目覚めると、私の世界は一変していた。
テレビを見ればブサイクなタレントが可愛いと評判であり、
女性誌を見れば「美人になるヒケツ!」とのタイトルで、全くもってデタラメな化粧の仕方を教えていた。
芸術を見れば、キュビスムは単なる美人画であり、それを評論家が美醜の逆転と評していた。
美醜の逆転。つまるところ、それがこの世界の法則であった。
私の家はガヤガヤとした飲み屋街の外れにあったが、
そこがハイソでオシャレな街と巷で人気であったのは、流石に笑いを堪えられなかった。
私はお世辞にも美人と言われたことがなかった。そのような不器量であるから、
この世界では当然の如く、十人居れば十人が振り向くような美貌として扱われた。
私は親の悪い部分を受け継いだとよく母親からなじられていたものだ。
低い背、
どれも両親から受け継いだものであった。蛙の子は蛙であった。
しかし、両親は私の容姿に自分の似たところを見つけると、
そのことを
それが一転、両親も私のことを器量の良い美人だと褒めそやすのだから、私は失笑した。
私と似たり寄ったりで不細工な両親も、前の世界よりも高い地位についていたようであった。
美人は得であるとはこのことだろう。
この世界に
彼は私を綺麗だ、君より美しい人に出会ったことはない、といったありふれた、
しかし前の世界では与えられることのなかった言葉を口にした。私は彼の言葉にしばし酔った。
私は彼の事務所に所属することになった。
私の容姿は忽ちに評判となり、しばしば雑誌の表紙を飾った。
私は何時しか「百年に一度の美人」と呼ばれるようになり、テレビにも出演することになった。
私の
夢にも見なかった仕事で、何もするにも賞賛された。何もかもが素晴らしかった。
思えば、この頃が私の絶頂期であった。
ある時、私はマネージャーに勧められ、一冊の本を書くことになった。
何でも自然体で美人を保っている方法について書かねばならぬようであった。
それ以前にも、周囲の人に何処で整形したのか、どういった風に化粧をしているのかと、
しかし、私は事実何もしていなかったのだから、それについて書くことは容易であった。
題して「苦労しない美容法 ~何もしないことが美人のヒケツ~」という本であった。
この本は大々的に広告が出され、書店に平積みで売り出された。
人々は私の本を買い求め、本は飛ぶように売れていった。
マネージャーは嬉しさに耐えられないといった表情で、ミリオンセラーにもなるだろうと話した。
その頃から、私は異変に気付くようになった。前の世界で言うところの美男美女が増えてきたのである。
その切っ掛けは私の本のサイン会であった。
ある美人が、この本のお陰でありのままの姿を肯定できたと喜び勇んで話しかけてきたのである。
私の頭に、ある考えが浮かんだ。それは粘着質で取り去ることの出来ぬものであった。
前の世界でも美人は美人であるために
前の世界の私は不細工に甘んじて何もしていなかった。
そうであるならば、この世界では何もしなければ全員が美人になってしまうのではないか。
私は気もそぞろにサインをした。こんな考えは認めたくなかったのだ。
私は以前のように、テレビに出るにも、写真撮影をするにも上手くいかなかった。
何かする度に、あの疑念が頭を
お前は何もしなかった。そのお陰で今の地位に立っているんじゃないか。
誰もが私のことをそう考えているように思えて、何も手が付かないのであった。
前の世界のことなど誰も知るはずがない。そう考えても気休めにもならなかった。
もはや、私の流行は過ぎ去っていった。過去の著作は話題に挙がるが、
テレビや表紙を飾るのは新美人と題された、前の世界と同じ美男美女であった。
この世界を夢と考えるには、私は長く居過ぎたようであった。この世界こそが私の現実であった。
何もかもが手遅れであるかのようであった。私は絶望した。
私が何もかもが嫌になって、自宅に引きこもっていた。何もしたくなかった。
そして、何もしないことが自分の存在を肯定しているようであった。
だが、この停滞した生活は思わぬところで破られることになった。
突然にマネージャーが家を訪ねてきたのである。
彼は言った。「君は何かの妄念に取り憑かれているんだ。ブームは変わる。それは仕方がない。
追いつくように努力すれば、きっとまた話題の的になる。一緒に頑張るしかない。」
私は前の世界とこの世界が何ら変わりのないことに気がついた。
表と裏が入れ替わろうと、軸はそのままなのだ。
元の木阿弥、その言葉が私の脳裏を
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