魔王っ子様の教育方針 (秋宮 のん)
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序章

 色々なトラブル続きですっかり更新がストップしてしまっていたので、生きてます報告を兼ねて新作を投稿してみました。
 連載する気もない約10話完結物(内容的には未完成)ではありますが、良ければ見てやってください。


 

「見つけた、標的三体」

 戦闘に立つリーダー役の男の声を聞き、集団に緊張が走る。

 生い茂る森の中、物陰から覗き見ると、リーダーの言葉通り、俺達が狙う標的、見た目アルマジロな『アルマローラー』なる魔物が三体、池のほとりで水を飲んだりしながら休んでいた。俺達の目的は、奴等を倒し、核である魔石や鱗なんかを剥ぎ取り、ギルドに素材として売りつける事だ。

「予定通り散開、合図を出したら一斉に出て周囲を囲むんだ」

 リーダー役の男、氷室(ひむろ)弘一(こういち)が片手で合図を出しながら指示を出す。一言で説明のしやすいイケメンな彼だが、一つだけ言わせてもらう。癖でつい出しちゃってるんだろうけど、その片手指示、俺たち誰も解んないから。

 まあ、事前の説明があったおかげで迷わないけどな。

 リーダーで剣士の弘一に続き、盾持ちタンクと槍使いの男子が二人、物陰に隠れながら接近。支援役の魔導師と道具使いの女子、そして狩人の俺は、それぞれさん方向に分かれ、離れた位置に陣取る。

 目標が良く見えて、仲間が突撃しても射線に入らない位置を割り出し、準備する。ちょっともたついてしまったが、足を引っ張る程遅くはなっていない様で何よりだ。

 さて後は弘一の合図を待つだけだと弓に矢を番える。アルマローラーに動きはなく、俺達に気付かず暢気に水を飲んだりじゃれあったりしている。こうやってみると普通の動物と変わりないけど、アレでも人間を見ると好戦的に襲ってくる魔物の類なんだよな。人間を殺す為に、魔族側から送られてきた先兵。そう思うとなんだか冷たい物が背中を滑り降りて行く様な怖気(おぞけ)を感じた。

 額を伝う汗を拭い、弘一に視線を向ける。遠くで全員の動きを把握していた弘一が小さく片手を上げた。それに合わせ、皆が臨戦態勢に入る。俺も弓を引き、いつでも射れる準備を整える。

 頃合いを見計らい、弘一の手が前方に向けて払われ―――、

「どわあああぁぁぁ~~~~~! 中止中止っ! 皆逃げろ~~~っ!」

 いきなり上げられた槍使いの声に、俺は危うく弦から指を放しかけてしまった。慌てて矢を取り外し、声のした方を見やる。槍使いの男は、相当慌てた様子で走り、獲物が逃げて行くのも構わず俺達を先導する。

「逃げろ逃げろっ! マジやばいって!」

 意味が解らないまでも、危機迫る表情からただ事ではないと判断し、皆一目散逃げ出す。弘一が槍使いの男に近付き問いかける。

「おいっ! 一体何があった?」

「すぐに解るって!」

 ともかく走る事を指示する男の言う事に従い、俺達はその場から逃げ出す。そして男の言った通り、その理由がすぐに解った。

 背後から来る地響き、そして木々の間から垣間見える黒い姿。それも一つや二つじゃない。三十以上はあるんじゃないかと蠢く黒が、群れをなして迫ってくる。

「『デビルアント』だとっ! くそっ! いつの間にかこの近辺で繁殖してやがったのかっ!」

 弘一が焦った様子を見せるこの魔物は、見た目は普通に黒い蟻だ。ただ大きさが半端無い。大型犬を一回り大きくしたくらいの巨体を持ち、繁殖速度が異様に高い。一体一体はそれほど強くはなく、頭を切り落とすか打ち抜けば簡単に倒せる。だが、ともかく数が多い。デカイと言うだけで厄介なのに、行動する時は群れをなすのが当たり前。とても準備なしで相手できる様な魔物じゃない。

 俺達は全力で脚を動かし、ともかくデビルアントから離れるために逃げ続ける。幸い奴等の行動範囲はそんなに広くない。ある程度距離を取れば無闇に追いかけてきたりはしない筈だ。だが、足場の悪い山の中、無事に逃げきれるかどうか……。

「あそこだっ! あの崖に掛けられている橋を渡るんだ!」

 弘一の声に気付いて彼が指さす方へ視線を向けると、そこには言葉通り高い崖の間に繋がれた古い吊り橋があった。だいぶ整備されていないのか、古さが見て取れる程の年季の良い橋だが、この際文句なんて言ってられない。デビルアントは飛び上がる事も出来ない地を這う魔物だ。崖を超えて橋を落とせば、まず追って来れない。

 皆、言葉を返す余裕も無く弘一に従い、橋を目指して走る。重量制限とか色々気になったが、考えている余裕はない。意外と幅の広い事を良い事に、皆一斉に橋を渡り、物凄く揺れる吊り橋に悲鳴を上げた。それでも脚は止めない。魔道師の女子が堪え切れずに転びそうになったが、すかさず弘一が彼女を抱き上げ救出。皆にもしっかり声を掛けて奮起させる。あまりに格好良すぎて男の俺でも惚れちまいそうだよ……。

 ズボッ!

「……ッ!」

 突然身体が傾き、一瞬何が起きたのか解らなかった。橋の上で四つん這いになって倒れたところで自分の置かれた状況をやっと理解する。足が古くなった橋を踏み抜き、右足だけがハマった状態になっていた。こんな時に、なんで俺がこんな目に遭うんだよ⁉

 叫びたい気持ちを押し殺し、涙目になりながら脚を引っ張り出し、何とか立ち上がって走り出す。皆は既に橋を渡りきり、橋を切り落とす準備をしていた。

鈴森(すずもり)君! 速くっ!」

 弘一が手を伸ばし俺を急かす。俺も手を伸ばしてその手を掴もうとする。

 ビシャアッ!

 突然の水音に何事かと思った瞬間、身体が吊り橋ごと傾いた。浮遊感を得る中、俺の頭の中の妙な冷静な部分が状況を理解した。おそらくデビルアントが放った溶解液が橋に掛って溶けたのだ。金属を解かせるほど強力な物ではなかったはずだが、ぼろい吊り橋くらいなら余裕だったらしい。次の瞬間、浮遊感が失われ落下するのを感じる。精一杯伸ばした手は空を切り、俺の目には必死な形相で手を伸ばす弘一の姿が映った。

「うわあああ―――だあぁっ!」

 落ちたと思って思いっきり叫ぼうとしたら、すぐに背中が地面にぶつかって中断させられた。一瞬、想像以上に早い死が訪れたのかと思って思考が停止した。だが、どうやらそうではないらしい。背中に感じる鈍い痛みがそれを教えてくれる。起き上って状況を確認すると、崖の途中に洞窟らしき物が存在し、俺は偶然にもこの中に入る形で斜めに落下したようだ。

「きゅ、九死に一生とはこの事だが……、こんな体験一生味わいたくなかった……」

 ほっ、と息を吐く俺は、その時になって洞窟の外、つまり崖の上から俺の名を呼ぶ声がするのに気付いた。俺は洞窟から身を乗り出し、なんとか顔だけ出すと手を振って応えた。

「大丈夫! 何とか生きてる!」

 それほど高低差はなかったので向こうもすぐに気づいてくれた。皆一様にほっとした表情をしている。だが一方で、崖の反対側からはデビルアントの群れが、ズゾゾゾ……ッ! っと言う気味の悪い音を鳴らして崖を超えて来る。頭が悪いので次々と崖の下に落ちて行っているが、崖の幅はそれほど広くない。勢いで飛び付いている内に蟻の橋でも出来そうな気配だ。悠長にはしていられそうにない。

「鈴森君! ここからじゃ君を引っ張り上げられそうもない! そこから地上にまで移動できるか?」

 俺は洞窟の奥を見る。結構長く続いているようだが、何の洞窟だか解らん以上、地上に繋がっているとはとても思えんが……。

「洞窟が続いてる! なんとか地上に出れないかやってみる!」

 っと言うしかないよな。時間もなさそうだし。

「解った! 夕暮れまで、例の分かれ道で待つ! それ以降は街で待ってるから、必ず生きて戻ってきてくれっ!」

 そう言って走り去るイケメン弘一と皆さん。正直、俺もあっち側でいたかったよ。

 などと言ってる暇も無いので、俺は腰のポシェットから『光石』を取り出し、それを灯りにして洞窟の奥へと走り出す。しかし、ちょっと進んだ程度ではあるが、この洞窟は一体何だ? 人為的に作られたとは思えないが、自然に出来た物とも思えない。一体何処に続いていると言うのだろう。

 ウゾゾ……ッ、ウゾゾ……ッ、

 背後から響く物音に本気で飛び上がってしまった。洞窟の大きさは案外大きく、俺一人が余裕で通り抜けられる。デビルアントなら二匹くらい通れそうだ。そして背後は俺が通ってきた道で、音を鳴らす様な物は何もなかった。だったらその正体は一つしかないじゃないか。

 デビルアント様御一行、よりにも寄って崖の向こう側じゃなくてこの洞窟に入り込んできやがったらしい。

「くっそおおおおおぉぉぉ~~~~~~~~っ!」

 足元が疎かになりそうな中、小さな『光石』の輝きだけを頼りに、俺はひた走る。追い付かれれば確実に命はない。

「なんで、なんでよりにもよって俺が、こんな目に遭うんだよ~~~っ!」

 偶然と言う名の理不尽に、俺は叫ばずにはいられなかった。

 まだ二ヶ月、たった二ヶ月前までは、俺は()()()()()だったのに……。

 

 



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第一章 始まり

 縦書き表記で書いてたのと、普通にルビ打ちしてたので、ハーメルンの形式に直すのが意外と大変ですね。直し忘れや誤字脱字があれば申し訳ない。もし見つけたら容赦なく一刀両断してください。


 物語の始まりって言うのはどう言う時なんだろうな。少なくとも、俺の物語を語るからって、俺が生まれた時を『始まり』にするのは違うと思う。そこから語るなら、俺が生まれつき何らかの物語に関わる様な存在でないとダメだろ。

 ならどんな時を始まりとして語るべきなんだ? 昨今の作品を鑑みても、『過去編』なんかで、「そもそもの始まりは~~~」なんて語っていたりするぐらいだ。物語の第一話が『始まり』だと判断する事さえ難しい。

 だが、それでも俺達の物語の始まりは、『ここからだ』っと言う線引きが確かにあった。

 俺達の『始まり』を話す前に、まず『終わり』の話をしておく必要がある。俺達が『始まる』前、俺、鈴森(すずもり)(とばり)は、春蘭高校の二年Cクラスに通う、普通の高校生だった。普通の定義も昨今では色々言われていそうなので、少しだけ補足説明すると、苛められている訳ではないが一人でいる事が多く、仲良く話す相手はいるが友達と言うと微妙な顔をされる。そんな感じの人間関係。成績は下の上と言ったところをギリギリキープ。趣味はネット、漫画、アニメ観賞っと、オタクっぽい方向。オタク……って言って良いんだよな? ネットでちょっと見たくらいしかないから定義が微妙に解ってないんだが、たぶんあってる。

 その日は別段なにも変わった事はなかった。だからいつも通り、何も特別ではない日が始まるのだと思っていた。それが『終わり』になるなんて、到底予想できなかった。

 最初は何か眩暈の様に感じられた。それがすぐに揺れだと気付いた。気付いた瞬間地球が殴られたんじゃないかと錯覚する程に激しい揺れに変わった。慌てた教師が机の下に隠れるように叫んだ。だから俺は自分の机の下に隠れようとして―――、そこに先客がいた。しかもまったく親しくも無く、好みでさえ無いウザさ筆頭ギャル女が、俺の席を占領してやがった。ってかコイツ何処から現れやがった。

 疑問と呆れを同時に抱く。だが今は緊急事態だ。文句は言うまい。仕方なく椅子を使って簡易的に頭を守ろうとしてしゃがんだ時、そのギャル女がいきなり俺を衝き飛ばしやがった。

「ちょ……っ! どさくさに紛れて近寄んなよ! キモッ!」

 さすがにブチ切れて、「だったら俺の席に近付いてんじゃねえよ! お前の方がよっぽどキモイわっ!」などと吐き捨ててやろうと思ったのだが、そんな余裕あるわけはなく、偶然突き飛ばされた時にぶつかってしまった誰かに謝罪を述べながら、ともかく安全を確保しようと頭上を見た時。

 バァンッ! っと言う物凄い音が衝撃の様に発生し、天井が崩壊した。その後は、僅かに感じた激痛と暗闇に閉ざされ、どうなったのか定かではない。

 それが俺達の『終わり』だ。

 

 バタンッ!

 

「は……っ!」

 そして『始まり』は、本を閉ざす音で我に返ることから始まる。

 気付いた時、周囲は見渡す限りの本棚に囲まれていた。果てが見えない通路と、果てが見えない天井に、所狭しと並べられた本棚に、ハードカバーの分厚い本が隙間なく埋め尽くされている。本と本棚だけで統一された空間は、たったそれだけでファンタジーの世界に迷い込んだかのようであった。

 この空間に居るのは俺だけではなかった。ぱっと見ただけでも十人くらい、それも全員がクラスメイトと言う、見知った顔ぶれ。これは一体どういう事だ。

「一度にこんな大人数が来るなんてレアケース―――いや、久しぶりと言った方が良いのかな?」

 そんな声が聞こえたのは、俺達の正面、脚立を椅子代わりにして脚を組み、手に本を持つ少女からだ。髪の色は黒く、床に付きそうなほどに長い。うなじの後ろの辺りで縛り纏めているだけだが、幼さが残る顔立ちの所為か、それだけでも美人に見える。着ている服は何処かの学生服に見えるが、生憎詳しいわけではないので学校は特定できない。いや、そもそも似ているだけで制服じゃないのかもしれない。脚を組んでもチラリズムの心配が全く窺えない長いスカートを穿いている事もあってか、身長の程が解り難いのだが、たぶん俺達と大した年齢差はないと思う。

 彼女が言葉を発した事で、また、表情が訳知り顔だった事もあってか、ウチのクラスメイト、武藤(むとう)誠司(せいじ)がさっそく喰ってかかる。

「何だよお前? ここは何処だ? 俺達に何しやがった? お前は一体何を知ってんだ⁉」

 汚い言葉使いで勘違いされがちだが、決して誠司は不良ではない。何故か学生服の下にパーカーを好んで着たがる事と、テストの点が高ければバカではないと言う勘違いをしているだけの、普通の一般高校生だ。また普通の定義について難儀しそうだったので、今回は先に補足しておいた。

「そんな一度に尋ねないでほしいなぁ。説明を求めると言うなら知りうる限り話してあげても良いけど、だからって僕を主犯みたいに扱うのはやめてほしいよ。そもそも、君達が『死んだ』事も、君達がここに来た事も、僕の意思とは全く関係の無い所なんだから」

 あまりにさらりと言い流されて、一瞬誰も気付けなかった。気付いたところで解りたくなかった。

「ま、待て……っ! どう言う事だ? 俺達が……死んだ?」

 整った顔立ちに、明るく親切で、皆のリーダー格に自然と立つイケメン、氷室弘一が信じられないと言った表情で呟き、他の面々も皆一様に恐れる様に自分の体を抱きしめたり、自分の手を眺めたりしている。

「こうしてごらんよ? 一発で解る」

 そう言って彼女がしてみた行動は本当に解り易い行動だ。自分の胸に手を当ててみる。たったそれだけだ。俺も含め、全員が反射の様に自分の胸に手を当て、その奥に感じるはずの鼓動の行方を捜す。だが―――、

「う、うそ……、私達、本当に死んでるの……?」

 セミロングの茶味がかった髪を左側で三つ編みにしているのがチャームポイントの女子、柊木(ひいらぎ)愛歩(あいほ)が青ざめた表情で呟く。

「……脈も止まっているのね。なら、どうして私達は『生きている』のかしらね?」

 すぐ後ろで別の女子の声が聞こえたが、振り返って確認する余裕はない。こっちだって死んでいる事を自覚して一杯一杯なんだ。

「ここって、もしかして天国なの……?」

 誰かが訊いた。声音からしてたぶん女子。クラスメイトだから少し考えれば思いつきそうだが、今はその余裕すらない。そんな事より、俺もその疑問に答えて欲しかった。

「こう言う時、どうして人間は『地獄なのか?』っとは訊かないんだろうね? やっぱ普通に怖いもんかな?」

 あっけらかんと、脚立に座る少女は当たり前の事を言う。

 さすがにイラッ、と来たらしい誠司が、睨みつける。彼が何事か言う前に、少女は肩を竦めながら回答する。

「死んだ人間が行きつく先と言う意味ではハズレ。君達がここに訪れたのは、転生するべき世界に行く途中で偶然引っかかっただけ。僕は何もしていないし、何も知らない。知っているのは君達の世界だけ。君達がこれから行く世界については、まだ読んでないから解んない」

 また意味深な言い方をする。答えてもらって何だが、まるで意味が理解できない。そんなこちらの意図に気付いているらしく、彼女は脚立から飛び降りると、手を後ろで組んで適当に歩き始める。

「質問に答えていたんじゃ理解できないでしょう? だから僕が順を追って話すよ。しばらく御静聴願います」

 くるりっ、とその場で回転して見せ、広がったスカートが元に戻るのを待ってから、彼女は話し始める。

「先に言っておくけど、僕は物知りなだけでなんでも知ってるわけじゃない。統計と経験を元に推察する事しかできない。だから確実な事から話して行こうか?」

 ニッコリと笑って見せ、片手でバスガイドがする様に右手側を指す。

「まずこの世界について。対外的にこの世界は『世界の書架』と呼んでいる」

「『対外的』……?」

 誰かが思わずと言った感じに疑問を述べる。少女は頷く。

「そう、『対外的』に……。なんせこの世界には住人がいないからね。この世界その物には歴史も記録も無い。だからここに住んでいる唯一の住人である僕が、『ここは何処?』っと聞かれた時のために、答えられる名称を作っておいてるわけ」

 そう言ってから彼女は指差していた手の手首を返す。すると、本棚から一冊、本が独りでに飛び出し、彼女の手元まで浮遊する。

「この本は一冊一冊が世界を描いているんだ。一冊に付き一つの世界の寿命が尽きるまでを描かれている。もちろん文字じゃないよ。例えるならいくつものストーリーが展開される一枚の絵を見ている様なものかな? 僕がこの世界でやっている事、やれる事の唯一がこれ、他の世界を本を通して読む事。君達の世界についても、そして君達の事も、この本を読む事で知ったんだよ。だから君達の事なら何でも知ってるよ」

 またニッコリと笑みを向けて来るが、何気にプライバシーの侵害を被っていると言う事実に気付いて、俺は軽くブルーな気分だ。

「この世界は『世界』を本にして貯蔵し、閲覧できる場所。そして、ここから別の世界へ転生する機会を得る場所。それが僕の知る限りのこの世界の事かな?」

 そう言って彼女は本を閉じ、元の場所へと戻す。

「だからここの唯一の住人である僕は対外的に『世界の司書』なんて名乗ってる。まるっきり外れてるわけでもないしね」

 ウインク一つして人差し指を立てて見せる。ちょっと可愛い。でも今は見惚れられる気分じゃないんだ。少し空気を読んでほしい。

「まあ、まだまだ疑問はあるだろうし、聴きたい事もあるだろうけどその辺は呑み込んでほしい。別の世界に行く事になる君達には、この世界の事をいくら聞いたところで蛇足でしかないよ」

「別の世界に行く? 俺達はそれが決められているのか?」

 弘一が尋ねる。少女は笑顔で頷く。

「そうだよ。僕がわざわざ蛇足を話したのは、僕にも知らない事があるって事を前もって知ってもらうため。僕が知ってる限りで君達の今置かれている状況を話そう」

 どうやらここまでは前置きだったらしい。随分長い前置きだった気もするが、必要な内容だったとも納得できる。いや、納得しておく。

「まず、さっきも言ったけど君達は死んだ。君たち全員、地震で崩れた校舎の下敷きになってね。その中で、一人残らずお亡くなりになった二年Cクラス全員が、別の世界へと転生させられた。誰がやったかは……たぶん、その世界に存在する神様的な存在」

 彼女はまた手首を返す。一冊の本が彼女の元に訪れ自ら表紙を開く。さっ、と流し読みした彼女は俺達に視線を戻す。

「君達が転生する世界は『ファーストリア』と呼ばれているらしいよ? そこは剣と魔法で冒険し、魔物が存在する世界みたい。あ、魔王なんかもいる」

 何処かのネットで使い古された転生モノっぽくなってきたな。違うのは転生する人数が半端無いってとこだが……。

「君達を見る限り、どうやら元の世界との線がまだ完全には切れていないみたい。場合によっては元の世界に戻れるかもね?」

「ほ、本当なのっ?」

 女子の誰かが訪ねる。少女は頷く。

「その辺の方法は転生した後、君達が自分達の力で探してね。僕はここで世界を閲覧は出来るけど、干渉はできないから」

 そう言って彼女は本を閉じ、いつの間にかそこにあったテーブルの上に置く。

「俺達が別の世界に呼ばれたのだとして……、ならどうしてここに居るんだ?」

 『世界の書架』なんて場所に居る事に疑問を抱いた弘一が尋ねる。彼女は少しつまらなさそうな表情になって脚立に座り直す。

「その辺は知らない。たまにあるから、単に引っかかっただけでしょ? 位置的にこの世界、世界と世界の狭間に位置してるっぽいから」

 ありそうな事を言うが、検証してみた事など無いのだろう。彼女の言葉はどこか投げやりだ。

「おっと……、妙なタイミング」

 唐突に彼女が呟き、彼女から風が発せられる。一体何事かと皆が身構える中、偶然にも俺が最初に気付いた。

 ―――違う。彼女が風を起こしてるんじゃなくて……っ!

 振り返る。そこには空間が避け、光り輝く向こう側の空間が見える。あそこが何処だかは解らないが、確実に吸い込まれているのは俺達だけの様だ。

「な、何だこれっ!」

 やっと気付いたらしい別の男子が声を上げる。その言葉に対しても、彼女は律義に答えてくれる。

「『ファーストリア』の世界だよ。引っかかった君達を迎えに来たんでしょう? 元々君達はその世界に呼ばれる筈だったんだしね」

 やっぱり光に吸い込まれているのは俺達だけの様だ。彼女と本棚に収められている本には何の影響も与えていない。

「そうだなぁ……、君達がここに引っかかったのは偶然だったけど、せっかくだし一つ、助言らしい事でも言っておこうかな?」

 彼女はそう言って薄く笑う。

「まず最初に、決して勘違いしないで。君達は選ばれた勇者なんかじゃない。嘗て居た世界で死亡した脱落者だ。決して特別な存在ではない。受験に落ちて、補欠合格の席を辛うじて手に入れただけ。運は良いかもしれない。でもそれは、幸運とは程遠い物だよ」

 彼女の言葉は真摯だった。ここに来て初めて見せる態度に、強さを増す風に耐え、俺達は全員、彼女の言葉に耳を傾けた。

「忘れないで。君達が向こう側の世界で何を望まれたとしても、全ての行動と責任は君達に存在する」

 風が勢いを増す。殆ど強風の様な風の中、しっかり足を踏ん張らないとあっと言う間に飛ばされてしまいそうだ。だけど実際には風ではないのか、不思議と風音に紛れる事無く、彼女の声ははっきりと聞こえた。

「忘れないで。例えどんな世界であっても、嘗て君達がいた世界と同じ。世界はとっても複雑で、簡単じゃない。複数与えられた選択肢が、実はたった一つの答えにしか結びついてない事もあれば、自分で選んだ三つ目の選択肢が、必ずしも正しいと言うわけじゃない」

「うわ……っ!」

 飛ばされそうになって思わず声を上げてしまう。もう時間がなさそうだ。

 少女もそれを感じ取ったらしく次の言葉を最後にして締めくくる。

「忘れないでね。光も闇も、片方では何も成立しない。導き手は、決して一人ではダメなんだよ……」

 最後に慈しむ様な、労わる様な表情で言葉を残し、彼女は小さく手を振った。

「いってらっしゃい」

 瞬間、皆は一斉に力を抜き、光の中へと吸い込まれて行った。俺も力を抜き、光の吸引力に身を任せ―――ようとして、一つ重大な事に気付いた。ギリギリでなんとかブレーキ、思いっきり足を踏ん張る。

「お、おいっ! アンタの名前は!」

 そう言えば聞いてなかった。そう思って訊ねたのは、ただなんとなく、ギリギリになって聞いておきたいと思っただけだ。

 彼女は少し驚いたような表情になり、それから照れくさそうに笑った。

「他人と会話しないから、聞かれないと自己紹介するタイミングが解んなかったんだよね……。甘楽(つづら)弥生(やよい)だよ。君達と同じ、この世界に引っかかって、そして留まる事を選んだ、一人の人間……」

 薄く、そして儚げな笑みを浮かべた少女の顔を最後に、ついに俺も踏ん張り切れず、光の中へと吸い込まれて行った。

 これが俺達の『始まり』の話だ。

 

 

 そして俺達は光の中で再び目を覚まし、弥生の言ってた通り、『ファーストリア』の神様的な何かに導かれ、世界に転生した。転生した先は何処かの遺跡の魔法陣の様な物の上だった。そこで現れた光の球体―――恐らくは神の意思的な何か―――が、一方的に説明してくれた。

 曰く、俺達は元の世界で死んだので、その魂をこちらの世界に引っ張り転生させた。

 曰く、俺達を転生させた理由は、この世界の魔王を倒すため。

 曰く、魔王を倒せば、俺達はこの世界で手に入れた力を持って、元の世界に帰れる。

 なんともテンプレな展開だと、笑った奴がいた。魔王を倒すために、別の世界から転生してきた俺達は、一人一人、特別な力を与えられた。『パーソナルアビリティ』とか言うらしく、その人の適性に合わせた個人専用スキルなんだそうだ。中には結構チートなんじゃないかと思えるほど強力なのを持ってる奴もいた。一方で、まったく使い方が解らんとぼやいている奴等もいた。ちなみに俺はこっち側。

 っで、肝心の魔王だが、どうやら魔王は既に一度滅んでいるらしい。だが、必ず再臨し、人々に災いを招くと云われているんだとか。俺達は魔王が再臨した時に備え、準備された最高の器って事らしい。

 それだけ一方的に伝えた球体は消滅し、肝心なこの世界の常識やルールについては語ってくれなかった。仕方ないのでクラスでもリーダー格の扱いを受けている氷室弘一と柊木愛歩の二人を中心に、俺達二年Cクラスは一団となって行動を開始した。幸いすぐ近くに街が存在し、言葉の壁も無く受け入れられ、俺達はギルドと呼ばれる職業冒険者を集め、管理する組織の一員となる。このギルドで発行される依頼を受けることで、俺達はなんとか世間の常識と最低限の生活費を手に入れて行ったのだ。

 冒険者業にも慣れ、ようやく一人で簡単な作業くらいはできる様になった頃、俺達二年Cクラスは一団ではなくなり、幾つかの派閥に分かれる様になった。俺はその内の一つで地道なレベルアップ訓練の最中、『デビルアント』の襲撃を受け、今何処とも知れない洞窟を必死に走っている訳だ。

 

 

「うわああああぁぁぁ~~~っ! 怖い怖い怖いっ!」

 意味がないと知りつつも叫ばずにはいられない。真っ暗闇の洞窟の中、僅かな光源を頼りに、足元が殆ど確認できないにも拘らず全力疾走しなければならない。おまけに(つまづ)こうものなら、次の瞬間には背後から迫るデビルアントの餌食だ。これが怖くない筈がない。

「いくらファンタジーだからって、こんなのはいらないんだよ~~~っ!」

 異世界主人公とか憧れなかったわけじゃないけど、だからって実際にやろうとすれば無理があるって事は解ってんだよ! だから穏便に生活しようとしてたのに……。

「やべ……っ! 息が……っ!」

 この世界に来て、随分鍛えられたが、それでもいつまでも全力疾走は続かない。このままじゃ疲労から足がもつれるなんて事にもなりかねない。

 絶望的な予想に顔を青ざめた時、俺は洞窟の奥から光源らしき物をついに見つけた。出口かどうかは解らないが、もう何でもいい。このまま洞窟内で巨大蟻と追いかけっこよりはマシなはずだ。光に向かって走る。相変わらず背後からはあのおぞましい音が聞こえてくる。

「ぶわ……っ!」

 光の中に飛び込み、光の落差で一瞬目が眩みながらも脚を止めない。

 すぐに目が慣れ、辿り着いた場所を確認できる。

「って、何処だよここ?」

 木々が生い茂る樹海の様な緑一色の空間。それが俺の目に飛び込んできた世界だった。至る所に木々が生え、大きさも小さい普通の木から、樹齢何百年経っているのかと疑う程の巨木まで、それぞれが複雑に絡み合い、さながら樹海の神殿を作り出しているかのようだ。木の全てには僅かな隙間も無い程苔が生えており、木の茶色い部分すら見られない。正真正銘完全な緑だ。幸い地面に生い茂っているのは普通の雑草なので苔に脚を取られるという心配はなさそうだが、これだけ広いと今度はデビルアントの動けるスペースを確保してしまうのではないかと言う心配が出て来る。

「ど、何処かに逃げ道はないのかよ!」

 誰に聞いてるんだと自分で自分に尋ねたくなるが、精神的な安定を保つための独り言なのだから許してほしい。こっちは命が掛っているんだ。

 だが、人生は無常かな、出口らしい所などどこにも見えない、樹海の神殿は複雑に絡み合った木々が、僅かな隙間すらない程に絡み合い、人一人が抜け出す道すらない。完全に袋小路だった。もっと高い位置には隙間もありそうだが、苔が密集している木は、取っ掛かりに足を掛けても滑ってしまう。とても上れそうにはない。

「くっそ……っ! やるしかねえのかよ!」

 弓に矢を番え、戦闘準備をする。できるだけ狭い窪みの間に陣取り、一度に大勢で襲われないように努める。

「こう言うのはせめて剣士職か、レベルの高い魔法職のイベントにしろよ! なんで俺みたいな支援タイプの狩人がこんな目に遭ってるんだよ……!」

 マジでもう泣きそうだ。いや、もう泣いてるよ。だって、どうあってもこれ死亡確定だ。何をどう足掻いても火力も無く、一発の威力も低い狩人の俺が、デビルアントの軍勢相手に戦って生き残れるはずがない。もう完全に終わりだ。

「怨むぜ神様的球体……! 魔王討伐とか目的なら、せめてもう少し使えるパーソナルアビリティよこせってんだ……!」

 今更言い出しても仕方ない様な事をぼやき、俺は自分が出てきた洞窟を睨む。あのおぞましい音がかなり近づいている―――なんて思った次の瞬間には、デビルアントの群れが次から次へと飛び出してきやがった。それは文字通り、蟻の巣から群がって出て来る蟻の大群そのままの光景だ。

 とっくにこっちは恐怖が臨界だ。恐れすぎて怖がれもしない。だから冷静に矢を放つ。一番先頭を走っていた奴の頭を貫く。それだけでデビルアントは絶命した。アレだけの巨体で、虫に分類される癖に、生命力が人間並みと言うのは不思議な物だが、だからこそ、あの巨体でも大群になる事が出来るのかもな。たしか、腹も一杯になり易いって話だし。

 変に冷静な部分でそんな蛇足な思考を巡らせながら、次々と矢を番えて放つ。十五本全部必中。これだけ撃って綺麗に的中したのはちょっと嬉しい。なんか変なスイッチが入ったのか、笑いが込み上げてきた。今、絶対鏡見たくない。相当ヤバい顔してる。

 だが、善戦などしてはいない。十五本も撃って、全部的中なのに、蟻の群れはすぐそこまで迫ってきている。経験上、あと八体くらいなら矢で射れると思うが、その後は弓を引く暇はない。一応ナイフはあるけど、これで一体何処まで戦えるのやら。

 ―――ええい! もういいっ! 持っていける所まで持っていけぇ~~っ!

 もう完全にやけくそだ。矢を一度に三本を番えると言う試した事も無い荒技を無理矢理実行して矢を放つ。どうせ相手はデカイ上に大群だ。とりあえず矢を放てばどっかには当たるだろう。俺が食われるまでに矢も使いきれない。ならせめて、ここで使いきってしまえば良いんだ。

 放った矢は本当に三体の頭を偶然貫き、一度に絶命させた。これにはもう興奮を抑えられない。

「俺すげぇ~~~っ!」

 偶然だろうけどマジすごいわ。偶然に誘発されて有頂天になりながら次を構える。

 でも、頭の隅では理解していた。次々と洞窟から這い出て来る蟻の群れに切りはない。俺はいずれ力尽きて、あの蟻に喰われる運命なんだと。

 またじんわりと涙が溢れて来る。なんで俺が死ななきゃいけないんだと、雄叫びを上げながら矢を放とうとして―――、唐突にそれは起きた。

 爆発。

 連続して巻き起こる爆発は、何度か皆といる時に見た事があるのですぐに解った。これは魔法だ。誰かが、たぶん火の魔法を使ってデビルアントを攻撃している。

 ―――助けが来たのか?

 そんな疑問を浮かべる内に、爆発は止み、先程まで際限なくデビルアントを吐き出していた洞窟が瓦礫に埋まって塞がっていた。これでもう敵が増える心配はない。後は既に出てきている蟻を始末すればいいだけだ。

 数を確認。三十四。

「よしっ!」

 無理だ。矢の本数が残り二十本くらい。十四本も足りない。やっぱり俺は死ぬのだろうかと身構えた時。空中に光の球体がいくつも出現する。放電している所を見るに、あの光は雷系の魔法なのだろう。見た事の無いタイプだが、相当レベルが高そうな気配だ。球体の数は十個ほど出現し、バチバチッと放電現象を起こしている。どうやら範囲系の魔法の様だと察したところで、嫌な予感を感じた。

「おい、まて……っ、まさかこれ、俺も範囲内に入ってるんじゃないか?」

 次の瞬間雷光が迸り、世界を真っ白に染め上げた。予想通り、俺まで一緒に巻き込んで、だ……。

「ぎゃああああああああぁぁぁぁぁ~~~~~~~っ!」

 

 

「いったい何してくれてんだよ~~~~っ!」

 全てのデビルアントを倒し、なんとか窮地を脱した俺は、身体から青い燐光を放ちながら、何処かに居るはずの魔術師に対して叫ぶ。

「助けてあげたのだから文句を言われたくはないわね」

 果たして俺の叫びに応える者がいた。声のする方向に視線を向けると、そこにはレンガの様な赤黒いローブを纏った長い黒髪の女子が腕組をしてふんぞり返っていた。少しつり上がり気味の眼は冷たく、見る物全てを見下しているかのようでもある。

 今までどこに居たのか知らないが、困った事に俺はこいつの事を知っている。

「念のために確認するが、姫川だよな? なんでソロのお前がこんなとこにいんだよ?」

 姫川ゆずり。彼女は俺達と同じ二年Cクラスの一人だ。ただ、彼女は今、俺達とは一緒に行動していない。

 俺達二年Cクラスは、最初こそ一致団結して魔王討伐に向けて行動していたが、生活にも慣れ、一人で暮らしを支える事が出来るようにもなると、だんだん個人の考え方は変わってくる物だ。

 そもそも、この世界に俺達が来たのは、死んでしまったことが要因だ。なら、元の世界に生き返るより、この世界で生きて行く方が楽な気もしてくる。ゲームや漫画の娯楽品には恵まれていないが、それでも楽しむ方法はいくらでもある。何より魔王討伐は死と隣り合わせの危険な使命。討伐の報酬が元の世界に返れる事と、この世界で得た物を持ち帰れる事だけでは命を掛ける対価としては見合わない気もする。なんせこっちは、一度死んで、運良く転生した身だ。せっかく生き返った命をもう一度賭けてまで、魔王討伐などしたがるだろうか。

 中には使命感に燃えてたり、あの対外的な『司書』さんが危惧したとおり、選ばれし勇者になった気分の方とかもいたりして、魔王討伐はと異世界移住派の二つに分かれてしまった。更に面倒な事に、討伐派は、集団行動を苦手とし一人で行動する『ソロ』連中と、集団でがんばる『パーティー』の二つに分かれ、更に更に、『パーティー』は順調にレベルアップして行く『エリート』と、レベルアップに苦戦する『落ちこぼれ』の二つに分離してしまっている。

 現在二年Cクラスは『集団討伐派』『単独討伐派』『移住派』の三大派閥に分かれてしまっている。俺は『集団討伐派』の『落ちこぼれ組』で、アレから一ヶ月も経った今でも、最初に冒険者登録したギルドの街『ファーストウォーク』で依頼を受け、地道なレベリング作業を行っているのです。

 なので、ここに一人でも問題無く魔王討伐を目指せる『ソロ』の姫川 がいる事に、多大な疑問が持ち上がるわけです。

「ちょっと用事があってここを調べていたのよ。そしたら突然アナタがデビルアントなんて連れて来るんだもの。迷惑したわ」

「纏めて俺を攻撃したのはその辺の腹癒せかっ!」

「別に、怒る様な事でも無いでしょう? この世界では『精霊の加護』って言う便利な物があるんだから」

 『精霊の加護』って言うのは、この世界に存在する精霊に洗礼を受け、契約する事で、自分の身も守ってもらう加護の事である。先程俺が姫川の電撃魔法を喰らっても、青い燐光を放つだけで平気だったのも、この加護のおかげだ。

 この世界にも宗教と言うのはあるのだが、その中で更に『精霊信仰』っと言う物が別種に存在する。己が信仰する精霊と契約を交わす事で、その精霊の加護を授かる。加護を受けるためには、精霊との簡単な約束を結び、守り続けなければならない。つまり誓約だ。誓約を守る限り、精霊は俺達を加護と言う形で守ってくれる。俺は良く知らないが、精霊との契約をもっと複雑にしたり、重要性を高くする事で、加護以外にも精霊から力を授かる方法もあるんだとか。

 この『精霊の加護』、ゲームで例えるならHP概念みたいな物で、身体に纏っている加護がある限り、受けたダメージの代わりに加護を消費する事で打ち消している。だから、痛みも無いし、俺たちみたいな素人でも、魔物相手に戦えるってわけだ。だが……、

「加護に限度があんだろ! 今ので全部消えてたらどうしてくれるんだよ? こんな何処とも知れない場所で、何処に魔物がいるかも解らない場所で、丸裸同然なんて本気で勘弁だぞ!」

 そう言いながら俺は人差し指と中指の二本指を立て、ササッ、と、宙に記号を描く。すると俺の目の前に、まるでゲームのステータス画面の様な物が現れ、現在の俺の情報を閲覧できるようになる。これも『精霊の加護』の一種らしく、自分の力を数値化して確認できるんだとか。おかげでゲーム感覚で自分のステータスを確認できるのだが、体力とかは数値化されない。数値化されるのは残りの加護の量と、魔力、そして適正レベルだ。敵を倒せばレベルが上がるなんて簡単な事ではなく、この世界で言う適正レベルと言うのは『精霊の加護』がどれだけ強くできるかを表わしている。レベルが高くなると身体能力も強化できるらしいが、残念ながら俺のレベルではそこまでには達していない。レベル7は伊達じゃないのさ。

 俺は残りの加護が、半分も切っていない事を確認するとホッと胸を撫で下ろした。

 ソレを見て取った姫川は心外そうに眼を細める。

「全損させるなんてヘマはしないわよ。ちゃんと計算した上で纏めて攻撃したに決まってるでしょ? 助けてもらっといて文句ばかりってどうなのかしら?」

「別に巻き込む必要性はなかったのに巻き込んでおいて恩着せがましいな! それはそれとして、助けてくださって本当にありがとうございます! お礼は夕食を奢る事で返させてもらえますでしょうか!」

 しっかり腰を折って頭を下げる俺に、ちょっとだけ驚いた表情をした姫川は、意外そうな声を漏らす。

「文句は言っても律義に謝るのねアナタ……」

 何か呆れが入ってる気がするが気にしないよう努める。お礼は大事だ。お礼をすれば、また困った時、打算でも助けてくれる可能性が増える。こう言う時にしっかり助けたお礼をするのは自分のためにも大事なことだな。

 何より、今は俺、迷子な上にソロで戦える力ありませんからね。しばらくは助けてもらったついでに姫川に安全な所まで護衛してもらわないとな。マジ命に関わるから。

「それにしても姫川、お前何処から出てきたんだよ? 通路っぽい物なんてどこにもなかったのに?」

「何を言ってるのかしら? そこにちゃんと通路があるわよ」

 姫川は指差して示す場所に目を向けるが、そこは緑一色の光景が広がるだけで通路らしい通路なんて見当たらない。だが、姫川が「ある」と言った以上、きっとあるのだろうと思い、近づいてみてようやく分かった。緑の苔に覆い尽くされて解り難いが、白っぽい石で作られた通路の様な物。その先を辿って行くと、遺跡の扉の様な物を発見した。これまた苔だらけの木の根や蔦が複雑に絡み合って緑一色に覆い隠しているので解り難かった。って言うか俺、最初にこの通路見つけてたらデビルアントから逃げられてたな。確実に。

「どうしてこっちに逃げてこないのかと思ったら、気付かなかったのね、アナタ」

「もっと早くに気付いてたなら声掛けてくださってもよろしかったのではっ⁉」

「イヤよ。私、アナタとはそんなに親しくも無いのに」

「助けてくれるだけの慈悲はあるのに、そこは拘るのっ⁉」

「後で聞かれた時に困るじゃない。『○○くんの最後に立ち合ったのはアナタですか?』って。私答えられないわよ。だってアナタが誰だか解らないもの」

「クラスメイトで、前の席なのに、名前も知ってもらっていなかった事実っ⁉ デビルアントに追いかけられた事より、こっちの方がショックな気がするよっ!」

「あら? じゃあ助けない方が良かったかしら? その方が幸せだったでしょうに……」

「なんでこんな時だけ親身になってくれてるの⁉ やめて! このタイミングで本当に申し訳なさそうな表情になるの! 何か本気で死にたくなるから!」

 やべぇ……、何気にクラスメイトの心ない言葉で泣かされそうになった事はあるけど、コイツみたいに暴言でない方法で泣かされそうになった事は初めてだ。こっちの方がきつい……。

「そ、それはそれとしてだ……。姫川は結局ここで何をしていらっしゃったのでしょう? あ、私は鈴森帷と申します」

「名前を知られてない事、実は気にしていたの?」

 少々呆れられがちに言われたが気にしないように努める。

 姫川は俺に背を向けると、遺跡の扉へと入って行く。俺もその後を追って遺跡内に入ると、中も苔と蔦で緑一色の空間で埋め尽くされている。さっきは気付かなかったが、どうやらこの苔、『光苔』っと言う光苔の様だ。だから神殿内でも窓の無い空間でも暗く感じなかったんだな。でもこの苔って確か、昼間に光を吸収し、暗くなると昼間に吸収した光を放つって言うのじゃなかっただろうか。その辺の生態系の謎は俺には解らない。

 姫川は俺に背を向けたまま、つかつかと何処かを目指して歩いて行く。時折壁に触れたり蔦をどかしてみたりしている所を見るに、何かの調査をしているのかもしれない。手伝おうかとも思ったが、頼まれている訳でもないし、下手な事はしないで黙ってついて行く事にしよう。

 少しばかり奥に進むと、そこは行き止まりだった。姫川はそこでも壁についた蔦や苔を払い、慎重に調べて行く。……っと、そこで何か見つけたのか、突然彼女の動きが止まる。

「これは……、もしかして……」

「何か見つけたのか?」

 俺が声を掛けると、振り返った姫川が眼を丸くして俺を見た。

「あら? 何でアナタ付いてきてるの?」

「ふっ、甘いな姫川。お前がここでそう言う返しをするだろう事は、俺の質問を無視して自分の世界に入っている時点で予想できていた。だからちゃんと返答も考えてあったさ。良く聞け!」

 俺は無駄にカッコよく見えるよう、指を差して高らかに言いのけてやる。

「俺の様なソロでは碌にギルドの依頼も受けられない弱小冒険者が、こんな何処とも知れない場所で一人淋しく単独行動など出来るか! 金魚の糞の如くまとわりついてやるから覚悟しておけ!」

「アナタどうして自分を卑下する時は、そこまで堂々としていられるの? せめてくっ付き虫とか、カタツムリの子供とか、そう言う例えは出来なかったのかしら?」

「俺はお前と違って他人を批判できる様な実力者じゃねえ! だが、自分の事なら良く知ってるから自信を持って言えるぜっ!」

「おかしいわ……、どうして『コイツ恰好良い』とか思ってるの、私……。今すぐ病院に行きたい……」

 良く解らんが、何か俺が姫川を言い負かしたっぽい。ヤバイ、なんかすごく興奮する。俺、姫川を言い負かすとなんか勝った気になれる。ってかなんか癖になるな。あのクールな姫川を言い負かすのって。

 いや、呆れられてるだけなのは解ってるんだけどね……。

「それで? 何か見つけたのかよ?」

 このまま話が続くと俺の精神エネルギーの方がヤバそうだったので、素早く話題を戻す。姫川は頭痛でもするのか、こめかみの辺りを押さえながら答えてくれる。

「私はね、ずっと魔王の事を調べていたのよ。私達が倒すべき、再臨する魔王についてね」

「そうか」

「あら? 驚かないのね。愚かなアナタならこの程度でも大いに驚いてくれると期待したのだけど」

「魔王討伐派でソロやってるような奴が、魔王関連で何かしてても不思議には思えねえよ。ってか、さりげなく人を愚か者扱いしないで下さるっ!」

「愚かではないの?」

「そこでそう言う質問の返し方やめて、本物はそこで否定するけど、自覚ある奴は自覚あるだけにイエスとしか答えられないんです……」

「正直ね」

 「ふふ……っ」と、冷笑を浮かべる姫川の態度が、何処か勝ち誇っているかのように見えるのは、もしかして先程の意趣返しのつもりだったからではないだろうか。俺が姫川を言い負かしたのを楽しんでいたように、この人もこの人で俺を言い負かして楽しんでいるんじゃなかろうか……。

「一ヶ月前、アナタ達と別れてからずっと、魔王について調べていたのよ。いざ魔王討伐と言う時になって、力任せに倒せるとはとても思えなかったしね」

「言われてみれば……。少し考えれば思いつきそうなものなのに、なんで思い付かなかったんだ?」

「愚かだからじゃないの?」

「心底不思議そうな顔で尋ねないでくださいます?」

「まあ、過去に魔王を倒した事があると言うのなら、弱点なりなんなり出て来ると思ったのよ。いえ、そもそもなんで倒した筈の魔王がまた復活するなんて事になっているのか? とか、どうしてわざわざ私達の様な異世界の住人を引っ張って来てまで、魔王を倒す戦力を作ろうとしたのか? とか、考え出せば疑問なんていくらでも出て来るでしょう?」

「そう言うのを調べて周ってたって事? じゃあ、ここもそれの一環?」

「ええ、最初に調べる場所として選んだのがここよ。帝都で調べたら、この遺跡に魔王発祥の伝説が残されているらしいのよ」

「『帝都』って……っ! お前たった一ヶ月で帝都まで行ったのかよっ! ほぼ往復最短距離じゃねえか!」

「どうしてアナタの頭で、そんな計算が出来たの?」

「なんで恐ろしい物を見る様な目で訊いてきてるのっ! お前クールな奴だと思ったけど、実は他人をからかうのが好きなだけの人なのっ?」

「私をそんないじめっ子と同じようにしないでくれないかしら? 心外だわ」

「う……っ、確かにな、悪い」

「誰かよりも優れているのだと自覚できるのが優越なだけよ」

「そう来るだろうと思ったよ! どっちみち性格悪いなお前っ!」

「ふふっ」

 また心底楽しそうに冷笑を浮かべ、姫川は壁に向き直り、蔦や苔を払っていく。

「まあ、魔王発祥の伝説が残っていると言っても、重要文献は全て帝都の王城に持って行かれたみたいだし、ここも遺跡とは言え、人間側からしてみれば、魔王の教会。好き好んでここに来たがる人間もいなかったみたいね」

「じゃあ、調べる意味はないんじゃないのか?」

「そうね、私が一流の学者だったならそうしたでしょうね」

「? どう言う事だ?」

「調べ物をするには、『調べる方法』をまずは学ぶものよ。私は帝都の資料と本物を照らし合わせる事で、何が解るのかを確かめに来たの。もしかしたら碌に調べていないまま放置されている可能性もあったからね」

 なるほどなぁ、手付かずの遺跡を調べれば、今まで見えてこなかった物が見えてくる場合もある。もし何も見つからなかったとしても、それなら帝都で読んだって言う資料の信憑性が実証されるってわけか。

「でもよ? さすがにこの世界の学者もバカじゃないだろう? 魔王発祥の伝説が残る遺跡なんだし、魔王の再臨が解っているなら、今頃隅から隅まで調べて―――」

 ガゴンッ、 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!

 行き止まりだと思っていた壁が、いきなり音を立てて横へとスライドして行き、その奥に更に空間があるのを発見した。

「この壁の文様、文献で魔王が封印を施すために使っていた物らしいって書いてあったらから、もしかして隠し部屋でもあるのかも? って思ったのだけど……。隅まで調べられていなかったみたいね」

「大丈夫かよこの世界の学者様……」

 勝ち誇った様に笑む姫川と、マジでこの世界の先行きを憂う俺。

 もしかして、あの神様的球体が俺達をわざわざ転生させた理由が、こっちの人間が当てにならなかったから、って事じゃないよな……。

 

 隠し扉を潜り、奥へと向かうと、そこには大きな台座があり、床には魔法陣らしき物が描かれている結構広い部屋に繋がっていた。魔法陣の周囲には不規則に並べられた柱があり、それ自体にも意味があるんじゃないかとも思える。何かの儀式用の祭壇とも見受けられるが、知識の無い俺には解らない。

「この部屋は苔が生えてないんだな?」

 視界の暗さに気付いて呟くと、姫川も「そのようね」と、返して来てくれた。

「隠し扉で隠してただけの事はあって、この部屋は誰にも踏み荒らされない様に保存性を高くしてあったんでしょうね。おかげで暗くてよく見えないわ」

「魔法陣とこが光ってるのは、もしかして魔法陣そのものが光ってるのか? 何か発動してる?」

 もしそうなら、万が一、なんて事があるんじゃないかと身構えたが、すぐに姫川が頭を振って否定する。

「よく見なさい。天井の所。あそこから光が差し込んでいるのよ。アレのおかげで魔法陣のある台座だけが光っている様に見えるのね」

 二人で台座に近付く。

 姫川は腰に差してあったらしい木製の杖を取り出し、杖の先で魔法陣を数度叩いてみる。何も起きない。触れても大丈夫だと判断して足を踏み入れ、腰を落とすと床に触れながら魔法陣に刻まれた文字などを確認している。

「何か解りそうか?」

 適当に辺りを見回しながら尋ねると、立ち上がった姫川が何事か答えようとし、その前に訝しむように俺を見た。

「アナタ、なんでここに居るのかしら?」

「心底残念な物を見る様に言わないでください! すみませんねぇっ! 役に立たなくて! どうせ俺は金魚の糞ですから!」

 不意打ちされると涙が出ちゃう……。誰か俺に癒しをください。

 溜息一つで話題を終わらせ、姫川は難しい顔になる。

「ダメね、私程度の知識量では解らないわ。とりあえずこの魔法陣をスケッチしておくとして、検証は後からになりそうね」

 まあ、姫川が頭良いとは言え、予備知識無しじゃ解らない事があっても当然だよな。むしろ大した勉強もしていないのに魔法についての知識がある方が、マジパネェよ。

「私の知識力では、嘗てこの地で、この魔法陣を使って何度か魔王を蘇らせたと言う事しか解らないわね。っとなると、魔王は何度も倒され復活してを繰り返しているのかしら? もう少し何か解らないか調べてみましょう」

「マジパネェよっ! それだけ解れば充分パネェよっ!」

 姫川 、恐ろしい子……。

 その後、姫川は柱やら壁やらを調べてみたが、目ぼしい情報は何も見つからなかった。最後に台座を調べ始める。

 俺も直接台座に触れてみながら、それが何か確認してみる。

 台座は、まるで揺り籠の様な形をしていて、赤ん坊くらいならすっぽり収まってしまいそうな印象がある。この形、この窪みに何かを入れる予定だったのだろうか?

「元の世界の話だけど、大昔、祭壇にこう言う形をした受け皿があって、神様に供物をささげるための受け皿だったらしいわよ」

「供物って……、五穀(ごこく)奉納みたいなやつか?」

「そんなの良く知ってるわね……。確かに五穀の様な木の実とかも与えていたみたいだけど、この場合はもっと重要な物を与えるための受け皿だったらしいわね」

「想像できるんだが、外れてて欲しいです……。人身御供ですか?」

「もっと言うと取り出した心臓を安置していたらしいわね」

 予想以上だった事にげんなりし、淀んだ空気を纏ってしまう俺。

 なんでか、そんな俺の様子を見て笑う姫川。嬉しそうだなコイツ……。

「この台座も形が妙だと言う事以外は特に何も……、あら?」

「どうした?」

「いえ、こっち側にくぼみの様な物があって、奥で何か光った様に見えたのだけど……」

「窪み? あ、ホントだ、こっち側にもある。大きさ的に指入れれば取れるかな?」

 揺り籠の両端に丁度人差し指が入りそうなほどの小さな窪みがあり、その奥で、確かに何かが光を反射している様に見える。自然俺達は指を突っ込み、中の物を取り出せないか試してみていた。

「……っ!」「……ってぇ!」

 指先に鋭い痛みを感じて、慌てて指を抜き取る。姫川も同じ行動を取っている所を見ると、俺と同じ状況だったのかもしれない。

「なんだ? 何かが指先に……!」

 痛みの正体を確かめるため、指先を確認して驚いた。痛みを感じるのなんて当たり前、指先が何か鋭い物で切り裂かれたかのように切れ、思いの外沢山の血を流しているのだから。

「なんで怪我してんだ? 『精霊の加護』は……?」

 慌ててステータス画面―――正式名称『精霊の書』なる物を呼び出し確認する。加護の最大値は、精霊との契約具合によって異なり、俺たちみたいな駆け出し冒険者なら500が平均的数値とされている。この加護は自然回復ではなく、精霊から与え直してもらわないといけないので、こう言った場所では回復できない。なので、俺の残りの加護量は、さっき姫川の電撃を受けた分を引いた、330のままのはずだ。画面に映し出されている残り加護値もまったく同じ、指の負傷にも、まったく反応してなかった事が解る。

「どう言う事だ?」

「まずいわね。ここから離れましょう」

 俺と同じように『精霊の書』を確認していた姫川が僅かに強張った表情で告げる。

「何か解ったのか?」

「この魔法陣の効果の一部よ。『精霊の加護』が無効化されているわ」

「げっ!」

 それは本気でまずいな。今は何事も無いから良いが、こんな所で魔物に出くわしたら万が一が起きかねないぞ。

「それでも私はレベル27だから、この辺の魔物相手に苦戦する事はないし、そんなに慌てる程の事でも無いのかもしれないけど……。やっぱりもう少し調査してからにしましょうか?」

「俺がなんていうか解ってて訊いてるだろッ⁉ お望み通り言ってやるよ! 俺が速攻で死にますので、どうか一緒にこの場を出てくださいっ!」

「一緒に居る必要性があるのかしら?」

「加護があっても一人でこの神殿出るのは無理っ! ってか出口解らねえしっ!」

「ふふっ、なぜかしら? アナタの運命が私の手の平だと思うと、可笑しくも無いのに笑みが零れるの。ふふっ、本当に不思議ね」

「何か物凄く生き生きとしてらっしゃいませんっ? やめてよ! 俺の命で人生を楽しく彩るのマジでやめてよ!」

 ひとしきり俺の事をからかって満足したのか、姫川は「冗談」の一言を最後まで言わず歩き始める。俺も彼女の背中に付いて行き、安堵の息を吐く。もうやだここ。早くお家に帰りたい……。

 そうして二人で隠し部屋から出ようとした時、突然それは起こった。

 唐突に、魔法陣が起動し、真っ赤な光を放出し始めたのだ。

 何事かと振り返って確認する俺達の目の前で、魔法陣から放たれた赤い光が渦を巻き、揺り籠状の台座目がけて吸い込まれて行く。疎い俺でも解る。この光は魔力の光だ。そしてそれが魔法陣に組み込まれた術式に従い、揺り籠の中に集められている。これって何かを作り出してるのか? 相当ヤバい気がするぞ……。

「迂闊だったわ……、私達はあの魔法陣の儀式を完成させてしまったのよ……」

 姫川が珍しく焦った様な声を漏らす。俺は何があっても良い様に身構え、視線を揺り籠に固定したまま訊ねる。

「儀式って、何のことだよっ!」

「あの魔法陣は『精霊の加護』を打ち消す効果があり、魔法陣の中心には供物を捧げるための台座。そして、その台座の両端には、刃物が仕込まれていたであろう窪み。全てが意味のある物だとしたら、もうこれは儀式としか言いようがないでしょう?」

 そこまで言われればなんとなく想像はできる。できるが……、それでも間違っていてほしいと願って敢えて質問する。

「それが……、なんだよ……?」

 俺の心情を理解したのか、姫川は特に悪態も吐かず、しかし現実を突きつける様に冷たく、ただ事実を語る。

「あの魔法陣はある物を生み出すための物よ。揺り籠の両端に設置された窪みに指を入れ、中に仕込まれた刃に触れる事で血を流し、その血を贄として儀式を完成させる。儀式の邪魔になる『精霊の加護』を無効化する仕組みも加えてね」

 俺達の一連の行動が、無意識に儀式の内容を再現していたと語り、薄ら笑いを浮かべる姫川。その続き、予想される儀式で呼び出されるだろう物については、彼女も口を噤んだ。だから今度は俺が問う形で現実を確認する。

 最後のパーツ。『嘗てこの地で、この魔法陣を使って何度か魔王を蘇らせた』っという姫川が口にした内容。

「まさかと思うけど……、これから『魔王様』がご登場って事はないよな……?」

「仮にそうだとしても、助かる方法はあるわ」

「マジかっ! なんだよそれ!」

「私が使えるとっておきの魔法よ。『リザードテイル』っと言う魔法で、アナタの協力が必要な魔法なのだけれど」

「逃げる気ですね! 俺の事『トカゲのしっぽ』よろしく使い捨てて逃げるつもりですよね! そうは行かないからな! 最後の瞬間まで、俺はお前と一緒だからな!」

「後の事は私に任せて、アナタはゆっくり休んでいてちょうだい」

「お前を一人になんかしない!」

「いつかきっと、何処かで会えるわよ」

 互いに名言を汚し合いながら、恐怖から逃避しようと試みるが、なんかそうも言ってられない感じだ。実際、さっさと逃げれば良いのに、まったく足が言う事を聞かない。

 まったく、今日はなんて厄日なのか。吊橋で橋を踏み抜き、崖から落ち、真っ暗な洞窟を全力疾走し、デビルアントの群れと戦わされ、電撃を浴びせられながらも、なんとか生還したと言うのに、最後の最後で魔王様が登場とか……、今日一日でラスボスまで辿り着くとかどんだけ俺の事が嫌いなんだよ世界。

 魔力の光は揺り籠を満たし、全てがそこに収まる。赤黒い塊となった魔力は、まるで肉の塊であるかのように脈打つ。

「アレ、俺と姫川の血で作られたのか?」

「どうやらそのようね……」

「ま、魔王再誕の立役者として、命ばかりは助けてもらえないかどうか、全力で土下座してみるか?」

「アナタ……、私に何をさせるつもりなの……?」

「なんでそこまで怯えてるのっ! そんなに土下座するの嫌ですか? そんなに怯える程に嫌ですか⁉ 今、正に、魔王って言う恐怖存在が誕生しようとしているのに、それでも嫌かっ!」

「イヤよ。変わりにアナタが全力で土下座なさい」

「それで助かるならいくらでもしてやるがな! お前もしないと助けませんと言われたら一緒にしてくれるんだろうなっ!」

「頭を垂れるくらいなら、私が魔王になるわ」

「それっ、魔王が現れても同じ事言える? 次の瞬間魔王様登場しても同じ事言えるか?」

「う……っ」

 ドバンッ!

 醜い喧嘩の末、姫川が言葉に詰まった瞬間、まるでそのタイミングを待っていたかの様に黒い塊は破裂し、中から子供サイズの何者かが生まれた。

 見た目は子供だ。銀色の髪に、不健康そうな白い肌。一糸纏わぬ体の凹凸が、少女である事をはっきり主張している。頭の両端に、真っ黒な角が捻じれた形で生えている。明らかに人ではない。何より纏うオーラが、既に険悪で、凶暴だ。生まれた子供は産声を上げる物だが、この存在は、静かで凶暴な殺気を放って生まれた。警戒心が半端ネェ……。

 彼女はゆっくりとした動作で立ち上がる。長い銀の髪が身体を包むように流れ、ゆっくりとした動作で佇む。

 口を開く。

「我―――、」

 瞼が開かれる。

「魔王なり」

 露わになった獣を思わせる金色の瞳。人間の物とは違う、その眼が、はっきりと俺達二人の姿を捉える。

 刹那、俺達は同じ事を考えたはずだ。ここで何かをしなければ、確実に殺されると。だが、聡明な姫川には何も思い浮かばない。何故なら聡明故に彼女は理解してしまうからだ。何をしても殺されると。だから―――っと言うわけでは決してなく、ただ単に恐怖に負けてヤケクソになった俺は、思い付いた内容を深く考えもせずに叫んでいた。

「そう! 俺と姫川の血から生まれたのがお前だ! つまり俺は、お前の父親だ~~っ!」

 胸に手を当て、かなりヤバい事になっているであろう血走った眼をして、俺は叫んだ。

 魔王が無表情に俺を見つめる。姫川が絶望にも等しい表情で俺を見る。

「正気……? アナタそれで、この場を回避できると本気で思っているの?」

「正気じゃねえよ! ってかむしろ教えてくれよ! 正気なままで、この場を潜り抜ける方法をよ!」

 視界が滲むのも気にする余裕も無く、そう訴えると、いよいよ追い詰められたような表情になる姫川。俯き、グッと、唇を噛んで何かに耐えた後、意を決する様に手を上げる。

「わ、私、が……、私が……っ! 私が母よ。跪きなさい」

「何処の独裁主義お母さんだよ! それお母さんじゃなくて女王様だろっ! ってかむしろ俺以上に魔王の母親としてハマってない?」

「……」

「遠い目をするな! 自分の黒歴史生産した事から逃げるな! 現実を見ろ~~~っ!」

 恐怖って、人をダメにすると思う。さっきから、顎がカチカチ鳴ってるし、肩は震えるし、背中にも手にも冷たい汗が一杯だし、膝も大爆笑だし、まともな精神状態じゃないし、姫川でさえちょっと頭が可笑しい事になってるんだぞ。これもう既に色々終わってないか?

 そう言えば『司書』の娘も言ってたっけ……。俺達は選ばれた勇者でも何でもないって……。まさか、魔王再臨の最初の犠牲者とか……。ヤバ、締めなきゃいけない所まで緩んできた……。

 もはや平静を保てなくなった俺達は、次に訪れるであろう最悪の瞬間を、少しでも遠ざけるため、必死に精神的な逃避を計り続けていた。

 ―――っと、突然、あの、おぞましい程の殺気が収束していき、完全に消え失せてしまう。残されたのはきょとんとした表情で俺達を見つめる魔王の幼女。

 彼女は二、三度瞬きを繰り返した後、俺を見つめ―――、

「パパ、と……」

 姫川を見つめ―――、

「ママ……?」

 はっきりと、問いかけてきた。

「………」「………」

 

 マ・ジ・かっ!

 

 俺達は顔を見合わせる。互いにこんな手が上手くいくわけがないと思っていただけに、この展開は急には付いていけない。

 いや、ダメだ! ここで置いて行かれたら命が危ない!

 俺は自分の危機管理能力を信じ、このスパイラルビックウェーブに乗る事にした。既に波の中に落ちてる状態でな!

「そう! 俺がパパだ! お前の生みの親だ! 我が娘よ!」

 手を差し伸べ、はっきり宣言する。後で冷静になって思い返したら、きっと死にたくなる様な台詞言ってるんだろうなぁ~。なんて事を思いながら、だが、まだ冷静にはならない。なったら今死ぬ。

 魔王は、少々戸惑った様子で手を差し伸べ、おずおずと言った感じに躊躇してから、俺の手を取った。

「パパ……?」

「お、おう……っ!」

 俺すげぇ。マジ誰か褒めて。俺、魔王のパパになっちゃったよ。

「アナタ……、良いのそれで? その娘魔王よ……?」

「おい姫川。俺の様な矮小なレベル7冒険者が、これ以外に選択肢を選べると思っているのか? 魔王の敵になったら、死ぬしかない俺が! パパになる事で生き延びられるなら本望だぁっ!」

「どうして私はこれを恰好良いと思ってるのかしら……。今すぐ治療魔法をかけてもらいたいわ……」

 額に指を当て、何だか負けたみたいな感じになっている姫川の姿に謎の優越感。俺、やっぱこの人に言い勝つと、なんか嬉しくなるな。

「マ、マ……?」

 俺の手を握っていた魔王っ子が姫川を見て尋ねる。

「え……?」

「ママ……?」

 もう一度復唱。何か姫川が物凄く追い詰められている様な表情になっていらっしゃるのだが……。

「私は、アナタの妻にならないといけないの……? 正気?」

「そこで正気を疑うな。言っとくが決定権は全てお前にあるからな。俺はもうパパで押し切る」

「悪夢だわ……」

 完全に絶望したのか、淀んだ空気を纏いながら脱力。目がなんか光を失って焦点が合っていない様なのですが、本当に大丈夫なのか……。

 魔王っ子が見つめる。眉尻が下がり、瞳が僅かに潤む。まるで、何かを恐れるかのような、期待しているかのような表情。

 しばらく見返していた姫川だったが、やがて諦めたように溜息を吐くと、手を差し伸べる。

「ええ、私がアナタのママよ」

「―――っ!」

 瞬間、魔王っ子の表情が子供相応の花の様な笑みへと変わり、姫川の手をギュッ、と掴んだ。図らずも、本当の親子の様に、親に挟まれて手を繋ぐ形になって。まるでここまでの一連こそが、俺達が親子になるための儀式であったかのように見えた。

 この日、俺と姫川による、魔王っ子教育の日々が『始まった』。

 




まだ一話ですが、ご意見ご感想お待ちしております。


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第二章 教育過程

「道に迷ったら魔王を発掘して、なんでか親になって、これから面倒をみなければいけない―――ってどう言う事だよ……?」

 頭を抱えて問いかける俺に、頭痛を堪える様に額を押さえていた姫川は、こちらを憎たらしそうに睨んできた。

「ほぼ、半分以上はアナタの責任だと思うのだけれど?」

「じゃあお前ならどうしたんだよ?」

「私の言う通りに行動していれば、犠牲は一人で済んだのよ?」

「さも当然と言わんばかりに仰いますがっ! その犠牲って俺だよね? 俺一人が犠牲になってアナタエスケープしてらっしゃいますよねっ!」

「羊にくらいなりなさい」

「トカゲのしっぽの次は、スケープゴートかよ!」

「体の一部から、本体その物よ。昇進したわね。私にそこまで認めさせるなんて大した物だわ」

「捨て駒役からは脱退していないけどなっ!」

 醜く罵り合う俺達。これでも喧嘩してるわけじゃない。色々起こり過ぎて精神の安定が保てないので、なんでもいいから話題を途切らせたくないのだ。何か喋ってないと変になりそうなんだよ。漫画とかでもこう言うシーン結構あるけど、アイツ等よく冷静でいられるよな? 俺も姫川も、全然冷静でいられないぞ。互いにまだ恐怖が抜け切っていない感じだ。

 魔王っ子に自分達をパパとママと思い込ませて難を逃れたまでは良かったが、だからって問題は何も解決していないわけで。とりあえず落ち着こうと考えた俺達は、姫川先導の元、遺跡の外の、人が来なさそうな森の中へと移動していた。

 だが、いざ移動して落ちついて冷静になってみたら恐怖やら羞恥心やら後悔やら、その他諸々の感情を制御しきれず、こうして喧嘩のフリして精神の安寧を計っているのです。

「何故よりにもよって私はアナタを夫にしたのかしら……。あの時、先に私が母親宣言していれば、アナタはただの召使と言う事にもできたのに……」

「そこかぁっ⁉ そこがお前の引っかかりなのかぁ⁉ 俺が相手で本当にすみませんねぇっ! その辺は自覚してるよちくしょう~~っ!」

 ただ、欲を言うなら姫川の罵倒オンリーはどうにかしてほしいよ。俺の精神だけ微妙なマイナス補正がかかってるんですけど……。

 もし傍目から見たら「お前ら怯え過ぎだろ?」っと仰るかもしれない。確かに俺達は二ヶ月前までただの高校生だったさ。それでも今は冒険者として活動している訳ですよ。物凄い殺気を掛けられたからって、今は魔王っ子も大人しく、俺達の事を本気でパパとママ扱い。それだけならもう、恐怖も薄らいでいたさ。

 だから、それだけじゃなかったんだよ……。

「パパ、ママ……!」

 俺達が言い合いを続けていると、隣で心配そうに見つめていた、俺が使っていた迷彩用のマントを羽織った魔王っ子が、俺達に必死な表情で語りかけて来る。小さな両手を握り、子供らしい精一杯で、戸惑いながらも訴えかける。

「喧嘩、しない、で……っ!」

 ボボ~~~~~ンッッ!

 魔王っ子様が力んだ瞬間、俺達の周囲に凶悪な魔力の塊が叩きつけられ、周囲の木々を薙ぎ払って行った。さっきまでここは木が密集していて、身を隠すには最適だったと言うのに、今は森の中にできた開けた地になっている。何かここで野営の準備整えたら八人くらいは余裕で寝られるスペースが確保できるんじゃないか? って思われる程に綺麗さっぱりだ。薙ぎ倒された木々は、ただ吹き飛ばされたと言うよりも風で削られた様になっていて、表面がズタズタにされている。中には完全に折られた物も、粉砕された物まである。

 俺達二人は、そんな光景を、関節が錆びついた機械の様に鈍い反応で首を巡らせ、確認し、呆然としてしまう。

 この魔王っ子様、ここまでに至るまでにこんな事を何度も繰り返していらっしゃる。

 遺跡に出るまでの間に、何事も無く出られた訳ではない。途中、小型の虫系魔物に襲われ、対処しようとした時、魔王っ子様が「パパと、ママ、を……! 苛めちゃ、メッ!」の一言で虫達を恐れ慄かせ、撤退させたのに始まり、瓦礫が邪魔だと言えば魔力の波動を撃って撫でる様に吹き飛ばし、獣が現れると先手必勝の如く飛び付き、その小さい口に収められた意外と鋭い牙と強靭な顎を持って骨ごと噛み千切り、返り血も気にせず貪り尽くした。そのまま食べ切ってくれればまだ良かった物の、半分以上を残して「パパ、ママ、食べる……?」などとスプラッタを差して無邪気に訊いてくるのです。気絶しそうになる姫川に代わり、吐き気を堪えた俺が「いいよ、全部お食べ」と言ってあげる事でなんとかやり過ごしたが、しばらくトマトとか食べられそうにないぞ俺……。

 そんな調子、ただ遺跡から出て来る短い距離の間で、俺達の精神的苦痛は既に臨界点を振り切っていたのです。怖くないわけないだろう!

「喧嘩、しない、で……?」

 哀しそうに涙をたっぷり蓄えた瞳で訴えかける魔王っ子様。子供に世界を滅ぼす力を与えたら、こんな感じなんだろうなぁ~、っとか、頭の冷静な部分で変な事を考えながら、俺達はしっかりと手を握り合った。

「な、仲良しだよ~~? パパもママも喧嘩してたわけじゃないんだよ~~?」

「ええ、建前上、私達はとても仲良しよ。喧嘩など一度もした事無いわ」

「嘘を吐くならもっと説得力のある嘘を吐かないか! いたいけな幼女が見てるんだぞ!」

「子供に嘘を教えるのって、教育上、良くない事だと思うの」

「残酷な真実もあるんだよ! せめてオブラートに包むくらいの事をしようぜ!」

「あら? 知ってたかしら? オブラートにも許容量と言う物があるのよ?」

「お前の嘘はオブラート突き抜けるんかいっ!」

 姫川、アレだけ俺を弄っておいてまだ冷静じゃないのか、このタイミングでボケないでほしい。それとももしかして素を全開で出してこれか? これが姫川(ひめかわ) (ゆずり)のデフォルトなのか?

 まあ、ボケにツッコミ入れてるだけなので、そんな大した事じゃないよな。なんて油断していた俺は、次の瞬間現実に叩き戻された。

「喧嘩、メ~~~~ッ!」

 俺達に飛び付いた魔王っ子様。

 ガシッ!

 俺達の手をそれぞれ掴む。

 メギョンッ!

 手がありえない形に潰れた。

 ブバアアァァ~~~ッ!

 物凄い勢いで『精霊の加護』消費中。

「……おい」

「……ごめんなさい、私、冷静ではなかったわ」

 現在進行形で加護をガンガン失っている俺達は冷静になり、同時に幼児体型でも、この子は真実魔王なのだと理解する。

「ご、ごめんな~~。もう喧嘩してないぞ~~」

「え、ええ、もう仲直りしたわ。心配掛けてごめんなさいね」

 俺達の返答に、不安そうな表情と潤んだ瞳で見上げてくる魔王っ子様。

「ホント……?」

「ああ、仲良しだよ!」

「アナタのおかげよ」

 二人、青い燐光と汗を大量に吹き出しながら、出来うる限りの笑顔を向ける。

 しばらく、不安そうにしていた魔王っ子様だが、今度は納得してくれたみたいで、哀しい表情が引っ込む。

「もう、喧嘩、しない……?」

「ああ、大丈夫だ!」

「ええ、だから手を放してくれて大丈夫よ。できれば早急に」

 姫川がちょっと口を滑らせたが、その意見には俺も全力で賛成だったので、激しく頷いておく。

「……うん」

 ひとまず納得してくれたのか、魔王っ子様はようやく手を放してくれた。やがて青い燐光は静かに収まって行き、そこには変わりない俺達の手がちゃんとあった。

 慌てて二人で『精霊の書』を開き確認。残りの加護量は……、もう3しかなかったんですけどっ! 超あぶねえ! 何気に命の危機だったよ俺!

「大丈夫、まだ半分はあるわ……」

 ホッとする姫川の発言に、レベル差を感じてこっそり傷つきながらも、冷静になった頭で俺はこの先の事を考える事にした。

「それで、これからどうしようか? もう、この際だからこの魔王っ子様を育てて行くって事で良いとして……、どうすればいい?」

「後の事なんて考える余裕がなかった場面だったとは言え、本当にノープランなのね」

「こう言う時は何から考えて行けばいいんだっけ? 目的? 拠点? 安全確保が先か?」

「目的からよ。とりあえず私達がこれからしないといけない事は、この子を育てていく事よ」

 姫川が魔王っ子を見る。魔王っ子様は首を傾げながらも、見つめられただけで嬉しいのからちょっとだけ笑っている。姫川はその笑顔に応えようとして手を差し出したが、その手を途中で止めて硬直してしまう。

「ええっと……」

 一瞬困ったような表情で手をうろつかせた後、結局頭に手を置いて撫でてやる。

「……っ♪」

 頭に生えた角に当たって上手く撫でてやれない姫川だったが、それでも魔王っ子様は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。子供の無邪気な笑みは花が咲いた様だと例えられるが、確かにそのまんまだな。

「この子を育てて行くとして、問題点があるわ。その問題点を確認しましょう」

「この子が魔王ってバレたら即アウトだよな。その辺どうなんだ?」

 俺が尋ねる。姫川はすぐに首を振る。

「情報不足よ。とりあえず人目に映す事だけは絶対にダメでしょうね。人間以外の異種族もいるみたいだけど、基本的に人間の敵みたいだし、角を見せたら真っ先に疑いを掛けられるでしょうね」

「仮に帽子や髪型で隠せたとしたら?」

「この眼は人間じゃあり得ないわよ」

「万が一、カラーコンタクト持ってる奴がいたとしても……」

「肌が白過ぎるわね……。まあ、このくらいなら隠せるかもしれないけど」

「一番の懸念は魔王的な気配を誰かに察知されないかだよな? 姫川的にどうなんだ?」

「とりあえず魔力的な気配で言わせてもらえば、最初の時の様にこの子が臨戦態勢を取らない限りは大丈夫よ。それ以外ではまったく魔力を感じなかったわ」

「え? いや、だってさっきもこの子、魔法使ってたろ? 魔力の塊を周囲にぶつけたの、俺でも解ったぞ?」

「私が言ってるのは、威力に対して感知できる魔力の質が弱いって事よ。この子、見た目は本当に子供だけど、中身は相当魔法技術に精通した魔王よ。殆どムラ無く魔力を現象に変化しきってるから、発動時の魔力以外は感知できないのよ」

 良く解らないが、魔法についてはMP消費で魔法を放つ、っていう単純な話ではないようだ。魔術師でも無い俺にはその辺の事はさっぱりだ。

「そっち方面の話は今は置いておくとして……、ともかく目撃されるのは何としても避けないといけないわけだ。だとしたら、街に連れて行くのは却下。彼女を何処に匿うかだけど……」

「待ち合わせ場所を決めて、山の奥にでも隠れてもらえばそれで充分な気はするけどね」

 姫川が魔王っ子様を見る。魔王っ子様は姫川の腰にしがみついて幸せそうにしていた。そこに一匹の虫が現れ、彼女の周囲を飛び回る。幸せなひと時を邪魔されたのが相当煩わしかったのか、魔王っ子様は拗ねたような表情で手を払い―――、

 ボォンッ!

 空気が破裂し、虫が蒸発。更に向こう側の木に衝撃が届き、ボッキリと二つに折ってしまった。

「逆にコレの脅威とは何なのか知りたいわ」

 うん。コイツは一人でも生きていけるよ絶対。食料も適当な獣をその場で噛みついて貪り食うだろうし。一人にしてても何も心配できない。

「なあ、お前も少しの間なら一人でも大丈夫か?」

 念のため試しに聞いてみると、途端に魔王っ子様の表情が愕然とした物へと変わる。

「パパとママ、何処か行っちゃう、の……?」

 ギュゥ~~ブチブチボギッ! ブワァ~~~ッ!

 魔王っ子様、不安のあまり姫川に抱きつく力が上がって、横さば折り状態。すごい勢いで『精霊の加護』が消費されています。

「だ、大丈夫よ……! 何処にも……っ! 行かないから……! だから手を緩めて……っ!」

 苦しそうに顔を青ざめながら必死に訴える姫川。良かった、俺じゃなくて良かった。もう俺の『精霊の加護』は残ってないんだ。転んだだけで消費し尽くす様なホコリ程度しか残ってないんだ。あんなの食らった日には下半身と上半身がさよならしている所だったぞ。

 なんとか魔王っ子様を宥めた姫川は、『精霊の書』をもう一度確認してから、安堵の息を吐いた。どうやらまだ余裕が残っているらしい。

「ま、まあ、そうでなくても、この子を一人にするのは私も反対よ。万が一人間に見つかったら厄介だもの」

「確かに。『ファーストウォーク』の冒険者はそんなに強くないとは言え、この辺くらいなら、少し慣れた奴は普通に入って来るもんな。冒険者に見つかってギルドで報告なんてされたら厄介な事になるよな」

「厄介なのはそれだけじゃないわ。魔族側に見つかっても問題よ」

「魔族側?」

 魔王が魔族に見つかって何か問題があるのか? むしろ友好的になりそうだが。

「魔族が自分達の王を見つけて、何もしないわけがないでしょう? 場合によっては魔族側の領土に連れていかれて、数日後には名実ともに魔王の再来になるでしょうね」

「うえ……」

 それは困る。俺達が生き残った意味が無くなっちまう。

「知性のある魔族は希少らしいから、可能性は低いでしょうけど、魔族側の情報ネットワークがどういった仕組みになっているか解らない以上、この子を魔物に見られるのは避けた方が良いでしょうね」

 なんだこれ、考えれば考えるほど、この子を隔離した方が安全なんじゃないかって思えてくるぞ……。できればそっち方面の行動はしたくない物だ。

「とりあえずは山奥に拠点を作って、そこでこの子と一緒に暮らすしかないわね。それで少しずつお留守番に慣れてもらうしかないわ」

 どうやらそれが一番最初にするべき目的って事か。となるとまず最初にすべき事は……。

「山奥の拠点探しか? 今からだと日が暮れそうだな……。あ、って言うか……!」

 今思い出したが、俺、弘一達と待ち合わせしてるんだった。いつの間にかもう、日も傾き夕方になろうとしている。一度、街に戻った方が良さそうだな。

「とりあえず拠点になりそうなところ見つけたら、俺は一度街に戻って良いか? そうしないと弘一達に怪しまれる」

 最初は心配されるだけかもしれないが、これから先、単独行動が増える可能性を考えると、あまり怪しまれる事は控えたい。

「え……、パパ、何処か行っちゃうの……?」

 不安そうな表情になる魔王っ子様。恐る恐ると言った調子で俺に手を伸ばして来て―――先に彼女の手を掴んで言い募る。

「大丈夫! 一緒に居て上げるよ!」

 残りの加護が散りに等しい俺は、生き残るのに必死だった。

 そんな俺を憐れむ様に見下す姫川。お前と違って俺にはもう後がねえんだよ! っと言う言葉は魔王っ子様の前では言い出せないので堪える。

 とりあえず魔王っ子様は笑顔になって納得してくれたので手は放す。そこが気に入ったのか、また姫川の腰にぴっとりとくっ付く。

「一応、目ぼしい所に心当たりはあるから、今日はそこに移動しましょう。野営の準備をして、後の話はそれからよ」

「そうだな……。はあ、本当に長くなりそうだ……」

 とりあえず俺達は姫川先導の元、野営できそうな場所へと移る事にする。魔王っ子様の力でこの場所でも野営できそうなんだが、この辺は依頼をこなしに来た冒険者と出くわす可能性がある。もう少し深い場所に言った方が良いだろう。

 姫川は腰に抱きついていた魔王っ子様を放し、代わりに手を繋いでやる。俺も姫川の後ろを大人しく付いて行く。

「それにしても可笑しい状況よね。人間の私達が、しかも魔王討伐のために異世界から送られてきた私達が、こうして魔王の面倒を見る事になっているだなんて?」

「それはもう、成り行きとしか……。まあ、こうなった以上、素直に魔王っ子の親をやるしかないんじゃないか?」

「そこは特に気にしていないわ。あの場合は仕方がなかったもの。でも、どうしてアナタがいるの……」

「そのゴキブリでも見るかのような目でこっち見ながら訊くの止めてくれないかなっ! 割と普通に傷付くんだからさ!」

「まあ、こうなってしまった以上、自分の立場を利用して、この子に色々教えて行くしかないわね。まずは……」

 教える内容でも検討しようとしたのか、一拍の間が空いた姫川に、魔王っ子様が彼女の腕を引っ張る。

「ママ、あそこチョー、チョ……!」

 パギョッ!

 姫川の肩からなんかすごい音が響いたんですけど! 姫川の肩から青い燐光が迸ってるんですけどっ!

 叫びそうになるのを必死に堪え、脂汗をかきながら青ざめる姫川は、何かを決意した様に呟く。

「まずは、力加減を教えるべきね。早急に……!」

 大賛成だよ。姫川……。

 

 

 姫川が案内してくれた場所は、あの遺跡から少し歩いたとこにある森の奥だった。一見、この程度の距離なら、冒険者としてそれなりのレベルに上がった奴がやってきそうな物だと思ったが、ここに来るまでの間に、何度も『エッグドファング』なる、卵に足が生えた様な魔物に何度も出くわした。見た目通り卵の殻で出来た魔物らしく、素手の拳でも殴り飛ばせばすぐに絶命する。割れた様に見える口だけが奴等の武器だが、革製の鎧一つ噛みちぎれないので、剥き出しの皮膚にさえ注意していれば、それほど恐れる敵ではない。だが、こいつらはデビルアント以上に群れで襲ってきて、時々黄色いタイプのエッグドファングが混じっている。コイツだけがかなり頑丈なので、色々と面倒だ。倒したところで核は取れず、素材も卵の殻だけと言う土の肥しにしかならない安物揃い。面倒が増えるだけのこんな場所、好き好んで来る奴はいないと言う事だ。

 姫川はソロの時にしらずに入ってしまい、大変煩わしい思いをしたそうだが、おかげで奥に、野営に丁度良い場所を見つける事が出来たのだと言う。

 ちなみに今回は、俺達の傍に魔王っ子様がいらっしゃったので「メ……ッ!」の一言で立ち去ってもらった。やっぱ子供でも魔王だよこの子。

 野営地点に到着した俺達は、さっそく準備に取り掛かる。腰のポシェットから手の平サイズの四角い板の様な箱を三つほど取り出す。『アイテムケース』と言われる、アイテムを収納できる便利アイテムだ。ただ、ゲームの様に大量の荷物を無限に収納できると言うわけではない。ちゃんと制約や限界がある。

 まず一つに、『精霊の加護』を受けていないと使えない。次に、収納できるのは一ケースに付き、カテゴライズ一種、そして総量は自分の力で持ち歩ける量に限られる。例えば肩に掛けるデカイ旅行用鞄に入る程度なら持ち運ぶ事は出来るだろう。そのくらいの重量ならいくらでも入れられる。重量挙げが出来る程の人物なら、もっとたくさん入れられる。ケース一つの重量制限さえ守れば、一人で大量の荷物だって持って行く事が出来る。だが、少々厄介なのが『カテゴライズ一種のみ』と言う制限だ。この制限が意外と細かく、例えば大量の剣を収納しようとカテゴライズ認証をするとして、装備品の括りで認識させようとしよう。だが『装備品』っと言う一括りではカテゴライズとして認識されない。『武器』と言う括りも認識されない。『刃物』にしてもやっぱり認識されない。カテゴライズとして認識されるのは、何の目的で使われる物なのかを、はっきりしている物でなければ認証できないのだ。

 ならば『武器』でも『刃物』でも充分と考える方もいるだろうが、それではどう言った風に使うのかが明確ではないのだ。『武器』の括りでは中にはいる物が爆弾でも棍棒でも武器として扱える。人によっては水だって立派な武器とする事も出来るだろう。そのため範囲が広すぎて認証できない。『刃物』場合は、それがノコギリや包丁でも刃物で在り、鎌や槍、斧だって刃物に入る。これもまた範囲が広すぎるのだ。なので、剣を収納するためには『剣』と、明確に示さなければカテゴライズとして認識されない。

 さて、今回俺が野営の準備道具として取り出したケースは三つ。これらはそれぞれどう分けているかと言うと……、『寝具』『テント』『工具』の三点だ。『寝具』は簡単な毛布、もしくは寝袋が収められている。俺の腕力では毛布二枚と寝袋一つが限界だった。『テント』は布で出来た折り畳み式の三角形屋根のテントだ。何気にこれは持ち上げられない人もいるので、テントの方で工夫がされた。折り畳み式なのはそのためだ。だが、残念な事に『テント』のカテゴライズでは杭やハンマーは収められなかった。なのでもう一つ『工具』の中から杭とハンマーを取り出す。『工具』は一見範囲が広そうだが、これはこっちの世界の常識的に、工具は建築用の物しか認識されないらしく、例えばドライバーやペンチなんかは範囲外とされる。今の二つはそもそもこの世界には存在しない物なのだが、それが『工具』でカテゴライズ可な理由なのだろう。つまり、範囲内に入る『物』が少ないと言う事だ。

「火とか、食事は任せて良いか?」

 俺が姫川に訊ねながらテントとセットになっている紐を木に引っかけたりして寝床の作成に入る。

「そうね、とりあえず少し離れていてくれるかしら? これから野営の準備をするから」

 ずっとひっつきぱなしだった魔王っ子様に言うと、大人しく頷いて手を放した。

「なに、か……、手伝う……?」

 小首を傾げて尋ねてくるので、せっかくだから手伝ってもらおうと考える。

「じゃあ、この紐をだな―――」

「力加減を覚える前に手伝わされたら大事になるわよ」

「ここはパパに任せて、大人しくしていてね♪」

 姫川の発言に保身に走る俺。魔王っ子様はちょっとだけ不服そうだったが、大人しく頷いてその辺の石の上に座った。

 姫川は自分でもアイテムケースを取り出し、調理器具や食材を準備、さっさと簡単な料理を作ってしまう。火元は魔法で一発なのでその辺はちょっと羨ましいな。

 俺がテントを張り終え、中に毛布を二枚置いた後、野外でも使用可能な寝袋をテントの隣に設置する。俺のテントは無理すれば三人くらい入れる程度の大きさだが、さすがに女の子と一緒に寝たりする訳にもいかないの外に俺が寝るスペースを確保しておく必要がある。姫川もテントを持っているはずだから、姫川と魔王っ子様にはそこで寝てもらうのが良いのかもしれないが、いくらなんでも二人っきりはまだ気まずいのだろう、姫川は何も言ってこなかった。いくら子供の姿とは言え、あの子が魔王である事は恐怖と共に認識している。俺だって二人っきりはまだ怖い。できる事なら声を掛けたらすぐに来てもらえる距離にはいて欲しいはずだ。

 寝床の準備が出来たところで一息吐くと、背後から良い匂いがしてきた。姫川が簡単なスープを作ったようだ。見たところ適当な野菜を刻んで、調味料と共に煮たてただけの物の様だが、匂いは充分に食欲をそそられる。

 全ての準備と片付けを済ませると、焚火で煮たてる鍋の前に魔法で作った石を椅子代わりにして座り、お玉で鍋をかき混ぜながら取り分けの準備に取り掛かる。

 魔王っ子が姫川の隣に座ったタイミングで、俺も姫川の正面に座る。

「美味そうに出来てるな。姫川の手料理をこんな形で貰えるとは、楽しみだぜ」

「あら? アナタも食べるつもりなの?」

 俺の分の配膳が用意されていなかったので予想はしてたけど、やっぱり一人で食うつもり満々だったな。魔王っ子様の事を考えていたかどうかまでは知らんが。だが、予想していた以上、今回もちゃんと台詞を用意しておいたぜ!

「俺の様な底辺男子が女子の手料理を口にできる機会なんて早々ないからな! だからお前に譲る気すらないぜ!」

 そう言って俺はあらかじめ懐に忍ばせておいた木製のお椀とスプーンを取り出し、姫川の手からお玉を取り上げ勝手に自分に注いでがっつく。すぐさまおかわりして煽るように食し、お椀を空にする。姫川が食べる前に鍋の中を空にする勢いで。

「どうして卑屈になる時はそんなに堂々としているのよアナタ……っ!」

 呆れつつも、俺の手を掴んでおかわりを阻止する姫川。やっぱ腹は減っているらしいな。材料の問題からそんなに量も作れなかったから、自分のお腹が膨れる前に食い尽くされる可能性を察したのだろう。

 俺も負けずと左手のスプーンで直接鍋から食い始める。鍋物を皆で突っつくのは日本人特有の文化だね。

「行儀を忘れるほどに食いつくの? 浅ましいわね」

「お前はブサメンと呼ばれるモテない男子の悲痛さを解っちゃいない。彼等がどうして見た目と比例して気持ち悪く映るのか? 見た目がキモイから、僅かでもチャンスがあったら食いつかないと明日を生きる希望すら失うんだよ! 俺はまだ、明日が欲しいっ!」

「どうして私はこれを恰好良いと感じるのかしら? この世界に精神科ってあったかしら?」

 ついに両手を掴まれホールド。このまま意地を張って抵抗してやるのも面白かったが、それでは食事が続かないので素直に降参する事にした。

 互いに手を放し、新しく出したお椀にスープを入れて、一連の間も自分の分が配られる事に何の疑いも抱いていない純粋な瞳を向けている魔王っ子様に差し出す。花が咲く様な笑顔で受け取り行儀よくスプーンを使って食べる。獣の時は直接食いついていたが、普通の食事もできるんだな。って、この子、確か獣数匹を既に丸々食ってんだよな。まだ食えるのか?

 食事を終え、後片付けを済ませると、やっと人心地がついた。このままゆっくり休んでしまいたいところだが、そろそろ余裕の無かった頭も働き始めた。重要な案件を片付けて行こう。

「ところで魔王様、名前とかないわけ?」

「今更の質問よね。私も気になってて訊く余裕なかったけれど……」

 お互い精神的に色々ヤバかったもんな。

 呆れの視線に、逆に同情の眼差しを返してやると、何か負けた気分になったらしく、渋面で睨み返されてしまった。

「なまえ……?」

「そう、君の名前は?」

「我、魔王、なり……」

「固有名詞プリーズ」

「パパ、は、難しい言葉、知ってる……! 凄い……っ!」

「はっはっはっ! そうだろうそうだろう! ……名前ないって事で良いのかな?」

 魔王っ子様に笑顔を向けつつ、姫川に助けを求めるつもりで質問。姫川も、何か呆れた様な、諦めたような表情で「いいと思うわ」と返してくれた。

「じゃあ、せっかく親になった事だし、俺達が名前付けるか? 呼び名が無いと対外的に不便だし」

「『対外的』の使い方が間違っている様な気もするけど、今は細かい話はやめましょう。切が無いわ」

 俺に半眼で見ながら言うって事は、主に俺の所為だとおっしゃいたいんですか?

「名前……、パパとママ、が……、考えてくれ、るの……? ―――っ!」

 期待全開のサンシャインスマイル。コレ、今逆らった魔王パンチが飛んでくるんでしょうか?

 なんか墓穴を掘った気分で俺達は悩まされる。何か良い名前はないだろうか?

「名前付けって、何気にハードル高くないか? 俺達が付けた名前が一生呼ばれ続けるんだぞ? 下手な名前付けられん!」

 世の親達はよくもまあ、子供の名前を付けられた物だと思うね。これ、かなりのプレッシャーじゃん。

「う~~ん、一応は魔王だし、魔王っぽい―――でも女の子なんだから可愛い、だけど印象的に嫌味にならない名前……?」

 首を捻って考え込むが、こう言う時、良い名前が中々思い付かない物だよな。親が自分の名前を一文字取ったりする気持ち、少し解るかもしれない。

「マステマ……」

 不意に姫川が呟く。

「なに?」

「マステマよ。悪しき人間を堕落させ、悪魔を率いた天使の事よ。その性質上、文献によっては悪魔と称されてもいるの。ただ共通している事実としてマステマは神に認められ、災いを振りまいたと言う事よ」

「神に認められた悪魔……」

 なんだその意味深名前は? 姫川笑ってるし、なんか思惑あって付けた名前なんじゃないのか?

「なんでよりによって神様公認の悪魔の名前なんだよ? 何か適当に付けた感じじゃないっぽいけど?」

「私、ちょっと思い出していたのよ。あの『司書』さんの言っていた事を」

 俺達の間で『司書』と呼ぶ存在など一人しかいない。彼女の事を言っているんだ。あの世界の本に囲まれた狭間にいた対外的に『世界の司書』を名乗る少女。甘楽弥生。

「彼女の何を思い出したって? 確かに最後になんか重要そうな事言ってたけど」

「『光も闇も、片方では何も成立しない』っと、言うセリフよ」

 姫川は淀みなくその言葉を紡いでみせる。

 さすがに彼女の言葉を一言一句憶えているのかと言われると、まったく自信がないが、それでも、不思議な事に思い出そうとすれば容易に思い出せる。だから姫川に言われると、確かにそんな事を言っていたとすぐに解った。

「っで、それがどうかしたのか?」

「私はずっと考えていたのよ。どうして私達を―――異世界の住人を呼び寄せてまで、この世界の神は、魔王を討たせようとしているのか? 『パーソナルアビリティ』なんて力を三十人もの元学生に与える事が出来るくらいなのよ? それなら、自分の教会の敬虔な信者にでも力を与えた方が良いに決まってるじゃない? もしくは、転生相手をもっと絞って、より強力な力を与えた方が、魔王討伐の可能性は上がるはずよ」

「そう……なのか? いや、人数に対しては質と量の限界が、ここらへんだったとも考えられないか? 量は増やせるが質はこの程度が限界だったとか?」

「それはあるかもしれないわね。でも、何故わざわざ異世界の人間を呼ぶ必要性があるの? 異世界の住人なんて別の信仰を持った異教徒も同然じゃない? 自分を信仰しない人間を集めても、余計な価値観で混乱を招くだけ。正に私達は異物も同然なのよ」

 何か話が壮大になってきた気がして、俺は神妙に考え込みそうになった。だが、途中で気付く。これらは全部姫川の憶測でしかない。あくまで姫川は疑問を抱き、その疑問の答えを求め、探しているのだと言っている。その探すという行為でさえ、まだ一ヶ月そこら。目ぼしい情報など入ってはいないのだろう。ならばなんだ? なんで彼女はこんな話をしている。結論を求め、俺は視線だけで訴える。察したらしい彼女は結論を言う。

「向こうの思惑がどう言うわけか解らないなら、試しにこちらからアプローチを掛けてみようと考えたのよ」

「アプローチって、どうやって? あの神様的球体だっていなくなったし、そもそも神様に干渉する方法なんてあるのかよ?」

「神様に直接は無理ね。この世界の神様って存在がどう言う扱いなのか、今一理解できないもの。でも、明らかに一つだけ、神の意思に反抗する手段があるのよ。それは偶然にも、アナタが作ってくれたわ」

「おいまさか……っ!」

 気付いた俺が魔王っ子に目を向ける。

 無邪気な魔王っ子様は、やはり見られるだけで嬉しいのか満面の笑みを返す。

「ええ、そうよ」

 姫川が肯定し、立ち上がると、魔王っ子様の元まで歩み寄り、そのまま抱きかかえる様に抱きしめた。

「彼女を、魔王を私達が教育し、人間の味方にしてしまうのよ。魔王を倒すのではなく、私達の側へ取り込んでしまうの」

 大胆不敵。

 そんな言葉が似合う程に、姫川は不敵な笑みを浮かべ、無邪気に喜ぶ魔王っ子様を抱きしめた。

 不可抗力で起きた家族計画。それがまさかこんな事になるなんて……。

 もしかしたら空ぶりと言う可能性だってある。作戦自体は雲を掴む様な手応えの感じられない物になるだろう。それでも、そんな事を試みる時点で、俺達は重大な反逆者だ。自分達を生き返らせてくれた神様に、反旗を翻す事には違いないんだからな。

 それが成功するのか、ただの空ぶりに終わるのか、そんな事は予想もできない。ただ、理解できない故の興奮を感じながら、だが、姫川の作った空気に流されないよう、努めて冷静に言葉を返す事にした。

「でも、マステマって呼びにくくないか? 確かに姫川のやろうとしている事から考えると、正に体現しているかのような御誂(おあつら)え向きな名前だとは思うけどさ?」

「じゃあ、アナタは何か思いついたのかしら?」

「え? ええっと……」

 やば、考えてばっかりで何も思いついていなかった。ええ~~っと、俺と姫川の間から生まれたわけだから……。

「リリィ……」

 絞り出す様にして出たのは、何とも在りがちな名前。言った後で間の抜けた事だと気付いて気まずい。実際姫川の視線は冷たい。もう少し捻った名前はなかったものかと訴えかけてくる。

「リリィ……!」

 だが、魔王様っ子には好印象だったらしい。

 俺も姫川もあっけに取られながら魔王っ子様を見つめる。

「それが良いの……?」

「ダ、メ……?」

 見下ろす姫川に見上げ返す魔王っ子様。

 何だか出鼻を挫かれた感を感じているのか、少しだけ不服そうな顔をする姫川。

「いいえ、アナタが気に入ったならそれでいいわ。今日からあなたはリリィよ」

 パッ! と笑顔が咲き、一瞬で、しゅんっ、と静まり返った。

 もぞもぞと魔王っ子様は姫川の腕の中で動き、正面から向き合う様にして姫川を見上げ直す。そして、子供らしい必死な表情で訴えかける。

「あ、あのね……! 『リリィ』も嬉しい、けど……、『マステマ』も、すっごく、嬉しい、よ……! どっちも、貰っちゃ……、ダメ……?」

 親心をくすぐる様な事を言い出しましたよ、この方。

 しばらく姫川はどう答えたら良いのか迷うような表情をしていたが、やがて肩の力を抜いて伝える。

「ダメじゃないわ。アナタがそう望むなら、そうしましょう」

 今度こそ花が咲いた様に笑い、魔王っ子様は姫川の首に手を回して飛び付いた。

 余ほど嬉しかったのか、きゃっきゃっ、とはしゃぎ。姫川の胸に全力で顔を埋める。あ、それで気付いたけど、姫川の胸って、かなり大きい方だったんだな……。ずっと後ろの席だったのに気付かなかったよ。

 何はともあれ、何だか色々な事が動きだしてしまった様な気がする。まだまだ細かい事を決めないといけないだろうが、方針の様な物は決まりつつある。後はそれに向けて動き出すだけだろう。

 俺は密かに、この先の苦労を予感し不安な気持ちと向き合うのであった。

「ね、ねえ……、アナタ……。助け……っ!」

 姫川の声に目を向けて、ようやく俺は気付いた。

 何かこっそり姫川の首の辺りで青い燐光が散っていらっしゃいますっ!

 首の骨か、酸欠か、もしくは両方が要因になって彼女の加護をじわじわと消費していた。

「うわあああぁぁぁぁ~~~っ! リリィ、ストップ! そのままだと姫川が大変な事になっちゃうっ!」

「は、早く……、助け……っ! 誰々くん……っ!」

「っておいっ! 名乗ってからずっと名前を呼ばれなかったからもしかしてとは思ってたが……、お前、未だに俺の名前憶えてなかったなっ!」

「そ、そんな事は……無いわよ……? 誰それくん……」

「やっぱ憶えてねえじゃねえかよっ! ショックで力抜けちゃいそうだよっ!」

「く……っ! こんな、事に、なるなら……! ちゃんと……! 憶えておけば……っ!」

「なんで重大な過ちみたいになってんのっ!? 俺の名前そこまでじゃないからね!? ショックだけどちゃんと助けるから! ってかリリィ! もう本当に止めて上げて! 姫川本気で顔が真っ青だから~~~~っ!」



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第三章 教育指導

 

「屈辱だわ……」

 目が覚めて早々、眼前の美少女から苦々しい一言を頂きました。ごめんねさいねぇ、目が覚めたら枕元にブサメンの顔があったら、そりゃあ嫌な気になるよね。女の子は特にさぁ……。

 寝起き早々、悪夢も見ていないのに涙を流しながら起き上った俺は、俺達の間で幸せそうに眠る魔王っ子様改め、リリィ・マステマの安心しきった無邪気な寝顔を見る。

 昨夜、これからの事をもろもろ話し終えた俺達は、予定通り俺が外の寝袋で寝ようとしたところ、リリィに「一緒に、寝ない、の……? パパだけ、お外なの……?」っと涙目で姫川の手を握り潰し……、二言目にはOKしか出せないダメ親っぷりを発揮している俺達です……。

「どうしてアナタがここに居るのかしら? リリィが起きる前にその命を断てば、二度と私の目の前に現れないでくれるのかしら……」

「たった一晩で憎しみが半端ねえよ! 悪いと思ってるんだからもう少し譲歩しちゃくれませんかねっ!」

 生き残るのに俺も必死だ。既に俺の『精霊の加護』はチリしか残ってないんだ。本気でさされたら普通に死んじゃう。

「愚劣なアナタが私の様な美少女と一晩一緒に居るだなんて、生と言う運気を全て使い果たしても足りた物ではない筈よ。だからアナタがここで死ぬ事は何も不思議な事ではないわ。運気の負債を正当に支払うだけ」

「満面の笑みで怖い事言わないでくださいますっ! 全てが事実だからこそ、俺はここで終われないんだよ!」

「アナタの卑屈が、必ずしも私を惑わせると思ったら大間違いよ? 普通に気持ち悪いわ」

「今の発言で気持ち悪い所はなかったはずだよねっ?」

「アナタは存在そのものが気持ち悪いでしょう?」

「当たり前のように言わないでくださいっ! 俺にだって心があるんですっ!」

「そうだったの?」

「朝から早々、全開だなお前っ!」

 コイツは俺を苛める事で精神の安定を保っているんじゃなかろうか? いや、リリィに会う前から既にこんな感じだったか。随分と良い性格してやがるぜ。

「大体、なんで『リリィ』なのかしら? 私がこれからしようとする事に対し、重要的な名前を考えたのに対し、アナタの考えた名前は随分と単調じゃなくて? センスが乏しいわ」

「うぐ……っ」

 お、俺だって本当は色々考えたんだよ。ただ、親の名前を分けて子供に与えるとか、考えてつい口に出ちゃったのが『リリィ』だっただけだ。

「名前の由来くらいは教えてくれても良いでしょう?」

「いや、その……」

 冷たい疑いの眼差しを向けられて言い淀む俺。

 ―――言えるかよ! (とばり)とゆずりで、共通した一文字が『り』だったから『リリィ』にしたとか! 言った次の瞬間、ゴミ虫を見る様な目で引かれるだけだっつうの!

 自分の価値観が低い事で定評のある俺は、真実を胸に隠し、黙って視線を逸らす。それを追及する様な鋭い目で睨みつけていた姫川だったが、このやり取りは中断させられる事となる。

「んにゅ……、パパ、ママ……? おは、よ……」

 リリィが眼を覚まして、寝ぼけ眼で微笑んだ。俺達は顔を見合わせ、嘆息して話題を打ち切る。

「おはようリリィ」

「おはようマステマ」

 俺達は互いが付けてやった名前を呼んでやる。リリィはそれだけで嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「今まで気にする余裕がなかったのだけど、このままと言うのは衛生上よろしくないと思うのよ」

 朝食を終えたところで、姫川がそんな事を言い出す。何の事かと首を傾げた俺は、姫川の視線がリリィに向けられた事でようやっと気付く。

「そう言えばリリィの格好、俺が迷彩用に着こんだボロマント羽織ってるだけだったな……」

 魔王っ子様の耐久値がいかほどかは知らないが、確かに女の子がボロ切れ一枚で出歩くのは衛生上よろしくないよな。そもそも人前には出せない娘なのだが……。

「アナタにとっては残念かもしれないけど、私もこれ以上、欲情を溜め込むアナタと一緒に居るのは身の危険を感じるのよ。早急に解決したい問題だわ」

「確かにリリィは美人さんで、推定十歳前後の体系の割に、あっちこっちの成長が御立派でいらっしゃいますがね? それでも幼児体型な事に変わりない訳でして? そんな子に欲情したりはしませんよ! マジでっ!」

 俺の名誉を守るため、ここは、はっきりしておかなくてはならない。子供に欲情したりしません。本当です。

「隠さなくても解っているわ。アナタが常日頃から蓄えた性欲を持て余し、その身に宿る変態的な性癖を私に知られない様に血反吐を吐きながら堪えているのでしょう? すぐに焼き尽くして楽にしてあげるわよ?」

「何を知ってる! 名乗った俺の名前すら憶えていなかったお前が、一体俺の何を知ってる~~~っ!」

「いやだわ、私はアナタと違ってちゃんと学習するのよ。ちゃんと名前を憶えたわ。ええ~~っと……、鈴森帷くん」

「カンペするくらいなら、せめて隠せよ! 何堂々とカンニングしてらっしゃいますかっ!?」

「忘れない様にメモする事は悪い事ではないでしょう? ええっと……? 鈴森帷くん」

「今、なんでまたメモ見たっ! 今読んだ名前も思い出せないほど、俺の名前って難しくないよね?」

「ごめんなさい。私、学習はするけど、嫌な事は憶え難い性質で……。努力するわ」

「ここまで皮肉の掛った努力もそう簡単にはお目にかかれねえよっ!」

 リリィの服の話をするだけで、どうしてここまで脱線しちまうんだ。解らない。俺には何も解らない……。

「ともかく、リリィのためにちゃんとした服を買いましょう。他にもここで生活するために、色々必要になる物も増えて来るでしょうし、一度は街に戻らないと……」

「何故だろうな? 話が戻ったのに、俺はやるせなさが半端ねえよ……」

 がっくり項垂れる俺。

 っと、話を聞いていたリリィは無邪気な笑みのまま小首を傾げ、姫川に向けて問いかける。

「お、洋服……、着るの……?」

「ええ、その格好のままでは彼がケダモノになってしまうから」

「パパ、獣に、なっちゃう、の……!?」

 なりません。なりませんから、真っ青な顔しないでください我らが魔王っ子様。

 何やらうろたえたリリィは、自分の体を見降ろしオタオタとし出す。っと、唐突に何かを思いついた様な表情になると、その場で立ち上がり、ボロ切れを掴んで思いっきり剥ぎ取った。朝日に照らされる中、真っ白で美しいリリィの肌が、惜しげも無く晒される。

 いきなりの事に呆然としてしまった俺達。だが、すぐに反応した姫川が俺にアイスアイズを放つ。

「鈴森くん……」

「あ、はい。見ません見ません」

 俺は慌てて後ろを振り返り、両手で目を覆う。

 すると背後から紫色に輝く魔力の光を感じる。一体何をしているのかは見えないが、手の平越しにも紫の光が伝わってくる。魔法でも使用しているのか? 攻撃系の危ない魔法じゃないだろうな? 俺、『精霊の加護』が既に塵しか残ってないんですけど……。

 僅かな不安を抱きながらも、背後から突き刺さる姫川の視線に振り返って確認する事が出来ない。仕方なく待つ事数秒。

「パパ、見て……!」

 光が収まり、リリィに呼ばれた事で。俺はようやっと振り返る事が出来た。

 果たして俺の目に飛び込んできたのは、なんと浴衣を着たリリィの姿だった。

 浴衣と言っても上の羽織る部分だけで、帯は存在していない。そのため前は肌蹴(はだけ)てしまっているが、そこは姫川がしっかり閉じて隠している。

「浴衣? え? なんで浴衣? 姫川コレ持ってたの?」

「よく見なさい、これはアナタのボロ衣よ」

 言われて良く良く見てみれば、確かに素材は俺が渡したマントに間違いない様だ。だが、どうしてこれが浴衣になっているんだ。

「魔法で、ね……! 作ったの……!」

 むふ~~っ! と、ちょっと自慢げに胸を張るリリィ。俺は眼を丸くしながら姫川に訊ねる。

「魔法ってこんな事出来るの?」

「聞いた事無いわよ」

 はっきりと否定された。姫川自身も驚いている様子だし、かなり希有な能力なのだろうか?

「言っておくけど、こんな魔法、原理的にたぶん不可能よ」

「え? 無理なの?」

「だって、布って繊維で出来てるのよ? 形を変えようとして千切った後、どうやって繋げるのよ?」

 言われても解らない。魔法の知識がからっきしな俺はに、それがどれだけ凄い事をしていても、目に見える程度の現象しか理解できない。姫川には申し訳ないが、首を捻るだけで凄さがまったく理解できない。

「あ、あのね……、パパ……?」

 俺が難しい顔をしていると、まるで身体を隠そうとしないリリィが、俺の服を引っ張って、語りかけてくる。この時、引っ張られた俺の服の端が鋭い鉤爪でも引っ掛かったかのようにびりびりと千切れてしまった事には気にしないでおく。肉を掴まれていたら……っと言う恐怖が脳裏を過ぎ去りそうだから。

「魔力は、ね……、世界にある、物に、干渉して、操作してる、の……。水分、集めて、流水を、打ち出した、り……、熱と、可燃ガス、を……、集めて、火を起こした、り……。こう言うの、が……、魔法……!」

 たどたどしい言葉使いだが、言っている内容は普通に解る。要するに、魔力を操ると言う事は、自然界にある物を全て操れると言う事にあるらしい。これら魔力を用いて世界を操作する方法が『魔法』っと言われる物の様だ。

 こっそり姫川に補足してもらいながら確認したので間違いない。

 俺の理解が追いついたのを確認してから、リリィは続けて説明する。

「魔力で、物、集めて、打ち出す、簡単……。でも、魔力で分解、構築、難しい、の……。弓、引いて……、矢、放つ、簡単……。でも、弓と矢、作るの、難しい……!」

 要するに魔力は人間の第三の手と言う事の様だ。手で物をかき集め投げるだけの『攻撃魔法』は簡単だが、物を組み立てるとなると、手先の器用さが求められる。例えるなら裁縫とかだろうか? ボールを投げるのが『攻撃魔法』で、裁縫をするのが『創作魔法』だと考えれば、なんとなく難しさは伝わると思う。

 もちろん、投げるだけの攻撃魔法も、投げ方や、投げる球をポールから鉄球に変えるなど、色々工夫できる物ではあるようだが、大きく広くするには魔力の才能が必要で、小さく細かい物に干渉するには、技術的な才能が必要とされるようだ。

「うん、『創作魔法』が難しいのは解ったけど、姫川が『不可能』って言ったのはなんでだ? 経験と技量次第で出来ない物なのか?」

「『創作魔法』はどれだけ小さい範囲に干渉できるかで腕の良さが計られるわ。魔法で作ったレンズで、どれだけ小さい字を読めるかで、干渉できる範囲が決定すると思って頂戴? 私達人間は、精々虫眼鏡で見える範囲なの。これは鉄や土なんかの、壊したあともくっつけられる物の形を変えるのが限界なの。鉄は溶かせば液体だから、いくらでも形を変えられるし、土は壊した後、力任せにくっ付ける事も出来るでしょ?」

 原理的に言えば分からないでもないか?

「けど、これが布になったら無理よ。破れた布を元に戻そうと思うと、別の布で縫い直すしかないし、力任せに押し付けても絶対にくっつかないでしょ? 破れた布を元に戻すには、千切れた繊維を一本一本繋ぎ直さなきゃいけないわけだけど……虫眼鏡くらいしか持ってない私達には、そこまで細かい作業はできない。技術的な問題じゃなくて、人間のスペック的に、これ以上細かい物に干渉するのは不可能なのよ」

「なるほど、それで『不可能』って事か」

 確かに、折れた鉄は、溶かしてくっ付け、打ち直せばいい。潰れた岩は、力任せに押しつければくっ付く。だが、布は直そうにも直す場所が見えないので手の出し様がないわけだ。破るだけなら簡単だが、壊した物を直す事が出来ないのなら、確かに『創作魔法』とは言えないよな。

「じゃあ、それが出来ちゃうリリィって……」

「顕微鏡クラスのレンズを持っているってことね。それでも複雑な作りは対応できないから、簡単な構造の物しか作れなかったんでしょう。これも、帯を作る分の布が無かったから、浴衣と言うより、サイズの合ってない法被(はっぴ)みたいになってるわね」

 ようやっとリリィが仕出(しで)かした事の凄さが伝わってきた俺は「ほぉ~~~っ」とアホみたいな関心の声を上げる事になった。それがお気に召したのか、魔王っ子様は無邪気な笑みを浮かべた。

「これでパパ、獣に、ならない……?」

「へ? ああ~~……」

 そのセリフで、今更になってリリィがなんで創作魔法を使って見せたのか、ようやく分かった。

 先程、姫川が俺がケダモノになると言うセリフを真に受け、本物の獣になってしまうと思い、それを回避しようと対処して見せた結果がこれだったと言う事か。うん、納得。

「最初から言ってるだろ? 俺は獣になんてならないよ。でも、女の子は(みだ)りに肌を晒しちゃいけないからね。ちゃんと前は隠そうな?」

 俺はそう言いながらズボンのベルトをはずし、それを帯びの代わりにしてリリィの腰に巻いてやろうとする。

「リリィ、ダメだわ。この人さっそくアナタに欲情してケダモノになったわ」

「勘違いしないでくれませんかねっ! 下半身晒そうとしてベルト抜いたんじゃありませんよっ!」

 まあ、今のは俺も悪かった。もうちょっと行動には注意しよう。

 ベルトを締めて、とりあえず服装らしい物にできたところを確認した後、俺はもう一つ生まれた疑問を口にする。

「それにしても……、リリィの魔法って、単純に強いってだけじゃないんだな? 今のは明らかに細かい技術なんだろう? リリィはそれを一体何処で知ったんだ?」

 魔王なのだからパワーがある事には納得だ。だが、今見せてくれた創作魔法はパワーとは別のベクトルだ。知識も必要だろうし、それなりの慣れも必要だろう。誰かに教わるのが一番の近道の様にも思えるが、俺達はずっと一緒だったのだ。姫川にそれを教えるだけの力がない以上、教わるのは無理だったはず。独学するには生まれたばかりの魔王っ子様には時間が足りない。一体何処でこんな技術を身に付けたんだ。

 俺の疑問に同じく難しそうに腕を組んで悩む姫川。しかし、その答えは、本人からあっさりと語られた。

「あのね……、歴代、の……、魔王の知識、から……、覚えた……!」

「「は……?」」

 俺と姫川の声が見事に重なった。『歴代魔王の知識』? なんだそれは?

 姫川がそれについて訊ねると、魔王っ子様はニッコリ笑顔で答えて下さった。

「リリィ……、生まれた時、から……、歴代の、魔王達が持ってる、記憶以外の、記録、全部ここに、ある、の……!」

 そう言って両手で頭を押さえる魔王っ子様の無邪気な顔を前に、俺達は同時に立ちくらみした。

 歴代魔王の全ての知識? それを既に全部有してるだって……? なんだそのリアル強くてニューゲーム!? 神様転生してきた俺達よりチートじゃねえかっ!? なまじ、異世界とかに頼ってない分、公式感漂うチートに、誰にツッコミ入れて良いのか解らなくなりそうだっ!

「り、理解したわ……。だからこの子は始めて私達に会った時、自分の事を『魔王』と名乗ったのね……」

「は? なに?」

 姫川の言った意味が解らず問いかける俺に、俺以上のショックを受けたらしく、未だに立ち直れない様子ながら、答えてくれた。

「私は最初、この子が自分を『魔王』と名乗ったのは、『王様』の子供が『王子』と呼ばれるのと同じ物だと思っていたわ。だからこの子は当たり前に自分を『王子(魔王)』と名乗った……」

 それは俺と同じ感覚だ。この子が魔王と名乗ったのは、自分が魔王だから魔王と名乗った。そんな程度の感覚なのだろうと。

 しかし、その話を聞いたリリィが、ぶんぶんっ、と首を振って否定した。

「ううん……、魔王、そんな事で、名乗っちゃ、ダメ……」

 リリィの否定に疑問の声が漏れる。なら、どうしてこの子は自分を『魔王』と名乗ったのか? その答えを、愕然とした様子の姫川が教えてくれた。

「この子は私達の血から生まれたあの瞬間、『魔王』として完成した。魔王として生まれたから『魔王』なのではなく、生まれた瞬間に『魔王』たり得る全てを手に入れたからこそ、『魔王』の称号を名乗るのを許されたのよ……」

 思考が凍りつく。その意味する所をようやく理解し、姫川が受けているショックを感じるに至った俺は、思わず立ちくらみを覚え、額に手をやる。俺達の前では、今まで通り無邪気な笑顔を見せる銀髪の金眼の魔王っ子様が笑って頷いた。

「うん、そうだ、よ……!」

 それはつまり……、既に世界の仇敵たる魔王は復活しており、既にこの子は、世界を相手に戦えるだけの存在として、魔物達の頂点に君臨していると言う事。今まで、彼女が何気ない気持ちで吹き飛ばした瓦礫の様に、森の様に、獣の様に、あるいは……、『精霊の加護』を吹き飛ばされていた俺達の様に……、この子は俺達の命を、容易く葬りされると言う事……。

「あの時、アナタが作ったこの事態、人類にとっては想像以上のファインプレーだったようね。そして……」

 血の気の引いた青ざめた表情で、姫川は心臓に刃を突き立てる様な声で、忠告する。

「私達の役目は、思いの外重大な事柄となりそうよ……」

 

 

 想定外の事態が続いて、しばらくテントの中で丸まっていたかった気持ちを叱咤し、涙目で不安がるリリィを必死に説得し、テントで大人しくお留守番してもらう事にギリギリ成功した俺達は、とりあえず『ファーストウォーク』の街を目指して帰路に付いていた。

 道中、向こうに着いた後の行動を何度も確認し合いながら、懐かしき人の里へと帰って来た。その入り口にて、見知った男が一人、佇んでいるのを見つけた。その男も、俺を確認すると手を振って近寄って来た。

「鈴森君! 生きていてくれたかっ!」

 そう言って俺の肩に手をやるイケメン氷室弘一。この辺じゃあお目にかかれないタイプの金属製鎧を身に纏っている、俺達二年Cクラスの中で、一、二を争う実力者だ。ソロ組の情報は入ってきていないので、そいつらはランク外とするが……。

「悪かった、連絡する手段がなくて……、偶然通りがかった姫川に助けてもらったんだが、デビルアントから逃げ切った時には、日が暮れちまってて……、心配掛けちゃったな」

「いや、そんな事は良いんだ。無事で帰って来てくれさえすれば! 姫川が助けてくれたんだな。ありがとう。俺からも礼を言うよ」

 姫川はツンとした表情で視線を伏せて逸らす応え方をした。態度はアレな感じだが、姫川と言う人物は、大体クラスではこんな感じだったし、今は俺を助けて、しかも街まで送って来てくれたという状況だ。照れ隠しにしか見えなかったのだろう、弘一は、優しそうな目で微笑んだ。

「この男が勝手に付き纏ってきただけよ。私は一度だって助けようとなんてしてないわ。そうよね? 金魚の排泄物さん?」

「実は根に持ってたのか? あのセリフ……」

 まあ、確かに、姫川が本気で俺の事無視しようとしても、本気で金魚の糞よろしくくっ付いて回る気満々ではありましたけど……。人前で言われるとなんか傷つくな……。

「いや、それでもやっぱり礼を言わせてくれ。君がいたおかげで、仲間が無事に帰れたんだから。二人とも、本当は随分苦労したんだろう? ()()()()()()()()じゃ()()()()?」

「ああ、まあ……」

「そうね……」

 確かに俺達、身体中に葉っぱやら土やらで汚れ、服の下は全身打撲だらけになっちゃっているのですが……、これは決して魔物にやられた物ではない。俺達がお留守番をお願いしていた時、駄々をこねた魔王っ子様が飛び付き、その衝撃で二人まとめて吹き飛ばされ、森の中を転がって行った時にできた傷だ。既に『精霊の加護』が塵に等しかった俺はもちろん、姫川の加護もこれがトドメとなり全損。二人仲良く全身打撲と言う有様だ。

 まあ、災い転じて福となす。その有様にはさすがの魔王っ子様も青ざめ、ごめんなさいを連呼しながら大泣きで俺達を介抱してくれた。さすがにしばらくは指先一つ動かせないほど痺れていたが、おかげで『精霊の加護』無しでは一緒に居るのは困難だと理解してくれ、大人しくお留守番する事に納得してくれたわけだ。戻ったら本格的に力加減を教えようと、珍しく俺と姫川の意見が揃った。

 この場面でも災いは福へと転じたらしい。弘一は、俺達が相当苦労して生き残ったのだと勘違いし、手厚く出迎えてくれた。正直しんどかったのは事実なので、俺は素直に弘一の歓待を受ける事にした。

「私はギルドに寄ったら宿に戻るわね」

 「ああ」と普通に答えようとした俺だが、先に弘一がイケメンパワーを発揮した。

「いや、なら後で合流しないか? 助けてもらったお礼もしたいし、彼の帰還祝いも兼ねて食事なんてどうだろう?」

 弘一はイケメンだ。大抵の男なら「コイツ! さては俺をダシに使ってまた女を口説いてやがるなっ!」と思うところなのかもしれないが、生憎俺は自分のスペックを弁えた上で、弘一のスペックを認めている。底辺男子は、見えない山頂を相手に嫉妬など抱かない。見えないからね。

「いらないわ。私も用事があってこの街に戻ってきているの。ただでさえ面倒な排泄物に付き纏われて時間を消費してしまったのよ? これ以上私の貴重な時間を奪わないで」

 ぴしゃりと言いのける姫川はさすがのブリザード。イケメン弘一も、イケメン故に、ここは強く出られない。がっつき過ぎはイケメン度を下げるのだ。

「そうか、解ったよ。でも、また今度、時間がある時にでも改めてお礼をさせてくれ」

 それでもイケメンパワー健在。さすが弘一。コミュニケーション能力が高いな。

「いらないわ。アナタにお礼をされても気に障るだけよ」

 ブリザードクイーンにはイケメンパワーって通じない物なのか? 大抵の男子なら「イケメン振られた、ざまぁっ!」っと言うところなのだろうが、俺はそんな風には思わない。俺なら弘一に誘われたらひょいひょい付いて行くぞ。底辺男子を自覚する俺は、虎の威がないとまともに世間も歩けないからね!

 それにしてもコイツ、俺と二人の時はちょっと面白い感じだったけど、他のクラスメイトが入ると学校に居た頃の、少し険悪な感じの空気になっている。なんでだ?

「それに、お礼の食事なら、既に鈴森くんから貰える予定だしね」

 そう言って去っていく姫川。そう言えば最初に再会した時そんな事言ってましたね、良く覚えていやがったなちくしょう。魔王っ子様の一件で絶対忘れてると思ってたのに……。

 不貞腐れる俺に対して、何故か弘一が珍しそうな表情を俺に向けている。何かと思って首を傾げ、視線で尋ねると、弘一は人当たりの良さそうな笑みを作って俺の肩に手をやる。

「良いじゃないか。がんばれよっ!」

 馴れ馴れしくされるのは、実は結構好きな方であるが、意味の解らない馴れ馴れしさには微妙な物を感じてしまう。

 俺は一体何に頑張れと? お前のそれ、絶対励ましの言葉じゃない奴だろ?

 困惑しつつも、俺は弘一と共に一旦宿に戻る。仲間に無事を知らせ、その後は精霊殿と呼ばれる場所で『精霊の加護』の回復だ。たぶんその後に皆で労いの飯を食って解散という流れになるだろう。金がある方じゃないから、夜まで飲み明かすと言う事はないはずだ。次の狩りも考えると夕方までには解放されるだろう。予定通りなら、俺が目的行動を起こせるのは、その辺りからとなりそうだ……。

 

 

 クラスメイトと言う物に対し、俺がどういった印象を持っているかと言うと、特に何も抱いていないと言うのが正しい見解だ。同じクラスに纏められただけで仲間意識が芽生えるほど、簡単な理屈は存在していない。俺達の副リーダー柊木(ひいらぎ)愛歩(あいほ)なら「せっかく同じクラスになったんだから―――」っ的な事を言うのだが、ならばどうして「同じ世界に生きる仲間なんだから」っと言うセリフにならないのか? そしてクラスと言う枠組み程度なら仲間意識が芽生えると思っているのなら、何故そうあろうと努力しないのか? 俺にとっては(はなは)だ疑問だ。そもそも、『仲間』と言う言葉を軽々しく使っている彼女だが、本当に彼女は『仲間』の意味を解っているのだろうか? 人当たりの良い態度で仲良くなった風を装っているが、その本人の痛みや劣等感を、彼女は何処まで解っていると言うのだろうか? それらを解った上で、受け入れ、傷付け合っても共にいられる者。それを『仲間』と言うはずだ。

 ……などと捻くれた事を考えている物だから、俺はどうにも集団と言う物が苦手だったりする。それでもソロをやらず、移住派に逃げる事無く、討伐派の訓練組に収まっているのには、大した事の無い理由(ワケ)がある。

 単に俺が自分を底辺だと理解していると言うだけだ。己の脆弱さを知っているからこそ、一人で生きて行く事は出来ないと解る。だから長い物には巻かれ、自分を守ってくれる物の下に付く。何とも醜悪な寄生虫だと、自分の事を卑下したくなる。

 何より、移住組はこれ以上を頑張るのが面倒になった連中が、自分達に都合の良い連中を引き連れて固まっているだけの、正に掃き溜めだ。気の弱い連中はあそこでこき使われてパシリにされる。俺はああなるのが嫌だったから弘一の側に付いた。基本的に弘一の周囲に居れば安全だ。イケメン狙いのウザギャルもいるが、そう言う奴等からは適切な距離感さえ保っていれば対象にされる事はない。もちろん、言いなりになっているだけだと舐められるので、そうならないよう、弘一と仲が良い様に振舞った。さりげなくギャルの話題を弘一に振っておけば奴等も気を良くする。だが、少しでもつけ上がるようなら、容赦無く事実と言う名の悪口も吹き込んでおく。要するに面倒だから相手したくない奴になるように努めていたわけだ。コミュ力高くない俺がこれをするのは超しんどかったが、とりあえず愛想笑い浮かべながらスルー中心で輪の中に入っておけば、勝手に弘一が気を利かせてくれるので、そんなに高い技術力は必要としていない。

 長々と語って結局何が言いたいのかと言うと―――、

 ―――早く終われこのバカ騒ぎ……。

 っと、言う事である。

「おいおい~~! ちゃんと食ってるか? 飲んでるか? 主役なんだからもっと一緒に騒ごうぜぇ~~~!」

 ウチの槍使いで、基本的に何にでも反応する騒がしい男子、武藤誠司が、ジョッキを煽りながら俺に言いたい事だけ言って立ち去って行く。短い髪を炎みたいに逆立てていて、額に小さい傷がある。本人曰く、傷は男の勲章とやらで、隠さずにむしろ見せるのがスタンダートだとか。俺にはまったく理解できないが、以前こいつ等が駄弁ってる時、あの傷は小さい頃に転んで出来た物だと言う話なので、何の勲章なのやらと呆れてしまう。

 俺は愛想笑いでスルーした後、食事に戻る。飲んでるか? 食ってるか? さっきから大いに飲んで食ってるよ。帰還祝いと言いながら、しっかり会費とられてんだから、元手を取らなきゃ損だろ。第一、俺達今回の稼ぎは0だったんだぞ? 祝いするのは金が入った時にしろよ。

 などと言う愚痴は今は言わないでおく。そんな事よりも、俺はやらなければならない事がある。これからの行動について、弘一と話をしておく必要がある。そのためにも、彼と話をする機会が欲しいのだが……、さっきからひっきりなしにメンバーと話してるな……。ウチの魔法職の本田(ほんだ)茉莉香(まりか)なんか、殆ど喋らないくせに、ずっと弘一の隣をキープし続けている。『魔女のローブ』とか言う、駆け出しの魔法職冒険者が好んで着こむらしい、ローブに身を纏い、頭にはセットで付いてくる魔女の様なとんがり帽子を被っている。あの帽子は布製らしいが、陽射し防止以外に何の意味があるのだろうな? 前にそれとなく聞いたが、本田はぽそぽそ、と答えるだけで何を言ったのか聞き取れなかった。聞き返しても委縮しそうなタイプだったので、聞こえた振りして適当に合わせておいたが、やっぱり気になるよな。今度姫川にでも聞いてみるか?

 本田は帽子から出ている茶色の髪を時々手で弄りながら、チラチラと弘一を見ている。時たま気を利かせた弘一が話を振るのだが、その度に真っ赤な顔をして伏せてしまう。頑張ってる時は何か会話らしい事をしているようだが、相変わらず本田の声はぽそぽそとしているらしく、弘一も聞き取るのに苦労しているようだ。

 おのれ本田め……、顔もルックスも平均並みの地味目少女の癖に、訪れたチャンスだけは何としても活用しようとするか。普段ならいじらしいとも思うが、何もしないのなら今回は俺と替れ。こっちはいつの間にか世界の命運的な物を抱えた重大な話があるんだよ。

 ばらす訳にもいかないので、大人しく待ちますが……。

「鈴森~? ちょっと良い?」

 内心を隠し、がっつきすぎない程度に食事に集中していた俺に、声を掛けてくる女子がいた。立花(たちばな)蓮華(れんげ)。ウチのチームで最後の女子。赤味がかった茶色の短髪が特徴的で、明るい印象がある。学校では先生に髪を染める様に言われていたが、その度に「髪染めるのだってただじゃないんですよ? 教材でも無い物にお金使えって言うなら、学校側からその分のお金出してくださいよ! それが出来ないなら生まれつきの身体を非難した差別で訴えますからね!」とか言って学校側から正式に染めなくても良いと許可を貰っていやがった。なんともアクティブな奴だと感心させられたね。職業は道具使いと言い、とても頼り甲斐のある、苦労の多い職を務めている。道具使いは、その名の通りあらゆる道具を用い、罠を張ったり、魔物避けの香を焚いたり、仲間に回復アイテムを渡したりと、秀でた力はないが、オールマイティーになんでもこなすスーパー職業だ。そして、その性質上、アイテムをたくさん使うので出費が半端無い。戦闘の度矢を消費する、狩人の俺よりも半端無い消費を強いられるため、経済的な計画性を要求させられる。それを今のところなんとかこなしてくれる、ウチの影のエース。それが立花だ。

「あのさぁ~? ちょっと相談なんだけど……? アンタ姫川に助けてもらったんでしょ? それならデビルアントの素材とか持ってない? できたら少しでいいから分けて欲しいんだよねぇ~?」

 申し訳なさそうに懇願する立花。仕方ない話か。あの後、弘一達もデビルアントに再度追いかけられ、大変だったらしい。その窮地に対し、走りながらでも薬品とかを投げられる立花は、かなりの大活躍だったらしく、全員が無事に逃げられたのは立花のおかげだったらしい。その代償として、立花は今、とんでもない出費で金欠状態にあるのだとか。皆からそれなりにカンパは受けたようだが、とても足りるほどではなかっただろう。

 俺は頷き、懐を漁り、回収したデビルアントの素材で一番高い部分、頑丈な顎の一番、損傷の無い物を取り出した。

「うを! それ良いの? マジサンキュー!」

 っと受け取ろうとした立花に対し、俺は素材を引っ込め手を躱す。ちょっと思いついた事があったのだ。

 訝しむ様な表情で俺を見る立花に対し、俺は取引を持ちかける。

「これをやる代わりに俺も相談いいか?」

「え? いいけど……。珍しいね、鈴森が相談とか?」

 なんか物凄く驚かれてるんだが、そこまで目を丸くする程か?

 まあ、確かに今までは相談する必要がなかったから、ちょっと意外だったのかもな。でも、俺だって必要な時は助けを求めるんですよ? 普通に。

「ちょっと、しばらくの間、面倒な買い物をする必要がありそうなんだ。何を買うかはまだ未定だけど、お勧めの店とかあったら情報欲しい」

 そう言う俺に対し少しだけ悩む素振りを見せる立花。なんとなく察した俺は、デビルアントの鍵爪を取り出す。

「とりあえずはこれで、超過分はその都度取引するって方向で……」

 片手を立てて頼むと、ようやく立花は笑って見せてくれた。

「いいよ! まあ、要するに情報源って事だよね? そのくらいなら請け負う。でも、なんで私なの?」

 そんなん、お前以外に情報取れそうな知り合いがいないからに決まっているからではないか。

 本音を言ったところで納得してもらえるかは解らないので、その辺はオブラートに隠す事にした。

「女子の目から見た情報が欲しかったんだよ」

「ん? そう?」

 なんか納得いって無い顔だな。まあ良いけど。

 ああ、そうだ。せっかくなのでついでに聞いておこう。

「さっそくだけどさ、この辺で安くて美味しい店とかある? できれば見た目オシャレな」

 姫川が夕食の奢り憶えていやがったからな。できるだけ安上がりで終わらせたい。だが、案内した店が不細工だと、それを理由に高級店とかに連れて行かれかねない。『ファーストウォーク』の街に、それを程高級な飲食店があるとは思えないが、それでも高い安いの差はあるからな。上手い事バランスを取っておかなければ……!

「ん? んん~~~? ふっふ~~ん……っ!」

 あれ? なんで立花、変な顔してるんだ? 見るからに何かを察しましたよ的な表情なんだが……、もしかして俺、何か口を滑らせたか? 自分でも気付かない内に魔王っ子様との接点を臭わせる発言をしてしまったのだろうか?

 くそっ! さすが底辺男子を地で行く俺! この程度なら問題無いはずと思っていた内容が見事に墓穴! でも焦るな。いくらなんでもこの程度なら怪しまれる程度に止まっているはずだ。ここは悟られた事に気付いてない振りをして、余計な情報を漏らさないように努めなければ。

「な、なに?」

「んふふぅ~~ん♪ 別にぃ~~?」

 なんだその意味深な顔は? ほ、本当にばれてないよな? いかん、緊張で顔が熱くなってきた。表情から何か読み取られたりしないだろうな? なんでますます笑ってんだ立花の奴? ちょっと怖い! 隠し事するのってとっても怖い!

「OK~~♪ じゃあとっても良いとこ紹介してあげるよ~~♪」

 すっごい意味深な笑みではあったが、意外と協力的で、結構細かな事まで教えてくれた。俺の勘ぐりすぎだったのか? っとも思ったが、最後に「姫川とよろしくしなよ~~♪」っと言われてしまった。なんで俺と姫川が会うって解ったんだよ? もう怖い! 怖いよ隠し事するのって!

 ああ、早く弘一と話をしてしまってこの場から逃げたい。怖い事はさっさと終わらせて布団の中で丸くなっていたいっ!

 

 

 ようやっと機会が巡ってきたのは、マジで解散する寸前だった。

 俺はトイレに立った弘一を追いかけ、彼が出てきたところで捕まえ、話しかける。

「弘一、ちょっと話がある」

「え? 珍しいなぁ、鈴森君が俺に話なんて……」

 なんでそこに驚くの? さっきは立花にも驚かれたし……。

「ええっと、実はちょっと頼みがあるんだ。これからのクエストについてだけど、ちょっと控える事になるかも?」

「控える? 何処か悪くでもしたのかい?」

「そう言うわけじゃないんだ。もちろん、これからもクエストには参加したいんだけど、ちょっと調べたい事が出来たんだ」

「調べたい事?」

「実は、俺のパーソナルアビリティについてなんだけどな……?」

 『パーソナルアビリティ』は、俺達がこの世界に転生した際、神様的球体から渡された、俺達専用の特殊スキルの事だ。

 例えば、弘一のパーソナルアビリティは『フレンドブースト』っと言って、戦闘時、自分の仲間の戦闘能力を向上させるっと言う効果がある。他にも通常よりも多くの経験値を得たり、仲間の数が増える分だけ効果が上昇するなどと言った、どこの主人公スキルだと、言いたくなるような効果がある。

 ちなみに立花は『アブソードヴァリュー』っと言って、鑑定したアイテムの全てを看破する事が出来る。

 誠司は『デンジャーサーチ』っと言い、比較的大きな危険が迫っている時、それを逸早く察知する事が出来る。コレのおかげで俺達はデビルアントの接近に気付けた。

 本田でさえ、『マジックコレクション』と言うその眼にした魔法の全てを魔道書として集積する能力を持っている。

 ただ、これらのパーソナルリアリティは、どんな力があるのかは具体的には解らなかった。実際に使ってみれば、なんとなく効果が理解できるのだが、発動条件が解らないと、どんな力なのかまったく解らない。そのため、何人かは未だにどんなパーソナルアビリティを持っているのか解っていない連中もいる。

 柊木とか移住派でパシリ扱いされてる奴とかはそんな感じ。

 そして俺のパーソナルアビリティは『ヘイトリッドトライアンフ』直訳すると『憎しみの凱旋』との事だが、はっきり言ってどんな能力なのか皆目見当もつかなかった。『ヘイト』と言う言葉がゲーム用語的に考えると敵のヘイト、つまり、敵の標的を自分に集中させたりする系だろうかと考えたのだが、それらの類にはまったく関係無かった。

 なので、俺のアビリティはずっと謎のままになっていたのだ。だから今回はそれをダシに使った。もちろん、本当は切欠の一つすら見つかっていない。相変わらず意味不明の能力だ。だが、仲間のレベルアップを求める弘一には無視できない話だろう。

「鈴森君、自分のアビリティが解ったのかい? でも、こうしてこっそり話をするって事は、何か問題でも?」

「ああいや、デビルアントに追われてる最中に、何かそれっぽいのを感じた気がするってだけなんだ。気のせいかもしれないけど、ちょっと調べてみたいと思って」

「そう言う事なら、むしろ皆で協力するよ。その方が早いだろう?」

「いや、逆に邪魔になるかもしれない」

「邪魔になる?」

「良く解んないって言うのが怖いんだよ。もしかしたら破壊力が強過ぎて制御が効かないタイプだとまずいし、そもそも発動条件が単独で無いと使えないって場合もあるだろう? 弘一のは仲間がいないと何の意味も無いアビリティだし、その逆もありえると思うんだ。姫川と合流した後は使えそうな気配も無くなっちまったし」

「なるほど……、確かにそれなら今まで発動できなかった事も納得できる。解った。つまりはアビリティを調べるための単独行動の時間が欲しいって事だな。そう言う事なら君のやりたいようにやってくれ。一応、こっちはいつもの時間にクエストを受注しておくから、それまでに言ってくれれば、いつでも歓迎するから」

「助かる。勝手を言ってすまない」

 あと騙してすみません。心の中で詫びながら、無事に話を終えられた事にホッとする。嘘を吐くのってやっぱり怖いな。一応、事前に姫川と相談して決めておいたとは言え、いざ本番となると冷や汗が流れる。

「いや、いいさ。そんな事よりも、君がこうして頼ってくれた事が嬉しいよ」

 弘一が何か変な事言い始めた? 台詞自体は弘一らしいイケメン台詞だが、『俺が』って言うのはどう言う意味だろう?

 首を傾げる俺に、弘一は可笑しそうに笑う。

「君が誰かに頼みごとする事なんてめったにないからね。やっと仲間として見てくれる様になったみたいで、嬉しかったのさ」

 やっぱり意味が解らない。仲間意識なんて持ってないけど、戦闘中に頼みごとをしたり、誰かを頼ったりなんて当たり前にやってきた。確かに遠慮とかはあったけど、俺の場合は遠慮しないと、今度は態度が悪いと言われる類だ。だから、俺は何も変わっていない。俺が変わった様に見えるのだとしたら、それはきっと、彼等が俺の事を何も解ってなかったと言うだけの事だ。

 解っていた事とは言え、底辺男子の俺としては、こう言う場面に出くわす度に胸が痛くなる。正論っぽい言葉を使い、まるで俺の事を解っているかのように語るが、その実、何も解っていない。なのに「お前は何も解っていない」と俺を責める。そう言う奴が、俺はどうしても嫌いだった。

 弘一、彼は確かに善人だ。言っている言葉も、決して悪意があったわけではない。むしろ友好的な思いだったはずだ。けど、善人なら人を傷つけないなんて事はない。例えそれが、他人が勝手に傷ついているだけだとしても、それでも傷付けたのはその人なんだ。

 弘一が悪いわけじゃない。それを解ってるから、俺は良く解らないと言った感じに苦笑いを浮かべるしかできなかった。

 

 

 帰還祝いを終えて解散した、夕方前。俺は必要な買い物を済ませ、急いで待ち合わせ場所の中央噴水広場へと向かう。復活した『精霊の加護』のおかげで『精霊の書』を開く事が出来る。そこには現在時間も表記されているので、待ち合わせ時間に遅れると言う事も無くて済む。ただ、この『精霊の書』の時間は、秒単位が存在せず、太陽の光と夜の闇の対比で大体の時間を特定しているだけらしく、時たま狂う。なので、待ち合わせする時は、時間合わせをする事が重要になる。

 俺が噴水広場に到着した時間は待ち合わせの二時五分前。遅刻しなくて何よりだ。

 御誂(おあつら)(むき)に、反対側から姫川が歩いてくるのが見えた。

「よっ! 待たせたか?」

「もう会えなければ良かったのだけれど……」

 眼を伏せて残念そうに言われた。待ち合わせした女子にこう言う扱いされた男子って俺くらいの物ではないか?

 酷い言われ様だが仕方がない。誰だって俺みたいな底辺男子と待ち合わせして、しかも恋人の定番台詞言わされるなんて本気で勘弁だよね……。

「そうだよなぁ~、待ってるわけないよなぁ~……。でも嘘でもいいから優しくしてください。今を生きる力が失われる」

「安心しなさい。リリィがアナタの事を忘れるまでは首を繋いであげるわ。餌は上げるから、しっかり働きなさい」

「俺はリリィのための家畜ですか!」

「買い物はちゃんとしたのでしょうね? 仕事が出来ない家畜は、廃棄処分するしかないわよ?」

「否定してよ! 家畜扱いを否定してよっ!」

 泣きそうになりながらも、とりあえず買い物メモに、全部チェックを入れているのを見せ、確認を取る。頷いた姫川は当たり前の様に歩き始める。次に行く場所は飲食店での奢りであろう。普段の俺ならここは黙ってついて行くところだが、今回は懐事情の問題があるので、そう言うわけにはいかない。実はすでに結構金欠ですしね。

 俺は姫川の手を取って待ったをかける。

「……、鈴森くん?」

 さすがに驚いたらしい姫川が眼を丸くする。何か言いたげだったが、言わせたら心が折れるツンドラトークが炸裂しそうなので、それは避けさせてもらおう。

「姫川、こっち」

 それだけ言って勝手に歩き始める。困惑しつつも素直に付いてきてくれる。

 とりあえず一安心だが、ここで油断してはいけない。上級男子なら、ここで暗がりやそれっぽい宿屋のある場所を通り過ぎる事で彼女の反応を楽しむのだろうが、こっちは好感度絶対値0がデフォルトの底辺男子。そんな無謀はしませんよ。ちゃんと明るい普通の通りを通って、立花に教えてもらっておいた喫茶店へと連れて行く。

「飯なら此処にしようぜ? 女子に教えてもらったところだから、味は確かのはずだ」

 そう言いながら忘れる事無く、ここで手を放します。これを忘れると、底辺男子はマイナス好感度を叩きつけられ、とても恐ろしい目に遭います。精神的に。

 腕組をした姫川は呆れたように溜息を吐く。

「別に何処で食事しても構わないけれど、そのために私の手を握って良いと思っているのかしら?」

「この後、懐が淋しくなるのを解ってて、女の子の手を握るくらいの慰めは、何が何でも獲得して見せるさ! たったこれだけで、俺は(財布を)投げうつ事が出来る!」

「まだ少し恰好良いと思えてしまう自分が口惜しいわ……。でも改善に向かっているみたいで安心したわ」

 呆れられながらも、嫌がっている訳ではないらしく、姫川は喫茶店の中に入って行く。俺も急いで後を追う。何気に女の子と二人っきりで喫茶店に入るとか、デートの様なシュチュエーションで嬉しくなるな。

「あら? 何故アナタまで入ってくるの? お金だけ置いて行ってくれればそれで良いのよ?」

「そこはどうか譲歩してくれませんかねぇ~~~っ! その扱いは底辺男子にとって一番あってほしくないシチュエーショントップに君臨するんですよ~~~っ!」

 店前で本気で泣かされた。

 姫川は仕方がないと言わんばかりに冷たい視線を向けながら肩を竦める。

 周囲の目が、狙っている女性に悪し様に扱われる男を憐れむ様な物になっていた。針のむしろだ……。

 

 

 とりあえず食事はそれほど問題にはならなかった。元々俺が助けてもらったことへのお礼だったし、食べてもらう事が重要。お喋りなど無かったが、俺達の場合はこれでいいとも思える。とりあえず俺も軽く腹に入れておく。この後はまた、リリィの元に戻らないといけない。戻ればいよいよ本格的な教育活動の開始だ。あの、うっかりで生きとし生ける物を殲滅出来てしまえる魔王っ子様を、人間の味方として教育しなければならない。何から手を付ければ良いのかは解らないが、ともかく始めない事には何もできない。俺は昼を食ったばかりだが、この後は食べる余裕があるかどうか解らないし、入る分だけは入れておこう。

 食事をとりあえず終えた姫川は、食後のお茶を飲みながら一息吐く。それから表情を改めると、俺に向き直った。

「戻ったらすぐに教育活動が始まるわけだけど、アナタは何か案があるかしら? 一応、プランは考えているのだけど、鈴森くんは何か考えてる事はある?」

「どう言う反応になるかは解んないけど、とりあえず童話とかを買い漁ってみた。たぶん、勇者が魔王を倒す定番の話もあるだろうけど、殊更に隠して偏った知識を与えるのは、それが嘘だと気付いた時の反動が怖い。だから、こう言うのも少しずつ知っておいてもらった方が良いと思うんだよな」

「定番と言えば定番ね。でも、それだと普通の教育よ? 私達はリリィに人を好きになってもらわなければならないわ。その辺の工夫はないのかしら?」

「結構無茶言うよな? 俺だってどうすれば良いのか解んないんだし、ともかくリリィの反応を見て行きたいかな? どう言った物にどう言反応を示すかによって接し方とか変えていくべきだと思うんだよ」

「それは……、そうね。何事もプラン通りにはいかない物よね」

 姫川が興味深そうな表情で首肯した。どうやら的外れな意見ではなかったようでホッとしたよ。

「意外とアナタも考えていたのね? てっきり良く解らないから適当にしている物だと思っていたわ」

「その通りだけど……、出会いの所為かな? なんかリリィって頭の中に強く残ってるんだよね? おかげでずっとリリィの事考えっぱなしでさ……」

「それは……、そうね。そう簡単に忘れられそうな物ではないわね」

 思い起こされるのはリリィの起こしたスプラッタと、『精霊の加護』破壊のお茶目(、、、)。そう、お茶目で俺達は何度も殺されかけた。絶望的に苦い記憶。思い出と言うには新し過ぎる恐怖の記憶に、俺達は揃って青い顔になる。

「やめましょう。こんなこと思い出していたらこの先やっていけないわ」

 御尤(ごもっと)も。

「それはそうと、姫川のプランって言うのは? 何をどうして行くつもりだったんだ?」

 話を明るくするため、話題を変更する。姫川は「ああ、」っと声を漏らしてから説明してくれる。

「人間の文化と言う物を中心に触れさせようと思ったのよ。装飾品はもちろん、人間が作り出した物を、その経緯と共に説明しながら与えて行けば、興味をそそられるでしょう? そうやって人間の作ってきた物に興味を抱けば、人間を滅ぼしたりはしなくなるでしょう? 人間が滅べば文化も消えるもの」

「ああ、確かにな。でも、それって一部の人間だけ残せばOKって思われないかな?」

「可能性はあるわ。だから、その他の人間の部分にも興味を持ってもらわないといけないのだけれど……。考えようとして気付いたの。私達もそれほど人間の事を知らないってね」

「ぐわっ! 確かに……。ましてや俺達は異世界人。余計に解らんところ一杯だ……」

「人に教えるには、教える側が勉強する必要性がある。私達の世界で教員免許発行される理由よね……。おかげで弊害化している様にも見えるけど……」

「いっそ俺達の世界のこと話すのもありか? 人間だけしか存在しない世界とか、リリィにとってはおとぎ話にしか聞こえないだろうし?」

「それはもう少しあの子の反応を確認してからにした方が良いわ。万が一私達の試みが失敗したら、今度は異世界にまで手を出してくるかもしれないわよ?」

「正直前の世界にはあんま未練ない方ですが……、だからって自分が異世界侵略の発端になるのはさすがに勘弁だな……」

「そう言えばあの子、精神は普通に子供っぽかったわよね? たまには遊んであげた方が良いのかしら?」

「そりゃあ、子供は遊びたい盛りなんだし、何かして遊んでやるのは当然……」

 想像してしまった。

 リリィと鬼ごっこして撫で殺される。

 リリィとキャッチボールしようとして撃ち抜かれる。

 リリィと御飯事(おままごと)してスプラッタ料理を出される。

 リリィとヒーローごっこして本当に葬られてしまう。

 リリィと―――、

「やめましょう……! 考えるだけで加護が失われて行きそう……!」

「そ、そうだな……」

 そして一刻も早く手加減を覚えさせよう。そうでないと全て命がけの遊びになってしまう。なんで異世界にまで来てデスゲーム何ぞせにゃならんのか……。

「とりあえず、オセロとかチェスの様な遊びを教えましょう。身体を使った遊びを求めてきたら、それを理由に手加減を覚えさせられるでしょう。あの子、アレだけ繊細な魔力コントロールが出来るんだもの。手加減自体は難しくない筈よ」

「んじゃあ、やっぱ今までのアレは子供故の感情の起伏が原因って事か? 感情が昂ってる時は手加減もできないと?」

「アナタと違って器用で聡明な子だもの、教えればすぐに覚えるでしょ」

「そこで俺を比較に出すのは間違ってるぞ? 俺は底辺だから、誰と比べても大抵皆が上だ。俺と比べるなよ? リリィを舐め過ぎだ」

 真顔でそんなことを言ったら、急に姫川ががっくりと肩を落とした。一体どうした?

「今、アナタの卑屈具合が恰好良いと思えてしまったわ……、もう死んでしまいたい……」

 ごめんなさい。底辺男子を認めるなんて、誰のプライドでも許せないよね。本当にごめんなさい……!

「まあでも、実際俺達の血を引いてるわけだし、本当に俺みたいな底辺思考とかが受け継がれなくてホッとするよ」

「それなら問題無いでしょう? 半分は私の血よ? アナタ程度の遺伝子が、私に適うと思っているのかしら?」

「そうだね。安心だね。でも底辺男子だって傷つくんだよ……」

 どうしよう、姫川がすごく良い笑顔で俺達の血を引いてる子供の話をしてるのに、全然嬉しくないよ? 切ない涙が止まらないよ……?

 俺が涙を拭き取り、気を取り直すと、何やら姫川が考え込むような表情をしていた。

「どうかしたのか?」

「ええ……、そう言えばあの子、私達の血から生まれたのよね?」

「ああ、たぶんな。あの魔法陣がそう言う物だったんだろうって言うのが、姫川の見解だっただろう? 実際見た俺にもそんな風にしか見えなかったけど?」

「……でも、あの子の体は……私達じゃないでしょう?」

 姫川が途中で言葉を区切った。だからそこに当て嵌める筈だった言葉を自然と想像し、気付かされた。

 リリィは紛れも無く魔王だ。捻じれた角を持ち、この世界の人間にはいないとされる銀の髪に白い肌を持つ。そして獣の様な金色の瞳。人間の物とは明らかに違う瞳孔。彼女は間違いなく魔族だ。決して人間の体ではない。

 だが、リリィの身体を作り出した血は、両方とも人間の物だったはずだ。なのに何故、リリィは魔族として誕生出来たんだ?

 さすがに内容が内容だけに、姫川も発言を控えたのだろう。念のため声を潜めているとはいえ、やっぱり聞かれる可能性はある。『魔王』や『魔族』と言った単語だけは絶対に出さないようにしようと前もって決めていた。

「考えて見れば私達の血で作ったにしては質量が足りないだろうし、アレは儀式の一環であり、体は別の所から作ったのかしら?」

「そうかもしれないけどさ……? 考えてみたらあの台座の作りも変じゃないか?」

「……何か気付いたの?」

「いや、だってアレ、窪みに指を突っ込んで血を流す仕組みだっただろう? それって完全に『人間』じゃないとできないだろう?」

「……!」

 姫川が大きく目を開く。

 あの窪みは明らかに指を入れる事を想定していた。だが、俺達が今まで相手にしてきた魔物は、明らかに異形の存在ばかり。獣の形や虫の形を模した怪物達。彼等はどう考えても、あの小さな窪みに突っ込める指など持ってはいない。

「人型とかっているのか?」

「帝都で知性の高い物もいると言う話を聞いたくらいね? もう少し詳しく聞いていれば何か解ったのかもしれないけど……。いえ、人型もいると考えた方が良いでしょうね。生物の進化から考えると、知性が高いと言う事はそう言う身体になるのでしょうから」

 ちょっと難しい事を言われたぞ。この辺の意味は解らなかったのでスルーしよう。

「じゃあ、リリィ()は人型種から作られるのが当然だったって事か?」

「さて? それはどうかしら? そもそもアレだって、手段の一つだったとも考えられるわ。他にも方法があったとすれば、そうとも言い切れなくなる」

「ああそっか……、複数ある内の一つって言うのは可能性高いかも? あそこは向こう側にとって破棄した物の一つで、それほど重要性がなかったのかも?」

「それは……、その考え方もあるわね……?」

 神妙な顔つきになる姫川。話せば話すほど内容が深刻な物になってきている気がする。それがだんだん怖くなってきた。恐怖を振り払うため、俺はここで少し突拍子もない事を言ってみる事にした。

「案外、あの空間が未発見だったのも理由があったりしてな? 実は人間側が気付いてて知らない振りしてたとか?」

「何故そんな必要が?」

「例えばリリィ達を作ったのは大昔の人間だったとか? ほら、漫画とかでよくあるだろう? 戦争のために作った生物兵器とか言って創り出したんだよ。っで、『リリィ』はそいつらをまとめて統括する役割だった。ところが、ある時自我を持った『リリィ』は人間の制御を離れ暴れ出した。それがこの世界の成り立ちとか?」

「……それ、何か根拠があって言ってるの?」

「ただの予想。根拠はない」

 呆れて溜息を吐かれた。

「何気にありそうで否定し難いんだからやめなさいよ。あと、それ教会関係者の前では絶対に口しない方が良いわよ?」

「はは……っ、確かに。自重しときます」

「あ、でもそうすれば、アナタを合法的に追い出す事が……」

「真剣に悩むな~? 俺はまだ死にたくないんだ~」

「ふふ……っ、冗談よ」

 たっぷり汗をかきながら突っ込む俺の反応が可笑しかったのか、珍しく柔らかい微笑み方をする。意地悪な成分は抜けてくれないし、笑ってる時もやっぱりクールだ。でも、なんかこう言う姫川の笑い方って結構良いかもしれないな? 皆の前でもそうして笑えば良いのに、っとも思ったが口には出さない。誰にだって見せる笑顔より、俺だけに見せてくれる笑顔だと思った方が、この先()きて行く人生の糧になる。こっそり胸の内で温めておこう。

「え? あれ? 姫川……っ、と鈴森っ! なんで二人がお茶してんだよっ!」

 こっそり脳内シャッターを切っていた俺は、突然名前を呼ばれて視線を向けると、そこに短い髪を逆立て、額の傷を見せびらかしている男子の姿があった。って言うか知り合いだった……。武藤誠司だ。なんでこいつがこんな所に居るんだよ……。

「……」

「……っ」

 姫川が「これはどう言う事かしら?」っと、とっても冷たい眼差しで問いかけていらっしゃったので、俺は全力で首を振る。

 改めて誠司に視線を向けると、後ろには眼を丸くしている弘一と本田、そして両手を合わせて拝んでいる立花の姿があった。なんだこいつら、昼間あんだけ食ったのに、四人でまた喫茶店に来たのか? って言うか何気にはぶられたウチのタンクは何処行った? 図体がでかくて寡黙な奴だが、アイツも仲間じゃないのかよ?

 その辺の謎を置き去りに、誠司はこっちの気もお構いなしに騒ぎ始める。

「なんだよお前ら? いつから二人でお茶とかしちゃう関係になってんだよ? あれか? 危機的状況を潜り抜けた二人の間に、愛が芽生えたとかそう言うのか? 鈴森の癖に彼女とか何考えてんの? ってか姫川とか、どうやって口説き落としてるわけ? 俺に変われよなぁ~!」

 ウッザッ!? ウザい! 超ウザイ! こっちは真面目な話してるって言うのに、勝手に誤解して勝手に自分本位で喋りまくって本気でウザイ!

 普段なら、あるいは本当にただ姫川と偶然一緒に食事する事になっていただけなら、ここまで煩わしくは感じなかっただろう。どうせこいつ等、からかえそうなネタを持った相手が知り合いだったから、特に考えもせずにちょっかい出してやろうって思ってるだけにすぎないんだ。そんな相手に一々目くじら立てても仕方ない。っと言うか相手するだけ疲れるしイラつく。こう言う時はさっさと解散してしまう方が楽だ。

 だけどな、今は結構大事な話ししてるんだよ。もしかしたら、人類存亡に関わる重大な話だ。それはもう、割と本気な具合で。だから邪魔するなよ。早く消えてくれよ。俺は姫川と話さなければいけない内容がまだあるんだ。

 煩わしく思いながらも顔に出すと余計絡んで来るのが解っているので、苦笑いでなんとか堪える。姫川の方はまったく隠そうともせず冷やかな視線を送っている。半分が俺に突き刺さっている気がするが、俺だって被害者ですよ?

「それでなに? 二人はこれから何しちゃうつもりだよ? ってかどう言う経緯でこうなったのか詳しく話せよ鈴森~~?」

 座るな! 長話する気満々で俺の隣に座ろうとするんじゃねえよ! 空けないからな! わざわざ席詰めてやるつもりねえからな!

「あ、わりぃ、もうちょっと詰めてくれよ? 皆座れねぇ」

 だから座んなよっ! 俺の態度から察しろよ! ってか、これがお前の邪推通りなら、普通に邪魔だろ! 何二人っきりのデートに乱入する気満々になってんだよ! 気を使えよこのデリカシーマイナス男! 底辺男子の俺だってそんな無粋しねえぞ!

 なおも俺を押し込んで座ろうとするので、俺は「いやだよ」と言いながら押し返す。だがこの男、何を考えてるのか、そもそも考えようとしているのか? こっちの話を全く聞かずに押し込もうとしている。どんだけデリカシーねえんだよ!

「ごめんね鈴森~~……! 邪魔するつもりなかったんだけどさ、武藤のバカが勝手やっちゃって……!」

 俺が苦笑いで必死にカモフラージュしている中、立花が近寄りこっそりと耳打ちしてきた。

「ホントはさ、弘一と茉莉香を二人っきりにしてやろうと思ったのよ。茉莉香ったら、いつもいじらしいけど奥手でしょ? だからちょっと手を貸したくなっちゃってさ~?」

 それがどうしてこうなっている? しかも、ウチのタンク藤堂(とうどう)一文(いちもん)はどうした? なんであいつだけはぶられてんだよ?

「せっかく私と藤堂が気を利かせようとしたのに、アホの武藤が空気読まずに弘一に付いて行こうとするからさ……、仕方なく私も付いて行って、さりげなく武藤を剥がそうとしてたんだけどさ……。武藤のバカが、ここに入ろうなんて言い出しちゃってさ? 私は別の場所にさせようとしたんだけどクズ武藤はまったく聞いてくれなくて……、弘一達は何も知らなかったから結局皆で入って来ちゃってさ……」

 なるほど、事情は理解した。それにしても話が進むにつれ武藤の評価がどんどん下がって行ってるのがちょっと気になったな。まったく同意見なので注意する気にはまったくなれんが。

「そんな訳でごめんね? せっかくのデートチャンス邪魔しちゃって?」

 誤解している上にお前まで座ろうとするな! 誠司を押し退けて座ってきた事には文句はないが、俺みたいな底辺男子は女子との接触が苦手なんだよ! 後で「やだ触んないでよキモ~イ」とか言われそうでマジ怖いから! だからお仕込んで来るなっ! 相手が男子じゃないから席空けちゃうだろっ!

「できるだけ早く消えるからさ? ここは許してよ」

「……できる限り早く頼む」

「OK~♪」

 このまま追い返したい気持ちはあったが、何も食べずに出て行くのは店の人に悪い。他の席に座らせても、こっちの様子をチラチラ窺ってくるのは眼に見えているので、会話に集中できない。いっそ解散してしまおうかとも思ったが、店の外まで追いかけて付き纏われても困る。男女のネタほど、弄りたくなるネタも無いのだ。こいつ等が何か注文した隙を付いて、こいつ等がすぐに出られない状況にしてから出て行くのが良いだろう。もしくは立花の撤退力に期待だ。

 幸か不幸か俺達の席は四人がけの席だが、つめれば六人いけない事も無い。俺の席に立花が詰め、空いた場所に誠司が座ってしまったので、必然的に姫川の隣に本田がその隣に弘一が座る事になった。本田はアイスブリザード状態の姫川の隣に座らされかなり恐縮しているみたいだが、だからと言って逆隣りはイケメン弘一。赤面したり青くなったりちょっと忙しい事になっていた。

「はは、悪いね……。そう言う事だとは知らなくて……」

 苦笑いした弘一が俺に言う。だから違うっての。ああ、面倒臭い。

「そんじゃあ、まずは二人の慣れ染めから―――」

「姫川って今までソロでやってたんでしょ? 今までどこに行ってたの?」

 誠司の邪推を断ち切るようにして立花が話題を逸らす。適当に話題を逸らし、ある程度駄弁ったら出て行くつもりという事だろうか? とりあえず俺は様子見。

「何故私がそれを語らなければならないのかしら?」

「あ、はは……」

「う……っ」

 姫川さん、最初っからブリザード全開です。そりゃあ、大事な話してた所に無理矢理乱入してきてるんだから当たり前だよな。俺もそこは否定的にならず黙って首肯。

「い、いやさ? ほら? 互いに情報交換って言うの? 私らこの街からあんまり出た事無いしさ?」

「そうね、でも、そう言う事なら彼に聞けば良いでしょう?」

 そう言って視線を向けた相手は弘一。確かに弘一は俺達よりレベルが高い。この街に残っているのは、俺達のレベル上げに協力しているからだ。それでも自分が弱いままでいる訳にもいかないので、定期的に前線メンバーの元に戻って、勘が鈍らない様にしているみたいだ。外の情報を手に入れると言う意味でも必要な事だしな。

 だから情報が欲しいだけなら弘一に聞いた方が良いと言うのは間違ってはいない。だが、間違っていないからと言って、納得する訳ではなく。皆一様に苦笑いを浮かべている。

「そう言う事じゃなくてね……?」

「あら? そうなの? ごめんなさいね。私、効率を優先しているから、遠回しな言い方では良く解らないのよ。私にも解るやり方で話してくれるかしら?」

「うぐ……っ」

 ああ、皆完全に凍りついてしまった。姫川の冷笑に誰もまともに視線を合わせられないでいる。勝手に割り込んでおいて、勝手に場を暗くされても困るよ。

「え、ええっと……、鈴森? お前どうやって姫川と会話してんの? いつもこんな感じなん?」

 姫川に会話振る勇気ないからって、俺に振らないでほしい。俺だってこんな空気の中、会話したくないっての。大体俺達が話したい内容はお前らがいると出来ないんだよ。

 っとは言え、無視するわけにもいかないので、とりあえず何か言ってみる。

「さあ、さっきまでは普通に会話してたと思うよ? なんでこんな空気になったのか原因は知らないけど」

 暗に誠司の所為だと語る俺だが、誠司本人は「じゃあ、なんでこんな気まずい空気なの?」っと、本気で呟いていやがった。立花達は完全に事情を察してるっぽいのに、なんでこいつこんなに鈍いんだ。

「あら? 心外ね? 私はいつも通りよ。どうして私が機嫌を悪くしないといけないのかしら? 鈴森くんには心当たりがあるのかしら」

 あります。メッチャあります。現在進行形であります。空気が怖くて口にはしないけど。

 姫川はずっと笑っているが、その笑みがとてつもなく恐ろしい。どうしてくれるんだよこの場の空気。

「ええっと……、お前らキスはもうしたん?」

「バカ……っ!」

 誠司~~~~っ! お前いきなり何言い出してんだおいっ!

 立花が慌てて誠司の口を抑え、弘一と本田が戦慄しながら姫川の様子を窺う。俺は既に視線を合わせられる自信がない。

「そう……? アナタは私とこの排泄物と性的接触をする事がお望みなの? ふふ……っ、じゃあアナタの性的欲求の対象は家畜か何かかしら? そう言えばカバは親の排泄物を食べて成長するらしいわよ? 良かったわね。アナタの理想的な伴侶をみつけられて……」

 絶対零度……。

 この空間、関係の無い人達まで完全に凍りついてるよ。飲食店なのに排泄物の話されて食欲も完全にストップしちゃったよ? もうこの状況をどうにかできる自信がないんですけど! 店員さんごめんなさいっ!

 姫川の機嫌は相当悪いらしく、冷たく黒い冷気を幻視させ、ずっと俺の事を睨んでいる。どうやら気分が悪いからさっさとこの状況をどうにかしろと言う事なのだろう。ちなみに、さっきも言ったが、俺にはもう姫川の方を見られる勇気は無くなっております。つまり、見なくても解る程の殺気がバンバン伝わってるって事です。本気で怖い……。

 姫川の殺意的SOSを受信した俺は、生存本能に従い立ち上がって提案。

「姫川? そろそろ行こうか? この後、予定があっただろう? これ以上長居はできないしさ」

「そうね。もう少し話しておきたい事もあったのだけれど……、時間も無くなった事だし、もう良いわ」

 そう言って一緒になって立ち上がってくれた。おかげで皆もホッとした様子。

「邪魔して悪かった……、ここは俺が払うよ」

 弘一がそう言って詫びを入れてきたので素直に受け取っておく。俺達も速くここから出たいところだしね。

「お? なんだよ、これから二人で一発もが―――っ!」

「もういい加減黙れゴミ武藤!」

 懲りずに何事か言おうとした誠司の口を塞ぐ立花。ついにクズからゴミ扱いされたか……。でも正直、俺も同意見になっているので同情はすまい。俺達は揃って喫茶店を出る。

 姫川が指を差して合図したので、黙ってギルドへと向かう。

 しばし無言で歩き、ギルドに到着したところでやっと彼女は口を開いた。

()けられたりとかしてないわよね?」

「たぶん大丈夫……。ってか、あの状況で追いかけてくる剛の者はいないと思うぞ? 誠司辺りはしそうだけど、あの調子じゃ周囲が絶対に止めるよ」

「そうでしょうね……」

 溜息を吐く。正直俺も疲れた。これからについて大切な話をしていたと言うのに、あんな重苦しい空気にされるとは……。本当に勘弁してほしい。

「それにしても、姫川って皆といる時って、俺と二人の時より冷たい感じになるんだな?」

「……何を言ってるのかしら?」

「いや、前も思ったけど、お前って話してみたら結構面白い感じの子だなぁ~、っと思ったんだけどさ。でも、さっきみたいに皆といる時はちょっと冷たい感じが強く感じたんだよね。だから、もしかして集団で会話するのとかって苦手なのかなって?」

 俺が説明すると、逆に訝しむ様な表情で見つめ返された。姫川が何も言わないので、必然的にそのまましばらく観察されていたのだが、やがて不思議そうに顔で呆れた様に笑った。

「私はいつも通り何も変わってなかったわ。違ったのは、鈴森くん、アナタの方よ」

「え? 俺?」

「私はいつも通りにしか喋らなかった。でも皆といる時は暗くなり、アナタといる時は『面白い』と言われたわ。それはどうしてかしら? それは私と会話する人間の態度の違いよ」

 姫川はそう言いながら、微妙な面白さのモニュメントでも見てしまった様な複雑な表情をしながら振り返る。

「アナタって、人数が増えると極端に口数が少なくなるのね」

 俺は姫川を追いかけながら、ちょっとだけショックを受けた。確かに俺は大人数で喋ったりするのは苦手だ。大抵俺が誰かと話していても、別の誰かによって割り込まれ、その二人だけで話が盛り上がってしまい、自分だけしたかった話が出来なくなる―――なんてことが良くあったので、俺は基本的に必要がない限りは黙っている事にしたのだ。他人の会話を聞いて、簡単な相槌を打つだけでも充分会話は成立するし、その方が俺も楽だった。だから姫川の言う通り口数が少なくなっていたかもしれない。今思い出せば、俺から話しかけただけで立花も弘一も驚いていたしな。

 でも、俺が喋るだけで姫川の印象がそんなに変わるものだろうか? そこはどうしても疑問に思えてしまう。

「俺が喋るだけで他人の印象って変わるか? 底辺男子の俺が喋るだけで、姫川のドライアイスエアーが緩和されるとはどうしても思えないんだが?」

「何故、私の空気がマイナス78.5度の二酸化炭素の塊になっているのかは知らないけど、アナタが喋る事で私の空気が緩和された様に感じるのなら、それはきっと、アナタと私の相性が良かったと言う事でしょう?」

 思わず、身体の動きが止まってしまった。

 俺と姫川の相性が良い? 何の冗談だ? そんなのあり得るわけないだろう? 俺だぞ? 俺みたいな底辺男子がどう転んだら姫川みたいな優秀な奴と良い感じになれるんだよ? ありえない。無理だ。それだけはどうあったって無理に決まってるんだ。だって俺は、俺はそんな……。

「どうしたの……?」

 俺が立ち止まった所為で、付いてこない事に気付いた姫川が訝しい表情でこっちを見ている。

 そうだ。俺達はこれからギルドでクエストを発注する。そしてそのまま外に出てリリィの元に戻る。表向きは依頼をこなしている様に見える様にするために。

 自分の中で渦巻く感情をなかった事にし、俺は姫川の後を追う。

「いや、だって姫川が俺みたいな底辺男子と相性が良いなんて言うから、おかげで明日を生きる希望が芽生えたぜ!」

「なら悪いのだけど? 歯車の相性って知ってる? 凹んでいる所に凸部分が噛み合うから相性が良いの。私みたいな優秀な人材は、アナタみたいな底辺でないとバランスが取れないと思わない?」

 スッゲー納得したわ……。

 

 

 ギルドで発注したクエストは、簡単な素材回収だ。最初は討伐以来の魔物でも倒そうかと思ったが、これからは魔王であるリリィを育てる。彼女の前でみだりに魔物を殺すと、どんな反応が返ってくるか解らない。なので自己防衛以外で魔物と戦闘する事は避ける事にした。魔物の核が一番高く売れるんだが、そこは仕方がない。諦めよう。幸い姫川が倒したデビルアントの核があるので、それなりの収入は入ったしな。

 俺達はギルドを出るとその足でリリィの元へと向かう事にした。その途中、変な話が俺達の耳に届く。

「おい、聞いたか? なんか変な噂が広まってるらしい」

「噂? どの噂だい?」

「なんでもこの街に魔族が侵入したって話だ」

「おいおい冗談だろ? 街には魔物避けの結界があるんだぜ? 確かにこの街の結界は弱いが、破られれば、物すごい轟音が鳴り響く。誰にも知られずに入ってくるなんて出来ねえよ」

「ああ、だから単なる噂だとは思うんだが……、万が一の事を考えて、暇な冒険者連中に声を掛けて周ってるんだ」

「さすがに杞憂だろ? 誰にも気付かれずに結界の内側に入るなんて芸当、魔王の幹部クラスでも無いとゼッテェできねえって! 一体どんな魔物だっていうんだ?」

「なんでも、見た目は十歳前後のガキだったらしいが、魔族の証たる角があったとか?」

「はははっ! そりゃねえよ! もっとねえよ! 魔族のガキが一人で人間の街に? ありえねえよ! しかも『角付き』って、魔族の中でも高位の種族じゃねえか? そんなのがこの辺境の地に居るわけねえよ! 何かの見間違いだぜっ!」

「いや、さすがに俺もそう思うけどよォ~」

 話声が聞こえた俺達は同時に固まり、一緒に耳を傾けていた。話が終わった時点で俺は姫川を見る。姫川も蒼白になって俺を見ている。俺は平静を保ちながらさっき噂をしていた、おっちゃんらの元に行く。

「今、魔物って言ってませんでした? 何処かに出たんですか?」

「ん? ああいや、ガセだよガセ。そう言う噂がちょっと流れたってだけでな」

「そうなんですか? でも、俺みたいな駆け出し冒険者はちょっと不安になるなぁ~。確認しておきたいんですけど、その魔物って何処に現れたんです?」

「ああん? ああ、まあ、確認しに行ってもらえるなら俺らも安心だがな? 西門の方で、あんまり市街地には近くない辺りだったか? ただガキが悪戯やってるだけだろうが……」

「解りました。丁度クエストで外に出る用事もあるし、ちょっと確認してきますよ!」

 俺は姫川の元に戻る。話が聞こえていたらしい姫川と眼を合わせ、同時に頷く。

 ダッ!

 俺達は血相変えて走り出す。

 周りの人に怪しまれないか少し心配だったがそこは杞憂だ。多少は目立つが、この街で冒険者が慌ただしくしていても、そんなに怪しまれる事はない。

「ってか、予想通りだと思うかっ!」

「杞憂であれば笑い話ですむわっ!」

 ですよね!

 俺達は西門入り口付近の街並みに到着する。この辺一帯は民間人の家は無く、殆どが職業施設となっている。主な職種は工事会社の様な物だ。『様な物』っという言い方をするのは、この世界には『会社』と言う物が存在しないからで、実際は別の呼び方があるらしい。あまり俺達には関係無かったので名前は解らない。

「この街はアナタの方が詳しいでしょ? 何処を探せばいいか見当はつかないの?」

「そう言われてもだなリリィが行きそうな場所なんて……、って待てよ? さすがのリリィも人間の街まで詳しく知ってる筈がないよな? そしてあの子がここに来る理由なんて十中八九俺達なわけで……? 俺達を確実に見つけられて、なおかつ行き違いにならない場所は……」

 門前だ!

 俺は街の入り口にある背の低い門へと視線を向ける。冒険者ギルドが存在する街は、街そのものを守るため背の低い城壁で取り囲み、それを境界線として結界を張る様に出来ているらしい。結界は、教会の聖騎士様が定期的に儀式装置に魔力を注ぐ事で維持しているとか言っていた。だから結界の強度と城壁には何の関係もない。リリィが結界を壊さずに進入する方法があったとしても驚く事はない。だとすれば、人目に付かず侵入するは簡単だったはずだ。

「門前を確認出来て、人に見つからなさそうな場所……、だけど実際には噂になる程度には見つかっている場所は……!」

 必死に頭を巡らせ、ヒントとなる物を頭の中で整理して行く。

「噂では魔族が街に侵入したと言っていた。つまり、城壁の上とかではなく街側に居る確率が高い。噂になっていながら騒ぎになっていないと言う事は、少なくとも憲兵隊には見つかっていないと言う事だ。噂が立つ理由は民衆に見つかったから。だが、見つかった時点で騒ぎにならなかったのは冒険者にも見つからなかったからだとも考えられる……!」

「え? どうしたのアナタ? なんだかすごく的を射ているのだけど……? 実は頭が良いタイプだったの?」

 姫川が呆然とした面持ちで俺を見やる。俺自身もビックリしてます。底辺男子の俺が、こんな推理漫画の主人公みたいに思考出来てるなんて、何か悪い事の前触れなんじゃないかって思えるね。

「冒険者と憲兵隊に見つからず、だが、一般市民には見つかった場所。リリィ本人としては人気がなさそうで、隠れるには持って来いの場所。更に、門前で俺達が出入りする姿が確認できる場所と言えば……!」

 視線を巡らせながら思考し、ついに俺は答えを見つけた!

「そうかっ! あそこだ! あの補修工事中の城壁! あの工事現場なら、隠れる場所沢山ある上に、見つかる相手は仕事にやってきた一般市民だゲバぁーーーーっ!」

「パパァ~~~~!」

 せ、背中から奇襲を……っ! 何やら二本の槍の様な物で突き刺されている~~~!

 回復したばかりの『精霊の加護』を盛大に吹き上げながら、突然背後から現れた襲撃者を確認する。

「何奴だぁ~~~! ってリリィだぁ~~! 呼ばれてたから本当は解ってましたけどね~~~!」

「鈴森くん、落ちつきなさい……。アナタ今、一度に色々起こり過ぎて思考が追い付いていないわよ……」

 姫川に呆れられ、角が背中に刺さっている事に気付いたリリィが「ごめんな、さぁいぃ……!」と湿った声で飛び退いてくれたおかげで、やっと俺も冷静さを取り戻した。

 色々ビックリして、運動もしてないのに動悸が全力稼働する物だから、酸素を集めるのにちょっと忙しい。そんな俺に変わって、姫川が『アイテムケース』から取り出したローブでリリィの角ごとまとめて隠しならが訊ねる。

「リリィ、アナタ今までどこに隠れていたの?」

「魔法、認識阻害、透明化、幻覚、迷彩……、色々使いながら、あっちこっち、いた……! 街、全部、歩い、て……、戻っ、てきた……!」

「アナタの推理完全に全部外れたわね」

「底辺男子が調子乗りましたぁ~~~! ホントすんませんでした~~~~っ!」

 っと、騒いでいたら見つかる。詳しい話はここを出てからだ。

「リリィ、話は後だ、もう一度魔法で消えて先に外で待ってなさい。俺達もすぐに後を追うから」

「ホン、ト……?」

「リリィが約束守れない子だと俺も約束できないかも……?」

「……! お外、待って、る……っ!」

 一瞬にして姿をくらませた魔王っ子様は、恐らくそのまま門の外へと出たのだろう。目視できないから全然判らんが。

 とりあえず俺達も互いを見合って頷くと、リリィを追いかけ、外へと―――、

「そこで何をしている!」

 ビビクッ!

 心臓、飛び出るかと思ったぁ~~~っ!

 見た目は平静を保ち、姫川と共に振り返ると、そこに、この『ファーストウォーク』では珍しい、全身鎧を着込んだ一団が揃っていた。全て同じデザインの鎧に、腕の辺りに刻まれた門章が、彼等が何者であるかを表わしている。いや、紋章など無くても解る。この街でこんな豪華な装いが出来る勢力など、教会関係者以外に居ない。帝都の兵団と言うのもありえるが、彼等がこんな辺境地に来るわけがないし、来ていたらもっと騒ぎになっていたはずだ。それこそリリィの噂が流れる余裕もなく。つまりこいつら―――、

「聖騎士の方々ですか?」

 問いかける俺に、唯一兜を被っていない先頭の男がドシンッ、と鞘付きの剣を地面に突き立てた。

「質問しているのは我らだ。答えよ。ここで何をしていた?」

 威圧的な態度に、相手を見下した眼差し。完全にこっちを舐め切っているのか、顎がつき出ている。

 聖騎士と冒険者は基本的に仲が悪い。聖騎士達は神の名の元、清廉潔白に身を清め、邪悪なる魔物を撃ち滅ぼすために鍛え抜かれた師団だ。当然、信仰に深く係わるので、一般人には優しいが、神の名の元に戦っているという意識が強い人達でもある。なので、金や生活のために戦うのが基本の冒険者を嫌っているのだ。「魔物と戦うなら、何故教会の元に集わないのか?」「金に目が眩んだ凡愚め!」っと言った具合に。逆に冒険者も聖騎士達の事を「お高く止まった連中」「やってる事は同じなのに、自分達ばかり贔屓目をする」などと言って険悪な関係が続いている。

 正直、異世界人の俺達には係わりたくない、どうでもいい内容だ。だからここは穏便に済ませよう。そう努力しよう。

「申し訳ありません。俺は帳です。ここには、魔物が入り込んだとか言う噂を聞き、不安になって確認に来た次第です」

 咄嗟に良い言い訳も思い付かなかったので事実を話す。真実は語らないけどな。重要な事さえ言わなければなんとかなるだろう。

「何故貴様らが調査をする必要がある? 魔物に関する事なら我ら聖騎士団が行う事だ。何者だお前?」

「駆け出し冒険者の者です。まだ色々勉強不足で、色々経験している最中です」

「ふん、金食い共か……。駆け出しと言ったな? ならば、早めに冒険者など辞めてしまう事だ。魔物と戦うなら、神と誓いを立て戦う、我等オセリオス教団の一員となる事こそ名誉! 君はまだ若い。過ちを過ちと理解するのも困難だろう。だが、時にはそれが通じない場合もある」

 そう言って、男は剣を抜き、剣を両手で握り、切っ先を上に、頭の高さで構える『八相』の構えに似た形を取る。確か、聖騎士団の敬礼みたいな物だったかな?

「我が名はアインヒルツ・ルストリウフ。この街の聖騎士長である。ギルドを辞める事が出来たら、私の元に来ると良い。君を立派な聖人の一人として向かい入れる」

 アインヒルツの名乗りに合わせ、背後の騎士達も同じように敬礼する。一々仰々しくて、底辺な俺はどうも威圧されてしまう。

 アインヒルツは、意外と若いが俺達よりも大人に見える青年だ。鎧越しだと解り難いが、重量のあるフルプレートで、まったく重さを感じさせない動きは、相当筋肉が鍛えられているのだろう事が予想される。顔立ちは大人びているのに、若々しさが見て取れる。俺達の世界で言うところの大学生くらいなのだろうが、この世界の人は基本的に皆大人びて見えるので、眼を合わせると恐縮してしまう。

 金の髪は男子としては結構長い、セミロングと言う程は長くない。あれで視界を妨げないのかとも思ったが、髪型に工夫があるのか、見てる限りでは前髪が邪魔をして視界を塞いでいるようには見えない。無駄な所に技術があるなぁ。

 しかし、危なかった……。もう少し早くこいつ等に出くわしていたら、リリィの姿を目撃されるところだった。相手は聖騎士長。一見話を聞いてくれそうな感じだが、位の高い聖騎士ほど、意識が高い。魔物と一緒だったと言うだけでどれだけの騒ぎになっていたか解った物ではない。状況が穏便な内に収めよう。

「ありがとうございます。今はまだ勉強中ですので、しっかりと善悪を理解できる時が来ましたら、その時は伺い申し上げます」

「うむ」

 頷き、アインヒルツは剣を収める。騎士達もそれにならって剣を一斉に収める。だから怖いんだってはそれ……。

 拙い敬語だったが向こうは納得してくれたようだ。とりあえずはこれで良しとしよう。

 話は終わった。そのまま立ち去ろうとして―――、

「待て、そこな娘は、お前の仲間ではないのか?」

「この人は偶然通りかかった方です! 噂の魔物について訊ねていただけで、彼女はただの通りすがりです」

 慌ててフォローしようとしてしまったので、最初の声が焦った感じに大きくなってしまい、同じ内容を二回も繰り返して言ってしまった。不自然だったかと焦ったが、隣の姫川が冷たい眼差しで俺を睨んでいるので、とても仲間には見えないだろうな。こればっかりは幸いだ。

「私はこれからクエストがあるの。彼に呼び止められただけでも煩わしいのに、これ以上手間を掛けさせないで頂戴」

 言うが早いか姫川は踵を返して去って行く、途中、アインヒルツが呼び止めたが意に介さず去って行く。自分は全く関係無いという態度だ。

 姫川の態度にアインヒルツは舌打ちでもしそうなほど表情を歪めていたが、俺も長居は出来ないので、恐縮しきった仕草で礼をしてからすごすごと去って行く。姫川とは別方向に。

 

 

 しばらく物陰から様子を窺って、騎士団連中がいなくなるタイミングを見計らい、俺も急いで門を潜って外に出る。ギルドの冒険者は『精霊の書』で登録書を閲覧できるので、それを見せればすぐに通れる。大きな街でも無いので通行費とかは最初から取られないが、やっぱり検問としての意味はあるらしい。

 姫川とだいぶ遅れてある程度街から離れたところ、冒険者達が待ち合わせの場所として良く使う二叉の分かれ道にまで来たところで、声を掛けられる。

「こっちよ」

 声は茂みの方からした。二叉の分かれ道は、南側と西側に分かれていて、西側はよく、俺達の様な駆け出し冒険者が素材回収や、狩りに勤しむのに通うエリアが存在する。逆の南側は、他の街に行くために道が途中まで作られている。辺境の町であるため、作られた道は途中までで、あとは何度も通った馬車の(わだち)が街道の様に残っているだけだ。

 声がしたのは南側の方。注意深く周囲を確認しながら、俺も茂みに入り声を返す。

「姫川、何処に……」

「パパァ~~!」

「おおわっ!」

 急に腹部をタックルされ、ビックリする俺。眼に見えなかったが、間違いなくリリィだな。加護の燐光が少し身体から出てるから。

「あ、ごめんな、さい……」

 燐光を確認したのか、腹部に当たる感触が消え、代わりにリリィの姿が現れた。隣には姫川もいた。二人一緒に魔法で消えていたのか。

「話は後よ。まずは拠点に急ぎましょう。余計な時間を取られて日が暮れ始めてるわ」

「ああ」

 本当なら夕方の内に拠点まで戻れる予定だったのに、聖騎士に見つかった所為で俺の合流が遅れ、時間がかかってしまった。急がないと夜の森を歩かないといけなくなる。危険だ。

「リリィが居れば何も問題無い気がするのだけど……」

「それは……、そうだな……」

 リリィが一緒に居るのは想定外だ。魔王っ子様がいれば、基本、魔物には襲われないから、夜でも奇襲の心配いらないな。リリィなら夜目も効きそうだし……。

「いっそ転移魔法とか頼んでみたらどうだ? リリィなら出来るかもだぜ?」

「一応、この世界で転移魔法って、神様の技術扱いよ?」

 呆れて言う姫川。確かに、漫画でも空間移動系の魔法って、すごかったり普通だったり、振れ幅あるんだよな。この世界だと神秘レベルの扱いか。

 半分冗談だったので、短い笑いで返していたら、話を聞いていたらしいリリィが、笑顔でこちらを見上げてきた。

「んぅ? 転移、魔法……、マーキング、してるところ、なら、出来る、よ……! でも、一杯、魔力、使うか、ら……、魔法の形跡、絶対、残る、よ……?」

「……できるのね」

「使いどころは……、とりあえずもっと詳しく聞いてから考えよう」

 さすがは魔王っ子様。既に神の技術くらい到達していらっしゃいましたか……。

 

 

 さて、拠点に戻ってきたところで俺達が最初にした事は―――、

「私はくれぐれも待っている様にと言いましたよね? アナタもそれに納得してくれましたよね? アナタが約束を守ってくれると言ったから、私はこうして戻ってきたというのに……。どう言う事かしら? 歴代の魔王は皆堪え性の無い方達ばかりだったのですか? おかしいわね? 私はアナタのお願いをできるだけ聞き届けてきたつもりだけど、アナタは自分勝手に破って良いと? 私だけに行動を強制すると? さすが魔王ね。親ではなくて家臣が欲しかったのなら言いなさいよ? 態度を改めて上げるわ。だから二度とママなんて呼ばないで頂戴ね」

「うぐっ、うえっ、うぇえええ……っ!」

 約束を破った魔王っ子様を正座させて御叱りする事でした。こう言う上下関係ははっきりさせておかないと後が大変です。親となる以上、自分達の方が立場が上なのだと言う事をはっきりさせておいた方が良いそうです。特にリリィは魔王で、力では絶対に俺達は敵わない。なので、ともかく言葉攻めで相手を精神的に追い詰めるとの事です。

 最初は俺も腕を組んで憮然とした表情をしていましたが、始まってしまった姫川のアイスマシンガントークが止まらないんです。ホント、どこで息継ぎしてるんだと問いかけたくなるほどに、淀みなく延々と続くのです。しかもリリィはなまじ魔王な所為か、途中で集中が途切れることなく、一言一句聞き逃さず、返答無視の問いかけにも律義に答えている。歴代の魔王達がどんな性格だったかは知らないが、リリィは超がつく真面目さんだと思う。まだ幼さが大半を占めてるけど律義な程に真面目だ。将来、色々な事に心を配り過ぎてつぶれないか心配になってくるほど。

 もう既に日もとっぷりと暮れ、周囲は真っ暗だ。姫川が止まらないので、発言を諦めた俺は、最初こそ夕食の準備やら、新しくかった大きめのテントを張り直すやら、結構頑張って仕事をこなしていたのだが、それらが全て終わっても……いや、それら全てが終わるまでの間もずっと、姫川の弾丸が尽きないのだ。マガジンをリロードする気配もなく、延々紡がれる言葉の弾丸は、魔王っ子様をボロボロに崩し、涙と鼻水が物凄い事になっていた。それでもまだまだ追い詰める姫川さん絶好調。途中堪えられなくなって、リリィが「ママァ~……」と呟きながら手を伸ばしたりしたが、

「何その手は? また私の手を握り潰すのかしら? アナタはただ私に甘えているだけのつもりみたいだけど、アナタにとって『だけ』で、私達は一体何度死に掛けたと思っているのかしら? いえ、『精霊の加護』がなければ既に何度も殺されているのよ? それをちゃんと理解しているのかしら? それでも今までは、アナタはちゃんと私達の話を聞いて、努力してくれる子だと思ったから何も言わないできたけど、今日、約束を破ったわね? これからも約束を破るのかしら? あら? もしかしてアナタ、私達を殺そうと企んでいるのかしら? さすがは魔王さまね。やる事が―――」

 っと、リリィの手が思わず引っ込んでしまう程の新型弾頭をふんだんに追加してきた。もうさすがに見てられません……。

 さすがに可哀想になって、なんどか「もうそろそろ良いんじゃないか?」っと言ってやりながらリリィの頭を撫で、間に入ってみたのだが、これが意外な事に、リリィの方が俺の袖を掴んで思いっきり首を振ってきたのだ。これには俺も姫川も面食らった。どうやら本人は悪い事をしたという自覚があるらしく、その報いをしっかり受けようと言う心構えがある様だ。

 そして、姫川は表情に影を差す程に冷たいオーラを幻視させ、お説教を続行した。

 容赦無さ過ぎるよ姫川さん! 生後一日程度の魔王っ子様相手に、ちょっとこれは本当に容赦がねえよ! アンタある意味魔王の母親だなっ!

 っと言う俺の心の叫びは胸中に収めるのももう限界です。何かリリィが、眼の光り失ってきたのでいい加減、本気で止めよう。

「はいはいそこまで! さすがに時間かけ過ぎ! もうリリィも完全アウトだからここまでにしようぜ!」

 俺が割り込むと意外とあっさり口を閉じた姫川は、一度俺を見てから再びリリィを見降ろして問いかける。

「そうね、どう思うかしらリリィ?」

 問いかけられたリリィは俺の袖を掴んで弱々しく首を振る。いやいや、どんだけ真面目だよ。もう完全にグロッキーじゃないか……。

「ダ~メ! もうおしまい! お前がなんと言おうとパパさん権限で終了です!」

 無理矢理終わらせようとする俺に対し、疲れ切った顔で見上げてくるリリィ。次いで姫川を見上げる。

 視線を貰った姫川はしばらくそのまま見つめ合っていたが、やがて嘆息し、俺が作った丸太の椅子に座ると、自分の膝の上を叩いた。

「リリィ、こっちに来なさい」

 呼ばれてすぐに立ち上がったリリィは、よたよたとした動きで姫川の元まで向かうと、そのまま姫川の膝に顔を埋める様にして倒れ込んだ。姫川はそれを受け止めると、優しく頭を撫でてやる。

「偉かったわ。アナタはちゃんと自分がした事を見つめ直せるのね。こんなに一杯怒ったのに、アナタは一度も聞き流さずに最後まで自分の中に呑み込んだ。偉いわ。そしてすごく立派よ。私はアナタを誇りに思うわ」

 なんと、今度は褒め言葉のマシンガントークだ!

 しかも叱っていた時とは違って、淡々としたリズムで子守唄の様な安心感があるテンポ。未だぐずっているリリィだったが、既に全力で甘えて膝に顔を埋めている。

 途中、力が入り過ぎたのか、姫川の腰の辺りから青い燐光が漏れ出た。それに気づいてリリィはビクつき、姫川を見上げた。だが、目の前に青い燐光がちらついているにも拘らず、姫川は何も言わず、ただただ撫で難いリリィの頭を撫で続けていた。姫川らしく笑いはしなかったが、それでも俺にはリリィに対して笑い掛けているように映った。

 リリィは感極まった様に顔を埋め、「ママァ……っ!」と声を漏らして縋りついた。

 しばらくすると寝息を立て始め、眠ってしまった事が解った。

 俺は「お疲れ」と労いの言葉を送りながら、木製コップに入った果汁水を差しだす。この世界で果汁水は高価な物であまり多くは購入できない物だったが、今は渡してやりたい気持ちだった。だから渡した。

 姫川は素直に受け取り、一口付けると深く息を吐いた。さすがにアレだけ起これば本人も疲れるよな。

 俺も隣に座り水を煽る。一応高価な物なので俺自身は控えた。

 俺は訊ねる。

「姫川の事だし、考えあっての事なんだろうけどさ? どうしてここまで厳しく叱ったの?」

「上下関係の確立。最初に言った通りよ。私達は力ではこの子に敵わない、この子が本気で私達に抗おうとすれば、私達は抵抗する事は出来ない。だからこの子の中ではっきりさせたかったのよ。目の前の人物は力が弱くても上位存在なんだ。ってね……」

「でも、ここまで長くしたのは……、リリィが御叱りを受け入れたからだよな?」

 そう訊ねると、姫川は初めて少しだけ悔しそうな表情を作って見せた。

「だってこの子、本気でしかられるのを嫌がってたのよ? そして物凄く甘えん坊。なのにアナタに助けられてもそこには甘えず、私に向かってくるんだもの。つい嬉しくなってやり過ぎてしまったわ。そこは反省よね」

「う、嬉しかったんだ……」

 一瞬、姫川のSっけが刺激されたのだろうかと疑ってしまった。でもそれも一瞬、続く姫川の言葉に、つい頬が緩んでしまう。

「どんなに強い言葉をぶつけても、それを受け入れ接してくれるなんて、嬉しいに決まってるじゃない。その癖、この子ったら、アレだけ叱った相手に甘えてくるのよ? こんな立派な子、これ以上叱り様がないわよ」

 そう言って髪をすく様にして頭を撫でてやる姫川は、とても母親の顔になっているように思えた。

「本当はね、不安だったのよ……。この子を『マステマ』に育てると決めた時も、ずっと……。私に子供が育てられるのか? って言う不安はもちろんだけど、この子は本当に魔王だった。いつ私は殺されるのだろうかって、ずっと怖かったわ。アナタは?」

 不安を吐露する姫川に、俺もできるだけ真摯に、そして素直な言葉を返すよう心掛ける。

「俺も不安だったよ。俺なんか己の全て、何一つにすら自信の持てない底辺男子だ。リリィと上手くやって行ける自信もなかったし、姫川の足を引っ張らない自信もなかった。頑張った果てにも、自分が何も成長しない未来しかまったく見えてこない。不安で一杯で、一人だったらきっと逃げ出してた」

「あら? 私がいたから頑張れたとか言うつもり?」

「姫川と……リリィがいたから、堪えられた。頑張るのは無理だ。俺は頑張ってもこの程度だ。俺に出来るのはいつだって堪え切ることだけ。漫画の主人公みたいに自分の力で何かが出来る様な奴じゃねえよ」

 俺は自分の底辺具合に溜息を吐きながら、独白する様に言う。

「俺は身も心も見ての通りに弱くて情けない。だからきっと、二人がいるだけだったなら、とっくに逃げ出してた。でも、リリィはさ、アレだけ凄まじい力があって、魔王なのに、それでも人間の俺が命欲しさに適当言った事を信じて、パパ、パパ、って、甘えて来てくれるんだよ。……裏切れないだろ? こんな子」

 無条件に寄せられる信頼ほど、自分を鼓舞してくれる物はない。それが仮に嘘だとしても、俺はその信頼を欲するだろう。それほどに、信頼とは甘い毒なのだと理解する。

「でも、やっぱり、姫川って共犯者がいなかったら途中で自爆してたと思うよ? まだ一日しか経ってないのに、心底そう思うね」

「知ってるかしら? 普段、車が来てなくても赤信号を絶対に渡らない様な真面目な子でも、大勢で一緒に渡れば何の恐れも無く渡れるのよ?」

「正に今、俺達は二人で赤信号を渡っている訳だ……」

「そうね、しかも時間帯は夜で、ライトを付けてない車が速度を緩めず走ってきているわ」

「横断歩道の距離はまだまだ果てしなくて、終わりなんて全然見えないどころか、振り返ればまだスタート地点が見える距離だって言うんだから笑えねえ」

「極めつけは、迫ってきた車を撫でるだけで吹き飛ばし、うっかりすると私達までチリにしかねないハイスペックなお子様が懐いてきている状態。……何処に注意を向ければ良いのかしらね?」

「姫川に解らんもんは俺にも解らん」

 二人でクスクスと声を潜めて笑い合う。何だか不思議な時間だと思いながら、俺達は自然とリリィを見つめる。

「でも三人でやるしかない。俺とお前の共犯で、この子と生きて行くんだ」

「失敗すれば人かこの子か、どっちかに殺されてしまうのね。本当に真っ暗な未来だわ」

 俺も一緒になってリリィの頭を撫でる。角で撫で難い頭を慈しむ様に撫でてやる

 もう眠ってしまっているはずなのに、決して離すまいとして抱きついている魔王っ子様に、俺達は不思議な安心感を覚えていた。

 ギュッ、

 パラパラ……、

「……私の加護、持つのかしら?」

「リリィ、眠ってるからな……、ついうっかりになったら止められるかどうか……」

 安心を与えてくれる存在に、不安を煽られ眠れぬ夜が続く俺達だった。

 

 

 

 



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第四章 絶望は訪れる

 第四章 絶望は訪れる

 

 魔王っ子様の教育を始めて早一ヶ月。時は瞬く間に過ぎて行く。光陰矢の如しとは良く言った物で、あれよあれよと言う間に一ヶ月。それまでの間、本当に大変だった。

 基本的に俺達のホームはリリィを育てるための、あの森の中にする事にした。最初はテント暮らしを続けていた俺達だが、もしかしてと思って訊ねてみたところ、リリィの魔法で、簡単な構造なら家が作れる事が判明し、あの場所に岩にカモフラージュした一件家を立てる事にした。っと言ってもさすがに複雑な構造は出来なかったので、寝所と居間、そして台所の三部屋を空間を広く取る事で作った。家具類は丸太や岩を使ってそれっぽくした。寝所はリリィの魔法で木材を切り刻み、板にして、その上に毛布を敷く事で布団にした。最初は二つ作る予定だったのだが、リリィが三人一緒じゃないと物凄くぐずる上に、夜中、片方がいない事に気付くと、自分でも制御できないほど大泣きしてしまうので、色々諦める事にした。ただし、寝る時は俺の腕にロープが結ばれ、姫川に近寄れない様にされた。仕方がないとは言えちょっとショックだよ……。

 だが、いくら家賃を必要としないとは言え、ホーム暮らしは宿と違って色々入用になる。リリィがいくら万能でも、それに頼った生活でなんでもできると言うわけもなく、どうしても買い物が必要になる。

 なので俺達は定期的に『ファーストウォーク』の街に戻って、クエストを受け、お金を稼がなければならない。姫川はレベルが高い分余裕でお金を稼げると思ったのだが、諸事情により、これが難しくなってしまった。それは、俺達が魔物と戦えなくなったと言う事だ。

 リリィの教育のため、俺達は冒険者と言う職について説明し、彼女にとっての魔物はどう言った位置に居るのかを確認したところ、魔物はリリィの様な高い知性を持つ魔族と共存して生きる生物で、気性が荒いだけで敵対していない仲間との事だった。なので、俺達が魔物と戦い殺し合うのは嫌だとはっきり口にした。

 俺と姫川は色々相談し合った結果、魔物を殺すクエストは受けない事にした。俺も、弘一に誘われたクエストが討伐以来の場合は断る事にした。

 だからと言って魔物と戦わなくて良くなったのかと言うとそれも違う。基本的に、魔物は人間を見ると有無も言わさず襲ってくる。しかもリリィ以外とは意思疎通が出来ない。だから、向こうから襲ってきた時には、身を守るために已むを得ず殺してしまう事を了承してもらった。リリィはここら一帯の魔族に俺達を襲わない様に言い付けようかと言い出したが、それは後々、人間側に怪しまれる場合があるので遠慮してもらった。

 俺達が請け負える仕事が素材回収系になってしまい、毎日金欠で泣きたくなった。それでもひもじい思いをせずに、腐る事無くいられたのは、生活に必要な物は、大体リリィと森から提供してもらえたからだろう。ただ単純に生きて行くだけなら、それほど金は必要無い。質を求めさえしなければ、何不自由はしなかった。

 それでも俺達が街に頻繁に戻るのは別の理由があった。単純に『精霊の加護』の限界だ。アレからの生活で、随分改善されはしたものの、リリィは時たま感情に煽られ手加減をミスる。そして俺達は盛大に加護を消費する。その度にリリィが泣きそうな顔で謝ってくるのだが、どうしても感情が昂ると制御が甘くなってくるようだ。おかげで俺達は加護の補充のために、街に戻る必要性があったと言う事だ。

 俺達が街に戻る時は、必ず片方がリリィの傍に残る事にしていた。何故なら、あんなに叱られたにもかかわらず、俺達二人がまとめていなくなると、堪え切れなくなったリリィが何度も街に侵入してくるからだ。その度に弾丸トークが炸裂し、素直に受け入れボロボロに泣き崩れる事になるのだが、それでもやっぱり寂しさには抗えないらしく、何度も同じ過ちを犯した。そんな訳で、俺達は、互いの加護が全損するなどと言う緊急時にでもならない限り、片方は必ず家に残るように努めた。それでも全損事故が起こる確率は意外と多かったけどな……。

 今日も加護を全損した俺は街に戻り、加護の補給を済ませたところだ。ついでに宿に寄り、弘一達から情報を交換しておこうと顔を出した。幸い、俺にも交換できる情報がある。リリィがこの近辺の魔物の気配がなんとなく判るらしいので、俺は自分が偶然目撃した情報と偽り、皆に提供、変わりに街の様子や皆の近況を教えてもらっていた。

「なあ、鈴森って、姫川と結婚してんの?」

「ブホォ……ッ!」

 宿の食堂で皆と食事しながら談笑していた最中、誠司のいきなりの発言に、思わず吹いてしまった。確かに俺と姫川は二人でこっそり会っているし、二人で一緒に行動する事も増えた。必然的にそれを目撃されてもおかしくなかったので、そう言う疑いを掛けられる可能性も考えてはいた。でも、それは精々『付き合っているのか?』って言われる程度だと思っていたし、俺も返答として「俺のアビリティが魔法よりっぽいから、アドバイスを貰いに何度か話しかけているだけ」とか「それのお詫びとお礼を兼ねて奢ったりとかがあるだけ」だとでも答えておこうと思っていた。最悪の場合は「姫川がこっそりペットを飼っているらしいんで、それの相談を受けている」と言っておこうとか思っていたのだが……、まさかその段階すっ飛ばして『結婚』とくるか……。さすがに予想できなかったよ。

「え? やっぱそうなの?」

「いつの間にそうなってたんだ?」

「おめでとうございます」

「ムン……ッ」

 誠司の話が聞こえたらしい、立花、弘一、本田と我がメンバー最後の一人、寡黙なタンク藤堂一文が、それぞれ話に乗っかってきた。

 俺は気道に入った水に咽ながら、誠司を睨む。

「なんでお付き合いすっ飛ばしてそう言う考えに?」

「だってお前ら二人でいる時多く見かけるし、何か買い物してる時とか、子供が欲しそうなの選んでんだもん? ほら、前なんか絵本とか買ってたし!」

 なんでそんなところ見てんだよ。ってか誠司、空気読めないくせに察し良すぎだろ? なんでその洞察力をもっとエアーに回さないんだよ?

 とりあえずここはどうしたものか? 俺達は魔王っ子様を匿っているという事実さえバレなければいいのだが……、姫川の事だし、俺と所帯を持ってるなんて思われたくはないよな。実際疑似的にはそんな感じだし……。否定しておこう。

「そんな事実はないよ」

「またまたぁ~? 本当はやる所までやってんだろ~? どうやってあのブリザードクイーンを落としたんだよ?」

 話聞かないタイプなのかコイツ?

 他の皆も興味深々と言った様子だ。何かウザイな……。

「俺は違うって言ってる」

「照れんなって! お前が姫川の事狙ってるのは皆知ってんだぜ?」

 皆一斉に頷いたよ。なんでそう言う認識になってるんだよ?

 『違う』っと言っても聞いてくれない以上、何を言ってもこいつ等は都合の良い様にしか捉えないのだろう。こうなってしまうともう面倒だ。憮然とした表情で固定して黙ってやり過ごす事にした。

 けどこいつら、しつこく、この話題を振り続ける。俺が何も喋らないので機嫌を取ろうとあの手この手と手法を変えて来る。なんでこいつら、こんなにしつこいんだよ。いい加減本人が嫌がってるって解らないのかよ。

 だから集団は嫌なんだ。誰にも理解されず、誰も理解できないから。理解できないならせめて、適切な距離を取ってくれれば良い物を、こいつ等ときたら無遠慮に踏み込んで来る。他人が嫌がる態度を察している癖に、しつこく問いかけ、その癖自分達は「お前もっと空気読めよ?」っと平気な顔で言ってきやがる。本当に腹が立つ。

 などと言っても仕方ない。底辺男子たる俺はちゃんと理解している。彼等はそれで上手く行っている。上手く行っている以上、俺が口出しする様な事じゃない。少なくとも、俺の意見は少数派だ。だから決して口には出すまい。他人を傷つける言葉を吐いて良いのは、殴られる覚悟がある奴だけだ。その言葉が本気で在るならなおさらね。

 黙ってやり過ごす俺に、皆は機嫌を取ろうとおかずを分けてくれたり、冗談で肩を揉んできたりするが、俺は嫌がって見せる。そしてもう一度。

「仮に俺が姫川と仲良かったとして、どうして俺がお前達に言わなきゃいけないんだ?」

 あんまり使いたくない言葉を使う。ちょっとしつこ過ぎてイラッときた所為もある。ここにきてやっと、弘一達は身を引き始めた。だけど、その表情にはまだ余裕がある。俺が本気で怒ってないと思ってる。照れ隠しで怒ったとか、その程度。あるいは、怒っても全然怖くないと思っているのだろう。

「そう言わずに教えてくれよ! 俺たち仲間じゃん?」

 誠司だけは間違いなく俺の事舐めてるよな……。しかも仲間とか言っておきながら俺の嫌がってる事をしつこく聞いてくるわけだ。ってか俺、お前らと仲間になった覚えは、この世界に来る前からずっとなかったんだけど? コイツは何を持って、俺を仲間と言っているんだ?

 そろそろ本気でブチ切れそうになってきた。手に持った水をぶちまけてやろうかとも考えたが、そうすると本気で大事(おおごと)なので我慢する。でも、もう振りきれて殴りかかりそうだ。あんまりしつこい誠司を、さすがに見てられなくなった弘一が止めようとした時、ざわめきが起きた。

 何事かと思って俺達が揃って視線を向けると、宿の入り口で鎧甲冑の軍団が詰めかけていた。この街でフルプレートアーマーの連中なんて一つしか存在しない。聖騎士団の連中だ。彼等が殆ど冒険者で埋め尽くされているこの宿屋に、一体何の用があると言うんだ?

 訝しく思っていると、先頭の兜を被っていない金髪の男が、こちらに近付いてきた。

 騒ぎに気付いていないフリをして視線を合わせない。厄介事はごめんだ。俺は魔王っ子様と係わり合いがあるので、この場で平静でいられない。俺に関係無いならどうか過ぎ去ってくれ。

「お食事中、失礼する。少々情報収集に参った。知っている者が居れば名乗り出てほしい」

 騎士団と冒険者は仲が悪い。そんな相手に暴言一つ吐かずにこう言う事を言ってくるのは凄いけど、眼がしっかり相手を見下しているので、あんまり友好的でも無いっぽい。って、今思い出したけど、俺この人と面識あるわ。確かアイン……なんとかさん。

「我が名はアインヒルツ・ルストリウフ。この街の聖騎士長である」

 そう、それだ。御丁寧に名乗ってもらって良かった。名前を思い出せた事でこっそり安堵しつつ、俺は続く言葉を確認する。

「君達も気付いているかもしれないが、最近この街に魔族が侵入すると言う噂が流れている。幸い、被害の報告などは上がっていないが、こうも頻繁に結界内に魔物が出没する噂が流れるのは市民の不安を煽る結果となっている。噂の原因を突き止めるため、我ら騎士団は全力を尽くす所存だ。よって、もしも有力な情報を得た時は、我ら聖騎士団に速やかに報告していただきたい」

 つまり、魔族の噂がたっちゃってるから御協力お願いしますって事の様だ。そしてたぶん、……いや、明らかに噂の魔族ってリリィの事だよな。あの子、かなりハイテクなステルス魔法持ってるくせに結構頻繁に見つかっていらっしゃる。その辺の理由は解らないんだけど、解らんだけに、こっちでは対処できないんだから困ったもんだ。

 それにしても、ちょっと不思議だ。教会と冒険者は仲が悪いはずなのに、どうしてこんなに友好的なんだ? てっきり冒険者は役に立たないから邪魔するな。っくらいは言ってくると思ったんだが……。

 そっちには視線をやらず、こっそり誠司の果汁(まだ口を付けていない新品)をちゃっかり頂きながら困惑していると、案の定、聖騎士様は余計な一言を付けたした。

「なお、これはとてもデリケートな問題だ。冒険者の諸君は、くれぐれも余計な手出しをなさらぬよう」

「あぁんっ?」

 あ、さっそく一言で機嫌が悪くなった冒険者が……って、誠司だよ。コイツなんなんだよ? トラブルメイカーなのか? どうしてこう、厄介そうな場面の引き金になろうとするんだよ?

 まあ、今回は他の冒険者達も同じような反応なので彼一人が悪いと言うわけではないか。

「意味が伝わらなかっただろうか? これはクエストではない。国務である。報奨金などは出ない。君達にとっては興味の無い話だろう? だが、魔族を見つければさすがに金の仕様はあるのでね。先に釘を刺しておこうと言う事だよ。金に目が眩み、余計に被害を増やされても困る。君達に愛国心を求めるのは(いささ)か過ぎた願いだろう。だが、僅かでもこの街を守りたいと言う思いがあるのなら、決して我らの邪魔をするな。魔族だけならまだしも、貴様ら冒険者の面倒までは見切れん」

 火に油。アインヒルツの言葉に青筋を立てる冒険者達。あと少し挑発すれば、それだけで暴動が起きそうな気配だ。あ、今、店員が店の奥に隠れた……。

「おいおい聖騎士様よぅ? そいつは何かい? 俺達の腕では魔族の相手が出来ないって言いたいのかい?」

 また誠司―――っではなかった。もっと野太い声だ。体は俺達よりもかなり筋肉質な偉丈夫で、スキンヘッドな方。でも口髭が意外と似合っていてダンディな御方だ。何処かの冒険者の方だろう。ギルドで時々見受けられたが、確かレベル10の上級者だったはずだ。

 あ、上級と言ってもこの街から見ればってことだけどね……。全体的には立派な下級。

「腕の問題を言っているのではない。君達は周りの被害を考え、連携を取って効率良く速やかに事に対処する事が出来ないだろう? 君達ならず者集団が勝手をやって、一般市民にまで被害が及ばれては眼もあてられない。君達を正式に豚小屋に放り込める機会を与えられるのは結構だが、その被害を一般市民に背負わせるわけにはいかないのでね」

「はっはっはっ! つまりあんちゃんは、俺達が考え無しの無能だから大人しくしてろって? そうお高く止まってるってわけかい?」

「そう見えるのは仕方がない事だ。我らは常に教養を学び、誇り高い者で在ろうとしている。日々を漫然と生きている君達とは大差が出来て仕方のない事だ」

 仲が悪い、とは聞いていたし、実際こんな感じだろうとは思ったけど、ホント一方的な言い方をするな。

 自分の言葉が相手にどんな印象を与えるのかって考えた事あるんだろうか、この人?

 自分の言葉や行動、それはどんなに正しい事をしていたとして、他人を傷つける事がある。冒険者に「市民に迷惑がかかるので余計な事をするな」っと言っておいて、自分達はこの宿屋で冒険者を挑発して市民に迷惑かける気かよ?

 アインヒルツ、アンタ、少しは自分の言葉に責任を持ったらどうなんだ?

 ……なぁ~んって、思ったりしてしまうが、決して口には出すまい。いや、怖くて言えないって言うのは当然ありますがね? たぶん言える立場にあったとしても、俺はそのセリフを吐く事はないだろう。だって、俺は彼の全てを知っている訳じゃない。当然友達でも無いので親しくもない。仕事上の仲間でさえ無い完全な他人だ。人間、家族でさえ解り合えないのが当たり前だ。話し合っても解決しない事は一杯ある。むしろ話し合う事でこじれてしまうことだって沢山だ。

 『自分の言葉に責任を持て』なんて、よく思い付く言葉だけどさ? その言葉を言って良いのは、その人が責任感を持った上で、心から強く言った言葉に対してだけ言って良い物だ。それも、誰にだって言う権利のある言葉じゃない。少なくとも赤の他人に言われる言葉じゃないし、最低限親しみを持っている相手でなければ、その言葉はただの暴言へと変わってしまう。だから俺は言わない。言えない。それこそ、『言葉の責任』と言う物だ。全ての言葉に責任が伴うのなら、誰も言葉など喋ってはいけないのだから……。

「いい度胸だ! それだけ挑発しておいて、ただで帰れると思ってるんじゃねえだろうな?」

「浅慮な……。これだから冒険者は困る……。武力と暴力の違いすら解っていない」

 堪忍袋の緒が切れたのか、スキンヘッドのおっちゃんが、真直ぐアインヒルツへと歩み寄る。周りの冒険者はヤジを飛ばし、煽り立て、聖騎士団の方は一斉に剣の柄に手をやったが、アインヒルツが手で制する。

 肩を引かれた。視線を向けると、弘一がこっそり仲間を移動させていた。巻き添えを食わない様に気を使ってくれたらしい。素直に従い端に寄る。

 俺が丁度、自分の位置を決めたところで、いきなり火蓋が切って落とされた。

 自分の射程距離に入った瞬間、ガン付けも無視して、おっちゃんは先制パンチを繰り出す。狙いは唯一鎧に守られていない顔面。

 ―――え? 入る?

 不意にそう思ってしまったのは、俺の目ではアインヒルツが全く動く素振りを見せなかったからだ。もはや躱せる距離じゃないんじゃないだろうか? なんて漠然と思った瞬間……、シャヒィィン……ッ! 鋭い金属が滑る音を鳴らし、おっちゃんの腕が宙を舞った。

「ぐ、ぐああああぁぁぁ……っ!」

 ―――……、斬られた……っ!

 一瞬思考が追い付かず、呆然と様子を窺ってしまった。斬られた腕に現実味を抱けず、何かの間違いなんじゃないだろうかと呆然と眺めてしまう。

「そんな……! あの人、レベル13のはず……!」

 弘一が信じられないと言った風に呟く。俺もまだ未熟な所為で、レベルがどれだけあれば、どれほど強いのかは大雑把な物しか解らない。だが、たしかレベル13といえば、一般市民が束になっても敵わないような大型の魔物を単独で撃破できるぐらいの強さがあるはずだ。言ってみれば、熊の魔物くらいなら一人でも倒せるレベルって事らしい。

「だから手を出すなと忠告したのだ。相手との力量差も計れず、気に入らない事があればすぐに暴力に訴えようとする……。何とも嘆かわしい……」

 言葉通り、嘆かわしそうに首を振ったらアインヒルツの手には剣があった。いつどのタイミングか解らないが、アイツは剣を抜いて、おっさんの腕を切り落としやがったのか?

 その強さに戦慄する俺を置いて、アインヒルツは高らかに告げる。

「私のレベルは38。聖騎士長の位はそれ相応の実力あってこそ与えられる物だ。そんな基本的な事も知らず、過信した己の蛮行で、神が与えたもうた我らが領地を汚す愚行、改めよ! そして控えろ! 我らは主神オセリオス様の名の元、命を賭して市民を守る師団である!」

 剣を八相に構える敬礼を取る。合わせて背後に控えていた騎士団も剣を抜き放ち、敬礼を取る。

 始めてみた時も威圧感があると思ったが、こう言うタイミングでやられると、余計にそう感じさせられる。その証拠に、他の冒険者達も後ずさり、さっきまでのヤジや煽りは何処に行ったのか、シン……ッ、と静まり返っていた。

 アインヒルツが剣を収め、騎士団がそれに倣う。

努々(ゆめゆめ)、己が分を弁えよ」

 最後に捨て台詞を残し、騎士団一行は去って行った。

 彼等が去ってすぐ、腕を斬られたおっさんは店の奥に運ばれて行った。落ちた腕を拾って行ったので、繋げるつもりなのだろう。切断された腕も『精霊の加護』でちゃんと癒す事が出来る。いや、そもそも『精霊の加護』があれば切られたところで切断される事はないのだが、あまりに鋭い一撃を受けてしまうと、身体の一部が切り落とされると言う事はあるのだ。ダメージを代替わりしてくれる加護のおかげで、それほど大きな痛みはないはずだし、加護が止血してくれているので、血は流れない。断続的に加護を消費する事にはなるが、加護が残っている限りは腕同士をくっ付ける事も出来る。この世界には治癒魔法の類が一部の例外を除いてまったく存在しないので、切り落とされた状態で加護を失えば、その腕をくっ付けられる可能性は極端に低くなるだろう。

「えげつない事をするな……」

 苦い顔になって弘一が呟く。他のメンバーも集まり、口々に聖騎士についての悪口を言い始める。

「アイツ等、ちょっとやり過ぎだろ? 先に手を出したのはおっちゃんだったけどよ? それでも、腕を切り落としたりとかするかよ?」

「アレはさすがにね~? 魔王を倒すって言う目的は同じなんだから、目の敵にしないでも良いと思うのにね?」

「私、魔王を倒すなら聖騎士団に入るべきかも、って考えた事があるんです。でも、こう言う事するのは間違ってると思います。……やっぱり冒険者を選んで良かった」

「ムン……ッ!」

 皆、口々に言いたい放題だ。言いたくなる気持ちは解るし、正直、俺も好印象は抱かなかったのは一緒なので、一文同様頷くだけで応えておく。

 弘一は何も言わず、しかし真剣な表情で呟く。

「彼等にだって正義はある。その正義のために真摯に行動しているだけなんだ。だからこそ、自分達とは違う道を進む人達を許容できないんだよ。彼等の目には、俺達は正義には見えないんだろうから……」

 「それでも……」っと弘一は続ける。

「彼等の行動は、自分達だけを見た物だ。俺は同調できない。それに、俺達は俺達のやり方で魔王と戦う事を決めたんだ。それを彼等に左右される謂われはないはずだ」

 弘一は断言し、強い眼差しで俺達を見る。

「彼等の正義は否定しない。でも、俺達は俺達のやり方を曲げない。その一線だけは譲らないで行きたい。皆の事は俺が守る。だから、俺達も魔物の噂について調べてみよう」

 皆の心が一つになったかのように一斉に頷く。だけど俺だけは渋面になってしまう。顔だけじゃなくて、中身までイケメンな弘一は、そんな俺の反応にもいち早く気付き、気に掛けてくる。

「鈴森君は、あまり賛成じゃないかな?」

 その質問をこの場でするのは卑怯だ。もし俺が反対すれば、多数の賛同者達から攻撃を受ける事になる。彼等や弘一にそのつもりがなくても、結果的にそうなる。反対すると言う事は、賛同者を否定するのと同じだ。俺にその意思がなくても、他人は勝手にそう思い込む。思い込んだ相手はとても敵対的だ。結果的に俺は大勢の人間から攻撃を受ける羽目になるわけだ。

 『皆で決めた事』っと言えば聞こえはいいが、要するにただの多数決であり、少数派を弾圧し、自分達の味方側として取り込んでいるってだけだ。俺の様な底辺男子は特にこう言う場面に弱い。なんせ味方してくれる“仲間”がいないからな。

 どの道、「魔王を育てる事になったなので、魔王討伐派から外れます」っと言うわけにもいかないので、別方向に話を逸らす事にした。

「反対はしない。心配なだけだよ。聖騎士に変に目をつけられたりしないかね」

「そうだね。でも、こちらが黙っていても、聖騎士達はこうやって俺達に干渉してくる。なら、行動しないでいたとしても、被害を受けない可能性は0にはならないよ」

 「だから一緒に頑張ろう」っと言ってきた。

 考え方が甘い、っと感じた。弘一は優しくて恰好良いからカリスマもある。でも、具体的にどうしようとは言っていない。周りも弘一に頼ってばかりで不安要素をまったく口にせず、ただ賛同するばかりだ。それでいざという時、全てを弘一に任せたとして、本当に大丈夫だと言えるのだろうか?

 不安はあるし、そこまで弘一についてはいけなかった。むしろそんな考えの甘さで物事を決めてしまうのは危険だから止めるべきだとも感じた。

 でも俺は結局何も言わなかった。言えなかった。己が底辺の存在だと自覚している俺は、自分の言葉が薄っぺらい事を知っている。誰も自分の言葉を聞き入れてはくれないのを知っている。何より、彼等を納得させられる言葉を選べない事を知っている。そして、彼等が一体どれだけの事を考えているのか、それが全く想像できない俺には、知ったかぶりで偉そうな発言をする事は大いに躊躇われた。

 結局俺は、あまり目立って噂の魔族との繋がりを疑われない為と、自分に言い訳して、黙っているのだった。

 

 

「ってな事があった訳なんだ」

 夜中、ホームに戻り、夕食を終えた俺は、姫川達に聖騎士達が動き出している事を伝えた。

「そう、これからは更に色々気を使わないといけない様ね……。マステマ、とりあえず正座しなさい」

「は……っ! はい……」

 さっそく御叱りモードに入ろうとする姫川と、既に半泣きになっているリリィ。

 最近、姫川はリリィに教育をする時は『マステマ』と、自分が付けた名前を呼ぶようになった。これは御叱りの時だけではなく、褒める時や、何かを教える時に意識的にそうしているようだ。意味する所は良く解らないが、当人達は何か共通する認識みたいな物があるようだった。

「まあ、待て待て」

 放っておくと、本当にそのまま長時間説教に入りそうだったので、間に入って止めた。

「今回の事は常々言ってる事だし、リリィも解っているはずだ。正直、もう次はないって所さえ解ってもらえればOKって事で、もっと優先すべき事があるだろう?」

 俺が言うと、腕を組んで一瞬考える素振りを見せた姫川。

「そうね。私達が今すべきことは、噂が沈下するまで大人しくしている事。そして怪しまれない事ね」

 姫川は納得してくれた。リリィの方は御叱りがない事に安心したような物足りない様な微妙な表情。この子、変な性癖とかできてないよな?

「だけど、この先の事で少し問題があるのよ? 大人しくすると言っても加護の問題があるから」

「ああ~~……、でも、リリィも最近はだいぶ力の制御できるようになってきただろう?」

「そうね、一日五回が一日一回に抑えられてきたわ」

 これでも随分な進歩である。俺達が何か褒める度に過剰と言う程に喜び、飛びついてくるリリィ。俺が姫川の毒舌にツッコミ入れていると、仲裁で飛びついてくるリリィ。何かを見つける度に俺達に報告しに飛びついてくるリリィ。それら全てで加護が消費されると言うのだから、本当に毎日命がけの子育てをさせられているよこの魔王っ子様は……。

 その度に姫川は「このままだと普通の人間に会わせるのも危険ね」っとぼやいていた。そりゃあ、俺達冒険者以外の一般市民まで『精霊の加護』を有してるわけじゃないからな……。一般人相手に友好的なリリィの行動が、スプラッタから戦争の引き金に直通なんて、冗談になってない。

「食糧問題もあるわ。さすがにここに引き籠るには備蓄が足りないわよ」

「その辺は狩りでなんとかなりそうな気もするけどな?」

「ただでさえアナタと同じ部屋で寝ないといけないのに、引きこもり生活になると普段から苦痛を味わう事になるのよ? はあ……」

「そこでとんでもなく、落ち込む様な溜息やめてよ!? ホント底辺な男子でごめんよ~~っ!」

 俺が嘆くと、姫川は、何かに気付いた様に訝しい表情を取った。

「ずっと気になっていたのだけれど……、アナタってどうして、自分に対してそんなに評価が低いのかしら? ただ卑屈なのかとも思ったけど、別に暗いわけではないのよね?」

「え? いや、充分俺は卑屈な方だと思うけどね?」

 姫川は納得していないと言う表情で更に問いかけてくる。

「私には、アナタ自身に評価の基準がある様に見えるのよ? それもかなり上方修正の激しい、甘い基準で構築された。なのに、そこに当て嵌められたアナタ自身の評価が極端に低い。評価が低い割にはアナタは性格が明るい方だから、傍から見ていてすごく軽薄な人間に映るのよ。実際私はそう思ってた。だけど、こうして三人で暮らすようになって、話し合う機会が増えてから気付いたわ。アナタはむしろ、仕事に対する重要性を高く見ている。リリィの教育然り、私との話し合い然り……。けど、仕事の重要性が高くなればなるほど、アナタ自身の迷いが大きくなってる。『果たして、この仕事を自分がやっていていいのだろうか?』ってね? その迷いが、小さなミスに繋がって悪循環を起こしているわ」

 姫川は饒舌に俺の評価を語って行く。姫川にこれほど見られていたのかという事にも驚きだが、ここまで見透かされている事が……少し煩わしい。

 いや、図星を突かれて苛立ってるってだけなんだが、図星を突くほど相手の神経を逆なでする挑発もない。大人ならそのくらいで癇癪を立てるなと言うかもしれないが、挑発行動しといて『大人になれ!』とは、どの口が言うか? って感じだ。

 っとは言え、実際この場で怒る事を正当化できるわけではないので、胸に燻る苛立ちを抑え、なんとか返答する。

「姫川から見て、そう見えるならそうなのかもな。でも、実際俺が意識してそうやってるわけじゃないし……、自信がないのは自覚してるけど、その理由を聞かれても俺には答えられないよ。姫川だって、『お前はどうしてそう言う性格なんだ?』って聞かれて、正確に答えられるか?」

 逆に俺が訊ねると、途端に姫川が嫌そうな顔をする。普段から露骨に嫌悪を表わす奴だったが、自分の事に関して、こんなに解り易い顔をするのは珍しいな? もしかして地雷だったんだろうか?

 なら、むしろ丁度良い。ここは引き退がってもらおう。姫川に答えられない物は、俺にだって答えられない。仮に答えられても、俺は答えられない。だから、一方的な罪悪感を抱く事になる。正直それは勘弁だ。だから、お前も答えない方向で話を終わらせてくれ。

 その願いが通じたのかどうかは解らないが、姫川はそれで頷いてくれた。

「分かったわ……。不思議ではあるけど、私もそこまでアナタの事を詮索する気はない物……。変な事を聞いてしまってごめんなさい」

「………」

 謝られて、しまった……。

 そのまま背中を向けて去っていく姫川は、寝室へと向かった。ここは居間だから、別の部屋に行こうと思うとそこしか逃げ場がない。もしかしたら姫川にも思うところがあったのかもな。だからこんなあからさまに俺から逃げた。でもそれは俺も同じだ。姫川に図星を突かれてからずっと、脳裏を過ぎ去るビジョンが、ずっとチラつくアイツの顔が、無性に神経を逆撫でするのだ。

 あの、子供相手に小難しい事を言い続けた男の事を、充分兆候がありながら、改善する事もなく最後まで他人を悪人に仕立て上げて俺達を追い出した―――っ!

「パパ……?」

 呼びかけられた声に気付き、思考の淵に陥りそうになっていた意識が浮上する。

 視線を向けると、心配そうな表情をしたリリィが、金色の瞳で俺を見上げていた。その瞳に映る自分を見ていると、最初の頃からずっと抱いている不安が鎌首を(もた)げてくるようで、不思議なほどに焦燥感を感じた。

 俺はその場に座ると、リリィの頭に手を置く。角が邪魔で撫で難い頭にそうして手を置いてやることしかできない自分に、更に不安感が強くなる。

「リリィは……、本当に俺達が親で良かった?」

 魔王を人間側の味方として育てる。姫川の方針として危険な質問をしてしまったのは、そう言った焦燥感があった所為かもしれない。言った後に「まずい」と思ったが、それ以上に言わずにはいられない衝動があった。

「パパと、ママ……、何処か行っちゃうの……?」

 不安になったリリィが獣の瞳を淋しそうに潤ませる。俺の袖を掴む手に思わず力が入り過ぎる。幸い掴んでいるのは袖の端っこだけなので服自体にも損傷は発生していない。でも、今の俺は加護を消費する事になっても、そんな事を気にしている余裕はなかったと思う。

「リリィ、歴代の魔王の知識を持っているなら、君は解ってるんじゃないのか? 俺達は、魔王である君を騙して、人間の味方にしようとしているんだって……。そんな俺達が、本当に君の親を名乗る事が許されるのか……」

 完全な弱音だ。「そんな事はない!」っと言ってほしい自分の弱さが露骨に表れているようで、自分で自分に対する嫌悪感が湧いてくる。何と浅ましい人間なのだろう。こんな奴が、前途有望な魔王を騙し、親を名乗っているなんて許せるのだろうか?

 魔王は俺達人類の敵のはずなのに、俺はそんな事を考えていた。

 いや、それも当然だろう。底辺の存在たる自分が、何を持って偉大なる魔王の上位存在たり得ると言うのか? 生き残るため、己が矮小な命一つを惜しんだが故に、純粋な少女の心を利用し、騙し、親を名乗って生き残り、あまつさえ自分の都合の良い様に操ろうとする。愛すら語っていない妻と共に、生まれたばかりの少女に偽り続ける。

 どうしてこれが許されるのか?

 途端に怖くなった。俺と言う存在がまだ生きている事に、とんでもない焦燥感を覚える。ずっと考えていた事が頭を過ぎる。あの時、俺があの世界で死んだのは、()()()()()()()からではないのか?

 世界に必要のない存在だったと、俺達の世界の神が判決を下し、切り捨てた。そうではないのか? あの日、あの時、死んだ人間の全てがそうだったとは思わない。それでも、少なくとも俺はそうだったのではないのか?

 ―――俺は、ここに転生するべきではなかった……?

 不安が胸を貫き、下っ腹に嫌に冷たい違和感を齎す。言葉に変えるのが困難なそれは、ストレスや恐怖で、自分の身体が悲鳴を上げているのだと気付く。血の気が引いて、指先が痺れを感じる。吐き気を催し、倒れてしまいたい衝動にかられる。

 溜まらず倒れ込みそうになった時、鈴を鳴らす様な声が耳を慰撫する。

「魔王の知識、ある、よ……。先代達の記録、教えてくれ、た……」

 いつの間にか伏せていた視線を上げると、すぐ目の前に真直ぐ俺を覗き込む、銀色の髪をした美しい少女が、俺を見つめていた。

「『パパ』と『ママ』……、『親』、子を愛し、導いて、くれる、者……。だから、パパと、ママの、言う事……、私は、ちゃんと聞き、たい……」

 たどたどしい喋り方で、それでも真摯に、リリィは己の考えを真直ぐに伝える。俺があの時、『親』と名乗ったから、だからこの子は……、それだけで、俺を信じ、全てを受け入れると言う。例え自分が全ての魔族の頂点に君臨し、人間を根絶やしにする存在だとしても、それでも俺達を親だと言って抱きついて、精一杯甘えてくる。

 これを子供らしい愛と言わずなんて言うんだ?

 子供が親に向ける、無邪気な愛だと言えないのか?

 そんな筈がない。少なくとも、俺と姫川の間にも、俺と姫川がリリィに向ける物にも、これにはまったく該当しない。

 なんて皮肉だよ。人類にとって宿敵と言われ、聖騎士達からは魔族と言うだけで殺される対象となり、冒険者にとって小遣い稼ぎで狩られる対象たる魔族の王が、人よりも純粋な、人よりも正しい愛を体現するなど……。これでは本当にどっちが上位存在か解らない。

「パパ……、私は、パパとママ、好き……。だから、パパとママ、考えてくれた事、全部教えて、ね……。私、がんばる……!」

 何と純粋な子供か……。先代の魔王達の知識が詰め込まれていながら、彼女には偏った思考がある様には見られない。どうしてこれほどに純粋でいられると言うのか?

 ただ一つ分かった事と言えば、この子が俺達に抱く愛だけは、間違いなく本物だと言う事だ。

 ならば俺は―――、どうあれると言うのか……?

 自信の無い俺は、結局決断できず、何の答も見つける事叶わず、ただ己が騙した娘の愛にだけは、応えたいと願った。彼女の小さな体を抱きしめ、俺は泣きそうな気持に必死に耐え、彼女を強く抱き寄せた。

「……っ、初めて、パパに抱っこ、して、もらっ、た……!」

 この時、俺は気付いていなかった。感情の昂りで、つい力加減を間違ってしまうリリィが、俺に抱きしめられた事で、僅かに魔王の魔力を漏らしてしまった事に……。

 

 

 そしてもう一つ、この時、彼女(、、)もこの近辺にまで来ていた事を、俺はまだ知らない。

「……! そう……、既に再臨なさっていたのね……」

 木の頂上に立つ、ありえない影は、月光に照らされながら周囲の森を俯瞰。その近辺に居るはずの存在を求め、再び飛び上がる。

 巨大な鎌と、この世界では珍しい和風仕様の服に身を包み、裾を宙に躍らせながら、彼女は飛ぶ。

 俺が彼女の事を知るのは、僅か十四時間後の事であった……。

 

 

「……なんなのこれは?」

 思わずと言った感じに姫川が訪ねてきた。

 それと言うのも、朝食に続き昼食に至るまで、リリィが俺達の真ん中でご飯を食べる事を強く要求した事にある。

 俺と姫川が役割分担して食事を作ったまでは良かった。配膳を手伝うと言ってきたリリィに素直に頼ったら、何故か食卓が一列に並んでおり、中央にリリィが居座って俺達が座るのを期待を込めた眼差しで待っているのだ。朝食の時は「まあ、いいけど……」っと、特に考えずに座った俺達だが、昼食まで続くと、さすがにリリィが心情的に何かを抱いているらしい事は察せられた。

 っと言うかこの子は基本甘えたがりなので、甘え方が過剰になるのは不安になっている時だと良く解る。

 そして、今回は思い当たる節もある。

「昨日、俺と姫川が喧嘩したみたいになっただろう? アレで、不安になったんじゃないか?」

「そう言う事? 安心しなさいリリィ。私達は元々こう言う仲よ。これ以上悪くはならないし、これ以上進展など決して起きて欲しくないわ」

「全て事実だけど、なんか最後は願望に変わってませんでした? しかも、割と思い返すと落ち込むタイプの!」

 俺達のいつも通りの態度に、リリィは俺と姫川の顔を交互に見てからニッコリと笑い、幸せそうに食事をする。俺と姫川も、何故かその姿に笑顔を引っ張り出される。思わず二人で笑いながら食事を続ける。

 食事を終え、後片付けをしている最中、リリィが薪割をしているのを見て、俺は姫川に訊ねる。

「アレは何させてるんだ?」

「見たままの薪割よ。ただし、魔法で薪を割ってもらったり、素手でやってもらったり、やり方は毎回違うけどね。いつもルールを決めてやらせる事で、手加減の練習をさせているのよ」

 なるほど、手加減の練習だったか。それにしてもリリィはなんでも器用にこなす。一体何の魔法を使っているのかさっぱり判らんが、纏めて在る丸太を浮かせ、半分に切り裂き、それを更に小間切りにして、水筒サイズの木材を精製して行く。それを切株の上に五つずつ設置し、更に八等分に切り分け、丁度良い薪の大きさに切り揃えて行く。これら全てを魔法だけで操っているのだから器用な物だ。特に、平常時の器用さはまったく文句がない。やっぱり感情の制御が下手くそなだけで、元々のスペックには弄り様がないほどに完璧―――いや、完成されているのだろう。何せ、何世代にも渡って受け継がれた魔王の技術が全て継ぎ込まれているのだから、当然と言えば当然だ。

 ってあれ? そうなると……?

「なあ? リリィは感情の制御が苦手なだけだろ? あの練習って意味があるのか?」

「時々突発的に褒めてあげるのよ。その時に大体ミスするから、そう言う事を起きないよう心掛けてもらってるの」

 ああ、そう言う修行ね。さすが姫川、俺が心配する程度の事など、しっかり織り込み済みだったって事か。やはり底辺男子の俺とは違う。

 俺がそうやって感心している時だ。唐突に、リリィが正確に操っていた木材を全て落とした。大きい丸太もあったので派手な音が鳴り響き、俺達は揃って眼を向ける。

 制御を誤ったわけではないようだ。その証拠に、リリィは何処かを見つめ、何かを待っているように佇んでいる。

 そして声は轟いた。

 

「その御方に薪割りなど……、恥を知りなさいっ!」

 

 突如爆発する地面。慌てて俺達は武器を取り、身構える。爆心地に眼を向け、立ち込める土煙が晴れるまでの様子を注意深く確認する。果たして、土煙から現れたのは、女性だった。骨を思わせる白くて長い髪に、まるで鮮血の様な真っ赤な瞳。纏っている服は赤を基調とした、彼岸花の刺繍が鮮やかに描かれた浴衣。足には、この世界特有の獣の皮を使った皮靴ではなく、草鞋掛(わらじか)けと呼ばれる、足袋(たび)草鞋(わらじ)を合わせた戦国時代の歩兵が使用していた履物と思われる物を履いている。材質は不明なので、一緒なのかは判らないが、この世界では随分と和風な奴が出てきた物だ。それだけに、その手に持っている物が異様な違和感が際立った。和風の出で立ちの彼女が手にしている物は、紅い柄に白刃の刃を持つ大鎌だった。まるで死神の鎌であるかのように肩にかけて持つそれは、和風な存在とはかけ離れているように思えた。

 美しくも、恐ろしい御姿に、底辺男子たる俺は、それだけで威圧されてしまいそうだ。なのに彼女が纏っているオーラは、それだけに止まらない。彼女から放たれる殺気、敵意、憎悪とも置き換えられそうな禍々しき気配は、いつか、俺と姫川は一度体験していた物とまったく同じだ。

 魔王を眼前にした時の気配。

 現れた女性が魔王と言うわけではない筈だ。魔王たる少女なら、俺達のすぐ傍に居る。ならば彼女は何者か? 正体までは解らない。ただ確かなのは、これは魔王に匹敵する何者かであると言う事。つまり、魔族だ。

「偶然にも御身の気配を察し、急ぎはせ参じて来て見れば……、よもや御身に対しこの様な無礼を……。アナタ達、もはや生かしておきはしないわ」

 鋭い赤眼が俺と姫川を貫く。次の瞬間、彼女の姿が消えた。俺の目の前に突然炎の壁が出現した。驚愕の中、姫川の魔法だと察して飛び退こうとする。一閃が煌めき、炎が二つに割れた。一足飛びで間合いを詰められ、俺の首目がけて鎌の刃が振るわれる。反射で弓を引くが間に合わない。いや、間に合ったところで、俺の矢では彼女の進行を止められない。確実に首を刈られる。加護の消費量はダメージ量に比例する。四肢を切り落とされたぐらいなら、加護が止血している間は治療可能だ。だが、首を落とされれば即死。しかも首を繋げなければ常に死が襲い続ける。それほどのダメージを果たして俺の加護で賄い切れるか? 答えはNOだ。

 ―――死ぬ……っ?

 死を自覚した瞬間、世界が突然スローモーションになった。死に瀕した我が身が、脳のリミッターを外して、急速に思考しているのだと悟る。だが、それだけだ。それ以上は俺には何もできない。何をどうしようと―――否、まったく対処する術がない。躱しきれない速度。体は弓を引いていて、精々(つる)を放し矢を放つ事しかできない。だと言うのにその照準も、しっかり躱され、当てられる余地はない。

 万策尽くす前に仕留められた。そう悟った。思考が……真っ白に染まった。

 

「ダメェ~~~~~~~~~~~ッッ!」

 

 放たれる大声。明らかに声帯の限界を超えた大音量が空気を震わせ、俺と死神の少女を吹き飛ばした。無様に地面を転がる俺は、途中で姫川に庇われ止まる事が出来た。転がった時にできた軽傷で全身から『精霊の加護』が消費される青い燐光が放たれるが、死ぬ所だった事を考えればマシだ。

 同じく俺と一緒に吹き飛ばされた筈の女性は、しっかり体勢を立て直して着地していた。しかもかなり綺麗な着地だ。余裕が見られる。

 すぐさま追撃が来るかと緩慢な体を急かしながら身構える。だが、追撃はない。変わりに女性は膝を付くと、敬服する様な姿勢で誰かに訊ねる。

「何故御止になるのですか、魔王様」

 呼ばれた魔王、リリィ・マステマは、彼女の前まで歩み寄ると、姫川のマネなのか、それとも魔王の知識にあったのか、両腕を組んで言い放つ。

「パパとママ、を……、苛めちゃ、メ……ッ!」

「………。え……?」

 あ、死神様がメッチャ混乱してる。

 そりゃあそうだよね。たぶんこの人、魔王っ子様が理不尽な仕打ちをしていると思って、助けに来て見れば、逆に叱られて、しかもその理由がパパとママだ。……うん、俺なら魔王様が乱心なされたと思うね。

「あ、あの……? 魔王様? この者達は人間ですよ?」

「うん」

「あ、アナタは魔王です。人間の敵なのです。私達魔族の頂点に立つ存在なのですよ?」

「うん、知って、る……」

「で、では、判っているはずです! 魔王様が戦うべき敵が誰であるのかっ!?」

「パパとママの、敵……。リリィが、倒す……っ! 苛めちゃ、メ……ッ!」

「ええ~~~……っ!?」

 ああ、なんかすっごく混乱していらっしゃるよ。リリィ以外の魔族って初めて見たけど、なんか見た目といい態度といい、普通に人間っぽいなぁ……。

 彼女が混乱しつつも魔王っ子様を説得しようとしている内に、俺達も話し合いをしておく。

「っで、俺達はどうしよう?」

「魔族を見るのは初めてだけど、人間が説得できる相手ではなさそうね? ここはリリィに任せましょう。余計な事をせず大人しくしていれば、危害は加えられない筈だから、話し合いが出来そうな雰囲気になるまで待つしかないわね」

「でもさ、話し合いが出来るとして、それって大丈夫なのか? 百歩譲って俺達が魔王っ子様の面倒を見ている事が許されたとして、その教育方針が人間の味方って言うのは、さすがに看過してくれないだろう?」

「そうね……、神をダシに使えば、少しは話を聞いてくれるかもしれないけど、それだけのために協力はしてくれないでしょうね。でも、少し考えがあるの。上手く行くかは賭けだけど、私に任せて喉を潰しておいてくれるかしら? なんとかしてみるわ」

「解った……って、納得しかけたけど、喉は潰しちゃダメだろ! そこは口を閉ざしておくだけで良いだろ!? 息出来なくて死んじゃうよ!?」

「大丈夫よ。ちゃんと『精霊の加護』が働いてくれるから死にはしないわ」

「いや、あれダメージは相殺してくれるけど、酸素補給してくれるわけじゃないらしいから、とてつもなく苦しいだけだって聞いたよ!? 死ぬより辛い拷問だって聞いたんですけどっ!?」

「そうなの? それは良い事を聞かせてもらったわ」

「説得してたつもりで墓穴を掘ったっ?」

 なんで漫才やってるんだ俺達は……。向こうだって真面目な話してるんだからちょっと空気を―――、

「で、でも人間なのよね?」

「うん……。でも、パパとママ……!」

「に、人間が……、魔王の旦那様と奥方様……? そ、そんなのありえない……」

「むぅ~……! パパと、ママ、の、悪口、ばっかり……。アナタ、嫌い……!」

「そ、そんなっ! 魔王様! 私は初代から魔王様に仕えてきたリッチよ? 忘れてしまわれたのっ?」

「知ってる、けど、嫌い……。パパと、ママの、悪口、ばっかり……」

「そ、そんなぁ~~……! ふふ……っ、所詮は人間の死体から生まれただけの魔族……、ただの村娘が思い上がるのだから、見放されるのね……」

 ……なんか、あんまり真面目じゃなかった! むしろ向こうもプチ漫才やってたっ!?

 地面にしなだれかかって、よよよ……っ、っと言った感じに落ち込むリッチさん。この世界では確か、魔族化した屍だったか? 魔族の割にとてつもなく弱く、知性の無いアンデットよりは強く、元が人間なので魔物よりは弱いってって話だったけど、この子無茶苦茶強くないか?

 それにしても、リリィといい、このリッチといい、皆どうして浴衣姿なんだろう? 文化の違いなのかもしれないが、袴無しの、丈の長い浴衣を一枚着て、帯で纏めてるだけなので、なんと言うか……、動き回られると、胸元とか、生足とかが凄い事になって眼のやり場に困る。倒れ込んでる今だって、服の隙間から覗いた白い太腿とか、上から見降ろしたら大切な所まで見えてしまいそうな胸元とか、すっごい気になって何処に視線を向ければ良いのか……。

「鈴森くん」

「え? あ、はい! なんでしょう?」

「まだ加護は残ってるかしら? とりあえず眼を潰しておきたいんだけど?」

「すみませんっ! 目隠ししてますんで、どうかそれだけは許して下さいっ!」

 

 

 必死に魔王っ子様に話掛けていたリッチさんは、結局自分が落ち込むと言う結果に終わってしまった。あのままではさすがに可哀想だったので、俺が抱き起こし、部屋の中に上げてあげた。現在居間で卓に付き、俺が出したお茶を両手で持ってちびちび飲んくれているが、落ち込んだ状況のままいつまで経っても浮上してこない。それだけならまだ良いのだが、この子、落ち込み方が半端じゃなかった。大泣きしたりショックで叫んだりする訳でも、まして病的に何かブツブツと呟き続けるわけでも無く、顔に影差して、ただ静かにめそめそと泣いているのだ。まるで全ての生甲斐だったものを取り上げられ、立ち上がる事も許さぬ程に叩きのめされたかのような絶望感。あまりにも落ち込み方が重すぎて、ツッコミに持っていく事も出来ない。触れたらそのまま砕けてしまいそうだ。

「―――っと、ここまでが私達がリリィっと出会い、育てるに至った経緯よ」

 姫川はリッチさんの絶望状態も無視して、とりあえずここまでの経緯を話して聞かせた。

 リリィはその間もずっと姫川の腰に抱きつき、ちょっと敵意のある瞳でリッチさんを見ている。席の関係上、俺はリッチさんの隣でそれとなく彼女を労わる様にしていた。

「……要約するに、魔王の親となったのは偶然だが、今は親として教育方針を固め動いている最中だと。そういうことなのね?」

「そうなるわ」

 意外にも話を聞いていたらしい絶望リッチさん。真っ青な顔のまま、それでも真面目に話を進める。その憂い顔がかなり俺のストライクゾーンだったため、俺は変な贔屓目をしてしまわぬように視線を逸らしておく事にした。

「そして、アナタ達の教育方針は人と魔族の共存であり、身勝手に自分達をこの世界に連れてきた神への復讐でもあると?」

 絶望リッチさんが情報を整理する様に問う。これが姫川の考えた話の流れらしい。俺達は神様の身勝手でこの世界に連れて来られた。だから神に思うところがあるが接触する方法がない。諦めて魔王討伐しようとしていたところに魔王っ子様を育てる事になった。ならばその立場を利用し、神が望む、魔王の討伐を阻止し、誰にも手を出せない味方にしてしまおう。―――っという事にしたようだ。全てが嘘じゃないところが怖い。問題は、教育方針を今初めて聞いた筈のリリィがどう感じるかだったが、その辺は偶然、俺が昨夜に確認していた通り、俺達を信じてくれるようだ。

「アナタ達が異世界から来たとか、魔王様が人間同士の血から生まれたとか、ましてや親子として生活しているとか、信じられない事が一杯過ぎて私の判断を超えてしまったわ……。おまけに最も長く魔王様の御傍に居た私の信頼まで地に落ちて……、死ぬことのできない自分の特性を呪うばかりよ……」

 憂い顔で溜息を吐く姿がちょっと……、イヤ、かなり色っぽい。見た眼の年齢は俺達と近い感じなのに、まるで大人の女性の色気を感じさせる。だが、色気に反して隙がありそうな憂いの表情が余計に色香を放っていて、さっきから俺は理性を保つのに苦労します。

 あ、っと言っても底辺男子の俺は、理性が飛んだ時点で鼻血出して気絶するのが限界ですが……。

「なんにしろ、私達は目下敵ではないわ。確かに私達は人間だし、マステマを人間の味方にしようとしている。でも魔族を敵に回すつもりはない。そもそも私達の目的は神への反逆だもの。魔族と敵対する意味がないわ」

「全てが偽りで、魔王様を騙していると言う可能性が無くなるわけではないけど……」

 絶望リッチさんが厳しい事を言うが……。

「また、悪口言う、の……?」

 魔王っ子様に不貞腐れられてしまい、すっごい勢いで影を落とし泣き始める。

「信じる以外に私には選択肢がないのね……」

 まったく納得行っていない。っと言うより、まったく信用できないのに、最高権力者の前に平伏すしかないリッチさんは、もうこれ以上、苦言を呈す事はなかった。この絶望リッチさん、魔王っ子様がいればかなりチョロイんじゃないだろうか? なんかちょっと心配になってきたよ。

「ならアナタも一緒にここで暮らせばいいわ。そうすれば私達のやってる事が一方的に偏った物ではないと解る筈よ」

 姫川の提案に、驚いたのは俺だけだった。

 リリィはただ無邪気に笑い。絶望リッチさんは真剣な表情で悩ましい雰囲気を出していたが、すぐに頷いた。

「そうさせてもらうわね。仮にアナタ達の言う事が全て本当だとしても、魔族側の存在がないと齟齬が出る事もあるでしょうし」

「望むところだわ。魔族側の情報があまりにも不足していて、どうしていいか解らなかった所もあるのよ。是非とも相談に乗ってほしい所ね」

「魔王様なら、知識を受け継いでいらっしゃる筈では?」

「知識はね。それ以外の部分は欠けているし、正直情報量が多過ぎて聞き出すだけで時間が必要になるのよ」

「そこで、魔族側になる私が欲しかったっと……。いいわ。腑に落ちないところは沢山あるけど、魔王様の傍にいられる方が色々都合が良いでしょうし、今は協力しておいてあげる。でも、それならせめて魔族領に移動する事は叶いませんか?」

 絶望リッチさんが魔王っ子様に懇願するが、これについては姫川が先手を打つ。

「アナタやリリィなら、ここに居ても特に危険な敵はいないでしょう? その気になれば町ごと滅ぼせるのだし、魔王を脅かす可能性のある存在は殆どが帝都に居て、ここからは遠い。でも私達は魔族の領地に入れば何もできなくなるわ。アナタ達が一方的に有利な土地で平静でいられる自信はないわよ?」

「ママが、嫌、なら、行かない……!」

「そ、そう……」

 ああ、また本気で落ち込んでる。そして暗い。リッチさん、沈む時はホントとことん重い感じに沈む人だなぁ。

「はあ、もう良いわよ。私の判断でどうこうできるとは思えないもの……。それより、アナタ達が本当に神の敵だと言うのなら、話しておきたい事があるのだけれど?」

「あら? 一体何かしら?」

「先に言っておくけど、これは既に証明する方法を失っている歴史よ。唯一知っているのも、初代魔王様の代から仕えている私と、知識を共有している現魔王様……リリィ・マステマ様だけが知っている歴史」

 そう前置きされ、俺と姫川は自然と視線を交わし合ってしまう。とりあえず視線を戻し、話の続きを促す。

「そもそも、この世界の成り立ち……人間と魔族はどうして今の様な関係になったと聞いているのかしら?」

 問われて俺は悩む。冒険者になるさい、信仰する神と精霊についてはある程度話されたが、底辺男子たる俺の記憶能力は乏しい事で評判だ。なので怪しい俺の記憶能力よりも、安心確実な姫川へと視線を向ける。

「私も帝都まで行った時、書物で少し読んだ程度だけど、要するに、何もなかったこの世界に神が人間を作り出した。何もないはずの世界に淀みが生まれ、それが魔族となって人々を脅かした。人間達は神の力によって新しく作られた精霊と協力して魔族からこの世界を守ろうとしている。……って感じだったかしら? 書物にあった物だから、そのまま鵜呑みにしていたつもりはないけど、やはり違いがあるの?」

 姫川の問いに絶望リッチさんは、失望したように吐息を吐いた。

「人間の側ではついにそんな所まで行ったのね……。実際全く逆よ」

「逆?」

 俺が問いかけると、わざわざ俺に視線を合わせてからリッチさんは頷いた。

「ええ、元々この世界には私達魔族、それと共存する魔物、そして精霊種が棲んでいた。私達三種族は別の種族だったけど、互いに影響を受け合う存在だった。精霊種は世界の自然と魔力を生み出し、魔物と魔族がその影響を受け、より強い存在として進化して行った。繁殖能力が低い私達が、長い寿命を維持できるのは全て精霊のおかげです。魔族と魔物は対話はできませんが意思の疎通はできました。なので互いに共存し、敵対する物と戦っていました」

「敵? それは……、人間ではないのよね?」

「当時はまだ人間は存在していなかったわ。今では魔物と一括りにされているけど、まったく別の種族、龍種よ。彼等は単一の種族だから……。でも長くなるからその辺の話は省かせてもらうわね? 当時はまだ私も生まれて―――いいえ、死んで(、、、)いなかったし」

 そう言ってから絶望リッチさんは話を元に戻す。

「私達三種族は上手く共存していた。だけど、ある日突然この世界に侵略者が現れた。それが神よ」

 俺達は驚かなかった。それほどこの世界の信仰に根強く浸っていた訳ではないし、何より、神話や民話の真実が内容と逆だったなんて言うのは良く在るパターンだ。だから黙って先を促す。

「神はまず、精霊種から形を奪った。形を失った精霊種は、肉体と記憶を失い、ただの魔力の根源となった。結果的に私達、魔族と魔物は滅びを間逃れたけれど、進化の過程を奪われ、種族としては停滞してしまった。更に神は精霊から奪った形で人間を作り、自分の尖兵としてこの世界に放った。自分を信仰し、この世界の領土を自分の物とするためにね」

「何故、神自ら行動せず人間を使ったのかしら?」

「詳しくは私も知らないけど、アレはそもそも無条件にこの世界に干渉できる存在ではなかったのよ。だから人間が必要だった。そして、人間は繁殖能力が高く、発展力も高かった。最初、何も知らなかった私達魔族は、彼等を新しい種族として迎え入れようとした。けれど、結果的にそれが裏目になった。人間達は差別意識が強かったのよ。種族の違いなんて当たり前に存在すると思っていた私達とは違い、自分達とは違う物を許せなかった。いざこざは何度も起こり、ついに種族間の戦争となった。そして長い歴史の果てに、疲れ果てた魔族は魔族領に引きこもり、人間との戦いを避けた。嘗ての歴史を忘れてしまうほど長く……。対して人間は未だに魔族達を嫌悪し、挙句に歴史をすり替え、私達を世界の敵として騙った。これが世界の真実」

 話の内容に、まったく衝撃を受けなかったと言えば嘘になる。例え、俺達がこの世界の住人でなかったとしても、三ヶ月近く暮らしてきた、この世界の常識を覆されて、さすがに少なからずショックを受けていた。何より、この世界に最初から存在したのが魔族だと言う事実は中々に来るものがある。

「なあリリィ、今のって本当か?」

「うん、本当……。初代魔王、人間と、対話しよう、として、騙され、た……。仲間に、助けられて、から……、人間、殺す様に、なった……」

 リリィ達が言う事が本当なら、この世界の人間、完全に悪役じゃねえかよ。ゲームとかの刷り込みで、ついつい魔族=人間の敵、って考えちまってたけど……、実際は逆で、人間が悪かよ……。この世界の人間というわけではないのに、なんだか自己嫌悪の様な物を感じる。

「その歴史を証明する事は出来るのかしら?」

 俺が気まずい気持ちになっている間、姫川はそんな質問を鋭く投げかける。しかし、リッチさんは肩を竦めて見せるだけ。

「最初に言った通りよ。今となっては証明しようもないし、証明したところで何の意味も無くなったわ。だって、それを今更知ったところで、人間達が戦いを止めると思う? 魔族が今更それを理由して正義を語ると思う? 根本的な問題が別の場所に移ってしまった以上、こんな歴史、本当にただの昔話よ……」

 溜息交じりに言うリッチさん。人の心など察してやれる自信の無い俺が言うのも何だが、彼女は、今の話をする事で俺達を何処かへと誘導しようという考えはないように思えた。ただ伝えるべきだと感じた。だから俺達に話してくれたのだろう。

 だからこそ、俺も抱いた疑問の答えを確認しておく事にした。

「神って、魔王ってなんなんだ?」

「神については侵略者という事しか……、魔王は魔族の中でも大量の魔力保有した個体であり、精霊種に近い存在よ。突然変異の様な物だけど、神が精霊種から形を奪った事で、霧散したエネルギーが収束した事が原因だとされているわね」

「なぜ、一人の魔族に収束したの?」

「それは解らないわ。消えた直前は精霊種にも意思が残されていたかもしれないと言われているから、精霊達の最後の願いだったのかもしれないわ」

 彼女も全てを知っている訳ではない。だからこんな風にしか言えないのだろう。そして、この話は既に重要性を欠いている。例えこれが歴史の真実だとしても、世界的な価値は何処にもない。人間にとっては神の冒涜だと神経を逆撫でするだけで終わり、魔族側には今更それを知ったところで何がどうなると言うのかという話だ。真実ほど意味の無い話も無い。何処か達観した面持ちになる俺達。

「決して無意味な話ではなかった。私はそう思う事にするわ」

 姫川の言葉を最後に、この話は締めくくられた。

 

 

 話し合いは冗談なんじゃないかという程、簡単に纏められてしまった。

 もう少し拗れた話し合いになるのかと思ったが、思いの外静かに、そして淡々と終わった感じだ。

 絶望リッチさんは、終始魔王っ子様に嫌われぱなっしだったのが相当堪えているのか、暗い顔で肩を落としたままだった。影を落とす姿も何処か色気がある様で、どうしても俺は彼女に惹かれてしまう。姫川も綺麗な方だが、彼女にはない色香が、俺を完全に魅了していた。もしかして、これもリッチの力だったりするのか?

「リッチって、魅了の魔法とか使えたりする?」

「え? そんな物は使えないわ……。仮に使えても、私の様な貧相な魔物では大した効果は発揮できないわよ。魅了の魔法は本人の魅力に大きく左右される物だから」

 ああ、持ってないんだ。って事は素であれほどの色香を放ってるのかよ。マジパネェな。

「底辺男子の俺が言っても説得力皆無で申し訳ないが、それでも俺にはかなり魅力的な女性に見えるよ?」

「そ、そう……? そうなのかしら……?」

 卑屈に受け取るでもなく、素直に受け取るでもなく、本当に良く解らないと言った感じに戸惑われた。

 くそっ! 俺が主人公属性を持つ男子だったなら、ここで彼女の照れた顔が見られたかもしれないのに!

 変な事を悔やんでいる内に彼女は、鎌を手に、日の暮れた外へと向かう。

「何処へ行くのかしら?」

「一度魔族領に戻るわ。ここで御世話になるにしても、何の用意もしてきていないから」

「今から? 明日にした方が良いんじゃないのか?」

「魔族は元々夜行性よ。私はリッチだから食事も睡眠も必要無いけど、()()()()()ために―――活動し続けるために、必要な物があるのよ。だから、早めに取りに戻りたいの。魔族領を長く離れ過ぎても、王城の者が心配するかもしれないもの」

 王城―――っという言葉に、引っかかり、思わず訪ねてしまう。

「リッチさんは、王族だったりするの?」

「いいえ、いくら私がエルダーリッチでも、王の名に席を並べるなんて出来ないわよ。王城というのは魔王城の事よ。私は代々、魔王様の内政相談役として名をお預けしているだけなのよ。私なんて、魔王様に気を使っていただかなければ王城に入る事さえ叶わなかったわ」

 ああ、リリィの城か。そう言われれば、この魔王っ子様に御城があったとしても何もおかしい事なんて無いよな。

「って、王城にリリィの事が知られたらまずいんじゃないか? 『魔王様を悪しき人間から救出しなければ~~!』って言って一度に襲ってきたりとか……?」

「そうならない様に私が対処しに行くんじゃない。魔王が再臨している事は魔王城でもまだ知られていないわ。でも、忠誠心のとても高い者達ばかりだから、リリィ様には出来うる限り、早く御戻り願いたいのだけど……」

 チラリとリリィの事を窺う。リリィは姫川に抱きつき「パパとママ、一緒じゃなきゃ、ヤ……ッ!」っと強く拒絶。ショックだったらしい絶望リッチさんは、息を呑んで軽く呼吸困難に陥っていた。反応が一々重い。どんだけメンタル弱いんだろこの人……。

「と、ともかく、私はリリィ様の意向を汲み取り、行動するわね……。それが私の務めでもあるから……」

 既に死んでるはずなのに、死にそうな顔で出て行くリッチさんが気に掛り、俺は彼女の後を追いかける。

「外まで送ってくる」

 不格好な作りの木戸を開け、外に出ると、絶望リッチさんはまだそこに居た。手を広げ、空に浮かぶ月の光を全身に浴びていた。この世界の月は一月周期で色を変えるらしい、今月はリリィの髪と同じ銀色に輝いている。

「……? 何か用が残ってた?」

 俺に気付いた絶望リッチさんが振り返る。

「いや、ただの見送り。月の光を浴びるのは何か意味があるのか?」

「月には神に封じられた大精霊が宿っているのよ。その光の恩恵を受ける事で、私達リッチの様な後天的に生まれた魔族は活動する事が許されているの。私達が夜行性な理由は、月の魔力を取り込む事が目的でもあるの」

「それって曇ってたりとかしたらどうなるんだ?」

「一週間くらい魔力を取り込まなくても平気よ。ちょっと鬱になったりするけど」

 一瞬、このリッチさんはしばらく魔力不足が続いていたのだろうかと疑ってしまったが、そこは邪推という物だよな。言わぬが花だ。

「帰るのにはやっぱり魔力を使うのか?」

「明日の夕方には戻ってきたいから、結構無茶をする事になるでしょうね」

「無茶しなければ良いんじゃないか? 少しくらい時間掛けても問題無いと思うぞ?」

「魔王様を人間の傍に於いておく事が心配なのよ……」

 疲れた様に告げられ納得。そして申し訳なくも思う。

「悪いな、よりにもよって魔王のパパ役がこんな底辺男子で……」

 俺がそう伝えると、彼女は困った様に俺を見つめ、小さく吐息した。

「アナタは私と何処か似ているわね……。あまり良い事ではないけど……」

「そうか? 俺としては君みたいな綺麗な人に似ていると言われるのは光栄だぞ?」

「見た目の事を言ったつもりはないわよ? それに、私はアナタが思う程、美しくはないわ。私は死体、腐肉から生まれた魔族なのよ?」

 言いつつリッチは俺に片手を差し出す。

「魔族は穢れているなんて、人間は誤解しているけど……、実際、魔族で穢れているのは私達リッチくらいのものよ。私達は魔族で唯一、本当に穢れた種族……。アナタだって腐肉触れるのは嫌でしょう?」

 差し出された手は、触れられる物なら触れてみろと言う事だったらしい。俺は慌てて右手の汗をズボンで拭き取り、その手に優しく触れた。普通に握手する様には握らない。俺の様な底辺男子が触って、彼女の手を汚したくなかった。だから優しく包み込む様に、差し出された彼女の手を、逆に掬い上げる様にして受け取る。

 絶望リッチさんは少し驚いたのか目を丸くして俺を見ていた。勘違いさせても悪いので、俺はここではっきり伝えておく。

「リッチが魔族の中でそう言う存在なのかは俺には解らんけど、少なくとも底辺の俺よりは上等だと思うぞ? 俺からすれば結局美少女の手だしな」

 確かに絶望リッチさんの手は冷たく、とても生者の温もりなど一切感じられない。昔飼っていた犬が亡くなった時に触れた体と同じ、触れれば触れるほど、自分の熱を吸い取られていくような怖い錯覚を得る。解り易い想像なら生肉をずっと掴んでいるのと同じ感覚。なるほどな、たしにかこれは怖い。彼女に触れる事を恐れる人間を責められはしないだろう。でも……、底辺の俺よりは、彼女はとても上等な存在だ。だって彼女は、死んでもなお、この世界に求められ、こうして立ち上がっているのだから。

 尊敬と羨望を込めて彼女の眼を見つめていると、何故かリッチさんは慌てて手を引っ込める。その表情が何かに戸惑っているようで、どう言う反応を返して良いのか困ってしまった。仕方ないので苦笑い。

 彼女は踵を返し俺に背を向ける。

「……私は、やっぱり魔王様には、早く王城へと帰還し、王として表明していただきたいと思っているわ」

「やっぱり、人間達と戦うため?」

 急に話の内容が変わった気がしたが、ここは乗っておく。

「嘗て、魔族の多くは何度となく人間との和解を望んだのよ。時には解り合えた人間も確かにいたわ。でも、愛を誓い合った者達でさえ、時と共に亀裂が生じ、最後はいつも同じ結末を迎えるのよ……。次こそは、今度こそは、きっと彼なら、彼女ならあるいは……。そうやって何度となく、希望を抱いた魔王様が、何度となく絶望して行く姿を、私は何度も御傍で見てきたわ……」

「人間との和解は、何度も試してきたって事か……?」

「懲りないものよね……。何代、代を重ねようと、いくら知識を継ぎ続けても……、それでも私達も魔王様も同じ結論に達して、同じ過ちに陥ってしまう」

 絶望リッチさんは、何処か遠くを見る様な声で、淋しい思い出を語る様に呟く。

「それでも、神への反逆を語ったのは、あなた方が初めてだった。それに賭けたつもりはないけれど……、それでも、きっと私達はそれを望んでしまうわね」

 「まるで呪いの様に……」最後の呟きは、地面を蹴る音に紛れたが、それでも俺の耳にはしっかり届いた。

 軽く上がった土煙の向こうで、空高く跳び、車を超える速度で木々を蹴って遠のいて行く背中を見つめ、俺は深く考えた。

 ―――このままでいいのか?

 漠然とした疑問。仮に肯定したとしても、どうするべきなのかと言う答えを見つけられない、歯痒い疑問。

 しばし立ちつくし考える。

 本当にこのままで良いのか? 俺達はリリィをただ人間の味方として育てる事が本当に正しいのか?

 絶望リッチさんは、魔王っ子様の言葉があったとはいえ、俺達に危害を加えようとはせず、敵意らしい物も向けて来なかった。きっと、何度も人間と和解を結ぼうとした事は本当なのだろう。だが、結果的にそれは全て裏目に出たわけだ。なら、もう人間など信じなければ良い。人間を完全に敵視し、さっさと滅ぼせばいい。魔王は何度も再臨する事が可能なのだ。時間がかかるとしても必ず成功する。やってやれない事はないはずなのだ。

「……一体、何回目なんだ? 魔王が代替わりしたのはさ?」

 リリィと出会った神殿で姫川は言った。『魔王は何度も代替わりを繰り返している』と。それは少なくとも一度や二度ではない筈だ。歴史が埋もれ、真実を知る者がいなくなるほどの時が過ぎた。それは魔王を何代変えれば清算が取れるのだろうか?

 俺と姫川の試みは、本当に実を結ぶのだろうか? この程度の事で、本当に神へと反逆する事になるのだろうか?

 俺は神に反逆したかったわけじゃない。あの場を生き残りたかっただけだ。今も続けているのは投げだす事が死に繋がると知っているからだ。ならもし、全てのしがらみから解放されるなら、俺はどうする? 逃げるのか? ああ、たぶん逃げる。こんな重大な役割、俺の様な底辺には手に余る。

 じゃあどうする? 考えるのをやめるか? もう何もかもを姫川に託し、押し付け、自分は思考の海から逃れるのか? それも良いと思う。だって俺は底辺だ。俺の考えが逆に姫川の判断を邪魔しかねない。そうだ。俺だって今まで自分で考えて行動してきた。でも、その度に多く失敗した。敵を作った。それが俺の正体だ。何をやったところで上手くいかず、何をしたところで疎まれる。俺は何もするべきではない。俺がした事、誰の役にも立たず、俺の判断はいつも、失敗ばかりで、俺の考えはいつだって、誰の共感も得られなかった。

 だから、きっとこれは間違いだ。俺の様な底辺だから、つい考えてしまうんだ。俺が、俺だけが行きついた考えこそが正しく、そしてこれが世界を巻き込んだ名案となる。そんな主人公像を思い描き、俺は間違った道を進もうとしている。

 思い上がりも甚だしい。

 

 

「ああ、まったく……、自分の矮小さに嫌気がさすよ……」

「? なんなのかしら鈴森くん? いきなり人の目の前で卑屈になったりして?」

 俺は、姫川の前に来ていた。リリィには大事な話があると言って、先に寝室に引っ込ませた。こうして姫川と二人っきりで喋るのも、最近じゃ珍しくも無くなった。でも、このホームではずっとリリィが一緒だった。だからか、二人っきりという状況にちょっとだけ緊張を覚える。緊張したまま俺は訊ねる。

「相談があるんだ。リリィの教育方針についてだ……」

 今の食卓、正面に向かい合う様にして座り、俺は話し始める。

「姫川は、神へのアプローチを考えてリリィを人間の味方として育てようと考えてるんだよな?」

「ええ、それで神がどう動くかは解らないけど、今のままではただ神に弄ばれるだけよ。納得もしていない事で振り回されるのは本当に勘弁してもらいたいもの。もし私達のやってる事が気に入らないなら出てくればいいのよ。でも、相手は神を自称する存在。物事は簡単には進まない」

 だから姫川は神が不都合を感じるであろう唯一の相手、魔王を選んだ。その選択肢を得たのは完全に偶然だったけど、災い転じて福となす、っと言ったところだったのだろう。

「それに、あの『司書』さんも言っていたでしょう?『この世界で何を望まれたとしても、全ての行動と責任は私達にある』と、つまり、この世界における私達の選択権も決定権も私達にある。誰かに左右される謂われはないわ」

 同感だ。俺達の存在は俺達の物で、自分を預ける存在すら、選べる権利は俺達にあるべきなんだ。だから良く解らないなりにも、俺は姫川の教育方針に従い、リリィを育てていた。具体的な事はどうすればいいのか解らなかったし、下手の事をしても失敗するのが眼に見えているので、肝心な所は姫川任せだったが……。

「それで? 改めて確認したところで、この教育方針について何か意見があるのかしら?」

 訊ねる姫川の視線は、少しだけ鋭い。文句があるなら受けて立ってやると言わんばかりの態度だ。

 さて正念場です。俺の目的は説得する事ではない。あくまで相談。それを忘れず、話ベタの俺の気持ちと考えを、しっかり伝える事。できるのか? いや、もうやっちゃってるし……。諦めて腹をくくる。

「さっき、リッチさんを送り出す時、ちょっとだけ先代魔王達の話を聞いた。真偽の程は後でリリィに確認を取るとして、ちょっと俺なりに考えた事があるんだ」

「何かしら?」

「嘗ての魔王達の多くは人間との共存を望み、そうあろうと動いていたらしい。時には人間側からも歩み寄ろうとする者もいたらしいけど、その全てが例外無く、最後には人間側の決裂に終わってるらしいんだ?」

「そう、まあ、人間側の神話や言い伝えを考えれば当然なのかもしれないわね……。それに人間は、基本的にスペックが魔族に比べて脆弱……、子供同士の喧嘩でさえ魔族が人間を大怪我させかねない。場合によってはそれだけで戦争に発展しかねないわよね」

「それでさ、なんて言うのか……、俺も自分の中でちゃんとした答えが出ている訳じゃないんだけど……、本当に今のままで良いのかな? って思った」

「リリィを、マステマを今のまま人間の味方として育てる事が無駄だと感じたの?」

「そこまで言えるほどはっきりした考えはない。でも、今のままじゃダメな気がする。そんな不安感がずっと背中を撫でてるような、そんな感じがしたんだよ。今のまま、リリィにただ人間を好きになってもらうだけじゃ、歯車が噛み合わない様な、そんな感じがさ」

 俺の言葉に姫川は少しだけ考える素振りを見せる。決して俺の言葉を蔑ろにはせず、俺の言葉を急かす事無く、要領を得ない俺の言葉を真摯に受け止めようとしてくれている。正直、意外と姫川って根気強くて面倒見が良いんだなと感心してしまう。

 しばし考えた姫川は、それでも首を横に振った。

「漠然とした不安があるのは解ったわ。でも、やっぱりそれは漠然としていて、すぐに具体的な行動に移せる物でも無い。結局今の段階では、現状維持を志すしかないように思えるんだけど?」

「それ、は……」

 その通りだ。俺の言ってる事はただの不安で、具体性はまったく無い。真摯に受け取ってくれた姫川が、現状維持を結論付けると言うのなら、それに従うのが道理だ。なのに俺は、それではどうしても納得できない物があった。言葉にしようとすると霞みがかり、上手く口にできない。それでも、「そうではない」と叫んでいる自分が確かに内側に居た。

「ええっと……、でもさ? あれだよ? 結局俺達が今やってる事って、過去に何度も魔王がやってきた事なんじゃないか? だからさぁ~……、あ~~……」

 言葉にできない、漠然とした不安がある。こうしなければと言う方向性が、自分の中には確かに存在するのに、それを上手く説明できない。

 案の定、訝しむ姫川は、それでもとりあえず俺の言葉を聞き取ろうとしてくれている。

「だから……、そう! リリィは魔王なんだよ!」

 言ってから、唐突にしっくりきた。まだ相手に伝える言葉としては迂遠な気がするが、それでも、それが俺の根本だと言う事は解った。だから俺は一生懸命言葉にしようともがく。

「リリィは魔王として生まれてきた。だから、俺はリリィに魔王であってほしいと思う。いや、きっとそうじゃないといけないんだと思うんだ」

「……? つまりマステマは、『魔王』っという役割を大切にしなければいけない、そう言いたいのかしら?」

「そう、それだ! そう言いたかった!」

 迂遠だった俺の言葉を簡潔にまとめてくれた。さすがは姫川、底辺の俺とは圧倒的な差があるぜ!

「言わんとしている事は解るのだけれど、それはつまり、マステマには魔王として人間の敵になるべきだと言う事にも聞こえるのだけれど?」

「え? あれ……? そう言いたいわけじゃないんだけど……、でも、もしも結果的にそうなるなら、リリィはそうしなきゃいけないって気はするんだ、け、ど……?」

 お、おかしい……、また俺が言いたかったところから離れて行ってしまった気がする。俺はリリィを人間の敵にしたいわけではない。だけど魔族側も敵に回したくない。そう言う意味では姫川の方針と変わりはないはずだ。それなのに違うと感じる理由はなんだ? 何かが食い違ってしまっている気がする。もう一度考える。

「そう言うんじゃなくて……、『魔王』って役割が、俺にはさぁ~……、ええっと……、単純な人間の敵って言うじゃない様な気がするんだよ? ほら? 要するに魔族の王様ってことだろ? だとしたら、人間の敵って言うのは、俺達の勝手な偏見なわけでさ? ええっと……」

 もどかしい。自分の気持ちを言葉にできないことほどもどかしい事はない。特に俺は底辺だ。適切な言葉を選ぼうにも、適切な言葉を持ち合わせているかも怪しい。それでも、これがすごく大切な事のように思えるから、頭の中がごちゃごちゃになってくるのを感じながら、必死に伝えようと試みる。

「えっと……、だから……っ」

 だが、気持ちとは裏腹に言葉らしい言葉は、どんどん失われ、最後には叱られた子供がする様に意味のない言葉を呟くだけになってしまっている。

 続きを待っていた姫川だが、ついに言葉を失ってしまった俺に、嘆息して返す。

「アナタなりに、何か思うところが出来たのは理解したわ。でも、今のままではアナタの言葉に賛同したところで、どうしていいのか解らない。アナタはもう少し考えなさい。言葉になったらまた聞いてあげるから」

 珍しく優しい言葉。姫川が俺を気遣ってくれたのが良く解った。だから、ここはそれに甘えて、退くところだ。時間をおけば、言葉として伝えられるようになるかもしれない。だから、ここはもう口を閉ざすしかない。

 解っているのに、それでも俺は止まれなかった。止まってはいけない、今ここで伝えなければいけない。そんな気持ちが不思議と急いていた。

「い、今すぐしなきゃいけない話じゃないかもしれないけど……! でも、聞いてくれよ! リリィは魔王として、きっと重要な役割があると思うんだよ! 俺達は、あの子の親として、そこを察してやらなきゃいけないと思うんだ!」

 言ったところで、なんとなく、自分が急いている理由に思い当たった。俺はリリィに本物の愛情を受けている。偽物の親である俺達を、そうだあると知りつつ受け入れ、精一杯俺達の子供で在ろうとする彼女に、俺は応えたいと感じている。それでも、何が出来るわけでもなかった。何もできないから、俺は漠然とした気持ちを胸に抱えるだけで、何の覚悟も意思も生まれなかった。それがここに来て、何かを見つけそうになり、必死にもがいている。

 俺の中に、俺にも良く解らない何かが、答えを探して迷走している。叫んでいる。言葉にはできなくても、俺は確かに答えを見つけている。だが、その答えを伝える方法が解らない。それが余計に俺を焦らせ、ついつい急いてしまう。

 そうだ。つまりようするに、俺はリリィの親になりたいんだ。アイツに胸を張って自分が『パパだよ』っと伝えたいんだ。命乞いでも無い、偽りでも無い。本物を向けてくれた彼女に、本物になって返したいんだ。

「いい加減にして!」

 だが、俺の気持ちは空回りし、姫川の怒号を引き出してしまう。

「アナタの言ってる事は、要するに私のやり方が気に入らないと言ってるだけよ! 大体、私達の目的のためには、『魔王』の役割なんて関係ないでしょ? 私達の目的は神に対する物で、『魔王』が係わるのは偶然なのよ? 『魔王』がなんであろうと、私達が神に向けるアプローチは変わらない! そうでしょ?」

 その通りだ。でも違う。それではリリィはただの道具になってしまう。姫川がそんな事を考えていなくても、結果が同じになってしまう。だが、これは言葉にはできない。姫川だってちゃんと自分で考えている。それを無視して酷い事は言えない。姫川にだって何か思うところがきっとあるはずだ。だから、その気持ちを無視して言いたい事を言うのは間違っている。

 でも、このままでは話がこじれるだけになってしまう。どうしたらいいんだ? 底辺の俺には、こんな時に何を言って良いのかが解らない。

「俺は、姫川が間違ってるとは思ってない。でも、正しい方法が必ずしも正解とは限らないんじゃないのか?」

「結局私の言ってる事が間違いだと言ってるのでしょう?」

「ち、違う! そうじゃないっ!」

「私達は神に反抗する。たしかにこれは私が勝手に言い出した事よ? でも、アナタは反対しなかった。だから私は、アナタも協力してくれている物だと思っていたのだけど? 違ったの?」

「違わない。姫川の考えの全てを理解してたわけじゃねえけど、反対するつもりもなかったし、出来る限り協力するつもりだった。でも、別の方法があるとしたら、それも検討に入れてほしいと思っただけで……」

「その方法が曖昧なんでしょう? 私も鈴森くんの意見を否定している訳じゃない。でも、どうするか定まっていない意見なんて、一体どうやって実行するって言うの? 私の言ってる事が間違ってる? 私の言ってる事はアナタにとってそんなにおかしいの?」

「そんな事はないっ、けど……!」

 そんな言い方はされたくない。俺は一度も君の言ってる事を『間違っている』と称した事はないんだ。だから言って欲しくはない。そう言う言い方をしてほしくない。『自分が正しいのだからお前の言っている事が間違っている』という言い方は、してほしくない!

 引けなかった。拙い言葉しかできない俺でも、リリィの親でありたいと願う俺は、どうしてもそれを伝えたくて、退くに引けない気持ちで駆りたてられていた。

「……どうして?」

 だから俺は、姫川の変化を見落とした。

「どうしてなの? どうしてアナタは引かないの? どうして納得しないの? アナタは頭は悪かったけど、それでもちゃんと話して、私が正しいと解れば納得してくれていた。なのにどうして引かないの? 私は間違っていなはずでしょう? 間違っていないのに、どうしてアナタは私を否定するの……?」

 震えていた。姫川が腕を組んだままうつむき、震えていた。

 いや違う……。怯えてるんだ。腕組なんかじゃない。怖がって自分の体を抱きしめてるだけだ。彼女は俺の意味不明な言葉に、どう対処して良いか解らず、怯えているんだ。

 失敗した……。それを悟った。いつもこうだ。また同じだ。俺は自分で何かをしようとして、失敗して、他人を苦しめる。良かれと思ってした行動が、必ず誰かを傷付ける。思い上がらぬよう、ずっと戒めてきた言葉だったはずなのに、俺はまた忘れてしまっていた。

 俺は底辺の存在なんだ。誰かと上手くやって行けるわけがない。誰かに何かを与えてやる事なんて出来ない。俺は必ず台無しにする。自分の頑張りで誰かを傷つけ、自分の行いで誰かを苦しめる。だから皆俺が嫌いだ。俺も自分が嫌いだ。嫌いな自分が他人を好く事など許される筈がない。正義を語り、良き行いをしようなど考えるな。それは必ず、自分勝手な正義で他人を貶めるだけの、矮小な行いでしかないんだ。

 あの男と同じ血が、お前には流れているのだから……。

「姫川……!」

 衝動にかられ、俺は立ち上がり、彼女の両肩を掴む。

 謝りたかった。申し訳ない事したと、俺なんかが姫川の頑張りを妨げ、余計な事をしてしまったと、頭を下げて謝りたかった。彼女の気持ちを考えず―――、いや、考える力もないくせに、先走って自分の考えを優先してしまった事を、謝りたかった。

 肩を掴まれ、姫川が全身をビクつかせる。怯えさせてしまっている。それがどうしようもなく胸を抉る。「ごめんっ!」と叫ぼうと、口を開いた途端、思わぬ方向から声を掛けられる。

「パパ、ママ……?」

 はっとした俺達は互いに身体を離し、声のする方へと視線を向ける。そこに、怯えた様子のリリィが、寝室の扉を少しだけ開けて、こちらの様子を窺う様にしていた。

「大きな、声……、してた……。喧嘩、してる、の……?」

 不安そうにしているリリィを見ると、本当に自分がバカな事をしていたと思い知る。彼女のためと考え、結果的に彼女を不安にさせるとは、何処までも情けない底辺男子だ……。反省し、改めなければ。いつの間にか思い上がっていた己を、もう一度戒めよう。自分は『底辺』だ。決して人様の役には立てない。決して自分が何かを成せる存在などではない。自重しろ……。

 俺は深呼吸する。

 姫川も一度身体ごと視線を逸らし、何度か息継ぎしてからリリィへと視線を向ける。

「なんでもないわ。ごめんなさいね、驚かせてしまって」

 姫川に言われても、リリィは安心できず、トコトコと歩み寄ると、そのまま姫川の腰に抱きつく。姫川はそれを受け止め、優しく頭を撫でてやる。

 俺は腰を落とし、リリィと視線を合わせ、伝える。

「ごめんな。今回は本当に喧嘩してた。俺が悪い。ちょっと熱くなり過ぎて、しつこい事を言ってしまった。姫川は何も間違っていなかった。俺が……本当に悪かった」

 リリィにそう伝えてから、俺は立ち上がって、今度は姫川を真直ぐ見つめる。

「ごめん。俺が悪かった。変な事を言って悪かった。あれは……忘れてくれ」

 姫川は無言だった。何も言葉を返さず、それでも頷きだけは返してくれた。

 いつからだろうな?

 人は見かけで判断なんて出来ない。誰にだって心にあるのは自分の正義で、悪意をもって行動する人間なんて、それこそ数少ない。それと同じで、本当に強い人間だって、殆どいない筈なのに……。

 俺はいつから、姫川は強い女の子だと思っていたのだろう?

 彼女の知らないところなんて、いくらでもあると知っていたはずなのに……。

 これだから底辺男子は、役に立たない。自分の心情すら、すぐに忘れて……。

 この後、俺達はいつも通りに床に付いたが、互いに視線を合わせる事は出来なかった。背を向け合う俺達の手を、間で眠るリリィだけが、しっかりと繋ぎ止めてくれていた。

 

 

 『ファーストウォーク』聖騎士団詰所、主神オセリオス教会。

「では、極端に大きな魔力の反応が南の森で確認されたのだな?」

「はい、アインヒルツ様。三日前から稼働実験に入った魔力探知機が、昨夜、南の方角で異常な量を感知しています。この近辺の魔術師にして規模が大きく、誤作動かとは思ったのですが……」

「魔族の噂もある。念のため、確認しに行こう。魔族は昼間は弱体化する者が多い。念のため、陽が最も高くなる時間を狙って出発する。それと、何名かを見繕い、対人装備をさせておけ」

「『対人』ですか?」

「誰にも悟られる事無く結界の内側に魔族が侵入しているとなると、人間が協力している可能性がある」

「に、人間がですか!」

「あまり考えたくはないが、用心に越した事はない」

「はっ! 承知しました!」

 眠れぬ夜を過ごす俺は、まだ死神が迫ってきている事に気づいていなかった。

 

 



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第五章 親子

 翌日、俺は一人、買い出しに街に降りていた。

 順番的に言えば今度は姫川が下りてくるべきだったのだが、何故か俺に買い物を押し付けられた。俺も一人になりたかったので丁度良かったが、姫川ももしかすると一人になるのが嫌だったのかもしれない。特にこの街には、あまり会いたくないクラスメイトが滞在してる町だからな。何かの間違いで声を掛けられるのも嫌だったのだろう。

 俺も今は会いたくないけどな……。

 とりあえずギルドに向かい、前以て受けておいたクエストの素材を渡し、報酬を受け取っておく。素材についても詳しいリリィに手伝ってもらったため、結構奥の森まで取りに行く事が出来た。おかげで予想以上の報酬を貰う事が出来た。

 ―――金も余ったし、少し何か食べて帰ろうかな……?

 喫茶店にでも寄って、少し気分転換してから戻ろうと考え、店を探す。冒険者は大体酒屋に集まるのが常だ。その理由は酒が飲めるからというだけではなく、外で戦い、報酬を受けてそのまま店に訪れる人間が多いからだ。さすがにオシャレな喫茶店に、汚れた格好で入るのはマナー違反という物。その辺の分別はこの世界の住人にもちゃんとあるらしい。

 前に寄った喫茶店は、目立って汚れていなければギリギリセーフの店だ。どうせ汚れていないし大丈夫かな? っと思い寄ってみる。念のため店員に確認を取ったらクスクスと笑いながらOKを出してくれた。余計な質問だったか?

 とりあえず適当な物でも頼み、お腹に入れる。こう言う世界の主食はパンというのがお決まりだと思っていたが、こちらの世界では『ナン』だったらしく、時々カレーが欲しくなってくる。適当には薄いハムとサラダをナンで巻いて食べるのが通常だ。

 軽く腹に入れたので、御茶を飲みながらしばらくボ~ッ、としてみる。皿を取りに来た店員が俺に確認を取る時、笑いながら訊ねてきた。

「今日はお連れ様と一緒じゃないんですか?」

 誰の事か一瞬解らなくて、適当に愛想笑いを浮かべて首を振っておいた。後になって姫川の事を言われたんだと気付く。なんだかんだで二人でこの街に戻る事も少なくない。その度にこの店によって食事していた気がする。ここなら安いし、それなりに食える。何より姫川が内装を気に入ったらしく、たまに一人でも通っているらしい。俺がここに一人で来るのは初めてかもしれない。

 ああ、それであの店員はあんな事聞いてきやがった訳か。俺達は恋人でも何でもないって言うのに……。

「なんでもない、か……」

 そう、なんでもないんだよな。夫婦の真似事をしている俺達は、決して夫婦ではない。互いに恋感情も決して存在しない。なのに、リリィという子供がいる。俺は本気でリリィと親子になりたいと願った。だけど、それは姫川には強要できない。彼女がリリィを育てるのは、あくまで神に対するアプローチ。絶望リッチさんには反逆などと大それた言い方をしていたが、実際は試し撃ちみたいなもんだもんな。

 彼女はこの先、リリィとどういう関係になっていくのだろう? 真似事の親子関係、だけど子供から向けられる愛だけは本物だ。それを姫川が知った時、彼女はどうするつもりなんだろうか……?

「って、なんか変な感傷に浸ってんなぁ~……」

 一人、悲劇のヒーロー気取りになっている自分に気付き、億劫になってきた。ちょっとだけマナー違反だが、ここで少しだけ眠らせてもらおう。起きたら追加注文するんで許して下さい。

 腹が膨れた眠気を利用し、俺は久しぶりに昼寝に興じるのであった。

 その間に、まさか外で聖騎士団が動き出しているなんて知らずに。

 

 

 気配に気付いたのは、当然ながら魔王たるリリィが先だった。

 干した洗濯物を取り込もうとした時、鈴森くんが買ってきていた絵本と私の買ってきた文献を照らし合わせて読むと言う、子供らしからぬ事をしていたリリィが、突然顔を上げ、私に呼びかけた。

「ママ……、パパじゃ、ない、他人、来てる……。沢山……」

 「どうして解るのか?」っとは訊かない。魔王たる彼女が解ったところで何も不思議ではなかったからだ。私は、一瞬だけ考える。こうなる可能性は考慮していた。問題なのは、リリィの事が何処までバレているかだ。

「何人くらいか分かる?」

「沢山……。十人くらい……」

 冒険者のパーティー構成は多くとも八人。何らかの理由だ大部隊を作るにしても、それなら十六人以上が鉄則。ましてやこの地はまったくお金にならないエッグファングが大量に生息している森を抜けなければならない。それをわざわざ越えて来る以上、目的地がここであるのは間違いない。

 見つかるのは厄介なので、リリィに転移魔法を使ってもらおうかと考え―――、ああ、そうだ。|今はそれが出来ない様にしてしまったんだった《、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、》と思い出す。

「家の中にいなさい。出てきてはダメよ」

 腰に差した折り畳み式の杖を確認しながら、それだけ言って私は外に出る。

 扉をすぐ閉め、中を確認させないようにする。そのまま何食わぬ顔で洗濯物を干し始める。こちらが向こうに気付いていないフリをして様子を窺う。念のため、リリィの服を優先的に取り込む。あの子の服は全て浴衣仕様だった。魔族のリッチも似たような服装だった事を考えると、魔族全般がそう言う仕様の服を着ている可能性があったからだ。幸い、今日は彼の分の服はない。元々こちらに来てから予備を用意できていなかったので、今日の買い物で纏めて買い直させている所だ。

 ソロ活動のおかげで気配には敏感になれている。来ると解っていれば察知する事は容易かった。だけど、私が察知できたのは七人。残り三人が解らない。この三人は注意した方が良さそうだ。

 何食わぬ顔で洗濯物を畳み終えると、そのタイミングを見計らった様に、一人が茂みから出てきた。今気が付いたフリをしつつ、振り返る。

「誰かしら? こんな所に来るなんて珍しいわね」

「私は見ての通り聖騎士だ。名はアインヒルツ・ルストリウフ」

「ああ、街の聖騎士長だったわね」

 一度顔を会わせていた事がある。あの時もリリィの事だったし、鈴森くんに聞いた話では、魔族の噂関連に本腰を入れて行動していたようだから、今回もそう言う感じなのでしょうね。まったく、思った以上に厄介な事になりそうだわ。上手く誤魔化せるかしら?

「聖騎士長がこんな所までわざわざ何の様かしら?」

「腹の探り合いは好かん。単刀直入に聞くぞ。魔族の子を匿っているのなら今すぐ差し出せ。さもなくば貴様も協力者と見なし排除する」

 好戦的だ。そしてまたはっきりと言ってきた。ブラフの可能性を考慮し、一度はとぼけておこう。

「もちろん根拠はあるのでしょうね?」

「まだ稼働実験中の試作品ではあるが、四日前、帝都から魔力探知機が送られてきた。実験のために稼働していた物だったが、それが偶然この地で大きな魔力を感知してね」

「誤作動という事もありそうな話ね?」

「だから真偽を確かめに来た。そして来てみればこんな所で、岩で作った家に住む者がいれば怪しむのが普通だ。強行するだけの価値も準備も出来ているぞ」

 隠し通せそうは……ないわね。

 仕方ない。念のために考えておいた人間側への、説明文を述べるとしよう。幸い、リリィが魔王っというところまでは見抜かれていないみたいだし。

「はあ……、嫌になるわね。こう言う誤解を受けると思ったから、わざわざこんな辺鄙な場所を選んだと言うのに……」

 いかにも、呆れた様に振舞いながら嘆息して見せる。一見余裕とも言える私の態度に、聖騎士長は僅かに眉根を寄せた。

「誤解? どう言う事だ?」

「アナタ達が探してる魔族ならいるわよ。家の中にね。だからあまり騒がないでくれるかしら? 中の子に聞かれたくないの」

「やはり魔族を匿って……っ!」

 声を荒げようとした聖騎士長に近付きながら、私は指を立てて静かにする様に指示する。

「だから大声で話さないでくれるかしら? 上手く騙す事が出来たと言うのに、勘付かれては困るのよ。実験に支障が出るわ」

「騙す? 実験?」

 更に眉根を寄せる聖騎士長に、剣の間合い一歩外の位置で止まり、話を続ける。

「そうよ。偶然迷子になっていた魔族の子供騙して、この家に閉じ込めてるのよ。魔物の調査をするためにね」

「何故そんな事をする?」

「決まっているでしょう? 帝都にまで行ったけど、魔物の生態系は調べられていたけど、魔族の生態系は全くおざなりな程度の情報しかないんだもの。だからこうして魔族の子供を騙して調べているんじゃない。上手く騙せたおかげで良く懐いてくれているわ。とても実験に協力的よ」

 何故かしら? 全て事実だと言うのに、どうしてか腹立たしいと感じる。もしくは後ろめたさを感じる。何故私はこんな気持ちになっているのかしら?

「魔族を調査して、論文の一つでも書ければ、冒険者なんて仕事を辞めて、帝都で研究者として雇ってもらえるかもしれないわ。だから誰にも邪魔されたくなかったのよ。変に誤解を受けてこんな風に襲われるのは避けたかったし、訳を話して魔族の子に知られたら、せっかく効率良く実験を進められていたのに、全部台無しになっちゃうでしょ?」

 「解ったら帰ってくれる?」っという様にぞんざいに振舞う。さすがにこれだけで帰ってはくれないでしょうけど、後はリリィを呼び出し、私に従順に騙されている魔族である様に振舞わせれば、取り合えず納得はさせられるはずだ。唯一の懸念は魔族側のリッチが聖騎士と鉢合わせする事だが、それはこの場を乗り切ってから考えるしかない。

「……なるほど。それが事実なら、確かに偉大な実験だろう」

 聖騎士長は頷き、そしてこちらの予想通り要求してきた。

「ではその証を立ててもらおうか?」

「なにかしら? 魔族でも呼び出して、この場で踏みつければ良いのかしら?」

 ……一瞬、首の後ろ辺りがチリッとした。なによ、この感覚?

 それは、もしかすると、私の本能が知らせた危険信号だったのかもしれない。

「簡単だ。私の前で魔族の子の指でも切り落としてくれ? それくらいはできるだろう?」

 聖騎士長は実に真面目腐った表情で言ってきた。一歩間違えれば非道とも言える事を、彼は平然と言ってのけた。まるで踏み絵でもする様に。

「……確かに、人体実験みたいな事も目的にはしているけど、私は生きてる内にとれるデータが欲しいの。痛みや苦しみが伴う実験は不信感を与えるのよ? 戦う事しかしてこなかった聖騎士様には解らないかもしれないけど―――」

「アナタの研究などどうでもいい。私は主神オセリオス様を謀る輩の是非を確認する。それが仕事であり、天命だ」

 理詰めの説得は無意味。そう悟るしかなかった。良くも悪くも、聖騎士という物は宗教信者だ。神の名の元に従う物は全て善。それ以外は全て悪。悪は同族であっても斬り殺す。そう言うお堅い思考の持ち主なのだろう。

 だからこそ、魔族の研究をしていると言って、それが魔族を滅ぼす為だとのたまえば、少しは時間が稼げるのではと踏んだのだが、何事も上手くはいかない物だ。

 ―――元々、こっちの分が悪い状況なのだから仕方ないのだけれど。

 これも一応は予想の範疇。あまり好ましくはなかったけれど、実行するほかない。

「……リリィ、出てきなさい」

 名を呼ぶと、扉を少しだけ開いて、こちらの様子を窺う様にするリリィ。珍しく気を使ったのか、いつもの浴衣姿にローブを纏い、フードで頭の角を隠している。金色の瞳も、フードの下に隠し、目立たぬようにしている。

 私が手招きすると、リリィは素早く移動し、私の腰にしがみつく。私に隠れる様にして聖騎士の様子を窺う。

 ちょっと意外だったのは、行動の割にリリィに怯えた様子がないと言う事だ。むしろ警戒心を持っているように窺える。腰を掴む手の力の入り方がいつもと違い、しがみついているようで、私を抱えるようにしている感じがした。いざと言う時は私を抱えて飛び退くくらいはやってのけるのだろう。

 本当にそうされると困るので、私はリリィの頭を軽く撫でてやり、諌め、しゃがみ込むとその手を取る。ポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、リリィと聖騎士長に見せる。

「いくら協力的と言っても、痛い事には違いないわ。生き物を相手にするんだから、どうしたって準備は必要よ」

「良いから速くやれ。いや、その前に本当に魔族の子かどうか確認させろ」

 言うが早いか手を伸ばす聖騎士長。素早く反応したリリィは、その手を払い、私の背に隠れる。聖騎士長の手に、小さく青い燐光が散った所を見ると、それなりに強く弾いたようだ。少なくとも手の甲が腫れるくらいの力加減だろう。

「貴様……っ!」

「今のはアナタの不注意よ。飼い主以外が獣に手を伸ばして大人しくしている訳がないでしょう? 獣の扱い方も知らないのなら余計な手出しをしないでちょうだい?」

 険しい表情になり掴みかかろうとした手を先に掴み取り、先に言い募る。聖騎士長は舌打ちして手を振り払うと「さっさとしろ!」と急かす。

 言いたい事はあったがこちらも黙って従う事にした。もう一度リリィと正面から向き合うと、フードを外す際に顔を近づけ、こっそり耳打ちする。

「……痛覚、遮断、指」

 あまり多くを語って聞かせる事は出来なかったが、事前に話し合っていたので、これだけでも察した様子だった。

 フードが外れ、リリィの銀髪、角、金眼、そして白い肌が露わになる。角さえなければ、むしろ天使の様だとさえ感じる姿に、しかし、聖騎士長は隠す事もない嫌悪の表情を浮かべていた。

「さっきも言ったけど、獣の扱いは大変なものよ? 下手に手を出して私の手柄を潰す様な事をしないでちょうだい? 結果次第では人類の、ひいてはオセリオス様のためになる可能性が大きいのだから。それとも、アナタの主観で、勝手をして、オセリオス様の不利益になる様な事を、聖騎士長様はなさるのかしら?」

「……っ! 我を愚弄するな! 辺境とは言え聖騎士長の座を預かる身! 一時の感情に流される事などあるものか!」

「なら、黙って見ていなさい」

 釘は充分に刺した。

 もう一度リリィと視線を合わせ、安心させる様に頭を撫でながら額同士をくっつけるようにしてすり寄る。そうするポーズの中で確認を取る。

「幻覚……」

 長く喋れば怪しまれるので、単語だけを呟き確認する。リリィの目が一瞬だけきょろり、っと、周囲を窺い、すり寄るフリをして首を横に振るう。

「隠れ、てる、のは、無理……」

 小さな声が耳元をくすぐる。視覚に捕らえられる範囲にしか幻覚を見せる事は出来ないらしい。なら、指を切った幻を見せる事は出来ないと言う事。仕方がない。なら、最初の提案通り、痛覚遮断した指を切り落として見せ、その後治癒魔法で回復する。幸い魔王の彼女は、重要器官以外なら再生は可能らしい。指程度ならなんとかなるだろう。

「リリィ、ごめんなさいね? 私の仕事のためにも、アナタの指が必要になってしまったの? だからアナタの指を分けてくれるかしら?」

 わざと言葉にして聖騎士長に聞かせつつ、リリィが痛覚遮断の魔法式を組む時間を稼ぐ。少しばかり迷う動作を取ってから、「うん」の返答で準備が出来た事を伝えてくれる。

「ママ……」

「何かしら?」

「ギュッ、と、してて、良い……?」

「……ええ、構わないわ」

 そう告げて彼女の左手を掴み取る。小指だけを出させる。リリィは右手を私の左手に絡めるようにしてしがみついて来た。その眼はとても怯えていて、これから起きるであろうことに不安を覚えているようだった。

 不思議な事もある物だと感じる。以前聞いた時、彼女は痛覚に対する恐れも殆ど無いと語っていた。魔王の知識には、痛みの恐怖も存在したらしい。記憶は受け継いでいないと言っていたので、感情などに近い痛覚の記憶などはない物とばかり思っていたが、彼女が言うところ『魔王の知識』とは、魔王が『魔王』を名乗れるだけの必要な物を全て詰め込んである物の事を差すようで、痛みの記憶も、戦いの緊張感も、ちゃんと揃っているとの事だ。

 だが、この様子だと、やはり実体験として記憶している訳ではないようだ。精々、バーチャルゲームで味わった程度の感覚なのかもしれない。少々気の毒に思いながらも、必要な事なので、私は彼女の指を切り落としに掛る。

「……」

 一度、視線が合った。指に刃を当てたタイミングで、彼女の様子を確認するため向けた視線が、バッチリ合ってしまう。恐怖と不安に濡れた眼差し、多少力が入ってしまっている右腕。訪れる瞬間に全身で恐れていながら、それでも彼女うは逃げようとも、抵抗しようともしない。

 思う。何故この子はこうまでして、私の事を信じるのか?

 この子にとって私とは、母とは、それほどに大切な存在だと言うのだろうか?

 ふと思い出してしまう。私の記憶にある限り、母という存在は、そこまで絶対だっただろうかと、その思考に耽ってしまう。

 

 

 私の家は母子家庭だった。父がどうしたのか、仏壇に飾られた写真を見れば、幼心にもなんとなくは理解出来た。

 母は優しく、毎日一生懸命働いて私を育ててくれていた。いつも笑顔が絶えず、一度だって私に淋しいと思わせる事はなかった。

 私はそんな母が大好きで、幼い頃から母のために何かできないかと、良く良く考えていた。だから良い子であろうとした。母はいつも私に良い子になる様に言っていたから、それが母の望みなのだと思い、そうあろうと努力していた。

 いつからだっただろうか、母があまり笑わなくなり、家で辛そうな表情ばかりする様になった。毎日当然の様に作っていた料理は、コンビニのお弁当に変わり、洗濯物は溜まっていき、部屋の掃除もろくにしなくなった。十畳一部屋のアパート暮らしだった事もあり、部屋はすぐにゴミの山になった。

 日に日に(やつ)れ、美しかった笑顔を忘れて行った母に、私は何かできないかと必死に考えた。きっと仕事が忙しいのだ。きっと私の知らないところですごく大変な目に遭っているんだ。そう考えて、私は家に帰ってきている間だけでも、母のために何かが出来ないかと、必死に努力した。

 小学三年生の時、思い出した。そう言えば前にテストの点が良かった時に母が喜んでくれた。私は必死に勉強し、小テストの点数を百点を取った。正直出来過ぎだと当時の自分でも思ったほどだったが、これで母が喜んでくれるのなら何でも良かった。帰ってきた母に報告した。母は、「そう……」とだけ返し、机に突っ伏してしまった。私は落胆した。母は元気になってくれなかったと。

 いや、違う。きっとこれではなかったのだ。母が笑わないのは、嬉しい事より辛い事の方が多かったからだ。だからもっと嬉しい事をしてあげれば、また昔の様に笑ってくれるはずだ。いつの間にか自分が子供である事を自覚していた私は、想像もできない母の苦労を思い、彼女の憩いとなるべく、努力した。

 子供の頃、母は私が初めて作った料理を喜んで食べてくれた。焦げも多く、べちゃべちゃとしたオムライスだったが、それでも母は喜んでくれた。今の私ならもっと美味しい物を作れるはずだ。毎日練習し、自分でも満足のいくで気になって、母に振る舞った。母は黙々と食べ、終わるとまた突っ伏して眠った。これでも足りないみたいだ。

 誰かが言った。部屋は綺麗な方が元気も出ると。私は急いで部屋の片づけをした。一緒に洗ってはいけない物を一緒に洗ってしまったり、洗剤の量を間違えて仕事を増やしてしまったり、ゴミの分別が解らず、近所のおばちゃんに叱られたりした。部屋から虫が大量に出てきた時はさすがに本気で泣いてしまった。それでもがんばって掃除した。母は気にも留めなかった。綺麗にするだけじゃ足りないと思い、内装にも気を使うようにした。母は布団で寝る様になった。でも、笑顔は戻らなかった。

 近所で母の悪口を言う人を見かけた。母を苦しめている原因を見た気がして、これをどうにかしようと考えた。ただ追い払うのでは母を余計に苦しめてしまう。もっと社交的に、人心掌握術の様に、上手い交渉術を用いて親しく振舞った。近所からの人気も出て、母を悪く言わない様に上手く誘導した。でも、母は笑わない。

 中学一年生。私は少し参っていた。どうしたって母は笑ってくれない。私がどんなに頑張っても母は笑ってくれない。次第に私には母が何を考えているのか解らなくなってきた。彼女は一体何を考え、どう言うつもりで日々を生きているのだろう?

 しかし、その疑問は今度は私に返ってきた。私は一体何をしているのだろう? 母を嗤わせるために日々努力して入るが、その努力は一体何処に向かう物なのだろうか? 母が笑ってくれた時、私は何かを手に入れられるのだろうか? 母が笑う事は私の幸せだ。それは間違いない。だけどその先は……? 考えれば考えるほど、私がやっている事はただの行き止まりに思えてならなかった。

 母と会話をせず、一体どのくらいの日々が過ぎたのだろうか? 私は母のためにアルバイトまでする様になった。お金を入れれば少しは生活が楽になる。生活が楽になれば、母にも余裕が出てくるはず。そうすれば……、そうすれば……?

 もう私は行き止まりの疑問から眼を背けられなかった。

 母に素直な気持ちを言いたかった。気持ちを伝えれば、何かが変わってくれるかもしれないと思った。でも、大切な人が相手だったから、素直な気持ちを伝えるのは怖かった。どうなってしまうのか解らなくて、試しに私はクラスでそうするようにして見た。処世術を止め、ただ素直な気持ちを口にする様にして見た。当然の様に皆離れていき、関係性は険悪になった。他人がいくら離れたところで私にはどうでも良かった。だからそのまま関係の改善は求めなかった。でも、母を相手に同じ事をしても関係が悪化するだけなのだと思うと、どうしようもなく気持ちが暗くなった。

 ある日、終わりは突然やってきた。それは些細な母の呟き。いつものように、母に喜んでもらおうと頑張った功績を語る私に、十年近く、会話らしい会話をしてこなかった母が呟いた、たった一言。

「そんなに惨めな母と比べるのが楽しいの?」

 母はそれだけ言って布団に潜り込んで眠ってしまった。私は固まったまま何もできずにいた。そして悟った。

 ―――私のしてきた事は……、無駄だったんだ……。

 以来、私は母のために何かをする事を止めた。絶望したわけではなかった。不思議と落胆したわけでもなかった。ただ、解らなかった。何故、母がああなってしまったのか、母はどんな気持ちで自分を育てていたのか、自分のしてきた事は、母にどんな風に移っていたのか……。何もかもが解らなくなって、そして、空虚に感じた。母親というのは一体何だったのだろう? そんな疑問を抱きながら、もう答えを求めて探す気力も湧いてこなかった。ただただ空虚な日々の中で、私はたった一つの疑問を持て余した。

 一体、私は母に何を求めていたのだろう?

 

 

「……こう言うの、だったのかもね」

「?」

 私を見上げるリリィが疑問の表情を浮かべる。

 手を放してやり、立ち上がるとリリィを見下ろす。彼女の瞳に映る自分が微笑んでいる事に少し驚きながらも、もう指を切る気にはなれなかった。

 ―――母さん……、アナタが何を思って私を見捨てたのかは解らない。偽りの母である私が、この子に何かをしてあげられるなどとも思わない。ただ私は……。

 あの時欲しかった物を、この子には渡して上げられるようになりたい。そう考えた。

「まったく……、私もバカね……。何事もなく安全な方法が目の前にあるって言うのに……」

 私は未だ訝しむ周囲を無視してリリィを見下ろしながら言う。

「リリィ、私が人間を傷つけるな、って教えた事、憶えているかしら?」

「うん……」

「そう、良い子ね。偉い子ね。私の言い付けをちゃんと聞いてくれているのね」

 私は、いっそ清々しい気持ちで、自ら、踏み絵から、足を退けた。

「アナタが人を傷つけないと約束してくれたのに、私がアナタを傷つけるわけにはいかないわね。これでも、アナタの母親なんだから……」

「ママ……!」

 花が咲く様に笑うリリィ。私は一瞬で腰の杖を手に取り展開。こっそり編み上げておいた術式を解放し、周囲一帯に炎の魔法を放つ。目暗まし暗いにはなるはずだ。

「貴様ッ!」

「リリィッ!」

 私はリリィの手を掴み走り出す。逃げられるわけがないと解っていながら、それでも私はこの子の手を掴んで、悪あがきする。もはや死の宣告を受けたに等しい状況で、それなのに私は別の事を考え、必死にリリィへと伝える。

「リリィッ! 良く聞きなさい! この先何があっても、絶対に人を傷つけてはダメ!」

「ママ……ッ!」

「何があってもよ! 人前では、アナタはマステマ(、、、、)ではない! ただのリリィ(、、、)! だから絶対に、絶対にアナタが人を傷つけてはダメ! この約束だけは絶対に守って!」

 一瞬影が差した。振り向き様に魔法を放ったが、牽制にもならず躱された。眼に映った敵は軽装備の聖騎士三人。対人戦闘を想定していたのか、手に持つ武器は細身で軽い剣。魔物相手では致命傷を与えられず、効率が悪いとされる武器だが、対人戦となれば厄介な代物だ。しかも重装備が当然の聖騎士の鎧を最小限に収めている。この速度の敵を相手に、魔術師私が勝てる気はしなかった。

 覚悟を決めて、私はリリィにだけ告げる。ただただこの子を愛おしく思いながら。

「約束よ、アナタが『役割』を果たすために、私はそうあってほしいと願っているから」

 次の瞬間、私の全身を刃が掛け巡る。遮断しきれない痛覚が襲い、大量の燐光を噴き出す。いくら加護の量が多くても、致命傷を受ければ、大量の加護を一度に消費し、時には一瞬で使い果たす。私の加護も、一瞬で全て奪われ、地面に倒れ伏す。最後に視界に移ったのは、意外と青い空と、聖騎士の刃だった。

 

 

 単なる転寝のつもりが随分眠ってしまい、店員に起こされてしまった。さすがに迷惑をかけたお詫びに、目覚めの飲み物でも頂こうかと思っていた矢先、突然、店に飛び込んできた立花が俺を見つけると大慌てで飛びついて来た。

「鈴森! 良かったここに居て……!」

 随分慌てていたから何事かと思ったが、次に言葉ですぐに目が覚めた。

「大変なの! 何か姫川が噂の魔族の子供を匿ってたとかで、聖騎士連中に捕まったって!」

 注文するまでもなく、冷や水をぶっかけられた気分だ。

 立花に連れられ、慌てて外に出て、通りを確認すると、鎖に繋がれ、ボロボロにされている姫川の姿が見受けられた。聖騎士達に囲まれ、両手を鎖で縛られ、無理矢理歩かされている。髪は汚れ、服のあっちこっちが無理矢理引っ張られた様に千切れていたり、刃物が通った様に鋭く切り裂かれていたりしている。随分痛みつけられたのか、顔が少し俯き加減だが暗い雰囲気にはなっていない。周囲を見るのが面倒で俯いているという感じだ。

 その腰にしがみついているのは、同じく鎖に繋がれたリリィの姿。不安そうに視線を彷徨わせながら、周囲に仕切りに視線を向けている。どうして魔王の筈のリリィが捕まり、大人しくしているのかは解らないが、二人が捕まっている事は事実のようだ。

「やばいよ! アイツ等さっき、姫川が魔族を匿った罪とかで、纏めて処刑するって言ってたんだよ! ど、どうしよう鈴森~?」

 どうするって……、どうしたらいいんだよ? そんなの底辺の俺が解るわけないだろう? リリィは魔王だ。こんな辺境な街で見つかっても、彼等に捕まる心配はしていなかった。むしろリリィが誤って誰かを殺してしまわないかの方が心配だった。それがどうしてこんな事になっているんだ?

 解らない。分からない。まったく判らない。この状況も、俺がどうするべきなのかも、どうしてこうなってしまったのかも。

 腹の下辺りが妙に冷えて痛くなっていく。指先が痺れ、眩暈がしてくる。過呼吸をしているかのよう頭の中に酸素が足りない様な錯覚を得る。どうしていいのか考えが纏まらず、ただ呆然と見る事しかできない。

 不意に姫川と視線が合った。謎の衝撃が俺を襲う。

 姫川が薄く笑った気がした。そう思った次の瞬間、俺は右腕を誰かに掴まれた。

「よせっ! 何をするつもりだった?」

 いつの間にか現れた弘一が、俺の腕を掴んでいる。弘一こそ何を言ってるのかと思い、掴まれた腕を確認した。俺の右腕は、腰の短剣の柄をしっかり握っていた。

「姫川さんのことで熱くなってしまうのは解る。でもダメだ! 今ここで出て行っても何にもならないぞ」

 強く言い募り、しきりに俺を押し止めようとしている。

 ―――ちがう……っ!

 自分がしている事に気付き、俺は恥ずかしくなって余計に血の気が引いた。まるで言い訳を探す様に巡らせた視線が姫川へと向かい―――リリィと視線が噛み合った。その瞳が、探していた物を見つけた様に僅かに和らぎ―――、

「!」

「鈴森君ッ!」

 俺は駆け出していた。リリィの視線から逃れる様に……、いや、逃れるために走り出した。何処でも良い。ここではない何処かへ、彼女達の結末を見なくて済む何処かへと逃げたかった。

 恥ずかしい。恥ずかしくて死にそうだ。情けなくて情けなくて仕方がない。短剣の柄に手を掛けていたのは無意識だった。弘一はそれを俺が姫川を助けるために飛び出そうとしていたように見えたのかもしれない。でも違う。アレはポーズだったんだ。俺は無意識に、自分に言い訳するための行動に出ていた。助けたいと言う気持ちはあった。でも、あの場で飛び出しても何の意味もなかった。だから我慢していたと、俺は自分に言い訳し、納得するためのポーズをとっていたんだ。俺は狩人だ。本来の武器は弓だ。もし本気だったのなら短剣なんかじゃなく、肩に引っかけた弓を握っていたはずだ。

 なんて浅ましく情けない姿。恥ずかしくて仕方がなかった。二人を助けたい気持ちは嘘ではない。だが、俺には助ける気はなかった。俺が何かしても助けられるわけがない。むしろ余計状況を悪くするだけだ。だから俺は早々に諦め、苦い罪悪感に苛まれていれば良かったのだ。リリィが俺を恨むかもしれないと恐れるなら、荷物を纏めて逃げだせばよかったのだ。なのに俺は、わざわざポーズを取った。その意味するところなど一つ。格好つけたかったのだ。自分は決して二人を身捨てたかったわけではないと、言い訳したかったのだ。俺が最も嫌いな行動を、己がやった事に嫌悪を感じる。

 俺の脳裏に、嫌な記憶が甦る。もう思い出したくないと思っていた、あの男の記憶。

 

 

 俺は父に憧れていた。子供の頃から、ユニークな物言いをする彼が、大人のように思えて憧れた。彼の言っている事は解り難かったが、難しい事を言える彼と、俺も同じだけの理解が得られた時、きっと大人の仲間入りを果たせるのだろうと思い、ずっとあこがれ続けていた。その事に違和感を覚え始めたのはいつのころだったか……。予兆は随分早くに感じていた。ただ、それは俺がずっと感じていた難しさであって、子供の俺が理解できない事なのだろうと、考え、むず痒い気持ちを覚えるだけだった。

 俺は彼に嘆いた。「友達ができない」と。彼は訊ねた。「お前の友達と言うはどう言う物を友達というか」と。俺は答えた。「他人を思い、嫌な事をしないよう心掛ける存在であり、仮に喧嘩しても仲直りできる相手の事」だと。そして彼は断じた。「お前のそれは友達じゃない。親友というんだ。お前は高望みしすぎている」のだと。俺は黙した。違うと思いながらも、子供の俺には何がどう違うのか伝える術がなく、大人である彼の言葉は真実である様に思わせた。返す言葉が見つからず、納得できない気持ちのまま通り過ぎた。

 ゲームをしている時にも、その違和感は生まれた。オセロをしている時、俺は一度も彼に勝てた事がなかった。だから必死に学び、必死に考えた。だが勝てない。その度に彼に学んでいた俺に、ずっと気に入らない一言があった。「お前は詰めが甘い」だ。最初は気に止めなかった。次こそは次こそはと考え、気を抜かずにやり続けた。実際、続けて分かってきた事だが、どうも自分は考える以前に、知らない事が多過ぎるようだと感じた事だ。当時は言葉にできなかったが、盤面全体を見て、次の手を予想する事が俺にはできなかったと言う事だ。次に自分なら何処を打つか? その予想と相手が実際に打つ場所がまったく重ならない。予想する以前に、俺には足りない物があると言う事だった。それをようやっと理解した時、行く度重ねられた彼の言葉が違和感となって現れた。「だからお前は詰めが甘い」……。何かが違うと、俺の中で違和感が強くなる。

 中学生に上がる頃には、彼の違和感は気持ち悪いほど大きくなり、もっともらしく解り難い言葉を吐く彼と、そりが合わなくなっていった。何を言っているのか、だんだん意味が解らなくなり、それを理解しようとする苦痛に耐えられなくなったのだ。

 時たま、彼と母が喧嘩する声を聞く様になり、色々な事が上手く行っていない様な忌避感を覚え始めた。次第に俺も違和感の正体に気付き始めた。彼という存在に憧れたにも拘らず、どうしてこうも忌避感を抱くのか、そもそも父とはどう言った存在だったのか? 見える事の少ないその背中を追いかけ、分からない答えに苦しんだ。そして気付いてしまった。俺は殆ど彼と遊んだ事がなかった。家に殆どいないのだから仕方ない事だと思っていたが、キャッチボールの様に、彼と遊んだ記憶がとても希薄で、今思い返しても、一度、二度あったかどうかだと言う回数だ。自分に構ってくれたのはずっと母だった印象が強い。

 彼は決して悪人ではない。なのにどうして自分の家族としての彼は、こんなにも印象が弱いのだろうか? その疑問の答えに辿り着いた時、とても空虚な気持になった。

 そうか、彼は良い人間であったかもしれないが、良い『父親』ではなかったのか……。

 家族の中で最も仲の良い他人を前にして、俺の憧れは霞みの中に消えてしまった。

 彼を嫌いになった。それでも俺は、彼を悪人には出来なかった。理解し合えないのは、足りないだけで、いつか分かりあえる時は来るのだと思っていた。それでも、俺がいくら考えても、彼を理解するには至れず、少なくなった会話の中でポツポツ語り合ってみた事は、結局理解不能で完結してしまう。盛大に自信をなくしかけている最中、ついに母が限界を迎えた。

 切欠は些細な事だった。確か、ネットの接続回線の変更だったかの契約をしてほしいと、彼が母に頼んだ事だった。最初は頑張っていた母だったが、元々機械だとかそう言うのは、極端にイライラしてしまう程苦手な人だった。それでも快適になるからと、彼とぶつかりながらも進めて行って……、ついに堪え切れず蹲った。俺の前で、彼と喧嘩し、疲れ切った母が蹲る姿に、俺の中で何かが悲鳴を上げた。

 その日、俺は初めて彼と喧嘩をし、必死に自分の訴えと望みを口にし続けた。

 彼が悪人だと思っていた訳ではない。ただ、良かれと思って頼んでいる事でも、他人にとっては苦痛となり得る事もあるのだと知ってほしくて、アナタの言っている言葉は、例え正しくても、最善ではないのだと、そう分かってもらいたくて、拙い言葉を駆使して、必死に訴えかけて―――そして盛大に失敗した。

 それからしばらくして、母は嘗て父であった彼と離婚した。

 俺は失望していた。分かってくれなかった彼にではない。彼にも解る様に言葉を紡げなかった自分が悪いのだ。だからその事には何も失望していない。だが、離婚の話を持ちかけたのも、家を出て行く決断を下したのも、俺を引き取る事を言い出したのも、全ては母だったと言う事に、失望の念を隠せずにはいられなかった。彼は全てを承諾し、俺達が出て行くのを見送った。最後に口汚く母を罵って……。ただの一度も、俺の事を口にせず。離婚の原因は全て母にあるかのように睨みつけた。不和はあった。もっと早くから。それに彼も気付いていたはずなのに、それに対して何もしてこなかった。ただ一度の改善を求めず、自ら断ち切る事も言い出せず、亀裂が入る関係を、維持できるなどと思い上がり、最後には他人に見捨てられておきながら、その責任すら押し付けた。そんな彼に失望した。

 そして俺も、何もできなかった。決して彼は悪人ではなかった。彼には彼なりの善意があり、正義があった。俺にだってそれは解っていたし、上手く折り合いを付ける事も出来たように思える。明確には解らなかったが、漠然とになら、その答えが俺にも見えていた。だからきっと、それは不可能ではなかったはずだ。

 それを俺が全て壊してしまった。充分にあった可能性を、決して辿り着けない未来ではなかったはずの道筋を、俺の拙さと、身勝手さで壊してしまった。

 俺だって考えていた。一杯考えて答えを出していた。でも、俺が出す答えは、いつだって遅く、後になってからだった。話し合いの場で出せない答えなんて、何の意味もない。

 俺には、何かを変える力なんて無かった。俺は、何もするべきではなかった……。

 

 

 息が上がり、疲れ果てて膝を付く。地面に落ちる汗の量を意外に思いながら、己が浅ましさに打ちひしがれている。肉体が疲れたおかげで、頭を回す余裕が無くなったのだろう、思い出していた過去は断ち切られ、頭の中は不思議とすっきりしていた。

 なのに、頭の中で姫川の顔だけがちらつく。

 言葉は見つからず、何をしたいのか定かではない。いや、答えなど分かり切っている。底辺の俺が何かしても、また何かを壊すだけだ。失敗するだけだ。分かっているはずだ。あの男の一件だけではない。アレからも俺はずっと頑張った。分からない事を解らないなりに色々考え、怖い思いを我慢して、周囲に怯えを気取られぬように堪えて来た。堪える事だけが、俺が唯一やれる事だったから。それでも俺は失敗した。何度となく失敗した。失敗に失敗を重ね、自暴自棄になりそうな中で、トドメには「必死になっている様に見えない」とまで言われ、自分の中にあった何かが完全に失われたのを自覚した。

 何もしてはいけない。底辺の俺が何かしようとすれば、必ず誰かの足を引っ張る。だから俺は何もしてはいけない。何かをしようなどと、考えてはいけないんだ。

 だから考えるな。考えてはいけない。考えたところで、どうする事も出来ないんだぞ。

 それとも、あの男と同じように、自分は悪くない言うために、せめて処刑上でも見に行くのか? 何かはしたと言い訳するために、無謀な殴り込みでもしに行くのか? そんなポーズはもうやめろ! そんなポーズで誤魔化すくらいなら、底辺らしく毛布を被って情けなく蹲っていればいいんだ!

 もう諦めろ! 諦めるしかないんだ! 俺にはどうする事主出来ない! あの『司書』だって言っていた事だ! 俺達は決して選ばれた存在でも特別な存在でも無いって!

 ―――だから……っ!

「………」

 顔を上げた途端、真っ暗闇に浮かぶ輪郭に、不思議なぐらい気持ちが静かになった。

 信念もない。執念もない。漫画の主人公じゃあるまいし、何かを成せる力も答えも持ち合わせてはいない。だから俺は、リリィの眼差しから逃げた。彼女の親になりたいと抱いた気持ちを裏切り、失望されるのを恐れて逃げ出した。

「そう思ってたんだけどな……」

 ならどうして、俺はここに居るんだ?

 俺達の、リリィが作った俺達の家に、何故俺は来てしまったんだ?

 分かっているはずだ。ここは逃げる場所には向いていない。だって俺は忘れていない。ここにいれば、彼女(、、)が訪れる可能性がある。彼女(、、)に見つかって、問い詰められないわけがない。逃げるつもりだったのなら、ここに来てはいけなかったのだ。

「じゃあ、どうしてここに居るんだろうな……」

 背後に、何者かが降り立った気配を感じ、俺も立ち上がる。

「そんなの決まってるよな……」

 俺は底辺だ。バカな選択を何度も重ね、懲りもせずに同じ過ちを繰り返し、頭で解っていても愚かな選択肢を選び続け、他人を巻き添えにして自爆する。それを解っててやっている性質の悪い存在だ。

「力を貸してほしい」

 振り返りながら、俺は強く求める。

「何もできない俺に、リリィと姫川を助けられるだけの力を、どうか貸してほしいんだ」

 振り返った先、骨の様な白い髪と、鮮血の様な赤い瞳。血を通わせていない青白い肌に、彼岸花の意匠を施された着物に身を纏う、大鎌のリッチは、銀月に照らされながら、俺を睥睨していた。

 

 

 私達が捕まった翌日。処刑執行日。日が最も高くなる時間帯。私は久しぶりにリリィの顔を見た気がした。教会の牢屋に入れられている間は二人とも離されていたから。

「アナタまだそこに居たの?」

 『ファーストウォーク』の中央広場に設置された処刑台の上で、大人しく鎖に繋がれてるリリィを見て、開口一番にそんな事を言ってしまう。私を連れてきた聖騎士が訝しむ様子を見せていたり、周囲に街から集まった住民の視線を一身に浴びたが関係ない。

「ママ、助けなく、て、良い……、って言った……」

「言ったわね」

 ここに連れて来られる最中、ついそんな事を言ってしまった。自分でも半ば自棄になっているような気もする。でも、今のこの子の力では、おそらく私を連れて逃げ出すのはちょっと難しいかもしれない。だから私は遠慮したのだが……、それにしたって、私も自分に対して投げやりではないかしら? 私はいったい何を期待(、、)しているのだろうか?

「でも、アナタまでここに居なくて良いのよ?」

「ママも、一緒……!」

 二人でないと逃げる気がない、っと……? 困った娘ね。

「一度逃げてから、後で助けに来る事も出来たでしょうに?」

「ママと、一緒……!」

 なんで私、こんなにも好かれているのかしらね? 私、この子に特に何もしてあげていないと思うのだけど?

「おしゃべりはそこまでだ」

 いつの間にか現れた聖騎士長が私を繋いだ鎖を引く。よろめきそうになったが、良い様に扱われるのも嫌だったので、しっかり踏ん張る。彼は私とリリィを観衆から見える位置に連れて行くと、高らかに叫ぶ。

「これより、この街の結界を超え、侵入してきた悪しき魔族と、愚かにもその手引きを行った背信の徒の処刑を執り行う! 我らが主神オセリオスに代わり、聖騎士長アインヒルツ・ルストリウフが断罪す!」

 こう言う口上、私達が上げられる前から騒いでいた気がするけど、そんなに長々と必要なのかしらね。私も死にたいわけではないから時間を掛けてもらうのは全然構わないのだけれど。

 未だに私の事を何か言っているらしい聖騎士長を尻目に、私は観衆の方へと視線を向ける。目的の人物は今何処でどんな顔をしているのだろうか? それがとても気になったのだが、中々見つける事が出来ない。何人かクラスメイトを見つけた。移住派が多いこの街では、私の事を半ば見世物程度にしか思っていない様な者もいた。だけどあの分かっていない表情、どう考えても本気で処刑されるって思ってない顔かもね。まあ、最後まで他人事で通しそうな顔もちらほらいるけど。あら、氷室くん達も来ていたのね。皆一様に顔を蒼白にしている中、氷室くんだけが聖騎士に何か掛けあっている。

「頼む! せめて話をさせてくれ! 彼女は俺達の仲間だったんだ! 魔族のスパイなんて思えないっ!」

「も、もしかしたら、操られてたりとかさ? そう言うのあるんじゃないのっ!」

 口々に何か言ってるようだが、聞く耳持たずにあしらわれているようだ。実際問題、私は魔族と繋がりがあるわけだし、人類の敵と言ってもおかしくないのかもね?

 そう言えば、私いつの間にか神様を敵に回す気でいたのよね? そしたらこれって割と尤もな立ち位置なのではないかしら? 改めて自分の事を振り返ってみると可笑しくなってきた。しかし、探している人物の顔が何処にもない。こう言う時、どんな顔をするのか見てみたかったのだけど……。

「まずは裏切り者の処刑! その後、我らが同胞を(かどわ)かした罪深き魔族を、我が剣によって浄化する!」

 今更ながら思う。このパフォーマンスって、つまり教会の権力を高める効果も望まれていたらしいと気付く。そんな事に使われるのはさすがに嫌な気持ちが過ぎる。まあいい。こっちも奥の手は既に使っている。もしもの時が起こっても問題はない。っとはいえ、初めて使うから不安はある。それでも、今後の事を考えると一番安全な方法とも言える。残る問題は……。

 鎖がまた引っ張られる。無理矢理前に出され、膝を付かされる。頭を押さえられたので首でも落とすのかと思ったが、剣を持った聖騎士長は私の後ろに立っている。どうやら切るのは背中で、その後、首を切断し死を確定的な物にすると言う事らしい。ここからはもう待った無しという感じに聖騎士長は剣を振り上げる。氷室くん達が何か叫んでいる。私は探した。最後に見たい顔を探した。だが見つからない。ちょっと楽しみだったのだけれど、いない物は仕方がない。私は最後にリリィへ視線を向ける。リリィは不安そうな表情だったが、無理したように固い笑顔を作った。

「ママ、大丈夫……、きっと、パパ……、来てくれるよ……」

 いや、それはさすがにどうなのかしらね? この場面で助けにこれたら恰好良いのかもしれないけど、彼にそれが出来るとは思えないし、私、一緒に死なれて喜ぶタイプじゃないのだけれど……。

 死が迫ると言う最中で、私は何故か妙に緊張感を抱かぬまま呆れ返った。

 次の瞬間、光の反射で剣が降り降ろされるのを感じた。

 ヒュゥン……ッ! 風切り音。 ギィン……ッ! 金音。

「……?」

 自分のすぐ頭上からした金音に、私は疑問を抱く。この身を切る筈だった刃の痛みは訪れず、思わず向けてしまった視線の先には、折れた処刑用の刃を手に、呆然としている聖騎士長の姿。床には折れた刃の切っ先。彼等の奥、処刑台の後ろ側にある建物に、小さく深い穴が空いているのが見える。

 まさか? っと思い正面を向く。

「道を開けろっ!」

 怒号に等しい叫び声。観衆の最後尾で、探していた彼が、弓を構えてそこに立っていた。

 

 

 処刑が始まるより以前、絶望リッチさんと再会を果たした俺は、事情を全て説明し終え、彼女に協力してもらう事を受け入れてもらった。しかし、街の結界内に入るには、初代魔王の頃からお仕えしたと言う、彼女の力をもってしても大事になってしまう。最初はそれでも良いかと考えたが、一度壊れた結界を修復するのは十日以上の時間を有するとかで、あの街にクラスメイトがいる事を考えると、ちょっと推奨しかねた。なので、もう一つの方法をリッチさんに頼んだ。そしたら、何か腕を噛まれた。

「痛い痛いイタイッ! リアルに物すっごく痛いッ!」

 『精霊の書』を操作して、敢えて加護が発生しない様にしているのだが、これが絵面以上に痛みが伴う行為だった。右腕一本、噛まれた場所から別の物へと変質して行く違和感に、恐怖を感じながら必死に耐え、ようやく終わった時には、自分の右腕が、もう自分のものではないのだと感じた。

「これでアナタの右腕は半魔族化したわ。っと言っても一時的になのだけど。アナタ素質が無いのね? たぶん、十年間同じ事を繰り返しても魔族になれないわ」

 なんでかその言葉にショックを受けつつ、確認を取る。

「これで、俺も魔法が使えるのか? 通常よりも強力な?」

「ええ、アナタは素質がないから魔術式を編めない。だから直接身体の内側に魔術式を埋め込んで、魔力を流すだけで発動できるようにしたのよ。それも、アナタが器だと二つしか入れられなかったけど……」

 何か色々俺ってポンコツだったらしい。結構失望されてしまっている。

「私がその腕を半魔族化した事で、私との間にパスが通ったわ。少しの間なら、私とアナタの認識を同一の物として誤魔化せる。アナタは私を連れて普通に結界を潜れば良い」

「その後はどうすればいい?」

「魔王様の力があれば逃げるのは簡単。使えずとも聖騎士長以外は私の敵になる猛者はあの街に居ないもの。聖騎士長さえ倒してしまえば強行突破で逃げる事は簡単」

「じゃあ、後はどう戦うかだけど……?」

「正面から小細工無しにぶつかれば良いわ」

「底辺男子の俺になんて無茶を……、大体俺弓使いなんですけど?」

「この世界で最強の職業を教えて上げるわ。素質が無さ過ぎで誰も選ばない、魔法と弓の使い手。弓魔導師よ。誰も使いこなせなかったのだけどね」

「大丈夫なの? 本当に大丈夫なの?」

「っと言うか、それ以外に何かやらせても、アナタが上手くやれる気がしなくって……」

 完全に納得した。

「ともかく、後はアナタの器に収まるだけの魔力を無理矢理溜め込むだけね。そればっかりは魔術師でも無いアナタにはできないから、私が直接送り込むしかないんだけど……」

 そう言いながらリッチさんは、俺の頬に手を当てる。何をするのか事前に聞いている俺も、緊張で頬が赤くなる。対するリッチさんは少々気遣わしげだ。

死体(リッチ)相手にするのは(はばか)れるでしょうけど、今は許してちょうだい」

「俺の方こそゴメンな。リッチさん、すごく綺麗な人なのに、俺なんかが相手で……」

 一瞬、リッチさんが俺を見て目を丸くする。それから、ほんのり頬を染めて微笑むと、一言呟いてから、唇を寄せる。

「可笑しな人……」

 唇が重なる。想像以上に冷たく柔らかい唇の感触に強張る暇もなく、必要な事なので互いに舌を絡め合う。生まれて初めてのキスがいきなりディープな事に混乱しそうになるが、次の瞬間に、口内に流れ込んできた暴力的な存在に、あっとう言う間に呑まれた。思わずリッチさんを引き剥がそうとしてしまうのを必死に堪え、身体の中に直接叩き込まれる魔力に翻弄される。口移しで水を―――なんてレベルじゃない。口にホースを突っ込まれ、蛇口を全開にされた様な強制感に、もはや何も考える余裕はなかった。身体に流れ込む魔力の圧倒感に支配され、自分がどうなっているのかも自覚できず―――、全てが終わり、唇を放された時に、やっと終わってくれたという開放感から、意識が遠のいた。

「これで魔族との契約は成されるわ。私の名前を教えるわね。人間に呼ばせるのはアナタで二人目……」

 どこか嬉しそうな声が鼓膜をくすぐる。遠のく意識の中で確かにその名前を心に刻んだ。

 

 

 俺は再び弓に矢を番える。弓の正面に、ターゲットサイトの様に展開される魔法陣。右腕に蓄積した魔力を解放。一発分を装填。矢が魔力で黒く染まり、黒の矢となる。

 先に放った一発を見ていた観衆が、慌てて道を開ける。まるで『モーゼの十戒』を思わせる様に二つに割れる人垣に、内心苦笑ながら、俺は二射目を放つ。

「『黒の一閃』!」

 暴発防止の口頭発動式(コマンド)を発声し矢を放つ。放たれた矢は正面に展開された魔法陣に取り込まれ、文字通りの黒き閃光へと変換され、弓のスペックを超えた出力で放たれる。その矢は俺の実力すら超越し、姫川を繋ぐ鎖だけを見事に貫いた。

 甲高い音を立てて砕け散る鎖に、目を丸くして驚く姫川。その顔が何だか以外で、俺は思わず噴き出して笑ってしまう。って、あ……、見えていたのか、思いっきり睨まれた。

 見えなかった事にして俺は駆け出す。その姿を見たリリィが思わず声を上げた。

「パパ……!」

「おうっ!」

 答えながら走る。我に返ったらしい聖騎士長が声を上げる。

「その男を押さえろ!」

 聖騎士長を言いつつ姫川を抑え込もうとするが、素早く動いた姫川も彼の手を掻い潜り、リリィの元にまで駆け寄り、魔法で作り出した雷を放つ。

「『ボルト・レイ』!」

 翳した手から放たれた青い稲妻がリリィを囲んでいた聖騎士を吹き飛ばした。

 本来魔法には詠唱や杖とかは必要無いらしいが、それだと人間の力で発動させる時に時間がかかったり、威力にムラが出たりするらしい。細かい事は俺にも良く解らんが、何も持っていない状態で、一言で済む省略詠唱で魔法を発動させる姫川は、やっぱり才能があるのだろう。アイツ、実はレベル以上に強いとかじゃないだろうな?

 姫川の事を確認している隙に、五人の聖騎士が俺を迎え撃つように正面に陣取る。構わず突っ込みながら叫ぶ。底辺男子を舐めるなよ!

彩華(さいか)! 頼むっ!」

 俺が叫ぶと、物影にずっと隠れていた絶望リッチさん登場。物凄い速度で飛び出し、あっと言う間に俺を追い抜くと、その大鎌で正面から迫ってきた騎士の足を刈り取る。間をおかずに進み出て、まるで生きているかのように鎌を巧みに操り、二人目の首を刈る。そのまま続いて三人目の首も頂くと、舞う様に体を回転させながら、遠心力を得た鎌を横薙ぎに振るう。後ろで咄嗟に警戒していた二人の騎士の両腕を鉄の籠手事あっさりと切り落とした。絶命二人に重傷三名、速度を落とさない俺の正面でとんでもないスプラッタが公開されたよ。容赦無いな彩華さん……。

 彼女の動きは大鎌を使用するためか、振りが大きい。その所為で広がる着物の裾が艶やかで、見た目の美しさも伴って人々を魅了するには充分だった。ただ、その美しさには惚れてはいけない危険な魅力、死の美しさが伴っていたが。正に触れるだけで人を殺す、美しき毒の花と言ったところだろう。

「雑魚は払うわ。どうせ数を相手に戦えないでしょう?」

「ホント迷惑かけてごめん! なんとか時間稼ぐから!」

 そう言って飛び出す。正面にはまた他の聖騎士達が道を塞ごうと進み出てくるが、最初からこいつ等の相手をするつもりはない。わざわざ正面から討って出たのはちゃんと理由があるんだよ!

 彩華が俺の脚を止めようとする騎士団に向かい、次々と大鎌を振るう。驚いた事に、俺は全く速度を落としていないのに、四方から襲いかかってくる騎士団を、素早く先回りして次々と一撃で仕留めて行く。速いとか言うレベルじゃない。圧倒的な強さだ。見ていて気付いたが、大鎌という武器は、武器としては不適切だと聞いていたが、むしろ変則武器として理にかなっている部分も見受けられた。まず第一に、あの独特な形状が防御し難い。盾で防ごうとしても横薙ぎ振るうだけで側面に刃が突き刺さる。上から振り降ろせば一撃で頭に刃を突き刺さり絶命する。なんとか剣で横薙ぎの一撃を防いでも、振るった刃を引けば、今度は背後から相手を切りつける事が出来る。攻撃方法さえ工夫すれば、とても防ぎ難い武器となる。実際彩華の攻撃を剣激で防ごうとした聖騎士が、攻撃を防がれるだけでなく、そのついでで腕を一緒に刈り取られていた。アレは痛そうだ……。

 処刑台前までもう少しという所まで辿り着く。ここまで来るとさすがに聖騎士の数が極端に増え、彩華でも速攻で倒すとはいかないだろう。だが、それで良い。ここまで来る事が俺の目的だった。俺は脇腹の辺りに仕込んでもらった魔法式を一瞬だけ展開。一時的に強化された身体能力を使って超跳躍。密集していた聖騎士を軽々と飛び越え、処刑台へと迫る中、右手の魔法式に魔力を流す。装填魔力一。矢を番えず弓を引き、黒の矢を作り出す。

「『咲くは黒彼岸』!」

 弓の前で展開される魔法陣。放たれた矢が吸い込まれ、八股に分散。花が咲く様に放たれた八つの黒い軌跡が、断頭台に立つ聖騎士長以外の騎士を全て薙ぎ払う。そして着地。丁度リリィと姫川の前に辿り着く。

「お待たせ」

 二人に向かって言うと、姫川は眼を丸くした後、可笑しそうに笑った。そしてリリィは、バギンッ、と、当たり前の様に鎖を断ち切り、俺に向かって飛び込んできた。

「パパ……ッ!」

 背の問題からお腹でそれを受け止めながら、リリィの頭を愛おしげに撫でてやる。リリィの事を充分に労わりながら、俺は姫川に視線を向ける。

「っで? なんでこんな事になってるわけ?」

 姫川ならこうなる前に逃げられたはず。っという疑問を込めて訊ねると、しっかりと察してくれたらしい姫川が、肩を竦める。

「『アブソードシール』それが私のパーソナルアビリティ。効果は、他者の力を封印するもの。魔族に見つかった理由がリリィの魔力を感知された事が原因だったと聞いた時、同じ轍を踏まない様にリリィに掛けちゃったのよ。今この子、外に向けて発動する魔法は全部使えないわよ」

「今、普通に鎖引き千切ってなかった?」

「まったくよね。本当は魔族としての性質とかも色々纏めて封印して、人間っぽくするつもりだったのだけど、この子の力が大きすぎて、封印しきれなかったのよ。仕方ないから、魔力が外に漏れないようにだけしたのだけど……、完全に裏目に出てしまったわ」

「ただの怪力で鎖切れる力があったんなら、どうして二人とも捕まってるんだよ? それだけ力があれば逃げようはあった様な気もするけど?」

「ママ、が……、人、傷つけちゃ、ダメって……」

「『逃げるな』とは言ってなかったのに、結局付いて来ちゃったのよ……」

 なんかこれ……、もっと色々話し合っていたら、未然に防げたんじゃないかって気がしてきたぞ? ってか、姫川さん、死にそうだったって言うのに、なんか妙に冷静じゃありません?

 さすがにここは突っ込もうかと思ったのだが、それより早く、俺達に声が掛けられた。

「あの家を捜索して、共犯者がいるだろう事は予想していた。だからこその公開処刑だったが……、よもや、その身を魔族に落しているとはな……」

 聖騎士長、アインヒルツが、己の剣を抜きながら歩み寄ってくる。

「トバリ! 早く!」

 処刑台下で他の聖騎士を払い除けていた彩華に従い、右腕の魔法式魔力を流し込む。装填一。弓を頭上に掲げ矢を放つ。

「『夜の帳』」

 宙に放たれた矢が分散、ドーム状に展開し、俺達の周囲に降りしきる。文字通り帳が下りた様に黒い膜に包まれ、処刑台に居る俺達を閉じ込めた。これで聖騎士長と俺達三人以外は外に追い出された感じだ。後は俺がどうにかして聖騎士長を倒せば完全勝利で逃げる事が出来る。

「やろうとしている事は察したけど、これ、あのリッチと役割逆じゃないのかしら?」

「言ってくれるな……、どう足掻いても付焼き刃のドーピングで、大人数を相手に戦う事は底辺男子の俺には出来んのです」

 彩華とも話し合った結果、俺がなんとかして聖騎士長を倒す事になってしまった。聖騎士長さえ倒してしまえれば、この街のレベル的にはいくらでも対処できてしまえる奴しかいないらしい。まあ、聖騎士長を相手にしてる内に他の騎士団からちょっかい掛けられてやられてしまうって言う可能性を考え、こうして絶望リッチさんが外で数を減らしてくれていらっしゃるのですが……。

「閉じ込めて、それでどうにかできるつもりか? 一対一なら勝てるとでも?」

 さてどうだろう? 試しに一発放ってみる。

「『黒の一閃』」

 姫川を助けた一直線に相手を貫く矢を放つ。俺達は狭い処刑台の上に居るので回避する事は出来ない。加えて距離は剣の間合いの外、弓を射るには少々近い中距離。周囲は俺が作った壁に覆われているので、正面からの火力勝負しかできない。頭の悪い俺には幸いのフィールドだ。

「『ディバインセイバー』!」

 アインヒルツは剣に光属性を纏わせ、一閃。俺の黒き矢をあっさり相殺してしまった。

「げ……っ、魔法剣士かよ……」

 彩華が言っていた事を思い出し、苦虫を噛み潰した様な気分になる。

 この世界で魔法と組み合わせた職業を持っている奴は、それだけで次元が一つ違うレベルに達するのだと言う。だからこそ俺も、こうして底辺の癖に準無双っぷりを発揮できてるわけですしね。

「我が剣に、悪しき力に堕ちた矮小な力など、通用すると思うな!」

「じゃあどうしよう?」

「助けに来たなら自分でどうにかしなさいよ?」

「底辺の俺には単純な方法しか思いつかないぞ?」

「パパ、ファイ、ト……!」

「うん、がんばるね~~」

 腰にしがみついたままだったリリィを優しく離し、俺は自分の右腕を確認する。彩華に与えてもらった魔力の最大総点数は八発分。一発は姫川を助けるのに、その後、姫川の鎖を砕くのに一発、処刑台の聖騎士を吹き飛ばすのに一発、聖騎士長に一発。計四発使用した。残りは半分。なら、もう細かく撃つ意味はない。残り四発分を纏めて一発分に込めて放つだけだ。

 弓を構える。ターゲットサイトの様な魔法陣が展開される。右腕の魔法式に魔力を流し込む。装填四。集中した魔力に痛みが走る。このぐらいは堪えられる。弓を引く。展開された魔法陣が込められた魔力に呼応して新しく塗り替えられる。照準を合わせ、更に魔法陣が大きな物へと再転換される。使う魔法を頭の中で確定する。魔法陣が最後の変化を見せ、より大きく、俺の身体を包む様な形に展開される。行くぞ! これが俺の全力の一撃!

「『射貫く黒曜石』!」

 魔力装填数四発分の矢が魔法陣に打ち込まれる。魔法陣によって変化した魔力が、黒曜石の槍を思わせる、巨大な魔力砲を放った。間違いなく砲撃と同等の火力を発揮する一撃に、俺は確実に聖騎士長を倒せると確信した。

 聖騎士長は剣を掲げた。剣が光りに充ち溢れ、強烈な発光を見せる。闇のドームで覆われた外側にまで届きそうな光に、眼を掠めながら、それでも力が弱いのを感じた。確実に俺が放った矢の方が強い。聖騎士長が剣を振るう。先程と同じ魔法剣『ディバインセイバー』が袈裟掛けに切りつけられる。魔力同士がぶつかり合い、僅かに見せた拮抗。しかし、俺の予想に反して拮抗はすぐに収まり、俺の矢が一気に押し込まれる。―――聖騎士長の横を通り過ぎる様に。

「……え?」

 何が起きたのか一瞬理解できず、呆けた声を出してしまう。同時に魔力を使いきった直後の反動で、身体中から力が抜けて行く。思わず膝を付いたところでアインヒルツは告げてきた。

「経験の差だな。あの程度の力任せの攻撃など、軸を逸らして切りつければ、最小限の力で直撃を逸らす事が出来る。悪しき魔族の力に溺れた力が、我らが神に捧げた勤勉なる信仰に、勝る事はない!」

 剣を八相に構え、再び魔力を剣に込める聖騎士長。俺には計りきれない、しかし先ほどよりもかなりの魔力が込められた剣に戦慄する。

「鈴森くん!」

 背後の声に振り返ると、姫川が両手を翳して魔法式を用意していた。彼女の背中に巨大な魔法陣が展開される。魔法は強力な物ほど、魔法陣が展開されると言う話だが、杖も媒介も無い状態でいつの間にこんな強力なの用意してたんだよ? って、俺が撃ち負けるの予想されてたって事ですよね……。さすが底辺男子の俺の信頼度だ、と納得しながら後ろに飛び退き姫川と前後交代。そのタイミングに合わせるかのように、アインヒルツが飛び込んで来る。姫川も魔法を放つ。

「『ディバインセイバー』!」

「『ボルトイレイザー』!」

 アインヒルツの振り降ろす光の剣に対し、両手を突き出しが放った姫川の魔法は、無数に迸る雷の球体に見えた。その全ての雷が、アインヒルツの光を激しい放電現象を発しながら確実に削り取っていく。その現象を目の当たりにして、アインヒルツの表情が強張った。

「なにっ? 何だこの魔法は! 魔力を直接削る魔法など、聞いた事もないぞ!」

「原理さえ解れば応用くらいできるわ!」

 アインヒルツの魔法剣を受け止めながら叫び変える姫川。いや、ちょっと待てっ! それってつまり新しい魔法を作っちゃった、って事ですか? 姫川さんマジパネェッス!?

 だが感心ばかりもしていられない。力は拮抗している様に見えて姫川が押されている。さすがに、牢屋生活で披露していたのか、魔力を溜める時間が少なかったのか、じりじりと押され始めている。なんとかしてやりたいが、もう俺にはどうする事も……!

「パパ……」

 声がして振り向く。突然リリィが俺の首に飛びついて来たと思った次の瞬間、唇を奪われてしまいました。子供体系とは言え美人さんのリリィにキスされ、さすがに意識してしまいそうになったのだが、そんな事などどうでも良くなるほどの衝撃が叩き込まれた。口の中に侵入する熱い舌の感触とか、彩華とは違う温かな唇の感触とか、そう言った色気のある感慨は一切浮かばない。口の中に突っ込まれたホースの蛇口を全開にされた様な強烈な魔力の圧迫感。それも彩華とは似ても似つかない暴力的な量に、破裂すると本気で信じた。

 咽る様にして唇を離す。胸に手を当て、必死に深呼吸をする中、俺の目の前で銀髪金眼角付き幼女が笑顔を向けていた。

「パパ、がんばっ、て……!」

 な、なんて苦笑いしたくなる無邪気な応援!

 身体中が悲鳴を上げるのを堪えながら、俺はリリィの頭を撫でて立ち上がり、身体を引きずる様にして姫川の元に歩み寄る。

 リリィに与えられた魔力を全て右腕に集中する。装填八。右腕に奔る激痛にマジで涙が出る。毛細血管に至る全ての血管に、過剰な血が送り込まれているかのような痛痒に歯を食い縛る。とても弓を握る余裕はない。姫川の元に辿り着く。左手を彼女の腰に回し、支えつつ、右手を彼女が突き出す両手に合わせるようにする。

「姫川! 悪いけど魔力を撃つ事しかできる余裕がない!」

「良いわ! 後は私がコントロールするから、そのまま魔力を撃ち出して!」

 ―――御言葉に甘えてっ!

 リリィに与えられた大量の魔力をただぶっ放す! それを姫川が上手く制御し、自分の魔法式に変換する。見事過ぎて頭が上がらねえなっ! 力は完全に拮抗。完全互角の状態で膠着する。

「マステマの魔力を使ってこの程度なのっ!」

「すまんっ! 俺に入る分的にこれが限界!」

「そう、じゃあ、私が頑張らないといけないわね! 私、あの子の母親になるって決めたのっ! あの子の前で、格好悪い所は見せられないっ!」

「奇遇だなっ! 俺もあの子の父親になりたいって思ってたよっ!」

「ならお互い、あの子の前では強がってみせなきゃいけないわねっ! でも……!」

「でもなにっ! あんまり聞きたくない気がするけど……っ!」

「やっぱりアナタと夫婦になるのは遠慮したいわ……!」

「だろうと思ったよ! 底辺男子で本当にごめんよっ!」

 姫川が笑った。俺も笑った。背後ではリリィまで笑っている気配が感じられる。ギリギリの緊張感の中で、絶体絶命なのに、俺達は何故か笑い合っていた。それが異様に見えたのか、表情を歪めたアインヒルツが何事か言い出した。

「何故だっ? 何故君達はこんな状況で笑っているっ!?」

 何か答えようかと思ったが、生憎込み上げてくる物をそのまま出しているだけなので、理由は俺達にも解らない。だから笑みを返すしかできない。うん、これは確かに不気味だな。アインヒルツは更に顔を歪め言い出す。

「君達は分かっているのかっ!? 自分達がどれだけ愚かな選択をしているのかっ! 少年! 私と初めて会った時に君が言った言葉を憶えているか!? 私は憶えているぞっ! 君はこう言ったのだ『しっかりと善悪を理解できる時が来たら、教団に入る』と!」

 言ったか? 似たような事は言い訳として言った気がするが、教団に入ると入ってない気が……。

「君は自分の言った言葉には責任を持つべきだっ! 君があの時どんなつもりで言ったのかは知らない。だが、君にその意思がなくても、周囲にそう思われたら、そう言う事になるんだっ! 自分の言った言葉の責任を持てっ(、、、、、、、、、、、、、、、)!」

「……」

 その言葉は……。嘗て俺が抱いた言葉だった……。抱き、そして、相手の心を慮らない自分が、相手の事を理解できない自分が、知ったかぶって言葉にするべきではないと判断した、言わないと決めた言葉だ。

 それを……、コイツは口にしたのか? 薄っぺらい心のままに? 他者の心を慮らない奴に? 無知である事を自覚し、他者を知ろうとしない、こんな奴に?

 俺が考え、ずっと抱いてきた言葉を、感情を、勝手に使われたのか……?

 

 フザケルナ……。

 

 

 拮抗する魔力のぶつかり合いに、必死に耐えていた私は、突然背中を奔った寒気に戦慄した。

 ゾクゾクゾク……ッ、っと、寒気が広がってくる。あやうく魔力の操作を誤りそうになるのを必死に堪えつつ、迫りくる寒気の原因を探す。

「お前が……」

 だが、探すまでもない。それは私のすぐ後ろに存在していた。全身に緊張が走る。身体が強張る。

「パパ……?」

 事態に気付いたリリィが呟く。正面の聖騎士長も気付き、表情を歪める。

 寒気が、広がる。凍えそうな寒気が広がり、私は寒さで凍えそうなのに、止まらない汗を沢山かき始める。

「お前がそれを……っ!」

 怨嗟だ。はっきりと私はそれを感じ取った。後ろを振り向けない。寒気を放つ存在を確認出来ない。怒気のような熱さは感じず、悲痛の様な湿っぽさはない。何処までも冷たく、ただただ底で沈殿している物が見上げてくる恐怖のように冷たい物を感じる声。

 何気なく歩いている山道で、ふと視線を下に向けた時、奈落へと続く谷底が見えた様な、そんなヒヤッとした恐怖が私の心臓をがっしりと掴んで離さない。自分の腰を支えている手から熱が失われ、氷のように冷たい闇に連れ去られていく様な錯覚を得る。

「口にするんじゃねえ……っ!」

 心が折れた。はっきり自覚した。憎しみに彩られた冷気に、私の心は完全に屈服した。激しい風圧の様な衝撃はなかった。それでも、私は心の底にまで存在する全ての熱を根こそぎ奪われた様な感覚に勝手に涙が溢れた。

 だが、この怨嗟は私に向けられた物ではなかった。背後で重い扉が開く様な気配を感じた。怖くて振り返る事が出来ない私は、それを確認出来ない。だが、それと向き合う事になっている正面の聖騎士は違う。

「え……、あ……?」

 呆けた様な声を漏らし、私達の背後へと視線を向けている。

 いるんだ。そこに居るんだ。それをはっきりと確信した。そして自覚した。背後に居て見えていない筈のその存在が、魔物以上の化け物が、魔獣が、怪物が、開いた門から姿を見せたのをはっきりと感じ取った。

「う、うあ……っ!」

 背後で、魔王という存在のはずのリリィまでもが怯える気配を感じた。いや、ここだけじゃない。鈴森くんの作った闇のドームで見る事が叶わない外側にさえ、恐怖が振りまかれているのをはっきりと解った。周囲から伝わってくるのだ。他人の恐怖が。全ての恐怖が、伝播して行くのが、はっきり解る。

 ついに怪物が、本物のモンスターが門を完全に潜った。誇り高き騎士も、不遜な魔術師も、長年を生きた屍も、何世代も受け継がれてきた魔王でさえも、ただただ恐怖に屈服させる、正体不明の怨嗟の化け物は―――! 次の瞬間に吼え猛た。

 声無き咆哮に、ついに私は魔力の操作を誤った。最も近くで怨嗟の化け物を感じて、完全に心が屈服した。いや、屈服しない事をこそ異常だとさえ感じた。これは、この化け物は、人が対峙して―――いや、同じ土俵に立ってはいけない物なんだと、心の底から認めてしまった。抗えない、抗いたくない、本物の恐怖に、私の全てが屈服した。

 だが、私はまだ優しい方だったのだと、目の前の現象が教えてくれた。そう、この怨嗟を直接ぶつけられた聖騎士長は、完全に魔法式を崩壊させ、剣を握る手にすら力が入らず、腰を抜かしてしまった。魔法によるつばぜり合いの中で、ありえない程の隙を見せ、みっともなく顔を歪めて泣き出したのだ。それを愚かとは思えない。無様とも思えない。ただただ恐ろしいと感じた。直接怨嗟をぶつけられると言う事がどう言う事なのかを思い知らされ、もう立ち上がれないほどのトラウマが私の心に根付いたのを自覚した。

「姫川っ!」

「は……っ!」

 名前を呼ばれ、我に返った。条件反射で魔力を操作し直す。完全無防備となった聖騎士長に、残りの魔力をありったけぶつけて吹き飛ばす。

 もはや防ぐ術もなかった聖騎士長は、稲妻に全身を焼かれ、大量に『精霊の加護』を消費しながら吹き飛ばされた。

 

 

 勝った。良く解らないが、姫川の魔法が突然不安定になったと思った瞬間、アインヒルツの魔法剣が急に力を失い、大きな隙を作った。おかげで俺達は勝つ事が出来た。アインヒルツは身体中に火傷を負った状態で伸びていたので、加護を全損したようだ。恐るべきは姫川の魔法か、リリィの魔力か……。なんか、途中、どうしても譲れない憎悪に支配され、冷静じゃなくなってしまった。なので、何が起きたのか細かい事が解らなかった。姫川は一体何をしたんだ?

「姫川……?」

「え……っ!」

 ずっと動かない姫川に声を掛けると、すごく怯えた表情で振り返られた。

 ああ~~……。さすがにあの状況は普通の高校生には怖かったのだろうか、僅かに涙も流れている。これには気付かないフリをしておこう。後で怒られそうだしな。っと、今度は背中に軽い衝撃が来た。振り返ると、呆然とした表情のリリィが俺の背中にしがみついていた。

「パパ……?」

「何故に疑問形?」

 しばらくじっと見上げてきたリリィだが、何かを確信したらしく頷き、安心したような表情で笑い、顔をすりよせて来た。

 一体何だ? 疑問に思ってたら今度は正面から胸を触られた。姫川が呆然とした表情で俺の胸に手を当て、こちらのか表情を窺う様に覗き込んでいる。

「鈴森、くん……、よね?」

「だから何故(なにゆえ)疑問形?」

 俺の問いには答えず、しかし、何かを確認したらしい姫川は安心したように吐息した。

「良く解らんけど……、とりあえず、解決って事で……良いのかな?」

 俺が苦笑いを浮かべると、「それで良いと思うわ」っと言った。

 頷いた俺は、自分で作った闇のドームが消えて行く中、逃亡の準備をする。

「リリィ、ドームが消えると同時に聖騎士長を投げろ! 混乱に乗じて逃げるぞ!」

「うん!」

 ドームが消え、俺達は飛び出す。残る課題は脱出のみ。だが、聖騎士長の無残な姿を見た所為か、恐怖と混乱に包まれた騎士団には、もはや俺達を止める気力すらないようだ。

 俺達は彩華を先頭に、街から脱出するのだった。

 

 

 



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終章 旅立ち

失踪してました…。すんません。
でもとりあえず戻って来たので、続きを投稿します。


エピローグ

 

 『ファーストウォーク』の街から飛び出した俺達は、すぐにリリィの転移魔法でホームまで移動。かなり目立つ魔法の様だが、今は時間との勝負だったのでこっちを優先した。急いでホームから必要な物をかき集めながら、俺達は話し合う。

「っで、あの街に居られなくなったわけだが? これから俺達はどうすればいい?」

「それなのだけどね? 鈴森くん、以前言ってたわよね? リリィの教育方針について?」

「え? ああ、言ったけど、アレは結局、具体案が無いから却下にしたんじゃ?」

「私、リリィの母親になると自分の意思で決めた時に思ったのよ? 私には『母親』とは何をしてくれる物なのか良く解ってなかった。でも、確かに『母親』に求める物はあったのよ」

 それは……、なんとなく、俺も『父親』に対して求めていた様な物があった。それと同じという事なんだろうか?

「それは、きっとリリィも一緒なんじゃないかしら?」

「リリィが一緒?」

「それはどう言う事?」

 荷物整理をする俺達に変わって、玄関口で追手を警戒してくれていた彩華も興味を持った様に尋ねてくる。

「私や鈴森くんに『親』という役割を求められたように、リリィにも『魔王』として求められた役割があったんじゃないかって事よ」

「それは、当然でしょ? だから私は魔王様を迎えに来たんだから」

 彩華が呆れた様子で腕を組んで見せる。くそっ、この人こう言う何でも無い動作にも一々色気を感じる。どんだけ色っぽい人なんだよ!

「アナタが言っているのは、歴代の魔王がしてきた事でしょう? 私が言っているのは、本来魔王が生まれた根幹の話よ?」

 俺の脱線思考事、姫川はバッサリと切り捨てる様に言ってきた。

「アナタが言ったのよ? リッチ。『魔王は精霊種が滅んだ時に、突然変異で生まれた。もしかすると精霊種の意思があったのかもしれない』って」

「! まさか、アナタは、嘗て精霊種が願った魔王の役割を見つけ出すと、そう言っているの!」

「仮にそれが事実なら、『親』の役を選んだ私達には、リリィを導くために、真実を確かめる必要性がある。そうでしょ……?」

 姫川が俺に笑い掛けてきた。姫川が俺を数に入れている事が嬉しくて、つい力強く頷いた。

「そうだな。ただリリィを育てる事はできる。でも、育てるだけなら親じゃなくてもできる。『親がいなくても子は育つ』って言うしな。なら、『親』の役割は、子供が正しい道を選べるように導いてやることだよな!」

「ええ、それは私達の主観ではいけない。片方の意思だけでは、答えは見えないもの」

 今の姫川の台詞には覚えがある。視線を向けると姫川は頷いて見せたのでそう言う事だろう。どうやら俺達は結構、あの『司書』さんの影響を受けているらしいな

「パパと、ママ、が、行くなら、行く……!」

 リリィが賛同し、俺達の間にダイブ。俺達の腕を左右の手で絡めて抱きつく。

 ゴキュキュ……ッ! 俺と姫川の肘関節に嫌な音が鳴り、『精霊の加護』を僅かに消費した。なんだか久しぶりの光景だな……。

「なら、これからは世界を見て周り、魔王発端の歴史を振り返ると言う事?」

 彩華に聞かれ、頷く姫川。リリィの角を捕まえ、こっそりお叱り。リリィが少し涙目で「ごめんなさい……」っと呟いていたが、手は離さなかった。コイツも図太くなったな。

「それなら、もしかすると私がアナタ達を案内できるかもしれないわ」

「え?」

 まさかの彩華の申し出に、俺達は眼を(しばたた)かせる。

「嘗て、私は一度だけ、人間の少女とこの世界を旅した事があるのよ。未だ嘗て、私が魔王様の御傍を離れたのは、彼女と二人で旅をしていた時だけよ」

 人間と旅? 魔族でリッチの彩華が? 驚きはしたが、半ば納得もした。だから彩華は俺達に対して当たりが柔らかかったのか。その辺の話も聞いてみたいが、今は話の腰を折らずに聞きに徹する。

「嘗て彼女は人間からも魔族からも『英雄』と呼ばれ、龍種とすら戦えた、二刀流の戦士だったわ。でも、彼女が求めたのは戦場ではなく探求だった。ありとあらゆる遺跡を周り、考古学を学び続けていたわ。たまに彼女自身がレポートを書いていたけど、それを見せてもらった事はなかったわね」

「そう言えば、この世界の考古学者は、何だかレベルが低い様な印象があったわね?」

 姫川が呟く。彩華は頷いた。

「彼女もそれを不思議がっていたわ。だから自分が調べるのだと言っていたの。彼女はありとあらゆる地域に赴き、唯一世界をまたにかけた存在となった。その最後の終着点が『聖地』と言われる場所だったのだけれど……、その時彼女は、真っ青な顔になって、私に言ったのよ。『全ての始まりが解ったよ……』っと」

「全ての始まり?」

 俺の呟きに、彩華は頷いた。

「それが何なのかは解らなかったわ。その翌日、彼女は再び一人で『聖地』に赴き、私が追いついた時には亡骸となっていたから……」

「それはまた、何とも意味深ね」

 姫川も何かを感じ取り頷く。ここまで聞かされて俺に異存があるわけもなく。俺達は同時にリリィを引っ張り上げる。リリィは足が浮いた事が楽しかったのか、喜びながらも賛同した。

「いく……っ! リリィも、『魔王』の、役割……! 知りた、い……!」

「決まりだ!」

「ええ、じゃあリッチ。まず、私達は何処を目指せばいいのかしら?」

「ここからなら、まずは北に……、一番近くに水精霊を祀ったとされる遺跡が存在します」

「ここから北かよ……。道あるの?」

「ない、わ……」

 げんなりする俺と、なんか無能を晒してしまったと言う風に顔を真っ青にして落ち込む彩華。だから落ち込み方が重いって!

「無いならちょうど良いわ。万が一、追手が来ても、私達の後を追い難くなるのだしね」

 確かに予想外だろうよ。西と南にしか街道が無いのに、森を突っ切って北に行くなんて、完全に自殺行為だもんな。魔王っ子様と絶望リッチさんがいるからできる選択肢だろうよ。

「じゃあ、準備も出来た事だし」

「ああ、行こう!」

 俺達は荷物を抱え、家を出る。このファンタジーの世界に訪れて、俺達は始めて、冒険を始める。魔王退治ではなく、魔王っ子様を育てる、そんなへんてこな冒険を、俺達偽の夫婦と、本物の親子が、リッチの先導で歩み始めるのだった。

 

 

 

 




一応、もう一話分だけ続きます。


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第××章

第××章 

 

 パタンッ。本を閉じる。彼等の物語、その第一部を読み終えた僕は、心地良い達成感の様な物を余韻として味わっていた。

 『世界の書架』に閉じこもってから、一体どれだけの時間が過ぎたのだろう? 一年の物語を読み切るには一年間かかる。そう言う計算で振り返っても、もはや年数を思い出せない。何冊読んだのかも思い出せないし、仕方ないよね。

 読み掛けの本を一旦脇に置き、僕は思い耽る。

 嘗てはこの世界に存在するいくつかの世界に身を投じた事もあった。何度となく転生を繰り返し、世界の登場人物となり、友達を作り、憎しみに囚われ、時には諭され、王や神になった事も、恋をした事もあった……。だけど、自分はどうしてか、全ての世界に於いて短命だった。二十歳まで生き残れた試しがない。そして必ず死後、この世界に引っかかり、留まってしまう。一度自分が係わった世界には、自分の痕跡が消えない限り入れないのがルールの様だ。歴史に名が残ってしまうのはもちろん、少しでも僕の存在を残してしまうと、二度とその世界には入れない。

 別にそんなのはどうでもいいんだけどね? どうせ僕はその世界では死者なんだから。

 それにしてもどうして自分だけ、何度もこの世界に辿り着いてしまうのだろうか? コレばっかいはどうしても解らない。他の世界はもちろん、この『世界の書架』を探しても答えは見つからなかった。もちろん、探しきれていない可能性はあったが、それこそ見つけようがないと言われた様な物だ。

 ふと、嘗て、自分が最初に生まれた世界を思い出す。完全に忘れてしまったと思った記憶を、なんの予兆も無く突然思い出すのも、この世界では良くあることだ。

 それでちょっと心当たりを思い出した。そう言えば僕は―――、思考中断。

「ねえ? それって僕に対する当て付けなのかな?」

 僕の目の前に、いつの間にかそれは存在する。大きなダイヤ型の胴体に、翼の様に展開する幾つものギミックが装着されている様な存在。機械的と言うよりポリゴンチックと言うのが正しいかも。見た事ある存在なのですぐに何者か解ったけど、このトラック程の巨大物体がこの世界に現れるのは、ちょっと気に食わない。

「汝、死して尚、我が成就に、牙を剝くか?」

 相変わらず何処が口になっているのか疑問の音声を発する奴に、僕は呆れたように脚を組み、頬杖を付く。

「言い掛かりは()してよ。この世界で僕にできる事は、あくまで『観賞』だけで、『干渉』する事は出来ないんだよ?」

「狭間、取り込まれし、魂、余計な知恵を授ける。汝、我に対する、攻撃の意思と判断」

「それこそ言い掛かりだよ。彼等が引っかかってきたのは君のミスだろう? 偶然を利用したいならもっと上手く誘導するよ。僕は彼等に選択権がある事を教えただけだよ? 実際、僕の助言で動いたのなんて、この二人だけだったじゃない? しかも偶然が重なった結果でしかない」

「全て、汝の係わり深き存在。我が成就、妨げる事、許し難し」

 突然体を小刻みに揺らし始めるその存在に、僕は嘆息してしまう。短気なのも相変わらず。人の話なんて聞く耳持ちもしない。どうしようもない存在に対し、仕方なく相手するために立ち上がり―――、次の瞬間、僕の周囲を切り裂く謎の刃が発生、空間事爆発が起きる。

 煙たさを感じながら煙から飛び出し、本棚の上に着地する。

「止めときなよ。ここでやっても不毛だよ?」

 僕が声をかけるが、それは言う事を聞かず、翼のギミックを展開し、ありえない様な弾幕光線を幾条にも放ってきた。本当に人の話聞かないよね。

 僕は解らず屋に対して呆れながら走って、跳んで、光線を躱す。一冊の本を脳内で検索。幸いにも存在して僅かに安堵。手元に呼び出し、本を開く。その見開きに手を添え、思い出す。嘗てこの世界に居た自分の姿。

 光が迸り、自分の姿が変わる。和服をモデルにした様な地球製の制服姿。ブーツを踏み締め、本棚を蹴る。背中に背負った二本の剣を左右の手で同時抜刀。迫りくる光線を叩き伏せ、弾幕の中を直進、ポリゴン体のソレに接近する。

「『読者』じゃなくて『司書』を名乗ってるんだから、このぐらいの芸はできないとね」

 翼のギミックが分解し、直接攻撃してきたが関係無い。全て剣激のみで微塵に叩き伏せる。その存在が驚愕したように僅かに震え、身体を展開、変形。ポリゴン形状に人型の上半身が現れ、巨大な腕をこちらに振り降ろしてくる。構う物か、そこに飛び込むのが僕の本来の戦い方だったはずだ。

 突っ込み紙一重で拳を回避。光線が殺到するが、全て二本の剣で叩き伏せる。速度を一切落とさず肉薄。床を爆発させるほどに蹴り付け、跳躍。全身を独楽の様に回転させ得た遠心力を全て二刀一撃の必殺に込める。

「破城鎚!」

 二刀の斬激は敵を切り付けると同時にハンマーのような衝撃を叩き込み、ポリゴン体を遠くへと吹き飛ばした。

 別に叫ばなくて良かったのだが、当時の癖でつい口にしてしまった。ちょっと恥ずかしいが、こればっかりは癖になってて抜けない。まあ、インパクトの瞬間に叫ぶと、通常より力が出るのは本当だし、恥じ入る必要性なんて無いんだけどね。ヤッパリ歳かな? 見た目若くてもやっぱり長い事ここに居ると、精神的に年齢を感じちゃうのかも?

 そんな事を考えながら本棚の上に着地した僕は自分の体を元のセーラー服へと戻す。手には先程僕を変身させてくれた本がある。それを手の中で弄びながら伝える。

「ほら、不毛だろ?」

 そう告げた先。まったく無傷のポリゴン体がこちらにゆっくりと近寄って来ていた。

「ここでいくら暴れても僕等は傷つける事は出来ない。本当なら最初の一撃で僕は君に殺されている。でも、僕はここでは死なないし、何も殺せない。僕等がここでやり合うのは不毛なんだよ」

 もう一度告げると、ポリゴン体は憎々しげに謎の音声をヴヴヴヴヴヴヴ、と鳴らした。

「解ったらもうお帰りよ、オセリオス(、、、、、)。嘗て君が屠った相手に、今更会いに来る君の方が無粋と言う物だよ」

 「それに……」っと、僕は続ける。

「ここは狭間だよ? 勝手に境界を超えて子供を連れていかれた、向こうの神様が気付けば、君を滅ぼしに来るかもしれないよ? 干渉できないのは僕だけで、異界の神様同士なら話は別だよね?」

 そこまで告げてやっと諦めたのか、ポリゴン体のオセリオス神は、身体を元のダイヤ型に形状に畳むとそのまま霞みの様に消えてしまった。

 やれやれ……、っと、肩を竦めて本棚を飛び降り着地点に作った脚立に着地、着席。近場に机ごと未読本を呼び出す。ついでに呼び出したコーヒーを口に含む。良く味が解らないのが難点だと思いつつ、気分だけは入れ替わるので良しとする。

 たまの刺激は嫌いじゃないけど、アクション系は世界に入り込んでいる時だけにしてほしいな。こっちだと達成感が無くてつまらないから。

 ぼやきつつもう一度コーヒーに口を付ける。

「さて、これでこの物語の第一部は終わりなわけだけど……、君はどうする? 続きを読むかい? それとも別の本を手に取るかい? まあ、とりあえずは、一冊の本を読み切った余韻に浸るとしようよ♪」

 僕は君達に向かって微笑みかける。

 こちらからは見る事の出来ない、僕等を読み説く何者かに、返答無き会話を求め、話しかける。

 さあ、次の物語を読もうか?

 

 




もし、少しでも面白いと感じてくださりましたらコメントください。
この話はもう続きを書くことはないでしょうが、もしお望みの方が一人でもいらっしゃいましたら、弥生ちゃんが別の物語を読んでくれるかもしれません。


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