らっきょssまとめ (エドレア)
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らっきょssまとめ

1.子育てする式と鮮花
2.幹也のとある様子に怯える式
3.色々なところをお散歩するJC未那ちゃんとそれに振り回される光溜

の、三本立てでお送りします


 1

 

 

 

(ああ…来てしまった…)

 

 声に出す事はしないけれど私、黒桐鮮花はため息を吐きたくなるような状況にいた。

 目の前に広がるは私有地の竹林の奥に構える立派な武家屋敷。そう、ここはあのにっくき宿敵であった(・・・・)両儀式の実家だ。普段ならこんな場所、どうあっても行く気はしないというのに今の私には用がある。よりにも寄ってそれが愛する我が兄によるものだという事がなおのこと腹正しい。

 我が兄、黒桐幹也の家に顔を出した時の事だ。兄さんは結婚した後も家を引き払わず、両儀の家と行き来している。いずれは両儀の屋敷に落ち着くつもりだけど、両儀家の仕事を手伝う関係で遠出をする事もある兄さんは家に帰れない時のために仮拠点のようなものとして以前の家を使っているのだ。そんな兄の行動を把握していた私は、ここぞとばかりに会いに行き───。

 

『ああ、鮮花じゃないか。良かった、助かった』

『…どうしたんです、兄さん?そんな沢山の書類』

『色々と調べ物をしていたんだけどね、ちょっと多くなっちゃって。電話で口頭で伝えるには多すぎる量だから紙に纏めていたんだけど、また調べに出向かないといけないんだ。ここの書類、ファイルに纏めるから式のところへ持っていってほしいんだ』

『私が、あの女のところへ?』

『鮮花。あの女だなんて言い方はよくないよ。今じゃ君の義姉さんでもあるんだから』

『兄さん!私はあの女を認めた覚えなんてこれっぽっちもありませんからね!なんだって私がわざわざ…!』

『頼むよ鮮花。中には両儀の大事な情報とかも詰まってるからおいそれと部外者に頼めないんだ。所長がいなくなった今他に頼めそうなのは鮮花ぐらいしかいないんだよ』

 

 困ったような顔をした幹也に押し切られると私も弱い。結局、私はお礼は弾むよと言われ幹也の依頼を承諾し今に至るという訳だ。

 

 かつての恋敵。今はそれが正しい。だって結婚したばかりかもう子供までいる身なんだから。結婚する前ならいざ知らず、今の私は誰がどう見たって敗戦者だろう。

 

(ええい、女は度胸!)

 

 意を決して、玄関口で声を張り上げる。程無くして幽鬼のような雰囲気を纏った式の付き人が出てきた。式の付き人の硯木氏だ。出来れば、この人に書類を渡してそれで終わりにしたかった。

 

「黒桐鮮花です。兄に頼まれて書類を届けに来ました」

「はい、お話は伺っております。どうぞ中へ。お嬢様も奥でお待ちになられています」

 

 えっ、と思うとそのまま書類を受け取らずに中へ入ってしまった。これはつまり式に直接渡せという事なのか。硯木氏は悪魔の使いだったりするのかしら。

 もうここまで来てしまえばどうにでもなれ、だ。実を言うと、子供を産んだ後の式にはまだ会った事が無い。生まれて少しした後に幹也にそっと、それとなく祝いの言葉を伝えただけだ。想い人との間に出来た子なんて見て何も思わないはずが無い。何か、心無い事を言ってしまうのではと鬱屈した気持ちになってしまう。

 

 とうとう、部屋の前まで通される。案内の硯木氏はすぐに下がってしまった。ここまでされて無断で帰っては恥も外聞もあったもんじゃない。腹を括って襖に手をかける。

 

「式、入るわよ───」

 

 なるべく、何も思わないように。出来るだけ、口数を少なくそのつもりで望もうとして───。

 

 

 

 

 

 

「あっ…」

 

 

 

 

 

 

 子を抱く、母親()の姿に目を奪われた。

 我ながら、間抜けな声が出たと思う。さっきまで考えていた事なんて全て吹き飛んでしまった。

 仕方がない。だって、あんな慈しむような顔をした式なんて、知らなかったんだから。

 

「…ん?鮮花か。何をそこで惚けているんだ。幹也からの書類を届けに来たんだろ」

「…え、ああ、そうね。ほらこれ」

「ふぅん。まぁ、これは後でじっくり見とくよ。それよりもさ…」

「な、なによ」

 

 ちょっと非難がましい目で私を見る式。彼女が私に対してこういった顔をするのは中々見ない。普段の彼女なら私の事なんて無関心に、或いは面倒臭そうに見るからだ。何ヵ月も会っていなかったというのに一体、私が何をしたというのか。

 

「おまえ、しばらく会ってなかったのになんでこんな顔されるんだって思ってるだろ」

「え、ええ、そうよ。誰が好きこのんであんたなんかに会いに行かなくちゃいけないのよ」

「そこだよ。オレ一人ならともかく、未那に一度も会ってないじゃないか。おまえの姪だぞ」

「あ…」

 

 未那。式が抱いてる子。式と幹也の子。そして、私の姪。

 思っていたより、悪感情は出てこなかった。ただ、ここでようやく、素直に家族が増えたんだという事を自覚出来たんだと思う。

 

「さっきようやく寝たんだ。起きている時に会わせてやりたかったな」

「貴方…まさかこの為に私を引き止めたの?」

「だって、幹也が昔に言ってたんだ。家族は一緒にいるものなんだって。なら顔くらい知っていた方が普通なんじゃないのか」

「…凄く、真っ当な理由ね」

 

 あんたにしては、なんて意地の悪い事は言わない。

 これはきっと、幹也と一緒にいたおかげなんだと思う。私が知っている式ならこんな事、絶対言わなかっただろうから。

 

「ほら、抱っこしてみるか?結構大人しいんだ。余程気に入らない限り、泣きわめくって事しないんだよ」

 

 言うと私にそっと、起こさないように眠る赤ん坊を渡してきた。まだ個性というものが薄い、赤子の小さな顔。なんとなく目は幹也に似ているなと思った。今はまだ、長く伸びてはいない髪だけど将来はきっと式に似た、(からす)の濡れ羽のような美しい髪になるだろう。

 

「…しっかり、母親をやっているのね」

「ああ。ただ、家の仕事もあるからかなり忙しいんだ。幹也や秋隆には正直助かってる。いつもだったらこんなゆっくりした時間取れないんだ。幹也には、もうちょっと休んでほしいんだけどな」

「貴方が遠慮すればいいじゃない」

「あいつが勝手に動くんだ。実際、あいつの能力は優秀だし、無遠慮に断る方が色々面倒だったりするんだよ」

 

 やっぱり幹也はここでも式の世話を焼いているらしい。分かりきっていた事だけど、面と向かって言われるのはやはり苛つく。ちょっとだけ、余裕を取り戻した私は少しつついてやろうとこの子の話題を投げ掛ける事にした。

 

「そういえばだけど貴方のその口調、いつまでそれなの?」

「オレの口調がどうかしたって?」

「この子、女の子じゃない。母親がそんな喋り方したら未那だって覚えちゃうわよ。貴方はいいのかもしれないけど、女の子が小さい内から男口調じゃ色々不味いんじゃない?」

「ああ、そういう事か」

 

 言うと、ちょっとだけ、いや、ちょっとなんてものじゃない。顔こそ僅かに変えたけれど、その身に纏う気配を一変させて佇まいを直し、微笑を湛えて───。

 

 

 

 

「大丈夫よ。その時は、こっちの口調で話すもの」

 

 

 

 

「………………………………………………………えっ?」

 

 たっぷり十秒、固まってようやく絞り出せた声がそれだった。

 なんだこれ。今までは着物美人なその容姿と、それに見合わない男口調や退廃的な雰囲気も相まってミステリアスな魅力を備えていたというのにこれは、なんというか、らしすぎるような───。

 

「ふふっ。そんなに驚く事だったのかしら。貴方のその顔が見られただけでも、役得ね」

「なによそれ。練習したとかじゃないでしょうね」

「違うわ。私、元々この口調なのよ。いつもの話し方の方が、作っているの。これなら問題無いでしょう?」

「…どうして普段は男口調なの?」

「そうね…」

 

 その時の式の顔を、私は忘れられない。母親である式の顔はこれから何度だって見られるかもしれないけど、こんな儚げな式の顔、私は何一つ知らないだろうから。

 

「…幹也との、秘密かしら」

「そこで、幹也が出てくるのね」

「ええ。本当を言えば橙子も知っている事なのだけれど、今はいないし。まともに知っているのは幹也くらいでしょう。もっと言えば、もう男口調でいる必要は無いの。それでも使っているのは単に───」

「単に?」

「幹也を、ドキッとさせるためよ。いつもの口調から今のこれに戻したとき、目に見えて顔を赤くするんだもの。妻冥利に尽きるというものでしょう?」

 

 なんて言って満面の笑みを浮かべるというのだから、心臓に悪い。私だって普通に使っているというのに式が使うとギャップが凄まじいだなんて、ひどい反則じゃない。

 もう用事は済んだ。早く立ち去らないと、なんだかおかしくなってしまう。なんたって、今の彼女は、物凄く───。

 

「あら、もう帰るの。もう少しいればいいのに」

「結・構です。私だって暇じゃありません。幹也に会いに来た、そのついでなんですからね」

 

 またねと言う彼女を尻目に私は足早に両儀の屋敷を後にした。まさかここでかつての橙子師の言葉が脳裏に浮かぶだなんて。

 

『鮮花。おまえの起源は禁忌だと話したな。兄である黒桐に懸想しているのが何よりの証左だが、禁忌の形にも色々ある。場合によっては、別の形でそれが発現するかもしれんぞ』

 

 言える訳が無い。

 あんな式に。らしすぎる彼女に。

 不覚にも、つい、ときめいてしまうだなんて!

 そんな事を思い、紅潮した頬を恥ずかしく感じつつ林道を去る私であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2

 

 

 

「やぁこんばんは。初対面で早速なんだけど、未那をつけ回していた経緯について教えてくれないかな。大丈夫、僕の周りの怖いお兄さんたちは何もしないよ。君が大人しく話してくれれば、だけどね」

 

 とある廃ビルの一室。コンクリートの壁や床が剥き出しになったこの場所で僕、黒桐、いや両儀幹也はとてもよろしくない案件に望んでいた。灰色の支柱を背に座り込みガタガタ震えている男を相手にするのは精神衛生上良くないけれど、相手が悪いのだから仕方がない。

 

「まだ小学生の女の子をつけ回すだなんて普通に考えても、良くない事だよね。今なら警察のご厄介になる程度(・・・・・・・・・・・)で済むと思う。ああ、証拠はこっちで抑えてあるから嘘を言うのも良くないよ。よくこんなに写真を溜め込んだよね。僕がほしいくらいだよ」

「いや、えっとその…つい可愛いなって…ハハハ…」

「君、前科があるみたいだよね。それで『つい』で済むものなんだ。…へぇ」

「ひっ」

 

 僕が指示を出すと両脇を抱えられて連れて行かれる男。言ってしまえば、幼い女の子を専門に盗撮を繰り返す変態ストーカーだった。未那が可愛いのは当たり前の話だけど、だからといってこんな悪漢を放っておくほど僕は聖人じゃない。ちょっと(・・・・)周りの伝を借りて、この男を追い詰めた訳だ。

 物的な被害が出ている訳でもないし、相手は僕に詰め寄られただけで震えるような小物だから、わざわざ両儀の家の人の力を借りてどうこうするほどでもない。ここから先は警察の領分だろう。

 

「幹也」

「あれ、式。来てたんだ。来るなら言ってくれればいいのに」

「おまえが部下を連れてぞろぞろ出歩くって事、普通しないからさ。気になって様子を見に来たんだ」

「そっか。…未那は?」

「問題無い。何も知らずに寝ているよ」

「良かった。こんなこと、未那に知られてほしくないからね」

 

 手伝いに来てくれた両儀の家の人が出払うと出てくれたのは僕の妻、両儀式だった。未那を産んでから数年経つけどその美しさには更に磨きがかかっている。月から射し込む光を背に佇む彼女は一種の芸術だ。月光が、彼女の射干玉(ぬばたま)のような黒髪に更なる彩りを加えている。

 けれど、そんな式の表情が僕を見た途端曇ってしまった。僕が何かしたというのかな。

 

「幹也…さっきのお前、さ。なんだか、その…」

「?僕がどうかしたかな」

「いや、やっぱりいい。…うん、いつものお前だ」

「???」

 

 珍しく煮え切らない態度の式に困惑する。とりあえず、詳しい話は家に帰ってからにしよう。

 

 もう夜遅く、とっくに十二時回った時間帯。

 ようやく僕らは床に着けた。思ったより警察とのやり取りが長引いてしまったせいだ。だけどこれで、未那の平穏を脅かす悪者は退治出来たんだだから、これくらいなんて事の無い。

 僕は、布団を式と共にしながらさっき感じた疑問を彼女にぶつけてみた。

 

「式。さっきはどうしたのさ。僕に何か言いたげだったけど」

「何でもない」

「君、僕がそれを聞いて、はいそうですかで済ますと思う?もう何年の付き合いだと思っているんだい。そういう式は隠し事をしている式だよ」

「いいから。何でもないったら何でもない」

 

 頑なに、話す事を拒む式。昔の僕だったらここで諦めていた。けれど、今は僕が夫で式は妻だ。ここでもう少し夫らしいところを見せようと、ちょっと強引な手段に出る。

 

「式」

「何だよ。話さないって………あっ」

「うん。話してくれないから、こうする。話してくれないと、朝までずっとこうだよ?」

「幹也…」

 

 僕がやった事は簡単。隣で横になっている式をさっと起こして抱き抱えたのだ。抱き締めると、式はちょっとだけ素直になってくれる。顔を彼女の耳に寄せて、優しく諭すように言葉を紡ぐ。

 

「これでも、話さない?ならもうちょっと、別の手段を取らないとね」

「分かった、分かったから身八つ口に手を入れるのはやめろ。明日も仕事なんだから…!」

 

 僕が彼女の着物に手を入れたところでようやく折れてくれた。僕としては、折れてくれなくてもそれはそれで楽しみがあるからそれでも良かったんだけど。

 

「で、僕に何を言いたかったのかな。普通の事じゃないでしょ」

「………かったんだ」

「え?」

「だからその…」

 

 抱き抱えた姿勢から体勢を変えて、僕の胸に顔を埋める式。ここまで弱気な彼女を見るのは本当に珍しい。

 

「…その、怒ったおまえが、怖かったんだ」

「…怖い?僕が?」

「だって、あんな顔の幹也、知らなかったから」

 

 なるほど。知らずの内に式を不安にさせてしまっていたのか、僕は。

 そう言えば、僕が式に面と向かって怒った事はほとんど無い。あるとしても、それは白純先輩との一件だけだったし、あの時は怒りよりも愛情の方が勝っていた。

 強いて言えば、いつもは小言を言う程度でしか怒らないから、ただ怒っているだけの僕の姿を、式は知らなかったようで。

 

「おまえは、いつも、優しい。だから、幹也があんな顔するだなんて欠片も思わなくて…」

「不安にさせちゃったかな」

「不甲斐ないと、思ったんだ。こうして結婚して…その…ふ、夫婦になってしばらく経つのにまだおまえの事を全然知らないなって。私ばかり楽して幹也にあんな顔させて仕事しているんじゃないかと…」

「はい、ストップ。それ以上は禁止だよ。僕がしたくてやってるんだから式が憂うのはお門違いだし、それにあの顔は未那にストーカー行為をするあいつに対して怒っていたのであって、普段からあんな顰めっ面で仕事してないよ。だから───」

 

 そっと、口付ける。それから、

 

「だから、君が心配する事なんて無いんだよ」

 

 ね?、と言ってみれば、彼女は唐突にキスされたのが気に食わなかったようで、

 

「この莫迦。だから、嫌なんだ。おまえのそういうとこが」

 

 なんて憎まれ口を叩くけど、涙目で顔を赤くするその様子じゃ微塵も説得力を感じない。うん、これはむしろ───。

 

「ねぇ、明日も仕事なのは分かってるんだけどさ」

「おい、待て。なんで着物に手かけてるんだ。え、ちょっ、本当に待って、ダメ幹也、あっ…」

「そんなそそるような顔されたらね、僕だって男なんだから素敵な奥さんを可愛がりたくなるだろう?大丈夫、明日には響かないようにするからさ」

「みきや…」

 

 結局この後、朝まで致し続けた挙げ句しばらく式が、主に腰の痛みなどで動けなくなってしまい秋隆さんに小言を言われてしまったり、未那に「お母様ばかりパパと仲良くしてずるいわ」なんて言われておかしな邪推をされてしまったりとあったけれども。

 それはまた、別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3

 

 

(あっつい…)

 

 夏のとある昼下がり。

 私、瓶倉光溜がいるのはいつもの事務所ではない。礼園女学院という女子高の敷地だ。副業(私自身にとっては、だが)での調査ぐらいでしかこんな場所に縁など無いはずだが、しかしてそれとは無関係な理由でこの場所に来ていた。

 

「ミツルさんっ」

「終わったか、マナ」

「はい。とても有意義なお話が聞けました。鮮花叔母様の勧めで来てみましたけど、ここ凄く良いところだわ。パパとお母様の母校に通ってみたかったけれど、迷ってしまうわね」

「そうか。それは重畳」

「そんな心のこもっていない重畳なんて聞きたくありません。前から言っているけれど、ミツルさんは絵本作家としての感受性をもう少し育てた方がいいんじゃないかしら」

「…痛いところを突いてくるな、君は」

 

 両儀未那。

 私が副業にしている仕事での、上司の娘。本人曰く絵本作家である私の大ファンらしい。上司の事もあって、私としては相手をするなどごめん被りたい相手なのだが、本人が何かと理由を付けては事務所の方にやってくるのだから堪らない。上司の娘である以上、無下にするわけにもいかず時々こうしてマナお嬢様のお願いを聞いてやっているのが現状だ。

 

 今回のお願いというのは中学三年となったマナの、進路相談を兼ねた学校見学の付き添いだった。いつもであれば忙しくても親本人か、教育係である硯木氏が代役を務めるのだが今回に限ってどこにも手の空いている人員がいなかったらしい。仕方なく、私に白羽の矢が立ったという訳だ。私からすれば迷惑も甚だしいが。

 

「さてと、ミツルさん。敢えて聞きますが帰った後、予定ってあります?」

「ある。仕事がな」

「それって家の仕事じゃなくて、中々進まない執筆の方だったりしませんか?」

「…マナ。回りくどい言い方をしていると思わぬところで被害が出る事もある。用件は何か、手早く言ってみなさい」

「別になんて事は無いわ。ちょっとお散歩したいのだけれど、一緒にお散歩しませんかというお誘いよ」

「なるほど。私の時間は君の暇潰しのために浪費されるという訳か」

「だって、仕方がないのだもの。今は夏休みで学業もする事が無いし宿題も七月の内に終わらせてしまったわ。習い事だって今日は無い日だし、家に戻ったところでみんな忙しいはずだから散歩でもしてみようかなって」

 

 礼園女学院から帰るバスの中、冷房の恩恵に浸っていた私に突き付けられる自由の剥奪。そう、この娘はそういう娘だ。あの親にしてこの子ありとはよく言ったもの。この母子相手に私は一生逃れられないだろう。

 

「はぁ…。行く宛はあるのか」

「そうね………。あっ、デパートにでも行ってみましょうか」

「生憎と、金があるわけでも無いんだが」

「小銭くらいはあるでしょう。あそこでアイスクリームでも買ったりとか、良いと思うわ」

「…ま、アイスが欲しくないと言えば嘘になるが」

 

 そこからバスで駅前近くのデパートへ。

 マナはとにかく色んなものを見て回った。少女らしく見て回る大半は女性服の専門店だが、時折どれが似合いそうかなどと返答に困る質問をしてきたりするものだから対処に困る。見ようによっては怪しげな男がいたいけな少女を連れて歩いているのだから、周囲の視線が煩わしい。

 

「うんうん。夏はやっぱりアイスよね」

「まぁ定番ではあるだろう。夏を過ごしやすくする、人類の知恵の一つだ」

「かき氷を嫌いではないけれど、あっちは口の中にべっとり色が付いてしまうのが難点よね。こっちの方がスタンダードに楽しめるわ」

「スタンダードという割りに、バニラではなくストロベリーか」

「あら、イチゴだってアイスの味の中じゃ十分定番よ。そういうミツルさんは…」

「レモンだ。無難ではあるだろう」

「アイスクリーム自体、専門店にでも行かないと種類が少ない物だし、こうした場所じゃ種類が少なくなりがちよね」

 

 ある程度見て回った私たちは屋外の木陰になっている休憩所で休む事にした。とりとめもなく、平穏な話を談義する。

 

「ミツルさん。またちょっと別のところへ行ってみたいのだけれど、ここで最後に一つだけ良いかしら?」

「何だ」

「クレーンゲームっていうのをやってみたいの。いつもはゲームセンターとかそういった場所は行かないように言われてるんだけど、興味が無い訳でも無いし、今日はほんのちょっとだけ、ね?」

「分かった。いいだろう」

 

 お嬢様であるマナがこういった場所に来られないのは自明の理だ。というかむしろ想像できない。まあ今まさに目の前で悪戦苦闘している訳だが。

 

「あれ…。奥のをこーやって…。んーどうしてもずれてしまうわね…」

「何が取りたいんだ」

「奥にある、あの大きな猫のぬいぐるみよ。可愛らしいからあれにしようと思ったの」

「初心者が挑める位置に無いな、あれは…」

「え…そんな…」

「全く。仕方がない」

 

 このまま気落ちされるというのもこちらの気分が悪いので、狙っていた黒猫をデフォルメしたぬいぐるみを取ってやる。位置と動きをある程度計算できればこれくらい容易い。

 

「驚いた…。ミツルさんってクレーンゲームが上手いのね」

「別に。位置と動きを把握できればそこまで難しいものではないだろう。マナは単に初心者なだけだ」

「ありがとうございます、ミツルさんっ。これ、大事にしますね」

「そりゃ、どうも。そのままだと嵩張るから、袋を貰ってきなさい」

 

 はーい、と元気よく受付に駆け出すマナ。やれやれと思ったがまだ彼女に振り回されなければならないと考えると煙草を吸いたくなる。とは言え、自重しなければならない。流石に子供がいる場での喫煙は日陰者の私でも躊躇う。

 

 じゃあ行きましょうか、とデパートを出たところで一瞬戦慄する。分かってはいた事だったがデパートに隣接する場所であの駐車場があった。十年以上経った今でもあの時の事は忘れられない。

 一九九八年八月三日、午前十一時四十四分。私はあの日あの場所で一度───。

 

「………ツルさん、ミツルさんったら。そんな怖い顔してどうしたの?」

「いやなんでもない。行こうか」

「…?」

 

 今度こそ宛もなく歩き続けるマナ。夏の真っ昼間だというのに、暑さにも負けず、むしろそれすら楽しげに町を歩いていく。公園や商店街、ビル街などを颯爽と歩いていく彼女は人目を引いた。親譲りの美貌を持つ彼女だ。あともう少ししたら、仕草の一つで人を惹き付ける美女へと成長するだろう。

 と、───。

 

「ここは…」

「ミツルさん、どうしたの?ここは病院だけど体でも悪いのかしら」

「いや違う。少しだけだがここと縁があってね。懐かしいと思う程度には、感じるものがあるというだけの話だ」

 

 ふーん、と首を傾げるマナ。この先、彼女が彼と私の関係を知る事が果たしてあるだろうか。

 

「ほう、工事が終わっていたのか。以前の草原が見る影も無い公園になったな」

「ここの公園、綺麗ね。私、こういうところは好きよ」

「ふむ。もう十年以上も前の話だが、ここがただの草原だった頃に臨終したはずの遺体が霊安室から抜け出てここに捨て置かれていたという事件があったらしい。それも片腕が切断されひどく損傷した状態で、だ。ここは元々閉鎖的な病院だったらしくてな。その事件以来、不審者がやってこないようにと監視カメラの数を増やしたりするなどの一環でこの公園が作られたそうだ」

「ミツルさん、詳しいのね」

「まぁな。ここにいた時、暇潰しに聞かされた他愛も無い話だよ」

「桜の木の下には死体があるって話、あるものね。一見、綺麗なように見えてもその裏には薄暗いものがあるって事かしら」

「綺麗なだけで語れないのが世の中だ。今の時世、綺麗なままでいられる人間が果たしてどれだけいるか」

「厭世的な考えね。そういうところが感受性に欠けると思うのに」

「余計なお世話だ」

 

 そうして病院を後にした。名残惜しいなんていう感情は無い。彼の事は私が覚えていればそれでいい。

 

 マナが次に向かったのはブロードブリッジだった。三日月型の湾頭を繋げる観布子で最も大きな橋。渡るのではなくここに作られている美術館を見に行くようだ。

 

「やっぱり、ミツルさんは絵本作家としての感受性を育てるべきだわ。ここなら何か惹かれるものがあるんじゃないかしら」

「言われてみればそうだな。こういった場所には縁が無いが、さて、どうだろうか」

 

 大きな橋の中だからといって尖った何かがあるわけでもない。絵に始まり様々な骨董品、理解できない前衛的なオブジェなど…。

 

「む…?これは…」

「よくできた人形ね。なんというか、作り物だとはっきり分かるのに今にも動き出しそうな、アンバランスな魅力を感じるわ」

「矛盾した美しさ、か…。誰が作ったのかが分からないのが惜しいな」

「ミツルさんなら調べるくらい簡単な事でしょう?」

「仕事以外でそんな事はしない。面倒だからな」

「じゃあ私が依頼するのはどうかしら」

「やめてくれ、本当に。そんなに私を殺したいのか、君は」

「全く、大袈裟ね。少しくらい乗ってくれてもいいのに」

 

 これが大袈裟でもなく冗談の類いであればどれだけ良かった事か、マナ本人は知る由も無いだろう。

 

「それにしても本当に広いですよね、ここ」

「ブロードブリッジ。昔に市の開発部門が大手の建設企業と提携して作った橋だそうだ。着工してからもう少しで完成、という時に台風の被害に遭って工事期間が延びた馬鹿馬鹿しい橋だ」

「馬鹿馬鹿しい?どうして?」

「市民の不満を解消するためだなんて名目で作られたこの橋だが実際には声に上げられるほど不満があったわけじゃなかったんだ。要は税金の無駄遣いというやつだな」

「便利だとは思いますけど…」

「ただ橋をかけるためだけにショッピングモールや美術館など必要無いだろう。金や利権欲しさに様々な大人の黒い思惑が詰まった夢の橋、という訳だ」

「…ミツルさん、この橋に何か恨みでも?」

「いや特には。強いて言えば、無駄というものにはどうしようもない嫌悪感を感じるがね」

 

 どうやらマナの気分を悪くしてしまったらしい。早々に橋から降りた私とマナはまた再び、観布子の街へとくり出して行く。

 夏の暑い中これだけのポテンシャルを維持できるのはひとえに若さ故か。マナくらいの頃の私はちょうど活動していた(・・・・・・)時期だったから私はあまり参考にならない。

 

「…?立ち止まってどうしたんだ、マナ」

「なんでもないわ。…やっぱり気のせいよね」

「新興の高級マンションか。古くなったビル群を取り壊して新たに作られた、再開発の土地だな」

「えっと、そういうのではないのだけど…ま、いっか」

 

 途中、なぜかマナがマンションの上を見上げて何かを見つめていた。気のせいだったというがなんの事だろうか。

 

「あら?ここだけ何もない土地ね」

「再開発が進んでいる茅見浜でも珍しいな。以前はここもマンションがあったと聞いたが…」

「何かあったのかしら。なんていうか、ここだけ変な感じがするわ。上手くは言えないのだけど」

「不幸でもあったのかもな。よく迷信として語られているが、割りとその手の話は多かったりするものだ」

 

 また宛もなく、ふらふらと彷徨う私とマナ。既に日は落ち西の彼方が徐々にオレンジから夜の帳へと染め上げられている。そんな時間になってまで歩き回り最後に戻ってきたのはまた港の、今度は倉庫街だった。

 

「マナ。もう帰るべき時間だと思うんだが」

「大丈夫よ。家には連絡してありますし。それにミツルさんがいるなら心配無いだろうって」

(ああ、今日の私は夜勤コースか)

「今日のミツルさんは思っている事が顔に出やすいわね。大丈夫よ。もう少ししたら帰るつもりだもの」

「そうか。それは、なによりだ」

 

 心底疲れた顔で返答してもマナはそれに臆する事なく夜の散歩を楽しんでいる。十歳の時点で私と共に夜遊びに出掛けられる胆力を持つマナにとってこの程度、思慮するに値しないのだろう。

 

「こういう薄暗いところとか、危ない人たちがいたりして」

「そういった場所に行かせないのが私の役目だ。頼むから私の仕事を増やさないでくれたまえ」

 

 語気を強めて注意したが今さら私の言うことを聞く彼女ではない。とある廃倉庫の中へ入って行ってしまった。

 

「殺人事件の現場とかでありそうね、ここ」

「ドラマの見過ぎだ。そんな事易々と起きたりはしない」

「ちぇっ。ミツルさん、探偵なんだしもっと活躍の機会とか求めてみたらいいのに」

「私の本業はあくまで絵本作家だ。探偵モドキは副業。副業での活躍なんぞ私は欠片も求めていない」

「その割りに夢の無い事ばかり言いますよね」

「くっ…。私はいつまでこのネタでいじられなければならないんだ…」

 

 二人して軽口を叩きあいながら倉庫を散策していく。植物でも植えていたのだろうか。妙に地面が土で汚れている。

 気付けばマナがいなくなっていた。二階の方から音がするから二階へ行ったのだろう。見失うと大変なので少し急いで上へ行く。

 駆け上がった先でマナは一人佇んでいた。何故かなにをするでもなく、ただ立っているだけ。

 

「どうしたんだ、マナ」

「なんでもないわ。…そうね、今日はもうこれくらいで帰りましょうか」

「…?まぁ君がそれでいいなら構わないが」

 

 ここまで物憂げなマナの顔は見た事が無い。この娘は私と違って感受性が豊かだ。初めて来るはずのここでも何か感じるものがあったのだろうか。

 

「うん。なんていうのかしらね、根拠も何も一切無いの。けど…」

 

 独り言に近いのだろう、この語りは。わざわざ聞いてやる理由は無いのに、この時の私は彼女に見入ってしまっていた。

 

「なんだかね、とても悲しい事が、ここで起きた気がしたの。本当にそれだけよ」

「…そうか。今の君が言うなら、そうかもしれないな」

 

 悲しい事があったのではという彼女を連れて、ようやく帰途に着く。

 正直に言うと、根拠が立証されない話などまともに信じないのが私なのだが、今のマナにはそれを信じさせるだけの不思議な説得力があった。こういうところは、見習うべきところなのかもしれない。

 

 帰りはタクシーを拾う事にした。港倉庫街から両儀の屋敷までは流石に離れすぎているからだ。そのタクシーで通った帰り道の坂で、

 

「あれ?お母様…?」

 

 彼女の母親たる親分(ビックボス)の幻影を見たという話は、流石に信じられない(信じたくない)話であった。




如何でしたでしょうか。久しぶりに書いたのが本編じゃなくてこっちかよっていうのもあるかもしれませんがだってこっちの方が筆進んだのよ…仕方ないじゃない(´・ω・`)

ご感想、お待ちしております









P.S

 気付くと面白いのがありますよ!(あくまで私の自己満足ですが)気付けたら気付いたでそれが?ってなるかもしれませんけどね!


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