対の銀鳳 (星高目)
しおりを挟む

プロローグ

初投稿の作品となります。
楽しんでいただければ幸いです。


 時は既に夕方も半ばで、うっすらと空が朱に染まり始める頃合いだった。ある中学校の教室では、帰りの会の中で教師が本日の別れの挨拶を行っていた。

 

「起立、姿勢、礼」

 

 話が終わるやいなや、日直の生徒の掛け声で生徒達は思い思いに帰り支度を始める。窓際の席で静かに座っている少女もまた例外ではなく、ゆっくりと筆箱を片付け始めていた。

 

「木下、ちょっといいか」

 

 少女に声をかけたのは担任の教師だった。周りから視線を集めていることを感じて、少女は億劫そうに教師を見る。

 

「こないだの模試、学内で一位だっただろ。賞品出てるぞ。おめでとう」

 

 教師が手渡してきたのは、賞品が入っているだろう封筒だった。しかし少女にとって賞品を受け取ることはあまりうれしいものではなかった。それは話を聞いた周囲からの視線が少女には自分を突き刺しているように感じられるからだ。いつの間にかしんとしていた教室の雰囲気から、少女は逃げるように教室を出ていった。

 ヒソヒソと囁かれる、彼女への僻みの言葉を聞きながら。

 

 

 

 学校を出た後、少女は本屋を訪れていた。目的は若者向けの小説、いわゆるライトノベルであった。

 

(この本の方法はまだ試していなかったはず……)

 

 彼女は手にしていたライトノベルを二、三冊ほど持ってレジへ向かった。レジにいた本屋の店主が彼女に気付き、にこやかに笑う。

 

「また来てくれたんだね。いつもありがとう」

 

 少女は返事こそしなかったものの、少しだけ嬉しそうに首を振った。それに気をよくした店主が、会計を進めていく。そのなかでおや、と一つ声を漏らした。

 

「またこのジャンルを買うとはよっぽど君は魔法の物語が好きなんだねえ」

 

 呟くような問いかけに少女はただうつむくばかりであった。

 

 

 

 太陽が地平線に沈んで一番星が見え始めた空の下、少女はライトノベルの中で描かれる“奇跡”について考えながら人があふれる街を歩いていた。周りの光景もあまり気に留めることなく。

 だからこそ気付かなかった。青になった信号を渡り始めた時に、減速することもなく信号に突っ込んでくる自動車が存在することに。その自動車が走る先には自分がいることに。

 

 少女が車に気づいたのはそれが目と鼻の先と言える距離まで近づいてからだった。

 

 

――拝啓天国のご両親へ。いかがお過ごしでしょうか。唐突な知らせで申し訳ないのですが、どうやら私は死んでしまうようです――

 

――拝啓現在のご両親へ。最後まで私は迷惑をかけてしまうようです。温かくしていただいていたのに、お礼の一つも言えずに申し訳ありません――

 

そんな遺言のような言葉を思い浮かべながら、少女は自分に向かって猛然と突き進んでくる自動車を見ていた。頭上で輝く赤信号はどうやら意味を成さないようで、車は止まる気配を見せない。

 

 少女は逃れようのない現実を前に思う。私が一体何をしたというのか。

 

 少女は答えて自嘲した。私は何も成し遂げていないのだと。“奇跡”を、長年追い求めていたものを未だにこの手に掴んでいないのだと。

 (魔法、見つけられなかったな……)

 

 両親がいなくなってからずっと求め続けた“魔法”という名の奇跡に未練を残して、少女の視界は白く塗りつぶされていった。

 

……そう、確かに彼女の物語はここで終わるはずだった。

 

 

 

 

 

 

 ここではないどこか。地球とはまた異なった世界。その大地の一つであるセッテルンド大陸を縦断するオービニエ山地の東に存在するフレメヴィーラ王国は、そのさらに東にある森林や国内の未開拓地域から現れる“魔獣”と戦い続けてきた国だ。

 

 多くが凶暴で、種族によっては山とも見紛う程の大きさのものが存在する魔獣に対抗するために、太古より人間は”力”を追い求めてきた。結果、地球とは経た歴史が違う世界ではあるものの、武器や体術、軍隊といったお馴染みの武力も存在している。

 

 しかし想像してほしい。強大な魔獣に、それがどれほどの役に立つだろうか。巨大な体躯を持ち、あまつさえそれ相応以上の膂力を持つ魔獣に、それだけで対抗することがどれほど無謀なことであるだろうか。

 

 だから人間は魔獣に対抗するために、地球には存在しなかった技術を用いて新たな”力”を作り上げた。

 

 その”力”が十mを越す大型の人型機械、“幻晶騎士(シルエットナイト)”である。

 今、草原を模した広い演習場で二体の幻晶騎士(シルエットナイト)が苛烈な剣劇を繰り広げている。

 両者の力量には差があるのか、終始一方が格闘戦で相手を圧倒している。しかし圧された方もそのままでいる気はないようで、相手の攻撃を強くはじき返すことで、強引に隙を作り距離を取った。

 そうして剣と入れ替えに騎士が取り出したのは、剣と同じほどの長さを持つ杖であった。油断なく杖を相手に向けた騎士に、剣を片手に盾を前に構えることで相手も応えた。

 そのままお互いの隙を探らんと、数秒の緊張が演習場に訪れる。

 

 

 かすかな地鳴り、金属のこすれあう音。低く鳴り続けている吸気音が、辺りに緊張感を増しているせいか、離れた位置に設えられた観客席でさえ息が詰まるような空気に包まれていた。その中に、演習場の様子を周囲の緊張とは釣り合わないほど目を輝かせて見つめている子ども達がいた。

 

 騎操士(ナイトランナー)の装備をした父親に抱き抱えられている彼らは、小さな双子の兄妹だった。その容姿は似通ったもので、二人とも紫がかった銀髪に蒼い瞳の愛くるしい顔をしている。もしお互いが同じ服装をしていたならば、全く区別がつかないだろうほどに、兄妹は似ていた。

 

唐突に高鳴った吸気音を合図に、均衡は打ち破られた。

 

 仕掛けたのは盾を構えていた幻晶騎士だ。空いた距離を詰めんと、一直線に相手に突進していく。相対する一体は手に構えた杖からいくつもの火炎弾を放つことで相手を迎え撃った。凄まじい勢いで飛翔する火炎弾は、寸分たがわず相手を捉えており、彼我の相対速度からすれば避けられるはずもない。

 

 観客は皆、この演習の勝敗を確信した。そして思う、突進は愚策であったのだと。

 

 その予想を裏切るかのように、仕掛けた幻晶騎士(シルエットナイト)はそれを構えた盾で受け流した。一瞬にして縮まる距離と予想外の展開に、観客が息を呑む。

 

 演習場が静まり返った時、相手に剣先を突き付けていたのは突進を仕掛けた幻晶騎士(シルエットナイト)であった。劇的な決着に観客席が熱狂に沸き上がる。そんな中で、兄妹は興奮を抑えきれないというような可愛らしい声で呟いていた。

 

「ろ、ろぼっとだ……」

「……まほうだ……」

 

 父親は食い入るように幻晶騎士(シルエットナイト)を見つめ続ける兄妹の頭を撫でる。

 

「あれが幻晶騎士(シルエットナイト)。我が国を守る最強の騎士だ」

 

 しかし兄妹はそんな父親の声も聞こえていないようで、周りの観客がいなくなっても幻晶騎士(シルエットナイト)に夢中になっていた。一人は目の前で動くロボットに対する感動から。一人は目にした魔法への執着から。

 

 やがて二人は、将来幻晶騎士(シルエットナイト)に乗る”騎操士(ナイトランナー)”になることを決意するのであった。

 

 お互いに性別は違えども、どちらも少女のような見た目を持つ二人は、しかし全く異なる性格をしている。

 

 兄はエルネスティ・エチェバルリアという。彼は聞き分けがよく、とても大人しく賢い子供だった。

 

 妹はセラフィーナ・エチェバルリアという。彼女は兄同様に賢かったものの余りにも大人しく、ひどく無口な子供だった。

 

 彼らに共通しているのは容姿だけではない。しかしそれは当の二人でさえ、いまだに知らないこと。

 

 

 それは彼らが地球から転生した人間で、前世である日本での記憶を持っているということだ。




|д゚)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異世界を知ってみよう
魔法の教え


「奥様、旦那様。元気な双子ですよ」

「男の子と、女の子か。二人とも、君にそっくりだ」

「女の子の方が後に生まれたから、兄妹ね。……二人とも元気そうでよかった」

「旦那様、抱っこされてみてはいかがでしょうか」

「あ、ああ。傷つけてしまいそうで怖いが……。とても、温かいのだな」

「生まれてきてくれて、ありがとう。……ね、お父さん、名前は考えてあるの?」

「ああ。それはな……」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 私は自動車に轢かれて、一度確かに死んだ。そのはずだったのだけれど。

 なぜか私は見知らぬ夫婦の子どもとして生きていた。

 ・・・・・・え?

 

 

 どうやら私は最近ネットで人気になっていた転生というものをしてしまったらしい。そう気付いたのは生まれてから三年の月日が経ってからのことだ。それ以前の赤ん坊の時期のことは、自分の現状把握に困らない程度の断片的な記憶として持っている程度で、別人の記憶のようなものだ。

 そして記憶を得てから二年が経ち、私は五歳になった。ここまでくれば、自分の家族のこともよくわかってくる。

 

 今の私に与えられている名前は『セラフィーナ・エチェバルリア』である。母であるセレスティナから受け継いだ紫がかった銀髪と蒼い瞳が特徴的な少女らしい容姿をしているのだが、そんな私に男なのに見た目が全くそっくりな双子の兄が存在する。

 

「エル。セラ。魔法術式というのは、基本的な現象を表す基礎式と、それをつなげて使うための制御式の二つが、図形で表されているものなの」

「母様。図形に何をすれば、魔法が起きるのでしょうか」

「それはね、人の頭の中には魔導演算領域(マギウスサーキット)というものがあって、そこで組み立てた魔法術式に魔力を流すことで初めて、魔法が指定された現象として発生するのよ」

 

 私の隣で母に質問をするエルと呼ばれた少年こそ双子の兄、『エルネスティ・エチェバルリア』である。エルは母の言葉を真剣に聞いている。こんなことを考えている私もまた、母の言葉を聞き漏らすつもりは毛頭ない。なぜなら、魔法は私たちの将来に必要不可欠なものなのだから。

 

 二年前。私が自我をもって間もないころのことだ。騎操士という、幻晶騎士を駆り魔獣による危害から人々を守る騎士である父の職場。母に連れられていったそこで、私たちは二体の幻晶騎士が戦う姿を見た。

 

 人型の機械仕掛けの巨人に、物理法則を無視した魔法。それは科学が発達した前世でさえ、ついぞ見なかったファンタジーの光景だった。そして、私が前世で手に入れられなかったものだった。

 

 ――今度こそ、今度こそ手につかむことができる――

 

 そう知った時の私の喜びというものは、言葉には言い表せないものだった。とにかく、魔法とその巨人たちしか目に入らなくなっていた。一方隣で同じ光景を見ていたエルもまた、何かを感じたのだろう。ひどく純粋に、嬉しそうな声を上げていたように思う。

 

 結局エルは帰り道でも幻晶騎士の話を夢中でしていた。私も魔法の話に夢中になっていたので、熱心で無秩序な二人の子供の話を聞いていた母は聖徳太子もかくやというほど大変だっただろう。

 

 その中で、あの幻晶騎士という巨人もまた魔法で動いているということを母が教えてくれた。

 身長十メートルを越える機械を動かすほどの魔法!そしてそれで行える魔獣狩りや守護などの様々な事象!

 それは私の胸を焦がすような憧れを生み出した。だから私は、奇しくもエルと同じように騎操士となることを決意したのだった。

 

 五歳になったとたんに二人そろって騎操士になると主張した私たちは、騎操士になるためには幻晶騎士による戦闘の基本となる剣術と、幻晶騎士を動かす高度な魔法の技術が必要であるらしいと父に教えられた。そうして私たちは父に剣術を、母に魔法を習うことになったのだ。

 

 

 

 そして今に至る。目の前ではエルが魔法を発現させるために必要な、魔法触媒を先端にはめた杖を小さな的に向け、目を閉じている。おそらく、魔法術式を組み立てているのだろう。間もなくパシュッという音とともに放たれた炎の弾丸は、綺麗に的の中央に当たった。

 

 母がエルをほめて言うには、この年で魔法の狙いを制御できているのはとても珍しいらしい。褒められて嬉しそうなエルを見ていると、精神が年齢に引っ張られている面があるのか、ムッと対抗したくなった。どうしても双子の兄に負けたくはないのだ。

 

「……お母様。次はセラの番?」

 

 そんな感情を隠して言ったつもりでも、五歳の体は素直なもののようで、少し怒りっぽい言い方になってしまった。二人とも私の心境を察したのか、エルは杖を笑顔で手渡し、母は私を励ましてくれた。恥ずかしい。

 

 杖を的に向け、目を閉じる。構築するのはエルが唱えたのと同じ魔法だ。魔法の構築は図形を理解し、つなげること。前世で似たようなものは何度とみてきたのだ。残念ながら先ほどのエルに一瞬遅れているようだが、術式構文は完成した。後はこれに体内の魔力を流し込んで――

 

 「火炎弾丸(ファイアトーチ)

 

 必要はないものの気分で呪文名を唱える。同時に、バシュッという音とともに少し大きめの火の玉が杖の先から放たれて的へ飛んでいく。……バシュッ?

 先ほどのエルの魔法と音や玉の大きさが違うことに驚く間もなく、火の玉は的のやや中央を外れたところに命中し……小さい爆発音を起こして的を叩き割った。

 

 恐る恐る母とエルの方を見れば、予想外の結果だったのか二人とも茫然としている。だが我に返ったらどうなるだろう。

 

――的を割ったことを怒られるかな。無意識であっても危険なことをしたと魔法を勉強させてもらえなくなるのかな。悪くすれば遠ざけられるかな。そんなのは嫌だな――

 

 そんな事が思い浮かんで視界がにじむ。母が私の方に歩いてくる。その表情を見るのが怖くて、顔を上げられない。

 ふっと温かい感触に包まれて、少し遅れて私は抱きしめられているのだとわかった。

「怖がらなくてもいいわ。セラ。怒ったりしないもの」

 安心させるような穏やかな声音で告げられた言葉がしみこんできて、私は顔を上げた。母は私に目を合わせて笑顔で続けた。

「この年でこれだけの力がある魔法を使える子もそうそう居ないのよ。あなたの魔法はとても力強いわ」

 

 あなたなら立派な魔法使いになれる。そう言って母はまた私を抱きしめた。

 

 ああ……。とっても、とってもあたたかいなあ。

 久しく触れていなかった温もりに、どうしてか涙がこぼれてしまうのだ。




恥ずかしながらエルとセラが魔法を習い始めたのは5歳からだということに原作を読み返していて気付いたので、年齢を3歳→5歳に変えてそれに沿うように各所を修正しました。
(/ω\)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

少女の家族

「二人とも騎操士になりたい、か」

「どうしたの、お父さん?」

「騎操士は危険な仕事だ。二人の夢を応援することは、いずれ二人を死地に送ることになるかもしれない」

「マティアス殿もようやく父親としての自覚が出てきたようじゃな」

「お義父さんはどう思いますか?」

「二人の子どもなのだから、二人で決めるが良い」

「そうねえ……私はそれでもいいと思うわ」

「え?」

「あの二人なら、なんでも乗り越えていきそうな気がするの。それに、放っておいても自分たちで突き進んでいくでしょうし」

「なら私たちが教えることもまた親としての責任か……」

「それにあなた、セラのお願いを断れるの?」

「……無理だな。エルでも同じだ」

「親ばかここに極まれり、じゃな」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「今日は皆で出かけようか」

 

 朝食を食べ終わった後の家族全員が集まっている場で、父のマティアス・エチェバルリアが私たちにそう告げた。

 

「お父様。今日はお仕事は大丈夫なのですか?」

「ああ。大丈夫だ。今日と明日は非番をもらえたし、学園も二日間安息日のはずだ。ですよね?お義父さん」

「そうじゃな。して、どこへゆくのかの」

 

 父はライヒアラ騎操士学園で指導教官を務めているため、非番の日をもらうことはあまりできない。生徒が休みであったとしても、教官として次の授業の用意や、使用する練習機の数の調整など仕事はたっぷりあるからだ。

 

 一方父に問いかけられた、祖父のラウリ・エチェバルリアはこのライヒアラの象徴ともいえるライヒアラ騎操士学園の校長だ。授業の用意などがないにしろ、必然的に学園が開かれている日は夜まで帰って来ることができない。

 

 母はいつも家にいて、私とエルに魔法を教えてくれている。本来なら高価な魔法の教本が家にあるのは祖父のおかげであり、母が教え上手なこともあって私たちは魔法の習得に苦労することがない。

 

 こうしてみると私の今世の家族はそれなりに偉い人ばかりで、一般家庭の内では私たちが騎操士になるためにこれ以上ないほど恵まれた環境にあるのだということがよくわかる。

 

 母を筆頭に、私たちに甘すぎることが問題らしい問題と言えるだろうか。

 

「幻晶騎士!幻晶騎士がみたいです!」

「……図書館で、魔法の本がみたい、です」

 

 この世界の図書館は意外なことに、高価な魔法関連の書籍が相当数置いてあることが多い。それは国民にある程度の自衛手段を与えるという目的もあるが、どうやら国策としては騎操士の門戸をできる限り広げるために、魔法の教本を買うことができない人々でも教育の機会を得られるようにという目的があるらしい。

 

 魔獣の生息域に囲まれたフレメヴィーラ王国にとって、騎操士の数はそのまま国力に繋がってくる。もし貴族しかなる機会を得られないような特権階級であっては、早晩国が崩壊するだろう。だからどんな生まれであっても騎操士になることができなければいけない。初代国王の時代から続くその方針がどれだけ有効であったかは、一般階級出身の騎操士の数が貴族のそれに劣らない程度であるということからも察せられるだろう。

 

 重要なのは騎操士に求められる魔法というものは高度で複雑であるということだ。

 つまり図書館にはその性質上、一般に上級魔法(ハイスペル)と呼ばれる類の高難度な魔法について解説されている本も多く置いてあるのだ。

 

 家族のみんなが一緒だということならきっといい本を見つけられるだろう。

 

 前世から追い求めてきた魔法だ。家族との団らんやエルとの訓練以外の多くの時間を魔法の学習に費やしてきた。目的は別ながら、それはエルも同様なのだけれど。

 友達がいるのかどうか?どうか聞かないでほしい。

 

 私たちのそれぞれの願望100%なお願いに対して、父は苦笑した。

 

「いや、たまにはみんなでキャンプに行こうじゃないか」

 

 家族でキャンプ、その響きは私にとって魔法の学習よりも素敵なものだった。

 

 

 

 ライヒアラの外壁の外には、のどかな草原が広がっていた。初めて見る景色というわけでもないけれど、日本でも街の中でも見ることが少なかった景色はやはり新鮮味のあるものだ。とはいえ、転生による影響からか日本の景色をそう多く覚えているわけでもないのだけれど。

 

 今回向かうのは街から少し離れたところにある、魔獣がほとんど駆除された安全な森らしい。

 

 森までの道を馬車に揺られてゆるりと進んでいく。エルは御者として馬を操る父に幻晶騎士の話をきらきらした瞳でせがんでいた。私はどうするべきか迷って、誰に話しかけるでもなくただ過ぎ行く景色を眺めている。母と祖父が私を心配そうに見ていることには気づかないふりをして。

 

 

 

 母や祖父に話しかけられないのは、私が”家族”というものに複雑な思いを抱えているからだ。

 私の前世での両親は私が小さいころに交通事故で突然亡くなった。だから両親との記憶というものはあまり残っていない。その後に私を引き取ってくれた家族とも、私は距離を取ってしまった。皆優しくしてくれたし、最期の日でさえその姿勢は変わらなかったにもかかわらずだ。ずっと私が距離を取っていることを気に病んでいた。

 

 家族を失ったからと、現実から逃げるようにして大切な人たちを傷つけた私に、この人たちの優しさを享受する権利などない。

 

 それでも。

 きっと今のような在り方も、家族には心配をかけてしまうだろうから。

 いつか前世の家族と折り合いをつけて、今の家族をありのままに受け入れられるようになるまで、どうか待っていてほしいと思う。

 それは少し自分勝手な願いかもしれないけれど。

 

 

「セラ、着いたわ」

 

 そう呼びかけられて目を覚ましたのは母の膝の上だった。いつの間にか寝てしまっていた私に、母が膝枕をしてくれていたようだ。

 すぐに立ち上がろうとして、母に止められる。母はまっすぐに私の目を見つめていた。

 

「もし怖いことがあるなら、私たちをちゃんと頼ってね。あなたは大人びてて自分だけでなんとかしようとしちゃうもの。お母さん、自信を無くしちゃいそう」

「特に俺はあまりセラに何もしてあげられてないからなあ。もっとお父さんを頼ってくれ」

「子どもは大人に甘えるものじゃよ」

「セラはもっと皆に甘えてもいいと思いますよ」

 

 気付けば家族のみんなに囲まれていた。なぜこんな状況にと思えば、頬に慣れない感触を感じた。涙が通って乾いた後の、かさついた感触。

 まあ、なんだろうか。どうやら家族に私が心配をかけなくてすむようになるには、まだ時間がかかるらしい。

 

「……あり、がとう」

 

 森の入り口の木々が日の光に照らされて、来るものを優しく迎え入れるかのようにそっと風に揺れている。そんなうららかな午後のことだった。

 

 森の中は木々もまばらで、見通しがよくなだらかに上っていく道であった。

 

 そうはいっても整備されていない凹凸のある道は体力を削り、疲労感を与えるものだ。父は言わずもがな、祖父と母も何事もないように歩いていたけれど子どもの私たちはそうもいかない。魔法で身体能力をごまかし、時折父に背負ってもらいながら目的の場所にたどり着いたのは夕方の頃合いのことだった。目の前を歩いていた父が突然立ち止まって、私はそこが開けた場所であることが分かった。

 

 「ごらん。エル、セラ。綺麗だろう?」

 

 そういって父が指さした光景を、おそらく私は一生忘れることがないだろう。

 

 森の中に突然現れたかなりひらけた場所。そこには白い花の花畑があり、その美しい花を誇るように咲き乱れている。夕日に照らされたそれらは、幻想的と言えるまでの色合いだ。

 そして花畑の向こう、遠くに見えるのは同じように夕日に照らされたライヒアラだ。鮮やかな橙と濃い影のコントラストが、遠くからでもその輪郭を鮮やかに映し出している。

 

 その光景は思わず時が止まることを祈るほどに美しい。

 

 言葉もなくたたずむエルと私を、父が両手に抱き上げる。

 

「私はくじけそうになればこの景色とお前たちのことを思い出すんだ。なんのために私は戦うのか、とね」

 

 景色から目を外して見た父の表情は、何かを決心したような、それでいて温かいものだった。

 

「騎操士は人々を守るためにある。二人が騎操士になるのなら、どうかこのことだけは忘れないでいてほしい」

 

 父は私たちにとても大切なことを伝えようとしている。そのためにこの場所へ私たちを連れてきたのだ。

 それは魔法や幻晶騎士のために騎操士になろうとする私たちへの注意でもあったのかもしれない。

 

 けれどこの光景は、私が騎操士になることをより強く望ませるものだった。

 

 この景色が決して失われることのないよう、守るために。人々を魔獣から守るために。

 

 少しして、キャンプの準備を終えた母と祖父が近づいてきた。

 

「きれいでしょう?お父さんはね、この場所でこの景色を前に私にプロポーズしてくれたのよ?」

「ティ、ティナ。それを言うのは恥ずかしいからやめてくれ」

「恥ずかしいだなんて。あの時のあなたはとっても素敵だったからそんなことないわ」

「そうじゃなくてだな……」

 

 さっきまでとは一転母にたじたじになっている父を見て、私はエルと顔を見合わせる。そうして、おかしくて仕方がないというようにお互いにクスリと笑うのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜の競争

「二人は今日も元気ねえ」

「二人はいつもの競争か」

「お父さんも加わってみたら?」

「……よそう。見ている限りでは、私は二人に恐らく勝てないしな」

「ふふ。二人とももう魔法について教えることもなくなってしまったもの」

「ティナも料理がさらに上手になってきたよな」

「二人が私の料理をかけて争ってるって知ってた?」

「そうだったな。……これは?」

「味見よ。はい、あーん」

「……もう一回結婚を申し込みたくなるな」

「あら、もう結婚してるじゃない」

「いつまでもおぬしらは駄々甘だのう。胸焼けしそうだわい」

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ライヒアラ騎操士学園は日本でいうなら小中高一貫教育の仕組みを持つ、国内で最大規模の教育施設である。当然、それだけの数の生徒が集まるとなれば周囲の人口規模も相当なものであるということになる。その営みで形成されるライアヒラ学園街と呼ばれる都市に、私は住んでいる。

 

「さて、今日も競争と行きましょうか」

 

 目の前でエルはフードをかぶり、飛び跳ねたり伸びをして運動の準備をしている。太陽は町をぐるりと包む城壁の向こうに隠れて、人々は家に帰り家族の団らんの用意を始める頃合いに、私たちは我が家の屋根の上にいた。

 

「……今日も、負けない」

 

 私の言葉にエルがどんな表情を浮かべたのかは、フードと暗闇でよくわからない。十中八九、心底楽しそうに笑っているのだろうけれど。

 準備体操を終え、私もエルと同じようにフードをかぶる。気分はアサシンか忍者かといったところだ。ばれてもどうということはないのだけれど、騒ぎにならないようにわざわざフードをかぶって見つからないようにしているのだから、あながち間違ってもないだろう。

 

「……ニンニン」

「お主、伊賀か甲賀か、といったところでしょうか」

 

 エルは既に準備を終え、杖を片手に待っている。私もまた、術式をいつでも発動させられるようにして耳を澄ませる。

 

 街の人々の気配がぽつぽつとしたものになり、世界が静寂に包まれている。いくつか拍子を数えるころに、静けさを破るようにスタートの合図――六時を告げる鐘の音が響いた。

 

 「「身体強化(フィジカルブースト)」」

 

 走り出したのは同時。使った魔法も同じ脚力を強化する上級魔法(ハイスペル)。子どものものとはいえ魔法で強化された脚力によって、お互いすぐに屋根の端にたどり着く。迫りくる足場を踏み外さないように、タイミングを見計らい魔法の出力を上げてさらに踏み込む!

 

 空中に飛び出すと同時に私は魔法を次々に唱えた。その結果は目に見えるものではないけれど、唱えた私にはよくわかる。

 体が重力にひかれて落下し始める前に私は、()()()()()()()()()()()。それを三角飛びの要領で、次の屋根に飛び移るまで繰り返す。屋根にたどり着いてちらと様子を確認すれば、エルは炸裂音とともに空中に撃ち出され、間をおかずに同じ屋根に軟着陸したようだ。

 

 私たちが使ったのは同じ『空気弾丸(エア・バレット)』という大気を圧縮する魔法だ。本来ならば圧縮した空気を敵に撃ち出すものだけれど、圧縮した時点で止めることで応用の幅が広がる。

 

 エルは魔法の風圧で自分を吹き飛ばしたのちに、着地地点に圧縮した大気を用意して衝撃を和らげた。エルはこれを大気圧縮推進(エアロスラスト)と呼んでいる。

 

 一方私が行ったのはとてつもなく圧縮した大気を進路上に複数配置し、『身体強化(フィジカルブースト)』を発動したままそれを足場にするというものだ。私はエルに倣ってこの魔法を大気圧縮跳躍(エアロステップ)と名付けている。

 

 

 結果としては『身体強化(フィジカルブースト)』の出力でエルを上回り、しかもそれを発動し速度を維持し続ける私の方が、エルよりも先に隣の屋根に飛び移った。しかしそれもわずかな差で、逆転を狙うべくエルはすぐ後ろを距離を開けられないように走っている。まったくもって気が抜けない。

 

 私とエルの魔法の能力は、双子であるにもかかわらず大きな違いがある。

 エルは演算が異様に早く、またたやすく既存の魔法を劇的に改良して見せる。魔法の効率化と演算速度では、エルには少し差を開けられている。

 そして私はどうやら先天的な魔法の才に恵まれているらしい。魔導演算領域が他の人よりも広く、魔力も訓練をしない段階でエルの数倍はあった。そのため私は魔力を多く注ぎこむことで、魔法の出力を上げられるし、多くの制御式が必要な大規模で威力の高い魔法を扱うことも、多くの術式を並行起動することもできる。魔法の改良も行っているがエルほどの省エネに至るのは少し難しそうだ。

 

 これらはエルとともに魔法の訓練をする中で母のティナが気付いたものだ。私が初めて唱えた魔法が的を破壊したのは、無意識に魔力を多く使ってしまった結果であるらしい。余談ではあるけれど、子供が二人とも魔法に優れているとわかった時の母の喜びようは凄まじく、その日の晩御飯はまるでクリスマスかのように豪華なものとなり、仕事から帰ってきた祖父と父が目を丸くしていたのがおかしくて、母とエルと私で大笑いしてしまった。

 

 それはさておき。

 エルとの競争も半ばに差し掛かってきたのだが、差はあまり開いていない。ここまではいつもと同じ流れで、ここからエルが何かしらの工夫で私を追い抜こうとしてくるのだ。それを私がしのぎ切りリードを守り切れるかどうかが、この競争の勝負所である。現状は、身体強化(フィジカルブースト)の出力や魔力量の差、そしてエルの演算速度が活きにくい条件のおかげか私が勝ち越すことができているけれど。

 ちなみにエルが私と同じ走り方をしないのは、同じことをずっと続けるとエルでは魔力が足りなくなってしまうからだ。大気を足場にできるほどに圧縮するのは地味に魔力の消耗が激しい。

 

 リードを広げたいが、速く走ろうとしてあまり『身体強化(フィジカルブースト)』の出力を上げすぎると、今度は体の操作を誤って下手をすれば転落しかねない。残念なことに私の運動能力自体はそれほどのものでもないのだ。

 とはいえ勝者に捧げられる絶品である夕食のおかず一口分を譲るわけにもいかない。私は『身体強化(フィジカルブースト)』の出力を少し引き上げることにした。

 

「あれ、誰か来るよ」

 

 直後にそんな声が前方から聞こえた。

 気付けば、目の前には二人の少し年上に見える子供。

 速度が出すぎていて、このままではぶつかってしまう。私の演算速度では魔法は少し間に合わない。それでも軌道をそらそうと自分を上に吹き飛ばす魔法を唱える。

 

 まずいと、衝突を覚悟したその瞬間。

 

「ふぎゃ!」

 

 ぶつかったのはやわらかい空気の塊。そう認識する間もなく、自分の魔法が発動する。その結果として私がどうなるか。

 

「ふにゃー!」

 

 クッションにぶつかった間抜けな顔のまま上空へ吹き上げられ、情けない悲鳴を漏らす現状が答えだ。

 ……人間は急に止まれない。

 

 私がぶつからずに止まれたのは、私より先に人影に気付いたエルがその演算速度で以て大気をクッションのようにする魔法を唱えたからだ。クッションとはいえ高速で顔面から突っ込んだ私の顔はおそらくいろいろな意味で真っ赤だろう。今が夜でよかったと思う。

 

「セラ。競争に集中するのはいいですけど、周りをちゃんと見てください」

「……ごめんなさい」

「わかっているのならいいですよ。二人にも謝りましょう」

「……ずび。ごめんなさい」

「……あ、ああ」

 

 私に頭を下げられた二人は暫し茫然としていたがやがて再起動したらしい。目の前で起きたことを徐々に理解し始めたようだ。

 

「いや、というかお前ら誰だよ」

「すごかった!すごい速さで突っ込んできたと思ったらバーって吹き上げられて!」

「……それは忘れて」

 

 名前を聞かれた私はフードをかぶったままでいるのも不審であると思い、フードを脱ぐ。エルもそれに気づいたのか、少し遅れてフードを脱いだ。

 

「そういえば名乗っていませんでしたね。僕はエルネスティ。こちらが妹の……」

「……セラフィーナ。よろしくね」

 二人はまたもや何かに驚いたようだった。おそらく私たちの容姿についてだとは思うけれど。

「俺はアーキッド。でこっちが妹の」

「私はアデルトルート。エルネスティちゃんもセラフィーネちゃんもか、可愛い……」

 

 どうやらエルはまた女の子だと勘違いされているらしい。二人そろって母にそっくりだから仕方ないといえば仕方ないけれど、エルの顔が心なしかひきつっているのは気のせいだろうか。

 

「こう見えて僕はれっきとした男ですよ。名前は長いでしょうからエルでいいです」

「……私は女だよ?セラって呼んで」

「じゃあ俺はキッドな」

「エル君とセラちゃんね!すごいそっくりだ!私はアディって呼んで!」 

 

 アディが手をワキワキしながら興奮したような表情で近づこうとしているのがとても怖い。飢えた猛獣が獲物を見つけた時のような、という例えは彼女に失礼だろうか。なんにせよ、狙われているようで落ち着かない。

 フへへ……と不気味な声まで聞こえてきそうなアディから目をそらしてキッドが問いかける。

 

「二人は何してたんだ?」

「僕たちはちょっと競争をしていました」

「競争?どうやったらあんな速くなれるんだよ」

「……魔法を使ってちょっと頑張ってた」

「その魔法をちょっと教えてくれねえか。すっげえ気になる」

「私も私も!私たちもできるの?」

「できると思いますが、上級呪文ですから相当練習しないと無理ですよ?」

 

 エルの言葉に二人とも構わないと了承の意を示した。そして始まったのはエルのパーフェクト魔法教室だ。エルの教えがわかりやすいだけでなく、二人の頭もいいようでしっかりついてきているようだ。たまにわからなくなった時に私がサポートを入れていく。

 

「難しいことやってんだなあ」

「慣れればそれほどでもありませんよ」

「それでもすごいよ!かぅわいいし!」

「……それは、多分関係ない」

「お前は怯えられてるからがっつくのやめろ」

 

 キッドがアディの襟をつかんでくれたことで少し安心する。しかし意外に長いこと話していたらしく星の位置から見るにいつも家に帰る時間をとっくに過ぎてしまっているようだった。

 

「……エル。そろそろ時間が」

「っと。そうですね。遅くなると親を心配させてしまうのでそろそろ帰ることにします」

「ちょっと待ってくれ。二人はいつもさっきぐらいの時間にここを通るのか?」

「はい」

「そっか。今日はありがとうな」

「またねー」

 

 手を振る二人を背に私たちは魔法を使いながら家にまっすぐ帰ることにした。またもやすっげーとかすごいと二人が驚いてくれるのはやはりうれしいものがある。それはさておいても。

 

「……エル。ありがとう。今日は私の負け」

「いえいえ。気を付けてくださいね。遠慮なくいただくことにします」

 今日の競争は私の負けだろう。エルがいなければキッドに突っ込んでいるところだったのだから、私の注意力不足だ。

 

 次の日、私たちは競争中に同じ場所で私たちを待っていたキッドとアディに会って、二人に魔法を教えることになったのだった。




セラの魔法のイメージはワートリのグラスホッパーか、SASUKEのファーストステージがわかりやすいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異端の杖

もう少しもすれば入学式ではあるが……。

はたして、わしらはあのいたずらっ子どもを御しきれるのかのう。

……まあ、あの子らの好きにやらせてみるか。

 

-------------------------------

 

「やーい、バトソンののーろまー!」

「このはげー!」

「もう息切れしてんのかよ」

「ぜえ、ぜえ。てめえら、仕方ないだろ!俺たち、ドワーフがそんな、速く走れるとでも、思ってんのかよ!てか、はげてねえよ!」

「のろまのバトソンが怒ったぞー!逃げろー!」

「あの腕でたたかれていたぁいいたぁいってなるぞー!当たればなー!」

 

 

 エルと私、キッドとアディという、出会って以来いつも一緒に遊んだり魔法の訓練をしたりしているメンツで街中を歩いていると、近くの路地からそんな子ども同士の喧嘩の声が聞こえてきた。

 なにがあったのかと気になって覗いてみれば、そこにいたのは肩で息をしているバトソン・テルモネンだった。バトソンは近所で鍛冶屋を営んでいるドワーフの息子であり、彼の父親にはよく壊れた金物を修理してもらっている。そんな縁もあって、彼はキッドたちの次ほどには仲がいいと思っている子だ。

 

「なんだよ、お前らもどうせ俺のこと足が遅いってバカにしてんだろう!けっ」

 

 私たち四人組を見たバトソンはそういってずかずかと立ち去ろうとする。

 察するに、鍛冶仕事に特化したドワーフであるバトソンは、そのずんぐりとした体形のせいであまり走れないことをからかわれたのだろう。いつも見る子どもの喧嘩の光景ではあるのだけれど、人が半ばいじめられているような状況はあまり気分のいいものじゃない。

私はそんなこと気にする必要はないとはおもうのだけれど。まあ、子どもにとって自分たちと違うものは格好の攻撃対象なのだろう。

 そんなバトソンの姿を見たエルは、それはもういいことを思いついたという風ににやりと笑った。

 

「ああ、いつものあれですか……。よし、みんなでそいつらを追いかけましょうか」

「どうするの?エル君」

「なに、ちょっとバトソンをおもりに特訓をしようかと思いまして」

 

 なんとなくエルのやりたいことを察したのか、なるほどとキッドとアディもにやりと笑う。私はといえば、もうあきらめ気味にすこしだけ笑っている。こうなってはもう止めるのも無粋というものだろう。なに、子どもがちょっとかわいらしいいたずらをするだけである。

 

「ふん。勝手に追いかけてろ。俺は帰」

「何を言うのですかバトソン。あなたも一緒に行くのですよ」

「は?っておまえら、ちょ、やめ、どうして俺を持ち上げてんだ!」

 

 キッドとアディがバトソンの脇をそれぞれがっしりつかんで持ち上げる。まるでリトルグレイのようだ、というには少しバトソンがずんぐりとしているし、身長も大きいけれど。

 私とエルはそれぞれ前に並んで先導兼索敵だ。

 

「目標は中央広場にいるでしょう。今日の走り込み、はじめ!」

「……おー」

「うわぁ!はや、や、やめろー!」

 

 

 

 

「バトソンの奴の顔みたか?」

「マジで間抜けな顔してやんの。あー楽しかった」

 

 バトソンをからかったいじめっこグループはエルの予想通り中央広場でたむろしていた。バトソンを除く全員で顔を見合わせ、頷く。

 

「標的発見。バトソン砲、発射です!」

「ちーがーうーだーろー!」

 

 バトソンが飛んでくることに気付いたいじめっ子グループは、追いついてくるはずもないバトソンが勢いよく飛んできたことでひどく驚いていたようで、その隙が命取りとなった。

 

 身体強化(フィジカルブースト)によって強化された速度そのままに発射されたバトソンは、いじめっ子グループにボウリングのように直撃し、彼らともども広場に置かれていたタルの山に突っ込んでいった。

 中身を壊してしまうと迷惑をかけるため、タルとバトソンをそっと空気弾丸(エア・バレット)で着地させておく。いじめっ子?慈悲はない。

 

 タルの山が崩れたことで周りの大人の視線が何事かと集中しはじめた。騒動の中心にいるいじめっ子たちはバトソンの衝撃で気絶しているのか起き上がる様子を見せない。

 

「……やりすぎだよ」

「ちょっとまずいのかな?」

「あ、いいこと思いついたぜ。さっさとずらかるってのどうだ?」

 

 そんなことを言っているうちに被害が少なかったらしいバトソンが立ち上がり、叫んだ。

 

「てめえら、ふざけんなー!」

「よし、みんなで逃げましょう!」

「待てやお前ら全員!」

 

 エルの声とともに私たちは走り出し、後をバトソンが勢いよく追いかけてくる。怖いことを言っているけれどバトソンはなんだかんだ言ってアディと私をあまり強くたたかない。もちろんあまり強くないだけで、痛くないわけではないから全力で逃げ出すのだけれど。

 

 そうなればバトソンが追いつけるはずもなく、鬼ごっこはバトソンの家『テルモネン工房』まで続いたのだった。

 

「お、お前ら、速すぎんだろ……」

「……これでも遅い方だよ?」

「まじかよ、ああ、さっきの、お前だろ。ありがとな」

「……何のことかな?」

 

 工房についたころにはバトソンはもう息も絶え絶えという状態になっていた。ぶつかったどさくさでばれていないと思っていたのだけれど、どうやら私が少し魔法で手を出していたのはばれていたようで、息を切らしながらお礼を言われる。

 特に意味はない、意味はないのだけれどしらを切っておく。恥ずかしいわけではない。ただ、次からはもうちょっとうまくやろう。

 

「心配せずとも、バトソンに魔法をかけなければばれないくらいには上手でしたよ」

「……バトソン、次は私も一緒に投げてあげる」

「もう二度とごめんだし何で俺なんだよ!」

 

 息は切れていても突っ込みのキレは落ちないらしい。心なしか楽しそうに笑っているあたり、バトソンも今日のは楽しかったようだ。

 人間砲弾は確かに何度もなりたいものではないだろうけれど。

 

「まあ、いいや。せっかくだしお茶でも飲んでいくか?」

 

 少し待って息が整ったバトソンがそう提案してきた。顔を互いに見合わせ、頷いた私たちはバトソンの厚意に甘えて、テルモネン工房へ入ることにした。

 

 

 

 テルモネン工房へ入った途端、むわっとした熱気に包まれる。どうやら店舗の奥に鍛冶場があるらしく、奥を見れば炉の前でバトソンのお父さんと数人の鍛治師が黙々と仕事をしているのが確認できた。

 カン、カン、という槌の音と特有の熱気に包まれて、まるで異世界に来たような錯覚を覚える。

 ……よく考えれば私は異世界に来た人間であるのだけれど。

 

「見て見ろよ。これが父ちゃんたちの作ったもんだ」

 

 そういってバトソンが指さしたのは剣や槍、鎧といった武器防具だった。その横には金属製の鍋や食器なども置いてある。

 さすがは鍛冶にたけた種族であるというべきか、どれも質がよさそうなものばかりだ。父から剣の目利きを教えてもらっているのだが、どれも合格ラインを越えているものばかりに見える。

 

 他のみんなはというと、エルは物珍し気に、アディはエルの後ろでそんなに興味なさげに、一方でキッドは大はしゃぎ、バトソンはみんなの好意的な反応に上機嫌とそれぞれ個性的な楽しみ方をしているようだ。

 私はすでに鍛冶場の熱気にやられて、涼むための道具を探していたのだけれど、どうやらそういったものはないようだ。

 

 こういう時、うちわでもあればいいのだけれど……。

 

「ねえねえ、バト君は何か作れるの?」

 

 思い出したように問いかけたアディに、バトソンは少し照れくさそうに頭を搔いた。

 

「あー。金物は父ちゃんがあまり触らせてくれないけど木工ならやってる。俺だってドワーフだ。細工の腕は父ちゃんにも褒められるくらいなんだぜ!」

 

 そう言って指さすのは店の隅にあった木工品だった。杖や皿など、作りがシンプルなものばかりではあったけれど、だからこそ好ましく思えるものばかりだ。

 

「『杖』も作れるのですか」

「あ、ああ。材料さえあれば細工は簡単だからちょっとした小遣い稼ぎに作ってる」

 

 『杖』は簡単に言えば触媒結晶を取り付けた、よく魔力を通す棒切れだ。一般的に素材はホワイトミストーと呼ばれる質素なものが使われていて、バトソンの作った杖もそれが材料のようだ。

 

「常々魔法を使っていて思っていたのですよ。杖って、いまいち使いづらくありませんか」

 

 エルの言葉にみんな首をかしげている。どういうことなのか、いまいち私も把握しかねているのだけれど。

 

「例えば騎士ならば片手に剣、もう片手に杖をもって戦うことが多いですよね?それってわずらわしいと思うのですよ。纏めてしまえばいいじゃありませんか」

 

 ……ああ、なるほど。

 エルが言っているのは、地球の過去の大戦において一時期歩兵の主装となった『銃剣』の発想のことである。

 魔法を銃弾と同じ飛び道具としてとらえてしまえば、杖を銃と見立てる発想にもつながるわけだ。

 『杖』は某英国の魔法物語のような棒状である必要はない。そのことを理解した瞬間私もあることを閃いた。

 

「それはわからなくもないけど、じゃあどうすんだ?」

 

 そうバトソンに問いかけられたエルはにやりと笑った。悪寒を覚えたのか、バトソンが身を縮めた。

 

「……私もいいこと思いついた」

 

 バトソンが震え上がった。

 

 

 

 翌日、エルと私が家で書いてきた『杖』の設計図を見たみんなは訳が分からないという風な表情をしていた。

 それもそうだろう。だってそれは、この世界にはない形状だったのだから。もっとも当の二人はお互いの図を見て、予想通りとでもいうような顔をしているのだけれど。

 

 エルが書いてきたのは『ウィンチェスターライフル』の設計図だ。地球では猟銃としてであったり、FPSにも時々出てきたりした代物である。おそらくエルは銃の先端に剣をつけて取り扱うつもりなのだろう。

 エルが一通り説明を終えると、みんなの興味がこちらへ向いた。

 

「セラちゃん、これなあに?」

「……『鉄扇』っていうの。本当は扇いで涼むためのもの」

 

 私が書いた設計図は鉄扇のものだ。これは扇子をそのまま鉄で作ったもので、見た目に反して攻守ともに秀でた武器としての性能もちゃんとある。今回は『杖』として使うために、鉄の部分は先端だけで、要の部分を触媒結晶にする以外はすべて木製になる。本来の用途を考えると、軽いに越したことはないのだけれど。

 

「なぜ扇子を?」

「……暑いときにいいなって思って」

 

 これを聞いたみんなが静かになるのも、今回は仕方なかったかもしれない。

 

 

 

 実物をバトソンとその父さんが作ってくれたので、エルと私は実践演習をすることにした。

 エルは予想通りというか、遠くから銃を撃つようにして魔法を撃った後、接近して魔法をまとわせた銃剣で丸太を切り倒していた。

 

 次は私の番だ。

 的は三本の丸太。まずはその右側の丸太に、右手に持つ閉じた鉄扇を向ける。

 

炎の矢(ファイア・アロー)

 

私の前方に現れたのはその数三十を越える燃え盛る魔法の矢だ。全てが目標に向いているそれらを、一斉に放つ。

まさしく弓から放たれたような速さで進んだ魔法が、一瞬のうちに全て命中し、まるでドリルで掘削しているかのような凄まじい音を上げた。

あとには真っ黒な炭しか残っていない。

 

それを確認した後に続けて身体強化の魔法を発動し、左の丸太へ一気に走り寄る。

開いた鉄扇の先端を纏うのは、エルも使っていた『真空斬撃(ソニック・ブレード)』という中級魔法によって作られた真空の断層だ。

 

居合いぎりのように左から右へ振り抜いた鉄扇を、勢いそのままに最後の丸太へと投げつける。

二つの丸太はどちらも真っ二つになって綺麗な断面をさらすばかりだ。

 

「……またつまらぬものを切ってしまった」

 

決め台詞も忘れずに。

 

 

私たちの演習を見ていたバトソンは顔に手を当てて呆れているようだ。

 

「何て言うか、めちゃくちゃだ」

「それはそれとして、素晴らしい出来映えですよバトソン!お陰でもっと魔法が楽しくなりそうです。もう一本つくってもらってもいいでしょうか」

「……凄くいい。バトソン、ありがとう。私も、もうひとついい?」

「お前らちったあ遠慮しろよ!」

そんなバトソンの姿を見ていると、アディが近づいてきた。

「セラちゃん。それ何て名付けるの?」

 

すっかり名前をつけることを忘れていた。でも、こういうのはシンプルなものでいいと思うのだ。

「……扇杖(ファンロッド)

 

そうして、同じものをもうひとつずつ作ってもらった私とエルは、両腰にそれぞれの杖をエルは鞘にいれて、私はベルトに挟むようにして持ち歩くようになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進路の相談





「入学の案内なんて、二人ももうそんな年なのねえ」

「九年とは、意外に長く感じられるな」

「しかしマティアスよ。あの二人が学園にきて平和で済むかのう」

「……一応、備品の胃薬を増やしておくことにします」

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 季節がそろそろ冬にはいろうとしているようなある日のこと、私とエルは自宅の居間でそれぞれに同じ一通の書状とにらめっこしていた。エルはむうっとかなり難しそうな顔をしている。思うに、幻晶騎士に一刻も早く触れたくてどうにかならないかとか考えているのかな。

 

 私たちがみている紙、それはライアヒラ騎操士学園の入学案内だ。

 

 この学園の教育課程は主に九歳からの初等部、十二歳からの中等部、十五歳からの高等部の三段階で構成されている。小中高一貫教育のようなものであるが、高等部は前世でいう大学相当の水準であるため、いうなれば小中大一貫教育である。

 ちなみに騎操士学園とはいっても、普通に農業を営む家庭の子どもや、鍛冶師を目指す子どもも多く通っている。そうなっているのはこの国の教育形態によるものだ。

 

 この国の教育制度は、その辿ってきた歴史や立地上ほかの国とはかなり違った形態をとっている。

 

 このフレメヴィーラ王国は『騎士の国』とよく呼ばれている。東のボキューズ大森海や、国内に点々と存在する未開拓地域から現れる魔獣と戦うために幻晶騎士が必要になるということから来ており、要するに『戦いの場面』が多いことを表しているのだ。

 

 それは何も幻晶騎士を操る騎操士に限った話ではなく、その脅威に一番最初に直面することになる国民全員に言えることだ。幻晶騎士は確かに強力であるものの、基本的には魔獣襲来の報せを受け取ってから動くため、魔獣への対処は後手に回ることになる。その間脅威にさらされるのは魔獣に直面している国民だ。

 

 そんな彼らが自衛のための力を求めるようになるのは、当然のことだったろう。魔法も然り、剣術も然り、知識も然り。しかしそれを学ぶ環境を個人個人で用意するというのはなかなかに難しいことだ。

 フレメヴィーラ王国では初代国王からその機会を国が用意する方針を示し、周囲の反対の声を抑えるためにいくらかの時間を費やした後、徐々に学園施設が国内各所に作られてきたという歴史がある。

 

 初等部と中等部はいくらかの補助が国から出ることもあって、比較的貧しい家庭の子までも通えるというのは、教育が今でもかなり重視されているということの証明でもある。

 

 

 と、教わった歴史について一通り思い返していた間もうんうん唸っていたエルの隣には、同じように届いていた案内状を確認し終えたらしいキッドがいる。アディはというと、後ろから私に抱き付いてフへへ……さらさら……と幸せそうな声を上げているので、されるがままにしている。

 そのうちじれったくなったのか、キッドが口を開いた。

 

「なあエル。お前騎操士になるんだろ?騎士学科に入るのはほぼ確定なのに、何をそんなに悩んでるんだ?」

 

 唸ることをいったん止めて、案内状から目をそらさずにエルは答えた。

 

「そのつもり……なのですけれど、ちょっと困ったことがありまして」

「……騎操士までが遠いこと?」

「ええ。騎操士になるには騎士として最上位の能力が必要です。すると騎士過程が六年で、騎操士過程はその後、そして配属されてと考えると……とっても先は長いのですね」

 

 騎操士はこの国にとって必要不可欠とはいっても、そう簡単になれるわけではない。高価であり、国の象徴ともいえるような責任を持つ『兵器』である幻晶騎士に乗るためには、様々な勉強が必要なのだから。

 

「父様、騎士過程において飛び級というのは可能でしょうか?」

 

 そもそもこのフレメヴィーラに飛び級制度があるのか怪しいけれど、案内状を見る限りでは他の学科では優秀な成績を修め、教師と両親の承認があれば可能であるようだ。

 しかし騎操士過程では違うのか、父はとても困っているようだった。

 

「確かにエルの、魔法能力や頑張りを考えればない話でもないが、騎士過程ではそれだけでなく礼儀作法に関する教育も行う。エルはその辺をやっていないだろう?」

 

 いわれてみれば、私たちは騎操士になるために両親から魔法と剣術を学んできたが、騎士として必要になる礼儀作法についてはあまり教えられていない。もし知らずに飛び級したならば、将来どこかで痛い目を見る可能性が出てきてしまうから、あまり好ましいとは言えないだろうか。

 

 他にも何かあるのか、それに……と少し間をあけていいづらそうに父は言葉を続けた。

 

「幻晶騎士の騎乗は騎操士学科に入ってから、大体十五歳くらいからを想定しているから、今のエルだとその……だな。身長が足りなくて乗れない」

 

 そう言われて、私とエルは顔を見合わせる。私たちは双子で、九歳になった今も見た目が鏡で自分を映したかのようにそっくりだ。お互いの体をじっくりと眺める。

 

 少女のような外見。同い年のアディやキッドにも届かない、年齢の平均をどうやっても超えていない身長。

 

 なるほど、無理だ。そんな同じ結論に至った私たちは、やはり鏡に映したかのように同時に頷いた。

 周りのみんなも、慰めようがないという風に沈黙を選んでいる。その中で、母が口を開いた。

 

「ごめんなさいね、エル、セラ。私に似てしまったから、背が伸びなかったのね……」

「「母様は悪くありません」」

 

 私たちの頭を撫でながら謝る母の言葉への否定は同時だった。そして自分の言を裏付けていくようにエルは言い募る。

 

「もともと僕の年齢も足りていないのですし、時間はまだあるのです。それに方法もそれしかないわけでは……」

 

 ぱたりと、何かに気付いたようにエルは言葉を切った。そして徐々にその口角があがっていく。

 あ、これ面白いやつだ。と私は思ったけれどまわりのみんなはエルのスイッチが入ったことを察したのか、あきれていたり頬を引くつかせていたり様々な反応をしている。

 

「そうですそうです。そもそもどうして僕は幻晶騎士に乗ることしか考えていなかったのでしょうか。騎操士になるだけでは与えられる機体は量産機、それもそれでいいですが、それではカスタマイズできないじゃないですか。カスタマイズはメカの華。あんな装備やこんな装備、もっと素敵なロボットのために、もっと僕は違う時間の使い方をするべきじゃないですか!」

 

 恍惚とした表情でなにやら呟き始めたエル。ロボットに関する想像を始めたエルというのは、普段の穏やかな態度に反して、周りの反応お構いなしに自分が満足いくまで語り続けるのでだれも止めることができない。そしてその言葉や理論の中身はロボット好きでないと意味の分からないものか、地球の知識が多分に含まれたものであることが多い。地球の知識を持っている私も、ロボットが特段好きというわけではないから、エルがこうなった時の話は本人が結論を言うまで理解できないことがほとんどだ。

 

 だれも止められないし理解できないけれど、純粋に楽しそうなエルの姿を見ていると悪くない気分になる。だからみんなあきれ気味とはいっても、どこかしら温かい空気で彼の言葉を聞いているのだろう。

 私にとっては、彼もまた転生者だということを実感させられる複雑な場面ではあるけれど。

 

「……つまり、作るの?」

「ええ、そうです」

「何を?」

「幻晶騎士です!」

「はあ?」

「え、エル君、本気なの?」 

 

 幻晶騎士を作ると宣言したエルに対して、みんな驚きを隠せないでいるけれど、私からすれば不思議なくらいだ。

 一度死んでも好きなものが変わらないほどのオタクが、どうして作ることを考えないでいられるのかと。むしろ今まで考え付かなかったことの方に驚いている。

 

「これまではずっと幻晶騎士に乗ることばかり考えてきましたが、それでは僕のための機体が作れないんです。支給された量産機を使うにしろ、改造するには相応の知識が必要です。……迂闊でした。どうしてこんなことに気付かなかったんでしょう」

 

 思考が白熱してきたのか、どんどんアブナイ笑顔になっていくエルにキッドとアディはちょっと引いている。それが普通の反応で、あらあら、すごいわねえ。私も応援するわ!なんて反応をしている母はとても珍しい類の人だろうと思う。素直にすごい。

 

「おいおい、そりゃ本気かよ、エル……」

「本気も本気ですよ!どちらにせよ時間はかかるのです。それならば自作を目指すのも一興です。それにお金を貯めて買おうとするよりは現実的でしょう」

 

 どちらが現実的かと言われても、普通の人からすれば熊と獅子どちらが強いかと言われるぐらいの感覚だと思うのだけれど。似たようなことをキッドも思っていたようで、絶対言うまいとぐっとこらえているようだ。

 そんな彼を横目に父が言う。

 

「そうはいってもエル、それは簡単なことではないぞ?」

「わかっています、父様。しかし僕は自分のためのシルエットナイトも欲しいのです。できることはすべてやりたいのです」

「……騎士としての勉強もするんだぞ?」

「もちろんです。乗り手として手を抜くのは本懐に反しますから」

「ならばいいだろう」

 

 いいんですか、お父様。そんなことを思っていると、父の目線が私に投げかけられた。

 

「セラはどうするんだ」

 

 私はどうするか。私はエルと違って、幻晶騎士に乗りたいから騎操士になりたいわけではない。

 魔法を使ってなにがしかを成し遂げたいのだ。騎操士になるのは、個人では扱い難い戦術級魔法(オーバードスペル)を扱える幻晶騎士が、その中の有力な一手段であるからに過ぎない。

 だから私がする事はずっと前から決めていた。

 

「……魔法を研究する。騎操士にも、なる」

「魔法を?いったいどうしてだ」

「……もっと魔法でいろいろできていいと思う。それに、魔法なら、多くの人が使える」

 

 幻晶騎士は強力な兵器であるし、多くの魔獣を打倒することができる。しかし操ることができるのは国全体の人口から見ればごく少数だ。

 魔法は簡単な初級呪文(コモンスペル)やそこそこ難しい中級魔法(ミドルスペル)等は一般に広く浸透しているし、必要な魔導演算領域もすべての人が持っている。であるならば、強力な魔法を一般の人々でも使えるようになれば魔獣によって死ぬ人を減らせるかもしれない。

 

 それだけではない。そもそもこの世界の魔術というのは、地球で空想されていたそれらに比べて未熟なのである。

 属性としては、火、風、雷など攻撃的なものしかなく、治癒魔法すらない。できるのは何かを操作するか発生させるというものだけ。小さいころ私はそれを知ってひどくがっかりしたものだ。

 

 しかし一つ、疑問に思ったことがある。他の魔法は本当に存在していないのだろうか。

 

 攻撃的なものしかないのは、古代の人類が開拓のために今よりも強力な魔獣と戦ううちに他の属性が淘汰、あるいは逸失したからではないのだろうか。

 できることが少ないのは、魔術構文に必要な基礎式(エレメント)や制御式が発見されていないだけではないのか。

 もし、もしもそうであるならば。見つかっていないものを見つけるか、作ればいい。

 

 実際、私は図書館のすべての魔導書に載っていない制御式をいくつか見つけているのだから、私の立てたこの仮説はあながち間違っていないと思っている。

 

「つっても、魔法はそんなに研究するようなもんなのか?もう研究しつくされてるんじゃねえの?」

「わからない。わからないから、自分で答えを見つけるの」

「お?おう」

「おお、セラちゃんが即答。こっちも本気みたいだねえ」

「……魔法は幻晶騎士にも劣らない。それを証明して見せる」

「ほほう、言いますねえセラ。絶対に負けませんよ」

「……エルには勝ち越してる。それはこちらの台詞なんだよ」

「いいえ、こちらです。これは、学園に通う日が楽しみになってきましたね」

 

 挑戦的な笑顔にいつもの無表情。対照的な表情でしかしどちらも楽しそうに競争を挑む私たちを見て思うところがあったのか、キッドといつの間にか離れていたアディが何やらやり取りをしている。

 

「決めた。エル、セラ、俺たちも騎士学科に入るぜ」

「私たちも二人に負けてらんないからね!」

「では、競争相手が増えるということですね。これはますます頑張らねば」

「いやあ、それはちょっと勘弁してほしいかなーなんて」

「賞品はセラでどうでしょう」

「乗った!」

 

 勢いよくアディが私を抱きしめる。勝負の前にもらったら賞品にならないじゃないかというかそもそもいたずらが成功したみたいな顔で笑うエルは私を賞品にしないでほしい。キッドもなんで少しだけ今反応したのかと。父も母もすごくほほえましそうに笑ってないで助けていただけないでしょうか。

 

 突っ込みたいところが多すぎてどうにもこのうまく回らない口では伝えることができない。けれど無性に楽しくてほんのわずかだけれど笑みがこぼれてきた。

 この体は表情筋が死んでいるのかってぐらい表情が変わらないから、それだけでも珍しい。

 

「……まあ、いっかな」

「いや、いいのかよ!って、え、ええ?笑ってる……」

 

 学園生活は、前世と違って楽しいものになりそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

学園へ行ってみよう
学園の始業


「今日は二人の入学式ね」

「わしらは教員席から見ることになるからのう。二人の表情をしっかり観察しておくかの」

「二人ともあんまり変わりそうにないと思いますよ」

「ひょっとするとセラは微妙に緊張して変顔になるかもしれないじゃない」

「しっかり見ておくとしようか」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 西方暦一二七四年、日本でいえば多くの人が桜を眺めて一時の休息を得る春に、ライヒアラ騎操士学園は新入生を迎えていた。

 

 ライヒアラ騎操士学園はその規模の大きさから、ライヒアラのみならず近隣の村や街の子どもたちも入学してくるため、新入生の数は相当に多いものになり、校門をにぎやかなものにしていた。その中に、エルをはじめとするいつもの五人組の姿もあった。

 

 今日は彼らの入学式であり、長い学園生活の第一歩となる日だ。というにもかかわらず、緊張しているように見えるのは、五人組の中では常日頃から表情が変わることがないセラだけである。彼女は人ごみになれないのか、しきりにきょろきょろと周囲を見渡している。その間にも、ほかの皆は幻晶騎士が通れるほどに巨大なライヒアラ学園の校門について話していたりして、とても気楽そうだ。

 

 エルなどは校門の横に配置されていた、新入生たちを歓迎するためのきらびやかな飾りつけが施された幻晶騎士を見て、人目もはばからずに拝み倒し始めてしまった。

 

 そんなロボットまっしぐらな兄の姿を見て、自分の緊張がばかばかしくなったセラはため息を一つ吐き、その襟をひっつかんで会場へ歩いて行く。

 

 ほかのキッド、アディ、バトソンの三人は双子の姿を二人の小ささ故に見失いそうになりながらも追いかけていくことになる。

 

 アディが、名案を思いついたという風に彼らを抱きしめれば見失わずに済むのではないか提案したことで、その声を聞いた双子がさらに速度を上げ、ちょっとした鬼ごっこが朝から行われるのであった。

 

 

 

 初々しい緊張感の中で行われた入学式は、特に何事もなく終わった。入場行進で父と祖父に見られていることに気付いたセラが口の端をほんの少しだけゆがませていたり、諸々の話の間キッドがずっと寝こけていたりしていたが。

 

 そして、時刻は昼頃。入学式を終え食堂に流れ込んだ生徒の多くが目に止める五人組があった。

 

 うち二人は紫がかった銀髪をセミロングにそろえた、瓜二つな少女達。違いといえば、腰に差すお互いに特異な杖の形と、はいているのがスカートかズボンか、そしてその表情という程度のものである。

 

 うち二人は黒髪をぼさぼさと緩いウェーブで流し、肩ほどの長さにした非常に雰囲気が似ている少年少女。

 

 うち一人は赤茶けた髪を伸ばしたドワーフ族の少年。

 

 楽しそうに歓談する彼らを見かけた生徒は一様にその組み合わせに興味を示したが、話しかけるまでには至らなかった。

 

 そんな中で、五人組の一人である少女(?)エルが、自分たちに近づいてくる上級生の姿を目にとらえていた。彼女の姿を見たほかの生徒たちの間にざわめきが広がっていく。

 蜂蜜色の金髪を揺らしながら彼らに近づいて行った上級生の少女は、とても自然な所作で彼らの隣の席に座った。

 

 銀髪の双子は、黒髪の双子の二人の表情が彼女を見た瞬間に苦々しい緊張を含んだものに変わったことに気付いていた。この貴族のように上品な上級生は二人の関係者、それも何かしらの気まずさを含んだものなのだろうかと思考を巡らせる。

 

 同様にキッドとアディの緊張を感じ取ったのだろう彼女は彼らに小さく笑いかけ、そうしてもう一方の銀髪の双子に向きなおった。その仕草すら優雅で、見るものに安心感を与えるものだ。

 

「初めましてかわいらしい友人ちゃんたち。私の名前はステファニア・セラーティ。あなたたちは?」

 エルは少し面食らい、セラはその無表情のままに少し細められた目で彼女をぼうっと見ていたものの、二人とも食事を置いて姿勢を正した。

 

「僕はエルネスティ・エチェバルリア、男です。こちらが妹のセラフィーナ・エチェバルリア、そちらはバトソン・テルモネンで、そちらの二人が……」

 

「大丈夫、知っているわ。エルネスティ君、機嫌を損ねたならごめんなさいね。アーキッド、アデルトルート。久しぶりね。元気そうで何よりよ」

 

 柔らかに笑い、話す彼女に対する二人の様子はいつもの彼らのものに比べてどこか硬さが感じられるものだ。

 

「ご無沙汰しています。ステファニア『姉様』」

 

 それはいつもどこか適当なキッドの口から出たとは思えないほどに堅い口調で、拒絶の意思を含んでいるように感じられるものだった。ステファニアはそれに一瞬悲しそうな表情をしたものの、すぐに笑みを戻した。

 

「あなたたちもライアヒラ学園に入学する歳になったのね。声をかけてくれてもよかったのに」

 

「ステファニア姉様は、今中等部の三年生でしたよね。なら、バルトサール兄様もここに?」

 

「ええ。騎士学科の中等部二年生よ。そのうち会うこともあるでしょう」

 

 その言葉を聞いたキッドとアディは一瞬いやそうに口をゆがめ、すぐに取り繕った。家族にしてはどこか不穏な空気の会話であることを感じているのか、他の三人も動きを止めている。そのうち、エルが食べかけのクレープに一気にがつがつとかぶりつき始めた。見た目のギャップに驚く周囲にかまわず食べつくしたエルは、口の中のものがなくなったのを確認してから口を開いた。

 

「さて、お昼ご飯も食べ終わりましたし、あまり長居してもほかの生徒の迷惑になるようなので、日を改めてみてはいかがでしょう」

 

 食堂はエルの言う通り多くの生徒で混み合っていた。それに気づいたステファニアは名残惜しそうに言う。

 

「……そうね。あなたたちも騎士学科だったものね。ならまた会う機会もあるでしょう。こんどまたゆっくりと話しましょう」

 

 そして彼女は立ち上がると、去り際にエルとセラの頭を撫でていったのだった。

 

 

 

――セラ視点――

 昼ごはんの後もどこか上の空だったキッドとアディは、帰り道にエルに問いかけられたことで彼女との関係性を話すことを決めてくれた。

 

 あまり人に言える話でもないからとエルの部屋に集まって聞いたところによれば。

 

 いわく、自分たちの父は貴族で、母はその妾である。父は自分たちを認知しており、家や食費を世話してくれている。しかし本妻はとても嫌な人で、異母姉であるステファニアは自分たちに優しいものの、その下にいる二人の弟の内一人が、本妻と同様に自分たちを毛嫌いしており、何かにつけて嫌がらせをしてくる。その弟こそ、会話に出てきたバルトサールであり、うざいから自分たちはとても気に入らない。

 

 話している間の二人の表情は重苦しく、時折憎々し気なものにもなっていたから、本当に嫌な思いをさせられてきたのだと思う。母親のオルターさんが何もしないのも二人にとっては悔しいのだろう。

 

 一通りの話を聞いたエルは一つ頷いた。

 

「おおよその事情は分かりました。それで?」

 

 いきなり立ち上がり、キッドとアディのそばまでエルは歩いて行く。私はずりずりと膝立ちではいよっているのだけれど、エルの方に二人とも意識がいっているらしく、気付いていない。

 

「それでって、なんだよ」

 

 キッドに問い返されたエルはイイ笑顔で指折り数え始めた。

 

「方針は撃退ですか?黙殺ですか?それとも闇討ちとかでしょうか?」

 

「……エル。社会的抹殺という選択肢も入れないと」

 

「そうですね。名案です!」

 

「名案です。じゃねえよ!物騒すぎんだろ?」

 

 ここはあれしかないと襟に手をかけ、女の子座りでキッドを見上げる。

 

「……撃退?黙殺?それとも……や、み、う、ち?」

 

「っ。……言い方の問題でもねえよ!」

 

「ねえねえキッド。セラちゃんの仕草がちょっと大人っぽかったのはわかるけどさ、すごく間が開いたのはなんで?ねえねえなんで?」

 

「しいて言うならば表情があれば満点なのですが……」

 

「だーもう!話戻すぞ!」

 

 突っ込みの連続楽しかったんだけどな。残念。

 

 息を切らしたキッドはエルの方へ向き直った。

 

「あーもう。お前らが友人でよかったと思うぜ。敵ならどんだけ怖かったか」

 

「本当にさすがエル君とセラちゃんね!でも、あまり迷惑をかけるわけにもいかないから……」

 

 

 そう言って目を伏せるアディ。けれど、迷惑をかけるかけないからどうだ、だなんてこれだけ親しくなったのにずいぶんと野暮だと思う。できることなら、私はこの二人の力になりたいと思っているのだから。

 エルも同じ考えのようで、一瞬あった目線に了解の意を込めてお互いに頷く。

 

「そうですね。僕があまり首を突っ込んでいい問題でもないかもしれません。でも友人が困っているのに見捨てる気はありませんよ。困ったことがあったら言ってください。力になりますから」

 

「……二人だけならできないことも、四人ならきっとできる、と思う。私とエルは、二人の味方だよ」

 

「……ああ、わかった!」

 

 私たちの言葉に元気づけられたのか、力強く頷いた二人に笑顔が戻った。やっぱり、近しい人には暗い顔でいるよりは笑顔でいてくれる方が嬉しい。

 

 けれど、貴族が絡んでくるなんて。それに聞いた限りでわかるバルトサールの性格からすれば、必ず二人に絡んでくるだろう。そして二人は私たちと一緒に特訓してきた結果、この年代では並ぶものがいないほどの能力を持っている。

 

 中学生程度の歳でプライドに凝り固まった貴族様が、見下している二人が実は自分よりも上だと知った時の行動というのは思いつく限りろくでもないものしかない。

 

 きっと一波乱が起きるのだろう。

 

 

 二人が帰った後、私とエルは午後に配られていた『時間割表』を確認していた。どんな授業があるか確認するためだ。

 

 初等部一年生の授業はどれも基礎的なものばかりで、前世の知識とこれまでの特訓を考えれば、ひどく退屈なものになるだろうことは間違いないと思う。眺めるのも早々に、中等部、高等部の授業へと自然に目は流れていく。

 

 その中にひとつ、とても気になる授業を見つけた。高等部の選択科目である『魔法開発論』だ。この世界では、新たな魔法を開発するというものはそうそうあるものではない。開発したと思ったら既存のものに酷似していたり、魔法を高難度まで理解したものの多くは騎操士になるなどの背景もあるからだ。だからこそ、この授業は異彩を放つ。

 

 同じ時間枠にある初等部の授業は、騎士学科必須科目の『魔法学基礎』。どうやら同じように気になったらしいエルとともに父に聞いてみたところこの授業は、初歩もいいところで、初級呪文程度しか行わないらしい。

 

 なぜエルも父に『魔法学基礎』について聞いたのかと思えば、エルが時間割表を見せて指さす授業は『幻晶騎士設計基礎』だった。こちらも同じようにかぶっている授業は『魔法学基礎』。

 

 らんらんと目を輝かせているエルとともに呟いた一言は、この授業、邪魔、だった。

 

 

 

 そして訪れた魔法学基礎の授業。今回の内容は実力に応じたクラス分けのためのちょっとした実技テストだ。とはいっても入学したばかりの子どもたちにそんな大した違いもあるわけもなく、出てくる呪文はせいぜいが中級魔法の爆炎球(ファイアボール)程度で、多くは簡単な初級魔法を使っている。それも、一発撃って息切れする程度の魔力量の子たちばかりだ。

 

 正直に言って、あまり高いレベルとは言えない。

 

 私より先に順番が訪れたのはエルだった。エルは自分の番が来るなり、やる気なさげにテストを行っていた試験官に質問した。

 

「先生、このテストで授業内容を大幅に超える結果を出せたら、今後この授業を免除していただけませんか?」

 

 いくつか問答をした後、教師は馬鹿にしたような表情で上級呪文の使用を条件に授業の免除を認めた。エルができないと思っての発言だろうけれど、残念ながら甘い。エルは言質を取ったとばかりにガッツポーズをして、的に向かって構えた。

 

 最初に唱えたのは徹甲炎槍(ピアシングランス)という中級魔法、それも十本。とても初等部の一年生が行う所業でもないからか、教師陣も周囲の生徒も驚いている。

 

 エルを知る私たちからすれば、この程度で驚いてるようでは、といったところだけれど。

 

 魔法がすべて命中したのを確認したエルは、本番の風と雷複合の上級魔法、雷轟嵐(サンダリングゲイル)を唱えた。的になった案山子は木っ端みじんである。

 

 口をあけっぱなしの先生は、唖然とした表情のまま、エルに授業の免除を許可することになった。

 

 エルの後ろに並んでいた私は、そのすぐ次の番となった。まだ口が空きっぱなしになっている教師に一応ということで確認しておく。

 

「……先生。私も彼のように上級呪文を使ったなら、この授業を免除していただけるでしょうか」

 

「あ、ああ」

 

 言質は取った。後は実行するだけである。

 

 

 扇杖(ファンロッド)を構えて狙うのは一体の案山子。ここはただ上級呪文を唱えるだけでもいいけれど。

 

 ……エルには負けたくない。

 

 「徹甲炎槍(ピアシングランス)

 

 現出せしめたのは、二十本の炎の槍。エルの二倍の量だが、この程度は私の魔導演算領域の広さをもってすれば大したことはない。この時点でもう驚いている人もいるが、本番はここからだ。

 

 出てきた二十本のうち十本の槍は、案山子に向かって直進していく。残りの半分はというと上下左右に、的から明らかに外れたコースを飛んでいる。

 

 エル以外は、きっと量を出しすぎて制御を誤ったと思っているのだろう。教師の顔も心なしか安心したように見える。

 

 けれど、計算通りだ。半ばまで差し掛かったあたりで槍は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、すべての槍が案山子に直撃した。案山子はやはり木っ端みじんだ。ただのかかしですな。

 

 よく開く教師の口を横目に上級呪文を構築する。こちらも派手にいこうじゃないか。

 

炎雷焦土(カラミティスコーチ)

 

 扇杖(ファンロッド)の先に現れたのは炎と雷を圧縮した拳大の球だ。その大きさに反して、制御しているにもかかわらず熱が漏れ出ているような錯覚を感じさせるそれを、案山子に放つ。

 

 放たれた球が案山子に命中した途端に閃光と爆音が辺りに響き渡り、みんながとっさに目を閉じ耳を塞ぐ。恐る恐る目を開けた先には、案山子一体どころか、間を開けて隣り合う案山子まで燃えている小さな焼け野原があるのみだ。直撃した案山子はそもそも存在したのかすら怪しいほどの惨状になっている。

 

 ……みんなに注意しておくの忘れてたなあ。

 

 結局私とエルは晴れて授業を免除する権利を獲得し、私たちの姿を見て奮起したキッドとアディがそれぞれ炎と雷の中級魔法を唱えて周りに実力の違いを見せつけた。特訓の成果はあるようで何よりです。

 

 ハイタッチで喜び合う私たちと、実力の違いを見せつけられて落ち込む周りの生徒たちとの落差が印象的だ。

 

「セラ。あれは使う呪文を間違えていませんか?」

 

「心臓が縮み上がったぜ全く」

 

「……ちょっとはりきりすぎた」

 

「しょんぼりしてるセラちゃん可愛い……」

 

 これで来週は、『魔法開発論』 を心置きなく楽しむことができる。他の生徒たちに謝った後、やはり私もみんなとハイタッチをすることにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪意の尋問

「お義父さん。早速、といったところでしょうか」

「うむ。担当した教師には少し悪いことをしたのう」

「この程度で終わってくれればいいのですが、そうでもなさそうなのがまた……」

「ああ。魔法開発論の担当はあやつか。どのようなことになるかさっぱり見当もつかぬな……」

「あなた、お父さん。今日帰ってきた二人の目、すごいきらきらしてたわ。何かあったのかしらねえ」

「……苦労を掛けるがすまぬの」

「……子供たちのためにも、頑張ります」

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 右も左も知らぬ道。目標地点もわからない。これなーんだ。

 A.迷子

 ……はあ。

 

 現実逃避気味に私の今の状況を表した謎かけを考えてみたけれど、何の解決にもならないばかりかよけいに空しくなってしまった。

 

 先週魔法学基礎の授業でエルに続いて派手に上級呪文をぶっ放し、授業免除の許可を勝ち取った私はその一週間後の今日、魔法開発論の授業を受けることを楽しみに意気揚々と学園へ来た。一つ一つほかの授業を受け、さあいざ行かんと来たるは高等部の校舎。様々な学科があるためか、その校舎の大きさはかなりのもので圧倒されるばかりだ。しかし気後れしている場合でもないと、周りの好奇の視線も無視して堂々と校舎に入っていく。

 

 ここで二つ大事なことがある。私は初等部だ。入学ほやほやの一年生だ。そして初等部の授業はやはり初等部の校舎で行われるのだ。

 

 つまるところ、私はこのだだっ広い高等部の校舎に入ったことがない。教室案内も教室番号しか書いていないので、道順もわからない。

 

 かくして私は当然のように迷子になって、高等部の校舎をさまよっているのである。初等部の生徒が校舎にいることが珍しいのか、すれ違う人はみんな私を見て驚いた顔をする。まるで見世物にされているような気分で面映ゆいけれど、自業自得だと我慢するしかない。

 授業の時間も近づいていて、このままではいきなり遅刻をしてしまいそうだ。

 気持ち駆け足で歩いていると、前方からゾンビが歩いてきた。正確に言えば、無造作に黒髪を伸ばし、くたびれたローブを着た男性が、よろよろと歩いてきたのである。

 男性はこちらに気付いたようでゆらっとこちらに歩いてくる。

 

「どうしたの君ー。ここは高等部の校舎だよ。迷ったのかい?」

 

 男性の声はその見た目に反して間延びしていて陽気なものだった。当然のことながら、私が迷ってここに来たと思っているらしい。いや、迷子なのは全く持って間違いないのだけれども。

 

「……この校舎であっているのですけれど、教室がわからなくて」

 

 私の言葉に彼は驚いた表情を見せる。

 

「そう。どの教室に行きたいんだい?」

 

「……魔法開発論です」

 

 へえ、と今度は感嘆の声。どうしたものかと思っていると手を握られる感触。見上げれば、彼が人懐こそうな笑顔で笑っていた。

 

「僕もその教室に行くところなんだ。せっかくだから、一緒に行こうか」

 

 

 

 どうやら彼はオートン・カジョソという先生らしい。

 彼に案内してもらってようやくたどり着いた教室は静かなものだった。扉を開けてみれば、そう多くはない生徒と、まだ誰も立っていない教壇が真っ先に目に入る。

 私が教室に入ったとたんにやはりというべきか、みんなの視線が集まってきた。教室、集まる好奇の視線。あまりいい思い出のない組み合わせに思わず彼とつないだままの手に力が入ってしまう。

 けれど、生徒の視線はすぐに隣の彼に移ろった。少しだけ体の緊張が抜ける。そして彼は集まった視線を気にすることもなく、私に座る席を指し示すと、教壇に歩いて行った。

 教壇についた彼は、しばらく小さくうめいていた。私が席に着いて少しした後、彼は顔を上げた。

 

「うう……眠い。えー、皆さん、前回は来られなくて済みませんでしたねえ。ちょっと研究が立て込んじゃいまして」

 

 周りの生徒の反応を探ると、そうだったのか、といった表情の人が多い。どうやら本当に、彼は前回授業に来なかったらしい。

 正面を向けば、彼と目が合った。伸びた前髪で見えづらい眼鏡の奥にある、いかにも眠たくて仕方ないとばかりに細められた目からはあまり感情をうかがうことはできない。

 

「私はオートン・カジョソと言います。主に魔法の術式について研究していますので、あまり聞き覚えがないかもしれませんねえ……」

 

 その口が、いくらかサディスティックさを感じさせるように吊り上がった。

 

「いくつか皆さんに質問をしてみましょーか。当てはまるなら、手を上げてください。ここは騎操士学科ですから、ほとんどの人は上級呪文が使えますね?」

「では、その術式を改変して使ったことがある人は?」

「独自の呪文を組んだことがある人は?」

 

 初めは多かった挙手も、質問が進むにつれて下がっていき、最終的に私と数人を残すのみとなってしまった。

 そんな状況に、オートン先生はいくらか驚いているようだった。

 

「いつもならこの辺でだあれもいなくなるのですがねえ。ひょっとすると最後まで残るのですかねえ」

 

 最後の質問ですね。と前置いて、オートン先生は問いかけた。

 

「未発見の基礎式あるいは制御式を……見つけた人は?」

 

 私以外の人の手がゆっくりと下ろされる。オートン先生を見れば、体をプルプルと震わせていた。

 

「んー!すんばらしい!さきほど君は初等部だと言っていたね。そんな君が、すでに新たな制御式を、発見しているなんて!」

 

 まるで歌劇でも歌うような大げさな言い方に、教室の生徒全員がびくりとすくみ上った。だが、トランス状態に入ってしまっているらしい先生はそんなことお構いなしであるようだ。

 どんな制御式なんだい、と教壇から問いかける声。

 

「……『追尾』と、『発生地点操作』です」

 

 私が答えた途端に、先生は笑顔を深め、大げさに両腕をひろげた

 

「私が見たことがない術式だ。よろしい。実演してもらえないでしょーか!」

 

 そう言って先生は魔法で小さな火を打ち上げた。打ち上げられた火は、先生の頭上を同じ円を描くようにしてくるくると回り続けている。

 

 その魔法を見た周りの生徒が驚いたような声を上げる。私も、あのように同じ動作を繰り返し続けるような制御式は見たことがない。後で教えてもらえないだろうか。

 

 私は扇杖をベルトから抜いて、こちらを試すような笑みを浮かべる先生の頭上へ向けた。

 

雷光精(ウィルオウィスプ)

 

 雷の基礎式を少し改造して殺傷性をなくした分、暗闇の中で灯として十分使える光量を持つ小さな雷球を、ちょうど先生と私の中間地点へ作り出し、火とほぼ同じ速度で打ち出す。球は回り続ける火に向かって飛んでいくと、やがてその円軌道をなぞるようにして、いつまでも距離の縮まらない追いかけっこを始めた。

 

 この世界の魔法は基本的に杖から発生するというのが常識だし、打った後は基本的に狙った場所へ飛んでいく物だ。だからこそ、この魔法の動きは大きな意味を持つ。ちなみに、『発生地点操作』は大気圧縮跳躍(エアロステップ)でも使っているので、ずいぶん前に見つけたことになる。

 

 周りの生徒は見たことのない魔法の応酬と、そのうち一つを為しているのが初等部の小さな子供であることに驚いているのか、感嘆の声を上げている。

 ……失礼だとは思うけれど、扇杖で顔を隠してしまいたい。きっと少し赤くなっているから。

 

 先生は私の魔法に満足したのか大きく頷き、そして私の作った雷球に触れ、フッと消えたことにそれが殺傷性を持つものではないことを確認していた。その危険な行動に、周囲の生徒がぎょっとした顔をしている。私も血の気が一瞬で引くほどに驚いた。初級呪文相当とはいえ、雷の呪文に触れるなんて!

 

「術式そのものもやはり改変されて殺傷性がなくなっているもの。なんとも期待を越えてくれるものです!あなたが良ければ、時間があるときに私の研究室に来ていただけないでしょうか。ぜひとも、あなたとは魔法について意見を交わしてみたいものです」

 

 先生と意見を交わすのは私としても望む所である。制御式を独自で見つける人がそもそも皆無に等しければ、それを秘匿しないという人も更にいないのだから。

 

「……こちらこそ、お願いします」

 

 今日すぐに、というわけにはいかないだろうけれど明日から暇な時間を見つけて少しづつ通うことにしよう。

 私の返事にオートン先生はにっこりとほほ笑み、それから生徒を見渡した

 

「さて、授業に入るとしましょーか。小さなお友達に負けないように、頑張ってくださいよ?」

 

 

 

 高等部から初等部への帰り道。私は魔法開発論の授業を振り返っていた。

 

 基礎式や制御式は図形で表され、それぞれに異なる機能を持っている。しかしなぜその図形が機能を持つのかは、未解明な部分が多い。

 現時点では、図形そのものやその配置方法が何かしら呪術的な意味を持っているからだという説が有力であるという。その仮説を支える根拠というのが、機能的な面以外にも基礎式や制御式は周りの式との位置関係によって、効果が増減することがあるということや、図形の形そのものが、火や雷を幾何的に表したものに似ているからだということ。

 

 魔法の教本はどうすれば魔法が発動できるのかについては多くのものが解説しているけれど、どうして魔法が発動できるのかに触れているものは皆無と言っていい。未解明な部分も多く、またそんなことを理解しなくても既存の魔法を使うことはできるからだ。

 

 けれど、魔法の研究においてそれを避けて通ることはできないだろう。物体が粒でできていることを証明しようとした科学者たちも、きっとこんな難解な壁に当たった気持ちだったのだろうか。

 

 それに私にはおそらく一つのアドバンテージがある。地球において空想されていた数々の魔法の幾何図形、いわゆる魔方陣を数えきれないほど見ていたことだ。

 

 呪術的な意味を持つ図形、魔法が存在しなかった地球で作られたそれらがこの世界で意味を持っているものなのかはわからないが、大きなヒントにはなるだろう。

 

 それにしてもオートン先生の魔法の知識は素晴らしい。おそらく、オートン先生はこの国で五指に入ると言えるほど魔法について見識が深いのではないだろうか。

 

「よう、セラ。高等部からの帰りか?」

 

 陽気に話しかけてきたのは授業が終わってご機嫌らしいキッドだ。キッドとアディは先週のテストで魔法学基礎を免除されるまではいかなかったものの、上級クラスに入りかなり有名になっている。

 

「……そうだよ。キッドはアディと一緒じゃないの?」

 

 ああ、あいつは……とキッドは少し遠い目をした。

 

「二人がいないから授業中ずっとなんかこう、我慢してたみたいでさ、終わった途端にエルくーんって叫んで走ってったぜ」

 

「……それはまた、なんというか。すごい光景を思い浮かべられるね」

 

 授業の間手をワキワキさせながら、エルくーん、セラちゃーんとうめき続けるアディの姿を幻視してしまい、少しだけ笑ってしまいそうになる。

 

 私が何を考えているのか思い当たったらしいキッドが神妙な顔で手をワキワキしながら近づいてきた。

 

「エルくーん、セラちゃーん」

 

「ぷっはは。……キッ、ド、そっくりすぎて卑怯、というか変態っぽい、ははっ」

 

「ちょ、それは確かに否定できないけどさ、それはひどくねえか!?てかやっぱ顔は全然笑わねえのな」

 

「っはは。大丈夫、本当は楽しくてたまらないの、うん」

 

「本当、なんだろうなあこれは」

 

「よお、ずいぶん楽しそうじゃないか」

 

 皮肉気な声でそう話しかけてきたのは、嫌らしい笑みを浮かべた見知らぬ男の子だった。身なりの良さからおそらく貴族なのだろうとわかる。彫りが深く整った顔はいい部類に入るだろうに、嫌悪感を抱かせるようなその笑みが台無しにしている。

 

 彼を見た瞬間に、キッドの表情が固まり能面のようになった。その反応から、私は彼が誰だかをようやく理解する。

 

 バルトサール。キッドとアディが嫌悪する、彼らの異母兄だ。

 

「久しぶりじゃないか、アーキッド。可愛い女の子と仲良くなったようだなあ」

 

「お久しぶりです。バルトサール兄さま。彼女はセラフィーナ・エチェバルリア。俺の友達です」

 

「……こんにちは」

 

「へえ……お前が噂のあいつか」

 

 キッドの珍しい敬語はとても堅くて、ただ相手に弱みを見せまいと警戒しているものだ。そんなことを考えることで私は、バルトサールの前から逃げ出したいような気持ちをごまかしていた。

 

 まるで女性への配慮が感じられないようなぶしつけな視線に、全身を舐りまわすような嫌らしい眺め方。身の毛もよだつほど、というのはこういうことだろう。

 

 少し眺めて私への興味を失ったのか、バルトサールはその矛先をキッドに向けた。

 

「そう、噂を聞いたんだよ。噂を。今年の新入生に、すごい双子がいるそうじゃないか?その双子の周りに、お前たちにそっくりなものがいるとなあ」

 

 そう言ってバルトサールはこちらに目線を流す。キッドは私に話を流したくないのか、バルトサールを見つめたままでいる。

 

 それを見たバルトサールはいい獲物を見つけたとばかりに笑みをさらにゆがめた。

 

「そうそう、双子ってのはちょうどこいつみたいな感じの……なあ!」

「きゃっ!」

 

 強く腕を引っ張られた。そう感じた時にはすでにあの嫌らしい笑みが目の前にあった。

 

「やめろ!」

 

 キッドが叫んで一歩を踏みだした。その拳は強く固く握りしめられている。

 次に何をするのかは明らかだ。けれどそれだけは決してやってはいけない、相手の思うつぼだ。

 

「キッド、だめ」

 

 震えを隠すために少しだけ強くいってしまったその言葉はちゃんと届いたようだ。キッドは踏みとどまって、しかし拳は握ったまま。きっと平静を装おうとしている表情の裏で、強く歯を噛みしめてもいるのだろう。顔が見たこともないほどにこわばっている。

 

 しかし、悪意はとどまるところを知らない。

 

「おやおやキッド。兄に向ってそのような言葉遣いとは、礼儀がなっていないなあ。私はただ、彼女と親密を深めているだけだというのに」

 

 さらりと、バルトサールが私の頬を、髪を撫ぜる。身分と顔はいいから、言い寄ってくる女性は多いのだろう。思いのほか女性の扱いに慣れた優しい手つきとは裏腹に、その嫌らしい目つきが、これ以上とないほどに吐き気を呼び起こす。それでも私はキッドを責める材料を与えないためにも、抵抗するわけにはいかない。体の震えを悟られないように、ただ押さえつけることだけを考える。

 

 ギリ、と歯ぎしりの音が小さく響いた。

 

「……申し訳ありません」

 

 キッドがそう言って頭を下げたことに満足したのか、バルトサールはようやく私から手を放した。

 

「まあいい。俺は寛大なんだ。失礼なガキを、この広い心で許してやろうじゃないか」

 

 どの口が言うのだろう。バルトサールは、寛大さのかけらもないようないやらしい口調で話し続けているというのに。

 

「聞けば、お前たちはどうやら上級クラスにいるそうじゃないか。あの役立たずが、ずいぶん進歩したものだとほめてやるよ。まあ、妾腹とはいえ我が家の末席を汚すものだ。少しくらいはやってもらわないとなあ……そう、少しくらいだ。しかるに、少し気になる噂を小耳にはさんだんだよ。実に、そう実にくだらない話さ。しかしもし、もしもその通りなら……」

 

 バルトサールの目が、蛇のように細められる。どうしてか、不安でたまらなくなる。

 

「お前たち派手に暴れたそうじゃないか。なあ、まさか、まさかだろう?」

 

 キッドににじり寄るバルトサールの表情は、いつの間にか消えていた。そのままキッドの耳元で声を潜めて囁く。

 

「妾のガキごときに分不相応な話じゃないか?なあ?噂は無責任だ。何をどうやったのか知らないが周囲が勝手に変な勘違いをしているんだろう?」

 

「いいえ、間違っちゃいない。兄さま、俺たちは」

 

「もういい、黙れ」

 

 いつの間にか苦々し気にゆがめられていたバルトサールの表情に、キッドは警戒して身を固くしたのが見て取れる。けれど、何もすることなくバルトサールの表情は元に戻った。

 

「それでどうするつもりだ?アーキッド」

 

「どう……とは?」

 

「はん。入学したてで中級呪文はお手の物。いずれはずいぶんと豪勢な騎士ができそうじゃないか。目指すはただの騎士か?手土産でも持って『我が家』へ帰ってくるつもりか?」

 

 手土産、のところでバルトサールはこちらをちらと見てすぐにキッドに視線を戻した。その表情は消えたまま、戻らない。

 

「それは違います、以前から言っている通り俺たちは実家に関わるつもりはありません。騎士を目指したのとて、それは母や生活を考えてのことです」

 

「……いいぞ。寛大な俺は、愚弟の言葉を信じてやろうじゃないか」

 

「ありがとう……ございます」

 

 キッドの謝罪を聞いたバルトサールは、元のにやついた笑みを浮かべるとキッドの肩を軽くたたいて去っていく。

 ほっとしたのもつかの間、思い出したようにバルトサールが足を止めた。

 

「そうそう。セラフィーナ、だったか。もしキッドが嫌になったら俺のところに来るといい。俺はキッドと違って優しいからな。受け入れてやろう」

 

 死んでもあり得ない。お断りです。そんな文句は胸の奥に閉じ込めておく。幸い、言うだけ言って満足したバルトサールがそのまま立ち去ったおかげで、変な言葉をうっかり言わずに済んだのだけれど。

 

「ごめんな、セラ。巻き込んで、怖い思いさせちゃって」

 

 頭を上げないまま謝ったキッドの拳は、バルトサールが立ち去った今もまだ握りしめられていた。きっと何もできなかった自分が許せないのだと思う。

 

「……キッド、手を見せて」

 

 開かれたキッドの手には、爪が食い込んでいたのか血がにじんでいた。慌ててキッドは手を隠そうとするけれど、腕をつかんでいるからそれはさせない。

 携帯している消毒薬と包帯を準備して、処置をする。

 

「……私はね、すごくうれしかったんだ」

 

「嬉しかったって、なんでだよ」

 

「……キッドは、私を守ろうと、私のために怒ってくれたから」

 

 キッドにはばれているだろうか、私の手が今もまだ震えていて、処置がうまく行えていないことが。私が安心できるからと、できるだけキッドの温かさに触れようとしていることが。キッドはさっきまでの面影もない、豆鉄砲を食らったような情けない顔をしているけれど。

 それでもかっこよかった。

 

「……キッドだって、手を出せば厄介なことになっていた。それでも動いてくれた。守ろうとしてくれた。それだけでも十分だったんだよ」

 

 だってそれは本当に騎士のようじゃないか。それを言ってしまうと、自分が何になるかというのがあまりにも恥ずかしいので言わないけれど。

 

「……そっか。俺は、力になれたのかい?お姫様」

 

 どうして人が思って隠していることをわざわざピンポイントに掘り当ててくれるのかと!文句の一つでもいおうと思って見上げたキッドの顔は、ほのかに朱に染まっていた。

 

 少しだけ、笑顔がこぼれた。

 

「……ありがとうございます。騎士様」

「……」

「……」

 

「ぷっ。あはは。な、なんだよ騎士様って」

 

「キッドこそ、お姫様って、カッコつけすぎ。ははっ」

 

「先に考えてたのは絶対にセラだね、断言するぜ」

 

「いーや、ない。キッドの妄想でしょ」

 

「セラだろ」

 

「キッドの」

 

 そうしてまた、お互いに笑いあう。楽しすぎて、表情も口調も変わってしまうほどだ。演技というわけではないのだけれど、普段はどうしても応答に間が開いてしまうから落差が大きく感じられる。

 

「はい、できた」

 

「おお、サンキュって、ずいぶんと巻くの下手なんだな」

 

「……文句ある?」

 

「いいや、全然」

 

 そうしていくらかからかいあって、ふと気づく。

 

「……ねえキッド、私たち、次授業だよね?」

 

「……あ、やっべ」

 

 二人並んで、慌てて駆け出した。

 

 結局のところ私たちは仲良く遅刻した。なぜかアディとエルもだ。聞いたところによると、二人はステファニアさんと会っていたらしい。エルの触り心地の良さについて話し合うことで和解したらしい。今度は私の触り心地を二人で味わうのだとか。

 

 勘弁してほしい。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小悪の罠(前)

アカギさん、誤字報告ありがとうございます!感謝っ……!圧倒的感謝っ……!(作品違ってすいません……!)


「婿殿よ、何をそんな深刻そうな顔をしておるのだ?」

「お義父さん。いえ、何やら二人ほど懲らしめなければいけない男がいる気がして……」

「セラフィーナのことが心配かの?」

「ええ。気のせいだとは思いますが」

「親ばかも過ぎると毒じゃぞ」

「肝に銘じておきます」

「セラと言えば今日、オルターさんの息子と仲良く走っていきよったな」

「ちょっといって(懲らしめて)きます」

「待たんかバカもん」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 初等部に入学してから二年が経ち、エルたちは三年生になっていた。

 

 この二年間彼らが何をしてきたかといえば。

 

 幻晶騎士の設計を学ぶと意気込んでいたエルは、幻晶騎士設計に関する授業を彼自身が騎士学科であることなどお構いなしでとってきた。そのために犠牲になった騎士学科の教師は数知れない。

 

 セラはというと、エルの魔法バージョンである。ただ、魔法に関しての知識はエルの幻晶騎士のそれとは違い幼少期から蓄えてきたものがあるため、取る授業は高等部の高度な内容がほとんどだった。それ以外の時間で、オートンの研究室に入り浸り意見を交わしあったり、幻晶騎士の部品である魔導演算機(マギウスエンジン)の術式の写し等の図書館にもない非常に貴重な資料を見せてもらったり、新たな基礎式の開発をしたりなど、基本的に魔法漬けの日々を過ごしていた。

 

 バトソンはエルに感化されたのか、少しづつ幻晶騎士の勉強を始めている。

 

 そして最後のキッドとアディはというと。魔法では初等部の範疇を逸脱しているとはいえ、エルやセラのようにほかに取りたい授業もない二人は、空いた時間で模擬戦を行うようになっていた。

 

「キッド!そろそろ一発ぐらい当たりなさいよ!」

 

「お断りだ!そっちこそすばしっこく動きまわりやがって!」

 

 二人はエルが使用する『銃杖(ガンライクロッド)』を改良しどんな剣とでも接続できるようにした新型の杖でもって剣を交える。キッドが得意な大剣を、エルが極限まで魔力消費を効率化した限定身体強化(リミテッドフィジカルブースト)で強化された膂力のままに振りかざせば、アディは両手に持つ双剣で受け流し、手数を生かして攻めかかっていく。

 

 効率化されているとはいえ、中等部でも使用できるものが限られている上級呪文を併用しての戦闘は、目で追うのがやっとのスピードで進められていく。それは彼らの姉で、騎士学科の最優秀生徒として生徒会長を務めるステファニアにとっても驚異的なほどだ。

 

「キッドもアディもすごいじゃない。私も二人にはかなわないかもしれないわね」

 

「姉さんならそんなことないだろ」

 

「私たち、二対一でもエル君とセラちゃんには勝てないし」

 

 双子のあっけらかんとした答えに、ステファニアは顔を手で押さえる。それはつまりあの銀髪の双子が規格外を越えたなにかというだけで、この二人は周りからすれば自分たちも規格外の範疇にあることを理解していないのか。どこの誰が、初等部にして二人そろって上級呪文を使用しながら模擬戦を行えるというのか。

 

 彼らは、周囲との感覚のずれを理解していなかった。彼らに好意的なステファニアでさえ、いくらかの恐れを抱かざるを得ないその能力を、果たしてほかの人間が目の当たりにしたときにどう思うのか。

 

 彼らの模擬戦を柱の陰から覗いていた人影が、ひそかに立ち去ってゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 バルトサールは焦燥を表情に浮かべていた。自分が妾腹の子だと見下す双子の実力を、理解してしまったからだ。今までのように噂だけならば、周囲の勘違いで済ませて自分を納得させられた。だが、実際に目にしてしまえば嫌でも現実を知らされてしまう。

 

 彼は自分より優秀なものが疎ましくて仕方がない。生まれた時からすでに周囲に比べて自分は劣っていたのだと言われてきたような、そんな錯覚を胸に抱いている。

 

 彼の兄と姉は彼とは比べ物にならないほど優秀だった。姉は現に今学科最優秀で生徒会長を務めているし、兄も若くして父親の補佐として領地の経営を任されるほどだ。

 

 それに比べて自分はどうだ。次男であるから、貴族として父親の跡を継ぐことはできない。それ以外の能力も、兄と姉に比べればどれもパッとしない。

 

 唯一母親は末っ子の自分をそれでも甘やかしてくれた。自分に何かあれば些細なことで相手にケチをつけては、バルトは賢いのだと、えらいのだといって。その幻想的な言葉は彼にとって唯一のすがるところになり、彼の性格を、目を歪ませていった。

 

 そうして気位ばかり醸成されていった彼は騎操士としての花道を思い描くようになった。騎操士として彼の家専属の『緋犀騎士団』に凱旋し、ゆくゆくは騎士団長となって彼の兄を支えていく。それが家督を継げない彼にとっての次善の策でもあった。

 

 しかし今、その唯一の明るい道にさえ、影が落とされている。あの双子だ。彼らが騎操士になれば、自分の実力では及ばないのはわかり切っている。あまつさえ、優秀な我が姉は彼らに篭絡されてしまっている。兄とて、優秀な彼らを好んで手元に置きたがるだろう。

 

 もし彼らが緋犀騎士団に入ったなら。守ってくれる後ろ盾のない自分の道はそこで閉ざされてしまう。彼らが家にかかわるつもりはないと言っても所詮妾の子、卑しいたくらみを腹の底に抱えているに違いない。とても信用などできるものか。ここで、ここで必ず潰しておかなければ。

 

 そんな妄執に彼の心は囚われてしまった。彼は決して彼が思うほどの無能ではない。ただ兄と姉があまりに有能すぎただけのことだ。そんな彼の頭脳とその妄執が、どこまでも卑劣な手段を彼に与えた。

 

 歩き出した彼の表情はすでに無く、ただその目の奥にどこまでも昏い光をたたえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日の授業の合間の時間、バトソン・テルモネンは教室から鍛冶場へ行くために、廊下をのんきに移動していた。鍛冶学科は実技に専用の設備が必要であり、理論に関してもかなりの知識を求められることから、他の学科に比べても教室間の移動が多いのである。

 

 階段を降り、角を曲がったところで奥の階段に消えていく見知った人影とそれを先導する見知らぬ男を発見した。見知った人影は、グループの賑やかし役筆頭のアディである。

 

「あいつ一体誰だ……?」

 

 しかし男の方は、バトソンは見たことがない。一瞬見えたアディの横顔も、いつもより険しいものだったように思う。

 

 彼も彼女が誰かと歩いていたからといってどうこうするつもりもないし、彼女自身が騒いでいないのだからそれほどのことでもないのだろう。

 

「一応知らせとくかねえ」

 

 そうはいっても引っかかるものが多いと、近くの教室にいる親友に知らせるために彼は踵を返した。

 

 

 

 

 

「これはどういうことでしょうか、バルトサール兄様」

 

 一方、バトソンが言う見知らぬ男ことバルトサールに人気のないところへ連れてこられたアディはいつでも動けるよう構えながら目の前の男に問いかける。そんな彼女を下卑た笑みを浮かべる男たちが逃げられないように囲い込んでいる。

 

 一人で歩いていたところをバルトサールに呼び出され。人気のない所へ連れてこられたと思えば、バルトサールの合図とともに現れた男たち。まず間違いなく彼の取り巻きなのだろう。とするならばアディは今窮地に立たされているということになる。

 

 バルトサールは口元を皮肉気に歪め、見下したような口調で答える。

 

「彼らは私の友人さ。礼儀知らずなガキの教育を、多忙ながらも喜んで手伝ってくれるそうでなあ」

 

 バルトサールが言うような礼儀の教育とはおそらくろくなことではないだろう。好意的な感情を一切含まない冷ややかな視線がそれをアディに明確に感じさせる。とうとうこいつ実力行使に出てきたわね、と思うもののいかんせん状況が悪すぎる。口だけで切り抜けることは難しいかもしれない。

 

「礼儀は授業で学んでいる途中です。皆様のお手を煩わせるほどのものでもありません」

 

「妾腹のガキには授業だけじゃあ全然足りてないね。そんなお前にこの兄が手ずから教えてやろうというのだから、平身低頭して地面に頭を擦り付けて請うべきであると思うのだがね」

 

 バルトサールの背後から、一番下卑た視線で彼女を見ているものが進み出てくる。生理的に嫌悪したくなるほどのものだ。

 

「そう、お嬢さんはおとなしくして……」

 

 年下の女子を相手に大勢で囲んでいるという状況からか、不用意に近づいてきた男に、アディの堪忍袋の緒が切れた。言葉を言い終わる前に銃杖を抜き放ち、限定身体強化(リミテッドフィジカルブースト)を発動する。眼前の男は女性の敵だ。容赦なく蹴り上げる。男は当たり所が悪かったのか形容しがたい悲鳴を上げてくずおれた。

 

 当然ながら逃げ出すためにはこの包囲を突破しなくてはならない。男が倒れたことに、周りの男が色々な意味で気を取られている間に勢いよく駆けだした。しかし。

電撃矢(スパークダート)

 

 背後のバルトサールから電撃の矢が浴びせられた。勢いそのままに、アディはもんどりうって倒れていく。

 

 薄れていくアディの意識が最後にとらえたのは、バルトサールの邪悪な笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 セラは高等部の校舎から初等部の校舎に向かう途中で見知らぬ男に声をかけられた。嫌らしく笑うその男を無視して立ち去ろうとして、男が身に着けているものに気付いた。

 それはアディの髪飾りだった。男が普段から身につけるには不釣り合いなそれが、今目の前にあるということはつまり、アディが何らかの危険な状況にあると考えるべきだろう。

 

 歩き出した男の背後を黙って追いかけながら、セラは今後の展開を考えていた。

 

 セラが男に案内されたのは既に使われていない人気のない教室だった。男に扉を開けるよう促されて言われたとおりにすれば、目に飛び込んできたのは椅子に縛り付けられたまま気を失っているアディと、彼女に杖を突き付けてかすかに笑うバルトサールの姿だった。

 

 後ろで案内してきた男が扉を閉め、ぐっと背に杖を突き付けられる感触がした。

 

「セラフィーナ、だったか。久しいな。今もまだキッドとはお熱いのかね?」

 

 セラは彼の問いかけと周囲の男たちの嘲笑に、すでに地の底を這っていた機嫌をさらに害した。  

 

 キッドは彼女にとって、今世でようやく得られた親友と呼べる関係の人だと思っている。彼女はキッドにかなり好意を抱いているがそれは親友としてのもので、そういった勘ぐられるような類のものではない。時折キッドが照れたようにしているのも、前世で見てきた思春期真っ盛りな男子に普遍的な物で、特別なものでは決してないだろうとも思っている。

 

 もっとも彼女は前世では親友どころか友達もいなかったため、他の人が思うそれらよりいくらか距離が近いということに気付いていない。バルトサールの勘繰りは、彼らを見た多くの人が思っている事だった。

 

 それはさておき、この状況、セラはすでに詰んでいるといっても過言ではないだろう。下手な抵抗はアディに累が及ぶ。

 

「……何の用、でしょう?できればアディを放してほしいのですが」

 

「まあまあそう焦るな。取りあえずはこちらの椅子に座ってゆっくりしてくれたまえよ」

 

 そう言って指し示されたのはアディと背中合わせに並べられた椅子。そのそばではほかの男が縄を用意して待ち構えている。

 

「変なことを考えるなよ?ガキを躾ける用意はできているからな」

 

 周囲をちらと見れば、ほかにもおよそ六人ほどの男がアディに杖を向けている。自分の後ろにいる男を含めれば、バルトサール以外に七人の男がいる。誰かが必ずアディを傷つけられるというなら、おとなしく従うほかにない。

 

「おい、その手に何を握っている」

 

 いつまでも握りこんでいるセラの拳を不審に思ったのか、バルトサールが問いかける。バルトサールの言葉に従った男がセラの手を開けば、その手から一つの細く加工された触媒結晶があらわになった。男はそれを奪い取ると、バルトサールに放り投げる。

 

「こんな小細工をしてたとはな。他にも持ってないか」

 

「……私は杖を一つしかもっていないのだけれど」

 

 男はセラのポケットや手などを調べたが、それらしいものは見つからない。見つかったものと言えば、ばらばらになった奇妙な棒の束だけであった。

 

 バルトサールも納得したのか、セラに顎で着席を促した。

 

 セラは黙ったままで、自分の体に掛けられる縄を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人ともおせえなあ……」

 

 初等部の教室で、キッドはアディとセラの到着を待っていた。しかしもう授業が始まる時間だというのに、二人は現れない。

 

 探しに行こうかと教室のドアを開けたところで目の前にいたのは予想外の客だった。

 

「おや教室にいたのか。探す手間が省けて何よりだよ」

 

 予想外の客、それはバルトサールだった。目の前で薄く笑うバルトサールの言葉に、キッドはなぜだか嫌な予感を掻き立てられる。何かがいつものバルトサールと違うような、そんな気がするのだ。

 

「先輩、今日は何の御用でしょうか」

 

 ここは教室の前、いつもバルトサールが話しかけてくるような人気のないところではない。人の多いところで話しかけられることは確かに違和感がある。けれど、本当にその程度か?もっと違うものじゃないのか?

 

 そんなキッドの疑問をよそに彼は高らかに宣言した。

 

「アーキッド・オルター!君に決闘を申し込みに来た!」

 

 違和感の正体は考えてもわからない。大勢の目にさらされる決闘を申し込むなど、こいつのとる手段ではなかったはずだ。

 

 けれど一つだけはっきりしていることがある。それは心底嫌いな相手に喧嘩を売られているということだ。

 

「決闘、いいじゃねえか。受けて立ってやる!」

 

 いい機会だ、日ごろから見下されてきたうっぷんまで熨斗つけて返してやる!とキッドは闘志をみなぎらせてゆく。

 

 バルトサールはそれを冷ややかに笑うのみだ。

 

「汚い言葉遣いだ、まったく品性を疑うね。そのケダモノのような威勢がどこまで持つか、楽しみだよ」

 

 彼は地に倒れ伏すキッドの姿を想像して、口元を邪悪に歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライアヒラ騎操士学園では生徒同士の戦闘行為を禁止している。だが、例外とされるものが二つ存在している。それが、『模擬戦』と今広場で行われようとしている『決闘』だ。

 

 『模擬戦』に関しては実質グレーゾーンではあるものの、戦闘技術の養成が騎士には必要であるという観点から、暗黙の了解という形で認められている。両者の合意が必要である事と危険行為を避けること以外は、当事者の裁量にゆだねられる。

 

 一方で『決闘』にはルールが存在し、公認のもとで行われる。一対一であることや第三者の審判がいること、決着は片方の意識の喪失もしくは敗北の意思表明によって決められることなど細かい条件が付けられている。

 

 騎士学科は血の気が多い生徒も多く、決闘は度々ある催し感覚で行われていた。今回のキッドとバルトサールの決闘はさらに、高い実力を持っていると期待されている初等部の生徒の実力を見るいい機会でもある。二人とかかわりのない人物が審判を買って出、広場には彼らを囲むように常の決闘に比べても大勢のやじ馬が集まっていた。

 

 

 

 

 ことここに至ってもキッドの嫌な予感は消えていなかった。いつもとあまりに違いすぎるバルトサールの行動は、何か理由があるはずだ。しかしその違和感がわからない。それを探ろうとキッドは注意深くバルトサールを見つめている。

 

 審判が決闘の宣言を朗々と歌い上げている最中に徐にバルトサールが胴についたポケットを開き中身を取り出した。

 

 それを見たキッドの表情が固まった。同時に違和感が氷解し、バルトサールの行動の目的も理解する。

 

「てめえ、セラとアディに何しやがった……!」

 

 バルトサールがわざとキッドに見えるよう取り出したそれはアディの髪飾り、そして、セラの扇杖の棒の束だった。

 

 キッドの疑問にバルトサールはようやく気付いたかという風に肩をすくめ、とぼける。

 

「ふん?何のことかわからないが」

 

 種明かしをして楽しくてたまらないのか、彼の笑みがどんどん歪んでいく。ここからは、すべてが自分の思うつぼだとばかりに。

 

「時にキッド、君は初等部にありながらすでに上級呪文を使いこなしているというじゃないか。もしよければ、後学のために見せてくれないかね?」

 

 キッドの顔が怒りと悔しさのあまりに、恐ろしいものへと変わっていく。それを見てもバルトサールは動じない。相手がとるべき道が一つしかないのを知っているから。相手が大勢の前でこれからみじめな姿をさらしていくのだと考えると、あまりに、あまりに楽しいじゃあないかと、彼は愉悦を味わっているのだ。

 

「……使えねえよ、そんなもん」

 

「ん?よく聞こえなかったな。何せこんなに人がいるのだ。もう少し大声で言ってくれたまえ」

 

「上級呪文なんか使えねえって言ってんだよ!」

 

 野次馬がにわかにざわめき始めたのを見てバルトサールはほくそ笑む。噂に上る期待の一年生が、噂を否定しているのだからそれもそうなるだろう。彼が嘘つきだったのかと疑う物もいるだろう。

 

 仕掛けは完璧にはまっている。これを笑わずしてなんとしようか!

 

「ヒハ、ヒャハハ!なんだそれは!噂は何かの間違いだと?全く君は希代の詐欺師じゃないか、これだけ大勢の人をだましていたのだからなあ!これは、私が罰を下さねばならんだろうさ!」

 

 キッドの視線はもはや彼を視線だけで殺せそうなほどのものになっている。審判が用意を促し、バルトサールが剣を構える。対するキッドは銃杖に大剣を静かに接続した。

 

 これからの行いを予想して、悪魔のような邪悪な笑みでバルトサールは笑った。

 

「さあ、皆に代わってお仕置きをしようじゃないか」

 

 決闘という名の公開私刑の幕が切って落とされた。

 




感想欄でいろいろ意見やアイデアをいただけて何やら幸せです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小悪の罠(後)

モカ味のオレオさん、誤字報告ありがとうございます!あまりの速さに尊敬の念を禁じえません!




 キッドが決闘でなぶられているころ、エルネスティは廊下を歩いていた。バトソンからアディのことを聞いて、当てもなくアディを探していたのだ。

 

 突然後ろからエルは抱きしめられた。振り返れば、エルの髪に顔をうずめてとろけた表情を浮かべるステファニアの姿があった。

 

「このサラサラ感。たまらないわ~」

 

「えーと、ステファニア先輩?」

 

「この人をだめにするサラサラ感が悪いにょよ~」

 

「ステファニア先輩、アディの居場所を知りませんか?」

 

 この状況でこの人が来たということは、なおも頬ずりを続けるステファニアにかまっている場合でもないのだろうと考えて、エルは彼女の行為をスルーする。もっとも、当のステファニアがいきなり本題からそれているのだが。

 

 徐々に頬ずりの勢いを弱め、エルからゆっくりと手を放した彼女の表情は、いくらかの悲しみを浮かべていた。

 

「アディはね、バルトに呼び出されたみたいなのよ」

 

「バルト……あなたの弟御でしたね。それにキッドやアディを……」

 

 二人を嫌っている、そのことをエルは言いよどんだ。アディを連れて行ったということは何が起きているのかはある程度察しが付く。とはいえ、これは身内の問題だ。エルがどこまでも踏みいていいものではないという、前世からの価値観がエルの行動を迷わせていた。

 

 次の言葉を聞くまでは。

 

「……アディだけじゃなく、セラちゃんも連れていかれたかもしれないわ」

 

「……詳しく教えてください」

 

 瞬間、エルの雰囲気がステファニアが一瞬たじろぐほどの鋭いものに変わった。その目はもう迷うことなく、エルがすでにまっすぐに事に当たることを決めたのだと確信させられる。

 

 バルトがかなりの大人数を連れていたことや、セラがそのうちの一人に呼び出されていたことを説明して、ステファニアは最後に付け加えた。

 

「君にこんなことを言える立場ではないのだけれど……エル君に二人を探しに行ってもらいたいの」

 

「身内が巻き込まれたとなれば、もちろんです。しかし申し訳ないのですが、二人に危害が加えられていた場合、いかにあなたの弟御といえど、容赦できそうにないですよ?」

 

 その冷静な表情の裏で、エルは静かに激情を制御していた。他人の家庭事情に深く踏み込むつもりはなかったが、しかし人の双子の妹まで巻き込んでくれるとは。もはや同情の余地はなく、キッドとアディがあとで困らないように立ち回りつつ全力で突っ込むだけだ。

 

 先に『家族』に手を出したのはあちらなのだから。

 

 エルがそんなことを考えているまではわからずとも、見た目からは想像できないほどに激怒している事はステファニアには察せられた。あの双子を越えるエルの逆鱗に触れた弟の末路を想像して、いくらか諦めたような表情でつぶやく。

 

「……死なない程度にお願いね」

 

「ずいぶんと割り切りますね」

 

「バルトが一人で動いているならまだいい、本当はよくないのだけれど……。私がとめてあげられた。でも、今回は違う。生徒会長として、姉として、見過ごすことはできないわ」

 

 それは姉として、道を誤ってしまった弟への心配だった。聞く限りではなるほど心底嫌な奴だと思っていたバルトはなにがしも、しっかり愛されているではないかとエルはほんの少しだけ手心を加えることを決めた。本当にほんの少しだけではあったが。

 

 ステファニアはエルを抱きしめていたから、その表情を伺うことはできない。その悲痛な声を心に留め、エルは問いかけた。

 

「アディが連れていかれた場所を、教えていただけませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アディとセラが連れてこられた校舎は、広い敷地を持つライアヒラ騎操士学園の歴史の中で使われなくなった、数ある校舎のうちの一つだ。

 

 二人は今、後ろ手に縛られ足も縛られた状態で背中合わせに椅子に括りつけられている。アディが連れてこられて一時間、セラが連れてこられて三十分ほどたった今もアディは目を覚まさない。

 

「チっこのクソガキが!やってくれやがって」

「おい、片方は意識を失ってるんだからあんまり騒ぐな」

 

 セラは男たちのやり取りを静かに眺めていた。部屋にいるのはバルトサール以外の七人の男たち。対して自分は縛られた女性が二人。一人は気を失っていて杖も奪われているとなれば、今動くのは得策ではないだろう。外からかすかに聞こえてくる歓声を聞けば、今すぐにでも逃げ出したくはあるのだけれど。

 

 男たちのやり取りは続く。

 

「なんだよ、気い失ってるやつもいて縛ってるんだぜ?一人は触媒結晶もちゃんと奪っておいたし」

 

「さっき一発痛い目見たやつが偉そうになんか言ってるぜ」

 

「あれは油断したんだよ!一遍味わってみろ!」

 

「嫌だね」「絶対にお断り」「むしろご褒美だろ」「……え?」

 

 外野のやり取りを気にすることもなく、叫んでいた男がアディに近寄る。

 

「ガキだと思って油断してりゃあ付け上がりやがって、一発思い知らせてやる!」

 

 男がこぶしを握り、アディに振りかぶる。セラがそれを察知して、体に力を入れた瞬間のことだ。

 

「こんにちはー。誰かいます……ね」

 

 突然、ガラガラと強く教室の後ろの扉を開けて現れたのはエルネスティだ。場所が場所だけに誰も来ないと安心していた男たちが振り返った時には、銀色の暴威はすでに走り出していた。

 

 椅子に縛られているアディとセラの姿を見たエルはここが当たりの場所であると理解した。ならば、怒りのままに制圧するのみだ。

 

 教室には七人の男。まずは手近なものから排除していこうと、エルは風の中級呪文風衝弾(エアロダムド)を抜き放った二挺の銃杖から発射した。

 

 扉の近くにいた男二人が派手に吹き飛んでいって、ようやく男たちは事態を理解するに至った。しかしそれはあまりにも遅すぎた。杖を構えることができたものもそうでないものも一瞬で吹き飛ばされていく。

 

 

 

 

「ああくそ!」

 

 アディの目の前にいた男は、比較的早く事態に気付いたといえる。二人の男が吹き飛ばされた時には我に帰り、目の前のアディを人質にせんと動き出していたのだから。

 

 しかしその目論見がかなうことはなかった。

 

 男がアディに向きなおった瞬間見たのは、縄をどうやってかすべて切ってほかの男にとびかかっていくセラの姿と、自分の顔に勢いよく飛び込んでくる椅子だった。

 

 結局、男たちの内四人をエルが、三人をセラが倒すことで教室内は再び沈黙に包まれた。

 

「……エル、ありがとう」

 

 少し照れくさそうに告げる妹の姿というのは、兄としてもやはり悪いものではない。それが男たちを自分が縛られていた縄で縛りながらでなければなおよかったのだけれど。

 

 エルがアディの縄を切断しながら口を開く。

 

「しかしセラ、あなたも縛られていたのにどうやって動いたのですか?」

 

 教室に入った時にエルは真っ先にアディの目の前にいる男を排除しようとしていた。それが一番距離からして急を要したからだ。しかしそれはセラからのアイコンタクトによって、対処をセラに任せることにしたのだ。

 

 見たところ、セラは常日頃から身に着けている扇杖を二つとも奪われている。触媒結晶がなければ魔法は発動できない。それでどうやって拘束を抜け出したのだろうか。

 

 セラは男たちを縛り終えると、徐に靴を脱ぎ、さらに靴下を脱いだ。転び出てきて、セラの手に収まったのは、彼女の扇杖に要として使われている、先がとがったダンベルのような形をした触媒結晶だった。もっともそれは一部が壊されてまるでキノコのような形になっていたが。それを見てエルも合点がいった。

 

 どうやらセラは触媒結晶を直接肌に触れさせて隠し持つことで魔法を発動し、拘束を切ったのだろう。

 

 セラは男に案内されている時点で触媒結晶を扇杖から外して一つを片手に、一つを靴下の横に隠し持っていた。扇杖はその特性上要が抜ければバラバラになってしまう。それを束ねて持っていれば、それがもともと二つの杖だったなどと想像する人はいないだろう。何せ、扇はこの世界には存在していないのだから。

 

 触媒結晶の一つを奪わせたのは、相手を油断させるためである。現に男はあまりセラの身体を注意深く見ていなかったのだから。あるいは、彼が女性に対して意外と紳士だったのかもしれないけれど。

 

 そしてエルがアディの拘束を解き終えるのを見届けると、セラは窓から大気圧縮跳躍(エアロステップ)で一気に飛び出して行ってしまった。

 

 エルは眠り姫を前にして頭を抱えた。アディはエルよりも身長が大きいため、どうやってキッドのもとまで連れていくのかが問題になることに気付いたのだ。

 

 できればもう少し待ってほしかったです。とエルはひとりごちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライアヒラ騎操士学園の中庭では、二人の生徒の決闘がなおも続いていた。すでに一時間以上も戦っており、ほとんど一方的な内容であるにもかかわらず決着の気配は見えない。周囲の生徒も興が冷めたのか、はじめと比べれば観衆は随分とまばらだ。

 

 バルトサールはここにきてようやく違和感を覚え始めた。ここまでできるだけ長くいたぶるために本気ではないにしろ木刀で幾度となく殴ってきたのに、目の前のキッドは闘志の炎を目から消すことなく、立ち上がり続けている。

 

「ぐあっ!」

 

 今もそうだ。ほとんど直撃で、肋骨が折れていてもおかしくないようなものなのに、それでも奴は倒れないでいる。人質がいるからか攻撃こそしてこないけれども、あまりにタフすぎる。

 

 何かがおかしい。

 

 その目も気に入らない。この状況で、希望をいまだに宿したその目が。その目が絶望に染まるその時が待ち遠しいというのに。

 

 だから、その無駄な希望を捨てさせてやろう。

 

「時間稼ぎかい?アーキッド」

 

「……!」

 

「そうだよなあ。待っていれば『あれ』が来ると期待しているんだよなあ?だとしたら残念だとしか言いようがないね。縛られているのではどうしようもないからなあ」

 

 周りに人がいることを意識しての遠回りな示唆。しかしキッドはその意味するところを理解して、やはりかと歯を食いしばる。その姿が、バルトサールの心にいくらかの満足をもたらした。

 

「そろそろ皆も飽きてきたようだ。決着をつけようじゃないか、なあ?」

 

 彼はアディとセラの所有品を見せつけるようにして木刀を構える。次が渾身の一撃だというのはキッドにも分かった。『ある方法』でダメージを抑えていたとはいってもキッドの体にそれほど余力がないことは、彼にも、野次馬の目にも明らかだ。

 

 そしてバルトサールの視線を見るに、次の攻撃を避けることは耐えてきた努力を無に帰することになるのだろう。

 

 一か八か、賭けるしかないとキッドが考え、バルトサールが踏み込んだその時。

 

 ダン!と何かが勢いよく着弾したような音が辺りに響いた。何事かと観客席を見れば、捕えられているはずのセラが最前列に立っていた。遅れて、同じく最前列にアディをお姫様抱っこで抱えたエルがふわりと降り立つ。

 

 バルトサールはその光景を信じられないでいるのか、フリーズしたように動かない。

 

 対するキッドも、身体強化を使用したまま勢いよく走りこんでくるセラと、赤い顔をしたまま普通に走ってくるアディ、そして自分の仕事は終わったとばかりに平静な顔をしているエルを見て、少しだけ呆けていた。

 

 セラはキッドの目の前でぴたりと止まったかと思うと、キッドが大けがをしていないか体をまじまじと見つめ、心配していたほどではないと知ると安堵の息を吐いた。次いでバルトサールを無表情ながらに睨み付けると、後ろの二人に空間を開けた。

 

 アディはバルトサールに向かって親指を下に向け、首元で横一文字に動かすという彼女の怒りがよく表れたジェスチャーを取っていた。

 

 すました顔で歩いてくるエルに、キッドは笑って文句を言う。

 

「おせえよ」

 

「すいません。教室がやたら多いのがいけないのですよ。誰かさんはキッドを心配する

あまり、アディを置いて真っ先に出て行ってしまいますし」

 

「……私がいたら邪魔だもの」

 

「なんじゃそりゃ。まあいいけどよ」

 

 なんだっていい、エルは間に合ってくれたのだから。キッドは軽く笑うと木剣を構えなおした。

 

 一方のバルトサールはすでに状況は自分にとって限りなく不利に変わったことを悟っていた。突然の乱入者に野次馬は何事かと怪訝な表情を浮かべている。自分の行いがもし皆にばれれば、たとえこの決闘に勝ったとしても自らの名声は地に墜ちることだろう。それはもはや避けようのないことか。

 

 もはやここまでの間に満身創痍になっているキッドを倒して、口封じを行うほかにない。

 

「お前だけは、お前だけは!」

 

「今までの借り、まとめて熨斗つけて返してやらあ!」

 

 叫び声をあげて切りかかってくるバルトサールに対し、キッドは温存していた魔力を使い切って限定身体強化を使用して迎え撃つ。強化された膂力で剣を打ち払われたバルトサールは、勢いに抗しきれずに木剣を弾き飛ばされてしまう。それが大きな隙になったとみるや、キッドは彼に全身全霊のタックルをかました。勢いよく場外に弾き飛ばされたバルトサールに審判があわてて駆け寄り、彼が気を失っていることを確認すると、高らかにキッドの勝利宣言をした。

 

 それまでの戦いを見ていた野次馬からすれば、目を疑う光景だった。一方的に嬲られているとばかり思っていたキッドが、乱入者が現れた途端にそれまでの戦闘が嘘のような凄まじい力を発揮し、一瞬で決着がついたのだから。

 

 決着がついたとわかるや否や雄たけびを上げ、そのまま倒れこんだキッドを支える銀髪の少女と、そして続いて駆け寄った黒髪の少女らの腕と足に縄の跡が残っているを見て、ようやく野次馬の彼らは何がこの決闘の裏で起きていたのかを悟るに至った。

 

 彼らが所属するのは騎士学科だ。騎士は国民の盾として、騎士道を重んじるものとして決闘の勝者に与えられる栄誉というものを重視する。それを卑劣極まる手段で得ようとしたバルトサールに対して向けられる視線は、当然ながらどこまでも冷ややかなものになる。野次馬に紛れていた彼の取り巻きが彼を運ぶことさえ手伝わず、まるで汚物を見るような目で観衆は見送ったのだった。

 

 

 

 

 勝ち鬨を上げて倒れこんだキッドを、地面にぶつかる直前でセラが受け止めた。アディはそれに少し遅れてキッドに駆け寄っていく。

 

「……キッド、大丈夫?」

 

「キッド!ねえキッド、大丈夫なの?」

 

「なんともねえ、とは言えねえな。ずいぶんと痛めつけられちまった」

 

「うわ、服敗れてるじゃない!……攻撃、全部避けちゃえばよかったのに」

 

「二人を人質に取られてるってわかっちゃあな、そうそう避けるわけにもいかねえよ」

 

「それは……ごめんなさい。私の油断のせいで、セラちゃんも、私のせいで捕まっちゃって……」

 

 アディの目の端から涙がこぼれ落ちそうになっているのを見て、キッドがわしゃわしゃと彼女の頭をなでる。

 

「気にすんなって。悪いのはあのバカだし、セラもほら、な……セラ?」

 

 セラはうつむいているため、アディやエルからはその表情はうかがい知れない。 しかしいつの間にかセラに膝枕される形になっていたキッドからはその表情がよく見えた。

 

 いつもの無表情とはかけ離れた、悔しげな表情。その目にはかすかに涙がたまっていた。

 

 

「ごめんね、キッド。私は、もっと早く抜け出すことができたかもしれなかったのに、こんなに来るのが遅くなって、代わりに、キッドに怪我をさせて」

 

 見たことのないセラの表情に、キッドは不謹慎だとは思いつつもどきっとしてしまう。それをごまかすように彼はセラの頭を撫で始めた。

 

「だから気にすんなって。二人は怪我をしてないんだろ?ならいいさ。体を張った甲斐があるぜ。それよりエル、ありがとな」

 

 彼女の表情を見ているのも悪い気がして、キッドはエルに話を振った。

 

「間に合って何よりです。それより」

 

 エルはバルトサールから回収していた髪飾りをアディに返しながら聞く。

 

「相当打ち込まれたみたいですが、そんなにダメージはなさそうですね」

 

「ああ、あいつこっちが避けられないからって中途半端な力加減で打ち込んできたからよ」

 

 苦笑しながらキッドは答える。

 

「当たる瞬間そこにだけ身体強化(フィジカルブースト)外装硬化(ハードスキン)を使って、傷を抑えてたのさ」

 

「なるほど……危険な芸当をしますね」

 

「他に何も考えずに済んだからできたことだよ。後あのバカは急所を狙ってこなかったからな。そうじゃなかったらやばかった」

 

「結局あの人の敗因は自身の詰めの甘さだったのですね」

 

「……そこだけはあのバカに感謝する」

 

 気付けば、常の無表情に戻っているセラがバルトサールに毒を吐いていた。その落差にキッドが驚いている間に、野次馬は解散していった。

 

「そろそろ、僕たちも行きましょうか。後片付けをしておくので、セラとアディはキッドを保健室へ連れて行ってください」

 

「……キッド、立てる?」

 

「いや、大丈夫だ。ゆっくり歩くなら問題ねえよ」

 

 立ち上がり、よろよろと歩いて行くキッドについていくセラとアディを見送ったエルは、離れた位置で成り行きを見守っていたものに声をかけた。

 

「よかったのですか?弟御の負った傷は、並大抵のものではありませんよ?」

 

 そこにいたのは、エルにアディとセラのことを教えたステファニアだった。

 

「……そうね。けれどバルトはあまりにもひどいことをしてしまったもの」

 

 彼女は、すがすがしさの中にほんの一抹だけ寂しさを感じさせる表情で首を振った。

 

「あの子は本当……こういうところばかりお母様に似てしまったのだから。そろそろ報いを受けるべきだったのよ。私も、もう少しあの子とちゃんと向き合ってみるつもり」

 

「苦労しているのですね……」

 

 エルは自問する。自分はセラと向き合えているだろうかと。そして彼にとって、その答えは簡潔なもので事足りる。

 

 異世界にて出会った、地球という前世を共有しているだろう双子の妹と自分はどう接するべきか。彼女は何か迷っている節があるようだが、エルからすれば答えは一つしかない。

 

 どうあっても『セラはセラ』で『エルはエル』であり、彼女は自分の双子の妹であるという、たったそれだけのことなのだ。

 

 自問の答えを確かめたエルはステファニアに問いかける。

 

「後始末はお願いしても?」

 

「ええ、家の方とも話さないといけないから」

 

 ステファニアに一礼して、エルはその場を去っていく。後に残されたステファニアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 決闘事件の数日後。

 

 今回の行いが学内に広まってしまったバルトサールは実家と学園から注意を受け、実家に送り返されたうえで暫く彼の家が所有する騎士団で性根を鍛えなおされることになったとステファニア先輩から教えられた。その時にアディと一緒になって私の感触を心行くまで味わって行かれたのは、少し恐ろしい何かを感じたのであまり思い出したくない。あれを平然と受け流せるエルはメンタルが凄まじい。

 

 しかしエルに二人の矛先が移った時、アディが妙に赤くなっていたからこないだの事件で何かが変わったのだろう。それをからかって少しだけ仕返しできた気分になったとともに、二人のこれからが楽しみになった。

 

 一方キッドはというとそれほど大きな怪我をしておらず、意外とすぐに回復することができた。

 

「せい!」

 

「……!」

 

 そして私は今、リハビリがてらにということで、キッドと剣術のみでの模擬戦を行っている。いつもキッドの相手をしているアディは、最近はエルについていることが多くなったため、私が代わりにということで相手を務めている。

 

 とはいえ、私の魔法抜きでの実力はそう大した物ではない。この模擬戦もキッドの一撃を受け流した後にカウンターを狙うという流れを何度も繰り返している。けれど、特訓の成果もあって持久力では勝っているとはいえど、体格と力で劣る私がこのまま同じことを繰り返していればいずれ負けるのは目に見えている。

 

 キッドの振り下ろしを回避した直後に右上段から切り下ろしを仕掛ける。キッドの大剣の扱いも慣れたもので、下方にあった大剣を一瞬で引き戻して、すぐさま横に構えてガードの構えを整えられた。けれど。

 

 そこまでは読み通りで、切り下ろしはフェイントだ。

 

 剣から右手を放し左の逆手に持ち替え、体を思い切りひねって一歩踏み込んでの下段からの突き上げに変える。

 

「うおっと!」

 

 予想外の一撃だっただろうに、キッドは反応して見事に私の攻撃を防いだ。とはいえ、剣が完全に浮き上がって大きな隙を見せている。踏み込んだ勢いそのままにキッドの喉元に剣先を突き付け、私の勝利で試合は終わった。

 

「だー!魔法なしでもセラに分が悪いのかよ。なさけねえ」

 

 キッドの言う通り、魔法なしでの模擬戦は私が六割ほど勝っているため、私の勝ち越し状態が続いている。逆に言えば、父からの教えを受けていても一割ほどしか勝ち越せていないのだけれど。

 

 だーと地面に倒れこむキッドを横目に思う。キッドは確実に成長している。体の成長も合わせれば、恐らく魔法なしの戦闘だと近いうちに私はキッドに勝てなくなるだろう。魔法ありなら一度も負けるつもりはないけれど。

 

 キッドを見ていて否応なしに意識させられるのは、いまだにうっすらと残っている青あざやかさぶただ。それらは、キッドが私とアディが人質にとらえられていることを知って、あのバルトサールに無抵抗にいたぶられた証拠だ。

 

 私はそれを見るたび、私のせいでキッドを傷つけてしまったと自責の念に駆られると同時に、キッドにまた別種の気持ちを抱くのだ。

 

 女の子を守るために傷ついてでも体を張るというヒーローのような勇敢な行いへの尊敬と、同時にその行動が私とアディを守るためのものであったということに、言葉にならない嬉しさを感じる。

 

 今回の事件でアディにとっての王子様がエルだったのなら、私にとってのキッドは誇り高い騎士のようだったということになるのだろうか。今回はさすがに冗談ではない。

 

「ん?どうした?」

 

 気が付けば私はキッドの肩にかすかに残った痣を撫でてしまっていたらしい。何やら変なことをしてしまったかと思ったけれど、結局そのまま続けることにした。

 

 素直な気持ちを、伝えておこう。私達のために体を張ってくれた彼に。

 

「……キッド、ありがとう。まるでヒーローみたいだ」

 

「お、おう。おう?」

 

 いまいち釈然としないキッドの反応に、そういえばこの世界にヒーローという概念はなかったなと今更ながらに思い出した。とはいえ二度もこんな恥ずかしいことを言う勇気もなく、そのままエルとアディが帰ってくるまでキッドと二人でゆったりと過ごしたのだった。

 

 後日エルに聞いたところだと、キッドにヒーローの意味を問われたので教えたところ、一瞬で顔を真っ赤にしたのだとか。何で教えたのか。エルは心底楽しそうに笑っていたけれど、妹としてはいまいち納得がいかないと抗議し、なぜか二人で模擬戦を行うことになった。

 

 結果は秘密だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陸皇の足音

12さん、誤字報告ありがとうございます!


「と、言うのが今回の事件の顛末だの」

「お義父さん、ちょっとその騎士団に行ってきてもいいでしょうか?」

「なんとなくわかるが、なぜかの?」

「そのバルトなんとやらにライヒアラ式トレーニングドラゴンコースを叩きこんでこようかと」

「……うむ、行ってこい!」

「それは結構なのですが、お父様。あまり過保護なのはセラに嫌われるのではないでしょうか?」

「何、だと」

「……話をややこしくするお父さんは、ちょっと」

「あらあら。お父さん、真っ白になっちゃったわ」

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 フレメヴィーラ王国が存在する険しいオービニエ山脈以東の平野部はかつて、魔獣が支配する地域だった。それが人類の生息域に塗り替えられたのはおよそ三百年前のことだ。

 

 幻晶騎士や魔法などの強力な力を以て魔獣を駆逐しながら東進してきた人類の攻勢は、しかしある出来事を以て留められることになる。

 

 平野部の東に広がる果ても見えぬほど深い森、ボキューズ大森海への数百体もの幻晶騎士を用いた大規模な親征の失敗によって人類はその入り口で足をとどめ、フレメヴィーラ王国を人類の前線基地として建国するに至ったのである。

 

 そういった経緯もあって、いまだに多くの魔獣が生息しているボキューズ大森海とフレメヴィーラ王国の境には魔獣の進行を監視、防御するために多くの砦が建てられ、砦と砦の間には多くのところで万里の長城のような防御壁が設けられている。

 

 主要な砦は”魔獣街道(ラピッドリィロード)”と呼ばれる魔獣の獣道を塞ぐように建てられており、日夜魔獣と戦う最前線であるという。

 

 一方で魔獣街道(ラピッドリィロード)から外れているために、魔獣の襲来が少ない砦も存在している。

 

 ここバルゲリー砦もそんな平和な砦の一つだ。大型どころか中型の決闘級魔獣という、幻晶騎士一体の強さに相当する魔獣でさえ出くわすことが稀なこの砦は、夜には静けさに包まれるため星を眺めるにはちょうどいいと評判である。

 

 歩哨として砦の上からボキューズ大森海を監視していた男もまた、その静かな夜を楽しむ者の一人である。しかし、今夜は星を楽しむような落ち着いた心持ちではいられなかった。

 

 あまりに静かすぎるのだ。普段のものとは違う、周囲から生物が一つ残らず消え去ってしまったかのような無機的な静寂に彼は何か嫌な予感を抱き、違和感を見逃すまいとして森に目を凝らしている。

 

 やがて辺りを包み込むような不気味な静寂の中に、低い地鳴りのような音と木々がなぎ倒されるような音が混ざり始めた。この近辺でそんな現象を起こせるものと言えば、魔獣しかありえない。

 

「魔獣襲来!魔獣襲来!」

 

 叫び声の後に警笛を鳴らすとともに砦の雰囲気が慌ただしくなり、すでに起きていた勘のいい騎操士が、飛び起きたばかりの騎操士をどやしつける声が砦内に響く。そうしている間にも、音はゆっくりとこちらへ近づいてくるようだ。

 

「戦闘配備だ!手順は省略しろ、急げ!」

 

「ちくしょう、こんな僻地にいったい何の用がおありなさるってんだ!」

 

 罵声を交わしつつも無駄なく速やかに幻晶騎士を起動した騎操士たちが、順次砦の前面に出て迎撃の用意を整える一連の流れが終了し、陣形を整える。

 

 足音はもはや目の前にあり、砦上部からは魔獣の体の一部らしき尖った物体が木々を越えているのが見える。歩哨はそのあまりの異様に信じられない気持ちで、知識としてのみ知るその正体を推測する。

 

 数秒の後、怪物はその姿をさらけ出した。

 

「べ、陸皇亀(べへモス)!師団級魔獣陸皇亀(べへモス)です!」

 

「砦内の歩兵は戦闘員を残して全員退去!非戦闘員は早馬を近隣の村に飛ばせ!ちくしょう、ついてねえ!」

 

 それはまるで突如山が目の前に現れたような光景だった。全長は80メートル、高さは50メートルを超えていて、胴体から突き出た六本の足で地面を踏み鳴らしながら進む山だ。甲羅のようなものを背負っており、そのところどころからごつごつと尖った岩のようなものが突き出している、かすかに紫色に光る山だ。

 

 あえてその姿をほかの生物に例えるならば『亀』というのが最も的確だろうか。もっとも、この亀は地上で何よりも恐れるべきと言えるような凶悪な存在だが。

 

 報告を受けた騎操士たちも、その正体を知って固唾を呑んだ。新人は呆然と、隊長などの古参はある覚悟を決めて。

 

 陸皇亀(べへモス)は、フレメヴィーラ建国の折に数例ほどの戦闘例があるとされている、文献上でのみ存在が知られている魔獣だ。そしてかの魔獣を『要塞』と称した文献の記述だけでさえ、この魔獣がどれほど恐ろしいかを物語るには足りるのだ。

 

 この魔獣の特徴はその巨体を支える『強化魔法』にある。その心臓から供給される幻

晶騎士百体分を越えるとされる魔力でもって行使される魔法がどれほどの力を有するのか。それを眼前の怪物は今まさに証明しようとしていた。

 

「法撃開始!ありったけ叩き込め!」

 

 隊長機の号令とともに隊長機を含めた十機の幻晶騎士が陸皇亀(べへモス)に向けて魔導兵装(シルエットアームズ)炎の槍(カルバリン)』を魔力(マナ)の限りに叩き込む。

 

 熾烈な法撃の弾幕に陸皇亀(べへモス)の姿が爆炎と煙に包まれ、見えなくなる。やったか?!までは言わずともある程度のダメージを騎操士たちが期待し、煙の向こうの様子を注意深く探っていたその時。

 

 突如煙を裂いて陸皇亀(べへモス)が突進してきた。泡を食ったように部隊は散開するものの、正面にいた二機のカルダトアが回避する間もなく跳ね飛ばされる。凄まじい重量を持つ魔獣に跳ね飛ばされたカルダトアはもはや原形をとどめておらず、騎操士の生存は絶望的だろう。

 

 陸皇亀(べへモス)の勢いはそこでとどまらなかった。今もなお巨体に似合わぬ速度で突進する先にあるのは、バルゲリー砦の城壁だ。少しでも勢いを弱めようと何機かが統率されていない砲撃を陸皇亀(べへモス)に浴びせかけるが、なんの意味もなさない。

 

 勢いのままに陸皇亀(べへモス)はその巨体を砦にぶつけた。師団級魔獣のような強力な魔獣の襲来など想定されていない小規模の砦の城壁ではその巨体を受け止めることなど望むべくもなく、城壁は轟音とともに崩れ行く。

 

 砦の崩壊を目の当たりにして、隊長は瞬時に決断を下す。

 

「アーロ、ベンヤミン、クラエス、生きてるか!」

 

「……はい!」

 

「アーロは生き残ったやつをまとめて脱出、カリエール砦へ駈け込め!ベンヤミンは予想進路上の都市に連絡、ヤントゥネンまで走れ!クラエス、お前は王都まで行け!結晶筋肉(クリスタルティシュー)が砕けたとしても絶対にこいつのことを伝えに行くんだ!」

 

 隊長機は残った四機のカルダトアをぐるりと見渡す。

 

「残ったやつは……済まねえな。貧乏くじだ」

 

「なあに、いいってことですよ、隊長。むしろここで帰ったら、カミさんにどやされちまう」

 

「そりゃ陸皇亀(べへモス)なんかよりも恐ろしいなあ。怖え怖え」

 

「カミさん、逆鱗に触れたらドラゴンみてえに火ぃ吐くんだぜ?」

 

「こりゃあ謝り倒す時にゃあ師団どころじゃ足りねえなあ。俺も手伝うからよ、そん時ゃそっちも手伝ってくれ」

 

「おう。任せろってんだ。俺の土下座を舐めんじゃねえぞ?」

 

 そんな陽気な会話は死地へ向かう自分への鼓舞か、遺すものを想ってのはなむけか。

 

 選ばれた三人は隊の中でも比較的若いものたちだ。彼らはなぜ自分たちが呼ばれたのか、ここに残ることが何を意味するのかを理解して、自分たちの役割の重さから一切の反論を腹の奥に抑え込んだ。別れを惜しむ暇など与えられてはいないのだ。その目は悲壮な惜別ではなく、熱き使命感に燃えている。

 

「行け!」

 

「はい!」

 

 そうして、残った四機のカルダトアと隊長機からなる五機の幻晶騎士は、眼前の要塞を見上げる。

 

「ようしお前ら、遅滞戦闘だ。開けたところに引き込んで、お相手さんが嫌がるほど丁重におもてなししてやれ!」

 

 およそ三百の幻晶騎士をもってしてようやく倒すことができるといわれる師団級魔獣に対して、たった五機の幻晶騎士で立ち向かう。それがどれほどに無謀なことかなど彼らにとっては一切の意味がないことだ。

 

 法撃は相手に一切の痛痒を与えず、ならばと近寄って剣で叩けばその甲殻の余りの堅固さ故に歯が立たず逆に剣が刃こぼれしていくばかり。それでも自分に張り付いて攻撃を仕掛けてくる幻晶騎士達を疎ましく思ったのか、陸皇亀(べへモス)が足を止め、意識を彼らに向ける。そしてそれこそが彼らの目的だった。

 

 死を決めて一撃離脱に徹した彼らは、しかし長く戦ううちに機体、乗員ともに限界が訪れ始め、櫛の歯が欠けるように一体、また一体と数を減らしていく。

 

 最後に残ったのは、最も戦闘経験が長い隊長機であった。細かい傷が入っており、右腕などべへモスの尻尾がかすったことで半ばからちぎり飛ばされていた。全身の結晶筋肉(クリスタルティシュ―)はもはやボロボロでいつ動かなくなるかもわからず、魔力貯蓄量(マナプール)は長時間に及ぶ戦闘で底をつきかけている。もはや逃げることも叶わないだろう。

 

「ひよっこどもは逃げおおせたか……。この亀野郎、次に来るのは俺たちみたいな下っ端じゃねえ、本物の騎士団様だ。覚悟しやがれ」

 

 これが最後の一撃と覚悟して、隊長機は走り出した。回避や離脱を一切考えない一直線の軌道に対し、陸皇亀(べへモス)は最後まで戦い抜いた隊長機に敬意を表したのか最大の攻撃で迎えうたんと大きく口を開けて息を吸い込む。

 

 交差は一瞬。攻撃は同時だった。捨て身になったことでそれまでで一番鋭い一撃となった隊長機の攻撃が陸皇亀(べへモス)の顔面に命中した瞬間、その口から竜巻の吐息(ブレス)が放たれ、隊長機は機体の破片をまき散らしながら森の中へ消えていく。

 

 陸皇亀(べへモス)は周囲を見渡し、自分の道を邪魔するものがいなくなったことを確認すると勝ち鬨のつもりなのか、一つ咆哮する。その目の横には隊長の執念の成果か、最後の攻撃によってわずかに罅が入っていた。

 

 崩れた砦を乗り越えて歩き始めた陸の皇を、すでに高く上った太陽が照らしていた。彼らは、絶望的な状況下にあってなお、何よりも貴重な数時間をその命と引き換えに稼いで見せたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セラフィーナ君はそろそろ野外演習だったね?」

 

「……野外演習、ですか?」

 

 ひょっとして知らないのかい、と私の目の前でオートン先生は呆れたようにうなだれた。

 

 いわく、魔獣との実戦経験を積むために騎士学科の中等部三学年合同でヤントゥネン郊外のクロケの森へ遠征を行う。クロケの森は生息する魔獣の多くが小型だが、万が一を考えて高等部の幻晶騎士が護衛を行うため、最悪の事態というのは限りなく避けられる。

 

 そういえば君はここに籠りっきりみたいなものだしなあと呟いて先生は続けた。

 

「君ならばないとは思うのだけれど、まあ万が一を考えて君の体質について忠告しておきますね」

 

 そう前置いてオートン先生は黒板に横から見た人の頭の断面図を描いた。

 

「君は前に魔道演算領域(マギウスサーキット)が人よりも広いといっていたね?」

 

 そういえばと思いながら、頷いて肯定する。それが一体どうしたのだろう。

 

「先天的に魔道演算領域(マギウスサーキット)が他者よりはるかに広い人というのは、少ないながらも先例はあるんです。そして彼らにはいくつかの共通点がみられます」

 

 先生はおそらく魔道演算領域(マギウスサーキット)を表しているのだろう緑の丸で、脳のおよそ半分を囲った。

 

「まず一つ。魔道演算領域もまた脳の一機能であるからか、他の脳機能においていくつかの未成熟な点がみられること。君の場合はおそらく、言語野あるいは表情をつかさどる部分に該当するのじゃーないでしょうか。まあ、感情が高ぶるときはいくらか違うようですが」

 

 私はそっと頬に手を当てる。思い当たる節は確かにあるのだ。日常生活の中では、どうしても会話で応答するまでに間が開いてしまうし、表情は全くと言っていいほど動かない。しかし感情的になった時には言葉はすぐ出るし、表情もいくらか表れるようになる。こないだのキッドたちの事件などがいい例だろう。そこまで考えて、気付いた。

 

 先生がそのことを知っているのは私が魔法で新しい基礎式を発見したとき、とてつもなく興奮してまるでエルのような暴走をしてしまったからじゃないか。思い出すと恥ずかしいので、そのままできるだけ自然に見えるよう手で顔全体を覆う。

 

「……二つ目です。これらの機能は魔道演算領域が最大まで使用された時に刺激されるのか、一時的に常人と同じレベルにまで働くようになります。いくらか制御は効かなくなるという話ですけれどね。まあこれはそんなに重要じゃないでしょう」

 

 そして最後の三つ目、これが重要なんですと先生は言った。

 

「彼らは最大まで魔道演算領域を活性化させた後、人によってそれぞれ気絶や後遺症などの異なる副作用を味わうことになります。脳にいつも以上の負担を掛けることになるからだという説が有力ですね。君はまだそれをしたことがないよーだから、何が起こるかはわからないはずです。だから、もしそーすることになったらこのことに十分注意してほしいとおもいます」

 

 真剣な顔で先生は告げた。その目は前髪と眼鏡に隠されて見えないが、私を心配してくれていることはよくわかった。

 

 魔道演算領域が広いということを不便に思ったことはないけれど、いざどういったことがあるといわれてみると、何やら心に来るものがある。ただ、私にとってはそれを補って余りあるほどにそれに助けられているのだから、文句の一つもあろうはずがない。

 

 オートン先生は黒板に書いた図を消すと、それじゃあ行きますかと研究室をさっと出ていった。私はその素早さに一瞬呆気に取られ、次に何を先生に頼んでいたかを思い出し、その後を慌てて追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新しい基礎式の実演、ですか」

 

「まじかよすっげえな」

「セラちゃんすっごーい!」

 

「なんだ?それってすげえのか?」

 

 先生を案内してたどり着いたのは私を除くいつもの五人組のところだ。みんなはどうやら野外演習の話で盛り上がっていたらしく、演習に参加できないバトソンは一人悔しそうにしている。

 

 この時間にまっていてほしいと伝えていたからとはいえ、みんなが揃っているのは珍しい。学科が違ったりエルと私が高等部に顔を出すようになったからだ。

 

「……みんなには、先に見てほしいと思って。見てて」

 

 みんなが被害を受けない程度に離れたことを確認すると、私は二本の扇杖を抜き、新しい基礎式を用いた魔法を行使した。

 

「『細砂球(サンドボール)』、『止水滴(ウォータードロップ)』」

 

 私の右の杖の先端には砂漠にあるような目の細かい砂が渦巻く拳大の球、左の杖にはこれまた拳大の水で構成された球が波立つことなく現れた。魔法についてよく知らないバトソンはなんのこっちゃというような表情だが、他の三人はかなり驚いているようだ。

 

 今度は二つの球を私の正面に移動させ、混ぜ合わせる。出来上がったのは黄色い泥水だ。私はさらにこれに魔法をかけた。

 

「『清水精製(ウォータークリエイト)』」

 

 すると泥水から砂がさらさらと排除されて風に流されていった。残ったのは純水の球だ。それを上へフヨフヨと誘導し、仕上げの魔法を唱える。

 

「『水球爆発(ウォーターボム)』」

 

 パァンと軽い破裂音を立てて水球がはじけ、ミストのように広がった。みんなの表情がその瞬間に感嘆を表したことから、どうやら練習通り完璧にできたようだ。

 

「わあ、綺麗な虹……」

 

「綺麗だな……」

 

「え?虹?すげえけどなんでだ?」

 

「これは負けていられませんね」

 

 訂正、どうやら全員が感嘆したわけではなかったらしい。少しの演出として、霧が晴れたタイミングでひょこりと様にならないカーテシーを添えると、パラパラと拍手が起きた。

 

 顔を上げるとすぐに、冷静に分析していたらしいエルが質問してきた。

 

「今のは水と土の基礎式を含んだ魔法でしょうか?」

 

 こくりと頷いて肯定する。

 

「水と土の基礎式ってエル、確か……」

 

「はい、存在しません。いえ、していなかったというべきでしょうか。どうにせよこれは素晴らしい発見なのは間違いありません」

 

「セラちゃんすっごーい!」

 

「わっ」

 

 勢い良くアディが飛び込んできたことで身長が低い私は顔をその胸に押し付けることになった。呼吸ができないしその少し育ち始めた胸と未だに平野のような私のものを比べて少し悲しい気分になるのでやめてほしい。

 

 エルが何かに気付いたという風にオートン先生を見やる。

 

「では、ひょっとするとそちらの方はセラがお世話になっている魔法関連の先生でしょうか」

 

「あー。僕ですか?いやー実は忘れられてるんじゃないかなーてちょっと心配してたんです。僕、オートン・カジョソと言います。ここには彼女に監督を頼まれてきました」

 

「これは失礼しました。エルネスティ・エチェバルリアと言います。何時もセラがお世話になっているようでありがとうございます」

 

「俺はアーキッド・オルターって言います」

 

「私は妹のアデルトルート・オルターです」

 

「俺はバトソン・テルモネンだ、です。騎操鍛冶師(ナイトスミス)目指してます」

 

「ご丁寧にどうも」

 

 自己紹介が一通り終わると、キッドがアディに抱き付かれている私に近づいてくる。その表情は何かしら心配そうだ。

 

「なあ、セラ。これってすげえんだろ?国中に発表とかするのか?」

 

 私は発見した制御式や基礎式を発表して多くの人に使ってもらうつもりでいる。秘匿することに魅力を感じないし、それが目的を達成することに直接つながるからだ。

 

 けれどこの水と土の基礎式の研究は、オートン先生にかなり協力してもらって初めて成立したものだ。その方針は先生と相談して決めなくてはならない。

 

 先生を見ると、先生はいつものようににっこりと笑って答えた。

 

「全てを君に任せます。悪いよーにはしないでしょうし、僕はただ過去の資料を見せてアドバイスをしたにすぎません。この基礎式の研究は君が完成させた、君だけの成果です」

 

 私の成果、そう言われて私は不意に、前世でのなんの成果も上がらなかった魔法の研究を思い出して、それがようやく報われたかのような錯覚に襲われてしまった。前世での研究は今もまだ実っていないし、もうしてはいないというのに。 

 

 なんてことはない先生の善意の言葉に、強く感情が揺さぶられてしまう。

 

「ああ……ううっ」

 

「……よしよーし。セラちゃんはーすごい偉いし可愛いしサラサラだから、大丈夫」

 

「後半関係ないよな……」

 

「えーと、これ僕が悪いんでしょーか?」

 

「嬉し涙ですから大丈夫ですよ」

 

 アディに抱き付いたまま十分ほど、アディに頭を撫でられ、他の三人から見守られて私は泣き続けたのだった。

 

 

 

 

「……取り乱してごめんなさい」

 

「いえいえ」

 

 泣き止んだ私はアディの服についた涙やら何やらを水の基礎式を使って服から抜き出し、みんなに謝った。何やらみんなの生暖かい目が恥ずかしい。

 

 エルが濡らしたハンカチを私に差し出した。

 

「とりあえず、セラ。顔がすごいことになっているのでこれで拭いたらどうでしょうか。キッドも見ていますし」

 

「……!」

 

「いや、俺!?あーうん。見て、ごめん」

 

「そこは一言余計よ!バカキッド」

 

「俺はちゃんと見てないぜ。キッドは見とれてたんじゃねーの」

 

「ンなことねえよ!」

 

「もしかして図星でしょうか、キッドも顔赤くなってません?」

 

「なってねえよ!」

 

 あちこちでバシバシと叩き合っている音が聞こえる。いつもながら、五人集まるとうるさいほどに賑やかだ。ごしごしと顔を拭いて、顔を上げる。

 

「……私はこの基礎式を論文にして発表しようと思う。けれど学者になるわけじゃなくて、騎操士としてもやっていく」

 

 恐らくキッドが心配そうにしていたのは私が騎操士になるのをやめて学者になってしまうのではないかと思ったからだろう。同じ道を目指す友達がいなくなるのは、やはり悲しいものがあるから。

 

 キッドがにっかりと笑ってこたえた。

 

「そうか。手伝えることがあったら言ってくれよ!」

 

「私も私も!セラちゃん分も補充したからやる気は十分だよ!」

 

「俺は……何かいいもの作ってやるよ!」

 

「僕もセラの頼みとあらば断わりません」

 

「セラ君は愛されているようですね。もちろん僕も手伝いますよー」

 

「……ありがとう」

 

 私は、私にはもったいないくらいいい人たちに囲まれているということをいまさらながらに確認する。だからこそ、彼らを守るための力を望んでしまうのだけれど。

 

 ひとしきりみんなで笑った後で、アディが思い出したように聞いてきた。

 

「そういえば、セラちゃんは野外演習の班って決めてるの?」

 

 答えはもちろん決まっている。




魔法の『清水精製』は来迎 秋良さんからアイデアをいただいたものです。ありがとうございます!
これからも皆さんにアイデアいただけた物の全ては無理ですが、機会があれば登場させていきたいと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

演習の開始

244さん、a092476601さん、溶融と凝固さん、誤字報告ありがとうございます!!


 二週間がたち、騎士学科の合同野外演習開始の日が訪れた。ライヒアラ学園の校門には大型の馬車と、下級生の護衛と長距離行進の訓練を行う高等部の幻晶騎士が十機ほど集合し、馬車に乗り込む子供たちを見守っている。

 

 そんな賑やかな風景の中には。 

 

「エル、セラ。十分に注意して、警戒を怠るなよ」

 

「はい、お父様」

「……はい」

「……ハンカチ持ったか?杖は忘れてないよな?後は……」

「マティアス先生。そこらへんでやめてあげてはどーでしょーか。点呼も始まっていますし」

「オートン先生、こんにちは。どうやらそのようですから、僕たちはもう行こうと思います」

「……行ってきます」

「はい、いってらっしゃい」

「……気をつけてな」

 

 あまり締まらずに悄然と肩を落とす鬼教官と、その横で能天気に手を振る魔法学者という珍しい光景も見られたのだとか。

 

 

 

 学園を出発した馬車は街道を経由して一路ヤントゥネンを目指して進んでいく。中等部一年生の生徒達は小旅行のような雰囲気に当てられているせいか、馬車の中はかなり騒がしい様相を呈していた。

 

 その中に、ぽっかりと穴をあけたように静かな空間を形成している集団があった。色々あってあまりにも有名になってしまった黒髪と銀髪の双子たちである。彼らは横一列に並んで、各々のんびりとこの時間を過ごしていた。

 

 エルは幻晶騎士に関する本を読み、時折馬車の外を歩いている純白の騎士アールカンバーや真っ赤な意匠を施されたグゥエールを眺めて恍惚とした笑みを浮かべている。ここ数年で猛烈な勢いで幻晶騎士に関しての知識を吸収し、とうとう高等部での整備の現場や模擬試合に顔を出し始めたエルは、もう何度もそれらの機体を目にしている。それでもまだ興味が尽きないのは、それが学生たちによる幾多ものカスタマイズの産物だからか。

 

 アールカンバーは騎操士学科最強と名高いエドガー・C・ブランシュが駆る機体だ。エドガー自身が守りに長けている騎操士であるためか、アールカンバーも防御性能を重視した堅実な機体となっている。

 

 赤い騎士グゥエールに乗っているのはディートリヒ・クーニッツという騎操士だ。こちらはアールカンバーとは対照的に盾を持たない二刀流を行うことで、格闘戦での攻撃性能を重視している機体である。操縦席からは、長距離移動が退屈だという愚痴が伝声管を通して周囲に漏れ出てしまっているけれど。

 

 これらの機体は一世代前のサロドレアという幻晶騎士が元になっているのだが、学生たちの志向や趣味によって思い思いのカスタマイズが重ねられてきた結果、原形をとどめていない物がほとんどだ。オリジナルと大した違いがないといえるのは、二機のやや後ろからディートリヒの悪態を注意しているヘルヴィ・オーバーリが乗るトランドオーケスくらいのものだ。

 

 アディはうっとりと幻晶騎士を眺めるエルに抱き付いたり話しかけたりしていたが、エルの関心が移らないと悟るやエルの膝に頭を乗せてそのまま寝てしまった。その顔がちょっとイケナイ感じに幸せそうな笑顔であることに気付いたほかの生徒は、またかとその光景を見なかったことにした。

 

 セラは何もない空中に紙を浮かべてペンで文字を書き綴っている。その文字はガタガタとかなり揺れている馬車の中だというのに一切のブレがない綺麗なものだ。暇そうに馬車の中を見ていたキッドはその光景に目を見開き、次いですぐにその謎の種に気付いた。よく見ればセラの座高がいつもより高く、セラ自身も少しだけ椅子から浮いているように見える。

 

 空中に紙が浮いているように見えるのは、圧縮した大気を机代わりに使っているからだ。一方一切のブレがないのはクッションのように柔らかい大気に座ることで振動を軽減しているからだろう。なんという洗練された無駄のない無駄な魔法の無駄遣いだろうか。

 

 次にキッドが気になったのはその書いている内容だ。

 

「セラ、それはなに書いてんだ?」

 

「……水と土の基礎式の論文。大枠だけでも作っておこうと思って」

 

「いや、それそこまでしてやるのかよ……」

 

「……善は急げというよ?」

 

 急ぎすぎだろという言葉をキッドは飲み込んだ。幻晶騎士に関わった時のエルと同様、魔法に関わったセラもまた暴走機関車のように突っ走るのだ。エルほど危ない感じはないにしろ、こちらは頑固でなかなか聞く耳を持たないというある意味余計厄介な一面も持ち合わせている。止めようとするだけ無駄だというのはエルを含めた全員の共通見解である。エルもまた同じように他の全員から見られているあたり、この双子は変なところまで似てしまっているといえるだろう。

 

 キッドはそれ以降黙ってセラの作業を眺めていたが、のどかな空気と馬車の振動に誘われたのか、そのうちに寝てしまった。暫くの後、セラが作業を終えて気付けば自分の肩に頭を預けるキッドの姿が。起こすことは忍びなく、自身もまた作業の疲れがあるからとセラはそのままキッドの頭に頭を重ねるようにして同じように睡魔に身をゆだねたのだった。

 

 ヤントゥネンはオービニエ以西に存在する西方諸国(オクシデンツ)と魔獣との戦いの最前線であるフレメヴィーラ東部の地域とを結ぶ街道の中間地点に存在するという立地から、重要な都市として幻晶騎士百機からなる大規模な騎士団を抱える商業が発達した都市だ。その外周部でライヒアラ学園の一行は商人から食糧や消耗品などの物資を受け取ると再度クロケの森へ出発した。それから一日の後、彼らは歴史的な事件として後世に語り継がれるある出来事の現場に、楽しい旅という雰囲気がいくらか抜けないままに到着するのだった。

 

 クロケの森へたどり着いた一行はそのままテントの設営にとりかかった。森の浅いところとは言えすでに魔獣の生息地、明日からの行動のための拠点を日が暮れないうちに作らなくてはならない。

 のだが。

 

「……セラ、それ持つぜ」

 

「……あ、ありがとう」

 

 一人でテントを運ぼうとしてその身長ゆえにまるでテントが一人で歩いているような有様のセラをキッドが気遣ったり。

 

「わー!セラちゃんそこは私がやるから!セラちゃんはそこで私にエネルギー補給してて!」

 

「……あり、がとう」

 

 なぜか身体強化を施し、両手で金槌を振りかぶって地面に杭(ペグ)を打ち込もうとするセラに謎の注文をアディが行ったり。

 

「こら、そこ!よそ見をしていないで作業に集中しなさい!いったい何を見て……!」

 

「生徒会長!?」

 

 作業の役に立てていないことに気付き落ち込むセラを見て、生徒会長が一時再起不能になったり。

 

 そんなハプニングを交えつつも、設営の作業は過不足なく完了されたのだった。

 

 

 賑やかな夕食が終わり、静けさに包まれた夜の森の中。就寝のためにテントに入った生徒たち――特に一年生――は時折遠くから聞こえてくる獣や魔獣の遠吠えに危機感を刺激され寝付けないままでいた。彼らとて、どんな状況でも睡眠をとる訓練というのは経験がある。しかしそれを実際に危険を感じる状況下で行うというのはやはり難しいものがあるのだ。

 

 アディやキッドもまたそのうちの一人だった。緊張によるものか、どうしても目が冴えて眠る気になれない。キッドは隣に眠るエルも同じように緊張を感じているのかと思ってエルの顔を覗き込んでみれば、当のエルは周りを気にすることなくぐっすりと眠りこんでいた。これは眠れるときに眠らなければ死ぬような彼のブラックな職場での経験によるところが大きいのだが、それはエル以外知る由もないことだ。

 

「……エル君、ずるい」

 

 何がずるいのかまったくもってわからないが、アディがエルの隣まで静かに移動していく。アディという狼に目をつけられてしまったエルは哀れ抱き枕として彼女の餌食になってしまった。

 

 キッドはそんな二人の様子にこっそりとため息をつき、セラはとアディが移動したことで見えるようになった彼女の方へ首を巡らせた。

 

 セラもエルと同じようにぐっすりと眠っているようだ……とキッドが思った時遠吠えがまた一つ響き、ピクリとセラの体が震えた。よく見れば、その寝顔はどこか苦しそうだ。

 

「あーもう。なんかほっとけねえよなあ……」

 

 幾秒かの逡巡の後、キッドはその小さな手を握りしめることにしたのだった。

 

(やっぱちいさいしやわらけえんだなあ)

 いつも距離が近いとはいえ初めてしっかりと握るセラの手の感触に、思春期真っただ中のキッドは悶々とした感情を抱いて余計に眠れなくなってしまった。

 

 しかしセラの顔がだんだんと穏やかなものに変わっていくのをみると、自分だけが悩んでいるのが馬鹿らしく感じられて、気楽な心持になった。

 

 少し後には、テントの中には四人分の寝息以外の音はなくなっていた。

 

 

(温かい……。なんだろう)

 

 次の朝、目を覚ましたセラは自分の手を包む温かい感触に気付いた。いったい何がと目を向けてみれば、自分の手がキッドの大きな手によってしっかりと握りしめられているではないか。予想外の事態に目を見開いて硬直すること数秒、後に昨晩は確かになかなか寝付けないで夢うつつでいたところで急に気持ちが落ち着いたことを思い返し、キッドが手を握ってくれたおかげかと思い当たった。

 

 意外と力強く握られているため簡単には外せそうにないことを確認した後にキッドの顔を見れば、たった今起きたようで、薄く目が開いていた。

「んあ、ああ、セラ、おはよう」

「……おは、よう」

 

 キッドが起きたことで手を外すことができるようになったセラは毛布を顔までゆっくりとずり上げ、ダンゴ虫のように毛布にくるまってしまった。

 

 困惑するキッドの後ろで、ニマニマとした顔で一部始終を見ていた二人がいたのだとか。彼らのやり取りを聞いたセラは、ダンゴ虫から貝になってしまい朝食ぎりぎりまで毛布から出てこなかった。

 

 朝食を終えた一行は、学年ごとに予定されていた行動に移り始めた。二年生以上の生徒は班ごとに森の奥へ一定数の魔獣を狩るために進んでいく。森の奥では中型の魔獣とも遭遇することがあるためか、彼らの表情は一様に引き締まっている。

 

 一方で一年生は森の浅い部分の探索のみに留めることになる。戦闘はもし遭遇したらという程度で、主眼に置かれているものではない。しかし彼らもまた初めての演習に緊張しているのか、どこかぎこちない様子の班が多い。

 

 例年通りの光景にある教師は胸をなでおろした。拠点での待機の役割をする彼はそんな生徒たちを見送り、音のなくなった拠点で椅子に腰を下ろした。

 

 彼らは知らない。穏やかに終わるはずの演習に災害級の危機が迫っていることを。この森で危機察知に鋭い魔獣たちがどのような様子でいるのかを。

 

 こうして、事件の一日目は後からは想像できないほど穏やかに始まったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔獣の暴走

浅笹定さん、244さん、誤字報告ありがとうございます!


「前衛はできるだけ固まって死角をカバーしてください!第二杖列、構え、発射!」

 

 薄暗いクロケの森の中層部、いつもなら魔獣の数もまばらで比較的平穏なそこには現在、騒音を立てて迫りくる大量の魔獣に呑み込まれないよう陣形を組んで迎え撃つ上級生たちと、必死に指揮を執るステファニア・セラーティの姿があった。

 

 事の始まりは上級生たちが森へ入ってしばらく経った頃のことだった。彼らはどの班も一様にとある異変と出くわしていた。魔獣と一切遭遇しないのだ。比較的浅いとはいえ魔獣の住むクロケの森だ、これだけ進んで魔獣と会わないどころか、生き物の気配一つしないことに違和感を感じた彼らは情報を求めて他班と合流することにした。しかしどの班も魔獣を見ていないとそろって首を横に振るのだ。

 

 しかし上級生たちがほぼ全員集合したころ、森の奥からぽつぽつと小型の魔獣が現れ始めた。ならばと意気揚々と武器に手をかけた生徒たちの顔が歓喜から困惑へと変わり、ついには焦りを含んだものになり、慌てて周囲と連携を取り始めた。

 

 なぜならば、その数があまりにも異常だったのだ。先頭は一匹二匹だった魔獣があっという間に十二十という数に達し、まるで雪崩のように自分たちをすりつぶそうと進んでくる光景というのは、フレメヴィーラに住む彼らも見たことがないものだった。

 

 幸運だったのは合流した後であったために陣形を組めるだけの数があったことと、その数を活かすことができるステファニアという指揮官がその場にいたことだろう。

 

 生徒たちは大盾を構えた前衛、剣ですり抜けた敵の遊撃を行う中衛、魔法で敵を殲滅する後衛と役割を分担しそれぞれがステファニアの的確な指示によって迎撃することで、生徒たちは森の奥から激流のように迫りくる魔獣達に抵抗することができている。その戦法は現在の限られた戦力でとることができる最善と言え、安全性を考えればこれ以上を望むべくもないものだ。

 

 しかし、ステファニアの胸に巣くう焦燥は、時がたつにつれ悪化していく。

 

(下級生のところに魔獣を抜かせてしまっている……!それにそろそろ中型の魔獣が現れてもおかしくない!)

 

 正面から陣形に衝突する魔獣の群れは、そのほとんどを処理することができている。しかし魔獣たちは普段とは違って、なぜか自分たちを無視して進んで行く者が多いのだ。陣形の横をすり抜けた魔獣はかなりの数に及ぶ。それらが向かうのは、森の浅い部分で探索を行っている一年生たちがいる方向だ。とはいえ、自分たちの身を守るのが精いっぱいな現状では一年生を心配している余裕もない。

 

 それに一年生には彼らがいる、とふと脳裏に浮かんだ二組の双子たちの姿を思い浮かべる。彼らならきっと事態に対処してくれるはずだ。

 

 安心できる要素もある。だからステファニアの最大の懸念はそのことではなかった。

 

 ―このまま出てくるのが足の速い小型の魔獣だけならば、おそらく幻晶騎士の援護が来るまで踏ん張れる。けれど、予測通りならば足の遅い中型の魔獣は―。

 

 そんなステファニアの想像は、悪い方向へと思いのほか早く現実になった。

 

 トカゲやキツネといった小型の魔獣の群れの中に、ずっしりとした存在感を持つものが混ざり始める。

 

「やばいぞ!棘頭猿(メイスヘッドオーガ)だ!」

 

 生徒の叫び声にステファニアは奥歯を噛みしめた。かの魔獣は節くれだった角が特徴的な、体長三メートルを超える中型の魔獣だ。そんな魔獣が前衛の生徒たちに接近することを許せば、彼らはその巨体による剛力で薙ぎ払われ、戦線が崩壊してしまう。散開して囲んで叩くことができればいいのだが、魔獣の群れと対峙する現状では各個撃破のいい的になる。

 

「第一杖列、猿の足を潰して!近寄られたら終わりです!」

 

 取れる戦法は足止めによる延命のみ。生徒たちの精神を削る魔獣の行進に終わりは見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、森の比較的浅い部分でも魔獣と生徒達との戦闘はすでに発生していた。契機となったのは、最も森の奥にいた生徒が蜥蜴の魔獣にかまれたことだ。彼らは単体では人を殺すほどの力を持たないが、集団で襲われればそういうわけにもいかない。

 

 教師たちがすぐに対処に向かいその生徒は事なきを得たが、続く魔獣の群れに教師たちが戦闘にかかりっきりになってしまうようになった。それでも魔獣たちの勢いは止まらない。すぐに生徒たちも魔獣の脅威にさらされることとなる。

 

 結果、経験の浅い一年生は集団パニックを起こしてしまった。周囲の状況も確認せずにやたらめったらに魔法を撃ち放つ者や、悲鳴を上げて散り散りに逃げ出そうとする者もいる。装備も訓練も足りていない彼らがこの状況に対応することは困難であったのだ。

 

 けれどその中にも冷静であった者達がいた。

 

風衝弾(エアロダムド)単発拡散(キャニスタショット)

 

「……魔法空機雷(マジックマイン)任意起爆、……今」

 

 混乱の只中にある一年生の頭上を越えて、二つの銀色の影が躍り出た。銃杖と扇杖をそれぞれに構えたエルネスティとセラフィーナである。その姿は鮮烈に生徒たちの目に焼き付き、注意を奪う。

 

 エルネスティが散弾銃のように拡散して放った圧縮大気の法弾は、轟音とともに今にも生徒を呑み込もうとしていた魔獣の群れを押しつぶし、地面を盛大に耕した。それでも魔獣すべてを倒せたわけではなく、その後ろからは間を置かずに次々と魔獣が湧き出してくる。

 

 しかし数秒の後に彼らはすさまじい爆音と、一面を包んだ閃光ともに塵と化した。セラフィーナが横にずらりと配置した圧縮大気に爆発の魔法を封じ込め、一斉に起爆した結果である。

 

 エルは勢いを殺すことなく、特に生徒の混乱がひどかった右翼の魔獣へと切り込んでいった。その後方からセラは法弾で中央の生徒達への援護を行いながら、エルの機動に邪魔な魔獣を優先的に刈り取っていく。生徒たちが体勢を立て直した時には、実質二人だけで右翼一帯の魔獣を抑え込んでしまっていた。

 

 そんな二人の姿をもう一組の双子は黙ってみていたわけではない。

 

「行くぜ!真空衝撃(ソニックブーム)!」

 

「援護するわ!雷撃投槍(ライオットスパロー)!」

 

 キッドもまた一気に数を減らした左翼の魔獣たちにアディの援護を受けて切りかかっていく。

 

 双子たちの活躍によって少しの余裕ができた教師たちは、一年生の統率を取り戻すために即座に動いていた。幸いというべきか、目の前で繰り広げられる衝撃的な光景に混乱から立ち直っていた生徒が多かったために、彼らはいくらかぎこちないながらも魔獣の後続が到達する前に陣形を組むことができた。教師の指示によって、双子が攻撃していない中央の魔獣一団を排除にかかることで状況は優勢と言えるものになった。

 

 さらにそこに福音がもたらされる。

 

「一年生、大丈夫か!」

 

 魔法によって拡散された声とともに振られた大剣によって、魔獣が一気に薙ぎ払われる。先の爆音によって異変を察知した高等部の騎操士が操る、アールカンバーを筆頭とした五機の幻晶騎士が今ここに到着したのだ。幻晶騎士が来た以上は小型の魔獣などおそるるに足りない。士気を高ぶらせた生徒達と幻晶騎士によって魔獣たちは一気呵成に打ち砕かれていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 魔獣の群れを打ち破り拠点まで戻った一年生たちは、幻晶騎士や柵によって防御が固められた拠点に戻ってきたことで窮地を脱したことを実感して喜び合うものや、初めての集団戦闘に性根尽き果ててうずくまっているものなどその様子はさまざまであったが、全体的には明るい雰囲気を保っていた。

 

 生徒達の賑やかな声が響く中、あるテントで教師や高等部の騎操士、そして先の戦闘で活躍した銀髪の双子が、地図を囲んで頭を悩ませていた。

 

 先の魔獣の暴走という事態がみられた以上、これから上級生たちの救助に赴かねばならない。問題はその行先である。どこに彼らがいるのかという十分な確証もなしに森の中を動き回ることは避けなければならないが、そのための情報があまりに不足しているのだ。

 

 そんな状況の中銀髪の双子の兄、エルネスティが徐に手を挙げた。地図に向けられていたテント内の視線のすべてが彼に集中する。彼はそれを気にするでもなく、問いかけた。

 

「この森の中で集団戦闘を行いやすい開けた場所というのはどのあたりでしょうか」

 

「それなら、このあたりだろう」

 

 エルの質問に教師が地図を指して答える。本来一年生がいることがおかしい場ではあるものの、先の活躍はそれを容認させるほどの衝撃を教師たちに与えていたためか、割と自然に受け入れられている。

 

「これほどの規模の魔獣の群れです。先輩たちも集団での抵抗を考えるのではないでしょうか。となれば数の利を活かしにくい森の中ではなく比較的開けた場所、かつ幻晶騎士の援護を得やすいように拠点にある程度近い場所で陣を組んでいると考えられないでしょうか」

 

 エルの提案になるほどと教師たちが頷く中、セラが静かに言葉を付け加える。

 

「……先輩方が魔獣と戦闘していると仮定するなら、魔獣が来た方向に行くのはどうでしょう。……戦闘している人たちへの最短距離ですし、魔獣の進路上にいない人たちは自力で撤退するか、部隊に合流しているでしょうから」

 

 事態は一刻を争う事から二人の提案が受け入れられ、全体の半数である五機の幻晶騎士が上級生たちの救助に向かうことになった。そのうちの一機、アールカンバーの騎操士として出撃の準備を進めるエドガーに走りよる影が二つ。彼が振り返ってみれば、先ほどの会議に参加していたエルとセラがそこにいた。

 

「先輩、僕たちもお供していいでしょうか」

 

「なぜだ」

 

 感情論を言えば、中等部でその実力も知っているとはいえ見た目が完全に子どものようである二人をあまり連れて行きたくはない。自然とエドガーの声は若干の険を含んだものになる。

 

「森の中には友人の家族もいます。彼らが心配していますので、ともに探したいのです」

 

「……お願いします」

 

 そう言って双子は頭を下げた。エドガーには騎士として人への義を重んじる心がある。彼らの真摯な願いを無下にするほど狭量な男ではない。先ほどの戦闘で見せた実力を鑑みれば自分の心配以外に連れて行かないという理由もなく、何よりも彼らは小さいとはいえ志を同じくする騎士学科の生徒である。

 

 結局、エドガーは二人がアールカンバーの肩の上に乗って同伴することを承諾したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって森の奥、上級生たちの部隊は現在凄惨な様相を呈していた。終わりの見えない襲撃に集中を切らした前衛の生徒が負傷し、生まれた穴を埋めようとする生徒たちの負担が加速度的に増していく。中衛の何人かが遊撃に出て前衛の負担を減らそうとしているが、あまりの物量差に焼け石に水といったところであり、それも長くできるものではない。

 

 何よりも後衛の魔力(マナ)切れが深刻だ。列で交代しながら撃つことを心がけて回復の間を取ってはいたものの、あまりに戦闘が長引いてしまっている。何人かがすでに魔力(マナ)を切らしており、ステファニアを含むそうでないものもほとんどがその一歩手前と言った状態だ。

 

 対して魔獣の群れはと言えば、とどまる気配を見せない。むしろ遅れてやってきた中型魔獣の数が増えた分より厄介になってしまっている。棘頭猿(メイスヘッドオーガ)は十に上る数をすでに撃破したものの、その距離はどんどんと近づいてきている。

 

 ステファニアの必死の指揮もむなしく、負傷して下げられる生徒の数が増えていく。このままでは、という最悪の想像を指揮官として弱音を吐いてはならないと彼女は必至で打ち消していた。

 

 しかしついにその時は訪れる。火力の落ちた法撃の弾幕を抜けて、二匹の棘頭猿(メイスヘッドオーガ)が、前衛部隊に接触したのだ。そのうちの一匹の目前に位置する男子生徒が必死で攻撃を仕掛けるも、巨猿はその腕を容赦なく振りあげる。彼にはそれが自分に死をもたらす死神の鎌に見えていた。無駄だと知りつつも盾を掲げ、誰かが諦める声を聞き取る。まるでスローモーションのように感じられる世界で、彼はその時を待っていた。

 

 しかし彼が次に知覚したのは身をその意識ごと砕こうとするような強烈な衝撃ではなく、盾に液体のような何かが降りかかる感触と、離れた場所で響いた爆音だった。恐る恐る盾から顔をのぞかせれば、両腕から血飛沫を上げる棘頭猿(メイスヘッドオーガ)がそこに立ち尽くしていた。何が起きたのか、周囲の生徒も巨猿も理解できずに一瞬の空白が生まれる。

 

 それを打ち破ったのは、彼らの視界に流星のごとく流れた銀髪の少女、セラだった。彼女はアールカンバーから回転を加えた岩の弾を棘頭猿(メイスヘッドオーガ)に向けた放った後に、その強力な身体強化による跳躍でもって一瞬にしてその眼前に飛び込んだのだ。

 

「……ライダーキーック」

 

 何事かをぼそりと、流れる視界の中呟いたセラはその勢いのままに棘頭猿(メイスヘッドオーガ)の顔面に飛び蹴りを食らわせる。盛大に土煙を立てて倒れた猿と唖然とする上級生たちを尻目にエルの方を見やれば、エルは抵抗力を奪ったもう一匹の猿の後始末を上級生たちに任せ、指揮を取っているステファニアと話しているところだった。

 

 まあいいか、とステファニアに声をかけるのはエルに任せて、前衛を援護することを優先しそのまま法撃の弾幕をセラは張る。そして遠くにいる魔獣の群れを魔導兵装の炎の槍(カルバリン)が焼き払っていく。

 

 彼女たちに遅れて幻晶騎士が到着し、暗雲垂れこめていた防衛戦に終わりが見えた生徒たちはその顔に喜色を浮かべて、喝采を残る力の限りに叫びあげたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのころ、商業都市ヤントゥネンの騎士団はある一機のカルダトアが持ってきた報せを受けて、泡を食ったような慌ただしさに包まれていた。

 

 外装も結晶筋肉もボロボロになり、ひと時も休まずに走り続けたであろうと一目で察せられるそのカルダトアが持ってきた凶報。それは聞いた途端に騎士団長のフィリップ・ハルバーゲンが顔を青くして、思わず真偽を尋ねてしまうほどに衝撃的なものだった。対して、連絡に来た兵士の返答は変わることなく、残酷な現実を突きつける。

―師団級魔獣・陸皇亀(べへモス)の襲来と防衛戦を行ったバルゲリー砦の壊滅―

 

 絶句。しかしそれも数瞬のみにおさえ、フィリップは必要な指示を飛ばし始めた。

 

「大至急ヤントゥネン近辺にいる騎士をどんな任務よりも優先して召集しろ!作戦会議室に各中隊長たちを集めてくれ」

 

 一気に足音が増え始めた砦の中を作戦会議室に向けて歩きながら、フィリップと副団長は努めて声を抑えて言葉を交わす。

 

「師団級魔獣だなどと……。そんな数をそろえているのは王都の騎士団位のものだぞ」

 

 苦虫をかみつぶしたような表情をフィリップは浮かべる。

 

「等級はあくまで区分にすぎません。百余りの我らでも、相応の被害を覚悟すれば討ち取れるのではないかと」

 

「それでは意味がないのだ。我々がいないこの町は、誰が守る……!とはいえ、最悪は想定しておかねばならぬか。王都に連絡を飛ばせ。後づめを頼まなくてはならない」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

皇への謁見

アカギさん、junqさん、誤字報告ありがとうございます 


 上級生の救援を終え、拠点に戻って周囲の防備を固めたライヒアラの一行は安全性のある場所にたどり着けたことに人心地をついていた。柵の外をいまだに魔獣たちが行進していくとはいえ、こちらには人類の最大戦力たる幻晶騎士があるのだ。そのことが生徒たちに与える安心というのは程度に差はあれど先ほどまで絶望的な戦闘を繰り広げていた彼らにとってはいっそうのものであった。

 

 その戦闘の指揮を執っていたステファニアは今、一年生に割り当てられた区画に訪れていた。目当ては周囲を騒がせることがもはや恒例となったあの双子たちだ。彼らは何にしろ目立つので、興奮が収まらないでいる生徒たちの間を歩いていけば、すぐに四人で集まっているのを見つけることができた。

 

 こちらに気付いたアディとキッドに口に出さないよう人差し指を口元に当てて頼みながら、ステファニアに背を向けている銀髪の双子に忍び足で近寄っていく。

 

「エルく~ん、セラちゃ~ん!」

 

「わっと」

 

「きゃっ」

 

 突然の背後からの襲撃に戸惑う双子に、長時間戦闘の指揮を執っていたのだからこれくらいのご褒美はあってもいいじゃないかそうだろうふがふがと脳内で言い訳をしながらその髪ざわりを堪能していく。

 

「姉さん、怪我とかしてない?中等部は大変だったらしいけど」

 

「ああー心が……。ええ、大丈夫だったわ。あなたたちこそ、頑張ってくれるのはうれしいけど無茶してたじゃない。心配したわ」

 

 ステファニアの言葉は、上級生が撤退してきた直後の戦力が最も足りていなかった時にこの四人が防衛に参加してかなりの活躍をしたことを指している。心配をかけたといわれて罰が悪いのか、キッドが頭を掻いた。

 

「つってもさ、あの時は戦えるのが俺達しかいなかったんだからさ、仕方ねーじゃん」

 

「まあ、四人で部隊一つと半分の活躍をしてくれたおかげで上級生のみんなが安全に撤退できたのだから感謝しているのだけれど……。心配なものは心配なのよ」

 

 そう言ってエルとセラの頬をつつき始めるステファニアに、キッドとアディは複雑な表情をしている。おもちゃにされている当の双子は、彼女の奮戦を知っているためか無理に止めるようなこともせず、されるがままにすることにしたようだ。ワキワキと動くアディの手に、微妙に口の端を歪ませているセラ、涼しそうな顔をしているキッドとエルに加え、時々形容しがたい唸り声のようなものを上げる生徒会長という奇妙な構図は、遠慮がちな足音が近づいてきたことで終わりを迎えた。

 

「あのー生徒会長、先生がお呼びです。今後の予定について話したいと」

 

 ステファニアはその言葉を聞き、最後にもふっと顔を髪に埋めた後に顔を上げた。

 

「わかったわ。ごめんねみんな、またあとで話しましょう」

 

 そう言ってステファニアは教師たちが集まるテントへと去っていく。

 

 俺たちもテントに戻ろうぜ、と言って歩いて行くキッドを追いかけようとして、セラはエルが森の奥をじっと見つめていることに気付いた。つられて目を向けた先には薄い赤色に染まり始めた空に反して、ぽっかりと黒い口を開けて待つ森の入り口があるのみだ。

 

 セラにはその闇がなにか空恐ろしいものに感じられて、そっとエルの手を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……移動は、明日?」

 

「そのようですね」

 

 夕食として与えられたパンと簡素なスープを食しながら、セラは疑問の声をこぼした。教師たちから発表されたのは、今夜はここで一晩を明かし、明朝にライヒアラに向けて出発するというものだった。

 

 生徒たちの消耗が激しい現状で、視界の利かない夜に魔獣の群れの中を強行軍していくのは危険性が高すぎるためであるらしいというエルの説明は、確かにその通りであると納得せざるを得ないものだ。

 

「そうはいっても、このままここで休んでるのも危険じゃないの?」

 

 そんなアディの何気ない疑問を聞いて、セラがパンに伸ばしていた手を不意に止めた。

 

 (危険?魔獣の群れの中だから?……違う、もっと危険な何かがあるはず)

 

 でなければ、魔獣がなぜ暴走したのか。その答えを求めてセラの手が宙をさまよう。

 

「夜間ともなれば馬も視界が効きませんしね。それよりは拠点としての防衛能力を一応備えたここで防衛する方が得策だと判断したようです」

 

 ただの偶然?普段は群れない魔獣があれだけの数で何の前触れもなく?

 

「なーんか楽観的だね!」

 

 そう、何かを楽観してはいまいか。何か、致命的な何かを。思考を回せ、それを見つけないと。

 

「楽観つっても何をやっても賭けになるからより安全な方を選んだだけだろって……セラ、何してんだ?」

「……え?あ」

 

 キッドに尋ねられて思考の螺旋から我に返ったセラは、すでに自分のパンを食べつくしているのにもかかわらず、何もない場所に手を伸ばしていたことに気付いた。何やら恥ずかしく、なんでもないと呟いて首を振る。

 

 考えてみれば、仮に自分が危険を訴えたとしてもそれは確実性が乏しいものだ。現在持っている情報から判断するならば教師たちの答えはかなり妥当と言えるもので、自分が何かを言っても覆るものではないだろう。

 

 そう自分を納得させて、スープを飲み下した。冷たくなったスープはぬるりと少し不快な感触を残して、胃の底へとたまっていく。

 

 食事を終えたセラは、森の入り口を見やった。闇に閉ざされた森の奥、ぽっかりと空いた黒い口はその影をこちらに伸ばしていて、今にも自分たちを飲み込もうとしているようだ。

 

「……大丈夫、だよね」

 

 無性に掻き立てられる不安を抑えるように胸に手を当て、セラはテントへと踵を返した。

 

 拠点に満ちる明日への希望という一筋の光に、身をゆだねるようにして恐怖を殺しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちりぱちりと爆ぜる篝火の明りのみが、議論を交わす男たちの背中を照らし出している。ここ作戦会議室では、夜中であるにも関わらず各幹部が地図を囲んで陸皇亀(べへモス)の進路予想を試みていた。

 

「やってきた方角や壊滅したバルゲリー砦の地形からすれば、陸皇亀(べへモス)はこの山を迂回し、クロケの森を経由してヤントゥネンに至るものかと思われます」

 

 少ない情報を統合した結果最も確実と思われる予想が出たにもかかわらず、部屋の雰囲気は依然張りつめたままだ。

 

 かの魔獣がこの国内物流の拠点を襲撃する可能性が高いという進路予想は、事態の深刻さを悪化させるばかりである。しかしあるものは別のことに気付き、さらに顔を青ざめさせた。発言の許可を求め、彼は震える唇で語った。

 

「ク、クロケの森では今、ライヒアラの生徒たちが野外演習を行っています」

 

「なんだと!」

 

 それは追い討ちともいえる凶報だ。進路予想では遅くても明朝には陸皇亀(べへモス)はクロケの森を抜けてしまう。

 

 生徒たちが陸皇亀(べへモス)と遭遇した際に起きる最悪の悲劇を思い浮かべて、全員の背筋が凍る。

 

「団長!今すぐにでも出撃許可を!」

 

「ならん!」

 

 中隊長の具申を、フィリップは即座に却下した。具申した中隊長は、勢いのままに言い募ろうとして、フィリップの形相に言葉を飲み込む。

 

 まるで鬼のようと言えばいいだろうか。彼が自身に抱く怒りが、その表情を見るものすべてが恐れおののくほどに歪ませていた。その拳は強く握るあまりに震えが隠せておらず、装着された鎧がこすれあう音だけが室内に響く。

 

「……我らが陸皇亀(べへモス)を倒すこと叶わなくては、守るものなきこの町も、民も彼奴に踏み荒らされるのだ。今生徒を助けるための戦力を出せるほどの余裕は、ない」

 

「せめて、一個小隊だけでも」

 

「それすらも、ならんのだ」

 

 それがフィリップにとっても苦渋の決断であることを理解した各員は、言葉を失った。陸皇亀(べへモス)に立ち向かうための戦力にすら不安が残る現状では、自分たちは生徒たちに手を差し伸べることすら許されないのか。守るべきもののために、未来を担う若者たちを見捨てなくてはならないという事実が、彼らの心に巌のごとく重くのしかかる。

 

「伝令は出す。今は彼らの知恵と幸運に期待するしかできない」

 

 何の慰みにもならない指示を出し、それでもうつむいたままの幹部たちを見て、フィリップは息を吐く。

 

「何を沈んでいる!沈むぐらいなら、何をすべきかを脳みそに叩き込んでおけ!」

 

「……はっ!」

 

 感情を飲み下し、覚悟に燃える目で敬礼をして部屋を出ていく中隊長たちをフィリップは見送った。隣に立つ副団長に閉じられた扉を見つめたままで語りかける。

 

「なあ、ゴトフリートよ」

 

「……なんでしょう」

 

「俺はきっと地獄へ落ちるべき人間なのだろうなあ。もし犠牲者が出たら、俺は死んでも詫びきれない」

 

「その時は私もお供いたしましょう。ではあの亀の首をひっつかんでいって、閻魔への贈り物とでもしますか」

 

「ハッ、それはいい。みんな驚くだろうさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山の端がじわりじわりと明るみ始めるころ、鳥の鳴き声一つしないクロケの森の入り口に立つ見張り番の生徒は、あくびをしようとしてかすかな違和感に気付いた。

 

 木々が裂け、なぎ倒される乾いた音の中に混ざる重々しく地面を揺らす音。それは徐々にこちらに近づいてきている。寝ぼけた頭でも何が起きているのか理解した彼は、すぐさま力の限りに警鐘を打ち鳴らした。

 

「魔獣だ!やっべえ大物が来た!寝てる場合じゃねえぞ!」

 

 甲高く打ち鳴らされる鐘の音に、緊張から眠りの浅かった一行はすぐさま飛び起きた。ぞろぞろと人がテントから飛び出していく中、高等部の騎操士は疲労にかまわずにすぐさま幻晶騎士に搭乗し、戦闘態勢を整えていく。

 

 それは恐ろしいほどゆっくりとした瞬間のようにも、あるいは一瞬のことであったようにも彼らには感じられた。明らかに強大な魔獣のそれであるとわかる音が、とうとう森の入り口に達したとき、木々の倒れる音が途絶え、時が止まっているかのような静寂が訪れた。

 

 魔獣というよりは小山のような、幻晶騎士ですら小さく見えるほどの巨大な体。甲羅から突き出た鈍く紫に光る巨大な岩と、何者とも比較しようがないほどに太く大地を踏みしめる足。

 

 そんな風貌を持つ魔獣に対し誰もが、数秒の間自失して立ち尽くしてしまっていた。

 

 

 奇妙な間を打ち破ったのは魔獣の方だった。息を吸い込み、咆哮を上げる。もはや衝撃波と言っていいそれは、気絶する生徒を出すほどの大音量でもって生徒たちを混乱の渦に容赦なく叩き落した。

 

 自分にはどうしようもないほど恐ろしいものと遭遇した彼らは恐慌に陥り、ほとんどのものが本能のままに逃走することを選択した。静かだった朝の拠点が、瞬く間に阿鼻叫喚の舞台へと変貌する。

 

 しかしそれは魔獣から離れようと散り散りに逃げ出すだけのもの。ばらばらに逃げ出すことはむしろ危険な行為である。迅速に避難するために生徒を馬車へ誘導しようとする教師の声がこの混乱の中では届くはずもない。

 

 このままでは、と教師と一部の冷静を保っていた上級生が危機感を抱いた時、突如生徒たちの進行方向で爆音が響いた。次いで地面から馬車の停留所を指し示す土でできた矢印が次々とせり上がってくる。

 

「離れて逃げては危険です!全員馬車の方へ!」

 

「……矢印の方に馬車があるから!落ち着いてください!」

 

 声を張り上げたのは銀髪の双子だ。それを見た冷静なものたちが真似をして生徒たちの混乱を鎮めていく。彼らは徐々に統率を取り戻し、定員を納めることができた馬車から順次全速力で離脱していく。

 

 

 

 陸皇亀(べへモス)は黙ってそれを見ていたわけではなかった。足に力を入れて突進の予備動作を見せる。

 

「全員、動けぇ!」

 

 我に返ったエドガーが叫び、遅れて他の騎操士も機体を動かし始めた。いち早く陸皇亀(べへモス)の正面から逃れたエドガーは、その視線の先を見て戦慄する。

 

 生徒たちが集まる、馬車の停留所。それをただ陸皇亀(べへモス)は見据えている。

 

 たった今避難が始まったばかりで、ほとんどの生徒がその場に残っている。そんな場所に幻晶騎士すら頼りなく見えるほどの巨体を持つこの魔獣が突っ込めばどうなるかなど、考えるまでもない。

 

 今まさに突進しようと足を浮かせた陸皇亀(べへモス)の顔面を、魔導兵装『雷の杖(アークウィバス)』の雷が叩いた。

 

「皆、俺達で時間を稼ぐぞ!手を貸してくれ!」

 

「エドガー!自分で何を言っているかわかっているの!?あれはべへモスよ!私たちが立ち向かっても、全滅するだけだわ!」

 

 ヘルヴィの必死な声に、エドガーは法撃を絶やすことなく叫び返す。

 

「俺たちがここで立ち向かわなければ後輩たちが全滅するぞ!時間を稼ぐだけでいいんだ!」

 

 エドガーの言葉で陸皇亀(べへモス)の向かう先にあるものに気付いた騎操士たちは、その杖を陸皇亀(べへモス)に向けて構え、次々に法撃を開始した。

 

「やるしかないのね……!」

 

 一つ一つは欠片も痛痒にならないにせよ、あちこちを攻撃されてうっとうしいと感じたのか陸皇亀(べへモス)の注意が生徒達から幻晶騎士に向けられる。

 

「べへモスの注意を引きながら離脱するぞ!動きを止めるなよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 計十機の幻晶騎士は各自に動きながら、陸皇亀(べへモス)を馬車とは違う方向へと誘導していく。その様をセラは生徒の避難を手伝いながら見ていた。

 

 陸皇亀(べへモス)と言えば、師団級魔獣として知られる凶悪な魔獣だ。三百機の幻晶騎士でようやく確実に倒せるという魔獣に十機のみで挑みかかるというのは、余りにも無謀に過ぎるというもの。

 

 その恐ろしいほどの巨体から繰り出される攻撃がかすりでもすれば、幻晶騎士であっても致命傷を受けるのは想像に難くない。今は遠距離から注意を引いての全速離脱という戦法を徹底しているからこそ、絶望的な戦闘を戦えている。

 

 戦っている騎操士は、ほとんどがエルと一緒に模擬試合を見に行った時に知り合い、その後もお世話になっている人たちだ。その技量は万全の状態ならば前線で戦う騎操士にも劣らないものであることは知っている。

 

 けれど騎操士たちは昨日から今日までの戦闘で疲労を蓄積させており、決して万全な状態でないのだ。そんな状態であれと戦うなど、きっと早いうちに限界が訪れるだろう。

 

 それでも彼女には彼らの無事を祈ることしかできない。セラはただ無力感を噛みしめながら、残る半数の生徒の避難を手伝うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ははは、なんだこのデカブツめ!見かけばかりで手も足も出てないじゃないか!」

 

 赤い幻晶騎士グゥエールを駆るディートリヒは、吠える。もっともその声はいくらか上ずっていて、勇気を奮い立たせるための虚勢であることを周囲に知らしめてしまうものであったけれど。そんなことを気にかける余裕のある騎操士はこの場におらず、むしろ同じように自らを鼓舞しようとするものがほとんどだった。

 

 陸皇亀(べへモス)最大の特徴にあげられる、強力な強化魔法の支えを受けた突進を避けられる保証はない。だからこそ彼らは陸皇亀(べへモス)の注意が代わる代わる別の幻晶騎士に移動するように法撃を仕掛け、攻撃をさせないように動いていた。。あちらこちらから気を引いてくる幻晶騎士たちに、陸皇亀(べへモス)は首を巡らせて顔をしかめるばかりだ。

 

 一撃は恐ろしいが自分たちの手玉に取られる鈍亀、そんな空気がにわかに流れはじめた時陸皇亀(べへモス)が動きを変えた。

 

 立ち止まり、胸いっぱいに大きく息を吸い込む。初めて見る動きに騎操士達は動きを止めて様子を見た。見てしまった。

 

 次の瞬間陸皇亀(べへモス)の口から強烈な竜巻の吐息(ブレス)が放たれた。地面を一直線にめくりあげながら突き進む暴風は、正面に立っていた幻晶騎士をとらえるとその体を粉砕しながら弾き飛ばす。

 

 ディートリヒが見たのは、四肢をちぎり飛ばされボロボロになった無惨な鉄くずだった。その有様に意識を奪われた瞬間、彼の耳は目の前で風を切る轟音と、ぐしゃりと何かがつぶれる音をとらえた。

 

 風圧に踏ん張ることさえ忘れたディートリヒは、尻もちをついたグゥエールの中で遅れてぐしゃりと遠くで響いた音の正体を見てしまった。胴体から真っ二つに叩き折られて、ピクリとも動かなくなった幻晶騎士。あれはそう、たしか自分のすぐ目の前にいたゲパードの幻晶騎士だったはずだ。

 

 なぜだ?そう思ったディートリヒが尻尾を横に振りぬいた姿の陸皇亀(べへモス)を見て何が起きたかを理解した瞬間、叫び声がこだました。

 

「うあ、うああああああああああああああああああああああああああ!」

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 前者は恐怖に飲まれたディートリヒのもの。後者は、惨事を見てなお勇気を奮い立たせんとするエドガーのものだ。

 

 学科最強の騎操士であるエドガーとて、あまりにうまくいく事態に油断を抱いたのだ。それが一瞬の間に二人の同輩を失うことにつながったと、彼が自身へ抱く怒りが恐怖に勝り、その体を突き動かす。

 

 エドガーの叫び声によって、残った騎操士たちも心を屈さずになんとか立ち直ることができた。けれど、最強の力であると信じて疑わなかった幻晶騎士が今ではとてつもなく心細いもののように感じられ、不安と動揺が動きを鈍らせていく。

 

 陸の皇は、ただ蹂躙するべくその視線をヒトガタに向けるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陸皇の最期(前)






生徒の避難がようやく終わったことを確認したエルは、そのまま最後尾の馬車に乗り込んだ。アディもその馬車には乗り込んでおり、ようやく戻ってきたエルを迎え入れる。けれど二人、姿が見当たらない。 

 

「キッドとセラはどうしたのか知っていますか?」

 

 エルの問いにアディは首を振る。そこで、馬車の外からにわかに誰かが走る音が聞こえてきた。

 

「すまないが、手を貸してくれ!」

 

 まだ避難せずに残っていたらしい教師が、二人を見るなり息せき切って馬車の中へ上がってくる。彼は時間も惜しいとばかりに紙を破りかねない勢いで地図を広げた。

 

「はぐれた生徒がいるんだ。もう何人かには手伝ってもらっているが、まだ見つかっていない。手伝ってもらえないだろうか」

 

 それを聞いてエルの額にしわが寄った。まさかの事態である。ただでさえ一刻も早く離脱しなければならない状況ではぐれた生徒が出るなど。

 

 アディとエルは席を立ち、捜索状況を聞きどこを探すかを手早く決定する。キッドとセラだと思われる生徒も捜索に参加しているらしいが、合流している暇もなければする意味もない。手分けして探すのが一番早いだろう。

 

「こちらですか、では僕もいってきます」

 

 そう言って馬車を降りようとしたエルの視界の端に、見覚えのある赤い騎士が走り去る姿が映った。エルは思考を巡らせる。

 

 赤い騎士が逃げ出した、それが意味する状況。そして最後尾で捜索の終了を待つこの馬車に何が起きるかを。

 

―なにより、すっごくあれに乗りたいです―

 

 急に立ち止まったエルを不審に思ったのか、アディが後ろから顔を覗き込む。

 

「エル君?」

 

「……アディ、すいません。ちょっと用事ができてしまったので、捜索が終わったら僕を待たずに出発してください」

 

 いうが早いか、エルはそのまま身体強化を使って馬車から勢いよく飛び出していった。後に残された教師とアディは、エルネスティのあまりにも突然の行動にただ目を見開いていてその姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルが馬車を飛び出してしばらくたったころ、セラは身体強化を全開にして森の中を飛び回り、ついにはぐれた生徒を見つけ出していた。火球を空に打ち上げ、生徒を抱えて馬車へ急ぐ。

 

 はぐれた生徒を発見した際にと決められていた合図の音が響き渡り、セラが馬車にたどり着いた時には捜索に駆り出されていた生徒たちがすでに全員馬車の前に集まっていた。体格が足りずにお姫様抱っこで抱えていた生徒をそっと下ろし、生徒達に合流する。

 その中に見慣れた自らの双子の姿が足りないことに、セラは首をかしげる。

 

「セラちゃーん!お疲れ」

 

「セラが見つけてたのか、ありがとな」

 

「……アディ、キッド」

 

 駆け寄ってきた二人の姿を見てセラはほっと息をつく。陸皇亀(べへモス)と高等部の騎操士達が戦闘を繰り広げているそばでの捜索活動というものは危険なものであるからだ。

 

 だからこそ、もう一人のことが気になるのだ。生徒たちに続いて馬車に乗り込もうとする二人に問いかける。

 

「……エル、知らない?」

 

「エル君はねえ、先に行っててって言って飛び出してっちゃった」

 

「そうなのか。エルの奴、ひょっとしたら幻晶騎士にでも乗ってるのかもしれねえな」

 

 キッドが軽い気持ちで言った言葉にセラの背筋が凍る。あのロボット大好きなエルなら、確かにやってもおかしくない。幻晶騎士に乗ったなら、むしろ嬉々として陸皇亀(べへモス)だろうと挑んでいくまでもある。あの、怪物にであろうと。

 

「エル君なら、ピンチになっても逃げられるよね」

 

 確かにエルは強力な身体強化を使う自分にも劣らないほど素早い。逃げることは確かに可能かもしれない。

 

 逃げられる機会があって、さらに本当に逃げるのであれば。

 

 もし、逃げる機会もなければ?そうでなくともピンチに陥った時、彼がロボットを置いて逃げ出すだろうか。―ロボットと死ぬのならまた一興―。思い浮かぶのはそう言いつつ最後の抵抗をするエルの姿だ。そしてそれをありえないと言い切れる材料を、セラは持ち合わせていない。

 

「エルなら大丈夫だろ。ほら、セラも速く馬車に乗ろうぜ」

 

 そう言ってセラの手をキッドはつかんだ。どうやら馬車に乗り込む生徒はセラが最後のようで、キッドは自分を引っ張り上げようとしてくれているらしい。

 

 それはとても嬉しい気づかいだ。けれどその手を握り返して安全地帯への切符を手にしてしまえば、私はまたあの時のような思いをしてしまうのではないか。

 

 そんな気持ちが、セラを突き動かした。

 

 (ごめんね、キッド、アディ。私はもう、知らないところで家族を失うのは嫌なんだ。)

 

 セラはキッドの手をそっと両手で包み、そしてゆっくりと振り払った。キッドが困惑の表情を浮かべて尋ねる。

 

「おい、セラ……」

 

「……先に行ってて」

 

 そう言って彼女はエルと同じように身体強化を用いて飛び出していった。キッドが何かを言おうとしていたが、その間もなくあっという間にその姿は見えなくなってしまった。

 

 セラが向かう先は未だに聞こえてくる咆哮、陸皇亀(べへモス)のいる場所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が昇っているにもかかわらず薄暗い森の中を、グゥエールは走っていた。コックピットでその体を操作しているディートリヒの顔には恐怖が刻み込まれており、荒い呼吸を繰り返したのどはすでにかすれた音を発するのみだ。

 

 幾分もしないうちに、グゥエールはその動きを止めた。ただがむしゃらに走り続けた結果、魔力(マナ)を消費しつくしてしまったのだ。

 

 静寂に包まれたコックピットの中で、ディートリヒは一人自分と戦っていた。

 

「わた……私は、命を惜しんで逃げだしたのでは、ない」

 

 あのままあそこにいても全滅するのは誰の目にも明らかだった。だから自分が逃げたところでだれも責めることはできないはずだ。だって仕方がないじゃないか。あんなバケモノと戦って勝てるわけがないんだ。ただ時間を稼ぐためにむざむざ命を投げ捨てる必要などない。

 

 ……本当に?

 

「仲間を、見捨ててなど……!」

 

 エドガー、ヘルヴィ、ゲパード。騎操士として共に研鑽してきた仲間たちだ。高潔を重んじる彼らはきっと今もあの場で戦い続けているのだろう。あるいは、その命を露と散らしているのだろう。生徒たちの避難に必要な時間を稼ぐために。それに比べて自らがした行いは、何を意味する?

 

 絞り出した言葉のその先、それだけは言えなかった。

 

「うぐ……うああ……」

 

 今すぐにでも戻って戦うべきだ。そうもう一人の自分が言葉を荒げる。そうしなければ、自分は今日この時のことを一生後悔するぞと。

 

 そんなことはわかっている。

 

 体が、震えて動かないんだ。戻れば、今度こそ死ぬかもしれないから。それにもしかすると、すでに皆。

 

「そんなことは!そんなことは、ないはずだ。そう、きっとみんなうまく撤退しているに違いない。目的は時間稼ぎだ。下級生が逃げる時間さえ稼げばいいのだから……」

 

 それだけの余裕が、あの戦闘の中にあったか?ぎしりと心がきしむ音がする。

 

 必死で否定しなければ。直視してしまえば、何かが壊れてしまうという予感がある。ああ、もう。このまま眠ってしまって、明日には何事もなかったというようなことであってくれ。そうでなければ、私は。

 

 明かりが消えた薄暗いコックピットの闇が、ジワリと自分の心にしみこんでくるように、彼には感じられた。

 

 突然、空気が抜ける音と共に一筋の光がコックピットに差し込んだ。

 

「ディートリヒ先輩、こんばんは」

 

「エル、ネスティ……」

 

 聞き覚えのある可憐な声に顔を上げる。そこにいたのは紫がかった銀髪を持つ後輩だ。コックピットの外からのぞき込む彼がどんな顔をしているかは、薄暗いコックピットに差し込む光が邪魔になってみることができない。

 

「なぜ、ここにいるのでしょう。聞くまでもなさそうですけれど」

 

「私は、わた、しは……」

 

 ディートリヒはエルネスティが、自分を責めるためにここに来たのだと思った。この後輩によって私の醜い所業は暴かれ、断罪されるのだろう。一人で苦しむくらいなら、それはどれほどの救いだろうかと、彼はエルの言葉に身をゆだねることにした。

 

 まあ、当然というべきか、もちろんエルの目的はそんなことではないのだが。

 

「先輩が戦わないのなら、グゥエールをいただきます。大丈夫!ちょっとあっちこっち丸裸にして、ちょっと動かして遊ぶだけですから!」

 

「は?ぶふぉあ!」

 

 エルネスティの言葉を理解する間もなくかすかに差し込んだ光でディートリヒが最後に見たのは、頬を紅潮させ、天使のような笑みを浮かべて彼に銃杖を向けるエルの姿だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セラは、風を切って走っていた。時折聞こえる陸皇亀(べへモス)の咆哮が、徐々に目的地に近づいていることを教えてくれる。

 

 セラが思いだすのは、いくらかかすれてきた前世の記憶の中でも最も鮮明に思い出すことができる場面、彼女の両親が交通事故で二人とも亡くなったことを知らされた時のことだ。

 

 世界が、体が変われども、その時の無力感と絶望感は全く色あせることはない。あんなものをもう二度と味わいたくはない。

 

 もはや声は間近。足音も聞こえるようになっている。気がかりなのは、響く足音の数が少ないことだ。十機もいたならば、もっとたくさんの音が聞こえるはずなのに。

 

 薄暗い森を飛び出したセラは、その戦場を目の当たりにした。

 

「ヘルヴィ!」

 

 尻尾をふるった陸皇亀(べへモス)と、轟音とともに横に倒れて動かなくなった幻晶騎士。唯一健在しているアールカンバーがその幻晶騎士に呼び掛けているが、返事はない。

 

 あの機体はヘルヴィが乗るトランドオーケスだ。そのことをセラが認識すると同時に陸皇亀(べへモス)が動いた。

 

 トランドオーケスに向きを変え、大きく息を吸い込む。

 

 ふと、セラは日本にいたころモンスターを一狩りするゲームの宣伝で似たような動作を大型のモンスターがとっていたことを思い出していた。そして続く攻撃は。

 

(……ッ!)

 

 陸皇亀(べへモス)が何をしようとしているのかを悟ったセラは、大気圧縮推進(エアロスラスト)を全開にしてトランドオーケスに突っ込んだ。ダン!という轟音を伴った着地もそこそこに、普段使うものとは段違いに大きい術式構文(スクリプト)を二つくみ上げていく。

 

 セラが行っているのは戦術級魔法(オーバードスペル)級魔法の並列使用という、およそ人智を超えた所業。必要な魔力(マナ)は自分の足元、トランドオーケスから賄えばいい。幸いなことにそれだけの魔力貯蓄量(マナプール)は残っているようだ。

 

 何かがカチリと切り替わるような、あるいは何か邪魔な幕を破った時のような感覚をセラは覚えた。口の端が限界まで吊り上がる感触で、セラは自分がかつてないほどに笑っていることに気付く。

 

 ―ああ、なんだか楽しいなあ―。

 

「アハハ!大地隆起(グランドウェイク)外装強化(ハードスキン)!さあ、破れるもんなら破ってみてよ!」

 

 地面から盾のように大岩がせり上がってくるのと、竜巻の吐息(ブレス)が放たれたのはほぼ同時だった。当たれば何物をも打ち砕くような暴風が現れた大岩を削り切らんと轟音とともに衝突する。

 

 

 

 エドガーは、事態を諦観と絶望を交ぜこんだような気持ちで眺めていた。陸皇亀(べへモス)の尻尾の横薙ぎを受けて倒れこんだヘルヴィのトランドオーケスに、なすすべもなく竜巻の吐息(ブレス)の一撃が加えられようとしているというのに、自分はそれを止めるだけの力を持っていない。一縷の望みをかけて放った残り僅かな魔力(マナ)を用いた法撃さえ意に介されることなく、ただ最後に残った仲間の命が奪われる瞬間に居合わせようとしているのだ。

 

 そしてついに竜巻の吐息(ブレス)が放たれ、せめてその散り際は見逃すまいと目を見開く。

 

 だが次の瞬間からは、ひどく目を疑った。突如トランドオーケスの目の前に大岩が現れ、竜巻の吐息(ブレス)と衝突したのだ。風圧で巻き上がった砂煙が濃いために、その結果はすぐにはうかがい知れない。陸皇亀(べへモス)もまた警戒したような様子で砂煙をじっと睨んでいる。

 

 やがて砂煙が晴れる。大岩は、あちこち削れてはいたものの相変わらず力強くそびえたっていた。

 

「グオアアアアアアアア!」

「あははは!見つけた見つけた見いつけましたあ!」

 

 絶対の威力を持つ竜巻の吐息(ブレス)を防がれたことが気に食わないのか、陸皇亀(べへモス)が吠え猛る。その中に、いろいろ大事な何かをぶっ飛ばしたような聞き覚えのある声と、聞き覚えのないほど感覚の短い足音が微かに混じる。

 

 再びブレスを放たんと、陸皇亀(べへモス)が身構えた。

 

「僕のグゥエールにも気付いてくださいよ!っと」

 

 瞬間、赤い線条が陸皇亀(べへモス)の顔面に突き刺さり、流れた。後には右目を剣で貫かれた陸皇亀(べへモス)が残され、その痛みに地団太を踏んで暴れ狂っている。

 

 流れていった先、赤い線条の正体は戦場から逃げ出したはずのディートリヒの機体、グゥエールであった。

 

「ディー?戻ってきてくれたのか。それよりヘルヴィは」

 

 陸皇亀(べへモス)の注意がグゥエールに向いている間に、トランドオーケスの安否を確認しようとしたエドガーが見たのは、動かないヘルヴィをコックピットから引きずりだすセラフィーナの姿だった。

 

(なぜ彼女がここにいる!避難したはずじゃないのか!)

 

 慌ててアールカンバーから飛び降り、セラフィーナに駆け寄る。彼女はエドガーを見るなり、にっこりと笑った。

 

「エドガー先輩、お久しぶりです。ヘルヴィ先輩は気を失っているだけのようですから、彼女を連れて逃げてください。トランドオーケスはまだ動くみたい」

 

 そう言ってヘルヴィをエドガーの腕に押し付けてくるセラに、エドガーは一瞬戸惑った後に言葉の意味を理解した。

 

「君はどうするんだ」

 

「私はトランドオーケスに乗ってあの亀にちょっかいを出してみようかと」

 

「それはだめだ。逃げるならセラフィーナ、君がヘルヴィを連れて下がれ。俺が戦う」

 

「それはしません」

 

「なぜだ!」

 

「だって先輩もアールカンバーも、もう限界じゃないですか」

 

 くすくすと笑うセラに、エドガーは一瞬言葉に詰まった。

 

「学科随一の防御力を誇り、仲間を大事にする先輩なら、この戦いの中で自分にできる限り攻撃を集めるよう動いたはずです。事実それをさばく技量もあった。けれど機体にはその分負担がかかったでしょう?先輩の集中力はかなり消耗したでしょう?」

 

 だから私が戦います。そうセラは締めくくった。

 

 そう、確かにエドガーは彼女の言う通り、時間とともに失われていく仲間たちを守るために、その負担を減らそうとしていた。自分への攻撃の回数が増え、死線を何度もくぐった。だから、その分負担も多かったアールカンバーが既に戦うには心もとないような状況であったのも、彼自身の集中がもはや限界に達していたのも事実なのだ。

 

 それでも、エドガーはなおも言い募る。後輩を死線にさらさせるわけにはいかないと。

 

「なら俺がトランドオーケスに乗る!アールカンバーに二人が乗れば」

 

「先輩をむざむざ見殺しにする趣味はありませんよ?大丈夫です。引き際はちゃんと見ますから」

 

 しかしエドガーの主張を聞き入れることなく、セラはトランドオーケスに乗り込みハッチを閉じてしまった。後に残されたエドガーは逡巡の後に叫ぶ。

 

「……ヘルヴィを安全な場所まで送ったら、必ず戻ってくる。だから絶対に死ぬなよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エドガーがアールカンバーに乗り込んでいくのを見てセラは一つ息を吐いた。

 

「ちょっと悪いことしちゃったかな」

 

 なんだかんだ言って、これは私のわがままを押し通しただけなのだ。もしも自分たちが死ねばあの先輩は気に病むぞと気合を入れる。それは何とも後味が悪いから。

 

 さてとコックピットの操縦席に座ってみたものの、やはりというべきか身長が足りないために操縦桿と鐙に手足が届かない。マティアスが言っていたことはどうやら本当だったらしい。あれから身長も伸びたはずなのだけれど。

 

「まあ想像はしていたから……こうしよう」

 

 えいという声とともに操縦桿を引き抜き、そこから取り出した銀線神経(シルバーナーブ)を扇杖に巻き付ける。

 

 彼女が行おうとしているのは魔導演算機(マギウスエンジン)へのハッキングだ。操縦端末が動かせないなら、操縦に必要な頭脳そのものを操ればいいというある種の暴論、のちに完全制御(フルコントロール)と言われる高度な技術を為そうとしているのだ。

 

「ではでは。御開帳ー♪。」

 

 先ほどの大規模な魔法使用以降、不思議な万能感がセラの中に満ちている。そのせいか、普段ではありえないほど声の調子が明るい。

 

 魔導演算機(マギウスエンジン)のなかの術式は、かつてオートンの研究室で見せてもらった写しと同じもので、幻晶騎士の筐体を支えるための身体強化がほとんどである。思いのほか術式の無駄が多いことを尋ねると、彼は機械任せである以上信頼性のために仕方ないのだと言っていた。バグやエラーで幻晶騎士の動作が止まるようなことだけはあってはならないから、それを防ぐためだと。

 

 つまり人の手で演算するならば、効率化が可能なのだ。

 

「んー、この渋い術式がたまんないけどいじっちゃおうね。関数隠蔽お引越しー♪」

 

 セラはそれ以来考えていた改良案をもとに、術式を鼻歌交じりに改変していく。遊びとして設けられていた空白部分や余計な関数部分が最適化され、術式はもっと効率的なものへと書き換えられる。

 

「まずは一歩ってありゃ」

 

 改変を終えたセラが一歩を踏み出させたところ、トランドオーケスは大きくぐらついてしまった。幻像投影機(ホロモニター)を通して外を伺えば、トランドオーケスの両腕は今にもちぎれそうな様子でだらりと垂れ下がっていた。

 

 操作を入力しても、一切の反応が返ってこない。

 

「これは両腕がいかれちゃってるんだね。まあ、何とかなるでしょう」

 

 トランドオーケスは最後の尻尾による攻撃で地面に叩きつけられたために、その両腕の機能を喪失していたのだ。そのせいで機体のバランスがひどく不安定なものになってしまっている。しかしセラはそれならばと計算しなおした機体の重心を術式に反映させ、動作試験を続けていく。

 

 一歩、二歩と生まれたての小鹿のようにぎこちない歩きを重ねたトランドオーケスは、その歩数が十を越えるころ、流麗と言えるほど自然に歩けるようになっていた。

 

「動作は完璧。武装は自前でやればいいよね」

 

 今のトランドオーケスは腕が壊れているために杖も剣も持つことができない。普通ならばその時点で戦闘などできないのだが、しかしセラはそれを力技で覆す。

 

 セラは完全制御(フルコントロール)の演算を続ける魔導演算領域(マギウスサーキット)内に、改良した戦術級魔法『炎の槍』(カルバリン)の術式を構築した。二つの戦術級魔法(オーバードスペル)級の魔法を並列で起動するという所業に、そこまで行くと先天的に魔導演算領域(マギウスサーキット)が広い彼女でも容量の限界に近いのか、鈍い頭痛が走り始める。

 

 とはいっても不思議な万能感に包まれた今の彼女には、それは気になるほどのものではなかった。

 

 それどころか、広い魔導演算領域(マギウスサーキット)を初めて全力使用したことによって、ますます気分が高揚するばかりだ。その頬は煽情的と言えるほどに紅潮し、恍惚とした笑みを浮かべている。

 

「あは。魔法が全力で使えるって、こんなに楽しいんだね」

 

 そうして、トランドオーケスは大岩の陰から戦場へと躍り出たのだった。

 

 

 

 

 一方グゥエールはというと。

 

「あれ、私は……ってうおわああああ!」

 

「うおっと。ディートリヒ先輩おはようございます。ただいま絶賛死地の真っただ中ですのでお静かに願いますね」

 

 目を覚ましたディートリヒが、モニターいっぱいに映る凶悪な魔獣の顔という強烈なモーニングコールに情けない叫び声をあげているところだった。

 

 驚いたエルが一瞬機体の動きをぶらせてしまったものの、完全制御(フルコントロール)による操作ですぐに立て直したため、戦闘に影響はなかった。問題は陸皇亀(べへモス)の硬い甲殻のせいで剣が使い物にならなくなってしまったことだ。武器がなければいかんせんどうしようもないのだが、それを探す暇を与えてくれるほど相手はやさしくない。ひたすら回避に徹する時間が続いていた。

 

 そんな時だ。

 

「亀さんこんにちは。取りあえず三杯どうぞ!」

 

 可憐な声が聞こえてきたかと思えば、陸皇亀(べへモス)の甲羅に三つの爆炎が咲いた。突然の失礼な挨拶に、陸皇亀(べへモス)とグゥエールが同時にそちらを向く。

 

「あれは、トランドオーケス。ヘルヴィはまだ生きていたのか!」

 

 仲間の機体が生きていたことが嬉しいのか、ディートリヒの声に喜色があふれる。しかしエルは先ほど聞こえてきた声の主がヘルヴィではないことをよく知っている。あれに乗っているのは少なくともヘルヴィではない。

 

「声からしてヘルヴィ先輩じゃないですね。ひっじょーに嫌な予感がするのですが……」

 

 エルは予感が外れていることを祈りながら、伝声管に声を投げかける。

 

 

「もしもし亀よ?」

 

「亀さんよ!」

 

「いきなり君は何を言っているんだ」

 

 それは日本の記憶を持つ彼らの間でしか通じない掛け合いだ。若干楽しそうな雰囲気で返ってきた答えに、トランドオーケスの今のパイロットがセラであることを確信する。

 陸皇亀(べへモス)の注意が突如攻撃してきたトランドオーケスへとそれた間に、エルは破壊された幻晶騎士の武器が辺りにまだ無事な状態で転がっていることに気付いていた。近くにあった剣を拾い、陸皇亀(べへモス)の無防備にさらされた足の関節を袈裟懸けに斬りつける。セラへのちょっとした怒りも乗せた一撃に、陸皇亀(べへモス)が一瞬ほどひるんだ。

 

 その後陸皇亀(べへモス)の狙いがまとまらないように散らばって動き始めた二機の動きについて行けず、陸皇亀(べへモス)が明らかに動きを鈍らせる。

 

 そんな中、攻撃を再開しながらエルが口を開いた。

 

「セラ、なんでこんなところにいるんですか!」

 

「エルが幻晶騎士に乗りたいからって飛び出したからじゃない。一人でこいつと戦うとかバカじゃないの!?」

 

「それはそうですけれど、バカなのはセラでしょう!どう見てもトランドオーケスの両腕が壊れてしまっているのにこんなところに出てきて!」

 

「私はカルバリンも並列で演算できるから問題ありませんー。それにちょっとバランスとりにくいだけだもの」

 

「そういう問題じゃないでしょう!。というか口調はどうしたんですか。ほんとにセラですか?」

 

「よくわからないけどちょっとマギウスサーキット全力稼働したらこうなった!ていうか今もしてる!なんか楽しい!」

 

「グルルアアアアアアア!」

 

「「静かに(してください)!」」

 

「ガウッ」

 

「もう仕方がないので何でもいいです。関節を狙ってくださいね。まずは足を潰しましょう!」

 

「りょーかい!」

 

 突如始まった二人の口げんかに、ディートリヒはただ困惑していた。この二人はなぜこんな陽気そうな口げんかしながら一糸乱れぬ連携で陸皇亀(べへモス)と戦えるのか。どっちも変態(バカ)なんじゃないのか。

 

 陸皇亀(べへモス)はやかましいとばかりに咆哮したものの、直後足と顔面に同時に攻撃を食らって強制的に中断させられた。心なしか、爆炎に炙られたその左目は潤んでいるような気もする。

 

「さて、固いでかい意外に速いと三拍子そろったまさに機動要塞といった感じですが、こちらの火力も二倍以上!それに、要塞は近づかれると意外に脆いものですよ?」

 

「奇跡も、魔法もあるんだよ!だからあなたはコンティニューできないのさ!」

 

「グル……グルオアアアアア!」

 

「なんなんだこれは一体……夢か、夢なのか?」

 

 最高にハイになって二人そろってちょっとイっちゃった表情を浮かべる双子と、二機からの攻撃に怒り狂う陸皇亀(べへモス)。そんな混沌とした状況を信じがたい気持ちで見ているディートリヒを加えて、ここに陸皇亀(べへモス)との戦いは最終局面へと転じるのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陸皇の最期(後)

いくつかタグを追加いたしました。マジックハッピーというすてきなことばをくださった来迎秋良さん、ありがとうございます

244さん、12さん誤字報告ありがとうございます!





 ヤントゥネン騎士団は周辺の騎操士をかき集めた総勢九十にも及ぶ一団となり、一路クロケの森を目指していた。途中でライヒアラの生徒たちを乗せた馬車とすれ違い、そのほとんどが無事であることが確認できたために、張りつめていた騎士団の雰囲気はいくらか明るいものへと変わる。

 

 そんな彼らを驚愕させたのは、白い幻晶騎士に乗る騎操士が持ってきた報せであった。

 

「学生がたった二機で戦っている、しかも一人は中等部の生徒だと……」

 

「信じ難いですが、事実ならば助力するべきかと」

 

「少し急ぐぞ」

 

 その足を速めた騎士団一同は、報告された陸皇亀(べへモス)の居場所に到達したとき、皆が目を疑った。

 

 そこにあったのは、たった二機の学生機に翻弄される陸皇亀(べへモス)という信じがたい光景だった。

 

 赤い幻晶騎士がおよそ幻晶騎士とは思えない速度で動き回り、陸皇亀(べへモス)の足に狙いを絞って一撃離脱を繰り返している。その目ざわりな動きに耐えかねた陸皇亀(べへモス)が赤い騎士を攻撃しようとすれば、距離を取っていたもう一体の幻晶騎士が同じ場所に法撃を集中させ、その傷口を容赦なくえぐっていく。そちらを陸皇亀(べへモス)が狙えば、間髪入れずにまた赤い騎士がというような息の合った連携に、陸皇亀(べへモス)は当たらない攻撃を繰り返すことしかできないまま着実にそのダメージを蓄積させていく。

 

「一発でも掠れば終わり!こちらは何発当てれば終わるか不明!だからこそ言って差し上げましょう。当たらなければ、どうということはありません!」

 

「ありったけ行くよー!唸れ炎よ!舞え、炎よ!切り裂け、炎よ!とどめ!ディバイン……って炎しかないじゃん!」

 

 その二機のコックピットからは高笑いというかなんというか好きなように叫ぶ声が聞こえてきていて、騎士団の面々は余計に状況を理解することが難しくなっていたのだけれど。

 

 やがて限界を迎えたのだろうか、赤い幻晶騎士が陸皇亀(べへモス)の右後ろ足を切り付けたとき、剣がその中ほどで硬質な音を立てて折れ、深々と突き刺さった。そこに五つの爆炎の華が咲き、ついに陸皇亀(べへモス)が膝をつき地を揺らす。

 

 陸皇亀(べへモス)が足を潰されもがいている間に、いつの間にか二機の幻晶騎士は猛烈な速度で騎士団の後ろへ駆け抜けていた。

 

 彼らとすれ違ったフィリップが団員たちに檄を飛ばす。

 

「学生がここまでやったのだ、我らが恐れてなんとする!破城槌部隊、進め!」

 

 破城槌とは、幻晶騎士四体でようやく持つことができるほど大質量の鉄の塊を射出するだけの原始的な近接武器だ。しかしその質量故に、威力は師団級魔獣にとってさえただならぬものである。

 

 かつてフレメヴィーラ建国の折に、この地にはびこっていた数多の凶悪な魔獣を打ち破った兵器。そんな切り札を抱えた騎士団の面々が、動きを止めた陸皇亀(べへモス)へと突貫していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ははは!見ろ!我らが騎士団が来たからには、陸皇亀(べへモス)も終わりだ!」

 

 グゥエールとトランドオーケスは陸皇亀(べへモス)の足を潰した後、ヤントゥネン騎士団の陣の後方に退避して成り行きを見ていた。

 

 グゥエールの操縦席の後ろで先ほどまで困惑していたディートリヒが、勝利を確信して高々と笑う。それほどまでにヤントゥネン騎士団の存在はありがたかったのだろう。 

 

 けれど、セラとエルはディートリヒのように浮かれるのではなく、むしろ注意深く陸皇亀(べへモス)を伺い続けている。

 

「エル、魔力貯蓄量(マナプール)はどれくらい?」

 

「三割といったところでしょうか。そちらはどうでしょう」

 

「ん。同じくらい。これで終わってくれるなら問題ないんだけどなー」

 

 お互いの状況を確認しながら二人がその目に映すのは、全部で五つあるうち第一の破城槌部隊がようやく騎士団へ向き直った陸皇亀(べへモス)の懐へと到達した光景だ。

 

「破城槌!撃て!」

 

 陸皇亀(べへモス)の腹に突き付けられた破城槌からカチリ、とトリガーが引かれる微かな音が、明確に二人にも聞こえたような気がした。各幻晶騎士の持ち手に内蔵された紋章術式(エンブレムグラフ)が幻晶騎士から一気に魔力(マナ)を吸い上げ、記された爆裂の魔法を発揮せんとまばゆく輝く。

 

 激発。空気を揺るがすほどの凄まじい爆音とともに鈍い音が響き、これまでいくら切り付けてもダメージが入っているようには見えなかった彼の魔獣が、明らかに悲痛な叫び声をあげて大地にくずおれた。バシャリと液体がこぼれ、破城槌を撃った幻晶騎士たちに降り注ぐ。

 

 決死を覚悟して臨んできた魔獣への明らかなダメージ、それも致命的だろうものを与えたという望外の成果に、続く破城槌部隊もとどめを刺さんと勢いを増した。

 

「……これで終わるほど、たやすい相手ではないでしょう」

 

 その光景を見て、気を引き締めるように呟いたエルの言葉は、今まで陸皇亀(べへモス)と戦ってきた二人だけが抱く思いを表していた。

 

 だから騎士団の彼らは気付かなかった。陸皇亀(べへモス)のその瞳が、憎悪を燃え滾らせていることに。かの魔獣は足を潰され腹を穿たれてなお戦意を失ってなどいないことに。

 

 陸皇亀(べへモス)が大きく息を吸い込む。それはエルとセラが何度も見てきた竜巻の吐息(ブレス)の予備動作だ。しかしその頭が向いているのはその直下。不可解な動きを目の前にしてしかし、破城槌部隊はその抱えるものの重さゆえに立ち止まることなどできはしない。ただ陸皇亀(べへモス)を一刻も早く倒さんと前へ進むのみ。

 

 陸皇亀(べへモス)への空気の流入が、前触れもなく終わりを告げた。

 

「いけません!避けて!」

 

「ダメー!」

 

 破城槌をもって進む彼らが自分たちの遥か後方から必死で叫ぶ二つの声を聞きとったのと、ごうっ、という音を伴って竜巻の吐息(ブレス)陸皇亀(べへモス)の真下に放たれたのはほぼ同時であった。

 

 炸裂音が響き、土塊を弾き飛ばす。その凄まじい風圧によって、すべての破城槌部隊が足を止めざるを得ない。特に顔の間近にいた部隊は、足を止める間もなく飛んできた岩にぼろきれのようになるまで蹂躙された。

 

 幾秒かの間をおいて風がやんだ時、残った彼らは目の前の光景に死を目前にしたときの絶望という感情というものを理解した。

 

 山と見紛うばかりの巨体を持つ陸皇亀(べへモス)が、その両の前足を高く上げている。後ろ足を潰されているためか左右の高さが違うことは何の慰めにもならず、両足がゆっくりと振り降ろされていく様を、彼らはただ微動だにせず見つめていた。

 

 凄まじい衝突の音が響き、幻晶騎士ですら立っているのが精いっぱいの地震を引き起こして地表の砂を高く巻き上げる。今度飛んできた岩の塊は、運が悪かった後方の幻晶騎士までも巻き込んでいた。

 

 揺れが収まり騎士団が立て直した時、彼らは砂煙の向こうに広がる無惨な光景を幻視した。あの中にいる破城槌部隊が生き残っているなどどうして信じられるだろうか。そして、決定打を失ったこれからの戦闘が被害の馬鹿にならない長期戦になることを覚悟した。

 

 しかし。

 

 砂煙が晴れたとき、彼らが目にしたのは想像だにしなかった光景だった。

 

 先の破城槌部隊のように、もはや跡形もないほどに破壊されたと思われた破城槌部隊の目の前には、いつ現れたのかボロボロの岩が立っていた。あの攻撃の中で、何があったのか。砂埃に視界を遮られていた騎士団には理解することができない。一方陸皇亀(べへモス)に迫っていた破城槌部隊も何が起きたのかわかっていないようで、目の前に自分たちを守るように立つ岩を見て動きを止めている。

 

 けれど陸皇亀(べへモス)はその瞳に浮かぶ憎悪を深めて唸った。目の前の現象の犯人は、一度ならず二度までも絶対の攻撃を防いで、邪魔をしたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グゥエールに乗るエルもまた、その光景を作り出した実行者に気付いた一人だった。あの属性の魔法を使えるのは、自分が知る限りただ一人――。

 

 一瞬思考に入ったエルの耳は、真横で鳴った重々しい金属音を聞き取っていた。その位置とタイミングに、嫌な予感を覚え、視線を巡らせる。

 

 音の出所、そこにはセラの乗るトランドオーケスがうつぶせに倒れこんでいた。今目の前で起きた二つの出来事、エルの脳内ですべてが結び付き、何が起きたのかを理解する。

 

魔力(マナ)切れ……!)

 

 あの攻撃を耐えるために、恐らく複数の戦術級魔法(オーバードスペル)魔力貯蓄量(マナプール)が心もとない状況で発動したはずだ。それをまた四つも同時に行うなど。機体の操作を自分と同じようにやっていたのならば、さすがにその接続を絶っていなくては無理だろうけれど。

 

 トランドオーケスはピクリとも動かない。コックピット内の様子まではわからないが、うつぶせに倒れている以上すぐに脱出することはできないはずだ。

 

 悪い知らせというものは立て続けにやってくるものだとエルは前世で何度も経験していたが、今度ばかりはシャレにならない。残された陸皇亀(べへモス)の左目が横たわる彼女を捉えたことに、エルは気付いていた。

 

 静止したような時間の中で、赤い幻晶騎士と陸皇亀(べへモス)が同時に動いた。騎士団は再び息を吸い込み始めた陸皇亀(べへモス)の矛先が自分たちに向いていることに気付き一拍遅れて散開を始める。竜巻の吐息(ブレス)を貯める動作がはじめと比べて遅くなっているのを見て、彼らは全員の回避を確信し、続けての攻撃の用意をしていた。

 

 その中を、グゥエールが深紅の矢のように陸皇亀(べへモス)へと突き進んでいく。

 

「させません!」

 

 グゥエールが跳躍し、その勢いを拳に乗せて竜巻の吐息(ブレス)を放とうとした陸皇亀(べへモス)の顔面に叩きつける。堅く握られた拳が捉えたのは、彼自身が突き刺したその右目に残る剣だった。叩きつけた拳が圧壊するほどの勢いに、着地した瞬間に戦闘の中で常識外の軌道を繰り返していたグゥエールの脚部の結晶筋肉が断裂し、バランスをとることができずにもんどりうって転がっていく。エルはディーの悲鳴を聞きながら、めまぐるしく回るモニター越しの光景に渾身ともいえる攻撃の結果を悟った。

 

 もしグゥエールの攻撃が、捨て身のものだったとはいえ別の場所を捉えていたなら、陸皇亀(べへモス)はその誇りから仇敵を屠る一撃を放つことができていただろう。けれど現実は彼に味方しなかった。

 その右目に刺さり半ばで折れた剣は、半ばで折れたがゆえに致命傷までは至っていなかっただけなのだ。けれどたった今凄まじい勢いでもって押し込まれたことで、その刃は脳にまで達してしまった。脳を突き刺すという覚えのない激痛に、陸皇亀(べへモス)はその復讐を刹那忘れ、首を振る。

 

 竜巻の吐息(ブレス)は軌道を変え、上空の雲を穿った。自分の右目を奪い、最後の復讐すら邪魔した憎い赤きヒトガタの姿を陸皇亀(べへモス)は首だけで振り返る。その姿は到底無事といえるようなものではなかった。

 

 各所の部品があちこちに飛び散り、結晶質がきらきらと各所からこぼれ落ちてしまっている。足が動かなくなったのか立ち上がろうともがいて何度も失敗する姿を、その瞳は映していた。

 

「破城槌部隊!もう一度突撃せよ!」

 

 またもや一瞬で動いた事態から再起したフィリップが、にわかに動き始めた破城槌部隊に号令する。残る部隊が陸皇亀(べへモス)の視線の向く先に横たわる赤い幻晶騎士を助けんと、法撃を浴びせかける中、山のように動かない陸皇亀(べへモス)へと破城槌部隊が殺到していく。

 

 一撃、二撃、三撃。いくつもの破城槌にその体内を破壊され、血を吐いてもなお陸皇亀(べへモス)は立っていた。これでも足りないのかと追撃を加えようとした騎士団員を、フィリップがそっと制する。

 

 陸皇亀(べへモス)がグゥエールから未だ動かぬトランドオーケスへゆっくりと首を巡らせる。そこまでして、ようやく陸の皇は力なく大地にその身を伏せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔獣はその巨大な体を支えるために強化魔法を使用しているものが多く、陸皇亀(べへモス)もその例外ではない。死んだことで魔力の供給が止まったその肉体は、自重を支えることができずにゆるやかに圧壊していく。生前に反して呆気なく崩れていくその死体の横を、アールカンバーは歩いて行く。

 

 やがて、うつ伏せに倒れているトランドオーケスのそばにたどり着くと、エドガーはアールカンバーの手を機体にかけた。

 

「セラフィーナ、今から機体をひっくり返すがいいか?」

 

 エドガーの声に返事はなかった。そのことを不安に思ったエドガーは丁寧に、しかし安全を保てる限りの速さでトランドオーケスを裏返す。

 

 エドガーが機体から降りたとき、横に小さく降り立つ音がした。そこにいたのは、この場にいるはずのない後輩、エルネスティだ。

 

「エルネスティ、なぜここに……」

 

「グゥエールは僕が操縦していたのですよ。ああ、壊れた機体もまた美しい……本来なら心行くまで味わいたいです。すっごく、すっごーく心惜しいのですが、けれど今はこっちですね」

 

 さらっととんでもないことを暴露したエルに呆気にとられるエドガーを置いて、エルはトランドオーケスのコックピット前に飛び上がり、ハッチを開いた。

 

「ただの魔力(マナ)切れではなかったのですか。何があったのか、起きたら聞かせてもらいますよ」

 

 エルがコックピットから出てきたとき、セラは横抱きに抱えられていた。どうやら気絶しているようで、動く気配はなく穏やかに寝息を立てている。

 

 その後彼らのもとへ集まってきた騎士団長や団員たちに、竜巻の吐息(ブレス)を防いだ岩の正体を説明すると、怪物を圧倒していた二機の騎操士の正体を知ったことも相まって、彼らはやはりひどく驚いていた。

 

 フィリップが進み出て三人に見事というべき美しい敬礼を見せた。それは格式としては王族に臨むとき以外には最上位にあたり、本心からの感謝と尊敬を示すめったにすることのないものだ。団員達も遅れてそれに続き、エドガーが一人狼狽する。

 

「貴君らがいなければ、我らは陸皇亀(べへモス)を相手にもっと甚大な被害を受けていただろう。高等部の騎操士諸君の健闘がなければ、多くの生徒たちの命が彼奴に奪われていたことだろう。ヤントゥネン守護騎士団団長フィリップ・ハルハーゲンとして、そしてフレメヴィーラの国民として君たちに感謝する」

 

 フィリップの言葉は本心からのものであった。今回の戦闘で騎士団が受けた被害は、幻晶騎士八機の大破と、竜巻の吐息(ブレス)の爆心地に近かった騎操士三名の重傷だ。幸いなことに死者は出ておらずもし戦闘がここで終わらなければ、騎士団が壊滅している可能性すらあったのだから。高等部の騎操士は、練習機であることから胴体周りの装甲が厚いことに助けられたものもいたが、それでも時間がたちすぎたのだ。死者が出たために無念な結果となってしまった。

 

 エドガーとエルも一歩進み出て同じく敬礼で答えた。

 

「私は多くの仲間を失い、後輩に背中を守られながら戦場を離れた未熟者にすぎず、その敬礼を受け取るには値しません。ですが、そう言っていただけると仲間たちも浮かばれます。こちらこそ、ヤントゥネン騎士団の皆さまの雄姿と勝利に、敬意を」

 

「僕は自分のやりたいことをしただけですからお気になさらないでください。それより、そろそろどこかにこの子を下ろしたいのですが……」

 

 エルの雰囲気をぶち壊す予想外の言葉に、ふっと皆の力が抜けた。

 

「ああ、救護班があちらに待機している。そこへ運ぶといい」

 

「ありがとうございます」

 

 救護所に向かうエルとセラの頭を、すれ違う団員たちがわしゃわしゃと撫でまわしていく。寝ている子供にするのは気が引けたのか、ほとんど被害を受けていたのはエルだったが。荒っぽい男たちのそれは感謝の念がこもっているとはいえ、アディやステファニアのそれと違って非常に痛い。

 

 セラを救護所に運び終え、激しくシェイクされたグゥエールの中で気を失って運び出されていたディートリヒの横に寝かせたとき、エルはヘルメットの開発を半ば真剣に考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。ヤントゥネンはかつてないほどの賑わいを見せていた。陸皇亀(べへモス)を倒すために全軍で出撃した騎士団が、少ない被害で勝利を収めたという報せが届いたからだ。飲めや歌えやとお祭り騒ぎな街の喧騒を、騎士団の帰還を知らせる喇叭の音が爽快に突き抜けた。

 

 先頭を行く騎士団長機ソルドウォートの後ろに副団長機カルディアリアが続いて城門をくぐった。どちらも傑作として知られる機体で、この街の象徴として扱われることもあるほどだ。市民にとっての誇りともいえる二機が無事であることに、誰もが胸をなでおろす。 

 

 次に城門から現れた物体を見た瞬間、歓声が爆発した。

 

 それは荷車に括りつけられた陸皇亀(べへモス)の頭部だった。その巨大さに恐れを抱き、それを見事討った騎士団を称える声が響き渡る。

 

 その後に続くのは、他の幻晶騎士達による一糸乱れぬ行進だ。高々と正面に掲げられた剣が日の光を反射して煌き、その光景に一層の華を添える。

 

 しかしその中にはグゥエールの姿もトランドオーケスの姿もない。エルがエドガー達から聞いたところによると、今回の事件でエルとセラが活躍したことは公式には伏せられるらしい。

 

 仕方のないことでしょう、とエルは思う。そもそもあまり興味がないですし面倒は嫌です、と。

 

 中等部の学生が騎士団より活躍したなどとは、その威光を保つために間違っても言えるものではない。未だ目覚めないセラには事後承諾になってしまうが、彼女も恐らくあっさりと納得してむしろ周りの方が憤るという結果になるのだろう。自分のように。

 

 しかし腑に落ちないのは戦闘の後セラが気絶していたことと、戦闘中の彼女の豹変だ。セラは魔導演算領域(マギウスサーキット)を全力稼働したためだと言っていた。しかしそれだけであんな風になるものなのだろうか?

考えても分からないが、その方面での彼女の師、オートン先生ならば何かを知っているかもしれないと思い至る。

 

 そこで喧騒の中かすかに聞こえたのは、エルくーん、セラちゃん起きたよーと自分を呼ぶ声だ。

 

 帰ったら聞いてみましょうと結論を出して、エルは声のする方へと向かっていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「以上が今回の戦闘の報告です」

 

 そう言って頭を下げるフィリップに、ふむ、と鷹揚に頷き返す男が一人。陸皇亀(べへモス)討伐の立役者として、ヤントゥネン騎士団長はここ王都カンカネンのシュレベール城の玉座の間にて、国王アンブロシウスへと事件のあらましについて報告を行っていた。

 

「べへモスの死骸の回収はどうなっておる?」

 

「は、回収者だけでは手が回り切らず、我が騎士団からも幻晶騎士を派遣して進めております。幸い騎士団の被害も少なく、通常の業務も支障ありません」

 

 しかし、とフィリップは言葉を区切った。

 

「なにかあったのか?」

 

「は、その……此度相手取ったべへモスの死骸から、その赤ん坊のものらしき触媒結晶も発見されたと報告があります」

 

「なんだと」

 

 その報告に明確な反応を示したのは、アンブロシウスではなく宰相のクヌート・ディクスゴードだった。クヌートが思い至った可能性、それは陸皇亀(べへモス)の生態がともすればこのフレメヴィーラにとってろくでもないものであるかもしれないということ。最悪の事態を想像した彼は、魔獣学者に研究させることを内心決意していた。

 

 今回の陸皇亀(べへモス)がそのこどもを孕んでいたということは。もし陸皇亀(べへモス)が出産を行う場所がここフレメヴィーラの平原であるということになれば、何かしらの対策が必要になるからだ。それはつまり、たとえその期間が数百年単位のものだとしても定期的にかの魔獣が襲来することを意味するのだから。

 

 クヌートの心配をよそに、アンブロシウスは報告とともに手渡された資料をめくる。そこに書いてあるのは表向きに発表された隠蔽された出来事がある経緯ではなく、真実この事件の中で起きたことだ。

 

 ライヒアラの中等部の生徒が二人のみで陸皇亀(べへモス)と戦い、あまつさえ圧倒したという信じがたいことが。

 その生徒の名に見覚えがあることにアンブロシウスは気付いた。

 

「エチェバルリア……ラウリめの孫らか。のう、フィリップよ。こやつらは本当にかような活躍をしたのかの?」

 

「は、この目でしかと見たことでございますれば」

 

 答えるフィリップの声はゆるぎない。この男は実直であることで知られているし、アンブロシウスがかつて連れまわしたことでもその性根はしっかりと理解している。まずもってこのような場で虚言を吐くような男ではない。

 

 さりとて、報告書の内容はやはり簡単には受け入れがたいものであるのも事実には違いないのだ。

 

「お主が益体のない嘘をつくなどとは欠片も思わぬ。思わんのだが、さすがにこればかりはな。特にこのくだり。双子は二人ともその場で魔導演算機(マギウスエンジン)の術式を変更し、一人はそのうえで自らの力で戦術級魔法(オーバードスペル)を構成し戦闘を行ったとある。本当ならばまったくもって正気の沙汰ではないぞ」

 

「半ばは伝聞ですが、動きを見た限り……事実かと」

 

 もしその通りであるならば。単純な強さだけでなく魔導演算機(マギウスエンジン)に手を加えられるという前例のない異能を二人そろって持っていることになる。それに彼らは齢十二の童である。まだ世の中のイロハを知り始めたばかりのそんな時期では、自らが多大な力を持っていると増長するようなことがないとも限らないだろう。

 

 たった二機で師団級魔獣と渡り合う実力を持ち、かつてない異能を持つ彼らがそんなことになればどれほどの望ましくない事態に陥るかは想像もつかない。報告書の人物評を見る限りでは心配する必要もなさそうだが。

 

 親友の孫を疑うのは気持ちがいいことではない。しかし、王としてそれをただ見逃すわけにもいかない。

 

「この者たちを見極めねばならんな。時を見て一度会うこととするかの」

 

 獅子王と呼び称えられるアンブロシウスの瞳が、まさしく獲物を吟味する獅子のようにぎらついた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事件の顛末

「ねえみてキッド、これすっごいかわいい!」

 

 そういってアディがキッドに差し出してきたのは、カルダトアをデフォルメしたぬいぐるみだ。ずんぐりとしたそれを抱き抱えてみてかわいいというアディは、最近エルに感性を染められつつあるのかとキッドは微妙な顔をした。

 

「それはちょっと。しっかしさすがっつーかなんつーか、ライヒアラよりものがいっぱいあるよな」

 

 感慨深げにつぶやくと、キッドはきょろきょろと多くの人でにぎわっている商店街を見回した。

 

 騎士団によるパレードの翌日、キッドとアディは商業都市ヤントゥネンの町を散策していた。目的は家族へのおみやげと、事件で活躍したエルとセラへのプレゼントを買うためだ。残念ながら今日の午後には重傷人と付き添いの生徒をのぞいて生徒たちは学園へ帰ることになっているため、そう長い時間はかけられないが。

 

 いまだ師団級魔獣討伐の興奮冷めやらぬ街の通りには、ここがいざ稼ぎ時と多くの出店が並んでいる。数ある店を覗いては珍しい品物にはしゃぐアディの後ろを、品物を吟味しながらゆっくりとキッドが着いていく。

 

 結局二人へのプレゼントが決まったのは、日が真上にさしかかろうかという頃合いだった。

 

「エル君もセラちゃんもプレゼント喜んでくれるかな~」

 

 エルとセラがいる騎士団の詰め所への帰り道、プレゼントへの二人の反応が楽しみなのかアディはにこにこと笑っている。その隣を歩くキッドのは対照的に浮かない顔だ。キッドの様子に気づいたアディが静かに反応を待つ。

 

「なあ、アディ」

 

 やがてキッドがゆっくりと口を開いた。

 

「なに、キッド」

 

 答える声は、エルと一緒にいる時の姿、つまり普段からは想像もつかないほど落ち着いたものだった。まるで子供の疑問に答えるかのような。 

 

「俺たちこのままじゃダメだよな。エルとセラのためにも」

 

 そう呟いたキッドの脳裏に浮かぶのは、昨日セラが目を覚ましたときのことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻晶騎士達の帰還に先んじて、陸皇亀(べへモス)との戦闘で負傷したものが送還された騎士団の救護所にエルとキッド、アディの三人は集まっていた。三人が見つめるのはベッドで眠るセラだ。彼らの心配をよそに心持ち穏やかな表情ですやすやと眠る彼女は、陸皇亀(べへモス)との戦闘の最中に気絶して以来未だに目を覚ましていないという。

 

「ん?ここは・・・・・・」

 

 セラの隣のベッドから聞こえた声に三人が振り返る。そこにいたのはグゥエールの騎操士であるディートリヒだった。未だに状況が飲み込めていないらしい彼の左腕はギプスで固められており、骨折しているだろうことが伺える。グゥエールを彼の代わりに操作していたエルによれば、戦闘の最後にコックピットがひどくシェイクされあちこちに体を強く打ち付けたためらしい。

 

 実際のところはエルがコックピット内にエアクッションを形成していたために腕だけで済んだということもあるが。もしそうでなければ彼は今頃ミンチよりひでえやという有様になっていたことだろう。

 

 突如彼を見ている三人の横からぬっと大きな影が現れ、ディートリヒの前に立った。その姿を認めたディートリヒの顔が徐々に青ざめてゆく。何事かと皆の視線が向いた先にいたのは。

 

「あらあ、気がついたのね。ここはヤントゥネンの騎士団救護所よ」

 

 さっぱりと刈り上げられた輝かしい頭皮と。

 

「あ、あああ・・・・・・」

 

 ナース服をちぎり飛ばさんばかりに張りつめた見るからに強靱な肉体を持つ。

 

「骨折してるけどすぐに治るわ。イイカ・ラ・ダ・ね」

 

「うわあ@p;:・」

 

 子どもが泣いて謝るような野太い声で女言葉をしゃべる漢だった。

 

 もう一度言おう。漢だった。

 

 ハートマークが飛び出しそうな見事なウィンクを決めた。だが漢なのだった。

 

 しなを作ってディートリヒの上半身をそっとなぞる彼に、ディートリヒが形容しがたい叫び声をあげてけがを気にすることもなく暴れる。

 

 身の毛がよだつような光景を、三人は見なかったことにした。キッドはセラがとなりの惨状を見ないよう視界を遮る位置にそっと動き、アディはエルの頭を狂ったようになでて癒しを求める。

 

「すいません。考えたいことがあるので少し席を外します。パレードも見に行きたいですし」

 

 エルはそう言うと若干青い顔で部屋を出ていった。癒しを失ったアディの手がわきわきと空中をさまよう。もう一人の癒し、セラに手を伸ばして、引っ込めて。結局は起こさない程度にゆっくりとなでることにしたらしい。

 

 理解不能なわめき声とおぞましいまでに野太い声、ふへへ・・・・・・という不気味な声が奏でる不協和音を、キッドは心を無にして耐えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 それから後、次の時を告げる鐘が鳴った頃にセラが身じろぎをした。若干コクリと首を揺らしていたキッドと壊れた機械のようにセラの頭をなで続けていたアディが気付いてセラの顔をのぞき込む。

 

 ゆっくりと目が開かれ、ぱちぱちと瞬く。その目が二人の姿をとらえるやいなや、アディががばりとセラに飛びついた。

 

「セラちゃんおはよー!心配したよ!」

 

「いやお前いきなり飛びつくなここは病室だから静かにしろセラがびっくりして・・・・・・ねえな」

 

 セラはいきなりアディに飛びつかれたにも関わらず、一瞬目を少し開いた後に自らの肩に埋もれたアディの頭をなでていた。もし彼女に表情があれば穏やかに微笑んでいたに違いない。そうでなくともそれはまるで姉が妹をあやすような絵になる光景だった。身長の上では立場が逆になってしまうのだが。

 

「あ、エル君呼んでくるね!」

 

「あ、おい・・・・・・」

 

 走り出したアディを注意するまもなく、彼女は病室を飛び出ていってしまった。すぐに静かな廊下に、怒鳴るような声と謝るアディの声が響きわたる。

 

「あいつバカだろ・・・・・・。セラ、どっか痛いところとかないか」

 

 キッドの問いかけにセラは口をぱくぱくと動かして、そっとのどを押さえた。セラの様子に、キッドが若干の焦りを見せた。

 

「もしかして、のどがやられたのか?」

 

 セラは一瞬迷ったように間をおくと、少しだけ頷いた。少し考えた後に彼女は何かに気付いたようにキッドの腰に差された銃杖を指さす。

 

「これか?貸せってことか」

 

 コクリと頷いたセラに銃杖を渡す。銃杖を受け取ったセラは少しの間虚空を見つめると、やがて杖の先から火を出し始めた。

 

「病室で火魔法って危ないだろ。ってこれ、文字か」

 

 杖の先から伸びでた火は、文字の形をかたどると空中に並んで留まっていく。またもや飛び出したびっくりな魔法の使い方と無駄に洗練された制御力に、キッドは驚いていても仕方ないと描かれた文字に注意を向けた。

 

『声がでないから魔法で』

 

 空中に浮かぶ火の文字は、しばらくすると火の粉すら散らすことなく溶けるように消えていく。文字が消えたあと。言葉の意味を理解したキッドが大きな声を出そうとして、場所が場所だと小声で尋ねた。

 

「声がでないってなんか怪我したのか」

 

『心当たりはあるけど、みんなが来てから話すね』

 

 エルとアディも一緒に、という言葉にキッドは追求をいったん断念した。心配で気になるのは山々だけれど、火で文字を描くという手段で何度も説明するのはかなり面倒だろう。二人が帰ってくるまで、キッドは事件の顛末と、エルとセラの扱いについて説明することにした。

 

 

 

 

 

 

「ええ!セラちゃん喋れないの!?」

 

 二人が帰ってきたのは、キッドが説明を終えてすぐのことだった。キッドからセラが声が出せなくなっていることを聞いたアディが素っ頓狂な声を上げる。

 

 エルが難しそうな顔でセラに問いかけた。

 

「その原因は分かっているのですか?」

 

 頷いて杖の先からすらすらと火の文字を出していくセラに二人が驚いた表情を浮かべるも、文字を読みのがすことはしなかった。

 

『おそらくだけど。魔導演算領域を全力で使った副作用だと思う』

 

「副作用なんかあんのか」

 

『私みたいに魔導演算領域が先天的に広い人はそうみたい』

 

「それはもしかするとオートン先生が仰っていたのでしょうか」

 

 頷いて肯定するセラに、納得したようにエルもまた頷いた。

 

「わかりました。詳しい話は先生に聞くことにしますから、今は体を休めてください」

 

 キッドとアディに向けられた確かめるような視線に応と答えると、セラは再び眠りについた。

 

 先ほどまでと変わらない穏やかな表情でセラは眠っている。いつもと同じ色白な肌からは、どこかが不調であるようには見えない。

 

 けれどキッドは何か寒々しい、心の底に氷の塊をねじ込まれたような感覚を覚えて、その姿から目が離せなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のままじゃ、俺たちは無力なままだ」

 

 自分たちが馬車で危険地帯から離脱している間、親友の二人はその命を途方もない危険に曝していた。その結果があのセラの姿。病室にはもっと重傷の騎士団員たちの姿もあったのだ。大きな怪我をしていない分セラはまだ幸運だったといえる。

 

 けれどエルから聞いた話ではセラもかなり危ないタイミングがあったのだという。もし何か一つ間違えていたならば、セラがあんなに穏やかに寝ている光景さえなくなっていたということだ。

 

 キッドはただ自らの無力が悔しい。大切な二人を見送ることしかできなかった自分が悔しい。

 

 もし次に同じようなことがあった時、二人は必ず同じように立ち向かうのだろう。そうなったとき自分はどうするか。

 

 次こそは彼らとともに戦いたい。だからこれは、きっと同じようなことを考えていただろうアディへの決意表明だ。想いを込めるように拳を堅く握りしめる。

 

「指をくわえて見守るしかできないなんて、もう二度とごめんだ」

 

「あったりまえじゃん!」

 

 アディの答えはキッドの静かな声音とは反対に明るいものだった。その裏には今更気付いたの?というニュアンスが含まれているように聞こえてキッドが少し顔をしかめた。

 

 誇らしげに、アディはその胸をどんと叩いた。

 

「私はエル君のためだったらどこへでも行くよ。今回はエル君ならって思って見送っちゃったけど、次は絶対について行く。たとえそれが地獄でも、ボキューズの彼方でも。ただ見てるだけの女の子じゃあ、エル君の隣には居られないんだってわかっちゃったし」

 

 もちろんセラちゃんもね、と続けたアディは真剣そのものだった。その姿を見て、ふとキッドは疑問に思う。

 

 アディはきっとエルのことが恋するほどに大切だから迷いなくここまで言える。ならば自分は。

 

 セラの姿ばかりを思い浮かべて決意した自分は、彼女のことを一体どう思っているのだろうか。好きだからというのはいまいち違うような気がする。友達というには少し近づきすぎた感情だ。

 

 ただ守りたいということだけははっきりしているのに。

 

 ルンルンと再び歩き始めたアディを追いかけながら考えても、答えはどうやら見つからないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「プレゼント、ですか」

 

『プレゼント?』

 

 救護所で話をしていたエルとセラにプレゼントがあると告げると、二人とも全く同じように首を傾げていた。全くこの双子はそっくりだと、キッドとアディはクスリと笑う。

 

「僕たちの誕生日はまだ先なのですが・・・・・・」

 

『勘違い?』

 

「いーや、違うぜ」

 

「二人ともちゃんと帰ってきてくれてありがとうっていうプレゼントだよ!」

 

 ガサゴソと紙袋を漁るアディに、エルとセラは未だに困惑した様子が隠せていない。アディとキッドは二人がどんな反応をするかが楽しみでならないようだ。微妙ににやけてしまっている。

 

「じゃじゃーん!」

 

 勢いよくアディが取り出したのは二つの包みだった。一つをキッドが受け取り、エルに手渡す。アディももう一方の包みをセラに渡していた。

 

「あけてもよろしいのでしょうか」

 

 問いかけたエルに、にこにこと笑うことでアディが答える。そっと開けられた包みの中から出てきたものに、二人は驚いた。

 

「ブレスレットと」

 

『髪飾り。綺麗』

 

 エルへは青色の触媒結晶をあしらったブレスレット、セラへは白色の触媒結晶を中央に据えた花形の小さな髪飾りをプレゼントとしてキッドとアディは買っていた。二人の反応は上々で、キッドとアディは自分たちの選択が成功したことに満足した。

 

「お揃いのお守りなんだよ」

 

 そういってアディが自らの頭を指さし、キッドも腕を見せる。アディは髪飾り、キッドはブレスレットをすでに身につけていた。それらはエルとセラにプレゼントした物の色違いで、アディの髪飾りには赤、キッドのブレスレットには黒色の触媒結晶が使われているようだ。

 

「二人とも、おかえり」

 

「ちゃんと言えてなかったからな。おかえり」

 

「では。ただいま、ですね」

 

 残る一人に三人が視線を向ける。杖を手に取った彼女は少し躊躇っているようで、今までに比べてゆっくりと文字を綴っていく。

 

『ありがとう。これは私のわがままなのだけれど、もし声が戻ったらもう一度言ってほしい』

 

「そりゃいいけど、どうしてだ?」

 

『ちゃんと言葉でお礼を言いたいから』

 

「そういうもんなのか」

 

 セラの言葉(文字)に半分納得がいかないような表情でキッドは首を縦に振る。ほかの二人も何か不思議に思うところがあるのか首を傾げているようだ。

 

 表情が変わらないけれど、若干不満げであるということがわかるのは彼らの付き合いが長いからか。拗ねたようにセラは文字を綴る。

 

『私だけ言葉に出せないなんて、仲間外れじゃない』

 

 そう記すなり、セラは顔を背けてしまった。

 

 エルはその文字を見ても表情を変えなかったが、アディは別だった。彼女の目がなにやらキラーンと光ったようなそんな錯覚をキッドは覚える。もちろんそんなことはないのだが。

 

「セラちゃんかーぅわい!お持ち帰りしたい!」

 

「いやセラはここに残るんだからな」

 

 セラに飛びついて頬ずりするアディに、されるがままのセラ。アディの言動がいろいろと危険なものを含んでいるのは今更だが、セラはほかの怪我をした学生たちと一緒に後日馬車で学園に帰ることになっている。今自分たちと一緒に帰るわけにはいかないだろう。

 

「見事なルパンダイブ、十点ですね」

 

 エルはエルでなにやらよくわからないことを呟いているあたり、この空間はあまりにも混沌としている。これが日常茶飯事なあたりこのメンバーそのものが自由すぎるのだ。もう一人のつっこみもとい制止役のバトソンがここにいないことをキッドは惜しんだ。

 アディがセラの頬を弄び始めた辺りでセラから視線で助けを求められたので、アディの襟をつかんで引っ張っていく。

 

「んじゃあ、俺らはそろそろいくぜ」

 

「ああ・・・・・・セラちゃんとしばらく会えないなんて。これはもう、エル君をしっかり愛でなきゃ!セラちゃん、じゃあねー」

 

「お手柔らかにお願いしますね。後発の馬車はおそらく一週間ほど後になるだろうとのことですから、それまでちゃんと休むんですよ」

 

 ぱたりと病室のドアを閉じて嵐のような三人が去っていく。それまでのにぎやかさが嘘だったかのように静まりかえった病室の中でセラは一人、髪飾りと返し忘れたキッドの銃杖を見つめて密かにため息をついたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

混乱の覚醒

Fortunaさん、244さん、誤字報告ありがとうございます!


 雲は黒く重く世界を押しつぶすように垂れ込めて、ざあざあと降る雨の音が辺り一面の静寂を覆い隠しているようだった。男女の境なく黒い服に身を包んだ人たちが、土の匂いに包まれた墓場の中で一つの新しい墓に静かに手を合わせている。

 

 一人ぽつりと離れて立つ私は、傘を差すでもなくそれを後ろから眺めているのだった。

 

 もう二度と訪れることはないと思っていた場所にたって、ああ、これは夢なんだ、なんて他人事のように考えてしまう私がいることを少しだけ寂しく思う。

 

 ここは墓場だ。墓石が静かに立ち並ぶこの場所は、フレメヴィーラには決して存在しない景色。そして私が前世でもっとも覚えている風景の一つだ。だってここは、前世の私の両親が眠る場所だから。毎年のように通った寂しい場所だから。

 

 見覚えのある場所に懐かしさを覚えて、ふと私はその中でただ一人白を基調としたライヒアラの学生服というかなりかけ離れた格好で立ち尽くしていることに気付いた。喪服に身を包んだ人々の中ではこの姿はひどく目立つし、葬儀の雰囲気にはあまりにも不釣り合いだ。けれど、誰も気にする様子がない。きっと私、セラの姿は誰にも見えていないのだろう。私はこの場にはいなかった人間だから。

 

 葬儀が終わったのか人がすこしずつ最後列よりさらに後ろに立つ私の姿に気付くことなくすれ違ってゆく。

 

 あの日の光景を端から見ればこんな感じだったのかと感慨深く思いながら、ゆっくりと歩いていく。父も母も結構人望があったのだなとかこの日はこんなに雨が降っていたんだなとか、そんなどうでもいいことまで散っては消える足下の泥水のように頭に浮かんでは沈む。

 

 墓の前にあるであろう光景を目にすることから、逃げ出したいのかもしれない。そうだとしても体はゆっくりと歩き続ける。

 

 やがて私の歩みは、墓まで後少しのところで止まる。目の前には喪服に身を包み、微動だにもせずただうつむく少女の姿があった。少しだけ曲がったその背は、もはや生気を感じさせないでいる。

 

 これが、あの日両親を失って絶望に押しつぶされた前世での私の姿だったんだね。もう名前も思い出せないけれど。

 

 彼女を見かねた男の人が、そっと肩に手をおいて慰めの言葉をかけている。あの人は前世で私を引き取ってくれた優しい家族の父親だったはずだ。このときもそばにいてくれたなんて、前世の私は全く気付いていなかった。

 

 うつむく彼女の横に並び、墓に刻まれた名前をみる。間違いなく前世の両親の物であることを確認してから、そっと手を合わせた。

 

 ーーお父さん、お母さん。私は生まれ変わって、とても良い家族に恵まれました。いつかあなたたちのところにいったら、たくさんおみやげ話をしたいと思いますーー

 

 なんて心の中で紡いだ声が届かないことはわかっているけれど。生まれ変わってからは一度もお参りできていなかったから、これで久しぶりということになればいいな。

 

『・・・・・・のに』

 

 ぽつりと横で呟かれた小さな声は、雨の音にかき消されてしまって届かなかったのに。

 

『まほうがあるから、ずっといっしょって、いったのに』

 

 再び呟かれた言葉は、やけにはっきりと私の耳に届いて、残響を残した。途端に、ざあざあと言う雨の音が、テレビの砂嵐のような不快な音に変わり、視界にノイズが走り始めた。

 

 あまりの気持ち悪さにたまらず目を閉じ耳を塞いでしまう。なにが起きているのかわからないけれど、ただただいやな感じがする。

 

『おとーさん、おかーさん、どこいくの?』

 

 気付けばノイズはやんでいた。聞こえてきたあどけない声と軽い足音にのろのろと目を開く。

 

 ここは、昔の私の家の玄関だろうか。目の前にいたのは、先ほどの少女と、こちらに背を向けて靴を履いている二人の大人だった。きっと彼女の両親、もし推測通りならば前世での私の両親であるはずだ。元気に二人に走り寄っていく少女からは、先ほどの悲壮な雰囲気が感じられないことにほっと息をつく。

 

 それだけならば、彼らがいなくなる前の大切な日常の一ページに違いなかった。けれど少女に振り返った二人の顔はモザイクのような砂嵐に塗りつぶされていた。その陰に隠されているはずの両親の顔を思い出そうとして、全く思い出せないことに気付く。

 私は何よりも大切に思っていた家族の顔すら忘れてしまっていたのか。

 

 男は声に不満をにじませている少女の手を取って諭すように語りかける。

 

『僕たちはーーの誕生日プレゼントを買いに行くから、いい子で留守番してるんだよ』

 

『・・・・・・ひとりはいや』

 

「・・・・・・めて」

 

 ぷいとそっぽを向いてしまった少女に困ったように彼は笑う。笑っていたのだと思う。ここに至って私は、これがいつのことだったかようやく思い出した。

 

『困ったな。じゃあ、一人でも寂しくなくなる魔法を教えてあげよう』

 

 これは私が最後に両親を見送った時のことだ。幼い私の誕生日が迫る、ある秋の日のこと。

 

『まほう?』

 

『ああ』

 

「・・・・・・やめてよ」

 

 私の声は誰にも届かない。胸を抉るような光景は、きっと過去と全く違えることなく進んでいく。まほうだなんてごまかしはいらないから、ただ行かないで一緒にいてほしいのに。

 

『ーー』

 

 少女の耳元でささやかれた言葉は私には聞こえなかった。なんとささやかれたのだったか、私には思い出せない。けれど少女にとってはうれしい言葉だったようで、彼に抱きついてはしゃぎ始めた。

 もしこのあとに起きることを知っていたならば、こんなふうに笑えるはずもないのに。

 

『じゃあ、いってくるよ』

 

『良い子にしてるのよ』

 

 そっと少女から父親が離れていく。

 

「・・・・・・行かないでよ」

 

 これが当の昔に過ぎ去ってしまった変えられない過去だとしても。私は何度も思ってしまったのだ。

 もしこのとき私が手を離さなければ、二人は死ななかったのではないかと。

 

 優しい母と父に囲まれて笑いあう、明るい日溜まりの中で過ごすような穏やかで何よりも幸せに満ちた日々は、終わることはなかったのではないかと。

 

 意味がないと知っていても、届かないと知っていてもこの手を伸ばしてしまうのだ。

 

 玄関を出て行く二人を、少女が手を振って見送る。二人が帰ってくると微塵も疑うこともなく、幸せでたまらないというような笑顔で。

 

『行ってらっしゃい!』

「・・・・・・行かないで!」

 

 伸ばした手は、虚しく空をつかんだだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おや。セラ、起きたのかい?」

 

 聞き覚えのある声に、私は目を開いた。一番はじめに見えたのは知らない天井と、そこにまっすぐ伸びる私の腕だ。身を包む柔らかい感触にどうやら私はベッドに寝ているらしいと気付いて、身を起こした。

 

 声がした方を見れば、ディートリヒ先輩が同じようにベッドに横たわっていた。右腕につけられたギプスが痛々しいが、それ以上にその顔色がげっそりとしていて何かの病気のようにも見えてしまう。

 その目が、私の顔を見た瞬間少し驚いたように見開かれた。寝癖でもついているのだろうか。

 

「悪い夢でも見たのかな。これで顔を拭きたまえ」

 

 そういってディートリヒ先輩が無事な手で綺麗な手ぬぐいを放り投げてきた。受け取ったはいいのだけれど、顔でも汚れているのだろうか。そう思って顔に手を当てると、少しだけ濡れた感触があった。

 

「・・・・・・あ」

 

 それが私の涙だと気付いてからは、もう止めようがなかった。堰を切ったようにあふれ出た涙は止まらなくて、なぜだかとても悲しくて寂しい気持ちで胸がいっぱいになるのだ。手ぬぐいで顔を覆って声を押し殺す。それでも体のふるえと嗚咽までは隠せない。

 ディートリヒ先輩の沈黙が、今は少しだけありがたかった。

 

 

「落ち着いたかい」

 

 私が泣きやんだのを見計らって尋ねてきたディートリヒ先輩に、首を縦に振る。顔はとても見せられる物ではないので手ぬぐいで覆ったままだ。決して、冷静に考えてみれば泣いているのを見られたことに気付いて恥ずかしいからではない。顔を隠しているから証拠も見えないので、例えエルに見られていてもばれない。つまり私への反論は事実無根にならざるを得ないので、私の言い分の正しさが相対的に保証される。うん、大丈夫だ。

 

 なんて一人脳内裁判をしている場合でもなく、そんなことよりも私は気にするべきことがあるのだ。

 私の記憶は陸皇亀(べへモス)のブレスから騎士団の人たちを守るために土壁を作り、彼らが無事だとわかったところで途切れているのだから。

 

「・・・・・・べへモスは、どうなりましたか」

 

 私の問いかけに、若干きょとんとしたふうにディートリヒ先輩は首を傾げた。

 

「べへモスなら、君が守った破城槌部隊の活躍で無事討伐されたと聞いていなかったかい?」

 

 今度は私が首を傾げた。私は陸皇亀(べへモス)を倒した後初めて起きたはずなのに、どうしてそれを聞いたことになっているのだろうか。

 なにかおかしなことになっている。

 

「・・・・・・エルたちは大丈夫でしたか?」

 

「おかしなことを聞くね。彼らなら、君にその髪飾りと杖を贈ってライヒアラに帰ったじゃない、か・・・・・・。いやちょっと待て君声がでるようになったのかい?!」

 

 先輩の答えに、私はさらに混乱した。ベッドの傍に置かれた机の上にはキッドの物だろう使い込まれて所々に傷が入った銃杖と、純白の結晶が用いられた綺麗な髪飾りがあった。髪飾りも銃杖も、なぜここにこれがあるのだろうか。

 そして、声が出るようになったとはどういうことだろう。

 

 思考の渦に陥りかけた私の耳に、ドアががらりとあけられる音と先輩がひっと息を呑む音が聞こえた。なにがあったのかとドアの方をみた私は、そのショックすぎる光景に問答無用とばかりに思考を打ち切られることになる。だってそこにいたのは。

 

「もう、けが人が大声出さないのよ。あら、お嬢ちゃん起きてたのね、おはようねん」

 

 坊主で筋肉もりもりマッチョマンな男性ナースだったのだから。ふと前世で冒涜的な光景を目の当たりにしたときに用いられる言葉を思い出してしまったのは悪くないと思う。SAN値チェックどうぞ、だなんて。

 

 そんな私をよそに、彼(?)は女性のような上品な歩みでこちらに向かってくる。

 

「起きてからここ三日、あなた何かの副作用で声がでないって言ってたから心配してるのよ。どう、話せる?」

 

 その言葉に、今度こそ私の頭は真っ白になった。

 

 

 

 

 

 

 

 陸皇亀(べへモス)討伐から一週間、私にとっては空白の三日についての状況把握の日々が過ぎ、とうとう怪我をしていたライヒアラ生が出発することになった。道中の護衛はヤントゥネン守護騎士団から七機ものカルダトアを割いてもらった。見舞いに訪れてくれたフィリップ騎士団長が教えてくれたのは、活躍したにも関わらず讃えられることのない私たちへのせめてもの恩返しらしい。大事件の後で忙しいはずなのに、十にも及ばない馬車の護衛にはあまりにも過剰な戦力を分けてもらって逆にこちらが申し訳なくなってしまうのだけれど。

 

 私たちのことが公表されないのは当然だと思う。むしろ公表されると変に目立って面映ゆくなってしまうし、活躍どころか陸皇亀(べへモス)の目の前で気絶して足を引っ張ってしまっていることがばれてしまうからそのほうがいい。

 

 カタカタと揺れる馬車の中で、私は一人思い返す。

 

 私は力不足だ。エルのことを心配して飛び出しておきながら、最後には目の前で気絶して逆にエルを危険に曝すことになってしまった。

 

 これで終わり、となるならそれでもいい。よくはないのだけれど、一度死にかけただけでエルも私も生き残ることができているのだから。これからまた死にかけるようなこともないのなら、笑い話にして終わりだ。

 

 でもエルは幻晶騎士を手にしたならば、喜々としてまた危険に飛び込んでいくに違いない。そしてエルが飛び込んでいくような危険は、その強大さも他の比ではないだろうという確信がある。

 異世界の知識を持つエルが、ふつうの騎操士に甘んじるはずがないのだから。きっと空の星のように誰にも手が届かないところまで飛んで行ってしまうようなことを無自覚にやってのけるのだろう。そんなエルが挑む危険もまたそれに応じた物になるだろう。

 

 遙かに高い空を目指した鳥は、必死で飛び続けるうちにいつしか空に輝く星になっていたなんてお話があった。人の身で空を目指した勇者は、太陽に蝋の翼を焼かれて墜ちるなんてお話もあった。

 もしかしたらエルはどちらになっても構わないのかもしれない。飛べる所まで、後先もなく力の限りに飛ぶだけかもしれない。

 

 けれど残される側はそれではたまらないのだ。手の届かないところに行ってほしくもないし、その翼をもがれるようなこともあってほしくはない。

 だから私にできる全てでもって、エルの隣に立ち、守り続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりにみるライヒアラの城壁は、夕日に照らされていつかの花畑の光景を思い起こさせた。未だに入院する必要のある怪我をしている者以外はその入り口を過ぎたところで降ろすということなので、そもそも怪我はしていない私と自力で歩けるディートリヒ先輩他数名はそこで降りることになった。

 

「セラ、君の家まで送ろうじゃないか」

 

 ディートリヒ先輩の厚意を私は素直に受け取ることにした。断るのは余計に心配させてしまうのではないかと思ったからだ。私が起きて以来――陸皇亀(べへモス)討伐から三日後以来先輩は私を心配した風に気遣うことが多くなった。たぶん私のせいで。

 

 ナースさんの言葉を聞いた私は、動揺を隠しきれなかった。明らかにふつうじゃないとわかる状態なのに、ディートリヒ先輩には夢のせいでちょっと寝ぼけただけですの一点張りで押し通したのだから、余計な心配もかけるというものだろう。

 

 空白の三日の原因は分からないけれど、私は誰にも相談するつもりはない。自分だけで少しずつ調べていくつもりだ。いたずらに心配させて、近しい人たちのの悲しそうな顔を見るのは嫌だから。

 わかっているのはその三日間私は言葉が話せないながらも活動していたのにも関わらず、私にはその記憶がないということと、そのとき私は魔法で意志疎通を図っていたということくらいのものだから、前途は多難だと思われるけれど。

 もしかして、起きる前にみた前世の夢は関連があったり・・・・・・ないだろうか。

 

「その、なんだね。君が大丈夫そうで何よりだよ。はやくその声をみんなに聞かせてあげるといい」

 

 いつの間にか私の家の前にたどり着いていたらしい。立ち止まった私を見てディートリヒ先輩はそういうなり立ち去ってゆく。

 

「・・・・・・ありがとうございました」

 

 私の声に先輩は振り返ることもなく片手をあげて応えた。今回は心配をかけ続けてしまったし、いろいろお世話になったので今度お礼にお菓子でも作って贈ろうと思う。それとも実用的な魔法の構文の方がいいだろうか。

 

 振り返る先にあるのは我が家の扉だ。ずいぶん長らく見ていなかったそれに手をかけようとして、夢のことを思い出して少しだけ躊躇った。誰もいなくなっていないと言うことくらいわかっているのに。

 

 そっと遠慮がちに扉を開ける。玄関には誰もいなかった。みんな食事をしているのだろうかと続く扉を開いた瞬間。

 

 ぱん、ぱぱぱんという破裂音に包まれて、私は呆然とする。目の前には、いたずらが成功したという風ににやけている家族とエル、そしてキッドとアディとそのお母さんがいた。予想外の状況に、理解が追いついていかないでいる。

 ひょっとして今の音はエルがクラッカーを再現したのだろうか、なんて目をいつもより見開いたまま考えている私に、皆があわせていった。

 

「「「「「「「おかえり」」」」」」」

 

 いくつもの笑みとともに告げられた言葉はあまりにも温かくて。不意にこみ上げてきた何かのせいでいつもより言葉に詰まってしまった。

 今はここが、私の帰ってくる場所なんだ。

 

「・・・・・・・・・・・・ただ、いま」

 

 私の言葉に、みんなが喜んだ様子で手をたたいた。アディなんかは我慢できなくなったのか、そのまま私に飛び込んできた。体格差的に全力で私に飛び込むことは遠慮してほしいといつも思うのだけれど。

 

「セラちゃんが、セラちゃんがしゃべった!くんかくんかすーはーすーはー、この匂い!このぺったんこな抱き心地!間違いなく本物のセラちゃんだうぇふ!」

 

 途中なにやら貞操の危険を感じる行為やセクハラにもほどがある発言があったため、頭に天罰を食らわせていただきました。十二歳なのだからまだ成長期にはいったばかりである。失礼な。

 

「あ、髪飾りつけてくれたんだ!やっぱり似合ってるね!ね、キッド?」

 

 もらった髪飾りを私がつけていることに気付いたのか、アディがさらに喜んだ。私がもし表情豊かだったら、きっとこの瞬間この顔は固まっていたに違いないと思う。

 

「おう、似合ってるぜ。元々髪が綺麗だからさ、ちょっと飾るだけでもすごくよく見えるな」

 

「・・・・・・ありがとう」

 

 笑って言ったキッドの言葉をどうしても素直に喜べない。何気なく褒められたのは嬉しいのに。

 それでも自然と手は垂れ下がった髪に伸びて、指先で弄んでいた。エルとほぼ同じ長さで切りそろえられた、お母さん譲りの紫がかった銀髪。

 このままではエルと見分けがつかないし、女の子らしく伸ばしてみるのも良いかもしれない。

 

 気付けば、髪の毛をいじくり回す私をお父さんを除く全員が微笑ましい顔で見ていた。お父さんはというと、お母さんに口を押さえられてもがもがと暴れている。

 なにやらいたたまれないというかなんというか、縮こまるようにしてアディの陰に隠れる。私は見世物じゃないのだし、もうひとりの方も見ればいいじゃないという気持ちでエルの方を見やる。

 

 エルはやれやれという風に肩をすくめると、手をたたいた。

 

「セラで癒されたところで、夕食が冷めないうちに食べてしまいましょう。今日はあなたのためにお母様もイルマさんも腕を振るってくれたのですよ」

 

 エルが指さした先には、何かのパーティかというくらい豪勢な料理の数々があった。エルに続いてみんなが席に着こうと机に向かう。

 

 机に向かうために私から名残惜しそうに離れてゆくアディの髪につけられた髪飾りが、ふと目に入った。赤い結晶を中心に添えた、私とお揃いの小さな花の髪飾り。とても大切なのに、私は覚えていない贈り物。

 こんな風に迎えられてとても嬉しいはずなのに、ちくりと小さく心が痛んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

未知の設計図

「二人とも、四日後に王都へ一緒にいかねばならんのだが、だいじょうぶかの」

「ぶふぉっ!?」

「……え?」

「その、陛下が、な」

 そう言って祖父は言いよどんだ。いつもの夕食時での唐突な発表にエルも私も驚いている。お父さんも聞かされていなかったようで、口から吹き出た紅茶が綺麗なアーチをかたどった。そんな状況でもにこにこしているお母さんは強者じゃないだろうか。

 

 すごく言いづらそうに陛下の名を口にしたことから、王族関連で大声では言えないことが関わっているのだろうか。でも、たかが一学園の一生徒をわざわざ御前に呼び出すようなことなんて普通はしない。

 

 思い当たるとすれば亀の足止めをしたことくらいだけれど、それで王様が出てくるなんて大袈裟じゃないだろうか。それとも、子どもであるにもかかわらず人の幻晶騎士に勝手に乗ったあげく戦ったことでお咎めがあるのかもしれない。

 うん、ちょっとまずくないかな?

 

「王都、王都ですか!お爺さま、王都の工房を見に行きたいです!あと、騎士団も!」

 

 隣で楽しそうに目を輝かせるエルを、うらめしいという気持ちを込めて見つめる。そんな私の目はたぶん濁っていただろう。

 ああ、そんな厄介ごとはいらないから、ただ魔法の研究したいな。ああ、そうだ。今のうちにあれを作っておこう。

  

 

 

 

 

 

 翌日。

 かん、かん、と槌で鉄を打つ音が響いている。入り口の扉を開けた瞬間になつかしい熱気に包まれて、そっと腰に下げている扇杖をなでる。

 ここはテルモネン工房、バトソンの実家だ。今日は学園がないから、バトソンはここで手伝いをしていると思うのだけれど。

 

「いらっしゃーい、ってセラ、もう帰ってきてたのか」

 

 奥の鍛冶場から出てきたバトソンが、私を見てにっかり笑った。合宿のことについて色々言われると思っていたから、思いの他あっさりと迎えられたことに、拍子抜けしてしまう。

 そのことを尋ねると、バトソンは少し頭を掻いて答えた。

「いや、なあ。二人がいつもぶっ飛んでんのはいつものことだからなあ・・・・・・。無事に帰ってきたならそれでいいんじゃないか?」

 

 なんだか間違った方向への信頼を寄せられていることに不服を申し立てたい。自業自得だから何も言えないのだけれど。

 

「俺には魔獣と戦う力はねえからさ、お帰りって言えるだけでいいんだよ。それだけで十分だ」

 

 だからまあ、お帰り。

 そう言って差し出された手はごつごつとした力強いもので、握り返した私の手を大きく包み込むのだった。

 

 

 

 

 

 

「で、今日はなんか用があるのか?」

 

 挨拶を交わした後にバトソンが発した言葉にコクリと頷いた。バトソンの顔がうへえと歪むのを横目に取り出したるは、設計図の束である。表紙には、某お菓子の魔女を彷彿とさせる可愛らしい人形の絵がどんと書いてある。

 作者は多分私。なぜ推測なのかというと、いつの間にかあったからと言うほかない。

 騎士団の医療で目覚めた後、傍にあった私の荷物入れを開けたら見知らぬ設計図の束があったのだ。筆跡も使われている紙も私のもので間違いなかった。他人の物である可能性も考えたが、ディー先輩にそれとなく尋ねたら、私の意識がなかった三日間の間、必死に書き上げていた物らしい。

 その中から何枚かを取り出してバトソンに手渡す。

 

「おいおい、これは……珍しく可愛らしい趣味だな」

 

 設計図の表紙をみたバトソンが、感慨深げに呟いた。一体どういうことかね。つまり私はいつも魔法の研究ばかりしてて可愛らしくないと言いたいのかね。

 

「おまえは見た目だけならなあ。しかしいったい何に使うんだこれ?」

 

 紙をめくりながらなんとなく尋ねられたのだろう質問に一瞬だけ、言葉がつっかえた。

 紙に記してあった建前はあるし、納得も行く。けれどその本当の所は、私にだってわからない。

 

「……また言葉が話せなくなったら、不便だからね」

 

 設計図の最後のページに書いてあったことをそのまま無機質に伝えると、バトソンが顔をしかめた。事件の詳細についてエルたちから聞いているのだろう。またお前は無茶をする予定があるのかと顔に書いてあるかのようだ。

 

「まあ、そういうことなら形は作ってやる。術式構文は自分で書けよ?」

「……もちろん」

 

 じゃあやるか、と言ってバトソンは鍛冶場へ戻っていった。なんだかんだ言ってその口調の中に嬉しそうな物が混じっている辺り、彼はやっぱり頼りになる職人だと思う。

 ちなみに報酬は、親からの小遣いを全く使わないためにたまったへそくりから出すつもりだ。

 

 

 

 それから二日間私はテルモネン工房へと通った。バトソンが材木(ホワイトミストー)を球状に加工し、何枚かに輪切りにした物の面全てに私が設計図の通りに術式を刻んでいく。その作業を繰り返した。

 

「後はこれを全部くっつければいいんだよな?」

「……そう」

 

 輪切りにされていたパーツを元の球状に接着し、ずんぐりとした胴体部分に乗せる。その上に、アディやお母さんに頼んで用意してもらった、設計図の人形のようにデザインされた布を被せる。

 するとなんと言うことでしょう。多くの魔法少女ファンを恐怖させた首ぱっくん魔女が目の前に現れたではありませんか。

 奇妙な物を見るような表情で、出来上がった人形をバトソンが私に手渡した。

 

「それで、機能は大丈夫か」

「……ん」

 

 手渡された人形に、ある魔法を構築しながら魔力を通す。

 この人形は一種の紋章術式だが、単体では効果を発揮し得ない。

 私が構築したある魔法とは、人形に刻んだ術式を制御する物。

 人形に刻んだ術式は、空気をある法則の元に振動させる物。

 それらを合わせることで、この人形が真価を発揮するのだ。

 

「アイウエオ。カ」

「お、いい感じだな。ちょっと聞き取りづらいけど」

 

 私たちの言葉を発し始めた人形に、成功したとわかったバトソンが上機嫌になる。

 私としてはもうちょっと流暢にしゃべって欲しい。今の人形の声の状態を表すなら、出来の悪いボ○スロイドのようだ。

 ちなみに音声提供はわたしらしい。ちょっと甲高いのであまり似ていないけれど。

 

 そっと腕に抱きしめてみる。木でできているからか、固くて抱き心地はよろしくない。改善の余地ありだろうか。

 

「……バトソン、ありがとう」

「アリガト。アリガト」

 

「おう。交互にしゃべられると訳わかんなくなりそうだな」

 

 上機嫌なバトソンがにっかりと笑う。歯がきらりと輝きそうな程さわやかな笑顔は、やはり見ていて心地がいい。

 

「まあ俺としてはそれが活躍する場はない方がいいと思うぜ」

 

 最後にしっかり釘を刺されてしまった。私だって、これしか使えないような場面はごめんだ。

 まあ、そもそも話せない間私は意識がなかったのだからどうにも実感が薄いのだけれど。

 事件から少し経って、なぜ意識がなかったのか。ヒントはもういくつか与えられていることに気付いた。そして仮説があっているならば、それは決して望ましいものではないということも。

 

「……気を付けるよ」

 

 バトソンに渡さなかった設計図の最終頁に記された言葉に目を向ける。そこには、バトソンに言った言葉の他にも言葉がつづられていた。

 

『私達に必要だよ』 

 

 この世界にはない、日本語で。

 

 

 

 

 なお、人形の機能をエルに披露したところ。

 

「ハ〇ですか!〇ロですね!幻晶騎士に乗せましょう!」

 

 と大喜びされた。残念ながら、自律機能はないのになあ。 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エルとセラ

明けまして桜が咲きました……。
生存報告がてら、短いですがどうぞ。

それと、蹴翠 雛兎さんよりセラのイラストを頂いております!ありがとうございます!めっちゃかわいい!
公開が遅くなって申し訳ありませんでした!

【挿絵表示】




 エルネスティ・エチェバルリアにとって、セラフィーナ・エチェバルリアがどういった存在であるか。

 それは恐らく、文字通りに掛け替えのないものだろう。

 もしもの話をしよう。彼に今と同じように双子の妹が、決して転生者でない存在でいたとして。死んでも治らなかったほどに重度のロボットオタクである彼にとって、その人はただの双子の妹である以上のことはなかっただろう。

 同じ家族として、いくらかの親愛を注ぐ。それはつまり、大事ではあっても家族の範疇を越える存在ではなかったに違いない。

 しかしセラフィーナ・エチェバルリアはそれだけではないことを彼は知っている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがエルにとってのセラを特別たらしめているのだと。

 そう気付いたのは幼少のころ、この世界に転生してからそう時間が経っていない時の話だ。

 

 

 

「~♪~♪」

 

 夜、エルは子ども部屋で一人、初代ガン○ムの絵を描いて遊んでいた。あどけない声で歌いながら喜々としてお絵かきに熱中する光景は年相応で、見る人の微笑みを誘うだろう。しかしこの世界の人間がその黒一色で描かれた絵を見れば、その印象は全く覆されるに違いない。

 

 人間に似せて作られた機械の巨人。なるほどこれは幻晶騎士に違いない。しかしそれ以外は何だ?

 全身の装甲から感じる重厚感は、どうみても既存の幻晶騎士のそれとはかけ離れている。

 傷や可動部の部品一つにまでこだわるさまは、まるで完成形を目にしたことがあるかのようだ。

 しかしこんな物は見たことがない。

 だからといって子どもの妄想と笑い飛ばすには、あまりにも現実感を伴いすぎている。

 

 この後完成した絵を見たマティアスがそんな風に盛大に困惑するほどの代物、それがエルが遊びで描いているものだった。

 

 それはさておき。

 

 かちゃりと、パジャマ姿のセラがドアを開いて子ども部屋に戻ってきた。

 セラは転生して以来、勉強が終わると父の書斎で魔法に関連した本を読みあさるのが習慣になっていた。周りからすれば仮にも幼稚園児くらいの子どもが、文字を覚えてすぐ本を乱読する様は、エルとあまり変わらない程度には奇妙な物に見えただろう。

 本を夜まで熱中して読んでいたためか、眠たげに目をこすっているセラは、エルの落書きを見て思わず声を漏らした。それが、ロボットに詳しくない自分にも見覚えのある物だったからか、寝ぼけていたからかは定かではないけれど。

 

「・・・・・・がん、だむ」

 

「・・・・・・え?」

 

 その一言が、決定的だった。この世界で聞くことはないと思っていた名前を聞いて、エルは目を見開いてセラを見つめる。

 一方のセラはエルの反応を見て、自分が何を言ったのかを思いだし、口に手を当てる。

 やってしまったとでも言うように。

 

 一瞬の空白。やがて、エルの瞳が隠しきれない熱を孕んだ。

 

「これを、しっているということは・・・・・・」

「・・・・・・い、」

「がんだむだと、わかるっていうことは」

「いや・・・・・・」

「あなたも、ちきゅうからてんせいして、って。え?」

「やめてよ・・・・・・」

 

 この世界ではもうほとんど諦めていた、前世のことが分かる人間が目の前に現れた。もしかすると、ロボについて語り合える同志かもしれない・・・・・・!

 興奮のままに詰め寄ったエルは、しかし一瞬で頭を氷嚢で殴られたような気持ちになっていた。

 

 セラは泣いていた。

 

 弱々しく泣く妹の姿に、自分が地雷を踏んだことをエルは悟った。

 

「・・・・・・える、わたしとあなたは、かぞくだよね?」

 

 懇願にも近いような涙声。その意味するところを察して、エルはセラをあやすように抱きしめた。

 

「ええ。せらはぼくのかぞくです。このせかいでたったひとりの、ふたごのいもうとです」

 

 転生者同士ではなく、()()()()()()()()()()として共にあるのだと。

 

 

 

 

 

 

 エルはそんな遠い日のことに思いを馳せていた。このときはしばらく距離感がわからなかったですねというのんきな感想が思い浮かぶ。

 結局のところ、数日後にセラから前世の話題をそれとなく出されて意気投合し、その気まずさは解消されたのだけれど。

 あのときセラは前世について触れられるのを嫌がったのに、どうしてとまた新たな疑問が浮かぶのは避けられなかった。

 

 本人は言わない、というか聞かれたら多分黙るだろうけれど、恐らく彼女も時折確かめたくなるのだろうとエルは確信を抱いている。

 自分があちらのロボを想うように。セラがここにはない魔法を想うように。

 自分たちに、前世が間違いなく存在していたということを忘れたくないからだと。

 

 けれどそうして前世にこだわるような面を見せながらも、結局のところセラはエルに自身も転生者であることをはっきりと告げていない。流石に明らかではあるけれど。

 

 それを明確にしないのは、多分そうすることで家族からそれ以外の関係に変わってしまうことを恐れているからだろうとエルは思う。

 思えばセラは、家族に関係する事柄になると何かと執着することが多かったように思う。それはおそらく前世の経験から。

 深く聞くことはしない。けれどそれを察した上でも、エルにとってのセラは代わりようがない。

 自分の妹が自分と同じように転生者だった。それでも今の自分はエルであり、彼女はセラである。

 

 ならば他の何かより大切になることはあっても、家族でなくなることなどあるはずもないのだから。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。