美波の奇妙なアイドル生活 (ろーるしゃっは)
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EX/ 各種設定保管庫

 毛色の異なる両作品をクロスさせるにあたっての、作中登場人物の詳細・原作との相違点などを擦り合わせた(自己満)設定集です。

 メタな点・冗長になるのでカットした点以外は作品中でも説明しているので、読まなくても特に問題ありません。

 

 INDEX

 Ⅰ.時代設定

 Ⅱ.原作との相違点

 Ⅲ.主要登場人物詳細

 Ⅳ.作中の主な組織一覧

 

 

 

 ☆

 

 

 

 Ⅰ.時代設定

 

 ①.共通項

 西暦2014年を物語の開始とする。ただしジョジョ原作の世界線でもなく、またモバマス ・デレステ世界線のどちらとも異なるパラレルワールドの話。ソーシャルゲームによくある、所謂「サザエさん時空」でもない。

 

 ②.ジョジョ側

 3部開幕時期に関しては、1987年説と1988年説の2通りがある。便宜上、当ssでは後者の説を採用。

 各部の終了時期は1部(1889)→2部(1939)→3部(1989)→4部(1999)→5部(2001)まで概ね原作準拠。しかし後述の相違点のため6部(2012)を経ていない。

 

 ③.アイマス側

 アニデレ開始年を(初放映年の)2015年と仮定。デレマス側キャラクターの年齢設定を、2015年から逆算して付与することとした。

 また、同時空に存在するアニマスキャラクターに関しては、(アニマス初放映年の)2011年を起点に年齢を確定。

 例えば天海春香の場合、2011年時点で17歳と見なすため、作中の2014年では20歳として描写。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 Ⅱ.原作との相違点

 

 ・ジョジョ側

 ①.東方良平が生存している。これにより東方仗助が「亡き祖父の代わりに杜王町を守る為」、地元に残らなくなる。

 

 ②.広瀬康一を経由し、空条承太郎・東方仗助・ジョルノ=ジョバァーナが全員知己に。以後はお互いの家族・親族らを相互に護りつつ、敵勢力に対し組織立って闘っていく事になる。

 

 ③.承太郎が離婚していない。また、アメリカではなく日本在住。「海洋学者の父を持つ、円満な家庭に生まれた広島県民」美波の設定と擦り合わせる為の措置。更に原作の離婚事由であったと思われる、「DIOの残党から母娘を狙われない様にする為」……という事由に関しては上記②で解消。

 

 ④.空条徐倫が承太郎の娘として生まれておらず、(一巡後に登場した)アイリンとして生存している。これに伴い、6部始まりの切っ掛けとなる徐倫の収監自体が発生しない。

 

 ⑤.プッチ神父がMIH発動に至っていない。よって世界が一巡しないため、このss世界線では北米大陸横断レースも開催されていない。(父祖となる)7部キャラが存在しないことにより、8部の物語もスタートしない。

 

 

 ☆

 

 

 ・デレマス側

 ①.「新田美波」を芸名とした。アナスタシア、クラリスの両名に至ってはファミリーネームやミドルネームを勝手に付加。

 ただし、アイマスシリーズは特徴として(敢えて)設定を緩く作ってあるため、登場アイドルの名前が全て本名であるのかは不明。

 

 ②.アイドル達の知己、及び父祖を捏造。設定の空白にネジ込んだものであるため、あくまでデレステ・モバマス ・アニデレ世界線のいずれとも異なる、並行世界のお話……と解釈して頂けると幸い。

 

 ③.アイマスOFA要素をクロスオーバー。この他にミリオンスターズ、315プロや283プロ所属のアイドル達も同一世界線上に在る、と仮定。

 ただし群像劇を志向している関係上、焦点が複数人に散らばってしまいがち……という現状を鑑みると、他プロの数多いキャラを物語に本格的に絡ませることは難しいと判断。

 よって極一部(玲音など)を除き、アイマス側はシンデレラガールズのキャラクターのみで展開していく事とする。

 

 ④.登場アイドルの中で、スタンド使いであると確定している者

 ……新田美波、アナスタシア、鷺沢文香、二宮飛鳥、一ノ瀬志希、白坂小梅、速水奏、塩見周子、以上8人。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 Ⅲ.登場人物詳細

 

 ・ジョジョ側

 

 ①.ファニー=ヴァレンタイン(??)

 ……この世界線では正確な生年不詳。弁舌に優れた金髪の偉丈夫にして、連邦議会の重鎮議員。2016年アメリカ大統領選にも出馬予定。現代アメリカ政界の黒幕(フィクサー)の一人とされ、米国闇社会にもその名を轟かせる男。

 スタンド能力により並行世界の自分をダビング出来るため、多くの別世界線の記憶を持つ。その上で尚、合衆国の為だけの統治を指向する、生粋の愛国者にして狂人。

 スタンドの矢を「軍事転用可能な戦略兵器」と捉え、米国による一元管理を画策している。EXTRACTや石仮面にも強い関心を示しており、老獪な思考の着地点は未知数。

 縞手袋を夏でも欠かさない。何かの願掛けなのかは不明。

 

 

 ②.ジョセフ=ジョースター(92)

 ……存命だが認知症気味。4部時点で杜王町を訪れて以後、一旦は回復基調にあったが調子に波がある。漫画好きは相変わらずだが、最近は老眼の進行で読むのに一苦労。

 波紋を使えば現在でも3部時点の戦闘能力を保持出来た筈であるが、スージーQと共に老いる道を選択したため、敢えて使わなかった(と解釈)。

 親友であったシーザーから託されたバンダナを、長らく金庫にしまっていた……が、後年に供養の意も込めてベルトに改造。御守りとして孫の承太郎に引き継がれ、3部の冒険を共にした。

 彼の中では日本人とは「勤勉で真面目な連中」であり、「愛娘を掻っ攫っていったニクいヤツ」でもある。

 

 

 ③.空条承太郎(43)

 ……海洋学者。既婚。一男一女に恵まれており、入り婿で妻の実家がある広島に在住。博士号を取得し大学で教鞭を執る傍ら、SPW財団やパッショーネらと連携を取り、DIOの残党らと組織的に闘い続けてきた。時間停止能力は最大2秒まで使用可能。

 妻とは大学在学中に出会い、卒業と同時に入籍。現在は海洋学会の権威として知られる。志希からは畑は違えど、数少ない(尊敬出来る)博士の先達として一目置かれている。

 個人としては航海術や海賊対処のノウハウも併せ持つ。大学の空条ゼミは毎年抽選が当たり前、講義は毎回立ち見が出るレベルの人気。

 いい歳した中年なのに若い頃と同様、かなりモテる。しかし、愛妻家のため一顧だにしない。

 好きなポケモンはヒトデマンとスターミー(娘談)。

 

 ※体重が82kgとの公式設定がある。……が、(少なくとも作者が)アニメや原作、ゲーム、果てはフィギュア等を眺めても、ジョナサン(104kg)や2部ジョセフ(97kg)の体格と全く遜色ない。おそらく、途中(グレ出したあたり?)からまともに測っていないのではないか?……と無理やり推測。

 

 

 ④.東方仗助(30)

 ……独身。高校1年時の身長設定が「185cm(成長中)」と「180cm」の2通り存在する。このため、本作では180cm(1999年4月時点)→185cm(翌年3月時点)と仮定。遺伝もあってか背丈は20歳まで伸び続け、現在は190cmに届いている。

 こだわりだったヘアースタイルは心境の変化もあり、高校卒業後に色々と変えてみた。

 ジョセフの呼び方は「ジジイ」だったが、紆余曲折を経て現在は「オヤジ」呼びに。私生児と騒ぎ立てられるのを嫌ってか、親子関係を大っぴらにはしていない。

 遺産の相続放棄をしようとしたが拒否されたため、幾度かの親族会議を経て一部だけ生前贈与で貰い受けた。よって自分が住む予定もないのに、アメリカにいくつか不動産を持っている。

 最近は母親から「早く孫を見せろ」との催促が来るので、若干辟易としている……らしい。

 

 

 ⑤.ジョルノ=ジョバァーナ(29)

 ……イタリア最大のマフィア・パッショーネのボス。こちらは髪型は相変わらず。身長はやはり遺伝からか173cm(15歳時点)から20cm近く伸び、体格もより筋肉質に。スーツはアルマーニ、帽子はボルサリーノ、車はフェラーリを愛用する地物志向。

 スタンドに関してはレクイエムと通常のゴールド・エクスペリエンスを使い分けている。

 端正なルックス、また親譲りのカリスマ性と紳士な性格もあり、地元では密かにファンクラブが結成されている。ミスタが悪ノリして作ったジョルノの写真集やブロマイドの売上は、今や立派な資金源。

 マフィアが生活に根付いているイタリア社会において、「ヤクザ者にみかじめ料を払っている」のではなく、「推しに課金している」感覚を市民に覚えさせた新機軸の男。

 知名度上昇によりあわやネアポリス観光大使に任命されかけ、丁重に断った事も。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・デレマス側

 

 ①.空条(新田)美波(18)

 ……クォーターの大学生で、ルックスは母親に瓜二つ。芸名としては「新田美波」を使用。

 産まれながらに波紋の呼吸を行い、4歳にしてスタンドを発現、実戦を経験した根っからの主人公気質。ニホンオオカミを探しに野山を駆け回り、ニホンカワウソを探しに清流を泳ぎ回り、(父に駄々をこねて)殺人鬼の潜む街に赴いたりする活発な幼少期を過ごした。

 FPに日商一級、宅建からひよこ鑑定士まで、種々雑多な資格を持つ資格マニア。

 高校時代は生徒会副会長と風紀委員長を兼任する傍ら、運動部の助っ人としても活躍。実はスポーツテストの中学女子、及び高校女子の西日本記録保持者。各体育大学から来ていたスポーツ推薦を全て蹴り、一般入試で旧帝大に進学した才女でもある。

 

 髪質ストレートの肌質ブルベ、服装はコンサバ系。ついでに路上(ストリート)喧嘩(ファイト)無敗の体育会系。負けず嫌いなため、出来ないことは出来るまで努力し続ける性格。

 

 

 ②.鷺沢文香(18)

 ……長野の豪農、鷺沢家の長女にして17代目当主(予定)。イギリス人のワンエイスであり、曽祖母にかの探偵の実娘、マール=鷺沢を持つ美波の同級生。地元ではその容姿から「青い眼の大和撫子」と密かに評判だった。若干だが弦楽器も弾ける。

 速読を駆使する事で、年間最低1000冊の本を読む習慣をかれこれ10年以上続けている。今ではヘブライ語からヒエログリフ、甲骨文字まで原文のままスラスラ読める文学の徒。某英国産魔法使い児童文学を(下手な和訳に憤慨した曽祖母が手ずから)翻訳し直したものを読んだら、子供心に感動したのが多読を始めた切掛。

 古典から新書、学術書、漫画やラノべまでジャンル問わず読み倒す。この為、実は岸辺露伴のファンでもある。

 実家の教育の賜物か、言葉遣いは非常に丁寧。誰に対しても敬語を崩さない。日本語だけでなく英語も同様で、スラングやFワードは全く使わない。

 

 性格は寡黙で引っ込み思案、言葉を選びすぎるタイプ。争い事は嫌いだが、いざとなれば命を賭して闘える心の強さも併せ持つ。

 

 

 ③.一ノ瀬志希(17)

 ……弱冠15歳でアイビーリーグの名門校を首席卒業した稀代の天才。9カ国語話者にして化学博士号持ちの匂いフェチ。

 現在は美城財閥の経営する私立高校に学生として一応、籍を置いている。が、実態は生徒ではなく、化学・物理・生物の特別講師である。

 気まぐれだが大変な速筆であり、大学、及び大学院在学中に著した学術論文は200本以上。SPW財団のみならず、スウェーデンの王立科学アカデミーや日本の理化学研究所からも招聘を受けている。

 本来は大学を3年ほど飛び級(スキップ)できたがちょくちょく失踪していたため、出席日数不足で不許可。それでも1年すっ飛ばし、合計5年で後期博士課程までを修了した。

 知識量と規格外さがもたらす斬新な発想力を見込まれ、MENSA正会員のほか、様々な組織に名を連ねる。名前の検索結果が日本語と英語で全く違うのは有名な話。

 

 猫っ毛なので雨の日はちょっと憂鬱。飄々としているが情に厚く、割と愛が重い方。密かに刹那主義的な面もある。

 

 

 

 ④.二宮飛鳥(14)

 ……静岡の仏系日本人の家系に生まれる。母方がお茶農家だが、本人はコーヒー派。特にトニオ・ブレンドに目がない。

 いわゆる中二病罹患者であり、迂遠で皮肉な言い回しを好む。が、反骨心の塊の割に根は勤勉で、実は成績優秀な優等生。クールだが可愛い系に属する顔立ちもあってか、傾向として同性や歳上に好かれやすい。

 ゼロ年代生まれの現代っ子らしく、ネットスラングやガジェットやらにも詳しい。そこそこゲーマー。宮本フレデリカとは数年来の知己であり、出自もあって英語よりフランス語の方が得意。

 父祖は言わずと知れたかの大怪盗。義賊やピカレスク好きな気質は、遺伝による要素もあったのかもしれない。

 身体的にも精神的にも伸び代が大きく、特にユニットを結成してからは加速度的に成長し始めている。

 

 怒ると静かになるのではなく、最前線で敵を煽り倒すタイプ。ラウンズでは歳上がボケ倒すので、何故か常識人担当。「第一印象と全員違いすぎる……」とは本人の談。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 Ⅳ.組織

 

 ・ジョジョ側

 

 ①.パッショーネ

 ヨーロッパ最大のマフィア。『地球上からの麻薬根絶』を組織の大目標に掲げており、実際にこの十数年間で、イタリアの麻薬ビジネスはほぼ消滅した。

 資金源は多岐に渡り、カジノ・清掃業・建設業・金融業など様々。清掃業は親切で格安、建設は工期が短く正確、金融は低金利と、いわゆる反社会的組織の癖に清廉なのが特徴。

 麻薬栽培畑をゴールド・Eで全て枯らして転作させたり、合成ドラッグの製造プラントを襲撃し丸ごと接収、自前の医薬品工場に改装したり……と硬軟併せた手法を採る組織。

 地元ネアポリスでは最も高額な納税額を誇る。潰そうとすると雇用や経済面で悪影響が大きいこともあり、イタリア政府や警察も活動を黙認している。というかジョルノ推しがお役所の中にも居る。

 

 

 ②.SPW財団

 アメリカのテキサス州ダラスに本部を構える多国籍企業。前身はオイルメジャーであったが、石油取引で稼いだ資本を元手に医薬品業で一躍躍進。世界有数の財閥にまで成長した。

 設立当初は石仮面の謎解明に注力していたが、その後の研究対象に吸血鬼や柱の男、スタンドの矢などを包含。石化したサンタナの遺骸なども含め、これらを一元管理している。

 スタンドを悪用した犯罪に巻き込まれた被害者らへの支援策や、奨学金制度などを整備。この為、川尻早人をはじめ財団に恩義を感じる者も少なくない。

「黄金の意思」貫徹の為なら時に法をも無視する、突き抜けた使命感すら併せ持つ。

 

 

 ③.ジョースター不動産

 SPW財団と業務提携している米国の不動産会社。戦後間も無い時期に日本の土地を多く買収。80年代のバブル期は売り抜けして大儲け、底値になってから買い戻しを仕掛けて内部留保の拡大に成功。

 またアメリカ各地の油田地帯、東西沿岸部の高級住宅地などに多く土地を保有。創業者は高齢もあり、経営の第一線からは遠ざかっている。事業の後継者に関しては養女の静=ジョースターが有力視されているとのこと。

 ロビイストとして連邦政府・州政府に折衝を行うだけでなく、日本政財官界に知己も多い。初来日時に皇居を見た若かりし頃のジョセフは、「いい不動産だな、誰が住んでんだ?」などと述べ、同行した吉田らを絶句させたらしい。

 ただ土地を買うだけに留まらず、惜しみなく投資をするのが特徴。未整地の多かった戦後日本の住宅・道路事情を一気に改善、地価を大きく向上させた。田中角栄と手を組んで新潟の三国峠をダイナマイトで爆破、トンネルを開通させた話など、豪気なエピソードは枚挙に暇がない。

 

 

 ④.カフェ・ドゥ・マゴ

 M県S市杜王町に本店を置くカフェ。現在は渋谷・NY・ネアポリスに支店を有する。渋谷支店はサイドメニューがやたらに豊富で、定番のナポリタンからパンケーキ、メロンソーダのみならず、夜はお酒も扱っている。喫茶店だが店内禁煙。

 売りのコーヒーは店で焙煎し、キリマンジャロからコピ・ルアクまで揃えた本格派。選び抜いた農場と直接契約し、年に数回は現地にも赴いて品質チェックを欠かさない。

 近年は女子社員を多く登用し、彼女達にデザインさせたテイクアウト用のタンブラーがオシャレと評判。カフェインを求める社畜達の憩いの場でもあり、仗助はじめP勢はひたひたと通っている。

 最近は飛鳥もすっかり常連と化している。お気に入りはカプチーノ。

 

 

 

 ・アイマス側

 

 ①.346プロ

 日本の老舗芸能プロダクション。東証一部上場企業にして、数多くの著名芸能人を抱える大手企業。創業は大正期にまで遡り、かつては美城芸能と名乗っていた。豪奢な社員寮を敷設するなど、福利厚生が手厚い。

 90年代の日高舞ショック以降は業績が伸び悩んでいたが、高垣楓を擁することにより失地を回復。アイドル戦国時代の火蓋を切った。

 また、社員の東方仗助を通じてジョースター不動産、及びSPW財団との業務提携に成功。財団傘下の医薬品メーカーのCMに、自社タレントが出演する……などといった光景が現出した。

 アメリカの支社では、コストカッターで知られる社長令嬢が常務として経営に参画している。

 

 

 ②.765プロ

 元弱小プロダクション。2011年、新入社員だった赤羽根Pの仕掛けたプロデュースにより、一躍大躍進。現在は事務所を移転、拡大し、765プロライブシアターを都内一等地に構えるまでに。346プロより圧倒的に少人数(所属タレント全52人)だが、アイドルに留まらず事務員まで可愛い、と評判である。

 1955年、シベリア抑留を経験した苦労人である初代高木社長が設立。治安が悪く、街に孤児や傷痍軍人が溢れ、且つまともな娯楽と言えば映画館程度しかなかった当時の日本を深く憂慮。「絆」をテーマとした演劇を提唱、人心を慰撫し鼓舞するような芸能を魅せよう……と一念発起。人情家として知られ、経営難でも社員のクビは絶対に切らなかった。

 後に東日本で発生した震災を受け、被災地での無償慰問ライブを真っ先に企画・実現したのはこの765プロ。利潤より理念を追求する高潔なスタンスは、現代まで弛まず受け継がれている。

 

 

 ③.961プロ

 1955年設立。初代社長はわざと醤油を飲んで徴兵検査不合格となり、兵役に就かず高利貸しを営み資金を蓄積。戦後はそれを元手に闇市を差配、用心棒に博徒侠客を雇いつつ資本を増やし、961プロを創業。……が、国税にガサ入れを何度も食らって素寒貧に。

 再起不能かに思われたが、(戦火で焼失した土地に、「黒井家所有地」と書いた棒杭を片っ端から建てて回って強引に所有していた)不動産の収益を元手に再起。80年代は世界有数の富豪にまで上り詰める。しかしバブル崩壊で土地が値崩れし、弱ったところをジョースター不動産に買い叩かれた。

 暫く大人しくしていたが、ほとぼりが冷めた頃にパナマの租税回避地へ逃していた裏金をバラ撒き、新人ユニット・jupiterを売り込んだ。と思ったらメンバーが全員脱退し、V字回復した業績は経常赤字に転落。

 ところが今度はアメリカの医薬品会社と組んで事業を立て直し、今ではトップアイドル・玲音を擁するまでに。真っ黒い社史もさることながら、なんとも七転び八起きなプロダクションである。

 

 

 ④.たるき亭

 旧765プロのあった雑居ビル一階に店を構えていた居酒屋。移転や暖簾分けにより、渋谷や新橋にも店を構えるように。会員制の奥座敷も構えており、政治家や芸能人がお忍びで利用したりする。

 出自から765とは特に付き合いが深く、ライブの度にフラスタを贈っている。特に下積み時代の彼女達を見てきた本店の従業員は、全員が765プロASの箱推しである。律子や貴音は成人した際、この店で初めてのお酒を飲んだ。

 長年「安くて旨い」がモットーであったが、消費税引き上げに伴う原材料費の高騰で、値上げをしようか思案中。

 

 



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EX-2/ Original STAND Parameter

 

 

 ※番外話数であり、スタンドの設定資料集です。読まなくても特に支障ありません。

 

 Ⅰ. 概要

 作中に登場する創作スタンドのステータス、及び解説の一覧。今後新しく登場すれば随時追加、並びに更新予定。

 

 Ⅱ. パラメータ算出基準

 ①射程距離は諸説あるが、概ね5部以降の(A……100m以上〜E……2m以下)設定に倣う。

 ②その他の値は公式(A……超スゴイ〜E……超ニガテ)準拠。

 

 Ⅲ. テンプレート

 ・000(初出話数)

《スタンド名》

 /人名

 破壊力:- スピード:- 射程距離:-

 持続力:- 精密動作性:- 成長性:-

 

 ……(解説)

 

 

 以下列記。

 

 

 ☆

 

 

 

 ・005(初出話数)

《ヴィーナス・シンドローム》

 /空条(新田)美波

 破壊力:C(B) スピード:A 射程距離:C

 持続力:B(A) 精密動作性:A 成長性:D

 

 ……人型、近〜中距離型。速さとコントロールに優れるが、攻撃力は其処まで高くない。ただし波紋を流し込むことで破壊力と継戦能力を増強、加えて所有者自身の場数が豊富なため総合するとほぼ隙がない。

 イメージは美波のノーブルヴィーナス衣装。カッコ内は波紋込みのステータス。

 

 

 ☆

 

 

 ・006

《ネビュラ・スカイ》

 /アナスタシア=ニコラエヴナ=ノマノヴァⅡ世

 破壊力:? スピード:? 射程距離:?

 持続力:? 精密動作性:? 成長性:?

 

 ……現在非公開。

 

 

 ☆

 

 

 ・012

《エレメンタリー・マイ・ディアー》

 /Sherlock Hormes

 破壊力:− スピード:− 射程距離:A

 持続力:A 精密動作性:A 成長性:−

 

 ……道具型(本型)。使い手の死後も発動する。内部に超巨大空間を有し、術者が見聞した地形、被造物、人間までも投影可能。また、許可したスタンド能力者であれば内部に格納できる。しかしその性質ゆえ直接的攻撃力を一切持たず、既に完成しているため成長性もゼロ。

 元々のパーソナルエリアが広く、誰にも気を遣わず気の済むまで推理をしたいホームズが発現させたスタンド。なお、現在の持ち主は書庫がわりに活用する気満々である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・013

《アステロイド》

 /James Moriarty

 破壊力:D スピード:B 射程距離:A

 持続力:D 精密動作性:B 成長性:−

 

 ……人型、兼群体型。非常に長い射程を持つだけでなく、毒鱗粉をバラ撒ける擬似生物兵器。蝶は全部で72羽。維持するだけでもかなりの精神力を消耗するため、長時間戦闘は難しい。暗殺向けのピーキーな能力でもある。

 艶やかに光る黒揚羽……という外見は非常に美しいが、中身は猛毒の劇物。使い手も一見すると人当たりの良い老紳士だが、内面は犯罪に一切の忌避感を持たぬ狂人である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・013

《ブライト・ブルー》

 /鷺沢文香

 破壊力:B スピード:A 射程距離:E

 持続力:C 精密動作性:B 成長性:B

 

 ……動物(犬)型、自動操縦型。よって本来五感の共有は不可能だが、人間の魂が癒着したため彼を介して情報の交信が可能。

 スタンドであればなんでも分析、分解できる。解析情報は栞として保管・閲覧可能。ただし所有者が不慣れなため、持続時間に難がある。また射程の短さが欠点。見た目は青目の黒ラブ。

 文香が小さい頃観ていたアニメ「名探偵ホームズ」、趣味の栞作り、自身の思わぬルーツを知った事による自意識の変化……などの要素が絡み合って生まれたスタンド。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・015

《盗賊の七つ道具》

 /Arsène Lupin

 破壊力:− スピード:A 射程距離:A

 持続力:E 精密動作性:A 成長性:−

 

 ……道具(腕輪)型。こちらも所有者の死後も発動するタイプ。

 装着すれば(射程内120mの)「生命」以外のあらゆるものを盗める。但し、発動可能時間は1日合計で7秒まで。またフルタイムで用いた場合、再使用には約24時間のインターバルを置く必要がある。精神力の消耗も非常に激しいため、必然的に使い所は限られる。盗んだ能力や物体は7枠まで保存出来るが、枠を超過すると発動出来なくなり、何かを元通り返却しなければ再使用不可。この為、枠管理が非常に重要。

 液体金属に似た不定形物質であり、七つの道具に変形する。生前のアルセーヌは、もっぱらこの変形機能を使っていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・016

《共鳴世界の存在論》

 /二宮飛鳥

 破壊力:A スピード:B 射程距離:A

 持続力:E 精密動作性:D 成長性:C

 

 ……動物(鳳凰)型、中〜長距離型。長高射程を持ち破壊力に優れる。高高度まで飛行可能の上に火力も高いが、欠点として持続力と精密動作に難あり。

 総じて強力だが出すだけでかなりの精神力を使うので短期決戦が求められる、極めて尖ったスペックでもある。やはり今後も進化する可能性あり。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・018

《???》

 /ディアナ=J=ブランドー(オリキャラ)

 破壊力:? スピード:? 射程距離:?

 持続力:? 精密動作性:? 成長性:?

 

 ……DIOのスタンド能力、「ザ・ワールド」を使う。使い手は鋭い牙に吸血行動、残忍な性格などから分かる通り吸血鬼。100年程前にはシャーロック、及びアルセーヌと欧州で暗闘を繰り広げた事もある。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・020

《PROUST EFFECT》

 /一ノ瀬志希

 破壊力:A スピード:? 射程距離:?

 持続力:? 精密動作性:? 成長性:A

 

 ……動物型、兼人型。遠距離型。本体が死にかけても暴走抑止に苦慮する程のパワー、大蛇二匹と少女一人で1セットという構成、発現から1時間足らずでACT-2にまで進化するなど、全てが異例づくめの存在。今後も進化すると思われる……が、果たして何になるのか全く不明。

 所有者に相応しい、既存の枠組みの埒外にあるスタンド。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・022

《???》

 /速水奏

 破壊力:?スピード:?射程距離:?

 持続力:?精密動作性:?成長性:?

 

 ……現在非公開。

 

 

 ☆

 

 

 

 ・022

《???》

 /塩見周子

 破壊力:?スピード:?射程距離:?

 持続力:?精密動作性:?成長性:?

 

 ……動物(狐)型。創作や昔話に頻出する、所謂「九尾の妖狐」に酷似した特徴を持つ。金の体毛に赤色の眼と隈取り、装飾として注連縄に鈴と勾玉を有する。現界中は常に周りを狐火(?)が浮遊している。口に咥えた巻物の中身は不明。ちなみに雌……らしい。能力は依然不明。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ・023

《???》

 /空条丈瑠(新田弟・オリキャラ)

 破壊力:?スピード:?射程距離:?

 持続力:?精密動作性:?成長性:?

 

 ┏━━━━━━━┓

 ┃  / \  ┃

 ┃ /   \ ┃

 ┃ (゚)(゚)ミ┃

 ┃ 丿    ミ┃

 ┃ つ  (  ┃

 ┃  ) (  ┃

 ┗━━━━━━━┛

 

 

 

 ☆

 

 

 参考資料

 ・000

《スタープラチナ・ザ・ワールド》

 /空条承太郎

 破壊力:A スピード:A 射程距離:C

 持続力:A 精密動作性:A 成長性:-

 

 とてもつよい。



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ACT-1 HEART OF GOLD
001/ 継がれしは黄金の意思


初めまして。
冒頭からジョジョ6部のネタバレあるので、未読の方はご注意を。



 ────お前のことは、いつだって大切に思っていた。

 

 

 時に、西暦2012年。アメリカ合衆国フロリダ州は辺境、ケープカナベラルの地にて。

 若かりし頃、己が高祖父の代より続いた100年にも渡る因縁を断ち切ってみせた男は、「加速」していく世界の中、傍らに引き寄せた愛娘・徐倫へと告げた言葉を脳内で反芻する。

 

 喉を切りつけられて尚、怯む事なく超常の敵と対峙し、発生した千載一遇のチャンス。しかしその好機は、我が子の命と引き換えにしなければ活かせぬものだった。

 際限なく加速する力。そんな化け物じみた能力を駆使し、自分達の命脈を狩らんと迫る獰悪(どうあく)な表情の神父を倒せるだろう、唯一の機会。然してその選択は、彼の中に流れる誇り高きジョースターの血で以って放棄される。

 

 受け継がれた黄金の精神からすれば、土壇場で「敵を屠る」か「娘を護るか」の二者択一を迫られた時、どちらを優先するかなど必然であるから。

 …………だが無常にも、その選択がもたらす結果は。

 

「『二手』、遅れたようだな………………」

 

 ……彼の背後で呟かれた、神父のそんな言葉と共に。

 ピッ。と、かつて『最強の幽波紋(スタンド)使い』とまで謳われた男の頭頂部から顎下にかけ、無惨にも一本の亀裂が入った。

 数えきれぬ程の死線を潜り抜けた男の、あまりと言えばあまりに呆気ない最後。享年、僅かに42歳。代々短命が多いとされる彼の血族の、ソレは果たして宿業だったのだろうか。

 

 ────そして世界は、衰えぬ加速でもって「一巡」し、生きて終焉に到達した者達は新たな自分へ、既に死した者達は別のナニカに成り替わる。時を経て絡み(もつ)れた因果の糸は「世界の壁」すら超越し、神すら知り得ぬ(ことわり)の外へ弾かれる。

 

 これより綴られるのは、本来あり得ぬイフでありイレギュラー。成る程、確かによく似てはいる。しかし明確に()()()異なった並行世界で紡がれる、新たなる星の瞬き。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……受かっちゃったけど、どうしよう」

 

 時は流れる。世界は移ろう。空条親子が死した世界とよく似た、別の世界。時節にして、2014年3月冒頭。東京都は目黒区のとある純和風邸宅にある、八畳一間の一室にて。

 

「シンデレラプロジェクト第2期生・第1次選考通過通知」。そう書かれた書類をどこか茫洋とした様子で黙読しながら、独り言を呟く少女がいた。

 年の頃は18、19といったところだろうか。栗色の艶やかなロングヘアに、垂れ目だがその内に秘めた鋭さも感じさせる琥珀色(アンバー)の瞳。端正な顔立ちと長い手脚、均整の取れた肢体に清楚な雰囲気も相まって、街を歩けばスカウトが飛んで来そうな──というか実際された──容姿の美少女である。

 

 が、現在は癖のない長髪をアップにして括り、白のショーパンに広島カープの真っ赤なユニフォームシャツを着込んでのんべんだらり。裸足の上にもちろんすっぴん、という格好で畳の上の長座布団に寝っ転がってる姿は詰まる所、完全なオフモード。

 まかり間違ってもこのまま大学のキャンパスは歩けない。高校時代密かにあったファンクラブの面々が見たら、これはこれでイイ、と狂喜するかも知れないが。

 

 さて、()()()似たのか普段から即断即決が多い彼女だが、今日ばかりは結構逡巡しているようだ。

 この春から都内の大学に通うため地元・広島を出て父の実家──現在進行形で思い切り寛いでいる──にとりあえず4年間住み込むことにした彼女のそんな煩悶(はんもん)を紐解くには、今より時を1月程遡らなければならない。

 事の発端は今年、2014年の2月頭。高校の友達との卒業旅行で赴いた神戸の街を散策している時、やたら恰幅の良い黒スーツ姿の男性から「アイドルとしてスカウトしたい」などと声をかけられ、その時は断ったが一応、名刺だけ受け取っておいたのが始まりだった。

 

 引っ越しを終えて少々暇だったことも相俟って、何の気なしに書類請求。ついでに貰った名刺に書いてあった氏名も添えてみた。すると御丁寧に刺繍模様の施された封筒が速達で送られ今に至る、というわけだ。

 ……武内とか名乗ったあの厳ついスカウトマン、とんでもない裁量権か何かを社内で持ってるのだろうか。

 

 さて「アイドル」。今やメディアやネットでその存在を見ぬ日はない程に有名だが、彼女自身、それらを饒舌に語れる程詳しくはない。が、それでも今をときめく765プロオールスターズくらいは流石に知っている。煌びやかに歌って踊って笑顔を振りまく姿に元気づけられたこともあったし、憧れがないかと言えば嘘になる。でも。

 

(…………やっていけるかな?もし、入ったとして)

 

 どうせ志すなら──「トップアイドル」まで登りつめたい。

 可憐な容貌こそ母親そっくりなものの、父親似ゆえ中身は相当な負けず嫌いである彼女、仮にアイドルを始めても鳴かず飛ばずのFランクでキャリアを終えるなど、その()()()精神が許さない。

 がしかし、昨年行われた件の765プロ・アリーナライブなどにも象徴されるように、現在のアイドル業界は競争率激化の一途を辿っている。俗に「生き馬の目を抜く」と評される芸能界の中でもかなり過酷な部類であることは、外からみても容易に想像できる。

 

 気持ちとしては挑戦したい。でも、出来るか?そもそも万が一、この勧誘自体が詐欺か何かで、いざ行ってみて違法薬物を打たれそうになったり、枕営業やらAV撮影やらを強要されたりしたら……どうする?

 

(─── いや、()()()()()()()()か、そんな連中)

 

 とすれば、あとは腹を括るだけ。必要なのは周りへの報告・連絡・相談だ。少々悩んだ末、彼女が出した結論は。

 

(……よし、こういう時はパパに相談してみよう)

 

 思い立つなり机上のスマートフォンを素早くタップ。同時に食べ終わったアイスの棒を2m後方のゴミ箱へ、振り向きもせず投げ入れる。まるで、背中に眼でも付いているかのように。

 そうして「少女」こと本名・()()美波は程なく、自身が全幅の信頼を寄せる父へ連絡を入れた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ────美波。その答えは気付いてないだけで、既に自分の中にあるハズだ。俺が可否を決めるコトじゃあない。何故なら『道』とは────

 

「……ま、待ってパパ。確か、えっと────『道とは、自分で切り開くもの』、だったよね?」

 

 広島県は某所、某大学の某研究室にて。上京中の愛娘からの電話を受けた部屋の主は、「アイドルをやりたい」というその思い切った電話内容に対し、常と変わらぬ声色のまま間髪入れず返答する。

 受話器の向こうの娘の声は、迷いと歓喜と不安と展望、どれもが入り混じっているように聞こえたから。マーブル柄の思考を変えるには、明確なメッセージこそ肝要と考えて。

 

「ああ。自分自身で考え抜いた末の選択なら、俺は何時でもお前の背中を押すぜ。ただし────」

 

 ────学業には支障が出ないように。出来るな?……問いかける父の、期待の篭った発破を受けて。

 

「────勿論ッ!」

 

 心に生じた僅かな迷いは、たちどころに霧散する。

 

「応。……腹括ったなら、頑張れよ」

 

「うん!ありがと、パパ!」

 

 それじゃね!また電話する!との声を残して切れた端末を静かにデスクに置いたのは、黒髪翠眼の偉丈夫にして電話相手の実父たる男。

 先程まで打ち込んでいた論文データを保存する彼の目下の関心事は、娘の所属先(予定)である。その名前は芸能業界でも老舗の───

 

(────346プロ、か。まああそこなら()()()の勤め先だから問題無いだろう。今度東京に寄った時、挨拶がてら会ってみるか。丁度、東京海洋大での講演会もあることだしな)

 

 今後の計画に一筆加えながらも、彼はデスク脇に置かれた愛用のバリスタマシンに、薫り立つ珈琲豆をザラザラと手早く入れる。程なくして【アントニーオ・トラサルディー謹製ブレンド】と書かれた豆の麻袋を縛った男は、先日降って湧いた東京出張に新たな目的を追加するのだった。

 

 

 

 ★

 

 

 

(……うん、少し早いけど許容範囲ね)

 

 

 2014年、4月早春。

 再開発の進む都心一等地・渋谷駅から徒歩数分。第二次選考(面接)の行われる大手芸能プロダクション・346プロのエントランスにて。この地に気合い充分といった体で足を踏み入れるのは、「私」こと空条美波。ちなみに今日の出で立ちは、薄青シャツに膝丈ニットスカート、ブラウンのローキャップにトートバッグという春仕様。

 

 なんで私がここに来ているかといえば、ここ346本社で予定されていた二次面接に参加するため。ただ希望者が非常に多いため複数回行うことになり、本日は記念すべき(?)第一回目。……なんだけど、どうにも個人的に気になることが一点。

 

(……なんだろ……背の星痣が『疼く』わね……)

 

 社内に足を踏み入れた時からちくちくと、左首筋にある星形の痣が疼く。生まれついてより有している、ジョースターの家系特有の不思議なこの痣は、今以て謎が多い。殺気や害意を感じると痣を通して悪寒が走ったり、痣の所有者同士が近くに居ると共鳴したりする。一族特有の蒙古斑染みたコレに危機を助けられた事もあるので、不満に思った事は無いんだけど。

 ただ、痣が疼くということは。

 

(……誰か……近くに血縁者がいる?)

 

 思ったところで、芸能業界大手の美城グループが都心一等地に巨費を投じて建設したらしい、最新鋭のオフィスを何となしに見渡す。

 カフェやスパまで併設しているという触れ込みの通り、単なる芸能事務所というには余りに堂々たる威容でもってこの渋谷に佇んでいた。

 かのSPW財団のお歴々もそうだけど、やはり資本主義国家に於いて持つべき人は持ってるんだな、との感心を抱いたところで。

 私の視界に、正面入口前で右往左往する1人の女子が目に留まった。

 

(わあ…………ダイヤの原石、って感じの子ね。それに頭良さそう)

 

 年嵩(としかさ)は確信出来ないけど、私と同じくらいだろうか。服装こそ今日の自身の格好に青のショールを追加した様な感じ。でも違う所も勿論ある。癖のない艶やかな長い黒髪を白のヘアバンドで留め、よく見ると眼が隠れる程伸ばされた前髪の隙間から、ちらとキレイな碧眼が覗いていた。

 おそらくその色白の肌や桜色の唇、高い鼻梁も相まって、髪を分けたらさぞかし綺麗な顔をしてるんじゃないだろうか。少々猫背気味なところも、どこか小動物的な可愛さも感じさせる。

 ただあまりマジマジと見るのも失礼か、と思ったけど。

 

(ん?……今……ちょっとこっちみた?)

 

 と思ったら直ぐそらされた。割とシャイな子なのだろうか。

 

(…………あ、もしかして)

 

「あの、すいません」

 

 話しかけてみると、少しばかりきょとんとした目でこちらを見てこう返された。

 

「……あ、はい。……私、でしょうか?」

 

 いえすいえす。おふこーす。そんな軽口を心中で叩く。

 

「はい。……えっと、貴方もオーディション受けに来た方ですか?」

 

 尋ねると、両手に白地の刺繍入り封筒を持ったまま、こちらの目を見て首を縦にぶんぶんと振ってきた。なにこの子可愛い。ともあれ目的が同じなら話は早い。

 

「私もなんです。……良かったら、一緒に会場まで行きませんか?」

 

 ──始めよう、まずは友達作りから。

 

 

 

 ★

 

 

 

「へェ〜、じゃあキャンパスも一緒なんですね!」

 

「そうなります、ね。……ひょっとしたら私たち、既に校内ですれ違っているのかもしれませんね」

 

 相槌をうってくれた彼女、名を鷺沢文香と言った。趣味は読書。奇しくも今年春から大学生になる18歳。ここに来たきっかけは神保町にある叔父が経営する書店でバイトしていたところ、例によって武内さんなる人にスカウトされたからだそう。

 ……あの人、ホントに神出鬼没ですね、といったらツボに入ったのか結構笑っていた。ちなみに名前で呼んでといったらじゃあ私も名前で結構ですよ、と返されたので、会って数分でお互い名前呼びである。

 我ながら二流のナンパ師くらいにはなれるんじゃないだろうか。やらないけど。しかし初っ端から知り合った人が実は同年、というのは幸先が良いと思う。

 

 更に聞いてみるとなんと大学まで一緒だった。3年次の進振りで本郷に移動がかかるまでは、なるべく一緒に講義を取ろうと意気投合したところ。嗚呼、楽しみかな華のキャンパスライフ。学祭学業サークル活動、やりたいことが目白押しだ。待っていて赤門、今行くわ──「あの、美波さん」──なあに、文香ちゃん?

 

「……その……少々言い辛いのですが…………」

 

 …………ああ、うん。だよね。

 

「……何処なんでしょうね、ここの入り口」

 

「それね……」

 

 一応、エントランスにいた案内と思わしき社員さんに場所を伺ったんだけど、結局二人して分からなかった。「内匠」なる社員証を提げたその人、厳つい面貌に金髪オールバック、豹柄シャツという格好だったので、その筋の人かとちょっと疑ったくらいだ。

 

 ただ、それはさて置き、現実逃避している場合じゃない。

 

 言い訳させてもらえるならこのプロダクション、廊下やら飾り付けのアンティークに至るまで何もかも大きいのだ。見取り図はそこかしこにあるにしろ、まるで新宿駅のルート案内みたいな複雑なものばかり。

 慣れていれば分かるだろうけど、広島出の田舎者と地方(本人曰く長野の田舎)出身の文香ちゃんというダンジョン攻略初心者二人でイキナリこれを読み解くのは、些かハードルが高すぎたようだ。

 こんなことならもっと道のりの易しい事務所を選ぶべきだったかもしれない。

 

「社員さんにでも声をかけて……もしくは一旦、二手に分かれて探しませんか……?」

 

 文香ちゃんからのそんなナイス提案によし乗った、と同時。何の前触れもなく不意に、己の()()()()がドクン、と一際強く脈打った。

 

「!?」

 

「…………どうか、されました?」

 

 いきなり左の首筋を抑えた私を、文香ちゃんが心配も交えた不思議そうな眼で訊ねた。ごめんなさい、なんでもないわとだけ返し、くるりと向きを翻す。

 

「大丈夫よ。それじゃ私はコッチ探してみるわね─ってキャッ!?」

 

 彼女の提案に賛同し、すぐ後ろの曲がり角に向け踵を返したところで、角の向こうから歩いてきた男の人とぶつかった。

 

「──おおッ!?っとすまねえな嬢ちゃ……ん……?」

 

「こちらこそすみませ……って、えッ!?」

 

「……アレ、もしかして美波ちゃんじゃあねェーか?」

 

 ぶつかった時眼前近くを掠めたのは、見覚えのあるハート形のタイピンを付けたスーツ姿。

 高身長且つ筋骨隆々な体躯、加えて彫りの深い端正なルックスが特徴的なその人は、既に十年来の仲である我が「先達」の一人にして、私と同じく共鳴する「星痣を持つ」人でもあり、そして私の────大叔父に当たる人だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「なぁ〜るホド、んじゃあ二人して武内のヤツにスカウト受けたと。まったく手が早いねェアイツも」

 

「……その、熱意に押されて、しまいまして…………」

 

「あ、あはは……」

 

 俯きがちに、けれどもしっかりそう返した文香さんと、苦笑いの私。

「二次面接用に空けた会議室ならコッチだぜ」、と手招きした彼に着いて行くこと数分、私達は初対面と再会とを繰り広げ、お互いがココに来た経緯やら近況を三人で話しつつ目的の部屋へ向かっていた。

 ……にしても彼、地元の杜王(もりおう)町を出て東京で就職したと聞いてはいたが、まさか346プロで働いてたとは知らなかった。こんなことならもっとしっかりパパから話を聞いておくんだった。

 

「──ま、美人にコナかけんのも仕事(スカウト)の内ってな。……っと、その突き当り曲がって次が会場な。んでもって俺は面接官の一人も兼ねてっから、一旦ココでお別れだ」

 

 そう言って彼が親指でクイ、と指し示した大部屋の一室からは、成る程面接予定者のソレだろう喧騒が、隙間から漏れ聞こえてきた。

 時間を見れば開始時刻までもう間も無く。そろそろ入室しなければ、面接開始に間に合わない。

 

 ……そう、意識した途端。不意に、浮き足立っていたのだろう気分に、冷や水を浴びせかけられたような心持ちになってきた。

 例えるなら足元が覚束なくなるような、胃が沁みるように痛くなってくるような、そんなテンション。

 

(……もしも、だけど……)

 

 仮定の話、ではあるんだけど。

 

(……もし、この振り分けで落とされたら、スタートラインにすら立てないのか……)

 

 いざ会場のドアを前にすると、人生初の機会を控えてどこか夢見心地だったメンタルが、急に現実に引き戻されたみたいで。そう考えると。

 

(……柄にもなく、緊張してきた)

 

 ゴクリ、と今更ながら喉が鳴る。聞けば社内どころか今回の面接官に実は私の初こ……コホン。故あってパパより年若い大叔父までいるのだ。知った上ではこうなるのも、無理ないのかもしれなかった。

 ふと思い立って横を見れば、私と同じ考えに嵌ったのか、どこか「逡巡」といった面持ちの文香さんと目が合った。……受かるかな、私達。

 勿論、ここまで来て引き返す、なんてみっともないマネはしたくない。でもやっぱり、拭えぬ不安があるのも事実で──。

 

「あ〜ッと、ちょい待ち。ふたりとも」

 

 固まっていた私達に声をかけてくれたのは、誰あろう今の今まで別の部屋に向かおうとしていた大叔父だった。

 

 …………ホントは贔屓してるみたくなってあんま良くねーんだが、と前置きしつつも。

 

「俺から言えんのは少なくとも、武内(アイツ)のヒト見る目は確かだッつーコトと、二人とも十分テッペン狙えるだろ、ってこった。なァ〜に、素の自分出しゃ受かるだろうから心配すんな。堂々としてりゃあいい。それと────」

 

 そこで一旦言葉を置き、背広の内ポケットから左手だけで器用に彼が取り出したのは二枚の名刺。

 淀みない手つきでソレを私達へさっと渡しながら、我が大叔父は幾ばくかの茶目っ気も込めた風に語りを続ける。

 

「────改めて自己紹介といこーか。346プロダクション芸能部門統括P(プロデューサー)東方(ひがしかた)仗助(じょうすけ)だ。次はウチの()()()()として会おーぜ、お二人サン?」

 

 焦らず気負わず、行ってきな。

 

 最後に此方へ向かってそこまで言い切ると、今度こそ彼は別室へと去って行った。思わず礼を返すのも忘れるくらいの、颯爽とした所作。普通なら気障ったらしい真似なのに、彼がやると様になるのはどうしてだろうか。

 ただ、今慮ることはソレじゃあない。私たちが今この時、一番言うべきだろうことは。

 

「……有難う、仗助さん」

 

「……私からも、礼を。…………それにしても、此処は何か、佳き大人(ひと)が多いように感じられます」

 

 二人してそう呟くと、ふと隣の彼女と目が合った。まるで不安も期待も分け合うかのようにどちらからともなく手を握り、自然と出て来た言葉を紡ぐ。

 

「……それじゃ行こっか、文香ちゃん」

 

「……ええ、美波さん」

 

 いける。私達なら、たぶん、きっと。根拠はないけど、でも確信に近い。

 そんな意志を込めてその日、私達は非日常への扉を開けた──。

 

 




・空条(新田)美波
主人公。新田は母親の旧姓。

・空条承太郎
パッパ。海洋学者。とてもつよい。

・空条有栖
オリキャラの美波マッマ。

・鷺沢文香
今作だと美波と同窓。メカクレビブリオマニアJD。

・東方仗助
四部主人公P。チャームポイントは髪型。

・東方良平
このssだと存命のお爺ちゃん。年金生活満喫中。

・武内P
(アニデレPを)便宜上こう呼称。仗助と同期。



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002/ OVER DRIVE

080514

※7部ラスボスのネタバレ有り


 

 

 これから少しばかり語るのは、云ってみれば他愛のない昔話。

 ─────それはまだ、私・空条美波が小学校に上がるか上がらないかという頃の記憶。曽祖父が住んでいたNYへと、旅行に出掛けた時のことだ。

 

 旅行、と一口に行っても家族水入らずの完全な観光旅行、というわけではなく、認知症気味だった曽祖父の資産整理も兼ねていたらしい。

 よって家族でどこか遊びにいける、と思っていた私だったけど、この時の父はNY市主催の海洋資源保全に関するシンポジウム、とやらのプレゼンターとして仕事に。母は多忙な父の名代として親族会議やらに出席し。

 

 ベビーシッターは手のかかるやんちゃな弟に掛り切りだったこともあり、暇を持て余した当時の私は、大人の目が離れた隙に曽祖父の家を抜け出してしまった。そして好奇心の赴くまま、白ワンピースにサンダル姿で街へと駆けていってしまったのだ。我ながら後先考えてなかったと思う。

 ただ、5歳かそこらの子供が世界有数のメガシティを単身ふらついていれば、家の方角など分からなくなるも道理で。

 

「…………どこ……ここ?」

 

 なんだかデジャヴな気もするが、当時もまあ見事に迷子になったのである。今にして思えばよく誘拐されなかったなあと。

 勿論、無謀なお出かけの結果は言うまでもないもので、言葉の通じぬ異郷で迷い、あっちをふらふらこっちをふらふら。プラスして空腹もあって途方に暮れつつあった時。

 

「Execuse me girl. Do you get separated from your parents? ……Ah, Are you Okay?」

 

 ある奇特な女性(ヒト)が、唐突に私へ声をかけてきた。

 

 ────女性の姿は、今でも鮮明に思い出せるくらいにはハッキリと覚えている。左腕には短剣と蝶のタトゥー、頭髪は金と黒のグラデーションカラーを結んだ珍しいお団子ヘアに、蜘蛛の巣模様の入ったヘソ出しタンクトップとスキニーデニム。ショートブーツを履いていた背丈は170cmはあっただろうか。

 

 ただ、如何せん当時の私は英語などからきし。なんとか聞き取れたフレーズだけを、出来る範囲で返した結果が。

 

「ええっと、い、いえすあいむおーけい……?」

 

 この、余りにひどいボロボロ返答。がしかし。

 

「Really? You looks like……ってありゃ、もしかして日本人(ジャパニーズ)?」

 

 なんとこの人、日本語ペラペラだったのだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「なーるほど、それで迷っちゃったと。まァ無理もないわね」

 

 日本人なら話は早いとばかり、その女性に手を引かれながら、私は今しがた迷ったばかりの北米の大都市を歩いていた。

 「アイリン」と名乗ったハーフの日系アメリカ人であるというこの女性、今日は彼氏とのデートのためNYの街に繰り出してきたらしい……のだけど。

 

「──そのつもりがアナキスの奴(あのヤロウ)、今日に限って大寝坊かましやがってねー。これからコッチ着くまで90分かかる、ですって?おかげでランチと映画の予定がパァ、よ。家に連れてってパパに紹介しようと思ってたのに。とりあえず、今日会ったら一発ブン殴っとくわ」

 

 まあそんなわけでテンションただ下がりだった所に、おろおろした様子のアジア人の子供を発見。なんかほっとけなくて今に至るということだ。

 話を聞くとどうも遠距離恋愛というやつかな、と思いつつ。

 

「た、たいへんなんですね……。……ていうかごめんなさい、デートなのにわざわざ」

 

「いーのそんなの、まだ子供なんだし気にしない。ただね、NY(ココ)は治安いい方だけど日本と比べたら犯罪も多いんだから、もう無断外出(こんなこと)しちゃダメよ。分かった?」

 

「は、はーい!」

 

「ん、いい返事。それから、帰ったら親御さんにゴメンなさいしときなよ」

 

「あっ。……はぁーい」

 

 そうだった。

 この後親にしこたま怒られるだろうビジョンを想像して意気消沈、でもそれも当然の報いだし自戒としよう、と拳を握りしめた幼い私を見て。

 

 おもむろに目線を私の高さに合わせた彼女から、この時ある物が手渡された。

 

「えらいえらい。そーだ、そんな良い子にはおねーさんからプレゼントだ。……ホラ、手ェだしな」

 

 彼女に言われるがまま両手を差し出した私の手に置かれたのは、真っ赤なルビー?を嵌め込んだペンダントだった。

 

「……なんですか、これ?」

 

「んーと、エイジャの赤石(せきせき)、って石の欠片を嵌めたロケット。カタチが整ってないのは元はもっと大きな一個の赤い石だったから、らしいんだけどね。……ど?」

 

「キレイ…………」

 

 その時一目見ただけで、不思議とそのロケットに釘付けになってしまった。

 表面に赤石がはめ込まれた、手のひらほどの大きさのペンダント。石の形状自体は成る程不揃いだげと、それが却ってミロのヴィーナスが如く、完成形を各々に想像させる余地を残しながら複雑に光を乱反射させ、シンプルなデザインの本体との対比を演出している。

 何より特筆すべきはその輝き。折から差し込む西日を浴びても一向にキラキラが衰える気配がなく、むしろ光を寄せ付けないようにすら感じられた。

 

「そっかそっか、なら良かった。女の子ってやっぱ光り物好きだよねー。気に入ってくれたみたいだしアゲルわ、それ」

 

「い、いえでもこんな高そうなものもらうわけに……」

 

「嫌だった?」

 

「イヤじゃないです、けど……」

 

 正直な返事を言い終わるか終わらないかの所で、私の頭に彼女の手がポン、と置かれた。

 

「素直でよろしい。……なんだろね、キミ見てると変な話、初対面って気がしないんだ。アタシ一人っ子なんだけど、もし妹でもいたらこんな感じなのかな、って。それに、このロケットが何かこう『行きたがってる』気がしてね。……って、自分で言っててちょっとキモいや、なんでもない」

 

 はにかみながらそう言う彼女に、照れ隠しのように頭をわしゃわしゃと撫でられた。突然の妹扱いに一抹のこそばゆさも感じると同時。

 

「…………あっ」

 

数m程離れたところに、見覚えのある顔があって。珍しく焦燥感を漂わせ、普段の面持ちと全然違う表情をしたその人は。

 

「……ママだ!」

 

 眉を跳ね上げ、知己に足の向くまま駆け出そうとした、その時。

 

「お、迎えきたみたいじゃん。それじゃあ、アタシはココでお暇しますか。欠片(ソレ)は餞別だ、とっときな」

 

…………バイバイ、美波。生き残るのよ、アンタは()()なんだからね。

 

「…………えっ……!?」

 

 まるで()()()()()を述べたみたいな彼女の方に、「まってください、まだお礼を……」と言いながら振り向くと。

 

「……って、アレ…………?」

 

 母のいる方角を向いた後、私の背に投げかけられたそんな言葉を発した筈の彼女は。

 

「…………アイリン、さん…………?」

 

 そう、先程まで其処に居たはずの女性の姿は、忽然と霞の如く忽然と消えていた。ほんの一瞬前まで、確かにそこにいた筈なのに。

 

「……というか、わたし……名乗ったかな、『みなみ』って」

 

 白昼夢にしてはやけにリアルで。なぜ『アンタは希望』と彼女が発したのかは、難解過ぎて更に分からない。

 

 手中にある、今の私が下げるにはちょっと大きいペンダントは、確かに彼女との語らいが幻ではないことを示していて。なのに件の彼女は影も形も見当たらなくて。結局この後も、終ぞ彼女との再会は叶わなかった。

 その後怒られるかと思ったけど、逆に諭すような口調で懇々と父にお話をされたのは、今ではいい思い出である。

 

 ただ赤石の欠片をくれた人の話をすると、父は「……そうか」と言ったきり暫く考えこんでいた。よく分からなかったが父にも色々とあるのだろう。ひょっとして前妻の子、とか?いやそんなわけないか、再婚してるわけでもないし。

 

 さて、以上ここまでが、幼き日の私の奇妙な冒険の顛末である。彼女がどんな人だったのかは、未だに解き得ぬミステリー。出来るならもう一度会ってお礼を言いたいのだけど。

 何が言いたいってまあ人間、生きていれば斯様に不思議なこともあるものだと──「おーい(あね)ぇ!そろそろ出掛けるけど準備出来たー?」────えっ?

 

 その時今の今まで回想に耽っていた私を現実に引き戻すかのように、ガチャリ、と音を立てて自室のドアが開けられた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 声をかけた後、ドアの隙間からひょっこり顔を出した茶髪翠眼の少年。歳の割に頑健な体躯のその男の名は、誰あろう私の弟・空条丈瑠(たける)。「どうかしたのか?」って顔でこっちを見てきた彼だったが、気の抜けた顔で部屋着姿のまま、更にはメイク道具を化粧台に広げたままの私を見て色々と察したのか、若干ジト目で私に一言。

 

「ノックしても反応無いから何かと思ったら、ただボーッとしてただけかい……」

 

「ご、ごめんちょっと考え事してて……。10分で支度するから待ってて!」

 

「ん、じゃ玄関で待ってるわー」

 

「ありがと!大好き!」

 

 ハイハイごゆっくりー、と声を返し階段を降りていく弟をしかしあまり長く待たせないよう、手早く身嗜みを整えていく。

 ……ここ数年、弟がお姉ちゃんの言葉に全く動じなくなってしまって、ちょっと悲しいのはココだけの秘密。大分前に抜かれた背丈も、成長期なのか遺伝なのか未だ伸び盛り。16歳の現時点で190cmあるらしい。最終的にパパ(195cm)くらいの身長になるんじゃないだろうか。体格は既に似てきてるし。

 

 ……ちなみになんとなく悔しくて、最近弟と一緒に歩くときはブーツかヒールばかり履いてるのもココだけの秘密。背伸びしたっていいじゃない、女の子だもん(意味不明)。

 

 さて。着ていく予定の服をワードローブから取り出しながら、怒濤のように駆け抜けたこの一ヶ月を脳内で振り返る。

 先月頭に行われた第二次選考の面接は文香さん共々通過、300人に昇る候補者を絞りに絞ったという四月下旬の最終選考も終えた私達は、晴れて346プロのアイドル候補生となっていた。本格的なレッスンとユニット発表は連休明けからになるらしい。

 

 そうこうしているうち既に季節は晩春。5月の連休を縫って東京から広島の実家に帰省していた私は、今日は朝から弟を誘って広島市内でショッピングと洒落込む予定だった。

 ……見事に待たせているのは自省すべき点だけど。どうにも実家だと気が抜けてしまうのは何故だろうか。

 え、実家だけじゃないだろうって?気のせい……じゃないかな……?

 取り留めもない事を考えつつ上着を脱ぐ。その時、姿見に映る自分の姿に少しの違和感。

 

「あれ……なんか『濃く』なってる……?」

 

 生まれた時から左の首の付け根にある、星型の痣。注視してみるとその色が、先日よりも濃度を増しているように見えた。

 

(うーん、やろうと思えばコンシーラーで隠せるけど……)

 

 肩にかかったキャミソールを直しながら、星痣を手で摩る。気のせいか、痣自体が微妙に熱を持っているようにも感じられた。今までこんなこと無かっただけに、若干思うところはある。ジョースター家の血縁者のみに見られるこの痣。パパや丈瑠、ホリィおばあちゃんにもあるのだけど、何らかの信号のような役割も果たしているらしいのだ。ということは。

 

(…………何かの予兆、だとでも?)

 

 まさか寝物語に父から聞いた昔話みたいな、私にとっての「奇妙な冒険」が始まる、とか?

 

(…………いやいや、考えすぎか)

 

 それよりも今日は買い物が優先だ。筆記具とラクロス用品の買い足し、出来れば雑貨屋も回りたい。流石に弟がいるから下着は漁らないが。

 なんせ明日にはまた東京にトンボ帰りなのだから、今日中にやりたい事が目白押し。考えてる間に服も着たことだしあとは────あったあった、ロケット型のペンダント。これを首から下げて完成、と。

 

 ────かくして一端後回し、という事にして痣の異変を棚上げした私だったけれど、後から見ればこれが一つの兆し(サイン)だったとは、結局この時は露ほども思い至らなかった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 買い忘れたモンあっから、ちょっと待っててくれ。

 

 広島市中区に程近い、午後のショッピングモールにて。粗方買ったしそろそろ帰ろうか、と言った私に対する弟の返答はそれだった。今から少しくらい遅れても夕飯の手伝いは間に合うだろうし大丈夫よ、とこれを快諾。かくして私は只今、夕暮れの立体駐車場の一角にて弟を待っている最中だった。

 

(………すっかり、あったかくなったわね)

 

 お気に入りの薄茶のサイドゴアブーツの踵をコンッ、と鳴らしながら、パパから借りたレクサスを、先月買ったレイバンのサングラス越しに眺める。今年の春休みに免許を取ったばかりの身分でこんな車運転していいのかは分からないが。正直、ぶつけたらどうしようかと。

 ……やっぱり自前で安い中古車でも買わなきゃかな、と思いつつ、手持無沙汰に胸元にかけたロケットの蓋を開ける。

 

 中身は4人で撮った家族写真と、10年以上前にNYで貰ったときからその中に入っていた、鏃のカケラのようなモノ。くれた当人のアイリンさんと連絡がつかないので断定は出来ないけど、何より思い出の品なのでこうして今も持っている。

 ほぼ毎日眺めている鏃を指でつつ、となぞるように撫でたその時。

 

「──待ち人でもいるのかな、レディ?」

 

 車3台分程向こうから、不意にそんな問いかけが投げられた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ────瞬間、全身が総毛立つ。理性じゃない、理屈じゃない、星痣、感覚、第六感が私に警告を発している。()()()、この男は!それに今の今までこの人……

 

(あるべき『足音』が、()()()()()()ッッ…………!)

 

 強張った顔を上げた先にいた声の主は、毛先がカールした金髪が特徴的な、彫りの深い外国人男性。

 同時、ひゅう、と一陣の風が、その男と私の間を通り抜けた。……風が止むのを待ってたっぷり数秒、置いて返答。

 

「……まあ、そんなところです。観光に来た、方ですか?」

 

 はぐらかしたのは他でもない。その男、()()()()()()()()()()のだ。

 

 外見こそ長身痩躯の優男。身に纏っているのは黒眼鏡越しでも高級とわかる革靴と、本切羽仕立てのシングルスーツ。アルカイックな微笑みを湛えた顔立ちは、それこそモデルかアイドルにでもなれそうなルックスであり、世の女性が放っておかないだろう人物に見えるにも関わらず、だ。

だと言うのに胡散臭く感じる原因は、きっと────

 

「観光?……それなら今しがた、原爆ドームを見に行ってきたところさ。我が国が背負いし業は斯様に深いのか、とね。ただ────」

 

 ────喋りながらも私をまるで監視するかの如く見つめる蛇のような眼と、服の内側から発せられる気配だろう。

 私の返答を待たずして、5月の時節に珍しい縞手袋を着けた男は、一体どこで身に付けたのか、やけに流暢な日本語で以って言葉を紡ぎつつ向かってくる

 

「────ただ核投下(ソレ)も、愛国心からくる正義の心が為し得たものと思えば許容される。神に愛されし国家(ステイツ)が掲げる、合衆国による平和(パックス・アメリカーナ)をとこしえに繋ぐ過程で犠牲が生まれるのはやむを得ない。故にこの私が認めよう。『正しかった』、とね」

 

 ……駐車場で女一人に格好付けて何を言ってるんだ?この男は。

手前自身(れんごうこく)国益(つごう)の為に、何も知らない非戦闘員(じゃくしゃ)大量虐殺し(踏みつけ)た行為が『正しかった』だって?……頓狂な自説を唱えたいなら、壁とでも話してれば良いだろうに。

 

 しかしこの手の……そう、まるで自分が()()()()()()()()()()()()ような輩には、言葉で噛み付くだけ無駄だろう。聞く耳を持つわけがない。序でに先程から、どうにも冷や汗が止まらない。何故なら────

 

「……見解の相違、ですね。というかそもそも貴方、()()()()()()()()()()()()()()なんて、それこそ平和を乱す行いではなくて?」

 

 帯銃。指摘を聞いて、相変わらず音も立てずゆっくりと躙り寄る、男の歩みがぴた、と停まる。先ほど風が吹いた時、一瞬捲れたスーツの内側にあった()()()()()、間違いなく。

 

「ほう、分かっているなら話は早い。ココはひとつ───『取引(ディール)』といこうじゃあないか」

 

 言うなり懐からコルト・シングルアクションの回転式拳銃(リボルバー)、ピース・メーカーを取り出した男は、私にソレを突き付けながら呟いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 駐車場で丸腰の女子大生に銃を構える男。傍から見ても近寄りたくない絵面の中、眼を半眼にしてイかれた男に問いかける。

 

「一応聞くだけ聞いておきましょうか。『取引』とやらの条件は?」

 

「簡単さ。胸元に掛けているペンダント(ソレ)を寄越すだけでいい。君は命が助かるし、私は『目的』に一歩近付く。Win-Win、というヤツだ」

 

 いや、どう考えても私が強奪されてるだけでしょうそれは。

 

この欠片(コレ)は大切な人から貰った贈り物です。見ず知らずの他人に渡せと?」

 

「ああ、丸腰の少女が無傷で日常へと帰るには安いものだろう?なに、対価は首飾り一つ。実にチープさ」

 

 返せば日常に戻れる……ですって?白々しいにも程がある。この手の人間は発砲など歯牙にもかけない。平気で人を後ろから狙い撃つようなタイプを相手にしたら、私の答えは自ずと一つ。

 

「それはどうも、魅力的な提案ね──」

 

「ほう?ならば今すぐ……」

 

「────でも断るわ」

 

 命が脅かされようと、悪に益などやるものか。私の心に根付くのは、父祖の代より脈々と受け継がれてきた血の誇り。揺らぐことなき黄金の精神。それは空条美波(わたし)を構成する、欠けてはならぬ血の運命(さだめ)

 

「……そうか。実に残念だ」

 

 君の様な身目麗しい女性を殺めるは、少しばかり躊躇いがあるのでね。続けつつ、拒絶の意を聞き取った男の眼が見る間に細まっていく。

 

「勇気と無謀は違うのだよ、お嬢さん。名残惜しいが────お別れだ」

 

 失望を帯びた声と共に、拳銃の銃口が火を噴いた。

 

 

 

 ★

 

 

 

()ったな)

 

 かつて、異なる位相の世界においてアメリカ合衆国第23代大統領として君臨し、この世界では長年に渡り米国政界の黒幕(フィクサー)の一人として暗躍を続ける男は、愛銃の撃鉄を引きつつ確信する。

 

 並行世界の自分と自由自在に成り代る。自らの苦痛を誰とも知れぬ他人に押し付け、擦り付ける。別世界の自分の記憶すら継承し、闘い続ける。倒しても倒しても減らぬ、無限の残機と経験値を有するこのスタンド使いは、21世紀の現代においても、全く変わりなく自らの「悲願」を達せんとしていた。

 

 意地?損切りできぬ性分?歪んだ妄執?いや、どれでもない。この男が願いを叶えんとするのは、ひとえに自身の正義の為だ。

 

 加えてこの男は失敗例を知覚できる。だからこそ、SBRを小僧二人に阻まれたような、並行世界の自らの二の轍を踏んではならないと決意した。幸い、かの大陸横断レースを行ったときと比較しても、21世紀(現在)のアメリカの国力は非常に高い。ここで後一押しすれば自分の、いや合衆国の悲願は達成される。

 合法非合法など問わない。あらゆる手を使ってこの連邦国家(イ・プルーリバス・ウナム)を世界の頂点に押し上げ、名実ともに史上最高の偉大なる国家とするのだ。

 

 ────目的は兎も角、傍から見れば狂っているとしか思えない手段を指向するこの男は、しかし狂人に有りがちな偏執的熱心さで以って、米国の礎となり得そうなあらゆる事象を恐るべき速さで探求、時に習得し続けた。

 

 その中で彼の眼に留まったのが、今から約30年程前にエジプトで盗掘された、とある弓と矢にまつわる伝承だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 射抜いた者に立ち向かうもの(スタンド)を確率で発現させ、またその素質を持つ人間を指し示すとされる「スタンドの矢」。

 常人の目に見えず、機械でも知覚できぬ超常の力、「スタンド」。自身も有するそれを人為的に発生させられる装置の存在は、彼には非常に魅力的に映った。

 

 そして当然の帰結というべきか、彼はこの後ある発想に思い至る。

 ────即ち、現状6本ある「矢」を、他国のネズミ共が勘づく前に合衆国が全て「独占」する、という考えだ。

 

 もし「矢」を占有し、これから先誕生するスタンド使いを全て自分に忠実な人材で固めることが出来れば、米国は安全かつ低コストで運用できる人間兵器を唸るほど手に入れられる。

 更にはスタンドという兵力は極めてステルス性が高い上、証拠も残さず世界中にバラ撒けるのだ。ものによっては尋問や諜報に役立ちそうな能力も山程ある。完全犯罪だって夢ではない。

 

 決めてからは早かった。手に入れた情報を基に、英国の骨董品店で一本目、そして今回、日本の東北地方にある杜王町なる街で二本目の矢の回収に成功。

 本来矢の探索は部下を使って年単位を費やす予定だったが、正直拍子抜けする程に簡単だった。

 極め付けは帰りがけに、わざわざ冷やかしで寄った広島の平和資料館近くで、年端もいかない小娘が後生大事に()()()()を触っていたことだ。手に入れたソレに酷似しているあのカケラ、間違いなくホンモノだろう。

 

(……戦術面においてNBC兵器すらも超え得る可能性を秘めた、究極のチカラ。そんなものを生み出す(ソレ)は、キミ如き一市民の手に余る。故に、大人しく渡さなければ死あるのみだ)

 

 非武装の女1人相手に、私のD4C(スタンド)を用いるまでもない。

 だがせめてもの慈悲だ、小脳を貫いて即死させてやろう、と彼女の上唇を狙って撃った弾は。

 

「────銀色の(メタルシルバー)波紋疾走(オーバードライブ)ッッ!!!」

 

 叫ぶなり少女が振り抜いた左手甲にぶつかって、明後日の方角に弾かれた。

 

 

 

 ★

 

 

 

「…………んじゃア、威嚇射撃もなしで撃ってきたってのか?相当イッてる奴だなオイ。……で、その後はどうなったんだ?」

 

「丁度戻ってきた弟が、波紋流したコーラの蓋を男に飛ばして牽制。そうしたら、『興が削がれた』とかいって飛ぶ様にどっか行っちゃいました。二人がかりで追ったんですけど逃げ足早くて……」

 

 広島市内にあるショッピングモールの駐車場で、不審な男と予期せぬ戦闘を行なった2日後。

 

 結局ペンダントもそのまま、何事も無かったかの様に日常に戻ってきた私、空条美波。昨日蜻蛉帰りした東京は渋谷区にある346プロダクション内部のカフェにて、「お知らせあるからちっと来てくれ」と連絡してきた仗助さんと合流。

 

 窓際のテーブル席にPC片手に座っていた仗助さん、私の姿を認めるとちょっとシリアスな顔で手招き。

 

 着席するとほぼ同時。高校生くらいのアルバイターさんだろうか、笑顔の可愛らしい橙髪の女性店員さんに紅茶をオーダーするなり、「昨日承太郎さんから電話あったんだけどよぉ〜……」と語り始めて私達は先の物騒な会話に至る。

 尤もいくら「物騒」といえど、あの時の緊迫感などどこかに置き忘れてきたようなこの風景の中では、やっぱりちょっと締まらない。

 ちなみに文香ちゃんも今日は呼ばれているのだけど、私だけ「予定時刻より30分早く来てくれ」と頼まれた。どうやらスタンド(コッチ)の話をするためだったようだ。

 

「……まァ俺が言えたことじゃあねェーけど、妙な輩からは叫ぶなり逃げるなりした方が賢明だぜ美波ちゃん。万が一顔に大怪我でもしたらコトだしよォ〜」

 

「大丈夫です。その時は仗助さんに『(もど)して』もらいますから」

 

 割と本心である。勿論、余り彼や家族を煩わせるのも嫌なのでなるべく怪我しないようには心がけているけれども。

 

「あのなぁ……まあいいや。んでその男、他に何か言ってたか?」

 

「えーっと、確か去り際に────『……いや、焦らずとも良いか、むしろ撒き餌をぶら下げて集めることとしよう。SBR(かつて)のように』────とか言ってました」

 

 正直、どんな餌をいつどこでぶら下げると言うのか、何の意味があるのか不明に過ぎる。ただの独り言だと面倒がなくて助かるのだけど。

 

「撒き餌?かつて?……何かの符丁か暗号か?現時点だと何が何やら、だな」

 

「まずは分析と情報収集、ってとこですかね。ちなみに家族会議の結果は『私はむしろ広島にいない方が安全』ってなったので、東京には予定通りいることにします」

 

 サングラスしてたから面は割れてない筈だし、パパからは「イザとなったら目黒のSPW財団日本支部から警護を回してもらえ。それでも不十分なら仗助を頼れ、双方に話を通しておく」と言われた。……ちなみに「何時でも俺を呼べ」とも。

 いや、広島大だけじゃなく海上保安学校とかにも講師として呼ばれてる要人を娘と(いえど)も易々とは呼べないよ、パパ。有難いけど。至れりつくせりで頭上がらないけど。

 

「まー東京(コッチ)いる間は任せとけ。何、いざとなりゃあ億泰や康一あたりも呼んでくっからそこまで気に病むこたぁないさ。……っと、文香ちゃん来たからこの話はまた今度だ。巻き込む訳にいかないしな」

 

 そう言って目つきを平常のソレに戻した彼の言葉通り、廊下を背にして座っていた私の背後から文香ちゃんの声がした。首を後ろに向けつつ、手を振って声に応える。時刻にして、集合予定時刻の丁度10分前。

 懸案は一旦脇に置いて、此処からは────「アイドルの時間」のようだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「「延期!?」」……ですか?」

 

 シックな調度品と柔らかな照明で固められた346プロ内部の喫茶店。

 

 その雰囲気にそぐわない声量の言葉を思わず発してしまったのは、今しがた衝撃発言を投下した大叔父の向かいに腰掛けた又姪(わたし)と、同期にして学友たる文香さんの2人である。

 いいニュースと悪いニュース、どっちから聞きたい?、という発言者の問いに声を揃えて「「悪い方からで」」と即答した私達は、聞くなりいきなり「スマン!」と頭を下げた彼を視界に収めることとなる。

 

 直後に彼が言った「シンデレラプロジェクトⅡ」延期のアナウンスの後、女子大生二人の「何故延期?」という目線に晒された彼は、頭を上げた後困ったように頬を掻きつつも、こうなった経緯を説明してくれた。それは一言でいうなら、採用人数オーバーが原因だそう。

 

「申し訳ねーんだけど事実だ。約半年の延期って事になる。なんでかってーとだ、346のアイドル部門は去年始まったばかりなんだが、なまじそれが上手くいったから『今の内に青田買いやっとけ』だの『他社に持ってかれる前に囲い込め』だの言い出す奴が多くてな……」

 

 前から論争はあったらしいけど、そんなわけで土壇場に来て会議は紛糾。いい大人達が何やってるのかって話だけど、全員真剣なため無碍にも出来ず。結果として最終選考を通った二期生だけで予定の倍以上、という状況に繋がったらしい。その数23人とのこと。

ちなみに昨年の第一期「シンデレラプロジェクトⅠ」の採用人数は10人、今年も当初は10人の予定だったそう。いきなり倍以上じゃあ、予定が狂うのも無理はない。

 

「ああ、勿論受かった皆に光るモノを感じたから採ったんだし、雇ったからにはウチの大事な社員なんだ。ただ元々10人の枠に23人じゃあ、マネジメントは兎も角、年内に全員デビューライブまで持ってくのは土台無理だ。てことで計画変更は必定でな」

 

 そもそも二期目は去年の第一期同様に少数採用、来年三期目から採用拡大って方針だったんだけど、上層部とも色々ゴタついてこうなってるらしい。

 

 候補生にそこまでぶっちゃけた正社員に、私の隣席に座った文香さんが遠慮がちに考えを述べる。

 

「…………まあ、現下の765プロの飛ぶ鳥を落とす勢いを鑑みれば、経営陣の方々の判断も理解出来ます……から、致し方ないのでは、と……」

 

 思いきりフォローだった。菩薩かこの子は。

 

「そう言ってくれると救われるわ。にしてもなア…………ッと()()り、愚痴みたくなっちまったな」

 

 ただ良い知らせも持ってきたぜ、と仗助さんは続ける。今年の企画、『CPⅡ』の初動は10月以降に延期。だからといって10月までレッスンばかり、というのも時間が勿体無い。そこで提案されたのが。

 

「……とりあえず、『コレ』に出てみないか?」

 

 余計な気を遣わせたか、と直ちに話題を切り替えた彼は、そう言うなり私達の前に二部ずつ紙を差し出した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「アイドル、アルティメイト……」

 

「予選、大会?」

 

 太めの明朝体で紙に書かれたカタカナをそのまま読む。アイドルアルティメイト、通称IU。イベント自体は知っている。かの765プロのアイドル達のひとり、如月千早さんなんかはこの大会で結果を残してのし上がった経歴があるのだし。

 ただ紙面から伝わる情報の少なさ故か、隣席の文香ちゃんもコテンと首を捻っている。

 

「二人とも名前は知ってるみてーだな。要するにトップアイドルのパフォーマンスも見れる、場馴れも兼ねたイベントって考えりゃいい。新人は人数の制約があっから3人以上でユニット組んで参加、って形になっちまうんだが、上手くいけば本選出場だって夢じゃあない。勿論焦る必要はないし、同意あってのモンだから拒否もアリだが────どうするかい?」

 

 経験値が積める。加えて一流アイドルの所作を間近でたくさん見られる。成る程、これは美味しい。文香ちゃんとアイコンタクトを一瞬交わす。いけるとの意か、黙って一度頷かれた。ならば。

 

「……是非に」

 

「やります!」

 

 共に同意を投げ込む。折角一念発起してここまできたんだ、チャンスをむざむざ逃す手があるものか。

 色よい返事を聞き片眉を上げた我が大叔父も、間髪入れずに応えてくれた。

 

「──サンキュー、んじゃあ決まりだな。編成ユニットは4人てことになってっから、後の二人含めて今月中には打ち合わせといこーや。ああ、それから───」

 

 ……もうわかってっと思うけど、そのユニットの担当が決まったから伝えとくぜ。

 

 此処で一旦言葉を切って、彼は続ける。

 

「──二期目(しょっぱな)のプロデュースは俺自身が、キミらを入れた4人を担当する事になった。……つーわけで、だ」

 

 これから一年、宜しく頼むぜ?

 そう言い切った仗助さん、……いいや、『プロデューサーさん』の真っ直ぐな眼は、これからに向けての期待を膨らませるに十分なもので。

 

「……大船に乗ったつもりでいますよ、Pさん!」

 

「……不束者ですが、宜しく御願い申し上げます」

 

 薫風香る、季節の変わり目。私達のアイドルとしての第一歩は、正に此処から始まった。




・アイリン
ゴージャス☆アイリンとはたぶん関係ない。

・大統領
どジャアアあああ〜〜〜〜ン。

・橙髪のアルバイトさん
体力持つのは一時間。

・空条丈瑠
オリキャラの新田弟。一応「条丈」でジョジョ。


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003/ Add to Dimension-3

260514


 ……不確定要素が多過ぎるな。

 

 5月9日金曜日。渋谷の一等地に居を構える老舗芸能プロダクション・346グループ本社一角のオフィスにて。

 入社から今年で勤続7年目を迎える東方仗助は、愛用のDr.gripをクルクルと回しながら、何やらびっしりと書き込みがなされた手帳を睨みつつ黙考する。

 今しがた終えた残業を片付けたのち。華金だし直帰もなんだかな、と思った終業間際の彼の脳裏にふとよぎったのは、先週アイドルになりたての又姪が遭遇した敵についてだった。

 

(先ずは財団の調査報告待ちだな。事が起こる前に手筈を整えとくか)

 

 そこまで考えたところで、廊下をカツ、とヒールで踏みしめる音を耳聡くキャッチ。足音の数からして一人、残業終わりの社員だろうか。

 

(一応、メモ(コレ)はしまっとくか)

 

 手帳を私物のビジネスバッグに投げ込み、何食わぬ顔で再びモニターに向き合う。

 彼の知覚を裏付けるかの如く。程なくしてオフィス入り口に、社会人と言うにはまだ初々しさを残す女性の姿が見えた。制服には少々派手ではないかと思われる蛍光グリーンの事務服を着、「千川」と書かれた名札を胸元から下げている彼女、彼の姿を認めるなり刮目し。

 

「あれ、まだ残ってたんですか、東方さん?」

 

「ン、若干仕事残ってたんでな。ただもう出っから照明落としてくれて構わねーぜ。ちひろちゃんこそ今まで残業かい?」

 

 その相槌を聞くなり彼女、途端にどんよりとした顔になり。

 

「それがCGプロジェクトの再精査で居残りだったんですよーもおお……。ていうか、入社一年目の事務員にこんな事やらせて、ウチ大丈夫なんですか……?」

 

「あー、なんかすまねェーな心配させて……」

 

 仕事中は気丈な振る舞いを心がけていたのかは分からないが、声色だけをみても千川女史、少々お疲れ気味のようだ。

 

(……こりゃ相当鬱憤溜まってそうだな。ガス抜きしとくか、今のうち)

 

 考えるが早いが東方、直ぐに部下へと切り返す。

 

「まあ、ウチの帰趨(きすう)は正直、俺らのこれから半年の働き次第で決まんだろう。もし案件処理に困ったら、部長か俺でも何時でも呼びな」

 

「…………じゃあその時は、東方さんに頼みますね」

 

 身長差があるために、自然と上目遣いで仗助を見て言う彼女。喋るまで若干間が空いたのは何ゆえか。

 

「任せとけ。あ、それから俺、この後一杯引っ掛けて帰るつもりなんだけど────」

 

 ── 良かったら一緒に行かね?奢るぜ?

 

「え、良いんですか!?是非!」

 

 試しに投げた提案は即答でイエスだった。

 先輩ありがとうございます、などと言いながら先程までの鬱モードが嘘のようにニッコニコになった彼の後輩・千川ちひろ24歳。大学院を経て今年4月に入社したての見目麗しい新入社員にして、趣味は漢方、そして貯金という堅実派OLである。ちなみに実は歌も上手い。

 

 ……結婚したら非常に良い奥さんになるだろう、多分。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 初めまして、ボクはアスカ、二宮(にのみや)飛鳥(あすか)だ。

 

 5月12日月曜日、346プロ第三ミーティングルームにて。

 パンクっぽい格好に目立つ色のエクステを一房ずつ垂らした少女が、私と文香ちゃんに何故そう言い放っているのかと言うと、そもそもの始まりは1週間前に遡る。

 

『メンバーがもう1人来るんだが、折角だし早めに顔合わせしとくか?』────仗助さん改めPさんから来たそんな連絡を快諾して1週間後、顔合わせにと指定された会議室に向かった私と文香ちゃん。そ中にいたPと一緒に何やら打ち合わせしてたのが、今しがた自己紹してくれた少女こと二宮飛鳥ちゃんだった。

 

 肩まで伸びたオレンジ髪、ツリ目がちな紫紺の眼。スレンダーな身体をパンキッシュゴシックで固めたルックスは、日頃美少女(文香ちゃん)を見慣れてる私でも可愛いな、と思う程。

 一人称がボクなのはキャラ付け、なのかな。やっぱりアイドルってそういうところも固めた方が良いのだろうか。

 ……私もちょっと捻ってみようかな?自分のこと名前で呼ぶとか。

 

 ともあれ改めてこの事務所レベル高いなあ、と思いつつこっちも自己紹介。

 

「こちらこそ初めまして、私は空条美波。文香ちゃんと同じ18歳で、趣味は資格所得とラクロスかな。えーっと……「ああ、飛鳥で構わないよ」……ありがと、じゃあ飛鳥ちゃん、これからよろしくね!」

 

 次いで出番は文香ちゃん。

 

「……鷺沢文香、と申します。美波さんとは同窓の友人です。……其れから……趣味は読書と栞作り、です。この通り雄弁な(たち)ではありません……が、宜しく御願い申し上げます」

 

「美波さんと文香さんか。実は今月寮に引っ越してきたばかりでね、ボクの方こそよろしく頼むよ」

 

 飛鳥ちゃん、しかしここで一度言葉を区切り、硬質な雰囲気を纏い出す。数瞬のち、おもむろに切り出されたのは。

 

「ところで、さ。…………会っていきなり、こんな事言うのもなんだけど……。……美波さんが着けてる、そのネックレスの宝石。何処かで見たことあるなと思ったんだ」

 

 断言する彼女の顔は、非常に端正かつ真剣なもの。私の親友・アーニャちゃんにも似た、同性に受ける鋭利な格好良さが有る。例えるなら何処と無く宝塚(ヅカ)っぽいテイストを湛えた彼女は、そのままシリアスに切り出した。

 

「……その石、よく見たら────」

 

 ────コレに結構、似てないかな。

 

 そう言った彼女はバッグの中から取り出した「或るもの」を私達の前にコトン、と置いた。

 現れたのは、精緻な彫金が施された銀色のフェザープレートバングルと、嵌め込まれた赤い石の欠片。ルビーか何かの類にも見えるが、よくよく見ればその輝きは────

 

「……私の首飾り(ネックレス)についてるのと、同じ……?」

 

 思わず首元のそれに手を当て、浮かんだ疑念を口に出す。

 貰った(あの)時から10余年、鉱物図鑑を血眼になって調べても出て来なかったこの石とそっくりそのままのモノがもう一つ、あっさり目の前に現れた。

 

「……飛鳥ちゃん、どこで、これを……?」

 

「コレかい?実家に昔からあった品を、貰い受けたものなんだけど……」

 

 語り出す彼女の話に、しばし聞き入る。なんでも死蔵されてた開かずの箱に入ってたのだけど、まるで()()()()()()()()()()()解錠出来て、中にこの腕輪が入ってたらしい。

 

「……最初は固辞したんだけど、色々あって持ってくことになってね。美波さんは?」

 

 と聞かれて気恥ずかしくはあったけど、昔迷子になった所を助けて貰った人からの頂き物、という話を初めて話す。

 唯一既出の話題であるそれを黙って聞くPさん、興味深げに相槌を打つ飛鳥ちゃんとは対照的だったのが、珍しくも文香ちゃんだった。眉間に少々シワを寄せ、何かを思い悩んでいるように見えるが気の所為だろうか。気になりつつも話を続けた。

 

「────と、いうわけなんだけどね……」

 

「……成る程、謎に満ちた一度きりの邂逅、か。不思議だけど浪漫に溢れた良い話だね」

 

 やや持って回った言い回しをした飛鳥ちゃんに、今度は腕輪について尋ねると、片眉を跳ねさせた彼女はにこやかに言葉を続けた。

 

「……ああ、勿論ボクも腕輪に調べはしたんだけど、結局何なのか分からず仕舞いでね。考古学には明るくないから、もしかしたら誰か知ってればと思ったんだけど……って、どうしたんだい、文香さん?」

 

 こちらは言葉にピクン、と反応した文香ちゃん。躊躇いながらも数秒ばかり沈黙した後に、ゆったりと切り出し始めた。

 沈思黙考を地で行く彼女が紡ぐのは。

 

「…………あの、実は……其れらと非常によく似た石が、ウチの本屋にも有るんです」

 

 …………え?

 

 赤い欠片の保有者、まさかの本日三人目。降って湧いた再びの驚愕に思わず、向かいに座った仗助さんと目が合う。

 …………何故だろう、胸がざわつく。

 その時感じたのは、どこか得体の知れない焦燥だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 ここまで来たら善は急げだ、ソレも見にいってみようじゃあねェーか、と述べたPさんの退勤を待って、彼が運転する社用車に乗り込み首都高を突っ走ること約15分。私達一行は、渋谷から9km程離れた神田神保町へ降り立っていた。目的地は勿論、文香ちゃんの下宿先である古本屋さんである。

 

 神保町。別名世界一の本屋街とも言われるこの町は大型書店がただ軒を連ねるに留まらず、中小規模の古書店だけでも170店以上存在するという、ビブリオマニアを自認する文香ちゃんにとってこの世の楽園(エデン)たる場所、だそうだ。

 ふらっと寄った本屋で立ち読みしてたらもう夕方、何てことはザラにあるらしい。なにそれ怖い。

 

「……あ、此方です」

 

 車を停めて裏路地を歩くこと数分。文香ちゃんが足を止めた前にあったのは、古めかしい佇まいをした2階建ての書店だった。

 

 定休日だったらしくCLOSED、と看板の下げられた店舗入口の鍵を御構い無しに慣れた手つきで解錠、そして再び施錠した彼女の先導で店内に通された私達は、一階窓際の読書スペースなる所に三人して招かれる。

 着くなり店奥に直行し、手早く淹れてきたのだろう珈琲をきっちり三人分置いていった文香ちゃん、5分ばかりお待ち下さい、との言葉を残して再び店の奥へと消えていった。因みに本日、店長は買い付けで不在らしい。

 

 残されたのは私達三人。目の前の丸テーブルに置かれたカプチーノを頂きながら、彼女を待つ序でにお店の内観をちょっと観察。

 

 古色蒼然、といった趣の外観からは一変。比較的最近改装をしたのだろうか、白を基調とした壁の塗装や窓際の観葉植物(サボテン)に真新しさを感じる一方、今私達が座っているアンティーク調のイスや机が空間に重厚感をもたらしている。アースカラーでまとめられたそれらが醸し出すこの書店の雰囲気は、例えるならお洒落な古民家風カフェ、といったところか。

 

 2.5m程の高さの天井を、柔らかな暖色照明が照らし出す。スモークウッドの床色に合うよう設けられたシックな色調の本棚が何列にも並び、中にはジャンル分けされた本達が整然と納められていた。具体的には───

 

「図鑑、医学書、新書に六法、哲学書。パッと見でも色々売ってんだねえ。……ジャンプのバックナンバーとか無ェもんかな」

 

 (パパ)曰く『写真でみた若い頃のジョセフ(ジジイ)によく似ている』らしい髪型にクシャリと手を当てながら、授業参観に来た保護者の如き目で店内の本棚を眺めていた仗助(P)さん。

 ……そうそう、彼が今の髪型にしたのは紆余曲折を経て生まれ育った杜王町を出てからのことなんだけど、まあその話はまた今度。

 

「……少年誌は流石に無いんじゃないでしょうか……?」

 

 多様な本を扱ってるとはいえ見たところ雑誌、新聞の類は見当たらないし。

 そもそもお下劣な雑誌だとかスポーツ新聞を読んでいる文香ちゃんの姿がまず想像できない。姪のそのスタンスを鑑みれば、店長である叔父さんも恐らく読まないだろうし、無論店にも置かないと思われる。

 

「……でも、蔵書は小説だけに絞っても幅広いね。『1Q84』や『永遠のゼロ』なんかの有名(メジャー)どころは兎も角、『ドグラ・マグラ』とか『虚無への供物』まであるとは……」

 

 手近な棚を見ていた飛鳥ちゃんもラインナップに多様さを感じたのか、そんな感想をぽつり。

 確かそれって日本三大奇書とかいうやつでは、……と思ったその時、店の奥からガララ、と引き戸を開ける音。

 

「……文学書に興味がおありでしたら、是非当店で……」

 

 あ、お待たせしました。と営業トークに続けて言葉を発した五分ぶりの文香ちゃんの手の中にあったのは、煌びやかな装丁が随所に施された、何とも重そうな一冊の本だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 Treasure(トレジャー)Binding(バインディング)

 

 彼女が持って来た本のコトを、英語ではそう呼ぶらしい。

 各種宝石や金や銀を用いた飾りを本の表紙・背表紙にくっ付けたこれらは、古くは千年近く前から存在するとされ、大抵は宗教・祭儀的な意味合いを持つ本に多く施されたのだとか。

 文香ちゃんからその由来なぞを聞きつつ、眼前の豪奢な本を改めて見る。

 

 本のサイズはA4程度、厚みは飾りも含めて10cm前後、といったところだろうか。

 表紙には出涸らしの紅茶をぶちまけたような濃い色の皮地を貼った上に、2cm角の正方形にカットされた金と瑪瑙のピースが、中央にデザインされた十字架を邪魔しないよう、交互に配されている。

 そして、欠片(ピース)達に取り囲まれた銀十字の真ん中に埋め込まれているのが────

 

「よく似てるわね、これも…………」

 

 紛れもない本日二度目の既視感の正体。赤石のカケラが、そこには確かに鎮座していた。

 

「……文香ちゃん。こいつァどこで仕入れたモンか知ってるのかい?」

 

 Pさんが私達の意を代表する様に問う。そうそれ、気になる気になる。特に興味深々といった女子2人の視線を受けた文香ちゃん、幾分慎重に言葉を切り出した。

 

「……一言で言うなら、『来歴不明』といったところです。…………これより先を話す場合、少々長い話になるのですが…………宜しいでしょうか?」

 

 聞くなり了承の意を各々示した私達を見た文香ちゃんは、本を持ち運ぶ際に着けてきた白手袋を外しながら、「では…………」と前置きし、そのルーツを話し始めた。

 

 鷺沢古書堂。明治の末にはこの地で古書の取り扱いを始めていたというこの店は、神保町全体でみても非常に歴史ある古書店……なのだが、実は表で売っている本は全体の7割程度。残りの2割5分はストック、そして最期の5分はいわゆる「ワケあり」のモノらしい。

 人類の歴史に於いて数多ある奇書、禁書と呼ばれるもの。時に弾圧や発禁の目を逃れ、影ながら連綿と受け継がれてきた其れ等の一部と思われるものが、いくつか保管されてるのだとか。

 

 そしてこの宝石本もご多聞に漏れず希少本の一種。 引っ越してきて掃除を手伝ってた時に、店内地下一階の本棚の片隅で埃を被っていたのを偶然見つけたのだとか。

 

 華やかな見た目に惹かれる形で調べてはみたのだけど、しかしタイトルも作者名も出版年も書いておらず意味不明。

 叔父さんに聞いても「こんなものあったのかい」と逆に質問され、店の台帳を調べてもいつ買い取ったのか記録がない。つまり。

 

「…………事実上、「存在しない本」として扱われてる、ってことなの?」

 

「はい。……恐らく、好事家が個人で作った本だとは思うのですが、何ぶん中身の言語も全く分からないので……」

 

 ヴォイニッチ手稿、ロガエスの書。死海文書やヨハネ黙示録。彼女が調べたというありったけの本のどれにも該当しない、謎の書物。その正体は、後から考えれば私達の予測を大きく上回るものであった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「結局…………」

 

「梨の礫、か」

 

「既存のどの文字とも違うとは、恐れ入ったね…………」

 

 一時間後。解読はままならなかった私達だが。外を見渡すとすっかり日も暮れ、夕飯時に差し掛かっていることに気がついたPさんが私と飛鳥ちゃんを家まで送ってくわ、と宣言。

 

 とりあえず飛鳥ちゃんとも連絡先を交換し、文香ちゃんに見送られつつ帰途に着いた私達が、その日付が変わるまで連絡を取り合った結果出た結論が。

 

「放射性炭素年代測定だァ?」

 

「はい。……というわけで至急、機材使わせてくれるツテがあって、且つ詳しい人がいるところ知ってたら教えてくれませんか、仗助さん?」

 

 翌5月13日の夕方。下宿先の空条家の一室から大叔父に電話をかけた私は、退勤後の社会人に厚かましいお願いをぶちかましていた。

 

「流石に無ェ……いや、あるな。でもなんでまた急に?」

 

「……文香ちゃんと飛鳥ちゃんが言っていた『石に触れている時、偶に起こる奇妙な事象』、気になったんで怪しまれない範囲で聞いてみたんです。そしたら──」

 

 ──明らかに、()()()()の事象としか思えない話なんです。

 

「……マジか」

 

「はい。それで、取り敢えず調査しないかって提案して。…………あの、もし、『DIO』とかに関係する曰く付きのものとかだったら────」

 

「あ〜ッと、皆まで言うない美波ちゃん。大事な品なんだ、取り上げるのも気がひけるし、本人同伴で調べるだけ調べてみっか。もしヤべえ代物だったらそん時はそん時だ。とりあえず、当たってみっから待ってな」

 

「……有難う、ございます……!」

 

「オウ。行く時は俺も同行するわ。ンじゃあーおやすみ」

 

 ガチャリ、と受話器の置かれる音。伝わらないので意味がないと分かっていても、思わず電話越しに頭を下げてしまった。こんな突発的で図々しいお願い、サラッと受けてくれるのは本当にありがたい。

 ツテについてはパパを頼ろうかと思ってもみたのだけど、今現在パパはSPW財団日本支部の方々とイタリアに出張中のため、今月中はずっとヨーロッパ生活なのだ。なんでも汐華(ジョルノ)さん達と何やら会議やってるらしい。よって機材はあっても有識者がいない。

 

 学内の研究室にないかな、とも考えたけどこの場合も同じ。というか大学にスタンドに詳しい識者など普通はいない。

「私超能力を具現化させて闘うことが出来るんですが、この石それと関係ないですか」などと宣ったらまあ精神科か脳外科あたりを紹介されるのがオチだろう。

 

 更に先程まで手掛かりを求めて幼少期、この家に来る度よく弟と侵入していた書斎に足を運んで片端からそれっぽい本を調べ、曽祖父が波紋を習得した切欠を記したというノートを発見した。が、残念ながら落丁もあり、手がかりなし。

 妻スージーQへの惚気でも書いたのか、それとも別の余程大事なことが書いてあったのか、現在では存命ながら認知症気味の当人に聞いても芳しい解答は難しいだろう。(ホリィ)さんにも伺ってみたのだけど、結局新情報は得られなかった。

 

 普通なら似た石ころが集まったから何だ、という話かも知れないが、ここで先日の襲撃が脳裏をよぎる。

 私ならともかく──いや別に恐怖を感じないわけではないけど、若干特殊な環境で育ったので何本かネジが飛んでるかもしれない──市井の家庭で育った筈の皆の人生に、あんなイベントが発生するのは真っ平御免だ。ましてこの平和な国では尚更。

 最悪の場合は露伴先生に頼んで『石に関する部分の記憶だけ消してもらい』、その上で石を彼女達の手の届かぬ所で管理することも考えなければならない。

 

 でも。

 

( ……嫌だな。……友達の記憶を奪う、なんて)

 

 結局その日は、美波、お風呂空いたわよというホリィお婆ちゃんの声を聞くまで、受話器の前で立ち尽くしていたのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 その週の土曜日、5月17日。

 

 時が経つのは早いもので、私達四人は急遽行くこととなった國立理化學研究所へと足を運んでいた。

 今月中にどこかへ行ければ御の字、いざとなったら大学へ持ち込もうと考えていた私だったが、木曜には話をつけてくれてたらしい仗助さん(流石だ)の尽力もあって、こうして調査のメドが立ったのだ。

 そうこうするうち所内に到着。彼の先導の元、所内に規則的に配されたLEDに照らされる無機質な歓待を受けつつ、一路静かな廊下を歩く。

 5分ほどして辿り着いた部屋をノックしたPさんが開けた、ドアの先にあったのは──

 

「失礼します。例の件で伺った東方で──「おぉ〜〜〜ひっさしぶりだねぇジョースケぇ!何日ぶり〜?あ、そんなでもないか。ところでさ、コレ新しい試薬なんだけど飲まない?飲むよね?ね?」─や、飲まねえッて。てか挨拶まだ途中だから座って「あれ、アスカちゃんだ、おはよ〜!」……聞いてねェし……」

 

 ────Pさんを見るなりフランクな口調で彼のもとに飛び込んでいってマイペースに話しかけ始めた、年若い女の子の姿だった。

 

 最新鋭の研究設備を難しい顔で扱う、年配の方々が大半を占める研究室。そんな中で着崩した制服の上から白衣を纏い、毒々しい液体入りのアンプル片手にPさんの匂いを嗅いでいる(文字通り。びっくり)彼女の存在は、この空間に於いて余りといえば余りに異質。それと。

 

(このコ、前に海外ニュースで顔を見た事あるような、ないような……)

 

 クセのあるヴァイオレットの長髪をポニテに結い、通った鼻梁と長い睫毛に、どこか猫の瞳を思わせる碧眼を備えた可愛い女の子。整った容姿からしてタレントさんか何かかと思ったが……どうも我が大叔父と、そして飛鳥ちゃんの知り合いらしい。

 気を取り直した飛鳥ちゃんが、何事もなかったかのように会話を続ける。

 

「ああ、お早う志希。朝方寮にいなかったのはここに居たからなのか。……ねえ、プロデューサー、ボク達に言った『詳しい人』って、ひょっとして志希のコトなのかい?」

 

「そーいうこった。二人は寮が一緒だからお互い知ってんのな。んじゃま、この機会に全員軽く顔合わせしとくか。ただ──」

 

 ここじゃあなんだ。と言うことで、断りを入れて空いている隣室を使わせてもらうことにし、そこで挨拶をした私達に返答する形で、満足したのかPさんから離れた彼女の自己紹介は始まった。

 

「……うんうん、取り敢えず二人の顔と名前と()()()()()は覚えたよん。それじゃ〜改めまして、あたしは一ノ瀬(いちのせ)志希(しき)。アメリカの大学からワケあって帰って来ちゃって、今は日本でJKやってる17歳。飛鳥ちゃんとは今月から346の同じ女子寮に居て、ジョースケとはNYで知り合ったんだ♪」

 

 趣味は観察と実験と失踪、それから特技は…………ニオイ当てかな?と続け、ラボ内の石造りのテーブルに堂々と腰掛ける彼女は、そこで一度形の良い鼻をスン、と鳴らしてこう述べた。

 

「う〜ん、…………マイバーバリーブラックパルファムにブルガリのオムニアクリスタリン、それとクロエのオードパルファム。どう?当たってる?」

 

「え!?」

 

「まあ…………!」

 

「……正解、相変わらず凄まじいね」

 

 なんと彼女、私達がそれぞれつけている香水の尽くを、その場で全て当てて見せたのだった。

 鼻の利きにはちょ〜っと自信あるんだよね〜と言う彼女は、静かな驚愕に覆われる私と文香ちゃん、やれやれ、といった感を醸し出す飛鳥ちゃんを尻目に、尚も話を進め始める。

 

「そ〜だ、頼まれた依頼のブツとやら、早速だけど見せてちょ〜だい?あ、ちなみにあたし専攻は化学(ケミストリー)だけど、自然科学も一通りイケるから大抵の鉱石持ってきても大丈夫よん♪」

 

 そういった彼女に私達は、各々持って来た本やら腕輪やらを円いテーブルに置いていく。……ところが、其れらを見るなり急に一ノ瀬さんの目からハイライトが消えた。

 自信満々な顔つきが真顔になった彼女、次に何を言うのかと思えば。

 

「……あっちゃ〜よりによってコレか。いくらあたしとは言え、この石ばっかりはどうもねえ……」

 

 あくまで軽快なノリを崩さなかった彼女こと一ノ瀬さんは、途端に苦笑いして首を捻りだす。

 

「……や、なんでかって言うとね。あたしも持ってるからなんだ、この石」

 

 カタチはそれぞれ違うけど多分、皆一緒のモノだろうね。

 そういって彼女は、白衣の左ポケットに手を突っ込んで、何やら古めかしいデザインの小瓶を中から取り出した。そして瓶の蓋部分に煌めく、その鮮やかな鉱石は。

 

「……ここにも、赤石?」

 

 ──私達のソレと全く同じ輝きを放つ、謎の赤い石だった。

 前進したと思った矢先。どうやらこの謎、一筋縄では解けないらしい。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 結局その日は白衣を着たままの彼女から、小瓶に関する説明をレクチャーして貰ったのちお開きとなった。そして後日調べるにつれ、幾つか分かったことがある。

 

 まず一つ、炭素年代測定含めた諸々の検査の結果、ペンダントの台座・腕輪本体・本及び瓶自体は1940年代、いずれもイタリアで作られたモノらしいこと。

 二つ目、赤石に至ってはなんと2000年近く前の代物であり、もしかしたら紀元前、ローマ帝国草創期からあったかもしれないということ。

 この事実により、「何らかの事象で四散した石を拾った誰かが後に思い思いに装飾を施した」のではないか、との仮説が現在濃厚だ。つまりペンダントやらは石に合わせて後付けでくっつけた添え物では?ということ。

 

 そして懸念していた不審な人影。これは現状皆の近くには見当たらないし、誰かが何者かに付け狙われた様子も報告もない。よってこの石、スタンドとかDIOとかとは関係の薄い、また別種の力を持つ宝石なのだろうと見做している。

 

 ……もしかして「幽波紋」でなく「波紋」関連、とか?

 ひいおじいちゃんがボケてなかったら何か聞けたかも知れないのに、無念。まあこればかりは仕方ないか、人間老いにはそうそう勝てない。

 にしても、ひとつの石が巡り巡って現代日本の私達の手元に来たというのは、結構すごい偶然だと思う。ただ、当面友人が狙われるようなことはなさそうでよかった、というのが正直な心情だ。

 さて、勝手に抱えた胸のつかえも軽くなった今。真に優先したいことは、言わずもがな────

 

「おっ待たせ〜みんな!一ノ瀬志希チャン只今とうちゃ〜く♪」

 

 そうそう、言い忘れていた。

 飛鳥ちゃんと同じ女子寮所属という事は即ち彼女、志希ちゃんが346のアイドル候補生でもあるということで。

 

「これで全員揃ったな。んじゃ『この四人でユニット組んで()()貰う』ッつー話、皆了承ってことでいいな?」

 

「無論、肯定だよ」

「任された〜!」

「……一人では心許ないですが、皆さんとなら」

「そういうことです、仗助(プロデューサー)さん」

 

 17日から今日26日までの10日間、各々の授業や部活の合間を縫っては集まってカラオケ行ったり買い物したり気付くとどこかに飛んでいく志希ちゃんを探したりしてるうち、すっかり意気投合した私達。

 そのおかげと言うべきか、今集合しているここ、346プロオフィスビル29階のプロジェクトルームに全員が集まったのも、ある意味自然な道理だった。

 返答を聞いた仗助(P)さん、ニッと笑って企画書を取り出し、私達へと語り出す。

 

「……よし。んじゃ明日から早速IUに向けてのレッスン開始だ。予選は7月29日。前哨戦として7月6日にミニライブも考えてっから、封切りまで正味40日ってトコだな。……ああそういや、『グループ名で希望がありゃあ考えといてくれ』とは言ったが候補あるか?保険として一応資料室から適当なの見繕ってはきたが……」

 

 ────その台詞、待ってました。

 

「決まったから問題ないよん。イロイロ出て来たんだけど、迷いに迷ってコレになりました〜!」

 

 志希ちゃんがぴら、とPさんに見せた紙。書かれていたのは────

 

 

 

 ☆

 

 

 

「────RoundS(ラウンズ)……?『机』とは、こりゃまたどうして……」

 

「……考えている途中で思い至ったのですが、そう言えば私達、集まる度に円いテーブルを囲って何かしている、ということに気付きまして……」

 

「ならいっそ円机(ソレ)自体をユニット名にしてしまえ、って話になってね。……ボクとしては黙示録の四騎士(アポカリュプセ・フィア・リッター)も捨て難かったけれど、円卓(ラウンズ)も悪くない。全ては合議の賜物、というヤツさ」

 

「あたしは『四人だから便乗して四代目 J s⚫︎ul 【自主規制】はど?』って投げてみたんだけどね〜。ま、我ながら新人アイドルがパクリネタはやっぱりマズイかにゃ〜って」

 

「最終的に短いし分かりやすくて丁度いい、ってことでこの名前になったんです。……ぴったりの机が、この部屋にもありますし」

 

 そう、青を基調としたこのプロジェクトルームの真ん中に聳える、削り出しの大理石を丸めたのだろう、シンプルにして(おお)きな白い円卓。

 毛足の短い青絨毯の上に計ったみたいに鎮座しているそれは、新プロジェクトに会社の意気込みと多額の予算が込められてることを示す証左に思えた。……目玉プロジェクトが遅延してるのは、どうにもフォロー出来ないけど。

 

 さて、我らがユニット名、果たして評定の程は如何に。固唾を飲んで見守るのは、Pさんの是非ひとつ。

 結果は────

 

「……成る程、由来としても名前としても申し分ねぇ。何より覚えやすいしな。採用だ、俺の方から広報やプレスにもRoundS(ラウンズ)で回しとくぜ」

 

 色好い返事に、思わず皆して心中でガッツポーズ。するとPさん、ここで一言。

 

「────さァーて、じゃあユニット名も決まったことだし、軽〜く結成記念パーティーでもやっか!この後全員空いてっから丁度いいだろ、なーに経費で落としとくから遠慮は要らねぇ、行きたいトコ言ってくれ。実質奢りだ」

 

 評定を無事通過したようだ……って、奢り?しかもどこでもいいの?なら────

 

「お寿司〜!回らないトコ!ただしサビ抜き!」

 

「焼肉食べたいです!食べ放題じゃないお店で!」

 

「でしたら、割烹か懐石を所望します」

 

「フレンチのグランメゾン。リストランテのイタリアンでも良いかな」

 

「全員バラッバラじゃねーか!?」

 

 容赦ない10代女子’Sのここぞとばかりの高級志向にタハハ……といった顔の大叔父。

 しかしこの分裂具合、ユニット決めと同じく行き先決めが長丁場になりそうである。船出からいきなり方向性の違いが危ぶまれるが、これで大丈夫だろうか私達。

 

 まあただ、メンバーは揃ってユニット名とデビューの日も決まり、モチベーションは十分だ。それに────

 

(────いい曲じゃない、「お願い!シンデレラ」)

 

 歌とダンスも、既に決まった。

 ────さあ、後はレッスンあるのみだ。




・一ノ瀬志希
猫っ毛ケミカルギフテッド。

・二宮飛鳥
エクステは気分で変える派。

・買い付けで不在の店長
基本接客はバイト任せ。

・スージーQ
ギリギリ存命。

・露伴さん
杜王町といえばこの人。

・千川ちひろ
神。


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004/ Let's play La-crosse.

010614



 ……んまあ、下馬評通りの展開になりそうね。

 

 梅雨入りを目前に控えた、5月31日。

 晴天の東京都品川区・中央京浜公園第二球技場にて、U22ラクロス日米国際親善試合・女子の部のゲームが行われていた。

 二国間の若年層の交流促進と競技振興も兼ねた、伝統あるこの親善試合。東京ローカル紙のスポーツ欄の記者を担当して2年目の私・善永(よしなが)の、本日の()()()取材対象でもあるんだけど……。

 

(さっすがアメリカ勢は強いわねー。日本の大学のコ達も頑張ってるけど、元のフィジカルが違うもの)

 

 そう、やはりというべきか何というか、ココ一番で海外勢との身体的な地力の差が出てしまうのだ。手脚の長さに筋量の多寡、身体のバネに動体視力。勿論技術は伯仲しているけれど、人種や体格差による壁ばかりは如何ともし難い。

 尤もこれは─経験者の方は特にお分りだろうが─ラクロスだけでなく陸上やバスケ、アメフトなどの他競技でも同じことが言える。

 

(女子バレーみたく丁寧なプレーをしてるから、あとは攻撃(オフェンス)がもうちょっと強くなればどうにかなると思うんだけどな……)

 

 こういう時は誰か一人でもいい、局面を打開できるストライカーがいれば流れは変わってくる……のだが、どうもエースは不在のようだ。

 ここ数年芳しくない結果ばかりの日本勢を、しかし母国の()()()だし、という事でカメラに収める。晴天のグラウンドを駆け巡る、ポロシャツに巻きスカート姿の選手達の勇姿を確認。うん、一応よくは撮れている。

 

(まあ、紙面には載らないだろうけどね)

 

 何を隠そう大学時代、自分もラクロスに打ち込んでいた人間が言うのもなんだが……地方紙の限られたスペースでは、メジャーな野球とサッカーを入れたら後は猫の額くらいの紙面しか残らない。そこに今年も似たような結果になるだろう、(日本では)マイナーなスポーツの試合記事を載せようとしても、まず編集で通らない。

 よって例の如くこれらの写真は、今年もお蔵入りだろう。先程「私的な」取材といったのはこのためだ。つまるところ趣味である。

 

(……お、写真チェックしてるうちにハーフタイム終わって再開か。ベンチから入れ替えはあるのかな?)

 

 女子ラクロスの試合は前半25分・休憩10分・後半25分のハーフタイム制。1チーム12人、別に控え(ベンチ)8人までのメンバーで110m×60mのフィールドを駆け回ってボールを相手ゴールに入れ合い(1回毎1点)、点数が上回った方が勝ち。

 ルール上必然的に点取り合戦になりやすいが、しかし現在は0-4でアメリカリード。日本側は守備こそ巧みなものの、未だ一点も決められないでいた。

 さて、後半を戦うメンバーの入替えはアメリカ側はなし、日本側の入れ替えは3人。

 うち2人は去年からの見知った顔だが、最後の一人はというと─────

 

「…………え?」

 

 ────最後にベンチから出てきたのは、栗色の眼と長い亜麻色の髪を持つ、健康美と熟れた色香という、相反する要素を併せ持ったような少女。その容姿は、まるで────

 

「……有栖(ありす)、さん……?」

 

 トラッドな水色のポロシャツと白スカートに身を包み、青いクロスを握る彼女は、かつて私の憧れた人と瓜二つの外見だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「ちょぉ〜っとゴメンねお姉サ〜ン、隣座ってもいっかにゃ〜?」

 

 てっきり目が可笑しくなったのかと自身の視覚を疑う中、不意に横から声を掛けられ我に返る。

 見ると薄紫の髪をしたラフな格好の少女が、人懐こい笑みを浮かべて私に声をかけてきていた。

 

 了承の意を示して少し傍に寄ると、アリガトね〜、といいながらお礼に、と毒々しいビビットカラーの飲み物をくれた。スタミナドリンクって名前らしい。…………どこで売ってるんだろ、コレ。

 よくよく見ればその女の子の後ろに黒髪と橙髪の少女もついてきている。しかも一礼をくれる彼女達、漏れなく全員かわいいときた。友達の観戦に来たのだろうか。感想もそこそこに、カメラを構えて再び前に向き直る。

 一方で隣の彼女達は姦しく盛り上がっており、不可抗力だが盗み聞きする形となる。

 

「う〜ん、思った通り、やっぱりココが一番よく見えるねん♪ベストスポット取れたから遅れは水に流すとしましょ〜」

 

「……結果良ければ何とやら、ですね。しかしまさか、予定より40分も電車遅延の憂き目に遭うとは……。ベンチスタートだからフル出場じゃないかも、と聞いてはいましたが、このままでは今日はもうダメかと思いました……」

 

「まあ、後半に間に合っただけ良しとしようじゃないか。……それにスコアを見るに前半、美波さん出てないみたいだし」

 

 前半出てないらしい「みなみ」さん?……ってもしかして、有栖さんにそっくりな、あの女の子の名前?

 ……いや、断定は出来ない。ベンチは全部で8人いる。決めつけは早計だ。

 

「……確かに、出場すれば既に試合の帰趨は決していてもおかしくない筈ですが……」

 

「ん〜てゆーか今出たばっかりっぽいねぇあの汗の感じ。────お〜い、美波ちゃ〜〜ん!!!──おっ、気付いた気付いた♪」

 

「し、志希ちょっと声大きいって……」

 

「あっははごめんにゃ〜♡」

 

「あ、でも手を振ってくれてますね」

 

「苦笑いだけどね……」

 

 確定。今此方に手を振っている、有栖さんと見紛うあの女の子こそ「みなみちゃん」だ。これは────ええいままよ、聞こう!

 

「……あ、あのすみません!」

 

「ん?どったのお姉サン?」

 

「今ベンチから出てきた『みなみちゃん』、て子なんだけど、貴女達のお友達、なのよね?……変なこと聞くけど、有栖さんって人ではないのよね?」

 

 当たり前だ。彼女が、新田(にった)有栖(ありす)が女子ラクロスで活躍したのはもう20年以上も前の話なのだから、今も居るなんてあり得ない。

 だからこれはただの確認、そう思っていたのだが。

 

「ありす……?……でしたら、美波さんの御母堂の名前ですね。……それが、どうかしましたか?」

 

 写真で拝見しましたが、そういえば美波さんとそっくりでしたね。黒髪の少女の返答に、思わず言葉を失った。

 娘?ってことは……有栖さんの子なの?あの子が?確かに他人の空似にしては出来すぎてる、けど……。

 

「……お、そろそろ始まるね。彼女の初陣が」

 

 その時耳に入った橙髪の少女の言葉で、沈みかけた思考は現実に立ち返る。

 そうだ、これから後半戦。本当に彼女の娘さんならば、デビュー戦でも善戦くらいはするだろう。頑張れ、みなみちゃん。

 

 ────この見立て、生クリームにハチミツをブチまけるくらい甘っちょろかったものであることを、私はすぐ後に知ることになる。

 間を置かずして始まったのは「健闘」とかそんな言葉で括れるものではない、文字通りの「無双」だったのだから。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「嘘でしょ……」

 

 目の前で起こっている現実が信じられない。後半戦開始から僅か10分、0-4だったスコアは5-4になっていた。驚くべきは日本勢の爆発力の源が()()であること。あれ程攻めあぐねていたのに驚異のスピードで追い付いたばかりか、全て一人のプレイヤーによる得点で逆転を成し得たのだ。

 立役者のAT(アタック)担当選手、彼女達曰く「空条美波」ちゃんは、端的に言って実に型破りだった。

 

「一気に逆転て、そんな」

 

 ブランドはナイキだろうか。青を基調としたグローブとスパイクはともかく、昨今は定番となったアイガードも着けずに裸眼のまま、女子には珍しく金属製の重そうなクロスを持ち、縦横無尽にフィールドを駆け回っているのである。

 止まっている時は無いんじゃないんだろうかというレベルで、一つ括りに縛られた長髪をたなびかせてボールを貰い、ゴーリーを嘲笑うかのようにポンポンとゴールに投げ込んでいく。俊敏なネコ科動物みたいなその様は、まるで羊の群れに混じった豹のようだった。

 しかも今に至るまで、相手方の巧みなフェイントに全く引っ掛かっていない。ということは、だ────

 

「──もしかして、相手の動きを『見てから』合わせてるの……!?普通は間に合わない筈よ、一体どうやって……」

 

 男子ならばボールが時速160kmを超えることもあり、別名「地上最速の格闘球技」とも言われるラクロス。

 当然相手の動きを予測して動かなければ間に合わない場面が多く、だからこそブラフ含めた駆け引きが重要になってくるのだが。

 速度で劣る女子とはいえ米国の実力者を、聞けば加入して二ヶ月のルーキーが何故そこまで圧倒できる?……と思ったその時、遠慮がちな、しかし確たる響きの篭った声がかけられた。

 

「……反応時間(リアクション・タイム)0.11秒、20秒反復横跳び77回、100m走10秒フラット、20mシャトルラン141回。……非公式ですが、全て美波さんが出した数字です。ちなみにシャトルランは時間の都合で強制終了でしたが……答えがあるとすれば、これらの数字でしょうか」

 

 私の呟きに律儀に答えてくれたのは、黒髪少女こと鷺沢さん。大学に入って間もなく行ったスポーツテストで叩き出した数字、とのこと。なお本人は測定後に「身体があったまった今の方が良い記録出せそうだから、全部もう一回やりたい」などと訳の分からない事を述べていたそうだ。

 

 ……というかそのデータホントなの……?公式なら女子世界記録に匹敵するのもあるんだけど……?

 

「ま、要するに『見てから回避余裕でした』ってヤツね〜。加えてトップスピード維持したまま動き続けられるような体力オバケだから、そりゃあ試合長引くにつれて有利になるし、勿論フェイントにも引っかからない、と」

 

「……とはいえあまりに尋常に過ぎるのでは、と思う時もあるけどね。彼女曰く『呼吸』が要らしいけど、ボクは彼女がもっと常人と違う、別の『ナニカ』を秘めてる気がしてならないよ。まあ詮索はしないけどね」

 

 自ら話してくれるなら兎も角、人には秘密があるものだし。と続けた橙髪の女の子こと二宮さん。そしてこちらもやはり質問に答えてくれた一ノ瀬さんの話を追加で聞き、空いた口が塞がらない。

 

(経験不足を敏捷性(アジリティー)と高い反応速度で補完して、身体能力と持久力では他選手の上を行くってコト?……ホントにタダの女子大生なの?実はマサイ族の戦士でした、とかじゃなくて?)

 

 あの華奢な体躯の、どこからそんなパワーが出ているんだ?思いながらも、改めて今や会場中の視線を独り占めにしている美波ちゃんを見る。小顔で手脚も指も長く、健康美溢れた筋肉が無駄なく付いている。が、フィジカルや身長で見れば明らかにアメリカ勢に劣る。体重も少ないだろうから、筋力はそこまでないはずなのに。

 

(身体の線の細さに不釣り合いな瞬発力と機動力は、一体どこから来てるの……?)

 

 超攻撃的なプレースタイルは、ディフェンスに定評のあった彼女の母のそれとは対照的だ。それでも頭一つ抜けたそのヴィジュアルと、チームメイトに声を掛けながら爽やかな笑顔で試合に臨んでいる姿は、有栖さんとの血のつながりを否応なく私に想起させた。所々、妙に妖艶なのも似ている。

 ……しかし時折オーラのような、可視化された気迫みたいなものが一瞬ちらと見えるのは気のせいだろうか。それに、全く息を切らしていない、いやむしろ……常に深く呼吸をしているようにも見える。コオオオォ、と。文字に起こせばそんな感じだろうか。兎角驚異的なスタミナだ。

 

 さて、点差は現在10-4でやはり日本リード。ダブルスコアの立役者となった盤上の彼女は、今何を思っているのだろうか?

 

 

 

 

 ★

 

 

 

(……残り12分。この倍は稼げるわね)

 

 コオォ、と。生まれついてより文字通り、息をする度に行っている「波紋の呼吸」を継続しつつ、私はグローブ越しの冷たいクロスの感触を確かめる。

 貸りたクロスが軽すぎて物足りなかったので、5月に新しく購入した金属製クロスは、現行規格に適合する中での女子用最重量モデル。「もっと重い男子用を使いたいです」と言ったら先輩にちょっとヒかれた。ひどい。普段から()()()()()()()、軽いと振った気がしないんです。得物は一撃で敵を屠れるくらい重い方がいいんですよ、先輩。

 武器に成っちゃうから、波紋は込めないように気を使うけど。

 

 因みに「ゴーグルつけないと危ないよ?大丈夫なの?」とも言われたけど、むしろ私にとっては枷にしかならない。相手の発汗、口の開き具合に重心の移動、動きのクセに間合い。全て裸眼の方が隈なく拾える。

 

(しかし、まさか1年の夏から出られるとは僥倖、ってトコかしら。まあ出るからには勝たなきゃね。円卓の皆(さんにん)も折角見に来てくれてるし────)

 

 ────だから今は、集中あるのみ!

 

 再開のホイッスルと共に、意識は再びゲームに戻る。今しがた取ったタイムアウトで、敵チームはようやっと重り(パワーリスト)を外したようだがもう遅い。勝負事でタイミングを逸すれば敗北は必然だ。──さあ、行こう。

 本能のまま芝を蹴り、相手選手がパスで回そうとしたボールを横合いから飛び込みキャッチして網で保持(クレードル)。勢いを殺さぬよう体を反転、一路ゴールまで跳ねるように駆けていく。

 

 後半戦序盤から()()()()()()()()()()撹乱しながら得点していた効用か、今や敵チームDF(ディフェンス)8人の内5人が私のマークについている。相手も焦っているのか、段々妨害がファウル覚悟の苛烈なものになってきている。……が、なあに波紋使いならこの程度、怪我をせず、怪我もさせずに攻略してみせよう。

 

(……さァて、それじゃあついてこれるかし、らッ!!)

 

 取りかかるのはマーク剥がし。まず1人目の金髪のコ、クロスをこちらに振りかざす。自クロスの柄で弾いて回避。次、メッシュの入ったベリショのコ、大股開きで待ち受ける。スライディングで股抜け走破。

 3人目、肌色からしてたぶんラテン系(ラティーノ)、フェイント二重の技巧派選手。見てから避けてそのまま突破。

 ゴール前、相手最速黒人のコ。韋駄天の座は渡さない。

 最後にゴーリー、体格の良いフィジカルバースト。ここも勢いのまま決め────はしない。抜かした4人もその意気軒昂、未だしぶとく追い縋る。ならばここは……

 

「お願いしますッ、先輩ッッ!!」

 

「えッ、アタシ!!?」

 

 私に群がる5人を尻目に、斜め後ろから追いついてきた先輩にボールを投げる。ノーマークの彼女なら、直線距離では私よりゴールに近い。少々危なげなくだがパスは成功、ならばそのまま────

 

 ────オイシイトコは決めちゃって。

 

 無言でそう呟きながら、彼女と視線を交錯させる。先輩に読唇の心得があるか知らないが、それでも我が意は伝わったとみた。

 果たして日頃の練習通り、流れるように突き刺さる17点目。言葉はいらない、無言のゴールこそ饒舌。

 そもそもあの人は部内のエースだ、病み上がりなのもあって今日は後半からの出場だが、元来そのくらいの力量はある。

 ……え、何がオイシイトコかって?そりゃ勿論、個人(わたし)じゃなくて全員(みんな)で作る、反撃の嚆矢(いっぱつめ)ってトコロ。一人をマークすれば勝てる試合じゃないと、プレーで以って知らしめよう。

 今日2回目のタイムアウトを取った相手チームにより出来た時間の中、そう束の間の思索に耽る。

 

「お疲れ美波!ラストスパートも頑張ってこ!」

 

 同時、戻ってきた先輩のハイタッチに応えながら、思いが口をついて出る。

 

「……先輩」

 

「なあに?」

 

「……私、今日が初めてだったんですけど、なんだか忘れられない日になりそうです」

 

 これこそチームスポーツの醍醐味にしてカタルシス。……ああ、皆で創るという意味ではアイドル活動もそうかもしれない。運動部のノウハウを持ちこんだら、もっと練度が高まるだろうか。今度検討してみようかな。にしても──「……美波、あのね」──なんです?

 

「アンタね、無自覚にエロいからちょっと心配。飲みの時とか気ィ付けなよ?」

 

 知り合いの十時(ととき)って子にそっくりなのよねその辺が、と肩に手を置きそう言う先輩。

 

「そ、そうですか……?」

 

 問うと返ってきたのは真顔の首肯。……そんなに私、色気に溢れているだろうか。色気……といえばまあ、765プロの三浦あずささんみたいな人には憧れはするけど。うん、今度弟にでも聞いてみよう。

 日が昇って暑くなってきたこともあり、ポロシャツのボタンをひとつ開けてパタパタ扇ぐ。谷間に通る涼風が心地良い。結構汗で蒸れるのだ、この辺。ちなみにスポブラしてるから吸汗はそこそこ良い筈なんだけど、こんな事ならキャミソールも着てくるべきだったかな。

 

 ……誰?今人の胸見て足りないとか言った人。同い年の文香ちゃんには完敗だけどこれでもDはあるんだぞ。波紋疾走(オーバードライブ)一回キメるだけだからちょっとコッチ来なさい、怒らないから。

 

 そのまま何の気なしに観客席の方を見る。今日は男子も応援に来てくれている。……のだけど、よく見ると皆座り込んで前屈み。どうしたボーイズ。

 

 顔色が上気しているから恐らく暑いのだろうけど、日陰にいるのになんだかなあ。体育会系の若者なら試合中だけでもスタンディングで応援してくれると嬉しいのに。少なくとも私が逆の立場ならそうする。

 丈瑠()なら終始やり通すぞ、見習え男子諸君。まあでも丈瑠(あの子)は体力バカだから単純比較しちゃダメかも。

 

「……う〜ん、出来ればたってほしいですね……」

 

「ソレよ、ソレ」

 

 はい?

 

 

 

 ☆

 

 

 どうも皆さん。新聞記者の善永です。突然ですが、本日の試合結果、スコアいくつだと思います?答えは…………なんと33-4。

 

 ……晴天の観客席から、今日の最終得点を思わず頭で反芻する。午前11時45分、後半戦から怒涛の勢いで得点し続けた日本勢の大番狂わせ(ジャイアントキリング)達成が確定したその瞬間、会場はスタンディングオベーションの嵐に包まれた。台風の目は言わずもがな、今日初試合のあのルーキー。

 

 見物に来た客こそ僅か、しかし自己中(セルフィッシュ)と見なされがちな個人技によるプレーに留まらず、チーム全体を鼓舞してゲームメイクをしていく様が琴線に触れたのか、敵陣営からも万雷の拍手で彼女は称えられた。

 もとより米国ではフェアプレーで結果を残せば、アウェーでも惜しみない称賛を受けることが多い。がしかし、此処まで大差をつけられての敗北で禍根が残らないのも珍しい。

 ……尤も件の少女・空条美波は、盤上で向こうの選手に握手どころかハグを求められ続け、最後の方は何だかげっそりしていたが。

 

 ただ惰性になりかかって居た親善試合に新風が吹いたこの日は、オフの日にも関わらず私の執筆意欲を掻き立てるには十分過ぎる日でもあった。

 

(新参の子が切り札(エース)どころか鬼札(ジョーカー)だとは、日本スポーツ界の星になり得るかもねあの子。なんでこれまで無名だったのかしら。まあ、後で調べとくとして、とりあえず───)

 

 取材の許可を取りに行きましょ。

 先程まで話し込んでいた友達を経由すれば恐らく了承される筈だが、それは私の流儀に反する。熱意とは直接伝えるべきものだ。何、記事は掲載させてみせるさ。

 見目麗しい少女が先導に立って成した、久方ぶりの一本勝ち。こんな激アツ展開にノータッチの記者がいたら、即日デスクから降りるべきだろう。

 

(上手くいけば、明日の紙面は差し替えかな?)

 

 少女のいる方に足を向けつつ、私は彼女をどう字で描くか、思いを込めて歩き出す。ちなみに彼女、どうやらクォーターらしいのだけど、ハーフの野球選手がプロ入りしても外国人力士が横綱になっても我が事のように盛り上がるこの国ならばそんなもの問題あるまい。

 というかぶっちゃけ可愛ければ正義である。マスコミなんてそんなものだ。

 ……可愛さ余って後に少女達が属するアイドルユニットのファンクラブ会員にまさか私がなろうとは、この時は思いもよらなかったのだが。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 翌日、346プロ29階【RoundS】プロジェクトルーム、通称「円卓の間」(※飛鳥ちゃん命名)にて。

 仗助(プロデューサー)さんが「記事載ってたぜぇ〜」と持ってきた地方紙の朝刊をテーブルに広げた私達の視界に入ってきたのは、フルカラーの写真付きで掲載された女子ラクロス特集だった。

 レッスンの休憩時間ということもあり、先程から皆して記事を読んでいる、んだけど────

 

「──品川の地に降り立った高貴なる女神(ノーブル・ヴィーナス)が振るいしクロスは、まるで僧侶の杖が如く、か。……ちょっと修飾過多すぎやしないかい?」

 

「ソレをアスカちゃんに言われるって、善永さん(アノヒト)も相当スキモノだね〜♪」

 

「志希、ボクに引っ付いたまま耳元で喋るのはやめてくれ。こそばゆい」

 

「ん〜とね、ヤ♡」

 

「ええ……」

 

 ──そう、そこに載っていたのはなんというか、非常に文学的な表現で書かれたチームと私への賛美だった。しかも私に関しては写真付きでの別特集付き。

 掲載自体は許可したからいいのだけど、選ばれた写真、よりによって。

 

「────なんで、コレなのかしらね?」

 

「…………ま、まあ、躍動感は伝わってくるかと……」

 

 文香ちゃんのフォローが刺さる。

 そう、てっきりゴールを決めたところでも記事に添えるのかと思ったら、なんと相手選手を股抜け突破したところが一面という謎編成。流石にそこは配慮したのだろう、際どい所は映ってないのが救いだが。それに────

 

「日本語だけど記事の翻訳が要るってどうなのかしら……ていうか女神って……」

 

 どうにもこそばゆいが、ある意味()()()()()「ヴィーナス」なるフレーズを見遣る。……まさか、そんな渾名をつけられるとは。

 

「……恐らく、ラクロスと僧侶の杖(la-crosse)を掛けて、その上で美波さんを女神に喩えたのでは?少々強引な解釈ですが……」

 

「な、なるほど……」

 

 文香ちゃんの淡々としたクールな考察は、このユニットに不可欠な気がする。

 さてこれ以降も、若き日のママの事をよく知る女性・善永さんの書く謎記事の解読に(翻訳担当は主に飛鳥ちゃん)勤しむことになる私達なのだが、翌年この日本語→日本語翻訳が予想だにしないところで役立つことになるとは、この時はまだ知らなかった。

 

 

 

 ★

 

 

 

 ────彼女達が日常を謳歌している同日、同時刻。

 

 イタリア南部の都市・ネアポリス某所に位置する、とあるカフェテリアにて。

 いつもなら営業時間であるにも関わらず「CHIUSO(準備中)」の立て札が架けられたカフェの店頭を、道行く人々が時折訝しげに見遣る中。

 

 表向きには「倉庫」となっている筈のその店の地下階で、只ならぬ雰囲気を持つ者たちの会談が執り行われていた。

 スモークウッドのテーブルにブラウンの革張りソファー、壁に立てかけられるはルネサンス期の巨匠・ミケランジェロの代表作、「最後の審判」の複製画。暖色照明にまとめて照らされるそれらに囲まれてやりとりをする男達は、大別すれば二つのグループに分けられる。

 

 一方は今やイタリア五大マフィアの一つに数えられる巨大地下組織・パッショーネの構成員。

 もう一方は今や知らぬ者など居ないだろう巨大多国籍企業・SPW(スピードワゴン)財団から選りすぐられた「口の堅い」社員達。

 ギャング・スターと全世界のオイルマネー、その数割を握る組織とが密談となればマスコミや陰謀論者が嬉々として押し寄せそうな光景だ。が、彼らが今日集まった目的は麻薬密輸でも脱税でも、はたまた人身売買でもない。

 そもそも10年以上前から組織の清浄化が図られて長いパッショーネ、近年は建設業や金融業が稼ぎ(シノギ)の主軸である。

 ただし今日の話は、非合法ではないが同時、決して表沙汰にすべきでない案件でもあった。

 

「……では、……全員集まり次第、会議を再開したい。それまで一旦休憩としよう」

 

 そんな、切った張ったを御家芸とする連中の中にあって、どちらの組織にも属さないが、オーラが全く引けを取らない男の低い声が響く。

 そう、彼こそが「事柄」の性質上、特別に参加を要請された男……空条承太郎、である。

 イタリア中を飛び回った約3週間近い海外出張。それが今日で以って終了することもあり、朝早くから始まった会議が一旦休憩となった合間を縫って、彼はかつてエジプトで共に闘った旧友との会話を楽しんでいた。

 

「……しかし、お前は変わらないな、ポルナレフ」

 

「んまぁ〜なんてったって魂だけだからよぉ、それに考えようによっちゃあ便利だぜぇ〜(ココ)の中は。最近はインターネットってモンもあるしな。つ〜か、そーいう承太郎はまた少し老けたんじゃあねえかァ〜?」

 

初めて会った(あの)時から20年以上も経ってんだ、そりゃあ歳もとるさ」

 

「ハッ、違えねえ。にしても思えば高校生の時から煙草フかしてたお前が今じゃあ二児の父たァねぇ。嫁さん共々大事にしろよ?」

 

「……あぁ、(アイツ)には何だかんだ感謝しきりさ。……そういや、最近は美波(むすめ)がアイドルやり始めたんだが、触発されたのか『私も頑張ればいけるかな……?』とか言い出してな……」

 

「お、んでなんて答えたんだ旦那サンよ?」

 

「洗い物しとくからもう寝ろ」

 

「ぶはははは!!ヘタレか!!!」

 

「息子も『40のオバンが無理すんな』と抜かしてたからな。ジョースター家は代々そんなもんだ」

 

「ソレ、ジョセフ(ジョースター)さんも昔似たようなこと言ってたなぁ…………ところでよぉ、承太郎」

 

 ────さっき言った盗まれたっつー『矢』に関する情報なんだが……下手人に心当たりとかねェのかい?

 

 銀髪をオールバックにし、片割れのハート型ピアスを両耳につけた彼にとっての旧知の友人は、一度言葉を区切って今日の核心に迫って来た。奇しくも丁度、休憩に立っていたパッショーネのNO.1が戻って来たところである。

 ……休憩終了、ってことでいいんだな?……言外にそんな意を込めた承太郎の目線で察したのか、ポルナレフは返答代わりに無言で頷きを返す。

 

「……そんじゃあ会議再開とすっか。……端的に言おう、キナ臭い奴が1人いる。──コイツだ」

 

 そう言って彼が机上に差し出した写真に写っていたのは、毛先がカールした金髪を持ち、幾分時代錯誤的な感のあるデザインのスーツを着た白人男性だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……ッ、この男は……!」

 

「やはり知ってるか、ジョルノ」

 

 ポルナレフの隣に座る、ジョルノと呼ばれた輪型の前髪が特徴的な金糸の男は、承太郎の質問に際し、自身の配下であるパッショーネの構成員から入手した情報を開帳する。

 

「それなりには、ってだけですけどね。東部選出の連邦下院重鎮議員、ファニー=ヴァレンタインです」

 

 ファニー=ヴァレンタイン。高い政策立案能力と実行力に加え司法・行政・マスコミにまで伸びる豊富なコネを持つ、米国のタカ派政治家である。生来の過激な物言いで以って、最近はオルタナ右翼からも熱烈な支持を集めている。『疑惑の総合商社』などという不名誉な渾名を頂戴しながらも、次期大統領選出馬の噂もある。

 ダイジェストで其処まで喋ったジョルノだが、やはりというべきか疑義を呈した。

 

「……何故、この男を?」

 

 疑惑。ジョルノの述べたその台詞に、承太郎の眼は俄然鋭くなる。SPW財団の集めたインテリジェンスとほぼ同じ精度の情報を、パッショーネは掴んでいるようだ。

 

「黒い噂も補足してるのは流石の収集力、だな。まあ、俺たちがコイツをマークすることになったのは只の偶然なんだが──」

 

 そう切り出した承太郎の話は、正に棚ぼたといった方がいいストーリーだった。

 

 発覚したキッカケは、バイト代目当てで地元NY出身の代議士であるヴァレンタインの選挙事務所で働いていた祖父ジョセフの養女、(しずか)・ジョースターが事務所の物置から書類を持ち運ぼうとした時のこと。

 狭い物置部屋を出る途中、置いてあったヴァレンタイン代議士愛用のゴルフバッグにつまづいて転びかけた彼女。

 慌ててバッグを元に戻そうとした時、眼前に出てきた中の物こそ、件の『矢』であった。

 物音を聞きつけて本人がやってきたのだが、咄嗟にスタンド(アクトン・ベイビー)で透明化。物陰に隠れて事なきを得たそうだが……。

 

「……その三日後に事務所が急に閉鎖され、元いたスタッフは全て解雇。本人はNYに持ってる高層ビルに新事務所をつくって移住……?」

 

「外出時はご丁寧に大幅増員した警備までつけて、な。表向きには『殺害予告を受けたから』と言ってるらしいが、SPW財団の調べではそんな形跡はなかったそうだ。『矢』の話が本当なら管理が杜撰(ずさん)に過ぎるっつーか、余りにマヌケな野郎だが、恐らくスタッフの誰かにバレたと見做して籠城してる、と考えれば辻褄は合う。……ただ静は『矢』をスマホアプリの無音カメラで撮っておいたらしく、即日で写真を送って来たんだ。で、ソイツをプリントアウトしたのが……」

 

 コレだ。

 そう述べた承太郎がピラ、と見せた写真。写っていたのは紛れもなく、ここ3週間で調べさせた英国の骨董品店、及び杜王町の美術館から奪われただろう二本の矢であった。

 ちなみに双方の施設ともSPW財団の息のかかったところであるため、派遣した警備を出し抜かれたテキサスの本部は面目丸潰れだそうだ。

 

「……昔、僕らが遭遇した矢、そして今ココにある矢とほぼ同じデザイン、ってことは……」

 

 ジョルノの呟きと写真によって場の雰囲気が一際引き締まったことを肌で感じた承太郎は、長い脚を組み直してから言葉を続ける。

 

「クロだろうな。少なくとも杜王町から盗まれたと思わしき方の矢は、取り寄せた杜王美術館目録に載ってる矢の写真と完全に一致している。ついでに時を同じくしてこの男の地元、アメリカNY州を中心にココ1ヶ月、行方不明者や()()()犯罪が多発してるのも気がかりだ。とどのつまり、この矢で以って新たなスタンド使いになった連中が暗躍している可能性も否定できん」

 

「つーことはよォ、この金髪は()()()矢の使い道を知ってて、その上で自国民を手当たり次第に『射って』人体実験やってるかも知れねえーッてコトか?……なあ承太郎、マジならフツーは殴り込めばいいだろうが、相手はアメリカ有数の権力者だ。どうやって立ち回んだ?」

 

 横合いからのポルナレフの困惑混じりの声は、正に核心を突くものだった。

 心無いスタンド使いの無秩序な増殖は、DIOや吉良の例にあるように人々に碌な結果を齎さない。故にこのまま容疑者を放置すべきではない。が、今回の相手はこれまでにない程の社会的立場と名声を持つ人物。

 今迄の自分達のやり方が通用しないという意味では、「手強い」というより非常に「やり辛い」相手であった。

 

 二つの矢の収奪犯も監視カメラの映像を元に特定、パッショーネが尋問した。が、金で雇った輩なのだろう、重要事項など一切知っていなかった。いわゆるトカゲの尻尾切りというやつである。

 敵が勘付いているかいないかは分からない。が、一本で飽き足らず複数回の犯行を重ねていることから、我々の持つ『矢』の情報を知っているとしたならば、此方を狙ってこないとも限らない。

 その上で今はどう動くべきか、今後の指針を定める時だ。

 

「戦力は逐次ではなく、一箇所に総てぶつける。出来るだけ短い期間で殲滅するのが理想だろうな」

 

 作戦の鍵となるのは戦力投射と横の連携。不特定多数の強力な敵と闘うかも知れない以上、現状尤も多くの熟練スタンド使いを有する組織・「パッショーネ」の戦闘力と、スタンドに精通し世界中に拠点を持つSPW財団の財力・諜報力とを合わせて立ち向かうこと。

 そこまで考えを纏めつつ、供されたエスプレッソを一息で飲み干した承太郎は。

 

「真っ向勝負は最後の最後、敵の尻尾を直接掴んだ瞬間からだ」

 

 ポルナレフの誰何にそう答えたのち、真剣な面持ちで己を見詰める彼らを前に言い放つ。

 

「────現存する五本の矢の内、既に二本は敵の手中に落ちた。よって此れよりはこのネアポリス、テキサス、目黒にある残り三本の『矢』の死守、及び奪われた矢を奪回する。コレが今回の任務であり、同時に我々幽波紋(スタンド)使いが果たすべき────」

 

 

 ────未来への、責務だ。




・善永さん
熊本出身。

・先輩
女の子。

・応援の男子達
年頃。

・ポルナレフ
今は亀ナレフ。

・ジョルノ
GIOGIO。

・静=ジョースター
元透明の赤ちゃん。


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005/ 1人目

050614
※オリスタンドと云う特大地雷要素があります。


(うう……なんか妙な気配感じるし……やっぱり朝早くに来れば良かったかな……)

 

 ラクロス親善試合が終わってすぐの6月3日。結局Pさんオススメの店に招待されたRoundS結成パーティから、約一週間ほど過ぎた火曜日のこと。

 日もとうに落ちた時間帯、華の女子大生ーこらそこ笑わないーであるはずの私・空条美波は、なぜか単身夜の集合墓地に赴いていた。

 

 東京都渋谷区渋谷駅近くにある某寺の集合墓地たるその場所。真下には青山霊園と並ぶ23区内屈指の心霊スポットであるSヶ谷トンネルが位置していることもあってか、何やら冷ややかな空気が辺り一帯を覆っているようにも感じられる。夜9時を回っていることもあり、都心にも関わらず人気の少ないそこは、まるで別世界の様相を呈しているようにも思えた。

 

 普段なら好きこのんでは行かない所……なんだけど、実は明日提出期限のフィールドワークレポートの題材にこの場所を選んでいたため、あえなく一人でふらつくハメになったのだ。

 あ、ちなみに今の私の格好、フルレングスの藍青(インディゴブルー)ワイドパンツとスキニーパーカー、NYY(ヤンキース)キャップに足元はVANSのスニーカーという出で立ち。

 ……え、服装に女子力がない?探せ、そんなものは事務所に置いてきた。

 

 さて。前日に課題を慌ててやる不手際を言い訳するなら、本来はもっと早くに終わってただろう課題なのだ。しかし最近はラクロスの練習とアルバイトにボーカル&ダンスレッスン、書斎の蔵書漁りに加え波紋の修練に励んでいたらこのザマ、というわけ。

 ……多忙により正直睡眠不足なのは否めないけども、元々学業に支障を来すなとパパと約束してアイドルやってるのだから、こればかりは絶対守らねばならない。

 

 因みにレポートのテーマは「都内の歴史的建造物の変遷について」。幕末に至るまで隆盛を誇った古刹が、明治になると途端に寂れてしまってるあたり時代の変遷を象徴してて面白い、と力説して文香ちゃんも誘い、彼女も途中までは乗り気だった。ものの……すぐ真下に心霊スポットがあると知ると頑なに拒否られた。大の苦手らしい。

 

 尚、件の文香ちゃんはなんと下宿先の古書店をテーマに一本書いていた。現当主のインタビューも載せた10000字詰めレポートをサラッと見せてくれた時は驚愕を覚えました。

 私も見習わなきゃなあ、とその時感じたことを思い出しつつ、スマホの懐中電灯機能で足元を照らしながら人気の無い寺院を歩く。

 俗に墓地などは怪奇現象がよく起こる、などと言われて怖いものみたさに来る人がいたりする……のだが、廃屋やお墓で本当に怖いものは実は霊ではない。……ごめんなさい嘘です、結構強がりです。

 ただ、こういった場所で確実に警戒すべきは心霊の類よりは有毒ガスや毒虫、野生動物、そして何より不審な人間──

 

「……ぞ!!…………連……込め!!!」

 

 

 ──その時唐突に真下から聞こえてきた剣呑な声に、ふわふわしていた私の思考は寸断された。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 瞬時に頭のスイッチが、「有事」のソレへと切り替わる。

 

 声色から只事ではない荒さを察知、走り出しながらも音源にアタリをつける。……大体トンネル真ん中あたりか。

 この古びた名刹の地下、即ち今の私の真下にある建造物は言わずもがなSヶ谷トンネル。厄介の種はどうやらその内部にあるようだ。

 ……寺を抜けて回り込み、普通に降りるか?──いや、早い方がいいだろう。

 思うが早いが、蔦の生い茂ったトンネル出口まで一息で走り抜け、辿り着いたトンネル際へと足を掛ける。近づくにつれ鮮明に聞こえてくる声と、()()()()()()()()()()()に焦燥を覚えつつ、アスファルトで舗装された道路と彼我の距離を確認。歩行者及び通行車、無し。高さ、約4m。────いける。

 

 思うが早いが利き足で蔦ごとコンクリを蹴りつけた、その勢いのまま空中で前方に一回転。トン、と軽く音を立て片側2車線道路に右膝と右手を添えつつ着地する。

 直ぐさま振り返って視界に捉えたトンネル内部に居たのは、右眼を覆う前髪が特徴的な、金髪の小柄な少女。

 ──そして、その少女の腕を掴んで乗用車に押し込めようとする五人ばかりの、ガラの悪そうな輩だった。

 

 しかも。微かに漂うこの錆びた鉄みたいな匂い、そして男の一人が持っている金属バットについているのは……血?

 ……まさか、この連中……!

 

「…………手ェ離しなさい、その子から」

 

 帽子(キャップ)を目深に被り直しつつ、圧を込めてそう発した言葉。闖入者を認めたか、スエットやらジャージ姿にマスク、そして各々バットなぞを持った時代遅れのチーマーのような男達が一斉に振り向く。例外なく、誰も彼もが濁った目。まあ素面ではないだろう。ましてや正常でも。

 吐き気を催す面構えの男達に、ゆっくりと滲み寄る。

 

「んだテメェは?」

 

 私の姿を認めるなり、卑屈な笑みを浮かべつつぞろぞろと此方に向かってくる男達。……標的接近、全部で4人。

 

「また1人増えたのかァ?しゃーねェ、ソイツも連れてけ。遊んだら山ン中にでも真っ()で捨てときゃいいだろ」

 

 雑音を全て無視し、トンネル内部に進んでいくと濃くなってきた血の匂い。その大元は、歩道傍にあった年季の入った段ボールと毛布の塊から滴っていた。

 …………誘拐未遂と強姦企図、更に路上生活者(ホームレス)狩りとは、正に屑の役満と言っていい。後で救急車も呼ばなければ。さっさと片付けなければ塊の中にいるだろう被害者の生存が危ぶまれる。

 ……人数訂正、止まっていた黒のハイエースの中にもう一人。全部で6人。

 

「つ〜かよォ、よく見りゃ上玉じゃね〜かネェちゃん。こんなところにこんな時間にくるとか、ひょっとして誘ってんのかァ?」

 

 ダガーナイフを舐めながらニヤついてやって来る、プリン頭の下衆が騒ぐ。脅威度低、放置。

 最優先対象はもう1つ、残り1人が抑えてる金髪の女の子。取り敢えず、あの子は解放しなければ。ならばこの状況の最適解は──!

 

「──藍色の(インディゴブルー)波紋疾走(オーバードライブ)ッ!」

 

 近づく輩を無視しつつ、震脚に似た動作で左足をアスファルトに叩きつけ、私から見て一番遠くにいる男、即ちあの子を縛る枷に向かって遠当ての要領で動きを止める。

 手足を通して対象へ直接触れずに波紋を流せるこの便利技、習得に2年近くの修行を要した地味な努力の賜物だ。

 それでもってこの隙に……

 

「……逃げて!!」

 

 ……意は伝わったか、突然の呼びかけにそれまで茫洋としていた彼女はコクリ、と頷くと、いきなり動けなくなって当惑している男を尻目に緩まった拘束から逃れ、逆方向へと駆け出した。

 当座はコレで一安心、そして1人の無力化に成功。残りは5人。しかし────

 

「ナ〜二やってんだバカ野郎!」

 

「い、いやそれが急に体が……」

 

「ハッ、ココまで来てビビってるたあ使えねー。……つーかよ、余計なコトほざいてんじゃねーぞテメェ!?」

 

「だから言ったろ、先にクスリ打っとかねーからだよ。……まあイイ、ソイツマワして憂さでも晴らすか。シメるぞ」

 

 今しがた運転席からバールを持って降りてきた汚いドレッドヘアの男も含めると、総勢5人が獲物を取り逃がした事を認識したのか、興奮気味に何やら捲し立ててきた。

 よく見ると皆腕やら顔にカラフルな刺青。落書きを誇示して虚勢を張るとは恐れ入る、こうはなりたくないものだ。

 ……ああ、ついでに薬物乱用も罪状に追加しておこう。

 さて、近くに他の通行人、なし。監視カメラは──割られてる。まあ、逆に好都合とも言える。

 尤も、私が間も無く起こす事象は、まず()()()()()()()()()()が。

 

 段取りを考えていると、後ろ手に此方に歩いてきた二人の男が、ゴルフクラブと鉄パイプとを目立つように翳してくる。バット男とナイフ男も含めれば、コレで全員武装要員、と。

 ……ハナからそんなつもりは無いけど、娑婆に出しちゃあいけない奴らね。手慣れた持ち方から見るに、どうも初犯じゃあないみたいだし。

 が、ペースを落とさず歩き続けるも凶器を見て険しくなった私の目つきをどう捉えたか、馬鹿共が俄かに勢いづく。

 

「お、もしかして今更ビビっちゃったア?なら今すぐ全裸で土下座すりゃあ許してヤんねェでもねーぜ!?」

 

「まぁもう遅セーけどな!!」

 

「ギャハハハハハ!!!」

 

 ……哄笑、黙殺。状況、近距離4対1。その距離、既に約5m(射程圏内)

 対象を、ただ迅速に無力化すべし。討つべきは、まごう事無き『悪』そのもの。

 これらにつける処方箋(プレスクリプション)────幽波紋(スタンド)こそが最善手。

 

「なァクソアマ、今なら殺さ「Wake up,your turn(起きなさい、出番よ)──」……ア?」

 

 出てこい、空条美波(わたし)STAND(傍に立つ者)

 

 

「────VENUS_SYNDROME(ヴィーナス・シンドローム)ッッッッッ!!!!!」

 

 

 ──怒りを込めた掛け声と共に、私の背後に女性(ヒト)型の意思持つ幽体が音もなく出現した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 額までを覆い隠す、白百合(カサブランカ)を模った白兜(ヘルム)。口元と頬を隠しながらたなびく青マフラー。胸部から腰部にかけ装着された、銀を基調とした板金鎧。膝上まである白地のテールカットスカートと、脛をカバーする青脚鎧(グリーブ)に青のブーツ。各所に添えられたクリスタルの装飾に映える鮮やかな金の長髪、そして冷ややかな碧眼を備える彼女の両腕は、タイトな白のオペラグローブと白銀の手甲に包まれている。

 顕現させたその(ヴィジョン)は、しかし目の前の有象無象に見える訳はなく。

 

「なッ!?……んだよ急にデケー声出して、くだらねーハッタリかッッ!!?!?」

 

 猿声を上げんとしたナイフ男が、弾かれたように吹き飛んだ。真後ろにいた鉄パイプの男も巻き込み、勢いよくトンネル内を転がっていく。私から見て、ざっと2mほど前方。

 ……幽波紋の見えない拳を一瞬で、4()()喰らえばそうもなるか。破壊したのは恐らくは、鼻骨と鎖骨に肋を数本。なに適当に加減はしてある、証拠に解放骨折ではない。

 

「な、何だよお前……何なんだよコレェ!!」

 

 お仲間2人が吹き飛んで、腰が引けてるバットの男。たじろぎながら喚き出す。──不愉快この上ないわね全く。

 心に呼応するかのように、振り抜かれるは不可視の裏拳。……クリティカル。バール男はトンネル壁へとゴールイン。 少なくとも顎関節は折れてるだろう。さてさてこれで3人目。

 

「ば、化けモンだ……」

 

「オイオイ何チキッてんだ!!2人で行きゃあボコれんだろォ!??!?!」

 

 残ったのは失禁しているゴルフクラブと、薬物臭い金属バット。……後者にすかさず、左拳でアッパーブロウ。一瞬宙に浮き上がり、勢いのまま顔から落ちる。地面とキスとは奇特な趣味だ、お気に召すまで続けなさい。

 

「……うわ、うわああア嗚呼アアア!!!」

 

 恐慌状態にでもなったのか、苦し紛れに残った男が振りかぶったクラブが目前に──

 

(……遅い)

 

 ────迫らない。

 

 幽波紋のマフラーと左襟元に添えられた一筋の細い鎖をなびかせながら、顔面へと膝蹴り一発。

 グシャ、と林檎が潰れたような音と共に、クラブを手放した男が膝をついて崩折れる。ヤニで黄色くなったのか、汚い前歯が辺りに散らばる。

 ……さて、これで5人は片付けた。

 残るは一人、先程足止めした男に向かい、拳を握って走り寄る。この世の終わりを見たような顔で此方を見上げる男までの距離、凡そ七メートル。……即ち、たっぷり1秒かからない。

 

 腰に据えた伸縮自在の()()()は、今日は陽の目を見ないだろう。ヒト相手には使うに酷だ……ということで。

 握り込んだ助走付きの正拳突きの行き先は、まごう事無く目標の顔。…………うん、ジャストミート。

 動作こそ精確で速さにも優れるが、VENUS(ヴィーナス)は決してパワーのある幽波紋ではない。ただし雑魚の制圧だけならば、拳一つで十分足りる。よって全員無力化完了。ここまで予想通りと言うべきか。

 

 それじゃあ、目的は瞬く間に完遂されたとみな──「……隙見せたなァこのビチグソがぁァァ!!!」──!!

 ……訂正、まだ一人残ってた。

 

「死ねやゴラァ!!て……あ……え……?」

 

 揉みくちゃになって転がった後復活したのか、唯一残ったその武器を振りかざしてきた男の狙いは。

 

「……後ろから鉄パイプで闇討ちとは、よっぽどブチのめされたいみたいね……」

 

 私に凶器を当てるなぞ、この程度の輩では土台不可能。

 ギチギチと音を立てるパイプを不可視の腕で引っ張って男の手から引き剥がし、目の前で叩き折って廃材へと作り変え、傍に投げ飛ばす。打ち捨てられた屑鉄を見て腰が抜けたらしい男は、卑屈な笑みを此方に浮かべて何やら許しを乞うてくる。

 

「……や、やだなァ、ほんの冗談だよ冗談、クソアマとか言ったのは謝るからさあ……ちょっとした出来心だったんだって……!だから此処は見逃してくれよぉ……ね?」

 

 この期に及んで命乞いとは。……やれやれだわ、ホント。

 

「────駄目よ」

 

 胸倉掴んで意思表示。握り締めるは真白い拳。叩き込むのは────我が拳打ッッ!!!

 

『オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァァァァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

「ゲペええええええええええええッッ!??!?!?!」

 

 ──虚空に響くは、心の雄叫び。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……よかった、なんとか間に合った……」

 

 出来の悪い現代アートみたいになった男を放置して私が取り組んでいたのは、応急の人命救助だった。

 スタンドに段ボールやらを持たせつつ覗いた、比較的新しい毛布やらビニール袋やらとごっちゃになった塊の中身。

 そこには果たして手酷くやられたのだろう、血塗れになって突っ伏していた青年の男性がいたのだ。

 即座に波紋を使うこと数十秒、怪我が治癒して呼吸が落ち着いてきたのを確認。……見た所寝込みを襲われたと見た。

 まあ本来、こういう事は医療機関に任せるべきなのだけど、しかし目の前で助けられる命を見捨てるというのも寝覚めが悪い。

 ……さて、当座の治療も終わったことだし。

 

(……ここはさっさと、立ち去りましょう)

 

 青年の手元に、炊き出しをやってる近くの教会の住所を添えた紙を置いて立ち上がる。人と関われば社会へ戻る道も見えるだろうし、その後は自らが決めることだ。

 

 帰るついでに「トンネルで柄の悪そうな男達が倒れている、どうも只事ではないようだ」という旨の通報を実施しようと思ったけど、パトカーと救急車のサイレンが既に近付いてきていた。誰かが通報したのかな?……まあいい、さっさとトンネルを抜けよう。

 近隣は音楽スタジオとかなので気付かれてはいないと思うけれど、長居するのは得策ではない。

 連中は暫く目覚めないだろうし、日本の警察は仕事が早い。あとの裁きはお上と司法に任せよう。にしても──

 

(……トンネルに近づくにつれ強く感じた奇妙な気配が、外に出たのにまた濃くなってる……)

 

 てっきりあの第六感に引っかかる感覚、絶対()()()絡みだと思ったのだけど。……確認も兼ねて発現させたスタンドを視認出来た連中は、あの中にはいなかったみたいだし。

 真上の墓地を歩いている時から感じた奇妙な感覚は一体何だったのかしら?……と、歩きながら考えた時。

 

「……あ、あの……さっきのお姉さん、だよね……?」

 

「……え?」

 

 一路駅に向かう途中の私に横合いから声を掛けてきたのは、先程下衆の魔の手から逃れた筈の、金髪の少女だった。

 

 

 ☆

 

 

 

「えっ!?じゃあ私達、同期採用の候補生だったってこと?……あ、そうだこれよかったらひと切れどうぞ」

 

「あ、ありがとう…………うん……言われてみれば私も、美波さんぽい女の子、遠くからなら事務所で見たことあったかも……」

 

 Sヶ谷トンネルから徒歩10分、Sヶ谷駅最寄りの喫茶店ル・ノワールの一角にて。

 夜十時という時間にも関わらずフレンチトーストとガトーショコラにカフェオレ、という糖尿一直線の夜食を嗜んでいる私の前に、どうも先程まで私を探してくれていたらしい女の子改め、白坂小梅ちゃんの姿があった。

 現在中学一年らしいけど、その割にしっかりピアスもしているしメイクもバッチリ。がしかし萌袖というのだったか、袖の長い黒パーカー越しに掴んだガムシロップをコーヒーに入れる仕草と低めの背丈も相まって、大人びたところもあるが一方でどこか庇護欲を掻き立てる、といった相反する要素を併せ持つ女の子だった。

 

 今さっき手渡したフレンチトーストを食べている彼女、聞けば巻き込まれた私が心配でトンネルを出るなり警察と消防に連絡、その後も入り口付近に隠れて深夜労働を強いられるだろう公務員の皆様に状況説明でもしようかと思ってたら、一仕事終えたような顔且つ無傷の私が出てきた、ということらしい。

 

 ワンチャンさっきの状況を見られているだろうけど「見たの?」とは聞き辛いなあ、と私が一瞬固まってた中、彼女の方から話しかけて来てくれて今に至る、というわけだ。にしても──。

 

「そうだったの。……あ、ていうかその、小梅ちゃん、さっきのことなんだけどね……ホントに、大丈夫なの?とりあえず今日は私が寮まで送ってくけど、もしその……」

 

 そう。意識の埒外から殴られ失神しただろう浮浪者の人と異なり、自分を未遂と雖も物のように扱おうとした連中をしっかり見聞きしてしまっている。後でPTSDなりが出て来てもおかしくないだろう。でも──

 

(にしては平然、いや超然とし過ぎてない?この子……)

 

 それに()()()()()()()、此れじゃあまるで彼女が──。

 

「……怖かったけど、大丈夫。そもそもトンネル(あそこ)に行ったのは、私自身の意志だから。……それに、『あの子』がついてくれてたし」

 

「自分の意志?と、あの、子……?」

 

「うん。……私、心霊スポット巡りが趣味なの。それで、今回は偶々こんな……夢中になってて、それで、『あの子』の注意に気付かなくて……」

 

「そうだったの……ごめんなさい、来るのが遅くなって。……えっと、それでね、その『あの子』って?あ、言いづらいなら無理には……」

 

「ううん、大丈夫。……『あの子』は、……なんと言うか、美波さんが……」

 

「……わたし?」

 

 あの子?……見た限り、彼女は一人で行動していた。友達?家族?恋人?……それとも、目に見えない何か?

 未だ絶えない「妙な気配」の発生源を探りつつ、『あの子』なるものを考える。というか、先程から何かに『見られてる』気がするのだけど…………

 

 ………………まさか。

 

『……ミナミ。この少女、恐らく……』

 

「うん。────今までなんなのかよく分かってなかったけど、さっき美波さんが出してた『女の子』と、たぶん同じなんだ、と思う。……それがきっと、『あの子』の正体」

 

 ……本日コレにてハイ解散とは、どうにもあり得ないようだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 二日後、6月5日の午前中。346プロ二九階にあるプロジェクトRoundSルームの隣室、東方プロデューサー専用オフィスにて。

 一昨日衝撃の告白を受けた私は、スタンドじみたモノが発現している以上、彼女に対しすっとぼけや隠蔽などは間違ってもすべきでないと判断。吉良だのDIOだの話は取り除き、スタンドに関する知識を正しく伝達するべきか、と仗助さんに相談。

 賛同してくれた序でに社員の話なら俺も混ぜろい、此れも福利厚生の内だと彼も参加の意を示し。

 

 日程調整の結果、ユニットリーダーの私とのミーティングと称して事務仕事を切り上げてきた彼と、急遽31階から(ユニットのプロジェクトルームがそこにあるらしい)来てもらった小梅ちゃんとの三人で、まあ言ってみればスタンド講座のようなものを開いていた。

 尚飛鳥ちゃんもそうなのだけど、小梅ちゃんもアイドルを始めるにあたり寮程近くの美城財閥経営の私立校に転校したので、平日授業を欠席しても通信授業を受ければ大丈夫、とのこと。よって水曜午前からでもモーマンタイ。

 ちなみに私と文香ちゃん、今日は全休の日です。いぇい。

 

 ……え?志希ちゃん?彼女は登校義務免除されてます。修士どころか既に博士号持ちだし。まあ気が向いたら高校も行ってるらしい。この前はウチの大学に遊びに来てたけど。

 ……ていうか、今更だけど小梅ちゃん、2階上にいたのね。……なんでこんな近くにいたのにお互い碌に顔見た覚えがないんだろう。

 

 閑話休題。

 

「んじゃあ〜生まれながらのスタンド保持者、ってことか。……ただ見たトコおかしなことにはなってねーし、聞けば意思疎通も図れてる。まだ『覚醒』って段階までにはないみてェ〜だけどな……」

 

 小梅ちゃんとその背後を見ながら、情報を纏めていく仗助さん。

 昨日喫茶店で彼女がいきなり「顕現させて」きた時は吃驚したが、聞けばそもそも「スタンド」なる名称も聞いたことがない子であり、「同類」を見たのは彼女の人生で私が初めてだったらしい。

 

 本人は心霊やら何やらが見える・触れる・話せる・時折憑かれる、という霊媒師みたいな体質だそうなのだが、今まで「みえるひと」が周りにいなかった事もあってか、自分の言動に周囲の理解が得られず苦労したこともあったようだ。

 年嵩の割に大人びた印象を受けたのは、彼女が人と軋轢を生まんが為、自ら被ったペルソナによるものだったのかも知れない。私達の幽波紋(スタンド)を見せた時浮かべた驚きと笑顔は、年相応のそれだったのだから。

 

 ただ未だ不定形でふわふわとした塊のような形をした彼女のスタンド。まだ発声は出来ないが何がしたいかは伝わるとのこと。意外とイタズラ好きな思考らしい。

 さて、とりあえず連絡先は交換したので困ったら私かウチのPさんになんでも聞いて、と言ったところで丁度正午。

 同じユニットメンバーの子3人と一緒に午後からレッスンの打ち合わせをしつつ昼食予定とのことで、小梅ちゃんは礼を言いつつ上の階へと戻っていった。

 ……今更だけど、彼女は昨日のヴァイオレンスシーンをノーカットで観ていたらしいのに、全く動じている様子がないのが凄い。そういう系の映画とかが好きと言ってたから耐性があるのだろうか。

 

「……そういやぁ〜よ、美波ちゃん」

 

「はい?」

 

 徐ろから、Pさんに話しかけられる。

 

「事務所の登録名なんだが、名字は『新田』でいいんだな?」

 

 ……ああ、そのことなら。

 

「はい。……空条美波(スタンド使い)の私と、新田美波(アイドル)の私。分かりやすく、自分の中で区別する為にも──これで行きます」

 

 幽波紋使いと偶像(アイドル)、どっちも私なのだけど。その境目をはっきり知覚し切り替える、唯人たる私が自身に仕込んだ1つのスイッチ。それがアイドルの時の新田美波(わたし)

 

 ……まあ、ただの芸名じゃんと言われればその通りでもあるのだけど。

 

「グレートだ。……ああそうだ、もう聞いてっとおもうけど、『矢』に──」

 

 ──ぐ〜〜〜〜。

 

 その時何かを言いかけた仗助さんの声を遮ったのは、誰あろう目の前にいた私の────お腹の音だった。

 突如訪れた沈黙が痛い。というか滅茶滅茶恥ずかしい。今間違いなく顔赤い。ていうか、前触れもなく鳴る!?今までこんな事一度も無かったのに!よりによって!

 

「……あ~、飯でもいこーぜ?な?」

 

 大叔父のフォローが突き刺さる。いっそ笑ってくださ……いや、仗助さんにそれやられたら立ち直れないかも。なんたって実は初こ……なんでもない。

 

「…………みなみ、もうお嫁にいけません……」

 

 両手で顔を抑えて突っ伏す。責任取って貰ってくださ……いや何考えてるんだ私は、落ち着け。ああでもやっぱり無理……うあああああ……。

 

「重いっての!あ〜もォ話は後だ、取り敢えずメシ行くぞメシ!ほら着いてきな!」

 

 と言われても顔を上げられなかったので、結局その日は入店する迄、紅潮した顔のまま彼のスーツの裾を掴んで後ろを歩いて着いていった。

 

 …………ご迷惑、おかけしました……。

 

 




・不良さん達
再起不能。

・白坂小梅
『あの子』実はスタンド説を採用。

・同じユニットの子たち3人
ヒントはデレアニの先輩方。

・《ヴィーナスシンドローム》
一応人型。同系統のスタンドの中では比較的パワーに劣るがスピードは随一。得物の槍を用いれば射程は遠距離まで広がる。非力さを手数と波紋で補って闘うタイプ。



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006/ ロマノフの遺産

070614


 時に、世界中を巻き込んだ第一回目の大戦が終局に向かいつつあった、1918年7月17日。

 

 ソビエトはエカテリンブルクにある洋館、イパチェフ家地下衛兵詰所にて。

 静寂に包まれた夜の街の外れにひっそりと佇む、貴人の住まいし堅牢な館。何時もなら皆が寝静まっただろう時刻、赤きペストに思想の一片まで浸かり切った狂信の侵入者達が、人史に残る鬼畜の所業を繰り広げていた。強盗、放火、強姦、殺人、そして……大逆。

 

「……お前は、生き……延びろよ……アナ……」

 

(……お父、様……それに、皆……)

 

 今しがた腹部を撃たれたばかりの実の父にして元ロシア皇帝・ニコライ二世の背に庇われながら、先月17歳になったばかりの少女、アナスタシアは自らの震える身体を自覚しつつそう考える。

 

 防ぐことのならなかったロシア帝国の崩壊。コミンテルンらによる革命という形で勃発したそれにより、彼女たち王家の人間は帝都を追われ、紆余曲折を経てここエカテリンブルクへと匿われた。

 僅かばかりついてきてくれた、かつての使用人達と共に猫の額程の畑を耕し、慣れない農作業のコツをようやっと掴んできたこの頃。こんな日常も悪くはないなと、かつての王が述べた矢先。

 

 続いてくれと願った平穏は、唐突に終わりを迎えた。

 革命の為ならば暴力すら許容せんとする武装した侵略者(アグレッサー)達が館へ押し入るなり、裁判も経ず「死刑」を通告したかと思えば、地下室へ追いやった自分含めた丸腰の住人に突如発砲したのだ。

 こんなもの「私刑」以外の何だというんだ、と思う間も無く。後に残るは悲鳴と呻き声、更には見渡す限りの一面の血の海だった。

 不躾な男達が放った凶弾はニコライ二世、皇后、侍医のボトキン、女中のアンナ、姉のオリガ、タチアナ、マリア、そして彼女の末の弟アレクセイまでを襲った。

 

 床どころか壁にまで飛び散る血液と脳漿、赤黒い内臓、漂って来る死の匂い。

 恐怖のあまり嗚咽し涙に塗れながらも彼女・アナスタシアは、一番近くにいた弟の傷口をハンカチで押さえんとしていた。血友病を患っていたアレクセイは、擦り傷でも致命傷になり得るからだ。

 しかしそんな事をすれば、当然彼らに見つかるのと同義であり。

 

「……なァんだ、まだ生きてやがったのかぁ?ブルジョワの搾りカスがよお!?」

 

 品性を悪魔に売り渡した男達が、彼女を見るなりそう喚く。瀕死の重傷を負ったもの、或いは既に死んでいるものの死体を弄り金品を奪っている彼らの魔手が、今さっきまで隠れていた彼女に迫ったところで。

 

 ドォン、と。勢い良く蹴り破られたドアから投げ込まれた、一発の閃光発煙筒(フラッシュバン)が状況を一変させた。

 突如発生した閃光と轟音で、パニックを起こす男達。視覚と聴覚が一時的に使い物にならなくなった恐怖からか、訳も分からぬ方向に発砲する者も…………おや、新たな侵入者らによって沈黙させられたようだ。

 

「ぐッ……クッソ、何モンだ!?」

 

「名乗る程のモノじゃあなくってよ?」

 

 蝶番の吹き飛んだドアから入ってきたのは、僅かに2人の男女だった。その片割れ、ブラウンの髪と赤いマフラーをたなびかせる妙齢の美女は、恐慌状態の男達に容赦なく鉛弾を浴びせていく。……も、既に助けるべき対象の殆どが息絶えた惨状に、悲痛な表情を浮かべる。

 

「……そんな……!……せめてあと10分早ければ……」

 

 出遅れた。歯噛みする彼女に対し、しかし共に入ってきた軍服姿の男は、何処までも冷静に任務を遂行せんとしていた。

 

「……いや、逆に考えるんだ。今ならまだ助けられる人がいるかも知れない、と。急ぐぞ!エリザベス(リズ)!」

 

「……そうね、片付けたらトリアージして即撤収よ!ジョージ(アナタ)!」

 

 黒サングラスを掛けた女性は、ショートバレルの軍用小銃を抱えて立ち回る相方に鋭く叫ぶ。

 (yeah)、と彼女に返したその男性の姿が、皇女の茫洋とした視界に迫ってきた。

 

「……貴方方は……誰、ですか……?」

 

 急展開に情報量がキャパオーバー。加えて先程のフラッシュバンによる目眩と耳鳴りもあって茫然自失のアナスタシアは、それでも何とか掠れた声で声のする方へと言葉を絞り出す。

 

「私のことは名無しの権兵衛(ジョン・ドゥ)とでも。其れより今はお急ぎください!」

 

 英国軍制式ジャケットを着た彼は、五体満足な様子の生存者を認めたことに僅かばかり安堵し。そして若干英語訛りのあるロシア語で彼女に答えた。

 

 制式採用から10年以上の時を経て尚、英国軍で愛用されるブリテンの傑作火砲、リー・エンフィールドMk.Ⅲの銃弾を無法者共にぶちかます男に庇われた彼女は、彼に手を引かれながら縫うようにして銃弾飛び交う地下室を早々に離脱。

 勢いのまま館近くの森に置かれた英国製輸送機に乗せられ、惨劇の舞台となったエカテリンブルクの地を、悲しみと後ろ髪を引かれる思いとを抱きつつ後にした。

 

 離陸して程なく。予め時限式の爆薬でも仕掛けられていたのか、見る間に視界から小さくなっていく館は跡形も残らない程の大爆発をおこし延焼、炎上していった。

 

(…………皆、みんな、殺され、た…………)

 

 チリに消える思い出と光景を目の端に捉えながら、機上の人となったアナスタシア。彼女は結果的に置き去りにする事となった、喪ったばかりの家族と使用人たちの亡骸を想い、同時にこれからの未来に対し、絶望に似た傍観をも抱いていた。

 

 ……あの様子では、遺体の判別など最早まともに出来まい。骨も碌に残るか怪しい。恐らくは英国政府の手引きによってただ一人助けられた私は、将来政略結婚の道具にでもなるのだろうか。自由意思が介在する余地は無いだろうし、革命がなった後のロシアに外交カードとして贈られるかも知れない。今後の自分の、行く末は。

 

(……もしかしたら……好事家の愛人や、慰み者かもしれませんね)

 

 傀儡か、或いは場末の娼婦か。そんな人生に、果たして意味などあるのだろうか?

 しかし父から、今際の際に「生きろ」と言われた。ただひとり生き残った私は尚更、敬愛する父の遺志に従わねばなるまい。

 

(でも、これから先、どうすれば──?)

 

 

 そこまで思った所で、彼女の意識は度を越した疲労と緊張、そして受け止めきれず一時的に麻痺してはいるのだろうが、家族と家臣を殺された悲しみによる負荷からか、一旦闇へと落ちていった。

 

 

 …………ただ、彼女がこの時抱いた悲観的な予想に反して、この「表向きには死んだことになった」少女・アナスタシアの、その後の足跡はようとして知れない。確実なのは、後の人生で本名を人前で名乗ることも、自らの墓石に刻むことも終ぞなかった、という事実だけだ。

 

 さて。世に言う「ロシア帝国最後の皇帝」、ニコライ一家惨殺事件。歴史に残るその惨劇により、皇族方は皆死に絶えた。今日のあらゆる教本ではそう記されている。

 しかし。英国政府が保管する対ロシア・ソビエト関連の作戦行動記録文書には、未だ機密指定が解除されていない、とあるファイルが存在する。

 

 1992年公開のミトロヒン文書の衝撃をも上回る、と判断されたそれらは、今以って倫敦にある英国情報部最深部で厳重に保管が為されている。

 公開が為されないのは女王陛下の意向も絡んでいるからだ、と密かに噂され、内容自体もMI6上層部の極一部しか知らない文書群。もし露見すればロシア革命の大前提を覆す、秘匿必至の機密事項。

 

 さる英国貴族の末裔の手により死を免れた、失われし名家の青き血。

 その血が今も、この星の何処かで生き続けているのなら──?

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………それが、祖母から聞いた昔話の顚末、か」

 

「耳にタコが出来るほど聞いたさ、おかげで今でもソラで話せる」

 

 時は下り、2014年。6月7日15時、広島県某所・空条邸応接間にて。

 先般三週間に渡るイタリアへの長期出張を終えた承太郎は、家族ぐるみの付き合いを続けている家の現当主たる旧知の男性と、一族とのもう100年近くになる数奇な因果の始まりを、改めて振り返る。

 

 目の前に居るのは、頑健そのものといっていい体躯をタイトなダークスーツに包んだ眼光鋭い一人の男性。

 娘そっくりの銀髪と青い眼を持ち、更に拳をよく見れば武道家特有のタコがあるその男。実は嘗てソ連が誇った諜報機関KGBに米国CIAより出向したダブル・スパイとして長年潜入、末期にはレーガン政権下の米国インテリジェンスの中核としてホワイトハウスにソ連の機密情報をリークし続け、結果として冷戦終結の引き金を引いた功労者の1人である。

 歴史の表舞台に立つことこそなかったが、その余りに輝かしい功績から、裏の世界で付けられた仇名は──

 

「──まあ、『灰色の枢機卿(グレイ・カーディナル)』誕生の動機としては頷ける。家族の命を奪われれば、俺でもそうなるだろうしな」

 

 母のみならず、祖父の命まで脅かしたDIOとの最終決戦を述懐しつつ、承太郎はそう返す。もし自分が彼の立場だったとしたら?……間違いなくプッツンする。地の果てまでも追いかけて、時間を止めてブン殴るだろう。

 

「その名前ならもう棄てたさ。父祖の財は散逸し、愛した王家はとうに潰えた。赤い悪魔を殺し終わった、今の私はただの柔道家の中年。そこらによくいる、日本好きの外国人みたいなもんだ」

 

 かつて70年越しの危険に満ちた復讐(リベリオン)を成し遂げてみせた男に、友人たる海洋学者はというと。

 

「そうだな。第一復讐者(アヴェンジャー)の称号なんぞ、孫子(まごこ)にまで残すモンじゃあない。俺達の代でDIOは消滅(ブチのめして)ソ連は崩壊(ぶっ壊した)。時代は変わった、ってトコだろう」

 

「ついでに言えば世代も、な。本当なら我々ロートルは、できれば仕事とゴルフにでも勤しんでたいところだが……」

 

 冗談交じりにそう話した銀糸の男に、承太郎はしかしここで今日の本題へと入る。

 

「『新たな脅威』がそれを許さねえ、ってな。お互い一線引いて長いが、もういっぺん気張るとするか」

 

「ああ。……まさか『矢』を狙ってくる手合いがまだいるとはな。しかし、何でまた俺の伝手を?SPW財団なら、諜報力なんぞ十分備えてるだろうに」

 

「それなんだが……」

 

 そこで一度苦い顔になった承太郎。表情で察したのか、百戦錬磨の元スパイは眼を細めて誰何する。

 

「……まさか、内通者か?」

 

「恐らくな。俺の勘だがテキサスの本部が匂う」

 

 そう、敵が既に自陣の奥深くまで入り込んでいる可能性に帰国後入って来た情報や報道などを勘案して気付いた承太郎は、こうしてあらゆる伝手を使って後手、且つ表立って動き辛い状況ながら、劣勢の打開に努めているのである。

 外れればそれはそれでいい。パッショーネとの協力を取り付けて日も浅いのに、保険とは何重にも掛けておくものだとばかり密談を重ねるのは、それだけ未知数な相手を警戒してのことと言えよう。

 

 さて、自身も諜報経験のある人物はやはり違うのだろうか、FBIやNSA、ペンタゴン含めた各方面に根回しを依頼された男は現役時代と遜色ない眼光のままコレを快諾。以後事態収束までの定期的な情報交換を決めたところで。

 先程承太郎に「枢機卿」と呼ばれた男、そこでふと思い出したかのように「ああ、そういえば……」と前置きし。

 手元にあるロシアンティーを一切音を立てずに飲みながら、客人は家主へ語り出す。

 

「……ウチの娘、今日目黒のお前の実家に行くらしいぞ。『ミナミに変な虫がついてないか心配です、観に行きます』とか言ってたな」

 

 ホリィさんと貞夫さんには連絡してあるから大丈夫だと、とあっけらかんと言う男。承太郎は今しがたまで張り詰めていた眉間の凝りを解しつつ、娘の親友の行動パターンやら諸々を考えて嘆息する。

 

「なんつーか、最早通い妻になってないか…………?」

 

「かもなあ…………どうだ、美波ちゃんに?」

 

「バカ言え、二人ともソッチの()は無いだろう」

 

 それもそうだな、第一それじゃあどっちがダンナか分かんねえし、とシリアス気味だった空気を雲散霧消させるトークを繰り広げ始める父親二人。

 先程まで視線だけで人を殺せそうな凄味を発していた男達の眼光は、今やすっかり緩んでいる。

 

 普段は鉄面皮の癖して娘が絡むと少々親馬鹿気味な点は、案外と彼らの共通項でもあった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 同日同時刻、某極東の島国にある大都会にて。

 観光客と思わしき白のスーツケースを持った真白い肌の少女が、コンクリートジャングルの真ん中でひとり佇んでいた。

 

 年の頃は一五に満たない程だろうか。およそ純日本人ではあり得ないシルバーアッシュのショートヘアと蒼い眼は、しかしその自然な発色から、それらが染髪でもカラコンでもないことを示している。

 カットソーに藍青(インディゴブルー)のデニムジャケット、白いショートパンツと淡茶(ライトブラウン)のウイングチップブーツという格好も、梅雨を迎え気温の低い6月の東京の気候にマッチしていた。

 しかし、透き通るようなその眼に反して彼女の心は曇り空。煩悶気味の心中は如何程か、というと。

 

(……困りました、ね)

 

 本日、遠路はるばる北海道は新千歳空港から成田、そこから電車を経由して彼女が行き着いた先は乗降客数世界一を誇る「迷いのダンジョン」こと新宿駅。

 初見殺し甚だしいこの駅に単独で来るのは初めてだった彼女、案の定どこかの広島生まれと同じく林立する高層ビル群と蟻の巣のようになっている地下鉄、そして地下街に翻弄され、結果開いた地図アプリを横に見たり縦に見たりして首を傾げるに至っていた。

 

 ちなみに彼女が現在足を止めている地点は新宿駅南口。……なのだが、この調子では目的地たる目黒のお屋敷に辿り着けるのはいつになることやら。

 

(やはり、полицейский(ポリシェイスキ)に聞くべきでしょうか)

 

 思ったその時。

 

「ちょっとそこのネエちゃん〜!あのさあのさ、ガールズバーとかキャバクラに興味ない?ちょ〜っとハナシ聞いて貰えるだけでいいからさぁ〜!」

 

 そんなセールストーク擬きを彼女に投げかけたのは、声の主は軽薄な笑みを浮かべる胡散臭い色黒の男。明らかに怪しい勧誘をしてくる男に対し、彼女は顔色一つ変えない。面倒だなと内心思っていると、何を誤解したのか男は尚も喋り続ける。

 

「ネーちゃんなら月100イケるよ?ね?貯めたお金で起業すりゃ儲かるからさ?」

 

 今時意識高い系セミナーでもそんな雑な誘い方はしないでしょう、と思いながら、彼女はそれでも親切に思考を日本人モードにして話そうとした結果が。

 

「……закрой(ザクローイ・) рот(ロット)……五月蝿い、です」

 

 ……素っ気ない、というか一聞すると挑発しているのではと思う彼女の返答だが、言葉のチョイスが少し直截だっただけで悪気はないのである。しかし。

 

「アァ!?……オイ、女だからってチョーシくれてっとボコボコにすんぞテメェ?前と後ろから突っ込んでガバガバにしてやろーか?!アァン!?」

 

 舐められた、とでも思ったのか。下品な本性を顕にした男は、目の前の少女の華奢な腕を掴んで吠え出した。

 が、下卑た恫喝を受けても彼女の顔色は常と変わらぬままのそれ。そして。

 

「…………дурачок(ドゥラチョーク)

 

 愚か者、と言うが早いが掴まれた左腕を振りほどいた彼女、目にも止まらぬ速さで男の襟首を掴んで引き寄せる。と同時、風切り音を伴って放たれた流麗な右ストレートが顎下(チン)へ一発。

 適時打を強かに浴びた髭面の男、「ゲペェェ!?」なる快音を口から上げて、膝からどさりと崩れ落ちる。

 

 実践本位を至上とするロシアの格闘術コマンド・サンボ。幼き頃よりこれを修め、結果齢14にして既に武の深奥に足を掛けつつある彼女の掠めるような一撃は、正確に男の脳へと衝撃を届けるに至ったようだ。

 

「威勢の割にこの程度、ですか」

 

 今しがた成人男性を軽く昏倒させる程の鮮やかな拳打を放った銀髪の少女は、眉ひとつ動かさず続け様に呟く。

 

「一昨日来なさいド三流。真の日本人(ヤポンスキー)とはもっと強いモノですよ」

 

 鮮烈なノックアウトもそこそこに、スーツケースをガラガラと転がしながら颯爽と立ち去っていく彼女。スマホで通話を始めながら歩いていくところから見るに、どうも目的地への目処は立ったようだ。

 後に残るは阿呆が一人。彼女の慈悲により命に別状はないが、今しばらくは愉快なオブジェのままだろう。

 尤も、外見だけで人を判断すると碌なことにならない、と言う事実を美少女の拳で学べたのだから、却って良い教訓になっただろう。むしろご褒美かも知れない。

 

 

 

 ☆

 

 

 二時間後の17時。目黒空条邸二階にある私・空条美波が間借りしている和室にて。

 雪を溶かしたような肌の色をした美少女が、凄味を発して其処に佇んでいた。その理由は。

 

「ミナミ……久々に会ってみれば何ですか?この部屋中に溢れる鯉の(赤い)球団グッズは。……лентяй(リェンチャーイ)、怠惰、です」

 

「実家から持って来た私物よ、私物。……ていうか、お久しぶりのアーニャちゃんこそどうしたの?其のいやらしい、マスコット(エロズリー)

 

 その理由は、持ってきた真っ赤なグッズの数々にあるらしい。ゴゴゴ、と音に直せばそんな感じの空気が、八丈一間の室内に充満する。竹馬の友と言われて早や10年近くの仲である我がソウルメイト・アナスタシアと私。それがなぜこんな一触即発の状況に陥っているのかといえば、後から考えるとあまりに下らない理由が原因であった。

 

 ホリィさんからの「サプライズがあるから早めに帰って来なさァい♡」との連絡を受け、講義が終わるなり大学から下宿先の目黒空条邸へと直帰した私。

 一抹の訝しさを感じながらも、ニコニコ顔の祖母に手を引かれ連れ込まれた私の自室で待ち受けていたのは、如何にも「お話があります」という顔で正座していた、約三カ月ぶりに会う四つ歳下の幼馴染だった。

 

 怜悧な美貌に覇気を滲ませ此方を見る彼女の前に置いてあったのは、綺麗に折り畳まれた私の赤い部屋着。

 供されたのだろう日本茶を堂に入った仕草で淑やかに飲んでいるものの、此方の姿を認めるなり発せられた言葉から意図を察した私は、彼女が懐に抱えた北の球団マスコットのぬいぐるみを一瞥して直ぐそう返す。

 

淫売熊(エロズリー)?言ってはならないことを抜かしましたね、ミナミ。……しかし、ここ4日間四連敗のアヘアヘ貧弱球団を贔屓するのは、一体どんな気分ですか?まな板の上の(カープ)の気持ち、わたし知りたいデス」

 

 ほう。たまたま不調な我が赤鯉を揶揄するとは。ならば熱き広島県民として、この道産子の目にもの見せてやらねばなるまい。

 

「……成る程、どうやら『対話』が必要みたいね、私達。SPW財団の修練場を借りるわよ、ついて来なさい」

 

Хорошо(ハラショー)。ただし、(ナマ)っていたら刈りますよ?VENUS(ヴィーナス)毎」

 

 スタンドバトルをご所望と?良きかな良きかな。

 

「臨むところよ。Nebula_sky(ネビュラ・スカイ)なら相手にとって不足なし。久々に全力で()れそうだわ」

 

 言葉の応酬を繰り返しながら玄関へと手を掛けた私達は、夕飯までには帰って来なさいよ〜、とのホリィさんの呼びかけにのみ揃って答えつつ、空条邸から一旦退出。

 そうして、このあと滅茶苦茶バトルした。

 

 

 

 ☆

 

 

「アイドル……ですか?」

 

「うん。……自分が本当にやりたいことって何なんだろ、って考えて、やってみようと思ったんだけどね」

 

 深夜十一時ちょっと前、下宿先の私の部屋にて。

 贔屓球団に端を発する問題が闘争に発展した結果、1時間ぶっ続けで殴り合ったこともあって疲労困憊の私達は修練場で同時にダウン。汗塗れのジャージ姿で倒れ伏し、気付けばお互い笑い合っていた。

 

 気付けば些細なわだかまりなど既に欠片も無い。

 第一この子と喧嘩して半日以上長引いた事自体、今まで一度たりとてない。

 その後は結局グロッキー状態のまま帰宅し、二人してボルシチとペリメニ、ビーフストロガノフというホリィさん特製ロシア尽くし料理を手伝って晩餐を囲み今に至る、というわけである。

 ……お風呂に一緒に入ってこられた時は、流石にちょっと()()()けど。

 

 さて、青い眼を此方に向ける「この子」ことアーニャちゃん。実はその本名はАнастаси́я Ⅱ(アナスタシア・)Никола́евна (ニコラエヴナ・)Рома́нова(ロマノヴァ二世)、という。

 曽祖母は若くして落命したとされるかのアナスタシア皇女殿下であり、アーニャちゃんは世が世ならロシア大公女になっていただろう、歴としたロマノフ王朝の血を継ぐ「プリンセス」なのである。

 世界史教科書の記述と反する事なのは百も承知……なのだけど。文香ちゃん風に言うなら、正に「事実は小説よりも奇なり」といったところだろうか。

 

 あ、ちなみに「ロシア系アメリカ人」となっている彼女のお父さんの苗字は勿論偽物。更に現在は日本人であるお母さんの苗字を使っている為、表向きは天体観測とパーティの好きな、ハーフのかわいい女の子だ。

 ……実際は幽波紋と、ソ連でかつて間諜をしていた父から習ったという格闘技に精通し、特殊部隊にでも属しているかのような動きをごく自然にこなす子なんだけども。

 

 というか私より四つも歳下なのに、現時点でもその武の天凛は計り知れない。既に実力が伯仲しているのがいい例だ。うかうかしてると今後追い抜かれるだろうこと必至である。私も精進しなければ。

 しかし志希ちゃん初め凄まじい人が、これだけ自分の周囲にいるのは幸運といえるだろう。全く以って良き出会いに感謝したい。

 ……あ、そうそう。私からもアーニャちゃんに言いたいことがあるんだった。

 

「……アーニャちゃんも、良かったらやってみない?アイドル。あ、勿論受験終わってからの方がいいかもだし、それに最短で来年春からになっちゃうけど……」

 

 それでも。親しい人にしか向けられない彼女の素敵な笑顔は、何にも増して魅力的なのだから。

 周りも幸せだし、それに。どこか悲愴なまでの意志を感じるというか、張り詰めた所のある彼女が少しでも解れる可能性があることなら、私は何だって提案するし協力する。

 

 少なくともこうして一緒に寝ようといっても、色々と理由をつけて私より先に眠ろうとしないくらいには頑固な彼女から、たまには肩の力が抜ける時が来るようには。

 彼女と同い年の飛鳥ちゃんだってボキャブラリーや思考力なんかは余りに大人びてるけど、偶には年相応の笑顔を見せてくれるのだ。

 

 だから、アーニャちゃんにも、きっと………………。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 それから二〇分後。規則的な呼吸と共に静かに眠る栗色髪の少女の向かい側で横になっているアナスタシアは、充てがわれた布団を気持ちこの歳上の幼馴染の方へと寄せつつ、なんだかんだで敬愛している彼女との初邂逅を思い出す。覚えているその始まりは別に劇的でもなんでもなく、確か自身が五歳の時だった。

 

 今では下手をすると実家より入り浸っている広島の空条家。その高所に設置された天体望遠鏡セットを弄っていた時誤って落下、足を捻挫してそれでも泣くものかと蹲っていた所を当時一〇歳のミナミに発見され。

 

 てっきり親を呼ばれるかと思ったら、「波紋」なるもので治してくれた。何コレ教えてと頼むも最初は固辞されたが、秘密にするからと言ったら根負けしたのか聞き出しと習得に成功。その時の唖然とした彼女の顔は今でも覚えている。

 以後彼女の弟を引き回して遊び倒すことを繰り返すだけでなく、姦しいというにはあまりにも汗と怪我と土埃に塗れたスポ根漫画のような関係を築いて現在に至るのだが……。

 

(変なのに絡まれたと言ったら心配しすぎです、ミナミ。もう、貴女と同じくらい強いのに)

 

 幼い頃からこの姉貴分に追い縋りたくて、年の差など関係ないとばかり努力した。学業、スポーツ、武道に音楽、裁縫や料理のスキルに至るまで。何でもそつなくこなす彼女に憧れた。

 優しくてどこか天然で、曲がったことが許せない上人一倍責任感が強くて、努力家で負けず嫌いで放っておいたら余計なモノまで背負いこんでしまいそうなところまで、全部含めてこの人になら、と思ったのに。

 

 なのにこのヒトは、私のことを手のかかる妹分どころか、未だ護るべき深窓の令嬢、みたいに見ている節があるのだ。

 彼女の先祖に皇女アナスタシアが助けられたその時から、我々が(こうべ)を垂れるは貴女達だと決めたと云うのに。

 

(……それに、お風呂場で見ましたよ。星痣(アザ)、前より濃くなってました)

 

 心配させまいとしたのだろうか、髪でそれとなく隠していたが、庇っている所作が少しでも伺えたなら私にとってそんなもの丸分かりだ。

 

 ──(ジョースター)の護り手。それこそ私が心に刻みし、たった一つの秘めたる誓い(ギアス)

 地位も家族も財産も国家も喪った我が父祖らに差し伸べられた、唯一手無二の地上の(ズヴェズダ)。ソレがジョースターの血族だ。

 もし彼等の誇りを奪わんとする者がいるならば、たとえ相手が神であろうと命に代えても食い止める。元々この人生自体、本来なかったかも知れぬ命なのだ。ならば彼女等のため使い尽くしてやろうじゃないかと、幼き頃より決めている。

 

(知らなくても、分からなくてもいいです。……でも、ミナミ)

 

 ────貴女こそ、私にとっての綺羅星なんですよ?

 

 布団から出された、心中で主君と仰ぐ彼女の手をそっと握り締めながら、ロマノフの遺児もやがて眠りの世界へと誘われていった。

 

 ───流血すら厭わぬ鋼の意志と氷の瞳を持った少女が、元来持っているその柔らかな笑みを人前で浮かべられるようになるのは、これより今暫く後のこと。

 




・赤マフラーの女性
この時まだ息子は生まれてない。

・軍服の男
ジョージだけどGEORGEではなくJORGE。

・アナスタシア(初代)
ロシア革命のどさくさに紛れて英国政府がこっそり救出。色々あって当時イギリスの同盟国だった日本に匿われた。

・アナスタシア(デレマス)
本作では亡国のお姫様の末裔に。なお新田ーニャは健在のもよう。

・アーニャパパ
オリキャラ。柔道とサンボの達人。最近頭髪がちょっと寂しい。


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007/ 撒き餌

110614


 …………もう朝、か。

 

 控えめな小鳥の囀りをBGMに、二宮飛鳥は定刻通り起き上がる。目覚まし要らずの快適な起床をもたらしてくれるのは、346プロダクションが去年建てたばかりの豪奢な女子寮。早朝は東棟5階の角部屋で、橙髪の少女はベットに腰かけたまま伸びをした。

 

 食堂・大浴場などの共用スペースを除き全て個室、更には部屋毎にシャワーや簡易キッチンまで完備して尚、余裕の広さを兼ね備える寮室。その一室に今春より入寮してきた橙髪のアイドル候補生は、ゆっくり瞬きをした後、何の気なしに自室を見遣る。

 モノトーンを基調とした家具やカーテンを始め、インテリアとしてクラシカルなデザインの地球儀やダーツボードなどが配された室内。

 

 壁際には既成品では到底おっつけないマシンスペックを誇るゴツいタワー型PCに加え、40型の薄型液晶テレビとPS4、机上にはハイレゾ対応の密閉型ヘッドホンにタブレット端末、Wi-Fiルーターに小型の空気清浄機と、黒物家電に関しても一通り揃っている。

 と、ここまでの様子を見る限りは、正直一人暮らしの野郎の居住空間かと見紛うレベルの色気の無さだ。

 

 が、玄関入り口に置かれた女物のカラーパンプスに、部屋奥の掃除の行き届いた化粧台。更に化粧ポーチやエクステケース、ネイルケアツールの存在が、部屋の主が女性であることを如実に示していると言えよう。

 

 ……化粧台横の丸テーブルに読みかけと思わしき文庫版ギルガメッシュ叙事詩(和訳)が置いてあったり、テレビ横のメタルラックに突っ込まれたゲームソフトの種類(ホラゲとFPS)を見る限り、持ち主の性格がそこはかとなく垣間見えたりもするのだが。

 

 さて、誰あろう七月にアイドルデビューを控える部屋の主・二宮飛鳥は、ふと枕元に置いている腕輪に目をやる。

 

 もう十年近くの付き合いになる腕輪との初対面は、実はあまり良く覚えていない。なんだかもやもやとした、曖昧な記憶の霧の中にあるのだ。

 静岡の実家の蔵に長らく死蔵されていた、所謂「開かずの箱」の中身だったその腕輪。

 

 入り婿で二宮家にやって来た()()()男性が、嫁入りならぬ婿入り道具として持って来た箱。しかしこのご先祖、なんと設定されたアルファベット26ワードに数字6桁を合わせた解錠番号を、誰も知らせぬまま天寿を全うしてしまったのだ。おまけに鍵自体やたら頑丈なダイヤル式で破壊も不可、という実に子孫泣かせな代物だった。

 しかし、幼き日の飛鳥はこの舶来品をなんと一発で開ける、というミラクルを成し遂げる。

 考えられる組み合わせが約21億7700万通りという天文学的確率の中から即座にアタリを引いたその時から、彼女と腕輪の奇妙な縁は始まった。

 

 気を良くした祖父に「折角だし持っていけ」と述べられたものの、飛鳥は最初その申し出を断った。腕輪自体が当時の飛鳥にとっては首輪(チョーカー)くらいのサイズのものだったからだ。でも結局押し切られて貰った。言ってみれば伝来の家宝、捨てるのも忍びないとつけたりしてるうちに、気付けば愛着が湧いて今に至る。

 

(……というか結局何なんだろうね、コレ)

 

 ちなみにこの腕輪の正体、独白の通り未だに謎である。ただ副産物として色々調べていく内にナニカが彼女の琴線に触れたのか、これらを契機として所謂「中二病」を発症。

 最初こそコンビニで怪しげなビニ本を買って得た知識を基に「このセカイはフリーメーソンに支配されているのでは……!?」などと言い出す可愛げのあるものだったが、「我が闘争」やら「ラヴクラフト全集」やらに手をつけ出した辺りから病状が加速度的に進行。

 

 14歳になっても勢いが収まるどころか哲学や宗教学の類まで漁りだし、結果年齢不相応な語彙力をちゃっかり身に付けてるのは完全な余談である。

 まあ元々の一人称が「ボク」だったり、幼い頃から物事を少々斜に構えてみる癖があったので素地は有ったのだろう。が、結果成績優秀者ばかりのユニット内に於いても最年少ながら最もコア、且つアングラな知識を有するまでになったのだから、人生何が切掛でどう転ぶか分からない。

 

(…………もしかして腕輪(コレ)こそ、ボクにとっての「シンセカイの鍵」、…………だったりして)

 

 年相応の、未だかつて体験した事のないような物事に出逢いたい、という感情と、年齢に似合わぬ趣味嗜好もあってナナメの入った思考とが居り混ざる飛鳥の胸中は、同年代のそれと比しても非常に複雑だ。

 

 そんな中で突如かけられたスカウトを蹴らなかったのは、珍しく前者の感情が行動という形で発露したから、ということもある。

 

 ……ただし、アイドルやるための努力はするが没個性的で安直なキャラ修正を強要されるならスッパリ辞めてやる、と決意してから入寮したのに気付けば夢中でやってるあたり、どこまでいっても彼女は彼女なのだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 時を同じくして、346プロ第一女子寮。こちらは西棟居住スペースの角部屋にて。

 

 幸せそうな顔で抱き枕に頬を寄せる少女・一ノ瀬志希は、今しがた安穏とした眠りから目覚めんとするところだった。

 彼女の部屋で先ず眼を引くのはだだっ広いフラットデスク。机上には作業でもしていたのだろうか、スリープ状態にして開きっぱなしの最新型ノートPCと、何かの複雑な数式が殴り書きで書かれたメモ帳、更に赤線が幾つか引いてある、山と積まれた英語論文がある。

 

 またよく見ると部屋の隅には、段ボールに適当に詰め込まれた数々の賞状やら盾、そしてトロフィーの姿が伺える。

 しかし若干埃を被ったそれらに対して、同じく持ち込んだのだろうパーテーションで区切られた簡易実験スペースの内部はチリ一つなく清潔に保たれている。関心が向かないと一切構わない、この部屋の主の思考が如実に表れている、といえよう。

 ……冷蔵庫やらキッチンの調味棚に明らかに食用に適さないものが入っているのは、彼女なりのご愛嬌だと思う。決して旧知の仲であるプロデューサーに飲ませてみたくて用意してるわけではない。ないったらない。

 

 そうこうしてる間に起きたらしい彼女、布団の中からもぞもぞと手だけを伸ばし、ベッドの下に落ちただろうスマホの位置を適当に探す。

 

「……ふぁ〜あ。……な〜んだ、まだこんな時間かぁ」

 

 ほのかに部屋へと差し込む一筋の日光で目覚めた、この小綺麗な魔窟の主たる小豆髪の少女は、発見し拾い上げたスマートフォンの液晶画面を見つめると、拍子抜けといった顔で呟く。

 時刻は朝の六時丁度。朝食の時刻まで優に一時間以上ある。

 今日のゴハンはなんだろにゃ〜、と考えながらも、スカウトを許諾したのち東京で暮らすにあたり、一人暮らしベテランの仗助にオススメの物件を聞いたら一も二もなくこの寮を勧められて此処に来たことを彼女は思い返す。

 

 最初は自分が集団生活なぞ無理無理無理無理カタツムリ、と思っていたが馴れればこれはこれで悪くない。

 壁が厚いからナニを()()()()のにも気兼ねしないし、日本基準なら部屋の広さは十二分。都心ど真ん中の立地と良好なアクセス環境も申し分ない上、ベランダから見える夜景も中々のもの。

 

 そして決めては何より大浴場と三食付であること。アメリカで暮らしている時の二大不満要素だったおフロ(浴槽)の存在、そして楽して美味しい食事が摂れる──タバスコピザも好きだけどアイドルやる以上健康には多少気を遣わないといけないので──この二つを同時に満たせるのなら願ったりかなったりだ。

 

 結果的に正解だったね〜、ジョースケって直情径行のようでけっこー考えてくれてるんだよねぇ、と内心でここを紹介してくれた彼の評価をまた上げつつ、掛け布団を捲って起き上がる。

 

(……そうそう、()()は何処に置いたかなっと……あったあった、ココにいたのか〜キミィ)

 

 眠気を主張する瞼を擦りながらも、化粧台に置いてあった片手サイズの小瓶を手に取って少し振る。

 亡き母から小学生の頃に貰い受けた香水瓶、本来ならとっくに中身など無くなっていておかしくないのだが。

 

(……うん、いつもと変わらず()()()()()

 

 赤石が嵌め込まれたその瓶を振り、内容量に見当をつけ確かめる。

 元通り、即ち──この香水、中身が()()()()のだ。

 

 一度なぞ逆さにして中身が出なくなるまで放置しておいたのだが、日付が変わったらまた元通り充填されていた。

 あり得ないことだが瓶の組成自体が溶けてるのかと考え成分分析もかけてみたが、中身は市販の香水と同じ。

 ならばと興味半分で瓶本体の破壊を試みたこともあったが、叩いても炙っても斬りつけてもはたまたプレス機にかけても壊れない。

 貰った品に研究目的といえそんな仕打ちをする辺りかなりMAD気質な彼女だがそこはそれ、見方を変えれば学者としての探究心の発露ともいえよう。

 

 秘密の香水(トワレ)と彼女が呼ぶ、質量保存の法則その他諸々に真っ向から喧嘩を売っている瓶の謎を、果たしてこの稀代のギフテッドは何時解き明かすのか。

 

 そんな期待も密かに込めて娘に瓶を贈った母親の意を知ってか知らずか、気分屋娘は自身の左手首にシュッ、とソレを一拭きし、鼻を近付け嗅いでみる。ちなみに此処数年、毎日続けている習慣である。

 さて、嗅ぐなり大きな眼をぱちくりさせた彼女の感想は、というと──。

 

「……ほほ〜う、今日は薔薇の香りなのねん。うんうん、良きかな良きかな〜〜♪」

 

 言いながら足取りも軽やかに、鼻唄混じりでシャワーを浴びに浴室へ。

 どうやら、本日のフレグランスもお気に召したようだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(…………やはり俄然意味不明、ですね……)

 

 神保町の老舗書店・鷺沢古書堂2階にある個室。

 3月末から此処へ下宿している青眼の少女こと鷺沢文香は、今日も今日とて日課の読書に耽っている。既に読み終えた雑誌を脇に置きつつ、現在は何やら分厚い本と睨めっこしてる最中だった。

 

 最近リフォームしたのだろうか、真新しい藺草の薫りが漂う純和風の部屋に誂えられるは、えらく年季の入った卓袱台。机上に広げられたノートに記されるは、どの国の言語とも見当のつかない謎めいた文字の羅列。

 羊皮紙で出来ているらしい本のページをめくりつつも、ちらと壁掛け時計を確認することも忘れない。

 

(……開店まで、あと30分……。……そろそろ支度をしないと、ですか)

 

 バイトの時間前に少し休憩でも入れましょう、とお茶処・静岡県出身の同僚から頂いた玉露を淹れた日本茶を飲み、ほっと一息。ちなみにお茶のアテはコレも頂き物、岩手が地元の同期から頂いた南部せんべい。

 座椅子の背にもたれ懸かりながら、金と宝石がちりばめられた机上の本──宝石本との出逢いを回想する。

 

 彼女にとって、幼い頃から書は一番の友人だった。生来の内向的な性格もあってか、皆が校庭で遊ぶ中でも図書館に篭ってひとり本を読んでいたことなどザラであるし、読書好きが高じてか務めた役員は小中高と一貫して図書委員。

 これ幸いと館内の蔵書を禁帯出も含めて全て読むに飽き足らず、一時期は広辞苑からタウンページまで紙媒体なら何でも手を付けていた程だ。

 

 此処までのビブリオマニアが只今下宿真っ最中のこの古本屋で見つけたのが、鎖で縛られ地下室に眠っていた電話帳並みの厚さの宝石(この)本だった。

 普通そんな怪しげなもの敬遠するかもしれないがそこはそれ。世の中には「魔本」と呼ばれるものもありますし、もしかしたらそんな希書の類かも知れませんね、と不気味に思うどころか平気で毎日手に取ってるあたり、実は相当胆力があるのではないだろうか。

 普通なら手放すなり売却するなりしそうなものだが。

 

 そうそう、ちなみに齢18にして彼女が読破した本の総数は、なんと約15万冊にものぼる。それだけ莫大な数を読む秘訣は何かというと。

 

(…………テキストの予習、このレベルなら必要なかったですね……。まあ、いいんですが)

 

 気晴らしに手に取った、明日予定の英語の講義の教科書。それを何の気なしにパラパラと捲るスピードの速さにある。──即ち、速読。

 一文ずつを追うのではなく、文をパラグラフ毎斜めに一気読みしていく手法に拠り、一冊あたりにかける時間が大幅に短縮。結果十代にして生きるライブラリと化した少女が出来上がったというわけだ。

 ただ小説などは敢えてじっくり読んだりもするので、常にこの限りというわけではないが。

 

 まあそんな彼女の自室を改めて見てみると、予想通りというべきか出入り口以外三方が本の山。

 姿見や化粧台にワードローブ、また最近広島出身の同級生と一緒に買いにいったメイク道具やらもあるが、それは部屋のごく一部分。

 防虫剤を添えた複数のケースにブックカバーをかけて入れられた本の内訳は、辞書に図鑑に洋書に文庫、エッセイ、小説、伝記に歴史書、エトセトラ。中には既に絶版となって久しい希書までも見受けられる。スキモノの読書家垂涎のコレクションであることは間違いなしだ。

 

 また採光のため開けた窓とドア付近以外を埋め尽くすその本棚達は、しかし持ち込み過ぎて床が抜けるといけないだろう、と思い彼女なりに厳選した本だけを納めたのだが、日々ちょっとずつ増えているため室内の限界積載量に近付きつつあるようで。

 

 ……読破したのち手許に置くのを諦めて、仮置き場として地下倉庫に持ち込みを開始するのは、これからもう少し後の事である。

 

 

 

 ★

 

 

 

(拝啓、お父様、お母様。私は今、終わりなき戦いに身を投じている最中であります────)

 

 事務所へ場所を変えまして。悲壮な独白をした私こと空条美波は現在、メンバーの皆とテーブルを囲っている最中だ。皆の表情は一様に、何時にも増して真剣そのもの。

 

 繰り広げられているのは、今日何度目かも分からない卓上の激闘。

 午前中の激烈レッスンで疲労困憊、何ならさっきまでちょっと仮眠してた有様だったのに、いつの間にか真剣な面持ちで円卓を囲み、四方それぞれの手元を注視する私たち。

(パイ)」を吟味し緑のマットに其れ等を並べて切っていくこの静寂を、最初に破ったプレイヤーは。

 

「──は〜い美波ちゃんその捨牌ローン!これで白・(ハツ)(チュン)でアッガリ〜の大三元!んじゃあーおっ先ぃ〜♪」

 

 私の切った牌を颯爽とかっさらっていった、右隣の席の志希ちゃんだった。

 

「嘘お!?……あああホントだやっちゃったぁ……」

 

「さっきは国士無双で今度は大三元!!?……何だろう、今日の志希には勝てる気がしなくなってきたよ……」

 

「これで二度目の役満とは、なんという闘牌力…………()くなる上は燕返ししか…………!」

 

 してやられた私を始め、一緒に打っていた飛鳥ちゃんと文香ちゃんも歯噛みする。パパの手解きにより意味不明な麻雀力を誇るアーニャちゃんにこそ未だ敵わないが、彼女以外なら勝てるかも、と考えていたのは大間違いだった。

 

 そもそも発生確率の非常に低い役を続けて二度も出すとは、本日のツキの神様はどうやら彼女に降りているようだ。

 

「ふっふ〜〜ん♪今日の志希ちゃんは一味違ぁーう!どっからでも掛かってくるがいいにゃあ〜〜!あ、美波ちゃんは罰として一枚脱いでね?ほらほらほらほら」

 

「ちょっ、えっ……こ、これ脱衣麻雀なの!?……ていうか文香ちゃん、燕返し(イカサマ)は駄目よ?」

 

「いいえ、咎人に石を投げて良いのは、真に罪無き者だけですよ、美波さ……ってひゃあっ!?……なっ、くすぐったっ、志希さ……」

 

 ……私の対面に座っていた黒髪少女は、台詞を最後まで言い切る前に隣席の気まぐれネコに何故か擦り寄られた。合掌。

 

「んん〜?さっきから思ってたけど今日はちょ〜っとニオイが違うねぇ文香ちゃん?志希ちゃんなんだか気になるからハスハスしてもい?もーしてるけど♪」

 

「……ゃっ……ぁん……んんっ……」

 

「……ボケ潰ししながら利潤追求とは恐るべし、この自由人…………」

 

 結果、どこか艶めかしい声をあげる女子大生と、傍目から見ると襲ってるように見えなくもない女子高生、そして最近ツッコミが板につかざるを得なくなった系JC、という光景の出来上がりなわけなのである。

 

 しかしこのそこはかとなくピンクな景色、何というか──

 

「ねえ、飛鳥ちゃん」

 

「……皆まで言わなくても何となく分かるよ、美波さん」

 

 呆れ顔の飛鳥ちゃん。いえいえ多分そっちじゃない。

 

「ペナルティで服を脱ぐタイミング逸したんだけど、私いつ脱げばいいのかしら」

 

「さ、そろそろ荷物纏めようか」

 

 めっちゃジト目で言われた。

 

「ごめん、ごめんって。……そうね、そろそろ片付け始めましょう、皆!」

 

「そう言いながらなんで牌をジャラジャラさせてるんだい、リーダー?」

 

 ボケの波状攻撃にお疲れ気味の飛鳥ちゃんがジト目でそう指摘した時、やにわに両開きの部屋のドアが開く。現れたのはPさんだった。

 

「おーい、あと一五分で出っから支度しとけよ〜?」

 

「あいさ〜♪」

「……わ、分かり……ました……」

「連絡有難う、P」

「お世話になりまーす!」

 

 そう、今日は午後からライブの見学予定日。それも961プロ所属の人気アイドル、玲音ちゃんの野外フェスを見に行くのだ。

 

 

 ☆

 

 

「す…………」

 

「凄い……」

 

 鮮烈。単純明解、故に強烈。目の前のステージに立つ彼女──玲音のライブパフォーマンスをみて、それ以外の感想が出て来なかった。

 

 彼女が歌った出番は野外フェスの最後、即ち大トリのたった一曲のみ。ただそれだけで、会場の空気を全部塗り替えてしまった。

 

「……これが…………」

 

「……オーバーランク、ってやつなのか……」

 

 曲名はアクセルレーション、といったか。何処と無くスタンドっぽい名前だがそれはさて置き。彼女の人間離れした美貌をもつ容姿から繰り出されるパフォーマンス、抜きん出た歌唱力と表現力は、かの765プロのアイドル達を差し置いてでも今のアイドルの頂点に君臨するに相応しいと言えた。

 

 歌もダンスも、パフォーマンスも。全てが高いレベルでブレなく纏まっているそれは、機械のような精密さすら感じさせる。計算され尽くした綺麗な一挙手一投足に、観客に振りまく精緻な笑顔。正に()()()()()()()()()()()()てきたと、そう言っても過言ではない。

 

「……いま現在、この業界で最もかの日高舞に近いと言われる存在。それが彼女だ」

 

 客席からライブを眺めていた私達の隣に座るPさんがそう述べる。

 

 ──日高舞。その名は現代日本人なら誰でも知っている。CD全盛期の90年代に一大ムーブメントを巻き起こした彼女は、シングル・アルバムランキング共に日本最高の販売記録を持つレコードホルダーでもあった。……のだが、なんと人気絶頂の16歳の時に突如引退。

 聞けば理由は妊娠だったとかで、巷では当時の熱狂的なファンによる彼女への襲撃(未遂)が行われる、CD出版レーベルや関連書籍取扱会社の株価がナイアガラ降下するなど、大なり小なり世の中に影響を及ぼしたそう。

 

 ただそんな負の面も差し置いて、当時震災やらで暗い世相に覆われていた日本の人々を明るく勇気付けた歌と踊りは、今でも語り草となっている。ママなんか今でも聞いているくらいだし。テレビ特集とかで見たことがあるけれど、成る程伝説と呼ぶに相応しいアイドルだった。

 

 そして目の前で踊っていた玲音ちゃんなら、かつて「オーガ」と呼ばれた彼女のレベルにまで至れる、と思われるのも納得だ。

 しかし。憧憬が形を取って現れたのはラッキー極まりない。分かりやすくこんなものを見せられたら、なんだかもう────

 

「……モチベーション上がって来ました、Pさん」

 

 今の私達じゃあ、あのレベルには至らない。ても、いつか追いついてやりたい。萎縮?そんなもの、やりきってからすればいい。今は研鑽あるのみだ。……同じ思いだったのか、私の呟きに皆も次々答えてくれる。

 

「ボクも同感だよ、美波さん」

 

「…………しますか?自主練」

 

「ルーム空いてるぅ?ジョースケ?」

 

「電話して押さえとくわ。ただしオーバーワークは禁止な?」

 

 聞くなり立ち上がって荷物をまとめる私達。終わったのに戻って自主トレとか、何だか高校の部活動を思い出す。スクールアイドルってわけじゃあないけど。

 まあ取り敢えず、デビューまで麻雀卓は仕舞っておこう。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 所変わって6月9日、深夜零時。

 都内某所にある961プロダクション近くの裏路地。そこを幽鬼のような形相で、まるで何かに追われているかの如く走る男が一人。

 

「……ヒイイッ……来るなっ……来るなッっ……!!!」

 

 時折後ろを振り返り、足がもつれ道に落ちていたゴミが体にぶつかるのも構わずよろよろと走り、息切れからか路地裏の壁に手をつく。

 

「なんでッ……俺が……こんなっ……!」

 

 三流ゴシップ週刊誌のライターを営んでいるその記者・ペンネーム悪徳又一が何故こんなことになっているのかと言えば、その発端は三年前。

 かの765プロの有名アイドル・如月千早に関するスキャンダルを、懇意にしていた黒井社長から金を受け取ってでっち上げたところからだっただろうか。

 創設以来最高の発行部数を記録したその号だったが、勢いは其処まで。捏造が捏造とバレた後は、坂を転げ落ちるようだった。

 

 765ASのファンを名乗る者達から殺害予告が届いたのはまだ易しい方。読者どころか同業者からすらも白い目で見られるようになり始めたこともあり部数が激減。

 記事もハネられ貯金も使い込み、生活苦に追い込まれた男が思い付いたのは。

 

「……黒井の野郎を脅そうとしただけだってのに、クソッ……!」

 

 そう、抱えていた人気ユニット・Jupiterの離脱などがあって人気が低迷したかと思えば、いつの間にやら玲音なるアイドルを採用し、瞬く間にSランクまで上り詰めさせた961プロ。

 

 きっと自分にそうしたように、何か裏で黒井が手を回しているに違いない。ドス黒い芸能界のこと、金か女でも上役に掴ませたのだろうと考え、手っ取り早く彼を脅迫し黒い話を暴露させ、当面の強請りたかりをする、という短絡的発想を決意。

 そして今日、入館前の担当清掃員を襲って服と入館証を奪い事務所に潜入。その時間は本人以外誰もいないと確認したはずの黒井の社長室に、凶器を持って押し入ったのだが。

 

(あんなSPを雇ってたなんざ、聞いてねえぜ……!)

 

 部屋へ難なく侵入し窓を拭く振りをして背後に回り、黒井の後頭部をハンマーで殴りつけ昏倒させたのちさて施錠・拘束しつつ叩き起こして脅迫せん、とした悪徳の前に現れたのは、両の目尻に渦巻きのような形の白いタトゥーが入った、黒人の大男。

 

 隣の来賓室からこの社長室へ入ろうとしたと思われるその男は、侵入者の血走った目と手に持ったナイフで目的を察したのか、懐から消音器(サイレンサー)付のハンドガンを取り出し黙って発砲。

 これに悪徳は咄嗟になりすましのため用意した清掃用具ワゴンをぶつけて逃走を決意。

 

 そうして、追いかけてくる男から逃げるため事務所を抜け路地裏に駆け込んだというわけだ。とその時。

 

(……ンでも、なんとか撒いたみてえだな……ん?)

 

 その時。……キュッ、キュッ、と微かに、聞き覚えのない音がする。そしてその音源は着実に、此方へ近づいて来ているではないか。これはもしや──

 

(……あのヤロウもう来やがったのか……!?土地勘のねえ奴にここら辺の入り組んだ道は分かんねえ筈だ、一体どうやって……!)

 

 慄く男の目の前に出て来たのは、果たして──。

 

「……んだこりゃあ……犬の風船?…………クソが、脅かすんじゃねえよまったくよお……!」

 

 風か何かで運ばれてきたのかと、苛つきもあって風船を蹴飛ばそうとしたその時、ふと頭をよぎるのは。

 

 ──いや、風なんざ、吹いてなかったぞ?……ただのバルーンアートがどうやって、此処まで来たんだ?

 そうして、風船に顔を近づけた瞬間。

 

 バァン、と。前触れもなく、ゴムではなく()()()()()()、その風船が破裂した。

 

 瞬時に発生する散弾が如き速度の金属片は、顔を向けていた逃亡者にも当然の様に襲いかかり、左頬から上を爆風と共に抉るように吹き飛ばす。……それ即ち、意味することは命の簒奪。

 かくして呻く間も無く呆気なく絶命した男の死体が、路地裏に一つ。

 

 ピクピクと解剖された蛙のように痙攣を繰り返す、脳の半分以上を物理的に失った無惨な身体が動きを停止してから。

 ()えた匂いと赤い血に塗れたその場所に、ゆったりとした足取りで辿り着いた男が1人。

 

 カツン、カツンと磨き抜かれた革靴から音を立てて現れたその男は、誰あろう先程まで悪徳を追っていた長身の黒人。眼前に広がる、常人ならば目を背けたくなるだろう惨状を目の当たりにしても、その顔色は依然変わらない。

 それどころか。

 

「……我が『チューブラー・ベルズ』に掛かれば、矮小な愚物如きこんなモノか。何と他愛のない世界よ」

 

 自ら手を汚すことなく、人間ひとりを殺めたことを宣言したその男。

 両手を腰の後ろで組んだ姿勢のまま、頭蓋の欠片や血液の飛び散った凄惨な現場を睥睨しながらも。合理冷徹を至上とするその思考には、今しがた潰したネズミのことなど既に一片たりとも残っていない。

 

(……しかし、あの黒井なる俗物、子飼いにしたは良いが思ったよりも使えんな。奴の不手際で閣下に火の粉が掛かれば事だ、何れは始末せねばならぬか。961(アレ)は所詮、『獅子』の保管庫でしかない世界なのだから)

 

 思うなり来た方向へと踵を返した、黒スーツを着た巨漢にして『閣下』の腹心を自認する男、マイク・O。

 

 未だ利用価値のある小物に、脅し序でに貸しを一つ作っておくか、というだけの理由で作成した物言わぬ骸にそれ以上一瞥もくれることなく、彼は夜の闇の中へと溶けていった。

 

 後に残るは、人だったものの成れの果て。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『──次のニュースです。本日未明、東京都S区にて男性一人の遺体が発見されました。通報者の話によれば、男性は発見時、全身を強く打った状態で死亡していたとの事です。現場の状況なども抱合した上で、警察では男性が何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査を進めています──』

 

「……やだねェ、こーいうのは」

 

「そうですね。……本当に最近、物騒ですし」

 

 時に、6月11日水曜日。346プロ芸能事務所近くの大衆食堂、たるき亭渋谷分店・壁際四人掛けのテーブル席にて。

 大学が全休なのを利用して朝イチから346トレーニングルームの空き部屋を使って自主レッスンに励んでいた私・空条美波は、練習が一段落したところで来訪を知ってるPさんを昼食に誘い、全一四席の小さなこの店でお昼兼小休止と洒落込んでいた。

 

 ちなみにPさん、昼食を女子社員に誘われそうになっていた。相変わらずモテるみたいで。

 

 閑話休題、店内の壁掛けテレビから流れる物々しい内容の報道を聞きながら、私は先日起こったトンネルでの予期せぬ遭遇を思い出す。

 世界的にみても治安の良い国・日本でも、凶悪犯罪と無縁なわけではないというのは何とも悲しいことだ。顔も名前も分からぬ人だが、心の中で手を合わせる。

 

 さてそんなニュースを小耳に挟む中、「さっき今西さん(上司)から入ってきた情報なんだけどな……」と切り出したPさんの話は、まあ有り体に言っておカネの話。内容は──

 

「……スポンサーが買収された?」

 

「ん。正確にはIU最大手スポンサーのTVCの公開株式が、一昨日付で外資系企業のU・コーポレーションってとこに過半数を握られたんだとさ。……尤も何が変わるかって、規模とセットがちょっと豪華になるっつーぐらいで、フェス自体に影響はな〜んも無えみてぇだけどな」

 

 もしかしたら今日のニュースでもやるんじゃね?と頬杖をつきながら言うPさんに相槌をうちつつ、私は店内の壁掛けテレビから流れる時事情勢と、手元にあるお品書きとを交互に眺める。

 ポップな手書きのメニューリストに載るのは、海老フライにブリの照り焼き、チキン南蛮にハンバーグ、etc。

 迷った末に唐揚げ定食と生姜焼き定食を選択した私達の元に出来立ての其れ等が程なく届き、舌鼓を打つ合間に今後の話を進めていく。

 

 まずは今後のスケジュール。一〇人前後の規模でのCPによるデビュー計画がいきなり頓挫したため、私たちラウンズに代替案として346側から用意された来月のデビューミニライブ。これを皮切りに、八月一杯まではレッスンしつつ各種メディアに露出して知名度を高めながらIUに出場。

 九月以降は拡充再編成した新プロジェクト(仮称)に私たち含めた二期生約三〇人のメンバーを投入。その後一期生とまとめて冬に合同ライブ、という予定でやっていくそうだ。

 

 言ってみれば夏までは地下アイドルの下積み、冬以降はメジャーデビューのアイドル、みたいなものだろうか。まあ────。

 

「……経験値が多く積める、と考えれば悪くない、ですよ?」

 

「……そう言ってくれんのはマジで助かる。それに、三人の体力養成も課題だからなあ」

 

 Pさんが何を言っているのかというと、即ちユニットメンバーの文香ちゃん、志希ちゃん、飛鳥ちゃん三人の持久力のことである。

 

 歌唱力や表現力などは兎も角、スタミナだけなら一般JDからかけ離れた自覚のある私は別段平気だったのだけど、ダンスレッスンを繰り返した辺りで皆がダウン。

 結果トレーナーさん達の中でもスパルタで有名らしい青木麗さん策定の特別メニューを課せられながらデビューを待っているのが私達の現状だ。

 

「でも、みんな結構体力ついてきてますよ。この調子なら多分、心配要らないです」

 

「まあ〜二週間前に比べりゃあ大分良くなったけどなぁ…………ん、丁度今やってんの、そのIU新スポンサーのニュースじゃねーか、アレ?」

 

「へ?……あ、そうみたいですね。…………って、えッ……!!?」

 

 一拍遅れで画面を眺めた後突如驚愕を見せた私と同時、向かいに座るPさんも、報道を見て静かに瞠目する。

 

「………………なっ……」

 

「Pさ……いや、仗助さん、()()って………………」

 

 今しがた画面一杯に映し出されている、その「アレ」を見る私達。その見た目は……

 

「……大方、上から塗金(メッキ)掛けただけだろーよ。色が違っても()()()()()()()ってのは考えにくい。……どんな繋がりかは知らねえが、『撒き餌』ってのはこー云うことかッ……!!」

 

 薄型テレビに映るのは、NY随一とも言われる豪奢なホテルから生中継をしていると云う、某民放のNY支局に出張しているらしい若手女子アナウンサー。些か興奮気味の口調で話している彼女の横にあるクリアのショーケース、その中にあったのは────

 

『……はい、では改めまして今日のエンタメ芸能特集は特別版でお送り致します。先程もお伝えしましたが、かのIUにて今年から新たに主催を務めることになりましたディエゴ・ブランドーさんのご厚意により、優勝者への特賞品が新たに追加されることとなりました。そして!このケース内にあります『黄金の矢』、なるものがその賞品だそうです。なんでも時価総額にすれば1億円超えだとか。これを一体誰が手にするのかと思うと今からワクワクしてきますね〜!どうですかスタジオの──』

 

 ────1カ月前に倫敦の骨董店で盗掘された、「幽波紋(スタンド)の矢」其の物だった。

 

 




・黒井社長
アニマスだとやってる事が結構えげつなかったり。

・木星
315プロに移籍。

・マイクO
口癖は「世界」。

・悪徳又一
犠牲になった。


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008/ 或るケミストの述懐

080213


 ……そう言えば、プロデューサーと志希ちゃんって、一体どうやって知り合ったの?

 

 

「矢」の衝撃から少し時を戻した6月8日、346プロ二九階プロジェクトルームにて。

 

 早朝にアーニャちゃんを空港まで送った後私は事務所に着いたのちレッスンに参加、取り敢えず明日起きれる力がギリギリ残る(私除く)程度には頑張った私達がルームに戻ったあと。

 スポーツドリンクを飲んでいた私は、ソファーでとろけている(比喩)志希ちゃんにそう話しかけた。……ちなみに文香ちゃんは私にもたれ掛かって船を漕いでいる。いつもはこんなことないのだが相当お疲れのようだ。ゆっくりお休み。

 

 ああ、もしヒミツならこの話は忘れて、と付け足したけど。志希ちゃんの返答は如何に、と思ったら。

 

「ん〜〜〜とねぇ、それがかくかくしかじかまるまるうまうまで、ワケあってアイドル!になっちゃったのだ〜♪凄いでしょ〜?」

 

「ごめん志希、1ミリも伝わらない」

 

 これを横合いから最近相方が板についてきた飛鳥ちゃん、やんわり一閃。

 

「ふぇぇ……斬り方が辛辣過ぎるの。飛鳥ちゃん畜生なの。志希ちゃん泣いちゃうの」

 

「あのね、語尾に『なの』をつけるのは業界に先駆者がいるからちょっとね?」

 

「もぉ〜〜飛鳥ちゃんワ・ガ・マ・マ〜〜♪……あ、なら一人称変えよっか!明日からあたし自分のこと『ボク』って呼ぶから、飛鳥ちゃんは『拙者』か『おいどん』に変更ね♪いぇーい!」

 

「待って待って待って。ボクに喜べる要素がないから。そもそも何でその二択なのさ」

 

「じゃあ当職?」

 

「弁護士かな?」

 

「我輩」

 

「スネイプかな?」

 

「小生」

 

「それは食べログレビュワー……ってそうじゃなくて!代案を提示しなくていいから!現状維持でいこう、ね?」

 

「この変態!ド変態!変態大人(たーれん)!!」

 

「だから剽窃(ひょうせつ)は駄目だって!!もう一人称ですらないし!」

 

「……ぷっ……!…………くくっ…………」

 

「美波さん、堪えて堪えて。文香さん起きちゃう」

 

「ごめっ…………!……つい……!」

 

 ひょっとしてボケ倒すのは天才の必須スキルなのだろうか。立て板に水の如き飛鳥ちゃんのツッコミも最早名人芸の域だ。

 この分だと寮で鍛えられてるのかな、トークスキル。

 

「んも〜〜欲しがりさんだなぁふたりとも♪じゃあしょうがにゃいから、特別にあたしのとっておき、ご開帳してしんぜましょ〜う♪」

 

 本邦初公開、一ノ瀬志希のプレシャスエピソード始まりはじまり〜!と言っていつもの軽快なトーンで語り始めた志希ちゃんの話は、卑近に言えば「劇的な」お話しだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ──時に、2013年2月某日。アメリカ合衆国ニューヨーク州NYCブルックリン、現地時間午後2時。

 

 800万人を優に越える人口を抱えるこの大都市にそびえ立つ、軍事施設と見まごう程の、堅牢かつ厳重な警備の施された研究所。

 施設内の一角、守衛が警護する入口のモニュメントに「S.P.W FOUNDATION MEMORIAL HALL」と記された講演会場にて。小豆色の髪を揺らして並居る職員らにプレゼンを行う、年若い少女の姿があった。

 

「……Firstly, thank you for your interest in my study. To provide a device and method capable of sharing analysis of a series of chemical reactions ocurring in a plurality of materials. It's easy to say, hard to do. That's what I meant , your invitation is bright idea for me. Because the availability of most advanced and highly efficient chemical apparatus is a matter of life and death-especially for me, as a new face. And……」

 

 ネイティヴ顔負けの流暢な米国東部英語で以って聴衆に語り掛けるは、碧眼を持つ猫っ毛の少女。

 彼女が何故ポスドクとして働いている大学を離れてこんなところで講演をぶち上げているのかと言うと、当たり前だがSPW財団が大いに関わっている。

 

 元々石油メジャーとして富を蓄積し、経済界に確固たる地位を築いたSPW財団。近年では医学、薬学のみならず化学分野にまで投資、開発を重ねており、その資本力・実績・株価・雇用などの面で、世界経済の中でも大きな影響力を持つ巨大財閥として知られる。

 そんな大企業の本拠地に彼女・一ノ瀬志希が招聘(しょうへい)されたのは他でもない、弱冠10代にして発表された彼女の公開査読論文の有用性に目を付けた、財団たってのお誘いを受けたからだ。

 

 希少品も器具も交通費も全額負担、更には講演料も色を付けるから、何ならヒトも紹介するから、と言われたのが効いたのかは定かではないが、いきなり呼ばれたながらも堂々とスピーチをする少女から配布された資料。

 それをパラパラと捲りつつ、何時もなら日本で勤めに出ているだろう男・東方仗助は、本日は列席者の一人としてここ米国の地に降り立っていた。

 今日は別件で用事があったテキサス州ヒューストンにある財団本部から立ち寄ったのだが、資料に何の気なしに記された彼女の略歴に、思わずその青眼を見張る。

 

(一ノ瀬志希。岩手県出身、5月30日生まれの16歳。僅か10歳の時分でアイビーリーグの名門・ハーバード大学に首席合格、化学を専攻し大学院(GSAS)を卒業、昨年博士号を取得。推定IQは400オーバーにして9カ国語に堪能、且つ現在化学界最年少のPh.Dである期待の俊英、か。……承太郎さんが「畑は違うが半端じゃないのが現れた」、って言ってた時は何かと思ったが、こりゃあ財団が欲しがるワケだぜ……)

 

 そう考える仗助も日本で一、二を争うハイレベルな私大を出ているのだが、比べても流石に桁外れといえよう。ひょっとしてデザイナーズベビーかと勘繰ったくらいだ。

 

 実は今空腹で結構ギリギリなこの男は、腹筋に力を込めながら平静を装って資料を捲る。空腹の原因は明快。本来ならもっと早くテキサスからNYへ着けた筈が、搭乗予定機のエンジントラブルでフライトが遅延。結果カツカツな到着となり朝食と昼食を取り損ねたためだ。

 どうも飛行機と自分はあまり相性が良くない、というのは彼の持論だ。毎回というわけではないが、偶にこういう事がある。

 

 さて。気付けば彼女の講演も終わり、聴きに来た社員たちと共に拍手。演壇の少女が退室して間も無く、聴衆も外へと放出されていく。

 荷物纏めて俺もホテルに戻るかな、彼女の演説だけど内容からしてたぶん予算もつくだろう。若き化学者に幸あれってな、とそこまで思った時。

 

「Are you interested in this study that much?」

 

「ん、まあな…………って、Ph.D(プロフェッサー)一ノ瀬!?……これは失礼、迷われでもしましたか?」

 

 背後から、いつの間にやら退室したと思っていた彼女──一ノ瀬志希が、いきなり声を掛けてきた。咄嗟に「英語を聞き取って日本語で返す」という意味不明な応対をしてしまったが、気を落ち着けて敬語に直す。察するにどうやら彼女、引き返してきたようだった。

 

「んーとね、部屋出た後でな〜んか気になるニオイ辿ったらココについてねん♪てゆーかおにーさん、日本語ペラなの?ひょっとして日本人?あれ、でも……?」

 

「寧ろ英語より日本語の方が得意ですよ。この身形(ナリ)はハーフなもので。それより今日はお会い出来て光栄です、一ノ瀬博士。ああ、申し遅れましたがわたくし、こういう者です」

 

 日本語は物凄いフランクだった彼女。まあ歳下とはいえここはアメリカ、アジア圏の古臭い儒教思想など木っ端に劣るものでしかないからそれも納得。

 ただしこちらからみれば、彼女は礼を尽くして招いたオフィシャルゲスト。基本誰に対しても丁寧語の同僚を見習ってタメ口ではなく、敬語で応対。ついでとばかり名刺も渡しておく。

 

「あ、これはどうもご丁寧に、思わず日系人の方かと……ってもぉ〜カタいカタい!キミのが歳上だろーからとりあえず敬語禁止ね!今からお互いにファーストネームで呼び合お、これあたしの流儀!Okay?」

 

 アインシュタインやらノイマンやらがそうであったように、天才とはユニークな生き物である。と聞くが彼女もその例に漏れないのか。そう判断した仗助、ならばと営業モードを解いて応対。破顔して回答するは。

 

「そうしろと仰るなら幾らでも」

 

「Yeah!ノリ良い人は好きだよん?……えーっと、ジョースケで合ってる?」

 

「イントネーションならそれで合ってるぜ、志希。……なあ、マジでこれでいいのか……?」

 

「Exactly♪あ〜なんっかひっさしぶりに日本語喋った気がするよ〜、普段使ってない部分の言語野が解れる解れる!たまには母国語喋らないとね?」

 

 と言われたので同意を示すと、「あれれキミも?いが〜い」と返してきた。先程ハーフと言ったので、てっきり帰国子女かと思ったらしい。

 ……家庭の事情が色々と複雑な為、曖昧に濁しておいた仗助である。そんな折。

 

「ねね、仗助」

 

「ん?」

 

「ちょこっと()()、してもらっていい?」

 

「協力……?別にいいけどよォ〜「やたーぁ!」……オォう!?」

 

 協力とはなんぞやと思いつつ、安請け合いして了承。すると彼女は猫の如きバネとしなやかさを発揮し、するっと懐に飛び込んできた。

 

「……な、何してんだ、お前さん?」

 

 流石の色男もちょっと戸惑う。幼さが残るとはいえ美少女が急にダイブしてきて、しかも自分の胸に顔を擦り付けているのだ。パーソナルエリア狭すぎにも程があるだろう。……というか会話して5分くらいなのに懐きすぎだ。アメリカ人でもここまでフランクなのは中々いない。

 

「ん〜〜〜思った通り良いニオイ。お日様と石鹸、あとこのパフュームは──ヒューゴ・ボスか!でしょ?」

 

「や、合ってっけど……え?どうした?」

 

 突然の奇行に熱でもあるのか、と思って今正に胸元にある少女の額に手を当てるが、至って平熱。……じゃあこれ、素なのか?そのまま訝しむ彼の周りをもぞもぞと動き、もうやっと大人しくなったと思ったら。

 

「……………………zzzz…………」

 

「……いや、寝るのかよ」

 

 この状況で。どうやら丁度いい位置を探し当てたのか、仗助の隣に座り彼の肩を枕にし、没入するは夢の世界。気付けば勢いに圧倒されていた仗助は、ここで漸く我にかえった。

 

(協力って、要するに暫く枕になれってことか…………?)

 

 ジーニアス問題児とスタンド使い。戸惑う仗助をよそにその邂逅は、かくして此処から始まったのだった。

 

 

 

 

 それから約3時間後、外はそろそろ夕暮れという時間帯。

 

「……んんっ……………………あれ……どこ、此処?」

 

 ぱち、と眼を開けた小豆髪の少女の前に飛び込んできたのは、白を基調とした清潔感のある個室──いやどちらかといえば病室のような部屋だった。

 外科的手術を受けた覚えなどないのだが、なぜ日も暮れかかった時間こんなところに、と考えた彼女は、その優秀な灰色の脳細胞ーただし寝起きなのでまだ回転が鈍いーでもって状況を推察する。

 

 ストレッチャー機能のついたベッドにテレビと冷蔵庫。冷暖房に控えめな照明。これといって特筆すべきものは特にな────

 

(──いや、あった。あれ、この人仗助にちょっと似て…………や、気のせいかな?)

 

 ふと壁に目をやると、「Wedding of Jonathan Joestar & Eleanor Joestar」と題された、黒のタキシードと白ドレスを着た男女の肖像画が飾られていた。

 額縁に至るまで念入りに掃除されているらしく、埃一つ付いていない。二人の結婚式の時にでも描かれたのだろうか。ブーケを持った女性は柔らかな微笑みを浮かべ、白手袋を右手に持った紳士然とした男性は精悍な顔立ちをしている。なんとも幸せそうな一枚だった。

 

(財団創始者の知り合い、とかかな?……そうそう、なんでこんなとこにいるんだっけ、あたし。確か仗助に寄りかかって、そこから──?)

 

 その時、入り口のドアをノックする音。咄嗟に「I'm here」とだけ返すと、現れたのは。

 

「起きたみてーだな、志希。帰りの送迎、俺の担当だから送ってくぜ?」

 

「…………仗助?」

 

 ハートのストラップがついた乗用車の鍵を左指でクルクルと回しながら、彼は少女にそう言った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「んじゃ、医務室まで抱えて寝かせといてくれたの?」

 

 財団所有の高級スポーツカーを転がす仗助の傍、助手席に座った志希。彼女は今まさに、米国中に余すところなく敷き詰められたハイウェイの一本を駆け抜けている最中だった。都会のネオンと喧騒の中、男と二人で高級外車に乗って高速をドライブなぞ初めてなので、実はちょっとそわそわしてたりする。

 

「まぁーな。もしかしたらどっか具合でも悪りいのかと」

 

「い〜や眠かっただけだよアリガトねん♪最近忙しくて寝不足でさぁ、久しぶりによく眠れた、ってかーんじ♪」

 

「なら良かった。……講演、受けてくれてありがとな。財団の会長が志希に惚れ込んじまったみたいでな、『話だけでもしてくれ』って大変だったみてーだぜ?」

 

 改めて礼を述べるが、これは本心。

 この少女、メイクで上手く隠してはいるが、よくよく見ると目の下に隈が伺えた。

 今更だが言うまでもなく米国は広大。彼女の母校があるマサチューセッツ州からここNYC間の距離は200マイル以上。ハイウェイを飛ばしても3時間以上の距離だ。一回の高校生が強行軍でココまでやってきて数時間プレゼンをぶち上げたのだから、寝落ちするのも無理はない。そんな少女に礼を尽くすのは、彼としては当然の思考だった。

 

「16の子供を高く見過ぎだってば〜。お礼ならこの話持ってきた、あたしの師匠に伝えとくよん?『手応えあったし、オーディエンスもハイレベルな人ばっかりだった』、ってね」

 

「ハードル上がり過ぎだって、元々ただの油売りだぜ?」

 

「キミみたいなのがいるのに?」

 

「サンキュー……って、コレ褒めてんのか?」

 

「さーあ、どっちかにゃあ?もしも当てたらなにかひとつ、志希ちゃんのヒミツを教えましょ〜う!」

 

「んー、両方?」

 

「大正解!」

 

「嬉しくねえ」

 

「約束どーり質問どーぞ?秘密にアクセスしていいよん?」

 

 と言われても直ぐには浮かばない。仕事の話を聞く流れではないし、無難に趣味でも聞いとくか?と思ったら。

 

「聞かないの?バストサイズとか」

 

「ちょい待ち、まだ何も聞いてねーぞ」

 

「ちなみに今はEだよ?」

 

「答えなくていいからな?」

 

 ほっとくとどんどん脱線しそうだ。何か真面目に考えなければ。

 

「んじゃあ…………もしも、だけどな?」

 

 思い切って、聞いてみるか。

 

「うん?」

 

 そこまでは見せまいと、無意識に線を張ってるだろう心の内側に、いきなりの非礼を承知で入り込む。

 

「……悩んでる事とかあんなら、教えてくれ。話し相手くらいは務まっからな」

 

 寝落ちした志希を抱えて連れて行く時、彼女は確かに魘されていた。苦しそうに寝言で「……Dad(パパ)」と、整った眉間に皺を寄せて。

 家庭の事情など知り得ないが、何か込み入ったものがそこにあって、それが今の彼女の心に影を落としているのではないだろうか。少なくとも、夢見が悪くなるくらいには。

 

「……………………」

 

 果たして返答は沈黙。しかし時にそれは、肯定以上の肯定とも捉えられる。間断なく続くかと思われた会話に突如割って入った静寂が、広い車内を支配せんとした時。

 視線を俯きがちにしていた彼女が、一度唇を噛み締めてからぽつりと呟く。

 

「……………………あの、さ。……少しだけ、聞いてくれる?」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 応、と即答した仗助に彼女がまず語り出したのは、特殊な家庭事情からだった。

 

 岩手生まれの一人っ子だった彼女の幼少期。核家族で暮らしていた一ノ瀬家を、突然の悲劇が襲う。

 病による母の早逝。それは母親を中心に回っていた一家が崩壊するには、十分過ぎる理由だった。間もなくして、志希を養育費を詰め込んだ通帳と共に祖父母の実家に置いた父が渡米。そのまま行方知れずになってしまったことで、一家離散は確定することとなってしまった。

 

 そもそも志希が留学するに至った経緯は、破天荒極まりない自身の父親を追ってのこと。自分と同じく少々失踪癖がある父は、現在アメリカのどこかにいるらしい。風の噂でどこかの会社に雇われていると聞いたが、元来風来坊な父がほんとにそんなことしてるのかは分からないとのこと。

 

 ともあれ親の影をこの自由の国に見たのか、意気揚々と凱旋するかのようにアメリカへとやってきた少女。有名私大の潤沢な予算もあって整備された環境が待っていたラボラトリで、彼女が遭遇したのは────

 

「──人種差別だぁ?ポリコレでうるさいこのご時世に?」

 

「うん……」

 

 正確には差別の皮で覆った嫉妬(ジェラシー)……だと思うんだけどね。と前置きして。

 数こそ少なくなったが今以て存在する白人至上主義者。その残滓とでも評すべき者が、同期の中に居たのだという。

 

「……ま、その人それだけで飽き足らなかったのか、黒人同級生のバッグにスプレーでSOB(サノバビッチ)って落書きしたのもバレて、結局退学になったんだけどね」

 

 明晰な頭脳をもってすれば、言葉の壁など意に介さない。持ち前の社交性があれば、苦もなく見知らぬ人の輪にも入っていける。……でも、海を越えて天才達の集う学び舎に通っても、大幅に縮まりこそすれ彼らとすら差があった。そして時折向けられる負の感情は、依然存在していたのだ。

 

「なーんだこんなもんかって、その時思ってね。勿論大多数はいい人ばっかりだったし、単位もフツーに取って卒業したんだけど……」

 

 それでも。自惚れる訳ではないが、自分と比肩しうる才を持つ学生が、世界中から優秀な人材が集まるこの国にすら一人もいなかったのだ。

 彼らからも驚かれた。恐れられた。口さがない手合いなぞ「悪魔の頭脳を持つ少女」と、陰口を叩いてきたりもした。逆に「人史に残る至宝である」と、尊崇の目で見てくる人もいた。

 

 たまに失踪したりしても、なんだ気儘な性格なのかと思われるだけで、胸襟を開いて会話することの出来た相手などごく僅か。そりゃあ、友人はいた。コミュ力は高いから、人種国籍問わず出来た。でも自分から人の輪に飛び込んでみても、自分の内側を()ろうとするものは、結局()()()()一人もいなかった。孤高の天才とか変人なんかじゃない、彼女自身の感性はフツーの、年相応の女の子だったのに。ただ、人より飛び抜けてアタマが良かっただけ。

 

 いっそ愚鈍な世間を鼻にかけ、同期の学生すら俗人と馬鹿扱いして生きられればどんなにか楽だったろう。しかし他者を見下して自身が悦に入ることは、他ならぬ彼女自身のプライドが許さない。そして世を儚み、達観するには一ノ瀬志希は若すぎた。

 

「……勿論、学術的(アカデミック)なことへの熱意は今もあるよ?だから招聘受けたワケだし、成果出るまで投げ出さない。……でも、もうなんか、つまんないやって気持ちもあるんだよね」

 

 …………ねえ、キミなら、こんな時どうしてるの?

 

 どこか不安げに絞り出された問いは、ただただ重い思いだった。同い年、16歳の頃「奇妙な冒険」を繰り広げた自分とはまた違うカタチで、彼女も色々と背負っているらしい。

 普通の女子高生ならば勉強や部活に精を出し、或いはバイトやら恋愛に励む、そんな年頃だろうにそれらを全てすっ飛ばして、大人になるどころか人類の知の叡智にまで脚をかけた女の子。でもその中身は、多感な時期に人並みに悩む、一介のティーンエイジャーでもあった。

 

 幽波紋と天賦の才。形は違えど「異能」によってその思春期を殺した子どもに、かつて少年だった男は運転席の車窓を開けつつ返答する。

 

「……俺なら取り敢えず、『曲がり切る』ね。ぶつかると思うからぶつかんだ。余計な事して回り道すんのが一番の近道だった、てこともあるぜ?」

 

 それは、言ってみれば老婆心からの答え。なんだかんだ「フツーでない」人生を送ってきた先達として、経歴も容姿も育った年代も全く異なる目の前の少女は、何故かかつて、父との距離を測りかねていた過去の自分と被って見えたから。

 双子座生まれで実父に悩む。共通するのはその二つだが、逆に言えばそれだけあれば十分だろうか。

 

「…………もしかして、実体験?」

 

「ん、まあな」

 

「そう、なんだ。……回り道、か。……あたしの道って、何なんだろ」

 

 シートベルトをギュッと握った彼女の口から漏れ出た、そんなつぶやき(ウィスパー)と同時。ヒュオオ、と半分ばかり開け放たれた車の窓から、ぬるい夜風が入り込む。

 

(荒療治が必要か、こりゃあ?)

 

 湿っぽくなった空気を流すかのように再び吹いた風に合わせて、運転手はおもむろに問い掛けた。

 

「……志希。今日、後なんか予定あるか?」

 

「え?……いや、空いてる、けど…………?」

 

「お、いいねェ。ならこれから──」

 

 一度言葉をそこで切り、ムーディーなジャズの流れるカーステレオをロックに変えて、景気付けにとギアを一足深く踏み込む。ニッ、と口角を上げつつ謳うは、寂しがりやの猫への提案(サジェッション)

 

 ──メシ食うついでに、夜遊びにでも繰り出さねェか?

 

 

 

 ☆

 

 

 

 2時間後、NY州と隣接するマンハッタン州・アトランティックシティ。

 かつて富裕層の高級避暑地として栄え、現在では東海岸でも指折りの歓楽地として知られるその都市の一角、煌びやかなネオンと欲望渦巻く賭博の聖地。

 そこに、フォーマルスーツと赤いドレス姿で降り立つ東洋人の男女が1ペア。

 

 勝手知ったる、というふてぶてしささえ感じる男に比べ、女性……というか少女の方はわくわく半分、疑念半分といった調子。レディーファーストの経験はあるが、エスコートされたことは今日が初めてなのも影響している。彼女の歳でそんな経験、ある方が珍しいが。

 

「……あ、あのさ、あたしまだ16なんだけど、ホントに入口通過(パス)出来るの……?」

 

 向かう途中立ち寄った、彼女の宿泊先のシティホテル。持ち込んだトランクの底に眠っていた、赤と黒を基調としたパーティドレスに合わせた、黒いオペラグローブとワインレッドのハイヒール。ついでとばかり添えられたシンプルな花飾りで赤紫の髪を纏めた少女は、頭にハテナマークを浮かべて呟く。

 

 ぐっと大人びた雰囲気を醸し出す今の少女なら、或いは一八、九といっても通るかも知れないが、それも当然の疑問だ。大体未成年をカジノに連れ込むなど何処でもご法度である。こんなところに連れてくる大人は一体何を考えているのだろうか。

 

「ん、余裕余裕。従業員に知り合いいるしな」

 

 これに軽々と答えるは少女を連れてきた張本人・東方仗助。こちらは昼間と同じくネイビースーツに革靴、サックスブルーのクレリックシャツという格好。ただしいつもと違いネクタイをエルドリッジ・ノットで結び、胸元には(シルク)のチーフを添えて少々遊びを入れている。既に仕事のことなど霞の彼方だ。

 ……仕事中毒(ワーカホリック)気味の同僚と足して二で割ってやると、もしかしたら丁度いいかも知れない。

 

(……つーかここ、元々ジョセフ(オヤジ)が貸してる土地だし。なんなら俺も17の時から行ってるしなぁ……)

 

 おやなんのことはない、どうやらコネがあるらしい。

 余裕、と言いつつ正面から女連れで堂々と入っていくあたり、ある意味職権濫用の極みであるが、大株主兼地主の息子ならこんなことも可能なのだろう。

 

 加えて本人の態度は暴れる訳でも口煩い訳でもなく紳士的、それどころかスタッフに差し入れをしたり、刃傷沙汰になりかけた客の仲裁に入って丸く収めたりしたことが何度かあるので、現場の社員からの人気は非常に高い男。それがこのカジノにおける東方仗助だ。

 ……たまにフラッと現れては大勝ちしていくのを除けば、店側にとってこんな上客はいないのだが。

 

 

 

 

 ──そして、更に3時間後。

 

「あー楽しかった!やってみると面白いね、あーいう心理戦♪」

 

 大満足、といった面持ちでそう言って出入口から出てきたのは、先程入場制限食らわないかと疑念を呈していた少女その人。なんと今しがたまでポーカーやらバカラやらのテーブルゲームで、浴びるほどの金額を荒稼ぎしてきたばかりだった。

 

「途中からフェイクまで上手くなってたしな。ポーカーフェイスとイカサマの見抜き方が分かるようになれば余裕だ。てか、参加者のクセとパターン、あの場で全部記憶して解析してたのか?」

 

「まー、緊張や興奮は匂いである程度分かるからね。ただ全く読めない人もいたから奥が深いねーこの世界。にしても、一つのコトにこれだけ興味が持続するのは久しぶり♪」

 

 ド派手なネオンと欲望の支配するこの街で、歴戦の猛者達に負けず劣らずのプレイングを見せた少女。気分転換も目的だが、運の要素が強いギャンブルですら彼女は掌握出来るんじゃないか、と思った仗助の読みは果たして当たったようである。賭博の才すら兼ね備えていた多才さ、正しくギフテッドと呼ぶに相応しい。

 

「まー最後なんざ、あのレナがちょっと引きつってたからなぁ……」

 

 今度俺の持株から今日の損失分を補填しとくか、と思いつつ、最初は「未成年連れてくるなんてアンタ何考えてんの」とぶりぶり怒っていた彼女・兵藤レナを思い出す。確かにそう言われると何も言えないのだが、後半は普段ポーカーフェイスを崩さない彼女ですら、志希のゲームメイクを観て達観した目になってたのが印象的だった。

 

「あ、ディーラーのレナさんでしょ?初見の人にドリンク一年無料パスくれるとか気が利いてるよねー♪これぞホスピタリティ、ってやつ?」

 

「え、そんなんあんの!?一杯無料チケットしか俺知らねーぞ……「見るぅ?」……本当だ、ガチで1年て書いてある……」

 

「ま、あれだけ積まれたドル紙幣見るとドリンク代くらい、とも思っちゃうけどねー」

 

 そうして、そこまで言ったところで。

 

「あと、さ。…………あたし一度、帰ってみるよ、日本に」

 

 抱えていた煩悶への答えは、なんとか出てきたみたいだった。口調が変わったのを察し、会話の拍を変えていく。

 

「……やめちまうのか、研究は?」

 

「んーん、すぐ戻る。忘れ物、取りに行くだけだから」

 

「忘れ物?」

 

「うん。昔、お母さんから貰った香水なんだけど、無くすとヤダから金庫にしまいっぱなしなの。でも、やっぱり持ってることにする♪」

 

 そう述べて横顔だけで振り返った彼女は、朝と比べてどこか憑き物が落ちたような顔つきだった。出入り口から綺麗に整備された噴水、薄い縁の淵を爪先立ちで器用にバランスを取って歩きながら、今度は鼻唄交じりで喋り出す。ちなみに先程まで履いていたヒールは後ろ手に両手持ち。

 

「物持ち良いのは良いことだ、憧れでもなんでもな。いずれ自ずと、やりたい事が見つかるぜ」

 

 心から思う。自分が幼き頃のあの雪の日に、無言で車を押してくれた誰かに焦がれたように。やがて憧れを昇華させ、自ら超えていったように。

 

「なーるへそ。経験者は語る、ってヤツ?しっかしそう考えると、キミってばけっこースゴイよね♪」

 

「お、てことはなんか感じ入るモンでもあったのか?」

 

「察しがいいねーその通りって……わっ……とっとっと!?」

 

 その時頓狂な声をあげるなり彼女、気持ち高くあげて縺れた足がつんのめり、そのまま噴水へダイブした。発生した水飛沫と共に、ハイヒールも手元を離れ宙を舞う。いきなり体半分水に浸かった少女は、びっくりしたのか目をしぱしぱさせていた。突然の水落ちに矢張り驚いた男は後方から、勢いのまま駆け寄っていく。

 

「お、おい、大丈夫か志希!?」

 

「んーんーんーモーマンタイ。……あ、そーだ仗助、これ、あたしからのお礼ってことで♪そーれ!ばっしゃーん!!」

 

 不意にいいこと思いついた、という顔をしたかと思えば、言うなり噴水に飛び込んだまま、仗助に向かって手で掬った水をバシャバシャかけ始める。はたから見ればヤバいクスリをキメてるのかと思えなくもない光景だ。流石のスタンド使いも少々辟易。

 

「ちょ、コレ一張羅なんだからやめい!つーか風邪ひくから早よあがれって!」

 

「にゃーっはっはっは!気にしない気にしなーい!ん〜でも流石にそろそろ上がんなきゃか。いい加減下着にまで水染みてっ……」

 

 言いながら立ち上がろうとした志希の動きが、電源の落ちた機械が如くぴたっと止まる。何か異常を検知したようだ。

 

「……どした?」

 

「……あのね、右足挫いたっぽい」

 

 車の中であったそれとは違う、別種の沈黙が2人の間に訪れる。アドレナリンの大量分泌で怪我したのに今の今まで気づいてなかったパターンだろうか、この子。

 

「……背負いこむから背中乗んな、ほい」

 

「え〜っと、恩に着るにゃ〜……?」

 

「どういたしまして」

 

 にしても。

 

(…………そういや捻挫って、オレの能力効くのか……?)

 

 軽度の怪我だと試したことがないので分からない、とはこの時の仗助の胸中である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……あのね、仗助」

 

 無言のまま数分程度歩いたところで、ふと背中の彼女から声を掛けられた。何やら思案していたようだ。

 

「なんだ?」

 

「ホテルってどこ泊まってるの?」

 

「えーと、ボルガータホテルってトコ。珍しく予約満杯とか言ってたな」

 

 言わずと知れた老舗シティホテルの名を聞くなり、さっき車内でみた地図を脳内で完璧に再現した背上の彼女、直ちに距離の計算を開始。……うん、圧倒的に彼の泊まってるとこのが近い。よって。

 

「部屋泊めて!お願い!」

 

「はああ!?」

 

 ふっかけられたP、唖然。いや、普通15、16の美少女にこんな事言われたら、10代の男子諸兄はあらぬ妄想で舞い上がってしまうだろう。しかし成人して暫く経つ東方仗助にロリコンの気は全くないし、よしんば性犯罪者と間違われるなぞ真っ平御免だ。

 

「そりゃダメだぜ?いくらなんでも」

 

 というわけで断る。しかし彼女もさるもの、その優れた脳細胞をいらん方に活用し始めた結果。

 

「ケーチー。あ、なら断ってもいいケド、財団の偉いさんにバラしちゃうよん?未成年カジノに連れ込んだこと♪」

 

 あろうことか脅迫を始めた。

 

「なっ、んでも流石に無理だっての!つーか未成年ホテルに連れ込む方が問題だろ!?」

 

 しかし初めて彼の慌てた顔を見た志希、段々と嗜虐心が湧いてくるのも感じ始めていた。大体、さっきから胸を心持ち強めに押し付けてるのに、全く照れる素振りもない。

 

(……うーん、我ながら年の割にはそこそこあるんだけどなあ)

 

 初の大胆な試み(当社比)は、どうも不発に終わったらしい。同性愛者でも朴念仁でもあるまいに何ゆえ。こっちは結構、平然を装ってるけど勇気出してるのに。

 

(……あ、もしかして慣れてるのか)

 

 天才少女は偏見を交えて推察。そっちの場数も踏んでそうだ、いやそうに違いないこの色男め。ショートバック&サイドにキメた綺麗な髪型をグシャグシャにしてやろうか、と意味不明な衝動にかられる。

 

(そーですかそーですか。小娘にはソソられないと。……むう)

 

 密かに小さく唇を尖らせる。……因みに事実は何てことはない、この男は歳上の甥と同じく学生時代からモテまくってたので、単に女慣れしてるだけである。別段爛れた恋愛はしていない。そんなこと今の彼女が知る由も無いが。

 しかしギフテッドは立ち止まらない。動じないなら別方向から突破するのみ。要領は数式を解く時と同じ筈、と気を取り直して間髪入れず次弾を撃つ。

 

「やーでも()()()()()()から近いトコのがいいじゃん?コのままだと自分の部屋帰るまでに風邪ひいちゃうし♪」

 

 お次に正論。事実その通りなので説得力がある。

 サービスを提供している最中、アクシデントに遭った顧客に塩対応を取れば企業の沽券に関わる。私人としても水浸しの少女をほっとくのはプライドが許さない。

 ハァーっ、と心の中で仗助はため息ひとつ。どうやら今日はベッドで寝るわけにいかないようだ。

 

「……俺は朝まで下のバーで飲んでる。それでいいな?」

 

 ──そうして諸々勘案した結果、結局自身の評判より他人の為に走ることを最後には決めるあたり、この男も確かに星の一族の血を引いてるのである。

 

「え、同じ部屋じゃダメなの?」

 

「ベッド一個しかねーんだって」

 

「じゃあ添い寝して?」

 

「降ろすぞ」

 

「ええ〜あたし抱き枕ないと寝付けないのに〜」などと言う彼女に適当に返事しつつ。気付けば駐車場に着いていた二人だが、片方はそりゃあもう濡れみずく。まあ噴水ポチャしたから当然なんだけど。

 

 さて車のガルウィングを開けるなり、後部の荷物シートから仗助が取り出したスポーツタオルを何枚か手渡された志希、そのままゴシゴシ頭を拭く。生地から仄かに香るのは、彼の使ってる香水の匂いだった。なんだかすっかり気に入ってしまった匂いに、我ながらこんなちょろい女だったかにゃあと思ってしまう。

 

(……一枚失敬しようかな、このタオル……や、でもちゃんと洗って返さなきゃ……アイロンも掛けないとだし……)

 

 心の中で悪魔と葛藤しながらも、そうだ、と彼女は車に乗った時から気になってた質問をぶつけてみることにした。

 

「……あのさ、この車なんて車種なの?」

 

「ん?ランボルギーニ・ヴェネーノってやつ」

 

「……へ、へえー…………」

 

 思わず固まる。確か世界で3台しか存在しない超高級車だった筈だ。よりによって此処にあるのか。ラジオニュースでちらっと聴いただけだけど、幸か不幸か自分の記憶力の高さ故に確実な事実だろう。好事家なら惜しげも無く大枚をはたくだろう車に水浸しで乗っかるとは。

 一瞬血の気が引いた彼女だが、ここまできたら開き直りの極地である。今日はとことんエスコートしてもらおうじゃないか。

 思考を変えると何となくウキウキしてきた。大体考えてみれば男性、しかも容姿だけの軽っぽいのとは違う、中身も一流の伊達男とドライブデートもどきなんて初めてだし。折角だし思い出ついでにリクエストするだけしてみよう。

 

「あ、あたしついでに夜食食べたい!どっかいいとこ連れてって!」

 

「これからか!?……しゃーねぇー、ならとっておき案内するわ。ただし服着替えてからな」

 

「はぁーい!」

 

 何かが吹っ切れたのだろう、はっちゃけたテンションになった少女に苦笑をこぼすのみ。「こんな時間に太るぞお前」なんて間の抜けた事をこの男は言わない。

 暖房の対流とハードなロックが車内に流れるスポーツカーは、仗助の巧みなハンドル捌きに操られ。世界有数の摩天楼が立ち並ぶ大都市へ、流れるように吸い込まれていった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 2日後。NY州J.F.ケネディ国際空港、国際線ターミナル。

 羽田行国際便の機内にて、此度の「出張」で土日を挟んで5日間を使った仗助は、アイマスクを付け窓際から一つ離れた席で爆睡していた。

 

 何故に休暇ではなく出張扱いかというと346プロダクション、実は仗助発案で財団と異業種提携をしているためだ。具体的には日本で流すSPW傘下のメーカーCMに346所属のタレントを起用する、など。

 既に複数回、優秀な社員を選りすぐって交流を行なっている。英語に堪能な仗助も当然その対象だ。よって公費で出張できるのである。

 ……ただ仕事はこなすが同時にポケットマネーを持って行ってちゃっかり遊んでくるあたりは、どうも父親に似たのだろうか。

 

 さて、米国時間朝出発のその便に乗り込むとほぼ同時に寝始めた仗助。本人曰く時差ボケを修正するための早寝だそうだが、果たして如何な効き目があるのかは不明である。ちなみにちょっと奮発して今日はビジネスクラスに乗っているのだが、それはさて置き。

 今回は遅延もなく快適な空の旅がスタートし、天上人ならぬ雲の上の人になって数分。

 

 

 ──それは、音も無く始まった。

 

 深夜零時になると共に、仗助の座る区画、そして後方のエコノミークラスの其処此処から、中東系と思わしきヒゲ面の男達5人ばかりが一斉に立ち上がる。

 彼らが各々その手に取っているのは、土産物のように見える大振りのコーンパイプやおもちゃにも見えるカラフルな色合いのハンドガン、一眼レフ型の大きなカメラ。

 

 なんだなんだと他の乗客達が彼らを眺め、お客様方、お座りくださいとばかり複数のCAが宥めんとした、その時。

 

「……هذه هي حرب مقدسة.(此れは「聖戦」だ)

 

 パン、という軽い発砲音と同時、放たれた威嚇射撃が丁度仗助の隣、通路側から制止をかけた添乗員を撃ち抜いた。瞬く間に起こる悲鳴。そして怒号。使われたのは、モデルガンでも玩具でもない実銃。

 飛行機という密室でこともなげにそれを使い、アラビア語だろうか、何やら大声で喚く者たち。更には政治的主張なのだろうか、不当な手段でもって自らの願望を押し通そうとする彼らを一言で表すなら──テロリスト、と形容するのが端的か。

 

「なんだァいった…………い……」

 

 半ば強制的に起こされた仗助の目に入ってきたのは、ラフな格好にそぐわない凶器を抱えた浅黒い肌の男達と、恐慌状態に陥っている乗客、そして、いつになく緊迫した目つきでこの企てを決行したもの達を見据える乗員。それ即ち──ハイジャック。

 

 幼少期に高熱を出した時に限って車が雪で動かなくなったりと、偶にある自身の乗り物運の悪さ。それが今日此処に極まったようだったが、今やるべきは回想ではない。

 

「──Freeze(動くな)!!」

 

 事は既に有事。認識すると同時、弾かれたようにシートベルトを外して立ち上がった仗助は、男達に向かって強い口調でそう叫ぶ。起きた時にちらと見えた前の座席区画、ファーストクラスの方向に向かっていったのが2人。つまり此方に残った連中と合わせ、敵の数は合計5人。二回に分けて制圧するのが妥当だろうか。

 

(こーいう時、承太郎さんや億泰が居りゃあ便利なんだけどよォ……)

 

 時間停止や空間を抉り取る力。正にこんな状況向けの能力なのだが、無い物ねだりはしていられない。

 

(どう切り抜けっか、この状況…………ん?)

 

 その時、ファーストクラスの区画から聞こえてきたのは、悲鳴と何かを殴打する音。そしてどさり、と何かが倒れる物音。聞こえたのは女性のものだが、その声に、なぜか聞き覚えがある気がして。

 程なく乱暴な足音と共に、人質と思わしき乗客に銃を突きつけ、羽交い締めにして出てきた髭面の男が1人。その懐に拘束されていたのは。

 

「……な、志希…………!?」

 

 そこに居たのは二日前、確かに送り届けた筈の少女。

 殴られたのだろうか片頬が腫れ、常なら蠱惑的な笑顔を浮かべているだろう面立ちに陰がさしている彼女は、此方に気づくなり大きな眼を更に大きくし、発声せずに何かを伝えん、とし始めた。まるで、自分より案ずるものがあるみたいに。

 

(助けて……?いや違う、あれは…………)

 

『ニゲテ』、と。

 

 ……口唇だけだが、彼女は確かにそう言った。──同時に()き立つのは、自分の中で何かがプチン、とキレる音。

 

(……顔も知らねえオヤジさんよ、……あんたの娘は、必ず助ける。しっかし……)

 

 決意を固めてゆらり、と一歩足を出し、身体を敢えて射線に晒す。俄かに色めき立つ敵を意識しているのかいないのか、漏れ出るは韜晦(とうかい)の念。

 

「……ホンッと、乗り(モン)とは相性悪りィーよなァ俺はよォォ〜」

 

 ああ、マジで全くツイてない。名も知らぬ乗客と乗員を巻き込み、その命と航行を危険に晒し、丸腰の民間人に銃を向け、脅しをかけてまで目的を為そうとする。そんな輩が目の前に現れるなんぞ、まるで自分が引き寄せたみてーで遣る瀬ねえ。そして──

 

Once again.(もっぺん言うぜ)Freeze(動くな),or Drop the gun(それか銃を下ろせ).If you do not listen(言うこと聞けねェー) to what I say(ってんなら)……」

 

 ──痛いだろうに、怖いだろうに、自らに凶弾を向けられて尚他人の心配をするような、真っ直ぐな少女(子ども)にそんな眼をさせちまう、手前(テメェ)が情けなくて仕方ねェ。

 

 ダークブラウンの革靴をカツカツと鳴らしながら、ゆっくりと髭面の男達に近づき、吠える。

 

「……I won't give a third chance, (3度目はねェぞ)stupid(クズ共)!」

 

 右の拳を強く握り、殺気を隠さず叩きつける。問掛けに碌に答えもしないばかりか、威圧に怯んだ相手の答えは。

 

الله أكبر(神は偉大なり)!!」

 

 向くは銃口、引かれるは狂気のトリガー。それらが示すは交戦の意思。ならば己が採るべくは、たった一つの冴えたやり方。砕けぬ意志で──「悪」を砕くッッ!!

 

 

「──クレイジー・D(ダイヤモンド)ッッッッ!!!」

 

 

 

 ───この()で全て、ブッ壊す(治療してやる)




・兵藤レナ
ベガスのカジノから東部に。特技はトランプ。


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009/ クレイジー・Dは砕けない

110213


「──クレイジー・D(ダイヤモンド)ッッ!!!」

 

 

 

 ハイジャックの憂き目にあって尚、米国上空3600mを果敢に飛行するノースイースト航空530便・後方区画にて。

 

 全6人のテロリストの内、3人が至近にいる状況下でそう叫ぶと同時、後ろ手にして両手の中に隠しておいたタクティカルペン二本を、仗助はノーモーションでそれぞれ別の方向へと投擲する。

 咄嗟にスナップを効かせて投げられたそれらは、吸い込まれるように志希を拘束していた髭面男の持つ銃、そしてもう一人のマスクをした男の──眼球へと吸い込まれていった。

 

「aaaaaaaaaaahhhhh!?!!!!!?」

 

 ──かくして、現状認識すらろくに出来ない内に左眼の視力を喪失した敵は、降って湧いた激痛に銃を取り落として蹲り、その場で身悶えし始める。同時。

 

ما حدث(何が起こっ)……!!」

 

 突如仲間の挙げた猿叫に一瞬気を取られ、思わずそう叫んだ髭の男の元にも、刹那遅れて飛び道具が飛来。おそらく3Dプリンターで製作されたのだろう、玩具のような色合いの拳銃に突き刺さる。

 

 そして、自らの得物をスクラップにした異物に目をやり拘束が一瞬緩んだ、正にその時──

 

「ドラァッッッッッ!!!!!!」

 

 ──目標約1m、という所まで瞬時に距離を詰めた仗助が持つ不可視の拳が、髭男の顔面にめり込んだ。

 

 そう、裂帛の気を込めた勢いのまま、てっきり拳打か体当たりでも放つのかと敵に思わせた男が最初に優先したのは、敵の制圧と人質の奪還、その両方だったのだ。難なく志希を自分の懐にかき寄せ確保。この区画、残るはあと────

 

「……仗助っ!後ろッ!!!」

 

 急展開と超常現象に束の間、呆然としていた少女から飛んできた声。瞬時に反応して後ろを振り向くと、いつの間ににじり寄ってきたのか、そこにはククリナイフをかざした男の姿。万事休すか、と思われたが。

 

「遅ェッ!!」

 

 否、全くそんなことはない。掛け声一下(いっか)、轟ッ!とばかり音を立てて振るわれた右の正拳が顔へと吸い込まれる。まともに入ったのか訳も分からぬ表情のまま鼻血を噴き出し倒れていく男だが、其れを繰り出したのは仗助ではない。

 

 巌の如き体躯に、ハートを象った意匠のアーマーを身体の各所に装着した意思持つ幽体。

 クレイジー・Dと彼が呼び、そして喚び出したそれは勿論、只のテロリスト如きに見える筈もない。

 速攻で気絶させた男達をまとめた仗助は、彼らの服から抜き取ったベルトを手錠がわりにして拘束、瞬く間に縛り上げていく。

 

「……コレでよし、と。あとは──」

 

 前方区画に、残り3人。

 恐らくはファーストクラスと、最悪の場合は操縦室が乗っ取られている可能性がある。頭によぎるのは12年前、NYを震撼させた9.11同時多発テロ。最悪の場合、彼らの狙いは……。

 拘束をかけながらそこまで考えた仗助は、改めて突入の意志を固める。ついでに。

 

「……G28、通路側が俺の席だ。空いてっから座ってな、志希。あと──」

 

 これ、預かっててくれ。そう言いながらスーツの上着とネクタイを纏めて渡す。割と気に入ってるのだ、わざわざ血で汚すのも阿呆らしい。

 

「えっ、ちょっ……」

 

「んじゃ、行ってくらあ」

 

 そう言って、喧騒の残滓と僅かな血の匂いが漂う区画を抜け、彼はより危険なエリアへと突っ込んでいった。

 

 残されたのは、男物のぶかぶかな背広を懐に抱き、両掌にネクタイを納めたうら若き少女。思わず追いかけようとする、も。

 

(……あれ、身体が……動か、ない……?)

 

 正確には腰が抜けて、一時的に立てなくなっている。こんな時でも迅速、かつ客観的に状況判断する彼女の優れた頭脳は、冷徹に解を叩き出す。思考は出来る、でも動かない。これは紛れもない、恐怖に因るもの。しかも。

 

(……震え……てるの?あたし…………)

 

 化学の女帝。悪魔と契約した女。東方の大賢者。学府に於いては若くして数多の二つ名を有し、天才の称号を欲しいままにする自分が、こんな状況下ではなんと無力なことだろう。これではまるで、タダの女子高生じゃあないか。

 

 座ってろ。そう言われた。今になって、非力を嫌と言うほど自覚する。でも。

 安全地帯で何も知らない重荷のままでいるよりも、危うくても立ち向かっていく方がましじゃあないか。格闘技術などないし、仗助みたいな膂力も有事への心得もない。銃声など、今まで射撃場でしか聞いたことがない。だから、彼の言葉は自分を危険に晒さないための優しさとも分かっているけど、それでも。

 

(必ず見届ける、信じてるから。だから……這ってでも、いくんだからッ……!)

 

 震える脚に、無理やり力を込めて立ち上がる。首を極められかけた一時的な酸素不足で、何かに寄りかかっていないと足取りが覚束ない。機体も不安定なのも拍車をかける。頬を殴られた時に切ったのか血の味しかしない口の中は、一歩歩くたびズキズキと鈍痛を訴えかける。

 

 故にそれは、はたから見れば牛歩の歩み。それでも、如何なる時でも、彼女に停滞の文字などないのだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 一方其の頃、乗り込んだ前方区画にて孤軍奮闘するスーツの男が一人。

 

「残り…………」

 

 言いながら、声より早いラッシュをブチ込む。

 

「……一人、ってなァ!!」

 

 バキィッ、と破砕音を伴って振り抜かれた拳が、ターバンの男を行動不能に陥らせる。残るは、操縦席へと繋がる扉をたたき壊そうとしていた一人だけ。

 

「……あとはテメーだけだぜ、オッサン」

 

 そう、彼は褐色の肌の男へ語りかける。

 

 一方、呼び掛けられたテロリスト最後の一人は、不敵な笑みを浮かべる乗客らしき男がここまで来ている。……即ち、仲間全員が全員伸された、ということを悟ったのだろう。その顔に浮かんたのは、切迫詰まった死兵の顔。

 さて。兵の強弱は別として、古今東西こういう手合いは──敵にするには最もマズい。

 

 仗助がにじり寄ろうとした瞬間、男は何ごとかを叫ぶと同時、安全装置(セーフティ)のような何かを服の中から引き抜いた。

 ばさりと着ていたセーターを脱ぎ捨て、浅黒い肌の男は哄笑を機内に響かせる。果たして服の下にびっしりと取り付けられていたのは、どうやって持ち込んだのか、怪しげな信管やら機械やらの連なり。

 更に間を置かずして発生したのは、ピッ、ピッという規則的な音。巻きつけられた炸薬と思わしきそれらから推察するに、これは……

 

(……爆弾か!)

 

 最悪のケースである。よりにもよって自爆テロを企図していたとは。しかも雁字搦めに巻いてあるのか、えらく解くのに時間の掛かりそうな巻き付けを施した念の入りようだ。おまけに付属の計器にご丁寧に表示された残り時間と思わしき表示は──残り、たったの20秒。

 

(……武装解除させてる時間はねえ、爆処理も同様。……チクショウ、不本意だがやるしかねえか!)

 

 不退転の意志を固めると共に、瞬時に周囲の状況確認。……乗員乗客、全員シートベルトをつけている。ならば…………

 

『ドララララララララララララアッッッッッッ!!!!』

 

 叫んでラッシュを放った先は敵ではなく──ー飛行機の隔壁。たちまち壁に人ひとり通れるか、というほどの穴が開き、発生した気圧差で紙やらペットボトルやらが外へと吸い出され、機内の異常を検知したデンジャーアラートがけたたましく鳴り響く。──あと、15秒。

 

 

「吹っ飛ぶのは──」

 

 言うが早いがスタンドを駆使。不可視の腕で爆弾魔の襟首を素早く掴み、そのまま────

 

「──テメエらだけでやってろいッッ!!!!」

 

 ──勢いを付け、機外へ投げる!

 同時に、スタンド能力が発動。放り出したと同時、先程壊した壁が徐々に()()()()()()()()。瞬く間に破壊の後など無かったように復元されていく様は、まるで精巧な巻き戻し映像を見ているかのようだった。

 

(……録画は…………されちゃあいないか。まあ無理もねェが好都合だ)

 

 乗客を見渡すと皆身を屈め、頭を伏せて小さくなっている。酸素マスクが各席の上部から下がっているが、壁が跡形なく修復された今、その用を為さないだろう。──さて、残りは10秒。

 

(この国の司法で裁かれろ、と思ったが……)

 

 修復したファーストクラスの窓から、小さくなっていく爆弾魔達を横目で眺める。シートベルトをしていなかったためか気圧差で外へと弾き出された男達3人は爆弾(オモリ)のせいかエンジンに吸い込まれる事なく、真っ逆さまに雲の底へと落ちていった。その間も、時計の針は容赦なく進む。

 

(……無差別か、誰かを狙ったのかも分からず仕舞い、か)

 

 そうして。5……4……3……2……1。

 

「あばよ」

 

 ドオン、と。飛行機の真下の方角から、眩いばかりの閃光と轟音が伝わってくる。言うまでもなく起動したのだろう、彼らがつけていた爆弾が。距離があるとはいえ伝播した衝撃で機体が揺れ、各所で小さく息を飲む音や悲鳴、自身の後ろからもゴン、と何かをぶつけた音が聞こえる。が、今は機長らを回復させ、今後の判断を仰ぐが優先。と思ったところで──

 

「…………仗、助?」

 

 後ろから、そんな声に呼び止められた。振り向くとそこにいたのは、右手で壁に寄りかかりながら左手で頬を抑える、先程まで人質だった少女の姿。

 いつから見てた、それより後ろにいろって、と掛けようとした声は、それきりぐらり、と通路に倒れ込んだ彼女によって間接的に中断される。

 

「志希!?……おい、志希!」

 

 近くに駆け寄り、抱き抱えつつ容態を確認。……様子からして、気を失ったようだった。更に触った頭部の違和感からみて、どうも頭をぶつけたようだ。……先程の鈍い音は彼女が発したのか。揺れる機内を歩いていたなら無理もない。

 

 またよく見れば片頬も未だ腫れ上がっている。内出血も起こしているのか、綺麗な顔が痛々しい。加えて口元からつつ、と垂れている一筋の赤い線は、口内まで怪我が及んでいることを物語る。

 

(……PTSDも併発してなきゃ良いんだけどな。取り敢えず、怪我はキッチリ復元()しとくか。今は……)

 

 ……災難だったな。ゆっくり休め。

 心中でそう吐露し、男は少女を抱えたまま、操縦区画へと向かっていった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ぱち、と小豆髪の少女は、見知らぬ部屋でまた目が覚めた。

 ……生きている。それを実感して飛び起きて、少女はまたも自分がいつの間にか、知らない場所で寝ていたことに気付く。

 

「……なーんか最近、こんなんばっかにゃあ……」

 

 いい加減デジャヴ。しかしここ、今度こそ病室のようだ。点滴も打たれていないし、ましてや心電図計もないが。でもこの薬っぽい匂い、間違いなくそれに類するところだろう。……とりあえず、人を呼ぼうか。

 

「すいませーん!…………うーん、聞こえないか。……じゃあ、ちょっと失礼っと……」

 

 ならばとばかりカチ、とそばにあったナースコールボタンらしきものを押す。

 

 同時、彼女にしては珍しく、恐る恐るもベッドサイドにあった手鏡で顔を確認。あの時銃底で攻撃され、口の中を切っていたのだ。現在痛みはないのだが麻酔でも打たれたのだろうと思い、眺めてみるとそこにあったのは────

 

「…………え?」

 

 ────なんでもない、傷跡ひとつない、いつもの真白い肌だった。確かこの辺を、と腫れ上がっていただろう頬の箇所を思い出しつつぺた、と手で触ってみる。

 ……カケラの違和感も無かった。まるで、()()()()()()()()()()()()()()

 

 不本意に負った傷は、自分の思い過ごしだったのか?……いや、正直歯が折れるかと思うくらいの勢いでやられたのだ。外傷なり残っていておかしくはないのだが。

 

 ついでに左手で口をちょっと引っ張って、口内も手鏡で見てみる。…………やはり、何の傷もない。舌にも口蓋にも歯並びの良い白い歯にも、一片何処にも怪我はない。それに頭もぶつけたはずだが、…………触ってみても、やはりこちらも腫れがない。てっきりタンコブくらい出来てるかと思ったのだけど、跡形もない。

 

(……これは治療……じゃない。むしろ……『復元』?……でも、どうやって?)

 

 通常、飛行機内では迅速で手厚い介護は期待できない。下手をすれば包帯も湿布もない。なのにこれは一体何だ?現代医学の粋を集めたってこんな芸当は土台不可能だ。それに、仗助────

 

「……ッそうだ、預かってた服……」

 

 彼への考察は一先ず横に置いておいて、預かり物が失せ物になっていないか、その辺を確認しようとした時。

 

「お早うサン、志希」

 

「へ?」

 

 ガラガラ、とやおら病室のドアを開け現れ少女にそう声をかけたのは、やはりというべきか仗助だった。コールを聞いて看護師より先に来たらしい彼の姿を認めるなり、傍に置いた筈の疑念がむくむくと鎌首をもたげ始める。

 そうして礼より先に思わず口をついて出たのは、感謝ではなく誰何。

 

「…………ねぇ、仗助」

 

「ん?」

 

 そう彼女が言うと同時訪れた静寂が、ただでさえ静謐な病室を一層静かにする。ややあって、おずおずと彼女は問うた。

 

「…………キミって、一体何者……なの?」

 

 思わず口をついてでたのは、まずはそんな言葉だった。

 徐々に鮮明に思い出してきた。命の恩人でもあるこの男の周りで、まるで不可解な事が次々と起こっていた。アウトレンジからテロリストが吹き飛んだり、隔壁に穴が空いたと思ったら塞がったり。明らかに常人の為せるものでも、この世の法則に準じたものでもない。いずれも共通するのは、それら超能力や魔法のような出来事は全て仗助の周りで起こっていたということ。

 それとも…………あれは私の気のせいだ、とでも?そしてもしかして、私の怪我が治ってる理由も。

 

 聞くこと一拍。のち返って来た答えは。

 

「…………秘密だ、色々事情があってな」

 

 けんもほろろだった。やんわりとした、拒絶の意。でもその声色には、否定というよりこちらへの気遣いが含まれていた。「知らせまい」というよりは、知れば新たに「何かを背負う」ことになると、そんな意が。

 しかしこの少女の前で、秘密主義はむしろ悪手となりかねない。

 

「……ん。じゃー自力で解くね♪」

 

 案の定の逆効果。不世出の天才少女・一ノ瀬志希の好奇心を舐めてはいけない。この調子では早晩かわからないが、いずれ全てを丸裸にされること請け合いだろう。

 

「おいおい、参ったなそりゃあ……」

 

 やけに前向きな回答にタハハ、と言った感じのスタンド使い。

 この少女が本気を出せば、本当に何でも解き明かしてしまいそうだ。努努気をつけねばならない。彼がそこまで思ったところで。

 

「そーだ、そこ動かないでじっとしてて!」

 

 言うなり、彼に顔を近付けるよう指示。訝しがりながらも従った仗助の襟元に、ポケットから取り出したネクタイをやにわに巻きつけ始めた。

 ……預かっていてくれとは言ったが、いや社会人たる者、それくらい自分で出来るのだけど。これに男は思わずぽつり。

 

「……何してんだ?」

 

「んーとね、新妻ごっこ?」

 

 ややあって帰ってきたのは、そんな斜め上の回答。さしもの男もこれには思わずクエスチョン。

 

「お、おう……?」

 

 しかしそう言うと、機嫌良さげに鼻歌を口ずさみながら、馴れた手つきで引き続きネクタイをするすると締めはじめる少女。なお締められる側の戸惑いはどこ吹く風である。おまけに鼻歌、結構上手い。

 

 暫くされるがままになりつつも、今も含めたここ数日の彼女を思い起こして考える。才に溢れる器量良し。歌唱に優れ頭もキレる。寂しがりやの気分屋だが、その実どこか、自分にとって「飽きのこない何か」を常に求めている、そんな少女。これは、ひょっとして──。

 

「……歌、好きなのか?」

 

「どしたの、急に?…………スキだよ?」

 

 いやに真剣な顔で彼女がそういうと仗助、むう……と端正な眉間に皺を寄せて、少しばかり悩んだかと思うと──

 

「なあ、志希」

 

「なあに?」

 

 色々ひと段落ついたら、でいいんだけどよォ〜。

 そう始めに断ってから、彼は彼女にある提案を持ちかけた。

 

 

 さて。主だった実行犯は逮捕され、更にその一部のメンバーが航行中の飛行機の外、上空3000mで爆発しのち行方不明、という顚末を辿ったこの奇妙なハイジャック事件。

 当初こそすわ9.11の再来か、とセンセーショナルに米国マスコミを賑わせるかと思われたが。

 

 事故後、機体が緊急着陸した空港。そこに大挙していた報道機関のインタビューに対し、「勇敢な乗客の一人が人質にとられた少女を奪還、さらに飛行機の壁に素手で穴を開け、爆弾を巻き付けた犯人を機外へ放り出し我々は事なきを得た」なる乗客の発言もあったものの、前半分はともかく後ろ半分を信じるものはまずいなかった。何故か?着陸した機体に損傷など、ひとつも見当たらなかったからだ。

 

 こんなことならスマホで撮っておくべきだった、とはその乗客の弁だが、ハイジャックされ酸素マスクも落ちてくる極限状況でそんなことが出来る人間は、既に一般人の域を超えている。

 ……かくして実は真実そのものだった証言は、妄言や集団幻覚の類として扱われることとなった。

 

 一報こそ新鮮だったものの、その後の情報不足による内容の枯渇具合がリスナーにも見透かされたのか、TVが特集を組んでも視聴率は先細りしていった。すると局の側も現金なもので、数字が稼げないと見るや報道は瞬く間に沈静化。

 よってこの事件、現在ではネット空間で細々と陰謀論的見解が囁かれるのみである。

 

 そして。この時から約1年後、何を思ったか日本に電撃帰国した一ノ瀬志希は、世間一般から見ればその博士としての輝かしいキャリアに穴を空けてまでも、アイドルという不安定極まりないチャレンジに身を投ずることになる。

 飛び込んだ理由を、敢えて言うなら何だろうか。単に化学に飽きたのか、己ならばあらゆる分野で大成出来る、という自信と自負の表れか、それとも何か、また別の……。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「なんていうか…………」

 

「月並みな表現ですが、まるで御伽噺のようですね……」

 

(……あのハイジャック事件、仗助さんが解決したのね……。志希ちゃん含め無事で良かったけど、それはそれとしてウチの家系、車やら飛行機に関するトラブルに事欠かないわね……)

 

 たっぷり30分以上は経っただろうか、日の暮れかけたプロジェクトルームで少女達は彼女、一ノ瀬志希の話を聞きそう評する。

 一部に左肩の付け根を摩りつつ、その血の運命(さだめ)のいらん因果に悩んでいる広島生まれがいるが、ジョースターの血族にとって乗り物運の悪さは最早風物詩に近いので気に病んでも仕方ない。諦めよう。

 

 しかしまさか自分達の担当プロデューサーとメンバーとの間で、そんなB級映画何本かをミキサーにかけて混ぜ込んだようなエピソードがあったとは、仲良くなったこの四人組の間でも未だ共有されていなかった。

 

 やーあの時は流石に死ぬかと思ったにゃー、とあっけらかんと言い放つ彼女の猫のような瞳は、いつも通りのサファイアブルー。ついでとばかり瞬きしながら、小豆色の髪の少女はくすりと思わず笑顔を溢す。

 自由気ままで天衣無縫、闊達にしてその実奔放、目を離したら千変万化。ノリの効いた白衣を着て米国中を駆け回っていた時も、しなやかな肢体をソファに預けて寝っ転がっている今でも、その中身は一切変わらない。

 規則だろうが思考だろうが感情だろうが、束縛されることを何より嫌う。でも本質は。

 

(……そうそう、結局あの時は言いそびれちゃったけど……アリガト、プロデューサー♪)

 

 

 本当は、根っこはとても、優しい子。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ……そういや、もうアレから一年以上も経つのか。

 

 2014年、6月13日金曜日。都内の自宅マンションで「臨時調査報告書(マル秘)」と銘打たれた幾つかの書類をめくりながら、東方仗助は回想する。

 

 年度始めに全体がコケかけたプロジェクトのリカバリーに部署全体で努めた結果、「表の」仕事の進捗は現在順調といっていい。練習のモチベーション維持のために、と思い連れて行ったフェスの見学も良い刺激になったようだし、美波(又姪)曰く皆体力も付いてきてるとのこと。

 この調子なら来月頭のデビューライブも成功裏に終わらせられそうかな、と考えているのだが。

 

(……問題は次のIUだ。このまま平穏無事に終わりゃあ良いんだけどなァ……)

 

 手元のファイルを、ちらと一瞥。そこに書かれていたのは、先日あの「矢」をまさかのIU優勝賞品に出品した「ディエゴ」なる人物の調査書だった。

 

(ディエゴ・ブランドー。弱冠30代にして米国最大手の薬剤・化粧品会社を率いるカリスマCEO。貧しい境遇で育ちながらも奨学金で大学を卒業。個人としては馬術の才に秀で、若くして天才ジョッキーとして名を馳せた男でもあり、その実頭脳明晰、眉目秀麗且つ弁舌にも長けるアメリカン・ドリームの体現者、ねえ。経歴だけみりゃあデキのいい馬好き、ッてトコだが……)

 

 ……しかし、このディエゴという人物が果たして矢の正体やスタンドについて知っているのかは現状分からない。

 承太郎から聞いた「ファニー・ヴァレンタイン」なる政治家と何らかの繋がりがあるのは確実だが、もし彼が「何も知らない者」であり、ただ高価そうな美術品(スタンドの矢)を知人から譲渡され撒き餌として利用されているだけ、という可能性も否定出来ない。

 

(単なるパトロンか?ヴァレンタインがディエゴから政治献金受けてたとか、そういう縁か?)

 

 本当に、それだけか?黒幕はたった一人、ヴァレンタインなる男だけ、なのか?

 

(こんな事になるなら、SPW財団の息のかかった企業にIUのスポンサーになってもらうべきだったな……)

 

 が、既に発進した企画の協賛メンバーに今更割り込みは出来ない。発覚した時のリスクを考えれば、大企業になれば成る程コンプライアンスは守らねばならないのだ。

 

 ……さて。敵の狙いは「矢」の賞品入りが発表された時から大会終了までに、矢へアクセスしてくる連中だろう。その中から好事家とスタンド使いを選別。自分達の意に沿わず、且つ後々脅威となり兼ねない後者を裏で「始末」すれば、世界を好きにしたい放題、というわけか。

 

(IUの景品にされた撒き餌()に釣られれば、向こうは自分達と対立するスタンド使い(オレたち)の動向や数を把握出来る。自国民使って平然と人体実験やってる連中だ、NYで相次いでる不審死の事例も鑑みれば、スタンド使いへの脅迫、殺人も厭わないだろう)

 

 その一方で。

 

(仕掛けられた俺達からすれば乗るしかない。矢が敵に渡ったままなのは敗北と同義だからな。敵がどれだけいるのか分からねーが、被害が出てる以上は放置も不可。仮にディエゴが矢の内実を知ってるとすれば、手前がメインスポンサー張る大会を自分でツブすような真似するとは考えにくい。IIU自体は滞りなく行われそうだが──)

 

 ──そもそも、なんで優勝賞品に矢を出した?何も知らないだろう優勝者に持たせてどうするつもりだったんだ?

 

 IUの審査員は複数名、何れも金やら褒賞やらでは簡単に靡かない、音楽業界で確固たる地位を確立した著名人ばかりだ。

 たとえ大口スポンサーといえ、彼らを買収して不正に勝たせてもらうなど不可能だろう。それにこれだけマスコミに載せて騒がせれば、後で優勝者に矢の強奪だの返還だのを求めたら企業としてはあまりに悪目立ちする筈だ。

 もっとも矢は優勝候補と見込まれる昨年のIU覇者、玲音が持って行くとの下馬評なのだが……

 

 ──いや、まさか。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だとすれば、今もっとも人気のあるだろうアイドル・玲音の身が危ういと?……いや、もしかすると彼女すらもディエゴ達とグルになってる出来レースだというのか?

 そこまで考えた所で、自分が思考の隘路(あいろ)に陥って行くのを感じた仗助は、一度頭のリセットに努める。

 

(もっとシンプルに考えっか。今の俺らに分かる範囲で出来る手立てだが……まず大会辞退はヤメだ。運営に変に勘繰られる可能性もある。本番は俺がほぼ付きっ切りっで居りゃあラウンズ(ウチ)の警護は十分、万が一があったらスタンド使って切り抜ける。映像取られても見えねえし好都合だ。ついでに念には念だ、表向きは観客として()()()()にも来てもらうか)

 

 無論、無事に終わればそれが一番良い。しかし相手が仕掛けてくる事も想定して、戦力を集めて迎え撃つ。彼が決めたのはカウンター勝負だった。やる事は数多い。承太郎さんへ報告と提案、更にゲスト扱いで仲間の呼び込み、それから。

 

(……盗まれた矢を一番最初にレポしてた女子アナ、確かTVCのアナウンサーだったよな。……ん?)

 

 TVC。それは何を隠そう、嘗て紆余曲折の末仗助がスカウトし、現在は346プロに所属する某アイドルの元職場。ということは。

 

(……瑞樹(アイツ)はマメな性質(タチ)だから、「前職」の後輩にもまだコネクションを持ってる筈。ちっとばかし聞いてみるか)

 

 そこまで思ったところでベッドから立ち上がってキッチンへ向かい、手に持った報告書をガスコンロにかけて焼却。同時にスマホをタップしてアポ取りを開始する。

 

 合縁奇縁、世の中何が奏功するか分からない。ただ一つ言えるのは、最後は人脈がモノを言うということだ。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 6月15日、日曜日。

 都心一等地に聳え立つ日本最古の老舗ホテル・インペリアルホテル一七階、バーラウンジAQUAにて。

 妙齢の美女と美丈夫の二人が、ネオン煌めく夜景を肴に杯を酌み交わしていた。

 

 傍から見れば恋人同士にも見えるペアの片割れ、濃紺のナイトドレスを着た女性・川島瑞樹は、昨年のアイドルデビュー以降自身のプロデューサーを務めていた男・東方仗助がいきなり「密会」を求めてきたことを少し訝しがりながらも、こうして会いにきたのだが。

 

「TVCのNY支社にコネぇ?」

 

 久しぶりに見た真剣な面持ちのプロデューサーは、自分をエスコートしてくるなりそんな事を言い出した。頑健な体躯を夜会服に包み、長い脚を組んで話しかける姿は実に絵になる。加えて話し振りから、中身が全く変わっていないことに少し安心したり。

 

「ああ、例のIU賞品取材したアナについて詳しく聞きたくてな。……てか、ある?」

 

「あるわよ?」

 

「おおうさっすが……」

 

「ふっふ〜ん、大阪支局とはいえ渡米して仕事してたこともあるのよ?何せ若かったからね〜あの時は」

 

「オイオイ、今でも十分若いだろ?」

 

「よく言うわよアラサーに向かって」

 

「この手の文句で嘘はつかねえ。大体、ンな事言うなら俺のが歳食ってんだぜ?」

 

「男と女じゃ歳の取り方が違うのよ。……ていうかその様子だと、『私の後輩ちゃんが気になるから』ってワケじゃ無さそうね。今度は何に首突っ込んでるの?」

 

「んー……野暮用、ッつったら納得してくれっは!?」

 

 誤魔化そうとした男の頬が、目の前の女性に掴まれる。若干むすっとした顔で頬を膨らませているその様子は、黙っていれば文句の付け所がない美人なのにどこか小動物的な可愛さも感じさせる不思議なものだった。

 

「む〜〜〜〜〜〜〜…………」

 

「…………瑞樹、酔ってるだろ」

 

 彼女の華奢な手を自身の大きな手で掴んでそう言う仗助。……今の所、彼女はノンアルコールカクテルしか呑んでない筈なのだが。

 

「あ、バレた?……実は若干二日酔いなの。昨日楓ちゃんと飲んだから」

 

「そりゃあ重畳。……だけど楓に合わせて飲んでたら肝臓痛めるぞ?」

 

「一応セーブはしてるわよ、うん。ていうか貴方達、今の時期大変なのも分かるけど、根詰め過ぎても体に毒よ?偶には顔くらい見せなさい。寂しいじゃない」

 

「個室付きのトコでいいか?有名アイドルがPとは言え男と呑んでるのがバレたらアレだしなァ……」

 

 苦笑い。無理もない、秘密を保持してくれる店には条件がある。

 今日のような高級シティホテルや政治家が密談で使うような料亭で働く従業員には、ホスピタリティや酒・料理の質は勿論、有名人が来ても来店自体を秘匿し、会談の内容も漏らさない口の堅さが求められるのだ。

 だからこそ仗助は現役アイドルとの密談の場としてこの店を選んだ訳なのであるが…………最近飲み会の出席率が悪いらしい彼の色よい返事に満足したのか、対面の彼女は未成年には出し得ない、艶のある笑みを浮かべて振ってみる。

 

「それって……()()()()

 

「構わねーぜ?飲み直してから詳しく決めっかその辺は。……何がイイ?」

 

「もう。……おまかせで。でもちょっと強めがいいかな」

 

「じゃあ……ジンを3にウォッカを1、それにキナ・リレを2分の1。ステアせずにシェイクで、レモンピールをスクイズ。俺にはゴッドファーザーで」

 

 前者はメニューに載っていない注文だがそこはそれ、お安い御用とばかりオーダーを受けたバーテンは、慣れた手つきで場を彩る一杯を作り出す。かくして並ぶは杯二つ。供されたそれを見てほう、という顔の彼女。

 

「……vesper(ヴェスパー)?洒落てるわね」

 

「嫌いか?」

 

「スキ」

 

「なら良い」

 

 ケアを怠っていないのだろう、歳を感じさせない笑みを彼に向けて浮かべる瑞樹。彼女と仗助がそんな他愛ないやり取りを重ねるまでになるにはまあ色々とあったのだが、例えるなら要するに気の置けない仲、というやつである。

 

 夜景を肴に美酒を一杯。不穏の影など何処吹く風、帝都の夜は、いつもと同じく更けていく。

 

 

 

 




・川島瑞樹
346アイドル一期ユニット「Happy Princess」の一員。

・《クレイジー・D》
素材があれば何でも変化させられるスタンド。料理を食材に戻したりも出来るため、その能力の本質は修繕や治療ではなくむしろ変形、復元に近いと思われる。


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010/ Cast a spell on me !

060714



 今をときめく人気アイドルとその元担当プロデューサーとが束の間の休息を取り持っていた、同日同時刻。

 

 アメリカ合衆国は東海岸某所にある会員制シガーバー、「Moon Shine」にて。

 古くは1920年代、悪名高き禁酒法施行下の時代に密造酒を取扱っていたこの酒場は、裏金を渡すことで市警からの摘発も潜り抜け、東部闇社会の交流の場として栄えた歴史も持つ。言ってみれば由緒正しい闇酒場である。

 間接照明のみが付けられたカウンターの薄暗い一角で、男二人が和気藹々……というには少々険のある空気の中で語らっていた。

 

 その片割れ、「Dio」というロゴマークの入ったライターを掌で転がす金髪の男は、オーク製のブラウンテーブルに浅く腰掛けつつ、物憂げにぽつりと呟く。

 

「日本のブンヤが一匹死んだ件、『嗅ぎつけられた』と見なして良いのでは、と。『失敗』した下手人に心当たりがあるのではないですか、閣下?」

 

 問いを投げかけられたのは、年季の入った椅子に長身痩躯を預けた、カールした長髪と縞手袋が特徴的な優男。

 1本40ドルは越えようかという、米国では貴重なキューバ産の高級葉巻。それをまるで紙巻煙草のように惜しげもなく吸っている彼は、一息入れたのち白スーツに包まれた脚を組み替え、やおらゆっくりと口火を切る。

 

「……やれやれ、勘の良いことこの上ないね。やはり君には嘘はつけない。ただ一つ付け加えると、これは『失敗』じゃあない。黒井()を恭順させるための見せしめさ。マイク()は実に有能でね。私の意を忠実に汲んでくれる」

 

「隙あらば手を噛もうとする誰かとは違ってね」、という言葉は飲み込んだ上でそう言い放ち、紫煙を燻らせ泰然と佇む手袋の男。そして、彼に対し未だ鋭い視線を崩さない金髪の男。

 明らかに、常人とは一線を画す気配を有するふたり。

 

 両者の関係を一言で表すならば、それは時に己が命を賭けてでも後世に意志を遺す師弟でも、誇りの道を往く血族でも、夢に向かって共に疾る友人でも、はたまた血の盟約で結ばれた戦友でもない。

 弁明どころか開き直りに近い、まさしく政治家のような答弁を聞いた片方は、しかし不承不承という顔をするどころか、唇に薄く笑みを乗せて切り返す。

 

「確かに、計画に於いて『獅子』が完成状態に至ることは必要不可欠。しかしそのための情緒面の育成と称して外国の、それも芸能プロダクションにアレを投げ込むなど、本当にマストな措置だったので?」

 

「何、演算で弾き出された通りの場所と期間でプランを遂行しているまでさ。それに君も興味が湧くだろう?『現代におけるスーパースター(ジョン・レノン)』。やがてそう呼ばれるモノを操縦(ハンドリング)することは」

 

 ニヤリと嗤う男の真意は、果たして。

 

 

 ☆

 

 

「……成る程?」

 

 ディエゴ・ブランドーはあやふやに相槌を返す。断片的だが、この男の狙いが掴めてきた気がする。

 司法・立法・行政・報道。アメリカ本国の三権の長とマスメディア中枢を自分の手駒で押さえ掌握した後、手始めに日本を名実共に米国51番目の州とするための尖兵が彼女である、ということか。

 

 思わせぶりな表現から彼の思索を感じ取った若き天才ジョッキーは、ただ淡々と言い募る。

 

「興味がない、とは言えませんね。時としてその歌一つが政治的影響力すら有し、愚鈍な大衆を熱狂させ、扇動せしめる怪物。言葉正しくそれは『偶像』。そして、万が一()()が手に負えなくなれば……『消す』ことも厭わない、と?」

 

「大正解、さ」

 

『消す』、とはどういうことだろうか。

 ……類推するなら、かの英国の超有名バンド、ビートルズの一員だったジョン・レノンはそのあまりに悲劇的な死の後、ある種彼自体の存在が神格化されて現在に至っている。凶弾によって──それも熱狂的なファンの手で──志半ばで夭折し、彼は人生の幕を閉じた。

 望まぬ形で歴史の露と『消えた』ことで彼は最早、誰の手にも届かず、二度と実物を見ることも叶わない「偶像(アイドル)」になってしまったのだ。

 

 それはさて置き。酷薄な返答が正鵠を射ていたのか、ご満悦といった表情で葉巻を咥える縞手袋の男は、嗤ってそれに呼応する。

 

「まあ、いざという時の『予備』も用意してあるからね。多額の予算と時間を費やし、()()()()()()()()甲斐があったというモノさ。……しかし前から思っていたが、やはり君とはウマが合う。民間で企業経営をさせておくには実に惜しい。どうだい、連邦政界に興味は?」

 

 ウマが合う?……無論、嘘。証拠に目が笑っていない。社交界の華と謳われるその容貌と、たたえられたアルカイック・スマイルのベールに隠された狂信の意を見抜ける人間は、如何に米国広しと言えど片手の指で足りるだろう。

 そして、彼を「閣下」と評した目の前の男は、その狂気を見透かしている数少ない人間でもある。

 

「ご冗談を。惜しいと言うなら閣下が未だ一介の代議士に甘んじている事こそ、合衆国の損失に他なりません。分相応が何処というなら、国家元首あたりでやっと相応しいかと」

 

 更に、現在某薬剤会社でCEOを務めるその男が放ったおべっかも勿論嘘。

 

(……完全なる米国による統治(コンプリートリィ・パックス・アメリカーナ)の実現、だと?実に下らん夢物語だ。貴様の目論見が失敗に終わった時、残りの果実は全てこのDioが持って往く。精々足掻けよ、ファニー・ヴァレンタイン。既に()()は打ってある。これからは「国家」ではない、「企業」が全てを支配するのだ)

 

 裏切りなど手段でしかないとばかり、謀略の限りを尽くして経済界で今日の地位を築いた男はそう思考する。一方、標的にされている人物、ヴァレンタインはというと。

 

(……『欲望』が滲み出ているよ、Dio。大義の為の我が行動、それらは全て正義其のもの。悪は使役し利用すれど、最後は全て断罪する。故に───我欲に塗れた君はやがて、私に屠られる犬に過ぎない。そして駒の反逆を許す程、私はヌルい政治家ではない。来たるべきその日まで、道化のように踊るが良いさ)

 

 顔の前で両手を組み、悠然とした面持ちで眼前の男・Dioを見つめ返していたのだった。

 利害の一致。それこそ御しきれぬ怪物を己の内に飼う男達が、お互いに唯一見出した共通項。

 

 ───そう、例えるならこの二人、相容れぬ「悪のカリスマ」。

 

 

 

 ★

 

 

 

「……ね、寝れない…………」

 

 ライブ前日の夜のこと。

 

 まるで翌日に遠足を控えた小学生のようにわくわくしすぎて目がギンギンに冴え渡っている大学生が、下宿先の布団の中でひとり悶々としている真っ最中だった。

 いや誰だよお前、って?……言わずもがな芸名・新田美波ことわたくし、空条美波でございます。

 

 時刻は既に夜1時。明日、というか今日の起床予定時刻は7時なのでさっさと寝なきゃなんだけど。

 

(目どころか頭まで覚醒状態って……いい歳して大丈夫か私…………?)

 

 イベント大好き人間なので地元のお祭りでも何でも率先して参加していた身分にしても、それでもここまでのアドレナリン過剰モードは前例がない。

 

(ええいこうなったら、羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹……!)

 

 ……400匹近くまで数えたところで、羊がゲシュタルト崩壊してきたのでやめた。代案として……よし、鯉、(カープ)を使おう。

 

(例えを変えましょう、カープ坊やが一人、カープ坊やが二人……いやこれ不気味ね、ちょっと。そうだ、いっそ打線でも組もうかしら。まず確定で鈴木…………)

 

 

 

 

 ───目覚ましが鳴る前に、チュンチュン、という小鳥のさえずりで目が覚めた。

 

「……ベンチまでは考えられなかった……」

 

 やきうに逃避していたら、いつのまにか寝ていたらしい。

 時刻をみると6時50分。起きるには頃合いだ。いそいそと布団を畳んでカーテンを開け、窓越しに射し込む朝日を浴びつつ伸びをする。

 

「ん〜〜〜っ、と…………いい天気ね、今日」

 

 時に梅雨明けの7月。曙の朝空は、見事な日本晴れだった。

 さーて、まずは日課のラントレをした後シャワーを浴びて、朝食の準備を手伝って、そしたら渋谷に出発だ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 集合、出発、のち到着。ソデに入って見学する私達をフィーチャーすると。

 

「人、ちらほら集まってきてますね……」

 

「ひょっとしてサクラ入れてる〜?」

 

「人聞きわりーコト言うなっての。今いんのはマスコミと、346プロを箱推ししてるファン勢だ」

 

 そんな会話を舞台裏から交わしているのは、一旦346プロに集まってから、デビューの舞台となる池袋サンシャインシティのアルバB1F・噴水広場裏で待機している私たち。

 ちなみに道中はPさん運転、トヨタのランドクルーザーで来ました。なお社用車とのこと。設備の充実加減は、流石に金満プロダクションといったところか。

 

 さてさて、駆け出しアイドルやシンガーのデビュースポットとして定番らしいこの噴水広場は、ウチの事務所の先輩も何人かここでデビューしたという、非常に由緒あるところらしい。

 設営されたステージ裏からスタッフさん達の許可を得てこっそり覗くと、お客さんと思わしき人々の数は徐々に数を増してきていた。予想はしてたけどやっぱりこう、わざわざ集まってきてくれた人達をみると、「失敗できない」という思いが募り始める。

 

「すいませーん、メイクさん到着されたんで、演者の皆さんこちらに来てもらっていいですかー?」

 

 焦燥のようななにかが心に浮かんだその時、背後に控えていた設営スタッフさんから声をかけられ、私たちは一旦楽屋へと向かった。

 

 広々とした部屋でメイクを済ませ衣装に着替えると、緊張もあるけれどその一方で、なんとなく気持ちが高揚してくる気がした。パン、と握った左拳を右掌にあてて気合を入れなおす。───よし。

 

「それじゃあみんな───」

 

 仕上がったしそろそろ行きましょう、と言おうとしたところで、いつもと違う空気に気付く。……よく見れば、面立ちが全員浮かない。

 

 飛鳥ちゃんは気分転換に読んでるはずの独語の本が逆さま。おまけにページが進んでない。腕組みして空を仰ぐ志希ちゃんはいつもの不敵な笑みがない。借りてきた猫みたいになっている。文香ちゃんに至っては若干青い顔。心配なので声を掛け、ついでに彼女の背中に手をやってゆっくり摩ると、申し訳なさげな目でこっちを見てきた。……正直大丈夫?とは聞き辛い。

 

 ……わたしがリーダーなんだ、ここで纏めなきゃ。と思ったその時。

 

「スタンバイオッケーか?出番だぜ、皆?」

 

 ガチャ、と控え室ドアを開け、我が大叔父が入ってきた……と同時、なんとも言えない空気に直面する。あの、ちょっとこれから気合い入れるんで、すみません。私がしっかりしなくちゃ。色々な意を込めた視線がカチあった。と思ったら。

 

「……まァ〜そんな緊張すんなって。とりあえず深呼吸。んでもってそーだな、……今まで4人でやってきたこと、なんでもいいから思い出してみな」

 

 スッ、と秒で色々察したらしいPさん、空気を換えに割って入る。自然と溶けるように染み入っていた声音に、言われるがまま指示に従った私たちは、とりあえず回想シーンに突入。

 

「今まで……」

 

「やってきた、こと……?」

 

 機先を制されたけどナイス、Pさん。流石346社内で彼氏にしたい社員ランキング(某事務員さん主催)一位なだけある。……そして彼の言葉で、デビューが決まってから今まで、4人で過ごしてきた二ヶ月を思い出す。

 思いつきで行ってみた漫喫で読書(文香ちゃん発案、ただしなぜか「ぼくらの」を読破して皆で鬱気分)。ふらっと立ち寄ったゲーセンで景品取りすぎて出禁(志希ちゃんが秒で攻略)。パンチングマシーン破壊(主犯私、弁償しましたごめんなさい)。ユニットルームでホラゲRTA(ソフトは飛鳥ちゃんの私物、怖いからPさんも巻き込んだ)。346の視聴覚室を借りて映画鑑賞(デ⚫︎ルマン実写版、正直記憶がない)。四人で麻雀(脱衣ゲームになりかけた)、その他色々。

 あれ、これって。

 

「……なんかこう、レッスン以外が濃すぎる気がするにゃあ」

 

「同感だよ、激しく」

 

「……私も同意、です」

 

 うん、ついでに私も同意見。何だかんだ楽しかったけど。

 

「……それとだ、主催者側があんまこんな事言うもんじゃあないが、本番でトラブル起こってもある程度は平気だ。ウチのファンは()()が違う。フォローアップはしてくれる」

 

「……ええっと、どういう意味でしょうか……?」

 

「ん、ああそりゃあな……」

 

 遠慮がちに尋ねた文香ちゃんに対して答えたPさん曰く、練度が違う。それ即ち運営がやらかしたポカに対してもお客さんがアドリブで拾ってくれた、ということ。Pさん曰く、過去にライブの本番中、演者のマイクが機能しなくなりあわや大コケとなりそうな状況下、聴きに来たファンの皆が即興でその曲をアカペラで歌って「合唱」にし、結果事故を回避した例があるのだという。

 勿論音響担当の人は後でファン含めた関係者の方々に平謝りだったらしいけど。Pさん曰く「コメツキバッタみたいになってた」とのこと。

 

 それでも巷には「厄介」とも言われるファンの人もいる昨今、言ってみればそんなファンの人々に恵まれている346のアイドルは。非常にいい環境にあることに疑いはない。

 

「……大丈夫みてーだな。なーに、いざとなったら俺が詫びりゃあいい話。やりたいようにやんな、責任は俺が取る」

 

 言いながら再びドアを開けたPさんに招かれるままついて行くと、衣装を着込んだ私たちは気付いたら彼によって舞台袖まで誘導されていた。

 逸らしてツカミに入ったお喋りをしながら歩く内に皆の空気が柔らかく、しかしいい具合に張りつめたものになったのを感じ取ったのだろう。Pさんの気迫の篭った声が、最後のひと押しとばかり響く。

 

「Pってのはあくまで舞台装置。ライブの主役はお前達だ。そんじゃあ一発───ブチかましてこい!!」

 

「「「「───はい!」」」」

 

 そう言い残して颯爽とハケていったPさんの大きい背中を見送りながら、私たちは誰からともなく口を開く。

 

「……ね。皆、さっきPさんが『いざとなったら俺が謝ればいい』って言ってたけど……」

 

「ん〜、ジョースケに余計な頭下げさせたくはないよねん♪」

 

「右に同じく。仮にも見込まれて此処に居るんだ、何時までも頼りきりなんて真っ向御免だね」

 

「……皆さん、そこで提案なんですが───」

 

 円陣でも組みませんか、という文香ちゃんの発案に、これもまた誰からともなく足を踏み出し腕を組み合う。

 コレがホントの円陣(ラウンズ)?という志希ちゃんのジョークに、皆が思わずクスリとする。

 此処にきて、一体感は最高潮だ。

 

 ───さあ、踏み出そう。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 そうして上がった舞台の上は、なんだか夢心地だった。レッスンルームでやってきた通り歌って踊って、そうこうしてるうちに気付いたら終わってた。上手く笑顔をつくれてたかは、鏡がないので分からない。でも、会場に来てくれた人の笑顔だけは、強く心に残ってる。

 

「「「「ありがとうございましたー!!」」」」

 

 わああ、という歓声の中、少々足早に会場からハケていく。これは───成功、といっていいんだろうか。

 

 初ライブの感想、超気持ちいい。んでもって、気づいたら終わってた。興奮冷めやらぬ中で表舞台を去った後、関係者用の通用口を4人で並んで歩く。

 

「……Pの面目は保てたかな。何にせよ上手くいって良かったよ」

 

「そういえばそのPさんはどこでしょう……?」

 

「関係各所に挨拶回りらしいよ?」

 

「あ、どちらにせよ頭は下げるんですね」

 

「まーコッチはプラスの意味だしね」

 

 お喋りに興じていた、その時。

 

「……んん?向こうから来るあの子、もしかして玲音ちゃんじゃない?」

 

 汗をタオルで拭きながらも、会場の動線や設備をあちこち興味深げに見つめていた志希ちゃんが、その時目敏く声をあげた。

 

 そう、果たして向こうからやってきたのは、正に誰あろう玲音さんだった。池袋近辺で何か用事でもあるのか、ステージ衣装ではないパンツスタイルに白シャツ、ハイヒールのシンプルな格好をしていたが、それだけでもどこか様になっている。

 随行しているスーツ姿の黒人男性はSPだろうか。サングラスの下から覗く目尻に目立つ白いタトゥーが入った、中々ゴツい人だった。護衛対象に負けず劣らず目立つ人を引き連れて歩みを進める彼女に感じたのは、言い知れぬ気迫のようなもの。

 

 ───これが、間近で見るトップアイドル。オーラに気圧されそうになったけど、よしなんなら声でもかけようか、と蛮勇を思い実行してみる。

 

「あ、こんにち───」

 

 声をかけんとした、正にその時。

 

 バチチ、と。自身の左肩の星痣が、まるで感電したかのように脈を打った。

 

「…………え?」

 

 こんにちは、と言おうとした矢先、突如として沸き立ったそれ。タイミングを逸し、SPと共にそのまますれ違っていった彼女の方へ思わず振り向く。……今をときめくトップアイドルは、そのまま廊下を曲がって通り過ぎていった。

 

「……どうかしましたか?美波さん」

 

 隣を歩いていた文香ちゃんに声をかけられ、少々慌ててなんでもないわ、ごめんなさいと返す。ただ───今、すれ違って感じたものは。

 

(……静電気?じゃない。これは……スタンド能力?)

 

 …………いや、流石に早計か。

 わたし自身が今、初ライブ後のテンションでハイになってるだけかもしれない。これでもリーダーなんだから、皆のためにもしっかりしなきゃ。最近、『スタンドの矢』関連で思考が少々物騒になってるきらいがあるし。

 

 でもこの時無理矢理、それこそ追いかけてでも探っていれば、と後悔することになるのは、この時点では知る由もなかったのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「成る程。昨日の今日で組み手に付き合え、ってのはそういう理由か?」

 

 ライブ翌々日、SPW財団日本支部内の修練場にて。先日晴れてアイドルデビューを迎えた私は、首に右手を添えつつそう言うバキバキと鳴らす父親と向き合っていた。

 濃紺の革パンにグレーのインナー、その上にロールアップしたミリタリーシャツを羽織っただけのラフな格好。ただ現役の海兵隊員みたいな体格と、ヤクザも裸足で逃げ出すくらいの威圧感を持つ身長195cmの40代。それが我が父・空条承太郎である。ちなみに見た目は高校生の時からあまり変わってないらしい(ホリィさん談)。

 

 勿論、そんな人とまともに組み手しても私に勝ち目は万に一つもない。ここで争うは私の分け御霊。つまり、スタンドで干戈(かんか)を交えん、ということ。

 

「ううん。ただ単に───」

 

 ───今より強く、なりたいだけです。

 

 心の中で、広島での予期せぬ遭遇を思い起こす。……次にあの男と相見えた時、今の自分が切り抜けられるビジョンがまだ浮かばない。

 足りない。足りない。だから精進しよう。もっと強く。何が来ようと、弾き返せるくらいには。

 スゥー、と息を吸い込み、昂ぶった己をどうにかこうにか落ち着かせる。波紋でも幽波紋でも、重要なのは呼吸の仕方だ。考えながら一拍置いて、口火を切る。

 

「───VENUS(ヴィーナス)SYNDROME(シンドローム)ッッ!!」

 

 慣れ親しんだ相棒が、いつもの如く私の後ろに現出する。ただ今日の彼女は、よくよく見ると眉が若干ハの字だった。

 

「よろしくね、ヴィーナス」

 

 お構いなしに()()()()()。すると間髪入れず、()()()()()()()()()()()

 

『私は構いませんが……美波、トレーニングにしては、流石に分が悪すぎる相手では?』

 

 中空にふよふよと浮きながら、パパと同じ緑の眼でこちらを見つめる彼女。

 やる前からダウナーはやめなさい貴女。確かに未だに勝ったことないんだけど。

 

「よーく知ってるわ。でも───」

 

 ───だからこそ、よ。

 

 くるりとパパの方へ向き直る。時を同じくして背後から、気合を入れ直してくれたのか彼女が纏う空気が変わる。……ようやっと臨戦態勢、といったところか。

 しかし、目の前の男親から滲み出る覇気は依然としていささかの濁りもない。剥き出しのスタンドを目にし、その闘気を受けて尚泰然と両手をポケットに突っ込んだままの我が父が発したのは、わずかに一音節。

 

「行くぞ」

 

 同時、現れたのは巌のような紫の体躯に、逆立った黒髪を持つ大男。

 外装こそ肩当てくらいしか防具の無い時点でフルプレートに近い私のそれとは大きく異なるが、かのスタンドの真骨頂は防御力ではない。そこにあるのは、大叔父をして「無敵」と称される、近距離パワー型幽波紋。名を───

 

星の白金(スタープラチナ)

 

 淡々とそう言うが早いが、鋲を打ち込まれたフィンガーグローブが、気付くと既に私の至近に迫っていた。

 

(疾いッッ──!)

 

 十全に回避、とはいかない。咄嗟にヴィーナスの両腕をクロスさせ、後方へ飛び跳ねるように拳を受けるも。

 ゴッ、と。まるでコンクリートブロックを勢いよくぶつけられたかのような衝撃が、スタンド越しに自分の腕にまで伝わってくる。

 

(重、ッたいッ!!)

 

 これだ。一撃の速さと重さと正確さ。トリッキーな得物や飛び道具を持たない代わりに総合的に隙がないスペックを持つスタープラチナは、地力の勝負に持ち込まれたらまず破れない強さがある。加えて時間限定とはいえ強力無比な()()()を隠し持っているときた。

 

 尤も奥の手(チカラ)を使うにはスタンド使い自体に強靭な精神力が必要なのだけど、いかんせん使い手が激強メンタルな人なのでそんなもの杞憂であることは、18年も娘をやってればおのずと分かる。

 

 それに私には無いこのパワー、隣の芝生は青く見えるとはいえ羨ましくもなる。ただの拳打がガードクラッシュされ兼ねない威力だなんてデタラメにも程があるだろう。やっぱり─────

 

(……出し惜しみなんて以ての外ね。さっさと使うとしましょうか、()()

 

 格上相手に逡巡は悪手。そう判断してバックステップでスタープラチナから距離を取りつつ、己がスタンドにオーダーを下す。命を受けた彼女がバトルドレスに覆われた後腰部に左手を回して掴みとったのは───短く畳んだ金青の槍。予備動作だけで次の手を察したのか、目敏く捉えたパパが僅かに目を細める。

 

「畳んだままで良いのか?得物(ソイツ)は」

 

 まさか。強者(パパ)を相手にそんなわけ──

 

「───行きますッ!!」

 

 サファイアを嵌め込んだ枝に金の両刃の穂。柄には長尾の海龍を象った()()()オブジェクトが巻き付いたソレ。正中に素早く翳した金槍は、念を送ると同時にガシャン、と音を立て本来の長さに回帰する。

 

 射程を取り戻した得物を馴染ませるかのように左腕を軸に振り回し、再び正面に翳してそのまま、一直線に間合いへ飛び込む!

 

()ァァァァァッッ!!!」

 

 距離を詰めてたたらを踏みつつ目の端で目標を捕捉、半身のみを晒してひたすら刺突(ラッシュ)刺突(ラッシュ)刺突(ラッシュ)!!……が、しかし。

 

『オラオラオラオラオラオラァァァ!!!!』

 

 機先を制さんと私が繰り出す槍の連打に、星の白金は的確に拳を合わせ対応してきた。逆巻く渦の装飾が、流星のように突き刺さらんと迫り来る。槍があればパワー不足はなんとかカバーできるから、この調子でいけばいいか、と思ったけど。けど。

 

「……ねえ、さっきから顔に拳が飛んできてないんだけど……避けてるでしょ?パパ?」

 

 ちょっと棘を交えた誰何に、しかし父はそんなもの何処吹く風と受け流す。

 

「嫁入り前の娘の顔面ブン殴れる程、父親辞めちゃあいないんでね」

 

 飄々とした面持ちで返された。いや、格好いいんだけどこの気持ちは如何ともし難い。なんたって、…………確定で、手加減されてるのだから。

 

「……分かりました。じゃあ……」

 

(一瞬でも───出させてみせるッ!その本気ッッ!!)

 

 決意と同時、地面がめり込む勢いで走り込み、最近学んだばかりの新しい槍術を初めて実行に移す。功夫(クンフー)の要素を取り入れたそれ、実は今回でアーニャちゃんに続き二度目のお披露目だ。

 

 そうそう、基本的に複数回見せた技はパパには効かない。型を覚えて見切られるから。だからトリッキーな新戦法で押し切ろうとしたのだけれど。

 

「……その槍技、習熟が浅いぞ美波」

 

 ガシャァァッ!!と私の呼吸の間を狙った、星の白金の貫手がヴィーナスの手首を捉える。力を込める刹那の間合いに割って入った一撃は、容易く私の虚を突いた。しかも構えを突き崩されたことで、槍が手を離れて明後日の方向に飛んでいく。

 

「しまっ……!」

 

 ───得物を失ったことで範囲(レンジ)が縮まり、瞬く間にお互いの拳が届く距離に至る。不味い、この間合いは───!!

 

「生兵法は怪我の元、だ」

 

 ガンガンガンガンガンガンガンガン!!!一瞬の間隙に叩き付けんばかりの勢いで、星の白金の射程距離に囚われたヴィーナスへ正拳突きの雨霰が降り注いだ。戦車砲に匹敵するような一撃が、点でなく面で、だ。

 

「がッ、は…………」

 

 咄嗟のガードの上からだけれども、それでも痛打に変わりはない。しかし膝だけはつくまいと、気合いでなんとか立ち続ける。……波紋による回復が追っつかなければ、とっくに地に伏してるところだ。こんな時でも絶妙な力加減でスタンドを殴ってくるあたり、全く気の利く父親なことで。

 

「終わりにするか?」

 

 冷静に、しかし淡々とパパが提案する。不甲斐ない弟子のギリギリを見定めんとする、師匠の目だった。

 

「…………いや」

 

 これじゃダメだ。全然ダメだ。だから今すぐ()()()に来い、私の下へ、我が槍よ!人生で一番勝ちたい人の前で、振るわれて、使われてこそ意味があるッッ!

 

「まだ……」

 

 その時、まるで応えるかのように、金色に煌めく(ライン)が鈍く、私と槍とを繋いで瞬いた。同時、パシィッ!と音を立て、ヴィーナスの手にひとりでに槍が飛び込んで来た。

 これまでなかった初めての事象にパパもほう、と眼を見張っているのが見える、けど……

 

「……まだ終わって、ないッ!!」

 

 掴み取るが早いが残った全部、渾身の力を込めて、引き寄せた槍を振りかぶり、投擲!

 ───誇張なく弾丸並にスピードが出ていたかと思う槍が、興味深そうにこっちを見ていた父のスタンドに突き刺さらんとした、その瞬間。

 

 

 

「───世界(ザ・ワールド)

 

 音もなく、この世の時間が静止した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ───投げた槍は勢いを刹那の時間で失って、此方へと歩みを進める父の手中に呆気なく収まる。

 

 息を呑む。動けない。まともに知覚が追いつかない。それもその筈、今正に「時が止まっている」のだから。そしてこの場所は、既にスタープラチナの射程圏内。

 故に、襲い掛かるは絶対の「死」。一瞬だが確実に、骸を晒し血と臓腑とを撒き散らす己の姿がありありと浮かぶ。

 いよいよ眼前に流星指刺(スターフィンガー)が迫って来たかに思われた、次の瞬間。

 

 ポン、と頭頂部に手が置かれた。同時に停止していた時間が、何事もなかったかのように再び動き出す。

 

「───惜しかったな」

 

 見知った感触は、慣れ親しんだ父の大きな手。この意味すること、言うまでもなく。

 

「ま、また負けた…………」

 

 目にも留まらぬ、ってレベルではない。文字通り時間を置き去りにし、使用者に絶対の勝利をもたらす黄金の力、「ザ・ワールド」。かの悪のカリスマとの闘いで顕現したというその能力、目にしたのは数える程しかないけれど、強力なことこの上ない。父曰く「無敵ではない」らしいけど。……一体どうやって攻略すればいいのでしょう、パパ。

 

「そう凹むな。初めて俺にタイマンで使わせたんだ、確実に強くはなってる」

 

「う、はぁーい……」

 

 確かに、これまでは弟と二人がかりで挑んでも父にはついぞ歯が立たなかった。というかそもそも踏んできた場数の違いを考えれば、今日の私はまずまず及第点らしい。

 

「で、どうだ?実感は」

 

「死んだ自分をちょっと幻視しました。……でも、パパ」

 

「何だ?」

 

 気を取り直して、そこでひと息。タメを作って息を吸う。

 

「ありがとう、ございましたっ───!!」

 

 ビリビリ、と空気が少々震える程の一礼。運動部で身に付けた体育会系特有の習慣だけど、こういう時は悪くない。一瞬だけ片眉を跳ねさせた父は、薄く、本当に薄く笑って返事を返した。

 

「応。大事なのはその意気だ」

 

 その後は、何時ものクールなパパだった。今日はこれから日本海沿岸地帯振興連盟?なる組織の会議に出席しなければならないらしい父は、言うなり先程投げ捨てた足元のミリシャツを肩に掛け、そのままトレーニングルームを後にしていく……と思ったら。

 

「……そうだ、美波」

 

「はい?」

 

「良かったぞ、昨日のライブ」

 

 それきり気密性の高い防音扉がプシュウ、と開いてまた閉まった。……結果的に言い逃げとかズルいぞ、お父さん。というか久々に褒められた。いや今は下宿してるから当たり前だけど。

 

 風のように去っていった父が閉めたドアを見つめ、ありがとう、とようやっと声だけ返す。

 ぺたん、と未だに床に座っている私の周りを漂っていたヴィーナスが、その時私の顔を見て呟いた。

 

『……にやけてますよ、美波?』

 

「えっ、嘘!?」

 

 咄嗟に頬に手を当てる私に嘘です、とお澄まし顔で追撃してくる彼女。スタンドに茶化された。なんてやつだ。

 

 ───ちなみに(ママ)曰く、「あの人は基本ポーカーフェイスだけど、時折笑うとすごく可愛い」とのこと。世界広しといえどあのパパを可愛いと評する人は、うちの母親くらいじゃないだろうか。娘から見てもそう思う。一方、その時のパパはというと。

 

(……今までは飛び道具頼りだったが、使い方が巧緻になってきてんのは上々だ。……この調子ならいずれ美波も到達出来るかも知れねーな。「世界」、或いはその先に──)

 

 後から聞いたら、帰りがけにそんな事を考えていたそうだ。

 

 

 

 ★

 

 

 

 ───東京都某所、窓のない、とある地下室。

 

 自然光など一切届かず、無機質な機械群に囲まれ暗緑色の照明に照らされた、人気のないラボラトリー。

 部屋の真ん中に備え付けられているのは、人ひとりを優に収めることが出来そうなポット。薄青の培養液で満たされたその中でコポコポ、と呼吸音を立て、胎児のように丸まっている少女の眼が不意に開かれた。

 

 その少女を一言で語るなら、「結集された美」と形容すべきだろうか。

 

 年の頃は見た目から恐らく10代、上背は170cm前後。その顔立ちはどこか、往年のスーパーアイドル、日高舞に似たものを感じさせる。

 臙脂色の右眼と水色の左眼は、奇しくもかの765プロの人気アイドル、四条貴音と我那覇響のそれに酷似し、そのブラウンの髪色は、やはり765プロ所属の星井美希の地毛─彼女の金髪は染色である─の色によく似ていた。

 

(……最近、こうしてる時間が増えたわね。「調整」が今以上に必要なのかも)

 

 仕事とは言え、自己を抑圧してばかりいるのは相当に疲れる。たまに全てを投げ出してどこかへ出奔したいなとか、そんな衝動に駆られたりもする。でも、そんなことは許されない。

 

(『玲音。キミには「世界」を下せる才がある』だったかしら……)

 

 孤児だった自分を引き取って育ててくれた父に、かつてそう言われた。

 自惚れだけど、自分でも自覚はある。並みの人間とはモノが違う。容姿に始まり音感、歌唱力、学力、身体能力、反射神経。「なるべくして生まれたのだ」と、育ての親から太鼓判を押されたことは一度ではない。

 

(生まれながらの偶像(アイドル)、か)

 

 ぷかり。水槽に浸かりながら思考。癖のない髪が水中ということもあってか、彼女の背中を離れふわふわと、揺蕩うように流れている。

 艶やかな髪の隙間から覗く白い地肌には、しかし左肩の付け根部分にだけ、ある珍しい紋様が見受けられる。

 

 鏡に映っていないのに自分の背後に見える、ヒト型の幽体に目を凝らす。究極の眼なる名を冠された彼女が持つソレは、まぎれもない彼女自身の立ち向かう者(STAND)。無機質な容体の彼女の分身は、今日も変わらずそこに佇んでいた。

 

(「スタンド使いは引かれ合う」。かつて閣下(お父様)が言っていたそれが本当なら…………)

 

 なら、あれは共鳴というやつだろうか。

 述懐しながら、今日あった奇妙な事象に思いを至らせる。昼間ある少女とすれ違った時から()()()()()()()左肩。そこに改めて意識を向ける。果たして、肩の付け根にあったのは───

 

(……今日会った栗毛のあの子、もしかして…………)

 

 

 ───紛れもない、星形の痣だった。

 

 




・池袋サンシャインシティ
聖地。

・《星の白金》
ザ・ワールドと似たタイプのスタンド。

・槍
スタンドの非力さをカバーするための得物。刺突・薙ぎ払い・投擲なんでもお手の物。今回遠隔操作を会得…?


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ACT-2 STAND up to you.
011/ Knockin' on HEAVEN' S_DOOR


100714



 7月下旬、広島県広島市南区某所のとある進学校。

 

 中高併設であることもあってか、他校と比較しても日中は絶え間ない喧騒に包まれている高校の施設内は、今日はいつにもまして人ごみでごった返していた。

 彼らの中には学生……ではなく、明らかに父兄と思わしき人々の姿もみえる。即ち──参観日。

 さて。言わずもがな黄色人種が大半を占める学内に、一際目を惹く銀髪の美少女の姿があった。

 

「2年A組」とプレートが掲げられた教室の後方に佇む少女。均整の取れたスタイルに、キメ細やかな美肌と絹の如く艶めく銀糸、そして意思持つサファイアを湛えた眼。それら全てが複合して作り出される、えもいわれぬミステリアスな雰囲気。まるで彼女の周囲だけ、他と隔絶された別世界のようだった。

 

 例えるなら、雪深い凍土にひっそりと隠れ棲む深窓の美姫。現代においては皇室や王室の係累でなければ持ち得ない、隠しきれぬ高貴なオーラも双眸から窺える。名家の青き血を受け継ぎ背負う、「歴史の重み」が醸し出すものとも形容できるだろう。

 

 そんなどこぞの絵画から飛び出してきたような美少女・アナスタシアの眼は現在、親友の弟でもある一人の少年に注がれていた。

 居るだけで教室がざわつく少女の存在はSNSを経由して瞬く間に学校中を駆け巡り、なんなら隣のクラスからわざわざ覗きにきているスキモノもいたりする現在のA組近辺。

 

 一躍台風の目となった話題の彼女。その2歳年上の幼馴染である少年・空条丈瑠(たける)は教室最後尾にある自身の座席真後ろに陣取った、渦中の人物に声をかける。

 

「あのさ、今日は父兄参観なんだけど、なんでアーニャがウチに来てんだ?」

 

 言いながら後方の壁にもたれ掛かり、自分に視線を向けてくる少女の方を振り返る。

 

「空条夫妻が忙しいから名代で私が来たんです。それとタケル、脚を組んで座るのは腰に悪いデスよ?」

 

「オカンかお前は」

 

 そんな見た目どうみても外国人な彼女から飛び出したのは、割と流暢な日本語だった。

 しかしなにゆえ実の息子でも感知してない親のスケジュールを、幼馴染とはいえ姉の友人が把握してるのか。

 

「ねーねー、アーニャちゃん?って名前なの?」

 

 その時二人の遣り取りを興味ありげに聞いていた丈瑠の隣席に座る女子が、アーニャに話しかけてきた。

 

「これは失礼、わたくしアナスタシアと申します、よければアーニャと呼んでください」

 

「じゃ、アーニャちゃんてジョジョの友達?……あ、もしかしてカノジョ?」

 

 おお直球、といったざわめきが周囲から漏れる。今現在、クラスの総意といっていい質問を序盤からぶつけるクラスメイト代表(臨時)。今日のMVPは彼女だ。

 さて興味津々、といった体で銀髪少女をみてくる彼女達だが、彼女の返答はいつも通り明確で堂々としていた。

 

「妻です」

 

「ちょっ!?嘘つくな嘘!」

 

 間髪入れず爆弾投下。何と毅然とした虚偽答弁だろう。この道産子、クールな顔に違わずてんでドSである。親友の弟が目を剥いてるが気にもしない。職員には高校見学を兼ねて来ましたと断っているのだけど。

 

Нет(ニェット)。ロシア人嘘つかないデス。インド人と同じ」

 

 スレスレのジョークをぶち込まないでもらいたい。しかしこれで俄かに勢いづいたのか、クラスメイトの質問攻勢が始まってしまった。

 

「好きなものってなあに?」

 

「食べ物でしたらピロシキとか」

 

 嘘。美味しければゲテモノ以外何でも食べる。

 

「付き合うならどんな人がタイプ?」

 

「優しい人がいいですね」

 

 嘘。最低でも自分より強くなければ対象外だ。

 

「将来の夢とか聞いてもい!?」

 

「兼業主婦です」

 

 嘘。諜報員(シュピオン)である。

 

「利き手ってどっち?」

 

「左です」

 

 嘘。彼女は両手利きに矯正している。

 

「趣味は?」

 

「最近は天体観測とか」

 

 これは本当。

 

「アーニャちゃんていくつ?」

 

「今年で14です」

 

 これも本当、でも少しざわついた。165cmある同年代の日本人女子より高い背丈に、加えて大人びた雰囲気。てっきり同い年くらいかと皆思ってたのである。

 

「がちで!?そんな大人っぽいのに?」

 

「いえそんな。ただ、かえって丁度いいかもですね」

 

「丁度良い?」

 

「はい。──タケルが()()()()なので」

 

 おい待て、なぜそこのアクセントを強調するんだアーニャ。

 

「ンな、ちょ、えっ」

 

 嫌な予感がした丈瑠だったが果たして予想通り。彼女のセリフでもって周りから、一気にうわぁ……という冷めた視線とフレーズが彼に注がれる。可愛い子を皆で質問責めにする空気は一変、教室は嫉妬込みの魔女裁判の様相を呈し始めた。

 

「あ、だからお前彼女作んなかったのか!」

 

「告られても全部断ってたのってそういう……?」

 

「これは児相案件ですわ、たまげたなあ」

 

「ジョジョの奇妙な性癖……うーんこの」

 

 言われたい放題である。そして尚も波及は収まらない。

 

「美波先輩にガチで惚れてて禁断の近親愛、って噂もあったのに……余計に救いのない方向に……」

 

「空条副会長が卒業して姉離れ出来たかと思ったら、中学生に手を出したのか……」

 

「いや待て、もしかして実姉にも既にいかがわしいことを……」

 

「ジョジョ!美波先輩になんてことを!」

 

「その上今度は幼馴染の美少女まで!リア充爆発しろ!」

 

 おや、どうやら説得力を持たせる行いが既にあったらしい。自業自得か、若しくはご愁傷様というべきか。後半の文句には一部妄想と嫉妬が混じってる気もするが。

 

「なんだ、てっきりホモかと思ってたゾ」

 

 それは流石に風評被害もいいところだ。

 

「姉とンな事しねえしロリコンでもホモでもねえ!ノーマルだ俺は!」

 

(シスコンは否定しないんですね、タケル)

 

 思わず席から立ち上がって抗議の意を唱える空条弟。

 自分で嵐を起こしておいて心奥でツッコミを入れるアナスタシア。だが実はその鉄面皮の裏で「計画通り……!」と新世界の神の如き笑みを浮かべている。

 

 そう、その優れた聴力は「そんなぁ……狙ってたのに……」と密かに呟いたクラスメイトの女子の独白を、一言一句違わず正確に捉えていたのだ。

 

(矢張り思った通りです。今の内に不確定要素は排しておきましょう)

 

「星の血」をそこらに撒き散らされては困る。開祖ジョナサンの首から下を乗っ取った、かのDIOの子息が皆善なる者ではなかったように。無闇矢鱈に適当な女とくっついて子供が出来たら、其奴はやがて悪に心を囚われたスタンド使いとなって世に出てしまう恐れがあるのだ。

 

(それに本人達が意図せずとも、スペックが高すぎるため「比べられると敵わない」と相手が萎縮。結果下手な手合いが寄り付かない抑止の力関係が働いていた空条姉弟。しかし美波()の卒業と上京によりこの均衡が崩れてしまった。丈瑠への告白ラッシュが頻発してるのはそのせいでしょう)

 

 まあ好き好き言うくらいならご自由にって話だが、その中に悪意ある人間がいると話は違う。

 

 スタンド使いを縛る法律は存在しない。彼らを戒めるのは彼ら自身の倫理観のみ。そしてスタンドを使役する者にとってジョースター家とは、米国に於けるケネディ家のような名門中の名門。特に承太郎の雷名は知れ渡っている。

 端的に言おう、独身のスタンド使いでジョースター家の直系、しかも男。こんな奴はいつ悪しきスタンド使いの勢力にハニトラを仕掛けられてもおかしく無い。

 

(まあ、(ミナミ)のおかげか女性の扱いにある程度慣れてますから大丈夫とは思いますが……)

 

 鷹の如き冷徹な眼は、現実を鋭く見据える。本職の諜報員(シュピオン)から手解きを受けて育った彼女にとって、この程度の扇動は文字通り「児戯」である。

 

 実は彼女自身も中々重要な、というか人類史的に途絶させるべきでない血筋なのだが、自分の事はちゃっかり棚に上げているあたり天然か、それともあえてなのかは分からない。

 ついでに言えば丈瑠が女慣れしてるのは、物心ついた時からこのアグレッシブ銀髪美少女とパワフル美人姉の遊び相手として四六時中海に山にと引きずり回されてたことが原因である。

 

 彼は苦労人と言った方が、実は正しかったりする。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 同日放課後、高校棟校舎屋上。

 

 お昼時は和気藹々としたカップルで溢れることで有名なその場所に、生温い風に吹きつけられながら、それぞれ持つ蒼と翠の眼を合わせて話し込む男女二人の姿があった。

 

 高さ1.5m程の味気ない手摺にもたれ掛かりつつ傍らの少女に話しかけるのは、ついこの間アイドルデビューした姉を持つ現役高校生。しかし先程教室で幼馴染に散々イジり倒され、あらぬ誤解を解くのに必死だった三枚目の面影は、今や欠片も見当たらない。そこに在るのは正真正銘、誇り高き血の継承者としての顔。

 

「タケル、私が今日来た本当の理由ですが……」

 

「……真面目な話、あるんだろ?」

 

 返ってきたのは昼間とはワントーン低い、父親にそっくりな地声。

 

Да(ダー)。話が早くて助かりマス。では───」

 

 父から伝令です、と前置きした彼女が述べたのは。

 

「一言一句そのまま、承太郎さん(現当主)に伝達を。『鼠は暴いた。あとは矢だ』、とのことで」

 

「……報告感謝する、Анастасия(アナスタシア)。引き続き宜しく頼む」

 

委細承知(ウラズニェートナ)

 

 星を結びし血の盟約は未だ途切れず。それが終わるとするならば、只この命が絶たれた時のみ。少女が課した鉄の誓いは金より重い。務めは果たした、決意も新たに帰任しましょう、と踵を返した時。

 

「それはそうとアーニャ、この後予定空いてるか?」

 

 口調をフランクなものに戻した次代のジョジョは、幼馴染の美少女を引き留める。言われた彼女はぴた、と立ち止まって素早く振り返った。

 

「明日の朝までフリーですよ。もしかしてデートの誘いデスか?」

 

「御名答。まー()()()メインだけど、良い?」

 

 そう言いながら栗毛に緑の眼を持つ美男子は、自身の背後に意思持つ(ヴィジョン)を結んで消す。

 

(……成る程。また腕を上げましたね、()()揃って)

 

 一瞬だけ見せた裂帛の闘志を垣間見た少女も、襟を正してこれに応える。

 

「良いですよ。但し負けたら今日一日私の言うことを何でも聞く、ということで」

 

「上等、ノッたぜその賭け。じゃ、アーニャは負けたら何してくれんだ?」

 

спасибо(スパスィーバ)。なら私は勝っても負けてもコレをプレゼントしましょう」

 

 そう言って彼女が翳したのは、普段使いと別の二台目のスマートフォン。女子が持つには少々不釣り合いなゴツさを持つそれは、軍用回線を特別にひいてあり、且つ厳重なプロテクトを掛けられたSPW財団の謹製品である。

 強化液晶に映し出されているのは、薄暗い中撮られただろう、ぼんやりとした人の画像。

 

「何それ?」

 

 思わず尋ねた少年に銀髪美少女は鼻をふんす、と鳴らして「よくぞ聞いてくれた」、とばかり誇らしげな顔。

 

「ミナミのあられもない寝姿の写真データです」

 

「ただの盗撮じゃねーか」

 

「今なら1枚2000円」

 

「余計にいらん。心にしまっといてくれ」

 

 高性能スマホの無駄遣い、ここに極まり。実弟が下したのは、いたく常識的な即答だった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「211、212、213……」

 

 7月初旬、渋谷区346プロダクション別館20階・トレーニングルーム。

 

 本館と複数の連絡通路で繋がっているためラウンズのプロジェクトルームからも近いここは、現在数字を声に出して室内で一心不乱に何やらやっている少女にとっても非常に都合の良い場所である。

 さて、最新鋭の設備と湿度に至るまで管理された空調、更にはくすみ一つない鏡が壁面にいくつも張られたその通称・フィットネスエリアにて。

 

 白字で「JO☆STARS」とプリントされたUネックの濃紺シャツ──ちなみにこの前友人(アナスタシア)と立ち寄ったSPW財団日本支部の社員さんが駆け寄ってきて手渡してくれたもの。いらないとも言いづらいのでそのまま持って帰った──をインナーに着込んだ栗色髪の少女がひとり、今日こそは自らの限界に挑戦せん、と自分を追い込んでいる最中だった。

 

 とそこへ、ストップウォッチとスケジュール表らしきものを持ったスエット姿の女性がつかつかと入室してくる。首から下げられた社員証をみるに、トレーナーとして此処で働いている社員らしい。

 さてそのトレーナー、室内にいた少女が己の視界に入ってくるなり「またやってるのか……」という表情を隠せない。どうやらこの光景、此処の日常と化しつつあるようだ。

 

「おはよう、新田。……ところで、30分後にダンスレッスンを控えてる身で、なんで朝一番からランニングマシーンをフルスロットルで稼働させてるんだ?」

 

 一応、聞くだけ聞いておく。すると集中していたのかMP3プレーヤーで何やら聞いていたらしい彼女は、イヤホンを外しながらもしかしペースを乱すことなく、本日のコーチ兼お目付役へにこやかに応答する。

 

「あ、おはようございます青木さん!コレはウォーミングアップなんでお構いなく!」

 

 機械を止めずに走りながら器用に返事をする少女に、やっぱり戸惑いが隠せない。

 一言言いたい。どこの世界にアスリートでもやらないような準備運動をレッスン前におっ始めるアイドルがいるのか。巷で名トレーナーとして数多くの候補生を見てきた彼女だが、こんな候補は初めてである。

 

「……温まりすぎだろう。その辺にしておけ、オーバーワークは体に毒だ」

 

 己の眉間を指でほぐしながら返答する。最近眉間にシワが寄りがちな気がするのは、これまでにない素材に対し自分自信の処理能力が追いついてないからだろうか。

 

「いえその、動き出すと止まるの勿体無くありません?マグロの気持ちが分かるんです、わたし」

 

 と思ってたら相変わらず走りながらこんな反応。回遊魚と人間はだいぶ別物だろう。同じ脊椎動物ではあるが。

 

「……まあいい、ならもう好きにして結構だ」

 

 様子を見るに、どうも本当にアップ程度にしかなっていないようだからな。そう心の中で留めた彼女の感想は、既にして諦観のそれに近い。

 

「さっすが青木さん!あ、それとですね」

 

「どうした?」

 

「……この事務所って、ホントに設備充実してると思うんですけど、一点だけ不満があるんです……」

 

 そう、強引かつ急にわざとらしいくらいシリアスな雰囲気を出して、琥珀色(アンバー)の眼を持つ美少女はそんなことを言い出した。

 

「どの辺りだ?なんなら上に掛け合ってみるぞ」

 

 好意的なレスポンスを返してみると、割と真剣な顔を保ったままで彼女は唐突なことを切り出しはじめる。

 

「欲しいんです。重力室。ドラゴンボールに出てきたようなやつ」

 

「さ、私は仕事に戻る」

 

 イマイチでしたか、じゃあせめて精神と時の部屋でも、といういらん小ボケを重ねてくる彼女に生返事。部屋を後にし、青木はそのまま廊下を歩いていく。

 346で働くトレーナー四姉妹の長姉たる彼女は耳を傾けた意味が霧消したことを悟りつつ、ついでに今日レッスンを担当する予定の四人のプロフ、その一枚目の人物の履歴を改めて確認。

 

 名を新田美波。広島生まれ広島育ちの18歳。アイドルとしてのルックスとセンス共に申し分ない原石の上、育ちが良いのだろうか、清楚そのものの身なり・物腰・言葉遣いは、正統派路線で十分やっていける素地になる。

 また頭も良く社交的で、リーダーシップも備えているため纏め役にうってつけ。機転も利くので将来的にマルチな活躍が期待できる金の卵だ。しかし──

 

(体力が余りに有り余ってるのは、どうしていけばいいやら……)

 

 まあ小ボケを挟んでくるのはまだ良い。基本親しい仲の人間にしかやらないし。というかあのラウンズ(ユニット)メンバーはやろうと思えば教養人の振る舞いができる癖して、4人集まると言葉のドッジボールを分かっててやり始めるので大方の人間の手に負えない。

 

 ただ幸い、彼女達の担当プロデューサーは青木もよく知る同僚の東方仗助。肉食系女子社員のアプローチや面倒くさい取引先の無理難題を巧みに躱し、時に硬軟織り交ぜた交渉術も繰り出せるタフネゴシエーターだ。彼でなければ彼女達の担当は務まらないだろう。メンタル的な意味でも。

 

 そして体力面に関しては問題……というより「持て余し気味なのか?」という印象が強い。

 本人曰く「運動部に入ってたので多少筋肉はある」というが、それを加味しても体格だけなら華奢そのもの。むしろアイドルというよりモデル体系に近いのだが。

 

(スタミナは間違いなく、ウチのアイドルどころか所属タレントの中でも一番だが……)

 

 一期生で体力ナンバーワンの日野茜と思わず比べてみる。彼女は溌剌とした雰囲気と言動が普段から表に出ているので分かりやすいのだけど、こっちはギャップで後からわかるタイプだ。

 

 しかし。従軍経験なぞ(恐らく)ないだろう、見た目だけなら良家のご息女と言った容貌の少女が、垂直跳びで軽く1.5mくらい飛び跳ねたりするのは常軌を逸してる気がする。自己申告のスポーツテストの結果も見たが、全て本当ならKUNOICHIで優勝できそうなレベルである。というか五輪狙える。

 先日はスチール缶を片手で握り潰し、後ろ手でゴミ箱に投げ込んでいた。ごく自然にやっていたけど、冷静に考えるとおかしい。

 

(それともあれか?考えたら負け、というやつか?)

 

 素朴な疑念が氷解する時は、果たしていつ訪れるのか。

 ただそれは別としてこの姉御肌の敏腕トレーナー、口調の割に何だかんだ生徒思いの女性である。たとえ指導が厳しくても変わらず慕われているのは、その性分が理由なのだろう。

 

 同僚の色男曰く、「あいつはツンデレ」、とのことだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「え、じゃあ途中まで医学部目指してたんですか?」

 

 翌日の渋谷区、346プロダクション39階廊下。オフィス入り口で鉢合わせしたジョースターの末裔たる私たち二人は、丁度又姪たる私が大叔父の昔話を聞いているところだった。

 

 元々「祖父が守ってきた町を守る」という意志そのまま、高卒で警察官にでもなろうかと考えていた若き日の仗助さんは、しかし当の祖父に「外の世界でも見てこい」と言われ考えを改めたらしい。ただいきなり明確な目標が出てくる筈もなく、とりあえず勉強でもしとくかと始めたのが医学部受験だったそう。

 

「まー能力活かすのも悪くねぇと思ってな。お袋にも教わって一時真面目にやってたんだ。模試もA判とってたんだぜ?」

 

 このチカラ、極めりゃどんな外科医よりも優秀になれんじゃね?って考えてな、と続ける仗助さん。確かに応用が効く彼のスタンド能力を鑑みれば参考にもなると思ったのかもしれない。ただ、と尚も彼は言う。

 

「俺にゃ合ってねーな、って気付いてやめた。あとはフツーに都内の大学に進学、休みの日に康一と竹下通りフラついてたらモデルにスカウトされて、何となくでオーディション受けたんだけど……」

 

 成る程、346のモデル部門からの転身か。でも名前を知らなかったのは、マスコミ向けの露出はあまりせず、また海外向け雑誌とかに出てたからだそう。

 にしてもモデルか。まあ確かにそりゃあスカウトされるだろう。ただ割に天職な気もするのだけど、辞めちゃったのは──

 

「……今の方が楽しくみえた、と?」

 

「そーゆーこった。半分は育ててもらった346への、恩返しのつもりもあるけどな」

 

 そうしてここ数年の身の上話を話した仗助さんは、それから「ああ、そんでな」、と声のトーンを一段落として話を変えた。

 

「……それからよぉ〜、例の盗まれた『矢』なんだけどなァ……」

 

 IUの時、もしものこと考えて会場に観客も兼ねた増援依頼したんだが、と述べた大叔父が切り出したのは。

 

「一応露伴にも頼んだんだが、アイツは基本気が向かねえと動かねーからな……」

 

「ま、まあ露伴さんは仕方ないですよ…………」

 

 岸辺露伴は動かない。これは彼の持つ基本原則だ。漫画のネタのためなら来てくれるだろうけど。

 というかそもそも露伴さんと仗助さん、たしかあんまり相性(ケミストリー)が合う同士じゃなかった筈。婉曲的な言い回しで大叔父の人間関係を頭に描く。まだ私が依頼した方が上手くいくかも知れないレベルだ。二人とも付き合い長いのにウマが合わない、という珍しいパターンの関係だ。

 

「露伴は来れば重畳ぐらいに思っといてくれ。そうそう、康一にもいったらよぉ、娘連れでくるかもってよ」

 

「娘さん?……じゃあ来るのって康一さんだけじゃなくて……」

 

「ん。てことで廉穂(やすほ)ちゃんもだとさ。ちなみにもう『使える』らしい」

 

「康穂ちゃん、今いくつでしたっけ……?」

 

「確か今年で8歳だな」

 

「……私が言うのもなんですけど、目覚めるの早すぎません?」

 

由花子(嫁さん)の方針だとさ。実戦がいつあっても大丈夫なように、って。あいつも大概教育ママだからなぁ……」

 

 歩きながらお互い顔を見合わせる。ということは由花子さん主導で鍛えたのだろうか、きっとスパルタだろうし。などと少々失礼な会話をしつつ、いつもの如くプロジェクトルームへ向かっていった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 29階廊下の中程まで差し掛かると、アイコンタクトでお互い一瞥。スタンド関連の話題を打ち切り、他愛ない雑談に切り替える。

 何食わぬ顔を装ってドアノブに手を掛け、プロジェクトルームに入室。

 既に集まっていた皆んなと挨拶を交わしつつ、不自然にならないよう会話を再開。ちなみにこの事務所で他にスタンドの内実を知るのは小梅ちゃんだけだ。ただあれは緊急事態だったからやむを得ない。

 

「そういえば、息災ですか?お爺さんと朋子さんは」

 

「ん〜どっちもピンピンしてっぜ。爺さんなんか今は老人会で昔の警官仲間とゲートボール三昧だ。ただよォ……」

 

「ただ?」

 

「……早く曽孫の顔を見せろって、最近は会う度に言われんだよ」

 

 頬をポリポリと掻きながら、ちょっとめんどくさそうにPさんはボヤく。いかに晩婚の時代とはいえ彼もアラサー、親心と老婆心込みで婚姻の督促をされてもおかしくないのかもしれない。

 そう考えると仗助さん、ウチの両親が学生恋愛でさっさとゴールインしたのと比べると対照的だ。ジョースターの家系は比較的結婚が早いのだけど。

 

 …………え、わたし?うるさい置いといて。

 

「いないんですか?誰か良い人」

 

 いい機会だし大叔父にカマをかけてみる。実は4人で話してる時も話題に上ったことがあったのが、何を隠そうPさんの女性関係。未だに謎が多いのだこの人。

 私とて感性はティーンの女の子、恋愛トークはそれなりに気になる。(ただし弟にこれを言ったら爆笑されたので思わずオラオラしてしまった。全く失礼な男だ)

 

「ん〜〜〜、今は仕事が彼女、ってヤツ?」

 

 さて、腕組みしてたPさん、ややあって回避の回答。濁すということは誰かいるのか、これは後で邪推大会しようかガールズ。無言の一体感がユニットメンバー四人に生まれる。

 

「へえ……じゃあ、友達以上恋人未満の人がいる、とかですか?」

 

 失礼一歩手前まで踏み込む。

 

「これ以上は黙秘権な。てかおっさんの恋バナ聴いてもしゃーないだろ?な?」

 

 むむ。ガードされちゃった。この話題ここまでか。

 

「ところがどっこい、結構重要なコトなんだよ、P」

 

 と思ったら、隣席からするっと飛鳥ちゃんが牽制球。

 

「そうそーう、ルート次第で誰が一番儲けるか変わるからねん♪同僚と恋愛、まさかの婚約者、生き別れの幼馴染、さぁどーれだ?」

 

 瞬時に被せる志希ちゃん。この間一秒かかっていない。因みに喋りながらサッとPさんの隣に座ってるあたりやっぱり上手な子。頑張れ。

 

「どれでもねえよ!?つーか儲けってまさか……」

 

「……トトカルチョです。オッズは最有力の社内恋愛が1.0だそうで。それとこれ、私たち未成年は参加してませんが、346の一部社員の間で現在投票中とのことです」」

 

「ほーう。ちなみに発案者は誰だ?」

 

「確か、仗助さんと同じ課の内匠さん、て人でしたよ?」

 

 さっき喫煙所で一服していた、金髪頭のホストっぽい男性を脳裏に思い描く。そのセリフを聞いたPさん、成る程という顔をして一言。

 

「サンキュー。後でシメとくわアイツ」

 

 ……中々に不穏な言葉が聞こえたけど、聞かなかったことにしておこう。怪我なら能力で治せるだろうし。無言のアイコンタクトをメンバー四人で交わす。

 武内や米内をちったあ見習えアイツは……というボヤきもセットで耳に入る。346の社員も色んな人が居るらしい。

 

 しかしどうも社内の合コンでも人数合わせで出るだけで、二次会もそこそこにさっさと帰っちゃうらしいウチのプロデューサー(byちひろさん談)。その恋愛遍歴は密かに注目の的のようだ。

 オチがついたようなついてないような局面、さてここらが話題を変える潮時か、と志希ちゃんが先陣を切った。

 

「なんかごめんねジョースケ?アップルパイあげるから許して?1ホールまるごと一口で食べれるよね?」

 

「無理だろうね。てか美波さんがさっき持ってきたやつだよね、ソレ」

 

「Pさんすみません、お話ついでにお茶にしません?文香ちゃんが丁度紅茶淹れてくれるみたいだし」

 

「お砂糖とミルク欲しい人、いたら仰ってください」

 

「お前らマイペースか!どっちも貰うけどな!」

 

 でも担当アイドル達のお節介を察したのか、彼もその後直ぐにコホン、と咳払い一つして軌道修正。

 ただそれだけで温まった(弛緩させたともいう)空気を即座に引き締められるあたりは、場数を踏んだ者特有の凄味が成せる技だろうか。一拍おいて彼が一通り説明しだしたことを要約すると────

 

「新曲?」

 

「オウ。IU控えてるけど持ち歌いつまでも一個だけ、ってのも訴求力が弱いしな。てことで若干気は早ぇーけど、コレが新しいヤツだ」

 

 そういってPさんが人数分取り出した企画書。手渡されたそれに記されていたのは、秋のシンデレラプロジェクトのスタートまでに御披露目するという曲目の数々であった。その中には……

 

「ソロ曲?」

 

「応。今んとこ一人一曲ずつあるぜ?ただ曲名だけ決めてねーから、各々デモ聞いてから考えて決めてくれ」

 

 

 ──手渡されたCDには、のちに非常に長い付き合いになる曲が収められていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 少女達に新曲が充てがわれた翌日、神保町の某老舗本屋にて。

 

 店舗部分ではない地下1階、先日アイドルデビューしたばかりである黒髪青目のアルバイト店員が、日課となりつつある古書の品出しに勤しんでいた。

 彼女好みのゆったりとした服装の上に店員用の黒エプロンを着けてせっせと働く姿は、元々の素材の良さも相まってかなり絵になるものである。さて、そんな少女の心中はというと。

 

(……オフの日こそ積読書を消化しようかと思っていたのですが……結局またしても買い付けで留守ですか、おじ様(店長)

 

 この通り、仕方がないので勤務代行。バイト代はその分色をつけてもらってるけれど、正直人手をもっと雇うべきではないかと感じる。ただし扱っている本、特に倉庫にしまってある物の中身にはおいそれと見知らぬ人に開帳出来ないものもあるので難しいのかもしれない。

 

(加えて()()()()()まである始末ですし…………)

 

 運搬用のエスカレーターに本を積んでいる彼女が視線をやった「こんなもの」。目線の先にあるのは、地下倉庫の片隅のショーケースに保管された、一挺の古びたバイオリン。

 その正体はかの有名なストラディバリウス。全世界に現在520本前後しか存在しないとされ、一挺でも億単位の値がつく超希少な弦楽器である。

 

 なぜ東京の古本屋にそんなもの置いてあるのか、と最初は思ったが、どうも彼女の高祖父が所有していたものだとのこと。偽名をいくつも持っていたというその御先祖様、何か法に触れるようなことはしてないでしょうね、と後世で気を揉んだ子孫だが、御多分に洩れず今考えてもどうにもならない。

 

 ともあれ目下の問題「人手不足」の解決についてはいっそラウンズの三人を日雇いで誘ってみましょうか、とも考えながら、彼女はつい数十分前の叔父との会話を思い出していた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「漫画家さんが取材に来る、ですか……?」

 

 開店前の神保町、鷺沢古書堂。創業100年を優に超えるこの老舗に今春から寄宿している大学生・鷺沢文香は、風変わりな叔父の突拍子もない発言にそう生返事をした。

 

「ああ。私の旧い知り合いでね、少しばかり変人なのが玉に瑕だが──」

 

 ──ただし根はいい奴だよ、と続けたのは、長身痩躯を安楽椅子に預けた、白シャツにスラックスと同色の薄手のベストを着込んだナイスミドル。

 今年で40を過ぎようかという、黒髪をオールバックに撫で付けた彼こそが、紛れも無い新人アイドル・鷺沢文香の叔父にして鷺沢古書堂の現店長に他ならない。

 

 ただアクティブな同僚兼友人の影響でだいぶ変わってきたとは言え、人見知りの気は未だにある文香。一人だけで「変人」への上手い応対は出来る気がしない……と内心尻込み。

 しかし対面に居る叔父は、いささかあっけらかんと二の句を継ぐ。

 

「何、君ならきっと気にいるだろうし心配はいらないよ」

 

 サプライズ、と受け取ってくれて構わない。

 英国はイングランド出身の曽祖父を持つ彼は、先祖の遺伝が強く出たのだろうか。目の前の姪と同じ蒼色の眼を、いたずらっぽく輝かせてそう伝えた。

 

「私とウマが合うなら、君と合わない筈がない。それだけの()()()()()()()、文香ちゃん」

 

 普通に聞いたら格好つけすぎな口癖をさらりと言い放った中年男性は、それだけ言い残してここ、鷺沢古書堂の分店がある鎌倉へ行ってしまった。

 愛用のハットを被って出ていった彼が向かった鎌倉にあるのは、戦時中に本店たるこの店の本の疎開場所として建てた分店。今は従姉妹の栞子さんが経営を取り仕切っているのだが、それはまた別の機会に。

 

 さてそれから程なくして来客を告げるチャイムが鳴った。レジ横のモニターをちらりと見た文香、どうぞと扉に一声かける。

 

「あ、こんにちは。今日はようこそ──」

 

 いらっしゃいました、と続けようとした文香の声は、入口扉を開けて現れた人物を見た衝撃で一瞬途絶えた。

 

「……ココで合ってるかい?古今東西の稀書・禁書を取り扱ってる本屋、ってのは」

 

 ステンドグラスが嵌められた重厚な引き戸をガラガラと開けて現れたのは、彼女が何度も雑誌などで目にしたことのある著名漫画家。

 卵のカラのような特徴的なヘアバンドで髪をまとめている彼は、レジカウンターでこちらを見つめて瞠目している少女の姿を認めると、ろくすっぽ返事も聞かずに二の矢を撃つ。

 

「ああ、鷺沢くんの姪っ子ってのは君かい?なら話は早い、僕が今日取材をしに来た岸部露は……「あの」……ん?」

 

「…………サイン、ください……!」

 

 週刊少年ジャンプで現在も尚絶賛連載中の某超有名漫画家の「え?」という声は、ファンなんです、と彼に向かって言い放ちながら青い眼をキラキラとさせ、更に何時の間に用意したのか金縁の上等な色紙を向けてくる、女子大生の勢いでもってかき消された。




・青木さん
四姉妹の長女。レッスンは厳しめ。

・広瀬康穂
第八部ヒロイン。今ssでは康一・由花子夫妻の娘と捏造。

・米内Pと内匠P
U149とWWGより。

・栞子さん
ビブリアの方。実写なんてなか【自主規制】

・岸辺露伴
一回破産したが元気。

・おじさん
初歩的なことだ、友よ。


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012/ 貴方の名前は

110714


「へェ〜〜〜ッ、んじゃあコレが曰く付きの古書の数々、ってヤツか」

 

 独り言にしてはやけに響く感嘆符を呟いたのは、只今神保町の某古書店にお邪魔している人気漫画家・岸辺露伴。尚、好奇心の塊である彼の性格を熟知してか、あらかじめ叔父に「見せても良いよ」と言われたものだけを持ってきている文香、実に賢明な判断をしたと言える。

 

 まさか憧れの作家の一人と会えるとは思ってなかった彼女は、叔父から言伝を貰っていたので早々に閉店の札を掛けたあと──この店は営業する気があるのだろうか──奥に引っ込んでカプチーノを手早く淹れてきた。ちなみにこの店、最近は来店頻度の高いメンバー3人の専用マグをキッチンに完備している。

 

 さてさてどうぞ、と差し出された其れを鷹揚に受け取る露伴。少し口をつけるなり……

 

「ん……?……この珈琲、もしかしてトニオさんとこのヤツじゃあないかい?」

 

 供された珈琲が自分が日頃飲んでるものと同じフレーバーだったため、思わず彼はそう述べた。勿論彼女には初見ワードである。

 

「……トニオさん……?は存じませんが、これは学友の美波さ……空条さんから頂いたものです。……岸辺先生も同じものを?」

 

「ああ、露伴で構わないよ。ファンは大切にするポリシーでね。……それと君、今『空条』……いや──『空条美波』と言ったかい?」

 

 不意にそう言った彼は、どこか黙して考え込むような顔つきをし始め。

 

「ええ、まあ。……お知り合い、なんですか?」

 

「彼女が4つの時から知ってるさ。……うん、焙煎の具合も豆も同じだ、トニオブレンドでビンゴだろう。相変わらず美味い……ッと、話が脱線してしまったな。しかし『空条』ねえ……てことは────」

 

 何やら思案するように自らのこめかみを指でトントン、と叩いた彼は、おもむろに彼女を見てこう切り出した。

 

 ────キミもスタンド使い、ってことなのかい?

 

 

「…………はい?」

 

 そうして、何気ない言葉から、新たな世界の(ドア)は開く。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「特別に、取材のお礼の出血大サービス、ってコトで教えよう。()()トコ君は素質がある……みたいだしね。それにきっと……無意識に()()()()()()()んじゃあないかい?」

 

 言い出した後始まった露伴の、文香にとってはえらく突飛な話は暫くかかった。

 一通り話し終えたのち、満足気な顔で帰っていった彼を入り口まで見送った後、ここ数日の念願だった筈の積読書の読破に勤しんでいた彼女。だが、珍しく紙面をめくる手は止まったまま。普段なら本を読む時はコンマ数秒で空想世界へ意識を没入させる彼女は、露伴から聞いた奇妙な話に基づく困惑に彩られていた。

 

 スタンド?具現化した精神の力?────なんだ、なんなんだ、それは。

 星新一が著した短編小説集(ショートショート)。最短で1エピソードが3ページ程で終わるそれすら、読む手が遅々として進まない。しかも、彼から聞いたところに拠れば。

 

(美波さんが、……スタンド使い……?)

 

 それとも露伴の虚言、とでも?……いや、と自身で即座にソレを否定する。

 彼女、鷺沢文香はホームズ狂のシャーロキアン程でないにしろ、岸部露伴の漫画を愛好する1ファンである。ダークな作風が持ち味の彼の作風だけでなく、彼の為人もある程度知っているつもりだ。露伴という人物は確かにプライドが高く気難しい。が、少なくとも自分のファンに対して愉快犯的な狂言を撒き散らすような人間ではない。

 

 思わず文香は、学友にして友人である栗毛の少女の顔を思い浮かべる。育ちの良さを示す品の良い物腰と口調。社交的な性格と相まった快活な笑顔。服飾でいえばコンサバ系からモード系までも着こなせる容姿とスタイルを持った、天真爛漫な女の子。加えて成績も優秀。勿論、文香にとって大切な友人でもある。

 そんな彼女に対して一つだけ、出逢った当初から引っかかる事があった。もし超能力とやらに起因するのだとすれば────あの人間離れした身体能力に、納得いくエビデンスが付加されるかもしれないのだ。

 

 学業にも武術にも秀でた人間を俗に「文武両道」と形容するが、正直言って空条美波の「武」はあまりに突き抜け過ぎている。少なくとも同世代の女子でシャトルラン140回オーバーを息切れひとつせずやってのける人間は、文香の知る限り美波しかいない。

 武の道を「歩む」というより、壁に足で穴を開けながら力技で登ってるような感じだ。それに。

 

(……この理屈でいくと、以前志希さんが話していたPさんによるハイジャック事件の解決。アレも怪しく思えてきます、ね……)

 

 見間違いか気の所為かもしれないけど、壊れた隔壁がひとりでに修復されたようにみえたとか、負傷した筈の傷が跡形もなく治っていたとか、そんなことを彼女は述べていた。

 ただP本人に聞いても曖昧に濁され、自分自身も極限状態に置かれたからみえた幻覚、もしくは幻肢痛(ファントムペイン)の亜種かなにかだ、という可能性も排除出来ない、とも付け加えて。

 重い話をあっけらかんと喋る口調こそフランクだったがそこは其れ。当代一流の化学者たる彼女の分析は(あだ)や疎かには出来ない。不確実な証拠だけで事象を判断する愚を知り尽くすその頭脳こそが、安易な思い込みを拒絶するのだろう。

 露伴は「東方仗助はスタンド使いだ」とまでは言及していなかった。ただ友人の発言から推察すれば────

 

(……美波さんとPさんの二人共──スタンド、使い?)

 

 でも。確証がないから、結論は出ない。

 しかしこんな重大なこと、出会って三ヶ月くらいとはいえお互いそれなりの中になった、と自負しているのに向こうは臆面にも出さず話もしない。ということは、何か秘しておきたい事情があるのかもしれない。一度そう思うと直接彼女に聞くのも憚られた。

 

 そもそも鷺沢文香という少女、元来が引っ込み思案な質である。傾向として背中を押してくれる人や動機がなければ、物事を進める時は奥手になりがちだ。だいたい大勢の前で歌って踊って笑顔を振りまくなんて真似をすること自体、今年のはじめには想像すらしてなかったのだから。

 

 自身のアイドル業に思いを馳せたところで、文香は自分が思考の隘路(あいろ)にハマっていることにようやく気づく。気の所為だろうか、少し頭も熱を持っているようだ。

 

(……気分転換に、夕飯の支度でもしましょうか。このまま考えても恐らく埒があきませんし)

 

 読みかけの本を畳んでふと窓の外に目をやると、既にして夕日もとっぷり落ちた頃。うだるような暑さの続く七月半ば。夏の短い夜の(とばり)が、今日も町へと降りてきていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 オフの日の翌日。デビューライブからまだそんなに日も経ってない私とPさんはいつものプロジェクトルームにて急遽、予定になかった臨時ミーティングを行っていた。その内容は────

 

「弾丸出張?」

 

「オウ。アメリカ南部でSPW財団主催の地質調査に参加させられるんだとさ。尤も断る気満々だったんだが、企画の発起人が昔世話になった大学の恩師ってんで、どーしても外せねェ案件らしいぜ?」

 

 この忙しい時にまったくもう、と言っていたらしい志希ちゃんからの伝言を私と文香ちゃん、飛鳥ちゃんの三人に伝えたのは誰あろう、彼女から連絡を受けたらしいPさん。

 

 グループラインにも「3日後には帰国する!ゴメンね!詳しいことは帰ったら説明する!」とのっけたきり音沙汰の無い彼女はどうやら本日、アメリカ南西部・アリゾナ砂漠に存在する「悪魔のてのひら」なるところへ派遣された地質調査団のメンバーとして同行しているそうだ。

 なんでも日本の樹海が如くコンパスが狂う所もあり、また気候も厳しい地帯だという。そんな訳で精々がいい加減な地図くらいしか作られてなかった場所らしいけど、油田やレアメタルの産出、更にまだ見ぬ貴重な考古学的資料の発掘などを目当てに州政府とSPW財団肝いりでの共同研究プロジェクトが行われている、などとPさんはつらつら説明してくれた。

 

 但し本人としてもIUに向けたレッスンを詰めたいこの時期らあまりスケジュールを空けたくはない、とのこと。よって実質二泊三日の、文字通り弾丸出張で行って帰ってくるらしい。天衣無縫を絵に描いたような志希ちゃんといえども、意に反してやらねばならないことも時には存在する……というより寧ろ、天才故に付き纏うしがらみなのかもしれない。

 

 ここから先は推測になるけれど、志希ちゃんは昨年度末まで自身が提唱した()()()()の研究開発の資金援助を、SPW財団から受けている。その結果はどうだったか?結論だけ言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。因みに彼女、既にかの王立科学アカデミーや日本の理化学研究所などからも是非就職してくれ、とラブコールを貰っている。何度も言うけど、要するに「天才」ってことかな。

 

 またPさん曰く、ついでに邪推すれば今回彼女がアイドルデビューしてから決まったSPW側からの急な招聘には理由があるという。学会から当分退くことが確定的になった麒麟児・一ノ瀬志希を将来的には自社に引き込みたい。よって彼女との関係を今のうちから出来るだけ深めておきたい、と考えてるんじゃないだろうか。今の財団CEOは人材集めが趣味とかいう曹操みたいな人だし。

 

「ま、母校からも相当慰留されてたからなァ。色々俺も手伝ったけど、そん時便宜図ってくれた一人が今回の教授なんだ。流石の志希でも、ってことでな……」

 

「うーん、恩師なら中々断れないのも道理、ですね。ただいずれにしても今日はレッスン中止ですか?この調子だと……」

 

「ん、今さっきトレーナーに全体練習は中止って回しといた。すまねえな美波ちゃん。にしてもまさか……」

 

「このタイミングで文香ちゃん、熱出して休むなんて…………」

 

 そう、事務所についた先程連絡を受けたのだ。夏風邪が流行ってると聞いたからそれだろうか。しかし、急な発熱。飛鳥ちゃんは来る前になんとか連絡ついたからまだ良し、としても。

 …………こういう思考にばかり傾くのはどうかと思うけど、もしかして。

 

「……まさか……」

 

「……スタンド発現の、兆候?」

 

 お互い顔を見合わせた。小梅ちゃんだけじゃなくて。そうであったら…………手放しでは、喜べない事態。むしろ災難にもなり得る。

 よし、こうなったらとばかり、片端から要因を検証していくことにする。解説がてら整理しよう。現状で私達の知る限り、スタンド使いになる要因は四つある。

 

 まずその①、才能型。パパの友人であるポルナレフさんなど、生まれつきスタンドが使える素質を持ってる人は稀にいる。ただしラウンズのみんなはスタンドを持ってないどころか見えてない様子(前に一度こっそり出して試してみた)。よって今回これは除外。

 

 てことでその②、外傷型。スタンドの矢で傷を付けられた、という可能性。でも最近、どこか怪我なんてしてた様子は誰にも見られない。全身くまなく見たわけじゃないけど、盗難された矢も含めて今は全て厳重に管理されてる筈だから、この線は考えにくい。

 

 とすると要因としては残り二つ。その③、職人型。トニオさんはこれに該当する。でも皆、何かに脇目もふらず打ち込む芸を持った「職人」となるには、あまりに年が若すぎる。特技が高じてスタンド能力化するには、研鑽を積むための非常に長い年月がかかるのだ。

 

 最後にその④、血縁型。スタンド使いの血族が発する強い魂の信号に影響されて自分の魂が変容、発現というパターン。ちなみに私もこれ。可能性があるとすれば、残るはこの血筋に拠る発現だけなんだけど……

 

「流石に友達とはいえ、血縁関係全部までは……」

 

 ややこしい家系図の人だっているだろう。例えばウチとか。だったらものすごく聞き辛い。親族の不倫とかお家騒動ってあまり言いたいことではないだろうし。……ウチも昔、例の浮気の件でスージーQお婆ちゃんが怒って大変だったらしい。孫の立場での仲裁役は結構苦労した、とはパパの談。

 

「……無理もねーな。第一先祖なんてモンは人によっちゃあ、本人だってまともに知ってるか怪しいぜ?」

 

「た、確かに…………」

 

 結局、ここらで議論は堂々巡り。今日のところは解散して明日お見舞いにでも、ということで落ち着いた。

 今日は大学の講義が四、五限だけ連続で入っている。履修科目は文香ちゃんと同じだから、彼女の分のレジュメも取ってお見舞いついでに明日手渡しにいくのがベストかな、と考えてそうなった。

 

 ……仕事を/講義をサボってでも行くべきだったと、後になって私たちが思い知ることになると、この時は知る由もなかったのだから。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ジョースター家の末裔達が見舞いを翌日に決めた同日午後七時。今朝がたからの熱が一向に引かない文香は、氷枕を自力でなんとか交換して再び床に伏せっていた。

 

(今年の風邪って、こんなにしつこいものなんですか……)

 

 部屋付のミニ冷蔵庫に入れていたウイダーの蓋をひねるにも一苦労。それでもなんとか開けて喉に流し込む。

 ……頭が、割れるように痛い。黒髪の少女が前日の微熱を放置した結果到来したのは、体感で数年ぶりではと思うほどの発熱と頭痛だった。発汗も激しくタオルで拭いてもキリがない。汗で下着が張り付くどころか、谷間に流れ込んで不快なことこの上ない。一部の好事家にならこの汗、さぞ高く売れそうだがそれはさておき。

 

(……にしても、どうしてこんな急に……?)

 

 体調管理には気を配っていた筈だったのに。しかし実際にこうして伏せっているのも事実。

 思いながらも今日二回目の着替えを済ませた彼女は、昨日買ってきたばかりのスポーツドリンク1.5リットルをたった今空にした。

 

 尚も引かぬ熱に焦燥を感じたのか、彼女は倒れ込んだベッドの横にあるサイドテーブルに手を伸ばし、置いてある体温計を裾の下から脇にあてがう。ややあって其れに表記された温度をみると……

 

「39度、4分……!?」

 

 昼間に測った時は37度台だったのに。

 咳は出ない。喉が痛いわけでもないし悪寒もない。ただ純粋に倦怠感に襲われる。いよいよ上がってきた発熱によるものからか、意識が朦朧としかけてきた。ひょっとして夏風邪じゃなくて季節外れのインフルエンザとかマイコプラズマとかだろうか?そもそもだ、薬もなしにただ寝ていれば治るのか?

 

 叔父がいたら然るべき措置を手早く講じただろうが、不幸なことに彼は前日の夜からまたも出張で不在。更に不幸にしてこの場には頼れる友人(空条美波)もいない。外からの助けは、来ない。

 いや、来たとしても既に──間に合わない。彼らは全知でも全能でも、ましてや神でもないのだから。

 

 救急車を呼ぼう。荒い息を吐いてベッドに倒れ臥しながらも、手探りでベッドサイドのスマホに手を伸ばす。程なく何かが手に触れた気がした、が。

 

(本……?あれ、でも私、確かに……)

 

 視線をあげると、枕元に置いておいた宝石本が、何時の間にか開かれて捲られていた。おかしい。昨日、寝る前に閉じておいた筈なのに。その青白く光る頁に指が触れた、瞬間。

 グイ、と。文香は唐突に、本の中に()()()()()()()()

 

「え、ちょっ、と……!?」

 

 突然の怪奇現象に何ですかこれ、と言う間も無く。間髪入れず、本から青く眩い光が放たれて。

 フィィ、と音を立てて発せられた輝きは、彼女の身体を瞬く間にくまなく覆い、新たな世界へ(いざな)った。

 

 ──そう、少女の道を切り拓いたのは他でもない、彼女自身の血の運命(さだめ)

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ぱち、と少女、鷺沢文香は目を覚ます。

 

「………………え?」

 

 気づくと彼女は、下宿先の叔父の書店、そこに間借りした自室のベッドとは異なる、鳶色の幅広ソファに座り込んでいた。

 ……私、確か熱が出て倒れて。救急車を呼ぼう、とか考えて。それで。そこまで考えたところで。

 

『────我が城へようこそ、客人よ』

 

 不意に飛んできたバリトンボイスに目を挙げた文香の視界に入ってきたのは、これまでに彼女が見たこともない……がどこか見覚えのあるような一室と、そこにあった机の奥の椅子に腰掛ける一人の男だった。夢……なのだろうか。

 

『優に半世紀を超えて、此処には誰も来れないのではと思っていたが……これはまた面白い』

 

 脈絡もなさそうな台詞を述べる男がいる其処は、一言で言えば書斎だった。

 濃茶(ダークブラウン)の文机の上に雑多に置かれているのは、羊皮紙にインク壺と年季の入った羽根ペン。更に存在感のある古式ゆかしいタイプライターと、ダイヤル式の黒電話。傍らの衣装(ラック)には、使い込まれたインバネスコートと鹿撃帽。そしてアースカラーで統一された、いかにも高そうなアンティークの調度品。本棚にはまるで彼女の私室のそれのように、種々雑多な書籍が山と収められている。

 

 モダン映画のセットのような一室で一際存在感を放つのは、机の奥の本革張りのブラウンチェアに脚を組んで鎮座する、高い鷲鼻にオールバックの黒髪、長身痩躯の白人男性の姿。ついでに言えば色白の肌と長い睫毛、青い瞳という彼の特徴は、奇しくも文香のそれと合致するものだった。きょろきょろと周りを見渡す彼女に対し、男は尚も長台詞。

 

『いやいや実に素晴らしい。好奇心の赴くまま、ひたすら現世を睥睨(へいげい)するだけ、という行為に飽いてきたところでね。それも来たのがこんな若人とは。暫くは退屈と無縁そうで何よりだ』

 

 そして、見た目は完全に西洋人なのに飛び出てくるのは流暢な日本語というその姿、まさしく。

 

「…………おじ、様……?」

 

 思わず言ってしまう程に、目の前の彼は彼女の叔父そっくりだった。ただ語尾に疑問符がついているのは、彼は40代を超えたアラフィフなのに対し、眼前の青年は20代後半かそこら。明らかに年齢が一致しない。

 一方尋ねられた側は……というと、誰何に被りを振って否定する。

 

『いいや、彼は私に似てはいるが別人さ。()()ではあるがね。しかし強敵(とも)と一緒に鍛えた力をこうして使う時が来るとは、長生きはしてみるものだ。宝石本を作った甲斐があったよ。尤も、私の元の身体はとうに朽ちているけれど』

 

 友?とは誰のことだろう。それに……宝石本(あれ)を作った、だって?しかも身体は朽ちた?突っ込みどころ過多にも程があるだろう。

 

『しかしあのフランス人(蛙食い)は今どこに……いや、この話は後にして本題に入ろうか。……さて、結論から言えば君が此処へ来たという事は、君に新たな才が目覚めたことと同義であり、私の「試練」を受けて貰わねばならないのだが…………ところで君、この場所に心当たりは?』

 

「いいえ、といいますか……此処は何処、なんでしょうか?」

 

 色々と要領を得ないことを言う彼の言葉に生返事。というか正直、彼女は混乱の極みにある。貴方は誰だ。何処だここは。

 

『此処かい?これは私の()()さ。君にとっては部屋のようなものだろう。君の()()()と会える、ね』

 

 ……うわあ、ちょっとアレな人なのだろうか。折角顔は良いのに勿体ない。

 

「…………あの、私は神秘主義に傾倒した覚えも、そんな趣味の知人もいないのですが……」

 

 やんわりとそういうも。

 

『真に正常な反応だ。しかしお嬢さん、時として世の中には常識で測れぬものが存在する。人の精神(こころ)なぞ最たる例だ。いいかい、私は決して幻覚でも、君の夢の中の虚像でもない。此処は意思が結ぶ力の具現たる(ヴィジョン)の中。人それを───STAND(スタンド)と呼ぶ』

 

 ……スタン、ド?黒髪の少女は頭を抱える。またそれか。露伴だけでなく、まるでランプの魔人みたく突然出てきたこの人までがそれを言うのか。

 というか叔父ではないというなら貴方は一体誰なんだ。そっくりさんか。

 

『……にしても、よく見れば髪色から肌の色まで私と同じだな君は。これやはり、縁遠くとも()()の為せる技といったところか』

 

 そんな彼女の心中など御構い無しとばかりに、彼は今度は此方をみて遺伝などと言いだした。私の親族だとでもいうのか?こんな変わった人は叔父だけで十分だろう、と若干黒いことをも思う。それでもって遺伝……遺伝?とそこまで考えて、文香ははたとある事に気付く。

 

 今更だが初対面の人と物怖じせず喋れることは、彼女にとって多くはない。でも目の前の外国人男性は、まるで他人の気がしない。それどころか今、なんなら結構気さくに喋っていた。

 

 例えるなら、久しぶりに親の実家に行って祖父母、或いは曽祖父母と会って話した時のような。

 

(…………………………まさか)

 

 記憶の奥底に眠っていた、かつて実家で見た家系譜を思い返す。長野の豪農として栄えた鷺沢家には、明治期に留学のため渡英した当時の当主と恋仲になった英国人女性が、遠路はるばる嫁いできたことがある。本名を()()()というその女性の父は英国ではとみに有名な人間であり、またいくつも偽名を持っていたという。

 

(マールと名のつく()()()()に、心当たりはあります、が……)

 

 晩年に周到に処分してしまったらしく、実父の映った写真は一枚も残していないその女性。てっきり顔や名を明かすと面倒な諜報機関の人間あたりかとこれまでは考えていたが、……そうか、極めて突飛な話だけれど、そんな推測もできるのか!

 

 この短時間で導き出された荒唐無稽な推察が正しければ彼は恐らく、彼女だって何度も読んだことがある、かの有名な()()()()()()の主人公その人。

 

 でも、と。否定する心も同じだけある。だってあれは、歴史文学作家が片手間に書いた『創作』じゃあなかったのか……?大体にして「彼」は生涯独身だったと聞くし、「マール」は別人の書いた贋作(バスティーユ)の登場人物だ。

 

(……いや、流石に不味いでしょう。書と現実を混同しては…………)

 

 そもそも、だ。スタンドなるものが実在し、あまつさえ名前を持った人のカタチをとって現れる、なんてことがあり得るのか…………!?

 

『──おや、私に辿り着いたかい?()()()()()

 

 不意に言葉を掛けられて、弾かれたように目線を挙げてもう一度彼を見る。

 

(子孫……?私が、あなたの?)

 

 そこに在るのは迸る才気と端正な面持ち、表情から人間の心情までを射抜かんとする、輝かんばかりの青い眼。いやが応にも溢れ出すカリスマと、まるで自分の親戚のような()()()が同居していた。

 

 ────極め付けは彼の背中側にある窓の景色。そこから見える交通標識に記された、「221b Baker St」なる表示。見た瞬間、心臓が跳ね上がるようだった。

 

 …………間違い、ない……!でもなんだってこの人が、よりによって自分の家系の先祖だなんて────!

 

「あの、貴方のお名前は、もしかして……!」

 

『バートン、エスコット、アルタモント、シーゲルソン。時にそう呼ばれ、名乗りもした』

 

 衝撃がシナプスを駆け巡る。本の虫の彼女にとって、其れ等はいずれも既知の名前。あり得ぬ筈の正解を引き当て、心は俄かに色めき立つ。しかし、其処で「ただし」と彼に制された。

 

『……ただし、既に死した私にとって、生前の名にさしたる意はない。こ私は魂のみの存在であり、本にくっついた幽霊と同義。故に────』

 

 ──折角だから、君が私の新たな名付け親になりたまえ。

 

「……え、な、名前、ですか?」

 

 いやいや、いきなりそんなこと言われても。暗に本名で呼ぶなと言われてるし。

 彼の相棒とされた外科医も、常々無茶振りをされる度にこんな心境に陥ってたのだろうか。にこやかに微笑む彼の青い瞳と、自身の視線がかち合う。

 

 しかし鏡を毎朝見るたび思うけれど、我ながら本当に真っ青な色した眼と────目?──あ、青!?蒼か!!

 

 瞬間、欠落した最後のピースが脳内に降りてくる。逸らさずに見据えるは、鏡写しの如く自分とそっくりな、長い睫毛の奥に秘されしサファイアの瞳。ごく自然に、気取らぬ思いが口から漏れ出た。

 

「……なら、ご先祖様────」

 

 ────『光輝の碧(ブライト・ブルー)』、でどうでしょうか。

 

『成る程。…………採用だ』

 

 固唾を呑みつつほっとする。どうやら、そのお眼鏡には適ったらしい。

 

『さて、では新たに名前も決まったところで話を戻そうか。スタンドとは精神の形。それには自らの理想、憧憬、信条、為人(ひととなり)、即ち「個性」が現れる。君が深層心理下で花の魔術師(マーリン)でも鋼鉄の男(クラーク・ケント)でもなく、敢えて探偵()を結ぼうとしていることを讃えよう。君の魂が呼んだからこそ、私も出張ってこられたわけだ。力ではなく理を優先し解決にあたるその意気やよし。しかし今は……』

 

 ……「力」を必要とする時だ、起きたまえ、我が玄孫(やしゃご)よ。

 

 そう言いながら帽子を被ってコートを羽織り出す彼は、既に臨戦態勢のよう。力?起きる?どういう事だ。試練とは名前をつけるだけで終わりではない、と薄々感じてはいたが、これって。

 

「ど、どうすれば……?」

 

『ちょっとした()()さ。君にとって闘うことは苦であるかもしれない。しかし、ペンと剣の強さは時と場合に応じて変容する。そして今は────剣を取る時だ』

 

 ズビシ、と咥えていたコーンパイプをこちらに向けて彼は言い切る。決め台詞的なやつなのかもしれない。

 

「は、はあ……」

 

 剣を取る。しているそんな事言われても、文香にとって武器と呼べるようなモノなんて精々、中高の選択体育の剣道で竹刀を振ったことがあるくらいだ。料理包丁ならよく握っているけれど、人を刺そうなどとは考えたこともない。

 そもそも平成の世の日本に生まれた現代っ子に、人間と干戈を交える経験など普通はない。しかしそんな事情を知ってか知らずか、高祖父は尚意気軒昂。さくさくと話を進めていく。

 

『簡単に説明しよう。私の娘マールが約100年前、鷺沢家に嫁入り道具として持って行き、時を経て今君が所有している宝石本の正体は、かつて私が有していた()()()()()()()、名を「エレメンタリー・マイ・ディアー」。スタンド内部に巨大な空間を持ち、私が見聞した万物を保管し投影できる。空間の大きさは最大999km四方。内部に入れる人間は、適格者()が認可した()()()()()()()()()もののみ。そしてここは、既にスタンドの内部だ』

 

 スタンドの才能がある者しか中に入れない?ということは。

 

「つまり、私が……」

 

『スタンド能力に目覚めかけている証左だ』

 

 先程長台詞を一息で言い切った彼はそう言い、そして続ける。

 

『ただし、半端な覚醒だからか君の身体までは引っ張ってこれず空間外に放置され、魂だけで来たようだね。スタンドが暴走し長時間魂魄が身体から離れている状態は非常に危険だ、下手を打つと身体が先に死んでしまう。時間がないからこれ以降は潜入(ダイブ)しながら、あとは流れで説明しよう』

 

 待て待て待て待て。さっき名前なぞ付けたりしてる時間があるならもっと先にそれを早く言ってください。優先順位がおかしいでしょう。ていうか魂って宗教的概念ではなく物理的に実在するんですか。しかも……ダイブ?どこに!?

 

「ま、待ってください……!そもそも闘うって一体どうすれば……?」

 

『私の補助輪(アシスト)に従えば良い。何、大船に乗ったつもりで構えていなさい、これ程楽な初陣もそうはない。但し、次回からは徐々に自分で操れるようにしていくことだ』

 

「!?……つ、次もあるんですか……?」

 

『スタンド使いは引かれ合うもの。君が力に目覚めたということは、いずれ君に厄災が降りかかることと同義だ。災禍を払いのける術を覚え、備え、鍛えておきなさい。……では、行こうか』

 

 ────そうして、少女は課されし試練へ挑む。ただ自らの、生死を賭けて。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 眩いばかりの青い光に包まれたかと思うと、次に文香が目にしたのは切り立った崖のようなところだった。

 なんとなくだが、日本国内ではないように感じる。彼の記憶にあるものなのだから当たり前か。

 

「む、少し投影に時間がかかるか、すまないが少し待ってもらうぞ」などと文香に語りかけつつ、いつの間にやらパイプを咥えていた彼は先程の言葉通り、続けざまの解説を彼女に行っていった。

 

『補足で現況について解説しよう。現在君のスタンドは暴走状態にあり、君自身に発熱などの症状が表立って現れている。このままいけばいずれ君は昏睡状態に陥り植物人間となるか、最悪は死に至る。解決策は一つしかない。スタンドを発現させ、制御することだけだ』

 

 ああ、やっぱりさっきの冗談じゃなかったのか。戸惑いと葛藤が支配するが、彼が嘘をついてるようには見えない。信じて動くしかないか。

 

「制御って……どうすれば、いいんですか……?」

 

『簡単さ。スタンドとは戦う意志に呼応して形作られる。ならば荒療治だが、君にはこれから「戦闘」をしてもらおうと考えてね』

 

「もしも負けたら……?」

 

『制御出来ずに君はお陀仏。あとに残るは変死体の一丁上がりだ、若い身空で可哀想に』

 

 なんて滅茶苦茶……!と言いそうになるも、どうやら泣き言を言う時間もなさそうだ。

 

『文句を垂れないのは非常によろしい。さて、この空間は架空の生物やら団体やらは投影できない。故に敵はかつて私が倒した()()だ。間違ってもトロールやドラゴンやらと闘う訳ではない、その点は安心したまえ』

 

 そんな手合いはたとえ自分が戦車に乗ってたとしてもお断りである。でも今の問題はそこじゃない。そもそも相手は一体誰────

 

『……待たせてすまないね。そろそろ投影が完了するぞ。お相手はアレさ』

 

 彼が指差した先は、滝壺のすぐ側。その先にある人物が投影されていく最中だった。ノイズ混じりのホログラムが徐々に鮮明になっていき、結ばれた実体とは────

 

「…………まさか、私が倒すべき敵って…………!」

 

 二年次から文学科専攻予定の彼女には、その容姿だけで既に相手が何者なのかが分かった。

 長身の瘦せぎすで、突き出た額に窪んだ眼窩。青白いくらいの顔の色。そこにいたのは自らの祖と同等の才を持つとされた、英国暗黒街の帝王。今から一二三年前、我が背後に立つ名探偵と死闘を繰り広げた別名・犯罪者のナポレオン。

 

 そして同時に、ここの地名にも見当がついた。滝壺と崖とくれば、この場所は恐らく、スイス連邦はアルプス山脈にある、ライヘンバッハの滝だろう……!

 

『……そうそう、ワトソン君が著した私の伝記にも書かれていないことだが、実はかの男はスタンド使いだった。ロンドンを表立って恐怖に陥し入れたのが切り裂きジャックなら、彼はその知謀とチカラで以って長らく英国裏社会に君臨し続けた。生前私がもっとも手を焼いた相手、その名を────』

 

 その時此方の存在を認識したのか、底冷えのする彼の目が、文香の姿を確と捉えた。幽鬼のような瞳孔が細まり、ややあって彼の背後から────悪霊のような何かが出現したのが、彼女の目にもはっきりと分かった。

 

 

『──名を、ジェームズ・モリアーティ』

 

 

 

 

 




・マールさん
有名なバスティーユの人。ここでは文香の曽祖母に該当。

・ワトソンくん
苦労人の相棒。

・モリさん
教授。悪役。

・ご先祖様
名探偵。コナンではない。

・《エレメンタリー・マイ・ディアー》
道具型。直接的な戦闘力はない。アヌビス神みたく所有者の死後も作動するタイプのスタンド。


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013/ 2人目

110714


 ──名を、ジェームズ・モリアーティ。

 

 滝の中程に降り立った文香は、眼前に現れつつあるその男の姿に思わず目を見開く。

 アップに撫で上げた銀糸の如き色の髪。彫りの深い眼窩の奥より世を覗く、昏い碧眼。オーダーメイドなのであろうか、一目で上質と分かる本切羽のダブルスーツ。ゴート皮の手袋に、左手には重厚さを感じさせる銀の(ステッキ)。右の眼窩に金のモノクルを嵌め込んだ、隙のない出で立ちは正しく英国紳士の其れ。

 

 そう、かの者は高祖父と同等の知を持つ天才にして、表向きは学内でも評判の良い数学教授。また哲学にも長け、更に公私問わず欧州中に幅広い人脈を有する実業家でもあった。が、しかしてそれは仮の姿。品格と教養溢れるその佇まいを一皮めくれば、かつて英国中を震撼させた、札付きの大犯罪者の素顔がある。

 

 ゴクリ、と思わず喉が鳴るのを、対峙する青眼の少女は自覚する。先程の言葉に拠れば、彼もまたスタンド使い。それも恐らく熟練の。思うと同時に教授の背後にも目を向ける。そこにあったのは……異様な面貌のヒトガタだった。

 

 全身を色褪せた裾長の襤褸(ぼろ)と黒い包帯で覆われた痩身の男の……遺骸、だろうか。力なく垂れ下がった両腕は臍の前で縛られており、その両掌には磔刑にでも処せられたのか銀の杭が穿たれている。横腹には槍で突かれたような痕。俯くように垂れた(こうべ)に飾られるのは、月桂樹の花飾り。

 

 禍々しくも神々しい、相反する二つの要素が混濁した、奇妙なスタンド。清らかに歪んだソレが、彼の魂の像だとでも?思わず絶句する少女を余所に、探偵は重々しく口を開く。

 

『……更に補足をしておこう。この空間はあくまで私の過去記憶の投影であり、当時の私の立場を君に置換しているだけだ。スタンドが発現しなければ、どの道君は死を迎える。よってこれから君がすべきは──』

 

 探偵は子孫に語る。みなまで言わずと、分かるだろう、と。

 

「……自分を土壇場まで追い込んで、スタンドを制御しろ、と?」

 

exactly(その通り)。実に単純(シンプル)だろう?』

 

 ……単純、だって?なんて、簡単に言ってくれるッ!でも……

 

(…………やらなければ、死ぬだけ……!)

 

 頭で理解してはいる。しかし心中に募るのは……正直に言えば、恐怖であった。証拠に膝は笑っているし、心拍数だって動悸かと思う程に最高潮だ。

 こうやって彼と喋りつつ気を紛らわせてはいるものの、恐らく衝突は約数秒後に迫っているだろうから。

 ……そんな時、どこか白昼夢を見ているような感覚を覚えていた彼女の脳裏にふとよぎったのは、つい先日経験した、ステージの上からみた景色。そして共に歩いてきた、Pと友人達の顔だった。

 

 スカウトされて出会って、あっという間に親しくなって。レッスンの傍ら同じ大学に行ったり、寮にお邪魔したり、不思議な石の話をしたり。三か月足らずだけど、その経験は今まで本と勉学に没入してきた彼女の人生の中で、考えられないくらい濃密な時間だった。

 

 ライブだって規模こそ慎ましやかなものだったけど、熱狂的で、幻想的で、華やかで、まるでなにか……「魔法」をかけてもらったみたいで。夢みたいな時間だった。

 

(……夢みたいでしたけど、あれらは確かに「現実」でした。そして────)

 

 ──自分が今いる冗談みたいなこの空間も、同じく現実。

 少女がふわふわした心持ちを多少落ち着かせると、同時。男の革靴の爪先まで、彼を象る全身が投影され終わったかと思うと、長身痩躯のその男はゆっくりと瞼を二、三度瞬かせる。……投影が、完了されたようだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ぱちぱちと目を瞬かせた男の瞳に、電源が入ったかのような意志の光が宿ったに見えた時、彼は出来たばかりのロボットのように眼前の生命体へ挨拶をしてきた。

 

「……どうやらお待たせしたようだネ、お嬢さん。警察ごっこでもしに来たのかい?それとも……あのいけ好かない探偵の知り合いかね?」

 

 聞こえてきたのは、妖しげな魅力すら秘める妖艶なバリトンボイス。しかも彼の口から漏れ出たのは、ネイティブスピーカーと聞きまごう程の流暢な日本語。一体、どこで?……いや、バイリンガル如き、かの教授ならそれ程驚くには値しないか、と考え直す。むしろ色々と一杯一杯なこっちには、英語じゃなくても対話ができるならその方が好都合。此処はなんとか言葉を返すべきだ。

 

「……かの探偵の名代として参りました。私怨はありませんが私情により…………」

 

 貴方を、止めさせて頂きたい。言い放った彼女に、紳士は軽妙に口を開く。

 

「……その発音、やはり見た目からして日本人で当りとみた。しかし……歩き方と筋肉量からして、どうも荒事には不慣れのようだネ」

 

 加えて懐には銃も無いようだし、一体何をしに来たのかね?問われた彼女は思わず返事に詰まる……と同時に気付く。

 …………しまった!カマをかけられた上に黙ったら、肯定とほぼ同義じゃあないか!焦燥が浮かんだのを表情から消したつもりではあったが、それも彼にはお見通しだったようで。

 

「……命のやりとりをするには、君は些か若すぎるきらいがあるねえ。まして……私を止める、などと」

 

 ニィ、と初老の男の口元が半月を形作る。これは──来る……!

 

「──先ずは小手調べ、といこうか」

 

 台詞と共に彼の後ろにあったヒトガタは音も無く掻き消えたかと思うと……無数の蝶へと瞬時にその姿を変えた。

 

「我が(スタンド)、『星の力学(アステロイド)』。例えるなら、これらは一羽毎が一つの小惑星、と言ったところでネ────」

 

 昆虫となって飛んで来た飛翔体は、音もなく彼女の近くに寄ってくる。警戒して思わず身を固めるも、よくよく見ればそれは…………

 

(これは…………黒揚羽?)

 

 宵闇がごとき黒を湛えた中に、コバルトブルーに似た青を散りばめた揚羽蝶。戦場とは不釣り合いな美しさを備える無数のそれに瞬く間に取り囲まれた、その時────

 

『────ソイツから距離を取れッ!!』

 

 叫んだ彼に襟首を掴まれ抱えられた、と思った矢先。目の前で瞬きする程の時間で蝶が粒子になったかと思うと、大気に溶けるようにして掻き消えた。瞬間。

 

「……なッ…………!?」

 

 横合いから殴られたかのように、唐突に視界がグラリと傾いた。後方へ着地すると共に咄嗟に前へと崩折れて、地面に手をやり息を吐く。

 

 ……何だ、今のは?少し近づかれただけなのに、まるでそう、何か得体の知れない劇物でも吸い込んだかのような………………まさかッ!?

 

『その通り、毒だよアレは』

 

 彼女の思考を予測したのか、背後より明察な声が耳朶を打つ。

 

『一見蝶に見える()()の正体は、神経毒やら麻痺毒の混じった毒鱗粉の集合体。予め調()()された蝶を対象に近付けるだけで人を殺める、虫の形をした悪魔だ』

 

「……そ、それじゃあまるでBC兵器じゃないですか……!」

 

 鏡がなくとも、自分の顔が青ざめていくのが分かる。であれば自分はたった今、あわや死ぬかも知れなかったのだ。

 にしてもなんてえげつない。もし人口密集地で一斉散布されれば、凄惨なテロすら起こりかねない代物だ。そして、よりによってわが高祖父は、そんなのと一戦交えろと!?

 

(ど、どうやって勝った……いや、引き分けたんですか、確か)

 

 移動しながらも敵のスペックを吹き込んでくれる彼の話によれば、殺人の手段として彼が生前よく使っていたらしい手口の一つがあの蝶である、との事。成る程、遠隔操作でアリバイが確保できる上、肝心の証拠となる凶器は霧散する。まともなDNA鑑定も無い時代だ、完全犯罪は高確率で可能だっただろう。

 

 そもそもスタンドの存在自体がほぼ知られていない時代、名士であった彼は警察の嫌疑の対象にすらならなかったのだろう。しかし事実は彼の風評と全く裏腹。そしてそんな男、モリアーティが駆使したのが……

 

『群体型スタンド、アステロイド。毒の効果範囲は1羽あたり半径15cmが関の山。また同時に展開出来るのは精々10羽が限界だ。がしかし、当のスタンドの…………』

 

「……折角だ、私がスタンドを使役出来る有効射程距離(レンジ)でもお教えしようか」

 

 引っ張られるように回避を行ったからか、息があがっている文香に呼びかける探偵の声。それをまるで聞こえているかのように遮った、教授の言葉の続きは。

 

 

「…………300kmさ、お嬢さん」

 

 即ち、何処へ逃げても無駄な足掻き。この距離からでは…………逃げ場は、ない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『──おっと!危ない危ない』

 

 咄嗟に彼女を抱えて再び後方へ跳び跳ねる探偵。されるがままの少女の顔色は、既にして蒼白だった。思わず涙目を高祖父に向ける文香。……先のジャブだけでもう、その心はあっさりと折れかけていた。

 

『闘らなければ死ぬよ。それでも……かい?』

 

 心中を見透かすように言われた当の彼女は、彼女なりに必死だった。殺気にアてられた、といった方が正しいだろうか。恐慌と焦燥とが心奥を支配する。

 怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!喉元を蝶が掠め、実体あるそれが高速で飛び交う影響か、捲れ上がった石飛礫が頬に向かって弾け飛び、一筋つつ、と血が垂れる。

 

 …………これが、闘い。いや、命の奪り合い。そもそも斬る?撃つ?殴る?そんな切った張ったが、私に出来るわけ……。

 カチカチと、歯が鳴っているのが自分でも分かる。そんな時だった。

 

『……すまないが出来るだけ急いでくれ、フミカ。思ったより私の磨耗が激しいようだ。もうあまり時間がないぞ──』

 

 いつの間に、いや闘っている最中からだろうか。彼の身体はまるで、希釈でもされているかの如く徐々に薄くなってきていた。それは……表立って現れた、言わば魂の綻び。

 実に四半世紀ぶりとなるスタンド能力の使用。堅牢な空間を展開し、強大な敵を自らの精神力を贄として顕現させる。加えて係累とはいえ他者の魂までをも招聘し、それを抱えて逃げ回る。

 

 並のスタンド使いなら行使すら難しいそれらを、顔色一つ変えずに並行して行う彼の精神力の強さは、恐らく星の一族が持つ黄金の意志にも匹敵するであろう。ただし、それも全盛の頃なればの話。戦場から離れて数十年。止まった時間の中にいた筈の彼の魂は間違いなく、いやここにきて「時間」という原理に晒され、急速に衰弱しつつあったのだ。

 

 錯乱に近付きつつあった彼女の精神は、彼を蝕む新たな変事によって急速に冷却されていく。

 

「…………それって、どういう…………」

 

 ……どういう、事ですか。振り返ってそう問いかけるも、見る間に彼のシルエットは淡く疎らになっていく。

 

『卑近に言えば──「天国」に行くのさ。尤も、私は敬虔な信徒とは言い難かったがね』

 

 言葉の意味するところは、つまり。……でも、そんな時でもいつもの物言いを欠かさない彼が、どこか今は憎らしいくらいで。

 

『元よりいずれ私は此処から消える定め。第一にだ、死んだ人間の魂がいつまでも幽霊よろしく現世に留まっているなど、本来不健全極まりない。よって……』

 

「でも、でもそれじゃあ……!」

 

 言わんとする事は…………いやでも分かってしまう。先程まで心に去来していた嵐とは、全く別の感情が音を立てて迫りくる。名を……惜別。

 

『何、君の処遇は心配しなくていい。命に賭けても助けるさ。だから……そんな顔をするんじゃあない、()()()

 

 女一人抱えて尚、労わるように声をかけてくる。しかし呼びかけられた少女の瞳には、いつのまにか大粒の涙が溢れていた。

 ……違う。今聞きたかったのは私の事じゃない!それが分からない彼じゃあないだろうに。

 

 何のことは無い、「君が呼んだから出て来れた」、なんて最初から、彼が気を利かせた戯言だ!今ならば理解できる────彼の命と引き換えに、私は助けられたのだと!それに……今、今気が付くなんて!やっと、人の事を初めて名前で呼んだくせして!

 

(……なら、ここで、私が立ち上がらなければ……!)

 

 ……でも、怖い。勇を示してくれた高祖父に応えられない。この頃に及んでそんな自分が嫌になる。そも訳も分からぬまま、茫漠とした状態でここまで来てしまった自分に、出来るのか?

 

(……闘うのは、正直言って怖い……です……)

 

 正真正銘の土壇場。そんな文香の脳裏に浮かんできたのは走馬灯……ではなく、やはりというべきか今まで経験してきた、たくさんのヒトと場所の記憶だった。

 鮮やかに蘇る、友人達と家族、叔父にプロデューサーの表情。慣れ親しんだ郷里の風景に、学内のキャンパスと研究室、お気に入りの古本屋と服屋に喫茶店。渋谷たるき亭に346プロ。眩いばかりのステージと、笑顔の観客達。

 

(…………でも、これから先にあるのでしょう、たくさんの感情と出来事を皆と共有出来ること。それを…………()()()()()()死んでゆくのは、もっと怖い……)

 

 虫をも殺せぬ、心優しき少女の魂は。

 

(そして今の私では……此処で死なせたくない人を、助けられない…………!)

 

 自身の勇気を見つけることで『変質』する。

 

(自分ではない誰かのためなら、知り得ぬ多くを識るためならば、きっと私は………………!)

 

 ────スタンドの制御には、闘争心が必要不可欠だという。ならば自分がそれを奮い立たせるにはどうすれば良い?

 

 ……正直な心と、向き合えば良い。無理に虚勢を張らなくていい、はたまた空想(ファンタジー)に逃げるでもない。殺害ではなく制圧を、拷問ではなく無力化を、憶測ではなく推察を、なし得る力を求めよう。何、かの男の末裔であるこの身なら、彼の真似事くらいは出来よう────ッ!!!

 

(……私は、此処で結ぶ……!)

 

 悪寒は留まるところを知らない。毒と熱とで疲労困憊。寄る辺をなくした身体はフラフラ。それでも、それでも…………!

 思い出せ。緋色の研究、巌窟王、エトセ、etc。書に記された彼の姿を、今やらなくて、今喚べなくていつ()るんだ。あの冒険を、煩悶を、葛藤を、不敵に微笑むその面立ちを!心の声に耳を澄ませて、傾けろ!

 求めるのは、自分自身の魂の(ヴィジョン)ッ!

 

(───来て下さい、私のスタンドッッ!!)

 

Bright Blue(ブライト・ブルー)ッッッッ!!!!」

 

 既にソレは、絶叫に近かった。生まれて初めて、喉が壊れるくらいに腹の底、心の奥から只々叫んだ。

 そうして、一瞬だろうか、或いは永遠とも思われた刹那の瞬間に終局が齎された、その時だった。

 

 

 

 

『わふ』

 

 ────どこか間の抜けたそんな声と共に、黒くて大きい、一匹の犬が少女の(かたわ)らに現れた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 子象程の大きさはあろうかという体躯。烏の濡れ羽色をした毛並み。犬というより狼にも似たスマートな風貌に、知性すら感じさせる碧く輝く瞳。全身から立ち昇る、闘気にも似た陽炎のような青いオーラ。

 それは一匹の巨大な…………犬だった。具体的に犬種を添えるとラブラドール・レトリバーみたいな。

 

「え…………?」

 

 緊迫した場面にも関わらず、少女の喉から思わずそんな声が出た。いや、状況的に多分……私のスタンドだと思うのだけど。……あ、目が合った。結構つぶらで可愛い。

 

「隠し玉は何かと思ったら、珍妙な犬を喚び出すとは……」

 

 これは傑作だ、と声がする。彼女の鼓膜にそう届いたのは他でもない、酷薄な老紳士の声。弾かれたように文香が立ち上がる……より早く、音の発せられた方から彼女を守るかの如く、黒き守護者は少女の前へと進み出た。と認識する間も無く、息を吸い込んだかと思うと…………

 

 

『──Gaaaaaaah!!!!!!』

 

「ッッッッ!!??」

 

 音のブレスとでも呼ぶべき凄絶な咆哮(ハウリング)を、敵がいるだろう方向へ向け叩きつけた。

 耳鳴りという思わぬ余波が自分自身にまで及んだ文香は、遅ればせながら咄嗟に耳を両手で押さえる。土埃まで待っているのだ、物理干渉できる何がしかも能力としてあるのだろうが、時間稼ぎにも丁度良い、と判断したのだろうか。

 ……数瞬のちに、土埃が収まった。目を擦りつつ果たして音撃の飛んだ先を見てみると…………萎びるように地面に落ちた、いくつもの蝶の姿があった。

 

(……今ので、スタンドを無力化したのですか……!?)

 

 推察する彼女の予測が正しければ、正に願った通りの能力を手に入れたことになる。が…………

 

「吠えるだけの虚仮威しなら興醒めだ。勿論、これだけではないんだろうね?」

 

 遠くから、そんな声と姿が見えた。顔をしかめて耳を押さえる、宿敵は未だ健在のよう。……些かの痛痒は与えたようだが、決定打には至らずか。

 

「ならばそろそろ私も……奥の手を開帳しようか」

 

 彼の背中に再びスタンドが出現したかと思うと、幽体の背に人間大の巨きさをした、青アゲハの羽が顕れる。急拵えの紛い物の翼をはためかせるそれに抱えられたかと思うと、彼は。

 

「飛ん、だ…………!?」

 

 バサリ、と音を立てて一気に中空に飛んだ彼の周りに、行きつく間もなく再び蝶が形成され始める。

 

 ……上空から、一方的に攻撃する気か!敵の真意に気付いた彼女の、脳裏にはためく警告音。地を這う獣が、空飛ぶ相手に勝つ術はない。単純だが強力だろう手段に万事休す、と彼女が感じたその時だった。

 

 ……黒き獣は、彼女の傍を風のように走り抜けると、瞬く間に対象を見据え、そこに向かって……飛翔に近いレベルの、勇断な跳躍をみせた。

 ついでとばかり更に空中で一回転、まるで朝飯前とでもいうかのように、蝶の右羽とスタンドの片腕とを────まとめて()()()()

 

「何ッ……!!?」

 

 刹那の瞬間に強大な(アギト)に片羽を食い千切られたスタンドは制動を失い、翼をもがれたイカロスが如く地面へ、より正確には、滝の下へと落ちていく。驚愕の視線を片眼鏡の奥から敵スタンドへ送る銀髪の男は、不可解に顔を歪めていた。

 

「いけない!」

 

 文香の口から、またも大声。彼女に彼を二度も殺す気はない。あくまでスタンドの制御が出来れば良いだけなのだ。駆け寄った滝の際から覗くと──崖から自生する木の枝に服が引っかかった、教授の姿がそこにあった。

 

 右腕からは夥しい量の出血が見受けられる。……スタンドの負ったダメージの、フィードバックが本体に来たのだろう。早急に手当てをしなければ……恐らく長くは保たない筈だ。

 

「…………ふん、こうもあっさり、やられるとはね」

 

 口から一筋の血を流す男は、それでも少女を見上げて気丈に語りかける。形勢は、余りにあっさりと逆転の機を得たのだ。

 

「最後だ……名前だけでも、教えてくれ。自分を殺める者の名を、ね」

 

 苛烈にも聞こえる問いに、私は貴方を殺める気など……と少女が返そうとした時。

 

『わん』

 

 その声に背後を振り向いた少女は、顔に渋面をつくっているーどうやら不味かったらしいー犬と再び目が合った。……自分が代わりに答える、とでも言いたいのだろうか。

 ……すると何ゆえか、天啓の如く少女の頭に意思が伝わってくる。まるで秘められたスタンドのチカラが、直接転送されてくるかのよう。この技能、それは…………

 

「……鷺沢、文香。スタンドの名を『ブライト・ブルー』。特性は──」

 

『分析と、分解』。

 

 自分で考えるというより、映像を拾った受像器の如く彼女の口から漏れ出たそれは、奇しくも冒頭の問い掛けへの意趣返しのような言葉。

 謎を主食とし、それを解き明かし食らう異形のスタンド『ブライト・ブルー』。たおやかな年若い少女に似つかわしくないだろう獰猛さをも秘める四つ脚の幽体は、しかし絶妙なバランスでもって彼女との調和を為していた。

 

 更に、スタンドの捕食と時を同じくして少女の手元に顕れたのは、手のひらサイズ程の青く輝く栞。「Asteroid(アステロイド)」と英語で銘打たれたそれを横目に見つつも右手に携え、彼のもとへとにじり寄る。

 

「……投降して下さい、プロフェッサー・モリアーティ。私は……貴方を殺める気は無いのです」

 

 追い詰め発したその問いかけに、一瞬瞠目した彼はというと。既にして死地にある筈なのに。絶体絶命の状況にも関わらず、其処でフフ、と微笑って呟いた。

 

「甘っちょろいねえ、お嬢さん。しかし……その甘さは、いつの日か自分を殺すぞ?──こんな風に、ね」

 

 ──二九番(アスタロト)三〇番(フォルネウス)。そう呟いた瞬間、文香の眼前に二羽の蝶が現れた。

 

『!!』

 

 危機の再来に刹那の差で風の如く割り込んだのは、やはりというべきか彼女のスタンド。獰猛な唸り声を短く挙げ、対象を噛み殺さんとするも。

 

「待って!」

 

 すんでのところで割り込んだ後ろからの文香の叫びに、獣はぴた、とその動きを止めた。見上げる形のモリアーティは、()()忠犬とは滑稽だネ、と彼女に聞こえない程度の声で毒を吐く。

 

「……お嬢さん、君は今、確かに一度死んだ。かの男の血を引く者など本来なら殺し尽くしてやるところだが……しかし初陣で胆を示すその心根に敬し、此度は君を殺めない」

 

 それだけ言うと銀髪の老人は、意志表示とでも言うかのように二羽の蝶を霧散させた。悪魔の名を冠された毒の化身の消失。手加減とでも言うべき驚きに眼を見開く文香に対し、ニヒルな笑みを貼り付けた壮年の伊達男は、掠れた声で言い残す。

 

 ──さよならだ。次に逢ったら今度こそ……佳き死合をしようじゃないか。

 

 さながらそれは、老境に差し掛かった男の死に際の妄言か、はたまた二度目の遺言か。言い放った男は枝を掴んだ左手を放し、至極あっさりと崖の下へと落ちていった。

 

「…………駄目、でしたか……」

 

 死闘の終わりは、存外に呆気ないものだった。哀しさも篭った少女の独白と同時、パキン、とガラス細工のような音を立てた手元の栞はその形を崩し、大気の中へ跡形もなく溶けていった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 そうして、ナポレオン・オブ・クライムと呼ばれた男は奇しくも二度、速度を緩める事なくして、深い滝壺の底へと落下。さしのべられた筈の釈迦(文香)()は何者も掴むことなく、力なく空を切るだけとなった。

 奈落の如く口を開ける死に吸い込まれていった彼を見下ろす、彼女の額に皺が寄る。其れは安堵と……韜晦の表れだった。

 

 ……なんとなく、分かってはいた。相手は、こんな年端もいかない小娘の言うことを素直に聞いてくれるような人間ではない。結局彼が何を思って私と一戦交えてくれたのか、何故敢えて手心を加えてくれたのか、いまだに多くの疑念を残したままに。

 …………ともあれ、一応。

 

「勝った、とはいえませんね…………」

 

 先程まで我慢していた倦怠感が嘘のように、心身共に──ーいや今は厳密にいえば魂だけなんだけど──快調かつ冴え渡っている。スタンドの制御に成功したことを示すのだろうが、心に去来するのは安堵と、どこか後味のよくない感触であった。

 そう、闘って得られたのは陶酔でも高揚でもなく、ひたすらに苦い心持ちだった。自分に酔うには余りに賢く、敵にも拠るほど余りに繊細。それが、鷺沢文香という少女の形質なのだから。

 

 奇しくも初めて命の遣り取りをし、見事に初陣を白星で飾った少女は地べたにも構わずぺたり、と土の上に座り込む。ああ、そうそう、目下のところの問題はもう一つ。

 

『わおん』

 

 この黒くてデカくて毛並みの良いわんちゃんをどうするか、である。恐らく……というか間違いなく自分のスタンドで確定なのだろう。何せ自分の体調が段違いに良い。制御に成功した証だ。

 てことで早めに此処から出る為にも、意思疎通が相互に出来れば助かるんだけど。

 

「人語を解するのは兎も角、話すことは……流石に難しいですか」

 

『容易だが』

 

「ええっ!?」

 

 

 

 ☆

 

 

 思わず座ったまま器用に後退り。瞬きして此方を見つめる黒犬は、どうやら人の言葉を喋るようだった。

 

『てっきり分かっていると思ったのだが……ふむ、犬語は理解出来ないかね?』

 

「無理です…………ってその口調、まさ、か…………」

 

 彼女の目の前にあるのは一見すれば、器用に後ろ足で顎をかきながらあくびをする大型犬。しかしその口から飛び出てきたのは、不遜ともとれる明瞭な語り口。二回目の欠伸を噛み殺した四つ足の理知ある獣は、さも当然のことのように言葉を続けた。

 

『そのまさか、さ』

 

 犬になるとは流石に想定外だが。述べた声と口調は、先程別れを告げた筈のソレそのものだった。奇跡、というにはあまりに都合が良すぎるだろうか。祈るように、どこか確かめるように少女は近づいていく。

 

「ほ、本当に…………『貴方』、なんですか……?」

 

 恐る恐る、尋ねたところ。二つ目の欠伸を噛み殺した大型犬から返ってきたのは、()らしさだらけの言葉だった。

 

『高祖父を犬にするとは、とんだお転婆娘だね。でも……「有難う」、とも言わせてもらおう』

 

 姿は全く違うもの。しかし外見が変われど、それでも再会を半ば諦めていた少女にとって、予期せぬ二度目の邂逅は嬉しくてたまらなかった。

 

「…………良かった、本当に…………!」

 

 叶ったのだ、私の叫びは。キセキみたいな確率を、どんでん返しを引き寄せた。喜びの勢いのまま彼女にしては珍しく飛びついて、気付けば犬を抱擁する……にはちょっと大きすぎたので、傍目からみるとモフってる絵面になる。

 

 一方で、犬の方はというと。

 

(獣の如く振る舞える一方で、基本的に私の知性はそのまま、か。本来は声帯の構造的に無理な筈だが、犬の姿のまま人の言葉も喋れるようだ。待てよ?ならば人の姿にも戻れるのか?試しに……そうだな、スタンドを使う要領で強く念じてみるか…………)

 

 玄孫に飛びつかれようとどこまでもマイペースのまま、思いつきで考えたことを実行する。

 ……すると、ポンと空気の抜けたような音を伴って、これもまた拍子抜けする程にあっさりと人の姿に戻れてしまった。

 

『ほう。一瞬戸惑ったが、なってみたらみたで便利なものだ。犬型であり人型のスタンド、か。暫くは私自身が良い探求材料になりそうだ…………どうした、フミカ?』

 

「〜〜〜〜〜〜!」

 

 声にならない声を出し、先程から自分の首筋に顔を埋めてフリーズしている、玄孫に思わず言葉をかける。…………スリーピースを着た眉目秀麗な若い男を思い切り抱き締める、スキャンダラスな新人アイドルの姿がそこにはあった。気のせいか顔が赤い。

『生前は謎を紐解き、死しては謎を食むとはね。これは実に面白い』、などと述べてカフカよろしく、突然動物に変貌したのに対した動揺もせず順応し、むしろ楽しんでいる彼の方がアレなのだろうか。

 

 独り言を呟く彼に、急な衝撃からやっと立ち直った少女はおずおずと話しかける。流石に抱擁し続けるのは辞めた上で、だ。そもそも自分の先祖に恋慕する程、彼女は倒錯してはいない。ないったらない。

 

「……あ、あの、犬が混じっちゃったのは多分…………」

 

『バスカビル家の魔犬だろうね。因みに実に良く似ているよ』

 

 水溜りを湖面の鏡代わりに彼は呟いた。

 それもあるけど、小さい頃私がテレビで見てた擬犬化ホームズアニメの影響もあったかもしれません、と言いかけてやめた。…………多分これは、墓の下まで持っていく秘密になるだろう。

 というかシャーロック・ホームズをイメージした筈なのに、蓋を開けたら黒ラブが出て来るとは我ながら予想外だった。一応眼が青いから光輝の碧(ブライト・ブルー)ですと言い張れないことも無いが。いやそう言おう、碧眼だからこの子はブライト・ブルー。今決めた。

 …………なんだろう、俵万智のサラダ記念日みたいだ。

 

『しかし驚いたよ。まさか私の()が、君のスタンドの一部として再構築されるとは……』

 

 言いながらも興味深げに自分の身体を眺めつつ、また犬の姿に戻って浮遊してみたりする名探偵。適応するのが早すぎである。

 

『……恐らくだが、魔本に残した残留思念たる私の魂が消えると同時、私は完全に消滅する筈だった。しかし土壇場で君が深層心理に描いた私のイメージに、この魂自体が引っ張られた、と。案外と無謀な賭けをするねえ、君は』

 

 嫌いじゃないけどね、そういうのは。付け足した彼は、頼りない残滓が漂っているのみだった数分前と比して、今やさっきよりもずっと確かにはっきりと、青いオーラを纏いつつ、カタチをとって存在している。漏れ出す強い力は、彼女が示した覚悟の成果とも言えよう。

 

「お褒め頂き光栄です」

 

 どうやら少女の「彼を助ける」という意志は、予想外の方向ではあったが無事に結実したようだ。

 そして、日頃控えめな文香にしては珍しく、心なしか力強く彼に問う。

 

「では…………改めて『契約』致しましょう、Mr.ホームズ。貴方は今日より本の妖精さんではなく、()()()()()()『ブライト・ブルー』。些かお疲れとは存じますが──」

 

 ──死出の旅に漕ぎ出されるのは、まだ早いのではないですか?

 おまけに一言、付け足すことも忘れずに。先ほどまでテンパっていた女子と同一人物とは思えない。一方言われた彼はというと、思わず心中で破顔していた。

 

(……まるでよくある、安い喜劇の結末のようだね。まさか、こんな年端もいかない少女に命を助けられるとは。それも、かのシャーロック・ホームズが、だ!自分の子孫とはいえ、感動的な別れを演じて冥府の旅に漕ぎ出さんとする筈が……分からないね、人生とは)

 

 眼を閉じ、一瞬後に見開く。見据えるのは、自らの瞳と同じ輝きを宿した、若き少女の大きな碧眼。

 

『いいだろう、乗りかかった船だ。手を貸すよ、我が玄孫よ。これでいいかい?』

 

「はい。……破ったら、承知しませんよ?」

 

 そういう彼女は、しかし口調に違わず穏やかな笑みを浮かべていた。

 

(……このやり取り、まるで女房(アイリーン)と話している時みたいだな。血は争えない、というやつか?)

 

 名探偵は心中で、密かにそんなことを考える。…………格好が犬だからいまいち締まらない絵面なのは、ひとまず横に置いといて。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 移動の安定化まで少し待っていてくれ、と彼が述べた空間で、彼女は激闘も冷めやらぬ中、名探偵から注釈を受けていた。制御は無事に成功したし、彼女の本体も平熱に戻りつつあることだろう。ちなみに注釈の主題は、かの教授についてである。

 

『私の調べた限りでは、彼にスタンドが発現した時期は21歳の時だ。当時アリゾナ砂漠に旅行に出かけた彼は、恐らくそこでスタンドを発現した。それから程なくして英国王立アカデミーに「小惑星の力学」という奇怪な論文を上辞。やがて……』

 

「……ロンドン最悪のスタンド使いになった、というわけですか。ですが…………何故彼はそうまでして凶行に?」

 

 そう、未だにネックとして引っかかる。先ほどまで話していた「彼」の瞳には狂気だけではない、理知の心も確かに宿っていた。快楽殺人者といった風情でもないし、金も名誉も地位もある。ロンドンでは名の知られた名士だったのだ。そんな人間が、一体どうして犯罪なんて……?

 

『分かたれた「聖人の遺体」を渡さぬため。生前彼はそう言っていた。ブラフで述べたデタラメの可能性もあるが、彼の言葉の意味することがもし本当なら……』

 

 そこまで言った彼は、まるで「しまった、言い過ぎた」とでも形容できるような、苦虫を噛み潰したような表情を一瞬浮かべた。

 

「……聖人?」

 

 文香の頭に疑問符が浮かぶ。安直だが、かのイエス・キリストのことだろうか。考え込み始めた玄孫をみて、まあこれに関しては機を改めて話すよ、とホームズ改めブライト・ブルーは述べる。

 

『そんなこんなで、彼には実に手を焼かされた。私の妻、ああ君の先祖でもあるんだが……彼女を彼の一派に攫われたりとか、実に色々とあったんだ。もっともそれが切欠で連れ合いになったのだから、人生何が起こるか分からないとはよく言ったものだね』

 

 何ですかそれ。初耳なんですが。

 

「すみません、その人ってもしかして…………」

 

()()()()、と言えば分かるかい?(マール)は写真を残さなかったようだから、君が知らないのは無理もないがね。彼女(アイリーン)は、実は私の最初で最期の妻なんだ』

 

 そう言って珍しく微笑んだ彼だが、子孫の方はやっぱり気が気じゃない。諦めかけてた自分の血のルーツの全容が分かりそうなことに、新たなびっくり。

 

(ということは、探偵と女探偵のラブロマンス……?から生まれた子供が私の曽祖母だったと。成る程、我が家系は謎解き一家だったのですね。ならさしずめ、私は平成のホームズという事ですか……?……いや、この称号はあまりよろしくないような…………)

 

 因みに、この世界線に米花町は存在しない。日頃暮らしているだけで身の回りでしょっちゅう陰惨な殺人事件が発生するなんて町は、かつての杜王町くらいである。

 まあモリアーティやら切り裂きジャックが暗躍していたかつてのロンドンなら兎も角、現代日本にそんな物騒な町が沢山あっても困るのだが。

 

(……今更ですが、女性にあまり興味がないキャラクターだったと思うんですけど実態はどっちだったんですか……むしろ女嫌いの気があった、とまで言われてるのに……ええ……?)

 

 全シリーズを読破してることもあり、なまじ詳しいばっかりに子孫の思考がぐるぐるしてるとはつゆ知らず、当の高祖父は悠々自適とばかりまた言葉を切り出す。

 

『さて……うん、大丈夫そうだ、フミカ。それじゃあ──』

 

 彼の言葉と同時、青い輝きと共に空間は流転し、元の書斎へ立ち戻る。いつの間にやら椅子に腰掛けていた彼は、音もなく立ち上がると一つしかない部屋のドアへと歩を進め、そのまま──実際はベイカー街への出口だろう──ドアノブを回す。

 しかしドアの先にあったのは、やはり眩いばかりの青い輝き。ほら、とばかり彼は文香に片手を差し伸べる。階級社会の上層社交界で培われた英国紳士のエスコートに、彼女は思わず手を取っていた。

 

 ────そろそろ外へ、戻るとしようか。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 扉を潜るとあら不思議、そこには見慣れたいつもの部屋が待っていた。そして──

 

「や、やっと戻れました…………」

 

 思わず自分の身体を両腕でかき抱く、黒髪少女の姿と。

 

『結果オーライ、というやつか。何故か僕のスタンドも生きているのは想定外だが』

 

 スタンドを使役するスタンドとは、僕自身が実に興味深い珍品じゃあないか、などとのたまうホームズの姿があった。そんな彼の言葉に釣られて、文香はふと彼の宝石本(スタンド)を見直す。

 綴じた筈なのに開かれていたページには文字が一切なく、代わりに写真と見まごうほど精巧な、先ほど通り抜けた覚えのある、一枚の扉の絵が描かれていた。本を所持して以来十年余りだが、こんな箇所は初めて目にした彼女だった。正直言って疲労困憊……というか、もう色々とお腹いっぱい。しかしそれでも頑張って問うてみる。

 

「……あの、こんなページ、ありましたっけ……?」

 

『隠しページさ。仕込んだ仕掛け(ギミック)の一つ、出入り自由の万能扉。普通に読んでも出てこないよ、私の許可がなくてはね』

 

 希書にして古書、そして魔本にして聖典。そう彼は嘯いた。他にも認識阻害で誤字をわざと表記したりする機能とかがある、とのこと。どうやらこの本、思ったよりもとんでもないものだったらしい。擬似的などこでもドアまで内蔵しているとは恐れ入った。

 にしてもいい加減身体が重い。眠気も疲労も限界だ。そろそろ起きているのがつら、く…………

 

『ただフミカ、君は根本的に「人を殴る」意志が欠けているな。これではバリツを教えても……フミカ?』

 

「…………きゅう…………」

 

 何やら彼が解説を始めんとしたその時、玄孫は目を回してへたり込んでしまった。咄嗟に抱えるとぐったりしている。……どうやら、ここにきて疲労が一気に押し寄せたらしい。額に手を当ててみると、平熱ではある。が……

 

(……虚弱体質……ではないか。血色は悪くなく呼吸と脈拍は正常。本人からは酒気も感じない)

 

 そこまで考えるはいいがその後、彼お決まりの観察癖が首をもたげる。ついでとばかりにやるそれら、文字に起こせば……

 

(……肌、髪共に艶があり服装は清潔。歯並びは良好で欠損もみられない。部屋に酒瓶と灰皿は無く、念のため両腕に注射痕や自傷痕は……ないな。となれば勘案して洗濯、入浴、歯磨きは習慣付いており、加えて酒も煙草も薬物もやっていないか。結構結構)

 

 そして悪癖を通り越し、もはや技術と化した彼の推理はこれだけに飽き足らない。

 

(抱えた重量感からしても、やや軽いが十分健康体の範疇。常備薬の類は部屋に無く、恐らく持病持ちでもない。若く基礎体力もあるなら、この程度で重篤な事態に陥ることはほぼ無い。要するに…………)

 

 疲労だな。ならば休養が必須か。ほとんど一瞬でそこまでの思考を終えたのち、眉を跳ねさせた若々しい高祖父は結論を秒で導いた。

 

(問題は発汗か。汗を流すか拭くかして水分補給に努めるべきだが……)

 

 いやしかし。彼なりに気を使う時もあるのだ。疲れ切って寝ている子を起こすのもなんだかなと。それに。

 

『困ったな。玄孫とはいえ年頃の婦女子、私がひん剥いて風呂に放り込む訳にもいかない。どうしたものか』

 

 名探偵でも、上手い解法が出てこない時はあるらしい。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「成る程、だからタオルケットをかけてしばらく放っておいたと」

 

 きっかり30分後に目覚めた後に入浴を済ませ、濡れた髪を乾かしたのち今度は化粧台の前で顔に化粧水を薄く塗っている彼女、鷺沢文香はそう述べた。肌の手入れは女性の嗜みである。尤も昨今は男でも大勢やってるが。

 

『まあね。何、もし寝ながら嘔吐でもしたら回復体位をとっておくくらいのことはするさ。医者(助手)からの直伝だから私は結構上手だぞ?応急処置』

 

 飛んできたのは絶妙に斜め上の返答。誰がしてもいない寝ゲロの対応について話せといったのだろうか。

 

「……多分、お世話になることはないと思います。…………しかし、なぜわざわざこんな手の込んだことをしたのですか?」

 

 渾身のスルー力を発揮して聞きたいことを聞く彼女の疑問、それももっともだ。彼曰く、「通常は所有者が死亡すれば同時に消滅する」筈のスタンド。それに延命措置を無理やり施すような真似をしてまで、意識として留まっていた理由とは?

 

『記憶の継承。ただそれだけさ』

 

「……え、本当にそれだけですか……?」

 

『ついでに未来を少しばかり見学したかった、というのもあったがね。結果として係累の危機も救えたことだし。ただ……』

 

 見ていて思ったのだけれど、君は……どこか私に似ているね。青い瞳の男は語る。

 

『一見柳腰だが、君の内面はまるで私を観ているようだった。「探求のためなら、一般的倫理観を投げ捨てられる」点など特にね』

 

 言われて彼女は思わず黙考。身を危機に晒しても知を、理を、解を求めるその姿勢。それは別段普通のこと…………いや、本当にそうか?

 例えば、だ。普通の人なら、殺人犯に会った時はどう反応するだろうか?……示すのは拒絶か恐怖、或いはその両方だろう。ペストのように一般から隔離し、断種されて当然の部類に入る生命体。それが殺人者(マーダー)。間違っても好きこのんで近寄りたくなどないだろう。

 

 だと言うのに自分は恐怖さえしたものの、彼を忌避するどころか対話を試み、あまつさえ…………その心情を識ろうとしていた?

 

『フミカ。君のような優しい子は、スタンド使いには本来向かない。闘争心がなければ御しきれないからね。敵にすら情けをかけるなど、本来は唾棄されて然るべき考えだ。でも、君は生きて今此処にいる。その理由を求めるならば、君の優しさこそが答えなんだろう』

 

 碧眼の少女は未だ知る由もないが、栗色髪の親友・美波の祖母も、文香と似て優しい性格の持ち主であった。しかし闘いなど望まぬが故に、DIOの影響を受けて目覚めたスタンドの萌芽を御しきれず、一時は命に関わるような状態にまで陥ってしまったのだ。

 思わぬところで自身の常人と外れた感性を指摘された彼女は、正しく自分自身に戸惑っている最中だった。これが私の一側面?

 

『省みず知を求める心は、君の危うさであり強さでもある。現時点で自覚できたのは僥倖だ。くれぐれも──()()()()()()()()()()()

 

 同時にそれはどこぞの天才とはまた別種の、彼女自身のアビリティ。そして自分で喋ってもないのに明確に他人の内心を言い当てる、読心術でも持ってるのではと思う推理力こそ、このスタンドが正真正銘「彼」そのものである証左。

 

「それが、いや、貴方が──」

 

 ────私のスタンド、光輝の碧(ブライト・ブルー)

 思わず漏れ出た独り言に、精神体は当然とばかり胸を張る。

 

『応とも。君が己を貫くならば、君が天寿を全うするまで、私は君を影より守護(まも)ろう。我が家名と誇りに賭けて』

 

「…………!」

 

 なんだか、格好いい。素直に認めざるをえない。もっとも姿が犬だからギャグパートでしか無いんだけど。今人型じゃなくてよかった。

 

『ところで、フミカ』

 

「何でしょう?」

 

『この家にはコカインは無いのかね?』

 

 君は服用していないようだが、などと付け加えて彼はそんなことをのたまった。……ああそう言えば、そんな描写もあったなあと文香は思わず額に手をやる。格好いい、と思った次の瞬間にこれとは。全くもっててんで締まらないご先祖である。

 

「……日本では所持も、服用も違法です」

 

 というかいきなりシャブを所望とは、やっぱり現代人とは感性がちょっと違うようだ。

 

『む、そうか。ならばアヘンは』

 

「むしろ何故許されると思ったんですか……」

 

『なんと!アレらは中々に良いモノであるのに、実に勿体ない!』

 

 依存性などニコチンやアルコールとさして変わらんだろう、と言われてもダメな物は駄目である。アイドルであろうがなかろうが、薬物乱用は警察のお世話を免れない。「ダメ、ゼッタイ」というキャッチコピーで乱用防止の啓発をしてた元アイドルだって捕まったのだから間違いない。第一あったとしてもスタンドが服用出来るのか疑問だ。意思を持つ守護霊とやらじゃあなかったのか。

 

『バリツを生んだ国がなんと嘆かわしい…………よかろう、さすれば矢張りブリテンに戻るより他に無し。荷物をまとめなさい、フミカ。我々は英国に向かうぞ』

 

「イギリスでも違法です」

 

 玄孫の容赦ない一言に崩折れるホームズ。なんて時代だけしからん、私が愛した大英帝国はもっと寛容だった筈だ、とぶつくさ文句を言っている。

 

「……晩年は足を洗って、養蜂を営んでいたのではなかったのでは?」

 

『それはそれ、これはこれさ』

 

 堂々と開き直る世界的名探偵。それでもなんだか様になるのは素直に認めるけれど。

 

『そうだ、なら葉巻を吸わせてくれ!この店にもパイプくらいは置いてあるだろう?』

 

「なっ、当店は禁煙です!古本屋ですよ!」

 

 取り扱うものがモノゆえ火気厳禁。柄にもなく大声を出す文香の姿は、普段の彼女を知る人が聞けばさぞ驚くことだろう。む、それもそうだなとあっさり納得しだす彼。

 

(……大丈夫なんでしょうか、このご先祖様(スタンド)…………)

 

 小説と違わぬフリーダムぶりは、どうやら真実だったようで。果たして頼れる相棒なのかどうなのか、一抹の不安を抱えはじめた彼女。子孫の煩悶などやっぱりお構いなしに高祖父は尚も喋り続ける。

 

『しかしだ、私がこうして出てきたとなると、もう片方も息災か気になるな』

 

「?……どう言う意味、ですか?」

 

『いや何、空手やら柔道やらを習う内に日本文化に嵌まり、それが高じたのか晩年は日本に住むまでになった()()()がいてね。記憶では確か、「グリーンティーの名産地でもある、風光明媚な所に居を構えた」などと言っていたんだが……』

 

 緑茶の?それって。そう思った後、年若い友人の姿が脳裏に浮かぶ。彼女の出身地って、確か……いや、まさか。

 幾ら何でも出来過ぎというものだろう。アニメや漫画じゃあるまいし。気付けばあれだけあった熱が嘘のように引いている自身を意識することもなく、思わず戸棚にしまった頂き物のお茶っ葉を、振り返ってはたと見つめる。

 

 ……いくらなんでもそんな偶然、と思いながら。

 




・《アステロイド》
群体型・遠隔操作型。全七二羽の蝶で構成され、所有者とは視覚を共有している。毒を上手く用いれば完全犯罪も可能。能力を応用すれば飛行も出来る。

・《ブライト・ブルー》
動物型。接触したスタンドならなんでも捕食し分解出来る。自動操縦型でもあるので本来五感共有は不可。ただしホームズの魂が癒着した副産物か、彼を介して情報をリアルタイムで交信できる。


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014/ ミステリアス・アイズ

120714


 時に、太陽が中天に差し掛かろうとする時分。雲ひとつない青空に真夏並みの暑さが照りつける、7月の東京都渋谷区、青山霊園にて。

 まばらに人影が見受けられるも静謐な空気を保つ早朝の墓地。そこを長身に黒タイとスラックス、真白いシャツを半袖にして捲り、片手に花を携えた男の姿がふらりと現れた。どうやら知人の墓参り、といった用向きらしい。

 純日本人ではおよそ有り得ない、ベリルにも似た緑眼を持つ男が見つめるは、少しばかり珍しい名字が彫られた御影石の墓。故人の好物だった桜桃(チェリー)も仏花のついでに供え、磨き込まれた墓石の前で手を合わせる。厳かに佇むその心中を、文字におこせば。

 

(……あれからもう、25年か。……早えもんだな、年月ってのは)

 

 持ってきた線香に火を点けつつ、暫し男は過去への回想に耽る。そう、「彼」を、いや正確には「彼等」を喪ったのは忘れもしない、自分が高校生の時だった。

 ……しかし思えば、時の流れとはいやはや実に残酷である。まったく老いることなき脳裏の戦友に対し、気づけば自分は既に年の頃四十路を数えた二児の父。今や己の娘ですら、死した友より長い年を生きている。

 

(アヴドゥルとイギーもそうだが……つくづく、失くしたモンも多い旅だった、な……)

 

 危機に瀕した母の命は確かに救った。凡そ一世紀に渡る因縁も、自らの怒りを込めた拳で以って引導を渡した。しかし死した命を取り戻すことは、自身の強大なスタンド能力を以ってしても不可能だ。そして…………若くして落命した()もまた同じ。その肉声を直に聞けることはもう、二度とない。

 今更ながらのしかかる、不可逆的な「死」の重み。万象全ては土に還る。それは自分も例外ではない。

 

 困難に満ちたあの旅の仲間で、もう自分以外に闘える者は居ない。自分と対等に話せるスタンド使いは、既にポルナレフしか存在しない。そして今後現れるだろう「敵」の正体は、DIOにも増して全くの未知数。

 こんな時かつて一緒に旅をした、例えば目の前の墓に眠る旧友が生きていたら、一体何と言うだろうか。

 無限に湧き上がる郷愁にキリのなさを感じた男は、墓石へと再び意識を戻す事にした。

 

(……悪いな、中々来れなくなっちまって)

 

 現在、海洋学界の世界的権威として、またSPW財団名誉会員としても公的・私的を問わず重責を担う地位にある翠眼の男。生まれ故郷とテキサスに墓標のあるアヴドゥルとイギーは兎も角、此処は立ち寄り易い国内。かつては彼の月命日の度、こうして手を合わせに来ていたものだったが、社会人となってからは広島に生活の軸足を置いていることも影響してか、実は墓参自体も久しぶりであった。

 特に五月の出張以降はとみに忙しい日々が続いているのだが、それでも多忙の合間を縫ってやってきたのだ。

 

「……なあ、花京院」

 

 ……一度くらい、お前と酒が飲んでみたかったよ。

 

 それきり唇を引き結んだ墓参者、空条承太郎が放った言葉は、七月のうだるような暑さの中、雲ひとつない初夏の青空へと溶けていく。親族がこまめに手を入れているのだろうか、掃除が行き届いた眼前の墓石には「花京院典明」と、確かにそう記されていた。

 

 暫く後、無言で手を合わせていた承太郎は回想と、そして暫しの黙祷を終える。再び見開かれたその目に宿るのは、新たな闘いへと身を投じる凄烈な「覚悟」だった。

 ややあって、音も無く立ち上がった彼は墓地に背を向け、それきり背後を一瞥する事も無く立ち去った。

 残されたのは、何時もと変わらぬ静謐な霊園の一風景。早世した花京院の月命日たる十六日。時折大気に掻き回されたぬるい風が大都会の墓地に吹く中、カナカナカナカナと、どこかでひぐらしが鳴いていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 場所を変えつつ暮れて夕刻、逢魔が時より一刻程過ぎた時のこと。

 兵庫県神戸市某所の小高い丘に、この道50年を優に超える老舗、かつ優良店として近隣の住民に広く愛され続けているとある洋菓子店がある。

 今でこそ珍しくもないバレンタインチョコレート。これを恐らく日本で最初に売り始めた店舗であるというばかりか、北海道直輸入の厳選食材を用いたカスタードプリンやクリームチーズケーキ、バタークッキーに至るまで売れ線のラインナップが豊富に取り揃えられている。

 

 無論売りは歴史だけでなく勿論味の方も一級品。それら評判の洋菓子は毎朝早くから丁寧に仕込まれ、店舗付近に仄かに漂う芳醇なバターと生クリーム、蜂蜜の香りは人々の鼻腔へと侵入、思わず生唾を飲み込むほど根源的な食欲を掻き立てる魔力を秘める。

 巷では皇室御用達との噂もあるこのお店。その三代目の主人であるアラフィフ男性ことモロゾフは、今日も今日とて引きも切らないお客様に恵まれたことを感謝しつつ、今しがた商品を売り尽くしてしまったため看板をCLOSEDにしてシャッターを下ろそうか、と厨房で皿を拭きつつ考えていた時だった。

 

 カランカラン、と入り口から鳴る鐘の音。どうやらドアノブにくくり付けたベルが、予期せぬ来客を知らせたようだ。厨房の奥で作業をしていた彼は、今が業者の食材搬入時間ではないことを思い起こすと、駆け込みの客だろうかとアタリをつけて応対に。販売フロアに出るより一足先に、声だけが届くも……

 

「すみません、品切れしてしまったので本日は…………」

 

 店長たる妙齢の男性はそう言いかけて、手に持っていた布巾で拭いていたボウルを、客の姿が目に入るなり、驚きからか思わず床に取り落す。何故なら、視線を向けたその先に居たのは。

 

「……な、姫様……!?」

 

「その呼び方は怒りますよ、モロゾフ」

 

「姫様」と呼ばれたのは、夏物の薄青シャンブレーシャツの釦をひとつ緩め、苦笑しながらも端的にそれだけ返した少女。誰あろう、我らが道産子ガールことアナスタシアであった。

 旅行帰りだろうか、手提げがわりのメッセンジャーバッグにボトムは白のホットパンツとグラディエーターサンダル、という割合にラフな格好。加えて店内に持ち運んできた収まりの良いスーツケースに腰かけた彼女は、愛用のサングラスを外して緩めた胸元に留め置いた。

 リラックスしつつも泰然とした様子の彼女をみてハッ、とした店主は、気を取り直して身体に染み込むまで習慣付いた臣下の礼を思わず執る。

 

「失礼、こればかりは性分なもので」

 

 言いながらも茶目っ気のある笑みを浮かべて彼女に微笑む事は忘れない。さながらそれは君臣の関係というより、孫が遊びに来た時の好々爺のようだ。しかも事実ダダ甘なのだから否定のしようもない。

 さて、昼時はお菓子満載だっただろうレジ前のショーケースが空になっている様子を見た彼女は、同胞の切り返しに唇を少しばかり尖らせつつも、ホッとしたように目を大きく見開く。

 

「もう。……ですが、お店は変わらず繁盛しているようで何よりです」

 

 こんなことを次期当主に言われては、全く家臣冥利に尽きるというものだ。天然で人を煽てるのが上手い姫様だ、などと不敬にあたりそうな歓喜すら覚える。

 

「いえいえ、此れも神の恩寵あらばこそ。それから姫様、紅茶を淹れて参りますので、お手数ですが奥の間でお待ち下さい」

 

 ──細やかながら、心ゆくまでごゆるりと。我らが皇女に歓待を。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 レジ横のシャッター昇降ボタン──尚本来は防犯用である──を押して本日の営業を物理的に終了したモロゾフ。勢いのまま颯爽と彼女の荷物を持って店内奥、VIPルームのある方角を指し示す。

 何故か?普段は北海道在住の彼女が、わざわざ兵庫くんだりまで菓子を買い付けに来ただけとは思えないから、だ。

 

 ここで少々長いが説明をしておこう。そもそもモロゾフの祖父家族は、ロシア革命勃発を受けて日本に逃れ、旧華族や皇室の庇護を受けつつ日本に陰日向に貢献してきた亡命貴族の出自である。

 しかし先の大戦で日本が敗北した折、戦後の混乱期のどさくさ紛れに大陸からソ連のスパイが大量流入。当時の日本人のみならず、この事態に非常に困ったのは亡命ロシア人達も同様だった。

 

 救出されたのちソビエトの工作著しいイギリスやアメリカに留め置くのは危険だ、と判断したジョースター家の手引きにより(欧米よりまだマシと判断された)、唯一の列強・日本に移住し隠遁生活を送っていた、帝政ロシアの象徴たるロマノフの遺児達。

 勿論アナスタシア皇女や血の繋がった跡取りの生存は秘中の秘であり、もし事が露見すればその命を赤軍シンパが狙ってくるのは自明の理。だが、生憎当時の日本はGHQによる占領下。彼女らを守ってくれる日本のSPも軍隊も存在しなかったのだ。

 

 よって自衛措置として彼等は王妃直属の護衛部隊を設立。さらに足らぬとばかり全国に白系ロシア人ネットワークを露西亞正教会経由でくまなく広げ、日本全域をカバーする対ソ諜報網を構築する。この諜報活動の一環として東京から引っ越し、西日本の巨大交易都市たる神戸に住み始めたのがモロゾフ一家である。

 ちなみに洋菓子店を開いたのは客商売が情報収集に便利なことと、また元々祖父が帝政ロシア時代に王室専属の菓子職人(パティシエ)をやっていたのが理由だったり。

 

 しかし。長年の仇敵だったソ連は冷戦終結で自壊。敵の親玉が吹っ飛んでしまったので、現在は正直言って明日から好きなとこに住んでもお咎め無しである。

 というわけで今はもし姫君の望みとあらば、わざわざ本人を買い付けに来させるなんてことはしない。店主自ら嬉々として北の大地へ菓子折持って馳せ参じるどころか、その気になれば店仕舞いして引っ越しすることも厭わない。無論地元のお客様も大切だが、それとこれとはまた別の話。

 

 さて、先程店内にあるものの中で一番上等な茶葉の入ったボックスの封を惜しげもなく切ったモロゾフは手ずから紅茶を淹れ、アッサムの馥郁(ふくいく)たる柔らかな香りを室内に充満させる。

 

「そういえば姫様、本日は観光で来られたので?」

 

 芳醇なフレーバー揺蕩う空間で、しかし尋ねられた筈のアナスタシアは、返事の前に貴賓室内に置かれた調度品のイースターエッグをひとつ発見、思わず見やってしまう。

 

 全部で65個あるそれは、約70年前に日本中に散らばることになった亡命ロシア人達の労苦を慮ったかつての皇女たる曽祖母が一つ一つ、いざとなったら路銀にしなさいと言付けて家毎に手ずから下賜した逸品である。オークションに出せばまず億は下らないこれらの品を、しかし売りに出した者は一人としていなかった。むしろ皇女の無償の行いは、家臣の忠誠心をより高める結果を齎したのだ。

 

 それから幾星霜。初代アナスタシア皇女が死没して尚、没落し、亡国した者の血を引くに過ぎない少女を慕う忠義者の臣下達は未だ数多い。家族にも友人にも、家臣にも恵まれた私は本当に幸せ者だ。そう改めて感じた少女は、顔を少しばかり綻ばせて答えを一言。

 

「広島帰り、と言えば分かりますか?」

 

「ああ、成る程」

 

 合点がいった、とはモロゾフ。ならば、姫殿下はかの星の一族に会いに行っていたのだろう。彼の地には我らが姫殿下の四つ歳上の親友と有力な婿候補(当人には内緒、あくまで候補)もおられる。ならば神戸へは広島から山陽新幹線にでも乗って来たというところか。

 

 思案している内に一杯を満足げな顔をして静かに飲み干した彼女に気付いたモロゾフは、次を注ごうとするもやんわりと止められた。静止に視線を上げた彼の瞳に映り込んだのは────先程より少しばかり目を細めた、うら若き姫殿下の姿。

 

「それから、わざわざ来たのは勿論、用があってのことなんデス」

 

 雰囲気を一気に変えたアナスタシアに、臣下は一度気を引き締める。これは────荒事を話す時の表情だ。察した男は今一度、己が居住まいを正して傾注。

 

「……有難う、モロゾフ。それじゃあ、今日の本題に入ろうと思うのですが……」

 

 ……始めに断っておきますが、無論参加は自由です。そう若干物騒な前置きを入れた彼女は、近々行われる「IU」なる催しに人手が必要、との話をし始めた。人数は少数精鋭のため最小限とのことである。が、……。

 

「お戯れを。主命とあらば否やは御座いません」

 

 その通り、拒否などしない。例えこの身が既にしてロートルだろうが、下された命令には従うに決まっていよう。暗君ならば願い下げだが、仕える甲斐のある方なのだ。快諾に一瞬瞠目したアナスタシアは思わず年相応の嬉しそうな顔をするも、真面目にやらなければと無理矢理引き締めてコホン、と一息、置いて続ける。

 

「期日と場所は二週間後、午前10時に東京のニコライ堂地下へ。詳しい沙汰は追って連絡します」

 

 細心に細心を期し、詳しい説明はその場で行うとのこと。続けて「今回使う秘匿回線を拾える端末が此方です」と続けた彼女から、スマートフォンらしき物体を手渡される。

 磨き上げられたアルミでコーティングされた背面の中央部に刻印されているのは、鈍く輝く「J」の一文字と、それを取り囲む五芒星の紋章(エレメント)。即ち───ジョースター家の血族が、この件に深く関わっていることを示す証拠。

 

 事ここに至りモロゾフは、何やら大きな変事が近い将来待ち構えている事実を理解した。思いがけぬ闘争の予兆に、自身の心が武者震いしていることも。

 腰掛けたソファの手すりを思わず握り締めた彼は、姫様、先に一つだけお聞かせください、と問うて続ける。

 

「……此度の任の目標は、どのようなもので?」

 

 作戦行動はあらゆる想定をしなければならない。目先の目的だけでなく、ゴールまでの道のりを俯瞰しておくことも重要だ。そこまで考えて、モロゾフと呼ばれた男は気が付いた。

 

 帝政ロシアの開闢より、先祖代々臣下の礼を執り続けてきた我らが亡国の姫君。彼女が持つ、平生なら一切の温度を感じさせぬ澄んだサファイアの眼に、烈火の如き灼熱が宿るのを。

 

「…………来るべき、『感染爆発(パンデミック)』の回避デス」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 戻して午前。東北地方に位置する奥羽の名州、宮城県。

 笹かまと牛タンが名物であり、戦国の傑物・伊達政宗や平成の大漫画家・A木H呂彦氏を輩出したことで知られる。さて、この県が有する空の足が一つ、仙台空港にてスーツ姿の美しい女性が1人、涼しげな初夏の日曜、昼の待合ベンチへと腰掛けていた。年の頃20代半ば、といったところか。

 

 変装用のウェリントン(フレーム)の眼鏡の奥にある怜悧(れいり)なアーモンド型の瞳に嵌め込まれているのは、左右で淡蒼色(ライトブルー)翡翠色(エメラルド)という、極めて珍しいタイプのオッドアイ。耳元には小ぶりなターコイズのピアスがあしらわれ、ふんわりとした髪は灰青(アッシュ)に染まっている。が、やけに自然な発色を見るに、どうやらこれで地毛の様だ。

 毛先が軽く波打った艶のあるそのボブヘアーをハーフアップで纏め、右手でタブレット端末を縦横無尽に操作しているその姿は、傍から見れば仕事の出来るキャリアウーマンそのもの。

 

 更に流麗かつしなやかで何処か豹を思わせるモデルスタイルに合わせて仕立てられた、伊・マックスマーラ製の紺色パンツスーツから伸びる足は、これまたモデルもかくやと言う程長い。

 

 さて、履いているセルジオ・ロッシのヒールも合わせれば170cmを優に越すその背丈も相まってか、実は見てくれだけみれば昨今の女性の社会進出を象徴しているようなこのOL風美人。彼女こそ、346プロ所属のシンデレラプロジェクト一期生にして今や押しも押されぬ人気アイドル、高垣(たかがき)(かえで)その人である。

 

 血管が透けて見えるのではと思う程白い肌に、仄かに白梅(はくばい)の香りを焚きしめた彼女は、その美貌に上気した色を浮かべ、本人曰く「水」の入ったタンブラーを片手に持ちながら黙考する。はたから見ればその神秘的な美しさも相まってさぞ難解な形而上学や国際情勢、或いはきっと引く手数多だろうラブロマンスの経験が脳裏を駆けているのか、と思いきや。

 

(……梅干し。アテの梅干しが欲しいわ。これは和歌山県民あるあるというやつでしょうか)

 

 どうやら、コイバナなぞ一欠片も思考になかったようだ。更に。

 

(にしても「壁の目」。なんだか不思議なところでしたね…………)

 

 続けざま彼女の頭の中にあったのは、昨日実際に見に行った、かの東北の震災以後突如として発生したという、隆起した岩盤のような異様な構造物についてだった。

 

 ──―本人たっての希望でとある知人の生まれ故郷たる所に立ち寄るついでに、昨日までロケで行っていた秘湯巡りの旅。その道中で買い込んだ東北の名酒・陸奥(むつ)八仙(はっせん)を冷酒で目一杯入れたチタン製サーモスタンブラー片手に、タブレットで開いた同期の宵乙女グループラインに物凄い勢いで書き込みをしている彼女は、何やら蠱惑的な面立ちに比してどこか能天気な事を考えながら、フライトの時間を待っていたのであった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『15時に着くので羽田まで迎えヨロシクお願いしまーす。あとその後一杯どうですか〜?P.S. 地酒持っていきますよ!欲しい?あげる!』

 

 寝坊などと(およ)そ無縁な明るい恒星が中天に差し掛かった頃、東京都は港区虎ノ門の某高層マンションの一室にて。

 起き抜けに確認した枕元のスマートフォン。送られて来ていた適当極まりないショートメッセージを見てとった東方仗助は、自室の窓から望める東洋一のコンクリートジャングルを眺めつつ、思わず独り言を呟く。

 

「……(あいつ)、経費でタクシー乗れんのに俺の車指定かい……」

 

 こないだ貰ったのは紀州南高梅だったなあ、と思いながら、鉄面皮だった初対面の時と比べてすっかり気さくになった彼女に思いを馳せてみる。

 まあ送迎なぞ別に吝かでも何でもない。それも仕事の内だし、酒豪のー決してアル中ではないー楓が選んだ地酒、自分のようなにわか呑兵衛(のんべえ)としちゃ一献(いっこん)の価値アリだろう。

 

「あいつ」こと高垣楓からきた迎えの依頼に返信を手短に返しながら、彼はスマホをベッド横の充電ポートに置く。

 そのまま(きびす)を返して冷蔵庫に向かい、常備してあるシリアルと牛乳とを取り出し皿へ撒き、手早く掻き込みながら彼は暫し回想に耽る。

 

 一昨日案の定紛糾し、そろそろ日付が変わろうかと言う頃、結果的に仗助の意見が採用されることとなった秋口以後の方針を巡る社内会議の終了後。

 疲労からか若干船を漕いでいた者もいたが、健康優良児たる彼はそんなもの何処吹く風。意気軒昂と海鮮料理で有名な居酒屋で一杯だけ引っ掛けてサッと退散するつもりが、隣席していたリーマングループと意気投合。勢いのまま彼らと一緒に全品280円均一の焼鳥居酒屋などをハシゴしていたら、気付けば既に朝の五時。

 結局この男、若干酒臭い息を漂わせながら、始発電車で自宅までたどり着いたのだった。

 まごう事なき自律神経ボロボロ社会人予備軍だが、しかし呑み屋でポロっと口が滑って機密を漏らしたりはしていなかったのはまだ正常か。いや勿論当たり前のことなのだが。

 

(……うん、酔いはもう覚めたな)

 

 半分入った白人の血の遺伝だからか分からないが、元々酒には強い性質だ。二日酔いでもないことだし、万が一の酒気帯び運転にも引っかからないだろう。ただ、当時JS読モとして名を馳せていた城ヶ崎美嘉と並び、自身の大学時代から足掛け5年以上の付き合いとなる彼女、高垣楓の酒量は凄まじい。

 

 当初は肝機能を強化する能力でも持ってるのかと疑ったくらいだし、試しに一度サシ飲みしてみたらあろうことか自分が先に潰れたのだ。再び目が覚めた時、何故かニコニコしていた彼女を思い出す。……寝落ちしてる間に何かされた訳ではない、とは思う。

 

 しかしヘビー級の格闘家に劣らない体躯の自分より明らかに華奢な彼女だが、そこまで飲んでも痛風の気があるどころか健康診断では全くの無問題。居酒屋に入ればエイヒレとたこわさあたりをオーダーし、生大片手にお喋りするのが堂に入ったアイドルなど、少なくとも仗助は彼女以外に知らない。

 

 因みにこれらを受けて仗助が発案した番組、「高垣楓の酒場放浪紀」はコアな人気を博し、巷では某孤独に食事するテレ東ドラマと双璧を成すまでの番組になっている。尚番組スポンサーはSPW財団。何故って幹部にファンがいるから。

 ある種アイドルらしくはないかも知れないが、自制していたモデル時代より余程楽しい、とはその開けっぴろげな個性でこの業界に殴り込んだ楓本人の談である。

 尤も健康診断で異常が出たら番組は休止する取り決めだ。が、兆候は今のところ微塵もない。

 

 そしてそんな彼女との飲み会は、きっと今回も物凄いペースで盃が消化されていくのだろう。駄洒落が普段の二割り増しで飛んでくることを覚悟しつつ、電動式のカーテンのブラインドをリモコン押して開けていく。二次会で宅飲みしましょう、とか言ってまたぞろ押しかけてきそうな気もするし。フライデーされたら彼女のキャリアに障りが出るので流石に断るつもりだけれども。

 

「…………こういう時、クレイジー・Dでアルコールだけ上手いこと抜けねえかなあ」

 

 楓と飲むと楽しいけど確実に酔う。しかし流石に仕事に支障を来すのはマズイ。気分だけ酔いたい時もあんだよなァー、とぽつり。

 というかそもそもクレDは本体の仗助自体は治せない。仮に実行出来たとしても、なんだか勿体ない使い方な気もするが。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 再び場所を、戻して東京。とある海岸埠頭にて、苔むしたテトラポットを背景に、凪いだ海をぽつねんと眺める少女がひとり。

 

「…………はあ」

 

 憂鬱。今はそんな気分。黄昏に染まる夕日が静まりつつある海を照らすのを茫と眺めて、彼女──速水奏は溜息をつく。

 猛禽のソレにも似た金の眼と、色味だけで余人に遍く凛とした印象を与える濃紺(ネイビー)の髪。似合う人間は数限られるだろう、ハイグラデーションスタイルを真ん中分け(センターパート)にした髪型。それらはハイレベルかつ見目麗しい彼女の容姿に申し分なく似合っている。しかしその顔色、ひどく浮かない。そんな時だった。

 

 大気筒のエグゾーズトが響いたと思ったら、それがブォン、と止まる音。足音のようなペタペタとした音が聞こえた、次の瞬間。

 

「こんなとこで何してんの、お姉さん?」

 

 唐突に彼女の後ろから、男が声をかけて来た。今日はこれで3回目。またナンパか面倒だな、と思って渋々振り向くと。

 

(ふあ……)

 

 そこにいたのはキャラメルブラウンの髪色に、翡翠を嵌め込んだような綺麗な翠眼を持った超美形だった。どこぞのブラコンお姉様が密かに自慢するだけはあるその造形、思わずびっくりしてしまう。

 

「え?……えーっと、誰かしら」

 

「俺?ツーリングに来た旅人。あ、散歩かなんか?」

 

「……まあ、そんなとこ。少し悩み事があって。貴方は?」

 

(ナンパ……?……いやでも、女に不自由してるタイプには……見えないわね)

 

 なんたって整った面貌だし。黄色人種にしては白さの強い肌色、手脚の長さも鑑みるとハーフかクォーターだろうか。体躯の頑強さから察するに格闘技なんかも嗜んでいそうだ。喋りの軽さも相まって、同級生にいたらさぞかしモテる事だろう。

 誰何に軽薄そうな視線《いろ》は無い。純粋に興味本位の様だ。

 

「俺?実はさっきまでインターンシップに行ってきたとこで」

 

「いや嘘でしょ」

 

 何故ばれた、という面持ちの彼がどこまで素でどこまでが巫山戯ているのか判断がつかないが、呆れ顔でため息一つ。

 

「何処の世界にビーサンとショーパンにタンクトップでインターン行く人がいるのよ」

 

 ついでに言えばそんな江ノ島帰りみたいな格好でツーリングに出かけるのはおかしい。辛うじてヘルメットは被っているらしいが、もし道路上でスリップでもした場合、手脚が大根おろしのように擦れまくって見るも無惨な状態になるのは必至である。

 

「というか、そんなカッコでバイク乗るの危ないんじゃない?」

 

 一応指摘。しかし。

 

「ヘーキヘーキ。俺割と体は丈夫だし」

 

 空条丈瑠と名乗ったその男のこの発言は概ね事実。日頃鍛えてる上に波紋使いでスタンド使い。基礎体力と回復力は伊達ではない。そもそもジョースター家の男は頑健な体躯が特徴でもある。

 それはさて置き、首を傾げた彼にまたも聞かれた。

 

「えーっと、んじゃあ大学のサークル旅行の下見とか?」

 

「え?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「高校生だったのか……」

 

 新田弟こと空条少年は、新事実を知り思わずぼやく。話しこんでみると、取っつきにくい印象の割に気軽に喋れる子だったがらまさか高校生、加えて自分と同い年とは。大人びてるのでOLか大学生、姉と同年なのかな?とも思ったくらいなのだ。

 

「ていうか、制服で分かるでしょ?」

 

「いやてっきりイメク「ちょっと?」……冗談っス」

 

 と言う割に割に悪びれた様子がない。

 

「…………まさか、私が売春(ウリ)してるとか思ってたの?」

 

「いやあまさか」

 

「目が泳いでるわよ」

 

「すまんかった」

 

 露呈。安易にそんな事言うものではない。誰だって売春してると思われたらいい気持ちはしないだろう。お姉さんゆるして、何でもしますからと続けて素直に彼は謝る。なんならさん付けで呼ぼうか。美波(姉ぇ)ならこの子と会ったら同じく歳上と勘違いしてそうしてるかも、とか思いつつ。

 しかし小さくへぇ、何でも……?と言った彼女から飛んで来たのは、斜め上の意外な返答。

 

「…………じゃあ、キスしてくれたら許してアゲる」

 

「欲しいのか、ザクロ?」

 

「いや言ってないわよ。どんな聞こえ方してるのよ貴方」

 

 一瞬浮かべた蠱惑的な笑顔を消し、思わず素で答える奏。ここで言葉をミスったのは丈瑠の方だ。際どいのが来たので難聴キャラで行こうとしたがダメだった。そもこれで誤魔化すのは無理があると最初から気付くべきである。

 なんとか方針転換を試みた少年は、先ほどの就活の話題から突破口を模索。結果として何故か初対面の彼女のなりたいお仕事について聞く、という珍妙な光景が出現した。

 がしかし、模索中との返答がくるばかりか、逆に「私、何が向いてるのかしら」と聞き返される始末。これは話の腰を立て直さねば、と丈瑠は期して言ってみる。

 

「じゃあ、アイドルとかどうだ?」

 

「へ?」

 

 アイドル?この言葉に、期せずして奏の眉間に皺が寄る。

 

「うーん、悪いけど無いわね。役者で食べてくより難しいでしょう、アイドルなんて」

 

 元々水物の、不安定極まりない商売だ。好感度やスキャンダルで売上は大きく変わる。当たればスーパースターだがそもそも供給過多過ぎて、業界で永らく残れるビジョンが浮かばない。そんなご尤もな懸念を察知したのか、対面の彼は二の矢を放つ。

 

「まあ、単に就職先の選択肢の一つとして考えてみてもいいんじゃあないか?奏美人だし」

 

「……そうね、私美人だし」

 

「うんうん」

 

 相槌打たれたので即答。すると。

 

「……ねえ、『それ自分で言う?』って流れじゃない?今の」

 

 前髪を少々弄りながら返す。思い切り肯定されると調子が崩れる。いや、密かに容姿にはそれなりに自信があるのは事実だけれど。でも恥ずかしいからそこまでは言わない。奇しくもそんな様子が如実に表れていた。意外と表に出やすいタイプなのかも知れない。証拠によく見ると耳が赤い。

 

「んー、いや、奏って美人で可愛いよ。はい」

 

「なんかごめんなさい!でも言わせた感しかないじゃない!」

 

「ダメ?」

 

 そんな純粋な目で言われても。

 

「駄目じゃないけど…………や、というか可愛いに心が篭ってないわ、やり直し」

 

「え、いいの?心籠めちゃって?」

 

 無論ここまで出任せである。

 

「あっ………………うーん…………」

 

「いやソコ溜めるの!?」

 

 優位ペースだった少年、思わず驚く。出会ったその日に流石にそりゃあないだろう。攻略お手軽あっという間に主人公に即落ち完落ちなギャルゲーヒロインじゃあるまいし。ところが。

 

「……あら、本気にしたの?今日会ったばかりの女に?」

 

「あっ」

 

 一本取られた。気付けば若干嗜虐の混じった蠱惑的な笑みで見つめてくる少女。しかもこれだけで矛を収める気がないようだ。いつのまにか距離を詰められていた上に。

 

「なら、ホントにシてみる?……キ・ス」

 

 もしかしてこの子Sの素質があるのだろうか。気付けば彼女の目が細まり、獲物を捕食せんとする蛇のようになっている。これはいけない。しかし両頬を掴まれたところで危険を察知した丈瑠、時既に遅しである。

 

「え、ちょ、待って待って」

 

「静かに」

 

「ええ!?」

 

 徐々に近づいてくる彼女の顔。よくよく見れば緊張しているのか林檎のように真っ赤なのだけど、流石にそこまでイジるのはマズイ、と彼の中で遅すぎた警鐘が鳴り響く。

 

「大丈夫よ、天井のシミでも数えてれば直ぐ終わるわ」

 

「大丈夫じゃないしここ屋外!」

 

「細かいこと気にしないの!男のコでしょ!」

 

「わかった!俺が悪かった!」

 

「ここまでしてる女に恥をかかせるんじゃあないわよ!」

 

「台詞含めて色々逆だろ!?」

 

 つい調子に乗って主導権を奪われるとは、正にその行いの悪さ故であろう。

 こんな時彼の父親なら「鬱陶しい」と斬って捨てる……いや、そもそもここまでお調子者めいた言動はしないだろう。

 しかし煽っても女性を無碍に出来ないあたり、むしろ曽祖父に似ている、とも言える。この辺り血は争えない。

 果たしてやりすぎた感もある弟の運命や、如何に。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………や、悪ノリしすぎだって先輩」

 

「そうね……流石にちょっと反省してるわ。あと先輩じゃなくて同い年ね」

 

 一悶着をどうにかこうにか収拾付けたのちの二人。ちなみに揃って汗だくである。無論決して事後ではない。付け加えてこうなってもツッコミを放棄しないあたり、速水奏という少女、根っこの部分で律儀なのが伺える。

 

「はー。何やってるのかしらね、私たち」

 

「んー、傷心旅行?」

 

「キミは傷心してないでしょう」

 

「たしかに小身ではないな」

 

「誰が頓知を効かせろといったのよ」

 

 むしろ長身である。同年代の女子と比べて背の高い奏と比べても、身長差は20cm以上あるのだから。

 

「そもさん」

 

「せっぱ……じゃなくて!禅問答でもないわよ!いつまでツッこませるつもりよもう!」

 

 コントやってんじゃないんだから……と続けるも。

 

「いや返しが上手くてつい。明日からでも芸の世界で食ってけんじゃね?」

 

「ありがと。でもコメディアンになる気は無いわ」

 

「そりゃあ惜しい。じゃ女優とモデルとアイドルなら?」

 

「なぜその三択なの」

 

「可愛いのに勿体ないじゃん?」

 

「段々褒め方雑になってきてるわよ」

 

 ただ実際、言葉は別としてこれだけ臆面もなく何度も言われると悪い気はしない。しかも助平心とかは篭ってないあたり質が悪い。こまめに女性扱いしながら時折翻弄しにくる、こんなタイプの男子は何気に初めてだった。会話の主導権を取りづらいことこの上ない。

 しかし振り回したい派の彼女にとって、この風来坊とのお喋りは同時にどこか新鮮でもあった。同時に、懲りない小悪魔の虫が再び疼き始める。ねえ、と呟き言ってみる。 ……我慢できそうにない。えい。ぶん投げよう。

 

「…………ねえ、外、暗くなってきちゃったわね」

 

 こう言えば、ちょっとくらいは意識したりするだろうか。そんな感情を込めての言葉。

 会ったばかりの男にここまで踏み込むこと自体が彼女にとっては異例のことであるという事実に、当の奏が気付くのはこの暫く後のことなのだが。

 

「あ、門限あるって言ってたよなそう言えば。家まで送るわ」

 

 しかしこの男、台詞がつっかえるどころか打ち返して何処吹く風という顔だ。ふと見ると態とらしく口笛まで吹いて明後日の方角を見つめている。この野郎。おちょくり返すと心に決めた。今決めた。

 

「あら、送り狼?」

 

「あのなあ!」

 

 自分の両肩を抱きつつ聞いてみたら、流石に二撃目はちょっと効いたみたいだった。

 

「……ふふ、嘘よ。ごめんなさい。ちゃんと信用してるわよ」

 

 これは誓って本心。だって彼は何か、そんな次元を飛び越えてるようにも思えるから。邪なもの一切抜きで、もっと高潔な次元に拠っているように思えた。きっとこれまでの人生でも、困難にぶつかっても正面からブチ抜いて生きてきたんだろう。なんとなくそう思えた。

 魂が、黄金色に輝いてる人。会ったばかりの人間に自分でもどうかと思う程抽象的で意味不明な例えを押し付けてるけど、女の直感でそう感じたんだから仕方ない。

 

「へえ。今日会ったばっかの男を?」

 

「ヒトを見る目はそれなりにあるつもりよ」

 

「そりゃどうも」

 

 それは速水奏がアイドルになる前の、彼女の転機となった話。そして────。そこまで言って、丈瑠は最初に交わした会話に立ち戻る。

 

「…………ああ、そういや結局『悩み』って何だったんだ?」

 

 つい思い返して、尋ねてみる。なんだってこんな、何だかんだ育ちの良さが随所に伺える(丁寧に小ボケを拾うあたりとか)少女がこんなところまで当てもなく放浪しているのかを。バックパッカーでもあるまいし。所謂家出少女でもないなら、一体何故。

 

「ああ、その事ね。…………あの、ね、…………」

 

 躊躇いがちに、一度その口は閉ざされた。

 ああ、何も無理に言う必要ないぜ、と声をかけようとした正にその時。

 

 ……最近、急に幽霊が見えるようになったって言ったら…………信じる?

 

 

 ☆

 

 

 

 時が、止まった気がした。

 

「……え?」

 

 反射的に思わず身体を硬くする。なるべく自然な動作をしようと心がけ、急拵えの鉄面皮を貼り付けた上で振り向いた先にあった彼女の面立ちは、今日一番というくらいに真剣なもので。挙句、「しかも、取り憑かれたかも知れないの」とか言い放つ。 ……でも、それが白々しくすら思えてきた。

 

(コイツ、まさか…………!)

 

 あの縞手袋の手先か!?

 慄然とする。状況証拠なら合点がいく。自分は姉と違い、あの男と一線交えた時は素顔を晒していた。面は既に敵に割れている。

 数週間後の今日の邂逅が、単なる()()ならまだ分かる。しかしその相手が()()スタンド使い?……どの程度あり得るんだ、そんな確率。

 それよりも、網張って()()()()されてたと考える方がまだ自然だ。更に彼を驚愕させるのが。

 

(……こんな至近に居るのに、全く殺気を感じない、いや感じ取れない。今に至るまで……!)

 

 古今東西、人対人の闘いには感情の()()()が発生するものである。俗に第六感とも言われる、あらゆる生物に備わった危機回避能力。その骨子は即ち、初動をいち早く嗅ぎとることに尽きるのだ。

 しかし目の前の少女は、何か武道やらをやっているようには見えなかった。敢えて言えばトークでお互いジャブを打ち合っていた、それだけなのに。

 力量の差は隠蔽術にも出る。ならば彼女は恐らく、相当の手練れなのだろうか。可能性が全くない訳ではない。

 

 でも、こんな争いとは無縁そうな少女が?どうか嘘であってくれ、と願いながらも。思わせぶりでミステリアスな金眼に見つめられ、左ポケットに入れた拳を握り締めた。掌に汗が伝い、筋肉が収縮するのを体感する。

 これは腹括んなきゃあなんねぇか、と決断を下さんとする時。無情にも更に一拍置いてから「ああ、それと……」と彼女は続け、重々しく口を開いた。

 

「もしかしたら、貴方にも見えるかしら。私の──」

 

 

 

 ────()()に居る、この子。

 

 

 

 

 




・花京院典明
ノリちゃん。

・モロゾフ
お菓子屋さん。

・高垣楓
熱燗と冷やどっちも好き。喉が酒焼けしてても歌唱力衰えない人。

・速水奏
B級映画もサメ映画も観れる。恋愛映画は苦手。


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015/ レゾン・デートル

140714


 ────見えるかしら、この子。

 

 東京某所、黄昏時の海岸埠頭。年齢にそぐわぬ妖艶な色気を放つ美少女の唇から紡がれた言葉は、ジョースターの血を引く若き男の警戒を引くに十分だった。

 

「……なあ、奏」

 

 波紋だけで、切り抜けられるか?

 

 話しかけながらも密かに懊悩(おうのう)。もし彼女が敵なら、出来るだけ自分の情報は与えたくない。舐めプのつもりは更々無いが、ここではまだ己のスタンドの開示は避けたい。今後を考えれば()()()は虎の子、あの金髪巻き毛男に一発ブチ当てるまでは、出来るだけ伏せておきたいカードなのだから。

 疑念に伴う緊張と意地が撹拌され交錯する中、丈瑠の口から出た一言は。

 

「……『幽波紋(スタンド)』、って知ってるか?」

 

 先んじて言うだけ言う。不穏な気配を感じた場合、()()()()()に後の先を獲る。彼女のスタンドが動き始めたら、合わせて反撃。

 その後は……逃げよう。いや言葉が悪い、戦略的撤退といこう。ごく大雑把な対策を組み立てたところで。

 

「……すたんど?」

 

 疑義を顔に浮かべた彼女の表情と言葉はさもありなん、何だそれはという反応であった。

 

(未だに動かねえってのは、こりゃ相当の手練れか……ん?)

 

 ……今、彼女は確かに「知らない」と言ったか?

 

 コォォ、という独特な呼吸音と共にさりげなく半身の姿勢を取った丈瑠が顔を上げるとそこにあったのは、きょとんとした様子の少女の姿。……あれ?

 

「……あの、マジで知らない?」

 

「知らないわよ。全く。……ねえ、それじゃあ流れ的に聞く限り、私のコレって……」

 

 ……キミの言う「スタンド」、ってヤツなのかしら?

 

 何を当たり前の事を、と思わず言いそうになったものの、此方を見据える金色の眼は至って真剣で。その時点でやっと気が付いた。

 

(アレ?この状況、もしかして……)

 

 ……俺の、早とちり?

 

 

 

 ☆

 

 

「────てところなんだけど、ココまでで聞きたいことある?」

 

「……えーっと、どこまでフィクションなの?」

 

 とりあえず、ざっくりスタンド諸々について掻い摘んで話した、彼女の感想はそれだった。まあ無理もない。同じ日本人とはいえ一般家庭で育っただろう彼女と、生まれた時からスタンドが見えて聞こえて話せて触れた人間では成育環境が全く違う。カルチャーギャップどころの話ではない。

 嘘みたいっしょ、でも全部本当。聞いた彼女は開いた口が塞がらない、とでも形容できる表情だった。

 

「私、てっきり急に自分が霊感にでも目覚めたのか、と思って真剣に悩んでたんだけどね……」

 

 ため息ひとつのちに、ぽつりぽつりと呟き出した彼女の言葉を纏めると。聞けば()()()を境にして、急に訳の分からない物体が()()だしたのだと言う。

 当初は疲れ目か何かかと思ったが、一向に改善される気配がない。念の為眼科と脳外科まで受診したらしいが、しかし結果は近視も乱視もなく、脳波も勿論異常なし。かえって健康優良児ぶりを証明しただけだった。

 

 ならば神頼みとばかりお祓いも行ってみたが勿論効果無し。さりとて親や友人に言おうとも、目に見えぬものが理解される訳もなく。

 結局二進も三進もいかなくなり、今後どうすべきか悩んで学校からの帰り道をフラフラし、あてもなく辿り着いた埠頭で思いつめていたところ今に至る、との事である。

 

 どうやらこのジョースター家の末裔、知らないうちにお悩み解決に一役買ったらしかった。

 

「まさか、こんなにあっさり解決とはねえ」

 

 あっけらかんと話す奏の表情は、なんだか拍子抜けといった感じも浮かぶ。ついでなので被せてみる。

 

「ちなみに、いつから見えるようになったんだ?」

 

 話だけ聞けば御伽話。でも誇張抜きに真実なのだから手に負えない。万感を抱きながら奏は思案。

 

「いつから?そうね、確か…………春休みにアメリカ旅行に行った後、だったかしら」

 

「…………ナルホド」

 

 聞くなり彼は素早く黙考。

 

(つーと目覚めかけの半覚醒状態、ってとこか。一応あの金髪縦ロールの一派に目ぇ付けらんねえように守る必要があるな、これは……)

 

 てことで「なんかあったら連絡して」などと含みを入れつつ、曽祖父(ジョセフ)譲りの口八丁で連絡先を交換、そのまま彼女を送って流れで解散。奇しくもまた一人ちゃっかり美少女JKのアドレスをゲットしたこの男、気をつけないと将来は曽祖父みたく女性関係でやらかしそうな片鱗が垣間見える。

 

 しかし後日予想だにせぬ意外な形で再開することになろうとは、この時の二人は露ほども思っていなかったのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(……存在論(オントロジー)。それは古代希臘(ギリシャ)の時代より紡がれる哲学の一体系。……何というかこう、実にそそるねえ)

 

 場所を移して同時刻、346プロ併設の寮東棟。その最上階の更に上、夜の屋上テラスに佇む二宮飛鳥は一人静かに黄昏て、何やら小難しい思考を脳内で垂れ流す。

 

 東京五輪の開催決定に伴って再開発の進む街の一つ、渋谷。アジア有数の大都会の見事なネオンが一望できるこの静かな場所は、好きなだけ思索に耽られることもあってか、密かに彼女お気に入りの場所だった。

 内実は何のことはない、中二的黄昏スポット探しにうろついてたら偶々発見しただけなのたけど。

 

 最近は肌身離さず持っている、手持ちの薄型MP3プレーヤー。繋いだカナル式イヤホンからは、FMラジオの新人コメンテーターが解説する夜のニュースが流れてくる。

 

『────次のニュースです。先日発生した殺人事件の続報ですが、都心方面に逃走したとされる犯人と思わしき人物が本日、渋谷駅構内の監視カメラに映っていたとのことです。警視庁は現在監視態勢を強化して捜索を続けておりますが、未だ検挙には至っておりません。近隣住民の皆様は充分に────』

 

 また殺人事件の報道だった。加害者は顔に刺青を入れた黒人らしい、と学校で噂があったが、真偽の程は分からない。

 しかし、日本ってこんなに治安の悪い国だったか?帰寮して早々の第一報から重犯罪のニュースとは、まったく陰惨なことこの上ない。齢一四の少女は些か気が滅入る心持ちだった。

 

(こないだの雑誌記者の変死体の事件と言い、何かと物騒だね、東京は)

 

 それに比べて、と思わず故郷・静岡の牧歌的な茶畑の光景が脳裏をよぎる。離れて初めて気付いたが、アレはあれで中々に貴重な景色だったのだ。主に空気の綺麗さとか。渋谷(コッチ)は夜景は抜群だけれど、空気はまるでドブ川だ。たまには目一杯深呼吸がしたくなる時もあるのに。

 

(……ああいけない。これじゃあ早晩、ホームシックに陥ったみたいじゃないか)

 

 郷愁の念に自分が少々引っ張られているのを知覚した彼女は、折角の憩いの場が湿っぽくなってしまう、と思考を切り替え緑茶……ではなく生ぬるい缶コーヒーを啜る。お茶所の出身ながら、グリーンティーを愛する嗜好は彼女には無い。

 そんな折ふと腕時計に目をやると、時刻は程なく夜の9時。間も無く屋上が閉錠される頃である。黄昏タイムを切り上げて、そろそろ部屋へと戻らねばならない。階下のロビーで寮友と喋ってても良いのだけど。

 

「大浴場は……今日はいいか。部屋付のシャワーで済まそう」

 

 夜景に背を向け屋内へ。そのままアール・デコ調の装飾で彩られた、矢鱈に貴族趣味なエレベーターに乗り込んで独り言。入浴したら風呂の中でうたた寝しそうだし諦めようか、となんとなしに決めた時。

 

 左手首に一瞬、前触れもなく刺すような痛みが走った。

 

「熱ッ!…………!?」

 

 火傷と錯覚するような感覚。何だ、と思い目をやると熱源は……日頃離さず着けている、腕輪から。

 

(……え?)

 

 疑惑。こんな無機物が急に発熱する熱源足り得るなど、普通に考えれば有り得ない。証拠に今まで10年近く、そんな事一度も無かったのだから。

 

(蜂にでも刺された……?いや、違う。今のは確かに……)

 

 エレベーターに乗り込みつつも、半ば恐る恐る慣れ親しんだ腕輪にそっと触れてみる。ひやり、と冷たい金属の感覚を指が捉える。うん、いつも通りだ。

 御守りがわりの腕輪にあしらわれた、血のように赫く煌めく赤石を見詰めた。瞬間、タイミングよく音を立て、仰々しいエレベーターのドアが開く。目線を上げると、そこに居たのは。

 

「あれ?どうしたんですかぁ、飛鳥ちゃん?」

 

 ボタンを押した格好のまま扉の前に立っていたのは、346プロアイドル部門・第一期デビュー生にして人気ユニット「ハッピー・プリンセス」の一員、佐久間まゆだった。

 階下の大浴場に立ち寄った帰りだろうか、仄かに赤らんだ顔と湯上りと思わしきやや濡れた髪が艶かしい。

 

「あーっと、急に左腕が疼いてね。気にしないでくれ、まゆさん」

 

 言ってから「しまった」、と飛鳥は独りごちる。こんな邪気眼丸出しの解答、彼女に正確に伝わるわけないじゃないか。テンパって素で答えてしまったが、しかし大凡事実なのでどう答えたら正解だったかわからない。

 斜め上の返答にハテナを浮かべたまゆだったが、問い掛けられた側が困っているなら深追いはしない。おっとりしているように見えて実は嘘に敏いの彼女の第六感も、飛鳥が虚言を弄しているとは伝えてこなかった。

 

「そ、そう?大丈夫ならいいんだけど……」

 

「助かるよ、ありがとう」

 

 余談だが、佐久間まゆという少女は(専属のP絡みの事でなければ)基本的にいい子である。というか少し人より情が深いだけで、日頃は寧ろ気配りの人として知られている。決して巷で噂される、安易なヤンデレヒロインなどではない……筈。

 

 廊下のソファで取り留めもない雑談を交えてのち、おやすみと言い合いそれぞれの個室へ向かう。

 帰室した飛鳥はシャワーを浴びるとベットにダイブし、5分も経たず早々にぐっすり。

 

 年不相応に賢いと(いえど)も、なんだかんだで彼女はまだ14歳。早寝はパフォーマンス維持の為の基本中の基本だ。ちなみに副次効果なのか、最近は身長が結構伸びてきたりしているのは全くの余談である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ブルル、ブルル、と。何かが震える音がして、飛鳥は幾分早い覚醒を余儀なくされた。寝ぼけ眼を擦りつつ、布団の中から手探りで枕元のスマホを掴む。時刻は午後2時、草木も眠る丑三つ時というやつだ。

 

(さっきから何だもう……着信?)

 

 と思って探った音の発生源は携帯、ではなくなんと…………腕輪だった。バッテリーどころかボタン電池すら入ってないのに、何故か規則的に振動しているのだ。まるで意味がわからない。

 

(待って……バイブ機能なんて付いてたっけ)

 

 いやいや、10年近い付き合いだけどそんな覚えは全くない。じゃあまさかポルターガイスト?あらぬ妄想に思わず肝が冷えた、その時。

 

『お目覚めかい?小さなお嬢さん(マドモワゼル)よ』

 

「わひゃあっっっ!!??」

 

 頭上から飛んできた声に、弾かれたように素で女子っぽい悲鳴をあげてしまった。キャラ崩壊に繋がるからやめて欲しい。少なくともこんなところ、他の子には絶対見られたくない。

 

 音源たる場所を眺めると、いつのまにか男が一人そこにいた。346女子寮の飛鳥の個室、中空にさも当然というかの如く、その男はふよふよと浮いていた。

 

「き、君、は……!?」

 

 枕を抱えて後ずさる。単なる不審者とかいう枠を超えて音沙汰なく現れた奴は、ゆらゆらと漂うばかりではない。半透明の癖に妙にリアリティあるし、……ああ、もしかしてこれっていわゆる。

 

(ああ、アレだ、コレは夢だ、夢。割とタチの悪いタイプの)

 

 んでもってこの男は、346プロ所属の妖精さんか何かだろう。この事務所キャラが濃い人多いし。にしても疲れてんのかなボク。もしかしたら明晰夢かも。寝落ちドッキリに近い急展開に現実逃避してる飛鳥を尻目に、無情にも男は何やら宣いはじめた。

 

『無礼は元より承知の上さ。夜分遅くに済まないが、少しだけお付き合い願えるかな?君にとっての懸案を伝えに来たんだ』

 

 この時間が尤も私の霊力が高まるのでね、と付け加えて。存外に爽やかな声の主は、涼しげな目元をした年若い紳士だった。

 夏に相応しくない鳶色の夜会服(暑そう)とシルクハットを隙なく着こなし、彫りの深い人種でなければ嵌め込めないだろう銀縁片眼鏡(モノクル)の奥に、艶やかな()()()を秘めている。一見すれば優男そのものの容貌だが、よく見ればその拳は拳打を幾度も繰り出してきたのだろう、鍛えられた武人の手。加えて耳を見遣れば少しばかり潰れている。何かしらの武術の心得があるようだった。

 

 警戒半分に彼の細部を観察するうち、飛鳥も自身のメンタルの安定を図っていたらしく。

 

「……すまない、先ずボクは、貴方に心当たりがないんだけど」

 

 流石にその格好なら、一度見れば忘れないとは思うんだけどね。

 まるで舞台役者みたいな出で立ちの彼に、なんとか調子を取り戻そうと四苦八苦しつつ問うてみる。

 

「ほう、見覚えがない?私に?」と彼は訝しがるも、直ぐに何やら得心がいった様に膝を打った。

 

『……ああ、無理もないか。そういえば()()()()盗んだんだったね。そりゃあ忘れるのも無理はない』

 

 心配していたのは私も同じだったが、と小さく彼が付け加えたのを、飛鳥は聞き取れなかった。記憶?と思わず反芻していたからだ。一体どうやって盗むのだ、そんなもの?思わず尋ねると。

 

『何処って、君の魂からさ』

 

「……………………」

 

 わあ、電波な人なのか。やっぱりこいつは夢の類だ。この時ばかりは奇しくも、自分のことをさて置いて青眼の少女と似たようなリアクションを取っていた飛鳥だった。

 

「……ま、まあいいや。それより一体誰なんだい?キミ」

 

『仔細は尋ねないのかい?今言っても詮無きことだが。……ふむ、その腕輪の()所有者、と言えば伝わるかな?』

 

(…………え?)

 

 少々詰まらぬ話をしよう。神秘を隠匿するには、やはり神秘の多きところに。木を隠すなら森の中、という事だよ。──そう彼は前置きして述べ始めた。何だこの人色々いきなりすぎないか、という心中の飛鳥をさて置いて。

 

『残念ながら私の愛するフランス(そこく)は、年々神秘(ソレ)が希薄になってしまってね。しかし比較すれば未だ古き神秘が、この日本(ジャポネ)には息づいている。だから隠した。()()()悪用されぬように』

 

 キミの巻いてる、その腕輪(バングル)をね。

 

 刺激的フレーズの連打に次ぐ連打。これに半分寝てた彼女の頭は瞬時にフル覚醒までギアチェンジ。現金なくらいの変わり身の早さに自分でも驚いた。数年来の謎を解決する糸口が、僅かばかり見出せた気がしたからだ。

 

「な、……なら知ってるのかい!?コレの、正体……!」

 

 問うなりふふん、と彼はまるで宝物を自慢する子供のように、至極あっさりとその正体を口ずさんだ。

 

『そいつは元々私の(しぶつ)。我が意のままに形を変える幽波紋(アーティファクト)。アイスピックにナイフに鍵になんでもござれ。かつての私の七つ道具にして遺物。そして今は──君が腕輪の適格者(デュナミスト)さ』

 

 要約すると。

 

「貴方の仕事道具で貴重品、てこと?」

 

 いかにも、と彼は一言。

 にしても、持ち主居たんだ、これ。実家のやたら厳重な鍵箱に入っていた、ありし日の腕輪を思い出す。開かずの箱と祖父は述べていたが、どうやら眼前のこの男が箱に入れた張本人だとのこと。

 

 しかしこの腕輪、確か元々身元不明と言うことで譲り受けたものだった。気に入ってるマストアイテムなんだけど。正しい持ち主が見つかったのなら、名残惜しいは惜しいけど、筋から言って本来持つべきなのは。

 

「なら………………返すよ、これ」

 

 彼で、あるべきなのだろう。流石に盗品を巻き付けるのは気がひけたし。元は貴方のなんだろう?だったら、と言外にそう込めて。しかし。

 

『いいや、これは君が持つべきだ。古き物は行く先を自ら決める。君が箱を開けたなら、腕輪の寄る辺は君の側だ』

 

 にべもない拒否どころか、寧ろ背中を押されてしまった。更に「そうそう、ついでに君に伝言があってきたのさ」などと彼は付け加え始めたのである。

 

「伝言?」

 

『ああ。というよりこちらが本題だ』

 

 君のご両親や祖父母と違い、私は「可愛い子には旅をさせろ」派でね。というわけで、包み隠さず行かせて貰うよ。

 何やら意味深な言葉を発した彼から紡がれた言葉は、例えるなら、船の汽笛の鳴る合図。

 

『……間も無く、君のもとにも嵐が来るだろう。私と再び(まみ)えたのがその証左。再起動の時は近い。君に宿りし───幽波紋(スタンド)の才が目覚める時が』

 

 ──出航の帆は、此処に張られた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 妙な切り出しから始まったのは、彼が持っていたという不思議な力について。

 

 男が織り成す妙なる話に引き込まれていたのに、未だ外は宵闇の中。幾分時が経ったかに思えたがそこまででもなかったらしい。でもって話を聞くにつれ、聴きたい事も比例して増えていく。

 

「……ホントに実在するのかい?そんなチカラが」

 

 何言ってんだこいつ。聞くに任せた荒唐無稽な話の感想は疑問符つきのものだった。

 

 ただ彼女が疑ってかかるのも無理はない。成る程確かに引き込まれる面白いストーリーではあった。それでも疑う理由は一つ。飛鳥にも無論あるのだが、人は誰しも超常の能力に憧れる生き物である、()()()()である。

 フィクションを例にとれば、例えばかめはめ波が撃てないか練習してみたり、水見式を実践してみたりした人は、恐らく少年ジャンプの熱心な読者あたりに少なからずいるだろう。本気かどうかは別としても。

 

 漫画でなくても実例はある。エルサレムに行っただけで「天啓を得た」と勘違いしたり、こっくりさんをやって「本当に降霊に成功した」と思い込んだりと、人間は古くから人知の及ばぬ力に焦がれてやまない。

 しかしそれらはあくまでフィクション、現実にはあり得ない。本気で言ってるなら脳の異常か薬物乱用を疑うべき。そう、思っていたのだけど。

 

『無論、事実さ。ヒトの魂とは我々が思う以上に強く、そして柔軟なのだよ。それを変質させて得るチカラこそ───』

 

 ───自らの側に現れ立つ、力ある像。通称…………

 

「スタンド、だっけ?」

 

『ああ。そして君の望み如何に関わらず、セカイは君を放って置かない。その時君に、悪霊と手を組む勇気はあるかい?』

 

「……どうなるんだい?誘いに乗れば」

 

『君を取り巻く全てが変わるさ。自分次第で良くも、()()()ね』

 

 成る程。徹頭徹尾自己責任とは分かりやすい。

 スケールが大きすぎて未だに眉唾だけれども。もし本当ならこんな話に、こんな時「ボク」が返す答えは、きっと一択なんだろう。

 

「──いいさ。ならキミのいう悪霊とやらと、相乗りしようじゃあないか……!」

 

 ブレない初志を貫いてこそ、二宮飛鳥はアスカ足り得る。にべもないその即答に、紳士はニヤリと人を食ったような笑みを浮かべた。

 

『宜しい。その意志確かに受け取った。ならば君の(ココロ)に掛かりし鍵、私が「解錠」しておこう。何、()()()()十八番(オハコ)でね』

 

 いやどんな十八番だ。それじゃあまるで泥棒じゃないか。

 見た目品が良さそうなのに、本性は一体どういう人なんだろう。興味のままに飛鳥は、もう一つ聞きたかったことを誰何する。

 

「……そういえば、結局貴方は誰なんだい?」

 

 予想したけど正体分からなかったし、と考えてると。

 

『気付かないかい?キミと同じこの()()()で』

 

 返って来た答えに眼?と言われて考え込む。純日本人ではあり得ない発色の、自分の眼。義眼でもカラコンでもない、密かに気に入ってる紫紺の瞳。幼少期は周りと比べて目立つので気にしていたこともあったが、今ではチャームポイントとして成り立ってる自分の一部。

 鏡で毎日見てるそれと彼の眼の色は、言われて見るとよく似ている。どころか、全く同じじゃあないか?

 

 ………………ならば、眼の色がヒントって事は。

 

「……あの、貴方は……」

 

『まあ、勿体ぶる程でもないかね?ならばとくと聞くが良い、君にも連なる()()の血を。我が名は…………』

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ジリリリリリン!

 

 やにわに鳴り響いたけたたましい目覚ましの音で、二宮飛鳥は目を覚ます。

 

「な……」

 

 無機質で無遠慮な機械音に、ここ一番のクライマックスを遮られたと理解するまで、寝ぼけ眼で約3秒を要した。

 

「……此処で終わりぃ!?」

 

 凄いイイとこだったのに!……というか、今の。

 そこでハッとなって枕元に置いてあるブレスレットを急いで手に取り、まじまじと改めて見つめる。

 猛禽の尾羽を象った金の台枠。中心に据えられた不格好ながらも鈍く輝く赤石は、いつもの如く見ているだけで吸い込まれそうな妖しい魅力を放っていた。

 夢の主役はそんな感じだし、何より一番の懸案は、今しがたまで夢に出てきてたあの回りくどい話し方のイケメンだ。

 ボクは、彼の顔を、確か。

 

(……昔、何処かで見た気がする。こう、喉元あたりまで出掛かってるんだけど……)

 

 思わせぶりな台詞から分かったのは、どうやら自分の血縁者ということだけ。それも恐らく自分の先祖に類する人間。しかし、特定する要素があと一歩って所で出てこない。一抹の気持ち悪さを感じたが、加えてそれに勝るくらい、何か。

 

「……諸々含めて何か、腑に落ちない気分だよ…………」

 

 まあ、あまり愚痴ってもしょうがないか。夢に関しては運が良ければまた続きが見られるだろう。かの男もあと二、三回みれば誰か見当がつくかも知れないし。

 とりあえず学校行かなきゃ。思い立つと掛け布団を手早く畳みだす。

 先程までみていた筈の奇怪な夢のことなど、その時はもうすっぱりと頭の片隅に追いやっていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(結局、気が散って授業どころじゃなかったな……)

 

 なんだかんだ日中は夢がリフレインしてきて、色々上の空だった。ただでさえ超常のチカラに憧れる年頃であるからして無理もないが。

 さて帰宅した飛鳥は夕食もそこそこに自室へ籠り、部屋で独りごちていた。目の前にあるのはかの腕輪。目的は勿論───

 

(あの怪しいヒトの言うところに拠れば、だ)

 

 ───スタンド。授業中に有りっ丈の脳内ストレージを動員した結果、この概念はこないだ買ったゲームに出てくるペルソナなるものによく似ている。となればそれは、素質もさる事ながら精神力や気の持ちように強く依存するんじゃないか、と勘繰った。

 仮にスタンドが、実在するとなれば。

 

(眉唾でも試してみる価値は…………ある気がする)

 

 怖いもの見たさ半分、興味半分。好奇心は猫をも殺す。

 幼少期、誰しも一度はやってみるだろう無謀無茶。例えば水面を歩く練習とかその類の。正に彼女はこの時、真実童心に帰っていた。

 呼吸を整え背筋を伸ばし、自分だけの像を強く念じる。何、妄想力なら過分にあるから心配ない。

 

(世界中のどこかにいる、……ってコレは駄目だ。抑止の輪より来たれ、天秤の……いやコレも駄目だ)

 

 大事なのは文言じゃないだろうと、何となくアタリをつける。何ら根拠が無いけれど、込める願いの純度は100%だった。それが奏功したのだろうか。

 

(出てこい、ボクが結ぶ、ボクだけの魂の(ヴィジョン)────!!)

 

 気合いを入れて念を込めると、現れたのは。

 

 ……中空に鎮座する、真円を描く球体だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 無機物のような質感を持つ銀色の球体。表面は滑らかで一片の傷もない。一言で言うと…………なんか謎の物体だった。

 

「…………えっ?」

 

 なんぞこれ。いやこういう時って大概アレでしょ、お約束でなんかカッコイイ、赤い外套の英霊とか燕尾服の悪魔執事みたいのが颯爽と出てきて、んでもって主従揃って謎の事件とか戦争を経てセカイを救ったり禁断の恋に落ちちゃったりするやつでしょ?ジャンルが遊星からの物体Xとかになってない?というか。

 

(………………何、この丸いやつ)

 

 見た目的にはまるで。

 

「…………GANTZ……?」

 

 そう、大きさとか存在感とか、某人気青年漫画に出てくる謎の黒い球体そっくりだった。色違いなあたり格ゲーの2Pカラー感があるし、一旦そう思うと、心なしか中に人とか武器とか入ってるような気もしてきた。ただ目下の問題は別にある。何故なら。

 

(どうしよう、何も動きがない……)

 

 空中に鎮座している謎の球体は、まるで指示待ちでもしてるかのごとく動かない。お前から干渉してこいよ、とでも言いたいかのようだ。

 

(…………触るだけ、触ってみようか)

 

 怖いもの見たさも兼ねて恐る恐る、ぴと、と手を触れた瞬間。

 

Commencer(生体認証) un() biométrie(開始します)

 

「!?」

 

(喋っ、た、!!?)

 

 いきなり球体から投げかけられたのは─自身の聴覚が正常ならば─フランス語に他ならない。驚きから手を離そうとするも、何故か掌が吸い付いたように離れない。まさかの事態に困惑しつつ悪戦苦闘ののち、約三秒後。

 

J'ai(現在状況) vérifié a(を確認) situation(しました).Voulez-vous(設定言語を) changer la langue?(変更致しますか)?』

 

 尚も飛んで来た第二声で確信。間違いない。暫くぶりに聞いたが、これは確かに日本語ではなくフランス語。にしても……言語設定?相次いで突飛な事を言い出す球体に、飛鳥は思わず首を捻る。

 

(……ていうかこれ、ボクに向かって聞いてるって事でいいん……だよね?……そもそもスタンドって皆独立した自我を持ち、且つ……意思の疎通が出来るものなの?)

 

 夢の中のおっさんにもっと聞いとけば良かった。疑念は山程積まれつつある。しかしまあ、だんまりも良くないか。色々とツッコミ所満載だが、答えを一応この球体に倣って返そう。返答をくれるかも未知数だけど。

 

「Si possible(出来るなら), je vais(日本語での) demander(質疑応答を) en japonais(願いたいね)

 

 半信半疑ながらボールを投げる。別にフランス語でもいいと言えば良いのだが、正直言って常用してないので頭が疲れる。お陰で現在言語野が絶賛フル回転である。こちとら母語は日本語だし、最近勉強してるのはドイツ語なのだから。

 

(そう言えば、東京来てから初めてまともに喋ったな、フラ語)

 

 なら言語設定は英語の方がいいんじゃあ、って?学校で習ってる途中だから後回し。ただし、英単語の半分近くは元々仏語からの借用であり、加えて文法は同じラテン語圏。ということもあって飛鳥は大して勉強せずとも、中学英語の試験程度なら高得点を余裕で取れるのだが、そんなことは今はさて置き。

 彼女のネイティヴ顔負けのアクセントのフランス語を言葉正しく認識したのか、謎の球体は程なくお返事をくれた。

 

Entendu(了解しました).Modifier(フォーマット) le() format(日本語) en() japonais(修正します)

 

 宣言の、きっかり二秒後。

 

『……解析終了。それでは名をお教え下さい、ご主人様(マドモワゼル)

 

 本当に日本語対応だった。親切設計なのかそうでないのか。なんて七面倒くさい仕様なんだ。これを作ったのは余程の捻くれた奴だろう、作成者出てこい。…………あ、ボクだったか。

 

「……二宮飛鳥。ファーストネームで構わないよ」

 

『登録完了。それではマスターと呼ばせて頂きます』

 

「ね、今の台詞聞いてた?」

 

 なんだこのスタンド?会話の双方向性が意味消失してないか?

 

『貴女様。それと提案がありまして』

 

「それは良いけどマスターって呼ぶって決めてなかったかい?」

 

 やばい、このマイペースぶりは疲れる。逃避したい。もうエクステ外してるし、このままお風呂入って寝たい。

 

「……ま、まあいいや……どんなのだい?」

 

 埒があかないとばかり半眼になりつつも先を促すと、謎の球は何事か語り出した。

 

『親睦を深めるためにも、参考までにスリーサイズを教えて「却下」……な、何故ですか、ご主人様!説明を要求します!』

 

 聞く意味が分からない。しかも呼称また変わってるし。

 

(こんなんばっかか、ボクの周りは?!)

 

 ラウンズの歳上三人といる時に匹敵する。いや、彼女達は皆基本いい人なんだけど。偶に志希主導で頭のネジ飛ばし大会を始めるから手に負えない時があるだけで。

 何せ常識人だと思ってた美波・文香ペアでさえ割とノリノリなのだ。ああいった普段大人しいだろうタイプがはっちゃけてしまうのは、親しい人の中に思い切りブッ飛んだ奴がいる場合と相場は決まっている。朱に交われば赤くなる、とはけだし名言である。

 

 偏頭痛を幻覚しながら額に手を当てた彼女は、健気にも続きを促す。

 

「ああ、ボクから一つもいいかい?……スタンドを使いこなすには、一体どうすれば良い?」

 

『Don't think , feeeeeeeeel!』

 

 鮮やかな即答だが全く役に立たない。ブルース・リーをリスペクトしてるのかは知らないがこちとら乗りこなし方を聞いてるんだ、コツを教えろコツを。

 

「……あのさ、せめてもうちょっとマシなアドバイスを」

 

『考えるな、感じろ』

 

 思わず蹴ったのは悪くないと思う。しかし痛くなったのは蹴った自分の脚の方。文字通り金属めいた手応えも加味された一撃に、向こう脛を抱えてぷるぷるしながら蹲る。

 

「…………いっ……痛っつぅ……!」

 

『そりゃあ貴女のスタンドなんですから。ダメージは自分にフィードバックしますよ』

 

「ご丁寧にどうもね……!てか今初めて聴いたよ其れ」

 

 なんだこのめんどくさいスタンド。

 

(……あー、凄く疲れた。……もう寝よう)

 

『おねむですかお嬢様』

 

「静かに」

 

 もう限界だ。

 形成していたスタンドを、集中を解き霧散させる。ベッドに半ば飛び込む形で潜り込むと、そのまま朝まで不貞寝した。

 

 スタンド使用が()()初めてながらここまではっきり、しかも長時間の持続を可能とする。その意味するところ、彼女もまた───ある種の、天才であった。

 

 

 ☆

 

 

 

 翌日夕刻。夜の渋谷区を疾駆するのは、昨日そんな事があって今一寝不足気味の橙髪の少女であった。

 

(しまった、すっかり遅くなっちゃった……!)

 

 名を誰あろう、二宮飛鳥。学校帰りに友達と買い食いした後カラオケいってダーツ、という中学生活を満喫してたら、気付けば寮の門限近くになっていたことに気づいたのがついさっき。そんな訳で間に合わせんと健脚に鞭打って走ってる最中であった。

 

(こうなったら近道、使おうかな)

 

 プロダクションから寮へ向かう、非推奨の近道。即ち大通りではなく坂を上る裏道を使う。

 

(正直言って、あんまり好きなルートじゃ無いんだけど、ね)

 

 実は彼女の今通ってる道、プロダクションから直々に「通行をおススメしません」とついてる所だったりする。

 なんたって立ち並んでるのは怪しげなホテル街とアダルトショップと風俗店。おまけに声をかけてくるのはキャッチのおっさんかポン引きの売人。道端には吐瀉物とタバコの吸い殻、運が良ければ靴の裏にもれなく吐き捨てられたガムがついてくる、という通りなのだ。歌舞伎町もかくやといったロクデナシのよくばりセットである。

 

 ふらついている千鳥足のおっさんをかわしつつ、通りに足を踏み入れる。と、やはりというべきか何処からか饐えた臭いが漂ってきた。思わず整った面貌にしかめ面を浮かべる飛鳥。

 しかし、ここで一つ、酷く違和感。気付けばいつもは平日夜でもそれなりに賑わう裏通りに、人っ子ひとりいないのだ、()()()()()()

 

 その時だった。

 出て曲がりきったその先に、ある()()の姿が目に入る。

 

(こんな時間に、こんな所に小さい子供?)

 

 明らかに不自然だ。1mもない背丈の低さからして小学生未満だろうか。迷い子ならば保護すべき、そう思い立ち。

 

「……あのさ、君どこから来たの?迷子……だったり?」

 

 親切心で声を掛けた。……後から思えば、これが大きな間違いだった。

 

「ダアレ、オネエサン?」

 

 そう言った子供は勢い良く振り向いた。前を向いていた()()()()()()()、180度回転させて飛鳥に向けて。

 

「なっ…………!」

 

 グリン!!とこちらに向けて振り返った少年は、その挙動一つだけでも明らかに異常だった。

 

(……違うッ……唯の子供じゃあ、ないッッ!!)

 

 恐怖からか思わず自分が後ずさりするのを知覚する。しかし発した言葉は消せない。飛鳥を認識したのか不意にぎょろり、と此方を向いたソレは、不意に彼女が左腕に付けている腕輪に嵌められた()()に目をやった。

 

(腕輪、を見てる、のか……?)

 

 永遠にも思える一秒が立ったのち、瞳孔の開き切った少年はなにかの確信を掴んだように口角を吊り上げる。口の中から鉤針を覗かせる少年が発する、感情を鋳潰した声が耳朶を打つのを、飛鳥は半ば茫漠と聞いていた。

 

 

「……ミツケタ……!」

 

 




・奏のスタンド
発現しかけ。

・丈瑠のスタンド
まだ引っ張る。

・飛鳥のスタンド
なんでしょう。

・飛鳥の血筋フランス系設定
アイマス恒例、中の人ネタ採用。

・謎のおっさん
一体何セーヌなんだ…。

・謎の子供(?)
多分きっとスタンドが使える。


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016/ 3人目

150714





 不細工な寄木細工。第一印象はそれ。ヒトガタの歪なソイツは不躾に飛鳥の手首を見遣ったかと思うと、捻れた頭の向きもそのまま、適当な自己紹介をし始めた。

 

「ハジメマシテ。ボクノ名前ハワイアード」

 

 響くのは機械みたいに無機質な声。抑揚も感情も須らく削ぎ落とされた、まるで壊れかけのレコーダー。これが子供?単なる、迷子?

 

(こりゃあ、どう見ても……)

 

 いいや、聞いといてなんだけど。

 

「訳あり迷子、って感じだね……!」

 

 視界に映る周りの光景だってそう。夕刻の渋谷で、気付いたら図ったみたいに自分の周りからヒトがいなくなってるなんて、どう考えも不自然だ。何らかの()()()が働いてるとみていいだろう。

 常人なら不可能な程に首を傾斜させてるアレも違和感を助長する。加えて口内にワイヤー仕込んでるくらいだ、十中八九人間じゃあない。そこまで思った時だった。

 

「オヤゴ明察。実ハスタンド使イナンダ、僕」

 

 不躾なカミングアウトが、飛んできた。

 

「な…………!!?」

 

 驚愕。昨日の今日でホントに来るとは。偶然に鉢合わせた?それとも、奴が最初からボクを狙ってココまで尾いてきた?……まさか。

 

(ボク自身が、()()()()()()()ッ……?!)

 

 脳裏で先日夢に見た、シルクハットの男の言葉がリフレインする。曰く、『スタンド使いは引かれ合う』。

 ──どうやら、言葉は違わず正しかったらしい。奇しくも一昼夜の内に、託宣の受者は望まずして希求せぬ状況に陥ってしまったのだから。

 

「ナンダ、ソノ様子ダト知ッテルンダネ?スタンド」

 

 じり、と。気付けば後ずさりする自分がいた。立ち止まって考える時間が欲しいにも関わらず、退いたのは本能的な恐怖を感じた故か、はたまた生存本能の発露か。

 

「ナラオネーサン、早速ダケド……」

 

 此方が後退するも尚、御構い無しににじり寄る奇妙な組み木。「生ケ捕リカ、殺スカ。赤石ナラ閣下ニ渡セバ()()出来ル」。……意味不明な独り言を、ひとり呟き続けながら。そして。

 

「死ンデクレナイ?」

 

 ビシュッ、と鳴った風切り音と共に来る、硬質でマイペースな声。次の瞬間飛来したのは──鉤針付きのワイヤーだった。

 

「!!!!」

 

 咄嗟に首から上を右に傾けた。躱せたのは、疑いなく奇跡だろう。(つんざ)く余波で後ろに靡いた毛がはらりと舞い、通過した鋼線に拠り、エクステが数本ばかり地面に落ちた。

 

(本気で殺る気か、この人形……!)

 

 驚愕。突如差し向けられた、剥き出しの殺意。反応が遅かったなら頸動脈に直撃コース。瞬きをする数瞬の間に、血の気が引いていくのを感じる。もし判断を誤れば、今頃既に虫の息なのは必定だった。

 

「?……ヨケルト痛イヨ?」

 

 んなこと言われなくても理解る。伸ばされた狂気の糸が機械仕掛けの口腔内に再び格納された事に、最大限の警戒を保持したまま。

 

「……いきなり、随分な歓迎の仕方だね……!!」

 

 剥き出しの本音。付け加えれば、喋っていないと恐怖で思考がどうにかなりそうだった。言ってみれば、自衛の為の減らず口。

 

「アリガトウ?」

 

 褒めてないっての。距離を取ることに留意しながら、こんな時でも心の冷静な部分が反射で返す。

 

「ソウソウ、ツイデニネ、『遺体』ヲ知ラナイ?オ姉サン♪」

 

 ──()()ヲ持ッテルノナラ、知ッテルデショ?続け様にまた、奇怪なことをぶつぶつと。

 

(……遺体?赤石?)

 

 赤石、とはブレスレットに付いてる欠片のことだろう。律儀に答える義理もないが。でも……遺体?なんなんだ、一体。

 

「……何の事だか、サッパリだねッッ!」

 

 再び咆哮。人は死に瀕した時、或いは命の危機を感じた時に走馬燈なるものが見えるという、が。しかし極限状態に追い込まれて尚、彼女はそんなものが見えるどころか、不思議と至って冷静だった。

 

(相手が飛び道具を持ってる以上、丸腰のままじゃあココから無事には逃げ切れない……!)

 

 その為には奴をどうにか撒くか、倒すかしかない。でも、どうやって?考えながらも凡そ渋谷駅方面へと後退を続けていく。

 昨日出てきたスタンドを発現させて闘う?……無理だ、あのロクに動けもしない玉コロに何が出来るとも思えない。大体あいつ「スタンドは何かしらの能力を持つ」とか言ってたのに、自分の能力の一端さえ全くわかってなかったし。そもそも。

 

(上手く発現させる為に、じっくり集中する時間がないッ……!!)

 

 昨日偶々上手くいったのは、本人が落ち着いていたからこそ。今の飛鳥は、スタンドを使いこなしていると云うには程遠い。証拠にさっきから何度も念じているのに、一向に球体は出て来てくれない。

 

(フツーはこういう(ピンチの)時って、直ぐ様特殊能力が使えるのがお約束だってのに!)

 

 しかし、現実とはそこまで都合良く出来てはいない。力が上手く使えなければ、代替案で乗り切るしかない。

 何か、何かないのか。戦うための、武器はないのか。藁にも縋る思いで周囲を見渡す。周りにあるもの──カラーコーン、ペプシの空き缶、タバコの吸殻。壊れた自販機に赤茶けたベンチ、錆の浮いた古びたゴミ箱。無情にも、街の主だった備品は精々それくらいだった。

 

 残念ながら、銃どころかナイフも小石も周りにない。タダでさえ無謀な賭けの上、素手で闘うなら勝率などゼロどころかマイナスだろう。ここで飛鳥は戦闘という選択肢を破棄。残る手段は「撒く」以外ない。

 

(…………ああ、もうッ!)

 

 腹を括って早足中止。一目散に敵へ背を向け、逆方向へ走り出す。視界の隅に奴を置きつつ、後退するのはかなりの疲労を伴う作業。仮に武器が有ったとして上手く扱えるか分からないが、心的疲労は多少軽かっただろう。

 現状転んでないだけ及第点だが、これでは八方塞がりだ。

 

「鬼ゴッコ?イイヨ、付キアッテアゲル!」

 

 取り敢えず、角を曲がって一旦隠れてやり過ごす。よしんばそのまま隠れて逃げ切る。「宇田川町方面」と書かれた看板を横目に電柱を横切ろうとした、その時だった。

 

 風切り音と共に再び何かが放たれる音のした、直後。

 

 

(痛ッ!──ッッッ!!?)

 

 グジュ、と何やら繊維の潰れる音がしたと思ったら、左脚に抉られたような鋭い衝撃。堪らず均衡を保てず、もんどり打って前方へと転がるように崩折れる。挙措動作に明らかな異常を来した、脚を見遣ると。

 

「……ン、……なッ………………!!」

 

 

 

 ───鋼線付きの鉤針が、彼女の左脹脛(ふくらはぎ)に深々と突き刺さっていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 浅葱色のデニムを易々と貫通し、少女を地に縫い止めんとするソレ。直ちに治療を施さねば、恐らく一生消えぬ傷が残るだろう。路面のタイルの目に沿って、瞬く間に鮮血の道筋が被さっていく。

 

(………………ゔぁ、ぁッ…………)

 

 本当に痛い時って、声すら碌に出ないのか。逃走経路を何とか組み立てていた思考は、塗り潰されたかのように真っ白になりつつあった。

 

 一撃で既に満身創痍。転んだ時に擦ったのか、擦過傷も半袖から伸びる白い腕の至る所に出来ている。何よりも金属片が与える苦痛に耐えかね、途切れ途切れの呻き声が形の良い唇から漏れ出でる。

 そして、今まさに激痛に苛まれる彼女を作り出した下手人は。

 

「アア、当タッチャッタカ」

 

 甚振(いたぶ)るつもりだったのか、酷薄極まりない台詞を吐き捨てた。

 同時、着脱式なのか華奢な脚に残酷な鉤針を残したままに巻き取られた鋼線は、再び宿主の元へ戻っていく。……が、やがて第二射がくるのも時間の問題だろう。

 

 降って湧いた痛みと恐怖、次いで怒りと戸或い。心中の様々な念を攪拌器でかけたような心にしかし一番強くあったもの、それは。

 

(動け、動け、動け……………………動けッ!)

 

 意外な事に、この状況を打破出来ぬ自分への失望だった。そうだ。厨二病ならこんな想定やら妄想、これまで何回だってやってきた筈。在校中や旅行中に未知の敵に襲われて、余裕綽々で撃退する。そんなシミュレーション、脳内で空想した事は一回や二回じゃない。

 

(なのにいざなってみたら、このザマか!)

 

 真横のブロック壁に寄り掛かりながらも、なんとか自立を模索する。

 ──が。満足に動くどころか碌に立ってもいられない激痛に期せずして膝をつく。失血を僅かでも押さえるべく傷口に添えた左手は、既に真紅に染まっていた。徐々に血の気も引いていく中、それでも少女は懸命に足掻く。

 

(落ち着け、落ち着け……!血が吹き出してないから動脈は逸れてる、踵は動くから腱も切れてない筈だ……!今やるべきは敵から離れつつ、注意を怠らない事……!!)

 

 頬に冷や汗が浮いて来ている中、ギリギリと自分の口が鳴るのが聞こえる。必死で痛みを堪える歯軋りの音だった。心拍が激しく脈打っている分だけ流れる血液の鉄臭い匂いは、鼻腔から否応なく残酷な現実を叩きつける。

 絶望的な事態は既に、逃避の時間すら与えてくれない。

 

「ネエ、コレデ終ワリ?………………アーア、ツマンナイ」

 

 ……モット楽シマセテヨ、僕ヲ。まるで新しいおもちゃを買ってもらったばかりの子供のような笑顔を貼り付けた人形は、確かに笑ってそう宣った。そうこうしている間にも、出血は収まる気配がまるでない。早急な輸血が必要になりつつあることが、蒼白になっていく顔からも見てとれる。

 

(……逃げ切れる、のか?……ココ、から……)

 

 勝算がほぼないことを知りつつも。呪詛に近い勢いで身体は指令を出し続ける。動け。動け。動け動け動け動け動け動け!動けッッ!!!

 

「ぐ、ッ………………!」

 

 悲愴な思いと裏腹に、左脚には力が入らない。無理もないだろう、込めた端から血が抜けていく有様だ。精神的疲労も際限がない。

 それでも血痕を散らしてまで、無理矢理這いずって進もうとする。不自然なまでに他者のいない周囲の世界に、妙な感覚を覚えながら。

 

(諦めるな、まだッ!)

 

 まだ、希望は……。一縷の望みを込めて、不自由な足で必死に前へ踏み出す。

 

 ───しかしその先は無情にも、行き止まり。

 其処には経年劣化でヒビ割れたアスファルトと、無造作に積まれたブロック塀とが聳えるだけだった。

 

「……そん、な………………!」

 

 思わず舌打ちしそうになる。

 ───此処で、死ぬのか?ヒトガタの足音は刻一刻と近づいてくる。絞首台に登る死刑囚とは、こんな心持ちなのだろうか。気を張り詰めた視界のピントも、徐々に霞んで定まりやしない。やがて。

 

「ザーンネン、行キ止マリ♡」

 

 声と共に。左腕のバングルに据え付けられた赤石が、鋼線の強襲に因り吹き飛んだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 バチィ、と腕輪を弾いた鉤針は、ついでとばかり彼女の左手首も傷つける。呻く暇すら与えられない。更に人形は飽き足らぬとばかり、飛鳥の持っていたクラッチバッグから飛び出た手帳を───貼られたプリクラの上から、ご丁寧に目の前で踏み付けた。

 

「ネエネエ、ドンナ気持ィ!?全テヲ奪ワレテ死ヌ、ッテノハサア!!?」

 

 ギャハハハハハハ!下品な哄笑が、些かどころではない大音量で木霊する。

 しかしそれは幸か不幸か、途切れかけの彼女の意識を逆に繋ぎ止める役割を果たした。朦朧とする意識の中、歯を食い縛りブラックアウトに辛くも耐え、声の方角を辛くも睨みつける。

 

(こンのッ、木偶人形…………!)

 

 …………まるでヒトを、玩具みたいに……!

 

 どうやら相手はとことん救えぬ下衆らしい。人の大事なモノを奪うに飽き足らず、無二の思い出を踏み躙り、仲間を傷つけ否定する。私の、掛け替えのない日常すらも。全て。……全て?

 

 

『……巫山戯るなよ。ならば貴様の本体ごと、()()()にでも変えてやろうか?』

 

 怒りで頭がスパークしそうになった瞬間。聞こえぬ筈の内なる声が、聞こえた気がした。

 

(……良いのか?こんな輩に只、弄ばれたままでいて)

 

()()の如く轟く憤怒。それこそが彼女の魂に眠りし炎。己すら焼きかねない衝動に突き動かされるように、少女は無機質なアスファルトに爪を立てる。一昨日綺麗に塗ったばかりのグロスが剥がれ、指先に血が滲むのも御構い無しに。

 

「…………いいや、まだ死ぬワケにはいかないさッ……!!」

 

(ンなわけないだろッ、二宮飛鳥!!)

 

 血走った目を、更に細めて。心自体が灼けるような感覚を覚えながら、渦巻く()を濾して御す。

 

(…………そうさ、まだだ)

 

 這いずりながら一歩進む。走るのは、もう出来ない。

 

(まだ、何もまともに成してないのに……)

 

 血に塗れたまま、もう一歩。膝から先の感覚がない。

 

(何も碌に、理解ってないのに……!)

 

 筋繊維の切れる音にも構わず、更に一歩。……もう、歩けない。でも……。

 

「ボクは……未だ『証明』出来てないんだよッ……」

 

 ……まだ手を伸ばせば、僅かに届くッッ!

 

「こんな所で死ぬ為に、生まれた命じゃあないってコトをッッッ!!!!!」

 

 犬死なんぞしてやるものか。コイツは、コイツだけは絶対───ブッ壊すッッ!!!

 

 そう『覚悟』して震えながらも伸ばした指が、再び白銀の腕輪に触れた時。

 

 

『──────発動条件充足を確認。此れより───「解錠」を開始する』

 

 

 

 唐突に再臨したあのお喋りな球体が、彼女を丸く包み込んだ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 直ぐさま反転。一瞬暗転。間も無く彼女は眼を開けた。

 

「ココ、は…………?」

 

 広がるのは一面の白銀。でも雪景色とかではない。強いて言うなら繭の中。例えるならそんな感じ。

 見渡す限りの銀糸に覆われた不思議な世界。さながら鏡の国に迷い込んだアリスだろうか。モノクロみたいなセピアみたいな、奇妙なセカイの中で、突如。

 

『矢張り来れたか。内側から見てて少しヒヤヒヤしたけれど……私の見立ては間違ってなかったようだ』

 

 振り向くと、いつのまにか。シルクハットを片手でクルクルと回しながらそう語る、一昨日ぶりくらいに会う紳士がいた。自称・腕輪に宿った妖精とやらは、怪しさも相変わらずだった。

 

「あの、ココは?」

 

 何処?……というか、それよりも!こんなとこにいる場合じゃあないんだ、ボクは。何たって現在進行形で、あの人形に殺されかけてるんだから!

 

 表情に分かりやすい焦燥が浮かんでいたのを悟られたのか。

 

『ああ何、心配するな。時の流れは気にしなくて良い。此処は誰しもが持つ精神世界、時間の流れは存在しない。……序でに、君の脚を観てごらん』

 

「えっ?…………あ、……なん、で……!?」

 

 言われて脚を見遣ると。あれ程の深手を負った筈だった左脚が、いつのまにか綺麗に治っていた。何時の間に?どんな原理で?ここは入るだけで全回復する部屋とかそんななのか?

 ……エリクサーでも持ってるのか、このおっさん?

 

『簡単さ。私が君の怪我を「盗んだ」。命以外は何でも盗れる。それが私の能力だからね』

 

 尤もノーリスクってワケにいかないんだが、まあそんな話は重要じゃあない。大事なのは君の話だ。

 

『さて』

 

 いきなりだけど、哲学の話でもしようか。

 唐突に脈絡のない発言をした彼は、マイペースにまた話をし始めた。……黙って聞けと、言うことだろうか。

 

『──かつて、古代希臘(ギリシャ)の哲学者パルニメデスは、「存在」を完全な球体である、とした』

 

 歩みをこちらに進めた、かと思えば。コンコン、と確認するように、飛鳥の眼前にある銀色の球体を叩く。抗議めいた声が内部から聞こえた気がするがたぶん気のせいだ。

 

『しかし、アリストテレスはソレを比喩に過ぎない、と断じた。では…………』

 

 紫紺(ヴァイオレット)を湛えた眼が、此方へ向いた。

 

『……キミは、どんな存在(カタチ)を心に描く?』

 

 つつ、と真円の球体を指でなぞって、彼は問う。

 

 神とは実在しないだろう不可視の「存在」である。神は己の内に在る、いわば不可視の概念でもある。

 ならば───見えぬ筈の神の存在を「証明」出来れば、存在論(オントロジー)とは立証され得る。

 そして神を持つ生き物は───いつの時代も人間だけだ。

 

「ボク、の……?」

 

『そうさ。猿や鼠()の持つスタンドとヒトのスタンドは其処が違う。即ち──神を宿すか否か、だ』

 

 飛鳥は其処で思わず、昨日発現させた銀の球体を見遣る。自分が「何も出来ない」と見なしたアレは、即ち存在を確立し得ず、神を宿さぬ(から)の器。

 

『そして、()に篭った雛鳥の末路は二つ。閉じ籠ったまま死に至るか、殻を自力で破るかだ』

 

(殻を、破る……)

 

 言葉がストンと腑に落ちた。思わず両の、目を閉じる。

 

 思春期の真っ只中、自己のアイデンティティの確立にもがく少女の魂。言って見ればそれは、正に真球のような、殻に篭った卵とも取れる形をしているのではないか。自らの精神世界の奥深くに入り込んだ少女は、明察の中瞑想する。

 

『……その調子だ。そのまま深く、息を吸うんだ』

 

 言われるがまま深呼吸。ブレスを整え呼気を乱さず、確たる意を込め集中する。己が魂の像を、強く描いて心に結ぶ。

 

 すると────直ぐ様、どろりと。いつの間にやら飛鳥の左手首に再び巻きついていたバングルが、まるで飴細工のように形を変えて()()()()()

 

「……!」

 

 驚いて振り落としそうになる衝動を何とか堪え、そのまま経過を見守る。先程まで確かに形状を保っていたはずの腕輪は水銀が如くに不定形となり、やがて一本の鍵へとカタチを変えて…………飛鳥の掌に鎮座した。

 

「腕輪型の形状自体が贋作(フェイク)だったのか……!?」

 

 常日頃から肌身離さず、彼女が御守り代わりにしていたアクセサリー。ソレが今、彼女が日頃より思い描く「真の(シン)セカイ」を開ける鍵そのものの形をしていた。

 古めかしい重厚なデザインの鍵は何故か、少女の手に吸い付くような、身体の一部みたいにしっくり馴染む感覚を与えてくる。そして同時に鍵を通じ、かつて()()()()()()記憶が、アタマに流れ込んで来た。

 

 怒涛のように押し寄せるそれに、思わず右手で海馬の近く辺りを押さえて膝をつく。溢れんばかりの濁流は、彼女自身の10年前の、()()()()()()()()を綺麗に晴らしていった。暗から明へ。宵から明けへ。霞が晴れてヴェールが解けた、その先に在ったのは。

 

「…………思い、出した…………!ボクは、あの時…………」

 

 あの時。10年前に腕輪の入ってた匣を開けた時、朧げながら自分の背後に、自分の知り得ぬ自分を観たのだ。既に、ボクはあの時出会っていた。球体ではない、自分が魂に描いた存在に。

 

『名を「Sept_outils_Du_Bandit」…………和訳すれば「盗賊の七つ道具」とでも言おうか?ソレを収めたあの匣を開けられるのは、私の血を引き、且つスタンドの才ある者だけ』

 

 生前悪友と一緒に、それぞれのスタンドに魂の一部をねじ込んだんだ、という彼。つまりは。

 

『もう理解るかい?匣を開けた時点で、君はスタンドを()()()()()()()()んだよ。折角だし私が覚醒を手伝ってやろうかと思ったんだが、ね』

 

 それこそ、かつての承太郎を手助けしたアヴドゥルのように。……しかし、男の当初の目論見通りにはいかなかった。何を隠そう、自分の孫やら曽孫に阻まれたのだ。

 何故か?通常そんな年齢での後天的スタンド発現は、まず間違いなく暴走を招くが必定であるから。幼少期に死にかけた仗助が良い例だろう。

 まだ幼い飛鳥の今後を心配した家族らの説得もあり、「然るべき時に解除する」という条件付きでこの男に「スタンドの才と記憶を盗まれた」のが当時の経緯。

 

 美波や仗助が飛鳥からスタンド使いの片鱗を感知出来なかったのも無理はない。今日まで根こそぎ、スタンド能力を盗まれていたのだから。

 

(尤もソレも、今日限りだがね。漸く、然るべき時が来たようだ)

 

 万感を込めて思案する彼は、思わず眼下の玄孫を見つめる。

 細身で華奢で、まだ若い。手脚の伸び切る年頃でもない。おまけに自分を見て、少しばかり緊張している。突発的な状況に戸惑ってもいる。貴方は、もしかして……いや、まさか。そんな聞くに聞けない逡巡も見て取れる。

 

(……もしかしてシャーロック(あの男)も、こんな気分を経験したのかな?)

 

 しかし───男は若き少女の眼の奥に、消して潰えぬ紅き()を視た。

 

 盗まれた記憶と才を盗り返す解除鍵(アンロックキー)は、全部で七つの心の動き。

 一つ目の鍵、正しき目標。二つ目の鍵、強大な夢。三つ目の鍵、果てなき研鑽。四つ目の鍵、確かな憧憬。五つ目の鍵、揺るがぬ精神。六つ目の鍵、火を統べる意志。そして七つ目──闘う「覚悟」。それら全てを持ち得ること。

 

(私は君が襲われる前、周囲の人の意識を盗み、わざとあの場所から背けるよう促した。いわば私は意図して君に怪我を負わせたようなもの。君が自分を盗り返せねば、怪我ごと再び記憶を盗むつもりだったが、……どうやら、杞憂だったようだ)

 

 老婆心じみた心配なぞ要らなかった。今此処に、欠けたピースは全て揃っているのだから。

 

『良い眼をする様になったね、飛鳥。あとは(ソイツ)を差し込めば、君のチカラは解き放たれる』

 

 言われた彼女は、思わず両手に鍵を抱えて握り締めた。まだ幼い。まだ未熟。然して秘めし可能性、未だ無限の烈火を宿す。

 

『行くといい、我が末裔。長らく待たせてしまったが、今こそ己が描くスタンド()を顕現せしむる好機。……ああそれとだ、今さら魂の変質なぞ気にするな』

 

 ──ヒトもモノも須らく、()()()()姿()()()()()()()()()のだから。

 

 それだけ言い残した彼は、やにわにばさり、と華麗にマントを翻す。すると彼女の目の前で、外套に溶け入るようにその長身が掻き消えた。……今のが、別れ際の挨拶だったのか?

 

(……言うだけ言って、何処行ったんだろ……)

 

 跡を濁さず証拠を残さぬ去り方は、正に神出鬼没の怪盗そのもの。でもちょっと真似したいなとか思っちゃうあたり、やっぱり飛鳥は飛鳥だった。

 

(にしても、何か唐突すぎやしないかい?ねえ?)

 

 其処で改めて、掌に収まった鍵と化した腕輪を観る。……液体金属にもなる固体、なのだろうか。兎角、確定で言えるのは。

 

(最初からタダの腕輪じゃあ、なかったんだね。そして……)

 

 自身の魂の形(スタンド)を、そこで一瞥。あいも変わらず真ん丸だ。まるで、()()()()()()()()()()()()()みたいに。

 

(キミも、いや、ボクら自身が……()()()()()()()()()()んだ)

 

 言うならばこの球体は未完成。スタンドを持たず、存在()を証明出来ぬ人の心は、きっと皆こんな形をしているのだろう。そして多くの人々が、魂の実在に気付きもせず生涯を閉じる。意志や覚悟を持てば何にでも成るだろう、可能性の塊なのに。

 

 秘されし事実を理に解し改めて眼を遣った時、──(スフィア)の中枢に、音も無く鍵穴が開いた。それも目視で確認する限り、左手に握った鍵が丁度ピッタリハマりそうなサイズの。

 

(ココに差し込め、ってことなのかい?)

 

 掌に乗る、鍵を一瞥。答えるように其奴はドクン、と脈打った。

 

 ……思えばずっと、探していた気がする。

 自分が本当の自分じゃない気がして、何時も何かに飢えていた。何処かで日常に飽いていた。その探究心に厨二だなんてレッテルを自ら貼って、心をただ誤魔化していた。

 

(…………でも、今なら理解る)

 

 幼き頃に封じられた、目覚めかけのスタンドの才。

 その封印が緩んだきっかけは、「彼女達」との邂逅だろう。鮮烈なこの三ヶ月は、二宮飛鳥の内面に間違いなく変化をもたらした。同年代の友達とはちょっと違って大人びた、気の合う友人。彼女達は皆いずれこうなりたいな、と思う憧れでもあり、同じ目標に向かって進む仲間でもある。

 

 アイドルを始めた。スタンドなどと全く関係なさそうな選択が、斜に構えた少女に友人を増やし、目標を持たせ、夢と憧れを与えた。半ば以上に揃った鍵は「彼」とのコンタクトに繋がり、やがて今日この瞬間まで漕ぎ着ける契機となった。

 

(自分のココロに、嘘はつけない)

 

 悪魔と契約する覚悟はあるかと、最初に問われた。しかし本当は、幼き頃に腕輪の入った箱を解錠した時から。既に彼女は……飛鳥は、この奇妙な世界に足を踏み入れていたのだ。

 

(この契約を、今一度結び直そう────)

 

 ホントのボクが、此処に居るから。抱いた夢を、夢で終わらせたくないから。そして、──討つべき敵が、目の前に在るから。

 

(だから、決めたよ)

 

 ──悪魔と共に、闘う『覚悟』を。

 

 そっと差込み、右に回す。ガチリ、と音がした瞬間、自分の中の欠けてた何かが、解錠される音を()た。

 時を同じくして、鍵を中核にピシリ、ピシリと球体に皹が生まれていく。孵化の先に待ち受けるのは、長らく秘されし偽りなき魂の姿。覚醒の時を言祝ぐが如く、彼女は自然と口ずさんでいた。

 

 

 

「───さあ、往こうか」

 

 

 刹那、白銀の光が弾けた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 殻が砕けたその瞬間、頭上へと急上昇し解放された光の粒子。爆散し飛び出した眩いばかりの光源は、新たな形へ再構成され成り代る。さながら蛹の、羽化の様に。

 

 進化の過程を早回ししたコンマ一秒。時経た後に果たして其処にあったのは────輝く六枚の翼をはためかせる、絢爛豪華な鳳凰の姿だった。

 

 刃物の如き鋭さを持つ紫の眼。銀地に陽炎を宿した様な赫と黄金の色使い。艶やかな極彩色の鶏冠と尾羽、そして翼。金色の両脚に、交差した一対の宝剣を背負った背。赤熱した炎を全身に纏う姿は死すらも超克しかねないだろう、度し難い生命力に溢れている。

 

 悪魔と形容するには余りに華麗で流麗な、西欧の不死鳥(フェニックス)にも近い全長15m程のそれ。舞い散る尾羽は赫赫たる火の鳥にして、()()()彼女が其処に在る証。

 

 過去、現在、未来、そして並行世界に至るまで。数多の次元に(あまね)く識られる、(いなな)くのみで其の在り様(存在)刻み付ける(証明せしめる)、鳳翼の(とり)

 かの者の名を、名付けるならば。

 

Ontologie(共鳴世界) de() résonance(存在論)。縮めて以後は……『résonance(レゾナンス)』、ってトコロかな?」

 

 やにわに嘯く、彼女の口角弧を描く。意気は軒昂、士気は上々。人影は無く気兼ねも無く、控え目になる義理も無い。

 嗚呼、御誂え向きじゃあないか。発現したのは新たな力。如何にもな悪役(ヴィラン)は目と鼻の先。

 

『ナンダイ、ソノ鳥?』

 

 ガラクタが何やら喚くが、御構い無しにまず自分を確認。ズタボロだった左脚は、傷ひとつなく綺麗に修繕されている。彼の有り難い置き土産だ。これで、晴れて振り出し。

 そうして先ずは、宣戦布告。

 

「…………本当の自分を、理解っただけさ」

 

 バサリ。差ながら其れは柳花火の火の粉が如く。不死鳥がひとつ羽撃く度、羽根を模す火が飛散する。さあて、そんじゃあ────

 

「──かかって来なよ、木偶人形……!」

 

 

 ()く消し炭に、変えてやる。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「ブッ壊ス!」

 

 挑発に乗ったのか、ワイアードから飛んでくる鋼線。視界の隅にソレを収めつつ、飛鳥は冷徹に思考する。

 先程から己がスタンドの翼が動く度、炎と共に羽根が若干散っている。ということはこれ、もしかして武器になるのでは?でもたぶん羽根技なんてサブウェポンだろう。メインの火器は恐らく別にあるはず。

 

(と、すると)

 

 さあ思い出せ二宮飛鳥。火属性キャラのお約束はなんだ。ポケモンとかでよくあるやつは。

 

(…………多分出るよね?口から火とか)

 

 火の玉を出すリザードンあたりを脳内で想像する。……うん、いけるだろう。大事なのはイメージだ。

 

 往け、レゾナンス。敵に向かって口から吐いた火球をぶつけるスタンドをイメージし、そう念じた瞬間───彼女の頭上を、爆音と共に熱線が撫でていった。

 

 ギュオンッッ!!工作機械でも出せない様な鋭い炸裂音と共にスタンドの口腔から飛び出したのは火の玉ではなく───眩いばかりの極太レーザービームだった。

 

「んなっ、ゲロビィ!?」

 

 これには使い手の飛鳥の方が頭上を振り返ってびっくり。そのまま頭を戻しつつ射線の先を目で追っていく。

 

「……うわぁ」

 

 …………視線の先は、凄い事になっていた。掠っただけでめくれ上がったアスファルト、クレーターみたく円状のくり抜きが出来て溶けた自販機とベンチ。ぶすぶすと立ち昇る黒煙。まるで空襲でも受けたみたいだった。戦車砲が直撃したってこうはならないだろう。

 ただ破壊の痕は途中で止まっていたのが救い。飛鳥が驚いて集中を解いたのが原因か、レーザー自体も減衰し中途で霧散したようだ。

 

 でも電柱とかビルとか人に当たらなくて良かった。まともに当たれば人体なぞ灰も残らない気がする。

 

(……後でダイドーと自治体宛に、修繕費を匿名で寄付しとこう)

 

 しかし勿論収穫も。アレ程苦しめられた筈の鋼線は、掠っだけで呆気なくバターのように溶断されていた。そして。

 

「ア、アバババババ……」

 

 ついでとばかり、ヒトガタの右半身も根こそぎ奪い取っていた。どうみても戦闘能力はほぼ喪失。覚醒した彼女に拮抗するには、些か役者不足が過ぎたようだった。

 

(今日の課題は、出力調整と)

 

 ただこのスタンド、これが能力の全容とは思えない。大体不死鳥ならこう、癒しの力的なのとかあるんじゃないか。今後も色々調べる必要があるだろう。でも取りあえず、今日のところはもうデータ取り終了。何故って疲労が物凄いから。

 締めに入らんがため、スタンドを手掌で手繰って頭を敵に差し向ける。集めた焔を急速充填。一秒かからずチャージは完了。気持ち力を抜いてもう一発。顔色は平然なまま飛鳥は呟く。

 

「遺言ならば聞く気はないよ、冥府でどうかごゆっくり」

 

「待ッ……!」

 

 今頃になって、ガラクタの無機質な目に嘆願が宿った気がした。然して既に遅過ぎる。覚悟を決めた二宮飛鳥は、紛れも無い有言実行ガールであるのだ。

 

「──チェック・メイト」

 

 

 ギュイン。豆腐に串を通すようにあっけなく。劈く孔雀の唄の如き破壊音は、寄木細工の葬送歌として戦場に響き渡った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 そこから何処をどうやって、自室まで帰ったのかはよく覚えていない。

 

 原型も留めぬガラクタになったワイアードにレーザー照射。宣言通り消し炭を作成したのもソコソコに。

 熱に浮かされたように駆け出して電車に乗り、無我夢中で346プロの寮までダッシュ。そうして自室に戻った矢先、些か勢いよく閉めたドアにずるずるともたれかかる。

 

 張り詰めた緊張の糸が、ぷつりと切れたのを感じた。

 

「……つ」

 

 ……疲れ、た…………!

 

 小さく小さく、それだけ呟く。今気付いたが立ち上がれない。安堵で腰が抜けたらしいが、まあ無理もない、と自嘲する。経験したのはまごう事なき非日常なのだから。

 

 正直言えば、途中までは怖くてたまらなかった。色目で見られたことならともかく、剥き出しの殺意をぶつけられた経験なぞ彼女の人生で初めてだった。あんな、あんな連中がいるのか。石が欲しい?そんな浅薄な動機で簡単に人を、殺そうとしてくるのか。

 

 

(…………ざまあないね、こんな)

 

 自嘲。奇しくも彼女は自分が今まで、如何に快適な温室で育って来たのかを実感させられていた。犯罪率が世界で最も低く、所によっては女性が一人で平気で夜出歩ける国、日本。現代の地球で最も安全な地とも呼べるところで遭遇した狂気に、年端もいかない彼女の心は実は決壊寸前だった。

 

 例えばもし、もしアレが純正な人間で、自分が其奴を殺めてしまったら…………果たして自分は平静で、いられるだろうか。

 仮に殺したとしても、超常の力ゆえ証拠は残らず逮捕もされない。あるとしたら良心の呵責のみだろう。それが余計に重石になる。

 

(アレが、闘い…………)

 

 そして、自分が手に入れたのが。

 

「スタンド、か」

 

 重たい。覚悟こそ定まったものの、胃の腑にずしりと来るこの感触は、容易く慣れはしないだろう。やがて恐怖を完全に我が物に出来れば、話は変わって来るだろうが。

 

『……何やら思い詰めているようですが、そう堅苦しく捉えることはありません、マドモワゼル』

 

 不意に、背後から声がかかった。昨日今日ですっかり聞いた、スタンドの声だった。

 

「堅苦、しく……?」

 

『悪は悪。取り敢えずブチのめしてから考えましょう』

 

 …………励まそうと、してくれてるのだろうか。

 

「…………誰かの訓示かい、それ」

 

『英国のさる有名な貴族の家訓です』

 

「絶対ウソでしょ!?」

 

 ほぼ反射。実は嘘でも何でもなく、何ならその伝統を受け継いだ子孫が彼女の友人だったりするのはご愛嬌なのだけど。尚その教えを件の彼女が実践してるのもまた事実。閑話休題。

 

『いえいえ。公権力では裁けない悪を、裁くのではなく打倒するのです。言ってみれば私刑ですが、時と場合によっては必要でしょう。必要悪とも言えますね』

 

「…………」

 

 唖然。いや、理屈自体はわかるけども。

 なんたって相手は裁判じゃ裁けない手合い。証拠不十分で不起訴確定、とお白州の前に出す前から分かる。

 よって敵を放置しておけば際限なく被害が拡大するだろう。自分が司法で裁けぬ存在である事は、敵のスタンド使いも分かってるのだから。

 

「まあ、でも…………」

 

 自分が振るった拳を幾らか正当化する、一応の理屈をくれた様だった。ありがとう、と彼女の方を向いて、謝辞を述べようとすると。

 

「……えっ?」

 

『なんです?』

 

 視線の先には、フクロウくらいの大きさになった火の鳥の姿。六枚翼で極彩色なのは変わりない。けどよく見るとトサカも尾羽も短いし、鋭かった紫の眼はつぶらで大きくなっている。これじゃあまるで雛鳥だ。

 

「……なんか、ちっちゃくなってない?」

 

『仕様です』

 

「や、聞いてない聞いてない」

 

『はぁ〜〜つっかえ。これだから乳臭い中坊はダメなんです。そんくらい察しなさいよもっと忖度してホラホラホラホラ』

 

「………………」

 

『やめて!わたしに乱暴しないで!エ⚫︎同人みたいに!』

 

 無言でアイアンクローしたらわざとらしく態度を変えた。

 聞けば省エネモードなのだとか。闘うとき以外にあんな派手な姿無駄じゃね?とのこと。……確かにそうかも。理解はしたけど。

 

「省エネ?」

 

 スタンドにそんなのあるのか。と思ったが、「稀によくあります」とふざけた返答を寄越してきた。ちなみに進化ではないらしい。むしろ退化してるだろう。主に言動とか。

 

『クエックエッ、クエクエクエ?』

 

 分かった?と言いたいらしいがキョロちゃんの真似をするんじゃない。しかも似てないし。

 

「うん、だいたい理解った」

 

 もう突っ込むのに疲れてきた。今日の飛鳥の体力はいよいよ底を割っている。まじめにやりたいんだけどと言おうとした時、今度は被せるように鳥公が切り出した。

 

『……そうそう、一つだけ、覚えていてください』

 

 続けざま放たれたのは、少女の弛緩を緊張させるに足る言葉だった。

 

『もし貴方が道を違えれば、その時は……貴女が、スタンド使いに討たれることになるかもしれません』

 

 重いフレーズが胃の腑に落ちた。こくり、と彼女は首肯。そりゃあそうだろう。正義の執行人が闇落ちなんて話にならない。しかし……まてよ、とここで飛鳥は考える。

 

「……ねえ、ひとつ質問いいかい?」

 

 では既存の、スタンド使いのエスタブリッシュメントなる人々はどうしているのだろうか?互助会のようなものでも組織して、スタンド使い同士で相互に監視し合っているのだろうか。

 

「……こんな力、やろうと思えばいくらでも犯罪に利用できるのに。一体、彼らはどうやって自浄作用を保ってるんだい?」

 

 飛鳥は与り知らぬことだが、例えば後に旦那になる男をスタンド能力を用いて軟禁した過去の山岸由花子など良い例だ。より強力なスタンドの場合、所有者の倫理観がまともでなければ、国家や社会どころか世界、もしかしたら……時の流れすらも変容させられるだろう。それこそスタンド能力の真の恐ろしさである。

 

 しかしそう問うと、帰ってきたのは明快な回答であった。

 曰く現状、スタンド使いの人々はトチ狂っていない勢力が多数派であり優勢である、という。その理由は単純明快、『ある指標』が存在するから、らしい。

 

 其れは超常の力を手にして尚歪まず弛まず、且つ一世紀近くに渡り子々孫々に力を発現させ続け、人知れず闇から闇へ悪と闘ってきたとある家系の事を指す。背に星を宿すという(なにかの比喩だろうか、と飛鳥は考えた)その一族、開祖の家名を。

 

『ジョースター家、と言います』

 

 

 

 

 ────人史の秘奥に、彼女は迫る。




・ワイアード
あくまでこの並行世界のキャラ。よって正確にはワイアードっぽい何か。

・シルクハットのおじさん
一体何セーヌさんだろう。

・《盗賊の七つ道具》
↑のおっさんの道具型スタンド。戦闘力ゼロのスティール特化。普段は鳥の尾羽を模した腕輪。使うと大体何でも盗める。形状記憶合金的なナニカで出来てる。

・《共鳴世界の存在論》
飛鳥のスタンド。ざっくり鳳凰ぽいデザイン。射程長くて飛行も出来る火力の鬼。目下の課題は精密動作。戦闘パート以外は小うるさいひよこ。火属性担当。

・銀の球
球じゃなくて卵だったってオチ。飛鳥が目覚めたのでもう出てこない。たぶんスタンド持ってない人って皆こんな感じの魂の形してると思う(偏見)


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017/ 黄金の風

160714


 奇妙なおっさんと喋るヒヨコ、そして手負いの女子中学生。

 この意味不明なパーティメンバーで命がけの戦いを辛くも切り抜けた橙髪の少女は眠りから目覚めた翌日、ふとあることに思い至った。

 

(……そういえば、志希は今頃どうしてるかな?)

 

 起き抜けに連絡を入れたラウンズのグループライン。ここに美波と文香は入ってきたが、既読は二人のままで止まっている。つまりリアルタイムだと志希とは音信不通状態なのだ。

 直で電話するか、ああでもアメリカとは時差もあるしやめとこうかな、と思ったがそれでも何となしに気になって、枕元のスマホに手を伸ばす。そのままタップして彼女にコール。ケー番は既に登録済みだ。しかし。

 

『……おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにあるか、もしくは──』

 

 若きスタンド使いの耳に届けられたのは、耳をくすぐるネコっぽい彼女の声ではなく、無情な機械音の定型文。

 一分ばかりそんなメッセージが流れたかと思えば、それきりプツ、と電話は切れた。

 

(アメリカに行ってるのに、電波が不通?)

 

 彼女が向かったアリゾナ砂漠の財団整備地区は、確かSPW財団の偉いさんや開発技術者が同行しているのではなかったか。自前の人工衛星と通信網を持っているかの有名な財団が居るところで、音信不通?何かトラブルにでも遭ったのか、それか何時もの失踪癖か?

 

(もしかして、山火事とかハリケーンに巻き込まれたとか?)

 

 念のため何か米国に関する情報はないかと思い、BSに合わせてテレビを付ける。……も、FOXもCNNも中間選挙の話ばかりで直ぐ消した。放送しないなら天災の線は薄い。

 

(……何も無い筈、だよね?)

 

 いやいや、あるわけ無い。第一何かあれば、346の事務所から自分達にも連絡が来るだろう。でも、自分に起きた事を考えれば、

 

(同じ赤石を持っている志希だって、もしかして……)

 

 一瞬穏やかでないことを考えた飛鳥。だが、此処で幾ら悩んでもどうにもならない事も理解している。仕方なく「ごめん、また明日掛け直すね。空いてたら折り返しくれると嬉しい」と留守電を残すだけに留めた。

 掛け布団を握りしめて、彼女は一人悶々とする。漠然と感じる、直感に似た嫌な予感。これがどうか杞憂となってくれ、と気付けば心中密かに、遠き砂漠の地へと祈りを捧げていたのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 厨二病JC改め新米スタンド使いが、とあるギフテッドに国際電話をかける数日前のこと。

 

 都内某所に於いて「MENSA」なる会員制クラブの集いがひっそりと、しかし豪奢に催されていた。ちなみにクラブといっても飲み屋ではない。

 では何の集まりか。入会要件に「IQ140オーバー」という条件の設定された、まあ要するに高知能者の集いのようなものである。またその性質上、会員資格を持つものが限られる選ばれしサロンでもある。……が、天才の生まれは当然場所や国なぞ選ばない。よって勿論日本にも支部が存在するのだが。

 

 さてさてその「メンサ日本支部」、今日は都内某高級シティホテルにて定期会合の真っ最中であった。そして───

 

(……これは……シャネルのエゴプラ?う〜ん、ココでこれ付けてる人といえば……)

 

 会場入りするなり鼻を一度スン、と小さく鳴らす。それだけで数十人の参加者全員のニオイ(香水)を思い出して歩いているのは、弱冠十代にして日本史上最年少でメンサに加入した経歴を持つ稀代の麒麟児、一ノ瀬志希。

 

 立食パーティー形式になっている今日の会合、白磁の高価そうなプレートにキッシュやらフルーツタルトやらローストターキーやらを適当に乗っけた彼女は、勝手知ったるとばかりあちこちうろうろし始める。どうやら、ニオイをもとに知己を探しているようだったが……

 

「……あ、やっぱりいたいた♪」

 

 程なく、ある人物が目にとまった。

 

 そこに居たのは参加者の中でも一際背が高く、外国人と並んでも何ら引けを取らない頑健な体躯の日本人男性。錚々たる顔ぶれとシャンパン片手に流暢な英語で語らい、またアカデミックの世界においては海洋学の権威として名を馳せるその男、名を────

 

「空条博士ぇ!お久しぶりでーす♪」

 

 そう、我らが空条承太郎その人。軽快な調子で志希に話しかけられた側の承太郎、いきなり飛んできた日本語に反応すると、声の主を認めるなり「おお」という顔をして適当に周囲との会話を切り上げ、彼女の方へ身体を向けた。

 

「……本当に久しぶりだな。誰かと思えば一ノ瀬博士とは」

 

 あまり感情を表に出さないので少々分かりづらいのだが、一瞬面食らった顔をした彼。どうもここ数ヶ月の間会合の類にご無沙汰していた天才の帰還を、割と好意的に受け止めているようだった。

 

「いえいえ〜♪それより、いつも美波ちゃんにはお世話になってます!最初に知った時はびっくりでしたよ〜?まさか博士の娘さんだなんて」

 

「まあ、外見は母親似であるからして無理もないさ。……ただ、あれは私の娘にしては少し行儀が良すぎてね。逮捕歴が無いのは結構なことだが」

 

「まったまた〜!」

 

 冗談お上手、と思いつつも彼女、お得意の並列高速思考で思索に耽る事も忘れない。

 

 

(……プロフェッサー空条、ご存知著名な学者先生。そしてその子女の美波ちゃん、人当たりの良い優等生。表面(サーフェス)だけみればタダの仲の良い家族。なんだけど二人とも……実際に会って()()と、こう……「常人」と少し異なる気がするんだよねぇ……)

 

 まあ娘も娘で、怒らせるとヤバそうな類の人である。本気になればスチールを素手で引きちぎれるだろう彼女の父親だ。エビデンスに基づかない推察など、鬼才・一ノ瀬志希の尤も唾棄する考えであるが、実物を見て語らって、ナニカを嗅ぎ取ってしまえばそうも言えなくなってくる。

 

(……それにあたしの勘でしかないけど、仗助も恐らく「同類」、だよね……)

 

 恐ろしい程に正確な直感は、ここまで殆ど全てを当てていた。ただ幸か不幸か一点だけ外している。

 

 彼女は知らない。目の前の人物が今言っていた「逮捕歴」とは冗談でも何でもなく、彼が実は高校時代、所謂札付きの「不良」として名を馳せていたことを。

 

(女生徒をセクハラしてた)教師にヤキを入れて学校から叩き出し、(廃棄食材をコッソリ使ってた)不味い飯を出す飲食店では金を払わずちゃぶ台返し、あげく(珍走団や半グレから)売られた喧嘩を毎日のように買っては返り討ちにし病院にブチ込んでいた、などという事実を。

 

「しかし────まさか貴女がアイドルになるとは、私も予想が出来なかった」

 

 思考しつつも飛んできた彼の至極当然な感想に対し。照れ隠しなのか嬉しいのか、言われた側はてへへ、といった顔をして返す。

 

「いんや〜、てっきり例のクセが出ちゃってねん、てところです」

 

 癖。それ即ち気分屋のこと。偏見だがまあ天才タイプに割と多い癖だろう。例えば765プロの某金髪の子とかもこの癖持ってたり。尤も向こうは既に押しも押されぬトップアイドルだが。

 

「成る程。興味が湧いたと?」

 

「いえーす!しかも今ならジョースケもついてくる!」

 

「おいおい、お得なオマケか?仗助(アイツ)は」

 

「それはナーイショです♪……あ、それと博士、この前発表された公開査読論文拝読したんですけど、あたしアレ読んでて思ったのが…………」

 

 そして何事か言い募る志希に、承太郎の目の色が変わる。

 

「……ほう、これはまた明晰(クリア)な分析だ。私に言わせればそれは…………」

 

 畑は違うが高度な話に花が咲く。双方ともに才溢れるが、かたや興味が無い分野は二秒で忘れる気まぐれおしゃべりティーンエイジャー、かたや日頃は口数少ない伊達男。

 

 お互いの性格を鑑みれば場合によっては交差すらしそうにない二人だが、彼と彼女の間 にあるのは、まごうことなきリスペクト。年齢や性別の枠を超え、一人の研究者として双方を認めているからこそ、こういった会話が成り立つわけである。

 

 個人的心情からみても、承太郎からすれば彼女は若手トップクラスの知能を有する化学会期待の俊英にして娘の友人であり、志希からみれば彼は友達の親御さん且つ実力ある先達。ついでにPの親類。

 やはりお得意の並列思考で以って専門用語だらけの難解極まりないトークを繰り広げながら、うら若き少女は思う。

 

(……こーして話してみると、やっぱり親娘なんだねぇ。ここぞってとこで意思の強さを感じる喋り方とか。まー最初美波ちゃんから聞いた時はびっくりしたけど)

 

 奇しくも346プロの人間で、現在最も多くジョースターの一族を知るアイドル。それが今の、一ノ瀬志希という少女の一面でもあった。

 さて話は弾んではいたのだが、承太郎が今回のメインスピーチの番が回ってきたため、其処で一旦会話は切り上げ。

 壇上へ向かう逆三角形の鍛え抜かれた男の背を追いながら、体幹が一切ブレない歩き方が美波ちゃんに似てるな、とかどうでもいい事を思ったり。

 

(にしても………………)

 

 登壇し、持ち前の落ち着いた低い声で朗々と語り出す承太郎。誇示せずとも滲み出る覇気と知性は、(おとこ)気と洒落っ気を両立させた仗助の放つオーラとはまた違った魅力に溢れていた。彼が既婚者でも未だ社交界で持て囃される所以はその辺りにあるのだろう。しかし、彼を見る志希の心中は。

 

 

 

(──────親娘、か)

 

 寂しげな色が、淡く青い眼に一瞬浮かんで消えた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 数日後。

 

 

「うーん、まだ眠いにゃあ…………」

 

 寝ぼけ眼を擦りながら危なっかしい足取りで空港の要人ルートを歩く少女、一ノ瀬志希。コンパクトなデザインのトランクをカラカラ引きずりながら、あっちへふらふらこっちへふらふら。今にもどこかへぶつかりそうである。

 現在時刻は朝の八時。経緯を説明したら仗助が空港まで送って行ってくれた(優しい)ので脚の疲れは無いものの、昨日の夜ラウンズのグループ通話でつい話し込んでしまったので眠いこと眠いこと。

 

 すっぴんに寝癖髪で会うのはなんとなく恥ずかしかったので気合いで起きて朝シャンとメイクは済ましてきたが、車の中でやはり彼に寝不足を見抜かれて心配された。

 

 長電話で眠いにゃあと白状したら半ば呆れられつつも「水で五分の一に希釈して飲んどけ」という注釈付きでエナジードリンクなるものをくれたので、あとでありがたく頼ろうかと考えてる最中である。……でも薄めて飲めって、原液だとそんなアレなんだろうか。

 

 閑話休題。

 

 さて「指定した旅客機に乗ってください」と貰った案内には記されていた。エスコートをつけてくれるらしかったが気忙しいので固辞したはいいんだけど。

 もしかして。

 

「……コレに、乗るの……?」

 

 空港のVIPルームから要人ルートを通るよう案内され、通っていった視界の先にあったのは。

 

 小振りながらも素人目でも高性能そうなエンジンを四機搭載した、機体側面に、「SPW foundation private jet」と記された真新しい飛行機だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 雲間の上を、悠々と機体が飛んでいく。雲海が望めるとかそんなチャチな次元じゃあ断じてない絶景を、猫っ毛の少女は一人じっくりと眺めていた。

 

(さすがに自家用ジェットとは想像してなかったにゃあ)

 

 いきなりの貴賓待遇に驚きながらも雲の上の人となった志希だが、勿論この厚遇にはわけがある。

 

 かつて彼女が巻き込まれたかのハイジャック事件。それ自体は結果的に、SPW財団と切っても切れない関係にあるジョースターの血族の手により無事解決された。

 しかし。だからといって顧客、即ち志希を危険に晒した事実は消えるものではないし、最上のホスピタリティ提供を掲げるSPW社員らはこの一件を非常に不名誉なことと捉えた。

 

 よって今後財団は要人輸送の際はなるべく民間機を使わず、逐一財団所有の飛行機を使うという判断を下している。その結果がこれ。ファーストクラスどころではない、お詫びも兼ねた大歓待である。

 

 さて、ウェルカムドリンクのノンアルカクテルから始まったそんなおもてなしの数々は多種多様。

 機内wi-fiは当然のこと、一人一つ分用意された四〇型の薄型テレビにタブレット端末、ノイズキャンセリングヘッドホン。映画も音楽も勿論見放題。

 

 内装に関して言えば牛革を丁寧に張り込んだリクライニング付のキャビンとお洒落な間接照明、選べる枕とブランケットに飽き足らず、なんとユニットバス付きのシャワールームまで完備していた。ちなみに頼めばマッサージと靴磨き、クリーニングもしてくれるらしい。

 

 加えて機内食はイタリアンのリストランテに匹敵するフルコース。トニオ・トラサルディー監修とリストに記されたレシピの数々は、食前酒(アペリティーヴォ)のスプマンテから食後のデザート(ドルチェ)とエスプレッソに至るまで超の付く一級品だった。

 最早大統領専用機もかくやというほどの至れりつくせりである。ついでとばかり、エコノミーなら20人は収まるところに2人しか入っていない余裕のつくりの機内を改めて見直す。

 

 サイドレストと通路を挟んだ隣の席の外国人は、チョココロネを三つ連ねたみたいな奇妙な前髪をしていたが、しかし不思議とそれが似合っていた。ただ問題は格好だ。

 如何にも高価そうな白いスーツと、恐らくはワニ皮の白革靴に派手な黒シャツ。耳と胸元にはゴールドのピアスとネックレス、腕から覗いてるのはロレックスだろうか。

 加えてやたらに体格が良いし、何か「スゴみ」みたいなものまで感じる。要するに、控え目にみても。

 

(……ギャングの親玉?それかマフィア?)

 

 ジャパニーズヤクザって感じではない。でも確実にカタギじゃない。

 

 ブルスケッタをアテに貴腐ワインの赤をグラスで優雅に飲んでいる彼に対し、まああんまりジロジロ見るのも失礼かな、と彼女は今日明日と予定しているテキサスの現地調査に関する資料の読み込みに戻る。無論全部英語だが全く苦にしない。何故って天才だし。

 パラ読みしただけでタブレットにインストールされた50ページ近くの資料全てを完全暗記したギフテッドは、そこでふと眠気がぶり返したらしく、アメニティの毛布を広げてそそくさと睡眠の準備に入った。

 

 飛行機に乗ってると、ハイジャックを受けたあの時のこともつい思い出してしまう。しかし今回の空の旅は過分にして、かようなアクシデントもなく平常に進んでいったのだった。

 

 

 ☆

 

 

 

 それから約2時間ののち。SPW財団テキサス本部前にて。

 

「Thank you so much〜♪」

 

「It's my pleasure」

 

 紫紺の髪を靡かせる少女は、ご機嫌といった様子でここまで運んで来てくれたバスの運転手に礼を述べつつ下車。

 ブロロロ、とゲストを送り届けて用を成したとばかり、遠ざかるエンジン音が耳朶を打つ。

 空港から遠路はるばる向かってきた、久しぶりのSPW財団テキサス本部。その入り口に一ノ瀬志希は立っていた……のだけど。

 

「なーんか、えらく静かだね……」

 

 去年一度招聘されて訪れた時は、遠くからでも喧騒が分かる程賑わっていたのに。今日の財団本部は、あの時の喧騒が嘘の様に静まり返っていた。

 

「悪魔の手のひら」なるものに関して、貴女の知見を借りたいの。

 かつての恩師でもある教授に頼まれたから、遠路はるばる日本から来たのだけど。

 

(電話、出てくんないにゃあ……)

 

 迎えに行くわよ、と昨日彼女は言った。

 その彼女に先程からコールしてるけど一向に出ない。仕方なく「着いたんですけど、今どこにいますか〜?」とだけ留守電に残してまた後で掛け直すことにした。

 

 不自然なのはそれだけじゃない。彼女以外の、例えば清掃員とか配達業者の人達までまとめて姿が見えない。

 なんなのもう、と思いつつ痺れを切らし、試しに門扉を押してみると。

 

「……あれ、開いてる」

 

 ……普段は厳重に閉まってる筈なのに、何故か今日に限って開いていた。

 不審には思ったものの、入り口横の警護室までいけば誰かいるのでは、と思考を変換。そっと歩みを進めて声を掛ける。

 

「守衛さーん!いますかー?」

 

 しかし、やはり返事は梨の礫。英語でも話しかけたが、一々これでは埒が開かない。

 私物のiPadに昨日送られてきた、広い館内の見取り図を見ながら。

 

「……とりあえず、入ってみよっかな?」

 

 頼まれごとを終わらせないことには気持ち悪いし、大事な時期だからなるはやで日本に帰ってレッスンの続きだって受けたい。付け加えれば、今日は久方ぶりに会う恩師に近況報告だってしたい。

 

 勿論不審感も警戒心もあったが、逸る気持ちがそれを上回ってしまった。結局、エントランスの閑散とした有様を訝しがりながらも、彼女は財団本部内へ脚を進めることにした。

 

 

 ……屋外から死角になる本部入り口警護室に設置された、テーブルの真下。

 そこに苦悶の表情を浮かべた守衛の死体が横たわっていることに、終ぞ気付かぬまま。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 カツン、カツン。ローヒールを履いた志希は、リノリウムの床の上を一人歩む。同時に抱くのは強烈な違和感。原因は。

 

「ここまで、誰もいない、って……」

 

 前回来た時に案内された場所は全て覚えている。よって苦もなく目的地の1F受付ロビーまで歩みを進めたが、しかしコンシェルジュには誰もおらず。据え置きの呼び鈴を押しても一人も来なかった。

 痺れを切らしてスタッフオンリーの控え室に赴くも、何とそこももぬけの殻。すわ夜逃げでもしたのかと勘繰ったが、日本にある某総研すら上回る規模の大財閥の本部研究所がそんなことするわけがない。

 

 ならば別の階に、とばかりエスカレーター、およびエレベーターフロアに行くも。

 

「……送電、止まってるし」

 

 エレベーターはボタンを押しても無反応。エスカレーターは停止中どころかシャッターが下りている。ついでに冷暖房も効いてない。

 ……でも、通路のところどころにある、採光のための最低限の照明は付いている。ということは。

 

(恐らくは、内部の非常用電源に切り替わってる……)

 

 落雷でブレーカーが落ちたとか、変電所で事故があったとかそんなところだろうか。しかし、それでは電気は兎も角、この伽藍堂の説明がつかない。

 

(まさかあたし、日付間違えた?)

 

 急いで現地時刻の訪問日を再度確認。……合っている。今日この時間で間違いない。加えてここの財団の休館日はクリスマスとイースターしかないから、平日やってないなんて本来有り得ない。

 もし大規模な電気工事や社員のストライキの最中なら、ゲストの志希にも連絡が行くだろう。ここに来て、志希の警戒感は右肩上がりだった。この状況、間違いなく普通じゃあない。

 

(一応、州警察とそれから……ジョースケにも連絡しとこう)

 

 思うなり、スマホでまず911をタップ……しようとして。

 

「……嘘、圏外……!?」

 

 何故?電波塔は行く道中で見かけた。外では通じた。ならば通信トラブル?このタイミングで?

 

 電話は通じない。指定された場所は人っ子一人いない。しかもこのテキサス本部は、セキュリティを考慮し半径10km全土が財団の私有地である。周りには民家も会社もない。あるのは財団所有の駐車場や道路くらい。

 陸の孤島と化した館内で、彼女は奇しくも八方塞がりになってしまった。

 

 何時もならばここで足を引き返して、外から連絡を入れただろう。しかし彼女が、恩師との急な連絡途絶が、この若きギフテッドを引き留める。

 

(……こうなったら、指定されたB3F実験棟まで直接行こうかな……)

 

 そこは教授が書類ついでに「あるものを見せたい」とメールで言っていた場所。確かあそこは外付けの非常階段をつたって行けた筈。

 

 決めたら兎に角、一直線に場所を目指すことにした。何処と無く淀んだような、何か物騒なニオイを嗅ぎ取った気がして、このままじっとしていると気が滅入ってしまいそうだったから。

 

 

 ……悪い選択肢ばかり二度も選んでしまったことを、やはり気がつかぬままに。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ここも、やっぱり非常電源だけ、か。

 

 やはり外付けの非常扉を抜けて降りた、その先。SPW財団テキサス本部、研究棟地下3階。

 以前来た時は煌々としたLEDライトの照明が眩しいくらいだったそこも、今は頼りない非常口と消火器の灯りくらいしか、通路を照らすものがない。

 

(……う〜ん、この階の突き当たりまで調べて、それで誰もいなかったらもう帰ろう。最悪歩いて隣町まで行こう)

 

 退却の目安を設定しながらも、非常に薄暗い道中をスマホの懐中電灯機能でなんとか照らしながら進む。目標は第一実験室だ。

 

 辺りを見渡しつつ、思案しながら歩いていると。コツン、と。何やら妖しげな瓶が、丁度足元にぶつかった。思わず手に取り拾ってみる。

 

(ん〜と……『Cell of the "CARS"』……?なんだろ、コレ……?)

 

 それはやけに煤けた、軽く半世紀くらいは前の物とも見える空のガラス瓶。中身は入っていなかったが、貼り付けられた色褪せ気味のラベルにはそう記されていた。

 右上に添えるように赤文字で「TOP SECRET」とも判が押されていたので、社外秘の薬品サンプルでも入れてたのか。尤もそんな大事なビンが転がってるのもよく分からないが。

 さて、そうこうしてるうちに。

 

 

(……あった!第一実験室)

 

 辿り着いてすぐ様ガチャリ。一目散にドアノブを捻ってから目に入った、内部は。

 

(…………何、この状況……)

 

 ───内部は、まるで局地的な竜巻にでも巻き込まれたみたいに酷く荒れていた。

 

 床に散乱した書類。何かを探し求めたかのように滅茶滅茶に荒らされた薬品棚。ひしゃげたパイプ椅子に割れたディスプレイとモニター、引き千切られたケーブルに焦げたコンセント。叩き割られて四散した無数のビーカーやアンプル、フラスコ。

 どう繕っても、整然とは程遠い光景が其処にあった。

 

 おかしい。夜逃げなんてレベルじゃあない、こんな、まるで何者かの()()()()()()ような有様は、イタズラの範疇にしても度が過ぎている。

 彼女の警戒心はココに来て一気に高まる。即座に民間警備会社や警察やらを呼ぶべきだ。……いや、スマホは圏外だったか。

 

(そうだッ、非常用内線電話……!)

 

 これなら、電源は生きてる。

 飛びつくように入り口脇に備え付けられた受話器を拾って、エマージェンシーボタンを押す。程なく館内の備え付け電話全てにコールが掛かりはじめ、各階、各部屋からジリリ、ジリリとサイレンにも似た音が木霊し始める。

 

 流石に気付くはずだ。誰か、いたら出てくれと。……しかし、待てど暮らせど一向に、誰も出ない。

 

(……やむを得ない、か)

 

 仕方なく研究室を出て次の部屋へ行くことを選択。兎にも角にも、恩師たる教授の安否が気掛かりだったのだ。

 この地下三階の部屋は四つ。トイレが一つと多目的に使える実験室が二つ、そして劇物の保管室が一つ。残る三つの部屋を順繰りに回り、そして最後に最終目標である廊下の突き当たり、保管室にまで赴く。

 

 そこにある、「危険物保管庫」と銘打たれたドアをゆっくりと押してみた。

 

(!開いてる……!)

 

 やはり、おかしい。

 通常、劇物を大量に保管するエリアでは人の有無に関わらず、厳重な電子ロックだけでなく、物理ロックも掛かってて当たり前。早い話が南京錠やらディンプルキーの類が、ここにはないのだ。

 

 自分の記憶では、財団もこれに虹彩認証やら指紋認証やら組み合わせた多重ロックを掛けていた。そしてこのテの倉庫の原則は、開けたら出る時、()()()()()。 SPWは社員教育が行き届いてる組織だし、もし忘れたら罰則付きだ。簡単に忘れるとは思えない。

 つまり、保管庫の解錠がされっぱなし、ということは。

 

(施錠する余裕がなくなるような緊急事態が、起こったってこと……!?)

 

 そして。高まった警戒心を最大限とする要素が、隙間から少女の鼻腔に到来した。

 

(これ、……血の匂い……!?)

 

 それも、かなり濃い。赤血球を構成するヘモグロビンが含有する、錆びた鉄のような匂い。それが部屋の中から、彼女の元まで漏れてきていた。しかも。よく見れば血痕は床から、正確には先程志希が入った第一実験室から、一本線のように跡となって続いていた。

 

 殺人、テロ、或いは銃撃?銃社会の只中にいるのだから、どれがあったっておかしくない。

 若しくは怪我人がいるかも知れない。この調子ではもしかしたら一刻を争う事態かも。

 ええいままよ、とばかり嫌な匂いの立ち込めるドアを、静かに開けると。

 

 ジリジリと尚も非常ベルの音が鳴る、部屋付の内線電話。()()()()()()()ようにしてこちらに背を向けている人が、部屋の中に一人居た。

 

 そしてその人は、薄暗い背後からでも分かるくらいの赤い髪色と、血に混じって微かにわかる、志希にとって非常に懐かしい匂いを持っていた。間違いない。蹲ってはいるけれど、一年ぶりくらいに会う恩師だ。

 

先生(プロフェッサー)!?」

 

 予期せぬ久しぶりの対面に、志希の声は気色ばむ。

 でも。普段なら気付けた筈だ。明らかに不審な状況下、普通なら妙齢の女性がこんな場所に長居はしないのに。

 ずっと感じていた不安と心細さに、この時ばかりは再会の喜びが勝ってしまったから気付けなかった。()()()()()

 

「あの、こんなとこで何して……」

 

 しかし彼女は。……いや、既に()()()()()()()()

 

 かつての愛弟子の「声」ではなく、物体の位置を特定できるくらいの「物音」に振り向いた。

 

「……るん、です、か…………!!?」

 

 恩師の顔を久方ぶりに見た志希は、そのあまりの変貌に息を呑んだ。記憶の中の、美しかった彼女の顔は。

 

 …………焼けて爛れたように、半ばから溶けていた。

 

 全身は青紫色に変色し、桃色の歯茎は醜く露出し。高い理知を湛えていた筈の眼は白眼を向き、その焦点すら合っていない。

 才色兼備と謳われた美人教授の面影は、最早何処にも残っておらず。しかし首元のペンダントは、彼女がいつも掛けていた物で。

 

 デコルテが覗く本来なら艶めかしいはずの首筋には、噛まれたような痛々しい二つの穴が存在していた。

 

「……先生……?」

 

 誰何にソレは、その生き物は呻き声をあげながら近づいてくるだけだった。

 

 着込んでいる白衣は血塗れ。極め付けは、彼女の周りに放射線状に広がる大量の血。張り付くように乾いたそれは、流れてからの時間の経過を裏付ける。

 もし彼女一人のそれならば、既に人間の致死量を超えている。ア、アと呻きながら、涎を垂らして近寄ってくる姿は、まるで。

 

(……ゾン、ビ……!?)

 

 それは、果たして恐怖からか戸惑いからか、現実からの逃避か。

 

「ちょっ……」

 

 彼女に向けて伸ばした左手を、思わず志希は小さく()()()()()引っ込めようとした。……瞬間。

 余りといえば余りに俊敏な動きを、ソレは示した。

 

「…………!」

 

 声の出処へ口腔を開け迫って来たかと思うと、尤も手近なところにあった、志希の薬指と小指を。

()()()()()()()()()()

 

 

 

 ☆

 

 

 

「嫌ぁァァッ!!」

 

 突き刺すようなソプラノの悲鳴。出どころは自分の喉から。押し寄せてくるのは筆舌に尽くしがたい激痛。

 万力がごとく強引に引き裂かれた、二本の指。本来あるはずのモノが、そこに無い。

 生まれたての子鹿みたいに震えながら、欠損した左手を抱え込むように右手で支える。

 

 断面からはねじ切られた表皮とピンクの筋繊維がマーブル柄のように覗き、無理矢理切断された指の骨が変形してはみ出ていた。傷口全体から間欠泉のように血液が吹き出し、溢れたそれは瞬く間に床を真紅に染めていく。

 何で、どうして、貴女が。混乱と苦痛とが目の前のソレから何とか逃げなければ、という思考、更に足の動きすら鈍らせる。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚。凄惨な拷問に匹敵する唐突で、理不尽な暴力が齎す余りの激痛は、冷や汗と嗚咽すらも齎した。

 

「……痛ッ…………あッ、う…………!」

 

 立てない。出てくるのは苦悶だけ。みっともなく床に這い蹲り、地べたに顔を擦り付けて只々呻く。涙が二筋、頬を伝う。

 そもそも指は通う神経が多く、爪を剥がされただけでもかなりの痛みを伴う。古くからスパイの尋問でも爪剥ぎは用いられたくらいだ。

 

 それが、爪どころか指ごと持っていかれた。転げ回って失禁していないだけマシだろう。普通なら失神してもおかしくはない。

 焼け火鉢を押し付けられたみたいな熱さを持つ左手は、もう正常には機能しないことが瞭然だった。

 

「ゔぇ……ぇッ……ゲホッ、ゲホッ……」

 

 嗚咽が気管に入ったのか、降って湧いたように吐き気まで込み上げる。咄嗟に無事な方の右手で口を押さえて、喉元まで来かかってる胃酸を何とか堪える。

 その間もボタボタと、尚も患部から血液の滴る音が絶え間なく耳に入る。さながらソレは、絶命までのカウントダウン。

 

 怯えながらも必死で視界を上げると、ぐちゃグチャと。まるでチューインガムでも噛むかのように、狂気そのものの外見をした屍人は、舐るように引きちぎった人の指を咀嚼していた。

 

(齧ってる?……いいや違う、指を、()()()()()()……!)

 

 人肉食。近親相姦と並び人の侵してはならぬ禁忌を、目の前で見せ付けられるおぞましさ。

 待て、と。そこで更に恐怖がこみ上げる。人を喰べる生き物が目の前に居る。なら、アレを食べ終わったら、続きは。

 

(……逃げなきゃッ!)

 

 逃走ルートを仮定する。しかし薄暗く、負傷しているため走るのは不可能。それどころかつまづく可能性だってある。

 ならば動きを止める?対抗手段が皆無だ。殺す?どうやったら死ぬんだ、コイツは?そもそも、まず手傷を負わせる武器がない……!

 

 しかも。目を凝らしてよく見れば、血が滲んだ患部から紫色のシミのようなものが、腕全体を侵食するように徐々に広がってきていた。ドドメ色の生理的不快感を催すソレは、嫌な予感ばかりを増大させていく。

 

 ゾンビ映画のお約束に倣うなら、この染みが回りきった時、じきに自分も()()となるが定石。とすれば、やがて私も。でも、そんなのって。

 

(…………嫌……嫌!!)

 

 動かなければ死ぬ?分かってる。そのままじゃ殺される?分かってる。でも、逃げてもいずれ生きた屍になるのなら。

 もう、どうしようもないじゃあないか。

 

 頼れる仗助(ヒト)は海の向こうで、自分はタダの女子高生。頭の良さなんてこんな状況じゃ何の役にも立たない。

 自殺さえ選択肢に入るような状況下、思わず目を瞑った時。

 

 

 

 

 パン、と。乾いた銃声が一発、血生臭い中に木霊した。

 

「……だ、誰…………?」

 

 蹲ったまま、音源である背後を振り返る。彼女の後方から突如として放たれた銀の弾丸。弾道の痕跡を追うと、それは動く屍体の眉間を綺麗に突き抜けていた。

 

「僕かい?SPW財団に今日、呼ばれた筈の者なんだけど……」

 

 片手に持ったライト付きスタンバトンでこっちを照らすその男。

 二、三度瞬きをしてもう一度よく見た自分の背後、約二〇メートルくらい後方に居たのは。

 

「非常内線の発信元を見に来たら、この部屋から悲鳴が聞こえたんでね。悪いけど勝手に邪魔させて貰ったよ。……それはそうと、日本語の抑揚これで合ってるかい?」

 

「貴方、は……!」

 

 先程空港のタラップで別れた、不思議な前髪をした金髪の男性だった。

 

 

 

 ☆

 

 

「んじゃーあ、『噛まれた』ってので間違いないんだね?」

 

 先程火を吹いたばかりのイタリア製傑作火砲、ベレッタM92Fに次弾を装填した男は、優しく彼女へそう問いかける。

 

 沈黙したゾンビを放置して、最寄りの医務室に担ぎ込まれた後、部屋に残っていた麻酔と抗生物質の注射を受けた志希。現在は手早く患部に包帯を巻かれ、左手を包帯で吊った上で座らされていた。

 

 現金なもので、理性ある人間の目と行動は不思議と彼女を落ち着かせた。しかも、彼からはどこか安心する懐かしさをも覚える。この感覚は。

 

(……ジョースケと、似てる?)

 

 ……いや、違う。どうみても別人だ。けど。

 

(この素早い適切な対処に、落ち着きよう……)

 

 相当、荒事に手馴れてる。現に今も締め切った部屋の扉に銃を向けたまま喋ってるし、警戒を怠ってない。

 

「スパイ特定のための裏を取れたのが、『ロマノフの網』と同じくつい先程でね。でも……」

 

 ……一足、遅かったか……!

 拳を握って歯噛みする男。一方の志希はというと。

 

(……スパイ特定?ロマノフの網?)

 

 日本語なのに訳が分からない。辛うじて分かるのは、何かとんでもないことに巻き込まれつつあるということだけ。何より。

 

「アレは、何なんですか……?」

 

「……屍生人(ゾンビ)、とだけ言っておく。詳しい話はまた後だ」

 

 来たぞ。連中だ。そんな彼の不吉なセリフの直後。まるで終末を告げる鐘の音が如く。ゴオン、と遮蔽された扉を叩く音がした。

 ……来たのだ、奴らが。会話の物音に反応して、外から。

 

「も、もう来た、の……?」

 

「どうやら、()()()()()()みたいだね」

 

「集まっ、て……!?」

 

「ああ。地下二階の会議室に集中してたよ。恐らく、殺された後EXTRACT(クスリ)を打たれたか。連絡途絶時刻から推定すると……殺られたのは約半日前、ってところかな」

 

 男が言うには、客を招いたのに誰もいないのを不審がって内部に侵入したら多量の死体を発見。物言わぬそれらを調べていた最中、いきなり彼らが()()()()()襲おうとしてきた、とのこと。

 思わず()()しようとした瞬間、志希の鳴らした非常内線が鳴り響いた。すわ生存者がいるのかと、一応走って見に来たら志希を発見、今に至る。

 

「アレが、あと何人も……!?」

 

「ざっと地下一階に二〇、二階に四〇。そして此処に一人。最深部の四階は分からないけど、もしかしたら」

 

「そんな……!」

 

 しかしその後の彼の「ただ、()()()()無くなってるのは予想外だ。『改良』……いや、『改悪』型を密かに作成してたのか……!」と言う言葉は、彼女の耳には入らなかった。

 藁にもすがる思いで、この危機的状況からの脱出口を探していたからだ。何でもいい、何でもいいから。必死に目線を動かすと程なくそれは、()にあった。

 

(……かなり古びてる、けど……)

 

 恐らくは換気口、だろうか。高さはおよそ二メートル上、自分は自力だと無理だが手伝ってもらえれば入れる。間違いなく出口はあるから上手くすれば逃げられるだろう。しかし。

 

(待って。……この怪我で?)

 

 正直、換気口を這いずっての移動など今の状態では無理だ。当然ながらダクトは狭い。人一人通れるくらいの隙間しかないから、彼に頼んで背負って運んでもらうなんてのも不可能。

 …………あーあ。……しょうがない、かな。気付かぬうちに育っていた諦観の境地が、じわりと心にしみて行く。

 

「……装弾数って、後何発ですか……?」

 

「ン、全部であと三発だ」

 

 牽制に何発か使っちゃってね。軽く述べられた言葉が、やけに心に突き刺さった。敵は合算して軽く六〇人以上いる。仮に彼がワンショット・ワンキルを達成してくれたとしても、明らかに足りない。

 なら、足手まといでしかない自分は。

 

 俯いて、一度唇を噛みしめる。発した声が震えてるのが、自分でもよく分かった。

 

「…………あたしは、置いてってください。ここに」

 

 少女の形質は、かつてテロリストに殴られても自らの信念を貫いたあの時と何も変わっていない。

 今は人間二人。脚だって多分この人の方が速い。自分は移動も覚束ない。

 ならばせめて、彼一人は確実に助かるかもしれないパターンを実行すべき。それが現状一番良い選択肢で、且つ合理的な判断。

 

 一息入れて落ち着いてしまえば、彼女の頭脳はいつもの通り明晰で、故に一瞬でここまで残酷な計算が出来てしまう。

 しかし。思い詰めた彼女の眼前に居た男は、悲壮感などまるでなく。それどころかおもむろに立ち上がったかと思うと、優しく少女の肩を叩いた。

 

「一ノ瀬志希君、と言ったね」

 

 そう。彼女の計算は、男が()()()()()と仮定してのモノだった。故に。

 

「君は少し下がっているんだ。私も女性(レディ)にそこまで言わせては、トリッシュに怒られてしまうよ」

 

 扉から遠のくように志希に指示しながらも、迷わず前へと「一歩」を踏み出した男の行動が、イマイチ理解出来なかった。さながらこれから死地に赴く、果てなき無謀だろうにと。

 

 ……しかし、一人ならば既に()()()()()()()()()()筈の彼が、わざわざこんなところでまごついていたのは、ひとえに彼女を、一ノ瀬志希の負傷を手当てし安静にさせるため。それが幾分落ち着いた今、こんな辛気臭いところに居続ける理由などない。

 

「『生きたい』という自分の心は、決して捻じ曲げてはいけないものだ。ましてや、キミみたいな若いうちから」

 

 諭すように志希へと語る。土壇場でも慌てぬ年長者の余裕を見せつけたいのか、それとも生きることを放棄した達観か?……いや、違う。この男はどちらでもない。

 

 彼女がかけられた言葉を考えあぐねる間、彼は何やら何処かへ電話をかけていた。イタリア語だったが難なく聞き取れる。こんな時でも変わらず機能する頭でヒアリングしたフレーズを、和訳すれば。

 

『ミスタか?……ああ、僕だ。大至急羽田行きの便の手配を頼む。急患だ。それと……ついに始めたみたいだぞ、連中。テキサスは既に壊滅状態だ、ネアポリスも気を付けろ。……間違いない。次の狙いは日本かイタリアだ』

 

 手短に、それだけで会話は終わったようだった。しかし。

 

「……そんなこと、言われたって…………もう無理です、あたし…………」

 

 こんなの、どんな医療を用いたって治りっこない。その前に、どうやってここから逃げるんだ。

 銃を持った手練れがいると言えど、残りの弾は三発だけ。間違いなく限界はあるだろう。

 

 しかし。スマートフォンをポイ、と放り投げた男は言う。確かに、それを治せる()()()いない、と。

 ほら、やっぱりそうでしょ。だから貴方だけでもここから。口にしようとした時。

 

「……でも、東方仗助なら話は別だ。何、移動の目処は今つけたから心配しなくていい。てことでさっさと向かおうか、日本(ジャッポーネ)へ」

 

 澄んだ青い眼は何より雄弁に語っていた。希望を持て、夢を持て、と。さすれば人は何者にもなれるのだ、と。

 手首の関節を景気付けにバキ、と鳴らした男は、彼女に背を向け敵へと向き直り。

 

「……そうそう、それからもう一つ」

 

 自分の背中越しに再び言葉を投げた彼は、文字通り背中で少女に語る。

 

「君の持つその『優しさ』は、確かに例えようなく素晴らしい。しかし時として僕らには、『覚悟』に裏打ちされた『強さ』が必要な時もある。そして……」

 

 言葉のギアを、一段高いところへ上げて。

 

「『覚悟』とは、心を殺して自己犠牲を肯定することじゃあない……」

  

 白い革靴が地を踏む音が、フローリングの床に反響するに留まらず。イタリア製高級スーツの上着を邪魔だとばかり傍に脱ぎ捨てた男は、待ち受ける障害なぞ御構い無しに前へと進む。

 艶やかな金髪を美しくたなびかせた彼は、一際激しく鋭く吠えた。

 

 

「『覚悟』とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開く事だッ!!」

 

 叫んだ瞬間、吐き切った息を吸い込み前蹴り一発。安全のため遮蔽したばかりのドアを躊躇いなく蹴り飛ばす。

 

 覚悟。それは天に召されし戦友(ブチャラティ)への誓いにして、ジョルノ・ジョバァーナが齢一五の時より絶やさぬ絶対の信念。

 そしてそれはメッセージ。才能溢れる若き芽へと向けた手向けでもある。

 

(若人の船頭役、今日だけ買って出ようじゃあないか)

 

 瞬く間に入り口へ殺到してくる屍共なぞなんのその。この男の見据えるは、既にその三手四手先である。

 

(なあ、そうだろ?)

 

 矢に射抜かれて極点に至った金色の幽波紋、名を。

 

 

「───ゴールド・E(エクスペリエンス)・レクイエムッッッ!!!!」

 

 

 

 光り輝く、「黄金の風」。

 

 




・志希の恩師
次回で詳しく。

・ミスタ
仕事多くて大忙し。

・ブチャラティ
お元気で。

・トリッシュ
ヒロイン。

・ジョルノ
やっぱり多忙。

・《ゴールド・E・レクイエム》
「終わり」のないのが「終わり」。


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018/ ファントム・ブラッド

170714


「……どうだい、彼女の容態は?」

 

「安定してる。今は美波ちゃんが付き添って波紋で浄化(治療)してらぁ。にしてもよ……」

 

 

 ……ありゃどーいうこった、ジョルノ。

 

 東京都目黒区、SPW財団日本支部12階・貴賓室。其処にいつになく剣呑な空気を纏った、星痣を持つ男達三人が集っていた。

 今しがた別棟の手術室で緊急の施術を済ませたばかりの男・東方仗助は、テキサスから急行して間もない友人、ジョルノ・ジョバァーナに鋭い声で誰何する。

 友人たる広瀬康一を経由して知り合った彼とは、面識を得てもう十年来の間柄であるのだが、その彼の表情もまた険しい。

 

「襲撃の下手人はヴァレンタインらで確定だろう。物証はココにある。道中の機内で映像は確認済みだ」

 

 言うなりジョルノは、テキサス本部からくすねてきた監視カメラのUSBデータを机の上に置いた。「かなりの長話になるぞ。何処から何処まで聞きたいんだ?」そんな台詞も序でに添えて。

 

「んなモン、最初(ハナ)から最後(ケツ)までだ」

 

 当然だろ。そんな面持ちの仗助に同意するように、横合いから重々しい声が入る。

 

「……詳しく聞かせてくれ、ジョルノ」

 

 同席していた空条承太郎の声である。本業の傍ら、仗助と共に日本を守る彼も多忙の身ではある。がしかし、決意は固いらしかった。

 

「……分かりました、仗助、承太郎サン」

 

 テントウ虫を象った、ジョルノのピアスが光に煌めく。瞑目していたジョルノは、一旦そこで目を見開き。やおら「まず、先におさらいついでに纏めておきます」と切り出すと、現在の概況を解説し始めた。

 

「パッショーネの情報網に依り、財団に潜入していたスパイは全員を捕捉しました。それだけでなく、テキサス本部に飾ってある矢は既に偽物(ダミー)と取り替え済。本物の矢はネアポリス支部はココ・ジャンボの中に移管し、ミスタ達が今も付きっ切りで厳重に管理しています。なのに」

 

 なのに、本部が襲撃された。それもIUを控えたこの時期に。

「矢」をIUの賞品にすれば承太郎達SPW・パッショーネ連合は必ず奪い返しに来る。撒き餌として見せつけた矢に釣られるだろう彼らの参加形式は、スポンサーでも観客でも構わない。そうして自分達を邪魔するスタンド使いをおびき寄せ、特定したのち全員を始末する。

 

 簡単に言えばそんな算段を立てていたヴァレンタイン一味は、少なくとも配下の企業が注力するIUが終了するまで、目立った動きを見せない筈だ、と予想していたにも関わらず。

 

「このタイミングでの襲撃か。しかも泳がせておいた最後のスパイに、『テキサスの矢はパチモン、本物はネアポリスにある』って情報もわざと掴ませたのによォ……どーなってんだァ?」

 

 仗助が二の句を継ぐ。当然、わざと漏洩させたその情報は、スパイを通じて何処かへ雲隠れしているヴァレンタイン一味にも通達される。よって奴らが襲撃してくるとすれば、最優先目標は本来はネアポリス支部……の筈だった。

 つまり今回の襲撃は承太郎達としては、「時期」も「場所」も意表をつかれた形であった。

 

「当初の保護目的だった『矢』は、我々の目論見通り今のところこれ以上強奪されてはいない。……ですが」

 

 言葉を区切ったジョルノは、続けざま。

 

「今回盗られたブツは矢ではありません。カーズの細胞とEXTRACT。この二つをはじめとする保管物が、テキサスから強奪されていました」

 

「……また、えらいアンティークに目を付けたな」

 

「なんで、今更ンなモンを……?」

 

 柱の男の体細胞に、打たれると屍生人になるエキス。承太郎と仗助にとって、それらは既に骨董品に近い感覚のものだった。存在も危険性も認知してはいるが、彼らの先祖がカタをつけた過去の遺物でしかない。そんな認識が妥当。

 

 しかし人員を割いてリスクを承知で盗むからには、何かしらの目的があるのだろう。ブラフにしては手が込み過ぎている。こんな如何にも世間に露見しやすい派手なマネをしてまで盗み出したのだから、成果がそれなりになければ費用対効果が合わない。

 今すべきは、彼らの狙いを推察し対策を講じること。

 

「……という事は、だ。確定で言えるのは、少なくともヴァレンタインらの狙いは、『スタンドの占有とスタンド使いの量産』だけじゃあなかった。まだ何か他にある。問題はソレが何か、って事だが……」

 

 そこまで述べた承太郎は刹那、様々な仮定を脳内で組み立てる。まずEXTRACT。本来は生命科学の研究に役立てるため、およそ1世紀以上に渡りSPW財団が保管してきた、人知の及ばぬオーパーツである。成分解析しても未だ解明されていない部分の残る、正真正銘の謎物質。

 よって中身を入手したとして、一介の製薬・化学メーカーが容易に中身を解析し、抗体を作成するのは不可能。新薬を売って一儲け、なんて簡単にいかないのは、スパイを通じて敵も把握済みだろう。

 では、手にしたところでどう用いる?

 

(……いや、逆に考えろ。()()()()()()()()()()使う気か!?)

 

 Uコーポレーション内部に潜り込んだパッショーネのスパイが手に入れた資料にあった、『感染爆発(パンデミック)』なる言葉。

 当初承太郎達は、この言葉は「矢を入手して大量のスタンド使いの粗製乱造を図る」という意味で使われている、と考えていた。

 が、これがEXTRACTの使用を前提とした言葉なら?……話は俄然、変わってくる。「感染」とは、「人を屍生人(ゾンビ)にさせる」という意味なのだとしたら。

 

「奴ら、EXTRACT(アレ)をバラ撒くつもりか……!」

 

 凝り固まったシワを解すように、眉間に指をあてがった承太郎が一言。

 

 連中の頭、ヴァレンタインは良くも悪くも政治家である。それも国益の為と称し自己の利潤を最優先するタイプの。徹頭徹尾、彼は自分の懐を潤わせ且つ自分の選挙が有利になるよう、無差別ではなく差別的にソレを用いるだろう。

 己に敵対する候補や陣営、企業、国家の要人に端からEXTRACTを打ち込んでいけば……やがて彼に逆らう者はこの星の何処にも居なくなる。

 当然だ、注射一本でゾンビに出来るのだから、特効薬さえ作らせなければ懐柔は容易である。そして叛逆者を封殺した、その先にあるのは。

 

「専制や独裁なんてもんじゃあない、奴を神とする究極の恐怖政治だ。もし、奴に仇なす知恵や力があると判断されれば……」

 

「……ソイツら全員、屍生人(ゾンビ)にされる、ってことッスか」

 

「知識は罪悪だ、とでも?……まるでポル・ポトですね、現代の」

 

 疑問に答えを出したことで、暫し沈黙する一同。だが、問題はもう一つある。 「では何故、カーズの細胞まで盗んだのか」という事だ。

 話題が移りそうになった時、仗助があることを思い出した。

 

「……なあ、U・コーポレーションのディエゴとか言うCEOがこないだぶち上げた声明って、なんだったっけか」

 

 U・コーポレーション。IUの新しいメインスポンサーにして、矢を堂々と大会優勝商品に据えた巨大企業。完全株式非公開でありながらも製薬・化学業を中心にグローバルに事業を展開し、世間的にはクリーンで通っているが、調べたところ黒い噂もいくつか掴んだ。

 

 しかし、未だ検挙や捜査に至るほどの確定的な尻尾は掴ませておらず、だからこそコンプライアンスが求められるIUのスポンサーを務めているのだ。ヴァレンタインにも政治献金を行なっているとされる、その会社の新声明は。

 

「確か、『生命の限界を超克する、飛躍の年と致しましょう』と言っていた気が…………まさか……!」

 

 現代科学に於いて、生命の限界とは二つある。一つに「死」を回避できぬこと。もう一つは、生命自体を人工的に造ること。

 そこから見えてくるのは、禍々しい何かを顕現せんとする黒き意志。

 

「……自分達の手で創造しようとしてるのか、究極生物を……!」

 

 いや、もしかしたら、()()()()()()()()かも知れない。

 

 其奴はきっと、人間社会に居たらひどく目立つだろう。何せ究極・完全を志向された生き物だ。溢れんばかりの覇気を備え、黄金律の身体を持ち、その美貌絶世にして声は神性すら帯び、一挙手一投足は万人を魅了してやまないだろう。

 天上に位置する、人間の形をしたカリスマ。そんな存在に、彼等は心あたりがあった。吸血鬼にしてスタンド使い、更にかつて首から下を奪い取った身体で以って、自らの背に星痣すら宿す男。20年以上前に終わらせた筈の因縁が、再び立ちはだかるとするなら。

 

「て、こたァー……」

 

「……父の、DIOの血を継ぐ何者かが、奴らの中にも居るって事ですね」

 

 それも、もしかしたら()数。

 ───そして恐らく、ソイツこそが最恐の敵。

 

「……総力戦だ。恐らく次に狙われるのはネアポリスか目黒(ココ)だろう。本部が陥落した今、残り二つをツブされたら我々が再起不能に陥る。その前に……」

 

 ……決着を付けよう。禍根はココで、全て断ち切る。承太郎の掛け声一下、彼等の意思は此処に纏まった。

 

「「了解」」

 

 固めるは不退転の決意。以後は各自に通達し、再度計画を練り直す。新たな方針も決まったところで一息入れた彼等は、ジョルノがスタンドで生物化させて目黒支部に持ち込んだデータファイルに残された、連絡途絶前の本部映像を改めて確認することとした。

 

 ノイズ混じりの映像に残されていたSPW財団テキサス本部は、端的に言えば───惨劇の舞台と化していた。

 

 

 ☆

 

 

 ───時に、遡ること2日前、米国時間の夕刻五時過ぎ。日も落ちかけたテキサス本部に、SPW財団のゲストパスを首からかけた、麗しい一人の女性の姿があった。

 

 整った鼻梁に長い睫毛、血のように紅い切れ長の桃花眼と鮮やかな金髪。処女雪が如く真白い肌。十代後半と言っても十二分に通用する身形。

 均整のとれた身体を覆うは、クラシカルなデザインの黒と真紅のドレス。左手にはレースの日傘。腰元にはハートを象ったバックルを帯びた金ベルト。

 チャームポイントを挙げるとしたら、付け爪なのかルビーが如く赧く煌めく長い爪と、常人より長い犬歯であろうか。

 

 同行しながらも彼女に施設の説明をする職員の鼻の下が、少しばかり伸びているのもやむを得ない。にこにこと愛想よく美貌を振りまく彼女は、それ程には魅力的だった。

 兎にも角にも、同行の財団職員の案内を一見して興味深げといった様子で聞きながら、その実()()()()()()注意深く観察していた彼女は、口輪のみを上げるお手本のような笑顔を終始浮かべていたのだった、が。

 

 カチ、と館内据付の時計の秒針が、六時を指したその瞬間。眠たげにとろん、としていた彼女の眼は、水を得た魚が如く見開かれ。

 

「……戯れは、此処までとしようか」

 

 刮目の後に発された声は、別人のように硬質で。

 

「……え?」

 

 今しがた秒速で纏う雰囲気を剣呑なものに変えた女性に違和感を感じ、職員が振り返った瞬間。風切り音と共に振りかぶられた、不可視の手刀に。

 

「───往ね」

 

 振り下ろしざま、一閃。それだけで、案内人の首から上と胴体はあっさりと分かたれた。たちまち寸断された人体の断面から鮮血が吹き出し、地下四階の通路を凄惨に染めていく。

 苦もなく殺人をこなした下手人は、彼女の背後に音も無く顕現していた不可視の幽体。眉一つ動かさず人間を肉塊に変えた少女は、幽体たるスタンドに付着した血液を舐め取るなり、「不味い」、と不躾に呟いた。

 

「……まあ、凡愚の輩の味なぞこんな者か」

 

 首と胴を分かたれた死体の、突然の現出を目にした女性職員は劈くような悲鳴を上げ。皮切りとばかり、四階フロア内部はけたたましい喧騒に包まれていく。

 

『What's the fuck⁉︎』

 

『逃げろ!』

 

『敵襲か!?』

 

 慌てふためいた職員の一人が懐から拳銃を取り出し彼女に向ける。加えて彼らの一人が備え付けの警報スイッチを押そうとした瞬間。

 

「戯け。無駄な足掻きよ」

 

 哄笑を浮かべた羅刹は、口角を更に上げ発達した犬歯を晒して意を発す。

 

T()H()E()-()W()O()R()L()D()ッ!!」

 

 時よ止まれ。

 

 桃花眼を三白眼にし、ワンフレーズのち手をかざす。ただその一挙手のみで、射程内の遍く時間が「静止」する。

 空白の生まれた静寂を悠々と歩きながら、女は武装で身を固め立ち向かわんとする者たちを一人、また一人と彼岸へ葬り去って行く。まるで赤子の手を捻るが如く、易々と。

 今この場に於いて、止まった時間の中を自由に動けるのは彼女だけ。

 

「……張り合いが無いな、本部がこれだけザルな警備では。期待したのが間違いだったか?」

 

 しかし、既にしてこの空間に高慢な発言を聞き取れた者はいない。ある者は頭蓋を砕かれ。ある者は頭から股までを真二つに裂かれ。またある者は心臓を素手で引き抜かれ。惨たらしく命を簒奪された、物言わぬ骸が転がるのみなのだから。やがて、正常な呼吸をする人間が一人も居なくなった頃。

 

「───10秒、経過」

 

 傲岸不遜を込めた言葉と共に、時は再び流れ出す。その間も()()を探していたらしい彼女は、己の関心を既に惨殺死体から別の何かに移していた。

 

「…………匂いからして……この上か」

 

 爛々とした灼眼で頭上を一瞥すると、勢いのままフロアの上壁に()()()穴を空ける。その尋常でない膂力は、この怪物が既に人間とは異なる位相の生物であることを如実に示している。

 壁をブチ抜いた真上に位置するのは、三階の第一実験室。一足がけでその上階へと到達した女の、視線の先には。

 

「…………な、何よ、貴女…………!?」

 

 

 白衣に身を包んだ赤髪の女性が一人、アンプルを抱えて驚愕の表情を浮かべていた。

 

 

 ☆

 

 

 床を無理矢理くり抜くように壊された衝撃のおかげか、実験室内に据え付けられた器具や紙はあちこちに散乱していた。乱雑な中をお構いなしに悠々と歩く殺人鬼は、うら若き化学者に獰猛な牙を剥く。

 

「……複製した筈の『石仮面』は何処にある、女」

 

 歪んだような哄笑を麗しい(かんばせ)に貼り付けたまま、両者の間に静かに昏い声が響く。

 しかし。パン、とその時。乾いた音を伴って白衣の女が選択したのは、返答がわりの無言の銃声。懐から素早く取り出した黒光りする拳銃で以って、事実上の敵対表明と葬送を行った筈だが、その効力は。

 

「……コルト・ガバメントの一撃が効かない-!?」

 

 あろう事か被弾した筈のドレスの女性は、ただ()()()()で銃弾を受け止めていた。用を為さなかった銀の弾丸を己の五指で弄びつつ、フン、と悪鬼は彼女の選択を鼻で嗤う。

 

「……見縊るなよ、小娘。こんな豆鉄砲なぞ些かの痛痒(つうよう)にもならん。にしても……」

 

 ……つくづく、アメリカ人とは病的に銃が好きよの。余には毛程も理解出来んわ。長い犬歯を覗かせ弁を垂れる侵入者の口上を耳にした才媛は、ある一つの答えに至っていた。

 自らの一族に伝わる伝承の中に、記述がある。人間の血液を主食とし、宵闇に紛れ人を襲う。そして長い牙と爪を持つ、邪なる生物の名を。

 

「……アナタ、まさか……」

 

 …………吸血鬼……!?漏れた呟きは、残念ながら正解(ビンゴ)だった。

 

「糞袋の分際で思ったより聡いようだな。ならば抵抗は無駄な足掻きと解していよう?もう一度言う、大人しく石仮面を渡せ。さすれば命くらいは保障してやる」

 

 ……まあ、嘘だがな。心の中でのみ悪鬼は続ける。しかして返答はというと。

 

「嫌だ、といったら?」

 

 何?尚も銃をこちらに敢然と向けてくる彼女を、一度鋭く睨み付ける。怯え竦む様を想像していたのに真逆を行くとは。挑発的な言動に、金糸の片眉が吊り上がった。

 

「ほう。ならば……貴様のひり出したコレで死ね」

 

 ビシィ!指弾でもって鬼が撃ち出す銀の弾丸は、超速で彼女の心臓目掛け放たれる、も。

 

「───銀色の(メタルシルバー)波紋疾走(オーバードライブ)ッ!」

 

 ……女性が振り被った右手で以って、明後日の方向に死の一撃は弾かれた。一手で決着。そう踏んでいたのに予想外の反撃を貰ったことに、金髪の鬼はやはり片眉のみをピク、と上げて低く唸る。

 

「……波紋疾走、だと?…………その技……」

 

 見覚えがある。かつてイギリスでそんな妙な技を持つ者と闘った覚えが。100年余りの時を生きるこの吸血鬼の、古い記憶が喚起された。

 

「あらら、見抜かれちゃったかしら♪」

 

 闘牛士のはためかせる赤布が如く、挑発するかのように揺れる赤髪を見て。金の悪鬼は口角を上げ一言吼えた。

 

「……貴様、波紋使いか!!」

 

「御名答。これを知ってる上にその牙と知性…………やっぱり吸血鬼で確定ね、貴女」

 

 ……もっとも、私は大した波紋戦士じゃあないんだけど、という言葉を女史は喉元で飲み込む。今だって実はマグレで返せただけだ。一瞬遅れたら死んでいた。しかし敵にそこまで言う義理もない。

 

「それに生憎、若い時にアンタみたいなのと闘ったことがあってね。闘い方なら多少は心得てるわよ?」

 

 これも実はブラフ。尚もけしかけ気を逸らさせ、石仮面を奪取させないようにするのがこっちの第一目標なのだ。そしてこの間隙を縫って後ろ手に持ったスマホから911で警察に。そこまで彼女が思った時。

 

「遅い」

 

 手元から、()()()()スマートフォンが無くなっていた。ごく自然に、まるで最初からそうであったみたいに。

 

「……な、何を……!」

 

 何をされた、今!?私は()()()()()()()()()()()筈……!?なのに!

 

「……何を、だと?ただ()()()()()()()よ。ソレも力の一端に過ぎんがな」

 

 鋭利な爪で彩られた敵の手元には、今の今まで自分が持っていた筈のスマートフォンが握られており。バキィ、と音を立ててそれは目の前で粉々に砕かれた。

 

「時、ですっ、て…………まさか、スタンド能力……!?」

 

 戸惑いを隠せない女史に、しかし。返ってきた答えは嘲りを含んだものだった。

 

「もう遅い。失せろ、この世から」

 

 時よ止まれ。言葉が耳に入ったと思ったら。気付けば()()()()()()()()、…………いつの間にか、医療用メスが何本も突き刺さっていた。

 

「がふッ……」

 

 不躾な凶刃の侵入を認識すると時を同じく。己が喉元からせり上がった血が吹き出していく。白衣の下に着ていた耐火防刃繊維のシャツもブラウスも、埒外の膂力を前にしては全く用を為さなかったらしい。

 

「……か…………はッ…………」

 

 やられた!いつの間に?この実験室には確かに先程、煮沸したメスが運び込まれてはいたが。

 

「…………無様だな、女」

 

 頭上から投げかけられた言葉に思考しようとするも、灼けつくような強い痛みが阻害する。コヒュー、コヒュー、と、喉だけでなく肺からも空気が抜けていく。息をする度走る激痛は、真っ直ぐ歩く事すら許してくれない。

 

(時間を止められて、その間に刺された……!?)

 

 躊躇いなく()()()()()()攻撃するとはこの女、明らかに波紋使いとの闘い方を心得ている……!

 

「波紋の呼吸はコレで封じた。今の貴様は犬にも劣るタダの雑魚よ」

 

 本当はそのまま心臓でも抜き取ってやろうかと思うたが……気が変わった。奮闘に免じて餞別だ、序でにコレをくれてやる。

 言うなりエネミーがドレスの胸元から取り出した、「EXTRACT-mk.Ⅱ」と記されたそれ。伸縮式の注射針が引き出されたと思うと、針先をふらついている彼女の太腿へ乱暴に打ち込んだ。

 

「!?……ガッッ……!?」

 

 一撃がトドメとなったか自分の元へ倒れ込んだ彼女を、この吸血鬼は無論介抱なぞする訳もなく。突き刺さっていたメスを何本か引き抜くと、そのまま眼の前の白い首筋へと長い犬歯を突き立てた。

 

「…………あ…………ぅ……」

 

 最早声を上げる力も、安堵の息をつく間もなく。瑞々しかった彼女の身体は、徐々に生気を失い乾涸びてゆく。血を吸い取られ色を失って行く身体から伸ばされた手は、力無くだらりと垂れ下がった。

 五分の一程、血を吸い取った頃だろうか。どさ、と立てなくなって床に崩折れた彼女の頭を仕上げとばかりヒールで踏み付け、金髪の鬼は薄く嗤う。口元に付着した血を長い舌で舐め回すと、最後に一言吐き捨てた。

 

「些か美味であったぞ、女。褒めて使わす」

 

 酷薄な笑みを浮かべると、奪い取ったガラス瓶からアンプルを抜き取って、空のケースを廊下に遺棄。「Cell of the CARS」とラベルが貼られたソレを蹴り飛ばし、鼻を一息スン、と鳴らすと、保管庫は奥か、と一言呟いた後。

 

「…………ああ、名乗るのを忘れておったな。我が名は『ディアナ』。貴様を殺した女の名、確とその蒙昧な頭に刻み付けておけ」

 

 ……尤も、もう聞こえておらんだろうがな。

 

 それきり紅眼の妖しき狂鬼は、ツカツカとヒールの踵を鳴らし部屋から出て行った。崩れた書類に散らかった部屋、そして血塗れにした女性。いずれにも、既にして目もくれず。

 

 

 

 ☆

 

 

 血を抜き取られてから、一体どれ程倒れていただろうか。奇跡的に意識を一度回復した白衣の女性は、ピクリ、と強張った身体を動かす。

 

(……う……あ…………)

 

 傍目から見て何故生きているのか分からない程に、かつて才媛と謳われた女史は重症であった。

 刃で貫かれた肺は未だ穴が空き、喉の傷も相当に深い。艶のある赤い髪は血液がこびり付いてところどころ固まっており、白衣は既に赤黒く染まっていた。

 

(波紋の治癒が……追いつかない……)

 

 そもそも、まともに波紋の呼吸が出来ない。額を派手に床に打ち付け出血した影響か、左眼の視界も血でほぼ見えない。肺からの失血で頭がふらつくばかりか、噛まれた箇所が焼けたように熱い。息をする度に自らの血で溺れる苦痛に加え、全身を掻き毟りたくなる痒さすら襲う。

 

 更には携帯を壊されており連絡が出来ない。外部へ連絡出来る地上階の館内電話までは、恐らく自分は辿り着けない。手足の指の末端から、麻痺したように身体が徐々に動かなくなりつつあるからだ。恐らくは、打ち込まれたクスリの作用か。

 しかしこれでは、愛弟子たるあの娘に「此処に来てはいけない」と、伝える手段が何もない。

 

(……これで、何とか……)

 

 震える手で、断線したケーブルを何とか再接続。館内の非常電源を、朦朧とする意識の中でも死にものぐるいで復旧させる。聡いあの子のことだろう、きっと異変に気付く筈。

 

(あとは……何を盗まれたのか……)

 

 言うことを聞いてくれない身体に鞭打ち、開け放たれたドアを抜け、廊下を這いずって進む。そうこうしている間にも、身体は徐々に重くなっていく。

 

(時間がない……調べなくちゃ……!)

 

 もう二足歩行はままならない。多量の失血でまともに歩けないのだ。盗まれたブツにアタリをつけ、自身の血液で以ってダイイングメッセージでも残せれば重畳だろう。

 

(……こんなことなら、「来てくれ」なんて声をかけるべきじゃあなかった……)

 

 今日は、折角あの娘が来る日なのに。久しぶりに会えることを楽しみにしてたのに。気まぐれで気分屋だけど、根は優しくて律儀な子だから、きっと途中で引き返さずにココにも来てしまうだろう。

 

「……志…………希……」

 

 豪胆にみえてその実繊細なあの子に、惨たらしい死体なんて見せたくないのに。

 必死の思いで解錠されたままの危険物保管庫の中へと這いずって辿り着いた、その時点で。

 

「……ごめん、ね」

 

「Christina=A=Zeppeli」との名が記された社員証の、首掛け紐が千切れて床に落ちると同時。彼女の心臓は、脈打つ力を喪った。

 

 屍が再び動き出すのは、これより約半日の後。結局、以前と変わらぬ姿のままでの愛弟子との邂逅は、二度と叶うことはなかった。

 

 

 ☆

 

 

 では、行くとしようか。

 

 妙齢の女性を甚振り嬲るに飽き足らず、侵入した保管庫から目的のモノを全て回収したのち。身体の半分程を鮮血に染めた殺人鬼は、三階地下の隔壁に足蹴りで以って軽々と穴を空け、外へと飛び出していった。

 U(アンブレラ)・コーポレションの社章をつけた金髪のその女、首に掛けたSPW財団ゲストパスを指でヘシ折り、何食わぬ顔でチャーター機へと乗り込んでいく。耳元のインカムの向こう側の人間に、語り掛けることも忘れずに。30秒ばかりコールした後だったろうか。酷薄な声が、受話器の向こうから発せられた。

 

『……すまない、私だ』

 

「出るのが遅いぞ、ヴァレンタイン」

 

 少しばかり苛立ったような声色は、彼女本来の短気な性分をうかがわせた。

 

『いやいや、どうも前戯には時間をかけたいタイプでね。で、どうだったんだい?mk.Ⅱ(改良型)の効き目は』

 

「遅漏男め。……試してみたが上々だ。予定通り()()()()()()を行っても問題あるまい。それから、『アンプル』とやらも序でに回収しておいたぞ」

 

 ニヤリ。犬歯を剥き出しにして獰猛に嗤う妖しき鬼の眼は、昏く淀んだ光を湛えていた。

 

『ご苦労様。報酬は休暇(バカンス)が良いかい?それとも現金(キャッシュ)?』

 

「強いて言えば貴様の首だ」

 

『非売品でね、それは無理だ。……ああ、それからディアナ』

 

 ……キミに、次の行き先が決定したよ。

 

「ほう、何処(いずこ)へ?」

 

『目黒に斥候として放ったワイアードの行方が知れない。代わりに東京へ飛んでくれ。……尤も、君があの木偶人形の代わりと言ってはお釣りが来るがね』

 

 申し訳程度に一言、付け加えることも忘れずに。しかし、聞き取った彼女──ディアナと呼ばれた女は、金色の柳眉を寄せて疑を呈す。

 

「日本?かの国は、既に『獅子』がいるはずでは?」

 

「その『獅子』にキミの今持ってるだろうアンプルを投与してくれ。計画の一部はそれで完遂だ」

 

 ……成る程。カーズなる生物の細胞をあの合成獣(キメラ)に取り込ませるとは、またぞろ妙なことを考えているな。そう勘繰ったのは徒労ではないらしかった。

 

(……余に使い走りをやれとは尊大に過ぎるぞ、この糞縦ロールめ。……まあ良い、D4Cは厄介だが、いずれ機を見て奴も殺すか。何、時間はまだある)

 

 ドス黒い思考に身をやつしたのち、彼女は平然と色良い答えをインカム越しに返すことにした。

 

「……良かろう。ならば優に1()0()0()()()()くらいかの、余が日本を訪れるのは」

 

『頼んだよ。君の働きに期待する』

 

 期待。言葉を聞くなり彼女は、徐ろに自身の左肩に宿る()()に、恨み骨髄とばかり爪を突き刺し引き抜いた。

 爪先に付着した己の血液を一瞥だけして舐め取った彼女は、踊る様に長い脚を組み言い放つ。

 

「抜かせ。このディアナ・J・ブランドー、凡百のスタンド使い如きに遅れを取るなぞ有り得んわ」

 

 バラバラと回るプロペラの音に、以降の会話は掻き消された。ヘリ内部に納められていたジュラルミンケースに、研究室から奪い取った幾つかのモノを収めた女は、それきり簒奪を繰り広げた墓所には目も向けず。

 鮮やかな引き際は、彼らがタダの未熟な賊徒ではなく、殺しと破壊に長けた歴戦の悪であるという証。

 

(……かのいけ好かん探偵や義賊気取りと()り合った時のように、私の手ずから殺してやろう。首を洗って待っていろ、偽善者共……!)

 

 時にそれは、小豆髪のギフテッドが財団本部を訪れる、約半日程前のこと。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ……夢を、見ていた。

 

 今から7年前のこと。あたし、一ノ瀬志希がまだ小学生だった時。

 幼い頃から、我ながら聡い子だったと思う。岩手の片田舎で育った少女が二歳で九九を覚え、五歳で微積を解し、八歳で英仏独伊語に加えラテン語までを完璧に会得した。

 そんな人間が飛び級システムのある太平洋の向こうへ行きたいと言い出して、異例の国費留学をもぎ取ったのは、一重に好奇心を抑えられなかったから。

 

 あたしは何処まで行けるんだろう。何に成れるんだろう。まだ見えぬ将来の展望に淡い期待も込めての渡米だった。

 それは丁度、大きな夢を込めてアメリカに留学したばかりの頃。必修科目とかわけわかんない、全部好きなもの取りたいのとダダをこねるあたしに、諭すように。

 

「ざーんねん。このゼミは必修だから貴女がいかに優秀でも、履修しなきゃ卒業出来ないのよ?えーっと、Ms.イチノセ?」

 

 それが、先生との初めての出逢い。

 えぇーなら辞めたーい、とか駄々をこねる私を真摯に宥めてくれた教授は、終ぞ彼女だけだった。

 すごく綺麗な人だった。いつも美容に気を遣っていて、メイクなんて分からなかった時分のあたしに基礎から教えてくれた。

 

 優しい人だった。年相応の体力しかなくて、実験とレポート続きでクタクタになって寝落ちしてたりすると、わざわざ部屋まで起こしに来てくれた。

 ほっとけばファストフードとビタミン剤で食事を済ませるあたしに、料理の仕方を教えてくれた。身体に悪いからしっかり睡眠取るくらいはしなさいと、母親がわりに色々世話を焼いてくれた。

 

 面倒見の良い人だった。基本キョーミが三分しか続かなくて講義をフケて勝手に何処かへ失踪するあたしを、あれこれ叱りつけながらもいつも迎えに来てくれた。

 正義感の強い人だった。あたしがやっかみ混じりの人種差別を受けた時、本気で怒って、励ましてくれた人だった。人のいなし方、関わり方は彼女から教わった。

 

 先生と関わり出してから夢中で駆け抜けた時間は、今でもあたしの宝物。そうして気付いたら、あっという間に6年経ってて。16の頃、大学院を卒業したのち、暫く講師として大学で働いてた頃。あの飛行機の事件の後、訳あって一旦辞めたいと切り出した時も。

 

「いいわよ?」

 

 思いのほかあっさり承諾してくれて。

 

「いいんですか!?やったあ!」

 

 正直教授陣からは慰留されるだろうな、と思ってたので面倒から解放されて喜ぶ私に、嬉しそうに目を細めて。

 

「ふふ。貴女ともあろう子が必死に頼み事なんて珍しいからつい、ね」

 

 我が校始まって以来一番優秀な貴女が抜けるのは痛手だけど、ねえ?と苦笑されたのを覚えている。

 

「いやいや〜これには中々込み入った事情がありましてん♪」

 

「ホントに〜?いつもの失踪癖じゃあなくて?」

 

「ぶー!……でも、ふざけてるんじゃなくて至って真面目でーす♪」

 

 へぇ〜そうなの?面白そうに返してきた彼女に、悪戯っぽく微笑まれたかと思ったら、更に一言飛んできた。

 

「……もしかして、日本に誰かいい人でも出来た?」

 

「うぇっ!?あ、いやそんな……」

 

 そうそう。この愉快犯みたいな先生の話の持っていきかた、あたしがかな〜り影響受けてる。でもこの時は、上手くこう、なんてゆーかスマートに返せなかった。

 

「あらあら。志希がそんな声出すなんて珍しいわね。ひょっとして本当に?」

 

「も、もう、からかわないでくださいよぉ……!」

 

 いつだってあたしは、あの人の前じゃあ子どもだった。先生が独身だったにも関わらず、むしろ娘みたいに扱われてた感すらある。証拠にその後付け加えられた彼女の一言に、今度はハッとしたんだっけ。

 

「でも。──今の貴女、凄く良い顔してるわよ」

 

「えっ……?」

 

「飽きないモノをやっと見つけたって、そ〜んな顔♪」

 

「………………!」

 

 慈しむような笑顔で、コッチを見てきた彼女にはいつからお見通しだったのだろうか。……最初は輝いて見えた大学(ココ)ですら、いつのまにかどこかでつまんなく思ってたことを。

 あたしが今までこの環境に身を置いてたのは他でもない、目の前の先生がいたからだ。馬鹿にするわけじゃあ決してないけど、同年代にあたしの論理(ロジック)や、構築した定義(ディグニティ)にもついて来れる学生なんて居なかったし、教授陣にも殆どいなかった。その例外は、たった一人だけ。

 

「あのね、志希。……私は教師として、自分が綺羅星みたいな才能を持ってる子を留めおく足枷になるなんて真っ平ゴメンだわ。だから……」

 

 ───この人、クリスティーナ・A(アントーニア)・ツェペリ先生だけ。

 

「…………だから、志希。貴女は、貴女の心に従いなさい」

 

 自分が一番、やりたい事をやりなさい。珍しくすごく真面目な声色で、そんな事を言われて。しんみりした空気に耐えられなくなり、言葉に詰まってつい席を立ってしまった。

 

「……こ、珈琲のおかわり貰ってきますね!センセー何がいーですか?」

 

「……ありがと。ブラックだと嬉しいわ」

 

「濃い目で持ってきまーす!」

 

 照れ隠しとばかりの態とらしさも、やっぱり御見通しなのがこそばゆくて。自分が何時もの表情に戻るまでに多少時間がかかったけど、なんとかテーブルに戻ってきた時。

 

「……ちょっと寂しいけど、いい加減親離れもする歳か。……すっかり大きくなったわね、志希」

 

 先生は少しばかり空を見上げて、何事か呟いていた。変な例えだけど、まるで───「もうここに居ない、かつての親友を懐かしむ」みたいな、そんな顔をしていた。

 

「『…………』。貴女の娘は、とっても立派に育ったわよ」

 

 慈しむように何事か小さく呟いてたのは聞こえなかったから、読唇術でも習っとけば良かったかなとか、どうでもいい事をその時は思ったり。

 

「何か言いました?先生?」

 

「……ううん、なんでもないわ」

 

 あたしに誰かの面影を一瞬見たみたいな、そんな顔だった。

 

 

 ───そして。最後に覚えているのは、向こうの空港で手を振って送り出された光景。最後の最後でやっぱりいきなりだったよねえ……とか我ながらネガってるあたしは、これまた珍しく殊勝だった。

 

「……ごめんなさい。急なワガママ聴いてもらって」

 

 こんな事言うくらいには。でも。

 

「こ〜ら。謝るところじゃないでしょ?」

 

 私が聞きたいのはそんな言葉じゃあないのよ、志希。

 そこから聞いた別れ際の台詞は、今でも一言一句鮮明に覚えている。

 

「夢、ちゃーんと叶えてきなさいよ。大丈夫、貴女が本気で取り組めば、出来ないことなんてこの世に一つも無いんだから」

 

 ハッとした。思えばいつもいつも失踪してはあちこち好き勝手に飛び回るあたしの、母親代わりを6年間も務めてくれた。

 母を亡くしてからぽっかり空いたあたしの心の孔を埋めてくれたのは、紛れも無いこの人だったんだ、と。

 

「……あの」

 

「?」

 

「……また、必ずまた、逢いに行きます!」

 

 違えない。日頃飽き性で気分屋の自覚がある自分だけど、この約束だけは違えない。

 

「有難う。それじゃあコッチで待ってるわね。……いってらっしゃい、志希♪」

 

 はにかんだ師匠の顔は、何時もと同じく翳りないキレイなもので。あたしもつられて笑って返した。

 

「行ってきま〜す!先生♪」

 

 別れの日を最後に、断線するみたいに夢は途切れた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………う、ん……」

 

 起きたら、無機質なLEDライトが眩しくて、思わず薄目を閉じかけると。……どこか嗅ぎ慣れた、懐かしいにおいがした。

 

 ついでに、()()を誰かに握られている。手を通して何か、温かい力みたいなものが送られてくる。この手の主は、誰だろう。

 半覚醒の茫洋とした頭で、ボーっとしつつ視線を向ける。この優しい空気感と、あったかい手の人って、確か。

 

「……先、生……?」

 

 思わず、そう口を突いて出た。でも。

 

「……志希ちゃん、気がついたの!?」

 

 でも、目を開けた先に居たのは、懐かしい恩師の姿ではなくて。そこに居たのは何か久しぶりにあった気がする、同僚でもあり友人でもある栗色髪の女の子だった。

 

「……あ、美波ちゃ……」

 

 ん、といい終える前に。彼女の胸元に抱えられるように抱き締められた。

 

「………………ごめんね……ッ……」

 

 その時気付いた。震えてる。泣くのを必死に、堪えてる。日頃気丈で明るくて、泣き言一つ言わない太陽みたいな女の子が。嗚咽を堪えてあたしをまるで、繊細なガラス細工みたいに抱擁してる。

 

 ごめんなさい、せめて私がついてさえいれば。そう言われて、抱きすくめられて気がついた。

 

(ああ、そっか……)

 

 先生と美波ちゃん、おんなじ香水、使ってたんだ。……だから、なんだろうか。気付けば私の両頬を、水滴みたいな何かがぽとぽと伝っているのは。

 あたしの胸元には、先生のつけてたペンダントが、確かにある。研究所で見た、悪夢みたいな光景は。

 

(夢じゃ、無かった)

 

 あの人はもう、帰ってこない。目の前で見たのだから。ジョルノと名乗った彼に圧されて動かなくなったいくつもの死人と一緒に、陽の光を浴びて灰になった彼女を。

 匂いに記憶を喚起され、走馬燈みたいに幾つもの思い出がリフレインする。それが余計に、堪えていた感情を暴発させる。

 

 もっとメールしとけば良かった。電話しておくべきだった。もっと、顔を見せに寄るべきだった。

 九つの時、幼き日に死別したあたしの母親。その役目を実の親代わりに女手一人で負ってくれた人は、紛れもなく彼女だったのに。

 

 師を喪ってから丸一日が経ったその日は、あたしの生涯忘れ得ぬ日の一つ。数年ぶりくらいに、心の底から泣いた日だった。

 

 

 ☆

 

 

 テキサスから目黒へ急行して、およそ半日後に目覚めたのち。声も上げずに泣いてたあたしが、幾分落ち着いてきたのをみてとったのか。慎重に、絞り出すような声で美波ちゃんに切り出された。

 

「……ねえ、志希ちゃん」

 

 例えるなら、それは懺悔してるみたいな声色。何回でも殴ってくれて構わない。もしかしたら絶縁されても致し方ない、と。

 教会で神サマに頭を垂れる信徒みたいな、悲痛で悔しそうな彼女の意思が。()()()()()()()()()()()()()、あたしの左手を通して伝わってきた。

 

「……こんな時に……いや、こうなっちゃったからには、私ね」

 

 理論を知っていても、技を会得していても、恩師を救うには間に合わなかっただろう。波紋とは、スタンドとは本来二、三ヶ月では使いこなせない。争いと縁遠いだろう生活を送ってきただろう、皆なら尚更だ。

 後から詳しく聞いたら、この時そんな事を思ってたと彼女は言っていた。

 

「……貴女に、謝らなくちゃいけないことがあるの」

 

 でも。結果論に過ぎないけど、巻き込みたくないから、って何も言わなかったのが間違いだった。

 少しくらい、危機を跳ね除けるための力として伝えていれば、貴女がここまで辛い思いを重ねる事はなかった筈だし、傷付く事もなかった筈だ。遺体を荼毘に付すことくらいは出来たかもしれない。

 何かあってもいざとなれば、近くに私と仗助さんがいるから大丈夫だ、と。思っていたのが、そもそも甘い考えだったと。

 

 韜晦するようにあたしを抱き締めて、要約すればそんな長い思いを伝えてきた美波ちゃんは、それでも最後はあたしを見据えて、泣きそうなのを堪えてこう言った。

 

「……大事な、話があるの」

 

 腹を括った女の眼が、揺れるあたしの瞳を捉えた。

 

 

 ☆

 

 

 波紋。スタンド。吸血鬼。屍生人。そして、テキサスで何があったのかを伝えた一部始終の映像。ダイジェストながら受けた資料込みの説明は、継ぎ接ぎだらけのデータを繋いで考察するには十分だった。

 そして。苦悶に満ちた恩師の悲鳴や顔は、あたしの中の一線を、超えさせるにも十分過ぎた。時刻に直して、左の二指が欠けてから半日くらいが過ぎたその頃。

 

「……じゃあさ、仗助、美波ちゃん……」

 

 ……あたしの指が今、元通りになってるのも、そのチカラのおかげなの?

 

 出来るだけ声を落ち着けんと努めた、あたしの誰何。そう、毟り取られた筈の指は、怪我なんてなかったみたいにいつもの状態に戻っていた。

 問いに対し彼女は首肯で、ナースコールで以って息急き切って駆けつけた彼も一言「……ああ」と肯定。

 

 ……そっか。去年のあのハイジャックを解決したのは、そういう事だったのか。そして。

 

「これが、スタンドの矢……」

 

 豪奢な彫金の施された、一本の矢を握り締める。資料代わりに持ってきてもらったソレは、成る程確かに流麗で。妖しく煌めく輝きは、日本刀の刀身みたいに吸い込まれそうな魅力を秘めてる。でも、それだけ。コレは一個の無機物であって、無関係な人の命までもが、軽々に喪われていいものじゃない。

 

 こんな、こんなモノが目当てってだけの連中に、先生は殺されたのか。

 

 映像の中で見た、彼女が復旧させた非常電源。アレが内線でしか繋がらないということは、研究所に暫くいた先生なら知ってた筈。土壇場で外に出て助けを求めるのではなく、何故死の間際にそんな事をした?……決まってる。他ならぬあたしの為だったんだろう。

 最後の最後であの人は、自分ではなく他人の為に命を使い尽くして亡くなった。そして結局、復旧させた電源に拠り発信可能になったエマージェンシーコールに、あたしは命を救われた。

 

 思わず、痛いくらいに拳を握り締める。

 

「ねえ、二人とも。……お願いがあるの。あたしに……」

 

 ……闘い方を、教えて下さい。

 

 布団の上から四五度くらいに頭を下げて、自分でも驚くくらい硬い声でそう発した。美波ちゃんが息を呑んでいるのが、伏せた頭越しにも分かる。永遠にも思える数秒が経過した時。

 

「……頭ァ上げてくれ、志希」

 

 これまでにないくらい重い口調で、仗助に切り出された。

 

「いいか、志希。戻れるのはココが最後だ。発現させたら……もう後戻りは効かねえぜ?」

 

 もしかしたら、適応出来ずに死ぬこともある。……知ってる、今聞いたから。でも迷いはない。彼女の遺志を、弟子が継がなくてどうするんだ。

 

「うん。でももう、決めたから」

 

 彼女を殺した、女を必ず。

 

『───卒業しても、貴女が私の生徒だったことに変わりはないわ。困ったら何時でもこの研究室にいらっしゃい』

 

 修士号を取得したあの日。学帽と卒業証書を携えて、彼女の研究室へ一緒に写真を撮りに行った日の言葉を、今でも鮮明に思い出せる。

 そんな、優しかった彼女を、愛弟子の指を食い千切るような理性なき獣に変えた下手人がいる。映像越しに映ってた、あの女、名を。

 

(…………ディアナ、って言うのね)

 

 ソイツだけは、必ずこの手で。

 

 復讐なんて意味がない?警察に任せておけ?仇討ちは日本では違法?そんなコト当然知ってる。上辺だけの偽善なんて聞きたくもない。

 スタンド使いは司法では裁けない。彼らが罪なき誰かを殺め、犯し、苦しめ、尊厳を貶めても、裁ける証拠が残らない。何食わぬ顔で社会に溶け込み続ける彼らに引導を渡せるのが、超常の力以外に無いのなら。

 

「…………決まってんだな?」

 

 慎重な、そしてどこか悔いるような、彼の誰何に。

 

「当然。この手でカタを付けなきゃ、あたしは一生前に進めないッ……!」

 

 手が白くなるのも構わず、握った矢を折れるくらい強く握り締める。別離の哀しみを凌駕する憤怒が心に渦巻き、自分が自分でなくなりそうな気分だ。

 

「……大事な人を殺されて、黙って泣き寝入り出来る程、まだこの()は腐っちゃいない……!」

 

 恩師の墓を建て冥福を祈る、その前に。あたしは力を手に入れる。その為に覚悟を持って、この魂を()()()()()。何、手段ならば手元にある。

 

「だから、闘う」

 

 決意と共に、歯を食いしばり。

 

 あたしは自分の胸元に、()()()()()()()()()()()()()()()




・クリスティーナ= A =ツェペリ
志希の恩師にして実母と知己。赤髪青眼。

・ディアナ=J=ブランドー
長生きのスタンド使い。金髪赤眼。一体誰の子孫だろう。


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019/ 4人目

180714


 ……だから、闘う。

 

 宣言した少女の華奢な体躯に、煌めく鏃が埋もれた。他ならぬ彼女自身の(つよ)い覚悟で。鈍色の刃が少女の身体を貫通するかしないかという、瀬戸際。

 

「──クレイジー・D(ダイヤモンド)ッッ!!!」

 

 ほぼ反射で仗助が発現させたスタンドの振り抜いた腕が、彼女の胸にたった今空いた刺し傷を跡形もなく修復する。損傷した臓器、血管、表皮、心筋、神経、その他全ての凡ゆる異常を。

 

「なんつー無茶すんだ、志希……!」

 

 今しがた彼女の身体を透過した幽体の左手は、確かに矢を掴んではいる。が、男は表情に焦燥を隠さなかった。

 クレイジー・Dは復元と言い換えてもいい程の高い修繕能力を持つが、()()()()までは治せないから。

 横合いからの緊張感を孕んだ声に、少女は。

 

「あ、はは…………思ったより、けっこー痛いんだね、これって……」

 

 乱れた臙脂の髪が頬に張り付いているのも構わず、無理やりに笑顔を作って痩せ我慢をしてみせようとした、その時。

 少女の口元から、一筋の赤い線が伝うの合図に。

 

「…………ッッ!!?」

 

 ドクン。突如として訪れた心臓の乱暴な拍動に、ベッドに腰掛けた身体が痙攣するかのように跳ねた、一拍後。縦横無尽にシナプスが張り巡らされた複雑怪奇な彼女の脳内に、突如不躾で気ままなナニカが産声を上げた。

 

「な、に、こレ…………!?」

 

 頭の中を、得体の知れない概念が蠢いているのを感じる。

 得られた情報の濁流を骨格にし、脳内のデータフォルダを片端からひっくり返してイメージを肉付けし、未知の領域までも演算して作り出されていくそれは、きっと己の分け御霊。

 魂という名の真っさらな球体を、明確なカタチを持った(ヴィジョン)へと変貌させるその工程は、紛れもないスタンド覚醒の兆しだった。

 しかし精神の核を為す魂の急激な変貌は、相当に負担がかかって然るべきもの。

 加えて志希は昨日までスタンド発現の兆しすらなかった魂の変質を促成するため、矢を自らに無理矢理刺している。強制変化でかかる負荷は想像を絶するに余りある。

 

「志希ちゃんッ!」

 

 ぱし、と。傍らで唇を噛み締めていた美波が堪らず彼女の左手を取ったのち、志希の呼吸に合わせるように目を閉じる。意識を集中して送り込むは癒しの波紋。

 成る程、これなら確かに一定の回復は見込める。が、この状況では最早気休めにしかならない。

 一方で渦中の少女の全身、特に心臓と脳は降って湧いた高熱に尚も苦痛を訴え続けていた。荒縄で頭を締め付けられるような感覚に、思わず苦悶の声が漏れ出す。

 

「……アタマ……熱、イ……!」

 

 空いた右手で頭を抑えて、普段とはまるで異なるトーンでひとりごちる。苦しい。友人に目礼をする余裕すらない。

 マズい。このままでは感情のセーブが出来ない。沸き立つ激情の歯止めが効かない。己の理知と理性のみで、暴れ回るこの魂を抑えきれない!

 瞬間。低く呻いた彼女の真後ろ、伸びた影の中から勢い良く、得体の知れない何かが飛び出した。夕陽に照らされ妖しく艶めく、爬虫類みたいな光沢を持ったそれの正体は────

 

「……蛇…………!?」

 

 

 ────巨大な二対の、蛇だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 全長およそ20m。胴回りは2m近くあるだろうか。黒曜石とルビーを貼り付けたような色合いの大蛇が2匹、影の中から弾かれたように飛び出した。

 

「「Gaaaaahh!!!!」」

 

 (つんざ)くような咆哮を同時に挙げた2匹の蟒蛇(ウワバミ)は、金色の目でお互いを認識するなり身体を噛み合い始めて暴れ出し。

 ただでさえ手狭な客室は、たちまち台風にでも遭ったような悲惨な様相へ変貌していく。

 

「マジかよッ!?」

 

 仗助が思わず溢すくらいには、破壊の余波は大きかった。見舞い用にと活けられた花は花瓶ごと砕け、壁掛けテレビやカーテンは諸共に粉々になって飛んでくる。危険極まることこの上ない。その時。…………彼の明察な直感が、警鐘を鳴らした。

 

「伏せろッ!」

 

 言葉を聞いてほぼ同時。背の星痣が泡立つような感覚を覚えた美波が、咄嗟に満足に身動きの取れない友人を抱えるように身を伏せた。と思ったら、直ぐさま彼女らの頭上を蛇の尻尾が高速で振り抜けていった。正しく間一髪である。

 

「此処じゃあ移動もままならねーぞ……!」

 

 ボヤいた仗助だったが、ふと。咄嗟に覗いた部屋据え付けの窓の下からこちらを見上げる人影を発見。階下の貴賓室にいた、ジョルノだった。

『降りてこい』。彼の口から発せられた言葉を、読唇術で以って喧騒の中でも美波と二人して瞬時に解読。荒事に慣れた又姪と大叔父は直ちに脳裏で闘う手順を策定、実行のための役割分担に入る。

 

「一旦中庭まで出る!掴まれ、志希!」

 

「えっ、えっ!?」

 

 目を白黒させる志希を余所に、彼女の身体を仗助がひょい、と抱え上げる。スタンド、本人共に膂力で美波のソレに勝り、何かあってもすぐ治せる。元々後方支援に向いてるのが、クレイジー・Dの特性だ。一方で───

 

「私が先陣切ります!」

 

「直ぐに行く!捕縛だけ頼むぜ!」

 

「任されましたッ!」

 

 ───陽動は美波。スピードに勝り小回りが効き、エコーズの如く独立した自我を有するスタンドであるため、本体こそ一人でも実質二人掛かりで牽制出来るようなもの。

 何より根っこは実父に似た性格のこの少女、空条美波は鉄火場であっても全く慌てやしない。故にこそ此の配置が適正なのである。

 

「応!んじャ〜ア改めて、"クレイジー・D"ッ!!」

 

 ドララララララァ!!掛け声と共に一瞬で壁に大穴を空けたプロデューサーは、迷い無く空洞の際まで躍り出る。即座に空いた隙間から飛び出んとする大蛇二匹を、阿吽の呼吸で誘導するは親族たる新米アイドル。

 

「降りて決着、つけましょうか」

 

 ゴオン!威勢の良い台詞と共に駄目押しとばかり波紋を練り込んだ震脚を一撃。亀裂だらけになった哀れな床を尻目に、彼女は新たな破砕音に反応したスタンドを巧みに誘導。そして。

 

「───コッチよ、アナタ達!」

 

 真っ逆さまに躊躇いもせず窓から階下へ、蛇二匹の先陣を切るように飛び降りた。直ぐ後ろを追尾するように落下して行く大蛇を視界に捉えつつ、仗助もまた腹を括る。

 

「ブッ壊した破片が元に戻る前に降りるぞ志希!舌噛まねェよーに口閉じてなッ!」

 

 息の合った連携は、彼等がお互い踏んだ場数の多さ故か、それとも付き合いの長さ故か。

 しかし。つい昨日までJKアイドルだった少女は、天才たる自分のことを棚に上げて、担当Pと同僚の急な破茶滅茶ぶりに珍しく目を丸くしていた。

 

「ふ、二人ともっ……」

 

 今しがたスタンドを発現したばかり、かつ疲労困憊ということも相まって、いささかこの二人の突発的な非常識ムーブは衝撃が強かったようで。

 

「…………ここ9階ぃぃぃ!」

 

 御指摘、実にごもっとも。ただジョースターの末裔達にとって、この程度の高低差なぞ誤差の範囲内である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 抱えて、踏み出し、飛び降りる。又姪の飛び出した一瞬後にやはり空中遊泳を決め込んだ彼等のうち、彼の方は。

 

「大丈夫だ!即死じゃなけりゃあどうとでもなるッ!」

 

 正確には『(自分を除いて)どうとでも治せる』、であるが。どちらにせよ自社アイドルに向けるには著しくトンデモな発言を繰り出し、伊達男は下へ下へと落ちていく。

 一方で先に落ちながらも空中で絡み合っていた蛇は、真下にあった目黒支部は中庭ガーデンテラス中央部の噴水へと激突、交錯、急降下。二匹揃って勢い良くアサルトダイブした。

 一旦は沈黙した蛇ふたつ。その後一拍遅れで危うく地面とキスしてワイルドな肉塊になるやも、と思われた人間ふたりだった、が。

 

「────ゴールド・E(エクスペリエンス)ッ!!」

 

 ──彼らの真下には、ジャストタイミングで先程貴賓室からすっ飛んできたジョルノがいた。

 テントウムシにも似たスタンドが殴りつけた手近な樹木─ちなみに、庭師に結構な額の金を積んで管理してる見事なヒノキだった─は瞬く間に急速成長して網状に広がり、上から落下してくる彼女らを支える即席のクッションの役割を果たす。

 果たして空中から飛び降りて来た二人は、ネットと化した巨大植物に抱え込まれるようにしてゆったりと地に降り立った。

 

「サンキュー、ジョルノ!」

 

「礼には及ばん!にしてもあのスタンド…………動物型、いや群体型か!?」

 

 池ポチャならぬ噴水ポチャした二匹の蛇に、彼等は警戒を怠らず訝しむ。美麗な金糸を靡かせるマフィアの棟梁に、先程ダイナミック着地を決めたプロデューサーはというと。

 

「いんや、もしかしたらアレでワンセットかも知んねえ。それから今んとこ俺が攻撃と回復、美波ちゃんが捕縛だ」

 

 取り敢えずの作戦を立てつつ踵を返した両者もまた、状況打破を模索する。一方で先に飛び降りていた美波は己が役割を果たすため、何事か言葉を紡ぎ出していた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「───Flow back,(逆巻け)VENUS(ヴィーナス)

 

 僅かに一言。着地してのち着水した蛇の沈む噴水目掛けて私、空条美波は碧槍を水面へと突き下ろす。

 途端。槍の突き立てられた水面から刃先を伝って水が呼応するかの如く纏わり付いては逆流。刹那の間も無く私の()()()()()()()自在に形を作り出す。

 

(……容量ざっと3000ℓ、ってトコかしら?)

 

 そうそう、ここで付け加えておくと、ヴィーナスは何もスピードだけが取り柄ではない。無理やりに属性付けするなら「水属性」とでも呼べるこのスタンドの真骨頂は槍と鎧を力の基軸として放たれる力、「流体操作」にある。

 即ち、VENUS_SYNDROMEの本領は()()でこそ発揮されるのだ。

 

「個体確保成功。水場から出てき次第強襲しますか?」

 

 かくて目標を縛り付ける補助(アシスト)を成し、このまま次に移行せんとした時。

 けほ、と苦しげな声が一声。私に寄りかかるように膝をついている志希ちゃんのそれだった。

 見ればまるで噴水に沈んだ筈のスタンドのダメージがフィードバックしているかの如く、彼女の首に注連縄みたいな太い痣が浮かび上がっている。ということは。

 

「仗助さん、ジョルノさん、この症状…………!」

 

 一番近くで寄り添っていて、気がついた。

 

「自動操縦型じゃあない、遠距離型だったのか!」

 

 使い手本人にスタンドの負った傷がフィードバックしない自動操縦型と異なり、遠距離型や近距離型スタンドは比較的精密な動作を可能とするも、受けたダメージが術者に跳ね返るデメリットがある。

 勝手に暴れているからてっきり自動操縦型の方だとばかり思っていたが仕方ない、計画変更だ!

 

 水流が暴発しないよう、槍越しに流した波紋を確実にしかし素早く弱めつつ、連携を取る2人に確認。

 これ以上水圧を強めるのは危険。水で締め上げている自分のスタンド能力が彼女を苦しめている。そう判断した以上、波紋操作で以って水圧を弱めると即座に槍を引き抜き、宣言。何、負傷させた自分の不手際を謝るのは事態を収束させてからだッ!

 

「制御解きます!Break-Seal(拘束解除)ッ!」

 

 バチィッ!流体たる水をスタンドで操っていた私は、練り上げた波紋を解いて在るべき形へ水面を整地。

 ついでに反撃を警戒してか、手近な水を幾らか引き寄せて盾状に形成、志希ちゃんを取り囲む様に即席の防御陣を構築する。とそこへ。

 

「こりゃあまた、厄介なケースだな……」

 

「パパ!」

 

 ウチの最終兵器、到着。ガーデンテラスをものすごい勢いでのたうち回り、尚も暴走を続けるスタンドを牽制しつつ観察していた実父が、静かに唸ってスタンドへと歩みを進める。

 

「……ザ・ワールドじゃあ問題の先送りにしかならないな」

 

 暴走状態のスタンドは、実力行使で止めるのが結局一番てっとり早い。強力なソレ程尚更だ。折しも若き頃、留置所でアヴドゥルさんと一戦交えた時の経験則、らしい。

 目を険しくした最年長者は、自身の豊富な経験ももとに瞬時に状況判断を下す。選択肢(コマンド)は、──戦闘。

 

「スタープラ─「待ってパパ!」──心配すんな、連打(ラッシュ)は見舞わん!"星の白金(スタープラチナ)"ッ!」

 

 ドンッ!!横合いからの制止もそこそこに、紫を基調とした筋骨隆々の幽体が父の背後から現出、持ち前の超スピードで蛇の片割れの胴を羽交い締めにし拘束する。しかし。

 

「なんつーパワーだ……!」

 

 暴走状態にあるからか、発される力が凄まじい。……でも、迂闊にスタープラチナが連打を仕掛けてしまえば、スタンド使い本人が再起不能に陥るどころか死亡してしまうリスクが高い。よって到底全力では闘えない。そして、先程から思案していたジョルノさんも。

 

「僕の奥の手(レクイエム)は使っちゃあマズい、此処は大人しく拘束に専念させて貰うよ……!」

 

 通常能力で殴れば痛みがスロウで術者を襲う。さりとてゴールド・E・レクイエムで蛇を殴って無限ループにハマらせれば、対象のスタンドは暴走状態を永遠に繰り返すこととなる。

 攻撃を選択肢から捨てた彼は、手近な花壇を殴って促成させたツタを用いて、暴れまわるもう一匹の拘束に取り掛かかった。

 にしても歯痒い、打開策は何か無いのか!降って湧いた友人の窮地に思わず歯噛みする。

 

(……こんな時、広瀬さんか(たける)が此処にいれば……!)

 

 エコーズの重力操作か、もしくは()()スタンドがあれば思考する時間が十分確保出来るのに。この間にも時間を空費し続けてるため、ないものねだりもしてはいられない。

 考えろ、解決策は他に無いのか?捻り出そうとしたタイミングで。

 

「…………美波、ちゃん」、と。傍らから友人の細い声が耳に届いた。何事か言いたげな彼女の言葉を、即座に寄り添って聞き取ると。

 

「……あのスタンドね。たぶん…………」

 

 ……ウロボロス、だと思う。

 

 突破口が煮詰まりそうになった時。如何なる局面でも冴え渡る天才少女の閃きが、私達の耳朶を打った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ウロボロス。死と再生を司る、錬金術の象徴とも呼べる己の尾を食む蛇。それが二対。化学者の先駆けでもあったかの術の使い手らは、当然彼女も原初のケミストであると解しているだろう。心奥の姿の発露がスタンドに現れているとするならば、手強い蛇もまたその例に漏れない筈。

 

「ってことは……」

 

 これは何か、有用なヒントになり得るかもしれない。瞬時に私、空条美波は割に物騒な思考を張り巡らせていく。

 極端な話、動物二匹が喧嘩してるなら片方の一匹を始末すればもう一匹は大人しくさせられる。当たり前だけど死体は反撃してこないし、骸と争う意味も無いからだ。しかしスタンドを片方殺すなんて事をしたら、当のスタンド使いたる志希ちゃんにどんな悪影響が及ぶか分かったものではない。再起不能まで追い込むことは到底出来ない。

 

(じゃあ、他にどうする?)

 

 物理的に牙を一本ずつ引っこ抜くか全部折る?スタープラチナがいるから出来るだろうけど、ダメージが本人にフィードバックするのは奇しくも私が先程実践してしまった。よって使い手がタダじゃあすまない。ていうか友人の歯を全てへし折るなんてそもそも反対。

 ならツタか何かでヘビの口を縛る?……いや、あのパワーならさっきの水圧拘束みたくすぐに解かれるがオチか。どちらにせよ根本的解決にならない。もう後に残ってるのは、ハイリスクハイリターンなものしかない。なら。

 

(一か八か、になるかもだけど……)

 

 お互いを噛み合う二対の蛇。永遠も含意するウロボロスの特徴たる、自らの尾を食むことを止めるには。

 

「無理矢理でも、共食いさせないようにすれば良い……!?」

 

 付け加えて、一瞬で目標を縫い止めること!これなら条件を充足出来る!そのためには!

 

「…………決まりだ」

 

 同じ結論に至ったのか、頭の回転の速さが同じだったのか、その後の親類三人の発言は揃って同じ。

 この状況、打開するには。

 

「蛇二匹の口に、全く同じタイミングで…………」

 

「……杭をブチ込むッ!!」

 

 解が分かってからは早かった。身体中あちこちから蛇の闘いに合わせて血が噴き出すスプラッタ手前の志希ちゃんを即座に治療する仗助さんが、彼女を小脇に抱えつつも駆け出して移動。本館ロビーに鎮座する豪勢な銀細工の女神像の一部分を、能力で以って二本の銀杭に変形させる。

 物陰に避難していた職員の方々が「重要文化財が……!」と悲鳴をあげていたけれど、今回ばかりは仕方ない。それより時間がない、急いで準備だッ!

 

 脱兎の如き俊足で素早く広場内に各自で散開、目標との距離を縮める。

 

「投擲は任せろ!もう一本は……」

 

「私がやりますッ!」

 

「頼んだぜいお二人さん!」

 

 パパの誰何に名乗りを上げた私を見計らったか、手早く仕上げられた杭がクレイジー・Dから投げ渡される。苦も無くヴィーナスと星の白金(スタープラチナ)それぞれでキャッチ。にしてもこのごく短時間で寸分の狂い無く精巧なデザインで杭を仕上げるあたり、実に手先の器用な仗助さんらしい。

 庭中の木を総動員したツタで雁字搦めに蛇を巻きつけているジョルノさんもそこで一言。

 

「僕がこのまま動きを抑えて、そして……」

 

「俺が本体(志希)の治療だ。フィードバックは死ぬ程痛ェーだろうが痛みは一瞬だけだ!我慢してくれ!」

 

 いきなり言われるにしては余りに重過ぎる言葉だったけれど。問われた彼女は気丈にも立ち上がり、意を決して口を開いた。

 

「……大丈夫!タイミングはあたしが出します、皆!」

 

「お願いッ!この距離なら確実よ!」

 

 私のスタンド、ヴィーナスの投げ槍の射程、及び制御可能範囲は最大一km。投擲目標が遠くなる程コンマ単位で微小なズレが出るけど、握って使えば誤差はゼロになる。勿論今回は手持ち一択だ。

 

 私の返事に「了解」との意を込めたウインクを返してくれた志希ちゃんに演算を預けよう。疲労困憊の上即興だろうけれど、信じるに足る女の子だ。森羅万象すら掌握せんとする彼女の頭脳なら、この難局を乗り切れると!

 軽く深呼吸した友人は静かに瞑目。脳細胞をフル活用した演算に入っていた。普段の唄うようなソレと異なり、抑揚の一切を削ぎ落とした声が口から紡がれていく。

 

「……スタンド定義再構築完了。暴走抑制可能な想定制限時間残り約四〇秒。貫通対象をNと仮称し個体運動誤差を演算に包含。投槍推定飛距離修正のち弾着予測地点計測完了、全行程オールグリーン。作戦行動実行のための計数開始、始動まで五、四、三、二、一…………」

 

 精密機械を誘導するオペレーターが如き機械的な声がぴた、と止んだ瞬間。チェシャ猫にも似た青い眼が(しか)と見開かれ、飛んで来るは射抜くような鋭い叫び。

 

(ゼロ)ッッッ!!」

 

 瞬間、脚のバネだけでは不足とばかり波紋でブースト、目標へと一直線に駆け出でるッ!

 

「行くわよッ、ヴィーナスッッッ!!」

 

 ありがとう、志希ちゃん。気力も体力も限界だろうに良くやってくれた。

 感謝を心から捧げつつ仗助さんの時と同じく、やはりアイコンタクトのみでパパを一瞥。これまで幾度となく行ってきた実父との連携をしくじるなぞ、万どころか億に一つも有り得ない。

 狙いを絞り波紋を練り込み、スタンドもろとも空を蹴る。

 さて、此処に準備は結実した。さすれば暴れる二対の蛇を、今確実に穿って見せようッ!!掛け声一下、鼻孔と顎の間隙目掛けて────

 

『「せーのッッ!!」』

 

 

 ────貫徹!!!

 

 

 

 ☆

 

 

 ドシュウッ!即席の銀杭二本は、鋭い音と共に果たして全く同時に蛇の口を縫い止めた。

 スタンドの負傷と同期するように、一瞬だけ志希ちゃんの頬が裂けて鮮血が噴き出した。が、コンマで仗助さんが発動させた傍らのクレイジー・Dがこれを修復。血塗れになるかもしれなかった筈の彼女は全くの元通りになっていた。

 そして。

 

「……収まった、か」

 

 あれ程我が物顔にテラスを破壊して回っていた二匹の蛇は、計ったようにぴた、と動きを止めていた。

 

 辺りを見回しつつ「なんともねーみてーだな」、と言った我が大叔父に対し。ぺたぺた、と確認がてら撫で回すように自分の身体を触っていた彼女は、「……なんともないや、アリガト」とだけ返す。怪我する端から全て治してたクレイジー・Dは、いつも通り素晴らしく正確に起動したらしい。

 

「一段落、ってとこかしら?」

 

 急拵えでの連携でなんとか問題を解決して、一気に空気が弛緩しかけた時だった。

 訪れた一瞬の静寂を咲くように。ぴし、と何やら背後から不思議な音がした。

 

「……何、の音?」

 

 振り返ると。スタンド二匹の体表を覆う、滑らかなワニ皮をも思わせる皮革に明確な亀裂が入っており。殻を破って出てくる雛を思わせる、変革の印たる快音は、まるで。

 

「…………脱皮?」

 

 爬虫類にはつきもの、というかお馴染みなそれが、ついつい脳裏に浮かぶ。そもそもスタンドって脱皮したりするの?…………あ、似たような例だとエコーズがあったか。

 この期に及んで降って湧いた突然の追加事象に、心配事が新たに一つ。

 

(……仮に、仮に()()したらまた「暴走」、なんてことはないわよね……?)

 

 先程までの皆の連携あってなんとか事態を収めたけれど、一難去ってまた一難になってはたまらない。何よりこれ以上は志希ちゃんが危ない。

 解け掛けた警戒を緩めず、再び注視にあたる。何かあればすぐスタンドを出せるように構えて。皆が固唾を呑む状況下、果たして殻の中から出てきたのは。

 

『…………あら?あらあら?』

 

 杭が刺さって大人しくなった蛇2匹のど真ん中。寄り添い合うように生まれた空白に、鮮やかな赤髪と赤目が特徴的な、可愛い女の子が一人、首を傾げて立っていたのだった。

 

 

 ☆

 

 

 目をぱちぱちとさせて戸惑った様子を浮かべている女の子は、なんとも不思議な格好だった。

 現代的な白ノースリーブシャツと格子柄(チェック)のミニスカートに紺ニーハイ。胸元の赤いリボンタイをアクセントに漂わせる格好だけならどこか良いとこの私学生にも見えるのだけど、その他はまるで異なる。

 

 膝まである長さのフード付きマントに、手の甲部分に何やら魔法陣の様な紋様が縫い込まれた革手袋。ストレートチップのロング丈ブーツは本革と金糸で出来た仕様なのに加え、腰元には杖と幾つかの小瓶がベルトに繋がり帯びられていた。

 わたし魔法少女です、とかいわれたらうっかり信じてしまいそうなくらいにはフツーではないその子に、志希ちゃんはしかし、私達の予想外の反応をした。

 

「ち、ちっちゃいツェペリ先生……!?」

 

(……ツェペリ先生?)

 

 と言うと、ジョルノさんが持ってきた映像や志希ちゃんの証言にあった故人、ツェペリ女史のことだろうか。しかし。

 

(じゃあ、目の前のこの子が?……いや、だとすれば身体的な年齢が、どうしたって一致しない……)

 

 映像や証言からすれば、クリスティーナ・A・ツェペリさんは二〇代程度だった筈。だけど、今の彼女は見た目的には一〇歳前後、高く見積もっても小学校高学年が良いところだ。

 そもそもスタンドとは自分の魂でもある。他人の魂を他人のスタンド内に収納することはココ・ジャンボに収まってるポルナレフさんの例などからも分かる通り可能だけど、志希ちゃんがそんな事知ってる筈はない。昨日の今日で残念ながらそこまで説明する時間も無かったし。

 

「志希?……私、どうして……ていうか、ここは……?」

 

 戸惑うツェペリさん(仮)と唐突に過ぎる急展開にえ?って感じの私達。

 何故って確かに今、彼女は()()と述べたから。ならば。あとは問われた側が本人と断定出来れば、もしかして……!

 一縷の期待も込めて振り向いた私の耳に届いた、麒麟児の言葉は。

 

「この匂い…………」

 

 …………ホンモノ、だ。割に聡い自分の聴覚が、これまでにないくらい感嘆の篭った天才少女の台詞を捉えた。

 

(……まさかの、本人で確定?)

 

 私の中の疑義は未だ完全には解けていなかったけど、小さな少女は臙脂の少女に赤毛を揺らして歩み寄り、柔らかな声音で以ってゆっくりと語り掛けた。

 

「…………ちょっと痩せたわね、志希」

 

 現状に戸惑いながらも、今しがたツェペリ先生と呼ばれた彼女は、茫漠とする愛弟子に正対して。ごく自然に、労わるように、ここのところ心労続きだった志希ちゃんを優しく慰め抱き締める。

 

 分かる。確かに分かる。姿こそ違えど、燃えるような髪色も理知的な声も優しげな話し方も、暖かな色を湛えた瞳も、そして日だまりみたいな匂いも同じだった。

 ……志希ちゃん曰く、この時胸中に去来したのはそんな思いだったと言う。

 

「…………おかえりなさい、ツェペリ先生」

 

「えーっと、ただいま?」

 

 正直よく分からないけれど………………私が今こうしてるのは、貴女のお陰なのかしら?

 愛弟子のただならぬ空気を察したのか、取り敢えず抱擁してみたと言った感のあったツェペリさん(仮)は、状況と機微を弟子に劣らぬ洞察力でなんとなく察しつつあったらしかった。

 唐突に叶った感動の再会は、果たして。

 ツェペリさんに抱きとめられた彼女から漏れ聞こえた、ちーん。という音に遮られた。……えっ?

 

「こ、こら志希!人の服で鼻をかまないの!」

 

「だ、だってえ……」

 

 締まらないわね、もう。呆れながらも優しげな師の言葉は、きっと沁み入るように彼女の心に響いたことだろう。この時二人の再会の、一部始終を見届けていた仗助さんの言葉が印象的だった。

 

「……目の前で見てて、信じらんねーけどよォ……」

 

 ……あるんだなァ、こんなこたあ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 色々散らかしちゃってごめんなさい。それから、……本当に、有難うございます。

 

 別れを告げたはずの人との感動の邂逅?から約一時間後。

 目黒支部の応接室で私達に向け、四五度に頭を下げるのは志希ちゃん。すこし目元が赤いのはご愛嬌だ。

 

 PROUST EFFECT。志希ちゃんとツェペリ師匠(?)の二人で何秒か相談して決まったスタンドの名前付けに留まるに足らず。現在はパパから二人して解説を受けてる最中だった。

 

「……恐らくはスタンド自体の進化で、蛇二匹から人一人と二対の蛇という構成に変化したのかと。既にACT2と呼んでいいのかも知れないな」

 

 てことは。

 

PROUST(プルースト)EFFECT(エフェクト)ACT2?」

 

 アクトツー。即ち彼女、なんと発現から一時間足らずでスタンドを進化させてしまったらしい。でも。

 

「…………こんな直ぐに、進化するもの?」

 

 疑問符だらけの声が虚空に溶ける。この当たり前と言えば当たり前の質問を投げられたパパはというと、米神のあたりをグリグリと指で押しやっていた。

 

「…………私としても、自分や娘の例も含めても、これだけ早期にスタンドが進化するケースは見たことも聞いたことも無い。……無理やり今回の事象に理屈をつけるならば、月並みな表現ではあるが……」

 

 ……才能、と括るしかない。実父の端的な表現に、しかし彼女と同じユニットにいる私は何より納得してしまった。

 うん。やっぱり志希ちゃんて天才だ、紛れも無く。なんとこの子、勉学や歌やダンスのそれだけでは足らぬとばかり、スタンドの才能まで宿していたのだ。それも、矢鱈に思い切りの良い。

 

「……さて、大体の説明はこんなとこで良いか、Ph.Dツェペリ?」

 

「あ、ありがとう……大体分かったわ、Ph.D空条」

 

「……まあ、なんだ。何か不便があったら、何時でも私に連絡してくれ。仗助や美波でも構わんしな」

 

「重ね重ねお礼を言わせて頂くわ……」

 

 疲労を隠せない声色のツェペリさん。無理もないだろう、師弟揃ってひとまずゆっくり休んでくださいとしか言えない。あとは……えっと、とりあえず我々からは出来るだけサポートします、としか。

 

 そうこうするうちSPW財団からとりあえず貸与された彼女用のスマートフォンのアドレスをパパはじめ仗助さんとも交換しつつ、事務的作業を間に合わせで進めることに相成った。まさかのセカンドライフは弟子のスタンドでしたって、こんなこと誰も予想がつかないだろうし、何より偶発的とはいえ友人がスタンド使いになってしまった。こうなったらもう放ってはおけない。

 ……にしても、口ぶりからしてパパは生前のツェペリさんとも交友があったのか。人付き合いの大切さはこういうとこで生きてくるといういい見本を見せて貰った気がした。……私も人脈作りも兼ねて、いい加減社交界に出ようかな。まあお見合いは断るけど。

 

 さて説明から三〇分のち。何だかんだ多忙を極めるパパとジョルノさんが、今後の警護計画その他を練るため幾分早足で帰っていく(ジョルノさんはイタリアに帰国するとのこと)のと対照的に。

 

「は、早くもどして、志希……」

 

 一応貴女のスタンドの筈なんだけど、私。困ったような声で紡がれるツェペリさんの言葉はしかし、テンションがここ数ヶ月でMAXまでブチ上がっているギフテッドの耳には、右から左に抜けるばかりで。

 

「やーんロリ師匠ほんとにカワイイ!若い頃こんなだったんですねぇ!?」

 

 などと言いながら「よぉーしよしよしよしよし」と節をつけて頭を勢いよく撫で始めた。なんかもうお気に入りのぬいぐるみみたいな扱いだ。

 

「貴女ねぇ、もう一七にもなるんだから少しくらい気遣いってものを……!」

 

「い〜や〜で〜す〜♡」

 

 聞く耳はゼロを振り切ってマイナスみたいだった。見ればクリスさん、既にげっそりしている。

 

「あ、そーだジョースケ!衣装室に園児服とかないのー?」

 

『ちょっと!?何させる気よホントに!』

 

「着せ替え♪」

 

『やらないわよ!?』

 

「ツェペリ師匠の〜ちょっとイイトコ見ってみた〜い!!」

 

 例えが悪いけどクダを巻いた酔っ払いみたくなってる。どうしましょうこの娘、飛鳥ちゃんいないと止められる気がしない。

 

『嫌よ!ていうかネタが古いし!大体アラサーで園児服なんて着たくないわよ!享年三〇よ私!?』

 

「似合いますよお絶対〜♪見た目は子供頭脳はオトナ!その名もMAD-man・Chris!あはん、これな〜んてアダルティ?」

 

『マッドでも(マン)でもないわ!そもそも疲れてるでしょうから今日はもう早く寝なさい!完徹は貴女の悪い癖よ、志希?』

 

「キリストよりも早く蘇ったセンセーにカンパーイ!!Yeah!!とれびあーん!」

 

『聞いてないしもぉぉお!』

 

 今日は復活祭にゃあ〜♪とか言いながら御構い無しにスタンドを抱えて滅茶苦茶頬擦りしてる志希ちゃんを見て、わが大叔父はタハーと溜め息。亡くなられてから三日とおかずに復活したから確かに間違ってないんだけど。

 まあ仗助さん、内心結構心配してたみたいだったから、落差がすごいんだろう。ツェペリさんに至っては台詞が保護者のそれである。かつて志希ちゃんの母親代わりだったというのは間違いではないらしかった。それもあってなのだろうか。

 

「どうしましょう、志希ちゃんが最高にハイです」

 

 スタンドをフルで行使すると精神体と身体両方に負担がかかるため、合わせて普段の倍は疲れる。私の経験則上、慣れてないと疲労を消化しきれずに次の日まで続くことが多いから、本当はツェペリさんの言葉通り今すぐにでも休んだ方がいいんだけれど……。

 

(まあ、今日くらいは…………ねえ?)

 

 ……でも一応、今日明日は私も付きっきりで彼女を看ていよう。心配だし。

 

「……ま、今日のトコは無理もねェーだろうよ。ランナーズハイどころじゃないレベルでクッタクタなのに急遽特大サプライズだからな。不慣れなモンでも自力で結果をもぎ取ってくるトコは天才(アイツ)らしーけど」

 

 苦笑いの仗助さんも同じ意見だった。

 ……それに、私たちが打ち克たなければいけない敵は未だ健在。懸案はひとつ軽くなったけど、今後も問題は山積みなことに変わりはない。けれど。

 

「何にせよ、調子がいつも通りに戻ったのは良かったぜ」

 

 それだけいったPさんは、頭をかきつつ「ちょっと外直してくらぁ」と、壊れた中庭の方へ歩いていった。

 

 

 ☆

 

 

 翌日。早めにラウンズプロジェクトルームに入った私は、志希ちゃんに昨日頼まれたコトを果たすため、レッスンルームを一部屋借りて彼女に稽古?を付けてたんだけど。

 

「えーっと、こ〜お?」

 

「え、あ、うん」

 

 この娘、凄まじく飲み込みがいい。なんでもかんでも一回見せれば刹那で習得してしまう。余の辞書に不可能という文字はないを自力で体現してる感じ。

 同年代でこれ程の天賦の才を持つ女の子は、私の知る限りアーニャちゃんしか居なかったけど、別ベクトルで匹敵する凄まじさだった。

 

(…………突き抜けた戦闘センスで以って感覚的に全て理解するアーニャちゃんとはまた違うタイプ、ね……)

 

 志希ちゃんはタイプ的には、どちらかというと感覚派に見えて実は理論派だ。

 ただ頭の回転が恐ろしく早いので、脳内で物事を理解して反芻し、仮説を組み立て実行するまでの時間が常人とは比べ物にならない程短い。結果的にはたから見れば何事も何となくで全部出来ちゃうように見えるんだけど、実は本人が大して意識しないレベルでも滅茶滅茶考えて行動してる、それが彼女。この分だと今後どうなることやら。

 

(末恐ろしいわね、志希ちゃん)

 

 そういえば、いつもダンスの振り付けもボーカルも一瞬で全て覚える子だった。私達四人の中で一番飲み込みが早いのは疑いない、教えつつも物思いに耽ってた昼下がりのこと。

 

「ごめんお待たせ、みんなもう来て…………」

 

 やにわに背後の廊下から、聞き慣れた声がして扉が静かに開かれた。声の主は……。

 

「ありゃ、飛鳥ちゃん!?」

 

「え、あら!?……お、お早う飛鳥ちゃん」

 

 久しぶりに会った気がする飛鳥ちゃんだった。ダンスレッスン用の比較的ラフな格好をした彼女の来訪に、慌てて二人して組み手の格好をやめ、何事もなかったみたく挨拶するけどこれは拙い。

 まさか私がここまで人の接近に()()()()()()()()とは。集中しててドア入り口にまで気が回ってなかったんだろうか。もしくは単に注意力が落ちた?……だとすれば、修行一からやり直しかな……。

 

(…………あれ?でも確かさっき……)

 

「施錠した筈、じゃなかったっけ?」

 

 一応鍵は閉めた、筈だった。なのに何故今、()()()()()扉が開いたんだ?

 疑問はそれだけではない。飛鳥ちゃんがいつも付けてる、腕輪に嵌め込まれた赤石が──()()()()()。例えるなら何かこう……()()()()()()()()使()()()みたいな。

 

「へ?ごめん、勝手に()()しちゃったかな……?」

 

「勝手に」

 

「発動?」

 

 鸚鵡返しで返す私たちを、しかし飛鳥ちゃんは左手のブレスレットに丁度目線をやっていたので分からず。

 言葉の真意が分からなくて何事か問おうと思ったけれど、たちまち浮かんだ3つ目の疑問は、直ぐに棚上げせざるを得なかった。

 

「ああいや、今のはなんでもな…………」

 

 何故って。一瞬「しまった」、とでも言いたげな表情を浮かべた飛鳥ちゃんが顔を上げ、「なんでもない」と言おうとしたかは定かでないけど。

 腕輪から目線を上げてこちらを見て、二、三度目をぱちくりした飛鳥ちゃんの、いつもは澄ました感じの可愛い顔が思い切り強張ってるのがわかったから。

 おまけに視線の先は…………私たちの()()に向けられていたから。

 

 

 ☆

 

 

 

「嘘……」

 

 ぽつりと発せられた彼女の言葉は、レッスンルームに溶けていく。…………え?……今見てる中空って、彼女には()()()()()()()なのに。

 一瞬で硬直した私たち三人の時間。尚もその時、再びドアが開けられて。

 

「遅れてすみません、皆さ…………えっ」

 

 後から入ってきた文香ちゃんも、リアクションは同じだった。フリーズ、という表現が相応しい。

 

(ああ、そういえば…………)

 

 物凄い今更だけど、()()()()()()()()()()()()

 森の中で唐突に野生動物に遭遇した時みたいな、奇妙な緊張感を孕んだ静寂が、一拍、二拍。誰かの頬を伝った汗が、磨き込まれた床面に落ちた時。

 

『…………このままじゃあ埒が開かないだろう。話は進めないのかい?』

 

 しじまを切り裂くように、低めの渋いバリトンボイスがレッスンルームに響き渡った。「ああ、割り込んで済まないね」と全く反省して無さそうな謝罪も込みで。

 

「誰ッ!?」

 

 不審……とは言えない朗々とした声に対する誰何に答えてくれたのか。返事の代わりとばかり、その時文香ちゃんの背後から突如として、青白い覇気を纏ったヒトガタが出現した。

 

「な……!」

 

 皆が驚愕に包まれる。それの姿は……一言でいえば、物語に出て来る「探偵」そのものだった。文香ちゃんと全く同じ色合いの綺麗な黒髪とサファイアの瞳。隙なく着こなされた三つ揃い(スリー・ピース)とコートは英国風のクラシカルなデザインで、鹿撃ち帽を左手で器用にクルクルと回している優男。

 ただそれだけには留まらない。この距離からでも分かる、聳えるだけで他を圧する程に強い霊力の込められた幽体。間違いない。このヒト…………紛れもなくスタンドだ!

 

『……ほう。なんと全員()()()ようだね。「スタンド使いは引かれ合う」とはけだし名言だな、ねえフミカ?』

 

 面白がるように親しげに、彼女をフミカと呼んだ彼に。

 

「……愉快犯みたいな物言いはやめてください、シャーロック」

 

「「「シャーロック!?」」」

 

 シャーロックって、あの!?

 

「…………あっ」

 

 ほぼ反射で返したレスポンスにやらかした、とばかり驚愕とうっかりを顔に浮かべて口を押さえた文学少女。しかし時すでに遅し。口が口程に物を言っていた。

 

『……迂闊だな、フミカ』

 

「…………す、すみません、気が動転してしまって…………」

 

 やれやれだ、と私の父親みたいな台詞を吐いた彼と我が学友は、はたから見てもやけに仲良さげだった。まるで正月に実家のお爺ちゃんに会いに来た孫みたいだ。

 ……ついでに、そのお隣はというと。

 

『あらあら、四人して可愛い子ばかりじゃない志希含めて。やっぱり芸能事務所なだけあるわね〜』

 

「う〜んセンセーったらマイペースねん♪」

 

 あたし今結構びっくりしてるけど、一周回って冷静になってきたにゃあ〜、とポニテを解いてバランスボールに器用に腰掛け、何やら寛ぐ体勢に入りつつある志希ちゃん。そして更にその隣。

 

「成る程、皆して目覚めてたのかい?これぞ混沌(カオス)、ってやつかな。ならオントロジー、キミもいい加減起きて……」

 

『zzzzzzz……』

 

「うん、狸寝入りはやめようか?」

 

 パイプ椅子に脚を組んで座りだしたのは飛鳥ちゃん。こっちもスタンドがマイペースだったけど、ツッコミ不在は回避したみたいだった。

 

 や、でも大事なのはそこじゃない。ちょっと。みんな、ちょっと待って待って。なんか生まれる前から知ってましたレベルで皆スタンドと馴染んでるけど、ちょっとだけタイムとろう。あと仗助さんも呼ぼうか。てか今から呼んできます。

 

「…………み、みんな、あのね?」

 

 ……いったん、全員で話し合い、しましょう……?

 

 

 




・《PROUST・EFFECT》
志希のスタンド。登場時点でACT2に進化し、現在は動物(蛇)二匹と人型一人の三位一体構成。能力の詳細はまだ秘密。

・ツェペリ師匠
小さくなって見た目は子供、頭脳は大人状態に。現在はかつての教え子のスタンドになった模様。


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020/ memories

190714


 個性の強いスタンド達によりわちゃわちゃしてた状態から大体、約1時間後。順繰りに粗方の状況を説明していった皆の様子を私、空条美波が代表として概説すると。

 

「…………て、まああたしからはそんな感じかな?」

 

 先ず、こともなげにサラリと自身のスタンドの発現経緯を締め括ってのけたのは志希ちゃんだった。

 ジャージ姿でドクペを飲みつつクールに進めたお話は非常に端的で、実に合理を尊ぶ彼女らしいと言えた。しかしあっけらかんと話された内容の重さたるや、ポルナレフさんのそれに匹敵する。対する反応も勿論。

 

「志希…………」

 

「……今は大丈夫、なのですか……?その、指、とか……」

 

 聞き届けてのち、言葉を遠慮がちに紡ぐ2人の気兼ねは察するに余りある。

 師を殺されたと思ったら指を千切られ、明くる日に心臓を自ら貫き、9階から飛び降り。あまつさえスタンドに師匠の魂まで取り込んで進化までしているのだから、その急転直下ぶりたるや凄まじい。

 彼女はつい一昨日まで悲嘆と絶望にくれる時間すら与えられず、命の危機に晒されていたのに、だ。常人なら先ず精神が耐えられないだろうに。

 

「ぜーんぜん平気。尤も、敵さんへの()()()()はしっかりキメるつもりだけどねん♪」

 

 一日でこの一言だ、頼もしいことこの上ない。

 平気、という彼女の言も恐らくホント。実際、志希ちゃんの治療は財団のメディカルチェックを行った上で、①私が波紋流してウイルス浄化、②ジョルノさんが指2本丸ごと生成、③仗助さんが患部修復しつつ接続、という流れだった。

 因みに指の原材料にした無機物は純金。黄金錬成に関わるどうたらこうたら?で相性がいい……らしい。尚これを聞いた志希ちゃんは「ああ、ミダス王の逸話?」とのコメントをくれた。

 あたし怒ると容赦しないよ?とニコニコしてる彼女の様子は、既にいつもの悪戯っ子の調子を取り戻しており。

 

「それは重畳。何だかんだでキミがいないと、ボク等も調子が出ないからね。……ああ、ボクはさっき話した通りで全部かな」

 

 お次はそこら辺の女子が勘違いしそうな台詞をサラッと飛ばした飛鳥ちゃん。最近偶に女の子から告白されるって悩んでたけど、原因それじゃあないかと思うんだ。

 さてぬるめのポカリ飲んでる彼女の左肩に、ちょこんと乗ってた真っ赤な鳥。カラーひよこにも見えたけど、曰くフェニックスだとのこと。

 詩的な表現も交えて語ってくれた、ワイアードなるガラクタとのてんやわんや及び父祖との邂逅。こっちはこっちで衝撃だっただろう。にしても。

 

「『怪我を盗んだ』って、どういう原理で?」

 

「ああ、どうにもこの腕輪のスタンド能力らしい……って志希!?ヒトのデニムを脱がそうとしないで!?ベルトに手を掛けない!」

 

「いやー患部の確認がてら触診ね触診。若干こそばゆいだけだし気にしないで♪」

 

 とか言いながら完治済の彼女の左ふくらはぎを遠慮なく揉みしだいてる志希ちゃん。ケミストとしての矜持だろうか。うん、きっとそうだろう。

 

『ごめんね、この子こうなったら暫く止まらないから為すがままにされてて?』

 

「プロフェッサー、貴女も中々いい性格じゃあないかい?」

 

『あらあら、敬称はいらないわアスカちゃん。私のことはクリスちゃんでいいのよ〜?』

 

「師弟揃ってゴーイングマイウェイ過ぎる…………!」

 

「センセー、ちゃん付けされる歳でも……『え?』なんでもないにゃあ」

 

 弟子が危機回避してる一方で、私の傍らに居ります文学少女は、というと。

 

「Mr.アルセーヌ、不躾を承知で伺いたいのですが……ルブラン氏とはどのような関係だったのでしょう?」

 

『ゴーストライターと執筆対象、かな?君の後ろの背後霊気取りについて記した、コナン・ドイルと同じさ』

 

 両手に赤いヒヨコさんを乗せて、何やら語り掛けていた。溢れる探究心のぶつけ相手だろうか。

 

「ははあ、そう言えば私の父祖と面識も…………」

 

『待て待てフミカ。「ルパン対ホームズ」はモーリス・ルブランの創作だ。あれに出てくる探偵はエルロック・ショルメとかいう、私をイメージしたパチモノだよ』

 

 横から背後霊と揶揄された探偵が割り込み。どうもそこは譲れないらしい。しかしその見た目、どう見ても。

 

(犬……いや黒い狼?)

 

 すっごいもふもふしてます、ハイ。なんやかやあって人と動物二つに変形できるらしい文香ちゃんのスタンドは、現在は犬の姿をしたまま器用に後ろ足で自分の首元を掻いている。ついでとばかり欠伸をかましてリラックスしてる姿は、正直ただの黒ラブにしかみえない。

 

「成る程。ところでですね、私『奇巌城』の一節で知りたい箇所があるのですが、まず…………」

 

 黒犬の抗議を受け流してマイターンに入ってしまった彼女。ビブリオマニアの心に火を付けてしまったパターンか、と思って気付いた。この娘、志希ちゃんみたいな探究心の発露で絡んでるのではない。純粋に趣味だ。普段控えめで楚々とした彼女にしては珍しく、上気したテンションで語り掛けてるし。

 さて、件のアルセーヌなるヒヨコさん。名前から察せられる通り、その正体はかの大怪盗らしい。しかしずっと質問タイムなのも流石に悪い。意を決して文香ちゃんの肩を叩く。

 

「文香ちゃん、さっきの、ええと……毒鱗粉、だっけ?その、後遺症とかって……」

 

「……ああすみません、これは失礼を。後遺症、ですか?今は至って平気です、私の場合魂だけでしたから。『身体が伴ってたらアウトだった』とシャーロックに言われましたが……。結果良ければ……といったところですね」

 

 どっとはらい。とまあ、あちこち脱線したけどなんとか聞き取り終了。

 要点をまとめると能力が未知数なのが志希ちゃんで、文香ちゃんと飛鳥ちゃんは二人して実質スタンドを一人で二つずつ使えるようなものだ。けれども、問題はこれから。

 

「あー…………その、大体把握したわ。説明一からありがとね、みんな」

 

 ホワイトボードに三者三様の覚醒のあらましを書き殴った後、額に手を当てて考え込んでるのはわたくし、空条美波。

 

「あの、美波さん、あまりお気になさらず…………?」

 

 気遣いの鬼文香ちゃんが控えめに一言添えてきた。「いや、私が気にするなと言っても変でしょうか……??」と自問自答してもいたけど。

 

 自分の言葉通りだった。何やってるんだ私は。そもそも赤石が揃ってた五月の時点で察し、対策を講じるべきだったのだ。偶然で片付けていいことじゃあなかった。

 何てったって引かれ合っているどころか彼女たち、フタを開けてみれば皆、スタンドや波紋と関わりのある人物ばかりじゃあないか!

 …………ああでも、何時迄も此処でうだうだやってる訳にはいかない。彼女達だって自分達のチカラのことで知りたいことは山ほどあるだろう。色々とまとめて聴きたい筈だ。グズグズ長考するなんて、ジョースター家の名が廃る。とそこへ。

 

「待たせてわりーな、連絡は今ついたってことで取り敢えず、だ」

 

 先程からスマホを取り出し何やら外で電話していた仗助さんが、部屋へ戻ってくるなり私達へそう口火を切った。

 

「今日のレッスン、俺の責任で全部中止ってことにしとく。んでもって全員これから目黒に行くぞ」

 

 言うが早いが照明を落とし、彼のエスコートで皆してそのまま外へ。

 平生は意図して軽さを交えた話し方をする彼にしては珍しく、この時は有無を言わさぬ口調だったのを、後から振り返ってみても覚えている。

 

 

 ☆

 

 

 それから約40分後。促されるままに辿り着いたのは、勝手知ったるSPW財団目黒支部。地下20m下のフロアに赴いた私達は、なんだか女子会のついでに来たみたいだった。

 

「此処も昨日ぶりだけど、改めて見ると広いにゃ〜」

 

『よーく見ると一々凝ってるわね備品とか。昨日はゴタゴタしててあんまり気づかなかったけど』

 

 煌々と電気が灯る通路を通る中、関心したような皆の声が上がる。志希ちゃんとツェペリさんがこれだから、初見の二人は言わずもがなで。

 

「……まさか現代東京の地下に、こんな巨大建造物があるとは……」

 

「地下鉄とかもうまく避けてるのかな?いずれにせよ一朝一夕で出来るものじゃあない気がしてならないけどね」

 

 その時横合いから飛んできた声に、一旦会話は遮られ。

 

「大正解です。ココが設立されたのは戦後程なく。昭和27年の事になります」

 

 磨き込まれた革靴を履いてやってきた、スーツ姿の男性は。

 

「……時間キッチリ。流石早人か」

 

「お元気そうで何よりです、仗助さん。美波ちゃんも」

 

 いきなり割り込んですまないね、と文香ちゃんたちに詫びながら私達に挨拶を返してきた男性は、仗助さんと同じ杜王町出身の、川尻早人さんだった。

 この人はかつて、かの吉良吉影のスタンド犯罪に巻き込まれた被害者遺族の一人である。杜王のぶどうヶ丘高校を出た後は、SPW財団の資金援助を受け大学に進学。卒業後にここ目黒支部に就職した人だ。私や仗助さんとは十年来の知己でもある。

 

「今日はサンキューな。急で悪いが色々頼む」

 

「僕の名前で会議室確保しときましたんでごゆっくり。それと……」

 

「ん?」

 

 そこで彼は声を潜めてPさんに何事か囁いた。秘めた小声……ではあるが、三人は兎も角、私の強化された聴覚なら聞き取れる。つまりこれは()()()()()()()ことを前提とした話題だろう。何の気なしにメンバー3人との会話を続ける私は、話しながらもこっそり聞き耳。さて、デバガメした内容は。

 

「IU警備の件で、()()()が此処へお見えになるとのことです」

 

「……了解」

 

 大公女。財団内部で発せられるその符丁に当てはまる人物は一人しかない。……成る程ね。

 

ロマノフ(そちら)関連の事象は説明されるので?」

 

「迷ってる。が、これも引かれあった結果と考えれば、潮時かもな」

 

 彼らが言葉に出していたのはそこまで。そうして何やら決意を固めたらしい仗助さんが拳を握り締めたのが、ちらと横目で見渡せた。

 

 

 ☆

 

 

 とりあえず……SPW財団について、皆どんな認識だ?

 

 会議室を借りた私達を代表して仗助さんが三人にかました前振りの質問は、確認の意も込めてのもの。今後関わらざるを得ないだろう皆の認識を、ある程度知っておきたい意図からだった。

 

「……元々、表向きはただの石油メジャー。しかしその実、現在では裏社会と強い繋がりがあるとかってなら」

 

 マーだかモーだかいう雑誌を一時期購読してたこともあった、という飛鳥ちゃん。曰くその手の陰謀論は中二病罹患者なら勝手に詳しくなるらしい。

 ……実際に財団は裏社会の組織(パッショーネ)と協力関係にあるから、陰謀じゃなくて事実なんだけどね。

 

「あたしから見ると、医薬品・化学薬品の治験と開発に熱心な医療メーカー、って感じ?」

 

 何を開発してるのか、守秘義務があるため具体的な言葉を彼女は濁す。それもそのはず、じつは志希ちゃんは未発表の新薬開発に関わろうとしている段階にあった。実はそのためのテキサス本部への招聘だったんだけど、ディアナ一派の襲撃により頓挫してしまったのが現況だったり。

 

「文香ちゃんは?」

 

「会社四季報に載っているくらいのことでしたら」

 

「なーるほど」

 

 企業誌まで当然の如く読んでるのは文香ちゃん。流石文科三類主席入学の実績は伊達じゃない(ちなみに私は文科一類)。

 とりあえず3年の進振りまではずっと一緒だろうし、改めてこれからもよろしく我が学友よ。

 

 閑話休題。話題はスタンド関連に立ち戻る。で、財団の目的だっけ?私にとっては耳タコだけど、ラウンズの皆には初耳なんだから特に大事だ。「要点だけ先に話すぜ」と断ったPさんによれば。

 

「SPW財団の究極の目的は、『超常現象の解析・保存・研究』。そして特異な現象を起こすスタンド使いにより齎される『世界壊乱の阻止』。これが現在の財団の『社是』だ」

 

 仗助さん曰く、そういう事。当然、ジョースター家に連なる者の多くもこの社是に共鳴し協力している。会社であるだけでなく対スタンド実力組織の性格も持つのが、現在の財団の特徴だ。

 ちなみに財団協力者は法人・個人問わず全世界に存在している。それこそマフィアのボスから大学教授(ウチのパパ)に、その辺のコンビニ店員さんまで色々だ。そうそう、日本の大手コンビニチェーンのひとつ、『OWSON』もSPW財団傘下の企業なので念の為。

 

 趣旨説明が終わったとこで次の課題。情報を開示した上で、皆の今後の身の振り方をどう決めるかである。こればかりは一人ひとりが決めてもらわなければならない。

 後ろにいる保護者?三人の動向も聞いてみよう、となるのは当然の帰結であるので伺ってみた。すると。

 

『心に従え。私からはそれだけよ』

 

『人生に於いて至上のお宝とは何か、考えてから決めると良い』

 

『初歩的なことだ、我が係累』

 

 はい、超簡潔でした。

 

「いいのか……いや、()()()()()?御三方はそれで」

 

 私の意まで包含し、代表して仗助さんが尋ねる。返事は揃って目礼だった。ならば後は、本人達に最終確認を残すのみ。

 

「皆、どうしたい……?」

 

 返答次第で、彼女達の運命、いや人生は大きく変わる。ここからは、引き返せない分岐点。場合によっては人を傷つけ、殺めることになるかも知れない。アイドルどころか人間としての道を踏み外すこともあるかもしれない。半分、震えていたかも知れない私の声は。

 

「当然、闘うさ。どのみちココで食い止められなきゃ、セカイ自体が丸ごと滅亡するんだろう?アイドルもへったくれもないよ、そんな状況じゃあね」

 

 先陣を切ったのは、この場で最も年若い少女。シニカルな口調の裏に隠した烈火の如き強い意思に、思わず息を呑んだ。

 

「美波ちゃん、あたしはアイドルの前に復讐者(アヴェンジャー)。ケジメ付けなきゃ()()()()()()るよ、モチロン♪」

 

 その人生を、常に栄光と名声で彩ってきた鬼才が鋭く言い放つ。自身の昏い情熱すら闘志に換える麒麟児は、臆面もなくウインクついでに決め台詞。そして。

 

「……肩を預けるに不足なのも分かります。己が至らなさを食んでもいます。……しかし、露払い程度十全に、為し得てご覧に入れましょう」

 

「何れ、全て読み解くつもりでいますが」と冷徹に述べた同級生は、いつもと変わらずクールな表情。でも、その台詞は果てしなく貪欲。敵ですら、己の書庫を彩る書物(データ)と言わんばかり。物静かだが、秘めた闘志に曇りなし。

 

 発露の仕方は三者三様、しかし結論皆同じ。すべからく。

 

「全員、ね」

 

 ただ、考えてみれば当然かもしれなかった。彼女達は過去、皆不当に大切な師の、父祖の命と平穏を奪われてきたのだ。

 そのせいで本来なら一生関わらぬ筈の世界に巻き込まれ、訳の分からぬ力を手にすることになった。傷付き戸惑っただろう、恐怖や焦燥も覚えただろう。しかしそこから立ち上がり困難な道を踏破せんとする、その覚悟に最上の敬意を覚える。

 

「……有難う、皆……!」

 

 思わず声に出ていた。仲間に隠し事をせずに済む感覚とは、なんて嬉しく得難いものなんだろう。彼女達のためとは言え、今までどこかで引いていた一線が取り払われたのを感じた。

 沸き立つ心の高揚ゆえか、右手に持ってたコーヒーのスチール缶を思わず縦に握り潰す。隣席の文香ちゃんが唖然としてたけど、これくらいはご愛嬌だ。

 

 

 ☆

 

 

 それから30分後。話題が尽きるなんてことは勿論なく、自分達の共通点を探ることにフェーズは移っていた。

 

「気になるのがやっぱり発現時期だね。美波さんはともかくとして三人ともほぼ同じタイミングっていうのは、偶然にしては出来すぎてる」

 

「それに赤石。今のトコ分かってるのは古代以前のものってことだけだから、そろそろ何か新情報欲しいにゃあ〜」

 

「またぞろ、考える必要がありますね。確たるソースが有りそうなところと言うと……」

 

「……やっぱり空条邸(ウチ)、よね。それとこの目黒支部かな?」

 

 掃除も兼ねて家探しでもしようかな、と内心思い至った時だった。

 

「……あ、そういえばさ」

 

 志希ちゃんが一言。このスーパーギフテッド、また鋭く何かを閃いたようで。

 

「さっき聞いた『ロマノフの遺産』って、要するに当時の帝政ロシアから財宝とかこっそり持ち出して来ちゃった、ってことなの?」

 

 興味本位でふと投げられた質問に、文香ちゃんと飛鳥ちゃんも追随する。

 

「…………確かにそれなら『遺産』、ですね。ドサクサ紛れに、というなら加えて人も……ですか?亡命ロシア人の方々も『遺産』に包含しているならば、ですが……」

 

「可能性としてあり得るんじゃあないかな。財宝みたいな人材……そうだね、神戸の某洋菓子店創業者とか、巨人の元プロ野球選手とか?」

 

「え、ええーっと…………」

 

 具体名が二名ほど浮かんだ質問を飛鳥ちゃんが飛ばしたところで、私は思わず言葉に詰まる。何故って彼女達の指摘、フツーに全部正解だからだ。

「遺産」の正体について事実確認をしていくと、先ず皇女殿下救助自体は英国に資料が残されているので確定事項。しかし他は極めて曖昧だったりする。

 

 ロマノフ王朝が長年にわたり溜め込んだ金塊や宝石の幾らかは、革命の救出劇に紛れて当時の日英政府が回収(奪取)し、それぞれ帝銀やイングランド王立銀行にこっそりぶち込んだらしい。

 らしい、というのは証拠書類は全て燃やして隠蔽したので現存せず、移送に関わった人々は口を固く閉ざしていた上、現在は全員鬼籍に入っているため聞きようがないからだ。

 どう聞いても火事場泥棒だけど、そんなわけで真相は闇の中。

 

 ただ、人に関しては芸術家や音楽家、料理人に至るまで様々な形でサルベージしたとのこと。職人を企業で召し抱えたり、貴族のご息女は華族に嫁入り・婿入りさせたり、軍人を政府機関で雇ったりとあの手この手が尽くされた。

 全部で200万人近いとされた亡命者のうち、実に10分の1近くが日本に来日。慣れぬ異国の地で同胞意識を強めた彼等は、ある互助会を結成した。やがて日本有数のインテリジェンスにまで成長するこの組織こそ、通称を「ロマノフの網」という。

 

「……話すとちょっと、長くなるんだけど……」

 

 そして在日ロシアン・ネットワークの精神的支柱であり、絶大なる権威を持つ或るファミリーとジョースター家は、長年に渡り蜜月関係にある。

 その家族の子息について語ろうか、と思い至った時分。これ以上ないジャストのタイミングで、プシュ、と機密扉が開け放たれる音がした。目をやると、視界に飛び込んできた人は。

 

「すみません、迂闊でした。私としたことがサティポロジア・ビートルのつかみ取り大会に現を抜かしてしまい、つい……」

 

 件のファミリーについて話さんとした、正にその瞬間。やにわにドアを開けて入ってきたのは、煌めく白肌と銀髪に切れ長の碧眼を持つスタンド使い。星見を愛しサンボを操る、麗しき乙女座の姫君だった。

 

「!」

 

 刹那の間で私の顔を認識し、怜悧な鉄仮面に花のような笑みを浮かべた彼女の正体を、一言で表すと。

 

「ミナミ、ジョースケ!お二人ともここにいましたか!」

 

 

 ───即ち、生けるロマノフの遺産である。

 

 

 ☆

 

 

 音もなくドアを開け、足音を立てずにやって来た銀髪美少女。

 急な来訪だがなんのその、とりあえず自己紹介でも、となったのだけれど。

 

「ハラショー。わたくしミナミの正妻アナスタシアと申します。以後よしなに」

 

「のっけから違う!」

 

「??何が違うんですか?」

 

 きょとん、とした顔つきで小首を可愛く傾げる小悪魔幼馴染。純真な眼でこっちを見るんじゃあない竹馬の友よ。それ全部「演技」ってのも分かってるからね私?

 ……しかしこの巧みな偽装、初見の我が同僚達は見抜けなかったらしく。

 

「……えーっと、百合萌えってやつかな?」

 

「それともキマシタワー?あるいは性の多様性(ダイバーシティ)?」

 

「…………大学に入ってからこれまで4人に告白されたのに、全員袖にしていたのはそういう事だったんです、か…………?」

 

 ちょっと蒼褪めてる人、打ち上げられた魚みたいな目になってる人、顎に手を当て真面目に推理してる人計一人ずつ。あの、貴女たち、悪ノリなのか本心で喋ってるのかどっちですか。一先ずは誤解を解かねば、なんてったっていずれも大事な仲間だもんげ……なんだけどさあ!

 

「飛鳥ちゃんと志希ちゃんガチトーンでヒかないで!?それから文香ちゃん、その内半分は同性だったからね!?断るの当然だからね!!?」

 

 大慌てで釈明。……ああそうそう、補足すると私、奇しくも大学入ってから告られた回数は文香ちゃんと同じく4人。無論全員断ったけど。いやだってねえ、一目惚れとかよく知らない人に言われても正直困るし……。

 しかし文香ちゃんが全員異性から突撃されてたのに対し、私はその半数が同性から。何故だ。男子から見て女子力が足りぬというのか。これでも家事は得意なんだけど。

 でもこの暴露、余計に燃料投下しただけだったみたいで。

 

「文香ちゃん、その話詳しくplease?」

 

「……一例を挙げますと、居酒屋で酩酊した男性に絡まれていた同期の一女を颯爽と救出。あとは流れです」

 

「フラグメイカーだねえリーダー」

 

「狙ってそうしたんじゃあないわよ!」

 

「ミナミはスケコマシですから」

 

「アーニャちゃんちょっと静かに」

 

 ていうかサラッとウチのメンバーに馴染んでません貴女?「ジョースター家の女誑しぶりには困ったものです。姉弟揃ってこれなんですよ」などと余計なことを言い出した。

 

「姉弟?あ、そういえば美波ちゃん、前に弟さんいるって言ってたねぇ」

 

「写真ありますよ?」

 

「待って、なんでアーニャちゃんがウチの家族写真持ってるの?」

 

「?」

 

 いやいや我が幼馴染よ、そこで「え、コイツ何言ってるんだ」みたいな顔されても。一方で写真はいつのまにか彼女のスマホにでかでかと表示されており。

 

「空条博士は分かるとして、この人がお母さん……?」

 

「若っ……ていうかお姉さんじゃあないんだね……」

 

「弟さん、どことなくPさんにも似ていますね」

 

 写真一枚でやいのやいの。今まで口頭だけでまともに見せたことなかったからそれもあるかもだけど、下手すると際限なく続くやつだこれ。いつのまにかシリアスの混じった会議から、巷で「話にオチがない」と酷評される女子会特有のノリに移行していたところで。

 

「はーいはい、悪りィけどオマエらちょっとそこまでな。勿論ライブもだけどよ、敵さんと抗する上で話しときたいことがあんだ」

 

 埒があかねェ、とばかり横からPさん。助かりますと思ったけど。

 

「話しときたいこと……?ああ成る程、修行ですね?」

 

 関心したようにそう呟いてパン、と両手を叩いたアーニャちゃん。どうも何やら思い付いたらしいけど、これは良からぬ類の笑顔だ。証拠に以前、弟を騙してオカマバーに連れていった時と同じ笑顔をしている。

 

「修行?」

 

「スタンド使い、とならば修行が要るんですよ、皆さん」

 

「というと」

 

「なにするの〜?」

 

「色々です。ジャンプ漫画のお約束として修行パートは不可避です。ダレるとアンケート不人気からの打ち切りコースですが、これ無くして強さへの説得力は生まれません」

 

「……何となく分かりました。……友情・努力・勝利、ですね?」

 

 週刊漫画も書の一部とばかり毎週チェック済のまめな私の同窓生、素早く三原則をそらんじる。私達、あくまでアイドルであって少年誌の主人公じゃあないんだけどね。そのポジションは経歴的に(吸血鬼やら殺人鬼と闘ってた)パパとか仗助さんの方が合ってる気がする。

 

「ダー。というわけでこれからIU本選まで、しばし私にお付き合い下さい。先ずは『波紋』を覚えましょう」

 

 にっこりと微笑んだ彼女は、タメを一瞬作ってからとんでもないことを言い出した。とりあえず、と前置きした上で。

 

地獄昇柱(ヘルクライムピラー)、いきましょうか?」

 

 

 

 次回、特訓回?



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ACT-3 We are RoundS.
021/ Day Break's Bell


ひさしぶりん(土下座)


 

「「「ヘルクライムピラー……?」」」

 

 聴き慣れぬ珍妙な言葉を受け、ラウンズ3人の顔に浮かぶは疑問符。奇しくも外国語に強い人間ばかりだけど、そんなフレーズは聞いたことない筈。

「習うより慣れろです、私がやるので先ずみててくださいね」と(のたま)うロシアンハーフに案内されたのは、財団地下深部にある巨大空洞だった。

 

 そのど真ん中に鎮座するは、こんこんと沸き立つ油が噴き出るであろう怪柱。名を────地獄昇柱。

 めいめいで初見の感想を述べていく……も、皆関心があるのは無骨な柱より、これを作った財団にあるらしく。

 

「……固定資産税、幾らくらいなんでしょうか……?」

 

「私も詳しくは知りません。でも毎年ココに国税庁の人が来ると、珍しがって写真撮ったりしてますよ?」

 

 聞けば新規に入庁した職員の、社会科見学のコースになってるらしい。遠足か。

 

「私企業が構えるにはかなり大規模だね。予め都と話は付けてたのかい?」

 

Конечно(もちろん)。豪雨災害の際には装置を停止させ、非常用貯水槽としても機能するよう話を付けて竣工しました」

 

 ついでに避難用シェルターにもなるらしい。核戦争でも想定してるのだろうか。何にせよ備えを怠らないのは良い事だけど。

 

「にゃ〜るほど。この調子だと東京メトロとも懇意なの?」

 

「草創期より蜜月関係です。もっと言えば民営化前、帝都高速度交通営団の頃からデスが」

 

 フランクに戦後史を語るアーニャちゃん達を尻目に、雄大で無機質な空間を眺める。

 高さ有に50mはあろうかという大空洞に聳えるは、白黒写真で見たことがある、サプレーナ島の地獄昇柱によく似た物体。大昔にジョセフ(ひい)おじいちゃんがシーザーさんと修行で使ったらしいんだけど、改修版を目黒に作ったのだとか。ところがアーニャちゃん、「再現だけでは芸がない」とばかり一手間かけたらしく。

 

「そのままでは流石に危険過ぎましたので、人体工学や現代医学の解釈を加え、21世紀の基準に即して改造しました」

 

 ほほう。詳説を代表して私が聞こう。

 

「改造って、何をどう?」

 

「はい、先ず安全性を考慮して柱の傾斜を緩くしました」

 

「妥当ね、ありがとう」

 

「それから噴き出すのが油だと環境に悪いので、ウォッカにしておきまし「却下!」何故ですミナミ、御無体な!」

 

 この道産子は何考えてるんだろう。露伴さんにいっぺん脳味噌を開示してもらう必要があるかもしれない。

 

「酷いですミナミ、折角(ハヤトが)頑張ったのにデスか?」

 

「頑張るとこ間違えてるわ思いっきり」

 

 頰を膨らませて可愛く言っても駄目だ、主に絵面が。こちとら一応アイドル且つ未婚の少女。何が悲しくて大事な同期をウォッカ塗れにしなきゃいけないんだ。

 

「…………えーっと、お酒は何処から調達したんですか……?」

 

「自家製です!」

 

「密造酒じゃない!普通に犯罪よ!」

 

「目を瞑りましょうミナミ、ロシア人から酒を取ったら何が残るんですか。密売はしてないから問題無いです」

 

「ロシア人をなんだと思ってるの」

 

 酒を取ったってラフマニノフとかガガーリンとか残るだろう。

 

 明け透けな開き直りに訊ねた側の文香ちゃんが絶句してる一方、同年代あと2人は何してたかというと。何処かのスイッチでも押したのか、既に酒の吹き出しつつある柱に近づき、猫っ毛少女がテイスティングとばかりお酒をペロッと舐めていた。パパラッチに撮られたら大変な光景である。

 

「お〜、昔誤飲した消毒用アルコールより美味しいねコレ。飛鳥ちゃんもハイどうぞ♪」

 

「未成年だし遠慮しとくよ。あと矢鱈に飲んじゃ駄目だって志希、犬や猫じゃないんだから」

 

『呼んだかね?ウォッカは消毒にも便利だぞ』

 

 機を逃さぬとばかり、喋る黒ラブ颯爽登場。ちなみに今は子犬程の大きさだ。つぶらな目が正直可愛い。言ってるセリフはトンデモだけど。

 

「シャーロック、ハウス」

 

『だが断る』

 

「鷺沢家はそれで良いのかい……?」

 

 真顔のままスタンドを抱え上げ、帰宅を命じる文香ちゃんを見て最年少者が一言。……まあ、コミュニケーション取れてるし良いんじゃないだろうか。心配なのは冷や汗が垂れてる飛鳥ちゃんの心労ぐらいだ。

 

「ね、美波ちゃん、スタンドにお酒飲ませたらどうなるの?」

 

「……多分、術者が酔って(ヴィジョン)を上手く形成出来なくなる……と思うわ」

 

 猫っ毛少女の誰何に、私は思わずあいまい返答。ごめんね志希ちゃん、やったこと無いから分からないんだ。

 

「よし試してみよーアルセーヌ!先ずはサイズの小さいキミから治験だ!」

 

「被験体は出さないからね酒豪じゃないし!」

 

 隣に立ってた飛鳥ちゃんがとばっちり。確かに今はひよこサイズのアルセーヌだけど、実験動物代わりにされては堪らない。

 

「大丈夫!ルブランの原作だとお酒強かった筈!ね、文香ちゃん?」

 

「……有りましたっけ?そんな記述」

 

 書絡みのエクスキューズで、我らが文学少女が肯定しないならそれは虚偽。宇宙の真理である。

 

「ツェペリさんヘルプ!割と切実に!」

 

『無理よアスカちゃん、この娘ったら誤飲で胃洗浄した事もあったのに懲りてないもの』

 

「そんな懲りない弟子を育てたセンセーにそーれ!ばっしゃーん!!」

 

『きゃあああ何するのよ!ブラウスびちゃびちゃじゃない!』

 

 見る間にあられもない姿になった大学教授(幼女)が一名。スキモノな大人が観たら、例え飛天御剣流書類送検されても画像が欲しくなるくらいには扇情的な格好だった。

 

「…………これはまた……耽美派の書家に描写させたい情景ですね……」

 

「自由過ぎる此の才能人共……!」

 

「続いてお二人さんにもどーん!!」

 

「「わあああああ!!」」

 

 哀れ、全員濡れみずく。未成年アイドルがビールかけでもしたのかってくらい酒塗れ。346プロ上層部が見たら卒倒しそうな光景だ。因みに愉快犯のロシアンハーフはというと、いつの間にやら気配を消して何処かへ雲隠れしていた。

 収拾つかないくらいの喧騒が渦巻く中、疲れた目をしたPさんと目が合う。

 

「…………なあ、美波ちゃん」

 

「なんですか仗助さん」

 

「取り敢えずこの酒臭い柱、今後事務所NGな?」

 

「異議なし」

 

 残念でもないし当然だった。でもまさか、この塔が翌年に魔改造を施されて「バベル」と改名されるとは、この時はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 その後、お酒を浴びた皆をクレイジー・Dで綺麗さっぱり元通りにしたPさん。彼女達に付着したアルコールまで一瞬で取り除き、物理的に飲酒をしなかった事にしたところで、「それぞれの師に鍛えて貰った方が早いんじゃね?」という常識的な意見を提案。アルコールピラーは開店休業が早々に決定した。

 

 問題はここからだ。ディエゴらの会社に潜り込んだスパイの方々の成果により、敵との接触が有力視されるのは、スタンドの矢が公開展示されるIU本選の日が濃厚とされている。闘う相手の識別は簡単、スタンドが見える人間が悪意を向けてきたら敵。これだけ。

 当日万が一交戦となった時の保険も込みで、自分達の戦力の詳細について説明することにした。

 

 会場に確定で集まるのはPさんと私たちラウンズの4人。この際なのでパッショーネや私のパパ、アーニャちゃんやPさんの友人達のスタンドも合わせて紹介。無論全て部外秘だが、皆を信用してのこと。実に2時間以上に及んだ、図説やら交えた話し合いの感想をまとめると。

 

「なーるほど、んじゃあ〜美波ちゃんが流体操作と波紋操作、仗助が完全回復持ちってことね?」

 

 会議室の机に広げたA3用紙に、スタンド名や人名を英語で──日本語だと漢字が速記しづらいらしい──書いている志希ちゃん。お手本みたいに綺麗な筆記体なのは、癖字だったのをツェペリ先生に修正されたからだそう。

 

「……それから、Pさんの御友人の能力が透明化、空間切断に重力操作。露伴さんが記憶改竄と閲覧。パッショーネの方々が異次元収納に群体型自律行動ユニット、弾性操作に……毒ガス生成散布、ですか」

 

 ギフテッドガールと対照的なのが、親譲りという流麗な草書体で筆記をしている文香ちゃん。毒というワードに因縁の相手を思い出したのか、若干苦い顔だった。

 

「そして、ボスは無機有機問わぬ生命付与。必殺技が脱出不可の無限ループ強制。極め付けに空条博士は基礎スペック最強、兼時間停止能力者。……やろうと思えば世界征服出来るんじゃあないかい?」

 

 飛鳥ちゃんがショッカーの幹部じみた感想を述べる。成る程、確かに聞くだけ聞けば盤石の布陣だ。露伴さんは基本漫画の取材が絡まないと来ないので分からないけど、全員集まればまず負けないだろう……と思える。

 

「加えてこれまで闘ってきたのが、吸血鬼にシリアルキラー、マフィアの総帥。次に相手取るのが死の商人とアメリカ大統領候補……」

 

 改めて並べ立てるとだいぶ血生臭い歴史を、ダイジェストで纏めてくれる彼女。機を見計らい、仗助さんが穏やかに語りかける。

 

「……怖いか?」

 

「……正直言えば怖いよ、プロデューサー。でも……不謹慎と分かってても……同じくらい、ゾクゾクしてる自分もいるんだ」

 

 地球儀を回しながら紫眼を揺らす彼女は、武者震いしながらPさんに向けて答えた。

 

「まあ、進んで3人に出張ってもらう気はねえ。基本は撤退と護身。あくまで無理そうなら、って時の保険だ。それは約束してくれよ?」

 

「了解」

 

 端的な言葉に重みが乗る。呼応するように、傍らにいた少女も。

 

「『この機を逃したら、いつ寝首をかかれるか分からない。だから敵が準備を整える前に一気にカタをつける』。シンプルでいいねえー、このプラン。……あ、それはそうと仗助、石仮面とカーズの細胞、後で調べさせてね?」

 

「落ち着いたらな」

 

「いぇーい!」

 

 そう、天才少女が言い終えたところで。文科三類トップの同期が、入学祝いでおじさんに買って貰ったという万年筆を横に置き、呟く。

 

「美波さん」

 

「?」

 

「……私、これまで美波さんは、聡明で、美人で……そして、強い女の子だと思っていました」

 

「あらありがとう」

 

 百合志向はないけれど、同い年の可愛い友人に褒められるのはグッとくる。思わず彼女の手をとってお礼。さすふみ。

 

「……でも、違いましたね。……それだけでは、言葉が足りません」

 

「ちなみに付け足すならなあに?」

 

「例えるなら、そうですね…………ジャンプ漫画の主人公に見えます」

 

 キラキラした碧眼を私に向けてくる黒髪の学友(18歳・大学生・美少女・戦隊モノは黄色派だった)は、そう静かに断言してくれた。

 …………まあ、皆の士気が上がったみたいで何よりだ、うん。

 

 

 

 ★

 

 

 

 同日夜半、美城プロダクション渋谷寮。皆が寝静まった高層マンションの角部屋で、一ノ瀬志希はいつも通り毛布に包まり寝ようとした…………のだが、目が冴えてそれどころではなかった。仔細を色々と伺った今日の話が、頭の中をグルグルとまわっていたからである。とりわけ。

 

「……ツェペリ家、か…………」

 

 チベットで修行を積み波紋に開花した男、ウィル・A・ツェペリの話は、他人事とは思えなかった。彼は恩師の父祖であるだけに留まらない。友人の開祖・ジョナサンに波紋を伝え、その孫・ジョセフの親友シーザーもその死まで彼等と共にあり、波紋と猛き勇気で以って悪に立ち向かった。

 そして、魂だけを引き戻した眼前の師匠も例外ではない。若くして落命しながらも友を、弟子を守る為に命を使い果たしたという点は、何故か奇妙に一致している。

 

『…………何か、思うところがあったの?』

 

 部屋の中、ふよふよと中空を漂う恩師が控えめに訊ねる。

 

「そりゃあね。……先生の御先祖の功績、とか」

 

『ああ…………大体、短命の人が多いわね。……でもきっと、皆納得ずくだったと思うわよ?』

 

「納得って、そんな……!」

 

『だって、私は全く後悔してないもの』

 

 言い切った師の顔は、疑念の余地などないとばかりに晴れやかで。教え子が思わず言葉に詰まってしまったのを察したのか、努めて明るく話題を変える。

 

『にしても……ねえ?』

 

「?」

 

『いやあ、いい男じゃない?と思って。貴女達のプロデューサーさん』

 

 これに愛弟子その首を傾げるも、話題に乗っかることにした。

 

「……なあに先生、ひょっとして一目惚れ?」

 

 からかったつもり。だがツェペリ女史それを聞くなり「待ってました」、とばかり微笑ましいものを見るような顔になり。

 

『いいえ、志希。歳離れすぎだと思ったけど、私は応援してるわよ?』

 

「げほっ!?ゴホッ!!」

 

 飲んでたホットミルクに溺れそうになり咽せ返る弟子。あんまりな反応に、つい呆れ顔の師匠。

 

『……初めてだわ、貴女がここまで分かりやすく動揺してるの』

 

 みれば目を逸らすばかりか、風呂上がりというのに冷や汗を流している。場を引っ掻き回す平生の彼女の様子からは、まるで想像がつかない姿だった。

 

「……ち、因みにいつから……?」

 

『最初からよ。というか否定しない時点で語るに落ちてるじゃない』

 

 仕方ないでしょう、自分でもここまでのめり込むとは思ってなかったんだし、と心の中でだけ若人は呟く。ただ件の彼が学生時代、改造学ランにリーゼントヘアの小金にうるさい不良であったばかりか、髪型を貶されるとブチ切れるヤバい若者だったことは、幸か不幸か彼女は知る由もない。

 

『にしても凄い物件に懸想したわねえ。既成事実は作ってないの?』

 

「先生、一度懺悔室で悔い改めたら?」

 

 呆れながらも若干頬を赤らめる、という愛弟子の様子を見るにそっちの方はまだらしい。生物化学にも長けてるんだから、無味無臭の媚薬くらい簡単に作れるだろうに。一服盛ればどうとでもなる筈だ。

 割に思考がサイコな師匠、恋愛では手段を選ばない性質だった。

 

『これだけ近くに居るのにプラトニックだなんて、まさか色恋にここまで堅物とは……』

 

「育ての親の台詞と思えないにゃあ」

 

『でもね、貴女って結構気難しいコだったのよ?』

 

「ソレ言われると何も言えなぁーい!」

 

 にゃはは、と明るく笑って返す志希を見て、ツェペリは自然と回想。

 大学に来たばかりの頃は捨て猫みたいな鋭い目をしていたのに、今ではすっかり表情豊かになった。生来の人懐っこさを取り戻しても常に一線を引いてた子が、誰かを真面目に好きになれる、だなんて。

 よくここまで真っ直ぐ育ってくれたものだ。

 

(……この娘のお婆ちゃんから、「孫がお世話になります」って連絡来た時は何事か、と思ったけど……)

 

 亡くなった志希の実母とは、同窓の親しい友人だった。だから、家族葬だけで既に葬儀を済ませた、と聞いた時は本当に悲しかった。

 悲報を聞いて弔問に向かわんとした自分のもとに、なんの因果か海を渡って彼女の娘がやってきた。更にその忘れ形見は、才女だった親友を凌ぐ鬼神の如き才気に溢れていた。

 

(『希望を志す』、だから『志希』。……か)

 

 しかし。母の遺したその名に違わず、終ぞなんでも片手間で出来た少女が、命を賭けなければ出来なかったのがスタンドの発現。恐らくそれは彼女にとって、人生初の挫折だっただろう。

 だがそこで腐ることなく困難を乗り越え殻を破った姿は、師としては嬉しくて堪らない。

 

 幼少期の母との離別や一家の離散もあってか、志希は家族に何処か飢えているところがある。子供に必要な母親の代わり、はそれなりに自分が務められたと思う。だが、父性は?…………父親役を自分が出来ていたとは、お世辞にも思えなかった。

 

(一体どこで何してるのかしらね、この娘のお父さんは)

 

 渡米間もない頃の志希は、よく講義を抜け出してはどこかへ失踪していた。今思えば行方の知れぬ父の手掛かりを、彼女なりに求めていたのかも知れない。

 兎にも角にも、ツェペリゼミの秘蔵っ子にして予測不能の自由人たる彼女は、在学中は常に台風の目みたいな存在だった。

 

『ところでね、志希』

 

「イエス」

 

『実験キット以外にこの賞状類も片付けなさい、ちゃんとね』

 

「ノー!」

 

『即答しないの、一応貴女の栄誉の証なのよ?』

 

「名声が欲しくて勉強してたんじゃないもん♪」

 

『あっ、こら、布団被って寝ようとしない!5分もあれば出来るでしょ!?』

 

「残念無念まった来週ー!それじゃー先生おやすみなさーい♪」

 

 頭が良いのか悪いのかよく分からないトークは、こうして一応の決着をみた。

 

 

 

 ☆

 

 

 財団地下でのお話があった翌日。東京都は新宿、神楽坂某所のカトリック系教会。

 在日フランス人、並びに仏系日本人が多く住まうこの街に、オフの日を利用して二宮飛鳥は脚を踏み入れていた。

 自身のルーツに興味が湧いたのもあったが、どちらかと言えば交流の方が目的だ。特に同年代との会話は刺激になるし、とりわけ静岡に居た頃から家族ぐるみで付き合いの長い、ある少女に是非お目にかかりたいと思っていた。

 

「あーすーかーチャン!ぼんじゅ〜る!じゅまぺ〜る!あしじゅぽーん!?」

 

 丁度良い。気さくに話しかけてきた彼女こそ、今日のお目当て・宮本フレデリカその人だ。

 鮮やかな金髪ショートヘアに翡翠の眼、真白い肌に長い手脚を持つ、よく笑いよく喋る愛嬌の塊。8分の1(ワンエイス)である飛鳥より血の濃い日仏ハーフの彼女は、自称生粋のパリジェンヌだ。軽快なトークが持ち味なのだが、恐るべきはそれを素でやるところである。

 

「bonjour、フレデリカ。それから最後のは日本語だね」

 

「細かいことは気にしなーい!あ、ねえ飛鳥ちゃんお昼食べた?私はまだだったりする!」

 

「ボクもまだだよ。どこか食べにでも行くかい?」

 

「いーよぉ?じゃあごはんにする?ライスにする?それともお・こ・め?」

 

「全部同じ!」

 

「なーんだ飛鳥ちゃんパン派かあ。ならあたりめ持ってきたけど食べる?」

 

「いや大丈夫……ねえコレ柿の種じゃない?」

 

「ううん、でも心が濁ってるとうまい棒に見えるんだよ?ホラ見て美味しそうでしょ?」

 

 全く意味不明なやりとりの後に彼女がポーチの中から取り出したのは、何故か緑に濁った汁が入ったスクイズボトルだった。お菓子どころか固形物ですらない。何がやりたいのだろう。

 

「ちょっと、どうしたのさこれ?」

 

「うちで作った本日の気まぐれカフェオレ。どう?」

 

「ゴメン、野菜ジュースの間違いじゃなくて?」

 

「実はケールとほうれん草入れてみたの。一杯と言わず全部どうぞ?」

 

「青汁だねそれはもう。やめとくよ」

 

 出会って30秒ほどでこんな感じである。律儀に突っ込む飛鳥にとってフレデリカは、仏革命往時のジャコバン派とギロチンくらい相性が抜群だ(意味不明)。

 延々とこのノリに付き合ってると日が暮れてしまうので、何とか軌道修正を試みる。

 

「……ところで、話変わるんだけどさ。フレデリカ、高校出たら何処に行くんだい?」

 

 今日の本題はこっち、現在高校3年生の彼女の去就について。日本のセンター試験はフランス語も使えるし、海外志望ならそれこそおフランスに留学だって検討できる。日本に住むなら国内への進学が妥当な線だが、果たして。

 

「お、気になる気になる?実は既に推薦で決まってるのだ!見てこれ!東京女子短大の合格証だよ!」

 

「フランス外人部隊の勧誘パンフだけどこれ」

 

「ありゃ?間違えた、コッチコッチ」

 

 今度こそ本物がポーチから出てきた。本当に短大へ進学するらしい。何故志願兵募集のチラシを持ってたかは、この際聞かないことにした。

 

「……本当だ、おめでとうフレデリカ。内申だけでクリアなんてボクも見習いたいよ、頑張ってたんだね」

 

「お礼なんてジュテーム飛鳥チャン!お返しに愛のベーゼをアゲル!へーい!」

 

「ちょっ、要らないってば!お互いソッチじゃないでしょ!?」

 

「ぶー。良いでしょ減るもんじゃないし、イーリィのケチ」

 

「唐突に仏語名で呼ばないでくれ、反応に困る」

 

 軽いノリでハグしようとする彼女を手で制する。フランス人の母親に似たのか、そこら辺の感性は非常に開けっぴろげなのだ。実父は野武士みたいな人なんだけど。

 ならばとばかりバックハグしようとする彼女と一進一退の攻防を繰り広げていた時、ぽつりと金髪少女が呟いた。

 

「そういえば飛鳥ちゃん、アイドル始めたから東京に越してきたんだって?」

 

「ああ、といっても始めたのはつい最近だけどね。フレデリカも興味あったりするのかい?」

 

「ううん?じゃあ持ち歌とか持ってたりするのかなー、って思って。ちなみに私はウルトラリラックスかな?」

 

 聞かずとも分かる、この上なくびったりなハマり曲だった。

 しかし、持ち歌。自分のソロ曲・「共鳴世界の存在論」はまだ未発表だ。「お願い!シンデレラ」は持ち歌というより全体曲。ならば。

 

「オリジナルはまだ出てないから、既存曲なら……うーん、Hacking to the Gate、かな?」

 

「あ、どっかで聞いたことある!詳しくないけど!」

 

「多分、耳にしたことあると思うよ。……お昼食べたら、カラオケ行くかい?」

 

「さんせーい!」

 

 で、ランチのち直行。しかもこのあとノリに乗ってしまい、気付けばフリータイムで6時間が過ぎていた。

 結局オフの日の午後半日を、ボイトレして過ごした飛鳥であった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(……で、今日も私に店番任せきりですか、叔父さま……)

 

 飛鳥がフリーダムガールに振り回されてた同日。人気漫画家がふらりと訪れたりする鷺沢古書堂にて、今日も今日とて店長の姪っ子は、あいも変わらず古本屋の留守を任されていた。

 

「天竺に行ってくる」などと抜かした叔父はさて置き、先日仕入れた古本を消毒し陳列、店内の照明を点け開店準備。手馴れているので挙措動作も早い。ついでに最近は便利な背後霊もいるので、高いところの本を掃除するのに脚立も要らない。ただ。

 

「………………暇ですね。お客さんが来ないと……」

 

 吉原でお茶を挽く遊女の気分が、なんとなく分かった気がする。

 誰も来ないなら自主レッスン──地下室でボイトレとか──をしていたいけれど、いかんせん客商売なのでいつ誰が来るか分からない。よってレジ横の安楽椅子に腰掛けつつ、「運動前後の効率的ストレッチ方法」とか、「疲労回復に効く食事」などと銘打たれた書籍を速読しようとすると。

 

『平日の書店などそんなものだ。暇つぶしならバイオリンでも弾いたらどうかね。マールから教わっているだろう?』

 

 飛んできた高祖父の言葉に、文香は首肯を返す。成る程記憶を紐解けば、数年前に他界した曽祖母から、子供用のバイオリンを用いて手取り足取り教えてもらった覚えがある。

 

「…………確かに幼少期、曽お祖母様から手解きを受けました。ですが……ストラドなんて畏れ多くて、私の技量では安易に触れません。習った、と言っても手慰み程度ですし…………」

 

 そう。この書店にある弦楽器は、超高級品ストラディバリウスのバイオリンが一点のみ。ホームズ家の私物だったものを(マール)祖母さんが嫁入りついでに日本に持ちこんだ後、紆余曲折を経てここで管理されているのだ。

 

『私が若い頃に散々弾き倒したんだ、玄孫が今更ギコギコさせたって問題なかろう』

 

「……流石にギコギコ、という程では……ああ、でもそういえば最初の頃は、弾き始めるとよく犬に遠吠えされました……」

 

 述懐。曽祖母の「獣が聴き入るようになれば一人前」、という言葉は今でも覚えている。ついでに楽器本体を落とさない為に力を入れるので、レッスン後はよく左肩と首筋、顎骨あたりも痛くなった。今となっては懐かしい思い出だが。

 後にこのストラド、346プロの涼宮星花も所有していたばかりでなく、普段使いしているのを知って驚愕する事になるのだが。

 

 その時。犬、というワードに何か言いかけた背後霊が、徐にぴくりと片眉を跳ね上げた。

 

『……客人だ。足音の間隔と、重さからして子供が一人』

 

「えっ……?」

 

 言い終わった瞬間、カラカラとドアベルの鳴る音と共に。

 

「…………こ、こんにちは」

 

 預言通りお客様一名。今日の開店第一号は、年端もいかぬ少女だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「…………お探しの本が、お有りですか?」

 

 入店から3分。黙して棚を睨んでいた少女へ、柔らかさを意識して声を掛ける。本棚の上部分は高さ2.5m程度の為、背の低い彼女では見上げるにも一苦労だろう。

 

 さてさて容姿は黒髪黒目、背丈はおよそ150cmに満たないだろう彼女は、大人びてはいるが小学生といったところか。意志の強そうな目元とカッチリした格好で硬質さを漂わせる彼女が、淡々と口を開く。

 

「推理かミステリー小説で、面白い本を探してるんです。怪人二十面相とかは読んだんですけど……」

 

 掘り下げていくと、有名どころ(「そして誰もいなくなった」など)は一通り摘んだらしい。

 聞けば彼女、出身は兵庫なのだが、先日から親の仕事の都合で東京に住み始めたという。父が職場でいい本屋がないか聞いたところ、ここを勧められて娘が来たそうだ。

 名も知らぬ誰かの推薦に感謝しつつ、話を進める。

 

「逆に、こういったものは避けたい、というのはありますか?」

 

「ああ、詰め込みすぎは好きじゃないです」

 

「詰め込みすぎ?」

 

「はい。嘘と分かってても現実味が無いと、イマイチ作品に没入出来なくて。例えば……推理モノなら『シャーロック・ホームズ』とか、ですね」

 

(…………ッ!?)

 

 後半の聞き慣れたフレーズに、一瞬だけだが顔が強張る。この場所で私にこんな思わせぶりな台詞……まさかこの娘、敵方のスタンド使い!?……気取られたのか、この店がッ!!?

 

 ……と思ったが、別段敵意は感じない。後ろに漂うホームズ御本人は彼女には見えてないみたいだし、何よりこの名探偵が一言も警告を発さない。興味深げに眺めているだけだ。静観で問題ないだろう。

 証拠に彼女、そのまま話を続けに来る。

 

「いやー、主人公ひとりで全て出来ちゃうのは、いくらなんでも設定盛り過ぎじゃないですか?もうちょっと控えめでもいいのに」

 

「な、なるほど……。『リアルな嘘』が見たい、という事ですね」

 

 非現実的って思う気持ちはわかる!凄いわかるけど実在するんです!なんなら今、貴女が喋ってる店員は玄孫です!コナン・ドイルは実はワトソン助手のゴーストライターだったんです!……とは言えない。

 

『ふむ。と言っても実話であるし、私など万能には程遠いのだがね』

 

 言ったって誰が信じるか、自分も未だに半信半疑なのに。彼については『自分の事をホームズだと思い込んでいる精神異常者』と評された方がまだしっくりくる。

 

 方向転換、とばかり今度は理想のキャラクターを訊ねてみた。すると。

 

「理想、ですか。難しいですね」

 

 彼女、眉間に皺を作ったのち。

 

「ああ、強いて言えば……自分の娘に『ありす』、とか名付けないような人です」

 

 重いの来ちゃった!しかも親友のお母さんがその名前!良かった美波さんが此処にいなくて!

 さりげなくユニットリーダーを危険物扱いしながらも、気を取り直してどうにか話を組み立てる。結構ややこしい子なのかも知れない。

 

「……失礼、えーっと……「あ、橘と申します」……有難う御座います。では……橘さんの下のお名前が『ありす』……という事なんですね?」

 

 無言の首肯を返される。戦国武将の(いみな)を呼んだら、こんな空気になるだろうか。

 繕ってコホン、とひとつ咳払い。どうにも彼女、自身の名前が好きではないようだ。

 流石に社会通念上、明らかに困るような名前──かつて耳目を集めた「悪魔くん」とか──ならフォローの仕様もないが、しかし文香には「ありす」と言う名は、到底卑俗なものには思えなかった。

 

「……あの、私は好きですよ、橘さんの名前」

 

「えっ」

 

 だから、思ったままを打ち明ける。繋げれば「橘ありす」。……うん、語感も響きも全然悪くないじゃないか。何を嫌悪することがあろう。

 

「……おそらくは英語圏の女性名、『Alice』が由来しているのではないか、と思うのですが……」

 

「あー、確か昔そんな事言ってました……」

 

 おお、良かった良かった。ならば糸口がみえてくる。あと少しだ。

 

「……アリスの語源は古い仏語、アンシャン・フランスにある『Adelais』、という言葉から成ります。元々の意は『高貴』。……決して、恥ずかしい名などではありませんよ」

 

 諭すように、穏やかに語り掛ける。脳内辞書から引っ張って来た言葉だが、古典知識も偶には役に立つものだ。読んでて良かった、語源集。

 

「……キラキラネームじゃ、ありませんか?」

 

「いいえ。貴人のように気高く誇り高くあれ、という意味も込めて、御両親が命名されたのかもしれませんね」

 

 ペット感覚でつけたとも思えない。容姿を見たって名前負けしていないし、そして何より話し進めるうちに段々と、少女の表情から険が取れてゆくのを感じる。

 

 来店時に見せていた険しい顔は、きっと緊張ゆえのものだったのだろう。今向けてくれる落ち着いた柔和な笑顔こそ、彼女生来のそれの筈。

 文香としてもお客様の自然な笑顔が見られれば、物売りとしてこれ程嬉しい事はない。

 

 それから数十分ばかりお勧めの書について話し込み、幾冊かを推薦。やがてどこか憑き物が落ちたような顔で、彼女は帰宅の途についていった。

 カランカラン。ベルの音と共に退店して行く少女の小さな背が見えなくなってから、高祖父がぽつりと呟く。

 

『……曇りは晴れたようだね、良かった良かった。誇るといい、君の智力の賜物だ』

 

「大した事はしていませんよ。聴く度量が、彼女に備わっていただけです」

 

 玄孫の謙遜に、探偵は思わずフ、と目を細め。

 

『しかしフミカ、君は幼女趣味だったのかね?その点はあまり関心しないな』

 

「……ニコチンパッチなら買ってあげようかと思いましたが、やっぱり無しにしておきます」

 

『すまないな我が愛しき玄孫よ。後生だから翻意してくれないか。今ならサービスでナチスが遺した金塊の在り処を教えよう』

 

 鮮やかな掌返しとは、なんだこの名探偵。台詞の後半は虚言だろうし。対し黒髪少女は幾分か溜飲を下げたのか、口角を上げ花の様に微笑んだ。

 

「駄目です」

 

 この一年後、まさか件の少女・橘ありすとユニットを組むことになるなんて、予想だにしないまま。

 

 




・イーリィ
中の人ネタ。

・涼宮星花
もう1人のストラド使い。実父は空条貞夫と一緒に演奏したこともある、世界的バイオリニスト。ボイスはまだ無い。

・宮本フレデリカ
フレンチフリーダムファッショニスタ。何やっても許される枠。のちに「オンナ高●純次」なる異名を獲得する。本作では鬱病にはならない模様。

・橘ありす
可能性の塊。ポケモンで例えるとイーブイ。最近、文香お勧めの本をタブレットの電子書籍で購入。「Alice or Guilty」がTVで流れるとチャンネルを変えるタイプ。


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022/ LiPPS

再開すんのに1年2ヶ月もかけたssがあるらしい(評価謝謝茄子)





「予選はこれで、一段落、っと…………」

 

 8月半ば、2014年度アイドルアルティメイト・第1回予選会場。

 帳の落ちた設営会場の裏側で、東方仗助はひとり胸をなで下ろす。

 自分が受け持ったユニット「ラウンズ」の4人が、目出度く予選を通過したからだ。しかも。

 

(……シード通過ってのは流石だな。今西()()が、4人とも強く推しただけはある)

 

 ただし。予選の様子をあの好々爺(こうこうや)はにこにこと眺めていただけだったが、仗助は内心気が気ではなかった。

 言わずもがな、スタンド覚醒に伴う一連の事件を知っていたためである。

 

(美波ちゃんは大丈夫と思ってたし、事実その通りだったけどよ)

 

 又姪にあたる美波については、場数から言って全く心配していなかった。何せ彼女、初めてのスタンド覚醒、並びに初戦闘は優に15年前。超常現象と付き合って来た年季が違う。

 体力は元より超人レベルの上、人前で何かを披露するのも全く臆さない。年相応に戸惑ったり迷ったりもするが、枢要な局面では必ず勝ちを収めている。

 まあ18年も空条承太郎の娘をやってれば、勝負事には強くて当たり前ではある。

 

 問題は飛鳥、志希、文香の3名……だったのだが、奇しくも皆その道の先達がくっついている。若人達のメンタルケアを仗助が務めるだけでなく、スタンド3人にもこっそりお願いしていたのが奏功したのか、パフォーマンスは現状出来る最高のものだった。

 書類を纏めて挨拶回りをしていた、そんな折。

 

「あれ?こんなとこでどーしたの、プロデューサーさん?」

 

 聞き覚えのある声に、振り向くと。

 

「……莉嘉ちゃん?」

 

 そこに居たのは、今年の3月まで担当していたアイドル……の、妹の姿だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 先月誕生日を迎え、12歳になったばかりの少女、城ヶ崎(じょうがさき)莉嘉(りか)。ツインテールの似合うこの快活な小学生を、仗助は約10年前から知っている。

 笑顔が姉にそっくりなこと、喧嘩する時もあるが基本はお姉ちゃん大好きな子であること、未満児の時にカブト虫用ゼリーを間違えて食べたこと、などなど。

 

「来てくれてたのか、ありがとな?」

 

「うん。よかったよ〜、新しいコ達!思わずあたし、ウルトラオレンジ6本も折っちゃった☆」

 

 使用済ペンライトをポーチから出してみせる彼女。来年中学生にやっと上がるという年頃なのに、既にジェルネイルにイヤーカフまで付けているのは、お洒落な姉の影響だろうか。

 

「そりゃあ良かった、アイツらにも伝えとくぜ。関係者席にいたのか?」

 

「うん。運営さんが『莉嘉チャンなら特別よ♡』って通してくれてね。ほら、あのオネエのスタッフさん」

 

「サンキュー。あとでお礼言っとくわ」

 

 言ってた拍子に。

 

「ところで、お姉ちゃんこっちこなかった?」

 

美嘉(みか)か?……いや、こっちじゃあ見てねーけど」

 

「あれれ、おっかしいな?んじゃラインしちゃうね!」

 

 とか言いながら彼女、取り出したスマホで通話。誕生祝いで買ってもらったばかりという最新機種には、姉と撮ったプリクラがカバーに貼ってある。程なくして。

 

「……おっ、来た来たお姉ちゃん!」

 

 言うが早いが莉嘉、大きな声を出して手招き。

 程無くして遠くからでも目立つ、綺麗な淡いピンク髪の少女が走り寄ってきた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「ゴメンねP、子守させちゃって。……ほーら莉嘉、帰るよ?」

 

 妹に続き現れたのは莉嘉の実姉、城ヶ崎美嘉(みか)。今年で高校二年生になるティーンエイジャーにして、昨年華々しくアイドルデビューを飾った少女でもある。

 仗助は彼女が子役モデルだった頃から面識があるため、もうじき知り合って10年程になるのだが。

 

「ねえねえ、お姉ちゃん」

 

 通話を切ってSNSを身始めたらしい妹が、姉のホットパンツを引っ張る。

 

「?」

 

「今ね、お姉ちゃんの名前をTwitterで検索してみたんだけどさ」

 

「うんうん」

 

「そしたら、この画像が出てきてね?」

 

 妹の装飾過多なスマホ画面に表示されたのは、先般撮影したばかりという姉のグラビア。今週号のヤンジャンだかの表紙を飾っていた筈だ。なんでもこの号だけ増刷がかかるくらいには好評だったとか。

 

「お、水着モデルのやつか。よく似合ってんな」

 

「ぇ、ぁ、……アリガト、P」

 

「応」

 

 横合いからのPの感想が、不意打ち気味だったのか。いつまで経っても初々しい姉の様子に、思わずおませな妹はニヤリ。()いのう愛いのうお姉ちゃん、と妹ながら微笑ましく思う。気分はお節介な仲人である。

 

「んっふっふ〜仲良いねえおふたりさん?」

 

「そりゃあ付き合い長いからな」

 

 飄々と返すP。彼の中では美嘉と接する時の感覚は、又姪の美波へのソレに近い。なにせ彼女が初めてのランドセルを嬉しそうに背負ってた時から知ってるのだ。莉嘉に至っては幼稚園に入る前から。気分は親戚のおっさんである。

 

「でねでね、『これは永久保存不可避、思わず致した』みたいなツイートが結構あるんだけど」

 

「はあああああ!?」

 

「うおぅ……」

 

 話の途中で美嘉が呆れる。見る間に顔が赤くなっていくのが、傍から見ていてよく分かった。感情の機微には敏い莉嘉だが、ネットスラングにはまだ疎いらしい。

 

「『致した』って何したの?主語が無くない?」

 

「莉嘉……ちょっと静かにして、お願い……」

 

 きょとん、とあどけない顔をした小学生の疑問。が、傍らの仗助、何も言えない。具体的に説明したらコンプライアンス違反だ。それ以前にセクハラか。

 内心で頭を抱えた色男だったが、数瞬考えたのち。

 

「莉嘉ちゃん、セーフサーチとブロック使おうか。な?」

 

 詳細な説明をするか否かは、各家庭の方針に任せることにした。あとは美嘉が自分の名前を不用意に検索しないよう釘を刺すくらいか。

 ちなみに346プロダクション、エゴサは非推奨である。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 それから数分後。「お姉ちゃん、あたし先に車乗ってるね☆」と言い残した莉嘉を尻目に、気力尽きたのかへなへなと座り込む姉。迎えの車が来ているとは言われたが、美嘉の仕事の委細までは知らない。仗助は今の彼女の専属Pではないのだから。

 

 ただ放置は出来ない。大人びているとはいえ、一応彼女はまだ16歳。遅くとも21時までには、親御さんの車にぶち込まなければならないのだ。

 そんな訳で、メンタルケアを臨時で請け負うことにした。

 

「あのよ、美嘉。嘘かホントかもわかんねェーようなネットの書き込みなんて……」

 

「……アタシ控えようかな、グラビア……」

 

 言った端からグスン、と涙目。派手な見た目の割にピュアな娘なのは、長年の付き合いでよく知っている。346プロでは楓と並び、お互いよく知る仲である。

 

「まあまあまあ。スパムかも知れねーしさ」

 

「…………プロデューサー」

 

「ん?」

 

「男のヒトって、皆そうなの?……プロデューサーも?」

 

 ……おいおい、こりゃ不味いか?芸歴も長いし男の劣情なんて仕事中はシャットアウトしてるだろう、と思っていた。

 がしかし彼女、仕事に対してはドのつく真面目だ。生真面目過ぎて割り切れないのか。

 

(「高校入ってから男子の視線が変わった」……とは去年言ってたなァ、そういや)

 

 実際、美嘉は此処1年で(莉嘉が)「お姉ちゃん最近は逆サバ読んでる」と評するくらいにスタイルが激変している。

「可愛い」という称賛には慣れているだろう。しかし矢鱈に色目で見られ始めた事は、思ったよりストレスなのかもしれない。

 

「……心配すんな、俺まで疑う必要ねェーっての」

 

「わっ、ちょっ……」

 

 そう言って、平仮名覚えたての頃から知っている女子高生の頭を撫でる。照れ隠しに雑に撫でてる……様にみせて、若干傷んでいた御髪にクレイジー・D。枝毛をゼロにし毛艶を与え、ハイブリーチと染髪のダメージを完全修復。

 しっかり手入れされてはいるが、この方が比べるまでもなく早く治る。全くもって医者泣かせのスタンドだ。

 

「野郎の目は惹いてナンボだ、タレントなんてな。『同性からも憧れられる様になりたい』、って去年言ってたよな?目指すのはそこで良い」

 

「…………うん」

 

「根詰めすぎてまた倒れんなよ?俺の気掛かりはそんだけだ」

 

「うん」

 

「キツかったら俺やちひろさんなりに言え。美嘉はストイックで視野も広いし、何より華がある。大丈夫だ」

 

 言い終わると同時に手を離す。……よし、ヘアスタイリングも元通り完璧だ。修復を知らぬは本人ばかりなり。

 

「今度またなんか奢っからよ、元気出せって」

 

 ところがこのギャル、唐突に降ってきた甘い言葉に言質を獲った、とばかり。

 

「……ホント!?なんでも?」

 

「流石に油田とかはムリだぜ?」

 

「もう。直ぐそーゆーこと言う」

 

「わりわり」

 

 油田。冗談めかして言ったこの言葉、実のところ嘘ではない。

 仗助はジョセフ(オヤジ)所有のテキサス州西部にある油田の一部を、数年前に生前贈与されている(ちなみに就職祝いだった)。当然ながら米国の戦略資源でもあるため、おいそれと人に譲れるものではない。だから「流石にムリ」と答えたのだ。

 

 もちろん美嘉はというと、一般常識に従ってジョークと捉えたらしく。

 

「……モノじゃなくて、記憶に残る方がいいな。……そうだ、今度のPのオフの日、1日頂戴!」

 

「え?……いや別にイイけど、それで良いのか?」

 

「ソレが良い。何して過ごすつもりだったの?」

 

「杜王町に帰る予定だったけど「着いてく」……まじ?」

 

「大マジ。大丈夫、ちゃんと変装するから!お願いっ!」

 

 パン、と両手を合わせての懇願。まだ歯も生え変わらない頃からよく知っている仲だけに、なおさら断り辛い。

 彼女の両親は……駄目とは言わないだろう。何せ娘の子守り役を10年近く務めていたため、無駄に信頼が蓄積されている。

 結局かつて志希に根負けしたみたいに、OKを出す以外なかった。

 

「やったー!仔細はまた連絡しよっか★」と付け加え、意気揚々と帰っていく彼女の足取りは、羽が生えたように軽い。去り際にウインクまで残していく始末だ。気の所為か、瞳の中に漆黒の炎みたいなものまで見えた気がする。

 

 其処で気付いた。

 

(……アレ?今の、もしかして嘘泣きか?)

 

 いつの間にそんなスキル身につけたんだ。狸寝入りもヘタだった癖にどうしたのか。

 昨年度まで城ヶ崎美嘉の担当Pであった人間なりに、思わず邪推。

 

(小悪魔路線?いや、キャラ変?)

 

 丁度5年前、自身もモデルから転身したばかりの頃にプロデュースする事になった彼女。

 しかし。若い頃はイカサマ上等の不良高校生、年経てからは正攻法と搦め手を併せ、片端から有利な契約を結んでいくPの寝技師振りと社交スキルを間近に見続けた事は、今日に至るまでの美嘉に強い影響を与えていた。曰く。

 

()()だけでは凡百のタレントと大差ない。()()()()()だけでは悪人と変わりない。ヒトを惹き付ける『カリスマ』とは、清濁併せ呑む『覚悟』を持ってこそ宿るッ!」────ジョースターの血族に10年もくっついて回っていた彼女は、いつの間にやらそんな矜持を有していたのだ。

 

 

(……まァいいか。10代なんて人生で一番よく変わる時期だ。俺もそうだったし)

 

 当然そんな事は露知らぬ仗助、自分なりに勝手に納得。撤収の合図を裏方にかけ、その足でラウンズ4人を迎えに行く。

 こうして後の「カリスマJK」誕生に、実は彼自身が知らないところで深く関わっていたのである。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「よーし、今日も一日頑張った!」

 

 茜射す、夕暮れの目黒区内。黄昏の街の中、下宿先に向け歩を進める私・空条美波は、人目がないので思わず大きな独り言。

 

 一昨日、IU予選を目出度く通過した私達は、8月末の本選出場の切符を手にした……だけでなく、Xデーまでの間は練習に加え、各々のスタンド能力を高めていく運びとなった。

 気付けば本選も迫ってきた日のこと。真夏のうだるような暑さの中でレッスンを終え、空条邸に帰ってきた私。だけども。

 

(……ん?)

 

 ……が、玄関におばあちゃんのペタンコ靴の他に、見慣れぬ靴が二足あるのを発見。片方は。

 

(ビルケンシュトック……? サンダル代わりにするには勿体ないわね。おじいちゃん帰ってきたのかしら?)

 

 クロックスに似たデザインの真新しい皮製のソレは、恐らく買って数日も経ってない。てっきり貞夫おじいちゃんのかと思ったけど。

 

(……いや違う、サイズ28.5cm……丈瑠の靴か!)

 

 本人を見なくても特定は容易だ。こんな大きい靴を履いて空条家に出入りする人は、弟含め()く僅か(因みにパパの靴は29cm)だから。「夏休みに入ったから上京する」と昨日連絡があった、そういえば。しかし。

 

(もう一足は……女物ね。アーニャちゃんのかな?)

 

 ビルケンの横に綺麗に並べて置いてあるのは、Noubel(ヌーヴェル)Voug(ヴォーグ)の新作ローヒール。(グレー)地に入った金色がアクセントになっている、キレイ目だけどカジュアルな一足。

 道産子の来襲を予期して、客間へ足を運んでみると。

 

「お、新田さんお早いおかえり。ついに事務所解雇されたん?」

 

「うるさい只今。……あれ、えーっと……?」

 

「こんにちは、お邪魔してます」

 

 阿呆な事を抜かす愚弟の横に、見知らぬ綺麗な女の子が座っていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「へえ〜っ、じゃあご近所さんなの?」

 

 流れで自己紹介を済ませたのち、我が祖母が彼女・速水奏ちゃんについてペラペラと語ってくれたところによると。

 

「そうなのそうなの、速水さんとこの娘さんなのよこの子〜♩」

 

 速水さん。同じ目黒区内に住む、料理上手で激シブイケメンボイスのおじさんだ。イタリア料理が得意らしい。でもって娘さんだけど、丈瑠とカフェで駄弁ってたついでに、帰りがてらウチに寄ったそう。

 

「区内会で母がいつもお世話になってます。以前から良くして頂いてるみたいで」

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

 ふふ、と薄く微笑みながらホリィおばあちゃんと親しげに話すのは、姿勢良く椅子に座ってハーブティーを飲んでる彼女。デコルテの覗くオフショルダーのサマーニットを着こなす様は、高校生らしからぬ色気に溢れていた。こんな子がいたらクラスの男子は目が肥えて大変だろう。

 

「こうして会うのは初めまして、ですね美波さん。丈瑠(コレ)から話は聞いてます」

 

 と言って、弟の頭を遠慮なしにべしべしはたく奏ちゃん。付き合ってるわけじゃあないみたいだけど、この愚弟はいつの間にこんな綺麗な娘さんを引っ掛けてきたのか。今度アーニャちゃんに仔細を全て伝えておこう、と思いつつ。

 

「なあ、俺ペットか何か?」

 

「そんな美波さんだなんて、タメでいいわよタメで。なんなら会話も今後タメで」

 

 ペットがなにか喋ってたけど置いておく。育ちは体育会系だけど、個人的には気安い方がウェルカムだ。証拠に飛鳥ちゃんも志希ちゃんもタメ口だし。

 ……え? 文香ちゃんは誰に対しても敬語じゃないか、って? アレは彼女の譲れぬ流儀。家族どころか父祖の宿敵にすら敬語で接する姿勢は最早突き抜けている。

 

 閑話休題。首を可愛く少しだけ傾けた少女は、両耳のドロップピアスを揺らして納得したように返答。

 

「そ、そうなの? なら遠慮なく。じゃあ……美波ちゃんでいいかしら?」

 

「美波で」

 

「流石にそれは……」

 

「ぜひぜひ!」

 

「み……美波」

 

「Exactly! 私は奏ちゃんて呼ばせてもらうわ!」

 

「やめい姉ぇ、思いっきりヒかれてんぞ」

 

「シャラップ」

 

「口が悪りィーなこの似非アイドル」

 

 横から茶々を入れてきた弟を、すかさずアイアンクローで抑える。じたばたしてるけど経験則で分かる。此奴、異常に打たれ強いのでこの程度ではノーダメージだ。

 

「……よ、よろしく」

 

「こちらこそ!」

 

 よし上手くできた。たぶんきっとパーフェクトコミュニケーション。若干ヒかれてるかも知れないけど気のせいだろう。

 

 さて。空条姉弟のバイオレンスシーンなんて、オムツも取れないだろう幼少期から見慣れているホリィおばあちゃんが、にこにこと嬉しそうに微笑む。

 

「やっぱり女の子が増えると違うわね。両手に華じゃない、タケル?」

 

「落ち着け婆ちゃん、こっちの茶髪はただのゴリラだ」

 

「表に出なさい。顔面叩っ壊すわよ」

 

 齢18のうら若き女子大生になんて口の利き方だ。お姉ちゃんが修正してやろう、有り難く思いなさい。

 

「あらあら、仲が良いのねえ」

 

「ホリィさん、これは違う気がするわ……」

 

 苦笑いの奏ちゃん、我が家特有のノリを段々分かってきてくれたみたいだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ひとしきり互いの趣味や嗜好について語り合ったのち、仕切り直し。

「ジャズスタジオに行ってくるわ、留守番よろしくね」と言い残したおばあちゃんが、車に乗って出て行ったためだ。今日はそのまま貞夫お祖父ちゃんとディナーと洒落込むらしい。歳いっても仲の良い夫婦なのは正直、理想の老後を見ているようでちょっと羨ましい。

 

 そんなわけで1人分空いた空気を、どこか変えるように丈瑠が呟く。

 

「んじゃあ奏、今日の本題本題」

 

 ところが問われた彼女、なにやら思い出したのか「あっ」という顔。どうも何か忘れてたみたいだった。

 

「……有難う、キミも偶には役に立つのね」

 

「扱い雑くない最近? 泣いていいか?」

 

「よしなさい。目薬()して泣いたフリするだけでしょ?」

 

「うん」

 

「そこは素直なのね……」

 

「いつでも素直だろう俺は」

 

天邪鬼(あまのじゃく)が服着て歩いてる男が?」

 

「やったぜ」

 

「褒めてないわよ」

 

 右手を掲げてガッツポーズしてる愚弟──ちなみにアーニャちゃん相手にもこんな調子だ──いつの間にやら奏ちゃんの尻にも敷かれていたようだ。

 さて。コホン、と息を整えた彼女の言葉に拠れば。

 

「……昨日、私がダーツバーで会ったコ、どう見ても目覚めかけでね。動物霊引っ張ってきてるのかと思ったけど、アタリみたいなの」

 

 案件は、やはりというべきかスタンド絡み。相次ぐ邂逅に気が気ではないのか、「連絡は取り合ってるけど、相談したくて」と骨子を述べ、真剣に語りかけてくれる美少女JK。

 BGMに音を刻むのは、壁掛け時計の秒針のみ。端正な面立ちも相まって、まるで映画のワンシーンのような絵になる光景だった。

 ……横で変顔をする丈瑠の姿が無ければ。

 

 首を90度くらい横に傾け、「トゥエエイ」と歯をむき出して笑う弟。真横を向いて察した奏ちゃんが、おバカ男子高生へ静かに詰め寄る。

 

「ど・う・し・て・色々ぶち壊すのよキミは!」

 

「出来心でつい……」

 

「ちょっとくらい我慢しなさい!」

 

 美少女に首根っこを掴まれてガタガタ揺らされる真顔の実弟。このふざけた性格はホリィおばあちゃん曰く、「若い時のパパに似たのかも」との事だ。

 

「あんまり怒るとシワが増えるぞ」、などと抜かす懲りない男の頬を引っ張って黙らせたのち、奏ちゃんは一度呼気を整える。

 どうも丈瑠(コレ)といるとキャラを崩されがちみたいで、照れ臭いのか耳が赤い。

 

「話、戻すわね。私が昨日会った、女の子の話なんだけど……」

 

 

 

 ★

 

 

 

 トスッ。トスッ。トスッ。

 

 速水奏が空条家を訪れる前日の、8月某日。東京都は吉祥寺某所に位置するダーツバー、「 Gold Crow」。

 此処にとある一人の少女が、先程から無言でゲームに興じていた。

 

 うなじが見えるほどのベリーショートヘアを揺らし、眼に黒曜石を湛える彼女。

 勢いのまま投げたブツがコルクボードに刺さる音が、店内の喧騒を掻き分けて耳に届く。薄暗い照明の中、水も飲まずにひたすら投擲。出来栄えに中々満足したところで、ふと我に返って少女はスマホを見返す。

 ……母親から怒涛の着信が入っていた。その数およそ20件。

 

(あー、めっちゃ鬼電来てる…………)

 

 綺麗に染め上げられた銀髪を、思わず手櫛でくしゃりと撫でる。

 華の女子高生が東京のダーツバーで1人、昼間からカウントアップの練習。生まれも育ちも京都の彼女が、だ。

 勿論、休日一人旅って訳じゃない。昨日、勢いで父親と喧嘩して実家の和菓子屋を飛び出し、手提げ一つと着の身着のまま、京都駅から新幹線で東京へ。今後の予定は未定も未定。住む場所どころか泊まるところも決まってない。

 

 そんなわけで、俗に言う家出少女。それが今の彼女こと、塩見(しおみ)周子(しゅうこ)のありのまま。

 昨日はネカフェに飛び込んでネットサーフィンし、途中コンビニで色気の無い替えの下着を購入。日付が変わったら暫く仮眠を取った後、コインシャワーを浴びて退店。モヤモヤを晴らしたくて向かった先が、このダーツバー。ただシングルで2時間投げっぱなしだったからか、いい加減店員からの視線がキツイ。

 

 そろそろ河岸を変えようかと思い立って、丸椅子から腰を浮かせたところ。

 

「わっ……!?」

 

 ぐらり。暫く肩から先だけ動かしてた所為か、急にふらっと立ちくらみ。ヤバい。舐めプして座り投げしてたのはマズったか。

 つんのめる身体が前によろめく。額とウッドの床が熱烈なキスをかますかと、思った矢先。

 

「……大丈夫? 貧血?」

 

()()()手に、後ろから肩を掴まれた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「あ、ありがとございま……す……!?」

 

 咄嗟に支えてもらったお礼を言おうと振り向いた周子は、声の主たる女の子を見て思わず魅入った……じゃなくて、驚いた。

 

(……え、アレ…………?)

 

 その()の背後に、一瞬だけヒトガタの幽霊みたいなモノが廻えた……気がしたから。

 

「どう致しまして。気をつけてね」

 

 メローイエローの瓶に色っぽく口を付ける彼女。金色の猛禽みたいな眼が、艶のある青髪によく映える。鎖骨にかからぬベリショの髪は、奇しくも二人して似通っていた。

 

(気の所為……かな……?)

 

 瞬きを二度、三度。ショートパンツにノースリーブというラフな格好のクールビューティがその間に、悠然と立ち去ろうとするのを。

 

「ちょっと待って?」

 

 思い余って、華奢な腕を掴んで引き留めていた。……普通に人肌の体温だ。さっきの()()()()ではない。

 

「?」

 

「助けてくれたお礼。お礼させて?」

 

「肩掴んだだけじゃない。いいわよ、悪いし」

 

 立ち去ろうとする美少女に、でもでもと追い縋る。気分はまるでナンパ師か女衒。流石に不審な目で見られているなと、自覚してると。

 

「…………私、これからダーツの練習予定なのよ。どうしても一泡吹かせなきゃならない奴がいてね」

 

 なんでも、こてんぱんに負けたので滅茶滅茶悔しかったらしい。超然としてる様に見えて負けず嫌いの気があるのかな? 相手は家族? 友達? 先輩後輩? …………あ、分かった。つまり。

 

「もしかして、男のコ?」

 

「あ、あのねぇ……!」

 

「リベンジマッチの練習なら付き合うよん。こう見えてもあたし、結構ダーツは玄人よ?」

 

 否定のそぶりを見せた彼女が目を丸くする。……うん。この子なら良いかもしれない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「勘当された!?」

 

「うん、実家の和菓子屋追い出されてねー」

 

「……えっと、これからどうするの?」

 

「なーんにも考えてない!」

 

「まじでヤバい奴じゃない……」

 

 ダーツをひとしきり終えたのち、クーリングがてら最寄りのスタバでティーブレイクを楽しむ女子2人。

 

 その片割れ、先程追いすがる銀髪少女にナンパ?されたJK・速水奏は絶句する。ヘビーな話をあっけらかんと話す少女には、悲壮感がまるでなかったからだ。心配なんて何もない、といわんばかり。

 

「心当たりとかないの?」

 

 大体、今後の生活とか学校とかどうするんだ。警察に捜索願だって出されてるのかもしれないのに。しかしこの家出少女、思い詰めた様子もまるでなく。

 

「さあ?下手やらかした覚えはないんだけど」

 

「なんかあるでしょ、なんか」

 

「うーん、売り物の八つ橋勝手に食べた……のはいつもやってるしノーカンか。店に置いてある信楽焼の狸、こっそりドラえもんカラーにリペイントしたのは2週間前だし……」

 

「やらかしてるじゃない」

 

「あ、もしかしてレジ横の福助人形にタイガーマスク縫い付けたことかな。どれだろ?」

 

「むしろ今迄よくお父さん怒らなかったわね」

 

 チラッと聞いただけでも余罪が多過ぎる。看板娘というより不良娘だろう。仕事はやってたみたいだけど、余計なこともしっかりやってたみたいだ。ただ本人が否定するので、他に理由を見繕うなら。

 

「そんな派手に髪染めたからじゃない?」

 

 聞いた限りではそれなりに伝統ある大店(おおだな)のようだ。娘が銀髪にしてピアス開けただけでも、結構うるさいんじゃなかろうか。

 

「えーひど〜い、私のこれ生まれつきだよん?」

 

「いや染めたてでしょうソレ」

 

「何故ばれたん」

 

「地毛が銀髪の日本人なんて見た事ないもの」

 

「そりゃあ、あたし京都人だし?」

 

「国じゃなくて自治体でしょ京都府は」

 

「やあん、(あね)さんいけずでありんす」

 

(くるわ)言葉が混じってるわよ」

 

 この人をおちょくったような口調、既視感を覚えると思ったらどこぞの茶髪男子高校生にそっくりだ。外面だけは一級品なのも共通している。

 

「んまあ、冗談は置いといてね?」

 

 抹茶ラテを一口啜った周子は、そこで一度奏の背後に視線を外し、また目を合わせた。

 それはまるで、金眼の奥に秘められた()()()を、探るように。()()()切り出す頃合いを、見計らうかのように。

 

「……原因があるとしたら、あの日かな」

 

「あの日?」

 

「うん。死に掛けた年寄り狐を看取ったの」

 

「まあ、可哀想に……。……ん、これ昔話の導入?」

 

「いやいや、今度は真面目な話だよん。伏見稲荷って神社あるでしょ?あそこにお詣りしてた途中で山道に迷い込んで、そこで見つけたの」

 

「それって俗に言う、『呼ばれた』ってやつじゃあ……というか、よく下山できたわね……」

 

「まあね。問題はその後、自力で何とか下山した日の夜。あたし、急に()()()()()()()ね」

 

 銀髪の彼女は、一度そこで言葉を区切った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 2日間、気持ち悪くて家から出られず。飯風呂寝るの他にやった事と言えば、神棚に病気平癒を祈るだけ。

 そして熱が引いて眼が覚めると、世界が変わっていたらしい。

 

 何が、かと言えば。

 

「『憑かれた』みたいなの。狐に」

 

 目配せ、一拍。周りの客には「見えて」ないだろうな、と確かめるような挙措。そして。

 

「なっ…………」

 

 ズアッッッ!!────奏が何が言い切る前に、言葉と共に。

 周子の背後に、半透明の巨大な『狐』が顕れる。然してその霊圧は、そこらに漂う地縛霊のソレではない。その霊格は、矮小な獣のものではない。

 それはきっと、己が魂を変質させた、力を持つ確かな幽体。

 

「ッ…………!」

 

 迎撃を考慮し自分のスタンドを出すことも忘れ、奏は思わず瞠目する。その黄金が己が背後を捉えているのを確認した周子はこの日、初めて大真面目に口火を切る。

 

「……古戦場跡が腐る程ある街で、()()()()()霊感があっても何の得もない。血塗れの落ち武者を四六時中見て平気な程、神経太くなれなくてね」

 

 金色の体毛、九本の尾に朱色の注連縄と隈取り。首元に九連の勾玉、口に巻物、赫赫(かくかく)と漲る深紅の眼。いっそ清々しいくらいにありがちな九尾の狐が、そこに居た。

 

「しかも京都って良くも悪くも、古風な考えの人が多くってさ。『娘が狐憑きなんて嫁の貰い手もないだろ』、って遠回しに言う輩はあたしの周りにもいる。……そんな訳で『お店に迷惑かかるから別居したい』、って言ったらお父さんと喧嘩になってね?」

 

 馬鹿みたいでしょ?精神医学が発達したこのご時世に。

 

 そう言って故郷を自嘲する彼女は、何処か寂しげに笑ってみせた。

 

「貴女、まさかッ…………!」

 

 今気付いた。さっきまでのやりとりは、ここに至るまでの前座。「速水奏」の人間性を推し量る為の、言葉遊びにして実地試験。

 ずっと、()()を切り出す機会を伺ってたのかッ!

 

「ねえ────」

 

 果たして、彼女から課されたテストは合格だったのだろうか。妖しげな光を帯びた黒いダイヤが、黄金の眼とかち合った。

 

 

「──────『視えてる』よね、奏ちゃん?」

 

 

 

 

 




・城ヶ崎莉嘉
まだアイドルにはなってない。ビッ●リマンシールの美品スーパーゼウスを36枚持っている。来夏、サティポロジアビートルの交配飼育に挑戦予定。

・城ヶ崎美嘉
カラオケなら徹夜でいける和食党ギャル系先輩アイドル。不用意に顔を触るとオラオラされる。最近「翔んで埼玉」を楓にオススメされた。

・塩見周子
上京組。美容室で思い切って髪と眉を染めた。マイダーツは20本以上所有。献血し過ぎで左肘の血管が太くなってきたため、控えようか思案中。


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023/ 未来への遺産

 ────「視えてる」よね、奏ちゃん?

 

 東京都・吉祥寺は某百貨店裏手に位置する、スターバックスコーヒーにて。併設された屋外テラス席で紅茶ラテを飲み干した奏は、利き手をポケットに突っ込んだまま、努めて静かに聞き返す。

 

「ええ、『視えてる』わよ、綺麗な毛並みの狐がね。で…………貴女、……()()で暴れたいの?」

 

 初めて目にする、獣のスタンド。如何にも俊敏そうな四つ脚が己を殺しにくるのなら……狙うはまず、首辺りか?上着に隠した右の掌が、嫌な汗を帯びた辺りで。

 

「なわけ。その気ならとっくに井の頭公園(イノコー)まで移動してるよ。あたし、別にムシャクシャしてるわけじゃないよん?……ただ『識りたい』って、それだけ」

 

 ここ吉祥寺から程近い、井の頭公園。干戈を交えるなら拓けた場所の在るあそこを選ぶ。そう言い切った彼女に成る程、敵意は感じない。

 澄んだ霊力で編まれた像は、彼女の背後から此方を凝視しているだけ。忠犬ならぬ忠狐?のようで、宿主の許可なく勝手な行動を採ってはこない。

 

(…………闘る気じゃあ、ないみたいね)

 

 唸り声ひとつ挙げない様子から、「暴走は抑止出来ている」と判断。当然、自分にも闘う気はない。害意なき腹積もりを示すように、周子の手をそっと掴む。冷え性なのか少し冷たい。

 突然の握手に驚いたのか、顔を上げた黒曜石と瞳がかち合う。肝心な事は相手の眼を見て、逸らさずに。

 

「……積極的だねぇ、奏ちゃん?気になる男のコ居るんでしょ?いーの?」

 

「こんな時に茶化すのやめなさい、今度は私から真面目な話よ。……ねえ、塩見さん」

 

 

 …………スタンドって、知ってるかしら?

 

 

 

 ★

 

 

 

「ま、概要としてはこんなところね」

 

 転換、のちマイターン。

 さて。そう言って、一頻りその女の子・塩見周子ちゃんとのあらましを話してくれた奏ちゃん。彼女の話を対面で伺っていた、私こと芸名・新田美波は強張った肩を軽く回して、彼女の話の続きを促す。すると。

 

「じゃあ美波、何か質問あるかしら?」

 

「いやいやいやいや、気になるのはその後よ。どうなったの奏ちゃん」

 

「お話しだけして流れ解散。今は彼女、1人にして欲しいみたいね」

 

 1人にしてほしい。……言葉通りに受け取るなら、強がっているように見えて、きっと本人の精神状態が安定してないのか。まあ無理もないだろう。親との不和、周囲との軋轢、突然のスタンド覚醒。フツーの女子高生には重い荷だ。

 今後の去就も心配になり、思わず控えめになった声で訊ねてみる。

 

「……その子、今何処にいるの?」

 

「快活ク◯ブ。回線早いし綺麗だし、完全個室でアイス食べ放題で最高だって」

 

「満喫してるじゃない」

 

「『フライドポテト運んでたバイトの女の子が可愛い』ってラインがさっき来たわ。ちなみに北条って名字だったみたいね」

 

「ちょっと」

 

「『今日は浅草寺行くよん』とも言ってたわ」

 

「今すぐ迎えに行く必要ある?」

 

 ネカフェ生活しながら東京観光の真っ最中らしいJK、本日は浅草巡りとシャレこんでるようだった。

 

「うーん、後でいいんじゃないかしら?」

 

 結論、慎重に行こう。暴走はしてないみたいだし、小梅ちゃんの時と違い、既に奏ちゃんが彼女に接触している。(まともな)スタンド使い同士でコンタクトが取れているなら、正直心配は要らない。

 

(……凄い勢いで周りにスタンド使いが増えてきてるのは、何かしらの作為めいたものすら感じるけどね……)

 

 まあ、魂の波長が人と異なるスタンド使いは、引かれ合う事が多々ある。……そんな訳で何かあれば、奏ちゃんにすぐ連絡を飛ばしてもらうよう伝達。「丈瑠も好きに使っていい」と言っておいたので一安心だ。

 

「一応、私からPさん(しりあい)に相談してみるわ」

 

「ありがとう。……ねえ、さっきからずっと静かだけど、キミはどうするの…………」

 

 言いかけて横を向いた、奏ちゃんの視線の先。

 そこには肘をつきながら額に手を翳し、真剣に何事か考え込んでいる…………フリをしながら寝ている我が弟がいた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 仕草が巧妙、かつ手が大きいからか、一見すると寝てるか分からない。手慣れている感があるので常習犯だろう。学校でもやってるなコレ。

 奏ちゃん、「はァ〜〜〜〜ッ」とため息ひとつ。うん、分かる。気持ちは凄い分かるよ。この子ね、新生児の時から寝てばっかりいたんだ。ママに「ちゃんと息してるのか不安になる」、って何度か言われた事があるくらいには寝坊助なんだ、うん。

 

「……ゴメンね、後で矯正しとくから」

 

「いいわよ慣れたし。……でもこの感じ、お姉さん的にはどうなの?」

 

「多分だけど話の序盤で寝てるわね。事後報告でいいでしょう」

 

「賛成」

 

「それより奏ちゃん、良かったら近場の銭湯行かない?」

 

「目黒の湯?良いわね行きましょう、なら一旦家からタオル取ってくるわ」

 

「決まりね。そうと決まれば……ほら丈瑠、女のコ連れてきて勝手に寝るもんじゃあないわよ、起きなさい」

 

 ゆさゆさ揺らす。……起きないな。かなり眠りが深いみたい。……この疲労具合、さては今日スタンド使ったな?()()は異常なレベルで燃費が悪い。何から何まで私のスタンド(ヴィーナス)と対極に位置するあの幽体、発現を維持するのに体力をかなり使った筈だ。

 拳打(ラッシュ)を叩き込んだら起きるだろうけど、近所迷惑になると嫌だしやめておこう。……私の腕力でも大して効かないし。

 

「……留守番、任せときましょう」

 

「え、でも……いいの?」

 

「良いのいいの。殺気を感じれば跳ね起きるから」

 

「番犬か何か?」

 

 というわけで弟に構わず、居間の明かりを落として玄関へ。視力6.0の男だから、起きたら暗闇でも別に問題ないだろう。

 

 ……でも奏ちゃん、玄関前まで来たところで「あ、忘れ物しちゃったわ」と言って一旦引き返した。反射で「いってらっしゃい」と言いつつも。

 

(……忘れ物なんて、あったっけ……?)

 

 内心、疑問に思った時。靴を履きながら待っている私の、強化された聴力が捉えてしまった。

 

「……今度はちゃんと起きてなさいよ?……もう」

 

 起こさないように配慮した、ひそやかな小声。

 ……ああ、忘れ物ってそういう事か。「優しい子だなあ、ゴメンね勝手に聞いちゃって」と思いながら、静かに玄関を出て外で待つ。

 しかし。程なくして出てきた彼女は何故か、こう……ほくそ笑むのを我慢してるような、そんな表情をしていた。どうかしたのかな、と思ったけど。

 

「お待たせ。ごめんなさいね」

 

「ううん。……それより奏ちゃん、明日あたり謝りに行かせていい?無理なら別の日に……」

 

「気にしてないわよ。今日一日、色々連れまわしたのは私だもの。……それに、()()()も置いてきたし」

 

「お土産?」

 

「ええ。別に大したものじゃないから、気兼ねしないで」

 

 含みを持たせてフフ、と艶やかに微笑む彼女、一体何を残してきたのだろう。……ペンで顔に何か描いた、とかかな?

 疑問に思いつつも奏ちゃん宅を経由しつつ、銭湯へと向かうことに。

 お風呂場で話したことは色々。お互いの家族、趣味嗜好、友人、将来の夢などなど。「姉弟で同じところにあるのね、この星痣(アザ)♪」と言われて首筋をなぞられ、ちょっと変な声が出たのはここだけの秘密。

 

 そして結局、寝坊助男が目覚めたのは翌日の朝のこと。眼を覚ますなり愚弟、青ざめた顔で慌てて奏ちゃんに電話。朝食も摂らずにシャワー洗顔歯磨きヒゲ剃りを済ませて速水家へすっ飛んで行ったのは、なんというか私の予想通りだった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

「お灸据えてもらったみたいね?ん?」

 

「ごめんっ!」

 

「とっくに許してるわよ。まさか昨日の今日でウチに来るとは思わなかったけどね」

 

 翌日。朝の速水家宅前で、少年が両手を合わせて平謝り。実姉に矯正されたのだろうか、頬に抓られた跡があった彼に対し、「じゃ、行きましょ」と奏が言おうとした矢先。

 

「あら、もう挨拶に来てくれたの?」

 

「うぇっ!?」

 

 妙な発声をした奏の後ろからひょっこり顔を出したのは、セミロングヘアの妙齢の美女。娘が髪を伸ばしたらこういう風になるかも、と思えるような若々しい外見であった。察するに母だろう。

 

「はじめまして、この娘の母です。ホリィさんから話は聴いてるわよ〜?お孫さんなのよね?」

 

「はい。此方こそ初めまして、空条丈瑠と申します。今日は朝早くからすみません」

 

「いいのよいいのよ〜♪……背、高いのね?モテるでしょう?」

 

「190有りますけどさっぱりですよ。……あ、いきなりですがこれ、広島土産なんですけど良かったら」

 

 差し出すは広島名物・もみじ饅頭。地元民にとっては道民の「白い恋人」、都民にとっての「東京ばなな」くらいメジャーなアイテムだ。

 

「まあありがとう、頂くわ。気が効くのねえ〜最近の子は」

 

「……ねえ、お母さん」

 

「なーに奏?……あ、もしかして拗ねてる?」

 

「仕事、行かなくていいの?」

 

「あらあら御免なさい、お邪魔しちゃったみたいね♪じゃあ丈瑠くん、お返しにこのコ持ってって?今ならラッピングもオマケしとくわ!」

 

「あのねえ!娘は贈答品じゃあないのよ!?」

 

「あら、良いの?お母様にそんな口きいて?夕飯時にエマニエル夫人を上映するわよ?」

 

「どういう脅迫よソレ……」

 

「あ、あはは……」

 

 かしましい親子の遣り取りだが、いかんせん突っ込めないので苦笑する他ない。膠着に痺れを切らしたらしい娘、辛抱ならんとばかり実力行使。

 

「もう!行くわよさっさと!」

 

「いってらっしゃ〜い!朝帰りでもいいわよ〜?」

 

「今日中に帰ります!」

 

 袖を引っ張って連行される、茶髪男子高生。役者はまだ母の方が上なのか、散々母親にからかわれた奏と、2人して外出することに。

 目下、目指すは最寄り駅。気取られぬように、歩調をそっと彼女に合わせて歩き出す。ここら辺は姉の躾けの賜物だ。

 

「…………全くもう、40にもなってみっともない……」

 

「いやいや、いいお母さんじゃん?」

 

「まあ、黙ってればね……?」

 

 怒ると三白眼になり、広島弁で喋り始めるウチの母親とは大違いだ、と丈瑠は黙考。アレは姉とは別ベクトルで怖い生き物だ。

 ……まあ怒らせると一番ヤバイのはダントツで父親だけどな、と思っていたその時。隣を歩く奏が、ふと何かを思い出したように問い掛けてきた。

 

「…………ねえ」

 

「んん?」

 

「すごい綺麗な子なのね、アーニャちゃんって」

 

 ガチャン!握力を喪失したかのように、思わず持っていたスマホを取り落す。慌てて拾い上げ平静を装う……のは流石に無理がある。案の定というべきか、訝しげな視線を彼女が向けてきた。

 

「……?……何慌ててるのよ?」

 

「ああいや、なんでもない。……姉ぇに聴いたのか?」

 

「ええ、昨日一緒に行った銭湯で聞いたのよ。いいわね、気の置けない幼馴染って。羨ましいわ」

 

 なんでもないように話す奏。……良かった。姉経由ってだけなら、彼女が皇女であるという秘匿情報は伝わっていないはずだ。

 

(吃驚した、アーニャの家系について知ってんのかと…………!)

 

 当然だが自分とて彼女、速水奏の事を全て知っているわけではない。すわロマノフ家の関係者か或いは敵か、と一瞬疑ってしまった。

 意表を突く発言は無自覚なのだろうが、彼女は時折ヒヤヒヤする事を言ってくるから怖い。上擦らないよう急いで声を整える。

 

「……何なら、今度会うか?」

 

「ホント!?じゃあ是非!」

 

「はいよ」

 

 さて、そうこう言ってる間に気付けば最寄駅に到着。問題は、それから何するかなんだけど。

 

「映画でも観に行く?奏好きでしょ?」

 

「そりゃあもう。話題作は軒並み視聴済よ、恋愛映画以外は」

 

 聞くと苦手、とのこと。そんな彼女の嗜好を受け、該当作品を上映していない小規模映画館に的を絞り、スマホで検索。果たして新宿区内にあるミニシアターが一件ヒットしたのだが、そのラインナップはというと。

 

「4作だ。ドラゴ◯ボールにデビ○マン、進◯の巨人にテ○フォーマーズ」

 

「あら、いいんじゃない?アニメばっかりだけど」

 

「ただし全部実写版」

 

「映画はやめて他のにしましょう。さ、代案探すわよ」

 

「はーい」

 

 至極まともな提案を掲げた奏に乗った少年。2人して、飛び入りでいけるマシなイベントはないかスマホでしばらく検索。駅のベンチで液晶と睨めっこしつつ、その中に。

 

「……あ、コレいいんじゃない?」

 

「なになに……東京アニマルハウス・本日プレオープン?……面白そうだな、行ってみっか」

 

「都内の新規開店・新規展まとめ」と銘打たれたサイトには、オープン日と開場時間に併せ、犬や猫の可愛げな写真が貼ってあった。

 

 ああでもないこうでもない、と言いながら意気揚々と電車に乗る2人。

 その背を「あれ?」と言う目で遠くから見ていた銀髪の狐目少女がいた事に、彼女はこの時気付かなかった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「なあ」

 

「なにかしら」

 

「何で全部剥製だったんだろうな」

 

「私が聞きたいわよ…………」

 

 数時間後。「カフェ・ドゥ・マゴ・トーキョー」との看板が立て掛けられた喫茶店にて、窓際席に突っ伏す男女が2人。行ってみたアニマル何ちゃらが思ってたのと180度違ったので、そのまま帰ってきて現在に至る。

 昨今の風潮に漏れず、全席禁煙の清澄な空気漂う店内。常用のトライバル形ピアスを左耳に付けた少年と共に反省会。なお議題は特に無い。

 

「結局、いつもみたいにぐだぐだ喋ってた方が面白いとはね」

 

「確かに」

 

「倦怠期のカップルってこんな感じなのかしら?」

 

「世知辛い事言うなよ……」

 

「娯楽があるのに無いって不思議なものね」

 

「探しに行くか?奏の行きたいとこでいいぜ?」

 

「……ううん。私にリードは向いてない。キミがエスコートしてくれた方が楽で良いわ」

 

 外れてもそれはそれで面白いし、と心で呟く。

 

「不向き、ってこたあ〜ねえと思うけどなあ?」

 

「私、リーダーって柄じゃあないもの。適任は精々が官房長官てとこよ」

 

「自己評価が滅茶苦茶高くない?」

 

「女なんて自惚れるくらいで丁度良いの」

 

 カラカラ、とアイスコーヒーに入った氷をマドラーで掻き回す彼女。無駄に色っぽいのはわざとなのか、無意識なのか分からない。

 しかし……自覚していなかった姉御肌と肝力を見込まれ、やがてユニットを組む度にリーダーばかり任せられる事になるのも、この時の奏はまだ知らない。

 

 閑話休題。遠回しにエスコートしろと言われたら、やらない訳にはいかないのが男子である。

 

「なら、財団いくか?」

 

「財団?」

 

「目黒のSPW財団支部。奏んちから徒歩15分」

 

「ほとんど帰宅ね。でもいいわ、折角だし行きましょう」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ……ところで、君のスタンドってどうなってるワケ?

 

 そんなこんなでやってきた、SPW財団日本支部。レストランから展望階、スパにビリヤードにバーまで併設されてる内部ビルにて、奏はふと思った疑問を訊ねてみた。今までものらりくらりと躱され、一度も目にする機会が無かったためだ。

 

 フロア12Fにあるアクアリウム。ゆらゆらと漂うクラゲを、ガラス越しに指でぺちぺちとつつきながら聞いてみる。すると。

 

「別にどうってこたあーねーぜ?ただ燃費が悪くてな。10分持てば良い方なんだ」

 

 ……面倒臭がってるな、この男。その台詞は前も聞いたぞ。

 

「あら、この期に及んで出し惜しみ?」

 

「疲れるからな、いざって時に格好つかねーだろ?」

 

「いつまで逃げ果せる気なの?それとも……自分のモノに自信が無いの?」

 

 挑発するかのような物言いで以って、誘う。言葉選びは偶々それっぽいだけだ、きっと。

 

「……おいおい、そこまで言うならホントに見るかい?びっくりするぜ?」

 

 煽ってみたら効果ありだったのか。膝の埃を払って立ち上がり、身を半身にする彼。その足元の影が、歪に歪んだかと思った、途端。

 

 ドン、と。はっきり視認できる程に、周囲の空気が重くなるのを感じた。

 

(……この濃い霊力……ホントに…………来る!?)

 

 可視化される程に強い、霊的な圧力。某死神代行バトル漫画のようなリアクションを思わず示す程には、己の魂が驚愕を表している。

 影響は外面にも。周子のそれに勝るとも劣らない、ピリピリとした空気を受けて肌が粟立つ。さっきまで自分に近寄ってきていた水槽内の魚達は、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ逃げてしまった。

 

 タイミングを同じくして、ガシャン!……と、傍らの採光レバーを降ろす音。下手人は目の前の彼だった。

 

「……ブラインド下げとくぜ?人以外の生き物に、この光は目の毒だ」

 

 真面目くさった顔をした彼が、「光」と述べた言葉通り。一瞬のちに、眩いばかりの光が爆ぜた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……おっし、具現化成功」

 

 使い手の声に合わせ、収束した光と共に現れたモノ。其れは一言で言えば────なんとも形容しがたい生き物だった。

 

 形は人型に……鳥の頭を被せたようだった。体格だけは筋骨隆々だが、全体的に黄色っぽい。トサカみたいに後ろにはねた黒髪に、飛び出してる上に妙に据わった目。くちばしみたいに尖った口。着ている衣類と言えば、真っ赤なふんどし1枚のみ。

 

 一行AAで表すと『彡(゚)(゚)』みたいな顔をしたソイツは、ザ・シンプソンズの家族写真に紛れていても違和感のない外見だった。

 おまけに頬杖をつきながら仰臥の姿勢で現れたまま、寝っ転がって尻を掻いている。だらしないことこの上ない。

 

「…………えっ?」

 

 思わず間延びした声が出る。そんなわけでこの邂逅は、全くもって感動的なものではなかった。

 

「……え……えーっと、名前はなんていうのかしら……?」

 

『名乗る程のもんやない』

 

「わっ喋った」

 

 宿主に振ったのに、スタンドの方が答えるのか。人面犬と出逢ったら、こんな感想を抱くのかもしれない。なんで広島弁もどきなのかは分からないが。

 

『なんや、ワイについて知りたいんか?お?』

 

「正直そこまでは」

 

『しゃーないなあ、スペックは都内タワマン85階住み、学歴は早稲田大学医学部卒の弁護士や。自動ドア付き水陸両用ランボルギーニに乗ってるやで』

 

「…………」

 

 前言撤回、うわあ、めんどくさ。奏の正直な感想はそれだった。自宅の玄関先にこれがやってきたら、黙って110番押すレベルだ。

 

「……ねえ」

 

「何です奏さん」

 

「なにコレ」

 

「俺のスタンド」

 

 スタンド?見るからにアホそうなコレが?いきなり自分語り(しかも全て虚言)をし始めるコレが?

 

『ちな交際人数は114514人、総資産は5000兆円。学校に入ってきたテロリストを素手で制圧したことが334回あるで。今は国際信州学院大学の大学院に在学中や』

 

「大学病院の間違いでしょう」

 

 意思を持ち、自らの隣に並び立つ力ある像。その言葉からしてスタンドとは本来もっとこう、オーラに溢れた存在の筈だ。実際、周子のやつは中々に格好良かった。

 だというのに、こんな目の腐ったナマケモノみたいなのがスタンドでいいのか。

 

『ちな贔屓は?ワイはもちろん赤ヘル一択や!』

 

 ……ちょっと黙ってたら、唐突に自分が話したいだろうことを話し始めた。こいつ自分語りと野球の話しか出来ないのか。

 

(でも赤ヘル……(カープ)推しか、そこは使い手と同じなのね)

 

 シカトも何なので、一応律儀に返してはおく。

 

「燕だけど」

 

『ファッ!?うせやろ?Bリーグ常連のヒエヒエ推しとか草不可避やわ。東京ならもっと強い球団あるやん、金欠投壊はヤクルトでも啜ってりゃええねん』

 

「は?」

 

 ほう。贔屓球団の話を振っておいてこの対応、喧嘩売ってると思っていいのか。

 しかも「東京ならもっと強い球団ある」だと?よりによってかの山吹色の金満軍団と比べたな?我が家は代々燕党だというのによくぞ吼えた。

 痴漢撃退用に習ってた護身術が、火を噴く時が来た様だ。

 

「……いい度胸ね、アナタ」

 

 煽りカス許すまじ。無言でスタンドの腕を掴んで引き寄せた奏、流れるように足払いをかけ、憎きアンチを引き倒す。うつ伏せに転がった黄色い生き物の背に伸し掛かり、速攻で両腕を伸ばし首を極める。この間、2秒掛かっていない。

 

『んほおおおおお!!!JKホールドしゅごいのおおお!!!』

 

「誰が弱小だって?何処が?」

 

『ちょ、アカン!もうアカン!本気であかんねん!お姉さんゆるして!なんでもしますから!』

 

「何が『もうアカン』よ!京都の女みたいなこと言ってんじゃあないわよ!!」

 

『ええんか!?ワイは上級国民やぞ!!?キャメルクラッチなんかキメたら背骨があああああ折れちゃうナリイイイイイイ!!!!』

 

 

 

 ☆

 

 

 

「大体わかった?」

 

「うん、まあ」

 

 5分後。

 スッキリした表情で手を払った彼女は、手短に感想を一言。

 のされたアホスタンドはというと、尻を突き出した格好でピクピクと痙攣している。単純に絵面が汚い。飼い主に黙って焼却炉に突っ込んでも、誰も文句は言わないだろう。

 

 使い手曰く、「喚ぶと勝手に動くタイプだから、ダメージがフィードバックしないのが救い」だそう。だが、取り敢えずスタンドという存在に対する幻想は砕け散った。

 

(…………でも、これだけ?そんなわけある?)

 

 この一癖も二癖もある男のスタンドが、フツーであるわけがない。何か隠し球を持っているだろう。ゆえに。

 

「実はなにかあるんでしょ?隠された技とかが」

 

「うーん、腹が減るとなんでもすぐ口に入れる癖があるな」

 

「赤ちゃん?」

 

「何故かきゅうりをやると喜ぶ」

 

「河童の赤ちゃん?」

 

 そもそも食事をするのか。黄ばんだ生命体にもう一度目をやると、今度は間の抜けたあくびをして虚空を眺めていた。何を考えているのだろう。まるで珍獣の生態観察をしている気分になる。

 

「じゃあ、武器とかはないの?」

 

「手首がめっちゃ柔らかい。すぐクルクルするぞ、ついでに態度も」

 

「ただの掌返しじゃない」

 

 おい、本当に良いとこないのか。

 

「……じ、実は働き者とか」

 

「コイツ喚ばなきゃ何時も寝てるぞ。偶にしか起きない」

 

「起きてる時は何してるのよ?」

 

「野球中継観ながらクソスレ立ててる」

 

「お祓い行ってきたら?」

 

「正直迷ってる、10年くらい」

 

 ロクなもんじゃない。こんなスタンドでどうして精神力消耗が激しいんだ。燃費悪すぎではないか。

 清廉潔白、高潔を体現したような姉のスタンドとここまで対極なのも珍しい。

 

 スタンドには本人の為人が現れるそう。息を吐くように雑な嘘をつき、隙あらば怠ける。この幽体、察するに。

 

「……キミの駄目なところを析出したのかしら?」

 

「ありがとう」

 

「褒めてないわよ」

 

『なあイッチ、ワイそろそろ解脱してええか?』

 

 横からなんか飛んできた。奏の仕掛けたプロレス技のダメージから、いつのまにか回復していたスタンドの声だ。気付けばふんどしの中からマスコットバットを取り出し、振り子打法で素振りをしていた。現界に飽きたのか、単に暇なのかは分からない。

 

「よし帰れ」

 

『おおきに。ほな、また……』

 

「あっ消えた」

 

 帰宅を命じられると、見る間に光の粒子になって消えていった。去り際だけは鮮やかだ。特に何もしてないし、なんの感銘も受けてないけど。プロレス技で締められたくらいか。

 

「……イッチって何?」

 

「発現して()()最初に見たのが俺の顔。だからイッチ」

 

「雛の刷り込み?」

 

「言い得て妙だな。人の名前は覚えないんだ、トリ頭だから」

 

 遠い目をする少年の背は、ちょっと煤けてる気がした。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 帰り支度を進めて、家路。街は既に、夜の帳が下りていた。流石に奏ママの言う通り朝帰り……と言うわけには行かない。

 さりとて真っ直ぐ帰宅するわけではなく、日の落ちた目黒の街を、敢えてゆっくり散策しながら帰途に着く。これで終わりかと思うとちょっと、名残惜しい。

 

(…………ああ、そうだ)

 

 郷愁に囚われる前に、言い残しておくことがあった。

 

「……そう言えば、言い忘れてたんだけど」

 

 去り際に残す言葉が、一つある。

 

「ん?」

 

「……キスマーク、首についてるわよ」

 

「えッ、嘘!?どこ!!?」

 

 予想通り慌てる彼。咄嗟にスマホを鏡代わりに確認しようとしているが、分かるはずもない。ソレもそのはずだ、付いてるのは丁度背中の()()あたりなのだから。

 

「……覚えが無ェーぞ、マジで……」

 

 茫然としている彼を、暫し()()()()()()眺める。下手人を知るのは彼女だけというのは、中々に愉快な状況だ。

 

(そりゃあそうでしょう。昨日のあの時、キミは寝てたもの)

 

 一日中、()()()()()()()一緒に歩いてるのだから、周りの反応が愉しくて堪らなかった。逆ナン除けにも丁度良い。嗜虐心を煽られるとはこういうことかと、朝からたっぷり味わった。

 

(……ヤダ、癖になりそうね、コレ)

 

 未知の愉悦感に脳幹がゾクゾクする。「()()()()、楽しんでくれたかしら?」とは言わない。真相を知っているのは自分1人だけ、というのが醍醐味なのだ。2、3日も経てば跡形もなく消えるし。ゆえに。

 

「嘘よ」

 

「嘘かい」

 

 故に、誰にも漏らさず私だけの秘密にする。

 

()()()()()()()()()()。……それじゃあまたね、今日愉しかったわ」

 

「俺も。んじゃあお疲れさん」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

 バタン。玄関を閉めると静かに部屋まで戻り、ベッドへダイブ。しばらく枕に顔を埋め、今日の回想。

 

(意外と可愛いとこあるのね、動転しちゃって。…………ふふっ♪)

 

 グロスを塗った艶やかな唇に指を添え、1人静かに微笑む。

 外国人モデルみたいな顔と身長に、アメフト選手並みの体躯。ついでに芸人染みた喋りの癖に、中身は高校生相応なところがあるのがいじましい。なんだか、今夜は捗りそうで堪らない。

 押してダメなら引くのではない。仕掛けて捉えて搦め獲る。ママだって、そうやってパパを婿養子に引き摺り込んだ。

 

(また遊びましょう?……今度は美波と、アーニャちゃんも一緒に)

 

 カーテンを開け、月光浴。妖しく煌めく三日月が、雲ひとつない星空によく映えていた。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 2日後。日本国は羽田空港・国際線ターミナルの時計台前にて。

 

 接続されたSPW財団のプライベートジェットから降り立ち、ファーストクラス通用口を経てVIPゲート。そこから前触れもなく、2人の男女が降り立ってやってきた。

 周りの旅行客が思わず眼をやってしまうほどに、有り体に言えばその御両人、どちらも常人には無いオーラを身に纏っていた。

 

「うわッ、やっぱ暑ッチイなぁ〜日本(ジャッポーネ)は。気温何度だァ、今日?」

 

 酷暑に耐えかねたのか、被っていたボルサリーノのハットを取った男性。体躯は180cm程度だろうか。薄手のナポリジャケットを引っ掛け、派手な虎柄Yシャツは第二ボタンまで全開。首にかけるは金のロザリオ、懐の膨らみは恐らく拳銃。

 ハイライトの伺えぬ鋭い眼光、そして纏う凄味からしても、間違いなく堅気の人間ではない。

 

「ネアポリスより若干高いくらいね。ただし湿度が段違い」

 

 もうひとかた、此方は桃色髪の女性。ルックスからして芸能人だろうか。サマードレスにサングラスという出で立ちの美女は、傍らに付き添う男に、澄んだエメラルドを向けて問う。

 

「暫く滞在するんだから、いざとなったら日本語ちゃぁーんと使うのよミスタ?頻出ワードは覚えた?」

 

「『小麦粉か何かだ』『俺のせいじゃない』『ドタマブチ抜くぞ』の3つだろ?覚えたぜ?」

 

「今すぐ忘れなさい、ってか今持ってる伊日辞書貸しなさい」

 

 事前に話を付けておいたセキュリティチェックを難なくスルーし、易々と武器の持ち込みに成功した事は、なんだか拍子抜けだった。性善説が前提になっているのは、この国がそれだけ平和な証左だろう。

 気怠げに渡された辞書をパラパラめくっていた女性、見る間に目尻を吊り上げる。

 

「ちょっと、なーに『四の五の言わず』の『四』にでっかく斜線引いてんのよ?慣用表現なんだからそのまま覚えればいいのよコレは!」

 

「イ・ヤ・だ・ね!大体なんで護衛の俺がここまで日本語の勉強しなくちゃあイケねェーんだ?喋れはすっけど書けねーよ、ムズカシーんだ漢字ってのは」

 

「うっさい。そもそも護衛できる事を光栄に思いなさい?この私のエスコート務められるなんて」

 

「アラサーが何カッコつけてんだ、そンなんだから行き遅れんの……って痛ッてぇ!ヒールで足踏むんじゃあねェーよ!」

 

 革靴の上から容赦なくハイヒールが刺さったので猛抗議。若いうちから大怪我の多い彼だが、死に掛けても毎度生き残ってるくらいにはタフなので、女性も遠慮がないのかもしれない。

 

「今日はチバのウラヤスに行くわよウラヤス、ナイトパレード見なきゃあいけないからね。分かったらサッサと来る」

 

「夜はシンバシの店でモツ煮(トリッパ)食うって決めてんだ、一人で行け」

 

「ジョルノにチクるわよ?任務放棄したって」

 

「メンドくせェなあこのアマ……」

 

「何がアマよ口悪いわね。ていうかあまり近くで喋らないで、ワキガが伝染るわ」

 

「伝染病じゃあねーよワキガはッ!」

 

 やいのやいの。でかいトランクにスーツケースを運ぶ彼と、ハンドバックを持った女性の歩みは尚も止まらない。

 

「4番窓口出たらSPW財団の車に乗るわ。環状4号線を抜けたら四ツ谷駅まで行くから付いてきなさい」

 

「嫌がらせだろテメー……!」

 

「冗談。でもお昼は4(クワトロ)・フォルマッジよ?」

 

「尚更行くかッ、やる事やったらトーキョー観光に繰り出すぜ俺はよ」

 

 観光に来てるのかイマイチよく分からないノリに閉口。半分遊びてえだけだろ、コイツ。

 ……にしても、だ。歴戦のスタンド使い・グイード=ミスタは思わず眼を細める。

 ブチャラティやナランチャ、アバッキオらを喪った、かの任務から既に10年以上の月日が流れた。先代ボスの血を引くこの娘は、己の出自など関係ないとばかり、歌で世界を魅了している。

 

 テキサス本部が壊滅してキナ臭いこの時期、ネアポリスに篭っていれば安全なものを、どうしてわざわざ外に出ようとするのだろうか。気になって、思わず。

 

「……なあ、トリッシュ」

 

「何よ?」

 

「これまでオファー受けても一度も行かなかったッてのに、今回は速攻で参加ってのは、一体どーいう風の吹きまわしだ?」

 

『お陰で「矢」も持ってきちまったし』、と呟く彼。そのハンドバッグの中には、ぐうぐう眠る一匹の亀……ココ・ジャンボの姿があった。

 

 そう、彼は護衛序でにネアポリス支部にダミーの矢を置き、亀のごと本物の矢を日本にこっそり持ってきたのだ。フーゴ等が守りを固める自分たちの拠点をもブラフにする奇策、実はミスタが発案者である。

 

 さて誰何された美女は免税店探しもそこそこ、両手を後ろ手に組みつつ、護衛の男を振り返る。

 

「そりゃあ当然。今回はあの『(オーガ)』、マイ・ヒダカが審査員に来るんでしょ?だったらこの私が出向かなきゃあ、格が釣り合わないじゃない?それに────」

 

 ────『悪』から子供を護るには、何かと人手が要るでしょう?

 

()()()で知ってるわよ、私。桃色の髪を揺らす世界的歌手・トリッシュ=ウナは、サングラスをしたままにこやかにそう答えた。

 

 

 時に、2014年の8月半ば。IU本選開幕まで、あと一週間に迫っていた。

 

 

 

 




・弟のスタンド
悪霊。

・グイード=ミスタ
長らく渋での解説が「ワキガ」だけだった男。スタンド名は人前でちょっと言いづらい。

・トリッシュ=ウナ
ワールドツアーを終えて帰国、そして直ぐ出国。ペリエ以外の水は飲まない。


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024/ プリンセス・プリンシプル

過去篇回想シーンからになります。(※このssはフィクションです。実在の人物とは一切関係ないので念の為)


 時に、1952年の初春。

 

 東京都は現在の町田市近郊に佇むとある邸宅、武相荘(ぶあいそう)

 近隣に八分咲きの桜舞うこの邸内で、如何にも高級そうな背広を着た二人の男が、ウイスキー片手に歓談と洒落込んでいた。

 双方ともに面立ちは掘り深く、背丈は180cmを超える。長い脚を時折組み替えてはいるが、よく見れば片方は日本人であるのに、ごく自然に英語で会話を行なっている。

 

 さて。その片割れ、英国仕込みの流暢なオックスブリッジ・アクセントでもって会話に応ずるは、かつて日本独立の道を開かんとGHQと暗闘を繰り広げた実業家にして、この家の家主たる男・白洲(しらす)次郎。彼の功績は先般──現在の経産省に連なる──通商産業省を立ち上げただけに留まらない。

 時の内閣総理大臣・吉田茂の懐刀でもあり、「白洲三百人力」とも渾名(あだな)される影響力を日本政財界に有するこの男と、サシで話せる外国人が誰かといえば。

 

「……成る程。父方の出自は英国貴族ということかね?」

 

 傍らに侍る、ロシア人と思わしき銀髪のメイドから酒瓶を受け取った白洲に対し。

 

「ああ。俺自身、今は連邦市民(アメリカ人)で住まいはNYだけどな」

 

 気っ風よく返すのは、背丈は190cm、いや2mに近いだろうかという偉丈夫だった。挙措動作からみて、手袋をした左腕の肘から先はどうやら義手。……が、だからといって常人より劣る気配なぞ微塵もない。

 彼自身の年表を紐解けば大学もロクに出ないどころか、喧嘩三昧だった経歴を持つアウトローだったくせしてその実、言動の端々にアカデミーの知識人でも出せないような知性を伺わせる。

 

「尤も、苗字は変わっちゃあいないがな」

 

 飄々とした顔つきのまま、堂々と義腕の中に隠し武器でも仕込んでいそうな佇まい。後に歳の離れた息子にも受け継がれる、洒落っ気と破天荒さを両立したこの男に。

 

「……だから、ジョセフ=『ジョースター』ということか」

 

 合点がいった様に、白洲は一言そう返した。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……しかし、何故このタイミングで我が国に投資を?」

 

 窓から射し込む西陽を背にした席に腰掛け、白洲は淡々と語る。家人の表情を読み辛くし、尚且つゲストに威圧感を与える座席配置は、無論全て計算づくである。

 

「……言ってはなんだが、今の日本は君達が焼け野原にしたおかげで、繊維業程度しかロクな産業が残っていないのだがね」

 

 かこん。庭園の鹿威しが鳴る音を皮切りに、皮肉交じりに返す日本人。一拍置いての鋭い舌鋒に、米国人は思わず苦笑。

 

「こりゃあ手厳しい、だがその通りだ」

 

 パン、と膝を打つジョセフ。元より彼の目の前にいるのは占領下、あのマッカーサーにも啖呵を切っていた男であるのだから、この程度の毒舌は織り込み済み。

 しかし一言二言で折れるほどジョセフもヤワではない。何よりジョースター家の中でも指折りの知能犯である。眼前の白洲と同じく、彼の思考も高速で回り始める。

 

「ところでよ、白洲」

 

 牽制がてら、喋りながら素早く思考。全盛期のジョセフは、かの究極生命体にも引けをとらない程に頭の回転が速い。後に世界有数の大富豪にまで上り詰めたのは、決してまぐれではないのだ。

 

(この男や吉田は過去、ウィロビーあたりと組んでGHQに紛れ込んだ共産シンパを叩き出した経歴がある。てことは見せ札は2つ。俺と組めば日本の赤化を抑止出来る点、そして我が社の「諜報網」に与れる点。この二つをチラつかせる事だ)

 

 占領者たるGHQ内部の勢力争いに付け込み、反共産主義……所謂「逆コース」路線を確固たるものにし、日本独立に成功した彼らの巧みな舵取り。その手腕をジョセフは買っている。

 ジョセフは別に政治家ではないし、他国の国益になど毛程の興味もない。しかし、ことビジネスとなれば非常に鼻が効く。その直感が訴えるのだ、「投資しろ」と。

 

(……コイツだけじゃねえ、部下共にも有能が混じってやがる。特に岸、池田、佐藤あたりはツバつけといて損はねェ筈。折しも朝鮮戦争の特需景気も相俟って、大戦でブッ壊れた供給能力も立て直されつつある。間違いなく『伸びる』な、この国は)

 

 彼の見立ては、正しく慧眼であった。後の安保改定、国民皆保険制定、固定相場制下による超円安保持なども伴い、日本は戦後、西ドイツと並び爆発的な経済成長を成し遂げる事となるからだ。

 ……今思えば、ジョセフはそこまで読んでいたのかも知れない。

 

「ちょっと聴きてぇーんだけどよ……」

 

 だからこそ此処では引かず、躊躇わず爆弾を投下する。

 

「……()()()()()忘れ形見は息災か?」

 

 流石に反応するだろう。……と思ったが、この誰何に彼は表情ひとつ変えず。

 

「すまないが、意味が分からん。ロマノフとはまた、えらくカビ臭い名前だが……滅びた皇家に御執心なのか、君は?」

 

 眉ひとつ動かさず、しゃあしゃあと知らぬふり。

 白洲次郎。ベントレーを乗り回し、王室御用達たるヘンリー・プールのスーツを着こなす、戦後日本生粋の教養人。スコッチとゴルフを愛し、鋭い弁舌は皮肉屋極まる。成る程「英国人以上に英国人らしい男」と、学友に評されただけはある。おまけに思ってもない毒まで吐く。木っ端役人やそこらのブン屋、政治屋如きではこのブラフ、見抜くことすら困難だろう。

 

(けっ、トんだ狸だなコイツは。一体何枚舌持ってんだか)

 

 ────だが、ジョセフ・ジョースターはそのどれでもない。

 

「トボけんなッてぇーの、『網』の話だ。子供もいるって話じゃあねーか。元気なんだろ、()殿()()?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……網、とね」

 

 網。姫殿下。飛び出した具体的なフレーズに、和製紳士は心の中でだけ目を細める。アレは旧帝国軍の最高秘密たる「軍機」指定。戦艦大和型クラスの秘匿情報を、何故この外国人が知っている?

 警戒度を引き上げねば。場合によっては実力行使も辞さない。判断した白洲のリアクションは迅速だった。

 

「ひとつ聞こうか。どこでソレを?」

 

「言うと思うか?白洲さんよ?」

 

「黙秘、か。ならば、次第によっては遺憾だが──」

 

 言いながら、自然な動作で左手を首元に添える。凝った首を揉み解す()()をしつつ、一気に思案。

 

(義手に武器を仕込んでいるようだが、吉田総理(ジイさん)に害を為すなら始末する。俺自身も、ただでは済まんだろうがな)

 

「──────()()()()()

 

 ザッッ…………!!あらかじめ定められた白洲のその符丁に応えるように、どこからともなくサイレンサー付のホロスコープがジョセフの身体を一斉に捉えた。屋外、天井、そして傍付きのロシアン・メイドらから放たれるその数、実に30近く。

 

「……オイオイ、えらくブッ飛んだ歓迎だな」

 

 突如差し向けられた剥き出しの殺意。しかし、不用意に身体を動かせば即座に蜂の巣になるだろう状況に直面しても、ジョセフは至って冷静沈着。

 それどころか、耳穴に指を突っ込んで面倒臭そうにぼやき始めた。

 

「暗殺企図とは穏やかじゃあないねェ。アンタまじでケンブリッジ大の卒業生かい?陸軍中野学校の間違いだろ?」

 

 正直言えば、コレではいくら波紋の天才と云えど分が悪い。だがもっと言えば、ジョセフには此処で事を荒だてる気は微塵もなかった。

 

「大丈夫だ、取って食うつもりじゃあねーよ。ボディチェックで銃は没収しただろ?」

 

「ああ。しかしこの距離ならば私が君を射殺するより、君の()()()()()()()が私を撃ち殺す方が早いだろう。書類を奪取し、27の銃口を掻い潜って逃げおおせるのも君なら可能だ。違うかね?」

 

 書類。GHQに閲覧・焚書される事を防ぐ為、邸内の地下に埋めて隠したロマノフ家関連の機密文書のことである。

 長台詞を言い終えてのち、間髪入れず己の背広の膨らみを、上から手で叩く白洲。自らも銃を持っている事を示すジャスチャーに、「お互い武装してるってワケかよ……」と苦笑したジョセフは。

 

「アンタこそ、()()()タイカフスに通信機仕込んでたのかい?怖い怖い」

 

「普段は付けていないよ。あくまで()()からの借り物さ」

 

 そう言って、一拍、二拍。しばし黙してお互いが睨み合う。引鉄がいつ動くか分からぬ緊張が交錯する中、果たして。

 

「…………本当に、闘る気はないようだね」

 

 言うが早いが白洲、左手でパチン、と指を弾く。同時にスコープが解除され、集っていた殺気も霧散する。客人を赤く照らした光線は、何事も無かったかのように消失。ジョセフの背後にいた屋敷仕えのロシアン・メイドは、深々と頭を下げて退室していった。彼女が向けていた銃口も、既に影も形もない。

 

「非礼を詫びるよ、ジョセフ=ジョースター。もし我々の不躾を許してくれるなら、暫しこの銃を君に預けよう」

 

 背広を開けて銃を取り出し、机に投げ出した白洲から提案されたのは、仕切り直し。分かりやすい腹の探り合いは此処までと、ハッキリ線をひいた格好だった。

 

「ハッ、結構結構。ンじゃあもう両手下ろすぜ?ソレとこのリボルバーは要らねえ。()()だろ、コレ?」

 

「御名答。……因みにだが、君の斜め後ろに居た彼女の銃も空砲だ」

 

「両方ブラフかよ、いい趣味してんなあ日本政府も」

 

「お互い様だろう。……それよりも、『機関』について、詳しいようだね?」

 

「まァーそこそこな。……組織創設はWW1の更に前。構成員は日本に帰化した元白系ロシア人が中心。そして、かの姫殿下の救出作戦は帝国陸軍・明石機関とMI6共同で行われた、って事くらいはな」

 

「…………明石元二郎の功績もご存知、か」

 

 そう、かつて両国の諜報機関が結託してアナスタシア皇女を助け出した、あれこそ日英同盟最良の時であった。なればこそ、その後の同盟の亀裂と廃絶が残念でならないと、白洲は思う。

 

「当然。なんたってその時に英国諜報部のオブザーバー扱いで、姫殿下を助けた人間が…………」

 

「君の御両親だった、だろう?」

 

「……これはこれは。中々よく知ってんねえ。アンタも侮れねえな」

 

 今度はジョセフが驚くフリ。此方も巧妙な仕草だが、これに引っかかるようでは外交は務まらない。

 

 実際に白洲、ブラフを全く意に介さない。英國で培った人脈と諜報網は、終生に至るまで彼の強力な武器であった。惜しむらくはアメリカやソ連に同じ程度のツテを持たなかったため、敗戦を抑止できなかったことくらいか。ゆえに。

 

「いいや、米国のインテリジェンスには劣るさ。情報で劣位にあったのは我々の敗因の一つだ」

 

 言いながらも、その目は全く笑っていない。元々どんな人間でも()()する気概のある白洲。外套の下に短剣を秘めて交渉を行う、英国仕込みの腹黒さは伊達ではない。ポーカーフェイスを維持したまま、尚も思案。

 

(この男、大戦時の日英敵対時にすら秘匿されていた最重要機密に詳しいばかりか、救助に自身の血縁者が関わっていた事も承知の上か。核心的情報を持たぬなら体良く使い潰す算段でいたが、どうやら変更せざるを得んな)

 

 侮りがたし、むしろ強敵。判断した上でプランAがだめならB。柔軟に次案に移行できるくらいには、彼の手腕は鈍くない。

 喋らせてみるか、と先を促そうとしたところで。

 

「……ンで、俺に一個提案があるんだけどよ」

 

「何かね?」

 

 思考の僅かな間隙を狙い澄ました一撃に、刹那で対応して了承。機を得たとばかり口火を切ったジョセフから、次いで。

 

「『この国は英米のような大国にはなれはしない。精々が金庫番、要するに東洋のスイスを目指すが関の山』。そう(のたま)う連中がいるが、俺ァーそうは思わねぇ」

 

 鋭い言葉が、飛んできた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……ほう」

 

 奇しくも先般の国会で、社会党の経済音痴共が吠えていた台詞を言下に否定するジョセフ。白洲の仲間内では一番の経済通たる池田勇人と全く同じ事を述べた彼に、心中で思わず瞠目する。

 

「……理由をお聞かせ、願えるかな?」

 

「ああ。日本て国はまず国土が狭ェ。山ばっかりのくせにめぼしい鉱山も油田もねえ。おまけに年がら年中天災だらけだ。しかし……」

 

 供されたウヰスキーを、一息で飲み干したジョセフは語る。喉を灼くような高い度数は、気付にも丁度良い。

 

「その僻地にへばりついてる人間の質が高い。断言しよーか? 俺に言わせりゃあ、いずれこの国は人的資源を中心に、アジアで最も地価の高いエリアになる。コイツぁつまり……先物買い、ってやつさ」

 

 そう答えた、先程と打って変わって開けっぴろげなジョセフの態度も加味し、白洲は一旦返答を保留。努めて慎重に切り返す。

 

「……酔狂だね。戦火で焼け出され、瘦せぎすで襤褸(ボロ)を纏った黄色人種。資源もない債務国家で、ナチスに与した世界の敵。そんな国家の土地を買うと?」

 

 借金塗れのしみったれた国。何せ、未だに日露戦争時の債務だって完済していないのだ。ところがコレを聞いたジョセフ、逆に眉を顰めて抗弁。

 

「ハッ、くっだらねーな。ロックフェラーだってロスチャイルドだって、戦時は両陣営に武器売り捌いて大儲けしてんだ。商人にとっちゃあ信用できる奴こそが神様だ、人種や国籍なんざどォーでもいい。……なあ、シラス……」

 

「……俺は今日、金儲けの話をしに来たんだぜ?」。ユダヤ系財閥の金儲けを引き合いに出すジョセフの眼に、迷いは全く伺えなかった。これは取引だ。そう言いたいのか。

 

(……成る程、確かに外資ではあるが、(ソビエト)側に土地を買われるより余程まし。今の日本が背に腹は代えられん貧乏国家なのは事実。赤化抑止のためにも、外貨(ドル)獲得や雇用確保は不可欠だ)

 

 しかも今回、わざわざ民間商社経由ではなく、白洲がケンブリッジ大学に通っていた時の学友から連絡先を入手、その足で日本に出向いて話をつけにくる辺り、まだるっこしいのを好まないタチらしい。

 

(戦争で貧困化し、スパイ防止法をGHQに廃止された今の日本に欲しいのは経済力と諜報力。仮に日本が赤化し、ソ連の影響下に入れば……今度こそ、ロマノフ一家は惨殺されるだろう。半島情勢を鑑みれば、次は日本が米ソ代理戦争の舞台になるやも知れん。そしてこの男……それらを()()()()話を持ちかけている)

 

 トップダウンで、機を見るに敏。こういうタイプは間違いなく出世することを、白洲は長年の経験則から知っていた。

「上に話をあげるので、一旦お待ち頂きたい」なんて悠長な事は言わない。そんな返事が出来るのは平時の組織だけだ。

 

「一括ドル建て確約ならば、呑もう」

 

 この場で即決。交渉は総理に委任されているが、念の為吉田茂(ジイさん)に系累が及ばないよう話を進めた。あとは相手次第だ。

 密かに腹を括った男の眼を見た、NYのジョジョはというと。

 

「成立だな。実はある程度の内見は済ましてあんだ」

 

 人を食ったような笑顔で、そう言い切った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 一瞬呆れた白洲だが、咳払いを一つして調子を整える。

 

「……結構なことだが、納税だけは正しく頼む。国税のガサ入れはゴメンだろう?」

 

「あたぼうよ。その代わり、将来土地買い戻したかったらそん時は弾んでくれよな?」

 

「適正価格で取り合おう。場所にもよるがな」

 

 首肯した白洲を見るなり、新人気鋭の不動産業者、ジョセフ・ジョースターは脳内で算盤を弾く。机に広げられた日本地図の一部を睨み、目星をつけていた用地を指差す。

 

「んじゃあ、とりあえずはこのヒロシマ市とコウベ市、トウキョウのメグロ区。買値は…………コレでどうだ?」

 

 提示した金額は、十分に足るものだった。

 

「…………成る程」

 

 皇居等のある千代田区は当然NG。ソレを受け返した言葉は。

 

「良いだろう」

 

 了承だった。

 この時、まるで地価上昇は当然とばかりの姿勢を見せたジョセフだが、それもむべなるかな。後にこの先行投資は見事的中、彼の購入した土地の地価は合計100倍以上に跳ね上がることとなるのは、この約半四世紀後の話。

 

 さて商談がまとまったこともあり、ビジネスライクな雑談もそこそこに屋敷を退出。ジョセフがレンタカーのガルウイングに手を掛け、車内に滑り込んだその時。

 

「ところで……さっき退室していった、ロシア人の少女が居ただろう?」

 

「ああ、さっきの銀髪の娘か。アレか、養子か?」

 

 唐突な白洲の呟きに、返事を返すと。

 

「いいや、今日だけ特別にお越し頂いた。彼女が正真正銘アナスタシア殿下の御息女、クラリーサ・ニコラエヴァ・ロマノヴァ殿下だ」

 

「……はッ!?マジかよッッ!?オメーもっと早く言えよンなこたぁーよ!!」

 

「聞かれなかったからな」

 

 やいのやいのと言いつつも、車に乗り込んだジョセフの視界の隅に、銀のトレーを両手に抱えてぺこり、と一礼する、メイド服を着た糸目の少女が映る。

 エンジン音で声は聞こえないが、「ありがとうございました」と言っているように見えた。ルビーをあしらっているのだろうか、胸元に付けられた真紅のペンダントが、陽光に照らされて煌めいた。

 

「……そういや…………俺も昔ぶら下げてたなァ、赤石」

 

 カーズとの闘いで破壊された、あの見事な赤石を回想する。確か四つに砕けて文字通り四散してしまったのだけれど、今は何処にあるのだろうか。

 

「……ま、いいか」

 

 ハンドルに手を掛け車を進めると、ガタガタと音がする。舗装が未熟な凸凹の道路事情が、まだまだ此処が復興途中の国であることを思わせた。

 

 彼が手塩にかけて育てた娘を日本人に貰われて地団駄を踏むのも、そう遠くない。そんなある日の話であった。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 

 時は流れ、2014年8月下旬。兵庫県神戸市某所に位置する、とあるロシア正教会にて。

 

「父と、子と、精霊の名において────」

 

 皺一つない修道服を着た敬虔なる神の信徒が、両手を合わせ頭を垂れ、主へ祈りを捧げていた。豪奢なカトリック系教会の煌びやかさに負けぬ真摯な礼拝は、見るものの心を魅了してやまない事だろう。

 ステンドグラスを背にする歳若い彼女は、その見事な金糸をローブに覆い、碧眼を糸目に隠して十字架を握る。

 

 さて。磔にされし神の子に願いを乞う人々は、今や俗世にきりが無い。世界平和、疫病の収束、紛争の根絶。卑俗なものなら億万長者や酒池肉林。ソレらとは一切無縁の清廉さを持った彼女が、日課を終えて立ち上がったところで。

 

「────礼拝中のところ、失礼します。クラリス」

 

 いつの間にやら教会入り口から歩みを進めてきた少女に、ふと修道女は声を掛けられた。『クラリス』────言わずもがなこの金髪糸目シスターの愛称であり、今や()()より呼ばれる機会の多い呼称である。

(無意識に)足音を消してやってきた少女。その歩法で以って距離を殺した彼女の方を振り向いた、クラリスは。

 

「…………姫様、いつの間に……」

 

 銀髪碧眼を湛える少女、「姫様」ことアナスタシアに向かって、珍しく糸目を開いてそう呟いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『裏手のお菓子屋(モロゾフ)から来たんです』、と言い、銀糸の髪をなびかせる麗しい少女の台詞もそっちのけ。

 突然の()()来訪に、クラリスは立ち上がって膝のホコリを払う。慣れ親しんだ覇気ある御姿は、まさしく神の現し身。掲げて崇めてもおかしくない程の玉体に向け、汚れなど一切感じさせぬ笑みを振りまき。

 

「本日はどういった御用向きで?ご寄付ならいつでも承りますよ、姫様」

 

 ……汚れを感じさせぬ、営業スマイルを振りまいた。返しを受けたアナスタシア、ちょっと頬がビクついている。まさかどアタマからンなこと言うとは……って感じだ。

 

「台無しですよ、もうちょっとキャラ作ってください」

 

「殿下の前で取り繕っても今更でしょう。……それで、本日は何を懺悔しに来られたのですか?」

 

 とりも直さず破顔し次へ。

 懺悔。こう述べたのもむべなるかな。クラリスから見て五つ下のこの姫君は、幼少期からスタンドの暴走や波紋の練り込みすぎなどで、色々と身の回りのものをぶっ壊し、懺悔に赴くことが多々あったのだ。

 

 幼い頃はドアノブやシャーペンを片手で圧壊させたことに始まり、波紋疾走の修行中に舗装道路のアスファルトを粉々にしたことも。可動中の洗濯機や冷蔵庫に手を突っ込んだ経験もある(アーニャは無傷、逆に機械が壊れた)。

 のだけれど。

 

「今日はノー懺悔デーです、何も破壊してませんから」

 

「成長したんですね、姫様!クラリスは嬉しいです!」

 

 思わず駆け寄ってハグをする侍従。丸一日何も壊していない。これはもしや新記録更新ではないだろうか。偏見込みで褒めてみたが。

 

「何か複雑です、その褒められ方……」

 

「えらいじゃないですか!あの壊し屋がよくもまあ……」

 

 思い起こせば周りの女の子がプリキュアに夢中になってる間、道端のマンホールを取り外してキャプテン・アメリカごっこをしてたのはアーニャくらいのものだろう。そのせいで(アーニャパパが)神戸市役所の水道課に平謝りしていた頃を思えば、なんと大した進歩だ。

「クラリス、胸を顔に押し付けられると上手く喋れなモガモガ」とか姫様が言ってるけどスルー。敬意の割に姫殿下への扱いが雑であった。

 

「ぶはっ……。ソレよりクラリス、いい加減に敬語はやめて下さい。私の背中が痒くなります」

 

 彼我の胸元から距離を取ったアナスタシアが、上目遣いに御要望。たまたま厚底履いてて良かった、と思うクラリス、主君が可愛いので思わず。

 

「痒いだなんて姫様、まさか水虫にかかるなんておいたわしい……」

 

「……ネビュラ・スカ「殿下、私めが悪うございました」……そう」

 

 よよよ、と態とらしい泣き真似をしたら、物理攻撃が飛んできそうだったのでやめた。コマンドサンボを使う俊敏な精神体に暴れられたら、教会が壊れるは必定。地下に在るロマノフ家伝来の秘蔵品が一個でも傷付いたら、モロゾフ爺やの頭皮がヴィーナス・シンドロームしてしまう。

 そんなわけで、タメ口指令に関しては。

 

「ただし敬称を略すなぞ、たとえ主命とて呑めません。このクラリス、礼節を欠く不忠者に堕すつもりは御座いません」

 

「特製ミルクロック作ってきたんですが、要らないんですね?」

 

「アーニャ髪サラサラで超カワイイ〜!トリートメント変えたでしょ!?」

 

 割と柔軟だった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「お菓子もカワイイしアーニャもカワイイ!てかアーニャって名前がもう可愛い〜♪」

 

「そりゃあそうでしょう、私達の事を考えて付けてくれたんですもの」

 

 華麗にスルーしたアナスタシアだが、彼女がそう言うのにも訳がある。

 

 アーニャ。この愛称がのちに美波達もそう呼ぶ程に定着するまでには、実はいくつかの経緯を経ている。

 そもそもロシア語で「アナスタシア」という名の愛称・短縮形は、本来は「ナスチャ」あたりが適当だ。「アーニャ」は日本人である母親がつけてくれたあだ名である。

 

「畏れ多くも、我等が父祖の代より仕える君主の名を呼び捨てには出来ません」。────躊躇わずそう言い切ったクラリスの要望にも応え、なおかつ「尊敬するひいお祖母様と区別する名が欲しいです」と述べたアーニャの要望にも応えた、適当に聴こえる割に愛情のこもったニックネームだったりする。

 

 閑話休題。

 伝達事項があるんですよ、クラリス。そう述べたアーニャが続けるのは、一転して真面目な話だった。

 

「決戦が近いです。具体的には5日後」

 

「…………IU本選会場で、ですか?相手が世を壊乱し人を殺める悪魔なら、断罪も吝かではありませんが……」

 

「流石クラリスです。しかし場合によっては私達も、ヴァルハラに召される事を勘定に入れねばなりませんが……どうしますか?クラリスは?……辞退するなら、今がラストチャンスです」

 

「お戯れを。義に殉ずる覚悟なら、生まれた時から出来ております」

 

「………………有難う。……では、ささやかですが」

 

 と言ってアーニャ、おもむろに傍らのクーラーボックスからボトルを取り出した。容量720mlのそれは、所謂神の血と形容して差し支えないもので。

 

「127年モノの貴腐ワインで乾杯を。前祝いにこれほどの酒はないでしょう」

 

「……我等の父祖が助け出された年、ですか」

 

「ええ。というか口調戻ってますよ」

 

「我に返りましたので」

 

「成る程、では気を取り直して開封といきましょう」

 

 ピシュン。やおら手刀で飲み口を鮮やかに叩き割った銀髪美少女は、スタンドにそれを持たせると、ワイングラスに注がせ始めた。

 

「………………ひ、姫様?」

 

 カラン、と転がるコルクだったもの。刹那の出来事に、唖然。……飲む気だろうか。飲む気なんだろうな。半ば色々と諦めてる忠臣は、黙ってこめかみを指でほぐす。

 

(……いや、突っ込まない突っ込まない。動転してはなりません、私は祈りのシスター・クラリス。君主がちょっとヤバくても、見て見ぬ振りするくらいなんでもないはずです。アレは命の水、命の水だからセーフ……)

 

 現実逃避ついでに、思わず胸元のルビーブローチを握り締める。ピジョンブラッドの輝きを放つ24カラットは、実はかの初代アナスタシア姫殿下が、イパチェフ館脱出時に身に付けていたものである。

 幼い頃にアーニャの祖母からプレゼントされて以来、殆ど肌身離さず付けているそれは、最早一心同体と言っても良い。

 

 葛藤している間にも、トポトポトポトポ、と真紅の液体がグラスに注がれる。広がる芳醇な香りは、およそ一世紀以上にわたる歴史の醸し出したもの。それを軽くテイスティングし、ごく自然な動作でスタンドに飲ませようとし……。

 

「やっぱり飲酒はダメです!神も見ておられますよ!」

 

 ……飲ませようとしていたアーニャを、神の使徒は止めた。ところが試飲を遮られたロシアンハーフ、眉をへの字にして抗議。父親譲りの極めて高いアルコール分解能力を持つ(らしい)彼女は、(承太郎曰く)『スピリタスでも平気で飲めるポテンシャルがある』とされている。

 

「神は見てるだけで肝心な時に助けに来ないじゃないですか、他力本願はダメですよクラリス」

 

「神を試すような事を仰ってはなりません」

 

「今日は日曜です。神様だって寝てますよ」

 

「姫様!教会でなんて事を!」

 

「まあまあ、神の血でも飲んで俗世のことは忘れましょう。気分だけでも天国に行けますよ?」

 

「要りません!ていうかなんか嫌ですその言い方!」

 

「大丈夫、これもボランティアの一環です」

 

「アルハラです!御当主様に言いつけますよ!?」」

 

『クラリス』こと本名、Клари́са(クラリーサ)Морозов(モロゾフ)は、安息日でも気苦労が絶えない少女であった。

 

 




・白洲次郎
風の男。

・銀髪メイドさん(クラリーサ・ニコラエヴァ・ロマノヴァ)
アーニャの祖母。胸元に下げていたペンダントは母から譲り受けたもの。後に孫の忠臣にして同名の少女・クラリスに手渡すことに。魔改造したミニスカメイド服もプレゼントしたが、そっちは未だ着ていない。

・クラリス(クラリーサ・モロゾフ)
モロゾフ爺やの孫にして19歳の大学生。教会の修繕費を賄うため、YouTubeに聖歌独唱動画を投稿したらバズりまくって一躍有名に。有り余る寄進と広告収入を引っさげ、他所の寂れた教会を修復する聖女でもある。


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025/ 請い風

楓過去篇エピ、本篇前日譚。


「話すだけだしいいだろ、な?な?」

 

「い、いいえ結構です……」

 

 ────時に、今より5年前、西暦は2009年の4月冒頭。

 神奈川県横浜市、港北区は日吉某所に位置する、とある居酒屋にて。

 

(…………どうしましょう、この人全然退いてくれない……)

 

 店内のカウンター席に楚々として腰掛けていた少女・高垣楓は、心中でそう独りごちる。この春一人暮らしを始めたばかりの大学1年生である彼女は、キャンパス近くのこの店で一人飯……と洒落込んでいたのだが。

 

(……ランチが安いからって、一人で来るんじゃあありませんでした……)

 

 相席屋でもないのに、顔を見るなり隣の席に座ってきた男に酒を奢られたのがついさっき。まだ未成年だからと丁重に断ったはいいものの、引き下がらずにナンパをされている始末なのだ。

 

 普通、飲み屋は友人知人と来るところ。だが折しもまだ、大学の入学式は行われていない。外部生たる彼女では、学内に人脈もない。

 加えてガラケー全盛期の2009年では、入学前にSNSでグループを作成するなんて出来るはずもなく。よって地方からの進学組である彼女は入学までの数日間、食事は自炊orぼっち飯と相場は決まっていたのである。

 

「未成年って言っても大学生でしょ〜?新歓で酒飲むなんてフツーだって!付き合い悪いと大人になれないよ?」

 

 思案する間も、構わずお喋りする男に辟易(へきえき)。躱そうとするも、下卑た目線が己の胸元や臀部に送られているのを感じる。

 ……正直、そこまでグラマラスでも無いのになんだこの男は。女なら何でも良いのか?こんな時に限ってオフショルダーのカットソーを着てる自分まで、なんだか恨めしく思える始末。

 

(……付き合いがどうこうなんて、余計なお世話、です……)

 

 目の前の女が今浮かべているのは、どう考えても引きつり気味の愛想笑いだろうに。この金髪男には、何かの間違いでマリリン=モンローの微笑みにでも見えているのだろうか。

 

「いい機会だと思ってさあ?それともナニ、カレシと飲んだりしたこととかないの?」

 

 ……ああもう。なんだか腹が立ってきた。周りに座ってる人達も、見て見ぬ振りして知らん振り。それどころかそそくさと帰る人までいる始末。別に助けて下さいと言ってる訳ではないし、誰も知己ではないから義理もない。けれど、都会の人とはこんなに薄情なものなのか。

 仕方ないので女ひとり、自分で如何にかすることにした。揉め事にならないといいんだけれど、と思いながら。

 

「……私、今迄いたことないんですよ。彼氏」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 その言葉がブラフなのか、事実なのかは分からない。だがこの少女、生来の類いまれなる美貌もあってか、告白された回数自体は数知れず。

 本人は与り知らぬことだが、微笑を差し向けるだけで堕ちた男は枚挙に(いとま)がない。同級生のオタク女子から、「ニコポ実装済クール系最強オリ主」と称されていただけはある。

 

「お、語っちゃう語っちゃう!?じゃあオレなんかどーお?自分で言うのも何だけどモテるよー、オレ?お試しと思ってさあ!?」

 

 ……そしてこの男も御多分に漏れず、えも言われぬ魔性の色香に釣られたらしい。

 がしかし、此方の心情を全く察しようとしない輩の調子に、彼女の柳眉はご機嫌斜め。「テクもヤバいよ〜?」なんて下品に言い出された時点で、もう臨界点だった。

 

「……お断りします」

 

 明朗に()()()()()、短く一言。モデル顔負けのスタイルに、透明感を損なわぬナチュラルメイク。伏し目がちの長い睫毛に、平行二重の桃花眼。通った鼻梁と桜色の艶やかな唇。常世の美を体現したような女性が、次に発したのは。

 

「……私、自分より背が低い人、異性として見れないんです」

 

 楚々とした笑みを浮かべた美少女の身長、実に171cm。それは低身長のナンパ男に対する、明確な拒絶にして煽り文句。

 白磁の肌に若草色の髪、涼やかな蒼と翠のオッドアイ。綺麗なEラインを描く横顔。地元・和歌山で「紀州のクレオパトラ」と謳われた美女が穿つ棘は、まともな男なら立ち直れぬ程に鋭利であり。

 

「あと…………貴方、私のタイプじゃありません」

 

 更にもう一言。成る程、お喋りで見てくれは派手。自信過剰にグイグイ来られれば、ノせられる女もいるだろう。しかし……下心しか伺えぬ男に靡くほど、高垣楓は安くない。初対面で胸元を執拗に覗き込もうとする輩に惹かれる感性は、およそ彼女には無いものである。

 

(……これだけ言えば懲りるでしょう。これ以上はお店に迷惑かかりますし、私がお暇しましょうか)

 

 料理自体は美味しかったので、名残惜しいけれど仕方ない。言い切ると同時に、席を立とうと伝票を掴んだ彼女だった、が。

 

「……オイ、黙ってりゃあチョーシこいてんじゃねーぞテメエ!?」

 

 突然、男は激昂。たとえすっぴんに部屋着姿で歩いていても、男女問わず目を惹きつけられるだろう彼女のオーラは、あまりに眩い。そんな別嬪に袖にされた事実は、いたく不良のプライドを刺激したようだった。

 

「キメセクでヨガらせてヤろうと思ったのによォ〜〜、やっぱり女ってのは殴って躾けねーと分かんねーみてえだなあ!?」

 

 先程までの態度が豹変。まるで交尾中の豚のように騒ぎ始めるばかりか、こちらの襟元に手を伸ばしてきた醜男に対し。

 

「────その辺にしとけ。その()はお前じゃあ釣り合わねーよ」

 

 店の奥から唐突に、飄々とした声が飛んで来た。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

(……誰……!?)

 

 耳朶を打つ深み有る低音に、思わず発声源を探す。

 タイミング良く奥座敷から出てきたのは、オールバックに撫で付けた黒髪に碧眼を湛えた、端正な面立ちの美男だった。

 

「奥で蕎麦啜ってたらよォ〜、グレートなタンカが聞こえてきたんでなァ。やるねぇ嬢ちゃん、惚れ惚れしたぜ?」

 

 曇りない革靴に、シワひとつないスーツとシャツ。年代は20代半ば、といったところか。190はあるだろう上背に、隙のない歩き方。啖呵……先程、語気を強めて言った一連の台詞が聞こえたのだろう。

 どうにも静かに一献傾けていたらしい彼は、ブ男と少女の間に颯爽と割って入る。そして……楓に向けて「奢り」と差し出された酒を、一息に飲み干したのだが。

 

「……舌が痺れる。テメー……酒になんか混ぜやがったな?」

 

「!」

 

獺祭(だっさい)はこんな味じゃあねェ。今更しらばっくれんなよ?」

 

 眼光鋭い男の誰何。冷ややかな一瞥を上から投げかけられたブ男は、口角泡を吹いて捲し立て始める。やり取りを見ていた気弱そうな店員は、青い顔をして店の奥に引っ込んでしまっていた。

 

「あァ!?イキッてんじゃねーよ、消えろやボケ!!」

 

「会計は持ってやっから、テメーはさっさとウチに帰んな。もう来んなよこの店に?」

 

「ンだとお!?オレが誰だか分かってほざいてんのかァ!?」

 

「『帰れ』って言ったよな?聞こえなかったか?」

 

「スカしてんじゃあねェー!横浜(ハマ)のテッペンに向かってナァーニナメたクチ利いてんだあッ!?オレはよォ〜、テメエみてェーなカッコ付けてる野郎が大ッ嫌いなンだよォッ!!」

 

「知らねーよ、真っ当に働け酔っ払い」

 

「ッッ……こンッのクソカスがァァッー!!決めたぜェ、今決めたッ!!テメエのそのいけすかねェー(ツラ)ァ斬り刻んで殺らアッッッ!!」

 

 煽り倒す彼に激昂したのか、それでも素手では敵わぬと悟ったのか。極度の興奮状態にあるらしいブ男は、なんと懐からアーミーナイフを取り出した。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「……ちょっとっ!」

 

 流石にこれは看過できない。誰かを刃傷沙汰に巻き込むなんて冗談じゃない。刃渡り20センチはあるソレは、確実に人を殺傷せしめるだろう。思わず楓が身を乗り出そうとした、その時。

「大丈夫だ、後ろにいな」。────そう、澄んだ碧眼に眼で制される。彫りの深い眼窩の奥に有るサファイアは、何より優しい光を帯びていた。

 

「余裕こいてんじゃあねーッ!!死ねッ!死ね死ね死ね死ね死ね死ねッッ!!」

 

「怒んなって、仲良くしよーぜシャブ中くんよ?ンじゃあよう……」

 

 醜い罵声と共に、彼の心臓目掛けて一直線に迫る凶刃。しかしこの優男、両手をポケットに突っ込んで微動だにすらしない。まるで、()()()()()()()()()()かのように。

 

「危なっ……!?」

 

 青褪める少女の声すら、意に介さず。

 

「────乾杯、ってな」

 

 余裕綽々の台詞が聞こえた、次の瞬間。

 突如、豚男は()()()引っ張られるかのように数センチばかり中空へと浮き上がり────客席後方の壁側へ、勢いよく激突した。

 

「グベェェッ!!?」

 

 潰れたカエルが如き鈍い声をあげた男は、身体が激しくぶつかっただけに留まらない。壁のガラス窓に衝突して揉みくちゃになり、窓と格子とを巻き込んで店外へ叩き出される。男の正中線あたりに何回か、拳が突き刺さったような音もした。

 

「俺の奢りだ、たらふく飲みな?」

 

 決着は僅かに一瞬。景気付けとばかり血とガラス片がブレンドされた凶器が舞い上がり、店中に降り注がん……とした直前で。

 

「な……えっ……!?」

 

 しかし。偉丈夫の背後に護られた少女・高垣楓は目の前の光景に驚愕するッ!なんと、()()()()()()()()()()()()()()が、元通り何の変哲もなく格子に嵌め込まれていたのだッ!

 

(……い、今……確かに『割れた』筈、ですよね……!?)

 

 驚くは彼女だけではない。余りに派手な物音が耳目を引いたのか。店奥にすっ飛んでいった気弱そうな従業員が、今頃になって店主を引っ張って戻ってきた。酔客の喧嘩と思わしき光景に目を白黒させた店の主は、一見して最も強そうな背の高い男に話し掛ける。

 

「オ、オイオイ兄ちゃん困るぜェ!?店ン中で暴れられたらァ〜よお!?」

 

 ……だが、店主がカウンター越しに見たのは、店外のゴミ箱に頭を突っ込んだ小太り男と、何の変哲も無い店の様子であったッ!

 

(どーいうこったァ?!……俺はついさっき、確かに『窓ガラスが割れる音』を聞いたッ!てことは物音からしてこの(あん)ちゃんは、外でノビてる野郎を窓から投げ飛ばした筈ッ!だってのに……!)

 

 だというのに血痕はおろか、ガラス片すらこの店の何処にもない。凶器も見当たらず、店外のゴミ箱にダイブした男からも、全く血は流れていない。しかしゴミ男は、不可視のダメージを受けて昏倒しているッ!

 これは幻覚か、それとも超能力か何かか?思ったところで。

 

「……()ーりい、気ィ使わせちまったなあマスター。そォーだ、このボトルキープしてもらっといて良いかい?」

 

 机上にある酒瓶を一本握って、長身の男は述べた。突然の超常現象に戸惑っていた店主も、再起動して慌てて返す。

 

「お、おう。構わねーぜ。……アンタ、名前は?」

 

 記名用のペンを急いで取り出した店主に対し、男は。

 

「東方仗助。カタカナでいーぜ」

 

「ヒガシカタ?……どっかで、聴いたことあるような……?」

 

「お、嬉しいこと言ってくれるねえ?……ああ、ついでにコイツは騒がせ賃だ、釣りはいらねェ」

 

 一息に畳み掛けた侠客は、長財布から取り出した万札を数枚ばかり店長に掴ませる。いずれもシワひとつないピン札を惜しげも無く渡すと、返す刀で楓の方を振り向く。先程までと別人のように穏やかな顔を保ったまま、彼は話しかけてきた。

 

「災難だったなあ、嬢ちゃん。怪我ねえか?」

 

「いいえ、おかげさまで。……あ、あの……」

 

「良かった良かった。じゃあ()()は俺が貰っとくわ。マスター、会計一緒に付けといてくれ」

 

 言いかけた楓だったが、途中で尻すぼみになった。持っていた伝票を彼がサッと掴み取り、店主に渡してしまったためだ。

 

「蕎麦美味かったぜ。また来らぁ」

 

 言い残すと、カランカランと戸を開けて。彼は風のようにどこかへと去って……。

 

「ま、待ってください!」

 

 ……行く前に、件の豚野郎に絡まれていたオッドアイの彼女に腕を掴まれた。この時「『げ、めんどくせえ』みたいな顔してましたよね、仗助さん?」と後に楓は突っついているが、今はさて置き。

 

「……あーっと嬢ちゃん、実はオレこれから用事があんだ」

 

「なら用事に付き合います」

 

「また今度で、な?」

 

「すぐ終わります」

 

「頼むよ」

 

「嫌です」

 

 潰れたチンピラ並みに強硬な勧誘を、今度は被害に遭ってた側が繰り広げる。なんだか逆ナンに見えなくもない。

 

「20分、いや……15分で」

 

「あのなあ、いらん男に自分の時間を割くもんじゃあないぜ?」

 

「女の前でこれだけ大立ち回りしておいて、ですか?原理は解りませんけど……」

 

「なんだ、手品の中身でも知りたいってのか?」

 

「……いいえ、タネ明かしは後でも聞けます。……でも私、本当は人見知りする性質(たち)なんですよ。だから……あまり、恥をかかせないで下さい」

 

「美人にそう言われんのは結構なコトだけどよお」

 

「まあ、お上手。なら……その美人に誘われるのは、お嫌いですか?」

 

 意気地無し、じゃあないでしょう?今、目の前で()()()くれましたもの。────神秘さと妖艶さを放つ、色違いの両眼が語る雄弁。蠱惑的ですらあるソレは、かくして拒絶の意思をも否定させる。

 

「……延長なしだぜ?」

 

「ええ。でも……()わせてみせますよ、貴方から」

 

 そこで話はまとまった、とばかり。若草色の髪をなびかせる少女は、絶句した男の腕を半ば強引にひっ掴み、今度こそ去っていった。

 際どさ一歩手前のやり取りを傍から眺めていた店長は、驚きで暫く眼を瞬かせる。

 

「…………大人しそうに見えて、やる時はやるんだな、あのネーちゃん……」

 

 どえらい別嬪さんだったが、入店前と後で眼がまるで別人だった。例えるなら……獲物を見つけた、捕食者(プレデター)の眼。

 それに、あの男のなんたる素早い所行。泥酔客を締めただけでなく、結果としてちゃっかり女の子の側から惹き寄せられていった始末。職業柄、酒席で男が女を口説くのは何度も目にしてきたが、こんな例は初めてだ。

 

(東方仗助、か。野郎の名前なんざ進んで覚えたくはねェーが、こりゃあ例外か?)

 

 ともあれ思わぬ売上が確保出来たので、今日は早目に店じまいする事にした店主。ゴミ箱を枕に気絶している酔っ払いを通報すると、暫し彼と彼女の去っていった方向を見つめていたのだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「な、なあ……もう良くないか?」

 

「駄目です。櫛、通すので待って下さい」

 

 数十分ほど歩いた所にあった、自然公園のベンチにて。『髪型崩れちゃってますから、ちょっとじっとしてて下さい。すぐ直します』。……道すがら先程の礼を言われた彼女にそう提案されて、既に数分が経過している。

 

 動くなと指示されたので、仕方なくその場に固まる。正直、セットしたヘアースタイルを誰かにいじられるのは真っ平御免。しかしこういう状態の女性には逆らわない方が良い事を、彼は母親との生活で学んでいた。

 

(……高校生の頃までの俺なら、こうはいかねーだろーけどなあ)

 

 頑迷に抵抗する確信があるくらい、あの頃までは髪型に拘りがあった。トレードマークだったリーゼントを変えたのは、吉良を倒してジョセフ達が帰国し、高校を卒業した後の事。杜王町での奇妙な冒険を経て、制服を脱ぎ大学へと進学した時に、気付いたのだ。

 

「……はい、お疲れ様でした。もう動いていいですよ?」

 

「マジか?……色々サンキューな、嬢ちゃん」

 

 身を呈しても弱者を救う。雪の日に憧れたそんな名も知らぬ『彼』の姿は、己の思い出の中では学ランしか着ていない。記憶の中の彼より多くの歳を重ねて初めて……幼き日の憧憬を、己が追い越したことを自覚したのだ。

 あの『彼』なら、こんな時どうするだろうか。何と言うだろうか。或いは祖父、または親父(ジョセフ)、若しくは承太郎さんなら。

 思えば10代の自分が迷った時、彼等の背は常に人生の指針であった。

 

「……背、高いんですね。東方さんって」

 

 思いあぐねていると、いつの間にやら傍に座りにきた彼女にそう話しかけられた。身長の割にこの娘さん、座高は低い。脚が長い証左である。

 

「ん、まあそれなりにな。日本じゃあ目立つけどな、このタッパだと」

 

 高校生の時点で180cmに到達していた背は、高身長な父の遺伝もあってか、結局20歳まで伸び続けた。今では歳上の甥と同じく190cmを超えている。

 

「ここまであると、電車とか息苦しくなさそう……」

 

「確かに。でも気ィ抜くと額ドアにブツけたりすっからそーでもないぜ?」

 

「ああ、思わず屈んじゃうやつですよね」

 

「それそれ」

 

 相槌を打つ仗助、「そう言う嬢ちゃんも結構高くね?……」と言おうと思ったが直ぐやめる。気にしてる場合もあるだろうし。

 丁度その時、折から話していた彼女が訥々(とつとつ)と述べ始めた。

 

「……私、自分の身長高いの、あんまり好きじゃなくて……」

 

 やっぱりか。目測だが、靴抜きでも170は超えていそうだ。日本人女性の平均身長が約158cmである事を考えれば、そりゃあ地元では目立って仕方なかっただろう。

 

「成長痛で膝と背中は痛かったし……ジャージなんか直ぐにサイズが合わなくなって、何度も丈伸ばししてました」

 

「分かるぜ。夜中に耳澄ますと骨端がパキパキ鳴ってんだよな」

 

「そうですそれです!……ゴホン、すみません大声出して」

 

 更に聞くと、中高一貫の私立女子校出身だという。飛び抜けた容姿の割に躱し方に疎いのはそのせいか、と内心納得。

 

「あと、学内でも一番背が高くて。……口下手なだけなんですけど、『クールで頼れるお姉さん』みたいに見えてたらしくて。よく、後輩の女の子に告白されてました。……私、百合(そっち)じゃないんですけどね」

 

「そりゃあ、また大変だったなあ。……受けたのか?」

 

「受けてません!」

 

 断固否定。どうもそこは譲れないらしかった。からかったことに詫びを入れると、話題変えがてら脚を組み替え、今度はこちらから切り出す。

 

「何時迄も嬢ちゃんじゃあ何だし……名前、教えてくれねーか?」

 

「高垣楓、と申します。……やっと、聞いてくれましたね?」

 

「綺麗な響きだな、もっと早く聞いときゃあ良かった。……なあ、楓ちゃんよ。せっかく上背あんのに、マイナスに捉えんのは勿体無いぜ?」

 

 見目麗しく姿勢も良い。手脚は長く小顔で細身。そして何より……一見クールで無口だが、中身に一本芯が通った(こころ)の在り方、非常に好印象だった。

 ……彼女なら、或いは。この時初めて、そう思った。

 

「……褒め殺しますね、東方さんって。さっき言ってた『用事』は、もういいんですか?」

 

「いや、今その用事を果たしてんだ。……バイト先とか、決めてないのか?」

 

「?……いいえ、まだですけど……?」

 

 そうか。なら……チャンスがあるとすれば今だけだろう。東方仗助は、ベンチに背を預けたまま黙考する。呼び起こすは、日頃から自分が感じていた思いの丈。

 

(────日本の芸能界には、未だに日高舞を超える人材が出てきてねえ。それどころか、どこの芸プロも第2、第3の日高舞を送り出そうと躍起になってる始末、だ)

 

 あの(オーガ)の影響力は、今も尚凄まじい。証拠に未だ日本の女性芸能人は方向性も容姿も、判を押したように彼女に似せてばかりで、退屈なことこの上ない。

 無論、危機感を持っている若手は仗助の他にもいる。がしかし、頭の固い連中に営業方針を握られたままでは、業界の国内市場規模は衰退する一方だろう。

 トリッシュ=ウナがヒットチャートを席巻し、ティーンエイジャーは洋楽ばかり聞いているのが良い証左。有り体に言えば、劣化版・日高舞に若者は「飽きている」のである。

 

 あらゆる業種に言える事であるが、過去の栄華に縋ってばかりでは、そのコンテンツに展望は拓けない。変わらぬ現状をブッ壊し、全く新しい「風」を吹き込んでくれる切り札が、旧態依然とした業界には必要だ。

 

「……あ、夜の仕事ならやりませんよ?ご心配なく」

 

「ちげーって!風俗の勧誘じゃあないっての!」

 

 問題はそれだけでは無い。かのリーマンショック以降、世に荒んでいる人間が目に見えて増えてきた。人心の荒廃は人格に闇をもたらし、新たなる邪悪なスタンド使いを生む芽にすらなる。そしてDIOの残党にとって、それらは極上の餌に他ならない。……だから。

 

「……もし良かったら、モデルとかどうだ?伝手ならあるぜ?」

 

 阪神淡路大震災の後、打ちひしがれた人々を、日高舞がその姿で勇気付けたように。この「風」を、三顧の礼で迎えたい。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「モデル?」

 

 突然のスカウトに、思わず楓は復唱する。この人のルックスからして、自分がモデルをやっていて、ツテを紹介する……ということだろうか。確かに高校時代、「楓ちゃんならモデルいけるよ」、と言ってくれた子は何人か居たけれど。いざ言われると、あまり現実味を感じられなかった。

 

「ああ。実は俺346プロの社員でな。一昨日付でモデル部門の担当になったんだ」

 

(……346?……346って、あの大手芸能プロダクションの?)

 

 ……いや、偶々助けてくれた人がそんな都合良く、なんて上手い話があるものか?さっき絡まれた事例が事例なので、思わず身構える。いい人そうだけど、実はAVのスカウトだったりしたら目も当てられない……と思ってたら。

 

「はいよ、これ証拠の名刺な。なんなら今ググっていいぜ?」

 

 手渡されたラミネート加工の上質な手触りの一枚は、透かしまで入った本格派。……あれ、本物?この人、業界人?

 

「じゃあ、お言葉に甘えまして。…………ホントだ、公開名簿に東方仗助って書いてあ……え、24歳でもう係長なんですか?」

 

「業界の景気変動が激しくてな。波に引っ張られての繰り上げ人事だ」

 

「はあ」

 

 ……いや、これ謙遜だ。成果主義で有名な346でそんな人事があるか。競争の激しい芸能界の最前線で結果を出してるから、既に役に就いてるんだろう。

 加えてこのルックスで、喧嘩上手で東証一部上場企業の出世頭?世の中持ってる人はいるものだ。

 

「えーっと、頂戴します?」

 

 長方形の綺麗な名刺を、大学進学を機に買ったばかりのパスケースに、慣れぬ手つきで仕舞い込む。奇しくも、これが彼女の人生で初めて貰った名刺だった。でも。

 

「あの…………なんで、初対面の私にここまで……?」

 

 行きずりの女……いや、言い方が悪い。初めてあった女に普通、ここまでするか?確かに面倒見は良さそうだけど、と思っていたら。

 

「理由は三つ。一つに後輩だから、な。この時期に日吉にいる大学生ってコトは、K大だろ?」

 

「ええ、まあ」

 

 と答えると、彼も財布の中から、3年前まで使ってたという学生証を見せてくれた。郵送で送られてきた自分のソレと全く同じデザインは、虚偽で無い事を如実に物語る。

 

「ソレがひとつ。もう一つはオーラ。最後に……俺自身が、『高垣楓』の心根に敬意を覚えた。そんだけだ」

 

「……流石に、買い被りすぎ……じゃないですか?」

 

 内心の動揺を、咄嗟に表情筋を固めて秘匿。赤面症でなくて良かった。迷いなく断言するものだから、逆にこっちが照れてしまう。

 誰かに口説かれたことは、同性含め何回かある。が、この人は私事ではなく仕事を持ち掛けている。故にこそ、真剣に答えねば。

 

(……目を合わせたら、流れでハイと言っちゃいそうです。ちょっと落ち着いて考えましょう)

 

 そんなわけで目線に困って思わず、彼が着こなす上質な仕立てのスーツに目が行く。袖口からチラリと覗く革時計は、恐らくオメガのシーマスター。実用本位のタフなソレは、ロレックスのパチモノを見せつけてニヤついていた、どっかの輩とは大違いだ。

 ソールを幾度も履き替えただろう磨き込まれた革靴に、真っ直ぐな所作。白く綺麗な歯列を持ち、ついでに左手薬指に指輪なし。そして。

 

「ヒトを()る眼は有るんでね。本気だぜ、俺は?」

 

 翡翠と翠星、再び交錯。軟派に見えて実直なビジネス・パーソンの姿は果たして……高垣楓の背中を押すに、充分だった。

 

「…………ふふっ」

 

 春は別れの季節。しかし同時に出逢いの季節でもある。もしこれが『(えにし)』であるのならば、今年の春風は何と粋なのだろう。

 

「……どした?」

 

「いいえ。人の縁って不思議だな、と思って。……モデルやらないか、って仰ってましたよね?」

 

「ああ」

 

「来年で、私20歳になるんですけど……」

 

「うん?」

 

「……その時は美味しいお酒、私に教えてくださいね?」

 

 満開の桜咲く、春の公園。クールな少女に薫風が、一陣心地よく吹いた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 マットカラーのボブヘアーが、風になびいてふわりと揺れる。只、それだけ。

 だというのにそれは……美男美女揃いの親類を抱え、且つ仕事柄美人を見慣れた仗助でも、思わず眼を見張る程の情景だった。

 

「…………ああ。また来年、此処に来るか」

 

「約束、ですよ?それから……もう15分経ちましたが、どうしますか?」

 

 忘れかけていた意趣返しに、刮目。してやったり、という笑顔を向ける彼女に、どうにも一本取られてしまったことを自覚。

 

「参ったな、こりゃあ。……負けたぜ。5分と言わず、長ーくお相手願いたいな」

 

「はい、喜んで」

 

 素直に白旗、すぐ様快諾。そして。

 

「────346プロダクションモデル部門担当者権限を以って、正式に高垣楓をスカウトしたい。期間は後程話し合おうか。雇用形態は正社員、残業なし。交通費全支給で共済加入、初年度給与は基本給300万プラス出来高、昇給及び賞与あり。内容はファッションモデル、勿論学業最優先で。……どうだ?」

 

「文句無しですが……一つだけ、追加で。私のプロデュースとマネジメント、()()に頼みたいです」

 

「……俺がか?」

 

「ええ。右も左も分からないより、その方が安心なので」

 

「……いいぜ。今んとこ美嘉(ひとり)しか受け持ってねェーし」

 

 枠はある。忙しいが時間は創れる。一人分捻じ込めるくらいには、この男は要領が良い。そもそもスカウトしたからには、彼女がそう言いだすのも道理だし、自分が請け負うのも道理だ。

 

「ンじゃあ早速、契約ついでに渋谷のオフィスまで同行願ってもいーか?もちろん任意だけどよ」

 

「何なりと。では……この通り不束者ですが、よろしくお願いしますね、()()?」

 

 人見知りを自覚していたのに、今日はなんだかスラスラ喋れた。横浜に来てから初めて、本心から笑顔になった日だった。楓はこの日の事を、のちにそう述懐している。

 

 ────さて。この年からモデル業界に飛び込んだ高垣楓は、初年度からその容貌とキャラクターで爆発的人気を博した。

 本業ではパリコレモデルに全く引けを取らず、グラビアを載せれば雑誌は即完売、CMにはひっぱりだこ。ドラマや映画では教師に婦警、美容師、女スパイ、女医や検事に果ては悪女すら完璧に熱演。

 ラジオやバラエティではクールな見た目と裏腹な天然気質が放つ面白さ故、素で喋るだけで「高視聴率女王」の異名を獲得。彼女のメイクや髪型を真似る女子も続出し、一躍社会現象ともなった。

 

 そして、大手広告代理店や他事務所は、自社タレントを高垣楓路線でゴリ押ししてもてんで敵わなかった。そのため、それぞれの個性を発揮させて売り込むスタイルへ営業方針をシフトしていく事になる。

 ……そう、仗助の狙っていた「業界の多様化と活性化」は、高垣楓がたった一人であっという間に達成してしまったのだ。あとに残るは、彼女というツァーリ・ボンバの起爆を受けて更地になった公平な環境だけ。

 2011年に大ブレイクを果たした765プロASの躍進にも、一説では彼女の寄与があるとされている。

 

 346の株価を単身でストップ高に押し上げた彼女の伝説は、アイドルに転身してからも続いていく事となる。

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 それから、約5年。舞台を現代に戻し、とある赤提灯の居酒屋。東京都はたるき亭・新橋分店の会員用奥座敷。

 掘り炬燵に姿勢良く腰掛けた美しき女性のお話を前に、冷や汗を垂らすジョースター家の血族が一人。

 

「……な、なあ。ずいぶん長くなかったか?昔話」

 

「いいや全然長くないです。人生損してた(飲んでなかった)時の私が生まれ変わった日なんです、ちゃんと一から百まで聞いてください」

 

 ガロン単位で酒を飲んでも全く変わらない顔色でのんべんだらりとクダを巻くのは、今や「346プロ最高戦力」と謳われるまでに成長した、齢24歳の高垣楓。

 昨年モデルからアイドルに本業を転身した彼女だが、実は歌唱力もとんでもなく高かった。元より表現力やスター性は折り紙付きである為、現状で向かうところ、いよいよ敵無しの様相を呈している。IUに出て単騎で玲音に勝てる可能性があるのは、現状で彼女だけとされる程に。

 

「いや楓さんよ、その話実は3回目……」

 

「なーんですか最近若い子に夢中で付き合い悪い仗助さーん?」

 

 やべぇ、そういやこの娘さん駄洒落好きの絡み酒なんだった。尚この情報、今思い出しても遅い。

 

「言い方言い方。スレた熟年夫婦じゃあねーんだから」

 

「やだちょっと、今付き合っても無いアイドルと夫婦だなんて。発想が爛れすぎです仗助さん」

 

「どっちかッつーと純愛主義だ俺は」

 

「あら、気が合いますね」

 

 高校生の時分からその癖はある。いかんせん育ちが母子家庭だからかも知れない。夫婦揃った円満な家庭だとかに、漠然と憧れがあるのだ。

 

「そりゃ重畳。……にしても懐かしいな、あの時か。上京したてって感じだったな、楓」

 

「ええ。私がまだ大人しかった時期ですね」

 

「借りてきた猫みたいだったもんなあ、今と比べれば」

 

「猫、ですか。ちなみにその時が猫なら、今の私は?」

 

「んー、346の日高舞」

 

「却下で。まだ人妻じゃありません」

 

「着眼点そこ?じゃあ歌姫」

 

「うーん、合格!」

 

「基準が分かんねーや」

 

「今のは不合格です」

 

「訂正するわ、基準とかないだろ」

 

「もちのローン!カンパーイ!」

 

「乾杯はさっきしたってのッ!」

 

 一切合切フィーリングで喋る。ここまでだと一周回って清々しい。

 取り敢えず付き合って杯を交わすが、なんたるハイペースだろう。水みたいにどんどん酒が減っていく。

 

「そういや、当時はノンアルのカクテルばっかだったな。下戸の楓って最早想像出来ねーけどなあ」

 

「ゲコといえば私、面白そうなのでゲロゲロキッチン出たいんですけど。蛙の着ぐるみ役で」

 

「めっちゃ話飛ぶのな?」

 

「ゲロッパ!」

 

「イイけど、酒は無いぞあの番組」

 

「ゲロぉ…………」

 

「アイドルがゲロゲロ連呼するなって」

 

「むー。じゃあこれ全部飲んでください。生大」

 

 ドン。威勢良く片手で差し出された大ジョッキを薦められる。正直なんの脈絡でこれを飲まさせる流れになるのか分からない。挙句に彼女、勝手に注ぎ始める始末である。

 

「下戸のゲコ……ふふっ」

 

「楓、溢れる溢れる!」

 

「あ、ホントだ」

 

「あのなあ!」

 

「……ねえ、仗助さん」

 

「表面張力で持ってるようなもんじゃあねーかコレ。……なんだ?」

 

「私、結構嬉しいんですよ?」

 

「?……何がだ?」

 

「色々です。ただ、強いてあげるなら……」

 

 …………仗助さんとなら、ヒール履いても気兼ねせず楽しく歩けること、とか?

 

 蠱惑的な蒼と緑の眼が、煌めく星を確と捉える。時にIU本選開催まで、後4日のことであった。

 

 

 




・高垣楓(19)
かの日高舞を超えうるとされる天賦の逸材。デビューからたった1年足らずの間に、押しも押されぬ一流芸能人に。自己管理、演技、歌唱など全てに於いて非常にストイックであり、プロデューサーとの二人三脚でスターダムを駆け上がった。モデルだてらに業界をリセットし、後の「アイドル戦国時代」を招来させた立役者でもある。


・高垣楓(24)
「世紀末歌姫」「平成の楊貴妃」「酔いどれ小町」「バッカス・クイーン」など、数多くの二つ名を有する大酒豪。赤提灯の店でも平気で出入りし、冠番組では酒ネタと温泉ネタと駄洒落を連発する。酔い潰れた姿を誰も見たことがなく、酒量の割に歌声も容姿も全く劣化しないのは、346の七不思議の一つとされる。


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026/ You are the successor.

飛鳥&文香説明回


 

 

 大人アイドルと元担当Pが水のように酒を浴びていた、同日同時刻。渋谷区は346プロダクション併設の女子寮にて。

 

 ───七つ道具の詳しい説明をしましょう。

 

 IU本選を控えた4日前。お馴染み喋る赤ヒヨコは若き宿主に対し、唐突にそんな事を言い出した。既に夜の帳が下り、夕食を採り終えて就寝準備をしていた使い手に、何の脈絡もなく吹っかけたのである。

 

「一応聞くけど、なぜに今なんだい……?」

 

 346寮内の自室にて、シャワーを浴びたばかりの宿主JC・二宮飛鳥は呆れながらも問い質す。朝9時からレッスンやリハーサル漬けで疲労困憊(こんぱい)な身体は、とうに休息を欲しているのだけれども。

 

『言ってなかったのに今気付いたんだ、てへぺろ☆(・ω<)』

 

「クーリングオフしてもいいかい?文香さんに頼んでみるよ」

 

 阿呆な発言は意に介さず、とシーツを整える。射程内に入った敵スタンドを、超スピードで捕食出来る文香のスタンド、『ブライト・ブルー』。あの問答無用の魂喰(たまぐ)らいで幾らか削ってやれば、このふざけた話ぶりも多少は矯正されるだろうか。

 

『なんだこれは、魂喰らいに(タマ)を喰わせるとは魂消(たまげ)たなあ……』

 

「汚い」

 

『かしこまり!』

 

「……うん、まあいいや。で、話し足りなかった事ってなんだい?」

 

 自重しないスタンドを相手にするのに、仕方ないとばかりベッドではなく、傍らの椅子に腰を落ち着ける。手慰みに口の中へと、眠気覚ましのミントガムを2粒。広がる爽快感が脳に心地良い。

 ついでに、律儀に勉強用眼鏡まで掛けて話を聞こうとしたら。

 

『ウィー。喫緊の課題は、フランス人とのワンエイスの癖して起伏に乏しい、マスターの体型についてです』

 

「『背後霊 お祓い 縁切り』、っと……」

 

 無表情のままスマホを手に取り、役立ちそうなワードをスペース検索。「奇跡の巫女・鷹富士茄子が織り成す鮮烈祈祷」なる地方紙の電子版見出しが、ふと目に飛び込んだところで。

 

『ヘイヘイヘイヘイ、マジギレしないでくださいよォ〜〜ッ!ほんのお茶目な冗談じゃあないですかッ、ねェ〜!?!』

 

「なぁにが『冗談』だって!?ヒトがちょっと気にしてることをヌケヌケとッ!魂だからって超えちゃあいけないラインがあるだろう!?」

 

『貧乳はステータスで希少価値ィッ!故に気にすることはないですよ!夏場はスクール水着がよく似合うんじゃあないですかァ!?』

 

「やかましいッ!()()でも"B"はあるんだよこのセクハラスタンドッッ!!」

 

 胸元を手で隠しつつ、器用に小さな声で吼える飛鳥。実際、まだ中学生の時分でそこまで悲観する事はない。……が、同じユニットメンバーが名峰(比喩)揃いなのでどうしても比べてしまうのだ。特に文香さん、絶対逆サバ読んでる気がする。

 

(…………ああいけない。落ち着けボク、まだまだ可能性はある筈、多分……目測だけど765の如月千早さんよりは上回ってる。落ち着くんだ、ステージ衣装の千早さんを思い浮かべて落ち着くんだ、二宮飛鳥……)

 

 本人には絶対言えないような事を思案し、心の揺らぎを沈めにかかる。かくて波打った心に青い鳥を飛ばし、約束を謳うことで平静は取り戻された。

 ……10年後どころか、5年後には普通に歳上3人と遜色ないスタイルになっていることを、この時の飛鳥はまだ知らない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

『それじゃあ解説いきますよー。はい、よーいスタート』

 

 話が逸れてたので、本題に戻る。RTA実況臭い台詞を放った妖精はそう言い残しシレッと続ける。以下は腕輪に宿る先祖から聞いた受け売りだ、と前置きして。

 

 ────『射程内に存在する命以外なら、何でも盗める「能力」を持つ』。腕輪型スタンド・『盗賊の七つ道具』の触れ込みはそれだった。更に腕輪自体の「特性」として、7つの形に変形するのだそう。

 ルーマニアのさる貴族から譲り受けた特殊な板金に波紋を練り込み、後にイタリアで発掘された赤石を嵌め込んだ銀の腕輪。それはアルセーヌ・ルパンが文字通り魂を入れ込む程に愛した、形見の品でもあった。

 

『補足しますと、「盗み」の効果範囲は腕輪の半径120m。複数の事象は一度に3つまで盗めます。例えばアルセーヌが渋谷で貴女を助け出した時は、周囲の人間の「当該エリアへ向かう意思」と「スタンド使いを認識する能力」、更に「監視カメラの機能」の3つを簒奪(さんだつ)しました』

 

「……うーん、伝来の家宝ながら中々にチート染みてるね。変形と併せれば、実質能力2つ持ちじゃあないかい?譲って貰った側としては願ったりかなったり、だけど」

 

 取り外したエクステをケースに入れて保管する少女は、淡々と感想を漏らす、が。

 

『ところがどっこい越後屋よ、これには裏があってのう』

 

 相変わらず口調の安定しないスタンドに、真面目に所見を返す玄孫は首を傾げながらも同意。

 

「……何となく理解るよ。便利であるからには当然……『代償』もあるんだろう?」

 

『察しが良いのは好きですよ、マスター。盗んだ物や事象は無くなる訳ではありません。腕輪にそのままの状態で記録・保存されています。この保存容量が7枠しかないので、何処かで返還しないと枠が埋まり、能力が使えなくなります』

 

「盗品は本来返すべきものだ。当然だね」

 

 感性は至って現代日本人な飛鳥、即答。尚この代償があったため、生前のアルセーヌは怪盗稼業にスタンド能力を殆ど使わなかった、という。留意事項はそれだけではない。

 

『更にこのスティール能力は、1日に合計7秒までしか使えません。フルタイムで使ったら、再使用には24時間のインターバルが必要です』

 

「……まあ、時間制限は異能の力に付き物だよね。理解る理解る」

 

 ちょっとがっかりしたが、顔には出さない。

 何でも腕輪を構成する合金に貯めた太陽の力(波紋?)に、自身の精神力を混ぜて能力を発動、対象を引き寄せている……らしい。盗む対象が大規模になれば成る程、力の消費も激しいとのこと。

 

再充填(リキャスト)は日中、太陽光に当てれば完了します。大量に波紋を流しても多分使えますが、……恐らく腕輪が壊れるでしょうね。相当な年代物ですし』

 

「デリケートなソーラー時計かい?」

 

『錆びてないだけマシと思ってください。そんなわけで、御利用は計画的に』

 

「サラ金業者みたいなこと言わないで欲しいなあ。……まあ、ものは試しに一度使ってみるよ。えっと……」

 

『言い忘れてましたが、燃費も滅茶苦茶悪いです。連発による負荷は疲労を蓄積させ、制限時間を超過すれば意識が混濁して昏倒。最悪はそのまま昏睡状態に陥るのでお気を付けて。ついでに今、7秒過ぎたところですが……聞いてます、宿主様?』

 

 赤ひよこは首を傾け、今しがた椅子から転げ落ちた使い手に語りかける。フルタイムで使っただけでとんでもない倦怠感に襲われた飛鳥、まともに立ち上がる事も出来ないのだ。

 

「……今……実感、してるって……それを……!」

 

 あっという間に息も絶え絶えの少女は、意地を振り絞ってなんとか抗議する。

 命、即ち魂以外は何でも盗める、七つ道具のチカラ。スタンド限定の特効能力を持つ文香のスタンドとは、対極にある力と言っても良い。

 非常に強力だがしかし、その使い所が難しすぎる。未だ場数の少ない飛鳥にとっては、実戦でいつスティールを仕掛ければ良いか判断がつかない。この分だと変形能力をメインに使うことになるかも。

 そこまでシミュレートした本体に、幽体はというと。

 

『ええ。予想通り、ですね』

 

 予想外の台詞が、飛んできた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 毛づくろいとばかり、枝毛っぽくなっていた羽を整え火の鳥は詠う。

 

『貴女様の体力がギリギリ間に合うかな、と言うレベルまで待ちましたので。だから今日執り行ったんですよ、この解説』

 

 したり顔で語るスタンド、つまり。

 

「……今日このタイミング、しかもボクが寝る前にわざと言ったのは……この為だったのかい……?」

 

『倒れられても困りますから。レッスンに支障が出ては本末転倒ですし。……まあ、貴女は私で私は貴女ですからね。匙加減はお任せあれ、です』

 

 ……成る程、確かに通学やレッスンの前にコレを経ていたら、その日一日自分は使い物にならなかっただろう。全く迂遠な気遣いだ。

 

「……有り難う。好意に甘えさせて貰うよ」

 

『お礼なら、腕輪に憑いてる世話焼きコーチに述べるとよろしいかと。では……おやすみなさい、ご主人』

 

 返ってくるのは、相変わらず素直じゃない返答。本当に己を鏡で映してるみたいだった。

 

「おやすみ。……また明日、だね」

 

 ……だが事実、もう限界。速攻でスタンドを霧消させ、倒れこむように布団へと身を投げる。

 

(使い所が、難しい…………けど……)

 

 五体を沈め、常夜灯も消した暗闇の中、虚空に一言。

 

「…………絶対、モノにしてみせる……」

 

 決意を静かに放った少女は、言い終えたと同時に仰向けに突っ伏した。数分も経ずにいびきひとつない静かな寝息が聞こえ始めて、間も無く。

 

『…………言っていなかったけどね、アスカ』

 

 その傍にいつの間にやら在ったのは、赤いヒヨコではなく、片眼鏡をかけた半透明の美青年。腕輪に宿りし魂の残滓にして、彼女の高祖父、その全盛期の姿である。

 

『……この腕輪が壊れた時こそ、真に私が死する時だ。祈っているよ。……君と、君の拓くセカイに幸多からんことを』

 

 その日。飛鳥は夢うつつの中で素顔も知らない、しかし良く知った誰かに、優しく頭を撫でられた……ような、気がした。

 

 

 

 ★

 

 

 

 同日朝。早朝の神田神保町の一角、鷺沢古書堂2Fにて。間借りした居室でいつもの如く寝床に入っていた黒髪少女は、鮮やかな碧眼を思わず細める羽目になっていた。

 

「……んっ…………んん……?」

 

 快晴麗しい本日は小鳥のさえずりで目を覚まし、湯浴みをしてからゆったりと朝食を摂る手筈だった……のだけれど。

 

「…………なんでしょう、この鼻につく獣臭は」

 

 変な匂いに起こされる、という凡そ有り難くない目覚め。下宿を始めてはや5ヶ月になろうかという店主の姪は、嫌な予感にむくりと上体を起こす。

 歴史ある本屋街に位置する老舗・鷺沢古書堂。その居住区画に設えられた台所は、およそ一般家庭のものとは思えない程に本格派だ。磨き上げられた銀色のシステムキッチンと業務用冷蔵庫、タイル貼りの床に和洋中様々な食器類。ワインやらを納めるカーヴまで揃っているのは、過分に凝り性な家主の趣味だろうか。

 

(……まあ、下手人は1人しかいないでしょう、けど…………)

 

 さて。斯様な古書堂の安寧を切り裂くように、2階からトタトタと静かに且つ足早に、鼻をつまんだ姪は厨房へと駆けていく。降りて行くにつれ事態の全容を察した彼女の表情は、既に普段の温厚なものではなく。ほっそりとした柳眉は、盛大に吊り上がっていた。

 

「朝からなにしてるんですか叔父様、酷い臭いですよ止めてください……!」

 

 やっぱりいた、この男。かくて少女はキッチンで大鍋に謎の物体Xをかけて煮込んでいる頭のおかしい叔父に、抗議の意を示したのだが。

 

「なんだね文香。これはバイオリン用のオイルニスを作っているだけだ、何も問題はないぞ」

 

 スラックスに白シャツというラフな格好で謎煮込みを作成している叔父は、いけしゃあしゃあと詭弁を放つ。異臭騒ぎでご近所さんに通報されでもしたらどうするんだ、と彼女は内心頭を抱えつつ。

 

松脂(オイル)はこんな獣臭い匂いじゃありません、何を使ったんですか……!?」

 

「牛皮」

 

(にかわ)の原料ですそれは……!」

 

「案外、塗ったら良い音を奏でるかもしれんぞ?」

 

「弦楽器を何だと思ってるんですか」

 

「いいや、男は度胸。なんでもやってみるのさ」

 

「……絶対使うところ間違ってます、その台詞」

 

 もはや溜息すら出ない。どっちかというと墨汁作りに精を出す叔父の奇行を止めるのに、彼女は今暫くの時間を費やすことになる。

 

 

 

 ☆

 

 

 

(……やっと匂いが除れました…………良かったなんとか間に合って……)

 

 それから数十分。「やるならだだっ広い鎌倉の支店でやれ(意訳)」という至極真っ当な意見を押し通した姪っ子は、開店前にあちこちの窓を開け放ち、いそいそと換気に取り組んでいる最中だった。

 なにが悲しくて古本屋なのに、朝っぱらからラーメン屋の仕込み染みた事をしなくてはいけないのか。絶版の稀覯(きこう)本に万が一変な臭いが付いたら、多大な文化的損失だ。

 

(……第一、人が集まるところに、変に獣臭い女がいたら申し訳が立ちません。というか、アイドル以前に女性の端くれとして流石に……)

 

 歳若い女子として、野生動物みたいな臭いに塗れて出歩くのは遠慮したい。もののけ姫のサン?あれは時代も境遇も全然違う。

 ともあれ予定外行動で押した時間を埋めるように、手早く朝シャンとブローを済ませて朝食に取り掛かる。鷺沢家の食事は当番制であるためだ。

 叔母と一緒に買った揃いのエプロンを巻き、いざキッチンに出戻ると。

 

「ううむ、やはり加水率低めのオーション麺が基本だな。ブタは腕肉、味付けには化学調味料(グルエース)を惜しむべからず。背脂はクドイくらい入れるのが正解だ。あとは……」

 

 書斎に追っ払ったはずの叔父が、彗星の如く戻ってきてそこに居た。いつのまに来たんだ。……シャワー浴びてる時か。そうだろうな。

 

「…………叔父様。今日の朝食当番、私だった筈ですが……」

 

「やあ、お帰り文香。これは二郎だよ二郎。家二郎はいいぞ、もちろんトッピング全マシだ、今日は直前リハーサルだろう?存分に食べてから行くと良い」

 

「………………」

 

 思わずピク……と、己の頬が引き攣るのを感じる。この男は女房が鎌倉に行ってるのをいい事に、朝から豚骨醤油ダシの極太麺(トッピングに山盛りのニンニク付)を食べようというのか。しかもあろうことか姪にも?こんな物を食べて外を出歩いたら、早晩に嫁の貰い手がなくなってしまう。

 

「……叔父様」

 

「何かね」

 

「実は私、……叔母様から()()されてるんですよ。食事管理、を」

 

 湯上がりの姪が放つ言葉に乗る、得体の知れぬ凄味。長い前髪に隠れた眼の奥から漏れ出す強い意思を感じ、思わず叔父は静かに返す。

 

「…………落ち着け文香。君は今冷静さを欠こうとしている」

 

「いいえ。これ以上無いくらい落ち着いてます。と、言うわけで……」

 

 というわけで、即行動。有無を言わせずニンニクと麺を冷凍庫にぶち込み、代わりに冷蔵庫からヘルシーそうな食品群をどんどん取り出す。「多分こんな事考えてるでしょう、あのひと」と語っていた叔母の言葉が脳裏によぎる。寸分違わず大当りだ。

 

「……今日は野菜サラダとお茶漬け、冷奴と麦茶です」

 

 ビタミンと大豆イソフラボンは欠かせない。肌も綺麗になるしいい事づくめだ。長野の実家で育てている野菜と米と豆を味わえ。廃棄するのも勿体無いし。

 

「待ってくれ!私の好きな塩分・糖分・脂肪分は何処に!?」

 

「そんなものより地物の信州野菜を摂りましょう。……ちなみにこれ、私の花嫁修行も兼ねているので、厨房には入らないでくださいね?」

 

 有機トマトを手慣れた手付きで切り始めながら、文香は一言。これでカロリー甚大なドレッシングをぶちまけられたりする事態は防げる。

 トチ狂った料理を平気で食べる英国面との闘いは、イギリス人の血を継ぐ鷺沢家の宿命でもある。ぶっちゃけこんな宿命は要らない。

 

(……マーマイト、ウナギのゼリー寄せ、スターゲイザーパイにハギス……。正直、どれも自分の口には合いませんでした。思うに私の食嗜好は、至って典型的な日本人のようですね)

 

 すべて現地・英国で食べたのだから間違いない。だから小学生の時分、イングランド出身のALTに「イギリスの料理で美味しいものは?」と聞かれ、「ド◯ノピザとマクドナ◯ドでした」と即答したのは、決して悪くないと思う。ジャンクフードが可愛く思えるレベルで衝撃だったのだ。

 

(……小学生の頃……というのは、今思えば純粋な時期でしたね。大方の物事に対して、怖いもの知らずでいられるわけですから)

 

 叔父を強制退去させた姪は、今度はレタスを洗ってざく切りに。並行して茶漬け用の出汁パックを鍋に突っ込んでいく。

 

 ……約一年後、小学生の相方から特製苺パスタを食べさせられて悶絶する羽目になる事を、この時の文香はまだ知らない。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「……今度は、一体どこですか……?」

 

 その日の夜。宝石本型スタンド、「エレメンタリー・マイ・ディアー」の内部にて。

「第2段階へ移ろうか」と述べたシャーロックに導かれたのは、これまで訪れたことのない場所。応接間に案内された初回と異なり、文香は今回、鬱蒼とした竹林の奥深くに佇んで居たのだ。

 

(……魂だけではなくて、身体ごと入れる様になったのは、便利なのか不便なのか分かりませんが……)

 

 高祖父が訪れた往時の場所に辿り着ける、この謎システム。滝壺だのベイカー街だの、毎回毎回違う所に案内される度、彼の送ってきた人生の濃さに驚くばかりである。

 が、少なくとも文香が読んできたドイルの原典にも二次創作の贋作(バスティーシュ)にも、こんな場所は登場しなかった筈だ。

 一見すると人気の無い森。しかし何か……太陽のように澄み渡り、かつ厳かな空気を感じる。まるで聖地・エルサレムや、伊勢の神宮のような「重み」があるのだ。

 

『気になるかい?』

 

「ええ。これほど清廉で厳格な気を持つ場所は、そうあるものではありません。いつ何処の機会に、何の目的で来たのか……くらいには」

 

 傍らに漂う父祖に返答。幼い頃に曽祖母の案内で訪れた、英国のストーンヘンジ。そこで感じた空気と似たものが、この一帯にはあった。

 

『私がここを訪れたのは、まだ20代の前半。船旅で英国からスエズ運河を渡り、インド、香港を経由してやって来たんだ。とある豪奢な()殿()に程近い、知る人ぞ知る竹林でね。そしてこの地で出逢った師は、とても強い人だったよ』

 

 わざと返されるのは、勿体ぶった言い回し。

 最近の彼はこの様に、いきなり解答を開帳しないことが多い。狙いは一つ、玄孫・鷺沢文香への、己が推理力の継承……だとの事。「もし事務所をクビになったら、本屋の副業に探偵でもやるといい」などと失礼な台詞を飛ばすのは玉に瑕だが。

 

「…………とすると、時節は20世紀前半……」

 

 とある豪奢な宮殿。知る人ぞ知る竹林。先程の航路からして行き先は、東アジアの何処かだろう。「宮殿」「強い人」という言葉を踏まえれば、当時のアジア圏で強力な権威ある君主を戴く国は、大日本帝国かタイ王国。青竹が生い茂る植生も加味すれば。

 

「……であれば……京都御所と、嵐山嵯峨野の竹林……ですか?」

 

 ……いや、でもその二つは距離的にあまり近くない筈。それにこの竹林、結構な標高があるようで空気が薄い。そもそも京都御所は塀堀もない簡素な造り。豪奢でも何でもない。

 解答に難アリと自己判断した彼女は、自らかぶりを振って推理を否定。すると。

 

『答えはもう直ぐ分かるさ。此処から目的地までは2km程だから、歩きながら解説しようか』

 

 語る父祖を横目に、平坦な獣道をゆったりと歩いていく。木漏れ日が目に心地良い。

 

『此処は私の血縁たる直系親族しか入れないから、君の友人やPを招けないのは歯痒いがね。たまには自然散策も悪くはないだろう?』

 

「まあ、確かに……」

 

 コンクリートジャングルに囲まれていると時折、長野の田舎が懐かしくなる時もある。なお文香の実家については、サマーウォーズの陣内家を想像すると手っ取り早い。

 

「……何より、修行の類にはうってつけですし」

 

 うってつけ。この空間、外界とは時間の流れが異なるのだ。計測してみたら、経過時間は実時間に即して約10分の1。1時間入っても6分しか経っていないこの便利空間、彼はゆっくり推理をしたい時に籠っていたそう。言うならば「精神と時の部屋・酸素濃度および重力等倍版」といったところか。

 

『修行、ね』

 

 そのまま1kmばかり歩みを進めたところで、彼はまたおもむろに切り出した。

 

『ならそろそろ……今日の本題、第2段階に入ろうか』

 

「はい。……第2段階?」

 

『フミカ。君は、私が修めていた白兵戦闘術を知っているかい?』

 

 そりゃあ当然知っている。ライヘンバッハの滝壺でモリアーティに用いた、かの有名な「バリツ」だろう。未だにシャーロキアンの間でも論議を呼ぶ、謎だらけの戦闘技術だ。

 一部では「バーディツ」という名の格闘技と解釈する説もあるし、単に「滝から生還する為の舞台装置」と見做すメタな説もある。

 

武術(ブジュツ)の誤訳、という説も聞きましたが……」

 

『後世の考察は興味深いね。でも幸か不幸かすべからく違う。その答えはこの場所で、「波紋の呼吸」に見出せるんだ』

 

 やにわに立ち止まった探偵は、悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 バリツ。その正体は杖を用いた戦闘術であり、既存の杖術と柔術、CQCにボクシングを混ぜ合わせてホームズが編み出した、いわば総合格闘技術。しかしこの武術の肝は、実は呼吸にあるのだそう。

 

『呼吸を矯正し、体内の血液に特殊な波を生起させ、以て自然治癒力や身体能力を底上げする。その性質は電気に近く、鍛錬を積めば水場すら足場に出来る。故にこそ、私はあの瀑布から生還出来た』

 

 ライヘンバッハで死闘を演じた当時。敵の「呼吸を阻害すれば」勝てると踏み、毒鱗粉で肺を潰しに掛かった教授と共に滝へ落ちたのは、ホームズの咄嗟の機転に依るものである。

 コナン=ドイルは原典で「二人は共に滝壺へ落ちていった」と記述したが、あれは敢えてぼかした描写。探偵は落下した後、悠々と水の上に立ってみせたのだ。

 

「…………バリツには『波紋の呼吸』が組み込まれている、と?」

 

 水中に沈むどころか水に浮く。その特徴は文香の同窓たる空条美波が修める「波紋の呼吸」がもたらす技能と、酷似どころか一致していた。

 

『その通り。そして私が教わった「波紋」の源流はここ、チベット奥地に伝わる秘術・「仙道」に遡る。この技術を明文化・体系化した「波紋法」をジョナサン=ジョースターに遺した男が、ウィル=A=ツェペリ。言わずもがなツェペリ女史の父祖だ』

 

 波紋法とバリツの根底は、東洋にルーツを同じくするものである。そしてこの場所はチベットの奥地。更に先に言及された「師」は、宮殿お抱えの寺院で大勢の弟子に仙道を教えていたという。

 

「……なら、シャーロック。貴方とミスタ・ツェペリらに技を教えた『仙道』の師こそが……先程述べた『とても強い人』なのですね?」

 

『ああ。その名を「トンペティ」。歴代ダライ=ラマ法皇猊下(げいか)の離宮・ノルブリンカ宮殿に程近い、チベット有数の青竹林に居を構えていてね。間違いなくこの時代、最も波紋の才に溢れた人だった』

 

 剃髪に口髭、鍛え抜かれた肉体を持つ、老獪な男だったそう。

 

『彼は老若男女分け隔てなく、才あれば誰でも教えた。一介の西洋人に過ぎぬ私も、此処で組手をよくやったものだ。……この竹林も宮殿も戦争で破壊されてしまったのは、非常に残念でならないがね』

 

「……解放軍のチベット侵攻、ですか…………」

 

 高校生の時分に読んだ、世界史資料集の片隅に載っていただけの情報。だが、いざ壊される前の実物を目にすると、えも云われぬ重みを感じた。傍らの高祖父は、竹林の隙間から覗く見事な離宮群を眺め、昔日を懐しんでいるかのようだった。

 

(……ヒトの愚行で壊れた遺産も、全盛の姿のまま遺しておける。思うにこのスタンドは、閉架式の書庫にも似ていますね。……ん?)

 

 思った時、ふと。

 獣道の横合い、眼前の竹藪から、ガサガサと何やらかき分ける音がし始めた。対象は……一人、それも結構大柄。

 ……ここまで来ると文香にも、大方の予想がついてくる。

 

(このパターン、前にも経験しましたね。ということは……)

 

 きっと、トンペティなる老師が出て来るのだろう。これから手合わせを願う形になるのならば、まず初めましての挨拶からか?

 だがチベット語は方言含め言語体系がバラついており、上手く伝わるか分からない。高祖父が師事したこともあるのなら、さしあたり英語でいいだろうか。

 

(……目の前に直ぐ出てこない……投影に時間がかかっているのでしょうか?……いや、でも最初の時と違って、今はシャーロックの状態は安定している筈では……?)

 

 疑念を感じつつも身構えた文香が、分御魂たる黒犬を出そうとした時だった。

 

「ばう」

 

「…………えっ?」

 

 唐突に藪の中から顔だけ出した()()は、彼女の予想とだいぶ異なるヤツだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 そこに居たのは、一頭の野生動物。のそのそと現れるのは、太い手脚とまんまるボディの四足歩行。細めの竹を口に咥えて、興味深げにこっちを凝視。

 

「ばう」

 

 藪から棒な短い発声。つぶらな瞳に黒い隈取り。身体を覆うは白黒カラー。尻尾はくるんと短く纏まり、獰猛ながらも愛らしい。初めて()()()目撃した、大きな獣の正体は。

 

「……あの、この生き物は」

 

『パンダだ』

 

「見れば分かります……」

 

 知らないわけないだろう。上野で何度も見たことあるし。問題は何故ここにこのタイミングで居るのかってことだ。

 

 ジャイアントパンダ。言うまでもなく日本でも高い知名度を持ち、現在は中共政府がいわゆる「パンダ外交」に用いている事でも知られる。原種はチベットからミャンマー、ベトナムあたりまで広く分布していた動物だ。そして上野動物公園で知った、ここ100年前後の主な生息域は。

 

(確か、東チベット。……成る程、だからここに居るのですね)

 

 ちなみに日本で最も多くパンダを抱える自治体は、高垣楓のお膝元・和歌山県である。

 

『彼は分け隔てなく弟子を採っていてね。その中には賢い動物も含まれる。彼女がそれだ』

 

「野生動物まで弟子にしてたんですか……?」

 

 しかも彼女って、雌なのか。

 

『Ph.D クージョーの言に拠れば、過去に犬や猿、ネズミのスタンド使いもいたという。ならばパンダの波紋使いがいてもおかしくないだろう?』

 

「はあ」

 

 どんな理屈だ……と思っても落ち着きましょう私、この男はこれが平常運転です。内心を吐露せずに、文香は努めて平静を保たんとする。

 

『習うより慣れろ。と言うわけで、君はこれからパンダと取っ組み合ってもらおう、()()()()()()でね。では……やれ、フェイフェイ』

 

 述べたご先祖、革手袋を外して親指をパチン、と弾く。その音を聞いた白黒の四つ脚、おもむろに咥えた竹を前脚に持ち振りかぶり────。

 

「なっ……!」

 

 ────ビシュッッ!!素早く投擲された青竹の一投は、文香の頬を浅く掠めて飛んで行った。衝撃を僅かに受けた色白い(かんばせ)に、一点の小さな赤が淡く滲む。

 

『あの()はとても賢くてね。太極拳に八卦掌、蟷螂(とうろう)拳に少林拳まで会得している。暗器や武器の類の使用もお手の物だ。かの李書文にも師事したことがあるくらいでね?』

 

 玄孫に御構い無しに解説フェイズ。反射で一歩退いていなければ、今頃は擦り傷ではなく裂傷を負っていただろうに。

 

「……本気、ですかッ!?」

 

 直ちに距離を取って臨戦態勢。獣臭い女など婚期が遠のくと、朝方思ってた所にこれか?そんなフラグ立てをしていたなんて御免被りたい。というかスタンド無し?素手でやれというのか!?アレと!?

 

(……ヒグマと素手で闘った事もあるらしい美波さん(リーダー)なら兎も角、……私にコレと闘れ、と!?)

 

「足刀で人喰いヒグマの首を跳ね飛ばし、なめしたその毛皮を身に纏い、その頭蓋骨を杯にウォッカを飲んだ」という逸話をアーニャから先日聞いた文香、思わずたじろぐ。

 ……実際にやったのは美波ではなくアーニャの父なのだが、それを知るのは暫く後のことである。

 

「いやいやいやいや、熊ですよ?実家近くで見たツキノワグマより断然大きいんですよアレ!?」

 

『クマにまたがりお馬の稽古。日本の童謡にもそんな一節があっただろう?』

 

「まさかり担いだ金太郎じゃあ無いんですよ私は!」

 

『獅子は子を谷に突き落とし、這い上がってきたもののみを育てると言う。がんばれがんばれ、波紋を制御すれば生け捕りも可能だ』

 

「絶滅危惧種です!殺すどころか傷付けるのも以ての外です!」

 

 国際法と倫理観が頭をよぎる。ついでに可愛いからやり辛い。至極当たり前の事を述べる玄孫に対し。

 

『大丈夫だ、私がチベットを訪れた時にワシントン条約は発効していない。よって此処にいるパンダと対面(トイメン)で闘っても無問題(モーマンタイ)さ』

 

 ……確かに、「事後法による遡及処罰の禁止」は法治国家の大前提。だがこの非常識男に常識を説かれるのは、なんか釈然としなかった。余計な中国語は煽りにしか聞こえないし。

 

『というわけで、受け取れフミカ』

 

 餞別だ、とばかり。いつの間にやら離れたところに座っていた彼から、手に持っていた合金製と思わしき杖を軽く投げ渡される。

 

「……っ!」

 

 重さは3〜4kg程だろうか。咄嗟に掴んだ硬質な感触は、金属特有の冷たさを伝えてくる。……ちょっと待て、これって。

 

「……こ、これを、……私に使えと……?」

 

『ああ。今回、私は君に口出しするが助太刀はしない。スタンドを使役出来る我が係累が進むべき第2段階、「バリツ」の会得。それこそ君が生き残り、勝つ為の最適解だ』

 

 前門のパンダ、後門の探偵。どっちに転んでもロクでもない。

 

『兎にも角にも実践あるのみ。先ずは頬の擦過傷を治すところから、だね?』

 

 寝っ転がった彼、今度は黒犬へと姿を変える。本当に静観の構えのようだ。

 

(…………ああ、もう……っ……)

 

 不格好ながらも杖を正中に携え、身体を半身に逸らして構える。

 

(……時代を渡って此処まで来たのです、斯くなる上は……とことん闘るしかないみたい、ですねッ…………!)

 

 かくしてIU本選を目前に控えた新米アイドルに対し、父祖のスパルタ指導が幕を開けたのであった。

 

 

 

 




・パンダ
かしこい。


・トンペティ
波紋の開祖にして預言も出来る後期高齢者。2部開幕時点では故人。遺骨はチベットの山奥深くにひっそりと眠っている。


・???(24)「藪の中から藪から棒……ふふっ」


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027/ 薄荷煌々

加蓮過去篇、本篇前日譚。


 

 

 ────時に、今を遡ること約9年前。

 

「じょーすけー!こっちこっち!」

 

 西暦2005年初春。東京都新宿区信濃町はK大学附属病院・小児科病棟にて。

 

「分かった分かった、アブねーから急に走んなって!」

 

 この年21歳になろうかという青年・東方仗助は人混みの中、腕白な少女の後をついて行く。

 

 核家族の為か、第二子・莉嘉の幼稚園参観に揃って出席する彼女達の両親に代わり、上の子の面倒を頼まれたのがつい先日。そんなわけで自分の通う大学の附属病院に彼は本日、女児を同伴して足を踏み入れていた。

 

(……まーさか、娘の予防接種まで俺にお任せってな、予想外だったけどよォ)

 

 もちろん本来、小児予防接種は親同伴でないと接種不可。しかし病院内に多くの知己を持ち、病院自体にも個人的に()()()()()()()()()()この男、多方面で色々と融通が効くのだ。

 本人曰く「ジョースター不動産持株の配当金の有意義な使い道」、だそう。

 

 そんなわけで受付へ赴くと、やはりというべきかそこには見知った……具体的には大学の先輩がいた。こちらを見るなりニヨニヨした笑顔を浮かべた女性、からかうように言い放つ。

 

「あら仗助くん、まーた違う女の子連れてるのね?今年の学祭はその娘と歩くの?」

 

「後輩をいじめるもんじゃあないっスよ。センバイこそ、今年は誰を侍らすんスか?」

 

「言うわねぇ〜、もう卒業生よ私?」

 

「元ミスK大が謙遜しすぎってな、良くねえと思いますけどね?」

 

「へぇ?なら、どっかの誰かさんに予約入れとこうかしら?」

 

「豊川」と記された名札を下げた、グラマラスな彼女のイジりを横目に。子守役の青年と手を繋いで歩いてきた少女が、大きな目を見開いて挨拶を交わす。

 

「こんにちは!えーっと……ほうかわさん?」

 

豊川(とよかわ)よ、こんにちは美嘉ちゃん。隣のカレシから聞いてるわよ、妹さんがいるんだって?」

 

「うん!かわいいんだよ?こないだまちがえてカブトむしゼリー食べてたの!」

 

「あらあら……でもそうねぇ、カワイイわよね?私も歳の離れた妹が居て……あ、『風花』って言うんだけどね?」

 

 などと盛り上がる二人を横目に、淡々と記帳しようとする。……と、これを見た美嘉、おもむろに「アタシが書きたい」と言い出した。がしかし、テーブルが高くて届かない。

 

「見えな……じょーすけ!抱っこ!」

 

「へいへい」

 

 言われるがまま、テーブルの上に抱え上げる。すると「ありがと!」とのお礼もそこそこに少女、小さな手ながら器用な持ち方で、万年筆片手に記名。

 

 最近、拙いながらも常用漢字を幾らか習得した彼女は、機会があればすぐペンを持ちたがる。ついこの間平仮名を覚えたばかりだというのに、子どもの成長とは早いものである。

 

(……気分はまるでシングルファーザー、ってか?)

 

 画数が少ないからか、何故か自分の名前より先に「東方仗助」と漢字で書けるようになってしまった新米ジュニアモデルを抱えて思う。なお、自らの「城ヶ崎美嘉」というフルネームは複雑な字体のためか、まだ綺麗には書けないらしい。

 

「仲良いのねぇ、ちょっと妬けちゃうかも?」

 

「こうすると高いとこまでみえるもん!あ、おねえちゃんも抱いてもらえば?」

 

「あら、私も?折角のお兄ちゃん、寝取っちゃっていいの?」

 

「ねとる?」

 

「先輩!……美嘉、早く予防接種いくぞ?」

 

「はーい!」

 

「いってらっしゃい。あ、それから仗助君、あとで院長先生がお話しあるって」

 

「いっ?……マジすか?」

 

「そりゃあもう。これ、場所を指定したプリントね」

 

「うへぇ……どーもニガテなんスよねェ〜、偉い人に呼び出しとか食らうのは」

 

 思わず渋面を作る。高校生時代、生徒指導係の教授に服装を注意された経験を思い出したからだ。ただし入学当初に()()()()()されて以降、一度も呼び出される事はなかったが。

 

「じょーすけ、何かわるいことしたの?」

 

「んー、今回は身に覚えがねェーぞ?無罪だ無罪」

 

「じゃあ、えんざいで捕まっちゃう?しけい?」

 

「いいや、ヤボ用だろーどうせ。すぐ戻ってくっから、ちょっとだけ託児室にいてくれ」

 

「サーティーワンのベリーベリーストロベリーで手をうつよ?」

 

「ダブルまでな?あと歯磨き必須」

 

「まかされた!いい子にしてる!」

 

 即座にイカサマじみた取引を持ちかけるあたりは、既に1年以上の付き合いになる目の前の男の悪影響か。もちろん根っこは素直な少女なので、この駆け引きに悪気はない。が、のちのち妹に伝播する小悪魔の片鱗も垣間見える。

 美嘉が後年、高垣楓から習ったメソッド演技で以って演技派の称号を得る素地は、この時から既に育まれていた。

 

 

 いわゆる「カリスマギャル」として恋愛体験談の開帳を求められた際、幼少期からの仗助との思い出話を(適当に盛って)語るようになるのは、この数年後の事である。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ところ変わって、院長室。マホガニー材のインテリアに、クリーム色に塗られた壁材が目を引くシンプルな(あつら)え。挨拶もそこそこ、部屋の主に「掛けてくれ」と促された青年は、適当な話から始めることにした。

 

「お初にお目にかかります、院長。ただ今年で米寿ってのは知りませんでした。お祝いも持たずに失礼」

 

「お構いなく、東方君。急に呼びつけたのは儂じゃし、の」

 

 齢80を越す、白髪でギリシャ彫刻の如き濃い顔立ちの院長。その彼から「君と話したいことがあってね」、と断りを入れられた話とは。

 

「……約2年程前から、この病院には妙な噂が立っていての」

 

「柳」とだけ名乗った院長は、そう訥々と語り出した。約2年前。丁度、()()()()()()()()()流れ出した妙な噂……というと、おそらく一つしかないだろう。頭を巡らせる仗助は。

 

「ああ、それなら知ってるっスよ。『難病快癒の不思議病院』、ってやつでしょう?」

 

 曰く、転移した癌細胞が消失した。血栓が無くなっていた。Ⅲ度熱傷が目覚めたら完治していた。常ならばあり得ぬような超常現象が、この病院では時折、発生するのだそう。巷では「座敷童が棲み着いている」なんて噂も立つ始末だが、()()()()()()()()()()

 

「何故だ、と思うかね?」

 

()()()()()正直、ある。が、訳あってさしあたり静観する。

 

「さあ。神頼みでも奏功したんじゃないスか?」

 

「神頼み……去年の改築工事の後の、地鎮祭の話かな?」

 

「ま、そんなトコでしょう。あのとき島根から来てくれたッつー巫女見習いの子。彼女のお祈りが効いた奇跡、とか」

 

 父親譲りの流暢で適当な舌鋒を飛ばしながら、仗助は思案。

 

(「鷹富士茄子」、って言ったっけなァ〜、あの子)

 

 およそ、小学校中学年程度かと思われた少女だった。物凄い豪運を有し、その預言は全て当たる……と地元では有名らしい。実際に億泰、康一と一緒に卒業旅行で島根の出雲大社へ赴いた際、仗助も妙な預言を貰っている。

 

「癖のある女の子達がどんどんと寄ってきます。同時に凶兆も。……ただ、その先はイバラに覆われていて分かりません」。……これが、彼女が仗助に申し述べた預言である。

 曰く「クリアな預言が出来ない人は初めてです。そういう星のもとに、生れついているのかもしれません」とのことだったが。

 

「奇跡?……いや、違うの」

 

 御老公は、これを言下に否定した。

 

「これは神の御技でも、仏の御心でもない。ある共通点が存在するんじゃよ」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 永き人生を数多の勲章で彩ってきた名医は、そう言ってから一旦、お茶で喉を湿らせた。

 

「共通点、っスか?」

 

「ああ。其れ等は全部で三つあっての。まず一つ、()()()()()()()は治っておらん。完治したのは、全て病因の分かっているもの。二つ目に、『患者が手術の負担に耐えきれない』と判断されたもの」

 

 そう。これは無差別な奇跡などではない。明確な規則性がある。

 

「そして三つ目。先の二条件に該当した患者(クランケ)は、何故か()()()()()()()に限って、症状が劇的に改善している。事由は判らんが……例えるなら彼らに対して、『超高速の外科的手術が行われた』……というところかの?」

 

 知らぬとはいえ核心を吐く言葉をよそに、しかし。

 

「成る程。ンじゃあ、仮に()()()()()どうだってんです?」

 

 若人は素知らぬ顔で切り返す。何故なら。

 

(……台詞からして、治したのは俺だって目星はついてんだろう。解ってて聞いてくるって事は……この爺さん、ひょっとしてスタンド使いか?人は見かけによるもんじゃあねえ、もしDIOのシンパだってんなら、……先ずは承太郎さんに連絡入れねーと、な)

 

 腹芸は得意そうだし、油断ならない。青年がポケットに入れたアンテナ付きのガラケーを、こっそり握り締めた時。

 

「だとすれば…………ひどく、虚しいものじゃな」

 

 返ってきたのは、一気に五歳ばかり老け込んだような声だった。何らかの感情を込めてのものか。骨ばった拳が、ギチリと音を立てて握り込まれる。

 

「虚しい……?」

 

「……かつて儂は、『世の苦しむ人を全て救おう』と思い至って、医の道を志したんだがね」

 

 若き日の思いを投げた独白は、寂寥(せきりょう)感すら漂わせるもので。

 

「先代院長より受け継いだ、この病院の評判が良くなるのは結構なこと。……だが、そこに我々医学者は何ら寄与していない。死に瀕した者を救ったのは、顔も名も知れぬ何者か。大病院のインテリが『看取るしかない』と看做(みな)した患者が、次の週には感謝を述べて退院していく。誰かの成果をタダで横取りしている儂らに頭を下げて、ね」

 

 日頃から何の為に「先生」だ「プロフェッサー」だと崇められ、高給を貰っているのか?……当然、重く崇高な職責を果たす為だ。

 それが出来ぬまま、訳も分からぬまま患者に頭を下げられる現状は、医者として忸怩(じくじ)たるものがあった。

 

「ここは我が国でも最高峰の病院だ。医療機関をたらい回しにされた患者でも、命を繋ぎとめた例は数知れない。この手で直接救った人の数も、優に四桁を数えるだろう。……そんな連中が集って、このザマさ」

 

「……院長の功績は、俺も大学の講義で知ってます。『神の手を持つ』と謳われた外科医が、この病院に寄与してないってのは謙遜でしょう」

 

「昔の話さ。今では老眼とリウマチが酷くてね。……この通り、湯呑みを持つだけで手が震える有様。メスを握ったとて、まともな執刀は望めんよ」

 

 憐憫など不要とばかり、カタカタと小刻みに震える茶器を持つ院長。だが。

 

(……気の毒な事だ。……ンでも敵さんとなりゃあ、たとえお年寄りだろォーが手加減は出来ねェ……!)

 

 同情しながらも冷静な男は、かくて……無言でスタンドを顕現させる。が、老人に反応は無い。至近距離まで近付けても……本当に、視えていないようだった。

 

(……おいおい。こりゃあ……シロか?)

 

 ……なら、話は別だ。「疑心暗鬼になり過ぎたのは、自分の方だったみてェーだ」とは、のちの仗助の述懐である。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「院長。……どうやって、俺に辿り着いたんスか?」

 

 敵でもない。スタンド使いでもないなら、話は違う。だから言外に、やったと認めた。

 

「……そうかそうか。腕も眼も最早十全に使えんが、この脳味噌だけはまだ耄碌しとらんようで良かったよ」

 

 兜を脱いだ青年の顔に我が意を得たりとばかり、満足そうに頷いた老人。間髪入れず、意表をつく事を言い出した。

 

「君、こないだ電車で痴漢されていた女子中学生を助けたろう?」

 

「あー……?……ああ、確か愛媛出身の『柳』って子を…………って、まさか」

 

 確かに助けた。しかし事務所に向かう途中だったので急いでた時だ。JR側との連絡先交換もそこそこに、犯人を駅員に突き出してさっさと移動した覚えがある。

 だが、「柳」って。

 

「柳清良(きよら)。他ならぬわしの曾孫だ」

 

「……その節はドーモ、お世話になりました……」

 

「いやいや、こちらこそ曽孫が世話になったの。礼を言わせて貰うよ」

 

 痴漢を取り押さえたのはどんな人だったのか。彼女の両親が娘にそう尋ねたところ、東方仗助が候補に浮上したという。関東在住の身長約190cm、黒髪碧眼で色白、筋骨隆々の若い優男などそうはいない。探偵を雇わずとも、都内のトレーニングジムとモデル事務所へ適当に電話するだけで、特定は容易だったとのこと。

 

「で、本題に戻るんじゃが」

 

 この老骨に代わり、なんとかしてもらいたい少女がいる。

 

 語り始めたところによると、その少女はこの病院に転院して間もないらしいが、余命は合算2年もないという。勿論最期の日まで入院は確定しており、退院どころか通院も許される状況ではない。

 が、小児末期患者へのせめてもの(はなむけ)として、当人に死期は知らせず、その日まで同年代の子供達と遊んで生活できる様に努める……というのが現行の方針らしかった。

 

「その少女の名を……」

 

 後期高齢者が重々しい口を言いかけた、正にその時だった。

 

「じ、じょーすけっ!」

 

 バンッッ!という開閉音も間もなく。勢い良く開けられた扉から、転がり込むように飛び込んできたのは。

 

「な、美嘉ッ!?」

 

 託児室に預けたはずの、同じ事務所の少女だった。息急き切って駆け付けてきた彼女、今にも泣きそうな目をしている。

 

「どうした!?」

 

「……あそんでたら、倒れちゃったの!ひとり!おんなのこ!」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 騒乱に収拾をつけようとする事、数十分。再度人払いをかけて諸々の処理を済ませ、美嘉を親御さんに引き渡し、今日のところは帰宅の途に着かせたのち。

 

北条(ほうじょう)加蓮(かれん)ちゃん、ね……」

 

 呟いた仗助は、一枚の写真を握る。そこに写るは就学前の、栗色髪を有する幼い少女。奇しくも美嘉の遊んでいた相手こそ、院長が伝えたかった「なんとかしたい患者」であったのだ。

 写真の添付された文書には、詳細な文面も載っている。

 

「本来は部外者にカルテを見せるなど、始末書どころか免職ものだがね。こんな事は儂の人生でも初めてだ」

 

 しかも、実質初対面の得体も知れぬ男に、だ。ただそんな怪しい奴に頼らなければどうにもならない現状に、医者としてはほぞを噛むような思いなのだろう。

 齢六つばかりの少女の身体には、耳の後ろなど目立たぬところにあるとはいえ、多数の手術痕が残っているらしい。

 

(こりゃあ……よく、今迄もったってレベルだな……)

 

 埋め尽くされるのは、数多の症例の数々。貧血、中耳炎、脊柱湾曲、緊張性気胸、群発頭痛、不整脈、エトセトラ。過去には肺水腫の治療を行なっており、極め付けに心房中隔欠損症までも患っていた。

 カルテにある見慣れぬ病名を、思わず上から突いて問う。

 

「……この病気、一体どういう代物ッスか?」

 

「心房壁に空いた孔が、心機能を低下させている病だ。内視鏡では手に負えん。外科手術でしか治せんよ」

 

 少なくとも、現代2005年の医学ではな。カテーテル手術は日本では臨床にすら至っておらん。柳院長の言葉を受けつつ、手渡された資料をパラパラと捲る。

 

「かかる時間は最速で約2時間。施術は胸部を12cm程度切開、当然ながら全身麻酔をかけて行う。手術中、患者は心停止するため、外付けの人工心肺装置に呼吸を依拠。リスクとしては患者の虚弱さも相俟って、術後に心筋炎、更に心筋梗塞発症の可能性あり。……正直、酷どころか殺人と変わらんよ、今の彼女にはね」

 

「……体の弱った6歳児に、ンな手術耐えれるワケがない。『まともな治療が出来ない』、ッてのはそういうことっスか」

 

 長丁場のオペを乗り越える体力が、これまでも別の病気で手術を繰り返し、挙句頻繁に貧血で倒れこむ幼子に残っているとは思えない。よしんばクリアしたとしても、合併症に怯えて生きていくことになる。傷痕は更に増え、水着を着て泳ぐどころか、満足に走る事も難しくなるだろう。正直、術後の人生の質(QOL)を確保することは出来ない。

 

「投薬治療では完治しない。心臓移植はドナーがおらん。そもそも施術時間がかかり過ぎる。人工心臓移植手術も同様だ。大元の心臓さえ健康になれば、不整脈や肺水腫に悩まされる事も無くなるんだがね」

 

 仗助自身も幼少期、高熱が出て50日ばかり生死の境を彷徨ったことがある。が、そんなものが生温く思えるレベルのハードさだった。

 加えて自らのスタンド能力では、病気の類は治せない。……だが。

 

「……要するに、孔を()()()いーんスよね?」

 

「ああ。雑菌やウイルスが入らぬよう衛生を保ち、微細な血圧・血量の変化に気を配り、心室心房を悪戯に歪めず、後遺症を残さないという前提をクリアした上で、な」

 

 なんだ、そんなことか。

 

(クレイジー・Dは、怪我は治せても原因不明の病気は治せねェ。無から有を創ることも出来ねえ。……けど、患部の摘出や癒合で治る類の「病」なら、話は変わってくる)

 

 自分が原理を理解し、材料さえ揃っていれば、あとはどうとでもできる。人体内部に入り込んだ特定の物体(アクアネックレス)を瓶詰めにして取り出した事もあったし、アスファルトを原材料(コールタール)に戻す事も出来る。

 

「出来ますよ。ソレで良いなら」

 

 まして孔を塞ぐなんて行為は、これまでもしょっちゅうやっている。人の身体から悪性新生物(ガンさいぼう)だけをブチ抜く、なんて芸当だって可能だ。

 

「……厚かましいのも、情けないのも承知の上。しかし患者が助かるなら、儂は君の靴だって舐めてやるさ。その上で────」

 

「いいや院長。これは二択っスよ、俺がやるかやらないかの」

 

 そう。「怪我」と解釈出来るものなら、凡そ全てスタンド(このチカラ)で完治させられるのだ。

 

「……そうか。頼もしい、の。なら……ついでに実はもう一人、やってもらいたい人がいるんじゃが」

 

「へぇ、別に居るんスか?」

 

 その場合、症状が重篤な患者から当たる必要がある。優先順位としてはどっちだ?……いや、北条加蓮か?

 

「対象はひとり、今度は20代前半。小太りの成人男性だ」

 

 思わずゴクリ、と喉がなる。少女程に重い病状を抱えた者が、もう一人居るのかと。折しもタイミングよく今朝運ばれてきたという、その彼について。

 

 

 

「……症状と、詳細を」

 

「おうとも。不謹慎だが担当医達が、この患者の対応中に笑いを堪えるのに苦心していてな。聞けば一人暮らしで暇を持て余し、性に奔放になってしまったらしくての。全裸に蝶ネクタイを締め、更に某所を洗濯バサミで摘まんだ状態で運ばれてきたんじゃが、出来心でキュウリを下腹部に挿れたら、折れて中で抜けなくなったと」

 

「下剤でも食っとけ」

 

 聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 阿呆な話は傍に置き。真面目な話を詰めてプランを練っている内に、時刻は既に夜の帳が下りていた。

 

 

「…………ここか」

 

 消灯後、間も無く。個室の病室の前でネームプレートを確認した東方仗助は、控えめに三度ノックをして、暫し待つ。声が返ってこないがソレもそのはず、中に居る少女は呼吸器をつけている。

 布団を身じろぎさせ、此方を向いたと思わしき衣摺れの音を返事と見なし、仗助は静かに入室した。

 

「こんばんは。……遅くに起こしてすまねーな、巡回のもんだ」

 

 ……だれ?と、呼吸器をつけた口が言う。眠いのだろうか、微睡みの中にある眼に、小さく自分が映っていた。

 

「東方仗助、ってんだ。今日は柳院長先生に頼まれて、看護士さんの代わりに来た」

 

 低いが、よく通る声でゆっくりと語り掛ける。

 

(……昔の美波ちゃんや一昨年の美嘉と比べると、体は小さいし痩せこけてるな。無理もねェ、これまで何度も大変な思いしてきたんだろう)

 

 苦しそうに呼吸をする眼前の少女に、想いを馳せる。成長に個人差はあるだろう。が、健康優良児な事務所仲間や、五体大満足な又姪の同じ歳の頃と比すると、その差は歴然だった。

 

「『急に来といて、なんだコイツ』、って思うかもしんねーけどな」

 

 彼女が、北条加蓮が喪った時間を取り戻すことは出来ない。美嘉のように真新しいランドセルを背負い、友人を作り、一緒に遊び、楽しく学べた筈の1年間は戻らない。負ったであろう心の傷は、そのままでは癒せない。人より数倍努力せねば、開いた差は埋まらない。

 

「無理に喋らなくていい。良ければ頷いて、嫌なら目を閉じてくれ。ちょっと考えて貰えば、それで良い」

 

 結局のところ、最後は自分の力で困難に立ち向かっていくしかない。その労苦を思えば、これから己のする事は取っ掛かりに過ぎない。

 

「なあ、加蓮ちゃん」

 

 腰を落とし、目線を少女の高さに合わせる。

 

「……病気が治ったら、何がしたい?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 なにいってるんだろう、この人。突然現れた大きな男の人の話に、加蓮が寝惚け眼のまま思ったのはそれだった。だけど。

 

「もちろん、今考えたく無いならそれでも良い。『帰れ』って思ったら、黙って俺に向かって中指立ててくれ。ソッコーで部屋から出る」

 

 気さくな顔でそんな事を言う人には、初めて会った。

 

「ただ……俺は、君は今死ぬべきじゃあない、と考えてんだ」

 

 なんだろう、この人。今まで会った、誰とも違う。

 これまで自分に会った大人が向けるのは、大抵は同情と哀れみと遠慮の視線。医者や看護士は大抵事務的だし、親身になってもすぐ転院。大好きな両親と祖父母だって、自分の前で笑う時は悲哀を必死に押し隠していた。

 

「インフォームド・コンセントってのが要るんでね……ッと、ココで横文字使うべきじゃあねーな」

 

 物心ついた時の初めての記憶は、「ごめんね」と嗚咽しながら自分を抱き締める、母親の腕の中からだった。耳に包帯を巻かれていたから、何かの手術をしたのだろう。公園デビュー?とか言うのも、ついぞ自分はしたことが無い。

 

「医療行為って呼べるか分かんねーけど、平たく言やぁ怪我やら炎症やらが全部治るって、そんだけだ。だから……」

 

 幼稚園のお遊戯会も、練習で倒れて以来一度も出ていない。砂場遊びは感染症の危険があるから駄目だと診断されて、一回も出たことはない。水泳は見学しかしたことが無いから、未だに泳げない。

 冬の寒い日、近所の子達が雪玉を投げ合って遊んでいた日も、二階の部屋の窓から眺めるだけだった。

 

「……諦めんのは、まだ早え」

 

 これまでの入院生活で刻まれているのは三つ。香料のついた麻酔の匂いと、遺体に泣き縋る親族の悲痛な声、そして無機質な病室の壁。

 先日は看護士達がひそひそ声で、「あの子は余命2年らしい」と述べていた。……なんとなく、分かる。いわゆる「死期」と言うんだろうか。ソレを、短いながら悟った気がする。でも、それなら。

 

「生きてんなら、眼を醒ますのは今この時だ」

 

 それならアタシは、何の為に生まれてきたんだろう。

 

『なあ、加蓮ちゃん』

 

 耳に引っかかった言葉が、フラッシュバックする。アタシは家族に、なにも返せてない。なにもしてない。なにも出来てない。

 

『……病気が治ったら、何がしたい?』

 

 何がって?そんなの、そんなの山程ある!でも、最初は、最初にやりたい事は、まず…………!

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 応答がなくとも語り掛けるうちに、彼女の目線はこちらに向くようになってきた。

 

(……耳に入ってきたみてェーだな。いよっし、聞いてくれりゃあどーにかなる、問題はこっからだ……!)

 

 その時、次の言葉を継がんとした仗助に対し。彼女が、震える手でゆっくりと指差した枕元。「みて」と口を動かした彼女の、視線の先にあったのは。

 

「……絵日記、か?」

 

 カバーが白いからか、布団に紛れて気付かなかった。誰かから贈られたのか、丁寧な装丁のソレをそっと手に取り、意図を汲み取らんとページをめくる。震える手で必死に描いたのだろう、いずれも筆圧は弱く掠れている。

 だが、その最後のページにあったのは。

 

『みんなといっしょに、うたいたい』。

 

 拙い筆致ながらも、恐らくはお遊戯会に参加できなかったのだろうか。幼子がなけなしの力を振り絞ってクレヨンで描き殴ったと思わしき、血を吐くばかりの思いが克明に記されていた。

 

「………………!」

 

 唇はカサつき、点滴で栄養を賄い、同年代の子供よりはっきり痩せ衰えていても。胃ろうを待つばかりの、余命宣告を受けた身体でも。ストレスか投薬の副作用からか、幾分か若白髪の混じった髪でも。

 

「……グレートだぜ、嬢ちゃん」

 

 それでもその眼に、生きようとする「意思」を感じた。死の帳ではなく、太陽の輝きに導かれんとするその在り方、まるで。

 

(吉良ブチのめした時の、あん時の早人並に強い眼だ。コイツぁぶったまげたな、オイ……!)

 

 だから、贈ろう。

 

『──────────クレイジー・Dッッ!!!』

 

 迷いなき覚悟へ、最大の喝采を。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ドギャアンッッ!!────幽体の放つ一振りは、わずかに一回。しかしそれだけで呼吸器の管や縫合用の糸が、体外へ綺麗に析出される。

 

 抗生物質を混ぜ込んだ点滴は希釈されて体内へ格納され、包帯を巻かれた治りかけの傷口は全て塞がれ、幾つもの手術痕は跡形もなく消失する。浮腫んだ手脚もカサついた髪も、あばらの浮く痩せ細った体躯も、歳相応の柔らかさと瑞々しさを取り戻す。

 

(……未開封のミネラルウォーター、ってのは便利だな。水分不足の弱った人体に混ぜるには持ってこいだ)

 

 カルテを頭に叩き込んで行った超高速修復は、僅かに刹那の間で完了。余りに突然の超現象が身体に巻き起こった為か、茫漠と目を見開いていた少女だったが。

 

「お疲れさん。……もう、口から水飲めるだろ?」

 

 ぬるめのミネラルウォーターをベッドレストに置いた仗助に、驚愕の対象を移し。

 

「目が覚めたら無理せずにゆっくり飲みな。もしなんかあったらナースコール呼んでくれ、すぐ飛んでくる。……じゃあ、また会おうぜ」

 

 驚いた幼子がしかし眠気に耐え切れず、目を閉じたのを最後に。その日はそれだけ言って、あっさりと退室する事にした。

 

(糸なんかの医療廃棄物は圧縮して纏めた。コレは院長経由で病院に処分してもらうとして……)

 

 手のひらサイズの塊を左手に持ちつつ。ガラガラ、と無機質な病室の戸を閉めた男は、院長室に向かってゆっくりと歩き出す。心中にあったのは、安堵と緊張。

 

(……柄にもなく手汗が酷えな。上手くいって良かったぜ)

 

 ……東方仗助が、一度は志した医師の道を歩まなかったのは単純明解。皮肉なことに医者にならない方が、より多くを助けられるからだ。

 だからこそ彼が目指したのは教師でも警察官でも、はたまた学者でも不動産屋でもない。

 

(トリアージって考え方は、俺には必要ねーからな)

 

 助かる見込みなき者に黒バンドを巻き付ける、救急医療の常識。しかしこの男にとっては、死に瀕した者こそ最も早く手を差し伸べるべき対象である。

 

「……あ、やべ」

 

 気高く、そして心優しき看護婦であったエリナ=ジョースター。ジョナサンの意思を継ぎ、老いては孫を見守り、静かに逝った守り手の血。そんな曽祖母の優しさが最も色濃く反映されたのは、実は彼なのかもしれない。

 

(……二人して治すのにアタマ一杯で、親御さんに連絡すんの忘れてたわ)

 

 本人の同意は得たから、ギリギリ目溢ししてもらえるか?でも、何と言って家族に電話するのか。

 ひとしきり院長と頭をひねり、「『奇跡の巫女・鷹富士茄子女史の効能』って事でいんじゃね?」という投げやりな案が出るのは、この数分後の事であった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「よ、元気してたか?」

 

 それから、6日後。ここ数日、毎日のように訪れる、「北条」と名札のかかった病室にて。

 

「そりゃもう、じょーすけのおかげでね。……あのね、かんごしさんがね、『へやのお花がまったく枯れない』ってふしぎがってたよ?」

 

 血液検査などの処置も滞りなく終わり、明日めでたく退院の運びとなった加蓮。日中は仕事のある両親より早く来てくれるのが嬉しいのか、話し相手として呼ぶようになった仗助に対し、そこそこに懐いたのがこの数日間であった。

 

「あと、アタシのこともしゃべってた。まるでキセキだ、って」

 

 話の合間に彼女、ミネラルウォーター凡そ200mlを一息。一気飲みを軽々行った彼女は、身体の調子を確かめるように拳を握っては開く。

 

「…………うん。いきてる」

 

 あの日から、それまですぐに切れていた息が上がらなくなった。雨の日や季節の変わり目毎に感じる、手術痕の疼きもない。視界はブラックアウトせず、胸が苦しくなることもない。

 

「アタシ、いきてる」

 

 汚泥のように纏わり付いていた、全身の倦怠感がまるで無い。しかめ面を作る原因になっていた、頭痛も全く感じない。中耳炎を患って以降、悩まされた耳鳴りもない。強くゆっくりと拍動する心臓は、これまでのように頻繁に空打ちする事もない。

 

「……ああ。点滴もペースメーカーも要らねえ。基礎体力さえつけりゃあ、後は跳んだり泳いだりし放題だ」

 

「……もう、しゅじゅつしなくてもいいん、だよね?」

 

「怪我しなきゃあ必要ねーぜ?今後の人生にはな」

 

「じょーすけって、まほうつかい?」

 

「ンな大層なもんじゃあない。アレは隠し芸みてーなもんさ」

 

「……どうして、たすけてくれたの?」

 

「誰かを助けんのに、深い理由なんか要らねーって。必要だと思ったからそうしたんだ。それに……」

 

 思えば、人との会話に飢えていたのか。先日降って湧いた有り得ぬ事実に驚きを隠せないのか、或いは元々の性分か。ここ数日ですっかり饒舌になった彼女に応えるように、真っ直ぐ相手の目を見て仗助は語り掛ける。

 

「人間てなァ、当然誰しもいつか死ぬ。だけど、……何も今死ぬこたぁー無えだろ?」

 

「……そっか。………………うん、そだね」

 

 返事は、果たして。

 

「……アタシ、さ」

 

 喋るうちにお腹が空いてきたのだろうか、手近にあったゼリー飲料も飲み干した彼女は、堰を切ったように話し出した。

 

「たいいんしたら、うた、歌いたい。それからがっこういって、ディズニーいって、ともだちとあそんで、あと……テレビでみた、アイドルみたいになりたい」

 

「ああ。なれるさ」

 

「だから、つれてって?」

 

「……俺がか?」

 

 同年代の子と比して尚も小さな両手が、自らの利き手を握る。文字通り大きさに大人と子供の差がある握手。しかし秘められた熱量は、なんらの引けも取らなかった。

 

「だって……じょーすけ、アタシがはじめてちゃんとみた、お星さまだもん」

 

 お星様…………?……昨日タンクトップを着たまま彼女を肩車した時、背中の星痣を不思議そうに見ていたからその事だろうか。

 

「やくそく……して、くれる……?」

 

「……わーかったよ。んじゃ、俺からもひとつ約束な?」

 

 ベッド周りの千羽鶴やら見舞いの品の菓子やらを、一瞬で梱包して箱に詰めていく。

 そういえば「髪切りたい」と彼女が言っていたので、「前髪はコッチの方が良いぜ」と付け加え、目にかかるくらい伸びていた彼女の髪型をやはり一瞬で整えたのは、確か一昨日のことだったか。

 

「親御さんより先に死なないこと。もちろん健康に生きて、な」

 

「じょーすけよりも?」

 

「当然。一日だけでも良いから、俺よりも長生きしてくれ。まあ、簡単にはくたばらねーけどよ」

 

「…………うん!」

 

 ついでに「明日はポテトとハンバーガー食べに行きたい」との要望に苦笑しながら応えると、何でかその場で指切りを結ばされた。

 

 丁度、八分咲きの桜が満開になった、早春の事だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 それから、9年後。都内某所に位置する、「北条」と立て札が冠された邸宅の二階にて。古びた千羽鶴を大事に飾るこの家の長女の部屋に、声を掛ける妙齢のは美女が一人。

 

「かれーん?そろそろご飯よ……って、まだ勉強してたの?」

 

「あ、ありがとお母さん。勉強……ってそりゃまあ、受験生だし?」

 

「根詰めるわねえ。美嘉ちゃんの影響かしら?」

 

「あー、ソレはぶっちゃけあるかも。でもアイドル目指すのは高校受験終わってからだよ?凛も同じ高校志望だし、大学は絶対にK大って決めてるもん」

 

「K大ってホントに?あそこ、国内の私大で一番偏差値高いのよ?」

 

「だからこそ、だよ。ハードルは高い方がいいでしょ?あの楓さんの母校だし。ちなみに美嘉も狙ってるらしいよ?」

 

 握り拳をパン、と叩いた娘。「学費は大丈夫、中学の今から特別にバイトもさせてもらってるし」と述べる口調に迷いはない。ただ……意気軒昂なのは上等だが、大事な理由が抜けてやしないか?

 

「そうねぇ。あんたのお熱なイケメンプロデューサーもOBだしねえ?」

 

「なっ……え……ち、違うし!ソレはリスペクト!あくまで敬意!大体、年嵩ほぼダブルスコアで違うんだし……!」

 

「はいはい、大変ねぇ我が娘も。彼がもし既婚者になっても狙うつもりなの?」

 

「お母さんっ!」

 

「心配しなくても、三者面談じゃ黙っとくわよ。でも、まさか前髪の形を9年変えてないのがそんな理由とはねえ?」

 

「コレはこだわりっ!別にやましい事じゃあないでしょう!?」

 

「娘が勉学に励むモチベーションになってるんだから、むしろ感謝してるわよ。じゃ、5分後くらいに降りて来なさい。顔真っ赤よ?」

 

「なんてずけずけ言うのよこの母親……!」

 

「おほほほほ、どうもどうもごきげんよう?」

 

 バタン。去り際に散々引っ掻き回した御母堂は、引き際鮮やかに颯爽と退室していった。

 

「もぉぉ、言いたい放題言ってくれちゃって……!」

 

 若干ぷんすか。娘だからってイジリ過ぎだろうあの女親は。思いつつも机に突っ伏して、独り言。

 

「……アタシは家族にだって、感謝し足りないのに…………」

 

 それぞれの誕生日に飽き足らず、父の日と母の日と敬老の日にも色々プレゼントなり花なりを贈ったりしているが、個人的にはそれでも尚余る。

 

(……元々、いつ死んでてもおかしくなかったからね。アタシ)

 

 呪われているのではと思うほどに、幼少期は苦難の連続だった。

 生まれついた時点で臍の緒が首に巻きつき、仮死状態で出生。更には先天性の半身麻痺まで有していた。母乳すらまともに吸えず、両親が一滴ずつスポイトで垂らしてくれたミルクを食んで命を繋いだ。祖父母は己の動かぬ半身を気兼ねし、毎日毎日さすってくれた。

 

 幸い、奇跡的に未満児の間にマヒは消えた。がしかし、その後も別の病気で入退院と転院を繰り返す日々。幼稚園はまともに通えず、小学校低学年時は保健室登校だった。

 

 長い闘病生活の中、病室のテレビ越しに見るアイドルの姿が、折れそうになる心の支えであり。そして……余命2年と看護士たちが話していたのが聞こえてしまった日の、あの夜以降。

 

『生きてんなら、眼を醒ますのは今この時だ』

 

 人生は、文字通り劇的に変わっていった。

 

『一日だけでも良いから、俺よりも長生きしてくれ。まあ、簡単にはくたばらねーけどよ』

 

 子を思う親心。ヒトの良心。医学者の矜持。高潔な精神。多くの善意に救われて、今の自分は此処にある。

 

(……聞きようによっちゃあ、ほとんどプロポーズじゃない。あのヒトは全くもう……)

 

 昨年、体育祭で同級生たる花屋の友人と一緒に撮った写真。その横には、「346プロダクション専属モデル・東方仗助」と記された名刺が飾られている。彼がPに転身した今では手に入れられないこの一枚、加蓮の中では結構なお値打ち物だ。それに加えて、今年は。

 

(お楽しみのIU本選、S席チケットもある!)

 

 校内マラソン大会で2年連続首位をとってみせた努力の少女は、自分へのご褒美とばかり、抽選で当てたそれを照明へとかざす。キラキラ輝くプラチナチケットは、後に彼女が目指すべき多くの手本が詰まっていた。

 

「加蓮!庭先の男爵芋、花咲いてるわよ?」

 

「えっ、ウソ!?今行く!」

 

 慌ててチケットをしまい込み、階段を一段飛ばしで駆け下りる。急な運動に身体がフラつく事は、もうない。自家栽培のポテトの調子は、彼女にとって重大事の一つである。

 

 

 気付けばIU本選開幕まで、後3日と迫った日の事だった。

 

 





・豊川さん
お向かいの豊川風花さんの姉。

・柳院長
曽祖父。


・北条加蓮
現役JCにして受験生。快活でバイト中。男爵芋・メークイン・きたあかりの栽培歴は約8年に及び、得意料理は肉じゃがとコロッケ、ハッセルバックポテト。ネイルとファッションと髪型は未だに試行錯誤を繰り返す。
同級生の花屋の娘さんとは親友であり、よく渋谷のPARCOあたりに繰り出している。


・鷹富士茄子
島根出身。出雲大社の人気NO.1巫女であり、ほとんど生き神様扱い。顔を見るなり手を合わせて崇めるお年寄りも多数。彼女を誑かそうとした似非宗教家や詐欺師はことごとく不慮の事故に遭う。おみくじでは大吉しか引かないが、宝くじは遠慮して買っていない。そのうち地元に銅像が立つかもしれない。


・サブタイトル
「はっかのきらめき」

・???(24)「急患事由がキューカンバー……ふふっ」



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028/ NUDIE×WINDY×CRAZY

美嘉視点、回想パート。




 

 

 その始まりは約10年前。第一印象は、「ちょっと怖い人」だった。

 

 確か、事務所で顔合わせした時だったと思う。色白だけど体格(ガタイ)良すぎてゴツゴツしてるし、彫りが深すぎて見上げても目線が全く分からない。アタシのお父さんよりも背が高かったから、子供心に厳めしく映ったのだろう。

 

 ところが。首が痛くなるくらい上を向いてる幼女に気を遣ったのか、彼はやにわに腰を落として握手を求めて来た。

 

「城ヶ崎美嘉ちゃん、か。同期入社の東方仗助ってんだ、これからよろしくな?」

 

 そんな訳で、すぐに「気のいい兄貴分」に変わった。硬質な容姿に反して砕けた喋り。歳の離れた義妹がいるためか、子供の扱いも慣れたもの。二枚目だけど三枚目なキャラクターもあってか、我ながら懐くのは早かったと思う。

 

「タメでいーぜ?歳違っても芸歴は同じだろ?」

 

 歳上だし、と思って敬語を使ったら、いきなりそう言われた。以来、その日からずっとお互い名前呼び。ちなみにアタシがファーストネームを呼び捨てた、初めての異性だったりする。

 

 

「ヘビとかワニはニガテなんだ、何考えてるのか分かんねェ感じがどーもなぁ〜……」

 

 これはオフの日、上野動物園に連れて行ってもらった時のセリフ。ゾウガメが見たくて爬虫類館に引っ張っていったら、珍しく青褪めた顔をしていた。

 ラガーマンみたいな体躯のくせして小さなトカゲがダメ、だなんて、なんだかギャップが凄くていじらしかった。

 

 

「おなじ髪型にしてみたい!ヘアセットやって?」

 

「美嘉よォ〜、ジュニアモデルの女の子がツーブロにオールバックってのは、けっこー難易度高いぜ?やんならプライベートの日にしとけ、な?」

 

 職業柄もあるのだろうけど、服装とか髪型に割とこだわる。靴なんか一時はバリーしか履いてなかった。アタシが自分の爪を切ったあと、ヤスリで形を整えたりし始めたのはこの頃から。身形に気を使う意識が高まったのは、間違いなく彼の影響だ。

 

 

「ドゥ・マゴって東京にもあったんだな。また来よーぜ、ココ」

 

「あ、うん……」

 

 それらの気遣いを知覚したのは、恥ずかしながら出逢ってから数年後。

 彼は外を一緒に出歩く時、いつも当たり前のように車道側を歩く。迷子になりそうな雑踏では、手を繋いでエスコートしてくれる。混み合った電車内ではアタシを席や壁際に誘導し、自分自身を盾にする。

 レストランとかで食事に行くと、さり気なく上座に女性を座らせる。人が手洗いとかで中座している間に会計を済ませてしまうし、いわゆるレディ・ファーストの類を徹底している。

 これらの挙措をお喋りしながら、全てごく自然にこなす。この人モテるんだろうな、と漠然と思い始めた頃だった。

 

 

「あーっ、また負けたぁ!!」

 

「盲牌出来るか出来ねーかの違いだ、よけりゃあコツ教えてやんよ。ホラ、牌をこう持ってバレねェーように指でなぞって……」

 

 父母と揃って何故か囲んだ雀卓。彼はゲームとか駆け引きに異常に強い。実父譲りらしい話術とイカサマを駆使して、あれよあれよと片付けてしまう。今まで仕事現場で大小様々なトラブルに遭遇してきたけれど、彼より収拾の仕方が上手い人を他に知らない。

 

 

「じょーすけ……これ、痛くないの……?」

 

「痛かぁーないぜ。全部、高校生ん時の古傷だからな」

 

 屈強な体躯のあちこちにうっすらと、刺し傷とか切り傷の治療痕が残っている。彼がタンクトップにショートパンツという薄着だった時、近くで見て初めて知った。

 

「……あの……虐待、とかじゃないよね……?」

 

「いいや。仲間庇ったりして出来たモンだ。……ンな泣きそうな顔すんなって、もう何ともねーからよ」

 

 ありもしない暗い過去を勝手に妄想してしまったアタシを、宥めるように彼は言った。

 杜王町で過ごしてきた高校3年間は、決して平穏平凡なものでは無かったという。街に潜んでいた殺人鬼の魔の手によって、「しげちー」という友人をその時に亡くしたらしい。友人らに飽き足らず、祖父や甥、自分までもが死に掛けたとの事。

 

 だからだろうか。この人は時折……何処か遠くを視ているような、儚げな表情を浮かべる時がある。親しい人が惨劇に巻き込まれ、落命する。それは生まれてこの方、ずっと恵まれた環境で育ってきた自分には実感出来ないことだった。

 ……けれど。

 

「もし……またどこか痛くなったら、アタシに言ってね?」

 

 憐憫でも同情でもない。ただ、辛い時に自分が励まされた笑顔が、曇っているのがイヤだった。そんないかにも子供染みた思いから出た言葉だった。

 

「……だって、友達でしょ?アタシ達」

 

 感情が昂ぶってスカートの裾を握りしめていた子どもが、必死に伝えんとした思い。難しい語彙や言い回しはまだ知らなかった頃の、城ヶ崎美嘉の精一杯が果たして届いたのか。

 彼はその時珍しく、瞬きをしぱしぱと繰り返していた。それから照れ隠しみたいにアタシの頭をくしゃっと撫でて、伏せ目がちに呟いた。

 

「………………ありがとな」

 

 返ってきたのは、敢えて感情を鋳潰したような低い声音だったから、何を思ったのかは分からない。……でも、その日。

 彫りの深い眼窩の奥にある、澄んだ青い眼が少し潤んでいるのを初めて見た。

 

 そして。今よりおよそ8年前の夏、彼が22歳の年。大学四年生になり、就活も一段落したらしい時だ。

 

「仗助、モデルやめちゃうの!?」

 

 仕事で丁度一緒になった日。

 件の彼が「就職で地元に戻る」という噂を聞きつけたアタシは、息急き切って駆け込んだ彼の楽屋で、開口一番そう言い放った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ああ、辞める。

 返ってきたのは、存外に簡素な答えだった。

 

「どうして……?……杜王町、帰っちゃうの?」

 

「あァーそれか。…………まあ、最初はそのつもりだったぜ?」

 

 ただし、もうその気は無いとのこと。

 曰く、『この街はお父さんがしっかり護ってるから、気遣いなんてしなくていいの。アンタの人生なんだから、気兼ねなく世界中飛び回ってきなさい』。……そう、お母様に言われ。『仗助。自分のやりたいことなど、肚の中で既に決まっとるだろう。楽隠居は何かを成してからで遅くはないぞ?』……更に、お爺様にそう諭され。

 

 去年言われたそれらを鑑みて色々と考えた結果……地元ではなく、()()()()心残りをどうにかしたい。そう、考えたらしい。

 

「てなわけで、今は別だ。……ンでよ、美嘉。話は変わるんだけどな」

 

 昨年そう言われた事を脇に置き、彼は続ける。

 

「まだ目指してっか、アイドル?」

 

 軽い言葉のノリに反して、向けられた真面目な顔に居を正す。

 アイドル。ジュニアモデルのアタシが、目指して焦がれてやまないもの。親しくなって以降、何度か彼にも話した憧憬。返答に今更窮することはない。答えは、当然。

 

「そりゃあ、アタシの憧れだけど……」

 

「お、じゃあ丁度良いな。ちょっくらその夢、叶えてみねーか?」

 

 頬をかいた兄貴分は、あっけらかんとそう言い放った。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「叶える……?」

 

 言葉通り取れば、アイドルを目指さないかという事だろう。……でも。

 

「でも、仗助……」

 

 長年求めた夢想の実現には、ひとつ大きな問題がある。

 

「……346のアイドル部門は、もう何年も募集かけてないんだよ?」

 

 かの日高舞の電撃引退以降、下降線を描き続けるアイドル業界。低下した業績を鑑みた結果、10年近く募集を停止されている部署を脳裏に描く。埃っぽい地下の物置部屋に形だけ名札の掛かったソレは、文字通りの窓際部門。

 他の事務所だって同様。日高舞(でんせつ)を真似た劣化コピー溢れる現状は、はっきり言えばマンネリ化した妥協の産物。漂うのは停滞と閉塞感。歌って踊って笑顔を振りまくそのコンテンツ自体が、最早陳腐化していると称される昨今で。

 

「もちろん知ってらあ。だから、()()()()()()()()。世紀末で止まっちまった、『アイドル』ッつー時計の針をな」

 

「……へっ?」

 

 言うなり彼は、ビジネスバッグからおもむろに封筒を取り出した。白地に刺繍紋様入りの無駄に凝ったそれから、取り出された一通の紙切れは。

 

「346プロダクション、内定通知……」

 

「ああ。来年度以降はプロデューサーとして、この会社に携わるつもりだ」

 

 サプライズにしとこうかと思ったんだが、こうなったら隠さなくてもいいだろ?……外していた腕時計(オメガ)を付け直した彼は、「あとはお前次第だ」とでも言うかのようにアタシを見つめる。

 

「……ホントに、いいの?……今西さんに、さっき聞いたの。仗助、大手の商社とかにも内定出てるんでしょ?」

 

「良いも何も、もう俺の腹は決まってらあ。どっちかッつったらスゲー爽やかな気分だぜ、今?」

 

「…………ねえ、仗助」

 

 出逢った頃と変わらぬ笑顔に、「いつかこんな風に笑えるようになりたい」だなんて、そう思ってた微笑みに向けて。

 アタシは、不意に浮かんだある予測を確かめに行く。それが杞憂である事を、心の何処かで祈りながら。

 

「……地元に『戻らない』って決めたの、去年の春だったんだよね?」

 

「大正解」

 

「じゃあ……経済学部に在学中、()()()()専攻変えたのってもしかして……」

 

「……勘が良いねェ、そーゆーヤツは将来出世すんぜ?……なぁ、美嘉」

 

「か、勘が良い、って……!」

 

 やっぱり。アタシの言葉が重石に……!

 

「今から10年。その間に美嘉をデビューさせて、トップアイドルまで持っていきたい……って思案してんだ」

 

 なってるならやめて……って言おうと思ったけど、言葉が出てこなかった。

 そこにあったのはあの日まで時折見た、哀しく寂しい表情ではない。「加蓮ちゃん、退院決まったぜ」ってアタシに言いに来た時の、不敵な顔立ちだったから。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「トップ、アイドル…………」

 

 ……なにさ、それ。こっちは、てっきり今生の別れかと思ってたのに。

 

「……ねえ」

 

 どこか別のところで就職して、年の近い大学の同級生とか、地元の人とお見合いで結婚して、やがては杜王町で骨を(うず)めて……アタシ達の前から、アタシの人生から、フェードアウトしてしまうのだとばかり思っていたのに。

 

「…………自分の夢は、叶えなくて良いの?」

 

 拳が白くなるくらい、強くキツく握り締める。ネイルしてなくて良かった。付けてたら、今頃掌は血塗れだっただろう。

 

「人の夢を叶える。ソイツが俺の夢ってやつだ」

 

 もう。もう。加蓮とアタシの気も知らないで。同級生の男子が至らぬお子様にしか見えないのは、誰のせいだと思ってるのさ。子供染みた心残りに、いい加減諦めつけようと腐心してたところだったのに。

 

「……自棄(ヤケ)、起こしてないよね?仗助の人生なんだよ?」

 

 これは今西さんの受け売りだけど……日本の就活市場で、新卒切符を切ることの意義は非常に大きいらしい。既卒と新卒で似たような成績なら、採用は圧倒的に新卒が有利なのだそう。

 

「心残りは吹っ切った。なら、あとは俺のやりてーように生きるさ」

 

 そんな社会で、付き合いが長いだけの面倒臭い子供のワガママを、律儀に拾ってやる義理がどこにあるのだろうか。親戚でもなんでもない、赤の他人を。自分で思ってて悲しくなるけど、疑いなく一抹の事実だ。ところが。

 

「俺ン中で、城ヶ崎美嘉って奴はそこまで軽くはねえ。きっと、美嘉が自分で思ってるよりもな」

 

「…………!」

 

 ……マセてるだけの小学生に、なんて事言うんだろう。普通は殺し文句でしょ、そんなの。聞きたいけど聞けなかった言葉が聞けて、こんな場面じゃなかったら飛び上がるくらい嬉しいアタシの耳に、次に飛び込んだのは。

 

「つーわけで、美嘉。なってくれねーか?俺の最初の担当アイドル」

 

 ド直球だった。凄味すら感じる態度で分かる。

 この人は面倒見がいいけど、決して幼女趣味ではない。間違っても、アタシの事は恋愛対象としてなんて見ていない。ただひとりの夢覧る子どもとして、意志ある人間として廻ている。

 ルックスは軟派なクセして下心の一片もない真面目さが、アタシの心の奥を穿つ。視線を上げると、澄んだサファイアブルーが変わらず、其処にあった。

 

「…………まだ……」

 

 ……いいよ。思いはもう伝わった。十分過ぎるくらいに。

 

「まだ、アタシと……」

 

 だから……こうやりたいって思ったこと、全部やって。たとえ3K職場でも上司にパワハラされても、隣に居てくれれば頑張れる。貴方に出ろと言われれば、際どい下着の広告だろうがエロいイメージビデオだろうが出てやろう。それが必要だって言うなら。

 

「……アタシと一緒に、居てくれる?」

 

 本当はずっと、アイドルやってみたかった。年齢を考えれば、ジュニアモデルはあと数年で不可能になる。正確に言えば仕事がこなくなる。でもその後は?芸能界に留まるなら、モデル、女優、声優に歌手。それとも舞台役者?……346なら選択肢は多いけど、そのどれもが一番なりたいものではなかった。

 憧れたけど掴めぬ筈の、夢の残滓。グズグズになった欠片は、土壇場で。

 

「ああ」

 

「…………ありがとう……っ……!」

 

 貴方がやると言えば、叶うだろう。だから……もうこれから、ファンの前で醜態など晒さぬと誓おう。舞台に立てば夢を謳い、愛を囁き、いつだってキラキラ輝くお姫様を演じよう。それこそ、時代が求める偶像(アイドル)なのだから。

 

 プロフェッショナルを自分自身に叩き込み、時に求められるキャラクターを演じ、時に個性を押して生きていく。いずれは芸能界に蠢く悪意も、飲み込み咀嚼し砕ける程の「カリスマ」と成ろう。清濁併せ呑む肚こそ、大器へ至るに不可分の意思なのだから。

 

「……ワリーな、俺の都合で振り回しちまって」

 

「……ううん」

 

 これからの人生はフルスロットル。みっともなくとも汗を流し、靴が擦り切れ、喉が枯れるまでレッスンする。苦手意識のある歌は、ボイトレだけでは断然不足だ。カラオケにも入り浸り、武器となる芸にまで昇華させる。

 それが、夢を叶えるガラスの靴をくれた貴方に、アタシが払える最大限の敬意だから。

 

「それじゃあ……」

 

 貴方が一旦は、地元に戻りかけた理由も分かる。地元で警察官を目指して、公務員試験の勉強もしていたらしい。祖父は高齢、母はひとり親だから余計に心配だったんだろう。

 だからこそ、残ってくれる喜びは大きい。証拠に口角が上がってるのが自分でも分かる。顔が赤くなってないと良いんだけど……と俗っぽい事を思いながら。

 

「……またよろしくね、仗助……いや、プロデューサー?」

 

 格好つけたアタシの言葉に。ネクタイを締め直した彼から飛んできたのは、短い一言。

 

「任しとけ」

 

 

 ……こうしてアタシは、シンデレラプロジェクト第1期生・スターNo.001/ 《城ヶ崎美嘉》として、後に100人以上のアイドルを世に送り出す超大型企画の1人目に選ばれることとなった。

 

 ──────そして気付けば、あっという間に6年経っていた。成る程、経た歳月の重さは確かに大きかった。

 星を目指し、風に倣い、歳近い友人達と切磋琢磨し合ううち。何時しかアタシは世間から、「カリスマギャル」なんて呼ばれるようになっていたのだ。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

(……あれから、5年も経つんだなぁ……)

 

 2014年、8月真夏日。東京都千代田区は皇居に程近い日本の中心、東京駅。

 先日、元Pたる男性とIU予選会場で鉢合わせした際、ここぞとばかり同行を願い出たらなんとOK。このためアタシは今日、身支度に実に2時間もかけてこの地へと赴いていた。

 

(我ながら強引な誘い方だったと思うけど、まあ結果オーライとしますか★……なーんて)

 

 張り切りすぎて30分ほど早く来てしまった為、煉瓦造りのお洒落な駅構内でひとりごちる。今日は改装されて間もない真新しい施設から一路、新幹線で杜王町へ向かう予定。

 行きがけに律儀に変装用のキャップとメガネを付けてたら、「車で家に乗り付けてもらうより、待ち合わせした方がいーよ!その方がデートっぽいでしょ?」などと莉嘉に散々からかわれたことを思い出す。

 

(おませさんになっちゃって、もう。学校でなーに学んでんだか)

 

 よく昆虫図鑑を抱えながら寝落ちしていた妹の幼稚園時代が、遠い昔のことのように思える。

 閑話休題。暇つぶしにとスマホを弄り、トニオさんの店で新作ブレンドが出てないかホームページでチェックしつつ、待ち人を待つ。すると。

 

(……お、どーみてもアレね)

 

 果たして、予定時刻のきっかり15分前に彼は来た。

 紺のシャンブレーシャツに白のフルレングスパンツ、デッキシューズにサングラス。小ぶりのトランク片手にやって来る姿は、傍目から見ると「来日したアメフト選手」って雰囲気だった。スタイル維持に関しては流石元モデルと思ったのは、なんか悔しいから黙ってることにするけど。

 

(人混みでも背丈で分かるのは便利よね。物理的にも道しるべ、ってヤツ?)

 

 余談だけど仗助、サングラスにスーツ姿で武内さんや内匠さんと並ぶと、最早その筋の人達にしか見えない。「346プロは暴力団と蜜月関係にある」なんてあらぬ噂が過去に流れたのは、確実に彼等のコワモテが影響しているだろう。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「ゴメンね?担当の子達の本選直前なのに、ムリ言って付いてきて」

 

 東北地方はM県行きの車内にて、向かいの席に座った待ち人にそう投げかける。便は特急だが、数便に一つしかない特別仕様。寝台列車に使うような個室のコンパートメントに乗り込んで、2人で束の間の旅路を行く。仗助にとっては家路なんだろうけど。

 

「どーってこたねえ。仕事にしたって、もうリハも通しも終えてっからな。俺は前日の最終チェックまでに戻ってればいい。今日は4人とも、皆して又姪(リーダー)の下宿に泊まり込みらしいぜ?」

 

「へぇー、仲良いんだねいいコトじゃん?……アタシも会ってみたいなあ。こないだの二次予選の時は入れ違いになっちゃったし、まだ連絡先も聞けてなくて……」

 

 アイドル部門の第一期ユニット、「Happy Princess」のメンバーであるアタシが特に親しい346の内部関係者は、事務方だと仗助に武内P、今西次長、トレーナー姉妹に他数名。アイドルならメンバーの川島さん、茜ちゃんに美穂ちゃんにまゆの4人。あとは足掛け5年近くの付き合いになる楓さんくらいか。

 いかんせん人が多いので、廊下で知らない人とすれ違っても会釈するくらいが関の山なのだ。

 

「……耳が痛え、本選終わったら一度全員集めるか。この事務所、規模デカすぎて横の繋がりにイマイチ欠けてッからなあ。昔よりは良くなったけどよ……」

 

 新規募集を長年停止していた346アイドル部門を再起動させ、アタシ達をデビューから2年足らずでブレイクさせた男が(うそぶ)く。

 思えば去年は、何でもかんでもスムーズに行き過ぎたのかもしれない。

 

(……アイドルデビュー初年度から、いきなりジョースター不動産の広告出演と、OWSONの広報キャンペーンガールやらせてもらえたもんね。ラジオとか歌番組は、SPW財団がスポンサーについてくれたし)

 

 新米アイドルには破格の待遇に、横の繋がりどころか裏の繋がりを感じてしまった。仗助曰く「大企業の審美眼ッてのは厳しいぜ?あの玲音を擁する961の社長が協賛を頼み込んだ時は、()()()()門前払いだったらしいからな」……とのことなので、アタシ達の人柄を見て決めてくれたみたいなんだけど。

 

「賛成。去年のアタシ達が順調に進んでたコト考えれば、今年度採用の子たちは割食っちゃってるから、出来る限りなんとかしたいな。……同期でも幸子ちゃんとかとはPが別なのもあって、仕事で一緒になる機会も少ないし」

 

 346上層部が今年度からアイドル部門の採用人数を急激に増やし、結果当初のプロデュース計画が崩れてゴタついてるのも、元を辿ればこの男の5年がかりの根回しと、打ち立てた実績あらばこそなのだ。

 本人にこれを言ったら「ハピプリが売れたのは美嘉のフォロワーシップあってのもんだ」、と即答された事はともかく。

 

「ま、本格共演はウィンターフェスあたりから、既存ユニットと人員混ぜてやってくつもりだ。リードは頼むぜ?」

 

「任された!……あ、リーダーと言えば、楓さんは誰と組むの?」

 

 今もなおソロで活動し、事務所で唯一仗助を「先輩」と呼ぶ、かの美女を思い浮かべる。つい先日、女優としても一流の彼女からメソッド演技の技法を聴講、実践してみたのは余談である。

 

 ……え、楓さんが何で誰ともユニット組んでないのかって?そりゃあ、アタシ達がデビューした後に、「面白そうだし私もやります」って言い出したから。単純にもう組む人が残ってなかった。

 降って湧いた事務所トップモデルの、突然の転身宣言。本人から担当Pを逆指名された仗助が、「フリーダムすぎるだろオイ……」ってアタマ抱えてたのはご愛嬌というやつか。

 

「正直決めかねてる。今組む候補としちゃあ瑞樹とのデュオなんだが」

 

「……ね、ねえ仗助。川島さんがデュオでハピプリから抜けてる時、誰が茜ちゃんを制御するの……?」

 

「美嘉」

 

「信頼してくれるのは嬉しいけど複雑!」

 

 日野茜ちゃん。彼女は元気で良い子なんだけど無邪気にヤバい。アタシとしてはやっと茜式ハイタッチのコツを掴んできたところなのだ。彼女をみだりにボンバーさせないためには、正直あと一年くらい慣れが欲しい。来年はピシガシグッグッってくらいに息を合わせてみせる……予定。

 

「んー……ならいっそごちゃ混ぜにするか?10人オーバーの複合ユニット、ってのはどうだ?難易度は跳ね上がるけどな」

 

「あ、面白そう!ヒアリングは手伝うよ?」

 

「サンキュー、んじゃあ来月アタマまでに意見纏めるか。他に要望あればなる早で頼む」

 

「はいはーい!」

 

 仕事してる時のシリアスな雰囲気と、プライベートの快活な笑顔のギャップがイイ。コレは加蓮と意見が一致するところだったりする。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ガタンゴトン、と車輌がゆれる。窓から見える景色は、徐々に牧歌的な田園風景へと変わってきていた。パールピンクの腕時計──誕プレで貰った私的マストアイテム──を見ると、既に時刻は11時。杜王町に着く頃は昼時だろう。

 

「……コレに乗ってると思い出すな。夜行で乗ってった時」

 

「アタシが駄々こねて付いてった時でしょ?途中で寝落ちして、起きたらもう朝だったけど」

 

 ……振り返ると、あの街には散々行っている。幼少期はアンジェロ岩にペンキで落書きしたりしてたし、高校入試に受かった時は、トラサルディーでサプライズパーティーをしてもらった事もある。

 言わずもがなどれも大切な思い出だ。

 

「……思えば、色々あったもんな」

 

「……そだね。5年、いや10年か。ライブやったり旅行に行ったり、勉強教えて貰ったり……怪我やらかしたり」

 

「怪我……オーバーワークしてアキレス腱切ったやつか?」

 

「うっ……あ、あの時はアタシが悪かったって……!」

 

 中学生の時分に負った、アキレス腱断裂。自分のスタンドプレーが原因の怪我だったから、今でも仔細を覚えている。

 退社するフリしてこっそり遠灯申請し、事務所で自主レッスンしてた時の事だった。

 バツンッ!という断裂音が響いた一瞬後、軸脚に激痛が走って倒れ込んだ日。業後にレッスンルームを施錠しに来た当直の仗助が、痛みで声も出せないまま床に蹲ってたアタシを見て、何を思ったかは想像に難くない。

 

「いらん小言ブツける気はねーって。ただ、もう妹は泣かすなよ?」

 

「肝に銘じております……」

 

 しかし。K大附属病院に担ぎ込まれたアタシの裂傷は、病院到着時点で()()()()()()。レントゲンと簡易検査だけして、次の日には退院した。()()()()を経てその後、「無理はしない」と約束したのは、良い薬だったと我ながら思う。

 他には疲労骨折とかもやらかしたけど、キリがないので割愛。

 

「……もう10年になるんだね、アタシ達」

 

「ああ。……皆えらく大きくなったもんだ。美嘉だって昔は俺の腰くらいまでの背丈だったんだぜ?」

 

「ふひひ、そりゃあ伸びるでしょ。言われた通り牛乳飲んでたし、ね★」

 

 それでも190cm超えのこの大男と並ぶ時は、厚底サンダルかハイヒールをなるべく履くよう選んでいる。いや、見栄ではなく見栄え的に。

 ……尤も最近は上背ではなく、胸囲ばかりサイズアップしてるのが恨めしい。5年近く楓さんを間近で観続けたからか、理想の体型像はああいうモデルスタイルなんだけど。無い物ねだりとはこの事か。

 

 ちなみにこの男が「俺が呑み屋で口説いた」、とだけ言ってた彼女のスカウト話、当の本人に詳しく聞いてみたら全然違った。というかこの超美人もこんな顔するんだ……って思った。テンポ重視で話を端折(はしょ)るのは悪いクセだぞ仗助。

 ……ああ、楓さんと言えば。

 

「『色々』って言えば……中学の時、参観日に楓さんが来たこともあったね……」

 

「『叔母です』、つって押し通したやつだろ?埼玉の地方局が取材にすっ飛んできたって聞いたぞ」

 

 今でもそうだけど、なんという自由人。当時モデルとして大ブレイクを果たしていた彼女の来襲は、学校に黒山の人だかりが出来るだけに留まらず。「あら美嘉ちゃん、いつもみたいに『楓ママ』って呼んでいいのよ?」なんてフカシをぶち込まれたからたまらない。

 

「あの日はね、手を繋いで帰る羽目になったの。事務所まで」

 

「……ドンマイ」

 

 おかげでしばらく、「高垣美嘉ちゃん」などと学校でイジられる羽目になった。

 

「ちなみに加蓮もまゆも同じサプライズ受けてるからね?」

 

 高垣楓の突撃授業参観。本人を驚かせるため、もちろんアポ無し。日本史で例えれば、元軍と黒船がいっぺんに押し寄せるようなものだ。

 同級生や父兄、教職員の方々は大喜びだったらしいけど、多感な時期の当事者たちとしては羞恥プレイそのものだった。……いや、嬉しくもあったけどね?

 

「……ま、思い出にはなっただろ?」

 

「お陰さまでね……」

 

 ……実のところ、アタシ達が「仕事が忙しくて親が観に来れない」と気落ちしていたのは事実だし、聞き上手な楓さんにそれを漏らしていたのも本当。彼女なりの心遣いだったと気付いたのは、もっと後になってからだ。

 

 モデルデビューから1年ほど経った往時の彼女は、隠し通していたらしい意外と世話焼きな気質を、この頃から多く表出し始めていた。行きたいと言えば温泉旅行やら海水浴に連れてってくれたり、大学の学祭にくっついて回ったり。パパラッチされても御構い無しだった。

 クールビューティーで売ってた彼女の、素の笑顔が伺えるようになったのもこの時期から。意外とダジャレ好きなところとかも。

 

 ただソレは、上層部の指針とは反目するものだったらしい。

 高貴で孤高たる美の化身。清冽にして清澄にして清純なる不可侵存在。貞淑で神秘的でミステリアス。そんなイメージで売り出していた逸材に、庶民的で所帯染みた行動をとられては敵わないと思ったのだろうか。

 

 当時、彼女を「事務所イチの稼ぎ頭」と見なしていた346上層部に、これらの行動は目を付けられたらしく。

 今から4年前、楓さんは重役方に呼び出され、案件の仔細を問われた事があった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「勝手な行動をするな」「君には素材としての強度がある」「我が社の大黒柱になれるんだ、分かるね?」「このまま行けば意に添わぬ仕事を受けてもらうことになる。それでも良いのか?」「何なら担当Pを挿げ替えるかね」「女などひな壇に座ってめかしこんでいれば良い、男より前に出るものではない」。

 

 ……これらは、当時彼女が受けた「お言葉」の一部。要するに、(てい)の良い吊るし上げを食らった格好だった。権威ある企業の末端でしかない、新人Pと駆け出しモデル。逆らう事など万に一つもありえない。

 

 そもそも組織で動いていく以上、上意下達は一般常識。加えて創業者・美城一族の機嫌を損ねれば、即日でクビが飛ぶこともありえた時代。世紀末に経営が傾きかけたこともあり、上層部は売上には非常に神経質。子どもの時分は分からなかったけれど、老舗企業の深奥はそんな旧弊も抱えていたのだ。

 ところが。偉いさんの話を黙って聞いていた彼女が、なんと返したかと言えば。

 

「────総会屋の集まりですか、此処は?」

 

 ……それは、どう捉えても喧嘩腰の宣戦布告。おっとりした普段の彼女から想像だにできない、お世話になっただろう会社への、事実上の三くだり半。それだけでなく。

 

「利潤確保は経営陣として必定の懸案。しかし、事の軽重を履き違えておられますね」

 

 煽りに激昂する老人達を前にして、一切構わず火をくべた。もはや「非常識な恩知らず」「飼い犬の癖に手を噛んだ」と取られ、業界を干されてもおかしくない無謀無茶。会議に出席した誰もが思っただろう、「この女は終わった」と。

 しかし。

 

「実の妹のように思っている、どこに出しても恥ずかしくない大事な子達です。幼な子の情操を養う事と比すれば、私のイメージ如きこの大店(おおだな)では些事でしょう。子に夢を魅せる理念を掲げた企業が、子を(おもんぱか)れぬ蒙昧(もうまい)に堕すのであれば、斯様(かよう)な組織は────」

 

 伝統ある美城財閥が擁する日本有数の大企業・346プロダクション。かつてそのど真ん中で巻き起こった叛逆の狼煙。今も楓さんが後輩達から憧れを抱かれ、そして密かに畏怖される理由が此処にある。

 

 

「────────この私が、ブッ壊します」

 

 オーダースーツを華麗に着こなし、眉尻を吊り上げて氷の舌鋒を突きつけ、手渡された小難しい意見文書を真っ二つに破り捨て、モデルウォークで颯爽と退室していく。

 川島さんと並び「怒らせるとヤバいアイドル」ツートップに位置する彼女の、暴挙ともとれる行動は今も昔もこれだけ。

 

 

 かのマキャベリ曰く、君主は一度きりの残虐で国を治めれば名君であるという。

 のちに今西次長から聞いた、一連の話をまとめれば。これは狂った金剛石(ダイヤ)と怒れる暴風が悪魔的バディを組んで生まれた、業界再興の第一手。現在の346プロの隆盛、そのきっかけとなった昔話。

 

 

 

 




次回、過去篇楓視点。


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029/ Pretty liar

3章あと1話で終わりです。次話以降バトルパート。


 バタン。

「失礼します」と事務的に一言だけ残し、無駄に豪奢な部屋から足早に退室する。「待て」だの何だの聞こえてきたけれど捨て置こう。高架下の騒音レベルで聴くに耐えない。

 

(……ここまで感情的に()()()のは、初めてですね)

 

 権力者に憤った青二才が、大立ち回りさながらの無謀な喧嘩を吹っかける。そのままならよくある若気の至り。でも実は、この激昂は()()()()

 

(役者も多少齧ってて良かったです。上手いこと()()()()くれたみたいなのは僥倖でした、が……)

 

 熟慮するまでもない事実として。たとえ私・高垣楓個人がどれだけ内心で憤っていようとも、偉いさんを敵に回せば勝ちの目はない。巨大組織に女子供だけで太刀打ち出来ないことは明白だ。

仮に自分一人を人身御供に差し出せば穏便に収まるのなら、……この起伏に乏しい身体でよければどうぞ御自由に、と切り売りしていただろう。

 

 しかし。美嘉ちゃん達を軽んじるような発言を連発されたのはどうあっても我慢ならない。大事な社員、しかも子供を露骨に商品扱い。更に横柄な態度までとるのがいい歳した大人のやることか。挙句に担当Pを飛ばすだの好き勝手言われたら黙っていられない。

 そして。

 

『このままダンマリ、ってェーのは、俺はシャクだな。……楓は?』

 

 私の担当P・東方仗助は、幸いながらに奇しくも、私と気を同じくする精神を持つ男であり。

 

『……決まってるじゃあ、ないですか』

 

 更に彼と手を組めば、この怒りを押し通す事は可能であった。故に。

 

『闘いましょう、先輩。(まなじり)を決して』

 

 二つ返事で同意した、昨秋の誓いの日を経て。

 

(やっとここまで来たんです。今日で王手をかけるのみ……!)

 

 時に、西暦2010年。梅雨打ちつける時節を抜けた、夏の初めの事だった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 施錠されたままのドアを、4回素早くノックする。程無くして音もなく、無人のはずの部屋が開く。中にいるのは。

 

「おかえり、楓」

 

「ただいま戻りました、先輩」

 

 スーツ姿のまま重役室を出て、地下一階へと赴いた私は、室内にいたPさんへ挨拶する。埃っぽかった元アイドル部署のこの部屋は、アイドル部門がここ数年募集を停止しているため、四半期ごとの定期点検以外では誰も立ち入らない。守衛室の監視モニターも切ってある。

 そんな訳で当面の間だけ密会に使うには最適だった。尤も、逢い引きに使った事は一度もないけれど。

 

「呼び出し、もう終わったんですか?」

 

「なーんてことねえオッサンの小言だったよ。途中で()()()ズラがずり落ちて半泣きになってたから、そのまま帰ってきたトコなんけどな」

 

「まあ。でもご丁寧に同じ時間、別の場所に私達をそれぞれ呼び出すとは……相当警戒してるみたいですね、先輩の事」

 

 不穏な動きを見抜かれたか。あの手の小物は保身絡みの事象にだけは敏感だ。まあ、知られようとも作戦は完遂するけど。

 

「どうだかな……ともあれお疲れさん。一応渡しといたペン型レコーダー、使うような事言われたか?」

 

 逢瀬という言葉からは程遠い、硬質な空気の中。どうにも気を揉んでいたのか、ソファにも座らず考え込んでいたらしいPさん。部屋の汚れは全て綺麗に片付けられ、更に何かあったら短縮ダイヤルでかけられるよう設定してくれたあたり、何だかんだ大事にされてるなと感じる。

 

「ええ、ばっちり。それから……」

 

 着ていたジャケットをハンガーに掛けて、一息。バレッタで留めた髪を解きながら、彼の隣に腰掛ける。

 

「これが、掴んだ尻尾です」

 

 ピラ、と意見書なる紙を一枚手渡す。破り棄てたついでに一枚だけこっそり丸め、抜き取って帰ってきたソレの内容に、見る間に彼の顔は険呑になっていく。

 

「………………あンの、クソジジイ共ッ……!」

 

 彼が唸ったのも無理はない。パパ活、レンタル彼女と称した管理売春の依頼はまだマシな方。大手顧客との枕営業。AV出演のオファー。反社との接待を伴う飲食の席。酷いのになると重役の情婦(イロ)、なんて内容まで載っていたからだ。

 

「薄々分かってきちゃあいたが、ココまで腐ってるとはな……!」

 

「流石に、私も頭に血が昇ってしまって。頂いた用紙、ほとんど棄てて帰ってきましたけどね」

 

 大体こんなものを紙媒体にして晒す時点で、コンプラや訴訟リスクに対する感覚が立ち遅れすぎだ。346プロは高度経済成長期に相次いだ大企業同士の縁故採用の影響で、至らぬ人材が重いポストに就いていることがある。今まで日陰にいた彼等が出て来たのは、昨年10月の異動で人事が刷新された余波だろう。しかしこの調子では会社自体が早晩、倒産してしまうのではないだろうか。

 

(お金はあっても才覚はない。劣等感を抱いても努力はしない。なのに嫉妬は人一倍。更に劣情の捌け口を、女子供にぶつけて溜飲を下げる……。……下の下、ですね)

 

 調べるにつれ分かった事もある。既に社内で幾人かのタレントやそのマネージャーらが、似たような被害を受けていたのだという。何のことはない、彼等は自社の思い通りにならぬ人間にこの約10ヶ月間、片端から訓告と言う名のパワハラに及んでいたのだ。

 さらにこの文書、肉体的接待を仄めかす事まで記してある。いずれは私と親しくしている子たちにも、その矛先が向くかも知れない。考えただけで、到底耐えられそうになかった。

 

「そういうわけで、先輩」

 

 ここまで半年以上我慢した。情報を掻き集め、コネクションを築き、電話一本でカタをつけられるところまで持って来た。

 仕上げに宣言通り、ブッ壊させてもらいましょう。

 

「やられたらやり返しましょう、倍返しです」

 

 ……後にドラマでこの台詞を言う事になるとは、この時は思ってもみなかったけど。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 何をするか?は実にシンプル。「内部告発から敵対的M&Aまでを含意した、事実上の会社乗っ取り」。私達ふたりは昨年、注意喚起から全面衝突までを想定した7段階のプランを企て、その全てを順に実行していったのだ。

 パパラッチされるのを加味して、半年かけてわざと彼等の目につくような行動を取ったりしたのも布石の一つ。二人三脚でタッグを組めなければ、きっと成功しなかった。

 

(授業参観とかキャンプとか海水浴とか……思えば色々やりましたね。あまりイメージダウンせずに知名度を上げられたのは、多分に運もあるでしょうけど)

 

 昨秋からひたすらに、工程をなぞり続けた。Pさんの持つパイプ──SPW財団に大手広告代理店、世界的不動産会社に346海外支社などのお歴々──と私が顔を合わせ、目通りしたのもひとえにその為。

 

「社内規則どころか国内法も無視してここまで吹っかけられてんだ、闘るしかねェーな」

 

買収云々(そこまで)は最終手段、って話でしたけど……致し方ないですね」

 

 いわゆる「社交界デビュー」もこの間に経験した。人付き合いを円滑にするため、口下手を矯正する話法を学んだ。交渉に不可欠な英語も勉強し直した。ぎこちなかったヒールの歩法も、既に幾分こなれて久しい。

 着慣れぬフォーマルドレスの腰元に、彼が手を添えてエスコートしてくれるだけでドギマギしていたのも今は昔。酒の飲み方から貞淑と艶を織り交ぜた所作に至るまで、場数を踏んで覚えていった。

 

「……悪ィな、骨折らせちまって」

 

「謝らないで下さい。むしろ子供扱いされないのは願ったりかなったり、ですよ」

 

『温泉巡りとかしませんか?せっかく、二人で一緒に旅行出来るなら』とワガママ言ったら快諾してくれた彼と長期休みの度、人脈作り序でに世界を飛び回った。杜王町で秘湯を探し、英国のバース・スパを全制覇した。イタリアではテルマエに浸かり、エジプトの地に沈む夕陽を、オアシスから共に眺めた。

 

(ラクダに乗ってたらいつのまにか禁足地に着いてたり、ローマの休日ごっこして財布スラれたり。ロンドンのオペラにアカペラで混ざったりもしましたね……あれ、私って結構やらかしが多いかしら?)

 

 まあいいか。兎角、地元でも大学でも学べないような物事を見聞し、己が血肉にできた事。それは自身の交友関係を広げ、旅先で気分を一新するだけでなく、与えられた仕事をこなすのが精一杯だった往時の私に、芸の幅と表現力をも齎した。

 

 和歌山の田舎娘が、いつのまにか世間様から「次代トップモデルにして若き大女優」と持て囃されるに至ったのは、きっとそれらの貴重な体験あってのもの。

 

「経済的に自立した大人相手に、今更グダグタ言わねえよ。最終確認はさせてもらうけどな」

 

「あら?では私めにご教授下さい、()()()()やり方♪」

 

 自立とは文字通り。この1年間で、金銭的にはそれなりに余裕が出来た。親の扶養からは去年外れ、学費も生活費も今年から自分で払っている。昨年の夏休みに車の免許も取った。成人した今夏はクレカを作ってマイカーも持つ予定だ。

 仮に今、子供を身籠ったとしても、大学を休学して育児にあたるゆとりがあるくらいには蓄えがある。いや、あくまで例えだけど。丁度ド真ん中ストライクな物件が目の前に……ゴホン、相手が誰とか生々しい話は置いといて。

 

「楓」

 

 女の子ならリサちゃんorえりなちゃん、男の子だったら丈くんかな?とか思考が脱線していた辺りで誰何が来た。妄想が漏れない鉄面皮で良かった私、と思いつつ。

 

「……はい」

 

「大企業の敵対的買収を画策すんならスピード勝負だ。新株の大量発行やら対策打たれる前に、発行株式の過半数を押さえてリコール仕掛ける。動かせる銀行口座が23。信頼出来る株主と親族が複数名。敗ければ当然干されるだろう、芸能界では再起不能(リタイア)だ。……それでも、闘るか?」

 

 鋭い眼をして眉間に手を置き、委細をつらつら並べ立てる。「バレなきゃイカサマじゃあねェーんだよ」というこの人の信条に、私も多かれ少なかれ影響を受けつつあるのだ。故に。

 

「肯定以外ありません。ここまで来れば一連托生。ですから……」

 

 浮かべられたあくどい笑みに見た、不退転の決意に応えるように。口角を上げ犬歯を覗かせ、吼える。

 

「────何でも言ってください。何処までだってお供しますよ」

 

 普段はやらないこの獰猛な(当社比)笑い方、このヒトの悪巧みスマイルを観察して編み出したモノだったりするのは秘密。

 

「プロデューサー冥利に尽きるね。……おし、んじゃあ行くか。この部屋に盗聴器が無いのは確認したが、万が一でも盗み聞きされてっとマズイ。念には念を入れとくぜ」

 

「?……行くって、何処にです?」

 

「俺ん家」

 

「ああ家ですね良いですよ…………えっ?」

 

 えっ?自宅?…………これってもしかして泊まり込み!?こんな急に!?港区住みとだけ聞いてるけど、今まで一度も家なんて行った事ないのに!?

 

「おう。壁ブチ抜いて裏ルートで車乗って帰っから、パパっと支度しな」

 

「え、えーっと……」

 

 裏ルート云々は、マスコミ対策を兼ねた配慮だろう。でもなんでこんな自然体なんだ、この人。

 替えの服とかクレンジングとか何も持って来てないけど、どうしよう。大事な日なのに茫洋と、余計な事を考えた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

『……しかし、ファンからしたら垂涎ものだろうね。まさかあの高垣楓と生電話とは』

 

 ところが、色っぽい事なんて何も起こらず。空回りに拍子抜けしたまま訪れた彼の住居にて、気を取り直したのも束の間。私はとある人に携帯で電話を掛けていた。

 

「おべっかを使うようなお人でしたっけ?()()()()、って」

 

 お相手はNY支社で辣腕を振るっていると評判の一族の秘蔵っ子、美城()()。弱冠30代にしてあと数年すれば取締役に上がるだろうと噂される彼女、徹底した成果主義者にして、現在の美城財閥総帥の孫娘でもある。

 

『何、ちょっとした嫌味さ。今NYは朝の6時なんだ。私は早起きだからともかく、時差くらいは考えてくれたまえよ?』

 

「これは失敬、コッチは夜の7時なもので。次回以降は気を付けます」

 

『おいおい、次もあるのか?』

 

「無いと良いのですが念の為。……で、担いで頂けますか?内部告発の片棒」

 

 言いつつも港区某所にある高層階の一部屋から、窓越しに大都会のネオンを一望する。見下ろす景色は控えめに言って壮観。部屋は3LDK、眺望・アクセス・セキュリティ全て申し分なし。

 案内されるなり「先輩こんな良いところ住んでるんですね、都内にキャンパス移動したら私もここに越します」と零すくらいには良物件だった。

 

『構わんよ、口先ばかりで実力の無い連中には私も辟易していたところだ。寧ろ良い掃除になるだろう。美しくあるべき城に、蒙昧な使用人は必要無い』

 

 ……このキャリアウーマン、きっと通話口の向こうで怜悧に微笑んでるんだろう。相変わらず口ぶりは知的……いや詩的か。駄洒落で応戦してもいいけど、日付が変わるので自重する。

 

「流石のコストカッターぶりですね。懲戒処分してから損害賠償請求もする腹積もりなんでしょう?Pさんが舌巻いてましたよ?」

 

『当然だ、我らが白亜の城(ブランド)汚物(キズ)を擦り付けたのだからな。にしても……君からお褒めの言葉を賜るとは、今日は槍でも降るのかな?』

 

「いえいえ、私お世辞は苦手なものでして」

 

『その口ぶりでハタチとは末恐ろしいよ。きっと天性の才能だろう』

 

 揶揄う口調ではなく、さも当然と言わんばかりのお返しに。

 

「あら、担当Pの影響かも知れませんよ?なにせ熱烈に口説かれて、この業界に入ったんですから」

 

 齢18そこらの女子大生にとって、あの日はとてつもなく劇的だった。安いメロドラマみたいと評されようと、臨終の間際まで覚えているだろう。

 

『……プライベートは詮索しない。しかしみだりにそういう関係を仄めかすのは、あまり関心しないな』

 

「いいえ、ものの例えです。女磨きを怠れば、過去の己に敗北します。私、高垣楓にだけは敗けなくないんですよ」

 

 スカウトされた日が全盛期でした、なんて無様は晒したくない。だから私が争うのは、今をときめく765プロや876プロの娘達でも、芸能界の大御所や事務所の可愛い後輩達でもない。常に()()だ。

 

『殊勝な心意気だが……かつての日高舞のようにはならんで欲しいな。業界人なんだ、彼女の引退の真相くらい知っているだろう?』

 

「もし()()なったら、ママタレントにでも転身しますよ。……では、またお会いしましょう?全て片付いた後で、NYへ御礼に伺います」

 

『ああ、楽しみにしているよ』

 

「あ、それから」

 

『何かね?』

 

「……感謝してますよ。若造の戯言と切り捨てず、話を聴いてくださった事」

 

『……君は東方仗助が目を掛けた逸材。そして社員の福利厚生とは真っ当であって然るべきだ、別段礼を言われる事ではない』

 

「もう、みーちゃんってばお固いですね?」

 

『誰がみーちゃんだっ!切るぞ!』

 

 それきりガチャン、ツーツーと無機質な音を立てて通話が切れる。電話帳にコッソリ『346のみーちゃん』という名前で登録してるのは、きっとまだバレてない筈。

 

(うーん、こういう人なんて言うんでしたっけ……ツンデレ?)

 

 ビジネスライクとは断言しづらい電話が終わって、ちょっと一息。

 さて残るは先輩の進捗次第。しかし今しがたまでの私と同じく、家主たる彼は通話中。

 

(……待つついでに、お料理作っときましょうか)

 

 冷蔵庫を失礼して開けると卵にフルーツ、チーズやベーコンやらが詰まっている。「好きになんでも飲み食いしていい」と言われたので、つまみを数品作ってご相伴にあずかることにした。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「グレート・ファミリー」という言葉がある。単に豪族、という意味を指すのではない。かの有名なロックフェラー家を始めとする、世界史上にその名を記される様な血族達の事だ。今なお国際経済に厳然と影響力を有する彼等は、ひとたび動けば凡百の会社程度は容易くひねりつぶせる、らしい。

 

(詳説資料は確か……「映像の世紀」だったかしら?)

 

 大学の講義で習った、フィクションみたいな現実の話を思い出す。確証はないけれど、何だか彼が関係していそうな気がしたから。

 

『美城グループ全体の時価総額は約1兆円。そのうち346芸能事務所単体では約400億円。此処にケンカ仕掛けるとなりゃあ、当然俺らの持ってる金だけじゃあ足りねえ。つーわけで増援頼むわ』、と述べた件の彼……Pさんが別室(寝室)に移動して、既に20分近くが経つ。

 委細は省かれたけど、経営学は実地でも研修済らしい。なんでも大学時代にちょくちょく父の実家があるというアメリカを訪れ、向こうで資産運用などを教わっていたという。

 

(「実はケネディー家の跡取り」なんて噂もありますけど、ホントのところはどうなんでしょう?)

 

 彼の家族関係は謎が多い。上司の今西さんが酒席で聞いた際も、上手い具合にはぐらかされたらしい。「成人祝いに父から油田を貰った」なんて与太話もある程。ただこればかりはプライベートな事なので、本人が自ら話してくれるまで待つつもりだ。

 でも、ある程度の予想はつく。私も似たようなものだけど、容姿からして外国人の血が混じってるのは確実だろう。

 

 ……あ、ちなみに私は母方が貿易商の家系で、父方が外交官の家系。そして両方とも国際結婚が非常に多く、分かっているだけでも12カ国以上混ざっている。従兄弟や縁者は日本人より外国人の方が多い。親族の結婚や葬儀となれば、まともに話したこともない親戚が世界中からわらわらと集まってくる。

 お陰で地元にいた時は「楓ちゃんは親戚に石油王と欧州の王族がいる」なんて虚言まで囁かれた有様だ。

 

(私は単に、田舎の造り酒屋の娘でしかないんですけどね……)

 

 個人経営の(※酒豪家系の母方が実益を兼ねてやってる)和歌山のリカーショップ・高垣酒造が私の実家。老舗なので店構えは古いけれど、別に大金持ちでも何でもない。

 まあ、やけに真白い地肌や生まれつきアッシュの髪色、虹彩異色症の両眼は、両親の多様な遺伝子プールからもたらされたものなのかも知れない。

 

 閑話休題、どうも何人かと電話のやりとりをしているようで、今度は日本語が聞こえてきた。ほんの少しだけドアが開いてる事もあってか、この静かさなら十分拾える。

 

『……秘匿回線の通話は久し振りだね。いつも通り、符丁を違わば即座に切る。宜しいかな?』

 

 カプレーゼを作りながら、良心の呵責を感じつつ盗み聞き。電話口の向こうから聴こえるのは、壮年と思わしき男性の声。大方、ウチの大株主というところか。

 

「万難排して臨むまで。()殿()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()。君の用事は如何程に?』

 

()()()()()()()()()()()()

 

『……コードネームで呼ぶという事は、いつぞやの()()を返せという事かね?』

 

「ま、そんなトコで。半年前に頼んだ買い叩き(例のアレ)、一緒に仕掛けてくれって依頼を」

 

『……遂にやるのか。…………事後報告になるが、ロスチャイルド(ヨーロッパから)は助力をくれる。元々ロマノフ家(ウチ)とは親戚だからな。あとは君自身の好きにやれ。種銭はあるのか?』

 

「もちろん。州政府(お上)に手持ちの油田(しさん)を一部売却しましてね。これで費用の半分は賄える算段っス」

 

『上等だ。元CIA職員(わたし)諜報網(ツテ)は使うかね?』

 

「そこまでは。……ただ一つ、新規経営陣に伝言を。『現場に余計な口出し無用』、とだけ」

 

 明瞭にそこまでを聞き取ったところで、一旦リスニングを止めて思考に集中。暗号めいた気になる単語や符丁はいくつかあったけど、中でも。

 

灰色の(グレイ)枢機卿(カーディナル)……?)

 

 そう渾名された人物というと、旧ロシア帝国末期の怪僧・ラスプーチンのイメージが浮かぶ。血友病に悩む皇太子らに取り入り、帝政ロシア崩壊の一因となった聖職者は、正に──奇しくも今の私達のような──獅子身中の虫であった。

 

(仮にもし、お相手がロシア関係者であるのなら……)

 

 ────史実、かの日露戦争に於いて、旧帝国陸軍の明石元二郎少佐らは、ロシア帝国内に潜伏した共産主義者に資金援助を行っていたことが明らかになっている。スパイ活動の一環として行われたこれらの工作は革命を誘発、結果として帝国は赤化し皇家は滅亡。戦争は日本の辛勝に終わった。明石らは強敵打倒の為ならば、仇敵とも一時的に手を組んだのである。

 

 近現代史を履修して感銘を受けたその明石・ドクトリンを参考に、創設者一族の係累らに秋波と資料を送り、経営陣刷新の為の告発準備を整えたのが私。対してPさんは……新株発行前に超速で既存株を買い叩き、自社の大株主を塗り替えるパワープレイを企図したのだ。

 

『やはり血は争えんね。微力ながら力を尽くそう、我らが父祖の命の恩人、その孫よ』

 

(……………………えっ?)

 

 しかし思考の海から己を引き上げた瞬間、そんな言葉が耳に入ってきた。

 

(……命の恩人の、孫…………?)

 

 私の突飛な仮説が確かなら……何か今、とんでも無い事を聞いた気がする。……まさか受話器の向こうにいるのは、本当にラスプーチンの関係者?

 台所で包丁を握ったまま、硬直する私を余所に。彼はいつもの軽い声音で、こう述べて電話を切った。

 

「毎度あり」

 

 灰色の枢機卿。私がこの言葉の真意を知るのは、実にこれより4年後のことだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 数週間後。都内某所の某居酒屋にて。何時ものように二人で個室に掛けてた私達は、勢いよく。

 

「それじゃあ成功を祝して……」

 

「乾杯!」

 

 ……結果から見れば、一連の出来事は息つく間もなくあっさりと終わった。縁故採用の重役らは職を追われ、346プロはNY支社に出向中の美城室長だけでなく、総帥までもが人事に口出ししてくるという異例事態を迎えた。株価は一時、乱高下したものの安定を取り戻し、更に筆頭株主が欧州の某超有名財閥の会長になっていた。電撃的な決着をみた、あっという間の出来事だった。

 

「……しっかし、裏で961プロが一枚噛んでたとはなあ」

 

 泣く子も黙る東京地検特捜部が961プロダクション本社ビルに入っていく光景が、お昼のワイドショーで生中継されたのが昨日の事。一見無関係に思えた同業他社は、実は346を食い荒らさんとしていたのだ。

 

「ええ。私の引き抜き攻勢が961から掛かってたのも、今思えばそういう事だったんですね」

 

 今般の案件を遡ると闇が深い。

 私達にパワハラを吹っかけてきた重役連中が、女絡みでトラブルに巻き込まれたのが事の発端。接待先のセクキャバで宛てがわれた女を持ち帰ったら、なんとヤクザの情婦だったのだという。『俺の女に手ェ出すとはどういう事だ、誠意を見せえや』と脅されて腰が抜けていたところに、961プロ、もとい黒井社長の顧問弁護士がやってきて揉み消してくれたのだそう。もちろん、「会社にバレたらどうなるか分かってるよな?」との脅し付きで。

 以来、黒井の言うことを何でも聞く傀儡が完成。ラジコン代わりに使われていたらしい。

 

「古典的な美人局(つつもたせ)に、今時こうまでコロッと引っ掛かるとは……。アホ過ぎて同情も出来ねえ」

 

「やる方が悪いんですけど、引っかかるのも駄目ですね。大企業の偉いさんなら警戒して当たり前でしょうに……」

 

 しかし下手人たる黒井もさるもので、黒井本人が関与した確たる証拠は何も掴ませなかった。実行部隊の半グレや黒井に不正を命令された社員は捕まってるのに、なんともすばしこい事。いくつかの隠れ家を転々としてるとの事だけど、ほとぼりが冷めたらシレッと表に出てくるだろう。

「いつか絶対逮捕してやる」、とは捜査に携わる片桐刑事の言葉である。

 

「ハニトラが無くならないわけですね。……ねえ、先輩」

 

「ん?」

 

「女体の何がそんなに好きなんです?胸?」

 

「俺も同類みてーに言うな、知らんて」

 

 ちなみに株主総会を荒らしていた総会屋も、元を辿れば961と繋がりがあったとのこと。これは警視庁の握野(あくの)警部から聞いた。

 

「今回は346プロの買収と引き抜きを画策されるも、その企みを頓挫させた。……これで晴れて一件落着、って事で良いんですかね?」

 

 安穏を希求する私の問いにしかし、彼は「いいや」と否定的見解を示した。

 

「正確に言えば、黒井も子飼いだろうな。あの男は悪党だが()()じゃあない。フィクサーはもっと後ろにいる筈だ」

 

 何処からその情報を仕入れたのだろうか、確信めいた表情で彼は断言する。アングラな交友関係を多く持ち、巧みに検察や警察の目を掻い潜って逃げおおせる黒井ですら、駒?なら。

 

「……黒幕は、一体何処の誰なんですか……?」

 

 自分で言っておいて、思わず背筋がぞわりと粟立つ。

 今回は丸く収まった。しかし、背後にあるだろう組織はその尻尾も掴めない。さながらヒドラの尾のように。

 重役も駒。親分と思われた黒井も駒。更にそのバックに、影も形も見えぬ何かがいる。

 

(後ろで糸を引いてるのは、何者…………?)

 

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

「ゴールドマン・サックスにモルガン銀行、スタンダード・チャータードまで動いた?」

 

 2010年8月下旬、アメリカ合衆国某州某所。歳若く見える金髪の巻き毛男は、部下より上がった報告に眉を潜めてそう生返事。容易く運ぶはずだった()()()()の確保が、失敗した事を示していたからだ。

 

「はい。しかし、この顔ぶれ…………」

 

 憤懣やるかたない、と言った面持ちで応えるは、同じくスーツ姿の金髪男。しかしこちらは、燃えるような赤い眼を滾らせている。

 

「全てロスチャイルド系か…………成る程。協力者にユダヤ系財閥をも擁するか。彼等の力は合衆国にも不可欠。中々に侮れんな」

 

「カマかけ序でに各銀行の頭取にも連絡を入れましたが、知らぬ存ぜぬの一点張りでした。全く、欧州の人種は面の皮が厚くて困る。百戦錬磨と言えばその通りですが」

 

「当然だろう、彼等は元より根っから商人。我々の陣営にも手厚い援助をくれているよ。勝者がどちらに転んでも自分達は儲かるように、という考えだろうね。がめつい事だ」

 

 尤も、全て私が呑んでやるが。という言葉は口に出さず、淡々と会話に応じる。

 

「で、今回使ったジャップの色ボケ老人とチンピラ共はどうした?」

 

「使えん生ゴミは全て処分済です。アジア人は人口だけは無駄に多い。替えはいくらでもあるでしょう」

 

「黒井は殺るなよ?まだ使える」

 

「ええ。しかし閣下、何を考えているので?黄色人種の駆け出しモデルに入れ込むなぞ……」

 

 そう言って彼はデスクの上に置かれた、ある人物の調査書と思わしき資料をパラパラと捲る。今回わざわざ囲い込みを企図したその人物の名は、「高垣楓」と記されていた。

 

「なに、ちょっとした過去の()()を思い出したからだよ」

 

「過去の……?……ああ、日高舞の事ですか」

 

 日高舞。言わずと知れた芸能界の生きる伝説。彼女の現役時代、「イエロー・モンキーの猿芝居」と高を括って気にも留めなかった彼の意識を変えたのは、異常とも取れるその大ブレイク。「CD一枚出すだけでビルが一つ建つ」とされた彼女の巻き起こした社会現象は、遥か海を越えたアメリカ合衆国にまで波及していた。

 

(だが、既に彼女も齢30を過ぎ、かつ引退した身。恐らく歌唱力も全盛はとうに終えている。あとは年齢的に下り坂を辿る一方だろう)

 

 しかし。世紀末を震撼させた天才が舞台を降りてから、約15年後。リーマンショックの不景気に喘ぐ国際社会に降って湧いたように、新たな鬼才が彗星の如く現れた。

 

(それこそが高垣楓……。近年の我が連邦からあのような人材が出てこないのは、紛れも無い国富の損失だ)

 

 往時の日高舞に全く引けを取らない美貌。マイク一本で場を呑み込む歌唱力。出演ドラマは局の最高視聴率を更新し、舞台をやれば観客が興奮のあまり失神する程の才気、正に唯一無二。僅か一年足らずでスターダムを駆け上がったのが良い証左だ。世界最も美しい顔ランキング首位、ベストジーニストにアカデミー助演女優賞、ミス日本グランプリなど受賞歴も華々しい。

 

(故にこそ高垣楓。アレは()()に不可欠だと思っていたが……)

 

 日本音楽業界では既に「80年代のマイケル・ジャクソンに匹敵する」扱いを受けているとなれば、アメリカから見ても間違いなく怪物だと分かる。ソレほどならば、と一時は強行手段も検討した程だが。

 

「拉致すれば……いや、此の人間関係では無理ですね」

 

「ああ。ジョセフ・ジョースターの隠し子が彼女をプロテクトしている。強引に拐えばパッショーネ、更に空条承太郎も動き出すだろう。あと数年は隠密に事を進めねばならんな」

 

 椅子に深く腰掛け直した巻き毛の男は、瞑目したのち息を吐く。

 

「……予定を変更しよう。高垣楓(あの女)本人が居なくとも、()()を用意する事は可能な筈」

 

「史上最高の獅子(カリスマ)を産み出すための孕み袋を?産めば用無し故に棄てるだけでしょう。予備に切り替えるので?」

 

「いいや、発想を転換する。君の持つ会社の技術がいる、暫く人を借りるよ」

 

「外国人の命は、求むる結果の為なら羽毛より軽い、とでも?結果の為なら如何なる過程を辿っても是とする姿勢は、全く実に貴方らしいですが」

 

「血生臭い塵どもと私を比べるなよ、Dio。これは取るに足らぬ我欲ではない。全ては私が愛する合衆国の為に必要なことだ」

 

 鮮やかな金糸をたなびかせる男達は、お互いを威嚇するようにほくそ笑む。

 

 この四年後に、極東にて巻き起こった災厄の嵐。その萌芽は、この時から蠢動を始めていた。

 

 

 




・美城さん
今回の功績で常務ポストが内定。美人だけどポエマー。

・片桐刑事
娘が警察学校通ってる。

・握野警部
弟が警官志望。


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