。

 

 

「……」

 

 

 あまりに朗らかなその笑声が、鼓膜を通じてナオジの脳に届く。

 

 ナオジにはどういうわけか、ヨリコの笑い声が非常に不愉快だった。

 ヨリコの声質は爽やかで、風の音のような清涼さをナオジの耳は感じていたというのに、ナオジの心には濁った感情が次々と湧き始めていた。

 

 その濁流の情念に突き動かされるまま、ナオジはヨリコに歩み寄る。

 

 

「黙れよ」

 

 

 ナオジはヨリコを踵で蹴り付ける。

 肩や腹、腕、足、どこであろうと蹴り込んだ。

 それでヨリコは黙った。

 しかしナオジの激情は止まらなかった。

 なおもヨリコを蹴り続ける。

 

 それでも生まれてくる鬱憤は、ナオジの理性を凍結させた。

 彼女は本能と衝動に身をゆだねる。

 

 ナオジの視界に映るもの、全てが不愉快だった。

 小さめの食卓、その上の食器類、それらの向こうのタンス、カーテン、壁紙、天井。

 

 ナオジは発狂者のような叫び声をあげて、目に映るあらゆるものを殴りつけた。

 壁であろうが家具であろうが蹴り付け、ひっくり返し、拳で叩く。

 物であろうと人間であろうとかまわず。

 ヨリコ、ヨリコの父親、ヨリコの母親。

 誰でも彼でも。

 ナオジは暴れ回った。

 その時の記憶はナオジ自身曖昧で、自分が何をしているのか理解しきれてはいなかった。

 血が頭に集結していたのだと彼女は思う。

 何も考えられず、ナオジは手当たり次第に殴り飛ばした。

 手が鈍く痛みを訴えたが、気にしなかった。

 

 ただ、そうやって暴れているうちに、いきなり自分の視界が空転したのだけは覚えている。

 

 でたらめに暴れたせいで足を滑らせてしまったのだと分かったのは、後日のことだ。

 その時のナオジに分かったのは、薄く汚れた天井が目に入ったこと。

 

 そしてあとは、床にうずくまるヨリコの姿が視界の端に映ったことだけだ。

 

 ナオジは足を滑らせ、床に強く頭を打った。

 

 目の前が真っ暗になる。

 意識も消えてしまった。

 失神。

 

 次にナオジが目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。

 

 頭と右腕が痛んだ。

 医者の診察によれば頭部にこぶが出来、右手の骨にひびが入っているらしい。

 数時間だが意識不明だったので、何日か精密検査のため入院しなければならなかった。

 

 その間、ヨリコの家の人間は誰一人として見舞いに来なかった。

 ナオジは退院後、自分の入院中にヨリコらが団地を引っ越していたことを知った。

 

 誰にも告げず、消えるかのように去ってしまったと、ナオジの母親は言っていた。

 

 そうして、ナオジはヨリコと別れた。

 

 ヨリコの笑顔を見たのも、ナオジが心の底から怒り狂ったのも、それが最後だった。

 

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 

 

 ヨリコが突然ナオジの前から去ったのは、これで二度目だった。

 

 最初は小学生の転校、そして次は現在の怪事件。

 

 夕暮れが過ぎ、完全に夜の帳が降りていた。

 ナオジは部屋の明かりを点けようと、暗い部屋の中を進む。

 幼い頃からここで育ったのだ。

 目を閉じていてもスイッチの場所までナオジは行くことが出来た。

 

 しかし、ナオジが押すよりも先に部屋が明るくなる。

 なんだ、とナオジは思い、部屋の入り口を見やった。

 

 そこには外出着を纏った母親がいた。

 

 

「……早いな」

 

 

 ナオジは意外な声を上げる。

 父が亡くなった後、母親が夕暮れの時間帯に帰宅するなど過去にあっただろうか。

 

 

「今日は早く退社できたの。

 久しぶりに、料理でも振る舞ってあげようと思ってね」

 

 

 そう言う母親の手には、何かを入れたビニール袋がある。

 ナオジはその中身をすぐに察した。

 

 

「冷凍ものじゃないか」

 

「私、包丁を持ったことがないのが自慢なの」

 

 

 すごいでしょ、と屈託なく母は言う。

 

 自慢になっていないとナオジは心の中で溜息をつく。

 その様子を見て、母親は子供のように口を尖らせた。

 

 

「なによ、じゃあ手元の覚束ない私の手料理と最近のレトルト、どっちがおいしいと思ってるの?」

 

「後者だな」

 

「でしょう?」

 

 

 なぜそこで胸を張るのだろう。

 娘ながらナオジは思う。

 

 

「あんたのお父さんが生きてたら、もっと美味いもの食べさせられたんだけどねえ。

 食にうるさいくせに体弱かったから」

 

 

 世間話をするように、冷凍食品を食卓に並べながら母親は言った。

 そこに哀しみや淋しさといった色合いはない。

 彼女は鼻歌を歌いながら、台所のコンロで湯を沸かし始めていた。

 

 

「……料理が美味かったから、結婚したのか?」

 

 

 その気楽な様の母親を見て、ナオジは尋ねる。

 

 

「そうよ」

 

 

 こともなげに母親は応えた。

 彼女の目は冷凍食品に記載された説明文を眺めている。

 

 

「家に帰ったら美味しいものが私を待ってたの。

 それが楽しみで仕事を切り上げてたんだから」

 

「もうそれもなくなったから、仕事に専念し始めたってわけだ」

 

「分かってるじゃないの」

 

 

 母親は電子レンジに冷凍食品を入れ、各種のボタンを操作し始めた。

 電子レンジがほどなくして唸りを上げ、食品を熱していく。

 

 

「育児放棄だな」

 

「だってお父さんの遺言、守ってるんでしょ?」

 

 

 母親のその台詞に、ナオジは言葉を詰まらせた。

 肯定して良いのかどうか、迷う気持ちがナオジの中にあったからだ。

 

 その僅かばかりの逡巡を、ナオジの母親は気付いたのか、

 

「もしかして」

 

と茶化した口調でナオジに言う。

 

 

「そろそろ辛くなった?」

 

「なにが」

 

「ひとりで生きてくこと」

 

「……あんたは私があの遺言を守ってることに、何も言わなかったな」

 

 

 ナオジは食卓の椅子に腰を落とす。

 母が昔から冷凍食品好きであることは知っていたので、あとはただ待つだけで良かった。

 その間、この際に訊いてしまおうと思ったことを尋ねてみた。

 

 

「友達も作らない、喧嘩ばかりする、そんな子供に育って、あんたは良かったのか?」

 

 

 問われて、母親は即応する。

 

 

「あんたがひとりでいたいなら、別に良いんじゃない?」

 

 

 彼女は言った。

 

 

「あんたはあの遺言を守ってたからね。

 何言ったって聞かなかったでしょ。

 忘れたの?」

 

「……そうなのか」

 

「そうなの。

 でもあんたは全然、人の話に耳を貸さなかったから、もうあんたが飽きるまで好きにさせることにしたの」

 

「結局、育児放棄じゃねえか」

 

「育児するはずだったあの人に言いなさいよ。

 死んだあの人が悪いの」

 

 

 レンジがアラームを鳴らす。

 母親はそれを聞いて、電子レンジから解凍された食品を取り出し始めた。

 

 食器にさまざまなものが並べられる。

 野菜炒め、スープ、腸詰め、御飯。

 そういったものを一通り食卓へ出すと、ナオジの母親も娘と同様、椅子に腰を下ろした。

 

 

「じゃ、いただきます」

 

 

 ナオジの母親は言う。

 ナオジは黙ってそれらに箸を伸ばした。

 

 夕食が進む。

 ナオジの母親は何が楽しいのか、鼻歌交じりに咀嚼していた。

 食事をしながら鼻歌をするのが、母の昔からの癖だ。

 ナオジは幼い頃、まだ生きていた父親が、品が悪いからやめなさいと母に注意していたことを思い出す。

 そして娘に、

 

「ああなっちゃ駄目だぞ」

 

と言っていたことも、おぼろげだが覚えている。

 

 

「あんたら、よく結婚できたな」

 

 

 昔のことを思い出すのは、ナオジにとって久しぶりだった。

 元気だった父親を思い出すこと自体、もう何年も記憶の底にしまって忘れていた。

 

 

「あんたはお父さんに似たのね」

 

 

 母親は鼻歌と食事する手を止め、唐突に言う。

 

 

「なにが」

 

「ひとりでも生きていこうとしてるところが、お父さんとそっくり」

 

「それは……」

 

 

 遺言のせいだ、と言おうとし、ナオジは口を閉ざす。

 自分がまるで、父親の遺言を守ることが悪いことだと言わんばかりだったからだ。

 

 

「迷ってるんでしょ」

 

 

 そんなナオジの迷いを、母親は目ざとく射貫く。

 ナオジは鼻白んだ。

 

 

「何のことだよ」

 

「ひとりで生きてていいのか、迷ってるんでしょ?」

 

「全然」

 

 

 ナオジは言い切る。

 しかし母親はなおも自信を崩さず、

 

「あんたはひとりじゃなかったよ」

 

 

 とナオジに言った。

 ナオジは何を言っているのか分からず、眉根を寄せる。

 母親は顎に両手を添わせ、食卓に肘をつきながら続けた。

 

 

「ヨリコちゃんがいたからね」

 

 

「あの馬鹿がなんだってんだ」

 

 

 ナオジは自分でも驚くほど語気が荒くなることを自覚する。

 そのナオジの様子に、母親は小さく笑った。

 

 

「出会っちゃったから」

 

 

「だからなんだよ」

 

 

「出会っちゃったから、ひとりじゃなくなっちゃったの。

 本人達が望むと望まないにかかわらず、そうなっちゃったのよ」

 

 

「……」

 

 

 ナオジは母親の言葉に、どう返せばいいのか分からない。

 母親はそんなナオジをまっすぐ見詰め、笑みを保ったまま言った。

 

 

「でも、またひとりになっちゃった」

 

 

 ナオジの母親は言う。

 

 

「ひとりでいたときと、ひとりになっちゃったときは違うものだって、ようやく気付くの。

 出会わなければ分からなかったことを、そのときになってやっと知る。

 経験ね」

 

 

 母親は席を立ち、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してきた。

 ナオジの母親は売店で扱っている飲料水を好んで飲んだ。

 水道水で充分であるナオジには、彼女の嗜好が分からない。

 しかし自分で稼いだ金を母親が何に使おうと、口出しする謂われはないとナオジは思った。

 

 うまそうにその水を嚥下する母親へ、娘が訊く。

 

 

「あんたも経験したのか」

 

 

「だから結婚したの」

 

 

 そう言って母親は首肯した。

 なので、ナオジはさらに問う。

 

 

「父さんも、そうだったのか?」

 

「あの人は、ひとりで生きたかったみたい。

 だから何度も私から逃げようとした。

 でもいつも戻ってきた。

 そのたびに、つかれた、って言ってたわ」

 

「何に、疲れたんだ?」

 

「さあ。

 あんたの方が分かるんじゃない?」

 

 

 問い返され、ナオジは何も応えることが出来なかった。

 

 だが、ふと彼女は思う。

 もしも父親が生きていたのなら、自分の中のこの徒労感が何によるものなのか、教えてくれたのかもしれない。

 

 いや、それはないか。

 ナオジは自分の考えを掻き消す。

 

 父親が死なずに生きていれば、あの遺言はなく、もっと熱心に育児へ取りかかっただろう。

 父親が生きていた頃、自分は父の作ったもので育った。

 おそらく父の言うことにも素直に従ったはずだ。

 

 そうなれば、違うナオジが出来上がっていただろう。

 

 そして、もしそんなナオジがヨリコと出会っていれば、どうなっていたのだろう。

 ナオジはそんな考えを思いつく。

 思いつくが、すぐに打ち消した。

 何の意味もないからだ。

 父親は死に、自分は乱暴者になり、そしてヨリコと出会った。

 

 ヨリコ。

 

 ナオジは彼女のことを想った。

 ヨリコも、ひとりで生きたかったのか。

 きっとそうだとナオジは思う。

 それが出来なかった。

 だから、人間の群れの中に入ることに決めた。

 人の中に入るになんでもした、と確かに言っていた。

 

 ヨリコは、本当はそう生きたくはなかったのか。

 

 ナオジはヨリコの気持ちが、少しだけ分かった気がした。

 ひとりで生きたいが、生きられなかったのだ。

 

 だから、嘆いた。

 

 そうして彼女は去ってしまった。

 

 

「……馬鹿が」

 

 

 ナオジは母親にも聞こえないほど小さな声で、こぼす。

 

 それからふと、魔物の言葉を思い出す。

 

 故ある為に視えるのだ、という言葉。

 

 故。

 理由。

 それは何だとナオジは自分へ尋ねる。

 

 だが、尋ねてはいけないと、無意識に警告する心があった。

 その理由に気付いてはいけない、と。

 

 しかし、その警告の気持ちで、逆にナオジは理解してしまった。

 諦観の感情が生まれてしまう。

 それと心の中で戦いながら、彼女は母親へ言った。

 

 

「ヨリコのやつ、帰ってきた。

 この町に」

 

「え、そうなの?」

 

 

 ヨリコのことを母親に言う気も機会もなかったが、今なら言っても良いかとナオジは思った。

 

 

「同じ高校。

 ついでにクラスも同じ」

 

「あらあら、じゃああんた何か持っていきなさいよ」

 

「何を」

 

「再会を祝して何か持ってくものなの」

 

 

 大げさなものだ、とナオジは辟易した。

 そして同時に、母親にヨリコのことを言えば、こうなることも予想していた。

 そのために言ったのかもしれない、とナオジは感じる。

 

 ヨリコの家を訪れる口実が、出来てしまった。

 

 



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第6話:赴く武装

 

 

 

 週末の休日、ナオジはヨリコの家を訪れた。

 

 小さなアパートの二階、その端にある一室がヨリコの家だ。

 

 玄関の扉にかかった表札でナオジは再度、ヨリコが現在住んでいる住居であることを確認する。

 アパートはナオジの住んでいる団地からそう離れた場所ではない。

 自転車で数十分の距離だった。

 会おうと思えばいつでも会える距離かと思いながら、ナオジはインターホンを押す。

 

 しばらくして、玄関の入り口が開かれた。

 

 顔を出したのは、ヨリコの母親だった。

 

 

「ナオちゃん?」

 

 

 四年ぶりに会ったヨリコの母親は、驚きの表情でナオジを出迎える。

 娘と同じ瞳や髪の色は昔と変わらなかったが、ナオジの記憶にあった頃よりも、どこかしっかりした面立ちになっていた。

 

 ヨリコの母親は、懐かしげに表情を崩す。

 

 

「久しぶりね。

 ずいぶん大人っぽくなっちゃって」

 

 

 その笑顔は団地住まいだった頃よりも屈託がなく、その当時によく浮かべていた弱々しい笑みとも違っていた。

 

 大人の笑顔だ、とナオジは思う。

 

 

「これ、うちの母から」

 

 

 経た歳月を想いながら、手に持っていた包みをナオジは見せる。

 母親が用意した菓子折だ。

 団地時代、ナオジはこうして母親の代わりにヨリコの家へ贈り物を届けていた。

 その頃と変わらない無愛想さで、ナオジはその菓子折を手渡す。

 

 

「ありがとう」

 

 

 ヨリコの母親は、感慨深そうな顔でそれを受け取った。

 そして

 

「あがっていって」

 

とナオジを誘う。

 こういったところも、昔と変わっていなかった。

 ナオジは素直にそれへ従う。

 

 アパートの中は、ナオジの住む団地のそれよりも狭かった。

 当然だが、家具の配置も間取りも昔と異なっている。

 そのことがナオジには違和感となり、流れて隔てた時間の幅を感じさせた。

 

 

 

「他には誰もいないのか」

 

 

 人の気配のしない室内は最低限の家具しかなく、装飾に乏しい殺風景な部屋だった。

 団地時代のヨリコの家は、もっと飾り付けを施していた。

 引っ越しをして間もないせいか、でなければ心境の変化でもあったのか。

 詮索する気はナオジにはなかった。

 

 

「ヨリコは今、出かけての」

 

 

 ヨリコの母親は急須を取り出し、ナオジには居間のソファに座るよう促す。

 ナオジはそのソファに座り、尋ねる。

 

 

「あんたの旦那は?」

 

「……別れたの」

 

 

 ヨリコの母親が言った。

 

 

「ヨリコが中学にあがった頃くらいに離婚して、それから私はなんとか職に就いたわ」

 

 

 ヨリコの母親は急須から茶器に緑茶を煎れ、それを二人分用意すると、居間にいるナオジのもとへ運んだ。

 

 ナオジが器を受け取ると、ヨリコの母親はナオジと対面するソファへ自分も座った。

 互いに一口だけ茶を啜る。

 その後、ヨリコの母親が溜息をついた。

 

 

「ヨリコももう子供じゃないから、私は仕事に専念できるけど、あなたのお母さんはすごかったのね。

 子育てと仕事を両立できて」

 

「いや、あれは充分に育児放棄だったと思う。

 両立させる気はなかったよ」

 

「でも、私があの頃にひとりでいたら、どうすればいいのか分からなかったわ。

 あなたのお母さんみたいに割り切れないでおろおろするばかり」

 

 

 ヨリコの母親の台詞に、ナオジはあまり納得できずにいた。

 しかし、少々美化する気があるにせよ、ヨリコの母親は変わらずナオジの母親を慕っているのが分かった。

 

 ナオジは訊く。

 

 

「どうして、この町に?」

 

 

 ヨリコの母親は、ナオジのその問いかけに表情を強張らせた。

 しかし彼女は両手の指を絡め、しばし間を置いてから応えた。

 

 

「通勤場所に近かった、っていうのが建前」

 

「本音は?」

 

「……今なら、あなたのお母さんに謝れる気がしたから」

 

 

 そう言うと、ヨリコの母親は深々と、ナオジに向かって頭を下げる。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 ナオジはヨリコの母親が何について謝っているのか理解していた。

 そのため、ぶっきらぼうに応じてしまう。

 

 

「別に。

 あれは私が勝手に暴れた挙げ句、間の抜けたことをしただけだ。

 謝られる事じゃない」

 

「でも、謝りたいの。

 ずっと謝りたかった。

 あの頃は、もうあの場所にはいられないと思ったから、何も見たくなくて、誰にも会いたくなくて、私は逃げたの」

 

 

 その言葉に、ヨリコの母親がナオジに対して何を謝りたいのか分かった。

 

 ヨリコをナオジと別れさせたことに、彼女は頭を下げているのだ。

 

 唐突に離ればなれになったことをナオジはなんとも思わなかった。

 しかしふと、ヨリコはどうだったのだろうと思う。

 

 

「ヨリコは、中学の頃どうしてた?」

 

 

 ナオジはヨリコの母親へ問う。

 ヨリコの母親は頭を上げ、ナオジから目をそらしつつ過去を思い返し始めた。

 

 

「あの子は、よく家に帰ってこなかったわ。

 一応、留守電で外泊することは分かったけど、友達の家に泊まるとしか言わなかった。

 私も仕事に慣れるので大変だったし、家に帰るのも遅かったから、あの子が何をしてたのか、詳しくは知らないの」

 

 

 母親なのに、と彼女は独りごちる。

 

 それから、ヨリコの母親は自嘲気味に表情を変えた。

 

「私は駄目な母親ね」

 

と言う。

 

 

「家の中から離れて、あの子から離れて、やっとあの子のことを考えることができた。

 私は子育てに苦痛しか感じなくて、どうしてこの子を生んだんだろうって思ってた」

 

「……」

 

「そう思ってたことを、あの子はきっと感じていたんだと思う。

 だから、私には懐かなかった。

 私もあの子のことを好きと思わなかった。

 ナオちゃんは、そのことを知ってたかもしれないけど」

 

 

 ナオジは何も返事をしなかった。

 ヨリコの母親も返事を期待してはいなかったのか、そのまま言葉を続ける。

 

 

「あの子はどれだけさびしかったのか、今、とても後悔してる。

 どうして私は、あの子をひとりぼっちにしてたんだろうって」

 

「……今だから、言えることだ」

 

 

 ヨリコの母親の言葉を切らせ、ナオジは言う。

 

 

「あの頃はどうしようもなかった。

 あの頃と今を交換できるわけでもない。

 そんなことを考えても仕方ない」

 

 

 深く考えて出た言葉ではないが、ナオジは自分の台詞に慰めの色があることを発見した。

 

 慰めている。

 この私が? ナオジは自分でも少々狼狽えた。

 

 どうしてそんな気分になっているのだろう、とナオジは自分を振り返る。

 別段、ナオジはこの女性に懐いていたわけではない。

 気を許していたわけでもない。

 

 おそらく、ヨリコのせいだ。

 

 自分と同じく、ヨリコの存在を無視できない、数少ない同類だからだとナオジは解釈する。

 

 そう思ってから、ナオジはヨリコの母親へ本題を切りかかった。

 

 

「あいつ、退院した後、何か変じゃないか?」

 

 

 ナオジのその言葉に、ヨリコの母親は、はっとして顔色を変える。

 その様に、ナオジは目を細める。

 

 

「見えるんだな、あんたにも。

 あれが」

 

「……あれは、だれ?」

 

 

 ヨリコの母親は、肩を震わせながら言った。

 

 

「魔物だとか魔界だとか、分からないことばかり言うの。

 見た目は小さな女の子だけど、私には何がなんだか、まるで理解できない」

 

「だろうよ」

 

 

 それはナオジも同様だった。

 手の込んだ誘拐事件の可能性もあったが、ナオジはあの金色の双眸を思い出し、とても人間を相手にしているとは思えなかった。

 

 

「あの子、他のみんなにはナオジにしか見えないあれは私に言ったわ。

 ヨリコは自分で願って、別のところに行ったって」

 

 

 ヨリコの母親は、両手で自分の目元を押さえる。

 何かが溢れてくるのを防いでいるようでもあった。

 

 

「返してほしければ、魔物の城というところに来ればいい、って言われた。

 けど、あの子が自分で願ったこと、決めたことだから、私には行く勇気がないの」

 

 

 あの子に会って、何を言えばいいのか分からない、とヨリコの母親は小さく震える声で言った。

 

 そう、あいつが自分で決めたことだ。

 ナオジは思う。

 

 自分で決めたことに、他人が口出しすることをナオジは良しとは思わなかった。

 他人の言葉に耳を貸さずに生きてきたナオジには、ヨリコの決断の方が正しいと思った。

 

 なら、放っておけばいい。

 それがヨリコの望みのはずだ。

 

 そう自分に言い放つナオジ。

 だが彼女の中で、別の疑念が浮かび上がるのを止めることが出来ない。

 

 ヨリコは、相談する相手がいないだけではなかったのか?

 

 

「……」

 

 

 ナオジはその疑念を心の中で振り払う。

 相談するということは、ひとりでは解決できないこと、他人に助けを求めることだ。

 ヨリコが自分と同じようにひとりで生きたいのなら、相談するという発想には至らないし、相談したくもなかっただろう。

 

 ヨリコはひとりで生きていた。

 ひとりで生きたかった。

 しかし、そうは生きられなかった。

 

 自分の生き方をどう決めればいいのか、ヨリコには自分でも分からなかったのかもしれない。

 

 ナオジには、父親の遺言があった。

 その遺言のことを考えようと思うと、母親に父のことを尋ねた。

 父がどう生きて、何を思っていたのか、それを知るのは母しかいなかったからだ。

 

 これは相談に入るのだろうか。

 ひとりで生きていないことになってしまうのだろうか。

 違う、とナオジは思った。

 決めるのは結局、自分だった。

 ただ、考える材料のひとつとして、知っておきたいから尋ねただけだ。

 

 ヨリコには、何か知っておきたいことはなかっただろうか。

 考える材料は本当に充分だったのだろうか。

 ナオジは思う。

 どうして、自分はこんなにもナオジのことを考えているのだろう。

 

 

「私は」

 

 

 ナオジは口に出す。

 その声に、ヨリコの母親は顔から手を離し、ナオジをまじまじと見た。

 その母親へ、ナオジは言う。

 

 

「私は、ヨリコが嫌いだ」

 

 

 ヨリコのようには生きたくない。

 それがナオジの本心だった。

 

 そのことを、ヨリコの母親には知っておいてもらいたかった。

 

 だから、ナオジは告げた。

 

 

「私達は友達じゃない。

 友達だったことは一度もない。

 ただ、近くにいただけだ」

 

 

 言葉ひとつひとつを意図的に強めて、ナオジはヨリコの母親へ言う。

 

 その言葉を受けて、ヨリコの母親は目を瞑った。

 その目蓋の裏でなにを思い描いているのか、ナオジには分からない。

 

 しばらくして、ヨリコの母親が目を開け、ナオジに言った。

 

 

「あなたは、どうしてあれが見えてるの?」

 

「……」

 

 

 言われ、今度はナオジが目を閉ざす番になった。

 問われ、否が応にも自問しなければならない。

 

 本当のところは分かっていた。

 

 ヨリコは、ヨリコでなければならない。

 そう思う者にしか、あの銀髪の魔物は見えない。

 

 ヨリコであろうとそうでなかろうと構わない者には、あれは見えない。

 そういう魔性だ。

 

 ナオジは、どうして自分がヨリコにそこまでこだわるのか、自分に尋ねる。

 

 戻ってきたヨリコ。

 変わってしまったヨリコ。

 消えてしまったヨリコ。

 

 ひとりだったヨリコ。

 

 ヨリコ。

 

 

「……あいつは、あのとき、笑ってた」

 

 

 無意識が、ナオジに言葉を作らせる。

 

 

「父親に殴られて、あいつは笑ってた。

 私がどんなに殴っても、平気な顔をしてたくせに」

 

 

 あのときの、涼風に似た笑い声が蘇る。

 

 

「あいつは私の味方じゃない。

 あいつは最後には、自分の家族の方につく。

 それが私には、心底許せなかった、と思う」

 

「何が、言いたいの?」

 

「私もあの馬鹿もテンガイコドクじゃないし、死んだわけでもない。

 あんたがヨリコに会いたいのなら、連れてきてやる」

 

 

 言いながら、自分は逃げているな、とナオジは思った。

 

 あの魔物がナオジにはどうしてヨリコに見えないのか、その理由を深く考えることから逃げていた。

 

 古傷がうずく。

 ナオジは左頬を手で押さえた。

 ヨリコを助けた時に負った傷。

 その仕草を見て、ヨリコの母親は尋ねる。

 

 

「あなたはヨリコの友達でもないし、ヨリコのことが嫌いだって言ったけど、なら、どうして」

 

 

 ナオジは耳を閉ざしたかった。

 心も一緒に閉じてしまいたかった。

 

 しかしそれは叶わない。

 

 ヨリコの母親は問う。

 

 

「どうして、そんなに傷ついてまで、ヨリコを助けたの?」

 

 

「―――」

 

 

 ナオジはおもむろに席を立った。

 

 そして無言のまま、玄関へ進む。

 靴を履き、乱暴に出入り口の扉を開けた。

 

 そのまま外へ出るナオジ。

 彼女は結局、問われたことに応えることが出来なかった。

 心の中が渦巻く。

 それは虚言と魔物は言っていた。

 

 ナオジは足早にアパートから去った。

 訳の分からない無力感を覚えながら。

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 裏切られた、とナオジは思いたくなかった。

 

 あの笑い声。

 ヨリコの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ヨリコはあのとき、確かに喜んでいた。

 父親からの暴力を受けて。

 

 裏切られたと思えば、それはヨリコを有象無象と思っていなかったということだ。

 ヨリコはヨリコだと思うこと。

 そして、自分にとって不必要な存在ではない、と思ってしまうことだとナオジの心が言う。

 

 

「あいつが消えようがどこに行こうが、知ったことか」

 

 

 ナオジはヨリコのアパートから去った後、近場のホームセンターに入りながら、誰にも聞かれない声でこぼす。

 自分に言い聞かせるように。

 

 しかしそうするたびに、左頬が痛んだ。

 ナオジは不愉快だった。

 

 

「私はあいつのことなんかどうでもいい」

 

 

 魔物の嘲笑が聞こえた気がした。

 周りを見回す。

 ホームセンターの大工道具コーナーには、ナオジ以外に誰もない。

 

 ナオジは頭を振り、舌打ちをした。

 

 

「私にあいつは必要ない」

 

 

 だがナオジには分かってしまう。

 自分に言葉を重ねるごとに、その言葉を反転させたものが本心なのだと。

 

 それでも自分に言い聞かせなければ、自分の足下が崩れてしまう気がした。

 こんな不安定な気持ちを解消する方法は、やはりひとつしかないように思われた。

 

 ナオジはホームセンターで物色し、とりあえずロープと防災ヘルメット、軍手、懐中電灯、電池、十徳ナイフ、金槌、ライター、殺虫剤、懐炉、方位磁針、保存食、飲料水、ベルトポーチを購入する。

 

 それから帰宅し、押し入れにしまわれた古い新聞紙を数束ほど手に入れた。

 救急箱からは常備薬と包帯、絆創膏を。

 台所から包丁、タオルを拝借する。

 最後に鉛筆を何本か削って尖らせ、未使用のノートや灯油も用意。

 

 そうして入手した品々を、バックパックやベルトポーチに入れ、出来るだけ動きやすい配置に調整した。

 

 格好はデニムのジャケットとパンツ。

 色は黒。

 使い慣れた衣服は体に馴染む。

 

 

 

 そうこうしているうちに、日が暮れてきた。

 ナオジはその装備のまま、自転車にまたがる。

 

 

 

 暗闇の中、ナオジの自転車は前照灯を点しながら駆け抜ける。

 

 

 

 ペダルを漕ぎ、ナオジは思う。

 自分は何をしているのか。

 何のために、こんなことをしているのか。

 

 ヨリコの母親にあの魔物が見えている理由は分かった。

 悔いているからだ。

 

 では、自分は?

 答えたくない、とナオジは考えをねじ伏せる。

 今はただ、何も考えず行動に身を任せたかった。

 

 

 

 

 そうしているうちに、ナオジの自転車は辿り着く。

 昼間訪れた場所、ヨリコのアパートだ。

 

 呼吸を整えながら、ナオジはアパートの階段を昇る。

 錆びた金属製の階段を踏む音が、妙に大きく響いた。

 二階にあがると、足を止めることなく目的の部屋へ進んでいった。

 

 

 

 ヨリコの部屋。

 

 そのインターホンを、ナオジは昼間と同様に押そうとする。

 

 

「やあ」

 

 

 しかしインターホンのボタンを押す直前、扉の方が先に開かれた。

 

 ナオジは身を強張らせる。

 

 開かれた扉の向こうに、金の眼をした銀髪の少女がいた。

 魔物の人形。

 黒い生地で出来た、袖のない大きな上着に身を包んでいる。

 はっきりとした形のない、抽象的な文様が上着に縫われていた。

 少女はその上着に付けられた頭巾で小さな頭を覆いながら、ナオジを見上げる。

 

 そして、金色の瞳が微笑んだ。

 

 

「準備は万端だね。

 勇気も充分あるのかな?」

 

「私は勇者じゃない」

 

 

 煙草をポケットから取り出しながら、ナオジは魔物に言う。

 ライターで煙草に火を点け、煙を吸い込んだ。

 

 

「むしゃくしゃしてるんで、ぶん殴るのにちょうど良いのを探しに行くだけだ」

 

 

 ナオジは紫煙を吐き出し、魔物を眇める。

 

 

「じゃ、とっとと連れてけ」

 

「生きて帰れる保証はないけど大丈夫?」

 

「私の分も演じといてくれ」

 

「向こうで魔物に出会えたら、頼んでみるといいよ」

 

 

 そう言い、少女は上着の下から真っ白な細腕をナオジへかざす。

 雪のように白いその手が、大きく開かれた。

 

 硬質な何かが割れる音を、ナオジは聞く。

 

 それと同時に、彼女の視界全てに罅が入った。

 まるでナオジに見える世界が硝子に描いた絵であるかのように立体感を消失させた。

 そしてその罅割れた風景が、一瞬で粉々に破砕される。

 細片となった景色が激しい渦となってナオジを包む。

 ナオジは反射的に腕で顔を覆った。

 そのせいで彼女の視界がふさがれる。

 

 何の音もしなくなってから、ナオジは腕を下ろす。

 

 そして、ぞわりとした汚臭を感じ取った。

 

 

 

 



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第7話:魔界

 

 周囲を見渡す。

 

 あたりは暗黒。

 足下が妙に柔らかい。

 ナオジは鼻腔を突く混沌とした臭みの中、土と葉の匂いを判別する。

 ベルトポーチから懐中電灯を取り出し、点灯。

 一条の光が、何本もの木々を照らし出す。

 

 林か、森の中だとナオジは思う。

 樹の種類は分からない。

 木は奇妙にねじくれ、枝や幹から触手のような根を地面に下ろしていた。

 ナオジはその根が地面のあちこちにびっしりと生えていることに気付く。

 木が全身で地面にしがみついているようにも見えた。

 

 それから、ナオジはライトで上方を照らす。

 

 根を垂らす枝がいくつも分岐し、無作為に黒い葉が密生していた。

 枝という枝が重なり合い、天然の天井と化している。

 枝葉の向こうの空を垣間見ることさえ出来なかった。

 

 しかしそのときのナオジが最も警戒したのは、やはり鼻を刺激する悪臭だった。

 

 何の臭みが最も近いだろうと彼女は考える。

 魚介の生臭さや、動物的な匂い。

 無機質な人造物とは正反対の、大量の生物が発する腐った臭気だとナオジは思う。

 

 そして彼女は、懐中電灯に照らされた森の枝が、がさりとしなる音を耳にした。

 

 

「っ!」

 

 

 音の方へ明かりを向ける。

 

 その光は、何かの影が枝の上を移動するのをナオジに示す。

 影は森の闇の中へ潜り込み、ナオジが懐中電灯の光を向けてももはや判別することが出来ない。

 

 木々の枝がざわめく。

 

 今度は先程よりもはっきりとした物音だった。

 葉や枝の間を何かがすり抜けている。

 その音はナオジの頭上のあちらこちらから降り注いでいた。

 

 あの悪寒のする臭みが、いっそう強くなる。

 ナオジは神経を緊張させた。

 確かな気配、それも複数の何かがナオジを取り囲んでいる。

 そのことが五感を通じて理解できた。

 

 危険だ、と思った後のナオジの行動は素早かった。

 彼女は一目散にその場から駆け出し始める。

 そしてバックパックに引っかけていたヘルメットを頭に装着。

 

 いったい何が森の中に潜んでいるのかは分からなかったが、完全に包囲されて手遅れになってはまずい、と本能が警告していた。

 ナオジは自分のその直感を信じ、目前を懐中電灯で照らしながら、出来るだけ全速力で走る。

 

 背後のざわめきがさらに大きくなった。

 音は群れとなって広がり、ナオジの背中はその音が自分を追いかけてくるのを察知する。

 

 枝とも根ともつかない植物の迷宮は、ひどく走りにくい。

 地面に広がった樹木の根に何度か足を取られて転びそうになるのを、ナオジは懸命にこらえる。

 

 そうやって足踏みするたび、追っ手の気配がナオジに近付く。

 その正体は不明だったが、肉体の原始的な部分が脅威を訴えていた。

 

 そしてついに、逃げ続けるナオジの直上、枝の天井まで音と気配が追いついてしまう。

 

 ナオジはそちらへ懐中電灯を向けなかった。

 代わりにその懐中電灯をポケットにしまい、ポーチから殺虫剤とライターを取り出す。

 

 彼女は全速力から急停止し、頭上に向かって殺虫剤を発射。

 ライターで引火した。

 

 橙色の火炎が森の枝を煌々と照らし出す。

 可燃性の殺虫ガスは簡易な火炎放射器となって謎の追っ手に襲いかかった。

 

 ナオジのすぐ真上で悲鳴が上がる。

 犬と鴉が同時に鳴き声をあげたような、奇っ怪な声だ。

 姿は見えない。

 しかしその声と同時に木の枝が激しく揺れる。

 気配が驚きの色を見せ、ナオジから離れた。

 ナオジはその隙を見逃さず、再び走り出す。

 

 周囲の茂みから、無数の哮(たけ)りがあがった。

 人間の声ではなく、何かの動物の喚きに似ている。

 ナオジにはそれが、笑声や哄笑の類に聞こえて仕方なかった。

 ナオジの不意打ちや、それにたじろいだ存在へ対しての、嘲笑。

 

 ナオジはその笑い声の正体を詮索する気などなかった。

 駆け始め、彼女はすぐに自分と並走しているものがいることに気付いたからだ。

 木々の間をかいくぐり、下草を押し分けて何かが地面を走っている。

 そこから、唸るような不気味な呼吸音が聞こえてきた。

 黒板を爪でひっかいた場合に生じる不快な感覚と同種のものを、ナオジはその呼吸音に感じ取る。

 

 ナオジは咄嗟に殺虫剤をしまい、懐中電灯を取り出した。

 その呼吸する何かへライトを向けようとした。

 

 が、空を引き裂く音、その音をナオジが聞いた瞬間、懐中電灯を持つナオジの手に強い衝撃が走る。

 

 僅かな間のみ照らし出された中、黒い鞭のようなものが翻ったのをナオジは見た。

 そして彼女は懐中電灯を拾うよりも、痛んだ手と反対の手で懐の金槌を掴み取り、暗闇に対して目茶苦茶に振り回した。

 

 そして再び闇の中で破裂音がほとばしる。

 金槌を持つ手が、強力な何かに持って行かれそうな震動を受けた。

 ナオジは思わず金槌を手から離してしまう。

 

 

「くそがっ!」

 

 

 ナオジはその場にうずくまり、ポケットに入れておいた硝子の小瓶とライターを手に取る。

 痛む手を叱咤しながら、小瓶から伸びた新聞紙に火をつけた。

 

 着火された小瓶を、唸る呼吸音の潜む闇に投げつける。

 ぼっ、と火の手が広った。

 事前に作っておいた小型の灯油火炎瓶だ。

 うまく命中したかどうか、ナオジは確認しなかった。

 投げたのと同時にまたしても無我夢中で走り始めたからだ。

 

 幸い、例の不気味な呼吸音は聞こえてこなかった。

 頭上を這い寄っていたものの気配もない。

 

 しかしナオジはその場から逃げることを優先したせいで、懐中電灯を紛失してしまった。

 闇の中を手探りで駆け抜けるのは困難だった。

 ナオジは何度も木の根に足を取られ、または盛り上がった土に足を取られ、転んでしまう。

 土と草葉が彼女を汚した。

 枝の先は鋭くナオジを裂こうとする。

 

 そして幾たびの転倒や裂傷の末、ナオジは自分が斜面を下っていることに気付く。

 

 彼女は足を止めた。

 悪い予感があった。

 

 その予感は的中する。

 手近な木を掴んで体を支えながら、ナオジはそっと片足を前へ伸ばす。

 

 つま先に触れるものは、何もなかった。

 

 

「……」

 

 

 ナオジは呼吸を整えながらライターを取り出し、火を点す。

 小さな明かりが森の終わりをナオジに教えた。

 ナオジのいる場所から先は、木々がまったく生えていなかった。

 ライターのわずかな光さえ飲み込む、闇の谷。

 

 

「崖か」

 

 

 ナオジは状況を確認すると、上着に隠していた鉛筆を取り出す。

 そしてそれを目の前の闇に放り投げる。

 

 小さな軽い音が、下の方で生まれた。

 鉛筆の転がる音を聞き、ナオジは眼前にある崖がそう高いものではないことを知る。

 彼女はライターの明かりを頼りに、バックパックからロープを取り出した。

 

 自分を支える木の幹にロープの片方を縛り付け、もう片方のロープを暗い崖へ垂らす。

 ライターの小さな灯火で先を照らしながら、ナオジはロープにすがって崖を下り始めた。

 崖はほぼ垂直に切り立ち、色の異なる地層が明かりの中に浮かび上がる。

 

 ナオジはその土の層を観察する余裕などなかった。

 もし自分の用意したロープより崖が深かった場合のことで、頭がいっぱいだったからだ。

 不安の通りであるなら、そこから飛び降りるか、それとも戻るべきか。

 ナオジは自分の幸運を祈った。

 

 不安は杞憂で終わった。

 ライターの明かりが、土の断面と接地する部分を照らし出す。

 地面だ。

 それもただの土ではない。

 石の敷き詰められた硬い床、明らかな石畳をナオジは見る。

 

 その石畳に下りた時、ロープの余裕はだいぶあった。

 ナオジが思っていたよりも崖は高いものではなかったようだ。

 

 一息つき、ナオジは自分の立っている場所を見渡す。

 

 そこは道だった。

 海外の古風な街道によく似た、石造の路地。

 道幅はだいたい数メートル程度だろう。

 崖の反対側、道の向こうはやはり森になっているようで、あの密生した樹木の姿があった。

 

 ナオジは方位磁針を取り出してみる。

 そしてすぐ、それが役に立たないことを知った。

 

 北を示す赤い針は、まるで時計のようにぐるぐると円を描いている。

 そのため、道がどの方角に延びているのかナオジには分からなかった。

 

 ナオジは諦め、方位磁針を懐にしまう。

 崖を背にすると、道は左右に延びていた。

 そのどちらへ向かえば良いのか、何か手がかりはないだろうかと闇に目を凝らす。

 

 見詰める闇から、唐突に、一瞬の閃光が迸る。

 

 閃いた直後、強烈な轟音がナオジの全身を揺さぶった。

 膨大な高音と低音が幾重にも混ざり合った激震で、ナオジは反射的に身を石畳へ伏させる。

 

 雷鳴だ、とナオジが理解する間もなく、彼女の視覚は闇に忍び寄るものを稲光の中から探し出した。

 

 ナオジはその場を飛び跳ねる。

 彼女がそれまでいた場所に、何かが這いずりながら殺到した。

 

 再び、雷光が輝く。

 白い烈光は辺り一面に陰影を与え、ナオジに迫っていたものの姿を浮かび上がらせた。

 

 それは根だった。

 崖の上の森で見た、あの触手めいた木々の根だ。

 それが何本も動物のように地面を這い、ナオジを捕らえようとしている。

 

 ナオジはしまいこんでいた殺虫剤を取り出し、ライターで着火。

 火炎を木の根に振りかけるが、根の群れは怯む様子がない。

 舌打ちし、ナオジは石畳の道を走り出す。

 殺虫剤もしまい、今度は火炎瓶を放り投げた。

 暗闇の中に光焔が上がりり、熱波を群がる根たちへ放つものの、やはり効果は薄い。

 根は火にも熱にもかまわず、石畳を突き進んだ。

 

 しかしその根たちが動く速さは、そう素早いものではない。

 ナオジは自分の足なら逃げ切れると判断し、根の迫り来る方向と逆の道へ突っ走った。

 

 ナオジの視界を、何かが横切る。

 

 途端、鋭い痛みが軍手を通して手の皮膚を灼いた。

 

 

「ッ!」

 

 

 無数の羽ばたきと、きぃきぃという耳障りな喚き声。

 それらを耳にし、ナオジはバックパックの側面に装備していた包丁を引き抜く。

 

 幾度目かの雷鳴が耳をつんざき、稲妻の閃光はナオジの頭上で飛び交うものたちがいることを示した。

 暗闇の中、翼を持つ何かの影たち。

 それが鳥なのか蝙蝠なのか、ナオジには判別できない。

 じっくり観察している暇はなかった。

 それらが空中からナオジにまとわりつき、鋭利な器官――牙か爪か――で襲いかかってきたからだ。

 

 ナオジを服の上から刺し貫こうとするそれらに対し、包丁一本で抗う。

 何匹かを叩き落とした感触はあるが、数が多い。

 その上、地面を這って木の根も追ってきていた。

 ナオジは走りながら再度、殺虫剤を手に取り、火炎放射器として使用しようとする。

 

 その殺虫剤を握った右手に、何匹かが激しく噛み付いた。

 

 

「ぃてっ!」

 

 

 突然の痛みにナオジは殺虫剤のスプレー缶を地面に落としてしまう。

 缶は石畳を甲高い音を立てて跳ね上がり、森の中へ消えた。

 

 畜生、と罵りながら、ナオジは仕方なく包丁だけで格闘する。

 ヘルメットはがんがんと殴られ、半ば自暴自棄に白刃を振り回し、走り続ける。

 体中が痛みを訴え、呼吸が荒くなっていったが、ナオジはかまわず石畳の道を駆け抜けた。

 

 どれくらい空中の脅威と戦っていたのか、気付くとナオジは自分に襲いかかってくるものが消えていることを見て取った。

 包丁は刃が半分折れている。

 

 

「……」

 

 

 肺が痛んだ。

 肩で息をするナオジは、自分が石畳の終わりにいるのだと知るまで、しばらくの時間が必要だった。

 

 その間に彼女が認識できたのは、目の前に煉瓦造りの壁があることと、いつの間にか遙か暗黒の頭上に、煌々と満月が昇っていることだけだ。

 

 周りからは何の音も聞こえなくなった。

 あの猛々しかった雷鳴も消え果て、痛いばかりの静寂が染み込んでくる。

 

 実際、ナオジは体の各部が痛かった。

 右手を見てみると、軍手がぼろぼろに千切られている。

 軍手を脱ぎ捨てると、切り傷だらけのナオジの手があった。

 傷口から血が滴っているのだが、ナオジは自分を落ち着かせるため、比較的軽傷の左手で煙草を取り出す。

 

 そこでようやく、彼女は自分がライターをなくしていることに気付いた。

 いつ、どこで落としたのか。

 半狂乱で包丁を振り回していた時か、殺虫剤を道に落としてしまった時か。

 

 とにかくライターがない。

 懐中電灯も失っていた。

 もしも月明かりがなければ何も見ることが出来なかっただろう、とナオジは溜息をつく。

 

 だが、彼女は不思議がった。

 実に立派な真珠色の満月を見上げると、つい先程まで大地を揺るがしていた雷電は何だったのだろうと思ったからだ。

 空は月以外に何も輝いていない。

 星屑もなく、しかし雲の輪郭さえ見つからなかった。

 朧月でもない。

 ナオジには謎の空だった。

 

 ナオジは自分に理解できないことは放置し、まず右手の傷へ対処することにした。

 対処すると言っても、傷口に消毒液を塗り、包帯を大雑把に巻き付けるという程度だ。

 きちんとした包帯の巻き方などナオジは知らない。

 

 左手はさして大きな傷を負っていなかった。

 絆創膏を何枚か貼り、それでよしとする。

 

 

「散弾銃とかダイナマイトとか、そういうのが欲しかったな」

 

 

 ナオジは奇跡的に無事だったバックパックから水筒を探し出し、一口だけ飲んで落ち着きを取り戻した。

 

 煉瓦を積み上げて出来た壁の上に、仄かな明かりが点在している。

 その明かりの位置から、壁はかなりの高さがあることが伺えた。

 ナオジの通う高校の校舎よりも高いだろう。

 石畳の道は、その壁に踏まれるように途切れていた。

 

 

「……」

 

 

 ナオジはしばし考え、とりあえず壁沿いに歩き始める。

 どうやら崖も森もこの壁より手前で終わっているらしく、小さな灌木がまばらに生える平原にナオジはいた。

 その平原を区切るかのように建つ石壁は重厚な威圧感があり、罅ひとつないきれいな煉瓦ばかりだった。

 まるで建造されて時間がそう経っていないような、でなければ時間の流れを無視して存在しているような、不自然な印象をナオジは持った。

 

 しばし壁沿いを歩くと、ナオジは自分の行く先に奇妙な光が瞬いていることに気付く。

 

 月光で仄かに明るい闇の中、夜空に浮かぶ星々のような、ひどく小さいがはっきりとした輝く何かが浮かんでいた。

 それはひとつではなく、まるで煌めく砂のように極小の粒子が光りながら集まり、常に形を変えて渦巻いている。

 流動的な光の砂塵は、ナオジに向かって訴えかけるように明滅していた。

 

 

「……呼んでるのか?」

 

 

 それとも罠か? とナオジは訝しんだが、ここで引き返してもどうにもならないと気持ちを固定し、光の渦に向かって進む。

 

 すると、その輝く砂煙は石壁へ吸い込まれるように消えてしまった。

 ナオジは肩すかしを受けた気分になったが、歩を急がせ、それが消えた場所へ向かう。

 

 その石壁には、小さな木戸が付いていた。

 開いている様子はないが、ナオジが戸口に手を掛けると、扉は簡単に開いてしまう。

 ナオジは慎重に中を窺いながら、木戸をくぐった。

 

 内部はやはり石造りの部屋だった。

 壁のいくつかの箇所に燭台があり、蝋燭が灯っている。

 おかげでナオジは月光に頼らずとも、部屋の中の様子を見ることが出来た。

 

 部屋は三、四メートル四方の正方形をした間取りで、調度品の類はなかった。

 扉もナオジが外から入ってきたもの以外には、天井付近に扉がひとつあるだけだ。

 床から上方の天井までだいぶ高さがあり、壁伝いに階段が出っ張っている。

 

 ナオジは石で出来たその階段の強度を確かめながら、それを昇っていった。

 

 蝋燭の明かりのため、足下が覚束ないと言うことはなかった。

 階段は螺旋状になっており、気付けばけっこうな高さにまでナオジは上がっていた。

 その高い位置にある扉まで辿り着くと、ナオジは戸の向こうに聞き耳をする。

 不気味なほど、何の音もしない。

 ナオジは折れた包丁を取りつつ、扉を押し開けた。

 

 冷風がナオジの全身をゆるやかに包む。

 

 ナオジの鼻が違和感を訴えた。

 悪臭を嗅いだわけではなく、その逆で、何の匂いもしなくなったからだ。

 耳も似たような症状を訴える。

 匂いという匂い、音という音が、いっせいにナオジの感覚範囲から遁走したような状態だった。

 

 ナオジは辺りを見回す。

 

 石の壁の内側には、同じような煉瓦造りの壁が建っている。

 巨大な壁と壁に挟まれ、煉瓦の路が伸びていた。

 そういった石の道に、ナオジは立っていた。

 彼女は道の遠くを見やる。

 道は細かく分岐し、迷路のように入り組んでいる。

 蝋燭による街灯が広い間隔で点いており、明るさと薄暗さが共存していた。

 ナオジはなんとも言えない肌寒さを感じる。

 

 この暗闇の世界に赴いて何度目になるか、ナオジの頭脳は再び進路について黙考した。

 

 しかし頭が結論を出すよりも先に、眼があるものを発見する。

 

 細い路地の先に、ささやかに輝く粒の群れを見つけた。

 あの光の粒子たちだ。

 拡散と集結を不思議な流動で繰り返しながら、仄暗い虚空に浮遊している。

 

 ナオジは警戒心を維持しながら、周囲に注意してその光の群集へ向かった。

 すると煌めく砂のようなそれは、音もなく路地の奥へ進む。

 わずかに脱落した光る粒が、闇の中へ消えた。

 ナオジは光を追う。

 

 空を飛ぶ光芒はいくつにも折れ曲がっては枝分かれしていく路を泳いでいった。

 あまりに何度も右左折を繰り返されるので、ナオジは方向感覚を狂わされてしまう。

 もはや自分がどの方角を向いているのか把握していない。

 景色に変化もない。

 高い壁に挟まれた、細い道。

 

 どれぐらいその道を進んだことだろう、ナオジはその道がいつの間にか大きな道に接続していることを知る。

 大通りに出たのだ。

 

 通りには出店が溢れていた。

 がっしりとした木材を柱にし、黒い天幕で軒を作っている、無数の店。

 道の左右に広がる雑多な物たちに、ナオジは一瞬、気圧された。

 軒下は明確に別れているわけではなく、天幕が重なり合っていたり、物品が繋がるように積み上げられている箇所もある。

 そういった店の中に、黒い外套のフードを目深に被り、顔を見せない店員がいた。

 どの店の者も、微動だにすることはない。

 路地の貧弱な照明になんとか照らされ、そこにいるのが分かるという程度だった。

 

 こうまで出店が密集しているにもかかわらず、道には相変わらずの無臭と無音が支配している。

 目で見る通り様子と、それ以外の五感が捉えた感覚に、ナオジは不気味さが皮膚から滲み出るのを実感した。

 彼女はその寒々しいものを振り払うよう、光の導きを探し出す。

 

 動くもののない大通りに、くだんの光の塵はゆっくりと泳いでいた。

 大通りに出て思わず足を止めたナオジに合わせるかのような速度で。

 

 ナオジはその光を追いかける。

 はたして彼女の動きに応じ、不可思議に明滅する極小の輝きの集合体は移動速度を上げた。

 

 道が、やや上り坂になり始める。

 坂になっても出店の数は減らず、目線を先伸ばしても、どこまでも店と物が続いていた。

 彼らが誰に対して、何を商っているのか、ナオジは考えなかった。

 何がどこから飛び出してきてもおかしくない、という注意を払いながら、彼女は坂を上る。

 

 しばらくして、光る砂は坂道の十字路を右に曲がった。

 ナオジはそれへついていく。

 

 その曲がった道には、出店がまばらにしか開いていなかった。

 そしてナオジは自分の視線の先に、暗黒があることに気付く。

 今までは曲がりくねった道であったため、視界は常に壁で遮られていた。

 その壁が、取り払われている。

 

 道の終わりが、その先に存在していた。

 誘導する灯火は道を奥へ、路地の末端へ進んでいく。

 ナオジは追う。

 

 視界が開けた。

 そこは広場だった。

 石壁に対して半円形に突き出た、展望広場。

 

 黒い空を牛耳るかのように、真円の満月が天頂に座している。

 

 ナオジを誘っていた光の一陣は、その月に向かって急上昇。

 やがて月光の中へ溶けて消えた。

 

 ナオジはその様をしばし見て、視線を広場へ戻す。

 

 

 

 そこに、人影がいた。

 

 

 

 白茶色の長い髪を伸ばした、月夜に映える白い顔の女。

 

 

 

 ヨリコが佇んでいた。

 

 

 



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第8話:ナオジとヨリコ

 

 

 

 展望広場には木造の長椅子が数列、眺望のためか設置されている。

 

 その最前列の椅子に、ヨリコは座っていた。

 横に長い椅子の端。

 広場の入り口から最も遠い場所だ。

 

 ナオジは手にしていた、刃の折れた包丁をバックパックにしまい込む。

 そして意図的に足音を大きくしながら、ヨリコへ歩み寄った。

 

 ヨリコは最初、ナオジを見ていなかった。

 緑の混じった色の瞳は暗黒に魅了されているように、何もない虚空を凝視していた。

 

 しかしナオジが彼女へ近付くと、ヨリコは我に返ったようにナオジへ振り向き、言葉をこぼす。

 

 

 

「……ナオちゃん?」

 

 

 その言葉に対し、ナオジが行動で応える。

 

 ナオジはヨリコを手の甲で叩いた。

 乾いた打撲の音が、薄暗い広場に弾けて消える。

 

 そして音の余韻に飽きたかのように、再び静寂が垂れ込めた。

 

 はたかれたヨリコは何が起きたのか分からないという顔――平手を打たれた頬が赤くなっている――で、ナオジを見詰める。

 ヨリコの小さな唇が半開きになり、言葉を作るべきかどうか迷っているのがナオジには見て取れた。

 

 その様子をしばし眺めてから、ナオジは「よし」と頷く。

 

 

 

「満足した。

 じゃあな」

 

 

 ナオジは背を向け、去ろうとした。

 背中を向けられたヨリコに、慌てる気配が混じる。

 

 

「な、何しに来たの?」

 

 

 背中のバックパックをヨリコに掴まれた。

 行動を制限され、ナオジは舌打ちする。

 

 

 

「高校になってから、お前を殴ったことがないのを思い出した。

 そしたら、殴りに来たくなった。それだけだ。これでいいか?」

 

 

 ナオジは首を回し、顔だけでヨリコに振り向く。

 

 ヨリコは奇妙な服を着ていた。

 長い裾を持つ外套を幾つも重ね着したような姿で、衣服にはナオジの知らない文字や模様が刺繍されている。

 動きにくそうにも思えたが、ヨリコの動作から、見た目より遥かに軽い素材で出来ているのが分かった。

 

 

「変な服」

 

「ナオちゃんこそ、何その格好。

 ヘルメットまで付けちゃって」

 

 

 ヨリコの特に何も考えずに出たような言葉に、ナオジの眉が跳ね上がる。

 

 バックパックを掴むヨリコの手をナオジは払い、体の正面を幼なじみに向けた。

 

 そしてもう一度頭を殴る。

 

 

「いたい」

 

 

 ヨリコが言う。

 けっして悲鳴ではない声で。

 

 

「お前、あの森の中に入ってみろ。

 こっちは死にそうな目に遭ってさんざんだったんだぞ」

 

 

 ナオジはヘルメットを不機嫌に脱ぎ、それをバックパックにしまう。

 冷たい空気がナオジの髪に触れた。

 彼女は自分の黒髪を無造作にかき回す。

 

 ヨリコはいらいらしているナオジへ、不思議そうな表情を作った。

 

 

「森って、どの森?」

 

「知るかよ。

 こっから見える森がそうだ」

 

 

 そう言って、ナオジは広場からの景色を見やる。

 眼が明度に慣れてきたのか、闇の中に輪郭をかろうじて浮かべさせる山稜をナオジは見ることが出来た。

 月光でなんとか判別できるそこへ、彼女は指さす。

 

 

「たぶん、あれ、だ……」

 

 

 ナオジの言葉尻が弱くなった。

 

 原因は、その山が小さく身震いしたからだ。

 峰と思われた暗闇の部分が、ぬっと動き出し、ゆっくりと何かを突き上げる。

 空へ向かって突き上げられたものから、咆哮が。

 それは首と頭だった。

 

 山が、吼えていた。

 

 

「……あれから?」

 

 

 ヨリコもその光景を見てから、ナオジに問いかける。

 ナオジは憮然とした。

 

 あの山のような生き物、または生き物のような山から自分が下りてきたのか、ナオジには自信がなくなっていた。

 だがここに来るまで、様々な危機があったのは確かだ。

 その証拠として、ナオジは包帯の巻かれた自分の右手を、ヨリコへ差し出す。

 

 

「どこでもいい。

 とにかく私は散々だったんだ。

 見ろ、この手」

 

「……」

 

 

 ナオジがぶっきらぼうにそう言うと、ヨリコは神妙な表情を作り、じっとナオジの右手を見詰める。

 そしてナオジとの距離を不意に縮め、ヨリコはそっとナオジの左頬に触った。

 突然の行動に、ナオジは鼻白む。

 

 

「なんだよ」

 

「顔」

 

 

 ヨリコは言う。

 

 

「顔は、無事だね」

 

「お前の馬鹿にしたヘルメットのおかげでな」

 

「ごめんね、ヘルメット。

 ありがとう」

 

 

 ヨリコは安堵の吐息と共に謝辞を述べた。

 

 

「ナオちゃんを守ってくれてありがとう」

 

 

 心の中心から生み出されたようなヨリコの声に、ナオジは肩をすくめる。

 それから、ちら、とヨリコの白い手を見た。

 左頬に添うよう伸ばされた手を。

 

 

「……疲れた。

 少し休んだら、帰る」

 

 

 ナオジはヨリコの手を払い、長椅子に腰を落とす。

 そうすると、緊張から解放された疲労感がずっしりとナオジにもたれかかってくる。

 ナオジはバックパックを背中から下ろした後、煙草の箱を懐から取り出した。

 

 煙草をくわえたが、ライターを落としていることをナオジは思い出す。

 小さく舌打ちし、ナオジはヨリコに訊いてみた。

 

 

「おい、火、持ってるか?」

 

「ないよ」

 

「だよな」

 

「あ、ちょっと待ってて」

 

 

 そう言ってヨリコは、広場に通じた道、ナオジが辿ってきた路地へ小走りに駆けていく。

 路地にあった薄暗い出店のひとつに、ヨリコは体を屈めて入った。

 しばらくしてから、ヨリコが店から出て、広場に戻ってくる。

 

 

「はい、貰ってきた」

 

 

 ヨリコは手の中に、厚紙で出来た小さな箱を持っていた。

 やはり見たことのない文字で装飾が施されているその箱を、ナオジに渡す。

 

 ナオジは箱を受け取り、それを開く。

 中にはマッチ棒が詰められていた。

 

 

「金とか通じるのか、ここ」

 

「さあ。

 マッチ下さい、って言ったら貰えたよ」

 

「サービスの良いところだな」

 

 

 やれやれと首をほぐしながら、ナオジはマッチ箱からマッチを一本取り出す。

 箱に棒をこすらせ、火を付けた。

 ナオジはそのマッチ棒から火炎が吹き出てきてもおかしくないと身構えていたのだが、予想に反し、マッチの火はごくごく普通のそれであった。

 

 ナオジはその火で煙草を燃やし、煙を吸い込む。

 

 

「……」

 

 

 白い煙が薄闇の中に流れて消えた。

 ナオジは喫煙で気分を落ち着かせながら、さてどうやって帰ったものか、と思案する。

 

 そんなナオジの横に、ヨリコがどさっと深く座ってきた。

 ヨリコはナオジを見て、

 

「私にもちょうだい」

 

 

 と言った。

 

 

「……」

 

 

 ナオジはヨリコの顔をしばし見詰め、それから煙草の箱をヨリコへ放り投げる。

 

 ヨリコはそれを受け取り、煙草を一本取り出す。

 その手つきは慣れたものであることが、ナオジには分かった。

 

 そう思いながら、ナオジはマッチを渡していなかったと気づき、マッチ箱をヨリコへ渡そうとする。

 しかしその前に、ヨリコが煙草をくわえながらナオジに顔を近づけた。

 

 

「火、もらうね」

 

 

 ヨリコの煙草の先端が、ナオジの煙草の燃えている箇所に触れる。

 じ、と火が燃え移った。

 ヨリコは手慣れた動きで、火の点いた煙草を吸い込み始める。

 

 

「吸うんだな」

 

 

 ナオジは特に関心を持たない声音で言った。

 ヨリコは「うん」と頷く。

 

 その動きで、ヨリコの煙草から灰がこぼれた。

 

 

「中学のとき、いろいろあって」

 

「ふうん」

 

 

 ナオジの声は素っ気のないものだったが、ヨリコは構わず言う。

 

 

「バイクの後ろに乗らせてもらったこともあるよ。

 夜は家に帰りたくないから、いろんなとこで遊んでたの」

 

「ぐれてたんだな」

 

「うん、ぐれてたの」

 

 

 ヨリコは言った。

 

 ナオジは頭上を眺める。

 黒で塗り潰された天空に、変わらず望月が君臨している。

 

 その月の下、何か細長いものが月光を浴びるように飛んでいた。

 月明かりを水として泳いでいるかのような動きだ。

 その細長い何かは途方もなく長大で、うっすらと見える地上の山々を簡単に囲えてしまうほどだった。

 

 その細長いが巨大な何かから、閃光が走る。

 ナオジは目を細めた。

 光は稲妻の形となって大地のあちらこちらへ落ちる。

 発光からずいぶんと間を置いて、低く重い雷鳴がナオジの耳に届いてきた。

 

 雲もないのに雷が鳴っていたのは、あれのせいか、とナオジは直感で理解する。

 

 

「わけわかんねえ場所だ」

 

「私には、いつものところと大差ないよ?」

 

 

 ナオジが辟易と漏らした言葉に、ヨリコが応える。

 ヨリコは燃える煙草を口から離し、紫煙をふう、と吹きながら言った。

 

 

「私は生きているのか死んでいるのか、あっちでもこっちでも変わらないの。

 このお城の中でも、学校でも、家でも、どこでも」

 

「……」

 

「私が本当に嬉しかったことは、生まれてから二回しかないんだ。

 人数で言うと、ふたりだけ。

 でももうどっちにも会えなくなったから、私はもうどうでもよくなったの」

 

 

 それだけ、とヨリコは言う。

 ヨリコの声はゆったりとしたゆるやかなものだったが、その顔は何の感情も浮かべていなかった。

 

 ナオジは煙草の煙を吸いながら、横目でヨリコを見る。

 

 

「そのふたりのうちのひとりは」

 

 

 穏やかな口調と無機質な顔付きを浮かべる幼なじみに、ナオジは尋ねる。

 

 

「父親か」

 

「うん」

 

 

 ヨリコは頷いた。

 

 

「小学生の頃の、あのとき。

 ナオちゃんが入院することになっちゃったあの日に、私は生まれて初めて、お父さんに殴られた」

 

 

 ヨリコは煙草を再び口にくわえた。

 それから、軽く吸い、すぐに煙を吐き出す。

 それを何回か繰り返し、煙草はそのたびに短くなっていった。

 

 

「私はお父さんに、何もしてもらえなかった。

 優しくしてもらうことも、怒られることも、声を掛けてくれることも、何も」

 

「知ってる」

 

 

 ナオジが言う。

 ヨリコは頷いた。

 そして続ける。

 

 

「でもあの日に、初めて私はお父さんに触ってもらえた。

 怒鳴られて、殴られただけだったけど、でも私には初めてのことだったの。

 私はお父さんに、見てもらえたの」

 

「……」

 

 

 ヨリコの言葉は、微量だが熱を感じさせた。

 さきほどまでの声の中には発生していなかった、僅少の熱量。

 小さな冷気を浴びればすぐに凍えてしまいそうなその熱に、ヨリコはどれだけの価値を見いだしているのか、ナオジは考えてしまう。

 

 ヨリコが言う。

 

 

「でも、お父さんはいなくなっちゃった。

 お母さんが、別れようってお父さんに言ったの。

 お父さんはそれっきりどこかに行っちゃった。

 私に何かくれたりとか、残したりとか、そういうのはなかったよ。

 あっさり、離ればなれになっちゃった」

 

 

 ヨリコの述懐を耳にし、ナオジはなるほど、と頷いた。

 

「それで、ぐれたのか」とヨリコに言う。

 ヨリコは再び頷いた。

 

 

「男の子とたくさん付き合ったの。

 下心は見え見えだったから、簡単に遊べたよ。

 簡単すぎてつまらないこともたくさんあったけど、でも、誰かといる時はひとりじゃなかったから」

 

「……長続きはしなかったんだな」

 

 

 ヨリコが小さく笑む。

 自虐的な笑顔だ。

 何かを諦めてしまったような、無気力な笑みだった。

 

 

「同じ子と長く付き合ってると、だんだんむなしくなってくるの。

 そのむなしさに怖くなって、私は別の男の子を探した。

 何人くらいと付き合ったのか、もう覚えてないけど」

 

 

 そう言ってから、ヨリコはその自嘲に染まった笑顔をナオジに向ける。

 ヨリコの笑みが深くなった。

 対照的に、ナオジの表情は醒めている。

 

 

「軽蔑した?」

 

 

 とヨリコは尋ねた。

 

 

「興味ない」

 

「何に? 男の子の誘い方? 誰かと寝るときのこと?」

 

「もうひとりは誰だ」

 

 

 ナオジはヨリコの挑発的な言葉を無視し、逆に問う。

 ヨリコの顔から笑みがさっと消えた。

 ナオジはかまわず言う。

 

 

「父親の他に、もうひとりいるとか言ってたな。

 誰だ」

 

「分かってるくせに」

 

「言ってみろ」

 

「……」

 

 

 ヨリコは押し黙る。

 

 その沈黙を守りながら、彼女はゆっくりと指を向ける。

 ナオジへ。

 

 

「指でさすな。言えよ」

 

「恥ずかしいからやだ」

 

 

 面倒くさい女だ、とナオジは心の中で悪態をつく。

 

 それから、ナオジはヨリコがぼそり、と何かを呟くのを聞いた。

 

 

「……なんだよ」

 

「なんで、あのとき」

 

 

 ヨリコはナオジへ向けた指を、少しだけ動かす。

 彼女の細く形の良い指先が、ナオジの頬、左側のそこを示す。

 

 

「なんで、あのとき私を助けたの?」

 

 

 あのとき。

 

 それが何の話をしているのか、もちろんナオジには分かった。

 ナオジの左頬がうずく。

 今度はナオジが押し黙る番だった。

 憮然とした感情をヨリコへ発散させながら、ナオジはしばらく沈黙する。

 

 ヨリコはじっとナオジを見詰めた。

 まっすぐに視線をずらさず、逃げず。

 目線を外したのは、ナオジの方だった。

 彼女は諦める。

 こういう根比べでヨリコには勝てないことを、ナオジは知っていた。

 

 

「……よく覚えてねえよ」

 

「うそだ」

 

「本当だ。

 昔の話だし、あのときも、別に何か考えてたわけじゃない。

 たまたま、学校の脇の茂みにお前が連れて行かれるのを見かけた。

 けど私には関係のないことだったから、そのまま帰ろうともした」

 

 

「じゃあ、なんで? どうして助けてくれたの?」

 

「それは……」

 

 

 ナオジは黙った。

 彼女の脳裏に、そのときの場景が映し出される。

 

 ひとりで下校していたナオジは、人通りの絶えた校門前で男に連れ去られるヨリコを見た。

 

 自分には関係のないことだった。

 ヨリコがどんな目に遭おうが、泣こうが叫ぼうが。

 

 しかし、ヨリコは泣きも叫びもしなかった。

 連れ去られる一瞬だけ見た、ヨリコの顔。

 

 そのときのヨリコの表情を思い出し、ナオジは高校生のヨリコに言った。

 

 

「あのときお前が、なんにもない顔をしてたと思った。

 そう思ったら、どういうわけか、私は茂みに向かって走り出してた」

 

「私には何もないことなんて、ナオちゃんは知ってたじゃない」

 

 

「今でもよく分からない。

 なんでお前を助けたのか」

 

 

 ナオジは紫煙を吐き出す。

 目線をヨリコから逸らし、かぐろい虚空に向けて言う。

 

 

「何もないことが、許せなかったのかもしれない」

 

「なんで」

 

「……私には、遺言があった。

 けどそれがなかったら、どうなっていたのか分からない。

 お前みたいになってたのかもしれない。

 それが、いやだったのかもしれない、気がする」

 

 

 ナオジが自信なさげに言うと、ヨリコはどういうわけか、ふふっと笑った。

 

 

「あわれんでくれてたんだ」

 

「知るか。

 自分でもよく分からないんだ」

 

「きっと、ナオちゃんも怖かったんだよ」

 

 

 何が、とナオジは問うた。

 尋ねながら、ナオジはヨリコを見る。

 ヨリコの表情には先程までの自虐や自嘲がなくなり、わずかではあったが、明るみに近い色が浮かんでいた。

 

 

「何もないのが、怖かったんだ」

 

「分かったような口をやめろ」

 

「私を、あなただと思ったの?」

 

「黙れ」

 

「遺言がなかったら、信じられなくなったら、何もかも無くなっちゃう。

 それが、怖かったんじゃない?」

 

 

 殴打の音が、広場に響く。

 

 ナオジは、ヨリコを殴った。

 目には苛立ちと不愉快をありありと浮かばせている。

 だが、再び殴られたヨリコは、穏やかな表情を作っていた。

 慈しむように、彼女は言う。

 

 

「何もなかったの」

 

 

 優しい声色であるにもかかわらず、その声はどこまでも虚ろに沈んでいた。

 ナオジは、これがヨリコの心の声なのだと分かった。

 再会してからずっと感じていた、空虚な感情の色彩。

 

 

「私には何もなかったの。

 けど、あのとき、ナオちゃんは助けてくれた。

 お父さんは私に触ってくれた。

 それが、きっと他の人には理解してもらえないほど嬉しかった。

 嬉しかったんだ」

 

 

 けど、とヨリコは言う。

 

 

「もう無いの。

 何も。

 お父さんに殴られて嬉しかった私を、ナオちゃんは怒った。

 私はナオちゃんを裏切った。

 だから、もうナオちゃんといられない。

 お父さんも、もう会えない。

 私には何もないの」

 

 

「……」

 

 

 ヨリコの言葉が、終わる。

 

 それと同時に、ヨリコの煙草が燃え尽きた。

 ナオジの煙草も。

 ナオジは吸い殻を床に投げ捨て、踏み潰す。

 ヨリコは吸い殻を手にしたままだった。

 

 ナオジは髪を掻き上げる。

 何も口にしなかった。

 ヨリコも視線を床へ下げ、黙する。

 

 無音に近い寂寥の冷風が、ふたりを撫でた。

 

 しかし違う、とナオジは思う。

 ナオジはこの痛覚を刺激するまでの静けさと冷ややかさを、この広場に来るまで充分に味わってきた。

 そのため、この広場にある独特のものを感じ取ることが出来た。

 

 ヨリコの呼吸する音や、体温、そういったものが混じって出来た、人間の気配。

 誰かがいるということ。

 

 それが、ナオジを人心地につかせていた。

 彼女は自分をさらに落ち着かせるため、二本目の煙草を取り出す。

 

 

「酒とかねえかな」

 

「お酒は嫌い」

 

 

 ヨリコは顔を下に向けたまま、その顔を横に振る。

 

 

「煙草は吸うくせにか」

 

「色々あったの」

 

 

 ふうん、と言いながら、ナオジはマッチで煙草に火を付けた。

 紙と草の焼ける匂い、煙草独特の臭味を感じながら、ナオジはヨリコに言う。

 

 

「私にも、色々あったよ」

 

 

 ヨリコは顔を上げなかった。

 ナオジは言葉を続けることに抵抗を感じた。

 つい口を閉ざして、夜空を見上げる。

 

 月明が微塵の温もりもないほど冴えていた。

 その光の源の周囲を、例の巨大な細長い存在が舞っている。

 細長いそれの先端には、頭部のような輪郭があった。

 角や牙、長い髭のようなものも見えた。

 

 竜、という単語を、その浮遊する影はナオジに連想させた。

 あれが舞い遊ぶ空の下を、ナオジはくぐり抜けてやってきたのだ。

 はあ、と紫煙をくゆらせながら、ナオジは言う。

 

 

「気付いたら、私は丸くなってた。

 小学生の頃は平気で出来たことも、どんどん疲れてきた」

 

 

 煙草を指に挟んで弄ぶナオジ。

 儚く昇る白い煙へ、ナオジは吐息をぶつけてかき乱す。

 

 

「疲れて仕方なくなっていって、高校に上がったら、もうどうしようもない感じでいっぱいだった。

 私は遺言を守っているだけなのに、どうしてこうなったんだ?」

 

 

 その言葉を聞いて、ヨリコが顔を上げた。

 柳眉を訝しく歪め、ヨリコはナオジに訊く。

 

 

「ナオちゃんは、ひとりで生きてたんじゃないの?」

 

「なんで私は、ひとりで生きてるんだ?」

 

「……それ以外の生き方、知ってる?」

 

「いや」

 

 

 ナオジは首を振った。

 ヨリコは

「じゃあ仕方ないね」

 

と言う。

 

 

「仕方ないんだよ。

 私は誰からも必要とされないし、ナオちゃんはひとりで生きていくしかない」

 

「私には遺言があるから、そうかもしれない。

 けどお前は……」

 

「私が誰からも好かれないことは、ナオちゃんだって知ってるじゃない」

 

 

 何を当然のことを、という態度でヨリコは断言した。

 

 

「お父さんにもお母さんにも好かれなかったのに、なんで、全然、赤の他人が私を好きになるの?」

 

 

 不思議そうな顔をするヨリコに、ナオジは憮然とした表情で返す。

 自分の傷ついた右手を向けながら、ナオジは告げた。

 

 

「もし本当にそうなら、私はここにいない」

 

 

 あと、とナオジは付け足す。

 

 

「お前の母親にも、あれは見えていないはずだ」

 

「なんで」

 

 

 急に、ヨリコの声が語気を増す。

 口調が硬質化し、不快と怒りに似た面持ちをヨリコは取った。

 ナオジは聞く。

 

 

「なんで、あのひとが出てくるの。

 あのひとが私に構うはずないじゃない。

 あの人に頼まれて、ここまで来たの?」

 

「いや、全然。

 ただ、お前の母親にはあの魔物が見えていた。

 それは本当だ」

 

「……うそだ」

 

 

 震えた声で、ヨリコは否定した。

 彼女は唇を強く結び、肩口は何かに堪えるように震えている。

 そんなヨリコへ、ナオジは「本当だ」と言い放った。

 

 

「うそだッ!」

 

「殴るぞ」

 

「そんなわけない、絶対にない。

 だって、今までそんなことなかったのに、なんで、なんで今頃……」

 

 

 ヨリコはうつむく。

 小さな嗚咽をナオジは聞いた。

 闇に溶けていく啜り泣き。

 目には映らないそれを眺め、ナオジはヨリコに言う。

 

 

「変わったのかもしれない」

 

 

 ヨリコの泣き声が、凍り付いたように止まる。

 

 

「時間が経って、あの頃とは違うようになったのかもしれない。

 変われるのかもしれない。

 ただの邪推だけどな」

 

「何が、言いたいの?」

 

「私達はもう高校生になった。

 あの団地にいた頃とは違う」

 

「ナオちゃんは、変わりたいの?」

 

 

 ヨリコが顔を上げ、涙に濡れた表情で尋ねる。

 ナオジは肩をすくめた。

 

 

「分からねえ」

 

 

 そうナオジが応えると、ヨリコは自分の頬に滴った涙を乱暴にぬぐう。

 こすった後が赤くなっていた。

 そんな赤い顔で、ヨリコは笑った。

 

 あの中身の感じられない、空漠とした笑顔だ。

 

 笑まうヨリコはナオジへ言った。

 

 

「ナオちゃんは、変われるかも」

 

「なんでだよ」

 

「さあ。

 でもナオちゃんは私じゃないから」

 

「どういう意味だ」

 

「私は変われないけど、ナオちゃんは私じゃないから、変われるかもね」

 

 

 その言葉は、どこまでも続く空洞を内包しているような響きでナオジの耳に届く。

 ナオジは目を細めた。

 わびしさばかりが鼓膜に残るヨリコの声。

 再会してからずっと聞いている、変わることのない声音だった。

 

 そんな声で、ヨリコはナオジに「ねえ」と物問う。

 

 

「ナオちゃんは、変わりたい?」

 

 

「……お前は、どうなんだ」

 

 

 問いかけに問いかけで返し、ナオジは応えを濁した。

 ヨリコはその声と同じ性質の危うい表情で、笑う。

 

 

「分かんない」

 

「じゃあ、私もだ」

 

 

 そうしてふたりは再び沈黙した。

 

 ナオジは煙草を喫し、ヨリコは吸い殻を手の中で遊ばせる。

 ただ黒色の時間が過ぎた。

 ナオジは黙したまま、頭上を仰ぎ見る。

 

 空は月以外、全くの無明だ。

 金と銀を混ぜ合わせたような真珠色の光が、満月から降り注いでいる。

 その燦々とした有様は、ナオジには薄気味悪いほどだった。

 そんな空を見上げているうち、ナオジは自分の煙草がフィルター近くまで燃え尽きていることに気付く。

 ずいぶんと短くなった煙草をそれでも吸っていたが、結局ナオジは吸い殻を床へ吐き捨てた。

 

 

「ねえ、ナオちゃん」

 

 

 二本目の煙草をナオジが捨てた時、ヨリコが呼びかけてくる。

 ナオジはヨリコを見た。

 ヨリコから、例の笑顔が消えている。

 まるであの尋常ならざる月光によって、表面にしか張られていない笑顔の膜が溶かされてしまったかのように。

 

 何の表情も作らないまま、ヨリコは言った。

 

 

「もし変われるのなら、ナオちゃんはどんな人になりたい?」

 

「変わるとしたら、か?」

 

「うん」

 

 

 問われ、ナオジは沈思する。

 そして首を横に振った。

 

 

「変わることは出来ない。

 遺言がある」

 

「まるで呪いだね」

 

「そう思われたくないし、思いたくないから、私は遺言から背けない」

 

 

 ナオジはヨリコに言って、それからふと自分の母親の言葉を思い出す。

 自分は意識していなかったことを、ヨリコは意識していたのだろうか。

 

 そう思ってナオジは訊いてみた。

 

 

「お前は、あの団地の頃、私といた頃、どうだったんだ?」

 

「なに?」

 

「あの頃は、ひとりじゃなかったのか?」

 

 

 尋ねたナオジに、ヨリコは言葉を返さない。

 

 その代わり、ヨリコはナオジへ手を伸ばした。

 ヨリコの繊手は壊れ物を扱うような、一種の神聖さに触れるようにナオジの左頬に触れる。

 

 

「あの頃、私の唯一はこの傷痕だったの」

 

 

 ヨリコは言った。

 

 

「この世でこの傷より綺麗なものも、醜いものもないって思ってた。

 今でも、そう思ってる。

 ナオちゃんのその場所を汚すものは、絶対に許さない」

 

 

 ヨリコの言葉は、長い間を虚ろで過ごした弱々しい魂が、それでもなんとか全霊を振り絞って生み落としたような声で出来ていた。

 言葉に全ての心と力、神経や精神というものを使い果たしたのか、ヨリコの表情や瞳にはやはり何の色も形も宿っていない。

 

 そのヨリコの様を見て、ナオジは得心がいった。

 ヨリコの父親とナオジが起こした最後の闘争の日に、叫びに近い大声を上げたヨリコ。

 

 あの日ヨリコは、得て、そして失ったのだ。

 

 ナオジは、どうしてか分からないが、ヨリコの今までの日々を顧みてしまう。

 他人のことなど関係ないはずであるのに、どうしてかヨリコのことを考えてしまう自分がいた。

 

 そしてナオジはヨリコが伸ばした手を掴む。

 

 

「ヨリコ」

 

 

 ナオジは名前を呼んだ。

 

 名を呼ばれ、ヨリコの表情に色が走った。

 白と黒、もしくは灰色しかない寂寞の顔から、鮮やかな色彩へ変化したように、ヨリコはナオジをはっきりと見詰める。

 

 

「なあに」

 

 

 ヨリコが応えた。

 ナオジは言う。

 

 

「もし変われるなら、お前はどうしたい?」

 

 

 ナオジに問われ、ヨリコは口を閉じた。

 

 が、彼女はナオジに握られた手をゆっくりと自分に近づけ、頭を前へ傾ける。

 ヨリコの額が、ナオジの手に触れた。

 祈りに似た姿勢をして、ヨリコは口を開く。

 

 

「欲深くない人間になりたい」

 

 

 紡がれた言葉の意味を、ナオジは尋ねようとした。

 

 しかしその前に、ヨリコが答えを示す。

 

 

「誰も私に何も与えてくれなくても、平気な人間になりたい。

 ひとりぼっちでもさびしくない人間になりたい。

 私は―――」

 

 

 一拍だけ空白を作り、ヨリコは言った。

 

 

「私は、他人から何かを欲しがる欲深い人間に、なりたくない」

 

「……」

 

 

 ナオジはヨリコをじっと見詰めた。

 ヨリコの姿は、心の中心を宣告する人間そのものだった。

 ヨリコは何かを信仰している、とナオジは思う。

 まるでその御神体がナオジであるかのように、ヨリコは祈祷している。

 

 祈りの先にあるのは、ナオジか、ナオジの傷痕か。

 ナオジは考えた。

 どちらでもいい、と彼女は自分の脳に告げる。

 

 ヨリコはナオジの問いに応えた。

 であるならば、致し方ない、とナオジは覚悟する。

 ヨリコの手を握りしめた。

 温度があった。

 体温。

 ぬくもり。

 他人。

 ナオジはヨリコへ言った。

 

 

「私も、もし変わるのなら」

 

 

 ヨリコが顔を上げる。

 緑色を含んだヨリコの瞳が、月光を照り返してナオジの黒瞳と重なった。

 ナオジは逃げ出そうとする視線を固定し、目に力を込める。

 

 

「変われるのなら、ひとりでなくても生きられる人間になりたい」

 

 

 そのナオジの言葉に、ヨリコは驚きの表情を作った。

 

 ヨリコからそういった表情を作られ、ナオジは精神に衝撃を覚える。

 それが何に起因するものか、ナオジには分かっていた。

 

 ヨリコは、ひとりで生きたいと言った。

 ナオジは、ひとりで生きていた。

 だから、ヨリコはナオジに祈った。

 

 それを、ナオジは壊した。

 

 

「ひとりになりたいのは、ひとりじゃないときの自分が怖いからだ。

 だから、私は気付かないふりを続けた。

 ひとりでないときなんか無かったって、自分に言い聞かせた」

 

 

 言って、ナオジはヨリコをぐっと引き寄せた。

 顔が近くなる。

 ヨリコの瞳が、すぐ間近にあった。

 驚きで漏らしたヨリコの吐息さえ、ナオジは完全に感じることが出来た。

 それほど近づけたヨリコへ、ナオジは胸裡を吐露する。

 

 

「私はお前から逃げたい」

 

 

 ナオジの息づかいが、ヨリコにかかる。

 

 

「私をひとりにさせてくれ。

 誰かといることが、私は怖いんだ」

 

 

 ナオジは自分の声が、懇願に近いものへ変わっていることに気付く。

 恐怖していた。

 本音を口にすると言うことがこれほど勇気の要ることだとは、ナオジは知らなかった。

 

 

「だから私は、ひとりでも怖がらない人間になりたい」

 

 

 しかしナオジは本心を言葉にする。

 

 それが出来たのは、何のおかげだろう。

 ナオジは考えあぐねた。

 煙草の成分か、不思議な異界の月夜のためか、身体中に負った傷のせいか。

 

 それとも、ヨリコと手をつないでいるからか。

 

 

「ヨリコ」

 

 

 ナオジは再び、彼女の名を呼んだ。

 ヨリコは名前を呼ばれるたびに、表情の色合いの明度を上げていく。

 

 ヨリコは微笑みながら、「なあに」と同じように応えた。

 

 

「私と一緒にいたいか?」

 

「それは、私に訊くことじゃないよ。

 ナオちゃんは、私といたい?」

 

「……考える時間をくれ」

 

 

 ナオジは渋い感情が身体中に広がるのを感じる。

 

 答えが分からない。

 ひとりでいたいのか、そうでないのか。

 

 そう悩むナオジに、ヨリコは表情を綻ばせた。

 

 

「よかった」

 

「何がだ」

 

「私といたくない、って言われなかったから」

 

 

 安らぎという翼で軽くなったヨリコの声に、ナオジは力が抜けてしまう。

 ナオジを苛んでいた緊張と苦悩が、なぜかほぐれた。

 それを誤魔化すために、鼻を鳴らすナオジ。

 

 

「単純なやつだな」

 

「無欲でいたいの」

 

「さっきお前、自分は変われない、みたいな台詞を吐いてなかったか?」

 

「ナオちゃんは別格だから。

 他の人なら色々もらいたいけど、ナオちゃんにはいっぱいもらったから」

 

 

 ねえ、とヨリコは言う。

 

 

「もしナオちゃんが変わりたいなら、私は手伝うよ」

 

「どういう意味だよ」

 

「ナオちゃんは、ここにいちゃ駄目ってこと。

 ここはナオちゃんのいる場所じゃないよ」

 

 

 ナオジはヨリコの言葉に舌打ちする。

 近づけていた顔を離し、ナオジはそのまま椅子から立ち上がった。

 

 見上げるヨリコへ、ナオジは言い放つ。

 手を握ったまま。

 

 

「お前と私は違う」

 

「うん」

 

「私が変わるかどうかとか、変わりたいかどうかとか、もっと時間を掛けて考えたいんだよ。

 けど、ここでじゃない。

 そんなこと、お前なんかに言われなくても分かってる」

 

 

 そしてナオジはヨリコの手を引き、彼女を強引に立ち上がらせた。

 無理な引き寄せ方をし、ヨリコは姿勢を崩してしまう。

 ナオジの上半身がヨリコを支えた。

 ナオジの心臓の位置に、ヨリコの頬がぶつかる。

 

 ナオジはそのヨリコを引き寄せた。

 ヨリコの頭を抱え込む。

 自分の顔を、ヨリコに見られないようにするためだ。

 

 密着したナオジは、ヨリコへ囁く。

 

 

「もし変わろうって気に私がなったとき、お前がいないのは、きっと、つらい」

 

 

 ヨリコの体が、動きを止めた。

 

 その硬直が何を意味するものなのか考えたくなく、ナオジはしばらくその状態を維持する。

 しばらくすると、ヨリコは体の重さを意図的にナオジに寄り掛けてきた。

 ナオジはそれを反射的に支える。

 ナオジのそんな行動に対し、ヨリコは小さいが明らかな笑声をこぼした。

 

 

「なんだよ」

 

 

 不満の声をあげるナオジへ、ヨリコは応えなかった。

 ただ微かに笑いながら、ナオジに寄り添う。

 ヨリコが何も言わないので、しばらくの間ナオジは好きにさせることにした。

 

 自分でも奇妙なことだと彼女は思う。

 

 

 しかし全てあの奇妙な月や空、森や城のせいにしてしまうことに、ナオジはした。

 

 

 こんなおかしな場所なのだから、自分がほんの少しおかしくなってもいいだろう、と。

 

 



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第9話:どこまでも。きみがいるのだから

 

 帰る、とナオジはヨリコに言った。

 

 うん、とヨリコが頷く。

 

 ナオジはヨリコから体を離し、広場から歩き始めた。

 ヨリコがそれに付いてくる。

 ヨリコは手をナオジから離さなかった。

 

 

「……なんで来るんだよ」

 

 

 ナオジは横を歩くヨリコに訊く。

 尋ねられ、ヨリコは小首をかしげる。

 

 

「ナオちゃんが歩くから」

 

「私は帰るだけだって言ってるだろ。お前ここにいろよ」

 

「手、つないでるから無理」

 

「離せばいいだろ」

 

「やだ」

 

「なんなんだ、お前は」

 

 

 げんなりと口調を尖らせながらも、ナオジはその手を振り払わず、路地を進んだ。

 

 道は相変わらずの静やかさで、ナオジ達の靴が立てる足音を貪るように吸い込んでしまう。

 無数の雑多な物品で溢れる大通りに戻り、ナオジは勘任せに歩き続けた。

 

 

「ナオちゃん、帰り道知ってる?」

 

「知るわけないだろ」

 

「考えなしだなあ」

 

 

 ヨリコは笑った。

 ナオジはその頭を小突く。

 ヨリコはわざとらしい悲鳴を上げた。

 いらっとしたのでもっと殴ろうかとナオジが思った矢先、ヨリコに「こっちこっち」と手を引っ張られる。

 

 ヨリコが大通りに構えられた出店のひとつに入った。

 無数の鳥籠が並べられ、または吊されている店だ。

 店の柱や天幕は石壁と同じ色をし、売られている籠も同様の色合いのため、店それ自体が壁や道の一部であるような錯覚をナオジは覚える。

 

 その店の奥に、大きな頭巾で頭を完全に覆った者が佇んでいた。

 頭巾をつけた外套は非常に長く、裾が床に大きく広がって同化している。

 大量の籠たちはその裾の上に置かれていた。

 

 店と服が一体化した店員へ、ヨリコが小声で尋ねている。

 すると、何かがヨリコの上から降ってきた。

 ヨリコが慌ててそれを空いた手で受け取る。

 それから、彼女は顔を見ることの出来ない人物へ頭を下げた。

 店員が外套の下から小さく手を振る。

 革の手袋をはめていた。

 

 

「行こ、ナオちゃん」

 

 

 ヨリコはナオジを引っ張る。

 今度はヨリコがやや先になって進んだ。

 ナオジは問いかける。

 

「なんなんだよ」

 

「帰り道、訊いたから。あとお土産もらっちゃった」

 

 

 ヨリコが応える。

 

 ヨリコの片手には、小さな麻袋があった。

 袋の口は紐で引き絞られており、中に何かかさばるものが入っているのがナオジには分かる。

 

 

「なんだ、それ」

 

「さあ」

 

 

 開けてみて、とヨリコは言いながらナオジへその袋を手渡した。

 ナオジは面倒くさい表情を浮かべたが、その袋を受け取る。

 そして片手で袋を開き、中を覗き見た。

 

 

「……金貨、か?」

 

 

 か弱い照明とぎらつく月明かりを頼りにナオジが見たものは、黄金色に輝く貨幣だった。

 表面にはナオジでは理解の出来ない文様や文字が刻まれており、何かの情景が彫刻されている。

 

 

「これ、帰ったら換金できるのか?」

 

「質屋さんとかが買い取ってくれるといいね」

 

 

 ヨリコは特に気にせず、大通りを進んだ。

 通りが四つ辻になるたびに、何度目かの交差点を数えているようだった。

 ナオジはヨリコに任せる。

 煙草を吸いたくなった。

 

 ナオジがそうやって喫煙の欲求に抗えきれなくなった頃、ようやくヨリコは交差する小さな道を曲がった。

 その道は直線ではなく、急なカーブを描いている。

 そして照明の類がなく、ひときわ暗かった。

 ヨリコはその暗がりの奥へ、ナオジを連れて行った。

 大通りの明かりが入らない所まで進み、ヨリコは足を止める。

 彼女は右手の壁を見ていた。

 ナオジもそちらを見る。

 

 そこには大きな黒樫の扉があった。

 

 重厚なその扉は、このような路地裏に似付かわしくないほど立派な代物だった。

 複雑な意匠を彫られた表面には艶やかな漆がふんだんに塗られ、扉の縁は黒く輝く宝石細工でびっしりと飾られている。

 扉を囲う石壁が質素であるため、その扉との差異にナオジは目を瞠ってしまった。

 

 

「ここが、出口だって」

 

 

 とヨリコは言う。

 言ってから、彼女はナオジへ振り向いた。

 

 

「帰る?」

 

「私はな」

 

「じゃ、仕方ないね」

 

 

 ヨリコは笑った。

 

 その笑い方は、あの中身のない表面的なそれではなく、本当に笑いたいから笑っているとナオジは思った。

 

 思うと、彼女は繋がっていない方の手をヨリコの頬へあてる。

 

 

「帰るぞ」

 

「うん」

 

 

 ヨリコは目を薄く閉じた。

 ヨリコの頭の重さが、ナオジの手に乗る。

 ヨリコの肌と温度の感覚を、手が受けた。

 

 その手が、ヨリコの頬を一瞬だけ撫でる。

 ヨリコがまた笑った。

 ナオジは肩をすくめ、手を離す。

 

 それから、ナオジは扉を押して、ヨリコと共にその中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 

 ナオジとヨリコは、アパートの扉を開けていた。

 

 ナオジは周りを見る。

 見覚えのある景色。

 つい最近に来たばかりの場所だ。

 

 そこはヨリコのアパートだった。

 

 ナオジは後ろを振り向く。

 アパートの外は暗い。

 ナオジは玄関にかけられた時計を目にした。

 時計の針は現在の時刻が、ナオジがヨリコの家を訪れた時間とほぼ一致していることを示している。

 

 そしてナオジは自分の体にあった、いくつもの負傷が消えていることに気付いた。

 右手に巻いていた包帯や、その他の絆創膏もなくなっている。

 懐に隠し持っていた火炎瓶や殺虫剤も、元に戻っていた。

 試しにバックパックから包丁を引き抜いてみるが、折れていたはずのそれも元通りの姿になっている。

 

 ヨリコの服装も、あの奇妙に重ね着した外套ではなく、ごく普通の部屋着に変わっていた。

 ナオジは混乱する。

 しかし、その手にある重みを思い出し、それを見た。

 口の閉じられた麻袋。

 はっ、として、ナオジはポケットをまさぐる。

 そこには読むことの出来ない文字が飾られたマッチ箱があった。

 

 ナオジは頭を振る。

 疲れが押し寄せてきた。

 何が起きているのか、とりあえずナオジは考えないようにした。

 ここはヨリコのアパートで、自分とヨリコはそこにいる。

 これだけは確かなのだから、それ以外を思う必要など無いと言い聞かせた。

 

 そうしてふたりで玄関に立っているうちに、家の奥から誰かがやってきた。

 ヨリコの体が強張るのを、ナオジは察する。

 

 現れたのは、ヨリコの母親だった。

 

 

「……」

 

 

 ヨリコは、わずかに後ずさる。

 ナオジが、そのヨリコの背中を押し阻めた。

 ヨリコは下がれず、代わりに顔を振り向かせ、ナオジを見る。

 ナオジは頷いた。

 

 ヨリコが、ナオジの手を強く握る。

 

 そして、娘は母に言った。

 

 

「……ただいま」

 

 

 その声はひどく弱々しく、崩れてしまいそうなほど震えている。

 しかし、ヨリコは唇を噛み締めながら、自分の母親へ面と向かった。

 

 母親は、しばし驚きの表情でヨリコを見詰めていたが、すっと体の力を抜き、

 

「おかえり。

 ご飯、できてるわよ」

 

 

 と言った。

 ややぎこちなさはあったが、きちんとした温度のある、優しい声だ。

 不器用に自分の中の温もりを探して集め、それを言葉にしたような。

 

 

「……」

 

 

 ヨリコは、なんとかという重い足取りで玄関を進み、家の中へ踏み入れる。

 手をつながれたままであるので、ナオジもそれについて行く。

 ヨリコの母親が、ふたりを奥へ誘った。

 

 そうして、彼女ら三人は夕食を共にした。

 四年ぶりに。

 

 懐かしさと既視感がナオジにはあったが、違和感もあった。

 それは彼女の身体が成長したことや、部屋の景色が異なるせいか。

 

 それとも、ヨリコの母親が自分の娘に話を振っているためか。

 

 

「ナオちゃんと同じクラスなんでしょう、ヨリコ?」

 

「うん」

 

「昔は同じクラスになることが少なかったから、運が良いわ」

 

「うん」

 

「来年も同じクラスになれると良いわね」

 

「うん」

 

 

 ヨリコは母親の話に単純ではあるが相槌を打ちながら、淡々と食事を進めていた。

 母親はしばらくして、自分も食事に集中し始める。

 ナオジは彼女らの遣り取りに干渉しなかった。

 

 夕食が終わる。

 

 ナオジはそのまま帰ろうとしたが、ヨリコに呼び止められた。

 

 

「泊まってってよ」

 

「なんでだ」

 

「お願い」

 

「……面倒な女だな」

 

 

 ナオジはやれやれと思いながら、自宅に連絡を残す。

 そしてその日の夜は、ヨリコの部屋で寝ることになった。

 ヨリコの部屋の床に布団を敷き、ナオジはそこで眠る。

 ヨリコは自分のベッドた。

 ナオジはとにかく眠ってしまいたかったが、またもヨリコに妨げられる。

 

 

「ねえ、ナオちゃん」

 

「なんだよ。

 電気消せよ、もう寝るから」

 

「私、これからどうしたらいいかな」

 

 

 ヨリコは部屋の照明を消し、暗闇で満たされた室内に自分の声を響かせた。

 ナオジは目を瞑る。

 目を閉じると、ヨリコの声がより鮮明に聞こえた。

 

 

「私、変われるのかな。

 変わった方が良いのかな。

 だって結局、今までと何も変わってないでしょ?」

 

「そうだな」

 

「どうしよう。

 あの魔物がまた来てくれるなんて保証、無いじゃない。

 今度は本当にどうしようもないよ」

 

 

 ヨリコは泣き出しそうな脆弱さと、妙に昂ぶった高い声音でナオジに囁く。

 ナオジは目を閉じたまま、しばし考え、ヨリコへ応えた。

 

 

「変わったこともある」

 

「なにが?」

 

「考える材料が増えた。

 何が増えたのか、本当は分かってるんだろ」

 

「……ナオちゃんにも、何か増えたの?」

 

 

 ヨリコが尋ねてくる。

 ナオジは言った。

 

 

「ああ」

 

「何が増えたの?」

 

「誰が言うか。考えろ。時間はまだある」

 

 

 寝るぞ、とナオジは告げる。

 はあい、とヨリコが返事をした。

 

 だがヨリコは眠る前に、最後にナオジへ問う。

 

 

「私達って、友達なのかな?」

 

 

 ナオジは鼻を鳴らす。

 

 

「そんな重苦しいもんじゃない。

 ただの腐れ縁だ。

 そんな程度でいいだろ」

 

 

 そうだね、とヨリコ。「おやすみなさい」と彼女は言った。

 

 

 ナオジとヨリコは眠りにつく。

 平常の朝焼けを待って。

 

 

 ふたりの寝息が、暗い部屋の中で重なった。

 

 

 

 

 

    ***** ***** *****

 

 

 

 

 

 ヨリコは学校へ戻った。

 

 と言ってもヨリコがヨリコに見えなかったのはナオジだけなので、他の級友や教師には何の変化もない。

 あの魔物の人形が演じていた時間の記憶はヨリコに引き継がれているようで、彼女が学校生活に支障を来すということはなかった。

 

 そうして日々は進み、高校生活で最初の長期休暇を目前にした頃。

 

 ある日の昼休み、学校の屋上でヨリコはナオジに切り出した。

 

 

「旅行に行こう」

 

 

 ナオジはマッチ箱から取り出したマッチで煙草に火を付け、「あ?」と嫌気を全面に表す。

 

 ナオジが入手したマッチ箱は、どれだけ使っても中身の減らない不思議な道具だった。

 ライターを買う手間が省けるのと、マッチで燃やした場合の煙草の具合が気に入り、ナオジはこのマッチ箱を愛用している。

 

 そのマッチ箱を手の中で転がすナオジへ、ヨリコは雑誌を鞄から取り出し、見せつける。

 この国の南方にある有名な観光地を特集した雑誌だ。

 

 

「あのお土産に貰った金貨、無事に換金できました。

 詳細は面倒なので省きます」

 

「あの金貨っていくつ入ってたんだ?」

 

「さあ。

 だって何枚でも取り出せるんだもん」

 

「そっちもか」

 

「そんなのはどうでもいいの。

 大事なのは、旅に出ようってことなの」

 

 

 ヨリコは力説する。

 ナオジは、どうすればこの無関心を目の前の女に伝達できるのか思案してみた。

 だがナオジが考えている最中にも、ヨリコは言葉を止めず続ける。

 

 

「資金もあるし、学校ももうすぐ長いお休みになるし、ナオちゃんも私も暇だから、何の問題もないよ」

 

「まず趣旨を言え。

 なんで旅行なんかしなきゃいけねえんだ」

 

「旅先で今後のことを考えましょう」

 

 

 曖昧で大雑把なヨリコの発言に、ナオジは頭が痛くなる。

 頭を押さえながら、煙草を深く吸い込んで落ち着きを取り戻させた。

 

 

「今後ってなんだよ。

 いつからそんな積極的な人間になった」

 

「ほら、旅に出てものの価値観が変わった人もいるって言うじゃない」

 

「お前の深刻さは観光気分なんかで和らぐものなのか?」

 

「ものは試し、って言うよ」

 

 

 ああ言えばこう言うヨリコに対し、ナオジは溜息をつく。

 

 

「とにかく旅行がしたいんだな?」

 

「うん」

 

 

 きっぱりと、堂々とヨリコは言った。

 

 あの奇妙な城から戻って以来、神経が図太くなったのかもしれないとナオジは思った。

 自分の血族にそんな神経の人間がいるのをナオジは知っていたが、その人物のようにヨリコはなるのかと思うと、さらに頭痛がひどくなる。

 

 

「ひとりで行けばいいだろ。なんで私まで巻き込むんだ」

 

「ふたりで旅行したいの」

 

 

 頑として譲らないヨリコに、ナオジは辟易した。

 こう言い出したときのヨリコは、ナオジが何を言っても頑固に折れない。

 折ろうとすると割に合わない徒労を被る羽目になると、ナオジは知っていた。

 

 

「お前、なんで私にはそんなに強気なんだよ」

 

「じゃあナオちゃんが旅行する時、私以外に誰と行くの」

 

「どうして私が誰かと旅することが前提なんだ?」

 

「練習だと思ってよ。

 ほら、もしかしたら誰かと旅行に行くことがあるかもしれないじゃない」

 

 

 どう言っても旅行に連れ出す気だな、とナオジは気付く。

 ヨリコと根比べをして勝った試しがないため、ナオジは自分の心が早々と諦めかけていることを理解していた。

 

 最終的には、ヨリコの提案を受け入れるのだろう。

 しかし少しは粘らなければ、とナオジは意地になって抵抗する。

 

 そうした押し問答を昼休みの間ずっと続け、結局、ヨリコと旅行する約束を結んでしまったナオジである。

 

 予鈴が鳴る。

 ヨリコは満足げな顔で、屋上を去っていった。

 ナオジはまだその場に残り、手すりに持たれながら空を見上げた。

 嫌みのように晴れ晴れとした蒼穹だ。

 

 

「ああ、面倒くせえ」

 

 

 その青さを煙草の煙で汚しながら、ナオジは独りごちる。

 

 

 あの魔物とその人形は、もう現れない。

 別の人間になりすましているのだろう。

 それはナオジにはきっと無関係の人物であるため、もはや彼らから不可思議な現象をもたらされることもないに違いない。

 

 

 不思議ではない日々が、ナオジ達を待っている。

 

 厄介ごとばっかりだ、とナオジは思う。

 

 午後の授業を告げる鐘が鳴った。

 

 

 

(完)



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