フルメタル・アクションヒーローズ (オリーブドラブ)
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第一部 着鎧甲冑ヒルフェマン
第1話 物語の始まり


 緑色の鉄拳が、人間を貫く。

 

 背中から飛び出す握りこぶしが、その身体に大きな風穴を作り上げた。

 

 ――いや、それは人間ではない。人間に近しい存在として造られていながら、人とは掛け離れた歪なからくり。

 この、世に云う「ロボット」と呼ばれる物体こそが、「彼女」の拳に貫かれた正体だったのである。

 

「くッ……!」

 

 そのからくりの身体を打ち抜いた本人は、悔しげに唇を噛み締め、拳を引き抜いた。刹那、機械の身体が砕け散り、その部品が火花と共に宙を舞う。

 

 声色を聞けば、このロボットを砕いた人間が、十五歳程度の少女であることくらいは誰にでもわかることだろう。だが、その彼女が今、どのような顔をしているのかは本人にしかわからない。

 身体に隈なく張り付いた緑色のスーツに全身を包み、同色の仮面で顔を覆い隠している以上は。

 

「ハァッ、ハァッ……! こ、これで十三体目……まだ居るの……!?」

 

 仮面越しに少女が見ている世界は、薄暗く閉鎖的な一室であり、彼女の足元には同じようなロボットの残骸が幾つも転がっていた。

 

 ここは彼女とその家族が暮らす、人里から離れた小さな研究所。

 そこでささやかに、それでいて幸せに彼女達は暮らしていたはずだったのだ。このロボット達が、研究所を襲う瞬間までは。

 

「お、お父様ぁああーッ! お母様ぁああーッ! 返事して! 居るなら返事してよぉぉッ!」

 

 少女は家族の身を案じ、叫ぶ。しかし、狭い研究所の中で帰ってくるのは、自分の声だけ。その現実に肩を落としつつも、彼女は諦めまいと周辺を走る。

 

 厳しくも優しい両親。子供のように小柄だが、穏やかに自分を支えてくれる祖父。自分に良くしてくれた、父の助手達。

 ――そして数ヶ月前に姿を消した、父の一番弟子であり、兄のように慕い続けてきた一人の青年。

 

 少女が家族と、家族のように想う人々の姿が、浮かんでは消えて行く。みんな無事でいて欲しい、その一心だけを胸に、彼女は戦場と化した「自宅」を駆け抜けた。

 

 そして、今朝まで家族で団欒を囲んでいたはずのリビングにたどり着き――変わり果てた世界に、少女は戦慄を覚えた。

 割れたテーブルやテレビの傍に、何人もの人々が倒れている。全員、顔見知りの助手達なのだ。

 

「お、お嬢様……よ、よくぞ、ご無事で……!」

「みんなッ……! そんな、こんなの、こんなのって……ッ!」

「落ち着いて下さい、お嬢様……私達は、誰ひとり死んではおりません。あのロボット軍団、私達を殺すつもりはないようですが……」

 

 死者はいない。それが不幸中の幸いに感じられたのか、少女は思わず胸を撫で下ろしていた。だが、死人が出ていなければいいわけではない。

 まだ、見つかっていない人がいるのだから。

 

「うぅ……樋稟(ひりん)、どこじゃ……?」

「お、おじいちゃんッ!? わ、私はここよッ! 今助けるからねッ!」

 テーブルの下敷きにされていた祖父も助け出し、残るは両親だけ。唐突に姿を消した、兄同然の青年を案じつつも、少女は祖父を静かに寝かせ、立ち上がる。

 

 その時だった。

 

「樋稟ちゃん、さすがだね。僕のおもちゃをこうも弄ぶなんて、さ」

 

 艶の乗った美声が、少女の耳に届いたのは。

 

剣一(けんいち)……さん、なの? これは、どういう……!?」

 

 狼狽する彼女の視界に映る光景は、この戦いの実態を物語っているようだった。

 少女が纏うスーツとは似て非なる、黒鉄の鎧で身を固めた一人の青年。その両腕には、彼女の最愛の両親が抱かれていたのである。

 

「君のお父様に破門にされてから、ずっと考えてたんだ。着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)を廃らせないためには、僕は何をするべきなのか」

「剣一ッ! お主、本気なのかッ!」

「本気でなければ、ここまでする道理などありませんよ。稟吾郎丸(りんごろうまる)さん」

 

 祖父の怒号にも全く同じず、青年は涼しげな眼差しを仮面越しに少女へ送る。

 

「は、破門? そんな話聞いてないし……嘘よ……嘘よね、そんなの。剣一さん、違うんですよね? 何かの間違いなんですよね? だって、私達ずっと、兄妹みたいに……」

 

 一方、彼女は未だに状況の理解を拒もうとしていた。自分が案じ続けていた、兄のような青年。その彼が、自分の両親を連れ去ろうとしている。

 敵を打ち倒せる力はあっても、その現実に堪えられる強さを持てる程、この時の彼女はまだ大人ではなかったのだ。

 

「樋稟ちゃん。世の中にはね、正しいことのために間違ったことをしなくちゃならない、そんな矛盾だらけなことだってあるんだよ」

「わかりません……わかりません! 何を言ってるんですか剣一さん! それに、その姿は何なんですか!? 早くお父様とお母様を放してッ!」

「……なら、君の手で取り返して見せるんだ。それが出来なければ、君達は何も救うことは出来ないんだよ」

 

 少女の縋るような叫びも、仮面に隠れた涙も、青年の心を揺るがすには至らない。

 彼は捨て台詞のような一言を最後に踵を返すと、そのまま壁を蹴り砕き――外の世界へと飛び出してしまった。

 

「……何よ、何なのよそれッ! 嘘でしょッ!? 剣一さんッ! 剣一さぁぁぁんッ!」

 

 その影を追うように、少女は青年の後を追おうとする。が、彼を追って祖父達を残すわけにも行かず、結局は彼が開けた穴に向かって泣き叫ぶことしか出来なかった。

 

「『着鎧甲冑を廃らせないため』、か……。剣一の奴め、愚かなことを……!」

 

 そんな彼女の遥か後方で、自らの祖父が歯を食いしばっていることにも気づかないまま。

 

 ――それから半年後。

 少女とその祖父は、やがて青年を追う決意を固めると、住み慣れた故郷――アメリカを離れ、日本へと向かう。

 

「おじいちゃん……行くよ。お父様達と――剣一さんが、待ってる」

「……そうじゃな。あ奴も、それを望んでおろう」

 

 彼の思惑を止め、両親を救い出すために。

 

 そして、二〇二七年十二月。

 少女達は、日本のとある町にたどり着いたのだった。

 



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第2話 スーパーヒロイン「ヒルフェマン」

松霧町(まつぎりちょう)商店街で火災発生! 『救済の先駆者(ヒルフェマン)』出動じゃ!」

 

 湯煙に包まれた空間の中で、老人の叫び声が響き渡る。

 しかし、そこに声の主はいない。要するに、何らかの通信機越しに発せられた声なのだ。

 

 その発信源を取り付けたブレスレットを右腕に嵌めた、一人の美少女。ショートボブの茶髪と、薄く透き通るような色を湛える碧眼は、彼女の美貌をより一層引き出していた。

 彼女は老人の声を聞き取ると、凜とした瞳を鋭く細め、浸かっていた湯舟から身を乗り出す。一糸纏わぬその姿は、さながら人間に生まれ変わったばかりの天女のようだ。なめらかな曲線を描くその身体は、ある種の神秘ささえ感じさせる。

 

 すらりと伸びた細い脚、くびれた腰。それに相反し、ふくよかに揺れる双丘。異性を惹きつけるには、あまりにも過剰なフェロモンさえ放たれているのだ。

 だが、その目付きにだけは「天女」と呼べるような優雅な印象はない。あるのは、「いざ死地に赴かん」といわんばかりの決意の色だ。

 

「わかったわ、おじいちゃん……着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)ッ!」

 

 例の老人と機械を通じて言葉を交わすと、彼女は呪文を唱えるかのようにブレスレットに叫び、それを装着した右腕を勢いよく突き上げる。さながら、世に言う「変身ポーズ」のように。

 

 刹那、彼女のみずみずしい肢体は機械の腕輪から飛び出す光に絡み付かれてしまう。その輝きは少女の全身を覆うように広がって行き、やがて光はある形状に固形化していった。

 

 彼女の美しい身体のラインを完璧なまでに維持した、緑と基調としたボディスーツ……そして、黒いグローブとブーツ。さらに、きめ細かく整った目鼻立ちが特徴の麗しい顔を包み込む、シールド付きのジェットタイプヘルメットを思わせる形状のマスク。その口元を覆う部分には、唇をあしらったデザインが施されている。さらに蒼いバイザーからは、彼女の視界が広がっている。

 

 まるで昔の特撮ヒーローのような、シンプルなそのスーツを一瞬にして身につけた彼女は風呂場の窓を開けると、一切の迷いを感じさせない動きでそこから飛び出していった。

 

 ◇

 

 夜の町を暗黒にさせまいと光る、月光や電灯の輝き。それらの他にもう一つ、今宵の景色を明るくさせる光があった。

 商店街の一角にある、小さな中華料理店。そこで発生した火事の勢いが、この日の夜を騒然たる状態に叩き込んでいたのだ。

 

「あそこね……! おじいちゃん、被害に遭った人は!?」

『今のところは怪我人の類はいないみたいじゃの。――じゃが、火事が起きた店の上の階に逃げ遅れた子供がおるぞ!』

「わかったわ!」

 

 スーツを纏ってからもしっかり装着されているブレスレットを通して、老人が状況を説明する。彼の指示に従って動いている少女は、人間とは思えないような速度でアスファルトを駆け抜けていく。

 

 既に現場では消防隊が駆け付けていたが、火の勢いが思いの外激しく、老人の言っていた「逃げ遅れた子供」がいる階まで辿り着けない事態に陥っていた。梯子車で十分届く距離ではあるのだが、なにぶん煙や炎が強烈で、突入はおろか、近寄ることさえ難しい。放水は既に開始しているのだが、火災が止まる気配は見られなかった。

 

 そこへ颯爽と駆け付けたのが、例の少女――が扮する、謎のヒロインだ。

 

 彼女は自分の登場に驚く人々を尻目に、猛烈な火災に包まれた中華料理店に真っ向から突撃した。

 真っ赤な炎に蹂躙された建物を突き進み、灼熱をものともしない。今の彼女は、まさしく勇敢なヒロインそのものといった出で立ちであった。

 

「消防隊が鎮火を始めてるのに、勢いが全然止まらない……きっと、食用の油に引火してるのね」

 

 冷静に事態を分析しつつ、身を焦がさんと暴れ回る火炎をかい潜り、彼女は階段を駆け上がっていく。

 

 例え瓦礫が落ちてきてもパンチ一発で迎撃し、火に包まれても手刀一つで振り払い、足場が崩れても人間離れしたジャンプで危機を脱する。

 そんな彼女の快進撃を阻む障害は、ありえなかったらしい。

 

 やがて到達した目的の階層で、例の子供を見つけた時も……彼女は無傷であるばかりか、息一つ切らしていなかった。

 そして少女は無事に子供を救出し、固唾を飲んで見守っていた人々の拍手喝采を背に、夜の闇へと姿をくらました。

 

 全身を謎に包めた、無敵のヒロイン――その存在は、この活躍を通して人々の間に「より」浸透していくことになる。

 

 ◇

 

 そんな彼女が満足げに帰宅した頃には、既に時刻は夜の十時を回っていた。クリスマスが近いこの季節に、この時間帯はかなり冷え込む。

 自宅の一軒家を前にした少女は、周囲に目撃者がいないことを確認するべく、辺りを見渡す。そして誰もいないことを確かめると、素早く家に入れるようにと開けておいた窓から、速やかに帰宅する。

 

 窓で出入りするのはよろしくないことだと知っていたが、それでも正体がばれる可能性を最小限に抑える努力を怠るわけにはいかない――というのが彼女の言い分だ。

 馬鹿正直に玄関から行き来していたのでは、いつ通行人に見つかって自分の素性が露呈してもおかしくない。それを思えば、多少はしたないことではあっても、窓からコソコソ出入りした方がまだマシ、ということなのだ。

 

 そういう事情から、彼女は窓から忍び込む格好で二階の自室に入っていく。そして人目を憚るように窓とカーテンを閉め、慌ただしく辺りを見回す。

 この場に誰もいないのは当たり前で、同居している彼女の祖父――すなわちさっきまで彼女と話していた老人も、今は一階のリビングでニュースを見ている頃だ。

 

 それなのにここまで彼女が気を張っているのは――スーツの下が全裸だからだ。

 

 人命救助という自身の使命を果たした以上、これ以上このスーツを纏う意味はない。無駄にスーツの力を使わない、と決めているからには、帰宅すればすぐにそれを解除するのが筋だ。少なくとも、本人はそう捉えている。

 だが、今の彼女は風呂場から咄嗟にスーツを着用して飛び出してきたため、その下にはブラジャーやパンティーすらない。この摩訶不思議なスーツを使っての人命救助活動は、彼女と彼女の祖父がこの町に来た頃から続けてきたことであるが、下着も穿かずに出動したケースは今回が初めてなのだ。

 いつもなら下に普通の服を着ているから、すぐさまスーツを解除できているはずなのに、今回ばかりはそれがままならない。それもそのはず、彼女はまだ十五歳の思春期真っ盛りなのだから。

 

 ――それでも、彼女は自分の決めたことを曲げたくはなかった。そんな頑固なまでの真っ直ぐさは、彼女の取り柄でもあり、欠点であるとも言える。

 故に彼女はその場でスーツを解除し、自室のタオルで身体を巻いてから風呂場に戻ることに決めた。脱衣所には着替えを置いてあったので、取りに行かなければならないのである。

 

 しかし、その判断はこの時の彼女にとって、最大のミスを招く結果となる。同時に、この物語の起点にも繋がるのだ。

 

 

 まず、ブレスレットに「着鎧解除(ちゃくがいかいじょ)」と囁く。すると、それに呼応したかのように輝くスーツが、光の幕と化してブレスレットの中に収縮していった。

 

 その光が収まる頃には、彼女は風呂場にいた時と同じ、白い肌をさらけ出した美しい裸身となっていた。すぐさま頬を赤らめ、慌ててタオルを取ろうとタンスに手を伸ばす彼女。

 

 

 ――だが、その手は目的の物を掴む瞬間に、ピタリと止まって動かなくなってしまう。

 

 気配を、感じたからだ。

 そしてソレに連なるように、話し声が聞こえてくる。

 

「待て、待つんじゃ龍太(りゅうた)君! わしの話を聞いてくれぇ!」

「いーや! もうゴロマルさんの頼みといえど、これ以上看過は出来ぬ! 今日という今日は、その孫娘さんとやらに話をつけさせてもらうぞ!」

 

 程なくして、バァンとドアがこじ開けられた音が鳴り響く。

 

 その出所の方向を、恐る恐る振り向いた彼女。その視界に、非情(?)な現実が突き刺さる。

 

 ――彼女と同世代くらいの男の子が、呆然と立ち尽くしていたのだ。

 

 ……そう、彼女がスーツを収め、艶やかな肢体をさらしている、この光景を前にして。

 

 



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第3話 こんなボーイ・ミーツ・ガールは嫌だ

 少年の名は、一煉寺龍太(いちれんじりゅうた)

 

 高校受験本番を来年に控えた、中学三年生である。真っ黒なツーブロックの髪に、中肉中背の体格。

 そして、その荘厳な名前とは裏腹に、「ゴビ砂漠から砂金一粒を探し出す」より町の住民から見つけるのが難しいほどの「平凡」そのものな顔。

 そんな彼が、自宅の隣にある一軒家のリビングで正座させられているのには、それなりの事情というものがあった。

 

 二学期がもうすぐ終わる、という時期に隣に引っ越してきた救芽井家(きゅうめいけ)。その家から度々発せられる激しい光が眩しい余り、隣に住む彼は冬休みに入った今でも受験勉強に集中できない、という苦境に苛まれていたのだ。

 龍太や救芽井家が暮らしている、この松霧町(まつぎりちょう)には密集した住宅地が多い。それだけに、救芽井家の出す光を迷惑がっている住民は決して少なくはないのである。特に、隣に住んでいる上に受験が懸かっている龍太のストレスは大きいだろう。

 そんな彼が、苦情を訴えるべく救芽井家に足を運ぶことは不思議なことではないのかもしれない。

 

 救芽井家もそういった反響は覚悟していたらしく、一家の長だという六十三歳の老人・救芽井稟吾郎丸(きゅうめいりんごろうまる)は、何度も苦言を呈する龍太を懸命になだめていた。

 彼の温和な人柄が功を奏してか、龍太も「近所のこともたまには考えてくださいよ!」と言う程度であり深くは追及してこなかった。しかし、それにも限界がある。

 何度文句を言っても光の勢いは止まらず、そればかりか日を追うごとに光が出る回数が増えていく現状に、血気盛んな中学生はとうとう腹に据えかねたのだ。

 

 怒り心頭の龍太は稟吾郎丸の制止を振り切り、光の出所である部屋――すなわち、稟吾郎丸の孫娘・救芽井樋稟(きゅうめいひりん)の部屋に突撃したのだ。例の光を止めてほしいと、直訴するために。

 そこで見てしまったのが、松霧町で噂のスーパーヒロイン――だった、全裸の少女。思春期の男には刺激的過ぎる出会い方をしてしまった龍太は、顔を真っ赤にして悲鳴を上げる樋稟に蹴り倒されてしまったのだ。しなやかな脚から繰り出す回し蹴りを顔面に喰らい、本番を控えた受験生は努力の成果(記憶)が飛びかねないほどの衝撃を受けることとなった。

 

 事情はともあれ、人の家に押し入って少女の裸を見てしまったことは事実。その償いはあって然るべきという方針に従い、龍太は今、稟吾郎丸と樋稟の前で正座を強制されている……という次第であった。

 

 ◇

 

「そそ、そりゃあ受験なんだから大変だっていうのはわかるし、悪いとは思うけど……だからって手段は選ぶべきでしょ? 変態君!」

「ちょ、変態とはいくらなんでも失敬な! 俺には一煉寺龍太という名前がちゃんとあってだな! ――それに、俺だって予想外の展開だったんだぞ!」

「で、でも見たじゃない! エッチ! スケッチ! ワンダーランドっ!」

「なんだよその夢の国!? エッチなワンダーランドって――ちょっと行ってみたいんですけど!」

 

 微妙に話が脱線しようとしていた。

 

「まぁしかし、こんな形で外部の人間に知られてしまうとはのぅ」

 

 そんな二人の平行線(?)な会話を見兼ねてか、稟吾郎丸が口を挟む。ちなみに彼はその人柄と名前の長さから、龍太に「ゴロマルさん」の愛称で呼ばれている。

 

「そう、それ……。救芽井が変身してたあの姿。あれって、最近町で噂になってるスーパーヒロインだよな? まさか本物に出くわすことになるとは思わなかったよ」

「く、くうっ……。まさかよりによって、初対面で裸を覗くような変態君に正体を知られるなんてぇ……」

 

 勝手に付けられた不名誉なあだ名に、龍太は思わず眉毛を吊り上げた。

 

「だから、その呼び方勘弁してくれよ! 事故なんだってば!」

「なにがどう事故なのよぉー! 思いっ切り私の身体見てたじゃないっ! まだ十五なのに、お嫁に行けなくなったらどう責任取るっていうのっ!?」

 

 とうとう顔を両手で覆い、泣き崩れてしまう樋稟。女に泣かれてしまっては、龍太としては手も足もでない。

 

「うう……頼むよもう、堪忍してくれよ……」

 

 助けを求める彼は、樋稟の横にいる稟吾郎丸に縋るような視線を送る。

 しかし、龍太の腰程度の身長しかないほどの小柄で、サンタのようなボリュームたっぷりの白髭が特徴の老人は、無言で「お手上げ」を主張するだけだった。

 

「さっき話したとは思うが、わしらは着鎧甲冑の技術漏洩を防ぐためにこの町に来たのじゃ」

「あ、ああそう! それそれっ! あんた達が作ったメカを兵器にしようとする奴がいて、そいつがこの町にいるんだったっけ?」

 

 せめてもの助け舟として、稟吾郎丸は別の話題を振る。これ幸いと話に乗っかる龍太は、彼らから素性を聞かされていた。あらゆるトラブルや火事に颯爽と駆け付け、人々を救う噂のスーパーヒロイン――その正体を見られた以上、ごまかすことはできないからだ。

 

 ◇

 

 着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)――それは、科学者の家系である救芽井家が開発した、最新鋭レスキュースーツの別称である。

 かつて地震や火災に苦しめられた経験を持つ樋稟の両親が、「どんな危険な場所であっても、そこで助けを求める人々に手を伸ばせる存在を生み出したい」という願いを込めて、作り出したものなのだという。

 着用すれば超人的な身体能力を発揮し、炎も瓦礫も突破してしまう。さらに、エメラルドに輝くブレスレット型ツール「腕輪型着鎧装置(メイルド・アルムバント)」を介して、粒子化されて収納されている着鎧甲冑を瞬間的に装着することもできる。

 防火服の耐久力を超え、機動隊のシールドの硬度を凌ぐ。そして、あらゆる状況で迅速に装着できるこのボディスーツは、まさに人命救助という目的のために創出された存在だと言える。

 そして、その第一号は「救済の先駆者(ヒルフェマン)」の名を与えられたのだった。

 

「はぁ……じゃあやっぱり、武器とか必殺技とかないんだな」

「あるわけないでしょ!」

「速射破壊銃とか」

「何に使うの!?」

「ロケットパンチとか」

「私の腕が吹っ飛ぶわよ!?」

「おっぱいミサイルとか!」

「――死にたいの?」

「――サーセン」

 

 ……しかし、その技術を救助活動のみに使うことを許さない者がいた。着鎧甲冑のテクノロジーの兵器転用を狙う者が現れたのだ。

 

 その名は古我知剣一(こがちけんいち)。かつて樋稟の両親と共に着鎧甲冑の開発に携わっていた青年科学者である。

 彼は着鎧甲冑の技術を兵器として運用すれば、紛争が絶えない世界各地に救芽井家の技術力を知らしめることができると訴えた。

 

 無論、着鎧甲冑の本来のコンセプトから外れたその意見は許されず、ほどなくして彼はクビになってしまった。

 救芽井家の利益を視野に入れての発言であったにもかかわらず、開発計画から外されてしまった彼は「報復」を決意。

 

 樋稟の両親を誘拐して松霧町に逃亡し、自らが開発した自律機動兵器を使っての「着鎧甲冑の技術奪取」を目論んだのだ。彼自身を司令塔とした、その機動兵器の集団は「技術の解放を望む者達(リベレイション)」と樋稟達に呼ばれている。

 

 その上、古我知は開発計画に参加していた頃から密かに入手していた、着鎧甲冑の設計図を元手に「呪詛の伝導者(フルーフマン)」を開発していた。「着鎧甲冑」の事実上の第二号にして、初の兵器転用を実現させた「凶器」である。

 

 彼はそれを用いて、第一号の「救済の先駆者」を破壊して樋稟と稟吾郎丸を捕らえ、「『救芽井家』の生み出した『着鎧甲冑』の痕跡」を消し去り、自らが第一人者の座に取って代わるつもりなのだ。要するに、「『特許権』の奪取」である。

 

 両親を誘拐された樋稟は稟吾郎丸と共に古我知を追い、住み慣れた研究所を離れて松霧町に身を置いた。かけがえのない家族を救い、守るべき人命を傷つけんとする「呪詛の伝導者」を処分するために。

 

 ◇

 

「……そのために、人命救助に勤しみつつ古我知って人を探してるってわけか。苦労してんなぁ」

「お、驚かないの? ていうか、あっさりと信じるのね……」

「まぁ、あんなものを直に見せられたら納得するしかないだろ。――それにさっきのアレで、もうビックリするのが飽きるくらいビックリしたしな」

 

 敢えて目を逸らして、龍太はぽつりと呟く。その言葉の意味に感づいた樋稟はさらに顔を真っ赤に染めて、抱きしめるように両腕で発育のいい胸を隠した。

 

「や、や、やっぱり! 変態君はやっぱり変態君だったのね!」

「だーかーら! 事故だって言ってるだろう! 勘弁してちょーだいよ! ゴロマルさんからもなんとか言ってくんない!?」

「あいにくじゃが、専門外じゃ」

 

 素っ気ない返答に、龍太は頭を抱えてツーブロックの黒髪を掻きむしる。世間一般の目で見れば「中の下」と判断されるであろう彼の顔は、困惑と焦燥の色に染まりきっていた。

 しかし、焦っているのは樋稟も同じである。

 

 彼女の両親は着鎧甲冑を造り出した天才中の天才であるが、彼女自身もまた、十二歳で海外の大学を卒業する程の才女なのだ。

 故にその才能を評価されていた彼女は昨年から両親の助手を務め、着鎧甲冑の開発計画を手伝っていた。そんな人生だったからか、彼女には同世代の友人がいない。箱入り娘であったために、男の子など以っての外だった。

 そんな樋稟としては初めての「『同世代の男の子』との出会い」……だったのだが。いかんせん運が悪すぎた。

 面識のない赤の他人である少年にいきなり裸を見られた彼女は、ひどく動転してしまってすっかり彼を警戒してしまっている。

 龍太としても容姿故に女の子と絡んだ経験がほとんどないために、樋稟との出会い方やその後の展開には動揺するしかない……のだが、彼女の場合はそれを大きく凌いでいた。

 

「とにかく! 口外は絶対にしないこと! いいわね、変態君!」

「わかってるよ。あと、変態じゃないって!」

「いいえ、お父様は言ってたわ! 『心を通わせずに裸を見ようとする男共はみな変態だ』って!」

「じゃあ心を通わせるためにも俺の言い分を聞いてくれー!」

 

 いくら説得しても変態呼ばわりを止めない樋稟に、頭を悩ませる龍太。

 

 ――その時だった。

 

「まったく……ん?」

 

 ふと、彼はリビングのカーテンに不自然な人影がゆらめいていることに気づく。

 首や手足がぎこちなくうごめく、そのシルエットに龍太はえもいわれぬ不気味さを感じた。

 

「なんだ……? ゴロマルさんと救芽井の他に、誰かいるのか」

「なに言ってるの? この家には私とおじいちゃんしかいな――」

 

 そこまで言いかけた彼女が龍太の見ている方向に視線を移した時。

 

 絶世の美少女は、焦燥に顔を引き攣らせた。

 

 それはシルエットに気づいた稟吾郎丸も同じであり、状況が飲み込めない龍太だけが首を傾げていた。

 

「な、なんと……! まさか、こんなところまで挑発に来るとは!」

「くっ!」

 

 樋稟は驚愕の言葉を漏らす稟吾郎丸を一瞥すると、眉を潜めながらカーテンを開けてシルエットの正体を暴いてしまう。

 

「う、うおわあっ!?」

 

 その正体の異様な風貌に、何事かと正座から立ち上がろうとしていた龍太は腰を抜かしてひっくり返ってしまった。

 

 

 「ムンクの叫び」を思わせるような凄まじい形相――を象った鉄仮面に、黒い西洋甲冑で全身を固めたような格好の、人ならざる人。

 すなわち、例の古我知剣一が擁する自律機動兵器「解放の先導者(リベレイダー)」が現れたのだ。

 

「『技術の解放を望む者達』……! いくら夜中だからって……こんな住宅地まで茶々を入れに来るなんて、いい度胸じゃないっ!」

「待つんじゃ樋稟! 今、存在が世間に知れたら困るのは向こうも同じじゃ! どうせ奴らは襲っては来れん!」

「このまま放ってなんかおけない! 私達の都合で誰かを巻き込まないうちに、早く決着を付けないとっ!」

 

 そそくさと窓の向こうから立ち去っていく「解放の先導者」。樋稟はその機械人形を追って家を飛び出そうとするが、稟吾郎丸は必死に制止する。

 

 というのも、あの逃げた機械人形を追っていけば「呪詛の伝導者」と遭遇する事態は、避けられないはずだからだ。現時点において、救芽井家は兵器としての戦闘能力を持った「呪詛の伝導者」に対抗する術を持っていない。

 生身の人間に比べてパワーはあるものの、運動性で着鎧甲冑を使う人間に劣る「解放の先導者」はともかく、戦闘用に特化した「呪詛の伝導者」に接触すれば、たちまち「救済の先駆者」はスクラップにされてしまうだろう。

 

 しかし、それ以上に彼女は自分達が造り出したテクノロジーを巡る抗争に、他人を巻き込む事態を避けたいという気持ちが強かったのだ。

 樋稟は稟吾郎丸の小さな体を振り払い、ショートボブの茶髪を揺らしながら、自宅を飛び出していく。

 

 そして、感覚的に関しても物理的に関しても置いてけぼりを喰らってしまった龍太は――

 

「た、頼む龍太君! 樋稟を……あの娘を助けてやってくれい!」

「あー……やっぱそういう展開?」

 

 ――わけがわからないまま、樋稟を追うように言われてしまっていた。

 

「……ああもう、なんなんだよ今夜は! こうなったらあの娘を助けて、変態のレッテルだけでも剥がしてやるっ!」

 

 他所の難しい話は、知識を詰め込もうと必死な受験生にはよくわからない。

 それでも、変態扱いされたまま別れることは、仲が悪いまま終わらせることを嫌う彼の性分に反することだった。

 

 龍太は、カーテンが開けられた窓から樋稟が走って行った道を確認すると、愛用の赤いダウンジャケットと黒のフィンガーレスグローブを着用する。

 

「受験生に面倒事をあてがわないで欲しいね、まったくっ!」

 

 そして両手で頬をパン! と叩いて気合いを入れ、一人の少女を追って救芽井家を出発していく。

 

 ――彼の冬休みの稀少な一時が今、始まろうとしていた。

 

「『一煉寺』……か。こりゃあ、期待してもいいかもしれんのぅ」

 




 次回からは、龍太視点となります。


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第4話 ひとまず観戦

 ここからは龍太視点となります。


 さてさて……勢いよく飛び出して来ちゃいましたけども。

 

 ――目の前で起きてる状況に、俺はどうコメントすりゃいいんだ!?

 

 あの意味不明な機械人形(?)を追って家を飛び出した救芽井の後をつけて、俺は住宅街のはずれにある公園まで来ていた。それなりに雪が降り積もってくれているおかげで、足跡を辿るだけで追いつけたのはラッキーだったんだが――

 

「たあああッ!」

 

 ――眼前で繰り広げられてる乱闘が、とにかく普通じゃなかった。

 

 不気味な格好をした等身大のロボット集団を相手に、パンチやキックをお見舞いしている救芽井――が変身しているであろう、この町で噂のスーパーヒロイン。

 「救済の先駆者」なんて名前を持った彼女の立ち回りは、まさしく悪の組織に立ち向かう特撮ヒーローのようだった。事情を知らなければ、ロケにすら見えるだろう。

 

「やあああッ!」

 

 ……いや、そう例えるには気迫がマジ過ぎるか。公園を舞台に喧嘩だなんて、子供の教育によろしくないしなぁ。

 ただ、この町に関しては、あながちそうでもないのかもしれない。俺は大して覚えちゃいないが、十年前までは「ヤクザの詰所」だなんて言われるくらいに治安の悪い町だったらしいし、この程度は可愛いもんなのかもしれないな。今でもたまに強盗とかが出るくらいだし。

 

 しっかし、こうしてついつい余計なことに首を突っ込んじまう俺の性質(さが)はマジで何とかならないもんかね。こんな調子じゃ、すぐに巻き添え喰らってお陀仏だ。

 ……だけど、俺の不甲斐なさのせいで変に巻き込んじまった「あの娘」のことだってあるんだし、ああいうのは放っておいちゃいけないって気持ちもあるんだなぁ……うーん。

 

 ――にしても、スゴいなあの恰好。スーツが身体にピッチリと張り付いてるから、なめらかなボディラインが丸見えになってやがる。うん、いろいろとごちそう様。

 敵のロボットに組み付いたり、殴り倒したり。その都度、けしからん乳が揺れるもんだから、俺も目のやり場に困るっつーか……。

 

 救芽井に殴り飛ばされた機械人形は激しく宙を舞い、滑り台やブランコにたたき付けられる。当然、それらの遊具はもれなく木っ端みじんに……っておいおい、世間に知られちゃまずいとか言う割りには派手に暴れてんなぁ。

 彼女の戦い方はまさに攻撃的で、自分から積極的に掴みかかったりしている。うわぁ、頭を脇に挟んで殴りまくってるし……中身が女の子だとは思いたくない光景だなぁ……。

 

 ま、銃器の類をぶっ放されてないだけマシか。「機動兵器」にしちゃあ、武器とかを使ってる気配はないし……。

 

 「世間に知られたら困るのは向こうも同じ」。確かゴロマルさんはそう言っていたはずだ。

 ……そうか。なら、目撃者である俺が存在をアピールすれば、少なくとも乱闘を中断させることはできるかもしれない。「向こうも同じ」というからには、救芽井側も機械人形側も目撃者がいるとわかれば、引き上げざるを得ないんじゃないか?

 

「兵器転用だか情報漏洩だか知らないが! 人が暮らしてる町ですき放題やってんじゃ――」

 そう思った俺は声を張り上げようとして――吹っ飛ばされてきた機械人形の体を顔面にぶつけられた。

「ブファッ!?」

 

 そのまま後ろにひっくり返った俺は、倒れたまま動かない機械人形の下敷きにされてしまう。うげ、重たい……鉄なんだから当たり前か。

 俺に乗っかってる奴は体の端々に火花が飛び散っており、現在進行形で救芽井にボコられてる他の奴らと違って、動き出す気配がない。どうやら機能停止してるみたいだな。

 救芽井もロボット集団も俺の存在には気づいていないらしく、一般人の危機ほったらかしのままで戦闘に興じている。ロボット共はともかく、救芽井は人命救助が仕事なんだから助けてくれよ!? トホホ、まさかここまで嫌われていようとは……。

 いや、気づいてないだけってのは分かってるけどね? 初対面が初対面だから傷つくんだよ……。

 

 そんな俺の悲哀をガン無視するかのごとく、救芽井はますます積極的にロボット集団に攻め入っていた。殴られ、蹴られ、投げ飛ばされていくロボット達は、為す術もなくスクラップにされていく。下敷きにされてるせいで、詳しい戦況はなかなか見えづらいのだが。

 ……まあ、なんだか優勢みたいじゃないか。まだ例の「呪詛の伝導者」ってのは出てこないみたいだけど、これならひょっとして楽勝なんじゃないか?

 他人事ではあるけれど、やっぱりお隣りさんが勝ってくれる方が嬉しい。それに、この一件が解決すれば、救芽井が出す変身の発光に悩まされることもなくなるかも知れないんだから。

 うーん、それはそれで救芽井家の人と話す切っ掛けがなくなるわけだから、寂しくなりそうな気はしないでもない。おっかない救芽井はともかく、ゴロマルさんは割といい人だからなぁ。あの人、「受験頑張るのじゃぞ」ってお菓子とかいろいろ差し入れてくれるし。

 

 

「……ん?」

 すると、今まで引っ切り無しに響き続けていた乱闘の騒音がピタッと止んでしまった。救芽井が勝ったのか?

「止まった……のか? くそ、これじゃ何も見えんッ! ぐぐぐ……ぬ、おおおおおおおッ!」

 

 今すぐにでも確認したいところなのだが、この鉄の人形を退けないことには確かめようがない。しかし、コイツの重さというのはやはり洒落にならない……。

 俺は両腕はもとより、全身の筋力をフル稼働させ、この厄介な木偶の坊の自力撤去に掛かる。腕の筋肉が悲鳴を上げようが骨が折れようが、ここでコイツを退かさなきゃ、一生この場を出られないかも知れない。そんな覚悟を胸に、俺は鉄人の下敷きになりながらも、ただひたすら唸り続けていた。

 そして、やっとの思いで圧し掛かり続けていた機械人形を排除し、目の前の状況を確認する。

 

 「解放の先導者」とかいうロボットは全滅し、その屍の上には救芽井が立っている。そして、彼女の視線の先にはピッチリと黒いスーツを着こなした男の人が立っていた。肩まで掛かった焦げ茶色の髪が、なんだかホストみたいだ。

 

「おやおや、本当に頑張り屋なんだね。樋稟ちゃん」

「剣一さんッ……!」

 

 公園を舞台に、対峙する美男美女。剣一さん……ってことは、あのイケメンお兄さんが例の「古我知剣一」ってことなのか。てことは一連の事件の黒幕……ってことになるんだろうけど、あんまりそういう風には見えないなぁ。身長が百五十九センチしかない俺が言うのもなんだけど、見るからになよなよしてる感じだし。

 

 ――だけど、救芽井の面持ちはかなり深刻って感じがしてる。万引きがバレた悪戯っ子みたいだぞ。

 

「あーあー、僕のおもちゃを好き勝手に壊してくれちゃって。『解放の先導者』だってタダじゃないんだから、もう少しソフトに扱ってくれないかなぁ」

「ふざけないでください! ここで会ったが百年目、お父様とお母様を返して頂きます。それに、『解放の先導者』のプラントも必ず摘発します」

「おお、怖い怖い……。そんなこと言われると、抵抗したくなっちゃうなー。僕!」

 

 古我知さんの目付きが、降り積もる雪にも劣らぬ冷たさを見せる。おお……悪い顔してんなぁ。

 よく見てみると、あの人の右腕には、救芽井が嵌めてるブレスレットと同じようなものがある。色は黒いけど、形状は全く同じだ。「腕輪型着鎧装置」……だっけ?

 

 古我知さんは右腕をゆっくりと自分の胸の前に上げ、不敵に笑う。

 

「着鎧、甲冑」

 

 そして、何かを呟いたかと思えば――あっという間に、その姿が光を帯びて早変わりしてしまった。

 

 真っ黒のメカメカしい鎧で全身が覆われていて、見るからに「強そう」なイメージを与えるフォルム。加えて、よく見れば関節の部分は真っ赤に塗装されてる。『救済の先駆者』もそうだけど、こっちもなかなか特撮ヒーローみたいでカッコいいデザインではないか。唇を象った部分があるマスクなのは、どっちも同じみたいだけど。

 バイザーの色は「救済の先駆者」と違って、真っ赤。なんか禍々しい色遣いだなぁ。

 なんか腰に剣とかピストルとか差さってるし、確かに戦闘用って感じの出で立ちだよな……これが例の「呪詛の伝導者」って奴なのか?

 

 いやぁ、まさか本物の変身ヒーローを間近で見られるなんて思いもしませんでしたよ。悪者なのが惜しまれるが。

 

 ――つーか、本当はこんな呑気なこと言っていい状況じゃないんだろうな。俺一人が「蚊帳の外」なだけで。

 

「剣一さん。申し訳ありませんが、あなたの目論みはおしまいです……!」

「試作品のレスキュースーツで、戦闘用のパワードスーツに挑む――か。樋稟ちゃん、君のギャグセンスならM−1が狙えるよ」

 

 冷たい風が吹き渡り、睨み合う両者。

 片田舎の小さな町を舞台に、二人の決闘が始まろうとしていた……!

 

 ……えーと、俺って何しにここに来てたんだっけ?

 



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第5話 空気は読まないスタイル

 公園を舞台にした、無駄に壮大な決闘。

 最初に仕掛けたのは、救芽井の方だった。

 

「はああああッ!」

 

 地を蹴って駆け出す彼女は矢のように襲い掛かる――けど。

 

「おお、よく見える見える」

 

 感心するような声を上げる古我知さんに、あっさりと投げ飛ばされてしまった。

 

「あううっ!?」

 

 巴投げを喰らってブランコにぶつけられる「救済の先駆者」。あぁ、子供達の憩いの場が見るも無残な姿にぃ……。

 ――それにしても、「見える見える」って……古我知さんは何が見えたっていうんだ? 救芽井のぱんつか?

 確かにそれは、この季節にミニスカを履いていた彼女の自己責任だとは思うが、覗きなんて分別のないことをいい大人がするなんて――

 

「君の対『解放の先導者』用格闘術のデータは全て、この『呪詛の伝導者』にインプットされてるからね。君の動きは僅かなモーションだけでも完璧に見切れるのさ」

 

 ――あ、なんか違うっぽい。思ったより真面目なものを見ていたようで、なんだか申し訳ないなぁ。

 考えてみれば、そもそも今の救芽井は変身してるんだから、どんなに頑張ったアングルでもぱんつは見えないはずだ。うーん、知らない間に煩悩が渦巻いていたようだ。

 

 そうやって俺が一人で悶々としてる間に、救芽井が起き上がってきた。ブランコの鉄柱の部分にぶつかっていたから、さぞかし痛かっただろうに……。

 

「やりますね。でも、まだまだこれからです!」

 

 あら。なんだか平気でいらっしゃるみたい。着鎧甲冑ってずいぶん頑丈なんだな……。

 

「もう諦めたら? 大人しく『救済の先駆者』を捨ててくれれば、怪我させずに済むんだけどなぁ」

「ふざけないでッ! お父様達の願いを――そんなことのためにッ!」

「やれやれ……強情っ張りなのは親子そっくりだね」

 

 古我知さんはため息混じりに、腰からピストルを引き抜いた。おいおい、こんなところで発砲する気かよ!?

 

「させないッ!」

 

 ピストルを使わせまいと、救芽井は再び「呪詛の伝導者」に襲い掛かる。心なしか、「銃声を上げられては困る」と慌てているようにも見えた。

 

「だよね〜……僕も使いたくないなッ!」

 

 すると、古我知さんの方も――駆け出したッ!?

 

「――ッ!?」

 

 銃を撃つのかと思いきや、そのまま突進してきた相手に動揺したのか、救芽井はピタッと動きを止めてしまう。その一瞬の隙を突いて、古我知さんは持っていたピストルの銃身で彼女を殴りつけた。うわぁ痛い!

 

「あううッ!」

 

 救芽井は思わぬカウンターを喰らい、地べたにたたき付けられてしまう。ちょちょ、これってかなりマズイ状況なんじゃないか!?

 

「ようやく大人しくなってくれたね。さ、お父様とお母様のところに行こうか」

 

 倒れた彼女の頭を踏み付けている古我知さんが、挑発的に笑っているのがわかる。顔こそ見えないが、声が物凄く得意げになっていたからだ。「どや顔」ならぬ「どや声」か。

 

「くッ……! お父様達に怪我はさせていないでしょうね!?」

「もちろん。それに、記憶も消去していないねぇ。なにせ、まだ着鎧甲冑の全データを教えてもらってないから」

「私達は、あなたなんかに負けない……! 着鎧甲冑のテクノロジーを、兵器になんて使わせないッ!」

「わかってないねぇ、樋稟ちゃんは。この力を売り出せば、儲かるなんてものじゃない。世界の歴史に名を残すことだって出来るかもしれないんだよ? 世界中の機動隊やレスキュー隊に採用してもらって、配備してもらうだなんて味気ないとは思わないのかい?」

 

 古我知さんはグリグリと救芽井の頭を踏みにじりながら、なにやら難しいことを詰問している。おぉ……まるで意味がわからんぞ。

 

「ううっ――名を残す、なんて夢想家もいいところです! 兵器の歴史に残る名前なんて、私はイヤッ! お父様も、お母様も、おじいちゃんも、人を救うためにコレを造ったんだからッ!」

 

 悲痛な叫び声を上げる救芽井。く、なんだか放っておけない事態になってきてない? 俺の良心という名の緊急警報が作動中なんですけど……。

 

「家族思いだねぇ……感動しちゃったよ、僕。じゃあ、せめて家族全員の記憶を均等に消してあげるよ。君だけがかすかに覚えていて、周りが君を忘れてる、なんて嫌だろう?」

「イ、イヤァァァッ! そんなの、そんなのダメェェッ……!」

 

 記憶を消す、という脅し文句が効いたのか、救芽井はかなり怯えている様子だった。「家族全員」てのが痛いんだろうな……きっと。

 

 それにしても「記憶を消す」……ねぇ。こんな状況じゃなきゃ、冗談だと笑い飛ばせるんだけど……。

 

「大丈夫大丈夫。全てが終わった頃には、僕は世界的な兵器開発者として歴史に名を残し、君達一家は『盗作』を企てた連中として刑務所の牢屋行きさ」

 

 諭すような口調で話す古我知さんは、戦意を喪失したのかグッタリしている救芽井の頭を掴み上げ、彼女の顔を覗き込む。

 

「――じゃあ、行こうか。僕の、着鎧甲冑の成功のために」

 

 そして、その一言と共に彼は救芽井を抱えてその場から立ち去――

 

「あー、ちょっとちょっと!」

 

 ――るってところで、やってしまいましたよ。俺。

 

 明らかに場違いな空気で、俺は道を尋ねるかのようなノリで古我知さんに話し掛けていた。向こうは二人とも俺を前にして固まっている。

 

 たった今、ゴロマルさんを言い付けを思い出した俺も俺だけどさ……そんなにビックリしなくたっていいじゃないか。だってほら、ちょっと出遅れたらあのままゲームオーバーになってたような気がするし。

 

「……え? 変態……君?」

「だぁーくぁーるぁ! 俺は変態じゃないんだって! いい加減勘弁してもらえないかね!」

 

 あーもう、開口一番に変態呼ばわりとは血も涙もないな! 全く、ちょっとかわいそうだったから、助けてやろうって思ったらこれなんだから!

 ……って、今はそこじゃないっ!

 

「それからあんた! 古我知さんだっけ? さっきから黙って聞いてりゃあ、勝手なことばかり口走りやがって! 手柄の横取りなんてお兄さん許しませんよ! ――多分俺の方が年下だけども!」

 

 ビシィッ! と「呪詛の伝導者」の厳ついボディを指差し、俺は無謀にも啖呵を切る。マスクを付けてるせいで表情は見えないけど、多分両方とも「お前は何を言ってるんだ」みたいな顔してるんだろうなぁ……。

 しょうがないでしょ!? カッコイイ登場の仕方なんて「咄嗟」には考えつかないんだから!

 

「……君は、樋稟ちゃんの知り合いかい?」

 

 ドスの効いた低い声で、古我知さんが質問してくる。や、やべぇ、超こえぇ!

 

「お、おうとも! 早くその娘を放せ! じゃなきゃ……」

「――じゃなきゃ?」

「ひゃ、110番するぞ!?」

 

 うぎゃー! カッコ悪ッ!?

 ここまで威勢よく踏み込んでおきながら、肝心なところでお巡りさん召喚かよ!? 我ながら最低だ! 俺のバカ俺のバカ! 早くこの震えた手にあるケータイしまえっ!

 

「……ふーん。なるほど。樋稟ちゃん、運が良かったね」

 

 ちくしょー、俺のバカ! アホ! チキン野郎! こんな脅しで悪の親玉が言うこと聞くわけ――あれ?

 

「きゃっ!」

「警察呼ばれちゃ敵わないからね。焦らず次の機会を待つよ」

「えっ? ……え?」

 

 古我知さんは救芽井を俺の足元に投げ捨てると……。

 

 ……帰っちゃった。

 



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第6話 ついに俺もヒーローデビュー?

「警察を呼ばれたら困る!?」

 

 公園での乱闘の後、救芽井家に帰ってきた俺は意外な事実を知らされた。

 

 救芽井家と「技術の解放を望む者達」の抗争に、警察の介入はタブーなのだそうだ。

 

 人命救助が仕事の救芽井家が警察から隠れなきゃダメって、どういうことだよ。それに、立派な兵器を抱えた「技術の解放を望む者達」が「警察呼ばれたら困る」って……悪の組織としてそれってどうなのよ。

 

 今度はちゃんと椅子に座らせてもらい、俺は元の姿に戻った救芽井とゴロマルさんの話に応じる。

 

「剣一さんは『呪詛の伝導者』を最新鋭兵器として、世界の軍需企業に売り出したいだけなのよ。だから、その前に警察にマークされて身動きが取れなくなる事態を避けようとしてるの」

「だから俺が通報しようとしたら、あっさり逃げちまったのか……じゃあさ、なんでこっちから警察に相談しないんだ? 人質取られてるからなのか?」

 

 デリカシーのない質問かも知れないが、正直気になって仕方がない。この一件が片付かないうちは、おちおち受験勉強もしていられないだろう。

 

「それは違うぞい。剣一は着鎧甲冑のデータを元に『呪詛の伝導者』を造ったが、そのデータ自体も完全なものではないんじゃ。奴はより完璧な兵器を造るために、息子夫婦をさらった……じゃから、警察を呼ぼうが呼ぶまいが、奴が息子達からデータを聞き出すまでは余計な真似は出来ないんじゃよ」

「だったら……!」

「……でも、私達も警察には頼れない。もし警察にこの件が知れたら、どちらも不利になってしまうのよ」

 

 やるせない顔をして、救芽井は俯いてしまう。そうしたいのはやまやまだけど、って顔してるなぁ。

 

「どういうこった?」

「強引な手段だったとは言え、私達の造ったスーツが兵器に利用されようとしているのは事実よ。警察に助けを求めたら、『技術の解放を望む者達』は簡単に解体できるけど、私達のしてきたことまで危険視されるかも知れないのよ」

「そうなればマスコミにも知れて原因を追及されかねんし、結果としてレスキュースーツとしての採用が認められなくなる可能性があるのじゃ。兵器に使われるような危ない技術なんぞ使えるか、とな」

 

 ……なんとまぁ、せちがらい事情があったもんだ。それで、警察は当てに出来ないってことになるのか。

 

「でも……それじゃあこれからどうするんだ? さっきの戦いを見る限りだと、普通にやって勝てる相手だとは思えないんだけど。それに、戦える人が女の子だけってのもなぁ」

「それなんじゃが――話があるんじゃ。龍太君」

「……え?」

 

 ◇

 

 薄暗く、冷たい空間をスポットライトが照らす。その光の中に、俺は連れ込まれていた。

 ――「腕輪型着鎧装置」を付けて。

 

「なんだか、ますますややこしいことになってるなぁ……」

『ぶつくさ言わない! 早く着鎧しなさい!』

 

 ブレスレットに取り付けられている通信機から、救芽井の叱責が響いて来る。うぅ、耳が痛い……。

 それから、どうやら「救済の先駆者」含む「着鎧甲冑」に変身することは「着鎧」って言うらしいな。

 

 ゴロマルさんの頼みと言うから何かと思えば、いつの間にか救芽井家の地下室まで連行されてしまっていた。なんで一軒家にこんなもんがあるんだよ……まさか造ったのか?

 

『ちなみに、その秘密特訓部屋はわしが造ったのじゃ。どうじゃ、イカしておろう?』

 

 やっぱりか。でも特訓部屋にしちゃ何もなくて、なんだか寂れてるぞ……よっぽど使う機会がなかったんだろうな。

 それから、この場に二人の姿はない。リビングにあるコンピュータから、俺の状況をモニターしてるのだそうだ。

 

『よいか? これからお前さんには鹵獲(ろかく)した「解放の先導者」と一対一で戦ってもらう。先程話したとは思うが、これはお前さん自身のためでもあるのだからな』

「わかってるよ。さっさと始めてくれっ!」

 

 あーもう、なんでこんなことになっちゃったんだか。

 ……まぁ、これは俺が古我知さんに声を掛けちまったせいなんだし、致し方ないのかもな。

 

 どうやら、公園の一件のせいで俺までもが「技術の解放を望む者達」のターゲットに入れられちまったらしい。

 向こうは死人や行方不明者を出して、警察沙汰になるのは防ぎたいのだから、別に捕まっても命は取られない――とのことだが、代わりに自分達と関わった記憶の一切を消してしまうのだという。

 しかも、その余波でそれ以前の記憶まで持っていかれる危険性まであるとか。正直、それは俺にとっての死活問題になりかねん!

 この数ヶ月、なけなしの脳みそをフル回転させて励んだ受験勉強。その努力の結晶を、わけのわからんサイエンス集団に掻っ攫われるなんて御免だ!

 

 ――ということで、俺はいざ「技術の解放を望む者達」に狙われても自分の身を守れるようにと、救芽井も学んだという「対『解放の先導者』用格闘術」の訓練を受ける羽目になったわけだ。今回は、そのために「解放の先導者」の強さをまず知っておくことが目的らしいのだが。

 しかし、「格闘術」かぁ……。残念ながら、俺には、実戦(ケンカ)経験がない。せいぜい、少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)を嗜んでる兄貴から「申し訳程度」に護身術を教わってるくらいだ。

 自分の身を守るため、それなりに修練を積んできたという自負はあるにはある。だが、実戦で活かしたことのない拳法にどの程度の効果があるというのだろう。……不安しかねぇ。

 

『何をボサッとしてるの、変態君! 「解放の先導者」が来るわよ!』

 

 自分の無力さに嘆息してる暇もなく、向かいの扉からおっかない顔をした機械人形が、フラフラと這い出して来る。うげぇ、人間じゃない分余計に気味が悪いなぁ〜。

 

「やるしかないな……よーし、着鎧甲冑ッ!」

 

 俺は「腕輪型着鎧装置」にあるマイクに、勢いよく音声を入力する。

 すると、目の前が真っ白な光に覆われ――気がつけば、俺は「救済の先駆者」の姿に成り果てていた。昨日まで、この姿をテレビや新聞で眺めてるだけだったのが嘘みたいだな……。できるだけ全身を見渡してみると、スーツが俺の体に合った形になってるのがわかる。

 これが現実であると確認するために、俺は機械の鎧に包まれた両手で、頬を叩いてみる。微妙に衝撃は感じるけど……全然痛くない。

 

 改めて着鎧甲冑の凄さに感心していると、『実戦でそんなことしてる暇なんてないわよ!』と救芽井に怒られてしまった。あぁそうだった、俺って今戦わなくちゃいけないんだっけ。

 

 実戦を演出するためなのか、「解放の先導者」との戦いはゴングもなしに始まった。姿を見せるなり、奴はいきなり襲い掛かって来たのだ。

 「解放の先導者」は両手を広げて、覆いかぶさるように迫って来る。それに対して、俺は両腕で頭を守るようにしながら、右足の膝を上げた。少林寺拳法で言うところの、「待ち(げり)」の体勢だ。

 相手が仕掛ける瞬間、こっちから蹴りを決めて距離を取る――言うなれば、「カウンター」の技だ。

 少林寺拳法には「守主攻従(しゅしゅこうじゅう)」という、守りを第一にした原則ってものがある。自分からガンガン仕掛けるやり方は、俺には合わないってことだ。

 

「はッ!」

 

 早すぎればかわされ、遅すぎれば攻撃を喰らう。そんな微妙なタイミングで、俺は短い気合いの声と共に、上げた膝を伸ばして蹴りを放った。

 金属同士が激しく接触する音が鳴り響き、奴の突進が止まる。や、やった! 決まったぞ!

 

『……ほほぉ』

 

 通信機越しに、ゴロマルさんの感嘆の声が聞こえて来る。どやっ! 兄貴仕込みの蹴りの味はっ!

 

 ……などと喜ぶ暇もなく、再び奴は俺に向かって来た。おいおい、一応みぞおちは狙ったはずだぞ!? もう少し痛みに悶えてもいいんじゃないか!?

 

「――くそッ、なら!」

 

 でも、今は焦ってる場合じゃない。

 俺は二、三歩距離を取り、今度は左足の膝を思い切り上げる。さらに、その向きを右斜めに曲げた。

 空手にもある、人間の顎にある急所「三日月(みかづき)」を狙い撃ちする「三日月蹴り」だ。顎の横を薙ぎ払うように蹴る技なのだが、これは急所を狙うというだけあって危険なものでもある。

 だけど、相手は人間じゃない。人間みたいに動くだけの、機動兵器に過ぎない! ならば、手加減は無用ッ!

 

「だああッ!」

 

 スパッと振り抜かれた俺の蹴りが、奴の顎を掠めていく。そして機械人形の鉄の首は、関節技でも決められたかのように、グキッとひん曲がってしまった。

 うーむ、後味は悪いが……これならダウンは必至だろう。初陣は白星で確定だ!

 

 と、思っていたのに。

 

「う、嘘ッ!?」

 

 奴は何事もなかったかのように、ガシャリと首を元に戻してしまった。そして、指先から鋭利な爪を出したり、胸から機銃のようなものをガチョンと出現させたりして来た!

 ちょっと待て、お前それでも人間か!?

 

 あ。

 

 ――人間じゃ、ありませんでしたね……。

 



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第7話 名誉挽回、したいなぁ

 結局、あの後は散々だった。

 

 爪で引っ掻かれるわ、機銃で蜂の巣にされるわ。しまいには気を失ってしまい、気がつけばリビングのソファーに寝そべっていたのだ。

 当然、救芽井さんはお怒り。両親が手塩に掛けて作り上げた「救済の先駆者」を傷物にされたんだから、当たり前か……。

 

「全く! いくら初めてだったからって、たった一体の『解放の先導者』に手も足も出ないなんて! それでも男!?」

「男だからって皆が皆強いわけでもないだろぅ……。だいたい、なんでわざわざ俺を鍛えなくちゃいけないんだよ。お前が古我知さんに勝てる作戦を立てれば済む話じゃないのか?」

 

 酷い言い草の救芽井に対し、俺はちょっとばかり拗ねた態度になる。

 

 考えてみれば、俺が狙われているからといって、必ずしも俺自身が着鎧して戦わなくちゃいけないことにはならないはず。むしろ、俺を巻き込んだ形になる救芽井側が責任を持って、護衛するのが筋じゃないのか?

 情けないかも知れないが、こっちの着鎧甲冑が救芽井の持つ「救済の先駆者」しかない以上、俺が生身の状態で「解放の先導者」に出くわしたって敵いっこないのは一緒なんだし。

 

 いちいち素人をしごいて戦えるようにするくらいなら、足手まといをほったらかして打開策を探す方が建設的な気がする。うぅ、自分で言ってて悲しくなってきたぞ……。

 

 俺が抗議の声を上げると、彼女はバツが悪そうに目を背けた。気のせいか、その頬はほんのりと赤みを帯びている……ように見える。

 

「そ……そんなの簡単に行かないわよ! それに、お、男の方が力が強いんだから、鍛えさえすれば効果的かも知れないじゃない!?」

 

 しどろもどろしつつも、俺の前で腕を組み、仁王立ちする彼女。おぉ、けしからん程のボインが寄せて上げられ、揺れておる……。

 

「ご両親の助手とかやってた天才少女にしちゃあ、ずいぶんと曖昧な返事だなぁ。結局のところ、俺をおちょくりたかっただけなんじゃないか?」

「違うわよ! そんなことのために、あなたに――あなたなんかに、『救済の先駆者』を貸すと思う!?」

 

 俺が皮肉っぽく尋ねると、今度はキッパリとした態度で否定された。その表情には、「先程の発言を許さない」という強い意思表示がなされている。

 自分の本気を否定されたような……そんな顔だ。

 

「そんな言い方は二度としないで! 私は、私は真面目にっ……!」

「真面目に?」

「も、もう、知らない! 変態君のバカッ!」

 

 ぐはぁ、「変態」と「バカ」の二重心理攻撃がぁ……。

 精神を撃ち抜かれ、ショックに襲われた俺はソファーから転落する。そんな俺を一瞥した救芽井は、顔をかすかに赤らめつつ「フンッ!」と鼻を鳴らして去ってしまった。

 

 数分の回復期間を経て、なんとか心理的ダメージから立ち直った俺は、パソコンに向かって黙々と何かの作業をしていたゴロマルさんを見つける。その傍らには、何かのチューブで繋がれた「腕輪型着鎧装置」が伺える。

 あのパソコンを使って、彼は事件や事故を迅速に救芽井に知らせて、出動を促したりしているらしい。今は俺が傷つけてしまった「救済の先駆者」を修理しているのだという。

 

「君も苦労しとるのぅ」

「……どーも」

 

 顔を合わせずキーボードを打ちながら、ゴロマルさんは呆れたような声で俺を労う。気に掛けてくれるのは嬉しいんだけど、巻き込んだのはあんた達ですからね?

 去年までの冬休みならいざ知らず、受験シーズンのタイミングで漫画みたいな世界観に連れ込まないで欲しかったなぁ。せめて春休みまで「技術の解放を望む者達」には大人しくしてもらいたかった……。

 

「はぁ〜……」

 

 思いっ切りうなだれながら、俺は窓の外から近所の様子を伺う。

 そこでは、小さな子供がお父さんやお母さんに囲まれ、にこやかにクリスマスツリーの飾り付けに励んでいる姿があった。それに、お熱いカップルが住宅街を闊歩している様子も伺える。

 そういえば、もうじきクリスマス……なんだっけ。

 

 ――何がクリスマスじゃあい! ちくしょおおおおお! 俺は恋人作ってデートどころか、初対面のお隣りさんに「変態」呼ばわりだよッ!

 

「……なにしとるんじゃ?」

 

 気がつけば、俺は窓にベットリと張り付いて啜り泣いていたらしい。ゴロマルさんの哀れむような視線が痛い……。

 

「樋稟にも困ったもんじゃ。お前さんを過剰なまでに意識してしまったばっかりにのぅ」

 

 顔を赤らめつつ、イライラした表情で床をトントンと蹴っている救芽井。そんな彼女の様子を、ゴロマルさんは心配そうに見つめている。

 しかし、イマイチわからない。俺を意識してるってだけで、こんな面倒事の渦中に人を叩き込むのかよ?

 

「それって、俺が裸見ちまったせいか?」

「じゃな」

 

 じゃなって……そんなストレートに肯定しなくたっていいじゃないかぁ。確かに悪いのは俺だろうけど、一応は事故なんだしぃ……。

 

「ああなった以上、救芽井はお前さんに望むしかなかったんじゃろうな」

「何を?」

 

 俺が尋ねてみると、ゴロマルさんは達者な髭を撫で回しながら、いたずらっぽく笑う。

 

「王子様じゃよ」

 

「――は?」

 

 ◇

 

 翌日。

 

 いろいろと衝撃的過ぎる夜を終え、朝日が真っ白な雪を輝かしく照らす頃。

 俺はお隣りさんの女の子――救芽井と一緒に、町を歩くことになっていた。

 

 夕べにゴロマルさんに言われたことが、全ての始まりだった。昨晩の悪夢のようなやり取りが、ついさっきのことのように思い出される……。

 

「樋稟は息子夫婦の夢のために、正義の味方となってこの町を守っておるが……あの娘自身としては、本当はそんな王子様のような存在に救われる、『お姫様』になりたかったのじゃよ」

「ちょっと待った、なんでそれで俺が王子様……もといヒーローにならなくちゃいけないんだ?」

「お前さんが樋稟にとっての、初めての『男』だったからじゃな。自分にとっての『王子様』がするようなことを、それまでに必要な過程をすっ飛ばして実行してしまったお前さんに、相応の責任を取ってほしかったのじゃろう」

「それで自分を守れるくらいには強くなれ――っていう理屈に発展したのか? 無茶苦茶だな……」

「夢見る女の子というのは、そういうものらしいからの」

 

 ――というわけで、俺はメルヘンチックな夢の道を絶賛爆進中の救芽井さんにお応えして、彼女を守るヒーローを目指すことを余儀なくされてしまったわけだ。

 朝の九時に待ち合わせていた俺は、十分前には既に救芽井家の前まで向かおうとしていた……のだが、彼女はそれよりも早く家を出て俺を待っていた。

 

「来たわね。いい!? 自分の身も守れない一般人のあなたを、みすみす『技術の解放を望む者達』の脅威に晒さないための護衛任務なんだからね!? 勝手に私から離れちゃダメよ!」

「……!」

 

 そこで俺は不覚にも、緑のトレンチコートにミニスカートという、救芽井の女の子らしい格好に思わず目を奪われてしまう。

 茶髪のショートと凛々しい目鼻立ちが合わさって、大人っぽさと愛らしさが共存しているかのような、そんなアンバランスな魅力が保持されていた。

 それが意識的なものなのかはわからないが、少なくとも俺と同い年のようには、到底思えない風格がある。

 

「へいへい」

 

 そんな心の(やましい)動揺を気づかれまいと、俺は目を背けてわざとめんどくさそうに返事する。すると、向こうはムッとなって眉を吊り上げる。

 

「あと念を押して言うけど――これはデートじゃないんだからねっ!?」

「わかってるよ……」

 

 ものすごく顔を真っ赤にして、救芽井は俺を威嚇するかのように、思い切り指差して来る。ここまで警戒されてるのかと思うと、心がえぐられるようだ……。

 

 やっぱり、俺って嫌われてるんだなぁ〜。彼女と対話する度に、いちいち思い知らされる。

 初対面がマズ過ぎたってのもあるんだろうけど、彼女が男をろくに知らなかったっていうのが何より痛かったんだと思う。そりゃあ、初めて見た同年代の男にいきなり裸を見られちゃあ、ビクビクもしちゃうだろう……。

 だけど、このままじゃいけないってのは確かだ。この娘の王子様になってあげる――なんてのは、俺みたいなジャガイモ男には似つかわしくなさ過ぎるけど……それでも、出来うる限りの責任は取らなくてはなるまい。

 そのためにも、そして俺自身の名誉のためにも、「変態」呼ばわりからは必ず脱却しなくては!

 

「な、なぁ救芽井? まずは仲直りから始めようぜ。とりあえず俺のことは、ちゃんと一煉寺って――」

「さぁ! まずは昨日火事が起きた商店街のパトロールね。行くわよ変態君!」

 

 俺の名誉挽回への第一歩をアッサリと踏みにじり、彼女は茫然としている俺の手を引きながら、ずんずんと進んでいく。

 あうぅ、前途多難ってレベルじゃねーぞ……。

 



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第8話 こんなデートは絶対おかしいよ

 夕べ、火災が起きていたという商店街。その現場には、警察やら野次馬やらがあちこちうろついていた。

 

 俺は若干黒焦げになってしまった建物を見上げつつ、真剣な眼差しでそれを眺める救芽井の様子を、チラチラと横目で伺う。

 ブスッとした表情で腕を組む彼女の手首には、一晩で修理を終えていた「腕輪型着鎧装置」がある。ホッ、どうやら簡単に直ったみたいで一安心だ。俺のせいで使い物にならなくなったりしたら、コトだもんな。

 

「くっ……『技術の解放を望む者達』……!」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、彼女は建物から目を離さない。自分が解決させた後のことが気になって、ここに来たんだろうなぁ。

 

 昨日の夜中に起きた火災で、噂のスーパーヒロイン――つまり彼女が着鎧する「救済の先駆者」が活躍していたことは、今朝の朝刊にしっかり取り上げられていた。

 「巷で噂のスーパーヒロイン、またまた大活躍!」……という見出しはもう見慣れたつもりでいたのだが、今になって読んでみると、友達が新聞に載ったかのような感慨深さを感じてしまう。いや、別に彼女とは仲良くないんだけどね。それどころか――

 

「ちょ、なにジロジロ見てるのよ! こんなところで、いやらしいわよ変態君!」

 

 ――ご覧の有様だし。

 

 道行く人々の雑談に耳を傾けてみれば、皆口々に救芽井のことを噂してるのがわかる。まさか巷で噂のスーパーヒロインが、俺の隣でイラついてるアブない美少女だとは夢にも思うまい……。

 頭脳明晰、容姿端麗、身体能力抜群……なのは確かなんだし、その辺が完璧なのはわかるんだけど――ただ性格が、ちょっとね。

 救芽井は胸を両腕で隠しながら、キツい視線を送って来る。俺が胸をガン見してると思ってるらしい。おいおい、確かにけしからんおっぱいなのは認めるが、そこまでしなくたって見えるわけないだろうが……。

 しかし、コートの上からでもわかる程の大きさとは……思わず腕を上げ下げして「おっぱい! おっぱい!」と歓喜したくなりそうだ。

 

「全く……。もう、行くわよ! 迷子になっても知らないからっ!」

 

 俺に見られてることが堪えられないのか、彼女はいきなり速いペースで歩き出してしまった。ちょっと待て、自分から離れるなとか言っといて、それはないんじゃないの?

 救芽井は置いてけぼりな俺を放置して、ツカツカと先へ進んでいく。クリスマス前で賑わってる今の商店街は、人通りが多い。このままじゃあ彼女の言う通り、はぐれて迷子になっちまう!

 

「なにあの娘? めっちゃ可愛くね?」

「どっかのアイドルかしら?」

 

 一人で歩き回る絶世の美少女は、この小さな田舎町にはあまりにも場違いだ。当然ながら、周囲の目を惹きつけてしまう。あちこちからどよめきや囁き声が聞こえてくるのも、まあ仕方ないっちゃ仕方ない。

 ……あ、なんかチャラそうな男が絡んで来た――って思ったら裏拳一発でノックアウト。救芽井さん、マジパネェっす……。

 

「ちょ、待ってくれよぉ!」

 

 俺は火事の跡を一瞬見遣ってから、すぐさま好き放題闊歩する彼女を追い掛けた。

 

 ――追い掛けたのだが。

 

「見失っちゃいました……」

 

 はい、終了。

 

 ……って、人通りの多い時期に一人で飛び出すとか無情過ぎるだろッ! どうやって探すんだ? この状況……。

 

「お? 龍太君じゃないかい。お兄さんは元気でやっとるかえ?」

「魚屋のおばちゃん、緑のコート着た女の子見なかった?」

「うんにゃ、あたしゃ見とらんなぁ」

 

 商店街の顔見知りに聞いてみても、結果はサッパリ。ああもう、どんだけ人を面倒事に巻き込みゃ気が済むんだか!

 

「小さい町だから、いつもなら人通りなんてあってないようなものなのに。よりによってこの時期にとは……恐ろしい間の悪さだな」

 

 この場に彼女がいないのをいいことに、俺は思いっ切りため息をつく。商店街に来る途中、昨日の散々な扱いに辟易していて「朝から辛気臭い顔しないッ!」と平手打ちを貰ったことがあるからな。今ぐらい(精神的に)一息ついてもバチは当たるまい。

 ……そういえば、救芽井はどこに行こうとしてたんだ?

 ふと、それが気になって、彼女が向かっていた方向を見つめていると――

 

 ――ぬいぐるみ屋が目に入った。

 まさか、あそこに行きたかったとか? 町の平和を守る、正義の味方が?

 

 いやいや、ないない! だって、あの生真面目スパルタおっぱい星人だぞ!? それに、今日は商店街の「パトロール」だって本人も言ってたし!

 ……でも、もしかしたら、ついでに見て行きたかったのかも知れないな。それに、二学期の終わりにこっちに引っ越してきたんだから、この町をよく知らないはず。ひょっとしたら、パトロールを兼ねて、この辺りを散歩してみたかったんじゃあ……?

 正義の味方だろうとボインちゃんだろうと、俺と同じ年頃の女の子には違いないんだろうし。うーん、わからなくなってきたぞ。

 

 ――あれ? ちょっと待てよ……。

 

 あの娘って、この町に来て日が浅いはず。

 最近来たんだから、この時期は人通りがやたら多いってことも、多分知らない。

 地元の人間(ここでは俺)と離れて、単独行動。

 

 そして、なかなか帰ってこない。

 

 ……。

 

 もしかしたら……いや、多分そうだ。

 俺は迷わず、商店街の近くのとある場所へ向かった。救芽井がそこにいる、と確信して。

 

 ◇

 

 その確信は、やはり的中していた。

 商店街の傍にある、小さな交番。そこには、真っ赤な顔で俯くスーパーヒロインの姿があったのだ。

 

「お、おそ、遅いわよ変態君! 迷子になってたらどうしようって心配してたのよッ!?」

「あー……いや、どの口が言うんだ?」

 

 ろくにこの町を知らない奴が、知ってる奴のもとを離れて、人通りの多い時期にうろついてたら、そりゃ迷うわッ!

 当の迷子の子猫ちゃんは、さも自分は迷ってなんかいないと言わんばかりに、ふくよかな胸を張ってるし……おぉ、揺れてる揺れてる。

 ゴ、ゴホン。とりあえず、目の保養にはなったし、今回のところは大目に見てやるか。知らない町での暮らしで、不自由が多いのは仕方ないんだし。

 

「お、迎えの人かい? ……って、龍太君じゃないか! お兄さんは元気にしてるかい?」

「あ、どうも。ええ、今頃は就活でバタバタしてるでしょうね」

「ハッハッハ! 出来れば龍亮(りゅうすけ)君にも警察になってもらいたいなぁ! なにしろ、交番勤務は大変でねぇ。とにかく人手が欲しいんだよ」

「兄ですか? あいつはわりかしフリーダムですから、多分向いてないですよ」

 

 迷子になっていた救芽井を預かってくれていたのは、顔見知りの若いお巡りさんだった。松霧町自体が小さな町だから、俺はここの知り合いが結構多い。ゴロマルさんと知り合ったのも、彼ら一家がこの町に引っ越してきてすぐのことだった。救芽井と会ったのは昨日が初めてだが。

 

「そうかぁ……にしても、君も隅に置けなくなったねぇ! こんな超プリティな彼女捕まえるなんて!」

「ちょ、声が大きいですって! それに彼女じゃ――」

 

「断ッッッじて違いますッ! 誰がこんなドッ変態君ッ!」

 

 軽く冷やかすお巡りさんを止めようとした時。これ以上は生物学的に不可能というくらいに、顔を真っ赤にした救芽井の怒号が、俺達二人の鼓膜に突き刺さる! キーンと来る聴覚の痛みに、俺もお巡りさんも思わず尻餅をついた。

 ひぎぃ、ついに「ド変態」にランクアップかよぅ……。

 

「か、彼女じゃない? それじゃあ誰だい? こんな綺麗な娘、なかなかいないし……」

「ただのご近所さんですよぉ……!」

 

 耳を抑えながら、俺は消え入りそうな声で必死に弁明する。

 

 敢えて、「最近引っ越してきたお隣りさん」とは言わない。口にすれば、例の迷惑発光の元凶と知られ、彼女がクレームを受けてしまうからだ。夕べ、俺がそうしたように。

 そうなれば、「変態」からの脱却が不可能になってしまうだろう。彼女達の都合上、光を止めることは出来ないし、それならクレームの末に、町を追い出されることになりかねない。

 発光に悩まされることはなくなるが、嫌われたままで別れるのは後味が悪すぎる。そんなの、俺は絶対に嫌だ。

 だからこそ、俺は彼女に応えなきゃいけない。どうせ近所付き合いするんなら、仲良しな方がいいに決まってるんだから。

 

「そ、そうか……ちょっと残念だよ……」

「なにがですか、もうッ……!」

 

 聴覚をやられ、悶絶必至な俺達。その様子を、救芽井は拗ねた顔で見下ろしていた。

 

「し、信じられない! 何が彼女よ……もうッ! とにかく、さっさと行くわよ変態君ッ!」

 

 彼女は俺の腕を引っつかみ、ズルズルと引きずっていく。俺は強制連行されつつ、既にグロッキーだったお巡りさんに別れを告げた。

 

 それから商店街に戻ってきた救芽井は、またも同じ方向へ向かおうとしていた。彼女の目線を追っていると、やはりぬいぐるみ屋に注目しているのがわかる。

 やっぱり女の子だなぁ……。

 

「な、なによ?」

 

 いつの間にか、彼女の顔をまじまじと見ていたらしい。俺はそそくさと視線を正面に戻し、話題を出すことにした。

 

「何でも。それより、さっきの焼け跡以外にどこを『パトロール』するんだ?」

「う……!」

 

 俺が振った質問に、彼女は言葉を詰まらせた。ははーん、さては真面目な「パトロール」は、火事現場のことくらいだったんだな。「ついで」どころか、散歩の方もかなり重要だったらしい。

 

「……あ。そういえば、あんたってあんまりこの辺には来たことないのか?」

「しょ、しょうがないでしょ!? 出動時以外は、専ら地下室で訓練してるだけだったんだし……」

 

 ちょっとかわいそうな気がしたので、別の質問にしてみる。すると、今度は割とまともな答えが返ってきた。

 ――なるほど、あの薄暗い部屋にねぇ。道理で、お隣りさんなのに昨日まで一度も顔を会わさなかったわけだ。

 にしても、この反応……よっぽど、迷子になったことを気にしてるんだな。同じ失敗をしたくないのか、微妙に俺の袖を掴んでるのがわかる。

 でも、プライドに障るのかしっかりとは掴んでない。指先で、ちょいと摘んでる感じだ。

 表情も、「仕方なくよ、仕方なく!」といいたげ。見ていて、正直めちゃくちゃじれったい。

 

「だーもう、まどろっこしいなぁ」

 

 俺は間の抜けた声で、一瞬彼女の摘んでいる手を払い――その手をしっかりと掴んだ。

 

「き、きゃあっ!? なにするのよ変態君ッ!」

「――ぬいぐるみ屋!」

「……え?」

「行きたいんだろ? 一緒に見てやるから……離すな」

 

 怒られるのは覚悟してたけど、やっぱりハッキリと言ってしまった方が気分がいい。救芽井はボッと顔を赤くして抵抗していたものの、やがてシュルシュルと大人しくなり、俺の言葉に小さく頷くようになった。

 よ、よかったぁ〜……。これで「はぁ? なに勘違いしてんの?」とか言われたらトラウマもんだったわ。まぁ、それなりに確信はあったんだけどね。

 

 その後、ガラス張りの奥に陳列された、可愛らしいウサギやクマのぬいぐるみに夢中になる彼女の姿は、かなり意外だった。

 その様子は、無邪気にぬいぐるみと戯れたがる、小学生の女の子と大差ない。いつもの強張った顔とは全く違う、なんだか「自然」な感じの笑顔を見ることが出来た。

 

 ――そういえば、救芽井の笑顔なんて初めて見たな……。スッゴく可愛いし、綺麗だ。改めて、彼女がアイドル顔負けの美少女なんだって事実を思い知らされる。

 

「ねぇ、変態君」

 

 嬉々とした面持ちで、救芽井が話し掛けて来る。笑顔で変態呼ばわりは、なんか今まで以上に突き刺さる……。

 

「な、なんだよ?」

「ぬいぐるみ、どれがいいって思う?」

「はっ?」

 

 妙な質問に目を丸くする俺に対し、救芽井はフッと微笑んだ。なんだこの笑顔。天使か?

 

「今日買うぬいぐるみ。ご褒美に選ばせてあげるわ」

「なん……だと」

 

 マズい! 俺はぬいぐるみを選別するスキルなんてカケラも持ち合わせていないというのに!

 し、しかしここで失敗したら、「変態」呼ばわりの汚名返上が遠退いてしまうッ……!

 

「うーん、参ったな……俺、人形なんてちんぷんかんぷんだし」

「別に何でもいいわよ。あなたが可愛いって思うものを選んで」

「そ、そうか? だったら――」

 

 直感で、行くしかない。

 俺は腹を括り、一番それっぽいのを指差した。

 

「――この、緑のリボンのウサギ、かな」

 

 俺が選んだぬいぐるみ。

 それは、耳の辺りに大きな緑色のリボンを付けた、デカいウサギだった。二匹の同じようなウサギが、さながら兄弟のようにぴったりと寄り添っている。

 

「あ、ホントだ! これ可愛いっ!」

 

 救芽井は昨日までとは想像もつかないテンションで喜び、ガラスをバンバンと叩く。おい、可愛いのはわかったから落ち着きなさい!

 

「でも、どうしてこれがいいの?」

 

 彼女はようやく叩くのをやめたかと思うと、今度は真ん丸な瞳で俺を見上げて尋ねてきた。あの鋭い眼光はどこへ!?

 

「ん……このウサギの白がさ、なんかあんたの肌みたいで綺麗に映ったんだ。それに、リボンが緑なのも『救済の先駆者』っぽくていいだろう?」

 

 と、俺はつい思ったままの理由を述べてしまった。

 ――あああ、マズい! マズいぞ! リボンはともかく、「肌」はマズい! イケメンならまだしも、ブサメン予備軍の俺がそんなこと口走ったら犯罪にしかならない! 「ド変態」からのさらなるランクアップがきちゃうううう!

 

「〜〜っ!」

 

 救芽井は目をさらに丸くして、赤い顔のまま俯いてしまった。声にならない叫び声を上げて。

 

「あ……」

 

 そして、なにかを言おうと口を開いた!

 いやあああ! やめてえええ! 変態以上なのはわかったから、もう何も言わないでええええッ!

 

 そして、俺が耳を塞ごうとした時――

 

「……ありがと」

 

 ――信じがたい台詞を、彼女は言い放っていた。

 

 ◇

 

 その後、俺達は買ったぬいぐるみを抱えて昼間には帰路についていたのだが、その間一言も言葉を交わさなかった。

 行きの時は、昨日のボロ負けのことでガミガミ怒られながらも、いろいろなことを教えてくれていたのだが。

 

 ――彼女によれば、商店街の火災も「技術の解放を望む者達」の仕業らしい。俺は拝見する前に気絶してしまったのだが、「解放の先導者」には火炎放射器まで組み込まれているのだとか。恐ろし過ぎる……。

 救芽井は顔を赤くして目を合わせてくれないので、俺はこうして会話が出来ない代わりに、今朝の話題を思い起こして帰るまでの時間を潰すしかなかった。

 

 にしても、あの火事が「技術の解放を望む者達」の仕組んだことだったとはね……。死人も怪我人も出なかったから良かったものの、こりゃあ大変なことになってきたもんだ。

 救芽井が言うには、人殺しを目的としない「技術の解放を望む者達」が火事を起こしたのは、「救済の先駆者」をおびき寄せて、運動能力のデータを調べるのが目的だった……という可能性が高いらしい。向こうは、救芽井が死人を出さないようにすることも計算済みだったってことか。

 それに「偶然、火が油に引火した」と思わせるように火炎放射器を使えば、「解放の先導者」の存在を知らない人々は「放火」だとは思わない。だから、仮に死人が出たとしても「技術の解放を望む者達」が世間に取り沙汰されることもない。

 ――なんとも、セコいことをするもんだなぁ。さすが悪の秘密結社(ただし人間は一人だけ)。

 

 ところで、そういうハードな話を朝っぱらからする救芽井だったけど、蓋を開けてみれば結構女の子らしいところもあるじゃないか。

 ちゃんと彼女の事情に付き合ってあげれば、なんとかなるかも知れないな。

 

 そんな淡い期待を抱いていると、救芽井家が見えてきた。さぁて! ぬいぐるみを家に運んだら、俺はいい加減勉強しないと!「救済の先駆者」の訓練も大事だが、それにうつつを抜かして入試に落ちたくもないからな。

 

 ――って、あれ? 俺ん家の前に、誰かいる……。

 

 よく見てみると、救芽井家の隣にある俺の家に、人影が見えていた。兄貴か? でも、今は就職の説明会に行ってる頃だし……郵便にも見えないな。あのシルエット――女の子?

 

 ――あ、なんか見つかった。つーか、こっちに走ってきた。

 

「一煉寺!? あんた何しとん?」

 

 俺の姿を見つけるなり、息せき切らして走ってきた彼女は……俺の顔見知りだった。

 

「へ、変態君? この娘――誰?」

 

 いきなり登場してきた第三者に、救芽井はかなりテンパっている。彼女の口から飛び出してきた「変態」というワードに眉を潜めつつ、例の女の子は俺に詰め寄ってきた。

 

「い、一煉寺! あんた受験やのに、何をほっつき歩いとんや! あと、『変態』って何や!? この娘、誰やっ!?」

 

 あー……まさか、この期に及んで、この娘に見られるとはぁ。めんどくさいことになってきやがったなぁ……トホホ。

 

 ――この女の子の名前は、矢村賀織(やむらかおり)

 俺のクラスメートにして、唯一の「女友達」だ。

 



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第9話 受験と訓練を秤にかけて

 見掛けに不相応なほどに艶やかさを感じさせる、桜色の薄い唇。口から覗いている、愛嬌のある八重歯。

 肩まで流れるように掛かった黒髪のセミロングに、年の割にはやや幼い顔立ち。

 フォローのしようがないぺったんこではあるが、その一方で脚線美には定評がある。それにぺったんこといっても、それはいわばスレンダーとも呼べる肢体であり、一部の男子諸兄からは好評であるらしい。

 そして俺から見ても小柄であり、こっちから頭を撫でるのには丁度いい身長差。

 

 俺達二人の前に現れたクラスメートの容貌を簡単に説明するなら、まぁこんな感じだろう。ちなみに、彼女は四国出身だからか地元の方言が特徴的だ。

 矢村は俺と救芽井を交互に見遣ると、キッと俺を睨みつけてきた。ひぃ、こえぇ!

 

「今が大事な時やのに、ようこんなところで女と油売っとるのぉ! これで落ちとったら承知せんで!」

「いや、ちょっと待ってくれ矢村! これにはいろいろと事情が……!」

「なに? 変態君の知り合い? 用事なら早く済ませてね。この後すぐに特訓だから!」

「……あのね、救芽井さん。俺って一応、受験生なんですけど」

 

 俺達の行動をデートと誤解している矢村が、なにやらプンスカしている。その一方で、救芽井は人の都合を華麗にスルーして、勝手に俺のスケジュールを侵略しようとしていた。

 二人揃って、俺を何だと思ってやがる!

 

「――さっきから気になっとったんやけど、『変態君』ってどういうことや?」

「う……!」

 

 矢村は目を細めて、ジィーッと俺を睨みつづけている。しかし、難しい質問をしてきたもんだ。

 詳しくいきさつを話そうものなら、どうしても救芽井の素性に発展してしまう。俺一人ぐらいならまだしも、矢村をこのゴタゴタに引きずり込むのは忍びない。

 上手くはぐらかすには、俺の弁明ぐらいじゃ足りないだろう。ここは救芽井にも協力してもらおうと視線を送――

 

「この人が私の着替えを覗いてたのよ。だから変態君」

 

 ――る前に、しれっと何をぬかしとんじゃああああああッ!

 

「な、なんやって!? 一煉寺、あんたいつの間にそんなッ……!」

 

 誤解を解こうと口を開く間もなく、矢村は信じられないものを見るような目を向けて来る。お前もあっさりと信じるなあああああッ!

 遺憾だ! 誠に遺憾でござる! 俺は抗議しようと大口を開くが……。

 

「仕方ないでしょ、事実なんだから! それに、この娘まで巻き込む気!?」

 

 と、そっと耳打ちされてしまい、しゅんと引っ込んでしまう。くう、そんな言い方されたら俺が悪者になってしまうではないか!

 

「とにかく、私達は忙しいの。これで失礼するわね」

「だから、矢村が言うように俺だって受験勉強が……!」

「あなたの頭脳じゃ、どの道無理よ。それよりあなたには、身体で覚えなくちゃいけないことがたくさんあるのよ」

「ム、ムキー! そんな言い草ないだろう!」

 

 商店街で迷子になった時のように、救芽井は足速に歩き出していく。俺は自分が選んだぬいぐるみを抱いたまま、なんとか追いつこうと必死に歩いていった。

 そんな俺達にほったらかしにされた矢村は……。

 

「ちょ、ちょっと待ちぃやあぁぁ!」

 

 やや涙目になりながら追い掛けてきた。餌を取り上げられたペットみたいだぞ、お前。

 

「あー……いや、あのな矢村? 俺は今ちょっと、重大なトラブルに遭遇していてな」

「トラブルってなんよ!? 一煉寺って、今まで恋愛とか全然やったやん! 何で今頃、こんな、こんな可愛い娘とおるん!?」

「違う違う、この娘とは別にそういうわけじゃなくてだな……な、なぁ救芽井?」

 

 助けを請うように、もう一度救芽井に目を移す。また余計なこと言わないか、ちょっと心配……。

 

「……ふん! 決まってるでしょ。あなたみたいな変態君とお付き合いするわけないじゃない」

 

 ぐふぅ、これはこれでキツイ……!

 で、でも、これでなんとか容疑は晴れた、かな? 俺はチラリと矢村の様子を伺う。

 

「うーん。やけど、やっぱりなんかおかしい……。一煉寺って、アタシ以外の娘とあんま喋らんし、女子から話し掛けられたらテンパるくらいやのに。それなのに、いきなり『覗き』やなんて……。」

 

 あああぁ! ちくしょおおお! 誤解を解きたい! 解きたいけど溶けないぃぃぃ!

 

「そ、そんなにあの救芽井って娘が良かったんやろか? いかん、いかんで! そやからって、一煉寺は渡せん! よ、ようし、せやったらアタシやってもっと積極的にならないかんやろな、そやろな!」

 

 おや、何かブツブツ独り言を呟いていらっしゃる。つーか、なんかほっぺが桃色になってない? 顔も微妙にニヤけてるような……。

 

「い、いちれ――りゅ、龍太ッ!」

 

 心配になって顔を覗き込もうとしたら、今度はいきなり……名前で呼ばれた? はて、今まではずっと苗字で呼ばれてたはずだけど。

 

「お、おう。どうしたんだ?」

「つつ、付き合っとるわけやないんやったら、一緒に勉強せんか? わからんとこ多いやろ?」

「んー、それは助かるんだけど、今の状況だとちょっとなぁ……」

 

 急に名前で呼び始めた矢村の、突然の提案。それは、成績が常に地獄の底へ激突寸前な俺にとっては、願ってもないことだった。

 一見子供っぽいところがある矢村だが、彼女はこう見えても学年上位の成績保持者なのだ。うむ、友人として鼻がデカい。いや、高い。

 ……だが、今の状況はなかなか辛いものがある。受験勉強が大事なのは事実だが、下手をしたら「勉強した記憶を引っこ抜かれてしまいかねない」事件に巻き込まれてるのも、無視しがたいんだよなぁ……これが。

 

 というわけで、俺は恐る恐る救芽井の顔色を伺うことにする。あぁ、俺って情けないなぁ……。

 すると、彼女は何かに気づいている様子で、まじまじと矢村を見つめていた。なになに? 矢村の顔に何かついてんの?

 

 しかし俺がその意味を考えようとする前に、彼女は俺の視線に気づいてフイッと顔を背けてしまった。くうぅ、やっぱりこの鬼軍曹から、許可なんて取れるわけ――

 

「ふん! そんなに勉強が大事なら、今日一日くらい許してあげる。彼女と好きなだけいればいいじゃない!」

 

 ――おお!? あんなに格闘術の特訓を優先させようとしてたのに、どういう風の吹き回しだ? とにかくラッキー!

 

「あ、ありがと」

「勘違いしないでよねっ! その娘の気持ちを汲んであげてのことなんだからねっ!」

「わ、わかってるわかってる。ホント助かるよ」

 

 眉を吊り上げ、決して「俺の都合を気にかけてのことではない」と強調する救芽井。そんなこと言わなくても、俺のわがままなんて聞く余裕がないのはわかってますから……。

 ところが、俺がその旨を態度で表すと、彼女はさらに不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。あれま、なにがいけなかったんだ?

 

 まぁ、今はそんなこと考えたって仕方がない。救芽井家の事情を思えば、俺が自分の都合に時間を使えるチャンスは限られてるんだろうし。

 今はせっかくの受験勉強の機会を、大切にさせてもらいますか!

 

「よし。んじゃあ、ぬいぐるみを運んだら、勉強見てくれよな」

「うん、任せとき!」

 

 俺から了解の返事を貰った途端、矢村はパアッと明るい顔になった。おぉ、そんなに喜ばしいことなのか?

 

 俺のことを名前で呼ぶようになったことといい、なんかいつもと様子が違う。どういうわけか、俺に優しい……ような感じがするな。

 二学期が終わる前まで――いや、ここで救芽井と会った時までは、彼女ほどじゃないにしろ、かなりツンツンしてる娘だったのに。急にどうして――

 

 ――ハッ! まさか……俺が「変態」呼ばわりされてるのを哀れんで……!?

 くぅぅぅッ! なんていい娘なんだ矢村ァァァッ! 俺がもしイケメンだったなら、ここで交際を申し込んでもいいくらいだ!

 だけど、変態呼ばわりの誤解が解けないのは辛い……いや、それでも彼女は味方になってくれているんだ!

 そうだ、俺にはまだ……帰れる場所があるんだ! こんなに嬉しいことはない……!

 

「ど、どしたん龍太? なに泣いとん?」

「うぐ、ひっく……ありがとう、ありがとうな、矢村ぁ……!」

 

 心配そうに俺の泣き顔を覗き込む彼女。おおぉ……いつもならおっかない女友達でしかなかった彼女が、今は美と慈愛の女神に見えるッ……!

 

「――バカっ」

 

 それだけに、隣で救芽井がそっと口にした言葉は、興奮の余り聞き取ることができなかった。

 



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第10話 勉強会は不毛に終わる

 俺んとこの家は、兄貴と二人暮らし。親父とお袋は県外に転勤してる。

 月一で仕送りが来るんだけど、お金のやりくりは基本的に兄貴がやってるんだ。数学の最高点数十二点の俺が、お金の管理なんてやろうとしたら恐ろしいことになるだろうからな。

 

「ふぁ〜、ただいまー……つっても、誰もいないかー」

「お、おじゃ、お邪魔します!」

 

 昨日のドタバタのせいか若干眠気が残っているらしく、俺はあくびをしながらのんびりと帰宅。その後を、矢村がやけに緊張した様子でついてきた。

 あ、そういえば矢村を家に入れるのって初めてなんだっけ。彼女は玄関から廊下へ進み、居間に繋がる道と二階へ通じる階段を交互に見遣っていた。割と普通な一軒家のはずだが、彼女にとっては物珍しい……のだろうか?

 

「いいよ、固くなんなくて。今は兄貴、いないみたいだし」

「う、ううん! 人様の家なんやし、粗相のないようにせないかんけん!」

 

 いや、だから俺しかいないんだって。この妙に頑固なところが、彼女の唯一の欠点――かな?

 

「……って、え? じゃあ今、家におるんは――アタシと龍太だけ?」

「そだな。まぁ、この方が静かで勉強する分にはいいだろ?」

 

 もしかしたら、賑やかな方が良かったんだろうか? ふと気になったんで、ちょっと顔色を伺って――

 

「せやな! そらそうやわ! 二人っきり! の方が、集中できるやろうしっ!」

 

 おうっ!? やけに上機嫌じゃないか。なんか「二人っきり」ってのをやけに強調してるけど……ま、本人がいいって言うんだから、いいかな。

 俺は二階にある自室を指さし、そこへ向かうように彼女を誘導する。その背を追うように、俺も階段を上がっていった。

 

 ……玄関近くの壁に貼られた、「破邪の拳」と達筆で書かれている一枚の和紙。見慣れているつもりが、今でも度々違和感を覚えている「ソレ」を何となく見つめながら。

 

「こ、ここが龍太の、部屋なんかぁ〜!」

 

 矢村は俺の部屋に入ると、まるで遊園地に来た子供のようにウキウキとしていた。そりゃまあ、初めて来る場所だろうけど……そんなに嬉しいのか?

 

「別に大したもんじゃないだろ? 殺風景だし」

「ううん、そんなことないって!」

 

 特に何かのファンというわけでもないから、ポスターみたいな飾り物もない。漫画やラノベ、ゲームがちらほらあるくらいの狭っ苦しい部屋だ。女の子が喜びそうなものなんてないはずだけど……。

 

「……って、なにしてんの?」

 

 しばらく目を離していると、今度はなにやらベッドの下に潜り込み始めていた。そんなところには何もないぞ?

 

「えっ? あっ、いや! 龍太はどんなんが好きなんかなぁ〜ってな!」

「は?」

「な、なんでもないっ!」

 

 訝しげに見る俺の視線に耐え兼ねたのか、彼女は顔を赤くしてプイッとそっぽを向いてしまった。まさか、エロ本でも探してたってのか? おいおい、俺はパソコンで画像落として済ます派だぜ?

 

「とにかく、さっさと始めようぜ。まずは現国から頼むわ」

 

 これ以上詮索されては、俺の性的嗜好が暴露されかねん……というわけで、俺は早急に勉強会の開始を進言する。おぉ、自分から「勉強したい」とか言い出すなんて、俺も成長したなぁ……。去年まで、テスト期間中でも何食わぬ顔でゲーセンに繰り出してた頃が懐かしいわい。

 

「そ、そやな。始めよか……」

 

 矢村はやや名残惜しげに辺りを見渡すと、そそくさと可愛らしいバッグから教科書やらノートやらを出して来る。方言や八重歯、そして快活な性格からか「男っぽい(ボーイッシュ)」と言われがちな彼女だが、持ち物は結構ファンシーなものが多い。

 最初の頃はそういったものまで、男物のような無骨なものを持ち歩いていたらしいのだが……どういうわけか、今はピンク色が眩しい「少女趣味全・開!」なグッズを多数所持している。どうしてこうなった。

 

 さて、そんな彼女に勉強を見てもらうようになって小一時間。

 

「漢字問題ぐらい解けなあかんやろ〜! 文章題は難しいの多いんやけん、ここで点数取っとかな!」

「いや、なんか『これぐらい楽勝!』って思って書いてたら『間違いでした』っていうのがほとんどなんだよな」

「そーゆーのを、油断大敵って言うんやで! ほら、これはなんて読むん?」

「えーと、『ちぶさ』!」

「ち・ち・ぶ! やらしい覚え方しようとすらからや!」

 

 ……絶賛大苦戦中でございます。

 

「ああんもう、次! 熟語の問題や! 『強いものが弱いものを喰らう』っていう意味の短文やで!」

「よーし、かかってこい!」

「問題文は、『所詮この世は(□□□□)』!さぁ、これはなんや?」

「『所詮今夜も焼肉定食』!」

「『所詮この世は弱肉強食』やろッ! どんだけ腹減っとんねんッ!?」

「いや、よく考えたら昼飯まだだったな〜ってさ」

「しかも空欄以外のところも違っとるしッ! 腹減りすぎて頭回ってないんやないん!?」

 

 うーむ、思った以上に手厳しい。俺がバカなだけなんだろうか? 向こうは俺以上に頭抱えてるし……。

 

 その後は小説の文章問題にも挑んだが、やはり難航した。

 

「さぁ、この後太郎はどう考えたん?」

「次郎をぶっ飛ばしてやろうと思った」

「なんでや!? 捨て犬を雨の中から拾ってきた弟にすることか!?」

「だってこの兄弟、マンション暮らしなんだろ? 普通、集団住宅でペットは無理だって。よって飼っちゃダメ。元のところへ捨てて来なさい!」

「この物語のオトンみたいなこと言うなぁぁぁぁッ!」

 

 いや……だってそうでしょ? 「捨て犬が可哀相」って人情だけでご近所さんやお隣りさんは納得させられないだろう?

 現に救芽井家がそうだしなぁ……。あそこはむしろ、人を自分達の都合で振り回してる状態だし。どうせ俺だけだからいいけど。

 この文章題では、太郎は次郎と一緒に反対派の父親を説得しようとしてるけど……俺にここまでの気概はないなぁ。途中で諦めて返しちゃいそうだ。

 

 結局、昼間の時間を全部使っての「現国集中特訓」になってしまった。頭の中の予定じゃあ、もっと数学とか英語とかにも時間を割きたかったんだけど。

 日が沈みだし、辺りが暗くなろうとしている時間になってることに気がついたのは、ついさっきのことだった。

 

「もうこんな時間か……そろそろ切り上げるか?」

「そやな……まるで成長しとらんけど、今日のところはこれまでやな」

 

 ぐふっ、マジかよ。これでも長時間脳みそフル回転で頑張ったつもりだったんだけどなぁ。

 

「できれば、英語の勉強とかもしたかったんだけどなぁ」

「……龍太、月曜日は英語で何て言うん?」

「え? んーと、『モンダイ』」

「『マンデー』や。……ホント、『モンダイ』外やな、あんた」

 

 ムッ、そんなひどいこと言わなくなっていいじゃないか! なんだよ、その冷ややかな目はっ!

 

「なぁ、龍太。もしよかったらやけど……」

「ん?」

 

 勉強道具を纏めて、帰る準備している矢村が不意に話し掛けてきた。心なしか、声が震えてるような……気がする。

 

「家まで、送ってもらっても、ええかな? 勉強頑張ってくれたし、息抜きに、ちょっと寄り道しながら……とか」

 

 少しモジモジしつつ、今にも消え入りそうな声色で、そう提案してきた。まぁ、今日一日付き合わせちまったんだし、そのくらいお安い御用だよな。

 

「ああ、いいぜ。一緒に行こう!」

「い、一緒に……!? う、うんっ! ありがとうっ!」

 

 感極まった顔で、彼女は深く頷いた。うーむ、そんなに喜ばしいことなのかな?

 

 ――そうか、そんなに俺が「変態」呼ばわりされてることを哀れんで……!

 

「グスン、いいってことよ……さあ、行こうぜ」

 

 矢村の慈愛に、俺は再び涙した。暖かい、なんて暖かい娘なんだ! それに引き換え、俺の惨めさときたら……ううっ。

 

「ど、どしたん? 大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ……心配してくれて、ありがとう……!」

 

 せめてもの恩返しとして、自分が元気を貰っていることをアピールしようと、俺は爽やかにスマイルを見せる。すると、彼女はボンッと顔を赤くして俯いてしまった。あれ、なんかマズかったかな?

 

 何が恥ずかしいのか、赤面したまま喋らなくなってしまった彼女の手を引き、俺は玄関の前まで来た。さぁ、彼女を送ったらまた勉強だな……。

 いや、もしかしたら今日勉強に集中した分、救芽井にめちゃくちゃしごかれるかも……!?

 

 そんな不安要素を抱えつつ、ドアを開けた俺の前に立っていたのは――

 

「お? なんだ龍太、彼女連れて夜のデートか?」

「弟さんですか? 初めまして、古我知剣一です」

 

 就活帰りの兄と――あの、古我知さんだった。

 

 



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第11話 悪の親玉、イン・マイホーム

 ちょっと、待て待て待て……!

 え? 何この状況? 何で悪の親玉とこんなタイミングで鉢合わせしなきゃなんないの!?

 

「あぁ、こっちは就活説明会の時に、落とした財布を拾ってくれた人でさ。お礼にちょっと飯でもご馳走しようってとこだったんだ」

 

 古我知さんについての説明を入れて来てるのは、俺の兄貴・一煉寺龍亮(いちれんじりゅうすけ)。もうじき就職活動にのびのび取り組もうとしてる、大学三年生だ。

 こやつは俺の血縁者である癖に、頭も顔も運動神経もよく、道を歩けばいつの間にか女に囲まれてる。まぁ、つまるところ「月の果てまで爆発するべきリア充野郎」というわけだ。

 この憎たらしい兄貴のおかげで、俺がどれほど惨めな思いをしてきたのかを知るものはいまい……。二人で町を歩けば、兄は羨望の目で見られ、俺は哀れみの目で見られるッ! 同じ兄弟だというのに、なぜここまで違うッ!?

 俺は必ず兄貴を引き立てるためのピエロにされ、「お兄さんを見習いなさい」と言われる毎日だ! なぜだ!? ……坊やだからか?

 

 そんな俺だからか、いじめの対象にされることもあった。それを見兼ねて、兄貴は俺に護身術としての少林寺拳法を教えてくれた。……まぁ、そこは素直に感謝しとこう、かな。

 

 ――って、今はそれどころじゃねーッ!

 

 くせっ毛のある茶髪を掻きむしり、兄貴は少し困った様子で俺と古我知さんを交互に見ている。客人に妙に警戒してる弟を、どう紹介すべきか考えあぐねている……という感じだ。

 ――そういえば、古我知さんはずいぶん優しげな笑みで俺を見てるけど、何で何食わぬ顔で突っ立ってられるんだ? 自分が狙う獲物なら、もっと睨んできても良さそうなもんだが……。

 

「元気の良さそうな弟さんですね。なんというか、昔を思い出します」

「あぁ、まぁちょっとバカなところはありますけど、根は悪い奴じゃないんで。気にしないでくださいね」

 

 この人の正体を知らないであろう兄貴は、人の気も知らないで呑気なことを言っている。あのなぁ、自分の肉親を狙ってる敵にわざわざ紹介すんなっつーの! まぁ、知らないんだからしょうがないんだけどね……。

 

 ――古我知さんめ、余裕こいた顔しやがって……「お前なんかいつでも捕まえられる」って言いたいのか、こるぁー!

 と、気づかぬ内に顔に出ていたらしい。その場で兄貴に「お客さんにガンつけてんじゃねーよ」と、ゲンコツを貰ってしまった。いてて……。

 

 ――だけど、落ち着け。こんな時こそ、冷静になるんだ!

 ここで古我知さんの正体を訴えるのは簡単だけど……はぐらかされるかも知れないし、下手したらここで暴れられることも考えられる。そんなことになったら、兄貴も無事じゃ済まなくなるぞ……。

 だが、ここで何事もなかったかのように素通りしたら、兄貴と古我知さんは二人っきりになる。そうなったら……アッー!

 ――じゃなくて、商店街の火事みたいに危険な目に合わされるかも!

 ……いや、ないな。それだったら隣の救芽井家が黙ってないし、兄貴に危害が及んだら俺が警察に通報して終わりだ。

 「技術の解放を望む者達」だって警察沙汰が嫌なんだったら、余計に暴れるのは避けたいはずなんだから。

 ――つまり、彼が兄貴に手出しするメリットはナシってことか。ここは何も知らない振りをして、出て行った方が得策なんだな……。

 

「全く……いいから、お前はさっさと彼女とデートに行ってこいよ」

 すると、いきなり兄貴が変なことを言い出した。こんな時に――彼女?

「彼女って、矢村が?」

「ん? 違うのか?」

 

 あっけらかんとした俺の対応に、兄貴は目を丸くして矢村の方を見遣る。彼女は俺の後ろで顔を赤くしながらペコペコしていた。

 

「どう見てもただの友達には見えないんだがなぁ……」

「んー、そうかぁ?」

「ももも、もーえーやん! そんなことより、はよ行こうやっ!」

 

 俺と兄貴が兄弟揃って首を傾げていると、矢村はいたたまれなくなったのか大声で叫び出した。

 

「ええ、それがいいですね。お二方、もうじきクリスマスですから……素敵な聖夜を楽しんで来ては?」

 

 古我知さんも面白げに、彼女の背中を押すようなことを言う。なにが楽しいんだよ、あんたは!

 

 あーもう、調子狂うな全く! とにかく古我知さん! うちの兄貴にアッー! ……じゃなくて、妙な真似したら即通報だからな! 「おまわりさんこいつです」って訴えてやるからな! 覚悟しとけよっ!

 

 迂闊にアクションを起こして暴れられたら敵わないしな……向こうも警察呼ばれると困るんなら、大人しくしてるしかないだろうし。後ろ髪を引かれる気分ではあるけど、今はどうすることもできない。

 

「しょうがねぇ……行こうぜ、矢村」

「う、うん」

 

 俺は何事もなく「古我知さん」という名の嵐が通り過ぎることを祈り、矢村を連れて家を出ることにした。

 

 ……その時。俺は「破邪の拳」と書かれた玄関の紙を、再び訳もなく意識していた。兄貴が俺の視線から紙を隠すように立っているような気がしたが……俺の思い過ごし……なのだろうか。

 

 ◇

 

 クリスマスが近いというだけあって、外はなかなかイルミネーションが盛んだ。住宅街だけでも、そこかしこにクリスマスツリーの飾り付けがあったりする。

 ちょっとリッチな家庭では、サンタやトナカイのオブジェまで飾られていて、なかなか見栄えがいい。いいなー、俺ん家なんか、家にちっちゃいツリー型ろうそくがあるくらいだぞ。

 

「商店街の方とかだったら、もっと派手なのがあるかもな。朝行った時も、結構人通りが凄かったし」

 

 何気なくそう言ってみた。……言ってみただけだったのだが、何かがいけなかったらしい。

 

 それまでホクホク顔だった矢村が、急にムスッとした表情になってしまったのだ。解せぬ。

 

「……むぅ」

「あれ? なんか変なこと言ったか、俺?」

「それって、あの救芽井って女の子と行った時やろ……」

「そうですが、何か?」

「やっぱりや! もぉぉッ!」

 

 すると、矢村は何が不満なのか「ムキーッ!」と怒り出してしまった。くぅ、救芽井の態度といい、どうやら俺は「無意識のうちに女の子の機嫌を損ねてしまう」スキルの持ち主らしい。

 こないだ、兄貴がモテない俺のために恋愛ゲーム「ときめきダイアリー」とか「ラブプッシュ」とか買ってきてくれたけど、正直まともにクリアできる自信がないぞコレは……。

 

「だいたい、救芽井って言ったら最近引っ越してきた迷惑行為常習犯やんッ! 龍太やって被害者やのに、なんでそんなとこの娘と一緒におるん!?」

 

 あー……まずいぞ。またしても救芽井家の事情に関わりかねん質問が飛んで来やがった。

 

「アタシの方が付き合いも長いのに……あんたの面倒も見れるのに……なんで『救芽井』なん?」

 

 おや? 今度はなんだか急にトーンダウンしてしまったみたいだ。なんだか縋るような上目遣いで、俺の顔をジッと見つめている。

 ……「クリスマス」っていう「ムード補正」のおかげかも知れないが、めっちゃ可愛く見えてきた。大丈夫か? 俺……。

 桃色の唇に、雪みたいに白い肌。普段あんまり意識してない分、矢村のそういうところが目についちゃうと、なんかドギマギしちまって気まずいんだよなぁ。

 ――そういや、兄貴も古我知さんも、矢村を俺の彼女みたいに言ってたっけ。いかん、意識したらいかんぞ! 向こうからしたら、ただの男友達なんだから!

 

 ……と、俺が一人で勝手に脳内暴走しているうちに、いつしか俺達は昨夜の公園にたどり着いていた。

 

「――あちゃー」

 

 もちろん、あれだけ大暴れした後の損害が元通りになってるはずもなく、公園全体に警察が調査した跡があった。そこら中にビニールシートやら立入禁止の注意書きやらがいっぱい……あーあー、警察の介入は困るって話はどこに行っちまったんだ?

 こんな調子じゃあ、遅かれ早かれ救芽井家か「技術の解放を望む者達」が嗅ぎ付けられちゃうだろうに。近所迷惑、ここに極まれり。

 

「なんやコレ!? めちゃくちゃやん!」

 

 当然、何も知らない矢村はあわてふためくばかり。うわぁ……別に俺がやったわけじゃないんだけど、関わった者として凄く申し訳なくなってくる……。

 

「と、とにかく、早く行こう。家はこっちであってたかな?」

 

 これ以上ここにいたら、今度はこっちがいたたまれない! 俺は矢村の手を引いて、その場を離れることにした。

 

 ◇

 

 それからしばらく住宅街を歩いていたのだが……会話がない。まるで、商店街から帰る時の救芽井みたいだ。

 ――手を繋いでるせいだろうか? 俺は恐る恐る、手を放して彼女の表情を伺う。俺、最近人の顔色ばっかり気にしてるなぁ……。

 

「――ねぇ、龍太」

「な、なんだ?」

 

 俺が握っていた自分の手を見つめて、か弱い声で呟いている。あ、まさか手を握ったことを怒ってらっしゃる?

 いくら「変態」呼ばわりされてることで心配してくれてるって言っても、これはちとやり過ぎだったんだろうか……。あぁ、なんてこったい! せっかくの慈悲を、俺はぁぁッ!

 

「こうして、手を繋いでくれた時のこと……覚えとる?」

 

 ――と後悔していたら、彼女はそんなことを口にしていた。顔を、トマトみたいに赤くして。

 手を繋いだ時……ねぇ。それだったら、ずいぶん前になるなぁ。

 

 あれは――そう、中学一年の夏。

 

 俺と矢村が、初めて会った頃だっけ。

 



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第12話 転校生は方言少女

 二年前、夏休みになる少し前のこと。

 クーラーの効いた部屋から一歩出たが最後、脅威の灼熱地獄に身を焼き尽くされ――そうな季節のただ中に、俺達は初めて出くわした。

 

「もうすぐ一学期も終わりだが……その前に、今日は転校生を紹介しようと思う!」

 

 期末テストが終わってすぐ、若い担任の先生がそう切り出した途端。俺達はいきなりのニュースにざわめきまくっていた。

 ただでさえ生徒の雑談でやかましい教室が、いっそう騒然となってしまった。

 男か女か。可愛いかイケメンか。それぞれが思い思いの理想像を垂れ流し、話題に花を咲かせる。

 

「では、入りなさい」

 

 静かにしろ、というよりはそう言った方が、皆が静かになると判断したのだろう。先生は騒ぎ立てる俺達を放置して、廊下で待っている転校生を招いた。

 彼の思惑通り、「話題の張本人」である転校生がどんな奴なのかを一目見ようと、クラス一同はお喋りを忘れて静かになる。

 

 そして、ゆっくりと教室に入って来たのは――女の子。それも、黒くて長めの髪が綺麗な、相当の美少女だったのだ。

 

 もちろん、真っ先に歓声を上げるのは男子。女子もまた、余りの可愛さに羨望の眼差しを向けていた。

 転校生の女の子は、そんなクラスのテンションに怖じけづいたのか、カクカクと足が震えていた。教卓の前の席だったために、その様子がよく見えていた俺は、小声で「頑張れ」とエールを送っていた。

 別に、美少女の出現に歓喜してる他の男子程、彼女に関心があったわけじゃない。ただ、見ていて子供心に「かわいそう」だと思っただけだ。

 

 俺の言葉に、彼女は小さくコクンと頷く。そして、男子の喧騒に怯えながら黒板に自分の名前を書いていった。

 

「や、矢村賀織、です。よ、よろ、よろしくお願いします」

 

 緊張気味なのか、矢村という女の子は何度も噛みながら、懸命に自己紹介を試みていた。やがて、そんな彼女に救いの手を差し延べるように、先生が前に出る。

 

「彼女は四国から来た子だ。知らない町でやっていかなくちゃいけない分、苦労も多いと思う。みんなで、なんとか助けてやってくれ」

 

 実に真っ当な台詞で締めた先生に、同意の声が次々と上がっていく。これならきっと大丈夫だと、俺はホッとして矢村の綺麗な顔を眺めていた。

 その時、俺は彼女と目が合ったのだが、向こうは俺のことが気に食わなかったのか、フイッと顔を逸らしてしまっていた。

 

 一時はクラスでの質問責めに遭い、ビクビクしていた彼女ではあったが……次第にクラスに馴染んでいくうちに、本来の明朗快活な性格を見せるようになっていった。

 その上やたら体力があり、男子に混じってサッカーやテニスに参加し、互角以上に渡り合っていた。それどころか、腕っ節で勝ることすらある。

 転校してきた当初のイメージをぶち壊す、男よりも男らしい女の子だったわけだ。

 

 夏休み中も、二学期が始まってからも、彼女は男子以上に活発に動き回っていた。

 それは別にいいことだろうし、性格的にも悪い奴じゃないとは思う……のだが、困ったところが一つだけあった。

 

「一煉寺ィ〜! あんた男やろ、しゃんしゃんせんかい!」

「ちょ、や、矢村、タンマッ……!」

 

 ――やたら俺を連れ回す、という点である。大して運動が好きでも得意でもない、俺を、だ。

 なぜかはわからないが、彼女はサッカーやら野球やら柔道やら、俺が普段関わらないようなスポーツの世界に容赦なくぶち込んで来るのだ。

 当然、俺は耐え兼ねて音を上げた。そんな俺の尻を、彼女がひっぱたく。それはもはや「お約束」だった。

 まぁ、それはそれで運動不足の解消になったんだし、よしとしよう。

 

 そうして、矢村は男子よりも強い女子として、その地位を高めていた。このままそれが続いていたなら、彼女の中学時代は実に充実したものになっていたに違いない。

 

 しかしある日、俺は彼女をやっかいなトラブルに巻き込んでしまったのだ。

 

 運動も勉強も中途半端でありながら、成績優秀・スポーツ万能な矢村と一緒にいる俺は、異端だったんだろう。なんの脈絡もなく、俺は出来のいい兄と比較される形で、一部の連中からいじめに遭った。

 兄貴がその優秀さで有名なのは知っていたし、弟の俺がふがいないのも事実だった。だから、俺は抵抗することなく、いじめを「一般的な世間の評価」として受け入れることにしていた。

 

 ――だが、矢村はそれに反対した。

 

 彼女は俺をいじめていた連中に突っ掛かると、全員にビンタをお見舞いしたのだ。「一煉寺は一煉寺、兄貴とはなんの関係もないやろが!」と。

 まぁ、向こうはただ俺をいじめるための話題が欲しくて、兄貴を引き合いに出しただけらしいんだけどな。

 だが、そこで連中は逆上してしまった。元々、彼らは俺のように勉強や運動で矢村に劣る「落ちこぼれ」であり、男勝りで勝ち気な彼女を快く思わない存在だったのだ。

 俺をいじめようと思ったのも、彼女を狙うと支持層が黙ってないから。だから、代わりに「八つ当たり」をしようとしていたんだ。

 

 連中は持っていたモップや椅子を振り上げ、矢村に殴り掛かろうとした。いくら男より強い彼女でも、数人に凶器を持ち出されたらどうしようもない。

 俺は自分の撒いた種だからということで、彼らに飛び掛かって彼女を逃がすことに決めた。

 別に、俺が殴られるのは構わなかった。どうせケンカは弱いんだし。

 それに、俺の代わりに彼女が殴られたりなんかしたら、そっちの方がよっぽど「痛い」しな。

 だけど、俺が殴られて血まみれになった時の彼女は、まるで自分が殴られたかのように悲痛な顔をしていた。

 

 結局、その件は矢村が呼んだ先生によって解決された。俺をいじめていた連中は全員、停学もしくは転校を余儀なくされ、俺は一週間の病院送り。ケガは正直めちゃくちゃ痛かったけど、矢村が無事だったのでよしとした。

 

 ――その時にわかったのは、矢村が羨望や尊敬と同じくらい、妬みを買っていたということだった。文武両道で美人だけど、そんな彼女を嫌う奴もいる、ということだ。

 他にも、彼女を否定する人はいた。方言を陰でからかう女子や、盗撮を働こうとする男子。クラスのみならず、学年全体で見ても人気者だった彼女は、同時に敵も作ってしまっていたのだ。

 俺はそんな裏側を知ってから、矢村との付き合い方を変えた。連れ回されるんじゃなく、自分から彼女と一緒にいるようにしたんだ。

 どんな時でも、彼女を一人にしないように。陰で彼女をバカにしてる連中の、盾になるように。

 

 そうしていくうちに、いつしか「彼女の方が」俺について来るようになっていた。彼女を守ろうと、手を繋ぐようにもなったからだろうか。

 聞いた話によると、この頃から彼女の持ち物は「男らしいもの」から「可愛らしいもの」へと激変したらしい。やはり解せぬ……。

 

「もしかして、俺のことを好きになったんじゃ?」

 

 ――なんて、バカな妄想もしたことがあるが……我ながら、勘違いも甚だしい。いじめられっ子に惚れる女がいるか? しかも相手は男勝りと評判の矢村だぞ……ありえねぇ。

 ま、そんな恥ずかしい黒歴史はどうでもいいか。

 

 

 矢村は、自己紹介の時に励ましてやったことを今でも感謝してるらしく、それが俺をスポーツに誘っていた理由だと言っているのだが……はて、だからといって勉強まで見てくれる程の恩義を感じるもんなんだろうか?

 じゃあ、暴行されそうになったところを助けたからか――って、アレはそもそも俺がいじめられてたせいだもんなぁ。

 

 うーん、矢村っていつも俺の世話焼いてくれるけど……イマイチ動機が見えないところがあるんだよな。

 

 

 いつか、彼女の気持ちがちゃんとわかる時は――来るんだろうか? 来たら、いいなぁ。

 

 

 ――その方が、きっとスッキリ出来ると思うから。

 



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第13話 おまわりさんおれたちです

 ――さて、矢村と会った頃のことをおさらいすると、だいたいこんな感じだが……彼女は何が言いたかったんだろうか?

 

 その旨を尋ねてみても「ど、どうでもええやろ!」とはねつけられてしまうので、俺には結局知る由がない。

 まぁ、向こうは俺が昔のことを思い出してるのを、隣で嬉しそうに見てたし……本人の機嫌が直ったんなら、それでいいか。

 

「え、な、なんや?」

「いや――なんか嬉しそうだなってさ」

「そらそうやろ! だって……な、なんもないっ!」

「ないのかよ……」

 

 つくづく、言ってる意味がわからない。もしかしたら俺がそれを知らないだけなのか?

 そんなことを考えてるうちに、俺達の視界は夜とは思えない程に明るくなってきた。

 

 ――イルミネーションが眩しい、商店街の景色。

 

「わぁ、き、綺麗やな〜……。毎年こういうの見れるって、ええわぁ〜!」

「だな。まぁ、クリスマス当日の方が盛り上がってんだろうけど」

 

 商店街を包んでいる光の群れは、入口にある店の看板からその屋上までの全てを彩り、その鮮やかさは町全体にまで広まっていた。

 何色ものベルを飾り付けられたクリスマスツリーに、サンタやトナカイに紛して宣伝を行うおじさんやおばさん。雪だるま型の置物を真似て、それの隣に本物の雪だるまを作ろうとする子供達。

 町のみんなの笑顔も相まって、今日がクリスマス当日なのかとさえ思う程だ。

 

 惜しむらくは、そんなエキサイトしたくなる時期に受験勉強をしなければならない、という現実が待っていることだが。

 

「さて、明日は一体どうなるのやら……」

 

 無益と断じられた受験勉強に臨むか、救芽井の特訓に引っ張り出されるか……。いずれにせよ、明るい未来じゃないなぁ。

 ……だったら、せめて今夜は楽しく過ごしたいもんだ。

 

 よし、ここは一つ、商店街の繁盛ぶりを拝見しながら矢村を送るとしよう!

 俺は一先ず話題を作るため、近くにある屋台を指差した。雪とは違う純白にデコレーションされているそこは、他の店とは比にならない程の異彩を放っていたからだ。

 

「お、あそこにケーキ屋があるぞ。いつもは雑貨屋なのに……無茶しやがって」

「みんなクリスマスが楽しみやけんね! アタシも――すっごい、期待しとるけん!」

 

 おや、なんかテンション高いぞ。ケーキ好きなのか?

 

「んじゃ、何か買ってこうか? クリスマスにはまだ早いけど」

「そ、そんな! ええよ別に! アタシ、返せる程お金ないし……」

「いや、俺の奢りだから。今日一日、勉強見てくれたお礼ってことでさ」

 

 まぁ進歩はなかったらしいけどね。それでも気持ちはありがたいんだし、こういう小遣いの使い方したってバチは当たるまい。

 だが、当の矢村は気に召さないのか「お礼したいんはアタシやのに……」とかブーたれている。うーん、貸し借りを嫌う性分だったのかな?

 

「――あのさ、良かったらなんだけど。明日、また勉強見てくんないかな」

 

 ならば、新たにクエストを依頼するまでよ。報酬がケーキ一箱ってことで。

 

「え? え、えええ!? あ、明日も来てええん!?」

 

 ぬお、ものすごい食いつきだ……餌に引っ掛かった某水竜みたいだぞ。でもまぁ、少なくとも嫌がってる感じはしないし、これでよかったのかもな。

 

 まだクリスマス前だから、ということでショートケーキを一箱プレゼント。さすがにホールは財布が軽くなりすぎるからな……。

 食べ出したらすぐになくなる程度の量だが、それでも矢村は飛び跳ねて喜んでくれた。ぬいぐるみを買った時の救芽井といい、女の子って時々すっごい無邪気になるんだなぁ。

 

「えへへ、龍太がくれたケーキやぁっ!」

「そんなに嬉しいもんなのか? 味はともかく腹は膨れんだろうに」

「女の子は膨れん方がええのっ。それに、『龍太が買ってくれた』っていうのが大事なんやから」

 

 ふむ。どうやら女の子ってのは俺が考えてる以上に、カロリーというものを気にしているらしい。俺を特別扱いしてるようなことを言ってる気がするが、多分気のせいだろう。

 

 ――すると、矢村は突然何かを思いついたような顔をして、ズイッと俺に迫ってきた。

 

「りゅ、龍太! あーん、しよや!」

「……はい?」

 

 えーと、何だって? あーん?

 もしかしなくても、あの「あーん」じゃないだろうな? おいおい、リアルにギャルゲー要素を持ち込もうとしてんじゃねーよ。

 

「ほ、ほやから、『あーん』やって! アタシが食べさせたるけん!」

「待て待て待て、おかしい。何かがおかしい! お前、今朝からいつもと明らかに様子が変だぞ!? 俺のことは名前で呼び出すし、しまいには『あーん』って……冬休みになってからお前に何が起きたんだよ!?」

「何も変やない! アタシがそうしたいって気持ちは、本物なんやから!」

 

 なんだかこっ恥ずかしいこと言い出してるー!? これ以上喋らしたら何を口にするかわかったもんじゃないぞ、コレは!

 矢村様、ご乱心めされたか! 仮にもここは、公共の場でございますぞ!

 

「あ、ああもう、わかったわかった! とにかくどっか行こう! みんな見てるから! ニヤニヤしながら見てるからぁぁぁぁッ!」

 

 とにかく、場所を変えなければ。辺りの通行人は、どいつもこいつも俺達を好奇の目で見てやがるし。まるで、恋人同士がイチャついてるみたいじゃねーか!

 俺は矢村の手を引っ張り、速やかに商店街から退散する。彼女を送るどころか、あちこち振り回してる……気がするけど、考えないことにしよう。

 

 ある程度イルミネーションの輝きから離れた俺達は、寂れたベンチに腰掛ける。ふぅ、やっと落ち着けたかな?

 

「……ったく、滅多なことを人前で叫ばんでくれ。ただでさえ噂とか広まりやすいんだから」

 

 そう。顔見知りが多いと、すぐにあることないことが知れ渡ってしまうのが、規模の小さな町の困ったところなのだ。

 次に交番のお巡りさんに会ったら、必ず矢村について追及してくるに違いない。「龍太君、二股かい!?」とか言い出すビジョンが頭から離れん……!

 

「ごめんな? でも、アタシは大丈夫やで。――嘘なんか、ついてへんもん」

 

 隣にチョコンと座っている矢村は、妙に真剣なムードで話を進めている。くっ、なんかマジメな態度だから怒りづらいな。

 

「龍太は、嫌なん? あーん、とかするの。それとも、アタシやからあかんのん? 救芽井とやったらするん?」

「なんでそんなに必死になってんだよ……。ていうか、なぜに救芽井が出てくるんだ」

「だって、龍太は『変態』って言われるくらいのことを救芽井にしたんやろ? アタシには、普通の友達みたいなことくらいしかしようとしとらんのに……ずるいやん」

 

 拗ねたような口調で文句を垂れながら、矢村は上目遣いで俺を凝視する。おい、なんだその潤んだ瞳は! 可愛く見えちゃうからやめなさい!

 

「やっぱり、胸が大きいからなんか? アタシの胸が小さいけん、龍太は友達としかアタシを見んのん?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「せ、せやったら、アタシのこともちょっとは見いよ! 救芽井より、ずっと大事にしちゃるけん!」

 

 何を大事にするのか知らんが……一体、矢村はどうしちまったんだ? 俺を勘違いさせるようなことばっかり口走りやがって。

 ――そんなに、変態扱いされてる俺が哀れなのか。

 

「いいよもぉ、無理しなくて……」

「何言うとん? アタシ、無理なんかしとらん!」

「もう慰めなくてもいい! 惨めになるから!」

「そんなことない! あんたは、惨めなんかやない!」

 

 くぉぉぉ、どこまで俺を見捨てまいとする気なんだ、お前はぁぁぁ!

 そんなに情けを掛けられちゃあ、俺の立つ瀬がないではないかぁぁぁッ!

 

 ――と、俺が頭の中で悶絶していたその時。

 

 足元に人影が映り込んでいたことに気がつき、俺はハッとして顔を上げた。「また人に見られてるゥー!?」と思ったので。

 

 だが、そこにいた人物……いや、「存在」は、予想の斜め上を行くものだった。

 

 そう。

 

 俺達の前には、アレが立っていたのだ。

 

 ――いや、こう表現するとなんか卑猥なんで、簡潔に言い切ってしまおう。

 

 「解放の先導者」が、現れたのだ。

 ……コマンド?

 



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第14話 やっぱり彼女はスーパーヒロインでした

「な、なななな、なんやコイツッ!?」

 

 悲鳴と共に、矢村がベンチから飛び跳ねる。いやね……ホント、どうしましょう。

 

 ・逃げる

 ・戦う

 ・110番

 ・救芽井に連絡

 

 普通に考えれば、選択肢はこの四つだろうが……まず、110番はナシだ。そんなことしたら、向こうもろともこっちもバッドエンドだ。

 なら、戦う? いやいや、「救済の先駆者」になっても、たった一体に勝てなかった俺に、如何様な戦力を期待しろと?

 んじゃ、救芽井に連絡? ……これが一番理想かも知れないけど、そんなことする暇をあっちが与えてくれるかどうか。ケータイ出す途中にブスリとかシャレにならないんですけど。

 

 ――というわけで、逃げるが勝ち!

 

 俺はガバッとベンチから立ち上がり、ダッシュ!

 

 ……するというところで、踏み止まる。

 

 ちょっと待て。矢村はどうなるんだ?

 

 もしここで、俺が一人で逃げ出したとして……矢村が捕まったら、残された彼女はどうなるんだよ? 救芽井が言ってたように、捕まって記憶を消されるのか?

 ――マズい、マズいだろ、それはッ! 俺はどうせ記憶を消されたって、元がバカだからダメージは浅いかも知れないよ!?

 だけど、矢村は違う。この娘は俺なんかより、きっと凄く勉強頑張ってたんだ。だから、成績がいい。

 そんな彼女の記憶なんか消されたら、本人の今までの努力はどうなる!? 勉強は教えてもらえなくなるかも知れないし!

 

 それを考えちまった以上、俺は矢村を置いて逃げることはできない……! 俺にとっても彼女にとっても、マイナスにしかならないぞ、コレは!

 「解放の先導者」は大した動きは見せず、ベンチの前で立ち尽くしている俺達二人をガン見するばかり。ウィーンウィーンって音を立てつつ、様子を伺うように首を捻っている。

 今はまだ何もしてこない感じだけど、それがずっと続くはずがない。多分、俺達が動き出した途端に襲って来るつもりだろう。

 何の事情も知らない矢村は、突如現れた得体の知れない輩に怯えているのか、俺に身を寄せて腕を抱きしめた。くぅっ、こんな時に彼女にもうちょっと胸があれば、柔らかさのお陰で少しは緊張がほぐれたかも知れなかったのに! 今はそれすら許されないとはッ……!

 

 あー、まぁ、それどころじゃないのはわかってんだけどね。これくらい余裕こいてないと、冷静に頭回んないと思うし。

 それに、「急がば回れ」って言うじゃん。こんな時こそ、減らず口が言えるくらいの度量がないとね。俺はただのKYなだけですけど。

 

「りゅ、龍太? なんなんかな、こいつ。なんか、普通の人やないって感じするんやけど……」

「ああ、まぁ確かにな」

 

 普通じゃないっつーか、そもそも人じゃないっつーか……。ま、人みたいに動くロボットだ! とはなかなか思わないだろうし、そういう見方が妥当だよな。

 矢村は俺を庇うように前に出ようとしているが、全身が小動物みたく震えている。腕も掴んだままだし、相当ビビってるのがわかる。

 けど、目の前にいる奴がどういう輩なのかも知らないんだし、不安がるのは仕方ないよな……。

 

 俺は「解放の先導者」から矢村を隠すように、ズイッと進み出た。

 

「龍太!?」

「えーと、なんていうか……。こういう時くらい、カッコつけさせてくんないかなーってさ」

 

 我ながら歯が浮くような台詞だけど、「俺の方がコイツに詳しいから」みたいなことをバカ正直に話したら、間違いなく後で追及されちまう。ここは、キザに振る舞ってごまかすしかない!

 ドン引きされるかな、と恐る恐る表情を伺ってみるが……顔を伏せられてしまい、敢え無く断念。なんか頭から湯気が噴き出してるような気がしたけど、幻覚だよな?

 

 さて、矢村の様子は一先ず置いといて……これからどうするべきか。

 やっぱり矢村を逃がすことが第一になるんだろうけど、それについては気掛かりがある。

 

 それは、俺達の前にいる「解放の先導者」の狙い。

 奴が狙ってるのが「この件の真相を知る関係者」なのか、「この件の目撃者」なのか。それが問題だ。

 

 前者なら、狙いは間違いなく俺一人。「呪詛の伝導者」を「古我知さん」と呼んでしまった以上、俺が「技術の解放を望む者達」のことを知っていることは、向こうにも筒抜けなはずだから。逆に、何も知らない矢村はただの目撃者。「ちょっと姿を見られて、不審に思われたくらい」で片付けて、ほったらかしで済まされる可能性もある。

 後者なら、矢村も狙われることになる。あっちが、姿を見た者は一人残らず(記憶を)消す! というスタンスなら、彼女も俺と同じ危険に晒されてしまう。俺が彼女にチクってると向こうが思ってるなら、まずこっちの判断が妥当だろう。

 

 矢村のためにどうするべきかは、この二つのどっちが正しいかに掛かってる。

 前者なら、俺が一人で逃げ出すべきだ。「解放の先導者」を引き付けて、彼女をこの件から隔離できるんだから。

 だが、後者なら二人で一緒に逃げるしかない。そうしないと、さっき俺がやらかしそうになった時みたいに、彼女を見捨てることになる。

 

 そこのところを具体的に判別したいところなんだが……うーん、どうしたもんかね。

 真正直にこの旨を伝えて、ちゃんと答えてくれるとも思えないし。つーか、口利けるの? こいつら。

 

「おいコラ! 誰だか知らんが、見世物じゃないんですよ! どっか行ってくんない!?」

 

 ちょっと気になったので、試しに声を掛けてみる。もちろん矢村の前なので、何も知らないフリをして。

 

 すると――

 

『君がどこかへ行った方がいいんじゃないかな? 一煉寺――龍太君』

 

 ――ご丁寧に、返して来やがった。

 

 しかも、この声……!

 

「……古我知さん」

 

 俺は矢村に聞かれないよう、そっと呟く。そう、これは間違いなく、古我知剣一の声だ。

 

『君のことは、お兄さんからよく聞かせてもらったよ。よく出来た弟さんらしいね』

 

 「解放の先導者」の頭部から、スピーカーのように発せられる彼の声。その内容に、俺は思わず眉をひそめた。

 

「兄貴を、どうした?」

 

 今、俺は自分でもわかるくらい、険しい顔をしている。

 ……もし兄貴に何かあったら、もう手段は選べない。俺が、プッツンしちゃうからだ。

 

『どうもしちゃいないさ。少しお話してから、帰路についたところだよ。この「解放の先導者」は、僕の端末から遠隔操作している特殊なものでね。君の様子を伺わせてもらっていた』

「のぞき見とは、いい趣味とは言えませんな」

『君に言わせれば「悪の親玉」だろうからね。そういう評価は見え透いてるよ』

「……ちっ」

 

 俺は舌打ちしつつ、横目で矢村の様子を見遣る。彼女は困惑した表情で、喋る「解放の先導者」と俺を交互に見ていた。

 ――どうやら、俺と向こうの関係を隠すことは難しくなってきたみたいだ。漫画とかなら、こういう秘密はだいたい最後辺りまで隠し通せるもんなんだけどなぁ……やれやれ。

 

『本当は君が一人になってから、ご挨拶に向かうつもりだったんだけどねぇ。彼女とのイチャラブタイムがなかなか終わらないので、つい魔が差しちゃってね』

「差しすぎだ! あと別にイチャラブとかじゃないからな!?」

 

 くそぅ、古我知さんが俺達を見送ってたのは、一人になった俺を狙うためだったのか! ていうか、背後から悪寒がするのはなぜだ!?

 

「なんで、なんでイチャラブやないねん……」

 

 後ろから呪いの声がするけど、幻聴だよね? 聞き間違いだよね? 頼むから話をややこしくしないでくれぇぇぇッ!

 

 ――いや、待てよ! いま、いいことを聞いた気がする。

 「俺が一人になるのを待っていた」……これはつまり、狙いは俺だけってことになるんじゃないか? 矢村も狙うとしたら、俺が彼女と別れるタイミングまで待つ意味なんてないんだから。

 それに、古我知さんが最初に言ってたじゃないか。「君がどこかへ行った方がいいんじゃないかな」ってさ。そう、「君達」じゃなく「君」と。

 ……ってことは、矢村は向こうの眼中にはないって話になるよな。あくまで狙われてんのは、俺だけなんだから。

 よかった……それなら、矢村を巻き込むリスクは避けられそうだ!

 

 でも――「そう思わせることが罠」って可能性も無くはないよな。考え出したらキリがなさそうだけど……相手は俺より賢い奴なんだし。

 ……よーし、だったら「どっちでも大丈夫」なやり方で行くしかない!

 

 

「矢村ッ! ここからすぐに逃げろ! 全力ダッシュで家まで帰れ!」

「え――えええッ!?」

 

 俺は両手を広げて矢村を庇い、避難するよう促す。もちろん、当の彼女は驚きの声を上げた。

 

 ――そう、逆に考えるんだ。俺じゃなく、彼女が逃げればいい。

 もし矢村も狙いのうちに入っているのだとしたら、「解放の先導者」は彼女を追おうとするだろう。その時は、俺が体を張ってでも奴を止めればいいんだ。

 それに、向こうの意図が本人の言う通りなんだとしたら、この時点で矢村を巻き込む可能性については即解決なはずだ。どっちに転んでも、彼女を危険に晒すリスクは削れる!

 

「ど、どういうことなん!? わけわからんのやけど! あいつ、龍太とどんな関係なん!?」

「今はそんなことどうでもいいだろ。いいから、早く帰るんだ! ご両親心配してるぞ?」

「お父ちゃんもお母ちゃんも、今は旅行に行っとるし!」

「え、マジで? あーもう、いいから早く帰りなさい! ご飯冷めちゃうよ?」

「一人暮らしなんやから自分で作るし!」

「あーご両親いないんだったらそうだよねー、あははー! ……はぁ」

 

 ……って、おいィ! なんでここまで帰りたがらないんだよー!? 意味不明な状況が怖くて、一刻も早く逃げ帰りたいってのが普通じゃないのかよ!?

 

「ねぇ、なんで龍太は逃げんの? 事情はようわからんけど、なんかヤバそうやん。一緒に、逃げよ?」

 

 上目遣いで「一緒に逃げるべき」と迫る彼女に、俺はますます困ってしまった。あのなぁ、狙いが俺一人なのに「一緒に」逃げたりなんかしたら、巻き込まれる展開しかないでしょーが!

 捕まっても命までは取られないから……とは言いにくいしなぁ。「なんでそんなことわかるん?」とか聞かれたらアウトだし。

 

「だーめーだ! 一人で逃げなさい!」

 

 だから彼女の身の安全のためにも、ここは鬼にならねばなるまい。俺は「一人で逃げるべき」の一点張りを通すことにする。

 確かに、こんな夜道に女の子を一人で帰らすのは忍びない。だが、この町に「技術の解放を望む者達」以上の脅威があるとも思えないだろう。よって、俺の判断が正しい! 以上!

 

「いーやーや! 龍太が残るんやったらアタシも残る! あんたを一人になんかできんもん!」

 

 そんな俺の強引な判決をものともせず、彼女はごり押しでこの場に残ろうとする。あーもー! いいから帰れよ! お前がここにいたら作戦が進まねーんだよ!

 

『君達、逃げる気がないなら……僕の都合で話を進ませてもらうけど、いいかな?』

 

 ――あ、やべ。

 

 どうやら、古我知さんは矢村が納得するまで待ってくれる程、お人よしでもなかったらしい。悪の親玉に良心を期待するのも変な話だが。

 彼が操っているのであろう「解放の先導者」は、あのヤバ気な爪を出してきた。ちょっと待て、殺す気満々!?

『大人しくしてくれれば、怪我はしないさ。次に意識が戻った時には、悪い夢も醒めている』

 なんか気味の悪いことを口にしながら、ジリジリ近寄ってきたし……やっべーな、これは。

 

「矢村。マジな話だ。ここから離れろ」

「でっ、でも……!」

「マジな話なんだって、言ってるだろ! お前のためなんだ!」

 

 なおも食い下がる矢村だったが、これ以上付き合ってたら彼女も本格的に危ない。ちょっと厳しいかも知れないが、これくらい言わないと、俺は彼女を守れる自信がない……。

 

 そう、今はふざけてる場合なんかじゃなかったんだ。

 これは、命懸け(・・・)なんだ。本物の。

 

 矢村は泣きそうな顔で、ゆっくりと俺の手を離した。彼女の温もりが去った腕に、ひんやりとした風が吹き抜ける。

 

「龍太、アタシのこと……嫌いになったん?」

 

 縋るように、こちらを見上げる彼女。その小さな頭を、俺はそっと撫でてやる。

 

「嫌いな娘のために、逃げろなんて言うわけないだろ。バカなこと言うな」

 

 さすがに、こればっかりはマジだ。

 異性がどうのこうのを無視しても、俺は矢村が大事だと思ってる。いじめられてた上、顔も頭も運動神経も悪い俺に、いつだって味方でいてくれた友達なんだから。

 

「……うん。わかった。わがまま言うて、ごめん」

「あぁ。俺も言い過ぎたかも知れん」

「ええよ。――やけど、約束してな。絶対、明日も会うって」

「わかったわかった。商店街で、そういう話してたもんな」

「約束やからね! ――じゃあ、龍太。お休みなさい……」

 

 やれやれ、ようやく納得してくれたみたいだ。彼女は心配そうな顔をしながらも、俺に背を向けて走り出していく。

 

「あ、そうだ。おぉーい! 今日のこと、警察に言ったらダメだぞー! それも約束だからなーッ!?」

 

 闇夜に消えかけていく彼女の背中に、俺は思い出したように叫ぶ。向こうは戸惑ったように一瞬立ち止まったが、すぐに了解の意を示すように親指を立てて、今度こそ視界から立ち去った。

 あ、あぶねー……。危うく、全てを水の泡にするところだった。事情を知らない彼女からすれば、まず警察に連絡するのが筋だったろうしな。

 

『いい心掛けですね。彼女を少しでも巻き込むまいと……感動的ですね』

 

 だが無意味だ。――とか続けそうな声色だな、オイ。

 ……でも、「解放の先導者」の様子を見る限り、矢村を追う気配はない。俺の心配事は杞憂に終わったわけだ。

 

「さぁ、狙いは俺だけなんだろ? さっさと捕まえてみたらどうなんだ!」

 

 俺はサッと身構え、逃げ出すための隙を伺う。――その時、古我知さんはとんでもないことを口にした。

 

『おや? 何を勘違いしてるのかな? 狙いは君一人ではないんだよ』

 

「……なにッ!?」

 

 古我知さんの台詞に、俺の背筋は一瞬にして凍りついた。

 ――待て、どういうことだ!? 彼は矢村を追ってないのに……って、まさか!?

 

『おやおや、今稼動している「解放の先導者」が、僕の操るこの一体だけだとでも思ってたのかい? 君も夕べに見たことがあるだろうけど……本領の自律機動型は、複数で動けるんだよ』

「マ……マジかよッ……!」

『確かに、僕からは逃れられたよ。だけど、夜道を一人で歩く彼女が、自律機動型から逃げ切れるのかな?』

 

 ――ち、ちくしょうッ! 完全に誤算だった……!

 考えてみれば、確かに「解放の先導者」ってのは自動で動き回るモノだった。今俺の前にいるような、人が動かすタイプが特殊ってだけで、別にそれ以外のタイプが動けないわけじゃない……! 余りにもイレギュラーなコイツに惑わされて、完全に見落としていた!

 ってことは、今頃矢村は自動型の連中に――くそォッ!

 

『おっと、どこに行こうと言うんだい? 』

 

 矢村のもとに向かおうとする俺を、「解放の先導者」が阻む。ちょっ……なんでこんなに速いんだ!? 救芽井ん家の地下訓練室で戦った時は、こんなスピードじゃ――

 

「ごっ……!?」

 

 ――などと考える暇もなく、俺は膝蹴りを決められて吹っ飛ばされていた。

 腹筋なんて何のガードにもならない。息が詰まり、呼吸が苦しくなり、目眩がする。一瞬にして、俺は全く身動きが取れなくなってしまった。

 

『人が動かすと、スペックが同じでもずいぶんと違うんですよ。まぁ、仮にこの場にいたのが自律機動型だったとしても、龍太君が逃げ切れたとは思えませんが』

 

 うずくまって動けずにいる俺に、「解放の先導者」の機銃が突き付けられる。……あぁ、そうかよ。それがある以上、逃げられないってわけかい。

 

「く……そっ……!」

『君は本当によく頑張ったよ。ここまで食い下がれるなんて、本当に大したものだ。僕と関わったことなんて忘れて、その知恵を活かした将来を掴むといい』

 

 そんな勝手なことを抜かしながら、古我知さんの操縦する「解放の先導者」は俺を連れ去ろうとする。身じろぎもできない俺をひょいと抱え上げる様は、昨日救芽井がさらわれかけた場面を連想させた。

 

 ――ちくしょう! 矢村を守りたくって、なけなしの脳みそ回転させたってのに、なんてザマだ!

 こんな時、こんな時こそ、あの娘が……!

 

「私が、付いている限り」

 

 そんな俺の願望が、もしかしたら――

 

「そんな結末は有り得ませんよ。剣一さん」

 

 彼女を――「救済の先駆者」を、救芽井樋稟を、呼んだのかも知れない。

 

 気がつけば、俺の眼前には「解放の先導者」……と思しき残骸が、無残な姿で転がっていた。

 



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第15話 厄介事にお一人様追加

 万事休すってところを救ってくれたのは、「救済の先駆者」に着鎧した救芽井だった。

 

 彼女は自宅のコンピュータで「解放の先導者」の出現を感知して、真っ先に駆け付けてくれたのだそうだ。矢村を狙おうとしていた他の連中も、ちゃちゃっと片付けてしまったらしい。さすが松霧町のスーパーヒロイン……。

 

 爆発寸前、古我知さんが『敵は「開放の先導者」だけじゃないんだよ』なんてブツブツ言ってたが、まぁ俺には意味わかんないし、今はどうだっていいだろう。

 その後、勝手に自爆して痕跡を消してしまった「解放の先導者」の末路を見届けて、俺達は一旦帰路についた。

 

 そして、あまりにもハードで緊迫感溢れる夜を過ごしたせいか、俺は自宅に帰った途端に死んだように爆睡してしまった。

 一方、救芽井は俺に「これに懲りたら、明日からちゃんと訓練すること!」とお説教した後、ササッと自分ちに引き上げてしまった。ゴロマルさんいわく、「好きな魔法少女アニメを見てる最中だった」らしい。

 

 ◇

 

 そんなこんなで一夜が明け、十二月二十四日――クリスマスイブがやってきた。

 

 俺は何事もなかったかのように(実際何事もなかったらしいが)就活に出掛けた兄貴を見送ると、玄関を出て朝日を浴びる。

 

「んーっ……今日はクリスマスイブかぁ。ま、俺には関係ないけどね」

 

 ――あぁそうだとも。クリスマスなんて俺には関係ない。意味不明なトラブルにぶち込まれた挙げ句、女の子にド変態扱いの俺には、クリスマスなんざ関係ねーんだよッ!

 あーもう、やめやめ! クリスマスのことなんて、もう考えねーぞ! クリスマスなんて存在しないんだ! 存在を認めたら負けなんだッ!

 

「……やれやれ。ただでさえ彼女もいないってぇのによ。今年は人生最凶のクリスマスになりそうだ」

 

「それは悪かったわね。変態君」

 

 ――おや。お隣りさんからのきっついお咎めだ……。

 いつの間にか俺と同じように、玄関から外に出ていた救芽井が、冷ややかな視線を送って来る。うわぁ、下手したら何かに目覚めちまいそう……。ま、緑のコート姿が可愛いからいいや。

 

「おう。夕べは助かったぜ、ありがとな」

「べ、別にあなたのためじゃないわよ。あの矢村って娘がピンチだったみたいだから、『ついで』で助けてあげただけよ。『ついで』で!」

 

 彼女は俺の言葉に頬を染めながら、ぷくーっと頬を膨らませる。照れ臭いのかな?

 ……にしても、「ついで」をそこまで強調しなくたっていいじゃない。「大事なことなので二回言いました」ってか?

 

「それにしたって、お前が助けてくれなかったら俺も矢村もおしまいだったさ。礼ぐらいは素直に言わせてくれよ」

 

 ちょっと苦笑い気味に、俺は感謝の念を伝える。照れさせちゃうんだろうけど、やっぱりお礼はちゃんと言わなきゃ俺の気が済まない。

 

「――ッ! だ、だからいいってば! そんなの……」

 

 彼女はますます顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。

 

 ……ん? 待てよ。俺、なんか忘れてるような……。

 えーと、夕べのことで確か矢村に――

 

 ――あ。

 

「龍太ぁぁぁぁ〜〜ッ!」

 

 噂をすればなんとやら。……いや、噂はしてないけど。

 

 ……そう、俺が忘れていたこと。それは、矢村に無事だという連絡をしておくことだった。

 夕べはあのドタバタでくたびれたせいで、それをしておく暇もなく眠ってしまったわけで。おかげで風呂にも入れてない……。

 

 あんなことがあったのに、連絡の一つも入れずに放置していた結果がこれだよ! 俺は涙を目に溜めた矢村の突進を受け、後頭部からアスファルトにダーイブ! ごふぁ!

 

「龍太、龍太! 怪我しとらん!? どっか痛ない!? 大丈夫なん!? 警察に電話しちゃいかんとか言い出すし、連絡も寄越さんし、ホント何かあったらどうしようって……!」

「いや……あの……矢村さん。今しがた死にそうでございまする……」

 アスファルトが雪に覆われていなければ……即死だったッ……!

「た、大変やぁぁーッ! 救急車、救急車! 110番やーッ!」

「それ警察……ぐふっ」

 

 俺の上に馬乗りになったまま、パジャマの上にジャンパーを羽織った格好の矢村が、一人でパニクっている。そんなナリでここまで来る辺り、よっぽど心配してくれてたみたいだな。ぐすっ、いい奴だホントに……。

 

「ちょっと、矢村さん! これから変態君には大事な訓練があるんだから、迂闊に怪我させるような真似しないで!」

「……! 出たな! 訓練だか何だか知らんけど、龍太は受験生なんよ! 勉強が大事に決まっとるやろ!」

 

 気がつけば、俺に「訓練」をさせようとする救芽井と、「勉強」をさせようとする矢村の対立構図が出来上がっている。どっちに転んでもしんどいのは一緒なんですけど……。

 

「だいたい、夕べのアレはなんなん!? 龍太、説明せんかい!」

「いや、それはその……」

「あなたには関係のないことよ! さぁ変態君、家に来なさい! 昨日の分までみっちりしごいてあげるから!」

 

 救芽井は問答無用といわんばかりに、矢村への返答に困っていた俺の腕をむんずと掴み上げ、強制連行しようとする。

 

「――関係ないことないやろ! ようわからんけど、龍太が危険な目に遭っとるんやとしたら、アタシにも関係あるッ!」

 

 ……その時、矢村は無理にでも我を通そうとする救芽井に釘を刺すように、声を張り上げた。俺はもちろん、救芽井も少なからずたじろいでいる。

 

「な、なによ……!」

「確かにアタシは、何の事情も知らんけど――やけど、龍太があんなに必死になっとるの、初めて見たし……見てて、辛そうやったし……放っとけんのやもんッ……!」

 

 ウルウルと涙目になりながら、彼女は必死に食い下がろうとしている。俺のことを心配して――くれてるのか?

 

「……救芽井。矢村が無関係じゃないってのは、本当だ。夕べの一件で、彼女が古我知さんの狙いに入れられたのは間違いないと思うから」

 

 そんな矢村が見ていられなかったからか、俺は気がつくと彼女を擁護していた。――そう、俺が一緒にいたせいで、矢村までもが「技術の解放を望む者達」にマークされちまったわけだ。本当に、面目ない……。

 

「……わかったわよ! こうなったら、二人まとめて面倒見るわ! その代わり、今日は訓練を重視するからね――って」

 

「龍太! 何があっても、あんたはアタシが守ってやるけんな!」

「ちょ、そんなにくっつくな! 昨日風呂入ってないし、汚いぞ!」

「そ、そうなんや……龍太の臭い……」

 

「……私の話、ちゃんと聞きなさぁぁぁいッ!」

 

 そして、しぶしぶ折れた(?)救芽井の怒号が、住宅街にビリビリと響き渡った。

 近所迷惑のオンパレードでござる……。

 



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第16話 午前は訓練、午後は勉強。……休みは?

 さて、朝っぱらから救芽井家の地下で戦闘訓練に引っ張り出された俺ですが。

 

「なにやってるの! 次、右が来るわよ! 左からも蹴りが来るからね!」

「ちょちょ、そんな一遍に……! あふん!」

 

 ……絶賛フルボッコです。

 つーか、「解放の先導者」って無人ロボットの癖して多機能過ぎんだろ。体中に武器仕込んでる上に、格闘までこなしおる。

 距離を取れば機銃で蜂の巣。間合いを詰めたら爪を出して殴り掛かって来る。これはね、うん、無理ゲーって言うもんなんだよ。

 

 「解放の先導者」の自律行動を管理しているという機械がある、ガラス張りの部屋からは救芽井の怒号が引っ切りなしに響いて来る。三十メートル四方の薄暗いアリーナにいる俺達を、安全地帯からガン見していらっしゃるわけだ。

 

 そんな彼女の隣では、黄色いトレンチコートに着替えてきた矢村が、非常識極まりない光景に目を回していた。

 

「まぁ、あれが当然の反応だよな――って、おわぁッ!?」

 

 よそ見してたら「解放の先導者」の爪が飛んできた! 怖ッ!

 

「ぐぁうっ!」

 

 爪を屈んでかわしたと思ったら、今度は顔面をサッカーボールのごとく蹴り飛ばされてしまう。もりさ――いちれんじくんふっとばされた!

 

 そのまま床にたたき付けられ、ゴロゴロと転がる俺の体。タイガーショットを決められた気分だぜ……。

 

「いってて……」

「――! いけない! 早く距離を詰めなさい!」

「な、なにィ!?」

 

 救芽井の指示に、俯せていた俺は慌てて跳ね起きる。

 

 すると――まぁ大変。体中から生えてるガトリングの筒が、全部俺に狙いをつけているじゃありませんか。

 すごく……多いです。アーッ!

 

 ◇

 

 ……あれから、どうしたんだろう。

 気がつけば俺は横向けに倒れていて、辺りには埃が舞っている。「解放の先導者」は既に機能が止まっていて、動き出す気配はない。

 それでいて、俺は着鎧が解かれている……ってことは、負けちまったんだな……俺。

 

 少しだけ首を持ち上げて、観戦していた救芽井と矢村の方に目を向ける。二人共、心配そうな顔で俺をみていた。

 ああ、やっぱり後で負けたこと、怒られるんだろうなぁ……。それだったら、せめてもう少し気絶した振りして休憩を――

 

「ヤムチャさーん!」

「誰がヤムチャだ! ――あ」

 

 し、しまった! 矢村の予想外のボケに思わずノリツッコミを……!

 

「ふぅん、まだそんな元気が残ってたのね。じゃあ、第二ラウンド行くわよ。早く着鎧しなさい」

 

 次いで、救芽井の非情な宣告……! や、やばい! すでに「解放の先導者」動き出してるしぃぃッ!

 

「さぁ、実戦には休みなんてないのよ! 第二ラウンド開始ッ!」

「――ぷぎゃああああああッ!」

 

 ◇

 

 結局、午前の間だけで五回戦まで訓練は続き、俺は一勝も出来ずに終わってしまった……。せいぜい避けるのがやっとで、攻撃を仕掛けられる所までには至らなかったわけだ。

 

 そんな数時間ぶっ続けの訓練で、心身共にボロ雑巾と成り果てた俺は、今度はどういうわけか、白くて丸い形の棺桶みたいな機械に放り込まれていた。

 

「棺桶じゃないわ。救芽井家が開発した、最新鋭のメディックシステムよ」

 

 俺の感想を見抜いた救芽井が、口を尖らせる。もうこいつ、エスパーって認識でいいんじゃないかな。

 しかし、地下室にはこんなものまであったのか……。妙な機械があったもんだ。

 この機械、傷や疲労もすぐに取り去ってしまうスグレモノらしい。五分くらい入っていただけで、擦り傷も疲れも消え失せてしまっていた。

 

「いつ『技術の解放を望む者達』との戦いで、樋稟が酷い傷を負うともわからんからの。備えあれば憂いなし、ということじゃ。電力消費量が洒落にならんのが難点じゃがの」

「洒落にならないって、どのくらい?」

「今使用した分は、海外の研究所からの送電じゃが……五十万ドル相当の電気代が飛んだのう」

「サ……サーセン……」

 

 何気にしれっとゴロマルさんまで地下室に来てるし……。おいどうすんだよ。いきなりミニマムサイズのじーさんが出て来て、矢村が固まってんぞ。

 

「あ、えーと」

「フムフム、龍太君の奥さんの賀織ちゃんで間違いなかったかの? わしは樋稟の祖父、救芽井稟吾郎丸じゃ。旦那様には、随分とお世話になってのぅ」

「ゴロマルさァァァんッ!?」

 

 なに捏造してんだじーさんコラボケッ! 救芽井も顔真っ赤にして何か不服そうな顔してるし! これ以上ややこしい状況作ってんじゃぬぇー!

 

「――い、いえ! こちらこそ、いつも夫がお世話になっとって……」

 

 お前も乗らなくていいから矢村ァァァッ!

 

「そ、そうや! アタシらまだ入籍しとらんかったし! 早く婚姻届出さなな〜!」

 

 いつまで引っ張んの!? ねぇ、このネタいつまで引っ張んの!?

 

「あなた達、いつまでふざけてるのよ!」

 

 おお! やっと救芽井がその名の通り、救いの手を――

 

「疲労回復したんだから、すぐに訓練再開するわよ! 今日は寝かさないんだから!」

 

 ――救いじゃねェェェッ! 完全に名前負けしてるよ救芽井さん! 俺を救うどころかとどめ刺しに行ってるよ!

 

「なにを言っとんや! 龍太は午前中ずっと訓練ばかりでクタクタなんやけん、午後は勉強に決まっとるやろ!」

「そのクタクタはたった今解決したでしょう!? あなたこそ無茶を言わないで! 今の状況は、訓練で地下室に行く途中で説明したでしょ!? 今は受験勉強なんかに時間を割いてるヒマはないの! あなたも変態君も、そんな場合じゃないっていうのがわからないの!?」

「確かにそうかもしれん! そうかもしれんけど――やからって、こんなん龍太が可哀相や! それに……こんなんばっかりになってしまったら、アタシらがアタシらじゃなくなっていくみたいで、怖いんや……」

 

 ……おお、なんか対立が深刻になってないか? なまじ両方とも正論だから、なんとも言いづらい。

 ――二人共、今後のことについて真剣に考えてくれてんだよな。ありがたいけど、俺にはもったいない気遣いだ。

 

「樋稟や。今日のところは賀織ちゃんの言い分を聞いてやればどうじゃ」

「お、おじいちゃん!?」

 

 そこへ口を挟んできたのは、なんとゴロマルさん。どうやら、矢村の気持ちを汲んであげてるみたいだ。

 

「メディックシステムは怪我や体の疲れは取り除けても、精神的な疲弊までは治療できん。メンタルヘルスの面で見ても、休息は立派な訓練の一つなんじゃよ」

「で、でもっ……」

「それに、今朝の訓練で彼は随分と腕を上げておったではないか。たった二日の訓練で、『解放の先導者』の猛攻をかわせるようになったんじゃから。お前がそれくらいのレベルまでこぎつけるには、一週間は要しただろう?」

「〜〜ッ!」

 

 ゴロマルさんの追及に、救芽井はぐぅの音も出ない、という表情になる。まぁ、男と女じゃ運動能力の差異ってのはあるのかもな。それでも今の時点じゃブッチギリで俺の完敗なんだけどね。

 

「どうじゃ? お姫様になりたいんじゃったら――もっと器量を持たなくてはのぅ?」

「も、もぉぉぉッ! わかったわよ! 今日はおじいちゃんに免じて、好きにさせてあげる! だけど、明日のしごきは今朝みたいに優しくしてあげないんだからねッ!」

「ホ、ホントなんっ!? やったぁぁぁ! ありがとぉ救芽井ッ! やった、やったで龍太っ!」

「か、勘違いしちゃダメよ! あくまで『休息』として、なんだからね! 調子に乗ってデートとかに連れ出したら承知しないわよ!」

「それでもええ! なんでもええ! 龍太のために時間取れるんやったら、なんでもええよ! きゃはーッ!」

 

 ようやく折れた救芽井の返答に、矢村は両手をブンブン振りながら大歓喜。俺の背中をバシバシ叩きながら、地上まで飛び出して行きそうな程のハイテンションになっている。

 俺の受験勉強の時間を確保できたってだけで、我が事のようにここまで喜ぶなんて……ちょっとビックリだ。

 

 ――こりゃあ、もっと勉強頑張らないと矢村に申し訳が立たないなぁ〜……。嬉しいやら、悲しいやら。

 



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第17話 船出から座礁

 午前中たっぷりと救芽井にしごかれたかと思えば、今度は受験勉強かぁ……。

 こんなゴタゴタさえなけりゃ、しんどいにしたって受験の方だけで済んだんだろうに、全く間が悪い時に巻き込んでくれたもんだ。

 

 そんな愚痴をこぼす暇もなく、俺は自宅に二人を招いて勉強会に興じることに。

 今回はどういうわけか救芽井もついてくるらしく、二人掛かりのフルボッコが容易に予想される。こいつら……俺を心身共に滅殺する気満々か!?

 そのわけを問いはしたが、「間違いを犯さないように見張るため」の一点張りで、それがどういう間違いなのかまでは教えてくれないままだった。解せぬ。

 

 さて……そういうわけで俺は自室にて、二人の美少女に「修羅場の受験勉強」を見てもらうという、「嬉しいようで冷静に鑑みるとそうでもない」シチュエーションに直面することになったわけだ。

 

「よぉし、んじゃあ勉強しやすいようにテーブル動かさんとな。ちょっと、テーブルかいてや」

「おう。救芽井、手伝ってくれ」

「え!? う、うん……」

 

 まず勉強しやすいように、壁に立て掛けられてるテーブルを運ぶ作業から入る。俺は矢村の指示通り、救芽井と二人でテーブルに向かう――のだが。

 

 ――ガリガリガリッ!

 

「ぐ、ぐわあああッ!?」

 

 突如、救芽井が何を血迷ったのか机を思い切り引っ掻き出した! 何考えてんだコイツ! み、耳が痛い! 鼓膜が、鼓膜が吹き飛ぶぅぅぅッ!

 

「え、ええ!? どうしたの!?」

「あんたがどうしたんだっつーの! 矢村の何を聞いてたんだよ!?」

「だから言う通りにしてるじゃない! ……そっか、まだ力が全然足りてないのね。よぉーし!」

 

 ――おい、ちょっと待て。なんか勘違いしてないかこの娘? 変にエスカレートする前に止めなきゃ――

 

 ――ギャリギャリギャリッ!

 

「ひぎゃあああッ!」

「だからなんなのよ、もうッ!」

「こっちが聞きたいわッ! なんで無心にテーブルをガリガリ引っ掻いてんだよ! 俺を勉強開始前から精神的に抹殺する気か!?」

「だ、だって矢村さんが『テーブルかいて』って……!」

 

 やっぱり勘違いしてるぅー! んなわけねーだろうがッ!

 

「あのな、矢村が言ってる『かいて』ってのは、『運んで』って意味なんだよ!」

「……え? なにそれ」

「そういう方言なの! 矢村の地元の!」

 

 俺の指摘にポカンとしていた救芽井は、やがて自分の勘違いに気づき、そして――

 

「さ、先に言ってよぉぉぉーッ!」

 

 ――恥ずかしさから真っ赤に染まった顔を隠すかのように、真横に拳を突き出し……テーブルを粉砕してしまった。

 勘違いで散々引っ掻き回された挙げ句、八つ当たりで破壊されてしまった悲劇の木造建築の破片が、音を建てて崩壊・離散していく……。

 

 ――船出から座礁ってレベルじゃねぇ。これはもはや、怪獣の域だぞ。こんなんでまともな受験勉強なんて出来るわけがない。

 ついでに言うと、俺の身が持つわけがない。

 

「……アンタら、さっきから何しとんの?」

 

 ――矢村のツッコミが、耳まで届くはずもない……。

 

 ◇

 

 結局、俺達は場所を移して居間で勉強会を開くことに。救芽井にテーブルを壊されたため、自室で三人揃って勉強するのは困難だからだ。

 つーか壊れたテーブル、どうしてくれんだよ全くもぅ……。正義の鉄拳で破壊するのは悪の野望で十分だろうがッ!

 

「コラッ! ボーッとしない! そんなんじゃいつまで経っても終わらないわよ!」

 

 そんな俺の苦悩をガン無視して、救芽井が叱咤してくる。いや、完全にあんたの所業に苦しめられてんですど。俺、今は百パーセント被害者のはずなんですけど。

 しかも、頭抱えてる俺の反応見て、二人そろって「もう、ダメなコねぇ」みたいな顔でクスクス笑いあってんですけど。学校でのイジメなんてメじゃないレヴェルなんですけどォーッ!?

 

「あーもう、それにしても変な回答ばっかり! あなた、本当に真面目にやってるの?」

「大真面目だっての! 矢村が、『わからないなりに考えて、とにかく空欄を埋めていくのが大事』って言うから、俺なりに必死に考えた結果がこれだよ!」

「……矢村さんにそれを言われる前は、空欄ってどれくらいだったのよ?」

「全体の七割くらい」

 

 それを聞いた途端、救芽井は思い切りため息をついた。黙ってその隣で勉強の推移を見守っている矢村までもが。それはもう、露骨なまでに。

 

「なんだよッ!?」

「あなた、よくそれで『受験』をやろうなんて言い出せたものね。世間に喧嘩売ってるのかしら?」

 

 なかなか手厳しいことを言う。今まで三割くらいまでしか回答できなかったようなテストが、矢村のアドバイス一つのおかげで、九割以上まで埋められるようになったってのに! 合ってるかどうかはこの際別にして!

 

「言い出したアタシが言うんも難やけど、これはこれで龍太が何をわかってないかがわかりづらくなってしまうかも知れんけん、ためにならんかもなぁ」

「な、なんとぉー!?」

「例えばこれ。『しかと』を使って単文を作りなさいって言う国語の問題やけど」

 

 おお、これは今時風な言葉で、実に簡単そうな問題だったじゃないか。採点したらなぜか間違いだったけど。

 

「『しかと承りました』とかっていうような意味で使うもんやのに『しかと決め込みました』って……あんたのことやから、これ絶対『無視する』ってニュアンスの『シカト』で解釈しとるやろ」

「え、違うの?」

「――合っとるって思っとるようなあんたの頭から、治していかないかんような気さえしてきたんやけど……」

 

 ちょ、なんで拳振り上げんの? なんで俺殴られそうな雰囲気なの? なんで救芽井は助けてくれないの!? なんでウンウンとか頷いてんの!? そしてなんで俺が殴られるのが当然、みたいな空気になってんのッ!?

 

 もうダメだ、おしまいだっ……! なんか知らないけど、殴られるっ……!

 そう覚悟することを強いられそうになっていた俺だが――この空気を変える、奇跡が起きた。

 

 ――俺のケータイに電話が掛かって来たのだ。就活に出掛けていた、兄貴から。

 



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第18話 俺がボコられるのは兄貴の仕業

「おっ……! 兄貴からだ」

 

 まさかの救世主! さすがにケータイに鳴り出されると矢村も手を出しづらいようで、しぶしぶ振り上げていた拳を下ろした。

 あ、あぶねぇー。もうちょっとで強烈な鉄拳が、俺の脳髄にスパーキングするところだった。

 俺がシバかれる流れを断ち切ってくれたことには、兄貴には感謝せざるを得まい。もう足を向けて寝られないな。

 

 さて、せっかく助け舟を出してくれたんだから、早く出てやらないとな。俺はピピピとうるさく鳴るケータイを開き、通話のボタンを押――

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

 ――すってところで、救芽井がいきなり叫び出した!?

 

「おわぁい!?」

 

 思わずすっころび、後頭部を床にスパーキィング! お、俺のなけなしの脳細胞がァァァァッ!

 

「ってて……なんだってんだよ!?」

「変態君のお兄さんと言えば――夕べ、剣一さんと一緒にいたそうね」

「あ、ああ。別に何かされたわけじゃなさそうだったけど」

 

 救芽井は顎に手を当て、しばらく考え込むようなそぶりを見せる。

 

「そうね……だけど、あなたのお兄さんから彼の思惑に近づける可能性もあるわ。剣一さんのことについて、それとなく聞き出してくれないかしら?」

 

 ――また難しい注文をしてくれるなぁ。まぁ確かに、古我知さんと兄貴の間にどんなやり取りがあったかは気になるところだし……。

 

「それから、私にも話がわかるように、スピーカーホンにしておいて。私がここにいるっていうことも、向こうには伝わらないようにね」

「へいへい」

 

 どうやら、救芽井はこれを機に古我知さんの情報を本格的に仕入れるつもりらしい。目の色が完全に「救済の先駆者」としてのお仕事モードに入ってる。

 救芽井は矢村に目配せして、兄貴に存在を悟られないよう、静かにするよう促している。その気迫に圧倒されてか、矢村はやや怯んだ表情でコクコクと頷いていた。

 

 さて、それじゃ言われた通りにスピーカーホンに設定して……と。んじゃ、電話に出るとするか。

 

「ほい、もしもし?」

『おう、龍太かぁ!? 聞いてくれよぉ、今日の説明会でハキハキ質問してアピール大作戦が成功しちゃってさぁ! 企業の人とお知り合いになっちゃったんだぴょーん! こりゃあ就活も一歩リード確実って感じィ!? 今日は春が来ない兄弟同士、パーッと騒いじゃおぉぜぇ!』

 

 ……う、うぜぇ。つか、「春が来ない」は余計だコラ。兄貴は自分も「春が来ない」とか言ってるが、それは幻想だ。正しくは、本人がそれほどまでに恵まれてることに気づいてないだけだ。

 どうやら就活が好調だという旨の報告らしいけど、こんなアホなテンションの兄貴はなかなか見られないな。よほど今までの就活が散々だったと見える……。

 

「ぷっ、くくっ……!」

『んぉ? 誰かいるのか?』

 

 ま、まずい! 矢村が兄貴のテンションに噴き出してる! 救芽井が慌てて口を塞いでるけど、もう向こうに漏れちまったみたいだ!

 そんな中、救芽井は「なんとかごまかして!」といいたげな視線を送って来る。ごまかせったって……ああもぅ、この際なんでもいいっ!

 

「い、いやぁー、ついオナラがプッとね」

 

 ……我ながら最低のごまかし方キター! とっさのこととは言え、女の子の声をオナラ呼ばわりって!

 なんか矢村がシュンとしてるし、救芽井はジト目で睨んで来るし……や、やってもたー!

 

『おいおい、イモの食い過ぎかぁ? 頼むから俺が帰る前に、家ん中をメタンガス収容所にしないでくれよ』

「頑張ってもできるわけねーだろ! ……そーいえば、昨日古我知さんって人が来てたよなぁ〜」

 

 これ以上余計なアドリブを強いられる前に、話を進めなくては! 俺は古我知さんの話をさせるべく、彼の話題を振ることに。

 

『あぁ、実はあの人も就活してる最中らしくってなぁ。昨日はいろいろとコツを教えてもらってたんだ! いやぁ、おかげで今日は快勝だったぜ!』

「そ、そーなんだ……」

『なんでもあの人、最近はこの辺に短期滞在してるらしいぜ。確か、商店街のはずれにある廃工場の辺りに住んでるんだってよ』

「……廃工場? あんなヘンピなところにか?」

 

 兄貴の言う通り、商店街のはずれには錆び付いて使われなくなった工場がある。ちなみに実際に行ったことはないんだけど、そこから先には採石場があるらしい。

 

『あぁ。なんでも、人通りが少なくて静かな場所が好きなんだってよ。変わった人だったな〜』

「た、確かに変わってるなー、はははー……」

 

 ――まさか、いきなりこんな話が聞けるとはな。廃工場に住んでる悪の親玉……か。月並みだなぁ。

 

 兄貴と話を合わせつつ、チラリと救芽井の様子を伺う。有力な情報を得たと言わんばかりに、食い入るような表情でこっちをガン見していた。こ、こえぇ……。

 

『ところで、今は一人で勉強中だったか? 悪いなぁ、邪魔しちまってさ』

「い、いや、別にいいさ。気分転換にもなったし」

『そうか? ――へへ、そりゃあよかった。なにせ親父もオカンも遠出しちまってるしなぁ。俺が保護者ヅラできるよう、しっかりしなきゃならんからな』

「……心配いらねーよ。兄貴はちゃんと、俺の面倒見れてるから」

 

 全く、この兄貴にはいろいろと悩まされる。こういう無駄に弟思いなところが、コイツのリア充たる所以なんだろーなぁ。俺には真似できそうにないわぁ……。

 ――む、なんか矢村が救芽井に口塞がれたままウルウルしてる。変なやり取りをしたつもりはなかったんだけどな……。

 

『そうかー! いやぁ、よかったよかった! お前が小学校の時に好きな女の子に振られた時、慰めにとその娘の萌えイラストを描いてやっても、あんまり喜んでもらえなかったこととかあったし、その辺が心配だったんだよぉー』

「ブフッ!」

 

 噴いた。今度は救芽井が。

 そして、全俺が泣いた。こんなもん、プライバシーの侵害に他ならねェェェッ!

 

「ちょっ……やめろよこんな時にそんな話ッ!」

『んあ? 別にいーじゃん。お前一人しかいないんならさ』

「ぐ……!」

 

 た、確かにそうだ。今の俺は一人で勉強しているという「設定」がある。今は堪えるしか……!

 

『しかしさっきのオナラはでけぇな。お前朝メシに何個イモ食ったんだよ? 今なら台所で火ぃ付けた途端に引火して、一煉寺家が消し炭になりそうだな』

「なるわけねーだろ! 俺の調理実習じゃねーんだから!」

「ぷ、ぷははははッ! も、もう限界ッ……!」

 

 ――って、とうとう矢村が大笑いィ!?

 どうやら救芽井が噴き出したはずみで、口塞ぎから解放された彼女のリミッターが外れてしまったらしい。当初の制約をガン無視して、大声で笑い出してしまった。

 俺は去年、調理実習でボヤ騒ぎを起こしてしまって矢村からバカ笑いされたことがあるんだが……多分、それを思い出してのことだろう。

 ま、まずいぞ……さすがに今の笑い声はごまかしようがッ!

 

『――お、おい、龍太!?』

「あ、い、いや、これはだな……」

『お前……いつからケツで喋れるようになったんだ!?』

 

 ――はい?

 

「あ、兄貴? ご乱心めされたか?」

『だってそうだろう! 家にはお前一人しかおらず、プププとオナラが続く中で笑い声が出て来た! これをケツが喋り出したと考えずに何を考えろって言うんだッ!』

 

 ――他に誰かいるって考えろやァッ! なんだケツが喋り出すって! どんだけ弟の言うこと信じ切ってんだよ!

 

「……いい加減にしなさいよね変態君。女の子の美声をオナラだのケツの声だの……!」

 

 って、とうとう救芽井までもが普通に喋り出したァー!? あんたが「黙ってろ」なんて言うからこんなことになったんだろーがぃッ!?

 

『おい、なんかケツ声がキレてるぞ! お前一体どんな災いをもたらしたんだ!』

 

 ケツ声ってなんだケツ声って! つーか災いをもたらしてんのは天地神明に誓ってテメーだろうがッ!

 

「……いい加減にしなさいって……言ってるでしょおォォォがァァァァァッ!」

 

 ――つ、ついに救芽井の堪忍袋がプッチンプリンッ! プロレスの反則技の如く、椅子を持ち上げて襲い掛かってきたッ!

 

「さ、三十六計逃げるにしかずッ!」

 

 もちろん、黙って殴られる俺ではない。無双状態の救芽井から逃れるように居間を脱出し、自室へとエスケープ!

 バキャアと椅子が砕ける音を背に、俺は緊急回避に成功した!

 

『う、うわぁ! なんだ今の音!? ケツ神様の祟りじゃあ〜ッ!』

「だからなんだその卑猥な神様ッ! ――はッ!」

 

「――逃げられるとでも、思ってるのかしら」

 

 し、しまった……!

 兄貴へのツッコミに気を取られる余り、救芽井の接近を許し――!

 

「乙女の敵は、万死に値するわ――覚悟なさい」

 

 ……これってさぁ、結局俺が悪かったの? え? どうせ死ぬから意味ない?

 

 ですよねー。

 



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第19話 二股デート、最低の響きだね!

「な〜んだぁ……かわいい女の子がお邪魔してただけだったの。心配して損したぜ」

 

 あの後、大慌てで帰宅してきた兄貴が目にしたのは、ケツ神様の裁きを受けた異教徒の骸――ようするにボコられた俺だった。その上に仁王立ちしていた救芽井の姿を目の当たりにした時、ようやく諸悪の根源は状況を把握出来たのだと言う。

 半殺害現場に駆け付けた矢村の介抱によって、九死に一生を得た俺は救芽井に正座を強要されていた。その周囲を、彼女を含む三人に固められている。

 

「まさかあのケツ神様の正体が、こんな超絶美少女二人組だったとはねぇ。道理でおかしいと思った」

「……おかしいのはテメーの全てだからな?」

「悪かった悪かった。さっきは損したと言ったが、前言撤回。これほどのかわいこちゃんにお近づきになれたんだから、むしろ役得だよ。彼氏の兄として」

「かかか、彼氏って! ふざけないでくださいよ変態君のお兄さん!」

 

 顔を真っ赤にして兄貴に食ってかかる救芽井。そんなことしたって、火に油を注ごうとするだけだぞ、そいつは……。

 

「あーなるほど! 君ってアレか! 俗に言う『ツンデレ』ってヤツだろう! 素直になれなくて『勘違いしないでよねっ!』が口癖の!」

「な、な……!」

「はぁ!? 救芽井って『ツンデレ』なん!? ――つんでれって何や?」

 

 別にそのフレーズは口癖じゃないと思うけどな……まぁ、定番ではあるけど。そういや、前に救芽井がそれっぽい口調で話してたことがあったなぁ。

 ――そうか。もしかしたら……。

 

「なぁ救芽井。お前ってもしかしてツンデレ――」

「ち、違うわよ! あなたのことは、その、あの夜のアレのせいでつい意識しちゃうっていうか、やっぱ男の子なんだなっていうか……!」

 

「――が出るアニメとか見るの?」

 

 ……あるぇー? 素朴な疑問を出した途端に場の空気が凍り付いたよ?

 なんか救芽井と兄貴がシラけた顔になってるし。ツンデレの意味も理解してない矢村と俺は、しばらくキョトンとしていた。

 

「……なにそれ?」

「いや、だってお前魔法少女のアニメとか見るんだろう? ツンデレキャラの一人くらいは出てんじゃないの?」

「あんな理不尽な暴力振るってばっかのキャラが魔法少女のアニメにいるわけないじゃない! 女の子の夢を汚さないでくれる!?」

 

 理不尽な暴力って――完全にお前じゃねーか。お前は女の子の夢を見る前に女の子らしい振る舞いを心掛けろよ。

 ――などと口走れば飛んで来る物体が椅子じゃ済まなくなるので、おとなしく聞き手に回っておこう。戦場で生き延びることこそ最上の任務なのだから。

 

「まーまーケンカしない! 昨日のぺったん子もいることだし、三人で二股デートにでも行ってきたらどうだ?」

「サラっと最低なこと言い出しやがった! あんた弟をなんだと思ってやがる!?」

「え? うーん……凌辱ゲーの悪役キャラ?」

「予想の斜め下を行く評価だなオイッ!」

 

 この兄貴はマジで一発殴った方が、俺の将来のタメになるのかも知れない。っつーか、逆に殴らないと俺の人生が社会的な終末を迎えさせられる気がする。

 

「大丈夫だって。お前なら二人とも攻略して篭絡できるだろ」

「扱いが既に人間じゃねーんだけど!? エロゲーキャラ扱いなんですけど!」

「お前に真っ当な人間の血なんて流れてたのか?」

「テメーと同じ血だよッ!」

 

 ……い、いかん。これ以上この場に留まってたら、コイツのセクハラトークから抜け出せなくなる! 冷ややかな目でやり取りを傍観してる二人に、凌辱系悪役キャラのレッテルを貼られてしまうぅぅぅ!

 

「あーもー! こうなったらどっか出掛けるぞ! 気分転換だ気分転換ッ!」

 

 俺は家を出ることで、この流れを断ち切ることにする。――兄貴が言った通りの二股デートの図になってしまうかもだが、この際つべこべ言ってられない。

 

 ……それに、俺を気遣ってか、顔にこそ出さないけど、今回の事件絡みで矢村も相当不安なはずだ。

 俺だって、ぶっちゃけると死ぬほど今の状況が怖くて、勉強どころの騒ぎじゃないし。

 

 俺にできることなんてたかが知れてるけど……それでも、この胸糞悪い非日常の連続を、少しでも和らげられるなら。

 

「さっ……さんせーい! アタシもちょっと疲れてきたし、外の空気吸わないかんなぁ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! そんなことでいいの!? 勉強する時間を取ったからにはみっちりやらないと――」

 

 両者で全く違う反応を見せる二人。こうして見ると、救芽井がいかに真面目な娘か浮き彫りになるな……。

 

「悪いな、ワガママばっかりでさ。こんな調子だけど、それでも休み時間は欲しくなっちゃう性分なんだよ」

 

 救芽井にはわざわざ付き合ってもらってるんだから、本来はこういう風に振り回すべきではないことは百も承知だったのだが、さすがに家でジッとしていたら兄貴に何を言い出されるかわかったもんじゃない。

 

「――全くもう、しょうがないんだから」

 

 そんな呟きと共に、彼女は着ていた緑のコートから何か本のようなものを取り出したかと思うと、それをサッと居間のテーブルに置いて家の外へと飛び出してしまった。

 

「お、おい!?」

「出掛けるんでしょ? 早く支度しないと、承知しないわよ!」

 

 腰に手を当て、彼女は叱るような口調で――お出かけを承諾してくれた。おおぉ、お堅い割には結構話がわかる娘だったんだな……いやはや。

 

「救芽井も行くん? ――別にええけど、龍太は渡さんで?」

「は、はあ!? 何で私が変態君と手とか繋いだり腕とか絡めたり寒い冬の中で暖め合ったりしなきゃならないのよ!?」

「アタシそこまで言っとらんのやけど……」

「はうッ!?」

 

 ――それにしても、ホントに俺が絡んだら何かとあわてふためくんだよなぁ。こんな調子で大丈夫か?

 大丈夫だ、問題ない……よね?

 

「――問題ないだろ。お前は無駄に根性だけは、あるんだからさ」

 

 まるで心を読んだかのような兄貴のセリフが聞こえたかと思えば、俺は矢村に手を引かれて家を飛び出していた。

 



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第20話 変換ミスには気をつけよう

 ……さぁ〜て、勢いで自宅から飛び出してしまった俺達なわけですが。

 

「あそこの喫茶店、かなり綺麗ねぇ。それにお客もたくさん来てるみたいだし……最近建てられたのかしら?」

「そうよ。ここの商店街で一番新しいとこやけん、人も多いんや。田舎町の商店街にしちゃあ、なかなか洒落とるやろ?」

「そうねっ! じゃあ、あそこに行ってみましょうか」

 

 商店街にて……二人の美少女は、周囲からの好奇の視線をガン無視しつつ、楽しくアフタヌーンを満喫していて――って、なんでだァーッ!?

 

「どしたん龍太? ヤバい顔になっとるで?」

 

 俺の困惑はどうやら顔に出ていたらしく、矢村はギョッとした表情で訝しんで来る。

 

「どうしたもこうしたも、なんでこんな状況が出来上がってんだよ!」

 

 目の前の展開には違和感しかないというのに、救芽井と矢村の二人は喚き散らす俺を見て「お前は何を言っているんだ」とでも言いたげな視線を送って来る。

 

 あーそーですかい。おかしいのは俺だって言いたいんですかい。だったらねぇ、俺から見て何がおかしいかを洗いざらい白状しようじゃありませんかッ!

 

「さっきまで『訓練』だの『勉強』だの宣ってたのに、なんでこんなやんわりムードな二股デートに発展してんだよ!? いつも俺の都合に合わせてくれてる矢村は、百歩譲ってまだわかるとしても――救芽井までもが一緒になって出掛けるなんて、どーゆー風の吹き回しだよ! なんだぁ? お前のことだからコレも何かの訓練だったりすんのか? 何が飛び出して来るんだ? タライでも降って来るのか!」

 

 今まで二言目には訓練訓練とうるさかった救芽井が、こんなお気楽タイムに無条件で付き合うはずがない。これは罠だ! きっと空からタライでも降って来るに違いない! どうせ降って来るならギャルのパンティか女の子をお願いしたいところだけども。

 

 「さあこい! なにが来ても怖くなんかないぞ!」という意思を示すべくファイティングポーズを取る俺だったが――当の救芽井は「ああ、それね」とずいぶん軽い反応を見せた。こ、こいつの意図が読めん……!

 

「休息を兼ねての、敵情視察よ」

「し、刺殺ゥゥゥッ!?」

 

 俺は思わずのけ反ってしまう。こいつ、こんなかわいい顔して何をいきなり恐ろしいことを!?

 

「あなたとお兄さんのやり取りで、剣一さんのヒントを得ることが出来たわ。商店街のはずれにある廃工場……。そこに彼がいるのなら――もしくは彼にたどり着く手掛かりがあるなら、行く価値はあるわ」

 

 そ、そんなぁ……それで寝込みでも狙ってブスリと行くつもりなのか!? 俺はただ指示通りに従っただけだけど、それでもこんな、こんな犯罪の片棒を担ぐ結果になるなんて……!

 

「まぁ、かと言ってすぐさま乗り込んでも『呪詛の伝導者』の返り討ちに遭うのが関の山。あの戦闘兵器に対抗できる手段が見つかっていない以上、彼自身の動向から弱点を探るしか打開策はないわ。どんなに強い兵器を持っていても、どんなにたくさんの機械人形を従えていても、『古我知剣一』はただの『人間』なんだから」

「じゃあ、いわゆる『張り込み』みたいなことするん?」

「そうよ。この商店街をスタート地点に、少しずつ例の廃工場を目指すわ。私はこの町の地理は詳しくないから、二人の協力が必要になるわね」

 

 ぬえぇぇぇ!? 俺一人ならいざ知らず、矢村にまで殺人罪に巻き込もうと言うのか!?

 ダメダメ! そんなのお父さん――じゃなくても許しませんよ! 地獄には俺みたいな穀潰しがお似合いなんだからなッ!

 

「ちょっと待ったぁ! 廃工場までの案内なら俺一人でも出来る! だから矢村だけは巻き込まないでくれ!」

 

 俺は恥も外聞も捨てて、縋り付くような口調で救芽井に迫る。急に切迫した顔になった俺に動揺したのか、彼女の面持ちにも焦りの色が浮かんで来ていた。

 

「きゅ、急にどうして?」

「どぉぉしてもだッ! 俺は一昨日のことがあるし、一度深く関わっちまった以上は仕方のないことだと思うよ!? だけど、矢村は本当に、単なる『とばっちり』なんだ! これ以上危ない橋を渡る一般ピープルは俺だけでいい! 俺にはお前を止められるだけの力はないし、助けてくれた恩もある! だから、だから地獄には俺一人で堕ちるから、矢村だけは勘弁してやってくれぇぇぇ……!」

 

 矢村には、今まで勉強を見てもらったり、いろいろと気に掛けてくれていたことがある。そんな彼女に、殺人の共犯を強いることなど、できるはずがない! どうせタイーホされるなら、犠牲は一人でも多く減らさなきゃならない……!

 兄貴、親父、母さん、ごめん! 冷たい牢屋に入れられても、家族のみんなのことは、絶対に忘れないからなぁぁぁ!

 

「りゅ、龍太……! アタシのこと、そんなに心配して……!」

 

 矢村は目尻に涙を浮かべつつ頬を赤くして、両手で口を覆っている。どうやら、殺人罪に巻き込まれる恐怖から解放される喜びを、全身で噛み締めているようだ。

 そうだよな、こんなの怖くて当たり前だ。だから、もう泣かなくていい。全ての罰は、俺が背負うッ!

 

 しかし、その一方で救芽井は何かしら腑に落ちない表情を浮かべている。俺が何かおかしなことを言ったのだろうか?

 

「えーっ、と……矢村さんを巻き込みたくないっていうのはわかるんだけど……『私を止める』ってどういうこと?」

「な、なに言ってんだ!? お前が古我知さんを殺すだなんて言い出すから――!」

 

 

「――はい?」

 



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第21話 商店街の喫茶店が、こんなに修羅場なわけがない

「は〜……全くもう、なんで私が剣一さんを殺さなくちゃなんないのよ。あなたの頭の中はどこから修正すべきなのかしら」

 

 さっき二人が楽しげに見ていた喫茶店内にて、俺は救芽井にこってりと叱られていた。……ひでぇや、こっちは勘違いしただけで何も悪いことなんかしてないのに。

 矢村は俺の発言が誤解から来るものだったことに、どういうわけか残念がっている様子だったが――時々思いだし笑いで嬉々としていた。なにが嬉しいのか知らないが、救芽井みたいに怒ってるわけじゃないなら別にいいか……。

 つーか、公共の場で説教は勘弁して欲しい! みんな見てるから! しかも窓際の席だから、店の外にも見えてるからァァァ!

 

「敵情視察っていうのは、敵の状況を実際に見て確かめに行くことを言って――」

「だあああもぅ! 何回目だよそれ! もうわかってるよ! わかってるし悪かったから! もう勘弁してくれ!」

「ダメよ! あなたってば何度教えてもすぐ忘れるんだから! さっきの受験勉強だって、同じ問題を何回やり直したと思ってるの? こうなったら徹底的に骨の髄まで染み込ませないとね……あと五回はループするわよ!」

「ひぃぃぃ!」

 

 喫茶店でこんな苦い思いをしたのは初めてだ……! 去年、見栄張って飲んだ兄貴のブラックコーヒーよりよっぽど苦い! メンタル的な意味で!

 

 救芽井は俺の顔をガン見しつつ、同じ内容の説明を幾度となく繰り返してくる。よくもまぁ飽きもせずくどくどくどくど……。そんなに俺をいじめるのが楽しいのかー!

 

「――以上! ちゃんと覚えた?」

「へぃへぃ……敵情視察ってのは、敵の内情を直接見に行く『偵察』のこと、ね……」

「よろしい! じゃあ、一休みにデザートでも頼もうかしら」

 

 耳にたんこぶどころか爆弾が出来そうなくらい、延々と聞かされていた救芽井の特別補習がようやく終わった……みたいね……。

 力尽きた俺がテーブルに突っ伏すと、向かいの席に座る救芽井と矢村は何かデザートを注文していた。な、なんで俺ばっかこんな扱いなんだよ……!

 

「たく……なんでそんなに俺のことに突っ掛かるんだか。そこまでして俺を叱る意味あんのかよ」

 

 悔し紛れにそう愚痴ってやると、救芽井はなにかギクッとして顔を逸らしてしまった。表情は見えないが、顔はほんのりと赤い。

 

「……あなたと向き合って、喋っていたかったからに決まってるじゃ――う、ううん! 私はただ、別に『男の子が珍しい』ってだけで、変態君だからってわけじゃ……そんなわけじゃ……あぁんもぅ、全部この人のせいだわ!」

 

 ――おい。なんか救芽井が一人でブツブツ言ってんだけど。大丈夫なのかこのスーパーヒロイン。

 そんな俺の心配をよそに、矢村は子供のようにはしゃぎながらチョコレートパフェを受け取っていた。あんなごっついデザート注文してたのかこいつら……。

 

「はい龍太、あ〜ん」

 

 すると何を血迷ったのか、矢村はスプーンでパフェのてっぺんをすくい取ると、俺の口元まで運んできやがった。こんな公共の場で何をしようと!?

 

「ちょ、ちょっと矢村さん!? なに考えてるのよ! ここ人前よ!?」

 

 救芽井も矢村の暴挙に反発の声を上げる。そーだそーだ、嬉しいけど恥ずかし過ぎるぞ! ……つーか珍しく救芽井と意見が一致したな、今。

 

「人前やからこそ、意味があるんよ。ここでちょおいと、見せ付けとかんとなぁ?」

 

 矢村はなにやら挑発的な顔で救芽井を見ている。こいつのドヤ顔、なんか怖い……。

 

 ……おや? 救芽井の様子が……?

 

「ふ〜ん、そう! 面白そうじゃない」

 

 笑ってない! 目が笑ってないぞ救芽井! てかなんでお前まで「あ〜ん」の体勢に突入してんの!?

 顔「だけが」ニコニコと微笑みを浮かべていた彼女は、ブスリとスプーンをパフェに突き刺すと、最奥のチョコの部分をほじくり出してきた。

 すいませーん、表情と行動が一致してないでーす。こんなギャップは萌えませんから! 怖いだけですから!

 

「ムッ! さ、先に出したんはアタシなんやから、アタシが先やで龍太!」

「あら、変態君の分際で私を放って置くつもりなのかしら?」

 

 ちょっと待て〜! なんで二人の美少女から「あ〜ん」を強要される事態が発生してんの!? 数分前までこんな空気じゃなかっただろー!

 そしてなんで両方とも目がギラついてんの? 野獣か? 俺の目の前にいるのは野獣なのか?

 

 ……い、いや、ふざけてる場合じゃねぇ。どうすんだ!? 俺はどっちを取ればいい!?

 デリカシーを重視して考えるなら、最初にスプーンを持ってきた矢村だ。だが、救芽井には昨日の恩もあるし、何より蔑ろにするには立場が違いすぎる! あいつのあられもない姿を見てしまった重責を無視するには、この状況はキツすぎるゥゥゥッ!

 ――あぁ、あられもない姿といえば、恥じらうあいつの表情は可愛かったよなぁ〜……うへへ。あの時はこんなおっかない娘だとは思わなかったけども。

 

「ちょっと変態君! さっさと食べなさいよ! チョコが溶けるじゃない!」

「そーやで! 女の子二人に恥かかせる気なん!?」

 

 思考を巡らせている間にも(後半は脱線したけど)、彼女らは決断を迫って来る。ちくしょー! こんな端から見たら、うらやまけしからんとしか思えないような状況、一度たりとも遭遇したことないんだからしょーがねぇだろ!

 まさか俺がここまで優柔不断だったとは……! くっ、こうなったら常識的な観点を踏まえて矢村から――

 

 ガシャアアンッ!

 

「――ッ!?」

 

 な、なんだ!? 今、ガラスが割れる音が……!

 

「騒ぐな! おとなしく金を出せっ!」

「客も店員も手を挙げろ! じゃなきゃ血を見るぜ!」

「逆らったら、こうなっちまうかもなぁ!?」

 

 俺が音がした方を振り返る前に、二、三人の男達の怒声が店内まで響いてきた。ゆっくり振り向くと、そこには覆面をした数人の男。

 うち一人は――ピストルを持ってる!? 客が悲鳴を上げる中、一人の男が手にしていたソレが火を吹き、周囲を脅迫した。

 しかも、店員の一人がレジの傍に飾られていた水槽に頭をねじ込まれ、半殺しにされてる! みせしめってヤツか……!?

 

 ――よーするに、強盗!? おいおいマジかよ……!

 しかも銃器まで持ってやがる! 客は威嚇されて声が出なくなっちまったし、店員も文字通りお手上げみたいだ。

 矢村も、いきなり店に入って来た強盗に怯えきった様子だし……辛うじて、救芽井だけが平静を保ってる感じだ。

 俺は最近が最近だから、多少は落ち着いていられるが……しかし、マズいなこりゃあ。

 

 救芽井が「救済の先駆者」に着鎧すれば、あんな連中ちょちょいのちょいかも知れないけど……こんな人前で着鎧なんかしようもんなら、彼女が二度と商店街を歩けなくなる!

 昨日、あんなに楽しそうに歩き回ってたってのに! 今さっきだって……!

 かといって、警察なんて呼べる状況じゃないし……!

 

「おほっ? かわいー娘いるじゃん。金とセットでお持ち帰りしよーぜ」

 

 ――って、こっちくんなー! なんか救芽井と矢村に目ェ付けて来やがった!

 当の本人は怯えてたり悔しげに口を結んでたりだし……ああもう! どうすりゃいいんだ!?

 

 いい考えが浮かぶ暇もなく、ピストルを持っていた男が俺達のテーブルまでやって来た……!

 



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第22話 ついに俺もヒーローデビュー!

 やっべぇな……マジでどうすんだこの状況……!

 

「近くで見るとガチでたまんねーな。特にこっちのショートボブの子。中三くらいか?」

「な、なあ、やめた方がいいんじゃねーか? アイツ、確か生身の人間には手を出すなって……」

「バカヤロウ、あんなひょろいシャバ僧の戯言なんて聞いてられっかよ。こんな上玉が転がってんだぜ?」

 

 下から上までなめ回すように、男は救芽井の容姿を観察する。中学生相手にその目は犯罪だぞオッサン……いや今の時点で十分犯罪だけど。しかし……「アイツ」って誰のことだ? 生身の人間……?

 

 一方、救芽井はそんな視線くらいなんてことないのか、無反応で涼しい顔をしている。肩が一瞬震えていた気がしたが、気のせいだろう。

 彼女は何度も「技術の解放を望む者達」とやり合ってきた猛者なんだから、これくらいはたいしたことないんだろうな。

 

 ……でも、オッサンが救芽井に目を付けたのは痛い。悪い考えかも知れないが、こいつの興味が矢村の方に行っていれば、救芽井のことだから隙を見つけて対処していたかも知れない。

 

「あぁん? ガキィ、なんだそのツラは。クリスマスプレゼントに鉛玉が欲しいのか?」

 

 どうやら、俺は無意識のうちにオッサンにガン付けてたらしい。野郎に用はないといわんばかりに、ピストルを向けて来る。

 ……や、やべー! 俺まだ十五歳なんですけど!? 死ぬにはちょいと早過ぎると思うんですけど!

 救芽井さーん! なんとかしていただけません!? あんた二人まとめて面倒見るって言ったじゃ――

 

「ご、ごめんね? 時計借りちゃってて。あと、お腹痛いって言ってたよね? 早くトイレに行ってくれば?」

 

 ――うぃ?

 

 いや、ちょっと待て。なんだそりゃ?

 助けを求めに彼女の方を見た途端、意味のわからないことを言われつつ、「腕輪型着鎧装置」を渡されたんだけど。……え? なに? 俺にどうしろと?

 

「あぁ? なんだてめぇ、トイレか?」

 

 救芽井の突拍子もない発言を鵜呑みにして、オッサンがジロリと睨んで来る。俺は状況が飲み込めずに目を泳がせるしかなかったが――

 

「早くしないと、漏らしちゃうわよ」

 

 急かすように言う彼女の真剣な顔を見たら、何となくだが――彼女の意図が読めたような気がした。

 

「いやー……たはは、実はさっきから漏らしそうなんスよ。すいませんけど、トイレ行かしてもらっていいスか?」

「あァ?」

「い、いやホラ! ここで漏らして悪臭を撒き散らすのもオッサ――お兄さん方に迷惑じゃないかなって……!」

 

 少なくとも女の子の前でするような話じゃないが、今はそれどころじゃない。救芽井の振った話題に合わせようと、俺も必死だ。

 端から見れば、ぎこちなさが完全に露呈していて怪しさ全開だった俺達の掛け合いだが、当のオッサンはピストルを持った余裕からかどうせ嘘でもたいしたことないと判断したらしく――

 

「チッ、んじゃあさっさと行けや。文字通りのクソガキが」

 

 めんどくさそうに首でトイレを指し、自分は救芽井の隣にドカッと腰を降ろしてしまった。どうやら自分は早いところ救芽井に近づきたかったらしく、男の俺を排除するには都合のいい話だったのかも知れない。

 

「す、すんませーん……」

 

 俺は自分の時計……ということになってる「腕輪型着鎧装置」をそそくさと回収し、トイレに向かう。もちろん他の強盗仲間に見張られながらのことだが、特に警戒されてる様子はなかった。ただの中坊にしか見えないんだから当たり前か……。

 

 そんなオッサンの心遣い(?)と救芽井のアドリブのおかげで、なんとか俺はトイレにまでたどり着くことができた。

 わけなんだが……。

 

「……で、どうすりゃいいんだよもー……」

 

 と、頭を抱えるしかなかった。

 

 俺の勝手な憶測に過ぎないが――救芽井としては、俺に「救済の先駆者」に着鎧して連中を撃退して欲しいところなんだろう。そのためにトイレに行くように仕向けていたとするなら、説明がつく。

 ……が、この場でゆったりと着鎧してトイレから出て来ようものなら、噂のスーパーヒロイン――いやヒーローか――は、俺ということにされちゃうんじゃないか?

 確かに救芽井の素性が露呈される事態は避けられるが、俺が社会的に危うくなるぞ! あの娘、その辺のことちゃんと考えてんのか?

 ……実は向こうもテンパっててそこまで気が回らなかったってオチか? そういえばさっきのアドリブも焦り気味だった気がするし。

 ちょっともー! 頼むからこんな強盗のことなんかでテンパらないでくれよー! 商店街の平和と引き換えに、俺の社会的生命が危機に晒されてんですけど!?

 松霧町のスーパーヒロインなら、こんなことちょちょいのパーだろうに……ん?

 

「おっ、やっぱいい身体してんじゃん。歳いくつ? 胸は何センチあんだよ?」

 

 トイレのドアの向こうから、あのオッサンの声が聞こえて来る。公共の場で堂々とセクハラかよ……モノホンの犯罪者は違うなぁ。

 って、そうじゃねー! 今の救芽井達どんなことになってんだ!?

 ドアの上部に小さな窓があったんで、便座に登って様子を見てみることに。

 

 ――!?

 

「そんな怖がらないでいーじゃん。お嬢ちゃんくらいの歳なら、もう男とヤった経験くらいあんだろ? 今時のガキは進んでっからなァ」

 

 どうしたことか、あの凜とした眼差しがカッコよかった救芽井樋稟は――震え上がっていた。

 

 微かに涙目になりつつ、肩を抱き寄せているオッサンから必死に顔を逸らしている。とてもじゃないが、「技術の解放を望む者達」に敢然と立ち向かうスーパーヒロインと同一人物とは思えない姿だった。

 なんだよオイ……どうしたんだ? いつもの調子で怒鳴ったり反撃したりするもんだと思ってたのに。さすがに丸腰でピストルはキツかったってことか?

 彼女は普段からは想像も付かない程しおらしくなってしまい、腰に手を回されてもほとんど抵抗できずにいた。震え上がってピクリとも動けない矢村と、大して変わらない状態じゃないか?

 

「へへ、よく顔見せろよ」

 

 ついには顎を掴まれ、無理矢理に顔を合わせられてしまう。目に涙を浮かべつつ、それでいて反抗的な意思を感じさせる、険しい顔つきになっていた――が、それでもオッサンを威嚇するにはあまりにも弱々しい。

 

「ガキのくせして、ホンッとマブ顔してんなァ。いや、マジでたまんねー……後で一発ヤろうぜ。どうせさっきのしょっぱいクソガキ相手じゃつまんねーだろ?」

 

 しょっぱいクソガキって俺のことかい! いや、しょっぱいってのはわかるけどよ……つーか救芽井さん、マジで無抵抗じゃないすか!? どうしてあんたともあろう人が……。

 

「怖がんなくたっていーだろーが。極上の悦びってヤツを教えてやろうってんだぜ? どんな女もベッドに連れ込みゃ同じさ。中身はたいていフツーなんだから」

 

 ――フツー? 救芽井が、フツー?

 

 おいおいオッサン、彼女がフツーだなんて笑わせてくれるじゃ――いや、笑えねぇ。

 

 ……よくよく考えてみたら、全然笑えねぇな。笑えるとしたら、俺のバカさ加減か?

 まさかあのオッサンに教えられるとは、ちょっと意外だったな。んで、そんな自分には段々とムカッ腹が立ってきたわ。

 

 ――救芽井樋稟は、普通の女の子。いつからだ? そんなことを忘れていたのは。

 

 商店街でぬいぐるみを見てはしゃいでいた時。矢村と二人で喫茶店のことで盛り上がっていた時。

 あの娘は、「普通の女の子」だったじゃないか。少なくとも、俺が期待していたような「スーパーヒロイン」の顔じゃなかった。

 俺は、昨日助けてくれた事実や彼女の実力に依存して、その強さに全部を丸投げしてたんじゃないか? いや、そうだろ。事実、今の今まで、俺は「救芽井がなんとかしてくれる」とどこかで期待してる節があった。

 そう、勝手に期待して押し付けてたんだ。力があるだけの、普通の女の子に。

 

 彼女だって、普通の女の子なら……色欲の目で迫って来る男が怖くないはずがない。ましてや相手はピストルを持ってるし、頼みの綱と言うべき「腕輪型着鎧装置」は俺の手にある。

 彼女が着鎧すれば強盗なんてイチコロかも知れないが、その後に彼女がどうなるかなんてわかったもんじゃない。最悪、警察に知れてこれまでの苦労が水の泡になる可能性もあった。

 家族一同で人々のためにと作り出した着鎧甲冑を、こんなことでお釈迦にしたくはなかったんだろう。それに、「人命救助」のために用意された力で、強盗とは言え人間をボコることも出来れば避けたかったんだはずだ。

 それを考えると、着鎧する立場を一般ピープルの俺に託したのは、この上ない采配だったのかも知れない。

 

 俺の感性なら何の気無しに着鎧甲冑で戦えるし、「神出鬼没のスーパーヒロインかと思ったら、正体は地元の人間でしたー!」ということになれば、最悪噂が拡散しても「松霧町のご当地ヒーロー」という程度の話題で収まることも、まぁ有り得なくはない。

 

 そういう諸々のメリットやデメリットを踏まえた上で、彼女は俺に托そうとしてた……のかもな。それに、確かゴロマルさんが言ってたっけ。

 

 『――樋稟は息子夫婦の夢のために、正義の味方となってこの町を守っておるが……あの娘自身としては、本当はそんな王子様のような存在に救われる、『お姫様』になりたかったのじゃよ』

 

 ――お姫様に、王子様ねぇ。あの時はいろいろとてんてこ舞いで、考える暇なんてなかったから気づかなかったけど……かわいいとこ、あるじゃないか。

 そんなヒロイックな活躍を彼女が期待しているのかは別として、俺は任されたことをこなす義務があるんだろう。多分。

 こうなったからには、俺がやらなきゃダメなんだ。救芽井樋稟じゃなく、この一煉寺龍太が。

 

 意を決して、俺は「腕輪型着鎧装置」を右手首に巻き付ける。その瞬間――

 

「なんなら今ここで、俺の味を教えてやろうかァ?」

 

 オッサンの掌が、救芽井の豊満な胸に伸び――その膨らみをわしづかみにした。さらに、桜色の薄い唇を奪おうと、彼女の顔に迫っていく。

 そして、俺の目に映ったのは――溢れるように零れ出て、頬を伝う彼女の「悲しみ」だった。

 

「――着鎧甲冑ッ!」

 

 その時だろう。俺の何かがプッチンプリンしちゃったのは。

 炎でも吐きそうなくらいに叫び出した俺の感情が、「救済の先駆者」のパワーを通してトイレのドアを吹き飛ばす。

 その衝撃でドア以外の部分も破壊されたらしく、辺り一帯に土埃が舞う。

 

「な、なんだ!? ごッ……!」

 

 突然の衝撃音に狼狽する強盗の一人を、腹いせで殴り倒し――そいつを引きずりながら、俺は土埃の外へと顔を出す。「俺じゃない顔」の俺を。

 

「な、な、なんだテメェェッ!」

 

 例のオッサンは救芽井から手を離し、両手でピストルを向けながら叫び散らす。

 ――今すぐ殴り倒してやりたいのは山々だが、あんたには大切なことを教わった借りがある。それに免じて……「名乗り」ぐらいはサービスしてやろう。

 王子様……いや、「ヒーロー」の醍醐味だしな?

 

「正義の味方、『着鎧甲冑ヒルフェマン』参上――ってなァ」

 



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第23話 敵とのエンカウント率が異常

 人に頼ってばっかで、自分はなにもしてなくて……情けなくてしょうがないけど。

 そんな俺でも、何かをする資格があるなら。まだ、間に合うなら。

 

「あんたは一発、ぶっ飛ばさないとな」

 

 ピストルの銃口と共に、激しい敵意を向けて来るオッサン。その得物を握る手が震えていることに気がついたのは、彼と対面してすぐのことだった。

 ――そんな些細なもんが見えてるなんて、我ながらかなり冷静なんだな……ちょっと意外だった。ドアを吹っ飛ばした瞬間なんて、頭の中がオーバーヒートしてたってのに。

 俺ってわりかしクールなのかもな。それとも薄情なだけか?

 

 ――いや、違う。

 

 妙に静かなのは、頭ん中「だけ」だ。身体の芯から噴き出してる感情の渦は、カッとなった瞬間のまま、その熱気を維持している。

 そういえば、人は「怒り」が一定のラインを越えちまったら、かえってひどく落ち着いてしまうもんらしい。昔、兄貴が聞きかじった知識を披露してる中に、そんな話があった。

 案外、今の俺はそんな感じなのかもな。脳みそだけは冷めきっていて、心の奥は焼けるように熱い。不思議と、怒る時に感じる頭の熱は感じられず、四肢だけがみるみる熱を帯びていく。

 ――まるで、思考と感情が切り離されてしまったかのように。

 

「う、動くなよテメェ。そこから一歩でも近づいてみろ! 嬢ちゃん二人の頭が吹っ飛――!」

 

 「救済の先駆者」の異様な風貌にただならぬ雰囲気を覚えたのか、オッサンは直接俺を撃つより、救芽井と矢村を人質に取ろうと「していた」。

 

「――隙ありッ!」

「げッ!?」

 

 彼の注意が俺に集中していた間に、救芽井がいつものような凛々しい顔つきを取り戻し、オッサンの背後を取っていたのだ。

 そして勇気を振り絞り、銃を持った暴漢のピストルを一瞬で掠め取るその姿は――まさしく俺が知っているスーパーヒロインそのものだった。

 

「こ、こんのぉ!」

 

 しかも、怯えていた矢村までもが救芽井の反撃に鼓舞される形で、オッサンの足の甲を踏み付けるという逆襲に出た。

 

「ぎゃうッ!」

 

 踵で思い切り急所を踏み付けられ、痛みの余り飛び跳ねている。ハイヒールじゃなくてよかったねオッサン……。

 

 ――どうやら、俺が着鎧してオッサンの隙を作ることこそが救芽井の狙いだったらしい。そのために囮役を買って出る無茶ブリは、さすが松霧町のスーパーヒロインってとこだな。

 さて……それじゃ、彼女達に倣って俺もお仕置きと行こうかね。

 

「ぎぃ……このガキ共がッ!」

「きゃあっ!?」

 

 すると、俺が攻撃に出ようと構えるのとほぼ同時に、オッサンが救芽井を振り払って自分の懐に手を伸ばそうとしていた。力任せに弾かれた救芽井は、女の子の限界ゆえか思い切り尻餅をついてしまう。

 その瞬間、俺にしか聞こえない警告音が鳴り響き、「救済の先駆者」のマスク越しに見る視界が赤く点滅した。

 ――これは、銃器や刃物に反応する「武装センサー」によるものらしい。訓練の時は「自分自身の注意力を養うため」に敢えてオフにされている機能とのことだが、今回は実戦だけあって、危険な武装を感知して警告するシステムが遺憾無く発揮されている。

 ……要するに、今オッサンは懐から凶器を出そうとしてる、ってことだ。それがなにかはともかく――これ以上好きにさせるつもりはない。

 

 右足を前に出し、後ろにある左足で地面を蹴り、すり足の要領で前進する。普通なら十数センチ前に動くだけの移動方法だが――

 

「う、うおおっ!?」

 

 ――着鎧甲冑の運動能力に掛かれば、それすらも相当な距離とスピードを生み出してしまうらしい。

 数メートル離れた場所から、たった一回のすり足移動で目と鼻の先まで接近されたことに、オッサンは思わず驚きの声を上げていた。

 

 もちろん、その拍子に生じる隙を見逃すほど俺はバカでもないし、甘くもない。右肘を脇腹に当てて脇を締め、その腰の回転で打ち出すように右拳を放つ。

 

「ご……!」

「『正義は必ず勝つ』ってな。そーゆーわけだから、いい加減くたばりな!」

 

 その拳は我ながら見事に、顎の急所「三日月」を捉え、オッサンの意識を吹き飛ばした。

 彼は全身の骨を引っこ抜かれたかのようにノックダウンしてしまい、ピクリとも動かなくなった。まぁ、脈はあるみたいだから死んじゃいないけどな。

 そして、念のためにと懐をまさぐってみると――出てきたのは手榴弾!? ちょ、こんなもん使う気だったのかよ!?

 起き上がってきた救芽井も、俺の手にある兵器を前に戦慄していた。

 

「うそ……ただの強盗が、なんでこんなものを……!?」

「ま、まぁ、安全ピンは抜かれちゃいないし、平気だろ。これで全員片付いたな……いや、もう一人!」

 

 ――確かに二人は片付いたが、まだ仲間がいたはず。そう、みせしめに店員さんを水槽に突っ込んでいた奴だ!

 

「ひ、ひぃぃっ!」

 

 俺がそいつの方に目を向けると、あっという間に恐れをなして逃げ出してしまった。武器を二つも用意してる仲間がやられたんだから、不利だと思ったんだろうか?

 

「……って、冷静に分析してる場合じゃねぇ! 待ちやがれ!」

「待って!」

 

 逃げ出した残りの強盗を追おうってところで、救芽井に呼び止められてしまった。無視して取っ捕まえに行きたいのは山々だが、さっきまでオッサンに苦しめられていたこともあるし、彼女を放っておくのは忍びない。

 

「この強盗達の武器も気掛かりだけど、それよりも今はあの人を救わないと!」

「あの人……? ――あっ!」

 

 彼女の言葉にハッとして、俺は水槽の傍で倒れ伏している店員さんに目を向ける。やっべぇ、水ん中に頭突っ込まれた後に捨てられたまんまだ!

 

「ぐったりしたまま動いとらんのやけど……まずいんやないん!?」

「くそっ、オッサン達に気を取られすぎた!」

「まだ間に合うかもしれないわ。来て!」

 

 素早く店員さんのところへ駆け寄る救芽井に続き、俺と矢村は動かなくなっている彼の傍に向かう。

 

「ど……どうだ? 救芽井」

「呼吸が完全に止まってるわ。相当水を飲んだみたい」

「たた、助からんの?」

「『救済の先駆者』の機能を使えば、応急処置くらいなら出来るわ。でも……」

 

 解決策はあるようだが、そこで救芽井は言葉を濁してしまった。気まずそうに視線を泳がせている辺り、どうやら俺に「腕輪型着鎧装置」を託した時のように、周囲に正体がバレる事態を怖がってるらしい。

 

 辺りを見渡してみると、客は全員テーブルの下に隠れてブルブル震えていた。どうやら、俺がドアを吹っ飛ばしたことでみんなビビりまくってしまったらしい。もう敵はいないってのに、いつまで固まってんだよ……。

 まぁ、あれ以降も俺達と強盗が戦ってる音が響き続いてたんだし、強盗達がいなくなった今も「まだ何かあるんじゃないか」と勘繰って出て来ないのはしょうがないのかもな。

 それに、これなら俺が着鎧したこともうやむやに出来そうだ。それに、救芽井が着鎧してもバレずにやり過ごせるかも! プロフェッショナルの彼女に「救済の先駆者」を任せれば、応急処置なんてお茶の子さいさいだろうし。

 

 ……う〜ん、だけど今から救芽井に着鎧させるとして、その瞬間に客が安全を確認して出て来る可能性もないわけじゃないし……。

 ――あーもう! なんでノータリンな俺がこんなに頭使わなくちゃいかんのだー! これというのも、全部手榴弾とかピストルとか持ち込んで来るオッサン達のせいだぁー!

 

 ……ん? 手榴弾?

 

 ――それだッ!

 

「救芽井、要は着鎧する瞬間を見られないように『絶対に人に見られない時間』があればいいんだろ?」

「え? そ、それはそうだけど……」

「よぅし、俺に任せとけ」

 

 不安げな表情を浮かべる彼女を元気づけるように、俺はドンと胸を叩いて立ち上がる。

 そして、すぅーっと息を吸い込み――

 

「皆さんッ! 落ち着いて聞いてくださいッ!」

 

 ――思いっ切り叫んだ。この喫茶店の隅から隅まで届くように。

 

「ちょ、ちょっと変態く――」

「シッ!」

 

 いきなり何をするのかと目を丸くする救芽井を素早く鎮め、俺は言葉を繋げる。ここで話を中断させようものなら、「なんだなんだ」と人が出てきてしまうかも知れないからだ。

 

「強盗達は逃げ出しましたが、この喫茶店に手榴弾を置いて行きました! しかも安全ピンが外れていて、わずかでも衝撃が走れば爆発する危険があります!」

 

 ここが重要だ。客達の動きを封じてテーブルから出さないようにするには、「動いたらヤバイ」という理由を付けなくてはならない。

 安全ピンが取れているという話は嘘だが、手榴弾があるというのはマジだ。倒れたオッサンの懐から出てきたモノだから、テーブルの下から覗いて見ていた人だっているだろうし、信憑性はあるはず。

 

「しかし、ご安心下さい! ここには手榴弾解体のプロがいます! 彼に掛かれば数分で手榴弾を無力化できるでしょう! それまで、皆さんはお静かにお待ち下さい! 数分以内に、私達が必ず手榴弾を処分して見せます!」

 

 そして、「自分達がなんとかするから静かにしといてね」という旨を伝える。状況が全く見えていない中で、出来るだけ詳しい情報を与えて信用させる。客達の身動きが取れないようにするには、それくらいしか方法はないだろう。

 さらに、絶対に「救済の先駆者」が救芽井だとバレないように、プロフェッショナルを「彼」と形容する。少しでも、与える情報と実際の状況に「齟齬を生じさせる」ためだ。

 

「へ、変態君……!?」

「俺に出来るお膳立てはここまでだ。お前じゃないと、この人は救えない! 頼む!」

 

 「腕輪型着鎧装置」を外して本来の姿に戻ると、俺は預かっていたモノを持ち主に返す。ここからは、「救済の先駆者」の本領だ。

 

「……わかったわ、ありがとう。――着鎧甲冑ッ!」

 

 そんな俺の意図を知ってか知らずか、彼女は「腕輪型着鎧装置」を素早く手首に巻き付けると、慣れた動作で音声入力しつつ、装着している手を掲げた。そんな変身ポーズあったんだ……。

 

 そして瞬く間に「救済の先駆者」への着鎧を果たした救芽井は、迅速に店員さんの救護に当たる。

 バックルの部分から管に繋がれた小さいアイロンのようなものを取り出し、彼女は流れ作業のように迷うことなくそれを胸に押し当てた。

 「なんだそりゃ?」と質問しようと口を開く瞬間、「バチッ!」と電気が弾けるような音がして店員さんの身体が跳ね上がり、俺はたまげてひっくり返ってしまう。

 横からコソッと矢村が教えてくれたんだが、これはどうやら「AED」を携帯用に改造したものらしい。確かに「AED」と言えば電気ショックを使う救命用具だけどさ……先に言ってよ! こっちは精神的に電気ショック喰らっちまったよ!

 

「……つーかなんで矢村がそんなこと知ってんだよ?」

「今朝に龍太が訓練しとる間に、いろいろ教えてくれたんや」

「俺には訓練ばっかりなのに……ひでぇや。男女差別だ」

 

 ……おや。心なしか「救済の先駆者」の視線が痛い。サーセン。

 

 しばらく救芽井のマスク越しのジト目に耐えつつ見守っていると、少しずつだが店員さんの胸板が上下に動きはじめた。上手く行ったみたいだ!

 

「まだよ。次は呼吸を復活させないと!」

 

 俺の思考を読んだかのように、救芽井は険しい声色で次の処置に移る旨を口にする。もうコイツ、エスパーでいいだろ。

 

 そっと包み込むように顎を持ち、彼女は自分の唇……の部分に当たるマスクを店員さんのそれと重ね合わせる。いわゆる人口呼吸の図だ。

 ……って、「マスクのデザイン」の唇でそんなことして意味あんの?

 

「あの唇みたいなマスクの部分、バックルの中にあるちっこいタンクから、人口呼吸用の酸素を噴き出す仕組みなんやって。水を吸い出す機能も兼ねてるから、かなり効果があるらしいんよ」

 

 そんな俺の脳内疑問に、矢村先生が聞いてもいないのに答えてくれました。エスパー二号あらわる!

 っていうか、あのマスクの唇型ってそんな機能があったのか……。正直、設計者の趣味だと思ってました。ゴメンナサイ!

 

 ◇

 

 ――やがて「救済の先駆者」こと救芽井の処置が功を奏し、店員さんの心拍と呼吸は順調に回復した。

 ……と言っても「最低限の処置」を施したくらいで、本格的な治療は病院で行われるものらしい。それでも、一命を取り留められるのは間違いないと見ていいのだそうだ。

 また、強盗達は逃げた奴やピストルのオッサンを含め全員逮捕され、喫茶店の客達に怪我人は一人も出なかったらしい。

 そして、表沙汰になったのは「噂のスーパーヒロインに酷似したスーパーヒーローが現れた」という話題くらいで、救芽井や俺の素性が露呈する事態はなんとか避けられたようだ。

 

「いやぁ〜、無事で良かったよ龍太君。でもこれに懲りたら、二股は控えた方がいいよぉ?」

「だから違うって言ってんでしょ!」

「はっはっは! 元気がいいようで何より! では、本官はこれにて退却ぅ!」

 

 相変わらずませている、商店街の交番のお巡りさんによる事情聴取を終え、一件落着を果たした俺達は、さっきの喫茶店から大分離れたファミレスに落ち着いていた。

 

「――変態君。その……助けてくれて、ありがとう。あの時、かっこよかったよ」

 

 向かいの席で、ちょっと照れ臭そうに救芽井がお礼を言ってくる。普段の扱いが扱いだから、こうまともにそんなこと言われたら、こっちもこっぱすがしいんだよなぁ……。

 

「……いーよ、別に。役に立ったんなら、それでいい」

「ムッ! なにをいい雰囲気作っとんや!? アタシだって頑張ったやろ!?」

 

 俺にズイッと顔を寄せながら、矢村が食いついて来る。そうそう、コイツだって怖かったはずなのに、よく戦ったよなぁ。あそこに座ってたのが俺だったら、終始ビビって何もできなかったと思うわ。

 しかしあんなことの後だってのに、我ながらよく落ち着いてこんな場所に来れたもんだ。これでまた強盗が出て来たら笑うしかないよな。

 

「……変態君。さっきの強盗が持ってた武器だけど……やっぱりどう考えても普通じゃないわ。ピストルはともかく、手榴弾なんてそうそう手に入るものじゃない」

 

 一難去ってお気楽ムードかと思いきや、救芽井さんがいきなりクソ重い話をぶち込んできた。いや、気掛かりなのはわかるけどね、ファミレスでする話じゃないでしょ?

 ――などと言いたいところだが、今回ばかりは他人事じゃないから真面目に聞くとしよう。確かに、ただの強盗にしちゃあ手榴弾はやり過ぎな気がする……。

 

「私の見立てなんだけど、もしかしたらこれは――」

 

 その時だった。救芽井の言葉が終わる前に、彼女を含めた俺達三人が凍りついたのは。

 

「――僕の仕業、だったり?」

 

 ……おい。強盗より断然ヤバいのが来たんだけど。全然笑えねぇんだけど。

 

 ――古我知さんが、来てんだけど。

 

 ……ファミレスに。

 

 



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第24話 古我知さん現る

「おやおやまぁ、みんな固まっちゃって。そんなに僕がここにいるのが驚き?」

 

 にっくき悪の親玉――であるはずの古我知さんは何の悪びれもなく、窓際に座っていた俺の隣に腰掛けた。しれっと俺達の席に現れたこの男のふてぶてしい振る舞いに、この場の全員は絶句せざるを得なかった。

 

「あの強盗達に武器を与えたのは僕さ。樋稟ちゃんが龍太君を鍛えてるという情報を掴んで、どれほどのモノになってるのかが気になっちゃってね。『生身の人間は脅すだけ、手を出してはならない』っていう僕の言いつけを無視して、強盗達が変な気を起こした時はどうしてやろうかと思ったものだが……君の力は僕が思っていた以上だったようだね、龍太君」

 

 ――俺ん家に上がり込んでた時といい、なにを考えてんだコイツは!? 昨日言ってた「敵は『開放の先導者』だけじゃない」ってのは、こういうことだったのか……!

 

「こ、こ、この人ってアレやないん!? あのわるもんのおやだ――」

 

 ガタリと席から立ち上がり、大声で叫ぼうとする矢村。そこから何を言おうとしているのかを察した俺と救芽井は、二人掛かりで彼女の口を完全バリケード封鎖した。こんな公共の場で滅多なことは叫ばないで頂きたい! 人に聞かれるから! 全部が水の泡になるから!

 矢村は古我知さんとは初対面であるが、前もって救芽井から彼の助手時代の写真を見せてもらっていたため、人相を知っていた……のだそうだ。現にいきなりの親玉出現に、驚きと敵意を隠せずにいる。ヤムラボーブリッジ、封鎖出来ませんッ!

 「むがむが!」と暴れる彼女をなんとか抑えつつ、俺達二人はジロリと古我知さんにガンを飛ばす。明らかに俺達全員に敵視されているにもかかわらず、当の本人は涼しい顔でわざとらしく肩を竦めていた。

 

「ひどいなぁ。僕はただ君達が楽しそうだったから、ちょっと混ぜてもらいたかっただけなのに」

「ふざけないで下さい。何のつもりですか剣一さん!」

 

 未だに暴走を止めない矢村にチョークスリーパーを決めながら、救芽井が詰問する。おい、ちょっとは手加減してやれ。

 

「何のつもりって……お喋りしたくて来たに決まってるじゃないか。主に一煉寺君と」

「変態君に……!? 彼に何の用があるっていうんです?」

「う〜ん、樋稟ちゃんには口出しして欲しくないんだなぁ。これまで着鎧甲冑に関わって来なかった、『素人である龍太君と話す』ことに意味があるんだから」

 

 そこで一旦言葉を切ると、「ねっ?」といいたげな表情でこっちに目を向けて来る。んなこと俺が知るかっつうの……。

 

 救芽井は一瞬俺の方に視線を移すと、「こんな人に騙されちゃダメ!」と目で訴えてきた。こっちだって酷い目にあわされかけ――いや、既にあわされたことがあるんだから、いちいち言われなくたって言いなりにはならねーよ。

 

「さて、というわけでちょっと龍太君と二人で話がしたいんだ。悪いけど、お嬢さん二人には席を外してもらいたいんだ」

「いい加減にして下さい! あなたこそ、早く『呪詛の伝道者』を捨てて投降しなさい! 着鎧甲冑は、争いの火に油を注ぐために作られたわけではないんです!」

 

 矢村ほどではないものの、かなりの音量で救芽井が怒声を上げている。おい、矢村を無茶苦茶して黙らせといて、それはないんじゃないか?

 

「僕はそれについて、客観的な意見を聞きたいんだよ。あくまで一般人でしかない、龍太君からね」

「彼を説き伏せて仲間にでもするつもりですか? 外部の人間を無理矢理巻き込むような所業は許しません!」

 

 いいこと言ってる。いいこと言ってるけど……お前が言うな。お宅の都合で割を食ってる一人の受験生をお忘れか? まぁ俺のコトだけど。

 

 それからしばらく、互いに一歩も譲らないやり取りが続いていた。いつまで張り合う気なんだコイツら……。

 

「だから、僕は彼に聞いてるんだってば」

「そんなこと許せないって、何度言えばわかるんですか!」

「――あぁもう、ラチがあかねぇ! おい古我知さん、話だけなら聞いてやる。男子トイレに行くぞ、席を外すのは俺達だ」

「ちょ、ちょっと変態君!?」

「このまんまじゃ、いつまで経っても平行線だろう。それに、こう熱く語り合ってちゃ、周りに聞かれかねん」

「でもっ……!」

 

 俺に論破されつつ、なおも食い下がる救芽井。だぁぁぁもぅ! いっつもキツイ訓練のことばっか言うクセして、こんな時だけ心配性にシフトしてんじゃねーよ!

 

「寝返ったりしねーから安心しろよ。さっき教わった『敵情視察』ってヤツだ」

 

 もう「刺殺」とは間違えないぞ。うん。

 

「……う、うん。わかった」

「納得してくれたようで、僕としては嬉しい限りだよ。だけど、なんで僕達が動かなきゃならないんだい?」

 

 渋々ながらも了承した救芽井の反応を確認した古我知さんが、キョトンとした表情でこっちを覗き込んで来る。何もわかってない、っていう純粋過ぎる顔って、怒りづらい分相当ウザいな……。

 

「伸びてる奴を叩き起こして席を外せってのか? 鬼畜組織のボス殿は考えることが違うな」

 

 わざと嫌味っぽく毒づいて、俺はチョークスリーパーで落とされていた矢村をチラリと見遣る。彼女は頭上にヒヨコを走らせつつ、ぐーるぐーると視線をスピニングしていた。

 

「あ、あはははは……」

 

 やり過ぎちゃった、といわんばかりに救芽井は苦笑い。救芽井さん……冗談みたいに笑ってますけど、普通に殺人未遂ですからね? コレ。

 

「力加減が苦手で不器用なのは相変わらずだねぇ」

 

 ついでに古我知さんも苦笑。なんで誰ひとりとして矢村の身を案じないの!? 「こんなの絶対おかしいよ」って感じてる俺がおかしいの!?

 

 とにかく、今は矢村をそっと安静にしておきたい。俺は古我知さんの襟を引っつかみ、男子トイレまで強制連行した。

 

「やれやれ……腹を割って話すのに、これほどムードが湧かない場所ってないよね」

「グダグダとうるせぇな。いいからさっさと言いたいこと話せよ」

 

 青くて臭いタイルに包囲されながら、俺達は一対一で相対する。

 

 ――悪の親玉と、男子トイレで一対一。なんつーシュールな状況なんだコレは……!

 



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第25話 敵のボスには得てして事情があるもの

 男子トイレにて対決する、正義の味方(?)と敵のボス――という構図なんだろうか? コレは。

 

「そんなに睨むことはないだろう? 別に今ここで戦おうってわけじゃないんだ」

「どっちにしろ敵じゃねーか……いいから話始めろ!」

 

 飄々とした態度を崩さない古我知さんに、だんだん腹が立って来る。さんざん人を振り回しといて、なに涼しい顔してやがんだ!

 

「怖いねぇ。ま、君の気持ちももっともだな」

 

 すると、彼は個室トイレのドアにもたれ掛かり、俺に視線をぶつけてきた。睨み返す……というほど鋭い眼差しではないが、その目は俺の姿を捉えて離さなかった。

 

「知ってるだろうけど、僕は着鎧甲冑を兵器転用するために『解放の先導者』を造り、君達が言うところの『技術の解放を望む者達』を組織した」

「ああ。んで、救芽井の家族をさらって、着鎧甲冑の利権を奪おうってんだろ」

「そうさ。僕がわざわざこの町に来て、彼ら一家との攻防に興じているのは、『兵器転用された着鎧甲冑』が『本来の着鎧甲冑』と比べてどれほど有用か、というデータを取るため」

 

 おさらいをするように、淡々と彼は喋り続ける。人が必死にあれこれと手を尽くしてる間に、コイツはこんな調子で兵器がどうのこうのなんて抜かしてんのかよ……!

 

「そんなことのために、あんたはあの娘を苦しめて、追い詰めようってのか!? 助手だったんだろう!? あんたは!」

 

 気がつけば、拳をにぎりしめてそんなことを口走っていた。我ながら臭い台詞だとは思うが、こんな時こそ本音をぶつけなくちゃいけないだろう。

 

「――そんなこと、か。本当にそう思うかい?」

「な、なんだよ?」

「優れた技術とは、得てして兵器に使われるものだよ。そしてそれが戦場で活躍することで質が底上げされ……より良い暮らしに繋がっていく」

 

 まるで俺を諭すかのような口調で、彼はこちらを見据えている。くっ、なんだか俺が説教されてるみたいじゃないか。

 

「今、世界中に普及している『インターネット』だって、本来は軍用に作られた技術だった。それに車や船、飛行機のような乗り物もみんな、戦争に使うために兵器として改造され、勝つために改良が重ねられ、やがてその技術が一般社会の暮らしに応用された。『着鎧甲冑』も同じだとは思わないか?」

「う……そ、そんなこと!」

「確かに、救芽井家の発想や信念は素晴らしい。そのための研究を重ね、『粒子化された最新鋭レスキュースーツ』を実現してしまった功績は、本来ならば未来永劫語り継がれるべきだったろう。彼らと苦楽を分かち合ってきた僕には、その輝きは眩しいほどに伝わって来る」

 

 裏切り者とは言え、なんだかんだで救芽井家に敬意は払ってる……のかな? 悪い奴なりに、事情がある――ってか?

 

「……だがッ!」

「うお!?」

 

 と思ってたら、いきなりドアぶっ叩きやがった!? 思わずビビって腰が引けちまった。情けねぇ……。

 

「彼らは兵器転用の一切を許さず、あくまで人を救うためにのみ、着鎧甲冑の技術を運用すると決めてしまったのだ。僕の忠告を聞き入れないまま! なぜだ!? なぜわかってくれない!? 戦争に使われず、その能力を示す機会を失ったままでは、着鎧甲冑の素晴らしき技術は世に出ることがなくなってしまうというのに! それでは、救芽井家が築き上げてきたものが、水の泡になってしまうというのに!」

 

 お、おおぉ……なんか一人で勝手に熱くなってやがるな。意外におしゃべりなのか? コイツ。

 

「ま、待てよ。兵器にならなきゃ、着鎧甲冑の技術は進歩しねぇって言いたいのか?」

「……その通りだ。現に今の救芽井家では、試作機として『救済の先駆者』が一体作られているに過ぎない。新たな後継機を開発するには資金が足りないし、十分なデータも取れない。だから兵器転用して、積極的に世界中の紛争地帯に売り込めば、資金もデータも貯まって開発を進めることができるだろう。着鎧甲冑の技術はいずれ世界を変え、救芽井家の理想はより現実に近しいものとなる」

「難しいことはわかんねーけど、要するに金がないから稼ぐために兵器にしろよ、って話なんだな。だけど、やっぱりそれはダメだろうよ。理想だか現実だか知らねーが、人助けしたくて作ったスーツで人殺してたら本末転倒だ」

「……そうだね。だけど、そう言っていられる時間にも限界がある。僕は早いうちに、『技術力向上のため』に兵器として改修する案を幾度となく出したさ。このままでは着鎧甲冑の素晴らしさが、日の出を見ないまま朽ち果ててしまう。そんな結末だけは、僕が尊敬していた救芽井家のためにも避けたかったんだ。でも、彼らは一歩も譲らないまま、本来の使い道を尊重するやり方で開発を断行した。やがて、僕はクビになったよ。『君はここにいるべきじゃない』ってね」

 

 ……あれま、なんだかしんみりした話になってきたなぁ。古我知さんは古我知さんで、救芽井家を心配してたってことなのか。

 

「僕は、それが堪えきれなかった。僕が尊敬し、誰よりも讃えたい一家が、自分達の夢に溺れて実現を遠退けてしまうことが。だから、僕は彼らを排除してでも、彼らが生み出していったものを形にしたかった。歴史に名を残すような素晴らしい発明品に、したかったんだ」

「……それで、『技術の解放を望む者達』、か」

「そうさ。僕は確かに悪かもしれない。それでも、そう蔑まれてでも、成し遂げなければならないことがあるんだ」

 

「成し遂げなければ、ならない――ねぇ。バカじゃねぇか」

 

 思わず口をついて出た俺の台詞に、古我知さんが目を丸くする。事情を話せば、赤の他人に過ぎない俺を説得して、味方に付けられる――なんて考えてたのかもな。

 あいにく、俺はそこまで情に厚くはない。ついでに言うと、俺はもはや『赤の他人』じゃない。

 

「その家族のためだとかなんだとか言っといて、結局そいつらをまとめて泣かしてんじゃねーか。そんなはた迷惑な親切は、誰から見たって御免被りたいね」

 

 そう。救芽井は、さらわれた両親のためにこの町に来て、あんなに怒ったり泣いたり戦ったりしていた。『普通の女の子』の彼女がそんなことをしなきゃならないのは、古我知さんが余計なマネをしているからに他ならない。

 なら、俺がやらなくちゃならないことは一つ。

 

「そんなもん、ブッ壊してナンボだろ」

 

 そんな俺のキメ台詞が効いたのか、古我知さんは一瞬キョトンとした――と思ったら。

 

「あはは……そうかそうか。ブッ壊す――か」

 

 割と平然でした。

 ……いや、あのねー。こういう説教タイムって大抵、敵ってたじろぐもんなんだと思うんですよ。だからちょっとくらいうろたえてくれたっていいんじゃないかなー。

 

「夕べ、遠回しに君のお兄さんに同じ話題を振った時、同じことを言われたよ。『悪いのは、勝手なことしでかしてる奴の方だ!』ってね」

「……あ、兄貴が?」

「ああ。――いやぁ、やっぱり兄弟だねぇ。君自身、彼になにか素晴らしい輝きを貰ったことがあるんじゃないかい?」

 

 からかうような口調で、古我知さんはニヤニヤしながら俺の反応を伺う。その一方で、ボソボソと「『一煉寺道院』なんて場所を隣町で見たことがあるが……まさかね」とか呟いてるが。

 

「……素晴らしい輝き、ねぇ。そんなよく出来たエピソードなんてないなぁ。あいにく、ダサくて薄汚れたお話しか持ち合わせがねーんだ、これが」

 

 ――俺と兄貴の話。そこには、素晴らしい輝きなんてない。

 あるのは薄汚さ、ダサさ、そしてちょっとの眩しさだけだ。

 



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第26話 損な性格は兄貴譲り

 中学一年になったばかりの頃。

 俺は兄貴と比べられる形で、ちょっとしたイジメに遭っていた。

 

「一煉寺って、兄貴はカッコイイよな〜。兄貴は、さ」

「かわいそーに。兄貴にいい遺伝子全部持ってかれちゃったんじゃねーの?」

「言えてる言えてる! つか、ホントに兄弟なのか? 弟の方は絶対捨て子かなんかだろ!」

 

 冗談で言ってるのか、本気でそう考えてるのか。聞き耳を立てていただけの俺にはわからなかった。

 だが、連中の言うことがおおよそ当たりだというのは、間違いなかった。だから俺は特に抵抗する気は起きなかった。

 いじめっ子が悪い、というのも事実だろうが、俺が余りにも「イジメの標的」として適してしまっていたのも、また事実だった。

 

 俺は、兄貴に比べて明らかに劣っていた。

 

 頭も頭もよろしくないし、運動だって出来ない。喧嘩なんて以っての外。身長なんて、女の子の救芽井と大差ないくらいだ。

 対して、兄貴はイケメンで長身。それに加えて、いいとこの大学に入れて町内では有名人。なにもかもが完璧で、クラスの奴が言うように「親の遺伝子をいいとこだけ貰って生まれてきた」ような奴だった。

 敢えてダメなところを挙げるなら……何人も侍らしてる女を放ってでも、出来損ないの弟を優先するところだろうか。

 「彼女とホテルに泊まって来る」って連絡しときながら、「俺が風邪を引いた」と聞いた途端に、息せき切って帰ってくることもあった。それに、中学の入学祝いのために、彼女のプレゼントを断念してエロゲーを買ってくることもあった。

 そんなことを繰り返したばっかりに、今となってはモテ度が低迷してしまっているようだ。それでも俺から見れば十分リア充だが。

 

「おい龍太、どうしたんだ? 最近お兄ちゃんに冷たいなー」

「っせーなぁー! てめぇにゃ関係ねーだろ!」

 

 そんな兄貴が、俺は正直妬ましかった。だから、よく突っぱねていた。なんでお前だけがそんなにいいんだ。なんで俺だけこうなんだ、って。

 ……わかってる。そんなもん、俺が自己チューなだけだってことくらい。

 兄貴は兄貴で、大学で勉強したりバイトしたり少林寺拳法の修行に取り組んだりと、かなり忙しい日々を送っている。本当は俺に付き合う時間なんて、ないはずなのに。

 なのにアイツは、嫌な顔一つせずに、「俺の兄貴」であり続けた。「なんでわざわざ出来の悪い弟に付き合うのか」と問い質せば、決まって兄貴は困ったような顔をして――

 

「だって家族だろ? 子供には、大人の味方が付いてなきゃ」

 

 ――と、それが当たり前であるように答えていた。

 

 そして、俺がそういう話を振り続けていくうち、いつの間にか俺は兄貴に道場まで引っ張り出され、少林寺拳法の練習をするようになっていた。「一煉寺道院」なんて名前の道場だった気がするが……まさか、な。偶然名前が被っただけだろう。

 それはさて置き、今だからわかることだが――恐らく何度も自分を卑下するようなことを言う俺を見て、なんとなく俺がいじめられていることを察したんだろう。「俺を守るため」に、小さな頃から親父の元で少林寺拳法を始めたという兄貴からすれば、当然の判断だったのかも知れない。

 

 もちろん、最初は何度もフェイスガードや胴に、手痛い突き蹴りを叩き込まれた。痛い思い、怖い思いを重ねつづけていた。

 ――そして、兄貴はそんな痛みを乗り越えてきた上で、俺に手を差し延べていたんだと知った。手酷く殴られ、痣を作っても、兄貴は激しい稽古を続けていたんだ。いつも俺の隣で、俺を守るために。

 

 ――俺は、そんな兄貴になにか出来るだろうか?

 考えてみたことはあるが、なかなか思いつけそうにはない。

 あるとすれば、それは兄貴のように俺を守ることだ。俺の力で、俺を守ることだ。

 

 そしてそれは、俺の体じゃない。俺っていう人間を作ってる、中身。よーするに、「心」みたいなもんだ。

 自分が許せないことを見過ごしたら、俺は俺の「心」を守れない。見過ごさないようにして怪我をしたら、俺は俺の「体」を守れないことになる。

 兄貴は、出来ることならどちらも避けたかったはずなんだ。だから、俺はどっちも出来るようになる。それが、兄貴が願うことなんなら。

 

 ――まぁ、矢村の時は「体」の方は守れなかったけどな。それでも、結果としてイジメがなくなったことで、アイツは喜んでいた。

 俺が初めて、俺の「心」を守れたからだ。矢村を脅かす奴を放って置けない、そんな心境を「行動」に移せたことが、大きな進歩になっていたんだ。

 

 そう、矢村を助けようとして、俺は初めて前に進むことができた。

 それが出来たのは――そう、兄貴がいたからだ。

 

 兄貴がいなければ、それこそ俺は傍観者であり続けたし、それを不自然だとは思わなかっただろう。矢村を助けなくちゃいけない、ってことに気づきもしなかったはずだ。

 大人の味方が付いていたから、ガキの俺は前に進めた。

 

 ――根拠はないけど、それはきっと……救芽井にも言えるんだと思う。

 アイツは両親を奪われ、ゴロマルさんしか頼りがいない中で、必死に抗ってる。

 

 ……俺は大人じゃないから、兄貴みたいに助けてやることは出来ないけど。たかが一介の、男子中学生でしかないけど。

 

 それでも、支えてやることが出来るなら。そばについててやることに意味があるなら。

 

 彼女にとって「他所の世界」である松霧町に住む、「外部の人間」に味方がいることに、ほんのちょっとでも価値があるなら。いることと、いないこと――1と0に違いがあるなら。

 

 俺は、彼女の味方でいたい。せめて、俺の「心」を守るために。

 



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第27話 まさかのリストラ宣言

 ……とまぁ、俺と兄貴の話なんてこのくらいのもんだ。別にペラペラ喋るだけの価値があるようなもんでもない。

 

 けど、古我知さんは割りと真面目に俺の話を聞いていた。なにがそんなに興味深いんだか。

 

「いい話じゃないか。……僕には、家族なんていないからね」

「あぁ?」

「――僕が小学生の頃だ。戦場のジャーナリストだった両親は、紛争地帯での取材の時に……」

 

 そこで言葉を切り、彼は手洗い場の鏡に向けて顔を逸らす。そこに映った古我知さんの顔は、まるで憑かれたかのような「使命感」に包まれた色を湛えていた。

 

「……そんな僕を引き取り、育ててくれたのが救芽井家だった」

「――なんだよそれ。恩を仇で返そうってのか!?」

「違う。恩人だからこそ、彼らの夢や技術をふいにしたくないんだ。兵器転用したと言っても、永久にその役割しか果たさないわけじゃない。『軍用』だった『インターネット』が世界的に普及したように、いずれは救芽井家の願い通りに使われる日が必ず来る。僕の理念は、より確実に救芽井家の悲願を達成するための、『遠回り』に過ぎないんだよ」

「その『遠回り』を認めたら、人を救うための着鎧甲冑で何人もの人が殺されちまうんだろ。それが嫌だから、救芽井んとこの人達はみんな反対したんだろうが!」

 

 確かに、古我知さんの言うことはわからんでもない。自分の恩人達の悲願が、理想にこだわって潰れてしまったらやり切れないもんだろう。付き合いの浅い俺にだって、それくらいはなんとなく察しがつく。

 だが、それはあくまで彼の主観でしかない。最後に決めるのは、救芽井の家族達だろう。

 

 ――結局、古我知さんは自分の価値観で、人のやることにケチをつけてるだけだ。そんな独りよがりを許したら、救芽井の「願い」も俺の「心」も見殺しにされちまう!

 

「どうあっても、僕のやろうとしてることが許せないかい?」

「ああ、ダメなもんはダメだ。『部外者』の俺から見ても、あんたがしようとしてることは単なるわがままなんだよ!」

「……そうか。残念だ」

 

 彼は俺を哀れむような目で一瞥する。鏡という壁を通じて映し出された彼の表情は、いじめられっ子のような閉塞感を帯びていた。

 そんな憂いを背負ったような顔を俺の目に焼き付けて、古我知さんはトイレを後にしようとする。なんだかトボトボという擬音が聞こえてきそうな、哀愁のある背中だった。

 

 もちろん一人でポツンと留まるわけにも行かず、俺は彼に続くように男子トイレから脱出した。だって臭うんだもん!

 

「さて、いい加減戻らないと二人がうるさ――って、え?」

 

 とりあえず救芽井と矢村が待っているであろう席に向かおう……としていた俺の前には、二人を張り込みのように見張る古我知さんの姿があった。

 遠目に見る限りだと、矢村はどうやら意識を回復させて救芽井とお喋りに興じてるみたいだけど……。

 

「……なにしてんの? そんなところで」

「シッ、静かにした方がいい。君に大きく関わることらしいからね」

「関わる? 俺に?」

 

 彼は思わず聞き返す俺に強く頷くと、壁に張り付きながら、探偵よろしく二人の会話に聞き耳を立てていた。

 こうした状況から推測するに、なにやら救芽井と矢村が俺に関係する話をしているらしいな。俺が話題の主体だってんなら、さすがに気にならざるをえない。

 壁からソッと覗いている古我知さんの下に潜り込み、俺は二人のやり取りに耳を傾けてみることにした。

 

 ――すると。

 

「どうしてわかってくれんのっ!?」

 

 バァン! と矢村が思い切りテーブルを叩いた!?

 

「うわ――むぐっ!」

「静かに! 聞こえるよ?」

 

 思わず驚き声を上げそうになり、古我知さんに口を塞がれてしまう。くぅ、とうとう敵に助けられる始末か……。

 ……いやそれより、なんだよこの状況!? 見てるだけで鬱になりそうな険悪なムードなんですけど!?

 

「龍太はあんなに頑張ったのに、なんでまだ戦わんといかんの!? もうええやん! アタシらただの受験生なんやで!?」

「確かに、無関係の一般人をここまで巻き添えにしたことは、申し訳ないとは思うわ。……だけど、今はなりふり構ってられないの! 警察にも頼れないほど機密性に重点を置いていた上に、今はお父様やお母様もいない……。そんな時に素性を知られてしまったからには、変態君には外部の協力者として手を貸してもらうしかないのよ!」

「そんなん、あんたらの都合やん! あんたらは龍太を殺す気なん!?」

「そ、そんなつもりあるわけないじゃない! むしろ向こうもこっちも、死者をなるべく出さないように気を遣ってるくらいなんだから!」

 

 ……なんかどこかで見たことあるよーなやり取りかと思ったら、俺の処遇の問題かよ。まだ片付いてなかったのか……。ていうか、傍目に見ても相当やかましいぞあんたら。静かにしないと一般ピープルに丸聞こえなんですけどー!

 ――それに、別に俺なんぞのことでそこまで頭使うことないのに。仮にくたばったって、どうせ俺なんだから。

 

「そんなんに気ぃ遣うんやったら、初めからこの町に来んといてや! あの発光騒ぎやら『技術の解放を望む者達』の事件やらで、アタシも龍太も死ぬほど迷惑しとるんや!」

「……ッ!」

 

 ――なんだろう。俺がいなくなった途端、言い争いがものごっつい過激になったような気がする。こんなに切迫したようなやり取りしてたっけ?

 ていうか、矢村の言い草がかなりドギツいことになってるような……。迷惑してんのは間違っちゃいないんだけど、ああもハッキリ言っちゃうと却って救芽井が気の毒に見えて来ちゃうんだよなぁ。

 かと言って、このままだと受験が苦しいのも間違いないわけで。うーん、難しい……。

 

「……アタシは龍太が、こんなことで傷付いてええもんやとは思えん。着鎧甲冑やら何やら知らんけど、人を勝手に面倒事に巻き込んどいて、当然みたいな顔せんでくれん?」

「わ、私だって好きで巻き込んでるわけじゃ……!」

「好きでこうなっとるわけやないんやったら、何してもええん?」

「うっ……」

 

 ――む、なんだか俺が離れてる間にギスギスした空気になっちまってるみたいだ。

 なんか救芽井が困ってる顔になってるし……そろそろ俺がでしゃばらないと、収拾がつかなくなりそうだな。

 

「龍太とあんたに何があったかなんて知らんけどな。着鎧甲冑なんて、この町には何の関係もないんや! 早う帰ってくれん!?」

 

 ――ッ!

 おいおい、それはちょっと言い過ぎなんじゃないか!?

 つーか、さっきまでの間に何があったんだよ!? 喫茶店にいた時は、なんだかんだで仲良くやってたはずなのに!

 ああもう、こうなったら俺がやめさせるしか……!

 

「この際やから言うとくけどな、アタシは龍太が好きや! 大好きなんや!」

 

 ――はひ?

 

 ……な、なんだってー!?

 

 ちょ、お待ち! いくら俺が哀れだからって、それは身体を張りすぎてやしないかい!?

 

「な、な、な、なに言って……!」

「龍太は、転校してばっかで右も左もわからんかったアタシを励ましてくれた。それに、なにかあっても『弱いくせして』守ろうとするんや。アイツは、ちょっと情が移ったら何も考えずに無茶苦茶するような――そんな、頭の悪い奴なんやで!」

 

 ぐはッ! ちょっと褒められてんのかと思えば「弱いくせして」って……! そ、そんなとこ強調してんじゃねー!

 

「アタシは、そんなアイツを守りたい……! 危ない目なんて、遇わせたくないんや! あんたらは、そんなアイツを巻き込んで許されるほど偉いんか!?」

 

 ……矢村。あいつ、あんなこと言ってまで、俺を……?

 いやまぁ、哀れんでのことじゃないとしても、「友達として」の好意だってことくらいわかってますよ? 男の勘違いは見苦しいからねー……あははー……。

 

「――わ、私だって……出来ることなら! こんな、こんなお父様達の想いを踏みにじるような戦いなんてっ……!」

「だったら、あんたらだけでやったらええやん。龍太が巻き込まれてええ理由なんかない! あんたは龍太のなんなんや!? 御主人様にでもなったんか!?」

「そ、それはっ……!」

 

 なんかもう、完全に矢村がいじめっ子と化してるな……これじゃいくらなんでも、救芽井がかわいそうだ。それに、矢村もちょっと言い過ぎだし。

 こうなっちまった以上は手伝うしかないんだから、しょうがないってのによ……。

 

「どうやら、君のことで言い争いになってることは間違いないようだね。君はどうするんだい? これからも僕に抗うつもり?」

 

 一緒に隠れながら、古我知さんが囁くように問い掛けて来る。残念だが、俺はノンケだ。

 

「たりめーだろ。あんたみたいなおっかない奴、放っておけるか」

 

 ジロリと睨みつけ、俺はススッと彼から離れるように身を引いた。

 

「そうか……じゃあ、例の廃工場でじっくり待つとしようか。樋稟ちゃんにもよろしくね」

「へっ、そうかよ――って、なにッ!?」

 

 そこで俺は思わず、張り付いていた壁からはみ出そうになってしまう。

 ――コイツ、なんで俺達が廃工場に行こうとしてるのを知ってるんだ!?

 

「……まさか、兄貴にわざと吹き込んだってのか?」

「その通り。こないだの、公園でのド派手な戦闘の痕跡が残ったせいで、ここ最近は警察の動きが面倒なことになっててね。早急に決着を付けなきゃってことになったんだ。――お互いのためにね」

 

 そういうことかよ……! マズいな。警察に悟られたらヤバいのは同じなんだから、早く救芽井に知らせないと!

 

「……ごめんなさい」

「悪く思っても……ええよ。恨んでくれてもええ。これも全部、龍太のためなんやから」

 

 ――え?

 

 心の声でそう呟くより先に、救芽井はひどく悲しげな表情で、席を立っていた。

 彼女はそのまま矢村に背を向け、その場を去ろうとする。

 

「ちよ、待った救芽井!」

 

 頭で考えるより先に、俺は彼女に声を掛けていた。このまま行かせちゃいけない――と、直感が訴えていたから。

 

「変態――君? もしかして、さっきの話、聞いてた?」

「あ、いや、そのっ……!」

「……ごめんね。今まで迷惑掛けて。私、自分のことで必死過ぎて、どれだけあなたにとって疫病神だったか、気づけなかった……」

「……!?」

 

 なんだこの娘。ホントに、あの救芽井樋稟なのか? 強盗の時とは比べものにならないくらい、ひどくしょげてる……。

 

「矢村さんの、おかげかな? 矢村さんが言ってくれなかったら、きっと私、守るべき人を不幸にしてたんだと思う。ホント、馬鹿だよね? 私。何の関係もない人を、自分の都合で引きずり込んで……」

「あの、ちょっ……そんなこと別に俺は――!」

「いいの! ――もう、訓練なんてしなくていいから。受験勉強、頑張ってね?」

「お、おい!」

 

「警察が僕らに感づくのは時間の問題だ。今夜、全てを終わらせる――というのはどうだい? 僕は『解放の先導者』のプラントで、君を待とう」

 

 俺がなんでもいいから声を掛けようとしたところで、古我知さんがズイッとしゃしゃり出て来た。ちょっ……あんた邪魔!

 

「――廃工場、ですね」

「ご名答。しかし詳しい場所はわからないだろう? 龍太君かあの女の子にでも案内してもらうかい?」

「いいえ。自力であなたを見つけ出し……勝って見せます」

 

 有無を言わさぬ強い口調で、救芽井は古我知さんに宣戦布告。おいおい、勝ち目のある戦いじゃないんだろー!?

 

「……私は、松霧町のスーパーヒロインです。負けたりなんか、しませんから」

 

 自分に言い聞かせるように呟いたのを最後に、彼女は無言でファミレスから出ていってしまった。それに続き、古我知さんも不敵に笑いながらこの場を立ち去っていく。二人共、お勘定は……?

 ――いやいや、今はそこじゃねぇ。どうすんだよ!? いつの間にかクビ宣告されちまったよ!?

 自分でもわかるくらい露骨に焦りながら、俺は矢村の方を見る。

 

 ――そこには、独りで町を歩く救芽井を、ガラス越しに見つめる彼女の姿があった。いつもの気丈な顔色はなりを潜め、そこには堪え難い後悔の感情が伺えた……。

 



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第28話 彼女を探して

 あの後、俺は(ほとんど食べてないけど)支払いを済ませて、矢村を連れて救芽井を追った。

 しかし商店街に入った彼女の姿は、人混みに紛れていくうち、徐々にその行方をくらましてしまった。人通りの多いイブの日だってのが、ここまで「間が悪い」と感じるとは……。

 ところどころで、「すっごいイケメンを見た」とか「めっちゃ可愛い女の子がいた」とか噂してるのが聞こえたことから、そう遠くへ入ってないはずなんだがなぁ。救芽井にしても古我知さんにしても、こんな何もない田舎町には、あまりにも場違いなイケメン&美少女なんだから。

 

「くそっ、すっかり見失っちまったい!」

「もう家に帰ったんちゃうん?」

「いや……最後に見掛けた時は、救芽井ん家とは正反対の方向だった。もうちょいここを捜そう!」

 

 周りの見慣れた住民のみんなは、人の気も知らず和気藹々とイブを満喫してる。ちくしょー! リア充爆発しろっ!

 ……いやまぁ、実際のところは、こっちの事情が知られない方がマシなんですけどね。

 

 じゃあ、次は交番のお巡りさんにでも訪ねてみるか――と思い立ち、商店街のはずれに出ようとした……途端。

 

「ちょっ――ちょっと待ってや!」

「んお? どした?」

 

 不安げな表情を浮かべた矢村に、後ろから手を引かれてブレーキされてしまった。俺は横断歩道から飛び出す子供かー!

 

「な……なんでわざわざ追い掛けるん? もう関わらんでええって言うたやん、あの娘」

 

 お前が言わせたんだろうが……とは言いづらい。言葉がキツかったとは思うが、矢村は矢村で俺を心配してくれていたんだから。

 だけど、これは俺と救芽井の問題だから……心配して貰っといて難なんだけど、矢村には余り気にしないでほしかった、かな。

 

「確かに、アイツと関わる義理なんてないかも知れないけどさ。俺、未だに変態呼ばわりされたまんまなんだぜ? 仲悪いままおさらばなんて、後味が悪いだろ」

「やけどさぁ……!」

「んなこと言っちゃって、お前だって『悪いことしたかなー』って顔してたじゃん」

「うぅ……」

 

 そう。

 矢村はただ、俺を危険から遠ざけようとしてただけだ。救芽井そのものを毛嫌いしていたわけじゃない。……まー、ちょっと意味わかんないことで張り合いはしてたけど。

 ――事実、二人は喫茶店の前では仲良く喋ってる時もあった。「技術の解放を望む者達」が絡みさえしなければ、こんな仲たがいをしてしまうようなことにはならなかっただろうに。

 悪いのは、古我知さんだろう。救芽井を責め立てるのは筋違いのはずなんだ。それが薄々わかっていたから、矢村だってあんな顔をしていたんじゃないか?

 

 今さら追い掛けたところで、何かが好転するとは限らないし、却って救芽井の足を引っ張ることになるかも知れない。

 それでも俺は、言われるがままに彼女をほったらかすことはできない。

 ――あんな別れ方しといて、はいそうですかと受験に専念できるとでも思ってんのか! ナイーブな思春期の女々しさナメんなよ!

 

 ――とは言ったものの、時間が経つばかりで、一向に彼女の姿を見つけることは出来なかった。古我知さんもあれっきり見つからず、交番に行っても「フラれたのかい?」とおちょくられて終わりだった。うぜぇ……。

 

「ヒ、ヒィ、ヒィ……み、見つからねぇ……! もうかれこれ三時間は歩き回ってんぞ……!」

 

 これだけ探し回っても収穫なしとは、さすがにキツイ。

 息はどんどん白くなり、上着の下も汗ばんできた。

 おまけに足はガタガタだし、頭もなんかぼんやりしてきてる……。

 

「もっ……もう夕暮れやし、廃工場に行ってしまったんやない……?」

 

 さしもの矢村も、俺に付き合ったばっかりにクッタクタの様子。

 なにからなにまで申し訳なさすぎる……!

 

「……いいや。この時間帯は商店街周辺の警察が交代する頃だから、今のタイミングは一番警察の動きが不規則で活発になるんだ。どっちも警察の動向くらい掴んでてもおかしくないし、夜になって落ち着くまではどっちも出て来ないと思う」

 

 辺りを見渡してみると、あちこちで警官がぞろぞろと動きはじめている。何人かが廃工場の方へ向かっているのも見えた。

 さすがに、今の時間に動きがあるとは思えない。どっちも、警察に見つかりたくないのなら。

 

「それに、今となっては俺も矢村も『技術の解放を望む者達』のターゲットに入れられちまってる。救芽井がいない今の状況でホイホイと廃工場に行こうなんて、狼の群れに羊二匹を放り込むようなもんだ」

「……なぁ、それやったら……もし救芽井が負けたら、今度はアタシらの番ってことなんやろか……」

「古我知さんが着鎧甲冑を手に入れた段階で、それに満足して俺達をほっとく……ってことにならない限りは、そういうことになるだろうな」

 

 だからこそ、救芽井は意地でも古我知さんに勝つつもりなのかも知れない。ファンシーなお姫様願望抱えてるくせして、「私はスーパーヒロインなんだから」だなんて啖呵切るあたり、相当思い詰めてるぞアレは……。

 

 しかし、本当に見付からないな……まさか、マジで矢村が言ってた通りに家に帰っちまったのか?

 うわぁ……さっきあんなドヤ顔で「いや……」なんて言っちまった後だから余計に恥ずい! 穴があったら入りたい! いやもうここに穴を掘ろう!

 

 ――って、あれ?

 

「龍太? どしたん?」

「ああいや、ちょっとね」

 

 ふと、見覚えのある店に目を奪われた俺は、どことなく違和感を覚えてそこへと足を運んでいた。

 

 それは、救芽井と二人でこの商店街に来た時に立ち寄った、あのぬいぐるみ屋だった。ガラスのショーケースに飾られたぬいぐるみは、今もズラリと並べられている。

 

「あれ……やっぱ無くなってる」

 

 俺が感じていた違和感の正体は、そのショーケースの中にあった。

 以前、救芽井が買っていった奴の隣に飾られていたウサギのぬいぐるみが、忽然と姿を消していたのだ。二体ピッタリと寄り添っていた格好だったんだが、まさか両方共消失していようとは。

 

「そこにあった二匹のウサギさんねぇ。とっても可愛い女の子が買って行ったのよ」

 

 すると、店の中からニコニコと朗らかに笑うおばあちゃんが出て来た。店主さんかな?

 

「その女の子って、俺と同い年くらいでしたか?」

「えぇ。あなた、あの娘のお友達?」

「うーんと、まぁそんなところで」

「そうなの……。それじゃ、また会った時には励ましてあげてね。なんだかあの娘、寂しそうな顔してたから」

 

 おばあちゃんは、両手で抱えていたクマのぬいぐるみで可愛くジェスチャーしながら、優しく微笑んできた。……寂しそう、か。

 

 俺はその後、矢村と一緒に来た道を引き返し、救芽井家に向かった。商店街はくまなく捜したし、他に思い当たる場所もないし。

 ――それに、デカいぬいぐるみを抱えて他所へ行くとも思えない。彼女なりに、なにか思うところがあったのだろうか。

 

 俺ん家と隣接している救芽井家が見えてきた頃には、すっかり日も落ちて夜の帳が降りようとしていた。いよいよ、戦いの時が近づいて来たって感じなのかもな。

 

「イブって時やのに……神様もひどいことするもんやなぁ」

「ひでぇのは古我知さんさ。神様でも――ましてや救芽井でもない」

 

 確かに最悪のイブだけど……それは、俺達だけじゃないんだ。むしろ、もっと大変なもんを背負ってる女の子がいる。

 出来るもんなら、せめて応援の一言でも言ってやりたいもんだが――あ。

 

「あ」

 

 刹那。

 俺の心の声と、彼女の肉声が重なった。

 

 救芽井家のドアから出て来た彼女と目が合った瞬間、俺は――言葉を探すあまり、固まってしまった。

 



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第29話 いざとなると、言葉が出ないもの

「変態君……」

 

 ドアを開いたところで、出会い頭に視線がぶつかる俺達。いきなりの展開に、あっちもこっちも言葉が出せないでいた。

 

「あ……きゅ、救芽井! どこ行くんだよ!?」

 

 ――そんなこと、聞くまでもない。戦いに行くつもりだったに決まってる。

 それでも俺は、尋ねずにはいられなかった。勝ち目のない戦いに身を投げようとしているなんて、考えたくもなかったから。

 

「どこ……って、決まってるじゃない。廃工場よ」

 

 しかし、返って来た答えは残酷なほどに至極まっとうなものだった。既に辺りは暗くなり、「夜」と見て差し支えない景色になっている。

 こんな状況で、戦うことの他に用事があると考えるバカが、俺以外のどこにいるというのか。

 

 それよりも俺の心に突き刺さったのは、質問に答える彼女の顔だった。

 笑っていたのだ。満面の笑みではなく、どちらかと言えば「しょうがないなぁ」という苦笑に近い。

 頼る仲間がいない今、彼女は強盗の時のように泣くことすらできない。せめて心配させないよう、作り笑いをすることしかできない。

 今にも消え入りそうなほどに、儚い印象を受けるその笑顔からは、そんな彼女の「限界」がありありと浮き出ているようだった。

 

「廃工場――って、場所わかんないだろ!? それに、勝てる見込みは見つかってないって言ってたじゃんか!」

「そ、そうやって! べ、別に、今すぐ戦わんでもええやん!」

 

 無駄なことだと頭ではわかっていても、口は思考に反して動き出す。なんとか彼女を引き止める口実が欲しくて、俺は見苦しいくらいに彼女を説得しようとする。

 その上、非情な現実を前にして良心の呵責が激しくなったのか、あれほど救芽井を責め立てていた矢村までもが制止の言葉を投げ掛けていた。

 

 こんな争い、あっていいわけがない。

 勝ち目もなしに、ただ理不尽な力で蹂躙されて終わる……そんなの、無茶苦茶だろーが!

 

「ありがとう……心配してくれて。廃工場ならおじいちゃんが調べ出してくれたから、平気よ。矢村さんも、わざわざ見送りに来てくれて、本当に――」

「み、見送りなんて! アタシはただっ……!」

「わかってる。変態君にはあなたがお似合いだものね? 彼の恋人でもないくせして、変にでしゃばってごめんなさい」

「きゅ、救芽井……?」

 

 何の話かは知らないが、どうやら二人は本当に仲たがいしてしまったわけでもないようだ。彼女の寛容さには、頭が下がる。……俺には相変わらず変態呼ばわりだけども。

 

「――ねぇ、変態君。前にあなたが選んでくれたウサギさん、覚えてる?」

「ん? あ、あぁ。そりゃこないだのことなんだし」

 

 そういや、あのおばあちゃんの話によれば、救芽井はあそこでウサギのぬいぐるみをもう一個買ったらしいが……。

 

「あれ、お店のおばあちゃんが教えてくれたんだけどね……あそこに飾られてた二匹のウサギさん、つがいのイメージで置かれてたんだって」

「へぇ〜……つがいってことは、オスとメスに分かれてたってことか? てっきり兄弟みたいな意味合いかと……」

 

 つーか、ぬいぐるみにオスもメスもあんのか……? まぁ、人が作るもんには魂が宿る――みたいな話も聞いたことあるし、案外男の子と女の子の霊魂とか込められたりしてんのかもな。

 

「前に君が選んでくれたのって、女の子だったんだって。その片方だけじゃぬいぐるみさんも寂しいと思うから、男の子の方も――さっき買ってきちゃったんだ」

「そうなのか――って、なんでそんなことを?」

「……言わないと、わからない?」

 

 なにかシャクに障るようなことでも言ってしまったのか、救芽井は恥ずかしそうに顔を逸らす。暗がりでもわかるくらい、彼女の頬が赤い。

 

「もし女の子が、なにかあって思い出をなくしちゃっても――その男の子が隣にいてくれたら、きっと支えになってくれるって……そう思ったから」

「……え?」

「私は、なにもかもなくしちゃうかも知れない。それでも……せめてぬいぐるみさんには、好きな男の子の傍にいさせてあげたかったんだ」

「お、おい救芽井? どういうことだよそれ?」

 

 なんかものすごく大事な話をされてる気がする。彼女の周りに漂う雰囲気が、それを物語っている。

 なのに、そのニュアンスがイマイチ掴めない。ぬいぐるみと自分の話がごちゃまぜになっていて、彼女が何を言いたいのかが不鮮明だった。

 

「私の言ってること、わからない?」

 

 そんな俺の無理解が顔に出ていたのか、救芽井は俺の胸中をアッサリと見抜いてしまう。

 変に嘘をついてごまかせる空気じゃないのは確実なんで、俺は申し訳なさげに目を伏せることしかできなかった。

 

「そっか……前々から思ってたけど、君って本当に鈍いのね」

「ク、クラスの連中からもたまに言われる」

「矢村さんのことね。あなたったら、本当に罪なんだから」

 

 子供を叱るお母さんみたいな口調で、彼女はフッと笑いかけて来る。矢村のこと……? なんで彼女がそこで出てくるんだろう?

 

「だけど……」

 

 そこに気を取られている間に、彼女は俺の脇をすり抜けていた。

 表情こそ見逃したが――声はひどく、震えていた。

 

「私の気持ちだけは、わかってほしかったな。せめて、今夜だけでも」

 

 その意味を問う暇も、考える時間もなかった。

 彼女は俺と矢村を抜き去って道に出ると、勢いよく駆け出しながら、素早い動きで例の変身ポーズを決める。

 

「――着鎧甲冑ゥッ!」

 

 そしてその掛け声に応じ、彼女の全身は一瞬にして「救済の先駆者」のボディに包み込まれた。勇ましく叫ばれるはずのその名を呼ぶ彼女の声が、悲しげな涙声と化していたのは――気のせいじゃないだろう。

 

 俺達は救芽井を制止するどころか、応援の一言すら掛けられないまま……彼女を見送ってしまった。

 



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第30話 秘密ってなんだっけ

 救芽井は、戦いに行ってしまった。

 止めることはおろか、励ましの言葉さえ掛けられないまま。しかも、最後に彼女の声は震えてもいた。

 

 あまりと言えば、あまりにも最悪。

 こんなもん、余計に気を遣わせたようなもんじゃないか!

 

「くそっ! 追い掛けて――!」

「待ってや龍太! 行ってもアタシらじゃ何も……!」

 

 彼女の後を追おうとする俺に対し、矢村は両手を広げて立ち塞がる。声色は酷く張り詰めていて、表情は慈悲を乞うかのように切ない。

 

「だけど……!」

 

 なんとしても救芽井を追いたい。そのために反論しようと口を開きはした――が、その具体的な言葉が出て来ない。

 

 ――わかりきってるからだ。矢村の言うことが、紛れも無い正論であると。

 俺がしゃしゃり出たところで、役に立つことはないのは明白だ。訓練は逃げ回るだけの中途半端な結果に終わり、「救済の先駆者」のレスキュー機能の使い方もよくは知らない。

 代わりに戦おうにも「解放の先導者」一体にすら歯が立たず、彼女が傷ついても助けることすらできない。そんな俺が、救芽井に何をしてあげられるってんだ?

 

 ――なんだよ。なにも出来ねぇじゃねーか。何が「ヒーロー」だ!

 肝心な時になにも出来なくて、こんなっ……くそっ!

 

「なんで『俺』なんだよ……! なんで救芽井の味方になったのが『俺』だったんだ! もっとちゃんとした奴が一緒にいてくれりゃ、救芽井だって――!」

 

 そこで、俺は一人の人物を思い出した。――ゴロマルさんだ!

 彼なら、なんとか救芽井を助ける方法を捻り出してるかも知れない。

 都合のいい妄想に過ぎないというのはあるかもだが、今は彼を当てにするしかない。

 ――救芽井にとっての「大人の味方」は、彼しかいないはずだから。

 

「ゴロマルさんッ!」

 

 救芽井本人が慌てて飛び出したせいか、鍵が開けられていた救芽井家に入り込むと、俺はコンピュータをパチパチといじる音を頼りに彼のいる場所を目指す。矢村も俺に続き、「お、お邪魔しま〜す……」とたどたどしく入ってくる。

 

 もう聞き慣れてしまった、救芽井家仕様のコンピュータを使う音。それだけの情報を元手に俺は――居間でパソコンに向かい続けていた、人形のように小柄な老人を発見した。

 

「ゴロマルさんッ! 大変だッ! 救芽井と古我知さんが戦うつもりだって……!」

「……そうか、行ってしもうたか。できるものなら、避けるべきであったのじゃがな……」

 

 こっちに振り返ることもせず、ゴロマルさんはただ黙々とキーボードを打っていた。その声色からは、状況に見合うだけの焦燥感や悲壮感が感じられない。

 なんだよ……なんであんたはそんなに落ち着いてんだ!?

 

「避けるべきだった――って、そうに決まってるじゃないか! 今からでもなんとかならないのか!?」

「無駄じゃ、もはや選択肢はない。今戦えば樋稟に勝ち目はないが、今戦わなくてはいずれ警察に感づかれ、着鎧甲冑は世界から消える」

 

 そんな八方塞がりな状況のはずだってのに、目の前の小さな老人は「我関せず」というような態度のまま、コンピュータにだけ注意を注いでいた。

 

 ……なんでだよ!? あんたあの娘のじいちゃんなんだろ!? 孫娘がやられそうだってのに、なんでそんなに冷静なんだ!?

 

「――そんなアッサリと言わないでくれよ。あんたは、救芽井の味方なんだろ!? あいつはいくら凄くたって、俺みたいな一般人と大して変わらない『普通の女の子』なんだ! そんな子供には、大人の味方が――必要なんだよッ!」

 

 あいつだって、ゴロマルさんに助けを求めたかったはずだ。誰かに、寄り添っていたかったはずなんだ。それなのに!

 

「言ったであろう。もはや選択肢などない、とな」

「簡単に、言うなよ……!」

「それが現実じゃ。諦めるしかないじゃろう」

 

「――簡単に言うな、っつってんだろッ!」

 

 酷く冷静で、それを通り越して「冷酷さ」さえ感じられたゴロマルさんの応対に、俺はいつしか自分を抑えられなくなっていた。俺は我を忘れてずかずかと踏み込み、彼の両肩を掴んで無理矢理振り向かせる。

 

「龍太、アカン!」

 

 俺の行動に、状況を見守っていた矢村が制止を求める声を上げた。しかし、俺は手に込める力を緩めようとはしなかった。

 

 ゴロマルさんが余裕ぶっこいた顔で、言い放った一言を聞くまでは。

 

「――お前さんがいなければ、わしはそう割り切るしかなかった」

 

「お、俺が……?」

 

 こんな時に、ゴロマルさんは何を言い出すんだ? 俺がいなければ……って、俺に何ができるってんだ?

 

「龍太君。お前さんには、話しておかなければならんことがあってな。そっちから来てくれたのは都合が良かった」

「な、なんだよ。どういうことなんだ!」

「今にわかる。お前さんが剣一を倒し、『王子様』となる方法がな」

 

 彼は小柄な身体を活かして、肩を掴む俺の力からすり抜けると、トコトコと地下室に向かいはじめた。

 

「ちょ、ちょっと! どこ行こうってんだよ!?」

「お前さんに会わせておきたい人がおってのう。ついて来なさい」

 

 ゴロマルさんは詳しい話をすることなく、ただ悠長に階段を下っていく。……早く救芽井を助けたい俺には、じれったくてしょうがないわけで。

 

「ああもう、なんだってんだよ! とにかく、行くぞ矢村!」

「ええ!? あ、うん……」

 

 矢村の手を握り、俺はゴロマルさんのあとを付いていく。彼が救芽井のことを見捨てていないのなら、何か状況を変える方法があるのだと期待して。

 ……俺が古我知さんを倒す、みたいなことを言っていたけど――無茶苦茶にも程があるんじゃないか?

 

「連れて来たぞい」

 

 ゴロマルさんの言うことに理解が追い付く前に、俺達は彼が言っていた人物がいるのであろう、地下室にたどり着いてしまった。

 そして――

 

「おー。来たかい、龍太。なんだか、大変なことになっちまってるらしいなぁ」

「なっ……!」

 

 そこにいた人物は、見慣れた顔――どころか、俺の家族だった。一煉寺龍亮……俺の、兄。

 普通ならありえない場所にいて、普通ならありえないことを喋っている彼の調子は、いつもとなんら変わらないものだった。ちょっと待てよ、なんでウチの兄貴がここにいるんだ!?

 しかも、彼の傍らにはボロボロに砕けた「解放の先導者」の残骸が。ここで一体、何があったんだ!?

 

 状況が飲み込めないでいる俺と矢村の前に立ったゴロマルさんは、さっきまでとは打って変わって真剣な表情で俺を見上げる。

 ここでようやく本題に入る。彼の眼差しが、その意図を強く現しているようだった。俺と矢村は顔を見合わせて、彼の言い分に耳を傾ける。

 

「よく聞いておれよ龍太君。これは樋稟を救うための、君にしか出来ないことじゃ」

 

 そして、彼が第一に口にしたことは……俺が今、最も求めていた答えだった。

 

 ――俺にしか、できないこと……!?

 



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第31話 自分より速い女の子に、フラグが立つわけがない

「だーちくしょう! すっかり遅くなっちまった!」

 

 あれから約小一時間、俺はゴロマルさんや兄貴からの話を聞いた後、矢村と二人で廃工場に向かっていた。

 

 彼らから聞くことが出来たのは、俺が古我知さんを止め、救芽井を救える可能性があること。そして、彼女が今でも「王子様」が現れることを願っていることだった。

 

 救芽井がたった独りでもスーパーヒロインとして戦う決心がついたのは、「努力する少女の窮地に、ヒーローが駆け付ける物語」を父親から何度も聞かされていたから――らしい。

 

 諦めずに立ち向かえば、いつかきっと報われる。例えそれが不可能に近い確率だったとしても、がむしゃらに信じていなければたちまち心が崩れてしまう。

 それが、彼女なりの割り切り方なのだと、ゴロマルさんは言っていた。あれだけスーパーヒロインだと豪語していても、本音を言うならやっぱり「お姫様」が良かったんだな……。

 

 それに、さっき言ったように古我知さんに勝てる要素が俺にあるという話も聞くことが出来た。

 本当にそれで勝てるかはわからない。可能性はある、といっても、結局は「机上の空論」ってヤツでしかないのは確かだ。

 だけど、それでもやらなくちゃいけない。ほんのちょびっとでも勝ち目があるなら、俺自身を試す意味だってあるはずだ。

 

 俺みたいな品のない奴には、「ヒーロー」も「王子様」も務まらないかも知れない。古我知さんを止めるなんて大層なマネ、できっこないかも知れない。

 だとしても、やらないわけにはいかない。このクソ寒い冬の夜の中で、助けを求めてる「お姫様」がいるなら!

 

「龍太! あと五分くらいあったら着くで! ファイトっ!」

「ゲ、ゲホッ! ヒィヒィ……ちょ、ちょっと、ハァ、待ってくれよッ!」

 

 ――と、カッコよく現場に急行しようとしてたところなんだけどね。俺ん家の辺りから廃工場まで走ろうとしたら結構遠いんだ、コレが。

 兄貴の車に乗せてもらおうとも考えたが、雪が積もってスピードが出しにくい上に人通りが多い今の時期を考えると、余計な交通トラブルに出くわさないとも限らない。ゴロマルさんも車は持ってないみたいだったし(持ってたところでペダルに足が届かんだろうけど)、俺達は徒歩で廃工場まで急ぐことを強いられていた。

 俺ん家から商店街までは十数分掛かる。そこからさらに五分ほど走って、ようやく廃工場までたどり着くのだ。

 つまりどういうことかと言うと――非体育会系の中学生の足で走破するには、なかなか遠い。スポーツ万能の矢村がピンピンしてる隣で、俺は商店街内の自販機に寄り掛かって息を荒げていた。

 ――くそー、笑うなら笑えよっ! どうせ俺は運動オンチの非リア充ですよーだ!

 

「ヒィ、ヒィー……! ヒィーフゥー……!」

「そうそう、ゆっくり深呼吸してな! はい息吸って〜、吐いて〜」

 

 なんか、ものっそい矢村に面倒見てもらってる感じがする。男だよね? 俺って生物学上は男なんですよね?

 

 男のプライドを踏み砕くと同時に、俺の呼吸を安定させてくれた矢村。すごくいい娘なんだけどね……なんかいろいろと突き刺さる。

 

「どしたん? やっぱまだ疲れとる? もしかして、休憩挟んだから体冷ましてしもーたん?」

「いや、別にそういうわけじゃ――」

「いかんで! 龍太にはこれから大事なお仕事があるんやけん、しっかり体暖めとかな、怪我するで!」

 

 矢村はランニングの要領で腕を振り、こうして体を暖めろと促してくる。いや、そうしたいのは山々なんだけどね? そんなことしてると余計に体力消耗して、古我知さんとの対決まで持たな――

 

「しゃーないなぁ。アタシが抱きしめて暖めたるけん」

 

 ――いと、もっとすごいことになりそうな予感!? ファミレスのアレといい、一体どこまで俺の純情を振り回すつもりなんだッ!?

 

「ま、待て! ……よ、よーし、体力全快! いざ救芽井のもとへ!」

「おー! やったるでぇー!」

 

 これ以上男のプライドに障る前に、俺は元気が戻ったことをアピールしようと、両腕を上げてポーズを決める。頭は良くても単純なところがある矢村は、それがやせ我慢であることは全く気付かないまま、気合の入った声を轟かせ――

 

「――って、ちょっと待ていっ!」

「のわぁ! なんや!?」

 

 ふと気に掛かった重大な疑問に思い当たった途端、俺の叫びに矢村が思わず尻餅をついてしまった。

 スリップした拍子に、宙に眩しく白い脚が投げ出され――見えた! 柄は青と白のストライプ……じゃなーい!

 

「……なんで矢村までついてくるんだよ?」

 

 そうなのだ。ゴロマルさんから勝機をたまわった俺はともかくとして、別に戦うわけではない矢村がわざわざついて来るって、どういうことだ?

 

「気まっとるやろ、あんたと同じや!」

「え……俺と?」

「このまま終わってしもうたら、後味悪くて受験勉強なんて出来んし……それに、アタシはもう一回、救芽井に会いたいんや」

 

 これは意外な話を聞いてしまった。あれだけ対立していた救芽井に、今は会いたいと申すか。

 

「話しとるうちに、両親の夢に憧れて頑張ってる、いい子やってのがようわかったんや。ほやけん、ちょっと、妬いとったんかも知れん。あんなにピュア過ぎる娘やったから、ついあんな言い方しよったんかも知れんのや」

 

 そんな彼女の表情には、ファミレスの時と同じ「悔やみ」が現れていた。

 なるほど、ね。この娘も、俺と同じだったんだ。救芽井と、ちゃんと仲直りしたいんだろうな。

 

「役に立てんとは思うけど……アタシ、もう守られるだけなんて懲り懲りなんよ! 強盗ん時だって、アタシはてんでダメやったし……」

「矢村、お前……」

「だから、せめて傍にいたい! なんかあったら見捨てたってええから、お願いやから、あんたの傍にいさせてや!」

 

 ――おいおい。なんてこと言いやがる。

 コイツ、自分を何だと思ってんだ? この(世間一般の視点に立てば)平和なご時世からして、この娘だってちゃんと家族はいるだろうに。

 彼女になんかあったりしたら、家族がみんな悲しむだろうが。それに……俺なら、それよりもっと悲しむ自信がある。

 俺なんかのために、この娘を傷つけたりしてたまるかよ!

 

「バカ言うんじゃねーよ。どうまかり間違ったって、見捨てられるわけないだろ! 俺はそこまで、ドライにはなれそうにないんで」

「龍太……!」

 

 身を起こし、矢村はほんのりと頬を染めながら俺を見上げる。こう上目遣いされると、つい甘やかしたくなるんだなぁ……煩悩、退散ッ!

 

「そんなに言うんだったら、もう張っ倒してもついて来そうだし……俺からは何も言えねーな。言っとくけど、どうなっても知ら――」

 

 そこで「どうなっても知らんぞ」という言葉を飲み込み、俺は疲れだけのせいじゃない、心臓の強い脈動を全身で感じながら……精一杯の気を利かせた。

 

「……いや。どうなっても、お前を守ってやんなきゃな。さぁ、行くか!」

 

 俺はすっかり筋力を回復させた両足で、積もりに積もった雪道を駆けて廃工場を目指す。ズブリと爪先まで沈み込む純白を踏み越え、俺は「お姫様」が待つ戦場への道をひたすら走って行った。

 ふと、その最中にチラリと後ろを見てみると、そこには俺を熱い眼差しで見詰めつつ、いつになく元気に走る矢村の姿が伺えた。

 以前まで見た表情とは比にならないくらい、やる気に満ちた面持ち。その瞳がわずかに潤んでいたのは、果たして気のせいだったのだろうか。

 



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第32話 ヒーローは遅れてやってくるもの?

「あああっ!」

 

 商店街のはずれにあるという、廃工場。弱々しい光を放ちながら、僅かに役目を果たしている電灯だけが、その廃屋の光景を映し出していた。

 

 ――救芽井が「呪詛の伝導者」に蹂躙される、光景を。

 

「くそっ、やっぱもう始まってる!」

「どしたらええん!? 救芽井、もうやられとるやん……!」

 

 酷く悲しみに震えた声で、矢村は目の前の現実に目を覆う。俺達は戦いの衝撃音を頼りに現場に辿り着けたわけだが、着いた頃には既に救芽井は劣勢に追い込まれていた。その上、彼女の周りには数体の「解放の先導者」がうごめいている。

 そして忘れもしない、あの黒い鎧。以前見たときはカッコイイと思えた「呪詛の伝導者」の姿も、今となっては凶悪な怪人としか俺の目には映らない。

 一方、「救済の先駆者」に着鎧している救芽井は、お得意の「対『解放の先導者』用格闘術」で果敢に攻め入っていたが、すぐさま切り返され反撃を受けている。まるで、彼女の戦い方全てが読まれているかのように。

 

「はっ、はぁっ……!」

「そろそろお疲れみたいだね。早いところ降参しないと、綺麗な身体に傷が付くよ?」

 

 彼女が一旦距離を取って隙を伺ってる間、その肩が激しく上下している様子を見れば、離れたところから見ていても息が上がっていることがわかる。だが、古我知さんもかなり動き回ってるはずなのに、どういうわけか彼の方は、ピクリとも無駄な動きを見せない。

 あんなにモヤシっ子みたいなナリなのに、古我知さんの方が救芽井より体力があるのか……? 女の子とは言え、「解放の先導者」を相手に無双バリに立ち回る救芽井が、体力負けだなんて……。

 

 ――いや、有り得る。

 

 「救済の先駆者」は人命救助が目的のレスキュースーツであり、「呪詛の伝導者」は戦闘が目的の、いわばコンバットスーツ。立つ土俵が、そもそも違うんだ。

 それなら、着鎧した時に生じる身体能力向上の度合いが変わっていても不思議じゃない。フェザー級ボクサーが、力士を相手に相撲のルールで試合をするようなもんなんだから。

 

「『解放の先導者』、行きなさい!」

「くっ……こんな機械人形ッ!」

 

 たまに周りの「解放の先導者」が襲うこともあったが、それは簡単にいなしてしまう。ところが、「呪詛の伝導者」が仕掛けてきた途端に、攻撃の流れが止まってしまっていた。

 

「ふふ、僕が出て来たら逃げるしかないのかな?」

「うっ――バ、バカなこと言わないで!」

 

 接近戦では爪や剣を使われ、距離を取れば銃で撃たれる。飛び道具や武器の一切を持たない「救済の先駆者」としては、カテゴリーエラーとしか言いようのない状況だ。

 距離があれば銃で撃たれても両腕でガードしていられるようだが、近い位置から銃口を向けられると大慌てで退散している。どうやら至近距離で撃たれたら、「救済の先駆者」といえどただでは済まないようだ。

 

「りゅ、龍太? アタシら助けに行けんの……?」

 

 震える細い指で俺の袖を捕まえ、矢村は今にも泣き出しそうな顔をする。俺だって、こんな状況で見てるだけなんて胃が痛いさ! けど――

 

「……ダメだ。俺が役に立てるなら、それは救芽井の着鎧が解けてからだ。それまで俺達は、何をするにせよ足を引っ張ることになっちまう」

「そんなっ……!」

 

 ――そう。俺が救芽井を救うには、まず「救済の先駆者」にならなくちゃいけない。けど、あいつの性格や前の別れ方からして、真正面から説得して「腕輪型着鎧装置」をくれる確率はゼロに等しい。だから今は時期を待つしか――

 

「きゃあああっ!?」

 

 ……!? なんだ!?

 俺は轟く悲鳴に反応して、俯きかけていた顔を上げて眼前の光景に目を見張る。

 

 「呪詛の伝導者」から黒い帯のようなものが飛び出し――瞬く間に救芽井に巻き付いてしまった。まるで、磁力か何かで引き付けてしまったかのように。

 彼女は両腕を封じられてしまい、豊かな胸だけが縛りから逃れるように浮き出ていた。

 

「な、なんだアレ!」

「救芽井、縛られとる……!?」

 

 俺と矢村が驚いている間に、古我知さんが身体を縛られ動けずにいる救芽井に近づいていく。ど、どうするつもりだ!?

 

「ソレは着鎧甲冑の強度を繊維に応用したゴム製だからね……簡単には外れないよ。これでわかっただろう? 技術はより強く、需要に応じたものが勝ち残り、需要に反するものは廃れていく。そしてどんな世の中であっても、兵器という概念は最高の需要となる」

「くぅっ……!」

「君達はそれを許さず、僕を阻んだ。しかし、現にこうして倒されている。どれほど君達の方に道理があるのだとしても、それでは何の意味も成せない」

 

 ……どういうことだ? あの人、動けなくなったところでとどめを刺しに行くのかと思えば――説得してる?

 

「僕は、そんなことがあってはならないと思う。君達一家が積み上げた力は、無に帰してはならないはずだ」

 

 まさか、この期に及んで話し合いで決着を付けるつもりなのか? ――彼の声色からは、威圧が感じられない。むしろ、手を差し延べているかのような。

 

「だからこそ、僕はこの『呪詛の伝導者』を作り上げた。世界が望む形で、君達の力を知らしめるために。それが着鎧甲冑の素晴らしさを世界中に伝える、一番の近道なのだから」

 

「――ふざけないでッ!」

 

 そこで響いてきたのは、一際大きい救芽井の叫び声。彼女は自らの声帯を潰すほどの声量で、反論の声を上げた。

 

「あなたのやってることは、ただの恩知らずよ! 人の夢を踏みにじり、全てを奪い、私達を排除しようとしている!」

「別に永遠に、というわけではないさ。僕が着鎧甲冑を世界に広める間、君達一家には大人しくしてもらいたい……というだけだ。それに――恩を忘れた覚えはない。僕は君のご両親に救われたが故、彼らのためにできることは何でもするつもりだ」

 

「それが――あれだと言うの!?」

 

 救芽井は縛り上げられた状態のまま、首の動きである方向を指す。

 ただの壁を指してるように見えるんだが……どういうこった?

 

 ここからじゃ、それがなんなのかはよくわからないし、何を喋ってるのかも聞こえないのだが……表情を見る限り、かなり深刻そうだ。

 

「お父様やお母様にあんなことをしておいて、よくも……!」

「まるで僕が殺してしまったかのような言い草だね……ただの冷凍保存だよ。メディックシステムの医療機能を改修し、人体をコールドスリープさせるカプセルに改造したってだけさ。あそこにいるご両親も、全てが片付けばじきに目覚める。彼らにとっての全てを忘れた上で、ね」

「なぜ、記憶を消すなんてっ……!」

「自分達が何をしていたか覚えていれば、悔いが残るだろう? 君達のような、科学者の集まりは特にね。このために電力確保用の強靭な発電機を用意して、かつ食費を『一日一個のカップ麺』まで絞りつくした僕の苦労も考えてもらいたいよ」

 

 ……何を話してるのかは知らないが、雰囲気でフィニッシュが近いような感じはしてる。

 情けは掛けていても、記憶を消すことにはためらいがないようだし――このままじゃあ、俺が出る前に救芽井が……!

 

「だから、もういいんだ。君達はなにもしなくていい。全て僕の手で――着鎧甲冑を形にするッ!」

 

 俺が「救済の先駆者」に着鎧するタイミングを見出だせないまま、ついに古我知さんが動きを見せた。

 彼は救芽井を縛る黒い帯を掴み上げると、彼女ごと思い切り投げ飛ばしてしまった!

 

「ああああっ!」

 

 悲痛な叫びと共に宙に投げ出された彼女は、成す術もなく壁にたたき付けられてしまう。

 

「……うおおおおおッ!」

「りゅ、龍太っ!?」

 

 俺は、もう限界だった。

 理屈じゃない。感情が、今の状況を見過ごすことを許さなかった。

 矢村の制止を聞き入れることもなく、俺は足にエンジンでも積んだかのような勢いで駆け出していた。

 

 ――そして彼女の身が、俯せに地に着いた頃には。

 「救済の先駆者」は、松霧町のスーパーヒロインは、ただの少女……救芽井樋稟の姿になっていた。

 着鎧が解けた今でも縛られている、彼女の目と鼻の先には「腕輪型着鎧装置」が転がっている。古我知さんは悠然と、それを拾い上げようとしていた。

 

「うっ……ぐ、ひうっ……!」

「あんなに気丈な君の泣き声なんて、滅多に聞けないね。でも、大丈夫。もうすぐ、全てを忘れられるからね」

 

 どうしようもない現実に心を締め付けられた救芽井は、地面に顔を押し付けてむせび泣く。そんな彼女を一瞥すると、古我知さんは拾った「腕輪型着鎧装置」をポケットに入れ――

 

「させるかァァァーッ!」

 

 文字通りのヘッドスライディングで。俺は古我知さんの手中にある「腕輪型着鎧装置」にダイブした。

 さすがに彼も救芽井のことで夢中になるあまり、俺の接近には気が付かなかったらしい。突然の事態を前に、状況が飲み込めずにいるようだった。

 俺は古我知さんの脇をすり抜けると、ゴロゴロベチャリ……という情けない効果音と共に転倒。それでも、奪い取った「腕輪型着鎧装置」だけはしっかりと握り締めていた。

 

「なっ……へ、変態君ッ!?」

 

 これ以上ないというくらい、救芽井は驚愕の表情で固まってしまう。こんな時でも変態扱い――安定の救芽井さんである。

 

「龍太〜! 大丈夫なん!? どっか痛くない!?」

 

 感情剥き出しの暴挙に走った俺を追って、矢村もこの場に追い付いてきた。無我夢中になったら、俺って矢村より速く走れるんだな……。

 

「や、矢村さんまで!? 二人とも、どうしてこんなところに!?」

「え? え〜っとぉ、それはやなぁ……りゅ、龍太。なんとか言ってや」

「ちょ、ここで俺に振るの? なんか古我知さんポカンとしてんだけど……」

 

 この雰囲気ぶち壊し上等な俺達の登場に、さすがの古我知さんも理解が付いていけてない様子。まぁ、当然の反応だよな。

 

 よし! ここは救芽井にも古我知さんにも、俺達が来た用件が一発で分かるように、ガツンと言ってやるか!

 

「……まー、要するにあれだ! 助太刀に来たってことでッ!」

 

 「腕輪型着鎧装置」を腕に巻き付け、俺は高らかに宣言する。ヒーローは遅れてやって来る……みたいなノリで。

 



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第33話 呼んでませんよ、一煉寺さん

 ……あーやべぇ。ぶっちゃけると超こえぇ。

 

 実戦は一応経験済みではあるけど、アレはあくまで人間相手。古我知さんもれっきとした人間ではあるけど、取り巻きの「解放の先導者」込みで相手するとなると……事情が変わってくる。

 

 俺、結局アイツらとまともにやり合えるくらいまで、訓練が進まないままここに来ちゃったわけでして。ある程度逃げ回ることはできるけど、救芽井みたいにガンガン攻め入るのは無理そうだなぁ。

 

 ――と来れば、狙うはやはり古我知さん一択かな。勝てるかどうかは別として!

 

「ちょ、ちょっと変態君! なに考えてるの!? あなたの力量じゃ『解放の先導者』も倒せないのに――私ですら歯が立たなかった『呪詛の伝導者』に勝てるわけないじゃない!」

 

 古我知さんにやられた黒い帯でぐるぐる巻にされたまま、救芽井は身をよじらせて俺に食ってかかる。活きのいいお魚だこと……。

 

「縛られてる格好でよく言うよ……無理でもなんでもやらないと、お前ら一家が全部なくしちまうんだろ!」

「だからって……なんであなたがっ!」

「お前の言う通りにしたって、勉強できる気がしないからだよッ!」

 

 今は彼女に付き合ってる場合じゃない。そういう心境が少なからずあったからか、俺の声色はちょっとばかり荒ぶっていた。

 救芽井はそんな返答に驚きを隠せないようだった。目を見開き、「えっ」という顔をしている。

 

「そ、そんなことのために、こんなところまで……!?」

「おうとも。『そんなこと』に大マジになって来たんだよ、俺達は」

 

 確かに、両親と共に描き続けてきた夢を背負っている救芽井から見れば、さぞかしチャチな動機に聞こえたことだろう。受験に専念できないってだけで、下手すりゃ当分の記憶(勉強の成果含む)を消し飛ばしかねない戦いにしゃしゃり出るなんて、天然記念物レベルのバカがすることだろう。

 その辺はそんなバカの俺にも、そこそこ察しがつく。それでも――俺個人にとっては、精一杯考えて決めた動機なんだ。

 どれだけバカにされたって、俺はここからやすやすと帰るつもりはない。

 

 俺は不安げな表情でこっちを見つめる、救芽井と矢村を交互に見遣ると、思わず頬を綻ばせてしまった。

 

「おいおい、まるで特攻隊の見送りだなぁ。やられちまうオチが大前提なのか?」

「決まってるでしょう!? あなたが立ち向かうには、彼らは、彼は、あまりにも強すぎる! それに、あなたには命を懸けるような戦いはしてほしくないの!」

「アタシは龍太のやること、信じとるよ。信じとるけど……怖いんやったら、いつでも止めてええんやで?」

 

 二人とも、あんまり俺を戦わせたくはないらしい。ここまで制止されると、自分がいかに信頼されてないかが身に染みてくるようで、悲しくなる……グスン。

 

 だが、どう思われていようと、俺はやるしかあるまい。ここまで滑り込んで来てしまった以上は。

 

「救芽井も矢村も、そこまで心配してくれてありがとうな。でも大丈夫、俺がなんとかしてやっから」

 

 それだけ言い捨てると、俺は二人の反応を見ることもなく――彼女らとの対話をシャットダウンするように古我知さんの前に立つ。

 相変わらず華奢な外見だが、コイツのヤバさと強さはもう何度も目の当たりにしてる。こんな状況で、ビビるなってのが無理な話だろう。

 それでも、前に進まなきゃ。前に進んで、コイツに勝たなきゃ。どんだけ足が震えても、奥歯ガタガタ鳴らしてもいいから、コイツにだけは勝たなきゃいけないんだ。

 

「……君、本当に戦うつもりなんだね? 僕と」

「ああ。腹を括る時間もなかったが――ま、ここまで来て『やっぱやめます』みたいなこと言える空気でもないだろ?」

「違いなさそう……だね。例え君がそう言ったとしても、僕は軽蔑しないけど」

「そのお気遣いといい、命は取らないように心掛けてる点といい、つくづくあんたは悪役には向かないな。――だからこそ、腹が立つ!」

 

 ……そう。それだけの良心があって、こんな面倒事をしでかしてるんだから。

 

 古我知さんには古我知さんの考えってもんがあって、それがあっての今がある。それくらいは大体わかる。それが、一理あるってところも。

 ソレが結果として、こんなことになっちまったってのが、俺から見れば何よりやるせない。「戦う」って方法でしか、彼らの対立が止まらないっていう現実が。

 

「そこまで言って引き下がらないというなら……もはや言葉は意味を成さないようだね。いいだろう」

 

 向こうも、そういう空気を読んでくれたらしいな。黒い「腕輪型着鎧装置」を装着する彼の眼差しは、敵を狙う鷹の色をたたえている。

 情を抑え、あくまで目の前のガキを外敵と認識しようとしている――「人間」の顔。そこに、千載一遇の勝機はある。

 

「ゴロマルさん、兄貴……これでダメだったらごめんな!」

 

 あとは、俺次第だ。

 右手首に装着した翡翠色の「腕輪型着鎧装置」を翳し、俺は見様見真似の変身ポーズを決める。

 両親の夢を一身に背負い、たった独りで「技術の解放を望む者達」と戦い続け、この町を守り抜いてきたスーパーヒロイン――救芽井樋稟の願いを、継ぐために。

 

「着鎧――甲冑ッ!」

 

 刹那、俺と古我知さんは同時に全く同じ名を叫ぶ。この身が光と鎧に包まれていくのは、その直後であった。

 

 特別な資格も、力もなく。

 ただ偶然居合わせたってだけだけど。

 そんな俺しか、この場にいないなら。

 

 今、この場所にいる俺が、戦う。

 呼ばれざるヒーロー、一煉寺龍太として。

 

「『着鎧甲冑ヒルフェマン』――見参ッ!」

 



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第34話 やられたら、やり返す

 おーし、カッコよく名乗ったからにはやるしかないな!

 勝算はあるにはあるけど、それに実効性があるかはこれからに掛かって来る。まずは、試しにこっちから仕掛けてみるか……!

 

 俺は腰を落とし、中段構えの姿勢で「呪詛の伝導者」に狙いを付ける。拳の先を相手に向け、利き腕のある右半身を前面に出す。そうしておくことで、スムーズに攻撃に移れるようになるという、「少林寺拳法」におけるスタンダードな構えだ。

 昼間の強盗との戦いで、「救済の先駆者」になれば「普通の護身術程度の拳法」でも相当な威力を発揮できることがわかった。俺がこの力を戦いに応用するなら、「対『解放の先導者』用格闘術」より手慣れてる、こっちのやり方で立ち向かった方がマシだろう。

 

 俺はすり足で確実に距離を詰めるべく、構えを崩さないようにジリジリと近づいていく。

 

「……あの時の、構えだね。お兄さんに教わったのかな」

「ご名答! 兄貴までとは行かないが、簡単にはやられないぜ」

 

 やっぱり、強盗の一件での戦いは向こうに筒抜けだったらしい。俺のこの構え、既に周知のことだったか。

 

 なら違う構えで意表を突くか――と、中段構えを解いた瞬間。

 

「そうか。じゃあ、精一杯立ち向かって見せてくれ」

 

 何の躊躇もなしに――腰からピストルを抜いた。

 そして、その真っ黒な銃身を目の当たりにして固まる俺に向け、迷わず発砲!

 

「どわあああッ!?」

 

 思わず瞬時に横に飛び、積み上げられていたドラム缶の山に身を隠した。おいおいおい! 飛び道具なんてアリですか〜!?

 

「慌てなくても着鎧甲冑なら、この距離から一発当たったくらいで命に関わるようなケガはしないだろうに。全く、騒がしい子だ」

 

 ちっくしょう! 向こうは戦闘用、こっちは救命用。そんな用途の違いが、こんなのっけから出てくるなんて!

 確かに向こうはこっちと違い、バリバリの戦闘兵器。ピストルの一丁くらい持ち歩いてなきゃ、逆に不自然なくらいの相手なんだ。

 「救済の先駆者」が非戦闘用である以上、ああいう飛び道具の類は一切持てない。この身体能力だけが、唯一アイツに対抗できる「武器」なんだ。

 

「変態君、ダメよ! 逃げて!」

 

 矢村におぶられる形で、戦場から離されていた救芽井が悲痛に叫ぶ。あんのバカ、まだあんなコト言ってやがる。

 

「お前独りでどうにかなるわけじゃなかったんだろ!? こうなった以上、一人やられるも二人やられるも一緒さ!」

「でもっ――!」

「でももデーモンもないの! 矢村、救芽井のこと頼むぞ!」

「う、うんっ……!」

 

 とにかく、まずは救芽井と矢村を助けることを最優先にしないと。俺は脱兎の如く駆け出し、「呪詛の伝導者」や周りで様子を伺っている「解放の先導者」の注目を集中させる。

 

「そんなゴテゴテしたもんぶら下げてたら、動きづらくてしょうがないだろう! 速さならこっちが上だ、照準付けられるかやってみなー!」

 

 ちなみにコレは、ゴロマルさんの弁だ。「呪詛の伝導者」は「救済の先駆者」にない武装を持っているが、それ故に機動力がオリジナルよりも低下している……んだと。要は、武器引っ提げてるせいで動きが鈍くなってるんだそうだ。

 

 そういうことなら、全力で走ればこっちの方が速い。背後を取れれば、ピストルに怯える心配はなくなるはずだ!

 俺はしばらく「呪詛の伝導者」の周りをぐるぐる走り回り、彼の左半身の部分を狙うことに決めた。

 ピストルを握っているのは右手――つまり、得物を持っていない側から仕掛ければ、ソレを向けられる前に一撃を加えられる。そういう理由だ。

 

「――よし、もらったァッ!」

 

 遠心力に引っ張られていた身体をふん縛り、俺は地を思い切り蹴飛ばす。狙うは、古我知さんの左三日月!

 向こうもこっちに反応して来たが、ピストルの手は動いてない! コレは行けるッ!

 俺は左腰に左腕の肘を当て、反動のようにその腰を思い切り回転させる。そこから生まれる衝撃に打ち出さた拳が、古我知さんの急所を捉えた――

 

「残念。ピストルだけが飛び道具だと思った?」

 

 ――時だった。

 不可解な彼の発言と共に、視界が真っ赤な炎に覆われたのは。

 

「ぐわああああっ!?」

 

 熱い。体中が、焼けるように熱い! ――いや、本当に焼けてる?

 着鎧甲冑越しでも強烈に感じられる、肌はおろか肉や骨までも焼き尽くしてしまうような――激しい熱。

 俺は熱から生まれる痛みに呻き、せめてもの意地で「倒れはしまい」とその場にうずくまる。後ろの方からは、二人の少女による悲鳴が上がっていた。

 

 痛みはそれだけには留まらない。

 腰に忍ばせていた一振りの剣を引き抜き、「呪詛の伝導者」は俺目掛けて容赦なくそれを振るった。

 

「ぐ――あぐぁッ!」

 

 俺の痛みを象徴するかのように、「救済の先駆者」のボディから鮮血の如く火花が飛び散っているのがわかる。立ち上がろうとしていた俺は、その無情な連続攻撃にたまらず膝を着いてしまった。

 

「君がいけなかったんだよ――君がッ!」

 

 心なしか、僅かに震えたような声で……古我知さんは吠える。そして、俺を蹴り飛ばす。

 俺はサッカーボールのように少しばかり転がされ、その勢いが止んだ途端に身を起こした。完全に立ち上がるにはちと時間が掛かりそうだが、顔を上げるくらいなら……なんとか大丈夫そうだ。

 

「『救済の先駆者』における、酸素供給システム――その中枢を担うマスクの唇型だが、この『呪詛の伝導者』は少しばかりアレンジされていてね。酸素と言わず――炎を出すんだ」

「口から火炎放射かよ……! 寒い冬には、ありがたすぎるプレゼントだな……」

 

 人を救うために作られた機能から、こんなドギツい代物に仕立てあげられちまうとはな。こんなもん、人間に使ったら骨も残らねぇだろ!

 

「さて――君がどういう意図で僕に挑んだのかは知らないが……まずは、その勇敢な瞳を閉ざさせてもらおう」

「そ、そんなっ……! 変態君、逃げてぇっ!」

 

 少しずつ身を起こし始めていた俺に追い討ちを掛けようと、古我知さんがズンズンと迫って来る。開始三分でチェックメイトってか……!?

 

「……あ、アヅッ……!」

 

 とっさに頭を庇った腕を火傷したらしく、立ち上がろうと地面に押し付けた両手に鋭い痛みが走る。あーくそ、しょっぱなからキツいなコレは……。

 

 やっと両足の筋力を杖に立ち上がると、既に「呪詛の伝導者」の姿が眼前に迫っていた。端から見れば、絵に描いたような「絶体絶命」ってとこだろう。

 

「君の頑張り――短いものだったけど、覚えておくよ!」

 

 俺にとどめを刺さんと、古我知さんはさっき俺を散々痛め付けた剣を振りかざす。年貢の納め時――ってことになるのかな?

 

 だが、彼の動きには迷いが見えた。

 勢いで殺してしまうのではないか、という迷いが。

 

 兵器を作り出した者としての、その矛盾した感情が現れると共に、俺に反撃の機会が訪れたのだった。

 

「……ぉああああッ!」

 

 気力だけを頼りに、俺は慣れた姿勢からの蹴り上げを放つ。腰を落とし、軸足を踏み込み、蹴り足を水月(要するにみぞおち)に向けて振り上げる。

 振り子のように弧を描いて突き刺さった蹴りは、一瞬にして古我知さんの肺から空気を奪い去った。

 

「ぐっ……はッ!」

「え……うそ……!?」

 

 予期せぬ反撃に、思わず彼は膝をつく。救芽井も俺の攻撃が効果を発揮していることに、驚愕を隠せずにいた。

 

 「この瞬間」こそが、俺の勝機。

 ゴロマルさんと兄貴から教わり、信じると決めた俺だけの戦法。そして救芽井になく、俺にあるもので立ち向かう手段。

 それは相手の攻撃を誘い、「立派な急所」を持つ「生身の人間」である古我知さんの隙を突くというものだった。「守主攻従」の原則に従う、「少林寺拳法」をもってして。

 

 胸の辺りを抑えつつ、全く予期していなかった苦しみに喘ぐ古我知さんを、俺は一瞥する。

 そして、精一杯の虚勢を張った。彼を、俺の唯一無二の策に引きずり込むために。

 

「――どうせ短いんだ。せっかくなら、一秒でも長く焼き付けて貰わないとな?」

 



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第35話 一時間前の特訓

 ちょっとばかり遡ること、約一時間前。

 救芽井家の地下室にいた兄貴と出くわし、俺も矢村も開いた口が塞がらずにいた。

 

「な、な……っ!」

「どうしたよ? スゴイ顔になってんぞ。まぁ、ここのこと知った時の俺ほどじゃないけどさ」

「え、えええええッ!? なんで龍太のお兄さんがここにおるん!?」

 

 「解放の先導者」の残骸が火花をバチバチと散らし、その生涯(?)を閉じている――兄貴が壊した? まさかそんな……。

 

「これこそ、お前さんが剣一に勝てるただ一つの可能性。少林寺拳法のテクニックに託されることになるじゃろうな」

 

 ゴロマルさんの、いつになく真剣な声。……えーと、つまり俺が古我知さんに勝つには――少林寺拳法で戦うしかないってことなのか?

 

 ……な、ナンダッテー!

 

「む、無茶言うんじゃないよゴロマルさん! 少林寺拳法の技に則って急所打ちしても、『解放の先導者』にもてんで通用しなかったんだぞ!? ましてや、ボス格の『呪詛の伝導者』に勝てるわけ……!」

 

 あの機械人形共をバッタバッタと薙ぎ倒していた救芽井でさえ、古我知さんの着鎧する「呪詛の伝導者」には敵わなかった。

 そんなモンスターに対抗できる勝算が、既に「解放の先導者」に破られた俺の少林寺拳法――だなんて、無茶振りもいいとこじゃないか。

 ――え? なに? もしかしたらここの「解放の先導者」を壊したのは兄貴で、「兄貴が素手で勝つくらいなんだから、弟子同然のお前でも勝てるでしょ」みたいな発想か? そんな発想あってたまるか!

 

「お前さんの名前を聞いた後に、実際に戦うところを見たとき……『なにかある』とは思っておったんじゃよ。まさか道院長の弟君だとは予想外だったがの」

 

「――は?」

 

 ……なに、言ってんの? このじーさん。

 道院長の弟君? 俺が?

 

 てことは――兄貴が道院長ッ!?

 

「……ん〜、あんまりベラベラ喋ると周り面倒になって、お前に構っていられる時間が少なくなりそうだから嫌だったんだけどな。お前の一大事とあっちゃ、そんなことは言ってられないか」

「『周りが面倒』って……つーか、道院長ってどういうことなんだよ!?」

 

「お前さんが通っていたという道院――『一煉寺道院』とやらを創設したのが、お兄さん、ということらしいぞい。『一煉寺』といえば、かつて裏社会に潜む悪を震撼させた、鉄をも砕くと言われる少林寺拳法の一族。わしも聞きかじったその話を思い出したときは、ゾクッとしたもんじゃ」

「正確には、俺と親父が二人三脚で造ったんだけどな。親父がもうトシだってんで、俺が事実上の道院長ってわけ。……『破邪の拳』。それが、俺達の目指す拳法だったからな」

 

 ――まるでいたずらを白状する子供のような感覚で、このお二方はとんでもねーことをカミングアウトしやがる。矢村は驚きと羨望の眼差しを、俺と兄貴に交互に向けていた。あのね矢村さん、スゴイのは兄貴だからね? 俺関係ないからね?

 つーかなんだよ……なんでそんな重大な話、俺に隠してたんだ!? ――あ、俺に絡めなくなるからってさっき言ってたっけ。この鬱陶しいブラコンめ、貴様が姉だったら最高のシチュエーションだったのに……。

 

 ……いや、今大事なのはそこじゃない。最近いろいろと非常識なことが頻発してるせいで、感覚が麻痺してるとしか思えないが――今さら、兄貴の衝撃的正体にビビってなんかいられない。

 問題なのは、俺が兄貴から教わった少林寺拳法を使えば「呪詛の伝導者」に勝てるという、ゴロマルさんの根拠だ。

 

「お前さんのお兄さん――龍亮君の実力は、この現場が証明しておる。彼は人間の急所を持っていない『解放の先導者』を、着鎧甲冑すら使わずに『素手で』仕留めてしもうた。それだけの達人に手ほどきを受けたお前さんが、『救済の先駆者』となってその拳を振るうなら――なにかが起きるとは考えられんかね?」

「お、俺はそんなっ……!」

「古我知さんのことは俺もショックだったが……お前が自分や大事な友達を守りたいってんなら、俺が教えた拳法は役に立つだろう。その技で、彼を止めてくれるんなら――俺としても本望さ。お前はパワーこそ足りないが、急所を狙う突き蹴りの精度はピカイチだったし」

 

 兄貴もゴロマルも、無理難題を言ってくれる。兄貴がそんなに強かったからって、俺もそんなに強いとは限らない。事実、「解放の先導者」には手も足も出なかったんだ。

 

「お前さんの拳法が『解放の先導者』に通じなかったのは、連中のボディに人体の急所がなかったからじゃろう? それに対して『呪詛の伝導者』は、いかに強靭な着鎧甲冑といえども中身は生粋の『人間』。余計な武装を持たない分、運動性に秀でている『救済の先駆者』のスーツで、『人体の急所』を突く少林寺拳法を使えば――」

「俺のかわいい弟が、晴れて松霧町のスーパーヒーロー……ってワケだ。古我知さん、結構いい人だったからなぁ。なんとか悪いことする前に、止めてもらわないと」

「……そんな力が、俺にあるってのかよ? だって、俺はっ……!」

 

 ――俺は、ただのガキだ。

 兄貴みたいに強いわけがないし、古我知さんに敵うわけがない。

 

 ……そうだ、兄貴に行ってもらおう。「解放の先導者」を素手で叩き壊すような鉄人が「救済の先駆者」になれば、「呪詛の伝導者」なんてけちょんけちょんだろう。

 強盗の時は――たまたま俺しかいなかった、ってだけだ。代わりがきくなら、代わった方がいいに決まってる。それが兄貴なら、なおさらじゃないか!

 

「樋稟は、『お前さん』の助けを待っておる。言ったじゃろう? あの娘は本当は、『お姫様』になりたかったんじゃと」

 

 ――そんな俺の情けない逃げ道は、ゴロマルさんの核心を突いた一言に、あっさりと封じられてしまった。

 救芽井は、この町のスーパーヒロインと持て囃されていながら、実際は「王子様」に救われる「お姫様」になりたがっていた。それは、短い時間ながらも彼女と過ごした俺には、十分過ぎるほど伝わっている。

 「普通の女の子」としては、きっと当たり前の……「お姫様願望」。その気持ちが現れている顔は、「訓練や戦いがどうとか」みたいな「理屈」なんてなかった。

 そんな彼女が、俺に助けを求めている――か。どうやら、運命の神様はとことんシチュエーションというモノにこだわるらしい。

 

「樋稟ちゃんはさ。俺じゃなくてお前に助けてほしいんだよ、きっと。理屈じゃなくてさ」

「……理屈、か」

 

 俺の胸中を何となく察したのだろう。兄貴は、見透かしたような口調で俺の肩に手を置き、優しく諭すように語り掛けてくる。

 理論や効率なんて関係ない、彼女自身の気持ち――か。なんでまた、俺みたいな冴えないヤツに助けを乞うのかね……「お姫様」ってのは、とんでもない物好きらしい。

 

「りゅ、龍太っ!」

「ん?」

「龍太。アタシ、救芽井のことでずっと迷ってばっかりやったけど……救芽井ん家やお兄さんがこんなに頑張っとるんやったら、もうウジウジすんのは――やめたい。アタシ、龍太のやること、信じるけん!」

 

 矢村まで、俺の背中を押すようなことを言う。おいおい、お前みたいな娘にそんなこと言われちまったら――

 

「――血ヘド吐く気でやるしか、なくなっちまうだろーが……」

 

 目の前に突き出された「勝機」を前に、俺は両手の拳を握り締める。ゴロマルさんも、兄貴も、矢村も、救芽井のために俺を信じようとしている。

 ――俺も、救芽井を助けたい。出来るもんなら。

 

 そして、そのための手段があると言われたら……縋れずにいられるか?

 

「……頼む、兄貴。最後に少しの間でも、俺に稽古を付けてくれ!」

 

 俺は――無理だ。

 



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第36話 暗いのも怖いのも、大嫌い

 ……まーそんな感じで、俺は古我知さんに対抗するための特訓を、短時間で済ましていた。特訓と言っても、実戦で少林寺拳法を使えるようにしておくための「肩慣らし」のようなものだったんだけどな。

 

「こ、こんな戦法、データには――くそォッ!」

「――そこだァッ!」

 

 向こうは少林寺拳法のことは多少知っているようであったが、詳しい技の概要にはさして詳しくないらしい。自分がこさえた情報にない戦い方をされ、明らかに動きが動揺から鈍って来ている。

 周りの「解放の先導者」は、主人が焦っているにもかかわらず、加勢もせずにガン見しているだけ。こっちの隙を伺ってるみたいだな……。

 やがて古我知さんは、剣もピストルも火炎放射も使わない、純粋な脚力に任せた回し蹴りを放ってくる。しかしそれは、俺の目で見るならどうしようもなくド素人なキックだった。

 まぁ、当たり前だよな。彼は俺や救芽井のように、格闘技の心得があるわけじゃない。「呪詛の伝導者」のボディの下には、細くなよなよしい身体が隠されているってわけだ。

 

 古我知さんはなんとか流れを変えたいと思っているのか、右足で破れかぶれな回し蹴りを繰り出す。その瞬間、俺は振り子の如く曲線を描く彼の脚に、胸を向けるように身体を左に捻る。

 そして、右足を前にした構えで、すり足をしながら素早く前進し――古我知さんの蹴りが俺を打ち抜くより先に、彼の懐に入り込む。

 

「え!?」

 

 間髪入れずに、伸びきった彼の蹴り足を左腕で掬い上げるように挟み、同時に古我知さんの首筋に当たる部分に手刀を入れて牽制。

 

「はあァッ!」

 

 そして、蹴り足を持ち上げられた瞬間にチョップを入れられ、完全に体勢を崩されてしまった彼を――力の限り押し倒す。

 

 普通なら後ろに転ぶくらいで済むが、これは着鎧甲冑同士の戦い。

 

「うわああぁ〜ッ!」

 

 その程度で終わるはずもなく……少林寺拳法の技「すくい投げ」を受けた「呪詛の伝導者」は、大砲で打ち出されたかのように吹っ飛ばされてしまった。

 そして、錆びた張りぼての壁を突き破って奥のフロアへ転がって行く。吹っ飛びすぎだろ常識的に考えて……。

 

「す、すごい……やっぱ龍太はかっこええなぁ……!」

「へ、変態君……!? あなたは一体……」

 

 さすがにここまで抵抗するとは予想していなかったのか、矢村も救芽井もかなりたまげている様子だ。元々役立たずだったのは確かだけど、そこまで露骨に驚かれるとちょっと凹む……。

 

「前に言ったろ。『正義の味方』だってさ!」

 

 しかし、しょげてる場合ではない。少林寺拳法の「守主攻従」に基づいたカウンター戦法――と言っても、丸腰には変わりないのだ。

 さっさと距離を詰めて接近戦に持ち込まないと、蜂の巣にされかねない。

 俺は彼女達の方を見る時間さえ惜しみ、背中越しにちょっとカッコつけた台詞だけを残すと、そそくさと薄暗い奥へと前進していく。

 

 ……ひぃ〜怖い怖い! 俺、こういうホラー染みた暗い部屋大ッ嫌い! 早く終わらせて帰りてぇぇ!

 はっ! いやいや、今はビビってる暇なんてないぞ一煉寺龍太よ! 急いで古我知さんを探さないと――ん?

 

「なんか聞こえる……機械の音?」

 

 暗くてよくわからないが、ゴウンゴウンという何かの機械らしき作動音が響いている。ここって廃工場だよな?

 もしかして古我知さんが居座っていたことに関係があるのか……? 俺はひとまず古我知さん追撃を頭から離し、音の出所を追ってみることにした。どうせこんなに暗かったらそうそう見つかるわけないしね。

 

 作動音の出ている場所は、かなり近い場所にあるらしい。元々音だけはよく聞こえていた上に、それを辿っていくとみるみる音量がデカくなっているのがわかる。

 やがて、音の正体がうっすらと見えてきて――

 

「イテッ! ――って、何じゃこりゃあァァァ!?」

 

 ――俺が何かに躓いた瞬間、それはあらわになった。

 

 コンビニに置いてあるような印刷機……のようなフォルムを持つ、赤黒く塗られた奇妙な機械。しかも、大きさはソレの数倍はある。

 加えて、印刷機で言うところの「排紙部」に当たる部分は大きな穴があり、そこから短めのベルトコンベアーが伸びていた。

 

 何より問題なのは、そこから出てきているのが――

 

「『解放の先導者』……!?」

 

 動き出してこそいないが、それはそれで不気味で仕方がない。よくわからないが、これが救芽井が言っていた「『解放の先導者』の『プラント』」ってヤツなんだろう。

 これさえなんとかすれば、「解放の先導者」を止められるかも知れない! ……でも、どうやって?

 

 俺が考えあぐねていると――またコツン、と俺の足に何かが当たっている感触があった。

 ……そういえば、このプラントを見つけた時にも何かに躓いたよな。一体何に引っ掛かったんだ?

 ふと気になって、視線を落とした俺は――固まってしまった。

 

 メディックカプセルに酷似した、黄緑色の二つの棺桶。そこには、眠りについている二人の男女の姿があったからだ。

 

「だ、誰だこの人達……!?」

 

 町で見掛けるような人間には見えない。なんというか、どちらも気品の高そうな人に見える。

 男の方は、四十代くらいの渋くてカッコイイおじ様……みたいな感じだ。茶色の髪や髭、色白気味な肌から見るに……外国人? ガタイもよく、百八十センチくらいの身長はありそうだ。

 かたや女の人は――二十代だろうか? フワフワとしたウェーブの金髪で、肌は男の方よりさらに白い。均整の取れたプロポーションに、よく見ないと色が識別できないくらいに薄い、桜色の唇。この口元、どっかで見たような……?

 いやそれより、何なんだこの二人? こんなヘンテコなカプセルに入れられて、プリンターみたいなプラントの隣で眠らされて。

 しかも、二人とも白衣の格好と着た。医者でもやってたのかな? それとも科学者?

 

 ――ん? 科学者……って、まさかッ!?

 

 俺の脳みそがある仮定に達しようとした、その時。

 

「ぐうッ!?」

 

 上半身を締め付けられるような圧迫感を感じ、俺は肺の奥から息を吐き出さされた。な、何なんだよ次から次へとッ!

 慌てて胸の辺りを見遣ると……あら不思議。あの黒い帯が巻き付いていらっしゃる。しかも両腕も巻き付けられているせいで、うまく身動きが取れない!

 

 それだけでは終わらず、今度はベルトコンベアーで排出されたままだった「解放の先導者」が、不気味な機械音を立てて動き出してきた! 挙げ句の果てには、俺と古我知さんを取り囲んでいた連中までもがなだれ込んで来たし……こりゃあ、絶体絶命ってヤツなのかなぁ?

 

 俺が身をよじらせていると、黒い帯が巻き付いている部分から伸びた先に――人影が見えてきた。

 

「知ってしまったみたいだねぇ……いろいろと」

 言うまでもなく――それは古我知さんが纏う、「呪詛の伝導者」の姿だった。

 



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第37話 ヒーローにピンチは付き物

「くそっ! どういうことなんだよ、コレはッ!」

 

 俺は黒い帯で締め付けてくる古我知さんに向かい、精一杯の虚勢を張って怒鳴り付ける。そんなことをしても向こうは涼しい顔をしているだけで、のれんに腕押しに終わっているのだが。

 そうこうしているうちにも、俺は縛られた格好のまま「解放の先導者」達に取り囲まれていってしまう。そして彼らに連行されるように、俺は機械人形共の輪に放り込まれた。

 マズイな……こんな状態じゃ「待ち蹴」くらいしか出来そうにないぞ。そもそも、反撃出来るような状況にも見えないけどさ。

 

「察しの通り、それが『解放の先導者』を製造する『プラント』だ。この町に持ち込めるようにと小型化したせいで、量産能率の方は思わしくないんだけどね」

 

 古我知さんは「解放の先導者」に道を開けさせると、俺の前に進み出る。

 ……やっぱり、そういうことだったんだな。俺を「プラント」の場所から引き離したのも、大事な発生源を守るためだったのか。

 

「『呪詛の伝導者』や『解放の先導者』を作り、樋稟ちゃんのご両親をさらって日本に逃亡した後……。僕はやがて追ってくるであろう彼女を迅速に迎え撃つために、早急に最寄りの町へ根を下ろす必要があった」

「それが松霧町……か」

 

 一瞬「プラント」の辺りに見えた人影が気になったが、今はそれどころじゃない。俺はハラワタがにえくり返るような気持ちで、古我知さんにガンを飛ばす。

 

「ご名答。――特にこの廃工場は、施設として使われなくなったとは言っても……機能事態は生きてる部分が僅かにあったからね。小型化した『プラント』を生きてる工場機能につなぎ止め、『解放の先導者』を生産できる体制を作ったってわけ」

 

 手品の種を明かすように、得意げな口調で彼は語る。これが「技術の解放を望む者達」の全貌ってわけか……!

 

 そこで、俺は黒い帯に縛られる前に感じていた、一つの仮定を思い出す。

 

「救芽井の両親をさらって……じゃあやっぱり、ここで寝てる二人は!」

「よく気付いたね。君は勉強が出来ないとお兄さんから聞いていたが……なかなか頭自体は回るようじゃないか」

「やってくれたもんだな……! あのカプセルは何だ! 救芽井の親御さんに何をしたんだ!」

「メデックシステムのカプセルを冷凍保存用に改修したものさ。アレの設計図は救芽井家の研究所に置いてあったからね。自分で手心を加えることくらい、なんてことないさ」

 

 ……着鎧甲冑のためだろうが何だろうが、こんなの度が過ぎてる。救芽井の両親をこんなへんちくりんな棺桶にぶち込みやがって!

 

「別にこれといった危害は加えていないさ。ただ、あまりにも強情な上にやたらと暴れるものだから、少しの間だけ眠って頂いているだけだ」

「目は、ちゃんと覚めるんだろうな……!?」

「彼らを催眠から解放すると言うのなら、稟吾郎丸さんや樋稟ちゃんに頼むといい。もっとも――それを『僕ら』が見過ごすはずもないけどねッ!」

 

 どうやら、向こうは容赦を捨てる覚悟らしい。俺を完全包囲した上で、『呪詛の伝導者』を筆頭に全ての『解放の先導者』が銃口を向けてきた。

 こんなドーナツ状に囲んだ状態から発砲なんてしたら、相打ちくらい起こりそうなもんだが……連中にためらいの気配はない。機械なんだからためらう方が不思議だけど。

 「解放の先導者」だけがそうであるならまだしも、一応は中身が人間である「呪詛の伝導者」までもがピストルを向けている。自分は撃たれても平気だと踏んでるのか、それとも撃たれてでも俺を「討つ」つもりなのか……。

 いずれにしろ、俺がピンチなのには変わりない。とうとう年貢の納め時……かなぁ?

 

「君の――君達の健闘は、よく覚えておくよ。『呪詛の伝導者』の売り込み先に宣伝しておきたいくらいだ」

「そんなもんどーだっていいんで、助けてください……とか言っちゃダメか?」

「悪の組織と戦う正義の味方が、それを口にしたらおしまいだろう? 却下だ」

「……ま、そうだろな。マジで言う気もさらさらねーし」

 

 ヒーローというモノほど、実現するには程遠い仕事はないらしい。下手すりゃ、増えすぎた人口を宇宙に移民させる方が簡単なのかもな。

 漫画やラノベのような、カッコよくみんなを助けるヒーローになるってのは……俺にはキツかったのかね。変態呼ばわりの汚名くらい、返上したかったなぁ……。

 ――悪いな、兄貴。ちょっと、ゲームオーバーみたいだわ。

 

「よく言ったね。じゃあ――さよならだ! 撃てえぇーッ!」

 

 「呪詛の伝導者」の手中にあるピストルが火を噴き、俺の眉間に命中する。

 

「ぐぅぅッ……!」

 

 割と距離があったおかげで、脳は着鎧甲冑の装甲が守ってくれたが――強いショックを受けたせいか、体が思うように動かない。脳みそに弾丸撃ち込まれたんだ。衝撃の影響がないはずがない。

 それに加え、今度は「解放の先導者」の一斉砲火が来るわけか……さすがにコレには耐えられないんだろうなぁ。

 きっとこの後、俺はダメージを受けすぎたせいで着鎧を解除され、気がついた頃には全てを忘れているんだろう。恐らく、救芽井や矢村も。……ひょっとしたら、兄貴までも?

 

 ……あぁ、やっちまったなぁ。

 安易に深追いするんじゃ、なかった……。

 

 俺はこのあとに襲って来るであろう激痛と気絶に備え、ギュッと目を閉じた。

 



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第38話 死亡フラグを立てた覚えはない

 ――んん? これは……どうしたことだ?

 

 何も起こらないばかりか、銃声も聞こえない。もっと言うなら、気絶どころか痛みすらない。

 予想されていた展開としては、次の瞬間に俺は蜂の巣にされていたはずであって。こんな落ち葉が漂いそうな静寂が来るはずはない……と思っていたのだが。

 

「おい、どうした!? なぜ撃たない!? なぜ命令に従わないッ!?」

 

 聞こえてきたのは、これ以上ないくらい取り乱している古我知さんの声。言っている内容からして、一瞬止めてからの時間差射撃……ってわけでもなさそうだな。

 なんにせよ、まだ撃たれないということなら状況が気になる。俺は恐る恐る瞼を開き、眼前に広がる戦場を確認した。

 

 そして、俺は奇妙な光景に眉をひそめた。

 「解放の先導者」は相変わらず俺に機銃を向けたままだが――固まっている。ちょっとでも動き出したら響いて来る、あのやかましい機械音が不気味なくらいに出てこないのだ。

 関節の一つでも動かしているなら、何かしらの音は必ず出るはず。それがない、ということは――完全に停止してる? こんなに向こうにとっては美味しい状況なのに?

 不審に感じた俺は、うろたえている古我知さんを放置して「解放の先導者」のうち一体に歩み寄る。そして、足の裏で胸の辺りをグイッと押し込んでみた。

 

 ――案の定、ガシャンと音を立てて倒れてしまった。受け身も取らず、脳天からガツンと。

 しかも、起き上がって来る気配が感じられない。周りの機械人形共も同胞がやられたっていうのに、ピクリとも反応を示さなかった。

 ……油断を誘ってるわけじゃ、ない? こいつら、本当に機能が停止してるのか?

 だとしたら、一体どうして――

 

「やったぁ! 止まった、止まったで救芽井ッ!」

「シ、シッ! 矢村さん声が大きいってばぁ!」

 

 ――まさか!?

 

 全ての動きが沈黙した戦場の中で、ただ二人だけ動ける権利を与えられているらしい……俺と古我知さん。その俺達がさっきの声を聞き逃すはずがなく、両者一斉にその声がした方角へ首を向けた。

 

 そこでは、ほんの数秒前までは全く予測できなかった事態が起きているようだった。

 あの「プラント」の傍に立ち、何かいじりまくっている様子の矢村。そして、縛られたまま彼女に付き添っている救芽井。

 

「も、もうっ! 今の私たちが捕まったらどうしようもないっていうのに、何叫んでるの!」

「ご、ごめん! だって、救芽井やってオトンやオカンが捕まっとるん見て、めっちゃ叫びそうやったし……」

「そそ、それとコレとは別よっ!」

 

 な、なんで彼女達までこんなところに……!? もしかして、「解放の先導者」が止まったのって……!

 

「龍太! アンタの苦手な機械人形は全部止めてやったで! 思いっ切り反撃しいやっ!」

「も、もぅ矢村さんったら! どうせバレるからって騒ぎすぎっ!」

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら出てきた二人の姿に、俺も古我知さんも目を丸くした。

 

「なっ、なんでお前らがここに……!?」

「ぐ……そ、そういうことだったのかッ!」

 

 「呪詛の伝導者」の黒い拳が、悔しげに震えている。え? なに? 状況が見えてないのって俺だけなの?

 

「話は矢村さんから聞いたわ。確かにあなたの拳法なら、『もしかして』ってこともあるかも知れない。だけど、『解放の先導者』には勝てないっていうウィークポイントは変わらないでしょう? だから私が案内して、矢村さんに『解放の先導者』を停止させて貰ったの!」

 

 すると、ただ一人理解が追いついていない俺を哀れんでか、救芽井が事情を説明してくれた。なるほど、確かに「解放の先導者」に敵わないのは事実だ。

 

「『プラント』は『解放の先導者』を生産する巣であると同時に、自律機能を安定させる補助装置でもあるの。そのシステムをこっちの操作で止めたから、『解放の先導者』達は『同士討ちを避けることを優先する』ような誤作動を起こして、自ら機能を停止させてしまったのよ」

「救芽井がそのやり方を教えてくれたんや。アタシ、どうしても龍太の役に立ちたかったけん……」

「……よくわからんが、要するに『解放の先導者』達の頭がおかしくなったってワケか? そんなことよくわかったなぁ」

「あなたと戦わせていた『解放の先導者』の鹵獲体があったでしょう? アレを解析していて、『解放の先導者』単体の人工知能だけで、あれ程の自律機能を維持するのは不可能だっていうことがわかったの。だとすると、考えられるのは補助装置の存在。そんなシステムを積んだ機械があるとするなら……」

「……逃亡中の古我知さんに、そんな大荷物を抱えていられる余裕はない。あるとするなら、それは『解放の先導者』を生産する『プラント』に機能として搭載するしかない――ってか?」

 

 思いつきで口にした俺の言葉に、救芽井は強く頷く。マジかよ、ほとんどあてずっぽうだったのに……。

 

 とにかく、これで後は問答無用で古我知さんをブッ潰せるわけだな。天敵だった「解放の先導者」はもう止まったことだし、これからガンガン反撃して――

 

 ――あ、俺縛られたままだっけ。

 

「くっ……まだだ! まだ『技術の解放を望む者達』には僕がいる! この『呪詛の伝導者』こと、古我知剣一がァァァッ!」

 

 黒い帯で緊縛プレイ中の俺に、古我知さんは容赦ゼロで切り掛かって来る! おいおい、ちょっとは子供に優しく――!

 

「うひょおっ!?」

 

 俺は地面の上を転がることで間一髪身をかわし、銀色に閃く剣をやり過ごす。かすった感じはしたが、どこにも痛みはない。

 あ、危ねぇ……! 足が縛られてなくってホントに助かったわ。「回避」と称した「逃亡」ばっかりだった訓練の賜物だな、こりゃあ。

 なんとか膝を立てて起き上がると、俺は中段構えの体勢で「呪詛の伝導者」と対峙する。

 

「今度は外さない! 次の一太刀で終わりだよ龍太君……!」

「野郎……! こうなったら蹴りだけでもやってや――る?」

 

 そこで俺は、ふと違和感を覚えた。

 

 ……なんで「中段構え」が出来るの? 俺、縛られてたはずじゃ……。

 

 気になって視線を下に落とすと――あの黒い帯が、ズッパリと切り落とされているではないか。

 

「さっきのアレで、切れた……?」

 

 考えられることと言えば、それしかない。あの斬撃を避けたはずみで、俺を縛っていた黒い帯だけが斬られたんだ。

 どうやら古我知さんは、俺を斬るどころか素敵なサポートをしてくれたらしい。

 

「へえ……二度も敵さんに助けられちゃったよ」

「くッ、しまった……だが、銃に弱いのは変わらないだろうッ!」

 

 古我知さんは左手に持った剣を構えたまま、ピストルを出そうと右腰に手を伸ばす。

 

「――そう何度も撃たれるかよッ!」

 

 もちろん、ターン制よろしく黙って見ている俺じゃない。すり足からの踏み込みで一気に距離を詰め、ピストルを使う暇を与えない!

 

「く、くそぉぉおぉっ!」

 

 瞬く間に迫る俺を前に、銃を構えるのは間に合わない……と感じたらしい。彼は両手で剣を持ち直し、俺を迎え撃つ。

 力一杯振り上げられた剣は、俺の脳天に狙いを定め――持ち主の意志に引かれるように、刀身を降ろそうとする。

 そこが、狙い目だ。

 

「――うぁたァッ!」

 

 腰を落として姿勢を安定させ、剣を握っている両手首を左手で受ける。あくまで軌道を逸らす程度の力で押さえ、力任せに攻撃全体を受け止めはしない。

 同時に、安定した姿勢から腰を回転させ、繰り出された突きを彼の水月に叩き込む。「ガハァッ!」という短い悲鳴と共に、俺の左手で受け流していた両手から、剣がガランと落下した。

 

 もちろん、それだけで終わらせるつもりはない。

 よろけた彼の右肘を、こっちの右手で引っ掛けるようにして引き込み、同時に左手で彼の右手首を抑える。

 すると、古我知さんの体勢は右肩が下がるように崩れ、今にも倒れそうになった。

 

「――はああァッ!」

 

 そして俺は、その状態のまま左足を軸にして、体全体を回転させる。無論、体勢を崩された古我知さんもろとも。

 

「うわああああッ!」

 

 姿勢の安定性を失ったまま、思いっ切りブン回された古我知さんは派手に全身を回転させながら吹き飛び、地面に激しく転倒する。

 少林寺拳法の投げ技「上受投」――ではあるんだが、普通ならここまでド派手な技にはならない。これ超人的パワーの賜物って奴か……。

 

「やったぁぁー! 龍太の勝ちやぁー!」

「ちょっと矢村さんっ! まだ終わりじゃないのよ!」

 

 俺の上受投が決まると、二人の美少女から歓声が上がる。俺としても両手放しでヒャッハー! ……と喜びたいところだが、どうやらソレはまだ早いらしい。

 彼が未だに、諦めずにいるからだ。

 

「くっ……くそっ……まだ、だ……! まだ、負けるわけにはァッ!」

「まだやるつもりか、古我知さん。これ以上わがままを通そうってんなら、次はその鼻っ柱を『文字通り』へし折るぜ?」

「例えどこをへし折られようとも……僕は……負けられないんだァァァッ!」

 

 投げはともかくとして、水月への突きはかなり効いたはずだったのだが――どうやら、戦意は未だ健在らしい。

 古我知さんはフラフラと身を起こすと、俺を睨みつけ――突進してきた!?

 

「……!? 何を考えてる!?」

 

 剣はさっき落としてしまったが、まだピストルが残っているはず。なのに、よりによって明らかに分が悪いはずの「接近戦」に持ち込む気なのか……!?

 「ゼロ距離射撃」を仕掛けて本気で殺すつもりなのか、それともただヤキが回っただけなのか……いずれにせよ、何をしでかすかわからない。なら、「何かをする前」に叩き潰す!

 俺は右膝を上げ、待ち蹴の体勢を作る。もう一度水月に蹴りの一発でもブチ込まれりゃあ、今度こそダウンするだろう。これで終わりだ!

 

 みるみるうちに迫って来る「呪詛の伝導者」。俺は彼の急所の一点に、一撃必殺の狙いを付けた。

 

「おおおおッ!」

「古我知さん……終わりだァッ!」

 

 そして、互いの距離が約二メートルを切った瞬間、俺は膝を曲げて蹴り足を振り上げ――

 

 ――空を切った。

 

「……なにッ!?」

 

 完全に、誤算だった。

 古我知さんは俺の蹴り足が上がる瞬間、進路方向を逸らして素通りしてしまったのだ。俺を抜き去った「呪詛の伝導者」は、なおも止まらず突進を続ける。

 

 なんだ……? ――まさか、狙いは俺じゃない!?

 

 後ろを振り返る前に聞こえる、矢村の悲鳴。それこそが、古我知さんの思考を象徴しているものだった。

 

「――救芽井と矢村が狙いかッ!」

 

 俺は素早く体を反転させ、「呪詛の伝導者」を追う。

 後付けされた武装がない分、身体能力はこっちの方が上。この「救済の先駆者」なら、追い付けるはずだ! 足がチギれても、絶対に捕まえてやる!

 

 俺が必死に追い掛けている間にも、徐々に「呪詛の伝導者」は救芽井と矢村に迫ろうとしていた。救芽井は生身のままでも毅然とした態度を維持しており、怯えている矢村を抱きしめて険しい表情を浮かべている。

 

 ――くそッ! 「解放の先導者」の脅威が取り除かれた時点で、強引にでも逃がしておけばこんなことにはッ!

 

 焦る気持ちが反映されるかのように、「呪詛の伝導者」との距離も縮まってきた。

 だが、そんな進捗状況に喜ぶ暇もなく、彼が救芽井達の眼前にたどり着いてしまった!

 

「――やめろぉぉぉーッ!」

 

 反射的に身体の芯から、言葉が噴き出して来る。強盗の一件で、救芽井が唇を奪われそうになった時に近い感覚だ。

 怯ませる結果にでもなったのか――その叫びが「呪詛の伝導者」の動きを一瞬だけ止めた。その僅かな時間で発生した硬直に乗じて、俺は完全に彼に追い付く。そしてピッタリと彼の身体にしがみつき、拘束を試みた。

 

 ――それが、罠だとも知らずに。

 

「……ッ!?」

「言ったはずだよ。僕は――負けられないんだってね!」

 

 脇腹に押し当てられた、冷たく硬い感触。それがピストルの銃口だと気づいた頃には――乾いた銃声がパン、と響いていた。

 

 ここまで密着した状態から撃たれたら、着鎧甲冑の防御効果なんてヘノカッパなんだろう。現に、弾丸に貫かれた部分はスーツが裂け、鮮血が噴き出している。

 

 ……あぁちくしょう。こりゃあ、やられたな。初めから、俺に大急ぎで追い掛けさせることが目的だったらしい。

 そうなったら、少林寺拳法を使う余裕なんてなくなる。そうして自分を救芽井達から引き離そうと、無我夢中になってるところへ、ゼロ距離射撃をパン――ってわけか。

 

 撃たれたせいで、頭に上ってた血が抜けたのか……命のやり取りしてるってのに、自分でもビックリするくらい冷静になってる。――俺、まんまと嵌められちまったらしい。

 

 視界がぐらり、と歪んだかと思えば……天井が見えてきた。あぁ、倒れたんだな、俺。

 震える手で脇腹を触り、それを眼前に出してみると――真っ赤な手形が、出来上がっている。その手が生身の手だったことから、着鎧が解けちまってるのがわかった。

 ……どうやら、俺の負け、みたいだなぁ。

 

 ――だが、勝利者であるはずの古我知さんは、なんだか浮かない顔をしている。それどころか、「や、やってもたー!」って感じの顔だ。

 

 ……あぁ、そっか。あんたも、ホントはこんなこと、したくなかったんだっけか。全く、お互い苦労するよなぁ、へへへ……。

 

「……あ、あぁあ……!」

「い、いやあああぁぁああーッ!」

 

 ――矢村は「どうしたらいいかわかんない」って顔して呻いてるし、救芽井はもうどうしようもないくらい、すんごい悲鳴上げてるし……なんでこんなことになっちまったかなぁ。

 俺はただ、変態呼ばわりを止めて欲しかったって、それだけだったはずなんだけど……なぁ。

 

 ……あら、なんか眠くなってきた。

 それに、身体全体の感覚もなんだか冷たい。これ、冬のせいだけじゃないよな……?

 おかしい、な……まだ、死にたくないんだけど……俺……。

 



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第39話 死に損ないのヒーローもどき

 ……あれ……?

 俺、生きてる……のかな……?

 

 天井を見上げた格好――つまり仰向けに倒れたまま、俺は意識を取り戻していた。どうやら、しばらく気を失っていたらしい。

 死んでないばかりか、記憶をなくしてもいないらしい。俺が撃たれる瞬間のことは、今でも鮮明に焼き付けられている。

 しまいには、「腕輪型着鎧装置」まで俺の手に残されたままだった。古我知さんも詰めが甘いな……いや、俺なんて取るに足らないってことなのか?

 

 こうして、朧げながらも目を覚ます前から、顔に何かコツコツ当たってるような感じがしていた。何かと思えば……戦いの衝撃による小さな破片が、パラパラと俺の顔に降って来ていたらしい。

 そんな一センチにも満たないような金属片に、俺はたたき起こされてしまったわけだ。ここまで情けないと、もはや笑うしかないな。

 首を上げて辺りを見渡すが、人っ子一人いない。いるとするなら、カプセルの中で眠らされている救芽井の両親くらいか。

 

「全く、もうちょっとで三途の川でも渡ろうかってとこだったのによ。ははは……あぐッ!」

 

 目を覚ませば、既に傷は癒されていて――なんて都合のいい話はないらしい。身を起こそうとした俺の感覚神経に、鋭い痛みが走る。

 さらに、喉の奥から込み上げて来るものを抑えられないまま、血まで吐き出してしまった。口元に赤い筋が伸びていくのがわかる。

 そして、痛みの発信源である左の脇腹からは、じんわりと血が滲み出ていた。赤いダウンジャケットを着ているせいで、傍からは見にくいが――撃たれた当事者である俺には、文字通り痛いほどよく見える。

 

 こんな痛い目に遭って、よく死なずにいられたもんだよなぁ。着鎧甲冑を着ていたとは言え、銃で撃たれた上に、寒い廃工場で意識不明になってたってのに。

 ――俺は、銃撃を受けたショックで気を失いはしたが、金属片が顔に当たった感覚のおかげで意識を取り戻せた。

 それがなければ、助けも来ないような薄暗い部屋の中で、出血と衰弱と冷気でくたばっていただろう。凍死する前に目を覚ましてくれた金属片の皆様に感謝だ。

 

 さて、意識が戻ったからには出血を抑えなくてはなるまい。もうほとんど止まっているようだったが、万一、これ以上噴き出されたら今度こそ死んじまう。

 俺はダウンジャケットを傷に障らないようそっと脱ぎ、銃創の部分に帯を締めるような気持ちで、袖同士を結び付けた。

 これで傷は完全に塞がれたが、代わりに俺の上半身は黒シャツ一枚になってしまった。敢えて言おう。死ぬほど寒いと!

 

 ……が、今は傷を応急処置しておくことが先決だ。俺はキツイくらいに袖をギュッと縛ると、ゆっくり立ち上がって辺りを見渡してみた。

 やはり、このフロア一帯は既にもぬけの殻。「解放の先導者」達も機能停止したままで、ピクリとも動けずにいた。

 ここに来たときには引っ切りなしに響いていた機械音が、今はまるで聞こえて来ない。これほど静かだと、かえって不気味だな。

 

 ……ちょっと待て。古我知さんはどこに行ったんだ? それに、救芽井や矢村は!?

 さっき人っ子一人いないとは言ったが、よくよく考えると、これはおかしい。ふとそれに気づいてあちこちに視線を移すが、彼ら三人の姿は――やはり見当たらない。

 ま、まさか救芽井が……! それに、矢村まで……!?

 

「……んッ!?」

 

 目が覚めて早々、ヒーローを気取ってまで守ろうとした二人を見失うとは。そんな自分の失態に焦りながらも、俺はあるものを見つける。

 今ここに存在し、俺が撃たれる前にはなかったはずのもの。それに気がついたのは、周囲の明るさに気がついた時だった。

 

 俺がここに来たときは、この部屋は薄暗く……十メートル先が見づらくなるような場所だった。しかし、今はフロア全体が明るめになっており、部屋の隅々――それこそ壊れた照明の数まで、ハッキリと見えるようになっている。

 なんだ……? 俺が寝てる間に一体何が――

 

「さぶっ!?」

 

 元々、あるのかどうかも怪しい知能を働かせようとした瞬間、俺の全身をクリスマスイブの冷気が貫いた。――心まで。

 ……まぁ、着鎧甲冑を着てるときは暖かかったからな。それに、今は黒シャツだけって状態だし。

 だけど、これはちょっと寒すぎじゃないかい? それに、かなり奥の部屋だってのに風まで吹き込んでるし……。俺は素肌を晒している両腕を摩りながら、その風の入口に視線を送る。

 

 ――どうやら、その入口ってのが、この明るさの正体だったらしい。

 俺が戦ってた時には、間違いなくなかったはずの、高さ二メートル程の大穴が開けられていたのだ。

 力任せにこじ開けられたのか、その辺りの壁や鉄骨が無残にひしゃげている。これはもしかして……いや、もしかしなくても……!

 

「うっ、ぐ……! はぁ、はぁっ……!」

 

 俺は寒さに凍え、傷の痛みに歯を食いしばりながら、自分の身体を引きずるように歩き出す。

 例の穴からは月明かりが差し込んでおり、それがこのフロアの全貌を鮮明にしていたらしい。つまり、この穴からは外に繋がってるってわけだ。

 

 この穴を潜った先にあるもの……それはきっと、廃工場と隣接した採石場だろう。地元に詳しくない古我知さんが、救芽井達を人気のない場所に連れていくとしたら――そこしか考えられない!

 

 ……しかしまぁ、辛いもんだよなぁ。

 銃で撃たれるのなんて、当たり前だけど初めてだし。すげー……痛いし。血も出てるし。

 おまけにイブの夜に黒シャツ一枚で死ぬほど寒くて……既に手先に感覚がない、ときた。

 普通なら、即救急車呼んで、早急に病院の暖かいベッドでスリープするものだろう。つーか、出来るもんならそうしたい。

 

 だけどね、その前にやっておきたいコトってのも、ちゃんとあるわけでして。

 「技術の解放を望む者達」をとっちめないことには、落ち着いて受験勉強にフィーバーすることもままならないんですよ。

 

 ……だから、これは俺のため。俺のために、救芽井と矢村を……着鎧甲冑の未来ってモンを、助けに行く。

 呼ばれちゃいない、頼まれてもいない、そんなお節介なヒーローだけど。

 

「それでもあの娘は『お姫様』で……俺は『ヒーロー』、つーことみたいだから、な……」

 



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第40話 願いの守り人

 月明かりに照らされた採石場に、粉雪がこんこんと降り積もる。こんな場所や状況でなければ、「クリスマスイブならではのムード」というものが作れていたのかも知れない。

 

 小さな血の足跡を残しつつ、その雪上を歩いていた俺は今――

 

「な、なんだい? なんで、なんで君がここにいるん、だい?」

 

 撃ち殺したはずのガキにビビる古我知さんと、彼に縛られた二人のヒロインの前に立っていた。

 

「へ、変態君……!? 嘘でしょ……なんで、どうして!?」

「――龍太ぁっ! バカバカバカぁ! なんでこんなとこ来とるんやぁ! ……傷、痛いんやろぉ……?」

 

 ……救芽井のみならず矢村まで、あの黒い帯に捕縛されてしまっている。しかも念を押したのか、今度は二人とも足まで縛られていた。

 「解放の先導者」を止められた時みたいに、妙なマネをされたくないのだろう。さすがに両方とも、その場からはどんなに身をよじらせても逃げられないようだった。

 

 矢村は何の関係もないのに、俺と一緒にいたというだけで捕らえられている。そんな事実が目の前にある以上、撃たれて痛いとか、血が出てるとかで騒いではいられない。

 是が非でも、二人を助け出す!

 

「……よぉ、古我知さん。銃弾一発じゃあ、俺を殺しきれなかったみたいだなぁ? 人殺しになるのが怖くて、急所が狙えなかったってとこか?」

 

 俺は口元を吊り上げ、挑発的な台詞を並べる。まだまだ元気、であることをアピールするためだ。

 古我知さんが本当に「殺し」を望んでいないのであれば、俺がまだ生きていることに安堵して、隙が生まれるはず。

 痛手を負った今の俺に勝ち目があるとするなら、その一点だけだ。

 

「なんで……なんで生きてるんだ!? 殺したのに……殺してしまったはずなのにッ!」

 

 恐らくは、この場へ救芽井と矢村をさらって、記憶を消してしまうつもりだったのだろう。そこへ殺したはずの俺が邪魔立てしに来たのだから、取り乱しようも半端じゃない。

 頭を掻きむしり、予定をことごとく狂わされた事実に苦悶している。しかし、落ち着きを取り戻すのは意外と早かった。

 

「……ふ、ふふ。存外にしぶといじゃないか。ここまで健闘すれば、もう十分だろう? 早く病院のベッドで眠りなさい。彼女達の記憶を消し去ってから、すぐに全て忘れさせてあげるから」

 

 その口ぶりから、あくまで身を引くように奨め、俺との戦いを避けようとしているのがわかる。偶然とはいえ、俺が生きていたことに安堵もしているのだろう。

 

 ――そうでなければ、自分を散々痛め付けた相手を前にして、表情を緩めることなんて出来やしまい。

 

 まぁ実際彼の言う通り、俺は正直まともに戦える身体だとは言いにくい。一応袖で縛って止血は万全にしてあるが、痛いことには違いない。脇腹を抑えなくては、一歩踏み出すのも一苦労なくらいなんだから。

 その上、今は黒シャツ一枚という格好なのだ。十二月の、雪が降る夜の中で。ぶっちゃけ、死にそう。

 

 こうやって軽口の一つでも叩いて、「まだ自分には余裕がある」と言い聞かせないことには、まともにやり合う前に勝手にノックダウンしてしまうことだろう。

 いや、そもそもこんな状態で「戦おう」なんて考え出す段階から、既に相当なイカレポンチなのだろう。俺は。

 でなければ、救芽井や矢村の驚き顔に説明がつかない。

 

「……って、龍太!? そんな格好でなにしよるん!? 風邪引くやろっ!」

「まさか、そんな状態で戦うつもり!? ダメ! ダメよそんなのッ!」

 

 口々に彼女達からブーイングが飛んで来る。いつもなら勢いに流されて降伏してしまうところだが、今回ばかりは彼女達の言い分に耳を貸してはいられない。

 古我知さんを止める、それが今の俺の全てなんだから。

 

 俺はしばらく無言のまま――いや、ベラベラと喋る元気もないまま、古我知さんに手の甲を向け、「腕輪型着鎧装置」を見せ付ける。

 俺はまだ、戦う。その意思表示のために。

 

「まさか――君、戦うつもりかい!? そんな身体で!」

 

 古我知さんから見れば甚だ非常識であるらしく、さっきよりもかなりテンパっている様子だ。一度殺しかけたけど、生きていて安心……というところで、わざわざ死にに行くようなマネをしだしたのだから、まぁ当然と言えば当然だろう。

 

「バカげている! 元々、君には関係のない話だったはずだろう、龍太君!」

「……うるせーな、ごちゃごちゃ騒ぐんじゃないよ。傷に響くから」

 

 それでも、ここまで来ておいて、今さら引き下がるような空気の読めない行動を取る気はない。加えて言えば、関係あるかどうかを決めるのは、俺だ。

 

「な、なんだというんだ、君はっ……!」

「俺に関係あろうがなかろうが、こんなドタバタに出くわした時点で『無関係』なんてありえねーんだよ。他の誰でもない、俺のためにこそ、『好き放題』させてもらうことにした」

 

 ――そう、せめて俺自身の「心」だけは守れるように。彼女達を見捨てて、それを痛めることがないように。

 

「だから……! 着鎧、甲冑……ッ!」

 

 音声による入力と同時に、この町のスーパーヒロインにあやかった変身ポーズを決める。傷に障るどころの騒ぎじゃなく、脇腹から捩切れるような激痛が走った。

 痛みのあまり溢れそうになる悲鳴をかみ砕き、しゃがれた声で「腕輪型着鎧装置」を起動させる。平行して行う変身ポーズで、身体に鞭打ってる分だけ痛みもひとしおだ。

 

 ……救芽井は、たった独りで「技術の解放を望む者達」と戦いながら、この町を守り抜いてきた。ゴロマルさんが傍にいただろうけど、それでも松霧町の人間に味方が一人もいない、というのは苦しいものだっただろう。

 だけど、彼女は弱音を吐かなかった。と言うよりは、見せないようにしていた。

 この町のスーパーヒロインであることを意識して、自分の夢だったらしい「お姫様願望」ってヤツを、半ば諦めているようだった。そんな一人我慢大会、俺には到底マネできそうにない。

 

 それほどのことをやってのけてきた、彼女の代役を――「こんな」俺が今、やろうとしている。こんな滑稽な話はないだろう。

 だが、俺自身はマジだ。大マジだ。

 彼女を、そして矢村を助けられる可能性がわずかでも俺にあり、そのチャンスが今あるのなら。それを実行できるだけの力が、まだ残っているとしたら。

 

 ――何を置いても、やってみるしかないだろう。

 

 だから俺は、彼女の変身ポーズを取る。

 「救済の先駆者」として戦う以上、せめてほんの少しでも、スーパーヒロインだった彼女の傍にいたいから。そして、彼女の願いを、ちょっとでも守ってやりたかったから。

 

 ――彼女達、「救芽井家」が作り出した「着鎧甲冑」で、誰かを救うという「願い」を。

 

「正義の味方、『着鎧甲冑ヒルフェマン』……これで最後の参上だ」

 

 そして俺は今「救済の先駆者」を纏い、名乗りを上げる。

 俺にできることを最後に一つ、やっておくために。

 

 「技術の解放を望む者達」を……「呪詛の伝導者」を、そして「古我知剣一」を、ぶっ飛ばすために。

 

 この町の、たった独りの「スーパーヒーロー」として。

 またあるいは、「お姫様」を救う「王子様」として。

 



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第41話 俺とあんたの最終決戦

「やるしかないのか――着鎧甲冑ッ!」

 

 脇腹を抑えながらも、両の足でしっかりと立ってガンを飛ばす俺を前に、古我知さんは腹を括って「呪詛の伝導者」に着鎧する。話し合いが通用しないということを、俺の目を見て判断したらしい。

 

 ――いよいよ、最終決戦ってワケだ。

 

 俺達は雪景色に彩られた採石場を舞台に、一対一で睨み合う。救芽井と矢村も、口出しできる状況じゃなくなったことを察したのか、不安げな表情を浮かべながらも無言になった。

 この場にいる四人全員が一言も喋らないせいで、今まで気にならなかったような風の音が、妙にうるさく聞こえてくる。俺はそれら全てを聞き流し、古我知さんに対して戦闘態勢を整える。

 

 水月程の高さに置いた右肘から、右腕を上に曲げて掌を張り、同時に左手を右腰の辺りに添える感覚で構える。

 れっきとした少林寺拳法の構えの一つ、「待機構え」だ。

 その名の通り、敢えて胸の辺りをがら空きにして攻撃を誘う、カウンター用のもの。自分からガンガン攻めていく、救芽井の「対『解放の先導者』用格闘術」とは正に対照的なスタンスであり、それを研究しつくしてる古我知さんには対応しづらい戦法であるはずだ。

 

 事実、「守主攻従」を原則とする少林寺拳法の技を前に、古我知さんは手も足も出ていなかった。廃工場での太刀合わせだけじゃ、俺の技は把握しきれてないはずだし、まだまだ通用するはず!

 

 俺は待機構えを維持したまま、打撃攻撃を誘うため、ジリジリとすり足で「呪詛の伝導者」に接近する。飛び道具を使われたら、さしもの少林寺拳法でも対応しきれないからだ。

 一歩、二歩と、こちらの意図を悟らせないように近づいていく。いよいよ距離が五メートルを切った辺りで、攻撃に備えて素早く動くために腰を落と――

 

「……『バックルバレット』ッ!」

 

 ――す瞬間、「呪詛の伝導者」の腰にあるベルトが激しく発光した。……あれは、ただの光じゃない!

 

「くうっ!?」

 

 とっさに待機構えを解き、側転でその場を飛びのく。そして、さっきまで俺が立っていた周辺に、弾丸の雨が降り注いだ。

 ……どうやらピストルだけじゃあきたらず、ベルトに「解放の先導者」のような機銃まで仕込んでいたらしいな。口からは炎まで吐きやがるし、どこまで武器を仕込めば気が済むんだよ、コイツはッ!

 

 俺は「バックルバレット」とかいう機銃掃射をかわすと、採石場の小さな岩山に身を隠す。向こうは銃を持ってるんだし、棒立ちでいるわけにはいかない。

 銃撃が止んだ後、俺は身を乗り出して「呪詛の伝導者」の姿を確認する。彼は得意げな様子で、腰のホルスターからピストルを引き抜いた。

 

「いつまでも同じ手は食わないよ。君の拳法の全てこそ網羅してはいないが――構えを見れば、カウンター重視の戦い方だということくらいわかる」

「……思いの外、アッサリと見破られちまったらしいな。その腰についたヘンテコ銃も、あんたが作った物なのか?」

「もちろん。ベルトに仕込んでる形だから、銃身がものすごく短くて精度が最悪なんだけど――威力だけは折り紙付きさ」

「火を吐いたり、ションベンみたいに銃弾ちびらしたり……忙しい野郎だな全く!」

 

 「呪詛の伝導者」のピストルが火を噴く瞬間、俺は隠れていた岩山から転がり出ると、彼目掛けて一直線に猛ダッシュする。

 

「く、口の減らない坊やだが……とうとうヤキが回ったようだねッ!」

 

 古我知さんは一瞬だけ躊躇する様子を見せたが、俺が一発ブチ込めるところまで行く前に、発砲を再開してしまう。俺はその展開を承知の上で、突進を続けた。

 黒い銃身から幾度となく打ち出される弾丸が、俺の身体に衝突して激しい火花を発生させる。その不吉な光に包まれながら、緑のヒーロースーツに守られている俺は、前進を続けていく。

 

 せめてもの防御ということで、両腕で顔を守りながら進撃を続けるが――やはり、痛いものは痛い。着鎧甲冑に守られているとは言え、何度も銃で撃たれて痛くない方が変な話ではあるのだが。

 ちなみにこれは兄貴の弁だが、人間の急所は頭や顔の部分が一番効果的であるという。それ自体は割と当たり前の話なのだが、言い換えるならそれは、頭の急所だけは絶対に守れということにもなる。

 つまり、銃弾そのものの脅威は着鎧甲冑の防御力に任せ、俺自身は急所への命中を避ける努力をしなければならない、ということだ。着鎧甲冑を……それを作った救芽井達を信じなきゃ、古我知さんには永久に勝てない!

 

 ――だが、戦闘用とレスキュー用との差は、やはり大きい。

 

「……うぐあッ!」

 

 古我知へ迫る途中、脇腹に槍で貫かれるような激痛がほとばしる。廃工場の時の銃創に、ダイレクトに被弾してしまったらしい。

 

「今だ……これで、終わりだッ!」

 

 思わず膝をついてしまい、その一瞬の隙を狙った古我知さんの銃弾が、間髪入れずに襲い掛かってきた!

 

「あ、がああッ!」

 

 ……痛みのあまり、頭のガードを解いてしまったのが運の尽きだった。俺は「撃たれる衝撃」に備える暇すら与えられないまま、銃弾の雨にさらされてしまった。

 

 「救済の先駆者」のボディから火花が幾度となく飛び散り、中にいる俺の身体に焼き尽くされるような熱気が篭る。

 

「あ、アヅッ……ああああッ!」

 

 頭のてっぺんから足のつま先までが、文字通り焼かれているかのように熱い。これじゃ、火あぶりの刑みたいだ。

 俺はその熱気と痛みに悶えながら、冷え切った地面の上でのたうちまわる。

 意識までが燃やされようとしているのか、視界がユラユラとぼやけ始めていた。手先がブルブルと震え、身体が思うように動かない。

 

 ……俺、死ぬ、のかな?

 

「りゅ、龍太ァァァッ!」

「やめてぇ! お願い、もうやめて! やめてったらぁ!」

 

 よっぽど、見ていられないような醜態だったらしい。俺がやられているザマを見て、救芽井や矢村が悲鳴を上げる。

 

 ……あれ、なんか違うなぁ。

 俺が望んだ展開は、こんなもんじゃなかったはずだ。

 

 別に俺は、ヒーローになりたくて、戦ってたわけじゃない。彼女達に心配されたくて、戦ってたわけでもない。

 ただ、変態呼ばわりをやめて欲しくて――仲直りがしたくて。そのための手段として、俺は戦うことになっていた。

 

 ――そうだ。俺、名誉挽回がまだじゃないか。まだ、彼女に認めてもらってないじゃないか。

 

 どうせなら、「ありがとう変態君! ……ううん、一煉寺君!」って、お礼を言われて終わりたい。あんな風に、泣かれて終わりなんて……あんまりじゃないか。

 俺にとっても。きっと、彼女にとっても。

 

 ……だから、俺は。

 

「まだ、死にたく、ねぇッ……!」

 

 もうガクガクだけど――まだ、足は動く。少し時間を置いたおかげなのか、身体もちょっとずつ、言うことを聞きはじめた。

 「救済の先駆者」のスーツが、着鎧してる俺に向かって「危険」の警告をしているが……それに構っていられるような、空気じゃない。どんだけ無茶振りであっても、このスーツには付き合ってもらわないとな。

 

「はぁ、うっ、ぐ……!」

 

 苦しみを孕んだ息を漏らし、俺は見苦しいくらいに喘ぎながら――立ち上がる。

 

「なっ……! 馬鹿な! とっくに着鎧甲冑からの警告信号は出ているはずだぞ! 何を考えてるんだ、君はッ!」

 

 俺がまだ戦おうとしていることに、古我知さんはとうとう驚くどころか、露骨にビビって後ずさりを始めてしまっていた。普通ならありえない行動なんだから、その反応は至って正常なんだろう。

 

「何も考えちゃ、いないさ。あるとすれば――あんたを、ぶっ倒す。ただそれだけだ!」

 

 脇腹を撃たれるまでに走り込んでいた場所は、「呪詛の伝導者」からそう離れた距離ではなかった。ここから前進を再開すれば、古我知さんまですぐに辿り着ける!

 

「くそっ……! 『バックルバレット』!」

 

 ピストルだけじゃ、倒しきれない。理屈を抜きにそう判断したのか、古我知さんはすぐさま得物を投げ捨てると、ベルトの中心部に両手を当てる。

 それと同時に機銃の流星群が飛び出して行き、俺の身体を容赦なく打ちのめす。

 

「が、あああああッ! ぐ、お、ああぁッ!」

 

 痛みに叫び、呻き……それでも、俺は前に進み続ける。

 どれだけゆっくりでも、構わない。止まりさえしなければ、いつか必ずたどり着く。

 そう信じなきゃ、俺は「呪詛の伝導者」に勝てない!

 

「なぜだ!? 撃ってるのに……撃ってるのに、なぜ止まらないんだァァァァッ!」

 

 俺も死に物狂いでやってるが、あっちもあっちで相当な半狂乱になってやがるな。「バックルバレット」がダメと判断し、今度はあの炎を噴き出してきた!

 

「あぐ、あああ……!」

 

 ここまで来ると、悲鳴を上げる元気すらなくなってくる。俺はかすれた呻き声を漏らし、炎に焼かれ――それでも、すり足で前進を続けた。

 

 「すり足」と言っても、少林寺拳法として行うようなものじゃない。体力を消耗する余り、歩くための膝が上がらなくなってるだけだ。

 

 折り紙付きの威力を誇る機銃と、身を焦がすような火炎放射を立て続けに食らい、俺も「救済の先駆者」も半死状態だった。ふと俯いてみると、スーツのあちこちから電気が飛び散り、身体中が黒ずんでいるのがわかる。

 よくこんな状態で機能するものだと、感心せずにはいられない。余りにも無茶苦茶な運用を重ねているせいで、自動的に着鎧が解けるシステムも停止してしまっているようだし。

 

 ――そして俺は、文字通りズタズタの格好で「呪詛の伝導者」の目前までたどり着いた。

 戦えるだけの体力が残ってる……とは、もちろんながら言い難い。正直、生きてるってだけで、お腹いっぱいなほど奇跡だろう。

 

「なんで……どうして、君は……戦うんだ……!? わからない、わからないんだよッ……!」

 

 やはり向こうも、精神的に追い詰められているらしい。目の前に立つ、自分の理解を超えたバカに向かって、低く唸るように訴え掛けてくる。

 そんな彼に対し、俺は喉の奥から搾り出すように発した声で、精一杯返答する。

 

「何度も、言わせん、なよ。あんたを、ぶっ飛ばさねぇと、受験……集中できな、いん、だよッ……!」

 

 ――そんなもん、結局は建前だけどな。

 全ては……救芽井に変態呼ばわりをやめてもらわなきゃ胸糞が悪くなる、ってだけの話だ。俺にとっちゃ、嫌われたまんまで終わるのが一番バッドエンドなんだよ。

 

 どうせ知り合いがいるなら、全員と仲良しでいる方がいいに決まってる。俺はあの日から、いじめられることはなくなったけど……いじめていた奴と仲直りしたわけじゃない。

 そいつらは俺や矢村を恨んだまま、俺達の前から姿を消した。――そんなの、後味が悪いじゃないか!

 そういう世の中の知り合い全てが、もしもいつかは離れ離れになる人達だとしたらなら――最後の瞬間だけでも、仲良しでいたいモンだろう。

 

 ……少なくとも、俺はそうさ。だからこそ、救芽井に嫌われたままで、終わりたくはないんだ!

 

 俺は最後の力を振り絞り、ヨロヨロの身体のまま、再び待機構えを取る。この近さなら、バックルバレットも火炎放射も間に合わない。接近戦しかないはずだ!

 

「き、君が……君が、どれほど強くても! 僕は――負けられないんだァァァーッ!」

 

 向こうも、万策尽きたと感じたらしい。「呪詛の伝導者」としては恐らく本邦初となる、完全な肉弾戦を仕掛けてきた。

 剣は廃工場で落としたし、ピストルはさっき捨ててしまった。バックルバレットも火炎放射も、この距離では発動が間に合わない。

 こうなっては、もはや頼れるものは自分の拳しかないのだ。

 

 ――だが、「呪詛の伝導者」が如何に優れた戦闘用着鎧甲冑だと言っても、着鎧してる人間に技量がなければ、意味はなさない。

 古我知さんの繰り出すパンチは、綿密に訓練された精度が感じられる、鋭いモノだった。が、俺の少林寺拳法と「救済の先駆者」の運動能力の前では、格好の餌食でしかない。

 それに、彼の攻撃は至って直線的であり、受け流すのはかなり容易だった。焦りの色が、露骨なまでに技に出ていたんだ。

 

 俺は縦に構えていた右腕で、漆黒の鉄拳を払いのけ――黒鉄の鎧に覆われた首筋に、一発の手刀を入れる。

 

「ぐっ!?」

 

 首に手刀を当てられたことで、彼の動きが一瞬固まってしまった。そこへ、右腰の辺りに添えていた左手から、腰全体を回転させた突きを「呪詛の伝導者」の水月に叩き込む。

 

「――ぐはァッ!」

 

 そうして、俺に劣らず痛手を負った古我知さんは、たまらず腹を抑えてフラフラと後ずさる。お互い、意識が飛ぶ一歩手前の満身創痍って状態だ。

 古我知さんは「まだ負けられない」と言わんばかりに、ヒィヒィと息を荒げながらも俺を睨みつけている。

 

 だが、その頃には既に、俺は最後の一発を決める体勢を作っていた。

 

 左半身を前に向け、どっしりと腰を落とし――右腕に、残る全ての力を込めて。

 

「うぐッ!?」

 

 今の俺に出来る、最後の構えだ。この体勢から繰り出す一撃が、俺の限界だろう。

 古我知さんも、俺が「そういうつもり」で攻撃を仕掛けようとしているのが雰囲気でわかったのだろう。「呪詛の伝導者」は明らかに動揺した動きを見せている。

 だが、水月への突きが相当効いたのか、危険が迫っているとわかっていながら、その場を動けずにいた。

 

「……前に言った通り――その鼻っ柱。『文字通り』、へし折らせてもらうぜ」

 

 ――そして、全力で回転させた腰から打ち出される、俺の最後の一撃。

 

 掌から、手首の関節に近い部分で衝撃を加える突き――「熊手」の一閃が、「呪詛の伝導者」の顔面を遺憾無くブチ抜き、岩山まで派手に吹き飛ばしてしまった。

 岩壁にたたき付けられた漆黒の鎧は、地面にズシャリと落下した瞬間に、スーッと消えて行き――本来の姿である古我知さんが出てきた。元の姿に戻っても、彼が動き出す気配はない。

 

 ……そして、俺の方も限界を迎えようとしていた。着鎧が自動解除されるシステムはイカれてるから、「救済の先駆者」の姿のままで俺は倒れ伏した。

 古我知さんに勝った。その安心感から来る反動――即ち疲労感が、俺の意識を瞬く間に闇に葬ろうとしていたのだ。抗うだけの気力も時間もないまま、俺の視界が暗く閉ざされていく。

 

 ――ダ、ダメだ……! まだ、救芽井と矢村を助けてないのに……!

 そんな俺の心境をガン無視するかの如く、とうとう視界が真っ暗になった。

 目の前から光が失われ、次いで意識自体も失われようとしていた――その時。

 

 なにかの音がした。

 

 いや……「誰か」の「足音」が聞こえたんだ。

 だが、それが誰のものなのかを考える前に、俺は意識さえも完全にシャットダウンされてしまった。

 



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第42話 目が覚めたら、親御さんにご挨拶

 ……目の前が、なにかの膜に包まれている。まるで、棺桶にでも閉じ込められているかのように。

 

 これが――あの世、なんだろうか? こんな窮屈な場所だとは思ってもみなかったが。

 ていうか、やっぱ俺……死んだのかなぁ。なんか膜の向こうから、お出迎えが見えてきてるし。

 

「むお! 意識が戻ったようじゃのう!」

 

 ――あれ? ゴロマルさん?

 

 ゴロマルさんも、とうとう歳で亡くなられたのか? でも、その割には頭にわっかは付いてないし……。

 膜が広い範囲まであるから、ちょっと身を起こせば、彼の足がちゃんと付いていることもわかる。ゴロマルさんは、まだ生きている……?

 

 じゃあ、何で死んだはずの俺が見えるんだ? ――ハッ! まさかこのミニマムじーさん、霊能者だったのか!

 

「ジッとしておれ。今出してやるからの」

 

 ゴロマルさんは妙に嬉しそうな表情で、俺から見えない場所から、なにかの操作を始めた。おい、何する気だよゴロマルさん!

 ――まさか、成仏させる気なのかよ!? ふ、ふざけんな! せっかく幽霊になったんだぞ、あの世に行く前にいろいろとやりたいことがあるんだっちゅーに!

 女風呂とか、女風呂とか、女風呂とかッ!

 

「女風呂とかァァァァッ!」

 

 俺は謎の膜が扉のように開かれた瞬間、焦りと憤りを帯びて立ち上がる!

 

「ぬおぉう!? お前さん何の夢を見とったんじゃあ!?」

 

 未練のあまり絶叫する俺に、ゴロマルさんは思わず、すっ転んでしまう。コロコロとボールみたいに転がっていく、齢六十代の老人。シュールだ……。

 ――いや待て。なんで俺は今、足が付いてるんだ? よくよく見てみると、ゴロマルさんのみならず、俺まで両の足が健在だったのだ。

 もしかして、足が付いてる代わりに天使のわっかが……! ……なかった。頭の辺りをまさぐって見たが、どこにもそれらしいドーナツ形は見当たらない。

 

 ……え? 何? どゆこと?

 天使のわっかはないし、足はちゃんと付いてるし――何より、いつの間にかメディックシステムのカプセルの上に立ってるし。

 

 あれ? もしかして俺……死んでない?

 

「全く……元気になったかと思えば、いきなりたまげさせるとはのぅ」

「ゴロマルさん、俺――生き、てんの?」

「心配いらん。足は付いとるじゃろう? ――よく、生き延びたな」

 

 俯いて、自分の両足の存在を確かめる。確かに、俺の足だ。

 ……俺は、結局助かったのか。辺りを見渡すと、ここが救芽井家の地下室だということがわかる。

 あのあと、ゴロマルさんがここまで連れ出してくれたんだろうな。それで、俺をこのメディックシステムに入れてくれた、と。

 俺を助けたんなら、きっと救芽井や矢村も保護してくれてるとは思うが……。

 

「なぁゴロマルさ――あぅっ!?」

 

 「自分が助かった」。その安堵感によるものだろう。急に腰がガクッと下がり、扉が開きっぱなしのメディックシステムの上にへたりこんでしまった。

 

「……はは、なんだよも〜。ヒーローらしく、カッコよく臨終したのかと思ってたわ」

「格好のよい臨終なんて、ありはせん。死ぬときは、みんな同じじゃよ」

 

 ゴロマルさんの言うことも尤もだな……。つーか、メディックシステムってホントに便利だな。医者いらずじゃないか。

 

「――お前さんを生かすために、辺り一帯が半日間停電になったのはナイショじゃぞ」

 

 ……って、相変わらず電気使い過ぎだろッ!? 道理でこんな便利な機械を普及しないわけだ……。

 一般家庭の皆様、割とマジでごめんなさい!

 

「――それより、古我知さんはどうなったんだ? それに、救芽井と矢村は?」

「剣一なら、すでに捕縛済みじゃよ。樋稟と賀織ちゃんは、暖かい部屋で休ませておる。二人とも真冬の採石場まで連れ去られて、体力を消耗しておったからのぅ」

 

 ゴロマルさんは俺に背を向けたまま、何かしらのコンピュータをいじり回している。近くに「救済の先駆者」の「腕輪型着鎧装置」があるところを見ると、どうやら修理中みたいだな。

 ……まぁ、あんな無茶苦茶な戦い方してた上に、自動で着鎧甲冑が外れる機能が止まってたんだ。きちんと修理しなきゃ危ないだろう。しかし、「呪詛の伝導者」の「腕輪型着鎧装置」まで一緒に修理されてるのはどういうことなんだ……?

 

 なんにせよ、救芽井と矢村も無事だったのか……よかったよかった。古我知さんはもう捕まってる、とのことだが――警察に引き渡すのはマズいんじゃないのか?

 

「それから、剣一はこちらで身柄を拘束し、アメリカにある救芽井研究所まで連行してから、処分を検討することになったわい。日本の警察に任せようものなら、着鎧甲冑そのものがオジャンになりかねんからのぅ。それと、『解放の先導者』のプラント等も接収の手筈を整えておる。クリスマスが終わる頃には、全て綺麗サッパリ、じゃよ」

 

 ……あ、そういうことね。ていうか、救芽井ん家ってアメリカにあったのか。

 確かに救芽井は海外の大学にいたって言うし、もうその頃には向こうに住んでたんだろうな。それで古我知さんを追い掛けて、日本まで来てた、と。つまるところ、帰国子女ってヤツだったわけか。

 

「ほう、目が覚めたのか。一煉寺龍太君」

「うぃ!?」

 

 ――その時、どこからともなく聞き慣れない声が聞こえてきて、思わず仰天してしまう。だ、だだ、誰だ!? なんで俺の名前を……!

 

 慌てて声の出所へ目を向けると――そこには、あの時、古我知さんのカプセルで眠らされていた夫婦……そう、救芽井の両親が立っていたのだ。

 

「あ……!」

「話は全て父上から伺ったが、こうして顔を合わせるのは初めてになるな。着鎧甲冑の開発者・救芽井甲侍郎(きゅうめいこうじろう)だ」

「あなたが、樋稟の王子様ですのね。私は彼の助手であり妻でもある、救芽井華稟(きゅうめいかりん)です。あなたには、娘がお世話になりましたわ」

 

 父は厳格に、母はにこやかに。二人揃って俺に自己紹介をしてきた。

 ……うへぇ、眠ってる時もさることながら、こうして意識がある状態で向き合うと、もうこれだけで「品位の違い」を見せ付けられてる感じがするなぁ……。

 

「……あー、ども。一煉寺龍太っす。えーと、こちらこそ、娘さんにはお世話になりました〜……」

 

 そんな劣等感をブチ込まれてる俺に、まともな礼儀で応えるなんて出来るはずもなく。いかにも庶民って感じの挨拶を返してしまった。

 ぐへぇ、なんか超恥ずかしい! 普通に受け答えしてるはずなのにっ!

 

「――君のことは、さっき言ったように全て聞いている。私達を、樋稟を、着鎧甲冑を救ってくれたことに……礼を言いたい。ありがとう」

 

 俺がうまく挨拶を返せなかったと勝手に身もだえている間に、救芽井のお父さん――甲侍郎さんが、いきなり頭を下げてきた。

 

「えぇえ!? ちょ、甲侍郎さん!?」

 

 当たり前だが、俺は年上のオッサンに頭を下げられたことなんてそうそうない。なので気の利いた台詞が思い浮かばず、狼狽してしまう。

 

「……私は、間違いを犯したつもりはなかった。着鎧甲冑は、人々を救うためにこそあり、兵器として運用されるようなことがあってはならない――そう断じてきた」

 

 頭を下げた状態のまま、甲侍郎さんは文字通り目を伏せた格好で話しはじめる。

 俺は「どうすりゃいいんですか?」と華稟さんに視線で助けを求める……が、彼女は「うふふ」とうやうやしく微笑むばかりで、俺の意図に気づく気配がまるでない。

 

「だが、それは所詮「私個人の独断」でしかなかったのだ。その結果として、着鎧甲冑の未来を憂いた剣一は暴走してしまった。そして樋稟が、父上が、そして君達のいるこの町が巻き込まれ――誰もが望まぬ戦いを、強いられていた……」

「こ、甲侍郎さん……」

 

「――下手をすれば、「着鎧甲冑」という存在そのものが、救うべき人々を脅かしていく時代が訪れていたやも知れん。君は……そんな危機に晒されたこの世界を、救ってくれた。星の数ほどの礼を並べても、足りはしないだろうな」

「世界って……いくらなんでも飛躍しすぎですよ。俺はんな大層なコト、しちゃいませんから」

 

 甲侍郎さんの過大評価に、思わず俺は苦笑い。人間一人を張っ倒したくらいで「世界を救った」だなんて、世界観広がりすぎでしょうに。

 

「飛躍などしておらん。予想されていた最悪の未来が、覆されたということなのだからな」

「本当に素晴らしいですわ。あの娘が夢中になるはずです。義理の母として、誇りに思いますよ」

 

 ――「義理の母」? 華稟さんは何を言ってるんだ?

 俺が首を傾げていると、甲侍郎さんがゴホン、と咳ばらいして俺に歩み寄って来た。あれ、なんかお礼言われてる空気だったはずなのに、急に雰囲気が変わったぞ。

 ……なんか、責められようとしてる感じが……。

 

「ところで一煉寺君。君は……娘の裸を見たそうだね」

「ブフッ!」

 

 尋問官みたいな形相で迫る、甲侍郎さんの第一声が、それだった。思わず俺は後ずさり、彼が娘のことですんごく怒ってると悟る。

 

「心が通じ合う前の段階……どころか、まさか出会い頭に樋稟の裸身を凝視するとはな……!」

「い、いやいや! だってアレは不可抗力――」

「その上あの娘を押し倒し、純潔まで奪い去ろうとしていたとか!」

「それは脚色だーッ!」

 

 なに吹き込んでんだゴロマルさんゴルァッ! 遠く離れた場所でコーヒー啜ってマイルド風味が香ばしいブレイクタイム満喫してんじゃねーッ!

 

「なんだと!? それでは君は、裸すら見ない状態から即座に純潔を狙ったというのか!? なんとマニアックな……!」

「脚色してんのは裸か否かなの!? 残念だったな、俺の性癖は至ってノーマルだよ!」

 

 何が残念かはこの際置いといて、捏造された事柄で責め立てられるのはごめんだ。なんとか事故だったことをわかってもらいたいもんだけど……。

 

「――確かに、最近の若者の性的価値観を鑑みれば、そういう話も珍しくはないかも知れん」

「脱がす前に犯そうとする若者なんて日本じゃごく少数だろ……」

「だがしかし!」

「駄菓子菓子!? うまい棒でも欲しいのか……?」

 

 お菓子を要求したり性的事故に憤慨したり、忙しい人だな……。

 

「私の娘だけは、そのような爛れた世界に踏み入れさせるわけにはいかぬ!」

 

 俺の前に仁王立ちして、彼は「娘は渡さん!」とでも言い出しそうなオーラを発現させた。やべぇ、完全にキレてるぞコレは……。

 

「普通なら、君を強制猥褻の疑いで警察に処分を依頼したいところなのだがな」

「だ、だから待ってくださいよ! こないだのアレは事故だったんです!」

「それも父上から聞き及んでいる。それに、君には先程話した分の大恩もある」

 

 怒りを噛み殺したような表情で、甲侍郎さんは俺を凝視する。例の功績と裸の件とでプラマイゼロ――になってくれれば助かるんだけど……?

 

「そこで、君に責任を取ってもらう形で、この件に決着を付けることにしたのだ」

「せ……責任?」

 

「その通り。一煉寺龍太君、君に命ずる。――樋稟と結婚し、我が救芽井家の婿養子となれ」

 

 有無を言わせぬその口調に、偽りやからかいの色はない。真正面から放たれた、真実の声色だった。

 

 ――って、ぬぁあぁああ!?

 

「聞くところによると、君は次男だそうだな。長男ではないなら、婿に取っても文句はあるまい」

「ちょちょちょ、ちょっと待ったァ!」

「む、なんだ? まさか華稟にも劣らぬ樋稟の美貌に、不満があるとでも抜かすつもりかね」

「あらあなたったら、お上手なんですから」

「のろけてないで俺の話も聞いてください!」

 

 俺はメディックシステムから降りて床に立つと、自分でもわかるくらい顔を赤くして反論する。

 

「見たモンは見ちゃったし、責任を取るってのはわかりますけども! そんな、いきなり結婚なんて……!」

「なら牢屋行きを望むかね? 君に残された選択肢は二つだ。樋稟と支え合う人生を選ぶか、冷たい牢屋の中で生涯を閉じるか!」

「強制猥褻で終身刑!?」

 

 この人一体、俺が救芽井にどんなヤバいことしたと思い込んでんだ!?

 

「おーいゴロマルさん! そろそろ龍太が起きる頃じゃ――って、おぉ! 龍太!」

 

 俺がある意味、人生最大級の選択を強いられていたその時、まさかの助っ人が現れた。……兄貴だ。

 

「あ、兄貴!」

 

 この地下室まで繋がっている階段を下って来ていた兄貴は、俺を見下ろした途端にテンションを爆発させる。

 

「くはーッ! おいおいもー、水臭いぜゴロマルさん! 龍太が起きたなら起きたって、キチンと連絡入れてくんないと!」

「すまんのぅ、なにせ甲侍郎と華稟が一番に挨拶したがっておったんでな。それに、龍太自身も目覚めたばかりで、いわば病み上がりなんじゃ」

 

 ――どうやら兄貴も含め、みんな無事に事件を乗り切れたみたいだな。……本当に、よかった。

 救芽井の両親二人もなんとか助かったし、一応「平和が戻った」って感じなんだろうな、コレは。

 

「へへへ、そうかそうか! なんにせよめでたいなぁ! お〜い、樋稟ちゃん賀織ちゃん! 龍太のバカが目ぇ覚ましたみたいだぜー!」

 

 兄貴は俺の回復を知らせようと、上の階にいるらしい救芽井と矢村を呼びに行ってしまう。ああいう俺絡みで忙しくなるところを見ると、いつも通りで安心するよ。

 

 そして――

 

「へ、変態君……ッ!」

「りゅ、龍太……龍太ァ……!」

 

 二人の姫君が、感極まった表情で舞い降りて来た。魔法が解ける前に、王子様のもとへと向かおうとするシンデレラのように。

 どちらも目に一杯涙を溜めて、今にも泣き出しそうな顔をしている。いつもは毅然だったり活発だったりする彼女達が、そんな顔をしているのは、ひとえに俺のせいなのだろう。

 

 だが悲しいことに、異性とのコミュニケーション経験に欠ける俺には、こういう時の気遣い方がわからない。王子様には、程遠いのだ。

 

 ――なので、ここは手探り感覚で返事をすることにしようと思う。これ以上心配を掛けないように、もう大丈夫だと伝わるように。

 

 だから。

 

「えーと、ゴホン。……おはようございまーす! 一煉寺龍太君、復活ですよーう!」

 

 精一杯、バカみたいに笑顔で。

 俺はシンプルに、そう応えていた。

 



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第43話 矢村さんがアップを始めました

「龍太ぁあああぁあ〜ッ!」

 

 地下を飛び抜け、ご近所一帯にご迷惑をお掛けしそうなくらいの声量。矢村の叫び声は、まさにそれくらいのボリュームを生み出していたのだ。

 

 彼女は階段を踏み砕きそうな程の音を立て、俺目掛けて急接近してくる。そのスピード、実に通常の三倍。

 涙ぐむ美少女が、俺に弾道ミサイル級タックルを敢行しようとしていた。

 

「むぐあ!」

 

 そんな弾丸ダッシュを受け止める体力が、寝起きの俺にあるはずもなく、そのまま突き倒されてしまった。

 倒される展開を察し、顎を引いて後頭部を打たないようにしていなければ、即死だった。俺の脳細胞が。

 

 しかし、当の矢村はそんな俺の都合などガン無視の様子。タックルを受けてもさして痛みがないところを見ると、どうやら脇腹の銃創はメディックシステムで治っているようだけど……。仮にもちょっと前まで怪我人だった俺に、いきなり体当たりをかますなんて、どんな神経してんだよ。

 

「龍太ぁ……龍太ぁ、うえっ、ふえっ、ひぐっ……!」

 

 ――まぁ、かわいいから許す。心配かけたみたいだしな。

 彼女は俺を押し倒した格好のまま、俺の胸倉に顔を埋めてむせび泣いている。こういう時って、どうすりゃ泣き止んでくれるんだろうか?

 

 ……いや、むしろ好きなだけ泣かせてやる方が良かったりするのかな? でも、周りが見てるし……うーん。

 

 ――もう、いいか。どうせ考えたって、俺のオツムじゃろくな答えは出まい。中途半端なことしたって、余計に気を遣わせるだけかも知れないし。

 俺は敢えて思考を止め、最善の判断を直感に委ねた。

 

「ふえっ……?」

 

 そうして取った、俺の行動。

 それは、彼女の小さな身体をギュッと抱きしめ、優しく頭を撫でることだった。掌に、震える肩と艶やかな髪の感触が伝わって来る。

 もちろん、こっぱずかしいことこの上ない。みんなが見てる前で、彼女でもない女の子に抱き着くなんて犯罪過ぎる。

 それでも、俺は彼女を離さなかった。理屈を抜きに、こうしてあげなくちゃいけない、そんな気がしていたから。

 向こうも、そんな気持ちらしい。表情こそ見えないが、俺の胸に当たっている彼女の顔から、熱がヒーターのように広がって来ているのがわかる。この娘も、恥ずかしいんだろうな。

 

「んっ……」

 

 だけど、彼女は抵抗しなかった。そればかりか、俺の背中に手を回し、絡み付くように自分から抱き着いて来たのだ。

 

 ……まぁ、怖かったんだろうな。死人が出そうになるってことが。

 俺だって、死ぬのは怖い。だけど、矢村達をほったらかすのも怖かった。どっちも嫌だったから、俺は戦ったのかもな。

 

「……ばかぁ」

「うん、そだな。バカだよな、俺」

「……バカでええよ。龍太は、バカのままが一番ええ……」

 

 顔は合わせず、しかし距離は近く。俺達は何気ない言葉を交わし、互いの無事を、温もりを通じて確かめ合った。

 

「……すぅ」

「ん? おい、矢村?」

 

 ふと、彼女の身体が急に重くなったことに驚いた俺は、その小さな肩を押して矢村の顔を確認する。

 

 ……眠っていた。

 

 まるで憑き物が取れたかのような、安らぎに満ちた寝顔。見ているだけで癒されるような、そんな幸せな顔をしていた。

 

「あの日からずっと、あなたを想って眠らなかったそうなの。そっと、しておいてあげて」

 

 聞き慣れた声に思わず顔を上げると、そこには彼女と同じように涙に濡れた、救芽井の姿。彼女は労るような眼差しを矢村に向け、その小さな身体を優しく抱き寄せる。

 

「私は体力の消耗が激しかったから、つい数時間前まで眠っていたんだけれど……矢村さんは、ずっとあなたを心配してたのよ。夜が明けても、日が暮れても」

「夜が明けて……? そういえば、あれからどれくらいの時間が経ったんだ?」

 

 眠りに落ちた矢村を抱き上げる救芽井に、俺は身を起こして問い掛ける。矢村がこんなに疲れるまで起きていたって、どういうことなんだよ?

 

「今は二十五日の午後九時じゃ。今頃は、クリスマスで町が賑わっておるじゃろう」

 

 ゴロマルさんが横から出した回答に、俺の思考回路が一瞬だけ停止する。

 え? 二十五日? 午後九時? ――てことは、俺は丸一日メディックシステムのカプセルで寝てたってことなのか!?

 う、嘘だろ……午前中みっちりしごかれて半殺しにされても、五分入ってるだけで全快出来たってのに!

 

「なんでそんなに寝てたんだ俺!?」

「脇腹を撃たれて重体だったことに加えて、あれだけの激しい戦闘の傷を負ったんじゃ。しかも、真冬の夜にその黒シャツ一枚という格好だったせいで、体力の消耗も一番酷かった。わしとしては、よく一日で回復したものじゃと驚いたくらいじゃよ」

 

 今の俺の格好を指差して、ゴロマルさんはため息混じりに言う。あれま、よく見れば俺って、未だにこの黒シャツ姿のままだったんだな。

 確かにこの格好でクリスマスイブの夜は死ねる……。ていうか――

 

「……俺はどうやって助かったんだ?」

 

 思えば、その辺がまだよく聞けてなかった気がする。ゴロマルさんが助けてくれたんだなーってのは薄々わかるんだけど、具体的にどうなってたのかが気掛かりだ。

 

「――わしは、この事件が起きた原因に繋がる者として、決着を見届ける必要があるのではと思っての。不躾ではあるが、龍亮君に留守を任せてお前さん達の様子を見に行ったんじゃよ」

「そうそう。寂しかったんだぜー? 行けるもんなら俺も助けに行きたかったよ」

「万が一という場合を考えれば、龍亮君の方が適任ではあったのは確かじゃ。じゃが、あの時の剣一は、龍亮君が『技術の解放を望む者達』を知っているとは思っておらんかったはずなんじゃ。故に、迂闊に悟られて被害対象が広がらぬよう、わしが行く必要があった」

 

 ……なるほどね。やっぱゴロマルさんも、この件で責任を感じてたってわけか。兄貴を遠ざけるため、年寄りが無理して冬の夜道に出てたってことなんだな。

 

「甲侍郎が着鎧甲冑を作ろうと言い出したのも、元はといえば、わしの女房が昔の災害で亡くなったからなんじゃ。母を亡くしたこやつの、無念からくる想いの強さが、この事件を呼び起こす結果を招いてしもうたのじゃよ」

 

 ――マジか!? そんな背景があったとは……あ、なんか甲侍郎さん、そっぽ向いてる。まぁ、自分の話を人前でされちゃあ気まずいとは思うが……案外、照れ屋?

 

「じゃからこそ、あんな状況で当事者に近しいわしが、手を拱いておるわけにはいかなかったんじゃ。戦力としては何も出来そうになくとも、せめて結末を見届けたかった。君のような無関係な少年まで、巻き込んでおったことじゃしな」

「で、来たときには丁度ケリが付いた時だったと?」

「――驚いたのぉ。あんな状態で、まだ意識が保てておったのか?」

 

 俺が記憶の糸を辿って出した言葉に、ゴロマルさんが目を丸くする。やっぱり、俺があの時見た人影は、ゴロマルさんだったんだな。

 

「そう、わしが来た頃には、既に戦いは終わっておったのじゃ。そのあと、状況を読んだわしは剣一から『呪詛の伝導者』の『腕輪型着鎧装置』を奪い、着鎧した」

「えっ!?」

「そして行く途中で拾った剣を使い、樋稟と賀織ちゃんを捕まえていた黒ロープを切断した。あれを切り裂くには、剣と『呪詛の伝導者』のパワーが必要じゃったからのぅ」

 

 お、驚いた。まさか「ゴロマルさん」が「着鎧」していたとは……! あのミニマムサイズで「呪詛の伝導者」になられても、威圧感なんてカケラもなかっただろうになぁ。

 もし意識が残ってたら、間違いなく噴いてただろう。だって今、ちょっと想像しただけでも腹筋がスパーキングしそうなんだし。

 

 ……つーか、それだけ敵の情報掴んでるなら全部教えてくれたって良かっただろ! おかげでこっちは死ぬ思いしたんですけど!?

 ――まぁ、そんな時間があったとも思えない、ってのが事実なんですけどね。

 

「それから、自由になった樋稟はお前さんから『救済の先駆者』の『腕輪型着鎧装置』を取り上げ、強引に着鎧を解いた。そして今度は自分が着鎧し、お前さんの傷を応急処置で塞いだのじゃ」

「『救済の先駆者』のバックルには、人工呼吸用の酸素や小型AED以外にも、ガーゼや包帯があるの。それで一時的にあなたの体力消耗を抑えられたわ」

 

 応急処置するためだけに、着鎧する意味とかあんの? ――と聞く前に、救芽井が先読みしたかのような速さで、補足を挟んで来る。

 「救済の先駆者」ってそんな機能ばっかなんだよな……。コレがあるべき姿なんだと思うと、「呪詛の伝導者」とのギャップがスゴイ。

 

「そして、樋稟はお前さんを連れて救芽井家まで向かい、わしは賀織ちゃんと二人掛かりで剣一を運んで、その後を追った――というわけじゃよ」

「そうだったのか……それで、後から甲侍郎さんや華稟さんを助けたってわけなのか?」

「うむ。もちろん、『解放の先導者』を量産しておった『プラント』も完全に破壊した。これで『技術の解放を望む者達』は完全壊滅、ということになるのぅ」

 

 ――なるほどね。俺がくたばりかけてる間に、いろいろあったんだなぁ……。

 とにかく、無事に事件が片付いて本当に良かった。もう何度コレ言ったのかわかんないけど、何回でも言いたいくらいホッとしてるのは確かだ。

 

 しかし、一連の事件が解決したとなると、救芽井家がここにいる理由はないはず。近いうちに、アメリカにでも帰っちまうんだろうか?

 

「さて……ここまで世話になっておいて難だが、私達は早急に研究所まで戻り、開発作業を再開せねばならない。今夜、日付が変わる頃には町を出る予定だ」

 

 ……はやあぁあーッ!? ちょっと甲侍郎さん、いくらなんでもそれは性急過ぎでは!? そんなに早く帰らんでも、研究所は逃げないでしょーに!

 

「申し訳ありません。できることなら、もっとゆっくりして行きたいところなのですけれど……。救芽井家全員が研究所を留守にしていては、そこに内包されている技術データが流出しかねないのですわ。第二の『技術の解放を望む者達』を出さないためにも、急いで引き返す必要があるのです。ご理解願えませんこと?」

 

 明らかに「えー!?」という驚愕の表情になっている俺と兄貴。そんな二人の兄弟に、麗しい聖母は困ったような笑みを返していた。

 

「ほ、ホントなのか? 救芽井」

「ええ……お父様とお母様の言う通りよ。剣一さんのこともあるし、早くアメリカに戻らなきゃいけないの。明日の朝には――もう、私達一家はここにはいない」

 

 ……なんてこった。「用が済んだなら、そのうち研究所とやらに帰るんだろうな〜」とは思っちゃいたが……まさか、こんなに早いとは。

 俺のせいで矢村はもう寝ちゃってるし、なんかよく見たら、家族揃って荷物まとめだしてるし……。

 

 ――だーちくしょー! こんな終わり方っていいの!? 祝勝会くらいしたっていいだろ!?

 なんなの!? 救芽井家の皆さんってなんなの!? 超が付く一子相伝のクソ真面目一族なの!?

 

「くは〜、やっと平和になったかと思えば、もうお別れかぁ〜。古我知さんのこともあるし、もうちょっとゆっくり話したかったモンだよなぁ、龍太」

「全くだ! ていうかご家族一同の辞書に『疲れ』という文字はないの!?」

「わしらは今夜出発する前提で、しっかり休息を取っておるからのぅ。むしろ、目覚めたばかりのお前さんや、眠らなかった賀織ちゃんの方が辛いじゃろうな」

 

 俺達兄弟が未練がましく垂れ流すクレームを、ゴロマルさんがアッサリと受け流してしまう。

 

 ……そういや、矢村は俺のために眠らずにいたんだよな。ふと気になって、救芽井の腕に抱えられて眠っている、彼女の寝顔を観察した。

 見てるこっちが眠気を貰いそうな程、ぐっすりと寝ている――が、よく見れば目元が赤く晴れているのがわかった。どう見ても、さっき泣いてたせいだけじゃない。

 

「――恋人でもないのに、無茶しやがって。人生、ドブに捨て過ぎなんだよ、お前は」

 

 俺なんかのために、心配したり傷付いたり。そんなの、この娘には似合わないはずなのに。

 なんだって彼女は、ここまで俺にこだわるんだろう。――まぁ目を覚ましたら、「ありがとう」くらいは言わなきゃな。

 

「一煉寺君。いいかね」

「は、はい?」

「短い間だが、君には本当に救われたな。改めて礼を言いたい――ところだが、それ以上にやって欲しいことがある」

 

 不意に甲侍郎さんに声を掛けられ、俺は思わず訝しんでしまう。この期に及んで、俺に何をやれと申される……?

 無意識のうちに身構えていた俺に対し、彼は凄むような口調で――

 

「樋稟と二人で、町に出掛けたまえ」

 

 ――妙な指令を下してきたのだった。

 えっと、それって……いわゆるデート?

 



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第44話 袋詰めの古我知さん

 甲侍郎さんの思考回路にはどうもついていけん。責任を取って娘と結婚しろだの、出掛けに行けだのと……!

 

 だいたい、救芽井ご本人の意志はガン無視かい? 明らかに「ブサメンとのデートを強いられてる」って感じの、後ろめたい顔してるんですけど。

 

「お、お父様! 彼のことは、もう話ししたはずよ! わ、私はっ……!」

「自分にはその資格がない、という話か? ――あの矢村という少女のように、一煉寺君を慕う資格がないなどと、誰が決めた。決めるのは彼であり、お前でもあの少女でもないはずだぞ」

「でもっ……」

 

 俺が寝てる間に、家族同士でなにか話し合いでもしていたのだろう。俺の知らない話題を持ち出され、すっかり蚊帳の外だ。

 

 ……つーか、「決めるのは俺」とは言ってるけど、あの時の視線は間違いなく強制してたよな? 強いられてるのは俺の方だったみたいだ。

 

「お前はさっき、彼女に気を遣って、駆け寄ることをしなかったではないか。その本人が眠っている今こそ、よい機会なのではないのか」

 

 甲侍郎さんは背中を押すような言葉を掛けると、キッと俺を睨みつける。ひぃ!

 

「娘を辱め、その上で我々一家を救った。それほどのことをしている君には、拒否権はないぞ。わかっておるな?」

「へ、へい……」

 

 獲物を捉える、肉食動物の眼光だ。デスクワークが基本な科学者の顔じゃねぇ……。

 そこまでして責任を取らせたいのは、やっぱり娘がかわいいし、着鎧甲冑のことも大事だからなんだろうな。プラマイゼロ……かどうかはともかくとして、どうやら俺は、救芽井家と無関係では到底いられない立場になっていたらしい。

 少々テンパりつつも頷く俺の態度に、甲侍郎さんは「うむ」と納得したような表情を見せる。そして、今度は物理的に娘の背中を押し、俺の眼前へと導いた。

 

 正面に立つのは、頬を染めて上目遣いで俺を見上げる、茶髪ショートの巨乳美少女。

 「自分にも彼女くらい作れる!」って言えるくらいの自信がある男なら、問答無用で口説きに掛かっている頃だろう。そのくらい、今の彼女は立派に「女の顔」をしていた。

 雪の如く白い頬に、見ているだけで温もりが伝わるような朱色が、内側から染み出るように現れている。

 薄い桜色の唇は、淫靡な程の色気を放ち、そこから放たれる息遣いが俺に「異性」を意識させた。

 パッチリと開いた碧眼は真っ直ぐにこちらを見つめ、その水晶玉のような美しい蒼さに、俺の姿が映り込む。水分を多く含んでいるのか、まるで水の中にいるかのように、その瞳はふるふると揺らめいていた。

 

「あっ……」

 

 ――なにかを言おうとして、喉がつっかえる。とっさに出かかった言葉を、理性で飲み込んだからだ。

 俺が「かわいい」とか「ドキドキする」とか、そんな思ったままのことを口にして、喜ぶ女がいるか? キモがられる結末に、ルートが確定してしまう。

 時には危険を承知で突っ込む度胸も必要ではあるが、バッドエンドが必至である選択を敢えて選ぶ意味はない。勇敢と、無謀は違うのだ。

 故に俺は、「異性」として意識しないように、注意しなくてはなるまい。ドギマギしまくってる事実が向こうにバレようものなら、変態呼ばわりじゃ済まなくなる!

 龍太……うまくやれよ……!

 

「……うん。頑張ってみるね、お父様……」

「きゅ、救芽井?」

「……行きましょ、変態君。早くしないと時間がなくなっちゃう」

 

 救芽井は兄貴に預けられた矢村を一瞥すると、俺の手を引いて階段を上がりはじめた。抵抗する理由も暇もなく、俺は彼女の歩みに身を委ねることになった。

 

「樋稟、あなたの荷物は私達がまとめておきますから、自由に楽しんできなさい」

「せいぜい頑張れよ〜い! お兄ちゃん応援してるからな〜!」

 

 華稟さんと兄貴のエール(?)を背に受け、俺達は地上へと昇っていく。俺にとっては、丸一日ぶりの大地なんだな……。

 

 階段を昇りきると、目の前に見覚えのある部屋が広がった。救芽井家のリビングだ。

 

「ふぃ〜、やっとこ地上に出たって感じだなぁ。んじゃ、さっそく町に行くとするか。時間が押してるんだろ?」

「う、うん……」

 

 感慨に浸ってる暇はない。顔を上げてアナログ時計に目を移すと、その針は九時半を指し示していた。

 彼ら一家の出発が零時。移動時間を考えると、さっさと動いた方が良さそうな気がするな。

 

 メディックシステムに掛けられていた赤ダウンを羽織り、外出の準備を整える。

 俺の血はちゃんと洗濯されてるみたいだし、銃創による穴もツギハギながら塞がれている。たぶん、兄貴がやってくれたんだろうな。

 外の寒さは夕べに痛感したし、上着はちゃんと着とかないと、ね……。

 

 そして、俺達は玄関に繋がる廊下の角を曲がった。その先にある光景を、考えることもなく。

 

「……やぁ。遅かったじゃないか、龍太君。お姫様に起こしてもらえたのかい?」

 

 瞬間、俺は自分の目を疑う。目をごしごしと擦ってから二度見したが、景色は変わらない。

 

 ――玄関前で、古我知さんが首から下を袋に入れられ、ダルマのようにされている光景を見れば、誰だってこうなるだろうけど、な。

 

「……なにをやってんだ、あんたは」

「なにって……ご覧の通りさ。袋の中は『呪詛の伝導者』のブラックロープでガッチリ縛られてるよ」

 

 ブラックロープ――あの黒い帯のことか。ゴロマルさんがやったんだろうなぁ……合理的だけど、えげつないことをしなさる。

 

「おじいちゃんが、『剣一を拘束するにはこれが一番いい』って……」

「あー、やっぱりね」

 

 救芽井のバツが悪そうに出てきた言葉に、俺は生返事。こんなマヌケな格好を見せられたら、「俺の戦いがなんだったのか」と考えさせられてしまいそうだ。

 古我知さんは「いやぁ〜参ったなぁ〜」といわんばかりの苦笑いを浮かべており、まるで「肩の荷が降りた」かのような表情になっている。

 自分のやり方に迷いがなかったら、こんな顔はできないはずなんだが……。

 

 彼はしばらく俺の顔を見て笑いつづけていたが、やがてそれを止めると、慈しむような目を俺に向けた。

 

「どうやら、僕は『悪の親玉』でいるには、どうにも甘すぎたみたいだね。生きた君とこうして会えることを、喜んでしまううちは」

「……確かに、そんな悪役はいらねーな。あんた、着鎧甲冑を兵器にしたかったわけじゃなかったのか?」

「もちろん、兵器転用に向けた意気込みは真剣だったさ。だけど、割り切ったつもりでも、迷いもあったんだね。家族同然に育ってきた人達を裏切り、関係のなかったはずの男の子にまで、ここまで立ち向かわれたから」

 

 ……彼は着鎧甲冑を兵器にするために、家族を裏切り、他人を巻き込んだ。

 結果として、自分は敗れて計画は頓挫したけど、家族も他人も含めて、誰ひとり死ぬことはなかった。

 そして今、本人は笑っている。

 きっと、本当は自分の目的よりも、家族の安否の方が優先順位が上になっていたんだろう。でなきゃ、負けたのにこんな顔はできない。

 

「君と君のお兄さんを見てるとね。度々考えるんだよ。僕は家族を傷つけ、裏切り、なにをしてるんだろう、ってね」

「――その兄貴も、あんたを心配してる。あんたがまだ兵器にするつもりでいるなら、兄貴に代わって俺がぶちのめすからな」

「ははは、それは心強いなぁ。君に見張られたままなら、もう樋稟ちゃん達を傷つけずに済みそうだ」

 

 古我知さんは俺から視線を外すと、今度はジッと俺達のやり取りを見守っていた救芽井の方を見る。

 

「君の『ヒーロー』、かっこよかったね。お父様が夢見た特撮ヒーローそのものだったんじゃないかな?」

 

 ……え、なにそれ? もしかして着鎧甲冑のディティールが妙にヒーローっぽいのって……?

 俺がその思案に暮れるより先に、救芽井が顔を赤くして声を荒げた。

 

「ちゃ、茶化さないでください! ……それより、心変わりはされていないんですか? 剣一さん」

「兵器転用しなければ、着鎧甲冑が発展の契機を失う――という考えは今でも同じさ。ただ君達に敗れ、その狙いが日の目を見ることはなくなった……というだけさ」

 

 ――あくまで、考え方を変えるつもりはないってことなのか? 強情な……。

 

「開発競争に敗れ、世界に進出する前に埋もれてしまった技術は、世の中に溢れている。僕もそんな中の一部だったってことさ。君達だって、こうならないとは限らないんだよ」

 

「……なら、どこかで見守っていて下さい。あなたの『思想』は、私達救芽井家の力をもってして、必ず打ち破って見せます」

 

 どうやら、古我知さんは今のままだと、救芽井達も同じ道をたどる、と言いたいらしい。

 それに対して救芽井は、古我知さんの「産物」に続いて「思想」まで破壊すると宣言した。絶対に負けられない、と険しい顔をして。

 古我知さんは、そんな彼女の姿勢を前に「フッ」と不敵に笑うと、ズルズルと身を引きずって俺達に道を空ける。

 

 ……なんだろう。すごくマジメな話をしていたはずなのに、彼の格好のせいでシュールなやり取りにしかなってない気がする。

 まぁ、そんなことを考えていたって、モチベーションが下がるだけだ。それよりも、時間が押してるんだから、早く出発しないと!

 俺が救芽井に視線を送ると、彼女は相槌をうって玄関の扉を開く。ひゅうっと冷たい風が吹き抜け、この場の気温が急激に奪い去られていく。

 

「最後の数時間、じっくり楽しんで来るんだよ」

「――はい。じゃあ、行ってきますね。剣一さん」

「ああ……行ってらっしゃい」

 

 そして、古我知さんとの挨拶を交わした救芽井は俺の手を引くと、弾かれたように救芽井家を飛び出していく。

 頬を染めていたその横顔からは、まるで遊園地に誘われた子供のような、朗らかな笑みが垣間見えていた。

 



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第45話 終わりよければ全てよし

「うっはー……最近噂になってるらしいけど、やっぱめちゃくちゃかわいいじゃん! なんでそんな奴と一緒にいるわけ?」

「知ってるか? こいつ昔は結構いじめられてるクチだったんだぜ? そんなダサい奴と並んで歩いくなんて、もったいなくね?」

「だからさぁ、俺達とどっか行こうよ。ぜってーそいつよりお得だからさ!」

 

 救芽井と二人で繰り出した商店街。そこで出くわしたのは、見覚えのある男子達だった。

 

 ――そう、俺をいじめていた連中だ。

 

 矢村絡みの一件以来、関わって来なくなったはずだったんだが……どうやら、町で噂の超絶美少女――もとい救芽井を引っ掛けたくて、ここまで来ていたらしい。

 

 ついこないだまで訓練にばかり時間と気力を注いでいた彼女が、俺と出くわしたことをきっかけに外出をするようになった。その影響は、やはり外部にも出ていたらしい。

 こんな町にはあまりにも不釣り合いな、色白の美少女。その存在は、とっくに商店街一帯の話題をさらっていたようだった。

 

 普段ここに来ないような連中が、彼女目当てにやって来るのも頷ける。

 人命を守るスーパーヒロインがいたり、アイドル級美少女がうろついてたりと、松霧町はここ最近ネタに事欠かないな。

 

「変態君、この人達は?」

「うちの中学の同級生。まぁ……最近は絡みがなかったはずだったんだけどな」

「なにぶつくさ喋ってんだよ! クソ煉寺の分際で!」

 

 俺と救芽井がひそひそと話している様が気に食わないらしい。三人のうちの一人が、こちらに食ってかかる。

 

「クソ煉寺……!? なんですか、その下賎な口ぶりは! 訂正しなさい!」

「まぁまぁ……。あの、悪いんだけどさ。この娘、明日には実家に帰るらしいんだ。それに門限だってあるし、あんまり時間が取れないんだよ。彼女にとっては今夜が最後なんだから、せめて今ぐらい道を空けてくれないか?」

 

 プンスカと怒る彼女を制し、俺は三人へ視線を送る。

 あんな戦いをして心配を掛けてしまったばかりなんだから、出来れば荒事は避けたい。俺は可能な限り穏便に事態を収めようと、やんわりと懐柔を試みた。

 

「ハハハ、なんだそりゃ? いーんだよ、うるさい親なんか無視してりゃ!」

 

 ――だが、あいにく向こうは聞く耳を持たないらしい。話をしているのは俺なのに、目も合わせずに救芽井のプロポーションを舐めるように眺めてばかりいる。

 

「……なん、ですって……?」

 

 その言葉に、救芽井はわずかに顔を赤くする。恥じらいではない。完全に「怒り」の色だ。

 

 ……当たり前か。救芽井は両親を助け出すために一人で戦い、苦しんで、やっと今日になって会えたんだ。

 それだけのことをした後に、「うるさい親なんか」などと肉親を蔑ろにするような台詞を吐かれたら、そりゃ怒る。

 

 救芽井は「解放の先導者」に対して一騎当千の強さを見せ付けるほどの、格闘センスがある。対して、向こうは俺一人にてこずってたようなドシロウト集団。

 しかも、連中はその力量差を知らないまま、彼女を挑発している。下手をすれば、ブチ切れた彼女が三人を病院送りにしかねん……!

 

 俺だったらケンカしたって「所詮一煉寺だから」で終わるけど、彼女はそれじゃ済まされない。ゆくゆくは「着鎧甲冑」という発明品にとって、なくてはならない存在になるはずなんだから、こんな厄介ごとの巻き添えを喰らってる場合じゃない。

 負けることはないにしても、万一のことを考えて、彼女を危険から遠ざける。それは別に、悪いことでもないはずだ。

 

「あーその、頼むから今回は見逃してくれよ。さっき言ったように、あんまり時間を無駄にしたくないんだ」

「ウゼェんだよクソが! さっさと家に帰ってシコってろ!」

「よくも彼にそんな口を……許せない!」

「なんだよこの女、まさか一煉寺がイイってのか? イカレてるぜ」

 

 ……彼女を庇うつもりが、余計に話をこじらせてしまったようだ。俺を罵倒する男子達に救芽井がさらに怒り、その彼女を連中が睨む、という構図になっている。

 つーか、家族のことならまだしも、俺のことでまで怒っててどうすんだよ……カルシウムが足りなくなるぞ。

 

「……ヤロー、さてはもう女にハメやがったな? いじめられてた分際で、処女を奪って童貞卒業なんて百年はえーんだよッ!」

 

 すると連中の一人が、とんでもないミスリードを起こして殴り掛かってきた!

 

「――っく!」

 

 だが、それはもう、俺をいじめる力にはなりえなかった。相手の拳よりも先に、とっさに飛び出ていた俺の熊手が、その顔面を打ち抜いていたからだ。

 鼻血が辺りに飛び散り、彼は尻餅をつく。その様は、到底去年まで俺をいじめていたような奴の姿には思えないものだった。

 

 ――ろくにケンカだってしたことがない。正しくは、ケンカらしいケンカをする前にやられていた。

 そんな俺が、兄貴の拳法を使った途端にコレだ。今までは失敗を恐れて使えなかった技だが、古我知さんを倒した後だからか……全く技の出に、迷いがなくなっていたのだ。

 

 ただ技が使えた、というだけじゃ、ここまで上手くは行かなかっただろう。素手で「解放の先導者」を破壊できる程の鉄人である兄貴の教えがあったから、いつの間にかここまで強くなっていたんだ。

 もちろん兄貴に比べりゃ、俺なんて白帯すらおこがましい程のペーペーだ。それでも――救芽井を守ることはできた。

 ……だが、それは彼らを傷つけた事実にも直結する。古我知さんと何も変わらない、ヒーローからは程遠い存在だ。そういう意味じゃ、俺と彼は紙一重だったのかもしれない。

 

「い、痛い! 痛いぃ!」

「お、お前、鼻血やべーぞ!」

「てめぇ、やや、やりやがったな!」

 

 今度はもう一人が掛かって来る。俺は条件反射で片膝を上げ、待ち蹴の体勢を作った。

 

「ひいっ!」

 

 それだけで、なにかしてくると思ったのか、そいつは戦意をなくしてしまっていた。蹴りのフォームに怯むと、すぐさま引っ込んでしまう。

 

「い、行こうぜ……わけわかんねーよ、もう……!」

「ひぅ、痛い、痛いよぉ……!」

 

 連中は鼻血が垂れ流しになっている仲間を引きずり、ズルズルと撤退していく。俺はいじめていた相手を退けたことで、少しの安堵と多くの悔いを噛み締めて、救芽井の方へと向き直る。

 

「……あんなのにいじめられてたの? 変態君が?」

「まぁ、そういう時代もあるってこったな」

 

 こんな暴力のために、俺は鍛えられていたわけじゃない。そのことを忘れたら、俺はどこまでも誰かを傷つけてしまうのだろう。そんな正義の味方はきっと、彼女の望むところじゃない。

 ……カッコつけたことばっかり考えてるみたいで、正直我ながらうすら寒いけど……これぐらいの気持ちがなきゃ、この娘と仲直りできる見込みなんてこれっぽちもないのだろう。

 

 ――損な役回りだよな、王子様ってさ。

 

 ◇

 

 そのあと、俺達は商店街の中へと進んでいく。クリスマスの夜というだけあって、辺りの賑わいは最高潮だった。

 職人業のイルミネーションが町並みを彩り、サンタの格好をした人々が風船やプレゼントを、子供達に笑顔で配っている。

 中央に立てられたクリスマスツリーは、噴水まで用意された豪華な仕上げになっていた。この町でこのクオリティは、相当な大盤振る舞いなのである。

 

「綺麗ね……」

「年に一回の一大イベントだしな。今夜が『クリスマス』の最後なんだから、なおさらだ」

 

 飾り付け以上にキラキラしている救芽井の手を引くと、俺は噴水の近くの石垣に腰掛けた。彼女もそれに続き、俺の傍に腰を降ろす。

 

「よくやってくれたよ、お前は」

「えっ?」

「お前がここに来てくれなかったら、絶対誰かは不幸になってた。この町を守ってくれて、ありがとな」

 

 彼女の顔を覗き込むような格好で、俺はニッと笑う。微笑んだってキモいだけだし、どうせなら思い切り顔を崩して笑った方がいいだろう。

 

「そ、そんな! お礼を言わなきゃいけないのは、私の方なのに……。さっきだって、私をあんなに守ってくれて……」

「そりゃあ、お前に何かあったらマズいんだから当然だろ? お前はここからが大事なんだからさ」

「もう、それはお互い様でしょ? あなたこそちゃんと受験勉強頑張らないと、矢村さんが泣いちゃうわよ? さっきみたいに」

「そ、それはそうだな、ハハ……」

 

 俺が冷や汗を流して頬を掻くと、救芽井は可笑しそうにコロコロと笑う。「楽しそう」というよりは「幸せそう」という表現が似合いそうな笑顔だが――まぁ、喜んでるならマシってことだろう。

 

 すると、このクリスマスツリーがある中央地点一帯に、穏やかな音楽が流れはじめた。

 下流の川を流れるような、優しい音色のバイオリン。肌を撫でる緩やかな風を思わせる、ピアノの演奏。

 町の人々を癒すはずのそのBGMは、俺の心にグサリと突き刺さるのだった。

 

 ――眼前のカップルや若い夫婦達が、音楽に乗って踊りはじめたからだ。

 周りに見せ付けるかのように派手に踊るカップルもいれば、初々しく恥じらいながら踊る若夫婦もいる。

 

「えっ……こ、これは?」

「ハァ、とうとう来やがったか……この時が」

 

 そう、この町で行われるクリスマスに、ここまで気合いが入っているのは――ひとえに、このイベントのためにあるのだ。

 

「……これは見ての通り、出来立てホヤホヤの恋人達をもてなす、ダンスパーティさ。この松霧町の、数少ない名物ってとこか?」

 

 救芽井に軽く説明した後、俺は思いっ切りため息をつく。これがいわゆる、「カップルお披露目」の祭典だからだ。

 言うまでもないが、このイベントはカップル限定である。孤高の野郎共にとって、この場所は噴水広場という名の、血の池地獄でしかないのだ。

 

 俺がここに救芽井を連れ込んだのは、彼女と踊るため――とはいかなくても、せめて「雰囲気くらいは味わえるかも」という淡い期待を胸に抱いていたからだ。

 ……だが、それすらも俺には程遠い。実際に来てみて再認識させられたが、全然そんなムードじゃねぇ! 救芽井とか、ぽけーっとダンスを眺めてるだけだし!

 「異性」を意識しないように気をつけているつもりだったにもかかわらず、こんなところに来てしまう辺りからして、どうも俺は煩悩に弱い人物だったらしいが……これはさすがに愚行過ぎた。

 あぁ……「俺と踊るかい? ハニー」とか言えるわけないし、かといって何のアクションも起こさないままだと、目の前のダンスに精神が蝕まれる一方だ!

 

 くそっ、もうこうなれば、この場から脱出するしかない! 総員退避! 退避ーッ!

 

「こ、ここにいたってしょうがないし、別のとこ行ってみるか!」

 

 俺は救芽井の手を取り、このカップリング亜空間から離脱するべく立ち上がる。

 すると――

 

「ふえっ!? お、踊るの?」

 

 彼女は小動物みたいに肩を震わせ、シモフリトマトみたいに真っ赤な顔で俺を見上げた。

 

 ――お前は何を聞いてたんだァーッ!?

 

 さっき「ここから移動しよう」という旨を口にしたばっかだぞ!? どんだけ上の空だったんだコイツ!

 ていうか今度は「一緒に踊る」ムードに早変わりしてるし! 諦めて場所を変えようとした途端にコレかいッ!?

 マ、マズい! これは計算外だった! どう答えればいい!? どんな選択が一番好感度の上がるコマンドになるんだ!?

 

「あ、あー……んじゃまぁ、せっかくだし――踊るか?」

 

 ――ドサクサに紛れて俺も何言ってんだァァァッ!?

 

 なに流されてんだ! しかもなんだその生返事! 仮にも擬似デートだぜ!? リアルギャルゲーなんだぜ!?

 あぁ救芽井が俯いてる! もっと顔真っ赤にしてる! 絶対笑ってる!

 待って! 今の取り消すから! 俺の気の迷いだったから! だから変態からの格下げだけはらめぇぇえぇえ――

 

「うん、いいよ……」

 

 ――えぇえ?

 

「い、いいのか?」

 

 俺がほうけた顔で確かめると、彼女は少し俯いたまま、こくりと小さく頷いた。

 え? なに? つまり――オッケーってこと?

 

「は、早くエスコートしてよ。時間が、ないんだから……」

 

 俺にゆっくりと手を差し出す彼女の顔は、茹蛸のように赤い。熱でも出してるんじゃないかってくらい、赤い。

 そして、瞳も潤んでいる。蒼く透き通った眼差しが、俺の姿を捉えて離さない。

 こんな顔をされて、今さら引き返せる男がいるんだろうか? 多分、いないんじゃないかな。

 

「お、おぅ……」

 

 俺は指先が震えないように無心を心掛け、そっと彼女の手を取ると――吸い込まれるかのように、今まで避けつづけていた世界へと、踏み込んで行った。

 

 ――俺が弱いわけじゃない。彼女の魅力が、ヤバ過ぎただけだ。

 そんな言い訳を心の中で並べながら、俺はカップル達に混じっていく。

 

「お、俺、実はこういうの初めてでさ……」

「う、うん。私も……」

 

 ……って、あれ? こういう社交ダンス、救芽井も初めてだったのか?

 てっきり、こういうのは慣れてるもんだと思ってたんだけどなぁ。それであわよくば、リードしてもらうつもりだったんだけど……。

 

「……お父様が厳しくて、今まで誘われたことなんてなかったから……」

「――じゃあ、見様見真似でやってみるか。お互い、素人だしな」

「……ふふ、そうね。お互い様、だもんね……」

 

 そういうことなら、仕方ない。成り行き上こうなったんだから、最後までやるしかないんだし。

 俺達は周りの動きに合わせて、ぎこちなく手を取り、足を動かし、視線を交わす。

 ちゃんと練習してきたカップルと比べれば、グダグダと言わざるを得ない出来だったはずだが――救芽井は終始、満面の笑みをたたえていた。

 何がそんなに嬉しいのかはよくわからないし、ド素人の俺には、深く意味を考える余裕もなかった。

 だけど、「彼女が喜んでる」。その事実がある限り、俺も笑顔を絶やさないように心掛けていた。

 

 ――せめて彼女が笑顔で、この町を去れるように。

 

 ◇

 

 俺の脳内予定の上では、もっと他にいろいろなところを回っていくつもりだったのだが、初めてのダンスパーティにハッスルし過ぎてしまっていたらしい。

 パーティが終わる頃には、時刻は既に十一時半を過ぎていたのだ。

 

 せっかくの最後の外出だったのに、ほとんどダンスだけで時間を潰してしまった。その事実に青ざめる俺だったが、救芽井はそのことで怒ることはなかった。

 

「ありがとう……すごく、楽しかった」

 

 それどころか、そんなお礼まで言ってくれたのだ。その時の切なげな表情を見れば、もっといろいろと見て回りたかった気持ちがあったことくらい、俺でもわかるのに。

 ここまで来て気を遣われるなんて、ほとほと俺も堕ちたもんだなぁ……。彼女はきっと大人だから、その辺もしっかりしてるんだろう。

 

 だが、落ち込んでいる暇はない。

 こうなれば、せめて見送る瞬間までは笑顔でいないとダメだ。変にテンションを下げて、これ以上気を遣わせたら男の尊厳にかかわる!

 

 ……つっても、とうとう変態のレッテルは剥がせなかったみたいだけどね。別に救芽井との結婚までは望まないから、せめて普通に呼ぶようになって欲しかったよ……グスン。

 

 大急ぎで救芽井家まで引き返した頃には、既に家族全員が出発準備を終えているようだった。

 大型トラックに荷物(と古我知さん)を全て積み込み、救芽井とゴロマルさんが暮らしていた家からは、「救芽井」の札が無くなっている。

 

「おぅ、二人とも! 随分と遅いお帰りじゃったのう」

「お帰りなさい。いい思い出は、出来た?」

 

 トラックから身を乗り出したゴロマルさんと華稟さんが、俺達を出迎える。救芽井は笑顔でピースサインを送ると、クルリと俺に向き直った。

 

「じゃあ、私達……帰らなくちゃ。ありがとう。本当に、ありがとう……」

 

 救芽井の、どこか悲しげな笑顔。それを見ていられなかった俺は、必死に言葉を探す。

 変態呼ばわりをやめて欲しいのも、見送る瞬間には笑顔でいて欲しいのも、全ては「終わりよければ全てよし」とするためだ。

 彼女がちゃんと笑ってくれなかったら、変態呼ばわりのまんまで終わる以上に後味が悪い!

 

「最後なんだぜ? もっと笑おうよ、ずっと変態扱いのままでもいいからさ!」

 

 結局口にしたのは、そんなストレートな主張でしかなかった。こんな時に気の利いた台詞が言えない、俺のボキャブラリーが恨めしい……!

 

「ふふ、あなたらしいわ。ずっとそのこと、気にしてたの?」

「あ、当たり前だろ!」

 

 一方で、向こうは俺の死活問題を相当軽く見ていたらしい。思わずじだんだを踏み、憤慨してしまう。

 

「樋稟、零時を回った。急ぎなさい」

 

 すると、彼女越しに甲侍郎さんの呼び声が聞こえて来る。どうやら、かなり時間が押して来ているらしい。

 しかし、当の呼ばれている本人は返事をしない。あれだけ家族を大切に想っていたのに、珍しいな。

 ……というよりは、返事に気が回らないのか? 胸倉の辺りをギュッと握りしめ、頬を僅かに染めている。

 

「――きゅ、救芽井?」

 

 その時、彼女を取り巻く空気の色が変わった。

 今まで以上に潤んだ瞳。恍惚とした表情。突然見せたその顔に、俺は我を忘れて釘付けになってしまう。

 

 そして――

 

「じゃあ、お詫びもかねて……クリスマスプレゼント、あげるね。――『龍太君』」

 

 彼女の顔が、視界から消えた。

 正しくは、目に見えない場所に動いたのだ。俺の、左頬へと。

 次いで、その肌に伝わって来る、柔らかい肌が触れる感触。そこから伝導される温もりに、思わず骨抜きにされそうになる。

 俺の頬に顔を寄せた彼女から、直に通じ合わされた肌と肌の繋がり。

 

 それが意味する現実に、俺の思考回路が追い付く頃には、彼女はもうトラックへと乗り込んでいた。

 

「――ねぇ、私、笑えてる?」

 

 俺を見つめ、車窓から顔を出す彼女は、頬を紅潮させながらも――笑っていた。

 もう、文句の付けようがないくらい……朗らかに。

 

「あ、うん……スッゴくいい笑顔、だよ」

 

「そうなんだ……ありがとう。私、あなたのおかげで、幸せです」

 

 抑えている恥じらいが滲み出ているが、それでもかわいらしい笑顔は健在だ。その笑みに見とれているうちに、トラックが発進しても、手を振ることを忘れてしまうくらいに。

 

「お~い! またなぁ~古我知さ~ん!」

 

 隣で兄貴が手を振っていても、俺はただ呆然と立ち尽くし。

 

「婿に取る心構えは、出来たか?」

「うん……ありがとう。お父様」

 

 そんなやり取りがあったことを、知る由もなく。

 ――こうして、俺のちょっと日常から外れた冬休みの一時は、雪と共に溶かされて行くのだった。

 




 次回からは三人称視点となります。


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第46話 一年半の月日

 冬が終わり、受験が終わり、春が来て。

 そしてまた一年が過ぎ、今は夏。

 高校二年生の夏休みを目前に控えた、一煉寺龍太の一日は――

 

「龍太ぁ、もぉいつまで寝とるん? はよ起きんと遅刻するやろー!」

 

 ――矢村賀織のモーニングコールに始まっていた。

 まばゆい日差しが差し掛かる朝。

 少年の住まいである一軒家の前で、白い半袖のTシャツと、青色のチェック柄ミニスカートで身を包んでいる彼女が、堂々と仁王立ちしている。その胸元で揺れる愛らしいリボンが、彼女の笑顔を更に眩しいものに彩っていた。

 

 その一方で、小さく愛らしい八重歯が僅かに覗いており、その頬は微かに紅い。

 

「……あのなぁ、俺の活動時間は昼からなんだよ? 今はまだバッテリーが――」

「ほんっと、二年に上がっても変わらんなぁ! あんたの充電とか待ちよったら、終業式終わってまうやろ!」

「んじゃ先に行きなさいな。俺はもうしばらく精神統一を――」

「また寝る気かいっ! はよ起きんと、い、家に、家に上がり込むよ!?」

 

 頬を染めながら、上目遣いで二階にいる自分を見つめている友人の顔を眺め、未だに顔が寝ぼけている少年は、あからさまにため息をつく。

 

「……へいへい、わかりましたわかりました、起きますよっと」

「も、もぉ! せっかく家に上がれそうだったのに――やなくて! ちょっとは毎朝起こしに来るアタシの気持ちも察してやっ!」

 

 少年は、自室に保管してあるパソコン内のとある画像が出っ放しになっていることに気が付くと、それを見られる事態を懸念して、敢え無く降参した。どうやら、夕べはパソコンを起動させたまま眠ってしまっていたらしい。

 

 こうして高校入学から現在にかけて、長期休暇のない平日は、彼女に起こされるのが龍太の日課になっているのだ。耳に突き刺さる世話焼きな女の子の声に、彼は文字通り頭を抱え込む。

 

「……お前がそんな調子なおかげで、俺はろくでもない青春を謳歌してるんだがな」

「なんか言ったー?」

「なーにーもっ!」

 

 ぶっきらぼうに返事をすると、彼は気だるげに身を起こし、渋々と夏服に着替えていく。

 

 一年半余りを遡る頃、龍太と賀織は、第一志望だった「私立松霧高校」に合格した。

 中学時代、常に学年で上位をキープしていた賀織の成績を考えれば、彼女の方は順当な結果と言えるだろう。しかし、龍太が合格した事態は異常そのものと言われており、当時は職員室が「騒然」を通り越して「狂乱」に包まれていた。

 彼がそうした結果を得られたのは、実は救芽井樋稟の助力があったからなのだが、その事実は、彼女に関わりを持った本人を含む三人のみである。

 

 彼女が龍太と賀織を連れて、二股デートに繰り出す直前に残して行った、一冊の本。それは、彼のために彼女が一晩かけて書き上げた、受験対策の即席参考書だったのだ。

 賀織を「解放の先導者」から救い、龍太を送り届けた後、樋稟は龍太が受験生であることを気にかけていた。このままでは、彼らの日常を壊してしまう。そんな葛藤が、少なからず彼女の胸中に存在していた。

 それゆえに、彼女はせめてものフォローとして、彼らが受験するであろう唯一の地元高・松霧高校の過去問や出題形式を調べ上げ、そのデータをノートへと書き起こし、本にしていたのだ。少しでも助けになればと、「彼らへの協力」と「自分への慰め」を込めて。

 

 彼女達一家が去った後に、そのノートを発見した龍太は兄と顔を見合わせ、それが何なのかを悟った。そして、その誠意に精一杯報いることに決めたのだ。

 知り合った人間にここまでされて、勉強する気が起きなくなる程、彼は甲斐性のない男ではない。残されたデータを自分なりに理解していき、やがて「合格」という形で応えることに成功したのだった。

 

 そうして樋稟の助けのおかげで合格できたことを、龍太は手放しで大喜びしていた。しかし一方で、その隣に立っていた賀織が悔しげに唇を噛んでいたことには、気づくことはなかった。

 彼女としても、想い人と再び青春を共にできることは至上の喜びであった。龍太と同じ学校に通える、それはあの冬休みに彼女が思い描いていた、理想の世界そのものであったのだから。

 

 しかし、そんな理想を実現させたのは自分ではなく、樋稟。ライバルだったはずの彼女の功績が、自分の夢を叶えてしまったのだ。

 龍太はノートを手に入れるまで、勉強を見てくれていた賀織にも、感謝の気持ちを伝えてはいたが、それでも彼女自身の内心には、敗北感が漂っていた。

 後から急に出てきて、自分の役目を奪われてしまった。賀織が感じたことは、まさにそれだったのだ。

 だが、樋稟のおかげで今の高校生活があるのも事実。そのことには深く感謝しているし、賀織自身も彼女の生き様を深く尊敬していたのも、確かなことであった。

 故に渦巻く、複雑な気持ち。スーパーヒロインとして、または女性として尊敬し、その一方で想い人を取り合う、ライバル関係。

 樋稟の態度から、彼女も龍太を好いているとすぐさま見抜いていた賀織は、彼女に感謝の気持ちを持っている龍太を見て、複雑な想いを抱かずにはいられなかった。

 

 そして、そんな心のもやもやを打ち破ろうと彼女が起こした行動が、「今まで以上のアプローチ」であった。

 もし樋稟が、いつか龍太を奪いに来たとしても、その前に既成事実を作っていれば手出しはできない。日本では、重婚が認められていないからだ。

 思い立ったら即行動、というのが基本パターンである彼女は、そうして高校に入学すると同時に「今の日課」を始めたのだ。

 朝は毎朝起こし、昼には弁当を渡し、学校が終われば必ず二人で帰る。世間一般の価値観で見て、高校生のカップルがやりそうなことを片っ端から実行しだした。

 恋愛に関しての不器用さは、樋稟に勝るとも劣らない彼女。恥じらいと断られる恐怖から、告白だけはしないままだが、それ以上に男心を掴めるようなアプローチをしようと、日々奮闘を重ねているのだ。

 自分の容姿に劣等感を抱く龍太には、それが恋心から来る行動であると気づく気配がないのだが、それでも彼女には一向にめげる気配がない。

 あのクリスマスイブの夜に見た勇姿は、矢村賀織という少女の心を、いたく釘付けにしていたのだ。

 

 だが、そんな彼女の「女子力」は、龍太の高校生活を窮地に追い込む結果を招いた。

 元々、地元の中学で頻繁に話題に上がっていた、アイドル的美少女である彼女は、高校でも大勢の男子達から人気をさらっていた。

 靴箱にラブレターやプレゼントは日常茶飯事。彼女の顔を一目見ようと、学年の違う生徒までが教室前の廊下に集まることすらあった。

 それほどの求愛を集めている彼女が、一人の男子にベタベタなアプローチをしている。しかも、その本人は恋愛的な好意であることに気付いていない。

 その上、その男子は美男子でもなく、勉強や運動が素晴らしく秀でているわけでもない。能力や容姿で言えば、端から見て賀織と釣り合う男には到底見えないのだ。

 にもかかわらず、当の彼女はその男子に一途な寵愛を注ぎ、甘く熱い視線を送り続けている。そんな光景を日常的に見せ付けられていた男子一同は、ある一点の感情に団結する。

 

 つまるところ、龍太への嫉妬である。

 賀織の靴箱に入れられたラブレターの数だけ、彼のそれには画鋲が仕込まれ、昼食後には必ず体育館裏に連行され袋だたき、という毎日なのだ。男子からは嫉妬され、女子からは仕打ちに同情され。いろいろと思春期には辛い青春であると言えよう。

 龍太からすれば、恋人でもない女の子からちょっと良くしてもらってるというくらいで、日常的に暴行を受けているとしか思えない状況であり、真っ当な青春を送れているという感覚は持てずにいた。

 そんな日々が続けば、当然ながら友人を作る機会など失われてしまう。中学時代には、それなりに気の合う友人もいたのだが、今となっては周りの男は嫉妬の鬼だらけ。

 地元の高校ゆえに知り合いもいたのだが、彼らも結局は賀織を優先し、龍太にやっかみを飛ばすようになっていた。

 

 中学時代の時点でも、賀織との絡みが多かったせいで男子から顰蹙を買うことはままあった。

 それが高校に入っても続き、それどころか明らかに激化しているのは、ひとえに賀織のアプローチがパワーアップした証と言えるだろう。

 結局、龍太は高校に入ってからの一年間、男友達すら作れない、ろくでもない灰色の青春(本人談)を送る羽目になっていたのだ。

 

 しかし、だからといって彼は賀織を責め立てるようなことはしなかった。

 例え友人作りが犠牲になるとしても、大して魅力もないのに自分にやたらと構う、彼女の好意を無下にはできない、という男のプライドが働いていたためだ。

 だが、そうして彼女を甘やかしているせいで、嫉妬の炎が消えずにいるのも事実であり、時々ため息をついたり愚痴をこぼしたりもする。彼が全てを背負えるスーパーヒーローになるには、精神面が今ひとつなようだった。

 

「さて、んじゃ行くか!」

「うん!」

 

 白シャツと黒ズボンという夏服の格好で、薄いカバンを持って玄関から出て来た龍太を、賀織は満面の笑みで出迎える。既に気分は恋人同士であるかのようだ。

 彼女は龍太の傍に身を寄せると、露出している彼の腕に視線を落とす。そして本人を意識させないようにゆっくりと、そこに自分の腕を絡めた。

 



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第47話 通学までの道のり

「ふ〜ん……やったら、お兄さんとは最近連絡取っとらんのん?」

「あ、ああ、まぁな。最近はアイツも仕事が忙しいらしいし」

「そういえば、お兄さんって結局どんな会社に入ったん? 聞かせてくれんけど……」

「お、俺も知らねーなぁ。でで、でも上手くやってると思う、ぜ?」

 

 学校に行く道中、賀織が振ってきた「兄・龍亮の進路」という話題に、龍太は夏の暑さによるものとは違う汗をかいていた。

 

 というのも、大学を卒業した龍亮が就職した先は、世に言う「エロゲー制作会社」であったからだ。

 

 龍太がパソコンを付けたまま「寝落ち」していた原因も、「デバッグ作業」と称して、兄から横流ししてもらったゲームをプレイしていたことにある。

 そんなことが卑猥な話題に人一倍厳しい賀織に知れたら、最悪パソコンを破壊されかねないのだ。(本人にとって)最高の娯楽を守るべく、少年は決死の嘘をつき続けていた。

 

 ――二人の家から松霧高校に繋がる通学路は、商店街を通るルートになっている。そこに向かうには、賀織の自宅を横切るのが近道なのだが――

 

「あっ……いかん! 出たらいけんっ!」

「ぐえっ!?」

 

 そこへの曲がり角にたどり着いた瞬間、賀織は突然血相を変え、龍太の襟元を掴んだ。無茶苦茶なやり方で歩行を止められ、首が締まった龍太の喉から空気が飛び出す。

 

「げっほ……な、なにすんだよ!?」

「シッ! お願いやから、静かにしといて!」

「お、おぉ……」

 

 歳不相応なほど艶やかな唇に、細い人差し指が触れる。沈黙を命じるそのサインに、龍太は訝しみながらも了解した。

 

 賀織はその返事に頷くと、険しい表情で、曲がり角の先にある我が家の方を凝視した。彼女が何をそこまで警戒しているのか……それが気にかかった龍太は、賀織の後ろに回って彼女と視界を重ねる。

 

 ――そこには、「矢村」という名札のある一軒家の門前に立つ、ガタイのいい壮年の男性がいた。角刈りの髪に、割れた顎、鋭い眼光。野生のサルでも本能的に逃げ出してしまいそうな程の巨漢が、住宅街に佇んでいる光景は、なかなかにシュールである。

 さながら不動明王のような風貌を持つ彼は、一歩もその場を動かずに、ジロジロと辺りを見渡している。巣を守るスズメバチのように、その眼差しは鋭い。

 

「お、おい、あのキレた仏様みたいなオッサンってまさか……」

「うん……アタシのお父ちゃん。武章(たけあき)って名前なんやけどな」

「やっぱり矢村の親父さんか……。なんであんなところで見張ってんの? ていうか、別に俺達悪いことしてるわけじゃないんだし、コソコソすることないじゃん。むしろ友達の親父さんなら、こっちから挨拶しとかないと」

 

 賀織の父――矢村武章(やむらたけあき)が、なぜあれほど自宅前を警戒しているのか。その経緯を知らない龍太は、不用意に前に出ようとする。

 

「ダ、ダメッ! いかん! 行ったらいかん、行ったら龍太、殴られてまう!」

 

 そんな彼の腕を懸命に引っ張り、賀織はなんとか引き止めようと奮闘する。なぜ彼女がそこまでして、自分と武章を合わせまいとしているのか、龍太は理解できずにいた。

 

「はぁ? なんでそんなことになるんだよ」

「そ、それは……」

 

 理由を問われ、思わず彼女は口ごもってしまう。それに正直に答えることは、告白するのに等しい行為であるからだ。

 

 大工の棟梁である武章は、娘の賀織をとにかく溺愛している。彼を尻に敷いている妻が、呆れてしまうほどに。

 それゆえに、彼女の傍に男が纏わり付くことを激しく嫌っているのだ。一家揃って松霧町に移り住んでから、数年の間に従えさせた弟子達に、賀織の護衛をさせたこともある。

 そんな彼が、こうして家の前で見張っているのは、龍太の存在を知ったからであることに他ならない。

 

 賀織は父の行動が災いして龍太に避けられる事態を恐れ、彼の前で想い人の話はしないように心掛けていた。

 その代わり、父と違って自分の恋を理解し、応援してくれる母には、いつも龍太のことを嬉々として語っていたのだ。娘が恋をしていることを喜び、応援したいと願っている母にとっても、龍太の話は楽しみの一つになっていた。

 しかし、家族に隠し事は通じないもの。

 妻と娘の会話を偶然耳にしてしまった武章は、当然ながら大激怒。松霧高校に乗り込み、龍太を引きずり出そうと言い出したのだ。

 なんとかその場は母の威圧で収めたのだが、それ以来何かと龍太のことで口出しをするようになった武章に、賀織はほとほと困り果ててしまった。

 

 今こうして待ち伏せているのは、賀織と一緒に登校してくるであろう一煉寺龍太を確保し、制裁を加えるためであることは火を見るよりも明らかだ。

 もちろんこのまま龍太を行かせて一悶着を起こせば、自分達の関係に亀裂が入りかねない。そんな不安を抱える彼女としては、是が非でも彼を進ませるわけにはいかなかった。

 かといって、事情を話してしまえば自分の気持ちまで知られてしまう。もしそれで距離を置かれたら……と考えてしまう賀織は、さらなる不安に苛まれた。

 

 とにかくこの状況を切り抜けるには、遠回りをするしかない。賀織は無理矢理龍太の手を引っ張ると、大回りをするルートを使い、商店街を目指すことを考えた。こうなる事態を想定し、自宅前を避ける道のりをあらかじめ発見していたのだ。

 

「とにかくこっち来ぃや! お父ちゃんがおったら学校まで行けんのやから!」

「おい、なんで行けないんだよ? 別に俺は殴られるようなことなんてしてないんだし。そもそも面識すらないってのに」

「え、えと、アタシのお父ちゃんって見境なく人を殴るから……」

「コエーな!? お前ん家の家庭事情どうなってんだよ!?」

 

 龍太をこの場から引き離す理由付けのためとは言え、変な汚名を着せてしまったことに心の中で謝りつつ、賀織は愛する少年の手を引いて逃避行へと繰り出していく。

 

「お父ちゃん……ゴメン!」

 

 ◇

 

 かくして、矢村武章という壁を乗り越えた二人は、松霧高校へと繋がる商店街までたどり着いた。

 ……のだが、そのために遠回りをしたせいで、かなり時間が押して来ていた。二人は真夏の日差しに照らされ汗を流し、商店街を駆け抜けていく。

 

「ハァ、ヒィ……ちょ、ちょっとタンマ! 矢村さん早すぎぃ……!」

「頑張れ龍太っ! ここを出たらすぐ学校やけんなっ!」

「んなこと、ハァ、言ったって……!」

 

 武章の待ち伏せさえなければ、今頃はとっくにクラスの席についていたはずの二人。汗水流して走る彼らを、年配の住民達は温かく見守っていた。

 

「お〜う、龍太君に賀織ちゃんや、相変わらずお熱いのぅ」

「おじいさん、それ洒落になっていませんよ」

「ふぁふぁふぁ! 爺さん、こいつぁ一本取られたのぉ!」

 

 穏やかに手を振る住民達に挨拶を返しながら、龍太達は懸命に足を動かす。夏の暑さと急激な運動で、汗がベッタリとシャツに張り付いていた。

 

 しかし今は、それに気持ち悪がっている暇すらない。ようやく商店街を抜け、学校が見えてきたというところで、今度は商店街周辺の交番に通り掛かった。

 そこに立っているのは、もちろん例の警察官である。

 

「おおっ! 龍太君に賀織ちゃん、おはようっ! 朝から頑張るねぇ、精が出るねぇ!」

「おはようお巡りさん! ……って言いたいとこだけど、俺達遅刻しそうなんだよ。またな!」

「はいよー! 龍亮君にもよろしくねぇー!」

 

 一瞬だけ立ち止まって軽く挨拶を交わし、龍太は急いで先を走る賀織を追っていく。そんな二人を微笑ましく見送るこの警察官は、巡査長への昇進を来年に控えていた……。

 

 ◇

 

 そして二人がついに、松霧高校の校門を突破した時、彼らを急かすように予鈴のチャイムが鳴りはじめていた。

 

「まっず!」

「はよ行かんと遅刻してまう! 走ろ走ろ! ていうかみんな見とるし!」

 

 グラウンドをたった二人で疾走する龍太と賀織に向けて、教室の男子達から視線の集中砲火が降り注ぐ。片方にはアイドルへの敬愛を。もう片方には、にっくき色情魔への憎悪を込めて。

 

 ――本人達にとっては、これも見慣れた日常の一幕であった。そしてそんな日々が当分は続くのだろうと、龍太も賀織も思っていたのだ。

 

 少なくとも、終業式が終わる頃までは。

 



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第48話 物語の終わりと、始まり【挿絵あり】

 松霧高校の一学期の終わりは、至って平和なものだった。

 

 教室に入った途端、龍太がクラスメートの男子達に、ロメロスペシャルをお見舞いされる事態があったりはした……ものの、それ以外は何事もなく、終業式自体は滞りなく行われた。あるとすれば、その男子達が式直前に賀織に制裁されたことくらいであろう。

 

 だが、恒例の校長先生による長話に疲れた生徒達が、次々と意識を睡魔に奪われていく。特にこの一学期の終業式においては、校長の夏休みの長い思い出話が加味されるため、その精神的攻撃力はさらに上昇するのだ。

 

 ゆえに「真夏の催眠術師」の異名を取る、その校長のスピーチに耐えられるのは、よほどの集中力や忍耐力を持った、一握りの者に限られてしまう。賀織もその一人であり、それが彼女がこの高校でも高い人気を得ている理由の一部でもある。

 

 そんな中、龍太は数ある脱落者の中でも、断トツの最下位を常にキープしていた。兄の会社から仕入れたエロゲーで、夜更かししているせいでもあるのだが。

 賀織はそんな彼を一度は厳しく叱るのだが、結局は恋心から甘やかしてしまう。それもいつもの光景であった。

 

 そして、一学期最大の関門である催眠術師の猛襲をかい潜れば、後はホームルームが終わる時を待つだけ。松霧高校の夏休みは、まさに間近に迫っていたのだ。

 そのホームルームまでには一定の休み時間がある。その間、教室の隅で机に突っ伏していた龍太に、聞き慣れた声が響いて来た。

 

「ほ〜ら龍太、しゃんしゃんせんと、出る元気も出んなるで?」

「……たくもー、俺しか話し相手がいないわけじゃねーんだし。他の友達にも構ってやんないと、かわいそうだぞ?」

 

 かいがいしく話し掛けて来る賀織に対し、龍太はバツが悪そうに顔を逸らした。彼がこうして、友人に恵まれずに隅に追いやられているのは、紛れも無く賀織の露骨な言動が原因なのだが、それを正直に口にして彼女を傷つけるということだけは、避けねばならないと本人は感じていた。

 

 そこで遠回しに自分から離れてもらおうと、他の友人達のことを引き合いに出したのだ。

 賀織は龍太とは違い、この学校でも多くの友人がいる。もっとも、(男女関係に)厳しい家庭のことや、周りの男子に因縁を付けられている龍太のことがあるため、そのほとんどは女子なのだが。

 

「ええけん、気にせんといてや! アタシんとこの友達もみんな、応援してくれとるしっ!」

「はい?」

「あ……ええと、そんなんより、昨日のニュース見た!? 『救芽井エレクトロニクス』の話題!」

 

 そんな友人達に背中を押されても、ここぞというところで尻込みしてしまうのは、彼女の難点と言わざるを得まい。彼女はあわてふためきながら、他のクラスメートが開いている雑誌に載っていた、二つの白いカラーリングの着鎧甲冑を指差す。

 

 その両方は「救済の先駆者」と全く同じフォルムであったが、ボディの基調が白という相違点があった。

 また、雑誌にある写真からは、片方は腰に「救済の先駆者」と同じ救護用バックルを装備し、もう片方にはそれがない代わりにメカニカルな警棒を腰に提げている、という差異が見受けられる。

 

 彼女は自分の恋心を悟られる展開を恥じらう余り、そんな別の話題を持ち出してしまった。

 

「ああ、見た見た。えーと、もうじき日本にも着鎧甲冑のシェアを広げるってヤツか?」

 

 しかし幸か不幸か、それは龍太にとっても関心のある話題であり、結果として賀織の話はうやむやになってしまう。

 彼は窓の外に広がる景色を眺め、遠い場所を見るような目になる。救芽井の名を聞くと、あの少女を思い出さずにはいられないからだ。

 

 ――あれからアメリカに帰還した救芽井家は、次世代レスキュースーツ「着鎧甲冑」を正式に発表し、それを取り扱う企業「救芽井エレクトロニクス」を創設した。

 それもはじめは小さな会社であり、世間的にはそれほど注目はされていなかった。しかし、救芽井樋稟が着鎧する「救済の先駆者」がマフィア退治や人命救助に奔走するうちに、徐々に知名度が上がり、今やアメリカ本社を中心に世界的な活躍を見せる、一大企業へと成長したのだ。

 その商品である、初の量産型着鎧甲冑「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」の存在は、世界中に衝撃を与えた。一瞬で装着され、どんな危険も乗り越えて人命を救いに行く、ヒーロースーツの誕生。それは、テレビの中にしかいなかったヒーローの実現、とも言えただろう。

 しかし、着鎧甲冑を一台生産するのには莫大なコストを消費してしまうため、大企業となった今でも、救芽井エレクトロニクスの所有する「救済の龍勇者」は、二十五台しか存在していない。

 

 それは、救芽井家が持つ特許権により、着鎧甲冑の軍用禁止令が出されていることも起因していた。

 製品版である「救済の龍勇者」の発表当初から、軍需企業からの誘いは数多くあった。しかし、救芽井家は「強行手段で兵器転用を目論む者が出ていた」という背景を元手に、それらを全面的にシャットダウンしていた。

 誘拐の罪に問われ、アメリカの刑務所に拘置された古我知剣一の例を出されては、表立って軍用を主張することは難しい。軍需企業の面々は、身を引く決断を強いられていた。

 これにより、着鎧甲冑が発展していくための足掛かりを失うのではないか。古我知剣一が感じていた懸念が、まさにその事態なのだ。

 

 それでも軍事が発達しているアメリカ国内では、着鎧甲冑の兵器化を求める声は少なからず存在していた。社会契約論を基に、「アメリカの企業なのだからアメリカの国益に協力すべき」という意見が数多く出回り、レスキュー用以外への進出が求められていたのだ。

 そんな人々への回答として、救芽井家が提示したもの。それは、「救済の龍勇者」の「二分化」であった。

 

 「救済の先駆者」を開発していた当初から視野に入れられていた、「機動隊への適用」。それを「兵器」にならない程度に行うことで、可能な限りの譲歩をする、というものだったのだ。

 本分であるレスキュー用に特化した「R型(アールがた)」。警察用の特殊防護服として改修された「G型(ジーがた)」。「救済の龍勇者」のバリエーションは、その二種類の型式に分割されたのだ。爆発反応装甲により、着鎧する人間に与えるダメージを最小限に抑え込む、という新機能つきで。

 

 特許権を後ろ盾に、兵器化の声を強引に封殺してしまうのは容易である。しかし、そんなやり方は、武力にかまけて着鎧甲冑の兵器化を強行しようとした「技術の解放を望む者達」と何ら変わらない、無情な独裁に過ぎない。

 だからこそ、あくまで「兵器にはしない」スタンスを維持しつつ、最低限の自衛機能を備える「G型」を敢えて生み出すことで、「戦うこと」も「守ること」もできる着鎧甲冑を作り出したのだ。

 それが、「技術の解放を望む者達」を率いる古我知剣一をはじめとした、兵器化を望む人間達へ、救芽井甲侍郎が出した答えであった。

 

 大声を上げてモノを要求する人間に対して、ある程度それを譲歩すると、毒気を抜かれて「大声」を上げられなくなるもの。それ以降も喚いていれば、それが滑稽に映るからだ。

 「押して駄目なら引いてみる」という言葉があるように、「呪詛の伝導者」を参考に設計された「G型」の誕生は、多くの軍用派を萎縮させる結果を生んだ。非殺傷の電磁警棒を除いた装備や、改造・分解を禁じた「G型」は、FBIやインターポールによって積極的に運用されている。

 

 もしこの措置がなければ、今頃は第二の「技術の解放を望む者達」が現れ、救芽井家が再び窮地に陥っていたかも知れない。その可能性に気づき、対策を講じることが出来たのは、一煉寺龍太の活躍が大きい。少なくとも彼を知る救芽井家の面々は、そう感じていた。

 「救済の龍勇者」という名も、あのイブの夜に樋稟が見た、彼の勇気にあやかったものである。外国語を苦手とする本人は、それを理解してはいなかったが。

 

 こうして、救芽井エレクトロニクスは「救済の龍勇者」を代名詞的商品とし、数は少ないながらも、平和と人命を守る日々を送るようになっていた。レスキュー隊では「R型」が、警察組織では「G型」が。それぞれアメリカ国内で活躍を始めている。

 そして剣一が胸中で案じていた問題は、「兵器化に頼らず、人々を救い続ける」と決意した樋稟が紛する「救済の先駆者」の活躍により、少しずつ解消されようとしていたのだ。その姿は、甲侍郎が着鎧甲冑のモデルとしていた、古きよき昭和の特撮ヒーローを再現していたのかも知れない。

 最初は恥を忍んで変身ポーズを練習していた樋稟が、徐々にそのノリに馴染んでいったのと同じように、彼女達の活躍を目の当たりにしたアメリカの人々は、少しずつ「救芽井エレクトロニクス」を認めていくようになったのだ。

 一人でも多くの人命を救うためならば、火の中でも水の中でも、強盗現場にでも駆け付ける。そんな彼女の姿勢は自然と人々を惹き付け、着鎧甲冑のあるべき姿を知らしめていった。

 

 そんな折、「救済の龍勇者」を生み出した救芽井家の祖国である日本にも、着鎧甲冑のシェアを広げようという話が持ち上がっているのだ。甲侍郎も、この件のインタビューには好意的なコメントを残しており、既にアメリカ国内のニュースでは、決定事項であるかのように報道されている。

 日本でもこのことは大きく取り上げられ、「アメリカで話題の『ヒーロー製造会社』、日本上陸か!?」という見出しが、全国新聞の一面を独占する事態に発展していた。

 

 それに伴って世間の話題をさらっていたのが、「救芽井樋稟には婚約者がいる」というニュースだった。

 日本への「着鎧甲冑」の進出、ということもあってか、多くの日本人ジャーナリストがアメリカ本社へ詰め掛ける中、突然発覚した大事件である。

 実は日本進出の際、資金援助の話を持ち掛けていた資産家が、提携を断られる一幕があったのだ。資金援助の条件として、「その資産家の当主と、樋稟との結婚」が挙げられていたことが、その理由である。

 樋稟はその類い稀なる美貌とプロポーションから、救芽井エレクトロニクスのコマーシャルを務めており、アメリカ国内でもアイドル的に扱われている。そのためファンも数多く存在していた。その彼女が資金援助を理由に結婚を迫られた、というだけでも十分に大事件と言えよう。

 しかし、それだけでは終わらなかった。資産家側が断られた理由が、「樋稟には既に婚約者がいる」というものだったからだ。

 余りの美しさと気高さから、絶対不可侵の美少女と謳われていた彼女に、婚約者がいる。そのニュースにファン一同は困惑を隠せずにいるという。

 

 以上のようなニュースの数々が、今現在、世間を賑わせているのだ。

 そんな中で、賀織は一抹の不安を感じずにはいられなかった。救芽井エレクトロニクスの日本進出。そして、樋稟の婚約者。

 彼女が龍亮から聞き出した、龍太の事情を鑑みれば、これは本人への求婚のサインとも取れる。より早くシェアを広げるより、樋稟の幸せを優先する救芽井家の対応を見れば、彼らが本気で龍太を婿に取ろうとしている事実は明白であるからだ。

 

 だが問題なのは、それだけではなかった。

 

「……いかんいかんいか〜んっ! 龍太が、龍太が取られてまう〜っ!」

「あのなぁ、まだそのネタ引きずんの?」

 

 ――肝心の本人が、それを事実として認識していないことである。

 

「もー、またそんなこと言いよる! 甲侍郎さんが言いよったことなんやろ!?」

「だから、それは向こうが勝手に言ってるだけだってば。それに、大事なのは本人の意志だろ。アイツが俺なんて好きになるわけないし」

「いーや! 救芽井は絶対あんたのこと狙っとる! 女の六感が騒いどるんや!」

「いや、ねーって。だって、俺だぞ?」

 

 龍太自身にとって、救芽井家が持ち出していた樋稟との結婚という話は、余りに突飛だったのだ。初対面であるはずの大人から、いきなり「婿に来い」と言われて納得するのも難しくはあるのだが。

 一年半以上が過ぎた今、すっかりその話を信じることが出来なくなっていた龍太は、自分の性的魅力に自信が持てないこともあって、彼らの言動は「モテない自分を励ますためのドッキリ」だったと思い込むようにしていたのだ。

 

 ――救芽井エレクトロニクスが世界的に有名な企業になった今、自分なんかが婿に行ってどうなる? そもそも、住む世界が違いすぎる。あれは、都合のいい夢であり、ドッキリだったんだ。

 ……それが龍太の胸中そのものであり、今こうしてテンションが低くなっている要因でもある。

 

 だが、その一方で本人にも意識せざるを得ない点がある。

 樋稟との、最後のやり取りだ。

 

「あいつ、婚約者がいるくせに……あんなことして、よかったのかよ」

 

 彼の脳裏に蘇る、口づけの瞬間。そして、目に映る幸せな微笑み。それは到底、「ドッキリだった、演技だった」と割り切るには、苦しすぎる程にリアルな体験だったのだ。

 ――彼女ほどの人間が自分を好きになるはずはない。しかしそうでなくては、あの行動に説明がつかない。

 着鎧甲冑の兵器化を推し進めようとする一方で、救芽井家にも気を遣っていた剣一とは比べものにならないほど、目的や言動が矛盾してしまう。(龍太から見て)考えの読めない樋稟の振る舞いに、彼は頭を抱えるしかなかった。

 

 そんな彼の姿を見た賀織は、龍太が樋稟との結婚を決意しようとしている……そう勘違いして、ますます(勝手に)窮地に陥ろうとしていた。

 

「……こ、こうしちゃおれん! りゅ、龍太!」

「あん? どうしたよ、急に改まって」

 

 やつれた表情で、机に顎をついて見上げる龍太。告白されようとしている男子高校生とは思えない顔である。

 

「え、えと、その……こ、こんな場所でこんな時に、言うようなことやないかも知れんけど……ア、アタシ、ずっとあんたが――!」

「お〜いモブ生徒共、席に付けい。一学期最後のホームルーム始めっぞ」

 

 そして、今まさに想いを告げようとしていた少女もまた、運と土壇場の度胸が欠けていたようだった。乱暴にドアを開け、ずかずかと教壇に立つ担任。その適当な言葉遣いを耳にして、談笑していたクラスメート達は渋々と自分の席へと引き返していく。

 

「よ〜し、んじゃ早速始めっぞ。テメーら美人の女教師とかじゃなくて残念だったなオラァ」

 

 無精髭が似合い、今の龍太に匹敵する負のオーラを噴出している担任教師。四十代前後のその教師は、細く萎びた目線を龍太と賀織に向ける。

 

「オメーもさっさと席につけ、矢村ぁ。ヤるのは勝手だが、そん時はせめて屋上に行けよ。ここでは盛んな」

「だだ、誰がそんな破廉恥なことするんや!? 先生は関係ないけんッ!」

 

 スカートの裾を抑え、頬を赤らめた賀織が絶叫する。その仕草に、男子一同は興奮の余り、彼女に負けじと顔を紅潮させた。中には鼻血を噴き出し、椅子から転落する者もいる。

 

「矢村の赤面キター! たまんねぇよオイ!」

「一煉寺死ね〜! 今すぐ死ね、今死ね!」

「そんな奴に賀織ちゃんの純潔を渡してなるものか! 一煉寺に奪われるくらいなら、いっそのこと僕が――」

「テメーらの赤面なんて誰が得すんだよキメェな。いいから座れ、転校生が教室に入れねーだろーが」

 

 今がホームルームであることを完全に度外視して、各々で騒ぎ出すクラスメートの男子一同。そんな男性陣を冷ややかに見ている女性陣を代弁するかのように、担任がバッサリと言い斬った。

 

 痛い点を突かれ、それに耐えうるバイタリティも持たない彼らは、敢なくその言葉の前に沈没していく。「キメェ」と両断されてしまった男子達は、萎む風船のように各々の席に縮こまって行った。

 

 その過程で、クラスメートの一人が眉を吊り上げる。

 

「……転校生……だと……!?」

「ん? あぁ、まぁそうだ。一緒に勉強するのは二学期からになるが、その前に挨拶くらいは済ました方が、本人の為になるって思ってな。聞かれる前に答えとくが、一応女だぜ」

 

 刹那、呟いたその生徒が、何かに覚醒したかのような眼光を放つ。奇跡の存在を、今、確かめたかのように。

 

「――うおぉぉおおッ!」

 

 そして天さえ突き破りそうな程の、歓喜の叫び。彼をその筆頭として、数多の男子生徒達が狂喜のオーケストラを巻き起こした。

 

 転校生の女の子。ボーイ・ミーツ・ガールを信じる男子なら、一度は憧れるシチュエーションだろう。クラスメートの男性陣は今、自分達の楽園をこの教室に見出だそうとしていた。

 

「じゃーまー、取りあえず入れるぜ。テメーら仲良くしてやんねーと、社会的にヤバイぞ」

 

 忠告するような担任の口調に、龍太は眉をひそめる。

 

「社会的に……? 仲良しを求めるだけにしちゃあ、妙な脅し文句だな」

 

 そんな彼の疑念をよそに、男性陣は腕や腰を振って転校生の到来に喜び、テンションを限界まで高めようとしていた。

 担任はかなり「社会的に」という部分を強調して言っていたのだ、彼らはそんなことは気にならないらしい。「転校生の女の子」が来た……というその一点にしか、注目していないようだった。

 

「まぁ、もうどーでもいいか……んじゃ、入れ。救芽井」

 

 ――そして、担任が放った一言により、教室全体が静まり返る。

 

「え? 救芽井……?」

「なんかどっかで聞いたことあるような……」

「アレじゃね? 『着払いなんとか』ってヤツ作ってた会社」

「『着鎧甲冑』でしょ、常識的に考えて。ていうか、あんな珍しい名字が他にいたのね……」

 

 今度は男子だけではなく、女子も一緒に騒ぎはじめた。担任の口から出て来た「救芽井」という姓を聞けば、世界的な知名度を持っている、あの美少女を連想せずにはいられないからだ。

 

 そしてそれは、龍太と賀織も同じであった。二人は顔を見合わせ、同時に目を見開く。

 

「救芽井……そんな、うそやろ!?」

「日本に来るとは聞いてたけど、まさかそんな……!?」

 

 そうして彼らが狼狽している間に、ついにドアが開かれる。担任とは違い、なるべく音を立てないように、ゆっくりと。

 

 誰もが固唾を飲んで凝視する中、その転校生は川を流れるような静かな歩みで、教壇の傍まで足を運ぶ。次の瞬間、クラス全体が驚愕の余り固まってしまったのは言うまでもない。

 

 茶色のショートヘア、汚れのない湖のような碧眼。美の神の産物と呼ばれる目鼻立ち。そしてスレンダーな体型に反して、豊満に飛び出した胸。

 紛れも無い、今世間の話題をさらっている、あの美少女だったのだから。

 

 そんな彼らを前にして、その転校生――否、麗しく成長した救芽井樋稟は、担任と頷き合うと共に、チョークを取って黒板に自分の名を書き上げる。

 

「この度、アメリカよりこちらの学校に編入させて頂きました、救芽井樋稟といいます。皆様、まだここではわからないことばかりですが、私にできることは何でも尽くしていくつもりですので、何卒よろしくお願いいたしますね」

 

 続けて、自分の姿に固まっているクラスメート達に対し、悠然とした態度で自己紹介をした。その冥界から舞い降りる天使のような笑みは、男子生徒達の心を根こそぎ奪い去っていく。

 

 ――ある一人の男子を除いては。

 

「あー……知ってるヤツがほとんどだと思うが、彼女はアメリカからの帰国子女ってとこだ。何でも親御さんの意向で、こんなド田舎の町までやって来たらしい。つーわけだからテメーら、ちゃんと仲良くしてやんねぇと、この嬢ちゃんのバックにブッ潰されんぞ」

 

 そこで出て来た担任の言葉で、ようやく龍太は「社会的に」が強く言われていた理由を悟る。

 

 こんなド田舎の名もない町に、世界中にファンがいるスターが飛び込んできたのだ。そんな中で、彼女の身によからぬことでも起これば、責められるのは間違いなく松霧町全域。下手をすれば、住民全員が世間から白い目で見られることになる。

 

 仲良くしろ、というのはそういった事態を可能な限り避けていくためのものなのだ。他の男子達の心境としては、到底それどころではなかったのだが。

 

「おいおいウソだろ……なんで、なんであの世界的なスーパーアイドルが……!?」

「やべ、本物だよ……間違いねぇよ! 俺、もう死んでもいい……!」

「ああ、俺が生きてる意味が、今やっと見えてきた。母さん、産んでくれてありがとう……!」

 

 対面してものの数秒で、既に彼女の虜にされる男子達。そんな彼らを傍目に見て、龍太は思わず顔を伏せる。

 

「ちょっとちょっと待て待て待て……! なんでアイツがここに来るんだよ!? アメリカでの仕事はどーしたんだよ……!」

 

 ブツブツと眼前の状況に文句を垂れている彼の隣で、賀織は悔しげに口を結んでいた。

 

「く〜ッ……もう来よるなんて! いかん、どうしよ……このまんまやったら龍太が、龍太が……!」

 

 ライバルの思わぬタイミングでの台頭。そのショックは大きく、彼女の胸中にある警報機は、必死に今の状況が危険であると警告していた。

 

「それじゃー救芽井、どっか空いてるとこ座れ」

「はい」

 

 短い言葉を交わした後、彫像のように動かないままだった樋稟は、ようやくその華奢な脚を動かし始めた。夏服ということもあり、そのプロポーションが成せる色気たっぷりの歩みが、見事に現れていた。

 

 その姿に男子達はもちろん、女子達までもが魅了されていく。

 

「すごーい……なんだかモデルみたい」

「モデルよりもっと凄いわよ! どうしよう……話し掛けられたりしたら卒倒しちゃうかも」

 

 ――ある一人の女子を除いては。

 

「ぐぬぬ……!」

「ふふっ、お久しぶりね。矢村さん」

 

 樋稟が目指したのは、窓際にいる龍太の前にある席だった。その龍太の隣にいる賀織と目が合った途端、彼女は突然、勝ち誇るような笑みを浮かべる。

 一方、賀織はそんな彼女を睨み上げ、艶やかな唇を噛み締めた。さながら、得点のチャンスを土壇場で逃してしまったスポーツ選手のように。

 

「その様子だと、一年以上もチャンスを上げたのに、まるで進展がなかったみたいね。残念だけど、私の勝ちよ」

「だ、誰が負けたりするんや! フン、アタシは長いこと龍太と一緒におるんやで。あんたとは経験の差があるんやけんなっ!」

「ふふ、お好きなだけどうぞ。でも確かに、キャリアでは私の方が劣るのは事実よね。結局はあなたのその貧相なボディで、彼が喜べばの話ですけど?」

「うう、うるさーい! この乳牛っ! 龍太は、龍太は、小さい方が好きなんやからなっ!」

 

 今や人々を魅了するアイドルとなっている救芽井に対し、賀織は恐れることなく反発する。例え相手がどんな強敵でも、龍太だけは渡さない。その想いが、彼女を必死に奮い立たせていた。

 そんな二人のやり取りを聞いた他のクラスメート達は、揃ってどよめきの声を上げる。彼ら三人の三角関係を知らないのであれば、当然の反応だろう。

 

「え、なに? なんで救芽井さんと矢村さん、いきなりケンカしてるの!?」

「もしかして知り合い……!?」

「マジで!? 世界的アイドルと!?」

「しかも一煉寺の話が出て来たぞ! なんなの!? アイツってマジでなんなの!?」

 

 動揺を隠せないクラスメート達をよそに、樋稟は勝者の余裕を見せ付けながら、今度は龍太の方に向き直る。

 

「……どう?」

「どうって……なにがだよ」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべる彼女の顔を見ると、どうしてもキスのことを思い出してしまう。それを悟られまいと、龍太は顔を左に逸らしてしまった。

 しかし、彼の意図など樋稟にはお見通しである。彼女の恋心に全く気付く気配のない、龍太の方とは対照的なくらいに。

 

「お婿さんの話よ。鈍いあなたのことだから、質の悪い冗談だとでも誤解してそうだと思ってね。ちょっと一人でここまで来ちゃったの。シェア進出に先駆けてって意味合いもあるけど」

「……おい、それ以上からかうなよ。俺が変に勘違いしちまうぞ」

 

 赤面した顔を見られまいと、龍太はさらに首を捻る。そんな彼の姿や気持ちが嬉しくて、樋稟は彼の机に身を寄せた。

 

「どうしても、納得できない?」

「できるわけ、ねーだろ。だって……俺だぞ」

 

 高鳴る心拍に気付かれたくない一心で、龍太はそっぽを向き続ける。そんな彼の姿に、樋稟は小さくため息をつく。まるで、手の掛かる弟の面倒を見ている姉のような、困った笑顔を見せながら。

 

「じゃあ、もう一度……ううん、何度でも。夢でも悪戯でもないってこと、教えてあげちゃおうかな」

「は……?」

 

 その発言に首を傾げ、龍太が樋稟の方に向き直ろうとした瞬間。

 

「んっ……」

 

 少女の方へと向いていた彼の右頬に、薄い桃色の肌が押し当てられた。

 

「んなあぁあぁあぁああッ!?」

 

 刹那、賀織を筆頭にしたクラス一同が、阿鼻叫喚のコーラスを奏でる。その声量は教室一帯に響き渡り、余波を受けた担任は耳を塞いで状況を静観していた。事なかれ主義を貫き、深くは関わらないつもりでいるらしい。

 

 そして声には出さないまでも、龍太自身も驚きを隠せずにいた。

 そっぽを向いていれば、いずれは愛想を尽かすだろう。そう思っていたのに、まさか相手に向けていた頬にキスされるとは、思ってもみなかったのだ。

 あの日の口づけとは反対の頬に、愛情を注ぐ樋稟の顔は恍惚に染まっており、当時を上回る色香を放っていた。彼女自身、龍太へ捧げた唇の感触が忘れられず、この時を待ち望んでいたのだ。

 

 赤くなった顔を隠すことも忘れ、龍太は鼻先まで赤くして樋稟の方へと首を向ける。互いに頬を染め合った二人は、しばし沈黙に包まれ――

 

「……絶対、逃がさないんだから。私の、ヒーローは」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 幸せな微笑みを間近で見せ付ける、彼女の一声が――それを打ち破るのだった。



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第二部 着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー
第49話 ヒーローの終わり


 少女の目に映る世界が、町が、燃えている。

 焼け爛れた人々の苦悶の叫びだけが、この世界に轟いていた。

 

 夜の帳は降りているにもかかわらず、彼女を取り巻くこの周辺だけは、昼間のように明るい。まるで、この場だけが世界の理から外れてしまっているかのように。

 

「……」

 

 彼女は、何一つ喋らない。否、喋るだけの気力すらない。無言を貫き、もう一人の小柄な少女を抱いたまま、虚ろな瞳にこの世界を映していた。

 その抱かれている少女もまた、目を見開いたまま人形のように固まっている。だが、死を迎えたわけではない。ただ、「壊れて」いるだけなのだ。

 

 そんな彼女達を囲んでいるのは、瓦礫と死体。人間も建物も、全て一様に、粉々に砕かれていた。

 少女達の周辺に、家屋の残骸と共に転がっている肉片の数々は、全て黒い消し炭と化している。生前の肌の色など、判別出来ない程に。

 

 だが、少女達は知っている。この瓦礫の世界が、どのような街だったか。目の前に落ちた肉片が、どのような人々の成れの果てなのか。

 ――この国が、どのような力に。誰に滅ぼされたのか。

 

「……凱樹(がいき)

 

 今にも消え入りそうな声で、少女は誰にも届かない一言を呟く。もう一人の少女を抱く腕に、僅かな力を込めて。

 そして、彼女の死人のような眼は、紅蓮の炎の先に見える巨大な存在へと移された。

 

 そこに立っているのは――人を踏み潰し、焼き尽くし、拳を振るう異形の姿。

 形容するならば、「巨人」という言葉が相応しいであろうその異様な影は、自らを囲う炎の中で、踊るように全てを蹂躙している。誰にも止められぬ、絶対的な力を振るって。

 怒り、喜び、そうした感情の数々が渦巻き、その動きに現れているようであった。後ろめたさなど、微塵もない。

 

 そう。巨人は、自らの行為に何一つ疑問を抱いていない。彼にとっては、自分自身こそが揺るぎない「正義」なのだから。

 

「……鮎子(あゆこ)

 

 そんな巨人の在り様を目の当たりにして、少女はさらに掠れた言葉を零すと、静かに視線を落とした。その先には、自らの腕の中で目を開いたまま動かない、例の少女が居る。

 彼女は、その小柄な娘に掛けられていた眼鏡を撫でると、啜り泣くような声で囁く。

 

「……ごめんね? お姉ちゃん、何にも出来なくて。あなたのこと、助けてあげられなくて。ごめんね。ごめんね」

 

 謝罪の言葉は、そのまま呪文のように繰り返された。

 夜が明け、火が消え、人々の叫びが止まるまで。巨人が勝利を、確信するまで……。

 



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第50話 「正義の味方」の軌跡

 松霧町(まつぎりちょう)には、ヒーローがいた。

 

 弱きを助け、強気をくじく。

 その言葉通りの男になろうと、邁進する少年がいたのだ。

 

 年老いた女性がいるなら、行き先までおぶり。

 引ったくりを見つければ、何はさておき飛び出して行き。

 強盗が出たなら、危険を省みず立ち向かう。

 

 そんな、まるで漫画やアニメの中にしかいないようなヒーローが、何もない小さな町に実在していた。

 

 さらに、彼の傍には優秀な頭脳を持つ恋人がいた。

 

 彼女はヒーローとして正義を全うする少年に恋い焦がれ、ひたむきに彼に尽くしていた。

 より凶悪な敵に立ち向かうための装備を、自らの能力を持って生み出して行ったのだ。

 

 度重なる戦いに傷付けば、親身になって看病した。敵わないと知ってなお、困難に立ち向かおうとする恋人のため、機械の体まで作り出してしまうこともあった。

 

 そんな彼女の気持ちは、ヒーローを目指す少年の想いを惹き付け、二人はますます固い絆で結ばれていった。

 

 少女の作り出す機械の鎧を以って、悪を裁きつづける少年。

 やがて彼は、自分が戦うべき敵の存在が、「外の世界にいるのだ」と悟ってしまう。

 

 少年は恋人の制止を振り切り、世界中の戦場に旅立ったのだ。

 

 己の欲望のため、人々に戦争を強制し、私腹を肥やす政治家や、資産家。

 そういった種類の人間を、少年は次々に「退治」していった。

 それが正義なのだと、誰よりも確信して。

 

 血に染められた彼の拳に震える恋人を見ても、少年は止まらなかった。

 

 戦場の渦中に飛び込んでは、銃を持つ人間を一人残らず叩き潰し、同じ年頃の兵士さえ手に掛けていく。

 自分の行いに悲しむ恋人の涙さえ、この時の彼には「正義のヒーローへの感涙」としか映らなかった。

 

 やがて彼は、武器を持たない人間にさえ手を上げるようになっていた。

 

 自分を悪と罵る者。

 自分を正義と認めない者。

 

 その全ての存在を「悪」と断じる少年は、彼らを決して許さなかったのだ。

 汚れなき正義の証だった、純白の鎧。それはもう、彼自身の「正義」故に真紅へと染め上げられていた。

 

 多くの人々が彼の「正義」のために犠牲となり、数えきれないほどの血と涙が流された。

 

 親を殺された者。妻子や、周囲の友人達まで皆殺しにされた者。血の池ができるまで、罪なき人々さえ命を奪われたのだ。

 そして、残された者達は怒りと憎しみだけを背に少年に挑む。だが、その涙と怒りさえ、彼の「正義」は「悪」としか見なかった。

 結果、復讐さえ許されないほどに人々は蹂躙され、反撃を企てた者達は次々に鴉の餌にされた……。

 

 何を間違えたのか。どこから間違えたのか。

 いつしか変わり果てていた恋人の姿に、少女は泣き叫ぶことしかできずにいた。

 

 だが、少年は彼女の想いに気づくことなく、「正義」のために恐るべき提案をした。

 

 更なる「巨悪」を倒すため、自分と同じ力で、共闘する相棒を欲したのだ。

 

 しかも彼が指名したのは、少女にとっての唯一の肉親だった、彼女の妹。

 幼さゆえ、何も知らずに少年をヒーローだと信じ込んでいた妹は、姉の気持ちに気づかないまま、彼の誘いに乗ってしまった。

 

 もはや狂気の域に達していた、少年の「ヒーロー」への熱意は、恋人を恐怖により従わせる強制力と化していたのだ。

 そして彼に逆らうことができないまま、少女は最愛の妹に、恐るべき力を授けてしまう。

 

 その結果、何も恐れるものがなくなった少年は、恋人の妹を引き連れ、「粛正」を行ってしまった。

 

 彼が標的としていた軍人のみならず、罪なき人々までが、ヒーローだったはずの少年に焼き払われる姿。

 

 その光景を目の当たりにし、自分もそれと同じ存在だという現実を突き付けられた妹は――心を壊し、生きた人形となった。

 

 天真爛漫だった妹の変わり果てた姿に、ますます苦しめられる少女。そんな姉妹をよそに、少年は自らの正義を為せる力に酔いしれていた。

 

 ――だが、その時は長くは続かなかった。

 

 彼の行う「正義」を恐れた日本政府は、「凶悪なテロリスト」として、彼を排除せんと動きはじめたのだ。

 「正義」を行ってきた自分を祝福するべきだ、と思っていた政府に攻撃され、少年はさすがに戸惑いを隠せなかった。

 

 世界から見た少年の姿は、誰もが認める「悪鬼」だったのだ。

 

 この事実に怒り、認めようとしない彼は、自分が「正義」であり、政府こそ「悪」だと信じて疑わなかった。

 それゆえ、精神的に半死状態だった恋人の妹まで連れ出して、日本政府との全面戦争に打って出ようとしていた。

 

 しかし、もはや少年に勝ち目はなかった。

 

 機動隊の物量に押される上、戦意のない妹は、戦いに参加しようともしない。

 どれだけ強くても、たった一人で勝てる戦争などありえないのだ。

 

 敢え無く惨敗を喫した少年は、傷付いた体を引きずり、表舞台から姿を消してしまう。

 その恋人と妹も、彼に付き従う形で世間から姿を消した。今の彼に抗う力など、ないのだから。

 

 一方、日本政府としても、彼らが消えていったのは好都合だった。

 「世界中の紛争に介入し、殺戮を重ねていた日本人」の存在を認めれば、国際社会に深刻な支障をきたしかねないからだ。

 「正義」を行う少年らが姿を消すとともに、政府も彼らの存在は記録から抹消してしまった。今では、政府の要人ですら彼らのことは知られていない。

 

 ――そうして、松霧町から誕生した「ヒーロー志望」の少年が姿を消してから、十年の時が過ぎた。

 

 

 悲劇の再来が迫ろうとしていることに、誰ひとりとして気づかないまま……。

 



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第51話 部活作りはラノベの華

 ここからは龍太視点となります。


着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)の部活を作るわ!」

 

 昼下がりの寂れた教室で、彼女はいきなりそんなことを言い出した。

 俺こと一煉寺龍太(いちれんじりゅうた)と、もう一人の女子生徒は、その発言に思わず目を丸くする。

 

 ここは、日本の関東地方の外れにひっそりと存在している、小さな田舎町「松霧町(まつぎりちょう)」……の中にある唯一の高等学校、「松霧高校(まつぎりこうこう)」。さして特徴もないごく普通の高校であり、そこの生徒である俺達は今、ごく普通の夏休みを送っている最中……だったはず。

 

 なのになぜ、補習でもないのに、こうして学校に通ってるのか。

 

 それは簡潔に言うならば、部活の創設を宣言している、この少女に呼び出されたからに他ならない。

 

「……夏休み、それも日曜の朝に電話でたたき起こしといて、学校まで呼び出したと思ったら……」

 

 夏休みに常に付き纏う、「宿題」と呼ばれる忌まわしき呪縛を振り払い、兄貴から仕入れた新作エロゲーの全ルート攻略に明け暮れていた俺にとって、この呼び出しは肉体的に辛いものがあった。

 今にも完全にシャットダウンしそうな瞼を擦り、俺はいともたやすくえげつない睡眠妨害を働いた少女を睨む。

 

 だが、彼女――救芽井樋稟(きゅうめいひりん)には、まるで反省の色はない。それどころか、さも気前のいいことを考え付いた、とでも言いたげな表情すら浮かべているのだ。

 

 テレビでしかお目にかかれないようなアイドルが、そのまま飛び出してきたかのような目鼻立ち。

 淡い桃色を湛えた、薄い唇。

 この真夏には不似合いなほど、透き通るような白い肌。海のように澄み渡る碧眼に、艶やかな薄茶色のショートヘア。

 そして、九十センチ近くはあろうかという双丘を始めとした、圧倒的なプロポーション。

 

 そんな場違い過ぎる美少女が目の前にいるというのに、イマイチ心躍らないのは、きっと彼女を知りすぎてしまったからだろう。

 

 人命救助に特化した「ヒーロー」の誕生を目指して開発された、最新鋭パワードスーツ「着鎧甲冑」を製造している、「救芽井(きゅうめい)エレクトロニクス」。その令嬢である彼女が、こんな片田舎の小さな高校に通ってるのは――

 

「着鎧甲冑を広めていくためには必要なことよ。あなたも、す、少しは婚約者としての自覚を持ってもらわないと!」

 

 ――「婚約者」、ということになってる俺を迎えるためなんだとか。

 未だに信じがたい話なのだが、どうやら今の俺は、そういう立場になってるらしい。救芽井の真っ赤な顔こそ、その証拠なんだろう。たぶん。

 

 二年程前、中学三年の冬。

 俺は彼女と出会い、救芽井家が「着鎧甲冑」をレスキュースーツとして世界中に広めようとしてることを知った。

 そして、その着鎧甲冑の存在をより効率的に世間に知らしめるため、「兵器」へと作り替えてしまおうと企んでいた、元助手の古我知剣一(こがちけんいち)さんと戦ったんだ。

 

 「守主攻従(しゅしゅこうじゅう)」という、いわゆるカウンターの戦い方を主軸にした「少林寺拳法」の達人である兄貴・一煉寺龍亮(いちれんじりゅうすけ)の教えもあって、俺はなんとか古我知さんに勝てた。そして、救芽井家を救うことができた。

 着鎧甲冑は無事にレスキュースーツとして発表され、今では二種類の量産型が生産されているという。

 

 人命救助にのみ特化し、本来のコンセプトに沿って作られた「R型(アールがた)」と、警察組織での運用を想定し、最低限の戦闘力を持って生まれた「G型(ジーがた)」の二つだ。

 これら量産型は「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」という名称で統一され、生産ラインも確立されつつある。

 

 そして現在、この二種類は少数ながら並行して生産が続けられているらしい。救芽井家の悲願である「ヒーロー量産」の野望は、少しずつ実現に近づいていると言えるだろう。

 

 だけど、その時点で俺はもう用済みになった……と思ってたんだが、コトはそう単純には終わらせてくれなかったらしい。

 出会い頭に救芽井の裸を見ちまってた俺は、責任を取るために彼女と婚約する羽目になったのだ。古我知さんを倒して、彼女を助けた恩もあってのことらしいが。

 

 ――そういうわけで、この町を離れる気配のない俺に業を煮やし、彼女自身が直々に転入してきた、ということなのだ。

 

 世界中にファンがいるアイドル的美少女の、婚約者。

 そんな夢にも思わないような状況に見舞われている俺には、なかなか実感というものが得られずにいた。要するに、今でも半信半疑なのだ。

 

「なんでまた、俺みたいな馬の骨を拾おうと思ったんだか……」

「呆れた。まだ自分がどんな大物なのかわからないの?」

 

 机に顎をついてため息をつく俺に、救芽井は困った表情で歩み寄って来る。白いTシャツに青色のチェック柄ミニスカート、という夏服のおかげか、どうしても彼女の脚に目線が行ってしまうな……。

 しかも、む、胸が揺れる揺れる。この俺ともあろう者が、三次元の色気に屈してしまうというのかッ……!? つーか、胸元に付いた紺色のリボンより揺れてて、ベージュのベストの上からでもそれがわかるって、どういうことなんだよッ!

 

 つーか、なんか迫り方がエロいぞ救芽井。思春期真っ只中の高二男子にそんな近付き方したら、狼さんになっちゃうぞ! むしろ誘ってるようにすら見えるし!

 

「スポンサーが見つからない以上、支社の設立は当分先になる。それまで、私達が直々に『着鎧甲冑』を宣伝して行かなくちゃいけないんだから、あなたにも協力して貰わないと……」

「そ、それでそのための部活を作ろうってハラなのか。ってか救芽井さん、その、近いんですど……?」

「い、いいじゃない。ずっと、もっと、近くにいても……」

 

 気が付けば、みずみずしい唇が目と鼻の先まで迫っていた。恍惚の表情で俺を見つめる救芽井。

 湖のような瞳を潤ませ、彼女の顔はさらに近付いて来る。吐息の音を聴覚が捉え、その温もりが肌に伝わって来る。

 まるでキスでもしそうなくらい、近い。ぶっちゃけ、頭がクラクラしてきた。

 

 ――こんなの、からかいで出来るようなレベルじゃない! 頬になら既にキスされたことはあるが、唇となると全然「重み」が違って来るぞ!?

 やっぱり、マジで俺は彼女の婚約者、なのか……!?

 

「ん……」

 

 唇がほんの僅かに突き出され、さながら「キス待ち」の表情を作る救芽井。おいおい、乱心めされたかお嬢様!?

 だけど、紛れもなくコレは「そういう」空気を放っている。やるのか!? やるしかないのか一煉寺龍太!?

 

「――ええかげんにせぇやぁッ!」

 

 うっかりそんな雰囲気に流されそうになった俺だが、その一言で現実に引き戻されてしまう。うぅ、ホッとしたような残念なような……。

 声がした方を振り返ると、そこには机の上にちょこんと座っていた少女が、膨れっ面で俺を睨む姿があった。

 

 川の下流のようなラインを描く、黒髪のセミロング。救芽井ほどではないにしろ、美少女と呼ぶにはあまりにも十分過ぎる顔立ち。

 小麦色に焼けた肌に、パッチリとした漆黒の瞳。歳の割には平らな胸部に、愛らしい口元から覗く八重歯。

 腰掛けていた机から飛び降りたところを見れば、その身長が中学生くらいの小柄なものだということがわかる。

 

 俺と同様、救芽井からの呼び出しを受けて夏休みの学校に来ていた、矢村賀織(やむらかおり)だ。

 

 彼女は四国からの転校生であり、俺とは中学以来の付き合い。救芽井家と古我知さんの抗争に俺が巻き込まれた時も、何かと気に掛けてくれていた。

 敢えて苦言を呈するなら、男より男らしい性格ゆえ、俺の立場が常にない、ということだろう。

 

 ちなみに、彼女と救芽井は校内で人気を二分しており、今では既にファンクラブが出来上がってるくらいだ。

 そんな二人と、いつもこうして一緒にいるせいで、俺が全校の男子生徒から総スカンを食らっているのは言うまでも……あるまい。

 

 彼女は机から飛び降りたかと思うと、猛スピードで俺と救芽井の間に割って入り、引き離すように俺達の胸元を押し出した。

 

「アタシの目の前で、よくも、そそ、そんな破廉恥なことできるなぁっ! 婚約者ゆうたって、まだ結婚したわけやないんやけんなっ! 龍太はあんたには渡さんけん!」

 

 俺の頭を思い切り抱き寄せ、矢村は八重歯をぎらつかせて救芽井を威嚇する。中学の時から思ってることなんだが、なんでこいつらこんなに仲が悪いんだ……?

 

「ふふ、矢村さん。残念だけど、私も絶対に彼だけは譲れないのよ。龍太君はもう、あなたみたいな一般人と釣り合う存在じゃないんだから!」

「なんやってぇ!? そ、そんなん、アタシらには関係ないけん! あんたこそ後から出てきて、龍太を誘惑しようなんて無駄やけんな! なにせアタシと龍太は、中学からの付き合いなんやから!」

「昔の過ごした時間なんて、何の意味も成さないわ! 過去にしがみつくことしかできないあなたにだけは、私は絶対に負けない!」

「なんやと!?」

「なによ!?」

 

 ……あー、ちょっと待てよお前ら。なんか夏の暑さに頭やられてないか?

 何の話でそんなに張り合ってんだよ……つーか、俺だけあからさまに蚊帳の外なんだけど。

 俺には用無しですかそうですか。グスン。

 

「ふん! あなたの彼と過ごしてきたキャリアは認めてあげるけど……結局、愛は早い者勝ちなのよ! さぁ龍太君、校長先生に創設許可を取りに行くわよ!」

「え? え? うおわぁぁあッ!?」

 

 救芽井はかつて格闘術で鍛えていた駿足を活かし、素早く俺の手を引く。その衝動で矢村のヘッドロックからすっぽ抜けた俺は、そのまま彼女に引っ張られていった。

 

「なっ……! 卑怯やで救芽井! 待ちぃやあああぁっ!」

 

 しかし、生来の負けず嫌いでも有名な矢村。何の勝負をしているのかはさておき、このままやられっぱなしで終わるわけがない。

 俺の手を引きながら廊下を疾走する救芽井目掛け、陸上部顔負けのダッシュで猛追してきた!

 

「やるわね……! さすが龍太君の元恋人!」

「待て救芽井ィィ!? お前は何か重大な勘違いをしているゥッ!」

「救芽井ぃぃっ! 龍太の貞操、返せぇぇぇっ!」

「矢村の方が遥かに深刻だったァーッ!?」

 

 ――こんな大騒ぎをしながら廊下を爆走しても、お咎めがないのは学校自体がガラガラなおかげだろう。どこの部活もまだ練習は始めていないようだから、聞きつけられることもない。

 俺は二人のえげつない勘違いに頭を抱えつつ、せめて今日だけは無事に一日を終えられることを切に願うのだった。

 

 ……既に無事じゃないかも知れんが。

 



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第52話 校長と言う名の壁

 部活の設立には、顧問の先生と最低五人の部員が必要。

 校長室まで来た俺達三人は、そう告げられてしまった。

 

「そんなっ……! 着鎧甲冑についての研究や、今後の展望についての議論をする部なんですよ!? それがどうして!」

「い、いやいや、それは十分わかっておるんだがね。部を作るのなら、せめて条件くらいは満たしてもらわないと。いくら君が救芽井エレクトロニクスのご令嬢だからと言っても、規則を無視されてはこの学校の示しがつかないだろう?」

 

 部屋の両脇にズラッと並ぶ本棚に囲まれた、一つの大きな机。

 そこを挟む二人の口論は、未だ平行線を辿っているようだった。

 

 白髪と黒髪が半々で、ちょっとシワだらけの顔が特徴の、五十代後半くらいの初老の男性。

 ……という出で立ちの校長先生は、救芽井の半ば無理矢理な交渉に困惑している様子だった。

 

 確かに、正式に部と認めてもらうには、数合わせで俺と矢村を入れても人数が足りない。

 部と認められなきゃ、学校から部費は降りないわけだが……。大企業の令嬢ならそんなの別にいらなさそうだし、特にこだわりがないなら、同好会で十分な気もするんだけど。

 

「な、なぁ救芽井。条件が揃わなくても、同好会として活動は出来るんだしさ。あんまり校長を困らせるのはどうかと――」

「なに言ってるの! いざ私達の活躍が知れ渡った時に、『同好会』なんて格好のつかないアピールをするつもり!?」

 

 着鎧甲冑についての議論や研究はどこ行った……。どうやらさっきの救芽井の話は、それとなく校長を納得させるための建前だったらしい。

 実際は、着鎧甲冑を実際に運用して、人助けでもするつもりだったんだろう。宣伝が目的なんだから、まぁ当たり前と言えば当たり前か。

 

「活躍を知らしめるって……。君達まだ学生なんだから、あんまり無茶をするような部活を作るのはお勧めできんな」

「とっ、とにかく! これはただの部活じゃないんです! 世界最先端テクノロジーを応用した人命救助システムを、より身近に浸透させるプロジェクトなんですよ!?」

 

 条件を出されても、ボロを突かれても、彼女は全く引き下がる気配がない。そんな無駄に高尚な話を持ち出されても、庶民のオッサンには呪文にしか聞こえないだろうに……。

 校長はやたらごり押ししてくる彼女を前に、めちゃくちゃ冷や汗をかいている。超有名な大企業の令嬢が言うことなんだから、無下にはできないという葛藤があるんだろう。

 

「なんか救芽井がこっちに来てから、いろいろと騒がしくなった気がするんやけど」

「気のせいじゃないだろ、それ。現に転入してきた頃なんて、日本中の報道陣が詰め掛けて来て石油危機みたいなことになってたし」

 

 机をバンバン叩いて荒ぶってる救芽井の後ろで、俺と矢村はヒソヒソと小さく言葉を交わす。

 

 救芽井エレクトロニクスの令嬢にして、世界的なアイドル。そんな彼女がこんな片田舎まで来た衝撃は、計り知れなかった。

 

 初めて顔を出した終業式の日から約一週間、全国のレポーターがヘリまで動かして、彼女を一目見ようとスクランブルする始末だったのだ。連日やってくる取材責めをひらりとかわす彼女のスルースキルは、特筆に値するだろう。

 小さな町に大勢の報道陣が詰め寄ったせいで、住民に多大な迷惑が掛かったことがあったためか、今ではソレも鎮静化している。

 救芽井いわく、彼女の父にして「救芽井エレクトロニクス」と「着鎧甲冑」の創始者である、救芽井甲侍郎(きゅうめいこうじろう)さんが報道局に圧力を掛けたことも原因の一つらしい。

 

「世間的には、婚約者に会うために来日してきた、ってことになってるが……」

「全部無理矢理決められたことなんやろ? 真に受けることなんかないけんな?」

「いや……でも、キスまでしてきたんだぞ」

「じゃあ、ア、アタシとちゅーしたら婚約解消よな?」

 

 なんでそうなる!? 俺は小さく愛らしい唇をんーっと突き出す矢村から、慌てて顔を遠ざけた。

 

「ひどい……龍太って、そんなにおっぱいが好きなん?」

「三度の飯より大好きなのは認めざるを得ない! だけど、それとこれとは激しく別問題だからな!?」

 

 あ、焦った。以前は男勝りが女の形を借りてるような奴だったのに、なんで急にこんな女フェロモンを噴出する危険人物になったんだよ!?

 危うく……危うく流されて間違いを起こすところだったジャマイカ!

 

 俺と矢村がそんな悶着を起こしている間も、救芽井は校長をやり込めようと迫っていた。とうとう机の上まで乗り上げていやがる……。

 

「だから! この学校の名声を高める結果にも繋がるのですから、一刻も早く正式に認めて下さい!」

「そ、そこまで言うなら今から募集を掛けてみてはどうかね? 君が一声掛ければ、いくらでも部員も顧問も集まると思うが……」

「ただの高校生や教師に興味はありません! 着鎧甲冑についての理解があり、かつ知識や技術、パイプ等を持った人材が必要なんです!」

 

 ……もはや部活じゃねぇ。中小企業もメじゃない注文レベルだ。

 挙げ句の果てには、某ラノベの人気キャラみたいな台詞まで言い出したし。このままじゃマジでラチがあかないな……。

 

「そんな人物はこの学校にはそうそういないだろう? 頼むから考え直して――」

「そうは行きませんッ! 龍太君との婚前の思い出には、『着鎧甲冑部』がどうしても必要なんですッ!」

 

 ――うおおおぃィッ! なんかとんでもねー発言が聞こえたんだけど!?

 つーか結局は私情バリバリかいッ!?

 

 俺がそうツッコむより先に、救芽井は思い切り机を殴り付けた。その衝撃の余波は本棚にまで及び、一冊の本がポロリと落っこちてしまう。

 

「あ、なんか落ちたで」

「俺が拾うよ。……ったく、救芽井のヤツなに考えてんだか……」

 

 「残念な美少女」を地で行く彼女にぶーたれながら、俺はカーペットの上に落下していた、古びた本を拾う。

 

 見たところ、少し昔の卒業文集らしい。表紙に書かれた年号を見るに、十年近く前のものみたいだ。

 校長室に入る機会なんてそうそうないし……せっかくなんで、ちょっとだけ読んでみようかな。

 

「山田花子、田中太郎……恐ろしくポピュラーな名前ばっかりだな。昔の卒業生」

「え、昔の卒業文集? アタシも見せてや」

 

 つま先立ちの姿勢で、なんとか中身を覗こうと頑張っている矢村。見せてあげないと俺が意地悪してるみたいだから、ちょっと本の位置を下げてやった。

 彼女はそれが妙に嬉しかったらしく、「ありがとぉっ」と愛らしく笑いながら本を覗き込む。

 

「ここの四郷鮎美(しごうあゆみ)って人、めっちゃ字が綺麗やね。『将来は凱樹(がいき)君のお嫁さんになりたいです』……って、きゃはー! なんなんコレ、めっちゃ惚気とるやんっ!」

 

 卒業後の夢を書く欄を見た矢村が、頬を赤らめてテンションを上げる。女の子って、やっぱこういう話題が大好きだったりすんのかな? 恋バナとかするくらいだし。

 そんなことを考えながら、俺は過去の卒業生達が語る夢の数々を目で追っていく。ここで夢を綴っていた人達は、今はどうしてるのかな……ん?

 

「『どこの国の、どんな人でも助けられるような、誰よりも強くてかっこいいヒーローになりたい』……瀧上凱樹(たきがみがいき)、か。もしかしてさっきの『凱樹君』って、この人じゃないか?」

「ホントや! なんやなんや、瀧上って人と四郷って人、付き合っとったんかな?」

「だろうな。……にしても卒業文集にこんなこと書くなんて、どんだけバカップルなんだ……」

 

 当時の顔写真まではなかったが、二人がどんな人だったか気になってしまう文集だなコレは。

 

「アタシも……龍太のこと、文集に書いちゃろーかなぁ……?」

「勘弁してください。割とマジで!」

 

 ……しかし、「ヒーローになりたい」、か。

 高三のくせして、随分と子供染みた夢をお持ちだったようだが――目指してなれるモンなのかねぇ、それは。

 

 ふと、自分の過去を思い返してみる。中三の冬、あの時の俺は……違うよな。

 昔も今も、俺は「ヒーロー」なんてご大層なものじゃなかった。よくよく考えてみれば、凄いのは着鎧甲冑や救芽井の尽力であって、俺じゃないんだから。

 

「き……君っ! 早くそれを戻したまえっ!」

 

 ――「ヒーロー」について、しばらく思案に暮れていた俺を現実に引き戻したのは、校長先生の叫び声だった。

 なんか俺が持ってる文集を指差して、めちゃくちゃ焦った顔をしている。救芽井も、彼の慌てぶりにたじろいでいた。

 

「あ、えーと……すいません。戻しときますね。元の場所どこでしたっけ?」

「下から三番目の棚だ! いいから早く片付けなさい!」

 

 元々この文集が置かれていたという、本棚の一部分に向けられた人差し指は、まるで悍ましい化け物を指しているかのように震えている。

 そんなにこの頃の卒業生ってヤバかったのか? きっと相当な不良ばかりだったんだな……。

 あんまり昔のヤな思い出を掘り起こすのも悪いし、俺は校長先生の言う通りに、ササッと本棚に文集を戻した。

 

「ゴ、ゴホン。それでは例の件に話を戻すが、条件だけは満たしてもらわなければ我が校に影響を与えかねない。すまないが、日を改めてもらえないかね」

「……?」

 

 俺が元通りに本を戻すと、途端に校長は調子を取り戻していた。さっきの慌てぶりが嘘のように。

 不審に思わずにはいられなかったが、それを問える空気でもなかった。

 

 完全に詰め寄るタイミングを外してしまった救芽井は、バツが悪そうに視線を外すと、「わかりました……失礼します」と言い残して校長室を後にする。

 俺と矢村も、校長の変貌を訝しみつつ、そそくさとこの場を立ち去った。

 

「瀧上凱樹……四郷鮎美……!」

 

 ――彼がその名前を呟いていたことには、気づかないまま。

 



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第53話 部室はちゃんと許可を取って使いましょう

 結局、救芽井の部活創設は一旦見送りという形になった。

 

 やけにあわてふためいていた校長先生に別れを告げ、校長室を後にした俺達。

 その全員の表情が、げんなりしたものになっている、ということは言うまでもないだろう。

 

 程なくして、この展開に一番納得できなかったであろう、ミス唯我独尊を地で行く救芽井殿が声を荒げた。十分くらい携帯電話でなにか話してたみたいだけど、一体なにがあったし。

 

「信じられない! 名声以上にデメリットになるものがあるとでもいうの!?」

「ま、まぁまぁ……校長先生が言ってた通り、人数さえ集まればオーケーなんだしさ。カッカすることないじゃん」

「甘い! 甘すぎるわ龍太君! 私が夕べのお風呂上がりに十箱食べたチョコアイスより甘いわよ!」

「お前はカロリー計算が甘すぎるわ!」

 

 彼女の健康状態を案じるツッコミだったが、当の本人はまるで聞く耳を持たない。オイ、割とマジで心配になるからマジメに聞きなさいよ。

 

「私の栄養摂取量はどうでもいいの。問題なのは、このままだと着鎧甲冑の市場進出が、出遅れることになりかねないってことよ!」

「どういうこった?」

 

 俺の忠告をガン無視しつつ、救芽井は現状の危うさを身振り手振りで必死に訴えて来る。駄々をこねる子供のように、L字に曲げた腕を上下に揺らしていた。

 ついでに、おっぱいも。

 

「我が救芽井エレクトロニクスは、最新鋭の発明のおかげで世界的に有名になってはいるけれど、その目玉商品たる着鎧甲冑はコスト問題がまだ解消されてないの。だから日本進出といっても、すぐに支社を立てるには、スポンサーの確保とは別に、相応の価値を証明する必要があるのよ」

「そら、そうやなぁ。お金掛かるモン作るんやったら、ちゃんと使いモンになってくれんと困るやろうし」

 

 救芽井のやたらゴチャゴチャした説明に、矢村がうんうんと相槌をうつ。あれ? もしかして、あんまり付いていけてないのって俺だけ?

 

「その証明には、救芽井家の人間である私が直々に指揮を取る、『着鎧甲冑部』が最適なのよ。私達のような若者の手でも、たくさんの命を救えるという性能が証明されれば、どれだけコストが伴うものだとしても、政府は着鎧甲冑を認めざるを得なくなるのよ」

「それであんなに息巻いてたのか? しかし、校長先生からはイマイチな返事しか来なかったぞ……」

「案外、前に同じようなことしようとして、しくじった部活があったりしたんかもなぁ」

 

 救芽井の隣で、冗談めかして笑う矢村。だが、彼女のジョークからは結構なリアリティが感じられた。

 確かに校長先生のアレは、悪い方向に進む展開を懸念してるような雰囲気があった。既に見切られたフォームでボールを投げてるピッチャーにダメ出ししてる、野球監督に近いものがあったんだ。

 

 ……だけど、こんなヒーローみたいなマネする生徒がウチにいたのか?

 

 ――ん? ヒーロー……?

 

「ちょっと龍太君! いつまでポケッとしてるのよ! 早く来なさい!」

 

 頭の中につっかえた何かがある。そんな気がしたのだが、深く考える暇もなく救芽井に怒られてしまった。

 気がつけば、彼女と矢村の二人は既に廊下を歩き出していたのだ。俺は一旦考えるのをやめ、彼女らの後を追う。

 

 ◇

 

 しばらく救芽井の後ろを歩く俺と矢村だったが、両方とも彼女が何処に行くつもりなのかは把握していない。

 

「なぁ、龍太。救芽井ってどこに行きよんやろか?」

「俺が知るかよ……。そういやお前、なんかすごいニュースがあるとか、さっき歩きながら言ってなかったか?」

「あ! そうそう大ニュースあるんやで! なんでも一昨日から、十年前の総理大臣だった伊葉和雅(いばかずまさ)さんが来日しとるんやってさ! なんか救芽井の話を聞いたけん、一目見たくて来たんやって!」

「伊葉和雅、か。……にしても救芽井目当てって、えらくミーハーな総理大臣がいたもんだな。つーか、なんで十年前の元総理大臣なんだ? ――いやそれより、なんで俺達、部室棟まで来てるんだよ……?」

 

 最初に集まっていたウチのクラスの教室に戻るのかと思えば、ツカツカと素通りしてしまったのだ。

 今、俺達が歩いているのは、もといた校舎から少し離れた、いわゆる部室棟と呼ばれる場所なのである。

 

 どこへ行こうと言うのかね。……と、その旨を問い質してみると、彼女は背を向けたまま淡々と答えた。

 

「さっき校長先生から、部室の空きが一つあるって聞いてね。さっそくお邪魔させて頂くことにしたわ」

「おいおい、まだ認められてもないのに、勝手に使っちゃマズいだろ? 見つかったらどうすんの」

「見つかる前に条件を揃えておけば済む話よ。……ここね」

 

 恐ろしい程ごり押しを続ける救芽井は、使われていない空き部屋にしては、妙に綺麗に掃除されたドアの前に立つ。

 

 なんか変な匂いがするけど……なんだ? ……ワックス?

 いや、ワックス掛けなら終業式前に終わったはずだし……。

 

 そこに掛けられていた名札を見た俺と矢村は、思わずジト目になってしまった。

 

「『芸術研究部』……か。去年、矢村が殴り込んで壊滅させた部活だよな」

「『写真とか絵とか書いたり、研究したりする部活』って触れ込みやったけど、裏じゃ女子の着替え盗撮したり、それをネタに脅したりしよるような連中ばっかやったからな。思わず、ブッ潰してもうたんやったなぁ……」

 

 矢村が言う通り、ここにいた部員は芸術をカサに着て、性犯罪レベルのオイタを繰り返していたらしい。

 それをクラスメートの女子から相談された矢村がブチ切れて、殴り込みを働いて全員検挙。……というちょっとした事件が、去年の今頃に起きていたわけだ。

 

 ちなみに俺は最初、「危ないから」と矢村の殴り込みを止めようとしていたはずだった。

 ……はずだったんだが。

 

 「芸術研究部」の連中が、彼女の着替えまで盗撮しようとしていたことを聞いた途端、気がつけば矢村以上に俺が暴れていたらしい。

 なんで止めるつもりだった俺までが、そんなことになっちまったのかは今でもわからない。

 ついでに言うと、なんでそのことを彼女に喜ばれたのかもわからなかった。普通、訳もなしに暴走する男とか気味悪がるもんだと思うんだが。

 

 まぁ、そんなこんなで芸術研究部は解散することになり、寂れた部室だけが残されたわけだ。

 だけど、目の前にある元芸術研究部の部室は、入り口の周りがかなり綺麗にされている。ほっとかれた部室って、得てして埃まみれになるはずなんだけどな。

 

「ここが、いずれ私達『着鎧甲冑部』の部室になる場所よ。さぁ、入って」

 

 そんな俺の疑問をよそに、救芽井は率先してドアノブに手を掛けた。

 

 ――そして開かれる、真っ白な世界。

 

「……はあっ!?」

「えぇえっ!?」

 

 異世界にでも紛れ込んでしまったのだろうか。俺と矢村は、大口を開けて素っ頓狂な声を上げる。

 

 壁の色や本棚、テーブルに至るまで、全て純白に塗装された別世界が、この部屋一帯に広がっていたのだ。

 

 設備こそ普通だが、清潔感がまるで違う。埃など一寸も見つからないし、まるで学校の施設じゃないみたいだ。

 約七畳半の小さな部室には違いないが、明らかに他の部活で使われる部屋とは別次元の領域である。

 

「随分と放置されていた部室だったらしいし、劣化が酷いだろうと思ってね。我が社の配下に命じて、掃除だけは先に済まして貰ったの」

「……まさか、校長室を出てから電話してたのって、それか!?」

「ええ。狭い部屋だし、私達がここに着く前に片付くと思って」

 

 お、恐ろしい……! 金の力、マジパネェっす……!

 部屋の奥にある窓から校舎の外を見てみると、「救芽井」というイニシャルが付いた作業着を着た数十人の男達が、一斉にこちらをガン見していた。

 救芽井は、その威圧感にガタガタしている俺の隣に立つと、にこやかに手を振って見せる。

 

「ご苦労様! 部室、なかなか悪くないわね!」

 

「樋稟お嬢様ッ! 我等一同、あなた様のお役に立てたことを、生涯の誇りに思いますッ!」

 

 彼女のお礼に対して、遠くにいる男達の先頭に立っていた中年男性が声を張り上げた。三十代後半くらいのガチムチマッチョマンである。

 そのリーダーらしき男性に続いて、数十人の男達全員が「光栄でありますッ!」と怒号のようなお礼を口にした。結構な距離があるはずなのに、ビリビリとこちらまで声が響いて来る。

 

 ……彼らの近くには、何台かのトラックが駐車している。部室一つを完璧に整備するためだけに、あんな大人数を呼び出したって言うのかよ……。

 つーか、近所迷惑ってレベルじゃねーし。

 

 何より恐ろしいのは、彼らの作業が、俺達が校長室からここに来るまでの間に終えられていた、ということだろう。

 なんでも救芽井によれば、白ペンキで隈なく塗装した後に、火炎放射機を改造して作った巨大ドライヤーで急速に乾かし、その上にワックスをかけ、もう一度巨大ドライヤーで……という流れ作業を数分でやってのけたのだとか。

 

 救芽井があの部下達に連絡してから、俺達がここに来るまでの時間は十分もなかったはずだと言うのに。救芽井エレクトロニクスの影響力は、常識さえ打ち破ってしまうようだ。

 これだけ人を動かせる経済力があるのに、未だに支社一つ立てられていないのは、それだけ着鎧甲冑にお金が掛かるからなんだろうな。

 

 ……そんな値段を聞くのも億劫になるような代物に、二年近く前から手を出してたってのか、俺は。

 

「お、おっかなー……。金持ちって、ホンマに凄いなぁ……」

「……さ、さて、あのオッサン達も帰ったことだし、どっか座るとこないかなー……と?」

 

 ガチムチマッチョマン共が立ち去るのを青い顔して見送った後、俺と矢村はどこかに座って気を休めようと椅子を探す。

 

 ――その時、俺の目にあるものが留まった。

 

 テーブルの上に設置された、一台のコンピュータである。

 

 そこから幾つもの細いケーブルに繋げられた、金属製の腕輪。

 ……俺がよく知っている形状だ。二年前の戦いで、随分とお世話になったからな。

 

「『腕輪型着鎧装置(メイルド・アルムバント)』……?」

 

 そう、着鎧甲冑のスーツを粒子に分解し収納している、収納ケースの役割を持つ特殊ブレスレット。

 連絡用の通信機まで搭載し、必要とあらば一瞬にして着鎧甲冑を纏うことができるのだ。まさしく、ヒーローものにありがちな変身アイテムそのもの、と言ったところだろう。

 

 中三の頃は、確か全ての着鎧甲冑の基盤(プロトタイプ)になっている「救済の先駆者(ヒルフェマン)」の行動を、コンピュータを介して管理・サポートしていたんだよな。じゃあ、ここにあるパソコンも……?

 

 ――既に救芽井は、ここで着鎧甲冑を運用するための準備を整えていたんだな。

 ここまで迅速かつ徹底的に、人命救助のために動いてたのかと思うと、ちょっと怖いくらいの意気込みを感じるよ。

 

 それにしても、この腕輪……こんな色使い、見たことがないな。

 

 救芽井によると、「腕輪型着鎧装置」のカラーリングは、そのまま着鎧後……つまり変身した後の体色に比例しているのだとか。

 

 「救済の先駆者」は緑、古我知さんが兵器として作っていた「呪詛の伝導者(フルーフマン)」は黒、そして現在量産されている「救済の龍勇者」は、救助用の「R型」も警察用の「G型」も、全て白色で統一されている。

 だが、今俺の目の前に置かれているブレスレットは、そのいずれにも該当しない色で塗装されていた。以前、矢村に着鎧甲冑のことを取り上げた雑誌を見せてもらったことがあるが、その時もこのカラーリングは存在していなかった。

 

 ――赤いんだ。

 

 今にも火が噴き出して来そうなくらいの、燃えるような真紅。

 それを見るだけで、この「腕輪型着鎧装置」に納められているであろう着鎧甲冑が、他のものとは明らかに異質なものなんだろうと考えさせられてしまう。

 気がついた時には、既に俺は正視しているだけで圧倒されてしまいそうな、その紅の腕輪に手を伸ばしていた。

 

 それを掴んだ片手に広がる、ズッシリとした鋼鉄ならではの重量感。その重みに、俺は思わず息を呑む。

 

 そんな俺を見た救芽井は、子供にご褒美をあげる母親のような、愛しげな微笑みを俺に向けた。

 

「あら、気になる? 今現在における、最高峰のポテンシャルを持った最新型着鎧甲冑、『救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)』なんだけど」

 

 ――この手に眠る着鎧甲冑の名を、彼女が自慢げに明かしたのは、その直後のことである。

 



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第54話 男の夢には酸素が詰まっていた

 俺の手にある「腕輪型着鎧装置」。

 そこに納められている着鎧甲冑の名は、聞き覚えのないものだった。

 

「『救済の超機龍』……? 聞いたことない名前だな。新製品か?」

 

 ――と言いながら、試しにちょっと右腕に巻いてみる。おぉ、なんかめちゃくちゃフィットしてるぞコレ。

 

「半分は正確だけど、半分はハズレね。新型には違いないけれど、売り物じゃないのよ」

「は? じゃあ非売品ってことか?」

 

 売り物じゃない、ということは結構な価値のあるものだったんだろうか。なんか安易に腕に付けちゃったけど、急に怖くなってきたぞ……。

 

 ウッカリ落としたりなんかして、傷物にしたらコトじゃないか。とりあえず早く外して、元に――

 

「そうね。正しくは――あなたの専用機ってところなんだけど」

 

 ――戻そうってところで、救芽井はそんなことを言い出しおった。

 

「は、はぁあ!?」

 

 専用機? ……俺の!?

 

「私が直々に設計した、初めての着鎧甲冑よ。……『R型』と『G型』の要素を兼ね備えた、『救済の龍勇者』シリーズにおける最高峰! それが『着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー』なのよっ!」

 

 自分が初めて設計を担当した――というだけあってか、やたら鼻高々に語る彼女。今までは、少し落ち着いてるくらいの佇まいだったのに、「救済の超機龍」とやらが絡みだした途端にこのテンションである。

 

 し、しかし専用機って……!

 俺にそんなもん寄越してどうしようってんだ!? つーか、どんだけ俺を買い被ったら気が済むんだ、救芽井エレクトロニクスッ!

 

「政府から、『着鎧甲冑の最高傑作を一台だけでも生産して欲しい』っていう依頼があってね。それなら、龍太君の専用機を作り上げようってことに決まったのよ。お父様もノリノリだったわ」

「あの人がノリノリとか、ヤな予感しかしないんですけど!?」

 

 娘の裸を偶然見てしまった男を、責任を取らせるためだけに、婚約者に仕立て上げてしまう程の豪胆さ……もとい無計画さを持った甲侍郎さんのテンションがマックスとか、どう考えてもロクな展開が浮かんで来ない!

 

「お父様、本当に嬉しそうだったわ。凄く泣いたり怒ったり、最後には笑ったり。龍太君のこと、なんだかんだで気に入ってるみたいだったし……」

「今度会ったら、泣きながら『殴らせろ』とか言ってきそうだな、それ……」

「ちょ、ちょっと待ちぃや! なんで政府が欲しがっとる最高傑作を龍太が持たないかんのんや!?」

「龍太君に、婚約者として相応しい威光を持ってもらうためよ! これで彼も、晴れて着鎧甲冑を所持できるエリートヒーローの仲間入り! 私の夫『救芽井龍太』として、これ以上の栄誉はないわ!」

「なんか俺の全然知らない世界で、とんでもねーことになってる気がするんですけど!?」

 

 なんだ「救芽井龍太」って! 早くも俺の将来設計が固定されようとしてねーか!?

 くっ、高校を卒業したら兄貴が務めてるエロゲー会社に入ろうと思ってたのに! ……大学? 俺の脳みそで入れるかこんちくしょー!

 

「さぁ、とにかく着鎧してみて。『腕輪型着鎧装置』のサイズも含めて、全てあなたの体に完璧にフィットするように作ってあるわ!」

「俺に合わせて作ってんのか? 道理でやたらしっくり腕に嵌まってるわけだ……」

 

 中三の時は「救済の先駆者」の腕輪を付けていたが……確かアレは、元が救芽井の使っていたモノっていうだけあって、ちょっと腕がキツかった覚えがある。

 その辺も、きっと配慮してくれてるんだろう。腕輪自体は結構重いはずなのに、ほとんど手首の血管等に掛かる負担はない。

 

 しかし、自分のための専用機が用意されてたっていうのに、俺ってばあんまり動じてないよな……。

 なんか驚きの感覚が麻痺してきてないか? 大丈夫かよ俺……。

 

「とにかく……やってみるしかないか! ――着鎧甲冑ッ!」

 

 もう少し頭の整理はしたかったが、いちいち感傷に浸って救芽井を待たせるのも悪い。

 俺は腕輪に付いているマイクに、久々にあの音声を入力した。

 

 そして、深紅の腕輪の中から、同色の発光体が噴水のように溢れ出て来る。

 俺がそれらを目で捉えるよりも先に、赤い光は帯のように俺の体に巻き付いていった。

 

 二年近く経験していなかった、俺の中における「非日常」の象徴。

 それが今、「日常」の象徴とも言うべき学校の中で行われている。

 

 ――なんとも、不思議な気分じゃないか。

 

 だが、悪い気はしない。

 

 着鎧を終えた時にいつも感じていた、力がみなぎる感覚を思い出してしまった、今となっては。

 

「ふぅ……」

 

 自分の手足が、赤いレスキュースーツに包まれているのをこの目で確認し、俺は一息ついた。どうやら、予想通り「救済の超機龍」ってのは、赤が基調らしい。

 手足の動作に支障がないかを確認するため、俺は軽く手首と足首を捻る。……うん、どこも変な感じはしないかな。

 

「――うん! やっぱり龍太君はそうでなくっちゃ! カッコいいよっ!」

 

 俺の着鎧した姿を前にして、救芽井は子供のようにはしゃぎながら、ズイッと顔を近づけて来る。まるでキスでもするんじゃないかってくらいの近寄り方だったからか、途中で矢村に羽交い締めにされてしまったけど。

 

 そういや、俺って今どういう格好なんだろう? 救芽井はカッコいいと言ってくれたが、常人とは微妙にズレている彼女にそう言われてもイマイチ腑に落ちない。

 なので、俺は部室に置かれていた鏡の前に立ち、自分のフォルムを確認してみることにした。

 

 唇型のマスクに、燃える様な赤一色のレスキュースーツ。

 着鎧甲冑ならではの、どことなく古臭いデザインを感じさせるソレは、間違いなく「昭和のヒーロー」を好む甲侍郎さんの趣味が出ているせいなのだろう。

 

 ふと、黒いベルトに装着されている、長さ四十センチ程の電磁警棒に目が行く。確か「G型」が許されている唯一の装備品だったよな。

 確かに彼女が言う通り、この「救済の超機龍」には、「G型」と「R型」の両方の機能が用いられてるらしい。

 

 ――ん? だけど、「R型」の特徴だったはずの救護用バックルが見当たらない……?

 腰に巻かれているベルトは「G型」に準拠したモノであり、「救済の先駆者」や「R型」に常備されていたはずの「救護用バックル」らしきものは見当たらなかった。

 後ろの腰に手を回してみると、応急処置セットらしき、小さなバックパックは付いていたのだが……人工呼吸システムに必要な、酸素タンクらしきものが見当たらない。

 そのため、俺の腰に付いていたバックパックは、「R型」のソレと比べるとすこぶる小さいモノだった。

 

 さすがにそこまでは手が回らなかったのかな……?

 

 もしかしたら心のどこかで、俺は随分な欲を張ってたのかも知れない。うげ、恥ずかしい……。

 自分の浅はかさを悔いつつ、俺は頭を掻こうとして――

 

「……?」

 

 ――手に触れた妙な感覚に、思わず眉を潜めた。

 なんだこれ? ぷにぷにしてて……柔らかいな。

 

 その柔らかいナニかを見ようと視線を上げた俺の目に……側頭部から伸びている、闘牛のような二本の角が映り込んだ。

 

 体のほとんどが赤色で統一されているのに対して、そこだけが真っ黒に塗装されていたのだ。

 長さ二十センチ程度の短い角だが――他の着鎧甲冑では考えられないようなその意匠に、俺はいつの間にか目を奪われていた。

 こんな尖んがってて危ないモノ、人命救助が任務の着鎧甲冑に付けてて大丈夫なのか?

 

 ……待てよ。まさか、さっきのぷにぷにの正体って……。

 

 俺は考えたくもないような仮定を敢えて立てると、その妙な角に手を伸ばしてみた。

 

 そして手の感触に伝わる、柔らか〜いぷにぷに感。

 ……この角、なんでこんなに良い子に優しい作りになってんの!? 下手なソフビ人形より子供に優しくないかコレ!?

 

「あ、どうかしら龍太君? その酸素タンク。お父様が『男の子はこういうのが大好き』って言ってたから、プレゼントだと思って付けてみたんだけど」

 

 ――これが酸素タンクかァァァッ!

 



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第55話 出動プロセスは割と小難しい

 ひとまず着鎧を済ませた俺は、ノートパソコンを抱えた救芽井に、部室棟の裏庭まで連れ出されてしまった。なんでも他の生徒や教員達には、まだ知られたくはないらしい。

 幾つかの大きな木陰に包まれているこの場所は、避暑地としてなかなか重宝されている。部活の時間であれば、大勢の汗だくの野郎共でごった返しているような場所だ。

 

「さて! それじゃあさっそく、あなたの新しい力を知らしめに行かなくちゃね!」

「龍太が絡んだ途端にこのテンションやな……」

「あら? それはあなたも同じじゃない」

 

 彼女に続いて裏庭まで来た矢村は、妙なところを指摘された瞬間に、顔を赤くして黙り込んでしまう。この二人の恥じらうツボがイマイチ見えて来ないんだよなぁ……。

 

「なぁ、急に裏庭に呼び出してどうしようってんだ? 高校生にありがちな『告白』でもしようってのか」

 

 話が終わるまで静観していようとも考えたが……矢村ばかりが弄られてるように見えて可哀相だったんで、話題の流れが変わるような冗談を飛ばしてみることにした。

 すると、救芽井はボッと茹蛸のような顔色に一瞬で変化してしまう。矢村より赤いな……。

 表情はだらしなく蕩け、「そ、それもいいかな……」といった独り言が垂れ流しになっていた。――冗談だってのは伝わってんだよな?

 

「――じゃ、じゃなくて! さっき言った通り、『救済の超機龍』の性能を人々に知らしめに行くのよ! 人をガンガン助けて、知名度を上げるの!」

「……てことは要するに、この着鎧甲冑のデビューってことになるのか。じゃあ、なんで学校の中でコソコソする必要があったんだ?」

「住民より先に学校側に存在を知られたら、『救芽井エレクトロニクス』より『松霧高校』の名が先に上がっちゃうのよ。世界最高峰の着鎧甲冑を世に送った学校、としてね。その後に、この着鎧甲冑の存在をこちらから発表しても、そのニュースが出た後だとインパクトに欠けちゃうの」

「つまり……話題性を学校側に取られないため、サプライズのために、敢えて学校には何も話さないってことか」

 

 俺の答えに満足げな笑みを浮かべた救芽井は、力強く頷く。

 

「でも、あんなに着鎧甲冑部の創設を推した後なんだから、学校側にはすぐに嗅ぎ付けられると思うんだけどな。そうじゃなくても、お前は着鎧甲冑そのものの開発に絡んでるんだし」

「『開発に絡んでる』のは、あなたも同じでしょ? まぁ、嗅ぎ付けはするでしょうね。でも、こちらが認めない限り『確証』までは得られないから、向こうは迂闊な情報公開は出来ないのよ。その間に、創設の条件を揃えれば私達の勝ちってこと」

「勝ちって……勝負事なのか? これは」

「――当たり前じゃない! 私達の行くべき道を阻む障害とは、なにがあっても断固戦うべきなのよ!」

 

 救芽井は俺の発言に目を見開くと、鋭い顔つきになりながら拳をギリギリと握り締める。……どうやら、学校側の対応がよっぽどシャクに障ったらしいな……。

 

「――というわけで! これから龍太君には『パトロール』に出向いて貰うわ。将来の着鎧甲冑部創設の時に向けての、『PR』も兼ねて、ね。」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。人助けも見回りも結構なコトなんだが、具体的に何をすりゃいいんだ? ろくな説明もなしに町中に放り込まれても――」

「私が通信でサポートするわ。こっちに来て」

 

 救芽井は片膝を着くと、抱えていたノートパソコンを開いた。俺は訝しみつつ、同じ表情だった矢村と顔を見合わせると、その画面を覗き込んだ。

 

 ――真っ黒な背景に、緑のラインが幾つも交差している。どうやら、この町のマップになっているらしい。

 この学校を中心にした地図が、画面いっぱいに広がっていた。

 

 その中における、道路や家の中に当たる場所では、小さな青い点がゆっくりと動き回っていた。なんだ……こりゃあ?

 

「救芽井。これって――」

「見ての通り、松霧町全体を表した電子マップよ。ちょろちょろ動いてる青い点は、生命体に反応している部分なの。大体は人間の位置を表していると思っていいわ」

「人間の位置? 人がどこをほっつき歩いてるのかが丸わかりってことなのか?」

「そうよ。ノートパソコンだと処理落ちがままあるから、部室のパソコンでやった方が効率がいいんだけどね。今回だけは、あなたに説明するための『特別措置』」

 

 人差し指を俺の唇(に当たるマスクの部分)に当てると、救芽井は妖艶さを匂わせる笑みを見せてきた。「特別」っていう点をやたらと強調してた気がするけど……。

 

「はいはい! それがどうしたって言うんやっ!?」

 

 それの何かが気に食わなかったのか、矢村は怒気を孕んだ声を上げて、俺と救芽井の間で手を振って遮ろうとする。

 

「ムッ……まぁいいわ。この青い点は、ある条件に達すると――ハッ!」

 

 一瞬だけしかめっ面になった救芽井だが、次の瞬間には何かを見つけたような驚き顔に変わっていた。相変わらず、表情のバリエーションが凄まじいな……。

 彼女は何かに気づいたらしく、急に険しい顔になったかと思えば、カタカタと超高速でキーボードを叩きはじめた。その凄みに、俺と矢村は思わず息を呑む。

 

「来たわね……龍太君! 『救済の超機龍』の初陣よ!」

「ど、どうしたんだ!?」

「説明は移動しながらで教えてあげる。龍太君、松霧駅前の交差点に急行してッ!」

 

 キーボードを叩く作業が終わったかと思えば、救芽井はいきなり切羽詰まったような声を上げた。俺は彼女が口にした地点を耳にした直後、ノートパソコンの画面を注視する。

 

 ――松霧駅前の、交差点。

 

 そこに相当するものと思しき場所の辺りには、赤く点滅する光がうごめいていた。

 



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第56話 高飛車お嬢様と眼鏡ロリ

 着鎧甲冑の運動性は正に超人的であり、走るスピードやジャンプ力も、普通の人間の数倍になる。

 

 その中でも最高峰とされているだけあって、「救済の超機龍」の性能は、着鎧している俺自身が翻弄されかねない程だった。

 

 俺は今、家屋から家屋へと素早く飛び回り、目的地である「松霧駅前の交差点」へと向かっていた。

 こんな漫画でしかお目にかかれないような動きで、住み慣れた町中を飛び回ってるっていうのは、なかなか新鮮な気分だ。ウンザリするほど見慣れたはずの公園も、住宅街も、まるでよく似た別世界のように見えて来る。

 

 だが、この力を行使しているということは、そんな感傷に浸っている場合じゃない、ということも意味している。

 あの赤く点滅していた光。あれは救芽井によると、危機状態を感知している人間に反応した場所を指しているらしい。

 

『人間が恐怖を感じたり、興奮したりする時に分泌されるアドレナリン。それが日常生活では達し得ない数値にまで上昇した時、地球外から監察している我が社の通信衛星が異常を感知して、赤い点滅でサインを送るのよ』

 

 屋根から屋根へ跳ね回る俺の耳に、救芽井からの通信が入り込んで来る。

 つまり、人間のビビりパラメータに反応して、異常性を知らせてるわけなんだな。

 

「その反応は、今は一つだけなんだな?」

『ええ。交差点とは言っても歩道の傍をうろついてるみたいだから、車に撥ねられたりしたわけじゃなさそうなんだけど……』

「わからねーぞ。コンビニにトラックが突っ込むような事故だってありえなくはないんだ。交差点にイカれた車が特攻してても不思議じゃない」

 

 こっちからは、救芽井が見ているであろう電子マップは見えないが……現場にたどり着けば、事故がどこで起きたかは一目瞭然だろう。

 今の着鎧甲冑にできるのは、簡単な応急処置か、病院に駿足で抱えていくことぐらいだが……それでも助かる可能性が少しでもあるなら、試す価値はあるはずだ!

 

 ゆえに俺はわずかでも距離を縮めるため、公道をガン無視して建物から建物へと飛び移りながら移動していた。

 赤いスーツを纏った男が、屋根や石垣の上を駆け、跳び回る。その様はさながら、蜘蛛の力を手に入れたスーパーヒーローのように見えることだろう。

 道行く住民の皆が、俺を奇異の目で見ているのがわかる。着鎧甲冑の新型だとは知らないんだろうから、相当怪しまれてるに違いないな……。

 

 たまに写真を撮られてることが気にかかりながらも、俺はなんとか例の場所までたどり着くことができた。

 

 ――だが、そこまで来ても事故現場らしい状況は見つけられなかった。車は普通に行き交ってるし、特に人が騒いでる気配もない。

 俺は少しでも見渡しが良くなるようにと、近くの商社ビルの屋上までよじ登り、そこから交差点を一望した。

 

「救芽井、交差点についたぞ! 正確な場所は!?」

 

 着鎧する前と変わらず、俺の右手に巻かれている腕輪に話し掛けてみる。しかし、返ってきたのはやや困惑した声色だった。

 

『ちょっと待って! 微妙に赤点の場所が移動してるわ!』

「移動? ……じゃあ、別に車に撥ねられたりしてるわけじゃないのか」

 

 場所を移せるくらい動いてる、ということは、そのくらいは元気ってことなんだろう。そう思うと、不謹慎ではあれど少し安心してしまう。

 

 ――だが、そんな束の間の安堵も、次の瞬間には消し飛んでしまった。

 

『これは……路地裏!? 龍太君、あなたが今いるビルから、右に七軒進んだ先の路地裏よ!』

「――路地裏だって!?」

 

 そんな物騒なワードから推測される展開は、ただ一つ。

 俺は救芽井の指示に条件反射で服従し、目的地で起きていることを想像する時間も惜しんで、ビルからムササビのようにダイブした。

 

 片膝と両手をつく格好で着地すると、そこからクラウチングスタートの要領で駆け出していく。

 一軒、二軒、三軒……と、うっかり通り過ぎないように正確にビルの数を呟きながら、俺は先刻の路地裏を目指した。

 

 そして、いよいよ例の場所にたどり着く。

 俺は足が焦げそうなくらいの摩擦を起こしながら、そこの目前にブレーキを掛けた。

 

「この先で間違いないんだな!?」

『え、ええ。だけど――』

 

 今は救芽井の発言の先を聞く猶予もない。俺は彼女の言葉が終わるよりも先に、薄暗く狭い路地に飛び込んだ。

 

 ――そして、絶句してしまう。

 

「フォーッフォッフォッフォッ! ワタクシ達に狼藉を働こうなどとは、愚鈍の極みでざます! さすがは何もない田舎のグズ男共ですわねぇ!」

「ふぉーふぉっふぉっふぉ〜……」

 

 見るからにガラの悪い、ヤクザのような男達に襲われていた――と思われていた、二人の少女。

 彼女達の足元には、その厳つい男達が生ゴミのように転がっている姿があったのだ。

 

 まるで某宇宙忍者のような高笑いを上げているのは、茶色のロングヘアーの巨乳美少女。年頃の女の子にしては、少々口調がアレな気がするが。

 艶やかな唇に、救芽井に通じる高貴さを持つ色白の肌。翡翠色のつぶらな瞳に、彫像よりも整い尽くされているかのような目鼻立ち。

 やたら大仰な口調と、高価そうな日傘で倒れている男をバシバシ叩いている姿を見ると、あんまり想像しにくい――というかしたくないのだが、おそらくどこかの金持ちお嬢様なのだろう。

 だがそんなことより、あの巨峰はなんだ。エベレストか、チョモランマか。……いや、どっちも同じか。純白のブラウスと、淡い桃色のタイトスカートを履いているのだが、ブラウスがノースリーブなおかげで、いろいろとアレが強調されているようにも見えてしまう。

 下手をすれば、救芽井以上かも知れない。あの揺れを矢村が見たら、嫉妬を通り越して殺意が湧いてしまいかねないぞ。

 

 そんな危ない印象をのっけから与えているこの少女だが、その隣にいるもう一人の女の子も、相当な美少女のようだった。

 

 サファイアを思わせる水色を湛えた長髪を、滑らかなサイドテールに纏めて右側に垂らしている。その一方で、瞳の色は燃え滾る炎のように紅い。

 人生のほとんどを、屋内で過ごしてきたのかとさえ思うほどの、真っ白な肌。恐らく、今まで見てきた中で一番白いぞ、この娘。

 顔立ちは、すぐ傍でやたら荒ぶってるお嬢様(?)に負けないほど整ってはいるが、その表情のなさは、さながらアンドロイドのようだった。黒い丸渕眼鏡を掛けているのも手伝って、どことなく冷たい印象を受ける。

 身長は……矢村より少し小さいくらい、かな。胸は――仲間が増えるよ! やったね矢村ちゃん!

 ……それはさておき、黒のTシャツに青いミニスカートという些か地味な格好だ。隣にいるお嬢様星人とは、明らかにタイプが違うと思うが……なんで一緒にいるんだろうな。

 さっきは彼女に合わせて、無表情に加えて棒読みながらも、同じ笑い声を上げていた。もしかしたら、仲良しなのかも?

 

 ……って、いやいや、そこは今問題じゃないだろう! 彼女達の何にハッスルしてんだ俺は!

 

 ――この光景は、正直なところ信じがたい、が……まるで、この二人がのしてしまったかのような絵面だ。

 俺はまさかと思い、右手の腕輪のスイッチを押し込み、救芽井に通信を繋げる。

 

「なぁ、もしかして今の赤点……」

『……うん。青点に戻ってる……。そこにいる人が、やっつけたってことなのかしら』

 

 マジかそりゃあ。てことは結局、今回は俺いらなかったってことじゃねーか。

 

「フフフ。しかし鮎子(あゆこ)が路上で『力』を使おうとした時は、実に焦ったものざます。危うく、一般人に見られるところでしてよ」

「……(こずえ)に悪いことしようとしてたから、なんとかしなきゃって、思って……」

 

 フムフム、どうやらあのおっかなそうなお嬢様は「梢」というらしい。で、あの眼鏡ロリが「鮎子」、か。

 ……ん? お嬢様で「梢」って、まさか……!?

 

「あら? ちょっと、そこの庶民! お待ちなさいな」

 

 別に逃げる気なんてなかったのだが、背を向けて考え込んでいたから、逃げ出す気でいると思われていたらしい。

 梢という少女は俺にビシッと指差し、有無を言わさぬ眼光をぶつけてきた。その影には、鮎子と呼ばれた少女が小さく隠れている。

 

「その姿……見たことはありませんが、着鎧甲冑の一種でざましょ?」

「そ、そうだけど……よくわかったな」

 

 なんだかよくわからない人だが、「救済の超機龍」の実態に一目で気づいたところを見るに、着鎧甲冑のことに詳しい人……なのかもな?

 

「ちょうどいいざます。ワタクシ達、その着鎧甲冑を作った救芽井の者に用がございましてよ。『救芽井樋稟』に会わせていただけないかしら」

「え、えぇ!? きゅ、救芽井にか!?」

「なんです、その声は。まさか、この久水梢(ひさみずこずえ)の命令が聞けない、などと言うつまらない冗談を口にされるつもりざますか?」

 

 やたらと強気な口調で、久水梢とやらは救芽井に会わせろ、と迫ってきた。「久水梢」……やっぱり、あの娘だったのか。

 

 俺はとある懐かしさを胸に抱きつつ、腕輪にソッと話し掛けた。

 

「救芽井。通信は入れっぱなしだったと思うから、話は聞いてると思うが……」

『……ええ。まさか、久水家(ひさみずけ)の令嬢がそんなところにいたとはね。私がいれば話は通じると思うから、ひとまず彼女を学校まで連れて来て』

 

 ――やっぱり、救芽井と知り合いなのか、どっかの金持ちの娘だったらしい。救芽井といい久水梢といい、「お嬢様」とはどこまでも縁が深いみたいだな、俺は。

 

『――ねぇ、龍太君。一つ聞いていい?』

「どうした?」

『あなたの前には……女の子が「二人」いるの?』

「あ? あぁ、そうだな。さっき話してた久水梢と、鮎子っていう眼鏡掛けた女の子の二人だ。それがどうかしたのか?」

 

 ふと、そんなことを聞いてきた救芽井に、俺は首を傾げた。人数なんて聞いて、どうするんだ?

 

『……そう。おかしいわね』

「なにが?」

 

 俺が訝しげな声を出した、その時。

 

 

『そこに反応してる青い点は、一つだけなのよ』

 

 

 ――ありえないことを、彼女は口にしていた。

 



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第57話 決闘禁止の法律が逃げた【挿絵あり】

「け、決闘ぉ!?」

「ですってぇぇ!?」

 

 新装されたばかりの部室に、矢村と救芽井の素っ頓狂な声が響き渡る。

 

 そんな彼女の前に置かれた、真っ白な椅子に踏ん反り返る久水梢。そして、その隣にチョコンと座っている、四郷鮎子(しごうあゆこ)という眼鏡少女。

 

「その通りざます!」

「……梢、相変わらず強引……」

 

 俺は女性陣が椅子に腰掛けてテーブルを挟んでいる中、着鎧した状態のまま救芽井の傍に立たされていた。対外的な意味での見栄えをよくするためらしいのだが、これじゃまるで執事みたいじゃまいか……。

 

 ――あのあと、救芽井に合わせろと迫る久水と、彼女に付き従っている(?)四郷の二人を抱えて、ここまで大急ぎで戻ってきたわけなのだが。

 

 久水は着いた途端に俺を蹴り倒し、礼も言わずにズカズカと部室に乗り込んでいったのだ。四郷は無表情ながらも、ペコリと頭は下げてくれたんだけどな……。

 

 まぁ、どうせ俺だし、今はそのことは置いておいても構わないだろう。そんなことより百倍重要なことが、目の前で繰り広げられようとしているんだから。

 

「まとめると、つまりこういうこと?」

 

 眉をヒクヒクと震わせながら、救芽井は不機嫌そうな顔で事情のおさらいを始めた。

 

「以前私が振った資産家・久水家の当主である久水茂(ひさみずしげる)と、こちらで決められている婚約者とで、私を賭けて着鎧甲冑で決闘しろ、と」

「そういうことになるざます。ワタクシ達が負けた時は、無条件でスポンサーになって差し上げることになっておりますわ。ただし! お兄様が勝った時は、あなたは久水家の妻として迎え入れられることになりますのよ。フォフォフォ!」

 

 彼女の兄であり、久水家の当主であるという、久水茂。

 彼は以前ニュースになった、「婚約者の存在を理由に、救芽井への求婚を断られた資産家」の人なんだそうだ。

 そのあと、個人資産を注ぎ込んで「救済の龍勇者」の「G型」を購入し、護身用として運用しているのだとか。

 

 見るからにイライラしてる救芽井をさらに煽るかのように、久水は高らかに笑う。今に始まった疑問じゃないんだが、あのおかしな笑い方はなんなんだマジで……。

 

「……本当は『おーほっほっほ』って笑いたいらしいんだけど、滑舌が悪いからあんな笑い声になってるんだって……。コンプレックスみたいだから、言わないであげて……?」

 

 そんな俺の胸中を察してか、四郷がボソリと補足してくれた。そういや、資産家の娘とつるんでるなんて、この娘は一体……?

 

「なぁ、君は久水とどういう関係なんだ?」

「……ボク、梢の友達……。少なくとも、ボクはそのつもり……」

 

 小声でちょっとした質問を投げ掛けてみたら――まさかのボクっ娘発覚。ま、かわいいからいいか。

 ……にしても、妙に暗いよな、この娘。生体反応にも引っ掛からないなんて、どう考えても普通じゃなさそうなんだが。

 

 ――本来なら、救芽井としても彼女の実態について問い詰めたいところなんだろうけど、さすがに今はそれどころじゃない。もしかしたら、救芽井エレクトロニクスの日本支社にスポンサーがつくのと引き換えに、救芽井が久水の家に連れ込まれることになりかねない事態なんだから。

 

「もちろん、拒否権はあなたにあるざます。スポンサー探しに喘いで無駄な時間を費やすのも、我が家に嫁いで新たな道を切り開くのも、あなた次第ですわ」

「……なんで龍太が負けることが前提なんやっ!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 余裕の笑みを浮かべて脚を組んでいる久水に、矢村が般若のような形相で食ってかかる。椅子から立ち上がり、声を張り上げるその姿に、俺は思わず圧倒されそうになった。

 

「あら、龍太と言いますの? 救芽井家の婚約者というのは」

「グッ! ……み、認めたかないけど、今はそういうことにされとる……みたいやな」

「そういうことにされてるって何よ! まるで私達が無理矢理に龍太君をお婿さんにしてるみたいじゃない!」

「いや、正にその通りだろ!? 俺の人権ガン無視ですかー!?」

 

 自分のやってることに何の疑念も持っていない彼女に、俺は思わず突っ込んでしまう。

 いろんな意味で目が離せないよな、この娘。ほっといたら知らない間に印鑑押されてそうだし。……俺を婿にするって話がマジであれば、だが。

 

「では、そこの赤い殿方が? 随分と品のなさそうな男ざます。……龍太……龍太?」

 

 その時、久水は何かに感づいたように眉を潜めた。考え込むような表情で、なまめかしい唇に人差し指をそっと当てている。

 ……まさか、覚えてるんだろうか? 俺のこと。うわぁ、ヤベェぞコレは……。

 

「とにかく、そんなに自信満々なら受けて立つわ! 日時は一週間後だったわね!?」

「――そうざます。場所は町外れの裏山にある、私達の別荘ですわ!」

 

 清々しいほど挑発に乗ってしまった救芽井は、あっさりと決闘の話を承諾してしまった。久水は何かを思い出そうとしていたところに声を掛けられたためか、一瞬不機嫌そうな表情を浮かべたが、すぐに高飛車な態度を取り直してみせた。

 どうやら、当事者たる俺が全く入り込むことができないまま、決闘の話が固まってしまったらしい。基本的人権の尊重はどこに行ったんだ……。

 

「ふんっ! 龍太はな、恐くて悪いロボット軍団だってやっつけたんやで! ボンボンのオッサンになんて負けるわけないやろっ!」

「お兄様はまだ十九歳ざますよ!? 確かに老け顔には違いないざますが……」

「つーか、その『ロボット軍団』を片付けたのはお前だったろーが」

 

 俺はちょっと荒っぽく、わしわしと矢村の頭を撫でてやった。功績を褒められて嬉しかったらしく、彼女は「えへへー」と満面の笑みで俺を見上げている。

 しかし、久水の兄貴だっていう茂さん、十九歳で資産家の当主やってんのか……? 俺と二つしか違わないってのに、たいしたもんだ。

 

「私も珍しく矢村さんとは同意見ね! 龍太君の強さを見たら、きっとあなたも久水茂さんも腰を抜かすわ!」

 

 何が気に障ってるのか、救芽井はやたらと声を荒げて久水に抗議している。いや……なんか二人とも、俺のこと持ち上げ過ぎじゃない?

 だいたい、決闘の類は日本の法律で禁止されてるんじゃないのかよ? 金持ちの世界は、法の正義さえ捩曲げてしまうというのか!

 

 ……いや、それよりも。

 着鎧甲冑は、こんないさかいのためにあるようなものじゃないはずだ。人を助けて、命を繋いでいくために造られたものじゃないのか?

 俺は――やりたくないな、出来ることなら。

 

「いい度胸ざます! 一週間後が楽しみざますね! 鮎子、今日はこの辺でおいとましましょうか」

 

 そんな俺の胸中をよそに、久水は四郷を連れて部室を出ようとしていた。意気揚々とこの場を去ろうとする、彼女の後ろを歩いていた四郷は、一瞬俺の方を見ると、サッと久水に続いて部屋を立ち去ってしまった。

 俺の顔、なんか付いてるのか……?

 

「ふー……やれやれ、とんでもないことになっちまったなぁ」

 

 彼女達が帰っていったのを確認して、ようやく俺は着鎧を解除した。このクソ暑い炎天下で長時間の着鎧とか、マジで死ねる……。

 俺は胸元の服をパタパタと揺らして涼みながら、やっとこ椅子に腰掛けた。

 

「龍太君以外の男の人と結婚だなんて、考えられないわ! 後から図々しく出てきたって、あんな人のお嫁さんになんてなってあげないんだから!」

「よっぽどお前の好みに合わなかったんだな、その茂って人」

「当たり前よっ! だから龍太君、絶対に負けないでね! 今から特訓しましょう!」

「龍太のことバカにするなんて許せんけんなっ! アタシも賛成や! 鼻あかしたれっ!」

「なんでお前らだけそんなにやる気満々なんだよ……」

 

 昨日までは、一応は平凡な夏休みだったはず。……はずなのに、いつしか俺は救芽井を賭けて、会ったこともない人との決闘に臨むハメになっていた。

 こんな着鎧甲冑のコンセプトをガン無視するような決闘、どうあってもお断りする展開になるって思ってたんだけどなぁ……。着鎧甲冑の観念に背くくらいなら、俺なんかポイ捨てしちまった方がマシだったろうに。

 

 救芽井も矢村も、俺なんぞの何が良くてこんな事態を築き上げてるんだかな……。

 俺は夏の陽射しを窓から見上げ、これから起こるであろう一悶着にため息をつく。

 

「それに、まさかあの娘とこんな形で出くわすなんてなぁ……」

 

 ――久水梢。

 

 それは紛れもなく、俺の初恋相手の名前だったのだ。

 小学生の頃、俺を振った強気な女の子。

 

 あの歳不相応な気高さは、今も俺の記憶には焼き付いたままだったようだ。



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第58話 河川敷の出逢い

 ――俺が小学生の時に振られた、初恋の女の子。

 

 どこか面識があるようなそぶりだったらしく、本人がいない間に問い詰めてきた救芽井と矢村に対し、俺は端的にそう説明してやった。

 

 ……薄々予想はついていたが、やはり凄いリアクションを見せてくれたよ。

 頭を掻きむしって絶叫したり、わけのわからないことを喚きながら、椅子を窓の外に投げたり。用務員さんに当たると危ないから、ほどほどにしてもらいたいものなんだけどな……。

 

「龍太君ッ! 彼女のことは忘れるのよ! 一刻も早くッ!」

「そうやでぇっ! 向こうもそんなこと覚えてないやろうし、龍太の恋は『これから』始まるんやけんなっ!」

 

 などと凄まじい剣幕で迫る姿は、さながら風神と雷神のようであった。屏風よりおっかない顔してたぞあいつら……。

 

 そんなことがあったせいか、翌日からの特訓というのが、これまた悍ましいものになっていたわけだ。

 

 午前は十キロメートル走を始めとした体力トレーニングに、午後は部室で着鎧甲冑の知識を一から叩き込む集中講座。居眠りなどしようものなら、どこから持ってきたのかスタンガンを容赦なくぶっ放してくる。

 まるで中三の頃に経験した、受験と特訓の平行プログラムのような、俺の都合完全度外視の殺人メニューだったのだ。

 

 好きでもない相手と結婚させられそうな状況ゆえか、時折切なげな顔色を浮かべていた救芽井を見れば、まぁ多少は仕方ないとは思うよ? だからってね……スタンガンはねーだろ。

 矢村がしきりにマッサージしてくれたり、本来は関係ないはずの着鎧甲冑講座にまで付き合ってくれたりしなかったら、恐らく初日で心が折られていたに違いない。

 

 ――今はその二日目の日程が終わり、我が家への帰路についているところである。

 救芽井や矢村とは住む場所がやや離れているので、一人でいられる貴重な時間なのだ。

 

「ヒィ、ヒィヒィ……ま、全くもぅ……。拳立て二百回とか、ギャグの次元じゃねーかよぉ……」

 

 河川敷の土手道をズルズルと歩く俺の姿は、きっと干からびたゾンビのように見えることだろう。他の部活動生に、出来れば代わってもらいたいもんなんだけどなぁ……。

 救芽井曰く、「救済の超機龍」は俺の生体反応にしか呼応しない仕組みになっているのだとか。要するに、救芽井とかに代わりをやってもらうことは出来ない、ということだ。

 

「……ま、役得っちゃ、役得なのかもな」

 

 ――着鎧甲冑を纏い、アメリカで活躍するスーパーヒーロー。そんな彼女のことは遠い存在のように思う一方で、実はひそかに憧れていた。

 子供の頃に憧れたヒーローのような活躍を重ねる彼女は、多くの羨望や称賛を集めている。俺も、その中に一人なのだろう。

 

 そうでなければ、こんな不条理の極みなどに付き合うものか。ま、こっぱずかしいから本人の前じゃ断じて口には出さないけどね。

 

 ……だからといって、こんなフザけた喧嘩なんて御免こうむりたいんだけどな。ていうか、その前に特訓で死にそうだ……。

 

 ――せめて早く家に帰って、二次元エロという名のオアシスに浸りたい。明日もまた、想像を絶する煉獄が待っているというのなら。

 

「今日は久々に『ムラムラ☆パラダイス』全ルート網羅でも――ん?」

 

 そんな本日のエロゲーカリキュラムを勝手に打ち立てている最中、俺の目にとある人影が留まった。

 

 中学生なみに小さな体格に、川の水と見紛うような艶やかな髪。そして、その長髪を一束に纏められた、あのシルエットは……。

 

「……四郷?」

 

 気がつけば、俺はその名前を呼んでいた。

 河川敷に伸びている、水の流れを前に佇む、この眼鏡を掛けた少女の名前を。

 

「……あ……」

 

 一拍遅れて、向こうも反応を示して振り返ってきた。「普通とは違う何か」を思わせる赤い瞳は、どこか不安げな様子を伺わせている。一昨日とは違う、純白のワンピースを着ている今の姿とは、対照的な印象だ。

 だが、相変わらず表情らしい表情はない。後ろから俺に声を掛けられても、あんまり動じている感じでもなかった。

 

 一昨日会った時は着鎧した状態で喋ってたから、誰だかわからないかも……という心配もあったのだが、俺の声を聞いて納得したように頷く仕草を見る限り、俺のことには気づいたらしいな。

 

 それにしても、ちょっと暗い性格の娘なのかな……って最初は思ってたが、彼女から出ている冷たいオーラは、それどころのものじゃない、という雰囲気を放ってる感じだ。

 何というか、言葉を交わしたりする程度のコミュニケーションさえ、忌避しているような気がするくらいだし。

 

 だが、そんなことで怖じけづいてはいられない。生体反応に引っ掛からなかった、って話も気になるし、ちょっとその辺、聞いてみようかな……?

 

「よ、よう。あのさ――」

「……帰って」

 

 ――まだ何も言ってぬぇえーッ!

 

 取り付く島もなしですか! いやもう、話す資格すらなしですかッ!? 俺達ほとんど「知り合い」の段階ですらないはずだよねッ!?

 なんで用件言う前に「帰れ」なの!? そんなに俺がキモいの!? そうかキモいんだな!? じゃあキモいって言えよ! キモいって笑えよ! ちくしょおおーッ!

 

「……何で頭抱えて泣いてるの?」

「――思春期にはね! いろいろとあるんだよっ!」

「……いろいろとあるのは別にいいけど、ボクとしては早く帰ってほしいな」

「いいよもう! わかったよ! 産まれてきた俺が悪かったよ! お望み通りトンズラするよチキショー!」

 

 久々に女の子から冷徹な言葉を浴びせられたせいか、俺のガラス製ハートは痛恨の一撃に苛まれていた。

 こんな無表情な女の子に「帰れ」などと言われたら、大抵の思春期には深刻なダメージが残されるものなのだよ。少なくとも、俺には。

 

 救芽井からの「変態君」呼ばわりのおかげで、少しはそういうのにも耐性がついたのかと思ってたけど、別にそんなことはなかったぜ……。

 おそらく、久水に振られた経験がフラッシュバックしたせいでもあるのだろう。あれ……なんだか四郷の姿がぼやけて来たぞ……クスン。

 

 これ以上醜態を晒す前に、この場から脱出するしか俺の心を守る術はあるまい。俺は四郷に背を向けると、とぼとぼと退散――

 

「……んっ?」

 

 ――しようかな、というところで足が止まってしまった。

 彼女が佇んでいる、川の中心。そこから飛び出ている岩の上にある、白い帽子が見えたからだ。

 

 彼女が着てるワンピースと、全く同じ色使い。加えて、帽子のつばの付け根とワンピースの胸元には、蒼い花飾りがある。

 おそらく、あの帽子とワンピースとでセットなのだろう。彼女は……あれをずっと見ていた?

 

「帽子、あそこまで飛ばされちまったのか?」

「……帰るんじゃなかったの?」

「ふぐぁ! ――か、帰る前に質問に答えてくれ!」

「……飛ばされた。お姉ちゃんがくれた、ボクの宝物……」

 

 やっぱりな。つ、冷たく指摘されることを覚悟の上で聞いて正解だったぜ……。

 川の傍に立ってはいるが、「宝物」を取りに行けずにいるところを見るに――水が嫌なのかな?

 

 気になって表情を窺ってみると、案の定、険しそうに眉を潜めているのがわかった。「宝物」を取り返せないことに、歯痒い思いを感じてるってところか。

 川自体は緩やかな流れだし、浅いし……別に溺れるようなことはないと思うんだけどなぁ。

 ――濡れるのがそんなに嫌か?

 

「……あー、なるほどね。それで『帰れ』ってことか」

 

 水が苦手なばっかりに、自分の大切な「宝物」を取りに行けない。そんなカッコ悪いとこ、見られたくないもんなぁ。

 ましてや、俺とは知り合って間もないんだから。

 

 ――そこまでわかっちゃったら、することは一つだよな。

 

 俺は靴と靴下をその場で脱ぎ捨てて、ズボンの裾を膝の上まで捲り上げる。四郷はそんな俺を見て、何をしだすのかと目を見開いた。

 

「……なに、してるの?」

「用が終わったら帰るから、ちょっとそこで待ってろよ」

 

 これ以上冷たい目で見られたくないので、敢えて彼女からは視線を逸らす。そして、ボチャリと川に両足を沈めて、俺は前進を始めた。

 

 流れそのものは緩やか……とは言え、やはり水に足を取られると、かなり歩きにくい。時折ふらつきながら、俺は岩の上に引っ掛かっている帽子を目指す。

 

 ――これでうっかり転んだりしたら、帽子まで水浸しになるな……気をつけないと。

 

「よ、よーし、取れた! 取れたぞ四郷!」

 

 そうして約数分、水流との格闘を繰り広げた後、なんとか帽子を手にすることができた。

 俺は手にとった戦利品(?)を振り回し、目的のブツを手に入れたことをアピールする。

 

 当の四郷は、相変わらず無表情ではあったが、口が小さく開くくらいの反応は示していた。

 喜んでくれている――可能性が、微粒子レベルでも存在してくれてると助かるんだがな……。

 

 後は、そこから彼女の元へ持ち帰るだけだ。

 しかし……これがまた、なかなかしんどかったりする。一応、救芽井に死ぬほどしごかれた後だからな……。

 一歩、また一歩……と、焦らず慎重に進んでいく。四郷も、さすがにちょっと心配そうな顔で俺を見ていた。

 ――いや、心配なのは帽子であって、俺じゃないのはわかってるよ? わかってますとも……。

 

 そんなブルーな気持ちをひた隠し、俺はついに彼女の傍までたどり着いた。

 

「ほぅら! お待ちどーさま!」

「……あっ……」

 

 四郷は少し驚いたような顔で俺を見ると、嬉しそうな顔色――になる直前で、どこか悲しそうな顔をしながら帽子を受け取る。

 ――おいおい、なんでそんな表情なの!? 「宝物」だったんだろ、ソレ!

 

「どうしたんだ? 良かったじゃないか、『宝物』が無事返って――おわぁっ!?」

 

 だが、その辺を問い詰めようと足を進ませた瞬間、水の下にある小石に足を滑らせてしまった。

 ツルン、とアホみたいに半回転して、後頭部から水の中にバシャリとダイブ! ぼふぁ!

 

「ガボゴボゴボ……ぷはぁっ!?」

 

 こ、こんなカッコ悪い展開あるかー!

 ……と、なんとかびしょ濡れになりながらも身を起こした俺だが――

 

「ふぅっ、ふぅっ……あ、あれ? 四郷?」

 

 ――次の瞬間には、マヌケな顔で辺りを見渡していた。

 

 四郷が、いつの間にか姿を消していたのだから。

 

 あちこちに視線を移しても、彼女の姿は見当たらなかった。

 俺が水に沈んでいる間に、帰っちまったのか……?

 

「それにしちゃあ、速過ぎるよなぁ……俺がドボンしてたのって、ほんの数秒だろ……?」

 

 そんな短時間で、周囲を見渡しても全然見当たらないところまで走っていったのか? 酷い嫌われようだな、俺……。

 

「トホホ……ま、『宝物』は返したんだし、別にいいか」

 

 おおよそ、今日は一人で散歩にでも繰り出してたんだろうな。「お姉ちゃん」から貰った大事な帽子が返ってきたんだし、今頃は喜んで家に帰ってることだろう。

 

 めでたしめでたし、だ。

 ……俺は「帰れ」って言われた挙げ句、水浸しになってもお礼一つ言われなかったけどね。グズッ……。

 

「ハァ……仕方ない、俺も帰りますか……」

 

「君が、『一煉寺龍太』君かね」

 

「まぁ、そうですけど何か――って、え?」

 

 ん? なんか今、オッサンの声がしませんでした?

 何事か、と上を見上げてみると――

 

「……お初にお目にかかる。私は、伊葉和雅という者だ」

 

 ――六十代過ぎと思しき、白髪一色の男性が立っていた。

 当たり前だが、会った覚えのない顔だ。

 

 やたらガタイがよく、白い背広がよく似合う渋いオッサン、という印象。

 シワだらけの険しい顔つきからは、どこか深刻な状況を漂わせている。

 

 そんな彼は、ずぶ濡れで川の中にへたりこんでいる俺を見下ろし――

 

「一煉寺龍太君。君に……頼まなければならないことがある」

 

 ――突拍子もなく、そんなことを言い出したのだ。

 



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第59話 双生の大魔神

「ちょっと龍太君、聞いて! また面倒なことが――」

「あぁ聞いてるよ。コンペティション……だっけか?」

 

 快晴の朝八時に部室で集まるなり、突然プンスカしながら俺に突っ掛かってきた救芽井。彼女が出すつもりだったであろう話題を、俺は先回りして切り出した。

 そのことに彼女は一瞬驚きはしたが、すぐに気を取り直しておさらいに突入する。

 

「なんであなたがそれを知ってるの!? ――ま、まぁそういうことよ。先日、元総理大臣の伊葉和雅さんから直々に通達があったの。着鎧甲冑の日本での正式採用を賭けて、同じような研究をしてるっていう『四郷研究所(しごうけんきゅうじょ)』の製品との『技術競争(コンペティション)』に応じろ、ってね」

 

 昨日、川にドボンした俺の眼前に現れた、十年前の元総理大臣だという「伊葉和雅」さん。彼は俺に、さっき救芽井が話した「技術競争」とやらに参加して欲しい、という説明をしてきたのだ。

 なんでも、その競争に顔を出すには、最新型の「救済の超機龍」を使うことが条件なんだとか。それを使えるのが俺だけである以上、俺が行かなくちゃならないのは当然の流れなのかも知れない。

 だから俺にも説明したんだろう。一番最初には、救芽井を訪ねて話を持ち掛けたらしいが。

 

 「四郷研究所」というのは聞いたことのない名前だし、その場所も裏山の奥というヘンピなポイントなんだそうだ。どうでもいい話だが、近場には海すらある。

 伊葉さんから貰った地図によると――来週に行くことになる、久水家の別荘のさらに奥にあるらしい。

 そんな山奥に建てられた、無名のプロジェクトと技術競争なんかしなくちゃいけないことに、救芽井はとってもご立腹な様子。

 競争に行かないと支社の設立を認めない、というのが政府の要求らしいんだから、結局は受けて立つしかないわけなんだが。

 

「あぁもう! どうしてこうもうまくいかないのかしら! 部活は人数が足りないと言われるし、スポンサーを条件に結婚まで迫られるし、挙げ句の果てには得体の知れない研究所と技術競争しないと、シェア拡大を許可しないだなんてッ!」

 

 白いテーブルをバンバンと叩き、救芽井はこれみよがしなくらいに憤慨する。ここ最近、怒ってばっかだなコイツ……。

 しかし、いろいろと面倒事が連鎖しまくってるのは事実。こうなったら、一つずつ片付けていくしかないんだろうな。

 

 ちなみに、例の技術競争は本来、一週間後――つまり来週に行われる予定だったのだが、決闘の件があるので、数日だけズラして貰うことになっている。

 

「ま、まぁ落ち着けよ……。ところで、その四郷研究所って、どんなモン作ってるんだ?」

「……わからないの。昨夜、お父様やお祖父ちゃんに相談しても、自分で調べても、その研究所のことは何も出てこなかったわ……」

 

 調べても何も出なかった? 救芽井家の情報網でも?

 ……ま、そのうち実物に会うんだろうし、今考えることでもないかも知んないけど。

 

 ――しかし、変な話だ。

 世界的に有名になった救芽井エレクトロニクスと、何の名声もない四郷研究所とやらが、なんでいまさら技術競争なんてしなくちゃいけないんだ? 知名度を考えたら、素人目線で見ても、救芽井エレクトロニクスに任せた方が安心だと思うんだけど。

 

 それに、伊葉和雅って人。

 彼は十年も前の総理大臣だそうじゃないか。そんな昔の人がなんで、今回の話を持ち出してきたんだ?

 技術競争の際には、審判役として同伴するって聞いてるが……なんて元総理大臣がわざわざ出張って来てるんだろう?

 ま、そんなこと俺が考えたってしょうがないんだけどね。

 

 つーか正直、今の俺はそれどころじゃない状況のはずだろう。

 来週には救芽井を賭けて久水家の当主さんと闘い、そこから一週間も経たないうちに、未知のプロジェクトと対決することになるわけだ。

 ――こんなハードスケジュールを、一介の高校生に丸投げしようというのかね。大人達は。

 

「……そういや『四郷』って、こないだ来た久水の友達に名前が似てないか? 場所も近いし、もしかしたら何か関係あるかもよ?」

 

 俺はどうにか気分を一つ変えたくて、そんな話題を口にしていた。久水家の別荘と距離も近いんだし、なにか関連はあると見てもいいんじゃなかろうか?

 

「四郷……そうやな、確かに。ていうかあの娘のこと、反応がどーたらこーたらとか言いよらんかった?」

「あっ――そうよ! そうだったわ! いろいろ厄介事ばっかりだったから忘れてたけど……あの四郷って娘、全然こっちのコンピュータに反応しなかったのよ!」

 

 矢村の言葉に呼応するかのように、救芽井は声を上げる。驚いたり怒ったり、いつもホントにお疲れさん……。

 

「故障じゃねーの?」

「最近用意したばかりの最新型よ!? それに、特定の反応だけに異常を起こすなんて有り得ないわよ!」

「じゃ、じゃあ、あの娘なんなん……!? まさか、お化けとか言わんといてよ〜!?」

 

 矢村は青ざめた顔で俺を見上げると、震える腕を俺の腰に絡めてきた。ふるふるという小さな振動が、微かに伝わって来る。

 こうして見ると、まるで小動物みたいだよなぁ。あの男勝りな彼女は、どこへ行ったんだ……?

 

「……って、なにドサクサに紛れて人の婚約者を誘惑してるのよっ! 龍太君に抱き着いていいのは私だけなんだからねっ!」

 

 すると救芽井までもが、別に怖がってるわけでもないのに、空いてる俺の腕に絡み付いて来る。二人とも、微妙に顔が赤いんだけど……屋内で熱中症でも拗らせたのか?

 ――つーか、マズイッ! ダブルマウンテンがッ! 石鎚山がッ! 俺の、俺の腕にィィッ!?

 

「……あら? なにかしら、これ」

 

 ――彼女のフェロモンと腕に当たる柔らかさに対し、理性を賭けて闘っていた俺。

 そこに全神経を集中させていたせいか、その時、足元に「あるモノ」が落ちていたことに全く気づけずにいた。

 ソレを、救芽井が拾ってしまうまでは。

 

 彼女の手にあるのは、蒼い一枚の花びら。

 これは……間違いない。昨日の四郷が着ていたワンピースに付いていた、花飾りから取れたものだろう。

 

「あぁ、それね。昨日、四郷に偶然会ってさ。その時に偶然付いたんだと思う」

 

 別に隠すようなことでもないし、俺は正直に教えてやった。

 ――ただ、それだけだったのだが。

 

「……なんですって?」

「いや、だから四郷に会ったんだってば。飛ばされてたアイツの帽子を取ってやった時に、それに付いてた花飾りから取れたヤツが、たまたまくっ付いてたんじゃねーかな」

 

 そこまで丁寧に説明したところで、何が悪かったのか、訝しげにこっちを睨んで来る救芽井。ちょ、俺がなにをしたってんだ!?

 

「……ふーん。アタシらと別れて帰る途中で、こないだ会ったばっかの女の子に、そんなことしよったんやなぁ……。きっと、すんごぉく仲良くなったんやろなぁ〜……?」

 

 待て。待て待て待て。なんで反対にいる矢村まで、尋問官みたいな面構えになってんの!? 俺、ちょっと助けてあげたってだけだよね!? 悪いこと何もしてないよねッ!?

 二人とも、どす黒い目で俺を見上げながら、怪しく口元を吊り上げる。いや、だからなんでこんな空気に――

 

「……どうしてかしら? 今日はちょっと、いつもよりビシバシ鍛えてあげたい気分ねぇ」

「……奇遇やなぁ〜。アタシも今日は、いつもの三倍くらいはみっちり勉強させた方がいい気がするんや。もう特訓三日目やし、龍太もそろそろ慣れてきたやろうしなぁ〜……?」

 

 ――ま、待て。待てよお二人さん。

 

 俺は全然そんな気分じゃないですよ? 三日目だからって慣れてなんかないですよ? むしろ、伊葉さんの説明が長引いたせいでエロゲーすら出来ず、心身ともに参っちゃってるんですけど?

 つーか、慣れる方がおかしいから。この状況も、何かが果てしなくおかしいからァ!?

 

「じゃあ今日は……」

「いつもの――三倍で行くで?」

 

 二人はやがて満面の笑みを浮かべ、俺を挟むように両腕を抱きしめる。「表」情で言うなら、まさしく天使のような清々しさを放っている……と言えるのかも知れない。

 

 ――ただし、「目」は笑っていない。

 まるで、真実だけを残酷に映し出す鏡のように。

 

 ……ここ、重要ッ……!

 



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第60話 必要悪 〜アステマ〜

 ――どうやら、俺は三次元の異性からは好かれない性分らしい。二次元でも攻略率は微妙だけど。

 

 今朝の三十キロマラソンで数日分のエネルギーを使い果たした俺は、俯せに伏した格好のまま、午後の講義を受けていた。

 ……後ろから馬乗りになった矢村が、丹念にマッサージしていてくれなければ、おそらくその講義すら受けていられなかっただろう。

 ちょっと居眠りしただけでスタンガンなのに、寝そべった格好での勉強が許されているのは、救芽井の最後の良心――なんだと思いたい。

 

「はい、『R型』の救急装備は?」

「んぇえぇ〜とぉ……救急パックと酸素パック、それから……えぇーと……」

「――唇型酸素マスク、でしょ! ……全く、相変わらず男の子なのにだらし無いんだから! 私達二人が付き合って一緒に走ってあげてたのに、真っ先にへばったりしてどうするの!」

「いやあの、俺って一応普通の高校生だし、体力あるほうでもないし……」

 

 言い訳を並べても仕方ないのだが、これは正直どうしようもないと思う。基礎体力なんて、一朝一夕でつくもんじゃないだろうし……。ていうか、二人はただ自転車で俺を追い回してただけじゃないか……!

 

「しゃ、しゃーないやん。こんなことになるなんて、誰も思うとらんかったし」

「ダメなのよそれじゃ! このままじゃ、このままじゃ……!」

 

 矢村は俺の肩を揉みながら、擁護の言葉を投げかけてくれる。しかし救芽井は、現状を良しとしていないらしく、焦りの色を表情に滲ませていた。

 

 ――そんなに嫌ってことなのかな。例の、久水茂って人との結婚が。

 

 望まぬ結婚、というのがどんな苦しみなのかは、イマイチわからない。そもそも結婚できる人間でもない俺には、遠い世界のお話だと思ってたから。

 ……だけど、目の前であんな辛そうな顔を見せられたら、何かしなくちゃ、って気にはなる。

 それが何なのかもわからない俺だけど。それでも、出来そうなことは全部やってみなくちゃいけないんだろう。

 

 「人助け」が身上の、着鎧甲冑を任されたからには。

 

 ――薄々でもそんな気持ちがあったから、俺はここにいるのかも、な。

 

「……とは言ったものの、オツムも体力も、不安だらけだよなぁ……ん?」

 

 そんな理想と現実のギャップに辟易していた時、俺の視線がコンピュータの画面に留まった。

 

 ――黒い電子マップを映したディスプレイに、赤点が現れたからだ!

 

「救芽井、あれっ!」

「……ええ!」

 

 俺が声を上げるのとほぼ同時に、救芽井は強く頷いてコンピュータの前に立つ。

 状況を察した矢村が、どこか名残惜しげに俺から離れるのを見届けると、俺も身を起こしてコンピュータの傍に向かう。

 画面を覗いてみると、二本線に挟まれた位置で点滅している赤い点が、必死に自らの存在を訴えていた。……道路にしては、妙に線の幅が狭いぞ。

 まさか、これは……!

 

「商店街近くの踏切だわ! ここから近い……急いで、龍太君ッ!」

「……あいよっ!」

 

 ――どうやら、踏切に人が取り残されてる状況らしい。こいつはマズイ、一刻を争う!

 俺は窓の外へ身を乗り出すと同時に、真紅の「腕輪型着鎧装置」を口元に近づける。

 

「――着鎧甲冑ッ!」

 

 そして迅速に音声を入力し、赤い帯に全身を巻かれながら、屋外へと飛び出した。

 目の前が真っ赤に染まり、やがて機械的なカメラの視界が完成していく。そのメカニカルな世界を包んでいる、角付きマスクが頭にしっかり嵌まっているのを確認しながら、俺は学校の敷地から全力疾走で脱出した。

 

『反応の点滅が速くなってる……。アドレナリンの数値がより高まっているみたいよ!』

「つまりヤバいってことか!?」

『かなり、ね。パニックを起こして、正常な判断が出来なくなっていても不思議じゃないわ』

 

 救芽井は俺に通信で状況を伝えつつ、シビアなことを言ってくれる。ちょっとは気が楽になる話も欲しいんだけどな……。

 

「――ちっくしょう! ただでさえ三十キロ走で両足ガタガタだってのに! 今度からは最悪でもちゃんと十キロ以内に留めてくれよな!」

『これがうまくいったら、考えてあげる!』

「……上等ォッ!」

 

 俺は思うように動かない両脚にチョップを入れ、がむしゃらに町内を駆け抜ける。走りやすい道をとにかく進み、道がないなら屋根から屋根へと飛び移る。

 

 今までの常識全てをひっくり返すくらいのつもりで、俺は「素早く現場に到着する」ことだけを目指した。

 

 ……付き合いの長い人達が多い、この町の商店街。その少し手前に見える踏切にたどり着いたところで、確かに異常が窺えた。

 四十代くらいのおばちゃんが、踏切のど真ん中で立ち往生してやがる!

 

 しかも、俺が来た頃にはとっくに警報が鳴っていた。いつ電車が来てもおかしくないぞ!

 

「あっ――ぶ、ねぇえぇえぇッ!」

 

 俺は視界の隅に巨大な影が見えた瞬間、けたたましい叫びを上げて、踏切の中へと一心不乱に飛び込んでいた。

 

 ゴオオオッ! ……という何かが迫る音に総毛立ちながら、俺は焦げ茶色に錆びたレールの上に立つ。

 眼前には、俺以上に脚を震わせている、買い物かごを抱えたおばちゃん。どうやら、恐怖のあまり動けなくなってると見て、間違いなさそうだ。

 

「……う、お、おおおおおおッ!」

 

 ――俺は敢えて電車の方を見ずに、おばちゃんを迅速に担ぎ上げ、奥の踏切バーをハードル走のように飛び越える。

 

 次の瞬間、殺戮マシンになりかけた車両が、俺の背後を凄まじい勢いで通り抜けていくのがわかった。あの轟音が、俺の聴覚を支配しようとしていたから。

 

 もし電車の方を見ていたら、きっと俺も恐怖で脚が止まっていただろう。そして、二人ともミンチだった。

 自分の鼓動が、バクンバクンと大きく聞こえて来る。それを身体全体で感じることで、「生きている事実」を実感しているような気分になった。

 

「ぶっ……ふぅ〜……!」

 

 俺は電車が轟音と共に過ぎ去ったのを見届けた後、それまでずっと止めていた息を、思い切り吐き出した。そして、文字通り胸を撫で下ろす。

 それと同時に、今までの無理が振り返したのもあってか、酷く息が上がってしまった。三十キロ走の後にこの命懸け重労働は、さすがに堪えたらしい。

 

「ハァ、ハァ、ハァッ……! あ、あのっ、大丈夫、っすか……?」

 

 俺は両脚を引きずりながら、這うようにしておばちゃんに近づく。俺の背中から離れていたおばちゃんは、緊張から解放された反動ゆえか、やや放心状態のようだった。

 

『――アドレナリンの分泌量が、通常値に戻って来てる。生体反応も健在よ! やったわ龍太君っ!』

『やったあーっ! 龍太、すごいやん、龍太ぁっ!』

 

 ……いろいろギリギリだったが、なんとかミッションは成功らしい。通信機越しに、救芽井と矢村の歓声が聞こえて来る。

 ――やれやれ、もうこんなコンディションで仕事したくねぇなぁ……。

 

「……はっ! あ、ど、どーも、ありがとうございますっ! おかげさまで助かりました!」

 

 すると、ようやく正気を取り戻したのか、おばちゃんは深々と何度も俺に頭を下げてきた。……悪くないな、こういうの。

 

「いいですって、このくらい。それより、どうしてあんなところに? 踏切に閉じ込められてたみたいですけど……」

「そ、そうなんです! なんかいきなり白装束の変な人に絡まれて、ここまで投げ飛ばされたんです〜!」

 

 俺の両肩をガシッと掴んで思い切り揺さぶりながら、おばちゃんはヒステリックに妙なことを口走る。

 ……白装束の変な人?

 

「僕のことだね」

 

 ――ふと、後ろから聞き慣れない声が、背中に突き刺さってきた。背筋に伝わるゾクリとした感覚が、俺の第六感を刺激する。

 

「ひ、ひえぇえぇーっ!?」

 

 俺の後ろに立っている人物(?)の姿を俺越しに見たおばちゃん。彼女は、まるで連続殺人犯にでも出くわしたかのような悲鳴を上げて、スタコラと逃げ出してしまった。

 

「……誰だ!?」

 

 俺は敢えておばちゃんには目もくれず、後ろを振り返りながら身構える。俺のお得意、カウンター重視の護身術「少林寺拳法」の構えだ。

 

「そんなに身構えることはない。少なくとも、僕は敵じゃない」

「あんたは……!?」

 

 ――おばちゃんが話していた通り、確かに「変な人」だ。

 機動隊が着ているような出動服の上に、ふくらはぎまで届くほどのマントを纏っている。しかも、西洋騎士の兜みたいなマスクまで被っていた。

 何より怪しいのは、その全部が真っ白な塗装で統一されていることだろう。見るからに変態だな……。

 

 だが、さっきのおばちゃんの話を聞く限りでは、まともな奴じゃなさそうだぞ……!

 

「おばちゃんを踏切に放り込んだって奴……なのか? どうしてそんなこと!」

「君を試す必要があってね。大丈夫だよ、いざという時は僕が自分で助けるつもりだったからさ」

 

 白装束の野郎は、おびれることなくヒラヒラと手を振る。「そんなキレんなよ」とでもいいたげな口調だな。

 

 ……何が「大丈夫だよ」だ! こっちは危うく、それで試される前に死ぬところだったんだぞ!

 ――いや、それより、試すってどういうことなんだ!?

 

「あんた、一体何者なんだ!?」

「うーん……そうだねぇ。役割に基づいたあだ名を付けるなら、『必要悪(アステマ)』ってところかな?」

 

 なんだそりゃ。本名を名乗る気はゼロってか。まぁ、そんなナリで本名とか名乗られても、格好がつかないとは思うけど。

 ……それにしても、この喋り方、どっかで聞いた覚えがあるんだよなぁ。こんな声は初めて聞いたけど。

 

「『救済の超機龍』……。初めて見たけど、聞いた以上のポテンシャルだねぇ、『龍太君』。これなら、きっと『安心』だ」

「――!? あんた、なんでコレのことを!? しかも、俺の名前まで!」

「そのうち教えてあげるよ。『果報は寝て待て』って言うでしょ? それじゃ!」

 

 ――なぜか俺と「救済の超機龍」の名前を知っていた「必要悪」とやらは、普通の人間では考えられない跳躍力で、家屋の屋根に登ってしまった。

 

「ま、待てっ!」

「君はずいぶん疲れてるんだろう? 動きを見ればわかる。今日は早く帰って、ぐっすり寝た方がいい。またいずれ、会うだろうしね!」

 

 しばらく俺を見下ろしていた「必要悪」は、妙に親しげなことを言いながら、俺がやったように屋根から屋根へ飛び移りながら去っていく。

 

「待てって言ってんだ――あぐっ!?」

 

 奴が言っていた通り、バテバテになっていた俺はそれ以上追うこともできず、力尽きて膝をついてしまった。

 

「……願わくば、二度と会わないほうがいいんだけど、な……。そうだろ? 和雅さん」

 

 ――そんな「必要悪」の一言など、知るよしもなく。

 



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第61話 夏合宿と技術競争

「『必要悪』、ねぇ……」

「ああ。……俺と同じくらいの体格の男だった。何か知らないか?」

 

 部室に帰還した後、俺は救芽井にいきさつを説明した。

 無関係なおばちゃんを踏切に投げ込み、俺が助けに行くのを期待していたという、「必要悪」と名乗る白装束の男。

 奴が何者なのか、救芽井なら何が知っているんじゃ……?

 

「あいつ、俺の名前や『救済の超機龍』のことまで知ってるみたいだった。……そこまで理解してるってことは、救芽井エレクトロニクスの関係者なんじゃないか?」

 

 疑いたくはないが、「救済の超機龍」の存在は、まだ公には発表されていない。なのにあそこまで知っていたとなると、救芽井エレクトロニクス自体が一枚噛んでる可能性だってある。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ龍太君! 私達が性能テストのために、無関係な人を巻き込もうとしたって言いたいの!?」

 

 救芽井は酷く狼狽した表情で、俺の両腕をがっしり掴んで来る。不安げな視線をこちらに向け、顔色はやや青ざめていた。

 

「いやいや、そこまで言ってないから。ただ、救芽井エレクトロニクスのことをよく知ってる奴だってことは、有り得るんじゃないか?」

 

 まさかこんなに泣きそうな顔をされるとは思ってもみなかったので、俺は慌てて両手を振って、オブラートに包んだ言い方を選ぶ。

 

 救芽井はその反応に心底ホッとしたような表情を浮かべると、今度は手を顎に当てて、しかめっつらになった。

 

「うーん……おかしいわね。龍太君が『救済の超機龍』を所持していることを知ってるのは、救芽井エレクトロニクスの中じゃ、私の家族だけなのに……」

「でも、救芽井んとこの家族に、龍太くらいの体格の奴なんておらんかったよなぁ?」

「あ、あぁ、まぁそうだな……」

 

 矢村の言及に生返事で頷きながら、俺は目を逸らすように窓を見る。

 

 ――いたけどな。今のこの町にいるはずのない奴が、一人だけ。

 だが、喋り方は同じでも、声は全然違う人間のものだった。やっぱり違うのか……?

 

「……考えていても、今の私達にその答えが出せるとは思えないわ。こっちの方でも探りを入れてみるから、今は訓練に集中しましょう」

 

 救芽井は俺の表情を見て、何かを察したように俯くと、早々にこの話題を切り上げてしまった。不自然なくらいに。

 ――考えたくなくなった、ということだろう。俺の感じた可能性に、彼女も気づいたのだとしたら。

 

 ◇

 

 ……それから数日間、俺達は(本件の反省を活かして程々に)訓練を重ね、久水家との決闘に備えていった。

 

 非常時とあらば、何はさておき学校を飛び出し、傷病者に応急処置を施したり、または病院まで担いだり。

 そんなことが度々あったためか、「謎の赤いヒーロー」として、俺も町中に認知されるようになっていた。商店街のおばちゃん達が、俺の話をしているのを小耳に挟んだ時のこそばゆさといったら……。

 

 また、この町に、かの「救芽井エレクトロニクス」のお嬢様がいるということもあってか、ネット上では「同社の新製品」と噂されているらしい。売り物じゃなくてごめんね……。

 

 ◇

 

 ――とまぁ、そんな「充実している」と言うべきか「死ぬほどキツイ」と言うべきか悩ましい日々を送っていた俺も、ついに決闘当日を迎えてしまったわけで。

 緊張でもしてたのか、朝の五時に目を覚ましていたのだ。

 

「……あー、ダメだ。目が冴えてあんまり寝れなかった感じ……」

 

 気だるげにベッドから身を起こし、時計を見てため息をつく。

 集合予定は十時半。一時間前に家を出ても十分間に合うくらいなのに、こんな無駄に早起きしてどうするんだと。

 ……とは言え、目が醒めてしまった今となっては、二度寝する気にもならない。俺は嫌々ながらベッドから立ち上がると、思い切り背伸びした。

 

 その後、部屋を出て、近くにある階段を踏み外さないように手すりに掴まる。そして、二階の自室から一階の居間へと向かった。

 

 ――ちょっと前まで、家族四人で過ごした空間がそこにはあった。

 

 テーブルを全員で囲い、一緒にご飯を食べて、一緒に笑い合って。そんな当たり前の暮らしが、小学校の頃までは続いていたんだ。

 厳つい親父と、おっとりしていておっちょこちょいな母さん。そして、俺にベタベタに甘かった兄貴。

 世間一般の価値観に基づくならば、きっと「うっとうしい」くらい、「幸せな家庭」ってヤツだったんだろう。

 

 俺が中学に上がる頃には、親父と母さんは転勤で家を離れ、去年までは兄貴との二人暮らしが続いていたんだ。

 そして今年に入ってから、兄貴も就職して家を離れた。

 

「……へへ。一人暮らしってのも、いいもんだよな。四六時中フリーダムなんだから、さ」

 

 ――だから今、この家で暮らしてるのは、俺一人だ。

 

 聞けば、救芽井もアメリカにいる家族から離れて、一人でこの町に住み着いているらしい。俺に会うためだけに。

 ……見上げた根性だよな。俺なんぞに会いたいがために、「自分から」家族と離れることを選ぶなんて。

 それを認めちゃう救芽井家も大概な気はするが……。

 

 ――だが、それだけ俺がアテにされちまってるのも事実。まるっきり応えられなかったら、それはそれで男としてマズい節はあるだろう。

 だからせめて、この決闘騒ぎだけはなんとかしてやりたい、とは思う。

 ……そのための訓練で殺されかけはしたけど、ね。

 

「さて! いつまでもウジウジしてらんねぇ、メシだメシ! 腹が減ってはなんとやらだ!」

 

 ――そう、俺が気張らんことには、その救芽井が不幸になりかねないんだ。久水茂って人のことはよく知らないから、結果的にそうなのかまではわからないけど……。

 とにかく、今の時点でそう判断されてる以上、俺はなんとしてもその人に勝たなくちゃならない。

 

 そのためにも、まずは腹ごしらえだ。

 

 俺は冷蔵庫に向かい、タマゴ二個と玉ねぎ一個、そしてサラダ油を取り出す。……朝メシを自分で作らないといけない、ってのはなかなか辛いもんだな。

 それなのに一学期中、ずっと俺のために昼メシの弁当を作って来てくれてる矢村には、マジで頭が下がる思いだ。

 出来れば日頃の感謝を込めて、手料理でもプレゼントしたい――ところなんだが、あいにく俺は料理が得意じゃないんだなぁ。

 やたら「塩辛い」いりたまごと、「焦げ気味」の玉ねぎ炒めを寄越されて、喜ぶ女はまずいまい。少なくとも、唐揚げやロースカツまで作れる矢村に渡せるモンじゃない……。

 

 自分の不器用さに苦笑いを浮かべつつ、俺はタマゴを割ってボールに入れ、塩胡椒を混ぜ込んでいく。それに並行して、フライパンにサラダ油をひき、あらかじめ刻んでおいた玉ねぎをぶち込んだ。

 中火で玉ねぎをじっくりと炒め、タマゴをとき、色が変わるのを待つ。出来上がったら、さっさと皿に玉ねぎ炒めを移し、再び油を使ってタマゴを焼く。

 

 そんな(料理としては恐らく相当に)単純な作業を経て、ようやく俺の朝メシは日の目を見ることができる。今日は特に早起きだったから、わりかし落ち着いて作ることができた。

 普段は遅刻ギリギリまで引っ張るから、適当になりがちなんだよなぁ……。今日は大事な日なんだし、早起きできて良かったかもな。

 

「といっても、大して美味くもないんだけどね。トホホ……」

 

 ――と、下手くそな男料理の味に涙した瞬間。

 

 テーブルに置いていたケータイが、盛大に着うたを垂れ流して着信を訴えていた。ボインかつお尻の小さい変身ヒロインの定番テーマだ。

 

「もしもし?」

 

 通話ボタンを押し、着うたのメロディをぶった切る。しかし、そこから出てきた声は……。

 

『あ! りゅ、龍太!?』

「お、矢村か。どうしたんだ? こんな朝早くから」

 

 ……どうやら矢村からだったらしい。着うたのおかげで、「ボイン」なヒロインを妄想して気力を持ち直していたところだったのだが、なぜか矢村が出た途端に「ペッタンコ」が脳内を支配してしまっていた。恐るべき胸囲(脅威)だ……。

 

『あ、あんなぁ、龍太。今日、救芽井ん家に集まる予定やったろ?』

「ん? あぁ、そうだな。確か、駅前のマンションだったろ」

 

 矢村はやや上ずったような声で、今日の予定を確認してきた。

 

 ――そう、今日は救芽井の家で集合することになっている。

 近頃、学校側が俺達の無断活動に気付きはじめているから、というのがその理由だ。たぶん、「救済の超機龍」の噂が広まったせいだろう。

 そんな中で学校に集まったりなんかしたら、教師に絡まれて面倒なことになりかねない。

 ……ということで、今日は救芽井の家に集まってから、改めて裏山の久水家へ向かうことになってるわけだ。

 

「しかし救芽井のヤツ、駅前のマンションだとは話してたけど、具体的に何号室かまでは言ってないんだよなぁ……」

『けど、来ればわかる、って言いよったなぁ』

「まぁな。あいつのことだし、派手な目印でも立ててるのかもな。で、それがどうしたんだ?」

 

 そこで本題に入ろうとすると、矢村はさらにテンパったような口調になってしまった。

 

『あ! え、えーと……その……よかったらなんやけど、一回、アタシん家に来てくれん? 一緒に、行きたいんやけど……』

 

 家に来てほしい、と言い出した辺りから、彼女の話し声が次第に尻すぼみになっていくのがわかる。なんというか、自信がないって感じだ。

 ホント、男勝りだった頃からは考えられない有様だよなぁ。何がこの娘をこんなに変えちまったんだか。

 

「なんだ、そういうことか。りょーかいりょーかい、行きますよ」

『ほ、本当? アタシでええん?』

「いや、お前以外に誰と行くんだよ」

 

 今日行くのは俺と救芽井と矢村の三人なんだから、矢村と行くしかないだろうが。

 そんな真っ当な返事を出したつもりだったのだが、向こうは何が意外だったのか「はうっ!?」と可愛らしい悲鳴を上げていた。

 何を考えてるのかは知らんが……まぁいいか。可愛いから許す。

 

「じゃあ、お前ん家に寄ってから救芽井ん家に行くってことでいいんだな。じゃあまた」

『――うんっ! 待っとるけんな!』

 

 ……朝っぱらから元気なことだ。彼女はハツラツとした声を聞かせたと思ったら、鼻歌混じりに通話を切ってしまった。

 

 ――やれやれ。どいつもこいつも活動的過ぎて、こっちがいくら気張ってても霞んじまいそうだよ。

 嬉しいやら、悲しいやら。そんな気持ちが胸につっかえたせいなのか、今日の朝メシはどうも味を感じなかった。

 

 それから、およそ二時間半。時刻は朝九時。

 俺は黒いカーゴパンツに赤いTシャツというラフな格好で、数日分の着替え等を詰めたリュックをしょい込む。

 ……なにせ、久水家との決闘が済んだら、ぶっ続けで四郷研究所との技術競争にも行かなくちゃならないのだ。これはちょっとした、「夏合宿」なのである。

 

「日時も場所も近しいし、まぁ立て続けのスケジュールになるのも、しょうがないんだろうけどさ……。もうちょい夏休みってモンを満喫させろってんだよなァ」

 

 軽くそんなことをぶーたれながら、俺は家を出る。朝日の眩しい日差しが視界に突き刺さり、思わず目を覆う。

 

「さァて、まずは矢村ん家からだな……そろそろ出ようか」

 

 ――残念ながら、いつまでも愚痴ってはいられない。待たせてる娘も、いることだしな。

 

「つーわけで――行ってきます」

 

 俺は誰もいなくなった自宅を見上げ、誰にも届かないはずの挨拶を、何となく済ませておく。

 そして気がつけば、荷物を背負ってる割には妙に軽い足取りで、矢村ん家へと走り出していた。

 



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第62話 矢村さん家にお邪魔します【挿絵あり】

「貴様かァァッ! 貴様が娘を、娘をたぶらかしたのかァァァッ!」

 

 鬼がいた。

 

 ――いや、正しくは鬼のようなオッサンが。

 

「賀織の電話に聞き耳を立てとった甲斐があったというもの……。ここで会ったが百年目じゃァッ!」

「……いや、初対面ですけど」

 

 矢村の家にたどり着いた途端、待ち伏せていたかのように玄関から飛び出してきたこのオッサンに、気がつけば俺は胸倉を掴み上げられていた。

 こっちはリュックをしょってるのに、踵が浮き上がるくらいにまで体が持ち上げられている。すんごい腕力だ……。

 

 肉食獣のような鋭い眼光を、一心不乱にこちらに向けて突き刺して来る、四十代程の筋肉質な人。終業式の日に見かけた、矢村のお父さんで間違いないだろう。

 ――確か、武章(たけあき)さんだったかな。

 

 いかにも「厳つい」って感じの角刈り頭と、いわゆるケツアゴ。実におっかない出で立ちではないか……。

 だが、よく見ると彼の格好は上下青一色のパジャマ姿。しかも、目元にはちょっと濃いめの隈がある。

 さっきの口ぶりからして――まさか俺を捕まえるために、健康に支障をきたしてまで待機してたのか? それは申し訳ないなぁ……。

 

「いやあの、俺の存在があなたの健康を害してしまったのは申し訳ないんですが、こっちはちょいと娘さんに用がございまして……」

「賀織なら今ごろ、母さんと二人で朝メシの片付けをしてるところやァ! なにやらご機嫌そうだったがなァァァ!?」

 

 武章さんはさらに俺を締め上げようと、両腕に力を込めて来る。うげ、さすがに苦しくなってきたぞ……。

 外見だけで十分チビりそうなくらい恐ろしい彼だけど、あの矢村のお父さんなんだから、話せばきっと分かってくれる――そう思ってた時期が俺にもありました。

 

 ――人は見た目による。なぜなら、人の顔はその人自身の性格が反映されるから。

 そんな一説を聞いた時は「まさか」と笑い飛ばしていたが、今ならその意味が痛いほどわかる。

 

「賀織に近づく害虫が、まさかノコノコと自分からやって来よるとは……まるでホイホイされたゴキブリやなァ!」

「ちょ、武章さん落ち着いて――ぐえ!」

「貴様に名前で呼ばれる筋合いなんかあるかァ! 娘を連れ去り、どっかの山奥で淫らな真似でもしようってとこやったんやろうが……そんなたわけた野望もここまでやァァァッ!」

 

 ……物分かりのよくて優しいオッサンが、こんな般若みたいな顔してるわけがぬぇぇぇッ!

 夏合宿の件をどう解釈したら、そんなエロゲーみたいなシチュエーションに発展するんだよ! こんなえげつない誤解って、そうそうないぞ!?

 

「――ち、違いますって! 俺達はただ、合宿に……うぐっ!?」

「そんなざれ言を聞きに出張って来たんやない! 娘に近づく男はこうなるんやと、思い知らせるために来たんやけんなァ!?」

 

 俺の話を聞くつもりは毛頭ないらしく、武章さんは俺の体をガクガクと揺らして、さらなる怒りに眼を燃やしていた。

 ――いやいや、その娘さんは自分から男の集団に突っ込んでたんですけど!? 男より男らしかった時期もあるくらいなんですけど!

 ……この親にして、あの娘あり、か。確かに、ここまで逞し過ぎる親父さんって、今の一般家庭じゃなかなかいないもんなぁ。

 し、しかしこのままじゃあ合宿どころじゃなくなっちまうぞ……! 相手が矢村のお父さんである以上、迂闊な抵抗はできないし……。

 

「おいお前らァ! このゴキブリ野郎に、娘をだまくらかした罪ってもんを教えてやれェ!」

 

 その時、武章さんが放ったその一言で――

 

「へぇい! 親方ァァァ!」

「思い知らせてやりますよォォォッ!」

「賀織ちゃんに近づくたァ、大した度胸だなガキャァァ!」

 

 ぞろぞろと。そう、本当にぞろぞろと。

 武章さんによく似た、厳ついお兄さん達が、次々に近隣住宅の塀から飛び出してきた! ゲリラかこの人達!?

 

「貴様がここに来ると聞いて、弟子達を呼び寄せておいた。覚悟は出来ただろうな……?」

 

 これまでと違い、低く唸るような声で、武章さんは俺を睨みつけて来る。……心の中でも、これだけは言いたい。

 ――出来るわけねーだろ!?

 

 以前、矢村ん家は大工の家系だと聞いたことはあるが……普通の大工さんは「無実の男子高校生を集団で囲んで脅す」なんて恐ろしいマネはしないだろう。

 ――ヤクザの事務所と間違えたのか? そんな言い方は矢村に失礼だと、わかってはいるが。

 

 泥棒でも捕まえたかのような、怒りと喜びを内包した笑みを浮かべる、大工さん一同。俺の事情などお構いなしなのは、間違いなさそうだ……。

 

 別に何か悪いことをした覚えはないんだが、矢村ん家相手じゃ抵抗するにも引け目がある。――これは、いわゆる「年貢の納め時」ってヤツなのか?

 

「さァお前ら! こいつの罪深さを教えてやれェェェッ!」

 

 そんな俺の疑問に答えるかのように、武章さんがけたたましい怒号で指示を出す。どうやら、俺の予測は悪い意味で大当たりしそうだ……!

 

 胸倉を掴まれて身動きが取れない俺に、大工さん達はジリジリと歩み寄って来る。別に何かしたわけでもないが、「もはやこれまでか」と、俺は強くまぶたを閉じた。

 

 ――次の瞬間。

 

「うるッさいんよあんた達ィィッ! ご近所様に迷惑やろうがァァァッ!」

 

 現時点で一番うるさい叫び声が、辺り一帯に響き渡る。その轟音の震源地に、俺を含めた全員の視線が集中した。

 

 そこに立っていたのは……恰幅のいい、おばちゃんだった。玄関の前で、威風堂々と仁王立ちしている。

 見た感じ、歳は四十代半ば。頭は真っ黒なパーマで、ピンクのパジャマの上に黄色いエプロンを着ている。

 まさしく、「肝っ玉母ちゃん」って印象の人だ。さっきの叫び声も……まぁ、納得できなくもない。

 

「か、かか、母さん……!?」

 

 すると、武章さんに異変が起きる。俺を掴む両手がブルブルと震え、顔色は明らかに青ざめていた。

 奥歯がガタガタと音を鳴らし、トラウマの如く染み付いた恐怖心を引きずり出されたような表情になっている。

 

 彼に「母さん」と呼ばれたおばちゃんは、掴まれてたままの俺を見て、目を見開くと同時に――

 

「お父さん……まさかとは思うけど……その子に、乱暴なこととか、しとらんやろぅなァァァッ!?」

 

 ――武章さん以上の威圧を全身から噴き出し、彼を圧倒してしまった。

 

「ヒ、ヒヒィィ〜ッ!」

 

 とうとう恐怖に敗れたのか、武章さんは俺から手を離すと同時に、腰が砕けたかのように尻餅をついてしまう。周りの大工さん達も同様だった。

 

「お、おお奥さん! こ、これには訳が……ヒィィ!?」

 

 一人の大工さんが、なんとか弁明しようと口を開く……が、その前に自分に向けられた眼光に、全てを封じられてしまった。

 彼は両足をバイブレーションさせながら、情けない格好で後退していく。この光景を一目見れば、おばちゃんがこの大工達からいかに恐れられているかは明白だろう。

 

「げほっ、ごほっ……!」

 

 なんとか武章さんからの拷問(?)から解放された俺も、両膝をついて詰まった息を吐き出しているところだ。この場に、両の足で立っていられる男は、一人もいないということだろう。

 

「ちょっと坊や、大丈夫かい!?」

 

 するとおばちゃんは、急に心配そうな顔色に表情をチェンジさせて、俺に駆け寄ってきた。……正直さっきの怒号の後だと、恐ろしくて敵わないわけなんだが、今となっては逃げる余裕すらない。

 そして、あっという間に目の前まで来た彼女は、俺の腕を抱き寄せて――助け起こしてくれた。

 

 ……ぶっちゃけると、死ぬほど安心したわ。母親の包容力って、すごいね……。

 

「ごめん! ホンマにごめんなぁ! ウチのバカ共のせいで、迷惑掛けて……!」

「……あー、いえいえ。全然平気ですから」

 

 心底申し訳なさそうに頭を下げるおばちゃんに対し、俺は優しく嘘をついた。

 ――これ以上、ややこしい事態にはさせたくないんでね。正直殺されるかと思ったけど、またおばちゃんの威圧を目にするのも嫌だから。

 

「それより、賀織さんはいらっしゃいますか? 今日、待ち合わせってことになってたんですけど……」

「ああそうやった! 賀織やったら、今は身支度しとるところやから! もうすぐ来るけん、ちょっと待っとってな!」

 

 俺はさっさと話を進めてしまおうと、矢村のお母さんらしきこのおばちゃんに、例の件を持ち出した。彼女はおおよその事情は聞き及んでいたらしく、足早に家の中へと引き返して行った。

 

「ちょっと賀織ィー! もう龍太君、下まで来とるけん、早う降りて来ぃやー!」

「えぇ!? もう来とん!? どないしよ、何着て行ったらええんやろ、えぇとえぇと……!」

「なにモタモタしとん! 彼氏待たせたらあかんやろ! あーもぉなんでもええけん、早う行きやって!」

「か、彼氏って! まだそんなんやないのにっ! あ、ちょ、お母ちゃん待ってやぁぁぁ!」

 

 なにを話してるのかは知らないが、とにかく、やたらあわてふためいてるってことだけはよくわかった。確かに武章さん達に絡まれたせいで結構タイムロスしてるし、急いでくれると俺としてもありがたい。

 

 そんな、我ながらせっかちなことを思いはじめた時。ようやく玄関から矢村が飛び出して来た。そして……思わず、目を見張る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 旅行に使うような黒塗りのキャリーバッグを引き、オレンジ色のフリル付きワンピースを着こなすその姿は……なんというか、従来の矢村自身にケンカ売ってるような格好だ。つばの広い麦わら帽子を被っている所が、男勝りな元気っ子だった頃の「名残」のように感じられてしまうくらいに。

 

「あ、あぅ……」

「うん、よう似合っとる! これなら行けるで賀織っ!」

 

 恥ずかしそうに俯く矢村の背を、お母さんは豪快にバシバシと叩いている。聞いてるだけで背中が痛くなるような音なのに、恥じらいながらびくともしない矢村って一体……。

 

「えっと、その……お、おはよう、龍太」

「お? おぉ、おはよう」

 

 はにかみながら挨拶してくる矢村。その普段とは全く違う印象に、俺としては戸惑いが隠せない。なんともマヌケな声で返事をしてしまったではないか。

 

「な、なぁ。似合っとる……? コレ」

「まぁ似合ってるには似合ってるが……。山に行くんだし、もうちょい動きやすい服装でもよかったんじゃない?」

 

 矢村のことだから、きっとジャージみたいな運動向けの服で来るだろうと思ってただけに、ワンピースは意外だった。

 

「で、でも龍太、こういうのが好きなんやないん? ほら、あの四郷って子も着とったんやろ?」

「別にアイツが着てたからって、お前も同じのを着なくちゃいけないことにはならんだろ……」

 

 俺は割と真っ当なことを言ったつもりだったんだが、向こうは何がショックだったのか、酷くしょんぼりした顔になってしまった。その隣で、お母さんはどうしたものかと頭を悩ませている。

 

「ま、似合ってるからいいんだけどさ」

 

 ――状況がよく見えないが、なんかフォローした方がよさ気な空気を感じたので、俺は思ったままの美点を口にする。

 すると、俯いていた矢村は急に顔を上げ、パアッと明るい表情に早変わりしてしまう。何と言うわかりやすさ……。

 

「に、似合っとる、似合っとるんかぁ〜……えへへ……って、あれ? お父ちゃん?」

 

 ここぞとばかりにテレテレしている彼女だったが、俺の傍で震えている武章さんを見た途端、顔色が変わった。

 

「か、賀織! いやあの、お父ちゃんはな、例のこの男がお前に相応しいかどうかを見極め――」

「なんでお父ちゃんがここにおるん!? りゅ、龍太に……龍太になにしたんっ!?」

 

 なるべく穏便に済まそうとしてる武章さん。そんな彼の態度を見てあらかたの事情を察したのか、矢村は血相を変えて父親につかみ掛かる。

 

「な、なぁ矢村。俺は別に大したことないから、準備できてるなら早く行こうぜ? だいぶ時間食っちまってるみたいだし」

 

 俺は締まっていた首の辺りをさすりながら、とにかくこの場を脱することを提案した。このままほったらかすと、ロクなことにならない予感しかしないからだ。

 だが、当の矢村は全く耳を貸す気配がなく、締め上げられて皺くちゃになった俺のTシャツを見た瞬間、顔面蒼白になってしまった。

 

「そ、そんな……! ――お父ちゃん、なんでや! なんでこんな酷いことしたんやっ!」

「す、すまん賀織! だ、だがこれもお前のためで――」

「バカ、バカバカバカァ! お父ちゃんのバカァッ!」

 

 まるで夫を殺された妻のように泣きわめく矢村。いや、別に俺、怪我すらしてないはずなんですけど……。

 

「賀織。龍太君、別に怒っとらんみたいやし、ちゃんと謝って許してもらい。ここはアタシがなんとかしちゃるけん、早うお行きや」

 

 勝手に荒ぶってる矢村に、俺も武章さんも困り果てていたその時、お母さんが助け船を出してくれた。

 暖かい微笑みを向けられた矢村は、気まずそうに武章さんから手を離すと、俺の方に不安げな視線を向ける。

 

「りゅ、龍太……その、お父ちゃんのこと、ホントにごめん……ごめんなさい」

「いいっていいって。付き合い長いんだし、そりゃこういうことも一度や二度はあるさ。俺も、なんとか仲良くなれるように足掻いてみるから、お前ももう泣くんじゃないぞ」

 

 ――正直言うと、仲良くなれる自信はあんまりないんだけどね。第一印象が恐すぎるから……。

 ただ、それでもこれくらいのことは言ってやらなきゃ、不安にさせちまうだろうし。デリカシーのなさに定評がある俺でも、それくらいのことはわかるよ。

 

「龍太……」

 

 そんな俺の気遣いが、まぁほんのちょっとは嬉しかったのかな。矢村は感極まったような表情で、上目遣いで俺を見詰める。

 そして――何を血迷ったのか、キャリーバッグを捨てて俺の胸に飛び込んできた!?

 

「おおおおおおッ!?」

 

 その展開に、大工さん達が一斉にどよめく。ていうかあんたら、さっさと自宅に帰りなさいよ。あからさまに近所迷惑だろ……。

 

「お、おい……矢村?」

「龍太の――そういうとこ、ホント好きやで。……うん。大好き……」

「え!? あ、ど、どうも……」

 

 胸に顔が埋まってるから、表情はわからないが……そのあたりが凄く熱い。季節が季節だから、熱中症じゃなきゃいいんだが。

 つーか、こうも真っ向から褒められると、なんかめちゃくちゃ照れるな……。なんか武章さんが「お父ちゃんを見捨てないでくれ!」とかむせび泣いてるけど、正直照れ臭くて、それどころじゃないや。

 

 ――そんな告白みたいなことを、男の前で言うから武章さんが誤解するんじゃないか。危うく……俺もその気になっちゃいそうだったしな。

 そこんとこ、わかってんのかねぇ……この娘は。

 

「じゃ、じゃあ行くか! 救芽井も待ってるはずだし!」

「う、うん。お母ちゃん、行ってきます!」

「はいよ。楽しんでおいで!」

 

 心の中で、矢村の無防備さにため息をつきつつ、俺は出発を促す。彼女も頬を染めながらも了解の意を示し、お母さんも朗らかに見送ってくれていた。

 ……初登場の威風からは想像もつかないスマイルだ。

 

 俺と矢村は、そんなお母さんに手を振ると、やや早歩きで救芽井が住んでいるという駅前のマンションへ向かった。

 武章さん達に絡まれたせいで随分遅れを取った。急がなきゃな!

 

「ま、待てや! 一煉寺龍太とやらッ! まだ話は終わっとら……ヒヒィッ!?」

「――お父さん、それにバカ弟子共。ほなウチで話し合いましょか。じぃっくりとねぇ〜……?」

 

 ――なんか後ろの方で大工全員の悲鳴が聞こえた気がするけど……気のせいだよね?



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第63話 朝っぱらから肝試し

 矢村ん家の騒動からなんとか逃げ延び、俺達は駅前マンションの前に到着していた。緑色に塗られた、およそ十二階建ての集団住宅だ。

 

 集合時間の十分前とあって、俺も矢村も急ぎ足になっている。

 

「な、なぁ龍太、マンションの何号室かわからんのに、どうやって探したらええんやろか?」

「全部の部屋にピンポンして回るわけにはいかないしな……。そういやなんでアイツ、高二のクセしてケータイも持ってねぇんだよ……」

 

 救芽井はどういうわけか、十七歳にもなって、ケータイを持たせてくれていないらしい。本人曰く、知識等は持っていたのに、家族が許可してくれなかったのだとか。

 迷惑メールとか詐欺の類とかが心配で持たせなかったんだろうけど、過保護過ぎだろ甲侍郎さん……。おかげでこっちは連絡が取れなくて四苦八苦してんのに!

 

「たくもー! ケータイさえ持ってくれてりゃ、こっちから電話して一発なのに――ん?」

「そ、そうや! 着鎧したら通信できるんやない!?」

 

 俺がなにか手があるのでは、と感じた瞬間、矢村がその答えを言い当ててしまった。なるほど、確かに「救済の超機龍」に着鎧すれば、救芽井とも会話が繋がるかも知れない!

 ……あいつの部屋にノーパソがあればの話だけど。

 

 俺は矢村の言葉に強く頷くと、身を隠せる場所を探し、辺りを見渡す。この辺は駅前というだけあって、人通りが割と多い。

 マンション内に入っても、誰かが常に往来しているくらいなのだ。……そのほとんどが、なぜか作業着を着たマッチョマンなんだけど。

 

 とにかく、こんなところで迂闊に着鎧したりなんかしたら、一般人にアッサリ見つかっちまう……。もしそうなったら、合宿帰りに相当な質問責めに遭うこと請け合いじゃないか。

 

「あーくそっ! 変に正体バレたら、余計ややこしいことになるってのにっ!」

「一煉寺龍太様、及び矢村賀織様ですね?」

「そーだよ! それがどうし――え?」

 

 ――ふと、背中に降り懸かってきたダンディな声に、俺は思わず振り向いた。矢村がこんなジャック・バウアーみたいな声を出すはずがない。

 

「――なっ!?」

「き、きゃあ!? なな、なんやこの人っ!?」

 

 そして、俺の目の前に現れていたのは――矢村の隣に立つ、グラサンを掛けた作業着姿のオッサンだった。

 やたらゴツい体格をしており、武章さんといい勝負と思われる。この人も、周りと同じ作業着を着ていた。

 ……ホント、今日はオッサン日和だなァ。しかしこの人が着てる作業着、どっかで見たことあるような……?

 

「樋稟お嬢様様がお呼びです。どうぞこちらへ」

 

 ――そんな俺の疑惑を氷解させるように、オッサンは礼儀正しく俺達に一礼した。

 

「……あぁ! 部室を改築した人達じゃないか!?」

「ホ、ホントや! あん時の人らやんっ!?」

 

 俺達二人は顔を見合わせ、目を丸くする。このマンション内にいる全員が、あの時、部室を改装していた連中の作業着を着ていたのだ!

 

「な、なんであんた達がこんなところに……! もしかして、救芽井の護衛かなんか?」

「いえ、ここは現在、私達使用人の詰め所として使われておりまして」

 

 ――素直に驚いてる暇さえ与えず、オッサンはさらにとんでもない爆弾発言を射出してくる。

 

 ……詰め所ォ!?

 

「ちょ、待て待て待て! 詰め所――って、まさか全員がここに住んでるの!?」

「無論です。樋稟お嬢様も最上階にお住まいですよ」

「ひ、ひえぇえぇ!」

 

 なな、何を考えてんだ救芽井はッ! マンション丸ごと買い占めて使用人の居住地にしやがったのか!? なんつーおっかないマンションなんだよここは!

 

「ま、前の住民は!? 元々ここに住んでた人達はどうしたんだよ!?」

「その方々については、樋稟お嬢様が直々に説得に出向いておられました。『より多くの人々を救うべく、救芽井エレクトロニクスの理念に、是非力を貸してほしい』、と」

 

 へ、へぇ〜……。なんかかなり宗教臭い話を持ち込んでたみたいだけど、一応ちゃんと了解は得てたんだな。

 

「加えて、住民の方々によりご理解して頂くために、札束を用いた洗礼をなされておりました」

 

 ――と思ったらほとんど金の力かいィッ!?

 

「ここにお住まいだった方々には、こちらの方で新たに高級住宅街を提供させて頂いております。皆様、とても喜んでおられましたよ」

 

 な、なんつーマネを……!

 住民一人一人に札束でビンタしまくってる救芽井の姿が、頭に浮かんで離れねぇ!

 つーかやってることがもう成金そのものじゃねーか! きっとここにいた人達、引っ越す時には目が「¥」になってたんだろうな……。

 

 ダ、ダメだ……! まるで理解が追い付かない! 俺達みたいな庶民には、到底馴染めそうにない事態が巻き起こってやがる……!

 

「りゅ、龍太? なんかアタシもう、頭痛くなってきとるんやけど……」

「……奇遇だな。俺もだよ」

 

 俺達にはあまりにも場違い過ぎる金持ちの世界。その圧倒的スケールの世界観に辟易していると――

 

「従業員各位に告ぐッ! お客様二名、樋稟お嬢様のもとへご案内しろォッ!」

 

 目の前でこちらの様子を伺っていたオッサンが、いきなり鬼軍曹みたいな声を張り上げた。別に怒られてるわけでもないのに、俺も矢村も思わずビクリと肩を震わせてしまう。

 

「はッ!」

 

 すると、周りで清掃作業に取り組んでいた大勢の従業員(?)が、一斉に動きはじめた。まるで軍隊である。

 

「お客様ッ! エレベータはこちらにッ!」

「荷物をお預かりしますッ!」

 

 十メートルほど先にあるエレベータへの道を作るように、彼らはピシッと並んで二本の行列を作ってしまった。しかも、いつの間にか後ろに来ていた従業員達に、リュックとキャリーバッグを掠め取られてしまう。

 ……いやあの、別に案内してもらわなくてもエレベータなら肉眼で見えるし。荷物持てとか言った覚えないし……。

 

 だが、そんなことを今さら言い出せる空気でもない。俺も矢村も荷物を取り上げられてしまった身だが、到底何かを言えるような状況じゃなくなっているために、黙りこくっている。

 

「では、樋稟お嬢様のお部屋までご案内します」

「あ、あはは……どーも……」

 

 もはや、お礼を言うことぐらいしか出来そうにない。逆らったら殺されそうだし。

 ……たくもー、使用人と暮らすんだったら、普通はメイド呼ぶだろ常識的に考えて!

 何が悲しくて、朝っぱらからオッサンに囲まれた謎のハーレム地獄に叩きこまれなきゃならんのだ!

 

「みんなすごい体しとるなぁ……。アタシん家の弟子より凄い奴もおるで!」

「頼むから、今だけはそんな話しないで……」

 

 矢村ん家では大工に囲まれ、救芽井ん家では従業員に囲まれ。これで久水ん家までオッサンで溢れかえってたりしたら、発狂する自信があるぞ。俺は。

 

 そうして見るからに世の中に絶望したかのようなオーラを噴出しつつ、俺達はグラサンのオッサンに導かれ、エレベータに乗り込んだ。

 小綺麗な割に狭いその箱庭には、荷物を持った二人を加えて、計五人が納まっている。

 ……まるで、ギャングのアジトにでも連行されてるみたいだな。普通のマンションにいるはずなのに。

 

 そして待つこと十数秒。

 

 ようやく最上階にたどり着いたかと思えば、グラサンのオッサンがエレベータの外までズイッと進み出て、こちらに一礼してくる。

 

「お待たせいたしました。樋稟お嬢様のお部屋は、こちらになります」

 

 もはや見慣れてしまいそうなほどに、整い尽くされた動きを見せ付けられ、俺も矢村も無言で頬を引き攣らせるしかなかった。

 

 ――そのあと、ようやく救芽井の個室に案内されることに。

 彼に案内された、その救芽井の部屋というのは、最上階の中央辺りの号室だった。なんでも、左右両方からの外敵から彼女を守るためらしい。

 ……そもそもこの町にどういう外敵がいるんだよ。

 

 そんな俺の心のツッコミが空を切ると同時に、オッサンは玄関を解錠してドアを開けてしまう。使用人に合い鍵持たせてんのか……。

 

「この部屋っすか?」

「ええ。私達はここで待機しておりますので、樋稟お嬢様にご挨拶していただくようお願いします」

 

 どうやら、俺達の荷物は預けたままになるらしい。まぁ救芽井の部下なんだから任せても大丈夫だろうし、俺達はさっさとご本人に会わないとな。

 約束の時間まで、三分を切ってることだし。

 

「お、お邪魔しま〜す……」

「救芽井〜? アタシら来たで〜……?」

 

 今までが今までなので、俺達は若干ビビりながら玄関の中へと突入する。電気を付けていないためか、まだ朝ではあっても微妙に薄暗い。

 

 だが、その先の廊下は埃のカケラもないくらい、完璧に手入れされていた。恐らく、一階にいた従業員達がやってたように、ここも清掃されてるんだろうな。

 

「き、綺麗やな〜。やっぱ金持ちは違うわぁ〜」

「だな。しかし、救芽井のヤツどこにいるんだか……」

 

 俺達は靴を脱いで廊下に上がると、何度か彼女の名前を呼ぶ。しかし、返事はない。ただのしかば――なわけあるかっ!?

 

「なぁ龍太、あそこの部屋だけ電気ついとることない?」

「お、ホントだ。リビングかな?」

 

 ふと、矢村が指差した先には、半開きになったドアから差し込む一条の光。こんな明るい内から電気が付いてるなんて不自然だし、あそこに救芽井がいる可能性は割と高そうな気がする。

 

「よーし、返事がないってことは、俺達に気づいてないのかもな。ここはいっちょ、おどかしてやろうぜ!」

「――賛成っ!」

 

 ようやくここまでたどり着いたという安堵感からか、俺は自分でもわかるくらい、すっかり調子に乗っていた。いつしか胸中に、ちょっとした悪戯心が芽生えていたのだ。

 そして、矢村もそれに同調していたのをいいことに、俺達はいきなりドアを開けて、救芽井をビックリさせてやろうと企んだ。

 

 息を殺し、足音を立てず、ゆっくりとドアに近寄っていく。そこから漏れている光は徐々に視界を埋め尽くしていき、やがては目と鼻の先にまでたどり着いていた。

 

「よーし、いくか矢村……!」

「準備オッケーやで龍太っ……!」

 

 夏休みといえば、「肝試し」だからな。ちょっとくらいおどかしたって、バチは当たるまい。いざっ――!

 

 バァン!

 

「来たぜ救芽井ィッ!」

「アタシもおる! ……で……?」

 

 勢いよく扉を開き、部屋に突入した俺達。

 

 ――その時、第一に侵入した俺に続き、部屋に入り込んできた矢村の声が、途中から萎みはじめてしまった。

 

 彼女がそうなってしまった理由。それは至って、単純明快なものである。

 なにせ、俺のオツムでも瞬時に悟ることができるほどに、シンプルな答えなんだから。

 

 ファンシーなぬいぐるみがあちこちに飾られた、可愛らしいピンク色の部屋。クローゼットの傍に置かれている、二体のクマのぬいぐるみ。

 

 そして――その二つに身を寄せながら着替えを漁っていた、下着姿のボインなお嬢様。

 

「え、えっ……ふえぇぇえっ!?」

 

 上下共に、薄い肌色のブラジャーとパンティー。遠目に見れば、全裸と見紛う程の危うさを感じさせられる姿だ。

 しかもブラのサイズがやや小さいのか、大事な場所をガードしてる部分の端から、微妙に柔肌が盛り上がっている。

 普段の学校生活でも十分目立つ巨乳だというのに、あれでも抑えてる方だったというのだろうか。

 

 そんな彼女はわけがわからないと言わんばかりに、驚愕と羞恥に翻弄された表情を浮かべ、あられもない姿を俺達の前に晒している。

 

 ……こんな時に、言うべきことは一つ。

 

「すいませんっしたァァァァッ!」

 

「龍太君のバカァァァッ!」

 

 ――刹那。

 俺の視界が一瞬にして、救芽井の鉄拳によりブラックアウトしてしまった。

 

 そして遠退く意識の中で、俺はひっそりと誓いを立てる。

 

 ……もう、イタズラはやめよう。

 



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第64話 出発前からストレスマッハ

 ――意識が回復した時、俺は正座していた。

 

 ……何を言ってるのか自分でもよくわからないんだが、とにかくそういうことになっていたのだ。

 

 救芽井に殴られ、暗転していた視界が元の光を取り戻した時、俺は彼女の前で正座させられていた。その隣で、矢村も同じように正座している。

 ――その矢村によると、殴られた後に無理矢理体を起こされて、気絶したまま正座させられていたらしい。ベッドか床に寝かすモンだろ、そこは普通……。

 

「しんっじられないっ! ノックもせずにドアを開けるなんて! 私の身体をなんだと思ってるのっ!?」

 

 俺がノビてる間に着替えは済んでいたらしく、緑の半袖チュニックに黒のミニスカという格好で、救芽井は俺を見下ろしていた。覗かれた怒りと恥じらいで、顔はシモフリトマトの如き赤色に染まっている。

 

「いやぁ……ハハハ、ある種のサプライズ的な感じにやってたんだけどさ。まさかお着替えの真っ只中でいらしたとは――ふひぃっ!?」

「そんなサプライズお断りよっ!」

 

 正座している膝の傍に、ドスンとじだんだを踏む救芽井。そこから発せられた振動が衝撃波となり、俺の芯に響き渡る。

 そしてその反動で僅かに翻る、彼女のきめ細かい白肌とは対照的な黒き布。おっ……白かッ!?

 

 一方で、俺の隣で同じように正座している矢村は、面白くなさそうな視線を救芽井に向けていた。――救芽井の、胸に。

 

「む、むぅ〜……! あんなにおっきいのに、まだ小さく見せとる方やったんか……!? ブラがキツキツになっとったし……」

「こ、これ以上のサイズが店に置いてなかったのよっ! 仕方ないじゃない! ……この仕事が終わったら、もっと大きいの作らせなきゃ……」

 

 着替えを見られて余裕をなくしているせいなのか、男の俺が傍にいるというのに、救芽井は随分とハレンチな返答をしている。市販のブラに収まらない胸って一体……。

 

「わ、悪かったって、勘弁してくれ! 同じマネはもうしないから!」

 

 ……ひとまず、この場をどうにか収めないことには、話が進展しない。俺は両手をひらひらと振り、なんとか宥めようと試みることに。

 安易な思いつきでやるもんじゃないな、サプライズってのは。

 

「――ふ、ふん。まぁ、今回だけは特別に許してあげる」

「ホ、ホントか?」

「……どうせ、結婚したら……好きなだけ……」

「結婚? 好きなだけ?」

「な、なんでもないっ」

 

 ――最後に何を言っているのかは要領を得なかったが、とりあえず許してくれたみたいで一安心だ。

 

 救芽井は「準備するから外で待ってて」と言うと、俺達をそそくさと追い出し、でかい肩掛けバッグになにやらいろいろと詰め込み始めていた。……まるで修学旅行だな。

 

「許してくれたんはええけど……救芽井、なにをあんなに持っていく気なんやろか?」

「さぁなぁ……。あいつのことだから、なんかややこしい機械でも持ち込むつもりなんじゃないか?」

 

 着鎧甲冑を整備したり、それを使った行動をモニタリングしたりするパソコンや、人体の傷や疲労を、膨大な電力と引き換えに取り払う医療カプセル。

 そんなビックリドッキリメカの数々を抱えてるような救芽井家の娘が、普通の荷物で来るわけがない。ましてや、今回は救芽井エレクトロニクスの命運を握りかねない、重大なイベントなんだから。

 

「一煉寺様、矢村様。リムジンの準備が整いました」

 

 救芽井の部屋から出るなり、グラサンのオッサンが暑苦しく出迎えてくれる。

 

「……もうこれくらいじゃ驚かなくなっちまったな」

「アタシら、絶対マヒしとるで……」

 

 俺達は肥やしてしまった(?)目を互いに交わすと、一斉にため息をつく。リムジンってアレだろ? 席が長〜い高級車のことだろ? なんで山に行くためだけにそんなモン使うんだよ……。

 

 どうやら、救芽井エレクトロニクスに「現地の交通機関を使う」という発想はないらしい。なにをするにも、自前のものじゃないと信用できないんだろうか。

 

「お二方、車の方はこちらに――」

「あ、あぁいやいや、救芽井がまだ来てないからさ、ここで待つよ」

「――かしこまりました」

 

 オッサンはまるで機械のように引き下がると、俺達が来る前の位置に戻っていった。……こんな居心地の悪い護衛達が、四六時中ピッタリくっついてんのか? 救芽井も大変だなぁ。

 

 ――そして、そんな救芽井エレクトロニクスの体制に、今後も付き合って行かなくちゃならないわけだ。少なくとも、婚約者って立ち位置にされてる俺は。

 

「……やれやれ。金持ちってのも、楽じゃないんだな」

「失礼ね! 私がいつも楽ばっかりしてるっていうのっ!?」

 

 先行きが果てしなく不明という事実。それに頭を抱えようとしたその時、準備を終えたらしい救芽井が、肩掛けバッグを持って出てきた。

 さっきの俺の独り言を悪い意味に取ったのか、不機嫌そうに頬を膨らませている。

 

「い、いやいや、そういう意味で言ったんじゃねぇよ。ただ、お前ん家の事情について、全然知らなかったんだなーってさ」

「むぅっ……ホント?」

「ホントにホントだよ。――それで? 準備の方は出来たのか?」

 

 あんまり彼女とこの話題を引っ張り続けてると、横にいる矢村が露骨にイラついた顔をするので、俺は早急に話題をすり替えた。

 向こうはそれで特に怒ったような反応は見せず、ちょっと恥ずかしそうに「うん、まぁ……」とだけ返してきた。なんかマズいこと聞いたかな?

 

「なんか怪しいなぁ……変なもん持っていく気やないの?」

「そ、そ、そんなの入ってないもんっ!」

 

 その僅かな反応から、矢村が訝しむような視線を彼女に向ける。それに対し、救芽井は矢村から隠すかのようにバッグを抱きしめ、必死に反論していた。

 その頬が羞恥の色に染まっているのは明白であり、矢村の言うことが「当たり」である可能性を伺わせている。……なんだってんだ? 「お気に入りの枕じゃなきゃ眠れない」とか言い出す気じゃないだろうな。

 

「あーもう、何持っていこうが本人の勝手だろうが。その辺にしとけって」

 

 これ以上無駄に喧嘩しても、疲れるだけだ。俺は中立的(?)な立場を取り、なんとか仲裁を――

 

「むぅ……何を持っていくんが知らんけど! それで龍太に、エ、エッチなこととかしたりししよったら許さんけんな!」

「は、はぁっ!? そそ、そんなハレンチな物なんて持ってるわけないじゃないっ! 酷い言い掛かりよっ!」

 

 ――いや、俺の制止など、どこ吹く風、である。つか、お前ら一体、何を想像して喧嘩してるんだ?

 

 ……結局、二人の口論はそのまま止まることなくエスカレートしていき、いつしか「どちらの方が俺のことをより理解してるのか」という話題に逸れていた。

 

「知っとる? 龍太はあんたと離れとる間に、背が十四センチも伸びたんや! あんたが思っとるより、ずうっと大人になっとんやで!」

「なによ、それくらい見ればわかるわよ! ……氏名、一煉寺龍太。生年月日、二〇十二年五月二十日。血液型はA型。家族構成は両親と兄一人の四人家族。身長百七十三センチ、体重六十八キロ。好物はフライドポテトとチキンナゲット。嫌いな物は英語と数学。……どう? 調べればもっと出てくるわよ!」

「――お前ら何の話してんだよッ!?」

 

 オッサンの案内により、エレベータで下に降りる最中でも、その論争はこうして熾烈を極めていた。

 仲裁を諦め、放っておこうとも一時は考えたものの、野放しにしていたら俺のプライバシーが破滅を迎えそうになるので、迅速に止めることにしたのだ。

 

 ――つーか救芽井ィッ! お前それどっから調べて来たァ! ソースはどこなんだァッ!

 

 ……そんな俺の胸中は、顔にまざまざと表出していたらしく、救芽井は俺の表情を見て、悪戯っぽく笑って見せた。

 

「婚約者のことは何でも知ってなきゃ、ねっ?」

「……頼むから、そういうことは俺に直接聞いてくれ」

 

 恐ろしい外見のオッサンに囲まれたり、プライバシーを暴かれたり……。救芽井が絡むと、俺の平穏(?)なる日常がバイオレンスアドベンチャーと化すんだよなぁ……。

 

 ――ま、こういう経験も案外アリだったりするのかも知れないし、ここは前向きに行った方がいいのかもな。

 

 と、いう具合に俺が気を持ち直した頃、俺達三人はマンションを出て、ようやく駐車場に到着していた。広々とした黒いアスファルトの中心に、黒塗りの長い四輪車が待ち受けている。

 

「こちらになります!」

「荷物をお預かりします!」

 

 相変わらずたじろぐ暇もなく、従業員達がササッと俺達の荷物を掻っ攫ってしまう。数秒後には、三人分の荷物がリムジンのトランクに詰め込まれていた。

 

 その作業の流れを、まるで当然のことのように眺めている救芽井。お前、マジでこの二年間でなにがあった……。それともコレが素なのか?

 

「それでは皆様、こちらの御席になります」

 

 グラサンのオッサンが運転席につくと、他の従業員さんがドアを開けてくれる。運転席と助手席の、すぐ後ろの列の席だな。

 

「あ、ど、どーも……」

 

 イマイチこのノリについていけず、俺はたどたどしい動きでリムジンの中に乗り込んだ。

 座席に敷かれた綺麗なマットが、腰を乗せた途端にふわりと揺れ、ゆったりとした乗り心地を感じさせられる。

 

「おおっ!」

 

 リムジンなんて初めて乗るから、この快適さが高級車ゆえなのか救芽井家用ゆえなのかはわからない。ただ、かつてないほどのリッチな世界に、直で触れていることだけは確かだった。

 

「す、すごいなぁ龍太!」

 

 反対側から乗り込んでいた矢村も、同様の気持ちらしい。普段以上に子供っぽくはしゃぐその姿に、いつもなら意識しないような愛らしさを思い知らされてしまう。

 

「あ、あぁ、そうだな……」

「ちょっと龍太君! なぁにテレテレしてるのよっ! 早くシートベルト締めなさいっ!」

 

 そんな俺の何がそんなに気に入らないのか、助手席に座っていた救芽井がジト目で叱り付けて来る。うひ、こえーこえー。

 

「ふっふーん。どや? これがキャリアの差ってもんなんやで?」

「キャ、キャリアなんて過去の産物に過ぎないわ! 大切なのは、これからの思い出――」

 

 そこで、何かを思い出したかのように、二人の表情が急激に凍り付いた。

 掘り返してはならない。思い出してはならない。そんな忌むべき記憶を、ふと蘇らせてしまったかのように。

 

「……そうやなぁ。キャリアなんてモンにこだわったらいけんよなぁ……!」

「そうそう……。未来を見据えることこそ、何より大事なことなのよ……!」

 

 すると何が起きたのか、あれだけ対立していた二人が、急に意見を合わせはじめた。その眼に、どす黒い炎を宿して。

 

「お、おい? どうした二人とも――」

 

「久水……!」

「梢ぇえぇ……!」

 

「ひぃぃい!?」

 

 一体どうしたのかと俺が訪ねるより先に、二人は窓から裏山の方角を般若のような形相で睨みつけた。今にも五寸釘を打ち出しそうだ……。

 そんな彼女達にビビる俺を尻目に、救芽井と矢村は、口々に久水へ恨み節を吐きつづけていた。その殺意の波動張りのオーラに震えるオッサンが、リムジンを発車する瞬間まで。

 

 俺達を乗せたリムジンの出発時には、ほぼ全ての従業員がズラリと並んで見送りに来ていたのに、当の車内は手を振って挨拶するどころの状況ではなくなっていたのだった。

 

 ――そう。前向きに行こうとした瞬間、出発直前で心を折られた俺は、窓に張り付いて怯えるしかなかったんだ……。

 



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第65話 ツルッツルの兄、ボインボインの妹

 松霧町の裏山は、実は隣町まで行っても、うっすらと見えてしまうくらい高い。おまけに道路を通っていても、通行の邪魔になるかならないかのギリギリまで森林が生い茂っている。

 山そのものが高いために道程自体が長い上、大自然に溢れすぎてウザいくらいの緑に視界を阻まれながら進むことになるのだ。

 ……当然、時間も掛かる。

 

 結局、鬱陶しいくらい水と空気がおいしそうな道を抜けるまで、実に三時間を要したのだった。

 時刻は午後二時。本来なら昼食を終えてもいい時間帯だろう。

 

「ちょ、ちょっとぉ〜……いつまで掛かるの……?」

「申し訳ありません、樋稟お嬢様。まさかこれほど自然環境に進行を阻害されてしまうとは、予定外でした」

 

 この山の厄介さのおかげで昼飯を食いっぱぐれてしまった俺達三人は、腹を空かせてため息をついていた。救芽井の追及にも、オッサンはしれっと謝るだけだ。

 

「アタシ……お弁当持ってきたらよかった……」

「激しく同意……。俺も途中でコンビニ寄って来るんだったわ」

 

 元々の予定だと、久水家に招かれてから昼食を取ることになっていたらしい。それがこんなことになった今、向こうに着いてもメシがあるかどうか……。

 

 ――ん?

 

「オッサン! あそこ!?」

 

 俺は森に包まれた道を越えた先に伺える、白い屋敷を見つけた。それに向かって指差すと、オッサンは無言のままコクリと頷く。

 ――まるで中世ヨーロッパを思わせるような、丸みを帯びた形状の家。真ん丸な屋根をこさえたその建物は、当然ながらこの山に似つかわしいものではなかった。

 その周囲は開けた草原となっており、静かな雰囲気を醸し出している。

 

「あれが久水家の別荘……随分と山奥に建てたものね」

「おいおい、まさかこんな水と空気のおいしい大自然で決闘しようってのか?」

「そんなことよりお〜ひ〜る〜!」

 

 ここに来た本分をガン無視して昼飯の催促をする矢村。そんな彼女を一瞥した俺の脳裏に、腹ぺこによるモチベーション低下の可能性が過ぎってきた。

 ――このまま昼飯抜きで決闘、なんてことになったら面倒だろうな……。

 

 草原に入ると、アスファルトの道路は途切れており、砂利道だけの通路になっていた。俺達を乗せたリムジンは、そこに突入してすぐのところで停止する。

 

「ありがとう。ここから先は自分で行くわ。少しは歩いて、体をほぐしておかないとね」

「かしこまりました」

 

 救芽井はチラリと俺を見ると、車を降りてトランクへ荷物を取りに行った。……決闘する俺のコンディションを、気にしてのことだったんだろうか?

 

 まぁ、仮にそうだったとしても、本人にそれを直接確かめるのは野暮だろう。俺だってそれくらいはわかる。

 俺は矢村と顔を見合わせると、彼女に続いてリムジンを降り、「ありがとうございました」とオッサンに一礼する。向こうも軽く会釈してくれた。

 

 そしてトランクから各々の荷物を回収すると、オッサンの操るリムジンは来た道を引き返して行った。また枝と葉っぱに邪魔されてるな……。

 

「さて、それじゃ行くわよ!」

 

 そんなちょっぴり不憫(?)なオッサンを見送った後、救芽井は声を張り上げて、ズンズンと砂利道を歩きはじめた。俺と矢村も、荷物を抱えて彼女に続いていく。

 

 やがて久水家の前にたどり着いた俺達は、見れば見るほど、田舎の裏山には場違いな屋敷を見上げる。

 山の中にこんなリッチな屋敷を建てるあたり、向こうも普通の価値観とは違う思考をお持ちのようだ。決闘しようがしまいが、一筋縄じゃいかない相手だってのは軽く予想がついちまうな……。

 

 今後の展開には、明るい未来は予想できそうにない。敵意モロ出しの表情で屋敷を見上げ二人に挟まれたまま、俺はひときわ大きなため息を――

 

「樋稟ぃぃんッ!」

 

 ――つくってところで、ド派手な音と共に奴(?)が現れた。

 

「……!? だだ、誰やッ!?」

「はぁ……とうとう出たわね」

 

 激しく玄関のドアを開き、勢いよくこちらに飛び出してきた男。黒いタキシードに身を包んだ、二十歳前後の容貌の青年だ。身長は――百八十くらいはある。

 

 歳は十九歳と聞いてたし……恐らくこの人が「久水茂」という当主さんで間違いないんだろう。

 

 ……だが、容姿についての前情報くらいは欲しかった。

 

 だって――彼、ツルッツルなんだもの。スキンヘッドなんだもの。

 

 眩しい太陽光という自然の恵みを受けて、神の輝きを放ってるんだもの……。

 

「心配したぞ樋稟っ! 昼の十二時を過ぎても一向に来ないのだから! てっきり熊にでも襲われたのかと……!」

「――茂さん、ごめんなさいね。思ったより時間が掛かっちゃったみたいで」

「そんなことは一向に構わん! ワガハイは君が無事であれば、それだけで十分だ!」

 

 しかも「ワガハイ」って……。妹の方も「ワタクシ」とか言っちゃってるし、ホント口調と容姿がそぐわない兄妹だな。

 両方とも顔立ちやスタイルは美形なのに、ところどころがあまりにも残念だし。

 救芽井は見飽きたように呆れた顔だし、矢村に至っては笑いを堪えるのが必死でプルプルと震えている。

 

 ……まぁ、スキンヘッドがタイプという女性もいるだろうけど、ちょっと人を選ぶと思うんだなー、俺も……。

 

「さてと……それじゃ早速で悪いんだけど、お昼の用意をしてもらえないかしら? 私達、まだ何も食べてなくって」

「ああもちろんだとも! 是非上がってくれたまえ!」

 

 ……おや。決闘を申し込むなんて言って来るぐらいだから、どんなおっかない奴なのかと思えば、意外にいい人じゃないか。

 救芽井はもとより、決闘には関わらないはずの矢村までお客として丁寧に屋敷に上げている。

 

「どうした? そんなに震えて。心配ならいらんぞ。ここは設備も充実している。何より、安全だ」

 

 憐れむように、優しく矢村に接している茂さん。……あの震えの意図だけは、教えないほうがいいだろう。

 

 じゃ、俺も早速お邪魔しま――

 

「なんだ貴様は」

 

 ――あ、俺はダメですかそうですか。

 

 明らかに他の二人とは違う扱いだ。槍で突き刺すような冷たい視線を俺に向け、ここは通さないとばかりに立ち塞がっている。

 

「いや、一応俺も客人らしいんですよ」

「客人だと? 男など呼んだ覚えは――ま、まさか貴様がッ!?」

 

 訝しむように俺を睨んでいた茂さんは、何かに気づいたように目を見開くと、いきなり臨戦体勢に突入した。……あちゃー、やっぱこうなる展開でしたかー。

 

「樋稟が自ら設計したという『救済の超機龍』……。それを使うべきワガハイを差し置いて、まさかこんな田舎者がッ……!?」

 

 右腕に巻かれた白い「腕輪型着鎧装置」を構え、茂さんは信じられない、という顔で俺を睨みつけている。おいおい、頼むからこんなところで着鎧しないでくれよー。

 

 ――ん? ちょっと待てよ。

 

 確か、「救済の超機龍」のことは救芽井家しか知らないんじゃなかったっけか?

 

 この人、どこでそれを……?

 

 俺がそのことで引っ掛かりを感じていた時、玄関の奥から話し声が聞こえてきた。なんか――言い争ってる?

 

「とうとうここに来たざますね! 逃げずに来たことは褒めてあげるざます!」

「ふん! 茂さんなんて、龍太君にこてんぱんにされちゃうに決まってるんだから!」

「あれ? 龍太、まだ来とらんのん?」

「フォーッフォッフォッフォッ! いいざましょ! ならその龍太とかいう、あなたの婚約者とやらの、お顔を拝見させて頂きますわ! さぞかしみずぼらしい男なんでしょーねぇ! ついてらっしゃい、鮎子っ!」

 

 ……うわ、やっぱ妹さんもいらっしゃる? なんかこっちに来る気配だし……。

 

「てゆーか、四郷までここにいるのか? 一体どうして……」

「ふん、彼女は妹の親友だ! 手出しはさせんぞ、薄汚い田舎者め! どうやって樋稟をたぶらかしたのかは知らないが、ワガハイがここにいる以上、貴様の好きにはさせんっ!」

 

 茂さんは着鎧こそしないものの、へんてこなファイティングポーズを見せ付けながら、こちらを睨みつづけている。なんかもう、すっかり俺が悪役みたいなことになってるな……。

 つーか、棒立ちの一般人に腕輪付けて身構えるのはやめようぜ。見てて泣けてくるから。

 

「ハァ……」

「き、貴様ァ! ため息をついたな!? 今、ワガハイを愚弄しただろう!?」

「……なわけないでしょ。お願いですから、決闘前くらい穏便に行きましょうよ」

 

 俺は両手をひらひらさせて、降参の意を示す。が、向こうはこっちが挑発してるものと思い込んでるらしく、さらに憎々しげな表情を浮かべた。

 ――髪の毛と一緒に、カルシウムでも持ってかれたのか? この人は。

 

 そんな聞く耳を持ちそうにない茂さんを見て、さてどうしたものか……と、俺が本格的に頭を抱えだした時。

 

「……いらっしゃい。この間は、ありがとう……」

「フォッフォッフォー! 来てあげたざますよ、下郎! このワタクシのご尊顔を直に拝める光栄、身に染みたざますか!?」

 

 ――来た。来やがった。仰々しい変な笑い声とともに、あの傍若無人唯我独尊、久水梢様が。救芽井を凌ぎかねない程の、ダブル・ダイナマイト・マウンテンの躍動と共に。

 なぜか四郷も一緒にいるけど……まぁ、それはひとまず置いておこう。つか、二人とも赤い薄地のドレスを着ていて、目のやり場に困るんですけど……。

 

「あらあらぁ、これは外見からして、予想以上の愚図男ざますねぇ。救芽井さんは、どうも殿方を見る目が皆無なようざますね!」

「……この人、ちょっとぐずだけど、わるいひとじゃないよ」

 

 久水はともかく、四郷にまで愚図呼ばわりとは……。なんだ? 俺は女に虐げられる星の元にでも生まれて来たのか?

 

「こんな中途半端な体格の男との決闘なんて、不戦勝も同然ざますね。……ん?」

 

 会って早々の罵詈雑言に堪えかね、目を逸らしていた俺に対し、久水は何かに気づいたかのように眉を潜める。

 

 そして、その表情は徐々に――

 

「その顔で、『龍太』……。……な、な、な……! ま、まさかあなたッ……!」

 

 ――衝撃の事実に直面したかのように、驚愕の色へと染まっていく。

 

 あーあ、どうやら向こうも思い出してしまったらしい。

 

 俺の、人生最大の黒歴史を。

 

「どうした梢!? さ、さては貴様、妹にまで毒牙をッ……!?」

 

 妹の異変を前に、勝手に勘違いして暴走しかけてる茂さんを完全放置し、俺は久水の方へ向き直る。

 

 そして――

 

「よう。久しぶり、『こずちゃん』」

 

 ――開き直った俺は、あの日のように、屈託なく笑う。

 そのクソキモい笑顔を見せられた彼女は、なんの見間違いなのか、感極まったかのように頬を紅潮させていた。

 



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第66話 叶わぬ恋は、真夏に溶けて

 ――小学校三年の夏休み。

 

 兄貴と一緒に、河川敷でキャッチボールに興じていた時のことだ。

 

「おーい龍太ぁ、行くぞー!」

「う、うんっ! ……あ、あれっ!?」

 

 当時中学二年だった兄貴の投げるボールは、キャッチボールをする感覚でも野球部のピッチングに匹敵していた。当然、一般ピープル程度の身体能力すら持たない小三の俺に、そんなもん取れるはずがない。

 しょっちゅうグローブを弾かれ、まるで昭和の特訓のような状態になっていたのだ。兄弟同士のキャッチボールで。

 

 ――今思えば、戦闘ロボットを素手で殴り壊せる兄貴とのキャッチボールなんて、自殺行為も甚だしい。我ながら、よく生きていたものだ。

 

「ふえぇ〜、またとれなかったよぉ……」

「仕方ないさ。練習したら、きっと出来るようになるよ」

 

 だが、当時の俺は他所のキャッチボールというものを見たことがなかったので、それが「やむを得ない」ことなんだとはわからなかった。

 ゆえに「キャッチボールとはこういうもの」、「俺はキャッチボールすらできない運動オンチ」という、間違いなのかそうでないのか、微妙な認識を植え付けられていたのだ。

 

 ……まぁ、そんなことはどうでもいい。このことから何か言うことがあるとするなら、それくらい当時の俺が「バカ」だったということくらいだ。

 

「うーん……ぼく、キャッチボールにむいてないのかなぁ」

「ま、向き不向きはあるよな。親父だって、道院長にもなって『固め技は得意じゃない』とかホザいてたし……」

「どーいんちょー? なにそれおいしいの?」

「あ、ああいやっ! お前が気にするようなことじゃないよっ!」

 

 この時はまだ、親父や母さんと四人一緒に暮らしていた。なのに父親や兄のことをよく知っていなかった俺は、多分かなりの親不孝者なんだろう。

 隣町に親父と兄貴の道院があったなら、両親がいる間に知る機会なんていくらでもあったはずだ。なのに、俺は何も知らなかった。

 それは親父達が隠していたからなのか、俺が無関心なだけだったのか。今さらと言えば今さら過ぎるせいで、今となっては、それを聞く気にもなれない。

 

 今になってその時を振り返れば、そんなことを考えさせられてしまう……という時期に、彼女は俺の前に現れた。

 

「あなた! わたくちのちもべになりなたい!」

 

 飛んで行ったボールを拾おうと、茂みに入り込んだ瞬間。

 

 そこで待ち構えていたかのように、小さな女の子が飛び出してきたのだ。いきなりのしもべ扱いと共に。

 

「わあ!」

 

 驚いて尻餅をつく俺を見下ろし、この頃から茶色のロングヘアだった彼女――久水梢は、ドヤ顔でこちらに迫って来る。

 

「ふっふん、びっくりちた?」

「……びっくりした」

「――やったぁ! びっくりちた、びっくりちた!」

 

 呆気に取られていた俺の反応を見て、キャッキャとはしゃぐ彼女。まるで、幼稚園児のようだった。

 一応、俺とは同い年であるはずなんだが、当時の久水は実年齢より、かなり子供っぽかったのを覚えている。背丈も、女の子ってことを差し引いても、割と小さい方だった。

 

「えっと、きみ、だれ?」

「わたくち? わたくちはこずえ! こずえさまってよびなたい!」

「こずえさま? ……おぼえにくいよ。こずちゃんじゃだめ?」

「だめ! こずえさまじゃなきゃだめ!」

 

 自分より小さい女の子だから、という理由で、子供ながらに「優しくしなきゃ」と思っていたんだろう。俺は草むらで待ち伏せしていたことを、特に追及することも怒ることもせず、彼女と友達になろうとしていた。

 

 ――ちなみに、この頃の俺は、今のようなボッチではなかった。男子ばかりではあるが、それなりに一緒に遊ぶ友達はたくさんいたのだ。

 そういう子達とは、「〜君」と呼んであげるだけで友達になれた。だから、いきなり湧いてきた彼女のことも「〜ちゃん」と呼んでやれば、簡単に友達になれるとでも思ってたんだろう。

 

 だが、「初めての女友達」としてマークしていた久水は、なかなか手強かった。

 俺の「こずちゃん」呼びを許さず、なんとか「こずえさま」と呼ばせてやろうと、やたら強情に俺を言いなりにしようとしていたのだ。

 

「おおぅ!? まさか龍太に初カノか!? 俺を差し置いての初カノか!? いいぞいいぞもっとやれ! 押し倒せっ!」

 

 俺が女子と絡むのが初めてというだけあってか、遠くで見ていた兄貴も妙なテンションで荒ぶっていた。……この日の夜、親父と母さんに嬉々として語っていたのは言うまでもあるまい。

 

「りゅーたん? あなたはりゅーたんっていうの?」

「りゅうた、だよ。りゅーたんじゃないよ」

「ようし、きょうからあなたはわたくちのちもべよ、りゅーたん!」

「だからちがうってば……」

 

 ――その日から、薮から棒に俺をしもべ扱いする、その女の子に連れ回される毎日が始まったわけだ。

 特にお互い約束を交わしたわけでもなく、ただ何となくという感覚で、俺達は決まった時間にいつも同じ河川敷に集まっていた。

 あの子と遊びたい。この時にここに来れば、あの子に会える。互いに、そう思い合っていたのかも知れない。

 

 ままごと、追いかけっこ、かくれんぼ。二人でも出来る遊びは、とことんやりつくした。そして町に出掛けては、商店街でおじいさん達に「小さなカップル」などと持て囃されたこともある。

 ……もっとも、その都度彼女は「ちがうもんっ!」と顔を赤らめて俺を蹴飛ばしていたのだが。

 

 ――意地っ張りでわがままで、自分の意見を曲げない頑固者。それが、今も昔も変わらない、彼女への印象だ。

 普通なら、めんどくさがって関わるのを嫌がるような子だったのだが、俺は彼女のことが気になって仕方がなかった。

 

 だから、どんな無茶な遊びや探検にも付き合った。兄貴も、「いい機会」だと言うだけで、特に干渉してくることはなかった。

 

 大きな飼い犬に喧嘩を売った彼女のとばっちりで、逆に二人で追い掛けられたり。町のガキ大将を、「女の子」であることを武器に川に突き落とす作戦に付き合わされたり。

 

 やってる最中はとにかく必死だったのだが、そのピンチを乗り切った後の快感は格別だった。いつも俺に甘かった兄貴や、他の男友達との遊びでは、到底味わえないスリルがそこにはあった。

 そうして俺達は、ふとしたことで顔を見合わせては、互いに笑い合う日々を送っていた。

 

 今までにない楽しみを提供してくれる。それが嬉しかったから、俺はいつも彼女に付き添っていたのだろう。

 

 ――彼女は見掛けない顔だったから、この町の住民ではないことは明白であった。しかし、彼女がどこから来た子なのかが気になることはなかった。

 そんなことを気にしていたら、楽しめるものも楽しめなくなる。子供ながらに薄々そう感じていたから、俺は彼女に出身を問うことはなかった。

 

 だから、俺は何も考えなかった。

 

 なぜ、彼女が「しもべ」としている俺との遊びにこだわっていたのか。

 なぜ、彼女は河川敷のあんなところにいたのか。

 なぜ、彼女と遊んでいると、こんなに楽しいのか。

 

 その理由を考えること自体を放棄して、俺は彼女との日々を好き放題に謳歌していた。それでいいと、信じて疑わなかった。

 

 ……だが、彼女の方は違っていた。

 

 ある日を境に少しずつ、表情に陰りが見えはじめていたのだ。

 

 最初は、夕暮れを迎えて別れる際に、少し寂しげな横顔が見えたくらいのことだった。

 しかし、そんな顔を見かける時間は次第に増えていき、最後は河川敷に集合した時から既に、曇りきった面持ちになっている程であった。

 

「こずちゃん、大丈夫?」

「うるたい! りゅーたん関係ないっ! それとっ、いつになったら『こずえさま』って呼ぶの!?」

 

 だが、理由を訪ねても、決して答えることはなかった。

 

 ――それでも、俺は彼女を諦めなかった。

 彼女が好きだったからだ。いろんな冒険をさせてくれる、俺を楽しませてくれる彼女が。

 いつしか、俺は「楽しいから」彼女に付き合っていたのに、気がつけば「彼女が好きだから」付き合うように変わっていたのだ。

 きっと、その頃からだろう。自分自身の、そんな気持ちに気がついたのは。

 

 気持ちが暗く、理由を訪ねても答えてくれない。なら、そんなものを吹き飛ばすくらい、明るく振る舞えばいい。

 直感的にそう判断した俺は、彼女を励まそうと、敢えて能天気に振る舞った。くよくよしてるのがバカらしくなるように、と。

 

 そんな俺を見ていた久水は、やがて水を得た魚のように、俺を弄りはじめる。そして、その時にようやく、彼女は以前のような笑顔を見せていたのだ。

 

「きゃはは、りゅーたん、ほんとにおバカ! なんでそんなにおバカなの?」

「こずちゃんがだいすきだからだよ」

「えっ……? だ、だめ! わたくちたち、まだこどもだもん! おとなにならないと、けっこんできないもん!」

 

 ……我ながら、結構とんでもないことを口走っていたもんだ。まぁ、向こうも子供ゆえか、割と単純に喜んでる節が垣間見えてたから、それは良しとするか。

 ちょっとわがままで活発で、意外に恥ずかしがり屋で。そんな彼女と一緒にいる時の俺は、堪らなく幸せだった。

 

 ――だが、そんな時間すらも長くは続かなかった。

 

 彼女の面持ちが微妙に暗くなりはじめた日から、二週間ほど経った頃。

 

 いつも来ていた河川敷には、彼女はもう……いなくなっていた。

 

「こずちゃん? どこ?」

 

 辺りを見渡し、名前を呼んでも返事はない。涙目になりながら、初めて出会った茂みを捜しても、姿はない。

 

 ――とうとう、自分と遊ぶことに飽きてしまったのか。

 そんな考えがふと過ぎり、気がつけば、俺は独りでむせび泣いていた。

 

 そして、そのままたった独りで夕暮れを迎えた後、俺はとぼとぼと帰路についていた。

 一日彼女に会えなかったというだけで、俺の胸にはぽっかりと穴が空いてしまったのだ。えもいわれぬ寂しさを肌で感じつつ、俺はぼんやりとした気持ちで町を歩いていた。

 

 ――その道中、近場のガソリンスタンドを通り掛かった時。

 

「……あっ!?」

 

 そこに停まっていた白塗りの長い車……即ち「リムジン」の窓に、あの姿を見たのだ。

 

「……!」

 

 何かを考える前に、俺は走り出していた。そして気がついた時には、俺は車窓の奥にいる彼女へ手を伸ばしていたのだ。

 

「こずちゃん!? こずちゃん!」

「えっ……りゅーたん?」

 

 向こうは驚いたように目を見開くと、慌てて窓を開いてこっちを覗き込んできた。湖のように澄んだ丸い瞳が、俺の視界に煌々と映り込んでいた光景は、今でも鮮明に焼き付いている。

 

「こずちゃん、どこいくの?」

「……とおく。うんと、とおく」

「とおく? もう、会えないの?」

 

 泣きそうな顔で訪ねる俺を見た彼女は、どうすればいいかわからない、という様子で俯いていた。

 

「梢、もう行きますよ。あら、お友達?」

 

 その時、彼女の母親らしき人が車の陰から顔を出して来る。その傍にいた初老の男性は、恐らく父親だったのだろう。

 

「茂も、片付けで疲れて眠っておるし、早く出発してホテルに行かねばならん。梢、早くさよならしなさい」

 

 諭すような口調で、男性は久水を説得しようとする。そのやり取りで、俺は子供心に「別れの時」が近いことを覚らされようとしていた。

 

 彼女がいなくなる。そう考えた途端、頭の中からサーッと体温が抜けていくような感覚に見舞われた。

 恐らく、「頭の中が真っ白」になるという現象だろう。

 

「いなくなるの?」

「うん……わたくち、かえらなきゃいけないから」

「そんなぁ……」

 

 瞬く間に目元に涙を浮かべた俺は、現実を突き付けられたショックから、彼女から目を逸らすように俯いてしまった。

 

 個人的には、引き留めたかったはずだ。彼女の後ろで苦笑いしている両親が見えなければ。

 

 ここでわがままを言っても、彼女達に迷惑が掛かる。何となくそう感じていた俺は、「本音を押し殺すこと」を学ばざるを得なかった。

 

 ――やだよ、いっしょにいたいよ! ぼく、こずちゃんが大好きなのにっ!

 

 ……そんな想いを、声を大にして言えたなら。今よりは、歯痒い思いはしなくて済んだのかもな。

 どうやら俺は、ガキの癖して利口過ぎたらしい。言えたかも知れない「わがまま」を言わなかったがために、彼女を引き留めようとすらしなかった。

 

「……ねぇ、こずちゃん。あ、じゃなかった、『こずえさま』」

「さいごくらい、こずちゃんでもいいよ」

「そ、そっか、えへへ」

 

 せめてわがままを言わない代わりに、何か気の利いたことを言ってやろうと考えた俺は、彼女が望んでいたはずの「こずえさま」呼びを実行してやった。……が、それは敢え無く空振りに終わる。

 

「こずちゃん、ぼく、やっぱりこずちゃんがすきだな。こずちゃんは、ぼくのことすき? きらい?」

「えっ! えーっと、えぇーっと、す、す、す……!」

 

 別れ際に、気持ちを確認しておきたかったのだろう。俺は向こうの両親が見ている前だというのに、なりふり構わず告白を敢行していた。

 もし好きになってもらうことが出来れば、いつかまた会える。そんな根拠のない夢を、胸中に詰め込んでいたからだ。

 

 向こうは顔を真っ赤にして、なんとか返事をしようと必死になっていた。「す」という最初の言葉から予想される展開に、俺は期待を溢れさせていたのだが――

 

「……ふ、え、えぇえぇえええぇんっ!」

 

 ――答えを聞く前に、彼女は大声で泣き出してしまった。

 

 何が起きたのかわからず、今度こそ完全に「頭の中が真っ白」になってしまう。彼女の両親はあわてふためきながら俺に一礼すると、使用人らしき男性にさっさと車のエンジンをかけさせ、ガソスタから走り去ってしまった。

 

 ……俺は、その後ろ姿を見送ることもせず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかったのだ。

 告白をして、返事を貰えるのかと思えば、酷く泣かせてしまった。何が原因かは今でもまるでわからないままだが、俺の何かに起因して起きたことだという点だけは、きっと紛れも無い事実なのだろう。

 

 ――そう。俺の初恋は、この時に散ったんだ。

 ふと知り合った、破天荒で時々かわいい女の子。久水梢にフラれる、という形で。

 

 ……それからしばらくして、近所や友達の噂話に耳を傾けていくうちに、俺は彼女のことを少しずつ知っていった。

 

 彼女ら久水家は、家族旅行の帰路につく途中、故障した車の修理のために松霧町に立ち寄っていたのだという。

 そこでの修理が難航していた上、娘の「こずちゃん」が自然溢れる町並みを気に入っていたため、彼らはしばらくここに滞在していたのだ。

 

 だが、資産家の娘、というのは友達作りが上手くはなかったらしい。

 決して悪い子ではないはずなのだが、高慢ちきな性格が災いしてか、この町の子供達からはつまはじきにされていたのだとか。

 いつもそのことでいじけては、河川敷の茂みに隠れていたのだそうだ。

 

 そして……彼女の行動に付き合っていた同年代の子供は、どうやら俺だけだったらしい。

 もしかしたら。もしかしたらだが、彼女がやたらと俺にこだわっていたのは、相手にしてくれる子供が俺しかいなかったから……なのかも知れない。

 

 その俺とも別れ、彼女は自分の居場所へ帰って行った。結構なことじゃないか。

 きっとそこなら、彼女を受け入れる世界があったはず。たまたま、ここの在り方に合わなかった、ってだけのことだろう。

 

 ……そう。だから俺はもう、「用済み」なんだ。

 彼女に付き合い、一緒に遊ぶ相手になってやった。俺が望めたのは、最初からそれだけだったんだ。

 いつまでも一緒にいたい、だなんて、身の程知らずも甚だしい。

 

 最初から叶わない恋だったんだと思い知らされた俺は、その頃からますます女子との関わりを避けるようになっていた。

 自信をなくしたから、というのが一番率直な動機だろう。

 俺なんかが恋なんて、出来るわけがなかったんだ。何を勘違いしていたんだ。……そんな風に、いつも俺は自分をケナして、自重していた。

 

 ……多分、矢村や救芽井に会うことがなければ、俺は女の子とほとんど口を利かないまま、大人になっていたのかも知れない。

 そんな灰色の人生から、もしかしたら脱出しつつあるのかも……なんて思い始めていた矢先に、まさか俺にとっての「失恋の象徴」がご降臨なさるとはな。

 

 ――今の彼女と、どう向き合うか。俺があの日の失恋を乗り越えられるとするなら、そのチャンスは今しかない。

 



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第67話 ムカムカしたら即決闘

 きらびやかなシャンデリアに照らされ、白いマットに包まれたテーブル。

 

 幅五メートルはありそうなその長方形を囲む形で、俺達は全員席についていた。その後ろには、数少ない久水家の部下達が突っ立っている。

 どうやら使用人はほんの数人しかいないらしく、いかにも「セバスチャン」って呼ばれてそうな白髪の男性を除けば、執事と思しき彼が従えているメイドが、わずかに控えているくらいだった。……まぁ、こんなご立派な屋敷でも「別荘」に過ぎないってんなら、こんなもんなのかも知れない。

 

 この久水邸、実は空輸で部品を運んで組み立てたものらしく、裏手にはヘリポートまで設けられていた。

 ……だから陸路があんな大自然状態だったんだな。グラサンのオッサン、大丈夫かな……。

 

 ――それから、この会食室も大概だが、ここまで道のりも、まるで中世ヨーロッパのお城みたいな景色が広がっていた。廊下を歩くだけで、異世界冒険譚にでも乗り出してしまったのかと錯覚するほどに。

 

 そして、そんな別世界に居座る中で、俺は昼食と平行して、自分と久水の関係性を白状させられていた。それも、本人含む全員の前で。

 向かいに座るご本人は頬を紅潮させたまま俯き、その右隣にいる茂さんは「妹に近寄る悪い虫」という目で俺を睨み、左隣の四郷は、真顔で俺の話に集中していた。

 ……そして、俺の両脇に当たる席に座っている救芽井と矢村は――

 

「『こずちゃん』って、『こずちゃん』って……!」

「ア、アタシら、名前で呼ばれたこともないのにぃ……!」

 

 ――なんだかご機嫌ナナメの様子。二人とも面白くなさそうな表情で、久水と俺を交互に睨んでいた。

 そりゃ確かに面白い話でもないけどさ……そんな怒んなくたっていいじゃないの。

 

「ふん、なんという浅ましい男だ。妹をたぶらかした上、樋稟まで……!」

 

 一方、茂さんも腹立たしげに俺を睨みつけている。片思いの相手を取られた(ということになってる)ことに加え、妹にまで手を出された、という二重苦に見舞われてることを考えれば、まぁこっちはわからなくもない。

 

 ……それでも、変に因縁を付けられるのは勘弁してもらいたいところなのだが。

 

 とまぁ、いろいろとめんどくさい事態に直面している俺なのだが。

 それ以上に一つ、大問題な部分があるわけだ。それは――

 

「……とは言え、これから戦う相手に不完全なコンディションで挑まれても、ワガハイとしては不服だ。ゆえに食事はきちんと提供しよう」

「これが、きちんと、か……!?」

 

 ――メシの量がシャレにならない、ということだ。

 

 因縁を付けられてメシを出されない、なんて恐ろしい展開にはならなかったものの、これはこれでえげつない。明らかに、隣にいる二人の分の数倍はある。

 やたら分厚いステーキに、炊飯器に詰め込んでも溢れて来そうなサラダ。丼のようなデカイ器に一杯になるまで注がれたコーンスープ。

 こんなもん全部食わされたら、間違いなく腹を壊す。じゃなくても、しばらくは動けなくなる。

 それを狙ってのことだったらしく、俺を見つめる茂さんは「してやったり」の表情。どうやら、すっかり嵌められてしまったらしい。

 ……あのですね。「きちんと」っていうのは、適度な量を出した時に言うもんだと思いますよ。ただ出せばいいってもんじゃないでしょうよ。

 

 しかし、出された以上は完食するしかない。「無料で」頂いてる身であるからには、残すに残せないからだ。

 救芽井と矢村に視線で助けを求めてもみたが、二人とも俺の分に手を出そうとはしてくれなかった。「太りたくない」とか、そういう理由なんだろうな……。

 

 もちろん最初は救芽井が、この明らかに決闘に差し支えかねない量について抗議してくれたのだが、「強い男ならこれくらい平らげるもの」という茂さんの言葉に、あっさり納得してしまっていた。ろくに男ってもんを知らないばっかりに、すっかり丸め込まれてしまったのである。

 また、一般的な感覚を持ってるはずの矢村でさえ、茂さんの発言を聞いてから「龍太は強いんから、これくらい朝飯前やっ!」などと口車に乗せられてしまっていた。……「売り言葉に買い言葉」って言葉は確かにあるけどね。お前が買ってどうするよ。

 

 久水は頭から湯気を噴き出したまま俯いてるだけだし、四郷はジッと静観してるだけで、助けてくれる気配がまるでない。

 

 かくして、完璧に孤立無援の状態に成り果ててしまった俺は、がむしゃらにメシにかぶりつくしかなかったのだ。「計画通り」とニヤつく茂さんをジト目で睨みながら……。

 

 ――それから数十分が過ぎ、ようやく完食した俺は、セバスチャンさんから貰った水を飲み干し、テーブルに突っ伏していた。勝手にセバスチャンなんてあだ名付けてごめんねセバスチャン。

 

「ぐふっ、ご、ごちそうさん……」

「お粗末様。ククク……まさか本当に全部食べてくれるとはな。ウチのシェフも喜んでいることだろう」

 

 野郎……完全にこの状況楽しんでやがる。すきっ腹で戦うのも十分リスキーだが、動けないほど満腹にされて戦わされるのも、これまた辛い。

 

 せめて一時間の猶予があれば、腹も落ち着いて――

 

「では決闘は二十分後としよう。準備は済ませておくように」

 

 ――って、たったの二十分かいッ!?

 

「ちょ、ちょっとお兄様。いくらなんでもそれは不条理ざます」

 

 やっとこ気持ちが落ち着いてきたのか、顔を上げた久水が制止にかかる。救芽井と矢村も、非常に今さらではあるものの我に返ったようで、抗議の視線を茂さんに向けていた。四郷だけは「我関せず」という具合だったが。

 

「……ふん。こんな男に手加減など無用だ。聞けばこの一煉寺龍太とやら、ただの中流家庭の人間のようではないか。そんなどこの馬の骨とも知れない男が、世界に、そしてワガハイに愛されるべき樋稟の隣に立つなど、言語道断!」

 

 ――だが、当の茂さんの返事はにべもない。ついに彼の本音が噴き出して来たようだった。

 言ってることは割と正しいとは思うが、なんかいけ好かない言い方なんだよなぁ……。この人、口ぶりのせいで微妙に人生損してる気がする。

 

「一煉寺龍太。貴様は何の地位も名誉も持たない凡人でありながら、誰よりも麗しく、気高い樋稟を汚した。ゆえに、今こそワガハイが断罪するのだ!」

 

 ビシィッ! とこちらを指差す彼は、さながら正義の味方のような口上で、俺の成敗を宣言する。そんな兄を見たせいか、久水はショックを受けたかのように、再び俯いてしまった。

 

 ……汚した? あぁ、裸を見たことか。あれは確かに悪いことしたかなぁ……。

 

「……さっきから黙って聞いてれば、ヌケヌケと言いたいことを言ってくれるじゃない! あなたが龍太君の何を知ってるっていうの!?」

「そうやそうや! あんたこそ、龍太を腹一杯にして動けんようにせんと、勝負しようともせん卑怯者やろがッ!」

 

 だが、罵倒されていたはずの当人をガン無視して、逆に褒めたたえられていたはずの救芽井が反論を始めた。それに続いて、矢村も席から立ち上がって声を荒げる。

 

「……なんだと?」

 

 その時、茂さんの眉が鋭く吊り上がる。

 しばらくは例にならって聞き流しているようだった彼だが、矢村の発言だけは看過しなかったらしい。異論は許さぬ、という強い眼差しを彼女に向け、重々しく口を開いた。

 

「君はまるでわかっていないのだな。樋稟は今や、世界的にその名を知られたアイドル。そして、『より多くの人命を救う』という崇高なる使命を帯びた、特別な女性なのだ。そこにいるような、薄汚れた庶民が触れていい人ではないのだよ」

「なっ……何が言いたいんや!」

「住む世界が違う、ということさ。君達のような小汚い田舎者が、彼女の隣にいるというだけで、ワガハイははらわたが煮え繰り返る思いなんだよ。だからこそ、その排除のためならば容赦はしない。樋稟には、より相応しい世界に生きてもらわなくてはならないからね。それが、彼女の幸せにもなる」

 

 高らかな口調で、茂さんは威圧するように矢村を説き伏せようとする。言い返せない部分もあったのか、彼女はそこから先は何も言えず、唇を噛み締めていた。

 

 ……幸せ、ねぇ。なんで救芽井にとっての幸せが、茂さんにわかるんだかな。

 

 ――いや。それよりもずっと、引っ掛かることがある。

 

「『君達』のような小汚い田舎者ってのは……どういう意味だ?」

 

 俺は腹をさすりながら、ゆっくりと席を立つ。ようやく当事者が口を開いたためか、全員の注目が俺に集まった。

 

「何をバカなことを。言葉通りの意味に決まっている」

「……じゃあ『君達』ってことは、俺一人を指したわけじゃないんだな?」

「ふん、日本語も通じないのか? もはや猿の領域だな」

 

「そっか。――よくわかった」

 

 茂さんの罵声を軽くスルーして、俺は矢村の方を見る。

 自分の思慮のなさを悔いている……という感じだろうか。やるせない表情で唇を噛み締めながら、申し訳なさそうに上目遣いでこちらを見つめていた。

 

 俺は「気にすんなよ」という気持ちを、苦笑いと一緒に目線で伝えると、改めて茂さんと向き合った。

 

 俺一人が罵られたわけじゃない。俺と一緒にいたばっかりに、何の罪もない矢村までがバカにされてしまった。

 救芽井と関わった以上、俺が火の粉を被るのはやむを得まい。だが、矢村がそれに付き合う道理なんて、ないはずだ。

 ……これじゃ、あの時と何も変わらない。

 

 なら、どうする? これ以上、矢村を傷つけないためには。

 

 ――いや、答えなんて考えるまでもない。問題は、それを今の俺が為せるかどうか、だ。

 

「……ありがとな」

「なに?」

 

「あんたのおかげで……暴れる理由が出来そうだ」

 

 ――茂さんを倒すことで、矢村の言い分が間違いではないことを証明する。それ以外に、彼女の名誉を取り戻す方法はない。

 死ぬほど満腹の状態で戦うなんてしんどいし、着鎧甲冑の在り方に背く喧嘩なんて、やってられるかって心境だったが……おかげさまで、やる気が沸いてしまったらしい。

 

 ……ま、そんなのほとんど口実だけどね。本音を言うなら、単に矢村をバカにされた途端、ムカムカしてきたってだけの話だ。

 経緯はどうあれ、今の俺は救芽井エレクトロニクスの「救済の超機龍」であることには違いない。そうであるからには、相応の責任が生まれてしまう。

 すっかり、俺はそいつを失念していたらしい。それで傷つくのは俺だけでは済まないというのに。

 

「二十分もいらん、時間の無駄だ。今すぐにでも始めよう」

「ちょっと龍太君!? なに言い出すのよ、そんな状態でいきなり戦うなんて!」

「りゅ、龍太ぁ!?」

 

 隣の二人がやたらとあわてふためいているが、構っている暇はない。俺は決して目を離さないよう、茂さんの眼を見据えた。

 

「……いい心掛けだ。屋敷の裏手に、ヘリポートがあるのは知っているな? そこの手前にある広場を、決闘場とする。すぐに準備しろ」

「あぁ。待たせるつもりはない」

 

 俺達二人はそれだけのやり取りを交わすと、「腕輪型着鎧装置」をしっかりと手首に装着し、裏手へと向かう。この時、茂さんの身支度が仕事なのか、彼の周りをメイド達が囲っていた。く、ちょっと羨ましい……。

 後ろから、俺を気遣う二人の声が聞こえて来る。が、こればっかりは譲れそうもない。

 

「い、一煉寺……。あなた、本当にやる気ざます?」

 

 すると、今まで高飛車な言動ばかり繰り返してきた久水までもが、珍しく気にかけてきた。今日は雪が降りそうだな。

 

「あぁ。お前のお兄様には悪いが、一応勝たせてもらうつもりだ。こうしなきゃ、俺が一番納得出来そうにないんでね」

「そう……ざますか」

「心配すんなって。少なくとも、簡単に負けるつもりはないからさ」

「し、心配なんてしないざますっ! あなたなんか、無様に敗北を喫すればいいんざますっ!」

 

 久水は顔を真っ赤にして俺を怒鳴り付けると、兄の方へと駆けていく。なんかアイツ、俺のことを思い出してから、風当たりがハンパなく強いんだよなぁ……。ま、わかってくれたならいいか。

 

 ここから先は、男と男の真剣勝負ってヤツなのかも知れないからな。

 きっと、誰の介入も許せなくなるような大喧嘩になることだろう。だから――

 

「こんのハゲルッ! 救芽井さんが『誰よりも麗しく、気高い』ですってえぇ!? このワタクシを、お忘れざますかぁあぁああぁあッ!?」

「ひぎぃぃい! ワガハイのかわゆい梢よぉおぉお! 許しておくれえぇえぇえッ!」

 

 ――兄妹揃って、この空気をブチ壊さないでくださる?

 しかもハゲルて……久水、この数年間でお前に何があったんだよ……。

 



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第68話 紅白戦開幕

 屋敷の裏手には、庭園に包まれた広大なヘリポートがあり、その手前にはアスファルトの広場がある。

 五十メートル四方に広がったこのスペースは、元々ヘリで運んできた物質を置いておく「荷物置き場」としての役割があったらしい。俺をそこまで案内してくれた一人のメイドが、丁寧に教えてくれた。

 

「茂様と梢様のご両親は今、療養のため京都にご隠居されております。本家もそこにあるのですが、お二方はこの辺りに長期滞在したいと言って聞かないのです」

「妹の方はともかくとして……お兄様方の理由は簡単に察しがつくな」

 

 決闘場まで連れてってくれた後も、メイドはいろいろと久水家についての情報をくれた。……茂さんとしては、ただ救芽井に会いたかったから、この町に近付こうとしたってとこなんだろうなぁ……。

 メイドによると、この屋敷のデザインも茂さんの趣味によるものらしい。別荘とは言え、「趣味」の感覚で家を建てられる久水家の財力を前にしても、大して驚きがないのは、多分……いや、間違いなく救芽井のせいだろう。

 

 その救芽井といえば、今は俺の後ろで矢村と一緒についてきている。

 

「茂さん、私の前で龍太君に随分なこと言うじゃない……。後で覚えてなさいよ」

「龍太がアタシのために、あんなに……。ふらぐって言うんちゃう? これっ!」

 

 ――何やら物騒なコトを呟きながら。言ってることのヤバさなら、矢村様も負けてはおられぬようですが。

 

「ところで一煉寺。あなた勝算はありますの? お兄様は財力のみに依存せず、着鎧甲冑を使った格闘技術の強さを以って、『救済の龍勇者』の資格を勝ち取った猛者ですのよ」

「……救芽井さんや一煉寺さんを除けば、着鎧甲冑の所有者としては最年少……」

 

 ただ事ではないオーラを放っている、後ろの方をチラ見している間に、今度は前に立っている久水と四郷が声を掛けて来た。どうやら、茂さんも茂さんで、結構な実力派らしい?

 

「勝算なんてあるわけないだろ。ほとんど初対面なんだから、計算のしようがないって」

「あらあら、あんな啖呵を切った割には、随分と弱気ですこと」

「目測が立たないってだけだよ。簡単に負けるつもりはない」

「……そう、ざますか」

 

 ――そう。俺は茂さんがどれほどの強さなのかは知らない。こっちが非売品の特注モノで臨める分、俺の方が有利ではあるかも知れないが、それでも必ず勝てる保証にはならない。

 もし向こうが古我知さんを遥かに超える実力だったなら、恐らくただでは済まなくなるだろう。だからといって、怖じけづくわけにもいかない。

 事実、今しがた久水が言ったように、俺はおもいっきし啖呵を切ってしまった。ここまで来たからには、最後まで抵抗しまくる他あるまい。

 

「ついに来たな、一煉寺龍太。覚悟が出来たなら、ここへ来いッ!」

 

 しばらくは広場の中央で、俺達を待ち受けていた茂さんだったが、俺が女性陣と喋ってばっかなのが気に食わなかったのか、声を張り上げて挑発してきた。その叫びと共に、彼の脇を固めていた使用人達が、蜘蛛の子を散らすように離れて行く。

 俺は案内してくれたメイドを含む、全員に「それじゃ、行ってくる」と言い残すと、アスファルトで固められた戦場へと踏み込んでいく。

 

「龍太君、負けないで! もし負けたら、こ、子作りの刑だからね!」

「ホントやで! 負けたら既成事実の刑やからな!」

「な、な、な、なんざますか!? そのハレンチな刑はッ!」

 

 ……不穏なエールを背に受けて。

 

 茂さんは俺が近づいてくると、口元を吊り上げて「腕輪型着鎧装置」を構えた。俺もそれに続くように、赤い腕輪を巻いた手首を、唇に寄せる。

 

「ついにこの時が来たな! 貴様が不当に得てきたもの、全て奪い返してくれる!」

「……あんたから、何かを奪った覚えはない。悪いけど、『守らせて』もらうよ」

 

 そしてお互いの視線を交わし、同時に身構え――

 

「準備はよろしいですね? では、チャクガイカッチュウゥゥウッ、レディィィファイィッ!」

 

 ――セバスチャンの、見かけによらない超ハイテンションな掛け声と共に、いよいよ試合が始まった。

 

 開幕と同時に、茂さんは「着鎧甲冑ッ!」と叫びながらこちらに突進してくる。白い光の帯に包まれたツルツル王子が、あっという間に俺の視界を埋め尽くそうとしていた。

 

 ……ち、思ってたよりずっと速い!

 

「――着鎧甲冑!」

 

 俺は茂さんより一瞬遅れて、「腕輪型着鎧装置」に音声を入力する。程なくして、真紅の腕輪から同色の帯が飛び出し、俺の体に絡み付いて来る。

 だが、それを待っていたら先制攻撃を受けてしまう。既に茂さんは着鎧を終え、「G型」特有の非殺傷電磁警棒を構えていた。

 

 彼の得物を持つ右手が水平に振られた瞬間、俺は咄嗟に身を屈めるように腰を落とすと、電磁警棒の一閃を潜るように前方へ転がる。

 

 そこから受け身をとるように体勢を整えた頃には、既に俺は「救済の超機龍」に着鎧していた。お互い、これでようやく土俵に上がったようだな。

 赤いヒーローと白いヒーロー。まさしく紅白戦である。

 

「存外に素早いな。それも『救済の超機龍』の賜物か」

 

 背後に回られたと悟り、一瞬で体の向きを切り返す茂さん。どうやら、かなりスピードに長けた人らしい。

 彼が発した一言に、救芽井は「なんであなたがそれを!?」と驚きの声を上げていた。そのことについても、後でじっくり聞かせてもらわないとな。

 

「ふん、まぁそんなところ……うぷっ!」

 

 そして、避けたのが俺の実力だと認めようとしない茂さんに対し、「そんなところだ」と肯定しようとした時。俺のハラワタに詰まりきった食物が、悲鳴を上げた。

 

「……ふふん、強がってはいても、やはり体は正直だったようだな」

「――うえっぷ。そこだけ切り取ったら、なんかエロ同人みたいだな」

「ほざけハレンチ庶民がッ!」

 

 ある程度は予想されていた「胃もたれ」に思わず片膝をついた俺だが、相手のペースに飲まれないために敢えて軽口を叩く。

 そんな態度が気に食わなかったらしく、茂さんは声を荒げて襲い掛かってきた。やめて! 俺に乱暴する気でしょう? エロ同人みたいにっ!

 

 ――などとふざけていられる分、俺にはまだ余裕があるらしい。俺は吐き気と戦いながら、電磁警棒を持つ手首を払って攻撃をいなし、間合いを取った。

 

「うえ、気持ちわりぃ……。やっぱ食後って運動するもんじゃねぇなぁ……」

「ならばさっさと降参するがいい!」

 

 戦う前から大量のメシを盛る、という姑息な手段について、救芽井や矢村からヤジを飛ばされているせいか、茂さんもかなりムカムカしてるらしい。逆恨みもいいとこだけど。

 弓のように引き絞られた肘から、真っ直ぐに突き出される電磁警棒の先端を水平にかわし、俺は再び距離をとった。今の状態で反撃なんかしたら、反動で戻しかねない……。しばらくは逃げ回って、消化を待つしかないだろう。

 

「貴様……なぜ電磁警棒を使わない? その腰にある武器は、何のためにある?」

「使う気がないからさ。『チャンバラごっこ』は俺の趣味じゃないからね」

「なんだと……!」

「それでも腰に提げてるのは、まぁ俗に言うハンデって奴だ。使いもしないアイテムをぶら下げて戦えば、多少はあんたにとって有利だろ? うぷっ」

 

 コンディションを崩して弱らせているはずなのに、攻撃が当たらないことに苛立ちを隠せずにいる茂さんに対し、俺はさらに煽るようなことを口にする。

 

 ――まぁ、言ってることは事実だ。あくまで「兵器」として扱わず、人を「守る」ためだけに作り出された着鎧甲冑の装備を、得意げに「武器」と言い切ってしまうような輩の前で、同じ手段を使う気にはなれない。そもそも、俺は彼ほど電磁警棒みたいなアイテムには慣れちゃいないしな。

 

 ……それでも茂さんがめちゃくちゃに強かったなら、使いもしない電磁警棒なんて捨てて、身軽になる作戦も検討できた。

 だが、さっきまでの動きを見ていればわかる。彼の攻撃は――読みやすい。それこそ、腹痛でろくに動けない俺でも、見切りさえすればかわせるくらいに。

 彼はスピード自体は相当なものだが、無駄なモーションが多過ぎる。カウンター専門の俺からすれば、避けてくださいと言っているようなものだ。

 

 そして、さっきの茂さんの言い草で、救芽井がどんな感情を抱いたかが気になった俺は、チラリと彼女の方を見遣った。

 

 ――案の定、悲しげな顔をしている。

 

 兵器ではないのに。あくまでも、人を守るためなのに。

 「技術の解放を望む者達」のような、完全な兵器化を回避するために、やっとの思いで生み出されたはずの「G型」なのに。

 それは今、「兵器」と見做されかけている。「G型」が誕生した経緯も、公表されているというのに。

 

 よりによって、自分に相応しいと豪語している人間にそんなことを言われてしまったのが、哀しくてしょうがない、という顔だったのだ。

 

 そんな彼女の表情を見た時。

 俺は懐かしいような、もどかしいような感覚を覚える。

 

 ――いや、「思い出す」という方が的確だな。

 

 「怒り」と形容するべき心の流動が、全て体の芯に納められ、頭の中だけがスーッと冷え切っている。脳みその中だけは静かなのに、体全体は焼けるように熱い。

 それと同時に、頭の中でぐるぐると回っていた考え事が、「胃の消化を待つ」ことから「茂さんをぶちのめす」ことへと、一瞬で切り替わってしまった。まるで、スイッチがオンになるように。

 

 これは……俺の知ってる感覚だ。

 

 あの冬休みの時、喫茶店に押し入った強盗が、救芽井の胸に触った時。俺は、冷めた頭と熱い体が同居している状態で、彼らと戦った。

 ……また、ああなろうとしてるんだな。厄介な性分だよ、全く。

 

 おかげで――

 

「貴様ァァ! ワガハイを嘗め――ガハァッ!?」

 

 ――気持ち悪くてしょうがないのに、一発ブチ込んじゃったじゃないか。うげー。

 

「……ったくよぉ。そんなに『怒らせる』のが上手いなら、資産家なんて辞めてマタドールにでもなったらどうだ?」

 

 本能に行動を任せた結果、俺は電磁警棒を振り上げて、突進してきた茂さんの水月に、腰の入った突きを入れていた。

 予想外の反撃を、よりによって急所に叩き込まれてしまった茂さんは、俺より吐きそうなうめき声を上げて、うずくまってしまう。

 

 その一瞬の反撃に、周囲からは驚きの声が上がる。久水やメイド達だけではなく、救芽井と矢村も随分たまげているようだった。

 ……四郷だけ、相変わらずの無反応だけど。

 

「えっ……!? 龍太君の突き、あんなに速かったかしら……!?」

「い、一煉寺!? あなた一体……!?」

 

 ――そこまで驚くか? 普通。

 

 ま、俺も救芽井がいなかった間の高校一年間、遊んでたわけじゃなかったからな。

 今思えば……この時のためにあったのかも知れない。去年の――兄貴との修練は。

 



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第69話 俺は青春が少ない

「どうした龍太ァッ!」

 

 ――夜の帳に包まれた、一煉寺道院。

 

 昨年の俺は、そこで地獄を見ていた。

 

 網目の如く張り巡らされた照明に照らされ、薄茶色のフローリングがまばゆい光沢を放つ。

 その光に背を覆われるかのように、俺は倒れ伏していた。

 

 別に、好き好んで道場で寝転んでいるわけではない。子供やオバサンが練習した後のフローリングに、顔を押し付けるような趣味はないし。

 

 ……ただ、体力的な意味でこうせざるを得ないだけだ。

 

「なにを寝てるんだ! 敵はお前が起きるまで待ってはくれないんだぞ!」

「あ、あぁ……」

 

 非人道的極まりない怒号に突き動かされた俺は、もはや棒にもならない足に力を込め、フラフラのまま立ち上がる。

 普通に考えれば、最悪でも小休憩くらいは挟んでいい状態だ。まさかこんな状態で続けるはずはないだろう。

 

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 

「――ぅあたァッ!」

「がッ――!?」

 

 ――背筋も伸ばせず、猫背のまま辛うじて立っていた俺の水月に、問答無用の蹴りが入り込む。

 俺は悲鳴を上げる暇すら与えられないまま、膝から崩れ落ちた。

 

「立ち上がる時という瞬間か、いかに無防備かを考えたことはあるのか? その上、お前は反撃の隙を探そうとする余り、肝心な防御自体が疎かになる悪癖がある。そうであるばかりに、今日も全敗に終わってしまったようだしな」

「あ……がっ……!」

「自分の隙を見失っているようでは、相手の隙など突けるはずがない。よく肝に命じておけ」

 

 文句や愚痴も言えないほどの激痛に苛まれ、俺は相手の顔も見れずに、ただうずくまるばかりだった。

 そして、それから数分が過ぎ、ようやく痛みが引いてきた……という頃には、既に道場には俺しかいなかった。

 

「ふぅ……イ、イテテ……」

 

 散々に痛め付けられた体中をさすり、俺は身を引きずるような格好で、道場を後にする。

 

 ……こんなことが、丸一年は続いていたわけだ。高校一年の春から、ずっと。

 

 その頃から、俺は兄貴……一煉寺龍亮に、こうして地獄のような修練を強いられていたのだ。

 

 ――中学を卒業するまでは、なんだかんだで俺には甘かったはずの兄貴。

 そんな彼が、高校入学後に豹変したのは、確か五月半ばの頃だった。

 

「龍太、特訓しよう」

 

「――はい?」

 

 野郎は突拍子もなく、いきなりそんなことを言い出したのだ。気がつけば、俺は夜中の一煉寺道院に連行され、白帯を締めた胴衣を着せられていた。

 その時間帯には、いつも道院に習いに来ていた一般の人達はいなくなっており、完全に俺達兄弟だけの空間に成り果てていた。

 

「――さ、本気でやらなきゃ怪我するぞ!」

「ちょちょちょちょいッ!? 防具も付けずにいきなり――がふッ!」

 

 多分、その時が初めてだっただろう。

 兄貴の蹴りをモロに食らい、一発でのされてしまったのは。

 それで今まで受けていたのが全て、「俺のために手加減したもの」だったという事実を、改めて突き付けられてしまったようだった。

 

 ……まぁ、戦闘ロボットを素手で叩き壊せる超人に、本気で蹴られたりなんかしたら、一瞬でスクラップなんですけどね。

 

 それ以降、俺はわけがわからないまま、毎晩「特訓」に付き合わされるハメになっていた。

 白帯と黒帯が、防具すら付けないままでガチンコ勝負。結果なんて見えている。

 

 そうして豹変したわけも特訓をする意味も、まるで理解できず、を尋ねてみても「今は修練に専念しろ」の一点張り。私生活上でも、口を開けば特訓の話ばかりだった。

 

 ……まぁ、今までが今までだから、何か考えがあってのことなのかも知れない。

 が、それでも「どうしてこうなった」と思わないわけではなかった。

 

 なぜ今になって、こんなドギツイ「特訓」とやらに身を投じなければならないのか。その意味を考えようとしても、自力で答えが出ることはない。

 ……もしかしたら「技術の解放を望む者達」の一件に関係したことなんだろうか? まぁ、そう聞いても答えが返って来るとは思えないが。

 

 そして、夜の道場にて相対している中、兄貴が持ち出してきた持論はこうだ。

 

「お前は体力はないが、技の精度には優れている。むやみに短所を補おうとして中途半端になるよりは、より長所を伸ばして一芸に秀でた拳士になる方がいい」

「それで、この特訓、か……!?」

「そうだ。お前が一度でも俺を投げるか、一発突き蹴りを入れられれば、特訓は即終了。出来なければ、俺が大学を卒業するまで延々と続くことになる」

 

 ……そう。その特訓が、丸々一年続いたわけだ。後はわかるな?

 

 いくら技術があったとしても、所詮体力は一般ピープル。技は達人、パワーは人外レベルの鉄人に、どう勝てと。

 

 どんな角度や間合いから突き蹴りを放っても、受け流され反撃を食らい、どんな素早さで投げ技を仕掛けても、実にアッサリと切り返されてしまう。

 打撃戦に持ち込めば十秒も経たないうちに沈められ、投げ技や固め技に出た時は、いつの間にか俺が宙を舞っていた。

 

 結局、俺は高校一年という青春の一ページを、兄貴との修練だけでほとんど使い潰してしまった。

 体中のアザを学校で矢村に見られた時は、「自転車で転んだだけ」とごまかすのに必死だったしな……。彼女に相談して、励ましてもらおうって考えもなくはなかったが、兄弟間の話に女の子を巻き込むのも、ねぇ?

 夏休みや冬休みも、兄貴との修練に掛かりっきりで、彼女の相手もそれほど出来なかったし……あぁ、道理で友達できないわけだ、俺。

 

 そんな俺を「どう鍛えるつもりなのか」は、上述のように何度も当の兄貴に聞かされてきた。だが、「なぜ鍛えなければならないか」は、全く教えてはくれなかった。

 

 ――そして、その答えに自力でたどり着いた頃には、既に高校二年への進級が目前に迫っていた。

 

 春休みが終われば、俺は高二に進級し、兄貴は大学を卒業してエロゲー会社へ入るために、家を離れることになる。

 

 その時が来る数日前の夜、俺は自室のベッドの上で、ふと目を覚ました。

 

「ん……」

 

 身体に取り付いていた睡魔が剥がれ落ち、瞼が自然と持ち上がっていく。

 別に嫌な夢を見たわけでも、トイレに行きたくなったわけでもないのに、いつの間にか俺の目は冴えていた。

 

「なんだ……まだ五時かよ」

 

 ベッドに置かれていた目覚まし時計の針が目に入った途端、鏡を見なくてもわかるくらい、げんなりした表情になってしまう。

 こんな中途半端な時間に、たいした訳もなく目を覚ましてしまった。明日……というより日が昇れば、また地獄の修練がお待ちかねだというのに。

 二度寝するにも微妙だし、起きたら夜がしんどいし。どっちに転んでもろくな展開が予想できない。

 

「ハァ……俺が成長してない罰ってとこかぁ? 全く神様も手厳しい――ん?」

 

 そんな「睡眠」という生存機能にまで悩まされてる自分の脆さに辟易し、ため息をついた時。

 

 下から――何かが聞こえた。

 

「……?」

 

 身体の動きを止めて物音を消し、自分の鼓動を除く、ほとんどの音を静止させた。そして聞き耳を立てると――「何か」の実態が、少しだけ掴めた。

 

 ……話し声? こんな、太陽もさほど自己主張してないような早朝に?

 

 そう。音の正体は、紛れもなく会話を交わしている「声」だった。

 天然の物音にしては、音の律動が不自然過ぎる。それによく聞いてみれば、あれは兄貴の声だ。

 

 ――兄貴が誰かと話している?

 

 話し声は兄貴のものしか聞き取れない。だが、もう一つを聞き逃しかねないほどの難聴でもない。多分、電話で話してるからなんだろうな。

 盗み聞きなんて良くないし、もう二度寝しちまおう……という考えもあるにはあったが、個人的には会話の内容は気になって仕方がなかった。

 ――ま、まぁ、家族間で電話してるところを、見られたり聞かれたりなんて当たり前だし、別にいいでしょ! と、勝手な解釈を済ませると、俺はそろりと部屋から出る。

 

 そこからすぐのところにある階段からは、よりハッキリと話し声が聞こえてきた。「何の話をしてるのか」まではわかりかねるが、声色からしてマジメな話をしてることは間違いないらしい。

 ……会社の人とエロゲー制作について話してんのかな? 確かに奴なら、その手の話題にマジになりかねな――

 

「俺は大マジだぞ、親父」

 

 ――いぃっ!?

 

 まさかの通話相手に、思わず階段から転げ落ちそうになってしまう。お、お、親父だとォ!?

 確かに、あの「昭和臭いオッサン」という表現のよく似合う親父が話相手となれば、イヤでもマジにならざるを得ない。俺が思ってた以上に、深刻な話をしてる……のかな?

 しかし、親父と一体何の話を……?

 

 俺は階段のすぐ下で電話を続けている兄貴の通話内容に、耳を傾けた。スピーカーホンじゃないんだから、兄貴側の声しか聞こえないけども。

 

『龍太に、一煉寺家の技を全て教える……。本当にそのつもりなのだな』

「ああ。随分と厳しくしちまったが、これであいつもかなりマシになったはずだ」

『マシ……か。本来ならば、あの子には拳法そのものを教えないつもりだったのにな』

 

 ――んん? もしかして俺の話してんのか?

 

「……まぁ、な。本当なら、俺一人で一煉寺家の拳法を全て吸収して、龍太には武道自体に一切関わらせないはずだった。少なくとも、四年前までは」

『かつては、裏社会の悪を裁いてきた少林寺拳法の一族だった俺達も、今や普通の道院を持って普通に暮らしている。それも全ては、龍太に平穏な生活をさせるためであったな』

「そうだな……。力の強弱がモノを言う世界で、龍太を苦しめるわけにはいかない。俺だけが強くあればいいんだ……って、ずっと思ってたよ」

 

 やっぱ、俺の話みたいだな……。元々、拳法を教えるつもりがなかったから、俺には何も知らされてなかったってワケか。

 しかし、四年前って……。まさか、俺が矢村を助けようとしてボコられた時のこと言ってんのか?

 

「――けど、四年前、あいつが同級生の女子のために、喧嘩して病院送りにされた時、思ったんだ。俺だけが強くても、あいつを守れるわけじゃない。あいつが自分で自分を守れる強さ――護身術を持たないと、俺はあいつを守ったことにはならないんだ……って」

『それで二年間、あの子を道院で鍛えて来たのだろう? お前としても満足のいく拳士になったと聞いていたが?』

「確かに、あの時はな。当たり前だけど、あいつの周りに命に関わるような敵なんていなかったし、最低限、身を守れるだけの技術を教えたから、もう十分だと思ってた」

『去年の正月に一度見せてもらったが、確かにアレは最低限、だったな。突き蹴り、投げ技の精度こそ一煉寺家の拳士に恥じぬ完成度ではあったが、いかんせん基礎体力が伴わなさ過ぎる。よくあれで「技術の解放を望む者達」とやらに勝てたものだ』

「……まぁ、それは着鎧甲冑ってヤツのおかげだったんだろうさ。しかし、母さんには黙っといて正解だったな。もしあの人に龍太のコトが知れたら、俺がただじゃ済まなかったよ。一切拳法を教えず、平和な暮らしをさせてやるはずだった次男に、最低限の拳法で、命に関わる戦いに送り込んでたんだから」

『お前としては、今の龍太が自分の手を離れても大丈夫かどうかを見極める、又とない機会だったのだろうがな』

 

 完全に会話の内容は把握できないけど……どういう話をしてるのかはおおよそ察しがつくな。

 もしかしたら、この一年間の特訓の意味に繋がってるのかも……?

 

「……撃たれたあいつが、医療カプセルにぶち込まれて運ばれてきた時、確信したんだ。今のままじゃ、龍太を一人にさせるわけにはいかない。このままじゃ、いつか龍太が死んじまう……ってさ」

『――お前の話を最初に聞いた時は、まさかと思ったが……あの子の傷痕を見てからは、全て信じざるを得なかった。まさかあの龍太が、これほどの傷を負うような戦いをするようになってしまったとはな』

「ああ。その戦いの原因に繋がってる人達と関わった以上、今後一切、あの時のようなことが起こらないとは言い切れない。あいつのことだから、もし助けてと言われたら、どんなに無茶苦茶してでも突っ込んで行くだろうしな」

『それがあの子の良いところではあるが……危険な面でもある。自分の安全を計算に入れない、余りにも愚直な節があるからな。――だからお前は、決めたのだろう? 龍太に、一煉寺家の技を全て叩き込む、と』

「……そうだ。俺ももうすぐいなくなるし、道院も当分は閉鎖することにした。今の俺に兄貴として出来るのは、自分が知ってる技の全てを叩き込むだけだ。厳しくしなくちゃいけないし、龍太にとっても辛いことだと思うけど……。それでも、俺は――俺達は、本当の意味であの子を守るために、伝えるべき力を伝えなきゃいけないんだよ」

 

 ……なるほど、ね。そういうことでしたか。

 そりゃあ、あんな無茶苦茶してたら心配だって掛けるわな。もうあんな事件が起きても、撃たれるなんてヘマをしないための特訓だったわけか。

 

 ――全部、俺のためだったんだな。

 

『お前の言うことは、よくわかった。悔いだけは残さぬよう、気が済むまで「身を守り、生き延びる」ための拳法を教えてやれ。それが、今の俺に言える全てだ』

 

「ああ……ありがとう、親父」

 

 最後にしっとりと落ち着いた声でお礼を言い、兄貴は通話を切った。ガチャリと受話器を置く音が聞こえたから、多分その解釈で間違いない。

 俺は兄貴に立ち聞きしていたことを気取られないよう、そっと自室に引き返し……胴衣をクローゼットから取り出した。

 

 ――何を話してたかは知らないが、何となく俺が「守られてる」って感じの状態だということはわかった。

 クソ強い兄貴が近くにいるんだから、まぁ仕方のないことなのかも知れないが……それでも、俺は男だ。

 もうじき高二になる、って歳にもなって、ベタベタと兄貴にくっついてないと生きられないような奴にはなりたくない。

 

 ……いいじゃない。そんなに俺が頼りないってんなら、とことん付き合わせて貰おうじゃないの!

 

 俺は寝巻きを脱ぎ捨て、胴衣を纏い、白帯をギュッと締める。

 全ては、今日の特訓のために。そして、(多分)俺をナメてる親父と兄貴を見返すために……。

 

 ――仮に、今の俺が昔より随分と強くなっているのだとすれば、それはこんなベリーハード極まりない日々を過ごしていたからに他ならない。結局あれからも、俺は終始兄貴にボコられっ放しだったし。

 

 そんな俺でも、今は――戦えてる。

 矢村のために、救芽井のために。ついでに多分、俺自身のために。

 

 それだけのことが出来るようになったってトコは……まぁ、素直に感謝しとこうかな。

 



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第70話 安寧なんて、なかった

 ――そして、兄貴との鍛練を経た今の俺は、簡単には負けられない拳士になっていたようだ。

 

 拳と得物が行き違い、一つの鈍い音と共に互いの体が離れていく。

 それがカウンターを受けた反動によるものだと、手痛い一撃を受けた茂さんが認識した頃には、既に俺は彼の懐に入り込んでいた。

 

「がふっ……う!?」

「――あたァッ!」

 

 「刺す」ような勢いで突き出した拳が、白い仮面に一瞬だけ減り込んでしまう。そして、そこから弾かれるようにG型は上を向くと、ヨタヨタと後ずさった。

 

 こんな展開は誰も予想していなかったらしく、周りを見渡せば、(四郷以外の)全員が狐につままれたような顔をしていた。

 ……おいおい、久水あたりはともかくとして、救芽井と矢村はこっちを応援してたんだから、ちょっとは喜んでくれたっていいんじゃないの?

 

「……信じられない。あの時とは、技のキレがまるで違うわ。私がいない間に、一体何が……?」

「す、すごぉい……。龍太、いつの間にあんなに強くなっとん?」

 

 ――そっちかよ。ホントにそんなに変わったのか? 俺は。

 

「はがぁ、ひぎっ……! こ、こんなバカな!」

「うえっぷ、まだ続ける? つーか、早く終わってくれないと、いい加減こっちもしんどいんだけど」

「な、なんだと? ふ、ふふふ、ならば逃げ回って長期戦に――いぃっ!?」

 

 何度も急所に反撃を食らいつづけて、ようやく真っ向勝負が危険だとわかったらしい。俺が満腹でろくに動けないのをいいことに、ダッシュで距離を取ろうとしだした。

 ――だが、ちょっとキツイからといって好きにさせてやるほど、俺はフレンドリーでもない。

 背を向け、逃げる茂さんの右手を俺の左手で捻り、そこへさらに右腕を絡ませていく。まるで、うねる龍のように。

 

「少林寺拳法、龍華拳の(りゅうかけん)一つ……龍投(りゅうなげ)

 

 刹那、茂さんの右肘が天に向かって突き上がり、彼の体がマトリックスもビックリなのけ反りを披露した。

 

「んぎゃあッ!?」

「人間の体って、不思議なモンだよな。腕を固められたぐらいで、ろくすっぽ動けなくなることがあるんだから……よっ!」

 

 後ろから腕を固められ、仰向けに倒れそうになっていた茂さん。辛そうだったんで、そのまま勢いよく地面にたたき付けてあげました。

 

「ごはぁッ……!」

「――着鎧甲冑のおかげで怪我せずに済んで、よかったじゃない。生身で勝負してたら、脳震盪でポックリだったかもな」

 

 ……もちろん、これはハッタリだ。少林寺拳法は護身術であり、殺人拳じゃない。着鎧甲冑を使わないルールだったなら、そうなる前に手加減していた。

 ――けどまぁ、ここまで脅し付ければ、さすがに降参するだろう。一発も攻撃を当てられずにここまでされちゃあ、戦意もクソもあったもんじゃないはずだ。

 

「ぐ、ぐうっ……くそ、くそ、くそぉっ! なぜだ!? どうしてこんなっ……」

「さぁな。汚いマネしたバチが当たったんじゃないか?」

「ひ、卑怯だぞ! そんな超高性能な着鎧甲冑を使うなんて! それ程のモノを使えれば、誰だって……!」

「実に今さらな台詞が出てきやがった……。つか、あんたの攻撃の読み易さに関しちゃ、性能以前の話だと思うがな」

 

「ふざけるな! 全てその『救済の超機龍』のおかげだろう! そうでなければ、このワガハイが、この久水茂が、こんな無様なままで終わるはずがァァァァッ!」

 

 俺の足元に、仰向けで倒れていた茂さんは、息を吹き返すように起き上がりながら奇襲を仕掛けて来る。懐から伸びてきた電磁警棒が、予想を遥かに上回るスピードで襲い掛かってきた!

 

 ――って、まだ抵抗する気満々かい! このままじゃラチがあかないぞ……。

 

「うおっ……と! ――その速さだけはめっけもんだよ、あんた」

「ふ、ふふ、ふ。そうだ、今のうちに負けを認めて、『救済の超機龍』と樋稟をワガハイに渡すがいい。さもないと、今度こそ貴様の最期が来るぞ……!」

「悪いがそうはいかない。こっちは四郷研究所とのコンペも仕えてんだ、さっさとおしまいにさせてもらう」

 

 そろそろ、程よい運動のおかげで、胃の調子もよろしくなってきたことだしな。……もうここらが、潮時だろう。

 

「――バカにするのも、大概にしろォォーッ!」

 

 俺の挑発に、「面白い程」を通り越して「可哀相な程」引っ掛かって来る茂さんに対し、スッと身構える。向こうは怒る余り、俺が構えていることも気に留めず、さながら槍のように電磁警棒を突き出してきた。

 

「……ハアアッ!」

 

 そして、腹の奥から吐き出した息と共に放たれた待ち蹴が、再び彼の水月に突き刺さった。そこで彼の進撃は止まり、反動でG型のボディが一瞬浮き上がる。

 

「ごはっ!?」

「――得物を使うのは結構だが、相手が少々よろしくなかったな」

 

 衝撃と痛みのあまり、茂さんの体がくの字に曲がる。その隙を見計らい、俺は手刀で彼の電磁警棒を払い落とした。

 

「あっ、ぐ……くく、くそぉっ!」

「おっと、この状況で拾えるつもりか?」

 

 四肢の自由を奪われたかのようにもたつきながら、茂さんは震える手を得物へ伸ばそうとする。俺はその手の四本の指を、容赦なく掴んだ。

 そして、そこから捩上げるように、指から彼の腕を捻っていく。

 

「ん、ぎぃい!?」

「――龍華拳、木葉返(このはがえし)

 

 自分の四本の指を捩られ、たまらず茂さんの体は、それに釣られるように回転してしまう。まるで、バレリーナのように。

 ……そして、回転が終わった時には、彼は俺の手前で膝をついていた。俺に手を捻られたまま。

 

「あんたは動きが素早いし、戦闘にも慣れてる感じはあった。けど、その手段を電磁警棒に頼りすぎてる。敵を視界から外して、得物を拾うことだけを考えるからこうなるんじゃないか?」

「……き、貴様……どこでこんな戦術を……ッ!」

「俺の兄貴から、だな。攻めることを重点に置かない、あくまでも自衛を優先する護身術だよ」

「――そんな受け身な戦い方に、このワガハイが屈したと言うのか!?」

 

 ……受け身、か。まぁ、実際その通りだよなぁ。

 そんな手段でなきゃ、基礎体力が一般的な俺で、古我知さんや茂さんに敵うはずがないんだし。

 

 けど――

 

「――別にいいんじゃない? 『受け身』で」

「なっ……!?」

「受け身だろうが卑怯だろうが、自分の手で自分を『守れる』なら、それで十分だと思うな。俺達は『戦う』ためにコレを着てるんじゃない。着鎧甲冑って、そういうモンでしょ?」

 

 ……ってのが、俺のいわゆる「独りよがり」ってヤツ。

 

 ――「技術の解放を望む者達」や「呪詛の伝導者(フルーフマン)」を見てれば、嫌でもわかるさ。能動的に相手を攻める「兵器」が、どんなに恐ろしいモンか。俺自身、どてっ腹に一発ブチ込まれたわけだし。

 

 俺が思うに、あんなことがあっても、着鎧甲冑のバリエーションに「G型」が存在出来たのは、最低限の自衛ができる程度の戦力は必要だったからだろう。「救済の先駆者」が、そうだったように。

 「正義なき力は暴力であり、力なき正義は無力」。兄貴の受け売りだが、そんな言葉もある。無力でいないためには、嫌でも力は持たなくちゃいけなかったんだ。

 

 だけど、その理屈にあぐらをかいて「戦う力」を求めてしまったら、結局は「呪詛の伝導者」と何も変わらなくなってしまう。それはきっと、今の茂さんがいい例なんだろう。

 甲侍郎さん達が一生懸命考えて、捻り出した「答え」でそんなマネをされちゃあ、そりゃ救芽井だって悲しいさ。

 

 だから俺は、「必要最低限」の「受け身」な戦い方で、着鎧甲冑の理念を守りたい。だって、着鎧甲冑は兵器じゃないんだから。

 ――何より、俺なんぞをわざわざ信じてくれた、救芽井を泣かせないために、ね。

 

 ……そして今は、俺のせいで巻き込まれてなお、俺を応援してくれる矢村のためにもな。

 

「着鎧甲冑は兵器じゃない。喧嘩の道具でもない。守るためのモンだ。自分や、ほかの誰かを、な」

「ぐ、ぬっ……!」

 

「……つーわけだから、今回ぐらいは華を持たせてもらうよ? ――茂さんッ!」

「ひっ、ぎゃああああああッ! ま、ま、参った、ァァ……ァァァ……!」

 

 未だに諦めず睨みつけて来る茂さんに対し、俺は捩る力を強めた。骨が軋む音に並行するかのように、彼の悲鳴がアリーナ中に響き渡る。

 

 ――そして、ようやく茂さんは音を上げてくれた。

 

 この決闘のピリオドを、自ら打つかのように。

 

「……え? 『参った』?」

「と、いうことは……」

 

 その叫びを耳にして、相変わらず呆気に取られていた救芽井と矢村は、更に目を丸くして互いに顔を見合わせる。そして――

 

「――や、やったああぁ! 龍太君が勝ったあああぁあっ!」

「う、うぇえぇえんっ! 龍太ぁぁぁ! やったぁぁぁっ!」

 

 ――呆然状態のギャラリーを完全放置して、ハイテンションな歓声を上げた。矢村に至っては、泣き出してやがる……。

 しばらくの間は、歓喜する二人にも反応を示さずにいた久水家の方々だったが、やがてセバスチャンさんがハッとして「ティィィケェェオォォォォッ!」という雄叫びを上げた途端、(これまた四郷以外の)全員が我に返ったようにどよめきの声を上げた。

 

「そんな、まさか!」

「あの最年少で着鎧甲冑を保有した茂様が、あんな少年に!?」

「すごいですわ! あれが救芽井エレクトロニクスの次期社長の実力……!?」

 

 ……オイ。なんかとんでもないデマが広まってんぞ。なんだ次期社長って……。

 いや、それよりも。妹の梢様の反応が気掛かりだ。お兄様がやられたせいでブチ切れてるんじゃ……。

 

「――ふん。あなたにしては、まぁ、多少はよく頑張った方ざますね」

 

 ……あるぇ? 意外に……喜んでる?

 口調は相変わらず高飛車ではあるが、口元は明らかに緩んでいた。暑いせいか頬もほんのりと赤く、何かにうっとりしてるような表情を浮かべている。

 

 ――ああ、なるほど。「救済の超機龍」が、きっと気に入ったんだろうな。

 うん、確かにうっとりするのもわかる。この世に二つとない特注品なんだし。

 

「そ、そんなぁ……梢、お前はワガハイの味方じゃないのかぃ……?」

「……一煉寺さん、多分ひどい勘違いしてる」

 

 ――って、なんか四郷さんが養豚場の豚を見るような目で睨んで来るんですけど。茂さんも、着鎧が解けた状態で涙目になりながら、妹に縋り付いてんですけど。

 

「黙りなさいこのツルッパゲール! いい恥さらしですわ、覚悟なさい!」

「ひ、ひぎぃやぁぁぁあッ!」

 

 ――どこから持ってきたのか、鉄バットで兄貴のケツをシバき始めてんですけどぉぉ!?

 マジで何なんだこの兄妹! 茂さんがハゲた理由って、まさかこの折檻じゃあ……。

 

「な、なぁおい、もうその辺で……」

「おぉーっと、忘れるところだったざます。このワタクシを差し置いて、救芽井さんや矢村さんを侍らせていたコト……償ってくださいましィィィ!」

「……って、なんで俺までぇぇぇっ!?」

 

 ま、マズい! なんだか知らないけど、いつの間にか俺もシバかれる空気になってる!

 茂さんと違ってまだ着鎧してる状態だから、鉄バットでシバかれても効かないはずなんだけど、何故か本能が「逃げろ!」って叫んでる!

 

 ――捕まったら死ぬ。本能が、そう警告していらっしゃるぅぅぅッ!

 

「龍太くぅぅんっ!」

「龍太ぁぁ〜っ!」

「さ、さ、三十六計逃げるに如かずぅぅッ!」

「待ァァァつざまァァァすッ!」

 

 目に涙を貯め、駆け寄って来る救芽井と矢村を華麗にスルーして、俺は一目散に久水邸への逃亡を図る。そして、そんな俺を追う久水の鉄バットが、陽射しを浴びて妖しい光沢を放った。

 

 ――あっれー? おかしいなー。なんで決闘が終わっても安寧が訪れないのー?

 バカなの? 死ぬの? ……俺が。

 

 そんな不条理極まりない現実に泣き笑いを浮かべ、俺は日が沈むまで久水から逃げ回っていたとさ……めでたしめでたし。

 

 ……何がめでたいって? 決闘が終われば良しと思ってた俺の頭だろ、アハハ……。

 



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第71話 ぷるるんおっぱいが俺を呼ぶ

 決闘をなんとか無事(?)に終え、この日の日程を完了した俺達は、一晩久水邸にお泊りすることになった。

 

 負けた上に妹に散々シバかれたせいか、茂さんも夕食は普通に振る舞ってくれた。負け惜しみに嫌がらせをしないところを見ると、素直に認めてくれたという――

 

「言っておくが! 自分の力で勝ったのではないぞ! その着鎧甲冑の性能のおかげだということを、忘れるな!」

 

 ――わけではなかったようだ。負けたこと自体は認めてくれたみたいだけど、未だにちょくちょく突っ掛かって来るんだよなぁ……。

 

 食事中でもクドクドと説教を垂れて来る茂さんには、ほとほと困ったもんである。彼の隣で黙々と紅茶を嗜んでいた妹さんに助けを求めても、ブスッとした顔でシカトされてしまった。

 ……高慢ちきな態度は、学校の部室で再会した時でも相変わらずだったのだが、俺のことを思い出してからは、それに加えて不機嫌な振る舞いも目立たせていた。恨みを買った覚えはないんですけど……。

 しまいには四郷までもが俺をジト目で睨みだし、「つみつくり」などと罵倒していた。いや、知らんがな。

 

 救芽井や矢村がホクホク顔である一方、久水家の面々がそんな調子だったので、俺としてはなんとも居心地が悪かった。セバスチャンさん達使用人一同も、そんな兄妹の様子が心配そうだったし。

 結局、夕食の間はずっとそんなムードが続き、美味しいご飯を頂いたはずなのに、胃が痛い思いをする羽目になってしまった。……昼食の時とは、違う意味で。

 

 ◇

 

 ――やがて夕食後、「お風呂の用意をしますので、しばらく休憩していてください」とメイドさんに言い渡された俺は、自分に宛てがわれた部屋で待つことになった。救芽井達も、別の部屋を提供されてるらしい。

 

 紅いカーペットに、金色に輝くシャンデリア。隅々まで磨かれたテーブルや椅子に、カーテン付きベッド。

 いかにもという感じの豪勢な個室だが、俺一人のためにこんな場所を提供するなんて、久水家ってのも相当な太っ腹らしい?

 

「よぉーし、そんなら早速、ベッドのふかふか具合から吟味させていただこうかな――っと!」

 

 ……まぁ、空腹に悩まされたり、満腹の状態で戦わされたりと、今日は散々だったからな。たまには、くつろいだってバチはあたるまい。

 俺は自分の荷物が置かれている方を見遣りながら、思いっ切り白いベッドに飛び込んだ。俺の体から発生した衝撃が波打つかのように、柔らかなシーツがふわりと揺れる。

 

 ……や、やんわらけぇ〜。いいなぁ、いつもこんなフカフカなベッド使ってんのか? 俺ん家とはやっぱり全然違うなぁ……。

 ――それに、なんだか凄くいい香りがする。けどこれ、どっかで嗅いだ覚えのあるような……? ま、それはいいか。

 

「つーか、なんで俺の個室って話なのに枕が二つもあるんだか……ん?」

 

 ――しばらくベッドの上で寝そべっていた俺。下手したら、そのまま寝ちゃいそうな程に心地好くなりつつあったのだが、突然掛かってきた電話のおかげで、なんとか寝落ちは免れた。

 眠りかけていた脳みそに「電話に出ろ」と命令され、俺はやや気だるげに身を起こす。そして、着うたのコーラスが終わる寸前でケータイを開いた。

 

「通話は……知らない人から? なんだよこんな時に……」

 

 ケータイの着信画面に人名は出ておらず、電話番号だけが表示されていた。少なくとも、今まで連絡を取ったことのない人だというのは間違いない。

 このタイミングでこんな電話が来るなんて、一体……? とにかく、出てみるしかあるまい。

 

「もしもし?」

『一煉寺君、聞こえるかね? 伊葉和雅だ』

「え? あーはいはい、伊葉さんね……って、うえぇ!?」

 

 ――まさかの元総理大臣、キター!? このダンディな声は、紛れもなく河川敷にいた、あのオッサンッ!

 な、なんでまた俺に電話を!? つか、なんで俺の電話番号知ってんだよ!?

 

『突然の電話で、申し訳ない。本来ならば樋稟君に連絡すべきところなのだが、彼女は携帯電話を所持していないらしいのでな』

「それで俺に、ですか? でもどうやって――」

『特別な事情だからね。君の学校の校長先生にお願いして、情報を提供して頂いた』

「――あ、そういうことっすか」

 

 学校までグルなのかよっ!? あの校長ォーッ! 個人情報保護法違反ですよォーッ!?

 ……ま、急用らしいし別にいいけどね。むしろ、救芽井がケータイを持ってないって話を、どこで仕入れたのかが気になるくらいだから。

 

『さて……それでは早速本題に移りたい。例の決闘の件、ご苦労だった。実に素晴らしい戦いを披露してくれたと聞いている』

「はぁ、どうも。――って、え? どうしてそれを?」

『私にも情報網の一つくらいはある。それより、どうかな? 二十五台しか存在しない着鎧甲冑、その保持者の中でも有数の実力者と言われている、久水茂と戦った感想は?』

「……まぁ、手こずりはしましたよ。勝てない相手じゃなかったですけど」

 

 ――茂さんは確かに弱くはない。一見、俺の圧勝のようにも見えていたのかも知れないが、あのスピードや電磁警棒捌きには結構驚かされた。有数の実力者って話も、十分頷ける。

 ただ、兄貴にくらべてツメが甘すぎた、というくらいだ。

 しかし、そんなことを聞いてどうするつもりなんだ? この人は。

 

『そうか……。数日後には、四郷研究所でのコンペでも、同じようなことをするだろう。それに向けての自信はあるかな?』

「え? 着鎧甲冑との技術比べで戦闘なんてやるんですか? 向こうの商品がどういう代物かは知りませんけど、着鎧甲冑は別に戦闘用じゃ――」

『……あくまで一環としてなら、十分に有り得る。最低限の自衛能力は、双方とも必要としているからな』

「そ、そうっすか。……まぁ、茂さんくらいの人だったら簡単に負ける気はしませんし、そうでなくても、出来るだけのことはやるつもりです」

 

 それを自信と呼べるのかは別として、意志としてはそんなところだ。ここまで来といて、「やっぱ怖いんでやめます」とか言える空気でもないのは、自明の理である。

 

『うむ。そう言ってくれると、私も信じていた。甲侍郎が、婿に見込んだだけの男ではあるな』

「なぁっ!? 甲侍郎さんと知り合いなんすか!?」

 

 ……思わぬ繋がりがあったもんだ。そりゃあ、娘のケータイ事情も聞かされてるはずだわ。

 

『彼とは旧知でな。……まぁ、そんなことはどうでもいい。とにかく、今回の用件は、今の君の意志を聞きたかったというだけだ。いい答えを聞けて、満足している』

「そ、そうですか? まぁ、俺に出来ることなんてたかが知れてますけど」

 

『そんなことはない。むしろ、この国の未来は君の手に掛かっている、と思って欲しいくらいなのだ。明日中には、四郷研究所に向かって頂きたい。――君の、君達の健闘を、祈る』

「え? ちょ、伊葉さんそれってどういう――」

 

 ――あれ、切られちまった。……日本の未来が、掛かってるって?

 

 最後の方では、なんだかまくし立てるような声色になってたけど……今度のコンペって、そんなに国の大局に関わるモンなのか?

 なーんか、俺の知らないところでいろんなことが起こりまくってるって感じがするなぁ……。普通なら、あんなスケールのでかい話を持ってこられても、「胡散臭い」って笑い飛ばしていられたのに。

 ――今じゃ、全部が大マジだと信じざるを得なくなってる。俺が直に関わっていた「着鎧甲冑」の技術が、世界中に影響を与えようとしてるのは事実なんだし。

 

 ……だけど、それに付いて行けるほど強い人間になったって気はしない。周りの状況だけが際限なくエスカレートしていくのに、俺一人だけが何も変わってない。

 多少、護身術の腕は以前より上がってるのかも知れないが、それでも周りの変わりように比べれば、微々たるものだろう。

 

 伊葉さんにはあんなコト言ったけど、正直言うと、不安はある。

 俺の力で、どこまで届くんだろう。どこまで、付いて行けるんだろうか。この、端っこの見えないスケールの世界に。

 

 一人で考えていても答えなんて出ないはずだし、その時が来ないと本当のところはきっとわからないだろう。

 頭ではそう理解していても、心のもやもやをそんな割り切りで解決するには、いささか時間が必要だった。

 

 ――だが、俺にはその「時間」すら許されないらしい。

 ドンドンと部屋の扉を叩く音が、俺の意識を現実世界に引きずり出してしまったのだ。

 

「梢! もうそろそろ、お風呂の時間だぞ! 早く支度したまえ!」

 

 誰か用なのかと思えば――まさかの茂さんかよ。つか、なんで「梢」?

 部屋を間違えたんだろうか? ここの当主なのに?

 

 ……まぁ、とりあえず扉越しにでも返事してみるか。

 

「おい、ここは俺の部屋らしいぞ。妹さんは別の部屋使ってんじゃないのか?」

「なっ……その声は一煉寺龍太!? き、貴様! 妹の部屋で何をしている!?」

「はぁ!? 俺はここの部屋を使えってメイドさんに言われたからここに――!」

「ワガハイのメイドに!? と、とにかくここを開けろッ!」

 

 な、何なんだ急に……。ここが、久水の部屋?

 

 わけのわからない供述に首を傾げつつ、俺は扉を開きながら、そこに張り付いて壁に隠れた。次の瞬間、入り口が開通したと同時に、茂さんが必死の表情で部屋に飛び込んで来る。

 ……あ、あぶねー。実に予想通りだった。普通に出入り口で突っ立ってたら、間違いなく顔面衝突しかねない勢いだったぞ。

 

 俺はアポなしで侵入してきた、クレイジーな来客に冷や汗をかきつつ、ゆっくりと扉を閉める。侵入っつーか、お邪魔してんのは俺なんだけどね……。

 そして、扉を閉じる際に発せられたバタンという音に、凄まじい程にビクリと反応した茂さんは、慌ててこちらに振り返る。

 

「き、貴様、いつの間に後ろへ! さては忍術か! 抜け忍か!」

「伊賀流か甲賀流か、それが問題だ――って、ちげぇよ! つか何でいきなりお尋ね者扱い!?」

「妹の部屋に我が物顔で住み着いておいて、なんと白々しい! この甲賀流久水茂が成敗いたす!」

「なんか設定盛って来やがった!?」

 

 見るからに漫画から引用したような、シュールな構えを披露しつつ、茂さんは露骨に敵愾心を示して来る。こんなのとさっきまで同じ土俵で戦ってたのかと思うと、死にたくなるな……。

 だが、ちょっと待て。妹の部屋?

 

「……なぁ、ここってもしかして、本当にアイツの部屋……なのか?」

「当然だ! 今さら知らない振りをしても遅いぞ! ニンニン!」

 

 改めて確認を取ってみると、やはり彼はここが久水の部屋で間違いないと言う。千年殺しのポーズと共に尻を左右に振りながら。

 

 ……え? つまり……どういうことだってばよ。

 ――まさか、本当にここが久水の部屋!? てことは、あの二つの枕と嗅ぎ覚えのある香りはッ……!

 

「ぐはァァァァッ!」

「ぬォ!? ど、どうした一煉寺龍太ッ!?」

 

 恐るべき結論に到達してしまった瞬間、俺は顔面蒼白になりながら頭を抱え、両膝をついていた。自分のやってしまったこと。それが全てフラッシュバックしてしまったがために。

 

 ――や、や、やってもたァァァァッ!

 

 アイツの部屋とは知らず、顔をベッドに押し付けて散々香りを堪能したり、どっちかの枕の柔らかさに悶絶していたり……!

 女の子の個室で、俺はそんなことをしてしまったのか!? は、犯罪だァァァッ!

 

 く、くそぅ! 俺に金持ちワールドの価値観が備わっていれば、こんなことにはならなかったハズだ!

 だって、こういうセレブリティーな世界に慣れてる人なら、部屋を一目見るだけで「客室にしては豪華過ぎる」ってわかってたかも知れない。けど、全くのパンピーたるこの俺に、そんなコトがわかるわけがないッ……!

 

 これが救芽井や矢村だったなら、まだなんとか謝れば許してくれていたかも知れない。だが、今回の相手は、あの久水だ。

 ――もしバレたら、今度は何をされるかわかったもんじゃないッ! 昼間の鉄バット地獄が、フラッシュバックしちゃうぅうぅッ!

 つかメイドさんッ! あんたはどうして! どうしてこんな禁断のエデンに、招待してくださりやがったァァァァッ!?

 

「ぐふぅぉおおぉ……! お、俺はなんということをぉぉ……!」

「……ま、まぁ反省しているのであれば、清く正しいワガハイは許してやらんこともない。実際、貴様に用があるのも確かだったしな」

「ふんぐぅうぅぁ……え?」

 

 ……という感じに悶絶していた俺がさすがに哀れに見えたのか、茂さんはそれ以上の追及は控えていた。

 いつの間にか、元通りのスラッとした佇まいに戻っていた彼は、やや気まずそうに俺を見下ろしている。どうやら、知らぬ間に俺が宥められる立場になっていたらしい……。

 

 ――その後、夕食や昼食を取っていた会食室に連れて来られた俺は、茂さんに紅茶を振る舞われていた。

 周りには使用人がほんの二、三人控えている程度であり、基本的には俺と茂さんの一対一の状態となっている。ちなみに、女性陣は現在、絶賛入浴中とのこと。

 

「どうだ? ワガハイの入れた紅茶の味は」

「うん、なんかスッキリしてて美味いよ。紅茶なんてあんまり飲んだことないから、うまく言葉にできないけど」

「当然だ。この崇高なる久水茂の入れた紅茶の味が、たかが中流家庭の一般庶民ごときに理解されてたまるものか」

「あはは……」

 

 自分の庶民臭さに苦笑いを浮かべると同時に、向こうは得意げに鼻を鳴らしている。こうしていると、なんだか普通に仲がいいように錯覚してしまうな……。

 いや、仲良くできたらそれが一番なんだけどね。後味悪いのは嫌っていう気持ちは、今も一緒だし。

 だけど、茂さんとの関係は、最初の救芽井の時より壊滅的だ。矢村のことが原因であんなに対立したし、実際に戦ったし。

 正直、今こうして紅茶を頂いてるのが不思議なくらいだ。彼は今、何を考えてる……?

 

「……聞いたぞ、色々と」

「え?」

「貴様がいかにして選ばれ、いかにして今に至るか。貴様が妹に追い回されている間にな」

 

 俺が紅茶を飲み干したのを確かめると、茂さんは真剣な眼差しで俺を見据えてきた。やっぱり仲良しになれるような雰囲気ではなさそうだが……今までのような見下した視線でもなかった。

 

「『技術の解放を望む者達』、そして『呪詛の伝導者』……古我知剣一の主張……どれもにわかには信じがたい話ではあったが、樋稟が直々に語る姿を疑うわけにもいかない。……梢も、信じられない、という顔をしていた」

「あー、そ、そう? 俺もあの時のコトは、白昼夢みたいにしか思えない時もあったよ。正直、自分が大事に関わってるなんて、考えてもみなかったんだし。俺はただ、救芽井のお手伝いをして仲直りがしたかっただけなんだ」

「……その『仲直りがしたかっただけ』の貴様にッ! 樋稟は身も心も虜にされたというのかッ!」

 

 何か壮大な買い被りをされてる気がしたので、当時の心境をバカ正直に並べてみたのだが……どうやら、火に油を注いでしまったらしい。

 彼は悔しげに唇を噛み締めると、テーブルを思い切り両手で叩き、俺が使っていたカップをガチャリと揺らした。周りの使用人達もどう対応すべきかわからず、おろおろしている。

 

「……我が久水家は、常に時代に選ばれし才女を花嫁に迎えてきた。その伝統に則るならば、ワガハイの伴侶となる女性は、彼女以外には考えられなかったのだ」

「――それが、救芽井に言い寄った理由?」

「それだけではない。彼女の麗しさ、ヒーローとしての気高さ、その全てに、ワガハイは心を奪われた。初めて会った時、世界に愛される理由に気づかされたよ」

「……そっか」

 

 第一印象が第一印象だから、俺にはイマイチよくわからないが……やはり世の男達から、盛んに求愛されるだけの女性ではあるらしい。彼女は。

 

 けど、茂さんが割と真剣に救芽井のことを想ってたのには、ちょっと安心した。金目当てで近づくような奴だったりしたら、あの決闘に負けた時のことが心配でしょうがなかったからな。

 

「ワガハイは彼女を手に入れるため、あらゆる手を尽くした。本来、警察組織の中でもエリートクラスの者しか所有が許されていない『G型』を手に入れるために、警察内での所有者を決める大会に飛び入り参加したくらいでな」

「救芽井エレクトロニクスに近づくために、そこまで?」

「……それくらいのことが出来なければ、既に決められていたという婚約者――すなわち貴様を超えることなど、できないと判断していたからな」

 

 ジロリと睨まれ、思わず肩を竦めてしまう。俺なんぞのために、イロイロとお疲れ様です……。

 

「だが……やっとの思いで『G型』を手に入れても、スポンサーになるという条件を持ち出しても、とうとう彼女を手にすることは叶わなかった……。今となっては、資金だけを救芽井家に捧げ、貴様との結婚式が挙げられてしまう瞬間を、指を噛みちぎって見届けることしかできないッ!」

 

 酒は飲んでない様子なのに、言ってることややってることが、まるで娘を嫁に送り出す父親の図だ。決闘に負けて好きな女の子を取られた(ことになってる)上、無条件でスポンサーになる誓約もさせられちゃあ、こうなるのもやむを得ない……のか?

 

「くわえるどころか噛みちぎる気か!? 頼むから人の人生を勝手に血染めにしないでくれ!」

 

 それでも、やっぱり噛みちぎられるのは御免被りたい。

 ――そもそも、本当に結婚するかもわからないってのに。この人といい周りといい、何かと性急過ぎるんだよ。

 

 けど、そんなこと口にしたら「貴様は樋稟の愛を弄んだのかァァァ!」とか言い出しそうなんで、まぁ今は何も言わないでおくとしよう。

 

「はぁ……あのなぁ茂さん、別に世の中、救芽井しか女がいないわけじゃないだろう? 矢村に久水に四郷……俺みたいな田舎者が知ってる分だけでも、それくらいたくさんの可愛らしい女の子がいるんだしさ。もちっと、視野を広げてもいいんでない?」

 

 気がつけば、俺もフラれた友人を慰めるかのようなことを抜かし始めていた。あるぇ? 元々こんな話だったっけ?

 

「ぐすっ、ぐひっ……! だ、だが、この久水茂、ただでは散らぬ……。どうせ叶わぬ恋だというのであれば!」

 

 悪酔いでもしたかのように、しばらく真っ白なテーブルクロスに突っ伏して、むせび泣いていた茂さん。そこにちょっと慰めの言葉を掛けてみた途端、まるでそれがスイッチだったかのように、ガバッと身を起こして来なすった!

 

「う、うお!? どど、どうした!?」

「かくなる上は――貴様が云うところの、天使達の舞い踊る桃源郷にて、壮絶に散ってくれようぞ!」

 

 な、なんだそりゃ!?

 俺は「天使達」なんてロマンチストな台詞は、一度たりとも吐いた覚えは……!

 

 ――あ、まさか。

 

 俺がその意味を察した瞬間、茂さんは脱兎の如く、会食室を猛ダッシュで離脱した。は、速い!

 

「フハハハハ! せいぜい悔しがるがいい、一煉寺龍太ァッ! 生まれたばかりの樋稟の麗しき姿を、最期にこの眼へ刻んでくれようぞォォォォッ!」

「最高に最低な散り様キタァァァァッ!?」

 

 なんだ最期に刻むって! ちょっと言い回しがカッコイイからごまかされてる気がするけど、それってただの覗きだからな!?

 

 ――い、いかん! このままほっといたら、マジで救芽井達に粛正されかねん! ガチで俺の人生が、コイツの血で朱く染められてしまうッ!

 そんな放送禁止ワッショイな事態になんぞ、させてたまるもんですか!

 

 俺は一拍遅れて席を立ち、状況が見えずにポカンとしている使用人一同を完全放置しつつ、茂さんを追う。……うん、あんた達はわからないままでいいよ。知らない方が幸せなことって、あると思うし。

 

「うひょひょひょひょい! ぷるるんおっぱいはワシのもんじゃァァァァッ!」

「欲望に目が眩みすぎてキャラ崩壊してんぞ!? もはやただのオヤジじゃねーかァァァァッ!」

 

 マ、マズイ、これは重症だ! 一刻も早く……早く止めなければッ!

 

 久水邸の大浴場へと繋がる廊下を舞台に、いつしか俺と茂さんの「命と大切な何か」を賭けた短距離走がスタートしていた。

 ……いや、別に俺はやましい動機は何もないからな? ぷるるんおっぱいに魂を引かれた愚民にはなってないからな?

 

 ――し、茂さんに共感なんて、こ、これっぽっちもしてないんだからねっ!?

 



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第72話 女湯強襲揚陸

 久水邸の大浴場は、男湯と女湯を壁で隔てた形になっている。といっても、その上の辺りは壁が途切れており、まぁその気になれば、登れなくもないのかも知れない。

 

 俺と茂さんは今、その大浴場の男湯側に行き着いていた。無駄にきらびやかな脱衣所に突入して早々、決闘の時よりも速く全裸になるスケベ根性には、心底頭が下がるぜ……。

 

「さぁ、貴様も早く脱ぎたまえ。そして共に、エデンへと旅立とうではないか!」

「サラっと共犯者にしようとすんなッ!?」

 

 ……とは言え、いずれ風呂に入らねばならんのは変わらない。満腹で戦わさせられたり鉄バットで追い回されたりで、服の色使いが全体的に暗くなるほど汗だくになってるんだから。

 俺は若干腑に落ちないままで、茂さんに続き服を脱いでいく。……彼と違い、腰タオルはきちんと装備して。

 

 ――薄い桃色のタイルが敷き詰められた大浴場は、なかなかに豪勢な造りだった。さすが、金持ちは違う。

 奥の方からは、僅かながら女性陣の話し声が聞こえて来る。どうやら、まだ上がってはいないらしい。……嬉しいやら、悲しいやら。

 

「楽園だ! 楽園がここにあるッ!」

「静かにしろよ。……あんたの目論みが露見しても知らんぞ」

 

 このまま居座られたら、茂さんの毒牙に晒され兼ねないわけだが、それはそれで俺も美少女達の、女子会トークをご拝聴できるかも知れない。なんというジレンマ……。

 

 ま、どうせ覗きなんて働こうとしてもシバかれるのがオチだろうし、別にほったらかしても――

 

「ふぉおぉっ! ワッ、ワガハイのアンテナに反応アリ! ビンビンに! ビンビンに反応しているッ!」

「チョップで叩き折りたいアンテナだ……」

 

 ――前言撤回。こんな発情期のサルみたいな出家野郎を野放しにしていたら、あのファミレス事件の二の舞が起こる。大の男のエクスカリバーなんて見せ付けられたら、悲鳴どころの騒ぎじゃなくなるぞ!

 

「さぁさぁ一煉寺龍太! まずは天使達の澄んだ声に耳を傾けていこうではないか! それから裸をたっぷり……ゲヘヘ」

「もはや後半は隠す気すら失せてきてるな……。頼むから、その仕込み刀ぐらいは隠してくれ。触りたくもないのにヘシ折りたくなるから」

 

 大浴場に来ただけで暴走状態に陥っている茂さん。あんたまだ何もしてないだろ……。

 そんな状態の彼に手を引かれて、壁まで連行されるのは気持ちのいいことではないが、女性陣の会話内容には興味があるので我慢する。

 

 ――いやだって、女子ってよく陰口するじゃん? もしかしたら俺の悪口とか言われてるかも知れないし、そういうのって、傷つくとわかってても気になるし……。

 そんな詭弁で、無理矢理盗み聞きを正当化しつつ、俺は茂さんと共に壁に耳を当て――

 

「あぁんっ!?」

 

 ……色っぽい嬌声に、悶絶した。俺と茂さんは、同時に二本の紅い水柱を射出し、もんどりうって倒れる。

 

 ――なんだ今の? もしかして、救芽井の声……?

 

「さっきはよくもやったざますね! 気安く乙女のプライベートゾーンを侵略するとは、いい度胸ざますっ! これは、そっくりそのままのお返しですわっ! それそれぇっ!」

「あっ、んやぁっ! そ、そんなに激しく――んはあぁっ!」

「……梢の、復讐劇……」

「ふ、ふんっ! あんな贅肉なんか揺らしよっても、龍太はモノにはできんのやけんなっ!」

 

 壁越しに聞こえて来るのは、四人の話し声――と、エッチな声。救芽井と矢村、それから久水と四郷がいるらしい。

 彼女らが何をしてるのかは……まぁ、大方予想はつく。口にするには勇気がいるけど。

 

「まさか……樋稟! 君はワガハイに嫉妬するあまり、梢の巨峰をわしづかみにッ!?」

「コイツが口にしやがったァァァッ!?」

 

 茂さん……その推理力は、称賛に値する。値するけど、言葉選べ。

 あと、別にあんたに嫉妬してのことじゃないと思うぞ。夢を壊しちゃ悪いし、敢えて言わないけど。

 そんな俺の胸中を他所に、彼は鼻の穴からフンスと空気を噴き出し、再び壁にベッタリと張り付いてしまった。この先の会話内容が、よほど気になるらしい。

 ……それは俺も同じだけどな。

 

 しかし、救芽井ってホントにイタズラ好きだよなぁ。俺に思わせ振りなキスまでして、その上久水のダブルメロンに……ゲフンゲフン。

 

「ほらほらぁ〜、いい加減降参しなさ――きゃあっ!? は、反撃なんて卑怯ざますっ! や、やめな……はぁあぁっ!」

「うるさいわねっ! 久水さんのこんな無駄脂肪に、龍太君のヴァージンが危ぶまれていただなんて、フィアンセとしての私のプライドが許せないのよっ!」

「い、一煉寺は関係ないざますっ……んあぁっ! そ、それにこんなことしたって――あん!」

「揉めば脂肪が燃焼されて、胸が小さくなると本で読んだことあるの! 私と龍太君の将来のために、協力して頂戴っ!」

「そ、そんなの知らないざますぅ〜っ!」

 

 ……えと、ちょっと待て。なんだ。なんなんだコレは。

 イヤという程向こうの状況が読めるのに、理性が必死に現実を否定しようとしてる。

 俺のヴァージンがどうのこうのとか、会話内容だけでもツッコミ所はいろいろあるけど、現実の状況が衝撃的過ぎて、脳みその処理能力がそれどころじゃなくなってる。

 ――あら、茂さんがまた倒れてる。今度は顔面蒼白で、血を全部抜かれたかのような表情になっていた。「フィアンセ」ってワードに、想うところでもあったんだろうか?

 

「――ウ、ウガァァァッ! 無駄脂肪とか、あんたが言うなやぁぁぁぁッ!」

「きゃあんっ!? や、矢村さんまでそんな――やあっ!」

「……まだ慌てる時間じゃない。ボク達はまだ、成長が表出していないだけ……」

 

 なんか、比較的大人しかったはずの矢村までもが、壁の向こうで荒ぶり出してるし……もう、なにがなんだか。

 

「ワ、ワタクシと一煉寺はただの幼なじみざますっ! 別に今はなんでも――あぅん!」

「なんでもないわけ、あぁん、ないじゃない! あなたはどうか知らないけど、んんっ、龍太君はちゃんとあなたを覚えてた! く、悔しいけど……ひうっ、それだけ、あの人はあなたを大事にしてたのよっ! それを頭っから否定するつもりなら、もっともっと激しくしてやるわっ!」

「あ、んふっ! ワ、ワタクシは、ワタクシはっ……!」

 

 ……んん? なんだか今、すごく真面目な話を聞いたような気がする。やってることはアレなのに。

 

 ――救芽井は救芽井で、俺のことも考えてくれてたってことなのかな。

 確かに気がやたら強いってだけじゃなく、フラれたって背景もあるから、久水のことはつい苦手に思いがちだけど、別に嫌いになったわけじゃない。せめて昔のような間柄に仲直り出来れば、って思う。

 彼女の方は……どうなんだろうか? もし昔の気持ちを覚えていてくれたなら、俺はそれだけで――

 

「ムハァァァッ! 最愛の女性と妹の、生まれたままの絡み合い! ワ、ワガハイ、もう辛抱ならぬゥゥゥッ!」

 

 ――あのね茂さん。せっかくイイハナシになって来てたのに、やましい叫びでブチ壊しにしないで下さる? さっきとは打って変わって、血眼で壁をよじ登り出したし。

 もう勝手に裁かれちまえ! と言いたいのは山々だが、せっかくいいムードになりかけたところへ、湯煙殺人事件の被害者になられても困る。……止めるしかないな。

 

「待てよ茂さん! 今出てったら――っつーか、いつ出て行っても殺されるぞ!」

「止めないでくれ! どうせ、いつでも彼女を心行くまで堪能できる貴様には、わからないことだ! 例え得るものがないのだとしても、ここで手を伸ばさなくては、ワガハイは何一つ手に入れられぬまま、孤独に老いていってしまうばかりなのだッ!」

 

 うわ……マジだこいつ。壁の切れ目に向かってよじ登りながら、足を捕まえて降ろそうとしている俺に対し、血の涙を流して睨みつけて来る。

 やっぱり、一度心に決めた女性というのは、簡単には忘れられないってことなのか? こんなに一途に想ってあげられるなら、あながち救芽井にとっても悪い話では――

 

「ぐへへへ……ゆえに最期に一つ、たぁ〜っぷりと楽しませてもらおぅ……げへへへ……」

 

 ――いや、悪い話だ。つか、最悪だ。こんなのに愛されてたら、そりゃあ救芽井も俺に勝たせようと躍起になるわな……。

 

「うひゃひゃひゃひゃーッ! ぷるるんおっぱいよ待っておれぇーッ!」

「早ッ!? ヤモリかあんたは!?」

 

 俺がその性欲剥き出しな態度に辟易した瞬間、茂さんはバッと俺の手を蹴りで払い、カサカサと壁をよじ登って行く! 爬虫類も裸足で逃げ出すスピードだ。

 

 だが! 彼の好きにさせるわけにも行かない。俺も壁にしがみつき、なんとか追いつこうと足をタイルに引っ掛けていく。さすがに茂さんのようには行かないが、少しずつ天井に向かって進みはじめた。

 

「く、くそっ! ちょ、待てッ!」

「ケーケケケケ! 待てと言われて待つかボンクラがァァァッ! ナニがなんでもぷりぷりの天使達をめちゃめちゃにしてやらァァァッ!」

 

 もはや正気を疑うレベルにまでブッ壊れている茂さん。俺の制止など聞き入れるつもりはないらしく、あっという間に仕切りの終わりに到達してしまった。

 

「ヒャッハァーッ! ついにここまで来てしまったぁーッ! ワガハイの遥かなるエデ――ングフゥッ!?」

 

 ――しかし、彼の命運もそこまで。壁から顔を出すだけでは飽き足らず、その上に両足を着けて立ち上がったがために、待ち構えていたかの如く飛んできた桶を食らってしまったのだ。

 あんな大声で変態アピールをして、仕切りの上に登る。そんなことをして、見つからないわけがないのに……。

 

「ふんッ! お兄様の考えることなど、壁越しにお見通しざます!」

「サイッテー! やっぱ女の敵やなッ!」

「そんな卑怯なマネをするなんて……求婚を断って正解だったわね!」

「……後で殺す……」

 

 おぉふ……みんなして散々な言いようだ。因果応報だとは思うけど。

 あと四郷、お前が「殺す」とか言い出したら、冗談に聞こえないからやめれ。

 

「ふ、ふひひ、ふほほぉ〜……」

 

 一方、茂さんは顔面にプラスチック製の桶をブチ当てられながら、至福の表情で鼻血を噴き出している。あんた漢だよ……ある意味では。

 ……だけど、かなり手痛い一撃であることに間違いはないらしい。両足で壁の上に立ったまま、ふらふらと前後に揺らめいている。

 

 ――こ、これは男湯か女湯、どちらかに落下するパターンかッ!

 

 もし、どっちに落ちるかを本人がある程度制御できるとするなら、間違いなく女湯にダイブするはず。そんな追い撃ちになるようなマネを許したら、マジでバラバラ殺人でも起こりかねんッ!

 

「くっ……待て茂さんッ! 早まるな! あんたの人生は……まだ、まだ終わっちゃいないはずだッ! 命の残り香は、欲望を正当化する免罪符にはならないんだぞ!」

「ふひゃひゃひゃい……楽園だぁ……エデンだぁ……おっぱいだぁ……」

 

 ――ダメだこいつ、早くなんとかしないと。

 俺はなんとか彼の身柄を男湯側に引き戻すべく、必死にタイルを蹴って壁をよじ登る。よ、よし、なんとか追い付いた!

 

「……ムァイハニィーッ! エクスキューズミィィィッ!」

「なっ!?」

 

 ……だが、俺の尽力も虚しく、彼はとうとう峠を越えてしまった。もはや、覗きどころか強襲揚陸である。

 取り返しがつかないほどに前傾していく茂さん。俺がようやく彼が立っていた場所にたどり着いた時には、すでに本人は宙を待っていた。

 

 ――くそッ! 諦めて……諦めてたまるかぁぁッ!

 

 俺は自分が落ちる危険も顧みず、両手を彼に向かって伸ばし――その両足を掴むッ!

 

「よし! あとは回収するだ……けッ!?」

 

 だが、甘かった。

 いや、ある程度は予想できていたはずだ。

 ……茂さんの重さに引きずられ、俺までが落下してしまう展開は。

 

「うわ、あぁああッ!?」

「むひょひょひょひょ――フンゲェッ!?」

 

 茂さんの体重に両腕を引かれるように、女湯への墜落を開始する俺の体。抗う暇もなく、俺も彼と同類の道を歩もうとしていた。

 

 だが、状況はさらに目まぐるしく変化していく。

 

 女湯に向けて、俺の先を行っていた茂さんの体が、激しい衝撃と共に行き先を反転させたのだ。今度は鼻だけではなく口からも血を噴出しながら、男湯まで吹っ飛ばされている。しかも錐揉みで。

 

 何事かと思い、下の景色に恐る恐る視線を向けてみると――左手で、あるかどうかも疑わしい胸を隠し、右手で拳を突き上げている四郷のあられもない姿が、一番に視界に映り込んだ。あ、眼鏡外した姿は初めて見るなぁ。

 

 ――って、まさか四郷がブッ飛ばしたのか? 仮にも俺よりガタイのいい茂さんを?

 あんな小さい体の、どこにそんな力が……?

 

 ……だが、今はそんなささやかな疑問に悩んでる場合じゃない。

 俺の社会的生命までもが、終了しようとしているのだから。

 

 死を免れない状況に立たされた時、人は現実に焦り、怒り、そして最期には諦める、という話を聞いたことがある。

 

 きっと俺は今、その間をすっ飛ばして「諦めて」いるのだろう。

 

 そうでなければ、こんな状況で落ち着いてなどいられない。

 

 死を受け入れたがゆえか、俺は成す術もなく、自然な放物線を描きながら女湯という処刑場に投獄されていった。

 

 ドボン、という重々しい音と共に、俺の視界は美少女達が浸かっていた湯舟に支配されてしまう。衝撃で圧迫された肺から息が吐き出され、幾つもの気泡となって舞い上がっていく。

 

「悪鬼退散――って、なんで龍太君までぇっ!?」

「きゃあああっ! りゅ、りゅ、龍太まで落ちて来よったぁぁあっ!」

「な、なんで一煉寺までここに来るざますっ!? まさかお兄様と同様にっ……!?」

「……ご愁傷様……」

 

 お湯にダイブした直後だから、周りの女性陣がどんな反応をしてるのかはわからないが……まぁ、ひどく怒ってるか、軽蔑してるかのどちらかだろう。

 

 ……だいたいこんな時って、全員から袋だたきにされるのがオチなんだよな。アニメや漫画では大概そうだ。

 それで許してくれるなら万々歳ではあるが――この状況で、そんな願いが通るはずがない。

 婚約は破棄。刑務所行き。翌日の新聞に取り上げられる。ザッとこんなとこだろう。キャーキャー言いながら殴られて終わりだなんて、エロゲーじゃないんだし。

 ……殺されなかったばかりか、男湯まで殴り飛ばされるだけで済んだ茂さんの方が、遥かにマシだったんじゃないか?

 

 声は後ろの方から聞こえていて、俺はお湯に顔を突っ伏してブクブクしてる状態だ。いっそこのまま、潔く自害(溺死)でもしてやろうか。

 ……と、自棄になろうとしていた時。

 

「もぉ、龍太ってホンマに変態さんなんやから……。そ、そんなに一緒に入りたいんやったら、ちゃんと言ってくれたらええのに……」

「……この人のことだから、許してくれないとでも思ってたんでしょうね。全く……」

 

 ――第六感が、超必死に警鐘を鳴らしていた!

 

 茂さんがダイブした時とは、まるで異質な雰囲気だが……なぜだろう。寄ってたかって殴られるよりヤバい何かが始まっている気がする。

 このままだと、何が起こるんだ? 起きてしまうんだ!?

 

「い、一煉寺の背中、腕……思ってたより、ずっと、逞しいざます……」

「……梢、顔が真っ赤……」

「えっ!? ち、違うざます! 誰もあんな力強い腕に抱かれて、征服されたいだなんて一言も……!」

 

 数秒ごとに、警鐘がより激しく危険を訴えて来る。なんだ!? もう何かが起きてるのか!?

 

「さっきから全然動く気配がないけど……気絶してるのかしら……?」

「つ、つまり、チャンスということでして……?」

「……アタシはやるで! ここで行けんかったら、女が廃るけん!」

 

 ――なんだ! 彼女達は俺に何をしようとしてるんだ!?

 俺は、俺はどうなってしまうんだ!?

 

「じゃあ……私も」

「ワタクシもざます!」

 

 背中越しに感じる警報は、もはや最高潮に達している。何が起きているのか、起きようとしているのか。

 それがわからないまま、何か柔らかいものが俺の皮膚に触れ――

 

「ぎゃああァァァァ! やっぱ怖いィィィッ! いやァァァァッ!」

 

 ――恐怖心に全身を支配された俺は、その瞬間に壮絶な悲鳴と共に、湯舟を飛び出した!

 

「きゃあっ!?」

「りゅ、龍太が起きたっ!?」

「い、いいところで起きるんじゃないざますっ!」

 

 久水が何のことで怒ってるのかは知らないが、とにかく今は逃げ出したい。なんだかんだ言っても、予測不能の恐怖に堪えられるような覚悟なんて、今の俺には持てないッ!

 

 後ろでは、生まれたままの美少女四天王がひしめき合っているのだろう。そこに背を向けている以上、俺に後退の二文字はない。

 ゆえに、前進あるのみッ!

 

「ごめんなさァァァァいィィィィッ!」

 

 ――要するに逃亡である。

 

 いずれ、死刑を宣告されるのは目に見えてる。だから今は、精一杯もがきたい。一秒でも生きていたい。

 覗きより遥かに大問題なアクシデントを起こしておきながら、面と向かって謝りもせずに逃げ出す。こんな後味の悪い話はない。

 

 せめて、後で全員に自首することを人知れず誓い、俺は女湯から逃げおおせたのだった。

 

「龍太君、待ちなさいッ! ここまで来ておいて、一緒に入らないつもりなのッ!?」

「龍太ぁーっ! せっかくの営みやろぉーっ!」

「待つざます一煉寺ぃぃっ!」

 

 ……だが、彼女達は自首する暇すら与えないつもりの様子。豪華な脱衣所までたどり着いた俺の足を、救芽井・矢村・久水の三連星が捕まえてしまった。

 そこでつんのめった俺は、倒れ伏すと同時にガツンと顔面を床に打ち付けてしまう。

 

 ――後ろは見ないぞ。見るのが怖いからな!

 

「さぁ、お風呂に戻るわよ龍太君。背中、流してあげるから」

「ムッ! せ、背中はアタシが流すんに来まっとるやろっ!」

「あなた達は足でも磨いてあげなさい。背中を流すのは、ワタクシの役目ざます!」

「ご、ごめんなさいィィィッ! もうしないから、ていうか出来るわけないから、お命だけはァァァァッ!」

 

 俺の上に乗っかりながら、やけにニコニコと談笑してる三人がコワイ! なんだコレ、なんなんだよ!?

 拷問を「可愛がる」って形容してるのと同じだろ今の会話! やめて! やっぱり死ぬのコワイ!

 

 ――そ、そうだ! 今まで事態を静観して、冷静な判断で茂さんをブッ飛ばしてた四郷様なら、この状況を覆してくださるかも知れない!

 頼む四郷! 俺をさっきみたいに、男湯までホールインワンしてくれッ!

 

「……梢、がんばれー……」

 

 ――早々に切り捨てられたァァァァッ!

 なんだよ「がんばれ」って! 久水に何を頑張れって言ってるんだあのロリは! 三角木馬か!? 鞭打ちか!?

 

「い、いやだ……いやだァァァァッ!」

 

 そんな切実で悲痛な叫びも虚しいまま、俺は三人に両足から引きずられ、女湯へ連行されていく。あぁ、手を伸ばした先にあったはずの脱衣所が、湯気に消えていく……!

 結局、死を改めて覚悟する暇すら与えられないまま、俺は湯煙という死の世界に幽閉されてしまうのだった。

 



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第73話 長電話は近所迷惑

 結局、入浴中は終始生きた心地がしなかった。いや、こうして命が辛うじて残されている分、まだマシなのだろう。

 

 女湯に引き戻されてすぐ、俺はタオルで目隠しをされ、されるがままに体を洗われていた。

 さすがに大事な場所くらいは自分で見られないように洗ったが、それでも美少女達に三人掛かりで、目隠しをされたまま背中を流されるというのは、なかなか安心できない状況であった。

 シャンプーのいい匂いや、体の端々に触れる柔らかい感触。そして、時々聴覚を刺激する、悩ましい息遣い。これでドギマギしない男は、童貞ではあるまいて。

 

「ど、どう? 気持ちいい、かな? 龍太君……」

「わかる……? 今、あんたの背中触っとるの、アタシの手なんやで……?」

「ワタクシに、せ、背中を流される喜び、お、おわかりでしてっ?」

 

 そんないじらしいコトまで言われつつ体を洗われたら、変な勘違いを起こすだろうがよ、ちくしょーめ……。

 

 ……だが、その時間は俺にとって、美少女達との事実上の混浴を楽しむ――というものではなかった。

 人を極限まで「楽園」に引き込んでから、一気に首でもヘシ折って地獄にたたき落とすつもりではないのか。そう勘繰らずにはいられなかった俺に、女の子の柔らかさを堪能する余裕など、存在するはずがない。

 いつ抱きしめると思わせて、後ろから首を「バキッ!」と折られるのか。いつ目隠ししたまま顔を湯舟に詰められ、窒素死させられてしまうのか。そんな憶測に一秒一秒の思考を支配され、俺は常に怯えていた。

 ――こんな楽園が、無条件で俺に提供されるはずがない。確実に裏があるはずなんだ。

 

 だが、どうしたことか。

 最後まで、何も起こらなかったのである。

 

 三人が「誰が俺の『前』を洗うか」で乱闘騒ぎになったくらいで(結局ソコは自分で洗ったが)、特に俺のタマが取られるような場面には、最後まで出くわさなかったのだ。

 そして、美少女四天王が湯舟から上がる頃には、俺は四郷に男湯まで投げ飛ばされていた。目隠しタオルが取れたのはその頃であり、結局俺は女性陣の裸をモロに見ることもなく入浴を終えたのだった。

 

 そう、まさに奇跡。俺は、まだ生きているのだ。

 

 独り寂しく身体を洗っていたらしい茂さんには、散々やっかまれたが……命あっての物種だろう。確かに死んでもいいくらいの幸せな状況だったかも知れんが、やっぱり長生きはしたいもの。

 下手をすれば十七年の短い人生に幕を下ろしていたのだから、裸が拝めなくたって万々歳だ。そもそも見る気もなかったんだし。

 

 ……だが、油断するにはまだ早い。

 たっぷり混浴を楽しませておいて、安心しきったところへ襲撃を仕掛けて来る可能性もある。

 あんなコトになっておいて、ただで済むはずがないのだ。どんな目にあっても、おかしくはないんだと覚悟しなければなるまい。

 就寝中に腹でもかっさばかれて、「中に誰もいませんよ」なんてされるのかと一度でも勘繰ってしまうと、ちゃんと眠れるのかも怪しくなってくる。いや、それだと屋敷が血で汚れるな。なら絞殺……?

 

 ……あ、でも、謝ったら許してくれるかな? なんだかんだで入っちゃったには入っちゃったんだから、そのことは謝った方がいいのかもしれないし。

 

 ふとそんな考えがよぎると同時に、俺は救芽井や矢村の部屋がある方へ振り向き――即座に首を戻す。

 

 ――ムリムリムリ! 怖い怖い怖い! そんな地雷原にバレリーナで突っ込むような無謀極まりないマネできるかぁっ!

 で、でも、やっちゃったことは謝らないといけないだろうし、身体洗ってくれたお礼も、多分ちゃんと言わないといけないのかもしれないし……ぬがああああッ!

 

 ――という感じに俺は今、この先の未来に絶望と焦燥を覚えながら、廊下を歩いている。今は入浴を終えて、就寝前の自由時間なわけだ。

 黒のタンクトップに赤い短パンという寝間着姿で歩き回るには、いささか豪勢過ぎる廊下だけどな……。

 

 最初は、自室に戻ってケータイでも弄っていようかと思っていたのだが、久水がいる可能性を考えると、戻るに戻れなかった。つか、なんであいつと一緒の部屋なんだよ……気まずいどころの騒ぎじゃないぞ。

 使用人達のヒソヒソ話によると、救芽井と矢村は裏庭で茂さんの制裁にご執心らしいし、二人に部屋のことで相談するタイミングはなさそうだな。したらしたで、なんかめんどくさいことになりそうな気もするけど。

 

「はぁ〜……ったく、これから一体どうなるんだか――んっ?」

 

 ――おや、着信が。なんだか今日はよくケータイが鳴るなぁ。誰からだ?

 ポケットから取り出したケータイを開いてみると……あれ、番号だけ表示されてる。てことは、また知らない人から? 伊葉さんは一応登録した筈だし……。

 

 と、とりあえず出てみる……か? 救芽井がケータイを持ってない以上、俺が救芽井家側の連絡係ってことになってるみたいだし。

 そういうわけで、俺は恐る恐る通話ボタンを押し――

 

『龍太君や、元気でやっとるかえ?』

 

 ――目を、見開いた。

 

「なっ、なっ……! その声、まさか……!」

『そう、覚えとるならそのまさかじゃよ。元気そうで、何よりじゃ』

 

「……ゴロマルさんっ!」

 

 忘れるはずがない。この妙に元気のいい爺さんの声を、俺が忘れるものか!

 

 救芽井稟吾郎丸(きゅうめいりんごろうまる)、通称ゴロマルさん。救芽井のお祖父さんであり、着鎧甲冑の基礎開発に携わっていた人だ。

 「技術の解放を望む者達」の件以来だし、まさか、またこうして声が聞けるとは思ってもみなかったな……。

 

『ほっほっほ。久しぶりじゃのう龍太君。樋稟との子作りは、もう済ましたかえ?』

「いきなりとんでもねー話題ぶちこんできやがった!?」

『まぁ、お前さんにはまだ早いじゃろうがな。その様子だと、当分はわしが開発した最新鋭避妊装置も必要なさそうじゃの』

「しかも最先端技術で果てしなく無駄なモノ作ってる!?」

 

 久々に会って早々の会話がコレとは……。ご令嬢本人といいこの人といい、救芽井家はなぜこうも極端にピンク色なんだ……!

 

『まぁ、それはさておき。お前さん、明日には四郷研究所でコンペティションに向かうらしいの』

「え? あ、あぁ、そうだけど……伊葉さんにでも聞いてきたのか?」

『そうじゃ。それから、お前さんがズバッと久水家の当主をやっつけた、という話も聞いたぞい』

 

 なるほど。ゴロマルさんの息子で救芽井のお父さんでもある、甲侍郎さんと伊葉さんは古い知り合いだって聞いた。なら、彼らを通じて、一連の事情がゴロマルさんの耳に入っていても不思議じゃない。

 

 ……でも、ちょっと待て。

 

「そっか――って、あれ? なんでゴロマルさんとの電話が通じるんだ? ゴロマルさんって、確か今は甲侍郎さんや華稟さんと一緒にアメリカ本社にいるんじゃなかったっけ? 確か救芽井が、それっぽいことを言ってたと思うんだけど」

 

 そう。聞くところによると、救芽井家の中で日本に来ているのは、樋稟お嬢様ただ一人、ということらしいのだ。他の家族はみんな、「救芽井エレクトロニクスのアメリカ本社」、という大企業の運営に手が離せない状態らしい。

 そんな中で、なんで日本の俺のケータイに、ゴロマルさんからの通話が来るんだ? 俺のケータイって、国際通話には対応してないはずなんだけど……。

 

『実は先日、来日してきたところでのう。今は甲侍郎との二人で、松霧町の民宿に泊めて頂いておる』

「へー、甲侍郎さんと民宿に。ふーん……?」

 

 ――え? 甲侍郎さん?

 

 救芽井エレクトロニクスの、社長が?

 

「……ちょ、ちょっと待てェェェェッ!」

『むお? どうしたのじゃ?』

「どうしたもこうしたもあるかッ!? 大企業の社長とその親父が会社ほっぽり出して、なんでこんな片田舎にッ!?」

『まぁ、いろいろあってのう。あ、わしらが日本に来とるという話、樋稟にはナイショじゃよ?』

 

 い、意味がわからん。その「いろいろ」のために、会社を放り出してまでここに来たってのか?

 救芽井には秘密にしろだなんて言い出すし、もう何がなんだか……。ゴロマルさんのことだから、悪い話だとは思えないけど……。

 

 ――でも、俺だって今となってはれっきとした「当事者」なんだから、もう少し詳しい事情ってモンを知りたい。お二方がわざわざ来日してるのは、伊葉さんが言っていた「日本の未来」って話と関係してるんだろうか? それとも、単に俺達の応援?

 

「あ、あのさぁゴロマルさん。コンペティションのことについて、もうちょっと詳しい話が聞きたいんだけど」

『ふむ。それなら甲侍郎に聞いた方がいいじゃろな。甲侍郎、代わってやりなさい』

『わかりました、父さん』

 

 げっ!? 甲侍郎さんが出てくるの!? 甲侍郎さんと話すのが何となく怖いから、ゴロマルさんにこの話題を振ったのにッ!

 

『久しいな、龍太君。娘は元気にしているかね』

「え、ええ。あ、あはは……ご無沙汰してます……」

 

 出た。出やがった。この渋い口調。紛れもなく救芽井の父親、甲侍郎さんだ。

 

『まず、この度は我々の活動に協力してくれたことを感謝したい。久水家での決闘、実に素晴らしい成長振りだと聞いたぞ』

「は、はぁ、どうも……」

 

 さすが、救芽井との婚約を半ばゴリ押しで決定してしまうような、アグレッシブ極まりないオッサンだ。言ってることは普通にいいことなのに、まるで責められてるような威圧に感じてしまう。

 

 しかし、なんか引っ掛かるな。伊葉さんは決闘の結果を聞いた、ってことを言ってたけど、彼は誰からそれを? 結果を聞いたってことは、実際に決闘を見た人から聞いたってことなんだよな?

 救芽井……はケータイ持ってないから論外だし、矢村はああいう人達とはそもそも接点がない。

 久水側の人達や四郷とかは……違うだろうな。ほぼ初対面の彼らが、俺が成長したかどうかだなんて、わかるはずがない。当主の茂さんですら、俺の過去を今日まで知らなかったんだから。

 

「あの、甲侍郎さん。伊葉さんは決闘の結果を、誰から聞いたんですか?」

『……言っても構わないが、それはもう少し待ってもらいたい。変に気にされて、コンペティション本番でのコンディションに支障をきたされても困るからな』

「はぁ……」

 

 だが、思い切って聞いてみても、結局はこうしてはぐらかされて終わってしまう。これ以上追及しても、恐らくはのらりくらりとかわしてしまうつもりなのだろう。

 真実を漏らさせられるような話術もない俺には、どうしようもないってわけですかい。

 

『案ずるな。この先何が起こるとしても、我々は君の味方だ。そのために、私達はここに来た。それだけは、どうか信じてほしい』

「……信じたいですよ。俺としても」

『そんな不愉快そうな声を出すものではない。君は今や、私の義理の息子なのだからな。実の父親だと思って、時には甘えるといい』

 

 俺に結婚を強いる親父はいない。……と言いたいのは山々だけど、応援してくれる気持ちは正直ありがたい。いろいろと不可解なことが起こりまくって、先行きが不安な今だから、なおさら。

 だから、せめて素直にこれくらいは言っとこう。

 

「ありがとう、甲侍郎さん」

『うむ。――礼を言うべきは、私達だがな』

 

 それから、俺は翌日以降のプログラムについて聞かされた。

 まず、久水家を出発して山の裏側に抜けて、海に出る。その海沿いの道を通った先に、海に近い森に隣接した四郷研究所がある。

 そこに滞在しながら、四郷研究所の製品と一定の競争科目で対決し、どちらがより優秀かを競う。……ザッと説明すると、こんなところのようだ。

 ちなみに、救芽井は街を出発する前の頃から、伊葉さんに直接プログラムの説明を受けていたらしい。さっきの伊葉さんからの連絡は、プログラムの確認を取りたかったというだけで、俺がいちいち解説する必要はないんだとのこと。

 

『その競争科目には、それぞれの最高傑作で臨まなければならない。そうしなければ、製品としてのポテンシャルが証明しきれないからな』

「現時点でのソレが『救済の超機龍』であり、それを扱えるのが俺だけ。だから俺が行くしかない、ってわけですな」

『……済まないな。本来ならば救芽井家だけで解決しなければならない仕事なのだが、まさか君のために造ったというだけだった最新型が、コンペティションに動員される事態になるとは我々も想定していなかったのだ』

「いいですよ。必要とされてるなら、必要とされてることをするだけです。それに、俺は義理の息子なんでしょ? もうよそ者みたいに扱うのは、やめましょうや」

 

 ――そう。ここまで来て、今さら後戻りなんて出来ない。そんな空気じゃないし、引き返したりなんかしたら、それまで自分のやってきたことを、全て自分で無駄にしてしまうことになる。

 いろいろと不可解なままなのも当然嫌だし不安だが、そんな後味の悪い展開も、俺は御免被る。何かと嫌がってばかりでワガママな奴みたいだけど、それが「俺」なんだからしょうがない。

 

『……ありがとう、恩に着る。私達に出来ることなら、如何なることでも成し遂げると、約束しよう』

「――たはは、どういたしまして、です」

 

 それからしばらく、甲侍郎さんやゴロマルさんと取り留めのない世間話を交えて、俺は通話を終了した。

 終わり際に、「何があっても、娘を守り抜いて欲しい。君の力なら、奇跡を再び起こしてくれると信じている」なんて仰々しいエールを送ってきたところを見るに、やはり今回のコンペティションには、俺の知らない何かがあるのだろう。

 それが何なのかは、実際に行かなければ、多分わかりようがない。いくらこの場で考えても、真っ当な答えなんて出てくるはずがないのだから。

 

「……やれやれ。結局、悩むだけ無駄ってことですかい」

 

 コンペティションや大人達の言うことを気にするのは、確かにやめるべきなのかも知れない。考えたところで、子供の思考が大人のソレに追い付くわけがないんだしな。

 ……それに、俺には別の不安がある。女性陣にタマを狙われるのは、いつなのか、というところだ。

 正直、目先の問題を考えるなら、こっちを優先するべきなのだろう。……今のうちに、安全な寝床くらいは探しておくべきなのかも知れないな。

 

 ――と判断し、寝れそうな床でもないかと下を見ていると。

 

 小さくて愛らしい形状の影が、廊下を彩るカーペットに現れた。

 

「えっ……?」

 

 そのシルエットに一瞬おののき、俺は恐る恐る顔を上げる。

 

 そして、見てしまったのだ。「何を考えているのかが一番わからない」という意味で、現時点で最も会いたくない女性のご尊顔を。

 

「……ボクの部屋の前で、何を長電話してたの……?」

 

 ――四郷鮎子様の、訝しむようなお顔を。

 



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第74話 四郷先生の恋愛教室

 寝床の件で迷走しつつあった俺を見つけたのは、水玉模様のパジャマ姿になっていた四郷鮎子。養豚場の豚を見るような――というほどではなかったものの、かなり怪しそうな目をしていた。

 そんな彼女に無言で手を引っ張られ、俺は今、彼女の部屋にいる。

 

 俺が最初にいた部屋ほどではないものの、ここもかなりゴージャスだ。久水の部屋とは対照的な、蒼い色使いのシャンデリアやベッドからは、涼しげな雰囲気が伝わって来る。

 

「……ボクのために、梢が作ってくれた。気持ちが、とっても、嬉しかった……」

「お前のために? そういや、友達なんだったな。久水と」

「……うん。ボクにとっては、少なくとも……」

 

 友達のために、自分の別荘に部屋を……か。やっぱいいとこあるじゃないか、あいつ。

 

 しかし、こんなに青々とした部屋の壁に掛けられてる、あの赤いドレスはやけに目立つな。確か、昼に着てたヤツだよな、あれ。

 

「なぁ四郷、あそこのドレスって……」

「……梢の、お古。ピッタリだった。梢と同じ服が着れて、嬉しかった……」

 

 あぁ、やっぱりそうだったのか。昼間に見たとき、久水が着てたヤツとサイズ以外がお揃いだったから、なんか変だとは思ってたんだよな。

 

 にしても、あのボッチだったらしい久水に、お古のドレスや部屋をあげちゃうくらいのマブダチが出来ていたとは。野郎のダチが一人もいなくなった俺としては、何とも言えない敗北感……。

 

「あ、あのさ。久水とはどういう経緯で知り合ったんだ? 別に嫌なら話さなくてもいいんだが」

「……いいよ。話す。一煉寺さんなら、多分、大丈夫かも知れないから……」

 

 別に友達作りの参考にしたかったわけじゃないが、彼女らの馴れ初めは、個人的にはかなり気になっていた。素性が知れない、彼女自身のことも。

 

「……ボクの姉は、四郷研究所の所長。梢とは、その関係で知り合った。四郷研究所が、久水家にスポンサーを依頼してたから……」

「姉が所長!? ――ってことは、四郷のお姉さんが責任者やってんのか! そりゃスゲーな」

「……うん。でも、久水家は茂さんの意向で、救芽井エレクトロニクスと組みたがってた……。だから、依頼の話は保留になってる。四郷研究所はきっと、今度のコンペティションを契機にして、久水家をこっち側に引き込もうとしてるんだと思う」

 

 ……なんとまぁ。質問開始から数秒で、実に具体的な情報が転がり込んできたもんだ。確かに研究所の責任者の妹となれば、「四郷」という姓にも、コンペティションの件を知ってることにも説明がつく。

 彼女の話から察するに、今回のコンペティションとやらは、どうやら制式採用を賭けるだけじゃなく、スポンサー争奪戦という意味合いもあるらしい。

 

「……ボクとしては、梢がこっちに来て欲しかった。……だけど、救芽井エレクトロニクスに一煉寺さんがいるって知ってからは、梢の気持ちを大事にしたくなったの」

「久水の――気持ち?」

「……梢は、ボクの力を、人が恐がるボクの力を、ただ素晴らしいって褒めてくれた。本当に嬉しかった……。だから、梢のために、出来ることならなんでもしてあげたい。必要なら、命だって」

 

 お、おいおい、なんか果てしなく重い話になって来てません? 命懸けちゃうレベルなのか、それ……。

 

 いや、それより「人が恐がる力」ってどういうことだ? そういえば、初めて彼女らに会った時、恐いお兄さん達を簡単にブチのめしてたみたいだが。

 

「……だから、決闘が終わった後、一煉寺さんのことを梢から聞いた時……ボクは決めた。梢の想いを、大事にしなくちゃ、って……」

「さっきから言ってるけど、それって何の話?」

「……一煉寺さんはその鈍さで死ねばいいのに……梢がかわいそう」

「な、なんで!?」

 

 とうとう「死ねばいいのに」とか言い出しやがった!? 俺が一体何をしたとッ……!

 

 エグイことを言われたショックの余り、恐がる力云々の話題が頭から吹っ飛んでしまう。ま、後でいいかそれは。

 

「……まぁ、いいよ。元々、一煉寺さんがそれくらい鈍いから、こうしてボクがここに連れて来たんだし。本当、梢がかわいそう……」

「俺が鈍いとは失敬な。これでも持久走はクラスで二十三位なんだぞ!」

「……そんな微妙過ぎる順位なんて知らない……」

 ぐはぁ、俺の自己ベストが「微妙過ぎる」って……。い、いいもん! 俺の本分は持久走じゃないんだもんっ!

 

 ……それはひとまず置いておくとして、俺が鈍いから連れて来たってのは、どういうわけなんだ? まずはそこから聞かないと――

 

「……そんなにわからないなら、単刀直入に言っておく。……梢は、一煉寺さんのことをずっと愛してる」

 

 ――はい?

 

 ……愛してる? ……愛してる。

 

 ――「愛してる」!?

 

「ちょ、ちょちょ、何を言い出すのかと思えぶぁ!?」

「……思いの外、顔真っ赤。本当に気づいてなかったんだ……」

 

 いやいやいや、待て待て待て!

 なんかいきなりとんでもない話題をブチ込まれた気がする! つーかブチ込まれた!

 久水が、俺のことを……!?

 

「……梢は昔からずっと、一煉寺さんを愛してた。それこそ、ボクが妬いちゃうくらいに。だから……救芽井エレクトロニクスの方で、一煉寺さんが救芽井さんの婚約者になっていたことで、梢は酷く悲しんで、怒ってた。自分を忘れて、他の女にちやほやされてた一煉寺さんが、許せなかったから……」

「――忘れてたわけじゃないさ。むしろ、突き刺さるってくらい、覚えてる。救芽井の婚約者ってことになってんのは、いろいろと事情ってもんが――」

「……それは聞いてる。救芽井さんが話してくれた。一煉寺さんがどれだけ必死に戦って、あの人を守ろうとしたのか。それをただ、切実に語ってくれた……」

「きゅ、救芽井が?」

 

 そういや、茂さんが救芽井から俺の事情を聞いた、って言ってたな。久水もそうだったのか……。

 

「……ボクはその話を聞いて、ちょっとホッとしてる。それくらいしっかりした人なら、梢を幸せにしてくれる、って……」

「そ、そりゃどーも」

「……けど、梢は複雑だったはず。一煉寺さんが昔のままの優しさを持った上で、逞しくなってくれてはいても、それが向けられた先は自分じゃなかったんだから……」

「あ……」

「……一煉寺さんが救芽井さんの『婚約者』になってる以上、無理に梢の隣に行けだなんて、ボクには言えない。だけど、梢は一煉寺さんを愛してる分だけ、苦しんでる。それだけは伝えたくて、ここに来てもらったの……」

 

 言われた直後には真っ赤になっていたらしい俺の顔が、次第に熱を失っていくのがわかる。

 時間を置いて落ち着いて来た――というわけではなさそうだ。それは、当人である俺だからこそわかること。

 

 ――青ざめているんだ。俺のことを気にかけていた上、俺のせいで苦しんでいる、という話に。

 どういうことなんだ。俺は、フラれたはずじゃ、なかったのか? あの時泣いたのは、一体……。

 

 小さい頃、好きだった女の子が、今も自分を想っていた。これほど嬉しい話はないはずなのに、胸中には不安の色しかなかった。

 いっそ、質の悪い冗談だと笑い飛ばせたなら、どれだけ楽になるだろう。だが、それだけはきっと、許されない。

 「これ以上、友を苦しめるのは許さない」と言わんばかりの真剣な眼差しで、俺を見据える四郷の瞳を見てしまったなら。

 

 だが、俺はどうすればいい? 仮にも、救芽井と「婚約」している俺は。

 常識で考えたら百万歩譲っても有り得ない話だが、久水が本当に俺のことを好きだったのだとしても、立場上、俺にしてやれることなんて何もないはずだ。

 

「……ボクが話したいことは、これだけ。他に聞きたいことがないなら、早く梢のところに戻ってあげて……」

「――わかったよ」

 

 ……それでも、逃げ出すことだけはできないらしい。どんな結果になるとしても、向き合うことだけは必至になる。

 そうでなくては、四郷にどんな目に逢わされるかわからないからな。「人が恐がる力」ってヤツで、さ。

 

 俺はひらひらと手を振りながら、部屋を出ようとドアに向かう。そして扉を開いて、外に出る時。

 ……ふと振り返った俺は、心配そうな顔をしていた四郷に向け、ニッと笑いかけていた。友人を案じる彼女を、不安にさせるのも忍びないんで、ね。

 

「――わざわざ、ありがとうな。気づかせてくれてよ。お前に会えて、ラッキーだったわ」

 

 ……何も知らないままだったら、俺は久水を放ったまま、適当な寝床を探していただろう。結果、もっと彼女を苦しめていたかも知れない。四郷の話がホントなら、だけど。

 

 ――なんにせよ、自分のせいで苦しんでるだなんて言い方されて「知らねーよ」で片付けられるほど、俺は利口じゃないからな。初恋を弄ぶような感じ悪いジョークだったとしても、喜んで騙されてやるさ。

 

 俺のクソキモい笑顔を見せられた四郷は、見るに堪えなかったのか珍しく目を見開いて、すぐにプイッと顔を逸らしてしまった。チョーシ乗りすぎですか、そうですか。

 

「……そんな顔でそんなことばっかり言うから、『つみつくり』なのに……」

「うぃ?」

「……何も言ってない。詮索したら殺す……」

「い、イエッサー!」

 

 どうやらキモい顔を見せられたためか、ご立腹らしい。少々赤い顔で静かに怒りながら、拳をゆっくり振り上げている。

 何をしでかすかわからない以上、逃げるが勝ち。俺は素早く敬礼しつつ、その場を緊急離脱するのだった。

 

 向かう先は……もちろん、久水の部屋。

 どうなるかはわからないが――今はとにかく、行くしかない。きっと、行かないよりはマシなんだと信じて。

 



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第75話 俺と彼女の、甘くも苦い夏の夜

 久水の部屋であり、俺の泊まる部屋でもあるという――あの豪勢な個室。

 そこへ続く扉の前で、俺は数分ほど立ち尽くしていた。

 ……自分に充てられた部屋に入るのを躊躇うって、どういう状況だよ、全く。啖呵を切っても、いざとなると足がすくんじまう悪癖、いい加減なんとかならないかなぁ……。

 

 ――四郷は、久水が俺を好きだと言ってた。それが本当なら、両手離しで喜ぶところだろう。

 

 だけど、今の俺は救芽井の婚約者。少なくとも、そういう立ち位置になっていることには変わりない。

 四郷の話が本当ならば、彼女との関係は、今夜で大きく変わっていくことになるだろう。それがいい方向に行くか悪い方向に行くかは、恐らく俺次第になる。

 

 ――そう、変わるんだ。例え、嫌われる結末になるとしても。

 

 俺は人生の分かれ道を見据え、呼吸を整えると――

 

「久水……いるか?」

 

 ――ゆっくりと、扉をノックする。

 それは軽く二、三回小突いた程度の音だったが、俺には運命の鼓動のようにすら感じられた。

 顔から血の気が失せて、肩から背中にかけて冷や汗が噴き出す。それに反比例するかのように心拍はドクンドクンと跳ね上がり、心臓だけがまるで別の生き物になったかのように動き続けた。

 

 だが、そんな俺の状況を嘲笑うかのように、この場には沈黙が漂い続けていた。ノックと心拍の音を除く全てが、静寂に包まれているかのように。

 

「……入るよ?」

 

 ――もしかしたら、部屋に帰ってない? それとも、居留守? ……どちらにせよ、入って来られて困るなら「入っちゃダメ」くらいは返して来てもいいはず。

 何も返事がないまま開けるのは少々マナーに反するだろうが、返事が来るまでドンドン叩くのも気が引けてしまう。

 

 救芽井と初めて会ったときのようなラッキースケベ(笑)が起こらないことを祈りつつ、俺はゆっくりとドアノブを握り、力を込めた。

 

 運命の扉は僅かな軋みすら起こさず、滑らかな動きで俺を部屋へと招き入れる。別荘自体が最近造られたというだけあってか、ドアの開閉にありがちな「キィ……」という音すら立たなかった。

 そういや、茂さんに呼び出されて内側から開けた時も、随分とドアが軽く感じられたっけ。あの時はそれどころじゃなかったから、意識してられなかったけど。

 

 ……逆に言えば、今の俺の周りはそんな些細なことに気がつくほど静か、ということか。

 

「ひ、久水……?」

 

 そして部屋に足を踏み入れた途端、俺は息を呑んだ。

 

 部屋に電気が付いておらず、夜中ということもあって、辺り全体がほぼ真っ暗になっていたのだ。

 ――いや、完全に暗闇というわけではない。電灯ではないのだが、やや大きめの明かりが伺える。

 

 その光の形、そしてそこから微かに聞こえて来る音声から察して、テレビの光と見て間違いない。付けっぱなしで部屋を出たのか……?

 

「と、とにかく電気を……」

 

 ……なんにせよ、この薄気味悪い状況をなんとかしなくては。

 俺は扉近くの壁をまさぐり、電気のスイッチらしき感触を指先で確かめる。

 

 そして、そこにグッと力を入れた瞬間、この部屋全体は薄暗い不気味な空間から一転し、ゴージャスな寝室へと変貌を遂げた。

 煌々と輝くシャンデリアを見上げ、ひとまずホッと胸を撫で下ろす。やっぱ暗いのはやだね、ホント。

 

 ――だが、そこから視線を落としてベッドの方へ向いた瞬間。

 そんな悠長なコトを言ってる場合ではない、という事実を、俺は思い知らされてしまった。

 

 ベッドの上で、枕を抱きしめながらテレビをぼうっと眺めている久水。

 色っぽいバスローブ姿でありながら、目に涙を貯めて枕にしがみついているその姿は、さながら失恋直後の少女のようだった。いや、実際「少女」だろうけど。

 

 ……って、涙!?

 どうしたってんだよアイツ!?

 

「お、おい久水! どうしたんだ!?」

「えっ……!?」

 

 慌てて駆け込んだ俺の視界全域に、驚いたように顔を上げた彼女の姿が映り込む。

 

 悩ましくもけしからん胸元がチラッと見え――違う! バスローブの裾から伺えるお御足が――そこも違うッ! 唯一、年相応な印象を受けるつぶらな瞳に貯まった、幾つもの雫――それだッ!

 

 そう、それ。いつもの、あの傍若無人なくらいに気丈な久水梢様と同一人物であるとは信じられないほど、今の彼女は弱々しい姿をさらけ出していたのだ。一体、久水に何があったんだ!?

 ……つか、ノックして名前を呼んでドアを開けて電気まで付けたのに、今の今まで俺の存在に気づかなかったかのようなリアクションだったな。そんなにテレビに夢中になってたのか?

 

 お嬢様を通り越して女王様な久水が泣いちゃってるくらいだし、相当泣けるメロドラマでもやってたのかな……ん?

 

『みんなの想いが命を救う! 救芽井エレクトロニクスっ!』

 

 これは……救芽井エレクトロニクスのCM?

 テレビに映っているのは、満面の笑みを湛えてガッツポーズを決める救芽井の姿。彼女の周りには、救芽井エレクトロニクスの社員らしき人々が大勢集まり、歓声を上げている。

 そのCMが終わった後も、着鎧甲冑のプロモーション映像や、「救済の龍勇者」の発表会などが続々と流れていっている。

 

 ……しかし、単なる番組の途中にしては、やたら救芽井エレクトロニクスのターンが長いな……。もしかして、これってビデオ?

 

 久水はしばらくぽけーっと俺の顔を眺めていたが、やがて我に返ったかのようにハッとすると、今度は顔を枕に埋めてしまった。その奥からは、僅かに啜り泣くような声が聞こえて来る。

 

「な、なぁおい、大丈夫かよ? なんか俺に出来ることある?」

 

 恐る恐る肩に手を置いて尋ねてみるが、返事はない。そこから伝わる体の震えを察してしまうと、触れているだけで、なんだか申し訳なくなってしまう。四郷の話を聞いた直後とあっては、なおさらだ。

 

 それからすぐに気づいたことだが、やっぱりテレビで流れているのは、全部救芽井エレクトロニクスの関連映像だ。連続でそればかりが流れているところを見るに、大方ビデオで編集したものを再生しているんだろう。

 なぜそんなものを、電気も付けずに見つづけていたのかはわからないが……気掛かりが一つある。

 

 それは、流れている映像が全て「救芽井が出演している」ものだった、というところだ。CMにせよプロモーション映像にせよ発表会にせよ、救芽井が映っている時のモノしか再生されていないのだ。

 この別荘に来る前の特訓中、俺は部室で何度か救芽井にこういう映像を見せられたことがあり(将来のための社会勉強だそうで)、その時は救芽井が映っていないバージョンのCMや、彼女が参加していない場での発表会などが上映されていた(自分が出ているところを、本人がいる場で見られるのは恥ずかしいんだとか)。

 つまり、救芽井エレクトロニクス関連の映像には彼女が出演していないものもある、ということだ。久水が今見ているビデオは、その中から救芽井が出ている映像だけを切り抜いているように伺える。

 

 あの性欲を持て余しまくってる茂さんならまだわかる(それはそれで困るが)けど、あんなに救芽井とケンカしてた久水が、彼女の出演してるビデオを見て泣いているってのは、どういう状況だってんだ?

 

「ひぐ、うぐっ……で、出ていくざます! ここから、出ていくざますっ!」

「――悪いが、そうは行かない。なにせ、今日はここが俺の寝床なんだから」

「ッ! そ、それはっ……!」

 

 泣いているところを見られていたたまれなくなったのか、俺を追い出そうとする久水。俺はそれを、正論を以って制した。

 いつもなら「わ、わかりました〜」って退散してもいい状況だが、今回ばかりはそうはいかない。四郷にあんなこと言われて、彼女を見過ごすなんて出来ない!

 

「メイドさんから聞いた。ここが俺の寝床だっていう指定は、お前が出したんだろ?」

「う、う〜っ……!」

「……そんな『追い詰められた』みたいな顔すんなよ。俺は敵じゃないだろ?」

 

 俺は彼女の背中をさすりながら、子供をあやすように優しく話し掛けていく。下手に刺激しないよう、俺も超必死だ。

 

 「久水が俺を愛してる」……か。それがホントかどうかなんてわからないし、ずっとその辺りが気掛かりで仕方なかったけど……。

 

 ――もう、そんなのどうでもいい。

 

 久水が俺のことを好きか嫌いかなんて、どうせエスパーじゃないんだからわかりっこないんだし。

 

 確かなのは……今、彼女が泣いてるってことだけ。

 

 愛も恋も関係ない。女が泣いてるなら、男が助ける。

 

 彼女を俺ごときが支えようとする理由なんて――それだけで結構だ。

 

「俺は……誰にも何も言わない。嫌なら何も言わなくていい。いくら泣いたって構わない。だから、その、頼むから安心してくれよ」

 

 こんな時に上手いことが言えない自分のボキャブラリーのなさには、時折、心底腹が立つ。ぬぅ、現代国語の勉強くらいはちゃんとやっとくんだった……。

 

 俺の下手くそな励ましを受けた久水は、背中に触れていた俺の手を払い、溢れる寸前まで涙を貯めた瞳で、俺を睨む。

 

 ――そして、次の瞬間。

 

「……どうして」

 

「え? お、おわっ!?」

 

「――どうして! どうして! どうして! どうして! どうしてぇっ!」

 

 何が起きたのかを脳が分析するよりも早く、俺は久水に押し倒されていた。やはり今のは地雷だったのか……!?

 彼女をフォローするはずが、かえって傷つけてしまったのかも知れない。その後悔の念が俺を飲み込もうと、波となって襲い掛かってきた。

 

 だが――

 

「どうして今になって……今になって! ワタクシの前に現れるざますッ! 今になって、優しくするざますッ!」

「えっ……?」

 

 ――彼女の怒りのベクトルは、俺が予期していたものからは大きく外れていた。

 

「着鎧甲冑の理念を守るために戦って! 救芽井さんを手に入れて! 守るべき大切な人を見つけたはずなのに! 昔の存在に過ぎないワタクシのことなんて、とうに忘れ去るべきなのにっ! どうして! どうしてあなたは! ワタクシを覚えているざますかっ!? どうして、どうして、どうしてワタクシに! あの日の気持ち、思い出させるざますかっ!」

 

 彼女の双丘は慟哭に比例して激しく揺れ、瞳からは決壊したダムのごとく溢れ出す雫が、俺の顔に降り注いでいた。

 俺の上に馬乗りになった姿勢で、久水はひたすら泣き、罵倒し、叫ぶ。胸倉を掴む彼女の手が震えているのは多分――いや、間違いなく気のせいではない。

 

 ――四郷の話は、確実に現実味を帯びて来ている。なんでもない男を相手に、ここまで大粒の涙を見せられるほど、彼女は気弱ではないはず。

 

 小さい頃、彼女は俺に会うまで独りだった。それでも、それらしいところなんて、これっぽっちも俺に見せていなかったんだ。そんな気丈な彼女が今、俺の眼前で大泣きしている。

 

 ……それくらい、今の俺はアテにされてしまっている、ということだ。何の取り柄もないはずの、この俺が。

 

「――あなたと離れることが決まって、あなたの前であんなに泣いた時……もうワタクシ、泣かないと決めたはずだったざます。いつまでも泣き虫なままだと、あなたを困らせる。だから、いつまでも強気で、強気で、強気で居続けるって、そう決めたはずでしたのにっ……!」

「ひ、久水。俺はそんなことで――」

「――あなたは! そんなワタクシの気持ちも知らないでっ! ワタクシの知らないところで勝手にかっこよくなって、勝手に強くなって、勝手に女の子に囲まれてて……! いっそのこと、ワタクシのことなんて忘れてしまえばよかったのにッ!」

 

 文字通りの目と鼻の先で、久水はひたすら慟哭を重ねる。その叫びに込められていたのは、記憶だった。俺と離れている間、彼女の胸中に渦巻いていた、記憶……。

 あの別れ際の涙。あれは、俺を拒絶したわけじゃなかったのか……。なら俺は、どんだけ酷い勘違いを……?

 

「……救芽井さんを見ていれば、嫌でもわかってしまうざます。彼女がどれだけ、あなたに救われ、ゆえにあなたを愛しているのか。あなたの力がなければ、あんなふうに笑顔を振り撒くことさえ出来なかったはずなのですから……」

 

 とうとう泣きつかれたのか、最初のような勢いはなくしたらしい。彼女は俺の胸に顔を埋めて、小さな声でむせび泣くようになった。

 まさか、ああやって救芽井が出ているテレビを見ていたのは、二年前に俺がしでかしたことの結果を確かめるため……?

 

「――堂々とあなたを愛し、あなたを求める資格を持つ彼女に、ワタクシは……嫉妬しましたわ。なぜ、どうして、あんなポッと出の女に、ワタクシが長年愛してきたあなたを、奪われなくてはならないの? どうして? どうしてッ!」

「ひ、久水……」

「……でも、親しげに話すあなたたちを見ていて、わかったざます。『ポッと出』なのは、いつしかワタクシの方になっていたと。ワタクシには、時間が足りなかった。あなたを得られるだけの、時間と、思い出が……」

 

 俺の襟首をキュッと握りしめて、久水は甘えるような、悔やむような声でボソボソと呟いている。俺はせめてもの贖罪のつもりで、聞き逃さないようにしっかりと耳を傾けた。

 ――こんなにも久水は、ずっと俺のことを気にかけていたってのか……?

 

「お兄様が救芽井さん目当てに松霧町に行くと決めた時、ワタクシは感激しましたのよ? あなたに会える、そう願えたから……。――だけど、その願いが叶った時には、あなたは既にワタクシの愛が届かない場所まで行ってしまわれていた……」

「救芽井の婚約者……そうなってるからな」

「あなたは――どうなんですの?」

「えっ?」

「あなたは救芽井さんを、愛しているざますか? 両想い、なのざますか?」

 

 久水の想い、その重さを前にして、どうするべきか迷走しかけていたところへ、彼女は俺の胸から顔を上げて、不意にそんなことを問い掛けてきた。

 その質問に、俺は思わず声を詰まらせてしまう。

 

 救芽井は――確かに、女の子としてはお世辞抜きに魅力的だろう。優しく、正義感も強く、ひたむきな彼女に愛されれば、普通に人生バラ色だ。現に、世界中にファンがいるアイドル的存在でもあるくらいだし。

 そんな彼女の婚約者となっている俺は、本当なら相当な幸せ者のはずなんだ。

 

 けど……俺には、彼女を幸せにできる力なんて、ない。救芽井家のみんなは俺の背中を押すけれど、一般家庭の次男坊に過ぎない俺に、一体何がやれるっていうんだ?

 俺にできるのは、せいぜい着鎧甲冑を使った「お手伝い」くらいだ。世界的大企業の救芽井エレクトロニクスに携わるには、余りにもお粗末過ぎる。

 

 彼女が本気で俺を愛してくれるなら、それは喜ばしいことだと思うし、俺のためにいろいろと手を回してくれている救芽井家のみんなのためにも、気持ちには応えるべきなんだとは思う。

 だけど、それだけで何もかも解決できるもんでもないはずだ。「技術の解放を望む者達」のような勢力がまた襲ってきた時、俺は今度もきちんと彼女を守れるだろうか?

 

 ……俺には、絶望的に力が足りないんだ。彼女を支えるには、力が。

 それこそ、俺個人の努力でどうにかなるとは、到底思えないくらいに。

 

 だから、俺は――

 

「――わからない。俺にもわからないんだ。彼女を、受け止めることができるかどうか。弱気なコトだとは思うけど……」

「それが、あなたの本心?」

「……うん。だけど、彼女の気持ちさえ本物なら、いつかはちゃんと向き合わなくちゃならないんだと思う。それくらいは、わかる」

 

 こんな風に考えるようになっちまったのも、四郷の話が効いてるせいなのかな……。

 今まで俺は、自分にどんなに「それっぽい」話が飛んで来ても、「まさかそんな」で片付けてきた。自分にそんな浮ついた話は有り得ない、そう確信していたから。

 だけど、あんな話を真剣にされたら、考え出さずにはいられなくなってしまう。自分が気づいていないどこかで、俺はとんでもない思い違いをしているんじゃないか、と。

 

 身の程知らずも甚だしい、とは思うよ。だけど、もし本当に。百歩譲ったとして。あの言葉の数々に偽りがなかったのだとしたら。

 ……俺は、どうするべきなんだろうか。

 

「そう……そうざますか。では、ワタクシは?」

「……なっ!?」

「ワタクシは――どうざます? まだ、愛してくれるざますか?」

 

 そうして悩んでいるところへ、彼女はさらにとんでもない話題をブチ込んで来る。いくらなんでも直球過ぎるだろう!

 

 久水は……どうなんだろうか。

 確かに、彼女が初恋相手だというのは事実だ。ちょっと強引なくらいの気丈さに、楽しい思い出をくれたこと。

 そして――俺を覚えてくれていたこと。

 

 見違えるような超美人に成長して現れたのは驚きだったが、中身が良くも悪くも相変わらずだったのには安心したし、彼女と一緒にいるという人生も、きっと明るかったはず。

 

 ――だが、それは俺が彼女に見合う男であればの話だ。俺はそんな大した男じゃないし、救芽井の婚約者という立場でもある。

 そんな状態で、初恋相手だからといって安易に近寄っても、彼女を傷つけてしまうだけだ。

 

 だから俺には……応えられない。もう、昔のようには、彼女の隣にいることは、出来ないんだ……!

 

「……俺は、俺は……!」

 

 ――だが、そう言い切るには勇気が足りなかった。ここまで真剣に想ってくれていた彼女を、バッサリと拒絶できるのか? 俺なんかに?

 

 ……そんな偉そうに彼女を振り回して、いいのか?

 

 そう思うと、俺はどうしても言葉を続けることが出来なかった。なんとか口にしようとしても、恐怖に駆られて舌が回らなくなってしまうからだ。

 彼女を際限なく傷つけてしまう、恐怖に。

 

「――わかりましたわ。これ以上、こんなことを聴いても、あなたを苦しめてしまうだけ……。それならば、ワタクシにも考えがありましてよ」

「か、考え?」

 

 その時、久水は何を思ったのか、人差し指を俺の唇に当て、その先の言葉を制してしまった。彼女の気持ちに、俺は気づかないままだったが……どうやら、向こうからは何もかもお見通しらしい。

 

 彼女はようやく俺の上から離れると、ベッドの奥にある枕の傍へ移動した。そして、自分が持っていたもう一つのそれを、密着させるようにして並べている。

 ……なんかもう、ここまで来たら予想がついてしまいそうで怖い……。今までなら、絶対に意味不明な行動にしか見えないはずなのに。

 

「あ、あのー、久水さん? 一応お尋ねさせていただきたいのですが、何をされていらっしゃるのでしょう?」

「あら、決まっているでしょう? 今夜一晩、ワタクシとピッタリ寄り添って、眠っていただくざます」

「な、な、なっ……!」

 

 あ、あ、有り得ない! 普通なら絶対有り得ない! ロングヘアの巨乳美女と、あんな至近距離で引っ付いて添い寝なんて! つーか、そんなドギマギせざるを得ない状況で寝れるかァッ!

 

 そんな俺を悶々とさせたまま、久水は密着しきった枕のうちの片方に頭を乗せて、俺を手招きする。

 

「……ワタクシに残せる、最後の思い出、ざます。来て、下さいまし……」

「さ、最後って……!」

「あなたは救芽井樋稟の婚約者。そしてワタクシは、救芽井エレクトロニクスのスポンサー。それ以上の関係になりえないとおっしゃるならば、せめて、今夜だけでも……」

「……ひ、久水……」

 

 ややお馴染みの高慢さを取り戻しかけていた彼女の声も、次第に再び弱々しくなっていく。その懇願するような声色に後ろ髪を引かれ、俺はいつしか彼女の隣に座っていた。

 

 そして、一足先に寝そべっている久水は、恍惚とした表情で俺を見上げ、艶やかな手を俺の腕に絡めてくる。

 

「元々、あなたと一緒に寝るつもりでこの部屋を指定させましたが……こんなに密着するつもりは、最初はありませんでしたのよ? それを、あなたがあんなタイミングで駆け付けてきて、優しい言葉を掛けたりするから……」

「わ、悪いかよ」

「――ふふ、お顔が真っ赤ざます。ワタクシもきっと、人のことは言えないでしょうけど……」

「……まーな」

 

 ――多分、明日になったら救芽井達にシバかれるんだろうなぁ。それこそ、今頃瀕死になっているであろう茂さん並に。

 そんなことを考えながら、俺はテレビと電気を消して、久水が置いた枕の上に頭をゆっくりと乗せる。

 

 そして、瞼を閉じ――

 

「お休み、りゅーたん……」

 

「……あぁ、お休み。こずちゃん」

 

 ――彼女が残した最後の一言に、僅かな驚きと温かな懐かしさを覚えつつ、意識をまどろみに溶かしていった。

 



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第76話 修羅場の朝

 ――久水は、今夜が最後、と言っていた。

 

 だからきっと、彼女の気持ちは今日を境に「変わっていく」のだろう。今さらこんなことを言うのも失礼だろうが……もう、俺に振り回されることもなくなるのかも知れない。

 

 ……けど、それでいい。きっと、それでいいんだ。彼女には、彼女の時間がある。これ以上俺に付き合わせて、苦しめちゃいけないはずだ。

 

 こんな俺のことを、ずっと気に掛けていてくれて、ありがとう……「こずちゃん」。

 

 そして――今度こそさようなら。俺の、初恋。

 

 ……。

 

 ……と、自分なりに割り切ろうとしたところへ。

 

「ふふっ、いい朝ざますね……小鳥の囀りが聴こえてきますわ」

 

 ――この状況である。

 

 夕べ、涙ながらに「最後の思い出を残したい」と懇願していた少女は今、俺の腰に腕を絡め、さらに俺の肩に自分の頭を預けている。ピッチリと黒いレディーススーツを着こなしてはいるが、今にもボタンが弾けそうな状態だ。

 そして、朝日の輝きを窓越しに浴びながら、きらびやかな絨毯を敷いた廊下を渡る俺達。何か……何か違うくない? いや、俺が適当な私服なのに隣の久水がスーツだってところじゃなく。

 

「あ、あのさ久水――」

「さぁ朝食に向かいましょう。今日は海外から取り寄せた、本場ドイツの最高級ソーセージがありましてよ?」

「いや、それより俺の――」

「まぁ! 『俺のソーセージ』だなんて……まだ明るいうちですのにっ!」

 

 久水は俺の話を華麗にガン無視しつつ、蕩けた表情で背中を叩いて来る。「俺の話を」って言いたかったんですけど……。

 

 昨日の切なげな夜は、結局なんだったのだろう……? 俺がそんな疑問を持つこと自体が滑稽なくらい、当の彼女は、まるで何もかも吹っ切れたかのような笑顔と共に頬を赤らめている。

 それが意味するものは、何なのか。彼女は、俺を諦めたわけじゃなかったのか。その答えが出せないまま、俺はズルズルと引きずられるかのように、会食室まで到達してしまった。

 

「え? ――えぇえぇええっ!? 龍太君ッ!?」

「ちょっ――龍太ァァァッ!? 何しとんッ!?」

「んのほぉぉおッ!? 梢ぇぇッ!?」

「……おはよう……」

 

 そして、予測可能回避不可能なこの反応である。

 四郷を除くほぼ全員が、仰天して目を見開いている。全身包帯だらけの茂さんに至っては、ムンクみたいな顔になってるし……。

 

 それにしても、他のみんながピシッと正装した格好なのが気になる。救芽井と矢村の折檻ゆえか、包帯だらけでスーツが着るに着れなさそうな茂さんを除けば、全員が久水と同じスーツに身を包んでいるのだ。

 スーツを持参してこい、だなんて話は聞いてないはずなんだけど……まさか、俺だけ忘れてたとか言うオチじゃあるまいな!?

 

「なぁ救芽井、そのカッコはどうし――」

「どういうつもりよ龍太君ッ! 私というものがありながらッ! ……ま、まさかこれが、噂に名高い『NTR』ッ!?」

「あんたはどこから情報仕入れとんやッ!? ――それより龍太ッ! なんで朝っぱらからその人とくっついとんやッ!? まさかとは思うけど、ホンマに一晩一緒に寝てたとか言い出す気やないやろなッ!?」

 

 俺の話など、どこ吹く風のガン無視状態。彼女らは寄ってたかって俺に詰め寄ると、思い思いの不安をここぞとばかりにブチ込んで来やがった。

 つか、俺が久水と一緒に寝たって話を、何で矢村が知ってるんだ? まさか――

 

「……ぶい……」

「……ですよねー」

 

 ――うん、なんか予想通り過ぎて泣けてくる。四郷! てめぇの血は何色だァァーッ!

 

「いやあのな、これにはいろいろと事情が――」

「そう、いろいろありましたのよ。そうざましょ、『龍太様』?」

「――ぬぇぇぇッ!?」

 

 ちょ、な、なんだそのむず痒くなる呼び方は! つーか、首にほお擦りすんな! みんな超見てるから!

 

「……龍太くゥゥゥゥゥンッ!」

「りゅ〜うぅ〜たぁ〜ッ!」

 

 そんな俺の胸中など知る由もなく、救芽井はドス黒いオーラをメラメラと背面から噴き出し、鋭い眼光で俺を射抜く。視線は氷のように冷たいのに、纏う雰囲気は焼け付くように熱い。

 ……女湯の時ですら免れた鉄拳制裁が、今度こそ俺の顔面をブチ抜こうとしているッ! こ、ここまでか、ここまでなのか……ッ!

 

 許しを乞う暇すら与えられず、そのまま約二名のバーサーカーに滅殺されようとした、その時――

 

「お待ちなさい! ワタクシの愛人を傷付けようなど、言語道断ざます!」

 

 ――過去最大のスキャンダラス爆弾発言到来。なにを言い出すのこの娘は!?

 

 久水は俺を庇うように救芽井達の前に立つと、ただでさえ大きい胸をこれでもかと言わんばかりに張り出した。その威圧感に、二人は女性として覆し難い何かを覚えたのか、一瞬後退りしてしまう。

 

「あ、あ、愛人ですってぇぇぇぇ!?」

「ど、どういうことやそれぇぇぇ!?」

「梢ぇぇぇ! 愛人とは一体どういう了見――ンゲェッ!」

 

 それから一拍置いて、救芽井と矢村は再び声を張り上げる。その声色には、それまでの「怒り」の色に加え、「驚愕」の色も交わっていた。

 茂さんも似通った反応を示してこちらに迫ろうとしたのだが、その直前で救芽井のエルボーに沈められてしまう。い、痛そう……。

 

 そんな周囲の反応を楽しむかのように、久水は手の甲を頬に当てると、あの滑舌の悪い高笑いを始めた。

 

「フォーッフォッフォッフォ! どういうこともなにも、そのままの意味ですわ。確かに『正妻』はあなた方のどちらかかも知れませんが、そんな形式だけの男女関係など、何の意味も持ちませんのよ? 結局のところ、全てを決めるのは――深い情愛に結ばれているか否か……ざます」

 

 久水は絡み付くかのように俺を抱きしめると、甘い吐息を耳元に掛けて来る。か、体に当たってる胸の感触も相まって、これはかなりマズい……!

 しかし、いよいよ久水の心境がわからなくなってくる。昨日の夜から考えたら、こんな展開なんてどう考えてもありえないのに!

 

「ちょ、ちょっと待てよ久水ッ! 夕べが最後って話だったんじゃあ……!」

「そう、あの夜が『最後』でしたわ。ただ離れ離れになっていただけの、幼なじみとしての関係は――もう、終わりですの。これからワタクシ達は、一人の男と女……」

「んなああぁあ!?」

 

 そ、そんな話を急に持ち掛けられても……! お、恐ろしい……これがセレブの世界だというのかッ!

 

「ゆ、許さないわよそんなことっ! 龍太君は私と結婚して救芽井龍太になるんだからっ! 人の婚約者に、当人の前で色目使うなんて正気の沙汰じゃないわよ!」

「あらあら、大事なスポンサーにそんな横柄な態度をして大丈夫ですの? ワタクシ達の助力を得られないと困るのは、どちら様でして?」

「ぐぬぬ……ひ、卑怯者っ!」

「なんとでもおっしゃいなさい。この殿方がいずれ『久水龍太』となるのも、時間の問題ですわね……」

「こ、梢……一応実権を持っているのはワガハイなのだが――ブファッ!?」

「だまらっしゃいツッパゲール!」

 

 眼前で繰り広げられる、見るも悍ましい修羅場の連続。迂闊に立ち入れば顔面に蹴りを入れられる――という危険性は、茂さんが自らの身を以って証明してくれた。

 

「ちょ、ちょっと龍太もなんとか言ってやってや!」

「なんとかってなにをだよ!? ――うわっ!?」

 

 この事態に憤慨している矢村の無茶ブリに頭を抱えた瞬間、俺の袖が後ろから急に引っ張られる。何事かと振り返れば、そこには上目遣いで俺を凝視する四郷さんが。

 

「……梢を泣かせたら……許さない……」

「お前も無茶苦茶言うんじゃないッ!」

 

 あーもう、わけがわからんッ! 俺は一体どうすりゃいいんだ!?

 得体の知れない展開に、状況判断がまるで追い付かない! 俺は救芽井の婚約者であって、だけど久水を泣かせたらダメだって言われて……ああああっ!

 

「ぐおううぅ……ん?」

 

 その時、俺の肩にポン、という軽い感触が伝わってきた。肩を軽く叩かれた感じだ。

 

 今度はなんだ……と訝しみつつ振り返ると、そこは包帯でグルグル巻きにされながら顔面が血だらけになっている、見るも無残な茂さんの姿があった。

 

「し、茂さん……?」

「……梢は、ワガハイが当主を継ぐと決めた時から、家族のためにと一心不乱にワガハイを支え続けてくれた、大切な妹だ。あの娘は今までワガハイのため、懸命に仕事を手伝ってくれていた。……会いたい人に会うことも、我慢してな」

「久水が……?」

 

「そうだ。ワガハイに叶えられるわがままなど僅かだが……それでも、たった一人の妹の願いを蔑ろに出来るほど、ワガハイは樋稟のことに没頭できてはいない」

 

 いつになく真剣な顔で、茂さんは俺を真っすぐと見据えている。昨日までのデンジャラス変態野郎と同一人物だとは、到底信じられないくらいに。

 

「今の間で、しばし悩みはしたが――それに応えうる力を持っている貴様だからこそ……梢の気持ちには、なんとしても応えて貰わねばならない。例えそれが、どのような結果を生むとしても、だ」

「茂さん……」

 

 ……茂さん、なんだかんだでやっぱり妹思いの、いいお兄さんじゃないか。こんな真摯な眼差しを向けられてしまったら、生物災害的ド変態だと思っていた自分が恥ずかしくなってくる。

 反省しなくちゃ、な。

 

「――嫁に出す気はさらさらないが、婿として貴様が来るなら、歓迎してやらんでもないぞぉ?」

「そっか……ん?」

 

 ……あれ? なんか、だんだん声のトーンが上がって行ってる気がするな。風呂覗きの時のような、破滅的な上機嫌さが滲み出てる。こ、これはまさか――

 

「そしたら貴様は義理の弟! そして貴様のコネを通じて今度こそ樋稟と……ムヒヒヒヒ!」

「――台なしだァァァッ!?」

 

 ここまでいい感じだった雰囲気が、その本音一つで完膚なきまで粉砕されてしまった。相変わらず脳髄まで樋稟一色かコイツはァッ!

 

「フヒヒヒヒ! さぁ一煉寺龍太、ここに婚姻届がある! 後はハンコを押すだけだぞこのヤローめ!」

「用意周到過ぎんだろ!? またキャラが崩壊してるぞあんた!」

 

 ひらひらと一枚の紙を見せびらかしながら、茂さんは挑発するようにマヌケな踊りを披露している。おまわりさんこいつです。

 

「デュフフフフ! これでまた一歩野望に近づき――べぶらァッ!」

「ええかげんにせぇやぁッ!」

 

 勝手に一人で舞い上がっていた彼の脳天に、ゴージャスな椅子が炸裂する。……矢村さん、それはやり過ぎだと思うんだ。プロレスの反則技じゃないんだから。

 しかし、周りの使用人一同、主が椅子で殴られてるのに助ける気がゼロってどういうことなんだ。「当主様は一度お灸を据えられた方がよろしいかと」って感じの冷ややかな視線向けてるし……。

 

「全く、そんな自分勝手なことばっかりしよるけん、バチが当たるんやで」

「いや、どう見てもバチを『当ててた』と思うんだが」

「そんなことどうでもええやん! それよりずっと大事な話があるんやからっ!」

「な、なんだよっ?」

 

 すると、今度は矢村がぴょんと俺の胸に飛び込んできた。咄嗟のことなので反応もできず、俺は彼女の体当たりを真正面から受けてしまう。

 久水といい矢村といい、最近の女子の間じゃ捨て身タックルが流行りなのか?

 

「えへへへ……アタシも龍太の『愛人』になったろーかなってさ」

「――うえぇ!?」

「だって、そうやろっ? 久水が結婚しなくても一緒におる気なんやったら、アタシだってやったるで! ――そんで、いつか龍太が振り向いてくれさえしたら、そのまま『一煉寺賀織』に……えへ、えへへへへ……」

「おい落ち着け! よだれ垂れてる! 超垂れてる!」

 

 全く、こいつもとんでもないコト思い付きやがって!

 

 ……だけど、こんなに俺と一緒にいたがるって、もしかして……その、矢村も――俺が好き、なんだろうか?

 ――いやいやいや! 落ち着け俺こそ落ち着け! いくら久水がそのパターンだったからと言ってだな……!

 ……でも、もし……久水と同じ気持ちだったとしたら、俺は――

 

『この際やから言うとくけどな、アタシは龍太が好きや! 大好きなんや!』

 

 ――その仮説を後押しするかのように、約二年前のあの発言がフラッシュバックしてくる。

 もしアレが本心だとしたら……俺は、二年近くもずっと、彼女をほったらかしにしてきたということなんだろうか……。

 

「な、なぁ矢村」

「ん? なぁに?」

「あのさ、前にファミレスで――」

 

「さぁ龍太様! 今日の隣はワタクシざます! 世に云う『あ〜ん』とやらを実践して差し上げますわっ!」

「ぬわっ!?」

「きゃっ!? ……む、むーっ!」

 

 だが、矢村の気持ちを確かめようとしたところへ、久水がここぞとばかりに割って入ってきた。彼女はグイグイと俺の襟を引っ張り、食事の席へと強制連行していく。

 なんか彼女がジロッと矢村を睨んでるようにも見えたけど……気のせいだよね? なんかお二方の目線がぶつかって火花散ってる気もしたけど、気のせいですよね?

 

「さぁ皆様、御席へどうぞ。今日の朝食にはドイツ産の本場ソーセージがありましてよ?」

「サラッと流さないでくれる!? 龍太君の隣は婚約者の私よっ!」

「二人ともなに言うとるんやっ! 一番付き合いの長いアタシが、責任持って監督するべきなんやけん、アタシが座るっ!」

「あら、どうぞご自由に。それならワタクシは彼の膝の上に座りますわ」

「……梢、がんばれー……」

 

 彼女達は俺の心労などまるで気づく気配がなく、それどころか各々が自分の欲望に従いまくっている。メダルとか入れてみたら余裕で怪人とか出て来そうだな……。

 

「ぐふっ……ふふふ……モテる男は辛いな? 一煉寺龍太……」

「……茂さん、あんたはもう何も喋るな。いろんな意味で傷口が開く」

 

 血の涙を流しながら、心身ボロボロとなって倒れ伏している茂さん。もう見ていられない……。

 

 こんな一般的感性が行方不明な状況のまま、朝を過ごさなければならない、という状況にため息をこぼしながら、俺は一人席につく。

 

 久水との関係。矢村の気持ち。そして四郷研究所とのコンペティション。

 もし夏休みの宿題に絵日記でもあれば、さぞかしいいネタになっていたことだろう。ソレを担任が信じるかは別として。

 

 そんな予測不能奇想天外な今後を憂いつつ、俺は女性陣の騒動を尻目に窓を眺め――

 

 ――固まった。そして、自ずと目を見開いてしまう。

 

 快晴の空に包まれた世界に映り込む、白い装束。

 木陰の中に立っている分、その白さはより際立っているように見えた。隠れているつもりは……恐らくないのだろう。

 

 そうして図太い木の枝の上に立ち、真っすぐに俺を見つめる白銀の仮面。その姿を、俺は知っている。

 

 ……なんで、あんたがここにいる!?

 

 ――「必要悪」!

 



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第77話 ヒーローといえばユニフォーム

 突如として、俺の視界に現れた「必要悪」。

 その存在を俺が皆に訴えようとした時には、既に奴は行方をくらましていた。

 

 茂さんに「誰もいない窓の外を指差して騒いでいた」ということにされかけたのには堪えたが、救芽井達は俺の話を真面目に聞いてくれた。……茂さんをブチのめしながら。

 特に救芽井は、あいつのことが気掛かりでしょうがないらしい。それは多分、俺も同じだが。

 

 ――しかも、「必要悪」について驚くべき情報が、これをきっかけに突然舞い込んできた。

 

 茂さんが「救済の超機龍」のことを知っていた理由。それが、奴だったのだ。

 

 「救芽井家の婿養子候補である『救済の超機龍』の所有者に勝てば、救芽井樋稟は必ず手に入る」。茂さんは、そう「必要悪」に吹き込まれていたらしい。

 俺が「必要悪」について、四郷や久水に説明しようと特徴を羅列したところ、茂さんが何か知ってるような反応を見せたため、救芽井が締め上げていきさつを吐かせたのだ。

 

 あの「必要悪」って奴……一体、何を考えてる? 俺を試すとか言って、一般ピープルを踏切にブチ込んだり、茂さんに発破を掛けたり。

 「救済の超機龍」を知っていて、その上俺を試すようなことばかり繰り返しているようだが……。

 

 やっぱり――「あんた」なのか? いや、だけど……どうして……?

 

 ――なんにせよ、今はまだ何者なのかわからない以上、構っていても仕方がない。それに、俺達にはコンペティションという重要な仕事が残っている。

 気掛かりなことではあるが……先送りにするしかないのだろう。

 

 ……だが、俺が気にしているのはそれだけじゃあない。

 それは、俺以外の全員がフォーマルな出で立ちに大変身している、ということだ。仲間外れ感がハンパないんですけど……。

 

「あら、そういえばまだ渡してなかったかしら。……ちょうどいいわ、私の部屋まで来て」

 

 朝食後にその件について救芽井に問い質したところ、速攻で彼女の部屋まで連行されてしまった。なんか有無を言わさぬオーラだったような……つか、「渡してなかった」って一体……?

 

 やがて連れ込まれた彼女の部屋は、これまた四郷や久水のそれに負けない豪勢ぶり。黄色いカーペットやベッドに描かれた細やかな模様からは、セレブリティーな雰囲気がこれでもかというほど滲み出ているようだった。

 化粧に使うような鏡やクローゼット、シャンデリアやカーテン付きベッド。……これが客室とは、今さらながら恐れ入る。ちなみに聞くところによると、同じような部屋を充てられた矢村は、余りの豪華さに一晩中はしゃいでいたのだとか。

 ……俺も久水のことがなけりゃあ、同じ心境だったのかもな。

 

「……な〜にを考えてるの?」

「うひょぃッ!?」

 

 ――っていう考えが顔に出ていたのだろうか。我に帰った俺の眼前では、スゥーッと目を細めた救芽井が、俺を冷ややかに見つめていた。あー……やっぱり、根に持ってらっしゃる……?

 

「もぅ、全く! 婚約者の私を差し置いて、まさか愛人を作るなんて!」

「あ、あのなぁ救芽井、俺にだっていろいろと事情ってモンが――」

「事情ってどんな事情よッ! 婚約者の私より大事な事情ってなんなのよッ! 昨夜、ベッドの上で……その、まっ、待ってたのにッ!」

 

 く、それを言われると何も言い返せなくなるな……。まぁ確かに、婚約者ほったらかして幼なじみと一夜を過ごすなんて、浮気者もいいとこだ。

 ……だけど、当時の俺の状況というものも、少しは汲んでいただきたい。あの久水が長年想い続けてきたと訴えてきて、今夜が最後だからと半ば泣きつかれて……。

 あの空気で「ゴメン婚約者いるからパス」とか言える奴がいたら神だぞ、そいつは。

 

 ――とは言え、それで救芽井を悲しませてしまったら世話がない。とにかく、ちゃんと謝った方がよさそうだ。寝る場所を久水に指定された以上、どうしようもなかったとは思うけどね……。

 

「あー……その、悪かったよ、ごめん。せっかく会えた幼なじみの頼みだったから、なかなか無下にできなくてさ」

「……もう、久水さんと寝ない?」

 

 こうなったら、恥も外聞もあるまい。――つか、俺達以外誰もいないし。

 俺は観念して、彼女に素直に頭を下げることにした。これだけで許してくれるようなことでもない、とは思うけど。

 すると、向こうは俺が頭を下げてきたことに少し驚くと、やや頬を赤らめながら、顔を上げた俺を見詰めてきた。

 怒りと懇願がないまぜになったような、切なげな表情。上目遣いということもあって、さながらプレゼントをねだる子供のようにも見えてくる。

 

 久水と寝るような事態が、今後起きることがない――とは言い切れないかも知れない。あんな切実な頼み方をもう一度されて、うまく断れるかどうか……。

 だが、それで救芽井を不安にさせたくもない。もし彼女が、本当に俺を想ってくれているのなら。

 

「……寝ないだろうな。それこそ、命でも懸けられない限りは」

 

 そうして逡巡を繰り返した果てに出した答えが、これだった。

 果たしてこれが正解なのかは、俺にもわからない。「口先でも『命懸ける』って言われたら浮気するのか」とか言われたら、それまでだろう。

 だが、自分自身の気持ちが自分でもわかるくらい不安定な今の俺では、この答えが精一杯だった。救芽井……ハッキリ言えなくて、ごめん。

 

「そう……じゃあ、と、特別に今回だけ――」

 

 すると彼女は何を思ったのか、はにかむような表情で俺の傍に立ち――両手を翼のように広げる。

 そして、

 

「――ギュッてしてくれたら……許してあげる」

 

 ……などということをおっしゃった。

 

 え? ギュッてするって……抱きしめるってこと? 救芽井を?

 ――いやいやいやいや! 確かに彼女は婚約者だけども! 立場的には問題ないのかも知れないけども! そんないきなり!

 

「あ、あ、あのですね救芽井さん、仮にも学生の身分であるお人が、不純異性交遊を誘発するような行為は慎んだ方がよろしいか……と……?」

 

 彼女の言う通りにしていると、俺の心臓が持ちそうにない。俺は脳みそが混乱状態に陥ったまま、なんとか別の方法を探してもらおうと屁理屈を並べていた。なんか「お前が言うな」って感じがするけども。

 

 ――だが、そんな俺の空気を読まない思考回路は、彼女の手を見た瞬間にピタリと停止してしまった。

 

 ……震えていた。

 

 彼女の手は……震えていたのだ。「何か」に怯えているかのような、不安を訴えているかのような震え。

 それが目に入った時、俺はどこか既視感を覚えていた。

 

 二年前の喫茶店での強盗事件か……? いや、確かにあの時に近い震えには見えるけど、なんだか雰囲気が違う。

 じゃあ、俺が撃たれた時? いや……それも違う。

 

 ――これには……矢村の時と、近いものがある。

 

 あの戦いが終わった後、俺は目覚めて早々、心配していた矢村に押し倒されて――抱きしめていた。

 その時、泣きじゃくっていた彼女の体から微かに感じていた震え……それが今、救芽井の手にも現れているんだ。

 

 外敵への恐怖ではなく、大切な何かを失うことへの恐れ。今の彼女の震えには、その気持ちがまざまざと現れているようだった。

 ――俺がここで言う通りにしなかったら、彼女は何かを無くしてしまうのだろうか。もしそれが、「俺が傍にいるという保証」なのだとしたら――

 

「あっ……」

 

 ――言う通りにして、証明してやるしかないだろう。俺は、ここにいる、と。

 

 思いの外細い彼女の両肩は、俺の胸板の中にすっぽりと入り、鎖骨の辺りに彼女の顔が押し当てられた。

 そして、発育の良すぎる双丘が肉壁に圧迫され、重力に逆らう方向へはみ出してくる。あててんのよ。

 

「……ほら、こんなとこか?」

「……うん。――ふふ、龍太君。顔、真っ赤だよ」

「う、うるせー……」

 

 首筋の辺りに頬を当てて、救芽井は愛おしそうな視線を下方向からぶつけてくる。救芽井……これ以上、オスを刺激するのはやめたほうがいい。

 

 それからしばらくの間、彼女は俺の胸の中で、温もりを与えつづけていた。この真夏のど真ん中に「温もり」なんてはた迷惑もいいところだが、こういう「温もり」なら、例え日干しになってでも得る価値があるのだろう。

 ――これのおかげなのか、彼女の震えも、なくなっていたのだから。

 

 やがて彼女は満足したかのように俺から離れると、満面の笑みを湛えながら「ありがとう」と言い、俺は「どういたしまして」と返した。

 そして、その余りにもありきたり過ぎるやり取りがお互いに可笑しくて、俺達はわけもなく笑い合っていた。

 

「さて、それじゃあ渡すものがあるから、ちょっと待っててね!」

 

 すっかり上機嫌になっていた彼女は、鼻歌混じりにベッドの傍に置かれていた、肩掛けバッグへと向かう。「ルンルン」っていう擬音がピッタリ過ぎるくらい、軽快な足取りだ。

 

 ……少なくとも、今のところは地雷は踏んでないらしい。思ったより傷付いてなくて、よかった。

 

 俺がそう胸を撫で下ろしている間に、彼女は恋人にプレゼントでも渡そうとしているかのような笑みを浮かべ、陽気に帰ってきた。ただでさえ大きい彼女の胸が、期待という言葉で三割増しくらいに膨らんでいるようにも見える。うーむ、煩悩退散。

 そして、そんな彼女の両手に乗っていたのは――何かの赤い服のようだった。

 

「これから四郷研究所へ向かうんだから、よそ行きとして恥ずかしくない格好じゃないとダメでしょう? 矢村さんにもレディーススーツを渡してあるし、久水さん達もちゃんと準備してたみたい」

「なるほど、みんな正装だったのはそういうわけか――ってちょい待ち! コレってどう見ても普通のスーツじゃないだろ! なんで俺だけ!?」

「あなたは『救済の超機龍』を所有する資格者であり、今回のコンペティションの重要人物だもの。普通のスーツで行かせるわけないでしょう? というわけで、あなたには『救済の超機龍』の所有者にきっと相応しい、専用のユニフォームを用意したわ!」

 

 なるほど。水泳選手がスーツじゃなくて、ジャージ姿でメダルを貰うのと同じ理屈ってわけか。……けど、ちょっと待て。

 

「『きっと』ってどういうことだ? まさかとは思うが――」

「だ、だってデザイナーはお父様なんだもの。私、そういう男の子のセンスってよくわかんないし……」

「ぐ、ぐわー! また甲侍郎さんかよッ!」

 

 やっぱりか! 出来れば外れていて欲しかったけど、やっぱりなのか!

 着鎧甲冑に「カッコイイから」って理由で、ツノを二本もくっ付けるあの人がデザインしてるだなんて、どうあがいても絶望じゃねーか!

 た、頼む救芽井! 今からでも遅くはないッ! 俺にまともなスーツを用意してくれぇぇぇ!

 

「でも、あなたならスタイルもいいし、きっと似合うわよ! いいから着てみてっ!」

 

 そんな俺の胸中など知る由もなく、救芽井は実に無責任な褒め言葉を浴びせながら、着替えを急かしてくる。あ、あーもー! 着ればいいんでしょ、着れば! もうどうにでもな〜れっ!

 

 俺は半ば自暴自棄になりながら、寝間着に使っていた上着を脱ぎ捨てる。それを目にした救芽井が、鼻の先まで赤くして悲鳴を上げた。

 

「きゃ、きゃあああああっ! なんでいきなり脱ぐのよっ!」

「お前が着替えろっつったんだろ!?」

「一言いってよ、バカぁ!」

 

 そんな理不尽なことを言いつつ、彼女はベッドの陰へと退散してしまった。爆発物か俺は。

 

 やれやれ、得体の知れないユニフォームは着させられるわ、無茶苦茶なことで救芽井に怒られるわ……。朝っぱらから厄日だぜ、ちくしょう。

 そんな愚痴を心の内で垂れ流しながら、俺は赤いユニフォームに袖を通していく。黒いアンダーシャツを下に着て、ジャージの要領で前のチャックを閉じるモノのようだったから、胸元はなるべく開けておくことにした。暑いからね。

 

 そして着替えを終え、救芽井にユニフォーム装着完了の報告をすると、彼女は待ってましたと言わんばかりの勢いで飛び出してきた。

 

「似合ってる! うん、すごく似合ってるよ龍太君っ!」

「そ、そう……なのか?」

「うんっ! きっと、お父様もすごく喜んでくれるよっ!」

 

 ……甲侍郎さんが喜ぶとか、不安しか残らないんですけど。

 

「そ、そっか〜、そりゃあ何よりだ。あ、あのさ、全身が写る鏡とか、ある? 表に出る前に、一応自分の格好を確認しときたいっつーかさ……」

「あら、そう? えーと、鏡なら確かこの辺に――あった! これでいい?」

「あ、ああ、ありがとう……」

 

 もはや希望なんてない。

 

 頭じゃそうだとわかっていても、心のどこかで期待してしまうのが、悲しい人間の性なのかも知れない。

 俺は「スーツデザインがまとも」という、天文学的な確率に一縷の望みを賭けて、救芽井が運び出してきた鏡の前に立つ。

 

 そして――俺の願いは、はかなく散って行く。

 

 赤を基調に、黒のラインが幾つも引かれ、胸には龍を模したエンブレムまである。まさに特撮にありがちなヒーロースーツそのもの、という感じであった。

 「出動!」とか言われたら「ラジャー!」って返したくなるよ。泣けるほど。

 

 それからしばらく、俺は鏡の前でむせび泣いたのだった。救芽井からは、「かっこよすぎて感激している」などと誤解されながら。

 

 ……もう誰か、いっそ俺を殺してくれ……。

 



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第78話 いざ、四郷研究所へ

 救芽井が用意してきたという、俺専用のユニフォーム。

 それは、特撮ヒーローのコスプレと見紛うような、確実に「人を選ぶ」デザインの代物だった。こんなものを着て、俺は他所様を訪問しなくちゃならんのか……。

 つか、何気に暑い! 暑苦しい! なんでこの炎天下に、黒グローブまで完備した長袖仕様なんだよ!?

 

 そんな嘆きを胸に秘め、部屋を出た俺は「お披露目」と称して、救芽井に廊下へと引きずり出されてしまった。

 救芽井、それお披露目とちゃう! 公開処刑や!

 

 そして――

 

「りゅ、龍太……? えっと、その……に、似合っとる、で?」

「あら、なかなか勇ましい出で立ちざますね。……ワタクシ、なんだか胸が熱くなってきてましてよ」

「……ぷぎゃー……」

「ず、ずるい! 貴様ばかりずるいぞ一煉寺龍太ッ! そんな素晴らしいユニフォームを、樋稟から直々に頂いてしまうとはッ!」

 

 ――というのが、周囲の反応だった。

 

 矢村には気を遣われ、久水兄妹には何故か大まじめに絶賛され、四郷には堪え難い一撃を貰ってしまいましたとさ。

 久水と茂さんのセンスがズレていたのには救われたが、その分四郷と矢村に現実を思い知らされたかのような心境だ。

 特に四郷……お前はもう少し、オブラートな表現方法を模索してくれたまえ。軽く死にたくなってしまったではないか。

 

 ――さて、そんな地獄のような午前を過ごした俺も、今は四郷研究所への出発に向けて、荷物を纏めているところだ。

 向こうからスポンサーとしての依頼があった、という付き合いもあるためか、久水兄妹も同行することになったらしい。

 妹の方はともかく……兄貴の方がいろいろな意味で心配だ……。

 

「さぁ龍太様、準備はできまして?」

「あ、ああ。そういや、研究所までは何を使って行くんだっけ? 救芽井ん家のリムジンならもう帰っちゃったし……」

「今回は、我が久水家が所有する専用バスで送迎させていただきますわ。既に表で待機していましてよ?」

 

 自室で出発の準備を整えていた俺は、久水の指差す方向の窓から、外の草原を見下ろす。

 そこには、セバスチャンさん率いる使用人達が、荷物にタグを付けたり、それらを車内まで運び込んだりと、一台の大型バスを囲むようにして慌ただしく働いている姿があった。

 

「ちょ、荷物くらい自分で運ぶけんっ! あ、あわわわ……」

 

 あ、なんか矢村がバスの前でオロオロしてる。こんな身の回りの世話なんて、されたことないだろうしなぁ……。

 でも、使用人のみんな、人数も多くないし大変だろうな……ちょっと手伝って来ようか。

 

 俺はしょっていたリュックを床に降ろすと、ドアに向かって駆け寄――

 

「お待ちなさい!」

「ぐほッ!?」

 

 ――ろうとして、久水に襟を掴まれて止められてしまった。反動で思わず首が締まってしまい、喉仏から息がゲホッと噴き出して来る。

 

「ゲホゴホ……な、なにすんのさ!?」

「龍太様、彼らには彼らの、あなたにはあなたの役目があるはずですわ。余計なことをして、体力を無駄に削るような真似は謹んでくださいまし」

「な、なにもそんな大袈裟な……」

「いいえ! あなたは四郷研究所の力を甘く見ているざます。お兄様に勝ったからといって、向こうでも同じ道理が通じるとは決して限りませんのよ!」

 

 ぐ、な、なんかいつになく真剣だなぁ……。まるで母さんから躾されてるみたいじゃないか。

 

 しかし、彼女の言うことももっともかも知れない。事実、俺は向こうの手の内なんて、まるでわかってない。

 対して、相手はこっちのことは散々知り尽くしているのだろう。なにせ、こっちは世界的な大企業なのだから。

 

 ……そうだよな。俺には俺の、セバスチャンさん達にはセバスチャンさん達の戦いがある。ここは、そっとしとく方がいいのかも知れない。

 

「――たはは、その通りだなぁ。いやぁすまん、ちょっと余計な気遣いだったかな」

「い、いえ、あなたは本来なら『それで』構わないざます。その気遣いがなければ、ワタクシは今頃……」

「ん?」

「し、しかし今回は大事な用事がある以上、自分のお体も大切にしなければなりませんのよ! ここは我が久水家の使用人達にお任せあれっ!」

 

 何か言いそびれてるようにも見えたけど……まぁ、いいか。あんまり人のコト詮索するのって良くないと思うし。

 久水は恥じらうように俺から視線を外すと、手ぶらのまま部屋を飛び出してしまった。あれ、そういえばあいつ、荷物はどうしてるんだ?

 

 ふと、そのことを疑問に感じてバスを見下ろしてみると……見覚えのないバッグが幾つも詰め込まれているのが見えた。肩掛けのモノだったりリュックサック状だったりと、まるで俺と救芽井と矢村の三人分を、集大成にしたかのような物量。

 俺以外の荷物は、既にバスに詰められてるみたいだし……まさか、アレ全部が久水兄妹の……!?

 

 ――や、やめよう、考えたら負けだ。でも、あんな大量の荷物を研究所に持ち込んでどうするんだか。遊びの旅行でもあんなには持って行かないぞ……。

 

「一煉寺龍太、急ぎたまえ! 既に貴様以外は準備万端だ!」

 

 午後の日光を頭頂に浴びて、今度はスーツをピシッと着こなした茂さんが、入れ替わりに部屋に入って来た。うおっまぶしっ。

 

「ああわかった、すぐに行くよ」

 

 俺はその神の輝きを手で覆いながら、降ろしたままだったリュックを、よいしょと背負い込む。

 茂さんはその様を見届けると、「ではワガハイは先に向かおう!」と猛ダッシュで立ち去って行った。ものすごく楽しみって感じのテンションだったな……。遠足にでも行く気でいるのか?

 

 ――ちなみに今後のスケジュールとしては、研究所まで久水家のバスで移動し、夕方には到着するらしい。そこで伊葉さんと合流して一泊した後、丸一日休息を挟んで、コンペティション本番に入るのだそうだ。

 なるべく最高のコンディションで、コンペティションに臨んで欲しい、というのが向こうの言い分らしい。なんともフェアな人達ではないか。コンディションだかコンペティションだかで頭が混乱しそうだけども。

 

 勝てるかもという期待と、負けるかもという不安。どちらも均等な大きさだ。

 だけど……もし昨日の決闘で俺が負けていたら、不安の方が確実に勝っていただろう。もっとも、その時は四郷研究所とぶつかるのは、俺じゃなくて茂さんになってたんだろうけど。……不安だな、それも。

 

 そんなえもいわれぬ心境のまま、俺は無駄に広い玄関から表に出る。

 茂さんの言った通り、既に俺以外は準備万端だったらしい。救芽井と矢村が、待ってましたと言わんばかりに俺の前へと駆け寄ってきた。

 

「龍太君、早く行きましょ! ほらほらっ!」

「もぉ、遅いで龍太っ! はよせんとっ!」

「お、おぉスマンスマン」

 

 二人とも笑顔だし、ちょっと遅れてきた俺の背中を押してくれてるってのは、わかるんだけど……俺以外の全員が黒いスーツ姿だから、威圧感しか感じねぇ……。

 使用人達の「プークスクス」って感じの反応に目を伏せながら、俺はそそくさと自分のリュックをバスに入れてもらった。どうやら、セバスチャンさん達の感性はまともだったらしい。哀しいほど。

 

「……ん?」

 

 その時、死にたくなるような恥ずかしさに苦心して、俯いていた俺の視界に、妙なモノが映り込んだ。

 草原の碧い茂みの中にある、手の平サイズの黄色い物体。プラスチック製のようなソレは、明らかに自然のものには見えなかった。

 

「なんだ……これ?」

 

 誰かが落としたのだろうか。そう勘繰った俺は、ひょいとその小さな物体を拾い上げてみた。

 

 薄っぺらいハートの形をしていて、その中央にはわっかが付いている。その裏側には、丸みを帯びた突起が出来ていた。

 

 この形状……まさかこれ、「おしゃぶり」か? あの、赤ちゃんが口に付けてるアレ。

 

 誰がこんなものを? つーか、なんでこんなところに?

 この家で、赤ちゃんって言えるくらいの小さな子供は見掛けなかったけどな……。一番小さいって言ったら四郷か矢村だけど、あの二人でも対象年齢外だろうし。

 

「……あ、あ、あぁあああああ〜ッ!」

 

 すると、矢村でも四郷でも、久水家の誰かでもなく、救芽井が悲鳴を上げた。

 彼女はまるでへそくりを見られたかのような表情で、俺に向かって猛ダッシュしてくる。その焦燥ぶりは、ただ事ではなかった。

 

「うわぅッ!?」

「こっ、これはねっ! し、親戚の子供が赤ちゃんだからねっ! あ、あやすために買ったんだからねっ! そ、そ、それがたまたま、ま、紛れ込んじゃっただけなんだからねっ!?」

 

 思わず俺が目をつぶってしまった瞬間に、彼女は素早く俺からおしゃぶりを奪い取る。そして、その直後に出て来た彼女の発言を俺が聞き取るよりも速く、自分の胸ポケットにソレを押し込んでしまった。

 もはや神業レベルのスピードである。よっぽど他人に触られたくなかったんだな……。

 

 しかし、救芽井の私物だったとは意外だ。親戚の話も、今度ゆっくり聞かせてもらおうかな?

 

「さ、さぁみんな、四郷研究所に出発よっ! 張り切って急ぎましょうっ!」

 

 よほど急いでいるのか、救芽井は周りの人達に向かって、必死にまくし立てている。そんな彼女を四郷・久水・矢村の三人がジト目で見据えていたのが気になったが、まぁ、それはひとまず置いておこう。

 

 俺達一行がバスに乗り込むと、運転手を勤めるセバスチャンさんを除く使用人――すなわちメイド部隊が、一列に並び、満面の笑みで手を振ってくれた。

 ……あの笑顔の意味が「あの格好、可笑しすぎー」とかだとは思いたくないな。ここは卑屈にならずに、素直に受け取っておくとしよう。

 

「では、行ってまいりますわ。皆さん、ワタクシが離れている間、屋敷の手入れ、お願いしますね。もし万が一、手抜かりがあれば……『ご褒美』を差し上げますわよ?」

 

 窓から身を乗り出して、久水はどこに隠し持っていたのか、乗馬用のムチを取り出してきた。ちょ、出発前に何を!? ご乱心めされたかお嬢様!

 

「ご安心下さい、梢様。私ども誠心誠意を以って、今以上に見目麗しい屋敷をご覧にいれますわ。……で、でも、『ご褒美は』……欲しい、です……」

「フォッフォッフォ……いけない娘ざますね……。『ご褒美』より、『お仕置き』が必要でして?」

 

 ――あぁダメだ。これ以上は聞かない方がいい。俺の第六感が……全力でそう叫んでいるッ!

 久水は嬉々としてムチを鳴らし、メイド達は全員、その音に頬を赤らめている。こんな常軌を逸した世界に留まっていたら、気が変になりそうだ……。

 救芽井じゃないが、確かにこれは先を急ぎたくなってくる。

 

「あっ、でも……ワタクシには、龍太様の『お仕置き』が必要ですわ……」

「ぐ、ぐわあぁー! 俺をそっちに引き込まないでくれぇえー!」

 

 恍惚たる表情で、こちらを見つめる久水。そのケモノのような眼差しに悲鳴を上げた瞬間、見兼ねたセバスチャンさんがバスを発進させてくれた。

 

「……えー、四郷研究所行き、発進します」

 

 俺達を乗せたバスが、妖しい快楽に染まるメイド部隊から逃げ出すかのように、久水家から離れていく。彼女達の姿が遠退いていくにつれ、異様な空気ゆえの息苦しさから解放されていくように感じた。

 そして、「行ってらっしゃいませぇえぇえ!」という黄色い歓声に背中を押されるように、バスは更に山奥の林に覆われた道へと突き進んで行く。

 

「さぁ、龍太様。このムチでワタクシに愛ゆえの痛みと快感を……」

「何を考えとるんやこいつっ! そのムチ、アタシが使ったるっ! 龍太、これでアタシを――」

「や、やめなさい二人共! 暴力反対よっ! あ、でも、りゅ、龍太君になら……」

「……これはひどい……」

 

 ――奇遇だね四郷。俺も同感だよ。超同感。セバスチャンさんも可哀相な目で俺を見てるし……。

 

 どうやら、久水家を出ても妖しい空気は止まないらしい。見兼ねた四郷がムチを奪って窓から放り出すまで、このような地獄は延々と続いていたのだった。

 



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第79話 ノーヴィロイド

 林に空を覆われた山道を抜けると、海を一望できるルートに出る。

 太陽の光を鏡写しのように受け止めた、海面が眩しいその世界を俺は今、まったりと堪能していた。いいねー、窓際って。

 

 ちなみに、茂さんは「ワガハイにも『ご褒美』をー!」などと口走ってしまったがために、現在は包帯に包まれた半死体と化している。南無三……。

 

 それから、出発当初はあれだけ騒いでいた三大バーサーカーも、今ははしゃぎ疲れたのか、くぅくぅと寝息を立てている。愛らしい寝顔をタダで見れることだし、ここはそっとしておこう。――ちょっと申し訳ないかも知れないけど。

 

 ……しかし、四郷がムチを投棄処分してくれた後も大変だった。あれからも三人ときたら、俺をネタに謎論争を繰り広げてたんだから。

 

「アタシの方が付き合い長いんやけん、あんた達は引っ込んどけやっ!」

「あらあら、寝言は寝てからおっしゃいなさい。ワタクシは小学生の頃から愛を育んでおりましてよ?」

「……そ、そ、それがどうしたって言うのよ! だいたい、過去の付き合いなんて並べたって何の意味もないじゃない! これから正式な婚約者として、彼と添い遂げていく私の邪魔はしないでっ!」

 

 ――俺との付き合いの長さを競ったり。

 

「ご存知? 世の男性というのは、得てしてグラマラスな女性を好むものですのよ? あなた方のような貧相な体では、龍太様を満足なんてさせられないざます。丈夫な子供も産めるかどうか!」

「ぬ、ぬぁんやってえぇーッ!? む、胸は関係ないやろぉっ! 龍太は胸で人を選ばんのやけんっ! そ、それに世の中には、ちっちゃいのも、その、好きっていう人だって……」

「だ、第一、丈夫な子供を産むのに胸の大きさなんて関係ないわよっ! そんな峯山なんて、歳を取ったらただの贅肉じゃないっ!」

 

 ――あろうことか、思春期の男子の前でバストの話題に突入したり。

 

「知ってる? 龍太君は純愛をテーマにしたゲームを特に好むそうよ。あなた達みたいな爛れた欲望にまみれた人達に、彼を幸せに出来るのかしら?」

「な、なんやってー!? し、知らんかった、龍太にそんな趣味が……。じゃ、じゃあアタシもそれやるっ! 今度貸してや龍太っ!」

「お待ちなさい、それを先にプレイするのはワタクシざます! ――それより『爛れた欲望』とは聞き捨てなりませんわねっ! あなたにだけは言われたくありませんのよっ、この泥棒猫!」

「どっちが泥棒猫よっ!? だいたい龍太君をたぶらかしてベッドにまで連れ込んで……!」

 

 ――個人情報を晒して俺まで巻き込んで来たり!?

 

 今まで必死に隠してきたはずの俺の性的嗜好が、まさかバスの中で暴かれてしまうとは。特に矢村に知られてしまったのは痛い! これでパソコンを覗かれたりして逆鱗に触れることになったら……!

 

 ――俺は恐る恐る、今は寝静まっている矢村の顔を覗き込む。心底はしゃぎ尽くした、というくらい満足げな寝顔だ。

 ……これでさっきの暴露大会がなけりゃあ、安心して眺めていられるってのに……。今回のコンペティションが終わる頃には、忘れてくれることを祈ろう……。

 

「……えっち」

「うえぇ!?」

 

 その時、不意に突き刺さるようなことを言ってきた四郷に、俺は思わず飛びのいてしまった。ちょ、えっち!? 俺がえっちだと!? ――その通りだよちくしょうめ!

 前の方の席から身を乗り出して、こちらを見つめる彼女の瞳は、蔑むようにスゥッと細まっている。まるでゴミ捨て場に群がるハエでも見るような目だ……。

 

「……バスが走ってる途中で、立っているのは危ない。席に戻った方がいい……」

「え、あ、そ、そうっすね……」

 

 そして、至極真っ当な台詞に捩伏せられ、俺は萎んでいくかのように元の窓際の席へと退散していく。うぅ、俺の男としての尊厳はおろか、人としての権利さえいずれは瓦解しそうな気がしてきた……。

 

「な、なぁ四郷。お前んとこの四郷研究所って、具体的にはどんな研究してるとこなんだ? 競争するって言うからには、救芽井エレクトロニクスと同じ主旨だってのは予想がつくんだけど」

「……それは、向こうに着いたらわかる……」

 

 そこで、この調子だと気まずくてしょうがないから、何か話題を振ろうとしたんだが――バッサリと切られてしまったようだ。……取り付く島もない、とは正にこれか。

 

 セバスチャンさんは運転に集中してるし、他の三人は寝てるし。起きてる四郷がこんな様子では、会話の弾みようがないな……。

 

 ――しょうがないから、俺も向こうに着くまでふて寝してやろうか。

 そう思って、背もたれに身を委ねて瞼を閉じようとした……その時。

 

「……でも、退屈なら、ちょっとだけ話す……前情報ということで……」

 

「――え、えぇ!?」

「……何? そんなに嫌……?」

「い、いやいや! そういうわけじゃないけどさ……」

 

 意外にも、彼女の方から口を開いてきたのだ。俺はその一言でパッチリと目を覚ますと、背もたれから身を起こした。

 ――わざわざ俺に合わせて話題を出してくれるとは、いい子じゃないか四郷さん。

 

「で、でも、いいのか?」

「……機密に触れない程度に、最低限のことなら別に。でも、あんまり楽しい話じゃない……」

「――そっか。いいって、それくらい。楽しくないってことは、真面目な話ってことだろ? 聞くよ、俺」

 

 四郷研究所の研究概要か……。まさか本当に答えてくれるとは。向こうのことは何も知らないし、ちょっと聞いておいた方がいいだろう。

 

「……ボクのところの研究所では、電動義肢の研究が進められていて……」

 

 彼女は一瞬だけ俺の方を見ると、静かに話し始めた。や、やべ、さっそく難しくなってきやがった……。

 

 ――でも、今の四郷の目、ちょっと気になるな……。

 さっきまでの、養豚場の豚を見るような目とは違う。どこか、はかなげな色を湛えているようにも見えた。

 

 まるで、俺に助けを求めているかのような……?

 

「……現在では人命救助用の最新鋭義肢として……って、聞いてる……?」

「え!? あ、ああ! 聞いてる聞いてる超聞いてます!」

 

 ――気がつけば、四郷は再びムスッとした目線を俺に向けていた。や、やべー、話をせがんでおいて「聞いてませんでしたー」とかクズ過ぎるだろ俺……。

 気を取り直して、俺は再び耳を傾けようと彼女の方を見る。そんな俺の反応を見た彼女は、ふぅとため息をつくと、何事もなかったように話を再開してくれた。

 

 ――四郷って、普段がほぼ無表情だから、目つきで感情を予測するしかないんだよなぁ……。いつかは、彼女の満面の笑みとか見てみたいもんだ。超レアだと思うけど。

 

 それから彼女のトークは数時間に渡って続けられ、「最低限」という言葉がジョークだとしか思えないほどになっていた。

 

「……というように、コストの面と使用者のリスクが……って、何を笑ってるの?」

「いや、お前って一見無口にも見えるけど、話すと結構おしゃべりなのかな……ってさ」

「……え……?」

 

 その間、なんだかんだで、彼女は四郷研究所についてイロイロと教えてくれたわけなのだが、小難しい用語みたいなのがちらほら出て来たせいで、話の内容はあまり掴めなかった。

 

 ――せいぜい、人間の脳みそを機械の体に移植する技術がある、ってとこくらいかな。俺にも理解できたのは。

 

 それでも、「無口そうな彼女が俺のためにあれこれと話してくれた」ということは、個人的にはかなりの収穫があったように思えた。むしろ、俺の中ではソッチの方が大きい感じだ。

 

「なんつーかさ、最初に会った時よりか、かなり喋ってくれてるって感じなんだよなぁ。いろいろと教えてくれたってのも嬉しいけど、そのことの方が俺的にはデカかったかな」

「……そんなこと、ない……ボク、話すの上手じゃないから……」

「いやいや、俺としては話が聞けて良かったって思ってるよ。しっかし、そっちの技術にはたまげたなぁ。人間の脳髄を機械に移植する……なん、て……?」

 

 ――その時、俺の記憶に何かが引っ掛かる。

 

 人間の脳髄を、機械の体に移す。

 

 そんな技術を四郷研究所が持っていると、確かに彼女は言っていた。

 

 それを改めて認識した瞬間。

 何故か、遠くに置いていたはずの記憶の一部が、第六感を通して自らの存在を訴えはじめていた。

 

 ……「四郷鮎子には、生体反応がない」。

 

「あ、あのさ、四郷。実は俺んとこにはさ、生体反応をキャッチするシステムがあって――」

「……そのことなら、救芽井さんに夕べ訪ねられた。生体反応センサーに引っ掛からない、ステルス性のある新製品を試用してるってことにして、ごまかした……」

「あ、そ、そうなんだ……。って、『ごまかした』?」

 

「……一煉寺さんには、先に話しておく……」

 

 その言い草に違和感を覚えた瞬間、彼女は席から身を乗り出した。

 

 そして、後ろの席に座っている俺に視線をぶつけ――言い放つ。陽の光を受け止める海の輝きを、その一身に浴びながら。

 

「……四郷研究所における最高傑作、完全機械化義肢体『新人類の身体(ノーヴィロイド)』……。それが、ボク……」

 

「――なっ!?」

 

 ……にわかには信じがたい。

 だけど、今の言葉が真実でなければ、つじつまが合わなくなるだろう。

 

 だから、今は強引にでも受け入れなくてはならないのかも知れない。

 

 四郷鮎子は……機械の身体を持っているのだと。

 

 そして――コンペティションに置ける対戦相手として、俺と戦うことになるのだと……。

 



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第80話 俺を「つなぐ」、彼女の意味

 世界が赤く染まる頃、俺達は旅路の終着駅にたどり着いていた。

 空も、バスも、海沿いに通ってきた路面も、全てが赤い。全て、茜色の夕日に染められている。俺はその美しさを堪能する暇もなく、さっさと車外へエスケープしていく四郷を追った。

 そしてミイラ状態から不屈の性欲で蘇った茂さんを含め、他の全員も停車したバスから、目を擦りながら降りて来る。

 

「う〜……ん、着いたの……?」

「ふわわぁ〜……やっとやなぁ……」

「全く……いつものことながら、この退屈な時間はたまりませんわね」

「むひょー! 鮎美さんに会えるぅー!」

 

 四郷以外の女性陣と違い、圧倒的な早さで目を覚ました茂さんは、何やら喚声を上げながら踊り回っている。救芽井にフラれた途端にこれとは……。

 

「ハッ! いやいやいかんいかん! ワガハイには、樋稟という心に決めた女性がッ!」

「いや、もうイロイロと手遅れな気がするけど……」

 

 その時、俺は茂さんの謎暴走を宥めつつ、彼の出した名前を頭の中で復唱していた。

 

 鮎美、鮎美、鮎美……どこかで聞いたような……。

 名前からして、四郷のお姉さんなんだろうか。だとしたら、彼女が自分の妹を……?

 

 ――「新人類の身体」。それは四郷研究所の最高傑作であり、着鎧甲冑にとってのライバルとなる存在。

 それが四郷だと言うことは、姉貴が妹の身体を機械にすり替えたってことにもなる。当の本人はあれ以上は何も語らなかったが……もしそれが事実だとしたら、いかがなものか。

 

 少なくとも……自分の妹を機械にする姉だなんて、俺は想像もしたくない。例えば、もし俺が兄貴に機械にされたりなんかしたら、一生人間不信になる自信がある。

 四郷は、家族にそんなことをされたのだろうか? それとも、自分から……?

 

「……ここが、ボクらの研究所……」

 

 そんな俺の思考を断ち切るかのように、冷淡な一言が聴覚に突き刺さる。顔を上げると、そこには我が家を指差す機械少女の、どこか虚ろな後ろ姿があった。

 

 ◇

 

 海を一望できる崖の上にそびえ立つ、久水邸に勝るとも劣らない大きさの施設。

 全てが白く、無機質なコンクリートに固められたその研究所は、失礼ながら刑務所のような威圧感を放っていた。

 なぜだろう。見た目がちょっと大きいくらいの、ただの建物のはずなのに……相対するだけで、足が震えてしまいそうになる。

 着鎧甲冑の今後が俺に懸かってるってプレッシャーが、今頃になって襲って来やがったのか? だけど、それだけじゃないような……。

 

「あら? 意外に簡素――失礼、シンプルな造りの研究所なのね。ここで間違いないの?」

「結構ええやん、ここ! 高いとこから海が見えて、ロマンチックやしっ!」

「ふふん、あなた達。驚くのはまだ早いざます! 何度もここへ呼ばれているワタクシに言わせれば、あなた方の反応は滑稽に見えて仕方ありませんのよ!」

 

 セバスチャンさんがヒィヒィと喘ぎながら、バスの中から荷物を運び出してる最中、久水は矢村にケンカを売るかの如く巨峰を張る。待て矢村! キャリーバッグを振り上げるんじゃないッ!

 

「あらあら、賑やかね。妬けちゃうわ」

 

 ――その時だった。冬場の湖畔のような……穏やかでありながら、どこか冷たさを感じる声が、俺の聴覚へ響いたのは。

 

 荒ぶる矢村を羽交い締めにしている救芽井に加勢しようとしていた俺は、その声が届く瞬間、金縛りにされたかのように足を止めてしまった。いや、止められた、って感じかな……?

 

 しかも、その感覚は俺だけではなかったらしい。暴れていた矢村も、彼女を抑えていた救芽井も、手の甲を頬に当てて「フォーッフォッフォッフォ!」と高笑いを上げていた久水も。みんな一様に、凍り付けにされたかのように、固まってしまった。

 まるで吹雪を放つ雪女のように、この場の空気を一変させてしまった、その声の主。

 

 俺達全員が、そこへ向けて各々の眼差しを集中させた先には――

 

「四郷研究所の所長を務める、四郷鮎美よ。かわいい救芽井エレクトロニクスの皆さん、今回はよろしくね」

 

 ――白衣に身を包む、一人の美女がこちらを見つめていた。

 

 ここの責任者で、「四郷鮎美」……。じゃあこの人が、四郷を「新人類の身体」にした張本人か!

 

 彼女の紺色の長髪はポニーテールに纏められ、肩から胸の辺りまでに垂れ下がっている。そして、ある少女を思わせる紅い瞳は、色とは対照的な鋭さと冷たさを漂わせていた。目鼻立ちがヴィーナス並に整っているのは、姉妹共通のようだが。

 歳は……二十代後半くらい、だろうか。多少距離は離れているが、身長は俺より多少高いくらいだろう。豊満に飛び出したエベレスト(目測では救芽井以上久水以下)を除けば、身体つきの方はかなりスレンダーなようだ。

 白衣の下は紫のシャツに黒いミニスカ、そしてハイヒールと、かなり久水家のメイド部隊が喜びそうな格好になっている。もしかして茂さんもか……?

 

 それにしても、今の所長さんの言い草……。

 彼女からすれば、俺達は子供にしか見えないのだろう。明らかに、ライバル視してる連中に対する態度じゃない。

 それだけ自信があるのか、俺達がバカに見えてしょうがないだけなのかは知らないが……ちょっと要注意だな、この人は。

 

「――あなたが、四郷研究所の……? そう。私は救芽井エレクトロニクス社長令嬢にして同社の代表、救芽井樋稟です。こちらこそ今回のコンペティション、よろしくお願いします」

 

 そこから一拍置いて、救芽井が前に進み出る。

 俺を庇うように最前線へ立った彼女は、二年前のスーパーヒロインっぷりを彷彿させる凛々しさを放ち、真っ向から所長さんを見据えた。

 彼女も向こうの言い方が癪に障ったのか、微妙に目付きが鋭い。競争相手なんだから、ピリピリした空気になるのはしょうがないとは思うんだけど……この二人から感じられる威圧感、生半可じゃねぇ……。

 

「ムッハー! 鮎美さぁぁん! この瞬間をどれだけ待ち望――ゲボラァッ!」

「――あらあら、豚が一匹紛れ込んでたみたいよ? 車内点検には気を配った方がいいわね」

 

 この空気が読めていなかったのか、いきなり煩悩をキックダウンさせてしまった茂さんの顔面に、ハイヒールの踵が突き刺さる。世に云う「ルパンダイブ」を試みた彼の体は、彼女に迫る瞬間に空中で静止し、直後に地べたへ墜落してしまった。

 

「……以前、ワタクシ達がスポンサー依頼の関係でここを訪れてから、ずっとあんな調子ざます。あのハゲルには、後ほどお仕置き百人分を堪能させてあげますわ」

「なるほど、憧れの女性ってヤツか。……あと、百人分はさすがに勘弁してやってくれ。人ん家を血で汚してはいかん」

 

 突発的かつ無謀極まりない茂さんの特攻に困惑していた俺に、久水がそっと耳打ちしてきた。

 意味不明な言動を始めた上に血達磨にまでされてしまい、色んな意味で見ていられない状況の茂さん。そんな彼を妹としてフォローする(つもりなんだと信じたい)久水の話を聞き、俺は報われなさすぎな彼の恋路を、ちょっとだけ憂いた。まぁ、救芽井と二股掛けてたバチだ、ということにしとこう。……俺が言えた義理じゃないのかもしれんが。

 

「梢ちゃんも、こんにちは。あらっ、そこにいるのが噂に名高い『龍太様』かしら? あなた、松霧町に行くことになった時から、その人に会えるってすごいテンションだったわよねぇ」

「あ、あ、鮎美さんっ!? それは言わない約束でしてよっ!?」

 

 自分では言いたい放題な久水も、人に突っ込まれるとさすがにちょっぴり恥ずかしいらしい。咄嗟に俺の傍から飛びのくと、両手で顔を覆い隠してしまった。……なんか顔から湯気が出てるようにも見えたけど、まぁ気のせいだろう。

 ……しかし、四郷研究所にまで言い触らしてたのかよ。俺もなんか恥ずかしくなってきたわ。

 

「――てことは、あなたが一煉寺龍太君、で間違いないのかしら? 救芽井さんの婚約者でありながら、梢ちゃんまで虜にしてるって有名な」

 

 すると、彼女は興味津々な視線を俺に向け、久水が離れた隙を突くかのように迫ってきた。――なんか言い方が鼻につくけど……間違いだとは言い切れない。

 にしても、情報が伝わるのが早いな。俺が救芽井と婚約してるってのを、幼なじみの久水が知ったのは昨日のことなのに。

 ……四郷研究所なりの情報網ってトコか? こりゃあ、こっちの事情のほとんどは筒抜けって判断で間違いなさそうだな。

 

「……まぁ、そんなところです」

「ふふっ、綺麗な目、してるね。……よく似てるわ。妹の帽子、取ってくれたんでしょ? あの娘、すごく喜んでたわ」

 

 さっきの冷たさや鋭さを包み隠すような、どこか冷ややかさを孕みつつも、穏やかにも見える視線。それに若干警戒しつつも、俺は当たり障りのない返事をした。……ここで四郷の話を持ち出したって、恐らくまともに相手はしてくれないだろうからな。

 ……つか、「よく似てる」って誰にだよ?

 つか、あの帽子ってそんなに大事だったんだな……。取り戻せて、本当によかった。当の四郷は、なんか久水みたいなリアクションしながらそっぽ向いてるけど。

 

 しかし、こうして見ると普通の仲のいい姉妹にしか見えないんだよなぁ……。四郷も、お姉さんのことは特に悪く言ってなかったし。

 端から見れば、妹を機械に改造してしまうような恐ろしい人間には、到底見えないだろう。あの冷たさが、俺の思い過ごしでありさえすれば。

 

「あらあら、そんな固くならなくたって大丈夫よ。あなたはあなたの実力で、ぶつかってくれればそれでいいんだから」

 

 やたらエロい手つきで、所長さんは俺の頬を撫でる。まるでピアノを弾くかのように、細い五本の指が、交互に俺の肌を這い回っていた。

 口ぶりからして――「救済の超機龍」のこともダダ漏れってわけか。

 

「ちょっ――龍太になにしとんやっ! アタシの前やったらお触り禁止やでっ!」

 

 そんな状況が見ていられなかったのか、俺達の間に、今度は矢村が割って入ってくる。所長さんは珍しく目を丸くすると、眉を潜めて首を傾げてしまった。

 

「あなたは……ええと、どちら様?」

「がくっ! ア、アタシは矢村賀織やっ! 龍太とは中学時代からずっと一緒で――」

「……どうして一般人がここにいるのかしら? コンペティションの代表選手として来ている一煉寺君や、スポンサー候補の梢ちゃんがいるのはわかるとして――ただの民間人に出席を頼んだ覚えはないのだけど」

「えっ……で、でも、アタシは、龍太と……」

 

「聞こえなかったの? 『ただの民間人』に用はないのよ」

 

 その言葉が発せられた瞬間、矢村は目を見開いて硬直してしまった。そして、唇を噛み締めて俯いてしまう。

 

 ……一般人、か。それは俺も同じのはずなんだけど、俺には「救済の超機龍」としての役目がある。久水や茂さんは、どちらのスポンサーになるのかを見届ける立会人。救芽井はもちろん、企業としての代表者だ。

 ――言われてみれば、矢村がついて来る理由なんて一つもない。特に役割があるわけでもなく、彼女が言う通りの完全な「民間人」なんだから。

 

「一煉寺君の知り合いだかなんだか知らないけど、ただの民間人にまで見せられるようなショーとは違うのよ。今日はもう遅いから、一晩だけ泊めてあげる。明日になったら、久水家のバスで帰してもらいなさい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 

 ……だからといって、彼女に言われるがままでいるつもりはない。矢村も、俺にとっては「居てもらなくちゃいけない人」なんだから!

 

「なに? 一煉寺君」

「彼女は……帰さないでくれ。矢村は、その――お、俺の補佐なんだ! 着鎧甲冑の知識も俺より詳しいし、メンタルケアとか、そういう俺の精神衛生上、必要な人材なんだって!」

「ふぅん……じゃあ彼女は、あなたのメンタルヘルスのためにいる、ということ」

「そ、そうそう! それそれっ!」

 

 所長さんは訝しむような表情で、必死にまくし立てる俺と、俯いたままの矢村を交互に見遣る。

 俺はゴリ押しでも彼女に納得してもらうために、真っすぐに彼女の瞳を直視した。

 

 ……確かに、矢村は能力的には必要とされていないかも知れない。着鎧甲冑を使うわけでも、特別お金持ちというわけでもないし。

 だけど――それでも、俺には彼女が必要なんだ。

 こんな常識の枠をブチ破るような世界にいても、俺が自分を保っていられるのは……他でもない、矢村がずっと一緒に居てくれたからだ。

 

 着鎧甲冑だの「新人類の身体」だのに関わることのない、「ただの女の子」である彼女が傍に居てくれたから、俺はどんなに遠い世界にいても、あの頃から離れていないんだと思える。

 彼女の存在が、本来の俺をつなぎ止めてくれているんだ。

 だから……ここに来て彼女だけ帰すなんて、絶対に嫌だ。そんなことになったら、それこそ俺は間違いなく、自分を見失ってしまうだろう。見知らぬ世界に、翻弄されるがまま。

 

 そんなわがままで、見苦しい願望が伝わったのか――所長さんはため息をつくと、背を向けて研究所へ歩きはじめた。

 恐る恐る顔を上げる矢村にそっと寄り添いながら、俺は彼女の反応を伺う。

 

「メンタルケア要員、矢村賀織――ね。ただの一般人だと思って人数にはカウントしてなかったけど……これは、再度人数確認が必要になるかしら」

 

 その呟きが耳に入った瞬間、矢村は希望に満たされたようにパアッと顔を輝かせて、俺に目一杯抱き着いてきた。沈もうとしている太陽よりも、眩しく笑って。

 

「やったああぁあッ! 龍太、龍太、龍太ぁッ!」

「おう、よかったな、矢村! つ、つーかちょっとギブ……ぐ、ぐるじい……」

「龍太、ありがとう、ホント、ありがとうなっ! アタシのこと、必要やって言ってくれて、ホント、ホントッ……!」

 

 ……いや、これはもう抱擁じゃねぇ。ベアハッグだ。

 矢村の情熱的過ぎる猛攻に、俺の呼吸器が悲鳴を上げはじめたところへ、今度は久水が騒ぎ出し、四郷が静止に入っていく。

 

「ワタクシの龍太様にベッタリと……よくもッ! それならワタクシは、この双頭の最終兵器で挟み込んで差し上げますッ!」

「……それ以上はダメ。試合前に死んじゃう……」

 

「では、私達は一旦、荷物の……整理にっ……!」

「――うふふ、そんなに行きたかったら、行って来たら? 荷物運びなら、こっちにも男手が居るし」

「……すみません。それではお言葉に甘えて、少し失礼します。――三人ともぉぉぉぉっ! 揃いも揃って、龍太君に何してるのよぉぉぉっ!」

 

 すると、今度は所長さんに背中を押されたかのように、救芽井までもが荒ぶりだした! 光の速度で、こっちに猛突進してくるッ!?

 四人の美少女に囲まれ、もみくちゃにされる。これが男の夢だとか思うヤツがいるなら、俺はそいつを殴りに行きたい。

 高二男子、痴情のもつれで窒息死。――そんな死に方は、いやぁぁぁぁッ!?

 

 悲鳴を上げることすら出来ず、美少女集団という渦潮に囚われている俺の視界から、次第に「空」という概念が消えていく。

 四郷が「新人類の身体」ならではの腕力を発揮して全員を引っぺがすまで、その一方的な蹂躙は、留まるところを知らなかった……。

 

「……ようやく来たな、一煉寺君」

「あれが一煉寺龍太、か。ふん、かの『一煉寺』の名も、堕ちるところまで堕ちたようだな……しかし伊葉、貴様よくも堂々とオレの前に――」

「やめて、凱樹。今はコンペティションを優先して」

「――ふん、まあいい。貴様らが何をしようと、正義は必ず勝つ。必ずな」

 

 そして、研究所の入口で交わされていたそんな会話など、聞き取れるはずもなかった。

 ……あっ、また美少女四人が群がって来――ぬわーッ!?

 



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第81話 今日は最後に見学会、そして……

 四郷研究所の内部は、外から見たおどろおどろしい印象とは裏腹に、隅々まで清潔にされていた。

 

「――な、なぁ龍太、アタシら秘密基地にでも来とんやろか?」

「まぁ、得体の知れない点で見れば正しく『秘密基地』、だよな」

 

 ……というよりは、やたらハイテクな絵面が広がっている、と言った方が正しいのかも知れない。

 純白かつ機械的な、一本道の廊下。その端々を、公園のゴミ箱のような形状で動き回る「お掃除ロボット」。そして、通路の窓越しに映る幾多のベルトコンベア。

 研究所に入ってすぐに、エレベーターで地下深くまで降ろされたかと思えば、この景色である。SF映画のセットだと言ってくれた方が、まだすんなりと納得できたことだろう。

 

「宿泊所は地上の階に限定してあるのよ。この研究所の本領は、この地下施設」

「……施設っていうより、もうほとんど地下基地ですよね。もしかして、研究所の入口を置いてある崖も全部、中身はこういう施設なんですか?」

「崖もそうだし、そこからもっと下――つまり正真正銘の地下まで、階層は続いているわよ。下に行けば行くほど、重要な施設になっていくの」

「ワタクシも初めて知った時は、本当に驚いたざます。どうです? あなた方も驚嘆されまして?」

 

 簡単な研究所案内をしながら、俺達一行の先頭を歩く所長さん。サラリと言ってのけてはいるけど、ここって相当常識外れな仕組みしてんだな……。久水の言う通り、今の俺達の反応には「驚嘆」という二文字がよく似合うことだろう。

 あの刑務所みたいな施設が末端の最上階で、そこから崖の中身が本当の研究所になっていってる――ってわけか。つまりこの四郷研究所は、本来は崖並に高いビルみたいな、超高層ハイテク施設とも言えるんだろうか。……むちゃくちゃだ。いろいろとむちゃくちゃ過ぎる。

 しかも質問してた救芽井さんは、さも納得したかのようにフムフムと頷いていらっしゃる。なにあっさりと理解しちゃってんの!? スケールのヤバさに突っ込もうとは思わないのか!

 

 ――しかし、なんでまた崖の中なんかにこんな研究所を作ったんだかな。これじゃまるで、何かに偽装してる悪役のアジトじゃないか。

 

 この研究所のそんな不自然さに首を傾げつつ、俺は窓の外へ視線を転換する。メカの手足を思わせる部品を、流れるような作業で運んでいるベルトコンベア。その流動を眺めていると、自然にため息が出てしまった。

 ――こんなフザけた科学力を持った連中が作り上げた傑作が、「新人類の身体」か……。これだけのモノを作れるのなら、もうちょっと人間に優しい代物を捻り出してほしいもんだが。

 

 ……ん? 「連中」……?

 

「そういや所長さん、ここには何人くらいの人が住んでるんですか? 地上の階だと、掃除とか料理とかはほとんど人型のロボットがやってたみたいですけど」

「基本的なことはウチのロボットが済ませてるわよ。料理、洗濯、掃除、そして開発作業……それら専門のロボットが、いつも頑張ってくれてるわ。住んでる人間は――私達姉妹を入れても、たったの三人ね。今なら、伊葉和雅さんも泊まりに来てるわよ」

「ほとんどロボットが!? しかも住んでる人間が三人だけ!? ――つか、伊葉さんも来てたんだ。姿が見えなかったけど……」

「今は最上階で、ウチの同居人と話し込んでるところよ。昔からの知り合いだからね」

 

 十年前の総理大臣と知り合いって、どんな関係だよ……なんかいろいろと気掛かりなことばっかりだなぁ。こんだけだだっ広い研究所に、三人しか人が住んでないって話も信じがたいし。

 

 そういえば、俺達が研究所の入口を潜るとき、やたらガタイのいいお兄さんとすれ違ったことがあった。あの時は周りをキョロキョロと見渡してたせいで、人相こそ見逃してしまっていたが、多分あの人が所長さんの云う「同居人」なんだろう。

 所長さんが言うには、俺達の荷物を運んでくれてたらしいし、地上に上がったらちゃんとお礼言わなくちゃな。

 

「しっかし、ホンマにロボット工場ばっかりやなぁ。かれこれ十階分くらい降りよるけど、ずっとおんなじ場所ばっか見よる気がする……」

「……最下層の手前の階くらいまでは、ずっと似通った光景が続く……」

「どんだけ続くんやソレ!?」

 

 この研究所の、異様なまでに連続する景色を前に、矢村が悲鳴を上げる。――無限ループって怖くね?

 

「それはそうと、四郷所長。そろそろあなた方の最高傑作にお目にかかりたいところなのですけれど? さっきからずっと同じような工場を巡ってばかりではありませんか」

 

 すると、何回も似たような場所を見せられてばかりの現状に業を煮やしたのか、救芽井がチクリと刺すような台詞を吐いた。その最高傑作がすぐ傍で歩いているのかと思うと、当の本人の反応が怖いな……。

 

 いずれ知られることなんだろうし、隠す必要も本当はないのかも知れないが、四郷本人からの許可を得ないままベラベラと暴露してしまうのも忍びない。俺は相変わらず仏頂面な眼鏡少女に目配せしつつ、素知らぬふりをした。

 

「ごめんなさいね。そっちのことはあらかた知り尽くしてるのに、こっちのことは何も知らされてないっていうのは、私から見てもズルイことだとは思うわ。だけど今日はもう遅いから、ウチの研究所の簡単な概念だけでも知ってもらおうと思って、ここまで案内させて貰ったの。私達の手札は、明日の午前中に披露する予定よ」

「……わかりました。では、コンペティション前の情報交換は、明日以降に延期ということですね?」

「ええ。と言っても、あなた方の手札――着鎧甲冑のことは大体把握してるから、基本的にはこちらの一方的な発表会になるでしょう。楽しみにしててね?」

 

 年上のお姉さんらしく、ウインクを送って宥めようとする所長さん。そんな彼女の余裕釈々といった対応に、救芽井はさらに眉を吊り上げる。うわぁ、なんだこのムード……。

 

「あ、あの、所長さん。そこら中でチョロチョロ動いてる『お掃除ロボット』なんですけど、あれを商品とかにしたら売れるんじゃないですか? なんでこん――この研究所のためだけに使ってるんです?」

 

 そこで、険悪な雰囲気にも成りかねないこの状況を打破するべく、俺は所長さんに話題を持ち掛ける。――危ねぇ、「こんな山奥の研究所なんかに」とか言いそうだったわ。本音だけどさ。

 

 ……しかし実際問題、ここのハイテク技術が今まで全く世に出ていない、というのはなんとも不自然な話じゃないか。ゴミ箱みたいな形状で、ホバリングしながら動き回る「お掃除ロボット」……。値は張るかも知れないが、一家に一台は欲しいビックリメカだろう。

 もし救芽井エレクトロニクスが着鎧甲冑を発表するより先に、四郷研究所がこういうロボットを発表していれば、着鎧甲冑を凌ぐインパクト――とは行かなくても、それなりに注目は集められたんじゃないだろうか。

 これだけの技術があって、それをこんな地下深くにまでひた隠しにする意味が、どこにあるんだろう? ……今回の、コンペティションまで。

 

 所長さんは俺の問いにすぐには答えず、少しだけ間を置いて口を開く。

 

「……完全な製品を世に送れるようになるまでは、どこにも売り出さないってこだわりがあってね。そのおかげで、あなたの言う通り、何一つ商品になっていないのよ。あの『お掃除ロボット』は、電動義肢技術の応用で作った『おもちゃ』でしかないしね」

 

 その時の彼女の苦笑いに、俺はどことなくぎこちなさを覚えた――が、その理由を察することまでは、できなかった。

 

 ――結局、日が沈むまでの一時間ちょっとの間、俺達は「ロボットという呼び方に近しいほど、機械的な電動義肢の開発が主体になっている」という四郷研究所の見学だけに終始していた。肝心な話は、救芽井と所長さんの会話からして明日に変わるらしい。

 そこまで勿体振るもんなのか? 「新人類の身体」ってのは。そりゃ、確かに「人間の脳みそをそのまんま機械に」って話は、いささかショッキング過ぎるとは思うけど……。

 

 ……でも、この人は本当にそんな代物を商品にして売り出すつもりなのか?

 

 俺の胸中にそんな疑問がつっかえた時には、既に見学の時間は終わり、俺達は地上に上がっていた。

 

 エレベーターから出た先では、所長さんに沈められた茂さんが、ソファーの上でタオルケットを掛けられて眠っている。いくら気品を投げ捨てたド変態だとはいえ、あのまま野ざらしにしておくわけには行かなかったのだろう。四郷研究所の手厚い処置に感謝だ。

 

「皆さん、今日はお疲れ様。明日は午前中にちょっとだけ時間を貰うけど、それ以降は一日中お休みだから、ゆっくりしていってね。寝泊まりする部屋は、こっちにあるわ」

 

 所長さんは俺達全員を地上まで連れ出すと、宿泊する場所に案内しようとする。

 そんな彼女の、初対面の時に感じた冷たさを覆う、穏やかな口調。その裏側に何があるのかを勘繰っていた矢先――

 

「うわっ!?」

 

 俺は壁のような「何か」にぶつかり、思わずよろけてしまう。所長さんに気を取られて、周りを見ていなかったせいだ。

 

「まぁっ!? 龍太様、お怪我はありませんの!?」

 

 その時、一番近くにいた久水が慌てて俺の体を支えようとする。あ、あの、ダブルリーサルウェポンが当たってらっしゃるんですけど……。

 

「――ちょっとそこのあなた! ワタクシの旦那様にぶつかっておいて、謝罪の一言……も……」

 

 俺がぶつかった相手に向かい、久水は語気を強める。いや、悪いのはよそ見してた俺なんだけどさ……。

 

 だが、最初は強気な態度だった彼女の表情が、みるみる青ざめていく。まるで、虎の尾でも踏んでしまったかのように。

 次第に言葉を失っていく彼女。俺はその視線の先に、何かヤバイものがあるのかと踏み、とっさに彼女を庇うように立つ。

 

 そして、俺の眼前にそびえ立っていたのは――

 

「……すまなかったな。怪我はないか?」

 

 ――百九十センチはあろうかという圧倒的な体格、赤髪のショートカット。視界を闇へ飲み込むように広がる、黒い革ジャケット。そして、端正な顔立ちでありながら、その鋭い目つきは肉食獣が人の姿を借りたような、獰猛さを滲ませている。

 そんな巨漢が今、俺と視線を交わしているのだ。……なるほど。何者かは知らないが、こりゃ久水も怖がるわけだ。

 

「がが、凱樹さん……!? もう伊葉和雅とのお話は、おお、終わりましたの……!?」

「……まぁな。奴なら今、外で夜風に当たっているところだ」

「『凱樹』さん? ってことはもしかして――」

 

 一瞬は敵じゃないかと身構えてしまった俺だが、久水と彼の会話を通じて彼の正体を察し、少しだけ警戒を解く。向こうも俺の対応からそのことに気づいたのか、フッと口角を上げた。

 

「――そうだ。オレは四郷姉妹を除く唯一の住人、瀧上凱樹。所長の助手を務めている。短い間になるが、よろしくな」

 

 そう自己紹介する彼の眼光からは、おおよそ助手の立場の人間とは思えない「殺気」が放たれているように感じた。

 俺の、思い過ごしなんだろうか……?

 

 ――しかし、なんか引っ掛かるんだよな……。瀧上凱樹、四郷鮎美……どっかで聞いた覚えがあるような気が……?

 



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第82話 今夜のディナーは危険な香り

 瀧上凱樹。四郷研究所における数少ない住人であり、あの所長の助手。――にしては体格が並外れていて、さながら格闘家のような風貌を持っている。

 ……それ以上の何かを感じることがなければ、その程度の印象に収まっていただろう。

 

 彼と対面した時の、えもいわれぬ威圧感。明確に敵対しているわけでもないはずなのに、彼の眼差しからは相手を制圧せんとする剣呑な空気が発せられているようだった。

 おかげで割り当てられた部屋に落ち着いた今でも、彼の存在が頭から離れない。下手をすれば、相手に飲まれてしまいそうな雰囲気さえあったように思える。

 荷物を運んでくれたお礼だけ言って、さっさと退散してしまったのは、そんな空気を感じたせいなのだろう。

 

 しかし、どっかで聞いたような名前なんだよなぁ……うーん。

 ま、そんなこと考えたって、覚えてないんだからしょーがない、か。

 

「ふぅ……しかしまぁ、ここもここで結構、金の掛かりそうな生活してるんだなぁ」

 

 全てが真っ白で機械的な、生気のない個室。シャワー室、机、洗面台、その他諸々全てが、ハイテクメカで形成されているらしい。

 シャワー室に向かえば「温度調節開始シマス。衣服ヲオ脱ギクダサイ」という電子音声がどこからともなく聞こえてきて、シャワーを浴びて狭い浴室を出ると、「ドライヤー開始シマス」という音声と共に、壁からニュッとマニピュレーターに引っ付いたドライヤーが飛び出して来る。これ以外にも、ほとんどのことがコンピュータの自動制御で行われてしまっていたのだ。

 中には、ベッドに横になった瞬間「本日ノエッチナ妄想回数ハ計七十九回。平均男子ノ基準値大幅オーバー」などと、どうでもいいことを赤裸々にほざくメカ野郎もいたりする。

 久水邸とは金持ちとしてのベクトルこそ違うが、住家に尋常ではない費用を投入してるという点でみれば、非常に似通っていると言わざるを得ない。

 

 俺はシャワーを終えて寝間着に着替えると、ありとあらゆる場所がハイテク化しているこの空間にため息をこぼす。

 

「こんな落ち着かない部屋で、よくもまぁ毎日暮らせるもんだよな。つか、四郷達っていつからこんなとこで暮らしてるんだろ……ん?」

 

 すると入口の自動ドアが唐突に開かれ、俺の腰程度の大きさであるロボットが現れた。あのドラム缶みたいなお掃除ロボットと、よく似た外見だ。

 

「一煉寺龍太様。夕食ノオ時間ニナリマシタ」

「え? あ、あぁ晩飯ね。了解了解」

 

 ……まさか、ロボットに「晩御飯よー」とか言われる日が来ようとは。母さんや親父と一緒に暮らしてた日々が懐かしいわい。

 

 俺はロボットの指示に応じて、腰掛けていたベッドから立ち上がる。それを見届けた向こうは、せっせとホバリングでその場を立ち去ってしまった。他の連中を呼びに行ったんだろう。

 

「こんな最新テクノロジーのごった煮みたいなメカをたんまり抱えてる、四郷研究所……か。勝てるのかねぇ、俺」

 

 いそいそと次の個室を目指し、無機質な廊下を渡るロボットの背中を見送り、俺は本日最大のため息をついたのだった。

 

 ――四郷研究所の最上階に当たるこの層は、下のプラントに比べると幾分ケチだ。

 ……などと言うつもりはないが、実際、地下の広大さと比べると、ここは相当狭い。研究所であって宿泊施設ではないんだから、当たり前ではあるのだが。

 

 食堂にしても、元々三人しか住んでいないせいもあってか、さながら一般家庭の食卓のような外観になっている。といっても、そこら中が機械化まみれだから「質素」とはどうしても言えない。

 

 俺がその場にたどり着いた時には、すでに救芽井・矢村・久水・茂さんの四人が到着しているようだった。みんなシャワーを終えた後らしく、涼しげな服に着替えている。

 

「なんか、思ったより簡単に作られとるんやなぁ、ここ」

「久水邸みたいに、客人をもてなす前提じゃないんだろうから、仕方ないさ。むしろ、俺達全員が一人一個ずつ使えるくらいの数で、個室が存在してたってのがラッキーなくらいだったんじゃないのか?」

「そうね。アメリカ本国の私の研究所も、研究員達の分しか個室は用意されてなかったわ。ここほど機械に頼ってもいなかったし」

「ふむ、しかしワガハイ達は全員入れるのか? こうなれば一煉寺龍太だけ便所でたまごかけご飯でも――べぶら!」

「あなた達! 泊めてもらっておいて文句を垂れるとは、感心できないざますね。ここはワタクシの親友の御家ですのよ!」

 

 そして、何か不穏な台詞を吐こうとしていた茂さんを鉄拳で沈め、久水が俺達を一喝する。――それだけ、四郷のことを大事に想ってるってことなんだな……。

 

 ふと、四郷の話が脳裏を過ぎる。

 

『……梢は、ボクの力を、人が恐がるボクの力を、ただ素晴らしいって褒めてくれた。本当に嬉しかった……』

 

 ――「人が恐がる力」。きっと、それは「新人類の身体」のことなんだろう。久水は、それを受け入れていたんだ。四郷のために……。

 

「すまん、ちょっとイメージと違ったなってだけの話でさ。別にバカにする気はなかったんだ、申し訳ない」

「あ、べ、別に龍太様を責めてるわけでは……」

 

 俺が平謝りすると急におとなしくなるのは、ちょっとよくわかんないけど。

 

「あら、みんな早いわねぇ。もう来ちゃってたの?」

 

 すると、今度は俺達の背後から所長達がやって来た。四郷姉妹の後ろに続いているのは、あの瀧上さんと――伊葉さんだ!

 

「直に会うのは、久しい気がするな一煉寺君。無事に『決闘』を終えてくれて何よりだよ」

「伊葉さん……」

 

 隣にいる瀧上さんと同じ、温泉のような浴衣姿になっている彼は、親しげな笑みを向けて来る。が、俺は彼に関しては不審に思うところがあり、ゆえにそれを素直に受け取ることはできなかった。

 

 ……『この国の未来は君の手に掛かっている、と思って欲しいくらいなのだ』っていう口ぶりもさることながら、十年前の総理大臣が直々に出張ってたり、何か知ってる風な甲侍郎さんとも旧知だったり……。なんなんだろうか? この人は。

 

 おまけに、すぐ傍の瀧上さんからは、やたら憎々しげに睨まれているようだった。着てる服は同じなのに、お互い全く顔も合わせていない。両方ともスンゴイ体格だから、迫力もひとしおだ……。

 

「……さぁ、狭くて申し訳ないんだけど、そろそろ晩御飯にしましょうか! さぁみんな、席について!」

 

 瀧上さんと伊葉さんの間から滲み出る、どこか険悪な雰囲気。それを肌で感じ取ったのか、瀧上さんに一瞬だけ目配せした所長さんはパンと手を叩いて場を仕切り直した。

 そして彼女に促される形で、救芽井達は席についていく。俺も、瀧上さんへ「恐れ」と「哀れみ」を交えたような視線を向けている四郷を気にしつつ、適当な席へと腰掛けた。

 

「ちょっ……龍太君!? なに四郷さんの隣に座ってるのよっ! せっかくあなたの席を確保してたのにっ!」

「ならばその席はワガハイが――びぶらッ!」

「頭が高いざますこのツッパゲールッ! ……それより龍太様ッ! ワタクシの膝の上に来てくださらないとは、どういうことでしてッ!? ま、まさかあの一晩で、ワタクシの身体に飽きたとおっしゃるのですかッ!?」

「りゅ、龍太ぁぁぁ! なんでアタシの隣に来んのやぁぁぁっ!? とうとう男に走る気やないやろなぁッ!?」

 

 そして始まる、大ブーイング。

 四郷達の不穏な空気を気にしすぎたのか、いつの間にか俺は四郷と伊葉さんに挟まれる形で席についていたらしい。それの何が気に入らなかったのか、相席に当たる女性陣からは非難轟々である。

 ……待て待て待て。「身体に飽きる」って、何の話だ久水。――「男に走る」って、何の趣向だ矢村ァァァッ!

 

「……つみつくりの末路。一煉寺さんの、人生の縮図……」

「ハッハッハ、大人気ではないか一煉寺君。これが世に云う『ハーレム』という代物かね?」

 

 そして四郷は徹底して冷徹な視線を向け、伊葉さんは果てしなく他人事なスタンスを一貫させている。四郷研究所に纏わる人間や政界に、「助ける」というコマンドはないのかッ……!?

 

「ふふっ、それじゃそろそろ……いただきます!」

 

 そんな俺達のカオスな状況を愉しむかのように微笑みつつ、所長さんは楽しげに手を合わせる。すると、天井から九つの穴がパカッと開き、そこからマニピュレーターに支えられた、晩御飯を乗せたお盆が降りてきた!

 メニューはステーキにサラダ、ご飯にみそ汁となかなかスタンダードな組み合わせになっている……が、用意の仕方が無駄にハイテク過ぎる。だが、それに驚いている余裕すら、俺にはなかった。

 

「この私を差し置いて四郷さんと浮気だなんて……許さない。絶対に許さないわよ龍太君! じわじわと私の『あーん』だけでお腹いっぱいにしてあげるわ!」

「なにを戦闘力五十三万の宇宙人みたいなこと言いよるんや!? ――ふんっ! アタシの方が経験豊富なんやから、龍太はアタシを選んでくれるに決まっとる! 日本人は、新しいものより慣れてるものの方を選ぶもんなんやけんなっ!」

「あぁーら! そういう理論でしたら最後に勝つのは、このワタクシでしてよ! 龍太様と最も古くお付き合いしているのは、このワタクシざますっ! 例え鮎子でも、龍太様だけは渡しませんわっ!」

「……梢。ひどい勘違い……」

 

 三人の美少女が、鬼気迫るオーラを眼光に込めてひしめき合うこの状況で、晩御飯を滞りなく食えると思うか? しかもさりげに茂さんがまた撃墜されてるし……ここ最近、殴られすぎだろアンタ。いい加減報われろ……。

 

「と、とりあえず俺、トイレ行ってきまーす……」

 

 とにかく、これ以上この場にいたら確実に食事どころじゃなくなっちまう。傍観を決め込んでて完全メシウマ状態の所長さんには悪いが、一旦エスケープさせて頂く。

 俺はコップに注がれていたグレープジュースを飲み干し、そそくさと来る途中で見掛けたトイレへ退散していく。

 

「ちょっ!? 龍太君、逃げる気ッ!?」

「あんまりざます龍太様ぁ! ワタクシとは遊びでしたのぉっ!?」

 

 なんとでも言いやがれ。例えメシを食いっぱぐれようと、修羅場で命を落とす顛末だけは御免だ。

 

 ……って、あれ?

 

 ふと、俺は食堂から出る瞬間、テーブルに各人へと並べられたコップに違和感を覚えた。――注がれた中身が、違う?

 

 グレープジュースだったのは俺だけで、救芽井・矢村・久水の三人はオレンジジュースのような黄色い飲み物が注がれている。あとは全員、ただの水みたいだ。

 客人だからもてなしましたって意味か? でも、伊葉さんも客人だよな……? 大人だから水にされたのかな。

 

 そういや、俺がさっき飲んだグレープジュース……なんか味が変だったような。慌てて飲み干したからあんまり気にしてなかったけど……。

 

 ……。

 

 ……き、気のせいだよなっ! いくらなんでも考えすぎだろう!

 何か仕掛けがあるだなんて一瞬でも疑ってしまったことは、恥じるしかない。ここ最近、不可解なことばかりだったから、ちょっと疑心暗鬼になってただけだよ、うん!

 

 そして迷いを振り切るように食堂に背を向け、俺はトイレへ向かう。そして、男子トイレの青いマークが見えた瞬間――

 

 ガッシャアアアン!

 

「――ッ!?」

 

 ガラスが砕ける音が響き、

 

 ガシャァァン! バリィィン!

 

 同じような悍ましい音が、二度に渡り立て続けに襲い掛かってきた!

 ――な、なんだッ!?

 

 俺は条件反射で踵を返し、すぐ近くの食堂へ向けて全力で床を蹴る。

 

「くそっ……何も起こるわけないって信じた途端に、なんだってんだよッ!」

 

 ――そして、このガラスが三連続で割れる音。

 これこそが、本日最大の悪夢へと繋がる序曲なのだということを、俺は数秒と経たないうちに思い知らされるのだった。

 



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第83話 俺の社会的生命終了のお知らせ

「おい、どうしたッ!?」

 

 息せき切って食堂へ急行した俺を待ち受けていたもの。

 それは、飲み物が入っていたコップを落とした三人の少女が、床に倒れ伏している光景だった。

 

 倒れているのは救芽井・矢村・久水の三名だけで、他のメンツは全員ケロリとしている。もっとも、茂さんだけはかなり取り乱している様子だが。

 

「梢ッ!? 樋稟ッ! どうしたというんだ、これはッ!」

「茂さん、一体何があった!?」

「わからない! 急に三人とも倒れてしまって……!」

 

 ひどく狼狽してるところを見ると、茂さんにも状況はわからないらしい。身体を揺さぶりたいが、それをやるとかえって危険ではないかという不安に圧され、動けずにいる――という感じだ。

 

 俺としても、変に刺激するのは避けた方がいいかもしれないとは思う。……しかし、救芽井達の安否も十分気掛かりだが――

 

「説明してもらうぞ、所長さん!」

 

 ――彼らの関与を確かめなければならないというのも、また事実だ!

 

 俺は有事に備えて真紅の「腕輪型着鎧装置」を構え、瀧上さんの後ろに立っている所長さんを見据える。四郷も、瀧上さんも、伊葉さんも、そして所長さんも、この事態に動じている様子はなかった。

 仮に三人がブッ倒れた理由があのジュースにあるなら、誰を疑うべきかはすぐにハッキリする!

 

「茂さん、三人の容態は!?」

「意識はないが――呼吸はしているし心臓も止まっていない! 眠っているのに近い状態だというのか……?」

 

 いざとなれば、「救済の超機龍」に搭載されている応急処置セットで三人の回復を試みる。俺はその準備を整えつつ、狭い空間の中で四郷研究所の関係者達と相対した。

 

「三人の盆にあったジュース。あれは、本当にただのジュースだったのか?」

「んー、予想以上の反応ね。別に怒らせるつもりなんてなかったんだけど、さすがにシチュエーションがマズ過ぎたかしら」

「……お姉ちゃん、相変わらずやることがムチャクチャ……」

「ごめんね、鮎子。お姉ちゃんどうしても、鮎子のお友達にお礼したくって」

「質問に答えてくれッ!」

 

 この状況が見えていないのか、見えた上でその態度なのか。いずれにせよ、答え次第ではコンペティションどころではなくなってしまいかねない。

 そんなことになりそうな事態だというのに、涼しい顔で「やれやれ」と首を振っている伊葉さんを睨みつつ、俺は四郷姉妹を相手に身構える。

 

「そうね、あれは確かにただのオレンジジュースではないわ。彼女達の恋路のために、ちょっとしたお膳立てをしてあげようかって話になったのよ。お世話になった鮎子のお友達なんだもの、少しはお礼もしなくちゃ」

「なんだって?」

「鮎美さんッ! 例えあなたといえども、ワガハイの樋稟と梢を手に掛けるような真似だけは許せませぬぞーッ!」

 

 所長さんの云う「お膳立て」。その言葉の意図が読めずに俺が眉をひそめた瞬間、いりきたつ茂さんが俺の脇から飛び出していく――

 

「ただの『お膳立て』だと言っただろう。それに貴様には関係のない話だ」

 

 ――が、その突進は瀧上さんの片手一本に止められてしまった。さながらアイアンクローのように顔面全体を掌で覆われてしまった茂さんは、圧倒的体格差によるパワーに為す術もなく、モゴモゴと何かを喚きながら手足をジタバタさせている。

 ……おいおい、何かの冗談だろう? 仮にも「救済の龍勇者」を任されてるだけのスピードを持った茂さんの突進を、この狭い中で見切った上に「片腕」で止めるなんて。

 あの久水兄妹のバカげた量の荷物を、たった一人で運びきっただけのことはある、ってことか……?

 

「……さて、そろそろ効果が出る頃かしら。今夜はたっぷり愉しんでね?」

 

 そうこうしているうちに、倒れている三人を品定めするような目で見遣っていた所長さんは、意味ありげな台詞を呟いていた。一体なんだっていうんだよ……?

 そして俺の方に向かって一度ウインクしたかと思うと、茂さんを捕まえたままの瀧上さんや伊葉さんを引き連れて、さっさと食堂の端まで移動してしまった。

 四郷も彼女についていくように、そっと俺から離れていく。どこか申し訳なさそうにこちらを見ていたのは、せめてもの詫びだったのだろうか。

 

 そして、彼女達が食卓のテーブルから離れ、まるで俺と救芽井達が見世物になっているかのような絵面になった時。

 

 状況に、変化が訪れた。

 

「う……う〜ん……」

「きゅ、救芽井ッ!? 久水、矢村もッ!?」

 

 悪夢から目が覚めたかのように、低く唸った声と共に、三人全員が同時に意識を回復させたのだ。

 上体を起こした時の仕草からして、「眠っているのに近い状態」だったという茂さんの話は本当のようだ。三人とも、寝覚めの悪い子供のようなうめき声を上げている。

 

「おい三人とも! 大丈夫か? どこか具合は悪くないか!?」

 

 俺は寝ぼけたような顔のまま、上半身だけ起こしている三人の様子を、一人ずつ見て回る。どうやら、外傷はどこにもないようだけど……。

 

「救芽井、大丈夫か? 俺がわかるか?」

 

 そして、しばらく俯いていた救芽井の顔を覗き込んだ瞬間――

 

「……パパぁっ! 抱っこっ!」

 

 ――まばゆい彼女の笑顔と共に放たれた一言で、俺の情報処理能力がフリーズした。

 

「……はい?」

「パパ、抱っこ抱っこっ!」

 

 今までに見たことがないくらい、輝かしい無邪気さを放つ救芽井の眼。そこから放たれる雰囲気は、明らかに俺が知っている彼女が成せるモノではなかった。

 いや、それ以前に。なんだよ「パパ」って。なんなんだよ。

 

「お、おい? もしもーし? どうしたんだ急に?」

「むー、抱っこったら抱っこ抱っこ抱っこぉっ!」

 

 いきなり超甘えん坊モードに突入した救芽井は、両手足をジタバタさせながら駄々をこねている。端から見れば、幼児退行を起こした残念美少女の図だ。かつて松霧町で褒めたたえられたスーパーヒロインの面影を、完膚なきまでに粉砕する壊れっぷりである。

 しかもいつの間に用意していたのか、黄色いハート型のおしゃぶりまで装着済みであった。そんなもんどこで……。

 

 ……あ。

 

『こっ、これはねっ! し、親戚の子供が赤ちゃんだからねっ! あ、あやすために買ったんだからねっ! そ、そ、それがたまたま、ま、紛れ込んじゃっただけなんだからねっ!?』

 

 ――それをお前が使うんかいィッ!?

 

 そういえば、久水ん家に行く前から矢村に荷物のことで突っ込まれてたっけ。出発前に気づいてたなら置いて来いよ……。

 まさか元から自分で使うために――ってのはさすがにないだろうけどさ。

 

「ふえぇぇん! パパ、パパぁ、抱っこ抱っこ抱っこー!」

「誰がパパだ! ……あーもうわかったわかった、抱っこしてやるからもう泣くなって」

 

 こいつはおふざけでこういうことをするような娘じゃないし、ここまでぴーぴー泣かれるとさすがに可哀相になってくる。俺はあのジュースのせいではないかと勘繰りつつ、赤ちゃんを抱っこするのと同じ要領で救芽井の身体を抱え上げた。

 

「モゴーッ! モゴモゴフンゴフンゴッ!」

「うるさいぞ……貴様は黙って見ていろ」

 

 そんな状況を見て居ても立ってもいられなくなったのか、茂さんがより一層暴れはじめた――が、瀧上さんのアイアンクローに再び沈められてしまった。ブクブクを泡を吹きながら、無念そうな表情で仰向けに転がってしまっている。

 嗚呼……茂さん、せめて幸せな夢でも見ててくれ。

 

 ――それにしても、これにはなかなかキツイものがあるな。いや、体重は軽いから重さは問題じゃないんだが。

 まず、いくら救芽井が赤ちゃんぶってはいても、生来のナイスバディはそのまんまだということ。グラビアアイドルも裸足で逃げ出す巨乳を、真正面から受け止めることになる。

 次に、体勢の問題がある。赤ちゃんを抱っこする場合、大抵は親の身体を子供の股が挟むような格好になるわけだが、これを救芽井の身体で再現してしまうと、絵面的な意味で相当マズいことになる。端から見たら、「頭がフットーしそう」になることうけあいだ。

 そして、おしゃぶりをくわえた巨乳美少女が頻繁にほお擦りしてくるという、なんとも言い難い状況の問題だ。こんなことをしながら「パパ大好きっ!」と甘えてくる彼女に、俺は是非とも一言言ってやりたい。

 

 ――お前のような(胸の大きい)赤ちゃんがいるかァァァァッ!

 

 ……だが、そんな暴言を口にしたらどんな泣き方をされるかわかったもんじゃない。それに、泣かせるとわかってて言うほど鬼になるつもりもない。ゆえに黙秘権を行使。

 

「どうかしら? まさか赤ちゃんになっちゃうとは思わなかったけど……素の彼女も、なかなか可愛いものでしょ? 一晩中可愛がってあげたら?」

「赤ちゃんになるとは思わなかったって――所長さんの仕業じゃないのかよ!? しかも『素』って……!」

「あぁ、そういえば説明がまだだったかしら。お嬢さん三人に飲んでもらったジュースには『自己の胸中に眠る性癖』を呼び覚ます作用があるの。鮎子から聞いたわよ? あなた、この娘達から随分好かれてるらしいじゃない。だから彼女達の恋路を成就させられるようにって、一肌脱がせてもらったってわけ。人体そのものに害はないから、安心していいわ」

「安心できない! 全く安心できる状況じゃないですよ所長さん!」

 

 どうやら所長としては敵意があってこうしたわけじゃないらしいが、イロイロとめんどくさい状況になったことには変わりない。つーか所長さん自身が楽しみたいだけだろコレ!

 

「ま、待てよ……てことは他の二人も!?」

 

 救芽井をアブない体勢で抱っこしたまま、俺は矢村と久水の方へ振り返る。

 

「きゃっ! み、見られとる……龍太に見られとる……」

「……え?」

 

 そして視線の先にいた矢村――らしき何者かが、ほんのりと頬を染めながら、愛しげにこちらを見つめていた。背と尻をこちらに向けて、明らかに「誘っている」かのようなポーズと共に。

 

 ――短パンから見せ付けるかのようにスラリと伸びた小麦色の脚に、ノースリーブの上着をたくし上げた部分から伺える、日焼けを逃れた白い肌。スポーツ少女ならではの、日焼けしきった所と普段日焼けしない所との対比が、そこはかとない背徳感を醸し出している。

 

「ハァ、ハァ……み、見とる……めっちゃ龍太、アタシ、見とるッ……!」

 

 向こうもそれに近い何かを「感じて」いるのか、自分の指を薄くみずみずしい唇の奥へと入れながら、妖しい水音と共に小さくブルブルと身悶え――

 

 ――ってちょっと待てェ! なんだこれ! なんだこの状況!

 

 俺が知ってる矢村賀織は、こんな露出羞恥プレイがお好みのド変態じゃないぞ! これが矢村の素だと申されるか所長さん!?

 

「私の作った薬は『対象の性癖を覚醒させる』だけのことよ。本人のキャパシティに収まらないような性欲を活性化させる作用はないわ。その矢村って娘、よっぽどあなたに『見て』もらいたくてしょうがなかったのねぇ〜」

 

 物言いたげな俺の視線を受けて、所長さんは楽しげに最悪な返事を寄越しやがった。アンタ、マジで覚えてろ!

 

「あっ、は、ハァッ……龍太……もっと、もっと……見て……触って……」

「触るかッ! いや触りたくないわけじゃないがッ! ――って、あれ? そういえば久水はどこに行ったんだ?」

 

 やたらハイレベルな性癖に翻弄されながらも、俺は矢村の可愛らしいお尻から理性を駆使して目を逸らしていた――が、やがて久水がいなくなっていることに気づく。

 さっきは矢村や救芽井と同様に、寝ぼけたような顔して気だるげに佇んでたはずなんだけど――

 

 むにっ。

 

「あはぁんっ!」

 

 ――うぇ?

 

 なんだろう。今の「むにっ」とした感触。ここだけ床が異様に柔らかいのかな?

 ……ってか、さっきの嬌声って……。

 

 ……。

 

 ――俺は全てを察し、それでも直にこの目で確かめるまでは、決して認めたくはないという一心で、視線を下へと移していく。

 

 最初に視界に映ったのは、灰色で無機質な床に広がる、艶やかな茶色の長髪。続いて、その流れる川のような世界に挟まれた、妖艶なる肢体が現れる。

 程よく肉感を持った、滑らかな脚。安産型と称されるであろう腰周りから続いていくくびれ。そこから押し寄せる波のように、重力に抗う双生の峯山。

 そして、女としての快楽全てを一身に受け、身にあまる幸福に酔いしれている――かのような表情を浮かべる、神の造形とも言われるであろう整い尽くされた麗顔。

 

「いい、いい、すごくいいですわぁっ! 龍太様、もっと……もっと、踏んでくださいましぃっ!」

 

 それだけのモノを備えている絶世の美女は今、俺に自分の胸を踏まれた快感によがり、その肢体をくねらせて続きをねだっている。

 

 ……。

 

 ……一番ヤバいのがキタァァァァッ!?

 

 いやバスの中での妖しいやり取りからして多少は予測してたけどさ! そういうアブない方向にイキかけてる可能性は感じてたけどさ!

 だからって、ここまで進んじゃうか普通!? あのちょっとわがままだけど元気いっぱいで可愛かった「こずちゃん」がこんなことになると、誰が予想しただろう。どうしてこうなった……!

 

 ――つか、なんでボンテージなんか着てるんだお前はァァァァッ!

 

「ごっ、ごめん! 足元見てなかったからつい……!」

「ハァ、ハァ、何を謝るのです……ご褒美を下さったこと、感謝を申し上げますのはワタクシの方ですのに……それより、もっと、もっと、ワタクシをめちゃくちゃに……」

 

 咄嗟に謝りはしたが、向こうは全く気にする気配はなく、むしろ続行を希望してくる。何の続行かは、もはや考えたくもないが。

 

「パパぁ、ちゅーちゅーしたい……」

「あ、あぁ、見て、龍太、もっと見てぇ……」

「龍太様ぁ、もっと、もっと熱く、激しくっ……!」

 

 なんかもう三人とも、倫理とか風紀とか全部ブッ壊してとんでもない方向にイッちゃってるんだけど。これが本当に彼女達の素なのか!?

 

「あらあら、なんだか賑やかになってきたじゃない。こうなったら三人とも女の悦びを叩き込んであげたら?」

「ふ・ざ・け・ん・な・よ! こんな社会的生命をギロチン台に掛けて公開処刑にするようなマネ続けさせてたまるか! さっさと元に戻してくれッ!」

「う〜ん、もったいないわねぇ……じゃあ、私達のコップに注がれた水を飲ませてあげなさい。この薬品効果は淡水で薄めて鎮静化できるから」

「お酒かよッ!?」

 

 そんな手段で簡単に解決できるような薬に振り回されてたのかと思うと、余計に腹が立つ。……まぁいい、とにかく今は三人を元に戻すのが先決だ。

 

 俺はテーブルに置かれていた水入りのコップを手に取り、無邪気に甘えてくる救芽井の唇からおしゃぶりを外し、代わりにそれをゆっくり当てる。

 

「救芽井、いい子だからお水を飲みな。飲んでくれたら高い高いしてやるから」

「ホント? やったぁ! パパ大好きぃっ!」

 

 救芽井は素直に俺の言うことを聞いてニッコリ笑うと、両手でコップを掴んでごくごくと中身を飲み干していく。すると、飲み終えた瞬間に意識が途切れたかのように瞼を閉じ、くぅくぅと寝息を立ててしまった。どうやら、薬の効果が切れたら意識が飛ぶらしい。

 

「……高い高いは夢の中で、な」

 

 赤ん坊のような美少女の髪をそっと撫で、俺はちょっとだけ苦笑いを浮かべた。……何もかもムチャクチャだったけど、ちょっとは可愛かった……かな。

 

 ――その後、他の二人も「飲んだらお尻を十分以上撫でてやる」「飲んだら胸を三十分揉みしだいてやる」といった口八丁手八丁を使って、水を飲ませて眠らせることに成功した。……救芽井に比べて、この二人の不純さと言ったら……。

 

「終わったわね。せっかくの大暴露大会だったんだから、もっと楽しめばよかったと思うんだけど」

「あいにくだが、薬にかまけて楽しめるような性格じゃなくてねっ!」

「そう。……ふふ、好きよ。私もそういうヒトの方が」

「……梢、すごく大胆だった……」

 

 再び眠りについた三人を安静に寝かせてから、俺は所長さんに悪態をつく。恋路の手助けだかなんだか知らないが、結局のところ引っ掻き回しただけだろうがッ! つーか四郷! アレは大胆どころの騒ぎじゃないからな!?

 

 ……あーもう、なんかイロイロありすぎて疲れた……。いつの間にか俺と未だにノビてる茂さんと、今は眠ってる三人以外はメシ食い終わってたみたいだけど、あんなことの後だから食欲なんて沸かねぇし……。

 つか、「若いっていいねぇ」みたいなこと言いながら、先に帰っちまった伊葉さんと瀧上さんがなにげにひでぇ……。

 

 こうなったら、俺も四人が起きたらさっさと帰って寝ちまおうかな――って、あれ? なんか忘れてるような……。

 

 ……あ。

 

「――ちょっと待った! 確か俺にも何か飲ませてたよな!? グレープジュースみたいなヤツ!」

 

「あぁ、『三次元を二次元と錯覚する』タイプのヤツね。アレは効果がかなり限定的だから、効き目が現れるのがかなり遅いのよ。もうそろそろじゃないかしら?」

 

 ……なん……だと……!?

 

「ん、んなぁぁああぁああーッ!? なんでそんなもん作っちゃってんのッ!?」

「言ったじゃない? 『恋路の手助け』だって。妹から聞いたけど、あなたエロゲーが好きなんでしょ? その性癖を強化すれば、異性にも積極的になれると踏んで作ってみたの。我ながら自信作だわ!」

 

 そんな自信果てしなくいらねェェェッ! 質にでも入れたくなるような自信で核兵器級の危険薬物飲ますんじゃねーよッ!

 や、ヤバい! 持てる自由時間の総てをエロゲーに注ぎ込んできた俺にそんな薬を使われたら、災厄が起こるッ! これ以上の悪夢が始まる前に、早く水をッ……!

 

「ん……あれ、ここは……って、きゃああぁ! なんで私おしゃぶり握ってるのぉぉっ!? し、しかも胸まではだけてっ……!?」

「う〜ん……え? えぇえぇえっ!? なんでアタシの服こんなにはだけとるんっ!? いやぁぁんっ!」

「……ん……くしゅん、あら……? あっ!? い、いやああぁぁあッ! わ、ワタクシどうしてこんな姿にぃぃぃっ!?」

 

 ――なんでこんな時に限って目ぇ覚ますんだお前らァァァァッ!

 

「……むぅ、ワガハイは一体――むひょおおおおっ!? これはどうしたこと――フゲブッ!」

「……茂さんはイロイロ危ないから、今日はもう寝てなきゃダメ……」

 

 ――し、四郷さん? それはちょっとヒドいと思うんだー。いい加減許してあげて? 茂さん今日一日だけで何回殴られたと思ってんの?

 

 い、いやそれよりも! 早く水を飲んで効果を薄めないと、今度は俺の社会的生命がッ……!

 

 ――!?

 

 な、なんだ!? 視界が……世界が、歪んで見えッ……!?

 

「りゅ、龍太君!? どうしたの急にうずくまって! 大丈夫!?」

「龍太っ! え、え、どうしよ、どないしよ、救急車呼ばなっ!」

「え、そ、そうざますね、ワタクシの傘下にある病院からヘリを手配して――」

 

 ――うーん……あ、あれ? なんか二次元キャラが三人も……なんつーか、いやらしいカッコしてるけど……どうなってんだ?

 俺はこちらを心配そうに見つめている、どこかで見たような二次元美少女キャラ三名の方へと顔を向け、ゆっくりと立ち上がる。すると、彼女達はホッと胸を撫で下ろしたかのように顔を綻ばせた。

 

「龍太君、立っても大丈夫なの!? 怪我は……ないみたいね。よかった……」

「そ、そっかぁ……も、もぉ龍太っ! あんまり心配させんといてやっ!」

「そうざます! もしあなたに何かあったら……ワ、ワタクシ、こんな格好ですから、起きていただくためにもイケナイご奉仕をしていたかも……知れませんのよ?」

「あんたはまた何を言いよるんやっ!?」

「だ、だから、そ、そういうことは婚約者であるこの私がッ――」

 

 ……あー、なるほどね。そういうゲームなのかコレ。三人の美少女を囲って愉しむっていう、ハーレムものなんだな。

 純愛系か凌辱系か気になるところではあるが……まぁいい。

 

 どちらの分野だろうと、このエロゲーハンターこと一煉寺龍太の前では、全ての二次元美少女は俺に尻尾を振るばかりのメス犬に成り下がるしかないということを――

 

「じゃあ、やってもらおうかな? そのイケナイご奉仕ってヤツを、さ。なぁ、婚約者さん?」

 

「――ふぇっ?」

 

 ――教えてくれようぞッ!

 

「ちょ、龍太君急にどうし……きゃあんっ!?」

「ま、まさか!? 龍太様が、まさかそんなっ!?」

「龍太が……龍太が肉食系に目覚めよったぁぁあーっ!?」

 

 俺は救芽井――によく似せられた美少女キャラを、彼女達が寝ていた小さな簡易ベッドの上に押し倒し、その綺麗な顔を間近で拝見する。向こうは異性を意識する余り、鼻の先まで真っ赤に成り果て、恥じらいの余り身動きが取れなくなっていた。

 

「あ、あ、あ、りゅ、龍太君、わ、私……!」

「緊張してるんだな……心配するな、俺がゆっくり――ほぐしてやるから」

 

 俺は彼女が初めてなんだと察し、その可愛らしい耳元でくすぐるように囁く。その刺激に、彼女はますます顔を赤くして、ビクッと身を震わせた。

 

「ひぁあ……りゅ、龍太君、わ、私、ま、まだ心の、じゅじゅ、準備が……」

「わかってるさ。ご奉仕とは言ってたが、見たところ、まだそれどころじゃないみたいだし……。だから今夜はひとまず――」

 

 俺はウブな彼女を、敢えて刺激するように――その首筋に、小さく唇を当てる。

 

「――俺が一晩中可愛がって……一人前の『女』にしてやるよ」

「ひ、あ、あぁああぁあ……!」

 

 慣れない愛撫に対して、驚愕の表情のままぶるぶると快感に打ち震える彼女。ふふ、いい顔してる子猫ちゃんじゃないか。こりゃあ攻略のしがいがあるな……!

 俺はそのまま彼女の豊満な胸の上に掌を乗せ、恥ずかしそうに目をギュッとつむる彼女に「大丈夫、俺に任せて」と囁きながら、ゆっくりと撫で――

 

「ちょ、ちょっと待ちぃやぁぁぁっ! い、いくらここ、婚約者やからって、げ、限度ってモンがあるやろぉぉぉっ!?」

「りゅ、龍太様ぁぁっ! そんなに胸を触りたいとおっしゃるのでしたら、このワタクシがお相手しますっ!」

 

 ――回そうというところで、今度は矢村と久水によく似たキャラが妨害に入って来た。なるほど……彼女達の目の色から判断して、この場合での俺が採るべき選択肢は……!

 

「よし、二人ともおいで。三人とも面倒見てやるよ」

「ちょっ!? なんやそれ――きゃあ!?」

「龍太様!? 三人一緒とはどういう――ひゃあっ!?」

 

 俺は、情交を阻止せんとやって来た二人の腰を両手で抱き寄せ、俺の傍にまで引き寄せる。二人とも心の底では嫌がってはいないらしく、予想以上におとなしく俺の両脇にやってきた。

 

「ククク、二人とも可愛らしいじゃないか。今夜は朝まで、たっぷり愉しませてやるよ」

「か、可愛い!? そ、そうやろか、へへ……って、た、愉しませるッ!? ふふ、ふざけとったらいい加減に――あぁんっ!?」

「そ、そんなっ!? あ、朝までだなんて――はあぁんっ!?」

 

 俺は二人の言い分をエロゲーの経験による超妄想(エクストリーム・イマジネーション)を通じて体得した愛撫で封じ込め、篭絡に掛かった。久水似の美少女には、ボンテージの隙間から手を入れて胸という胸を揉みしだき、矢村似の美少女には、短パンの中へと手を突っ込み、尻という尻を撫で回す。

 

 このような攻撃をされるとは予期していなかったのか、久水似も矢村似も抵抗する様子を見せず、俺の為すがままになっていた。

 そして救芽井似の耳たぶを甘噛みしつつ、俺はほくそ笑む。

 

「クックック……いいぜ。これは面白いことになってきやがった。覚悟しな三人とも、お前ら全員俺のペットにしてや――フゲブッ!」

 

 ――だが、俺の野望は長くは続かなかったらしい。突如として、システムエラーが発生したようだからだ。

 

 ……だって、そうだろう? さっきまで赤い顔をしながらも傍観していた四郷似の美少女キャラに、いきなり後ろからブン殴られるこの展開を、システムエラーと呼ばずなんと呼ぶ?

 

「……いくらなんでも、それ以上はダメ。天誅……」

「いいところだったのに、あなたももったいないことするわねぇ、鮎子」

 

 ――あ、なるほど。「天誅」ね。

 

 俺は意識が暗転していく中で、システムエラーの別称「天誅」という響きに、えもいわれぬ説得力を覚えたのだった。

 



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第84話 食事中はマナーを守ろう

 何もかもが機械に制御され、無機質な空間となっている俺の自室。

 意識を取り戻した時に広がっていた視界には、その全てが映し出されていた。

 

「ん……ここって……」

 

 頭を左右に振りながら身を起こし、俺は改めて自分が寝ていた場所を確認する。寝床らしく柔らかいことには柔らかいが、周りが周りゆえに落ち着いて寝付けないだろうと踏んでいたベッドの上で、どうやら俺は一夜を明かしていたらしい。

 

 ベッドに付属しているデジタル時計は午前七時を指し示し、俺に起床を促す。

 

『真モナク朝食ノオ時間デス。所長ニエッチナイタズラヲサレタクナケレバ、起キテクダサイ』

 

 ――何やら恐ろしいことを抜かす電子音声により。つか、エッチなイタズラって……それでも研究所の所長かあの人。

 

 朝日の一つでも差し込んでてくれれば、少しは朝を迎えた実感も出てくるんだろうけど……なにぶん、周りが機械まみれのこの光景だからなぁ。日差しなんて拝めたもんじゃない。

 

 俺は本日最初のため息と共に、ベッドから身を起こして顔を洗おうと洗面所に向か――おうとするが、その前に頭を抱えていた。

 昨日、何が起きたかをまるで思い出せない、という不安のせいだ。

 

 ……あの『三次元を二次元と錯覚する』という妙チクリンな薬を飲まされた――ってとこまでは辛うじて覚えてる。

 だけど、そこから先の記憶……そう、あの視界が歪むような異常感覚に襲われた辺りから、記憶がゴソッと抜け落ちたかのように何も思い出せなくなっていたのだ。

 

 あの後、俺は一体どうしたんだ……? あれからどうやって、俺はここまで運ばれたんだ?

 

 その疑問と不安が、意識が戻ってしばらく経った頃から、幾度となく俺の脳内を動き回っていた。……女性陣に何もしてなければないいんだが。

 脳裏をはいずり回る危険要素に後ろ髪を引かれる思いで、俺は洗面台で顔を洗う。鏡に何やらモジャモジャとうごめいているマニピュレーターが映ってるけど――これに慣れろってのか? ここの連中は。

 

 ……それから、朝食にと指定された時間まで十分を切ったというところで、俺は自室を出て食堂へ向かう。――何か胃袋に詰めれば、少しは頭も落ち着くかも知れないしな……。

 

 ふと、その道中で見慣れた後ろ姿を見掛ける。

 

「おっ……救芽井! おはようさんっ!」

 

 それが救芽井だと脳みそが理解した瞬間、俺は光の速さを超える気持ちで彼女に接近する。

 こんな機械だらけの世界で朝を迎えた中で、やっと生身の人間に会えた……という心境もあるが、科学者的側面も持っている彼女なら、昨日の状況についても詳しく把握してそうだという期待の方が、声を掛けた動機としては大きかった。

 

 そして俺は話し掛けると同時に、その小さな肩に手を置き――

 

「ひゃっ……!」

 

 ――振り払われた。

 

 ……ちょ、ええぇえぇえ!?

 なんで!? 朝の挨拶しただけだよね!? 最悪でも昨日の女性陣に比べれば全然健全な挨拶だったよね!?

 

「あ、あ、りゅ、龍太……君……!?」

 

 俺が挨拶を拒否られショックを受けていると、今度は彼女の方から声が漏れてきた。あれ? なぜに顔が赤い?

 こちらを上目遣いで見つめる彼女は、裸を鑑賞されているシミュレーションでも実行しているのか、胸と下腹部を抱きしめるように隠しながら、茹蛸のように顔を真っ赤にして全身を震わせているいる。……あれ? なんか首筋に付いてるような……?

 

「きゅ、救芽井さん? なんか首に付いて――」

「あ、や、ら、らめえぇぇええぇえっ!」

 

 拒絶された直後ゆえに若干遠慮気味になりつつも、その部分を不審に思い指を当てて――みた瞬間、彼女はまるでいきなり胸でも触られたかのように素っ頓狂な声を上げ、俺の疑問が解明される前に逃走してしまった。

 ちょ、速ッ!? 着鎧甲冑使ってる時より速くないですか救芽井さんッ……!?

 

 ……おいやべぇぞコレ、絶対夕べに何かあったんだ! あの救芽井がここまで俺を避けるような何かがッ……!

 迷惑を掛けたなら謝らなくちゃならないってのはわかるんだが、その前に何があったのか把握しなくては。

 

「なんだよ、昨日俺が何したってん――おっ! 矢村と久水だ!」

 

 その時、俺は部屋が近かったからか、珍しく二人一緒に歩いている彼女らを見掛けた。そして、今度は逃げられないようにと二人の前に回り込む。

 

「おはよう! ちょっと聞きたいんだけど、昨日の晩飯の時に何が――」

「きゃあああーっ!」

「いやあぁぁあぁんっ!」

 

 ……が、彼女らは救芽井によく似た反応を示すと共に俺を突き飛ばし、食堂目掛けて一目散に走り去ってしまった。茹蛸三人衆の出来上がりである。

 

 ――すいません。泣いていいですか。

 

 ……そして誰に聞くわけでもなく、俺は魂の奥底からそう呟いていた。

 

 ――食堂に全員が揃い、朝飯が天井から搬入されて食事が始まっても、気まずい空気が収まる気配はなかった。

 瀧上さんは相変わらず伊葉さんを睨みながら味噌汁をすすり、所長さんは面白そうに俺達の反応を伺い、四郷は頬を染めて無関係を装うかのように、チビチビとご飯を口に運んでいる。

 茂さんは「夕べはよくも樋稟の初めてを!」などと意味不明な供述をしており、救芽井・矢村・久水の三人は顔を真っ赤にしたまま俯くばかりで、俺とは目も合わせようとしていない。

 

「……あのさぁ所長さん、いい加減何があったか説明して欲しいんですけど……」

「単にあなたが知りたいだけなら教えてあげても構わないけど、彼女達と仲直りしたいっていうことなら、そこまで知る必要はないわよ?」

「どういうこった?」

 

 俺の訝しむような視線に対し、彼女は返事をするかのようにウインクしてきた。いや、それじゃ意味わかんないって。

 

「あなたは夕べ、彼女達の性癖を全部見たでしょう? それについてのあなたの正直な感想を述べてあげたら、大体のことは解決するわよ。彼女達、それで気に病んでるってところ、あるみたいだし」

「はぁ? そんなんでいいのか?」

「ええ。もしそれでダメだった時は、私を夕べみたいにめちゃめちゃにしてくれてもいいわ」

「……仲直りの件が片付いた時はそっちのこともやっぱ教えてくれ。普通に気になるから」

 

 俺は所長さんの妙なアドバイスに眉をひそめながらも、今は従うしかないと腹を括る。――事実、仲直りするには腹を割って話さなきゃならないことだってあるだろうしな。

 ていうか所長さん、三人には自分に何があったのかをちゃんと説明してたんだな。それで俺をハブるって、どういうことなんだよ……。

 

 ――いや、今はそこじゃない。

 二度三度咳ばらいを済ませ、俺は三人の様子を交互に見遣る。やっぱり、顔は伏せたまんまか……。

 

「……あのさ。夕べには、その、いろいろあったみたいだけど」

 

 そして俺が意を決して口を開くと、向こうも多少はこちらの気持ちを汲んでくれたのか、少しだけ顔を上げて視線を向けてくれた。全員上目遣いになってやがる……。

 

「俺はさ、別にそこまで悪い気にはなってねーよ。自分が何してたのかは把握してないから『全然』とは言い切れないけど。――夕べで、お前らのことがちょっとは解るようになれたかもしれないし、そこは収穫あったかなって思ってる。救芽井のことも、矢村のことも、久水のこともちょっとは知ることが出来たし、それで三人を嫌になったりはしないさ。むしろ、俺がなんか酷いことしてたってことなんなら、謝らせてくれ」

 

 俺は三人に視線を何度も移しながら、自分が感じたこと、思うところを、彼女達がなるべく傷付かないように最大限配慮しつつ、垂れ流していく。

 ……まぁ、確かに嫌いになんかならないけど、人前を考えて是正した方がいいんじゃないかなー、とは思う。つか所長さん、アンタ「イイハナシダナー」って顔でウンウン頷いてるけど、自分が全ての元凶だってこと忘れてない?

 

「い、いいの……? 私のこと、嫌いにならないの……?」

「龍太ぁ……ありがとう……ホンマ、ありがとうなぁ……」

「龍太様……もう一生、離れませんわぁ……」

 

 所長さんの言うことはあながちデタラメでもなかったらしい。

 自分の黒歴史(?)を肯定された喜びゆえか、彼女達は感極まったように涙を浮かべ、口元を緩ませている。

 ……なんかイイ話って空気なのに、話題の中心が変態性癖って部分がツラいな……。

 

 ――だけど、彼女達の赤面は未だに収まる気配がない。さっきまでとは雰囲気が違うような気がするけど、やっぱりまだ三人とも顔が赤いままだ。

 

「『恥ずかしさ』一色のものから、『嬉し恥ずかし』という毛色のものへと変化している、ってところかしら? てことは、残る問題はあなたとの情事ってことね」

「情事ってなんだ!? 俺マジで昨日何やってたんだァ!? ――ハッ!?」

 

 その時、女性陣三人から何らかのオーラを感じた俺は、咄嗟に視線をそこへ移した。

 

「りゅ、龍太君……こ、ここみたいにまた、私にいっぱい、キキ、キスしても、いいよ……?」

 

 どういうつもりなのか、救芽井は顎を上げて身に覚えのないキスマークを見せつけて頬を染め、

 

「龍太……アタシのお尻、あんたに触られてから疼いてしょうがないんや……なんとかならん……?」

 

 矢村は自分の尻をさすりながら顔を赤らめ、

 

「あぁ、龍太様……ワタクシ、もう胸が焼けるように熱くて、堪えられませんの……。今夜、どうかあなたの手で、鎮めてくださいませ……」

 

 久水に至っては、自分の巨峰を寄せて上げ、懇願するかのごとく瞳を潤ませている。

 

 こんな。こんなことがあっていいのだろうか。……いや、あってたまるか。

 自分の性癖が肯定されたと判断したのをいいことに、彼女達は食事中であるにも関わらず自分が何をされたかを赤裸々に暴露し始めたのだ!

 

「――ご、ごめんなさァァァァァァいッ!」

 

 そこで自分がナニをしていたのか、その全てを察してしまった俺に、この場に留まる勇気はなかった。荒ぶる女性陣から逃げるかのように、俺は全力疾走で食堂から脱出する。

 

 ……あ、またメシ食いっぱぐれた……。

 



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第85話 四本の腕を持つ少女

 結局、あの後すきっ腹で自室に戻った俺は、部屋に常備されている通信機から所長さんの指示を受けて、あのダサカッコいいユニフォームを着るハメになっていた。

 

 別に朝食から逃げなくてもそういう予定ではあったらしいが、格好が格好だから罰ゲームだとしか思えない。そんな俺は、多分相当性格が悪いんだろう。罪を憎んで服を憎まず。悪いのは、勝手に逃亡してメシを食いっぱぐれた俺だ。

 

 そして入口のロビーに再び全員が集まると、俺達は引率の所長さんに従う形で、再び地下施設へ向かうエレベーターに乗り込んでいた。

 

「――あ、龍太……君……」

「りゅりゅ、龍太っ……あー、う~……」

「あら、龍太様……」

 

 その流れである以上、この三人と合流するのは自明の理。うげぇ、気まずい……!

 

 ――だが、こうなった原因は、全面的に逃げ出した俺にあると言えよう。ケツは自分で拭かねばなるまい。

 ただでさえこの先大変なのかもしれないって時に、こんなことでいちいち迷走してたら、コンペティションどころの騒ぎじゃねぇ! 逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだー!

 

「あー、その……さっきは、えと、に、逃げちまって悪かった! 本当にすまんッ! だけどああいう展開は食事中にはいかがなものかと愚考しておりましてというかなんというか!」

 

 そして、大人数が集まる大型エレベーターの中で玉のような汗を噴き出し、何度も頭を下げる俺。端から見れば、恐らくは見苦しさ満点だろう。それこそ、はなまるでも付けられそうなくらいには。

 

「……も、もぅ。今回だけなんだからね、龍太君。わ、私だって、ちょっとはしゃぎすぎたかなって思うし……」

「――龍太様、どうか頭をお上げくださいまし。それがあなたの御心とあらば、ワタクシはいくらでも待ちましょう。そう、例え、三分の長き時が刻まれようとも……」

「みじかッ!? カップラーメンの出来る間くらい頑張って待ちいやっ!? ――もも、もう、しゃあないから、アタシも許しちゃるけど……その……」

 

 ……だが、いいこともある。この三人が殊の外、寛容であるということだ。

 必死に頭を下げ続けたおかげか、三人とも渋々という雰囲気ではあるものの、この気まずい空気を払拭するのに一役買ってくれるらしい。「仕方ない、許してやるか」という旨の反応を示すようになってくれたのだ。

 

 しかし、なんだか矢村の様子がおかしい。何やら不安そうにこちらを見つめている。

 どうしたんだ? まだ何か、俺がやらかしたことでもあるのか……?

 

「――龍太、二回もご飯食べとらんけど……大丈夫なん?」

 

 グギュルルルッ!

 

「ぐへぁァッ!」

 

 ……ああ、そういうことか。納得したよ。 

 でもね、矢村さん。出来れば言わないでほしかった。気付かせないでほしかったよ。

 

 この腹の虫が上げる、魂の咆哮に……。

 

 ◇

 

 ――午前中は、四郷研究所側の発表会……と言ってたから、恐らくは「新人類の身体」……すなわち「今の」四郷の身体を造っていた場所で発表するつもりなんだろうな。

 俺は心配そうにこちらを見つめている眼鏡美少女から、あらゆる意味で諸悪の根源と目される、その人物の後ろ姿へと視線を移す。

 

 ――妹の身体を機械仕掛けにする。どんなご立派な理想を立ててそんなえげつないマネをしていたのか、今日こそ説明してもらうぞ。所長さん……!

 

「どしたん、龍太? なんか、怖い顔しとるで……?」

「ん? ――あぁいやいや、これから相手することになる『四郷研究所の取っておき』って、どんな凄いヤツなのかな〜ってさ」

「そっかぁ……。でも、大丈夫やって! 龍太なら絶対負けん! アタシが保証したるけんなっ!」

「ハハ……おう! ありがとなっ!」

 

 隣にいた矢村の反応によれば、そんな胸中が表情に出てしまっていたらしい。俺は自分を鼓舞してくれている彼女と手の甲を合わせ、その応援に応えて見せた。

 ……そうか。四郷が「新人類の身体」ってのを知ってるのは、救芽井エレクトロニクス側だと今は俺ぐらいなんだよな。あとは……久水か?

 ――なんにせよ、負けられなくなっちまうな。わざわざ俺なんぞのために、ここまでついて来てくれた矢村のためにも。

 

 やがて停止したエレベーターの先には――武道館を彷彿させる、広大なアリーナが広がっていた。

 

 無数のライトに照らされ、無機質ながらもどこか壮大さを感じさせる、今までの工場のような場所とは、一線を画した世界だ。

 

「広ッ!? なんなんやここッ!?」

「フォーッフォッフォ! 驚きまして? この最深部に当たる階層こそが、四郷研究所の誇る最大規模の地下実験施設、『グランドホール』ざます!」

 

 ……お前が解説しちゃうのかよ。つか、ネーミングそのまんまだな。あの「メディックシステム」ほどじゃないが。

 

 しかし最深部、か。確かにそれっぽいくらい人気がなくて不気味なんだよなぁ、ここ。

 野球場並にだだっ広いクセして、観客は俺達しかいないし。

 

「フフ、梢ちゃんったらせっかちなんだから。さぁ皆さん、こちらへどうぞ! 我が研究所の最高傑作をご覧になって!」

 

 そんな勝手に説明を済ましている久水を笑って許し、所長さんは仰々しく手を広げて声を上げる。

 そして、俺達をそのアリーナにおける観客席らしき場所へと案内していった。……あのだだっ広いアリーナ全体を使って、パフォーマンスでもやろうってのか?

 

「おや? 鮎子君の姿が見えないが……」

「あれっ? さっきまでここにいたのに……」

 

 その時、俺の後ろを歩いていた救芽井と茂さんが急に声を上げて、辺りを見渡し始めた。俺と矢村もその声を聞いて辺りに視線を回すが、どこにもあの透き通るような水色のサイドテールは見えない。

 

「ホ、ホントや! 四郷のヤツ、どこ行ってもうたんや!?」

 

 ……確かにいつの間にか姿が見えなくなってるのには驚いたが、彼女が今どこにいるのか、次にどこに現れるかは――もう目星が付く。

 

「さぁ皆さん、ご覧ください! 我が四郷研究所の誇る、最新鋭義肢体『新人類の身体』のお出ましよッ!」

 

 そして、所長さんは自分の妹を捜して視線を回している連中に向かって、派手なモーションで腕を振るい、アリーナの中央を指差した。

 これまでのすまし顔からはなかなか想像のつかない、熱の込もった表情と声色に、四郷の所在を気にかけていた救芽井達もさすがに注目せざるを得ない。誰もが、広大に広がる白い大地に意識を奪われていた。

 

「ちょ、四郷所長! あなたの妹さんがいなくなってるっていうのに――」

「……いるさ。四郷なら、あそこに」

「――えっ?」

 

 それでも、妹の不在でざわめき始めたこのタイミングで発表に掛かろうとする所長さんに、救芽井は食ってかかろうと彼女の方へ詰め寄っていく。

 

 俺はそんな彼女を腕で制し、ここから見えるアリーナの最奥に存在する、一つの巨大なシャッター……すなわち、入口と思しき扉が開いていく様を指差した。

 

「え……うそ。あれ、四郷とちゃうん!?」

「とうとう、見せ付ける時が来たざますね……鮎子」

「そ、そんなっ――嘘でしょう!? 四郷さんがどうしてあそこにっ!?」

「むおぉおおぉ!? 鮎子くゥゥゥゥン!?」

 

 そこから現れたのは――紛れも無く、四郷鮎子その人。

 

 冷たい氷のような目つきでありながら、近付くだけで焼き尽くされてしまいそうな赤色を湛えた瞳。その苛烈さを癒すかのように流れる、艶やかな水色の長髪。機械のように無機質な雰囲気を裏付ける、無骨な丸渕眼鏡。

 そして、その佇まいゆえに忘れかけてしまう、「年頃の少女」という彼女の在るべき姿をかろうじて思い起こさせる、一束に纏められた流水のサイドテール。

 

 俺達の視線全てを一身に受けて、その一人の少女が地平線の如く広がるフィールドへ、自らのか細い足を踏み込ませた。

 

「四郷……!」

 

 やがて広々としたアリーナの中心に向かい、悠然と歩いていく四郷。彼女のその姿に愕然となっていた、救芽井や矢村の前に当たる最前列から様子を見ていた俺は、思わず手すりを両手で握り締めていた。

 ……ともすれば、そのまま潰してしまえるんじゃないか、というくらいの力を込めて。

 

 ――彼女は、自分が機械の身体になったことについて、何も言わなかった。それは、本当に自分から望んだからなのか?

 そして今の自分自身を、彼女は――望んでいるのだろうか?

 

 そんな込み入った事情をあの娘が話してくれるとは思えないし、むやみに知りに行くような話でもないかもしれない。

 だけど、それでも……納得できる理屈ぐらいは欲しい。普通の――少なくとも俺の神経に準ずれば、正気の沙汰ではないのだから。

 

『……テスト、開始して。お姉ちゃん……』

「オーケー。さぁ皆さん、始まりますよっ!」

 

 俺の後ろの方から聞こえて来る、少女の囁くような小声。振り返ってみれば、所長さんはいつの間にかインカムらしき機材を装着しており、アリーナにいる四郷と連絡を取り合っているようだった。

 

 ……なんだ? これから何が始まるってん――

 

「わ、わああぁあぁあ! あかんあかん危ない危ないぃぃっ!」

 

 ――だぁっ!?

 

 所長さんの威勢のいい声が示す、これから始まる何か。その実態の仮定を脳みそが弾き出すよりも早く、アリーナを凝視していた矢村が悲鳴を上げた。

 

 慌てて俺も向き直り――思わず目を見開いてしまう。

 

 すたすたとアリーナ中央に向かい、ただ漠然と歩くだけの四郷。そんな彼女目掛けて、別の出入口から現れた二台の大型トラックが、それぞれから見た反対方向から、挟み打ちにするかのごとく飛び出してきたのだ!

 

 四郷がその場で立ち止まりさえすれば、猛然とフィールドを疾走するトラック同士がぶつかって終わりだろう。だが彼女は、まるでトラックに挟まれる展開を望むかのように、そのまま歩き続けていた。

 つーか、四郷が仮に止まったら止まったで、トラックの運転手が……!

 

「ちょっ……なんなんですかアレは!? このまま双方のトラックが衝突なんてしたら……!」

「ご安心なさい。あのトラックはコンピューターで制御された無人車よ。――それに、衝突なんてあの娘がさせないわ」

「な、なんですって……!?」

 

 俺と同じ疑問を抱いていた救芽井が、焦燥をあらわにして所長さんに迫る。

 しかし、当の彼女は涼しい顔でそれを受け流すと、「そのまま見ていろ」という旨の宣告をした。――無人だって? じゃあ、四郷はあのトラックをどうするつもりなんだ?

 

 いずれにせよ、俺はその成り行きを、固唾を飲んで見守るしかないのだろうか。

 ……そんな考えが過ぎり、唇を噛み締める力が強まった瞬間だった。

 

 四郷が、動いたのは。

 

「……マニピュレートアーム、展開……」

 

 ――その時、俺は初めて「新人類の身体」というモノを改めて知ることになった。そのくらい、この瞬間に見た光景は、目に焼き付いて離れないものとなっていたのだ。

 

 突如として彼女の全身から発せられた、青白い電光。バチバチと激しい音と光を引っ切り無しに放ち、俺達の視界をホワイトアウトにせんと輝きはじめていた。

 

「わ、あぁああぁっ!?」

「きゃああああっ!? こ、これは一体っ!?」

 

 何が起こったかわからない。視界がまばゆい光に遮断されているのだから。

 下手をすれば今の自分がどこにいるのかさえ見失いかけてしまうほど、四郷の身体が放つ光は強烈なものだった。それでも救芽井と矢村の悲鳴のおかげで、なんとか俺は意識を現実の世界へ引き留めることができたわけだが。

 

 ……そして、強烈な光に視界を奪われていた俺達も、やがてその輝きが失われていくにつれて、本来の視力へと元通りになっていく。

 だが、それで終わりではなかった。

 

「うっ……!?」

 

 四郷研究所という施設の実態。それを象徴付けるかのような少女の姿に、俺達は揃えて息を呑んだのだ。

 

 青と白を基調にした、曲線的なラインを描くメタリックボディが、アリーナを照らす照明の光を浴びて、さっきの電光にも負けない程の輝きを放っている。レオタードを彷彿させるその身体の形は、完全に以前の四郷のそれを再現しており、そのピッチリ具合は「救済の先駆者」に着鎧した救芽井とは比にならないほどだった。

 ――いや、当たり前か。体の上から着る着鎧甲冑と違って、あっちは「身体そのもの」を変形させているんだから。

 

 頭の部分だけは人間の時とは変わらないまま……つまりマスクオフに近しい状態ではあるが、焦点を失ったような彼女の瞳からは、かえって人間味を削っているように思えた。

 

「し、四郷が『最高傑作』って……なんなんや!? どうなっとんこれっ!?」

「……ッ! そういうことね……! 道理で部室の生体レーダーに反応がなかったわけだわ……!」

「――鮎子。大丈夫。何があっても、ワタクシが付いているざます」

「す、す、素晴らしい最高傑作があるとは前々から聞いてたが、ま、まさかこんな……!?」

「お兄様は、こことはほとんどビジネスの話しかされてませんでしたからね。知らなくても……まぁ、無理はありませんのよ」

 

 「新人類の身体」としての姿を現した四郷に、救芽井達はただどよめくばかりだった。……久水、「無理はない」とか言ってる割には妙に視線が冷たくないか? まぁ、友人を理解されてないとわかったらそういう反応にもなるか……。

 

「……あれが『新人類の身体』か。しかし、それであのトラックをどうするつもりなんだ? まさか、両方とも素手で止めようってのか……?」

「そんな無粋なマネはしないわよ。それに、そのやり方だと仮に運転手が乗ってたら危ないでしょ」

「なんだって?」

「――ふふ、まぁ見てなさいって」

 

「……な、なによあれっ!?」

 

 俺の後ろで含み笑いを浮かべる所長さんの様子を訝しんでいると、今度は救芽井が驚きの声を上げる。

 

「今度は何――って、マジかッ!?」

 

 彼女のその叫びに反応して向き直った俺も、思わず声が出てしまった。

 

 四郷の背中から……腕が飛び出してきたのだ。

 

 いや――よく見ると腕というより、俺の部屋にあったようなマニピュレーターに近い。だが、大きさやリーチはまるで段違いだ。

 身を屈めた彼女の背から飛び出す、二本の青い機械の腕。それらはまるで弾丸のようにトラックへ伸び――通り過ぎてしまった。

 

「なっ!? おい、すり抜けちまったぞ!?」

 

 てっきりあの巨大なマニピュレーターでトラックを受け止めるものだと思っていた俺は、この余りにも危なげな展開に狼狽せざるを得なかった。

 ……だが、所長さんの表情は変わらない。まるでこれが、予定調和であるかのように。

 

「し、四郷さんッ! 危なッ――!?」

 

 そして、暴走トラック二台と四郷の距離が更に縮まり、ついに彼女がアリーナの中央――トラックにモロに挟まれる位置まで来たとき、マニピュレーターに変化が起きた。

 救芽井が「危ない」と叫びかけた瞬間、トラックを通り過ぎていたマニピュレーターはいきなりUターンを始め、今度はトラックの背後に向かって襲い掛かった!

 その圧倒的なスピードで空中を駆け抜ける鉄の腕は、トラックが四郷にたどり着くよりも遥かに早く、車体の背部をガッシリと掴んでしまう。

 

 更に驚くべきなのは、そのパワーだろう。巨大マニピュレーターに掴まれた二台のトラックは、広いアリーナを一直線に走りつづけていたために相当な速度になっていたはず。

 ……にもかかわらず、あの機械の腕に後ろから引っ張られるだけで、みるみるスピードを落とされているのだ。

 四郷に近づいていくにつれてそれはより顕著になり――ついには、四郷の身体を目前にして、完全に停止してしまった。

 

「ただ力任せに止めるだけなら簡単だけど、それじゃ運転手を殺しかねない。どうせ命を救うなら、全部救ってあげた方がオトクでしょ?」

「し、信じられない……! 四郷さんに、そんなことがっ……!」

 

 高い速度に乗った大型トラックを、後ろから引っ張る力だけで止めてしまえるパワー。そして、それを可能にする弾丸並のスピード。

 その二つを共有している怪物マニピュレーターを装備した、「新人類の身体」。恐らく機能はこれだけではないのだろうが……いずれにせよ、俺にとっては何もかもが圧倒的に感じられた。

 

「クク……いいぞ鮎子、その調子だ」

「末恐ろしいな。あれが、『新人類の身体』か……」

 

 そして、瀧上さんと伊葉さんがこぼす言葉が、更に俺の胸中に眠る不安を刺激していく。

 

 ――あれが、四郷の力……。俺は、あの娘に勝たなくちゃならないってわけか……!

 

 気がつけば、手すりを握る両手には更に力が入り、いつの間にか小刻みに震えるようになっていた。

 

 ……願わくば、この震えは「武者震い」であって欲しい。

 そう祈ったのは、恐らく二年ぶりになるのだろうか。

 



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第86話 四郷姉妹の光と陰

 「新人類の身体」。

 

 それは、人の脳髄を電動義肢体へと移植し、普通の人間を遥かに超える能力を得る――ことを目的としたプロジェクト。

 

 対象者の脳だけを一時的に機械へ移し、本人の生身の身柄は安全地帯に保管できるため、中身の人間が直に纏う着鎧甲冑よりも、救助側の人命の保護という面においては優れているのだという。

 

「万が一、救助する側に立つ人間が腕でも吹っ飛ばされたりしたら、それどころじゃなくなっちゃうでしょ? 人を守る前にまず自分を、ってね」

 

 どれだけ危険な現場に踏み込もうとも、脳さえ無事ならいくら傷付いても「代え」が利く。機械の身体である限りは。

 それが、所長さんの主張だった。

 

 そのテストパイロットに相当している四郷は、「新人類の身体」に脳を移植してから十ヶ月になるそうだ。彼女の生身の身体は、この研究所にしっかり保管してあるらしい。

 

 ――俺がちゃんと把握しているのは、せいぜいこのくらいだ。

 

 あのグランドホールでの性能披露の後に招かれた、この小綺麗な地下会議室で行われているデータベースの発表は、小難しい話ばかりでほとんど要領を得なかった。顎に手を当てて「なるほど」って具合に頷いている救芽井を除けば、ちゃんと理解できてる奴もあんまりいないことだろう。

 

 ゆえに、ホワイトボードに張り出された「新人類の身体」の機構の図解らしきデータや、身体能力を数値化したリストを見せられても、知識のない俺には「豚に真珠」に等しい講義だ。成績優秀と評判の矢村も、途中から付いていけなくなったのか、頻繁に頭を掻いている。

 茂さんは多少は理解しているのか、いつになく真剣にホワイトボードを眺めている。久水は――元々あまり聞く気はないらしい。巨峰を寄せて上げるが如く、腕を組んで悠然と椅子の上に踏ん反り返っている。

 

 ……親友のことだから、わざわざこんな場で聞く必要はない、ってか。

 だけど、四郷が「新人類の身体」になってるって話、彼女はどう見てるんだろうか。そもそもどうして、二人は友達になったんだろう?

 

「はい、じゃあ私のめんどくさい講義は以上になります。みんな、最後まで聞いてくれてありがとう!」

 

 そんな他愛のない――こともない事情を考えているうちに、気がつけばこの会議室での講義は、お開きの時を迎えてしまっていた。

 ホワイトボードの前に立ち、長々と喋り続けていた所長さんは、隣に立つ妹の肩に手を置き、締めくくりの言葉を口にする。「新人類の身体」としてのユニフォームなのか、冷たい雰囲気を漂わせる紺色のジャージに着替えていた四郷は、最後まで人形のように立ち尽くし、姉の話を聞くばかりだったようだ。

 慌てて視線を久水から所長さんへと戻すと、彼女は困ったような笑みをこちらに向けていた。どうやら、ちゃんと聞けてなかったのはバレていたらしい……。

 

 ……しかし、いくら生身を傷付けないからって、脳みそをまるごと機械にブッ込むやり口を使うのは、どうにも腑に落ちない。

 ――「新人類の身体」は、その技術は、本当に人を守るために作られたんだろうか?

 

 その疑念は晴れないまま、午前の発表会は終わりの時を迎えたのだった。

 

 予定で言えば、午後は基本的には自由時間だったはず。

 ロビーで一旦解散となった後、俺は見てるだけでイロイロとくたびれてしまった身体を癒そうと、自室へ引き返していた。

 

「ふうっ! ……『新人類の身体』、か……」

 

 相変わらず機械の腕がうにょうにょとあちこちで動き回っているが、それに構っていられる心理的余裕もない。俺は真っすぐベッドへ身を投げて息を吹き出すと、あの光景を記憶の底から掘り返した。

 

 ……出来れば、忘れてしまいたい。それくらい自信を削いでしまうような瞬間ではあったが、目を離してはならない事実であるのも確かだった。

 四郷――いや、「新人類の身体」は強い。単なる身体強化のテクノロジーとしても、レスキューシステムとしても。伊葉さんは直に戦う機会もあるかも、と言っていたが……あんなでかくてヤバい腕を、二本も引っ提げてる怪物にどうやって立ち迎えってんだか。

 

 ……いや、いくらなんでも「怪物」はないか。例えそう呼びたくなるような力は持ってても、あれは――彼女は、四郷鮎子。れっきとした、人間のはずなんだ。

 だけど、それでも、あの力を本人が言っていたように「人が恐れる」可能性はすこぶる高い。そんな風になってしまうことを、彼女は望んだのか? あんな機械のような顔に、本当になりたかったのか?

 

 ――久水は、何を思って、彼女と友達になろうとしたんだ?

 

 会議室でも不思議に思っていた事柄が、今になって再び脳裏に蘇ってきていた。それを自覚した瞬間、俺はガバッとベッドへ投げ出していた身を起こす。

 

 ……あのトラックの正面衝突を難無く食い止めた瞬間を目の当たりにしても、彼女はまるで動じていなかった。所長さんのように興奮してこそいなかったが、俺達のようにうろたえてもいなかったんだ。

 見慣れた姿――だったんだろうか? あの、四郷の変わり果てたと言えば変わり果てた姿は。

 

「久水は……何を思った? 何を感じたら、あんなにも四郷と……」

 

 あの凄絶な姿を思い起こし、俺は頬杖をつきながらそっと呟く。

 

 普通なら――少なくとも俺なら、あんな姿を見せられたら多少はビビる。矢村もアレを見て以来、四郷とは若干距離を取ってしまったように見えた。元々、物静か過ぎるせいで近寄り難くもあったらしいが。

 救芽井と茂さんはまだそうでもなかったが、彼女を見る目には、単純な知的好奇心の色が伺えた。久水が持っていたような、友愛の眼差しとは、どこか違っていたのだ。

 

 そんな中、久水は四郷を大切な友人のように見つめ、彼女の凄さを力説していた。さながら、実の姉妹であるかのように。

 

 ――彼女にそうさせる何かが、あったのだろうか。それを知れば、俺も彼女を恐れる心を、その奥底から消し去れるのだろうか……?

 

「はぁいちょっと失礼するわよっ!」

 

 ――そんなことを考え始めた途端、シュッと開かれた自動ドアから、このしんみり空気をブチ壊す破壊神が現れなすった。

 性能披露の時以上のハイテンション状態にあるご様子の所長さんは、俺にじっくり考える時間すら与えてくれないらしい。

 ……というか、最初に会った頃とはまるで別人じゃないか。キャラ崩壊も甚だしい……。

 

「……なんなんですか一体。つーか、ここってインターホンの類はないのッ!?」

「ふっふん、そんなものは必要ないわ! なにせ私は所長だもの! 一番偉いんだものっ!」

「所長だったらアポなしで個室無断突入オールオッケー!? プライバシーの権利はいずこッ!?」

 

 俺の決死の反論も虚しく、所長さんはただ楽しげに笑うばかり。俺の反応そのものを見るのが楽しみなのだとしか思えない振る舞いだ。

 

「まぁまぁ、細かいことなんてどーでもいいじゃない。それともなぁに? お姉さんに見せられない何かがあるのかしら?」

「しゅ、宿泊先にまで持ち込むほど飢えちゃいねーよ!」

「あら、じゃあ自宅にはやっぱりああいうのがたくさんあるのね? ジャンルは何? 純愛? 凌辱? 盗撮? 痴漢?」

「全部だ全部ッ――って、何を言わしとんじゃァァァァァッ! そして用件は何だァァァァァッ!」

 

 自分でもわかるくらいに顔を真っ赤にして、俺は自分の大切な何かを暴いてしまった所長さんに八つ当たりを敢行してしまう。一方、彼女は明らかに自分に原因があるというのに、涼しい顔で「まぁ熱くならずに」とぬかしていた。アンタマジで覚えてろッ!

 

「そんなに怒っちゃやーよ。……そうね。用件、って言うなら『お誘い』ってとこかしら?」

「ぜぇ、ぜぇ……お、お誘いだぁ?」

「そう! この近場の海、おっきくて綺麗だったでしょ? せっかく午後はずっと休みなんだから、たまにはあなたも永久貸し切りビーチでバカンスを満喫してきたら? あなた以外の救芽井エレクトロニクスのメンバーは、みんな私服に着替えて出掛けてるわよ?」

「……あーもう、ちょっとは休ませてくれよ。こっちは色々と思うところがあって、しばらくは横になりたいんだ。それに、俺は水着なんて持ってない」

「水着なら、こっちでバッチリイケてるのを用意してきてるから大丈夫! あ、そーだ! たった今仕入れた一煉寺君の新着情報、乙女の園に速報でお届けしなくっちゃ〜」

「わかった! 行く! 行きますからァッ! 四十秒で支度するからァァァァッ!」

 

 俺はあらゆる方面から見ての身の危険を感じ、条件反射で所長さんを部屋の外まで突き飛ばす。そして自動ドアが彼女を部屋から締め出した瞬間、俺は着ていたユニフォームを迅速に脱ぎ捨て、赤いTシャツと黒いハーフパンツにサッと着替えてしまう。

 あ、あぶねぇ……あの所長ッ! 救芽井達にこれ以上何を吹き込むつもりなんだッ!

 

 着替えを済まし、出掛ける前に一言文句を付けてやろうと、俺は意気込んで自動ドアを開く――

 

「……あれっ?」

 

 ――が。

 そのすぐ先に彼女の姿はなく、廊下に出て十メートルほど離れた場所にその後ろ姿が伺えた。

 

 あんなところで何を――ん? あれは……何かを飲んでる?

 

 艶やかな彼女の手に握られていたのは、茶色い瓶。そのラベルには、「興奮剤」という手書きの三文字だけが書かれていた。

 ぐびぐびとその中身を飲み干していた彼女は、フゥッと一息つくと――

 

「……楽じゃないわね。さすがに」

 

 ――今までに聞いたことのないような、ドスの効いた低い声で、何かを呟いていた。

 なんだ……? この、違和感は。

 

 そう俺が感じた瞬間、彼女は――

 

「……さってとー! せっかくだし、お姉さんもスペシャルなナイスバディを披露しちゃうとしますかー!」

 

 ――再び、あのアホなテンションで聞こえよがしな叫びを上げて走り去ってしまった。

 

 ……曲がり角から姿が見えなくなる瞬間、こちらをチラリと見つめていたのは、気のせいだったのかそうでないのか。

 それを確かめる方法は、俺にはない。

 



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第87話 水着回到来

 機械という機械に閉ざされた世界。

 そこから解放された先に待っていた陽射しは、実際以上の輝きを俺の視神経に刻み込んでいた。

 

 ロビーにあった食品コーナーでジャンクフードを軽くつまんだ後、研究所の外に出た瞬間、視界全体へ広がった眩しさに目を覆い、俺は思わず立ち止まってしまう。

 それくらい、研究所は外界の光に対して閉鎖的になっていたのだということを、俺は身をもって体験した。入口一つ隔てた先に見える、この海と山に彩られた真夏の景色は、まるで別の世界のようだ。

 

「ほら、一煉寺君! こっちよ!」

 

 すると、既に水着姿になりやる気満々な所長さんが、こちらに向かって手招きをしてくる。目のやり場を困らせる扇情的な紫のハイレグ姿は、まぁ彼女らしいといえば彼女らしい……のか?

 

 所長さんは研究所の入口とは別の扉の奥に立っており、そこから俺を呼んでいる。肩に掛けている黒い布のようなものは、恐らくバスタオルか何かだろう。

 

「所長さん、なんでそんなとこに? 泳ぎに行くんじゃないのか?」

「まぁまぁ固いこと言わずにっ! こっち来なさい!」

「ちょ、おいっ!?」

 

 海に行くと言いつつ、研究所の怪しげな扉の奥へ入っていた所長さんは、その大人びた胸を上下に揺らして俺の手を掴むと、そのまま自分のいた場所まで引っ張り込んでしまった。

 俺がそこに入れられたところで、所長さんは壁に付いていた何かのスイッチを操作して――その扉を閉ざしてしまう。

 

「ちょ、これってどういう……!?」

 

 思わず口に出た言葉を言い終える間もなく、状況に変化が訪れる。足場が揺れ、重力が一瞬だけ軽くなったかと思うと、この空間にゴウンゴウンという、何かを運んでいるような機械音が響き始めたのだ。

 ――まさか、これってエレベーター!?

 

「さぁ、着いたわ」

 

 その結論に俺がたどり着く頃には、既に振動も機械音も止まり、空間を揺らしていた全ての動きが静止していた。この狭っ苦しい世界の中で、縦横無尽に躍動していた所長さんのダブルメロンも、それに追従するように大人しくなる。

 そして満足げな表情の所長さんが、再び壁のスイッチを操作した時、長らく閉ざされていた扉がようやく解放された。

 

 その先に繋がっていたのは……洞窟?

 所長さんより早く外に出て、辺りを見渡してみると……あちこちに茶色い岩場が広がっており、再び別世界に来たかのような錯覚に囚われそうになる。

 次いで、外界に出たという事実を証明する熱気が、空調の施されていたエレベーターに向けてなだれ込んできた。どうやら、外には出ているらしいが……ここはどの辺に当たる場所なんだろう?

 海に行こうって時にエレベーターに乗り込んで、今度は洞窟行き? 何を考えてんだ、この人は……。

 

 念のため、「救済の超機龍」の「腕輪型着鎧装置」を用意してきて正確だったかも知れない。いくらなんでも、ここで「闇討ち」はない、と思いたいが……。

 

「いやねぇ、そんな怖い顔しないでちょうだい。別に取って食おうなんて考えちゃいないんだから」

 

 だが、そんな俺の心境とは裏腹に、彼女は至って平常心な様子。おどけた表情で手をひらひらと振り、さながら俺を宥めるかのような対応を見せる。

 

「じゃあ、一体ここはどこなんだ? 洞窟探検を所望した覚えは皆無なんだけどさ」

「決まってるじゃない、ビーチよビーチ」

「ビーチ?」

 

 そこまで言われて、俺は初めて気づいた。

 この辺り、岩場に囲まれている割にはちっとも暗くない。「薄暗い」という言葉も似つかわしくないくらいに。

 ……ということは、日の光が差し込んでる、ってことか。この場から少し進んだ先に見える光明に、俺は彼女の言葉が真実である確証を見た。更に、その先から吹き込んでくる潮風。その独特な香りが、信憑性を強調するかのように俺の嗅覚へと信号を送っている。

 

 ……なるほど。ここは洞窟というより、研究所から真下に降りた先にある、崖の内側なんだ。エレベーターで崖の中をブチ抜いて下降し、その先にたどり着いた洞窟を抜けたら、崖と繋がっていた海辺にたどり着くってわけか。

 

「わかってもらえた?」

「ん……なんつーか、ちょっと誤解しそうだった。すんません」

「ふふ、いいのよいいのよ。勿体振ってちゃんと説明しなかった私が悪いんだし。じゃあ私、先に行ってるわね? 一煉寺君も早く着替えて、こっちに来なさい。あなた以外はみんなエレベーターに乗る前から着替えてたんだから」

 

 所長さんは俺の謝罪を手を振ってやり過ごすと、黒いハーフパンツ状の水着を岩場に掛けて、そそくさと光の先へと飛び出してしまった。どうやら、さっきから肩に掛けてたアレはバスタオルじゃなく、俺の海パンだったらしい。

 つか、俺以外の連中、どんだけ気合い入ってんだよ……。

 

 その場違いといえば場違いな状況に、俺はある種の微笑ましさすら感じていた。――こういうところは、「新人類の身体」もコンペティションもない、普通の人間同士に見えるんだけどな……。

 

 ……さて、ここまで来て俺一人が置いてけぼり、というわけにも行くまい。俺は私服を素早く脱ぎ捨て、所長さんが置いて行った海パンを装着する。

 おお、サイズもほぼピッタリ。四郷研究所の科学力ってのは、どうやらいつの間にか人の寸法すら取れてしまうらしいな。

 

 ――てことは、救芽井達のスリーサイズもたちどころに……ゲフンゲフン。さ、さて、じゃあそろそろ行くかな。

 

 俺は所長さんの後を追うように光明へ向かい、差し込める陽射しに肌を焼かれながら、さらにその奥へと突き進む。

 そして、数秒間に渡るホワイトアウトを経て――その常夏の世界が、ついにベールを脱いだ。

 

「フォーッフォッフォッフォ! このワタクシの超圧倒的プロポーションをもってすれば、龍太様もイチコロざます!」

「……梢、がんばれー……」

「なぁっ!? くっ……ア、アタシやって十分魅力的なんやからなっ!?」

「ふんっ! なによ、みんなして色気づいちゃって! 誰がどう足掻いたって、私の婚約者というポジションは揺るがないんですからねっ!」

「むほー! ここが楽園! ここがユートピアッ! ワガハイの十九年の人生は、今この瞬間のために――ぶげらッ!」

「なにイキリ立たせてるざますか超ド変態鬼畜最低ツッパゲールッ!」

 

 夏の風物詩とも云うべき絶景を生み出す、蒼く広大な海。照り付ける日光を受けて、白く輝く砂浜。こんな風景を拝めるなら、ここに来たのも案外悪いことばかりじゃなかったのかも知れない。

 ……なんか向こうが騒がしいような気がするけどね。

 

 いくつかのパラソルで涼みながら、何かを激しく言い争う女性陣。こんなバカンス全開な世界でありながら、早速ボコられている茂さん。場所は変わっても、彼等は相変わらずらしい。

 

 だが、救芽井を初めとした女性陣の格好には、いつもと違う何かを本能で感じたのか――目が離せなかった。

 

 救芽井は深緑を基調にしたフリル付ビキニを着ており、その水着の色使い故、彼女自身の色白さが更に際立っているかのように伺えた。今にも弾けてしまいそうな、あの白い胸の揺れに勝てるほど、俺の紳士パラメータは優秀ではない。あのすらりと曲線を描いて伸びる純白の脚も、俺の視線を釘付けにするには十分過ぎる破壊力だろう。

 

 矢村はオレンジ色のキャミソール状の水着姿になっており、脚と腹の肌の色が、みずみずしい白と小麦色の二色に分かれていた。普段日に当たっていない分――すなわち、彼女のありのままの素肌が晒されているのかと思うと、ある種の背徳感すら覚えてしまう。……あ、やばい、昨日のアレを思い出しそうになってきた……。

 

 久水は――救芽井と同様にビキニを着ているようだが、色は焦げ茶色みたいだし、フリルも付いていない。それから、腰に同色のパレオを巻いている。……それだけなら、彼女にしては地味な格好だと思えたかも知れない。だが、やはり彼女は一味違ったようだ。

 ……小さい。いや、胸じゃなく、水着が。――ってか、サイズがギリギリ過ぎる! もうほとんど裸じゃないのかアレ!? どんだけ自分のプロポーション自己主張させる気なんだよ、ただでさえ今の面子の中じゃ間違いなく一番ダイナマイトなのにッ!?

 

 四郷は……ん? 遠くてちょっと見えにくいけど――まさかのスクール水着!? あれしかなかったのか、個人の趣味なのか、それが問題だッ! あ、多分所長さんの趣味かな、やっぱし……。

 清々しく澄み渡る大平原の胸元には、「あゆこ」と可愛らしい文字が書かれている。端から見たら、派手な水着ではしゃいでるお姉さん達に圧倒されて、会話に入れない小学生の女の子みたいだな……。――我ながら、なんだその例え。

 

 ちなみに、茂さんは俺と違ってブリーフタイプの黒い海パンだ。おぉ、風呂の時は湯煙で気づかなかったが、意外にすげぇ筋肉なんだな。……ってか、早速テント張りながら砂浜にはいつくばってやがる。それで殴られてたんだな……おいたわしや。

 

「――って、ちょっと待って! あそこにいるのって龍太君っ!?」

「あ、ホンマや! おーい龍太ぁっ! こっちやでぇーっ!」

「き、きゃあぁあんっ!? りゅ、龍太様っ!? ま、ま、まだワタクシ、お見せする心の準備がっ……!」

「……梢、もう色々と手遅れ……」

「……お、おおぅ……来たか一煉寺龍太……み、見たまえ……ワガハイの、いや我々の魂を救済する、聖域が広がって……」

 

 すると、ようやく向こうが俺の存在に気づいたらしく、さらに騒ぎはじめた。……おい、茂さんが末期状態なんだけど。誰も助けに行かないのか。

 

「ふふっ、ようやく来たわね一煉寺君。やっとお楽しみの時間ってとこかしら?」

「おわっ!? い、いつの間にッ!?」

 

 眼前の連中の反応に気を取られてる間に、背後を取られていたらしい。いきなり肩を後ろに引っ張られたかと思うと、背中に二つの柔らかい感触が伝わってきた。さらに、細く白い手が俺の体をはい回って来る。

 慌てて首を後ろに向けると、そこにはしたり顔の所長さん。な、なんか肉食動物みたいな目つきになってらっしゃるんですけどッ!?

 

「し、四郷所長ッ……!? な、な、何をしてるんですかぁあぁあっ!?」

「あ、あ、あ……あかぁぁああんっ! 龍太にそんなこと、したら……したらいけぇえぇえんっ!」

「ちょっ――龍太様ぁっ!? ……ワタクシという者が、ありながらあぁあぁっ!」

「……お姉ちゃん、もぅ……」

 

 そんな俺の焦燥も事情も、向こうには全く伝わっていないらしい。救芽井・矢村・久水の女性陣三連星が、鬼気迫る表情でジェットストリームアタックを敢行してきやがったッ!?

 

「さぁ、バカンスの開幕ぅ〜っ!」

「ちょっ……まっ……!? うわああぁあぁああっ!?」

 

 しかも、所長さんにそれに付き合う気は皆無らしい。女性陣との距離が五メートル辺りまで縮んだ瞬間、パッと俺から離れてしまったのだ。

 

 ――もちろん、それで彼女達が止まってくれるはずがない。

 

 俺の体は彼女達もろとも、ド派手に蒼く澄み渡る海原へとトルネードダイブしていくのだった……。

 

 ……前言撤回。存外に悪いことばっかりでございます……。

 



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第88話 ドラッヘンパイヤー現る

 世に云う、水着の美女達とのひと時。

 その開幕の瞬間は、ジェットストリームアタックで海中に沈められる、というなかなか悲惨なものだった。ビーチから、足が海底に着かない場所まで吹っ飛ばされるとは……。

 

「ゴボ、ガゴボゴボッ……!」

 

 俺の全身は潮の流れと救芽井・矢村・久水の三人にもみくちゃにされ、ほとんど身動きが取れない状態にある。この状況、世間一般の目から見れば、うらやましいと思える節も、まぁあるにはあるのかも知れない。

 

 ――だが、そのうらやましい状況ゆえに殺されそうになっている、という事実に直面しても、同じ考えを持っていられるのだろうか。……とりあえず、俺はノーと言っておく。

 

「さぁ龍太様、パラソルまで戻りましょうっ! そしてワタクシの全身にくまなくサンオイルをっ!」

「ちょっ……!? あなた龍太君に何させるつもりよっ!? まずは婚約者たる私を通して貰わなきゃっ!」

「マネージャーかあんたは!? そ、それよりど、どうや、龍太……? この水着、かわえぇなって思って選んだんやけど、おかしくないやろか……?」

 

 三人とも水面上で何か騒いでるけども! 現在進行形で海に沈められてる俺にはこれっぽっちも聞こえてないからね! つーかこのままじゃ、明日の朝刊には高校生の溺死体として華々しくデビューしちゃうからね!?

 

 彼女達は俺の腕を引っ張ったり胴体を抱き寄せたりしようとするばかりで、水没寸前の俺を「引き上げよう」とはしていなかった。自力で水面まで上がろうにも、約二名によるおっぱいバリケードにそのルートを封鎖され、身動きが取れない。

 

「ワタクシが先ざます!」

「私が先よっ!」

「アタシが先やっ!」

 

 そうこうしている間でも、彼女達は人の瀬戸際も知らないで好き放題に騒いでいる。ぐほっ、もう、息がッ……!

 

 ――こうなったら、やるしかねぇ……! 仮にも変身ヒーローがやっていいことじゃないかも知れないが……背に腹は代えられんッ!

 

 俺は女性型バリケード三人衆に弄ばれながら、海パンに忍ばせていた「腕輪型着鎧装置」を右腕にセットする。……我ながら、とんでもない場所に仕込んだものだ。

 やり過ぎ感は否めないが……「美女に囲まれて溺死」なんて天国に逝っても怨まれそうな死に方なんぞ御免被る!

 

「びゃぶぶぁい、びゃっびゅう……!」

 

 そして、俺は海中でも音声が伝わるように、腕輪に口元を近付けて精一杯叫び――紅の光、それが作り出すベールに包まれた。

 

「えっ……!?」

「な、なんやっ!?」

「これって、着鎧の発光――きゃああぁああっ!?」

 

 次いで、俺は真紅のヒーロースーツを纏いながら、酸素の在りかを求めて水を蹴る。もちろん全力で泳ごうとしたら、余波で三人を吹っ飛ばしかねない。

 それに着鎧した今なら、ぷにぷに角に仕込まれた空気が、いわゆる酸素ボンベとして働いてくれる。おかげで、水の中だというのに随分と生き返った気持ちになった。

 ただ、このままボケッとしてたらまた水に沈められるかも知れん。三人が呆気に取られてる今のうちに、水面まで浮上させて頂くッ!

 

 俺は水を「蹴る」というより「ゆっくりと踏む」ぐらいの気持ちで加減し、水上を目指した。

 ――が、それでも「救済の超機龍」の性能というのは凄まじいものらしい。普段泳ぐ時の力の三割も出していないというのに、青い空と照り付ける陽射しを拝めた瞬間、激しい水しぶきを上げてしまった。

 

「ぷはっ――も、もぉ龍太ぁ! いくらなんでも着鎧することないや……ろ……」

「あ、あぁすまん、やり過ぎた。――でも、お前らだって俺を水没させかけたんだからおあいこ……ん?」

 

 それをモロにぶっかけられた矢村から、予想通りのブーイングを喰らってしまった――が、どこか様子がおかしい。

 

 彼女は何かに気づき、次いで驚愕したかのように目を見開く。そして……みるみるうちにその愛らしい顔は、憤怒の桃色へと染まっていった。

 な、なんだ……俺が一体何を……?

 

 その変貌の意味するところを求めて、俺は視線を回し、彼女と同じく水しぶきを受けた救芽井と久水を見遣る。

 そして……目を疑った。

 

 ない。

 

 ないのだ。

 

 胸じゃなく、水着が。

 

「ぷひゃあっ! ……もー、龍太君ったら! こんなことに着鎧甲冑を使っちゃダメなんだから! 帰ったらまたお説教よ!」

「ぱはぁっ……。りゅ龍太様、急にどうされまして? 人工呼吸をして頂くにはまだ早いざましょ!」

 

 当人達は気づいていない。いや、気づかない方がいいのか?

 ……ダメだ。これはきっと、気づかせるべきだろう。彼女達自身の名誉に賭けて。

 

 水の滴る、つややかな曲線を描いた美の象徴。蒼く澄み渡る海に漂う、双丘のユートピア。

 両者ともそれらが全て、生まれた姿のまま――無防備に外界へと解放されている事実に。

 

「龍太君、なにポケッとして――え?」

「そ、それはっ……!?」

 

 ――だが、俺が自ら手を下す必要はなかったらしい。彼女達は、彼女達だけの力で、求められた答えを導き出してくれたようだ。

 

 俺のある部分に視線が集中し、次の瞬間に自身の胸元へ目を向ける。そして現実に直面し、条件反射で両腕ガード。この間、わずか二秒。

 それまで赤裸々にさらけ出されていた野郎共のエターナルドリームは、今や噴火秒読み状態の活火山のような顔色の当人達により、完全封鎖されてしまった。全力で自分自身を抱きしめるようにして、胸を隠そうとしている彼女達の頑張りは、双丘そのものが寄せ上げられるという痛烈な二次災害を誘発させてしまっているようだが。

 

「あ、あ、あっ……!」

 

 救芽井はこちらを見つめながら、自分のプライバシー全てを暴かれてしまったかの如く、顔を紅に染めて目に涙を貯めている。矢村だけは無事なようだったが、三人とも表情から訴えている雰囲気は近しい。

 

「な、な、なっ……! なんという、なんということだ! こっ、これが稀有なる運命をその身へ引き寄せ、全ての魂を救済する前人未踏の救世主……『救済の超巨乳(ドラッヘンパイヤー)』……! ――ひぎびゃああッ!」

「……あなたの魂だけは永遠に地獄をさ迷うべき……」

 

 なんか浜辺から悍ましい断末魔が聞こえたような……。

 

 い、いやそれよりも、ちょっ……ちょっと待って頂きたい。一体何がどうなってやがる!?

 俺はただ、着鎧して水面まで浮上したってだけなんだぞ! それがどうしてこんなトンデモ展開にッ……!?

 

「い、今はまだ、だ、ダメぇぇえぇえーっ!」

「こ、心の準備がまだ、まだ……! い、いけませんわぁぁぁあああーっ!」

「アタシだけ差し置くなんて……! りゅ、龍太の……龍太のバカぁぁぁぁーっ!」

 

 ――だが、現実とは非情なもの。弁明はおろか、原因の探求すら俺には許されていない。

 女性陣三人衆の、怒りと恥じらいの鉄拳。それは――着鎧甲冑の装甲を通し、内部の人間を直に破壊する、真の必殺兵器なのだ。

 俺は「救済の超機龍」に着鎧した状態のまま彼女達に殴り飛ばされ、再び激しく宙を舞う。……あの三人をコンペティションに出した方が早くないかね甲侍郎さん。

 

「あら、劇的ホームランね!」

 

 空高く舞い上がる俺を見上げ、所長さんはまるで他人事であるかのように笑っている。……Sだ。絶対にSだ!

 

 ――しかし、結局俺には何の非があったのだろう? わけもなく殴る彼女達ではないはずだが……?

 

 大空をノーロープバンジーで滑空しつつ、俺は彼女達がらしくない暴力に訴えた原因を思案する。しかし、俺一人で考えたところで、正しい答えなど出てくるはずがない。

 

 ――それに、全ては状況が教えてくれたのだから。

 

 俺が宙を舞い、(メンタル的に)散り行く中。視界に映る緑と茶色の物体が、俺に真実を教えてくれたのだ。

 その二つは、俺の頭から離れていくようにヒラヒラと潮風に流され、持ち主の元へと帰還していく。

 

 ……なるほどね。引っ掛かってたのか。俺のぷにぷに角に……。

 

 水上に上がる瞬間、俺の頭上を圧迫していた、双丘のバリケード。その上を目指して強引に浮上したがために、角が二人のビキニの隙間に引っ掛かり、両者の水着を奪取してしまっていたわけか。

 つまり、端から見れば「救済の超機龍」は、自分の角から水着を二つも吊していたことになる。こんなヒーローあってたまるか……。

 

 ――しかし、謎は全て解けた。自分が助かるためとはいえ、彼女達にはちょっと悪いことしたな……ん?

 

「…………」

 

 ……どうやら、俺がこのまま砂浜にドボンして終わり、とは行かないらしい。このままだと、四郷がくつろいでるパラソルに突っ込んでしまう!

 

「おい、早く逃げ――」

「……そんなシチュエーションで言われても、シュールなだけ……」

 

 しかし、彼女は他人事のように、読んでいる本から片時も目を離していない。空中にいる俺からも見えるくらいの角度にいる彼女は、近くでケツを突き出す格好で撃沈している茂さんを尻目に、読書に集中していた。

 

 ――だが、突っ込んで来る俺に対して、何の対処も取らないわけでもないらしい。彼女は本に意識を向けたまま、スク水姿の状態から背面のあの巨大マニピュレーターを出現させる。……あの格好からでも出せるのか!

 

 華奢な少女から出て来た――とは到底思えないような、図太い機械の腕。一本だけこちらに伸びて来るソレは、空中から迫る俺に向けて、大きく掌を開くような動きを見せた。

 ……おぉ、受け止めてくれるってのか! やっぱり心根は優しい娘――

 

「ボゲラァッ!?」

 

 ――だと思える日がいつか来ると、俺は信じたい。

 

 巨大マニピュレーターが繰り出す、手の甲からの痛烈ビンタ。その一撃で迎撃されてしまった俺の身体は、奇しくも茂さんと全く同じポーズで彼の隣に並ぶ運命に導かれていた。

 この瞬間、ダメージ過多と判断され、着鎧が強制解除されたのは言うまでもない。俺の傷心を象徴するかの如く、ね……フッ。

 



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第89話 四郷鮎子の隣にて

「りゅ〜う〜た〜く〜ん〜!?」

「龍太様、例え美女が彩る絶景の中であろうとも、品位を失ってはいけませんのよ!」

「あんたにだけは言われたくないわっ!? ……とにかく龍太っ! お、女の子にこれ以上恥かかすんは許さんけんなっ!」

 

 容赦なくぶちのめされた今でも、彼女達の憤りは収まらないらしい。恥じらい。怒り。そういった様々な感情を全て、首から上に詰め込んだかのように、全員が茹蛸のような顔になっていた。

 

 だが、当の俺は申し訳なさや不運さに半ば自棄になりかかっていたせいか、ケツを突き出したマヌケな格好から脱する気になれずにいた。

 ……つまり、「もう好きにしてくれ」。ということだ。

 

「ぐふっ……ふふふ。生涯に悔いはないか? ワガハイにはもはやないぞ、戦友(とも)よ……いや、マイヒーロー『救済の超巨乳』!」

「俺にはありまくりだよ……つーか、その挟まれたくなるような名前はやめてくれ。家に置いてきたマイライフが恋しくなるから」

 

 くそっ……救芽井にケータイチェックされる危険から逃れるために、画像フォルダからエロゲのキャプチャを一掃したのは失敗だったか……!

 

 ……ん? なんかまた所長さんがこっちをガン見してるような……?

 

「…………」

 

 いや、こっちだけを見ているわけではない。四郷と俺達を、交互に目配せしてるみたいだ。

 救芽井や久水のコトがあるし、自分の妹が俺にちょっかい出されないか心配してるんだろうか? ……まぁ、ならいいさ。多少誤解はある気もするけど、それだけ妹を大事にしてくれてるというなら、そのうち「新人類の身体」から人間に戻してくれる期待も出来そう――

 

「みんなぁー! ビーチバレーでもしない!? あ、一煉寺君と鮎子は休んでていいわよ!」

 

 ――って、うえぇえぇえ!?

 何を言い出してんのあの人! 何をお望みでその組み合わせッ!?

 

「い、今はそれどころじゃないんですっ! 龍太君とはまだ話が――」

「景品は一煉寺君の隠し撮りシャワー画像!」

「行くわよみんな! 全力で勝つッ!」

 

 ちょ、おい、待てクラァァァァッ!?

 なんだよ俺の隠し撮りって! シャワー室に何仕掛けてんの!?

 そして茂さんは何しれっと女性陣の「おぉー!」に交じって奇声上げてんの! あんた俺の隠し撮り写真で何する気だァァァァッ!

 

「ふ、ふざけやがって! これ以上ややこしい事態の巻き添え食らってたま――え?」

「……お姉ちゃん、休めって言ってた。だから、一煉寺さんは行っちゃダメ……」

 

 ――と、鼻先まで真っ赤にしてビーチバレー阻止に乗り出そうとした俺だったが、寸でのところで止められてしまった。

 

 海パンの裾を掴む、機械仕掛けの小さな手。その色は死んでしまった人間のように生気がなく、敢えて悪い言い方をするなら、まるでマリオネットの糸で操られた「死人」の手のようだった。

 

 その手、そして腕を辿るとパラソルの中へと続き、日陰に隠れた少女の顔へと到達する。相変わらずの無表情ではあるが、そこには、脆く、今にも壊れてしまいそうな人形が持っている、ある種の「儚さ」が滲んでいた。

 暴走トラック同士の衝突を、エキスパンダーを引くように後ろから引っ張って止める、という無茶苦茶を実現した「新人類の身体」には、あまりにも似つかわしくない表現かも知れない。俺が四郷を見ていて感じたことを、ありのままに所長さんに伝えても、彼女はきっと「一煉寺君たら心配性ねぇ! そんなに神経質なら自分の心配もしてあげたら?」などと笑い飛ばすに決まってる。

 

 だが、俺の目の前にいる「四郷鮎子」という少女の瞳は、あの強大な力を操っていた事実に自ら背いているかのように、今にも折れてしまいそうなか弱さを漂わせていたのだ。それを隠すかのように、丸渕眼鏡をかけ直している姿を見ると、俺の足はどうしても止まってしまう。

 彼女はパラソルの下でちょこんと座り、こちらの裾を掴んで、ジッと制止を求める視線を向けている。その手を振り払って救芽井達の方に行けるほど、俺は利口にはなれていないらしい。

 

「……はぁ」

 

 後で優勝したチームを全員締め上げて、データをシャワー室ごと粉砕してやろう。

 俺はその一心で乱入を諦め、四郷の隣に用意されていたもう一つのパラソルの中に入る。

 

「ここ、いいかな」

「……うん……」

 

 そして四郷の許可を得ると同時に、ドサリと日陰の中へと腰を下ろした。

 

 さて、ビーチバレーは救芽井・矢村チームと久水兄妹チームに分かれて、何やら勝手におっぱじめてるみたいだけど……俺達はどうしようかな。四郷はずっとパラソルの中で本読んでるだけだし……。

 

「な、なぁ。四郷ってずっとここにいるっぽいけど、泳いだりする気はないのか?」

「……『新人類の身体』は、基本的に泳げない。いろんな機能に搭載スペースが取られてて、防水機構にまで手が回ってないから……」

「あ、あぁそうなのか、スマンスマン」

 

 やべぇ。全然会話が進まねぇ! 何喋ったらいいのかサッパリだ!

 ってか、海に入ったらアウトだったのかよ。意外な弱点があったもんだな。……あ。だからあの時、自分で帽子取りに行けなかったのか。なるほどなぁ。

 でも、そんなこと俺に喋っていいのか? 一応俺って、商売敵のはずなんですけど……。

 

「……あ、よく見たらあの時の帽子あるじゃん! 被らないの?」

「……パラソルから出る時しか被らない。また風で飛ばされたら、大変だから……」

 

 そんな時、ふと俺の視界にあの時の白帽子がチラリと映る。セットの白ワンピースこそ今はないけど、よく見たら帽子単体でもなかなか可愛らしいデザインじゃないか。

 

「そういや、久水ん家に行った時も被ってなかったっけな。もしかして、滅多に被ってないの?」

「……これは、お姉ちゃんがくれた宝物だから……。……絶対に、なくせない。そのための、迷惑も掛けたくない」

「迷惑? ハハ、もしかしてあの時のこと言ってんのかよ。まぁ確かにびしょ濡れにはなったけどさ、そんな大したことじゃないだろアレは」

「……そんなこと、ない。一煉寺さんみたいな人に、迷惑、掛けられない……」

「強情だなー。ったく、気にしなくたっていいだろ、それくらいしか理由がないなら。いくら大事だからって、ちゃんと使ってやらないと所長さんが可哀相だろ」

 

 そこまで口にして、俺は四郷が頑なに姉を想っているのだという側面に対し、不審さを覚えていた。……自分を機械の体にした姉を、ここまで大切にしている……やっぱり、「新人類の身体」は姉妹の合意によるものだったんだろうか……?

 

「……でも……」

 

 口ごもる彼女。その姿は、グランドホールの時からは想像もつかないほど可憐で、外見通りの「少女」そのものだった。

 もし自分に妹がいたなら、こうしていたのだろうか。気がつけば、俺はしゅんと僅かに肩を落としていた彼女の頭上に、掌をそっと乗せていた。

 

 ……「新人類の身体」が何であろうと、この娘は「普通の女の子」。それだけは変わりようがないのだと、俺は彼女の姿から再認識していたのだから。

 姉のプレゼントは大事にするし、人に気を遣うこともある。ただの化け物に、そんな感情は必要ない。それをきちんと持ってくれている彼女なら、きっと化け物になんかならない。今は、そう期待していよう。

 

「まー、気にすんなよ。何回なくしたって、俺が何回でも探してやるさ」

「……ッ!?」

 

 ――すると、彼女は俺が何かヤバイことでも言ってしまったのか、目を見開いて固まってしまった。信じられない、という気持ちを全身で表現するかのように。瞳に潤みを帯びさせ、頬を朱に染めながら。

 そして、我に帰ったかのように「ハッ」とした仕種を一瞬だけ見せると、ガバッと体育座りの姿勢で顔を埋め、全く動かなくなってしまった。その傍らに、彼女がさっきまで熟読していた本がバタリと落ちる。

 

「……ばか……」

「な、なんですとー!?」

 

 そして次に出てきたのは……罵声でしたとさ。

 いやさ、今結構イイコト言ったと思うんだよね、俺。「何回でも探してやるさ」ってフレーズ、個人的には割とイケてる方だと思うんだ。

 なのに……出て来た返事は「ばか」の一言……か。ちくしょー! エロゲだったらフラグの第一歩だったのに! これでちょっとは話しやすい空気になれるかと期待してたのにぃっ!

 

「……ん?」

 

 そうして俺が内心涙目になりながら頭を抱えていた時。四郷の傍らに落ちていた一冊の本が、俺の新たな関心を引き寄せていた。

 ……そういや、四郷ってどんな本読んでるんだろう? 知ってる本なら話題のタネくらいには――ならないな。俺、本なんて基本読まないし。ただしエロ漫画は除く。

 

 そんな駄目元精神全開のまま手に取った本は、意外にも軽く、それほど難しい本でもなさそうに見える。文庫本くらいの大きさであり、カバーは緑。小説だろうか?

 

「タイトルは……えーと、『イケない彼との恋事情』?」

「……えっ!? あっ!?」

 

 すると、題名に反応した四郷が、珍しく驚いたような甲高い声を上げる。いや、驚いたのはこっちだよ。いつも済ました顔してる四郷様が、まさか恋愛小説なるものを嗜まれておられたとは……。

 

 普通ならここで返してあげるのが筋なんだろうが、あいにく俺はそこまで聖人君子ではない。別におとしめる気なんて毛頭ないが、せめてサンプル程度にチラッと拝読させてもらおう。

 俺は取り返そうと手を伸ばしてきた四郷を、条件反射で上体を後ろに引いて回避すると、ページをいくらかめくって試し読みに突入。そこで見たものは――

 

『あんっ! そこは……そこはダメ! ダメなの……!』

『何がダメなんだ? ほら……体は正直じゃないか』

『い、いじわる! もう……もう、我慢できない……』

『ようやくその気になってくれたみたいだな……いいぜ、今夜はたっぷり朝まで可愛がってやるよ……』

 

 ――恋愛小説どころではございませんでしたとさ。

 

「こ、これって官能――ベグアアァアッ!?」

「……ち、違う! ボクじゃない! これはお姉ちゃんが勝手にっ……!」

 

 巨大マニピュレーターによる剛直ストレートの一撃で、日陰の遥か外にまでベイルアウトされた俺に対し、四郷は涙目になりながら必死に事実隠蔽を図ろうとする。

 ――その勝手に寄越されたシロモノを、超真剣に読み耽っておられたムッツリ様はどこのどなたでございまするかー!?

 

 今までにない表情を、次から次へと披露してくる彼女。それと同時に繰り出して来る、巨大マニピュレーターの痛烈なお仕置き。

 果たしてそれは、友好への第一歩なのだろうか。

 

 そうだとしても代償が重過ぎる、と強打した頭をさすり、俺は人の気も知らずサンサンと輝く太陽を睨み――ただ、ため息をこぼすのだった。

 



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第90話 森の中の変態

 俺がブッ飛ばされてからも、約二十分に渡り続いていたビーチバレー大会は、どうやら救芽井組の勝利に終わったらしい。

 

 終始やけに茂さんにスパイクが集中しているような気がしていたが、焼きたてのパンさながらに晴れ上がった彼の顔を見る限り、俺の思い過ごしではなさそうだった。

 まぁ、上下に揺れる四大スイカを間近で見られたんだ。よかったんじゃないか?

 

 救芽井と矢村はキャッキャとはしゃいでハイタッチを繰り返し、久水はただでさえパン系ヒーローみたいになっている兄の顔に、容赦なくヤキを入れている。……前言撤回、やっぱりこれはエグい。

 

 しばらくすると、審判役だった所長さんが胸元に忍ばせていた二枚の写真を取り出し、勝者二人にそれを差し出した。彼女達はぱあっと明るい顔を見合わせ、同時にそれらを受け取る。久水はそれを前に「キィ~ッ!」と唸りを上げ、兄への八つ当たりを更に強めていた。

 ……どうやって撮ったのかは知らんが、その写真を好きにさせるわけにはいかん! 今こそ全身全霊を懸けて処分してや――

 

「所長! これはどういうことですか!」

「こんなん納得いかんっ!」

 

 ――って、どうしたんだ一体? 二人とも、なんだか不満げな声を上げて所長さんに詰めかけている。

 俺は帰還していたパラソルの影から顔を出し、彼女らの会話に耳を傾けた。

 

「どう……って、約束通りの悩殺ブロマイドじゃないのよ。ご不満かしら?」

「不満も不満、すっごく不満です! なんで一番見たいところが不自然な遮光で隠れてるんですか!? 明らかに人工的なハラスメント問題ですよ!?」

「アタシのなんか『見せられないよ!』なんて意味わからん自主規制されとるんやけどっ!」

 

 ……し、深夜アニメェェェッ!?

 なんだ不自然な遮光って! 一体それでどこ隠してんだァァァァッ! つーか、お前の頭の方が遥かにハラスメントだろうがァァァァッ!

 矢村も矢村で、自主規制君に何かしら阻まれてるみたいだしっ! 一体どんなギリギリ過ぎる写真撮られてんだよ俺はッ!

 

「しょうがないわねぇ。じゃあ、後で私の書斎に来なさい。無修正版の撮影記録を収録したディスクを販売してあげるから」

 

 ――ここに来ての円盤商法ォォォ!? 他人の人権代価にして乳首券発行してんじゃねーぞ所長さんッ! いやフルンティング発行券かも知れないけども!

 

「無修正の販売ですって……!? 聞き捨てなりませんわね! ワタクシが買い占めてさしあげるざますッ!」

「な、なによ! これは私達勝者の特権よっ! あなたには縁のない話だわ!」

「確かに、試合ではワタクシ達の負けでしたわ。ですが! 試合の景品ではない売買契約ということでしたら、ワタクシにも購入権が――」

「あらぁ、それだとわざわざ試合した意味がないじゃない。梢ちゃん、欲する男性の全てを知りたければ、自分が何をするべきか……わかるわね?」

「くっ――い、いいざます! 龍太様の全てを手にするその日まで、ワタクシは闘い続けますわ! さァ、立つのですお兄様! 第二ラウンドの始まりですのよッ!」

 

 い、いかん。これ以上彼女達を放置したら、俺の社会的生命が十七年目に幕を降ろしてしまうッ! なんか二人とも所長さんの無修正商法に乗っかりそうな雰囲気だし! ここは面と向かって俺が否定しなくては――!

 

 ガサッ!

 

「んっ?」

 

 ――なんだ? 今、後ろで何か音がしたような……?

 風の流れによる、草木の囁きとは違う。明らかに、何かの力で掻き分けられた音。

 

 その違和感を聞き付けた瞬間、俺は「違和感」という手に背中を撫でられたような感触を覚え、咄嗟に振り返った。

 四郷も同じ何かを感じたらしく、俺と全く同じリアクションを展開している。

 

 そして見えたのは――人影だった。

 

 だが、ハッキリとしたシルエットまでは判明しなかった。ビーチの後ろは小さな林になっていて、四郷が言うには、緑を楽しむには丁度いいくらいのスポットになっているらしい。

 しかし入り口だけはかなり木々や長い草が生い茂っていて、覗き込むのも一苦労なんだとか。そんなところに、一体誰が……?

 

 瀧上さんか伊葉さん? いや、あの二人は俺がロビーに行く前に誘った時、留守番するって言ってたし……。

 

「……年齢は三十代後半くらい。体格は凄いけど、凱樹さんにも伊葉さんにも合致しない……」

 

 すると、隣の四郷が丁寧に目撃情報を提示してくれた。どうやら、二人じゃないってのは違いないらしい。

 しかし彼女は、洞察力も並外れたモノをお持ちみたいだな。振り返ろうとしたタイミングは俺より一拍遅かったのに、俺よりも対象をしっかり見ていらっしゃる。これが「新人類の身体」の賜物なのか、彼女自身の能力なのかは測りかねるが。

 

「……それに、どこかの作業着みたいな格好だった。あと、何かのイニシャルみたいなのも……」

「えっ……?」

 

 ――三十代後半、凄い体格、作業着みたいな服、そして「何かのイニシャル」……?

 

 ……まさか……?

 

「……ちょっと様子を見てくる。四郷はここにいて」

 

 俺は右腕に「腕輪型着鎧装置」をセットし、パラソルから外へと飛び出す。相変わらず厳しい陽射しに背中から照り付けられ、刺すような暑さが全身を襲う。

 四郷もある程度察しが付いているのか、俺の行動には特にリアクションは見せず、ただ無言で頷くのみだった。

 

 そして、こっちの身長に届きそうなくらいの高さがある草を掻き分け、俺はその奥へと突入していった。

 

 ――そよ風が奏でる、心地好い木々の囁き。地面の上で揺れる、緑の絨毯。

 ビーチの裏手にあるこの小さな林は、思いの外、快適な環境にあった。程よく陽射しを阻んでくれるおかげで、避暑地にも持ってこいみたいだし。

 

 しかし、あの人影の主らしき姿は一向に見つからない。もう林を抜けて、どこかに逃げたのか?

 ――いや、多分そんなの無理だ。この林は、ビーチと崖に挟まれる形になっている。この先に逃げたって、崖に行き止まるだけだ。

 崖をよじ登れば、俺達が来る時に使った道路の辺りまでたどり着くだろうが……正直、そんなことをしたら四郷や他の皆からは丸見えだろう。

 

 わざわざこんな逃げ場のない場所で、誰がコソコソと何を見ていたんだ……? ただの美少女目当ての盗撮マニアにしては、時と場所がピンポイント過ぎる。

 

 ――やっぱり最初に睨んだ通り、アレは「俺の知ってる人」だったのか……?

 

 思案に暮れるうち、俺は木の幹に背中を預け、翡翠色の天然パラソルに阻まれかけている、コバルトブルーの空を見上げた。草を掻き分ける際にできた擦り傷がヒリヒリと痛み、俺は思わず腕をさする。

 

「……人の気も知らないで、蒼く晴れ晴れしく広がりやがって。たまには俺の気持ちに便乗でもして、曇ったらどうなのよ」

 

 ――などと、バカンスには似つかわしくない愚痴を垂れるくらい、俺は疲れてるらしい。「必要悪」の件もあるのに、これ以上正体不明の人影なんぞに振り回されたくないしなぁ……。

 

「――ま、今回はアッチの件より察しも付きやすいし、まだマシってことにしとこうかな。……もう随分と時間も経ったし、手ぶらだけどそろそろ帰るか」

 

 これ以上悩んでも探しても、恐らく得られるものはあるまい。林の中一帯をあらかた探しても、痕跡一つ見つからない辺り、向こうもそれ程バカではないのだろう。

 

 ここは一旦退却あるのみ。そう判断し、木から背を離した瞬間――

 

 ガサッ!

 

「――誰だ!」

 

 刹那、俺は「腕輪型着鎧装置」を構えて臨戦体勢に入る。眼前では、俺の身長並に高い草が何者かの侵入を知らせるかのように、ガサガサと音を立てながら揺らめいていた。

 人影の正体か? そっちから会いに来るとは、何が狙いだ……!?

 

 茂みを揺らす音が次第に大きくなり、頬から顎へと嫌な汗が伝う。草から出てきた瞬間に攻撃される危険に備え、ジリジリと木の幹に隠れるように後ずさる。

 そして、ついに茂みから――人の手が飛び出した!

 

「ッ! ……って、あれ?」

「ぷはぁっ! あーもぅ、ここに来るだけで汗だくになっちゃう。……あらっ!?」

 

 だが、その白く細い手は、俺の予想を大きく裏切るものだった。出て来たのは三十代後半のオッサンどころか、灰色のパーカーを羽織った、ビキニ姿の救芽井だったからだ。

 俺はすっかり脱力してしまい、再び木の幹にもたれ掛かってしまう。彼女は俺の姿を認めるや否や、一目散に駆け付けてきた。

 

「龍太君、大丈夫だった!? 四郷さんが、怪しい人影がいたから龍太君が追って行ったって……!」

「あぁ。もう大体探し尽くしたけど、見つかる気配がなくてな。しょうがないから、そろそろ帰ろうかって思ってたとこだ」

「そっか……でも、龍太君が無事でよかった。それにしても、一体何者なのかしら。こんな時に私達を見てるなんて」

 

 救芽井は顎に手を当て、突然の来訪者に頭を悩ませている。……救芽井が「知らない」のか、「知らされていない」のか。俺の予測の正誤は、そこに懸かって来るだろうな。

 

「さてな。とにかく、戻ろうぜ。まだバカンスの続きがあんだろ」

「え? で、でも、不審者が出た今続けるなんて……」

「こっちには『救済の超機龍』と『新人類の身体』がいるんだ。余程の連中でもない限り、実害なんて出ないだろ」

 

 ――それに、四郷とも、まだあんまり話せてないしな。

 

「それは……そうだけど……ん?」

 

 俺は救芽井に退却を促すように、ひと足先に帰路に向かう。だが、彼女について来る様子はない。

 どうしたのだろう。俺の背中に何か付いてるのか?

 

「――! りゅ、龍太君! その傷って……!」

「傷? ――あぁ、これね」

 

 救芽井は何かに気づいたように目を見開き、次いでその白い麗顔から、血の気が失せていく。

 ……彼女の性格を考えたら、まぁそうなるか。これを見られたらこうなる、とわかりきってたのも、俺がこのバカンスに行きづらかった理由の一つだ。

 

 左の脇腹に遺る、銃創の痕。

 二年前、俺が古我知さんに撃たれた後、メディックシステムで急速に治療したあの傷痕が、まだ僅かに残っていたのだ。

 

 久水邸で風呂に入っていた時は、茂さんに弄られまいと、腰よりやや高めの位置に長めのタオルを巻いて隠していたおかげで、なんとか救芽井達にも見つからずに済んだ。だが、指定された海パンを履くこの場では、ごまかしようがない。

 傷痕そのものは小さいから、じっくり見られなければ気づかれずに済むし、近くにいた四郷は気づいた上で、敢えて追及して来ることはなかった。

 

「……まぁ、ほら。傷そのものはすっかり完治してるし、特に後遺症もない。もう二、三年すれば、こんなちっこい痕なんて消えてなくなる」

「……ごめん」

「ハハ、なんでお前が謝るんだよ。撃たれたのは俺の勝手だし、助けてくれたのもお前なんだろ?」

「……で、でも、あんなに巻き込んで、そんな傷まで残して、私……」

「アーアー聞こえない聞こえなーい。大体なぁ、こんな場所まで引っ張り出しといて、今さら巻き込むも何もないだろう? ここまで来たなら、最後まで付き合わせろよ。ほら、行くぞ!」

 

 俺は両手で耳の穴を塞いで、彼女のネガティブ思考の封殺を試みる。そして、スーパーヒロイン様らしからぬ悩みで、いつまでもクヨクヨしている彼女を強引にでも変えるべく、その手を掴んで林の外を目指す。

 

「あっ……うん……ありがとう、龍太君……」

 

 まんざらでもないのか――そっと握り返す彼女の手は、どこと無く温もりに溢れているように感じた。

 

 そして、間もなく出口付近というところへ――

 

「ん?」

「え……!?」

 

 俺達の間に、文字通りのお邪魔虫が現れた。俺の行く手を阻むように、糸を伝って一匹の蜘蛛がひょっこり出て来たのだ。大方、木の枝から降りてきたクチだろう。

 大きさは一センチ程度。俺の目と鼻の先で、ゆらゆらと左右に揺られている。そよ風ですら、このサイズの蜘蛛にとっては台風らしい。

 

 まぁ、気に留めることはあるまい。このまま避けて外へ――

 

「いぃぃやぁぁあああぁあああーっ!」

 

 ――というところへ、まさかの絶叫!? 俺の傍らでけたたましい悲鳴を上げる救芽井。ちょっ……鼓膜ッ……破れるッ……!

 

「いや! いや! いやぁぁぁあ! 虫、虫、虫、虫ぃぃぃっ!」

「お、おいおい落ち着けって。このサイズなら別に害なんて――おわぁっ!?」

 

 耳にキンキンと絶叫の余韻が残る中、俺はうずくまったまま震えて動かなくなってしまった救芽井の説得に掛かる。女の子だから虫は怖がるかなぁ、と思ってはいたが、まさかここまでだったとは……。――なんでここに来たんだよ。

 だが、彼女が起こすハプニングはこの絶叫だけには留まらなかった。彼女は俺の腰に縋るようにしがみつき、海パンをずらしてしまったのだ。

 

「怖い、怖い、怖いぃぃぃ!」

「ちょっ……落ち着け救芽井! お前の方がある意味かなり恐ろしいことになってるからな!?」

 

 しかも、シチュエーション的には悪夢の構図となっている。彼女は海パンをずり下ろした挙げ句、俺の股間に思いっ切り顔を押し付けて泣きわめいているのだ。傍から見れば完全に変態である。両方が。

 なんとかこの状況を解決しなければならないのは紛れも無い事実なのだが、ここで冷静になられても後々のメンタルケアが重大な課題として残りそうな気がする。

 

 そして――

 

「救芽井どしたん!? ――って龍太ぁ、どこ行っとったん? みんな心配し……て……」

「救芽井さん、いかがいたし……まし……て……」

「一煉寺龍太ァ! 貴様樋稟に一体ナニ……を……」

「あらぁ、一煉寺君って近くで見たらやっぱり逞しくってステキよねぇ。二重の意味で!」

「……もう、見て、られないっ……」

 

 ――なんで全員で来ちゃうのよ、お前ら……。

 

「き、き、きゃああぁああぁあ!」

「いい、い、いやあぁぁぁあん!」」

 

 次いで、林全体へと響き渡る、矢村と久水の超絶叫。

 俺のフルンティング発行券、セルフ配布ッ……!?

 



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第91話 どうせなら、仲良しの方が

「お婿に行けぬ……」

 

 未だ激しく照り付ける太陽。焼けるような熱気を上げる砂浜。天の輝きを浴びて、ますます煌めきを増す蒼い海原。

 そんな中で俺がふと零した一声が、それであった。

 

 あの後、俺はみんなに状況を報告し、例の件に関しては一旦保留ということになった。

 一応は超人的な能力を持てる「救済の超機龍」はもちろん、「新人類の身体」もこの場にいるのだから大丈夫……という俺の主張もあるにはあったのだが、何より所長さんが強くそれを推していたのが決め手となったのだろう。

 

 「せっかくのバカンスなんだから、水入らずで楽しまないと! あ、海には入るわよ?」などとはしゃぎ回る彼女に流されるかの如く、みんな元通りの雰囲気に戻っていったのだ。

 

 確かに気掛かりではある……が、大方予想はつく。なぜコソコソしてるのかはわからないけど、な。

 

 ――そんなことより。

 

「見ましたのね? 見たざますね!? このワタクシでさえ、まだ一度もお目にかかれていないといいますのにぃ!」

「救芽井っ! あ、あんた、あんなところで、りゅ、龍太にあんなっ……!」

「うわあぁん! 違うのよっ! あれは、じ、事故でたまたまぁぁ……」

 

 目の前で起きている凄惨な古傷えぐり祭りを、誰かなんとかして頂きたい。不審者の件より、まずこっちを水に流せよッ!

 救芽井は矢村に羽交い締めにされた状態で、狩人の眼差しで迫る久水に尋問を受けている。というより、あの白い胸を揉みしだかれている。

 顔を赤らめて怒っているようで、その実、興味津々な視線を彼女に向けている矢村。ナニを想像しているのか、眼前の薄い桜色の唇に、対象の胸を揉みながら全神経を集中させている久水。どっちもとんでもない方向に勘違いしているという事実は、明白だろう。

 

 そんな羞恥地獄にブチ込まれている以上、愚痴の一つも言いたくなる。ゆえに俺は、呟くのだ。

 

「お婿に行けぬ!」

「……さっきも聞いた……」

「大事なことなので二回言いましたッ!」

 

 一方、後ろの方では、相変わらず四郷が読書に興じている。海に来た意味、全否定してません……?

 

「それより一煉寺龍太ッ! 貴様、とうとう樋稟と……ワガハイの樋稟とッ……!」

「違うって言ってんだろ! なに血涙になって縋り付いてんだよ、離れろ! また海パンがズリ落ちるぅぅぅ!」

「こうなれば、こうなれば! 貴様のフルンティングを介して樋稟と間接キッ――げぶら!」

「……滅殺……」

 

 ――ま、なんだかんだで助けてくれるから良しとしとこう、かな? それでも背中の巨大マニピュレーターで生身の人間をブッ叩くのはやり過ぎな気もするけど。

 

「……さぁーってと! じゃあみんなで、また海に行きましょうか! 今度は水上バレーよっ!」

「むっ……所長! 今度の景品は無修正なんでしょうねっ?」

「なにをエッチなこと考えとるんや、あんたは!? 全くもぅ、龍太に纏わり付く虫ってホントに変態ばっかりやなっ!」

「あなたにだけは言われたくありませんのよ……」

 

 どうやら、所長さんはまだまだ遊ぶ気満々らしい。バレーボールを両手で掲げ、セルフ装備のダブルボールをこれみよがしに揺らしていらっしゃる。

 そして、なんか怪しい欲望を垂れ流しながら、他の女性陣三名も彼女に続いて海へと向かおうとしていた。

 

「海ぃ〜水着ぃ〜バカンスぅ〜おっぱいぃぃ〜!」

 

 一度はビーチという名のマットに沈められた茂さんも、彼女らを追うように起き上がってきた。両手をぶらぶらさせながら、前のめりになるように歩き出すその様は、最早ただのゾンビである。

 つか、最後の一言で完全にタガがはずれていらっしゃるな。こんな自爆的エロリストが財閥当主やってるんだから、世の中なにが起こるかわかったもんじゃない。

 

 とにかく、今度は俺も参加しようかな。さっきは不審者の件で遊びどころじゃなかったし。

 そんな心境で、俺は茂さんを後ろから見張るように歩き出す――が。

 

「…………」

 

 そこから先に、進めなかった。

 ――というよりは、進む気になれなかった。

 

 久水がしばしばこちらに向けて送る、誰かを案じる眼差しに気づいた瞬間、俺は金縛りにあったかのように動きが止まり――そして、彼女が「相変わらず」動かないままでいるという事実に、改めて直面する。

 

「四郷……」

「…………」

 

 振り返った先に見える世界――たった一つの傘に閉ざされた、涼しげでありながら、どこか閉塞的なその空間。そこは、まるで彼女だけが違う次元に取り残されているかのような空気を作り出していた。

 向こうはこちらなど見えていないかのように、ただ黙々と読書を続けている。比喩ではない、文字通りの「温度差」というものが、俺と彼女の間にある溝を、ますます深めてしまっているようだった。

 自分には関係ない、自分が周りと一緒に遊ぶことはない。それが、彼女にとっての当たり前であるかのように。

 

 ――だが、そこに自然さはない。そうあるのが自然、という気にはならなかった。例え、彼女がどれだけ済ました顔をしていても。

 

 彼女は……無理をしているのではないか?

 

 根拠がなくとも、そんな言葉が何度も脳裏を過ぎるくらい――彼女の能面のような表情には、どこか堅苦しく、不自然な雰囲気が漂っているように感じられたのだ。

 自分はこうでなくてはいけない。自分は一人でなくてはいけない。そんな叫びが、聞こえた気がする……。

 

 ――って、そもそも所長さんは何を考えてるんだよッ! 妹が泳げないのを知ってて、なんで「海でバレーしよう」なんて言い出すんだ!?

 四郷のことも十分心配だけど、そろそろ一言ブチまけとかないと……!

 

「あの、所長さ――んっ?」

 

 ……という心境で、意気揚々と海を目指しているかに見えた所長さんの方へと振り返る。

 

 だが、彼女は――俺が目を向ける前から、こっちにチラリと視線を送っていたのだ。まるで、俺の胸中など、全てお見通しであるかのように。

 

 なんだ……? 所長さん、何か言いたげだったようにも見えたけど……。

 

「……一煉寺さんも、行けば?……」

 

 そうして、俺が所長さんの向ける視線にたじろいでいるところへ、今度は妹の方が背後から声を掛けて来る。無関心そのものというか、排他的とも言えるような声色になっていた。

 ――それだけ、縁がない世界だっていうのか? 彼女にとって、俺達がいる場所というのは。

 

 ……そんなこと、ないだろ。

 こんなに近いのに。日なたと日陰っていう違いしかないのに。縁がないとか、自分には関係ないとか、そんなこと、あるもんかよ。

 

「まぁ、行こうとは思うけどさ。四郷はどうすんだ? 本読んでることを悪く言う気はないけどさ、たまには日なたでエンジョイしても悪くないんじゃないか?」

「……確かに、そうかも知れない。けど、泳げないボクに、なにがエンジョイできるの……?」

 

 にべもない返事で拒絶する彼女。その声色には、微かに怒気が含まれている。

 「新人類の身体」ゆえの弊害――ってところなのだろうか。泳げないという点に限らず、あれだけ人間離れした彼女の能力は、その強力さに比例するように、人を遠ざけていたのかも知れない。

 

 ……まぁ、だからといって引き下がるほど、割り切りのいい性格でもないんだけどな。俺は。

 

「――そっか。じゃあ、海に出れれば遊んでやってもいいよ、ってことだな?」

「えっ……?」

 

 遊びたくないのは、ここから動きたくないのは、自分が泳げないから。自分がそういう体だから。

 そういうコンプレックス染みた動機で遊べないのなら、そこを曲がりなりにも解決してやるしかないだろう。

 本人だって、それが出来れば頑なに拒否したりはしないはず。俺が漏らした一言に、それまで興味なさげだった彼女が、急に驚いたような表情で顔を上げたのだから。

 

「所長さーん、ここってゴムボートとかないんすかー?」

「うーん、残念だけど遊泳に使えるボートは置いてないわねぇ。あるにはあるけど、緊急避難用のエンジン積んでるタイプしかないわ」

「あ、わかりましたー。んじゃ、あそこの木、ちょっと使わせて貰っていいすか?」

「……えぇ、それなら、いくらでもどうぞ」

 

 さっきからこちらを見続けている所長さんも、大体俺の考えてることには気づいているらしい。バレーしようって時にいきなりゴムボートの話を持ち込んで来たというのに、スラリと即答している。

 

 ……まさか、最初から俺に働かせる気でバレーの話を持ち出したんじゃないだろうな? まぁ、この際どうでもいいか。

 

「よーし、じゃあ行くぞ茂さん」

「むぐふぅッ!? ど、どこへ行こうと言うのかね!?」

 

 俺は微妙に先行していた茂さんの海パンをむんずと掴み、さっきの林の中へと連行していく。

 

「あ、あそこに連れ込もうというのか!? 一煉寺龍太、貴様樋稟だけでは飽き足らず、このワガハイまでもッ……!?」

「内臓まで吐きそうなジョークはその辺にしとけ。それより茂さん、あんた『救済の龍勇者』の『腕輪型着鎧装置』は持ってるか?」

「む? まぁ、護身用にとパンツに忍ばせてはいるが……」

 

 マジかよ、駄目元で聞いてみるもんだな。つか、俺達ってなにげに発想が一致してない? ちょっと認めたくない気もするけど。

 

「ちょっと、龍太君なにしてるの? 早くみんなで――」

「あー悪い、ちょっと先に始めといてくれよ。すぐ用意するからさ」

「用意? なんなんや、一体?」

「あはは、まぁ、ちょっと待っとけよ」

 

 救芽井と矢村は、俺を呼び戻そうと声を掛けて来る。が、俺は止まるつもりはない。

 二人は、四郷がいないことには特に気にしている様子がない。俺がいなくなると、こうしてすぐに気づくのに。

 

 ――そうなっているのは、どこかあの娘と関係を結ぶことについて、俺以上に「溝」を感じているからなのだろう。同じ時間を共にする「友達」なら、その当人がいないことに疑問を感じないはずがない。

 

 心のどこかで彼女を避けているから、あんな風に四郷に対して関心を持てないのだろう。事実、二人が四郷と積極的に絡んだところを、俺はあんまり見たことがない。

 

 また、海に向かっていた女性陣の中で、所長さんを除いて唯一四郷を気にかけていたであろう久水も、どこか遠慮気味な様子を見せており、今は四郷に対して申し訳なさそうに目を伏せている。

 察するに、防水対策が施されていない、という「新人類の身体」の状況を知っていたから、誘うに誘えなかったんだろうな。

 

 ……別に、ここで恩を売ってコンペティションを有利に進めよう、だなんてセコいマネは考えちゃいない。

 ただ、四郷だって体が少々他人と違うくらいで、中身はちゃんとした人間なんだってことを、救芽井にも矢村にも理解して欲しい。

 そして、俺自身も彼女を……もっと、ちゃんと、理解してあげたい。そうすりゃきっと……友達になってくれるさ。久水だって親友になれたんだ。同じ人間の俺達に、できないわけがない。

 それに、いずれ戦うんだとしても、どっちかが負けて終わるんだとしても。……別れる時が、来るんだとしても。どうせなら、仲良しな方がいい。きっと、そうだ。

 

「よーし着いた。んじゃあ茂さん。早速作るとしますか! ホラ、さっさと着鎧するっ!」

「わ、わけがわからんぞ。一体貴様はなにを作ろうと言うのだ?」

 

 茂さんは、俺の一連の行動の意図が全く見えないらしく、林に到着した今でも困惑しているようだ。

 そんな彼が可笑しくてしょうがなかったのか――いつしか、俺は口元をニヤリと吊り上げ、得意げに笑っていた。

 

「決まってんだろ? 無口でムッツリで、そのくせドSなお姫様でもエスコート出来る、魔法のボートだよ」

 



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第92話 ダイナミック進水式

 深いとも浅いとも言い難い、自然環境によりガーデニングされた林の中。

 幾つもの筋となって差し込む日光を浴びながら、俺達はせっせと木を切り倒していた。

 

 ……手刀で。

 

「なぜだ!? なぜ財閥当主たるこのワガハイが、イカダ作りなど!?」

「我慢してくれ、これも四郷のためさ。それとも何か? 財閥当主たる紳士様は、愛しの樋稟様さえご無事なら、あとのレディはどうでもよろしいとでも――」

「さぁ一煉寺龍太、貴様もせっせと働け! か弱い姫君が、ワガハイの助けを待っているのだぞ!」

 

 面白いほどに挑発に乗る茂さんは、何のパフォーマンスなのか全身をくねらせるように一回転しながら、薙ぎ払うような水平チョップを幹に叩き込む。

 浮かれている姿は若干キモいが、こうして女の子のために(露骨なくらい)頑張れるんだから、この人にも「ヒーロー」の素質は……まぁ一応あったんだろう。多分。

 

 ――茂さんをこの林に連れ込み、木々をブッ倒してイカダを作り始めてから、およそ十五分。

 着鎧甲冑の性能のおかげで、その作業はもうじきクライマックスを迎えようとしていた。生身の人間でもできる単純作業ではあるが、ほとんど体力を消耗しない分、ペースは段違いに早い。

 

 ……しかし、「林の中で手刀を振るい、図太い木を幾つも薙ぎ倒している、赤と白のヒーロー」か。端から見れば、おそらく通報ものだろうなぁ。

 

 ――電磁警棒を使うと、摩擦と僅かな電熱でボヤ騒ぎを起こしかねないので、パワードスーツとしての筋力増強に依存したチョップで丸太を調達。その後、出入りしていた時の長い草むらを手繰り寄せて縄を作り、並べた丸太にくくり付ける。それが足りないならば、木々に巻き付いている丈夫なツタで補う。

 普通の人間にとっては、できなくはないが、なかなか骨の折れる作業だろうな。ましてや、今回のケースに関しては俺と茂さんしかいないのだから。

 だが、そこを解決してしまえる辺りは、さすが着鎧甲冑、と言ったところだろうか。スーツ内にある、バッテリー式の人工筋肉による運動能力の変化に慣れさえすれば、体がいつもより何倍も速く、そして力強く動くようになったとしても、器用さは失われない。

 二年前は、ちょっと足を踏み込んだだけで数メートルも移動できたことにまでたまげていた俺も、今では指先で藁同士を結び付ける作業も苦にはならない。

 もっとも、これは単純な慣れというより、救芽井達による、あの二週間の特訓の賜物と言うべきだろう。現場でAEDや包帯セットのようなデリケートな物を扱う際に、勢い余って握り潰したりなんかしたら本末転倒らしいからな。

 

 ……にしても、例の長い草むらのうち、外側に生えていた部分はかなり乾燥していたから「藁」から作る縄の材料としては最適だった……という点については、かなりラッキーだったなぁ。そういや、ここ数日はシャレにならない暑さだったっけ……。

 

「しかし一煉寺龍太、貴様よくイカダの作り方など心得ていたな。それも、縄の編み方まで。庶民の学校ではそのようなところまで?」

 

 茂さんは俺の教えたやり方で、藁として使える草を編む作業を続けている。

 ――って、なんで教えた俺より上手いんだよ……。明らかに運動能力の変化そのものには俺より慣れてやがるな。……どんだけ日頃から着鎧して訓練してんだか。

 

「……いや、俺の場合はちょっと、な」

 

 ――去年、「健全かつ強靭な精神を養うため」とか言われて、兄貴に無人島へゴールデンウイーク中に放り込まれたのを思い出し、思わず身震いしてしまう。あれは確か、県外の港へ兄貴に連れ出された時のことだった。

 真水の確保、食料の調達。寝床の用意。そして、自力による脱出の準備。

 それらを全てこなすことを強いられていた当時の俺は、ただ必死だった。人が住んでいる向こう側の港は、無人島の浜辺から見える場所ではあったが、泳いで帰れる場所ではなかった。

 「ゴールデンウイーク中に港まで生還できなければ、俺はこのまま松霧町に帰る」。そんな無茶苦茶な条件を付けられてパニクる中、たどり着いたのが「イカダ作り」。着鎧甲冑などなかった当時の俺は、丸太の代わりに太めの枝を何十本、何百本もかき集め、今のように乾燥したイネ科の植物からできた藁を編み、縄を作り――イカダを自力で組み立てたのだ。

 そして、食事など、最低限の生活能力を維持しながら慣れない作業を続けた後、俺はゴールデンウイーク最終日の夕焼け空の下、帰ろうとしていた兄貴の車にボロボロの格好で滑り込んだのだ。

 厳しさしか見せなかった去年の兄貴が、俺に笑いかけたのは、その直後が最初であり――最後だった。

 

「――よし! 大体こんなもんかな」

「ふむ、ようやく完成か。しかし一煉寺龍太、こんな手間隙のかかる作業をするくらいならば、遊泳には使いづらくともボートを借りた方が早かったのでは?」

「あはは、それ言ったら元も子もないだろう。それに、こういうのは『気持ち』だよ!」

 

 そして、着鎧甲冑を使った人間二人掛かりで組み立てたイカダを、俺は全力で担ぎ上げる。茂さんも何か思うところがあったのか、「紳士にあるまじき行いだ……」とぼやきつつ、俺の後方を支えてくれた。

 

 林を出た途端に襲ってくる――はずだった日差しを、出来立てホヤホヤのイカダにガードしてもらいながら、俺達はようやく完成したイカダをお披露目するところまでたどり着く。

 

「りゅ、龍太君!? 帰ってこないと思ったら何を……!」

「な、な、なんやそれえぇっ!?」

 

 いきなり林から飛び出してきた丸太の集合体に、救芽井と矢村は驚きの声を上げる。だが、四郷姉妹と久水は特に叫ぶような気配は見せなかった。四郷と久水の方は、声は出さないまでもビックリはしてるみたいだが。

 

「龍太様、それにお兄様……あなた達、まさか……!」

「……どうして……そこまで……」

 

 久水は両手で口を覆い、四郷は珍しく目をしばたたく。ふふん、俺のサービス精神をナメるでないわ!

 

「ほら、いくぜ茂さん。出港ッ!」

「サーイエッサー!」

 

 女の子からの視線を浴びたおかげか、茂さんもすっかりテンションが上がってノリノリなご様子。俺のペースに合わせてビーチを疾走すると、同時に両腕に力を込めて、海面へとイカダをスイングする!

 

「そらぁっ!」

「とぉうっ!」

 

 着鎧甲冑を纏った人間二人にブン投げられたイカダは、青い空を虹のような放物線を描きつつ舞い、やがて凄まじい水しぶきと共に、日光に照らされた海面へと着水した。

 

「うおっしゃい! さて、着鎧解除――っと。よぉし四郷、これでもう言い逃れはできないな。観念して一緒に遊べー!」

「え、ちょっ――きゃああっ!?」

 

 ぷかぷかと優雅に漂うイカダの丈夫さを確認すると、俺は流れ作業のように着鎧を解除し、次いでパラソルに隠れていた四郷を、世に云う「お姫様抱っこ」で強引に連れ出した。

 何から何まで無茶苦茶過ぎるかも知れないが、背景ゆえか「引っ込み思案」を通り越してやたらと閉塞的な四郷に「人」らしく過ごしてもらうからには、これくらいのテンションで臨むくらいのことはしないと、ね。

 ――にしても、四郷の尋常じゃないテンパり具合が凄いな。鼻先まで真っ赤になって、口はワナワナと震えていて、視線はぐるぐると回っている。トンボでも落とそうと言うのかね、君は……。

 

「……あ、あ、あ……!」

「着鎧解除――む!? まっ、待て一煉寺龍太! 姫君をエスコートするのはワガハイの――」

「フッ! あんたにやらせるとは一言も言っちゃいないぜ。悔しかったら、悪い龍に捕まっちまったお姫様を助けてみろやクラァ!」

「う、裏切ったな貴様! 本当に裏切ったんですかァー! ……クッ……よかろう! ならば、ならば……! この久水茂が全身全霊を以ってして、我が超芸術的スパイクの錆にしてくれる!」

 

 スパイクの錆って何だよ!? 踏む気か!? 兄妹揃ってソッチ系か!? つか、さっきはスパイクの的だったじゃねーか、あんた……。

 

 ま、これで茂さんも加入することになったし、ようやく「みんなで」遊べるな。茹蛸みたいな顔になって目まで回ってるけど、四郷も遂に参加できるみたいだし。

 

 ――さぁ、人らしく遊んで、人らしく過ごそうぜ、四郷。せめて、今日くらいは、さ。

 肩車で彼女をイカダに乗せて、そんな意志を視線で送る――が、当の本人はぷくっと桃色の頬を膨らませて、無言で顔を背けてしまった。ふむ、まだ友達になるには程遠いらしい。

 まァいいさ。これからじっくり、他の女性陣とも交友を深めて――

 

「し、四郷さんったら……! お姫様抱っこなんて、私だってしてもらったことないのにっ……! いくら泳げないからって、甘えすぎじゃないのっ!?」

「ア、アタシやって、一番してもらえそうなくらい身軽やのにっ……!」

「鮎子のためにイカダを作るばかりか、あんな羨ましいことまで……ハッ! ま、まさか龍太様、矢村さんだけでは飽きたらず、鮎子までも妾に迎えようとッ!?」

 

 ……って、なんでそうなる!? 特に久水ッ!

 ま、まぁ四郷が泳げないって事情は察してくれたみたいだし、思いっ切りぶつかった方が、案外友情に繋がるものかも知れないし。そういうのも……アリかな? 彼女達にそんなジャンプ精神が備わってるかはわからないけども。

 

「クックック……もはやチーム分けなどしても無駄無駄無駄ッ! ワガハイの狙いは、貴様一人だ一煉寺龍太ッ!」

 

 ……って、茂さんに至っては、チームワークを形成する意志が根こそぎ欠落してやがるけどッ!? なんか「ドドドドド」って感じのオーラがこれでもかってくらいに滲み出ちゃってますけどッ!?

 

 やれやれ、こりゃあ相当な混戦になりそうな予感がするよ。せめて、四郷がなんかの弾みで落っこちる事態だけは回避しないとな……。

 

「ふふっ。及第点、かしらね。――さぁみんな、役者も揃ったことだし! 水上バレー、おっぱじめるわよぉーっ!」

 

 ――こうなることさえも、あんたの狙い通りだったのかも知れないけどさ……なぁ、所長さん。

 



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第93話 水上バレーと友情プログラム

 真夏の陽射しを浴びつつ、蒼く澄み渡る海に体を上半身まで浸からせて、軽やかに跳ねるボールを和気藹々と打ち合う。

 平和的に夏を過ごす楽しみ方において、これに勝るものはないだろう。

 

「えぇいっ!」

「ぼげらァッ!」

「あははっ! 救芽井さん、ナイススマッシュ!」

 

 ――こんな激しいものでさえ、なければ。

 

 弾丸の如く閃く救芽井の強烈な一撃が、毎回のように俺の顔面へ突き刺さる。その後に浮かび上がる俺の姿は、さながら水死体のような有様になっているのだろう。

 「救済の先駆者」として松霧町やアメリカでスーパーヒロインを張っていた彼女。見た目に反して、男性顔負けのレベルにまで鍛えられている――のは結構なのだが、そのパワーが並大抵のものではないという自覚を、いい加減持ってほしいもんだ。

 じゃれる感覚で打ち出された一発に、何回脳みそをシェイクされたことか……。

 

 そしてそれを知ってか知らずか、所長さんは彼女の豪腕っぷりに手を叩いて大はしゃぎしている。楽しんでるだろう、オイ。間違いなく俺の状況楽しんでるだろう!?

 

「はいっ、久水さんパスやでぇっ!」

「えっ、ちょっ、ひゃぁあんっ!?」

 

 一方、この手の遊びにおける、違う意味での問題児もいらっしゃったようだ。

 ブクブクと気泡を立ててノックダウン状態にあった俺が、少し間を置いてようやく顔を上げた先には、足を滑らせてボールごと水没する久水の姿があった。

 水中から顔を引き抜いた瞬間に聞こえたやり取りからして、矢村が出したパスを受け損ねて、足を滑らせてしまったらしい。

 ……彼女がやたら運動音痴に見えるのは、他の女性陣の体力がイレギュラー過ぎるから、相対的にそう見えるだけなのだろう。多分ね。

 

 男性顔負けの体力を持った救芽井に、俺よりすばしっこい矢村。果ては「新人類の身体」である四郷。こんな面子の中にいるのかと思えば、多少の運動音痴なんて、むしろかわいいくらい――

 

「ぷはっ! ――ゴボゴボッ! あっ……ぷっ……! だ、誰かッ……!」

「お、落ち着かんかい久水ッ! 足が着く深さでどうやって溺れるんやッ!?」

「し、鎮まれ! 鎮まるのだ梢! 今、兄が助け――ハプルボッカァ!」

 

 ――ってレベルではなかった様子。パニックになる余り暴れてしまい、助けようとしている矢村も久水さんも手を焼いているらしい。

 茂さんに至っては、(無意識下でも)顔面に蹴り入れられてるし……。砂にでも潜って身の安全を確保した方がいいんじゃないかな。

 

「……ったく、なにやってんだ――か?」

 

 イカダの前に立ち、四郷に水がなるべく掛からないように防波堤の役割を務めていた俺は、眼前の事態にやむを得ず、その場を離れようと身を傾ける。

 けど、その直前で後ろにいる四郷にぐい、と肩を掴まれ、制止されてしまった。無言で状況を見据えている彼女は、視線で「ここは任せて」と訴えてきた。

 

 ――親友のことは自分が助けたい、か? やっぱり、冷たい体には似合わない心をお持ちのようで。

 

 でも、水が苦手な彼女に任せるわけには――いや、案外悪くないかもな。

 心配ではあるが……ここはやって「見せて」もらうか。

 

 俺は口元を緩めて、彼女に道を譲るようにイカダの縁まで移動する。表情のないまま、それを見届けた彼女は「あっぷあっぷ」とジタバタしている久水の方を見詰め、イカダの上からクラウチングスタートの体勢になった。

 ともすれば、水の中にダイブしようとしているようにも見えてしまう格好だが、彼女の目を見れば何をしようとしているのかは大体察しが付く。

 

「……マニピュレートアーム、展開ッ!」

 

 そして、彼女が弓のように背中をのけ反らせ――

 

「……はあぁッ!」

 

 ビクンビクン、と滑らかなラインを描く身体を震わせると同時に、一本の巨大マニピュレーターが背面から飛び出してきた!

 

 無機質な青色で彩られた、たった一つの大きな腕は、親友を救うためにグン、と宙を駆けるように伸びていく。海面スレスレを、水を切りながら疾走するその様は、さながらトビウオのようだった。

 そして、その速さは――明らかに、午前の性能披露の時を超えている……!

 

「――ぷはっ! はぁっ、はぁっ……!」

 

 そして、あっという間に現場にたどり着いたマニピュレーターは激しい水しぶきを上げると同時に、その巨大な掌に久水の身体を乗せる。

 こうして「水揚げ」された彼女は、息を荒げたままで、自分の背中に感じる固い感触に気づくと、四郷の方へ視線を向けた。

 

「あ、ありがとう、鮎子……ハァ、ハァ、た、助かりましたわ……」

「……ううん。梢が元気なら、それでいい……」

 

 そして、僅かな言葉と熱い視線で、感謝の言葉を掛ける久水。それに対し、はにかむような、ほんの僅かな笑みを浮かべる四郷。

 二人の世界――とでも云うのだろうか。俺のような外部の人間からは到底知り得ない、彼女達の間にだけある思いが、機械仕掛けの腕を通して行き交っているかのようだった。

 

「あの距離から一瞬で……。さすがね、四郷さん」

「ち、近くで見ると、やっぱすごいんやなぁ〜」

「ふふん、どう? 私の妹も、捨てたモンじゃないでしょ?」

「……あっ……」

 

 だが、そういうところを周りから見られていると意識してしまうと、本人としては気恥ずかしいものがあるらしい。美しい救出劇に感心している救芽井達の視線に感づくと、慌てて腕を引っ込めてしまった。

 おかげで久水がまた背中から海水にポチャンと落ちてしまい、降り出しに――はさすがにならなかった。咄嗟に背後に回って抱き留めた救芽井のファインプレーである。

 

 ――しかし、四郷も随分と無茶したもんだ。水に入れないと言っておきながら、思いっ切り海水に腕一本突っ込んでるじゃねーか。

 案の定、腕を引っ込めた時の彼女は、ひどく体力を消耗したかのように息を乱している。

 

「おい、大丈夫か?」

「はぁっ、はぁ……た、体内のコンピュータが浸水に反応して、排水機能の副作用で全身が発熱してるだけ……。少し休めば、元に戻る……」

 

 いや、なんかすっげー湯気出てるんですけど。見てるこっちとしてはめちゃくちゃハラハラするんですけど!?

 

「本当に大丈夫なんだろうな……? よくそれで久水ん家の風呂に入れたな」

「……お風呂には、入ってない。湯舟の傍に座ってただけ……」

「なるほど。久水の傍にいたかったから、か?」

「……」

 

 ――うーん。地雷踏んじまったかな? なんか四郷さん、また頬膨らませてそっぽ向いちゃいましたけど。

 

 ……そういや、茂さんをブッ飛ばした時も、四郷だけ湯舟には浸かってなかったな。俺はあの時は湯気やタオルでほとんど目隠し状態だったから、ハッキリ見てはいなかったけど……確かに、彼女が風呂に入ったところは見たことがない。

 

「……なに、考えてるの?」

「――ッ!? いや!? 何も考えてないよ!? 風呂で四郷様のあられもない姿をチラ見した時のことなんて露も考えてないでござりますよ!?」

「……悪漢滅殺!」

「チャナガブルァッ!」

 

 ――さすが四郷様。俺の胸中など全てお見通しだったようで。つーか俺が意味不明な口調で本音を漏らしただけなんだけどね。

 親友のためなら、苦手な水中にも踏み込んでいく。そんな情愛に溢れる彼女も、えっちぃことは許せないらしい。言い訳する暇も祈る時間も与えず、文字通りの鉄拳で俺を制裁してみせた。

 生身の人間が「新人類の身体」にぶたれて、タダで済むはずがない。俺の体は魚雷の如く水中に突き進み、そのまま地面へとズブリ。下半身だけが海水に触れ、ジタバタすることのみを許された状態になってしまった。

 頭隠して尻隠さず。この言葉をこれほどまでに体現した状況が存在しただろうか。……存在してたまるか。

 

「りゅ、龍太君ッ!?」

「龍太ぁ!? ちょ、四郷なにしよんっ!?」

「鮎子! 助けて頂いたのには感謝しますけど、あんまりざますっ!」

「……ボクの貞操を守るため……」

「あ、それなら仕方ないわね」

「うん、それやったらしゃあないなぁ」

「やむを得ませんわね。鮎子と龍太様の貞操が同時に失われるなど、あってはなりませんもの」

 

 ……なんだろう。ここからそう遠くないどこかで、相当ヒドイこと言われてるような気がする……。

 

 そうしている間にも、地中に潜むチョウチンアンコウのような格好になってしまった俺だったが、その状態が長く続くことはなかった。

 

「クッ……おい、一煉寺龍太! 生きているか!?」

「あー……うん、多分ね……」

 

 程なくして、「救済の龍勇者」に着鎧した茂さんによって救助されたのである。着鎧甲冑で引っ張られないと抜け出せない状況って、一体どんなパワーで突っ込ませたんすか四郷さん……。

 

「ぷはー、死ぬかと思った! 助かったよ茂さん。……ったく、四郷さんも無茶苦茶しなさる」

「……身から出た錆……」

「錆だと!? ワガハイの純白なるこの鎧に、錆など一つもッ……!」

 

 助かったはいいが、これ以上えっちぃ失言を掘り返されるのも辛い。俺は勝手に荒ぶる茂さんを片手で制して、別の話題を持ち掛けることにした。

 

「いや、あんたじゃないから! ――しっかし、さっき久水を助けた時の腕。ありゃあ、今朝とは段違いのスピードだったよな。性能披露の時は、ほんの小手調べだったってワケか?」

 

 だがそれは、おおよそこの場には、相応しくない内容の話だった。隣にいた茂さんも、思わず「オイ」と肘を当ててくる。

 それでも構わず、俺はただひたすら、彼女の解答を待った。

 

 そして――

 

「……違う。あの時も本気。……速かったのは……梢だったから……」

 

「――はは、だろうな。わかってたよ、そんなこと」

 

 ――顔を赤らめて返ってきたその一言に、俺はフッと口元を緩ませた。

 

 ……コンペに関係しかねない、性能諸々についての話なんて、こんな時にするべきじゃない。それでも俺が彼女に話を振ったのは、ひとえに今の言葉を、本人の口から聞きたかったからだ。

 

 冷たい機械の身体に性格が引きずられているかのように、冷淡で何かと反応の薄い四郷。そんな彼女が時折見せる、さっきの久水に向けられていたような「優しさ」がよりオープンになれば、いいきっかけになるはず。

 そのためにもまず、俺はみんながいる前で、久水を大切に想う気持ちを、改めて本人から告げてほしかったのだ。それに繋がるという期待がなけりゃ、水が苦手とわかっていて、みすみすあんな無茶をやらせたりなんかしない。

 

 四郷の放ったその一言には、一連のやり取りを見守っていた救芽井や矢村も、反応を隠すことはできなかったらしく、珍しい光景を見るように目を見開いている。

 機械のように冷たい普段の彼女からは、なかなか見えない、暖かみのある人間としての一面。それを改めて目にしてしまえば、もう別次元の機械人間として見ることはできないだろう。

 ……あれ、また久水が顔真っ赤にして俯いてる。やっぱり面と向かって言われるのって恥ずかしいんだろうな……。

 

「だったら、『その力』でもっと建設的なことしてみようぜ。ほらっ!」

「ッ……?」

 

 ――さて、そこまで進展させられたからには、そんな危ないマネを何度もさせる気もない。俺は久水絡みのゴタゴタのせいで、しばらく海面を漂うばかりだったバレーボールを拾うと、ふわりと四郷の方へと放り投げた。

 緩やかな放物線を描く球体は夏の日差しを受けて光り輝き、やがて彼女の懐へとすっぽり収まった。自身の両腕に降りてきたボールと、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべているであろう俺の顔とを交互に見遣り、彼女はキョトンとした表情になる。

 

「……ボクの……力……? 『新人類の身体』のマニピュレートアームでバレーなんかしたら、ボールが割れちゃうけど……」

「あっははは、違う違う! んなわけねーだろ、それくらい俺でも予想付くって! 俺が言いたい『力』はそこじゃねーの!」

「……訳がわからない……。今の話の流れで、それ以外にどんな意味があるの……?」

「あるだろう? もう一つ、さ」

 

 ここまで言っても、当のご本人は首を傾げるばかり。

 どうやら、彼女には自分の「人間らしい優しさ」って「力」の概念がまるでないらしい。

 

 だが、まぁいい。そんなことは既に予想されてること。「自分に『人に優しくできる、そういう気持ちは持ってる』って自信のあるヤツに、人を遠ざけるヤツはいない」んだから。

 ……これも、兄貴の受け売りだけどね。

 

 とにかく、自分の優しさに価値を見出だせてないようなら、いやがおうでも気づかせるしかあるまい。

 多少俺にリスクは掛かるし、イカダが必要な四郷から一時的に離れることにはなるが――実にシンプルな即席プランがあるしなッ!

 

「よーし! 今までは所長さんに審判やってもらう形だったけど、これからは全員でチーム戦とかやってみようぜ!」

 

 俺は一旦四郷から離れると、茂さんと所長さんの間に立つような位置についた。その直後に出てきたこの発言に、救芽井が眉をひそめる。

 

「龍太君、全員でチーム戦って言うけど……所長も入ると奇数になるわよ? 今までは所長が審判だったから人数は拮抗してたけど……」

「心配いらん。俺と茂さんと所長で一チーム。これで十分! 男手が二人もいるからなっ!」

「あらぁ、私も選手で参加しちゃっていいの? 面白そうね!」

「ぬほー! どういうつもりか知らんが名案だぞ一煉寺龍太ッ! ――ハッ!? い、いやいや、だからワガハイには樋稟という心に決めた女性が……ゴニョゴニョ……」

 

 俺と所長さんと茂さんでチームを組み、他の女性陣でもう一つチームを組む。その提案は、こっち側の二人にはなかなか好評のようだ。

 ――しかし、矢村は不服そうにこちらを睨んでいる。さっきまで同じチームで組んでた俺と離れるのが、そんなに嫌なのか?

 

「ちょ、ちょっと龍太。なんぼなんでも、調子乗りすぎやない? 中学ん時、バレー部の助っ人で地区大会優勝まで導いた、このアタシを敵に回す気なん?」

「ふふん、矢村よ。もう今の俺は、中学時代にお前に顔面スパイクを決められていた昔の俺ではないッ! お前の方こそ、今のうちに負けの言い訳を――ぶばばばばば!」

「――言うてくれるやんっ! そこまで自信満々なんやったら、一発ドギツいヤツかましたるけん、覚悟しときぃよっ!」

 

 ことスポーツにはやたらと強気な彼女には、これくらいの挑発がちょうどいい。俺は小柄な少女のものとは到底思いがたい力で頬を抓られつつも、矢村をその気にさせることができた。

 

「……なるほど。あの娘達四人を全員組ませて連帯感を出すことで、友人としての輪を作る……ね。あなたも粋な計らいするじゃない。嫌いじゃないわよ、そういうピュアなとこ」

「――ホンットに何もかもお見通しかよ、気味が悪いな。あんたも妹のためだってのがわかってんなら、マジメにやってくれよ?」

「もちろん。だけど、それだけじゃ私的には盛り上がらないのよねぇ。もう一押し、『ご褒美』がいるんじゃないかしら?」

「はぁ?」

 

 所長さんは、これが全て四郷のための段取りだとは気づいている……らしいが、それに協力する以外にも、俺の思惑から外れたことを企んでいるようだ。今までが今までだから、どうしても目を細めてしまう。

 

 そんな彼女が目を向ける先は――イマイチその気になっていない様子の、救芽井だった。

 

「いい!? ここまで言われてもーたからには、一発かまさな女が廃るで! 是が非でも龍太のバカに、女の意地を見せたるんやでっ! 四郷、救芽井ッ!」

「ちょっ……なんでワタクシは除外ざますかっ!?」

「……女をナメたら……どういうことになるか教え込む……」

「――はぁ。龍太君と戦うのかぁ……私。ちゃんとやれるのかしら……?」

 

 少し離れた向こうでは、イカダの上で矢村が仕切る四人組が円陣を組んでいた。おぉ、さすが体育会系……。

 

 しかし、その中では救芽井はあんまりやる気がなさそうだ。遠目に見ても、微妙にうなだれたような姿勢が目に入ればよくわかる。

 連帯感を出して、四郷にみんなとバッチリ馴染んでもらうには、全員がその気になる必要があるはず。

 特に、元々四郷を珍しい機械のような目で見てる節があった救芽井には、彼女の人間らしいところを、同じ気持ちで同じ時間を過ごすことで、是非とも理解してほしいところ。だけど、どうしたものか――

 

 ――と、俺が考えあぐねていたところへ。

 

「そっちのチームのみんなっ! もし勝てたら、全員龍太君との添い寝を許可しちゃいまぁーす!」

 

 ……所長さんがとんでもない条件ブッ込んできたァァァァァッ!?

 

「ブルハァァァッ!」

 

 しかも茂さんが血ィ吐いてブッ倒れたァァァァァッ! まだゲームが始まってすらいないのにッ!

 

「よし、行くわよみんなッ! 勝利は私達で勝ち取るッ!」

「なんであんたが仕切っとんや!? ……まぁええわ、とにかく添い寝権が懸かってると聞いてもーたからには、手加減なんて土下座したってしてやらへんからな龍太ァッ!」

「ワタクシも同意見ざます。こうなれば、ワタクシの真の力を覚醒させなければなりませんわねッ!」

「……梢は足滑らせたら危ないから、イカダに上がってて。……勝負なら、ボクが付けるから」

 

 おいちょっと待て、意味がわからないんですけど!? なんで俺が景品通り越してオモチャにされてんの!?

 そしてなぜに、今の条件で救芽井どころか四郷までやる気になってんの!?

 

 ちょ、これは予想以上にマズイッ! 完全に向こうは目の色が「狩り」に来てるッ! こっちは既に一名勝手にダウンしてやがるのにッ!

 

「くそっ……所長さん! こうなったら二人でも――え?」

「あはっ、レシーブよろしくぅ」

 

 その上、天はおろか所長さんまでもが、俺を見捨てる気満々らしい。彼女は俺の背後でわざを姿勢を屈めて身を隠し、人をネットのように扱っているッ……!?

 

「覚悟はええなぁ龍太ッ! いくでぇえぇっ!」

「ちょっ、まだ心の準備も――アァーッ!」

 

 後にも先にも、この瞬間だけだろう。

 俺が自分で口にしたことを、自分自身で呪ったのは。

 



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第94話 夕暮れと笑顔と儚さと

「救芽井さん、行きますわよっ!」

「えぇ! ――無理しないでいいわよ? 久水さんのペースでいいから、しっかりね?」

「バカにしていますの!? あなたワタクシをバカにしておりますのっ!?」

 

 救芽井の露骨な苦笑いを前に、久水は涙目で泣きわめき――

 

「ほらこっち! 四郷、頼むでっ!」

「……任せて」

 

 ――涙ながらに放たれたパスはやがて救芽井を通して矢村に渡り、四郷という真打ちにたどり着く。

 四人の美少女達の連携は、「勝利」という共通の目的による賜物ゆえか、一秒ごとにその鋭さを増しつつあった。

 

 ……そして。

 

「チバァァッ!」

「あらあら、またやられちゃったわねぇ。救芽井チーム、一点追加っ!」

 

 ――俺は犠牲になったのだ。美少女チームの友情、その犠牲にな……。

 

 どうやら例の作戦は、思いの外効果があったらしい。……俺の顔が痛いほど。

 実はつい数分前、遠くに飛んだボールを拾おうとして、足の着かない深さへずり落ちてしまった救芽井を、近くにいた四郷がまた無茶をして助け上げる……という一幕があったのだ。苦手であるはずの水の中に、もう一度巨腕を突っ込んで。

 そんな出来事があって以降、商売敵だったり「新人類の身体」への色眼鏡があったりで距離を置きがちだった救芽井と矢村も、次第に四郷へとボールを送るようになっていた。

 あんな無茶苦茶をまたやらせてしまった時は「マズった」と思ったもんだが、結果としては狙い以上の効果をもたらしてしまっていたらしい。怪我の功名とは、よく言ったものである。

 

 その時の彼女には、久水の時に通じる瞳の色があり、今は救芽井達に囲まれているこの状況に戸惑う様子もない。

 ――四郷本人も、俺の考えには薄々気づいているんだろうか。度々、こちらへチラリと向けられる彼女の視線は、何かいいたげな雰囲気を孕んでいるように見えた。

 

「一煉寺君、なにボケッとしてるの!?」

「えっ――ぶべらッ!」

 

 ――いや、考えたら負けだ。考えてる暇があるなら、動け俺。つーか、動かなきゃ死ぬ。

 一ゲームだけで、もう何回こうしてボールを顔面に当てられたか、わかったもんじゃない。茂さんはノビたままだし、所長は後ろからパスは出してくれるけど、頻繁に俺を相手側からのスパイクの盾に使いなさる。

 ……つまり、事実上の集団リンチというわけだ。向こうも向こうで、何の怨みがあるのか思いっ切り仕掛けて来やがるし。

 

「いっつも婚約者の私を差し置いて、次から次へと女の子を取っ替え引っ替え……私の身にもなりなさいよっ!」

「付き合いの長いアタシのことほったらかして、いっつもいっつもすき放題……ええ加減にしいやっ!」

「ワタクシというものがありながら、知らぬ間にあちこちで婦女を侍らせるなんて……我慢の限界ざますっ!」

「……梢を、いろんな女の子を、散々振り回してきた罰……!」

 

 ――なんなんだよ。俺が何をしたってんだよ!? 何か凄いドスの効いた恨み節が聞こえて来るんですけど!?

 つーか、全員が黒い笑み浮かべながら、嬉々として矢継ぎ早にスパイクぶっ込んで来てるよ!? いじめいくない! こんな友情いらないィィィィッ!

 

 ……そうして、俺の覚悟すら上回るほどの狂乱に満たされた水上バレーは、日没を迎えるまで続き……。

 

「どぉや、龍太? 負けの言い訳やったら聞いちゃるけどぉ?」

「……なんとでも申すがよい。言い訳のしようのない惨状だったしな」

「零対九十二。点数で言えば結果はこんなところかしら? まぁ、よく頑張ったわよ。一煉寺君」

「なに人事みたいに言ってんの!? あんた途中から浮輪で遊び出したくせにッ!」

「ごめんなさいね。私、勝ち目のない戦いはしない主義なの」

「むっふっふ。無様だな一煉寺龍太。まぁ、ワガハイに意識さえあれば形勢は逆転していたであろうがな!」

「あんた試合前から脱落してただろうが!?」

 

 ――全員が寝そべっているイカダの上では、俺へのイジリ大会が勝手に開かれていたのだった。

 陽の光がなりを潜め、空が暗色に変わる兆しが見えてくると、さすがに多少の肌寒さは出てくるが、そんな中でも彼女達のマシンガントークが止まる気配はない。その上、四郷に至っては自分の腕をさすってもいなかった。

 

「ホントにもぅ、龍太君には呆れるしかないわねぇ。ルーズボールを拾おうとして、足場を踏み外して所長のむ、胸に顔を突っ込んだり……!」

「だ、だーもー! あれは事故なんだと何度言えば……!」

「ですが! スパイクを受けて水中に沈んだ際、そこから所長のお、お尻を見ていた容疑もありましてよ!?」

「それでも僕はやってない! だいたい、そんな容疑どっから沸いて来たんだよ!?」

「だ、だって龍太様、水に沈んでもすぐに上がって来なかったのですもの……」

「九十二発も顔面スパイク決められといて、そんなすぐに起きれるかァッ!」

「……男の癇癪は見苦しい……」

 

 ブスリ。俺の男心に、何かが突き刺さる。次いで、俺の肉体が空気を抜かれた浮輪のように崩れ落ちていく。

 

 女性陣からの集中砲火をかい潜る中、とどめの一発として放たれる四郷の毒舌。その一撃に俺が倒れ、こうして白い抜け殻のようになってしまう流れも、今となってはお約束になってしまったらしい。

 友達同士の輪の中で、共通の話題が盛り上がるように。こんな形ではあるものの、俺達の間でも、全員に通じる何かが見えて来たようだ。

 

「ち、ちくしょー。大体、みんなして俺だけを狙い過ぎだろッ! ドッジボールじゃねぇんだぞ! イジメカコワルイ!」

「むっ……そ、そんなん言うたってしょーがないやんっ! 龍太しか……見えんのやもん……」

「……やっぱり、一煉寺さんは一度はのされるべき……」

「なんでッ!?」

 

 ――その証拠に、今は輪の中に四郷もいる。

 ひとしきり俺をこき下ろした後、彼女達は各々のファインプレーへと話題の花を咲かせ、夕陽を浴びるイカダの上で、互いの健闘を嬉々として語り合っていた。

 

 散々ボールぶつけられまくったり、試合後もイジられたりと踏んだり蹴ったりな締めではあったが――今日一日の意味は、確かにあったと思う。

 時折、僅かな口元の緩みから伺える――彼女の、彼女なりの「笑顔」が、その全てだ。

 

「正直、絶対届かんって思っとったんやけどなー……。まさか、あんな方法でやりよるとは思わんかったわ! 普通逆やない?」

「ふっ……。ワタクシ達ができないことを、平然とやってのける――それでこそ鮎子ざます! さぁ二人とも、痺れなさい! 憧れなさいッ!」

「……マニピュレートアームで、イカダの端だけ摘んでボク自身をルーズボールに届く場所まで運んだ時のこと?」

「そうそう。もしイカダが重さに耐え兼ねて折れたりなんかしたら、危なかったんじゃないかしら?」

「ちょっ……無視するんじゃないざますぅぅぅッ!」

 

 どうやら、彼女達の話題の中心には四郷がいるらしい。輪の中に入るどころか、すっかり中心人物に大出世してしまったようだ。……約一名、逆にハブられてしまったような娘もいた気がするけど。

 

「……危ないとか、そういうのじゃない……。マニピュレートアームでバレーなんかしたらボールを割りかねないし、それに……」

 

 ふと、四郷は散々けなされた傷を癒すべく、体育座りでイカダの端に佇んでいた俺の方を見つめて――

 

「……このイカダは壊れたりなんか、しない。一煉寺さんが作ったイカダだから……」

 

 ――そんな照れるようなことを、言ってくれた。夕暮れのせいでわかりにくくはあるが……その頬は、沈む太陽に比例するように紅い。

 

「い、いや、別に俺は――どわぁッ!?」

「ワガハイは!? ワガハイも作ったのだぞ!?」

 

 すると、さっきまで傷心の俺の背中をさすり、励ましてくれた茂さんが掌を返すように俺をイカダから突き落とし、四郷に迫り出した。な、何をするんだァーッ! 許さんッ!

 

「……茂さんにも、感謝してる……。ありがとう……」

「そ、そうかそうか! ムッフフフ、さすが鮎子君! ワガハイのことをちゃんと理解してくれているようだね! なんなら今度ダンスパーティーにでも……ぼぶらァッ!」

「……調子に乗っちゃいけない……」

 

 四郷としては茂さんにも感謝してるみたいだけど、相変わらず手厳しい。赤い夕陽を浴びて、鈍く輝くマニピュレーターの鉄拳が、頭部から神々しい光を放つ彼を容赦なく殴り飛した。

 茂さんは俺と同様にイカダから転落し、ブクブクと泡を立てながら水上で気絶してしまう。

 傍から見れば、まるで男性陣が手酷くハブられたような絵面である。女性陣ーッ! てめぇらの血は何色だァーッ!

 

「……そっか。ふふ、そうだよね。龍太君の作った、イカダなんだから」

「四郷って、なんやかんや言うたって、やっぱり人間らしいとこあるんやな。しんどそうやったのに、久水と救芽井を助けとるとことか見てたら……なんか、どっかの誰かに似とるような気がしたんよ」

 

 あんまりな扱いに憤慨する俺を尻目に、彼女達は和気藹々と何かを語り合っている。

 

 うまく聞き取れないが――救芽井と矢村は、四郷の言葉にどこか共感する部分があったらしい。「ああ、そうか」という具合に、二人とも妙に納得したような表情を浮かべている。

 

「……不思議ね。物理的には私達とはまるで違う存在なのに、考えてることはまるで一緒なんだもの。人と違うのは身体だけ、っていう話も、今ならわかる気がするわ」

「……わかるの……?」

「今はまだ、ちょっとだけやけどな。でも、もっと仲良くなれそうな、そんな気は確かにする。……あんたのこと見よったら、いつか『ライバル』になりそうな気もするんやけどな」

 

 同じ時間を長い間過ごした結果は、相手を好きになるか嫌いになるか、という枝分かれが明確になりやすい。

 まだ途中経過に過ぎないだろうが……今のところ、彼女達の関係は前者に傾いていると言っていいだろう。救芽井の温かな眼差しと、矢村の人懐っこさが滲む目つき。あんなもの、余程通じるものを感じなければ、到底お目にかかれるものではない。

 

「……ライ、バル……」

 

 矢村に何か言われたのか、四郷はハッとして一瞬だけこちらに視線を向ける――が、ボッと顔を赤くしたかと思うと、すぐさま顔を向こうへ逸らしてしまった。……なんだろ? 「あっち向いてホイ」でもしてるのか?

 

「……あなた最低ね」

「何がッ!?」

 

 ――と考えていたところへ、こちら側の端に腰掛けていた所長さんが、醜い家畜を眺めるような目つきで毒を吐いて来る。

 

「全く、乙女の儚――いえ、精一杯な恋心をなんだと思ってるんだか。婚約者さんもきっと泣いてるわよ」

「精一杯な恋心って……話が全く見えて来ないんだけど」

「はぁ〜……あなたったらホントにもう……」

 

 急にカテゴリーエラーな話題を持ち込まれ、なんのこっちゃと戸惑う俺を前に、所長さんは掌を額に当ててため息をついた。まるで、「ダメだこいつ、早くなんとかしないと……」という意思を全身で表現しているかのように。

 

 ――恋心、ねぇ。その手の話になると浮かんで来るのは、救芽井だったり久水だったり矢村だったり……。あぁ、ダメだダメだ、意識したらなんか喋りづらくなるッ!

 ……だけど、四郷は確か久水のことを応援してるんだったよな? なんであいつがそんな話題に絡んで来るんだ?

 

「……でも、そのどうしようもなく最低なところに助けられたんだから、皮肉よね」

「なんすか、それ?」

 

 その時、所長さんの表情が変わる。

 冷ややかな視線は暖かなものへ性質を変え、口元は僅かに緩み――微笑みの様相となった。

 

 ――しかし、さっきから、所長さんが何の話をしているのかがまるで掴めない。違う話題に移ったんだろうな、っていうのは辛うじてわかるんだけどな……。

 

「下心も、恋も、異性も、何もない。友達作って仲良く遊びたい。そんな頭スッカラカンで、どうしようもないバカだから――そんなあなただったから、鮎子もああして、やっと人間らしく、生きられたのよ」

「なんだそりゃ。褒めてるのかバカにしてるのか……?」

「もちろん褒めてるわよ。あなたみたいなのと関わったばっかりに、鮎子もあれこれ悩むのがバカバカしくなったんでしょうねぇ。はた迷惑な話よ、全く」

 

 先刻のイジリ大会にも劣らぬ程に俺をこき下ろす彼女――だが、その表情はまるで実の兄弟にでも向けられているかのような、包容力の滲み出る温もりを放っていた。

 

「……今日は、ありがとう。期待以上だったわ、一煉寺君。剣一からあなたのことを聞いた時、もしかしたらって少しだけ思ってたけど、本当にあなたならなんとかしてしまいそうな気がしてきたわね」

「何の話――ってか、剣一って……もしかして古我知さん!?」

 

 意外な人物の名前を耳にして、俺は思わず目を見開いてしまう。……久水や茂さんだけじゃなく、古我知さんとも知り合い……!?

 いや、でも……古我知さんから俺の話なんて、どうやって聞いたんだ? 彼は今、アメリカの刑務所に服役してるはず。もしかして、そこまで研究所ほっぽりだして会いに行ってたのか?

 それとも、やっぱり古我知さんはあの――

 

「今晩、私の部屋に来なさい。救芽井さんも、着鎧甲冑も、剣一さえも救ったあなたになら、賭けてみてもよさそうだから……」

 

 ――だが、その言葉が彼女から出た瞬間、俺の思考は掻き消され――

 

「さぁみんな、もう日が落ちて冷え込むころだし、そろそろ帰るわよぉー! 明日に備えて、もりもり食べてぐっすり寝ましょー!」

 

 未だに話し込んでいた女性陣達の方へ向かう、所長さんの背中を眺めても――俺はただ、えもいわれぬ不安感を抱くばかりだった。

 彼女の背をすり抜け、俺の方へと吹き抜ける風が……その気持ちを煽るかのように、暗く、冷たく囁く。

 

 ――彼女は、俺に何をさせようとしている……?

 



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第95話 「罪」の片鱗

 今日一日の役割を終えた太陽が、海の遥か向こうへと沈み、夕陽という余韻を残して姿を消す。

 

 そして、次に姿を見せるのは――闇の色でありながら、星空という澄んだ世界を映し出す夜の帳。

 無限大に広がる漆黒のスクリーンに現れる、白く閃く幾つもの星が、光のない暗闇を、優雅な夜空へと昇華させていく。

 

「所長、野菜が少し足りないんじゃないですか?」

「あら、確かにちょっと物足りないわねぇ。一煉寺君、研究所の食堂に冷蔵庫があるから、そこから幾つか取って来てくれないかしら?」

「りょーかい!」

 

 ――そんなロマンチックな景色を眺めつつ、俺達は海辺でバーベキューへと洒落込む準備を進めていた。

 

 一度研究所に帰って着替えた俺達は、所長さんが用意したという鉄板や木炭を研究所の物置から運び出し、夜の海辺を舞台に夕食を取ることになったのだ。

 こういうおもてなしを商売敵にされてるってのも変な話だが、せっかくの好意を無下にはできない。審判役の伊葉さんも来ているからには、毒なんて入れようがないしな。

 

 ……あれ? そういや、伊葉さんと瀧上さんはバーベキューには参加しないんだろうか?

 

「私、バーベキューなんて初めてだわ。上手く焼けるかしら……?」

「心配はいらないぞ樋稟! このワガハイがいれば、こんな庶民の料理などお茶の子さいさ――あちゃちゃちゃちゃ!」

「もー、なにやっとんや! 慣れとらんのやったら、向こうで野菜切りよって!」

「ワタクシが、このような庶民の料理を……? ――いいえ! 龍太様と添い遂げる未来が約束された今、殿方と同じ物が食べられなくては妻の名折れ!」

 

 所長さんはそれについては特に何も言ってないし、他のメンツはバーベキューの準備に頭が一杯らしい。

 ……野菜を取りに行くついでに、二人も呼んでみようかな?

 

 みんなと一緒に作業をする格好が、すっかり様になっている四郷の姿に口元を綻ばせつつ、俺は野菜を取りに、一旦研究所へ戻ることにした。

 

 ビーチから薄暗い洞窟に入り、その奥にあるエレベーターに乗り込む。そして、研究所の入口近くまで僅かな時間で移動する。

 高い崖の上にあるはずの研究所まで、あっという間に移動してしまえるのだから、ここのエレベーターはたいしたもんだ。……ビーチからの移動用にしか使ってないせいか、床が砂だらけだが。

 

 エレベーターから出れば、照明の光を外の闇夜へ漏らしている研究所の入口は、もうすぐそこ。

 研究所まで到着すれば、あとは食堂にある冷蔵庫から野菜を取って来るだけ。さっさと済ませて、俺も決戦前夜の晩餐にありつくとしよう。……なにせ、今日は海に行く前のジャンクフードしか食ってないからな。

 ロビーに入っても、食堂へ続く廊下へと近づいても、人の気配や姿はない。動き回っているのは、いつも例のお掃除ロボだ。

 ……四郷は、こんなに機械に囲まれた辺境で、どのくらいの時間を過ごしてきたのだろうか。機械の相手ばかりをしていて、人間の友達を作るきっかけがなかったってんなら、あの性格にも多少は納得……できるかな。

 つか、あの娘ってちゃんと学校通ってるのか? どう見ても見てくれは義務教育の真っ只中だったし――

 

「貴様、本気で言っているのか!」

 

 ――んっ!? なんか今、声が聞こえたような……?

 俺の耳に、不意に突き刺さる人の声。何を言っているのかはまるでわからなかったが――なんなんだろう、この胸騒ぎは……。

 怖いもの見たさなのか、単純な好奇心なのか。俺は食堂へ続く廊下を目前にして、進路を声がした方向へと転換した。

 

「オレの正義は、いつの世も人々の危機を守ってきた。それは揺るぎのない絶対のものだと、何度言わせる気だ! ――にも関わらず、それを捨てろだと!?」

「お前の正義を信じ、外の世界へと送り出したのは私の責任だ。だから、お前だけの罪だとは言わん。私と共に、過去を清算する時が来た、ということだ」

「いい加減にしろ! それが……それが、松霧町が生んだ最高のヒーローへ向ける言葉か!?」

「瀧上。お前の時代は、もう終わったのだ。あの日、警官隊の銃弾に晒された時、わからなかったのか? 私もお前も、もはや物語の主人公には成り得ない。そろそろ、舞台から降りる頃合いだ」

 

 声が聞こえた方向だけを頼りに、俺は照明の付いた廊下を渡る。次第に聞こえて来る声も音量を増し、内容も僅かながら鮮明になってきた。

 どうやら――これは誰かの「話し声」らしい。二つの声色が、鎬を削るように交互に響いて来る。特に、片方の声量は物凄い。何を言っているのかは正直わからないが、それとなくビリビリと響く何かを感じるのだ。

 

「……だから、このコンペティションが終わればオレに『自首』しろと!? 貴様ここまで来ておいて、よくもぬけぬけと!」

「これは、私にできる最大限の『譲歩』だ。今の日本にとって、お前ほど危険な存在はない。救芽井エレクトロニクスの海外進出を契機に、日米関係を良好に保ちつつ国際的にも有利な立ち位置を得ようという、今の時世では特に、な。今の政権はお前の存在を把握してはいないが、かつて私の直属にいた者達は、今すぐにでもお前を消そうと躍起になっている。自分達のメンツを守るために」

「裏切り者共め……!」

「――だが、心配はいらん。コンペティションが終わった後、投降を約束するならば、死刑だけは免れるように私が取り計らおう。『救芽井研究所の元研究員』が作り出したという、一定の記憶を消去できるシステムも、救芽井エレクトロニクスから買い取ってある。全てを忘れて、この時代に相応しい『正義の味方』を、一から模索してみてはどうかな?」

 

 とうとう、話し声が聞こえる部屋の前にまでたどり着いた。ここは……ラウンジか。

 扉に阻まれているせいで、そこまではっきりとは聞こえないが――どうやら、瀧上さんと伊葉さんが話しているらしい。あの二人、確か俺が海に誘った時からここにいたよな。まさか、あれからずっと二人で喋ってたのか?

 

「ほざけ! オレを一体誰だと思っている!? 松霧町を、この世界の平和を守るために戦った、瀧上凱樹だぞ! そのオレを裏切り、殺そうとした貴様が今になって、のこのこと現れた挙げ句、降伏しろなどと……覚悟は出来ているのだろうな!?」

「無論だ。お前は私の『罪』そのものであり、今やこの国の『闇』だ。易々と触れていい存在ではないことは、恐らく私が一番理解していよう。それでも、次世代へ禍根を残さぬためにも、最も穏便な形で決着を付けるために、私はここまで来たのだよ。その結果、お前に殺されようともな」

「――ふん。ならば、その作戦は失敗だったな。オレをおとしめることなど、誰にもできない。そして何より、許されない。明日のコンペティションをオレ達が制すれば、今の日本政府もこちらの力を認めざるを得まい。救芽井エレクトロニクスに代わり、四郷研究所が未来の世界を征するのだ。そうすれば――禍根とやらも、貴様のような異物の存在も、まとめて吹き飛ぶ!」

 

 よほど立て込んでいるのか、どちらも話が止む気配がない。さっきからやたらと猛々しく轟いていた声色の正体は、どうやら瀧上さんだったらしいが……一体、伊葉さんと何があったんだ?

 そういえば、昨日の夕食の時に食堂で会った時も、なんか伊葉さんのこと睨んでたような……?

 

「交渉決裂――と、なってしまうかな。お前の反応を、見る限りでは」

「好きに思え。言っておくが、明日のコンペティション……贔屓などすれば、貴様の命はないと思え。貴様はただ、オレがこの国のヒーローに返り咲く瞬間を見届けていればよいのだ」

「――残念、だよ。私が信じた、松霧町のヒーロー君」

 

 すると、カツカツという足音が扉の向こうから、僅かに響いて来た。まずい、ここにいたら立ち聞きがバレる! 別に何も聞こえちゃいないけど!

 慌てて踵を返し、その場を去ろうとする――が、

 

「おや? 一煉寺君ではないか。どうしたのかな、こんなところで」

 

 ――足音に気づくのが、遅すぎたようで。

 こめかみから顎にかけて、冷や汗という名の雫を垂らす俺は、ゆっくりと振り返り……キョトン顔の、伊葉さんとご対面してしまった。

 

「あ、あー……えっとですね、その、なんといいますか……」

「うん?」

 

 ヤバい。何も言い訳が浮かんで来ない!? 落ち着け一煉寺龍太、何でもいいから適当に用件を言うんだッ! 立ち聞きしてただなんて思われたら、絶対怒られる! 元総理大臣のお説教とか、想像もしたくないんですけどッ!

 

「そ、そうだ! 今、海辺でバーベキューやろうってとこだったんすよ! 伊葉さん達もどうっすかね!?」

 

 ……よっしゃあぁあ! 我ながら超無難な対応だぜ! ちょうど野菜を取るついでに誘うつもりだったし、これはなかなかナイスな答えだったんじゃないか!?

 

「……ほほぉ、バーベキューか。なかなかいいものではないか。せっかくだから、ご一緒させて頂こうかな」

 

 俺の期待通り、伊葉さんは柔らかな表情を浮かべながら、すたすたと廊下を歩いていく。

 

 その広い背中をしばらく見つめた後、俺は開かれたラウンジの扉の方へ向き直り――

 

「あ、えーと、瀧上さんもどう――!?」

 

「――そうだな。オレもご馳走になるとしよう」

 

 ――常軌を逸した雰囲気に呑まれ、身動きが取れなくなった。

 

 発している言葉こそ、平和的な響きを持ってはいるが……その眼差し、そして全身を覆うオーラで表現された、どす黒い感情は――気が変になって笑ってしまいそうなほど、口にした言葉と相反した空気を纏っている。

 人生経験の豊富さゆえか、ただ歩くだけでも優雅さを醸し出している、伊葉さんの背中。そこへ向けられた瀧上さんの眼光は、彼を背後から突き殺そうとするかの如く、鋭く妖しい輝きを放っているように見えた。

 それだけではない。鍛え抜かれた成人男性の逞しさが滲み出る、精悍な彼の顔立ちは――今や、鉄仮面のように無表情になっているのだ。

 全身から噴き出される、憎悪とも云うべきオーラの塊と、それに基づくように存在している鋭い瞳。その二つを同時に持っていながら、表情だけは、まるで感情という概念が欠落してしまったかのように、本当に「何もない」のだ。

 

 考えたくもないし、該当しているなどとは露も思いたくはないが――去年の正月に、親父が語っていた「殺意」と呼ばれる感情に近いものを感じる。

 

 若い頃、裏社会の悪を狩る一煉寺家の拳士として、ヤクザやマフィアとの格闘を繰り返していたという親父が語るには、「本気で殺す」つもりの人間には、「表情だけ」がまるでないらしい。

 

『――殺したいほど憎いのに。全身から、そんな憎悪が滲んでいるのに。顔にだけは、それが出ない。まるで、能面を被っているかのように。殺すことにしか頭にない人間には、人間らしい感情が邪魔になるから、なのかも知れんな……』

 

 そんな親父の言葉が、この一瞬の間で幾度となく脳裏を駆け巡る。それゆえか、ほんの数秒に過ぎないはずの時間が、まるで数時間相当のように思えてしまった。

 こちらに向けられた視線でもないというのに、彼の眼差しを見ていると、身が凍り付いたように動かなくなる。気がつけば数滴の嫌な汗が、顎を伝って床へと落ちていた。

 

 やがて瀧上さんは一度もこちらに目を合わせないまま、ツカツカと伊葉さんを追うように、悠然と歩き出していく。その背中を、ただ呆然と見送るしかなかった俺は、今さらなことを呟くしかなかった。

 

「――あの二人、バーベキューに呼んで良かったのかな……?」

 



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第96話 逡巡と懺悔と独善と

 肉の焼ける音と共に、夜空以上に暗い煙りが天に向かい、その副産物たる香りが俺達の嗅覚をくすぐってくる。

 

 そして、先行きの不安な道を照らすように閃く、闇夜に浮かぶ星々を見上げながら、肉と野菜の味を噛み締める。

 決戦前夜のバーベキューとして、これ以上のシチュエーションはそうそうないだろう。

 

 ――にも関わらず、内心では、それほど盛り上がっていない俺がいる。周りが金網の奥で噴き上がる火を囲み、和気藹々と過ごしているというのに、俺の胸中はどこか穏やかではない。

 

 別にバーベキューが楽しくないわけではないし、俺も一緒になって騒いでいるのには違いない。ただ、心の奥底で燻っているもやもやが、収まらない……というだけだ。

 

 そして、それが始まったのは――

 

「……」

「龍太? ……どしたんや? 瀧上さんのことばっか見よるみたいやけど……」

「ん? ――いやまぁ、あの人なかなかこっちに来ないなー……ってさ」

 

 ――彼が放つ殺気を肌に感じた、あの瞬間からだった。

 

 その感覚を俺に植え付けた張本人は今、心ここに在らず、といった表情で海辺に佇み、ここではない何処かを静かに見つめている。

 俺達の輪の中から大きくはずれた場所に立つその姿は、まるで別世界の人間であるかのような異質さを放っていた。その手に握られている串の存在が、どうしようもなく不自然なくらいに。

 

 ――彼が伊葉さんの背へと突き刺していた、あの眼光。人間があんな威圧を出せるのか――と、おののいてしまうほど、瀧上さんの放っていた殺気というものは、どこか違う次元の存在のようにすら感じられた。

 一瞬でも気を抜けば……いや、気を抜こうが抜くまいが、あの眼に見据えられたら、たちまちあの気迫に呑まれてしまうことだろう。俺の精神など、何秒「持つ」のだろうか。

 

「瀧上さん? あ、確かに全然こっちで食べとらんなぁ――って、まさか龍太ッ!? あんた、あんたまさかっ……!?」

「なんで意地でもそっちへ繋げようとすんの!?」

 

 ……まぁ、そんなことを今考えたところで、意味はないんだけどな。それに、辛気臭い面でバーベキューだなんてバチが当たるにも程がある。

 それに、串に刺さった肉と野菜を食ってる以上、あんな調子でもバーベキューに参加している意識はあるのだろう。お代わりを貰いに来た時にでも言葉を交わせば、四郷のように上手く行くかも知れない。

 

 そんな淡い期待を言い訳にして、俺は彼の存在を頭から離すかのように、救芽井達の輪の中へと帰還する。

 

「……さて。おっ、これ肉でかいじゃん! いっただきぃっ!」

「龍太君ダメよ! ちゃんと野菜も食べないと、食物繊維が不足しちゃう!」

「そうざます! 明日は大切な日なのですから、体調管理にも気を遣って下さいまし!」

「何を言うか! バーベキューとは欲望を巡る骨肉のサバイバル! そんな正論が力の世界で通用するとでも――ってあれ?」

「はふはふ! ふははは、バカめ! はふはふ、貴様の狙いは、はふはふ、ワガハイが喰らってやったわ! はふはふ!」

「……いや、熱いんだったら無理すんなよ」

 

 俺の手を掴んで制止を試みる救芽井達や、出来立てアツアツの串を突っ込んで熱に苦悶する茂さん。相変わらず騒々しくはあるが、どことなく愉快な気持ちにさせてくれる空間が、ここにはある。

 

「……美味しい……」

「だろう? なにせ、矢村先生が直々に焼かれたお肉ですからなぁっ!」

「もっ――もぉ龍太ぁっ! 褒めても何も出んけんなっ!」

「あら、これ肉たっぷりじゃなーい! 頂きっ!」

「あ、あー! それ、龍太の分に焼いた奴やのにぃぃっ!」

「お肉の味が愛情ごと染み込むわぁ〜……。あなた、いいお嫁さんになれるわよっ」

「えっ!? そ、そやろか……。え、えへへ〜、それほどでもあるんやけどぉ〜!」

「……矢村さん、おだてに弱すぎ……」

 

 そんな中に、今は四郷もいる。相変わらず口数は少ないが、こうしてみんなの中へ溶け込んで言葉を交わしている光景など、昨日までは想像も付かない状況だ。

 ――そう、彼女だって、こんなに変われたんだ。あの人だって、話せば何か、掴めるかも知れない。

 

「瀧上のことが気になるかね? 一煉寺君」

「あ、伊葉さん」

 

 ふと、俺の胸中を見透かしたような声が聞こえて来る。口調は穏やかだが、振り返った先に見える表情は、どこか曇りを含んでいるように見えた。

 

「……あの人、ずっとこっちに来ないんですよ。なんていうか、壁を作ってるっていうか……」

「そうだろうな。今の彼は、そういう男だ」

「『今』は……?」

「ああ。君は、昔の彼によく似ているのだよ。故に頼もしく――そして、恐ろしい」

 

 重々しく呟かれるその一言は、様々な感情がないまぜになったかのような、複雑な声色を湛えていた。

 

 懐かしむ気持ち、哀しむ気持ち、そして何かを恐れる気持ち。それが何から来るものなのかも、何処へ向けられているのかも俺は知らない。……が、瀧上さんに関わっていることだけは、恐らく間違いないのだろう。

 

「……龍太君、聞きたいことがある。君は『絶対に正しいこと』が何か、知っているか?」

「えっ……?」

 

 その時、伊葉さんと瀧上さんの関わりについて思案に暮れていたところへ、彼はやけに漠然とした質問を投げ込んできた。

 

 ……「絶対に正しいこと」……? なんだってんだ、急に……?

 

 表情を伺えば、それがいかに真剣な質問であるかはすぐにわかる。バーベキューやってる最中にブッ込むような話題ではない気もするが。

 

「うー……ん……。『人の命を救うこと』、かな? ホラ、俺が所属してることになってる救芽井エレクトロニクスって、そういうコトのための機械を作るのが仕事なんだし。それに、俺がかじってる少林寺拳法にも『不殺活人』って概念がある」

「なるほど。では、例えばの話だが……君が『人命救助』がモットーの救芽井エレクトロニクスに、正式に身を置いた人間であるとしよう。目の前で助けを求めている人間が『大勢の人間を危めた大罪人』であったとして、もし『助ければ同じことを繰り返す』と解りきっていたとしたら……迷いなく助けられるか?」

「な、なんですか、それ?」

「いいから答えてくれ。君の率直な意見を知りたい」

 

 俺が思うところを述べた途端、次はやけに限定的なシチュエーションを持ってこられてしまった。大勢の人間を危めた大罪人……? 何の話なんだよ、コレ……?

 

 ――しかし、「助ければ同じことを繰り返す」……か。もし助けたとして、それで本当に誰かが犠牲になるとしたら……?

 

 ……いや、着鎧甲冑は『人を助けるために』作られた技術だ。それに、人を『活かす』ことは少林寺拳法の教えにもある。

 

 ――「人を救うため」に在る救芽井エレクトロニクスに付いていながら、「不殺活人」を目指した少林寺拳法に帰依していながら、それらを捨てる真似なんて、許されるはずがない!

 

「――助けますよ。……きっと、迷ったり、悩んだりはするかも知れません。それでも、見捨てる方向には進めないでしょうね。そうするには、取れるはずもなくて――取る気も起きない、誰かさん達の許可が要りますから」

 

 家族みんなで描いた夢のために、敵うはずのない敵へ挑もうとしていた――生真面目で、融通が利かなくて、頭がいい癖にいつもがむしゃらで……それでいてひたむきで、一生懸命な少女。

 俺を守るためとか言いながら、一人で勝手に鍛えてたり、俺にベタベタに甘かったり、俺のためとか言って道院に引きずり出したり……。そして、挙げ句の果てにいきなり厳しくなったりして――今ある俺を、ずっと傍で育ててくれていた、一番の家族。

 

 その二人の顔がふと過ぎった瞬間、気がつけば俺はそう答えていた。これ以外の答えは、いくら考えても見つからなかっただろう。

 直感に過ぎないし、何の根拠もないけど……そうとしか思えなかった。

 

「……そうか」

 

 それを真正面から受け取った伊葉さんは、納得したような残念なような顔をする。

 もし、見捨てるべきだというのが大人の選択だとするなら、俺の子供染みた直感回答など、大ハズレもいいとこなのだろうか。

 

「ちなみに、私が用意していた回答はこうだ。――『わからない』」

「え……!?」

 

 ――だが、彼が望んでいた正解の正体は、俺の回答でも俺が予想する大人の回答でもなかった。……何の意味も持たない、空白が答えだったのだ。

 ……どういう、ことなんだ……?

 

 俺がその意味を問おうと口を開くよりも速く、彼はこちらを静かに見据えて、語りはじめる。

 

「助けるか、助けないか。どちらにもメリットはあり、デメリットもある。助ければ再発のリスクは抱えるが、背負う使命は全うされる。助けなければ使命に背くが、再発の可能性は完全に消え去る」

「使命って……。助けようって選択は、俺が決めたことです。別にそんな大層なモンじゃ――」

「同じことだ。動機が救芽井家の信条や少林寺の教えに基づく『使命』であろうと、君自身の『意志』であろうと、行為自体の内容は変わらないだろう。助けるという行為に至る動機には、意味はない。見返り目当てであろうと、実益として人の助けになれば礼は得られるように、な」

 

 経験を積んだ大人というのは、こうまでドライな存在なのだろうか。俺の主張を「意味がない」と一蹴すると、何も言われなかったかのように話を再開してしまう。

 これだけ冷たい言い草だというのに、口調そのものは穏やかさを崩していない。些細なことかも知れないが、俺にはそれが不気味に感じられてならなかった。

 ――俺の知らない「世界」が、彼の中で広がっているように見えたから。

 

「――君は二つの選択の中で、助ける道を選んだ。それで不幸になる人間が出る可能性を考えずに、だ」

「そ、それは……」

「だが、それを悪い決断だとまで言うつもりはない。自分の味方が抱える想いや、自分という存在を成す概念を守ろうとする。その信念は素晴らしいものだ。だが、それは一方で危険なリスクを生む、もろ刃の刃であることを忘れてはならない」

 

 そう語りながら、伊葉さんは未だに串を持ったまま、遠くに立っている瀧上さんへと視線を送る。その眼差しには、瀧上さんと同様に、この世界とは違う場所を見ているかのような、手の届かない何かへの、儚さのような色があった。

 

「曖昧にせず、何かをはっきりと選ぶのは良いことだ。だが、それは全てのメリット、デメリットを把握した上で悩み抜き、最後の最後で結論を出す場合に限る。君のような若さに溢れた者が、いくら全てを見極めようとしても、どこかで必ず『粗』が出るだろう。その結果として生まれる悲劇を、人は『独善』と呼ぶのだ。君がその答えを決めるには、いささか早すぎる」

「……だから、『わからない』のが正解だと……?」

 

「その通り。若いうちから決めた答えを後生大事に引きずり、何が正しいかで悩む道を放棄した人間に正義はない。無論、正義を持たないのは私も同様だ。人が一生の内で、『何が正しいか』による『悩み』と『決断』を、天寿を全うする瞬間まで永遠に繰り返す。それが、私の信じる『正義の味方』の姿なのだからな」

 

「……正義の、味方……」

 

 夜空を見上げ、絞り出すような声で呟く彼の姿は、まるで星々に向けて懺悔しているかのように見えた。

 

 ――そして、そんな彼が最後に口にした単語を、俺は無意識のうちに復唱していたのだった。

 



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第97話 花火と矢村と帰る場所

 正義の味方。

 

 それは「何が正しく、何が間違いなのか」を、一生の中で悩み続けることができる人間のこと。

 それができず、途中で「正義とはこうだ」と決めてしまえば、それはたちまち「独善」へと変質してしまう。そして「正しさ」を自分で考えることもせず、善悪の判別を他者に委ねる者もまた、同義である。

 

 ――そう、伊葉さんに教えられた俺の脳裏には、その記憶が未だにはいずり回っている。まるで、脳髄までその意識に染めてしまおうとしているかのように。

 そして、それが伊葉さんの話術の賜物なのか、俺自身が気に留めようとしているためなのかは、今でもわからない。

 

「……」

 

 バーベキューを無事に終えても、部屋に戻ってシャワーを浴びても、その意識が頭から離れる気配はない。考えれば考えるほどドツボに嵌まってしまうものなのか、未だに脳の奥底までこびりついている。

 シャワーを終えて寝間着に着替えた俺は、心身共にぼんやりした様子で、冷たさすら感じるほど綺麗に整えられた廊下を、ただ無心に歩いていた。一応は所長さんに呼ばれた部屋へと向かう途中なのだが、目を開いていても目の前が見えなくなるほど、今の俺は自ら視野を狭めているらしい。

 

 ――「誰かの命を助ける」。それが間違いだなんて疑ったことはなかったし、茂さんとの決闘に向かうまでの二週間、ずっと「救済の超機龍」の力をそのために使ってきた。

 そのことを「悪」と罵る住民なんていなかったし、だからこそ今の松霧町では「救済の超機龍」が「謎の赤いヒーロー」として定着しているのだろう。それが「間違い」――少なくとも「正解」ではないだなんて、考えたこともなかった。

 

 だけど、伊葉さんはそれを「正解」だとは言わなかった。救うか救わないか――それが「わからない」ことが正解なのだと、彼は言っていたのだ。

 

 それこそ意味がわからない、と一蹴してしまうのは簡単だ。自分の思うままの正義を曲げても、味気なく、つまらないだけだというのも確かだろう。事実、同じ話題を茂さんに振ってみた時、彼はそう返していた。

 しかし、伊葉さんは「『正義はこうである』と決めた人間は、独善の塊でしかない」とも言っていた。その理屈に基づくとするなら、茂さんも「独善」ということになってしまうのだろうか。

 

 どちらとも言えない、灰色の解答。それを「否」と断じるには、俺は余りにも世の中を知らなさすぎる。

 ……もし、俺が人生の中で一度たりとも「人の命を救う」ことに疑問を抱かなければ、それは「正義の味方」としては、歪な存在になるのだろうか。

 ふと、ヒーローとして名乗りを上げるために、見栄を張って「正義の味方」と自称していた二年前の自分を思い返し、俺は思わず足を止めてしまった。

 

「――あの日からずっと、俺は歪んでいた……?」

 

 できることなら否定してしまいたい。そんなことはない、と叫びたい。しかし、心のどこかに納得してしまっている自分がいるのも、事実なのだ。

 

「……ちょっと、夜風にでも当たって行くかな」

 

 ――だが、それが真実なのだとしても、明日のコンペティションから逃げていい理由にはならない。例え間違いであったとしても、この競争にだけは、負けるわけにはいかないはずだ。

 正しいこと、そうでないこと。それが何なのかを考えるのは、コンペティションが終わってからでも遅くはない。一生が終わるまで答えが出ないものというのなら、尚更だ。

 

 俺は短く深呼吸を済ませ、再び歩き出す。向かう先は、ロビーの外。

 少々寄り道になるが……あれこれ悩んだまま部屋に向かって、話が頭に入らないよりはよっぽどマシだろう。

 

 黄金の輝きを天から放ち、闇に覆われた大地を美しい空間へと彩る、円形の恵み。

 「満月」と呼ばれるその光に照らされた外界は、研究所の入口から漏れている光明を差し引いても比較的明るく、暗順応が完了するまでさほど時間は掛からなかった。

 

 ――だが、それにしても今夜は妙に明るいな。どうも、月の光と研究所の照明だけではないような……?

 

「どやっ、ここからが本番やけんな! 五本いっぺんにいくでぇーっ!」

「きゃあああっ!? そ、そんなに激しく出しちゃらめぇえっ!」

「……梢、怖がりすぎ……」

 

 その時、静けさゆえに敏感になっていた俺の聴覚が、少女達の話し声を明確に捉えた。……捉えたんだけど、一体何の話をしてるんだ?

 どこか聞き覚えのあるような、何かが弾ける音を拾いつつ、俺は声の主を追って、研究所の裏手へ足を運ぶ。

 

 照明の漏れとは明らかに異質で、それでいて不規則な点滅を繰り返す光。それらは鮮やかな色を放ち、近づくに連れて俺の視神経を強く刺激していく。

 次第に聞こえて来る声も音量を増し、やがて光の出所である曲がり角へとたどり着いた。そして、その瞬間――ようやく、俺はその実態を掴むことができた。

 

「あっ、龍太! なんや、龍太もやりに来たん?」

「ひゃああああああッ! りゅ、龍太様、助けて下さいましぃぃッ! ね、ねずみ、火のねずみがぁぁぁッ!」

「……梢、泣かないで。大丈夫、梢は強い子だから……」

「人事みたいに見てないで、鮎子も助けるざますぅぅぅぅッ!」

 

 ――どうやら、花火大会の真っ最中だったらしい。

 

 五本いっぺんに噴き出す、色とりどりの鋭い炎。久水を追い回し、ねずみの如く地表を駆け巡る、炎の移動物体。そして、控え目でありながら「自分に気づいてほしい」とささやかに願うように、儚く火花を放つ小さな球体。

 変色花火にねずみ花火に線香花火。おもちゃ花火の定番そのもの、といったところか。

 大方、男の子のおもちゃを好んでいた矢村の私物なのだろう。中学時代、彼女のカバンから特撮ヒーローのソフビ人形が出てきた衝撃は、高二になった今でも記憶に新しい。

 

「悪い、邪魔しちまったかな?」

「ううん、気にせんでええよ。――ホントはこんなことしとれる身分やないんやろうし、明日のことを考えたら、そういう場合でもないんやろうけど……やっぱし、アタシは部屋ん中におるよりはこっちの方が、落ち着くけん。それにこの二人も、花火はほとんど初めてみたいやから、えぇ機会やないかって思うてな」

「たはは、実にお前らしい。こんなに用意してたんだったら、俺も誘ってくれりゃあ良かったのに」

「……ごめん。なんか龍太、思い詰めとる顔しとったけん。救芽井みたいに」

 

 俺は彼女ならではの動機に口元を緩めると、山のように重ねられていたおもちゃ花火の中から、一本の変色花火をおもむろに手に取る。矢村はそれを見て気を利かしてくれたのか、先端のヒラヒラした紙の部分に、持っていたマッチで火を付けてくれた。

 

「ちょっ、あなた達ッ! ワタクシを差し置いて何を勝手にいい雰囲気――ひぎぃぃぃぃぃっ!?」

「……二発目発射。梢、ファイトー……」

 

 ――久水、なんか茂さんに似てきたな……。四郷も四郷で、「今回だけは譲ってあげる」みたいな謎の視線送ってるし。

 

 そして紙が燃え尽き、細い筒へと火の手が伸びると――鮮やかな火花が、燻りから解き放たれるかのように噴き出して来る。隣で彼女も、俺と同じ種類の花火に点火しようとしていた。

 

「救芽井も?」

「うん。なんて言ったらええんかな……。ずっとあんたのこと見ながら、心配そうな顔しとったわ」

 

 自分の手中で健気に輝く線香花火を、夢中で見つめる四郷。まばゆい火花を散らして暴れ回るねずみ花火に翻弄され、目に涙を貯めて逃げ惑う久水。そんな彼女達の一時を眺めながら、俺達は噴き出す炎に目を奪われたまま、言葉を交わす。

 

「心配……か。まぁ、そうだろうな。なにせ、明日のコンペティションに救芽井エレクトロニクスの未来が掛かってるかも知れないんだ」

「ちゃう、と思う。救芽井が心配しとったんは……多分、あんた自身のことやで」

「俺自身?」

「……むー、こっから先は自分で本人に聞きっ!」

 

 何が気に入らなかったのか、彼女は可愛く頬を膨らませると、持っていた花火もろともそっぽを向いてしまう。あ、そっちにはねずみ花火が――

 

「え――きゃああ!?」

「うわっ!?」

 

 ――だが、気づいた時には遅かったらしい。彼女が変色花火を向けた先に置かれていた、まだ使われていないねずみ花火。知らず知らずのうちに、持っていた花火でそれを点火させてしまった矢村は、火を噴き出していきなり暴走する物体に仰天してしまった。

 

 そして、気が動転したのか――彼女は、縋るように俺の胸に飛び込んでいた。

 

「あっ……!」

「え?」

 

 彼女に抱き着かれたりしがみつかれたり、というのは最近では割とよくあることだったのだが――今回は、どこか様子がおかしい。

 いつもなら力いっぱい締め付けかねない場面だというのに、我に返ったかと思えば、顔を真っ赤にして静かに離れてしまったのだ。

 

「ど、どうしたんだ?」

「あ、い、いや、えと、今のはこ、心の準備が……」

「そ、そう……」

 

 なんにせよ、学校にファンクラブまで自然発生させる程の美少女に頻繁に抱き着かれては、こっちの動悸も穏やかではない。俺もこれといった言葉を掛けることが出来ず、お互いに若干気まずい空気が流れてしまう。

 

「……」

「……」

 

 ――まずい。さっきから矢村さんが全然喋らねぇ。四郷なんてメじゃないレベルだ。

 一応俺も所長さんに呼び出しされてる身だし、いい加減引き上げなきゃいけないんだけど……こんな状況でおいとましたら、後味が悪いどころの騒ぎじゃない! なんとか会話の糸口を探さなくては……!

 

「あ……そういえば、さ。こんな風に一緒に花火したのって、中学以来じゃなかったか?」

「う、うん。龍太、去年は何かと急がしそうやったし……」

 

 苦悶の末に捻り出した話題に、矢村も恥じらいを秘めたような声色で反応を示す。気がつけば、二人で小さな線香花火を眺めるようになっていた。

 ……去年、か。あの夏から兄貴の扱きが格段にキツくなったんだっけ。風呂の中で寝ちまうくらいくたびれる毎日だったし、確か矢村とは、連絡すら取れてなかったんだったな……。

 中学の時までは、散々男友達みたいに一緒に遊んだってのに、今ではずいぶん状況が変わっちまってる。――寂しいよなぁ、結構。

 

「……実は、さ。俺もちょっと、ここ最近は悩み気味でさ」

「え?」

「今まで考えたこともなかったような次元の話とかされて、わけわかんないことになったり、明日のことでも色々心配だったり、頭から離れないくらい怖いモン見ちまったり……。ホント、去年の今頃はこんなことになるなんて、これっぽっちも想像つかなかったよ」

 

 人の気も知らず、澄んだ輝きを放つ星を見上げながら、俺は愚痴るように思うままの言葉を放つ。隣でしゃがんでいる矢村は、そんな俺をただ真剣に見つめていた。

 

「考えたことのない、踏み込んだことのない世界。そんな未知の秘境に次から次へとブチ込まれてるような気分でさ。ホント、なんて言ったらいいのかな……地に足が着いた気がしない……って感じかな?」

 

 さっきまで、あれだけ話題を探すことに必死だったのに、今では何も考えなくても、スラスラと言葉が流れて来る。余りにも自然に本音がこぼれるから、自分自身でも歯止めが効かない状態だ。

 どんどん……気持ちが、こぼれちまう。矢村の前……だからなのか?

 

「そんなことばっかりだけど……こうしてここに来て、またお前と花火で遊んでると……昔に戻ったみたいな気がして、正直、安心してる自分がいるんだ。明日の事情とか考えてみたら、俺の方がよっぽど遊んでる場合じゃないんだけど……でも、必要なことだって気がするんだよ」

「龍太……」

「――なんていうか、その、安心するんだよ。やっぱり。着鎧甲冑とか『新人類の身体』とかコンペティションとか、いろんなことに囲まれてても……俺はやっぱり、松霧町の一煉寺龍太なんだ、って。何があっても、俺はここに帰ればいいんだ、って、そんな気分になれるっつーかさ……」

 

 ……もう、完全にコントロールが効いてない。俺は、何を言おうとしてるんだろう。しかも、止まる気配はまるでないけど……それが「ヤバい」と感じてはいない。

 

「だから、さ。ここにお前が居てくれて、良かったって思ってる。お前がここに居てくれたから、俺は俺でいられてるんじゃないかって、そんな感じ。つーわけで……まぁ、ありがとう」

 

 ――そして、口をついて出た言葉を自分自身で確かめた時、俺はようやく「全部の気持ちを吐き出せる」くらい、矢村のことを信じている自分に気づくことができた。

 

「……あ、あ、う……」

 

 彼女はそれに対して、どう反応するべきか迷っているのか――これ以上はないというくらい顔を紅潮させて、視線を泳がせている。

 俺はそんな彼女が可愛らしくてしょうがなかったのか――無意識のうちに頭を撫でていた。黒く艶やかなセミロングの髪が、月明かりの中でふわりと揺れる。

 

「ひゃん……!」

 

 子猫のような高い声を上げて、気持ち良さそうに頬を染める彼女の姿は、さながら付き合い始めたばかりの恋人のようだった。俺が恋人のポジションに立つには、いささか力量不足ではあるが。

 

「さて。じゃあ用事の途中だったし、俺はそろそろ行くよ。花火、使わせてくれてありがとな」

 

 俺は灯を失った花火を、用意されていたバケツの中に放り込むと、すっくと立ち上がって踵を返す。

 いつまでもここにいたい、という気持ちもあるにはある。だが、俺にやらなきゃいけないこと、行かなきゃいけない場所があるのも事実だ。

 

「それと、後で救芽井にも会ってみる。教えてくれてサンキューな」

「う、うん……」

 

 彼女が帰る場所なら、いつかそこへ帰ればいい。それまでは、戦おう。

 

 その時、ねずみ花火に翻弄され尽くしてゼェゼェと息を荒げていた久水と、そんな彼女の頑張る姿を見て悦に浸っていた(?)四郷も立ち上がり、こちらへと視線を向ける。

 

「あっ、りゅ、龍太様……明日のコンペティション、はぁ、はぁ、が、頑張って下さいまし……ひぃ、ひぃ、ワ、ワタクシ、全身全霊を込めて、お、応援しますわぁ……」

「……簡単には負けない。でも……一煉寺さんも頑張って」

「おう。二人とも、ありがとう!」

 

 ――ここまでエールを送られたら、逃げ出す方が難しいよ、全く。俺は二人にグッと親指を立てて見せると、来た道を引き返していく。

 向かう先は、所長さんの部屋。今なら、落ち着いて話が聞ける気がする……。

 

「それにしても……救芽井さんのこと、よろしくて? 敵に塩を送るようなものでは――」

「こ、今回だけやで! 今回だけ! それにアタシは、ライバルは正々堂々と叩き潰す主義やけんなっ!」

「……かっこいー。男らしー……」

「う、うわあぁあぁあん! ア、アタシは、女の子やもぉおぉおんっ!」

 

 ――なんか矢村の悲痛な叫びが聞こえたような……まぁ、多分気のせいだろう。

 

 ……気のせいだよね?

 



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第98話 閉ざされた世界、開かれた蓋

 所長さんの部屋だという、一室の入口。この研究所に数多くある個室の中でも、その扉が放つ異質さは別格であった。

 

 特に見た目が他と違うわけでも、入口そのものが変わった場所にあるわけでもない。少なくとも扉だけを見れば、普通の部屋と何も変わらないのだ。

 なのに、これほど周囲の部屋と比べての違和感を強く感じてしまうのは、恐らく「ここが所長さんの部屋」だと俺が意識しているから、なのだろう。

 

 初めて会った時に感じた、凍り付くような雰囲気。それを覆い隠すかのような、朗らかな人柄。そして、海へ行く前に僅かに見えた――得体の知れない「疲弊」の影。

 普通の人間にはない「何か」を常に内包しているかのようだった彼女が、この先にいる。その事実が、何の変哲もない個室の奥に存在しているという現状が、たまらなく不自然なのだ。

 もし、ここが所長さんの部屋と知らなければ、俺は何も気にすることなく、この場を通り過ぎていただろう。だが「知ってしまった」からには、そんなことはもはや不可能。

 「この部屋にいる」という事実だけで、その入口ごと異質な雰囲気に巻き込んでしまう彼女に、俺はこれから一対一で対面することになるわけだ。

 ……ビビってなんか、いられない。さぁ、聞かせてもらおうじゃないか。話ってヤツを、さ。

 

 緊張ゆえか小刻みに震えていた息を、短い深呼吸で整え――

 

「所長さん、一煉寺だけど」

 

 ――意を決し、扉の奥へと声を掛ける。

 

 ……だが、返事は来ない。今か今かと待ち続けても、彼女が扉から姿を現す気配は訪れなかった。

 

「……?」

 

 聞こえていないのか、と勘繰った俺は、それからも何度か、同じ要領で呼び掛け続けた。しかし、どれだけ繰り返しても、重く閉ざされているかのように立ち塞がる扉は、開く気配を見せない。

 

「いない、のか? だけど、指定された時間と部屋は間違ってないはずなんだよな……」

 

 俺は寝間着のポケットから、バーベキューの後に所長さんから渡されていた、一枚の小さな紙を取り出す。それには、彼女の部屋番号と待ち合わせの時間が書かれていた。

 これによれば、場所と時間は間違いないはず。しかし、現状として彼女が現れる様子はない。

 

 ――すっぽかし? 居留守? それとも本人が忘れてる?

 俺は頭に浮かぶ原因の数々に促されるかのように、一歩前へと進み出る。もし彼女の頭に、約束の時間に会う意思がないのなら、この自動ドアは鍵が掛かっていて開かないはずだ。トイレにでも行ってるだけかも知れないけど。

 

「……あれ?」

 

 だが、牢獄の入口のように重々しく感じられていた自動ドアは、思いの外あっさりと開かれてしまった。肩透かしもいいとこじゃないか……。

 扉の先は部屋の電気が付いておらず、今が夜だということも相まって、かなり暗い。だが、机を照らす電灯や何かしらの電気器具の光は出ていたため、あながち真っ暗というわけでもなかった。

 

「……」

 

 普通なら、ここで所長さんが戻るまで待つべきなんだろうけど……どういうわけか、俺はそのまま部屋の奥へと吸い込まれるかのように、足を前へ運んでいた。

 ――ここにある、という気がしてしまったからだ。四郷姉妹を取り巻いていた、謎の全てが。

 

 まず目についたのは、様々な書類のようなものが散乱している机。どのプリントやノートにも、何やら小難しい文章がびっしりと書き込まれており、中には人型の解剖図みたいなものまである。

 机の上に取り付けられていた小さな電灯の光を頼りに、俺はそうした書類らしきものを次々と拾い上げ、流し読みを試みた。

 

 ――怖いもの見たさなのだろうか。「恐怖」と「好奇心」が入り混じったかのような感情に揺さぶられた俺の動悸と行動は、いくら制御しようと理性に訴えても、留まる気配がない。

 

 パラパラと何枚もの書類をめくり、気になる文章だけに目を留めていく。ほんの数秒間に過ぎない筈の時間の中で、何時間も疑問に思い続けていた「世界」を、俺は垣間見ているのだ。

 「戦闘データ」、「四肢断裂」、「死傷者七千」、「国際問題」、「改造被験体第二号」……たった十秒かそこらの間に、俺は何を見てしまったのだろう。どの単語にも繋がりがあるようには思えず、しかしこうして一つの部屋の中に纏められている以上、必ず何かしらの関連はあるわけで……。

 

「……ッ!?」

 

 その時、手に取ってみた中での最後の一枚に、俺は思わず目を奪われてしまう。なんだ……この他とは違う大きさのプリント。――いや、これは……設計図、なのか?

 

 無意識のうちに息を呑み、それとほぼ同時に俺はその紙を、机の上に大きく広げる。

 

 そこに描かれていたのは……人型の、何かだった。

 

「な、なんだ……これ?」

 

 他の書類とは明らかに違う。さっき見た人型の解剖図みたいなのとも、まるで違う作り込みだ。どうやら機械の身体の設計図らしいが……配線の一本一本まで、やたら詳しく書き込まれている。

 

 しかも等身大の「新人類の身体」とは、サイズが余りにも違い過ぎていた。

 ――「全長十メートル」なんて書いてるけど……正気なのか!?

 

 具体的にどういうモノを作り出すための書類なのかはわからない。けど……なんなんだろう。とてつもなく……ヤバいものを見ているような、そんな気がしてならない。

 

 ふと、その設計図の見出し部分に目が移る。

 「新人類の巨鎧体(ヤークトパンタン)」と書かれたその文字を目の当たりにした瞬間、俺は本能的にその設計図を畳むと、机から数歩離れた。

 

 ……ダメだ。なんでかわからないけど、これ以上見ていたら、気が変になりそうだ。理屈じゃない、本能に響くような不気味さが――俺を引き離させたんだろうか。

 

 部屋自体の薄暗さもあってか、ますますこの辺りが気味の悪い空間に思えてきてしまう。俺はそんな不快感から逃れようとしたのか、奥の方で妖しく点滅する電子器具のランプらしき光に興味を移した。

 部屋の電気が消えている中で、まるで独立して機能が生きているかのように光り続ける、緑色の光点。

 その発光に誘われるかのように、俺はそこへ向かって静かに歩み寄る。

 

 そして、そこへたどり着くまでもう少し――というところで、俺の目に光点とは別の存在が留まる。

 緑色の発光に照らされたためか、これだけの暗さの中でもハッキリと存在を認識できる物体があった……写真立てだ。

 

「これは……」

 

 とにかく別の何かに興味を移して、不安を削ぎたかった。そういう気持ちもあってか、俺はそこへ向けてまっすぐに手を伸ばす。

 暗闇の中に生まれる感触。その先からこちらの視界へ写り込んだものは――十五歳くらいと十二歳くらいの少女達が、海を背景に笑い合う姿だった。

 

 二人とも仲睦まじく抱き合い、満面の笑みでカメラにピースサインを向けている。両者は白いワンピースを着て青みが掛かった髪の色を持っており、背景もあって涼しげな印象を漂わせていた。

 片方は見たこともないポニーテールの美少女だが……もう一方のサイドテールの娘は、多分――俺の知ってる娘だ。

 彼女の――四郷の友達なのか?

 

 写真に写っている四郷らしき眼鏡を掛けた少女は、今の姿からは想像も付かないような、心から幸せそうな笑顔を浮かべている。隣に立つ少女にも、よく懐いてるようだ。

 

 ……少なくとも、彼女にもこういう時代があった、ということなのだろう。気掛かりなのは、何が彼女をここまで変えてしまったのか、だ。

 その起点はどこにあるのか。それを探ろうと、この写真が撮られた時――まだ彼女が元気だった時は何時なのかと、俺は写真の下部へと視線を落とし――

 

「!?」

 

 ――凍り付く。

 

 二〇十六年八月十日。この写真が撮られたのは、今から十三年も前のことだったのだ。

 普通に考えれば、有り得ない。なぜ俺よりずいぶん年下くらいの四郷が、この頃と変わりない容姿なんだ!? 二〇十六年ってことは……俺がまだ四歳かそこらの時じゃないか!

 

 しかも、その隣にマジックで書かれていた文字が、さらに衝撃的に俺の認識を覆す。

 日付の傍に書かれている「あゆみ」「あゆこ」という文字を覆う、相合い傘。それが意味するものを悟った瞬間、四郷の隣にいるポニーテールの少女が誰なのか、俺は理解せざるを得なかった。

 そして、その見解が正しければ――この日付にも、多少は納得がいく。

 

 だが、この写真の意味そのものは理解していても、理性はその事実を受け止めることに抵抗の意を表している。

 ……当たり前だ。所長さんはこんなに若いのに、四郷が今と変わらない姿だなんて、計算が合わないにも程がある。この写真が事実であるなら、四郷は今頃所長さんと大差ないボイン姉ちゃんであってもいいはずなのに。

 

 ――そんな悠長なことを考えていられるだけ、俺はまだ冷静なのだろう。

 静かに写真立てを元の場所に戻し、俺はその場で思案に暮れる。四郷は、所長さんは一体……?

 

「あら、レディの部屋に無断で上がり込む紳士とは斬新ね」

「いっ!?」

 

 その時だった。

 

 この研究所と四郷姉妹の「見えない部分」を象徴付けるかのように、ほぼ全域に渡り暗闇に支配されていたこの空間が、無機質な光によって照らし出されてしまった。

 反射的に閉じられた瞳が、徐々に明順応を終えて開かれ――挑発的な眼差しの所長さんが、俺の眼前に現れる。

 

「しょ、所長さん!?」

「部屋に来なさい、とは言ったけど、何から何まで好きにしていいとまでは言ってないわよ。しょうがない子ねぇ、そんなにお姉さんのことが我慢できなかったの?」

 

 シャワー上がりなのか、バスタオル一枚という異様な格好。その姿に、俺は慌てて視線を逸らした。一方、向こうは俺が勝手に入ったことに怒る様子を見せず、むしろ鬼の首を取ったかのように、不敵な笑みを浮かべていた。

 

「なななな、なんでそんな格好!? シャワーって個室にあるんじゃあ……!?」

「うふ、相変わらずかわいいわね。電子制御室ってとこにもシャワーがあって、そっちの方を使ってきたのよ」

「……電子、制御室? そんなところで何を――」

「ま、それは後で話すわ」

 

 こちらにゆっくりと歩み寄る彼女は、写真に写るポニーテールの少女とは、比にならない妖艶さを全身から匂わせている。だが、その目元や髪の色、艶やかな唇には――確かに、面影のようなものも伺えた。

 最低限の面積しか持たない、桃色の布。その端から覗いている、成熟した肌で形成された渓谷と、流れるようなラインを描く脚。そしてシャンプーの扇情的な香りと、彼女の唇、胸、肢体を撫でるように伝う滴が、俺の意識を誘っているようだった。

 そんな彼女は俺の傍らを通り過ぎると――その奥にある緑色のランプに向けて、指を伸ばしていた。

 

「……なっ!?」

 

 そこで俺は、自分のすぐ傍に存在していた、棺桶のような形状の機械を目の当たりにする。

 頑丈に鉄の蓋で覆われているかのように、無骨な作りになっていたソレは、どうやらさっきまで俺が見ていたランプらしき光に通じる器具だったらしい。所長さんは緑ランプの近くにある何らかのボタンを操作すると、スッとその場から離れてしまった。

 

 ――何かに絶望しているかのような、暗い表情を浮かべて。

 

 そして――その顔色に俺が眉をひそめるより早く、鉄の棺桶に変化が訪れた。

 ゴウンゴウン、という重々しい機械音が部屋中に響き渡り、その鋼鉄の蓋が……二つに割れようとしていたのだ。さながら、封印から開かれる扉のように。

 

「これは、一体……?」

「すぐにわかるわよ。受け止めるには、時間が掛かるでしょうけど」

 

 その音が止み、この部屋が再び静寂に包まれる瞬間。それは、この黒鉄の扉が完全に開かれた時を意味していた。

 

 そして、その中に閉ざされていた存在に、俺が驚愕して目を見開いた瞬間――

 

「さて、ここまで見たからには話は全部聞いてもらわなくちゃね」

 

 彼女は口を開き――

 

「まずは単刀直入に言っておくわ」

 

 ――豊満な胸を寄せ上げるように、腕を組み――

 

「明日のコンペティション……あなたには、必ず勝って欲しいのよ」

 

 ――商売敵の人間として、有り得ないことを口にしていた。

 



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第99話 爪痕の姉妹

「それと、もう一つ。鮎子が『新人類の身体』に脳髄を移植したのが十ヶ月前って話……あれは嘘。『十年前』だなんて言われたら、みんなドン引きでしょう?」

 

 畳み掛けるかのように放たれる、自嘲の色を孕んだ言葉。それを聴覚に受信した瞬間、俺の頭脳は眼前に映る光景の意味を、ようやく理解することができた。

 ……理解してしまったんだ。

 

「し、ごう……?」

「……そう、その娘は正真正銘、四郷鮎子。私の、大切な家族よ」

 

 鉄の棺桶に囚われた、緑色に発光する液体の中で眠る少女。抜け殻のようにピクリとも動かないその身体は、生まれたままの姿となっている。

 そして、その容姿は――俺が知る、「四郷鮎子」という少女と瓜二つなのだ。普段の彼女と違い、髪を下ろした状態だったからすぐにはわからなかったが、身体つきや顔を見た瞬間、記憶の糸が条件反射で彼女のビジョンを手繰り寄せていた。

 

 ……研究所の外で花火に興じているはずの彼女が、この怪しい液体の中で死んだように眠っている。そして、今の所長さんが言い放った一言。

 それらの情報を一まとめにして解釈するなら――

 

「四郷の本体は……十年も、ここで……!?」

「ええ。信じられないかも知れないけど、あの娘、もう二十五よ。そろそろ、身を固めなくちゃいけない年頃よね」

 

 俺に背を向けて、自分のベッドに腰掛けている所長さん。その見えない表情と背中には、えもいわれぬ哀愁に通じるものを感じさせた。

 どんな顔をしているのかはわからない。が、冗談めかしたようなことを言っている割には、声のトーンが余りにも低い。どうしようもない現実に対し、開き直っているかのように。

 

 ――しかし、あの四郷が二十五歳って……マジなのかよ!? いや、そうでなきゃあの写真に説明がつかない……!

 この人は、十年も血の繋がった妹の身体を、こんなところに素っ裸で閉じ込めてたってのかよ! なんで!? なんのために!?

 

 やがて彼女は身体を捻ってこちらに視線を向ける。その顔は、既に何もかも投げ捨て諦めているかのような、空虚さを漂わせていた。

 この研究所に、そして彼女達姉妹に何かがあるとは、ここに来た時から感じていたことだ。その分だけまだ驚かずに済んでいるが、その代わりに沸き上がりつつある感情がある。

 

 ――今ならわかる。これはきっと、怒りなんだと。

 

「あの娘を地獄に突き落としたのも、あんな身体にしたのも、全ては私の仕業だもの。悪を許さない正義のヒーロー様からすれば、格好の悪役よね?」

「……なんだってんだ! 何がしたくてそんなことッ!」

 

 妹思いの優しいお姉さんなのか。それとも、妹を機械の身体に作り替えてしまう、非情な女なのか。どちらの顔を信じるべきかに迷う俺は、気がつけば眉を吊り上げ、彼女に詰め寄ろうとしていた。

 自分でも、その反応が正しいのかはわからない。もしかすると、これも伊葉さんの云う「独善」の姿なのかも知れない。だが、そうであろうとも、今の俺には叫ぶことしかできないんだ。

 ……少なくとも、妹をこんな姿で、こんな所に十年も閉じ込めている内は。

 

 だが、彼女は剣呑な態度を見せる俺に怯むこともなく、それが当然のことであるかのように涼しい顔をしている。……いや、涼しくはない。罰を受けて、それを是としている表情だ。

 「仕方ない」といいたげに切なさを滲ませた表情が、彼女の胸中に良心の概念があることを俺に伝えようとしている。それは信じるべきなのか、疑うべきなのか……?

 

「ふぅ……そうね、そうよね。賭けてみるって、決めたんだものね」

「……?」

「どこから話せばいいのか……。言っておくけど、あんまり面白い話じゃないわよ」

 

 ――その面白くない話を聞かせるために、あんたはここに呼んだんだろうが!

 

 ……という気持ちが顔に出ていたのだろう。所長さんは俺の表情に苦笑を浮かべると、「わかったわかった」とうるさげに手を振る。

 怒りは感情のコントロールを狂わせると言うが、確かにコレは制御が難しい。何にこの気持ちをぶつければいいのかもわからないまま、ただ感情だけが燻り続けているのだ。

 

 その胸中に渦巻く憤怒を押し殺そうと唇を噛み締め、拳を握り締める。その様子をしばらく見守っていた所長さんは、俺の制止を拒むように震えていた身体が止まる瞬間、それまで重く閉ざされていた口を開く。

 

「私の助手……凱樹とは話したかしら?」

「……? いや、あんまり。顔を合わせたことはあるけど」

「そう。……凱樹とはね、松霧高校で出会ったの」

「松霧高校!? じゃあ、あんた達ってOBだったのか? ……つか、それと四郷のことで、何の関係があるんだよ」

「あるわよ。私の隣に凱樹がいたから、今の鮎子があるんだから」

 

 最初に切り出されたのは四郷ではなく、あの瀧上さんの話。何の繋がりがあってのことなのかは知らないが、彼を語る所長さんの瞳は、ここではないどこかを見ているようで――少女のような、いたいけな色を含んでいるような気がした。

 

 ――言われてみれば、この人達の名前、校長室で見たような……?

 

「凱樹は当時の松霧町では、正義感と腕っ節の強さで有名な子でね。強盗や引ったくりが絶えなくて、治安の悪かったあの町の状勢を、たった一人でひっくり返してしまったのよ」

「あの人が……? まぁ、確かに昔は『ヤクザの詰め所』なんて言われるくらい、治安が最悪だったらしいけど……」

「えぇ。彼が当時の松霧町を実質的に牛耳っていた、ヤクザの組を単身で制圧してからあの町は変わったわ。田舎町には違いないけど、活気は出たし血が流れることもなくなった。名誉町民として賞賛されたくらいなのよ」

「へぇ……」

 

 あの恐ろしい雰囲気を全身に纏っていた瀧上さんに、そんな背景があったってのか? なんとも不思議な話だな。

 ……でも、なんか変だな。そんなに凄い人なのに、まるで聞いたことのない名前なんだけど。松霧町生まれで松霧町育ちの俺だけど、瀧上さんの話を聞いたのは今が初めてだ。

 所長さんの話が本当なら、誰もがその存在を知っているべきだろう。だが、俺よりは長生きしてるはずの商店街のおっちゃんやおばちゃんや、交番のお巡りさんも、そんなヒーローみたいな人の話をしていたことは一度もない。強いて言うなら、以前の救芽井が扮していた「救済の先駆者」の話くらいだ。

 

 だが、真っ赤な嘘だとも思えない。実際に戦っているところを見たわけじゃないが、あの眼光の持ち主なら、それくらいやりかねないだろう。あんな眼差し、ちょっとやそっとの修羅場で身につくモンじゃない。

 

「私は、そんな彼にずっと恋い焦がれて……高一の春先、思い切って告白したの。彼も了承してくれて……本当に幸せだった」

 

 瀧上さんのことを語るに連れて、次第に若返るかのように「恋する少女」の顔に近づいていた所長さんの表情は、この瞬間にピークを迎える。バスタオル一枚という過激な格好には似合わない、少女としての可憐さがそこにはあった。

 

「彼と会う前は、機械工学の研究者を代々輩出してる実家の意向に従って、海外の研究所で学んでいたけど……日本にいた両親が実験中の事故で亡くなって、葬儀のために帰国してから、私は失意のどん底だったわ。親戚に厄介払いとして松霧町に転居させられてからは、一緒について来た鮎子だけが心の支えだった……」

「所長さん……」

「ヤクザには身体目当てで狙われるし、鮎子を学校に通わせるのも危険過ぎるしで、本当にあの時は地獄だったわよ。だけどあの人は……そんな地獄を、平和な町に作り替えてしまったの。惚れるのも、無理ないでしょ? しかも妹まで彼に夢中になっちゃって。あの頃は彼を取り合って、いつも大喧嘩だったわ」

 

 自分の過去を語る彼女の姿は、惚気話に興じる年頃の少女のようで、今までには見たことも想像したこともない姿だった。だが、そこから先のことを話そうとする内、表情に陰りが見えて来る。

 ……始まるんだな。そこから、何かが。

 

「でも、所詮は彼も生身の人間。何十人も纏まって武装したヤクザには、敵うはずもなくて……瀕死の重傷を負うことも、珍しくなかったわ。彼がヤクザを倒して町の平和を取り戻せたのは、そのための力を私が『造り出した』からなの。……両親が命懸けで完成させようとしていた、肉体ではなく内臓を覆う、鋼鉄の鎧を……」

「……まさか『新人類の身体』か!?」

「そう。機械の身体を手に入れた凱樹は、ヤクザ共を次々に薙ぎ倒して……町の平和を取り返してみせた。私がそのあと告白したのは……彼の肉体を奪った罪を背負うために、一生を賭けて尽くしたかったからなのかも知れないわね」

 

 所長さんはそこで小さくため息をつくと、俺の後ろで静かに眠る「四郷の本体」へ視線を移す。過去を懐かしみ、羨み、憂いているその眼差しには、例えがたいやるせなさが漂っている。

 

 ――にしても、四郷以外に「新人類の身体」がいたのは驚きだ。確かに、今の話が事実なら、あの迫力の背景にも繋がるかも知れない。

 

「鮎子と違って、凱樹には本体がないわ。ヤクザとの抗争で彼の肉体は死を免れない程に損傷していて、もう二度と『人間に戻る』ことはできなくなっている。それでも彼は、私を怨まずに……感謝すらしていたわ。『これで、もっとオレは正義のために戦える』……ってね」

「自分が人間じゃなくなっても、何とも思わなかったってのか……?」

「そうよ。『生まれも育ちも松霧町』の彼にとっては、『悪をくじく力』こそが全てだった。ヤクザを倒して、自分に『それ』が備わってると知った彼は、もっと先へ進もうとしたのよ」

「もっと、先?」

 

 ここから先の話に、彼があの殺気を纏うようになった経緯があるのではないか。そう予感せずにいられなかった俺は、反射的に身構えてしまう。

 俺自身の訝しむ表情からその内心を悟ったのか、彼女は小さく頷くと、唇を小さく開かせて話を再開した。

 

「『世界の紛争地帯に流れる血を止めたい』。彼は当時の総理大臣だった伊葉和雅に、そう具申したのよ」

「総理大臣に直接会いに行ったのかよ……どんだけアグレッシブなんだ」

「ホントにね。……だけど、彼は本気だった。それを行える力を持っている分、余計にね。伊葉も松霧町を救ったヒーローの頼みとあっては、無下にできなかった」

「それで……瀧上さんを海外に出したってのか!?」

「支援らしい支援はなかったけどね。少しの旅費と開発費だけを渡して、彼は私達を海外へと送り込んだわ。上手くいけば大々的に世界にヒーローとして報じるけど、しくじれば一部の日本人の勝手な行動として国は関与しない、という条件付きだったけど」

「トカゲのしっぽ切り……ってヤツか」

「仕方ないわよ。下手なことされて国際社会での信用を落とされたら、たまったもんじゃないもの。……だけど、伊葉さんは凱樹のことはかなり買ってたわ。例の条件も、周りを納得させるための建前みたいなものだったみたいだし。――眩しかったんでしょうね。この時世に、あんなに正義感のある人がいるってことが」

 

 ――眩しかった、か。

 そういえば俺も、「皆の命を助けたい」って奔走してる救芽井を見た時は、遠い空で光る星を見るような気持ちで眺めてたんだっけ。……今じゃすっかり近くに立っちゃってる感じだけど。

 

「最初の内は、彼は上手くやっていたわ。兵士の武器だけを壊して、民衆を苦しめていた資産家は命を取らない程度に懲らしめて……。彼の活躍を聞き付けたアメリカの軍事機関が、兵器開発の研究対象として目を付けてきたこともあったわ。おかげで、莫大な研究費用が手に入ったんだけどね……」

 

 その時、彼女の様子に僅かながら変化が訪れる。それまでは嬉々として……とまでは行かなくとも、慕い続けていた瀧上さんの活躍を懐かしむように語っていた声色が、次第に沈んでいくのがわかった。

 ……四郷の本体のことを話した時と、同じ空気を感じる。今の彼女に通じる背景に、近づいているってことか……。

 

「……だけど、その行為は次第にエスカレートしていった。武器だけではなく命を奪い、自分と同じ……いいえ、自分より年下の子供でさえも、『正義に反する』なら敵として見るようになってしまったの」

「なっ!?」

「人命を優先して、テロリストの殲滅より難民の救出を優先した結果、その見逃したテロリストに、護ろうとした村を全滅させられたのがきっかけだわ。彼は単身で全てを守り切れないなら、守り切れるように『敵の数』を減らそうと考えたのよ。そのために私とアメリカの兵器研究機関に作らせたのが――これよ」

 

 瀧上さんが纏う、あの例えがたい殺気。その背景にある悲劇を語りつつ、彼女はさっき俺が漁っていたデスクへ向かい、そこから一枚の書類を取り出した。

 

 その艶やかな手に触れている、書類の正体――それは、あの「新人類の巨鎧体」と書かれた謎の設計図だった。

 



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第100話 明かされる真実と括られる腹

 「新人類の身体」に内蔵された脳髄を中核とし、全身を当時のアメリカ軍が提供していた最新兵器で固められた、全長十メートルに渡る鋼鉄の巨体。

 かつて松霧町のヒーローと呼ばれた瀧上凱樹を、最凶の鬼神へと変貌させた、最大の因子。

 

 それが、俺に知らされた「新人類の巨鎧体」という存在の意味だった。

 

「概念としては、『新人類の身体』の活動範囲を広げるために開発されたサポートメカ。だけど、その実態はそんな表現には収まらないほど、『新人類の身体』の戦闘力を大幅に高める結果を出していたわ」

「そんなもので……瀧上さんは何を?」

「――これよ」

 

 彼女は俺と一切目を合わせようとせず、机から取り出したリモコンを、ベッドの正面にあったテレビへと向ける。

 

 そこに映し出された世界は――こことは遠い次元のような、荒涼とした黄土色の地平線だった。雲一つなく澄み渡る青空と、激しく照り付ける陽射し。そして、荒れ果てた大地。

 

 ……もしそれだけだったなら、何かのドキュメンタリー番組でもやってるのかと誤解してしまっていただろう。

 だが、そんな悠長な勘違いすら許されないほどの光景が、俺の眼前に映っているからには、目を逸らすわけには行かない。決して無視は出来ない、四郷姉妹と瀧上さんに起きたことを知るためには、必要だからだ。

 

 ――たとえ画面全体に、焼け焦げた死体の群れが広がっていようとも。

 

「うっ……!」

「耐えられないなら無理に見なくてもいいのよ。私が勝手に流してるだけだから」

 

 ――別に、人生で一度も死体を見たことがないわけではない。歴史の教科書で残酷な死体を描いた絵や、当時の写真を見たことがある奴は少なくないはず。

 

 だが、映像として見ると全く違う。……「動かない」んだ。人として生きて、些細でも何かを成してきたであろう存在が、抜け殻のようにピクリとも動かない。人の形をした消し炭のようにすら見えるその死体の数々は、人形のように不自然な格好のまま、見ているだけで焼け焦げてしまいそうな大地の上に倒れているのだ。

 この映像を撮っているカメラマンが息せき切って走っているのとは対照的に、不気味なほど「動かない」。写真ではわからない恐怖と、哀愁がそこに渦巻いているようだった。

 

『凱樹ッ! お願い止めて、もう止めてッ! 相手はあなたが守ろうとした市民軍よ!?』

『こいつらは俺の正義を認めず、悪魔だと言い放った。今はただ、その粛清を行っているだけだ!』

『それは、あなたが政府軍の女子供までッ――』

 

 その時、二人の男女が言い争っているかのような声が聞こえて来る。場所は明らかにアフリカのような荒野だというのに、喋っている言葉は間違いなく日本語だ。

 

 ……にしても、この男の声、どこかで……?

 

「これは、中東のある紛争地域の映像よ。ちょうど、今から十年前だわ。この頃は政府軍と市民軍の抗争が続いていて、政府軍が圧倒的に優勢だったの。――私達が来るまでは、ね」

「十年前……」

 

 にわかには信じがたいが、四郷の実年齢は二十五歳なのだという。そんな彼女が「新人類の身体」になったのも、十年前。

 わざわざこんな惨たらしい映像を見せるからには、何かしらの繋がりがあってのことなのだろう。何の関係もなしにこんな有様を夜中に見せられたら、たまったもんじゃない。

 

「……そろそろ映る頃かしら。一煉寺君、もし『向き合う』つもりになってくれてるのなら、これだけは見逃しちゃダメよ」

「いきなり何を――!?」

 

 どこか意味深な彼女の物言いに、眉をひそめた瞬間――俺は、全身が凍りついたように動けなくなってしまう。

 

 眼前に映る世界で繰り広げられる、殺戮の嵐。舞い散る血しぶきと人体の一部。

 

 そして――戦場を支配する、赤褐色の巨人。

 

「これが――瀧上さん、なのか……!?」

 

 機械らしく角ばった身体を持つ、その異様な姿形の存在は、数多の「生きている」人間をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、といった行動を、ただ淡々と繰り返していた。

 

 ――この表現は、比喩ではない。地面に転がる「動かなくなった」人間の身体が、それを証明している。

 

 見たところ、俺達日本人よりは肌の黒い人々が暮らす国らしい。だが、原形を留めないほど痛め付けられた挙げ句、巨人の胸部から放たれる火炎放射に焼かれた姿ばかりが映るこのビジョンでは、元々の肌すらほとんどわからない。

 

 黄金に輝く鋭い両目。力強さを感じさせる、図太い鋼鉄の手足。白と赤褐色を交互に使った、昔のアニメのヒーローにあるような色使い。

 そんな古きよきスーパーロボットが、現実世界にそのまま飛び出してきたかのような存在は今、テレビの中で凄惨な命の蹂躙を続けている。

 

「な、なんだよ、これ……なんなんだッ!」

「これが『新人類の巨鎧体』よ、一煉寺君。彼が正義という名の狂気に包まれて生まれた、いびつな化け物。その威力は、彼の願いを叶えるには十分過ぎたわ」

 

 まるで他人事のように冷めた口調で所長さんが話している間も、血と肉と悲鳴が飛び交っている。はじめはショックの方が上回っていたため何も感じなかったが、次第に吐き気を催すようになってきてしまった。

 

「う……!」

 

 ――だが、最後の瞬間まで目を逸らすつもりは毛頭ない。四郷との関連諸々を抜きにしたって、こんな残酷過ぎる背景を知らんぷりで済ませられるかッ!

 俺は固く閉じた唇を片手で抑えながらも、かじりつくように映像を凝視する。下らない理由かも知れないが……ここで目を逸らしたら、「新人類の巨鎧体」とやらにも当時の瀧上さんにも「負けた」ことになってしまうと感じたからだ。

 

 ――こんなことやってる奴には負けない、負けてたまるか……!

 

 殺戮の異常性を真正面から見続けたせいで、恐らく俺も感覚が麻痺してしまったのだろう。普通ならこの狂気に怯えて、映像を拒絶するどころか部屋を飛び出している。救芽井に出会う前――ただの一般人だった頃の俺なら、間違いなくそうしていた。

 

『よく見ておけ鮎美! 世界を守るヒーローに盾突いた悪の手先が、どのような末路を辿るのかッ!』

『やめてッ! お願いだからもうやめてッ! やめてよぉおぉぉッ!』

 

 やがて、状況に変化が訪れる。さっきから巨人の周りを動き回って、制止を呼び掛けていた十八くらいの少女と、巨人が初めて目を合わせた。やり取りを見ていれば、この悲痛な叫びを上げつづけている少女が、当時の所長さんであるということは容易に想像がつく。……本当に苦しいのだろう。既に叫びすぎて何度もむせ返っているのに、未だに声を搾り出そうとしている。

 だが、テレビの中にいる瀧上さんはまるで聞く耳を持たない。すぐに所長さんから興味を失ったかのように巨大な顔を背けると、残る「市民軍」の生き残りににじり寄る。

 一方、小銃で武装しているその生き残りは、最後の力を振り絞って反撃を試みた。激しく火を噴く銃と共に、それを握る本人も火を吐くように叫んでいる。

 

 ……だが、無情にも「新人類の巨鎧体」は強すぎた。

 決死の反撃も、いたいけな少女の叫びも、何一つ届くことはなかったのだ。

 

 泣き叫び、暴れている生き残りの青年を掴まえ、両手の握力で粉々に握り潰す。そして、「新人類の巨鎧体」の握り拳の隙間から溢れ出す、彼の血が――この映像を締め括ったのだった。

 

 見せるべきものを全て見せ、役割を終えたテレビは電源を切られ、そのビジョンは漆黒に覆われる。

 その瞬間、俺は気づいたことがある。

 

 当時の瀧上さんの声。

 それは「必要悪」の声色と、俺の記憶の中で――完全に合致していたのだ。

 

「――このあと、映像を撮っていたカメラマンも凱樹を非難して殺されたわ。結局、あの中で生き延びた『人間』は、私一人だった」

「……」

 

 再生が終わって真っ黒になっても、俺の視界はしばらくテレビから離れなかった。この悲劇が終わったと実感して膝を着いたのは、「今の」所長さんに声を掛けられた時だ。

 

 ――所長さんの、四郷研究所の技術力ってのは、あんな化け物まで生み出したってのかよ……! 「新人類の身体」って、一体……一体なんなんだッ!?

 

 心の奥に渦巻く疑念と焦燥に翻弄される余り、俺は無意識の内に床を殴り付けていた。その直後に我に帰って顔を上げると、そこには済まし顔の所長さんが立っている。

 ……まるで、俺がこういう反応をするとわかりきっていたかのように。

 

「……よく、最後まで見てくれたわね。正直、ここまで付き合ってくれる可能性はないって思ってたわ。ありがとう」

「そんな礼はいらないよ。それより、このあと、どうなったんだ?」

 

 俺は差し延べられた手を押さえると、椅子を杖がわりにして立ち上がり、彼女と向き合った。

 ――ここまで知った以上、もう後戻りは出来ない。知るところまで、貪欲に知る時だ。

 

 所長さんはしばらく考え込むように唇に手を当て、次いで俺の傍を通り過ぎ――あの写真を手に取った。

 

「『粛正』が行われたわ。あの市民軍の本隊と、政府軍の中核だった首都を相手にね」

「なッ……!? いくらなんでも、そんなこと……!」

「そんな荒唐無稽なことを実行できるのが、凱樹と『新人類の巨鎧体』の力なのよ。彼は『相棒』として『新人類の身体』に改造させた鮎子を連れて、国という国を滅ぼしたわ。その戦いの死傷者は、双方の軍を合わせて七千人を越えた……」

「――それが、『十年前』に四郷が改造されたっていう……?」

「そう。凱樹も、自分一人ではさすがに無理があると思ったんでしょうね。それに、私と離れて暮らしていたから、あの娘は凱樹の豹変を知らなかった。――結果、鮎子は現実の全てを見せ付けられて……人格が崩壊した」

 

 腕の震えを見れば、彼女の写真を握る手に力が込められているのがわかる。自分だけではなく、妹までもが……愛したはずのヒーローに蹂躙されたという事実を知らされた今、その意味を探るのは野暮の極みであろう。

 

「だけど、彼の『快進撃』もそこまで。自分は『正義』を成したと信じて疑わなかった凱樹は、『新人類の巨鎧体』の度重なる戦いによる中破を機に、日本に『凱旋』しようとしたの」

「人を散々苦しめておいて、『凱旋』か……」

「もちろん、彼を英雄として迎える人間は誰ひとりとして存在していなかった。圧倒的な戦力を持っているなら、どんな人格であっても『救世主』として祭り上げられる紛争地帯の人間でさえ、彼だけは受け入れなかったのだから。平和主義の日本なら、なおさらよね」

「それで……どうなったんだ?」

 

 俺は踏み込んでいい境地なのかわからないまま、怖ず怖ずと尋ねる。しかし、返ってきた答えは意外にも明解で――非情だった。

 

「――敗れたわよ。『新人類の巨鎧体』も損傷して使えず、自分自身も戦闘に疲弊し、廃人同然になった妹は加勢もしない。そんな状況で機動隊の物量攻撃に晒されたら、さしもの凱樹も成す術がなかった。だけど、彼は渾身の力で私達姉妹を連れて逃げ出し――この丘にたどり着いた」

「それで、ここに研究所を……?」

「ええ……。日本政府にもアメリカ軍にも見放された私達だけど、貰っていた莫大な資金だけは有り余っていたからね。昔、私と凱樹が海外に渡る前は……三人でいつも、ここへキャンプに来ていたわ。彼も名実共にヒーローだった頃が懐かしくて、ここへ逃げ込んだのかもね」

 

 彼女の手にある写真は恐らく、その時に撮られたものなのだろう。――それを撮った当時のカメラマンも、その時は今のような自分になるとは想像もしなかったのではないだろうか。

 かつて、キャンプに使われていたこの丘で広げられたのはテントではなく、この研究所だったってわけか……皮肉なもんだ。

 

「私達がそうしたのは、政府に取っても都合が良かったみたい。異国で大量殺戮を働いた日本人なんて、国際社会においては大問題だもの。彼が向こうにいた頃は『謎のハイテクテロリスト』ということにしてシラを切れたけど、こっちに帰って来られたらそうも行かないからね」

「伊葉さんは、裏切られたってことなのか……」

「そうなるかしらね。あの人もショックだったはずよ。自分が信じたヒーローが、最凶最悪の殺人鬼になるなんて……ね。結局、伊葉さんはその責任を取るために総理大臣を辞職し、瀧上凱樹という人間もいなかったことにされた。今じゃ、その名前を知っている人間は政府の上層部でも稀でしょうね」

 

 やがて彼女は力が抜けたかのように、スッと写真を元の位置に戻すと、ベッドの上に静かに腰掛けた。

 

「それから十年間、私達三人はこの閉鎖空間の中で静かに暮らし続けた。凱樹は『来るべき戦いのため』と言って自室でトレーニングの毎日だし、私は過去を忘れるために机にかじりついて、研究と開発をただひたすらに繰り返していたわ。そして鮎子は……梢ちゃんに出会うまで、一歩も研究所の外に出なかった」

「久水に?」

「……つい最近のことよ。私が『いずれ外に出る時のために』って買ってあげた帽子を、彼女が勝手に持ち出したの。鮎子もそれを大事にしていてくれていたらしくって、珍しくカンカンに怒って彼女を追い掛けたわ。……それが、あの娘が初めて研究所を出た時のことだった」

「――あいつらしいな。そういう強引なとこ」

 

 つい最近ということは、四郷研究所が久水家にスポンサーとしての誘いを掛けた時のことだろう。それが、あの二人の出会いだったんだよな……。

 

「凱樹が着鎧甲冑と救芽井エレクトロニクスのことを知って、『新人類の身体』と四郷研究所の力で、その名声と威光を奪い取ろうって言い出した時の頃ね。あの機械の身体に『新人類の身体』という名前が付いたのも、この頃よ。『この技術が普及すれば、超人的能力が普遍的なものになる。それは正しく「新人類」であり、オレはその頂点にあるんだ』……っていう意味合いでね」

「そういうことだったわけか……で、久水と四郷はどうなったんだ?」

「あら、ごめんなさい。話が逸れたわね。ここからは私が直接見たわけじゃないんだけど――茂君の運転するスポーツカーで逃げてた梢ちゃんを追い掛ける最中で、鮎子は隣町の火災現場に出くわしたらしいの。完全な戦闘用に作られた凱樹の身体と違って、『新人類の身体』として売り出すために救命システムを組み込まれてる鮎子は、迷わず助けに行ったらしいわ。あんなことがあっても、人間でなくなっても……あの娘の優しさは変わらなかった」

「……だろうな。それでなきゃ、あんなに頑張れることに説明がつかないよ」

 

 脳裏に過ぎる、水上バレーでの出来事。久水を助けるためのあの無茶を見れば、彼女の行動も容易に想像できる。

 

「……でも、背中から手を生やす彼女の姿を見た野次馬は、火事に囚われていた親子を助ける姿を見ても、『化け物』としか呼ばなかったそうよ。助けたのは鮎子なのに、『その親子を離せ』って、石まで投げられたらしいわ」

「そんな……無茶苦茶じゃないか」

「――そこに現れたのが、久水兄妹だったみたい。梢ちゃんたら、物凄い剣幕で野次馬を叱り付けたらしいの。その時現場に居なくて、鮎子の活躍を見ていなかった茂君も、事情を聞いたら真剣に一喝して全員を黙らせたらしいわ。最後には、こてんぱんに論破された民衆が鮎子に拍手を送ったそうよ」

「へぇ、あの久水と茂さんが……」

「そのあと、帽子を鮎子にきちんと返した時から、二人は親友になったらしいの。……私、正直言って、感動したわ。あの日から友達どころか、外にすら出られなかった妹が、一気に飛び越えて『親友』なんて作っちゃったんだから……」

 

 ――その時だった。自分のことを語る上では、どんなに壮絶で悲惨な状況であっても淡々としていた彼女が、目に涙を浮かべたのは。

 

「その梢ちゃん本人から聞いた話だと、彼女が最初に鮎子を見て感じたのは『昔の自分に似ている』ってことだったらしいの。……そこから、あなたの話を初めて聞いたわ。あなたが梢ちゃんの心を開いて、その梢ちゃんが鮎子の心を――不思議な繋がりがあったものね」

「い、いや別に俺はそんな……」

「……でも、鮎子の方はあなたに対しては、『昔の凱樹に似ている』って感じていたみたい。私も、実際そう思えたわ。あなた、河川敷で帽子を拾ってあげたんでしょ? あの娘、凱樹にも同じようなこと、してもらったことがあったのよ」

「瀧上さんに……?」

 

 そういえば、あの時……四郷は帽子を受け取った瞬間、どこか悲しげだった。初恋相手の瀧上さんを思い出して、過去の自分を憂いていたのか……?

 

「――その凱樹は、今も『ヒーロー』になろうとしている。救芽井エレクトロニクスが相手とあらば、必ず鮎子に勝たせようとするでしょうね」

「……ッ!」

 

 ――確かにそうだ。昔話に花を咲かせてばかりはいられない。それだけのことをやってきた瀧上さんを擁している四郷研究所に、まともな勝負事が通用するんだろうか……?

 

「恐らく、伊葉さんも何か考えがあってここに来ているはず。もしかしたら、このコンペティション自体を口実に凱樹の現状を調査して、危険とあらば今度こそ彼を葬り去ろうとしているのかも知れないわ。彼を知っている者ならば、それが自然な判断だもの」

「なんだって!?」

 

 そこへ、所長さんは俺の思惑を見透かすような台詞を口にする。その内容の毒々しさに、俺は思わず目を見開いた。

 

「あなたも見たでしょう? 海辺に潜んでいた不審者。既に予想は付いてるでしょうけど、あれは恐らく救芽井エレクトロニクスの手の者。社長令嬢の救芽井さん自身も知らないところで、日本政府と救芽井エレクトロニクスが何らかの連携を取っている節があるわ」

「そ、そんなことが……!」

 

 ――ない、とは言い切れなかった。

 

 甲侍郎さんとゴロマルさんが、アメリカの本社をほっぽり出して松霧町に来ている点。甲侍郎さんと伊葉さんが友人関係であり、双方とも似たようなことを俺に忠告していた点。思い当たる部分は、確かにあるのだ。

 しかし、所長さんはなんでそんな話を俺に……?

 

「……もし救芽井エレクトロニクスと日本政府が、公正さを欠いた手段で私達の制圧に来ることになったら、凱樹は間違いなく修理と強化改造を経た『新人類の巨鎧体』や、自作の人工知能式私兵部隊で迎撃してくる。そうなったら、この四郷研究所を舞台に、さっきのビデオのような大惨事が起こるわ!」

「そ、そんなッ……なんとかならないのか!?」

「正々堂々、ルールに沿ってコンペティションを行い、あなた達が勝てば……説得次第で穏便に収められる可能性もある。彼も十年前に比べれば、かなりおとなしくなってるもの。だけど、もし上手くコンペティションを運べなかったら……この研究所は戦場になる」

 

 ……だから、所長さんは「勝って欲しい」のか。確かに、そんな事態に発展しようものなら、四郷の身に何かあってもおかしくはない。恋人の妹を機械にするような奴の傍に彼女がいる以上、姉として下手なことは出来ないってことか……。

 

「――この培養液の中で、この娘の身体は十年間も同じ姿で眠り続けている。いつか、来るかもしれない――『人間』として目覚める時のために。……私は、鮎子だけは、何があっても生きていて欲しいのよ。例え私と凱樹が地獄に落ちるとしても、この娘だけは……」

 

 所長さんは何かに吸い寄せられるように立ち上がると、緑色の液体の中で眠る妹の本体を見つめ、それを覆うガラスの上にそっと手を添える。

 

 ……自分と瀧上さんへの報いに、彼女だけは巻き込まないで欲しい、という願いを込めているかのように。

 

「……私が伝えたかったのは、ここまで。最後まで付き合ってくれて、ありがとう」

「――ああ」

 

 泣き顔を、見られたくないのだろう。上擦った声で呟く彼女の背を一瞥し、俺は踵を返す。

 

 だが、立ち去る寸前で――ずっと気掛かりだったことを、俺は口にする。

 

「いくつか聞きたいことがある。古我知さんのこと――何か知ってるのか?」

「……本人に聞くといいわ。そのうち、彼に会う時が来るはずよ」

「――もう一つ聞きたい。後で話すと言っていた、電子制御室であんたがやっていたことだ」

「『賭け』よ。もし凱樹が暴走した時、それを止められるかどうかの――ね」

 

「……最後に一つ。あんたが頻繁に飲んでいた、あの薬みたいなのは何だ?」

 

「……自分で作った、アドレナリンの増強剤よ。あれを飲まずに生きていける程、心は強くないもの」

 

「それは、瀧上さんがいるからか? ――だったら、明日からは要らないな」

 

 最後にそう言い切って、俺は今度こそ所長さんの前から立ち去った。

 扉が閉まる瞬間に聞こえた、彼女の泣き声。それは絶対に、気のせいではない。

 

 ……聞くことは聞いた。しなくちゃならないことも決めた。

 後は――やるだけだ。

 

「――日本政府も、救芽井エレクトロニクスも、瀧上さんも、茶々の入れようがないくらい……ブッちぎりで俺が『勝つ』んだからな」

 

 誰もいない空間で静かに、それでいて唸るように、俺は人知れず腹を括る。

 



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第101話 救芽井の涙

 あの冷たい機械に包まれた世界で知らされた、この丘にそびえる箱庭の真実。その意味と重さは考えれば考えるほど、最終的には堪え難い重圧という悪影響に帰してしまう。

 

 その全てを振り払い、向き合わなくてはならない道理から逃げるわけにはいかない、と括られた腹。今の俺を支えるアイデンティティそのものが、それであった。

 

「救芽井……いるか?」

 

 しかし、俺が「向き合わなくては」ならないのは、何も四郷研究所の現実だけではない。

 今まさに救芽井の個室の入口に立つ俺には、彼女に会わなければならい理由があった。――彼女が何かに悩んでいる、というからだ。

 矢村が言うには、俺にも関係のあることらしい――が、イマイチ見当がつかない。最初はコンペティションについて不安に思っているのかと勘繰っていたが、矢村によればそれは違うようなのだ。

 

 俺のことで――か。確かに元々はよそ者だった俺に、自分達の夢の未来を託すのは不安だろう。

 

 何か気の利いたことでも言って安心させてやりたいところだが……あいにくそれだけのボキャブラリーはないし、不安の元凶たる俺が言っても説得力は気迫だ。

 だが、かといって「救芽井が悩んでる? ふーんそう」で終わらせたりなんかしたら、気になって眠れずにコンペティションどころじゃなくなるのは自明の理。とにかく、直に会って話を聞いてみるしかないだろう。

 

 向こうも何か悩んでいるなら、話してみることでスッキリするかも知れないしね。

 ……いや、俺がスッキリしたいだけなのかも知れないな。

 

「えっ――りゅ、龍太君っ!? あ、ちょ、ちょっと待って、今開けるから……!」

「ん? いや、そんなに慌てなくていいからな?」

 

 条件反射のように彼女の返事が聞こえて来るが、ひどく狼狽しているらしく、元々高い声がさらに裏返っていた。加えて、その声と共にドタドタという忙しい音が扉越しに響いている。

 どうやら、こんな時間に人が訪ねて来るとは思っていなかったらしい。ちょっと迷惑だったかな……。

 

 それから約一分の、短いようで長い時間を挟み――自動ドアという障壁が去ると、一つの部屋とその借主が視界に現れる。

 

「お、お待たせっ!」

「……あ、あぁ」

 

 声を掛けてから扉を開くまでに間が空いたことを気にしているのか、その表情は「イタズラがバレた子供」のような苦笑いの色を帯びている。

 だが、それよりも彼女の顔には、俺の目を引き付けるものがあった。

 

 ――目尻に伺える、泣き腫らした赤い跡。

 

 白く艶やかな彼女の肌ゆえに一際目立つその存在は、今の彼女の笑顔が本当の表情ではないということを如実に表している。

 それを一番に目にしてしまったせいか、俺はどうしても、今の彼女に合わせた笑顔を作ることができなかった。

 なんとか口元を吊り上げようとしても、彼女の瞳に意識が集中してしまい、顔の筋肉に力が入らない。……いや、正確には力が入らないというより、うまく表情がコントロールできないんだ。

 どれだけ空気を読んで作り笑いを浮かべようとしても、俺の顔は固まったまま。まるでぶっつけ本番で試験をやらされている面接初心者の如く、俺は凍り付いた表情のまま、彼女をただ見詰めていた。

 

「あ、あの、龍太君……? も、もしかして怒ってる?」

「い、いやいや、そんなことねぇって」

 

 ――そんな顔をしているんだろうか、俺は。少なくとも、彼女にはそう見られている、ということなんだろう。

 ここに鏡がない以上、自分がどんな表情をしているのか確認する術はない。仮にあるとするなら、彼女の瞳にぼんやりと映る自分の姿を見ることくらいだ。

 

「りゅ、龍太君……そ、そんなに見詰めちゃ……やだ……」

「え? あ、あぁ……すまん」

 

 いつの間にか、俺はそれを実践していたらしい。救芽井は桃色に染まる頬を隠すように、俯いてしまう。

 

 ……いかん、このままだとまた矢村の時みたいな沈黙が訪れてしまう! さっさと本題に移らねば……!

 

「――あのさ、聞きたいことがあるんだ。……なんか、お前が悩んでるって話を聞いてさ。出来れば相談に乗ろうかなーって来たんだけど」

「えっ? ――そっか、矢村さんから聞いたのね」

「え……よ、よくお分かりで」

「あの娘、そういうのすっごい目ざといのよ。……そんなに、顔に出てたのね」

 

 彼女は一瞬だけ驚くように目を見開くが、すぐに納得したように頷き、口元を緩めた。矢村の鋭さを認めている――ということは、悩んでいる事実は確かってことか。

 

「ねぇ……龍太君、明日のコンペティションなんだけどね……やっぱり、私が出る」

「――はぁっ!?」

 

 事実を認めたからには、何の悩みなのか話してくれるのかと思えば――彼女はいきなり、そんなことを言い出した。当然ながら、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 この期に及んでお役御免かよ!? 確かに頼りないとは思うが……。

 

「お昼のあの時に見た、あなたの傷……あれは、私の付けた傷なの。もし明日、あなたの身にまた何かあったら……」

「ま、待った! そりゃあ、確かに俺なんかに任せるのは頼りないかも知れんが、『競争』なんだから命取られるようなことにはならないだろ? それに、『救済の超機龍』は俺にしか使えないんだし――」

「私が実家から持ってきた『救済の先駆者』があるわ。確かに性能面で不利にはなるけど、最も実績のある着鎧甲冑なんだから向こうも納得するでしょうし……」

「……なんで、そんなに俺にやらせたくないんだよ。それに傷の話は、もう終わったんじゃなかったのか?」

 

 いつの間にか彼女の作り笑いは消え去り、沈痛な表情――すなわち、彼女の本当の顔が表面に出て来ていた。本人もそれを把握しているらしく、そんな表情を見せまいと目を伏せている。

 俺の脇腹の傷を気にするような発言を皮切りに、声も次第に消え入りそうな弱々しいものへと変わりつつあった。俺のことで悩んでいる……ってのは、脇腹の傷のことだったんだろうか。

 

 傷のことなら林の中で決着を付けられたと思ってたんだが……どうやら、彼女自身はまだ尾を引いているらしい。

 それくらい、救芽井にとっては重い問題なのだろうか……。

 

「……これは、元々私があなたに押し付けたことだし……」

「そんなの……! 俺はもうよそ者じゃないんだ、お前が気負いすることはないんだよ!」

「だって、私……何度もあなたを巻き込んで、何度もあなたを傷付けて……! もう、もう……!」

「きゅ、救芽井……」

 

 もう、我慢するだけの余裕もないのだろう。泣き腫らした跡の正体を明かすように、彼女は半泣きの声を上げるようになってしまった。

 

 ――俺の傷が、ここまでこの娘を追い詰めてたってことなんだろうか。

 

 確かに、「技術の解放を望む者達」との戦いも、このコンペティションも、救芽井との出会いがなければ関わることはなかっただろう。そのおかげで色々と大変な目に遭ったのも確かだ。

 ……しかし、その責任が彼女一人にあるだなんて言い出すほど、俺は鬼畜でもない。二年前のあの時、俺はそのことで思い切り後悔した。そして――変わろうとしたんだ。

 家族のためにとは言え、あんな勝ち目のない戦いに身を投じるほどに優しい彼女なら、自分が原因で他人を巻き込んだことに責任を感じるのもわかる。傷跡を残してしまったとなれば、なおさらだろう。

 あの後みんなで遊んでいる中でも、彼女は内心どこかで気に病んでいたのだろうか。

 

 ……なら、今度はきっと……俺が彼女を助けなくちゃいけないんだな。

 家族のため――そして、世界中の人命のために戦ってきた彼女を、見習うように。

 

「……バカだな。こんなの、なんてことないって何度も言ってるだろ」

「でも……でも……!」

 

 俺はそっと彼女の肩を抱き寄せ、この部屋のベッドに並んで腰掛けるように誘導した。こういう時はとりあえず座らせて、落ち着かせるのが一番だろう。たぶん。

 ベッドの上には、二年前に彼女が買っていた、二つウサギのぬいぐるみが置かれている。つがいのイメージであるというその片方には、僅かながら涙のシミが伺えた。あれは確か……オスの方だっけ。

 

「この傷は俺がバカやらかして付いたもんだし、あの時『戦う』って決めたのも、俺が勝手に決めたことだ。お前が気にするようなことじゃないんだよ」

「だけどっ! 人の命を救うのが私の役目なのに、あなたも守るって決めた後だったのに……! もし万が一、またあなたに何かあったら、私もうっ……!」

 

 ――もしかしたら、彼女も四郷研究所の真実について、薄々感づいているのだろうか。瀧上凱樹――その影に。

 

 しかし、参ったもんだ。落ち着かせるどころか、とうとう本格的に泣き出してしまった彼女に、俺は頭を抱えるしかない。

 

 こうなったら――もう、アレをやるしかないのか? 彼女にも通用するかはわからないがッ……!

 

「……なぁ、救芽井」

 

 俺は一か八か、目尻に大粒の涙を貯めていた彼女の傍へ身を寄せ――小指同士を、僅かに触れ合わせた。俺の感覚神経が彼女の柔肌を認識した瞬間、俺の脳に「救芽井に自分から触りに行った」事実が伝達される。

 その現実を受け止めた時、俺は体の芯――胸の奥から込み上げて来た熱を抑えるように、唇を噛む。顔が熱いのはきっと……気のせいではないのだろう。

 

「えっ――!?」

 

 だが、指が触れるだけで過剰に反応したのは俺だけではなかったようだ。救芽井は俺以上に鼻先まで赤くして、信じられない、という表情で視線を泳がせていた。俺に触れられた弾みでタガが外れたのか、今では透明な雫が、ボロボロと零れるように彼女の頬を伝っている。

 

「俺、確かに頼りないかもしれないし、これからも心配かけることにもなるかも知れない」

 

 しかし、ここで退くわけにもいかない。俺は思うままの言葉を並べながら、彼女の手の甲を撫で――腰に手を回す。最初に小指が触れ合った時のショックが強すぎたせいか、それより遥かにスゴイことをやろうとしているのにも関わらず、意外なほど胸の動悸は少ない。

 

 心配は……恐らく、古我知さんの時よりも掛けることになってしまうだろう。正直な話、一国を滅ぼしたような男と戦うことにもなりうる今、何もかもが丸く収まるとは到底思えない。

 

 だが、俺が聞いた話をそのまま彼女に伝えたら、間違いなくコンペティションどころではなくなってしまうだろう。その時こそ、所長さんが最も恐れていた事態に発展してしまうんじゃないだろうか……。

 

 そんな「余りと言えば余りにも危険な場所にいるというのに、何も話せない」というジレンマが、俺の胸を締め付けるように全身を駆け巡る。その感覚を代弁するかのように、俺は腰に回した自分の手に力を込めた。彼女の身体を、引き寄せるように。

 

「りゅ……龍太……君……!?」

 

「だけど、やっぱり――信じてほしい。ここまで来て引き下がったんじゃ、やっぱし格好が付かないから、さ」

 

 そして――抱き寄せた彼女の温もりを浴びて、俺は格好の付かない建前を囁いた。

 「誰かの命を救うために戦う」。そんな漠然とした夢でも、家族と一緒に叶えようと生きてきたお前がいじらしくてしょうがなくて、どうしても支えたくなった。――そんな歯の浮くような動機、知られてたまるかよ。

 

 彼女の身体は想像以上に柔らかく……豊満な胸の感触が俺の胸板に伝わり、甘い吐息が耳をくすぐる。次いで手の平に伝わる柔らかさを感じつつ、手を這わせるように背中を撫でる。

 ……これが古我知さんとの戦いの後、矢村を落ち着かせるためにほぼ無意識のうちに取った、必殺抱きしめ攻撃だ。矢村の場合はこれで大人しくなってくれたが、救芽井にも通用するかどうか……。

 

「あっ……んん……」

 

 すると、彼女は俺の真似をするように背中に腕を回し、まるで抱っこをしてもらう子供のように、ヒシッと俺にしがみつく。

 さらに、甘えるように俺の頬に自分のソレを擦り寄せ、気持ち良さそうな声を漏らしていた。

 ――どうやら、落ち着いてくれたみたいだな。気がつけば、すっかり泣き止んでるみたいだし。

 

「……そりゃあ確かに頼りないかも知れないけど、カッコ悪いかも知れないけど、それでも俺――全力で戦うよ。約束する」

「……うん」

「今回が最後でいい。もう一度、俺のこと、信じてくれるか?」

「信じてる……最後じゃない。龍太君のこと、ずっと……信じてる」

 

 ふと、背中に感じる彼女の力が強まった。痛いくらい、俺を強く抱きしめているのがわかる。

 

「そっか……ありがとうな。傷のことは大丈夫だから。俺は大丈夫だから――明日のコンペティション、やらせてくれるか?」

「それは……」

 

 俺は優しく囁くように、なんとか彼女の説得を試みる。俺の傷のせいでこれ以上彼女を惑わせないためにも、どうにかここで決着を付けたい。

 

 ここまでは抱きしめ効果(?)のおかげで、俺の言うことは素直に聞いてくれていたが、コレはさすがに難しいのか……なかなか返事が返ってこない。

 やっぱり怖いのだろうか……? コンペティションに敗れるのも、俺が傷付く可能性があるのも。

 

 だが、こんな「限りなくアウトに近いアウト」を侵してまで説得に掛かっている以上、失敗は許されない。俺は駄目押しに何かを言おうと口を開き――

 

「……失敗しても、いい……負けてもいいから……また一からやり直せばいいから……無事に帰って、またこうして、傍にいて……!」

 

 ――縋るように、甘えるように、願うように呟かれたその言葉が、俺を制した。

 背中に感じる、震えた手の感触。俺の服を強く握りしめ、破けそうなほどに引っ張っているのがわかる。

 

「……ああ。こんなんで気が済むなら、いつでもやってやる。――だけど、俺は負けないからな」

 

 彼女が、俺の身をここまで案じている。コンペティションに負けても構わない、と言うほどまでに。

 何故そこまで俺にこだわるのか、少し理解に苦しむところはあるが――彼女を安心させてあげられる方法が、少しだけ見えた気がする。

 

 ……いつだって、こうして近すぎるくらい傍に居てやる。それが俺にできることであり――全てだ。

 

 俺は彼女の綺麗な茶髪の上に手の平を優しく乗せ、そのまま「の」の字を書くように撫でてやる。

 やがて俺を抱きしめる力は次第に緩んでいき、救芽井の身体は俺にもたれ掛かったまま、動かなくなってしまった。

 

「……ったく、でっかい赤ん坊だよな」

 

 まるで寝かしつけられ、いい夢を見ている子供のように、幸せそうな寝顔を浮かべている。そんな彼女の表情を前に、つい俺もクスリと笑ってしまった。

 

 俺のことで、よほど苦しんでいたのだろう。泣き疲れた分もあってか、すっかり寝入った様子であり、今ではくぅくぅと可愛らしい寝息を立てている。

 彼女の頭をゆっくりと枕に乗せ、静かに布団を掛ける。そして、枕の近くに置かれている例のぬいぐるみ達を、彼女の傍に配置した。

 

「……お休み。救芽井」

 

 お前の涙も不安も、全部杞憂で終わらせてやるからな。だから今は、ぐっすり寝といてくれよ。俺、簡単には負けないからさ。

 

 ――最後に、そんな届くはずのない約束を立てて彼女の前から立ち去り、俺達の間を自動ドアが遮断する。

 その瞬間を見届けて、俺も自室への帰路についた。

 

 ……そして、夜が明けて。

 

 運命の一日が、静かに幕を開ける。

 



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第102話 始まりの朝

 陽の差さない、鋼鉄に覆われた冷たい部屋。

 その中で目覚める朝は、二度目になっても慣れる気はまるでしなかった。朝なのか夜なのかもわからなくなる世界に留まっていて、僅かな期間で順応できる人というのは、世界にどのくらいいるのだろう。

 

 自然に開かれた瞼をこすり、俺はぼんやりした頭を覚ますために身を起こす。ベッドに取り付けられたデジタル時計でしか、この部屋の中で時間の概念を認識することは出来なかった。

 

「まだ、六時ちょっとか……」

『キショウジカンヨリ、ジャッカンハヤイデスヨ。アト約一時間デ、チョウショクノオジカンデス』

「……いーんだよ、別に」

 

 こうしてお節介な人工知能と喋りながら、四郷は十年間もここで過ごして来たのだろう。そんな彼女と、俺は今日から戦うことになる。

 

 ちょっと年下くらいかと思ってた女の子が、実は八歳年上のお姉さんだと知ってしまった後だと、どう接すればいいのか悩むところではあるが……四郷本人に取っては知られたくない身の上話だったのかも知れないし、今日のところは何も知らない振りをしておくかな。

 

 ワキワキとマニピュレーターを動かして、「オセワシマスヨ」といいたげな様子を見せている人工知能をガン無視しつつ、俺は洗面台で顔を洗い――例のコスチュームに袖を通した。

 なかなか慣れる気がしないこの施設に引き換え、このダサカッコイイ服は随分早く俺の身体に馴染んできているようだ。

 

 ――しかし、何の苦もなしにこれを着れるようになるためには、まず俺自身の意識改革が必要になるだろう。これは時代の最先端を行く、ものすごくイケてる次世代ファッションなのだッ! ……と。

 そして、そう自分に言い聞かせるたび、洗面台の鏡に映る現実に打ちのめされる……という流れも、これで何度目の経験になるのだろうか。

 どれだけ悩んでも解決することのない問題に辟易し、俺は深いため息をつく。次いで、デジタル時計の無機質な数字表記を見遣った。

 

 布団から身を起こし、顔を洗い、着替えも済ました。ここまでしておいて、今更二度寝も出来ない。

 俺はベッドに腰掛けると、散々救芽井に読まされ、隅々まで内容を頭に叩き込まれていた「着鎧甲冑の運用マニュアル完全版」を改めて読み返すことにした。高校入試の本番直前を思い出すよ、全く……。

 

 ベッドの傍に積んでいた荷物の中から、厚さ三センチ程の教科書を取り出し、装備の運用手順の項から目を通していく。

 どの装備をどんな時に使うか。それを常に頭の中のビジョンで再現しながら覚えなくては、そうそう記憶に残せないものだ。

 俺は瞼を閉じ、自分が置かれた状況を装備に応じてシミュレーションしつつ、特訓のおさらいをするようにイメトレを行う。

 

 この本は元々、「正式に着鎧甲冑を運用する資格を取った人間」のために作られた書籍を、俺のために救芽井が直々に一から書き直した代物であるらしい。「婚約者のために精魂込めて書き上げた最高傑作」であるがゆえに「完全版」なのだ――というのが、彼女の弁である。

 俺が松霧高校の受験を控えていた時も、彼女が書いた参考書が役に立ったんだよな。アレのおかげで合格出来たと言っても過言ではあるまい。

 

 参考書といえば、それと完全版とで共通する点が一つある。……どんなに真面目な解説をしているページでも、可愛くデフォルメされたイラストが必ず使われている、というところだ。

 

 本来なら、保健体育の教科書にありそうなリアルタッチのイラストが使われている部分が、彼女の描くほのぼのキャラに全取っ替えされているわけである。

 つまり、黒板に数式を書いている二頭身の象さんや、狼さんを電磁警棒で撃退するウサギさんのイラスト等が、至る所に描かれているのだ。……ウサギさんにそんなことやらせてんじゃねーよ……。

 

 しかしまぁ、これのおかげで堅苦しさが取れて勉強しやすくなったのも事実だ。それにオツムが弱い俺のために、内容自体は同じでも、極力専門用語の多様は避けて書かれている。

 一般資格者に回されているマニュアルと、この完全版との余りの違いに仰天したのはいい思い出だな。

 

 こういう可愛いイラストにこだわるところを見るに、やっぱり彼女も女の子なんだなぁ……と、えもいわれぬ微笑ましさを覚えたことも少なくない。

 「コンペティション直前」という非常に切迫しているとも言える状況下でも、こういうところに目を向けていられるだけのゆとりがあるのは、きっと彼女の心遣いの賜物なのだろう。

 

 初めて見たときは「バカにしてんのか!」と腹を立てていたもんだが、この場違いなほどの愛らしさが、今では掛け替えのない「癒し」として作用しているのだ。

 本そのものを一から書き直す根性は元より、その気立ての良さには心底頭が下がるよ。全く……。

 

『朝七時。朝七時。チョウショクノオジカンデス』

「あっ、やべ……もうそんな時間か。――あれ? なんでお前がメシ持って来てんの?」

 

 その時、自動ドアのシュッと開く音が聞こえたかと思ったら、立て続けに筒状ボディのロボットがいきなり部屋に上がり込んで来た。しかも、そのロボットに付いている二本のマニピュレーターの上では、朝食を載せたお盆が食欲をそそる香りを放ち続けている。

 気がつけば、完全版に目を通しだしてから一時間近く経過していたのだ。ここまで時間を忘れて読書に没頭出来たのは、後にも先にも今日くらいのものだろう。

 

 昨日の朝食は食堂に集まって摂っていたし、今日もそうだとばかり思ってたんだが……違うのか?

 

『コンペティションニムケテノイキゴミガユラガナイヨウ、アユミショチョウノハイリョニヨリコウナッタシダイデス』

「所長さんが……?」

 

 まぁ、確かにライバル同士が同じテーブルの上で向かい合って朝メシ、というのはさすがに気まずいよな。俺もそんな空気の中で食うメシが美味いとは思わねぇよ。

 

 ――もしかしたら、所長さんが昨日のことで気を遣ってくれたのかも知れないな。この研究所の素性を聞いた以上、あの瀧上さんと一緒の部屋で朝メシだなんて地獄過ぎるぜ。

 

 向こうの責任者にまで「勝ってほしい」なんて言われた手前、プレッシャーで胃を痛める事態になんかなったらカッコ悪いどころの騒ぎじゃねーよ。

 

『コンペティションハ、午前九時カラグランドホールニテオコナワレマス。朝食ヲ取ラレタ後ハ、八時ニハロビーニシュウゴウシテクダサイ』

「おう、ありがとうな。お前もお勤めご苦労さん」

『イッテオキマスガ、ワタクシハコウリャクタイショウデハアリマセン。ユエニフラグモタタナイノデ、アラカジメゴリョウショウクダサイ』

「いや知らねーよッ!」

 

 ……にしても、ここの人工知能はところどころズレてる連中ばっかだよな。いい加減、ツッコむのも疲れてきたよメカラッシュ……。

 

 やがて働き者かつお喋りなロボットが去り、この空間に静寂が訪れると、俺はゆっくりと盆に乗っていた朝食に手を付けていった。

 香りの根源たる野菜スープ。重過ぎない程度に肉を使っているサンドイッチ。そして、シャケを具にしたおにぎり。……久水家のような豪華さはないが、どことなく家庭的な暖かみを感じるメニューだ。

 それに昨日の朝メシとは、まるで雰囲気が違う。まるで、たまに帰ってくるウチの母さんが作ってくれる朝食のような――

 

「もしかしてこれ……所長さんの手作り?」

 

 ――と、勘繰った瞬間。俺は、この時感じた暖かさを形容するに足る言葉を見つける。……これが「お袋の味」ってヤツなんだな、きっと。

 

 朝食は量そんなに多くはなかったが、完食するまでにはたっぷり時間を掛けた。理由は、二つある。

 一つは、どこか懐かしさと暖かさを湛えている、この「お袋の味」ってヤツを、少しでも堪能しておきたかったから。

 もう一つは――これが、最期の食事となる可能性があるからだ。

 

 今回のコンペティションで、結果としてどちらに軍配が上がろうが、良からぬ事態に陥る可能性がなくなるとは考えにくい。俺達が勝てば何をしでかすかわかったものじゃないし、俺達が負けてもすんなり帰してくれるかは怪しいもんだ。

 だが、仮に何かあったとしても、俺はこのコンペティションから逃げ出すわけには行かない。負けるわけにも行かない。救芽井にも、所長さんにも、約束してしまったのだから。

 ……そうであるからには、最期までこのコンペティションには付き合って行かなくてはならないのだろう。例え俺が、どうなっても。

 

 もちろん腹を括ったとは言え、完全に恐怖を捨て去れたわけではない。まだ十七年程度しか生きていないこの人生を、よく知っているわけでもない相手に奪われるなんて、俺はまっぴら御免だ。スープを持った時、その表面がゆらゆらと左右に激しく揺れていたのは、俺の「覚悟」が「恐怖」に突き崩されかけていることへの警鐘だったのだろう。

 かといって、ここまで来ておいて試合放棄する選択肢もありえない。逃げ出した先には、もっと死にたくなる未来しか存在していないのだから。

 

 ――だったら「人生最期」になるかも知れないメシくらい、時間いっぱい味わってもバチは当たるまい。仮に当たるのだとしても、俺はゆっくり食わせてもらう。死ぬかも知れない今の状況で、バチの有無なんて何の意味も成さないからだ。

 そして俺は、時計の分針のように遅く、時間を掛け、目の前に並べられた朝食を摂取していった。口の中に一時的に広がる味わいにさえ、消えてしまわないようにと切に願うほどまでに。

 

 ――それからしばらくの時間が過ぎ、七時四十五分の時刻がデジタル表示された頃。

 ようやく俺は全ての朝食を摂り終え、最期になるかも知れない味わいが消えたことを感じて……部屋を後にする。

 本当に命に関わる戦いになるかも知れない。そう思うと、殺風景さと無機質さに辟易していた個室にさえ、俺は僅かな名残惜しさを覚えかけていた。

 それら全ての雑念を振り払うように、ただ走ることしか出来なかった俺は、さぞかし惨めだったことだろう。

 

 そんな俺は、「正義の味方」になるには余りにも歪なのかも知れない。伊葉さんが望むようなヒーローにも、救芽井に望まれているようなヒーローにも成り得ないのかも知れない。

 

 だが、それでも俺は、走り続けるしかなかったのだ。

 四郷のために、所長さんのために。そして、救芽井のために「勝つ」と決めた自分の覚悟にだけは、背きたくなかったのだから。

 



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第103話 淫らで凛々しき女騎士

「集まったわね。それじゃ、行きましょうか!」

 

 ロビーの中に立ち込める、張り詰めた空気。それをどうにか和ませようとしているのか、所長さんの声色だけがやけに明るく感じられる。

 それでも、昨日のようなハイテンション状態には至らない。恐らく、今日は「使って」いないのだろう。

 

 ……しかし、指定された時間に集合した時、既に俺以外の全員が集まっていたのだが――「コンペティション当日」というだけあって、ロビー全体の空気が段違いに重く、私語の類が全く聞こえてこなかったのには、驚かされたもんだ。

 

 「空気を和らげて、心置きなく全力で戦えるように」と、私服での参加を許した所長さんの措置が、完全に無駄になっている。

 もしここへ目隠しでもしながら来ていたら、自分が一番乗りなんだと勘違いしていたことだろう。

 

 実際にコンペティションに参加するわけでもないのに――救芽井も矢村も、やけに強張った表情で俺を出迎えていた。何とか笑顔を作ろうとして失敗し、思い切り不気味になってしまっている……というところだろうか。

 そこまで二人に緊張されてしまうと、かえって代表として出場する自分自身が冷静になってしまう。案ずるより産むが易し、とは正にこれだ。

 ゆえに、俺は「大丈夫だから」「心配ないって」と女性陣二名を励ましながら、所長さんの指示を待ち続ける状態になっていた。……最初は、俺が励まして貰いたかったくらいなんだけどな。

 

 救芽井のことは、昨日のアレで多少はほぐれたかと思ってたんだが……やっぱり本番直前となると、緊張感が違うらしい。信じたいけど、やっぱり心配。そんな本音が、表情からダダ漏れなのだ。

 矢村も夕べはリラックスしていたようにも見えたが、いざ本番前になると弱い様子。場違いな感想だが、初めて会った時のテンパり具合を思い出して、微笑ましいとすら思えてしまう。

 

 そして先程、所長さんの指示によって全員がエレベーターへ移動し始めたのだが――瀧上さんや伊葉さん、茂さんには、救芽井達にあったような「焦り」の色は全く見られないままだった。

 緊張感こそあるにはあるが、その面持ちに揺らぎはない。さながら、死地へ赴く武士のような印象を、眼差しだけで周囲に与えている。

 久水に至っては、救芽井らとは正反対で、「心配することなんて何もない」と言わんばかりの佇まい。四郷は……どこと無く、何かについて「諦観」しているような雰囲気を漂わせている。

 

 ……大丈夫だ、きっと。

 今日で何かが変わる。俺が変える。そう決めたんだから――もうちょっとの辛抱だぜ、四郷。

 

 エレベーターの中に入って移動している時でも、沈黙が破れる気配はない。救芽井と矢村も、俺の声で多少は顔の筋肉が緩んだようだが、まだまだ落ち着いているとは言い難い感じだ。

 救芽井エレクトロニクス側の女性陣二名は、ほぼこの場の雰囲気に呑まれてしまっている……と言い切らざるを得まい。代表選手が俺なんだからしょうがない気もするけど。

 

 しかしそんな彼女達に引き換え、久水兄妹の落ち着きようには、見ているこっちが圧倒されそうだ。救芽井達の心境を豪雨に晒された濁流とするなら、向こうはさしずめ快晴の下で澄み渡る下流、といったところだろう。一瞬、こちらに向けられた真摯な視線に、思わずドキリとしてしまった。

 救芽井達の強張り過ぎた顔を見たおかげで、逆にある程度まで落ち着いてしまっている俺でさえ、あそこまで済ました顔はできない。二人とも、散々見せ付けられたあの痴態が嘘であるかのような、静けさ故の凛々しささえ感じさせている。

 そこでふと、俺は所長さんの話に出てきた、この兄妹の活躍を思い返した。

 

 ――四郷を守ろうとした時も、あんな顔をしていたんだろうか……。

 

 ……やがて最下層のグランドホールに到達し、控室まで人工知能に案内され、そこで所長さんや瀧上さん、四郷らの研究所側メンバーと別れたのだが。

 

「龍太様。念のため、『救済の超機龍』のバッテリー残量の確認を。それから、各種機能の点検も済ませておきましょう。柔軟運動も必要でしてよ」

「……あ、ああ」

 

 ――未だに、空気が重苦しい。

 少なくとも、多少は気心の知れた間柄であるはずの、俺達しかこの場にいない、というのに。

 

 ロビーに来て、エレベーターに乗り、決戦の地であるグランドホールまでたどり着く。

 そこまでの道程で、救芽井と矢村の二人とは、とうとう一度もまともに言葉を交わすことがなかったのだ。まるで、この冷たい牢獄のような空間に同化して、人格もろとも凍り付いてしまったかのように。

 

 おかげで、広大な決闘場を前にしても、それが気掛かりな余り感慨に耽ることすら出来なかった。「生気」の一切を遮断してしまうかのような、この無機質を極める次元が、本来その場でもたらされるべき緊張感すら麻痺させてしまっているのだろうか。

 

 今、俺達が身を置いているのはスポーツの大会によくあるような、ありふれたロッカールーム状の控室。だが、出場する選手は俺一人。

 にもかかわらず、俺以上にこの二人の方が緊張してしまっているのである。

 

「龍太様、肩が上がっておりましてよ。どうぞ、楽にしてくださいまし」

「あ、うん……ありがと」

 

 そんな中で、涼しい顔をしてアドバイスやマッサージをテキパキとこなす久水の胆力とは、いかほどの凄まじさなのだろうか。壁にもたれ掛かって腕を組み、こちらの様子をジッと見守っている茂さんの表情も、いつになく真剣だし。

 

「ひ、久水、お前ずいぶん落ち着いてるよな。なんつーか、迫力感じるんだけど」

「――全ては、龍太様を想えばこそ、ざます」

「そ……そうやな、頑張らないけんのは龍太なんやから、ア、アタシらが慌てとってもいけんよな、救芽井!」

「……う、うん……」

 

 俺を特訓で鍛えていた頃の救芽井にも劣らぬ手際で、久水は俺の身の回りの世話を続けている。あの傍若無人なわがままお嬢様っぷりを見るに、こういう仕事には一番縁がないものだと思ってたんだが……。

 

「――龍太様」

「な、なんだ?」

 

 その時、彼女は長椅子に腰掛けていた俺の正面で膝立ちになり、両手で俺の右手を包み込んだ。その眼差しの麗しさ、気高さには、さながら王の前でひざまずく騎士のような凛々しさが漂っている。

 

「今回のコンペティション、相手はあの鮎子ざます。彼女が生半可な存在でないということは、この中でワタクシが一番存じておりますわ。だからこそ、あなた様には最高のコンディションで応じて頂かなければなりません。そのためとあらば、このワタクシ――命すら捧げる所存でしてよ」

「い、命って……別にそんな――」

 

「龍太様を不安にさせるようなことは、ワタクシとしても大変申し上げにくいのですが……今回のコンペティション、ただの技術競争で終わるとは思えませんの。下手をすれば兵器にも成りうる、最新鋭技術同士の一騎打ちともなれば、もしものことが考えられます。勝つためにも、そして無事にお帰りになられるためにも、決して油断は許されない戦いになるでしょう」

 

 俺の手を取り、真っ直ぐに見つめて来る、その瞳。決してぶれることのない、槍のような一直線の眼差しでありながら、その眼の色に鋭さはなく、むしろ優しく包み込むような暖かささえ感じさせていた。

 ……もしかして救芽井だけでなく、久水もどこか、瀧上さんの影を感じているのだろうか。いや、下手したら矢村や茂さんも、心のどこかでずっとそれを気に留めているのかも知れない。

 

「ですから、それさえ心掛けて頂けるなら……ワタクシ、あなた様ならば必ず勝てると確信しております。お兄様に勝って見せたあなた様なら、必ず。それに、ワタクシは――どのような結末でも受け止める覚悟を、既に決めておりますの。だから……あなた様はあなた様の思うままに、ただ前を走りつづけて頂きたいのです。決して振り返ることなく、がむしゃらに……」

 

 そこまで言い切ると、やがて俺の前から立ち上がり、彼女は背を向ける。

 

「それでは……御武運を、お祈りしておりますわ」

「――お、おう!」

 

 ……僅か。ほんの僅かだが、その細い肩が、震えているように見えた。

 

「……今日ばかりは、気圧されるわけには参りません……! りゅーたんのために、今こそ勇気が必要な時でしてよ、久水梢ッ……!」

 

 ぶつぶつと何を呟いているのかわからない――が、自分を奮い立たせるための自己暗示をしているようにも見える。……彼女も、やはり緊張はしているのだろうか。

 ふと一昨日、この気丈なお嬢様が、瀧上さんの威圧に圧倒されていた時のことを思い出す。この土壇場でここまで整然としている彼女でさえ動揺させるほど……か。直に戦うと決まったわけでもないのに、妙に意識してしまうな。

 だが、その前に四郷だ。久水の言う通り、今回のコンペティションは、きっと俺の想像なんてメじゃないくらいの厳しさになるのだろう。瀧上さんの件を一切抜きにしたって、油断なんかできやしない。

 

「……うん! そうだよね! 戦うのは龍太君なんだから、私達が緊張してる場合じゃない! 龍太君、いまさらだけど、各種機能と併せてスーツ内の人工筋肉もチェックしておくわ! 腕輪を貸して!」

「そうやな……! アタシ、龍太のことやからお腹空くやろうなって思ったけん、自分の分のシャケおにぎり持ってきたんやわ! 今のうちに食っとき、男はメシ喰ってパワー付けないけんよっ!」

「お、おうっ! 二人ともサンキューな!」

 

 久水の振る舞いにたきつけられたのか、二人ともすっかり元の調子に戻っている。俺は「救済の超機龍」の「腕輪型着鎧装置」を救芽井に渡すと同時に、矢村の両手にちょこんと乗せられたおにぎりを掴む。

 

 救芽井はどこからかノートパソコンを取り出し、腕輪をケーブルで繋げてキーボードを叩きはじめる。矢村は本番までに身体をほぐそう、と言い出し、俺の背中にもたれ掛かってストレッチをするよう迫ってきた。

 

「人工筋肉の電動効果、異常なし。バッテリー満タン。救急パック不備なし。酸素タンクは……」

「すっかり硬くなっとるなぁ〜……。今のうちに、しっかり伸ばしとかないかんで! 走っとる時に攣ったりしたら大変や!」

 

 ――なんだか、いつも通り……というか、二週間前にタイムスリップしてしまったのかと錯覚してしまうな。

 こうして三人一緒にいて、二人とも俺のために、あれこれと手を尽くしてて……。おかげで、俺の気分もだんだん元通りになって来たみたいだ。

 

 一方、久水はそんな俺達を見つめ、胸を撫で下ろすようにフウッとため息をつくと、壁にもたれ掛かったままの茂さんの方へ歩いていった。

 ――心配、してたんだろうな。俺だけじゃなく、救芽井や矢村のことも。

 

 それから、本番開始の予定時刻までの数十分。俺達は心身共に、「いつも通り」のコンディションまで回復させることに成功した。

 もう、ここに来た時の重苦しさは微塵も見られない。それは、久水の面持ちに近しくなった救芽井達の様子を見れば、一目瞭然である。女同士の友情パワー、恐るべし。

 

「龍太、もう開始時刻の十五分前や。そろそろやで!」

「龍太君、用意はいい!?」

「龍太様、祝勝を兼ねての夜伽の準備は万全でしてよ……?」

「おうッ――って久水ッ!? お前はなんか『いつも通り』過ぎるんですけどッ!?」

 

 すっかり平常運転に整復した俺達。もう、気後れはない。あるのは程よい緊張感と、彼女達のエール。そして、俺自身の括られた腹だけだ。

 「腕輪型着鎧装置」をガッチリ右腕に嵌め、コスチュームを動きやすいように若干着崩し、胸元を開く。……なんか後ろで久水が悶えていらっしゃるが、ここは無視しとくか。

 

「よぉーっし、ここまで来たらぶつかるだけだ! 行くぜッ!」

 

 そして、軽く伸脚を済まし、控室を出ようとドアノブに手を――

 

「……少しだけ、話しておくことがある。時間を頂こう」

 

 ――掛ける瞬間。

 

 妹に劣らぬ気高さを纏う、茂さんの一声が俺の動きを静止させた。

 



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第104話 ヒーローを救うヒーロー

 控室を出た先にある、まるで俺が行き先を見失わないためであるかのようにまっすぐに伸びた、アリーナへと続く廊下。そこへ俺を誘ったのは迫る時間ではなく、さっきまで黙って俺達を見ていた茂さんだった。

 

 救芽井達にはひとまず観客席に上がってもらっているため、「これから『戦う』奴」のためにある空間に立っているのは、俺達二人だけだ。

 

「……なんだってんだよ? こんなギリギリな時に」

「すまんな。すぐに終わらせる」

 

 彼の纏う、今までとはどこか違った雰囲気。それを全身で浴び、自然と俺も身構えてしまう。十九歳という俺に近しい年齢とは不相応に、その面持ちは高貴さを漂わせる一方で、老成した雰囲気も兼ね備えていた。

 彼は俺ではなく、どこか遠いところを見つめるように、しばらくその眼を細め――やがて、ゆっくりと俺の視線に自分のそれを交わらせる。俺のように実際に戦うわけでもないというのに、その眼差しは観客側に立つ者とは到底思えない気勢を帯びていた。

 

 それから数秒の間を置き、彼はようやく口を開く。

 

「――いきなりだが、これだけは確認を取らねばなるまい。一煉寺龍太。貴様、あの答えは出しているのか?」

「な、なに?」

「『絶対に人を殺すような奴であっても、死にかけていたら助けるかどうか』……貴様は昨夜、そう聞いたな」

「……ああ」

 

 そう。俺は伊葉さんに吹っ掛けられたあの問いを、茂さんにも振っていた。

 そして伊葉さんの弁を聞いた上で、彼は「見捨てる」と断じ、「自分の思うままの正義を曲げても、味気なく、つまらないだけだ」と言い切っていたのだ。彼の中では、既に答えをそう決め込んでいるのだろう。

 ……それが、「独善」という名の爆弾を孕んでいたのだとしても。

 

 しかし俺はまだ、そこにすら至っていない。答えなど考えてもいないし、このコンペティションが終わるまでは、と先伸ばしにもしていた。

 

「ワガハイは、これでも『人命を救う』ためにある『着鎧甲冑』を預かる男の一人。その責を果たすためならば、理念に背くとしても取捨選択は成さねばならない。その者に改心と更正の余地がないというのであれば、尚のこと。……ワガハイは、そう答えた」

「……」

「貴様は、もう答えは出ているのか? それとも、伊葉和雅の言に従い、答えを出さないままにしているのか」

 

 ――そこに引け目を感じているからなのだろう。こうまで、彼に呑まれてしまっているのは。

 彼は一度言葉を切ると、苛立ちも見せず、ただ悠然と俺の返事を待ち続けている。

 コンペティションの時間が差し迫っている以上、早く何か答えなければ……と焦ってしまうが、元々決めていなかった答えをいきなり出せと言われて、この土壇場で切り出せるほど、俺はアドリブは得意ではない。

 

 コンペティション本番を目前に控えた数分のうちに、この空間は再び、息苦しい静寂に包まれようとしていた。

 

「……出ていない、か。まぁ、それもやむを得まい。ワガハイも、自分の選択が神に誓って絶対のものである――とは言い切れない節があるのだからな」

「……え?」

 

 そんな静まった空気を打ち破ったのは、その発端でもあった茂さん自身だった。彼は珍しく俺から視線を逸らしたかと思うと、意外な台詞を口にする。

 

「着鎧甲冑の理念に反した選択である以上、正義として自己の行いを語ることはできまい。それは樋稟の願いを踏みにじることにも、繋がりかねないのだから」

「……」

「だが、万が一そのためにより多くの人間が犠牲になってしまうのであれば、心を鬼にして、かりそめの正義を成さねばならん」

「茂さん……」

「それが間違いと云うならば、後々にいくらでも裁くがいい。ワガハイは自分の選択と責任からだけは、逃げも隠れもせん」

 

 ――例え間違いである可能性があるとしても、そこにしか正義を成せる選択肢がないのであれば、躊躇いは捨てなくてはならない。

 

「……だから言っただろう。『自分の思うままの正義を曲げても、味気なく、つまらないだけだ』とな」

 

 ――正義を曲げれば、犠牲が生まれる。そんな未来ほど味気なく、つまらないものはない。だからこそ、理念もろとも、悪を絶つ。

 それが彼の決断であり、あの答えの意味だったのだと、俺はようやく悟る。

 

「だが、ワガハイはこんな話をするために、この期に及んで貴様を呼び出したのではない。いささか、前置きに比重を置きすぎてしまったな」

「な、なんなんだよ?」

 

 そこでやっと、彼の言いたいことが何のごまかしもなしに飛び込んで来る。彼の眼の色が変わった瞬間にそれを感じ、俺も思わず眉をひそめた。

 

「……では、本題に入ろう。貴様が答えを出さないのは別に構わん。ワガハイでも完全な正解など導き出せなかった課題であり、完全な正解などありえないからこそ、伊葉和雅は永遠に迷い続けることこそが正義だと断じたのだろう。事実、社会的な正義など、時代に応じていくらでも変わるものであろうしな」

「……」

 

「だが、仮にその『迷い』に惑わされたままでいるとしたなら、救芽井エレクトロニクス――いや、樋稟の悲願を懸けた舞台に立つのは控えてもらわなくてはならない。彼女に選ばれなかった身であるワガハイでも、そこだけは譲れん」

 

 ずい、と一歩前へと進み出て、茂さんはようやく「本題」を言い放った。その瞬間、彼の纏う気勢が俺の身に覆いかぶさるような錯覚を覚える。

 まるで、彼を追うように吹き抜ける風が、俺の肌を撫でるかのように。

 

 ――確かに、思い当たる節はある。

 伊葉さんの語る正義諸々への答えなんて、コンペティションが終わってからいくらでも悩めばいい。今は本番が大事。

 頭では、嫌というほど理解しているつもりでいた。

 

 だが、所長さんから全てを聞いて、伊葉さんが言おうとしていたことに気づいた時、彼の話とこの戦いが簡単には切り離せないものだということを知り、俺の中で確実に何かが変わったのだ。

 七千人以上の人間を虐殺し、国さえ滅ぼし、四郷姉妹を絶望に追いやった「瀧上凱樹」という男。彼を前にして、どこまで自分の――着鎧甲冑の理念を守れるか。伊葉さんは、それを問おうとしていたんじゃないだろうか。

 このコンペティションに勝てば、説得次第で瀧上さんを抑えられるかも知れない。所長さんはそう言っていたが、その可能性が一割にも満たないということくらい、彼の威圧の片鱗しか目の当たりにしていない俺でもわかる。

 もし、瀧上さんが往年の狂気を取り戻し、この研究所の中で猛威を奮ってしまえば……。

 

「俺は……」

 

 そう思えば、どれだけ先伸ばしにしようとしても、あの伊葉さんの話が脳裏を過ぎってしまうのだ。

 それは「答え」を出していない俺にとっては不安の元となり、気の迷いに繋がる……。そんな節が、きっと表情に現れていたのだろう。

 

「――今になって言うことではなかったかも知れん。その非は認めよう。だが、あの娘が『救済の超機龍』と救芽井エレクトロニクスの命運を貴様に託している以上、貴様にも相応の覚悟を決めて貰わねば、ワガハイも安心して見届けることができんのだ」

 

 茂さんの言うことはわかる。俺だって、こうなった以上は全力でやるつもりだ。ここに来るまで、何度も悩んだり腹括ったりの繰り返しだったし、今だって怖い思いを捨てきれてるわけじゃない。

 それでも、この場に広げられた廊下を渡り出したら、もう止まる気はない。控室で、そのための気合いは注入してきた。

 

 ――問題は、瀧上さんの動向なんだ。

 彼がこのコンペティションの結末に、どう動くか。場合によっては、伊葉さんの問いに迅速に答えなくてはならなくなるだろう。

 茂さんはこの研究所の真相は知らないはずだが、妹の久水があそこまで察している様子だったのだから、薄々感づいていても不思議ではない。食卓で瀧上さんと肌を合わせた後なら、なおさらだ。

 

 だからこそ、彼はこのタイミングで俺に問い掛けたのかも知れない。この先すぐに救うか捨てるかの選別を迫られた時、「間に合わなくなる前に」答えを出せるのかどうか。その準備があるかを、確かめるために。

 

「……もし万が一、我々の知らない何かを貴様が秘密裏に知っていて、そのせいで答えが出せない、というのであれば――それも構わん。だが、その場合は話さないと貴様が決めた以上、貴様自身の解釈でカタを付けておけ。そこから生まれる『迷い』のために、あの娘が悲しむことがないように、な」

 

 俺からは、特に何も口にはしていない。だが彼のこの発言を聞いて、俺は確信した。

 この人は、わかっている。もう、気づいているんだ。漠然でも感づきつつある救芽井達よりも、遥かに鮮明に。

 全てを見通すように、閉じられる寸前まで細められた眼差し。それは槍のような鋭さを湛えていながら――微塵も威圧感を感じさせず、ただ静かに俺を見つめている。

 

 俺は――どうするべきなのだろう。どう、答えるべきなのだろうか。

 

 「迷い」は、人の動きをどこまでも鈍らせていく。答えを確定させないとしても、何も考えないわけにはいかない。茂さんは、そう警告しているんだ。

 

 ……茂さんのように、「人命」を優先する上で必要とあらば、殺す……? それで、本当にいいんだろうか。

 

「俺は、俺の答えは――」

 

『よく見ておけ鮎美! 世界を守るヒーローに盾突いた悪の手先が、どのような末路を辿るのかッ!』

 

 答えを導き出すために呼び起こされた、記憶の中にある瀧上さんの姿を、恐れていたからかも知れない。

 喉まで、「茂さんと同じだ」という言葉が出かかっていたのは。

 

 ――だが、実際に声として答えが出る直前に、頭に浮かんでいたのは――

 

『……失敗しても、いい……負けてもいいから……また一からやり直せばいいから……無事に帰って、またこうして、傍にいて……!』

 

 ――彼では、なかった。

 

「――助ける、と思う。茂さんみたいに、ちゃんとした理屈なんてないけど……そうしなきゃ、いけない気がするんだ」

 

 そして、俺の口からは根拠の伴わない妄言が、放たれる。

 存分にこき下ろされることはわかっている。それでも、一度この思いを「自覚してしまった」瞬間、曲げることはできなかった。

 これを譲ったら、何か――とんでもなく大事な何かを、無くしてしまう。そんな気がして、ならなかったから。

 

 一方、それを聞いた向こうの反応は、予想とは大きく違っていた。

 

「……だろうな。それを聞いて、安心した」

「え……?」

 

 なぜ、そんなことを言うのだろう。自分の意見とは全くの反対のことなのに。根拠なんて、どこにもないというのに。

 

「その心持ち、貴様の答えとして大切に持っておけ。何があっても決して捨てるな」

「……あ、ああ」

「フッ……ここを出る前よりかは、いい顔になったな。では、邪魔なギャラリーはこの辺りで失敬するとしよう。武運を祈る」

 

 茂さんは、俺が抱く疑問には何一つ答えることなく、そのまま俺の傍を通り過ぎていく。

 

 いい顔……とは、なんなのだろう。吹っ切れた、ということなのだろうか。

 言われてみれば――心なしか、身体が軽い。根拠なんてない、単純な俺個人の気持ちを、受け入れてくれる人がいたから……かな。

 

 俺の答えが正しいと決まったわけじゃない。それどころか、永遠に正解として認められることはないかも知れない。

 だけど――まるっきり間違い、って気にもならない。だったら、間違い故にぶつかる壁に会うまで……走るしか、ないんだよな。

 

 俺はアリーナへ続く道へと踵を返し、駆け出していく――

 

 ――前に、悠然と反対の道を歩みつづける、茂さんを見遣る。

 そして最後に一言だけ、本人に聞かれないように……そっと、言わせてもらった。

 

「ありがとうな。……あんた、俺よりよっぽどヒーローしてるよ。ただ――」

 

「――ムッヒョオオゥウ! さぁお邪魔虫は消えたァ! 観客席でワガハイのハーレム祭りじゃオラァァァァ!」

 

 ――それがなければ、な。

 

 良くも悪くも相変わらずな彼の姿に苦笑を浮かべ、俺は今度こそ振り向かず、ただ前へと駆け出していく。

 

 この戦いで、あの「少女のような女性」の運命が変わるのだと……心のどこかで、期待して。

 



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第105話 蒼き身体と虚構の戦場

 アリーナへとただ真っ直ぐに続く、無機質でひたすらに長い廊下。そこを渡り、抜けた先には――「地下室」と定義するには余りにも広大な、「何もない」白い世界が広がっていた。

 

 ここが地上より下に位置しているのだと認識させている、暗く閉ざされたような漆黒の天井とは対照的に、この「グランドホール」を構成しているアリーナの床は、不気味な程に純白に包まれており、この世界が人工のものだという事実を、最上階の個室以上に訴えている。

 

 ここにたどり着くまでに廊下を歩いていた間も、こうしてアリーナを「戦う側」から見つめたビジョンを想像することはあった。だが、現実はそんなガキの理解なんて、軽く超越していたんだ。

 「何もなさ過ぎる」ことの不気味さ。それは、実際にこの場に立たなければわからないことなのだろう。昨日、あの高く遠い観客席からここを見ていた時は、こんな気持ちを覚えることになるなんて考えたこともなかったというのに。

 

「龍太君が出てきたわ……! 龍太君っ! 頑張ってぇーっ!」

「ホ、ホントや! フレェーッ! フレェーッ! りゅ、う、たっ!」

「鮎子……龍太様……!」

 

 俺が廊下を抜けてアリーナに立つと、無駄に多く用意された客席の中から、救芽井達の声が響いて来る。何をやらかしたのかタンコブだらけで撃沈している茂さんに関しては、お約束ということにしてあまり触れないでおこう。

 やたら気合いの入った応援をしてくれている救芽井と矢村は、久水の発破が効いたのか普段以上に元気いっぱいだ。が、そのきっかけを二人に与えたはずの久水自身には、どこか表情に陰りが見える。

 自分の親友と、幼なじみ。その双方がぶつかることになる現実について、やはり思うところがあるのだろう。瀧上さんの件を知らないにしても、どことなく察している節はあるようだし、やはり不安は拭えないのかも知れない。

 

 ……心配すんな。俺が本当に向き合わなきゃいけないのは、四郷じゃない。もちろん四郷と戦わなきゃいけないのも確かだが、もっと先に立ち向かわなきゃいけない人がいるんだから。

 

「……よそ見してちゃ、ダメ。一煉寺さんは、ボクの相手をしなきゃ……」

「ああ、わかってる。お互い、恨みっこなしだぜ?」

 

 すると、いつまでも外野の客席ばかりを見ていることに腹を立てたのか、当の少女(?)本人が口を挟んで来る。

 遥か向こう側に立ち、スゥッと目を細めてこちらを睨むその様は、心なしかヤキモチを妬く初な恋人のような、いたいけさと切なさを孕んでいるように見えた。

 ……本人に聞かれたらマニピュレーターでブン殴られそうだけど。

 

『さて、それじゃあ役者は揃ったわね。二人とも、用意はいいかしら?』

「ああ。いつでもどうぞ!」

「……向こうに同じく……」

 

 やがて、客席から更に高い位置にある審判席らしき場所から、ガラス張り越しで俺達を見下ろしている所長さんの声が、このグランドホール全体に轟いた。どうやら、あそこは試合の実況アナウンサーのためにあるような場所らしい。

 彼女の隣に座っている伊葉さんは、まるで将棋でもしているかのような仏頂面で、俺達の姿を真剣な眼差しで貫いていた。審判をするのは伊葉さんだが、司会は所長さんが行うようだ。

 

 あの二人があそこにいるせいで、瀧上さんは救芽井達のグループから若干離れた場所に独りで座る羽目になっている……が、本人には特にその辺を気にしている様子は見られない。

 独りでポツンと踏ん反り返っているその様は、到底一国を滅ぼした男には見えないのだが――人は見かけに寄らない、ということなのだろう。筋骨隆々な体格に関しては、正に「見かけ通り」なのだが。

 

『オッケー。それじゃあ救芽井エレクトロニクスと四郷研究所、双方の性能を検査するコンペティションを、これより執り行わさせて頂くわ!』

 

 すると、再び場内に所長さんの声が響いて来た。

 例の興奮剤を使っていないせいだろう。明るく振る舞っているかのように見えて、その声色にはどこか暗雲が立ち込めているかのような闇が伺えた。

 

 だが、今の俺に彼女を気遣っていられる余裕などない。今はただ、この競争に勝つことに集中するのみだ。

 

『では両者、自分の研究成果をこの場に提示しなさい!』

 

 そして、所長さんの指示に応じるように、四郷の身体がまばゆい光を帯びて、あの姿へと変わっていく。俺や客席にいる救芽井達、そしていつの間にか意識を回復させていた茂さんは、その瞬間を固唾を飲んで見守っている。

 

「……マニピュレートアーム、展開……」

 

 小さな少女のような、か細い身体を覆い尽くす純白の輝き。それを内側から切り裂くかの如く、二本の蒼いマニピュレーターが飛び出してきた。

 その瞬間を皮切りに、彼女を覆い隠す光もその輝きを失い、人間の姿を借りる「新人類の身体」としての有りのままの姿を、この世界にさらけ出した。

 彼女が普段から見せている、冷めた態度そのものを映し出しているかのような、冷たく、蒼い鋼鉄のボディ。それに加えて、眼の焦点を失っていることを除けば、今までと変わらない顔。そして、まるで別の生き物であるかのようにゆらゆらと揺れている、水色のサイドテール。

 一度見たことがあるはずのその姿は、初めて見た時とは比にならない感慨を俺に与えていた。所長さんの話を聞く前と後とで違う感覚の大きさに、俺自身が驚きを隠せずにいる。

 

 十年前、自分が慕っていたヒーローの現実に直面し、人格が崩壊してから……久水に会う日まで、地下深くにまで及ぶこの牢獄のような世界で、彼女はずっと生きてきた。

 その瞬間からずっと、十五歳だった彼女の時計の針は止まったまま。実年齢は二十五歳に及んでいるというのに、その姿や振る舞いには、年相応の雰囲気がまるで見られない。

 それはきっと、大人になっていくために外界に触れていく手段と気持ちを絶たれたことに起因しているのだろう。身体も心も機械に閉ざして、意識だけをそのままに十年間も幽閉された彼女の壮絶過ぎる人生。その痛ましさは、家族にも周囲の人にも恵まれすぎていた俺には、察するにあまりある。

 

 そんな俺が、彼女を理解し、「心から」救うことなど一生掛かっても不可能なのかも知れない。ここに来るまで、俺達が立つこのアリーナの、無機質さ故の不気味さに気づかなかったように、彼女の苦しみも、彼女と同じ目に遭わなければ理解できないはずなのだから。

 

 ――だが、それは俺自身が投げ出していい理屈にはならない。

 

「着鎧、甲冑……!」

 

 右腕に嵌められた「腕輪型着鎧装置」のマイク部分に、唸るような声色で音声入力を行う。それに反応した腕輪から、蕾の中から花が広がっていくかのように赤い帯が飛び出し――俺の全身を巻き付けるように包んでいく。

 それは俺の視界にも及んでいたが……やがて深紅に染められていた世界は、バイザー越しに「新人類の身体」と化した四郷を見つめる光景へと変化していった。

 そして、紅のスーツ――「救済の超機龍」への着鎧に成功した事実を、真っ赤な自分の掌を見遣ることで確信し、俺は四郷の方に向き直る。

 

 ――俺は、茂さんに言った。「相手が誰だろうと助ける」って。だって、今の俺はそれだけを胸に生きてきた救芽井の代わりに、ここに立っているんだから。

 俺には、四郷の気持ちを理解することなんて、多分できない。いや、できなくたって構わないんだ、きっと。人の気持ちなんて、エスパーでもなきゃわかりっこないんだし。

 ……だから、こんな時に大事になるのは多分――「目を離さない」ことなんだ。

 

 彼女が苦しんで来たのは「今まで」じゃない。「今も」、なんだ。俺がこうしてあれこれと考えてる間も、彼女は機械の中に身も心も囚われ続けている。

 このコンペティションに勝つことが、必ずしも彼女のためになるとは限らない。何か状況を変えるきっかけに成りうると言っても、瀧上さんが暴れ出してそれどころじゃなくなる可能性だってある。

 そもそも、彼女を「新人類の身体」や瀧上さん絡みの因縁から解放すること自体が、彼女にとっての幸せなのかもわからないんだ。もしかしたら「押し付け」に思われて、余計な手出しをしないで欲しい、だなんて反発されるかも知れない。……久水の存在を考えると、そうでもない可能性もあるにはあるのだが。

 

 ――それでも、俺は所長さんにも救芽井にも茂さんにも、「勝つ」と約束して、ここにいる。なら、このコンペティションに勝つことが彼女のためになると期待して戦う以外に、俺に選択肢はない。

 ……だから、俺は片時も四郷から「目を離しちゃ」いけないんだ。彼女の心を理解することは出来なくても、せめて万一の時は物理的な意味だけでも守れるよう、「思いやれる」ように。

 

 ――それが、「正義」がどっちなのかも、そもそも何なのかもわからないバカな高校生にとっての、なけなしの「正義」だから。

 

『……双方、準備はオーケーみたいね。本コンペティションは「救助対象者への迅速な移動」「心肺蘇生法による応急救護措置」「最低限の自己防衛能力」の三課目で検査されるわ。審判は、私の隣にいる伊葉和雅氏が担当するわよ』

『実践の中で本当に人命を救えるかどうか、という効率性に準じて判断させて貰う。両者の健闘を、祈る』

 

 そして、俺達の用意が整った瞬間を見届けて、所長さんがコンペティションの概要を口にする。それに次いで、今まで黙したままで俺達を見つめていた伊葉さんも、ようやくその重い口を開くのだった。

 

 こんな何もないアリーナで、どうやってそんなテストをするのか知らんが……まぁいい、どんなルールだろうと全力で――

 

『では、まず第一課目「救助対象者への迅速な移動」からよ! 伊葉氏の言う通り、双方の健闘を期待するわ!』

 

 ――ッ!?

 

『鮎子の変身機能から来る発光現象を応用したこのホログラムは、最新の災害情報に準じて作られているわ。作り物だからってナメてるとあっという間にゲームオーバーだから、油断しないように!』

 

 ……こんなことが、有り得るのだろうか。所長さんの言葉を自分なりに解釈するなら、俺はある意味で「夢」を見ているのだろう。

 他の人達には、この世界はどのように見えているんだろうか。四郷にはどう見え――いや、彼女の姿が見えなくなった今では、わかりっこないな。

 

 無機質で真っ白なアリーナが、一転して――廃墟のような寂れた市街地になってしまったのだから。

 



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第106話 始まりの舞台、それは幻想の廃墟

 視界全体に広がる、廃墟と化した市街地。ひび割れたビルや家屋、電柱や裂けたアスファルト。それら全てが立体映像……つまるところ「幻」だと言うには、余りにも現実味を帯びすぎている。

 何も知らずにいきなりここへ放り込まれたなら、被災地から廃墟をそのままくり抜いてきたかのように錯覚していたことだろう。

 

「な、なんだよこれ……。全部、立体映像だってのか?」

 

 近くでふらふらと揺れている、折れかけた標識。そこへ手を伸ばしてみると――まやかしでもなんでもない、確かな感触がある。

 

「いっ……!?」

『廃墟の光景そのものは、確かにただの立体映像。だけど、そこにはホログラムを応じたオブジェクトを設置させて貰ってるの。あなたが触ったのは、「標識のように見える」ウチのガラクタね』

「じゃ、じゃあこの景色が全部、再現されてるってのか!?」

『その通り。だから建物を足場にしようとしてすり抜けちゃう、なんてことにはならないから、安心していいわよ』

「今に始まったことじゃないが、ホンッと無茶苦茶だぜ、ここは……」

 

 しかも、ついさっきまで何もなかった空間に、こんな「オブジェクト」を立体映像通りに瞬時に配置するという手回りの良さだ。今回のコンペティションに向けた段取りのクオリティが伺い知れる。

 

「龍太が触っとるヤツ……なんやアレ? 細くて折れかけたマニピュレーター……なんか?」

「び、びっくりしたわ……いきなり床からビルみたいな大きさの突起が幾つも出てくるんだもの。しかもあそこ、木造住宅みたいな形じゃないかしら?」

「鮎子が立つ場所――いつの間に床が歪んでいたざます? あれではまるで、地割れの跡ですわ!」

 

 ……どうやら、観客席からはホログラムを帯びていない、素のオブジェクトが見えているらしい。この光景が荒廃した市街地に見えているのは、俺と四郷と……進行役の所長さん達だけみたいだな。

 よく見ると、高見の見物を決め込んでいる彼ら二人は、何か機械的で特殊な造形の眼鏡を掛けている。3D眼鏡か?

 

『さて、それでは第一課目「救助対象者への迅速な移動」についてのルールを説明するわ。といっても、それは実に簡単。各々に割り当てられた「救助対象者」を迅速かつ安全に救助するだけ。先にノルマを達成できた方を勝者とします』

『……ただし、いかに早く救助できたとしても、それが救助対象者を危険に晒す可能性があった場合、勝者と認められないケースも有り得る。十分に配慮するように』

『本来なら「救助対象者」に関する情報収集及び、捜索込みで行う予定だったけど、「救済の超機龍」の活動は「外部からのコンピュータ支援」を受けて初めて成り立つものだということだから、「計測対象(あなた達自身)の単純な移動能力」をフェアに測るためにそれらは省略させてもらってるわ。前提となる「目的地」の情報が既にある今、勝敗を左右するのはあなた達の現場における「基本性能」と「本人の能力」に裏打ちされた行動力よ! ただ、現場のシビアさを踏まえて必要最低限のマップデータしか送らないから、予想外のケースにも対応できる準備をしておくこと!』

『彼女の言うとおり、この勝負の判定は主に君達自身のフィジカルに懸かっている。しかし、優位に立とうと焦燥に駆られてメンタリティに支障を来せば、それは実際の行動にも少なからず影響を及ぼすことになる。くれぐれも気を付けたまえ』

「……了解……」

「お、おう」

 

 所長さんの説明に付け足された、伊葉さんの補足。その声色は、この第一戦における大きな落とし穴になるという「警告」の色が感じられた。

 

 確かに、救助対象者を助けたからといって、そのために無茶をして対象者を死なせたりなんかしたら本末転倒だ。そこに気を遣わなくては、この三本勝負を制することは出来まい。

 

『では、各自のバイザー及びアイカメラに、救助対象者のデータを転送するわ。転送完了と同時に、テスト開始よ。各自、実践の感覚で迅速に対応すること!』

 

 その時、所長さんの声から感じられる雰囲気に、変化が訪れる。いつになく真剣な――あの夜を思わせる声だ。

 

 俺は条件反射で、いつでも飛び出せるように重心を足のつま先に落とし、視界を包むバイザーに映る「NOW LOADING」の文字を注視する。恐らく、四郷にも同じものが映っているのだろう。

 

 夏の暑さゆえか、焦燥ゆえか、あるいはその両方なのか。「救済の超機龍」のマスク内は、俺の僅かに荒い吐息と頬や顎を伝う汗で、「戦い」が始まる前から既にサウナ状態だ。

 

 転送されたデータが、ロードを終えて展開される。コンピュータの動作の中で、これほど単純なものはない。それは、そこまでコンピュータ関連に詳しいわけでもない俺にだってわかる。

 だが、このデータが救助対象者に関する情報を開示した瞬間、ここまで来た意味の全てが懸かった競争が始まるのかと思うと、こんなシンプルなプログラムにさえ神経を擦り減らしてしまう。

 そのくらい、このコンペティションには重要な意味がある。負けられない、負けるわけには――

 

「……ッ!」

 

 ――その時。意味もなく俺は「再現された」地面を蹴り、正面に駆け出していた。

 

 「NOW LOADING」の文字に代わり、バイザーから見える視界の右端に顕れた、この廃墟全体を示したものと思しきマップ。その存在を俺の視神経が頭脳へ伝えた瞬間、脊髄で反応するかのごとく、俺は行動を開始していたのだ。

 そして、それに対応しているかのように、マップ内を北に向かって猛烈に直進している赤い光点。恐らく……いや間違いなく、これが俺の居場所を指したポインターなのだろう。

 とすると、マップの北西で点滅している青い光点が――!

 

「……うっ!?」

 

 ――だが、救助対象者の元へ安易に行かせてくれるほど、この試験は甘くはないようだ。北西……つまり左斜め前方へ向かおうと、屋根の下敷きにされたかのように潰れている木造住宅を飛び越えた瞬間。

 隣のビルの上部が崩れ――瓦礫が降ってきた!

 

「龍太君ッ!」

 

 それと時を同じくして、救芽井の切羽詰まったような声が響き渡る。やはり「瓦礫のように見える」ことは幻覚でも、物が降って来ていること自体は紛れも無い真実のようだ。くそっ……松霧町に居た頃なら、火事になってたり脆くなってたりしてる建物の情報も入るから、こんな事態には滅多にならないんだがッ……!

 

 ――しかし、「データにない事態に対応してみせる」のも必要なスキルだと、以前救芽井に教わったこともある。

 空中に飛び出した以上は避けようもないし、このまま直撃すれば「救済の超機龍」といえども、ただでは済まされないかも知れない。……とは言え、こんなことで躓いてはいられないのも事実だ。

 俺は宙に浮いたまま体勢を変え、それに併せて周囲に「生存者」がいないことを確認し――迎撃に出る。

 

 ――お前までいちいちうろたえてんじゃねーよ、しょうがない娘だな全く。こんなまやかしに引っ掛かる「救済の超機龍」じゃ――

 

「……ねぇだろッ!?」

 

 空中で体を捩るように回転させ、それに釣られるように弧を描く足を、瓦礫に向けてたたき付ける。刹那、瓦礫「だったもの」は重々しい衝撃音に比例するように砕け散ると、あちこちへ四散してしまった。

 

 これが本物だろうが紛い物だろうが、「救済の超機龍」のポテンシャルをぶつけた胴回し回転蹴りの前には関係ない。「救済の先駆者」だとこうは行かなかったのかも知れないし、これを造ってくれた救芽井には感謝するしかないよな。

 

 そして、蹴りで崩れた体勢を安定させるために、空中で何度か前転するように身体を回転させ、スタッと着地する。次いで、再び北西部を目指し、松霧町でやっていた通りに建物から建物へと跳び移っていく。

 

 ――我ながら、実に「それっぽい」動きじゃないか。本場の救芽井や着鎧甲冑を所有してるプロ達に比べりゃまだまだだろうが、少なくとも最低限の動きは出来てきているはず。あの二週間の特訓の中で、ニューヨーク駐在のR型部隊の訓練を見せられたのは、無駄じゃなかったみたいだな。

 

「龍太ぁ〜っ! 行けるっ! 行けるでぇ〜っ!」

「龍太様っ! その調子でしてよーっ!」

「一煉寺龍太ッ! ひとまずスタートダッシュは及第点だが、油断はならんぞッ!」

 

 それに、二週間で詰め込んだ付け焼き刃の動きでも、多少の役には立つらしい。

 俺の特訓に付き合う形で着鎧甲冑の道を学びつつ、救芽井共々鬼のようなシゴキを繰り返していた矢村様も、今は俺の動きに歓声を送ってくれている。久水や茂さんにも応援して貰ってる以上、一本先取は何がなんでも狙いたいところだ。

 

「――おしッ! ここを抜けりゃあ道が開けるッ!」

 

 ビルの倒壊や地震の影響か、見るも無惨に荒れ果てている住宅街。その上を何度も跳び上がって通過していくうちに、ようやく割れ目の少ないアスファルトが見えて来る。

 

 ……別に地形が歪んでいたって走れないわけじゃないし、走れないほど酷いなら、今やってるように跳び回ればいい。だが、やはり一番速く動こうと思えば、損害が少なく平地になっていて、走り易そうなアスファルトを探してしまう。

 それに「空高くジャンプしている」気分というものは、普通は着鎧している時にしか味わえないもの。そんな滅多に頼るわけでもない感覚に任せて移動するよりは、一番人間として自然体である「自分の足で走る」という手段をなるべく使っていきたい、というのが正直な気持ちなのだ。

 

 ――そんな「気持ち」は、彼女には残っているのだろうか。あの身体になったまま、十年間過ごし続けてきた、彼女には……。

 

 ふと、そんな事が脳裏に浮かび、俺は思わずアスファルトの手前にある廃屋の上で立ち止まってしまう。そして一瞬頭を左右に振ると、再び足場を蹴ってアスファルトの上を駆け出して行く。

 ――彼女の気持ちなんてろくすっぽ知らないクセして、いっちょ前に同情かよ! 俺はそんなに上等な人間じゃないッ! 今できることは、彼女が助かる望みをちょっとでも捻り出すためにも、この勝負に勝つことだけだ!

 

 あの夜に知った、四郷姉妹を縛る暗黒。所長さんが語る、その残酷な実態を聞かされた時から、彼女のことが頭を離れることはそうそうなかった。

 そんな状態が続いていたから、コンペティションが始まった今になってなお、彼女のことを考えてしまうのだろう。こればっかりは、言い訳のしようのない俺の落ち度だ。

 

 ――もう、考えるのはやめだ。勝負が始まった今になって、まだ悩むなんて女々しいにも程がある! これからは、純粋に勝負のことだけに目を向けるんだッ!

 そう決めて、俺は自分に言い聞かせようとした――その時だった。

 

「……おわッ!?」

 

 突然、アスファルトを走る俺の頭上に、ガラスがあられのように降り掛かって来たのだ。瓦礫ならさっきのように蹴り砕けばいいのだが、細かくバラバラに降って来るガラスの破片となると、なかなかそうも行かない。

 加えて、さっきまで四郷のことであれやこれやと逡巡していたため、完全に不意を突かれてしまい、もろに破片の雨を浴びてしまう。

 

「ぐっ!」

 

 もちろん、着鎧甲冑を纏った今なら大したダメージなんかない。だが、避けようと思えば避けられたはずの障害だ。

 

 ……くそっ! 何が「それっぽい」動きだ、まるでドシロウトみたいじゃないかッ! ――にしても、一体なんでこんな所にガラスなんて降ってきたんだ? 地面の裂け具合も酷くないし、ここはそこまで損害はないはず――

 

 ガラスの存在を意識していくうちに、脳裏に浮上してきた疑惑。その実態を確かめるべく、俺は頭上を見上げ――思わず言葉を失った。

 

 そこには、マニピュレーターを翼のように広げ、ビルからビルへと跳び回る、四郷の姿があったのだ。

 ……しかも、俺とは段違いの速さで。

 

「……現時点、半径五十メートル以内における『生存者』のデータは、なし。現移動方法を継続……」

 

 相変わらずな無表情のまま、呪文のように何かを呟くその姿は、さながら人工知能に「憑りつかれている」ようにも見えてくる。頻繁にあちこちを見渡してる辺り、「生存者」がいた場合に、さっきみたいなガラス破片を落とさないようにと気を付けてるみたいだが……ライバルにも気を遣ってほしいもんだ。着鎧甲冑を着てるとは言え、一応本物の人間なんだから。

 ……にしても、彼女のマニピュレーターを使った動きには驚かされるな。

 

 建物と建物の隙間に飛び込み、マニピュレーターでその両端を掴んで、その勢いを利用して飛び出している。まるで、パチンコの弾丸だ。

 確かに、あの方法ならただ単純に脚力だけで動いている俺なんかより、よっぽど速く動ける。最高速度に乗ったトラックを、腕力だけで止められるマニピュレーターの力で、あの小さな身体を打ち出しているんだからなおさらだ。

 

 ――こりゃあ、手強いどころの騒ぎじゃない……! 急がないと、あっという間に差を付けられちまうッ!

 

 そして、慌てて踵を返し、目的地の青い光点を目指そうとした瞬間。

 今度は視界が突然真紅に染まり、警告音が鳴り出した!

 

「こ、今度はなんッ――」

『さて、両者共に救助対象者までの距離が半分を切ったところで、いよいよ本テストの最大の障害(メインディッシュ)よ! コレだけはさすがに物理的には再現できなかったけど、飲み込まれたら即ゲームオーバーって意味じゃあ、危険度は変わらないわ。二人とも、くれぐれも気をつけるようにっ!』

 

 ――メ、メインディッシュ? 飲み込まれたら即ゲームオーバー? 一体何だってんだ……?

 

 意味がわからない。

 焦る気持ちもあってか、その一言しか心の言葉にできずにいた、その時。

 

 警告音がさらに激しさを増し、背後に何かの影を感じた。次いで――とっさに振り向く。

 

「……マジ……かッ!?」

 

 その「実態」を目の当たりにして、ようやく俺は所長さんの言っていたことの意味に、たどり着くことができた。――いや、「今頃になってたどり着いた」と表現する方が正しいのかも知れない。

 

 俺自身はおろか、アスファルト一帯を覆わんと襲い来る「大津波」と相対してしまった、今となっては。

 



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第107話 押し寄せる波との戦い

「冗談だろッ……くそっ!」

 

 俺の全身はおろか、その後方十数メートル先までに及んでいる、漆黒の影。

 その原因たる巨大な津波を前に、俺は反射的に身体を反転させ、両脚の筋肉に全力で信号を送る。

 「救済の超機龍」のパワーを引き出しても、逃げ切れるかどうか……!

 

「間に、あ、えぇえぇええぇッ!」

 

 地面を蹴る、その一瞬すら惜しむ思いで、俺はひたすら覆いかぶさらんと迫る濁流から逃れようと懸命に駆ける。

 そんな俺を嘲笑うかのように、津波の幕はさらに広がっていく、まっすぐ走っていては、すぐに捕まってしまうだろう。

 

 人を覆うように押し寄せる津波が、重力に引かれて地面を飲み込んでいく。その瞬間というものは瞬く間に訪れるはずなのだが、心なしか今回ばかりは、その一連の動きが緩やかな流れに見えて仕方がない。

 スローモーションのように視界へ映るその光景に、俺は自嘲の思いに駆られ、この状況でありながら口元を緩めてしまった。

 

 ――あまりにも絶望的過ぎて、走馬灯の類でも見えはじめているのか……。

 

 そして次に沸き上がるのは、無力な自分への怒りだ。

 一歩踏み出す度に、果てしなく遠退いていく影の終わり。そんな届くはずのない場所に手を伸ばし、俺は思わず仮面の奥で唇を噛み締める。

 

 ――ダメ、なのかよッ……ちくしょうがッ……!

 

 所詮、俺ごときが一国を滅ぼせる超人を生んだ「新人類の身体」に、敵うはずがなかった……ということなのだろうか。

 ――いや、これはそんな次元ですらない。命を懸けた戦いですらない技術競争で遅れを取るような奴が、あの娘を救うなんて……笑っちまうよなぁ。

 

 そんな、諦観の念が俺をつま先から頭のてっぺんまで支配しようとしていた。

 ……その時。

 

「龍太君ッ! 正面に走っちゃダメッ! 捕まる前に建物の隙間に逃げるのよッ!」

「……ッ!?」

 

 グランドホール全体どころか、下手すりゃ地上まで届いてしまいそうな程の救芽井の叫びが、俺の聴覚を通して脳内に突き刺さる。

 今までに聞いたことがないような、いつになくけたたましい声。遠くで走り続ける俺に届くようにと、全力で叫んだのだろう。届き過ぎて耳が痛いけど。

 

 「津波が迫っている」という状況は観客席には伝わっていないはずだが、恐らく俺の様子から何が起きているのかを見抜いてしまったのだろう。さすが、第一人者は違うな。

 俺はこの手のシミュレーションに詳しいであろう彼女のアドバイスを信じ、アスファルトを蹴る方向を変える。狙うは……数メートル先にある、ビル同士の隙間ッ!

 

 もちろん、ただでさえ追い付かれようとしている中で、逃げる方向を正面からずらしたりなんかしたら、移動スピードが落ちて一瞬で飲み込まれてしまう可能性もある。

 だが、このままバカ正直に真っ直ぐ走っていても、結局のところは捕まってしまうのも明白。だったら、たとえ無茶でもなんでもやるしかないんだよなッ!

 

 可能な限り逃げるスピードを殺さないよう、徐々に隙間に入るために進行方向を道路の端に詰めていく。

 そして、後ろで聞こえて来る、津波の轟音に内心で震えながら――僅かに力を溜めて強く大地を蹴り、一直線に隙間へ飛び込む!

 

 背後から迫る津波の影は、もはや思わず目をつぶりたくなるほどにまで濃さを増し、警戒音の激しさも、実践の中ですら聴いたことがないレベルに達している。

 きっと誰もが……俺自身ですら、僅かに諦めかける気持ちが湧き出てしまう、この状況。

 

 それを覆したのは――他でもない、この「救済の超機龍」のポテンシャルだったのだ。

 

「く――おぁあぁああッ!」

 

 このギリギリな事態を跳ね返したい。そんな思いゆえ、身体の最奥から気力を振り絞り、ただひたすらに叫ぶ。

 辛うじて俺がビルの隙間に飛び込めるまで、その奇声が止むことはなかった。

 やがてアスファルトを覆っていた津波が地面と衝突し、激しい轟音を立てると共に濁流へと変化した。

 

 ――失格にされてる様子はない! やった! 間に合ったんだッ!

 

 ……だが、安心してはいられない。

 ビルの隙間に逃げ込めたからって、津波がそのまま素通りしてくれるわけじゃない。津波の流れが僅かに分断されるだけで、こちらに向かって来ることには変わりないのだ。

 

 この窮地を脱するには、分断されて隙間に侵入してくる津波の勢いが、この狭い空間を飲み込む前に、高所へ避難するしかない。津波から逃げる最終目的地が「高い所」なのはどんな時代でも変わらないってばっちゃが――じゃない、救芽井が言ってた。

 そしてそれを成すには、「救済の超機龍」の運動能力に賭けて、このビルを屋上まで登りきるしかない。だが、立ち止まっていたらすぐに追い付かれてしまうだろう。

 

「――間に合ってくれッ!」

 

 俺は飛び込んだ時の勢いを利用して、ビルの壁に飛び掛かる。その後を追うように、とうとう津波がこの空間にまで侵入してきた!

 隙間の中という狭い場所に突然飛び込んできた津波の一部は、激しくうねりをあげて襲い掛かってくる。

 

 一方、俺は向かった先にある壁を蹴って反対側のビルに向かい、そこから同様の動作を繰り返した。

 壁を蹴って高さを稼ぐ、いわゆる「三角飛び」だ。本来なら、直接跳び上がった方が屋上を目指す上では速かったのだが、跳び上がるために力を入れてる内に飲み込まれては本末転倒だろう。

 

「くっ……うぉおぉおーッ!」

 

 けたたましい叫びと共に、俺はただ懸命に壁をひたすら蹴り続ける。数センチ下を流れる津波の勢いから逃れようと、俺はただ真上を見つめ、声を張り上げていた。

 

 ……それから数秒後。俺の足元のすぐ下を、濁流が渦巻いて大暴れしている。もし、隙間に逃げ込んでからの一連の動きに僅かでも迷いがあったなら、たちまち俺は飲み込まれていただろう。

 

「落ち着いてるわね……なんとか、津波からは逃れられたのかしら」

「ホ、ホント? やったーっ! グッジョブやで龍太っ!」

 

 遠くで見つめているであろう矢村が、歓声を上げているのが聞こえて来る。死に物狂いで屋上の端にしがみついていた俺は、そこでようやく命拾いしたのだと、胸を撫で下ろすことが――

 

 ――できない!

 

「……ッ! まさか、救助対象者の方にも津波が!?」

 

 俺はその可能性に気づいた瞬間、自分が助かったことで緩みかけていた緊張感を取り返し、瞬時に屋上へ登り周囲を一望する。

 ――マップによれば……ここからすぐそこじゃねーか!? 間に合うのかよッ……!?

 

「クッ……だけど、まだ失格扱いはされてない。じゃあ、行くっきゃないよなッ!」

 

 俺は目的地に向けて一気に駆け出し、そのまま濁流に飲まれたアスファルトを飛び越え、向かいのビルの屋上へ着地する。

 

 そこからさらに、何度か高所から高所への移動を繰り返し……ついに、視認できる距離までにたどり着いた!

 

「あ、あれかッ!?」

 

 ビルから見下ろした先に伺える、倒壊した建物の瓦礫に下半身が埋もれ、横たわっている男性の姿。青い光点の場所からして、あのオッサンが救助対象者と見て間違いなさそうだ!

 

 だが、あの瓦礫を退かせば終わり……とは行かせてくれないらしい。嫌というほど聞かされ、トラウマになりそうなあの轟音が、この辺りにも響いているのだ。

 倒れている男性がいる道路に迫りつつある、灰色の濁流。さっきのように水が舞い上がるほどの勢いがない分、動きは緩やかだが……それはあくまで「さっきと比べれば」という意味でしかない。速くて危険なのは同じことだ。

 

「今度は逃げるだけじゃなく、自分から飛び込みに行けってか!? 所長さんもアジなマネしやがるッ!」

 

 ――だが、何を言おうがここであの男性を助けられなかったら、黒星となってしまうのは事実。俺はせめてもの「八つ当たり」で軽口を叩きつつ、一直線に男性のいる場所目掛けて飛び降りていく。

 

 なぜか、ここの道路だけ他と違って、路面電車のレールがあるのが気になるが……まぁ、別にいいか。

 

 みるみる迫ってくる津波を見ていると、ただ地面に着くのを待つしかない「滞空時間」というものが、惜しくて仕方のないものになってくる。出来ることなら、真っ先に逃げ出したくもなる状況なのだから、なおさらだ。

 着鎧甲冑越しに、アスファルトに触れる感触をつま先に感じた瞬間、俺は全体重を前方に傾け、つんのめる寸前という勢いで全力疾走していく。

 

「オッサンと心中なんて趣味は、ねえんだよぉーッ!」

 

 周りの時間が停止したかのように感じられるほどの速さで、ぐったりと倒れている男性の傍までたどり着いた俺は、焦る気持ちを抑えられないまま瓦礫に手を掛けた。

 

「あ、あれ!? くそっ……! ふんぬッ……!?」

 

 ――だが、どうしたことか。着鎧甲冑のパワーを以てしても、なかなか取り払うことができない。松霧町で活動していた頃は、これよりも数倍大きい貨物トラックを、片手で持ち上げることだって出来たというのに。

 そうこうしているうちに、津波がどんどん迫って来ている。瓦礫越しに伺えるその光景が、俺の焦燥をより一層駆り立てた。

 

「どっ……どうなってんだよッ!? これッ……!」

 

 両手どころか、腰の力も全力で入れてるのに、なかなか持ち上がる気配がない。こんなに重たい物体、一体どこから――ん?

 

 ふと、俺の視界に留まったもの。それは瓦礫の下敷きになっていた、大きな鉄製の物体であった。

 

「なんだ……これ?」

 

 妙に古びていて、さながら巨大なフックのようにも見えるその物体は、見たところ強烈に瓦礫に食い込んでいるらしく、持ち上げようとしても動かない「原因」である可能性が浮上してきた。

 だが……なんなんだコレ? 着鎧甲冑の力でも動かせないフック? そんなもんどこの世界に――

 

 ――まさか!?

 

 俺は、反射的に後ろを振り返る。その先に映るのは、あの路面電車のレール。

 そこから考えられる、この状況を生み出している元凶。思い当たる節は、一つだけだった。

 

 巨大フックが何処と繋がっているのかを探るべく、俺は辺りの土や小さな瓦礫を跳ね退ける。そして答えは――残酷なほどに予想通りだったのだ。

 

 ……脱線事故でも起こしたのか、無惨にもアスファルトの奥に突き刺さり、瓦礫の下に埋められてしまっている、一両の路面電車。

 俺の任務遂行を阻んでいた最後の障壁が、これだった。

 

 ――脱線した路面電車のフック……もとい連結器が、瓦礫に突き刺さってたってのか!? そんなのアリかよッ……!

 

 だが、ぶーたれている隙などない。既に津波の勢いは目と鼻の先まで迫って来ており、今から逃げ出すチャンスがあるかどうかも怪しくなっていた。

 俺はフックが食い込んでいる部分だけを蹴りで破壊し、瓦礫をサッと持ち上げてしまう。瓦礫自体をさっさと砕かなかったのは、救助対象者のオッサンに破片を当てないためだ。

 

 ――よし! あとはオッサンを連れて逃げるだけッ!

 

 俺は焦る余り、オッサンの手を引いてそのまま跳び上がり、空中で優しく抱える体制に移行しながら屋上に着地する。

 そして、アスファルトを見下ろしてみれば……あっという間に、灰色の濁流が辺り一帯を埋め尽くしてしまっていた。

 もし、連結器の存在に気づくのが一秒でも遅かったら――考えたくもないな。

 

『試験終了! タイムは……両者同着の一分五十七秒! さすがね!』

 

 そして、俺が屋上にたどり着いて間もなく、所長さんのアナウンスが入る。同着ってことは――四郷も今さっき終わったところだったのか。あんなにビュンビュン動いてたのに、ちょっと意外。

 にしても、一分五十七秒って……マジか? あんなに必死に動き回ってたってのに、二分も経ってなかったのかよ。

 

『さて、それじゃあ判定をお願いします。伊葉和雅氏』

「……!」

 

 ――そうだった。この勝負の結果を判別する材料は、タイムだけじゃない。

 実践において役立つレベルまで、救助対象者に掛かる負担を抑えられているかどうか。そこに比重が置かれていなければ、例え迅速に救助活動が行われていたとしても、勝者として認められない可能性があるのだ。

 

 ……だ、だけど心配ないはずだ。俺だって対象者を守るために破壊行動は抑えたはずだし、間に合ってもいるはず――

 

『第一課目「救助対象者への迅速な移動」。勝者は――「新人類の身体」とする』

 

 ――だが、現実は思いの外……非情だったらしい。

 



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第108話 第二科目の序曲

 気を抜いていたわけではない。今までに積み重ねてきた特訓で、何かを怠っていたわけでもない。

 そこだけは自負できるくらいのことは、してきたつもりだった。

 

 だが、それで勝てるほど現実は甘いわけではなく、実際に軍配は四郷に上がっている。

 ……予想はされていたことだ。そもそも全く違う技術が同じ課目で競うのだから、次元の違う結果が出たってなんら不思議ではない。それに、まだ最初の一本しか失ってはいない。挽回の機会なら、まだいくらでもある。

 

 それは、わかっていた。

 

「……ッ!」

 

 ――わかっていたが、割り切れないものもある。

 

 気がつけば、俺は崩れるように両膝を仮想世界の床に打ち付け、そこへやり場のない「何か」を、ぶつけ続けていた。

 勝てなかった自分への怒り? 一本を先取されたことへの焦り? ――いや、違う。

 

 ……きっと、悔しいんだ。今の俺は。

 あれだけ救芽井と一緒に特訓して、町でもヒーローとして活動して。この課目でだって、彼女のアドバイスがなければ救出対象にたどり着くことさえ出来なかった。

 元々、自分一人の意志だけで、この競争に臨んだわけではない。それでも、あの娘と一緒に重ねてきた時間と、その中で得たものに、言い表しようのない意義を感じていたのは確かなんだ。

 

 ――なのに、返ってきた結果は敗北の二文字。

 あの娘にあれだけ、見栄を張ったのに。あの娘にあれだけ、応援してもらったのに……!

 

 何度も床に減り込んでいる、赤い拳。――これが俺の血の色だったなら、少しは気分も晴れたのだろうか。

 危ない発想だとわかっていながら、客席で静まり返っている皆に、どんな顔をすればいいのかもわからない俺にとっては、そんな考えに傾倒してしまうことが心地好いとも思えてしまう。

 ……そんな自分が、堪らなく情けない。そんな自分に全てを賭けてしまった救芽井に、俺は今、何をしてやれるのだろう。

 

「ちょっ……ちょお待ってやッ! 今の絶対龍太の方がマシやったやろッ!」

 

 その時、底無し沼のように沈みつつあった空間の静寂を、紙切れのように切り裂く一声が上がる。……矢村だ。

 彼女の声が届いた瞬間、少し……ほんの少しだけだが、視界に光明が戻ったような感覚が芽生えた。誰かにフォローしてもらえたことで、僅かに心の余裕が戻ったのかも知れない。

 他にも、励ましてくれる人がいるかも知れない。……そんな期待が、どこかにあったのだろう。俺はまるで機嫌を伺うかのようにゆっくりと、首を客席の方へ向けていく。

 

「そうざますッ! 両者の動きを見る限り、鮎子には悪いざますが龍太様のほうがスピーディ――むぐ!?」

「……ううん、ダメよ。残念だけど」

「えっ!? ちょ、ど、どういうことなんや救芽井っ!?」

 

 ――だが、ただ単純に俺の肩を持ってくれたのは、矢村と久水だけだったようだ。

 久水は激しく胸を揺らしながら語気を強めていたが、言い終える前に茂さんに口を塞がれてしまっていた。その茂さんも、「悔しいが、やむを得ない」といいたげに、沈痛な表情で視線をやや下に落としている。

 そして、救芽井はやけに率直に「ダメ」と断じていた。……少なくとも、あの二人にはちゃんと分かっているんだな。俺の、何が敗因に繋がっているのか。

 

『……それでは、納得の行かない人もいるようですし、説明をお願いします。伊葉氏』

 

 客席の反応が一通り確認できたその直後。静かに諭すような声色で、所長さんのアナウンスがグランドホール全体へと響き渡る。……そうだ。そうだよな。負けたら負けたで、理由はちゃんと教えて貰わなくちゃ。

 一本取られたショックのせいか、そんな一番に沸くはずの疑問すら吹っ飛んでいたらしい。伊葉さんの返答を聞こうと首を上げた時には、既に俺の視界の光は「いつも通り」になっていた。矢村と久水の後押しがなければ、こうは行かなかったかも知れない。

 

『確かに、マニピュレーターのような特殊なアドバンテージを持っていないのにもかかわらず、「新人類の身体」と同等のタイムを出した「救済の超機龍」の身体能力は驚異的だ。装着者の判断自体も迅速さを欠いていたわけではなかった』

「むぐぐ――ぷはっ! で、でしたらッ……!」

『――だが、そのハンデから来る焦りが、救助対象者への配慮という、最優先事項に問題を来す結果を招いた。よって、単純な移動能力に優れていた分、そうした配慮に割ける余裕を持っていた「新人類の身体」の方が優位であると判断した。判断基準を身体能力のみに限定すれば、確かに「救済の超機龍」の方が上であることは間違いない。が、今回の主題は固定装備込みでの移動力にある』

「そ、そんなんアリなんッ!?」

『「新人類の身体」のマニピュレーターは本体に内蔵された固定装備であり、外付けのオプションではない。これを用いて「救済の超機龍」以上に動いていたとしても、「基礎能力」の範疇から外れているとは判断されない』

 

 俺にはないスピードと、それによって生まれる余裕。それが四郷の勝因だと、伊葉さんは語る。

 なまじタイムが同じだったために、四郷よりすばしっこく動き回っていたであろう俺の方が、矢村や久水には優秀に見えたのだろう。だが、それは「身体能力だけ」を見た時の話だ。

 実際には、スマートに少ない動きで結果を出す方が信頼されるものらしい。救芽井から教わったことが、まさかアダとして出てくるとはな……。

 

『ここは、実際に見てもらった方がよさそうね』

 

 その時、しばらく「ぐぬぬ」と唇を結んでいる久水と矢村を一瞥していた所長さんが、呆れたような口調と共に何かの操作を始める。

 それから僅か数秒後。彼女達のいる審判席の辺りから、「ガコン」と何か重いものが外れるような轟音が響き、思わず俺も皆も目を見張った。……なんだ? 設計ミスか?

 

 ――い、いや違う! 審判席の下から、何か巨大な板が出てきてる!?

 

「な、なんやアレッ!? なんか出てきよるでッ!」

「あの形……もしかしてスクリーン!?」

 

 そこから実際に起きた変化に全員が驚く中で、一番に口を開いたのは矢村だった。次いで、救芽井もその実態を目の当たりにし、思わず声を漏らしている。

 

 審判席の下部から出てきた、謎の板状の物体。言われてみれば、確かに形状からしてスクリーンのように見える。

 あの近くまで行けば、さぞかし映画館のように見えるのだろう。ここ、本当になんでもアリなんだな……。今更か?

 

『これが、二人のそれぞれのアクションを撮った映像よ』

 

 ――だが、これに感心していられる場合じゃない。その巨大スクリーンに映し出された世界は、俺の傷心をえぐりかねないほどに克明に現実を語ろうとしている。

 左右二つに分けられた画面の中で動いている、赤と青の二人の超人。青い方は巨大な腕を使い、まるでトビウオのように宙を舞っている。色使いも相俟って、シルエットによっては人魚のような優雅さすら感じてしまいそうだ。

 一方、赤い方は――壁を蹴り、道路を走り、瓦礫を持ち上げ、とにかく忙しく駆け回っている。動きそのものは迅速なようだが、なんとも余裕のなさそうな雰囲気だこと……。まぁ、俺なんだけどね。

 

『さぁ、いよいよクリアする瞬間ね』

 

 その所長さんの声が聞こえた瞬間、自虐から沈みかけていた俺の視線が、一気に元通りになる。この瞬間だけは、見逃せない。自分にきちんと納得させて、次の勝負まで引きずらないためにも。

 

 顔を上げた俺の目の前に映っていたのは、救助対象者のオッサンの手を引き、跳び上がる俺と――同じ外見の対象者をマニピュレーターで包み込み、自分の脚でビルの壁を駆け上がる、四郷の姿だった。

 

 何食わぬ顔で「ビルの壁を走って登る」という荒行をこなしているのも驚きだが、一番凄まじいのは、津波との距離が俺より縮んでいたのにもかかわらず、表情にも動きにも「焦り」がカケラも見当たらなかったことだ。

 ギリギリまで津波が迫っていても焦燥感を見せず、それでいて救助対象者の保護も一切欠かしていない。その無駄のなさ過ぎる一連の動きは、まるで彼女自身が「水流」と化したかのような錯覚を起こさせるほどに滑らかで、競った相手の俺ですら、思わず見とれてしまいそうな「鮮やかさ」を感じさせられてしまう一瞬だった。

 「津波を乗りこなす水の妖精」。柄にもない例え方で彼女の身のこなしを表現するならば、そんなところなのだろう。

 

 一方、俺はオッサンの手だけを引っ張り、猛スピードでその場から強引に跳び出している。四郷の救出劇を見た後にこれを見せられてしまうと、焦燥感モロ出しの動きに頭を抱えたくなる。自分のことなのに。

 しかも、片手を引いたまま「救済の超機龍」の力をフルに使って跳び上がったせいで、オッサンの首が反動でガクン、と下に向いてしまっている。行き先のビルの屋上しか見ていなかったせいで、オッサンへの配慮が致命的に足りていなかったのだ。

 

『――これを見たら、もう説明するまでもないわよね。救助対象者の肉体的耐久度は、成人男性の平均値を基準に設定されてるわ。健常者なら、あの勢いで首が下に向いても別に命には関わらないかも知れない。けど、耐久度の落ちた老人や幼い子供が救助対象者だったら……わかるわね?』

 

 ……ああ、わかるさ。わからないもんか。

 諭すような口調の所長さんの言葉に、俺は無言のまま俯くしかなかった。言い訳など、しようもない。こうしてハッキリと映像で見せられてしまっては、なおさらだ。

 

「キィィィッ! 悔しいざます〜ッ!」

「りゅ、龍太……」

 

 客席の反応はそれぞれだ。

 くしゃくしゃに顔を歪め、白いハンカチを噛み締めている久水。俺が落ち込んでいるのが気掛かりなのか、心配そうにこちらを見遣る矢村。

 この競争の行く末に不安を感じているのか、唇を結んで顔を逸らしている救芽井。「なんてことはない、まだまだこれから」と言わんばかりに、澄まし顔で踏ん反り返る茂さん。

 

 そして――さも当然の結果と言うように、冷めた目付きで成り行きを見つめている瀧上さん。

 この競争が終わる時……今日という日が終わる時、みんなは――どんな顔をしているのだろう。俺の勝利を喜んでくれてるんだろうか。

 それとも……。

 

『さて、もう気は済んだわね? それじゃ、第二課目「心肺蘇生法による応急救護処置」に移るわよ!』

 

 そんな思いが、ふと脳裏過ぎる。次いで、それを遮るかのように所長さんの声が再び響いてきた。

 あぁ、そうだ……まだ負けたわけじゃない。まだ、試合が終わったわけじゃない! うじうじ悩んでばっかりでどうする、しっかりしなさいよ一煉寺龍太ッ!

 

『まずは、それぞれ表示された場所へ移動しなさい。そこで試験を行うわ』

 

 所長さんの指示がアナウンスされると同時に、マップデータに新たな黄色の光点が追加される。二回目のデータ受信ゆえか、ローディングはかなり早めに終わっていた。

 

「……おし」

 

 俺は喝を入れる気持ちで、両膝を縮むバネのように曲げ――渾身の力で一斉に伸ばす!

 コンクリート製(という設定?)の床がひしゃげるのと同時に、俺の体はカタパルトで打ち出されるかの如く、今まで以上のスピードで舞い上がった。

 マップデータを見る限りじゃ、ここからかなり近いことだし――気合い入れがてら、ひとっとびで現場まで行かせてもらおうかい!

 

『このコンペティションで重きを置くのは、外付けのオプションに依存しない基礎能力よ。いくら装備をゴテゴテ付けても、元がからっきしじゃいざって時に不安だもの』

「……なるほど。だからやけにシンプルな課題ばっかりなんだな」

『ええ。さっきは大きな距離を移動できるだけの能力を見ていたけど、今回は逆に繊細な動作が求められることになるわ』

 

 宙を舞ってから地面にたどり着くまでの間に通信で説明される、次の試験のミソ。確かに、前回とは正反対の要素を持っている。

 心肺蘇生法による応急救護措置。心臓マッサージや人工呼吸といった緊急救命の分野か……なるほど、確かにただ動けりゃいいって話じゃないな。

 なまじ超人的な力がある分、生身の人間よりも行動に繊細さが求められる。うっかりいつもの調子で心臓マッサージなんかしたら、心臓も骨もぺしゃんこになりかねない。

 

「この辺りが光点の場所のはず――おっ!」

 

 空中から見下ろしてみると、視界全体がアスファルトに覆われ、地面が近づいて来ているのがわかる。次第に、人影がど真ん中にぽつんと横たわっているのも見えてきた。

 ははん、あれが今回の試験で使うマネキンなんだな。見たところ、二人分が隣り合わせで倒れているようだけど……もしかして、四郷もここでやるのか?

 

「――あっ!」

 

 どうやら、その予想はどんぴしゃりのようだ。俺よりもひと足速く、アスファルトに降り立つ蒼い機械少女の姿が伺える。

 

 ……ようし。相手に呑まれないためにも、ここは一発、強気な台詞でも吐いてやるか!

 

「よう! さっきは見事にしてやられたが、今度はそう簡単に――」

 

 地面に降り立ち、二体のマネキン越しに彼女と相対した俺は、早速威勢のいい一言を――と、思ったのだが。

 

「……」

 

 彼女は俺の存在にすら気づいていないのか、酷く固まった表情のまま、俯くようにマネキンを凝視し続けていた。おいおい、俺はマネキン以下なのか!?

 ……にしても、何にそんなに硬直してるんだろうか。無表情ばかり見ている俺にもわかるくらい、彼女の表情は明らかに普段とは違っていた。

 

 そんなに衝撃的なデザインなのか? 俺は彼女に注目し過ぎていたせいで見落としていた、マネキンの出来栄えを確認し――

 

「おい、どうしたってんだ? たかがマネキンくらいで――」

 

 ――漏れなく彼女の仲間入りを果たす。いや……確かに、これは固まりますわ。

 

 俺と四郷の足元で眠る、二つの人形。これには間違いなく、凄く身近なモデルがいる。

 

 スラリと伸び、それでいて程よく肉の付いた扇情的な脚。流線を描く、滑らかなくびれ。それに追従するように、緩やかな曲線の形を成している、腰まで届くほどの茶色いストレートロング。

 そして――地球の引力に全力で立ち向かい、その魂、サイズ、弾力性、圧倒的存在感を全力で誇示しつづけている……二つの超巨大山脈(おっぱい)

 

 ……それは、紛れもなく、久水梢(ヤツ)だ。

 



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第109話 試験と人形と揺れる胸

「こず……え……!?」

 

 信じられないものを見るような目で、眼前に横たわるおっぱ――久水の人形を見詰める四郷。いつもは刃物のように鋭く細い眼差しが、嘘のように大きく見開かれている。そのつぶらな瞳は、普段の彼女とは掛け離れていて――可憐だ。

 

 そして、自分のか細い両腕に抱かれている小さな肩は、猛獣に怯える小動物のように震えていて、第一課目の時のような優雅さからは想像も付かない弱々しさを漂わせていた。

 

 ……俺も「凄く驚いてる」って意味では、さほど彼女と変わらない反応をしているのかも知れない。また知らないオッサンのマネキンを持ってこられるのかと思えば、まさかの久水様、だもんなぁ。

 

「まさか、久水が次の試験のモデルになるとは……。ったく、所長さんは一体何を考えて――ん?」

 

 ――いや、ちょっと待て。心肺蘇生法ってことは心臓マッサージや電気ショックに限った話じゃないよな? 人工呼吸も込みなんだよな?

 え、ヤるの? 俺ヤッちゃうの? マスク越しとは言え、知り合いの女の子の人形と? それもモデルになってる本人の目の前で?

 

 俺は胃が捩切れそうなほどに気まずくなる考えに至ると、機械のように硬直した動きで首を客席へ向ける。

 ……あの爛れに爛れたドスケベ淫乱破廉恥ワッショイな久水様が、この状況でまともに恥じらうとは思えない。変な奇声でも上げられたら、こっちの心肺を蘇生してもらわなくてはならなくなる。

 四郷も頬を染めてめちゃくちゃ睨んでるし……なんでよりによってこの人を選んじまうかなぁ、所長さん……。

 

「……あれ?」

 

 だが、振り向いた先には――さらに予想を斜め上に覆す展開が待っていた。

 

「――む!? こ、梢はどこに行ったのだ!?」

「あらっ!? そういえば久水さんが……!? そんなっ、さっきまでここに居たはずなのに!」

 

 あの一番大暴れ出しそうな久水が、あろうことかその場にいなかったのだ。彼女達のいる客席の辺りを見渡してみると、確かに姿が見えない。

 トイレにでも行ったのか……? と、俺が首を傾げていると――

 

「あ! おったッ! あんなとこで何しよん、あの人ッ!?」

 

 ――やけにご立腹な様子で、矢村が声を上げる。本人の物言いからして、久水が見つかったようだが……彼女の指差す先は、こちらの方だったのだ。

 こっちに久水がいるって彼女は言ってるのか? 残念だったな、これは久水本人にそっくりな人形――ってアレ!?

 

「……そっちの人形、いつから二つに増えてたの? ボクも見逃してた……」

 

 四郷の言葉からして、一瞬のことだったのだろう。俺の前で倒れていたはずの久水人形が――二体に増えていらっしゃるッ!

 

 久水が客席にいない。俺の分の人形が二人分に増えている。このことから推察できる結論は……ただひとつ。

 

「おい、頼むから客席に帰ってくれ。試験が始められないだろ」

 

 俺は両方の肩を揺らしながら、二体同時に説得を試みる。内一人がただの人形なのかと思うと、ちょっと恥ずかしい……。

 ここまで精巧に造られた人形ともなると、一目にはなかなかわからない。生体反応システムを使えば一発なのだが、アレは救芽井がパソコンでやっていたように、外側からのアシストありきの代物だ。

 そうでなくとも実際に触れつづけていれば、質感でわかりそうなものなのだが――なんだかな、あんまりベタベタ触ってると四郷さんの視線が痛いし……。もういっそ、両方のおっぱい揉んだらわかるんじゃ――ちょ、心の中の冗談だよ四郷さん、そんな怖い顔しないでっ!

 

「……梢、あんまりおいたしてちゃダメ……」

 

 案の定、四郷も久水に注意を促すようになっていた。……両方に。

 

「そっちに生体センサーはないのか?」

「……マニピュレーターで大部分の容量を取ってるから、生体感知システムは外付け。今は試験の目的に合わせて外してある……」

「あれま、そちらもですかい」

 

 どうやら、四郷側も手を拱いているらしい。かといって、この娘のどちらかを選んでそのまま試験を始めたとして、さっきのような万一の事態にでもなったりしたら茂さんに申し訳が立たない。

 

 イケない方向に快楽を見出だしている彼女のことだから、もしかしなくてもそれを承知の上でのことなんだろうが、こっちの心境という都合もある。

 ――仕方ない、こうなれば……!

 

「……起きろよ、『こずちゃん』」

「はうぅんッ!?」

 

 ハハハーッ! 引っ掛かったなこやつめッ!

 ――いや、まさか本当にコレが通じるとは思わなかったけどよ。駄目元でやってみた結果がコレだよ。

 

 自分の声帯で成しうるだけの甘ったるい声色。その一撃でかつての呼び名を口にした瞬間、雷にでも打たれたかのように、あのなまめかしい肢体が激しく痙攣し、くの字にのけ反ったのだ。

 そして、その劇的な反応を示したのは二体の内の一体……いや、「一人」のみ。

 

 白旗を振るように波打つ巨峰を存分に眺め、俺は犯人を追い詰めた刑事の心境を湛えた眼差しを「彼女だけ」に向ける。

 

「全く。人がせっかくシリアスに試験に臨もうってところに、どうしてそう水を差しに来ますかねぇ! 俺をやたらと鼓舞しといて、それはないんでないの!」

「そんなご無体な……。ワタクシはただ、龍太様との熱い口づけを皆様にとくと! 見せ付けたかっただけでしてよ……」

「……せっかくの試験を掻き乱しちゃダメ。あと、一煉寺さんにベタベタ触るのも禁止。――こ、この人がえっちなこと考えさせられたせいで負けた、なんて言い訳はされたくない……」

 

 あからさまな嘘泣きと併せて、しれっと相変わらずな破廉恥窮まりない発言をブッ放す久水。そして、こちらへにじり寄ろうとする彼女の腕を掴み、顔を赤らめながら目を細めて静止に掛かる四郷。

 どちらも、良かれあしかれ「いつも通り」のようであった。まるで、今だけが「コンペティションが終わっている世界」であるかのように。

 

 ……にしても、四郷が久水を止める理由を口にする時、やたらと視線を泳がせてたのが珍しかったなぁ。彼女に限ってはありえないだろうけど、思いつきで理由を取り繕っているみたいだった。

 

「ぶぅー……仕方ありませんわね。――お二人にそこまで言われてしまっては、引き下がるしかありません。では、ごきげんよう」

「それが当たり前だってのッ!」

「……梢、今度やったら、めっ……」

 

 唇を思い切り突き出し、これみよがしにぶーたれてみせた久水は、こちらを一瞥すると妙に清々しく「やりきった」といわんばかりの表情を浮かべ、踵を返して客席への帰路につく。

 

「あ、それからもう一つ」

 

 次いで、そのまま帰るのかと思いきや、ふと立ち止まるのと同時にこちらへ背を向けたまま、彼女は再び口を開いた。

 

「なぜワタクシがモデルの人形が出てきたのか。鮎美さんが何を意図しているのか。それはワタクシにもわかりません。ただ間違いないのは、これが『試験』である以上、あなた方は『試されている』、ということです」

「……?」

「見知った人間が救助対象ともなれば、ヒューマンエラーもありうるでしょう。もし、それを乗り越えることこそが試験の目的にあるのだとすれば、あなた方は『呑まれて』はならないのです。そこに寝ている人形がワタクシでも救芽井さんでも矢村さんでも瀧上さんでも、やることは何一つ変わらないのですから」

 

 背を向けて語る彼女の声色は、さっきまでのような猫撫で声とは掛け離れた――騎士のような凛々しさを湛えている。そのギャップに俺が若干困惑している一方で、四郷は唇を噛み締めたまま俯いていた。久水の背から、目を逸らそうとしているかのように。

 

「今ここで触れ合い、言葉を交わした『久水梢』はここにいます。そこで寝ているのは、ワタクシに『ちょっと』似ているだけの人形でしかなくってよ。それだけは忘れないでくださいな」

 

 そして、その言葉を最後に彼女は歩き出していく。本来居るべき客席の所まで、止まることなく。

 

 ……まさか、俺達に「自分を対象に試験を行う」ことを意識させないために、潜り込んだってことなのか? 下手すりゃ試験の根垣を揺るがすレベルのラフプレーなんじゃ――

 

『うふふ、面白い余興だったじゃない。二人とも、これで俄然やる気になってきたって感じなのかしら? それじゃあ、第二課目に移るわよ!』

 

 ――と思いきや、まさかの容認。一部始終を見ていたはずの所長さんは、面白がるかのように俺達の行動を不問にすると、今までの流れを「余興」と見做し、第二課目へ移行する旨を伝えて来る。伊葉さんも、特に言及することなく事の推移を静観するばかりだ。

 

 久水にしても所長さんにしても何を考えてるのかサッパリだが、彼女達の真意を探っているヒマはない。俺は俺で、やることがあるからだ。

 俺は第二課目の試験対象となる、久水の人形へと視線を落とす。

 

 眼前で眠る、久水を象った人形。やはり本物とそっくり――どころか、本物そのものと言っても差し支えない出来栄えだ。

 

「……全く、何が『ちょっと似ているだけ』だよ、丸っきりご本人じゃねーか」

「そんなわけがあるわけないでしょうッ! ワタクシが龍太様に捧げるその日ために磨き続けてきたこの身と美貌を、そんな下賎な人形風情と一緒にされては我慢なりませんわッ! ……もう限界ざますッ! 今すぐワタクシを抱いてこの確かな感触をお確かめ下さいましィッ!」

「なんでその距離から聞こえてんの!?」

 

 ボソッと呟いた独り言を、遠くの客席から確実に受信していた久水は、座っていた場所から身を乗り出して大暴れ。ある意味、最初に予想していた通りの絵面になってしまった。

 

「何を言い出すんやこの人ッ! ちょっ……座らんかいッ!」

「梢ッ! そんなふしだらな行いはこの兄が許さ――ボファアッ!」

「なんでそこまで頑なにしがみ付いてるのよッ……! どうしてッ……私の力で外れないのッ!?」

 

 周囲の皆が制止に掛かるが、身を乗り出して手すりを掴んでいる彼女を引き剥がすのは、俺より腕力のある救芽井でも至難の業であるようだ。あと茂さん……あんただけはそれを言っちゃいかんだろう。

 それから一分近くの時間を要して、遠くから冷めた目で見ている瀧上さんを除く、救芽井達全員でなんとか取り押さえたところで、俺は視線を「本物」から「人形」へと戻す。……もう絶対、迂闊なこと言えないな……。

 

『ルールは簡単。各々の固定装備などを用いて、心肺蘇生法による応急処置を行い、その迅速さと安全性を競うことになるわ。一分一秒の遅れが救助対象者の生死を分けることになる。人形相手だからって、気を抜かないように!』

 

 所長さんの口調が、だんだんと引き締まったものへと変化していくのがわかる。間もなく試験本番、というわけだ。

 

 ……さっきの第一課目で遅れを取った以上、ここで負けたらもう後がない。なんとか第三課目(サドンデス)に持ち込むためにも、今回は意地でも勝ちに行くぜッ!

 

 ――とまぁ、久水の発破もあって意気込もうというところだったのだが。

 

「……無理……。無理だよ、梢っ……」

 

 そんな消え入りそうな四郷の言葉が、何故か気になって……仕方がなかった。

 



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第110話 着鎧甲冑のお仕事

 人形の数も本来の二体に戻り、ルール説明も終了。いよいよ、始まる。

 この研究所と……あの娘の命運が懸かっているであろう、第二課目の試験が。

 

『ルールはさっき話した通り。ダミー人形に対して心肺蘇生法による応急救護処置を行い、伊葉氏の指示があるまで迅速かつ安全にその動作を繰り返すこと』

『また、今回は正確な心肺蘇生法として要求されるレベルからどれだけ離れているか、という減点方式で検査する。過剰な行為で救助対象者の危険を高めたり、逆に控え目になりすぎて効果が期待できなくなる行為は、マイナスとなるので各自で注意すること』

 

 双方とも、事務的な口調でルールの詳細をアナウンスしている。試験開始の秒読みが始まっている証拠だ。

 

 四郷は未だに肩を小さく震わせて、弱々しく視線を泳がせている。うっかりつられて弱気になってしまいそうであるが、ここで勝たなければ後がない、という事実がなんとか俺を奮い立たせていた。

 

「久水が言ってただろう、気にすんなって。俺達は俺達の思うようにやればいいんだから」

「……うん……」

 

 一本先取され、リーチを決められているこの状況で、相手を気遣う余裕なんて本来なら俺にはないはず。だけど、あんな調子で試験を始められて俺が勝ったところで、後味の悪い結末以外に何が有り得るのだろう。

 というわけで、せめて「心構え」だけは同じ土俵に立たせてやろうと、俺はそっと彼女に語りかける……のだが、返ってきたのは生返事一つのみ。

 

 ――無機物(かりそめ)の身体で十年間を過ごしてきた彼女にとっては、ダミー人形でさえも人と変わらない存在に見えてしまうのだろうか……。

 

『では、各人の健闘を祈る。では、試験開始!』

 

 ……とか悠長なことを考えるヒマすら与えてはくれないらしい! くそっ、若干四郷の方がスタートダッシュが速かった気がする!

 だからといって、諦めるにはまだまだ早い。俺は後ろの腰にある応急救護パックに手を伸ばし、小型AEDを準備する。

 

 まずやらなくてはならないのは、気道の確保と呼吸の確認。人形相手とは言え実践感覚の試験である以上、はしょることはできない。

 最初に顎をクイッと持ち上げ、人形の目線が上に行くように首の向きを変える。こうすることで、呼吸の流れがスムーズになるわけだ。

 次に、作り物とは到底思えない、艶やかな桜色の唇に耳を寄せ、あるはずのない呼吸の有無を確認し、「ない」と判断。当たり前だけどね。

 

 さて、肝心なのはここから。

 まず、AEDの電極パッドを付けて心電図を解析し、電気ショックが必要か否かを見定めなくてはならない。次いで、必要なら電気ショックを行い、そうでないなら迅速に胸骨圧迫と人工呼吸を二分間交互に行う。

 だいたいの流れはそんなところで間違いないはず。……まずは、電極パッドの装着だな。

 

 俺は早速、用意した機械の箱から、管に繋がれた長方形の白いパッドを取り出し――人形の身体を見遣る。

 ……ここで重要なのは、パッドと肌の間に隙間を作らないこと。要するに、服などが邪魔なら脱がさなくてはならないのである。

 本来、女性が対象であるなら倫理的な理由で、女子トイレなどに連れ込んでから行うのだが……今はその過程を審査する試験である以上、この身体を移動させることはできない。

 つまり、その……脱がすのか? 本人の前で? ――ええい、迷うな止まるな戸惑うな! ここが正念場だぞ一煉寺龍太ッ!

 

 俺は気まずさを全力で押し殺し、門外不出の特盛マウンテンを本邦初公開する覚悟で、人形の上着を左右に開き、胸元を一気にはだけさせる!

 

「いやぁぁあんッ!」

「久水さん落ち着いて! アレは立派な救命活動だから……仕方ないのよッ……! なんだか腹が立つけど、仕方ないのぉッ……!」

「ちょっ、あんたが腹立てたらあかんやろっ! ……まぁ、アタシもやけど……」

「一煉寺龍太ッ! 貴様人の妹をーッ! 責任取れ責任ッ!」

 

 後ろの淫らな叫びとヤジが痛い……耳に突き刺さる……。だが、ここで止まるわけには行かない。すまん久水、親友のためだと思って耐えてくれ! 俺もイロイロ限界なんだから!

 つか、なんでこんな部分まで忠実に再現してんだ所長さんッ! ここは別にテキトーでよかっただろッ!

 

 盛り上がった右胸の上と、左胸と脇の少し下の辺り。ここに電極パッドを装着し、心電図の検査が始まる。

 

『心電図ノ検査ヲ開始シマス。シバラクオ待チクダサイ』

 

 AEDに搭載された人工知能の指示に従い、俺は人形の傍で待機する。すぐに助けるための処置をしなくちゃならないって時に動いちゃダメと言われるのは、なかなかのもどかしさがあるな……。

 

 この間に、四郷の方の進捗具合を拝見させてもらおうかな――って、もう電気ショックが完了していらっしゃる!? どんな解析ペースなんだよッ……! つーか、AEDまで腹の中に仕込んでんじゃねー!

 ――マ、マズい、処置の速さじゃ向こうの方が上っぽいな……! こうなったら正確さで勝負するしかない、のか……!?

 

『解析完了。電気ショックガ必要デス。ショックヲ与エタ後、胸骨圧迫ト人工呼吸ヲ行ッテクダサイ』

 

 おっ――来たな!

 

「了解。お早めに頼んまっせ……!」

 

 俺はAEDにある電気ショックのボタンを押し込み、再び様子を見る。向こう側は既に胸骨圧迫と人工呼吸のサイクルに突入済みのようだ。こりゃあ、キツイかも知れないな……。

 

 ――向こう側で繰り広げられている、親友同士(片方ダミー)の、命のやり取り。冷たい唇同士が、友の垣根を越えて重なり合い、許されざる愛が芽生え――

 

『電気ショック完了。タダチニ胸骨圧迫ト人工呼吸ヲ行ッテクダサイ』

「あ、はい」

 

 ――などというあらぬ妄想に耽る余裕なんて、俺にはないはず。何をやってるんだよ、俺は。

 

 久水人形に向けて放たれる、電極パッドを介した電流。その影響により、筋肉の痙攣を示すように人形の身体が跳ね上がった。

 その反応と共にAEDの人工呼吸から指示が入り、俺の意識は現実へと引き戻される。あまりにも切羽詰まった状況に立たされたせいで、無意識のうちに妄想で気を紛らわせようとしていたのだろうか。

 ……なんにせよ、勝負はまだ着いちゃいないはず。同じ土俵まで追いついたからには、ここから先は絶対に譲れないッ!

 

 俺は両膝立ちの体勢で久水人形を見下ろし、超巨大山脈に挟まれた麓――すなわち胸の谷間に、パーに開いた左手を乗せる。続いて、その左手に重ねるように、右手で左手の甲を握り締めた。

 この形から、垂直に圧迫を続ける。胸骨圧迫の開始だ。

 圧迫する深さについては、少なくとも五センチ以上くらいでなくてはならない、と救芽井に教わったことがある。それ以下の深さでは、胸骨圧迫の効果としては不足してしまうのだそうだ。

 一般人の体力で五センチ以上も押し込むのは困難であり、よほど鍛えているレスキュー隊員でもなければ、要求された分だけの圧迫をこなすのは難しい。だが、着鎧甲冑のパワーを以ってすれば、こんな力仕事はお茶の子さいさいなのだ。

 

 ……とは言っても、なんの心配事もない、というわけではない。

 やり方をミスれば、肋骨を折ってしまうかも知れない。しかし、それを恐れて力を抜けば、心肺蘇生法としての効能は半減してしまう。その力加減という課題が、どうしても付き纏うのだ。

 一般人の胸骨圧迫でも、老人が相手なら力次第で肋骨なんてヘシ折れてしまう。ましてや、こっちは超人的パワーを持つ着鎧甲冑を着込んでいるんだ。相手が健全な成人であるとは言え、加減を僅かに誤れば、最悪の事態に至らないとも限らない。

 

 それだけでも相当なプレッシャーだというのに、当のお相手が久水だとはね……。

 全く、所長さんもとんだ無茶振りをやってくれたもんだ……! これで焦るなってのが無理な話――

 

『あなた方は、呑まれてはならないのです』

 

『やることは何一つ変わらないのですから』

 

 ――ッ!

 

 ……あぁ、そうだったよな。

 

 誰が相手だって、救わなきゃなんないのは一緒。「着鎧甲冑の仕事」ってのは、そういうもんなんだから……。

 ――だから、こんなことでいちいちッ……!

 

「悩んでちゃ、いられないよ……なッ!」

 

 俺は悩み抜いた末に来る、何かもかもが吹っ切れたような感覚に襲われると、一際強く胸を押し込んでいた。あの娘にエール貰っといて、あの娘の姿に惑わされて負けたんじゃ世話ないよなッ!

 こっちの電気ショックが終わって以降、向こうの様子は一切見ていないが――もう、四郷がどんなスゴイペースで救命処置を行っていようが、構うもんか。あの娘はあの娘、俺は俺だ!

 

 ――そして、唇型マスクと柔らかな二本の角(に詰められた酸素)を用いた人工呼吸も行い、心肺蘇生法のサイクルを繰り返していく。

 この作業は、本来なら救急隊が駆け付けて来るまで永久に行わなくてはならない。流れが途絶えれば、救助対象者の生存率は急速に低下することになる。伊葉さんの合図が来るまで、この流れを繰り返して行かなくちゃならないわけだ。

 ……よし、どこまで持つかはわからんが……やったるかッ!

 

 ――俺と四郷が同じ作業に突入してから、どれくらい経ったのだろうか。何十回というサイクルをただひたすらにこなし続け、伊葉さんの終了を知らせる合図を待つのみという現状だが、四郷は機械の身体ゆえか疲弊する気配がないらしく、息遣いが全く聞こえて来ない。

 

「あれから随分経つわね……いつまで続けるつもりなのかしら。本来ならとっくに救急隊が来て、救助活動は引き継がれてるはずなのに……!」

「ひたすら続けさせ、持続力を測ろうという考えかも知れんが……まずいな、あれでは一煉寺龍太のスタミナが……!」

「りゅ、龍太……」

「――心配ありませんわ。ワタクシの愛する龍太様が、こんなことに屈するなど、ありえないざます」

 

 一方、俺は客席の皆が言う通り、現状のペースを維持するのがほぼ不可能、と言いたくなるところまで来ていた。酸素の詰まった二本角もすっかり萎んでしまい、垂れた犬耳のようになってしまっている。男の犬耳とか誰得なんだよ全く……。

 

 おかげで人工呼吸は自分で吸い込んだ空気を使わなくてはならなくなり、胸骨圧迫の時も息は絶え絶えになっていた。

 

「ハ、ハァッ……! ハァッ……く、くそっ……!」

 

 俺がヒィヒィ喘いでいる間も、四郷の方からは何の声も聞こえて来ない。様子こそ見れてはいないが、涼しい顔で流れ作業を繰り返すようにサイクルをこなしている姿は容易に想像できる。

 

 くそっ……やっぱりダメなのか!? 所詮、生身の人間が機械の身体に勝とうってのが無茶だったってのかよ!?

 それとも、俺だから……? ち、ちくしょうめッ……!

 

『試験終了! 各自、活動を停止せよ!』

 

 ――その時だった。やるべき事を全てやり尽くし、それでも届かなかったであろう俺にトドメを刺さんと、伊葉さんのアナウンスが響き渡ったのは。

 

『二人とも、長い時間の中でよく頑張ったわね。……さて、伊葉氏。判定をお願いします』

 

 いつになく柔らかい口調の所長さん。その優しげな声には、どのような意味が隠れているのだろうか。心配そうにこちらを見守る皆の表情に釣られて、俺の顔色も曇ってしまう。

 四郷の方へ息を荒げながら首を向けてみれば――予想通り、全く息を切らした様子もなく、相変わらずの無表情のままで佇んでいた。どことなく顔色が悪いようにも見えるが、普段が普段だからイマイチ確証が持てない。

 

 ……いや、今はそのことは別にいいか。今は――結果が全てだ。

 

『第二課目「心肺蘇生法による応急救護措置」。勝者は――』

 

 その先に待ち受けている、勝者と――敗者の選定を告げる言葉。

 

 それだけで。その一言だけで。全ての命運が決まってしまう。

 

 自分にできることは――できただろうか? 後悔は残らないだろうか?

 そんな自問自答を繰り返して、俺は……最後の一言に身構えるように、仮面の奥の瞼を閉じた。

 



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第111話 着鎧甲冑の矜持

 この先、「戦い続ける」資格が俺にあるのか。試験の続行が許されるのか。その全てが、伊葉さんの放つ言葉に左右される。

 やれることはやったと思う。手は――尽くしたはずだ。

 後は野となれ山となれ……とはさすがに言い難い状況であるが、実際、俺にはもう、こうして結果を待つ以外のことはできない。四郷の様子をチラリと見遣ってみれば、彼女もややバツの悪そうな表情で伊葉さんの言葉を待ち続けていた。

 

 この勝負が吉と出るか。凶と出るか。きっと誰もが、この一瞬に注目しているに違いない。きっと、客席で興味なさげに踏ん反り返っていた、瀧上さんでさえ。

 俺も、救芽井も、矢村も、久水も、茂さんも……そして、四郷も。

 みんながどこかで期待し、恐れてもいるであろう結果を、伊葉さんは今、口にする。

 

 重く、シワの伺える口元がゆっくりと開かれ、そこから放たれる、短い言葉。

 

『――着鎧甲冑とする』

 

 それが、結果であり、全てだった。

 

「え……」

 

 期待していながら、どこか心の奥で諦めかけていた、彼の口から告げられる朗報。それが現実の事象であると俺自身の頭が理解するには、若干の時間を要した。

 時が止まった……とでも言うべきなのだろうか。俺が漏らした声を除く全ての「音」が停止したかのように、このグランドホールの全てが静寂に包まれる。

 

 だが、「自分の勝利」という事実を、実感が沸かないままでも認識しつつあった俺には、わかりきっていた。

 この静かな世界が、「嵐の前の静けさ」でしかないことを。

 

「や、やっ……!」

 

 そして、その前兆が背後から聞こえてきた瞬間。俺は、ここから始まる大嵐に心から身構えた。

 だが、耳までは塞がない。その「大嵐」を聴いてみたい、という心も、俺に芽生えていたのだから。

 

「やったぁぁぁああぁあぁあッ! 龍太がっ、龍太がっ……! 龍太が勝ったぁぁぁぁああぁあぁああぁあっ!」

「龍太君ッ! 勝ったッ! 勝ったよぉっ! すごいっ!」

「よし……これで五分と五分だな。ひとまずご苦労だった、一煉寺龍太」

「とぉうぜんざますッ! これが龍太様の実力でしてよッ!」

 

 ――そう、この歓声という大嵐を。

 

 矢村は手すりの上に立ち、久水のように身を乗り出して全力で両腕を回している。久水の時は全員で止められていたような行為だが、今回ばかりは誰も抑えようとはしていなかった。

 比較的冷静な茂さんでさえ、口元が緩みに緩んでいる。若干キモいが、喜んでくれているのなら素直に受け取っておくべきだろう。

 

『さて、説明は必要かしら?』

「……お願いします。一応、知っておきたい……」

『――わかったわ。では、伊葉氏。お願いします』

 

 勝敗を分けた原因。その説明をするための確認が、四郷姉妹の間で交わされる。

 この姉妹のやり取りの間に、どこか壁を感じるのは、結果に気まずさを感じてのことなのか、試験だからなのか。それとも――この戦いの先にあるものに、不安を感じているからなのか。

 気がつけば、俺はスクリーンに映された映像より、眉間にシワを寄せてそれを凝視する瀧上さんを見つめていた。

 

『――胸骨圧迫について、最低五センチ以上は圧迫せねばならない、という下限があるのは両者とも知っているだろう。勝敗の分かれ目は、そこにある』

「……」

「圧迫の下限……」

 

 伊葉さんの言葉に釣られて、ようやく視線をスクリーンに戻した俺は、赤い腕や青い腕が、久水人形の胸を圧迫している映像を目の当たりにする。

 

「い、いやぁあぁんッ! ワタクシの不可侵領域が白日の下にィィィィッ!」

「久水さん抑えて! これは試験、試験なんだから! ……あんなに龍太君に触られて……いいな……」

「一煉寺龍太ァァァッ! やはり貴様には制裁を加えねば――ムググ!」

「今はシリアスな場面やろッ! あんたらちょっとは静かにせぇッ! ……龍太……アタシの尻、また撫でてくれんやろか……」

 

 ……も、もう勘弁してください……。

 

 ――客席の方から耳の痛くなる叫びが轟いている頃、俺は伊葉さんの口から語られた勝因をぽつりと呟いていた。その時の四郷は、唇をきゅっと結び、無言で成り行きを見守り続けている。

 

『五センチ以上の圧迫は、普通の人間には厳しい深さであり、力の加減や圧迫箇所を誤れば肋骨を損傷する恐れもある。超人的な力を持つがゆえに長時間の活動が可能な双方の場合は、なおさらだろう』

『……事実、老人に胸骨圧迫を試みた結果、折れた肋骨が肺に刺さり、死に至るケースもあったわ』

『そして、その条件を満たしていたのは着鎧甲冑のみであった。「新人類の身体」が救助対象者を圧迫していた深さは四センチ程度であり、期待された応急救護措置には達しきれていない。迅速な心電図の解析など、他の点においては優位な性能を発揮していたが、人力が必要となる局面で不安要素を残しているようでは、安定した救命システムであると信頼するのは難しい』

 

 伊葉さんの弁を解釈すると、「四郷が胸骨圧迫をちゃんとやっていなかった」ことが俺の勝因であるらしい。確かに、心電図の解析や電気ショックの必要性の判断など、正確な情報を素早くたたき出せるってのは大きなアドバンテージになるだろうけど、「手元が狂いました」じゃ総崩れだからな……。

 

『説明は以上よ。他にまだ、聞きたいことはある?』

「……いいえ。もう、大丈夫です……」

 

 四郷は優しげな姉の言葉に背を向けると、それだけ答えてアリーナから立ち去っていく。先の見えない闇に向かおうとしているかのように、その歩みはどこか弱々しい。あれほどの力を持っていながら、アリーナの外へ消えていく彼女の姿は、「幸薄な少女」でしかなかった。

 

 ……「手元が狂った」、か……。その原因は考えるまでもなさそうだな。

 

『……無理……。無理だよ、梢っ……』

 

 ――元々戦うために造られた身体であり、救命用というのは建前でしかない。そうだとしても、彼女が五センチ下限の説を知らなかったはずはない。その危険な側面も。

 怖かったのだろう。自分にとって掛け替えのない親友を、自分自身の手で壊してしまう。そんな可能性が脳裏を過ぎれば、遠慮がちな胸骨圧迫になったって不思議でもなんでもない。

 

 不思議なのは、むしろ――

 

「所長さん。俺が質問したいんだけど、いいかな?」

『ええ、何かしら』

 

 ――あんただよ、所長さん。

 

「無粋なことを聞くようだけど、どうして救助対象者のモデルに久水を起用したんだ? 他にいろいろあったように思うけど。第一課目のオッサンとか」

『……あぁ、なるほど。そうね、いろいろ理由はあるけど……一番大きいのは、ヒューマンエラーによる損害レベルの差を測りたかった、ってとこかしら? どんなに優秀なシステムだって、使うのは人間だもの。失敗くらいするでしょ? だったらせめて、「人間のせいで起きちゃう失敗」のレベルが軽い方を採用したくもなるじゃない。減点方式にしたのもそういう理由よ』

 

 ――なるほどね。みんなの前だから、おおっぴらには話せないってことなのか。

 

「二番目は?」

『え?』

「いろいろ理由はあるんだろ。じゃあ、二番目の理由は一体なんだったんだ?」

『……あらあら、ダメな子ねぇ。しつこい男は嫌われちゃうわよ。――まぁ、強いて言うなら……』

 

 ――だけど、俺にはわかる。あんたは、「俺を試そう」としてたんだ。四郷を助けられるだけの力が俺にあるかどうかをな。

 だから、度胸があるかを確かめた。下手すりゃ仲間を傷付けかねない選択だとしても、「人を救うための」着鎧甲冑としての矜持を保てる度胸を。

 

『……あの娘にできないことをやってのけるくらいじゃなきゃ、妹は任せられない――ってとこかしら?』

「……なるほど、ね」

『――さぁ、これで残すは第三課目のみ! 丁度お昼時みたいだし、ここで一時間の休憩にするわ。各自、客席でゆっくりして待っててね!』

 

 「あの娘にできないことをやってのけるくらいじゃなきゃ」……か。そいつが聞けて、安心したよ。

 どうやら――期待に応えるチャンスはまだあるらしい。

 

「……」

 

「……フン」

 

 俺はこちらを悠然と見下ろし、鼻を鳴らしている瀧上さんを一瞥すると、四郷とは反対の方の出入口へ向かう。

 ……最後の一戦(サドンデス)に向けて、俺もちょっとばかし一休みさせてもらうかな。

 

「りゅ、龍太君ッ!? 『妹を任せる』って、どういうことよッ! まさかあなた、まだ『愛人』なんて作る気なのッ!?」

「龍太ぁぁぁッ! こっちに上がって来たらお説教やでッ!」

「龍太様……まさか鮎子にまで手を出していらしたとはッ……! どうなるかわかってのことですのッ……!?」

 

 ――休めるのか?

 



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第112話 十年間の闇

 あれから約十分。

 

 彼女達の容赦なき追及に耐え凌ぎ、「コイツだから仕方ない」といわんばかりの、なんだかよくわからない呆れ方をされる、という形でようやく解放されたかと思ったところへ。

 

「龍太様、本当にご存知ありませんの?」

 

 ――と、見たこともないサインを強引に見せ付けられた挙げ句、常識を疑うような顔をされる展開など、誰が予想できただろう。

 

「いや、だから本当に知らないんだってば」

 

 全員に配給されているカロリーメイツをかじりつつ、俺は苦い顔をしてそう答えるしかなかった。チョコ味は甘いけど。

 

 ――まるで魔法陣でも描こうとするかのように、左右非対称に腕を振ったり、違う方向を指差すような形の合図をしたり。野球のサインに通じるような手の動きも伺えるが、こんな見てる方が疲れるサインなんて、そうそうお目にかかれないだろう。つーか、プロでも草野球でも使われてるわけがない。

 だが、それを披露している当の久水は、それを当たり前のように俺の前に示し、「おさらい」と称して一つ一つの意味を説明しろという無茶振りをかましているのである。見たことのないサインの意味をどう「おさらい」しろと。

 

 その一方で、知りもしないサインの意味を答えろと言われて戸惑う俺に対し、彼女は「え? 知らないの?」といいたげに首を傾げている。少なくとも、彼女にとって、この謎サインは知っていて然るべき情報だったらしい。

 ……でも、知らないものは知らないんだからしょうがない。着鎧甲冑の基礎知識に入っているとすれば、確かに知ってなくちゃ問題だっただろう。けど、救芽井から貰った教本に、そんな目まぐるしいサインのことなんかこれっぽっちも書かれてはいなかった。

 

「そんな……おかしいざます。このG型用ディフェンドゥーズサインの知識は、一人前のG型資格者には最低限必須であると、お兄様から伺っておりましたのに」

「う、うえぇ? そんな単語、初めて聞いたんですけど……」

「貴様が正式な資格者ではないから……かも知れんな。そもそも、各団体の代表を『一人』に絞ってきた時点で、第三課目のような『戦う』試験があったとしても、ほぼ必ず『サシで』戦うことになると予想はされていたはず。ディフェンドゥーズサインは対テロ等の集団戦を想定して作られた、八十種類以上に渡るパターンのハンドサインと、着鎧甲冑のバイザーに搭載された映像投射機能を組み合わせた指揮システムだ」

「そ、そうなの?」

「ワガハイでさえ、全種のうちの半数程度しか習得してはいないし――彼女のことだ、貴様の貧困な頭脳を案じて、サイン自体を学習範囲から外したのだろう」

「ふぐ……」

 

 同席していた茂さんから、チクリと痛いところを突かれてしまう。あれか? 俺がバカだから教えてくれなかったってことなのか? 一応必要な知識だったのに?

 教えてくれなかった救芽井も救芽井だが……「対テロ」だなんて、そんな物騒なシステムまで作っちゃってよかったんすか、甲侍郎さん。

 

 その救芽井は少し離れた席で、カロリーメイト(チーズ味)をくわえながら、「救済の超機龍」の最終調整をノートパソコンで進めている。人工筋肉の動作シミュレートやら、バッテリー確認やら、いろいろお忙しい状況らしい。

 その隣で、救芽井の指示に応じて「腕輪型着鎧装置」に取り付けられている、いろんなコードの付け外しを行ったり、腕輪の部品を磨いたりしている矢村が言うには、「ちょっとはしたないけど、龍太君のためだから仕方ない」、ということなんだとか。別に俺の視線なんてそこまで意識するこたぁないのに。――まぁ、あんまり無頓着だとそれはそれで傷付くけど。

 

 できれば、俺が予想しうる「最悪の事態」に対処できるようになるためにも、ディフェンドゥーズサインとやらについては聞いておきたかったところなんだが――まぁ、あんな多忙な姿を見せられちゃあ仕方ない。

 おとなしく、彼女の仕事の終わりを待つことにする……。

 

 そして、第三課目開始の三十分前というところまできて、ようやく最終調整が終わったようなのだが。

 

「なんですって!? 久水さんがっ!?」

 

 ――例のサインについて話した途端、救芽井の様子が急変し、サドンデスに向けての激励を受けられる空気ではなくなっていたのだ。

 ありのままに事情を話したはずなのだが、何がそんなに意外だったのだろう。てっきり、軽く答えてくれる程度かと思っていたのに。

 ――そんなに驚くほど、俺にサインの存在を知られるのがマズかったのか?

 

 ……だが、彼女が顔色を変えたのは俺が原因ではなかったらしい。救芽井は信じがたいという表情で久水を一瞥すると、ツカツカとその隣の茂さんに歩み寄り――

 

「資格者によるディフェンドゥーズサインの他者への伝授は、原則として禁止されているはずよ! 対テロ用システムとして作られたこのサインの情報が漏洩して、テロリストに内容を把握されるような事態を避けるためにっ! あなたも資格者なら知っているはずでしょうっ!?」

 

 ――いつになく険しい表情で睨み上げ、彼に詰め寄っていた。

 詳しいことはよくわからないが、どうやらディフェンドゥーズサインってのは、G型資格者が持つローカルルールみたいなものらしい。確かにそれが周りにバレたりして、もし裏をかかれたりなんかしたら、戦術としては使い物にならなくなるだろうなぁ。

 

「いや、梢にサインを教えたのはワガハイではない」

「なんですって!?」

 

 資格者の親類ではあるけど、立場上は部外者でしかない久水が、ディフェンドゥーズサインのことを詳しいところまで知っている。となれば、茂さんが疑われるのはある種当然だったのかも知れない。俺は資格者でこそないが、「救芽井エレクトロニクスの公認」で着鎧甲冑を所有してるからセーフなのだろうか。

 

 ……だが、救芽井に迫られた茂さんは「違う」と言っている。普段なら、救芽井に声を掛けられただけでも変態化して舞い上がっていたであろう局面で、こうまでシリアスに返しているあたり、恐らく嘘はついていないのだろう。――我ながら判断基準がえげつないな。

 

「ワタクシが同サインを教わったのは、お兄様ではなくってよ。あなたのお父上――救芽井甲侍郎さんでしたわ」

「ええっ!? お、お父様がっ!?」

 

 そこへ横槍を入れるように口を挟む久水。その一言に、救芽井はさらに驚きの声を上げた。

 恐らく、ディフェンドゥーズサインの「他人に教えちゃダメ」というルールも、甲侍郎さんが作ったものなのだろう。その甲侍郎さん自身が直々に久水にサインを教えた……ということなのだろうか。

 なんともあからさまな矛盾が生じているようにも見える――が、僅かに思い当たる節があった。

 

「あのさ、久水。お前がそのディフェンドゥーズサインってのを教えてもらったのは、いつ頃の話なんだ?」

「え? ……そうざますね、今年の浅春の頃でしょうか。お兄様が資格取得のためにアメリカへ渡った際、その旅路に秘書として同行していた時に、救芽井エレクトロニクス本社にて甲侍郎さんが伝授して下さりましたのよ。確か――「十年間の闇」にようやく決着が付けられる――とか、嬉しそうに語っていらっしゃいましたわ」

 

 ……「十年間の闇」、それにディフェンドゥーズサインか……。なんつーか、刻一刻と所長さんの危惧する事態に転がって行ってる気がしてならない。このまま、第三課目がプログラム通りに進行されることも期待しない方がいいのかもな。

 

「立春を過ぎた頃って……たった四ヶ月程度じゃない! ディフェンドゥーズサイン全種を習得するには丸一年掛かるはずだし、私だって半年以上は――」

「あら、そんなに掛かるものでしたの? ワタクシは二日で全て覚えましたのに」

 

 あっけらかんと言い放つ久水。バタリと卒倒する救芽井。この間、僅か三秒。

 

「ちょ、救芽井っ!? ……もー久水、あんまりいじめたらあかんやろっ! この娘、胸とオツムしか取り柄がないんやから!」

 

 目を回して唸っている救芽井を、横並びになっている席に寝かせ、頭を優しく撫でている矢村。やってることは「面倒見のいいお姉ちゃん」かも知れないが、言ってることは完全に「いじめっ子」じゃないか。

 

「もっとたくさん取り柄はあるわよっ! 龍太君の前でなんてこと言うのっ! だいたい、十年間の闇ってなんなのよ!?」

 

 あんまりな矢村のイジり方に堪えかねたのか、救芽井は涙目になって飛び起き、今にも泣き出しそうな顔で、八つ当たりをするように久水に食ってかかる。

 

「知りませんわ、そんなこと。ワタクシとしてはむしろ、あなたの方が詳しく存じていると思っておりましたのに」

 

 甲侍郎さんにどういう意図があったのかは知らないが、救芽井には全く例の事情を教えていないことは確かなようだ。

 

 十年間の闇。そんな単語を聞いて、あの荒野の景色と血の色を思い起こせるのは、この場には俺しかいないのだろう。

 後は――

 

「……」

 

 ――遠い向こう側の客席で、何も言葉を交わさないまま、カロリーメイツをかじっているだけの「当事者達」くらいだろうな。

 ノートパソコンで何かの操作をしている所長さん。その右隣で、目を閉じて腕を組み、背筋を伸ばして静かにサドンデス開始を待っている伊葉さん。左隣りに座り、仲間に入りたそうにこちらを見ている四郷。

 

 そして……三人より上の席に踏ん反り返り、伊葉さんに憎々しげな視線を送る瀧上さん。

 

 彼は――これから始まる第三課目を、どう見るのだろう。

 

 そんな先行きが不安になるような考えが、ふと頭を過ぎった時――

 

『侵入者発見! 侵入者発見! セキュリティシステム起動! セキュリティシステム起動!』

 

「……うおッ!?」

「――な、何!? 警報っ!?」

「え、ええぇえ!? し、侵入者って、なんなんっ!?」

「侵入者……ですの……!? この研究所に!?」

「まさか! こんな山奥の研究所に侵入者だと……?」

 

 ――突然グランドホール全体に轟いた、大音量の警報。その轟音に、この空間にいる全員が目を見張る! ……つーか、警報の音量デカ過ぎんだろッ! 心臓飛び出るかと思ったわッ!

 

 いや、しかも驚いてるのは全員じゃない! 向こうは瀧上さんと四郷が僅かに反応して辺りを見渡しているくらいで、所長さんと伊葉さんは何事もないかのように涼しい顔をしている。

 

 ――まるで、最初から「わかっていた」かのように!

 



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第113話 立ち上がる男

 突如としてグランドホール全体に轟いた、侵入者を知らせる警報。焦燥感を煽るように響き続けていたその音は――

 

「……えっ? ど、どしたん?」

「止まった……?」

 

 ――鳴り出してから一分近くが経ち、俺達が何事か、と所長さんに問い詰めに行こうとしたところで――

 

『あら、ごめんなさいね。最近ここの警報装置、ガタが来てて誤作動が多いのよ。びっくりさせちゃったかしら?』

「えっ……!?」

『……あら。みんなして、ハトが核弾頭喰らったような顔しちゃって。ごめんごめん、悪かったわね。もう警報装置の電源は落としてあるから大丈夫よ。お騒がせしたわ』

 

 ――ピタリ、といきなり止まってしまったのだ。それに次いで、所長さんのアナウンスが警報に代わってグランドホールに響いて来る。

 いつの間にか彼女が身につけていた、パソコンの付属品らしき色使いのインカム。そこに付いたマイクで、スピーカーを使っているんだろうけど……誤作動、だって?

 

「び、びっくりした……もうっ! 仮にも正式採用を懸けた、公式なコンペティションの場なのですから、設備の点検くらいは綻びのないように願いますっ!」

「あぁ〜ん、怖かったざます龍太様ぁ〜っ」

「そうやそうや――って、ちょっ!? 何どさくさに紛れて龍太にくっついとるんやッ! あんた一番堂々と構えとったくせにッ!」

「――まぁ、何事もないというのなら善しとしようではないか。我々が今見据えるべきは設備ではなく、試験だ」

 

 設備くらいちゃんとしとけ、という救芽井の糾弾をきっかけに、緊張しきっていた矢村達の様子も元通りになっていく。

 頬を膨らませてムスッとしていた救芽井の怒りもごもっともなのだが、それに対する所長さんの「てへぺろ」な反応を見る限り、ちゃんと反省しているとは到底思えない。

 可愛らしく舌を出して自分の頭を小突くその様は、むしろ反省していない旨を全力で表現するかのようだった。

 

 ……いや、そもそも今の警報は本当に誤作動だったのか? あんなスクリーンやらホログラムやら詰め込んでる、ハイテク祭りなグランドホールで、「警報装置の動作不良」なんて……。

 

「――何か怪しい、という顔をしているな」

「……ん、んー? そうかな?」

 

 隣に立つ茂さんが、怪訝そうな顔で俺を見遣る。どうやら、そこまでわかりやすいくらい表情に出していたらしい。周りと違い、俺だけは険しい顔が戻らないままだったようだ。

 

「……ワガハイにも、そろそろ何かおかしいと言う感情が芽生えてきたところだ。梢が聞けば怒るだろうが――そもそも、このような得体の知れぬ僻地で正式採用の試験を行い、審査官は元総理大臣の伊葉和雅一人のみであるというこの状況が、単なるコンペティションにしては余りにもイレギュラー過ぎる。加えて、妹を試験題材に使い、警報装置の誤作動まで起こして……」

「――コンペティション、ってものに関してろくに知ってるわけでもないけど……普通じゃないってことだけは確かみたいだな」

「ああ。……だが、今問い詰めたところで、鮎美さんなら簡単にはぐらかしてしまうだろう。それに、試験自体に明らかな不正があったわけでもない。――気にかかるだろうが、今は第三課目のみに注力してくれ。この試験さえ終われば、追及は後からいくらでも出来る」

 

 ひとまず、ここは茂さんの言う通りにするしかないだろう。俺は、ここではない――どこか遠い場所を見つめるように佇む所長さんを一瞥すると、皆のいる客席に引き返していった。

 

 ――確かに、警報装置の一件は誤作動として片付けられてはいる。

 だが、どことなく滲み出ているその不自然さには、そろそろ誰もが感づきつつあるようだった。

 救芽井も、矢村も、久水も。みんな、腑に落ちない表情を浮かべ、互いの顔を見合わせている。このコンペティションの裏でうごめく何か。それを示すのが、今の警報ではないのか、と。

 だが、俺達はここの設備に関して詳しいわけではない。本当に整備不良なんだと突っぱねられても、それを否定出来る材料は俺達にはないわけだ。

 警報の時に辺りを見渡していた四郷の反応を見る限りでは、彼女に聞いても何かがわかりそうな様子ではなかった。

 

 もし――あの警報が誤作動ではなかったとしたら。……ここに近づいている影は、「俺の知る人」なのかも知れない。

 「警報の誤作動」を知っていたように見える所長さんと伊葉さんを見つめ、俺は静かに最終課目を待つ。

 

 ――それから、僅かな時間を挟み。

 

 何かがおかしい。そんな思考が、このグランドホールに充満し、間もなく二十分が経つ頃。

 もうじき――第三課目が始まる時間になろうとしていた。

 

「鮎子。時間だぞ」

「……はい……」

 

 向こうでは、珍しく瀧上さんから四郷に声を掛けている。……だが、四郷の表情はこれまでとは違い、試験課目の発表前から既に不安げな色を湛えていた。

 とてもではないが、これから最後の試験に向かう代表者の顔とは思えない。

 

「……チッ」

 

 その様子に苛立ち、露骨に舌打ちをする瀧上さん。この試験の行く末に安心できなくなったためか、次第に表情も険しいものになっていく。

 ――このまま、やすやすとは行かせない。そんなサインのようにも見えるのは、きっと思い過ごしではないんだろう……。

 

『さぁて! 長かったこのコンペティションも、いよいよ最後の課目に突入よ! 第三課目「最低限の自己防衛能力」のルールを説明するわ!』

 

 いつの間にか客席から姿を消し、審判席からグランドホール全体へのアナウンスを始める所長さん。仏頂面で石像のように、客席に腰掛けていた伊葉さんも、少し目を離した隙にすっかり定位置に戻ってしまっている。

 

『ルールは簡単。お互い、一切の道具を使わず、単純な格闘能力のみを以って相手を行動不能にすること。敗北条件は自己の行動不能と、ギブアップの二つになるわね』

『新たな技術の開拓は、武力を求める勢力に狙われることが多い。着鎧甲冑の技術が、兵器化を目論むテロリストに狙われたという「技術の解放を望む者達」事件は、諸君の記憶に新しいだろう。そこで、そうした武力行使に屈して「救命のための技術」を渡してしまうことにならないよう、自分の身とその技術を守れるかを最後の試験とした。我々が一番守らなければならないのは、「自分自身」に他ならないからな』

 

 最後の最後で、まさかの殴り合いだって……!? レスキューヒーローの根底を覆しかねないルールだろう――けど、伊葉さんの話を聞くと、あの一件の当事者としては妙に納得してしまうところがある。にしたって、もう少しやりようがあったと思うけどな……。

 

「鮎美。オレが試験用にと造った人工知能私兵部隊はどうした? 確かアレを何体撃退できるかを競う予定だったはずだろう」

『うーん、それに関しては本当にごめんね。調整が滞ってて、試験に間に合いそうになかったのよ』

「また整備不良か? 警報の件といい、らしくないな」

 

 所長さん達の説明に口を挟んでいる瀧上が言うには、本来は別のルールだったらしい。彼の口ぶりからして、こんなアドリブ染みた展開は、滅多に起こらないことなんだな。

 

「『技術の解放を望む者達』……『兵器化』……『テロリスト』、ね……」

 

 俺の隣で説明を聞いていた救芽井が、ポツリと悲しげな声を漏らす。若干俯いているため、表情は見えにくいが――僅かに震えている唇を見れば、あの事件で心を痛めてるってことくらいはわかる。

 ……そりゃあ、そうだろうな。「着鎧甲冑を世界に広める」。そんな共通しているはずの目的のために、兄妹のように育ってきたはずの古我知さんは、兵器化という性急な手段に出てしまった。そして、救芽井の両親をさらい、「技術の解放を望む者達」を作り出していた……。

 本来、争うはずのなかった「家族同士」の戦い。それが世間一般では、ただのテロリストの襲撃事件として片付けられているのだ。伊葉さんの話でそれを思い知らされた救芽井の心中は、察するに余りある。

 

「……大丈夫。大丈夫だ」

「――えっ?」

 

 だから、その「家族」の輪に居なかった俺にしてやれることは、何もない。……あるとすれば、それはこうして……頭でも撫でてやることくらいだ。

 

「もう、同じことなんて起こらない。俺達が起こさせない。――そのための、着鎧甲冑だろ」

「……うんっ……!」

 

 自分達の確執が起こした事件だから、誰もフォローなんてしてくれない――とでも思っていたのだろうか。救芽井は「信じられない」という顔を一瞬俺に向けると、目を閉じて口元を緩ませ、ポロポロと二筋の雫を頬に伝わせる。

 

 世間では、どんな悪にも毅然と立ち向かうスーパーヒロイン兼アイドル、として知られている彼女。だけど、その重圧に隠された実態は、こんなにも泣き虫で、甘えん坊で、怖がりな……ごく普通の女の子なんだ。

 

 そして、それを知っていて「普通」に受け入れている奴は、俺以外にもたくさんいる。矢村に、久水に、四郷に、ちょっと不安だけど茂さん。

 

 そんな味方を得た彼女が、いつまでもぴーぴー泣いてるなんてもったいない。やっぱり、こうして笑っていてくれるのが一番いい。……泣かれるのは罪悪感沸くから、勘弁してほしいところなんだけど。

 

「……そやな。そらそうやわ。――よぉしッ! 喧嘩っつったら龍太の得意分野やなッ! 茂さんの時みたいに、ズコッ! バコッ! とカッコよく決めて来ぃやッ!」

「人をチンピラみたいに扱わないで下さる!? あとその擬音やめろ!」

「え? なんかいけんの?」

「龍太様ッ! 鮎子をズコッ! バコッ! とやっつけるくらいなら、ワタクシにズコッ! バコッ! とキメて下さいましッ!」

「お前は絶対わかってて言ってるだろう!? 試験の趣旨変わってんぞ!」

「一煉寺龍太ッ! 絶対に負けるでないぞッ! ズコッ! バコッ!」

「あんたに至っては結局ソレが言いたいだけだろッ!」

 

 ……一方、余りにも平常運転な連中に、俺は試験前から既に神経を擦り減らしつつあった。前言撤回、こんな奴らに受け入れられてる救芽井はもっと泣いていい……。

 

 こうして、最終試験を目前に俺達がバカ騒ぎを始めていた頃――

 

「鮎子。お前は代表だろう。もっとしっかりしろ」

「……は、はい……」

「――チッ、もういい。お前はもう座っていろ。今までよく頑張った、後はオレに任せておけ」

「えっ――」

 

 ――そんなやり取りが、向こうの客席で行われていたことは、俺達には知るよしもなく。

 次に彼らの方へ意識を向けた時は、グランドホールに鈍い衝撃音が轟く瞬間であった。

 

「うおっ……!? な、なんだ!?」

「み、見て! あそこ!」

 

 涙を拭き、僅かに目を腫らした救芽井が、ハッとした顔で指差した先。

 

 ――そこには、純白に広がるアリーナに降り立った、赤髪の巨漢の姿があった。

 

「……」

 

 彼は無言のまま、膝立ちの姿勢から、ゆっくりと直立の体勢に移っていく。重い腰を上げる、という言葉がこれほど似合う光景はなかなか見られないだろう。

 

 熊のように大きく、血管が浮き出ている腕。彼の拳が握られると同時に、その血管の部分は、はちきれんばかりに更に浮き立つ。

 夏場に似合わない、黒いダウンジャケットを着ているせいで、全身の筋肉の全貌こそわからないが――広い肩幅、服の上から盛り上がった上腕、ズボンを破らんと張り詰めている脚の筋肉、そしてカッターナイフの切れ目のような眼差しを見れば、一つだけわかることがある。

 

 ……コイツは、ヤバイ。何もかもが。

 

 ――そして、膝立ちの姿勢から完全に立ち上がり、仁王立ちの体勢になった時。

 全身から、あの逆らい難い殺気を永続的に放つ、その男――瀧上凱樹は、唸るような声でゆっくりと言い放つ。

 ヒーローとして、あるいは魔王として、名乗りを上げるかの如く。

 

「……選手交代だ。鮎子に変わり、第三課目はオレが『新人類の身体』の名代となる……!」

 



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第114話 最強のお守り

 広大なアリーナに降り立った、たった一人の男。本来、その平らな世界に比べれば、ちっぽけな存在に過ぎないはずのその男が放つ威圧感は、アリーナ全体はおろか、俺達がいる客席にまで及ぼうとしていた。

 この威圧感の震源地――瀧上凱樹。彼の宣言に、この場にいる全員が、目を見張る。

 

 近くにいれば、気迫だけで殺されてしまいそうな、この殺気。その危険性は、遠く離れた客席にも十分伝わっており、しばらくは誰も口をきけないまま、グランドホール全体に静寂が漂っていた。しかし――

 

「な……何をおっしゃいますの!? このコンペティションは龍太様と鮎子の一対一で行われる真剣勝負ざます! あなたが関わる余地はありませんのよ!?」

「そ、そうよ! 第一、新型救命装置の正式採用を決めるこのコンペティションに、『新人類の身体』の体を持たないあなたが代わると言っても――」

 

 まず最初に久水が口を開き、それに続くように救芽井が反論の声を上げる。彼の素性を知らない彼女達は、この威圧感の理由がわからず困惑した様子で、彼の発言内容に食ってかかろうとしていたが――

 

「……ぬぅおぁあぁあァァッ!」

 

 ――彼の雄叫びと共に放たれた、身を焼き尽くす核爆発を思わせる、壮絶を極めた殺気。その巨体を包み、アリーナ全体にほとばしる激しい電光。そして、身構えるように腰を落とした彼の体重に圧迫された瞬間、グランドホールに轟いた、床が変形させられたことを意味する鈍い衝撃音。

 全て同時に発生した、この三つの「災害」に、彼女達はもちろん、それに続こうとしていた矢村や茂さんさえ、完全に言葉を封じられてしまったのだ。

 

 そればかりか、四郷の時とは比にならないほどの巨大さを誇る電光を前に、視界すら奪われた俺達は、全員腕で顔を覆って視力を守るしかなかった。

 目を閉じても、その上から更に腕で顔を隠していても、眩しさが伝わりそうになる。その感覚が時間と共に薄れていき、やがて完全に消え失せたとわかった時、ようやく俺達はありのままの光景を視界に映した。

 

 そして――驚愕することになる。

 

「……これで文句はないな」

 

 アリーナの一端に佇む、中世の騎士を彷彿させる巨大な甲冑。その大きさは二メートルを悠に越え、明らかに元の体格を凌ぐサイズになっている。

 加えて、その甲冑は赤黒い塗装に全身を包まれており、血塗られた鎧のような不気味さを漂わせている。前情報で付いたイメージも相俟って、彼の全身に付いている小さな亀裂の数々が、地獄の中でのたうちまわる犠牲者達の形に見えてきた。

 ……それだけではない。腕や脚の太さも。鉄兜の下に隠された、鋭利な眼差しから放たれる殺気も。全てが暴力的なまでに増幅し、その力が生み出すこの威圧感が、グランドホール全体を飲み込もうと激しく波打っているのがわかる。

 しかも、この存在の異様さを成り立たせているのは、その荘厳な外見だけではない。彼の体重に耐え切れなかったことを意味し、無惨にひしゃげたアリーナの床が、その威圧感を無機質なまでに表現していたのだ。

 

 瀧上さんも、四郷と同じ「新人類の身体」。しかも単純な迫力だけで、彼女を大きく凌ぐ存在でもあるという事実を突き付けられ、俺達は瞬く間に戦慄に包まれる。

 

「こ、こんなのって……こんなのって、アリなんっ……!?」

「あの時、ワガハイを捕らえたあのパワー……なるほど、これで合点がいく」

「あ、あんな人が、な、なんで今まで……!?」

「……あのお方。ワタクシ達だけならまだしも、鮎子まであんなに怯えさせて……! 強そうなのは認めてもいいでしょうけど、それ以上に気に食わないざます!」

 

 思い思いの反応をさらけ出し、それを隠す余裕もない救芽井達。彼の素性を既に知らされ、心に防波堤を持っていた俺でさえも、実物を目の当たりにして怯みかけていたことを考えれば、こうなるのも仕方ないと言える。

 

 そして「新人類の身体」への変身を遂げた瀧上さんは、審判席の方をゆっくり睨み上げ、審判側に了承を求めるような視線を送る。……求めるというより、もはや脅迫するような眼光であるが。

 

『――あなたの気持ちもわからなくはないけど、原則として選手交代は認められてはいないのよ、凱樹』

『そういうことだ。君があくまで一選手として、どうしてもこのコンペティションに参加したいと申すなら、救芽井エレクトロニクス側に了承を得るがいい。それができないのなら、君には退場してもらうしかない』

 

 だが、そんな瀧上さんに対する二人の反応は実に淡泊。審判席ごと貫かれそうなあの殺気に晒されてなお、眉一つ動かさずに、にべもない返事を出せるその胆力には感嘆するしかないな。

 ――欲を言えば、こっちに振らないで欲しいもんだが。

 

「……ほう」

 

 瀧上さんは審判側からの指摘を受けると、食い下がることも舌打ちすることもなく、新たな獲物に目を付けるかの如く、俺達に視線を移した。

 

「――ひっ!?」

 

 その視線に包まれた威圧に、救芽井は思わず顔を引き攣らせ、眩しい脚を震わせる。俺は彼女を庇うように前に立ち、瀧上さんと静かに視線を交わした。

 

「……」

 

 目を合わせているだけで、どこまでも飲み込まれてしまいそうな闇。彼の眼差しを真正面から受け止めて、一番に感じたものが、それだった。

 触れるもの全てを切り裂くようなこの眼光ゆえに、彼は堕ちたのだろうか。それとも、堕ちた後だからこそ、この眼差しなのだろうか。恐らく、その答えはもう本人にすらわからないのだろう。きっと、それがわかるのは、彼をずっと前から知っている所長さんと伊葉さん――そして四郷だけだ。

 

 俺達より近くで、彼が放つ殺気にさらされている四郷。その表情には救芽井ほど露骨に顕れてはいなかったが、小刻みに震える小さな肩を見れば、不安と恐怖に包まれているのがよくわかる。

 ……恐らく彼の姿を見て、思い出しているのだろう。十年間の闇、その全てを。

 

 ――大丈夫。もう、大丈夫だからな。確かに怖いっちゃ怖いけど……俺は、こんなことで逃げ出したりなんかしない。

 その意思は気付かぬ間に顔に出ていたようで、俺を見ていた瀧上さんは何かに感づいたように一瞬顔を上げると、両手を頻繁に開いたり閉じたり……という手足の動作確認のような動きを繰り返し始めた。――どうやら、こっちがやる気だってことは十分に伝わってるらしいな。

 

「……ん?」

 

 その時。俺はふと、四郷と目が合った。

 ――次の瞬間、彼女はハッとした表情で目を見開くと、勢いよく席から立ち上がり、アリーナと客席を隔てる手すりをなぞるように走り出した。こちらに向かおうとしてるみたいだが……一体どうしたんだ?

 

「そ、そんなの認めるわけがないじゃない! 私達救芽井エレクトロニクスは、絶対にあなたの参加を認めないわ! おとなしく、元の客席に帰って!」

 

 その時、俺の背に隠れていた救芽井が、震える脚で俺の前に出たかと思うと、思い切り彼を否定する旨を叫び出した。脚だけではなく、声も微かに震えていたが……彼女の視線は、しっかりと瀧上さんの姿を捉えていた。

 ……救芽井も、嫌というほど感じているのだろう。今の瀧上さんが、いかに危険な存在なのか。

 

「オレが尋ねたいのは、直に闘うそこの少年だ。君の了見など知ったことではない」

「なっ……私は救芽井エレクトロニクスの名代よ!? 何をバカなことを――うっ!」

 

 しかし、瀧上さんに退く気配はない。あくまで了解を求めたいのは、実際に戦う相手である俺の意志らしい。

 救芽井はその言い草に反論しようとする――のだが、瀧上さんの無言の眼力に、思わず腰を引いてしまう。ここまで言えば引き下がるだろう、という油断もあったのか、さっきまでの威勢はすっかり崩されてしまったようだ。

 

 俺は再び彼女を庇うように、瀧上さんと視線の交わる位置に立つ。

 

 ――きっと、このままやらせたら危ない、って解りきってたんだろうな。ここまで頑張ってくれて、ありがとう、救芽井。……だけど、心配はいらない。俺は逃げないし、負けない。お前のためにも、四郷のためにも、そうしたいと願った俺のためにも。

 

 俺は右手に嵌めた、真紅の「腕輪型着鎧装置」に一瞬だけ視線を落とし、すぐに瀧上さんに向けてキッと顔を上げる。

 ――俺には、救芽井がくれた最強のお守りが付いてる。兄貴がくれた技が付いてる。久水兄妹がくれた度胸が付いてる。矢村がくれたパワーが付いてる。きっと、負ける理由なんて、どこにもない。……どこにも、ないんだ。

 

「……おしッ!」

 

 そう自分に言い聞かせるように、俺は両手で頬を叩き、気合いを入れる。

 

「ま、まさか……!? ダ、ダメよ龍太君ッ!」

「龍太、受ける気なん!? いけん、いけんよぉっ! いくらなんでも、これは危な過ぎるやろぉっ!」

 

 その様子から俺の意志を汲み取ったのか、救芽井と矢村が制止に掛かる。だが、瀧上さんがそうであるように、俺にも退く気はない。

 

 ――これは、言うなればチャンスだからだ。ここで俺が瀧上さんをブッ倒し、問答無用で完勝すりゃあ……救芽井エレクトロニクスや政府から、変に干渉されて事が荒立つ前に、この事件にカタを付けて四郷を解放させることができるかも知れない。恐らく、伊葉さんと所長さんもその望みがあると見たから、俺達に振ったのだろう。

 もちろん、事がそううまく運ぶとは限らないだろうし、あの瀧上さんに楽に勝てるだなんて、微塵も思えない。

 ……それでも、可能性が少しでもあるなら、ダメかどうか確かめてみるしかない。どの道、彼とは戦うことになるかもって考えはあったしな。

 

「一煉寺龍太……貴様、奴の挑戦を受けるつもりか」

「……あんたも反対?」

「まさか。貴様が倒れれば樋稟が悲しむだろうが……貴様が逃げれば、貴様を信じた梢が悲しむ。ならば、ワガハイの願いは一つだ。――受けて立つ以上、敗北は許さんぞ」

 

 一方、茂さんは救芽井や矢村とは違い、随分と落ち着いている。もしかしたら瀧上さんに頭を掴まれた時から、彼の恐ろしさの片鱗を既に感じていたのかも知れない。

 

「――厳しいこと言うねぇ、それでエール送ってるつもりかよ。……おかげで負けるに負けらんなくなってきたわ」

 

 俺はそんな茂さんの容赦なき応援に、背を向けたまま返事をする。その時、俺の隣に人影がスッと入ってきた。――久水だ。

 彼女は俺の右腕と、その手に嵌めた腕輪を優しく撫でると、無言のまま真剣な表情で強く頷いて見せた。いつもやかましいくらいだった彼女にしては珍しい、静かで淑やかな激励。そのギャップに戸惑う俺に微笑むと、彼女は踵を返して兄の傍へと引き返していく。

 

「良いのか? もっと言いたいことはあるだろう」

「……それはこの戦いが『無事に終わってから』いくらでもお話しできますわ。戦場(いくさば)へ赴く殿方に、言葉など無用。よき妻とは、殿方の帰りを信じ、家を守れる女のことを言いますのよ。――龍太様が受けるとおっしゃるなら、ワタクシは彼の勝利を信じ、待つだけざます」

 

 兄妹で、このような言葉が交わされていたことなど、知る由もなく。

 

 そして、そんな久水兄妹に感化されてか、救芽井と矢村もあまり反対の声を上げなくなって来ていた。その代わり、心配そうな表情で、二人とも上目遣いで俺を見つめている。

 

「心配すんなって。簡単に負けるつもりなんてないし、別に命まで懸けて戦おうってわけじゃない。ちゃちゃっとやっつけてくるから、ちょっとだけ待っててくれよ」

「う、うん……」

「……む、無理だけはしないでね、龍太君……」

 

 俺はなるべく心配させまいと、ニッと笑って見せる。だが、二人の不安を拭い去るにはどうにも不十分であるらしく、二人とも渋々納得している程度だった。

 

 かと言って、いつまでもこの娘達の相手ばかりしているわけにも行かない。

 俺は悠然と腕を組み、こちらを睨み続けている瀧上さんを一瞥すると、彼と同じように客席からアリーナへ颯爽と飛び降りるべく、手すりの上に足を乗せる――

 

「……ダメえぇえーッ!」

 

 ――が、その瞬間。聞いたことのない叫び声が、俺の足を止めさせた。

 愛らしい少女を思わせる声色だが、こんな声は聞いたことが……いや、これは、まさか……!?

 

 俺は声が聞こえた方向へ急いで首を回し――そして、目を見開く。

 

「……ダメッ……! 絶対に、ダメッ……!」

 

 あの叫び声を発した、声の主。それは、ここに来て初めて、「大声」を上げた四郷だったのだ。

 



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第115話 涙を流せる身体なら

 

「し、四郷……?」

 

 小刻みに小さな肩を震わせ、今にも消えてしまいそうな、弱々しい視線を送る少女。何かに怯える小動物のようなその姿には、かつての機械の身体に対応するかのような「冷たさ」は、微塵も感じられなくなっていた。

 

 痛ましい程に冷たく、真っすぐだった瞳。それが今は、不安に囚われたようにゆらゆらとうごめいている。

 人の身を案じる。その気持ちをいつも抱いていながら、ここまではっきりと顔に出したのは、実は初めてことなんじゃないだろうか。そんな考えになるほど、彼女の叫びは俺に衝撃を与えていた。

 

 そして、そう感じていたのは俺だけではなかったらしく、救芽井達も一様に驚いたような表情を浮かべ、四郷に向けて視線を集中させていた。

 

 ――付き合いの長い久水でさえ、驚いている。このことが意味するのは――

 

「……そんなにマズい相手なのか」

「ダメ、ダメなの……! 凱樹さんだけは、ダメ、絶対にやめてッ! あの人は手加減なんて知らないしするつもりもない! 行ったら絶対死んじゃう! 殺されちゃうッ!」

 

 今まで、絶対に聞いたことのない彼女の「涙声」に俺が目を丸くした隙を突いて、手すりの上から俺を引きずり降ろそうと、彼女は袖を掴んで来る。だが、「新人類の身体」の力で袖を掴まれたというのに、俺はびくともしない。

 

 ……動いているのは、震えているのは、そこを掴んでいる彼女の細い指だけなのだ。

 

「……あの手の動き! 握ったり離したりしてるあの動き! あれは……人を殺す前に必ず凱樹さんがやってた癖なの……! 手元が狂って悪を逃がさないように、って……呪文みたいに言ってた……!」

「――それはまた、胸糞の悪くなる動作確認だな」

「凱樹さんがあんな動きをしていて……一煉寺さんみたいな顔をしてる人が居たら……その人は絶対、殺されて……裂かれてッ……!」

 

 俯いているせいで表情こそ見えないが――今にも消え入りそうな声色で、縋るように呻く彼女の様子を見ていれば、悲痛な顔をしていることくらいは予想がつく。

 瀧上さんが次々に人を殺していく様を、俺以上に鮮明に見てきた彼女にとって、この状況はその惨劇の再来に思えてならないのだろう。

 七千人が虐殺されたという、例の戦い。その渦中で、あのギシギシと唸る鉄の腕に引き裂かれてきた連中はみんな、生前は俺と同じ顔をしていたのだろうか。

 

 それを懸命に訴えているかのように、普段とは余りにも違う、四郷の怯えよう。その姿から察せられる、瀧上凱樹という男の恐ろしさ。それは本人から直接威圧感を浴びせられるのとはまた違う、「それを見てきた人間が語る」という新たな恐怖であった。

 それを突き付けられた救芽井達は、乗り越えかけていた瀧上さんの猛威を再認識させられ、無言のまま息を呑む。

 

「……」

 

 そんな彼女達の様子を一瞥すると、俺も口を閉ざして、手すりから乗り上げていた足を降ろした。そして、改めて四郷と向き合う。

 

 こうして正面から相対してみれば、どれだけ彼女が「小さかった」のかがわかる。今にも折れてしまいそうな細い腕。胸元くらいまでの高さしかない身体。今まで俺と渡り合ってきたライバルだったとは、到底思えない姿だ。

 だが、それは彼女と会ったばかりの俺の主観でしかない。彼女自身が、瀧上さんとの関わりによって生じた十年間の中で感じてきたことなど、俺には想像できるはずもない。

 

 ……だが、少しだけ予想できるところがある。俺達とそう変わらない歳から、十年間。その間、絶望だけを感じながら生きてきた彼女にとって、その根源が息を吹き返してしまうことが、何より恐ろしいのではないだろうか。

 

 十年間という時間の中で、風化しつつあったはずの記憶が、残酷なまでに鮮明な形で掘り起こされようとしている。その状況が彼女にとって、耐え難い苦痛であるということだけは、その痛ましい姿を見るだけで嫌というほど伝わってしまうのだ。

 

 だが、そうだとして、俺に何ができるだろう? 俺は何をすべきなのだろう? 「人の命を救う」、それだけを目指した救芽井エレクトロニクス――いや、「着鎧甲冑」の名代として。

 

 ……簡単なことだ。少なくとも口で言うだけなら、難しくはない。

 

「――四郷。俺はな、一応知ってんだよ。お前の姉ちゃん……所長さんから、全部聞いた」

「……えっ!?」

「その上で、俺はあの人に挑もうと思う。無茶かも知れない。意味もないかも知れない。それでも可能性があるなら、俺は試してみたい、そう思うから」

 

 俺が周りに聞こえないような小声で囁くと同時に、四郷は目を見開いて俺を見上げる。……まぁ、そりゃそうだろう。全部知ってる上で喧嘩売ろうとしてるバカなんて、向こうからすれば天然記念物ものだ。

 

 救芽井達は、俺が何かを呟いた途端に四郷の様子が変わったのを見て、何が起きたのかと視線を泳がせる。そんな彼女達を他所に、当の四郷は信じられない、といいたげな表情で声を荒げた。

 

「……どうして!? なんで!? そこまでわかってて、なんで戦うの!? わからない、わからないよっ!」

「――んなこと言ったってしょうがないだろ、それが仕事なんだもん」

「なっ!?」

「瀧上さんに勝つ。四郷を助ける。それが『人助け』をする着鎧甲冑のお仕事。そんでもって、それをこなせば俺も救芽井にいいカッコできて満足。他になんか理屈が要るのか?」

 

 全てを知った上で戦おうという俺に対し、理解できないと食ってかかる四郷。そんな彼女に、俺は思うままの言葉を並べるしかなかった。

 

 口で言うには余りにも簡単で、実現するには果てしなく厳しい。だが、そうだとしても他に道はないのだから、しょうがないじゃないか。人命救助が仕事の着鎧甲冑の名代が、災害怖いんで帰りますね、とは言うに言えないだろう。

 そういう、着鎧甲冑としての矜持を保つためにも、という意味で「救芽井にいいカッコしたい」と言ったんだが――当の救芽井の様子がなんかおかしいな。顔を赤らめてめっちゃ身もだえしてるんだけど。あれ? おかしいぞ? なんで矢村に睨まれる状況になってんの?

 

「――鮎子」

「こ、梢……」

 

 一方、俺が様子の変わった救芽井達に目を奪われている間に、久水が四郷に接近してきていた。小さな肩に両手を乗せ、優しげな表情を覗かせているその様は、あるべき姉妹の姿を見ているようだった。

 

「龍太様が何をおっしゃったのかは存じませんが……あなたを想っての言葉であることだけは、わかりましたわ。だって、龍太様あってこその、あなたが信じてくれたワタクシですもの」

「……うん……。それは、わかるよ……でも、ダメなの……! そんな人だからこそ、ボクはっ……!」

 

 むせび泣くような声色で、四郷は久水の豊満な胸に顔を埋める。まるで、母に甘える娘のように。そんな彼女の姿に、救芽井と矢村も顔を見合わせて、様子を見守っている。

 

「……ぐすっ……うぇっ……ねぇ、ねぇっ。どうすれば、一煉寺さん、止まるかな? ……ボクが涙を流せる身体だったらっ……止まって、くれたのかなっ……!?」

「――その時は、龍太様はその涙を拭うために戦われますわ。そして、流せない今は――先程おっしゃっていた通り、着鎧甲冑の矜持を守るために戦われることでしょう。同じことざます」

「……そんなっ……!」

「そして、結果も同じ。龍太様は必ず勝ち、何らかの形であなたを救って下さいますわ。ワタクシは、そう信じると決めました。あなたも救われたいと願う気持ちがあるなら――静かに信じ、待つことざます。それがよき妻としての在りようでしてよ」

「――えっ!?」

「……ふふ、ワタクシが気付かないとでもお思いでして? 殿方を譲る気はありませんし――好敵手があなたとなれば、俄然燃えてしまいますわね」

 

 お互い小声気味なせいか、上手くやり取りは聞き取れないのだが……どうやら、上手く説得してくれているようだ。詳しい事情は知らないまでも、何となく状況を察しているのだろう。さすが、親友だな。

 ただ一つ、気になるところがあるとすれば――途中から急に四郷が顔を真っ赤にして、慌て始めたことだが。なんか救芽井と矢村も、それを見て何かに気づいたような顔してたし――気づいてないのは俺だけなのか?

 

「一煉寺龍太。……いつか貴様、身を滅ぼすぞ」

 

 今まで静観を決め込んでいた茂さんも、何か悟ったような表情で物騒なことを言い始める。え、何? 何なの? 俺だけ仲間外れ!?

 

「素直に自分の気持ちを、受け止めなさい。そして、自分の言葉で伝えるざます。全ては、そこからですわ」

「……う、うん……」

 

 一方、久水は母性溢れる優しげな表情で、四郷の肩を抱いて諭すように語りかける。そんな彼女に対し、四郷は恥ずかしそうにコクン、と小さく頷いた。

 

「一煉寺、さん……」

「お、おう」

「……ボク、待ってるから。……今度は、嬉しい意味で泣くから。……だから、負けないで、ね……?」

 

 自信のない声で呟くその姿は、やっぱりいつ見ても小動物。何と言いますか、庇護欲に駆られちゃいますなぁ、これは。

 

「――ああ、行ってくる。……大丈夫だって。俺、絶対お前のこと、諦めないから」

「……ッ!? う、うん……」

 

 どうやら、やっとこさ四郷から了解を得られたらしい。ここまで来れば、後は戦うだけ。……そう、戦うだけだ。

 

「龍太っ! 女の子にここまで言わしたんやから、絶対に勝たな承知せんけんなっ!」

「龍太君、負けたら今度こそ子作りの刑だからねっ!」

「……? お、おう、任しとけ!」

 

 さっきまで不安がってたり不機嫌になったりしていた救芽井と矢村も、今は素直に応援してくれている。声色に微妙な怒気が混じってる気がするのは気のせい……か?

 

「――随分と待たせてくれるな? いい加減答えを聞きたいところだが」

 

 すると、痺れを切らしたのか、瀧上さんが低くくぐもった声で唸って来る。腕を組んで悠然と待ち構えるその姿は、さながら勇者の挑戦を待つ大魔王のようだ。

 ……もっとも、その勇者は悩んだりビビってばかりのヘタレ野郎なんだけどな。

 

「どうやら、奴もお待ちかねのようだな。ワガハイを打ち倒したその拳の味、奴にも教えてやるがいい」

「おうとも! ――いくぜッ!」

 

 茂さんの言葉に背中を押されるように、俺は再び手すりに足を乗せる。目指すは――瀧上さんの待つ、あの純白の平坦な世界。

 見てろよ、四郷。どんな奴の命だって助ける、着鎧甲冑の本懐ってヤツを見せてやる!

 

 俺は手すりに乗った足に全力を込め、アリーナに向けてジャンプ――

 

「あらっ!?」

 

 ――した瞬間、片方の足の甲が手すりに引っ掛かった!?

 

「あららーっ!?」

 

 そのまま前のめりに転落するように、空中で一回転し……!?

 

「モゲェーッ!?」

 

 ――おケツから戦場に降臨ッ! 戦う前から……死ぬ……ッ!

 

 そしてもんどりうった挙句、尻を天井に向けた格好でピクピクと痙攣している俺に対し――

 

「カッコ悪ッ!?」

 

 ――という矢村様の仁義なきツッコミを頂いてしまった事実は、言うまでもない。

 それでも俺は、痛みの余り声も出せず、ただ心の底から叫ぶしかなかった。

 

 ……台なしだァッ!

 



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第116話 願いの叶え人

「……む、むぐぉ〜! ふんぐぅぅあ〜……!」

 

 (尻から)行くべき場所へと降り立った、俺の勇姿に対する反応は様々。

 

「龍太君……大丈夫?」

「さすが龍太様! 敢えて尻から着地してダメージを被り、ハンデを背負われるとは! そこに痺れる! 憧れ――」

「いや明らかに足滑らせとったやろッ!?」

「……やっぱり逃げた方が……」

「尻の筋肉は強靭であり、一度緊張すると緩みにくい。そこを敢えて硬化させ、ダメージを軽減したというのか……! そこに気が付くとは、奴はやはりある種の天才……!?」

 

 ――いやどう見ても超痛がってんだろーが! 固める前に激突してんだよこっちは! 畜生、ここに来て思わぬアクシデントだッ……!

 

 しかも伊葉さんとかめっちゃ冷めた視線で見てるし。所長さんに至っては目も合わせてくれないよ!?

 

「……」

 

 一方、瀧上さんは呆れる様子も怒る様子も見せず、ただ腕を組んで静かに俺を待ち続けている。俺のズッコケで空気がブッ壊れている中、彼だけは何一つ変わっていなかった。

 

 ――さすがじゃないか。この程度のハプニング、どうってことないってか? ようし、俺も寝てばかりじゃいられないなッ……!

 

「……そ、その鉄兜の中で、どんな顔してるのかは知らないが……俺をバカにしていられるのは、今のうちだってことを見せてやるぜッ……!」

 

 俺は両手で尻を押さえながらも内股で立ち上がり、そのままチョコチョコと蟹歩きの要領で、瀧上さんの待つアリーナの中央へ向かう。想像を絶するほどマヌケな格好ではあるが、こうでもしなければ前に進めないのだから仕方ない。

 

 ――だってまだ痛み引いてないんだもん。

 

 そんな俺の動きが見ていられないのか、後ろから救芽井と矢村のため息が聞こえて来る。なんでだよ! 心配してよ! 腰の骨折れるかと思ったんだよ!?

 

「お兄様! あれはもしや!?」

「うむ。まさかこの目で見ることになるとは思わなかったが……あれこそ中国に伝わりし『酔拳』のプレリュードなのだッ!」

「……もはや公開処刑……」

 

 久水兄妹は久水兄妹で、なんか変な方向性に納得して相槌打ってるし。四郷は以前の冷ややかな目線に戻ってるし。……ああもう、最終戦のムードじゃないだろコレはッ!

 

 ――そうやって思考を巡らせながら歩いていれば、時間も短く感じられるものらしい。気がつけば、俺はもう瀧上さんの目前にたどり着いていた。

 

「うおっ……!?」

「ようやく来たな。オレの目の前に来た以上、挑戦への答えは聞くまでもなさそうだが」

 

 ……こうして見ると、やはりデカイ。「新人類の身体」形態になった時から、体格が格段に大きくなっていたことは解っていたつもりでいたけど……近くに立ってみると、その桁違いのサイズってものを改めて思い知らされてしまう。

 腕の太さや足の太さは、俺の倍以上。もしかしたら、三倍に届くかも知れないレベルだ。身長も二メートルを軽く越しているだけあって、俺の目線なんて彼の腹筋程度の高さしかない。

 ――それにしても、彼の赤黒く塗られたボディのあちこちにある、小さな亀裂は何なのだろう。元々参加するつもりはなかったから、メンテを怠っていた……としても、さすがにボロボロ過ぎる。

 ……まるで、この身体そのものが、孵化する寸前の卵であるかのようだ。

 

 しかも、近くに立ってみて初めて気づいたのだが――ものすごく臭う。なんだコレ……鉄の臭い、なのか……?

 鉄板を触った手によく付いているような、あの臭い。それが何十倍にも増幅されたかのような異臭が、彼の全身から放たれている。もしかしたら、かなり錆びている部分もあるのかも知れない。

 

「すまんな。この『勲章』は臭うだろうが、我慢してくれ」

「『勲章』……?」

 

 口先で謝っているような言葉を並べてはいるが、その憮然とした態度からは反省しているような印象は微塵も感じられない。圧倒的な体格差もあって、むしろ俺が窘められているかのような絵面になってしまっている。

 

 ――何の勲章なんだよ。「自分が決めた」悪を殺してきた時に付いた傷だったりすんのか? 清々しい程に自分のしてきたことに後ろめたさを見せないことも大概だが、自分の勝ちが解りきってる、みたいな面してるのが、輪を掛けて腹立たしい。

 

 俺は別に、この人と付き合いが長いわけじゃない。それどころか、ちゃんと向き合って話すのも今回が初めてだ。

 本当なら、人から話を聞くだけじゃなく、自分の目で彼の人物像を見極めるべきだったのかも知れない。噂に尾鰭が付く、なんて話はザラにあるんだし。

 だが――もし何も知らないまま、この人とこうして向き合っていたとしても、すぐに仲良くなれたとは思えない。なぜなら、直に相対しているだけでも解るのだから。

 ……この瀧上凱樹という人物から放たれている、触れる者全てに襲い掛からんとする殺気と、自分以外の全てを見下す、冷酷な視線が。

 

「にしても、やたらひび割れだからけの身体だな。そんなボロボロでも、俺をひねるくらい楽勝だってのか?」

「他に理由があると思うか」

 

 ようやく尻の痛みが引き、元通りの姿勢に戻ってきたところで、俺はムスッとした表情で瀧上さんに食ってかかる――のだが、向こうはさらにこちらの怒気を煽るかのような言葉を返して来る。

 

「この『勲章』をぶら下げながら戦うのは、正直難しいのだがな。君を相手にするなら、このくらいが丁度いいと判断したまでのことだ」

「――傷が『勲章』、ねぇ。何を誇りにしようがあんたの勝手だけど、舐めプが原因で足元掬われたら恥ずかしいってことは覚えといた方がいいぜ」

「君も、自分が誰を相手に偉そうな説教を垂れていたのか、試合の後もしっかりと記憶に刻んでおくことだ。同じ轍を踏んで恥をかかないように、な」

 

 ……言ってくれるじゃないか。こりゃあ、個人的にもギャフンと言わせないことには、腹の虫が収まりそうにない。もちろん、最終的に四郷を助けることが大前提だけどな。

 

「――そうだ。ただ戦うだけでは、試験の意味を成すまい。命懸けで、人々の命を救いに向かうヒーローを輩出するというのなら、それに応じた状況を作らなくてはな」

「……なに?」

 

 すると、瀧上さんは何かを思い付いたかのように、不穏な空気を口先から漂わせてきた。それに応じた状況……? 何を言い出すつもりだ……?

 

「行動不能に追いやるか、ギブアップするか。そんな甘いルールで認められたヒーローが、人々を守ることなど断じて不可能だ。やるからには、『文字通り』命を懸けなくてはな」

 

「――まさか!?」

 

「そう。生きるか死ぬか。実にシンプルで、リアリティのあるルールだとは思わないか? この生命のやり取りを勝ち抜けられる『強さ』あってこその、『正義のヒーロー』というものだろう」

 

 俺達だけにしか聞こえない程度の声量で、瀧上さんは本日最大の無茶ブリをかましてきなすった。生きるか死ぬかがルール。つまり――問答無用のデスマッチをしよう、ということか……!

 

 ……わかってるつもりだったが、やっぱりこの人はいろいろとヤバすぎる! 人命救助システムのためのコンペティションで「殺し合い」をやろうなんて「本末転倒」にも程があるってことくらい、ガキでも少し考えたらわかる話だってのにッ!

 それをこうも当然のようにブッ放せる瀧上さんを見てしまえば、所長さんの話を疑う余地は完全になくなってしまう。あの話には、映像には、脚色なんてない。

 この人は、身も心も本物の怪物になってしまっているのだ。四郷があれほど怯えていたのもわかる。

 

 ――だが。

 

「いいね、それ。スリリングな賭け事ってのは、嫌いじゃないぜ」

 

 俺は、敢えてその提案を呑む。心にもない言葉を、並べながら。

 

「ほう。ただの身の程知らずかと思えば、存外にいい度胸ではないか。泣いて逃げ出すものかとばかり思っていたよ」

「生憎だが、『大したことなさそうな奴には』強気になりたがるタチなんでね。――ただ、一つだけ条件がある」

 

 俺は瀧上さんの誘いに乗る一方で、一つの条件を提示する。これを宣言したいがために、本末転倒な彼のローカルルールに応じたようなものだ。

 

「条件? ……まぁいい。言ってみろ」

「あんたは俺を本気で殺しに掛かるつもりなんだろう。それは別に構わないが……俺の方は、嫌でもあんたを殺すわけにはいかないんだ。『人を活かす』、それが俺の拳法と『救済の超機龍』、ひいては着鎧甲冑そのものの意義だからな。どんな時でも相手を決して殺めない。それが『着鎧甲冑』にとっての『リアリティ』だ」

「なるほど。子供の割には随分と殊勝な心掛けだな。――だが、フェアではない」

「ああ。だからあんたには、自分の代わりに別の命を懸けてもらう。他人の命を守るのが、ヒーローの務めなんだろ?」

 

 「新人類の身体」は本来、瀧上さんのため――すなわち戦闘用のシステムとして造られたものであり、救命用として造られた今の四郷の身体は、その隠れ蓑でしかない。

 ならば、向こう側だけでも「殺せる」ルールを覆さなければ、条件を突っぱねることはないかも知れない。

 そこが、狙い目だった。

 

「オレに他人の命を守るために戦え、というのか……面白い。では、誰の命を懸ければいい?」

 

 誰かの命に関わるというのに、子供のような無邪気さで「面白い」と言い切る瀧上さん。

 

「決まってるだろ。――四郷だ」

 

 そんな「歪な正義の味方」へ向けて、俺は賭けの対象を言い放つ。

 

「あんたが勝ったなら、俺を殺したって構いやしない。超人同士のドツき合いをやろうってんだ、そういう『事故』もあるさ」

「……」

「――だが、もし俺が勝ったら。その時は、四郷鮎子の命を、俺が貰う。あの娘の全てを、俺のものにする」

 

 そう。これを認めさせれば、瀧上さん自身が約束を破らない限り、より確実に四郷を守ることができる。向こうの要求をある程度呑んでいる分、彼女を引き入れられる確率を一回り高められる、ということだ。

 確かに俺自身が負うリスクは、言うまでもなくバカでかいものにはなるが――なぁに、「勝てばいい」だけの話だ。

 

「ほう。君は――鮎子が欲しいのか?」

「ああ欲しいね。超欲しい。今すぐお持ち帰りしたいくらいにな。……あんなにいい娘は、そうそういない」

「そうか……。だが、鮎子はオレの恋人の妹であり、大切な家族だ。そうやすやすと、馬の骨に渡すわけにはいかんな」

 

 交渉成立にこぎつけるための俺の挑発に対し、瀧上さんは劇的な反応を見せる。

 金属同士が擦れ、軋む音と共に、紅の巨体はズイッとこちらに歩み寄って来たのだ。娘をたぶらかす「悪い虫」に詰め寄る、父親のように。

 

 ――大切な家族、か。

 

 その言葉に疑う余地がなかったら、どれだけ彼女は幸せだったのだろう。どれだけ、笑っていられたのだろう。

 

「いいだろう。オレとしても、やる気を出すには十分な条件だ。――だが、叶わぬ夢は見ない方がいい。傷つき、悲しみ、死んでいくだけだ」

「そんな実現出来なきゃカッコ悪い台詞は――最後の最後まで取っておくもんだぜ!」

 

 眼前に仁王像の如くそびえ立つ、鋼鉄の腕を組んだ深紅の巨漢。全てを薙ぎ倒さんとする「正義」を象徴しているかのような、その威圧的な体躯に向けて、俺は握り拳を掲げながら啖呵を切る。

 

「……」

「……」

 

 そして、僅かな時間の中で睨み合った末、俺達は同時に踵を返した。

 

『――お互い、話は終わったようね。それではこれより、第三課目「最低限の自己防衛能力」を開始するわよ。救芽井エレクトロニクス側は、準備を済ませるように』

 

 俺達が一定の距離を取ったところで、所長さんがアナウンスで試験を開始する旨を伝えて来る。話を聞いていたかどうかはわからないが――ある程度の事情は察しているような様子だ。いつになく、声色が真剣なものになっている。

 そんな彼女に対して無言のまま頷いてから、俺は「腕輪型着鎧装置」を見遣る。そして今度は、客席からこちらを見守っている皆に視線を移した。――その中でも、救芽井は一際心配そうな表情で俺を見つめているのがわかる。

 

 ……泣きそうな顔してるんじゃねえよ、全く。「お前が選んじゃったヒーロー」らしく、カッコ悪くキメてきてやっからさ。

 

 ――だからもうちょっとだけ、待っててくれよ。

 

 ……確かに、こんなの俺には到底似合わない役回りかも知れない。瀧上さんの言う通り、叶わない願いなのかも知れない。

 それでも、俺しかいないなら。「救済の超機龍」が俺しかいないのなら。

 嫌でもやってみるしかないじゃないか。意地でも……叶えてやるしか、ないじゃないか。

 

 俺は救芽井に向けてニカッと笑って見せた後、彼女達に背を向けるように、瀧上さんと相対する。

 ……そして、覚悟を決めた。

 

 ――この右手に光る、紅い腕輪を翳すように。あの娘を救う力が欲しいと、願うように。

 捻った腰の反動による勢いで、天に向けて手刀を放ち、俺は叫ぶ。

 

 だって、俺は――

 

「着鎧……甲冑ッ!」

 

 ――お前が選んだ正義の味方、「着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー」なんだから。

 



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第117話 瀧上凱樹の猛威

『……これが、最後よ。試験開始ッ!』

 

 ――いよいよ、最終試験が始まる。

 所長さんの合図を幕開けに、このコンペティションの結末を決める一戦が、ついに開始されたのだ。

 

 そして、救芽井達が固唾を呑んでこちらを見守っている中、俺は即興の変身ポーズと共に着鎧の体勢に移ろうとしていた。

 

「さて――いっちょやってみるかな!」

 

 紅く輝く帯が全身に巻き付き、「救済の超機龍」への着鎧が完了する感覚。それをコスチューム越しに肌で感じ取った瞬間、俺は白い床を蹴って一気に瀧上さんとの距離を詰める。

 

「いきなり突っ込んで来るとは……よほど早く『終わらせて』欲しいようだな」

 

 そんな俺に対し、彼は腕を組んだまま悠然と佇んだまま。どうやら、防ぐつもりも避けるつもりもないらしい。

 ――なるほど。俺の攻撃なんて蚊ほども効かないだろう、って余裕か。いいぜ、そんなに自分の強さをアピールしたいってんなら、好きにしなさいなッ!

 

 俺は赤黒い巨体に真正面から突っ込む……と見せ掛け、突進の軌道を横にずらした。そして、そのまま彼とすれ違うかのように駆け抜ける――

 

「ワチャアッ!」

 

 ――寸前、亀裂だらけの図太い脚にローキックをお見舞いした。紅い脚同士が激しく激突する金属音が、アリーナ全体に響き渡る。

 

「……なんだそれは?」

 

 だが、そんな轟音に反して、当の瀧上さんの反応はほぼ皆無。亀裂が僅かに広がった程度であり、ダメージを受けている様子は全く見られなかった。蚊が刺された程度にも感じていない、といったところだろう。

 ――なんともえげつない話だなオイ。一応本気で蹴ったってのに! ……まぁいい、今のは「効けばラッキー」な程度でしかない。むしろこれだけ圧倒的な体格差があって、ローキックごときで怯んでたら見かけ倒しもいいとこだ。

 

「せいぜい蚊が刺した程度にしか感じてません……ってか? 余裕なのは大変結構だがな、あんまり刺されすぎると痒みが大変なんだぜ!」

 

 当然、この程度で諦めるつもりなんてない。まだ試合は始まったばかりだ!

 

 俺はそれからも、彼の巨体を周回しながら、何度もローキックを小刻みに繰り返していく。例えどれだけびくともしない状況が続いても、そのスタンスを崩しはしない。

 まだ瀧上さんが動きを見せる気配はない――が、相対的に小さい分、こちらの方が小回りが利くはず。

 

 ――我ながらセコい戦い方をしている気がしてならないが、この際やむを得ないだろう。こんなデカブツ相手に、力勝負などまっぴらごめんだ。

 だから本来なら、相手の出方を伺い、今まで通りにカウンターに徹した戦法を取るべきだったのだろうが……向こうの体躯から想定されるスタミナを考えれば、今回は長期戦にも成りうる。それに「救済の超機龍」のバッテリーが耐えられるとは、限らないのだ。

 力同士でぶつかる勝負は無理。カウンター戦法に徹しようにも、待ってばかりじゃいずれバッテリーが尽きる。――ならば、向こうの「反撃」を誘うような軽い「先制攻撃」を敢えて行い、その「反撃」を「想定」した更なるカウンターで迎撃する。それが、俺が彼に勝てる可能性であり、希望だ。

 

「一応の敬意として、一通り君の技を受けてやろうと思っていたが――こんな下らない蹴りばかりしか仕掛けて来ないようなら、品切れと解釈しても良さそうだな?」

「だったらさっさと終わらせてみな。口先だけじゃあ、俺は殺せないぜッ!」

 

「……そうか。なら、君の望むままに――終わりにしてやろうッ!」

 

 そして――ついに、瀧上さんが動き出す。腕組みを外し……その瞬間に伸びて来る、巨大な掌。その迫力は、「ヒーロー」というよりは「大魔王」の方が遥かに相応しい。

 血と闇が滲んでいるかのような、赤黒く禍々しい右腕。全てを飲み込まんとするかのように迫るその鋼鉄の手に捕まれば、間違いなくただでは済まない。茂さんに仕掛けた時はお遊び程度でしかなかったのかも知れないが、本来の姿となっている今では、それくらい感覚でも十分に脅威だ。

 ましてや、これは俺達だけの間で取り決められたデスマッチ。捕まったが最後、仮面ごと頭を握り潰されて一瞬でおだぶつ、となる。

 

 だが――ピンチはチャンスとも言う。「軽い先制攻撃」に触発されて出てきた「反撃」。これこそ、俺が狙い目にしていた好機なのだ。

 

「――ハッ!」

 

 迫る巨大な掌が、俺の頭蓋骨を砕こうと、視界全体に覆いかぶさる直前。俺は体重を思い切り後ろに乗せ、後退の姿勢に入る。

 そこから更に、身体の軸をずらして掌が直進する方向から逃れ――その巨大な手首を両腕で掴む!

 

一本背投(いっぽんせなげ)……ッ!?」

 

 そして、背負い投げの要領で懐に入るべく、その鋼鉄の腕を手首から捩り上げ――ようとした。

 

 ――だが、現実は違った。

 

 手首を捩ろうと力を入れる瞬間。こちらの勢いを受け流されたかのような感覚に襲われ、気づいた頃には弾かれていたのだ。

 デカい相手をブン投げる、そのことを意識し過ぎていたせいか必要以上に力が入ってしまっていたらしく、肩透かしを食らって生じたふらつきも大きいものだった。

 

「……なっ……!?」

「ふむ。なかなかの踏み込みだな。少しは腕に覚えがあるらしい」

 

 倒れる程ではないにしろ、隙だらけになっていたのは確かだ。もし瀧上さんがこの瞬間に踏み込んで来ていたなら、恐らく避けることは出来なかっただろう。

 

 ……いつでも殺せる、ってことかよ、畜生……!

 

 だけど、向こうは一体どうやって俺の技を外したんだ……? 力任せに弾かれるような感覚はしなかったはずなのに。まさか、ああ見えてテクニック面でもやり手なのか!?

 

「だが、オレの腕を捩ろうとしたのは……失敗だったな。人間と身体の造りが違うオレに、その手の技は通用しない。もっとも、あの無駄な力の入りようでは、こちらが生身の状態でも投げられなかっただろうがな」

 

 ――しかし、当の本人が見せた種明かしは、あまりにも呆気ないものだった。

 俺の眼前で、キリキリと擦れる音を立てて回転する手首。まるで作業用の機械のような、その無機質な動きを目の当たりにして、俺は改めて瀧上さんが「人間ではない」ことを認識させられた。

 向こうは、俺が投げの体勢に入ろうと捩る力を込めた瞬間、手首をドリルのように回転させ、俺の勢いを外部にそのまま受け流していたのだ。

 

 ……こんな人間の関節を無視した芸当、機械の身体でもなきゃ到底真似できない。そんなのアリかよと、叫びたくなりそうだ。

 

 ――だが、こんな手段も「アリ」だと認めるしかないのだろう。これは、もはや普通の試合ではなく、文字通り命を懸けた戦いなのだから。

 

「……セコい避け方しやがって、だったらこれはどうだッ!」

 

 かといって、このまま大人しく終わるつもりもない。正真正銘の命懸けの戦いなら、なおさらだ!

 俺はさっきまでとは反対の方向を周回するように、再び瀧上さんの傍らを駆ける。次の瞬間、もう一度ローキックをお見舞いした。

 

「ムゥッ!?」

「取ったァッ!」

 

 そして、猛烈に風を切る彼の裏拳を屈んでかわし――今度はその巨大な左腕に両腕で組み付いた。

 間髪入れず、その鉄腕を外側に捻る。次いで、そうすることで出て来た肘関節の近くにある急所「天秤(てんびん)」に腰を当て、そこを軸に身体を右回転させた。

 ――この技は相手の腕を折りかねない、危険な一発だ。さぁ、ちゃんと吹っ飛ばなきゃ、腕が折れちまうぜ瀧上さんッ! さっきみたいに弾かれまいと、出来るだけ手首から離れた場所を掴んで、やや強引に捩りはしたが……「救済の超機龍」のパワーならこの程度の誤差、なんてこと――

 

「……フゥンッ!」

「おわぁっ!?」

 

 ――あった!?

 

 両腕を駆使して繰り出した「龍華拳・外巻天秤(そとまきてんびん)」。手首を捻って体勢を崩さなかったせいもあるだろうけど――何も悟らせないうちにとフルスピードで仕掛けたってのに、力任せに外しやがった!

 それどころか、彼が思い切り肘を曲げて技を外した勢いで、俺の赤い身体は宙を舞い――白い地面にたたき付けられてしまうッ!

 

「がっ! ……ぐっ……!」

「りゅ、龍太ぁっ!」

 

 ……余りにも予想外で、受け身を取る暇もなかった。ゆえに背中から思い切り落ちてしまい、思わず苦悶の声が漏れてしまう。

 そんな俺が見ていられなくなったのか、試合が始まってからは唇を結んで見守っているだけだった矢村が、初めて悲鳴を上げる。

 

「も、もうええやろッ! このまま続けとったら、龍太、龍太死んでまうっ!」

「おっ……落ち着いて矢村さん! これはあくまでコンペティションなんだから、そんなの……そんな、こと……」

 

 あるわけがない。救芽井は、そう言い切らなかった。

 

 何となく、救芽井達も感づきつつあるのだろう。言葉では隠していても、戦い方による「気迫」のようなものでも出ているのかも知れない。

 

「……お互い、コンペティションの勝敗以上の何かを懸けている。そのように見えてならないのは――ワガハイだけではあるまい」

「そうざますね、お兄様。――そう、例えるなら……『命』を懸けているかのような……」

「……一煉寺、さん……」

 

 久水兄妹や四郷も、どこか疑わしげな視線をこちらに向けている。一切のごまかしを許さない、その真摯な眼差しは、確実にこの戦いの真実を捉えようとしていた。

 

「圧倒的に不利でありながらよそ見とは余裕だな。さらなる奇策でもあるのか?」

「くっ……!」

 

 瀧上さんの言葉に、俺は仮面の中で歯を食いしばる。

 手首を捻る技は、手首自体が回転するから通用しない。かといって、僅かでもその動作を避けたら、力任せに外される。……腕を攻める技は、封じられたと言っていい。

 

 しかも、通常攻撃――最初のローキックでも、彼は涼しい顔をしていた。確かに戦略的には小手調べでしかなかった攻撃だが、一応力は本気だし、下肢の急所である「風市(ふうし)」は確実に捉えていたはず。

 

 ――急所を本気で攻めて、揺るがなかった。その事実には、例えあれ自体が「効けばラッキー」という攻撃に過ぎないのだとしても、来るものがある。

 

 そして、ここまでの太刀合わせから浮かんで来る、一つの可能性。「『新人類の身体』と戦う」事態が想定された時から、俺がずっと懸念していた、最悪の可能性。

 それが現実であると証明される瞬間が、黒い波となって押し寄せて来る――そんな感覚が、俺の意識を飲み込もうとしていた。

 

「ぐっ――ワチャアアァッ!」

 

 その可能性を全てを振り払う。その一心で、俺は叫び――地を蹴って彼の顔面に飛び掛かる。

 「あそこ」が「新人類の身体」の唯一の弱点かも知れない。そんな、儚い希望のために。

 

「とうとう頭がおかしくなったか!?」

 

 それに対し、巨大な鉄拳によるストレートが飛び出して来た。標的だけでなく、その周囲の物全てを吹き飛ばしてしまいそうなこの迫力――真正面から突っ込んで来る貨物列車、という表現がピッタリだ。

 

「トワァーッ!」

 

 もちろん、そんなオーバーキルパンチをまともに食らうつもりはない。俺は迎撃の拳を跳び箱を跳ぶようにかわし――彼の顔面に蹴りを浴びせる。

 

「『日月(にちげつ)』! 『三日月(みかづき)』! 『人中(じんちゅう)』! 『三角(さんかく)』! ……『承漿(しょうしょう)』ォッ!」

 

 ただがむしゃらに蹴るわけではない。顎から下、及び脳天に近い部分と、「両眼(りょうがん)」を除く顔面の急所。その全てに一撃一撃を突き刺すように、回し蹴りや前足底の飛び蹴りを連続で叩き込んだ。

 

「ハッ……ハァッ、ハッ……!」

 

 そして、全ての攻撃を終えて彼の眼前に降り立つ。「救済の超機龍」で超人的な身体能力を得ていなければ、空中五連撃など到底不可能だっただろう。実現にこぎつけた今でも、息切れしてしまうくらいなのだから。

 

「――なるほど、経脈秘孔(けいみゃくひこう)を狙う護身拳法か。オレが『人間』だったなら、今ので随分と堪えたかも知れんな」

「……そんなっ……!?」

 

 ……しかし、それを浴びせた相手の反応は無情な程に冷淡で――機械的だった。思わず顔を上げる俺だが……仮面を被っていて、よかったと思う。

 

 こんな絶望気味な顔を、誰にも見られずに済んで。

 

「だが、オレの身体の大部分は機械化され、経脈秘孔はもちろん、人体の関節を利用した技も封じることができる。さっき君がしくじったように、な」

「ぐッ……!」

「それでも君が睨んだ通り、唯一のオリジナルである頭部の脳髄。ここを覆う場所だけは、脳自体を正常に機能させるために、普通の人間とさして変わらん造りになっている。経脈秘孔が共通している可能性も、なくはないだろうな」

 

 そこで一旦言葉を切り、瀧上さんは鉄兜の上から、あの凍るような眼光を俺に浴びせて来た。目元が見えないというのに、視線で突き刺される感覚に襲われている――こんな矛盾、あってたまるかよ……!

 

 ……ダメだ、動けない……! 古我知さんと戦う時だって、こんなに震えてはいなかったのに……あの時とは違うはずなのにッ……!

 

「しかし、そうだとしても君の技がオレに通じることは有り得ない。顎から額にかけての顔面全てを防護している、この鉄兜を装着したオレには、な」

 

 自分の顎――正確には鉄兜の口元を護っている部分を撫でながら、彼は悠然と語る。

 口調そのものは静かだが……この状況、声色、体格のせいで、全てが威圧的であり――絶望的だ。

 パワーも装甲も圧倒的。関節を攻める技も効かない。唯一の弱点である頭部も、鉄兜に護られている。……八方塞がり、じゃないのか……!?

 

 そんな考えから、再び浮かんで来る最悪の可能性。この状況になるまで追い詰められてしまった今では、もはや疑う余地がないッ……!

 

「――何が言いたいか、わかるな? 君の技は全て、オレには通用しない。そういうことだ」

 

 ……そして、あまりにも非情で、冷徹な本人の一言が――俺の希望にとどめを刺したのだった。

 



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第118話 鉄兜の盲点

 ありとあらゆる攻撃を尽くし、それでも彼は――とうとう揺らぐことはなかった。

 関節への攻め、急所攻撃、そのいずれも、瀧上さんには届かなかった。……あと、何ができる? 俺にはあと、何が残って――

 

「……さて。ではそろそろ、お望み通りに終わりに――してやろうッ!」

「ぐゥッ……!?」

 

 ――だが、それを考えている猶予すら、俺にはなかったようだ。

 

 瀧上さんが言い放ったその一言に反応するよりも早く、俺の視界は赤黒い掌に飲まれ――目の前が真っ暗になっていた。

 自分はもう、彼の巨大な手に捕まっている。足が床に触れている感覚がなくなり、その事実を認識せざるを得なくなった瞬間、俺の顔からは血の気が一気に失われた。

 

 ――このまま握り潰される。

 今まさに迫ろうとしているその展開に、俺はかつての惨状を思い起こしていた。

 彼に捕まった人間は、為す術もなくミンチにされ、あの巨大な拳から血が流れ出ていた。

 自分も……今からああなるのか……ッ!?

 

「ンッ、クッ……ムグッ……!」

「往生際の悪い少年だ。まさか、まだおとなしく死ぬ気がなかったとはな」

 

 自分を捕まえている鉄腕に、懸命に打撃を加える。俺に出来ることは、もうこれしか残されてはいなかったのだ。

 だが、これが大して通用するとは思えない。――当たり前か。こうして顔面を掴まれて宙に浮かされているような状態じゃ、急所は狙えないし腰の入った突き蹴りもできない。

 

 こうして、相手を絶望させながらジワジワ殺していこう……ってのかよ! 仮にもヒーローを自称してる人のすることじゃないぜ!

 

「だが、この状況でなおも抵抗してきた人間は君が初めてだ。その勇気に免じて、数秒だけ命を延ばしてやろう。――これに耐えられればな!」

 

 その時。反撃も許されないまま、握り潰されて終わる……それだけで終わるかと思っていたこの戦いに、予想外の展開が訪れる。

 頭を掴まれ、宙に浮いている。この状態に変わりはないが――突然右半身に猛烈な突風が襲い掛かったのだ!

 

「……ン、グゥウゥッ!?」

 

 これはまさか……振り回されてるのかッ!?

 頭を掴んだ状態のまま、着鎧によって少しは体重も増しているはずの男一人を片手で振り回すって――どこまでムチャクチャなんだこの人ッ!

 い、いかんッ……! 勢いが強すぎて、身体が動かない! なんつースピードで回されてんだよ俺の身体ッ!

 

「ぬぅおああァァアァッ!」

「うわあぁあッ!?」

 

 そして、次に視界が解放された時には――俺の身体は豪快に投げ飛ばされ、壁に向かって猛烈な勢いで突進していた。

 投げ飛ばす瞬間の瀧上さんのけたたましい叫びで、アリーナの空気が怯えるように震えている。

 

 壁に向かって吹き飛ぶスピードは尋常ではない。このまま頭から突っ込んだら、いくら「救済の超機龍」だって……!

 

「――く、おォオッ……!」

 

 なんとか頭からの激突だけは避けなくては……! その決死の思いにスーツも応えてくれたのか――風を切る勢いに抗い、かろうじて頭が真下になるくらいにまで体勢を変えることが出来た。

 だが、それでダメージがなくなるわけでもない。ただ即死を免れた、という程度に過ぎないのだ。

 

 頭が真下ということは、逆立ちしているような姿勢のまま、壁にぶつかることを意味している。

 

「――ぅがあぁッ!」」

 

 俺の背中が壁に勢いよく衝突し、その周辺が衝撃に歪み、ひしゃげていく。俺も背中の感覚がなく、もしかしたら同じ要領で骨でも砕けているのかも知れない。

 格闘中のアドレナリンってものがなければ、今頃はのたうちまわってるか……痛みでショック死してたのかもな。

 ……瀧上さんは、あの状況で抵抗したのは俺が初めてだと言っていた。あの人に殺された人はみんな、わかってたってことなのかな。――下手に抵抗すりゃ、こうなるってことが。

 

 壁から剥がれ落ちるように、俺の身体が床にベタリと落下する。……ハハ、まるでたたき落とされたハエだぜ。

 情けない話だけど……もう、指一本、動かせないかも、な……。

 

「りゅ、龍太あぁぁっ! ちょ、ちょっともうやめさせてや! もうええやろ、十分やろっ!」

「龍太君っ……! あ、あぁあ……!」

「あ……あなた達静かにおしッ! うろたえるんじゃありませんわッ! 殿方の……龍太様の勝利を信じることが出来ぬ弱者に、伴侶の資格などありえないざます!」

 

 そんな俺の不様な姿に、女性陣も耐え切れなくなってきているらしい。救芽井と矢村を宥めている久水も、どこか声が震えているように聞こえる。

 

「しかし、何と言うパワーだ……! ワガハイに仕掛けた時は、ほんのお遊びでしかなかったというのか……!?」

「……いいよ……! もう、いいからっ……!」

 

 そして、四郷も……そよ風で消し飛んでしまいそうな小声で、そんなことを呟くようになっていた。

 

「――ッ!」

 

 もういい、か。

 

 ……不思議だよな。そんなこと言われたら、なんかお情けでも掛けられてるみたいで、たまらなくなるんだよ。

 

 ――全く、ヒーローってのは損な役回りですなぁ。瀧上さんがストレスでああなっちまったってのも、なんか頷けてきたよ。

 ……どんなに身体が痛くても。どこかが折れてたとしても。あんな悲痛な声が出るくらい不安にさせちまってるって……俺のふがいなさのせいでああなってるってわかったら。

 俺の身体が、諦めさせて――くれなくなるッ!

 

「……終わったな。――鮎美! 試合は終わりだ、この死体を運び出すぞ!」

『あら、それにはまだ当分早いんじゃないかしら』

「なに? ――ムッ!」

 

 ようやく、向こうも俺の存命っぷりに気がついたらしいな。壁に寄り掛かりながら、見苦しくも立ち上がろうとしている俺のアホな格好に、さすがの瀧上さんもビックリの様子。

 

「……ハッハハハ! ここまで活きのいい子供がいたとはな。シアターTロッソで握手でもしてやりたくなるガッツだ」

「あいにくだが……主賓があんたじゃ客は来ねぇだろうよ。あんたと二人きりのテレビ出演なんぞ御免被る」

 

 だが、驚いている時間はごく僅か。すぐに殺りがいのある獲物を見つけた、と言わんばかりの好戦的なテンションに早変わりだ。俺がしっかりと両の足で立つのも待たないうちに、ジリジリと歩み寄り始める。

 

「実に結構。オレのやり方に異を唱える悪党共には制裁を加えるのみだ。それは今までも、これからも変わらん」

「……あんたが、それで何の正義を守ってるつもりでいるのかは知らない。だけど、そのためにあんたが守ろうとしてる家族が苦しんでる時もあるって、考えてみたことはないのかよッ……!」

 

 背中をひしゃげた壁に押し付け、両足で自分の身体を押し上げるような要領で、俺はようやく立ち上がった。

 あまりにも必死な俺。あまりにも平静な瀧上さん。この違いを見れば、勝負は付いたも同然であると、誰もが信じて疑わないだろう。

 そうだとしても。俺はまだ、倒れていい身分ではない。

 ……一矢も報いないままくたばって、何がアイツのヒーローだ!

 

「家族はみなオレに追従する。家族は必ずオレを賞賛する。――考えるべきことなど、ない!」

 

 刹那、瀧上さんの歩くペースがみるみる加速し――全力疾走となって突っ込んできた! ……あんなに鈍重そうなナリの癖して、なんて足の速さだッ!

 

「ッ……!」

 

 左右に振られている巨大な腕は、さながら周りのもの全てを薙ぎ払おうとしているかのようだった。もはや貨物列車ではない。その速さを身につけた――戦車だ!

 

「ぬぅおらァアァアアッ!」

「くおッ……!」

 

 そして、俺の目に映る世界の全ては、瞬く間に亀裂だらけの赤い景色に飲み込まれてしまう。

 世界そのものを衝撃音で打ち砕くかのような、凄まじい雄叫びと共に、俺の顔面に振り下ろされる鉄拳。

 

 あとほんの一秒でも立ち上がるのが遅れていれば、俺は今頃、あの隕石のような一撃にバラバラにされていた。

 だが、俺は辛うじて、彼の肩の上を飛び越え、攻撃を回避――

 

「ヌゥン!」

「がッ……!?」

 

 ――したつもりで、いたのだが。

 振り下ろした腕を瞬時に曲げ、肩越しに逃げようとした俺の背中に、肘鉄が突き刺さり。

 

「ぐゥアッ! ……う、あ……!」

 

 気がつけば、俺の身体は彼から遠く離れた場所に墜落し、仰向けに倒れていた。俺の清々しいほどのやられっぷりに、女性陣からさらに悲痛な叫び声が上がる。

 

 ――あの勢いで振り下ろした拳を瞬時に引き抜いて、その後ろに避けた野郎に肘打ちかよ……! どんだけバケモ――いや、バカげたパワーとスピードなんだッ!

 ……つか、危ない危ない。心の中だけとは言え、危うくバケモン呼ばわりするところだったわ。いや、確かにバケモンには違いないかも知れないが……あんまり言い過ぎると、同じ技術で身体を造られてる四郷とかどうなるんだよ。

 

「――しかし、参ったなこりゃ……ハハ……。向こうよりもっと速く動いて対応しなきゃ、なんないってのに……まるで身体、動かねぇんだわ……」

 

 身体を俯せに倒し、両手足の筋力を駆使して立ち上がる。「救済の超機龍」の運動性に頼ってなお、立ち上がるのがこんなにしんどくなるとはな……笑える弱さだよ、俺は。

 

『さすがにダメージが強いようね。どうする? 降りる?』

「……いや。せっかくだから、続けるよ。救芽井にも、申し訳が立たなくなるしな」

 

 だとしても、ここで所長さんの有り難いお情けを頂戴するわけにも行かない。……さっき言っちゃったばっかりだからな。一矢も報いないままじゃ、くたばれないって。

 

「何が君をそこまで『悪の道』へと駆り立てているのかは知らないが――コレも正義を為すため。……悪く思うなッ!」

 

 だが、現実ってのは呆れるほど容赦がない。前屈みでフラフラのまま立ち上がる俺は、正面に顔を上げる前に、再び彼に背後から捕まってしまった。

 しかし、今度は掌で顔面を掴まれているわけではない。頭の周りを巨大な何かで圧迫されている、この感覚は――ヘッドロック!?

 

「う、ぐ、あッ……!」

「君は小悪党にしてはよく頑張った方だな。しかし、正義のヒーローたるオレに刃向かう自分の行為に疑いを持たない以上、この結末から逃れることはできんのだ。君を信じた少女達も、悪に騙されてしまって可哀相に」

 

 いつにも増して高尚なヒーロー講座を垂れる瀧上さん。そのあんまりな言い草には、さすがに俺もプチンとイキたくなってくる――かな。

 

 悪に騙される? 可哀相? あの娘達がか?

 ……ふざけんなよ。笑えないギャグとか、寒いだけなんだよ。

 何が悪だとか。何がどう可哀相だとか。そんなの――

 

「――あんたの決めることじゃないだろッ!」

 

 ……おや、つい口に出てしまったな。まぁ、だからといって撤回するつもりなんてさらさらないけど。

 

 救芽井も、矢村も、久水も四郷もついでに茂さんも。

 みんな、俺を信じてこの場に送り出してくれた。それは哀れなんかじゃない。俺も……騙してなんか、いない。

 

 だって――勝つって、決めたんだから!

 

「ん、ぐ……おおおォッ!」

「負け惜しみを抜かし出したかと思えば……今度は力ずくか。あれほどのパワーの差を見せ付けられておいて、まだ抵抗できると思っているのか?」

 

 自分の頭に巻き付いている瀧上さんの腕に、俺は自分の両手の平を押し当て、全力で押す。……下から上へ、突き上げるように。

 

「無駄なことを。そんなことをしたところで何の――なにッ!?」

 

 ……ヘヘ……見たかい。これが世に言う火事場のバカ力って奴さ。多分。

 

 俺はヘッドロックを決められた体勢のまま、両腕と足腰の力に全てを賭ける勢いで――瀧上さんを持ち上げていたのだ。

 

 ヘッドロックで顔面を覆われてるせいで何も見えないから、どこまで持ち上がっているかはわからないが……恐らく、踵が浮いて爪先立ちになっている程度だろう。

 既に全身の筋肉が悲鳴を上げている状態だが――なんのその。このままひっくり返して一矢報いてやるまでは、意地でも――

 

「……バカめッ!」

「うぐッ……!」

 

 ――と、意気込んでいたはずなのに。

 

 全ての力を懸ける勢いで臨んだ、勝負だったのに。

 

 前方向に体重を掛けた瀧上さんの勢いには敵わず、ふりだしに戻されてしまった。

 持てる力を全力で尽くしたってのに――理不尽過ぎんだろ……こんなの……。

 

「驚いたな。まさかこんな小さな身体に、ここまでの力が残っていたとは……。やはり、デスマッチを提案しておいて正解だった。このような危険な悪の芽は、早々に積んでおかねば……なッ!」

 

 決死の覚悟で放った力技さえ、それ以上の力技で完封されてしまう。その現実に失意せざるをえなかった俺に、瀧上さんはラストスパートを掛けようと、ヘッドロックにさらに力を込めてきた。

 

 バイザー越しの世界に亀裂が入り、潰されかけているマスクの破片が、こめかみに刺さる。頬を伝う冷たい感触に、俺は「死」が近づいていることを認識させられつつあった。

 

 ……あれだけ手を尽くして、これなんだ。

 

 やっぱり俺には、初めから叶わなかったのかも知れない。瀧上さんの……言う通りじゃないか。

 

 そう諦めるしかなく。死を受け入れるしかなく。

 残す家族、町のみんな、救芽井達の顔が浮かびかけた――その時だった。

 

「――聞けェェッ! 一煉寺龍太ァァアッ!」

 

 茂さんの叫びが、轟いたのは。

 

「……!?」

「いいか! 確かに力任せでは奴は倒せん! パワーもスピードも奴が上回り、貴様の拳法も奴の構造上通じんかも知れんッ!」

「お、お兄様!?」

「だがッ! 少なくともそこから脱出する手段は必ずあるはずだッ! 瀧上凱樹に『新人類の身体』ならではの『持ち味』があるように……貴様にも、『救済の超機龍』にも、生身の人間が身につけた力であるが故の『持ち味』があるはずッ! かつてワガハイが欲してやまなかったその力で敗れることなど、例え樋稟が許そうと……このワガハイが許さぬぞオォッ!」

 

 ……生身の人間ならではの、「持ち味」……!?

 

『――それ以上は試験妨害よ、茂君』

 

「……わかっております。これ以上、ワガハイに言うことはありません。失礼致しました」

 

 所長さんの諌言に従い、彼が身を引いた瞬間。俺は……気づかされた。

 

 ――そうか。そういうことかッ!

 

 恩に着るぜ茂さん、さっきはついで呼ばわりして悪かった!

 

 俺はメリメリと悲鳴を上げ、ひしゃげていくマスクの奥で、僅かに口元を緩める。まだ――終わりじゃない。

 

 力を出し尽くし、疲弊しきっていた腕の筋肉を酷使して、俺は自分の喉元に指先を伸ばす。そこから、徐々にヘッドロックを決められている頭の部分に向けて、人差し指を這わせていく。

 確か、この辺りに……あったッ!

 

 ――顎の裏にひっそりと存在している、小さなボタン。まさかこんなちっぽけな機能が、最後の希望になるなんて――なッ!

 

「これで終わ――んぬッ!?」

 

 マスクごと俺の脳みそがブチまけられる勢いで、ヘッドロックの力が強まった瞬間。

 トドメの一撃からすっぽ抜けるように――俺の頭とマスクが「分離」したのだ。

 

 そう、これが茂さんの云う「生身の人間であるが故の持ち味」。人体で最も大事な頭を守るためなら、こんな芸当もできるってわけだ!

 

 マスクを外すボタンを押した次の瞬間、ヘッドロックから抜けた角付きマスクが、白い床にカランと落ちる。それと時を同じくして、素顔を晒した状態になった俺は瀧上さんの背後に立つ格好になった。

 

 もちろん、この機を逃しはしない。俺は即座に跳びあがり、

 

「……らぁあぁあぁッ!」

 

 彼の首の近くにある、後頭部の急所……「唖門(あもん)」目掛けて、空中から落下する勢いと、全体重を掛けた振蹴(ふりげり)をブチ込んだ。外側から覆い被せるように放つ、空手の蹴りに近しいこの一撃。俺が出せる打撃技の中じゃ、これが一番の威力だ。

 

 ――これでも大して効ききやしないのかも知れない。そう思うところもあったけど。頭ではわかっているつもりでいたけれど。試さずには、いられなかった。

 

 「まだ勝負を捨てきれない」。そんな胸中が露呈したかのような、一発だったのだ。

 

 蹴りを終えて着地した後も、なぜか微動だにしない瀧上さん。次に彼が動きを見せたのは、俺がサッとボロボロのマスクを拾って、再装着した時だった。

 

 だが、それは――

 

「……ぬゥッ、グ、オォォッ……!」

 

 ――俺が予想していたものとは、明らかに掛け離れていた。

 

 後頭部を両手で抑えて片膝を着くその姿は、さっきまでどんな攻撃もものともせず、暴威を振るいつづけてきた鉄人とは、似ても似つかない。

 これじゃあ、まるで……!?

 

「攻撃が――通った……!?」

 



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第119話 招かれざる客

 急所を狙った攻撃でさえも、完全に防いでいたはずの頭部。

 

 そんな「通る」はずのない場所に、破れかぶれで放った一撃が「通って」いる。後頭部を抑えて呻く鉄人の姿が、その証だ。

 これが「攻撃が効くようになった」ことを意味するのか、「攻撃が効く場所がある」ことを表しているのかは、まだわからない。いずれにせよ、まだまだ予断を許さない状況だ。

 

「グゥッ……お、おのれッ……!」

 

 瀧上さんは僅かに膝を震わせて立ち上がり、鉄兜の奥から肩越しに俺を睨みつける。どんな顔をしているのかまではわからないが……今までにない焦りと怒気を孕んだ声色を聞く限りでは、さっきの一発がよほど効いていたように思える。

 鉄兜に覆われているはずの頭部に、どうして……?

 

『……ダメねぇ、凱樹。言わんこっちゃないわ』

「――!?」

 

 その時だった。俺の思考を読んだようなタイミングで、所長さんの声が響いてきたのは。

 

『私が提言した通りに、頭部パーツの前後に万遍なく装甲を付ければよかったのに。あなたが「鉄兜の装甲は前側に集中してくれ。オレは敵に後ろなど見せない!」なんて言い出すからよ、全く』

「……鮎美。審査官であるはずのお前が、試験中にわざわざ敵に情報を流すとは、どういう了見だ」

『流すも何も、もうバレちゃったんだから隠しようがないじゃない。それに、あなたなら弱点を知られたくらいでどうにかなるものでもないでしょう? あらゆる「悪」と戦い、乗り越えてきたあなたなら――ね』

「――フン。当然だ」

 

 ……なるほど、な。まさか種明かしを所長さんがしてくれるとは思わなかったが……これでハッキリした。

 

 振蹴が通用したのは、瀧上さんが自分のポリシーをゴリ押しして、後頭部の装甲を薄くしていたからなんだ。もし所長さんが言っていたようにバランスよく装甲が振り分けられていたなら、ここまで攻撃を加えることは不可能だったかも知れない。

 

 ――しかし、所長さんもなかなか無茶苦茶なマネをするなぁ。「公正さを欠いたらヤバい」とか言っといて、自分が一番ギリギリな所まで言っちゃってるんだから。

 もしマスクを再装着してなかったら、「え? あそこ弱点だったの?」という表情を見られて、「弱点を把握された」とは思ってくれなかったかも知れない。

 正確な意味では、とっくに「公正さ」なんて失われているこの試合だけど……こんなことまでして、彼女は俺を勝たせたいのだろうか。

 

『……さぁ、そろそろ試験を再開しなさい』

 

 審判席からこちらを見守っている、そんな彼女の声色には――なぜか、「焦り」の色が伺える。まるで、この勝負の決着を急かしているかのように。

 

 ――しかも、こっちには目を向けず、手元のノートパソコンを見ながら再開を促している。

 彼女は、何を焦っているんだ……? まさか、試合前の警報と何か関係が――

 

「ムゥオォアァアアァッ!」

 

 ――!? マズいッ!

 

 所長さんの異変に目を奪われていた、その一瞬を突いて瀧上さんが迫る。くそっ、一発当てられたからって気が緩んじまったのか!?

 あっという間に視界を覆い尽くす、ひび割れた赤い世界。そこから抜け出さんと、俺は床を全力で蹴る。

 

「ハァッ!」

 

 彼の頭上より高く跳び上がった俺は、再び狙いを後頭部に定める。……相手の弱点(ウィークポイント)を攻めるのは、格闘の定石だ。それを抜きにして勝てるほど、この人は甘くない……ッ!

 

 空間を掻き切るように薙ぎ払われた鉄腕をかわし、宙を弧を描くように舞う。そして……後頭部にまわり込む!

 

「ヌゥンッ!」

「ぐぅはァアッ……!?」

 

 ……だけど、同じ手を使わせてくれる程度の甘さすらなかったらしい。後頭部に回った瞬間、「唖門」にもう一度振蹴を浴びせようと、身体を捻った俺の脇腹に、後頭部からのヘッドバットが突き刺さる。

 急所に攻撃が通用するとは言え、そこに当たりさえしなければ、高い硬度を持っている事実は揺るがない。完全に裏をかかれた俺の腹には、弱点であるはずの彼の頭が、スーツごと肉をえぐるように減り込んでいた。

 

 体重も乗っていない、ただ後ろに頭を振るだけの簡単なお仕事。それでも、彼が放ったその一発は、今の俺を過剰に痛め付けるには余りにも十分過ぎる……!

 

「あぐッ……!」

「同じ手を何度も喰らうような奴では、ヒーローなど務まらん。……クク、君は一から、その道を学び直さねばなるまい。もっとも、オレに負けた瞬間、その機会は永遠に来なくなるのだがな」

 

 再び俺は彼の後方に吹っ飛ばされ、床の上を転げ回る。そんな俺を嘲笑う彼の口調に反応するように、バイザーが映す光景に変化が現れた。

 

「――!」

 

 この視界全体を覆う赤い点滅は……危険信号!?

 余りにもダメージを喰らいすぎたせいで、「救済の超機龍」のシステムが装着者の俺に警告を発しているんだ。このまま手痛い攻撃を喰らい続けていれば……やがて着鎧が解除され、試合に負ける。

 そうなったら、救芽井エレクトロニクスは……救芽井は……四郷は……俺は……!

 

「う、ぐおぁあッ……!」

 

 この勝負に負けられないという意志。こんなところで死にたくないという恐怖。どちらとも言い切れない、様々な感情が渦巻いた時。

 俺は俯せの姿勢から、拳を床に当て、地面を押し込むようにして立ち上がろうとしていた。

 ――ただ恐いのか、皆のために勝ちたいのか、もうよくわからない。ただ間違いないのは……こんなところで寝てる場合じゃない、それだけだ!

 

「大人しく倒れていれば、これ以上は傷付かずに済んだはずだというのに……君の神経は理解に苦しむ」

「……そりゃあ、そうだろうよ。あんたなんかに理解されるような、お子ちゃま的思考回路は……持ち合わせちゃいないんだからなッ……!」

「――そうか。ならばオレも苦しむ必要はない。君を……排除するだけだ」

 

 煽りを受けた瀧上さんは、今まで以上にドスの効いた低い声色で、静かに俺の抹殺を宣言する。

 

 どうやら、お子ちゃま扱いを受けたことについて、何か思うところがあったらしい。自分の子供染みた英雄思想に、図星でも喰らったのだろうか。

 感情を押し殺し、その全てを殺意に変えたような眼光。それが今、鉄兜の奥から覗いている。――本気で殺しに掛かろう、って流れだな、こりゃあ。

 

 あの凄まじい殺気を一身に浴びてるってのに、俺の心は割と落ち着き払っている。恐怖を通り越して、かえって冷静になっている……のかも知れない。

 ……もう、後頭部を直接狙うのは無理だ。でも、あそこ以外に弱点があるとも思えない。

 

 ――だったら、「突き蹴り以外の手段」であの後頭部を狙うまでだ!

 

「……どういうつもりだ」

「どうもこうもねぇ。三十六計、逃げるにしかずってなァ!」

 

 俺は前傾姿勢になり、彼に飛び掛かる――と思わせて、あさっての方向に走り出した。その行動に、彼は更に怒りを押し殺すような声で唸る。

 もちろん、そんな彼を挑発することも欠かさない。彼の周囲を駆け回りつつ、定期的に立ち止まっては、手招きする仕種を見せ付ける。

 この試合が始まった頃を思わせる構図だが……あの時とは、決定的に違うところがある。

 それは――今の俺には、明確な勝算があるってことだ。

 

「――ふざけたマネをォオォオオッ!」

 

 そして、この膠着状態も長くは続かなかった。

 程なくして、瀧上さんはけたたましい叫びと共に、全速力で俺を捕まえようと迫って来る! もちろん俺も大人しくやられるつもりはなく、両脚の筋力を酷使させ、全力でその場から退避した。

 だが、俺自身がバテててきていることや、互いの歩幅が体格の関係で掛け離れていることもあり、俺は次第に追いつかれつつあった。

 徐々に視界に広がっていく、黒く巨大な影。僅かでも減速して振り向けば、瞬く間に赤い亀裂だらけの異世界に飲み込まれてしまうだろう。

 

 だが、俺に焦りはない。これは、俺が待ち望んでいた状況なのだから。

 

 この体格差において、俺が唯一持っているアドバンテージ。

 

 それを活かせる瞬間は――今しかないッ!

 

「……ヒュッ!」

「ムッ!?」

 

 俺は両脚の踵をブレーキにして、急激に減速し――瀧上さんの懐に入り込む。

 次の瞬間、俺を捕まえようと伸ばされていた彼の右腕を取り――太刀を振り下ろすように、斜めに向けて豪腕を「誘導」した。

 

羅漢拳(らかんけん)――矢筈投(やはずなげ)ッ!」

「なに……いッ!?」

 

 力に逆らわず、むしろその流れに乗り、僅かに「軌道」にのみ干渉する。その理念により導かれた力の濁流は、瀧上さんの巨体を容易に持ち上げた。

 死力を尽くした力技でも、踵を浮かせる程度が限界だったとは思えないくらい、彼の鋼鉄の身体は大きく舞い上がる。

 

 そして――受け身を取る反射行動すら許さない速さで、彼は頭部から白い床に激突してしまった。アリーナ全体に、鉄人の墜落による轟音が鳴り響く。

 

「がッ……!?」

 

 打ち付けた場所は、ヒビだらけのバイザー越しでもハッキリと見える。後頭部の中央部にある急所……「脳戸(のうこ)」だ。

 鉄兜にある、脳天から延髄にかけてのトサカのような装飾で守られているようにも見えたが――ボロボロと亀裂から破片が飛び散り始めている様子からして、あのトサカが大して役に立っているとも思えない。

 

 質量の大きい瀧上さんと、小さい俺。

 この違いによって生まれるのは――反動の影響力だ。

 瀧上さんはパワーはデカいし、トップスピードに乗れば足の速さも相当だが、その分だけ動きの切り返しが困難になる。反面、力も速さも見劣りしている俺の方は、小回りの効きだけは確実に勝っている。

 動きを切り返した際に生じる反動は、質量で劣る俺の方が小さい。ならば、こうして急激に方向を転換する動作を見せれば、向こうは目は追いついても身体が付いてこれないはずだ。

 つまり、そこを突いて彼を投げ飛ばし――急所を地面にぶつけるように誘導すれば、間接的にダメージを与えられる!

 

「ぬ……ぐゥアッ……!」

 

 なんとか身を起こした瀧上さんは、頭の後ろを片手で覆い、片膝立ちでこちらを睨みつけたまま動かない。

 よく見てみれば、全身の亀裂はさっきの一発の影響で、更に大きなものになっていた。あと僅かでも動けば、装甲全体が剥がれ落ちてしまいそうにも見える。

 

「やったぁーっ! 行けるでっ! 行ったれ龍太ぁっ!」

「龍太君っ……!」

 

 形勢が変わったことを客席側も感じ取ったのか、矢村のはしゃぎっぷりにつられるように、救芽井の顔色に「安堵」が現れていた。

 だが、久水兄妹と四郷の表情は固いまま。このままで終わるわけがないと、警戒を促しているかのように。

 

 ……それは、俺も同じことだ。国まで滅ぼすくらい、さんざっぱら暴れてきたというこの人が、この程度で参るとは思えない。

 

「――死にたいのか。そうか、死にたいんだな貴様はァアアァアッ!」

「……ッ!」

 

 両脚に力を込めて雄々しく立ち上がり、ひび割れた赤い装甲を自ら引きはがす様を見れば――そう考えるのが普通、というものだろう。

 

 衣服を破り捨てるように取り払われた、亀裂だらけの「勲章」。その中から現れたのは――無骨な鋼鉄の色に包まれた、瀧上さんの真の姿だった。

 姿形こそ、今までとは色しか違わない程度だが……あんなにヒビだらけでも「勲章」として後生大事に身につけていた装甲を破り捨てているところを見れば、彼が「本気」になった事実くらいは一目瞭然だろう。

 

「な、なな、なんやアレっ!? 赤いの引っぺがして、灰色になりよったっ!?」

「装甲が取れた……! 何をするつもりなの……!?」

「龍太様、お気を付けてッ……!」

 

 瀧上さんの変容を前に、客席もどよめきに包まれる。四郷に至っては、肩を震わせながら両手の指を絡ませていた。まるで、神に祈るかのように。

 

 そんな彼女の肩を抱いている久水も、注意を促すような視線を送っている。――やっぱり、このままじゃ済まないみたいだな。

 

「……殺してやろう。容赦はせんぞ、悪魔めが……!」

「くッ……!」

 

 呪詛のような言葉を並べながら、瀧上さんがジリジリと迫る。俺は亀裂だらけのマスクの中で、焦燥と恐怖を掻き消すように唇を噛み締めた。

 

 その時。

 

『――ダメ、来るッ!』

 

 珍しく狼狽した様子の、所長さんの声が響くと同時に。

 

「そこまでだ瀧上凱樹ッ! 貴様の逃げ場はどこにもない、おとなしく降伏しろッ!」

 

 どこか聞き覚えのある声と共に――エレベーターの中から、白い装甲服を思わせるスーツを纏った集団がなだれ込んできた!

 

 あれは――G型の「救済の龍勇者」!? よく見たら、後方にも何体かのR型が……!

 

「お父、様……!?」

 

 そして、あの声の主を救芽井が呟いた瞬間。

 所長さんの焦りの理由。警報の実体。

 その全てに、俺は気づいてしまった。

 

 約十人ほどの「救済の龍勇者」の集団は、瞬く間に客席を飛び越えてアリーナに降り立ち、この試合に乱入する格好となる。

 

 四人のR型は俺の両脇を固めるように立ち、六人のG型は電磁警棒を構え、瀧上さんを一瞬で包囲してしまった。

 

 この間、僅か十秒程度。驚く暇すら与えない程の、計算され尽くした立ち回りだ。

 

「よくやった……龍太君。後のことは、我々に任せてくれ」

 

 呆気に取られるしかなかった俺に、G型に混じっているあの人が、背中越しに声を掛けた時。

 俺は、心の奥で叫ぶことしか出来なかった。

 

 ……なんで、なんでッ! こんな時に来ちまったんだよッ……!

 

 ――甲侍郎さんッ!

 



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第120話 歪んだ正義と狂気の幕開け

 このコンペティションに外部が干渉し、「瀧上凱樹」という人物を「処理」しようとする勢力が現れる。

 

 それは、所長さんが何よりも恐れていた「瀧上さんの暴走」に繋がる展開であり、絵空事であって欲しいと強く願われたことだった。

 

 だが、それは今まさに、決められていたシナリオをなぞるかのように――実現しようとしているのだ。

 

 唇を噛み締め、瞼を閉じて俯く所長さんの姿には、現実を認めまいと足掻いているかのような痛ましさがある。――見ていられないのだろう。これから起こるであろう、何かを。

 

「甲侍郎さん……これは、どういう……?」

 

 口から自然と、疑問の声が零れてしまう。彼らが何をしに来たのかは、とうにわかりきっているはずだというのに。

 もしかしたら、俺や所長さんの予想とは外れた要件なのかも知れない。そんな淡い期待を、この期に及んで捨てきれなかったのだろうか、俺は。

 

「驚かせてすまなかった。久しいな、龍太君。……だが、旧交を温めている暇はない。今は、この悪鬼を仕留めることが先決なのだ」

 

 だが、そんな俺に対する甲侍郎さんの返事は、余りにも「予想通り」。僅かに抱いていた望みは、はかなく消え去った。

 

「――お父様ッ! このコンペティションに『救済の龍勇者』を連れて介入するなんて、一体どういうつもりなのッ!? それに『悪鬼』って……!?」

 

 次いで、この状況を飲み込めずに狼狽していた客席側を代表し、救芽井が叫ぶ。正々堂々と性能を競う場であるはずのこのコンペティションで、よりによって自分の父がこんなトチ狂ったマネをしているとなれば、あの反応も当然だろう。

 

 その他の様子も、様々なものだった。救芽井と甲侍郎さんを交互に見遣り、不安げな表情を浮かべる矢村。「やはり何かあったのか」と納得したように、ある程度の落ち着きを保ち、成り行きを静観している久水兄妹。そして――顔を引き攣らせ、この先に起きるであろう事態に怯える四郷。

 

 彼らの登場が、この空間を最悪のルートへ導こうとしている事実は、もはや揺らぎようがない。

 ……始まるのだ。所長さんが予告した通りの、十年前の惨劇の再現が……!

 

「――手短に説明しよう。この男は十年前、中東の紛争地帯へ渡り……多くの人々を恐怖に陥れ、国さえ滅ぼすという大罪を犯した、史上最悪の『怪人』だ! このまま放っておいては、いずれ我が救芽井エレクトロニクス……ひいては日本全体の脅威となる存在なのだよッ!」

 

 娘の問い掛けに、彼は実にシンプルな答えを返し、瀧上さんの顔面に向けて電磁警棒を突き付ける。……「怪人」、か。「存在を許されない者」を形容する言葉としては、実に甲侍郎さんらしい表現だ。

 その甲侍郎さんの発言を受けたためか、瀧上さんの手に震えが現れる。弾け飛びそうな黒い感情を閉じ込めようと、もがいているかのような悍ましさが、手から腕へ、腕から全身へと広がっていく。

 

「な、なんです、って……!?」

「えっ、く、国……!? 滅ぼす……!? う、嘘やろ……!?」

 

 彼の激白にアリーナ全体の空気が凍り付くと、救芽井と矢村は魂を抜かれたかのように口が利けなくなってしまっていた。久水兄妹も、薄々感づいていた様子ではあったが、さすがにこの内容には目を見張っている。

 何の反応も示さず、まるでバッテリー切れでも起こしたかのように動かない瀧上さんが、どこと無く不気味だ……。

 

「十年前にこの者がここに追放されたことは、当時の総理大臣であった伊葉和雅氏から聞き及んでいた。……いつ暴れ出すかわからない、不発弾のような存在として、政府全体でこの者の存在に蓋をしてしまったことも、な」

 

「じゃあ、なんで今になって……!」

「言っただろう。救芽井エレクトロニクスのため、だよ」

 

 R型の四人に道を阻まれながらも、抗議の声を上げる俺に対し、甲侍郎さんは背を向けたまま静かに答える。

 

「……!」

「このような者を野放しにしていては、救芽井エレクトロニクスの技術力がいつ狙われるか、わかったものではないからな。……話し合いが通じる相手であるという、期待もない。警報装置に引っ掛かった時はどうしたものかと思ったが――どうやら、四郷鮎美氏もこの計画のことについてはお察しだったようだ。そして、警報が解除されていたところを見るに……彼女も協力的らしい」

 

 その言葉に、瀧上さんを除く全員の視線が審判席の所長さんに注がれた。次いで、瀧上さんの右手が更にわなわなと震え、やがてその手は憎悪を握りつぶすかのような拳の形へと変化していく。

 

『……出来ることなら、あなた達が来る前に全てを終わらせてしまいたかった。これ以上の血が流れる前に、妹を悲しませる前に。でも、それはもう、叶わない。なら、せめて――』

 

 ようやく顔を上げた彼女は、疲れ果てた表情で瀧上さんを見遣る。かつて恋い焦がれたヒーローの幻を追い続け……やがて諦めた。彼女の瞳に映る色は、そんな憂いを湛えているようだった。

 

『――これ以上、罪を重ねる前に……私が愛したあなたのままで、あなたの旅をおしまいにしたい。鮎子と私と、あなた自身のためにも……それが、私の願う全てよ。凱樹』

 

 精一杯の想いを捧げるように、彼女は声を絞り出していく。だが、当の瀧上さんは鉄兜で表情が見えない上に、さらに身を震わせるばかりで、聞こえているのかいないのかがさっぱりわからない。

 

 要領を得ないことばかりだが……ここまでの流れで、ひとつだけ判明していることがある。

 

「まさか――いや、やっぱり……このコンペティションも……!」

「――そう。全ては秘密裏にこの者の現状と、その戦力を測るための舞台装置。そして今……我々の能力を以って、瀧上凱樹を捕縛出来るものと判断し、実行に移すことにしたのだ。日本政府――伊葉氏の協力のもとに、な」

 

 ……やはり全部、瀧上さん一人を潰すための計画だったんだ。このコンペティションも。俺達と四郷姉妹との、出会いさえも。

 ふと審判席を見上げてみれば、伊葉さんが静かに「もう下がりなさい」といいたげな視線を送っているのがわかる。……彼も、グルだったということか。

 

「くっ……!」

 

 わかりきっていたことだろうに。所長さんの話を聞いた時から、予想はついていただろうに。

 

 ――それでも、こんな争いに着鎧甲冑が使われることはないはずだって、期待していた自分がいるんだ。唇を噛み締めるこの痛みが、それを証明している。

 

「そんなっ……! じゃあ、お父様は救芽井エレクトロニクスの繁栄のために、政府とこんなことを計画してたって言うのッ!? そんなことのために、龍太君をッ――!」

「――済まないね。彼を計画に利用していた事実は、確かに許されることではないだろう。……だが、私には彼が適任であると考える他はなかったのだ」

「えっ……?」

 

 父親を糾弾する救芽井の叫びが終わらないうちに、甲侍郎さんは諭すように静かな口調で言葉を返し――僅かに首だけをこちらに向ける。

 

「救芽井エレクトロニクスの創設以降、多くの協力者が資格者と成りうる優秀な人材を提供してくれたおかげで、ここにいる精鋭九名を含めた多くのヒーローを誕生させることが出来た。……だが、問題はその『協力者』だったのだ」

「協力者が問題……?」

「そう。資格者としてアメリカ本国から推薦されたヒーロー達の多くが、軍部に関係する連中の息が掛かった者ばかりだったのだ。当時は選り好みをしていられる状況ではなかったし、資格者として採用するだけなら――と目をつぶっていたがね。……だが、この件が『人命救助』を重んじる着鎧甲冑の理に反した計画である以上、そういった連中に隙を見せるわけには行かなかった。私が直々に買い取ったこの九名に『偵察』の大役を与え、恩を売るわけにも、な」

 

 俺と何の関係があって、こんな話をしているのかは知らないが――恐らく、甲侍郎さんは自分が連れて来た九人さえ信用していないのだろう。それは本人達もわかっているはずだが……それでもついて来るなんて、よっぽど着鎧甲冑を使えることに感動してるんだな。

 

 ――相当な給料で雇われたから、とは考えたくないもんだが。

 

「だから、我々には『瀧上凱樹にある程度対抗出来るだけの格闘能力』を持ち、純粋に『人々の命を救うため』という救芽井家の理念を理解し、代表としてここに赴く樋稟の身柄を命懸けで守り通してくれるだけの、絶対的な信頼を置くに足る人材が必要だったのだ」

「――!」

「……だが、そんな見込みがあるような逸材(スーパーヒーロー)など、どこを探しても居るはずがなかった。――救芽井エレクトロニクスを創設する以前から、我々が知っているただ一人の少年を除いては、な」

 

 ……ッ! なるほど、そういうことか……。

 

「まさかッ……! じゃあ、『救済の超機龍』を造ったのもッ……!?」

「その通りだ。救芽井エレクトロニクスの未来とお前のためとは言え、国一つ滅ぼすような相手に挑もうという義息子に、安物を宛がうほど薄情になったつもりはないからな。着鎧甲冑の理念を守りつつ戦わねばならん以上、相応のポテンシャルは必要になるだろう」

「酷いっ……あんまりよお父様ッ! 人を救うのが私達の仕事なんでしょッ!? なのに、こんなの……こんなのってッ……!」

 

「着鎧甲冑でやることじゃない、龍太君に押し付けるようなことじゃない、と言いたいのだろう。――言われずとも、本来の道から大きく外れているということは、私も十分に理解しているつもりだ。しかし、この者を避けて救芽井エレクトロニクスを繁栄させられるなどと、甘いことを考えるつもりもない」

「でもっ……!」

「……心配するな、ここから先は我々大人達の仕事だ。もう、龍太君やお前に負担を掛けることもない。だから、下がっていなさい」

 

 泣き崩れる救芽井に、甲侍郎さんは優しく慰めるような物腰で諭している。父親として、娘を泣かせてしまったことに負い目を感じているのだろう。

 

 救芽井は顔を伏せたまま「ごめんなさい龍太君、ごめんなさい」という言葉を、ひたすらテープレコーダーのように繰り返していた。彼女の肩を抱く矢村がいなければ、飛び下り自殺でもやりかねない程の追い込まれようだ。人命救助をポリシーとする家柄である分、責任感もより重く感じられてしまうんだな……。

 

「救芽井甲侍郎様ッ……! ワガハイもあなたに資格者としての栄誉を与えられた身である以上、あなたの判断を尊重したい……。しかし、御息女の涙を見せられては、男としてあなたの行いを肯定するわけには行きませぬッ……!」

「久水家の現当主か。ひたすら樋稟に纏わり付く君に資格を与えてしまうのは些かどうかと思っていたが……娘のためにそこまで怒れる君を見る限り、私の判断は正しかったようだな」

 

 席から立ち上がり、怒りを押し殺すように唸る茂さんに対しても、甲侍郎さんは涼しげな姿勢を崩さない。瀧上さんと向き合っている以上、相手をしていられる余裕がない、というところもあるかも知れないが。

 

「――救芽井甲侍郎。あなたは大事な一人娘を自分の都合で泣かせた挙げ句、ワタクシの龍太様をいたく傷付けたざます。それだけのことをした以上、きっちり責任を取って頂かなくては……スポンサーとして協力する件について、考え直さなくてはならなくってよ」

「わかっている。君が龍太君とどういう関係なのかは後でじっくり伺うとして――私は私の責任を果たさねばなるまい。これだけの騒ぎを起こした以上、必ず我々の手で決着を付けなければならん」

 

 感情を剥き出しにしていた茂さんとは対照的に、久水の声は恐ろしい程に落ち着いている。燃えるような怒りを通り越した、吹雪のような冷酷さを孕む、静かな声。

 そんな威圧に晒されてなお、甲侍郎さんに怯む気配はなかった。むしろ、会話内容からして俺が一番ヤバい気がする……?

 

「――さて、待たせたな。貴様の十年間に渡るヒーローごっこは、もう終わりだ。貴様と同じ歪んだ正義の前に、屈するがいい」

 

 そして、話すべきことを話し終えた甲侍郎さんは、遂に瀧上さんとの対決に向かおうとしていた。六人のG型精鋭部隊が電磁警棒を一様に構え、灰色の鉄人にジリジリと迫る。

 

 歪んだ正義――その言葉を聞き、俺は改めて彼が自分の行為を嘲っていることを知る。自身の判断や計画がすべて正しいと信じて疑わないのなら、あんな言葉は出ないはずだ。

 

 ……「歪んだ正義」、か。「どんな奴でも助けたい」って願おうとした俺も、例外じゃないのかもな。

 

「……ダメ……! お願い、やめて……! もう、やめて、よぉ……!」

 

 だが、次の瞬間。

 

 四郷の哀願するような、啜り泣く声が聞こえた時。

 

「『怪人』……? このオレが? 『怪人』だと……!?」

 

 燻っていた全ての憎悪が破裂するかのように――瀧上さんの狂気が、唸りを上げて解き放たれた。

 



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第121話 鉄の咎人

 何が起きたのか、すぐにはわからなかった。

 

 一斉に瀧上さんを包囲し、捕縛に掛かるはずだった六人のG型。その全員が宙を舞い――床にたたき付けられるまでは。

 

「お父様ッ!?」

 

 その中の一人である父親に向けて、救芽井の悲鳴が上がる。

 

「なんだ……アレは!?」

 

 そして、うめき声を漏らし、床を這う白きヒーロー達の先には――両腕から飛び出している「光る鞭」をしならせ、甲侍郎さんを睨みつける鉄の咎人が立ちはだかっていた。

 

 今まで見せなかった瀧上さんの『武装』に、客席の茂さんが驚愕の声を上げる。

 

「貴様ァァア……! オレが『怪人』!? この瀧上凱樹が『怪人』だと、そう言ったのか!? 卑劣な策を巡らせ、家族をたぶらかし、徒党を組んでオレをおとしめている貴様ら風情が、オレを『怪人』呼ばわりするというのかァァアァッ!?」

 

 もはや――いや、とっくに、正気の沙汰ではない。あの腕から出ている鞭で甲侍郎さん達を薙ぎ払ったようだが……対テロを想定して、R型より重装甲に造られているはずのG型を、六人同時に跳ね飛ばすなんて……!

 

「ぐッ……こ、この光線兵器は……!」

「しゃ、社長! こ……これは我が祖国アメリカが擁する、陸軍の兵器開発部門で研究されていたレーザー兵器に通じるものが――ぐふッ!?」

 

 倒れていたG型部隊の一人が、追い打ちを喰らう。光る鞭の一撃を受け、救芽井達のいる客席の辺りまで吹っ飛ばされてしまったのだ。突然の来客に、客席全体がどよめきに包まれる。

 

「……!? 救芽井、危ないッ!」

「きゃあッ!?」

「くッ――着鎧甲冑ッ!」

 

 そのG型は客席の救芽井目掛けて突っ込んで行った……のだが、俺が叫ぶのと同時に、彼女を庇うような位置で着鎧した茂さんが受け止めてくれたおかげで、事なきを得る。

 だが、鞭によるダメージは俺達の予想を遥かに超えていたらしい。G型の着鎧は解けてしまい、そこから出て来た装着者は茂さんの胸の中で気を失っている。

 しかもあの人――よく見たら救芽井のマンションにいた、グラサンのオッサンじゃないか! 一際ゴツい外見だとは思ってたけど、まさかG型の資格者だったとは……。

 

「……『勲章』を壊さないために封じていたこのレーザーウィップは、いわば眠れる獅子。貴様らは、それをたった今起こしてしまったのだよ。――卑怯者の分際で『怪人』呼ばわりとはふざけた連中だ。皆殺しにしてやる……!」

 

 G型六人を屠る、圧倒的な力。光の鞭によるこの一撃を簡潔に説明するならば、そう形容する他あるまい。

 

「くっ――ウオォアァアッ!」

「……デヤァアァアッ!」

「い、いかんッ! 下がれッ!」

 

 だが、それを目にしてなおも挑む人達がいた。甲侍郎さんの制止も省みず、二人のG型が電磁警棒を構えて瀧上さんに挑み掛かる。

 

「バカどもが……!」

「ウッ――ぐあぁあっ!」

「うぁああっ……!」

 

 しかし、鉄人の両腕から飛び出す鞭は、それよりも遥かに速いスピードで二人を捕らえる。縄のように彼らを縛り上げた瀧上さんは、いたぶるように締め付けたかと思うと――再び救芽井達のいる場所に放り投げてしまった。締め付けのダメージによるものなのか、既に着鎧も解かれてしまっている。

 

「三人のG型――それも精鋭部隊の者達が、一分も経たぬうちに……!? ウッ!」

「ちゃ、着鎧甲冑ぅッ! ――くうっ!」

 

 今度は既に着鎧している茂さんに加え、「救済の先駆者」に着鎧した救芽井も受け止め係に回ってくれている。彼女の着鎧した姿を見るのは久しぶりだが――懐かしんでいる場合じゃない。

 

 さすがに目の前で仲間を三人も瞬時に倒されては、士気なんてあったもんじゃない。甲侍郎さんを除く残り二人は、すっかり怯んでしまい後ずさりを始めている。俺の傍を固めているR型の連中も、腕で俺を庇いつつ、誰もが足を震わせていた。

 そんな彼らを一瞥し、瀧上さんはギリッと拳を握ると――今度は審判席を睨み上げた。

 

「この程度の連中で、オレを消せると思っていたのか……伊葉」

『……思っていようがいまいが、未来は何も変わらない』

「なに?」

『ここに来てから数日間、君をずっと見ていた。あの時とは変わっているかも知れない、そんな兆候があるかも知れない――そう期待しながら、な』

「……」

『だが、やはり君は変わってはいなかった。強すぎる信念ゆえか、君は今も昔も変わらないままだ。甲侍郎と連絡を取り合い、君の現状をリークする時も――私はただ、君の「変わらなさ過ぎる」在り様を伝えるだけだった』

 

「……何が、言いたい」

『――君が変わらない以上、君をこの世界に受け入れるわけにはいかない、ということだよ。ここで我々を消したところで、君がいずれ倒れる未来には変わりない。せめてこれ以上傷付く者が出ないよう、降伏してほしい』

 

 伊葉さんの声色には、嘆きのような哀れみのような――敵意とは明らかに違う、「哀願」に近しい色があった。

 自分が見込んだヒーローが、これ以上堕ちていく様を見ていられないのだろう。どんなに落ちぶれようが、一度そいつに移った情ってものは、簡単には引っぺがせないものらしい。

 

「鮎美。お前も同じ意見だと言うのか?」

『……』

 

 だが、瀧上さんの反応はあまりにも淡泊だ。彼は伊葉さんの訴えにまるで耳を貸さず、何事もなかったかのような様子で所長さんに話を振っている。

 所長さんは伊葉さんと僅かに目配せして、心配そうに自分を見上げている四郷を一瞥する。

 

 そして――

 

『……聞いて、凱樹。あなたと私は、許されないことをしたのよ。数え切れない程の人々を苦しめて、傷付けてきた。そんなの、ヒーローのすることじゃないでしょ? 鮎子も私も、今のあなたの姿を望んではいないの。――大丈夫、あなただけに罪は負わせない。私も一緒に行くから、もうあなたが戦うことなんて――』

 

 ――所長さんが自らの願いを、全て語り終えるよりも早く。

 

「そうか」

 

 瀧上さんの光の鞭が――審判席全体をガラス張りごと切り裂いた。

 

「……え?」

 

 理解が、追いつかない。

 

 いや、理解することを本能が拒否しているのだろうか。

 目の前で起きた惨劇を、俺は間抜けな声を上げて眺めることしか出来なかった。

 

 激しく飛び散るガラスや通信機の破片。それらはアリーナの遥か上を舞い――雨のように、白い床に降り注ぐ。

 

 まるで、自分達の想いを軽々しく踏みにじられた二人の、涙のように。

 

「……お、姉、ちゃん……!? お姉ちゃん、お姉ちゃんっ……お姉ちゃああぁああんッ!」

「か、和雅ァァアァッ!」

 

 そして、状況をいち早く理解してしまった四郷と甲侍郎さんの悲鳴に連動するように……客席もアリーナも騒然となる。

 

「い、いやぁあッ! いやぁああ! なんでぇ、なんでぇえぇッ! お姉ちゃん、お姉ちゃぁああぁあんッ!」

「な、なんでなん!? どうなっとん!? こ、こんなん、こんなんッ……!」

「おッ……落ち着きなさい、二人共ッ! こ、ここで……ここでうろたえている場合ざますかッ!」

 

 突然の惨劇にパニックに陥った四郷と矢村。二人を抱き寄せ、懸命に励ましている久水もさすがにショックが強いのか、その顔にはまるで血の気がない。

 

 くそッ……! なんだよ、なんだってんだよッ! どうしてこんなことにッ!? 俺は、俺はなにをやってんだッ!

 状況に理解が追い付いていくのに比例して、自分のふがいなさとやるせなさ、そして瀧上さんへのムカッ腹が全てないまぜになり、膨れ上がっていく。

 

 身体の芯から脳天や足先にかけて広がっていくソレに、もはや止まる気配はない。

 

「あ、鮎美さん……鮎美さんッ……お、おのれェェエェッ!」

「し、茂さんッ!? ダ、ダメぇぇえッ!」

 

 そして、腹の奥から噴き出す激情に任せ、瀧上さんに向かって挑み掛かろうとした時。

 救芽井の制止を振り切り、俺より速く瀧上さんに飛び掛かる人がいた。……茂さんだ!

 

 客席から飛び出して電磁警棒を振りかざし、怒りに駆られるままに襲い掛かる茂さん。本来、俺が辿るはずだったその姿を見て、一気に頭に昇っていた血が引いていく。

 ――ダメだ茂さんッ! 瀧上さんの鞭には、マンション並に高いところにある審判席を、地面に立った状態から直接叩けるくらいの異常なリーチがあるんだッ! 正面から向かっても、間合いに入る前に捕まるだけだぞッ!

 

「また痛い目に遭いたいようだなッ!」

「ぐおゥアッ!」

 

 ……だが、それを口にするよりも早く、茂さんも他のG型と同様に鞭で弾き飛ばされてしまった。

 しかし鞭で薙ぎ払われる瞬間、電磁警棒で咄嗟にガードしたおかげで、着鎧を解除させられる程のダメージは免れたらしい。ふらついてはいるが、着鎧したまま無事に着地している。

 

「ぐッ……く、くそォォッ……!」

 

 手痛い迎撃を喰らい、悔しげに歯ぎしりする茂さん。瀧上さんは、そんな彼を嘲笑うように鼻を鳴らすと、今度はこちらに向けて手招きをして見せた。

 

 ――挑発している。まだ挑む勇気があるなら、今すぐ掛かって来い、と。

 

「くッ……!」

 

 正直、勝てる見込みはあるとは言い難い。単なる格闘戦ならまだしも、あのレーザーウィップとかいう光の鞭を持ち出されちゃあ、こっちの間合いは初っ端から殺されたも同然だ。

 

「い、いけません龍太様ッ! お下がりくださいッ!」

「……ご忠告ありがたいけどね、ここは行かせてもらうよ。御指名されちゃあ、ヒーローの端くれとして逃げるわけにもいかんしな」

 

 ――かと言って、彼との対決を避ける道理にはならない。ここまで好きにされて、大人しく引き下がれるほど……俺は優しくはなれない。

 あの自信満々な鼻っ柱をへし折らないうちは、俺は帰る気はないぜ。四郷を泣かせたツケも、払って貰わなくちゃならんしな……!

 

 俺は瀧上さんの力に動揺しているR型の人達を押しのけ、彼に向かって少林寺拳法の型を構える。

 そして、それを見た向こうが第二ラウンド開始と言わんばかりに、鞭を振り上げた瞬間――

 

「あっ――アレッ! アレ、何やッ!?」

「えっ!? あ、あの人は……!」

 

 矢村の声が、アリーナ全体に轟く。次いで、救芽井が驚いたように叫んだ。

 それと共に全員の視線が、彼女達の指差した方向に移り――時間の流れが停止した。

 

 いや、正確には、時間が止まったかのように、全員が動きを止めたのだ。

 

 破壊された審判席の上に立つ「彼」の存在は、それほどまでに大きな衝撃を、俺達に与えている。

 ――だが、甲侍郎さんや彼が率いる精鋭部隊には、そこまでのショックは見られない。どうやら、「彼」が来るのはある程度想定されていたことだったようだ。

 

 だが、少なくとも俺からすれば、「彼」の登場はいささかサプライズ過ぎた。

 

 「救済の龍勇者」とはまた違う、輝かしい白銀のボディの持ち主である「彼」は、両腕にぐったりしている伊葉さんと所長さんを抱え、悠然とこちらを見下ろしている。

 

 機動隊のプロテクターのような鎧と、純白のマント。そして、白く輝く西洋騎士を思わせる鋼鉄の兜。得体の知れないその格好は、初めて会った時から何も変わってはいなかった。

 

 そして、「彼」――すなわち「必要悪」は、俺達と視線を交わすと同時に、優雅に宙を舞うと――客席にふわりと降り立つ。

 その仮面の奥にある素顔はやはり……俺が知るあの顔、なのだろうか……?

 



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第122話 「天敵」の残光

 救芽井達の前に降り立ち、涼風を浴びるような静かな佇まいで、アリーナを見渡す白銀の男。「来てくれたか」と言わんばかりの甲侍郎さん達の反応を見る限り、俺達に危害を加える側の人間ではなさそうだが……。

 

「その外骨格――あなたが龍太君の言っていた『必要悪』、なのね……?」

「……」

 

 救芽井の問い掛けにも答えず、彼は無言のまま所長さんと伊葉さんを静かに床へ降ろす。「必要悪」と言うにはあまりにもヒーロー染みた立ち回りだが――彼は何を以て自分を「必要悪」としているんだろうか……?

 

「う……ん……」

「おっ……お姉ちゃんっ! お姉ちゃぁあんっ!」

 

 程なくして所長さんも目を覚ましたのか、両手を付いてゆっくりと起き上がって来る。そんな姉に泣きそうな顔で飛び付いていく四郷の姿は、止められていた時が動き出した「十五歳の少女」そのものだった。

 

「うっ……き、君は……そうか、来てくれたのだな」

 

 所長さんに続くように意識を回復させた伊葉さんは、「必要悪」と静かに視線を交わす。仮面の上からでは表情など伺いようがないのだが――彼に対し強く頷いているところを見るに、悪い関係ではないことだけは確からしい。

 

 何故か、四郷姉妹の方は気まずそうに「必要悪」から視線を逸らしているようだが……?

 

 「必要悪」は所長さん達を無事に解放すると、再びこちら側――アリーナの方へと視線を移す。そこから感じられる、静かな気迫……胸の奥で目覚めの時を待ち、燻り続ける炎のような迫力は、仮面を被ったくらいでは到底隠しきれるものではない。

 思わず俺や味方であるはずの甲侍郎さん達も身構えてしまい、より敏感に殺気を感じ取っていた瀧上さんは、「必要悪」に向けて厳かな視線を突き刺している。光の鞭を何度もしならせているところを見れば、彼に対しても殺意を向けているのは一目瞭然だろう。

 

 一触即発、とはまさにこのこと。

 瀧上さんの鞭から所長さんと伊葉さんを助け出したことから、「必要悪」の実力も相当のものだということは想像に難くない。だが、彼の手の内がまるで見えていない以上、その力が今の瀧上さんを凌いでいるという保証もない。

 

「お兄様、無事でして!? ――それにしてもあの男……かなり出来ますわね。雰囲気でわかります」

「クッ……う、うむ。しかし、奴は一体……?」

 

 さしもの久水兄妹も突然のイレギュラーには動揺しており、瀧上さんと「必要悪」を交互に見遣り、静かに状況を伺っている。

 

 そして、瀧上さんと「必要悪」の眼差しが交錯し、僅か数秒の時が流れ――

 

「――ヌゥアァッ!」

 

 ――瀧上さんの光る鞭が閃き、静寂という名の世界を紙切れのように引き裂いた!

 「必要悪」目掛けて放たれる鞭が、アリーナから客席の高さへと駆け登っていく!

 

「フゥッ――!」

 

 それとほぼ同等のタイミングで、「必要悪」の白いマントが翻され――その中から一振りの短剣が現れる。青白い電光を発しているその刀身は、自らが普通のナイフではないことを克明に主張しているかのようだった。

 

 彼は刃渡り三十センチ程度のサバイバルナイフを思わせる、その短剣を逆手に構えると……鞭の一撃を受け流すかのような一閃を放ち――瀧上さんの鞭を凌いで見せる。

 

 「のれんに腕押し」。この太刀合わせを表現するのに、これほど相応しくシンプルな言葉はないだろう。

 

「……ッ!? チィイッ!」

 

 あまりの手応えのなさ。あまりの効果のなさ。その現実を振り払わんと、瀧上さんはさらに強烈に鞭を振るう。さっきのような単発ではない。時折、僅かな時間差を挟みながらも、ほぼ連続で攻撃を仕掛けていた。

 

「――フンッ! ハァッ!」

 

 だが、そのいずれも「必要悪」の白い鎧を傷つけるまでには至らず、空だけを斬り続けていた。頭上から足元まで、自分の身体のありとあらゆる場所を狙って飛んで来る鞭を、彼は全て的確に迎撃しているのである。

 G型の精鋭六名でもまるで太刀打ちできなかったレーザーウィップとやらに、完全に対応している「必要悪」。その戦闘能力は――俺達のそれを遥かに凌ぐものだったのだ。

 

 「必要悪」の全身という全身を狙った熾烈な攻撃は、やがて火が燃え尽きるかのように勢いを失い、ついには完全に止んでしまう。

 再び訪れた静寂を次に打ち破ったのは――

 

「……貴様の攻撃は強い。だが、その程度では永遠に僕は殺せない」

 

 ――白銀の騎士が無機質に言い放つ、その一言だった。その声色は、俺が思う人物とは違っているが――やはり口調だけは、完全に「合致」している。

 なぜ十年前の瀧上さんと同じ声なのかは知らないが――繋がりが全くない、とは言えまい。

 

「高電圧ダガーだと……! ここで研究されていたはずの武装を、なぜ貴様が……?」

 

 一方、瀧上さんは「必要悪」の持つ武装について何か知っているらしく、彼に向けて訝しげな視線を送っていた。そして、その眼差しはやがて――所長さんに移される。

 

「――そうか、そういうことか。どこか見覚えのある太刀筋かと思えば……」

「……凱樹。もう、いいでしょう? たくさんでしょう? お願いだから、もう――」

「お前もオレを見放すというのであれば、それも構わん。オレはオレの『正義』を通すまでだ」

 

 あれだけの目に遭わされてもなお、所長さんはあの鉄人に対して、懸命に説得の言葉を繰り返していた。その姿の痛ましさに、夕べの救芽井の涙が重なって見える。

 だが、それだけの悲痛な願いも、瀧上さんの前では裏切りの宣言でしかないらしい。彼は興味を失ったように所長さんを視界から外し、踵を返してしまった。

 

 逃げるような速さではない……何かするつもりなのか?

 迂闊に後ろから飛び掛かれば鞭が飛んで来るということは想像に難くない上、「必要悪」を除くほぼ全員がそれに対応できないと考えられる以上、誰も手出しが出来ないまま、彼の挙動を見守る形になっている。

 やがて彼は、アリーナの壁――というよりは、閉ざされていた大きな扉の傍らに立ち止まった。

 

「――ッ!? まさか『新人類の将兵(ノーヴィスラーヴェン)』を……いけないッ! 凱樹、もうこれ以上罪を重ねては――」

 

「……貴様らの死因は、このオレの『勲章』を破壊したことで、オレ自身の全機能を解放してしまったことだ」

 

 そこで彼が何をするか気づいたらしく、所長さんが声を荒げる。しかし、瀧上さんはそれを遮ると、扉の傍らにある壁の一部を、紙を破るように引き裂いた。

 

「恨むなら――そこの小僧を恨むがいい。地獄で、な」

 

 そして……そこに隠されていた何かのコンピュータに、静かに手を翳す。

 すると、彼の掌の中から幾つものコードが触手のように飛び出し、コンピュータの接続部全てと合体してしまう。

 

 一体彼が何をするつもりなのか。何を仕掛けるつもりでいるのか。

 その疑問は、彼がコンピュータと自分のコードを繋いだ瞬間、傍らの巨大な扉が開かれるのと同時に、全て氷解してしまった。

 

 鉄で造られた、高さ数メートルに渡る扉。俺達が固唾を飲んで身構える中で、それは重々しい音と共に解放されていく。

 まるで、数十年に渡って封印されていた呪いを、解き放つかのように。

 

 そして、開かれた扉の先に待っていたのは――闇。全てを飲み込まんとする、暗闇そのもの。

 猛獣の群れの如く、その奥で閃く幾多の赤い光点が、えもいわれぬ悍ましさを放っていた。

 

「あっ、あれ……何っ……!?」

 

 その恐怖に煽られてか、救芽井が怯えるような声を漏らした瞬間、赤い光点は電源を入れられたロボットのように動き出す。

 

 奥から何度も響いてくる、無骨な機械音。

 そのタイミングはまるで――足音のようだった。

 

 赤い光点。

 その正体はほどなくして扉の奥から現れ――俺達に戦慄を与える。

 

「『新人類の将兵』……。凱樹が専用コンピュータに自己のプログラムを接続することで、直接的にコントロールされた――『人工知能私兵部隊』よ」

 

 両手を床に付け、諦めたように所長さんが呟く。だが、その言葉を聞いても、誰ひとりとして彼女の方に視線は向けなかった。

 

 釘付けにされていたからだ。

 扉から現れ、眼前でうごめく――二十体近くものロボットの軍勢に。

 

 今の瀧上さんを彷彿させる、無彩色の鋼鉄のボディ。鎧の節々から飛び出している、刃のような突起の数々。鉄兜の隙間を引っ切り無しに動き続ける、「眼」と思しき赤い光点。

 そして、人の形をしていながら、人間とは掛け離れた機械的な挙動の数々。

 

 初めて見る姿のロボット。だが、その動きには、見覚えがあった。

 無意識のうちに記憶の糸を手繰り寄せ、その正体を見つけた瞬間……俺は、金縛りに遭ったように動けなくなってしまう。

 

 ――そうだ……この動き。この不気味なくらいに機械っぽい、ロボット達の動き。

 俺は、これを知っている……!

 

「『解放の先導者(リベレイダー)』……!?」

 

 俺が消え入りそうな声で、ふと口をついて出してしまった名前。

 それは、「あの人」が使役していた機械人形にして、その特性で俺の拳法を完膚なきまでに封じていた――「天敵」の名なのだ。

 



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第123話 ヒーローを統べる女帝

 いびつな機械音と共に、首を傾げるように左右に揺れる頭。ピアノを弾くかのように不規則に動く指。獲物を選ぶ獣のように、うごめき続ける赤い眼光。

 

 この動きが生み出す悍ましさは、俺の記憶に眠っていた天敵の姿を、鮮明に思い出させている。掘り起こされた過去の強敵を思い返すと共に、俺は知らぬ間に肩を震わせていた。

 

「あ、あれは『解放の先導者』……!? ――ううん、違う!」

「剣一が造っていた機動兵器に似ているが……別の開発ラインで造られたアンドロイドだというのか!?」

「あれ、アタシらがやっつけた奴らに似とる……!? え、えっ、どうなっとんの!?」

 

 異様な乱入者達の出現に騒然となる一同。やはり、救芽井も「解放の先導者」に似ているところがあると感じているらしい。

 確か「解放の先導者」と言えば、古我知さんが救芽井家から着鎧甲冑の技術を奪うために、自力で作り出した機械人形だったはず。同じ要領で造られたメカがあいつらだったとして、なんでこの研究所に……!?

 

「……これより、抹殺対象を全個体に入力する」

 

 そんな俺達に追い撃ちを掛けるかのように、瀧上さんの冷たい呟きがアリーナに響く。

 誰もが静かに身構える中で言い放たれたその一言は、この場に居る全ての人間に更なる戦慄を与えた。

 

「狙いは――オレ以外の全て、だ」

 

 自分を除く、全ての人間の抹殺。

 最も単純にして残酷な命令が、冷たい鉄に囲まれた心から、機械に繋がれた同胞達に伝えられてしまう。

 それに抗う感情を持たない機械人形達に、その非情さを拒む力は有り得ない。彼らは瀧上さんの指示を受けた瞬間、僅かに痙攣すると――

 

 ――全ての機体が、うごめかせていた赤い眼光を一斉に固定した。

 次いで、体中に飛び出している刺のような部分が、「必要悪」の短剣を思わせる電光を帯びて青白く輝く。

 

「ひっ!?」

 

 その不気味な挙動に、矢村が僅かに怯んだ瞬間。

 「新人類の将兵」と呼ばれる機械人形の集団が、ついにこちらに歩み寄り始めた……!

 

「我々、全員の抹殺だと……うぐッ!」

「社長ッ! しっかりしてくださいッ!」

「あの電光は――『必要悪』の剣と同じ……!? あんなものに触れたら、一たまりもありませんぞ!」

 

 連中は俺やR型の面々だけではなく、甲侍郎さんを含む残り三人のG型部隊や、客席にいる救芽井達にまで迫ろうとしていた。このままだと、もう一分も経たないうちにあいつらと接触してしまう!

 

「お父様ッ! ……どうしよう。助けに行きたいけど、私が動いたら矢村さんや久水さんが……!」

「……逃げようにも、奴らの足の速さだとエレベーターにたどり着く前に捕まってしまいますわね。やはりこうなった以上、戦う他はなくってよ」

「こ、梢っ……!」

「ど、どないしよ、どないしよ! どうしたらええのっ!?」

 

 客席にいる救芽井達も、この事態には焦燥を隠せないようだ。四郷も久水の服を掴んで不安げな視線を浮かべており、矢村に至っては半ばパニック状態に陥っている。

 

 ――マズい……! この「新人類の将兵」とやらが「解放の先導者」と同質の造りだとすれば、俺の拳法が通じる見込みなんてない。かといって、戦闘行為が専門じゃないはずのR型を置いて、さっさと逃げるわけにもいかん。

 司令塔の瀧上さんを叩けばいいのかも知れないが、俺の力でなんとかできるとも限らないし、唯一出来そうな「必要悪」は、客席側に迫る「新人類の将兵」達にしか意識が向いてなさそう。

 客席側なら茂さんや「必要悪」だっているから何とかなりそうなものだが、甲侍郎さん達や俺がいるあたりなんかは、かなり辛い状況と言っていい。救芽井や四郷を戦わせるのは、出来れば避けたいし……。

 

 何か、何かないのか……!? 何か、打つ手は……!

 

「――なるほど。ワタクシ達を狙う左側分隊、甲侍郎さん達を狙う中央分隊。そして龍太様とR型の者達がいる所を狙う右側分隊……計三小隊に分かれて襲撃するつもりですのね。各小隊につき六体から八体程度、というところかしら」

「久水さん、こんな時になにブツブツ言ってるのよッ!」

「静かにおしッ! ……単一の命令系統から複数の操作対象に同時に命令を発しているから、各個体の自律行動が大味過ぎる『命令』という外部からの干渉を受けて、活動内容が『ターゲットを三分割する』という形で、より単純化されているようざます……それならば!」

 

 その時、客席で何か揉めているような声が聞こえたかと思えば――

 

「龍太様を除く全ての着鎧甲冑所有者に告ぐッ! 直ちにこのワタクシ、久水梢の指揮下に入るざますッ!」

 

 ――突拍子もなく、久水がそのようなことを叫び出していた。

 客席の手すりから身を乗り出し、手を翳すその様は、さながら臣民を統べる女王のようだ。自信に満ちたその凛々しい表情や、絶対に大丈夫だと俺達に訴えかけるかのような強い眼差しは、この状況に対する術を見つけられずにいた俺達に、えもいわれぬ説得力を与えている。

 

「ひ、久水財閥のご令嬢……! ここは危険です、一刻も早くお逃げ下さ――」

「――わかった。君に任せよう」

「……!? どういうおつもりです社長! 彼女に我々の指揮を托すとおっしゃるのですかッ!?」

「彼女は私が直に教えたディフェンドゥーズサインを、全て体得している。賭けてみる価値はあると私は見るがね」

 

 あくまで久水を戦力外の一般人と見做し、逃がそうとするG型の一人を制したのは、甲侍郎さんだった。彼は部下の助けを借りてようやく立ち上がると、客席に凛々しく立つ彼女をゆっくりと見上げる。

 

「……あなた様に納得して頂けるとは光栄ですわね。おかげさまで容易くこちらの命令系統を統一できますわ。――ですが指示を出す前に一つ、お尋ねしたいことがあるざます」

「何かね?」

 

「ワタクシにサインを教えたのは――初めからこの戦いに利用するため、でして?」

 

 その瞬間、久水はかつてない程の冷たい眼差しで、目上の存在であるはずの甲侍郎さんを睨みつけていた。

 どんなに有力で高潔な人間だろうと、答えによっては決して許さない。そう、彼女の眼光が叫んでいたのだ。

 

「――見損なってくれるな。私はただ、その若さで久水財閥の秘書を務め、日本経済に大きな繁栄をもたらしたこともある君の手腕と才能に、ただ純粋に惚れ込み、見込んだまでのこと。サインを教えたことには、『兄上の助けになるように』という願い以外の意味はないし、このような血生臭い争いに加わらせるつもりなど、毛頭なかった」

 

 だが、そんな地に這う害虫でも見るかのような眼光を突き付けられても、甲侍郎さんは決して怯んだり憤ったりするような反応は示さない。

 ただ毅然に、誇りを以て己の真実を訴えるように、真っ向から彼女の瞳と向き合っていた。……確かに、甲侍郎さんの読み通りに六人の精鋭だけで事足りていたならば、こうしてディフェンドゥーズサインとやらが使えるという、久水の手を借りることもなかっただろう。

 

「……それを聞いて安心しましたわ。ワタクシの力が、このような醜い争いのためだけに使われるなど、到底堪えられるものではありませんもの。ワタクシの全ては――生涯を懸けて愛すると誓った、あのお方のためであるべきなのですから」

 

 すると、そんな甲侍郎さんに対して、久水は表情を一転させ、にこやかな微笑を浮かべて見せた。さっきとはあまりにも違う穏やかな声色に、底知れぬ不気味さを感じてしまった俺は、もしかしてものすごく失礼なのかも知れない……。

 しかも、久水自身が「あのお方」と称して、熱い愛情と情欲に爛れた視線を送っていたのは――茂さんではなく、あからさまに俺だったのだ。

 

 ……お、おいちょっと待ちたまえよ。話の流れからしてそこは茂さんだろ? どうひっくり返しても俺じゃないだろ!?

 

「……これは、ますます詳しく聞かせて貰わねばならんようだな。龍太君」

 

 ちょっ――甲侍郎さん違うんです! 何一つとして違わないけど違うんです! ほ、ほら、今はそんな場合じゃないしッ!

 

「まぁ、今はいい。ともあれ、久水梢君――ご協力に感謝する」

「礼には及びませんわ。あのお方を守ることに繋がるのであれば、ワタクシも協力は惜しまないざます」

「うむ。……さて、聞いての通りだ。各員に通達。これより我等は一時、久水梢嬢の指揮下に入る!」

 

 そして、そんな俺の心情を知ってか知らずか、甲侍郎さんは久水との僅かなやり取りを挟み――通信機能で全ての着鎧甲冑の所有者に命令を下した。彼女の指示に従え、と。

 

 次いで、久水が両腕を交互に動かし――魔法陣でも描くような、あの動きを披露した瞬間。甲侍郎さんの脇を固めていたG型二名が、突然蜘蛛の子を散らすように左右に飛び出してしまった。しかも、俺の傍にいたR型部隊も、全員俺から離れて客席の方に向かおうとしている。

 

 ……これが久水の指示、ということなのか!? 「新人類の将兵」との接触も目前だってのに、あの娘、一体何を考えて――!

 

「……龍太君を守りたいって気持ちは、私も一緒だからね。ちょっともやもやするけど、今回だけはあなたに従ってあげる!」

「梢よ、我々の指揮は任せたぞ!」

 

 ――すると、ディフェンドゥーズサインを理解できない俺を除く「全員」――つまり救芽井や茂さんまでもが、彼女の指示を受けて、その場から離れてしまった。救芽井は甲侍郎さんのいる場所へ、茂さんは俺のいる場所へと向かっている。

 

「……なるほど、そういうことね」

「考えたな、梢君」

 

 どうやら、わかっていないのは俺だけらしい。客席から事態を見守っていた所長さんと伊葉さんは、久水の指示に納得したように頷いている。救芽井まで前線に出すなんて、あの娘、一体どういうつもりで指示を出してるんだ……!?

 

「――来たかッ!」

 

 だが、久水の命令内容にいつまでも疑問を抱いている場合じゃない。とうとう眼前にまで迫ってきた「新人類の将兵」が、肘に取り付けられた刃を振るって襲い掛かって来る!

 俺は反射的に身を引いてそれをかわし、即座に腰を捻り――その鋼鉄の顔面に、体重を乗せた突きを見舞う! だが、やはり効果は薄い……! しかも回避のプログラムまでされているのか、数発に一発はかわされてしまう。

 それだけじゃない。こいつら、一体一体の動きは遅いのだが、数体が時間差で攻撃を仕掛けて来るため、かなり執拗な連続攻撃になっているのだ。

 かわした弾みに切り裂かれた床を見れば、一撃でもまともに喰らえば着鎧甲冑でも「痛い」じゃ済まないのは自明の理。白い床に痛ましく刻まれた、湯気を上げる刃の跡が、その威力を如実に物語っている……!

 

 ――その時だった。

 

「待たせたな一煉寺龍太ッ!」

 

 横槍を入れるように駆け付けた茂さんの一撃が、俺に迫る「新人類の将兵」達を、いともたやすく蹴散らしたのは。

 

 ――俺の拳もある程度は避けていた連中に、不意打ちとは言えここまで見事に電磁警棒の一振りが決まるなんて……! しかも、俺がどんなに突きを入れても歩みが止まらなかった連中が、一発で同時に何体もひっくり返ったぞ!?

 

「龍太様、ただいま到着致しましたッ!」

 

 さらに、彼に続くように現れたもう一人のG型が、倒れていた「新人類の将兵」に電磁警棒の一撃を浴びせる。

 

「やはり梢の指示通りだったようだな……! フッ、一煉寺龍太よ。この貸しは大きいぞ! 久水茂、参るッ!」

 

 そして、茂さんとG型は俺を庇うように前面に立つと、威勢のいい啖呵を切ると同時に電磁警棒を振りかざす。

 戦い方での相性の差という部分もあるとは思うが……仲間が横から入るだけでここまで変わるものなのか……!?

 

「ああいう単純化されすぎた命令を受けたロボットというものは、得てして外部からの不意打ち――すなわち『ターゲット外からの攻撃』には弱いものでしてよ。……フォフォフォ……さぁ踊りなさい、醜く汚らしい機械人形共。このワタクシの掌上で……!」

 

 ――そして、この戦いの裏で……彼女が黒く濁るような笑みを浮かべて戦場を見下ろし、妖しく口元を吊り上げていたことは、俺には知る由もなかったのである。

 



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第124話 釈迦の掌上

「男と男の真剣勝負であれば、一生を共に歩む妻として、殿方の勝利を信じて見守るつもりでおりましたが――瀧上凱樹! あなたがそのような醜い兵器を用いて、龍太様を含む我々を蹂躙しようというのであれば……このワタクシも覚悟を以って、戦場に立つことを辞さなくってよ! ――久水梢、参るッ!」

 

 壁のコンピュータに手を当て、今も「新人類の将兵」に向けて指示を送り続けている瀧上さん。

 その彼に鋭い眼差しを向け、久水は両腕を別々に動かしてサインを送りつつ、強気に啖呵を切っている。イロイロ突っ込み所のある物言いだが、今は触れないでおくか。

 

 ……そして、「参る」という最後の一言を放つ瞬間、彼女は勢いよく右腕を振り――その指揮下に置かれているヒーロー達が、一斉に動き出した。

 

「行くぞ救芽井家の配下よッ!」

「はッ!」

 

 さっきまで俺を守るように戦っていた茂さんとG型の人は、互いに打ち合わせていたかのように、同じタイミングでその場から離れてしまう。茂さんは甲侍郎さんの所へ向かい、G型の人は客席側へ移動していった。

 その頃の客席側では、R型が一般人――つまりは矢村の護衛に奔走しており、「必要悪」が客席に登ろうとしている「新人類の将兵」達に応戦していた。

 

「今度は私ねッ……!」

 

 そして――今度は甲侍郎さんと一緒に戦っていたはずの救芽井がこちらにやってきた!

 

 身体にぴっちりと張り付いた、翡翠色ののヒーロースーツ。宙を舞うしなやかな体躯に、たわわに揺れる双丘。そして、バイザー越しに僅かに見える、凛々しさを湛えた瞳。

 二年前と何も変わらない、彼女の「正義の味方」としての姿が、そこにはあった。

 ――いや、二年という間隔を経て、その勇ましさに磨きが掛かっているようにも見える。俺と離れて、アメリカで着鎧甲冑を広めるために戦い続けてきた日々が、今の彼女を作り上げたのだろう。

 

「龍太君、お待たせッ! ここは私がやるわッ!」

「きゅ、救芽井! 危ないから下が――」

 

 彼女は空中で身体を捻ると、「新人類の将兵」の顔面に、捻りの反動を加えた後ろ回し蹴りを見舞う。いわゆる、ローリングソバットと呼ばれる蹴り技の一種だ。

 そして、そのまま俺を庇うような場所に降り立ち、間髪入れずに機械兵団に真っ向から挑んでいく。以前とは見違える佇まいではあっても、可憐な素顔に反した攻撃的な格闘スタイルは相変わらずのようだ。

 

 蹴り倒した「新人類の将兵」の両足を抱え、そのままジャイアントスイングを敢行する様は、普段の「甘えん坊なお嬢様」とは掛け離れた印象を与えている。しかも、振り回されている機体のあちこちに付けられた、蒼い電熱を帯びた刃で、他の個体を次々に切り裂いていくというおまけ付きだ。

 最初は彼女が来た瞬間に、「危ないから下がれ」と言うつもりでいたのだが――こんな暴れっぷりを見せ付けられては、近づくことすら憚られてしまう。迂闊に止めに入ろうものなら、振り回されている個体の刃で、こっちの身体が二分割されかねん。

 

「――った方がよろしいんじゃないでしょうか……」

「え、何か言った?」

 

 次第に声が萎んでいく俺に対し、救芽井はジャイアントスイングを続けながら「え? 何だって?」と言わんばかりに首を傾げている。なんというハーレム系主人公。

 

「樋稟があれほど戦っているというのに、私は……!」

「悔やむ暇があるなら、まずは生き抜くことですぞッ! 自分の生還に勝る栄光など、ヒーローとして有り得ないのですからッ!」

 

 そんな猛々しい娘の戦いを見て、甲侍郎さんは沈痛な声を漏らしながら、必死に電磁警棒で電熱の刃を凌いでいる。

 そして、茂さんは彼を助けるように檄を飛ばしながら、彼に迫る「新人類の将兵」達にフェンシングの如き刺突を連続的に浴びせていた。

 

「――その通りよッ! こんなことになるなんて、全然思わなかったけど……そんなの、もう関係ない。何があっても、私達は絶対にみんなで生きて帰る! それが、それが――」

 

 さらに、茂さんの言葉を受けて士気を高めたのか、救芽井の回転がますます加速していく。そこから生まれた風圧の勢いで、周りの「新人類の将兵」達が転び始めた……!?

 

「――『着鎧甲冑』なんだからぁああッ!」

 

 次の瞬間。俺は、眼前の状況を整理するのに数秒のタイムラグが生じていた。

 彼女のけたたましい叫びと共に放たれた一撃が……想像を絶していたからだ。

 

 周囲を巻き込む程の勢いから飛び出す、ジャイアントスイングからの強烈な投げ飛ばし。その犠牲となった「新人類の将兵」は、閃光の如き速さで悲惨な運命を辿る。

 砲弾のように打ち出された鋼鉄の身体は、周囲の同胞達はおろか、そのまま射線上に居た「甲侍郎さん達を狙うグループ」や「客席側にいたグループ」などの同胞達まで切り裂いた挙げ句、アリーナの壁に無惨に減り込み、動かなくなってしまったのだ。

 

 大多数の「新人類の将兵」に痛烈なダメージを与えたこの一撃には、さすがに驚かざるを得ない。もうあいつ一人でいいんじゃないかな――とは思わんが、これほどの大惨事をやってのける彼女が味方側に居ることは、素直に喜んでおいた方がいいだろう。

 一方、久水は彼女の一発を見て「計画通り」といいたげな顔で口元を吊り上げている。あんなに悍ましい彼女の顔を見るのは初めてだ……。

 

「――来たわねッ!」

 

 しかし、その時だった。救芽井の気を引き締めた声と共に、全ての「新人類の将兵」がこちらに赤い眼光を固定したのは。

 俺が久水のリアクションに気を取られている間に、救芽井は俺の前面に出てファイティングポーズを構えており、向こうの攻勢に備えていた。それに俺が気づくと同時に――「新人類の将兵」の動きにも、大きな変化が訪れる。

 

 今までは若干早歩き程度のスピードしかなかった移動速度が、大幅に高まっていたのだ。

 ……要するに、「走り出した」のである!

 

「は、走れたのか、こいつら!?」

 

 狙いは無論、自分達に大打撃を与えた救芽井以外にない。鋭利な電熱の刃を唸らせ、一人の少女に群がる機械兵団。対抗する術を持たない俺にとって、これほど絶望的な光景はないと言っていい……!

 

「マズい……! 救芽井、すぐに逃げ――」

「大丈夫! 私達に任せてッ!」

 

 だが、そんな状況になってもなお、救芽井の威勢は揺るがない。彼女は変わらず俺を庇うような位置に立つと、腰を落としてどっしりと身構える。「このまま迎え撃つ」、そう主張するように。

 

 俺の制止も省みず、その場から動く気配のない救芽井。そんな彼女目掛けて、一斉に飛び掛かる「新人類の将兵」。

 どちらがより危険は、考えるまでもない。

 

 ――これも作戦の内だっていうのか……!? 久水の奴、何考えてんだよッ……!

 

 さすがに見ていられなくなり、彼女を突き飛ばして逃がそうと、俺も動き出す。こんなことで、彼女を傷付けるわけにはいかないッ!

 

「今ざますッ!」

 

 だが、意気揚々とした久水の一声に応じて動き出す、多くの仲間達の行動が――俺の動作を遮る。彼女の叫びと共に、激しく上下に揺れる二大巨峰を目の当たりにして、救芽井が一瞬歯軋りした様に見えたが……気のせいだろう。

 救芽井一人を、総掛かりで襲う「新人類の将兵」。その全員に、他の着鎧甲冑達が同時に横撃を敢行したのだ。激しい雄叫びと共に、白いスーツに全身を固めたヒーロー達が、一斉に躍りかかっていく。

 部下二人と共に電磁警棒を振るう甲侍郎さん。刺突の連撃で相手を腰から砕くように倒していく茂さん。四人掛かりでタックルを仕掛けるR型の面々。

 全員が完全に息を合わせたこの奇襲は、「新人類の将兵」の軍勢を総崩れに追い込んだのだった。

 

「こ、これは……!?」

「久水さんッ!」

「わかっておりますわッ! ――お二方、協力して頂けますわね?」

「……僕はいつだって構わないけど」

「ボクは……怖い。怖い、けど……梢のため、なら、頑張るっ……!」

 

 ただ一人あっけに取られる俺を他所に、救芽井の叫びに応じた久水は左手を強く振りかざす。

 その合図に応じて、高電圧ダガーを構えた「必要悪」と、久水に右手で背中を支えられた四郷が、並んで客席の前に出て来た。

 

「しかし、よく着鎧甲冑を使ってない僕達まで、作戦に組み込もうなんて考えたね。僕が君なら、口頭で素性の知れない奴に作戦を伝えたりなんかしなかったよ」

「……あなたのようなお堅い頭脳とは、少々出来が違っておりましてよ。ワタクシは龍太様と鮎子のためとあらば、どんな者でも思うままに操ってご覧にいれますわ。あの半人前のスーパーヒロインも、あのツッパゲールも、あの役立たずな豚共も、あの機械人形共も、みなワタクシという釈迦の手で踊らされる孫悟空に過ぎませんのよ……フォッフォフォフォ……!」

 

 「必要悪」の問い掛けに、久水がなんて答えてるのかは遠すぎて聞こえないのだが――あの悪魔のようなドス黒い笑みを見れば、大変教育によろしくない内容を口走っていることだけはなんとなくわかる。

 

 ……って、おい! まさか四郷にまで戦わせようってのか!?

 

「――恐れることはなくってよ。あなたのパワーなら、あんな奴らなど容易く蹴散らせますわ。……龍太様を愛しいと想うなら、自分の気持ちに背いてはなりません」

「――ッ! う……うんっ!」

 

 久水は一転して穏やかな顔になると、僅かに震えていた彼女の双肩を抱き、その小さな耳元に何やら優しげに囁いている。何を言われたのかはわからないが、四郷も彼女の言い分を受けて、奮起するように細い拳を握り締めた。冷たい機械に覆われているはずの彼女の頬は……なぜか今、ほんのりと赤みを帯びている。

 

 正直なところ、四郷のことは心配で仕方ないし、戦わせたくなんかないのだが――あんな仲睦まじい親子のような絵面を見せ付けられると、何故か口出ししにくくなってしまう。割って入るのが困難な世界……とでも言うのだろうか。

 だが、本人同士が納得しているとは言え、決して大丈夫とは限らない。

 

 「必要悪」が傍に居るとは言え、四郷の安全が絶対に保証されるわけではないのだから、いざという時は何がなんでも俺が助けに行かなくては……!

 

「いくよ……! マニピュレートアーム、展開ッ……!」

 

 そして、四郷は「新人類の身体」の姿へと変身を遂げると――「必要悪」と共に、アリーナへと降り立った!

 



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第125話 ヤークトパンタン

 それからの戦局は――圧倒的だった。

 

「やあぁああぁあッ!」

「……フゥアッ!」

 

 二本の巨大な腕が繰り出す鉄槌。流れるように鉄を切り裂く高電圧ダガー。その二つが入り乱れ、勢いを殺された「新人類の将兵」達を次々に粉砕していったのだ。特に、四郷の鉄腕が敵を矢継ぎ早に捩切っていく姿は、「鬼神」と呼んで差し支えない次元にまで達していた。

 

 G型やR型では動きを止めたり転倒させたりは出来ても、破壊することまでは叶わなかったのだが――救芽井のジャイアントスイングやあの二人の前には、そんな道理は通じないらしい。

 

 物言わぬ機械を嘲るように笑う、久水の冷たい眼差しの先には……もはや、無惨に砕かれ、切り刻まれた機械人形の成れの果てしか映されてはいない。

 初めこそ脅威の象徴とも言うべき出で立ちだった「新人類の将兵」は、今や哀れな敗残兵と化している。俺達を殺そうとしていた上、それ相応の武力も備えていたはずの連中にそんな感想を抱いてしまうのは、恐らく久水の嗜虐性が際立っていたためだろう。

 

「フォーッフォッフォッフォ! ワタクシ達の完全勝利ざます! さぁ皆の衆ッ! このワタクシを褒めたたえるざますッ! 崇め奉るざますッ! そう、骨の髄までッ!」

 

 ……うん、間違いない。周りも若干引いてるし。「必要悪」が最後の一体の頭を踏み砕いてから、彼女はずっとこの調子なのだ。

 手の甲を頬に当て、高らかに笑うその様は、まさしく民衆を従える、高慢ちきな女帝そのもの。救芽井が両手を腰に当て、どこと無くふて腐れ気味に振る舞っている所を見るに、人心までは掌握しきれてはいないようであるが。

 

「ほ、本当に全員倒した……のか? あの武装や動きからして、『解放の先導者』より遥かに厄介だったはずなんだぞ……!?」

「……そうよね。確かに私も、上手く全員を奴らから守りきれるかはわからなかったわ。久水さんが、連中の『穴』を見つけるまでは、ね」

 

 「新人類の将兵」の残骸を拾い、しげしげとそれを眺めている俺の言葉に相槌をうつと、救芽井はバツが悪そうな声色と共に、客席の久水を見上げる。そして、ここぞとばかりに「ドヤァ……!」と見下ろしてきた彼女と視線を交わした途端、プイッと首を背けてしまった。

 

 作戦にはきちんと従って行動していたようだが、プライベートでは若干反りが合わないのかも知れない。

 

「その通り。あの汚らしい機械人形共は、ワタクシ達に宛てがう戦力を割り振るために計三分隊に分けられて行動しており、一分隊ごとに『一定のターゲット』が定められておりましたのよ。ゆえに、その分隊の『ターゲットに含まれていない人物』からの攻撃により、奴らの攻撃プログラムを撹乱したのですわ。お粗末なAI様様ですわね」

「……それで、不意打ちされた『新人類の将兵』の狙いがその『ターゲット外だった人間』に切り替わった瞬間を見計らって、『ターゲット外からの攻撃要員』をしきりに入れ替えていた……ってことか?」

「そう。私達は最初、彼女のサインでの指示に従うだけだったけど、二回目の入れ替え移動の時には、みんな『新人類の将兵』の弱点には気づいていたわ。久水さんの狙いにも大体はね」

「――でも、向こうも学習機能を備えた戦闘兵器には違いありませんもの。こんな簡素な戦略など、精々二回程度しか通用しませんわ。だからこそ、救芽井さんにはたっぷりと規格外な行動で、存分に掻き乱して頂いたのです。……まさか、あんなゴリラのような戦い方をされるとは予想外でしたけど? さすが脳筋ざます」

「ちょっ!? ……龍太君の前でなんてこと言うのよッ! わ、私ゴリラなんかじゃないもんッ!」

 

 結局どういう狙いであの作戦を決行し、こうして勝利に結び付けたのか。そこを気にしていた俺の意を汲んでか、久水と救芽井が解説してくれ――てるんだが、何をケンカしてんだよこの娘らは。

 

「そ、それで救芽井があんなムチャをしたってことなのか。それで全員の注意を救芽井一人に向けさせて、その隙を突いて着鎧甲冑全員での奇襲。そこへ畳み掛けるように『必要悪』と四郷のダブルパンチ……か。それをあの短時間で考えついただけでもすごいっちゃすごいが、よく実行に移せたもんだ」

「そうよね!? 私頑張ったよね!? だから私、脳筋ゴリラなんかじゃないよねっ!?」

「……」

「……」

「……そだね」

「なんで間が空くのよぉおぉおッ!」

 

 俺の肩を必死に揺らし、涙声でしきりに「自分はゴリラじゃない」と主張する救芽井。いやまぁ、そんなことはわかってるんだけどさ。的を得ているというかいないというか。

 

「樋稟ッ! 案ずることはない、君の勇ましく美しい戦い振りは、ゴリラよりも力強く美し――ひぶらはァィッ!」

 

 そこへ駆け付け、華麗に地雷を踏み抜き散っていく茂さんを見ていると、まるでいつも通りの賑やかな世界に回帰したように錯覚してしまう。仮面越しに冷酷な視線を突き刺しながら、彼の顔面にあのローリングソバットを見舞う彼女を見ていると、そんな気がしてしまうのだ。

 ……まだ、一番肝心な人が残っているというのに。

 

「――そして龍太様と同じく、ディフェンドゥーズサインを存じない身でありながら、ワタクシに協力してくだった『必要悪』さんと鮎子には、感謝の意を表明しますわ。さて、いよいよ残る悪魔は一人だけ……となりましたわね」

 

 一転して、指揮官としての厳かな眼差しを見せた久水は、壁に手を突いたまま俯く「新人類の身体」――瀧上さんを見遣り、四郷を庇うように仁王立ちになる。

 

「梢っ……!」

「……よくやりましたわ、鮎子。よく、頑張ってくれました。あなたの勇敢な働きに、親友として敬意を表しますわ」

「止めてよ、そんなの……! ボクのことなんていいから、早く逃げてっ! 凱樹さんは、凱樹さんだけはダメなのっ!」

「あなたの気持ちも、彼の強さも、見ていればわかりますわ。普通に張り合える神経や身体の持ち主ではない、ということも。――だけど、このまま彼を野放しにしていれば、必ずあなたが傷ついていくことになるはずざます。親友の矜持として、それだけは許せませんの」

 

 なんとか久水を止めようと、四郷も必死に裾を引っ張る。だが、彼女に引き下がる気配は微塵も見られず、むしろ危険も省みることなく、そのまま突き進んでしまいそうな様相すら漂わせていた。

 

 優しく諭すように、四郷に想いの丈を語る彼女の姿を見ていると、数分前まで傍若無人の限りを尽くしていた女帝と同一人物だという事実が受け入れ難くなってしまいそうだ。

 

「な、なぁ! みんなめっちゃ強かったし、だ、大丈夫、やろ?」

「凱樹……」

 

 「新人類の将兵」が全滅したことにより、一同の注目は再び瀧上さん一人に集まっていく。

 矢村は引き攣った笑顔で、周りに同意を求める――が、瀧上さんに悲痛な眼差しを送る所長さんを含め、誰も彼女の言葉に反応を示さなかった。

 

「――君の戦いは、もう終わった! もう、無益に人を傷つける必要などない! 降伏してくれ、凱樹君ッ!」

 

 一方、伊葉さんは今もなお、必死に説得を試みている。所長さんと同様に、殺されかけていたにも関わらず。

 かつて自分が信じたヒーロー。その虚像は、今となっても彼に深く付き纏っているようだ。「必要悪」は、そんな彼の背中を、何も言わずに静かに見守っている。

 

「甲侍郎様。手持ちの駒がなくなったとは言え、奴が簡単に降伏勧告に応じるでしょうか?」

「――彼の軍勢と戦えば、肌でわかることだろう。あの男に、『降参』の概念などない。次の一手に対応出来るように、残りの隊員を配置しておくべきだ。G型の生き残りを前面に展開し、R型四名を一般人達の護衛に付けてくれ」

「了解しました。――全部隊、ワガハイの指揮に入れッ!」

 

 その頃、茂さんは甲侍郎さんとの僅かな密談を終えて、「救済の龍勇者」の面々に指示を送っていた。どうやら、瀧上さんが降参しない前提で、対応していくつもりらしい。

 彼の指令を受けて、散り散りに動き出すG型とR型の姿が、それを証明している。

 

 ……伊葉さんや所長さんには悪いが、俺もそうした方が得策だと思う。瀧上さん一人でも尋常な強さではないんだ。

 玉砕覚悟だとするなら、向こう側が反撃を仕掛ける余地は十分にあるはず。

 

「……龍太君。仮にあいつが襲ってきたとしても、もう無茶なんかしないでよね……?」

「わかってる。いざとなったら、お前も逃げられるように準備しとけよ」

 

 俺の腕をギュッと握る救芽井と、僅かに視線が交わる。「救済の先駆者」のバイザーの先には――今にも泣きそうな、いたいけな少女の瞳が隠れていた。

 そして、その眼が誘う情に流され、本当に逃げ出したくなってしまう前に――俺は、彼女を視界から外す。刹那、背後から彼女の悲しげな声が漏れて来た。

 

 ……ごめん、救芽井。「自分が生き残ることがレスキューの基本」だって、何度もお前は口酸っぱくして教えてくれてたけど……今は、それ以上に彼が気になってしょうがないんだよ。

 

 そして、俺が――俺達全員が、たった一人の男に注目を注ぎ、再び張り詰めた空気が辺りを包んだ時。

 このグランドホール全体を飲み込む、緊張感で固められた世界を打ち砕くように――彼が、動き出した。

 

「……そうか。あくまで、オレの正義を認めないと――屈しないと、そういうことなのだな」

 

 壁のコンピュータから手を離し、鋼鉄の鎧に身を固めた男は、ゆらりとこちらへ振り返る。

 まるで「感情」という「概念」を無くしてしまったかのような、酷く冷たいその声は……さっきまで怒り狂っていた姿とは、対極とも言える程に掛け離れていた。

 

 人は、一定の怒りのラインを越えてしまうと、却って冷静になる――という話を聞いたことがある。

 それを彼に当て嵌めるなら、あの冷酷な声色と……全身に漂う殺気にも、合点がいく。

 錆び付いた鋼鉄の、凍り付くような冷たさで覆い尽くされた身体。その肉体ならざる肉体に、心の芯まで冷やされてしまったのだろうか。もはや彼の口調からは、怒りも喜びも悲しみも、何一つ感じ取ることが出来なくなっていた。

 

「いいだろう。よく、わかった。――ならばオレも、相応の覚悟で戦わせてもらう」

 

 そして――その淡々とした声で呟かれた言葉と共に、彼の厳つい鉄製の掌が、天井へ向けて翳された時。

 その動作を合図にするかの如きタイミングで、このグランドホール全体に異変が訪れたのだ。

 

 足元から揺さぶられ、姿勢が安定しない。頭上から、小さな石がパラパラと降り注ぎ、この地下を構成している空間全体に、山崩れを彷彿させる程の轟音が鳴り響く。

 瀧上さんが何をしたのか。何をするつもりなのか。その実態は未だに掴めないが、この現象に近しい経験を、俺は知っている。

 そう、例えるならこれは――地震ッ!

 

「……ッ! なんだッ!?」

「何この揺れっ……じ、地震ッ!?」

「くッ――うろたえるんじゃありませんわッ! 各員、警戒を怠ってはなりませんッ!」

 

 俺や救芽井だけではなく、何か知っている風の所長さんや「必要悪」を除くほぼ全員が、この事態に困惑している。必死にパニック化を抑えようと声を張り上げている久水も、僅かに視線を泳がせていた。

 ――所長さん、あんたは何を知っている? 何が起きると、予想してるんだ……?

 

「さぁ……来いィイィイッ!」

 

 そんな俺の思考を断ち切らんと、瀧上さんが叫ぶ。

 今まで溜め込んでいた感情――怒りや喜びの全てを、一つに圧縮し……解き放つかのように。

 これまでにない「狂気」の詰め合わせであるようにも見える、その雄叫びは――彼の背後に聳える、アリーナの外にある巨壁を激しく震わせていく。

 

「――ッ!?」

 

 その異様な光景は、他の皆が地震に混乱しかけている中で、俺の注目を強く引き付けていた。

 

 何か巨大なものが動き出そうとしているかのような、激しい揺れ。

 

 それは、彼の後ろ――すなわち、このグランドホールから更に奥の、地下室自体を成り立たせている巨壁が、震源地になっているかのようだった。

 そう思わされてしまう程、あの場所の揺れは、際立った大きさを見せていたのだ。「手を翳した瞬間」に起きた現象である以上、瀧上さんの思惑と無関係な事態であるとは思えない。

 

 これから確実に、「あそこ」から「何か」が起こる。

 そう邪推した時。

 

 俺の予想は、外れていてほしいというほのかな願いをことごとく踏みにじり――的中してしまった。

 

 土砂崩れの如く、崩落していく巨壁。

 

 流れ出る海水。

 

 地下という牢獄に轟く、鉄人の狂喜の叫び。

 

 そして――巨壁に隠されていた空間と共に、閉ざされていた我が身を解放された、赤褐色に彩られし鋼鉄の巨人。

 その姿は、十年間の時を経てもなお……大きく姿を変えてはいなかったのだ。「実物」を見たことがなかった俺でさえ、一目でその正体を見抜ける程に。

 

「あれがッ……『新人類の巨鎧体』……ッ!」

 



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第126話 鮎美の賭け

 グランドホールの壁を砕き、俺達の眼前に現れたのは――赤褐色に塗装された、無骨な鋼鉄の人形だった。

 ……いや、それは人形と呼ぶには――余りにも巨大過ぎる。

 

 全長はおよそ十メートル。仏のような整然とした顔に反して、その巨体を覆う荘厳な鎧は、自らの威圧感だけでこのグランドホール全体を飲み込まんとしていた。

 まるで特撮映画から飛び出してきたかのような、典型的な「ヒーローロボット」。

 俺達の眼前に現れた巨人を、身近なイメージで例えるなら、それが一番に当てはまるだろう。シンプルな正方形や長方形で構成された装甲を纏うその姿は、えもいわれぬ古臭さを漂わせている。

 だが、その外見と実態は、決して乗り越えられない絶壁により分断されていることを、俺は知っている。あからさまにヒーローらしさをなぞっているあのデザインは、もはや皮肉以外の何物でもないのだ。

 

「なっ、な……なんやアレッ!? ロ、ロ、ロボットッ!?」

「まさか……! 和雅ッ! あれは瀧上凱樹が中東に持ち込んだという……!?」

「そんな、バカな……! アレは十年前に大破したはず! まさか――研究所を造った後も、アレを修復するだけの資金が残っていたと……ッ!?」

 

 取り乱した矢村の声が火付け役となり、客席側にどよめきが広がる。特に甲侍郎さんと伊葉さんの反応が際立っており、彼らの慌てようは、事態の深刻さをより正確に捉えているようだった。

 

「あ、あ……! あ、うあ……!」

 

 だが、彼ら以上に――四郷の動揺した様子が尋常ではなかった。

 

 頭を抱えしゃがみ込み、更にマニピュレートアームで頭上を覆っているその姿は、空襲に怯える子供のようである。

 ――掘り返されているんだろう。十年前の自分を絶望に染めた、悪夢の記憶を。

 

「――いいえ、『修復』じゃないわ。『改良』よ。十年前の惨劇の中で破壊された後、彼は自らの手であの『新人類の巨鎧体』を修理して――より『凶力』な『正義の代行人』として新たに作り上げた……」

 

 そして、そんな彼女を抱きしめる所長さんの言葉が、周囲にさらなる衝撃を与える。

 

「な、なんだとッ!? 研究所を造る分だけならまだしも、アレを修復をするだけの資金など、一体どこから……!?」

「私達がここに研究所を建ててから、七年程過ぎた頃よ。アメリカ陸軍の兵器開発部門から大量の研究費用が秘密裏に送られてきたの。……あんなことになっても、次世代兵器となりうる『新人類の巨鎧体』のデータを、もっと私達に集めて欲しかったのでしょうね」

「なんということだ……! 陸軍の連中めッ……!」

「中東を血の海に変えたあの力が、さらなる脅威を帯びて蘇った――というところか。このまま彼を野放しにしていては、松霧町が滅ぶ程度では済まなくなるッ!」

「このような――このようなことが、許されてなるものかッ!」

 

 戦いに傷つき、痛ましい亀裂ばかりとなった床を殴り付け、甲侍郎さんが唸る。その拳を僅かに浸す海水は、やがてこの場を含めた地下そのものを全て飲み込んでしまうのだろう。

 

 「新人類の巨鎧体」が現れた穴から溢れ出る海水の波は、今でこそ緩やかにグランドホールへ流れ込む程度で済んでいるが……彼が本格的にアレで暴れ出すつもりでいるなら、間違いなくこんなものでは収まらなくなる。

 

「彼は我々をあの必殺兵器で蹂躙するか――もしくは、このまま全員を海に沈める気でいるのかも知れん。あれがもし彼の意のままに動き出してしまえば、この広大な地下室といえど長くは持たん!」

「伊葉様ッ! あの巨大な人型兵器は、奴の切り札だというのですかッ!?」

「……そうだ。あれは凱樹君が中東のあらゆる武装集団を駆逐するために、アメリカ軍と鮎美君に造らせた、人型破壊兵器『新人類の巨鎧体』。国も民もことごとく焼き尽くす、文字通りの『悪魔の兵器』だ」

 

 茂さんの問いに答える伊葉さんの声は、嘆きと失望の色を滲ませていた。

 

 「新人類の巨鎧体」を持ち出されたことで、瀧上さんに「引き返す」意思はないのだと、改めて思い知らされてしまったのだろう。

 それ程までに、あの巨人は彼にとっても脅威な存在なのだ。「眼前にそびえる巨人」という「光景」がもたらす苦痛に歪む表情が、それを証明している。

 

「そ、そんなん……か、勝てるわけ、ないやんっ……!?」

「ど……どうしたらいいのよ、そんなのッ!」

 

 そして、そんな彼の発言が与えた衝撃も、生半可なものではない。

 過去に国一つを滅ぼしたとも言われる、瀧上さんの所業。その力の根源があの巨人だというのだから、周囲に撒き散らされたプレッシャーも大きい。明確に動揺している救芽井や矢村だけでなく、他の皆もどこと無く焦燥感を漂わせていた。所長さんと「必要悪」を除いて、だが。

 

「――いずれにせよ、あのようなセンスのない鉄屑に殺される人生などまっぴらざます。伊葉さん、アレに対抗しうる手段はなくって?」

 

 いや、もう一人いた。どうしようもない変態の割に、誰よりも肝の座っている彼女が。

 

「陸上自衛隊に協力を仰げば、なんとか対処は出来るだろうが……それは彼の件が明るみになることにも繋がりかねんからな。凱樹君の存在を『なかったこと』にしたい現政府の連中が助けてくれるとは考えにくい。彼に日本で暴れられては存在の否認など結局は不可能なのだが、政府がそれに気づくのは彼が地上に出た後になるだろう」

「何かが起きてからでしか国は動かない……ということでして? 下衆の極みですわね。で、現戦力で勝てる見込みは?」

「皆無、だ。いかに着鎧甲冑や『必要悪』といえど、あの巨人と真っ向から戦いを挑める望みなどあるものか。――だが、君の言う通り、むざむざ殺される謂れもない。全員に、隙を見て撤収する用意をしておくよう伝えてくれ」

「――わかりましたわ。お兄様、よろしくって?」

「……あぁ。癪に障るところはあるが、命あっての物種だ。それに、樋稟や鮎美さんを危険に晒すわけにも行かん」

 

 茂さんは狂喜の叫びを上げ続けている瀧上さんを一瞥すると、目を背けるように踵を返す。僅かに震えていた彼の拳を見れば、それが不本意な選択であったことは明らかだろう。

 

 その様子を静かに見つめていた久水は、程なくして手招きするような仕種のサインを見せると、全着鎧甲冑をグランドホールのアリーナから撤収させた。彼女の手に集うように、G型三人と茂さんが客席に向かって跳び上がっていく。四郷も「必要悪」に連れられ、逃げるようにその場を飛び出していた。

 

「龍太君、私達も!」

「あ、あぁ」

 

 そして、サインがわからない俺も救芽井に釣られるように、客席へと引き返す。

 

「ハハハハ……ハハ、ハハハハ! ハハハァアアッ!」

 

 ――悍ましい程の瀧上さんの「凶気」に、後ろ髪を引かれながら。

 

 瀧上さんを除く全員が結集した、客席の一部。救芽井に続く形でそこに降り立った俺を一番に出迎えたのは、矢村だった。

 

「龍太ぁあっ! よがった……無事でよがったぁあ……!」

「おわっ!? や、矢村、落ち着けって。まだ無事に片付いたわけじゃないんだから」

「えぐっ、ひぐっ、そんなん……そんなん言うたってぇえッ……!」

 

 胸の中でひたすら泣きじゃくる彼女の顔は見えないが――随分と心配を掛けてしまったことだけは確かなようだ。

 

「龍太様の言う通りざます。矢村さん、安心するにはまだ早過ぎますわよ」

 

 一方、瀧上さんと、その背にそびえ立つ「新人類の巨鎧体」に鋭い眼差し注ぐ久水は、寸分も気を抜かずに険しい表情を浮かべている。顔だけでなく、全身から噴き出されるかのようなその凄みに、矢村も思わず泣き止み、息を呑んだ。

 

 久水の視線をなぞった先に見える灰色の狂人は、足元が水で満たされ始めてもなお、その場に立ったまま笑い続けている。アリーナへの浸水が本格化していることに気づいていないのだろうか。

 ――それとも、こんな水ごときで自分は死なない、という自信の現れか。

 

 そして、多くの人間が固唾を飲んで見詰める中、アリーナに流れ込んできた海水の高さが彼のふくらはぎに達した時――その笑いは、唐突に止まった。

 まるで彼自身が事切れてしまったかと思う程、その瞬間は突然に訪れていたのだ。

 

 だが、彼の身体は未だに動き続けている。長きにわたり溜め込んでいた力を、解き放たんとしているかのように。

 そう。あの動きは、震えは……命の終わり等とは程遠い、新たな段階への変化の産声。瀧上さんは、やはりアレで俺達を……!

 

「貴様らをここで滅ぼし、この格納庫から地表に上がり、今一度オレは――『ヒーロー』に返り咲くッ!」

 

 そんな俺の思考を根こそぎ吹き飛ばすかのように、瀧上さんの雄叫びがグランドホール――いや、この研究所の地下室全てに響き渡る。どうやら、「新人類の巨鎧体」が隠されていた壁の奥は、地上へ繋がる格納庫だったらしい。

 

 ……それにしても、とんでもない叫び声だったな。もし彼が審判席のガラスを割っていなかったとしても、今の一声で全て砕かれていたに違いない。

 

 それ程の声量に、あの凍るような殺気を乗せて叫んだのだから、こちらが受けた威圧感も全く洒落にならない。

 俺を含む殆どの面子は思わず後退り、比較的耐性のある所長さんと久水も、面持ちがより一層険しいものになっていた。四郷に至っては、もはや正面を向くことすら困難らしく、姉の豊満な胸の中で小刻みに震えながら、小さく縮こまっている。

 

 そして、そんな中で唯一、後退りどころか微動だにしない「必要悪」とは、一体何者なのだろう。――あの落ち着きよう……勝ち目でもあるってのか?

 

「フンッ!」

 

 そうやって、俺が瀧上さんから目を離していた間にも、彼自身はこの場の全身を滅ぼすための準備を着々と進めていた。

 「新人類の巨鎧体」の、神仏のような穏やかな顔。俺達が怯んだ隙に、そこへ彼が飛び付いた瞬間――澄んだ表情を象った鉄の仮面は、トランクのように上向きに開いてしまったのだ。

 

 「化けの皮が剥がれた」とは、まさにこのことだろう。

 

 そして、その言葉通りとも言える世界が、その奥に広がっていた。

 

「あれは……!」

 

 ……おびただしい数のコードに繋がれた、ヘルメットのようなモノに――車の座席を彷彿させる椅子が見える。

 大方アレを被って「新人類の巨鎧体」を操作するのだろう。それくらいは、一目見るだけで容易に想像がつく。

 

「『新人類の巨鎧体』のコックピットよ。凱樹の脳髄を、あの接続機で読み取り、脳波を感知することでイメージ通りに操縦することができる……」

 

 所長さんの説明も、俺の思考を読み取ったかの如く、予想と完全に合致している。

 ――しかし、今まさに一番ヤバい兵器で暴れようってのに、なんでそんなに冷静でいられるんだ? 「新人類の将兵」の時はあれだけ取り乱していたのに……。

 

 一方、そうして訝しむ俺を他所に――瀧上さんは、とうとう「新人類の巨鎧体」に乗り込んでしまう。

 座席に腰掛ける彼の頭上に取り付けられていた接続機は、一見サイズが合わなさそうにも見えたが――彼がコックピットに現れると、瞬く間にそれに見合う大きさに変形してしまった。どうやら、装着者に合わせて形状が変わる仕組みらしい。

 傘を広げるように大きくなった接続機は、ガッチリと瀧上さんの鉄兜に嵌まり……やがて、コックピット内のあらゆる場所が発光を始める。

 

「さぁ――正義執行だ」

 

 そして、彼の皮肉めいた一言と共に、巨人による殺戮が始ま――

 

「……?」

 

 ――らなかった。

 

「なんだと……これは……」

 

 低くくぐもったような彼の声色からは、先程までのような高揚の色が失せていることがわかる。彼の思惑に絡んだ状況ではないようだ。

 今まさに動き出そうとしていた瞬間を迎えても、一向に暴れる気配を見せない「新人類の巨鎧体」。その顔面にあるコックピットの中で、彼は首を左右に回していた。

 ――まるで、故障箇所でも探しているかのように。

 

 そして、そんな彼を静かに見つめていた所長さんは、僅かにため息をつき――

 

「……効いたみたいね。私の『賭け』は」

 

 ――哀れむような声で、何かを呟いていた。

 



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第127話 惨劇の再来

 これから破壊の限りを尽くし、俺達を滅ぼさんとしていた「新人類の巨鎧体」。

 

 その巨躯は今、凍り付けにされたように固まってしまい――動き出す気配が全く見られない。

 辺りを忙しく見渡す瀧上さんに対し、所長さんの表情が落ち着き払っているところを見るに……ただのアクシデントとは違うようだ。

 

「なんだ……? 『新人類の巨鎧体』の動きが……」

「甲侍郎様、あれは……?」

「わからん。だが、あの様子ではすぐには襲っては来れなさそうだな。念のため、R型を生身の者達の護衛に付け、いつでもここを脱出できる準備をしておいてくれ。望みは薄いが……やはりここは一時撤退し、地上で政府に協力を要請するしかあるまい」

「了解しました」

 

 瀧上さんと「新人類の巨鎧体」に起きている異変には、伊葉さんや茂さん、甲侍郎さん達も感づいているらしい。R型の面々は生身の人々を庇うような位置に向かい、G型は矢面に立つように、前面に出ていく。

 

 どうやら甲侍郎さんは、超人的な力を持たない生身の人間から、優先的に逃がしていくつもりでいるらしい。……こんな無茶苦茶な計画を立てたりはするけど、やっぱり人命救助って本懐を忘れたわけじゃなかったらしい。

 

 ――そういう気遣いってモンを、このコンペティション自体にも注いで欲しかったところなんだけどな。

 

「りゅ、龍太……」

「――心配すんな。何があっても、俺達がきっと逃がしてやる」

 

 ふと、腕に小刻みな震動が伝わる。見下ろしてみれば、矢村が不安げな表情で俺の腕にしがみついていた。

 その今にも泣き出しそうな顔は、いつも快活に振る舞っていた彼女からは想像もつかない面持ちだが――事前情報もなしにあんなヤバいものを見せられたとあっては、ここまで怯えるのも仕方ないだろう。俺より実戦経験が豊富なはずの救芽井でさえ、僅かに肩を震わせているのだから。

 

「う、うっ……!」

「心配ないわよ、鮎子。もう、凱樹がアレで戦うことなんてないんだから」

「……ほ、んと……?」

「本当よ。だから、心配しなくていいわ。お姉ちゃんが、付いてるからね」

 

 一方、矢村以上に「新人類の巨鎧体」を恐れていた四郷は、所長さんの一言を契機に少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。上下に揺れていた肩の振れ幅が、次第に小さくなっていくのがわかる。

 ……瀧上さんが、「新人類の巨鎧体」で戦うことがない……? やっぱり、所長さんは何か知っている?

 

「四郷所長。差し支えなければ、今の話を詳しく聞かせて頂きたいのだが」

 

 その言葉に反応した俺が問い質そうとする前に、甲侍郎さんが声を上げる。周りを見渡すと、他の皆も所長さんの言ったことに注目しているようだった。

 

 当の彼女自身も、皆の反応は予想していたらしい。周囲の視線を一身に浴びていると分かっても、彼女は眉一つ動かさないのだ。

 「新人類の巨鎧体」が動きを見せない理由。その実態に近づけると期待している人々は、彼女が口を開く瞬間を静かに待ち続ける。

 そして、そんな彼らを一瞥した彼女は、ふぅ、と小さなため息をつくと、神妙な面持ちのまま語り始める。その視線は、かつて愛した「ヒーローの成れの果て」へと向かっていた。

 

「……『新人類の巨鎧体』は、接続機がパイロットの脳波を直接受信することによって起動する。接続器に凱樹の脳波をシャットアウトするように調整すれば……」

「脳波をシャットアウトだと? どうやって」

「先日、地上の階にある電子制御室でちょっと、ね。私の知らないところで、凱樹自身が『新人類の巨鎧体』に手を加えてる可能性もあったから、上手く行くかは半分博打だったけど」

「……やはり、この事態は想定済みだったのだな。『新人類の将兵』にはプログラミングは通じなかったのか?」

「凱樹自身が造った『新人類の将兵』のシステムに干渉するには、アリーナのあの端末に向かうしかないからね。コンペティションを控えて神経質になっていた彼が、毎日陣取ってるようなところに近づけってのが無理な話よ。――彼自身にも、どこか私のすることを予感してる節があったし」

 

 甲侍郎さんと所長さんのやり取りを聞く限りでは――どうやら瀧上さんが搭乗できないように、所長さんが小細工をしていたらしい。

 そういえば彼女は夕べ、電子制御室に行っていたと聞いている。瀧上さんを止められるかどうか、という「賭け」のために。

 ……その実態が、このシステムの改竄だったってわけか。確かに瀧上さんが「新人類の巨鎧体」を使えなくなれば、あの巨人は脅威ではなくなる。操る人間が居なければどんな兵器も鉄屑にしかならない、という簡単な結論は、小学生でもわかることだ。

 

 ――だが、それで終わりなのか?

 「新人類の将兵」を弄らせなかった瀧上さんが、「新人類の巨鎧体」にちょっかいを出されるケースを、本当に想定してなかったのか?

 瀧上さんは確かに、まんまと所長さんの賭けに引っ掛かって「新人類の巨鎧体」を操作する権利を剥奪されている。だが、今の彼は辺りをゆっくり見渡しているばかりで、よく見てみると取り乱すような雰囲気はまるでなかったのだ。

 切り札を失ったにしては……あまりにも冷静過ぎる。今までの彼の言動からして、怒り狂ってコックピットから飛び出して来るものとばかり思っていたのだが――あの様子からは、そんな威圧感は微塵も伺えなかった。

 

「……つまり、あの巨人は動けないということですね。鮎美さん?」

「そういうことになるわね。――凱樹自身が脅威であることに、変わりはないけど」

「大丈夫です。『新人類の巨鎧体』が動かないというのであれば、もはや恐れるものはない。――皆の衆、ケリを付けるぞッ!」

「よしっ……! 残る敵があの人だけなら、皆で掛かればなんとかなる、かもッ……!」

 

 そんな俺の心配を他所に、周囲では反撃開始の気運が高まりつつあった。所長さんの言葉に突き動かされ、声を張り上げる茂さんを筆頭に、全てのG型が「新人類の巨鎧体」へジリジリと近寄り始めている。その白い装甲服の集団の中には、「救済の先駆者」の姿もあった。

 嫌な予感が拭えない身としては、出来れば止めに行きたいところなのだが――俺の言い分に根拠がない以上、強く言ったところで彼らが止まるとは思えない。

 伊葉さんや所長さんは、沈痛な表情のまま一言も喋らずにいる。これ以上はもう見ていられない、という心象なのだろう。

 そして、俺と「必要悪」を除く全ての戦闘要員が、一歩、また一歩と、赤褐色の鉄人へと近づいていく。そんな彼らに対して、瀧上さんは見向きもしていない。

 

「……あなたは行きませんのね。お疲れになられている龍太様はともかくとして」

「予感があるからね。君も兄上を想うのであれば、深追いはさせない方がいい」

「……」

 

 一方、少しも前に出る様子を見せず、その場に留まり続けている「必要悪」。久水はそんな彼を訝しんでいながら、強く反論することはなかった。

 瀧上さんの様子を静かに見詰めている二人も、感づいているのかも知れない。――彼がこのままで終わるはずがない、と。

 

「こ、梢ぇ……」

「案ずることはありませんわ、鮎子。あなたは何があっても、ワタクシ達が守り抜いて見せるざます。そうでしょう? 鮎美さん」

「……そうね。その通りだわ。だからね、鮎子。あなたが怖がることなんてないのよ」

 

 それでも、彼女達は四郷を励ますことを欠かさない。機械仕掛けの肩を抱く二人を見ていれば、よくわかる。

 ――そりゃ、そうだろうな。この中で一番、瀧上さんのことで苦しんでいるのは、間違いなくこの機械の身体を持つ少女なのだから。

 

「龍太……救芽井達、大丈夫やろか」

 

 だが、追い詰められているのは彼女だけではない。全くの一般人でありながら、こんな状況の真っ只中に放り込まれている矢村の憔悴も、かなり険しいことになっている。

 もちろん、救芽井達に何かあれば俺も駆け付けるつもりだが、この娘を一人にするわけにもいかない。R型の人達を信用していないわけじゃないんだが……。

 

「大丈夫だよ、皆だって伊達にヒーローはやってな――」

 

 とにかく、今の俺にできるのは、彼女を励ますことだけ。そう思い、口を開いた時。

 

 瀧上さんと、顔が向かい合う。

 

 いや、俺じゃない。あれは、俺を見ているわけじゃない。

 

 ……だけど、自分の足元に集まってる茂さん達でもない。

 客席――それも、俺とそこまで離れていない場所にいる人間。その人物を、獲物を捉えた鷹のように、ただ真っ直ぐに見据えている。

 あの顔の先……まさかッ!?

 

「……行くか」

 

 感情のない、淡々とした呟き。

 それこそが、攻撃の狼煙。

 

 その事実に気づいたのは、瀧上さんが小さな一言と共に、弾丸の如きスピードでコックピットを飛び出した後だった。

 

「なにィっ!?」

「速い! 客席に向かう気なのッ!」

「――R型部隊ッ! 奴を止めろォッ!」

 

 完全に虚を突かれたG型の面々や救芽井は、彼に頭上を大きく跳び越される形になっていた。

 G型部隊の最後尾に居た甲侍郎は、自分が抜かれたと悟る瞬間、咄嗟にR型全員に指示を出す。

 

「うッ、うおぉおぉッ! ――ぐはぁっ!?」

「ぎゃああぁッ!?」

 

 雇い主を指令を受け、四人のレスキューヒーローは、客席に向かう鉄人に果敢に飛び掛かる。だが、猛烈な勢いで突っ込んで来る鋼鉄の巨体を阻むには、体重差がありすぎた。

 四人同時に敢行されたタックルを軽々しく跳ね退け、瀧上さんはさらに迫る。宙に舞い上げられたR型の一人は、ダメージのあまり着鎧を解除されてしまった。

 

「凱樹君ッ! もうやめろ、やめるんだッ! これ以上戦っても、何も生まないのだぞッ!」

「凱樹ッ! あなたの戦いはもう、終わってるのよッ! もう、終わりなのッ! だから、もうッ……!」

 

 伊葉さんや所長さんの懸命な呼びかけも、瀧上さんの攻勢を食い止めるには至らない。彼は魔王のような両腕を広げ、客席に降り立とうとしている。

 

 そこまで来たところで、俺はようやく瀧上さんの狙う先に確信が持てた。

 彼の狙いは――久水だッ!

 

「龍太ッ!?」

「――くそッ、行かせるかァッ!」

 

 俺は矢村の制止を振り払い、その場から瀧上さん目掛けて跳び上がる。ほぼ同様のタイミングで、「必要悪」も高電圧ダガーを構えてジャンプしている姿が見えた。

 

「……ッ!」

 

 当の久水自身は、四郷の近くに自分が居たために、彼女が狙いだと思い込んでいるらしい。両手を広げて四郷を庇うように、毅然とした表情で瀧上さんを睨み上げている。

 

 ――違うんだ久水ッ! あの人の狙いはお前――

 

「……ムゥォアァッ!」

「くあッ!?」

「ムッ!」

 

 ――と、俺の注意が削がれていた瞬間を突いてか、あの光る鞭が飛び出してきた!

 俺は一瞬遅れそうにはなったが、なんとか鞭の先端を横薙ぎに蹴り、回避に成功。「必要悪」も、難無くダガーで切り抜けていたようだ。

 

「これで得物は――ぐわッ!?」

「ウッ……!?」

 

 だが、迂闊だった。

 光る鞭の奇襲をかわし、あとは瀧上さん自身に攻撃を加えて止めればいい。俺達は、そう思い込んでいた。

 しかし、それは彼による策のための布石に過ぎなかったらしい。俺達が瀧上さんに迫る瞬間――彼は、上腕に装着されていた光る鞭を発射するパーツを外し、俺達にぶつけてきたのだ。

 これにはさしもの「必要悪」も反応仕切れなかったのか、ダガーで受け流すことが出来ず、正面から刀身で防御することにより、辛うじてダメージを免れていた。俺に至っては腹部にモロにパーツアタックを受けてしまい、ハエの如く撃ち落とされてしまう。

 

 そして、落下していく俺が、上下に反転した視界の中で見たのは――久水を助けるべく、姉を跳ね退けて瀧上さんに立ち向かう四郷の姿だった。

 マニピュレーターの拳を振り上げ、勇敢に挑む機械仕掛けの少女。そんな彼女を前にした瞬間、瀧上さんは久水に向けていた首を、急激に彼女の方へ捻る。

 

 ――今まで、誰に邪魔されても久水だけを見据え続けていた彼が、急に四郷を凝視するようになった。

 

 それが意味するもの。

 

「……まさか。狙いは最初からッ……!?」

 

 それに気がついた時、俺は届きもしない手を必死に四郷に伸ばしていた。

 

 巨大な鉄拳を一撃で破壊する、魔王の豪腕。その圧倒的な力の前に、成す術もなく我が身を砕かれていく機械の少女。

 

 もはや、原形など、ない。

 

 残されたのは、力無く宙へと舞い上がる、水色の髪を靡かせた彼女の首一つだけなのだから。

 



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第128話 四郷鮎子、散る

 ――無惨に砕かれた、四郷の身体。

 

 現実という名の地獄を見ている俺に、その光景が残酷に突き刺さる。

 

 腕も、脚も、胴体も、全て瀧上さんの一撃の前に、粉々にされてしまっている。取り替えの利く機械の身体だとしても、彼女の有様は……あまりにも痛ましい。

 壊れた人形のようにあちこちに散らばっている彼女の破片は、宿主を失ったことで完全な「無機質」に成り果てている。糸の切れたマリオネットと同じで、それらが人間のように動くことは、もうないのだ。

 

 ……だが、まだ宿主を縛る「糸」は完全に切られてはいない。むしろ、今までよりも太く、残忍な綱で縛られているのだ。そう、あの灰色の鉄腕に。

 

 身体の残骸や残された首の断面からは火花が激しく飛び散り、血を見ているような錯覚に襲われてしまう。もし彼女が生身の人間だったらと思うと、気を失ってしまいそうだ。

 次いで、俺に降り懸かって来るのは――無力感。

 

「うっ……ぐ! 俺は、俺は……!?」

 

 あんなに近くにいたのに、なにもしてやれなかった、という……無力感だった。

 

「あ、鮎子ぉおぉおッ!」

「いや……いやぁッ! そんなっ……どうしてよッ! どうしてよ凱樹ぃいッ!」

 

 俺はそんな失意からか、受け身を取るとることも忘れて、頭から客席に落下しようとしていた。だが次の瞬間、久水と所長さんの叫びに呼び覚まされるように、俺の意識は目の前の現実に帰還する。

 

「……くそォッ!」

 

 そのおかげで、なんとか空中で身体を半回転させ、両足で着地することに成功した。……だが、絶望的な状況に変わりはない。

 

 瀧上さんの掌上で眠る四郷の首は、死んでしまったかのようにピクリとも動かない。瞳は焦点を失い、水流のような水色の長髪だけが、静かに揺れていた。端から見れば、人間の生首と大差ないのかも知れない。

 その想像を絶する惨状に、この場にいる誰もが絶句していた。俺の傍にいた矢村も、腰を抜かして目に涙を浮かべている。

 

 ――所長さんの足元に落ちる、ひび割れた丸渕眼鏡。それだけでも、この悲劇を物語るには十分だろう。

 

「そんな、こんなの……こんなのってッ……!」

「くッ……貴様ァァァアッ!」

 

 そして、救芽井が悲しみに染められた声を零した時。炎を吐くような雄叫びと共に、茂さんが電磁警棒を手に瀧上さんへと飛び掛かっていく。

 

 「絶対に許さない」という怒りを全身から噴き出すその姿から、今までにない程の威圧感がほとばしる。全ての感情を一点に込めた矢のように、彼の電磁警棒が瀧上さんの喉首に向かって行った。「必要悪」も無言の殺気を唸らせ、高電圧ダガーで瀧上さんの首を狙う。

 目には目を、歯には歯を、首を取られたなら彼の首を――ということなのだろうか。

 

 だが、茂さんの執念の一撃が、遂にそこへたどり着いた瞬間。

 

「――ぐはぁアァッ!?」

「くぅッ!?」

 

 瀧上さんは押し黙ったまま、茂さんと「必要悪」を跳ね退けるようにその場を飛び出し、「新人類の巨鎧体」のコックピットへと引き返してしまったのだ。茂さんより動き出しが遅かった「必要悪」は、一撃を叩き込む暇もなく弾かれてしまう。

 ――そう。茂さんの全力攻撃を首に受けても、彼は全く反応を示さず、そのまま何事もなかったかのように帰ってしまったのである。まるで、茂さん達の存在など初めから認識していなかったかのように。

 だが、その一方で茂さんのダメージは深刻なものになっていたらしい。迎撃のような形で強烈な体当たりを喰らってしまった彼の身体は、紙切れのように吹き飛ばされ、アリーナの床にたたき付けられてしまっていたのだ。

 その衝撃に着鎧甲冑自体がとうとう耐え兼ねたらしい。着鎧が解かれた瞬間、茂さん自身の苦痛に歪む表情があらわになっていた。真正面から体当たりを受けた分、横から襲おうとして吹っ飛ばされた「必要悪」より遥かに重い損傷だったのだろう。事実、「必要悪」の方は吹き飛ばされたと言っても、数メートル引き下がる程度で済んでいる。

 

「お、お兄様アァァッ! ……あ、あゆ、こ……い、いや、いやぁ……!」

 

 あれ程の冷静さを保ち続けていた久水も、親友の惨状を目の当たりにしたショックのあまり、今となってはただ泣き崩れるばかり。かつての女帝の姿は、もはや見る影もなくなっていた。

 

 ……いや、ここは「本来の彼女に戻った」、と言うべきなのかもしれない。親友を想う、ただ一人の優しい少女に。

 

「くッ……瀧上凱樹ッ! 貴様、四郷鮎子君の首を取ってどうするつもりだッ!」

 

 そして彼女の悲鳴に突き動かされるように、今度は甲侍郎さんが怒号を上げる。しかし、瀧上さんは全く反応を示さず、冷たい鉄兜越しに冷たく俺達を見下ろすばかりだ。

 

「ま、まさか、彼は……! 本気なのか!? 凱樹君ッ!」

 

 そんな時、何かに気づいたかのように、伊葉さんが驚愕と焦燥の入り混じった声色で叫ぶ。次いで、所長さんの表情もみるみる蒼白になっていった。

 

「うそ……でしょ。ねぇ、冗談よね……? あ、鮎子ッ……! 凱樹っ……!」

 

 ……なんなんだ? 二人は一体何に……ん?

 

『脳波を感知することでイメージ通りに操縦することができる……』

 

 ――脳波を、感知して、操縦……。

 

 ……まさか!?

 

「さぁ、鮎子。遂にお前の力を見せる時が来たな。オレ達の正義を今こそ、この者達に見せてやろう」

 

 瀧上さんの狙い。その実態に感づき、俺の顔面から一瞬で血の気が失われる。そして、彼は俺の予想を忠実に再現した。

 

 死人のような顔になっている、四郷の頭部。それが今、コックピットの接続機に繋がれてしまったのだ。

 接続機は彼女の頭の大きさに対応するように自動で収縮され、まるで初めからこうなる予定であったかのように、整然と収まっている。

 

 コックピットに踏ん反り返り、怪しい機械に縛られた四郷の首を掲げる瀧上さんの姿は、「正義のヒーロー」とは対極の世界に踏み込んでいるようにしか見えない。

 だが、彼にその自覚はないだろうし、指摘されたとしてもそれを認めることはないのだろう。

 ……これが、彼の胸中に在る「正義」の概念だとするならば。

 

「バッ……バカなッ! 四郷鮎子君の脳波で『新人類の巨鎧体』を動かすつもりだと……!?」

 

 そして、彼の思惑を甲侍郎さんが言い当てる瞬間、コックピットの周囲が鈍く光り――

 

「貴様らの命運もここまで。……行くぞ、鮎子。正義執行だ……!」

 

 ――赤褐色の巨人が、新たな産声を上げようとしていた。

 

 その時、俺は。

 

『……泣かないで。お姉ちゃん』

 

 聞こえるはずのない彼女の声が、聞こえたような気がしていた。

 



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第129話 ドラッヘンファイヤーとして

「……ガッ、ア、アァァアアアーッ!」

 

 「新人類の巨鎧体」に取り込まれた四郷に異変が訪れたのは、すぐのことだ。

 コックピット周辺の計器類やモニターらしき部分が光るのと同時に、接続機に繋がれた彼女の瞳が白目を剥く。

 そして次の瞬間、壊れた機械のような絶叫が、グランドホールに轟いたのだった。制御を失い、暴走するマシンそのものと言うべき彼女の悲鳴は、もはや人間の声帯で出せる代物ではない。

 

 ――自分を絶望に落とし込んだ、悪夢の象徴。その忌まわしいはずの存在に、今度は自分自身が成り代わろうとしている。

 その事実をたたき付けられ、今度こそ完膚なきまでに、精神を破壊されようとしているのかも知れない。

 

 次いで、時が止まったかのように静止していたはずの「新人類の巨鎧体」にも、遂に動きが現れる。――だが、それは俺が予想していたものとは、大きく違っていた。

 甘えるように巨大な両腕を伸ばし、地響きと共にすり足でにじり寄るその動作は、さながらゾンビのようだ。瀧上さんによって無理矢理操縦させられているとは言え、やはり基本は四郷自身の意志が行動を左右するのだろう。

 

「鮎子。『新人類の巨鎧体』を操っているお前なら、わかるはずだな? なにをやるべきか。誰を倒すべきか」

「オ、ネェ、ヂャン……オ……ネェチャン……! オ、ネ……」

 

 ……赤いオイルの涙を流し、白目を剥いたまま泣いている彼女の顔を見れば、何が目的かなどは考えるまでもない。

 

「まさか四郷鮎子君の脳髄を利用するとは……くッ!」

「しゃ、社長! 奴が起動してしまっては……!」

「わかっている! いくらパイロットが彼女であるとは言え、瀧上凱樹の手中に落ちている事実に間違いがない以上、危険であることには変わりない! 総員撤退だッ!」

 

 一方、彼女の足元にいる甲侍郎さん達は、着鎧を解かれた茂さんを抱え、こちら側に一斉に飛んで来ていた。そして、この場にいる全員に撤収するよう呼び掛けている。

 

「――辛いけど、こうなったら逃げるしかないわ。久水さん、行くわよ!」

「で、でも鮎子が……! 鮎子があんなにぃっ……!」

「今ここで正面からぶつかって死ぬのが、あの娘の助けに繋がるの!? 地上に出て体制を立て直せば、助けるチャンスはきっとある! 向こうも『新人類の巨鎧体』を動かすには四郷さんが必要なんだから、殺されることは絶対ないッ!」

「……わかりました、わ……」

 

 久水は四郷を放っておけないとばかりにむせび泣いていたが、救芽井の叱咤により僅かに立ち直ったようだ。

 こんな状況でも先のことを考え、助ける見込みを決して捨てない彼女の姿勢には感嘆するしかない。やっぱり、スーパーヒロインとしての経験値ってのは伊達じゃないな。

 

 ――だが、この場から撤退する気配がないのは久水一人ではない。未だに戦う姿勢を崩していない「必要悪」と、さらにもう一人。

 

「……鮎子……ごめんね、ごめんね……」

「所長さん、あんたも早く逃げるんだ! 四郷が瀧上さんの言いなりに暴れ出したら、ここもおしまいになっちまう!」

「一煉寺龍太の、言う通り……ですッ! 鮎子君は、必ず助かる! そして、彼女が再び帰ってくる場所には、あなたが必要なのですよ! ――鮎美さんッ!」

 

 最愛の妹が残した眼鏡を握り締めたまま、呆然と立ち尽くしている所長さん。そんな彼女を説得しようとしていた俺に、意識を取り戻した茂さんが続く。

 

「……そう、ね。そうよね。私も、生きなきゃ……ね」

 

 呪文のようにぶつぶつと呟きながら、彼女は生き残りのG型部隊に引きずられるように、エレベーターへ向かっていく。瀧上さんに倒された人々や、伊葉さんのような生身の人間が、優先的に退避させられているようだ。

 

「ど、どないしよ、ア、アタシもなんかした方がええんやろか……や、やけんど……」

 

 忙しく動き回る周囲に翻弄されてしまっている矢村が少々気掛かりだが――まぁ、甲侍郎さん達がなんとか保護してくれるだろう。今は、彼らを頼るしかない。

 

「龍太君。あなた……もしかして残る気?」

 

 その時、エレベーターへ移動していく人々を眺めていた俺の背に救芽井の声が響いて来る。振り返った先に見える「救済の先駆者」のマスクの口元は、笑っているようにも見えるが……その不安げな声色をごまかすことは出来ない。

 この察しの良さも、恐らくは経験の賜物なのだろう。よほど雰囲気に出ていたらしい。

 

「――まぁ、な。四郷があんなことになってる以上、放ってはおけない。後で助けられるにしたって、その時に彼女が無事かどうか……それに」

「今まで瀧上凱樹を『いなかった』ことにしようとしていた日本政府が、彼の眷属同然の彼女を生かすはずがない……って?」

「そこまで分かってるなら、話は早い。救芽井はみんなをなんとかエレベーターで地上まで送り届けてくれ。アレに乗ってるのが四郷だからって、全員素直に逃がしてくれる保証はない。『必要悪』の奴も逃げ出す気配がないしな。……あいつの実態は知らないが、『新人類の巨鎧体』とやり合う気でいるなら時間稼ぎはできるはずだ」

 

 恐らく、瀧上さんは俺達を四郷に始末させた後、あの壁に偽装していた格納庫から地上に上がり、やりたい放題に暴れるつもりなのだろう。逃げたら逃げたで、追い掛けて来るに違いない。

 そこまで行けば、伊葉さんの言う通り、日本政府も重い腰を上げなきゃならなくなるはず。瀧上さんを倒すだけなら、それだけで十分だろう。俺が残る理由もない。

 

 ……だが、四郷はどうなる? 散々巻き込まれて機械の身体にされた挙げ句、自分にトラウマを植え付けたマシンに縛られてしまった、彼女は?

 

 あんな状態で助けが来るまで放っておいて、元通りの精神に戻るとは限らない。そもそも、瀧上さんを消したい日本政府が彼女を生かす理由がない。最悪、瀧上さんもろとも殺されかねないのだ。

 

 もし今すぐ彼女を「新人類の巨鎧体」から引っぺがすことが出来れば、少なくともあの苦しみから解放することくらいは可能なはず。人を救う、それが信条の着鎧甲冑を預かっておいて、その可能性を捨てるわけにはいかない。

 

「……どうしてよ」

「ん?」

「どうしてよッ! どうしてあなたがそこまでするのッ! どうして私を頼ってくれないのよッ!」

 

 だが、救芽井はイマイチ納得が行かないらしい。俺の肩を必死に揺らし、声を荒げて抗議しているその様は、仮面のデザインに反して余裕がまるで感じられない。

 

 彼女としては、周りに何も言わず、勝手に残るつもりでいることが許せないようだが……。

 

「救芽井、お前言ったよな? 絶対にみんなで生きて帰る、それが『着鎧甲冑』だって。俺もその通りだって思うんだ。だって、その中には四郷だって居るんだろ?」

「……そう、だけど」

「なら、そのために出来ることは全部やらなくちゃいけない。『みんな』で生きて帰るには、お前が甲侍郎さん達と一緒に所長さんや伊葉さん達を連れ出さなきゃならないし、四郷を助けるには俺が残って『新人類の巨鎧体』とやり合わなきゃいけない。アレに勝てる見込みなんてある方がおかしいし、今すぐ四郷を引っぺがせたって彼女が無事な保証もない。それでも、ほんのちょっとでも助けられる見込みがあるなら、俺は『救済の超機龍』としての仕事を全うするべきなんだと思う」

「……ッ!」

 

 長々しい俺の力説に対する、彼女の反論は聞こえて来ない。もっとマシな手段があるなら、彼女の口から今すぐ飛び出てきてもいいはずなのに。

 

 ――本音では正しいとわかっていても、認めたくない何かがある。そう、彼女が纏う雰囲気が語っているようだった。

 

「……あなたの言うことはわかるけどっ、でもっ! ――じゃ、じゃあ、私も残る! 私も一緒に戦う! もう二度と、あなた一人で戦わせたくなんかないッ!」

「大勢の――それも生身の人々をほったらかして、上手く行くかどうかもわからない戦いに首を突っ込むのがお前にとっての『着鎧甲冑(ヒーロー)』か? こういう博打染みた戦いは俺の方が向いてるし、一応アレについての前情報も持ってる。完全初見のお前よりは上手く立ち回れるつもりだぜ」

「ま、前情報? それってどういう――」

「さぁ、話は終わりだ! みんなのことは経験豊富なお前に任せるぜ。その分、四郷のことは、きっと俺がなんとかしてやるからさ!」

 

 特攻同然の俺の胸中を僅かでも理解してくれるだけでも、十分ありがたい。だけど、彼女を俺の博打に巻き込むわけには行かん。

 

 こういうことは、考え出した奴が一番にやらなくちゃならないことだからな……!

 

 俺は救芽井の肩を掴んで強引に身体を旋回させ、そのまま人だかりでごった返しているエレベーターに向けて突き飛ばす。少々強引だが、『新人類の巨鎧体』が目前に迫っている以上、彼女の了解を取っていられる余裕もない。

 

「あ、ちょっ、ちょっと龍太君ッ!?」

 

 狼狽した様子の彼女の声を背に受けて、俺は「新人類の巨鎧体」と向き合う体勢になる。客席とアリーナの高低差のおかげか、コックピットとの目線の高さはそこまで離れてはいなかった。

 

 俺の隣に立つ「必要悪」も高電圧ダガーを構え、臨戦体勢に突入している。

 

「龍太君、龍太君ッ!」

「……静かにおしッ! 救芽井さんッ! あなた婚約者を自称している癖に、殿方の覚悟も信用出来ないざますかッ!?」

「な、なによ! あなたになにがわかっ――!?」

「ひぐっ、うっ……龍太様が……龍太様が、鮎子を救われるために、戦うと決意されたのでしょう……!? ならば、ワタクシ達に出来ることは……あの方の勝利を祈ることだけではありませんかッ! 良き妻とは、良き妻とは、そういう、ものッ……!」

 

 ――どうやら、救芽井のことは久水が鎮めてくれたらしい。後ろから聞こえて来る健気な涙声が、彼女の胸中を如実に物語っている。

 

 ……大丈夫だ、久水。お前の親友は、絶対に助けてやる。目の前で苦しんでる女の子をほっぽらかして、何が正義の味方じゃい。

 

「龍太君! 『必要悪』! 何をしている、早くエレベーターに乗るんだ!」

「――甲侍郎。彼らには各々の戦うべき理由がある。君もよくわかっているはずだろう?」

「か、和雅……。わ、わかった。二人とも、決して死んではならんぞ。生還に勝る勝利はないのだからな!」

「ぐッ、ぐふッ……その通りだッ! 一煉寺龍太ッ! そこに残る以上、貴様だけのうのうと生き残ることなどワガハイは許さぬぞッ! 必ず全員で帰ってきて見せよッ!」

 

 エレベーターで脱出の準備に入っている面子の多くは、俺達が居残ることについてはそこまで口出しはしていないようだった。彼らも、政府が四郷を見捨てることになるだろうと踏んでいるらしい。その結末が、着鎧甲冑の矜持に背くことに繋がることも。

 

 ――にしても、「必要悪」が瀧上さんと戦う理由って、何なんだ……? 伊葉さんは何か知っている風だったが。

 

「一煉寺君。私の口から偉そうなことは言えたものではないが……鮎子君のこと、よろしく頼む。日本政府も当てに出来ない上に、この場にいる多くの人間にリスクを負わせられない以上、君に頼らざるを得ないのが心苦しいが、な……」

「――なに、ここから急いで脱出しようっていうみんなの方が正しいのは違いないさ。ここに残って四郷を今すぐ助けたいってのは、単なる俺のワガママだ。言われるまでもなく、全力でよろしくやるつもりだぜ。俺は」

 

 その伊葉さんからは、四郷のことを頼みたいという旨の言葉しか聞けなかったが……まぁいい。少なくとも「必要悪」は味方だっていう情報だけで、今は十分だからな。

 

「――龍太君、気をつけて。パイロットが意識の薄い鮎子である以上、凱樹が思うような性能は発揮できないでしょうけど……『新人類の巨鎧体』自体が十年前のものより格段に性能が上がってるし、あの様子じゃ相当な暴走を起こしかねないわ。……ここが水没するのも時間の問題だし、ゆっくり作戦を練ってる余裕はないと思って頂戴」

 

 すると、今度は所長さんの声が響いてきた。茂さんの説得の甲斐あってか、かなり声色に落ち着きが戻っている。

 にしても、性能が十年前よりさらに――か。勢いでここまで来てしまったはいいが、かなり詰み状態っぽいな、俺。

 

「性能が上がってるって……あれ以上に武装が増えてたりするのか!?」

「それは――来たッ!」

「――ッ!?」

 

 彼女にその性能とやらを訪ねようと、俺が僅かに後ろを向いた瞬間。

 そこ狙ったようなタイミングで、遂に鉄人に動きが現れた!

 

「ア、アァアアァアアアァアアーッ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような金切り声を上げて、四郷が血を吐くような勢いで叫ぶ。

 それと同時に、「新人類の巨鎧体」が巨大な鉄拳を振り上げ――空へ飛んだ!?

 

「なッ!?」

「ロケットエンジンによる飛行能力(ホバリング)ッ……!?」

 

 十年前の映像からは想像もつかない動きと共に、十メートルにも及ぶ鋼鉄の巨人は、この広大な地下室の天井ギリギリにまで舞い上がったのだ。その巨体に似合わない挙動に、「必要悪」が珍しく驚きを露わにしていた。

 

 ――そう。奴は「飛んでいる」。全てを焼き尽くさんと噴き出す、二本の火柱を背にして!

 

 これが、現代の「新人類の巨鎧体」の能力……!?

 

「――いけないッ! あそこから叩き潰すつもりだわッ! エレベーターの起動、急いでッ!」

 

 そして、所長さんが焦燥感に充ちた叫び声を上げると共に――

 

「オネェ……ヂャ……アァアァアアァアアァアッ!」

 

 ――少女の絶叫を乗せた破壊の鉄槌が、俺達二人と他全員を乗せたエレベーターに向け、容赦なく打ち出された!

 



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第130話 グランドホールの戦い

 空を裂き、隕石の如く真っ直ぐにこちらへ向かう赤褐色の鉄拳。

 

 巨大な鉄人である事実をまるで感じさせないその速さに、俺達は戦慄という感情を一瞬にして脳に焼き付けられた。

 あんな質量と速度を持った拳が一気に地面に突き刺されば、ここに流れ込む海水の量は今の比ではなくなる。ただでさえ、アリーナ全体が浸水によりプールのような状態になっているというのに。

 

「龍太君ッ! 龍太く――」

 

 ふと、必死に俺の名を呼んでいた救芽井の叫びが、唐突にピタリと止まってしまった。どうやら、俺と「必要悪」以外の全員を乗せるエレベーターが、ようやく扉を閉めて動き出すらしい。

 だが、既に「新人類の巨鎧体」の剛拳は目と鼻の先。……間に合うのかッ!?

 

「何をボサッとしている!? 死にたいのか龍太君ッ!」

「……ッ!」

 

 刹那、そんな俺の思考を遮るように「必要悪」の怒号がこだまする。

 

 ――そうだ。俺も避けなきゃ、殺されるッ!

 

 そして、遂に巨人の鉄拳が視界を埋め尽くさんと迫って来る瞬間。俺と「必要悪」は、散開するように左右それぞれの方向に飛び出した!

 

「くゥッ……!」

「おわあぁああッ!?」

 

 遂に地面に激突した、「新人類の巨鎧体」の一撃。その破壊力は、俺の予想のさらに上を行っていた。

 巨大な瓦礫を激しく撒き散らし、さっきまで救芽井達が居たエレベーターの扉を、衝撃波だけでやすやすと打ち砕いてしまったのだ。

 しかし、扉を壊され、ボロボロになった昇降機の奥には、辛うじて活動を維持しているエレベーターの機構が伺える。……どうやら、救芽井達の脱出はギリギリ間に合ったらしいな。

 

 ――だが、人の心配ばかりしている場合ではない。あの災害級隕石パンチによる衝撃波は、精一杯避けていたはずの俺達まで吹き飛ばしていたのだ。

 「必要悪」はなんとか空中で一回転して軽やかに着地していたが、俺にそんな優雅な身体能力はない。無様に地面を転がり、客席の椅子に背中からぶつかるまで止まらなかったのである。

 

「いっててて……! く、くそォッ……!」

「よし、初めてにしては上出来だったぞ鮎子。なに、慌てることはない。お前ならこんな連中は敵ではないはずだ」

「……オネ、ヂャ、ガ、ガア……! ダ……ズゲ、デッ……!」

 

 椅子を杖がわりに、ふらつきつつも立ち上がる俺に対して、瀧上さんの方は場違いな程に落ち着いた口調で、四郷に優しく囁き続けている。「新人類の巨鎧体」が着地した衝撃で、彼らの周囲はクレーターのようになっていた。

 

 ……何が、上出来だ。正義の味方ヅラしてるくせに、何で彼女の声が聞こえてないんだよ。

 

 今だって言ってるだろうに。助けて――って、さッ!

 

「――ぉおおぉおおおッ!」

 

 そんな自分の非力さ。瀧上さんへの怒り。やるせなさ。その全てを混ぜ合わせた激情を押さえ込める程、俺は大人ではなかった。

 血も内臓も吐き出すくらいの勢いで上げた雄叫びと共に、俺は一気に体重を前方へ傾け――床を蹴り付ける。

 

「龍太君ッ! 迂闊に正面に出るなッ!」

 

 ……「必要悪」の言うことは、正しい。恐らく健在であろう「火炎放射器」が待ち受けている、「新人類の巨鎧体」に頭から突っ込むなど、愚の骨頂どころじゃない。あのロボットの危うさを知っているなら、なおさらだろう。

 

 それでも、そんな理屈じゃ覆せない「約束」が、俺を突き動かしていたのだ。四郷を助けると、俺は約束したんだから。――このスーツをくれた、救芽井と。

 

「四郷をあそこから引っぺがしさえすればッ!」

 

 狙うは、コックピットに見える四郷の首。俺は「新人類の巨鎧体」の眼前で屈み込み、その反動を利用して一気に跳び上がる。

 

「鮎子、やれ」

「ア、アア、ニ……ニゲ、テ……!」

 

 相手も、真っ直ぐ向かって来る敵を無視する程バカじゃない。俺を捕まえようと、巨大な両手を広げて襲い掛かって来る。胸の長方形の装甲を開き、火炎放射器らしきモノを露出させながら。

 ――手で掴んで捕縛しておいて、ジューシーに焼き殺すって算段なんだろう。ビデオで嫌という程見せ付けられた手法だ。

 

 もちろん、そんな見え透いた手に引っ掛かるつもりはない。俺は左右から迫る掌のうちの片方を蹴り、その反動でもう片方の掌を飛び越え、腕の上に転がり込む。

 そのまま俺を捕まえようとして伸びきっていた腕を駆け上がり、コックピットへまっしぐら。巨大な両手は見事に空振り、全てを焼き尽くさんと放たれた火炎放射は、何も掴んでいない手だけに直撃していた。

 

 ……そして、回避していても背中に伝わる強烈な熱気は、火炎放射器の残酷なまでの威力と攻撃範囲を、如実に物語っているようだった。

 

「ムッ……!?」

 

 まさか腕に飛び乗って来るとは思わなかったのか、瀧上さんにしては珍しく、あたかも動揺するような仕種を見せている。

 ――この機を逃す手はない。四郷を掴んでる瀧上さんの手を速攻で蹴り、彼女を解放するッ……!

 

 その決心だけを頭に入れ、俺はコックピットに向けてラストスパートに入る。四郷の元にたどり着くまで、あと僅か――

 

「……飛べッ! 鮎子ォッ!」

「アガ、イ、ヤ、ァアアァアッ!」

 

 ――という時だった。

 

 腕の上を走っていた俺は、突然襲ってきた足場と空気の揺れに流され、平衡感覚を失ってしまったのだ。

 

「なっ……!?」

 

 思わず立ち止まり、膝をついてしまう。一体、何が起きた!?

 

「まさか……!」

 

 その答えは、腕から見下ろせる、瓦礫と海水だらけのグランドホールの光景が示していた。

 激しい浸水によりプール状態どころか、客席にまで海水が及んでいるアリーナ。瓦礫が引っ切り無しに降り注ぎ、もはや廃墟と化しつつある地下室の全体。

 これら全てを一望できている理由は……考えるまでもない。

 

「おわぁああッ!?」

 

 程なくして、俺は腕の上から振り落とされてしまい、空中に投げ出されてしまった。

 ……ただ飛ぶだけで、俺が落とされるわけがない。恐らく「新人類の巨鎧体」の飛行能力には、ある程度の軌道修正ができるシステムがあるのだろう。飛びながら左右に身体を振られたら、「救済の超機龍」だって堪ったもんじゃない。

 

 再び二本の火柱を噴き上げて、スペースシャトルの如く舞い上がる「新人類の巨鎧体」。その姿を見上げながら、俺の身体は頭から落下していく。

 

「龍太君ッ!」

 

 そんな俺を墜落死から救ってくれたのは「必要悪」だった。彼の叫びが聞こえた時、俺は既に彼に抱き抱えられていたらしい。

 彼は空中で俺を受け止めても全く体勢を崩さずに、ふわりと瓦礫の上に着地して見せた。

 

「危なかったね。あの迎撃を乗り越えた手並みは見事だったけど……ジェット機能を新たに備えていることを忘れちゃいけない」

「あ、あぁ……。助かったぜ、ありがとな」

 

 「必要悪」は俺の礼には反応せず、ただ真っ直ぐに「新人類の巨鎧体」を見上げている。礼を言うにはまだ早過ぎる、ってか。

 

 一方、「新人類の巨鎧体」は再び天井ギリギリまで飛び上がり、今度は胸板の火炎放射器を展開したまま、急降下の姿勢に突入しようとしている。

 

 あの速度と質量による突撃。さらには、広範囲に渡る火炎放射。この一撃で俺達を本気で始末するつもりであることは、「文字通り」火を見るより明らかだろう。

 

 さっきと同じタイミングでかわそうとすれば、広範囲を焼き尽くす火炎放射の餌食。逆に早過ぎても、軌道修正で追い掛けて来る可能性がある。それで追いつかれたら、今度こそぺしゃんこだ。

 

 ――ちょっとした博打だぜ、こりゃあ。

 

「ア、アア……イヤァ……ヤメデ……ヤメ、デェエ……!」

「堪えろ、鮎子。正義の味方とはこういうものだ。お前も憧れたんだろう? ヒーローになりたかったんだろう? この力が、欲しかったんだろう?」

 

 掠れた声で抗い続けている四郷。そんな彼女の首の断面を弄り、彼女をしきりに追い詰める瀧上さん。あそこに手が届かない自分の非力さに、ヘドが出る……!

 

 唇を切れそうな程に噛み締め、俺はそれを見ていることしかできない。そんな俺があの娘を救おうだなんて、おこがましい妄想でしかなかったのかよ……!?

 

 拳を震わせても、歯を食いしばっても、この自分自身への憤りが、収まることはなかった。

 この状況を覆すには、彼女を救うには、どうすればいいのか。その手段を見付けられずにいた時、俺の右手に振動が伝わる。

 

 これは……通信?

 

「こちら『救済の超機龍』……もしかして救芽井か?」

『龍太君ッ!? 良かった、無事だったのね!?』

「そっちこそ、な。エレベーターが中身まで破壊されなくて良かったぜ。もっとも、あの壊れっぷりじゃあもう使い物にはならないだろうけどな」

 

 右手に嵌められている「腕輪型着鎧装置」の通信機。そこから飛び出してきたのは、切羽詰まった様子の救芽井の声だった。

 

『そう、ね……。でも良かった! さっきの攻撃で、あなたに何かあったらどうしようって……! ああ、良かった、本当に……!』

『龍太様ッ! 鮎美さんがおっしゃるには、あの下衆な鉄屑を保管していた格納庫に、地上へ繋がる螺旋階段があるとか! なんとかそこから脱出してくださいましッ!』

『無論、鮎子君も一緒にだぞ一煉寺龍太ッ! 貴様にしか彼女を救うことは出来ぬということを、肝に命じておけッ! あの「必要悪」とか言う、素性の知れぬ者にばかり頼るでないぞッ!』

 

 心配げに声を震わせる彼女以外の声も、やかましい程に響いて来る。どうやら、エレベーターに逃げ込んだみんなはちゃんと脱出出来ているらしい。

 

 地上の階まで出れば、後は政府の介入を待つだけ。ここで俺が四郷を取り返し、所長さんの寝室にあった彼女の生身を回収出来れば、四郷を復活させられる見込みもあるかも知れない。

 

 ……いずれにせよ、あの「新人類の巨鎧体」をなんとかしなくちゃどうにもならないんだけどな。

 

『――って、救芽井さんッ! 龍太様のこと以外にも大事なことがあるでしょう!? あなた何のために戦の最中の殿方に通信しておりますのッ!?』

『あぁっ! そ、そうだった! き、聞いて龍太君ッ! 大変なのッ!』

 

 その時、久水の謎の指摘を受けた救芽井が血相を変え、まくし立てるような口調になった。何か他にも問題があるらしいが、正直それは後にしてほしいところだ。

 ――「新人類の巨鎧体」が、今にも突っ込んで来そうなんだからッ!

 

「悪いが、ちょっと後にしてくれ! こっちも割りとヤバい状況に――」

 

「矢村さんが、矢村さんが居ないのッ!」

 

 ……え?

 

 その発言に俺の身体は凍り付き、「新人類の巨鎧体」から思わず視線を外してしまった。

 

「龍太君ッ!?」

 

 辺り一体を飲み込む火炎と、全てを砕く鉄拳が迫っている事実に、気づかないまま。

 

「――あッ!?」

 

 「必要悪」の叫びで、俺の意識がこの絶望的な現実に引き戻された時には、全てが遅かった。しっかり「新人類の巨鎧体」を見据え、その動きを見切っていた彼とは、大きな差が生じていたのだ。

 

 回避のタイミングを完全に見誤り、「矢村がエレベーターに乗っていない」という話に気を取られていた俺には、「新人類の巨鎧体」の強襲に反応することなど不可能。

 

 慌ててその場を飛びのいた俺に待っていたのは、全てを破壊する鉄人による、火炎と瓦礫の猛襲だった。

 

 国さえ焼き尽くす業火に焼かれ、質量と速度を兼ね備えた瓦礫の突撃を、その身に何度も激しく浴びる。

 

 それ程の攻撃に晒されて、気を失わずにいられる程の防御能力は、「救済の超機龍」にはない。

 

 矢村の身を案じつつ、俺の意識は一瞬にして刈り取られたのだった。

 



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第131話 方言少女と改造人間

「――、た、龍太――」

 

 誰かが俺を呼んでいる。

 

 何も見えない、暗い世界。そのただ中にいる俺にも、その声だけは確かに届いていた。

 今の自分に意識があるのか。そもそもまだ生きているのか。それすらもわからないというのに、俺を呼ぶあの声が幻だとは、どうしても思えなかったのだ。

 

 なぜなら、それは。

 

「……龍太ッ! 龍太ァッ!」

 

 俺がよく知る、彼女の声だったのだから。

 

「んッ……」

 

 そこでようやく俺は、自分がまだ死んだわけではなかったことに気づかされる。

 あらゆる光を遮断しているこの暗闇は、あの世ではない。ただの閉じられた瞼なのだ。

 

 なぜ俺がまだ生かされてるのかは知らないが――楽に死ぬにはまだ早過ぎるらしい。

 

 自然に眠りから目覚めるように、瞼を開く。その先に見えたのは、俺の顔を心配げに覗き込む、あどけない面持ちの彼女……ではなかった。

 

「R……型……?」

「龍太ぁッ! 龍太ッ……よがった、よがったぁ、龍太がいぎどるよぉ〜ッ!」

 

 俺と視線を交わした、R型を纏う人物は突然泣き出すと、音だけでわかる程に鼻水と涙を赤裸々に流しながら、俺の胸板に顔を押し当てている。

 

 ――甲侍郎さんが連れて来た精鋭達の中に、こんなに小柄な体格の人なんていなかった。それに、ここまで大袈裟な振る舞いを俺に見せる人物といえば、大抵は彼女しかいない。

 そこから導き出せる結論は、ただ一つ。

 

「矢村、なんでお前『救済の龍勇者』に……!? それに、ここはどこだ!? 『新人類の巨鎧体』は、瀧上さんは……四郷はどうなったッ!?」

「ちょちょ、落ち着いてやっ! 一遍にアタシに聞いたって……!」

 

 彼女が「救済の龍勇者」に着鎧していること。俺達がいる瓦礫に囲まれた狭い空間。そして、「新人類の巨鎧体」を操る瀧上さんと四郷の状況。

 

 ありとあらゆる疑問が一斉に噴き上がり、気がつけば俺は血相を変えて、彼女の肩を強引に揺さぶっていた。その時の俺の手が、ユニフォームの黒いグローブになっていたところを見るに、どうやら気絶した際に着鎧が解除されてしまっていたらしい。

 

「それは僕が答えよう。まずは落ち着くんだ、龍太君」

「――『必要悪』ッ!?」

 

 そんな俺の取り乱した様子を見兼ねたのか、矢村の背後に現れた白銀の男が、穏やかな口調で語り始める。

 

「まずはこの場所のこと。ここは瓦礫同士が積み重なって出来た、大きめの『隙間』でね。『新人類の巨鎧体』の目から一時的に逃れるための『隠れみの』ってわけさ。僕と矢村さんでアイツを撒いて、君をここまで運んできて隠れてる――ってこと」

「じゃ、じゃあ、瀧上さん達は今も俺達を血眼で探してるってことなのか……」

「そうなるね。今は随分と遠いところで僕達を捜し回ってるようだけど、ここを嗅ぎ付けるのも時間の問題だと思った方がいい。鮎子君をもう一度助けに行くなら、早く作戦を練る必要がある」

 

 彼の言葉を耳にして、試しに隙間から差し込む光明を覗き込んでみると――百メートル程先に、「新人類の巨鎧体」が俺達を見つけようと、片っ端から瓦礫を漁っている様子が伺えた。コンクリートが粉砕され、大量の水が流れ込んでいく轟音が、絶えず振動となってこちらに響き続けている。

 

 確かに、しらみつぶしに瓦礫をひっくり返している彼らが、徐々にこちらに近づいているところを見れば、時間がないという事実だけは一目瞭然だろう。

 

 ――それにしても、随分と派手に暴れてくれたもんだ。到底、さっきまでコンペティションをやっていた空間だとは思えないくらいに。

 

 今でも引っ切りなしに落石が起きているし、浸水もさらに深刻化している。俺が気絶する前までは、客席に海水が僅かに入って来る程度だったのに、今となっては陸地になってる部分の方が少ないくらいなのだ。

 その上、天井の照明まで壊れており、あちこちで発生している火災が、辛うじて明かりの役割を果たしている。

 

 ……「長く持たない」どころじゃない。いつ天井が総崩れを起こして、全員が生き埋めになってもおかしくない状況だ。

 

「次に、矢村ちゃんのことだけど……どうやら彼女、『新人類の巨鎧体』が一発目の急降下を仕掛けた時に、エレベーターに乗り損なって吹き飛ばされてたらしいんだ。幸い、どこにもぶつからなかったおかげでケガは免れたみたいだけど、エレベーターが壊れてたことで途方に暮れてたんだって」

「う……」

 

 すると、いきなり現れた彼にキツいところを指摘され、負い目を感じたのか、矢村は泣き止むだけでなく俯いて押し黙ってしまった。

 

「そんな折、偶然にも客席に転がっていたR型の『腕輪型着鎧装置』を拾って、君の手助けをしようって考えたらしい。聞くところによれば、彼女自身も君に付き合って着鎧甲冑のことを勉強していたそうだからね」

「……やけんど、アタシ、怖くて何にも出来んかったんや。龍太も『必要悪』さんも命懸けで頑張っとんのに、アタシも着鎧甲冑を持っとったはずやのに。――あんたらが戦いよる時も、アタシは瓦礫の影で震えるだけやった……」

 

 俯きながら話す矢村の姿は、さながら取り調べを受ける容疑者の様だった。本来の彼女なら滅多に見せない、明るさのかけらもない振る舞い。

 そんな彼女のありように、俺は困惑せざるを得なかった。それだけ、悔いているのだろう。自分が、何も出来なかったことに。

 

 ――本来なら「なんでさっさと逃げなかった!」と文句の一つくらいは言ってやりたいところではある……が、俺に彼女を責める資格はない。そもそも俺について来るようなことにならなければ、こんな危ない目に遭うことも、自分の行動を悔やむこともなかったはずだ。

 

 だから彼女がどういう経緯でここに居ようと、俺は全て受け入れなきゃならん。「人の命を預かってナンボ」の着鎧甲冑の所有者なら、なおさらだ。

 

「……くれぐれも、彼女を責めないでくれ。二発目を喰らってアリーナに水没した君を引き上げたのは、他でもない彼女だったんだから」

「ッ!? そ、そうなのか?」

「う、うん。ごめんな、龍太。アタシ、大したこと出来んくて……」

 

 ――しかし、実際のところは俺の想像とは大きく違っていたらしい。水没した俺を助けた? 十分大活躍じゃないか。何が「震えて動けなかった」だ。

 

「……そんなこと、あるか。お前が来てくれなかったら、俺は今頃海中でおだぶつだったんだ。本当、恩に着るよ。ありがとう」

 

 いろいろと説明されたおかげで、ようやく落ち着きが戻ってきた。俺は肺に溜め込んでいた一息を吐き出して気を鎮めると、可能な限り穏やかな口調で言葉を紡ぐ。

 彼女はそんな俺の様子に一瞬たじろぐような仕種を見せると、背を向けて「着鎧解除」と呟き、本来の姿を取り戻した。

 

 一向に素顔を見せようとしないのが気にかかるが――カンに障るようなことでも言ってしまったのだろうか。

 

「さて、矢村ちゃん。彼も無事だったことだし、そろそろ腕輪を渡してくれてもいいかな? 僕もまだ死にたくはない」

「……そうやな」

 

 一方、彼女は俺とは視線を交わさないまま、R型の「腕輪型着鎧装置」を「必要悪」に手渡していた。死にたくはない……? どういうことだ?

 

「そういえば、君にはまだ話してなかったね。僕の身体には『腕輪型着鎧装置』のように、バッテリーで駆動する生命維持装置がある。定期的にこうやって、電力を補給しないと……たちどころにあの世行きってわけさ」

 

 彼が自らの装甲服の左胸に手を当てると、その部分が扉のように開き――蒼く発光する球体のようなものが現れた。

 

「……!?」

「本来ならすぐにでも電力を貰いたかったんだけどね。矢村ちゃんがあんまり君に夢中だったから、声を掛けるに掛けられなかったんだよ」

「う、う、うるしゃいッ! 余計なこと言わんでえぇッ!」

 

 球体の周りには幾つかのコードが繋がれており、彼はそれらの内の一つを摘むと、矢村から受け取った腕輪に接続する。

 本来、「腕輪型着鎧装置」がバッテリーを補給するためにある接続部分。だが、そこに繋がれているのはバッテリー補給用の機材ではなく、「必要悪」の心臓部に取り付けられたコード。

 先程の彼自身の話とその状況から、彼が何のためにR型の腕輪を自分と繋げたのかは、容易に想像できる。

 

 ……問題は、そんなことをしなきゃいけない、という彼の身体の謎だ。

 

 瀧上さんとタメを張る立ち回りといい、十年前の彼と全く同じ声を持っていることといい、あまりにも不審な点が多過ぎる。

 今までは正体を探るどころじゃなかったし、手助けしてくれるならそれでいいと割り切っていたが――やはり味方であると言っても、知らないままでいいとは思えない。

 松霧町で初めて会った時に、線路へおばちゃんを落としたり、茂さんに「救済の超機龍」のことを吹き込んだり。何が目的なのかもわからないまま、そんなことをやっていた人を素直に信用するわけにはいかないだろう。

 

 ……だが、矢村の方は特に訝しむ様子も見せず、「必要悪」の指示に淡々と従っている。こういう得体の知れない相手には、一番怪しがるタイプのはずなのに。

 もしかして――俺が寝てる間に、何か事情でも聞いたのだろうか?

 

「――よし。これで当分は持つね。バッテリーを吸い尽くしたから、R型の方はすっからかんになっちゃったけど」

「しゃあないやん。命には代えられんって」

「ふふ、ありがとうね。さすが龍太君の奥さんなだけあって、気立てがいい。樋稟ちゃんも随分と大人っぽくなったと思うけど、君のように相変わらずな娘も捨て難いよね」

「ちょッ! ま、まだ奥さんとか、そ、そこまでは言っとらんし……! あと、相変わらずは余計やッ! あんたに言われてもちっとも嬉しくないんやけんッ!」

 

 どうやら俺がいない間に、二人はそれなりの信頼関係を築いていたらしい。あの矢村がここまで気にかけているのだから、決して悪人ではない……と思いたい。

 

 だが、何も知らないままでいるわけにも行かない。これからもう一度瀧上さんに挑むとするなら、なおさらだ。

 

「心臓維持装置だかなんだか知らないが……そろそろ、あんたのことを詳しく教えて欲しいもんだ。聞くところによると、瀧上さんと戦う道理はあんたにもあるんだってな。何が狙いであんたはこの場に?」

 

 少々突っ掛かるような物言いになってしまったが――下手(したて)に出てはぐらかされるよりはマシだろう。

 

「そうか……そうだね。これから一緒に戦うんだ、君にも腹を割って話さなきゃフェアじゃない。矢村ちゃんにも、一通り説明したところだしね。でなきゃ、電力供給なんて絶対に手伝ってくれないし」

「あ、あんなぁ龍太。この人は――」

「大丈夫だ、心配しなくていい。四郷君を助けることに繋がるなら、彼にとっても不利益にはならないはずなんだから」

 

 俺から「必要悪」を庇うように、矢村はか短い腕を目一杯広げようとする。そんな彼女を片手で制すると、彼は上体だけを起こしている俺の前で膝立ちの格好になり、仮面越しにこちらと視線を交えた。

 

「やはりあの時とは違う……。僕が思っていた以上に、君は逞しくなっていたらしいね。龍太君」

 

「――やっぱり。あんたは……!」

 

 そして、彼は品定めするように俺を一瞥した後、ついに自分の仮面に手を掛ける。

 次の瞬間――白銀の兜に覆われていた素顔はあらわになり、仮面が外れたのと同時に、声もさっきとは別人のような声色に変化していた。

 マスクを外しただけで、丸っきり他人の声になるというのも十分驚きだが……それ以上に、俺の心理を支配しているもう一つの感情があった。

 

 ――安堵感だ。

 

 「やっぱりあんただったのか」という、「可能性」が「確信」に変わる瞬間。

 その変化を「声」で感じていた俺は、「必要悪」の素顔と正面から向き合い、思わずほくそ笑む。

 あまりにも予想通り過ぎて、もう笑うしかねぇよ。……ったく。

 

「久しぶりだね、龍太君。いや、ここでは『救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)』と呼ぶべきかな?」

 

「ハッ、呼び方なんてどうでもいいだろ。『必要悪(アステマ)』もとい、古我知剣一(こがちけんいち)さんよ」

 



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第132話 「必要悪」の所以

 ツーブロックに短く切り揃えられた、艶やかな茶髪。日本人にしては、やや白めのきめ細かい肌。人の手をどこまで加えても、決して辿り着けないであろう境地に達している、整い尽くされた目鼻立ち。

 

 そして、額から裂け目のように広がる、彼自身の肌とは対照的な、痛ましい傷痕。それは、容姿端麗で傷の類が似合いそうにない彼の顔を構成している部分の中でも、強く異彩を放っている。

 

 二年前の頃には、あんな傷はなかった。

 

 古我知さんのイケメンっぷり自体は相変わらずなようだったが、そんな男前な面をいつまでも維持できるような甘い暮らしはしていなかったらしい。

 互いに立ち上がって向かい合ってみれば、彼の方がかなり身長が高いことがわかる。茂さんより若干低いくらいだ。

 

「……やっぱり、あんただったか。聞くところによりゃあ、アメリカの刑務所に服役してるはずだと聞いてるが?」

「少し前に、甲侍郎さんに呼び出されてね。ある依頼と引き換えに、僕の身柄を買い取る、と」

 

 甲侍郎さんが……!? 囚人を金で買収するような真似までして、彼は何を……!?

 

 そんな俺の驚愕を見越してか、彼は艶のある声色で、ことの経緯を語りはじめる。ここは、おとなしく聞き手に回った方が情報を集められそうかな……。

 

「十年も前になるか……戦場ジャーナリストだった両親は、当時十二歳だった僕を残して、戦闘に巻き込まれて亡くなった。それ以来、僕自身は救芽井家に引き取られるまで、施設に預けられていたんだけど……」

「そういえば、そんなこと言ってたな。――まさか、その戦場ってのは?」

 

 このタイミングで以前に話していた覚えのある、自分の出自の話題を出してきたってことは、まさか……。

 

「察しが良くて助かる。その鋭さを、もう少し周りの女の子に分けてあげて欲しいくらいだね」

 

 そんな俺の意を汲んでか、古我知さんは目を細めて、見透かすように俺の瞳を視線で貫く。周りの女の子に何を分ければいいのかはわからんが、とりあえず彼が戦う理由は薄々把握できた。

 

 ……戦場で取材をしていた彼の両親は、瀧上さん――すなわち十年前の「新人類の巨鎧体」の暴走に巻き込まれてしまった。

 

 それが死因だとするなら、瀧上さんは古我知さんの両親の仇。伊葉さんの云う、彼が戦う理由というのは、これのことじゃないだろうか。家族の敵討ちというシンプルな動機に気づかないほど、俺は鈍感じゃない。

 

 ふと彼の傍にいる矢村に視線を移してみると、彼女は耳を塞いだまま、俺達に背を向けて縮こまっていた。どうやら、よっぽど凄惨な話を聞かされたみたいだな。

 

「……彼女には悪いことをしたと思うよ。それでも、納得してもらうには仕方のないことだった。続けても?」

「ああ。瀧上さんの話はだいたい所長さんから前もって聞いてるし、それなりに耐性は付けてるつもりだ。遠慮はいらん」

「そうか。……両親を失い、君に敗れ、救芽井家からも見放されたと思った頃だったよ。甲侍郎さんが現れて、この件の話を持ち掛けられたのは」

 

 古我知さんは俺の了解を得ると、この「隙間」の外から、さらに遠い世界を見るような目で、静かに説明を再開する。

 

「僕は、君が言うところの所長さん――つまり鮎美さんとは面識があってね。そのツテを利用して、四郷研究所を偵察するように頼まれたんだ。僕自身の釈放を条件にね」

「所長さんと知り合いだったのか? でも、あの人は確か帰国してすぐに……」

「――彼らがこの研究所に逃れてから数ヶ月、彼女は施設で孤立していた僕の遊び相手になってくれていたんだ。何も知らなかった僕は素直に彼女を慕っていたし、救芽井家に引き取られてからも、連絡は取り合っていた」

 

 俺の知らない、所長さんの話を始めた古我知さんの頬は僅かに紅潮しており、声もやや上擦っている。……なるほど、そういうことか。

 

「大人になって、彼女の実態を知ってしまっても、僕らの関係は変わらなかった。どんな経緯でも、やっぱり僕にとっては姉のような人だったから。向こうも、犠牲者の中に日本人がいたことを突き止めてからずっと、遺族だった僕を気にかけてくれていたみたいだし」

「なるほど。で、そのツテを使って瀧上さんのことを調べろって言われたわけか」

 

 昔から彼女と繋がりがあったとするなら、「新人類の将兵」に「解放の先導者」の面影が感じられていたことにも説明がつく。

 大方、彼女が流した情報を使ってあの機械人形を量産し、「技術の解放を望む者達」を組織したんだろうな。十年前に十二歳だった古我知さんが「大人」になる頃といえば、二年前の事件とも重なる。

 ――それだけの関わりがあるなら、瀧上さんを潰したがってる甲侍郎さんに目を付けられるのも当然、ということか。

 

「……うん。父さんや母さんの仇が取れるとしても、彼女にも危害が及びかねない以上、乗り気ではいられなかったけどね。そんな中途半端な気持ちが災いしてか、あの瀧上凱樹にあっさり感づかれてしまったんだ」

 

 そこで彼の声のトーンは急激に下がり、白銀の篭手が額の傷をさする。……その時に付けられた傷だったんだな、あれは。

 

「酷いものだったよ、本当に。鉄の拳で頭を裂かれ、両手両足をもぎ取られ、最後はゴミのように研究所からつまみ出された。後で駆け付けた鮎美さんが、彼に隠れて僕を治療してくれなかったら、間違いなく命を落としていたよ」

「……矢村が耳を塞ぐわけだ。相変わらず優しい口調でえげつない真似する野郎だぜ」

「そうだね、その通りだ。でも、それも鮎美さんに助けられた命を繋ぐためだ。今回ばかりは見逃して欲しい」

「その『命を繋ぐため』だって云う生命維持装置を付けられたのも、その頃なのか?」

 

 手足を引きちぎられた、という話を聞かされた俺の脳裏に、所長さんの部屋で見た「四肢断裂」という単語が蘇る。両手両足を持って行かれた彼が、こうして五体満足(にも見える格好)で俺の前にいる以上、所長さんが何かしたとしか考えられない。

 

「あぁ。『新人類の身体』のテクノロジーを応用した電動義肢。そして、停止寸前だった血液の循環をカバーするための、心臓を補佐する生命維持装置。おまけに研究中だったっていう高電圧ダガーも取り付けられた。ちょっと例えが違うかも知れないけど、子供の頃に甲侍郎さんに見せられてた、仮面を付けた改造人間のヒーローみたいだね」

「ヒーローねぇ……。そういやそのマスクを外した途端、声が元に戻ったよな? どういう仕組みなんだ」

「ただの変声機能付きのヘルメットだよ。それ以外の機構は君のと大して変わらない。……十年前の瀧上凱樹の声、か。結局、彼女が欲しいのは僕じゃなくて、ヒーローだった彼なんだよね……」

 

 寂しげな声を漏らす彼だが、その武骨な見なりのせいでどうしてもミスマッチに感じてしまう。

 

 ――機械に詳しいわけじゃないから全て理解できてはいないんだが、要するに、いわゆるサイボーグとして生まれ変わった、ということなのだろう。あまりにも変わり果ててしまった自分の身体に、彼はただ苦笑するばかりだった。

 

「このおかげで、僕自身は随分と強くなれた。君に負けないくらいにね。……でも、偵察自体は大失敗どころか、瀧上凱樹をより警戒させる結果を招いてしまった。そこで、甲侍郎さんは救芽井エレクトロニクスと四郷研究所でコンペティションを擬似的に行わせて、その隙を突いて一網打尽にする計画を新たに立案した。僕は、その段取りを手伝うことになったんだ」

 

 半分以上が人間じゃなくなるような目に遭っても、好きな人に危害を加えかねなくても、彼はあくまで甲侍郎さんに従っていたらしい。

 

 「着鎧甲冑の繁栄」。自分自身の行動基準が全てそこにある限り、どこまでも突き進んでいく。古我知さんは、そういう男なのかも知れない。

 

「それでおばちゃんを線路に放り込んだり、茂さんに『救済の超機龍』のことを吹き込んだりしてたってわけか。……俺が瀧上さんの様子を見るための『囮』に相応しいか、見定めるために」

「そう卑屈にならないでくれ。甲侍郎さんが君の働きに期待していたのは事実だ。そして――僕もね」

 

 古我知さんはそこで言葉を切ると、一転して厳しい眼差しに切り替え、隙間の先に見える「新人類の巨鎧体」を睨みつける。次の瞬間、引っ切り無しに響き続けていた轟音が、一際大きなものになった。

 例の赤褐色の鉄人は、かなり近いところにまで迫っている。あの巨人と俺達の間にある距離は、もう五十メートルもない。何かを引き剥がすような音。濁流が瓦礫を飲み込む音。終末を思わせる現象が、「音」という形で俺達に迫りつつあるのだ。

 いつ見付かってもおかしくない。いや、今見付かっていないのが奇跡、というべきか。

 

「本来、『新人類の巨鎧体』は水中には適応できない。『新人類の身体』と同様にね。にも関わらず、あれほど暴れさせていられる理由がわかるかい?」

「あのブースターで飛べるから……?」

「その通り。彼は僕達を皆殺しにしてから、ゆっくりと格納庫から地上に離脱するつもりでいる。エレベーターが壊れた以上、脱出路はあそこしかないからね」

 

 古我知さんが指差す先には、「新人類の巨鎧体」が最初に現れたスペースが見える。今となっては瓦礫だらけだが、それでも退路としては健在らしい。

 

「あそこには地上に繋がる螺旋階段がある。『新人類の巨鎧体』を始末したら、それを使って脱出しよう」

「始末……? 何か作戦でも?」

「ああ。君の言う通り、『新人類の巨鎧体』の生命線はあのジェット機能にある。そして、今は瓦礫だらけになってるアリーナの下には、大量の海水がある。僕の狙いは、わかるね?」

「ブースターを壊して、プールになってるアリーナに沈めよう……ってことか。確かにそれなら仕留められるけど、本当に上手く行くのか?」

「僕一人なら一瞬でおだぶつだね」

 

 俺の問いに対し、彼は「自分だけでは不可能」とあっさり断じてしまった。真剣な顔でそう言い切るのだから、それだけ彼にとっても厳しい相手である、ということなのだろう。

 

 「新人類の身体」の能力を得たサイボーグでも、たった一人では絶対に敵わない敵。そんな強大な存在を見据えていた眼差しは、いつしか俺に向けられていた。

 

「そこで、君には君の言葉で云うところの『囮』としての責務を全うして貰う。アリーナのところに引き付けてくれさえすれば、僕が高電圧ダガーを背部のジェットタンクに突き刺して終わりにする」

「ジェットタンクに突き刺す……!? そんなことをしたら!」

「大丈夫だ、うまく電流を時間差で流し込むように調整すれば、すぐには爆発しない。飛行能力を失った『新人類の巨鎧体』は鉄屑と化し、瓦礫を突き破り海に沈む。瀧上凱樹がその事態に気を取られている間に、鮎子君の首を奪還するんだ」

 

 一度殺されかけたことで達観しているのか、それとも感覚がマヒしてるのか。いずれにせよ、古我知さんの提案する作戦がとんでもない博打の連続なのは間違いなかった。

 

 下手をすれば突き刺した瞬間に俺達が全て吹き飛ぶ可能性もあるし、瀧上さんが「新人類の巨鎧体」の水没をさほど気に留めず、隙を作らなかったら、四郷も一緒に魚の餌になる。

 

 ――それに、古我知さんの作戦で行くと、少なくとも瀧上さんは絶対に殺すことになる。確かに、戦うための身体に改造された彼なら、躊躇する必要はないだろう。

 人を殺すことが「悪」だとわかった上で、それを実行する覚悟が「必要悪」という名の所以とするなら、なおさらだ。

 

 だけど、俺は? 人の命を救うための着鎧甲冑で、そんなマネが許されるのか?

 

 ましてや「救済の超機龍」は誕生の経緯はどうあれ、救芽井の夢を背負って生まれた着鎧甲冑であることには違いないはず。それを使ってこんな作戦に協力することが……本当に正しいのだろうか。

 

 ……いや、それ以前に、俺がアリーナまで誘い出すまでに殺されても作戦はおじゃんになる。その時点で古我知さんも打つ手を失い、矢村も四郷も死ぬ。

 いい作戦どころか、いつ誰がどうなっても不思議ではない。命を対価に宝くじに挑戦するよりもシビアだろう。

 

 ――だが。

 

「しゃーねぇ。他に手段がないんなら、それで行くしかないよな。うまく四郷ごと吹き飛ばさないようにしないと、俺は承知しないぞ」

「君こそ、僕の期待を裏切って勝手に死なないでくれよ?」

 

 やるしか、ない。

 

 だって、救芽井や所長さんに約束しちまったんだから。絶対に四郷を助けると。

 

「あ、そうだ」

「どうしたの? 龍太く――ッ!?」

 

 ことのついでに、白銀の鎧に隠れた腹に思い切り突きを入れてやる。おばちゃんを線路に放り込んでくれた分だ。

 ……まぁ、生身の人間の拳が、サイボーグに通じるはずはないんだけどな。現に古我知さんは少し驚いたような顔をしたくらいで、全くダメージを受けていないようだった。

 

「赤の他人まで巻き込んだ落し前だ。事態が事態だし、今はこんなとこで勘弁しといてやる」

 

 むしろ、痛いのは俺の方。やる前からわかっていたことだ。だからこれは、古我知さんではなくて俺への「落し前」。絶対に助けるなどとデカい口を利いておきながら、人の助力がなきゃ何もできない俺自身への、戒めだ。

 

「……全く、君も相変わらずだよね。そういう自分の痛みに無頓着過ぎるとこ」

 

 古我知さんも分かっているらしく、俺の面倒な性格に苦笑いを浮かべていた。――あんたには言われたかねぇや。

 

「よし、それじゃ行こうか」

「ああ。……そっちこそ、期待を裏切るなよ。古我知さん」

 

 ここまで来たら、あとは死ぬ気であのデカブツを引き付けるだけだ。「救済の超機龍」のバッテリーもピンチだが、やるしかない。

 

 俺は仮面を被り、戦闘準備に入りつつある古我知さんに続くように、「腕輪型着鎧装置」を装備している右の手首を捻る。そして、隙間から身を乗り出そうと脚を伸ばした時。

 

「龍太、龍太ッ! ちょお、待ってやッ!」

 

 ――矢村の悲痛な叫びが、俺の歩みを引き留めた。

 



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第133話 ファーストキスに覚悟を込めて

 矢村の叫びと同時に、袖を強く引かれる感覚に襲われる。振り返った先には、俺の袖を固く握り締め、悲しげな表情を浮かべている彼女の姿があった。

 

 袖を掴む手は小刻みに震え、目には大粒の涙を貯めている。眼前の脅威に怯える小動物のようなその様は、俺に出動を躊躇させるには十分な効果があった。

 

「ど、どうした?」

「……いかん、行ったらいかんッ! 行ったら、龍太死んでまうッ!」

「おわっ!?」

 

 俺が尋ねた途端、彼女はいきなり力を入れて俺の腕を揺さぶり始める。元々彼女の方が腕力があることもあってか、思わずこちらもよろけてしまった。

 

 瓦礫を破壊して周り、こちらへ徐々に迫りつつある「新人類の巨鎧体」。その中核に囚われ、今もなお血の涙を流し叫び続けている四郷。

 そんな常軌を逸した光景を眺め続けていれば、恐怖に惑わされてこうなってしまうのも、仕方ないことなのだろう。俺が意識を失っている間も、彼女は古我知さんの壮絶な経緯を聞かされながら、あの鉄人を見せ付けられていたのだから。

 

「……矢村。怖いのは俺も一緒だし、死んでもおかしくないっていう話ももっともだと思う。お前の言いたいことは、わかるよ」

「じゃ、じゃあ、もう逃げようやッ! そら、四郷は可哀相やし、助かる見込みがあるんかも知れんけどッ……それで龍太が死んでもうたら、アタシ、もうッ!」

「そうだな。それもそうだ。――けどな。俺は腐っても『救済の超機龍』だし、四郷みたいな娘を助けるための力を貰ってる身なんだ。だから、今すぐ帰ることはできない。まだ、やることが残ってるから」

 

 ……だとしても、俺に四郷を見捨てて退却する選択肢はない。それが、矢村の望む決断ではなかったのだとしても。

 

 確かに矢村の言う通り、勝ち目は薄いし死ぬ確率の方が高い。付き合いの長い同級生がそんな博打に飛び込もうと言うなら、全力でそれを引き止めたがるのが、彼女という人物だ。

 俺自身、そんな彼女に支えられてきたからこそ、今がある。本来なら、彼女の言い分を受け止めるのが筋なのだろう。

 だが、仮に彼女の言う通りにここで引き返すことになったら、四郷はどうなる? 彼女を助けたいという願いを俺に託した、救芽井や所長さん達は?

 

 今の俺達が明らかに力不足だとすれば、戦略的撤退として逃げを選ぶ価値も十分にある。出来もしないことを無理にやろうとして死ぬより、その方が余程カッコイイだろうしな。

 ……でも、俺達は別に「力不足」ではない。個人の力は弱いが、俺一人でやるわけではないし、賭けの要素が多くとも作戦自体はないこともない。第一、人命救助のための力と可能性を貰っておいて「危ないから逃げますね」だなんて、とてもじゃないが言えたもんじゃない。

 

 だから俺は、ここに残る。彼女に嫌われようと泣かれようと、四郷と一緒じゃなけりゃ、ここを出る意味はないんだ。まだ作戦が失敗したと決まったわけじゃないしな。

 

「なんで……? なんでなん? なんで龍太が、そこまでせないかんの!? だって龍太、正式に資格持っとるわけでもないのにッ……!」

「まぁな。確かに俺は、茂さんや救芽井と違って資格は持ってない。『救済の超機龍』を任されてんのも、この計画のためだけにってとこだろう。それでも、現実に『力』を託されてはいるんだ。その責任に背いちゃうのは、何か違う気がする」

「その責任を、誰のために取るって言うんや!? 救芽井の……ため?」

「そんなところ、かな。あいつのためだし、あいつの夢を助けたいっていう、俺の自己満足のためでもある。――そして、お前をここから無事に助け出すためだ」

 

 しかし、矢村はどうしても俺を行かせたくないらしく、あれこれと理由を追及してくる。

 

 俺が「救芽井のため」と口にした途端、肩を落として俯いてしまったのが気掛かりだが……今は、彼女の希望に添ってばかりはいられない。

 

 巨大な鋼鉄の足が起こす地響きは、確実に大きなものになりつつある。もう数分も経たないうちに、ここも瀧上さんと四郷に掘り起こされてしまうだろう。

 

 そうなったら、いやがおうでも作戦を決行することになる。その隙に矢村を逃がさなければ、彼女の命はない。

 全ては、俺の陽動に掛かっている。こればっかりは、失敗は許されない!

 

「……なぁ、龍太。言わして貰っても、ええ?」

 

 その時、俯いたままの彼女が、弱々しい声で呟いた。心なしか、その声色は僅かに上擦っているように感じられる。

 

「ああ、なんでもどうぞ」

 

 俺は彼女とは目を合わせず、黙って俺達を見守っていた古我知さんと同様に「新人類の巨鎧体」を凝視したまま、その言い分に耳を傾ける。どうせ今さら何を言われようと、俺のすることは変えられない。なら、せめて文句の一つくらいは黙って聞いてやらないとな。

 

 ――しかし。

 

「アタシな。龍太のこと、好きやで」

 

 その「文句」は、俺の予想を遥か彼方まで超えていた。

 

「なっ……!?」

 

 思わず、「新人類の巨鎧体」から視線を外してしまう。この期に及んで、彼女は何を!?

 

「中学ん時に、あんた、緊張しとったアタシのこと、励ましてくれとったやろ? あん時はまだ、あんまり意識はしとらんかったけど……」

「……」

「何となしに一緒におるうちに、どんどんあんたと過ごす毎日が楽しくなって。あんたがアタシを庇って、病院送りにされた時はすんごく辛くて。いつも傍におってくれるあんたの横顔に、何か知らんうちにドキドキしとって。……そんで二年前、救芽井に初めて会った時に、チクッとして。そこで、やっとわかったんや。アタシ、初めて会った時からずっと、こいつが好きやったんやな……って」

 

 一時は沈んでいた表情や声色が、次第に生気を取り戻していく。彼女の顔が完全に上がり、俺と視線が交わった時には、さっきまでの沈痛な面持ちは跡形もなくなっていた。

 

 ほのかに紅潮した頬。安らぎを漂わせる眼差し。その目元からこぼれ落ちる、暖かい雫。

 

 それを見て、彼女の語りを悪い冗談と片付けられる道理が、あるのだろうか。

 

「……やけど、あんたはアタシの知らん間に、救芽井とどんどん関わっていって、どんどん変わっていって。あいつのために、どんな無茶な戦いもして。気がついたら、アタシなんかが関わりようがないくらい、遠いところに行ってもうた」

「や、矢村。俺は別に遠いところになんて――」

「やけん、アタシ怖かった。龍太が、アタシの大好きな龍太が、アタシの知らん龍太になってまう。みんな龍太と一緒におれるのに、アタシだけ取り残されてまうって。所長さんに追い返されそうになった時から、ずっと、そう思っとった」

 

 俺の言葉を遮り、自身の胸中を語る彼女の頬を、熱い涙がとめどなく流れていく。僅かに視線を落としている今の彼女の姿は、中学時代から今に至るまでの中で、一度も見たことがない。

 

『この際やから言うとくけどな、アタシは龍太が好きや! 大好きなんや!』

 

 そして、あの言葉が脳裏を過ぎった時。

 俺はようやく確信した。あれは、冗談でもなんでもなかったのだと。

 

「やから、不謹慎やってのはわかっとるんやけど……R型の『腕輪型着鎧装置』を拾うて、あんたのことを助けられた時、ホントはスッゴく嬉しかったんやで。アタシなんかでも、出来ることがあったんやっ……て」

「……矢村。そこまで気にしなくたって、俺にとってお前は十分すげぇんだよ。お前が居てくれなかったら、俺は知らない世界に独りぽっちだったんだ。お前はずっと、俺のことを助けてくれてたんだよ」

「――えへへ。やっぱ、龍太は優しいなぁ。ホントに……」

 

 矢村は大粒の涙を流しながら、いつも通りの太陽のような笑顔を輝かせている。――だがその涙のせいなのか、無理をしているようにしか見えなかった。

 

「……やけど、あんたは救芽井のために戦うんやろ? 救芽井の夢、しょっとるもんね」

「そうだな。……すまん。俺はやっぱり、あいつのヒーローをやらなくちゃいけないんだ。今、ここで辞めるわけにはいかない」

「別に、謝らんでええよ。アタシにとっても、あんたはヒーローなんやし。……四郷のこと、絶対に助けたってな?」

 

 彼女はその笑顔を維持したまま、ようやく俺の意志を肯定する言葉を出してくれた。……無理矢理にでも、納得しようとしてくれているのだろうか。

 

 彼女の気持ちは、素直に嬉しいと思う。もし救芽井や久水と出会っていなければ、彼女を受け入れることに何の躊躇もなかったはずだ。

 

 ――だが、今は違う。今の俺は救芽井の夢を「救済の超機龍」として背負い、生きるか死ぬかの境地に立たされている。レスキューヒーローである以上、この事態に匹敵するレベルかはともかく、危険な状況に置かれることも増えてくるだろう。

 

 その都度、俺は彼女を泣かせることになるのだ。今まさに、こうして涙を流しているように。彼女と一緒になるとすれば、常にその要素が強く付き纏うことにもなる。

 

 学校の「芸術研究部」の連中が、彼女を盗撮を目論んだと知った時。気づけば、俺は彼女以上に怒りを覚えていた。

 

 ……もしかしたら、俺も彼女とずっと同じ気持ちだったのかも知れない。そう思うと、さらに胸を締め付けられるような感覚に襲われる。そんな彼女の近くにいるほど、俺は彼女を苦しめていくことになりかねないのだから。

 

 大切に想えるからこそ、傍にいられない。そんな矛盾が、あっていいのだろうか。

 

「――あんなぁ、龍太。救芽井は婚約者かも知れんし、久水は愛人かも知れん。やけどな」

 

 その時。

 

 矢村は突然、さらに頬を赤くしながら俺を強い眼差しで見上げ、ユニフォームの衿を両手で掴んできた。

 

 そして、そのまま強引に引き寄せ――

 

「……あんたの唇だけは、アタシのもんやで」

 

 ――俺の視界を、目を閉じた自分の顔で、埋め尽くしてしまったのだ。唇に伝わる、柔らかくも暖かい感触と共に。

 

 紅潮した小麦色の肌と、艶やかな黒髪が俺の顔と心をくすぐる。彼女の唇は、まるで餌を求める雛のように、俺のソレを懸命に求めていた。

 

 あまりにも唐突で、衝撃的。

 俺は呆然としたまま、彼女の為すがままになっていた。

 

 正気に戻った頃には、彼女は既に俺から顔を離し、潤んだ瞳を逸らしている。彼女も十分恥ずかしかったのかも知れないが……俺の動悸も半端なものではなくなっていた。

 

「……おいおい」

 

 自分でもわかる程に顔は紅潮しており、全身が小刻みに震えているのがわかる。気づけば俺は、思わず心臓の高鳴りを抑えようと、左胸の辺りを思い切り掴んでいた。

 こんな時に、こんな場所で、よりによってあの矢村とファーストキス。そんな事態が、誰が予想できただろう。

 

「アタシの初めて――お守り代わりやと思って、貰っといてや。アタシも、あんたの初めて……一生大事にしちゃるけん」

 

 茹蛸のような赤い顔でそう告げると、彼女は熱い眼差しを俺に向けたまま、数歩後ろへ下がっていく。

 ――どうやら、キスによってある程度の踏ん切りを付けたらしい。彼女の笑みから、無理をしているような悲痛さが消え失せているのがわかる。

 

「……ああ!」

 

 唇を奪ったのは、引き止めたい気持ちに決着を付けたかったから……なんだな。

 お前がそこまでしてくれたんなら、俺も応えなくちゃならない。お前にとっても、俺がヒーローだと言うのなら。

 

 俺は赤い顔のまま強く頷いて見せると、身体を翻して「新人類の巨鎧体」に視線を戻した。既に距離は三十メートルもなく、もはや目と鼻の先と言っていい。

 

「腹は括れたかい? 女子高生キラー君」

「やかましい、俺はいつでも準備万端だ」

 

 静かに待っていた古我知さんの冷やかしに悪態を付きつつ、俺は「腕輪型着鎧装置」を構える。いよいよ、出動ってわけだ。

 

「じゃあ、行ってくる。俺が瀧上さんを引き付けてる間に、お前は螺旋階段で上に逃げるんだ!」

「う、うんっ! 龍太、頑張ってなっ!」

 

 俺は矢村のエールに背中越しに立てた親指で応え、光明の向こうに身を乗り出していく。隙間から外へと飛び出していく俺に続いて、古我知さんも動きはじめた。

 

 ――そして遂に、灰色の鉄人が持つ鋭い眼光が、俺の眼差しと交錯した。

 

「……そこに居たのか。今度こそ、逃がしはせんぞ」

 



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第134話 ありえない伏兵

 薄暗い瓦礫の隙間を抜け、光明の向こうへ駆け出した先。そこに待ち受けていたのは暴虐と絶望の象徴とも云うべき、赤褐色の巨人の姿だった。

 「新人類の巨鎧体」と称されるそれを駆るのは、二人の男女。――いや、一人の男。

 

「オレ達の前に出てきたということは……観念したのだと解釈してもいいのだな?」

 

 その男――瀧上さんは、四郷の首の断面を指先で弄びながら、憮然とした様子でこちらを見下ろしている。

 俺が気絶している間もずっと、彼女を苦しめ続けていたのだろう。あれほど響いていた四郷の叫び声は、声帯自体が掠れきってしまったのか、もうほとんど聞こえて来ない。

 彼女は今も、白目を剥いたまま赤い涙を流し、大口を開けて何かを叫ぼうとしている。だが、そこから言葉と呼べるものは何一つ響いては来ない。

 

「ア……カ、カ……!」

 

 垂れ下がった舌と、口元を伝う赤い液体が、彼女の味わった苦しみを壮絶に物語っているようだった。どれだけの時間、彼女は苦しんでいたのだろう。今となっては、想像することさえ恐ろしくなる。

 

 そして、それゆえに俺は、彼に立ち向かわざるを得なくなるのだ。与えられた「力」に課せられた「責任」に、報いるために。

 一方、古我知さんは既に作戦のために定位置へ向かい、矢村は格納庫に向かって走り始めている。彼らの命も、俺に懸かっているのだ。この博打、失敗は許されない。

 

 ――腐っても俺は、レスキューヒーローとしてここにいるのだから。

 

「観念するのはあんたの方だ……! そろそろその娘を返してもらうぜ!」

 

 俺は右手に装着した赤い腕輪を見据え、そのガジェットに装備されたマイクに音声を入力する。

 

「着鎧――甲冑ッ!」

 

 次いで、その腕輪を付けた右手を天に翳す。遥か空の向こうに、手刀を放つかの如く。

 

 そして、俺の全身を深紅の帯が螺旋状に包み込み――やがて赤いヒーロースーツを形成していった。着鎧、完了だ。

 

「……どうやら、さっきの一発では『新人類の巨鎧体』の味はわからなかったようだな」

「わからないし、わかりたくもないし、わかる必要もない。今からそいつは、文字通りの鉄屑になるんだからな!」

 

 「救済の超機龍」になるのと同時に、俺は自身の身長を遥かに凌ぐ鉄人に対して、精一杯の虚勢を張る。瀧上さんの注意を引けるか否かが、作戦の成否を分けるのだから。

 

「『新人類の巨鎧体』に向かって鉄屑……? フン、よほどオレに断罪して欲しいらしいな」

 

 俺の挑発が効いたのか、瀧上さんの声色が低くくぐもったものになった。いつ向こうが仕掛けてきてもおかしくない程に、俺達を包む空間が、殺気で張り詰めたものになっていくのがわかる。

 あの巨体を持ち上げて急上昇できるブースターがある以上、「新人類の巨鎧体」がいくら鉄の塊である言えども、その動きが鈍重なものだとは限らない。俺は今まで以上のスピードを出せるよう、重荷にしかならない電磁警棒を投げ捨てながら「逃げ」の体勢に入っていく。

 

 そして、俺に投棄された無用の長物が、瓦礫の山で構築された床に落ちる時。

 

「――やれ、鮎子」

 

 その無骨な金属音を合図にしたかのようなタイミングで、瀧上さんの指令が冷徹に下された。

 

「……ア、ガガ、カッ……!」

 

 もはや泣き叫ぶことも、助けを求めることも出来ないのだろう。四郷は舌を突き出して痙攣を起こしながら、巨大な鉄拳を振り上げてきた!

 

「くッ――!」

 

 俺は体格差による圧倒的なリーチの開きを克服するべく、全力で床を蹴る。鉄人の股下をくぐり抜け、ジェットパックが取り付けられた背部が見える所まで転がり込んだ頃には、俺が立っていた場所は跡形もなく粉砕されてしまっていた。

 瓦礫が幾多の破片となって飛び散り、四散していく。もし反応が一秒でも遅れていたなら、俺も肉片と化してああなっていたのだろう。

 

 ――だが、回り込んでしまえばその分だけ余裕が生まれる。

 俺は即座に身を起こし、アリーナが埋め立てられているポイントへ視線を移した。エレベーターの原形を辛うじて留めていたガラクタを見れば、どの辺りがあのフィールドに相当するのかは容易に把握できる。

 アリーナの位置に相当する瓦礫の山は、他の足場と見た目はさほど違わない。言うなれば、瓦礫に偽装された天然の落とし穴なのだ。

 なんとかそこまで飛び込めば、あとは隠れてスタンバっている古我知さんが始末を付けてくれる。その一縷の可能性に、俺を含む全員の生死が掛かっているわけだ。

 

「見失ったとでも思うか!? 鮎子、後ろだッ!」

 

 だが、やはり向こうもやすやすと俺達の思うままにはさせてくれないらしい。「新人類の巨鎧体」は僅かにその身を横に傾けたかと思うと……一瞬にして、こちらに向き直ってしまった。

 

 身体を横に曲げてバーニアの噴射を制御することで、迅速に旋回出来るらしい。こんな動きは、十年前の映像では全く見られなかった。

 

 ――くそったれめ。ガキ相手なんだからちっとは手加減しろっての!

 

 そんな叶うはずのない願望を胸中で垂れ流しながら、俺は踵を返す。あのデカブツがどれだけ速く動こうが、俺に出来ることはあそこにたどり着くことだけだ。

 

 全速力でその場を飛び出し、超人的な脚力に物を言わせて幾度となく地面を蹴る。文字通り、命を懸けて。

 だが、瓦礫だらけの床を駆け抜ける俺を覆い尽くすかのように、次第に「新人類の巨鎧体」が迫って来ているのがわかった。辛うじて機能している照明の点滅が、幾度となく巨人の影を映し込んでいる。闇夜の中での落雷が、悪魔のシルエットを暴き出すかのように。

 

「……ちっく――しょおぉッ!」

 

 眼前を覆う、巨人の影。その存在が煽る焦燥感が、俺の背を強烈に突き動かしていく。仮にも重荷を捨てて、身軽になっている着鎧甲冑にここまで追い縋るなんて、いくら歩幅の差があると言っても速過ぎる。

 わざわざ振り返って確かめるまでもない。……例のブースターで追尾しているのだ! そうでなければ、あんな巨体が四郷と張り合った「救済の超機龍」のスピードに付いてこれるものかッ!

 

「――おおおぉッ!」

 

 しかし、だからといって諦めるには早い。

 確かに追い付かれるのは時間の問題かも知れないが、例のアリーナ跡地はそこまで遠い場所ではないのだ。いつかは捕まる可能性があるにしても、それまでに目的地に飛び込んでしまえば問題はない。

 俺は目と鼻の先に差し迫るゴール地点に向かい、雄叫びを上げて駆ける。

 

 ……その時だった。

 

「鮎子ッ!」

 

 瀧上さんの怒号と共に、「新人類の巨鎧体」の動きに変化が現れた。その動作を忠実に表現している影を見る限りでは――拳を振り上げている!

 

「ちッ!」

 

 どうやら本格的に潰しに掛かるつもりらしい。俺は舌打ちと共に、さらに体勢を前に傾けて勢いを付ける。

 ここはまだ、客席だった場所に入れたかどうか、というところ。こんな半端なところで捕まってたまるか!

 

 俺は影の動きと、金属の軋む音、そして巨大な鉄拳ならではの猛烈な風切り音を頼りに、回避を試みる。目で見て避けていられる余裕は、ない。

 みるみるうちに、拳が隕石のように迫って来るのがわかる。地面ごと打ち砕き、俺を無惨なミンチにするために。

 

「――ッ!」

 

 今じゃない。まだ早い。もう少し――ここだッ!

 

「とあぁッ!」

 

 俺は拳の破壊力に飲み込まれる寸前、打ち出されたバネのようにその場を飛び出した。鉄拳により砕かれた瓦礫の小さな破片や、この一撃に生み出された衝撃波が、容赦なく背中に襲い掛かる。

 だが、肉片になる顛末を免れたことに比べれば、安いものだ。この攻撃をかわした今、俺達の勝利が後一歩のところにまで近づいているのも、間違いないのだから。

 

 ――待ってろよ、四郷。もうすぐお前を助、け……!?

 

「よし――でかしたぞ、鮎子」

 

 突如、俺の身体が空中で静止する。

 

 しかも、強力な何かに縛り付けられるような……抗いがたい力が、全身に襲い掛かったのだ。はじめは何が起きたのか、まるで理解が追い付かなかった。

 だが、瀧上さんのその一言が、この現象を端的に物語っていたことに感づくのは、そう難しいことではない。金縛りに遭ったように、全く身動きが取れないこの状況。

 その謎は、俺が視線を落とした先にある、鉄人の指が解き明かしてくれた。

 

「……あっ!?」

 

 俺は――「新人類の巨鎧体」に捕まっていたのだ。あの鉄拳を跳び上がり、回避したと思っていたところを狙われて。

 恐らくは、初めからパンチをかわされることは読んでいたのだろう。身体そのものの移動速度がブースターにより上昇している点を除けば、そこまで動きが敏捷ではない「新人類の巨鎧体」が俺を捕らえるには、行動を先読みした上で動くしかない。

 片腕で出した拳を避けさせて、そこをもう片方の手で捕まえる。作戦と呼ぶにも値しない程の、単純過ぎる罠。

 そんなものに、俺は引っ掛けられていたのである。敵の巨大さに惑わされるあまりに。

 

 俺の身体を握り締めている「新人類の巨鎧体」の手は、やはり尋常ならざる力を発揮していた。どれだけ全身に力を込めても、身じろぎ一つ満足にできない。

 ――あんな古典的過ぎる引っ掛けに躓いて、作戦がおじゃんだなんて……酷すぎんだろ。

 あまりにもふがいない自分自身に、呆れて物も言えなくなる。何が責任を果たす、だ。

 

「とうとう捕まえたぞ……随分とちょこまかと逃げ回ってくれたな」

 

 もはや勝負は決したようなものだというのに、瀧上さんの様子に落ち着いた雰囲気は見られなかった。こんな小僧に振り回されたこと自体が、相当プライドに障ったらしい?

 両手でしっかりと俺を握り締めた「新人類の巨鎧体」は、怒りを解き放つように胸部のハッチを轟音と共に解放していく。

 

 そこから現れたのは――あの、全てを焼き尽くす火炎放射器。

 アリーナを目前にしたところで、俺をジューシーに調理しようってのかよッ……!

 

 古我知さんはここぞってところで捕まった俺を見て、悔しげに目線を逸らしている。どうやらこの状況では、瀧上さんを始末するには材料が足りないらしい。

 ――俺は犬死にってことかよ! くそったれッ……!

 

 この戦いに終止符を打てるはずだった。もうすぐ、四郷を彼から解放出来るはずだった。その望み全てが今、打ち砕かれようとしている。

 たった一瞬の、俺自身の油断のために。

 

 仮面の奥で唇を噛むことしか許されない。そんな理不尽が通ってしまうのが戦いの道理なのだと、俺は今さらになって理解した。

 巨大な敵に協力して打ち勝つなんて、フィクションでしか有り得ないことだったのか? 所詮強い奴だけが生きて、そうじゃない奴はみんな死んじまう結末こそが、変わりようのない真理だってのか?

 

「――消し飛ばしてやれ。これで、全てが終わる」

 

 それを問うことすら許されないのか、瀧上さんは既に四郷に俺を処刑する命令を下していた。

 

「ア、アア……イヂ、レ……ニ、ゲ……!」

 

 ……わかっていたことだ。彼女に拒否権はない。恐怖に心を支配され、意志と呼べる意志全てを奪われた四郷には、引き金を引く以外の選択は与えられてはいなかった。

 それでも、懸命に俺を救おうと声を絞り出そうとしている彼女を見る度に、俺は強く胸を締め付けられていた。彼女を助けられない現実と、彼女自身が背負う苦しみを、同時に突き付けられていたのだから。

 

 俺の意志。彼女の苦しみ。古我知さんの覚悟。その全てを嘲笑うように、火炎放射器の発射口に火が灯る。

 文字通りの、一巻の終わり。十年前の映像のラストを再現するかのような末路に、俺は抗う術を持たなかった。

 

 ――ごめん。古我知さん。四郷。……矢村。

 

 そして、そう呟くしかないのかと、心のどこかで諦めかけた時。

 

「まま、待ちぃやッ! りゅ、りゅりゅ、龍太を離さんかいッ! このオンボロボットォッ!」

 

 ……有り得ない伏兵が、この戦場に降臨する。

 



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第135話 強襲、ヤークトパンタン

 「新人類の巨鎧体」に捕まり、今まさに骨も残さず焼き尽くされようとしていたところへ、突如として現れた伏兵。

 それは、俺自身が誰よりもこの場から遠ざけようとしていたはずの矢村だったのだ。

 

 俺と交わったばかりの、桃色の愛らしい唇を噛み締め、彼女はその小柄な体躯からは想像も付かない程の「強さ」を、眼差しから突き出している。

 これ以上は絶対に許さないと、瀧上さんに宣言しているかのように。

 

「……まだ、小悪党が残っていたとはな。死ぬと解っていながら顔を出す勇気は、敵ながら評価に値する」

 

 だが、その瞳に力は伴わない。小刻みに震える小麦色の脚を見れば、誰にでもわかることだ。彼女の勇姿は、虚勢が作り上げたものに過ぎないのだと。

 

 瀧上さんもそのことはとうに解りきっているのだろう。自分に刃向かう彼女を見下ろし、悠然とした佇まいのまま、鼻を鳴らしている。

 

「や、矢村ッ……!? なんでここに来た!? 逃げろって、言ったはずだろッ!」

「――ごめん、龍太。アタシやっぱり、今のままで逃げ出すことなんて、出来んッ……!」

 

 巨大な両手に捕まえられたままの俺は、彼女がここに居る現実を跳ね退けるように声を荒げる。

 

 ……俺が捕まっているのを見て、戻ってきたってことかよ!? ちくしょう! それじゃあお前までッ……!

 

「その無駄な勇気を讃えて――貴様の身体を、『新人類の巨鎧体』の塗料にしてやろう」

 

 ――ッ!?

 

 その発言に、俺は全身が総毛立つ感覚に襲われる。矢村が、このままじゃ矢村がッ……!?

 

「ざけんなよ瀧上さんッ! あんたの相手は俺だ、生身の人間を狙ったってッ……あ、ぐァアッ!?」

「オレの『勲章』も、『敵』の生き血が作り出した栄誉の象徴だ。その一部にすることが、失礼に当たるとでも?」

 

 俺は血相を変えて噛み付こうとするが、自分を握る両手の力を強められ、あっさりと言葉を封じられてしまった。後一歩力を入れられたら、瞬く間に全身の骨を握り潰されてしまうッ!

 

 一方、瀧上さんは人殺し云々を「名誉」の度合いで定義しており、取り付く島もない。わかりきってはいたことだが、やはりまともな話合いが通じる相手じゃないみたいだッ……!

 

「に、逃げろ、矢村……! は、はや、くッ……!」

 

 もう、俺に出来るのは矢村に逃げるように訴えるだけ。掠れつつある声を絞り出し、生き延びて欲しいと願うことしかできないのだ。

 

「りゅ、龍太ッ! こ、こんのオンボロボットッ! さっきから、離せって言うとるやろォッ!」

 

 しかし、彼女はあくまで俺が解放されるまで動くつもりはないのか、じたんだを踏みながら必死に声を張り上げている。自分が置かれている危機的な状況に目もくれず、ただひたすらに俺のために叫び続けていた。

 

 なんとかこの状況を覆せないかと、俺は縋るように古我知さんの方へ視線を移す。だが、いつの間にか彼はその姿を消してしまっていた。……何がどうなってやがる。古我知さんはどこへ!?

 

「――!?」

 

 ……そこで俺は、彼女が立っている位置に気がつく。

 彼女ががむしゃらに「龍太を離せ」と叫び続けている場所。そこは、俺がゴール地点としていた「アリーナ跡地」のど真ん中だったのだ。

 確か彼女は、俺と古我知さんのやり取りを傍で聞いていたはず。――作戦のことを知っていてもおかしくない。

 

 もし瀧上さんが彼女の居るところへ進み出ようものなら、「新人類の巨鎧体」はたちまちアリーナに相当するゾーンへ足を踏み入れることになる。そうすれば、後は古我知さんが背後から狙うだけだ。当の本人は何故か姿を消してしまっているが。

 

 ――しかし、そんなことをすれば矢村も一緒に海の藻屑となってしまう! まさかあの娘、それを知った上で……!?

 

「……よし。望みを叶えてやれ、鮎子」

 

 そんな俺の思考を掻き消すかの如く、「新人類の巨鎧体」のブースターが巨大な火柱を噴き出した。

 ただでさえ小さい矢村の姿が、さらに遠退いていく。これから俺の手が届かない世界へ、連れ去られてしまうことを示すかのように。

 

 その時、これから見せる残酷な結末を象徴するように、「新人類の巨鎧体」が鋼鉄の片足を振り上げる。急降下の勢いに質量を乗せ、彼女を踏み潰すつもりでいるのだろう。

 

「や……やめろ。やめろ、やめろ! やめろォォォオッ!」

 

 矢村が殺される。その事実を言葉だけでも拒絶するため、俺は血を吐くような想いで雄叫びを上げる。だが、その願いが聞き入れられることは有り得ない。

 

 「新人類の巨鎧体」の急降下に潰され、矢村賀織という少女が死ぬ。

 それが、現実。

 俺の力では曲げようのない、定められた結末なのだ。

 

 自分が辿る末路を自覚し、キュッと瞼を閉じる矢村。俺はそんな彼女に、手を伸ばすことも出来ない。

 

 ……なんだよ。何やってんだよ!

 逃げろよ! 走って逃げるんだよッ! 逃げてくれよ、矢村ァッ!

 

 ――そう心の最奥から唸ろうとも、俺は、現実に何も為すことは出来ない。死に行く彼女を、止めることすら。

 「救済の超機龍」としての責任? 笑わせる。四郷どころか、助けられたはずの矢村にこんな無茶をさせて、何が人命救助のヒーローだ。

 

 たった一人の女の子すら、守れないでッ……!

 

 そして、上昇を終えた「新人類の巨鎧体」の身体が、重力に引かれてアリーナへ吸い寄せられていく。

 

 その両手に掴まれている俺も、下から突き上げて来る勢いに内臓を押し上げられた。

 

 あらゆる動きを封じられたまま、矢村の死に際を見届ける。

 拒みきれなかったその現実が、眼前に差し迫った――瞬間。

 

 俺の聴覚を、壮絶な金切り音が襲う。

 

「――ッ!?」

 

「なんだとッ!? ……まさかこれはッ!」

 

 何事かと俺がマスクの下で目を見開くのと同時に、瀧上さんが驚愕の声を上げる。次いで、ガクンと「新人類の巨鎧体」の姿勢が大きく傾いていくのがわかった。

 このタイミングで、「新人類の巨鎧体」に起きる異変。瀧上さんが首を向けた先。そして――鉄人の背面から立ち上る煙。

 これらの材料から判断出来る結論は、ただ一つ。

 

「――おのれ小僧ォオォオオッ!」

 

 ジェットパックに高電圧ダガーを突き立てる、古我知さんの姿を認めた瞬間。瀧上さんは火炎放射にも劣らぬ勢いで、けたたましい絶叫を上げる。

 

 だが、この世の憎しみ全てをかき集め、一点に放出するかのような雄叫びを浴びても、白銀のサイボーグは微塵も動じはしない。

 

 彼は淡々とした様子で「新人類の巨鎧体」の背中から飛び降りていく。どうやら、瀧上さんと俺が矢村に気を取られている隙に、ジェットパックの部分に便乗していたらしい。

 

 俺の視界から遠ざかっていく時に手ぶらだったところを見るに、高電圧ダガーを突き刺したまま離脱したようだ。後は時間差で電流がジェットパックに流れ込めば、暴発を起こして「新人類の巨鎧体」はアリーナのプールに水没してくれる。

 

 だが、そうなったら矢村と四郷が――んッ!?

 

「しめたッ!」

 

 ……どうやら、まだ彼女達を諦めるには早過ぎたらしい。

 

 瀧上さんがジェットパックに気を取られている間に、俺を捕まえている両手の力が緩んでいたのだ。今なら、容易にすり抜けることが出来る!

 俺は彼の注意をかい潜るように、自分を握り締めていた巨大な親指に両手を乗せ、己の身体を一気に引き抜く。そして巨大な鉄拳の上に乗り上げると、すぐさまそこから飛び降りた。

 

「間に合え……間に合えッ!」

 

 落下しながら身体を垂直に伸ばし、弾丸のような速さで瓦礫に突撃していく。いくら脱出できたと言っても、「新人類の巨鎧体」より速く地面にたどり着かなければ、結局は同じことだ。

 

「えっ……!?」

 

 予想だにしなかった展開に、思わず目を丸くする矢村。今の俺が第一にすべきは、一刻も速く下に到着して、彼女をここから逃がすこと。

 

「……クッ!」

 

 俺が急降下していく先の地面に映る影が、次第に大きくなっていくのがわかる。――「新人類の巨鎧体」の墜落も、目前に迫っているのだ。

 

「――うおぉおぉおおッ!」

 

 それでも、諦めることはできない。

 自分達が全員生き延びる、その僅かな可能性に望みを託し、俺は気合いを絞り出していく。

 

 ……そして。

 

 俺の紅い脚が、身体が、瓦礫の上に降り立った瞬間。クラウチングの姿勢で着地していた俺は、間髪入れずに地面を蹴り――矢村目掛けて疾走する。

 

 刹那、すぐ後ろから猛烈な轟音が襲い掛かり、俺が走っている足場を坂道に変えていった。

 

 「新人類の巨鎧体」が、俺の背後に墜落したのだろう。狙い通り、あの巨体は瓦礫の山を突き破り、その下のプールと化したアリーナへ水没しようとしているのだ。

 作戦成功、と言うべきなのだろう。その煽りで俺達が死なない限りは。

 

 巨大ロボットの質量に押し潰された瓦礫の山々は、波紋のように広がり、周囲を海水と破片で飲み込んでいく。そう、俺の足場も例外ではない。

 ましてや、俺はその震源地の傍にいたのだ。「新人類の巨鎧体」の墜落がもたらす衝撃波の影響を、モロに受けることになる。

 俺は背中に浴びた空気の壁を追い風にして、波状と化した瓦礫の海を駆け抜けていく。走っているというより、ほとんど後ろから吹っ飛ばされているようなものだ。

 

 一方、矢村も衝撃のせいで安定を失い、四つん這いの体勢のまま動けずにいた。あのままじゃ、すぐに海水と瓦礫の濁流に飲まれてあの世行きだ。

 

「――や、むらァァァァアッ!」

 

 彼女を死なせたくない。どうか、生きていて欲しい。そんな懇願を込めた叫びと共に……俺は彼女の居場所へ飛び掛かる。

 そして、舞い散る瓦礫に追われながら、彼女の小さな身体を抱きしめ、その場から逃げるように再び跳び上がった。

 

「ふうッ……!」

 

 ついさっきまで矢村が這っていた場所は、俺達が離れてすぐに濁流に飲み込まれていた。俺の移動が少しでも遅れていたなら、例え瀧上さんに勝ったとしても、レスキューヒーローとして大手を振って帰ることは出来なかっただろう。

 がむしゃらに宙に舞い上がった俺達を出迎える、影響の少ない安全な足場を見ても、安堵感を覚えることはなかったはずだ。

 

「いっ……て!」

「きゃあ!」

 

 無事に矢村を助けられた。その束の間の安心が災いしたのか、俺は安定した瓦礫の上に着地した途端に、勢いあまって転んでしまう。矢村を正面から抱きしめた格好で、咄嗟に彼女を守るために仰向けに倒れたのが功を奏したのか、彼女自身に怪我はなかった。

 

「し、死ぬかと思うた……。りゅ、龍太、大丈夫!?」

「……ああ、なんとかな。矢村、お前はもうここから動くんじゃないぞ。ここなら安全だからな」

「えっ……ちょ、龍太ッ!?」

 

 ――だが、これで終わりじゃない。まだ、矢村に負けないくらいに肝心な娘が残っている。

 

 俺は彼女に安全な足場で待機するように言い渡してから、即座に踵を返して来た道を戻る。

 ひとしきり瓦礫と海水を撒き散らし終えていたアリーナは、コンクリート製の残骸と塩水で絶妙にブレンドされたプールに成り果てていた。その材料の中には、当然水没している「新人類の巨鎧体」も含まれている。

 

 ……この中で、俺の助けが必要な娘がいる。なら、俺は行かなくちゃならない。

 今度こそ、レスキューヒーローの意地を見せてやるッ!

 

「待て龍太君ッ! もう高電圧ダガーが起動する時間だ! 今向かったら命はないぞッ!」

 

 遥か向こう側の安全地帯にいる古我知さんが警告を発している――が、俺は聞く耳を持たず、プールに飛び込んでいく。

 

 ……いや、聞いたところで俺の判断は変わらない。

 確かに今は彼の言う通り、「新人類の巨鎧体」に近づくべきではない。今まさに爆発しようとしているロボットに自分から突っ込むなど、愚の骨頂だろう。

 俺の向かう先に助けるべき人がいないのであれば、俺も大人しくしていた。今こうして動いているのは、俺が必要とされているからなんだ。

 さっきは果たせなかった責任を取り返すには、今しかない。何もやらずに黙って彼女が消し飛ぶ様を見ていることを選んでしまったら、この右手の赤い腕輪は飾りになってしまう。

 

「いた……! 四郷ッ!」

 

 瓦礫と海水で満たされた、全てを飲み込まんと渦巻く暗黒の世界。その彼方に見える、薄い水色の長髪を靡かせた機械少女の頭部。

 それが手に届く瞬間まで、俺は逃げ出すわけにはいかない。俺自身が支えたいと願った、あのスーパーヒロインの理想のためにも。

 

 俺は水を蹴り、掻き分け、海中を漂う四郷の首を目指す。

 着鎧甲冑に搭載されている、水中移動用の小型ジェットを使用しながら泳いでいるはずなのだが……「新人類の巨鎧体」がもたらした波紋が渦潮を起こしているのか、思うように直進することができない。

 下手に巻き込まれたら余計に時間を浪費してしまい、古我知さんの忠告が実現してしまうことになる。そんなカッコ悪い事態を回避するべく、俺は着鎧甲冑の機能より己の身体能力に可能性を懸け、四郷の元へ向かっていく。

 

 ――もう少し。あと僅か。

 そんなところまで差し迫った時、俺は彼女のサイドテールを思い切り掴み、強引に引き寄せる。少々手荒な気はするが、今は彼女の命が先決だ。

 

 瀧上さんがどうなっているのかまでは暗すぎてわからないし、「新人類の巨鎧体」の状況は、水中でぐったりと漂っている姿しかよく見えなかった。だが――悲鳴も出さず、苦悶の表情も見せていない彼女の面持ちを見るに、長い生き地獄から解放されたことだけは間違いないように思える。

 

「……」

 

 俺は無言のまま、白目を剥いたままだった彼女の瞼を静かに降ろし、自然な形の眠りへと導く。まだ血の涙のような液体は出続けているようだが――今の俺にできることは、これだけだ。

 

 瀧上さんの安否も気になるところではある……が、今は脱出を第一に考えた方が良さそうだな。

 

 俺は四郷の首を優しく抱え、矢村が待つ地上へと帰るべく、水を蹴――

 

「うッ……!?」

 

 ――る瞬間。

 

 水没し、ガラクタと化したはずの「新人類の巨鎧体」。

 

 その巨体が突然まばゆい輝きを放ち、俺の視界を閃光で覆い尽くしたのだ。

 

 そう。まるで、消えかけていた火が最期の瞬間に、激しく燃え上がるかのように。

 

 ……何が起きたのか。俺達はどうなるのか。

 

「――うわ、あぁああぁあああッ!」

 

 その疑問ごと吹き飛ばすかのように、「新人類の巨鎧体」が遺した残り香は、俺達の目の前でみるみる広がっていく。

 

 そして限界まで膨れ上がった輝きは、やがて激しい波動となり、俺達を新たな濁流で容赦なく押し流してしまうのだった。

 

 四郷の首の感触を胸元に感じながら、俺はどこまでも流されていく。これが自分の限界だったのかと、心のどこかで自嘲しながら……。

 



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第136話 古我知の懸念

 脱出を目前にしていたはずの俺達を襲う、「新人類の巨鎧体」の爆発。

 

 そのエネルギーは海中での波動となって発現し、俺達を猛烈な勢いで吹き飛ばしてしまった。

 

 激しくうねる波に揉まれ、平衡感覚を失い、自分自身を見失いそうになる。そんな中でも四郷だけは離すまいと、俺は全力で彼女の頭を抱きしめた。

 

「――!?」

 

 やがて全身が何かに突き上げられるような感覚に襲われ、俺は思わず目を見開く。

 次の瞬間には、水が強烈に弾ける音と共に、視界が闇の世界から一瞬で見慣れた空間へと切り替わったのだった。

 

 四方八方瓦礫だらけで、僅かに残った照明と火災だけが明かりとなっているグランドホール。その景色を一望できる高さまで、俺達は舞い上がっていたのだ。鉄人が遺した、無数の破片と共に。

 そして、ひび割れたマスクの中に入り込んでいた海水が抜けていくのを感じた時、俺はようやく何が起きたのかを悟る。

 

 どうやら「新人類の巨鎧体」の爆発が生んだ勢いで、水上まで吹っ飛ばされてしまっていたらしい。

 ――死を覚悟させられたアクシデントに、命を拾われる。こんな滑稽な話があるだろうか。

 

 無事に足場の上に降り立ち、四郷の頭部に異常がないことを確認していた時。俺は、自分自身の情けなさに仮面の奥で苦笑していた。

 最後の最後で、あの鉄人に救われるとはな。世の中、何が起こるかわかったもんじゃない。

 

「りゅ、龍太ぁぁああっ! やったぁああああーっ!」

「龍太君、よく生きていたな!」

 

 俺達だけでなく、水しぶきと一緒に「新人類の巨鎧体」の破片もたくさん飛び出ていたはずだが――他の二人も、なんとか無事だったらしい。

 

 矢村のお馴染みタックルを喰らいながらもなんとか踏ん張り、俺は片手で四郷の首を胸元に抱き寄せながら、元気いっぱいで小柄な勇者の頭を撫でる。

 

「……ありがとうな。お前のおかげで、みんなが助かった。お前は俺のことをヒーローだとか言ってたけど、俺に言わせりゃお前はもっとすごいスーパーヒーローだよ」

「えぐっ、ひぅッ……! アタシ、ヒーローやないもん、ヒロインやもんッ! 龍太ぁ、龍太あぁ、よがった、よがっだよぉお! うあ、あああんッ!」

「そうだな。んじゃ、お前はスーパーヒロインだ。俺なんかよりもずっと頼れる、スーパーヒロインだったよ」

 

 俺の胸に顔面を押し当て、ひたすら泣きじゃくる彼女。この姿を見るのは、もう何度目になるだろうか。

 出来ることならば、彼女にもうこんな思いはさせたくない。何かある度に、この娘の涙を見るのは御免だ。

 

 だが、「力」と「責任」を与えられている俺にとっては、これは切り離すことのできない仕事だ。この力一つで拾える命があるのなら、俺は懸けてみたいとも思う。……その時に、彼女はそれを受け止めてくれるのだろうか。

 

「……んッ!」

 

 そう考えた時、脳裏に過ぎるのは――彼女と交わした、あの口づけ。唇に感じた、あの柔らかくも暖かい感触は、今でも濃厚に覚えている。

 ふとしたことでそれを思い出した瞬間、俺は自分の血流が重力に逆らい、顔の辺りに集まっていくような感覚に襲われた。……鼻先まで、真っ赤になっているに違いない。

 

 マスクがあることに若干安心しつつ、俺はゆっくりと矢村から手を離す。これ以上触れ続けていたら、顔が隠れていても動揺がバレてしまいそうだったからだ。現に今、俺の指先は瀧上さんの恐ろしさを感じていた時よりも、激しい痙攣を起こしている。

 

 すると、俺の手が離れた弾みで冷静さを取り戻したのか、矢村もボッと顔を赤くして俯いてしまった。――向こうも、キスのことを思い出してしまったらしい。

 

「龍太君。イチャイチャしているところ申し訳ないが……鮎子君を早く鮎美さんの元へ届けた方がいい。培養液がなくなりかけている」

「あッ――そうだ、四郷ッ!」

 

 そこへ横槍を入れてきた古我知さんのおかげで、俺はようやく我に帰る。今は矢村のことで悶々としてる場合じゃないッ!

 

 今の四郷は瀧上さんの支配から解放されたためか、特に苦しんでいるような様子は見られないが……口元や瞼から流れ出る赤い液体が、徐々に小さくなっていくのがわかる。

 これが――「培養液」?

 

「『新人類の身体』は本体の脳髄を保護するために、特殊な培養液を使って脳の働きを維持させている。……恐らく、彼に身体を砕かれた拍子に、培養液の循環機能が狂ってしまったのだろう」

「じゃあ、これがなくなったら四郷は……!」

「――ああ。だから早く脱出しよう。鮎美さんのことだ、既に螺旋階段の天井は開けてくれているはず。格納庫は『新人類の巨鎧体』を保管するためにグランドホールより強靭に造られているから、ここよりは長持ちするし安全なはずだ。天井が開いているなら落石もない」

 

 古我知さんの言う通り、ここは一刻も早く四郷を助けるため、今すぐ彼女を連れて脱出するべきだ。普通なら、ここに残る理由はもうない。

 

 ――そう。「普通」ならば。

 

「わかった。それじゃ古我知さん。四郷と矢村を連れて、先に行っててくれ。俺はまだ、確かめたいことがある」

「なんだって……?」

「え、ええぇッ!? りゅ、龍太ッ!?」

 

 十年以上に渡る呪縛から解き放たれ、それでもなお命の危機に晒されている機械少女。その首を差し出す俺に対し、古我知さんは訝しむような声を上げた。矢村も仰天したように目を丸くしている。

 

 彼らの反応はもっともだ。

 既に「新人類の巨鎧体」は倒され、四郷も保護されている。九分九厘、俺達がここにいる目的は果たされていると言い切っていい。

 ただでさえ、崩れかけているこの空間に残りたいと抜かすなど、正気の沙汰ではないだろう。俺自身もわかっているつもりだ。

 

 ――しかし、残らなくてはならない。

 この力で助けるべきか、そうでないか。

 俺を迷わせるその存在が、まだこのプールの下に潜んでいるのだから。

 

「……なるほど。そういうことか」

 

 一方、古我知さんはそんな俺の意図を読んだように頷くと、

 

「矢村ちゃん。鮎子君を連れて上に向かってくれ。僕にもやることができた」

「えっ? ……えぇええぇえぇッ!?」

 

 俺から受け取った四郷の首を、さらに矢村に託すのだった。機械仕掛けとは言え、いきなり人間と変わらない外見の女の子の生首を押し付けられ、彼女は目を回して軽いパニックに陥っている。

 

 どうやら、古我知さんも俺の意図には気づいているらしい。マスクの下に見える眼光が、刀のように鋭く細まっているのが見える。

 

「えっ……ちょ、龍太!? 古我知さん!? 二人とも何考えとんっ!? 早うここから出んと、ぺしゃんこになってまうんやでッ!?」

 

 矢村はいきなり居残ると言い出した俺達に驚愕し、まくし立てるように抗議の声を上げた。

 

 ――参ったな。俺の考えに気づいた以上、恐らくは古我知さんも簡単には帰ってくれそうにない。彼が戦う経緯を鑑みれば、俺が企んでいることなど決して許されないのだから。

 

 しかし、こちらとしても引くわけにはいかない。これは、救芽井の理想の根本に関わる問題なのだから。

 

「……よし、頼むぜ矢村。なんとか四郷を皆のところへ送ってやってくれ」

「ふ、ふぇえぇええぇ!?」

 

 本来任せるべきでないのは百も承知だが――これ以上悩むのに時間を掛けて、四郷をより危険に晒すよりマシだ。

 俺は若干混乱したままの彼女の肩をポン、と叩くと、身体を翻してプールと向き合う。

 

 そんな俺の様子を、古我知さんは寸分も見逃さず凝視している。事と次第では許せない、と言わんばかりに。

 

「ど、どどど、どういうことなんや龍太ッ! だいたい、確かめないかんことって何やッ!?」

「悪いが、詳しく説明してる時間はないんだ。早く四郷を所長さんのところまで送らなきゃ、彼女が危ない。わかるだろ?」

「や、やけど龍太ぁ! 早う帰らんと崩れてまうって言いよるやろッ! 早う、早う逃げんとッ……!」

「心配すんなって。俺も古我知さんも、ちょっとしたらすぐに戻る。……帰ったら、皆でメシでも食おうぜ」

「龍太……で、でもっ……」

 

 俺の無茶など、もう見慣れたということだろうか。矢村は弱々しい声で縋るように接して来るが、「新人類の巨鎧体」の時ほど強く追及してくることはなかった。

 

 ……一度言い出したら、テコでも動かない。そんな面倒な俺の側面を、少し前に見せられたばかりだから……か。

 だとしたら、やはり少しでも心配を掛けないようにするには、彼女を早く現場から遠ざける以外にはないのかも知れない。これから俺は、どこまでも「無茶」をする可能性があるのだから。

 

 ――これ以上、この娘の悲しむ顔は見ていられない。

 結局はそんな身勝手窮まりない、俺個人の都合でしかないが……かと言って、彼女をこの場に巻き込み続けるわけにも行かないだろう。

 

「古我知さんの言う通りなら、格納庫はまだ安全だ。落石がないなら、螺旋階段を登るだけで大丈夫だし」

「……ホ、ホントに、ホントのホントにすぐ帰ってきてくれる?」

「もちろん。だからちょっとだけ、我慢してくれるか?」

 

「……わかった。――龍太、お願いやから、ホントに早う帰ってな!? 絶対やで!? 絶対絶対ホントのホントのホントやでッ!」

「おうッ! 四郷のこと、頼んだぜ!」

 

 ――彼女なりに、懸命に受け入れようと頑張っているのだろうか。心配げに何度も確認を取る一方で、俺のわがままを否定することなく、こちらの都合に付き合ってくれている。

 

 ごめんな、矢村。何かと心配ばっかり掛けてよ。

 ……絶対に、生きて帰るから。向こうでちょっとだけ、待っててくれ。

 

 不安げに何度もこちらを振り返りながら、四郷の頭を胸に抱き、グランドホールから走り去っていく彼女。

 その背中に、俺はそう誓う。

 

 そして、彼女の姿がやがて見えなくなった時。

 

「さて――どういうつもりなのかな。龍太君」

 

 俺の考えていることを全て見透かした上で、古我知さんは低い声色でそう呟いた。

 刃物よりも鋭利な瞳で、俺の眼を貫きながら。

 



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第137話 それは歪な正義の味方

「どういうつもり――か。察しの通りさ。俺は、瀧上さんを助けにいく」

 

 全てを刺し貫くような眼光から目を逸らし、俺は海の一部と化しているアリーナの浅瀬に、片足を踏み入れる。

 古我知さんは、そんな俺の肩を無言のまま掴まえた。それだけで、言葉がなくても伝わる意志がある。

 

 ……「そんなことは許さない」。この肩に感じる強硬な力が、そう叫んでいるかのようだった。

 

 当然だろう。

 国を滅ぼし、四郷姉妹を苦しめ、古我知さんの両親まで死に追いやった悪夢の元凶。そんな存在を今から助けに行こうなどと口走る人間が、放っておかれるはずがない。

 確かに端から見れば、俺には正義などないだろう。悪魔の手先、という評価の方がしっくり来るくらいかも知れない。

 ましてや、古我知さんにとっては瀧上さんは両親の仇。「殺すな生かしましょう」なんてお花畑な道理が通じるはずがない。瀧上さんを助けても、更正できる見込みなんて期待できないだろうしな。。

 ――そう。何をどう考えても、俺の行動には正当性などないのだ。

 

 だが、俺に彼を見捨てるという選択肢はない。そんなものは、俺にだけはあってはならない。

 無駄であろうと、救う価値などなかろうと、そんなことはどうでもいい。それに、そいつを決めるのはここにいる俺達じゃない。

 どんな人でも助けたい、そんな救芽井の理想を背負った「レスキューヒーロー」だから助ける。「救済の超機龍」だから助ける。他に必要な動機があるだろうか?

 

「……樋稟ちゃんだって、君にそこまで求めはしないよ。彼女が君なら、躊躇こそするだろうが結局は見捨てるはずだ」

 古我知さんは、俺の胸中をそこまで読んだ上で止めたいらしい。救芽井の理想は、瀧上さんだけは見捨てることをよしとしている――とでも言いたいのか。

「躊躇? なんで躊躇なんてしなくちゃならない? 最初から見捨てる気なら、躊躇いなんて出てくるはずがないだろう」

「だから君は、助けると言うのか? 瀧上凱樹がどれほどのことをしてきたのか……知らないわけではあるまい。君自身だって殺されかけたのは一度や二度じゃないはずだ」

「知ってるさ、だいたいは。俺も、あの人だけは助けるべきじゃないとは思う。四郷をあんな目に遭わせておいて、何の後ろめたさも出さなかったあの人が、生かしたところでまともに心変わりするとは思えないよ」

 

 口をついて出てくるのは、これからやろうとしていることと真っ向から矛盾している言葉ばかり。普通の神経を持った人間なら、こんなトンチンカンなことを口走る奴を見たら寒気がすることだろう。

 

 ――だが、残念ながら俺は正気であり、本気だ。どうしようもない悪い奴でも、取り返しのつかない悪だったとしても。それは、失いかけている命を見捨てる理由には繋がらない。

 

「復讐しなきゃ気持ちを抑えられないっていう、あんたの事情ももっともだ。瀧上さんがイイ奴になるわけないってのもわかる。ただ、俺は『死にかけてる人を助ける』っていう、俺の仕事を済ますだけだ。そんなに仇を討ちたいなら、後で裁判にでも掛ければいい。悪いが、今だけは邪魔しないでくれ」

「……復讐、か。確かにそれもある。だけど、僕が君をこうして引き留めているのは、僕自身の都合のためだけじゃない。君と、君を愛する女の子達のためでもあるんだ」

「どういうこった?」

 

 復讐のためではなく、俺と――たぶん、もしかして、あわよくば、ものすごく幸運な話なら、矢村と久水と救芽井……の、ため? なんでそこで俺達が出て来るんだ……?

 今まで肩を掴まれながらも、特に振り返ることなく肩越しで話し続けていた俺だったが、その言い分に思わず首を後ろへ向けてしまう。

 

「はっきり言おう。今の君は、瀧上凱樹とそう変わらない――『怪物』になりつつある。自らの正義のために、際限なく他者を傷付けるか。それとも自分自身を傷付けるか。君達二人の違いは、その程度でしかないんだよ」

 

 そして、重くのしかかるような声を響かせ――古我知さんは、俺を「怪物」と断じた。……俺と瀧上さんが、同じ……?

 

「君は着鎧甲冑の矜持にこだわり過ぎるあまり、樋稟ちゃんや甲侍郎さんでも及ばない程に『人命救助』という使命感に囚われている。君の生来の真っ直ぐさがそうさせたのかも知れないが……そんなものはもう『実直』だとか、『ストイック』などという次元じゃない。瀧上凱樹と同質の――常人の理解を超えた『妄執』だ」

 

 瀧上さんと同じ妄執――か。となると、どうやら俺は伊葉さんが望む正義の味方にはなり損ねてしまったらしいな。

 

「和雅さんは、客観的に状況を見て、冷静に正当性のある行動ができる人間を『正義の味方』としていた。その考えに準えるならば、君の主張は『歪な正義の味方』そのものなんだよ」

 

「……伊葉さんが望んだようにはなれなかったかも知れないがな。だからといって、辞める気はないぜ。あの人に認められたくてヒーローやってるわけじゃないからな」

「君はそれでいいのだろうな。見ていればわかる。だが、君の周りはどうかな?」

「なに……?」

 

 古我知さんは責めるような強い口調で、さらに俺を圧迫する。何が彼をそうさせているのだろうか。嫌なところはあれど、基本的には温厚な彼がここまで高圧的になるなんて、なかなかない。

 

「別れる寸前まで君を案じていた樋稟ちゃんや梢君。君のことで何度も泣いていた矢村ちゃん。そして、瀧上凱樹の脅威を知っているからこそ、彼に挑もうという君の行為を恐れていた鮎子君。君を愛している女の子達が、この先も君を失う恐怖に晒され続けることになるんだぞ。君の、歪んだ正義のために!」

 

 ――ッ!

 古我知さんが言い放った主張は、俺の言葉を詰まらせるには十分な効果があった。喉の奥を、石で塞がれるような感覚が襲って来る。

 今さっきまで、矢村を散々泣かせ続けていた俺には、この発言はどうしても来るものがあるのだ。自分の都合で、自分以外の人まで苦しめていく。それを突き詰めれば、俺と瀧上さんとの間には「正義のために、他人を傷付けるか自分を傷付けるか」という違いすらなくなるのかも知れない。

 俺を憎からず思ってくれている皆が、俺の妄執で苦しんでいく。確かにそれは、瀧上さんと何も違わない。

 

「……なんで四郷までそこにカウントされてるのかは知らないが……あんたは、そこまでして俺を悪い怪物にしたいのか」

「とんでもない。僕はむしろ、君をその怪物にさせないために言っているんだ。いいか、龍太君。君は『怪物』になる必要なんてない。ごく普通の感性でいいんだ! ここで瀧上凱樹を見捨てて帰還しても、君を咎める者は誰もいない。皆のためにも、『普通の』レスキューヒーローになってくれ……!」

 

 俺を責めているようにも見えていた、古我知さんの説得。いつしかその声色は、糾弾から哀願へと変質していた。

 

「……!」

 

 その変わりようを目の当たりにして、俺はようやく彼を突き動かす存在に気がついた。――所長さんだ。

 彼女は瀧上さんの正義を信じたいと願って、裏切られ、追い詰められてしまった。妹のように想っていた救芽井が、そんな彼女と同じ道を辿りかねないと感じていれば、こうして懸命に俺を食い止めようとするのも自然な流れと言えるだろう。

 

 彼は瀧上さんを憎む以上に、残された人に齎される不幸を憂いているのだ。俺が「怪物」になることで、再現されるであろう悲劇を未然に防ぐために。

 ただ個人的な憎しみに囚われているだけだったなら、強引にでもこの肩に置かれた手を振り払い、海中に飛び込むことは容易い。それならば、相容れないエゴ同士の対立に過ぎないからだ。

 

 だが、彼は違う。彼は憎いという自身の気持ちよりも、救芽井や所長さん達の心情を配慮した上で、俺に瀧上を見捨てて「普通のレスキューヒーロー」になれと言っている。個人の都合を加味しながらも、あくまで客観的に判断しているわけだ。

 ――恐らくは彼こそが、伊葉さんが望んでいた「正義の味方」なのだろう。周りを冷静に見つめ、より安全で平和な道を探し出す。そんな彼のありようには、素直に尊敬せざるを得まい。

 

 だが。

 

「……悪いな。俺は、歪でいることを辞めはしない」

 

 俺は、俺だけはそうはなれない。彼のような生き方は、似合わない。

 皆のために誰かを見捨てる。それを正義として受け止めてしまったら――いつかきっと、助けられるはずの誰かを見放してしまう。そんな気がして、ならないのだ。

 四郷と矢村の危機を目の前にしていながら、何もできなかった自分を見つめる度に、そう思わずにはいられない。

 

 ――だからもう、独善でもいい。瀧上さんと同じでも構わない。

 俺がヒーローでも正義の味方でもない「怪物」だと言うなら……せめて、俺は「どんな奴も助けに行ける怪物」になりたい。

 

 それで皆に心配を掛けていくのなら――心配するのがバカバカしくなるくらいの、世界最強の「怪物」になってやる。

 呆れるくらい強くて、レスキューバカな、「怪物」に。

 

 そのためにも、俺はここで帰るわけには行かないんだよ。古我知さん。

 ……すまねぇな。あれこれ気を遣わせちまったのに。

 

 肩に置かれた銀色の篭手を優しく外し、俺は身体を翻して真っ向から彼と向き合う。仮面越しに伺える古我知さんの瞳は、どこと無く悲しみの色を湛えているようだった。

 

「どうあっても、引き返す気はないのか」

「そういうことになる。俺を殺してでも止めるつもりなら、今のうちだぜ。世界最強のレスキューバカにならないうちに、な」

「……そうか」

 

 俺があくまで退かないことに、彼は深いため息をつくと――僅かに距離を置き、両手の拳を強く握り締めた。

 

「なら、力ずくでも『普通』になってもらうしかないな。怪物候補の龍太君」

「……そうこなくっちゃな。それでこそ『正義の味方』だぜ、古我知さん」

 

 そして、ボクシングのように顔の前で握り拳を構えながら、古我知さんはKOを宣言する。俺もそんな彼に敬意を払いつつ、水平にした右腕を腰の下に、左腕を垂直にそれぞれ構え、「待機構」の姿勢に入った。

 

 こうなる予感は、前からあった。

 瀧上さんが両親の仇だと知った時から、古我知さんとの対立の瞬間は遅かれ早かれやってくる、と。

 

 それは、仕方のないことだ。向こうにもこっちにも、引き下がれない理由がある。

 なら結局は、戦って決めるしかないのだ。いくら口でそれっぽいことを言っていても、最後に物を言うのは道理ではなく、力なのだから。

 

「来いよ――古我知さん」

 

 俺は垂直に構えた手の平をこちら側へ向け、手招きするように挑発する。一触即発の空間に、一石を投じたのだ。

 

 それを受けて、古我知さんは腰を落として地面を蹴るモーションに入った。……一気に仕掛けるつもりだな。

 彼の鋼鉄の両拳に細心の注意を払い、俺も迎撃の準備を整える。

 ――来るなら来てみろ、そっちの拳より先に待ち蹴を見舞ってやる。

 

 そして、古我知さんの強靭な脚が、瓦礫の床に減り込んだ、その瞬間。

 

「……!?」

 

 背後から、次元が歪むような殺気が噴き出し、

 

「――ゴガァアアアァアァアアァアッ!」

 

 全てを吹き飛ばす勢いの轟音が響き渡り。

 

「あ……ッ!?」

 

 あの巨大な槍で突き刺すような威圧が、噴火を引き起こしたのだ。闇のように深く険しい、あの威圧が。

 ……際限なく広がる闇となり、あらゆる空間を飲み込んでいく憎悪。それが人の姿を借り、具現化している存在を、俺は――俺達は知っている。

 

 猛烈な水しぶきと共に俺の背後に浮き上がった「ソレ」は、かつてない程に負の感情を剥き出し、俺の背中からグランドホール全体を闇で覆い尽くさんとしていたのだった。

 

 ――その名は瀧上凱樹。俺と同じ、歪な正義が生んだ怪物なのだ。

 

「龍太君ッ!」

 

 俺が振り返り、憎悪と怨念に汚染された眼光と視線を交えた時には、既に全てを破壊する鉄拳は振り上げられていた。

 脳裏に過ぎる、死。

 それを覆したのは、声を荒げて俺に躍りかかる白銀の騎士だったのである。

 

 俺に迫る古我知さんの瞳に、さっきまでの敵意はない。あるのは、焦燥の色。

 彼は急に背後から現れた「怪物」に、反応しきれなかった俺の肩に再び手を置くと――強烈な勢いで水平に突き飛ばしたのだった。

 

「うあッ……!」

 

 憎しみも敵意もない。ただ俺を助けるためだけの、捨て身の行為。

 彼は敵対しているはずの俺に、そこまでのことをしていたのだ。悲しみを繰り返させまいという、己自身の正義のために。

 

 だが、そんな彼に待ち受けていた現実に、情けはない。

 「新人類の巨鎧体」の爆発から生き延び、亀裂だらけの満身創痍となりながらも、執拗に俺達を付け狙う灰色の鉄人。

 そんな彼が振り下ろした鋼鉄の拳は、右腕を除く古我知さんの手足を全て、再び奪い去ってしまったのである。まるで、蝶の羽を裂くように。

 

「――ぐあッ!」

 

 力無く地に落ちる古我知さんの身体。瀧上さんは、立ち上がることすらも許されない彼の腹を蹴り上げ、数メートル先へ吹き飛ばしてしまった。

 もはや戦う力も残されていないというのに、この仕打ち。「歪んだ正義」とはこれほどの狂気を生むのかと、俺は凄まじい戦慄を覚えさせられてしまった。

 

 ……そして、その恐怖に次いで浮かんできた感情がある。怒りだ。

 古我知さんを蹂躙した瀧上さんだけにではない。偉そうに語っていながら、また何もできず、彼がやられる様を見ていただけだった俺自身にこそ、だ。

 

「――わたぁああぁあッ!」

 

 弓矢から放たれた一閃の如く、俺の赤い拳が鉄人の顔面へ向かう。効く効かないは問題じゃない。

 ただ、殴らずにはいられない。それだけだったのだ。

 

「……がッ!?」

 

 しかし、現実という障壁はそれすらも許さない。

 彼の顔面を確実に捉えたはずの拳が、ひしゃげるような鈍い音と共に、弾けるような激痛を浴びたのである。

 

「あ……!」

 

 だが、俺に絶望を与えたのはその痛みだけではない。

 

 その痛みを受けた手は――ユニフォームのグローブになっていたのだ。

 

「バッテリー……切れッ!?」

 

 思わず手を引っ込めると、俺は驚愕と焦燥に染まっていた表情を強引に切り替え、鉄人の凶眼を懸命に睨みつける。

 

 心の動揺を隠す仮面がなくなった以上、弱みを持った顔はできない。怒りと焦りと混乱に塗れた精神を抑え、俺は屈しない表情だけを武器に、勝ち目のない巨壁と相対する現実を強いられていた。

 

 の、呑まれてはならない……呑まれてはッ!

 



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第138話 貴様にだけは

 巨壁に砕かれた俺の拳は、だらりと赤い液体を垂らして小刻みに震えている。空気に触れられているだけで、そこに矢を刺されるような鋭い痛みが、絶えず猛威を振るっていた。

 

「ぐっ、あ……!」

 

 決して途切れることのない激痛の嵐。それを受け続けて無表情でいられるほど、俺は強くはない。思わず顔をしかめてしまった俺は、せめて気持ちだけは屈しまいと眼前の鉄人を睨み上げた。

 

「ガ、ゴ……コォーッ、コォーッ……!」

 

 しかし、向こうの様子もただ事ではない。鉄兜の奥で光る血走った凶眼は、激しく焦点を揺らしており、まるで故障したロボットのような挙動をしきりに繰り返していたのである。

 

「……!?」

「ゴーッ、ゴオッ! ガ、アオォア……!」

 

 俺と脚をもがれた古我知さんを交互に見遣り、腕を振り回しては、奇声を発する。そんな動きばかり見せている彼は、もはや正常な意識は保っていないようだった。

 

 だが、よくよく考えてみれば当たり前のことだろう。

 水が苦手な「新人類の身体」が、海水に落下した挙げ句「新人類の巨鎧体」の爆発に巻き込まれた。そんなことになって生きていること自体がほぼ奇跡なのだから、何らかの意識障害が起きたって不思議じゃない。

 実際、肘と膝の関節や、頭の部分からは煙まで噴き出しているのだ。ガタガタなのは向こうも変わらない、ということらしい。

 

 ――それでも、状況が絶望的なことには変わりない。こちらの戦う手段は実質なくなってしまったが……向こうは正気じゃなくなっても、戦う意識自体と鋼鉄の身体は健在なのだ。古我知さんを砕いたあの一撃が、それを証明している。

 

 もはや、打つ手はない。俺も古我知さんもこの狂人に殺されて終わり、彼自身もグランドホールの崩落に飲まれて消える。

 そして死者三名を出したこの事件は、メディアへの露出を嫌う政府に揉み消されて迷宮入り。それが、俺達に残された運命なのだろう。……どうしようもなさ過ぎて、逆に冷静になってしまうな。

 

「ぐっ、お――あぁああぁああッ!」

 

 しかし、その上で――俺は敢えて立ち向かうことを選んだ。屈しないという想いを心持ちだけで終わらせたくない、という意地だけを理由に。

 身体の芯から唸り、そびえ立つ最大の障壁に飛び掛かる俺は、膝へ、脇腹へ、鳩尾へ。煙が出ている場所を弱点と睨んで、ひたすら回し蹴りを叩き込んでいく。

 

 ――古我知さんは立つことも出来ず、「救済の超機龍」もバッテリー切れ。瀧上さんは生きているどころか、ますます狂気に包まれ手が付けられなくなっている。

 「普通」に考えれば、どう転んでも俺達に勝機などない。瀧上さんを助けるなどと抜かしておいて、なんてザマだ。

 

 だが、だからといってこの現実を黙って受け入れられるほど、俺は利口でもない。

 古我知さんにああ言った以上、もう俺は「普通」のままでいるわけには行かないのだから。

 

「――ゴォッ!」

「ァ、がッ!」

 

 そんな俺に待ち受けていた現実という強敵は、思いの外手強いらしい。生身のまま抵抗を繰り返していた俺の腹に、ひしゃげた鋼鉄の足底が突き刺さる。

 骨が軋み、内臓が圧迫され、胃の中が悲鳴を上げて口外へと飛び出す。衝撃に歪んだ視界と、朦朧としていた意識が元に戻り始めた頃には、俺は数メートル吹っ飛ばされた先で、うずくまって血を吐いていた。

 

「……おォ、う、えっ……! げほっ、おぇえッ……!」

 

 コンペティションとして彼と戦っていた時も随分痛い目には遭ったが、ここまでではなかった。着鎧している時と生身の状態とでは、受けるダメージが違い過ぎる……というのは理屈としては当然のことではあるが、実際に喰らってみるとその格差に愕然としてしまう。

 

 ここで、彼に殺される。その非情な命運を、一番身近に感じた瞬間だった。

 

「ふっ、ぐ、うぅ……あァッ……!」

 

 瓦礫に額を押し当ててうずくまるだけで、身動き一つ取れない俺の身体。どれだけ「動け」と心で叫んでも、震えるばかりで立ち上がれる気配が、まるでない。

 それほどまでにダメージが大きかったのか。それとも、今の一撃で知らないうちに戦意を刈り取られていたのか。

 混濁しかけている今の意識では、それすらもわからない。動けなければ死ぬということだけは、揺るぎようのない事実だというのに。

 

 覚悟を決めて戦うにせよ、恐れをなして逃げるにせよ。身体が動かなければ、「死」を受け入れるしかない。なぜ、俺の身体はそれすらも理解してくれないのだろう。

 

「……!」

 

 俺は「せめてもう少しバッテリーがあれば」と、後悔の念を込めて右手首を見遣る。すると、さっきまで俺の手首に収まっていたはずの真紅の腕輪は、いつの間にかその姿を消していた。

 

 どうやら、さっきの一発に吹き飛ばされた衝撃で外れてしまったらしい。

 ……不運なことってのは、重なるもんだな。これじゃあ今バッテリーが残っていたとしても、同じことじゃないか。

 

 想像しうる、全ての「可能性」を潰された。「腕輪型着鎧装置」を見失った瞬間に感じたのは、まさにそれだったのだ。

 

「ゴ、ゴォ……コォ、コォーッ……!」

 

 抗う力も気力も奪われ、無力な人形に成り果てた俺に、正真正銘の破壊神がじりじりと迫る。意識障害がよほど深刻なのか、その足取りは今にも転びそうなほどに不安定なものになっていた。

 そのうち勝手に倒れて、動けなくなってくれないだろうか――という無駄な期待もしてみるが、どうやら神様はそこまでこちらの都合を考慮してはくれないらしい。

 

「ゴォ、コォ……オォッ……!」

「……く、くそったれめッ……!」

 

 俺を見下ろし、ゆっくりと拳を振り上げる。瀧上さんはそんなことが出来る間合いまで、たどり着いてしまったのだから。

 

 古我知さんの手足を破壊したその拳で、俺の命を絶とうというのだろう。それは、避けようのない現実だ。もう受け入れるしかない、というのはわかる。

 

 ――だが、十七年の人生を締め括る最期の光景があんたってのは、気に入らねぇ。あんたの面を見て死ぬぐらいなら、古我知さんの方がまだマシだ。

 

 そんな往生際の悪い動機で、眼前の鉄人を視界から外した俺は、手足をもがれた白銀の騎士に視線を移した。

 

「……んッ!?」

 

 そこで見た光景に、目を見張ることになるとは思いもよらずに。

 

 ――瓦礫と一緒に転がっているガラクタのように、傷だらけになりながら横たわっている機械仕掛けの男。

 その白い胸の奥で、鈍く光る蒼い球体には、見覚えがある。

 

 そして、そこから幾つもの管に繋がれているのは――俺の「腕輪型着鎧装置」。どうやら、腕輪は彼がいる辺りまで吹っ飛ばされていたらしい。

 最初に彼が転がっていた場所とは少し離れたところに居る辺り、恐らく腕輪を拾うために、残った右腕一本で這いずり回っていたのだろう。命を繋ぐためとは言え、この状況で大した根性だな。

 

 それにしても、なんであの人は……あんなに笑っていられるんだ? 俺の腕輪から電力を補充したって、その身体でどうにか出来るとは思えない。

 こちらに向けられている彼の微笑みは、子供を元気付ける大人のような頼もしさが滲み出ている。……が、この状況じゃそんな顔されたって、どうしようもないだろうが。

 

「……え?」

 

 その時。

 俺は、蒼い光球の異変に目を奪われた。

 

 光が……暗くなっていく。点滅していく。まるで、使い果たされた電球のように。

 どういうことなんだ。あのコードに繋いだら、腕輪から電力を補充出来るはずじゃ――!?

 

 ――ちょっと待て。おかしいぞ。

 なんでわざわざ俺の腕輪を繋ぐ意味がある? 俺の腕輪には、ハナから補充出来るバッテリーが「無い」んだぞ!?

 意識が曖昧なせいで、そんな当たり前のことに気づかなかった俺も大概だが……古我知さん、あんた何を考えてやがる!?

 

 まさか、まさかとは思うが、あんたはッ……! あんたという人はッ……!

 

「……クッ!」

 

 ――そんな俺の予測に沿うかのように、古我知さんは微笑からキッと真剣な顔に切り替えつつ、右腕で赤い腕輪を瀧上さんの頭に投げつける。

 

 その頃には――胸の蒼い輝きは、九分九厘その煌めきを失っていた。

 

 その状況が意味するものを、憔悴した彼の表情が物語っている。

 

 激しい金属音と共に鉄人の頭に激突した腕輪は、持ち主である俺の目の前にガシャリと落ちる。

 ……彼が、バッテリー切れ「だった」これを届けた理由。それは、俺の想いを汲んでのことだったのだろうか。それとも、「コイツだけはなんとしても殺してくれ」という、喜ばしくない期待ゆえ、なのだろうか。

 

 いずれにせよ、今は「死」を受け入れる以外の選択肢を、望むべきだ。

 

 生命維持装置は、自分の心臓の働きを補強するためのもの。彼は、確かにそう言っていた。

 なら、それが止まったとしても、すぐに死に至るわけじゃない。停止した心臓が、電気ショックで鼓動を再開できるように。

 

 なら、命の灯が消えかけている彼に対し、「力」を与えられた俺が何をするべきか。――なんて、考えるまでもないか。

 

「ゴッ……。ゴォ、ゴォオ、オ……」

 

 弱点の頭にピンポイントで攻撃を当てられたことで、抹殺対象が変わったらしい。瀧上さんは俺に対する興味を失ったように、虫の息の古我知さんへ向かおうとしている。

 

「――待てよ。古我知さんなら、そっちにはいないぞ」

 

 そして。

 

 俺に向け続けていた微笑が消え。

 

 白い顔に生気がなくなり。

 

 残された銀色の右腕が、力無く倒れ伏し。

 

 蒼い光球が、その光を完全に燃やし尽くした時。

 

 その光景に突き動かされるように、俺は立ち上がっていた。今まで、痛みや恐怖で身動き一つ取れなかったのが、嘘のように。

 

 瀧上さんを助ける。そんな都合のいい理想に巻き込んで、彼を瀕死に追いやった自身に対する憤怒か。「力」を預かる者としての義務感か。それとも、自身の本懐を発揮できると喜ぶ、「怪物」ならではの狂気なのか。

 この沸き上がる力の理由。その候補は、言葉で語るには余りにも多過ぎる。

 

 それに、今は――そんなことを考えていられる余裕もない。

 迅速に、レスキューヒーローとしての責務を果たす。今考えることは、それだけで十分だ。……いや、今の俺にはもう、それだけしか考えられない。

 

 立つ瞬間に右腕に嵌めた、赤い腕輪。そこからは今、見慣れない青白い電光がほとばしり続けている。

 溢れ出る「力」の奔流。それを形容するかのような輝きが、絶えずこの空間に閃いていた。

 

 ――どうやら、古我知さんがこの腕輪に与えていたエネルギーは、腕輪自体のキャパシティを超える程の量だったらしい。彼も必死過ぎて、そこのところは上手く調整できなかったのだろう。

 

 R型のバッテリーを、短時間で吸い尽くすほどの「食いしん坊」な生命維持装置。その総てを腕輪に注ぎ込むと、これほどのエネルギー過多を引き起こすのか……。

 

「うっ、ぐ、あ……おおぉッ……!」

 

 右腕を伝い、全身に流れる「力」の電流。その勢いに飲み込まれ、俺は思わずうめき声を上げてしまった。

 腕輪から漏洩し続けている蒼いエネルギーは、さらに激しさを増していく。強すぎる「力」が周囲にまで影響を及ぼしているのか、俺の足元の小さな瓦礫がポルターガイストの如く小刻みに震え、舞い上がっていった。

 今にして思えば、この溢れ出る「力」こそが、俺が立ち上がれた一番の要因なのかも知れない。古我知さんの「命」を奪って手に入れた、許されないはずの、この「力」が。

 

「ぐ、おぅ、あッ……お、アァアァアアォオオォッ!」

 

 俺の全身を飲み込む、触れるもの全てを吹き飛ばしてしまいそうな蒼い「力」。

 その膨らみが最大限に達した時。俺は「人」ならざる雄叫びを上げ、自分の身体の全てを、その煌めきの中に封じ込めてしまった。浮き上がっていた瓦礫の全てを、弾き飛ばしながら。

 

 ――やはり、生命維持装置の電力というものは、「腕輪型着鎧装置」の機能を狂わせてしまう程のパワーだったらしい。

 発光が僅かに大人しいものになり、俺の姿が浸水してきた海面に映るようになった頃には、既に着鎧が完了していたのである。

 そう、お約束の「着鎧甲冑」というコールを待たずして。

 

 しかも、そこに映っていた俺の姿は、本来のものとはどこか違っていた。……普段より、筋肉質になっているのだ。

 急激に流し込まれた強すぎる電力が、バッテリーを過剰に稼動させたせいで、スーツ内の人工筋肉が肥大化したのかも知れない。全身に漲るこの「力」を肌で感じていれば、この変化が見た目だけじゃないことはすぐにわかる。

 

 ――そんな俺の変わりようには、正気を失っている瀧上さんもさすがに無視できなかったらしい。生命維持装置の補助を失い、気絶している古我知さんから目を離すと、直ぐさまこちらへ向き直った。

 

「ゴ、ゥオ、ガッ……!」

 

「……貴様も俺も、人を巻き込んで傷付けてるって意味じゃ同じなんだろうな」

 

 同族嫌悪、という奴なのだろう。気がつけば、俺の彼に対する口調は以前より刺々しいものになっていた。

 

 正常な意識を失いつつも、俺達を殺すという執念だけで戦い続ける灰色の鉄人。対しては、人の命を奪って人を救おうとする、歪な正義の味方。

 ……どっちが勝っても、ロクなことになる気がしないな。

 だけど、俺はそれでも――

 

「けど、俺はそのままでいいとは思わない」

 

 ――貴様みたいに奪うだけの「怪物」にだけは、なりたくないんだよ。

 

「さぁ、こちとら拾わなきゃならない『(タマ)』を三つも抱えてんだ。さっさと済ましちまおうぜ、『瀧上』」

 



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第139話 俺と貴様の最終決戦

 一歩踏み出すごとに、瓦礫が吹き飛ぶ。その現象が、双方に起きていた。

 まるで、周りの物質全てが俺達に道を譲るかのように。

 

「ゴォー……コォーッ……」

 

「……いくぜ」

 

 少しずつ進んでいた「歩み」は、次第にその速さを変えていく。向こうから響き渡る、瓦礫を破壊する足音の間隔が、俺に近づくに連れて短くなっていくのがわかった。

 それに呼応するように、自然とこちらのペースも加速度を増していく。肥大化した人工筋肉のパワーにより、足元のコンクリートが次々と砕かれていった。

 

 そして留まることを知らないまま、時間と共に距離が詰まり、互いの歩調も速くなっていく。

 ――例え全力疾走に発展し、それだけで周囲に瓦礫の破片を撒き散らすことになろうとも。

 

「……ワタァアァアアァアアッ!」

 

「ゴガォァアアォアアアアッ!」

 

 俺達は、寸分も躊躇うことはなかった。

 ここに立っている二人の男は、「怪物」。何を以ってそう呼ばれるか、という違いしかない「化け物」同士なのだから。

 

 雄叫びと共に、人間を超越した拳が激突する。既に砕かれている俺の手は、肥大化した人工筋肉に守られながらもさらに悲鳴を上げた。

 だが、向こうの装甲もかなり痛んでいるらしい。本来ならば絶対に負けるはずのない正面衝突を受けて、灰色の拳に亀裂が走った。

 

「ゴッ、ガ、ォアア……!」

「うがッ、あぁあ……!」

 

 全く同じ痛みを背負うかのように、俺達は実によく似たリアクションでのたうちまわる。「拳を痛めた」のはどちらも同じらしい。

 

 ――強くなり過ぎた人工筋肉は、俺から技の精密さとスピードを奪ってしまっている。こうなってしまったら、もう脚の速さを活かして背後を取る芸当はできない。

 だが、今のパワーならそんな小細工を抜きにして、真っ向から力で渡り合うことが可能だ。鉄兜なんて関係ない。急所にさえ届けば、弱り切った彼の装甲なんて紙も同然だ。

 

「ハァッ、ハァ……!」

 

 とは言え、消耗しているのはこっちも同じだし、今まで通りに避けたり受け流したりするのも容易ではない。いくら筋肉の鎧を纏っているとは言え、「新人類の身体」の鉄拳をまともに受け続けていては危ないのは変わらないのだ。

 

 つまり――この戦いはもう、技と技の競い合いにはなりえない。生きるか死ぬかでしか勝敗を分けられない、猛獣共の喰らい合いに過ぎないんだ。

 

「んぐ、ぉ、あぁあああッ!」

 

 まだ怪我の少ない左手で地面を押し、俺は「猛獣」であることを受け入れ、開き直るように立ち上がる。そのまま、同様に起き上がろうとしていた瀧上に蹴り掛かった。

 狙うは、本体の脳髄を抱えた――「首」!

 

 目には目を、歯には歯を、というわけではない。

 この厄介な「新人類の身体」を迅速かつ確実に無力化するには、あの強固な頭部をもぎ取るしかないのだ。

 

「ゴオ、ガァッ!」

「ぐっ――あぐぁアァッ!」

 

 だが、相手もバカじゃない。意識障害とは思えない反応速度で、太股を上げて俺の回し蹴りを阻むと、即座に腰の回転を切り替えて逆の足で俺を蹴飛ばしてしまった。その一撃で、焼けるような熱さで肉体を焦がされ、内臓まで押し潰されていくような感覚に襲われる。

 歴戦の経験に裏打ちされた「反射」だけで、これほどの反撃をこなしているのだろうか。

 

 再び腹に突き刺さる、鋼鉄製の足の裏。攻撃を受けた痛みそのものは、さっきに比べりゃ屁でもない――が、体力の消耗度はそれを遥かに凌ぐものだった。

 

「ぐッ……!? ハ、ハァ、ハァッ……!」

 

 無理な筋力強化を経たスーツに、中身の身体能力が追い付いていないのか。それとも、着鎧甲冑の人工筋肉自体が異常をきたしているのか。

 いずれにせよ、俺の立たされている状況が、今でも著しく不利だということだけはハッキリとわかる。対等以上に戦える力があっても、そこに至るまでにバテているようでは宝の持ち腐れなのだ。

 

 万が一、このまま疲労感に負けてしまえば、次に訪れるのは「死」の一文字。

 だが、地面に顔面を押し付けている間に感じていたのは、着鎧前のような「死」に近づくイメージではなかった。

 

 脳裏を過ぎったのは――瀧上に苦しめられていた、三人の人物。

 

 彼を愛して、裏切られ、それでも信じたい気持ちまで踏みにじられた所長さん。両親の敵を討ちたい、という自身の想いを乗せた上で、俺を瀧上のようにさせまいと説得していた古我知さん。

 

 ……そして。

 

「し、ごう……し……ごう……ッ!」

 

 どんな地獄に自分自身を焼かれようとも、ひたすら俺や姉を案じ続けていた機械少女。その姿を思い起こした時、俺は無意識のうちに地面を片手で押し込み、うずくまっていた上体を持ち上げていた。

 

 ――白目を剥き、絶叫を上げ、血の涙を流しても、あの娘は……誰かを想いやる「人間」であり続けていた。身も心も「怪物」になってしまった瀧上や、生身でありながら「怪物」になろうとしている俺なんかには、到底マネできない。

 どんな世界に生きていても、彼女は――四郷鮎子は、「人間」だったのだ。

 

 そんな立派な「人間」さえも、俺の眼前にいる鉄人はおもちゃのように蹂躙していた。自分に怯える彼女を、弄ぶように。

 無自覚のうちに、それほどの行為を尽くしていた事実。それは、知った上での非道よりも遥かにタチが悪い。

 

 ゆえに、こんなにも腹が立つのだろう。あの娘までも地獄に縛り続けていた瀧上にも、そんな彼をどうにも出来ずにいる、俺自身にも。

 

「――ぐっ、ぅうッ……!」

 

 だが、だからといって着鎧甲冑の矜持を捨てて彼を殺す気にはならない。俺は、そういう「怪物」なのだから。

 そうして、ふらつきながらも立ち上がった先には――あの鋼鉄の巨体が立ち塞がっていた。

 

「クッ……!」

 

 くぐもった声色で呻く俺は、鉄兜の奥に潜む凶眼を見据えると、腰を落として静かに身構える。一瞬であの首を刈り取れと、握り締めた左拳に命じて。

 

 そこから僅かに間を挟み、

 

「フゥッ……ハァアアァアッ!」

 

 矢のように飛び出して静寂を破る俺の身体。さらにそこから打ち出された左の突きが、瀧上の顔面に直撃する。

 

「ゴゥッ! ガ、ゴォオォオッ!」

 

 だが、その程度では首を取るには至らず、すぐに向こうの反撃が始まってしまった。唸りを上げて振りかぶられた右の鉄拳が、覆いかぶさるように振り下ろされる。

 

「グッ……ウ!」

 

 コイツに直撃すれば、今の状態でも頭蓋骨まで砕かれる。咄嗟にそう判断した俺は、瞬時に身体を捻って回避行動に移った。空中で回転する俺の頬を、貨物列車のような剛拳が掠めていく。

 

 この鈍重な身体では、どうしても回避がギリギリになってしまうらしい。確実に避けられるタイミングだったはずなのに、マスクの左頬から下顎までの部分が見事に剥がれてしまっている。

 

 そこから間髪入れず、瀧上の巨大な回し蹴りが、辺り一帯を薙ぎ払う勢いで迫ってきた。だが、正面から顔面を殴られて脳を揺らされたのが効いたらしく、姿勢はぐらついていて体重も乗っていない。

 これなら……凌げる!

 

「ハァッ!」

 

 地面に着地した瞬間、俺は左側から襲って来る鋼鉄の足を、左腕の外腕刀で受け止める。生半可な体勢から繰り出された蹴りには、やはり見かけ程の威力はなかった。

 

「ホワァアアッ!」

 

 俺はそのまま停止してしまった彼の足を踏み台にして、鉄兜に再び襲い掛かる。人工筋肉の肥大によって増量された体重を武器にした、俺の飛び膝蹴りが彼の眉間に激突した。

 

「ガゥオッ!? ガォ、ゥオ、ァアァアアアッ!」

「うがッ――ァアァアッ!」

 

 しかし、その一発でも決着を付けるには足りなかったようだ。のけ反っていた首を振り、一瞬だけ油断していた俺に頭突きを見舞った瀧上は、追い撃ちを掛けるように左のボディブローを振るう。

 

 脳を揺らし返され、視界や判断が鈍っていた俺には、その一撃をかわすことなど出来ない。腕を十字に組んで受け流そうとしていた俺の身体は、体重が増しているにも関わらず容易に吹き飛ばされてしまった。

 瓦礫に身体中を削られながら、地面を滑走していく。その勢いが止まった頃には、俺は俯せのまま、金縛りに遭ったように動けなくなっていた。

 

「うぁッ……が、ぁああぁあぁ……ッ!」

 

 ――やはり、この状態では「救済の超機龍」にも俺自身にも、かなりの負荷が掛かるようだ。全身に走るこの激痛は、瀧上の攻撃によるものだけじゃない。

 与えられた「力」に「責任」が伴うように、この強すぎるパワーもまた、相応のリスクを兼ね備えていたのだ。それはただ動きが鈍重になるだけでなく、筋肉の重さゆえに疲労が早まるという側面も持っていたらしい。

 

「あづッ――あ、あぎぃぃ、あぁあァッ……!」

 

 しかも、パワーに耐え兼ねたスーツ内の電線が切れ、そこから漏れた電熱が俺の肉体に根性焼きをかますというおまけ付き。今が戦闘中じゃなく、アドレナリンが鎮まっている状態だったなら、痛みと熱さで発狂していただろうな。

 

 そんな俺に止めを刺さんとする瀧上の足音が、地震となって徐々に近づいて来る。震える左手で辛うじて身を起こし、身体を返して見れば――

 

「ゴォ、ゥ、ォオオ……」

 

 ――無彩色の巨体が、その身を映した影で俺の全身を覆い尽くしているのがわかった。今度こそ終わらせようと、左の拳を振り上げていることも。

 

「……ふぅッ、く、うぐッ……!」

 

 こんな危機的状況なら前にもあったし、その都度、奇跡の逆転劇が起きてくれていた。周りに、助けてくれる誰かが居たからだ。

 しかし、もうそんなカードは残っていない。外部から助けが入る要素は、もうどこにもないのだ。

 

 ――この場に居て、意識を持って動いているのは、俺達二人だけなのだから。囮を引き受けた矢村も、バッテリーをくれた古我知さんも、もうここには居ない。

 

 振るわれた拳が、俺の頭を打ち砕いて脳みそをぶちまける。そんな夢のない結末が、簡単に訪れてしまうのだ。

 彼の鉄槌が、望まれるままに振り下ろされてしまうだけで。

 

 夢も希望も味気もない、口先ばかりのヒーローの最期。そんな幕引きでしか自分の死を表現出来ない事実に、自嘲の笑みが浮かびかける。

 

 その感情が、仮面の奥の口元から表出しようとしていた、その時。

 

「ゴォッ……ガオォッ!?」

 

 悪運の女神が、再三舞い降りたのだった。

 

「……ッ!?」

「ゴガォッ! ア、ォ、アゥオオァ……!」

 

 何が起きたのかと目を見張る俺を余所に、瀧上は自分の首を絞めるような仕種と共に数歩後ろへ下がると、突然唸り出していた。喉に何かを詰まらせてのたうちまわるような、得体の知れない挙動の数々。

 

「あッ……!」

 

 その実態は、巨大な掌で覆われた「首」そのものに隠れていたのだ。図太い指の隙間から飛び出す火花を見て、俺は思わず声を上げる。

 

 「新人類の身体」にとっての命綱である、オリジナルの脳髄を詰めた頭部。その繋ぎ目である首に、深刻な損傷が生じているのだ。

 元々、爆発のダメージで装甲が弱まっていたところへ、拳や膝蹴りなどを立て続けに浴びたせいだろうか。――いや、それだけじゃない。

 

 首筋に僅かに伺える、横一線に割れた亀裂。

 そこから出ている火花が一番激しいところを見るに、どうやらあの切れ目が裂けるように攻撃していたことが、この状況の引き金になっていたようだが……俺はあんな傷を付けた覚えはない。

 コンペティションで「傷が付けられる程」の攻撃が通ったのは、せいぜい後頭部か脳天くらいだ。それに「新人類の巨鎧体」の破片で傷付けられた――にしては、他の傷と比べて深さや形が不自然過ぎる。あれは間違いなく、意図的に付けられたものだ。

 

 じゃあ、一体誰が……あッ!?

 

「……そうか。茂さん……やってくれたな」

 

 記憶の糸を手繰り寄せ、蘇るビジョン。そこには、茂さんが瀧上に弾かれる直前に仕掛けていた、あの首筋への一撃が映されていた。

 一見、アレが瀧上に効いているような様子はなかったし、距離が遠かったこともあってか、特に外傷も見えなかった。恐らく、誰にも見えない程の小さなかすり傷がやっとだったのだろう。

 

 それだけだったなら、本当にその程度の傷で終わっていたはず。だが、今回に限ってはそうは行かなかったのだ。

 「新人類の巨鎧体」の爆発やその際の破片により、瀧上の装甲は激しく損傷し、取るに足らないはずだった傷口は次第に悪化していった。

 そこへ駄目押しを仕掛けるように、筋肉達磨と化した俺の集中攻撃を浴びせられ、遂にあんなレベルにまで傷が開いてしまったのである。

 

 ――あの首筋の傷を推測するなら、こんなところだろう。どうやらあの変態スキンヘッドは、俺が思う以上のスーパーヒーローだったようだ。

 

「……ここまでお膳立てされて負けてたら、いい笑い者だぜ」

 

 俺は再び身体を返して俯せになると、両手の力で懸命に地面を押し込んでいく。痛んだ右手さえも、支えに使って。

 ブチブチとスーツ内で響く不気味な音や、身体を焼き尽くす電熱はさらに深刻化しつつある。この痛みに耐えながら戦う気力は、もうほとんど残っていない。

 

 だから――これが、最後だ。

 

 後でぶっ倒れようが死のうが構わない。その気概だけを動力にして、俺は再び立ち上がっていく。両足の筋繊維が嫌な音を立てようとも、火傷じゃ済まない痛みに襲われようとも。

 

「ハァッ……ハ、ァッ……」

 

 ――もはや、激痛に悲鳴を上げることもできない。感覚が狂ってしまったのか、それとも声を上げる気力すらも失われようとしているのか。

 いや、どちらでも構うものか。今の俺が考えることは、最後の一撃であの首を今度こそ狩る。ただ、それだけなのだから。

 

「フゥッ……ハァ、ハァッ……!」

 

 両の脚で立ち上がり、仇敵に向き直りながら構える俺の拳は、痛みと疲労で絶えず震えている。この苦しみとも、次の一撃でおさらばだ。

 

「ガゴッ! ゴォーッ、コォーッ……」

 

 そんな俺の視線を受けた瀧上は、首から手を離すと、そこから火花を飛び散らせながら両拳を静かに構えた。

 どうやら、自分の首にばかり構っている場合じゃないと、気配で悟ったらしい。意識障害に陥り、「新人類の身体」にとっての死の淵に立たされながらも、注意すべきものを見誤らない辺りはさすがと言うべきか。

 

「フゥーッ、フゥー……!」

 

「……ゴォ、ゴォーッ、コォーッ……!」

 

 少し踏み込めば、突きも蹴りも簡単に届く間合い――「一足一拳(いっそくいっけん)」の距離の中で、俺達の動きは再び静寂に包まれる。

 

 生か死か。

 勝者となるか、敗者となるか。

 どちらに、どのような結果がもたらされるのか。

 

 その答えを出すためだけに、俺達はここに居る。

 どちらの狂気が、この沈み行く空間の中で存在を許されるのか。全ては、その裁断のために。

 

 そんな俺達を包囲しているのは……グランドホールに轟き続ける、海水の濁流と落石のシンフォニー。そのけたたましい音色は、引っ切り無しにこの世界を揺るがし続けていた。

 だが、俺達がそのような瓦解のオーケストラに気を取られることはない。

 

 どれだけ近くに瓦礫が落ちようが、どれだけ足元を海水が浸そうが、今の俺達には無縁な話だ。

 俺の目では瀧上しか見えないし、瀧上の目でも俺しか見えていない。互いの視線に、割って入る何かなど、ありえないのだ。

 

 だからこそ。邪魔が許されない世界の中に居るからこそ。

 

 俺達の視界を、小さな瓦礫が垂直に横切った瞬間。俺達は、俺達だけの世界が砕け散る錯覚に陥り――

 

「……ウォアァアアタァアァッ!」

 

「……ガォアァアァアァアァアッ!」

 

 ――均衡を保っていた静寂すらも、打ち砕いてしまったのだ。高尚に例えるならば……聖域を荒らされ、怒り狂う守護神のように。

 

 互いに踏み込む瞬間、周囲の瓦礫が逃げるように舞い散り、水しぶきが上がる。それら全てを突き抜けて、瀧上の剛拳が槍の如く襲い掛かった。

 今までのどんなパンチよりも重く――速い。風を切る轟音が、それを物語っている。

 

 間合いを詰める俺に対し、迎撃するように放たれたその一発は、こちらの顔面を確実に捉えていた。

 まともに喰らえば、頭蓋骨が砕かれるどころではない。頭そのものが、消えてなくなってしまうだろう。

 

 そんな結末だけは、避けねばならない。身体のどこかを、犠牲にしようとも。

 

 そして、そのための生贄に……俺は左腕を選んだのだった。

 

 瀧上の鉄拳が俺の顔面を消し去る直前、その身代わりになるように左の外腕刀が飛び出していく。この剛拳の流れを、掠めるように。

 本来ならばこれは、相手の拳を受け流し、いなすための技。しかし、この有り余る筋肉では、そのような精度は望めるはずもない。

 

 必殺の拳が外れた瞬間、俺の左腕から感覚が失われる。――いや、正確は腕に迸る「冷たさ」のあまり、痛覚すらも麻痺してしまっているのだろう。僅かに視線を横に移すと、そこには「当然の結果」が待ち受けていた。

 人間の関節ではありえない方向にひしゃげた左腕。スーツの色か血の色なのかはわからないが、もはや使い物にならないことだけは確かだ。その事実に念を押すかのように、肘関節の辺りからは白い突起物が飛び出している。

 ……掠っただけで生身の骨までめちゃくちゃにするとは、さすがだ。左腕全体に広がる、この神経まで凍るような「冷たさ」がなければ、今頃は失神していたに違いない。

 

 ――だが、命まで奪えなかったのが運の尽きだったな。

 

「ダッ……ァァアァアアッ!」

 

 他人の命を吸い尽くし、その上で自分の命まで使い潰す。そうして残された最後の力が、右の手刀となって瀧上の首を貫いていった。

 

 血しぶきの如く火花が飛び散り、鋼鉄の巨体が激しい痙攣を起こす。消えかけた命の灯が、最期に美しく燃え上がるように。

 そんな輝きを放った炎が迎える結末というのは――相場が決まっているらしい。

 

「ゴガォッ……ゴ……オ、ォ……」

 

 はじめは抵抗するように身じろぎしていた鉄人の身体は、遂にその活動を停止する。マリオネットの糸が――切れたのだろう。

 

 鉄兜の凶眼は、その妖しい輝きを失い……俺の足元へと力無く落ちていく。崩れるように仰向けに倒れていく、首なしの巨体と共に。

 

「ハァッ、ハァッ……ハァ……」

 

 おかしな方向に折れ曲がったまま、だらりと垂れ下がっている左腕を覆う、強烈な冷感。その奇妙な感覚は疲労にも強い影響を与えており、俺の呼吸をより一層荒くさせていた。

 

 そんな状況でも、俺は可能な限り冷静に周囲を見渡し――その時になって、ようやく理解した。

 

 たった今、ここに存在することを許された「狂気」は、この俺に決まったのだと。

 

 そして――

 

「……勝った、勝ったよ……四郷。矢村。所長さん。……救芽井」

 

 ――腕が痛いからなのか。嬉しいからなのか。

 

 地面に転がる、赤髪の生首を見つめていた俺の頬には、スーツ内よりも熱い雫が撫でるように伝っていた。

 



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第140話 「正義の味方」の仕事

「く……あぐッ……!」

 

 左腕に纏わり付く冷感。それが薄れていくに連れて、あらわになっていく感覚がある。

 ――痛みだ。

 

 今までは戦いのアドレナリンでごまかせていた「現実」が、「痛覚」として迫ろうとしている。このままモタモタしていたら、全身が激痛に耐え兼ねて動けなくなってしまうだろう。そうなれば、もはや脱出すら叶わない。

 

 瀧上を倒した安堵により、切れかけていた緊張の糸。その細い一筋の精神は、痛みという現実に晒されて再び引き締められたのだった。

 

 とにかく、早くここから離脱しなければならない。落石はさらに勢いを増しており、俺の足元の浸水はふくらはぎにまで達している。

 いつ天井が落ちてきても不思議ではない。俺はすぐさま古我知さんの方へ走ろうとして――倒れてしまった。

 

「うわッ……!」

 

 ……体力の消耗具合は、俺の予想をさらに超えていたらしい。落盤のプレッシャーに押されながらも、足が一瞬動かなくなる程だったとは。

 身体中を焼かれ、腕もへし折られ、体力も尽きかけている。そんな状況でも、俺の無茶に付き合ってくれていた「救済の超機龍」も、ついに限界だと言うのか?

 

 ――いや、限界じゃない。こんなことが限界であっては、いけない!

 

「ふぐっ、う、ぐぅう……!」

 

 走れないなら、歩けばいい。立てないなら、這えばいい。最後に脱出できさえすれば、それでいいんだ。こんなところで、レスキューヒーローがくたばってたまるか!

 

 俺は、頭だけ人間の姿になっている瀧上の赤髪に噛み付くと、そのまま首をぶら下げながら歩き始める。無念そうな表情のまま眠る首が、俺の口元でしきりに揺れていた。

 鼻をつく重油の匂いと鉄の味が、仮面の奥に「現実」を伝えているかのようだ。あんなに焼けるような高熱を放っていたスーツは、今はなぜか凍るように冷たい。

 

 それにしても……マスクの下顎が砕けて、生身の口が露出していたのはラッキーだったな。片腕が使えない以上、こうしなけりゃ瀧上を助けられなかったのだから。

 

 ……一方で、そんな行為をこの状況で当たり前のように実行している自分自身に、俺は心のどこかで辟易していた。

 きっと、俺はどこか間違っているんだろうな。古我知さんだけならともかく、あれだけ好き放題やってた瀧上まで助けようとするなんて。

 普通のレスキューヒーローなら、こんなことはまずしない。自分自身の生還に勝る勝利なんて、あってはならないからだ。

 助かる見込みがゼロに近いなら、古我知さんも瀧上も見捨てて逃げるのがベター。リスクを侵して助けるとしても、古我知さん一人が限度だろう。

 

 それに古我知さんの言う通り、俺のやっていることはリスクもリターンも度外視した、人間ならざる「怪物」の所業なのだ。「生き残る」ことを最大の義務とした、レスキューヒーローの本懐すらも揺るがしかねない、最低最悪のエゴイズム。

 

 仮にここまでやって成功したとしても、瀧上が改心する望みなんてないし、したとしても遅すぎる。おまけに、俺のやったことも「余計なお世話」になり、褒められるどころか責められるかも知れない。

 百害あって、一利なし。俺の行為は、まさにその通りだろう。少なくとも、まともな神経で考えるならば。

 

 ――そんな世の道理に逆らって粋がる、中二病全開な自分の思考回路には、呆れて言葉も出ない。だが……嫌いには、なりきれなかった。

 

「ふぅ、ぐッ……うぅゥッ……!」

 

 見捨ててはいけない。自分の判断で彼まで見捨てたら、いつか救うべき人も見殺しにしてしまう気がする。

 ……そう思ってしまう自分を、間違いだと断じきれなかったからだ。

 

 生かしちゃいけない人を殺すのは、正しい。確かに、そこに間違いはない。俺も、瀧上を生かしておくわけには行かないと思う。

 じゃあ、その正しさを決めるのは誰だ? そこにいる人間だけで、本当に全て解決してしまっても構わないのか?

 レスキューヒーローが……誰かの命を救うために来ているヒーローが、その酌量を自分で決めて、切り捨てていいのか? ……違う気がするんだ、俺は。

 

 善悪を決めるのはきっと、もっとたくさんの――そう、色んな考えを持ってる人達なんだ。違う考えを持った人が話し合って、一生懸命悩み抜いて、何が正しいかを決める。

 それが「正義の味方」の仕事なら、それは「怪物」の俺が気にしていいことじゃない。何が正しいかを決めるのは、俺の役目じゃないんだ。

 

 ――だから俺は、誰でも助ける。魔王でも悪魔でも、死にかけてるなら助ける。善悪の定義も世の道理も、知ったことか。

 それが正しいかどうかは、他のみんなに任せればいい。後で何を言われようと、俺は俺にしかなれない「怪物」になるだけだ。

 

 ……ごめんな、伊葉さん。期待に、応えられなくて。やっぱりあんたを裏切ったって意味じゃ、俺も瀧上と同類だな。

 

 そうして、胸中で自分の気持ちに踏ん切りを付けている間に、俺の視界へ白銀の鎧が入り込んで来る。生気を失った青白い素顔と、輝きを失った左胸の球体が、命の危機を訴えているようだった。

 

「ふぅ、くっ……おおぉッ!」

 

 起き上がって瀧上の首をくわえて、歩き出してから約一分程度。古我知さんの傍にたどり着くのに掛けた時間は、恐らくその程度だったのだろう。落石や浸水に、さほど変化がないところを見る限りでは。

 ――だが、失った体力は大きい。左腕に滲みつつある激痛に意識を奪われかけている上、気合いを振り絞り、残った右腕で古我知さんの胴体を抱えた瞬間、全身に十倍の重力が掛かるような錯覚に陥ってしまったのだ。

 

「お、もッ……!? ぐぅ、おッ!」

 

 瀧上にあっさり砕かれる装甲だったところを見るに、俺とあまり変わらない重量だと思っていたのだが――腕に掛かる負担は、想像を絶する重さとなっていた。

 

 普段通りなら、こんな胴体一つを脇に抱えるくらい何でもなかったはず。ましてや、今はパワーアップしているというのに。

 

 ――どうやら、人工筋肉もとうとう過労でブッ倒れたみたいだな。「救済の超機龍」のスーツも、今となってはただの重たいプロテクター、ということか。道理で、スーツが死体のように冷たいわけだ。

 

 一時はダメージ警告を繰り返していたバイザー映像も、すっかり機能を失ってしまっている。余りに酷使しすぎたせいで、自動で着鎧が解除されるシステムもイカれてしまったようだ。

 

 ……へっ。どこまでもシビアになって来やがる。口が瀧上で塞がってなけりゃ、今頃は乾いた笑いしか出て来なかっただろうな。

 

 ここまでしても、待ってるのは罵倒や叱責だろうし……運命の女神様は俺を助けたいのか殺したいのか、どっちなんだよ?

 

「ふーっ、ふぅッ……う、ぐッ!」

 

 ――まぁいいか、どっちでも。俺は二人を連れて、いやがおうでも生き延びる。今気にすることはそれだけってことに、しとくかな。

 

 俺は深呼吸を経て、今一度気合いを入れる。その瞬間、スーツの重みや疲労ごと押し上げて、俺は古我知さんを抱えたまま再び動き始めた。

 目指すは、矢村が一足先へ向かっていた螺旋階段。そこにたどり着けば、あとは登るだけ――

 

「うおッ……!?」

 

 ――というところまで来たというのに、ここに来て落石が激化しやがったッ……!

 浸水もさらに勢いを増し、さながら津波のような水流が、グランドホール全体を飲み込もうとしている。濁流に飲み込まれた瓦礫が、次々に轟音と共に流され、無惨に砕け散っていった。

 

「うっ……く、くそったれめッ……!」

 

 もう数分も経たないうちに、俺の首まで海水に浸されそうな勢いだ。落石は格納庫まで行ければ避けられるだろうが、浸水はあの勢いなら、どこまでも追って来るだろう。

 

 無駄な思考の一切を遮断する、濁流と落石の大合唱。戦いの中で目を背けていたその実態が、ここぞとばかりに牙を剥き、襲い掛かっているのだ。

 この戦いを生き残る、最後にして最大の障壁。その壁が今、唸りを上げて俺に迫ろうとしている。

 

「間に合え……間に合ってくれよ……!」

 

 死に物狂いで身体を引きずり、螺旋階段を目指す俺。その背では、破壊に次ぐ破壊の交響が神の怒りのように轟き続けていた。

 生きるか死ぬか。脱出か圧死か。

 

 その答えが決まる瞬間が、目と鼻の先まで、迫っている……。

 



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第141話 翡翠色の腕

 足元、背後、目の前。ありとあらゆる場所へ、瓦礫が降り注いで来る。

 

 この満身創痍の状況では、落ちてきた瓦礫を蹴り返すことも素早くかわすこともできない。そもそも、スーツ自体の機能がほぼ停止してしまっているのだから、抗いようもないだろう。

 

 ――つまり、もし頭上に落ちて来られても、こっちには防ぎようがないのだ。それにボロボロのマスクでは、防護効果も期待できない。

 

 今こうして生きていられるのは、ただ運がいいだけ。次の瞬間には頭から瓦礫に押し潰され、三人全員おだぶつになるかも知れないわけだ。

 

 運の良し悪しに生かされたまま、圧死の脅威に怯えなければならない。その上、幸運に恵まれ螺旋階段にたどり着いたとしても、今度は海水に追われることになる。

 ……先のことを考えれば考えるほど、気が遠くなっていく。置かれている状況を冷静に見つめようとしたら、頭が変になってしまいそうだ。

 

「フゥッ……ヒューッ、フゥッ!」

 

 あとちょっと。あと少し。そんな距離になっていくほど、吸い寄せられるように足取りが速くなっていく。

 

 今この瞬間に死が訪れる。その確率から、一秒でも早く逃れるために。

 

「フゥッ、フゥ、フッ、ウッ……!」

 

 生きたい。死ねない。まだ、俺は死にたくない。こんなところで、終われない。

 その想いだけが、俺の身体をただひたすら突き動かしている。力尽きた人工筋肉ごと、古我知さんと瀧上を引き連れて。

 

「――う、んぐうぅうッ!?」

 

 そして、格納庫の内側まで半歩程度の距離に来た時。俺のすぐ真後ろに、一際巨大なコンクリートが落下した。

 

「グッ……ンンッ!」

 

 その衝撃は今までのどのような落石よりも激しいものであり、その激突が生んだ波動で、俺は背中から突き飛ばされるように格納庫へ転がり込む。二人を離すまいと、口元と右腕に、残された力の全てを注ぎながら。

 

「うっ、く……!?」

 

 慌てて身を起こし、浸水に足元を取られながら立ち上がる俺は――その瓦礫のサイズに、戦慄を覚えた。

 天井全体の一割を占めるのではないか、と思ってしまう程の大きさ。グランドホール全体が崩落する瞬間が、間もないことを示しているのだろう。あれ程の落石がまだ続くとしたら、間違いなくこの階層は一分と持たない。

 それにしても――あと僅か、ペースアップが遅れていたなら……いや、今考えるのは、よそう。

 今、俺は生きている。まだ生かされている。その事実だけで十分だ。

 

 太ももを浸す海水に動きを阻害されながらも、俺は踵を返して螺旋階段へ向かう。

 

「フゥッ……! ふんッ!」

 

 遥か真上を目指して伸びている、錆び付いた茶色の脱出経路。その一段目に右足を乗せ、俺は勢いよく海水から左足を引き抜いた。

 

「ふッ、ぐっ、う……ぅ、ううぅ……!」

 

 身体にのしかかる地球の重力。古我知さんと瀧上の重さ。スーツそのものの重量。それら全てがネックとなり、階段を登る俺を苦しめる。このブチ折れた左腕では、手すりを掴むこともできない。

 やむを得ず、俺は螺旋の外回りに寄り掛かりながら、一歩ずつ上に向かっていく。内回りだと、肘から飛び出た骨をぶつけてしまうからだ。

 後ろから浸水によるけたたましい水音が響いて来る――が、振り返ることはない。そんな暇があるなら、少しでも上を目指すべきだろう。

 

 ――そうして、許された時間の全てを階段に注ぎ続けて……どれくらいの時間が経っただろうか。

 

 昇り始める前は、確かに背後が気になって仕方なかった。浸水の深さに追いつかれてしまえば、命はないからだ。

 

 だが、時間が経つに連れ、水流の音が傍で轟いてもペースが上がらなくなり、目の前以外を気に留める意識すらも失われていったのだ。

 

 危険な状況は今も続いているはずなのに、足が持ち上がらない。気持ちの強さではどうにもならないレベルまで、疲労が蓄積してしまったのだろうか?

 

 常に階段を登っているはずの足元を、海水が浸し続けているという絶体絶命な事態だというのに、気持ちに反して身体が動かなくなっていく。

 

 そんな全身の不協和音は、次第に身体だけではなく、意識にも影響を与えるようになっていた。

 

 ――「危険」なものが、見えなくなってくる。なにが「危険」なものなのか、わからなくなっていく。歩けば歩くほど、そんな意味のわからない現象が襲い掛かってくるのだ。

 

 「危険」が続き過ぎて感覚がおかしくなり、「危険」が「危険」だとわからなくなってきているのかも知れない。頭がぼんやりしていて、膝も震えていた。

 

 少しでもペースを落とせば海水に足元を取られ、倒れてしまいそうだという状況なのに、まるで緊張感が沸いて来ない。

 片足を一段目に乗せた瞬間のような、心の芯まで張り詰めていたあの感覚も、今ではすっかり薄れてしまっている。

 

「……ヒュウ、ヒューゥ……」

 

 息も次第に詰まり、露出した口元からは、汗や唾液や血が立て続けに流れている。右腕や顎の感覚も、気がつけばすっかり希薄になってしまっていた。

 

 こうなっては、もはや今の自分に正常な意識があるのかもわからない。

 

 もしかしたら本当の自分は、とっくに海水に飲まれて死んでいるんじゃないか? こうして歩いているのは、生きている「つもり」でいる俺の幽霊なんじゃないか?

 

 ――そう思ってしまうほどに、全身に感覚がないのだ。生きているのか死んでいるのか。今の俺は、それすらも見失っている。

 

「……あ」

 

 ふと、そんな俺のひび割れた視界の中に、一筋の光明がさしそめる。あの輝き――下界をまばゆく照らす光を、俺はよく知っていた。

 本来ならば、手放しで喜ぶべきなのかも知れない。地上の陽射しが見えてきたということは、出口が近いということなのだから。

 

 しかも、あれだけ引っ切り無しに響き続けていた濁流の水音も、いつしかすっかり消え失せている。

 四郷研究所の最上階……つまり入口は、外海の水面より遥かに高い崖の上。そう考えると、水流が止まっているのも当然なのかも知れない。

 

 これならば、もう悩むことも苦しむこともない。このまま昇り切り、あの陽射しを目指して螺旋階段を突破する。それだけで、ついにこの「戦い」に終止符が打たれるのだ。

 ――ただ、俺が今も「生きて」いれば、の話だが。

 

「……く、うッ! ……う……ぅ……」

 

 あの光が目に留まり、思わず安堵してしまう、自分の心。それが命取りになってしまったのだろうか。

 ほんの少し、力が抜けて――階段に躓いてしまった。

 

 そこから立ち上がる力は、気力は……もう、残されてはいない。俯いた先に見える足元は、小刻みに震えるばかり。目前の出口に喜ぶどころか、歩くことさえ――口元に笑みを浮かべることさえ、できないのだ。

 

「……ん……ぅ……」

 

 目の前の「地上」を見上げることも許されず、冷え切った身体から生気が抜けていく。とうとう、俺自身の力も全て尽きてしまったらしい。

 

 ――あぁ、死んじまうのか、俺。

 ちくしょう、悔しいなぁ。あと、ちょっとだったのに、なぁ。

 

 ごめんな。救芽井。……俺、生きててやれなくて。

 

「……」

 

 ――うめき声すらも上がらないまま、俺はゆっくりと頭から倒れ伏していく。瓦礫をかわしても、濁流から逃れられても、階段を登れなかったらどうしようもないというのに。

 

 ここまで来ていながら、最後の最後で「負け」を喫した自分のふがいなさを、俺は顔に出すことなく嘲笑う。結局、俺はヒーローになんてなれなかったのか、と。

 

 そして、成す術がないまま、足元に映る自分自身の影に落ちていく……その時。

 

 何かが――何かの腕が、俺の身体を受け止めた。

 

「……?」

 

 それが誰なのか。どうして俺を助けるのか。それを考えようとするよりも早く、俺の意識が闇の中へ溶けていく。

 

 俺の傷付いた胸を抱く、翡翠色のしなやかな腕。

 

 ――微かに見えたそれだけを、脳裏に刻み込みながら。

 



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第142話 二つの罪

 世界が、闇だ。全身を覆い隠してしまう、巨大な陰。それだけが、俺の目の前にある。

 何も見えず、何も聞こえて来ない。

 

 そんな世界に包まれた時間を、俺はどれほど過ごしているのだろう。目が見えなければ、今が昼なのか夜なのかも――ここがこの世なのかも、わからない。

 

 だが……今、俺が居る世界があの世だとするなら、この右手に感じている布のような感触は何だというのだろう。

 仮に今も生きているとするなら、あの後……俺はどうなってしまったのか。俺を受け止めていた、あの腕の正体は無事なのだろうか?

 

 古我知さんや瀧上を抱えていた俺を支えられる、翡翠の腕――か。今までの経験則から答えを捻り出すなら、あの腕は間違いなく……。

 

「きゅ、う……め……」

「おっ、おおぉっ! 目を覚ましたようじゃの!」

 

 ――ッ!?

 

「ご、ろ……まる、さん……?」

「そうじゃ、わしがわかるかの? こうして直に会うのは久しぶりじゃな」

 

 これは、どうしたことか。

 気がつけば、俺の視界を包んでいた闇の世界は上下に割れ、その隙間から見知った顔がこちらを覗き込んでいたのである。

 

 残り僅かな頭髪から顎に掛けて、脱色しきった髪や髭で覆われているシワだらけの顔。厳つい顔立ちと、それに相反する子供のような体躯。外見の割に、柔らかい口調と物腰。

 間違いない。二年前の冬休みに、俺ん家の隣で暮らしていた――救芽井稟吾郎丸、ゴロマルさんだ。

 

 彼の安堵したような表情と同時に、白く無機質な天井も目に入って来る。次に視界に映り込んだのは……純白のベッドに青い袖、天井とほぼ同色の床。

 そこへ、鼻をつくような消毒液の匂いを感じた時、ようやく俺は悟る。

 

 生きている。俺は、まだ生きているんだ。

 

 そしてここは――俺がよく知っている場所。中学の頃、矢村を助けようとして、いじめっ子に病院送りされた時に来た……町の病院だ。

 あれ以来来ていない場所だが、設備も窓から見える町並みも、みんな昔のまま。そんな懐かしい所で、俺は今までずっと眠っていたらしい。あの戦いから、どのくらい経ったのだろうか。

 

 上体を起こし、夕暮れに沈んでいく景色を見つめるうちに、ぼんやりしていた意識も完全に覚醒していく。左腕に何の痛みも違和感もないところを見るに、どうやらまた、あの医療カプセルのお世話になっていたらしい。

 やがて、俺は一番確認しなければいけないことに気がついた。生きて帰ったのが俺一人だけでは、意味がないことに。

 

「そうだ……矢村と四郷はッ!? それに、古我知さんと瀧上はどうなったッ! 上に上がったみんなも、全員ちゃんと生きてんのかッ!?」

「落ち着けい。変に暴れられるわけにも行かんから、結論を先に言おう。あの事件に関わった人間は、ひとまず全員生きておる」

 

 絶対に忘れてはならない、彼らの命運。その超重要事項を問い詰める俺に対し、ゴロマルさんはなだめるような口調で語りかけて来る。

 

 そして、彼の言葉を聞いた瞬間、全身の力が骨の髄から抜けていく感覚に見舞われた。そうか、みんな……生きていたんだな。――瀧上も。

 

「矢村ちゃんが鮎子君を連れて、螺旋階段を登りきった後のことじゃ。鮎美君が脱出時に回収していた『鮎子君の生身』に、彼女の脳髄を戻すことが決まったんじゃよ。『もうここまで来てしまったら、この娘を縛る意味もない』、とな」

「そっか……! 矢村の奴、間に合ったんだなっ! じゃあ、四郷は人間に戻れるってことか!?」

「うむ。一度肉体から離れていた脳を、培養液で保存されていた肉体に帰す手術は、やはり簡単ではなかったようじゃが――今では意識も安定しているようじゃ。今、お前さんが目覚めたと知ったら、何はさておき飛び出して来れるんじゃないかの?」

 

 何はさておき飛び出す――か。そんなに元気になれたのかなぁ、あの娘。命があるだけでも万々歳ではあるが、ちょっと心配かな。

 

「そして、剣一と瀧上凱樹じゃが……剣一の方は、生命維持装置の充電が辛うじて間に合ってな。電気代は掛かったが、今は元気にしておる。明日には、和雅の奴と一緒に様子を見に来るらしいぞ」

「よかった……。あの人には、借りがあるもんな。生きて貰わなきゃ困る。――それで、瀧上はどうなんだ?」

「……」

 

 俺の問い掛けに、ゴロマルさんは一度口ごもる。相手が相手なだけに、気軽には話せない事柄なのだろう。

 ――わかっている。あれだけのことをしでかして、今回の作戦では抹殺することも考えられていた彼を、「生け捕り」に近い形で、命を懸けてまで連れて来たのだ。その訳を問われる瞬間も近いだろう。

 殺すべき奴を、生かして連れて来た。そんな俺を、周りのみんなはどのように見ていたのだろうか。

 

「……一応、今は脳髄を培養液に浸した状態で、わしの管轄の研究所に保管しておる。法で裁いた上で、改めて殺すためにな」

「法で、殺す……か」

「お前さんが望んだのじゃろう? 息を吹き返した剣一から聞いておる。もっともそれ以前に、出口直前で力尽きたお前さん達を連れ出した樋稟が、『龍太君が命懸けで連れ出したんだから、殺さないで』と、瀧上の抹殺を止めさせたおかげでもあるじゃろうがの」

「救芽井が、そんなことを……。やっぱり、あの娘が助けてくれてたんだな」

「――少なくともあの娘は、お前さんの願いを理解しておったよ。レスキューヒーローを生む側の人間として、樋稟も瀧上の処遇には思うところがあったらしいの。矢村ちゃんも躊躇はしておったが、最終的には樋稟の味方をしておった」

 

 どうやら詳しい事情は、俺が話すまでもなく、生き返った古我知さんのツテで広まっていたようだが……現場で救芽井と矢村が周りに呼び掛けてくれなかったら、きっとその場で瀧上は「処分」されていたのだろうな。

 そんな彼女達の大活躍は、できることなら素直に称えたい。――だが、辛くはなかったのだろうか。周りに抗い、自分の主張を通すことは。

 

 自分が原因で、彼女らをそんな道に連れ込んでしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちも出てきてしまう。……救芽井、矢村。俺達を助けてくれたのは、本当にありがたい。でも、お前らは――それでもよかったのか?

 

 レスキューヒーローを騙っていながら、救芽井にレスキューされなくては目的を果たせず、矢村が居なければ四郷も助けられなかった俺が、偉そうな口を利けるわけはないのだが……それでも、彼女達のことを案じずには居られない。

 

「甲侍郎も、『初めて娘に反抗された』と戸惑っておったよ。生かしておいては危険、というのがあやつの見解じゃったからの。そこで甲侍郎と樋稟が対立しかけた……のじゃが、久水兄妹が仲裁に入って『瀧上凱樹が真に死すべきならば、法の裁きでも殺せるはず』と主張しての。結局、瀧上凱樹のその場での抹殺は中止となり、更に剣一の話を経て、正式な裁判で決着を付ける――という結論に至ったわけじゃ。世間には公表できんから報道規制が敷かれるし、どのみちジェノサイド罪により即刻死刑となるじゃろうがの」

「そうか……どのみち、瀧上が殺されるってオチには変わりないのに……手間を掛けさせちまったな」

「――甲侍郎は、お前さんの考えは甘い、時には捨てねばならない命だってある、と断じておった。そのままでは、いつか樋稟も自分自身も不幸にしてしまう、とも。世の中、綺麗事ばかりで回っておるわけではない。ワシも和雅も鮎美君も、お前さんのやり方には賛同しかねたよ」

 

 ……やはり、総スカンは避けられなかったらしい。あれだけ瀧上を案じていたはずの所長さんまでもが、最終的には彼の生存を望まなくなっていたのだ。初めから取っ捕まえて潰す気満々だった甲侍郎さんからすれば、俺の思考回路など狂気にしか映るまい。

 

 ゴロマルさんの言う通り、瀧上は命を懸けてまで助けるべき存在ではない。身も心も「怪物」になろうと、一応は生きている人間である以上、絶対に見捨てまいとした俺の考えは、端から見れば危険そのものだろう。

 

「瀧上の処刑にちゃんとした段取りを組むのは、あくまで俺のワガママに付き合うため……ってことか?」

「そういうことになろう。誰もこの裁判に必要性など見出だしてはおらん。お前さんの矜持を尊重した樋稟も、それはわかっておった。それでもあの娘は、お前さんの気持ちを守ろうとしておったよ。余計な命まで拾ってきたとは言え、見捨てられかけた鮎子君を生還に導いたのじゃからな」

「四郷……四郷は、これからどうなるんだ? 所長さんは?」

「彼女達はこの件においては、瀧上の共犯……に近しい立場じゃが、殺戮行為に無理矢理協力させられていたことには違いないからの。国の監視付きではあるが、瀧上ごと消されることはなくなったわい。甲侍郎も、まさか政府の役人共にそこまではさせまい」

 

 ……どうやら、四郷姉妹は甲侍郎さんの采配で、処分を実質免れたらしい。俺のエゴに付き合ったり、殺されかけた姉妹を保護したり、あの人も大変だな。

 

 そういえば、ここに居るのはゴロマルさんだけなのか? 救芽井達は元気にしてる……と思いたいのだが。

 

「甲侍郎は、部下を連れてさっさとアメリカ本社へ帰ってしまったよ。茂君も、救芽井エレクトロニクスとの支社設立の契約のため、東京に移動したらしい。二人とも、戦いの傷は至って浅かったからの。ワシも、明日の昼には成田空港へ向かうつもりじゃ。みな、それぞれの世界での『戦い』が山積みじゃからの。当分会うことはないと思った方がよかろう」

 

 そんな俺の思案を掘り返すように、ゴロマルさんが口を開く。各々の仕事のために、彼らが散り散りになっていったという話を聞くと、改めて周りが「大人」ばかりなのだということを実感させられてしまう。

 

「そっか……久々に会えたのに、ちょっと残念だな」

「ほっほっほ。別に、今後一生会わんわけではない。いつかは二人きりで飲み明かしたいと、甲侍郎の奴も言っておったしのう」

「甲侍郎さんは、俺のこと否定してるんじゃ?」

「あやつも内心では、お前さんのやり方も一理はあると、認めているところがある。『生還に勝る勝利はない』とする多くのレスキューヒーローを預かる身として、お前さんの中にある『怪物』を容認するわけには行かん、というだけの話じゃよ」

 

 「怪物」……か。その話もきっと、古我知さんから聞いてるんだろうな。俺みたいな奴を、立場から認められないというのなら、実績を上げてギャフンと言わせるしかないだろう。

 

 横槍を入れて散々事態をややこしくしてくれた借りは、「ケチの付けようがないくらい無敵なレスキューヒーローになる」って形で返してやる。俺を認めない気でいるなら、成果で認めさせるまでだ。

 

「そういえば……救芽井達はどうしてるんだ?」

「樋稟も矢村ちゃんも梢君も、揃って待合室で眠りこけておる。鮎子君は、鮎美君とリハビリが終わった頃じゃろうな。何しろ、十年ぶりの生身の肉体じゃからのう。ままならぬことも多かろうて」

「……ま、慣れない身体だもんな。ゆっくり馴染んで行ければいいけど。しかし、揃って眠りこけて――か。また随分と心配を掛けちまったみたいだな」

「ふふ、今はそっとしておいてやろうと思っておる。三人とも明日になれば、お前さんが目覚めたと聞いて大騒ぎするじゃろうしな」

 

 命が助かったはいいが、俺が寝てる間にとんでもなく迷惑を掛けちまってたみたいだな。彼女達には、明日ちゃんと謝った方がいいだろう。

 

「……さて、龍太君。今さらではあるが、ワシは――ワシらには、君に謝らなくてはならんことがあるのう」

「謝る?」

 

 すると、ゴロマルさんは突然人が変わったように真剣な面持ちになり、真っ向から俺の瞳を見据えた。申し訳ない気持ちは強く――それでも、伝えなければならない。そんな、悲壮な覚悟を讃えた眼差しだ。

 ……言いたいことはわかる。彼らにそのくらいの良心があると見込めなければ、俺は救芽井家を信用できなくなっていただろう。

 皆まで言わせるようなことではないかも知れないが、ブチまけて楽になる時だってある。ここは、素直に聞き手に徹するべきだな。

 

「ワシらの罪は、二つ。まずは、君をこの血生臭い陰謀に巻き込み、危険な戦いに誘ってしまったこと。救芽井エレクトロニクス――ひいては、その力で救えるであろう未来の命のためとは言え、君をここまで追い詰める事態を招いてしまったことに、心からお詫びを申し上げたい。ワシ一人の頭で足りるとは思ってはおらんが……この謝罪は、甲侍郎を含めた救芽井家全員の総意じゃ」

 

 紡がれていく言葉。深々と下げられる頭。それら全てが、俺の予想を映像化しているようだった。

 まぁ、余計な茶々を入れといて一言の謝罪もなしじゃ、事態が悪化したせいで首をハネられた四郷が可哀相だもんな。俺もプンスカしたくなるし。

 

「……ホンットに今さらだな。確かに騙されたのは心外だったが、四郷を助けるために瀧上と戦うことに決めたのは、俺個人が勝手に決めてたことだ。結果的にあの娘は助かったんだから、結果オーライってことにしとこうぜ。初めからあんた達の作戦を知っていようがいまいが、俺のやりたいことは変わらなかっただろうよ」

 

 自分より遥かに長生きしてる、人生の大先輩に頭を下げられては、こっちの心中も穏やかではいられない。俺は頭を掻きむしりながら、若干荒い口調で彼の言い分を取り下げた。

 

 本来なら年上に取るべき態度じゃないだろうが、こうも真剣に謝られては、こっちも対応に困ってしまうというものだ。

 

「――怒っては、おらんのか?」

「怒ってるさ。でも、恨んだりはしない。そんだけだ」

 

 コンペティションのために勉強したり腹括ったりしてた身としては、確かに利用されたのはショックだ。だが、瀧上の危うさを鑑みれば、そういう作戦に出ようと考えるのは……わからなくもない。

 

 だから、いつまでもこの件を引きずって、彼らを責めたって仕方ないだろう。救芽井家をこき下ろすなら、彼らの主義を超えるレスキューヒーローになってからの話だ。

 

 ――それにしても、罪が二つという言葉が気にかかるな。てっきり俺は騙したことくらいだと思っていたんだが、他にも何かあるのか?

 

「そうか。君らしい、と言えばらしいのかも知れんな。そういう、自身の安全性を見失いがちになるところは」

「ほっとけ。で、二つ目って何だ? 俺のへそくりでも勝手に調べたのか」

「君のへそくりを知ったところでどうにもならんよ。……自分の左肘を、見てみい」

「……?」

 

 この重苦しい空気を変えようと、敢えて茶化すような冗談を飛ばしてみるが、ゴロマルさんはニコリともしない。

 

 俺の肘が、どうしてそこまで深刻なムードに繋がるというのだろう。確かにヘシ折られた部分ではあるが、感覚的には何の痛みも――

 

「これは……」

「二つ目の罪。それが、その傷じゃ」

 

 ――ない。ないが、消えたのは「痛み」と「腕の機能」くらいだったらしい。

 

 青い患者服の袖を捲った先に見えたのは、花が開くように肘全体に広がった、凄惨な傷の痕。不完全な皮膚同士が、傷を塞ぐために強引に支え合っているかのような、あからさまに不自然で不気味な形跡が残っているのだ。

 色も肌触りも、普通の皮膚とはまるで違う。外見からして、外部からの何かに歪められたかのようなイビツさが滲み出ていた。

 

 他人の皮膚を剥ぎ取って貼付けても、ここまで悍ましい痕跡は残さないだろう。それ以上に人間の道を外れた何かを、この傷痕から感じてしまう。

 

「また随分と、厳つい傷痕が残ったもんだな。メディックシステムとかじゃ治らないのか?」

「治るはずがない。その傷は、ここにお前さんを入院させる前に使った、メディックシステムの治療で付いた傷なんじゃからの」

「なんだって……?」

 

 メディックシステム――どんな疲労や怪我も短時間で治してしまう、救芽井家特製の医療カプセル。俺自身も世話になったことがある、チート級の医術システムだ。

 異常に電力を消費する欠点のせいで、救芽井エレクトロニクスの商品枠からは外され、関係者くらいしか存在を知らないような幻の存在になったはずなのだが……どうやら、今回の件で付いた傷の治療のため、二年ぶりにお世話になっていたらしい。

 

 しかし、妙な話だ。どんな怪我だって治してしまうメディックシステムで、傷痕が残る……?

 

「ワシらがなぜ、メディックシステムを商品化しなかったか、わかるかの?」

「電気代が掛かり過ぎてコストがキツイからだろ? 救芽井から聞いてる」

「他の理由も、考えてみたことはないか? 例えば、お前さんの脇腹とか」

 

 俯いた状態のまま、ゴロマルさんは俺に対して気後れするような様子で語り続ける。俺の脇腹……? 昔、古我知さんに付けられた銃創の痕のことか?

 

 確かに随分と長く残ってる気はするが、数年経てば消えるくらい小さな傷痕だし、そんなに気にするようなところじゃ――まさか。

 

「……メディックシステムは人体の細胞を操作し、自然治癒の数百倍のペースで、外傷等の治療を行う機能を持っておる。言うなれば、壁に空いた穴を塞ぐための板を、早急に用意するためのシステムなんじゃよ」

「その塞いだ板……ってのが、この傷痕?」

「その通り。――じゃが、そうした急激な体細胞の変化は、その対象の肉体に異変をもたらすことになる。時間を掛けて少しずつ治療していく自然の摂理に、大きく逆らうことになるのじゃからな」

 

 ――「自然」に逆らう治療のせいで、肉体に影響……か。もし俺のイメージが的中したなら、今後は迂闊に町の市民プールに行けなくなりそうだぜ。

 

「その結果、急激な変化によって歪められた細胞は変質してしまう。そして、一度治療によって固まった部分は、容易に元に戻らなくなってしまうのじゃ。つまり、普通に時間を掛けて治せば消える傷痕も、メディックシステムに掛かると一生消えない傷として、死ぬまで残ることになってしまうんじゃよ」

 

 ……あぁ、やっぱりそうなのか。アディオス、市民プール。

 

 ゴロマルさんの話を纏めるなら、メディックシステムを使ったせいで、俺の身体に一生モノの傷が付いてしまった――ってところだろう。二年前に付けられた脇腹の傷とは、今後も付き合っていく羽目になるらしい。

 

「脇腹の傷の方はそこまで目立たんから、教えんでも問題ないと思っておったんだが――さすがに今回のケースともなれば、もはや隠しようがないからの」

「それで大人しく白状したってか。俺としちゃあ、傷が消えないって話より内緒にされてた事の方がショックだぜ」

「すまんな……。樋稟に引き上げられた直後の君は、疲労状態や怪我の酷さが尋常ではなかったからの。ここの病院に搬送される前に、衰弱死してしまう可能性もあった。あの時のワシらが君を助けるには、メディックシステムに頼らざるを得なかったんじゃよ。銃創の完全な治療を半日で済ませられるメディックシステムでも、こうして意識を回復させられる段階まで十日も掛かってしまったくらいじゃからの」

 

 そこまで言われると、俺からは強く文句が言えんな……。こんな厳つい傷と一生付き合うのは正直嫌だが、命あっての物種とも云う。ここは、十日も掛けて命を拾ってくれたゴロマルさん達に素直に感謝しておくべきだな。

 

「まぁ、いいか。死ぬよりはマシな方だし。おかげさまで今日を生きてるんだから、サンキューってことで」

 

 そう言いつつそっぽを向いた先では、既に夜の帳が降りていた。窓に映る俺の顔が、夕暮れより鮮明になっている。

 

 そこに映り込んだ左目の瞼には、眼球を跨ぐように縦一直線の傷痕が残されていた。このダサカッコイイ傷とも、長く付き合うことになりそうだ。

 

「……そうか。夜も遅いし、そろそろワシも帰らねばならん頃合いだが――最後にこれだけは言わせて欲しい。この戦いに勝ってくれて……本当にありがとう。ワシら全員、お前さんには感謝しておる。和雅も鮎美君も甲侍郎も、な」

「……あぁ」

 

 窓に映る景色越しに視線を交わし、俺達は本日最後の挨拶を交わす。続きは、また明日だ。

 

 座っていた椅子から飛び降り、この病室から立ち去っていく小さな老人。その後ろ姿を眺めながら、俺は身体を傾けていく。まるで、力尽きるように。

 

「――また、明日」

 

 夜が明ければ、会えるであろう人々へ、届くことのない挨拶を呟いて。

 



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第143話 大団円、と思いきや

「龍太君ッ!」

 

 まばゆい朝日が差し込む、快晴の空。その輝きを窓越しに浴びている病室に、甲高い叫び声が響き渡る。時刻は朝八時。

 その息遣いは荒く、声の主もその背後に立つ少女二名も、目元に大きな隈を作っていた。そして、そんな彼女達を迎える俺の挨拶は――

 

「むっ、もまもぅ!(おはよう)」

 

 ――朝食のご飯を咀嚼しながら、というなんともマヌケなものであった。……しょうがないだろ。起きた瞬間、十日間飲まず食わずだったことに気づいて、空腹で発狂しかけてたんだからよ。

 

 ゴミ箱に積まれた、大量の空パックを尻目に白飯を掻き込みながら、モゴモゴと不完全燃焼な挨拶をする俺への反応は様々。

 救芽井は両膝をついて、物凄く安堵したように頬を緩めており。久水は感極まった表情で、両肩を震わせ。矢村は拳を握り締め、怒りに顔を歪めていた。

 だが、そんな彼女達にも、一つだけ共通している点がある。

 

「龍太君……よかった……よかったぁ……」

「りゅ、龍太、様ぁ……よく、ご無事でッ……!」

「こ、こらぁ、龍太ッ! 散々心配さしといて……さしといて、その反応はないやろぉッ……!」

 

 ――彼女達の目元から溢れ出す雫は、みんなが同じ「色」を湛えていたのだ。俺の生還を喜ぶ、ありがたい「色」を。

 

「んっ……悪い、意識がハッキリしたら急に腹ぺこになっちまってよ。心配かけたな、みんな」

 

 早急に水で白飯を流し込み、俺は苦笑いを浮かべる。そんな俺を見つめて、三人はしばらくの間――溜め込んでいた感情を、瞳から流し続けていた。

 

 それから約十分後には、ある程度出すものを出し尽くしたらしく、三人とも落ち着きを取り戻していた。ずっと泣いていたところを見られていたというのが恥ずかしいのか、全員どこか顔が赤い。

 

「こ、こほん。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたわ」

「まぁ、気にすんなって。こっちも随分、面倒掛けちまってたみたいだし」

 

 誰ひとり喋らない中、静寂を破って言葉を切り出した久水は、可愛らしく咳ばらいしている。こういうところを見ると、他の二人を束ねるお姉さんって感じがするなぁ。

 

「……本当に、よく無事でいてくれたわ。剣一さんだけじゃなくて、瀧上さんまで一緒に連れて来たのはビックリしたけど」

「うん、うん……よがっだよぉ、龍太……」

「ありがとう、二人とも。だいたいのことは、ゴロマルさんから聞いてる。救芽井が助けてくれたんだろ? ありがとうな、お前のおかげで死傷者ゼロだ」

「死傷者ゼロ……ね。おじいちゃんから聞いてるなら、知ってると思うけど――」

「――瀧上の裁判の話だろう? 悪いな、わざわざ俺の都合で、結果の分かってる死刑判決までやらせちまってよ」

「……」

 

 俺の一言に、救芽井は口をつぐんでしまう。言ってしまってから、俺は少し後悔した。

 人命救助のためだけに造られた「着鎧甲冑」を手掛け、命懸けでレスキューヒーローとしても活動していた救芽井。そんな彼女にとって、自分が助けた人間が「正当に」殺される事実は、どのように重いのだろう。その胸中は、察するにあまりある。

 

 自分のエゴでそんなことをさせておきながら、俺は何を言っているのだろう。

 

「悪い、俺のせいなのに」

「ううん。私も、彼をお父様のやり方で死なせたくはなかったの。例え死ぬべき人間だとしても、私達がそれを決められるほど、『命』は簡単じゃないって思ってたから」

「救芽井……」

「だけど、怖かった。お父様に逆らうみたいで、強く言い出せないままだったの。あなたが、瀧上さんを連れて来てくれるまで。あなたが、『正しさ』を捨てて『命』を選んでくれたから、私も戦えた」

 

 ――それは、救芽井エレクトロニクス興隆のため、第一線で戦い続けていた彼女だからこそ出せる答えなのだろうか。

 どうやら、レスキューヒーローとしての矜持ってのは、拗らせると正義感を歪めてしまうらしい。

 

「……今さらこんなこと、言えた義理じゃないけど。ありがとう。私の願い、捨てずにいてくれて。約束、守ってくれて」

 

 左目の傷痕をいたわるように、彼女の白く柔らかい掌が、俺の顔を撫でる。その表情は、感謝と自責と悲哀がないまぜになっており、美しくも痛ましい。

 決して無事とは言えない有様だが、こうして生きて傍にいられるなら、約束を破ったことにはならない……と、思いたいな。

 

「それにしても……あぁ、龍太様のお顔がこんなにも傷付いて……。そうまでして、あなた様はなぜ瀧上凱樹を? ワタクシもお兄様も、あなた様の判断を尊重はしましたが――正直なところ、理解に苦しみますわ」

 

 すると、救芽井に次いで久水が口を開いた。だが、その口調は責め立てるように鋭く、普段の彼女とはどこか違う真剣さが感じられる。

 

「……そうだろうな。俺もおかしな話だとは思ってる。それでも、間違いだって言いたくはないんだ。普通の神経のままじゃ、助けられるかも知れない人まで死んじまう」

「そのためなら、ご自分がいくら傷付いても構わない――とでも? 自己犠牲の精神と言えば綺麗なようにも聞こえますが、それは無益な自己満足と紙一重の存在ですわ。そのようなリスクの高すぎる理想のために、あなた様を失うことなど、ワタクシは絶対に許しません」

「ひ、久水さんッ!」

「今回は鮎子を救って頂いたことに報いるため、あなた様の意向を尊重するべく中立の立場に立ちましたが、今後このようなことが起きれば……その時は、あなた様の理想を否定させて頂きますわ。何よりも、あなた様の『命』のために」

 

 彼女は俺の意思を強く否定し、「自己満足と紙一重」と厳しく断じる。救芽井は思わず声を荒げたが、彼女は全く動じた様子を見せなかった。

 俺の考えを受け止めてくれた救芽井とは真逆のようにも見える――が、俺を案じての諌言であることには違いない。

 確かに、幼なじみが自分の理想のためだとか何だとか言いながら、ホイホイと死地に向かおうとしているのなら、意地でも止めたくなるだろう。俺が逆の立場だったなら、締め上げてでも止めさせていた。

 

 ――そういう意味でも、彼女の言い分には筋が通っている。俺は今、自分がされたくないことを人にしたい、と言ったのだから。

 

「茂さんも、そんな意見か?」

「えぇ。『貴様が野望のために死ぬのは勝手だが、それで悲しむ人間のことを忘れようと言うのであれば、ワガハイは貴様の魂をも呪う』、と」

「そ、そんなっ! た、確かに龍太君に何かあったら嫌なのは私も一緒だけど……だからって、そこまで言わなくてもっ!」

「そそっ、そうやそうや! 助けられる人を助けたいってだけなんやから、べ、別にええやろっ!」

「いいんだ救芽井、矢村。久水達の言いたいことは何も間違ってなんかいない。俺は俺のしたいことのために、みんなに散々迷惑を掛けちまったんだからな」

 

 久水兄妹の言うこともわかる。わかるが、俺は考えを変える気はない。

 そんな胸中が透けて見えたのだろう。落ち着き払った俺の口調に、久水は眉を吊り上げた。

 

「そうおっしゃる割には、反省されているような佇まいではありませんわね」

「間違いだって言いたくない……って言っただろ?」

 

「口の減らない殿方ざます。そこまで強情なようでしたら――危険な出動が出来なくなるよう、足腰立たなくなるまで『搾り取る』しかありませんわねッ!」

「搾り取るって何を!?」

 

 いきなりブラウスのボタンを外し、艶やかな胸元をあらわにする久水。その淫靡な笑みと真紅の唇が、この病室を一瞬にしてピンク色に叩き込む。――ホントにブレないな、こういうところは。

 

「さぁ、龍太様……覚悟なさって――あんっ!?」

「公序良俗違反で現行犯逮捕や、このエロリストッ!」

 

 彼女はそのまま、軋む音を立ててベッドに上がり込み、こちらへ迫る――のだが、敢え無く矢村に取り押さえられてしまう。それでもめげずに、開かれた谷間から「りゅーたんとまぐわいたいで(そうろう)」と達筆で書かれた訴状を取り出したが、それも救芽井に握り潰されてしまった。

 

「あぁっ! あんまりですわ悪代官様ッ!」

「誰が悪代官よッ!」

 

 突然空気を掻き乱し、自分のペースに持っていこうとする久水。そんな彼女に対抗するように、救芽井と矢村はベッドの上に上がり込むと、壮絶な揉み合い合戦を始めてしまった。おい、俺は一応入院患者なんだぞ。静かにしてくれたまえよ。

 

 ……しかし、こうして以前のような騒ぎを見てると、戦いが終わったのだと「実感」できるな。

 

 そう、これはもう「錯覚」じゃない。俺達は生きて、勝ったんだ。

 四郷姉妹を脅かした瀧上は、もういない。決してハッピーエンドではない――が、バッドエンドよりは遥かにマシな幕切れだろう。

 

 ――いや、待てよ。「俺達」と言うと、救芽井エレクトロニクス側の全員が入りそうだな。一緒に戦った救芽井や矢村ならまだしも、散々騙してくれた甲侍郎さんまで入れるのはちょっと癪に障る。今回の件に限っては。

 

 それに、伊葉さんや古我知さんだって仲間には違いないはずだけど……遠い世界の「大人」に感じられる以上、「俺達」に含めるには、何か違う気がするんだよな。甲侍郎さんや古我知さん、伊葉さんを除いた「俺達」を指す言葉――か。

 

 それならやっぱり、これがちょうどいいだろう。

 

「『着鎧甲冑部』の勝ち……って感じ、かな」

 

 ついこの間、救芽井が話題に上げていたばかりだと言うのに、随分と懐かしい響きのように思えてしまう。

 その単語を呟く俺の口元は、そんな滑稽な感覚を受けて、俺自身が気づかないうちに緩まっていた。

 

「……ん」

「……あ」

 

 ふと、そんなことを考えていた時。

 

 俺の膝の上で暴れている美少女三人衆の一人、矢村と視線が交わる。それ自体は偶然の出来事だったが、この次に起きる現象は「必然」そのものであった。

 

 きめ細やかな小麦色の肌に囲まれた、薄い桜色の唇。そのみずみずしい色合いが目に留まる瞬間、「あのこと」が一瞬にしてフラッシュバックしたのだ。

 みるみるうちに、俺自身の顔が熱くなっていくのがわかる。恐らく、向こうもアレを思い出したのだろう。彼女は久水をチョークスリーパーに捕えた格好のまま固まり、鼻先まで茹蛸のように真っ赤になっていた。

 

「え、えっと……」

「あぁ、あぁあ……! あ、あ、アレはッ! アレは吊橋効果やからッ! プラシーボ効果やからぁああぁあッ!」

「え!? ちょ、おいッ!?」

「なんですのあなた達、そんなに見つめ合って! ま、まさかこのワタクシを差し置いてッ……!?」

 

 この空気に耐えられなくなったのか、彼女はチョークスリーパーを外し、涙目で病室から飛び出してしまった。わけのわからないことを叫びながら、かつてない程の全力疾走で。

 

 ……未だに口元に残っている、あの温もりの感覚。それが真実だったのかを改めて確かめるには、まだまだ早過ぎたのだろうか。

 そして、彼女に置き去りにされた俺を待ち受けていたのは――

 

「龍太君。矢村さんと何があったのか――じっくり教えて貰えないかしら?」

「逃がしませんわよ、龍太様。こればっかりは絶対に」

 

 ――事情を察し、どす黒い笑みを浮かべる、美少女二人のツープラトン攻撃だった。

 



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第144話 確かな体温

 黒いスーツに身を包む、二人の男性。古我知剣一と伊葉和雅は、この病室に来た時から、唖然とした表情で目を見開いていた。

 まぁ、当然だろう。部屋に入る前から飛び出してきた矢村と出くわし、何があったのかと駆け付けてみれば、救芽井と久水が膝を抱えて沈んでいたというのだから。

 

「あのキスのことか……確かに、樋稟ちゃんにはショックだったろうねぇ」

「うそ、うそよぉ……わた、私、龍太君のほっぺにまで、二回も、二回もしてあげたのにぃ……」

「……こうなれば、もっとスゴイことを、キスなんて目じゃないくらいなのを、りゅーたんとりゅーたんとりゅーたんと……」

 

 古我知さんの古傷をえぐるような指摘に、救芽井は涙目になっていた。一方、久水は何やら不穏な独り言を呪文のように繰り返している。

 

「矢村君、君もそろそろ落ち着いたらどうかね。一煉寺君も困っていよう」

「……」

 

 見兼ねた伊葉さんは、扉の傍で指を合わせてモジモジしている矢村に声を掛けている――が、当の彼女は頬を赤らめて俯くばかりで、全く反応を示さない。元総理大臣に話し掛けられてスルーとは……よっぽどキスの件が堪えてるらしいな。

 

 ……そこまで過剰に意識されると、こっちまでどうしようもなく恥ずかしくなるんだけど。それに、この先のことを考えたら、申し訳ない気持ちも出てきてしまう。

 俺がレスキューヒーローとして死ぬまで働くことになるのだとしたら、彼女の気持ちは――どうなるのだろうか。

 

「しかし、意外と元気じゃないか。あんな目に遭ったばかりだから、もっとナーバスになってるものかと思ってたんだけど」

「あんたと違ってバカだからな。そっちこそ、あれだけバラバラにされたってのにすっかり元通りかよ」

「元通りと言うより、開発時のデータを基に新しいパーツに取り替えたんだけどね。おかげで以前より性能アップさ。……それを誰かにぶつけることは、もうないだろうけどね」

 

 雰囲気を切り替えようと話題を振る古我知さんは、五体バラバラにされる前と変わらない佇まいだ。「新人類の身体」の技術を使ったボディというのは、俺が思っていた以上に簡単に替えが利くらしい。

 

 ――だが、彼の口調はどこと無く沈んだ色を湛えている。結果として復讐を果たしたことで、虚しさだけが残されたように。

 

「あんたが詳しく事情を話してくれたんだって? 世話掛けたな」

「あそこまで必死だった君の意見を、丸ごと蔑ろにしたら、後で何発殴られるかわかったものじゃないからね。……僕より、結果的に折れてくれた甲侍郎さんに礼を言えば? いつか、会いに行ってさ」

「……それもそうか。まぁ、あんたにも礼は言っとくよ」

「ふふ、どういたしまして」

 

 目を合わせず、俯きながら「礼」を呟く俺に対し、古我知さんは穏やかに微笑みながらこちらを見つめていた。虚しさはあれど、憑き物が取れたことには違いないようだ。

 結果的に瀧上を殺したことになり、復讐を果たしたことで気持ちに決着が付いた……というのも、あながち悪い結末ばかりではないらしい。確かに素直に喜べるオチではないが、ズルズルと復讐心を引きずり、彼まで憎悪に歪んでいくよりはマシなのだろう。

 

 ――そう。古我知さんの戦いは、もう終わったのだ。救芽井エレクトロニクスが久水財閥を味方に付けたことで、着鎧甲冑が埋もれていくことはなくなり、瀧上の死が確定したことで、両親の仇も討たれたのだから。

 

 瀧上の死も……仕方、ない。元々、瀧上の生存などありえなかった。すぐに殺されなかったのも、俺のわがままが生んだ結果に過ぎないのだ。

 彼の心を否定する権利は、俺にはない。

 

「……剣一、さん」

 

 その時、久水と一緒に部屋の隅でうずくまっていた救芽井が、泣き腫らした瞳で古我知さんを見上げた。そんな彼女の眼差しに、二年前のような敵意の色はない。

 両親をさらわれても。敵対しても。殴られても。縛られても。兄と慕っていた面影を捨て切ることは、できなかったようだ。

 そんな彼女に注がれる、古我知さんの視線も――二年前のような鋭さは、失われている。

 

「もう、怖いこと、しない……?」

「……そうだね。もう、しないよ。今まで、ごめんね。樋稟ちゃん」

 

 縋るような儚い瞳。妹を見守るような、暖かい面持ち。それが交錯している今ならわかる。これが、本当の二人なのだと。

 

 自分を気遣うような発言を受けた救芽井は、再び顔を伏せ、泣き始めてしまう。だが、その声色はさっきまでとは違う雰囲気を纏っていた。それが意味するものを彼女自身に問うのは、野暮だろう。

 

「……龍太君。自分を支えてくれた家族を裏切っておいて、こんなことを言えた義理じゃないのはわかってるけど……曲がりなりにも、彼女の傍に居た人間の一人として、言わせて欲しい」

「……」

「この娘を――頼むよ」

 

 彼女にとっての兄として生きてきた、古我知さん。そんな彼の懇願を聞き、俺は無言のまま静かに頷いた。

 

 救芽井に付き合い、彼と戦うことになった二年前のあの日から、こうなることは決まっていたのかも知れない。彼女の夢に感化され、きっかけになった本人すらおののく程の「怪物」に成り果てる、という未来は。

 

 彼は今後も、「妹」を泣かせないために俺を否定する立場を取るだろう。それは構わない。

 だが、それで俺の考えが揺らぐこともない。古我知さんには悪いが、やはり俺は「普通」のままではいられないようだ。

 瀧上が死ぬとわかってからは、より一層考えが固まっちまったからな。何があっても、どんな奴でも助けられる、そんなレスキューヒーローにならなくてはならない、と。

 

 ――もう、こんな歯痒い思いをしないように。救芽井を泣かせることにも、ならないように。

 

「古我知君の人生を狂わせたのも、私の責任――だな。凱樹君があのようになると予見していれば、全ては未然に防がれていた」

「和雅さん。それはもう、言わない約束でしょう。僕達は、それを償うために生きていくんだから」

「……ああ、そうだったな」

 

 ふと、表情を曇らせた伊葉さんに向け、古我知さんが意味深な言葉を投げかけた。その声に、虚しさの色はない。やるべきことを見つけた、男の声だ。

 

「償う?」

「うん。来週、僕と伊葉さんは日本を出るんだ。瀧上凱樹が滅ぼした国の、復興のために」

「私が凱樹君の起こした事件を知り、退陣した時から十年間続けていたことでな。繋がりのあるNGOに呼び掛け、破壊された町の復興を行っていたのだ。来週から数年間、私はその視察を兼ねた支援活動に向かう。――それが唯一、私に出来る罪滅ぼしだからな」

「その国の指導者が生き延びていたから、政治体制は五年程前から回復してるんだけど、治安や経済はまだまだ不安定だからね。和雅さんのボディーガードとして、僕も同行するってことさ」

 

 ……瀧上が滅ぼした国、か。あの映像で見た惨劇以来、ずっと荒れ果てた砂漠のままなのかと思ってたけど、少し杞憂だったらしい。

 あの国の人達は、まだ生きている。あんなことがあっても、強く生き続けてるんだ。

 

「そう、か……。なんだろうな、遠い国の――知らない国の話なのに、妙に勇気付けられちまう」

「同じ災厄とぶつかった者同士、だからかもね。僕も『瀧上凱樹を殺した罪』は、僕自身のように『彼に家族や未来を奪われた人達』のために働くことで清算するつもりだ。それを何年、何十年続ければ罪が消えるかはわからない。だけど、仮に消えない罪だとしても、僕には償い続ける義務がある」

 

 恐らくはこの復興支援に、償い以上の生き甲斐を感じているのだろう。俺に共感を示す彼の口調は、まくし立てるように強い。

 

「甲侍郎も、救芽井エレクトロニクスの経営と『救済の龍勇者』の生産活動が軌道に乗れば、協力すると約束してくれたよ。……しかし、君にも随分と迷惑を掛けてしまったな、一煉寺君。まさか、この件にここまで君を巻き込んでしまうとは予想外だったよ。本来なら甲侍郎が突入した時点で、君を退避させるつもりだったからな……」

「ゴロマルさんもそうだけど、みんな過ぎたことを掘り返し過ぎだよ。予定には沿わなかったかも知れないけど、四郷は助かったんだから結果オーライってことでいいじゃないっすか。……そうだ。ゴロマルさんはもう成田に行っちまったのか? もうちょっと話したかったんだが」

「ゴロマ……? 稟吾郎丸氏のことか? 彼なら、もうこの町を出ておられる。飛行機の予定時刻が早まったらしくてな。確か、自分の代わりにスペシャルゲストを呼んだ……とか言っていたが」

「スペシャルゲスト?」

 

 見舞いにスペシャルとかあったのか。つーか、ゴロマルさん行っちまったのかよ……ちょっと寂しくなってきたぞ。もうちょっと昔話に興じたかったのによ。

 

「とにかく、龍太君。瀧上凱樹にやられた国のことは僕達に任せて欲しい。代わりに、君が今後もレスキューヒーローを続けるつもりなら、樋稟ちゃんのこと……頼むよ!」

 

 一方、古我知さんは俺が無茶苦茶しないかが余程心配なのか、手まで握って来る。あんたはウチのオカンか……。

 

 ――その時。

 

「はーい、ちょっとお邪魔しちゃうわよ」

「……お邪魔、します……」

 

 聞き覚えのある女性の声が、二つ。

 

「し、四郷ッ……!?」

「鮎子! リハビリお疲れ様ですわ!」

「四郷! もうリハビリ終わったん? 順調やなぁ」

「来月には歩けるそうじゃない。やったわね!」

 

 それが聴覚に届く瞬間、俺は思わず声を上げる。次いで、救芽井と矢村と久水が彼女に労いの言葉を掛けた。

 

「あ、鮎美さんッ!」

 

 さらに古我知さんが頬を赤らめて驚愕し、この場にいる全員の視線がそこへ集中される。

 

 部屋の入口から俺達を見詰めている、水色のショートヘアの少女。そして、その少女を乗せた車椅子を押している、蒼い長髪を束ねた美女。

 

 間違いない。間違えようがない。四郷鮎美と――四郷鮎子。生身の肉体を取り戻した正真正銘の「姉妹」が、そこにいるのだ。

 

 車椅子に乗った四郷は、相変わらずの無表情だが――その肌のみずみずしさは、以前とは掛け離れた温もりを湛えている。見ているだけでわかるのだ。もう彼女は、機械の身体ではないのだと。

 

「……あら。ホントにお邪魔だったみたいね。鮎子、どうする?」

「……大丈夫。男に走るつもりなら、少しずつ矯正していけばいい……」

 

 ――って、男に走る? 四郷は一体何を……?

 

「ちょっ、誤解です鮎美さんッ! ぼ、僕はただ龍太君が心配でッ!」

「あらあら、恥ずかしがることないじゃない。いいわよぉ別に。組み合わせ的には悪くないから」

「うぐあぁあああッ!」

 

 古我知さんは急に俺の手を離すと、顔を赤くしたまま必死に身振り手振りで何かを弁解している。まるで、浮気の言い訳をしてる夫みたいだな。……いや待て。浮気ってなんだ。誰が誰と浮気なんだ。

 一方、そんな彼の反応を楽しむように、所長さん――否、鮎美さんは妖艶な笑みを浮かべている。組み合わせ……?

 

 何がなんだか正直さっぱりだが、古我知さんが頭を抱えて絶叫しているところを見るに、あまりいい話ではないのだろう。釈然としないところはあるが、迂闊に詮索しない方がいいのかも知れない。

 

「……鈍感」

 

 そして、そんな俺に対する四郷の指摘は相変わらず手厳しい。だが――その口元に伺える僅かな緩みを、俺は見逃さなかった。

 

 その緩みにある、確かな体温を。

 



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第145話 お見舞いラッシュ

「姉妹でこの町で暮らす……って、本当なのか?」

「えぇ。凱樹のいない研究所跡に居たって、暮らしようがないし……何より、色々と思い出すだけよ。妹みたいに、私もそろそろ新しい人生を探してみるわ」

 

 俺の眼前で今後を語る鮎美さんの口調は、どこか投げやりだ。救芽井達と談笑しつつ、伊葉さんと一緒に古我知さんを慰めている妹を見つめる表情も、どこか儚い。

 夢に破れた大人――とでも云うべきなのだろうか。かつて恋していたヒーローの末路を目の当たりにした彼女の人生は、どこまで変わっていくのだろう。

 

「彼が――凱樹がどうなっても、私は彼の味方でいようとしたのかも知れない。彼を研究所に匿ったのも、十年間あそこで過ごしたのも、きっと私自身の歪んだ意思で選んだことだったのよ。誰に強いられたわけでもない、私個人のエゴ」

「でも……それだけじゃないんだろう? 四郷を守るためにも、あの研究所は必要だったはずだ」

「……そうね。その鮎子が、目の前で凱樹にバラバラにされた時、ようやく踏ん切りがついたわ。もう、『瀧上凱樹』はいない、ってね」

 

 俯き、自嘲気味に笑う彼女。大切だった人との長い戦いを終え、残されたのはたった一人の妹のみ。そんな結末を迎えた彼女の心境は、俺には想像もつかない。

 ただ、あの瞬間に瀧上のことを「諦めた」ことだけは理解できた。失ったものは大きいのかも知れない――が、今の彼女は何者にも囚われていない。

 政府の監視付きというリスクは伴うものの、今までよりは自由に生きられるのではないだろうか。

 

 ――そういえば、政府の監視ってどうするつもりなんだろう。もしかして、救芽井エレクトロニクスに居たグラサンのオッサンみたいな、厳つい連中が付きっ切りで……?

 

「でも、悪いことばかりじゃないのよ。あなたのおかげで鮎子は助かったし……梢ちゃんが財力にモノを言わせて、監視役を買い取っちゃったんだから」

「あいつかよッ!?」

 

 相変わらずの強引さに、思わず突っ込んでしまう。「監視は親友の務めざます!」とか叫んでそうだもんなぁ、あの娘は……。

 

 でも、正直安心した。これなら、四郷姉妹は保護されたも同然ってことじゃないか。

 

「みんなが助けてくれたおかげで、妹も私も救われた。『外の世界』に、帰ることができたの。こんなありきたりの言葉で伝わることじゃないけど――感謝してるわよ、龍太君。あなたのしたことは、決して同意できるものじゃなかったけど……私も鮎子も、強く否定しようとは思わないわ」

「どういたしまして。……ま、いいよ気にしなくて。俺、それが『仕事』なんだからさ」

「……ふふ、さすがね。妹が新しい恋に目覚めるわけだわ。私もそろそろ、イイ人探しちゃおうかしら?」

 

 冗談めかして笑う彼女は、俺から視線を外すと、僅かに熱のある眼差しを古我知さんの方――ではなく、窓の外へ向けた。まるで、ここに居ない誰かを見るように。

 

 ――え? もしかして、茂さん?

 

「あばばばばばッ!」

「ちょっ、剣一さん落ち着いて!」

 

 同じことを、聞き耳を立てていた古我知さんも察したのだろう。頭を掻きむしり、奇声を上げてのたうちまわる彼を、救芽井が必死に宥めている。

 

 ……こりゃあ、なかなかハードな三角関係みたいだなぁ……。

 

 鮎美さんはそんな古我知さんのところへ向か――うのかと思いきや、彼の肩を撫でるだけで素通りしてしまう。そして車椅子の取っ手に触れると、「ちょっとお借りするわね」と言いつつ、四郷をこちらへ連れて来てしまった。

 

「……お姉ちゃん、どういうつもり……?」

「まぁまぁ。――それでね、龍太君。鮎子のことなんだけど」

「お、おう」

 

 お喋りの最中に連れて来られてしまい、四郷は少々むくれている――のだが、何故かしばしば口元が緩んでいる。そんな彼女の頭を撫で、鮎美さんは突然語気を強めた。

 

「鮎子の髪、ちょっと短くなってるでしょ? これ、脳移植の手術の時にちょっと髪を切る必要があったからなのよね。で、その時にこの娘の身体を調べ直していて、気づいたことがあったの」

「な、なに?」

「……十年前から肉体が変質しないように調整してたせいで、随分と体細胞の仕組みが変わっちゃってね。普通の人間より、成長が遅くなってることがわかったのよ。寿命や遺伝子が変わらないまま」

 

 いきなり四郷の身体について話し始める鮎美さん。そんな体細胞だの遺伝子だの言い出したって、一介の高校生のオツムに入り切るわけないでしょうに。

 

 ……彼女は一体、何が言いたいのだろう。こんな難しい話をするくらいだから、もしかして凄く深刻な――

 

「どういうことか、わかる? 鮎子と結婚したら、一生若くて可愛いお嫁さんと生涯イチャイチャ出来るってことなのよッ!」

「な、なんだってー!?」

「はにゃあぁっ!?」

 

 ――事情なのかと思っていた次期が、俺にもありました。鮎美さんの爆弾発言に、俺は思わず目が点になってしまう。

 それだけではない。向こうの女性陣は一人残らず驚愕の表情になり、四郷に至っては顔を真っ赤にして、普段じゃ絶対ありえない奇声を上げていた。

 ……なんだ「はにゃあぁ」って。お前そんなキャラじゃなかっただろ。

 

「ちょっ……ちょっと待ってください! そんなの断固として認めませんっ!」

「そ、そうやそうやッ! 龍太は、アタシと、あ、アタシと……」

「あ、鮎子ッ! 生身に戻ったばかりのあなたでは、龍太様のティルフィングには耐えられませんわッ! 気持ちはわかりますが、落ち着いて下さいましッ!」

 

 鮎美さんの主張に対して、女性陣からはブーイングの嵐。久水……とにかくお前が一番落ち着いてくれ。

 

「……い、一煉寺、さん……」

「な、なんでございましょう?」

 

 ふと、四郷は今にも消えてしまいそうなか細い声で、俺の名を呼ぶ。今までの彼女の対応から考えて、恐らく「変に真に受けないでよ」などと、キツく釘を刺されるのだろう。

 

 俺は迫り来る罵倒に備え、肩を竦める。そして、彼女の口から飛び出したのは――

 

「……ボ、ボクみたいなおばちゃんじゃ、嫌……?」

 

「え?」

 

 ――そんな俺の予想を、遥か斜め上に超えた言葉だった。

 

 そして、俺を上目遣いで見つめる四郷の眼差しは、ほんのりと熱を帯びていた。歳を感じさせない、うぶなその雰囲気は、長い間幽閉されていたことに起因するのだろうか。

 

「……まぁ、その……あれだ。二十五歳なんてまだまだ若いうちだと思うし、気にすることないよ。だから――」

 

 それならば。今まで封印されていた彼女の時間が、今になってようやく動き出したというのなら、

 

「――これからは俺と一緒に、歳を食おうぜ」

「ふぇっ……!?」

 

 俺達が見届けるしかないだろう。彼女の人生は、やっと始まるのだと。

 

 そうして彼女の小さな肩に手を置き、俺は口元を緩めた。「『高校生』の俺と一緒」と言えば、少なくとも「若さ」を保証することは出来る。

 

 我ながら、上手い言い回しを考えたもんだ――と思っていたのだが。どうしたことだろう、四郷の顔が今までにないくらい赤い。

 

「はっ! ……ああぁん、あぁ……!」

 

 しかも口からは涎が垂れ、目元は潤み、頬を汗が伝っている。加えて彼女らしからぬ、蕩けるような甘い声まで上がっており、明らかにさっきまでとは様子が違っていた。

 

 なんだ……!? 四郷に一体何がッ!?

 

「四郷、どうした? 具合が悪いのか!?」

「や、だ、だめっ――ん、はぁあぁあっ!」

 

 俺は焦る余り、彼女の両肩を思い切り掴んでしまう。すると彼女の身体は雷に打たれたように跳ね上がり、のけ反ってしまった。嬌声も、ますます色っぽくなっていく。

 どう見ても普通じゃない。もしや、身体の変質が招いた新手の病気……!?

 

「た、大変だ鮎美さん! 四郷の様子が……!」

「……はぁ〜」

 

 ――え? な、なんなんだ、そのため息は。妹が大変なんだぞ……?

 慌てて鮎美さんに声を掛けても、彼女は俯いてため息をつくばかり。しかも、なぜか周囲まで俺を冷たい目で見ている。

 ど、どういうことなんだ? 俺が一体何をしたと……?

 

「龍太君……鮎子はね、生身に戻ったばかりでちょっとデリケートなの。『あなただけ』はむやみに触らない方がいいわ」

「そ、そうか、悪かった。でも、俺だけってのはどういう意味なんだ? それに、四郷のこの症状は一体……!?」

「しょ、症状って……そうねぇ。例えるなら、『敏感過ぎて大好きな龍太君に触れられるだけでイッちゃう病』……ってとこかしら? あなたの鈍さも、ある種の病気なのかもね」

「お姉ちゃんッ!」

 

 鮎美さんの語る謎病名に俺が首を傾げる瞬間、四郷が珍しく怒号を上げる。しかし、病気レベルの鈍さとは心外だな。俺は至って健常者だぞ。

 

「……ったく。で、『ビンカンスギテダイスキナリュウタクンニフレラレルダケデイッチャウ病』ってのは、どんな病気なんだ」

「一煉寺さんも復唱しないでいいからッ!」

「そういうわけにも行かないだろ。普通とは違う身体になったんだ、病気の症状も普通じゃないかも知れない。何かあった時のために対処出来るように情報を揃えておくのは、何事にも適する鉄則だ。というわけで鮎美さん、説明してくれ」

 

 なぜか俺まで怒鳴られてしまう――が、ここで引き下がるわけにはいかない。今こそ、「情報収集」が大切という救芽井の教えが真価を発揮する時だ。

 

 俺は周囲の冷たい反応を敢えて無視すると、鮎美さんに状況説明を仰ぐ。

 

「……はぁ、わかったわよ。いい? 今の鮎子の身体は、エクスタシーを含めた感覚全てが鋭敏になってるの。そこに性的なニュアンスを意識させるあなたが触れることで、鮎子の脳が急激に性ホルモンを分泌され――」

「い、い、いやぁあぁああぁッ!」

 

 すると四郷が突然、鼻先まで赤くなりながら叫び声を上げ、鮎美さんの解説を遮ってしまった。なんだ、一体何が起きた! もしかして、例の病気が悪化して……!?

 

「じ、地獄や……これはキツいでぇ……」

「あぁ、龍太君……確かにそうは言ったけど、それをここで活かしちゃダメぇ……」

「無意識のうちに、鮎子をあんなに……さすが龍太様ざます……! い、いつかはワタクシも……!」

 

 一方、矢村は悍ましい光景を見るように顔を引き攣らせ、救芽井は頭を抱え、久水は何故か目を輝かせている。おい久水、お前親友だろう! なんで悦んでらっしゃるの!?

 

「ハハハ、『英雄色を好む』――と云うのかな? 若いだけあって、なかなか『盛ん』なようだ」

「龍太君、君という人は、本当に全く……」

 

 伊葉さんは微笑ましそうに見てるだけだし、古我知さんも何故か呆れてるだけだし。何か手を打とうにも、鮎美さんから話を聞かなきゃどうしようもないし、聞こうとしたら四郷本人に阻まれるし……あぁああッ、どうすれば、どうすればいいんだッ!

 

「へーい、邪魔するぜ龍太ァ」

 

 その時、どこか聞き慣れた声が病室に響き渡る。なんだ……? こんな時に、一体誰なんだよッ!

 俺はキッと声が聞こえた方へ、鋭く視線を移し――目を見張った。

 

「あっ……兄貴ッ!?」

「おぉー……なんとまぁ。ゴロマルさんから話は聞いてたが、見ねぇ間に男のツラになりやがって。兄ちゃん鼻が高いよ」

 

 病室に突如として現れ、全員の注目を一身に集める青年。そのくせっ毛のある茶髪と、ムカッ腹が立つ程に整った目鼻立ち――間違いない。俺の兄貴・一煉寺龍亮だ。

 流行りのカジュアルファッションに身を包む一方で、下にエロゲキャラをプリントしたシャツを着込んでいる、あの変態スタイル。該当者など、他に居るものか。

 

「あ、あの時のお兄さんッ!?」

「ちょっ、龍太のお兄さんやん……!? ど、どうなっとんの!?」

「りゅ、龍亮さん……!? 何故ここへ!?」

「えっ――ええぇえぇッ! りゅりゅ、龍太様のお兄様ですのぉおぉおッ!?」

 

 面識のある救芽井や矢村、古我知だけではなく、俺の兄貴と知った久水も驚愕の叫び声を上げる。

 俺の拳法の師であり、たった一人の兄。今は上京して、エロゲーメーカーに就職しているはず。どうしてここに……!?

 

 いや、待てよ。確かゴロマルさん、スペシャルゲストがどうとか言ってなかったっけ。兄貴の口ぶりからして、ゴロマルさんから話を聞いて来たらしいし……そうか、スペシャルゲストってのは兄貴のことだったのか。

 

「ま、今回もとんでもねぇ目に遭ってたみたいだし、ある意味じゃ当然なのかもな。それと、今日来たのは俺だけじゃないんだぜ」

 

 ――はい?

 

「あらあらまぁ……太ぁちゃん、本当に酷い怪我。ねぇあなた、あれが治らないって本当なの?」

「仕方ないだろう、命には代えられん。……久しいな、龍太よ。その面構えを見るに、龍亮と離れてからも修練は欠かさなかったようだな」

 

 兄貴の後ろから、さらに現れる男女の影。その声と姿があらわになった瞬間、俺は開いた口が塞がらなくなってしまった。

 

 山のような体格と、坊主頭が特徴の大男。ウェーブの掛かった黒いロングヘアを持つ、妙齢の女性。その両方が、ベージュ色のスーツを着こなしている。

 彼らのそんな格好を見るのは初めてだが、面識はある。というか、ない方がおかしい。なぜなら、彼らは――

 

「久しぶりね、()ぁちゃん。話に聞いた通り、モテモテじゃない。ママ嬉しいわぁ」

 

「ゴホン。まぁ、お前も男ならば、いつかは一人に決めねばならん時が来る。今のうちにしっかり悩んでおくことだ」

 

 ――俺の両親。一煉寺龍拳(いちれんじりゅうけん)と、一煉寺久美(いちれんじくみ)なのだから。

 



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第146話 進撃の母上

「ゲッ……親父、母さん……!?」

 

 予想だにしなかった伏兵に、俺は思わず苦悶の声を漏らす。正月以来会っていなかった両親の登場に、俺は我が目を疑っていた。

 

「初めまして……ですな。私は一煉寺龍拳。皆様、息子がお世話になっております」

「母の一煉寺久美です。皆さん、よろしくお願いしますね」

 

 そして、二人のにこやかな自己紹介を受け、この夫妻が俺の両親と知った全員は一人残らず目を見開く。

 

「あ、ついでに俺、兄貴の一煉寺龍亮っす。出来の悪い弟が、超お世話になっとります!」

 

 ……兄貴の自己紹介のノリは、相変わらずではあったが。

 

「なんと、一煉寺君の御家族とは……」

「よぉー、古我知さんじゃねーかよ! なんだなんだ、あんたまでイカした面になっちゃってよ。龍太の奴といい、みんな見ない間にガラリと変わっちまったなぁ」

 

 伊葉さんの声を遮り、兄貴は古我知さんの首に腕を絡めた。その一方で、古我知さんは突然の再会に反応しきれず、目をしばたいている。

 

「りゅ、龍亮さん、一体どうして……!? それに、御両親まで……!」

「たはは、今言っただろう? ゴロマルさんに全部聞いたんだよ。俺も親父も母さんも。龍太のこと、救芽井エレクトロニクスのこと、四郷研究所ってとこで、何があったのか全部――な!」

「なっ……!」

 

 俺の家族が、全てを知っている。その事実に直面し、俺はえもいわれぬ後ろめたさに襲われた。怪物と云われようが、命の選別をしないレスキューヒーローになろうとしている俺を、親父は母さんは、兄貴は――どう見ているのだろうか。

 

「龍亮。あまり粗相をするんじゃないぞ」

「わ、わかってらぁ親父、程々にしとくよ。まぁ、龍太がいろいろ大変な目に遭っちまったってのは気にかかるが、とりあえずみんなが無事でよかった。古我知さんも、すっかり悪者って感じじゃなくなったみたいだしなっ!」

「……僕はただ、着鎧甲冑のために――救芽井家のためにと動いていただけだ。今も昔も、それは変わらない」

「ハイハイ、ツンデレ乙。で、龍太はこの一件で何人にフラグ立てたんだよ? そこの超然ボインねーちゃんと儚い系の車椅子美少女か?」

 

 だが、そんな俺の懸念など、どこ吹く風のガン無視。そう思わせるほど、兄貴の奔放さは相変わらずだった。彼は久水と四郷を交互に見遣ると、俺に向かってニヤニヤとやらしい笑みを浮かべる。

 

「初めましてッ! ワタクシ、龍太様とお付き合いさせて頂いている、久水梢と申します! 以後お見知り置きを、お義兄様ッ!」

「ちょっ、何を勝手なこと言いよるんやッ!」

「りゅ、龍亮さん、気にしないで! この人、元々ちょっと暴走し過ぎなところが――」

「ん……? お、おぉ〜! なんか面影があると思ったら、昔龍太にビックリアタックかましてたお嬢ちゃんか! 見ない間に色んなところがデカくなっちゃってまぁ〜……。へへへ、いいじゃんいいじゃん、幼なじみとの運命の再会って奴か!? よかったじゃねぇか龍太、今年中には大人の階段登れるんじゃね!?」

「ちょっとぉぉおおぉっ!?」

「聞きぃやぁぁあっ!?」

 

 制止に入った救芽井と矢村を全く意に介さず、兄貴は楽しげに笑っている。どうやら、久水のことはすぐに思い出したらしい。

 

「おおっ! よく見たらこっちのお嬢ちゃんも憤死ものの可愛さじゃん! ん? なんか顔が赤いけど、熱でもあるんじゃない?」

「うふふ、実はねーお兄さん。今しがた弟君にイカされたところなのよねー、ウチの妹」

「おおお、お姉ちゃんッ!?」

「な、なんだってー! こりゃあ大変だッ! 母さん、赤飯だ赤飯! 早くしろーッ! 間に合わなくなっても知らんぞーッ!」

「も、もう、いやあぁあぁああ……!」

 

 次に、兄貴は四郷に狙いを定める。何を話しているのか、イマイチ要領を得ないが――四郷がやたらと恥ずかしがっているところを見るに、どうやら二人掛かりで弄り倒しているようだ。

 だが、そんなことをしてる場合じゃないだろう。早く四郷の病状を見ないと……!

 

「鮎美さんッ! 四郷のことは……!」

「まだ引っ張るのね、それ……。大丈夫よ、鮎子なら命に別状はないわ。さっきの『症状』も大したことじゃないから、あなたは気にしないで」

 

 すると、鮎美さんは呆れ返った様子でそう言い放ち、再び兄貴と意気投合して妹弄りを再開してしまった。やたらと性的な単語が飛び交っている気がするが、多分気のせいだろう。気のせいにしておこう。

 

「しかし、まさか『瀧上凱樹』とはな……。不思議な巡り会わせがあったものだ」

「え……?」

 

 ふと、俺の傍の椅子に腰掛けた親父が、感慨深げな声を漏らす。その隣に座った母さんも、そんな親父に相槌を打っていた。四郷姉妹とはしゃいでいる兄貴が完全に蚊帳の外だけど……ま、いいか。

 

 親父は神妙な面持ちで俺に視線を合わせると、静かに語り始める。後ろとの温度差に戸惑いそうになるが、ここはひとまず聞き手に徹しよう。

 

「お前もよく知っているだろうが……昔、この松霧町は治安状況が最悪でな。日本国内に於いても、この町に勝る無法地帯は希少と言われていた。正義も秩序も希薄で、町を闊歩する悪漢に、人々が怯える日々が続いていたのだよ。そんな『力』のみによる支配を、『力』によって退けた少年が、瀧上凱樹だったのだ」

「……今でこそ亮ちゃんは凄く強いけど、十年前はそこまでじゃなかったらしいし、その頃にはお父さんも歳だったからね。怖いお兄さん達に太刀打ちしようだなんて思える人は、あの子しかいなかったのよ」

「裏社会の悪を裁き、苛烈なまでに強さを追求する少林寺拳法の一門。それが我が一煉寺家であったが……俺が久美との結婚を機に、本家の寺を去ってしまったからな。主のいない寺は廃れ、一煉寺家は一般家庭に成り果てた。そうして戦いから離れていた俺達では、どうにもならなかったのだ」

 

 視線を落とし、自嘲気味に語る親父の瞳には、現実を重く受け止める『無念』の色が色濃く湛えられていた。どうにかしなければならなかったのに、どうにもならなかった。そんな悔しさが、如実に現れている。

 

「――そして、町を救ってくれた彼に対し、我々は名誉町民賞を贈ったよ。精一杯の感謝を込めて。彼は高校を卒業した後、あの姉妹を連れて松霧町から姿を消したが、我々は感謝の気持ちを忘れることはなかった。……日本政府から『瀧上凱樹に関する一切の情報を絶て』と圧力を掛けられても、な」

「……!」

「具体的に瀧上凱樹って子が何をしたのかは、ママ達も知らされてはなかったの。ただ何となく、彼がものすごく悪いことした、ということしかね。だからってあの子を『居なかったことにしろ』だなんてママ達は納得出来なかったけど、小さな町じゃ政府の役人さんには逆らえなかった。だからせめて、ちゃんと彼を知ってる当時の人達だけは、しっかりと覚えていてあげよう、ってことになったのよ」

「商店街に勤務している交番のお巡り君は、彼の後輩でな。彼に憧れて警察になったらしいが、随分と悔しそうだったよ。確か、二年前の冬に現れたスーパーヒロインについては、瀧上君の面影を重ねて大喜びしていたな。この町には、やっぱりヒーローが必要なんだ、とね」

 

 ……瀧上凱樹は一国を滅ぼし、四郷姉妹を苦しめ続けた悪であり、殺すべきとまで言われた存在。それは揺るぎない事実であり、直に彼と戦った俺にとっても、避けようない「現実」だ。

 

 それでも、親父や母さんにとって――昔の彼を知る人にとっては、今でも彼は「正義の味方」だったのかも知れない。そのギャップに対し、彼の顛末を知った人達は、何を思うのだろう。

 

「救芽井樋稟君が務めていたという『救済の先駆者』というスーパーヒロインや、お前が担ったという『救済の超機龍』が、この町のヒーローとして容易に受け入れられたのは、瀧上凱樹という『前例』があったことに因るのだろう。彼自身は悪に染まったのかも知れんが、彼が残した『気持ち』は正しい姿のまま、この町で息づいている。俺は、そう信じたい」

「瀧上君が悪者になったとしても、助けられたママ達としては庇ってあげたい。……でも、政府の役人さん達には怖くて逆らえない。だからせめて、彼のように頑張ってくれるヒーローのことを、全力で応援してあげたいのよ。少なくとも、昔を知ってる町のみんなは、ね」

「……そう、か……」

 

 あれ程のことをしてきた瀧上にも、こうして慕ってくれる人達がいる。それは、俺を戸惑わせるには十二分の事実だった。

 

 ――いや。あれ程のことをやってのける怪物であるからこそ、その力で町を救うことも出来た、ということなのかも知れない。自己を省みない怪物であるからこそ、彼の命を拾えた俺のように。

 やはり、俺と彼はどこまでも切り離せない存在らしい。国を滅ぼす怪物と同類のヒーローだなんて、お笑いにもならないけどな。

 

 だが、彼の全てを俺から否定することは許されない。彼が居てこその、俺達だったとするならば。

 

「ところで太ぁちゃん。あなた、着鎧甲冑を使ってこの町のヒーローを始めたみたいだけど……この先ずっと、救芽井エレクトロニクスで働いていくつもりなのかな?」

「えっ……?」

「もしそうなら、ママ、ちょっと悩んじゃうかなぁ。息子をこんな危ないことに巻き込ませる会社に入れるっていうのは、どーかなってママは思うのよね。お父さんにも亮ちゃんにも、太ぁちゃんに拳法は危ないから教えちゃダメ、って言ってたのに、結局こんなことになっちゃってるし」

「――すまん。久美。もう許してはくれないか。俺も龍亮も、昨日の十時間連続石畳正座で脚が辛いんだ」

「なにがあったんだよ!?」

 

 母さんは一貫してにこやかな表情を保ってはいるが、その口調はどこか刺々しい。親父もその大きな肩を震わせ、青ざめた様子で首を振っている。

 

「あっ……あの! りゅ、龍太君のお母様!」

「あら? 何かしら」

 

 すると、今まで俺達親子のやり取りを見守っていた救芽井が、怖ず怖ずと会話に入って来た。他人の家族だからか、どことなく遠慮がちだ。

 

「わわ、私、龍太君と懇意にさせて頂いております、救芽井樋稟という者です! この度は急なことで、何も用意できず恐縮なのですが、せめてご挨拶を――」

「そんなの気にしないでいいのよぉ、太ぁちゃんの大事なお友達なんだから。私のことは気にしなくていいから、太ぁちゃんとこれからも仲良くしてあげてね。変に怪我とかさせない程度に」

 

 救芽井はかつてない程に緊張した様子で、肩を震わせながら母さんに話し掛けている。そんな彼女に対する母さんの態度は、実に穏やかで――厳かだった。

 

 威圧感などカケラもないはずなのに、逆らえない雰囲気が全身から噴き出している。その得体の知れないオーラを浴び、救芽井は蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまった。

 

 考えてみれば、俺が着鎧甲冑に関わり、こうして戦いに介入していくことになったのは、救芽井との出会いがそもそものきっかけだったと言える。

 

 俺に拳法を習わせたくない――つまりは親父や兄貴のような、戦う力を持たせたくなかったという母さんとしては、俺が拳法を学ばないどころか修練を重ねるようになった「引き金」である彼女のことは、いささか気に食わないところがあるのかも知れない。

 

 確かに彼女と知り合い、古我知さんと戦うようになったのがきっかけで、少林寺拳法の修練にのめり込むようになったのは事実だ。でも、それは強いられたことじゃない。

 

 矢村のために病院送りにされたのも、救芽井のために戦って撃たれたのも、結局は俺の意思でやってきたことだ。そしてきっと、これからもそれは続いていく。

 事情を知られてしまった以上は、なんとか母さんにも、その気持ちは理解して貰いたいところなのだが……。

 

「あ、あの、お友達というのは……」

「だってあなたと結婚したら、太ぁちゃん、今よりもっと頑張っちゃうもの。確かにいいことなんだけど、それでこれより酷い怪我でもされたら、ママ卒倒しちゃうな。だから、太ぁちゃんにはなるべく普通の人生を送って貰いたいのよね。だからこれからも『良いお友達』として、太ぁちゃんのこと、よろしくね? あんまり干渉しない程度で」

「あ、あ、あぅ……」

 

 徹底して釘を刺している。言葉は柔らかいが、間違いない。母さんは、救芽井を全力で「潰して」いるのだ。どうしても、母さんは俺をこれ以上着鎧甲冑に関わらせたくないらしい。

 

 自分の子供が二度も死にかけたのだから、当然ではあるのかも知れないが――まずいな、これは。

 

 俺は母さんに進言しようと口を開くが、母さんはそれより遥かに速く、撃沈した救芽井の近くで怯えていた矢村に目を付けた。

 

「ひ、ひうっ!?」

「あらぁ! あなたひょっとして、亮ちゃんが話してた、太ぁちゃんのガールフレンドッ!? やだぁ、ちっちゃくて可愛いッ! お肌もスベスベで健康的に焼けてるし、クリクリしてるお目目が堪らないわぁ〜!」

「あ、あわわわわ……!」

 

 そして問答無用で抱き着くと、彼女の小麦色の肌にほお擦りを敢行する。自分が認めた「可愛い子」に行う、至って好意的なスキンシップなのだが、あのオーラを近くで見ていた本人はそれどころではないらしい。猛獣の住家に引きずり込まれたような顔をしている。

 

 そんな彼女の怯えようなど構わず、母さんは矢村の脚や胸、腰回りを滑らかに撫でていく。セクハラだ。もはやセクハラの域だ。

 

「筋肉もしなやかで柔軟だし……悪くないわね。あなたなら、丈夫な孫を産んでくれるかもっ!」

「ふ、ふえぇえッ!?」

 

「お義母様ッ! 健康的なお孫様を望まれるのでれば、この超絶パーフェクトボディを誇る、ワタクシをぜひッ!」

 

 さらにそこへ、話を聞き付けた久水が乱入して来る。親父はすっかり隅に追いやられ、「龍亮め、逃げおって……」と小声でぼやいていた。

 

 救芽井も矢村も、母さんのオーラには怯えきっていたのだが――さすがというべきか、彼女は何一つ怯んだ様子を見せず、嬉々として母さんに接近している。

 

「あら、あなたは……確か亮ちゃんが言ってた、太ぁちゃんの初恋相手、だったかしら?」

「い・か・に・もッ! 久水財閥現当主の専属秘書、久水梢と申しますわッ! お義母様! ワタクシが龍太様と婚約した暁には、我が財閥が誇る世界最高級の健康管理技術を以って、国宝に匹敵する健康優良児を出産してご覧にいれますわッ!」

「あら、なかなか頼もしいおっぱいじゃない。これならきっと、赤ちゃんもすくすく育つわぁ……」

「あ、やんっ!? お、お義母様、そこは――ふぁああんっ!」

 

 一方、母さんは久水のPRを聞き流し、彼女の立派な巨峰を揉みしだき始めている。素直に感心しつつ、愛撫するように胸を揉む母さん。まさかの不意打ちに翻弄され、嬌声を上げる久水。なんとも言えぬ桃色の空間が、辺り一面に広がろうとしていた。

 

「う〜ん、悩ましいわねぇ。健康優良で丈夫そうな娘と、いっぱい元気なミルクが出そうな娘……ねぇ太ぁちゃん、あなたはどっちが好み?」

「ど、どっちって……」

 

 あまりにも無茶振りな母さんの質問に、俺が答えを決めかねていた時。母さんの視線が、俺とは違う方向へ向けられる。

 

「あの……ボ、ボクは……?」

「あら? あなたは……」

 

 ――女性陣による謎の挨拶ラッシュは、まだ続くらしい。今度は、ニヤケ顔の鮎美さんと兄貴に背中を押された四郷が、やや遠慮気味に母さんに話し掛けた。その後ろでは、伊葉さんと古我知さんが苦笑いを浮かべて見守っている。

 

 四郷は一度顔を赤くして俯いてしまう……が、そこから一拍置いて面を上げた時には、何かを決意したような勇ましい面持ちになっていた。これだけは言わなくては、という強い意思が、その真紅の瞳から燃え上がっている。

 

「お……お母さん。ボクは、ボクは一煉寺さんが――」

 

 だが、それよりも速く。

 

「きゃわぁあぃいいぃっ! 何この真っ白でつやつやの肌! はかなげな瞳っ! 庇護欲を……庇護欲をそそられちゃうぅぅんっ!」

 

 母さんの暴力的スキンシップが、それを捩じ伏せてしまった。車椅子の四郷に急接近した母さんは、壊れ物を扱うような優しい手つきで彼女の頬を撫で、次に頭を抱きしめる。

 

「あぅ!? あ、あの……!」

「あぁもぅ、どうしましょッ! 太ぁちゃんったら、こんなにいっぱい可愛い女の子を虜にしちゃうなんてッ! こうなったら誰がお嫁さんでもママはウェルカムよッ! お父さんもそう思うでしょッ!?」

「そ、そうだ、な……」

 

 急に母さんに頭を抱きしめられ、困惑する四郷を他所に、母さんは勝手に舞い上がっていた。「可愛い子」に目がない母さんのハッチャケ具合に、親父も辟易している様子。

 

 普段はおっとりしている母さんが、時折解放するこの本性。俺や兄貴は割と見慣れてる方ではあるが、初見のみんなはドン引きもいいところだろう。

 

 鮎美さんは割とノッてる方らしいが、その他は母さんのノリに置いて行かれている感じだ。基本的に静観を決め込んでいる古我知さんや伊葉さんも、流石に唖然気味である。

 

 ――その時、俺の視界に救芽井の姿が留まる。

 

「……」

 

 彼女は母さんにおちょくられている矢村達を遠巻きに眺めながら、どこと無く寂しげな表情を浮かべていた。明確に母さんから拒絶されたのが、かなり堪えているらしい。

 

 ……母さんの言うことは、確かに当たっているところもある。

 

 俺が救芽井に関わらなければ、一生消えない傷を負うことも死にかけることも、母さんが習わせたくないとしていた拳法を始めることもなかっただろう。

 だけど、俺はそのことで後悔はしてはいない。昔は救芽井のことを煩わしく思うこともあったが、今は違う。

 

 彼女は――「今の俺」という「怪物」に理解を示してくれた、大切な存在だ。そう思う気持ちを「好き」と云うのかわからないけど……少なくとも、あのまま凹ましておくわけにはいかない。

 

 だから俺は、今言う。

 

「なぁ、母さん。俺さ、嫁さんとか孫とかより先に、どうしても欲しいものがあるんだけど」

 

「えっ……? 太ぁちゃん、何それ」

 

 これからずっとヒーローを続けて、いつか彼女が認めてくれた「怪物」になるために、きっと必要になるモノを。

 

「着鎧甲冑の――正式な所有資格(ライセンス)だ」

 



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第147話 迫り来る終末

「ライ……センス?」

「ああ。母さん、俺はこれからも――続けていくよ。着鎧甲冑で救う仕事を」

 

 絶対に反対される。そんなことは、わかりきっていた。

 母さんが俺の身を案じて、着鎧甲冑を嫌がっているのはわかるし、仕方のないことだとも思う。自分の家族が一生消えない傷を負ったとあらば、元を辿った先にいる人間に矛先が向かってしまうことも、避けようがないのだろう。

 

 ――だが。そうだとしても、俺は引くことができない。他の誰かのためじゃなく、俺個人のエゴのために、俺はこの生業を選ぶ。

 だから……残念ながら、兄貴の後追いは叶いそうもない。俺は、趣味を仕事にはしないことにした。

 

 兄貴や親父は、そんな俺の発言について肯定的な目線を送っている――が、母さんだけは違っていた。

 

「太ぁちゃん。あなた、前にも着鎧甲冑っていうのに関わって、怖い目に遭ったんでしょ? 今回だって、ずっと消えない傷が顔にまで付いて……。あなたが何を見てそう思ったのかは知らないけど、ママとしては、そんなお仕事を応援することはできないわ。ライセンスなんて、必要ないわよ」

「……ッ」

 

 母さんの歯に衣着せぬ物言いに、救芽井はいたたまれない様子で、唇を噛み締める。その瞳は自責の念を浮かばせており、両肩は小刻みに震えていた。

 困ったように眉を潜ませながらも、笑顔そのものは絶やしていない母さんだが、その言動には一切の容赦がない。表情と相反するその辛辣さに、辺りの空気も僅かに強張った。

 

「おい、親父。止めなくていいのかよ」

「龍太の人生に関わる以上、避けては通れん道だ。少々気の毒だが、ここは本人達の意気込み次第となる」

「うっへ、厳しいねぇ」

「夢を追う男の道に、茨以外に似合うものはない。お前の場合は叶えてからが、茨の本番だがな」

 

 一方、兄貴は小声で親父に話し掛け、母さんを制止するように呼び掛けている――が、親父はあくまで見守る方針のようだ。こりゃあ……助け舟は期待しない方がいいかな。

 

 そしてその頃も、救芽井は追い詰められた様子で唇を噛み締めていた。

 ……確かに救芽井に会うことがなければ、着鎧甲冑に関わることも戦うことも、傷付くこともなかっただろう。だけど、俺はそれを悔いてなんかいない。

 どんな痛い目に遭っても、そう思わないくらい……彼女の存在は大きいのだ。少なくとも、俺にとっては。

 

「母さん。何がきっかけでも、俺が俺の意思でライセンスが欲しい……って思ったのは、事実なんだ。俺はこれからも『救済の超機龍』でありたいし、いつまでも無免許でいるわけにもいかない。――『今の俺』は、着鎧甲冑で誰かを助けられる、そういう仕事がしたいんだよ」

「太ぁちゃん……。あなた、本気なの? そのためなら、危ない目に遭ってもいいって言うの? また、戦うっていうの?」

「危ない目に遭わなきゃいいんだ。俺は、今よりもっと強くなる。今回みたいな危険なんか、無傷で跳ね返すくらいにな。それに……拳法をやらせたくなかった、っていう母さんの気持ちには応えられないかも知れないけど、『命を助けるため』の仕事なんだから、拳法で戦うばかりにはならないよ。必要かも知れないから、鍛えるだけだ」

「――命を助ける、ため?」

「ああ。助けに行くための力で、助けられる人間を助ける。無茶でもなんでもない。自分にできる、自分にやりたい仕事ってだけなんだよ」

 

 笑顔のまま訝しむ母さんに、俺は畳み掛けるように説得を試みる。救芽井が誇りを以って形にしてきた着鎧甲冑を、本人の前で否定されるわけには行かない。

 確かに痛い目には遭ったかも知れないが、今回みたいにボロボロになるまで殴り合ったり、死にかけたりするような事態が、ホイホイと繰り返されるわけじゃない。そうならないための「着鎧甲冑」で人助けをしようってんだから、無理な筈はないんだ。

 

「その無茶じゃない仕事のために、太ぁちゃんが危ない目に遭ったってこと? 着鎧甲冑って、本当に頼りになるのかなぁ? ママ、心配」

「大丈夫なはずだ。……いや、絶対に大丈夫。久水達が味方に付いてくれたおかげで、救芽井エレクトロニクスも軌道に乗ったって話だし、着鎧甲冑は今より頑丈になるさ。俺自身も強くなって見せるし、もう母さんに心配掛けるようなことにはならねぇよ。だから――俺にもう少し、チャンスをくれないか、母さん」

「……ふぅん?」

 

 母さんは相変わらず苦笑した表情のまま、救芽井の方に顔を向ける。再びあのオーラを当てられ、彼女の肩は一瞬怯んだように跳ね上がった――が、その眼は屈してはいない。

 

 救芽井自身、言われっぱなしではいられなくなったようだ。明らかに、気圧されていた時とは異なる雰囲気を纏っている。

 

「救芽井さん。あなた、太ぁちゃんに『危険な戦い』に向かう仕事をさせてるんじゃないかしら? 仕事を任せる以上、フォローしてあげる責任はあると思うんだけどなー……?」

「……災害救助が主である以上、レスキューに向かう資格者の安全が、完璧に保障されることはありません。G型は格闘能力が要求され、R型はレスキュー能力が重視されていますが、龍太君ならそのどちらにも適応できる、という期待があります。それゆえに、彼に――『救済の超機龍』に掛かる負担も軽いものではないでしょう。災害と戦うにしても、人間と戦うにしても、彼の活動に危険が付き纏うのは、否定できません」

「そう。じゃあ太ぁちゃんに夢と力を与えておいて、もし万一のことがあったら、太ぁちゃんのせいにするのね?」

「お、おい母さん! いくらなんでも言い過ぎ――」

 

「――ですが、お義母様!」

 

 救芽井に対し、にこやかな笑みに反した苛烈な追及を続ける母さん。俺はそのあんまりな言い草に「さすがにマズい」と判断し、止めに入ろうとしたのだが……その言葉を遮って、救芽井が凛とした声を上げる。

 

 揺るぎない信念を宣言するかのように、その声色に曇りはない。さながら、先陣を切って戦場に立つ英雄のようだ。

 

「今回の件を受け、本社では『救済の超機龍』を含めた着鎧甲冑全体の装甲強化が検討されており、着鎧する資格者の保護に重点を置くスタンスが確立されようとしております! もちろん、両方のシステムを兼任できる龍太君の活動を、バックアップする計画も進行中です! 龍太君を無益に傷つけないための整備に、抜かりはありませんッ!」

「……あら、まぁ」

「お義母様ッ! 確かに今回は我社の計画のために、御子息を傷つけてしまいました! ですが、それでも龍太君は――『着鎧甲冑で救う仕事を続けたい』と、言ってくれたんです! 私は、その気持ちに応えたい! どうか今一度、私にそのチャンスを与えてくださいッ!」

 

 全身全霊を込めた、本気の説得。彼女の姿勢は、まさしく真剣そのものであった。

 周囲を圧倒する、そのありったけ真摯さを母さんにぶつけ――最後に彼女は、深々と頭を下げた。

 

 母さんはそんな彼女の全力を目の当たりにして、「困ったわねぇ」と頬を撫でている。

 一見すると、今まで通りに笑っているように見えるが――その目は、何かを見定めるようにスゥッと細められていた。まるで、獲物を見つけた鷹のように。

 

「……久美。本人達にここまで言わせれば、お前も十分だろう。この子らは、自分達で何とかしてみせると言っておるのだ。子を守るのが親の役目なら、『見守る』のも役目の一つだ」

「あなた……」

「なに、心配ない。これからは俺が龍太を鍛えるんだ。本人が言う通り、『どんな危険も跳ね返せる男』になるさ」

 

 ――へ?

 

「お、親父? 親父が鍛えるって、どういうこった?」

「お前のことだから、今後もその道を進みたがるだろうと思ってな。昨日のうちに龍亮と話し合い、あいつからお前の師匠役を引き継ぐことになったのだ。松霧町の近くに転勤になったから、俺だけ町に帰ってくることになったしな」

「そーそー、生半可な鍛え方のせいで死なれちゃ、一煉寺の名折れだもんな。いっぺん絞られてみたらどうよ、ウェヒヒ」

「う、うそぉおおぉおんッ!?」

 

 なにそれ死ねる。なんでこのタイミングで親父が帰ってくるんだよッ! せっかく一人で、死なない程度に鍛えられるメニューを考えてたってのに! つーか兄貴、そのムカつく笑い方はやめろッ!

 

 ……や、やべぇ、親父の修練なんて耐えられるのか!? 戦闘ロボットを素手で破壊する兄貴でさえ、音を上げるレベルだって聞いてるぞ!?

 

「技に関してのお前の成長速度は、俺や龍亮を遥かに凌いでいる。よりによって拳法を学ばせまいとしていたお前が、最高の素質を持っていたとは皮肉な話だが――お前が望む以上、俺も遠慮はしない。退院後が楽しみだな、龍太よ?」

「二十一世紀史上、最強の拳士を目指せるかもな? お兄ちゃん鼻が高いよ」

 

 そんな俺の動揺をよそに、兄貴はニヤニヤと楽しげに笑っている。ち、ちくしょう、この状況を楽しんでやがるッ!

 

 そして過酷な未来を憂い、頭を抱える俺を見つめていた兄貴は、誰にも聞かれないよう、静かに呟いていた。

 

「……だから、簡単には死ぬんじゃねぇぞ、龍太」

 

 その言葉を知る由は、俺にはない。

 

「あらあら、私達すっかりお邪魔虫になっちゃったわねぇ」

「……救芽井さん、頑張ってる……」

「あ、あわわわ……! きゅ、救芽井、大丈夫なんやろか……」

「――やりますわね。さすがは、同じ殿方を愛する女。それくらい言えなくては、張り合いがありませんわ」

 

 一方、他の女性陣はすっかり救芽井と母さんの対決に注目しており、完全に俺のことを失念していらっしゃる。

 

 伊葉さんや古我知さんも生暖かく見守るばかりだし……ああもう、なんで誰も助けてくれないんだッ!

 

 ――いや、今はそれどころじゃない。救芽井の本気を受けた母さんは、どう感じたのだろうか。どのような答えを、返すのだろうか……。

 

 母さんは穏やかに口元を緩めつつ、薄く開かれた瞳で救芽井を見つめている。今まで以上に険しいオーラを浴びせているようだが――救芽井も、引き下がる気配がない。

 

「……太ぁちゃんの名前はね。ママが付けたのよ」

「えっ……?」

 

 しかし、一触即発とも言うべきこの静寂を切り裂いたのは……この空気との関連が、まるで見出だせないような話題だった。俺の名前……?

 

「お父さんが護身術ってことで、亮ちゃんに拳法を教えはじめた頃よ。ママが、太ぁちゃんを授かったのは。……お父さんは私のためにお寺を出て、拳法漬けの生活を止めてくれたけど、『護身術』の範疇でも、お父さんの拳法指南は凄すぎたの。亮ちゃんも、最初は凄く嫌がってたわ」

「あ、あのお兄さんが……?」

「でもね。ママが太ぁちゃんを身篭ってから、亮ちゃん、変わったのよ。『ぼくが弟を守るんだ!』って、張り切っちゃってね。それでいつの間にか、お父さんみたいなめちゃくちゃ強い拳法家になっちゃって。強くなったのはいいけど、これじゃ寺を出る前と変わらないって、ママ、泣いちゃったんだ」

「そんな……」

「――だからお父さんと相談して、次に産まれて来る子供には、もう拳法は教えないことにしたのよ。太ぁちゃんの名前には、『拳法に頼らない生き方でも、太く、逞しく育つように』って願いが込もってるの。私達家族みんなで、太ぁちゃんを守るために」

 

 今までの話と、何の関係があるのか。そんな俺の疑問を押しのけるように、母さんは俺の名前の由来を語る。

 

 そんな話は初めて聞いたが――まさか、兄貴にそんな経緯があったなんてな。照れるように頭を掻きむしる一方で、決して否定はしていない兄貴の様子を見るに、事実には違いないようだ。

 

 しかし、俺の名前がそんな経緯で付けられていたとはな……。今のままじゃ、名前負けになりかねないじゃないか。拳法に頼らないどころか、その修練に傾倒しなけりゃ、死にかねない世界に居るのだから。

 

「だからね、ママは太ぁちゃんに『拳法の力を必要とさせた』あなたのことは、どうかなーって思うの。今後もあなたに関わり過ぎたら、太ぁちゃんを危険に晒すことになる、というならなおさらね」

「……」

 

 救芽井に関わり、着鎧甲冑を使った活動を続けていく。どうやらそれは、俺に付けられた名前の意義を否定することになってしまうらしい。少なくとも、母さんはそう主張している。

 

 ――だが、俺はそうは思わない。俺が目指しているレスキューヒーロー……いや、「怪物」は、そんな戦うばかりの在り方ではないからだ。

 目の前に転がってる命を拾うため。それこそが俺の本懐であり、着鎧甲冑の存在意義だったはず。戦いなんてものは、脅威を跳ね退けるためのオマケでしかないのだ。

 確かに拳法に頼らなくちゃ、死ぬような状況にもなったが……俺は、戦うことだけの「怪物」を目指した覚えはない。まだ、名前負けには成り切っちゃいないはずだ。

 

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、母さんはさらに言葉を紡ごうと口を開く。だが、そこから飛び出てきたのは――

 

「だけど、『助けに行くための力で、助けられる人間を助ける』……。本当にそういうお仕事なのなら。『戦う』ことより『助ける』ためのお仕事なのなら……ママも、少しだけ考えてあげようかな」

「えっ……!」

「今のままじゃ、名前の通りにもならないしね。もし本当に太ぁちゃんを、拳法だけじゃない逞しさのある子にできる、というのなら……『お友達』から『親友』にランクアップさせてもいいかしら」

 

 ――俺が警戒していたような内容では、なかった。むしろ、俺の思いに通じるものが感じられる。

 

 救芽井の熱意に動かされたのか……表情が変わらないままではあるものの、口調の方にはかなりの「優しさ」が戻ってきていた。

 

 そして、そんな母さんの様子の変化を前にして――救芽井は心の芯から救われたかのように、その麗顔を目一杯輝かせる。

 

「お任せ下さい、お義母様ッ! 必ず龍太君を、名前の通りの素晴らしい『ヒーロー』に育てて見せますッ! 私自身の全身全霊を込めてッ!」

 

 希望に満ちた瞳で、母さんを見つめる救芽井。その姿からは、さっきまでの沈んだ様子とは掛け離れた「生気」が放たれていた。

 そして、彼女を見つめる母さんの眼差しも、自分の子供に注ぐような暖かさを滲ませている。

 

 ――どうやら、母さんなりにも納得しようとしてくれているらしい。なんとか、着鎧甲冑での活動を続けることは許してもらえそうだ。

 

「龍太君っ! 頑張ろっ! 頑張ろうねっ!」

「あぁ。所有資格の試験のこと……教えてくれるか?」

「うん、もちろんっ!」

 

 親に褒められた子供のように、救芽井は無邪気に大はしゃぎしている。そんな彼女の様子を見て、周囲のみんなも一安心したように顔を綻ばせていた。飛び跳ねる彼女の体に合わせて、そのたわわな胸が上下に揺れているのは――ご愛嬌ってことにしとくかな。

 

 これからは親父の修練にヒィヒィ言いながら、救芽井と所有資格のための試験対策に挑むわけか……。自分で言い出しておいて難だが、退院しても元気でいれる気がしないぜ。

 

 ……けど、悪くない、と思う。そんな毎日でも、得られるものは確かにあるんだから。

 

 しかし、その時。伊葉さんと古我知さんが穏やかな面持ちで俺に歩み寄り――

 

「だが、その前にまずは一般的な学業からだな、一煉寺君。今日は八月二十九日……君も近々退院する予定らしいし、すぐに学校が始まるだろう」

「そうそう。着鎧甲冑の試験より先に、学校の勉強をしないとね、龍太君」

 

 ――衝撃の事実を告げてきた。二人とも、俺の肩を優しく撫でながら。

 

 に、二十九日……!? もうそんなに経ってたっけ!?

 

 確かに十日も寝てたらしいから、それくらいでもおかしくないけど……イロイロありすぎて、今まで全然気が付かなかったッ!

 

「……あ」

 

 そして、次の瞬間――俺の精神は、ある境地に達した。

 

 それは、夏休みという悠久の安らぎを経た人間が、誰しも一度は到達するであろう、絶望と恐怖の次元。

 

 二学期という悪夢の襲来さえ及ばない、人類共通の災厄にして、破滅の象徴。

 

 その受け入れ難い現実を思い起こし、俺はただ独り戦慄する。

 

「宿題――やってねぇ」

 

 迫る終末に、抗えない弱者の如く……。

 



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第148話 いつも通りの朝

 ここからは三人称視点となります。


 ――二〇二九年、九月下旬。

 

 瀧上凱樹という男の二十九年の人生が、必要とされざる裁判を経て――終末を迎えた頃。

 

 一煉寺龍太の「戦い」は、絶えず繰り返されていた。

 

「龍太、龍太! もぉ、早う起きんと遅刻するでッ! 救芽井らも学校に着いとるらしいし、もう、早う起きぃやッ!」

「すまんな、賀織君。いつも世話になっておるよ」

「あ、いいんですいいんです。アタシが好きでやりよるだけですんで。……ほらッ、日曜やからって寝てる場合やないで! 今日も補習がッ――て、いやぁああぁああッ!」

 

 快晴に照らされた、松霧町の住宅街。その一部である一煉寺家に、朝早くから甲高い悲鳴が響き渡る。

 だが、その叫びの発生源である矢村賀織の傍にいながら、龍太本人は未だに眠りこけていた。下の階にいる一煉寺龍拳も、特に驚くことなく、悠長にコーヒーを嗜みながら朝刊を開いている。

 

「い、いってぇ! 起きぬけにエルボードロップはないんじゃない!?」

「あ、あぁあ、アホーッ! 早う着替えぇやッ! てか、隠せやッ!」

 

 ――いつも通りだからだ。日曜の朝、彼女が龍太を起こしに来るのも。その手で布団が剥ぎ取られた瞬間、彼の仕込み刀が唸りを上げるのも。そして、日々増していくその猛々しさに、彼女が驚愕するのも。

 

 ……彼女がこうして、毎日龍太を起こしに来ているのには理由がある。

 無事に退院はしたものの、宿題を溜め込んでいた龍太は二学期までにその全てを消化することが出来ず、結果として二ヶ月間の「補習」を宣告されてしまったのだ。

 以来、彼は毎週の土日を補習に費やされ、ただでさえ過密しているスケジュールをさらに「充実」させられているのである。

 

 朝は「補習」。昼は「部活」。夜は父、龍拳との「修練」。唯一の娯楽は、賀織の監視をかい潜って送られる、深夜に嗜む兄からの「餞別」のみ。それが、彼の青春なのだ。

 

 しかし、そんな彼の生活を支える龍拳にも、一般社員としての仕事がある。一方、一人暮らしの期間があるため、家事全般はこなせなくもない――が、どちらかと言えば得意でもない龍太に任せるのも、家族としては不安があった。

 

 そこで母、久美から最も信頼されている賀織に、白羽の矢が立ったのである。彼女から合い鍵を托されて以来、賀織は一煉寺家に連日通っては、家事炊事をこなす日々を送るようになったのだ。

 

 そして、その仕事を当然のように嬉々として引き受けた彼女は「通い妻」の如く、こうして毎日龍太の面倒を見ている。だが、際限なく逞しくなっていく彼の「象徴」には、なかなか慣れないらしい。

 

「よっし、準備オッケーやな! それじゃ、行ってきまーすっ!」

「……行ってきま〜ふ」

 

 制服姿の彼女に引っ張られ、瞼を擦りながら家を出ていく彼の頬には、いつも小さな手形が出来ているのだった。

 

「そんなに嫌なら無理して来なくても……。一応、目覚ましならあるしよ」

「もー、あんたみたいな寝ぼすけがそんなんで起きるわけないやろ! はぁ……頼むけん大人になったら、一回呼ぶくらいで起きるようになってくれな」

「大人になっても起こしに来るのかよ!?」

「えっ、あっ、そ、それは――しゃ、しゃあないけんな、あんたがどうしようもない寝ぼすけやからな! 同級生として、面倒見なあかんけんなっ!」

 

 無理矢理手を引かれながら、龍太はいつまでも居座るつもりとも取れる賀織の発言に、思わず目を見開いてしまっていた。その瞬間、眠りが覚めた彼の脳裏に、彼女の告白が過ぎる。

 

 これから、いつ死ぬかもわからない世界に飛び込もうという自分に、恋人を得る資格など許されるのか。彼は未だに、その答えを出せずにいた。

 いつか自分が居なくなった時の彼女のことを憂いながらも、龍太は決してそれを表情に出すまいと、顔の筋肉に全力を注ぐ。自分が弱気な顔をすれば、彼女を心配させてしまう。それだけは、鈍い彼でもわかっているのだ。

 

「……ずっと」

 

 だが、それにばかり気を取られている龍太の罪は大きい。短くも大きな意味を持つ、彼女のこの一言を聞き逃してしまったのだから。

 

 ――そして、それからの道中も、龍太に取っては実に見慣れた光景ばかりなのであった。

 

「おぉ〜、なんか今日はいつもよりアツアツって感じじゃのう、龍太! 賀織ちゃんとしっかり手ぇまで繋ぎおってからに!」

「ちょっとあんた! サボってないで仕事しなさいな! 油売ってると晩飯抜きよッ! ――あ、賀織ちゃん行ってらっしゃい! 今日も可愛いわねぇ」

「おっと、うひーこえぇこえぇ。……おい龍太、これだけは言っとく。結婚ってのはな、しない内が華なんだよ……」

 

 通学路である商店街を通る都度、顔見知りの八百屋や魚屋に冷やかされるのも、もはやお約束と化していた。

 

 完全に尻に敷かれた夫婦関係を目の当たりにした龍太は、将来の自分を見ているような錯覚に陥り、深くため息をつく。その隣では、賀織が照れるように頬を掻いていた。

 

 エールとも言える町民の言葉を背に受け、商店街を抜けた先。その眺めも、普段とさして変わることはなかった。

 一人、そこに立っている人間が増えているところを除くならば。

 

「……なぁ。もう普通に横切ってもいいんじゃないか? 今日は隣におばさんもいるしさ」

「ア、アア、アタシが恥ずかしいからいけんッ!」

 

 娘を案じ、矢村家の玄関前を徘徊する矢村武章。その傍には、夫を鋭く見張る母が仁王立ちで佇んでいた。

 基本的に自分や娘の味方である母が付いている以上、心配することはないと判断する龍太。だが、「好きな相手を親の前に連れ出す」ことに緊張する女心に気づいていない点を失念している彼には、正確な判断力があるとは言い切れないだろう。

 結局、何が恥ずかしいのか理解が追いつかないまま、龍太は賀織によって遠回りのルートへ強制連行されるのであった。

 

 さらにそこへ、自転車に乗った顔なじみが居合わせる。

 

「あれ、お巡りさんじゃん。パトロールお疲れ様」

「おはようっ、龍太君! 確か今日は補習の日だったかな、君も災難だねぇ」

「はは、なぁに。来月までの辛抱さ」

「へぇ、勉強嫌いの君にしては珍しく強気じゃない。にしても、相変わらずイチャイチャしてるねぇ! で、賀織ちゃんとはどこまでイッたの!? A!? B!? それともD!?」

「ちょ、いきなり何を言い出すんだよもー! 矢村もなんとか言ってやってくれ!」

 

 巡査長に昇進し、テンションに磨きが掛かった近隣の警察官。その、ある意味では一切の容赦がない追及に、龍太は言葉を詰まらせてしまう。

 

 そこで彼は、この「言葉による火災」を鎮火するべく賀織に話を振るのだが――

 

「……A、やで」

「えっ――えぇえぇえぇええッ!?」

「じゃ、じゃあ学校行くわ俺達ィィイィッ!」

 

 ――飛び出してきた「言葉」は、消火剤ではなく特大の燃料であった。俯き、頬を染め、恥ずかしげに呟く賀織の姿は、火に注がれる油と化す。

 

 そして驚愕のあまり、自転車から転倒する警察官。その隙を突くように、龍太は賀織の手を引いてその場を走り去ったのだった。これ以上、ここに居ては胃が持たないと、本能が叫んでいたのだから。

 

 ……そんな、救芽井樋稟が転校する前と何も変わらない、穏やかな町。そんな松霧町の日曜日は、今日も平常運転であった。

 

 しかし景色は同じであっても、龍太はこの町並みを、それまでと同一の感覚で見ることは出来なくなっていた。この町が、以前よりも平和である理由。それを知ってしまった今では。

 

「りゅ、龍太……どしたん? ぼんやりして」

「ん……いや、別に」

 

 普段通りの道を行き、知り尽くした町並みを眺め、飽きる程に歩き慣れた角を曲がる。その一つ一つが、あの男に守られた世界なのだ。

 

 瀧上凱樹。今は亡き、この町の英雄。

 彼が死刑判決を言い渡され、迅速に刑が執行されたという知らせが届いてから、もう一週間は経っていた。

 賀織や樋稟は事前にある程度覚悟を決めていたためか、それ程ショックを引きずることはなかったが――彼と少なからず繋がりを感じていた龍太は、彼の死をより重く受け止めていた。

 彼がそうだったように、今度は自分がこの町を守ろうとしている。ということは、次は自分がああなるのではないだろうか? 龍太がそう考えざるを得ないのは、「怪物」同士である以上、他人事として見ることはできない、とする意識があるため。つまり、同類に成り兼ねないという危惧を感じているのである。

 

 果たして、自分は本当に道を踏み外さずに済むだろうか? 取り返しのつかない間違いは、侵さないのだろうか?

 そんな不安が尽きない彼は、目に映る世界だけでも晴れやかにしたい一心で、空を見上げる。

 

「――まーた、そんな元気のない目ぇしよる。シャキッとせんかい、男やろ!」

「あだっ……!」

 

 その度に、賀織は彼の背中を思い切り叩くのだ。弱気なところを見せまいとしても、彼女には全てお見通しなのである。

 何度隠そうとしても、付き合いの長さが災いしているのか、彼女にはまるで通じない。龍太自身が何に悩んでいるのかさえ、見透かしているかのように。

 もしかしたらタンスの裏に隠した、エロゲーのソフトもバレているのではないか。そう本人が勘繰ってしまうほど、彼女は常に龍太を見ているのだ。

 

 呆れるほどのお節介。そう言えなくもない彼女の行動ではあるものの、それが「救い」になっているのは本人が何よりも理解していた。

 悩んでいたら、ちょっと強引なくらいに背中を押してくれる。間違いなら、間違いと断じてくれる。身勝手な正義を行わせない「意志」を、彼女は――彼を愛する彼女達は、確かに持っているのだ。

 全ては、龍太自身を「ヒーロー」として完成させるために。

 

「ほら、早う行かんと先生にまた課題増やされるでっ! アタシら部室で待っとるけん、あんたもさっさと補習済まして、早う来ぃよ!」

「――お、おうっ!」

 

 やがて学校が視界に入ると、賀織は龍太の前に出て、小さな身体を一回転させて満面の笑みを浮かべる。これから先を楽しみに待つ、無邪気な子供のように。

 この笑顔に、ウジウジと悩む自分が圧倒されていく感覚を、龍太はいつも覚えさせられていた。同時に「勇気付けられている」、という後押しの気持ちも。

 

「さて……じゃ、行くか」

 

 大袈裟に手を振りながら、一足先に部室棟へ向かう賀織に手を振り、龍太は戦場となる教室を目指す。そこで「補習」という名の大敵と、今日も相対することになるのだ。

 

 新学期早々に設立された、「着鎧甲冑部」の仲間達。彼らに会う瞬間を、僅かでも早めるために。

 



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第149話 いつも通りと違う昼

「ほい、今日も一日お疲れさん。んじゃ、さっさと部室行けよ。ナニしたって構いやしねぇが、避妊はしっかりヤッとくんだぞ」

 

 雲一つなく晴れ渡る、昼下がりの青空。そんな澄み渡る空気が染み込んだ教室の中で、龍太は独り机に顔を伏せ、うなだれる。

 補習を進めていた担任教師は無精髭を擦り、呆れるような口調で授業の終わりを宣言すると、力尽きている龍太を放置して教室を立ち去って行った。

 

 龍太が落胆しているのは、教師らしからぬ猥褻な発言に辟易したためではない。それもなくはないが、それ以上に堪え難い現実を突き付けられたのである。

 時折行われる、補習中の抜き打ちテスト。それに失敗したため、補習期間満了を早める好機を逃してしまったのだ。

 

「はぁ〜……」

 

 現在予定されている、着鎧甲冑の資格試験は来年の五月。その間、龍太はこの補習を含む学業をこなしながら、試験対策にも励まなければならないのである。

 その目標に対して、この現状の要領の悪さ。先を憂いてため息をついてしまうのは、人間として避けられない感情なのかも知れない。

 

 そして、そんな彼には他にも悩みがある。自身がレスキューヒーロー「救済の超機龍」である実態を隠さねばならない、というものだ。

 

 ヒーローとしてこの町を中心に活動する以上、正体が露見してしまう可能性は常に付き纏う。

 迂闊に中身が明らかになれば、噂の婚約者ではないかと指摘され、久水茂の一件のような、無益ないさかいに発展するかも知れない。そのためにも、極力周りにも正体を隠すようにしよう――

 

 ――というのが、本人の意図なのである。しかし現実はある意味で、彼が思う以上に遥かに残酷なものであった。

 

 なぜなら、そんな事実はとっくに明るみに出ているのだから。

 

 しかし、それも当然だろう。

 救芽井樋稟は転校草々、クラスメートの目前で彼の頬にキス。それから程なくして「救済の超機龍」が登場し、新ヒーローとして電撃デビュー。二学期からは「着鎧甲冑部」が創設され、彼はその中における、唯一の男子部員となっていた。

 これだけの状況証拠が揃っていながら、未だに本気で隠せていると思っている。それが、一煉寺龍太なのだ。彼が異様に鈍いのは、女心に対してのみではない。

 クラスメートや住民が隠せているつもりでいる彼に気を遣い、なるべく本人の前では着鎧甲冑関係の話題を出さないようにしている、という事実に対しても、遺憾無く発揮されているのだ。

 

 町の大人は瀧上の面影を重ね、純粋に応援し。同級生達は何となく空気を読み、深く追及するそぶりは見せない。

 それを根拠に、「自分は正体を知られていない」と信じ込んでいるわけである。知らない方が幸せであることの、好例と言えよう。

 

 それに、龍太の正体が町中に知れ渡っているのは、決して悪いことではない。

 初めは「救済の超機龍」を信じ切れていなかった一部の住民も、その正体がこの町で生まれ育った少年と知るや否や、あっさりと掌を返したのである。加えて、元々龍太をやっかんでいた松霧高校の男子生徒達の中にも、「救済の超機龍」の活躍を知り、彼を認める者が少しずつ出るようになっていた。

 

 そこまで周知の事実となっていながら、龍太本人が真実を把握出来ていないのは、彼自身の鈍感さ以外にも理由がある。

 町の外――つまりは救芽井エレクトロニクスの本社があるアメリカや、支社が設立されつつある東京など、外側の世界から「救済の超機龍」を探りに来た人間に対し、人々が黙秘を貫いているからなのだ。

 自分の町の住民、それもヒーローとして奮闘している少年を売るわけには行かない、という大人達の矜持。この町で自分達と一緒に暮らしているヒーローを、他所に掻っ攫われたくない、という子供達の意地。その両方が絡み合い、龍太を守る障壁となっているのである。

 それでも外部の人間には簡単に調べられ、見抜かれることの方が多いのだが、そうした情報はネットで拡散される前に、救芽井エレクトロニクスの監視体制によってブロックされている。龍太が正式な資格者でないことに配慮した、救芽井甲侍郎による采配であった。

 

 そうした人々の支えにより、松霧町を拠点にする龍太の活動は今も変わらず続いているのだが――当の本人はそんなことは露も知らぬまま、町で起きる事件や事故の解決に奔走する日々を送っているのだった。

 ゆえに松霧高校にて発足した、女子生徒中心の「『救済の超機龍』ファンクラブ」が、自分自身へのファンクラブとして作られたことにも気づいていない。龍太自身はそのクラブについては、「ヒーローに幻想を抱き、自分みたいなイモが正体とは知らずに応援している連中」と解釈しているのである。

 それだけに、彼女達の理想を壊さないためにも正体隠しは徹底せねば。……と意気込む龍太に、どれほどの生徒がため息をついたことだろう。

 

「……仕方ねぇ。部室、行くか」

 

 気だるげに身を起こし、椅子から立ち上がる龍太は、部室棟を目指してゆっくりと歩き出す。

 

「一煉寺君、これから部活? 頑張ってね!」

「なによ、フラフラじゃない。そんなんじゃヒーローしっか――じゃなくてっ! ウチの野球部の栄養ドリンク余ってるからあげるね!」

「えっ? ど、ども」

 

 そして教室を出て廊下を歩く途中、彼は接点がないはずの女子生徒達に声を掛けられ、思わずのけ反ってしまった。美人と評判の野球部マネージャーからドリンクを押し付けられた龍太は、ぽかんとしながら会釈だけを行い、そそくさとその場を立ち去る。

 

 そんな彼を微笑ましく見守る少女達を背に、彼は「俺何かしたっけ?」と自問自答するのであった。

 

「……確かあの娘、最近例のファンクラブにも入ったんだっけ? 『救済の超機龍』に渡したいってんならわからなくもないけど、俺に渡しちゃいかんだろ……?」

 

 だが、自分の正体がバレているケースなど微塵も考えていない彼が、自力で正解にたどり着くことはないのかも知れない。

 

 龍太にとっての不思議な現象は、これだけでは終わらない。校舎と部室棟を繋ぐ道を渡る彼は、偶然一人の男子生徒と巡り会うのだった。

 

「――よう。一煉寺」

「ゲッ……よ、よぉ」

 

 その人物は、中学時代に龍太をいじめていたグループの一人。二年前の救芽井樋稟に絡んだことが災いして、拳法を磨いた龍太に撃退されて以来だった。

 矢村賀織の一件で転校を余儀なくされていた彼は、二年前の冬にこの町に戻り、こうして松霧高校に通っているのである。不良として有名なためか、周囲から避けられがちな彼は、クラスが離れていることもあり、今の今まで龍太とは一度も顔を合わせていなかった。

 

 龍太にとって、これほど気まずい相手はなかなかいないだろう。

 今なら殴り掛かられても負けはしないだろうが、プロのヒーローを目指す人間として下手な喧嘩はできない。かといって、因縁を付けられたら、泥沼の対立関係が卒業まで付き纏うかも知れない。

 そうして、どうするべきかの答えが見出だせず、龍太は混乱するように視線を泳がせていた。そんな様子の彼を、男子生徒本人は冷めた雰囲気で見つめている。

 

「お前、これから部活?」

「ま、まぁ、一応」

「ふーん……」

 

 やがて、彼は早いペースで歩き出し、咄嗟に身構えた彼の肩にぶつか――るギリギリですり抜け、そのまま通り過ぎて行った。

 

「えっ……!?」

 

 何が起きたかわからず、龍太は目を丸くして後ろを振り返る。その瞳には、一切の殺気を滲ませない少年の背中が映されていた。

 

「……邪魔、したな」

 

 そして、その不満げな呟きは龍太に聞こえない程度に、この場に響き渡るのだった。繊細に浜辺を撫でる、さざ波のように。

 

 ――教室を出てから、部室棟にある部室にたどり着くまでの距離は、ほんの僅か。その短い道程の中で、龍太はただならぬ違和感を覚えていた。

 

 今まで何の接点も関心もなかったはずの生徒達が、いきなりかいがいしく声を掛けるようになり。自分を散々いじめて、こき下ろしていたはずの不良が、憎まれ口の一つも叩かずに静かに立ち去ったり。

 

 何が原因かは(本人だけ)不明であるものの、夏休み前とは明らかに「違う日常」になっていたのだ。得体の知れない環境の変化に、龍太は「着鎧甲冑部」の入口に近づきながら眉をひそめる。

 

「――ま、いっか」

 

 だが、すぐにその表情は穏やかなものになった。理由は何であれ、そうした周囲の変化に温もりを感じていたためである。

 彼の腕に抱かれたドリンクも、不良が纏っていた雰囲気も、悪意を感じさせるものではなかった。その事実だけは、ありがたく受け取るべき。それが、彼なりの結論であった。

 

 仮にこの異変が何かの前触れだったとしても、この先の空間で、自分を待っている仲間達がいれば大丈夫。そんな期待も込めて、龍太は白い扉に飾られた「着鎧甲冑部」というプレートを一瞥する。

 

 そして、僅かにその口元を緩め――その扉を叩くのだった。

 



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第150話 ヒーローの始まり

「うぃっす! 今さっき、やっと補習が終わっ――」

「子種を下さいましッ!」

「だが断るッ!」

 

 ノックを経て扉を開く瞬間、突如奇襲を仕掛けてきた伏兵。そのくせ者の顔面を掌で抑えると、龍太は全てを見越したようなタイミングで牽制の言葉を放つ。

 この間、僅か三秒。

 

 最愛の男性に勢いを止められながらも、茶色のロングヘアーとグラマラスな肢体が特徴の伏兵――久水梢は、なんとか抱き着こうと両腕を振り回しているが、運動音痴な彼女の力ではさすがに大の男の腕力に勝るには至らなかった。彼女の身体――特に胸の辺りは制服の最大サイズでも小さいらしく、少し動いただけで胸元のボタンが弾けそうになっている。

 

「モゴッ! モゴモゴ〜! フンゴフンゴ!」

「こういうド変態なとこ、ホントに兄妹ソックリやな……龍太、補習お疲れ。で、今日はどうやったん?」

「その様子だと、あんまりイイ収穫はなかったみたいね」

 

 この性的な奇襲攻撃も、ここではもはや日常茶飯事。呆れてものも言えない、という様子で現れた賀織は、梢の暴挙を片手で抑えている龍太に対し、挑発的な笑みを浮かべて八重歯を覗かせる。その隣に立つ樋稟は、困ったように眉を潜めつつ、口元を緩めていた。

 

「……抜き打ちテストで滑りました」

「あちゃ〜……ホントにしょうがないやっちゃな、あんた。ほやけん、あんなに『担任がたまにやる抜き打ちテストには気ぃ付けよ』って言うとったやん」

 

 掌を額に当て、賀織はため息混じりに苦言を呈する。樋稟も自分の顔を片手で覆い、はぁ、と深く息を吐いた。

 

「ディフェンドゥーズサインの練習も始まったばかりなのに……そんな調子じゃ、いつまで経っても試験対策が本格的に始まらないわよ。今日のうちにしっかり復習すること!」

「りょ、了解」

 

 腰に手を当て、きつく叱る口調で龍太を糾弾する樋稟。その様子は、さながらこの場にいない母親のようであった。

 

「――っぷはぁ! りゅ、龍太様……まずは手にキスして欲しいだなんて、さすがに遅過ぎるのではありませんの? ワタクシ達の年代ならば、もう登り詰めるところまで登り詰めるべきざます!」

「そんなこと言ってないし早い遅いの問題じゃねーよ、久水先輩!」

 

 樋稟の叱責に龍太がたじろぐ瞬間、彼のアイアンクローから解放された梢が唸りを上げて淫らに迫る。だが、当の龍太自身の反応は相変わらず淡泊であった。

 

「……龍太先輩。早いか遅いかは女にとって重大な問題。『命短し恋せよ乙女』という言葉も知らないようでは、合格なんて一生不可能……」

 

 その時。白塗りの部室の最奥で、静かに読書に興じていた少女が静かに口を開いた。こちらに目を合わせず、冷ややかな口調で呟くその姿は、龍太が彼女に初めて出会った頃と変わらないようにも見える。

 だが、水色のサイドテールを夏の風に靡かせるその少女――四郷鮎子は、紛れも無い「生身の人間」として蘇っているのだ。もう、機械仕掛けの人形などではない。

 

「わ、悪かったよ。まだまだ勉強が足りねぇな……」

「……そう。これからはボク達がそれを指導するから、覚悟するように。確かに着鎧甲冑関連の座学なら、救芽井さんや梢の方が適任。だけど、一般常識に欠けるスケコマシに必要最低限の教養を叩き込むくらいなら、ボクや矢村さんでも十分務まる……」

「スケコマシ!? いくらなんでもあんまりだろうッ! ……だいたい、別に『先輩』だなんてこそばゆい呼び方はしなくていいっていつも言ってるだろ。普通に『龍太』とかでいいんだって」

「……年功序列は大切。先輩だって、梢にそうしてる……」

「そ、そりゃそうだけどさ」

 

 若干むくれたように頬を膨らませ、鮎子は顔を上げる。細まった赤い瞳に射抜かれ、龍太は思わず後ずさってしまった。

 

「……そんなに嫌なら、違う選択肢がある。『お兄ちゃん』。『兄さん』。『にぃに』。好きなのを選んで」

「……妹キャラを所望した覚えはないのですが。だいたい、そんな選択肢はどこから引っ張ってきたんだよ」

「あなたのお兄さんから」

「おのれ兄貴ィィイッ!」

 

 ――梢と鮎子が編入してきたのは、二学期に入ってからすぐの事である。

 着鎧甲冑部の話を聞いた彼女達は、龍太達に何の事前連絡もしないまま、いきなり松霧高校に乗り込んできたのだ。梢は「龍太の子を身篭る」ために。鮎子は姉に奨められた「青春時代のやり直し」のために。

 

 気高い貴婦人を彷彿させる、グラマーな絶世の美女。保護欲を掻き立てる、小柄ではかなげな美少女。その両方が唐突に現れ、学校中が騒然となった事実は、この学校の生徒にとっては記憶に新しいことだろう。

 龍太や樋稟より一つ年上であることが発覚し、三年生として扱われた梢は、龍太を授業中に襲えない現実に血の涙を流しながらも、そのカリスマを駆使してクラスメート達と良好な関係を築いている。

 国内外の多種多様な企業とノートパソコンで連絡を取り、兄のスケジュールを組む。そうした久水財閥秘書としての仕事を片手間でこなしながら、休み時間でガールズトークに興じる彼女の様子は、もはや名物の一つとなっていた。

 一方、鮎子は姉により戸籍上の生年月日を書き換えられ、十五歳の一年生としてこの学校に編入された。今ではその(外見的な意味での)年齢不相応な立ち振る舞いにより、クラスを代表するクールビューティとしての地位を確立している。

 少し前の彼女なら、クラス内で居場所を得るどころか、学校に行こうと考えることもなかっただろう。それが親友である梢の影響によるものなのか、龍太への慕情によるものなのかは、本人のみぞ知る。

 

 そんな二人は、編入して間もなく着鎧甲冑部への入部を希望。驚く校長は、自らの財力や頭脳を武器に、入部を迫る彼女達の勢いに押し切られてしまった。そして、ついに部員を五人揃えた「着鎧甲冑部」は、正式な部活動としてのスタートラインに立ったのである。

 しかしアイドル級の美少女揃いでありながら、これ以上部員が増えることはなく、九月下旬を迎えた現在でも部員数は一切変動していない。彼女達が高嶺の花であり過ぎることと、龍太に周りが気を遣っていることが、その背景であった。

 

 そして、この正式な認可の決め手となった「顧問」は――

 

「こんちはー……って、あら? 今日は随分と早いじゃない、龍太君。珍しいわねぇ」

「鮎美先生ェ……いいのかよ、保健室の先生が抜けてきちまってよ。まだ向こうに居なきゃならない時間帯だろ」

「まーまー、硬いこと言わないの。あなたは言葉よりあそこを硬くした方がいいわよ。……それに消毒液臭いところで退屈するより、ここで皆とだべる方が楽しいじゃない!」

「さらっと本音ぶちまけやがった……保健室の概念が泣くぞ」

 

 ――四郷鮎子の姉にして、現在の松霧高校養護教諭、四郷鮎美である。妹の電動義肢体を作り上げたその頭脳を駆使して、新任の養護教諭としての地位を手に入れた彼女は、着鎧甲冑部の顧問を兼任することで部活の認可に貢献したのだ。

 

 現在、この姉妹は救芽井が買い取ったマンションの一室を借り、救芽井エレクトロニクスの使用人達の保護を受けながら暮らしている。梢も同様だ。

 

「それにしても、梢ちゃんも相変わらずよねぇ。最近、欲情っぷりに拍車が掛かってない?」

「ゴ、ゴホン。よくおわかりですわね。その通り! 日々膨らんでいく龍太様への想いは、毎晩のようにワタクシに絡み付いて、焼き付くように燃え上がり……!」

「頼む久水先輩、いやお願いします先輩殿! 後生だから、男の前でその仕種はらめぇえぇえ!」

 

 傲慢な程に豊かな胸から、扇情的にくびれた腰にかけて、艶やかな梢の指先が自らの肢体を撫で下ろす。その淫靡な仕種に、龍太は堪らず己の下腹部を抑えて前屈みになってしまった。まるで、急所に致命的な一撃を受けてしまったかのように。

 

「大丈夫ですわ龍太様、あなた様がナニかを我慢する必要など皆無ざます! もう一人目の子供の名も決まっておりましてよ! 龍太様の名とワタクシの願いを込め、男女問わず『龍生(りゅうき)』と名付けましょうッ!」

「ぐふぁッ! お、お前の人生設計で俺のティルフィングがヤバいぃぃいッ……!」

 

 そこへ追い撃ちを掛けるかの如く、梢はただでさえ巨大な胸を更に寄せ上げて見せた。痛恨の一撃を同じ部分に喰らい、健全な少年はついに床に額を付けてうずくまってしまう。

 

 鮎美が指摘した通り、梢の性的アプローチは日を追うごとに過激さを増していた。それこそ、同じ手段で対抗しようとしていた樋稟と賀織が、恥じらいから断念してしまった程に。

 

「ほ、ほんとにもう、久水さんったら……!」

「まま、まだ負けとらん! まだアタシらは負けとらんでっ! ……だって、アタシ龍太と……えへへ」

「……生涯衰えない若さは、絶対的な武器になる。いつかは、ボクも梢と一緒に先輩と……」

 

 だが、彼女のこうした暴挙を、他の同じ想いを持つ少女達は以前ほど厳しく咎めなくなっていた。そのエスカレートしていく求愛に少なからず、共感する節があるからだ。

 

 ――着鎧甲冑の正式な所有資格を取り、どんな人間も完全無差別に救出する「怪物的」レスキューヒーローを目指す龍太。その道には、当然ながら普通の資格者以上の危険が伴うことになる。

 

 志半ばで倒れ、命を落とす可能性は絶大であると言えよう。瀧上凱樹の現場での処遇を巡る、常軌を逸した彼の判断がそれを証明している。

 

 例え周りが何を言おうと、恐らく彼がその姿勢を改めることはない。彼という人物に触れ、想いを募らせる少女達の誰もが、そう予見していた。

 

 だが、レスキューヒーローを志す一煉寺龍太という人間が居たからこそ、彼女達が救われたところもある。その事実がある手前、彼女達は容易にその生き方を阻むことができないでいた。

 

 夢は応援したい。目標に向かう、その背を押したい。だが、その先にあるかも知れない末路を、自分は素直に受け止めることができるだろうか? 少女達は、常にその葛藤を胸に宿し、彼を見つめているのだ。

 

 その最中、自らの苦悩を打ち破るためにいち早く行動に移したのが、久水梢なのである。

 

 強引過ぎて引かれるのではないか。いつか、本格的に嫌われてしまうのではないか。そうした恐怖に敢然と立ち向かい、自らの力で彼の心をつかみ取るべく、思慕の全てをぶつけ続ける彼女。

 その胸中には、いつか彼が目の前から消えてしまう日が来るのでは、という脅威に立ち向かう決意があった。

 

 彼の子を――遺伝子を繋ぎ止めれば、例え彼がいつか命を落としたとしても、彼の血筋を存続させることができる。自分を救い、親友のためにも戦ってくれた最愛の男性が生きた証を、より明確に刻むことができる。そして何より、彼の自己犠牲を思い止まらせる理由にも繋がるのだ。

 「龍生」という名に込められた「何があっても『生き続けて』欲しい」、とする彼女の願いが、それを象徴していた。

 

 怪物になろうとする生き様を肯定することは決してできないが、自分が身体を張って止めようとしたところで、彼が立ち止まることはない。そう感じていた彼女は、一刻も早く「彼」という存在を、確実にこの世に残そうとしているのだ。

 

 だからといって、彼の無事を諦めたわけでもない。着鎧甲冑の資格を手にして、レスキューヒーローを目指すのは構わないし、彼女がそんなところに惚れ込んだのも事実。しかし、そのために自らの命を犠牲にする道など、絶対に認められない。

 その生き方を止めるためなら、色情狂にも痴女にもなる。それが、久水梢の一人の女としての覚悟であり、矜持であった。

 

「……やってくれるわよね、ほんと」

 

 そんな彼女の在り方に共鳴していながら、同じ手段に踏み切れずにいた樋稟は、辛い想いを微塵も龍太に見せないその姿勢に感嘆する。

 彼を愛する気持ちだけならば、誰にも負けるつもりはない。しかし、自分にあそこまで一心不乱に突き進む勇気があるかと言うと、本人の意識としては不安があった。

 

 さらに彼女は、彼を狂気の道に誘っておきながら、その背を押すことしかできない自分にえもいわれぬ歯痒さを感じていた。

 一番の原因は自分だと言うのに。責められるべきは自分だと言うのに。それでも彼に愛して欲しいという虫の良い気持ちが、濁流のように溢れては、自らの自制心を飲み込んでしまう。

 そのような身勝手な感情を覚えた自分に辟易し、自己嫌悪に陥ったことも少なくない。自身に代わって現実に抗い、自分の夢を守り抜いてくれた龍太への想いと罪悪感は、常に彼女の胸の底で渦巻き続けていた。

 

 彼の母に、勇敢かつ優秀な人物に育てると誓いを立ててからも、その苦悩は彼女を捕らえて離さない。その気持ちを乗り越えるため、ほんの少しでも償うため、彼女は――

 

「……ねぇ、龍太君」

「ぐぉおぅ……ん? ど、どうしたんだよこんな時に」

 

「龍太君が一番好きな娘って、誰?」

「は、はぁあっ!?」

 

 ――最後に彼が、誰を選ぼうとも。自分が見放されようとも。その決断を、真っ向から受け止めることに決めていた。その決意をさらに固めるため、救芽井は誰にも聞こえない声量で、静かに愛する少年の耳元で囁く。

 

 彼に恋い焦がれる女性は多く、これからもこの道を歩んでいくならば、同じ想いを抱く女性は増え続けていく一方だろう。その中で、最も彼に愛される可能性から一番程遠い存在は、彼を修羅の道へと誘った自分に他ならない。少なくとも樋稟自身は、そう思い悩んでいた。

 だからこそ、彼が誰を伴侶に選んだとしても、自分はその結果を甘んじて受け入れなければならない。その覚悟こそが、彼女にとっての贖罪だった。

 

 もし自分が選ばれなかったら、自分ではない誰かを選んだ龍太を、これからずっと支えていくことになる。それはきっと、辛く苦しい結末なのだろう。

 しかし、その程度の代償なくして、彼の傍に立つ資格などありえない。彼をそう変えてしまったのは、自分なのだから。

 

「だ、誰って……え、ええと、そそ、それは……!」

「なによ、柄にもなくウジウジしちゃって。男らしくないよ?」

「ん、んなこと言われたってなぁ……!」

 

 歯切れの悪い言葉を並べて、頬を赤らめながら視線を泳がせる龍太。瀧上凱樹と戦っていた頃の毅然とした姿からは、想像も付かない有様だ。

 そんな彼の様子に、多少の幻滅と共に安心感を覚えた樋稟は、穏やかに口元を緩める。――自分と同じように彼もまた、色恋に悩む年頃なのだと実感して。

 

 どれだけ強く、どれだけ多くの女性を惹き付けようとも、中身は普通の思春期である少年に違いない。その現実に安堵する樋稟の前で、龍太は無意識のうちにある少女へ視線を移す。

 

 ――小麦色に焼けた健康的な肌。艶やかな黒髪と愛らしい唇。小柄ながらも愛嬌に溢れた、矢村賀織という少女へと。

 

「えっ……!?」

「あ……!」

 

 その一方で彼女もまた、龍太の視線にはすぐに感づいていた。数年に渡り想いを馳せていた相手から熱を帯びた眼差しを浴び、少女の頬は急速に赤らむ。

 

 刹那、互いの記憶が唸りを上げて蘇り、双方の動悸を際限なく高めていく。戦いの最中、重なったあの温もり。

 そのビジョンが同時に再生され、二人の体温は瞬時に高まった。

 

「お、俺パトロール行ってくるッ!」

 

 いたたまれないこの空間から、いち早く脱出する龍太。

 彼は股間を抑えたまま、うさぎとびの要領で窓から部室の外へ飛び出すと、逃げるような格好で「救済の超機龍」へ着鎧した。

 

「ちょっ、龍太様ッ! まだ二人目の名前が決まっておりませんのにッ!」

「……意気地無し……」

「あーあー、これだから優柔不断な男は最低ね、フフフ。ま、らしいっちゃらしいけど」

 

 そんな彼の男気に欠けた行動に、四郷姉妹からは非難の嵐。だが彼の行動は既に読めていたらしく、二人はため息混じりに苦笑いの表情で、互いに顔を見合わせていた。

 二十年以上の人生を生きてきた女の勘は、樋稟の囁いた内容を聞こえずとも察していたのである。

 

「……そう、なんだ」

 

 瞬く間に窓から飛び出し、町中へ向かっていく真紅のヒーロー。その後ろ姿を目線で追い、樋稟は静かに呟く。

 

 彼が今、誰に惹かれているのか。その答えは、彼女が思っていた以上にあっさりと出てしまった。

 

 一煉寺龍太は、矢村賀織を好いている。自分ではなく、あの少女を。

 その事実が槍のように突き刺さる感覚に襲われ、樋稟は思わず唇を噛み締め、顔を伏せる。覚悟していた結末は、予想を遥かに凌ぐ速さで訪れたのだった。

 

 ――だが、それは彼女にとって、なんとなくわかっていたことだ。付き合いの長い彼らの間に付け入る余地は、あまりにも小さい。それは梢も十分に感じていることだろう。だからこそ、ああも熱烈に迫っているのだ。

 鮎子も彼に思慕の情を寄せてはいるものの、梢ほどアプローチに固執してはいない。あくまで、龍太の想いを尊重するつもりなのだろう。

 

 現状を考えるなら、彼を巡る女の死闘は、賀織が勝利を収めていると言えるかも知れない。――しかし。

 

「まだ、よ」

 

 それは、あくまで「現状」でしかない。二人は確かに唇を重ね、想い合っているところがあるだろう。

 だが、彼らは未だに正式な恋人同士にはなっていない。公認のカップルなら、いたたまれない空気に恐れをなして、龍太が逃げ出すはずがないからだ。

 ならば、この戦いを諦めるにはまだ早い。第一次大戦の終結に過ぎないのである。

 

 顔を上げ、新たに気合いを入れ直した樋稟は、頬を赤らめたまま視線を泳がしている賀織の傍に立つ。

 

「矢村さん」

「ふ、ふにゃっ!?」

 

 そして、小さな肩に手を置き――誰よりも強く、毅然とした面持ちで宣言するのだった。

 

「第二次大戦は、始まったばかりなんだからね」

 

 町の平和のため、空高く舞う少年を見つめる瞳。燻るような熱を帯びたその碧眼は、彼の大成を祈り、今日もまばゆい輝きを放つ。

 

 ――これはヒーローとして走り始めた少年と、彼の背を見守る少女達の、始まりの物語。

 

 情けなく諦めの悪いレスキューヒーロー、「着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー」の、誕生秘話である。

 



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第三部 着鎧甲冑ドラッヘンファイヤー重殻
第151話 四十八年前の死


 一人の男が、死を迎えようとしていた。

 

 山と緑と蒼い空に囲まれ、自然の産物たる木材で造られた屋敷。その一室である畳の部屋に敷かれた布団の中で、その男は静かに天井を見詰めている。

 自らの手で築き上げ、自身と共に歳を取り続けたこの屋敷は、この男自身が選んだ死に場所だった。

 

 その男の髪は全て抜け落ちており、頬は加齢により弛み、顔だけではなく全身にシワが寄っている。息も絶え絶えであり、僅かに小突いただけで心停止を起こしかねない。

 

「……」

 

 だが、男の眼に苦悶の色はない。自らに訪れる死など、とうに受け入れているのだから。

 

「父上……!」

 

 そんな男の傍らで、枝のようにやせ細った手を握る、もう一人の男がいた。彼は布団の中にいる男とは違い、筋骨逞しい角刈り頭の若者といった容貌であり、紺色のスーツに隠された太い腕の中には、小さな赤ん坊の姿があった。

 その男が発した言葉の通り、この二人は親子。そしてこの赤ん坊は、死を迎えんとしている男の孫であった。

 

 心配そうに自分を見詰める息子の姿を瞳に映し、男はシワの寄った頬を吊り上げる。

 

「……そんな顔をするで……ない。この寺を継ぐのは……お前なのじゃぞ、ウ、グフッ!」

「は、はい……わかっております! この子も、必ず立派な跡継ぎに育てて見せますッ!」

「それは、その子が自分で決めることじゃて。……それで、名前はもう決まったのかの」

「えぇ。我が一煉寺の拳士として、相応しき男に育つよう――龍拳(りゅうけん)と名付けました。ボスニアにいる芳恵(よしえ)さんも、喜んでいるはずです!」

 

 いつ眠りにつくかわからない男を励ますように、息子はまくし立てるように声を張り上げる。だが、そんな彼の意気に反するように、男は眉を潜めた。

 

「……龍巌(りゅうがん)よ。お前にこの寺を継がせておいて、こう言うのは気が引けるが――ワシは、この寺を建てて本当に良かったのか……今でも迷っておる」

「えっ?」

「お前も……知っていよう。本来なら我が家は『花淵(はなぶち)』と言う、代々続く医師の家系であるはずじゃった。ゴホッ……ど、どんな人でも助けられる、そんな存在で居続けるはずじゃった……」

 

 息子に合わせる顔がない、という気持ちゆえか、男は天井を見据えたまま視線を動かさずにいる。そんな父の姿を、息子は固唾を飲んで見守っていた。

 

「……ガハッ! し、しかし、ワシは道を踏み外した。戦後、軍医としての使命から解放されたワシを待っていたのは、消し炭になり川に沈んだ家族の遺体じゃった。ワシは……己の無力さへの怒りゆえ、戦後に創始された少林寺拳法の門を叩き――五年足らずで破門された」

「ですが、父上! いかなる敵にも屈せぬ強さを手にするため、限界以上まで苛烈に己を鍛え上げる『一煉寺(いちれんじ)』の信念は、卑劣な裏社会の闇を討つ剣となり――!」

 

「――そうして誰かの役に立ったのは、結果論に過ぎん。煉獄の如き修練を己に課し、やがて周囲にまでそれを強いるようになった男が居ては、拳士全体の和を乱す。ウッ――ゲホッ! ……ゆ、ゆえにワシは追放され、この山奥に自己修練のための寺を建てた。たった一人でも、己が生み出す煉獄の道を歩み続けるための寺、『一煉寺』をな」

 

 男は、ただ強さを求めていた。

 自らの無力さを払拭し、何も奪われない、奪わせない力を得るために。

 

 そのために、男は花淵という本来の家名さえ捨て去り、一煉寺と名乗るようになったのだ。

 

「じゃが修練の厳しさゆえか、もうここに門下生は一人もおらん……。今のワシにとっては、お前が弟子として、婿としてついて来てくれたことが何よりの救いじゃった。家族も家名も、拠り所にしていた拳法の道さえも失い、こんな山奥に追いやられたワシには、もうお前しかおらんのだからの……」

「ち、父上ッ!」

「ワシは……いつ自分が死んでも、お前が生きて行けるように……拳法の全てを叩き込んだつもりじゃ。その修練のために在った、この寺――いや、『我が家』をどうするかは、お前が決め、ろ」

 

 自身に訪れる終末の時が、刻一刻と近づいている。それを察した男は、遺言を残しているかのような言葉を並べ始めた。

 掠れていく声。震える唇。痙攣を起こす身体。その現象全てを目の当たりにした息子も、父の最期が近いことを察していた。

 

 やがて男は、最後の力を振り絞るように震える首を動かし、息子の腕の中で健やかに眠る孫を見遣る。

 

「……そして、もし。もし、だ。その子が、この門下生不在の寺を継ぐことを拒み。一人の男として、違う道を行きたいと願ったならば……その想いを、汲んでやれ」

「なんですって……!?」

「鋼の如く己を鍛え、その拳を以って悪を裁く。――そのような道は、『血』が望んでおらぬのじゃ。ワシの娘の……芳恵のような生き方こそ。人を助けるためだけに生きる道こそ、『一煉寺』と言う名に隠された『花淵』の血の本懐なのじゃから……な」

「花淵の、本懐……」

 

 人を助ける、学の道。悪を砕く、拳の道。真っ向から相反する世界の両方を生きた男は、己の人生が正しかったとは思えずにいた。

 

 誰かを守るために誰かを傷付ける生き方が、本当に自分に相応しかったのか。その答えを死ぬ間際でも出せない自分に、男は歯痒さをあらわにしていた。

 

「ワシは戦後からずっと、己の血筋に……人を助ける仕事を望んでいたはずの自分に、嘘をついて生きてきた。無力さばかりを呪い、憑かれたように修練に生きてきた。確かに、『一煉寺』として生きたがゆえに身についた力で、誰かを守ることは出来た。じゃが、それは本当に望んだワシの生き様ではなかったのかも知れん……ゲホッ!」

「父上、これ以上喋っては……!」

「構うな……どうせ、今日限りの命、じゃ。それより、約束せい。『一煉寺』の名に囚われぬ生き方を選べる子には……拳の道にのみ進まぬ子には、その子に相応しい未来をくれてやる、と……ゴフッ! ゲホ、ゴホッ!」

 

 秒刻みで悪化していく咳。その間隔が短くなっていくに連れて、男は自らの身体から熱が失われていくのを感じた。

 

「グッ……ふふ。全く、とんだお笑い草じゃ、な。裏社会のゴロツキ共を震え上がらせた一煉寺の始祖が、こんな山奥の『自宅』で病死とは、の……」

「ち、父上ッ……や、約束します、龍拳の意思は汲みます! だから、だからもうッ……!」

 

「なぁ……に、ワシは、いつでもお前らを見ておる……せ、せいぜい、子孫にだけは、楽しく、やらせて、や、れ……」

 

 死ぬ前に、何を言い残すべきか。

 

 それを考えた末に男が口に出したのは、未来の――子孫達への、想いだった。

 

「ち、父上……! 父上ッ!」

 

 後悔に塗れた人生から解放された男の死に顔は、闘病の末とは思えぬほど安らかだったという。

 

 時は一九八二年。

 強靭に鍛え上げた拳と肉体を以って、裏社会の悪を裁く少林寺拳法の一門「一煉寺家」の創始者、一煉寺龍平(いちれんじりゅうへい)はこの日、永い眠りの時を迎えたのだった。

 

 ――しかし。

 

 彼が永遠に旅立つ瞬間、思い浮かべていたのは……亡き妻や家族だけではない。

 

「……」

 

 まだ自身が花淵龍平(はなぶちりゅうへい)だった頃。遠い地で出会っていた――褐色の肌を持つ、とある異国の女性。

 

 なぜ彼は死ぬ直前、その女性のことを想ったのか。

 

 その理由を――知る者はいない。

 



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第152話 三十六年前の死

 一九九四年。三つの民族が暮らす、とある国のどこかの戦場で、人々の死が漫然と繰り返されていた。

 

 風を切り、何かが落ちる音。

 それに次いで、鼓膜を破るような爆音と共に、建物が次々と弾け飛んでいく。

 無造作に飛び散る瓦礫はあられの如く降り注ぎ――逃げ惑う人間を、次々と押し潰していく。

 殺す意図も何もない、ただ爆発によって建物が壊れただけ。それだけで、多くの人間が。誰かにとってはかけがえのない誰かが、蟻のように、大勢。死んでいく。

 

 人を潰した瓦礫の下からは、赤い何かが弾けたように広がっていた。まるで、水風船を破いた後のように。

 その瞬間を目の当たりにして、悲鳴を上げる者もいた。しかし大半は、自分が生き延びることだけをただ切実に願い、何かを叫ぶこともなく、ひたすら走り続けている。

 誰かが、それを咎めることはない。自分も、隣にいる女や子供も大人の男も、考えていることは皆同じなのだから。

 

「あ……」

 

 その中に、一人。

 逃げ惑うことも出来ず、生きるために抗うことも出来ず。ただ呆然と蹂躙される街と人々――そして、災厄をもたらす空を見つめる少女がいた。年齢は、恐らく十四くらいだろう。

 

 家族とはぐれた上に足を捻り、助けてくれる大人もいない。そんな絶望的な状況に追い込まれた少女は、虚ろな碧い瞳に、有りのままの惨劇を映している。

 ただ人々を踏みにじるだけの、つまらない映画を流すプロジェクターのように。

 

 艶やかなブロンドの長髪も。みずみずしい白い肌も。全て混乱の中で汚され、身につけていた蒼く愛らしいドレスも、埃や血を浴び、今や見る影もない。

 

 この街を襲っているのは、セルビア人勢力の迫撃砲。その砲撃を浴びている、この都市――サラエボに住んでいた少女は、セルビア系の血を引いていた。

 瓦礫に囲まれ、砲弾の脅威に晒され続けている彼女を誰も助けなかったのは、そういうことだったのかも知れない。

 

 ――だが。

 

「大丈夫ッ!? 足をくじいたのッ!?」

 

 それだけが、現実ではなかった。

 

「……え」

 

 砲撃の雨は続いているというのに。今もなお、悲鳴と爆音と怒号が激しさを増しているというのに。

 そこへ駆け付ける者の叫びが、確かに届いたのだ。「諦める」ことを余儀なくされていたはずの、少女へと。

 

「ちょっと見せて頂戴。――どうやら、軽い捻挫みたいね。とにかく、ここから離れましょう。近くに砲撃頻度が少ない場所があるから、ね?」

 

 誰かが自分を助けに来た。その事実を飲み込めずにいた少女の気持ちを置き去りにするように、彼女の前に現れた一人の女性は、手早く彼女の肩を支えて立ち上がらせた。

 歳は二十代後半程度で、髪の色は黒く「動きやすさ」のみを追求するかのように、ひたすら短く切り詰められている。

 ボスニア人ともクロアチア人とも、セルビア人とも似つかない顔立ちであり、強い決意を秘めたように煌めく黒い瞳は、何物にも屈しない眼差しを空へ送っていた。

 

 少女は、この女性を知っている。彼女は巷でも優秀な女医として、しばしば話題に挙がっている人物なのだ。

 確かな医術と、謙虚な性格。そして民族や貧富を問わず、誰に対しても平等に接するその姿勢から、非民族主義の人々から絶大な人気を博しているのである。少女自身もかつての患者の一人として、彼女に救われたことがあった。

 一方で、過激な民族主義者からは酷く嫌われ、時には命すら狙われた時もあったのだが――それでも彼女は、この国を離れようとはしなかった。

 

 「民族主義だろうが非民族主義だろうが、助ける価値の有無など知ったことではない」。その気丈さゆえの言葉が、彼女の口癖だったのである。

 

 いつ砲弾が飛んできて、自身が粉々に砕かれるかわからないこの状況の中でも、その気高さに衰えはなかった。

 

「よしっ! いいわよ、その調子! 大丈夫大丈夫、おばさんが付いてるからね!」

「ヨシエ……さん」

「諦めちゃダメよ、絶対に助かるからねっ!」

 

 ヨシエと呼ばれた女医は、少女に肩を貸して片足で歩かせながら、懸命に励ましの言葉を投げかけている。自分もいつ死ぬかわからない身だと言うのに、その表情には微塵たりとも曇りがない。

 決して不安にさせないため。決して心を折らないため。少女の精神を守るべく、女医は可能な限りの「最善」を尽くし続けていた。

 

 それから数十分に渡る移動を経て、少女はついに砲撃範囲から離れた避難場所までたどり着く――が。

 

「じゃあ、私は他に取り残された人がいないか捜して来るから。お嬢ちゃんはここから動いちゃダメよ!」

「えっ……あ……!」

 

 自らに迫る危険も省みず、再び死地へ向かおうとする彼女を、止めることは出来なかった。

 兵士が救助に出払い、人員不足で民間人の誘導もままならず、避難場所では医師達が負傷者の治療に追われるばかり。その中で女医はただ一人、少女のような逃げ遅れた人間を捜し続けていたのである。

 医師の一人として患者に手を尽くし、励ましながら。

 

 女医は医者仲間の友人に少女を託すと、避難場所を後にして再び砲撃地帯へ飛び込んでいく。

 

「ヨシエッ! 待って! 迫撃砲はまだ全然止んでないのよッ!? 危険過ぎるわッ! 戻って、お願いッ!」

「ヨシエさん、ヨシエさんっ! ヨシエさぁあんっ!」

 

 その友人と共に制止の声を投げ掛ける少女だったが――その叫びだけは、最期まで届くことはなかった。

 

 そして、砲撃が止み。サラエボに束の間の平穏が戻る頃。

 

 女医が着ていた白衣が、血達磨の肉塊に紅く染められた姿で――発見されたという。

 

 それから、数日後。

 

「……ママ」

「ん?」

 

 荒れ果てた街と、煙が舞う空を見上げ、再会した母と手を繋いだ少女は、力無い声で呟く。

 

「エルナね。ゆうべ、夢を見たの」

「そう……。どんな夢かしら?」

「えっとね、悪い人が空を飛んでてね。空の上から、街の皆に酷いことをするの。それでね、おんなじように空を飛べる人がね、その悪い人をやっつけるの」

 

「……ふぅん。かっこいい……わね。ヒーローみたい」

 

 少女の見たという夢。それは、街を襲う無情な砲弾と、少なからず繋がっているようにも感じられるものだった。

 娘が、この戦いを止めてくれる――砲撃から皆を守ってくれる、そんなヒーローを求めている。そんな願いが夢に現れたのかと察した母は、無力な自分を憂いて俯くしかなかった。

 

 だが、夢を見た娘の真意は、母の解釈とは違っていたのである。

 

「だからね、エルナ……大きくなったら、その悪い人をやっつける人になるの」

「えっ……?」

「きっとね。あの夢って、エルナの将来のことだって思うんだ。ヨシエさんみたいな人も、ママも、街の皆も、エルナが守ってあげる。エルナ、もう……負けない」

 

 硝煙が登る空を見つめる、少女の碧い瞳。その眼差しには、あの日とは掛け離れた「生気」が宿っていた。

 

 ――在りし日の女医の姿を、再現するかのように。

 

 そして、それから六年後。

 

 少女エルナは、アメリカへ渡り――陸軍の道へ進んでいくことになる。

 

 それが彼女に望ましい未来をもたらしたのかは、誰にもわからない。

 



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第153話 十九年前の死

 二〇一七年。アメリカの山岳地帯の中に、人里から離れた小さな研究所があった。

 

 救芽井研究所と呼ばれるその小さな施設では、後に世紀の新技術と発表される、最新型パワードスーツの開発が進められていたのである。

 

 その名は「着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)」。

 

 特定の物質を粒子状に分解し、自在に収納・展開する秘匿技術と共に運用される、バッテリー式強化服だ。

 スーツ内に搭載された人工筋肉による超人的運動能力を活かし、災害時等に人命救助を目的として活動することがコンセプトとなっている。

 これを粒子状に分解して「待機状態」としてコンパクトに保管し、有事の際にスーツ状に展開する腕輪型の収納装置「腕輪型着鎧装置(メイルド・アルムバント)」も、並行して開発が進行していた。

 

「よし……人工筋肉の稼動は正常だな。『腕輪型着鎧装置』の粒子化はどうだ?」

「そ、それが、まだ調整に時間が掛かりそうで……」

「焦っていては失敗の元だ。多少日数を掛けてでも、確実なものにするぞ」

 

 その開発主任として、この世間から隔絶された環境で指揮を執っていたのは、発案者でもある救芽井甲侍郎(きゅうめいこうじろう)博士であった。

 彼は十数人の助手や家族達と共に、この秘境で着鎧甲冑の研究開発を数年に渡り続行している。今まさに、プロトタイプとなる試作品「救済の先駆者(ヒルフェマン)」の開発が本格化してきたところなのだ。

 

 れっきとした日本人の家系でありながら、イギリス人と日本人の混血を先祖に持つがゆえに、外見上においてヨーロッパ系の遺伝子を代々色濃く受け継いでいる救芽井家(きゅうめいけ)

 彼らは古くからアメリカで、「知る人ぞ知る研究家の一族」として活動を続けていた。

 

 日本人離れした容姿、という点については甲侍郎も例外ではなく、茶色の短髪や色白の肌、白衣を纏う百八十センチ以上の長身など、おおよそ東洋人のものとは思えない外見の持ち主なのである。

 だが、昭和の和製特撮ヒーローをこよなく愛する趣向や、謙遜を美徳とする気質に関して言えば、紛れも無い「日本人」とも言えよう。

 

「甲侍郎や。そろそろ休憩にせんか? 見る限り、かなり煮詰まっておるようじゃがの」

「いえ、まだまだ大丈夫ですよ。母上のことを想えば、この程度のこと……」

「甲侍郎……」

 

 職人気質、という部分も日本人らしいと言えばらしいのかも知れない。歳老いた父から休むように言われても、甲侍郎は研究を頑なに続けている。

 

 十歳未満の子供にも及ばない、小柄な体格を特徴に持つ、甲侍郎の父・稟吾郎丸(りんごろうまる)。彼は数年前、故郷の日本で起きた災害のために妻を亡くしていた。

 

 かつて国境を問わない医師として海外へ赴き、紛争で傷付いた人々を癒すために「戦い」続けていたという彼の妻は、同じ志を持った友人を戦場の砲撃で失い、そのことを最期まで悔いていたという。

 そんな母の無念を受け、甲侍郎は「どんな状況でも死ぬことのない、母やその友人のようなヒーローを作り出す」ことを目指し、着鎧甲冑の開発に乗り出したのである。

 元々ニューヨーク郊外に置かれていた研究所を山岳地帯に移し、一家全員で引っ越したのも、この研究に没頭するためであった。

 

「――しかし、煮詰まって来ている……という点は認めざるを得ないかも知れません。そろそろ優秀な人材が、もう一人欲しいところなのですが」

「そんなウマい話がそうそうあるもんかのぉ。……ん?」

 

 その時。甲侍郎と話していた稟吾郎丸は、小さな足音を感じて――即座に振り返る。

 

 彼の視線の先には、うさぎを象ったぬいぐるみを抱く、一人の少女が立っていた。

 

 年齢は五歳程度。薄茶色のロングヘアーと白い肌、碧い瞳を持ち、そのあどけない顔は不安げな色を湛えている。

 父譲りの西洋人らしい外見ではあるが、甲侍郎の娘であるこの少女もまた、立派な日本人なのだ。加えて、この歳で大学に通っている才女でもある。

 

「おぅ、樋稟(ひりん)か。大学の宿題は終わったのかの?」

「……うん」

「そうか、よく頑張ったな。さぁ、ここは危ないから、ママと外で一緒に遊んできなさい」

 

 研究室の入り口から覗き込むように見つめる愛娘に、甲侍郎は宥めるような口調でここから離れるように忠告する。ここで着鎧甲冑の稼動実験も行っていることを鑑みれば、当然の対応だろう。

 

「……」

「……? どうした、樋稟」

 

 しかし。

 普段は何かと利口で、父の言い分に逆らうこともない彼女が――この時だけは、父に何を言われてもそこから動かずにいた。

 

「おやおや、どうかしたんかぇ。お腹でも空いたか? それともお手洗いかの?」

 

 何も言わず、ただじっと二人を見つめていた孫娘に、今度は稟吾郎丸から話し掛けていく。そして、同じ身長を持つ二人の視線が交わった時……樋稟と呼ばれる少女は、今にも泣きそうな表情で口を開くのだった。

 

「……ねぇ。おじいちゃん。おばあちゃんって、ひりんが生まれる前にいなくなっちゃったんだよね」

「むっ――まぁ、そうじゃな。おばあちゃんも、お前の顔が見たくてしょうがなかったろうに」

 

 そして、その唐突な話題に稟吾郎丸も甲侍郎も、思わず顔をしかめてしまう。つい最近、この少女に「自分に『祖母』がいない理由」を問われ、「ある日いなくなってしまった」とお茶を濁したばかりなのだ。

 五歳の子供に「災害に巻き込まれて死んだ」などとストレートに答えるわけにも行かず、かといってオブラートに包んだ言い方も苦手な父と祖父の二人では、それが精一杯だったのである。

 もし、少女が問い掛けた相手が母の華稟(かりん)だったなら、「世界一周の旅に出ていてしばらく帰ってこれない」というように、マイルドにごまかせていたかも知れない。

 

「おばあちゃん、なんでいなくなっちゃったの? ねぇ、なんで?」

「あー、それはの、えーと……」

「……おじいちゃんも、いなくなっちゃうの? パパもママも、いなくなるの?」

 

 答えに詰まる祖父を前に、無垢な少女は胸に抱えた不安をさらに拡大させていく。既にそのつぶらな瞳には、大粒の涙が溢れていた。

 

「あ、いやいや、そんなことはないぞ樋稟! ワシはまだまだ元気じゃぞい! のぅ甲侍郎!?」

「えっ!? え、えぇ、そうですとも! 樋稟、パパもおじいちゃんもまだまだ元気だ! だから、何も心配することはないぞっ!」

 

 そんな娘の様子を見て、甲侍郎と稟吾郎丸は慌てて元気付けようと騒ぎはじめる。周りの助手達はそんな二人に苦笑しつつ、静かに見守っていた。

 

「……そうなんだ。いなくなっちゃうんだ」

 

 しかし、子供ながらに父と祖父の真意を察してしまったのだろう。いつかは皆いなくなる――そう感じてしまった少女は、堪らず泣き出してしまった。

 

「パパも、ママも……おじいちゃんも、みんなみんな……う、え、ぇえぇええぇんっ!」

「あわわわ、泣くな泣くな! おじいちゃんもパパも、どこにも行きゃあせん! ずっと樋稟と一緒じゃよ、だから泣くでないっ!」

「そそ、そうさ樋稟! パパはいつだって樋稟の味方だぞ! ずっとずっと一緒なんだぞっ!」

 

「わあぁあーん! みんなっ……みんなぁ、いなくなっちゃ、やぁああーっ! うあぁああーん!」

 

 必死に慰めの言葉を探す甲侍郎達だが、少女にはまるで効果がない。少女はうさぎのぬいぐるみを強く抱きしめたまま、研究室全体に轟くような声量で泣き叫んでしまう。

 甲侍郎や稟吾郎丸はもちろん、周りの助手達も皆、耳を塞いで困り果てたような表情で互いを見合わせていた。こうなってしまっては、泣き疲れるまで止まらないことは周知の事実だからだ。

 

「あらあら、樋稟ったらどうしたの?」

 

 ――ただ一人。

 

「っ!? マ、ママぁ……! うぇえぇええんっ……!」

 

 少女の母――救芽井華稟(きゅうめいかりん)の介入がない限りは。

 

「おおっ、か、華稟! いいところに来てくれた!」

「もう、あなたったら……それにお義父さんまで。樋稟に一体何をしましたの?」

「い、いやぁ、実はワシのカミさんのことでの……」

 

 ウェーブのかかった、セミロングの金髪。娘に勝るとも劣らない、白くきめ細やかな肌。薄い桜色の唇に、神の造形とも云われる程の目鼻立ち。そして、奇跡的にまで均整の取れたプロポーション。

 

「なるほど――そういうことね」

 

 それら全てを一身に備え、女優さえ逃げ出す美貌を手にしている絶世の美女は、夫と祖父に呆れたような視線を送ると――最愛の娘を愛おしげに抱き上げた。

 

 すると、それまで凄まじい声で泣き続けていた少女は僅かに落ち着いたのか、雫を頬に伝わせたまま叫びを止めてしまう。そして、泣き腫らした瞳で母を見上げると、今度はその豊満な胸に顔を押し当てた。

 

「ママ、ママっ……やだよぅ、いなくなっちゃ、いやぁ……! パパもママもおじいちゃんも、いなくなるなんて、やぁっ……!」

「あら……。ふふ、樋稟ったら寂しがりやさんね。大丈夫、誰もいなくなったりはしないわ。皆、いつまでも一緒よ」

「……ホントに? ホントにホント? ひりん、独りぼっちにならない?」

「ええ、絶対にならないわ。もし、いつかパパやママやおじいちゃんがいなくなっても――あなたは、独りきりになんてならないわよ」

 

 自分の胸の中で泣きじゃくり、ひたすら「いなくならないで」と哀願する愛娘の頭を撫で、華稟は優しげに微笑む。

 

「ひりん、独りぼっちにならないの? なんで?」

 

 次いで、少女は母の言葉の意味を探るように顔を上げると、目を丸くした。

 

 そんな娘の反応が面白かったのか、母は口元を緩めて満面の笑みを浮かべる。そして娘と額を合わせながら、その小さな耳元にそっと囁くのだった。

 

「樋稟が大きくなったらね、きっと素敵な王子様が迎えに来てくれるのよ。ママ達がいなくなる頃には、樋稟はママよりずっと綺麗なお姫様になって王子様と結婚してるの」

「おうじさま……? おうじさまが、来てくれるの!?」

「うんっ、そうよ! 王子様はすごくかっこよくて、優しくて……。きっと誰よりも、樋稟を大切にしてくれるわ。だからその時まで、ママ達と一緒にいよう? おばあちゃんも、きっと応援してくれるわ」

「おばあちゃんも……? う……うんっ! ひりん、おうじさまとけっこんしたいっ! でもね、ママとパパとおじいちゃんも、ずっと一緒だよっ! おばあちゃんも一緒っ!」

「ふふっ……そうね。ずっと一緒にいようねっ!」

 

 いつしか少女は完全に泣き止み、母と暖かく笑い合っていた。父と祖父が蚊帳の外になっていることも忘れて。

 

「さぁ、じゃあママとお外で遊ぼっか!」

「うんっ! いこいこっ!」

 

 あっという間に娘を宥めてしまった妻の手腕に、甲侍郎は唖然としている。そんな彼の太股を叩き、稟吾郎丸は「父親は辛いのぅ」と苦笑いを浮かべていた。

 

 そして周りの助手達も、困ったような笑顔を互いに向け合うのだった。やはり華稟には敵わない、と。

 

 ――そして、二〇二八年。

 

 救芽井家は「着鎧甲冑」をレスキュー専用の最新鋭パワードスーツとして、ついに公式の場で発表した。

 

 同時に、甲侍郎は助手や交友のある起業家達と共に、その製造や販売を一手に請け負う企業「救芽井エレクトロニクス」を創設。

 

 アメリカに本社を構え、「人々を救うヒーローを生み出す」という彼らの夢は、いよいよスタートラインに立ったのである。

 

 その記念すべき量産型第一号「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」には、純粋なレスキュー能力にのみ特化した、救命及び消防用の「R型」と、兵器化を望む声に対応する形で生まれた、非殺傷の武装のみを許した警察用の「G型」という二種類のパターンが誕生していた。

 

 ――これは軍用兵器としての本格運用を目論む勢力に対抗し、レスキュー用という本懐を見失わないための措置であった。

 

 着鎧甲冑の性能は、それまでの科学技術が生んできたパワードスーツとは一線を画したものである。それだけに、その力を狙う者も多い。資金援助などを条件に使い、彼ら救芽井家に取り入ろうと目論む勢力は、後を絶たなかったのだ。

 純粋に彼らの在り方に感銘を受け、協力を申し出る資産家も僅かには存在したが、救芽井家は自らに寄り付く連中の多くを疑い、蹴り、己の道を歩み続けていた。

 

 しかし、周りの者は諦めない。救芽井エレクトロニクスの魅力は、世界最高峰のパワードスーツの技術を独占していることだけではなかったからだ。

 

 社長令嬢、救芽井樋稟(きゅうめいひりん)

 

 その絶世の美貌は、世の男の関心を一身に惹き付けたのである。

 

 母譲りのプロポーションに、茶色のショートボブ。鮮やかな碧眼に、透き通るような白い肌。そして、女神の彫像を彷彿とさせる端正な顔立ち。

 まさしく母の全てを受け継いだ美しさ。その全てに、大勢の男性が悉く魅了され、崇拝の念を抱いていた。

 

 連日連夜、救芽井家を主賓に行われる、豪華絢爛な舞踏会や立食パーティ。

 それは着鎧甲冑を狙う狡猾な富豪や軍の名門だけではなく、彼女に心を奪われた貴公子達が、その柔肌に触れる機会を得るためのものなのだ。

 

 数多くの名門の子息は、彼女に近づこうと甘い言葉を囁き、高価なプレゼントを用意する。そして彼女の手を取り、優雅な時間を過ごすことを夢見るのである。

 しかし、そのきらびやかな世界に住む誰かを彼女が選ぶことはなかった。

 

「……龍太(りゅうた)君」

 

 ――彼女が心に決めた「王子様」は、そことは遠く離れた世界に生きているのだから。

 

 ◇

 

「ふにゃむ……ぶえっくし! んにゃ?」

「……一煉寺ぃ。授業中に居眠りしながらくしゃみたぁ、随分と器用なヤロウだな」

「え、あ、いや、あはは。これはほら、修練の一環というヤツでして。こうしていついかなる場合でも、目を覚ませる準備を常に――」

 

「じゃあついでに身体も鍛えとかねぇとな。廊下でバケツ背中に乗せて、百回腕立てしてこい」

「そ、そんなご無体な〜ッ!」

 



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第154話 十一年前の死

 二〇一九年。砂漠に包まれた、とある貧しい国の戦場。

 そこは、仏のような顔を持つ鋼鉄の巨人により、阿鼻叫喚の煉獄と化していた。

 

 灼熱の濁流が砂礫を飲み込み、人々を焼き尽くす。絶えず夜空へ轟いていた悲鳴は業火に覆われると、声の主の命と共に消えていった。

 さらに周囲には瓦礫が散乱し、生前の姿が判別できないほど黒焦げにされた焼死体が、あちこちに転がっている。

 

「ハ、ハァッ……ハァッ……!」

 

 そのただ中に立つ一人の青年は、その手に握られた小銃を杖代わりにして、一歩一歩踏み締めるように前進していた。

 

 生れついての褐色の肌に、艶やかな黒髪。素朴でありながら、どこと無く精悍さを漂わせる端正な顔立ち。そして、筋骨逞しい肉体を包む、深緑を基調にした迷彩服。端から見れば、立派な軍人そのものといった出で立ちだろう。

 しかし、そんな彼も今となっては満身創痍という状況であり、敗残兵の如くふらふらと戦場をさ迷っている。

 

 そして、瓦礫の雨と火災の濁流を免れ、奇跡的に生存していたこの青年の眼には、この惨劇の元凶が映し出されていた。

 

 彼の視界に居るのは――炎を吐き、町を破壊する鋼鉄の巨人。青年が生まれ育ったこの町を破壊し、全てを奪わんと暴走する、破壊の権化であった。

 

 その強大にして不条理な存在を前にして、青年は自分を止めようとしていた、ある二人の人物の姿を思い起こす。

 

『父さん、僕は現場に向かいます! どうか、どうか姫様だけは……!』

『うぇっ、ひっく……テ、テンニーン……』

『待て、テンニーン! 既に市民軍だけでなく、我が政府軍の半数以上が惨殺されておるのだぞ! 犬死にするつもりかッ! 無念だが……お前一人が命を懸けてあそこへ行っても、戦略的価値はもうないのだッ!』

 

 記憶の奥から蘇る、父とこの国の王女。

 

 妹のように想ってきた姫君は、自分の死に怯えて泣きじゃくり、この国を代表する将軍であった父は、沈痛な面持ちで叫んでいた。

 その気持ちは、青年にとっては何よりもありがたいものだった。それゆえに、応えられない自分が、歯痒かったのだ。

 

『……父さん。僕は今まで、父さんの息子として、部下として戦ってきた。ですが、今だけは……あなたとは縁のない、一人の戦士として、この国のために戦わなくてはならないんですッ!』

 

『テンニーン……死なないでぇっ!』

『ま、待つんだ! 待ってくれテンニーンッ!』

 

 そして二人の制止を振り切り、戦場へ赴く青年は――別れの間際、己の決断を真剣に言い放っていた。

 

『それに――助ける価値があるとかないとか。そんなことは、僕の知ったことではないんです。人の価値を決めるのは……僕達じゃないんだ』

 

 そこから今に至り、青年は死に瀕している。

 

 自分がこの戦いに乗り出す直前に別れることになってしまった、この国の姫君と――この世でただ一人の父。

 

 何よりも守るべきその二人を背に、青年はこの戦いにだけは何としても「勝つ」つもりでいた。

 戦いに向かう前に見た二人の顔を思い浮かべるだけで、力が湧き出ているように感じていたのだ。

 

 だが、現実はどこまでも冷徹で――非情なのである。

 

 青年が駆け付けた頃には、既に仲間達は全員消し炭と化し、その遺体さえ粉々に砕かれていた。さらに、自身が慣れ親しんだ町並みまでもが火に包まれ、無惨な廃墟に変貌しようとしている。

 幼い頃から、共に生きてきた国、町、人間。その全てが、一夜にして瓦解していく。青年はただ、その崩壊していく道のりを眺めることしか出来ずにいた。

 

「……なにが、一人の戦士として……だ! 何も、守れないじゃないか! 何、もッ……!」

 

 下唇を切れる程に噛み締め、銃身を握り、肩を震わせる。己への怒りは際限なく高まっている――が、それが何かを救える力に繋がることはなかった。

 どれほど怒ろうと、どれほど悲しもうと、死んだ人間は生き返らないし、国は元に戻らない。生きて戦おうとする人間が、不条理を覆す力を得られることもない。

 

 そんな当たり前で、容赦のない現実の波に、青年は成す術もなく打ちのめされている。だが、それでも彼は――戦うことを辞めなかった。

 

 まだ幼い姫君のためにも、生まれ育ったこの砂漠の国のためにも、戦うことを投げ出してはならない。その一心だけに突き動かされ、青年は憑かれたように戦場を進み続ける。

 そして――あの巨人と、視線が交わる瞬間。

 

「あっ――!」

 

 巨大な黒鉄の胸板の中から現れた、全てを焼き尽くす悪魔の兵器が火を放ち――

 

 ――青年の意識を。命を。魂を。信念を。

 

 簡単に、奪い去ってしまった。

 

 蚊を殺す感覚にも及ばない程に、あっさりと。

 

「……バカめ、のこのこと死にに来るとはな。――しかし、さすがの破壊力だ。あのラドロイバーとか言う陸軍の女、得体は知れんが技術だけは確かなようだな」

 

 すると、巨人の顔が扉を開くように二つに分かれ――そこから、生き血を全身に浴びた、鉄製の身体を持つ男が現れる。先程まで鬼神の如く暴走していた巨人は、彼が出現した瞬間、心臓を抜かれたように動かなくなってしまった。

 

 そう。巨人を操っていたこの男は、死んでいったこの国の戦士達が、幾多の命と魂を懸けて破壊しようとしていた顔面部分から……「何食わぬ顔」で出て来たのである。

 それも戦士達の死力を嘲笑うかのように、「自分から」。

 

 そんな彼は、自分が滅ぼしてきたもの全てを意に介さず、自身が得た「力」にのみ関心を向けていた。

 彼にとっては、何の感情もなかったのだろう。この国の人間の、生死など。

 

 ――数秒前に自分が殺した、勇敢な青年の覚悟など。

 

「この国の王族がどこかに居るはずだが……既に巻き添えで殺してしまったか? まぁいい。オレの正義を拒む国の長など、死、あるのみだ」

 

 男は消し炭と化した青年を一瞥すると、忌ま忌ましげに呟きながら巨人の顔の中に引き返していく。彼に立ち向かう人間が既に全滅している以上、その背が銃口に狙われることはなかった。

 そして、脳髄となる男が戻ったことで、動きを止めていた巨人は再び動き出し――破壊と殺戮を繰り返していくのだった。

 

 一方、彼の力で虫けらのように消された青年は――絶命する直前、祈りを捧げていた。

 

 いつの日か必ず、愛国心に溢れた父が報われるよう、この国に平和が訪れ……姫君が、幸せになることを。

 

 そして……この国のために戦い、散って行った勇士達の無念が、晴らされることを。

 

 ――晴らしてくれる誰かが、現れることを。

 



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第155話 王が去るか、国が死すか

 そして、さらに時は流れ――二〇三〇年四月。

 砂漠に囲まれた小さな国は今、国の命運を左右する決断を迫られていた。

 

「――全ては、今お話した通りだ。強さが……強さだけが、この国の未来を変えてしまうことになる」

「そう……だな。ならば、やるしかないのかも知れん」

 

 円形に広がる、貧しくも賑やかな町並みに囲まれた、中央にそびえ立つ「王城」。その特徴的な丸みを帯びた城の上部は、インドのタージ・マハールを彷彿とさせている。

 

 街の中でも一際目立つ、その宮殿の奥では――この国の存亡を賭けた交渉が行われているのだった。

 テーブルを挟み、ソファーに腰掛けた四人の人物が、二人一組になって向かい合っている。今話しているのは、互いの代表とも言うべき人物だ。

 

 ――この国の名は、「ダスカリアン王国」。

 インド付近の砂漠に囲まれた、中東の小国である。

 

 国民の総人口はおよそ三万人。国土は約四千平方キロメートル。

 数百年の歴史を持つ王政国家であり、イスラム圏に属した国でありながら、キリスト教などの多様な文化の影響も受けている。

 

 特徴として近隣に多数のオアシスを持っているが、そこを狙われ、中世の頃まではインドや西洋諸国に支配され続けていた歴史があった。そのため、十九世紀に独立を果たすまでに、ダスカリアンならではの文明はほぼ失われている。

 ゆえに、現在の文明・文化は自国を支配していた勢力の影響によるものが大きい。タージ・マハールを模した王城もその一つであり、国民の多くは、西洋諸国を含めた外国人とのハーフの末裔である場合がほとんどなのだ。

 

 加えて、国民全員に多様な血統が入り混じっているため、国民同士の差異は曖昧なものとなっており、血族が原因で対立に発展したケースも少ない。

 過去に何度か内戦が起きたこともあるが、その原因のほとんどは王族と民衆がオアシスの取り分を巡って争ったことにあった。現在では、その対立も鎮静化している。

 

 さらに二十一世紀の現在に於いては、その多種多様な文明を受け入れられる国民性と豊かなオアシスを活かし、砂漠を横断する人々の疲れを癒す「中継地」としてのポジションを、少しずつながら確立しようとしていた。

 

 ――だが。

 

 この国は一度、滅ぼされているのだ。自らの正義と力に溺れた、一人の男によって。

 

「十一年前のあの日――我がダスカリアン王国は、滅びの炎に突き落とされた。貴殿が送り込んだ瀧上凱樹(たきがみがいき)によって、な」

「あぁ。オアシスを巡る紛争の最中に現れた、鋼鉄の巨人『新人類の巨鎧体(ヤークトパンタン)』。――その威力は、将軍殿もご覧になられただろう」

「……全て、滅びた。街も、人間も、愛する家族さえも。あの後、事態を聞き付けた貴殿が復興に尽力してくれなければ、この国は今も砂漠の一部と化していただろう。それまでは独立の反動で、外交に関して閉鎖的になっていた国全体も、貴殿の誠意に触れ、今では周辺諸国とも友好的な関係を築けている」

「私は彼を送り込んでしまった償いを、可能な限りで行っているだけだ。怨まれこそすれ、感謝される謂れなどない。だが――もはや私が尽くすだけでは済まなくなっているようだな」

 

 過去に起きた惨劇の痛ましさに、初老の男性は眉を潜める。

 男性はかつて、機械の身体を持つ「ヒーロー志望」の男――瀧上凱樹の正義感を見込み、この国の救済のために送り込んでいた。しかし結果は期待の逆を突き進み、強大な自分の力と正義に呑まれた彼は、あろうことかこの国で大規模な殺戮を行い、国家全体を一時的に崩壊させてしまったのである。

 その惨劇の直後、男性は総理大臣としての名声を捨てて十年以上に渡り、この国の復興に努めて来たのだ。

 

 この問題に長年悩み続けてきたせいか、その頭髪は完全に脱色しており、まだ六十代前半でありながら、顔中に深いシワが出来ていた。しかし一方で広い肩幅と優れた体格を持ち、その眼差しには強い意志が燈っている。

 

 彼――伊葉和雅(いばかずまさ)は、常に感じているのだ。この悲劇から、決して目を逸らしてはならない、と。

 

「この件については完全に秘匿されており、私と将軍殿、それと王女様しか知らなかったはず。まさかつい最近になって、噂として国中に広まっていようとは……」

「瀧上凱樹の件を知ってから、日本人を嫌うようになってしまわれた姫様も、軍に口外して対立を煽るようなことはなされなかったはず。調査に出した部下によれば、ある白人の女が『新人類の巨鎧体』の写真を通行人に見せて回っていた――という話もあるが……。いずれにせよ、この国が日本を疑い出すのは時間の問題だ。既に我が国防軍にも、この話は蔓延している。特にその中の過激派に至っては、貴殿が派遣してくれたNGOメンバーに暴言を吐く始末だ。その場で私が叱責して場を収めることは出来たが……根本的な解決にはなっていないだろうな」

 

 平和が戻ったはずの、今のこの国に流れている不穏な空気。その責任が自分にあることを痛感している和雅は、向かいの「話し相手」の隣に座っている少女を見遣り、沈痛な面持ちになる。

 

「王女様の前で申し上げていいことではないが――多数の国民だけではなく、当時の王族にまで手を掛けているのだ。迂闊に公認しては重大な国際問題になる。私が現在も総理大臣の座に付いてさえいれば、力の限り賠償するところなのだが……保守的な現日本政府は、この件を絶対に認めることはないだろう。揉み消しに掛かるはずだ」

「つまり現状のままで、日本人――瀧上凱樹個人によるジェノサイドが発覚すれば、日本とダスカリアンの関係は絶望的、ということだな。我が民も王を殺されて、黙ってはいられん。加えて日本政府側も過失を認めないとするなら……最悪、日本がダスカリアンの支援から撤退してしまう……」

「我が国がダスカリアンを援助しているのは、私がNGOを率いて十年間支援してきたことによる影響が大きい。公表により対立が深まり、私の仲間達が万一危害を受ければ、この国から引かざるを得まい。そうなれば政府もこの国を見放しかねんし、ダスカリアンの存続も危うくなってしまう」

「……この国の繁栄は、日本の協力ありきのものだからな。ある程度は自助努力による発展も可能なところまではたどり着いたが、国全体の安寧を保つためには、やはり日本との『友好的関係』は欠かせん」

 

 そして和雅の「話し相手」である、黒ずんだ肌を持つ壮年の男は、思い詰めたように顎に拳を当てた。

 

 墨のように黒い短髪と顎髭。過酷な人生に裏打ちされた、鋭い目つき。全身を固める、はちきれんばかりの筋肉と、二メートルを超える体格。そして、常に油断を見せない精悍な面持ち。

 それら全てを備えた、五十代半ばと思しきその男――ワーリ・ダイン=ジェリバンは、この国の「国防軍」を統括し、外交の最前線に立ってきた。つまるところ、事実上のダスカリアンの「トップ」なのである。

 そして現在は、自身の隣に座る少女――ダスカリアンの王女の、父親代わりでもあった。幼い姫君に代わり、彼が実権を握っている状態が十年以上に渡り続いているため、現在のダスカリアン王国は実質的には軍事国家になっている。

 

 その王女は、食い入るような視線を向かいの和雅に送りながら、話の成り行きに耳を傾けていた。何かいいたげに、うずうずと身じろぎしながら。

 

「そのためにも、瀧上凱樹という日本人による関与は強引であっても否定されなくてはならない――の、だがな」

「……将軍殿としては、国が再び滅びることになろうとも、王女様の居場所を尊重したい、ということだったか」

 

 ジェリバンは、傍らに座る可憐な王女の背を撫で、深く頷く。その表情は、やむを得ず罪を犯そうとしている善人のように、重い。

 

「そうだ。ここまで噂が広まった以上、もはや完全に瀧上凱樹のジェノサイドを『なかったことにする』のは難しいだろう。『新人類の巨鎧体』の破片も見つかっていることだしな。確かに私が声を掛けて事実無根だと訴えれば、過激派もすぐに強くは言えまいが――同時に、私に対する信頼も揺らぎかねん。そうなれば、私の庇護で『王族』としての地位を確保している姫様の安寧も、危うくなってしまう。過激派や国民の疑いの目線に怯え、かりそめの平和に躍らされながら、私が歳老いて居なくなった後、姫様は……たった一人で、この国を治めなくてはならなくなってしまうのだ」

 

「そのようなことになるくらいならば、いっそのこと潔く事実を公表し、日本と手を切り、最期の瞬間まで共に生まれ育った土地で暮らそう――ということか。私が言えた義理ではないが、為政者のやることではないな」

「貴殿の言う通りだ。……しかし私は、この国の守り人であるのと同時に、姫様の父親代わりでもある。十一年前の侵略で、当時の国王様と王妃様が亡くなられてから――姫様は、長らく苦しんで来られた。この上、国王様方の仇も討てず、想いをぶつけることも出来ず、ただ黙って耐え忍ぶのみの人生など……あまりに惨い」

 

 そのジェリバン将軍の言葉に、王女は無言のまま俯き、拳を握り締める。溢れ出る激情を、強引に押さえ込もうとしているかのように。

 

「まさしくどの道を選んでも、行く先は破滅……ということになるな。そのどちらかを決めるための『賭け』が『決闘』というのも、武闘派の将軍殿らしいところではあるが」

 

「――そうだな。知っての通り、国防軍に於ける私の権威は、私個人が持つ『絶対的戦闘力』によって保たれている。自慢していい話ではないが、私はこの国のオアシスを狙う『一個師団』に相当する武装集団(テロリスト)共を撃退したことがある。……単身でな」

「米軍から復興資金の援助を条件に、試験運用を依頼された特殊戦闘用装甲服『銅殻勇鎧(ケプファルマ)』……だったな。その圧倒的な強さで軍を束ね、この国を治めている――か。万一将軍殿が人道を踏み外せば、恐ろしいことになるな」

「フッ。考えようによっては、瀧上凱樹の侵略を無理矢理に否定することこそがそれに当たるのかも知れんがな。――さて、『決闘』の主旨を再確認しようか」

 

 ジェリバン将軍は一瞬、自嘲するように口元を緩め――上体を前に倒し、改まった表情で和雅の顔を見据えた。

 いよいよ、本題に移る――という顔だ。

 

「この国の中に於いて、私の強さは絶対視されている。瀧上凱樹の関与を疑い、日本人に反発した私の部下達が一瞬で黙ったようにな」

「――そして過激派の勢いを強引に抑え、日本に食って掛かれないようにするには……『インパクトに溢れた新事実』を持って来なければならない、ということだったな。『将軍殿を超える者がいる』という『新事実』を」

「そう。『個人』で私の戦闘力を超える猛者が日本人にいる――そんなことが知れれば、国中が震撼する大ニュースになるはずだ。過激派も萎縮して、日本に対する反抗心もある程度は抑えられるだろう。それから時間を掛けて、今後のように『日本の助力』で国の発展を進められれば、軋轢を少しずつ解消していくこともできる。……もっとも、その代わりとして私の威光は失墜し、王女様共々失脚することになるだろうがな」

「その存在を『決闘』によって明らかにして、王女様の居場所を犠牲に、この国を『かりそめの平和』で守り抜くか。それとも将軍殿の勝利で『絶対的戦闘力』の伝説を確固たるものとして、過激派を含めた国防軍の勢いに火を付け、日本政府と決別し――国民全員で共に衰退へ向かうか。……二つに一つ、ということだな」

 

 重々しい口調で、和雅が呟く。その言葉を受けたジェリバンは、彼の隣に腰掛けている青年に視線を移した。

 

 短く切り揃えられた茶色の髪に、道行く女性達の誰もが振り向く、整い尽くされた目鼻立ち。強い陽射しに晒されているこの国には不似合いな白い肌。百八十センチはあろうかという長身。しなやかな筋肉。

 そして――額に色濃く残された、四方に裂けるように広がった傷痕。

 

「そういうことになる。……事情は聞いての通りだ。瀧上凱樹を屠ったというその力、存分に見せて頂こう。古我知剣一(こがちけんいち)殿」

「――えぇ。瀧上凱樹に家族を奪われた者同士、正々堂々と戦いましょう。僕も一度罪を犯した身とは言え、より多くの命を救うために生まれた『着鎧甲冑』に携わった人間です。王女様一人のために国を滅ぼす――そんなあなたの身勝手を、認めるわけには参りません」

「正直でよろしい。だが、それが親心というものだよ」

 

 その痛ましい傷を見遣り、ジェリバン将軍は目を細める。そして剣一の毅然とした眼差しを受け――両者は同時に立ち上がった。

 

 ……さらに。

 

「いい気になるなよジャップッ! ワーリはな、世界でいっち番強いんだっ! お前達なんかが敵うもんかっ! 父上と母上、そしてテンニーンのカタキめっ!」

 

 今までジェリバン将軍の隣で、感情を抑えて聞き手に徹していた王女――ダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィが、ついに怒りを込めた叫びを上げる。

 

「いいかっ! オレ達ダスカリアン人はな、今までずっと、耐えて生きてきたんだ! お前らジャップになぶられても、生きることを諦めずに! それをお前らは我が物顔で、土足でこの土地に上がり込んで……! しまいには復興だとか吐かして、いい人ぶりやがって! ワーリに止められなかったら、すぐに国防軍に言い付けてたところなんだぞっ!」

 

 ――まるで、瀧上凱樹に踏みにじられた人々の無念の全てを、自分一人で代弁するかのように。

 

「今に見てろよジャップ共っ! オレが大きくなったら、ワーリみたいな強い戦士になるんだ! お、お前らみたいなひ弱なジャップになんて、絶対に負けないぞっ!」

「……姫様、どうか落ち着いてください。そのような乱暴な言葉を使われては、国王様や王妃様に顔向けが出来ません。それに彼らは日本人ではありますが、国王様やテンニーンの仇を討ってくださった勇者でもあるのですぞ」

「うるせー! でもがんばれー!」

 

 話が纏まるまで、ジェリバン将軍に静かにしているように言われていたのだろう。鬱憤を晴らすかの如く、王女は手足をバタつかせながら大暴れしている。

 あどけなさを残しつつも、女性として整った顔立ちを持つ彼女だが、その振る舞いは一国の姫君としての一般的なイメージとは、大きく掛け離れたものとなっていた。

 

 身長は百五十センチ前後といったところであり、十六歳という年齢を考えれば、比較的小柄な部類に当たるものと考えられる。

 胸部の発育も――良好とは言い難い。紫色の薄いドレスの上からでも、その幼さははっきりと窺い知れる。

 

 きめ細やかな褐色の肌は滑らかな曲線を描き、焦げ茶色の長髪はツインテールに纏められている。恐らくは彼女の髪型も、外国の文化による影響が生んだのだろう。

 

 そんな王女らしからぬ美少女の挙動に、剣一と和雅は「相変わらず手厳しいな」と苦笑している。こうして憎しみを向けられるのも、慣れてしまっているのだ。

 

 ――否、慣れざるを得ないのだろう。彼らには、ここで償い続ける義務があるという、覚悟があるのだから。

 

「……わかっているな、剣一君」

「えぇ、もちろんです。この『決闘』だけは――絶対に負けられません」

「それなら構わん。……頼むぞ」

 

 ジェリバン将軍やダウゥ姫に聞こえないように、和雅は剣一に耳打ちする。その真意を汲み取った剣一は、強く頷き――これから戦う相手となる、漆黒の武将と視線を交錯させた。

 

 古我知剣一は、一年前に瀧上凱樹を倒し、この国の仇敵を討ち取った人物。少なくとも、ダスカリアン側からはそう目されていた。瀧上凱樹を討ち取る戦いで、彼が重要な役割を果たしていたことは、確かに間違いではない。

 しかしその認識には――僅かながら、真実との差異があった。

 

 もう一人。瀧上凱樹と戦い、この国の無念を晴らした少年がいたのだ。

 

 だが、その少年の存在はジェリバン将軍らには伏せられていた。その少年が、レスキューを目的として生まれた着鎧甲冑を使う「レスキューヒーロー」を目指していたからだ。

 過酷な戦いを乗り越え、自分の夢に向かい突き進む少年を、どうしてこの戦いに巻き込めようか。

 ――そう考えている青年は、彼の夢を邪魔しないためにも、「自分一人で瀧上凱樹を倒した」という嘘を、これからも吐き続けなければならないのである。

 

「失礼したな。では、明日の正午。王城近くの練兵場で会おう。軍の連中は街の外の射撃訓練に向かわせておく。人目につくことはあるまい」

「……えぇ」

 

 贖罪のために生きる改造人間、「必要悪(アステマ)」として。

 



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第156話 古我知剣一の戦い

 ダスカリアン王城を円形に囲む、十メートル超の城壁。その内側には、古来より武芸の披露のために設けられた練兵場がある。

 貧しい小国とは言え、今では近代的な小銃が兵士の装備として普及しているため、中世時代のように槍や剣の訓練をすることはなくなっているが、それでも兵士達の近接格闘の訓練を行う場として、長年に渡って重宝されてきたのだ。

 

 ダスカリアン国防軍は、十一年前の惨劇で兵士を含めた男性の多くが死亡したため、現在では女性中心の軍隊となっている。……その中には甘いマスクと強さに惹かれ、剣一に想いを馳せる者も多いのだとか。

 

 また、人口確保のための措置として一夫多妻制も採用されてはいるが、ここ十年の間ではまだそこまで男子は増えていないようだ。

 

「へっ! ジャップの野郎、ワーリの強さを知ったらおったまげるぜ!」

「さて、どうなるか……」

 

 ――今この場には、たった二人のギャラリーに見守られた戦士達が立っている。どちらも、通常の兵士を遥かに超越した存在だ。

 人払いとして、将軍の指示により城門や練兵場には警備兵が配置されている――が、詳しい事情を知らされていない彼らは、この国を包む不穏な空気にただならぬ不安を覚えていた。

 

 彼らが立つ練兵場の広さは、直径百五十メートル。これからあいまみえる二人にとっては、広いとも狭いとも言い難い範囲であった。

 両者とも、闘いを長引かせるつもりはない。一瞬で決着を付けるつもりなのだ。

 

「……すぐに準備が完了する貴殿とは違い、私は装着に時間が掛かってな。申し訳ない」

「僕なら構いませんよ。これは戦争じゃないんだ」

 

 王位そのものを潰してでも、多数の国民を救うことを優先する男――古我知剣一。

 彼はここに現れた時こそ黒いフォーマルスーツを着ていたが、今では白いマントや装甲を纏う、異質な姿へと変貌している。

 

 日本の機動隊員を思わせる、全身を覆った外骨格。風に靡き、舞い散る砂を浴びるマント。西洋の騎士を模した、荘厳な兜。

 その全てが、汚れのない純白で統一されている。「必要悪」と呼ばれるこの姿は、彼が瀧上凱樹を討つために手に入れた、その男と同系統の技術から産まれた兵装なのだ。

 

 元々四肢が機械化されている剣一は、鎧を着てマントを羽織るだけで、ほぼ戦闘準備が完了する。

 しかし、国民を道連れにしてでも、王女の地位と居場所を守ろうとする男――ジェリバン将軍は違っていた。

 

 彼は着ていた迷彩服の上着を脱ぎ捨てると、その凶器のような筋肉をあらわにして――手に持っていた巨大なトランクを開く。

 そこに詰められていたのは、銅色に統一された――プロテクターのような装甲服。彼は鎧を着込む侍のように、一つ一つそれらを身に纏っていく。

 

 そして最後に、トサカ状の斧を付けた兜を被り……剣一の方へと向き直った。

 その姿はさながら戦場に赴く武士の様相であり、容赦なく照り付ける日光を浴び、彼の装甲も黄金の如く輝いている。

 

 関節の隙間からは、旧式ゆえか人工筋肉を機能させる電線が露出しているが――そのような弱点を感じさせない「戦士」としての荘厳な姿が、そこにあった。

 

 戦場でこれほど目立つ格好はないだろう。しかし彼はそれを一切苦にすることなく、数多の死線をかい潜ってきたのだ。

 

 一切の驕りを見せない真摯な眼差しが、それを裏付けている。

 

「……『新人類の巨鎧体』を造った米軍の産物、か。毒を以って毒を制す――とは、よく言ったものよ」

「瀧上凱樹を憎んでいながら、その力に繋がる兵器を使っている。……そういう意味では僕もあなたも、完全に彼を拒むことは出来ないのかも知れません」

「違いない。この世で唯一憎んだ日本人と、同じ系統の力を行使して国を守ってきた……とはな。笑いにもならん」

 

 互いに共通する「汚点」。「兵器を纏った姿」を見せ合うことで浮き彫りとなったそれを改めて認識し、二人は同時に自嘲の笑みを浮かべた。

 

「――実を言えば、私にも僅かに日本人の血が流れていてな。戦時中、我が国が植民地として支配されていた頃のことだ。祖母が命の恩人だったという日本人医師との間に、私の実父を授かったのだよ」

「え……!?」

「戦乱の中、行方知れずになった祖父に代わって、私の父は軍人の家系に引き取られ――そして、私が生まれた。しかし父は、日本の医師だったという祖父の言葉を、晩年まで覚えていたのだよ。『どんな時代や状況でも、誰かを助けることを忘れるな。お前に助けられた誰かが、お前が生きた証になる』、とな」

「誰かを、助ける……」

 

 時代や状況を問わず、誰かを救うことを常に心掛けよ。――と訴えかけるような言葉を受け、剣一は自分と共に瀧上と戦い、彼すら救おうとした少年の背中を思い浮かべた。

 

 ……まるで「あの子」のようだ、と。

 

「祖父がどのような人物だったかは、今となっては知る術もないが――この言葉は気に入っていてな。今では姫様をお守りすることこそが、『私が生きた証』だと思っている」

「その姫様と共に、破滅に向かうことが――『守る』ことだとでも?」

「同じ『守る』という言葉でも、私と貴殿とでは解釈が異なるのだろう。貴殿は『命』さえあれば『生』と見做せるのだろうが、私にとってはこの国で生まれ育ち、この地を愛している姫様の『想い』こそが、姫様にとっての『生』なのだよ」

 

 白銀の仮面の奥で剣一は鋭く目を細め、狩人のような眼光をジェリバン将軍にたたき付ける。

 当の将軍はその殺気を一身に浴びていながら、涼しげな佇まいで彼と向き合っていた。

 

 在るべき姿や誇りを失い路頭に迷うくらいなら、愛する故郷と共に朽ちるか。地位や名誉をなげうってでも、命だけは助けるべきか。

 

 その解釈と価値観の差異は、共通している部分が多いはずの二人の溝を、際限なく広げていく。

 

「……まぁ、いいでしょう。それが正しいか否かは、この決闘で決まる。この戦いは、あなたが望んだことだ」

 

「その通り。いざ尋常に――参る」

 

 こうなっては、もう戦いは避けられない。一触即発となった二人は、互いの得物を静かに構えるのだった。

 

 剣一は、青白い電光を纏う短刀を。ジェリバン将軍は、幾多の戦車や兵器を砕いてきた、黄金の拳を。

 

「――お互い、準備は出来たと見ていいな?」

 

 円形の舞台から僅かに離れた位置に立つ和雅は、互いの構えを見て静かに口を開く。風が靡く音と、砂が地面に擦れる音のみが聞こえているこの空間の中で、両者はゆっくりと頷いた。

 

 王族の権威が消え去るか。国そのものが死に絶えるか。その決断が、この闘いで下されるのだ。

 どちらに転ぼうと、必ず何かが犠牲になる。果てしなく重い、何かが。

 

 それだけに、この二人を包む空気の険しさは、尋常ならざるものだった。

 限界以上に張り詰めた両者の眼光が、互いの様子を鋭く見据えている。ほんの僅かな挙動も、見逃すまいと。

 

「――言っておきますが、いかに性能差があろうと、僕は手は抜きませんよ」

 

「構わんよ。それだけで勝てるつもりで、いるのであればな」

 

 剣一の啖呵に対するジェリバン将軍の反応は薄い。そんなことは何の問題にもならない、と云うように。

 

「……?」

 

 この返事を受けた剣一は、僅かながら戸惑いを隠せずにいた。

 

 彼の身を包む「必要悪」の装備は、一年と少し前に開発されたばかり。対してジェリバン将軍の「銅殻勇鎧」は、十一年前に米軍から渡されて以来、僅かな改良も施されていない。しかも長い間の戦闘により、鎧の節々には痛ましい傷痕も伺える。

 剣一から見れば、時代遅れの老朽品そのものなのだ。にもかかわらず、彼はそのハンデについて何の反応も示さずにいる。

 

 ――あんな骨董品のような装甲で、何の苦もなく自分を倒せる気でいるのか。それとも、自分の知らない最新兵器でも隠し持っているのか。

 ジェリバン将軍の真意を探ろうと、剣一は思考を巡らせる。

 

 だが、答えを出せるだけのヒントが得られることはなかった。

 彼がこうして逡巡している間も、ジェリバン将軍は寸分も構えを崩すことなく、整然とした様子で剣一を見つめている。

 

「では――始め!」

 

 そして剣一の悩みを他所に、風の囁きが止まる瞬間。

 和雅の叫びが、この緊迫した世界に突き刺さる。

 

 次いで、風に流されていた砂の動きが止み、時間が止まったような錯覚が辺りを包み込んだ――刹那。

 

「シャアァアアアアァアーッ!」

 

 獣の如き雄叫びと共に、剣一の刃――高電圧ダガーが唸りを上げる。

 狙うは、装甲の隙間に見える急所。すなわち、人工筋肉の生命線だ。

 

 圧倒的な性能差が物を言ったのか。

 一瞬の内に地を蹴り、間合いに飛び込んだ剣一と視線が交わっても、ジェリバン将軍は一歩も動かずにいた。

 

「ワッ……ワァーリィーッ!」

 

 一見すると優男のようにも見える剣一の、チーターにも劣らない駿足を目の当たりにして、ダウゥ姫は思わず戸惑いの声を上げる。

 

 自分にとって、第二の父親とも言える男が。自分が知りうる、最強の戦士が。にっくき日本人にやられてしまう。

 そんな不安に駆り立てられた悲痛な叫びが、練兵場にこだまする。

 

 だが、その声を聞いたところで、剣一が攻撃の手を緩めることはない。これは彼にとって、国民全員を救うための戦いなのだから。

 

(取った……!)

 

 完全に高電圧ダガーが届く位置――左の脇腹部分に入り込み、剣一は思わず口元を吊り上げる。

 

 ここからまず右腕と右足の人工筋肉を断ち、攻撃力を奪う。そして、筋肉を斬られ反撃できない部位から狙って、少しずつ切り崩す。

 その作戦が実現できる、後一歩というところまでたどり着いたのだ。

 

 この一閃で、全てが終わる。

 

 その結末を信じて疑わない、無垢な刃が矢のように飛び――

 

 ――空を斬る。

 

「がっ……!?」

 

 狙いが逸れたわけではない。手を抜いたわけでもない。

 正真正銘、本気の斬撃だった。外れないわけがなかったのだ。

 

 それなのに。確実に勝てるはずだったのに。

 

 気が付けば剣一の仮面は宙に弾けとび、彼の白い身体はジェリバン将軍の傍らに倒れ伏していた。

 視界が一瞬にして暗転し、成す術もなく地に沈む「必要悪」。俯せになったその身体が、勇ましく起き上がることは――なかった。

 

「……」

 

 そして彼の頭上には、日の光を浴びて鈍い輝きを放つ、銅色の肘。

 決着の瞬間を見逃した者も、この光景を見れば、闘いがどのような結末を迎えたかは一目瞭然であろう。

 

 剣一の高電圧ダガーが右腕の電線を切ろうと、肘関節の隙間に向けて伸びた瞬間。紙一重で腕を上げ、彼の斬撃をいなし――勢い余った彼の延髄に、肘鉄を見舞ったのだ。

 旧式の鈍重なパワードスーツでありながら、最新鋭サイボーグの攻撃を当たる寸前まで引き付けて回避し、あまつさえ咄嗟にカウンターまでこなしてしまう戦闘センスと、スペック差を覆す圧倒的身体能力。

 将軍の三十年以上に渡る実戦経験の重みを、剣一の性能とスピードは――超えられなかったのだ。

 

「――興ざめだ。ガトリングすら使うことなく終わるとはな。この程度で瀧上凱樹を倒したなどと……笑わせる」

 

 剣一が倒れ、再び無音の空間に戻された練兵場に、ジェリバン将軍のくぐもった声が響き渡る。呟くような小声でさえも、地響きのように広がっていく程の威厳が、彼の全身に纏わり付いていた。

 

 その金色に煌めく右腕には、ドリルのように回転している小さな銃身が装備されていた。

 肘鉄をかわされた場合、至近距離で連射を仕掛けるつもりでいたのだろう。しかし出番が最後まで来なかったためか、今ではその回転数も減少しつつあった。

 

 そして銃身の回転が完全に停止し、ジェリバン将軍が構えを解いた瞬間。

 

「――この勝負。ジェリバン将軍の……勝ちと、する」

 

 しばし唖然としていた和雅は我に返り――目を伏せたまま、絞り出すような声色で、決着を告げた。

 

「やったぁあ〜! ワーリすげぇっ! やっぱすげぇよっ! ジャップ野郎め、ざまあみろっ!」

 

 この結末に歓喜する観衆は、ただ一人。

 ダウゥ姫は満面の笑みを浮かべて練兵場の舞台に上がり込むと、父のように慕い続けてきた男の胸元に飛び込んだ。

 

「姫様……ありがとうございます。これで我らは、国を出ていくことにはなりますまい。最期の瞬間まで、共にこの土地に暮らしましょうぞ」

「うんっ! うんっ! ずっと一緒だぞ! 死ぬまで一緒だっ!」

 

 愛娘を愛でるように、ジェリバン将軍は姫君の頭を撫でる。ダウゥ姫は、そんな彼の巨大な胸板の中で、甘えるように顔をこすりつけていた。

 

 ――だが、望んでいた結果を手にしたはずの、将軍の顔には。

 釈然としない色が、滲んでいた。本当に、これでよかったのか――と。

 

「さて。決着はついたな、カズマサ殿。我々が瀧上凱樹の件を公表する前に、貴殿の仲間達――NGOの勇士達と共に、この国を脱出されることを推奨したい。袂を分かつことになるとは言え、我が国をここまで育ててくれた恩人達だ。無益に危険な目に遭わせたくはない」

 

 しかし、ここまで来てしまった以上、もはや彼自身に引き返すという選択肢はない。せめてもの慈悲を掛けるように、ジェリバン将軍は練兵場の外に立つ和雅と向かい合う。

 

「くっ……」

 

 予期しない結末を目の当たりにした和雅は、すぐには反応を示さなかったが――この事態に対処するための、やむを得ない措置を見出だし、重々しく口を開いた。

 

「……待ってほしい」

 

 彼の胸中には、奥の手が眠っていた。この決着によるダスカリアン衰退を未然に防ぎ、国民を貧困から救う、最後の手段が。

 ――だが、それは決して許されてはならない。禁断の果実。だからこそ和雅は、剣一に何としても勝ってほしいと、願っていたのだ。

 

 その剣一は今も気を失っているらしく、起き上がる気配がない。もし彼に意識があったなら、和雅の喉に飛び付いてでも止めようとしていただろう。

 だが。それほどのことをしようとしている自覚があろうとも、彼としては言わなければならないのだ。

 

 ――告げなくては、ならないのだ。

 

 「瀧上凱樹を倒した人物(スーパーヒーロー)」が、一人ではないことを。

 

「私はまず、将軍殿に嘘をついていたことを謝らなければならない」

「嘘……だと?」

 

 苦肉の策として、和雅の口から出て来た言葉に、ジェリバン将軍は眉をひそめた。この期に及んで何を言うつもりなのかと、その眼差しが鋭く和雅を射抜く。

 

「『瀧上凱樹を倒した男』は、正確に言えば剣一君ではないのだ。むしろ、真に彼にとどめを刺したのは――この少年なのだよ。彼を倒さずして、日本人に貴殿を超える戦士はいない、とは言い切れまい」

 

 その眼光に怯むことなく、和雅は懐に手を伸ばし――ある一枚の写真を引き抜いた。

 

「ハンッ! 土足で国に上がり込んだかと思えば、今度は見苦しく言い訳かよッ! ジャップのくせに生意……気ッ……!?」

 

 一応は和雅の話を聞こうと静かになったジェリバン将軍とは違い、ダウゥ姫は聞く耳を持たずに食ってかかる。

 だが、その罵詈雑言が終わらないうちに、彼女の声は小さく萎んでいってしまった。同時に激しく驚愕するように、つぶらな瞳が大きく見開かれていく。

 

「なっ、なな、う、うそ……!?」

「……!?」

 

 ジェリバンも動揺の声こそ上げないが、先程まで何事にも動じずに据わっていた眼には、明らかな乱れが生じていた。

 それ程までの衝撃が、この写真には詰まっているのである。

 

(一煉寺君。君をこの戦いに巻き込んでしまう、私の無力さを恨め……!)

 

 そんな和雅の胸中を他所に、ダウゥ姫は震える唇から――この世に居ない人間の名を呟いた。

 

「テン、ニーン……!?」

 

 黒い髪に、吸い込まれるような同色の瞳。おおらかな笑顔に、左目に付けられた縦一直線の切り傷。僅かに素朴さを残した、精悍な顔立ち。

 

 肌の色さえ違えば。眼の傷さえなければ。完全に、彼女が愛した戦士と同一の姿になる。

 

「なんと……いうことだ」

 

 ――そして。ジェリバン将軍にとって掛け替えのない、大切な一人息子の姿にも。

 



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第157話 四郷鮎美の戦い

 一方、その頃。

 

 日本のどこかにある、山と海に囲まれた巨大な崖の上。

 人里離れたその場所で、一人の女性が佇んでいた。白衣に袖を通す彼女は、憂いを帯びた表情を浮かべてている。

 

 崖の先に見える大海原は、朝日の輝きを浴びてまばゆい光を放っている。その眩しさを手で覆い隠し、女性は足元に視線を落とす。

 

 そこには――全てを埋め尽くすような瓦礫や金属片の山が、広範囲に渡って積み上げられていた。

 何に使われていたのか。ここがどんな場所だったのか。それが全く想像できない程に、何もかもが粉々になっている。全てを破壊し尽くされた、廃墟という言葉すら当てはまるかどうか怪しい、「どこか」だった「なにか」。

 

 ともすれば、ジャンクヤードにすら見えるかも知れない。何も知らない人間が目の当たりにすれば、そう認識してもおかしくはないだろう。

 

 ――だが、その女性は違う。

 

 彼女は、全て知っているのだ。

 

 ここに何があったのか。ここで何が行われたのか。

 

 ここが、どんなものを生んだのか。

 

 そして――なぜここが、これほどまでに破壊し尽くされたのか。

 

「……」

 

 その悍ましさ。恐ろしさ。それら全てを知った上で、彼女はここに来ていた。思い出すことすら憚られる、悪夢の象徴。自身のみならず、罪のない家族の人生さえも狂わせてしまった、全ての不幸の元凶。

 

 その古傷を自ら抉れば、耐えがたい苦しみが襲い掛かる。そうと知りながら彼女は、ここに足を運んだのである。痛ましい記憶を掘り返すことになろうとも。苦しむことになろうとも。

 

 そのリスクに見合うだけの「値打ち」が、ここにあるのだから。

 

「……本っ当。私も、堕ちるとこまで堕ちたものね。あれだけのことをしでかして、償うためにやることが……これだなんて」

 

 己の力と頭脳を呪い、非力さを嘆き、口元を悲しげに歪ませて。それでもなお、彼女は瓦礫の山を歩み続ける。どれほど過去の記憶に苛まれようと、この足だけは止めまい――と。

 

 そして、彼女にとっては永遠のように感じられた、この苦しみの渦中から。やがて這うように歩き続けた、短い旅路の先で――彼女は、この大量の鉄屑の中で転がっていた「巨大な指」を思わせる鋼鉄の物体を目の当たりにする。

 それを視界に映した女性は、自虐するような口調で小さく呟いた。

 

「誰もが、私を呪うでしょうね。……えぇ、そうするがいいわ。私も、好きにするだけだから」

 

 ――まるで、自分がこれから「大罪」を犯すことを予見しているかのように。

 



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第158話 ドラッヘンファイヤー、出動

 ここからは龍太視点となります。


 ――二〇三〇年、五月上旬。

 

 東京湾の夜空を飛ぶ、「救芽井エレクトロニクス」が所有する三台の専用ヘリ。そのうちの一機に俺……一煉寺龍太(いちれんじりゅうた)は、その身を置いていた。

 

 満月の光を浴び、神々しい輝きを放つ海。本来ならば、そんな景色を優雅に拝めていられたのだろう。

 ――しかし、現実に眼前で広がっている夜景は、そんな悠長なものではなかった。遥か彼方にぼんやりと見える、不自然な赤い光。

 その煌めきは、漆黒の夜空を夕暮れのように照らしているのである。何もかも、焼き尽くすように。

 

『目標地点まで、残り四百メートル! そろそろ見えて来たぜぇ、一煉寺の旦那ァ!』

『正式な資格者としては初陣になりますね、一煉寺様。――いえ、「救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)」様、とお呼びした方がよろしいですか?』

「いや、いつも通りでいいぜ。なんだかんだで、やることは普段と変わりないしな」

 

 俺の右手首に嵌められた真紅の腕輪から、荒っぽい叫びと穏やかな囁きが矢継ぎ早に飛び出して来る。通信相手は、この仕事で俺がよく世話になっている人達だ。

 ……ちなみに、両方ともれっきとした女性である。

 

 俺達は今、着鎧甲冑を用いた救助活動を要請され、ヘリで現場に急行しているところだ。

 

 東京に向かって航行していた豪華客船が、突如爆発事故を起こしたという非常事態の連絡を受け、緊急出動することになったのである。

 沈没する可能性も高いことを考えれば、相当に深刻な事態だ。

 

『……しっかしよォ、いけ好かねぇ成金共がプカプカしてるとこを助けに行けだなんて、樋稟お嬢様も随分と癪に障る仕事を押し付けてくれたもんだ』

『ふふ、フラヴィ隊長ったら相変わらず嘘ばっかり。樋稟お嬢様が私達に出動を要請されるより早く、隊員全員にヘリに乗って救助に向かうよう大声で指示されていたのはどなたです? それも、隊員達の夕食をひっくり返しながら』

「そーそー。おまけに試験の疲れを癒そうと、ぐっすり寝てた俺まで説明抜きに引きずり出しやがってよ。ま、仕事自体は望むところだけどさ」

『や、やっかましい! いいかテメーら、今回の任務でアタイら「レスキューカッツェ」の有り難さってヤツを、スカした金持ち共に見せ付けてやるんだ! そのためにも、ぜってぇに死者は出しちゃならねぇ! 全世界最高峰の「R型ヒーロー」を結集した超エリート部隊のイカした面に、泥塗るんじゃねェーぞッ!』

 

 この生真面目な姿勢に相反する、つっけんどんな口調の持ち主は――フランス出身のフラヴィ・デュボワさん。

 世界に四十人だけ存在する「R型ヒーロー」の中でも、ずば抜けた能力を持つエリートだけを結集した、救芽井エレクトロニクスお抱えの特殊部隊「レスキューカッツェ」のリーダーなのだ。

 ちなみに現在二十六歳独身、彼氏募集中とのこと。

 

「おうっ! ……だけど、随分と火の手が上がってんな。避難状況はどうなってるんだ?」

『はい。先行したヘリの情報によりますと、救命ボートも救命胴衣も足りてるはずなのですが……船内から吹き出ている火災のせいで、乗客も乗員も酷いパニック状態のようで……。動転する余り、胴衣も付けずに海に飛び込んでいる者も多いのだとか。加えて、船体も徐々に傾き出している模様です』

「……ひでぇ。ディヴィーゲマントが多めに配備されてて良かったよ。救命ボートを取りに行くより、こっちで広げちまった方が早いもんな」

『えぇ。全員で一斉に展開すれば、胴衣なしで海に落ちた人数分は拾えるはずです。他の乗員や乗客も、低体温症になる前にマントを補充すれば補えるでしょう。その間に、他のメンバーで火災の鎮火に向かうのが得策かと』

 

 粗暴な言葉遣いが際立つフラヴィさんとは違う、穏やかな物腰と透き通るような囁き。

 その声の主は、アメリカにある救芽井エレクトロニクス本社から出向してきた、「レスキューカッツェ」の副隊長。ジュリア・メイ・ビリンガムさん、二十四歳。

 救芽井エレクトロニクスが創設された当初から、テストパイロットとして着鎧甲冑の量産開発に協力していたというベテランヒーローだ。

 

 彼女達二人は今、俺が乗っているヘリの両脇を挟んで飛行中の、残りの二機に一人ずつ乗っている。それぞれが、ヘリに乗っている他の隊員達を統率する分隊長となっているのだ。

 

 そして俺も、今回は暫定的にその立場に就いて活動することになっている。これまでも、彼女達とこうして一緒に出動することが多かったのが、その理由だ。

 

 センスの古い真っ赤なユニフォームとマントを纏う俺の背には、似たような格好をした女性が数人。

 個人の格闘能力が何より求められる「G型」とは違い、「R型」は身軽さが強力な武器となっているらしく、「レスキューカッツェ」の隊員は全て女性で構成されているのだ。

 

 彼女達の制服はデザインこそ俺と同一のものだが、色調が純白で統一されている、という相違点があった。警察用の「G型」もレスキュー用の「R型」も、俺以外の資格者は全員このユニフォームなのである。

 

 ――つい先日、俺は着鎧甲冑の所有資格に合格し、事実上の最年少資格者になった。しかも、「G型」と「R型」の両方の試験に合格した、初の新人ヒーローとして。

 

 ……にも関わらず、この件はマスコミには公表されておらず、世間でも俺のことはこれっぽっちも話題にされていない。

 着鎧甲冑の資格者が国内から輩出された、ということだけでも号外が出る程の大ニュースだというのに。

 理由は簡単。

 どちらもボーダーラインギリギリの「補欠合格」だったため、授賞式が一年間延期されることになったからだ。

 その時までの間は、正式な資格だけを持つ「見習い」として扱われるため、社長の救芽井甲侍郎さんの判断により、来年まで俺のことは伏せられることになったのである。

 

 つまるところ、俺は正式な資格者としては試用期間中、というわけなのだ。

 ま、何の資格もないのに社長令嬢と仲がいいってだけで、高性能専用機の「救済の超機龍」を使って活動していた去年と比べれば、まだ正当な資格を得たと言える方ではあるだろう。

 

 ……そんなことを思い返しているうちに俺達を乗せたヘリは、例の豪華客船の真上にまで迫ろうとしていた。

 耳をつんざくようなヒステリックな叫び声が引っ切りなしに轟き、俺の意識を一瞬で現実に呼び戻す。

 

『残り百メートル! さァてめーら、腹括んな! デュボワ班は火災の鎮火! ビリンガム班は乗客乗員の誘導! 一煉寺班はディヴィーゲマントで海に漂流してる連中の回収に向かいな!』

『ふふ、了解です隊長。一煉寺様も、準備はよろしいですか?』

 

 ――天を衝くように燃え盛る、全長二百五十メートルの豪華絢爛な船体。逃げ惑う人々の悲鳴が響いて来るに連れて、視界全体に猛火が広がっていくようだった。

 

「……ああ! 一人残らず拾って見せる!」

『よぅーし、その意気だぜ旦那ァ。んじゃあ、行くぜ! 総員着鎧用意ッ!』

 

 その状況に気を引き締め、俺は唸るような声を上げる。次いで、フラヴィさんが通信越しに気合いを入れた瞬間、俺を含む隊員全員が、一斉に「腕輪型着鎧装置」を口元に寄せた。

 

 ……この一年間、「救済の超機龍」として年がら年中、レスキューヒーローとして活躍してきたんだ。この程度の現場、屁でもない。

 プロとして――どんな人間でも救える「怪物」として。絶対に、誰ひとりとして見逃さない。

 

 さぁ……始めるか。

 

『作戦開始ッ! 「レスキューカッツェ」、全員降下だァッ!』

 

 その指示が、下される瞬間。

 

『着鎧――』

 

「――甲冑ッ!」

 

 俺達全員が、同時に同じパスワード音声を腕輪に入力し――レスキューヒーローとしての姿である、パワードスーツを身につけた。仲間達は、純白のスーツ「救済の龍勇者」を。俺だけは、二本の角が付いた深紅のスーツ「救済の超機龍」を。

 そして全員が「着鎧」――すなわち変身を完了させるのと同時に、部隊全体に動きが現れる。

 

 フラヴィさんが紛する「救済の龍勇者」は数名の部下を引き連れ、燃え上がる船上へ一気に飛び込んでいく。着鎧甲冑ってボディラインが露骨に出るから、着鎧する人によっちゃ目のやり場に困るんだよなぁ……。

 

『では、一煉寺様。お先に――』

 

 そして、ジュリアさんも純白のヒーロースーツを纏い、フルフェイスのマスクで顔を覆い隠した仲間達と共に、船の端で逃げ惑う人々の元へ優雅に降り立って行った。

 さながら、地上へ舞い降りる天使達のように。

 

『――ッシャアアァアア! いくぜ野郎共ォオォオオラァッ!』

 

 ……着鎧した途端、フラヴィさん以上に荒ぶり出したジュリアさん本人だけは別として。

 

「よしッ……! 俺達も行くぜッ! 総員降下ッ!」

「はッ!」

 

 そして、隊長と副隊長が無事に船上に着地して、各々の双丘を盛大に揺らしている頃には、俺達もマントを靡かせヘリから一斉に飛び出していた。一人だけ両角の付いた赤い奴が居たり、三分隊で唯一「マント」を装備した集団だったりとイレギュラーな要素があるせいか、乗客達の注目を一番集めているような気がする。

 

 ――余談だが、フラヴィさんとジュリアさんは両方とも部隊随一の巨乳だ。

 加えてどちらも体格や(根っこの)性格がほぼ同じなので、着鎧によって顔が隠れている場合、彼女達を見分ける際には胸の揺れ方を見定めるテクニックが要求されるのである。

 着地時の揺れ幅が大きく、ぶるるんっと派手に揺れるのがフラヴィさん。彼女程の大きさには至らないため、ぷるんっと小さく揺れるのがジュリアさんだ。

 今回は分隊ごとに役割が割り振られてるから、そんなところを見なくてもどっちがどこを担当しているのかはすぐにわかるのだが――今の俺なら、その情報がなくたって二人を判別出来るんだぜ。ドヤァ。

 

「一煉寺分隊長……」

 

 ……などという意味のないスキルに酔いしれてる場合じゃねぇ。なんか後ろの隊員達の視線がヤベェぞ。

 そろそろ――俺も本領発揮と行くか。

 

「各員、ディヴィーゲマント展開ッ! 誰ひとり見落とさないでくれよッ!」

 

 まっすぐに船上へ飛び降りていく他の二分隊とは違い、俺達は船の近くの海上へ降下していた。風を切る音にヘリのローター音がかき消され、視界に大海原が広がっていく。

 

 眼前に迫る、月明かりと炎に照らされた海面。そこへ仮面越しの視線を集中させ、俺は背に纏っていた赤いマントを空中に広げると、ベルトに装着されたバックパックから一本のチューブを引き抜いた。

 そして「救済の超機龍」の特徴である頭部の両角にチューブを繋ぎ、マントにも同様に接続する。

 

 すると、俺の両角に詰まっている「空気」が、マント「だったもの」を際限なく膨らませていく。まるで、風船のように。

 

「おしっ……!」

 

 そして、俺の身体が海に激突するよりも早く――深紅のマントだったはずの物体は、全長二十メートルにも及ぶ、真っ赤な巨大ゴムボートに大変身していた。

 

 ――「R型」の基本装備である、大量の空気を詰めた酸素タンク。それを特殊ゴムで構成されたマントに注ぎ込むことで、巨大かつ丈夫なゴムボートを、一瞬で作り出してしまうのだ。

 いわばこのディヴィーゲマントは、空気を吹き込む前の風船のようなモノなのだ。

 

 俺に続いて飛び降りてきた隊員達も、腰に装備している酸素タンクを自分達の白いマントに注ぎ、次々と真っ白なゴムボートを作りながら海上に着地している。

 ……いいなー、俺なんか酸素タンクが頭の角にしかないから、ゴムボートを作ったら角が萎んで犬耳みたいになっちまうんだぞ。カッコ悪いったらありゃしない。

 

 ――ま、それで助かる命があるなら安いものさ。

 

「よし、全員ゴムボートは用意できたな! これより、乗員乗客の回収に向かう! 船の沈没で渦が出来たら、救助が困難になる! みんな、急いでくれっ!」

「了解!」

 

 俺の指示を受け、隊員全員が声を張り上げる。既にここにいる全ての隊員が、自分が作ったゴムボートの上に着地していた。

 

 今の俺達の使命は、海に投げ出された人々を一人残らず救出すること。特に救命胴衣を持たない人間は、救出を急がなければ力尽きて海に沈んでしまうだろう。

 事態は、一刻を争うのだ。

 

 「なんとしても、全ての人間を救い出す」。

 眼前でもがき苦しみながら、助けを求めて叫びを上げる、夥しい数の人々を目の当たりにして――俺は、己の任務を再確認させられたのだった。

 

「……さぁ、作戦開始だッ!」

 



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第159話 たった一人を助けるために

 ――燃え上がる船上は阿鼻叫喚の煉獄と化し、炎から逃れようとする人々が、次々と海に飛び込んでいく。

 そんな人達を残らず回収していく作業を、もうどれくらい繰り返しただろう。上空のヘリから定期的に補給されるマントの数も、それをボートにする酸素タンクの予備も、そろそろ限界が近い。

 

 苦しい状況だが――死人が一人も出ていないことを考えれば、上手く行っているとも言えるはず。その希望こそが、今の俺達の原動力となっていた。

 

 一方で、火に包まれている船体は船尾から沈み始め、船首が浮き上がる――という現象が発生していた。船が後ろから、海底に引きずり込まれているかのように。

 ……あのままだと、船体が自重に耐え兼ねて二つに折れてしまう。そんなことになったら、近くにいる乗客達だけじゃなく、レスキューカッツェの皆も危険だ。

 

 急がなくてはならない。既に何人もの乗客達が船の床から海面に向かい、滑り始めている!

 

「西条隊員ッ! 俺のボートを曳航して、船尾近くの人達を回収してくれ! 俺は滑ってる連中を受け止めに行く!」

「りょ、了解しました!」

 

 俺は近場にいた唯一の日本人隊員、西条夏(さいじょうなつ)さんに指示を出し、すぐさま自分のボートから船上に跳び移った。

 船はかなり傾斜が激しくなっており、俺が着地した地点から遥か先では、巨大な何かが軋む音が響いている。この船が裂けるのも――時間の問題か。

 

 船上で鎮火と避難誘導を行っていた別動隊も、この事態は予見していたらしい。隊員達は流れ作業のように、広げたマントで滑る乗客達を受け止める行動を繰り返していた。恐らく、フラヴィさんの指示によるものだろう。

 ディヴィーゲマントは、ゴム製ゆえに引っ張れば伸びる。それを応用して、激突や墜落を回避するための即席クッションにも出来るわけだ。

 

 ――っと、感心してる場合じゃないな。セレブな格好したオッサン達が、猛烈な勢いで転がってきている。このまま海面に激突すれば、痛いじゃ済まされん!

 

「ジュリアさん!」

「おぉーう! 一煉寺の坊やじゃねぇか! ちょーど良かったぜぇ、マント引っ張ってくれる奴が近くに居なくってよぉ! ちょっくら手ぇ貸しな!」

「了解ッ!」

 

 本性をさらけ出し、ハッチャケながらも堅実に救助活動を続けていたジュリアさん。そんな彼女と合流した俺は、彼女が手にしていた白いディヴィーゲマントを思い切り掴む。

 そして、その場から飛びのくように床を蹴り、端の手すりに背中を寄せた。さらに両手でマントを限界まで広げて、受け止めの体制を整える。

 

 この準備が完了を迎え、俺が坂道を見上げる頃には、例のオッサン達は既に目前に迫っていた。立て続けにマントを持つ手に衝撃が伝わり、白いクッションがくの字に変形していく。

 いかに超人的パワーを持つ着鎧甲冑といえど、たった二人で十数人の衝突を凌ごうともなれば、その負担は計り知れない。

 マントを持つ手と指の筋肉が、はち切れんばかりの痛みと痺れを訴えていた。

 

「くっ……!」

「……のォオォオオッ!」

 

 しかし、その程度のダメージに屈するわけにも行かない。

 俺が歯を食いしばり、ジュリアさんがけたたましい叫び声を上げる瞬間。クッションが斜めに傾き、勢いを吸収されたオッサン達は、全員死なない程度のスピードで海に向かって転げ落ちて行った。

 

 そうして海に投げ出された人達を、渦に巻き込まれる前に回収するのが、本来の一煉寺分隊(おれたち)の役目だ。今は、西条隊員がそれを担ってくれている。

 俺とジュリアさんで作ったクッションに衝撃を殺されたおかげで、墜落死を免れたオッサン達が、西条さんに回収されている様子が伺える。なんとか上手くやってくれているみたいだな……。

 

「ふうっ……。間に合ったみたいだな。それにしても、滑る連中の流れが止まっちまったみたいだが……?」

「船首近くにいた私の部下共から連絡があった。どうやら、今のが船上にいた最後の成金連中だったらしいぜ。少なくとも今のところは、乗員乗客は全員無事なんだとよ。他に船にいる乗客が居るとしたら、火災から逃げ遅れた奴だけだ。今、フラヴィ班が捜索に向かってる」

「そっか……。無事だといいんだが」

「んな悠長なことばっか吐かしてもいられねーぜ? 船首の傾きがかなりヤバくなってきてる。このまま船体が真っ二つにへし折れちまったら、衝撃でこの辺りのプカプカしてる連中全員がボートごとおだぶつだ」

 

 ――どうやら、状況は芳しいとはまだ言い切れないようだ。ジュリアさんが言う通り、ここでモタモタしていると、せっかく助かった人達が船体崩壊に巻き込まれてしまうだろう。

 既に軋む音は、俺達のすぐ傍にまで迫って来ている。ところどころに大きな亀裂も入りだしたし、もはやいつ裂けてもおかしくない状況だ。

 

「フラヴィ隊長によりゃあ、白人の女性客らしき奴をゴタゴタの中で一人見掛けたらしいんだが……。そいつを追って船内を隈なく捜しても、全く見付けられずにいるらしい」

「その人さえ回収できれば、乗員乗客は全員生還――ってことなんだな。だけど、フラヴィさん達が見つけるより先に、船の方が割れちまったら……」

「……だな。火の勢いも止まる気配はねぇし……今フラヴィ隊長に死なれちゃ、ポーカーのツケも返して貰えねぇ。とにかく、船の近くにいる連中はレスキューカッツェの隊員も含めて、全員退避させるしかねぇな」

「あぁ。さて……」

 

 ジュリアさんの判断に深く頷くと、俺は無数のボートに詰められた溢れんばかりの乗客達を見遣り、腕輪の通信機に口元を寄せる。

 ……ここから一番俺達の近くにいて、通信が繋がりやすいのは――西条さんだな。

 

「――西条隊員、聞こえるか? 船がこのままへし折れたら、衝撃で辺りの皆が巻き添えを喰らっちまう! すぐに分隊全員に、退避するように連絡してくれ!」

『巻き添え……!? りょ、了解です! あの、一煉寺分隊長は……!?』

「あぁ、俺は――」

 

 そこで一瞬だけ言葉を詰まらせ、俺はジュリアさんの方を振り返る。表情こそマスクで見えなかったが、肩を竦めるその仕種には「しょーがねぇ奴だな」というニュアンスが感じられた。

 これから出そうとしている答えを、既に把握しているのだろう。その上で、背中を押してくれているのだ。

 その心遣いに内心で感謝しつつ――俺は、見透かされている答えを述べる。

 

「――俺はフラヴィ斑と協力して、逃げ遅れた人を捜す。まだ、誰かがここに居るらしいんだ」

『ッ!? そ、そんな……危険です分隊長! 今の船内に留まったまま沈没に巻き込まれたりしたら、いくら着鎧甲冑でも……! それに、もう分隊長の角には予備の酸素もないはずですッ!』

「まぁな。……悪い、心配かけちまって。でも、俺はそういう西条隊員の優しさがあったから、今こうして誰かを助けに行ける立場に立ててるんだ。それに、ここで逃げちまったら、俺は一生後悔しちまう気がするんだよ」

『で、ですがッ……!』

 

「大丈夫さ。この『救済の超機龍』のポテンシャルと、隊員皆に鍛えられた俺の力なら、絶対に死なないし死なせない。つーか、俺だって死にたくねぇよ。俺、隊員のみんなが大好きだしな。もちろん西条さんも」

『ふ、ふあぁっ!? ま、ままっ、まぁそこまでおっしゃるなら、分隊長の判断に従いますが……く、くれぐれも無茶だけはなさらないで下さいね?』

「あぁ、絶対生きて帰ってくる! 向こうで待っててくれよ!」

 

 多少渋られはしたが、どうやら西条さんにも、上手く気持ちは伝わったみたいだ。俺は威勢のいい啖呵を切り、通信を終了させる。

 心配させちまったのは気の毒だけど、無茶苦茶だろうが無謀だろうが、着鎧甲冑の資格者として、逃げ出すわけには行かないからな……。

 にしても西条さん、途中から声が上擦り出してたけど、風邪でも引いたのかな? もう春も終わる頃だし、暖かくなって来てるはずなんだけど……。

 

「……かぁ〜、相変わらずだなぁ坊やも。樋稟お嬢様が苦労するわけだぜ。呆れて物も言えねぇや」

「救芽井が苦労……? あぁ、そうだな。あいつが付きっ切りで勉強見てくれたってのに、結果が補欠合格だもんな。申し訳ないって俺も思ってるよ」

「そこじゃねぇえー! ……ハァ、まぁいいか。今に始まったことじゃねーし。――それより、夏も言ってたが無茶ばっかしてんじゃねーぞ。さっき私に通信が来たが、なんでもジュリア班も退避命令を出されて、隊長以外は既に船を出てボートに合流してるって話だ。隊長は意地でも女性客を見つける気でいるぜ」

「そうか。じゃあ、ジュリアさんもすぐに船を出てくれ。俺は例の女性客とフラヴィさんを捜してから脱出する」

「ハッ、臨時隊員の癖に副隊長様に指図か? 坊やも偉くなったもんだ。……まぁ、大人数でドタドタ捜し回っても、船が壊れるのを早めることになりかねないしな。ぶっちゃけ気にくわねーが、まぁ、ここは言うこと聞いてやんよ」

 

 ジュリアさんは腕を組んでたわわな胸を強調しつつ、フンと鼻を鳴らして背を向ける。格下の言いなりになってしまうのは、やはり気に入らないようだ。

 だが、ここに留まってフラヴィさんのサポートに向かいたい、というのはあくまで俺個人のエゴだ。それにジュリアさんを巻き込むわけには行かないし、下手をすれば分隊長三人が全滅する可能性だってある。

 いざという時のためにも、ジュリアさんはレスキューカッツェには欠かせない存在なのだ。自分一人でも助けようとする程の責任感を持つ、フラヴィさんにも劣らないくらいに。

 

 その想いが伝わったのか、肩越しにこちらを一瞥したジュリアさんは再び「しょーがねぇな」と肩を竦めて、俺の傍らを通り過ぎ――

 

「坊やがあと十年くれぇ早く産まれてりゃ、ちったぁ考えてやったのによ」

「……?」

 

 ――要領を得ない捨て台詞を残して、船の外へ飛び出していった。ぷるんと胸を揺らしながら豪快にボートに乗り込む様は、さながら歴戦の女海賊のようだ。

 

 何が言いたかったのかはイマイチわからなかったが……まぁ、それはひとまず置いておくかな。今は――「全て」の人間を救出することに専念しよう。

 

 女性客はもちろん、フラヴィさんも。

 そして、俺自身も。

 

「よし……行くか」

 

 ……目指すは、フラヴィ班が最初に着地していた、船体前方にある内部への入口。

 最後の救出対象を求め、俺は急な坂道となった床を駆け上がっていった。

 



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第160話 存在しない女

 船内全体が天地をひっくり返すかのように傾き、中にあるもの全てが激しく揺らされている。廊下の壁に飾られていた高級そうな絵は無惨に焼け焦げ、シャンデリアは粉々になり、その破片が床全体に散らばっていた。

 豪華客船の船内にある、広大なステージ。恐らく優雅な舞踏会を催すために造られた部屋なのだろう。

 このきらびやかな空間全てが、今は火の海に飲まれ、焼き尽くされている。辺りを見渡してみても――それらしい人影は見当たらない。

 

 ベルトに巻き付けられたバックパックの中にある、チューブが付いたオートマチック式の拳銃。それを引き抜いた俺は、別の廊下に繋がる入り口を塞ぐ炎を狙った。

 そして引き金を引き――白く濁った消火剤を見舞う。たちまち炎は勢いを弱め、叱られた子供のように縮こまってしまった。

 

「……早くフラヴィさんと合流しないと。確かにここに繋がる入り口で、彼女を見掛けたはずなんだが……」

 

 俺は火が小さくなったことを確認し、すぐさまそこを飛び越えて奥へ進んでいく。三年前に銃で撃たれた経験があるから、拳銃型の消火器ってのはどうも受け付けないんだが……この際、なりふり構ってはいられないよな。

 

「しかし、随分と広いな……ここ。まるで迷路だぜ。急がねぇと、俺まで海底にエスコートされちまう」

 

 傾いているとはいえ、まだなんとか歩ける角度ではある――が、このままではそのうち、廊下の壁を足場にして歩く羽目になる。

 そんなところまで行ってしまえば、もはや沈没秒読みも同然。最悪、フラヴィさんも女性客も俺自身も、海に沈められてしまうだろう。

 

 もちろん、そんな結末はまっぴらごめんだ。全員救助で終わらせなきゃ、任務完遂とは言えまい。

 

「フラヴィさん、フラヴィさん! 応答してくれ、フラヴィさんッ! ……くそッ、通信も繋がらねぇ。『救済の龍勇者』の防御力なら、ちょっとやそっとの爆発で命に関わる怪我なんてしないはず。よほどのことがない限り、あの人がどうにかなっちまうわけがない。通信機が熱でイカれちまったってことか……」

 

 ――確かに、ここまで凄まじい火災に出くわしたケースは、俺も初めてだ。

 「救済の超機龍」を預かってから、一年間。色んな事件事故に駆け付けて来たが、こんなに長い時間で熱気に囲まれて活動した経験はなかった。通信機がショートしても不思議はないのかも知れない。

 スーツ自体はまだまだ耐えられるはずだが……問題は沈没までのタイムリミットだけではなくなってきたようだな。

 

「ちっくしょう……! フラヴィさーんッ! 俺だッ! 返事をしてくれーッ!」

 

 可能な限り、大声を上げて返事を求めてみる……が、案の定、効果はない。

 ここにいない、ということは別の部屋なのか? 高級客室やら厨房やら機関室やら、思い当たる場所はだいたい回ったはずなんだが――

 

「おいッ! あぶねーぞアンタ! 今すぐそこから離れるんだッ!」

 

 ――ッ!?

 

「今のは……フラヴィさんかッ!」

 

 行く当てを見失い、どうするべきか考えあぐねていた俺の耳に、聞き覚えのある怒号が突き刺さる。場所は……船内じゃない! 外にいるのか!?

 声が聞こえた方向を探った先にあったのは、外部に繋がる廊下だった。さっきのフラヴィさんの口ぶりから察するに、女性客も外に出ているらしい。

 

 よかった……! なんとか全員水没は免れそうだぞ!

 

「フラヴィさん、かなり焦ってるみたいだった……何があったんだ……?」

 

 ――そうして希望を感じる一方で、焦燥感に溢れていたフラヴィさんの声色に、俺は一抹の不安を感じていた。彼女の切迫した叫び声から察するに、女性客が危険な状況なのかも知れない。

 

 何が起きているのか。何が起ころうとしているのか。その真相を突き止めるべく、俺は燃え盛る廊下を駆け抜けて――一気に外へ飛び出した。

 

「なっ……!?」

 

 そこで、目にしたのは。

 

 女性客が火に囲まれ、窮地に陥っている――のではなく。

 

「――来ましたね」

 

 上の階の手すりに腰掛け、足を組み、悠然と佇む姿だった。少なくとも火災に巻き込まれ、逃げ遅れた人間が見せる様子ではない。

 熱風に煽られ、流水のような曲線を描いているブロンドのロングヘアからは、優雅な印象すら感じられてしまう。

 

 外見は……二十代後半くらいだろうか。黒いロングコートで全身を覆う姿からは、ミステリアスな雰囲気が滲み出ている。

 組まれた足は滑らかなラインを描く一方で、かなりの長さであり、長身の持ち主であることが窺い知れる――かな。

 

 こちらを見詰めている鮮やかな碧眼は、自身の周囲を焼き尽くしている炎のことなど、まるで意に介していない。女性客はまるで高見の見物でもしているかのような物腰で、俺達を手すりの上から見下ろしている。

 

 ……だが、「来ましたね」ってのは……どういうことなんだ? やけに落ち着いている上に、まるで俺を待っていたと言わんばかりの口ぶりだ。

 

 穏やかで優しく、それでいて相手を捉えて離さない。そんな逆らえない何かを刻み付けるような――不思議な声色だった。

 何者も寄せ付けない煌めきを漂わせる白い肌には、何の外傷も見られないし、怪我はしていないようだが……だからといって、この落ち着きは普通じゃない。

 

 ――まるで、自らの生還が確定しているかのような佇まいではないか。

 

「フラヴィさん、彼女は……!?」

「おっ……おお!? 旦那か! なんだってこんなところまで――って聞いてる場合じゃねぇな。残りの乗客は彼女だけなんだが、どうも様子が普通じゃねぇんだ。見りゃわかると思うが……」

「ああ。あんなに炎に囲まれてるってのに、全然取り乱していない。手すりにまで追い詰められてるって事態に気づいてないのか……!?」

「いや、そんなはずはねぇが……とにかく、ほっといたら火炙りにされちまう。あの勢いの炎に迂闊に飛び込んだら、着鎧甲冑だってタダじゃ済まねぇし……旦那! こうなりゃ飛び降りさせて、マントで受け止めるしかねぇ。手伝いな!」

 

 女性客の背後を包んでいる猛火は、数メートル以上の高さに及んでいる。

 フラヴィさんの言う通り、上の階に飛び乗って助けに行くにはリスクが高すぎるだろう。熱を帯びたスーツで彼女に触れたら、深刻な火傷を負わせてしまう可能性もある。

 

 それならば、彼女に手すりから飛び降りて貰い、下の階にいる俺達で受け止める方が安全――ということだ。

 俺はフラヴィさんの判断に強く頷くと、彼女が手にしていたディヴィーゲマントを引っつかみ、ジュリアさんの時と同じ要領でマントを広げる。

 

 女性客側に飛び降りる勇気を要求することになってしまうが、これなら確実だ。俺達がいる階は、まだそこまで火は回っていない。上の階に向かうよりは、安全に女性客を保護できるだろう。

 そうすれば、後はフラヴィさんの酸素タンクでディヴィーゲマントをボートにして、三人でそれに乗り込んで脱出するだけだ。

 

「そこのあんた! このマントが見えるか!? 怖いかも知れないが、ここに向かって飛び降りてくれ! 絶対に、俺達で受け止めるから!」

 

 得体の知れない女性客だが、助かりたい気持ちがあるなら、誘いに乗ってくれるはず。俺は彼女に自殺願望等がないことを祈りつつ、マントを靡かせて救出準備があることを強調するように叫んだ。

 

「……」

 

 ……だが、女性客は何の反応も示さない。すぐそこまで火の手が上がっているというのに、興味なさげな視線をマントに向けている。

 生還することを諦めているのだろうか。だが、それにしては全く目が死んでいない。つくづく、得体の知れない女性だ。

 

「おいっ! 聞こえてんのか!? 怖がんなって、アタイらがぜってぇ助けるからよ! そこにいたらどっちみち死んじまうんだ! 飛び降りさえすりゃ、アンタは絶対に助かる! 絶対だ!」

 

 フラヴィさんも懸命に説得に掛かっている――が、女性客の反応は相変わらず淡泊そのもの。そうしている間にも、炎はジリジリと彼女に迫ろうとしている。

 

「くっ……! あのままじゃ助からねぇ! こうなりゃ危険だろうが何だろうが、上の階まで行って引っ張り出すしかねぇぞッ!」

「待ってくれフラヴィさん! 『救済の龍勇者』の耐久力で持つかどうかはわからない。ここは一番頑丈に出来てる俺が行く!」

 

 俺はマントによる受け止めを諦め、上の階に飛び乗ろうとするフラヴィさんを腕で制止し、一歩前へと進み出た。

 ――その時だった。

 

「意味があるのでしょうか? そんなことのためだけに――着鎧甲冑の力を行使して」

「……!?」

「救うことよりも、壊すことの方が何倍も簡単だというのに。着鎧甲冑は今まで大勢の命を、そうやって助けてきた。その力の用途が武力に向けられた時のことを、考えてみたことは……ありませんか?」

「な、何を言って……!?」

 

 女性客がようやく口を開いたかと思えば――出てきたのは、着鎧甲冑についての話だった。救うだか壊すだかよくわからんが、今はそれどころじゃないはずなのに。

 ……しかし、なんだろう。同じようなことを、以前にも聞いた覚えがある。この話はまるで……?

 

「いつか着鎧甲冑は、兵器になる。平和利用のために生まれてきた技術は、全てその道を辿ってきた。今は綺麗な仮面を被っていても、いつかは必ずそれを剥がされる。……あなた達はそれでも、救芽井家の高尚な理念を守り通せるのでしょうか?」

 

 女性客はそんな俺の思案をよそに、今度は手すりの上に両足で立ち上がっていた。漆黒のロングコートと金色の長髪が、風を強く浴びて旗のように靡いている。

 この行動に危機感を覚えた俺は、一気に引き返して再びマントをつかみ取る。それと全く同じ動きを見せるフラヴィさんも、同様の危惧を感じていたようだ。

 

「まさか飛び降りる気か!?」

「マントを広げるぞ! 急げ旦那ッ!」

 

 俺とフラヴィさんは示し合わせるように、同時に白いマントを精一杯広げた。

 ますます大きくなっていく、船体が裂ける轟音のせいで女性客の話はよく聞き取れなかったが――今は彼女の言葉に耳を傾けている場合じゃない。

 

 そして、そんな俺達を一瞥した女性客は――

 

「私は、それを知りたい」

 

 ――小さな声で、何かを呟くと。

 

「なぁッ……!?」

 

 飛び降りてしまったのだ。俺達どころか、この階の手すりまで越えて、船の外にまで。

 普通の人間なら有り得ない跳躍力。それを見せ付けられた俺達は、一瞬だけ呆気に取られてしまったが――

 

「くッ……!」

「な、なんてこったい!」

 

 ――すぐさま我に返り、彼女を視線で追うべく後ろを振り返った。そして手すりに駆け付け、そこから海面を見下ろした……のだが。

 

「い、いないッ!?」

「そんな……どこへ!?」

 

 彼女は、既に姿を消していた。

 

 ただ飛び降りただけなら、海面に衝突して水しぶきを上げるはず。だが、そんな衝撃音は聞こえてこなかったし、それらしい波紋も伺えなかった。

 そもそも、この高さなら今も落下中のはず。彼女が飛び降りてから俺達が反応するまで、二秒も経っていないのだから。

 

 本当に、何の痕跡も残さず。姿も見せず。

 まるで、そんな人間は初めから存在していないのだと、錯覚させるように。彼女は、自らの存在を消し去ってしまったのだ。

 

「な、なんなんだよ、一体……!?」

「彼女はどこへ……!?」

 

 さすがにこんな事態に出くわすのは、俺達も初めてだった。思わず互いを見合わせて、海面を二度見してしまう。

 ――だが、もう俺達にはうろたえるだけの猶予も残されてはいなかった。

 

「うッ! こ、この揺れは……!」

「まずい! もう船が割れちまう……! こうなっちまったら、もう逃げるしかねぇ! 悔しいが――脱出するぜ、旦那ッ!」

「……あ、あぁ」

 

 俺達が立っている、船体前方。今まで軋み続けていたその床が、とうとう限界に達したようにひび割れ始めたのだ。傾斜もますます酷くなるし、そろそろ両足で立つのも無理になってきている。

 これ以上の救助活動は――もう、無理か。

 

 一方、フラヴィさんは一足先に、マントを膨らませながら外海に飛び出していた。

 俺がそれに気づいた頃には、既に彼女はゴムボートを完成させつつ、ぶるるんっと胸を揺らしてそこに着地していたのだ。

 

「……くッ!」

 

 そして、後ろ髪を引かれる思いで――俺もボートに向かって跳び、船外へ脱出する。

 

 次いで、とうとう船体の前方がへし折れてしまい、前半分が海面に落下した衝撃が、津波のような波紋を生み出してしまった。

 全てを飲み込むような轟音が、俺達に覆いかぶさって来る。もはや、逃げ場はない。

 

「来やがった……! 旦那ァ、しっかり掴まんなッ!」

「お、おうッ!」

 

 俺達はその波の迫撃を受け、懸命にボートにしがみつく。

 そしてこの勢いを受けて、俺達二人を乗せたボートは、仲間達が脱出した方向に押し流されて行くのだった。

 

 その刹那。

 

 俺の視界には――満月を横切るように飛ぶ、青白い光が映されていた。まるで、一条の流星のような……まばゆい輝きが。

 

 ――こうして、この救出作戦は一人の行方不明者を除き、全員が生還を果たす――という形で決着を迎えた。

 

 確かに、あの状況でほとんどの乗客達が生き残れたのは奇跡と言っても過言ではない。今回の事故に於ける「レスキューカッツェ」の活躍は、正しく後世に残る偉業となるだろう。

 

 しかし、俺の気持ちは晴れなかった。

 

 行方不明者を出してしまったことだけではない。その女性の身元を掴めなかったことが、気に掛かって仕方がないのだ。

 

 救出作戦後、乗客名簿等の記録で、死者や行方不明者を確認した際――「全員生還」という結果が出されていた。

 

 つまり。

 

 あのロングコートの女性は――名簿に載っていなかったのだ。

 

 船に乗っていないはずの、女性の失踪。その事実は報道されず、現在は「乗客達全員が奇跡の生還を果たした」という結果のみが公表されている。

 

 あの人は一体――誰だったのだろうか。

 



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第161話 盟友は社長様

「そうか……そんなことが」

「あぁ。今、フラヴィさんが調査中なんだけど……あなたは何か知らないか? 甲侍郎さん」

 

 大理石の床を一面に敷き、整然としている一室。この社長室の外から窺えるのは――ところ狭しと立ち並ぶ、数多のビル。

 

 そして、大都会を織り成すその景色を一望できる、透き通ったガラス張りの壁の近くには――長身の男性が手を後ろに組んで、静かに佇んでいた。

 

 茶色の短髪に、縁の四角い眼鏡。ベージュのスーツに、老練な印象を漂わせる端正な顔立ち。ナイスミドル――とでも云うのだろう。

 

「『密航者』の線が濃厚ではある……が、十数メートルを越える跳躍力や瞬時に姿を消す現象など、君から聞く話だけでは実態を掴めない情報が多い。ひとまずその女性の身元を確かめるなら、あの船の出航時に近場にいた人間の中から、近い者を洗っていくしかないな」

 

 その人物――救芽井エレクトロニクス社長・救芽井甲侍郎は、ガラスに映る俺の顔を見詰めながら、ゆっくりと口を開いた。

 若くして着鎧甲冑を発明した天才科学者にして、その製造を請け負う救芽井エレクトロニクスの社長まで務めている。なんでもあり、という言葉が服を着たような人物だ。

 

 つい最近に資格を取ったばかりの俺が、それ以前から高性能機の「救済の超機龍」を預かっているのも、彼からの信頼によるものが大きい。そんなに大した恩を着せた覚えはあまりないが。

 

「そう、か……。ありがとう、甲侍郎さん」

「礼などいい。身元不明の行方不明者を出しておいて『全員生還』など、私にとっても望ましい話ではないからな。……だが、今回の件での君と『レスキューカッツェ』の働きは実に見事だった。彼女達もそうだが、『救済の超機龍』の名も、今や世界中に轟いている。出来れば『最年少資格者』であるという点も含めて、君自身のことも報道したかったのだがな……」

「いいさ、別に。ギリギリの補欠合格じゃあ格好が付かないし、あんまり注目されても小っ恥ずかしいからな」

 

 俺から視線を外した甲侍郎さんは、澄み渡る青空を見上げる。その穏やかな眼差しは、遠く離れたどこかを見詰めているように見えた。

 

「――君と初めて出会ってから、もう三年か。思えば、随分と逞しくなったものだ。あの小さな少年が今や、世界に知られる正真正銘のスーパーヒーローなのだからな。……ところで、今月で十八歳になるのだったかな?」

「ああ。久々に家族で集まって、ゆっくりしようって話になってる」

「ふふ、そうか。出来れば我が救芽井エレクトロニクス主催の、誕生日パーティーを開こうと思っていたのだが……家族水入らず、とあらば私の出る幕はあるまい。御家族と共に、幸せな時間を過ごすといい」

「うん。……ありがとうな」

 

 俺が生まれる少し前、甲侍郎さんは母親を災害で亡くしたのだという。彼が着鎧甲冑を作ろうと思い立ったのも、それがきっかけだったそうだ。

 そんな彼にとっては、やはり「家族」という響きには特別な想いがあるのだろう。俺の都合を優先してくれたのも、それゆえの心遣いなのかもしれない。

 

「ところで――だ」

 

 すると、そこで甲侍郎さんの声色が急に重々しくなり……こちらへ振り返った時には、やけに鋭い目付きに変わっていた。

 

「娘とは、最近はどうなのかね?」

「え? きゅ、救芽井と?」

「……まだファーストネームすら呼んでいないのか。君は他の女性に対しても基本的にはそうらしいが、そろそろレディの扱いに慣れてきてもいいのではないかな? 樋稟はああ見えて繊細な娘だ。そろそろ君に会いたがってそわそわし始める頃だろう」

「あ、あはは。わかってるって。このあと、ちゃんと会いに行くよ」

「たまに私は思うのだが……君は娘以外にも気にかける娘がたくさんいるのではないかね? 力のある男の一つの生き方として、愛人や妾を囲うこともあるにはあるのかも知れんが――娘を蔑ろにするようなことだけは、君といえど許容するわけにはいかんな」

「イ、イエッサー……」

 

 獲物を射止める狩人のような、刺々しい視線。世界中の注目と称賛を集める救芽井エレクトロニクスの社長というだけあって、その威圧感は計り知れないものがあった。

 ――そう。俺は彼の娘、救芽井樋稟の婚約者ということになっているのだ。ほぼ一方的な形ではあるが。

 

 三年前、救芽井家の危機を救った俺は、娘の裸を見た件について甲侍郎さんに散々詰め寄られ、責任を取るように脅されたのである。

 一年前に起きた「ある事件」以来は負い目を感じているのか、そこまで結婚を迫るようなことは言わなくなってきているが――やはり娘が心配なのか、度々こうして俺の監視のために来日してくるのだ。

 

 彼の都合に合わせてスケジュールを何度も組み直している、アメリカ本社の方々の苦労は察するに余りある。ここ、日本支社の社員や幹部達も、いきなりトップに来日されて大騒ぎだったらしいしな。

 ――ま、俺が原因なんだけどね。全世界の救芽井エレクトロニクス関係者の皆様、ごめんちゃい。

 

「……まぁ、君も樋稟もまだ若い。様々な経験を重ね、将来を見定めるのも悪くはないだろう。とにかく、今回はご苦労だった。まさか合格が確定した夜に、正式な資格者としてのデビューを果たすことになろうとはな」

「はは、俺も驚いてるよ。ゴールデンウイークを全部潰して東京に来て試験を受けて、無事に合格して『明日帰るぜー』ってところで、夜中にフラヴィさんに叩き起こされたんだもんな」

 

 高校三年になった俺は着鎧甲冑の試験を受けるべく、仲間達と共にゴールデンウイークを利用し、この東京に設立されている救芽井エレクトロニクスの日本支社に赴いていた。

 

 そこでの基礎体力試験や救助活動試験、格闘能力試験をくぐり抜け……筆記試験でちょっとだけ躓いたものの、なんとか着鎧甲冑の所有資格を獲得するに至ったのである。

 

 そして、明日になったら大手を振って我が家に帰ろう――と思った矢先で、あの事故だったのだ。

 フラヴィさんにバックドロップで起こされたのは少々堪えたが、背中に当たるマシュマロの感覚を味わえたことだし、それに関してはプラマイゼロってことにしておこうと思ってる。

 

 また、あの事故の原因になった爆発についても、現在調査が進められているらしい。

 何が原因であんなことになったのかは知らないが、いつも俺達がなんとか出来るとは限らないわけだし、造船会社の人達にはもうちょっと頑張って貰いたいところだよな。

 

 ――っと、そろそろ仲間達と一緒に地元に帰る時間だな。あんまり皆を待たせちゃ悪いし、もう行かねぇと……。

 

「……ふっ。卒業後に我が社に来るなら、状況に応じて深夜に出動する機会も増えるだろう。今のうちに慣れておいた方がいい。――さて、そろそろ時間だな。では、今後の健闘を祈る」

「ああ、失礼する。……またな、甲侍郎さん」

 

 ……っていう俺の心境は、甲侍郎さんにはお見通しだったようだ。顔や仕種にでも出ていたのか、こちらに向かって苦笑しながら出発を促して来る。

 その心遣いに感謝しつつ、俺は一礼すると踵を返し、仰々しい程に大きな扉を開いて社長室を後にした。

 

「さて……行くか。皆、待ってるしな」

 

 社長室を出た先の広々とした廊下は、貴族が暮らす王城のように、きらびやかに造られている。

 あの豪華客船にも劣らない鮮やかさを持つ、この日本支社の出来栄えを眺めながら、俺は「仲間達」が待つラウンジへと向かった。

 



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第162話 女性、それ即ち恐怖の権化なり

 社長室と同様、都会の絶景を一望できるラウンジ。そこに置かれた幾つものソファーの上で、彼女達は待ってくれていた。

 青空を背景にして俺の視覚に映り込む、そのシルエットを認め――俺は声を上げる。

 

「おーい、お待たせ!」

 

 その瞬間、そこにいる「仲間達」が、一斉にこちらを振り向いたのがわかった。

 彼女達のうちの二人が眩しい微笑みを浮かべ、頬を緩ませていることも。

 

「龍太君、お疲れ様!」

「やっと終わったん? 長かったなぁ」

「はは……甲侍郎さんの話が短い時なんてそうそうないだろ」

「それもそうね。お父様、話に熱が入ったら全然止まらないんだから。とりわけ、今回の件ではいよいよ『救済の超機龍』も世界的に有名になったんだし。今はどこのニュースも『レスキューカッツェ』やあなたのことで大騒ぎよ」

 

 茶色のショートボブに、深窓の令嬢を思わせる白い柔肌。滑らかな曲線を描くボディラインと、九十センチを越えるたわわな双丘。そして僅かにあどけなさを残しつつ、凜とした面持ちを持つ美女――救芽井樋稟。

 

 救芽井エレクトロニクスの社長令嬢……つまり、甲侍郎さんの娘なのだ。

 二年前に救芽井エレクトロニクスが創設された頃から、着鎧甲冑で人々を救い続けてきたことによるヒーロー性と、その生まれながらの美貌により、アイドル的な人気を博している。

 

「やけど、昨日は大変やったなぁ。合格やー! ってお祝いしたかったけど、あんたは疲れてさっさと寝てまいよるし……と思ったら、夜中に叩き起こされていきなり出動やし、変な女の人は出るし」

「まーな。けど、プロになったんだからこれくらいで動じちゃいられないさ。ここまで来れたのも、お前が勉強見てくれたおかげだぜ、矢村」

「もっ……もぉおー、しょうがないやっちゃなー龍太は! そそ、そんなに褒めたって何も出んのにぃっ!」

「賀織。頬、緩みすぎっ!」

 

 その隣からちょこんと顔を出しているのは、小麦色に焼けた健康的な肌と真っ黒なセミロング、そして口元から覗く八重歯が特徴の顔なじみ。

 俺と同じ中学出身の、矢村賀織(やむらかおり)だ。中学生のような童顔からは想像もつかないが、一応は俺と同い年である。

 それにしても十八歳としてはかなり小柄な部類だったり、快活な性格の割に胸が控えめだったりと、イロイロと大人っぽい救芽井とは対照的な部分も多い。

 

 ……が、俺から見れば異性としての魅力は、救芽井と遜色ないように思う。

 

 そう感じてしまうのは、やはり一年前に彼女とファーストキ――い、いや、やめとこう。意識したら顔が見れなくなる。

 

「……えっち……」

「なっ、何をッ!?」

 

 そんな俺の思考を読み取るように、痛烈な一撃をかます者がいた。

 

 彼女達の中で唯一ニコリともせず、一瞬だけ読書を中断して俺を見てから、再び本を開いているこの少女。

 

 その名は、四郷鮎子(しごうあゆこ)。俺達の一個下の後輩として、一年前に転校してきた無口な娘だ。姉と二人で、救芽井エレクトロニクスの開発部に協力している天才少女、という意外な一面も持ち合わせている。

 

 流水を彷彿させる水色の長髪を、一束に括り右側に垂らしている髪型と、真紅の眼。雪のように白く艶やかな肌に、黒い丸渕眼鏡。矢村以上に幼い体つきと、人形のような端正なる顔立ち。

 その普通の少女とは掛け離れた外見と、冷たい鉄のような無表情の相乗効果により、彼女という存在はこの空間の中に於いて強烈な異彩を放っている。

 

 だが俺達は、この鉄仮面のように固い表情の奥にある、友達思いな気持ちの存在を知っている。ゆえに彼女を恐れることも、避けることもないのだ。

 

 ――だからといって、いきなり「えっち」などという人聞きの悪い言い方をされるのは心外だ。俺はただエロゲーを嗜む変態なだけだというのに。

 

 なお、余談になるが彼女は正確には「少女」ではない。戸籍上や外見こそ十代の少女そのものだが、実年齢は二十六歳に達している。

 この容赦のないオーラも、年の功によるものなのかも知れない。

 

「……女性の年齢に触れるのも禁止……」

「触れてない! 口にすら出してない! ――だいたい、さっきから四郷先生は何を読んでいらっしゃるんだ?」

「……そういう詮索も控えるべき……」

 

 とは言え、このまま言われっぱなしなのも辛い。俺は彼女の読心攻撃を回避するべく、話題のすり替えを敢行する――が、なぜかそれすらも咎められてしまった。

 だが、小さな背中で本を隠す仕種や、桃色に染められた頬を見てしまうと、どうしても知りたくなってしまうな。いたずら心を刺激されているのかも知れない。

 

「ふっふっふ。そう言われるとますます知りたくなってしまうのが男の性! ……そぉい!」

「あっ……!」

 

 俺は彼女の細い肩に手を置くと、ぐいっとこちらに引っ張りながら顔を突っ込んでいく。彼女の肩から、本を覗き込むような格好だ。

 

「んッ! あ、ふぁあ、ああぁっ……! 龍太先輩、ち、近……いっ……! 肩、触っちゃ、ら、めっ……!」

「あれ? これって俺ん家に置いてたのと同じ漫画じゃん。四郷ってこういうのも読むのか」

「……せ、先輩と、同じ話題、ほ、欲しかった、からっ……! お、お願い、離してッ……! も、もう、ボク、もうダメぇえぇッ……!」

 

 すると意外なことに、彼女が読んでいた本が少年漫画であることがわかった。普段は機械工学だか生物学だかの難しい本ばっかり読んでるから、こういうのは読まないイメージだったんだけどな。

 ……まぁ、官能小説だって嗜んじゃうムッツリさんなんだし、これくらいは守備範囲なのかもな。

 

「懐かしいなー、昔は兄貴と一緒に近くの本屋に買いに行ってたんだっけ。打ち切りになっちまったのが惜しかったんだよなー」

「あっ、ん、はぁああ……! イッ、あ、あぁあ……!」

「ははは、あったあった、この超展開。兄貴と二人で『そりゃねーだろ』って突っ込んで――フブッ!?」

「『そりゃねーだろ』はこっちの台詞やッ! 見てみぃ、鮎子がクタクタになっとるやろっ!」

 

 だが、どうしたことか。この体勢で懐かしの漫画を堪能してる最中に、矢村からいきなりチョップを貰ってしまった。

 ――そこで俺は、自らの過ちに気づいてしまった。

 

 眼前には、俺の胸元に身を預け、ぶるぶると痙攣している四郷の姿。そう、彼女に迂闊に触れてしまうと、こうなってしまうのだ。

 詳しいことは俺もわからないのだが、彼女の姉によると「ビンカンスギテダイスキナリュウタクンニフレラレルダケデイッチャウ病」という皮膚の病らしい。

 俺が触れている場合に限り、高熱を発するという何とも奇怪な病気なのだ。桜色の唇を淫靡に震わせ、荒い息遣いで喘ぐ様子からは、えもいわれぬエロスを感じてしまう。頬を染めて、何かに打ち震えるように身じろぎする様は、まるで……。

 

 ――だが、病人にそんなヨコシマな感情を抱いている場合じゃない。

 

「わわ、悪い悪い、うっかりだったよ」

「……先輩は女の敵。何度こうして寸止めされたか……」

「寸止め……? ま、まぁ今回のところは勘弁してくれよ。昔の漫画が懐かしくてつい、さ」

「……今度、一緒に漫画を読むと約束するなら考える……」

 

 俺はすぐさま、彼女を静かにソファーに寝かせてその場を離れる。すると、真っ赤になっていた彼女の顔はみるみる元通りになっていき、息もあっという間に整ってしまった。

 ――これで治るんだから不思議だ。確か、四郷の心理状態が関係しているらしいんだが……何がスイッチなのだろう?

 

「全く……こんなスケコマシ君が今や世界的なヒーローなんだから、世も末よね。賀織」

「同感やでー、樋稟。去年のクリスマス頃なんか、自分が命懸けで助けたイギリス貴族のお嬢様に、英語で逆プロポーズされても『ワターシエイゴワカリマセーン!』とか言い出して逃走しよったもんな」

 

 ……つーか、何か後ろでものすごく俺が罵倒されてる気がするぞ。それにお前ら、いつから名前で呼び合う仲になったんだ。

 女子の団結力って……怖い。皆が黒いレディーススーツなのに対して、俺だけが赤くて古臭いユニフォームなのも相俟って、強烈な疎外感を植え付けられてしまいそう。

 

「ところでさっきから聞こうと思ってたんだけど、久水先輩は何処に行ったんだ? 皆ここにいるって聞いたんだけど……」

 

 ――そこで俺は、一人の女性の話題を出した。あの恐ろしい団結の枠に収まっておらず、唯一この場にいない最後の「仲間」。

 俺達、松霧高校(まつぎりこうこう)着鎧甲冑部(ちゃくがいかっちゅうぶ)」の「OG」の話題を。

 

「梢先輩なら、今さっき傘下の企業から電話が来たって言って、席を外したところよ。松霧高校を卒業して久水財閥での仕事を本格再開してから、随分と忙しくなったみたいね」

「救芽井エレクトロニクスのスポンサーになってからの一年間、久水財閥は大活躍やったからなぁ。去年は『G型』と『R型』を合わせても二十五台しかなかった『救済の龍勇者』が、今や全部で八十三台やもん。梢先輩と茂さんの財力は、やっぱし半端やないなぁ……」

「そっかぁ……。あの人にも試験勉強で世話になったからなぁ。昨日は合格発表が済んですぐに寝ちまったし、ちゃんと礼ぐらい言わねぇと」

「……礼の代わりにやらしいこと要求されたら、ぶっ叩いてええからな? 本人は悦びそうやけど」

「……梢ならありえる……」

 

 残る最後の仲間、久水梢(ひさみずこずえ)は一歳年上の幼なじみ。資産家の兄・久水茂(ひさみずしげる)と一緒に、日本有数の大財閥「久水財閥(ひさみずざいばつ)」を率いている敏腕秘書でもある。

 彼ら兄妹が救芽井エレクトロニクスのスポンサーとして活躍したことにより、着鎧甲冑のシェアは大幅に広がり、日本を始めとした多くの国々に支社を建てることが出来たのだ。さらに久水財閥自身も救芽井エレクトロニクスとの共同事業が成功したことにより、日本財界のトップにのし上がったらしい。

 加えて、兄の茂さんは俺が先日に資格を取るまで、最年少資格者の座を欲しいままにしていた文武両道の天才でもある。どこまでもチートな兄妹、ということだ。

 

 一方で、そんな二人が兄妹揃って「性欲旺盛なド変態」であるという事実を把握しているのは、恐らく俺達くらいのものだろう。

 

 ……しかし矢村さん。ぶっ叩いても悦びそうってのは言い過ぎではないかね。久水先輩に関しては、言い過ぎに聞こえないのが一番の問題なんだけどさ。

 

「おお、これはこれは! 救芽井樋稟様ではありませんか!? いやはや、お目にかかれて光栄です!」

 

 ――その時。

 やけに大きく野太い声が、このラウンジに響き渡った。この声――どこかで聞いたことがあるな。

 

「あなたは……?」

「あぁ、失礼、申し遅れました。先日、危ないところをかの『レスキューカッツェ』の皆様に助けて頂いた者でしてな。直々にお礼をと参った次第なのですが……まさか、ここであの救芽井樋稟様と出会えるとは! これも何かの縁でしょう。もし宜しければ、今度開かれるパーティーにお招きしたいのですが……!」

「は、はぁ……」

 

 薮から棒にこの場に現れたかと思うと、いきなり救芽井の手を掴んで熱い視線を送り始めた、ぽっちゃり体型の男性。恐らく年齢は五十代くらいだろうか。

 やけにきらびやかな格好で、いかにも中世の貴族って風貌だが……あ、思い出した。確かこのオッサン、昨日の事故で転がってきた人達の中にいた一人だ。

 

 昨日の今日でここに顔を出す辺り、どうやら怪我は全くなかったらしい。助けた身としては、嬉しい限りだ。手を握られている救芽井は若干困り顔ではあるが。

 

 ……しかし、あれだな。仮にも婚約者の立場である俺が、ここで黙って見ているのは問題だろう。

 彼のように、救芽井エレクトロニクスに取り入ろうと頑張ってる人達にとっては、俺は相当な嫌われ者らしいが……やるしかない。

 

 俺は彼女の手を掴んでいる貴族様の大きな拳に、ゆっくりと掌を乗せる。その途端、先程まで満面の笑みを見せ付けていた貴族様の表情が、瞬く間に不機嫌なものに変貌してしまった。

 

「失礼。樋稟お嬢様がお困りのようですので、どうかその辺りで……」

「な、なんだ貴様は。ふざけた格好をしおって。庶民風情が、気安く私に触れるでない!」

「……やめてください。龍太君は、あなたが思うような人ではありません」

「りゅう……? そうか、貴様があの……!」

 

 次いで、唾でも飛び散りそうな勢いで罵声が飛び出して来る。後ろでは、突っ掛かろうと暴れる矢村の口を、四郷がチョークスリーパーをキメながら塞いでいた。

 ……よくあることだ。中流家庭の出身でありながら、救芽井樋稟の婚約者であり、「救済の超機龍」の持ち主でもある。そんな俺が、こういう場で金持ち連中からのやっかみを買うことは、今に始まったことではないのである。

 

 救芽井から「救済の超機龍」を貰ってから、一年間。俺は地元の松霧町(まつぎりちょう)を拠点にした上で、色々な場所でレスキューヒーローとして活動してきた。

 こうして東京の支社に来ることもままあるし、訓練の一環として外国にだって出向いていた。そうなれば救芽井に付き合って、上流階級の人間と絡む機会も増えるわけで。

 救芽井エレクトロニクスの名声や、救芽井の美貌を求める彼らからすれば、そんな俺は邪魔者でしかない。ゆえに俺は、こういう人達からはしょっちゅう憎まれ口を叩かれる羽目になるのだ。

 

 たまには、以前助けたイギリスのお嬢様のように、認めてくれる人もいるにはいるんだが……どうも、嫌われる時は徹底的に嫌われてしまうものらしい。

 

「樋稟お嬢様! こんな薄汚い小僧に騙されていては、救芽井エレクトロニクスの名に傷が付いてしまいますぞ! さぁ、私と共に参りましょう。美丈夫で有名な私の息子も、あなた様に会いたがっておりますゆえ……」

「結構です。あなたの御子息がどのような美男子であれ、私は興味を持てません。子は親の背を見て育つもの。――あなたの背を見て生きてきた御子息と、話が合うとは思えませんわ!」

「な、なっ……!」

 

 先程までは、ぎこちなくとも社交的な笑みを浮かべて接していた救芽井だったのだが……気が変わったのか、俺が蔑ろにされた途端に口調が刺々しいものに激変してしまった。

 加えて、その瞳も以前とは打って変わり、悪に立ち向かうヒーローのような、毅然たるものへと変化している。その威勢に気圧されたのか、彼女の手を無理矢理引こうとしていた貴族様は、思わずのけ反ってしまっていた。

 

 その光景を目の当たりにして、後ろでモゴモゴと暴走していた矢村も、ようやく静かになる。フンスと鼻を鳴らす彼女の後ろでは、四郷がやれやれとため息をついていた。

 こういうやり取りは、今までに何度もあった。その繰り返しに辟易してしまった、というところなのだろう。

 

 いつもなら、ここで金持ち側が泣き声を零しながら帰っていく流れだ。この貴族様も救芽井の敵意にビビってしまっている様だし、そうなる可能性はかなり高い。

 

 ――だが、今回だけは。いつもとは少し、違っていた。

 

「よぉーう、旦那じゃねぇか。相変わらず無自覚に女侍らせてんなー……あ?」

 

 銀髪のショートヘアに、青い瞳。ボーイッシュな雰囲気とは裏腹に、ぶるるんっと出るところが出ている、長身のフランス人美女――フラヴィさん。

 

「あらあら、お取り込み中ですか? 一煉寺様。うふふ」

 

 ウェーブの掛かった、金髪の艶やかな長髪を彩る、エメラルドの瞳。穏やかな微笑みの裏に、フラヴィさんを凌ぐ威厳を秘めた麗顔。そして、ぷるんっと可愛く揺れる胸がチャームポイントのアメリカ人――ジュリアさん。

 

 ……そして。

 

「ふぅー……お待たせ致しましたわ、皆様。ようやく面倒なブタ共の調教が終わったざます。――ん?」

 

 濃い茶色で描かれた、流麗なる川のようなストレートロング。翡翠色に煌めく、鋭い瞳。一メートルを越える、超凶悪にして頂点を極めし巨峰。扇情的なまでに艶やかな曲線を描く、魅惑のボディ。

 そして、いかなる汚れや下賎な者も寄せ付けまいと輝き、圧倒的な妖艶さを漂わせる絶世の美貌。

 その全てが集約された、彼女こそが――久水梢。俺の幼なじみにして、久水財閥を従える敏腕秘書。

 

 以上の彼女達三人が、あろうことか――同時にこの場に合流してしまったのだ。救芽井に言い寄る貴族様に絡んでいた、俺の前に。

 

 ――女性は時として、男性の理解を超越した恐ろしさを発揮する。貴族様を圧倒した救芽井の威圧感や、あの団結力がいい例だろう。

 そんな覇気を暴力的なまでに備えた三人が。俺に対しては割と良くしてくれている三人が。この状況で、鉢合わせした。

 

 その現実が貴族様にもたらす、凄惨なる結末。それを予感してしまった俺には、もはや耳を塞いでうずくまることしか出来まい。

 

「……ヘェ〜」

 

「……あらあら」

 

「……まぁ」

 

 彼女達も、これが「よくある話」なのは知っている。ゆえに、一目見ただけで状況を把握してしまえるのだ。

 一瞬にして事態を飲み込んだ彼女達三人は、示し合わせたかのようなタイミングで相槌をうつ。……身の毛がよだつような、ドス黒い声で。

 

「え――あ、き、君達はもしや――あ、あぁああぁああッ!?」

 

 ――そこから何があったのか、俺はあまり理解できてはいない。

 

 耳と目を閉じうずくまり、しばらく続いていた壮絶な振動が落ち着いた後――目を開くと、あの貴族様は跡形もなく姿を消していたのだ。

 

 何があったのか凄く気になる――が、怖くて何も聞けずじまいだったのは、言うまでもない。

 

 凄く満足げな三人の笑顔に言い知れぬ恐怖を覚えた俺は、あの貴族様がいた場所に合掌しながら、今日の命を祈るのだった……。

 



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第163話 周りの女は鬼ばかり

「ったくよォ、旦那の無茶苦茶さにはいつもながら呆れちまうぜ」

「全くざます。心配するワタクシ達のことを考えられたことが、一度でもありまして?」

「……ご、ごめんなさい」

 

 何が起きたのかすらわからないという恐怖は、俺の身動きを金縛りのように封じていた。ソファーの上に縮こまる俺を、黒いレディーススーツを纏う美女達が四方八方から完全包囲している。

 端から見れば、うらやまけしからん状況なのかも知れない。だが、それはあくまで表面的な情報でしかないのだ。

 

 ――これはハーレムなんかじゃない。ただの四面楚歌だ。

 

「一煉寺様が救助のために無茶をなさるのは今に始まったことではない、とは言え――やはり見ている者としてはハラハラが止まりませんの。あなたはもう少しご自分を大切にされた方がよろしいかと」

「旦那の熱意は結構なんだけどよぉ、それでウチの部下共に心配かけさせられちゃ堪んねーんだよ。ただでさえ、隊員の一部が旦那の必殺無自覚ドキで勘違いやらかしてるんだからな」

 

 あの貴族様が抹消された後、俺はフラヴィさんから例の女性について、身元に繋がりそうな情報を沈没した船の中から捜しているという話を聞いてから――こうして責任追及されているのである。

 ……しかし、ムジカクドキって一体何だ? 話の流れからして食い物の名前ではなさそうだが。

 

「龍太君の一日の出動回数って、他の資格者達の比じゃないのよね……。私の管轄から離れて勝手に出動してる時も一度や二度じゃないし」

「……その無断の出動やパトロールで救われてる人間が何人もいるから、余計にタチが悪い……」

「こないだなんか、フラヴィさんに休んどけって言われて、ホントに休んでただけで正気を疑われとったもんなぁ。どんだけ出動厨やねん」

「『レスキューカッツェの鬼隊長』と評判のフラヴィさんが、気を遣って休養を命じてもこっそり何度も働いていたヒーローなんて、世界中を探してもあなたしか居なくってよ。赤いスーツでバレないわけがないのに……いつものことながら、理解に苦しみますわ」

 

 俺を責め立てているのは、何もフラヴィさんやジュリアさんだけではない。向かいに座る彼女達と同様の、呆れ返るような視線で突き刺して来る「着鎧甲冑部」の面々も、容赦のない苦言を浴びせていた。

 背後から左右まで、ガッチリと厳しい眼差しで固められている現実に、俺は押し潰されるような孤独を思い知らされる。

 ――まぁ、確かに全部おっしゃる通りではあるんだけどさ。何もここまで寄ってたかってイジメるこたぁないじゃない。だいたい矢村、「厨」なんて言葉どこで学んできたんだよ。

 

「そ、そうは言うけどさ。別に俺はレスキューヒーローとして働いてるだけなんだから、ちょっと仕事し過ぎなくらいでそんなに青筋立てて怒らなくても――」

「冬休みの殆どを出動の連続で潰してた人が何言ってるの! そうやって当たり前のように毎日命削って働かれるくらいなら、丸々一年の謹慎に処しますっ!」

「……ごめんなさい。俺が悪かったです」

 

 俺としては、ただ単に「仕事に取り組んでいる」つもりでしかなかったのだが、どうやら俺と皆との間にはかなりの意識の差があったらしい。

 どんな人でも助けられるレスキューヒーローの「怪物」を目指していたはずが、まさかこんな集中放火を浴びることになってしまうとは。今までは仕事にばかり夢中になっていた俺だが、いい加減ちゃんと周りを見ないとクビにされてしまいそうだ。

 実際、俺の耳元で「謹慎」をちらつかせながら怒鳴る救芽井の威勢は、鬼気迫るものがあった。

 

「はぁ……とにかく、殆どの乗客達は救助できたって言っても、そのためにあなたにもしものことがあったら本末転倒なんだから! これからは、きちんと引き際を弁えること! わかった?」

「は、はい」

「わかればよろしい。――でも、龍太君の活躍がとんでもないものなのは確かなのよね。私も夕べは興奮して寝付けなかったわ」

「えぇ。今回の件で一煉寺様のお力も強調されたことですし。もう、さっきのような方々がおいたをされることも少なくなるのでは?」

「そうですわね。もっとも、助けて頂いた恩を忘れて龍太様に無礼を働くような輩は、遅かれ早かれ淘汰される運命でしょうけど?」

「淘汰しとったのは紛れも無くあんたやろ……。ま、あんたがやらんくてもアタシがやっとったかも知れんけどな!」

 

 すると、平身低頭の姿勢による謝罪が効いたのか、俺への批難は徐々になりを潜め――たのだが、不穏な空気であること自体に変わりはなかった。

 矢村の物騒な発言に周りの皆が笑う中、このノリについていけずにいた俺は、彼女達を取り巻くドス黒いオーラに飲まれ、批判が終わったはずなのに更に萎縮してしまっている。

 ――やっぱり、女子って怖いな。

 

「……女にかまけてるからそうなる。自業自得……」

 

 加えて、周りに混じらずに静観を決め込んでいた四郷にまで散々な言われようである。自業自得ってどういうこったい。

 

「まー、とりあえず旦那の活躍であの女以外は全員無事で済んだんだし、今日のところはこれくらいで勘弁しといてやるか。でも、これからはちゃんと周りを見て動くんだぞ。今度無茶しやがったら承知しねーかんな」

「さて、それでは私達は調査の方に戻りますね。何かわかったことがあったら、一煉寺様にも連絡致しますので。それでは、ごきげんよう」

「……ん、わかった。頼むぜフラヴィさん、ジュリアさん」

「おうよ」

「えぇ、お任せ下さい」

 

 そんな俺を置き去りにするかの如く、レスキューカッツェの二人はソファーから立ち上がる。どうやら、仕事の休憩中だったらしい。

 ――あの女性、か。着鎧甲冑について何かと口を出していたように思えるが……一体、彼女は何者なんだろうか?

 気になってしょうがないと言えばしょうがない――が、俺が一人で考えていて結論を出せるわけもないか。

 ここは、本格プロの彼女達に託すしかあるまい。まぁ、俺も成り立てホヤホヤとは言え一人のプロなんだけどな。

 

 俺は彼女達に見送りの言葉を掛け、仕事に戻る二人にエールを送る。フラヴィさんは背を向けたまま親指を立て、ジュリアさんは振り返ってからにこやかに手を振ってくれた。

 そのやり取りを最後に、彼女達はラウンジを後にしていく。どこまであの女性に近付けるかわからないが……ここは二人に頑張って貰うしかない。

 

「――はぁ、ったくよー、ただでさえ彼氏いねーってのに仕事ばっかり増えやがってよー……アタイも素敵な恋とかしてぇよぉ……」

「あら、それでしたらまずは言葉遣いから治さなくてはなりませんねぇ。せっかくこんなに立派なものをお持ちなんですから、存分に活用しないと勿体ないですよ〜」

「ちょっ、こらジュリア! どこ触ってんだ! ひっ、そ、そこは摘むなぁ……や、やめぇ……!」

「ふふっ、かわいいですよ隊長。今夜もたっぷり愉しみましょうねぇ……」

「や、めろぉお……」

 

 ……って、ちょっと待てい。会話がモロ聞こえだぞ。二人して何やってんの。ジュリアさんは何を楽しむ気でいるの。

 いささか先行きが不安な、レスキューカッツェの首脳部二名。その背中を視線で追う俺は、恐らく引き攣った顔をしているのだろう。

 

「隊長さ〜ん! 副隊長さぁ〜ん! 美味しいショートケーキはいかがで――って、イッチーさんっ!?」

 

 すると、フラヴィさん達が去っていくのを見計らったようなタイミングで、別の女性がラウンジに入って来る。何故か、俺を見るなり頬を桃色に染めて。

 

 二十三歳という年齢や均整の取れたプロポーションの割には、どこと無く幼さを残している顔立ち。黒く艶やかな長髪を纏めた、腰に届く程の長さを持つポニーテール。

 おっとりした物腰と愛嬌のある面持ちゆえに、日本支社内でのアイドルとして扱われている――西条夏さん。昨日の作戦で、俺の分隊に所属していた人だ。

 

 仕事の実力に関して言えば、レスキューカッツェの正式隊員に唯一引き抜かれた日本人というだけあり、相当なものだ。俺の指示をすぐに把握して、滑り落ちた乗客達の回収に向かえる機転もある。

 ……まぁ、現場を離れるとマイペースな余り、こうして目当ての人とすれ違いになったりすることもあるようだが。それに、人に自分なりのあだ名を付ける子供染みた一面もあったりする。

 

「あれ〜? ここに隊長さん達がいらっしゃるって伺って来たんですけど―」

「フラヴィさん達なら、今さっき仕事に戻っちまったよ。見慣れたものとは言え、やっぱタイミング悪いなー西条さんは」

「むっ、むうー! イッチーさんの意地悪! そんなことばっかり言うんだったら、イッチーさんにはショートケーキあげませんっ!」

「ははは、どの道すぐに帰るから頂いてる時間もねぇよ。次に来た時に自腹で買うわ」

「えっ……?」

 

 その時、西条さんはショートケーキを二つ乗せた皿を落としそうになり、ふらふらとよろけていた。危ないな、おい。

 

「もっ……もう帰っちゃうんですかぁ!? 昨日の今日ですよぉ!?」

「ああ。元々は今日帰る予定だったし、そろそろ学校も始まっちゃうしな。大した怪我とかもしてるわけじゃねーし」

「そうですかぁ〜……。はぁ……せっかく可愛いメイド服とか買ってみたのに……」

「メイド服……だと……?」

「はぇ? あ、あぁいえそれは別に! イッチーさんに見せたいな〜とかそういうわけではなく! ご主人様〜ってご奉仕とかしてみたいな〜ってわけじゃなく! ただ私が趣味で買ってるだけなので悪しからず!」

 

 西条さんのメイド服か……。ぶっちゃけると見てみたい気持ちはあるが、そんな時間はないし俺のためでもないらしいからなぁ。

 ――しかし、彼女にそんな趣味があったとは驚きだ。ここ一年間、彼女達の下で訓練してきた分だけの付き合いはあるつもりでいたのだが……メイド服集めが趣味だなんて初耳だぞ。

 

「わかった、わかったってば。そこまでムキになるこたぁねーだろ。そりゃあ、見てみたいっちゃ見てみたいけどさ」

「ほにゃあ!?」

 

 俺は慌てて否定する彼女の姿に若干の寂しさを覚えつつ、宥めるように言葉を掛け――たのだが、当の彼女は何を血迷ったのか、顔を真っ赤にしてずっこけてしまった。

 ……ショートケーキは犠牲になったのだ……西条さんの犠牲にな……。

 

 しかも、今まで俺と西条さんのやり取りを静観していた着鎧甲冑部の面々が、いきなり殺気立ったような表情に変わってしまった。

 いや、確かに食べ物を粗末にしちまってるのは由々しき事態ではあるんだが……頼むから、これ以上俺の精神を締め付けるのは勘弁してくれ……。

 

「きっ……危険です! 今の発言は危険過ぎます! そうやって並み居る女の子達を手篭めにしてきたんですねっ! やっぱりイッチーさんは女の敵ですっ!」

「な、なんだよそりゃあ。とにかく顔拭けよ、顔中ケーキまみれだぞ」

「結構です! これ以上ドキをムネムネさせられたら堪ったもんじゃないですよ! ひりりん様! かおりんさん! こずっちさん! あゆゆんさん! この人にはホントに気をつけて下さいねっ!」

 

 白いケーキを顔全体に浴びてしまった西条さん。

 その顔を俺に拭かせつつ、度々自分の口元に付いてる部分をペロッと舐め取っているこの姿では、どんなに凄んでもイマイチ迫力に欠けてしまう。……にしても、とうとう救芽井達にもあだ名を付けやがったか。

 しかも、たまに「勿体ない!」とか叫びながら、クリームの付いた俺の指までしゃぶり出すんだから困ったもんだ。こすりつけるように肌をなぞる舌の動きには、外見に合わない妖艶さも感じられる。

 

「とにかく私も仕事に戻りますがっ! イッチーさんもほどほどにしてくださいねっ! あと顔拭いてくれてありがとうございましたっ!」

 

 しばらくして、ようやく綺麗な顔に戻った西条さんだったが、ご機嫌ななめなのは相変わらずのよう。ムスッと可愛らしく頬を膨らませながら一礼すると、フラヴィさんの後を追うように走り去ってしまった。

 ……やれやれ。暴れるだけ暴れて帰っちまいやがった。ま、彼女らしいっちゃらしいけど。

 

 さて、もうそろそろここを出ないと、松霧町行きの新幹線に間に合わねぇな。名残惜しい気もするが……しばらくお別れってわけだ。

 長かった着鎧甲冑の試験勉強も終わったし……まさに「俺達の戦いはこれからだ」って感じだぜ。帰ったら親父にも報告しとかねぇと。

 

「……よし! 出発の時間も近いし、行こうぜ皆!」

 

 というわけで、俺は後腐れなく故郷に帰るべく、明るい声色で皆に呼び掛けた――のだが。

 

 ――なぜか、皆して表情が暗い。ていうか、怖い。なんで全員俺をジト目で睨んでんの!?

 

「――賀織。私ね、龍太君は自重って言葉を辞書で調べた方がいいって思うの」

「奇遇やね、樋稟。アタシも全く同じこと考えとったわ」

「お二方、ぬるいですわね。ワタクシはどうやっても他の女性に目移りできないように、メイド服で調教し尽くす方法しか考えておりませんでしたわ」

「……梢は調教『され』尽くすことしか考えてないでしょ……涎垂れてる……」

 

 俺が何をしたというのか。何を誤ればこうなるのだろうか。

 その訳を彼女達に問える勇気も、それを悟れる聡明さも、俺にはない。

 

 ならばその先に待ち受けるのは、仁義なき説教のみ。

 新幹線に乗り込んでから松霧町にたどり着く瞬間まで、俺は休むことなく彼女達の叱責地獄に晒されるのであった。

 

 ――なんでっ、俺……ばっかり……。

 



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第164話 松霧町の日常にて

 木々のせせらぎと、鳥の鳴き声が耳に届く時。空を舞う雲を見上げ、俺は静かに立ち上がる。

 

「龍太。そろそろ戻らねば、学校に遅れるぞ」

「ん? あー、そういえばそんな時間かぁ」

 

 かつて、俺の親父や祖父ちゃんが暮らしていたという、人里から隔絶されたようにひっそりと存在する寺。

 松霧町から離れた山中にあるその場所で、俺は親父と二人で拳法の修練を続けていた。

 

 住む人もおらず、親父の定期的な手入れがなければ寂れる一方である、その寺――「一煉寺」は、山と森と青空に囲まれた自然の砦。ここからは松霧町も、車の通りも見えない。

 雑念を絶ち、修行に専念する上では申し分ない環境なのだろう。

 

 日陰になっている廊下の上に立ち、日なたの場所から空を見上げている俺の背後から声を掛けているのは――俺の父、一煉寺龍拳(いちれんじりゅうけん)

 母さんとの結婚のためにこの寺を捨て、今では超人的な拳法家でありながら一般の会社員を勤めている……という、何とも変わった父親なのだ。

 丸刈り頭と厳つい面相、百九十センチにも及ぶ体格の持ち主が原因で、取引先にビビられることも少なくないらしい。ソースは会社から帰った時の本人の愚痴。

 

「例の試験に合格したとは言え、高校くらい卒業しておかんことには話にもなるまい。しっかり学業を積み、将来に備えることだ」

「ああ、わかってる。ちょっと汗拭いたら、すぐ町に戻るよ」

 

 俺と僅かに言葉を交わしてから、親父は踵を返して寺の中に戻っていく。黒と白を掛け合わせた法衣を纏うその姿からは、現代から遠退いた世界を感じてしまいそうだ。

 対して、今の俺は白い道衣のズボン一着に上半身裸というスタイル。あんまりいい格好とは言えないが、修練が終わった直後で汗だくなんだし、致し方あるまい。

 

「……しかしまぁ、変わるもんだな」

 

 寺の近くにある、小さなため池。そこに視線を落とし、俺は親父に渡されていたタオルで身体を拭きながら、自分の体躯を見遣る。

 盛り上がった胸筋、六つに割れた腹筋、それに応じるように太く膨れ上がった両腕。もちろん筋肉量において、親父や兄貴には今でも遠く及ばないのだろうが――少なくとも去年までは、こういう身体つきではなかった。

 どうやらこの一年間での親父との修練や、レスキューカッツェの皆との訓練や戦いで、かなり鍛えられていたようだ。

 確か、着鎧甲冑の資格試験前の身体検査では、身長百七十六センチ、体重八十八キロという結果が出されていた覚えがある。身長こそあまり伸びてはいなかったが、体重の変化はかなりのものだ。

 

「試験当時だって、俺より上の奴はたくさんいたんだ――もっと鍛えとかなきゃな」

 

 だが、こんなものでは足りない。さらに上を目指さなければ、レスキューに命を懸けられる「怪物」にはなりえない。

 そう腹を括り、俺が着替えを取ろうと寺の方へ振り返った瞬間――

 

「龍太ぁあああ! 早う行かんと遅刻やでぇえええぇええっ!」

「う、うおっ……?」

 

 ――けたたましい叫びと共に、天に向かって土埃を巻き上げながら……制服に身を包んだ矢村が駆け込んできた。

 この場所は松霧町からは結構な距離があるのだが、彼女からすればほとんど問題にはならないらしい。

 俺の傍まで全力疾走で飛んで来たかと思えば、踵で火花が散りそうな程の急ブレーキを掛け――ピタリと俺の目の前で停止したのである。坂を駆け上がって来た身でありながら、息一つ切らさずに。

 

「全くもおぉ! 遅刻なんかしよったら龍拳さんも困ってまうやろっ! 今週末に久美(くみ)さんと龍亮(りゅうすけ)さんが帰ってくるんやったら、家族として恥ずかしくないようにきちんと学校にも行かないけんっ! ほら、もたもたしとらんでさっさと――」

 

 そして、文句を言いつつ愛らしい顔を上げ、

 

「――ブフッ!」

 

 鼻血を出して悶絶していた。

 

「お、おい大丈夫かよ。いや、毎朝ここに来る度にそうなってること考えたら、今さら感はあるけどさ」

「……りゅ、龍太っ……その、ばでぃーはいけんっ……ア、アタシどうにかなってまうっ……!」

「ば、ばでぃ? ま、まあとにかく鼻血拭けよ。こんなになるんだったら、もう無理して迎えに来なくたっていいんだし」

「そ、それはいけんっ!」

 

 ――相変わらず無茶苦茶だ。毎朝ここまで迎えに来ておいて、いきなり鼻血を流されてちゃ、こっちだって気が気じゃないのに。

 そんな目に毎回遭うくらいなら、欠かさず顔を出すこたぁないだろうがよ……。

 

「おぉ、賀織ちゃんか。龍太がいつも世話になっておるな。……また鼻血なのか?」

「……みたいだな」

「あ、おはようございまーす! い、いえいえ、アタシ全然大丈夫やし、心配いりませんてー!」

 

 そんな矢村の猛ダッシュを聞き付けたのか、親父もひょっこり顔を出して来る。どうやら親父も、毎度の鼻血噴出には困り果てているようだ。つーか矢村……いきなりビシッと立ち上がっての敬礼はやめとけ……立ちくらみ起こすぞ……。

 また、親父も既にこの事態は予期していたらしく、そのゴツゴツした手にはティッシュ箱が乗せられている。それを投げ渡された俺は、彼女の鼻に素早くソレを差し込んだ。

 

「そうか。まぁなんにせよ、毎朝こうして迎えに来て貰ってすまないな。さ、龍太も早く支度しなさい」

「わーかってるよ。んじゃ、ちょっと待ってろよ矢村」

「うんっ!」

 

 そして俺が着替えを取りに行く頃には、彼女もすっかり元気を取り戻したらしく、満面の笑みで手を振っていた。……鼻にティッシュを詰めてるせいで、「コレジャナイ感」もハンパないのだが。

 

 ――やがて、制服に着替えた俺は矢村と二人で山道を降り、松霧町へ向かう。その頃には、矢村の鼻血もなんとか完治していた。

 道中の商店街。交番。物心ついた時から見慣れた景色が、今日も俺達の日常を織り成していた。

 

「おー龍太かァ! なんか前と感じ変わったなァ、男って顔になってるぜェ!」

「おぅ、八百屋のおっちゃんか。ハハ、相変わらずニンジン売れてねぇな〜」

「しょーがねぇだろ、ガキ共にしても親にしても、嫌がる輩が増えちまったんだからよォ。お前が見本になって喰いまくれよ、安くしとくから」

「やなこったい、俺もニンジン嫌いなんだよ」

「こらっ龍太! 好き嫌いしよったら……その、もっと逞しく……なれんで?」

 

 八百屋のおっちゃんに茶々を入れる俺の脇腹に、いつもの如く矢村の肘がグリグリと押し当てられるのだが――当の矢村本人は、なぜか頬を染めて遠慮がちな声色になっている。

 ここ最近の矢村は、時々こうして行動と言葉がちぐはぐになってるんだよなぁ。……不思議だ。

 

「――しっかしよォ、お前らまだくっついてねぇのかよ。いい加減結婚しろや。お前ももう十八だろォ」

「あ、あのなぁ……!」

「ま、そんなに迷ってんだったら、若いうちに女を取っ替え引っ替えってのも、人生の寄り道としちゃあイイんじゃねーのか? 俺がお前くらいの頃なんてそりゃもう……」

「なぁーにバカなこと言ってんだい! 高校三年間で八十回告白して、一発も当たらなかったクセして!」

「ゲェッ!? か、母ちゃんッ!?」

 

 そんな矢村との仲を、鬱陶しい程に追及してくる八百屋のおっちゃん。会話を遮って現れたおばちゃんにビビる辺り、この夫婦仲は今日も相変わらずのようだ。

 

「賀織ちゃん、おはよう! あらぁ、なんだかゴールデンウイーク前よりスッゴく可愛くなってない!? やっぱり恋は女を変えるのよねぇ〜」

「えっ、あっ……そ、そやろ……か? えへ、へへへ……」

「もー、龍太君もいけずねぇ。早くご両親に挨拶に行かないと、賀織ちゃん、誰かに掻っ攫われちゃうわよぉ? 可愛くて明るくて、料理も上手で優しくて……こんなに素敵なお嫁さん、今手放したら一生捕まえられないんだから! 賀織ちゃんも、しっかり龍太君のこと、捕まえとくのよ!」

「もっ……もぉおっ! おばちゃんったらぁ!」

 

 一方、そんなおばちゃんと矢村は、謎のガールズ(?)トークに突入していた。

 

 ……手放したら……か。俺がレスキューヒーローとしての人生に没頭して、彼女を置き去りにしてしまうことを考えるなら……その方が、もしかしたらマシなのかも知れない。

 もう一年近く、俺はあの告白に何の返事もせず、ただ着鎧甲冑のことばかり考えて生きてきた。そんな奴の近くにいるくらいなら、いっそ新しい恋を探す方が、本人のため……なの、だろうか。

 矢村。俺の一年間を見てきたお前なら、俺がそんな奴だということもわかっているはずだ。それでも、俺を必要としてくれるのだとしたら、俺は――

 

「なぁーにをシケたツラしてんだ龍太よォ! それでもお前、この町のヒーローかァ? 男ならどんな根拠のねぇ決断でも、いざとなったらドンと構えて突き進むもんだぜ!」

「――え?」

「ちょ、ちょっとあんたッ!」

「……あ、やべ。ま、まぁほらアレだ。この町のヒーローも、そ、そんなこと言ってたぜぇ。もしかしてお前のこと、将来の後輩だとか思ってんじゃ、ね、ねーの?」

 

 ――すると、おっちゃんが「ヒーロー」という単語を出した途端、おばちゃんが切羽詰まったような声を上げた。何だ……? 途中から、何か言おうとしていたことを変えたみたいだったけど。

 

「ほ、ほらそんなことよりお前ら、もう学校が始まっちまうんじゃねーか? 急いだほうがいいぞ」

「あっ……そうだった! 行こうぜ矢村!」

「え……う、うん! そ、それじゃ行ってきまーす!」

「あ、ああそうだね。賀織ちゃーん、気をつけて行っておいでー!」

 

 だが、その疑念を断ち切るようなおっちゃんの発言で、俺は我に帰る。刹那、俺は矢村の手を引いて八百屋の傍を飛び出した。

 そして、矢村とおばちゃんの挨拶を最後に、俺達は商店街を抜けて住宅街へ出る。

 

 後は、ここから矢村の家を通り抜ければ、松霧高校まで一直線なのだが……。

 

「フーッ、フーッ……! どこに隠れとんやぁ、一煉寺龍太ァ……!」

「もー、お父ちゃん何やっとんの。龍太君の頑張りを認めて、賀織のことを認めるって話はどうしたんや」

「それとこれとは全くの別問題じャア! あいつを認める前に父として、一発殴らにゃ気が済まねぇ!」

 

 ――鬼気迫る表情で、玄関前で仁王立ちしている一人の男性が、それを阻んでいた。

 角刈りの頭に、親父に劣らぬ体格。――そして、その威厳に溢れた顔立ちに反する、可愛い熊がプリントされたパジャマ。

 矢村の父さん……武章(たけあき)さんだ。あの外見から察するに、ずっと寝間着のまま俺達を血眼で待伏せているらしい。

 その傍には、恰幅のいいおばちゃんが呆れ顔で佇んでいる。矢村の母さんだな。

 

 ――しかし、俺の頑張りってどういうことだ? あのご両親の前で、特別何かをしたような覚えはないが……。

 

「前々からああして怖い顔してたような気はするけど……なんだろうな、ここ一年間はさらにオーラに気迫が込もってる気がする」

「もっ、もぉ……お父ちゃんのバカッ!」

 

 さすがに両親のあんな姿は見られたくなかったのか、矢村は顔を真っ赤にして文句を垂れている。あの怒りようは……まさか、あの、矢村とのファーストなアレがバレた……とか?

 となるとソースはやはり、あのお喋りなお巡りさんか……!? ち、ちくしょう……やってくれるッ!

 「いやー実はですねー、龍太君とお宅の賀織ちゃん、とうとうAまで行っちゃったんすよー」という彼の軽い口調が、軽く想像できてしまう。おのれ、今度会ったら覚えとけ!

 

「あの男……! 賀織の大切な唇を強引に奪った挙げ句、押し倒すとはッ……!」

 

 ……え?

 

「おまけに自宅に連れ込んで、風呂場で互いの隅々まで洗いっこしたとか! 二人きりで秘密の旅行に出掛けて、くんずほぐれつとかァァァァッ!」

「最近の若い子は進んどるもんなぁ〜。賀織やってもうすぐ大人なんやし」

 

 ――お巡りさん、話盛りすぎィィィィィッ!

 



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第165話 無断出動と開幕タックル

「『伝説のレスキューカッツェと肩を並べる、謎の赤き英雄! ドラッヘンファイヤーとは一体!?』……かぁ。龍太君のことを、全世界が知りたがる日も近いわね」

「ハハ、すげぇのは俺じゃなくて『救済の超機龍』だろ。俺個人のことなんて知って何のネタになるんだか」

「……そーやろか? しゅしゅ、週刊誌に載るくらいのネタはあるんちゃうの? 『赤いレスキューヒーロー、夜の町に小麦色でセミロングで小柄な女子高生と共に消える!?』と、とか……」

「えらくピンポイントだな!? さらっと捏造するとか、どこのゴシップ誌だッ!」

 

 俺達はあの後、いたたまれなさから逃れるべく普段の遠回りルートを全力で疾走し――今は学校の休み時間。

 窓際にある俺の席の傍で、新聞紙を開く救芽井とそれを覗き込む矢村。松霧高校の制服に身を包む彼女達は、周囲の男子生徒達の視線を自らの美貌に集中させていた。

 

 そんな男性諸兄を含むクラスメート達は各々のグループに纏まり、いつも通りのお喋りに興じている。何度かこちらに視線を送られて来ることもあるのだが……無理もない。

 あの事故でますます知名度を上げ、注目を集めている救芽井エレクトロニクスの令嬢と、彼女が来るまで校内人気を独占していた学校のアイドル。その二人が、一人の男を相手に談笑しているのだから。

 普通ならマスコミが大騒ぎして、報道陣のヘリが町中を飛び回っているはず。甲侍郎さんや久水財閥の力添えでそれが封じられているとは言え、この状況が成立しているのは奇跡としか言えまい。

 

 今のクラスメートや町民達がセレブ界隈や都会のような価値観をあまり持たず、「凄く有名なアイドル」ということくらいでしか救芽井を認識していないことも、彼女のような存在が町の中でそれなりに受け入れられている理由の一つとなっている。

 時には、救芽井と仲の良い農家のおばちゃんが、通り掛かった彼女に取れたての野菜をプレゼントすることもあった。常に高価な物で彼女を引き付けようとしている世の資産家達からすれば、卒倒モノの光景だろう。

 

「つーか、ここでそんな話してどうすんだよ……! 皆に俺の素性がバレるだろうが。話すならもう少しボリュームを控え目にだな……!」

「まだバレてないつもりなのね……」

「……そら、アタシらの気持ちにも長らく気づかんかったわけやわ。世の乙女の純情を悉くスルーしていくはずやでぇ……」

「え? ちょ、何だよそれ」

「ハァ……全く、皆あなたのために気を遣ってるって言うのに……当のあなたったら何? 鈍感の神でも降臨してるのかしら? もう少し、周りに気を配れるようになった方がいいわよ」

「お、おう……?」

 

 ――それにしても妙だ。

 最近、なぜか俺が「鈍い」と罵倒されることが多くなっている気がする。「仕事に打ち込み過ぎてるせいで悪化してる」、とも。……俺は何かの病気なのか?

 だとすれば早急に原因を突き止め、改善に努めなくてはならないはずなんだが……その話を振ってみても、今のようにため息をつかれるばかりで、全く取り合って貰えないのである。

 まるで、自分で気づいて何とかしろ――と、呆れているかのように。

 

「ねーねー、一煉寺君また鈍感スキル発症してない? 全然気づいてる気配が見えないんだけど」

「その線で間違いねーだろうなぁ……。アイツ、野球部マネージャーの琴美(ことみ)ちゃんのアプローチも『親切心』で片付けやがったしな……いい加減爆ぜろよマジで」

「ま、そのあとに野球部全員から追い回されてたんだし、そこは勘弁してやれよ。世間的に考えたら、今のあの状況が既に滅殺モンだろ」

「全くだ。あの救芽井樋稟がクラスメートってだけでも信じられねーってのに……よりによって、あいつが婚約者だなんてなぁ……。ヒーローの仕事で苦労してる〜なんて話が町に出回ってなけりゃ、嫉妬されるどころじゃ済まなかったぜ」

「あの病的な鈍感のおかげで、こっちのことにも気づいてないみたいだし……案外、アレは治らない方が本人のためかも知れねーな」

 

 そんな俺を遠巻きに眺めるクラスメート達の視線も、どこか冷たい。いや――生暖かい。いつものことではあるのだが。

 さながら、「どうなるか見物」という気持ちを訴えるような眼差しだ。俺に一体、何が起こるというのか? ……クッ、どうにもわからないことだらけだぜ。

 

「おーし、授業始めるぞーテメーら。そこの爛れた青春送ってる三名も、いい加減席に戻りやがれ」

「たた、爛れてるってなんやねんっ!? アタシらのはちゃんと清い青春やからっ!」

 

 そこへ現れる担任の言い草も、普段通り教師にあるまじきものであった。矢村の「お前が言うな感」が僅かに漂うツッコミも、今となっては様式美となりつつある。

 

 ――資格を取る前から、何も変わっていない。この松霧高校で過ごす日々も、町の人達も、クラスメートも。

 それはきっと、いいことなんだと思う。少なくとも、この場所が何かに脅かされているわけではないのだから。

 

 しかし、いつまでもここで居心地のいい思いをすることはできない。

 この一年間、俺は松霧町を拠点にした上で、東京や外国にレスキューヒーローの一人として赴いてきた。この先プロとして生きていくならば、外部からの出動要請も増えて来るだろうし、この町に留まることは難しくなる。

 生まれ育ったこの町、松霧町。そこで暮らす商店街の皆やクラスメート達、着鎧甲冑部の仲間。彼らと、ずっと一緒にいることは……許されないのだ。

 

 ――いつかは、ここを出ていく時が来る。それは決して、遠い先の話ではない。

 

 授業の傍ら、青く澄み渡る空を見上げ、俺はいつか見ることがなくなる町並みをこの目に焼き付けていた。

 

「あだっ!?」

「なーに授業中によそ見してんだバカヤロウ。黄昏れてる暇があったらこの公式解いてみろ」

 

 ……というように、授業中にブッ叩かれることもなくなるのだろう。嬉しいような寂しいような――複雑だ。

 

 そして、放課後。

 

 部活がある生徒や、真っ直ぐ家に帰る生徒、友達と喋りながら一緒に近場のゲーセンへ向かう生徒――クラス全体が、各々の時間を過ごすために散り散りになっていく。

 その中で俺は、救芽井や矢村と共に部室へ向かう……予定だったのだが。

 

「パトロールに行くの? 今から?」

「ああ。お前らは先に部室に行っててくれ。今頃、久水先輩も部室に居座って四郷や鮎美先生と喋ってる頃だと思うし」

「あのスーパーボイン、卒業しても当たり前のように部室でくつろぎよるからなぁ……。しかも、相変わらず大事な仕事をノーパソ使って片手間で済ましながら……。それにしても、どしたんや? いつもやったら部室で腕輪に充電して、一息ついてからの出動やのに」

「……んー、何となくだけどさ。今すぐ行かなくちゃ、って気になったんだ」

 

 廊下に出たところで、いきなり「すぐにパトロールに行きたい」と言い出す俺に、何事かと二人は目を丸くしていた。

 ――特に、これといった理由はない。いわゆる、第六感。

 今まで俺が何度も無断で出動し、後になって始末書に泣かされるハメになってきたのは、この背中を突き動かすような直感が原因なのだ。

 具体的に何故出動したいのか。それを上手く説明できない上に、グズグズしていたら万一の事態にも成りかねない。そうなれば、結局は理由もなしに出動することになり、帰った後はお待ちかねの超説教。予測は可能だが回避は不可能、というわけだ。

 しかし、自慢ではないが――この直感が今まで外れたことは一度もない。俺の無断出動が、結果的に功を奏したケースもある。

 要救助者の居場所を的確に探知する、救芽井所有の特殊コンピュータより先に、何と無くで駆け付けた俺が早く現場を発見したことまであった。それでも勝手な行動をしたことについては、後でこっぴどく叱られたわけだが。

 

「何と無く……って、何よソレ。むやみやたらに飛び回ったって、バッテリーを浪費しちゃうだけよ? 電気だってタダじゃないんだし……資格を取ってやる気満々になってくれるのは有り難いけど、いざって時にバッテリー切れになったら元も子もないじゃない」

「やけど、龍太がこう言っていきなり出動した時って、大抵何かが起きるんよなぁ……せっかくプロにもなれたんやし、少しくらい好きにさせたってもええんやない?」

「逆よ、賀織。プロになったからこそ、他の資格者達との連携を乱さないよう、規律に従った無理のない判断を常に――って、龍太君ッ!? どこに行くのよッ! 待ちなさいこらぁ〜ッ!」

 

 ――ゆえに、今日も俺は逃げるのだ。

 まだ俺が住んでいるうちに、この町を少しでも危機から遠ざけるために。

 

「わりぃなー! ちょっとだけ見回ったらすぐ帰るから、先に部室でお茶でも飲んで待っててくれー!」

 

 憤慨して子供っぽく両手を振り回す救芽井に、俺は手刀を縦にして「ゴメン」とジェスチャーを送る。そして生徒達の脇を駆け抜け、人通りの少ない体育館の裏手へ向かった。

 そこで俺は、人知れずヒーローへの変身を遂げるのだ。

 

「着鎧甲冑ッ!」

 

 腕輪に入力された音声が、封じられていた赤い帯を外界へ導いていく。その帯が俺の全身に絡み付き、やがて光に包まれ――着鎧が完了した。

 そこから校舎の屋上へ一気に跳び上がると、俺は周囲の町並みを見渡し、些細な異変も見逃すまいとバイザー越しに眼を光らせる。普段の景色や日常を見慣れている分だけ、異常の発見が早い……という点は、数少ない俺の長所だ。

 

「どこかで、何かが起ころうとしてる――そんな気がしてならねぇ。なんなんだ、一体……?」

 

 自分でもわからない、この無断出動の動機。その実態を追い求めるように、俺は屋上から住宅街へ跳び移り、パトロールを開始した。

 馴染みの商店街、交番、町外れの畑を次々に回っていく。俺自身にとっては庭も同然の松霧町だが、だからといっていつでも不測の事態に完璧に対処できるわけではない。万に一つも町に危険が及ばないようにするためなら、例え根拠がない出動であっても欠かしてはなるまい。

 

「おっ、ありゃあ龍太じゃねーかお巡りさん!」

「あーホントだ! なんだかいつもより精が出てるって感じですねぇ。おーい、いつもありがとうねー!」

 

 そんな時。小さなビルの屋上に降り立つ俺に向け、下にいる二人の男性から声援が送られてきた。

 一人は、今朝の登校の際に絡んできた八百屋のおっちゃん。もう一人は、武章さんに妙なことを吹き込んだ、お喋りでお調子者の若いお巡りさんだ。

 二人共、屋上に立っている俺を見上げ、眩しい笑顔で思い切り両手を振っている。そんな彼らに対し、俺は小さく片手を振って挨拶を返した。

 一年前にここでヒーローを始めた頃は、こっちも両手をブンブン振って応えてたんだが――そんなことやってると、正体がバレかねんからな。今では力一杯応えてやりたい気持ちを堪え、敢えてスマートに取り繕っている。

 

「おーおー、余裕っぽい反応しちゃって。にしてもここ最近、龍太君って振る舞いが大人っぽくなってきてますよねぇ。顔も、結構お兄さんに似てきてるし」

「そーだなぁ……しかしあいつ、高校卒業したらどうする気なんだ? やっぱりお兄さんみてぇに上京しちまうのかねぇ……」

「寂しくなりますねぇ……。ま、その時は皆笑顔で送ってやりましょうよ」

「ハハ、じゃあ俺はそれまでに、大量のニンジンでも用意しといてやるかな。餞別ってことで、さ」

 

 ――なんだろう。何を話しているのかはよく聞き取れないが、突き刺さるような悪寒を覚えたぞ……?

 ま、いいか。今はそれより、自分の仕事に集中しないと。

 

 俺はもう一度二人に手を軽く振り、すぐにビルからビルへと跳び移っていく。次に視界に入ったのは――矢村の家だ。

 武章さんは未だに自宅の前で俺を待ち伏せしているらしく、宙を舞っているこちらを見つけるや否や、大声で何かを叫んでいた。

 

「見つけたぞテメェー! よくも賀織を汚しやがったなーッ! 降りて来やがれッ、それでも男かコンチクショオォー!」

「あんた、いつまでも大声で何言ってんだい! ご近所様に迷惑だろっ!」

「ムグ、フングッ! ぷはっ、い、一発ッ! 一発殴らせねぇと、俺はテメェを認めねぇからなぁあぁああッ! フグ、ムグゥッ!」

 

 しかし、程なくして玄関から飛び出してきた矢村の母さんに首根っこを引っつかまれ、口を塞がれてしまう。それでも意地で、俺に何かを訴えるように叫び続けていた。

 ――八百屋のおっちゃんやお巡りさんみたいに、応援してくれてるんだろうか? もし正体がバレたら、ブン殴られそうだけども。

 

 俺はひとまず武章さんの雄叫びを「エール」だと解釈することに決め、彼に親指をグッと立ててからパトロールに戻っていく。そうして俺が屋根から屋根へと跳び移っている間も、彼は奥さんの隙を見て叫び続けていた。

 

 それからも、魚屋やぬいぐるみ屋のおばちゃん達住民の安全を確認しつつ、俺は建物から建物へ跳び回り、パトロールを続けていた――のだが。

 

「んっ……マズい! バッテリー切れか!?」

 

 視界を覆うバイザーが赤く点滅し、マスク全体に警告音が響き渡る。充電がなくなりかけていることを知らせる、シグナルだ。

 このまま跳び続けて、万が一空中で着鎧が解除されたりしたら、いきなり生身でノーロープバンジーを敢行するハメになる。……クッ、救芽井の言う通りだ。プロにもなって、こんな初歩的なミスをッ……!

 

 ――だが、今はそんなことを言ってる場合じゃない。早くどこかに着地して、身を隠さないと……!

 

 俺は近場にある公園に人気がないことを確認し、住宅の屋根から一気にそこへ飛び降りる。すると、ここまでが限界だったのか、着地と同時にとうとう着鎧が解除されてしまった。辺りには……よし、人はいないな。

 

 次の瞬間、視界がバイザーに包まれた景色から、肉眼によるものへと変わっていく。手も着鎧時のグローブ状のものから、本来の素肌へと戻っていた。

 

 やれやれ、こうなっちまったら一旦部室に帰るしかねぇか……。また救芽井にドヤされちまう……。

 しかも今回はプロになって早々の無断出動だからなぁ。予感が当たる前に着鎧も解けちまったし、一体何枚の始末書を書かされるのやら……。

 つーか、こんな状況じゃ予感が当たったとしても対応しきれねぇ。何をやってんだ俺は……!

 

 色々な思いが脳内を駆け巡り、俺は思わず公園の中心で頭を抱え、うずくまってしまう。――と、とにかくすぐに部室に戻らねぇとッ!

 

 そう思い立ち、両足に力を込めて素早く立ち上がった――その時。

 

「い、いたっ……! とうとう見つけたぞっ! テンニーンの偽物めえぇっ!」

 

 背後から、やけに幼い声色の叫びが突き刺さってきた。……な、なんだ? 偽物?

 そして、何事かと振り返った俺の瞳には――見知らぬ顔の「少年」が映されていた。

 

 年齢は恐らく八歳か九歳くらい。少女と見紛うくらい美しく整った顔立ちや、腰に届く程の焦げ茶色のロングヘア、矢村より少し濃いくらいの褐色肌……。少なくとも、この町の住民ではなさそうだ。

 顔だけ見れば将来有望な美少女のようにも見えるが、真っ平らな胸――そして、男物の短パンやTシャツを着ているところを見るに、恐らく女子ではないのだろう。

 髪さえ短く切れば、どこから見ても立派な「日に焼けたスポーツ少年」になれるというのに。親は息子の髪を切ろうとは思わなかったのだろうか?

 

「えーと、君は……?」

「へんっ! ワーリが戦うまでもねぇっ! お前なんか、このオレが今すぐ成敗してやるぜ!」

 

 ――それにしても、この子は一体どこから来たのだろう? 隣町か?

 いや、それよりも「偽物」って何だ? 俺を誰かと間違えてるのだろうか……?

 

「行くぞジャップ! うぉおぉおーッ!」

 

 そんな俺の疑問が解消される間もなく、少年はいきなりこちらへ向かって、頭から突っ込んで来る。まるで美少女のように、艶やかなロングヘアを靡かせて。

 

 な、何なんだよこの子は……?

 



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第166話 とあるオレっ娘の暴走注意報

 突然、敵愾心を剥き出しにして突っ込んできた謎の少年。彼はやけに威勢のいい啖呵を切ると、俺目掛けて一気に襲い掛かり――

 

「いでっ!」

 

 ――躓いて転んでいた。

 

「……」

「……」

 

 そして訪れる、沈黙。

 俺は何が何なのか状況が読めず、目を丸くして固まり――俯せに倒れてしまった長髪の少年は、顔を上げるとわなわなと震えていた。鼻先まで、茹蛸のように真っ赤になりながら。

 その状態でしばらく間を置いた彼は、慌てて跳ね起きると、再び大口を上げて叫び始める。

 

「き、きき、貴様〜! よくもやりやがったな〜! オレを本気にさせるつもりかッ!?」

「え? お、俺は別に何も……。それより、怪我はないか? 随分ハデに転んじまったみたいだけど……」

「う、うっ、うるせぇぇえ! 敵の施しは受けねぇっ! オレは今こそお前を倒し、一人前のダスカリアンの戦士になるんだっ!」

 

 敵の施しとか、一人前の戦士だか、よくわからない話ばっかりだな……。ちょっと心配して近寄ってみたら、いきり立つ猫みたいに威嚇してくるし。

 そういう遊びが流行ってるんだろうか? でも、ただの遊びにしては眼が真剣過ぎるし……?

 

「うーん……って、あ! よく見たら膝、擦りむいてるじゃないか!」

「あ、ち、違う! これは、その――ハ、ハンデさ! 片足が怪我してたって、お前なんかに負けねー……い、いててっ」

「ほらもー、やっぱ痛いんだろ? 無理しちゃダメだ、まだ子供なんだから。ほら、こっち」

「きゃっ! ちょ、な、何すんだお前っ! やめろ、や、やめろっ! はーなーせー!」

 

 ま、今はそんなことはどうでもいい。とにかく怪我人を見つけた以上は、レスキューヒーローであろうがそうでなかろうが、この町の住民として放ってはおけない。

 俺は暴れる彼を無理矢理抱き抱え、公園の隅にある水道へ向かう。――抱え上げた瞬間、女の子みたいな声が出たような気がしたが……まぁ、気のせいだろう。

 

「ひゃっ! つ、つぅっ……!」

「我慢しなよ。ばい菌が入ったら大変なんだから」

「い、痛くなんか……ねぇよっ……」

 

 蛇口を捻り、綺麗な水が滑らかな曲線を描いて噴き出していく。その浄化を擦りむいた膝に受け、少年は痛みに顔を歪めた。

 ……どういう経緯で俺に突っ掛かって来たのかは知らないが……見たところ、保護者や友達は近くにいないようだ。迷子なのだろうか?

 だとしたら、早く交番に連れていってあげないと。きっと、ご家族も心配してる。

 

「はい、もう大丈夫。俺ん家がすぐそこだから、絆創膏貼ってやるよ。ところで、君は一体どこから来たんだ? この町に住んでる子じゃなさそうだけど」

「ふ、ふん。うるせぇよ、子供扱いすんじゃねぇ。オレはもう十六だぞ!」

「え……あはは、まさか。どう見たって小学生くらいなのに」

「本当なんだっつーのー!」

 

 傷を洗い流し、蛇口を止めた俺に向かい、少年は相変わらず無茶苦茶なことを叫んでいる。

 俺の胸元に届くか届かないか――というレベルの身長なのに、俺と二つしか違わない。そんなおかしな話があるものか。この子とほぼ同じ体格の二十五歳も居るには居るが、彼女は例外中の例外だろう。

 

「はいはい、わかったわかった。それで、お父さんとお母さんはどうしたんだ? 迷子なのか?」

「なッ……なんだとッ……!? 白々しいッ! よくもオレの前でそんなことが言えたもんだなッ!」

「え……?」

「もう許さねぇ! お前達ジャップだけは、絶対に許――いつっ!」

「あ、おいっ!」

 

 少年の不可解な言動は続く。今度はご両親について問い掛けた俺を、親の敵を見るような眼差しで睨みつけ、さらに敵意を剥き出しにしたのだ。

 だが、何を言っても膝が痛いのはごまかしようがないらしく、凄んでる最中に痛みで体勢を崩してしまった。俺はそのふらつき方から倒れる向きを予測し、小さな背中を咄嗟に抱き留める。

 

「ち、ちきしょうっ……! い、いっそ殺せぇえ……! 敵の情けなんていらねぇよっ……!」

「バカなことを言うんじゃない。何が何だかよくわからないが、とにかく今は怪我を治すことを考えなさい。子供は元気が一番なんだから」

「だから子供扱いすんじゃねぇっ……て……」

 

 その時。先程まで何かと喚き散らしてばかりだった少年が、珍しく大人しくなった。さすがに疲れたのだろうか?

 ……しかし、その沈黙はかなり長く続いている。最初に彼が転んだ時以上だ。

 

 どうしたんだ……? どこか、具合でも悪くなったのか……?

 

「おい、どうした? どこか、痛むのか?」

「あ……あ、ああっ……!」

 

 一抹の不安を覚えた俺は、心配げに彼の横顔を覗き込む。

 その少年の顔は――さっきとは比べものにならないくらい、深紅に染まっていた。褐色に焼けた肌が、今は熱を帯びた鉄板のように赤い。

 今にも泣き出しそうな表情や、パクパクと幾度となく開閉を繰り返す口を見る限り、どうやら恥じらいによる紅潮のようだが――このテンパりようは、尋常じゃないな。一体、彼に何が起きたのだろうか。

 

 ……それにしても、この子の胸……なんだか、意外に柔らかいな。見かけは細身なのに。もしかして、こう見えて実はぽっちゃり系だったり?

 

「い、いやぁああぁああぁあああっ!」

「うわっ!?」

 

 そうして、抱き留めた時に触れた両胸の感触に、予想外の柔らかさを見出だした瞬間。聴覚を破壊するかの如く、少年の絶叫が轟くのだった。

 少年は我に返ると俺を蹴飛ばし、一気にその場を飛びのいてしまう。痛いはずなのに、無茶しやがって……。

 しかし当の本人は、何故かそれどころではないらしい。激しく息を荒げ、俺を信じられないものを見るような眼で睨みながら、自分の身体を抱きしめるように胸元を隠していた。

 まるで、大事なところを隠す女の子みたいな仕種だな……。さっきの叫び声も、やけに甲高かったし。もしかして、これが噂の「男の娘」?

 

「な、な、な、何しやがるんだテメェエ! どこ触ってんだッ! 変態! エッチ! スケベッ!」

「あーびっくりした……どうしたんだよ、急に」

「どうしたもこうしたもあるかッ! お、お前、よくもオレにッ……いっ!」

「おっ……と。全く。痛いくせにいきなり動くからだぞ。絆創膏貼ってやるから、俺にちゃんと掴まっとけ」

 

 そんな俺の疑問などお構いなしに、少年は相変わらず意味不明な罵声を浴びせて来る。なんだよ変態って。俺がいつそんなことをした? つくづく不思議な子だなぁ……。

 ともあれ、無理に動いたせいでさらに痛い思いをしている彼を、このままにしておくわけには行かない。俺は再びよろけた彼を受け止めると、お姫様抱っこの要領で持ち上げた。

 ここからなら、商店街前の交番より俺ん家の方が近い。そこで絆創膏を貼ってから、交番に連れていくとしよう。

 

「きゃんっ! や、やめろっ、降ろせぇっ!」

「暴れるんじゃないの。さ、ちゃんと親元まで帰してやるから。静かに待ってなさい」

「う、うるせぇっ。何なんだお前、さっきからベタベタベタベタ! そ、それでテンニーンの真似してるつもりかよッ!」

「……うーん、そのテンニーンって人のことは全然知らねぇから、何とも言えないけどさ……その人もこういうことをする人なんだったら、きっと今頃は君を心配してるはずだよ」

「……テンニーンが、心配……?」

「ああ。だからさっさと怪我なんて治して、元気な姿を見せてやろうぜ」

 

 彼の言うテンニーンという人物については何も知らないが、少年の口ぶりから察するに、こうやって彼の世話を焼いてくれる良き友人のようだ。そんな良い子を心配させないためにも、この妙なやんちゃ坊主の怪我を早く何とかしなくちゃな。

 ……しかしまぁ、変わった名前だよなテンニーンって。外国人、だよな? この子もそうなんだろうか?

 

「……」

 

 一方、少年は何かを思案するような表情になり、しばらく無言になっていた。

 それにしても、何かが起きる――って予感そのものは的中したみたいだが、こんな形になるなんて思っても見なかったぜ。

 

「そっか……今も、テンニーンが見守ってくれてるのかも……」

「そうそう。だから、な?」

「ふ、ふん! しょうがねぇ、そこまで言うなら一時休戦ってことで手を打ってやらぁ。だけど、勘違いすんじゃねーぞ! あくまでちょっとだけだからな! 怪我さえ治りゃ、お前なんてすぐにブッ飛ばせるってことを忘れるなよっ!」

「ハハ、了解了解。じゃ、早く行くか」

 

 何が何だかサッパリなことばかりだが、どうやら少しだけ大人しくなってくれたようだ。テンニーン、って子に感謝しなきゃ。

 俺は早く部室に帰らなきゃならないことを肝に命じつつ、急ぎ足で自宅へと向かう。

 

 その時の、お姫様抱っこで抱えられた少年は――少しだけ、ほんの少しだけ、穏やかさを湛えた表情で青空を見上げていた。

 



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第167話 変換ミス再び

「……で、何で兄貴がここにいるんだ」

「いーじゃねーか、ちょっと多めに休暇が取れたんだし。新作の純愛ゲーだって持ってきてやったんだぜ?」

「それって『アラサーナース 〜ドキッ! 三十路過ぎてのまさかの初恋!?〜』の続編だろ? シナリオは悪くないんだけど、如何せんバグが多かったんだよなー、アレ。制作期間がカツカツって話は聞いてたけど、盛り上がりどころでフリーズ連発じゃ出るものも出ねぇよ」

「だーいじょぶだーいじょぶ、今回は前作のユーザーからの要望をキッチリ受け止めて、デバッグにデバッグを重ねた超完全版さ。さらに新しいヒロインも追加されてるし、予約特典にはイラストレーターの描き下ろしカードが――」

「玄関前で宣伝の練習してんじゃねーよ……。って、こっちは色々と立て込んでるんだが」

 

 絆創膏を求め、自宅に向かった俺と少年を玄関で出迎えたのは――予定より早く帰省していた兄貴、一煉寺龍亮(いちれんじりゅうすけ)だった。

 百八十センチ以上の長身に、腹立たしい程に整った目鼻立ち、艶やかな茶色を帯びた短髪。世間的に見れば、爽やかな美男子そのもの、と言った風貌と言えるだろう。

 ――エロゲー会社に勤める期待の新人という肩書と、あられもない姿をした美少女キャラをプリントしたTシャツさえなければ。

 

「んお? なんだよ龍太。またお前女の子引っ掛けて来たのか?」

「『また』って何だよ『また』って。つーか、今回のケースは見るからに男だろうが」

「あわわわわ、な、なん、なんなんだこの女の絵は――って、ちょっと待てっ! オレは男じゃ……」

「はいはい、話は後で聞くから。兄貴、消毒液と絆創膏、まだ残ってる?」

「んー? あぁ、リビングの棚にあったと思うぜ。取って来ようか」

「いや、いい。散々はしゃいで喉も渇いてるだろうし、ついでに飲み物でもあげようと思うんだ。君、麦茶でいいか?」

「えっ? あ、お、おぉ……」

 

 俺は少年を女の子呼ばわりする兄貴に首を傾げつつ、玄関の先へ進んでいく。そして、靴を脱がした少年をリビングの椅子に降ろし、近くの棚へ視線を移した。

 日頃から親父との修練に取り組んでいると、どうしても生傷が絶えない。そんな毎日を繰り返したせいで、救急箱の場所が身に染み付いてしまったようだ。

 俺は少年の様子を見遣りながら、棚から救急箱を取り出して絆創膏と消毒液を確認する。プロになったんだし、いい加減着鎧できない状況でも、すぐに応急処置に移れるようにするクセを付けとかないとな……。

 

「あいっ! し、染みるぅ……!」

「頑張れ。これが済んだら傷口を拭いて、絆創膏を貼るだけだから」

 

 痛がる彼の肩を撫で、励ましの言葉を投げかけながら、俺はティッシュと消毒液で処置を行う。最後に絆創膏を貼った時の彼は、地獄から解放されたかのように安堵していた。

 

「おーい、麦茶持ってきたぜぇ」

「あ、悪いな兄貴。そこに置いといてくれ」

「あいよ。……しかしまぁ、随分とお前も出世したもんだ。着鎧甲冑の正規資格者の中で、初めて両方のライセンスを同時に取ったんだってなぁ。しかも、最年少ときた」

「救芽井達が面倒見てくれたおかげさ。それにどっちも補欠合格だから、ニュースにもなってないし」

「補欠だろーが何だろーが、合格は合格さ。兄ちゃん鼻が高いよぉ」

「はは、そいつはどうも」

 

 俺は兄貴が持ってきたコップを手に取り、苦笑いを浮かべながら静かに口を付ける。少年もやはり喉が渇いていたらしく、派手に喉を鳴らして麦茶をがぶがぶ飲んでいた。

 

「で、その娘は誰なんだ? 新しい彼女?」

「ムグッ!? ……ゴホ、ゴホ!」

「ちげーよ、公園で転んで怪我したから連れて来た――って、いつまで女子呼ばわりしてんだ。ほら、君もそんなに慌てて飲んだらむせるに決まってるだろ。別に麦茶は逃げないんだから、落ち着いてゆっくり飲みな」

「ハハハ、こうして見ると、お前もお兄ちゃんになったって感じがするぜ。ちょっと前まで俺にべったりの坊主だったのになぁ」

「そこまで甘えられる歳じゃなくなったからな。まぁ、何でもかんでもこなせるくらいの大人になれたわけでもないけど」

「んー……そうかぁ? 結構イイ男になったモンだと見てるぜぇー、俺は」

 

 そんな時、咳込む少年の背中を撫でる俺に向かい――兄貴は、どことなく暖かさを滲ませた視線を送っていた。例えが変になるが、さながら子供を見送る親のような表情を浮かべている。

 一煉寺家の家訓に沿い、超人的な身体能力を身につけている兄貴の力なら、俺が今まで死ぬ思いで解決してきた事件や事故も、きっと楽勝だったのだろう。それでも俺に任せることで、ここまで育てるつもりでいた……のかも知れないな。

 

「……兄貴が三年前、俺に戦うことを托さなけりゃ、こうはならなかったかもな」

「あー、まぁ、托すっつーか……アレはなぁ……」

「ん?」

「へへ、まぁいいじゃねーかそんなこと。結果として、お前はこんなに偉くなったんだ。それは間違いなくお前の力だぜ。俺なんて関係ねぇさ」

 

 だが、兄貴はあくまで全て俺の力ありきの結果だといい、ゲラゲラと笑っている。三年前、俺が救芽井のための戦いに向かった件については、珍しく歯切れの悪い反応を示していたようだったが……?

 

「まさか。兄貴の二年前のシゴキがなけりゃ、こんなとこまで絶対――あれ」

「どうした?」

「コップ……どれだったっけ」

 

 その様子を不審に思い、手元を見ていなかったせいだろうか。俺と少年に渡された二つのコップ。その区別が付けられなくなってしまっていたのだ。

 無意識にテーブルに置いていた上、互いの飲んだ量もほぼ同じで、見分けられる要素がなかなか見当たらない。……男同士で良かったぜ。これで少年が女子だったりしたら、間違いによるダメージが段違いだもんな。

 

「んー、多分こっちかな」

「えっ!?」

「おほぉ!」

 

 そしてしばらくの間を置き――俺は二つのうちの一つを手に取り、すぐに飲み干してしまった。俺も随分と喉が渇いていたらしい。

 だが――どうしたことか。兄貴は間抜けな声を上げ、少年は再び顔面を深紅に染めている。

 間違い、だったのだろうか。――じょ、女子よりはダメージはないはずだ。た、多分。

 

「かっ……! か、かかっ……!」

「ん?」

「かん、せ……かんせっ……間接! かか、間接うっ!」

「……あーあー、やっちまいましたなぁ、弟よ」

 

 すると、シモフリトマトの如く真っ赤になった少年はいきなり立ち上がり、何かを叫び始めた。

 かんせつ? カンセツ……関節だと? まさか、膝を擦りむいただけだと思っていたのに……打ち所が悪くて、膝関節を痛めたのか!?

 俺は「あちゃー」と言わんばかりに顔を片手で覆う兄貴を一瞥すると、少年の傍に寄り膝を確認しようとする――のだが、慌てて飛びのかれてしまった。

 

「ななっ、なんだっ! こここ、今度は何をする気なんだっ!」

「何って……膝を痛めたなら様子を見ないと。交番に連れていくつもりだったけど、関節痛があるなら診療所が先だな」

「や、やめろっ! ちち、近寄るなっ! まさかお前、つ、次はオレの身体をっ……!」

「心配すんなよ、優しくするから」

「……ッ!?」

 

 きっと、膝の痛みに耐え兼ねて周りを警戒しているのだろう。下手に触られたらもっと痛い思いをしてしまう、と不安になる気持ちは尤もだ。もう一度抱き上げられることに敏感になるのもわかる。

 しかし、そうだと言って放置するわけにも行くまい。膝を痛めたとあっては、無理に歩かせるなど言語道断。

 俺は思いつく限りで穏やかな言葉を投げ掛け、彼の緊張を解そうと尽力――したつもりだったのだが、どうやら逆効果だったらしい。

 俺の言葉を受け、なぜか血管が破裂しそうな次元にまで顔を紅潮させていた彼は、一瞬クラッとなりながらも必死に持ち直すと、怯えるような視線をこちらに向けていた。自分の身体を懸命に抱きしめながら。

 

 ――その姿は、まるで暴漢に襲われるいたいけな少女のようだ。美少女と間違われ兼ねない程の幼い顔立ちや、目元に浮かぶ雫を目の当たりにしたせいで、自分が悪いことをしているような錯覚に陥ってしまう。

 兄貴はそんな俺を呆れ返ったような視線で見つめながら、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。

 

「な、なんだよ?」

「んんー? いやぁ、お前ホントに『そういうところ』は変わらねぇなー、ってさ。ハハハ」

「あわ、あわわわ……! お、犯されるぅうー! 助けてワーリーッ!」

「はぁっ!? ちょ、待っ……!?」

 

 そして、兄貴の面白がるような笑い声が聴覚に届く瞬間。突如、少年は意味不明な叫び声を最大音量で放出しながら、あろうことかその足で逃げ出してしまった。

 何を犯されそうなのかは知らないが、あの足で無理に走らせたら悪化しないとも限らない。止めないと!

 

「行ってくる!」

「おーう、頑張れよ」

 

 俺は猛スピードで駆け出す少年を確保するべく、脳が状況を整理するより先に走り出した……のだが、少年の素早さは俺の予想を遥かに上回っていた。

 律儀に玄関で靴を履き、家の外へ飛び出す少年。僅か二秒足らずでそこまでの動きを見せた彼は、住宅街の塀の上へ飛び乗ると、一目散に逃げ出してしまった。

 人間が危険を感じると、これほどまでの力を発揮するというのだろうか。なんにせよ、塀の上なんて歩かせていたら危険なんてレベルじゃない。

 うっかり落っこちて大怪我される前に、なんとか捕まえないとっ!

 

「よっ、い……しょっ! 待つんだ君、そんなところで走っちゃ危ないッ!」

 

 俺は彼の後を追う形で塀の上へよじ登り、その狭く不安定な道を駆け抜けていく。……なぜだろう。ものすごく事態がややこしい方向に向かっている気がしてならないぞ……?

 

「へへ、こいつぁまた……とんでもねーことが起こる気がするなぁ」

 

 そして、一人自宅に取り残された兄貴は――人知れず、この先の出来事に思いを巡らせるのだった。

 



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第168話 姫君は大変な爆弾を投下して行きました

 あの少年が塀の上を駆け抜け、ただひたすらに走り抜けた先。そこには、商店街を突っ切る通学ルートがあった。

 

「おぉ龍太――って、どうしたんだ? あんなに急いで」

「あら? 今走ってった子……賀織ちゃんじゃなかったわねぇ。誰かしら、あの子」

 

 数多の店の前を涙目で疾走する、長髪の褐色少年。その小さな背中を追い、息を切らして走る俺。そんな約二名の男共に、顔なじみの皆が目を丸くしている。

 ――だが、今は彼らに事情を説明している暇はない。僅かでも立ち止まれば、その瞬間に見失ってしまう。思わずそう考えてしまう程、少年の素早さは常軌を逸していたのだ。

 ただ危険を強く意識しているだけで、ここまでのスピードが出ているとは考えにくい。妙なことばかり言うところも含めて、あの少年――ただ者じゃなさそうだ。

 

 となれば、ますます放って置けなくなる。俺は体重を前方に傾け、前のめりになる勢いで加速した。

 俺が次第に追い付いてきたと悟ったのか、少年も必死に足を早める……が、元々の歩幅が違いすぎるせいもあり、徐々に距離も縮まりつつある。

 

 ――偶然だろうが、矢村の家を横切るルートに入られなくてラッキーだったぜ。もし武章さんに絡まれたりしたら、確実に彼をロストしていたところだ。

 

 それにしても、俺と殆ど変わらない速さでここまでの距離を走れるなんて……この子、一体何者なんだ? 日本人離れした身体能力や、口に出す人名から察するに、外国人には違いないみたいだが……?

 

「……ぐ!」

 

 そして、とうとう学校の近くにまで来た時。少年の走りに、ほんの僅かな乱れが生じた。

 長い髪がふわりと片方に揺れ、それに釣られるように上体が傾く。次いで、猛烈に地面を蹴り続けていた彼の両足が、突然力を抜かれたように失速してしまったのだ。

 それでも子供にしては異様な速さなのだが――俺の目はごまかされない。バテた上に、膝が痛んだのだろう。いくら並外れた体力を持っているとは言え、怪我をした状態でここまで走り続けていて、平気なはずがないからな。

 

 少しずつ差が埋まってきたところへ現れた、その隙を見逃す手はない。俺は畳み掛けるように一気に加速し――ついに、少年の確保に成功するのだった。

 

「とうとう捕まえたっ! そんなに痛むんなら、無理しちゃダメだぞっ!」

「や、やめろぉっ! 離せぇー! オ、オレを、オレを妊娠させる気かぁああー!」

「出来るわけねーだろそんなこと!」

 

 少年の無茶苦茶な言葉にも慣れた――つもりでいたが、やっぱり慣れない。男が男を妊娠させることが不可能ということくらい、小学生でもわかるはずだろう。

 だいたい、子供が妊娠だの犯されるだの、はしたないどころの騒ぎじゃない。親にどんなけしからん教育をされたら、こんな増せるベクトルがおかしい子に育つというのか。

 

「だ、騙されない! オレは騙されないからなっ! いくらテンニーンの顔で優しくしようったって、オレはごまかせないぞっ! ジャップなんかに、騙されるもんかっ!」

「あーもう、頼むから大人しくしてくれ! ご近所さんに迷惑だから!」

「ムグ、ムググ〜っ!」

 

 いろいろ彼について確かめたいところではあるのだが、こうも冷静さを欠いていては話にならない。俺は後ろから抱きしめた状態で、彼の口を掌で塞ぐ。

 少々危険な絵面だが、今は手段を選べない。この子の暴走が収まるまでの辛抱だ。

 俺はジタバタと暴れる少年の動きが小さくなっていくことを確認し、ゆっくりと口から手を離した。どうやら、とうとう疲れ果ててしまったらしい。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……ごめんな、手荒なマネしちゃって。悪いことをしたと思ってる。だけどね、怪我してる時に、あんな無茶はしちゃいけないよ。さ、早く行こう? お父さんやお母さんも、きっと凄く心配してる」

 

 その姿にチクリと罪悪感を植え付けられた俺は、彼と目線を合わせるために片膝をついていた。俺の手を両肩に置かれている少年は、観念したように目を伏せている。

 ようやく落ち着いてくれたか。

 

 ――と、俺は安心した……のだが。

 

「……せよ」

 

「えっ?」

「……返せよ。だったら、返せ。返せったら、返せよッ!」

「な、何をさ……?」

 

「返せよォッ! だったら返してよッ! 父上も、母上も、テンニーンも……国のみんなも、返してよ……みんな返してよぉぉおおぉッ!」

 

 突如、彼は目尻に大量の雫を一瞬で貯え――けたたましい叫びと共に、それら全てを一気に頬へ伝わせる。

 そして俺の襟を両手で掴みながら、縋るような悲痛な声を上げ――泣き叫ぶのだった。

 

「――ッ!」

 

 ……父や母、そして「テンニーン」を返せ。彼は、確かにそう言っている。

 どのような経緯から、このように泣き叫び、訴えているのかはわからない。わからないが、この言葉だけでも彼が置かれている環境というものが、ほんの少しだけ見えてきた。

 

 この少年には――両親がいない。そして恐らくは、テンニーンという友人も……。

 

 それを踏まえて考えてみれば、俺の発言がいかに地雷だったかは容易に想像がつく。単なる迷子か、早咲きの中二病辺りかと思っていたが――とんでもない思い違いだったようだ。

 

「……そっか。ごめんな、なんか」

「うるせぇうるせぇうるせぇっ! お前なんか、お前なんか大嫌いだっ! こいつ、こいつっ、こいつぅうっ!」

 

 掛けるべき言葉を探し、思案に暮れる俺を責め立てるように、少年は両手の拳を何度も俺の頭に叩き付ける。だが、痛みは微塵もなく、ポカポカと軽く当たる感覚しかない。

 先程までの身体能力から察するに、いくら疲れているとは言え、この軽いパンチが全力だとは考えにくい。とにかく感情をぶつけたいという気持ちと、こんなことをしても意味がないという理性がないまぜになり、この程度の攻撃になっているのだろう。

 

 ……むやみに掘り起こされたい話ではなかったはず。彼の怒りや悲しみは、尤もだ。この件に関しては、そうとは知らずに無神経なことを口走った俺が悪い。

 

「う、ぐすっ……ぅ、えぇっ……」

「――辛いよな、ごめんな。思い出させちゃって。じゃあ、今一緒に居てくれてる人を探そっか」

「……ワーリ、ワーリ……どこぉ……」

「そうか。ワーリって人なんだな。……大丈夫。俺が言えたことじゃないけど、その人のところまでちゃんと連れてってあげるから、ね?」

 

 とうとうポカポカと殴る力も無くしたのか、彼は両手で目元を擦りながら啜り泣くようになってしまった。ここに来てようやく、彼の「普通の子供と変わらない」姿を見ることができたようだ。

 俺はそんな彼の頭を静かに撫で、刺激しないようにゆっくりと立ち上がる。そして日に焼けた小さく柔らかい手を、そっと握った。

 

「あ……」

「ホント、ごめんな。俺には何もしてあげられないけど……せめて君を、ワーリって人のところまで送らせて欲しい」

「……ぐす、うっ……テンニーン……テンニーン……」

 

 そして彼の手をそっと引き、診療所を目指して歩み出す。出来る限り彼の歩調に合わせ、優しい言葉を掛けながら。

 ――彼の両親がどうして居なくなったかはわからないが、俺個人にはどうすることもできない問題だろう。仮に故人だとすれば、なおさらだ。レスキューヒーローには、死んだ人間など救えっこないのだから。

 ならば、俺に出来ることは「今生きている」彼を、無事に親代わりの元へ返すことくらいしかない。どう罵られようと、俺は俺に出来ることをするしかないのだ。

 

 一方、少年はすっかり大人しくなっており、俺に手を引かれても文句一つ言わずに無言でついて来ている。さっきまでの彼なら、即効で俺の手を叩いてもおかしくないというのに。

 昔を思い出しているのか、彼は片手で目元を何度も擦り、うわごとのように「テンニーン」という名前を呼び続けていた。……その子とは、こうやって一緒に手を繋ぐ仲だったのかも知れない。

 

 この子については後でじっくり聞き出すつもりでいたが――今はそんな詮索が野暮だということくらい、「鈍感」と常日頃から罵倒されている俺でもわかる。

 そっと、ワーリって人のところまで送ってあげよう。俺がしてあげられるのは、もうそれだけなのだから。

 

「……!」

 

 その時。

 

 ふと、少年は何かに気づいたように目を見張り、その場に立ち止まってしまった。

 急に泣き止んで歩みを止めた彼の様子に、俺はただならぬ異変を感じ取る。

 

「どうした? 具合でも悪くなったのか?」

「近くに、ワーリの気配がある……ワーリがいるっ!」

「ちょっ……君っ!?」

 

 唐突に動きを止め、しばらく辺りを見渡していた彼は――やがて学校の方へ視線を固めていた。

 今度は何を言い出すんだ、この子は? 松霧高校に、そのワーリさんがいると云うのだろうか?

 

 そんな俺の疑問に答えることもなく、少年は俺の手を振り払うと、学校の敷地を隔てる塀をよじ登り始めた。しかも、止めようとした俺の予想を遥かに凌ぐ速さで。

 

「ちょっ、ちょっと危ないよ君っ!」

「ワーリ、ワーリぃっ!」

 

 ものの数秒で、三メートルはある学校の塀を登りきってしまった彼は、俺の制止に耳を傾けることなく向こう側へと渡ってしまう。

 それを見届ける形となっていた俺は、我に返るや否や、彼を追うように塀の隙間に足を引っ掛けた。

 

「……不思議な子だよな、全く」

 

 謎ばかり撒き散らし、予想だにしないアクションを立て続けに起こす彼の背中を思い浮かべ、俺は思わず苦笑いしてしまう。

 そんな彼の無事を静かに祈りつつ、俺は塀の隙間に手足を引っ掛けていった。

 

 そして、俺が学校の敷地内にたどり着く頃。既に少年は、部室棟のとある窓から建物の中に入ろうとしていた。

 ……って、よく見たらアレはウチの部室の窓じゃないか!? てことは、今のあの子は久水や四郷姉妹、それに救芽井達とも鉢合わせしてるってことに――

 

「助けてワーリっ! オレ、このままじゃジャップのお嫁さんにされちまうーっ!」

 

 ――うぇぇえぇえぇえぇッ!?

 



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第169話 嘘だと言ってよ誰か

「そんな……そんなことってッ!」

「――返す言葉もない。だが、事実として将軍殿が話された通り、一煉寺君が戦わない限りダスカリアン王国の衰退は避けられないのだ」

 

 救芽井の叫びが轟き、それに次いで男性の声が静かに響き渡る。

 

 壁、テーブル、椅子、床、天井。それら全てが白塗りで統一された、とある一室。「着鎧甲冑部の部室」とされているその空間には、ここにいるはずのない大人達がいた。その彼らを含むほぼ全員が、この部屋の椅子に腰掛けている。

 黒いスーツを纏う、初老の男性と若い男の二人組。救芽井に言葉を返していた元総理大臣・伊葉和雅と、彼の付き人である古我知剣一。彼らは今、ある日本人に滅ぼされた国の復興のため、海外に身を置いているはずだった。

 そんな彼らが、突然この部室に現れた理由。それを明らかにしたのが、この巨漢――

 

「……私としても、恩人たる貴殿らとの争いは避けたかった。しかし、こうなってはもはや逃れることは出来ぬ。不本意であろうが、私達は戦わなくてはならない」

 

 ――「ダスカリアン王国」を率いる、漆黒の肌を持つ男。ワーリ・ダイン=ジェリバン将軍なのだ。

 彼が身に纏うブラウン色で統一されたスーツは、巨大な筋肉でパッツンパッツンに張り詰めており、いつ内側から破けるかわからない状況である。これ以上のサイズを作れと言われたら、仕立屋さんも大変なのだろう。なにせ、二メートルを悠に越える体格なのだから。

 

 ……それにしても、まさかこんなゴツいオッサンと戦うことになるなんてな。それも、国の命運を賭けて。

 

 伊葉さんの尽力で復興が進んでいたダスカリアン王国で広まる、瀧上凱樹に纏わる噂。そのために、今は国全体が傾きかけているというのだ。

 「将軍より強い戦士が日本にいる」と証明することで過激派の威勢を削ぎ、より多くの国民を救い――王族の権威と居場所を犠牲にするか。それとも憎しみのままに真実を明かし、全ての国民を道連れに王族共々衰退の一途を辿るか。

 それを決めるための決闘に敗れた古我知さんに代わり、「より多くの人命」を取るためのピンチヒッターとして、俺が指名された……ということらしい。つまり、俺の話を聞いた彼らが真の決着のために挑戦して来た、ということだ。

 

「済まない……龍太君。本来なら僕が勝ち、この話を終わらせるはずだったんだ……」

「本来なら戦闘用であってはならない『着鎧甲冑』が、戦闘特化の『必要悪』を差し置いて瀧上凱樹を倒した――となれば、着鎧甲冑の兵器化を目論む勢力に付け入る隙を与えかねん。そういった事態を未然に防ぎ、君の活動を妨害しないためにも、私達で解決するべき問題だった。……恨んでくれても構わん。それでより多くの国民が救われるのであれば」

「おいっ! なに勝手にワーリが負ける前提で話してんだっ! こんなケダモノジャップに、ワーリが負けるわけねーだろっ!」

 

 伊葉さんと古我知さんは、揃っていたたまれない表情のまま目を伏せている。絶対に許されない領域に踏み込み、それを強く自覚している――かのような面持ちだ。

 確かに、むやみやたらに着鎧甲冑の「戦闘力」が明るみに出れば、「兵器じゃなくてもそんなに強いんなら兵器にしちゃえば最強じゃね?」という考えが出て来たって不思議じゃない。そういった事態を回避するための嘘を破ってしまった以上、ここに彼らを連れて来るしかなかったのだろう。

 

「ケダモノですって……!? 聞き捨てなりませんわね。龍太様はただ身に余る程の燃えたぎる獣欲を、ただワタクシの柔肌にぶつけているに過ぎませんわ! それはもう、ケモノのように何度も何度も熱く激しく……むぐ!?」

「捏造はそこまでやッ! ……とにかく、これ以上龍太をバカにしよったらアタシが許さんでっ! さっきから黙って聞いとったら、助けられたクセして言いたい放題やんけっ!」

「……右に同じ。気持ちはわかるけど、許容はできない……」

 

 そんな俺達日本人全て――とりわけ、俺個人を執拗に罵倒する少年、もといダスカリアン王女のダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィ。

 彼女はここに来るや否や、親代わりだというジェリバン将軍に俺のことをものすごく悪い様に言い付けてしまったのだ。今ではそんな彼女に、着鎧甲冑の面々が突っ掛かる事態に発展している。……約一名、ベクトルがおかしいOGも居るのだが。

 他の部員が揃って制服姿だというのに、一人だけスリットがやけに深い黒のチャイナドレスって、どういうことだ。しかも、腋までよく見えるノースリーブというおまけ付き。

 おかげで白くしなやかで、程よく肉の付いた脚や腕が黒との対比でよりエロスに映えて――って、今はそこじゃねぇ!

 

「皆、ちょっと落ち着いて! ……ダウゥ姫、あなたのお気持ちも尤もです。確かに瀧上凱樹の犯した罪は、決して時間だけで解決できる重さではありません。しかし、龍太君も剣一さんも、その罪を清算するために戦っているのです。日本人全てに責任を求め、彼らの誠意を否定するような発言だけは、どうかお控え下さい」

「ふ……ふん、勝手にしろっ! いくらお前達が償おうったって、オレは認めやしないからなっ! お前達が死ぬほど頑張ったって、父上も母上も帰ってこないんだ! ……それに、テンニーン……だって……!」

「ダウゥ姫……」

 

 そんな中でも比較的冷静な救芽井が、なんとか双方の対立を止めようと、ダウゥ姫と向かい合う。だが、そんな彼女の姿勢を目の当たりにしても、当の姫君は反感を示すばかりだった。

 その際に呟かれた「テンニーン」の名に、救芽井は思わず目を伏せてしまう。

 

 ダウゥ姫が頻繁に話題に出していた「テンニーン」。それは俺が思っていたような単なる友人などではなく、彼女にとっての兄代わりであり、初恋相手だったのだ。そして、ジェリバン将軍の息子でもあるのだという。

 十一年前、瀧上凱樹にダスカリアン王国が滅ぼされた時に殺されたらしい。最期まで勇敢に戦った――と、父であるジェリバン将軍は語っていた。余談だが、俺とは瓜二つなんだとか。

 王族という浮いた身分が災いして、気兼ねなく付き合える友人がいなかったダウゥ姫にとっては、生前は気さくだったというテンニーンの存在はまさに希望だったらしい。彼や両親が生き延びていれば、彼女は今ほど激しく俺達を憎んではいなかったのかも知れないな……。

 

「――だからこそ。だからこそ、オレはお前達を許すわけには行かねぇんだ! 特にそこのジャップ! テンニーンの皮を被ってオレを騙そうったって、そうは行かねぇ。テメェなんか、ワーリにボッコボコのギッタンギッタンにされちまえばいいんだ! オレは日本人の情けなんか受けねぇぞっ!」

「なっ……なんやてぇ〜! このチンチクリン、言わせておけばッ! あんたんとこの将軍なんか、龍太に掛かったらグチョグチョのゲチョゲチョなんやけんなっ!」

「ざっけんなっ! ワーリならジャップなんざベキベキのバキバキだっ!」

「なっにをぉ〜っ! 龍太なら将軍なんかモチョモチョのクチャクチャやっ!」

「ズコズコのガチムチだっ!」

「バコバコのムキムキやっ!」

 

 ……という俺の思案を余所に、席を立った矢村とダウゥ姫が何やら口論を始めている。途中から日本語じゃなくなってる気もするが、あんまり水を差すのも難だし今は止めない方がいいのかもな。

 肌が濃い者同士、波長が合う可能性も無きにしもあらず、だし。

 

「あら? そういえば鮎美先生はまだいらっしゃらないのかしら?」

「……お姉ちゃん、昨日から徹夜で何かの研究してた。多分、今頃は地下室で寝てる……」

「そっかぁ……最近ちょっと疲れてるような雰囲気もあったし、今は寝かせておいた方がいいわね。この件のことは、後で教えてあげればいいし」

 

 そんな矢村とダウゥ姫の喧嘩をほったらかしている三人が話題にしているのは、この着鎧甲冑部の顧問にして養護教諭の資格を持っている、四郷鮎美先生だ。四郷のお姉さんであり、瀧上凱樹の元恋人という経歴の持ち主でもある。

 一年前に彼の束縛から妹と共に逃れた彼女は、この松霧町で保健室の先生というポジションを手に入れ、着鎧甲冑部の顧問を兼任するようになっていた。今ではここの地下に造った研究室にて、それまで瀧上に利用されてきた科学力を活かし、人々の役に立つ発明品を作り出すことにも精を出している。

 ……素晴らしいことさ。いつも俺を実験台にさえしなければ。

 

「ハァ、ハァ……やるじゃねーかテメェ。ジャップのくせに」

「ヒィ、ヒィ……へへ、アタシは龍太のためなら鬼嫁にだってなれるオンナやからなぁ」

「何をさっきからノロケやがってっ……! テンニーンだって凄くカッコイイんだぞ! オレをいつも大事にしてくれて、どんな時だって駆け付けてくれて……えへへ」

「龍太やって! アタシが襲われた時なんか、大怪我してでも助けてくれて、手まで握ってくれて……そ、その上、ちゅーまで……にへへ」

 

 一方その頃、矢村とダウゥ姫はさすがに叫び疲れたのか、お互い息を荒げて睨み合っていた。

 ……かと思えば、突然二人とも柔らかな表情を浮かべ、蕩けきった笑顔で何かを呟き始めている。

 

「――って、うるせぇうるせぇうるせぇ! オレはジャップと馴れ合う気はねぇっ!」

「ムッ! そんなん、こっちから願い下げやっ!」

「フン!」

「ふん!」

 

 そこで、とうとう和解したのか――と思いきや、すぐに両方とも鋭い面持ちに変貌し、やがては互いにそっぽを向いて鼻を鳴らしていた。……女の子って、やっぱ不思議だ。

 

「とにかく! オレ達はこれ以上、お前達ジャップの情けを受けるつもりはねぇ! この決闘、ワーリが勝つぜっ!」

「――ゴホン。つまりは、そういうことだ。決闘は一週間後の正午、廃工場にて行う。あそこならば、衆目を浴びることもない」

 

 矢村から飛びのくように引き下がり、ダウゥ姫はジェリバン将軍の傍にピタリと引っ付く。そんな彼女を匿うように立ち上がり、将軍はようやく俺の方へ視線を向けた。

 

「それで、構わないな? イチレンジ殿」

「……上等だ。救える命は救うのが俺の仕事だからな。あんたのやり方を捩じ伏せるために勝つしかないというなら、こっちも全力で行かせて貰う」

 

 こちらへ向けられる、歴戦に裏付けられた鋭利な眼光。その威圧を真っ向から見上げ、俺は啖呵を切る。

 ――確かに、すげぇ気迫だ。古我知さんが負けた、という話もわかる気がする。

 だが、たかが視線一つで屈するような俺じゃない。ダウゥ姫の、何があっても故郷に居たいという想いも捨てるわけには行かないが――全ては、命あっての物種だ。

 

 それを通すためにも、俺はまず……あんたに勝つ。今は、それだけだ。

 

 だから。

 

「つ、つーわけだからさ。も、もういいじゃん。いい加減コレ解いてよ?」

「私達が退室した後に解いて貰えばいいだろう。息子の面影を持つ上に瀧上凱樹を討ち取った勇者となれば、最大限の敬意を以って接するべきだと心得ていたが……さすがに姫様に手を出されてはこうせざるを得ん。我が国で同じことが起これば、極刑も有り得たのだからな」

 

 ……という俺の願いは、悉く打ち砕かれてしまった。縛り上げた張本人に。

 

「まぁ、仕方ないわよ……一国のお姫様にそんなことしちゃったら……ね?」

「ホンット、龍太は相変わらずなんやから……困ったもんやで」

「ワタクシは納得行きませんわ! あんな子供に色香で負けるなど、断じて認めないざます!」

「……自業自得……」

 

 しかも、着鎧甲冑部の女性陣もやけに厳しい。誤解だというのに。

 伊葉さんと古我知さんも、バツが悪そうに俺から目線を逸らしている。「その件については僕らじゃどうにも……」という声が聞こえて来そうだ。

 

 ――そう。

 

 俺は今、海老反り状に縛られるというマニアックな体勢で拘束されたまま、部室の隅に追いやられているのである。みんなが席につき、お茶を嗜みながら決闘について議論している間、ずっと。

 いや、俺にも非はあったと思うよ? やらかした、とは思うよ? だからってさ、三時間もこの状態で放置はヒドイって思うんだ。もう夕暮れだよ? 部活が終わって皆が帰ってる時間帯だよ?

 

 一国の王女を男呼ばわりした挙げ句、胸を触って執拗に迫り、逃げれば息を切らせて追い掛ける。言われてみれば、俺が犯した罪は確かに重い。

 だけど、しょうがないだろう。あんな格好で王女様だと判別する方が無理な話だ。将軍に問答無用で縛り上げられて、ダウゥ姫が女であると約二時間に渡って力説されても、しばらくは納得が行かなかった。というか、整理が追いつかなかった。

 

「とは言え、私とはぐれていた姫様を連れて来てくれたことには感謝せねばなるまい。まさか、姫様の居所を尋ねている最中に貴殿と会うことになるとは思わなかったがな。――では、今日のところはこれで失礼する。決闘の当日に、また会おう」

 

 そんな俺を完全放置するように、ジェリバン将軍は荷物のトランクを抱え上げると、ダウゥ姫の肩に手を置き踵を返す。

 

「……良き少年でしたな。僅かでも、息子に会えたような――そんな気がしてなりません」

「……オレ、わかんねぇ……わかんねぇよ……」

 

 ――錯覚なのだろうか。一瞬、彼女が名残惜しげにこちらを見たような気がしたのは。

 

「将軍殿。貴殿は――それで構わないのか」

「――私は言ったはずだ。『想い』こそが、『命』なのだと」

 

 その時。白い扉を開けて部室を出ようとしたジェリバン将軍の背に、伊葉さんが訝しむような声色で声を掛ける。その問いに、彼は振り向かずに断じるのだった。

 

 姫君の想いを踏みにじるならば、生きていても仕方ないのだと。

 

 それだけを言い残し、将軍は部屋から立ち去っていく。彼を追うダウゥ姫が、一瞬振り返って全員に「あっかんべー」をした時、その扉は大きく音を立てて閉じられたのだった。

 

 ――『想い』が『命』、か。殊勝なお話だが……気に食わない。死んじまったら……それで全部おしまいじゃないか。みんなが死んだら……その気持ちは、いつか消えちまうんじゃないのかよ。

 正しくなんかなくたって、俺はそんなの認めたくない。認めたら、どんな悪い奴でも救う「怪物」を目指したこの一年を、全て否定することになるから。

 俺は――この戦いにだけは、絶対に負けるわけには行かない。戦う相手は将軍じゃない、それでいいのかと問う自分自身だ。

 

「ふぅ……」

「許されないことをしたな……私達は」

「……えぇ」

 

 そして――長い喧騒と議論を経て、ようやく静寂を得た純白の部室。その沈黙を初めに破ったのは、彼らを連れて部室にやって来ていたという、伊葉さんと古我知さん。

 彼らはこの件に強く責任を感じているらしく、二人とも周りと目線を合わせずにいた。互いを見合わせ、沈痛な面持ちで俯き続けている。

 

 これくらい、なんてことない。人命救助が俺の仕事なんだから、ここは俺に任せとけ!

 

 ――と、元気付けてやりたいのは山々なんだが……。

 

「お、おい! 頼むからそろそろ……!」

 

 その前に、このロープを解いて緊縛プレイから解放して貰わないと。いい加減、腰の辺りが苦しくなってきたし……!

 

「あら、龍太君。それをお願いするより先に、私に何か言うことがあるんじゃない? 言わないと……じ、自宅までおんぶの刑よ……」

「それとは別に、聞かないけん話もあるけんな。あのチンチクリンと何をしとったとか、何をしとったとか、何をしとったとかっ! 白状せんと、でぃ、でぃ、でぃーぷ……き……刑……やで……」

「も・ち・ろ・ん、答えて頂けますわよね? もし答えられないとおっしゃるなら……ワタクシが今夜一晩中、一滴残らず……!」

「……梢がやると先輩が死んじゃう。だ、だから、その……ボクが……」

 

 だが、そんな状況であるにも関わらず。俺が死にかけているにも関わらず。彼女達は、縄を解く気配を微塵も見せずにいた。

 ――むしろ、これ幸いと目を光らせ、野獣のような笑みすら……!?

 

 何を言っているのか要領を得ない発言の多さが、得体の知れない恐怖を引き立てていた。伊葉さんと古我知さんに至っては、我関せずと言わんばかりに、目線どころか首まであさっての方向を向いている。

 

 ちょっと待て。詰みじゃないの? 詰みじゃないのコレ?

 

 ――嘘だと言ってよ誰か!

 



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第170話 地下室に眠るバイク

 ジェリバン将軍とダウゥ姫が退室して、数秒後。俺は味方であるはずの着鎧甲冑部に何故か「補食」されようとしていた。

 そんな状況であるにも関わらず、大人二人は我関せずとばかりに視線を逸らしている。古我知さんがようやく助けに入ってくれたのは、興奮した久水先輩にズボンのチャックを降ろされかけた時だった。

 

「……まず、今一度君達には謝らなくてはなるまい。あの事件からもうじき一年が経とうというこの時期に、このような事態に巻き込んでしまったことを」

「僕にもっと力があれば……こうはならなかったはずなんだ。済まない……」

 

 手遅れの一歩手前でやっと重い腰を上げた大人は、着鎧甲冑部の面々を宥め、ロープを解いてくれた。しかしその表情は暗くなる一方であり、夕暮れの影で顔色が窺えない今でも、沈痛な面持ちが目に見えるようだった。

 

「済んだことは仕方ありません……だから、顔を上げてください。お二人とも」

「そ、そうやそうや! 龍太の強さは知っとるやろ!? 今度もきっと何とかなるっ! 絶対やっ!」

 

 そんな彼らを励ますように、救芽井と矢村は立て続けに声を掛ける。その一方で、久水先輩と四郷は浮かない表情で互いを見合わせていた。

 

「戦闘用サイボーグの古我知さんでも歯が立たなかった相手……ざますか。これは、対策を練る必要がありましてよ」

「……少なくとも古我知さんよりは強くならなきゃ、龍太先輩は将軍には勝てない……」

 

 久水先輩の言葉を受けた四郷は、眼鏡をクイッと直して俺の方へと向き直る。その視線は、俺を刺し貫くかのように鋭い。

 それほどの相手なのだと、俺に忠告しているのだろう。

 一年前、ダスカリアン王国を滅ぼした瀧上凱樹との死闘の中で、俺と同等以上の立ち回りを見せていた古我知さん。その彼が一撃でやられた――とあっては、俺も警戒せざるを得まい。

 

「大丈夫さ。この一年、俺が遊びほうけてたわけじゃないってことは皆も知ってるだろう。――きっと、何とかしてみせる」

 

 だが、恐れるようなことじゃない。俺は一年間親父の修練に耐え、レスキューヒーローとして何度も危険な現場に繰り出してきた。

 確かにジェリバン将軍が強敵だというのは事実だ。しかし、躊躇っていては……恐れていては、きっとどこかで迷いが生まれてしまう。

 その迷いで死ぬ人間を増やさんためにも、俺はまず、この決闘には勝たなくちゃならない。

 

「あの二人からすれば、余計なお世話もいいとこだろうが……それでも俺は、死ぬと分かっててみすみす死なせる程、割り切った考えができるタイプじゃないからな」

「そうか……ありがとう、一煉寺君」

 

 俺は自信満々に不敵な笑みを浮かべ、伊葉さんに言い放って見せる。そんな俺の姿も多少の気休めにはなったらしく、彼は安堵したように口元を緩めた。

 

「全く……龍太様の猪突猛進には、いつものことながら呆れるしかありませんわね。あのような恩知らず、生半可な神経の人間ならばとっくに見捨てられているはずでしょうに」

「ま、それが龍太のええところなんやないの? アタシらはしょっちゅうそれでヒヤヒヤしとるんやけどな」

 

 そんな俺の発言に、何か気に食わないところがあったのだろうか。久水先輩と矢村の二人は、目を細めてこちらを睨んでいる。

 

「……あの去り際のダウゥ姫、間違いなく女の顔だった。先輩の無節操さには言葉も出ない……」

「人をやきもきさせるの、すごく上手だもんね。龍太君は」

 

 加えて、四郷と救芽井までもが不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 ……おかしいぞ。妙だ。俺は今、凄くカッコイイ台詞をぶちまけたはずなのに。「龍太君かっこいー」くらいは聞けてもいいんじゃないか? 嘘でも言ってくれていいんじゃないか?

 

「……とにかく、この一週間で少しでも戦い慣れておく必要があるよね。僕に協力させてくれないか」

「そうだな。じゃあ、早速明日から始めようぜ。山の外れに、いい特訓場所があるんだ」

 

 俺は古我知さんの提案に応じ、相槌をうつ。「一煉寺」での修練に、客が一人増えることになりそうだ。

 その時の古我知さんは、一点の揺らぎもない真っ直ぐな眼差しで俺を射抜いていた。自分の失態を少しでも取り返そうと、償おうと……必死なのだろう。

 

「あら。それよりも我が久水財閥本社の地下にある、特設訓練所ならばより効果的な特訓が――」

「背後にチェーンソーを付けたベルトコンベアの上を走る練習はもう御免だ!」

「資格試験前の梢先輩のスパルタを思い出すわね……」

 

 すると、今度は久水先輩が俺にねっとりと絡み付くような視線を送ってきた。その発言から想像される過去を掘り起こされ、俺は条件反射で拒絶反応を起こす。

 俺を庇うように前に立ち、しっしっと追い払うように手を振る矢村を見つめながら、救芽井はしみじみとした口調で俺の古傷をえぐるのだった。

 

「……酷いざます。あのあと、試験前で溜められていた情欲がワタクシの肢体にぶつけられる瞬間を、今か今かと心待ちにしておりましたのに」

「結局行き着く先はそこかいッ!?」

「龍太ッ! 久水先輩に惑わされたらいかんでっ! 歳を取ったらあんなもん垂れる一方なんやから!」

「ふふ、久水財閥特製の秘薬を以ってすれば、そのような些細な問題など即解決でしてよ。これは、ワタクシの母上様ですわ」

 

 矢村は俺の両肩を掴むと、視界全域が小麦色のあどけない顔で埋まる程に、急接近して力説する。そんな彼女の背中を微笑ましく見つめ、久水先輩は胸元のホックを外し――白く膨大な谷間を覗かせた。

 何事かと目を見張る俺の視界を、矢村は両手で封鎖しようとする――のだが、それよりも早く久水先輩の谷間から、一枚の写真が取り出されたのだった。

 俺の目を塞ぐことを忘れ、写真に意識を奪われてしまった矢村は、その中に映されている光景を目の当たりにして……絶句するのだった。

 

 写真に映っているのは、赤いビキニ姿でみずみずしい肢体を強調している、妙齢の美女。外見だけで判断するなら、三十代前半くらいに当たるのだろうか。

 艶やかな茶色のロングヘアーやエメラルドグリーンの瞳など、確かに久水に通じる特徴が見受けられる。あの巨峰も、母譲りだったようだ。

 

 ……だが、三十代では計算が合わない。久水先輩の兄の茂さんは、今年で二十歳を迎えるからだ。

 それに久水先輩は以前、俺に話したことがある。

 

 ――あと十年も経たないうちに還暦を迎える両親は、一日でも早く孫を見たがっている、と。

 

「ぐっはぁあぁああぁあッ!」

「ちょ、矢村っ!?」

 

 その現実という名の一撃が、よほど強烈だったのだろうか。矢村は白目を剥いて血を吐くと、もんどりうって倒れてしまった。

 

「……大丈夫。命に別状はない。それより、そろそろ先輩はお姉ちゃんを起こしに行ってあげて……」

「ハァ……心配ないわ、龍太君。これ、いつものことだから」

「いつものことなんだ!?」

 

 たまに俺以外の部員と女子生徒達で、女子会を開いているという話を聞いたことがあったが……その時も、こんな調子だったのだろうか。

 矢村に限ってそんなことはないと思っていたが……これは、貧血の心配もしなくちゃならないな。

 

 部室の隅に置かれているソファーへ矢村を運ぶ、救芽井と四郷。その背中をしばらく眺めてから、俺は指示された通りに地下室へ向かう。

 テーブル下に隠された秘密の扉を開く先には、底の見えない暗闇が広がっていた。この先で、我が着鎧甲冑部の顧問は人の気も知らずにグースカ寝てるわけだ。

 

「龍太君……君も結構苦労してるね」

「……まーな」

 

 寝かせられた矢村に、うちわで風を送る大人二名。そのうちの一人の労いの言葉を背中で受け、俺はため息混じりの返事で応えるのだった。

 

 そして、俺は自ら怪物に食われようとするかの如く、暗闇の先へ飛び込んでいく。

 だが、底は意外にも浅く、すぐに両足が床に着いてしまった。次の瞬間、暗闇を切り裂くように周囲に電灯が付き――眼前に白い扉が現れる。

 

 その扉に一歩近づいた瞬間、来客を感知した扉は俺を手招きするように開かれた。

 そして、自動ドアを抜けた先には――資料や部品があちこちに散乱した、お世辞にも綺麗とは言い難い研究室が広がっていた。

 

 何に使うのかわからないパーツやら、意味不明な専門用語が飛び交う書類。それらを踏まないように気をつけながら、俺は辺りを見渡し――椅子にもたれ掛かっている一人の女性を見つけた。

 歳は三十代。流れる川のような藍色の長髪をポニーテールで纏めた、病的なまでに白い肌と女優顔負けのスタイルが特徴の美女。……四郷鮎美。四郷の姉にして、着鎧甲冑部の顧問だ。

 

 保健室の養護教諭でもある彼女は、白衣が似合う美人教師として、校内でも人気が高い。――この部屋を見る限り、女子力は皆無のようだが。

 それでも、この女性が世の中に貢献しているのは事実だ。彼女が四郷と二人で救芽井エレクトロニクスの開発に協力し、余分なコストの削減や性能の底上げに成功したことで、人命救助の能率は飛躍的に高まっている。

 まだ開発途中ではあるらしいが、かつて携わっていた人工義肢の技術を応用した、人工臓器の研究も進めているらしい。国内外で、彼女達姉妹の功績を讃える有力者も多いのだとか。

 

 ――それでも、彼女達姉妹は決して表舞台に上がろうとはしない。あらゆる研究機関のスカウトを蹴り、彼女達は今もこの町で暮らし続けている。

 もう、嫌気がさしたのだろう。自分達の力で誰かを傷つけてしまう、そんな可能性を秘めた世界に出ていくことが。

 

「……ん?」

 

 そんな時。

 

 俺の視界に、見慣れないモノが映し出された。以前ここに訪れた時には、置かれていなかったモノだ。

 

 蒼く、流麗なラインを描く――そう、例えるならば、蒼い身体を持つ馬のような形状。

 かつて、四郷姉妹を捕らえていた悪夢の象徴たる、鋼鉄の肢体を彷彿させる――その色を湛えた、一台のバイク。

 その背後には、排気口にしてはやけに巨大な筒が二つも取り付けられていた。

 

 ――こんなもの、いつの間に……?

 

「……ん。あら、寝込みを襲いに来たのかしら? あなたにしては、なかなか強引じゃない」

 

「うッ!?」

 

 そして、それに気を取られていた俺の不意を付くように――鮎美先生は眠たげな目をこすり、挑発的な視線をこちらへ向けるのだった。

 



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第171話 正しさがなくとも

 遅かれ早かれ、こうなるだろうと予感していたのだろうか。

 決闘の件について俺の説明を受けた鮎美先生は、全く驚くような仕種を見せず、穏やかな面持ちで耳を傾けていた。

 

「ダスカリアン王国……そう、あの時の……。私の口から言えたようなことではないけれど、彼らの怒りも尤もでしょうね」

「だけど、このまま日本とダスカリアンが手を切っちまったら、あいつらみんなが死んじまうかも知れないんだ。俺は……認めないぞ、そんなの」

「ふぅん。それで、あなたは将軍に勝って――彼らの居場所を奪おうと言うのね?」

 

 感情のない冷たい声で、鮎美先生は俺の胸中に問い掛ける。

 

 ――そう。この戦いに勝てさえすれば、何もかも丸く収まるわけではないのだ。決闘のルールに沿うならば、俺の勝利は彼らが命より大切にしていた「居場所」を奪うことになってしまう。

 もちろん、敗れれば彼らの命が危ないとわかっている以上、勝ちを譲る気は毛頭ない。例えどれほど恨まれることになったとしても、俺は彼らの「命」だけは見捨てないつもりだ。

 

 しかし、それで彼らが救われるとは限らないという事実は確かにある。

 「命」だけを助けたところで、それよりも大切だったモノを無くした人間を、俺はどこまで守れるというのだろう。身勝手だ、と言われれば、反論の余地はない。

 

 あの時と同じだ。誰もが見殺しにするべきと断じた、瀧上凱樹を助けようとした時と。

 正しくないとわかっていながら、行動せずにはいられないというジレンマ。俺は再び、それにぶつかっている。

 

 彼らの意思に反してでも救うべきか。「決別」を望む彼らの願いを叶えるべきか。

 その葛藤が生んだ迷いは、判断力を確実に鈍らせる。救える人間すら、救えなくなるほどに。

 

 だから、俺は迷わない。例え、間違いだったとしても。

 

「その通り。俺は、ただ『命』を救うためだけに働く。他のことまで、いちいち考えちゃいられない」

「いよいよイビツな方向に染まって来てるって感じね、あなた。まともな神経じゃないわよ」

「そうじゃなきゃ、やってられない時もある」

 

 鮎美先生の言う通り、俺はきっと酷く歪んでいるのだろう。だけど、それは俺自身が望んで変わった結果だ。

 周りで何がどうなろうと、助けられる「命」だけを助ける。そんな「イビツ」な「怪物」という存在であるからこそ、俺は今日まで戦って来られたんだ。

 

 今さら、それを曲げるつもりはない。

 

「そう……最低ね、あなた。どこまでも、女を不幸にさせる」

「何の話だ?」

「こっちの話よ」

 

 頑なに主張を曲げない俺に対し、鮎美先生は辛辣な言葉をぶつける。女がどうの、というくだりだけは要領を得なかったが、最低なのは確かだろう。

 

「とりあえず――覚悟だけは決めて置きなさい。あなたの判断全てが、いつも『正しい』と称賛されるとは限らないのだと」

「ああ、わかってる」

 

 ……最低でもいいさ。最低なりに、やることをやるだけだ。

 

「そういえば、この青いバイクは何なんだ? 前にここに来た時は、こんなの置いてなかったぜ」

「あぁ……それね。ただのガラクタよ」

「ガラクタ……?」

 

 そんな折、俺は視界に映り込んでいた謎の乗り物らしき物体を親指で差し、説明を求めた。しかし、鮎美先生の返答は予想以上に素っ気ない。まるで生ゴミのような扱いだ。

 ただのガラクタ――そんなはずがあるものか。辺り一面に散らばる部品や発明品と比べて、例のバイクは輝かしい程に汚れがない。ボディ全体がまるで、鏡のように磨かれているのだ。

 これが一番新しく造られた作品であるということは、この研究室を初めて見る人間でも容易く理解できるだろう。それくらい、このバイクの存在感は際立っていた。

 

 正真正銘のガラクタでも「鉄屑にしちゃもったいない」と再利用して、たちどころにお掃除ロボットを造ってしまう彼女が、新作のメカをそんな風に吐き捨てるものだろうか?

 確かに一風変わった外見ではあるが、移動手段として使う分には問題なさそうにも見えるし、普段の彼女を知っている身としては、ガラクタと言い捨てる彼女の発言には引っ掛かりを覚えてしまう。

 

「……それにしては随分とイカした出来映えじゃないか。端から見た限りじゃ、ちょっと変わったバイクってくらいにしか見えないが?」

「問題は中身よ。『どうしようもない機構』になるってわかってたけど、結局は知的好奇心に負けて造っちゃったの。結果はお蔵入り直行の駄作だったわ」

「どうしようもない、ねぇ」

 

 こちらと目を合わせず、バイクの方すら見ていない彼女の横顔は、「自分の悪事が発覚した」かのように曇っていた。

 それほどまでに忌まわしい代物だとでも言うのだろうか? この不思議なオートバイは。

 

「――さ。そろそろ良い時間だし、上に上がらなきゃね。剣一君と和雅さんも来てるんだったかしら?」

「ああ。古我知さん、先生に会いたがってたぜ」

「ふーん? まだまだお姉さんに甘えたい年頃なのかなー?」

 

 やがて鮎美先生は俺との対話を切り上げると、椅子から立ち上がり地上を見上げる。――まるで、追及を避けるかのように。

 そして俺から古我知さんの話題を振られた頃には、妖艶な笑みを浮かべて微笑む、いつも通りの姿を見せていた。

 ……あぁ、こりゃあ気づいてないな絶対。古我知さんも苦労が絶えんねぇ。鮎美先生の鈍さにも、困ったもんだ。

 

「さ、じゃあ行きましょうか。それとも……あなたも先生に甘えたい?」

「謹んで遠慮しとく」

「あん、いけず」

 

 俺がここに来た時に入った穴とは別に、この研究室には地上に繋がるエレベーターがある。

 そこに向かう直前、鮎美先生は俺の方へ振り返ると、白衣を開いて黒いチューブトップを露出させた。

 黒い布に最低限の範囲で包まれた、白く豊かな胸がその勢いで上下に揺れる。さらに彼女は挑発的な笑みを浮かべると、男を誘うように、青いミニスカートに包まれた腰を淫らにくねらせた。

 俺はその瞬間を網膜に刻み込んでから、早急に扉を閉じるように白衣を元に戻す。これ以上は古我知さんと茂さんに申し訳が立たんからな。

 その際に彼女の口から漏れた嬌声を聞き流し、俺は肩を掴んで無理矢理進む方向を修正した。

 

 そんな俺の対応に「釣れないわねぇ」とぼやきながら、鮎美先生はようやくエレベーターの中へ進んでいった。その姿を追うように、俺もついていく。

 俺達が乗ったことを判断したコンピューターは、ボタンで操作するまでもなく動きはじめる。向かう先は、壁にある部室の隠し扉だ。

 

「ふふ、残念。階段で上がるんだったら、お姉さんのセクシーなパンティーが見えたかも知れないのにねぇ」

「そんなモンに興味はない。見えるか見えないか、そのギリギリの絶対領域にこそ価値がある。見えないからこそ、人は想いを膨らませることが出来るんだ」

「へぇ〜……勉強になるわ」

「いや、あんたはすんなよ」

 

 そんなたわいのない雑談を交える俺達を、エレベーターは地上まで導いていく。やがて白い部室の壁はエレベーターの自動ドアと化し、真っ二つに開かれた。

 着鎧甲冑部のメンバーは見慣れた光景ゆえに大した反応は示さなかったが、大人二人は俺達が壁から出てきたことに目を丸くしていた。

 

「は、はわわっ! ああ、鮎美さんっ!」

「久しぶりね、剣一君。ちょっと焼けたかしら? ふふ、カッコイイわよ」

「ああ、ありがとうございますっ!」

 

 ――若い方が顔を真っ赤にしてあたふたしてる事実は、触れないでおこう。本人の名誉のためにも。

 

「あ、お帰り龍太君」

「おう。……矢村の奴、まだ寝てるのか」

「龍太様、随分と遅れましたわね? 鮎美先生と何を話されて――ま、まさか先生からセクハラを受けてッ!?」

「そんなわけな――」

「ふふ、むしろ私がされちゃった」

「――うおおいッ!?」

 

 だが、鮎美先生にはそういう心遣いってものがないらしい。彼女は一瞬にして、俺の社会的生命をレッドゾーンに叩き込むのだった。

 

「ななな、何ですってぇえええ!? 鮎美先生、どのようなプレイをされたのか説明してくださいましッ!」

「どこに説明求めてんだー!」

 

 久水先輩はおかしなベクトルで事情聴取を敢行し。

 

「凄かったわよぉ……。ケモノのように後ろから抱え込んで……激しかったわぁ。もう無理って泣いても聞いてくれなくて、そのまま何度も何度も……」

「捏造すんなー!」

 

 鮎美先生は頬を染め、楽しげに事実を捩曲げ。

 

「そ、そそ、そんなにっ……!? どど、どうしよう、私、耐えられるかなっ……!?」

「信用すんなー!」

 

 救芽井は真っ赤な顔を両手で覆い、あらぬ妄想を膨らませ。

 

「……先輩、ケダモノ……」

「誤解だー!」

 

 四郷は道端に散らばる生ゴミを見るような眼差しで、冷酷に睨み。

 

「龍太っ! それってどういうことなんっ!?」

「このタイミングで目を覚ますなー!」

 

 矢村はこの状況で覚醒して憤慨し。

 

「龍太君ッ! 君という人はなんてことをーッ!」

「もう勘弁してくれーッ!」

 

 古我知さんは俺の胸倉を掴み上げ、端正な顔を鼻水と涙で台無しにしながら、猛烈に泣き叫んでいた。

 

 この多方面からの波状攻撃を受けて、耐えられる人間などそうはいない。俺は頭を抱えてうずくまると、カエルの如く飛び跳ねながら部室の外へと逃走するのだった。

 

「……苦労が絶えんね、君は」

 

 ただ一人の理解者の存在を、認知することもなく。

 



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第172話 夜道を駆ける姫君

 それからの日々は、修練の連続だった。

 学校の授業が終わった後は、兄貴と古我知さんを加えての猛特訓。家に帰れば、一煉寺家の男三人で戦術会議。

 

 早朝、昼休み、放課後から夜中まで。それら全ての時間を、戦うためだけに費やしていた。

 クラスメートや顔なじみのおっちゃん達は、そんな毎日を送る俺の顔を見て様子の変化を感じているようだったが……今は、そのことに気をかける暇はない。

 

 救芽井達女性陣も、見守ったりタオルや飲み物を持って来たり――という形で、俺の背中を押してくれている。特に矢村は体育会系出身のスポーツ少女なだけあって、サポートの手際がズバ抜けていた。

 普段こういう部活のマネージャーのような仕事をしていない救芽井や四郷も、慣れないなりに手を尽くしてくれてるし――俺も、彼女達の誠意にはしっかり応えなくちゃな。……久水先輩のマッサージだけは、刺激がイロイロ強すぎて考えものではあるのだが。

 

 ――そして、今日で特訓開始から四日。そろそろ、一週間の修練も折り返しの時期に入る頃合いだ。

 

 毎晩恒例の「汗だくになった俺の道衣を誰が洗うか」という謎の闘争。着鎧甲冑部員による、その意味不明で不毛な争いを鎮めた後、俺は入浴を済ませてから夜道の散歩に繰り出していた。

 ちなみに、久水先輩だけはこの闘争には最初から参加させないようにしている。初日の特訓の後に、俺のパンツを頭から被ってアヘ顔を晒すという大事件を起こしたからだ。

 

「……はぁ」

 

 寝間着の赤いジャージ姿で、夜風を求めて通り慣れた道を行く。

 心地好い風を浴びているというのにため息が出てしまうのは、十中八九女性陣の仕業だ。決して特訓の疲れだけではない。

 

「龍太君の道衣、汗びっしょりだし臭うでしょ? 私が洗うから、ね?」

「いやいや、樋稟のキレーな手を汚すわけにはいかんやろ。龍太ってホンットに汗っかきなんやから。……ほやけん、アタシが洗ったるけん、な?」

「……先輩の道衣を洗うのは後輩の仕事。先輩方の手を煩わせるわけには行かない……。ここは、ボクに任せて」

 

 穏やかに笑みを浮かべ、そんな調子で譲り合いを繰り返していた三人。端から見れば、優しさゆえに起きてしまう微笑ましい光景に映っていたことだろう。

 だが、俺には分かっている。あの時の三人は、片時も目が笑っていなかった。

 しかも、そんなに嫌なら俺が自分で洗うと言い出せば、「疲れてるんだから休んでろ」と三人揃って強烈な眼光で訴えてくるのだ。一体、どうしろと。

 

 結局じゃんけんでランダムに決定するまで譲り合いは続き、それまで俺は安心して風呂に入ることすら出来なかったわけだ。普段は基本的に仲良しな彼女達だが、たまにこういう意見の不一致が起こると、なかなか纏まらないのが玉に傷かな。

 ……ま、なんにせよ四人共、特訓に掛かりっきりになってる俺の面倒を見てくれてることには違いないんだ。感謝しなきゃ。

 

「あーでも、やっぱりもう少し仲良くなって貰う方が俺としては――ん?」

 

 そうして、彼女達が本当の意味(?)で笑い合う未来に思いを馳せた時。

 見慣れた曲がり角に、小さな人影が――

 

「いでっ!」

 

 ――転んでいた。

 あの声と、長髪が揺れるシルエットはもしや……?

 

「お姫様が何やってんだ、こんな時間に」

「え――げっ!? 偽物ジャップっ!?」

 

 駆け寄ってみると、俺の予想が的中していたことがわかる。水玉模様のパジャマを着ていることから、彼女も風呂上がりである事実が窺えた。

 月の光に照らされた艶やかな褐色の肌と桜色の唇が、麗しく輝く。それを目の当たりにして、ようやく俺は彼女が「姫君」なのだと実感することが出来た。

 相変わらずのジャップ呼びだが、これを矯正するにはなかなか骨が折れそうだ。なにせ伊葉さんや古我知さんはおろか、あのジェリバン将軍が注意しても最後まで治らなかったのだから。

 

 ……それにしても、彼女が転んだ後に必死に拾って抱き抱えている袋と皿が気になる。この袋は……ペットフードじゃないのか?

 

「ジェリバン将軍の話じゃ、二人共民宿に泊まってるって聞いてたけど……」

「う、うるせぇ! お前には何の関係も――あーっ!」

「な、なんだぁ?」

 

 すると、俺の追及を遮るようにダウゥ姫が大声を上げる。近所迷惑なお姫様だな……安眠妨害など、おいたが過ぎますぞ。

 一方、その小さくか細い人差し指は、俺の肩越しに塀の上を狙っていた。その先を視線で追う俺の眼前に、一匹の猫が現れる。

 

 虎模様の小さな猫――恐らく野良だろう。この辺りにペットを放し飼いにしてる家庭はなかったはずだ。

 闇夜に紛れ、静かに俺達を見つめていたその小猫は、やがて逃げるように塀の上を走り去っていく。まるでどこかの姫様みたいだな。

 

「ま、待ってー!」

「おい、ちょっ……しょうがないんだから、全く」

 

 その後ろ姿を見届けた俺の脇を、ダウゥ姫が慌てて駆け抜けていく。何度も転んでは、起き上がりながら。

 せっかく風呂に入った後だってのに、あれじゃ意味がない。ジェリバン将軍も大変だな……。

 

 だが、今の流れでおおよその事情は読めた。ダウゥ姫は、あの野良猫を世話しようとしてるんだな。

 一時的に民宿に泊まってる以上ペットなんて飼えないけど、放っておくのも可哀相だから餌だけでも買ってあげてる――ってところだろう。ジェリバン将軍が同伴してないってことは、また「抜け出してる」ってことか。

 

 そういえば俺も小学生の頃、捨てられた犬に色んな食べ物を持ってきて、面倒見ようとしてたことがあったっけな。結局、その犬は別の家庭で引き取られちまったけど。

 ……だからまぁ、彼女の気持ちはわからなくもない。だけど、引き取り先がいるって保証がないまま餌をやり続けても、いつかは面倒を見れなくなっちまうわけで……。

 もしかしたらダスカリアンに連れていくつもりなのかも知れないが、向こうの環境に日本の猫が対応できるのだろうか。

 

 必死に髪を揺らして小猫を追う、水玉模様の小さな背中。それを追いかけながら、俺は彼女と小猫の別れを想像してしまうのだった。

 

「あっ……!」

 

 ダウゥ姫が走り出してから、約一分。

 小さな空地をゴール地点にして、少しばかりの追跡劇はようやく終結を迎えた。

 

 急に塀から飛び降りた小猫は、忍者の如き素早い動きで空地を駆けると、隅に置かれていた段ボールの中に入り込んでしまった。

 段ボールの中は新聞紙が敷かれ、近くには安物の傘が置かれている。恐らく、全てダウゥ姫が用意したものなのだろう。

 

「よかった……ウチに帰ってるだけだったんだな。オレから逃げてるみたいだったから、てっきり嫌われちまったのかと思ったよ」

 

 すっかり大人しくなった小猫は、安堵した表情のダウゥ姫に抱き上げられると、嬉しそうに鳴いていた。彼女には随分と懐いているらしい。

 

「そっかぁ……オレのこと探してくれてたんだなぁ……。可愛いヤツめ、うりうり」

 

 ……猫の散歩を凄くいい方向に解釈しながら、頬すりを行うダウゥ姫。風呂上がりってこと忘れてませんか姫様。まぁ、彼女と一緒に走ってた俺が言えたことじゃないんだが。

 

「なるほど、こういうことだったわけか。で、どうするんだよこの子。引き取るのか?」

「……ワーリには、ダメって言われた。日本の猫は、ダスカリアン周辺の熱帯地域に適応できないって……」

 

 どうやら、ジェリバン将軍には猫のこと自体は知られていたみたいだな。案の定、お断りだったようだが。

 それを知った上で、こうして世話をしているところを見るに、やはり諦め切れなかったのだろう。日本人は嫌いでも、日本の猫はお気に入りらしい。

 

「しょうがないさ。生まれ育った場所が一番過ごしやすい、ってのは動物でも人間でも当て嵌まる。ダウゥ姫だって、故郷に居たいからジェリバン将軍に勝って欲しいんだろう?」

「あ、当たり前だ! お前達ジャップの言いなりなんて、絶対嫌だからなっ!」

「……ま、そうだろうな。だったら、猫の立場も汲んであげなよ。この子も、今のこの町の方が暮らしやすいはずだ」

「う……」

 

 相変わらずの悪態だが、初対面の頃ほど話が通じないわけでもないらしい。言葉を詰まらせ、しばらく俯いた彼女は、観念したように小さく頷いていた。

 さて……この娘を安心させるには、新しい引き取り先を見つけるしかなさそうだな。もちろん、決闘の対策が専決ではあるが。

 

「ごめんな……グレートイスカンダル。いつかお別れしちゃうけど、それまでオレ、頑張るからさ」

「……はい?」

「あ? なんだよ?」

「い、いやその……今、なんて? グレート椅子噛んだる?」

「グレートイスカンダル。この子の名前だよ、カッコイイだろ?」

「あ、ああ、カッコイイデスネー」

 

 ……にしても、このネーミングは何とかならかったんかいな。ま、まぁ個性に溢れた名前ってことにしとくか。深く考えたら負けな気がする。

 

「とにかく、決闘が終わったらこの子の引き取り先を探そう。いつまでもここで過ごさせるのもマズいからな」

「……」

「大丈夫だって。この町には結構、動物好きな人が多いんだ。よっぽどのことでもなきゃ、保健所送りになんかならないよ」

 

 既に名前も決まっているようだし、後は育ててくれる環境を見つけるだけだ。

 俺は膝を曲げ、目線の高さを彼女に合わせる。そして、少しでも安心できるように精一杯笑ってみせた。

 

「……」

 

 だが、彼女からの返事はない。訝しむような視線をしばらく俺に向けたかと思うと、やがて視線をプイッと逸らして屈み込んでしまう。

 猫に餌をあげるつもりらしい。袋を破り、程よい範囲で皿に盛っていく。……たまにこちらをチラチラ見ているのだが、これは「お前邪魔だからとっとと帰れ」と言いたいのだろうか。

 

 確かに俺は別に役に立っているわけでもないし、居ても意味がないとは思う。だが、俺は今すぐにここを離れるわけには行かなかった。

 この町は随分と平和になった――とは言え、元々は日本屈指の無法地帯だ。三年前にファミレスで起きた強盗事件のように、その名残も僅かにある。

 彼女としては、何かあってもジェリバン将軍が解決してくれる、という期待があるからこその単独行動なのかも知れない。が、彼とて人間だ。その可能性は絶対ではない。

 そこまで知っていながら、警察用着鎧甲冑の資格者でもあるこの俺が、本人の言いなりになって引き下がるわけには行かない。鬱陶しがられるだろうが、やむを得ないのだ。

 

「……感謝なんて、しないからな」

「あはは、そうか。残念だな」

 

 餌をやり終えて、ダウゥ姫が立ち上がると――再び手厳しい言葉が炸裂。僅かに紅潮し、むくれた褐色の頬を目の当たりにして、俺は苦笑いを浮かべるのだった。

 

「じゃあ、お休み。グレートイスカンダル」

 

 そして、微かな微笑みを愛猫に送り、彼女は空地を立ち去っていく。ようやく帰宅、というところか。

 入口でジェリバン将軍が待ち構えてたら、詰み状態もいいところだけど……仕方ない、か。

 

 俺はダウゥ姫の隣に立つと、無言のまま彼女のペースで歩き続けた。当然ながら、ダウゥ姫がギラリと敵意の篭った眼光を放つ。

 

「なんだよテメェ。ジャップ風情が、まだ何か用があるのか」

「夜道は少々危険だからな。途中まで送っていく」

「ハッ、バカ言ってんじゃねーよ。オレにはワーリが付いてるんだ、ジャップの手なんか借りるかよ」

「必要あろうがなかろうが、俺が好きでやってるだけだ。気に食わないなら、カカシと思ってりゃいい」

「す、好きッ!?」

「ああ、大好きさ」

 

 やはりいい感情は持たれない――か。予想はしていたが、実際にその通りになるとなかなか来るものがある。たまには外れてもいいのよ?

 ――だが、俺自身が望んでこの仕事を請け負っている以上、こんなところで手を抜くわけには行かないからな。そこだけはハッキリ伝えないと。

 

「ふふ、ふざけんじゃねぇえ! テンニーンの顔でそんなこと言ったって、オオ、オレは騙されにゃいぞっ!」

「落ち着けよ、噛んでるぞ」

「ひにゃあぁ!?」

 

 そう思い立ち、この仕事を「大好き」と言い切って見せたのだが……さらに煽る結果を招いてしまったのか、彼女は鼻先まで真っ赤にして怒り出してしまう。激しく憤怒する余り、噛んでしまうほどに。

 なんとかその興奮を鎮めるべく、俺は彼女の両肩を抑えて説得に掛かる――が、彼女はさらに裏返った悲鳴を上げ、顔面が破裂しそうなほどに赤面していた。

 

「だめっ……! だめだめ、だめえっ! ジャップのお嫁さんなんて、だめぇっーっ!」

「うわっ!? ちょ、待っ……!?」

 

 しばらく涙目になっていた両眼をギュッとつぶり、イヤイヤと首を左右に振っていた彼女は、やがて俺を力一杯突き飛ばすと一気に走り出してしまった。

 少しでも目を離すと、あっという間に見失いかねない速さ。――だが、見過ごすわけには行かない。

 

 俺は自分が風呂上がりだという事実を敢えて投げ出し、ダウゥ姫の背中を目指して全力疾走するのだった。

 

 ――それから、約三分。

 古ぼけた小さな民宿の前で、膝に手を置き息を荒げる彼女に、ようやく追いつくことが出来た。

 どうやら、ここが例の宿泊先で間違いないらしい。この辺りにある宿泊施設と言えば、ここしかないからな。

 そういや俺も昔、家の風呂がブッ壊れた時にここの温泉を使わせて貰ったことがあったっけ。あの時は兄貴とふざけてた弾みで女湯までブン投げられて、大騒ぎになったんだよなぁ。

 

「さ、ようやく着いたな。俺はもう帰るけど……やっとこれが言える。『お休み』」

「……」

 

 彼女の息が整うのを待ってから声を掛けたつもりだったのだが――相変わらず返事がない。どうしても俺と仲良くすることはできないようだ。

 ……これ以上、ここに居ても仕方ない。ジェリバン将軍と鉢合わせしたら、余計にややこしいことになるし……今日は引き上げるか。

 

 時には、諦めも必要。そう判断し、彼女の返事を待たないまま、俺は踵を返す。

 そして、彼女の背中を一瞥してから、その場から静かに離れて行った。

 

 ――だが。

 

「そ、そんなに残念だってぇなら、しょーがなく感謝してやらねぇわけでもねぇけどよ……勘違いだけはすんなよ。……お、お休み」

 

 俺のお節介も、まんざら無駄ではなかったようだ。

 



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第173話 花淵の血、一煉寺の拳

 翌朝の修練の終わり。

 大自然に彩られた緑色の世界を、寺の外から見詰める古我知さんは――不機嫌だった。

 

 別に、今日の特訓内容に不満があったわけではない……はず。訓練中の彼は、常に真剣で生き生きとしていた。

 しかし、今の表情は晴れやかな空に反するように曇り、視線は遠いどこかを見据えている。手の届かない誰かへ、想いを馳せるかのごとく。

 

 ――その理由をいちいち本人に問い質すほど、野暮なマネをするつもりはない。今朝のニュースを見た時から、彼がこうなるのは想定内だったからだ。

 

 起床し、修練に向かう前に軽い朝食を摂っていた時。迎えに来ていた古我知さんと一緒に見たテレビのニュースに、あの茂さんが現れたのである。

 今、世間を賑わせているという「レスキューカッツェ」と、それに協力していた「救済の超機龍」。この二つの存在を生んだ救芽井エレクトロニクスのスポンサーである「久水財閥」にスポットが当てられるのは、確かに当然と言えば当然だろう。久水家当主の茂さんの露出が増えても、不思議ではない。

 

 ――だが、その茂さんが画面に映った時から、既に古我知さんの表情は目に見えて険しいものになっていたのだ。

 財力を嫉んでいるわけではない。スキンヘッドを羨んでいるわけでもない。古我知さんの機嫌が思わしくないのは……鮎美先生が原因なのである。

 

 一年前。瀧上凱樹と事実上破局した鮎美先生は、自分を救うため懸命に説得に励んでいた茂さんの感情に触れ――それ以来、どこと無く彼に気があるそぶりを見せるようになっていた。

 その一方で、古我知さんにとって鮎美先生は幼い頃からの憧れであり、未だに継続中の初恋相手なのである。……もはや、この先は言うまでもあるまい。

 

『巷の噂では、久水会長とかの「救済の超機龍」はプライベートの付き合いもあるとか……』

『ふん、まぁな。奴はどうしようもない女たらしではあるが……使命感にかけては右に出る者はいまい。そこそこ骨はある、とワガハイは見ている。我が妹にまでちょっかいを掛けた罪は重いが、な』

『ちょ、ちょっかい……!? すると、「救済の超機龍」が幾多の女性と関係を結んでいる、という都市伝説は――!』

『おっと、そこまでにして貰おう。あの男を罵倒することが許されるのは、全世界に於いてこのワガハイ以外には居ない、ということを忘れないで頂きたい。……そんなことより鮎美さん、見ていますか? 今度の交渉を終えた後の予定として、東京のスイートホテルを手配しております。そこで是非ワガハイとムヒムフムホホー!』

『……え、えー、久水会長が大変いかがわしいハッスルをしてしまわれたので、以上で中継を終わります』

 

 記者会見で堂々とあそこまでハッチャケられては、古我知さんの心境も穏やかではいられないだろう。

 俺への中途半端なバッシングと鮎美先生へのアプローチを公共の電波に乗せる行為は今に始まったことではないのだが、日本に帰国して間もない古我知さんからすれば、新鮮を通り越して衝撃的な映像だったに違いない。

 また、この言動ゆえ彼は日本最大の財閥のトップでありながら、世間ではさながらタレントのような扱いを受けている。以前に救芽井と茂さんにニュース番組へのゲスト出演を依頼していた業界人が、ネットで「この国もうダメポ」と呟いていたそうだが、多分間違いじゃない。

 久水財閥と救芽井エレクトロニクスの共同事業が功を奏して、国内経済は格段に向上しているという話だが――代わりに大切な何かを失っている、ということだろう。物理的な繁栄の代償があのハジケ放送テロなのだとしたら、今の好景気にも納得……したくないな。

 

「龍太。もうじき例の決闘が始まる時期になるが……その前に一つ、お前に話しておくことがある」

「ん? どうしたんだよ」

 

 茂さんの暴走を思い出し、辟易していた俺の背に親父の声が掛かる。振り返った先にある厳つい顔は、いつにも増して真剣だ。

 大方、戦いにおいて忘れてはならない心構えでも説こうというのだろう。決闘の数日前に格闘技術について指摘したところで、すぐに直るものじゃないからな。

 

 俺はじだんだを踏んで頬を膨らませている古我知さんを一瞥してから、法衣を纏う広大な背中を追う。

 一方、俺と同じ道衣を身につけた兄貴は、古我知さんの肩を叩いて恋路を励ましている――かのようだったが、本人の表情は明らかに「面白がっている」人間のソレであった。

 

「まー何だ、そのうち振り向いてくれるかも知れねぇじゃねーか。お前の後ろの彼氏にな!」

「ふぐぅぅうぁあああ!」

 

 ……いや、励ますフリですらなかったか。

 

「我が一煉寺家が、かつては花淵と云う医師の家系であったことは――以前に話したな?」

「え? あ、あぁ。ひい祖父ちゃんが戦後に作った家名だったんだよな。去年聞いたよ」

 

 背後に響き渡る青年の慟哭。それに気を取られていた俺の意識を引き戻すように、畳部屋まで進んだ親父は重々しく口を開いた。

 一煉寺家誕生の経緯なら、既に聞き及んでいる。ただの一般家庭だと思っていた自分ちが、代々続く拳法家の家系と知った時も驚いたものだが……その源流が医者の名門だという話を聞いた時は、さすがに目を見張った覚えがあった。

 元々の家柄が学問関係のものだったとは思えないほど、親父と兄貴は自身を人外の域に達するレベルで鍛え上げている。そこまで遺伝子を捩曲げてしまわなきゃならないほど、ひい祖父ちゃんは「力」を渇望していたのだろうか。

 

「うむ。俺の祖父、花淵龍平は『人々の命を救う』ための力をひたむきに追い求めていたそうだ。空襲で、家族を失うまではな」

「そのあとは再婚して祖父ちゃんを授かったけど、次の奥さん――ひい祖母ちゃんも亡くなって、親父が生まれた頃にひい祖父ちゃんも……だったよな。俺も、祖父ちゃんの顔は見れず仕舞いだった」

「そうだな。お前が生まれて間もない頃、祖父の龍巌も病に倒れ、この世を去った。俺達の遺伝子には、孫の成長を見守れない呪いでも掛かっているのかも知れん」

 

 自嘲気味に笑みを浮かべ、開いた障子の先を見詰める親父の背は、その大きさにも関わらず「寂しさ」を湛えているかのように映る。兄貴のエロゲー趣味には反対していたような親父が、俺の周りに女の子がたくさん居る事実には大して口を出さない理由が、少しだけ見えたような気がした。

 

「その不幸を背負った上でも、我が父と祖父は『敵を打ち倒す』ことを追求する拳法を目指した。人々と助け合う――『自他共楽』を尊ぶ少林寺拳法本来の理念に背いてでも、な」

「この家なりの鍛え方はそうだったのかも知れないが……兄貴に教わった拳法は、そんなにイビツなもんじゃなかったと思うぜ」

「拳が向かう先を選ぶのは、拳を握る者の心だ。お前がそう思うなら、そう信じても構わん。だが、お前はこの歪んだ拳法の家に生まれながら、武力を求めぬ『花淵』の血に沿う生き方を選べる男だ。俺がこの寺を去ったのも、龍亮がお前を守るためだけに拳法を学んだのも、全ては『一煉寺』の力を消し去り、『花淵』の本懐を取り戻すためだったのかも知れん。本当なら、お前は戦うことはおろか、拳法に触れることすら望まれてはいなかったのだからな」

 

 ――親父の言う通り、俺は四年前までは拳法に関わることなく、普通の子供として暮らしていた。

 三年前の事件がなければ、自分の家系の実態を知ることもなかったのかも知れない。

 

 母さんに貰った俺の名前には、「拳法に頼らずに太く逞しい子に育つ」という願いがあった。

 それに真っ向から背いてしまった俺に残された、名前負けにならない道。それが、着鎧甲冑を使うレスキューヒーローという世界なのだ。

 戦いだけを専門としない生き方を選ぶことで、俺は少しでも母さんの願いに応えようとしたのかも知れない。自分自身の夢を叶いたい気持ちだけでは、ここまでたどり着くことはなかったはずだ。

 

「……『花淵』の名は絶え、血だけが残った。そして『一煉寺』の力もいずれ消え去り、技術だけが残る。それを受け継いだお前が何を成すかは、お前が決めることだ」

「……」

「いかに技を磨こうとも、決闘について不安に思うところはあるだろう。経験で遥かに上回る相手との戦いに、焦ってはならんというのは無理な話だ。しかし、お前には『敵を打ちのめす拳法』と『人々を救うために邁進してきた血筋』が付いていることを忘れるな。異国で医師としての使命に殉じた母も、お前を見守っていよう。あの頼もしい少女達だっている」

 

 ――経験で遥かに上回る相手との戦い、か。

 確かに、ジェリバン将軍の強さは尋常ではないだろう。古我知さんを一撃で倒せる相手と聞いて、警戒しないわけがない。

 

 俺自身もこの一年間でかなり腕は上げたつもりだし、「救済の超機龍」の性能も初期型より大幅に底上げされている。

 それでも不安がないと言えば嘘になるし、今の特訓で十分なのかも正直わからない。俺はまだ、彼と戦ったことがないのだから。

 

「だから……気負うことはない。お前は、一人ではないのだから」

「……ああ。『俺達』できっと、なんとかしてみせる」

 

 しかし、無理だとは思いたくない。

 ここまで来ておいて、家族や仲間からさんざっぱらお膳立てされておいて、やっぱりダメでした――なんて結末、俺はまっぴらだ。

 

「そうだな。それに――お前には、賀織君も付いている」

「ブフッ! な、なんでまたこのタイミングで矢村なんだよ!?」

「何を慌てている。お前と彼女の視線を見れば簡単にわかることだ。ご両親への挨拶は済ましたのか? ちゃんとお土産は用意したか?」

 

 ……せっかくいい話だったのに、妙なところで掻き乱してくるから困る。すると、俺が親父のお節介に呆れていたところへ――

 

「龍太ぁー! 早う行かんと遅刻やでぇえーっ!」

 

 ――示し合わせたようなタイミングで、矢村本人の声が向こうから響いて来たのだった。噂をすれば何とやら、とは正にこれである。

 

「……む、もうそんな時間か。龍太、学校まで優しくエスコートしてあげなさい」

「やかましャア! あーもー、とにかく学校行ってくる!」

 

 俺は畳み掛けるような親父の世話に悪態をつき、さっさと制服に着替えて寺の外へと飛び出していく。

 そして、視界に映る、日に焼けた愛らしい彼女の笑顔を網膜に刻むことで――俺の一日は、幕を開けるのだ。

 

「おーう龍太、もう学校か! 行って来い!」

「龍太君……行ってらっしゃい……」

「ああ、行ってくる! ……あと、もう古我知さんいじめるのはやめたげて」

 

 まんまと親父に乗せられたような気がしないでもない……が、悪い気はしない。

 こんな日常が終わる時も、そう遠くはないのだろう。それでも、一日でも長く守り通す意味はある。

 

「おはよう龍太! さ、行くで!」

「お、おぉ!」

 

 ――そして、それは俺のレスキューヒーローとしての「仕事」が全うされてこそのものだ。

 だからこそ――将軍に負けるわけにはいかない。それが、彼らが望む結末じゃないのだとしても。

 



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第174話 海底の影と月夜の再会

「フラヴィさんからの連絡だと……沈没した豪華客船の機関室跡に、妙な損傷があったそうよ」

「妙な損傷?」

「うん。爆発で壁が破られたところの他にも、線状に焼け爛れた跡が見つかったらしいの。まるで、レーザーか何かで焼き切られた跡みたいな……」

「レーザーだって? じゃあ、誰かが故意に起こした事故だったってことなのか?」

「今はまだ調査中だからわからない……けど、いずれはっきりするはずよ。機関室にいた乗員の中には、全身黒ずくめの女性を見た――なんて目撃証言もあるくらいだし、単なる事故じゃないってことは確かだと思う」

 

 矢村の出迎えを受けて学校に向かい、朝のホームルームを終えた頃。

 クラスメートの女子生徒達との談笑を終えて、救芽井が意味深な情報を持ち込んできた。

 

 あの豪華客船沈没事故に現れた、謎の女性。その影に纏わる話かどうかは確定していないが……少なくとも、あの事故が単なる欠陥やヒューマンエラーによるものじゃない、という可能性は見えてきたらしい。

 沈没後の船体の保存状態が良好だったのが幸いして、潜水調査に出ていたフラヴィさん達レスキューカッツェが、耳寄りな情報を持ち帰ってくれたそうだ。彼女達もマスコミに毎日追われて大変だろうに……。

 

 しかし、黒ずくめの女性……か。機関室で見たということは、やっぱりレーザーで焼き切った跡、という痕跡に関係しているのだろうか?

 結局のところは救芽井の言う通り、フラヴィさん達の調査の結果を待つしかないのだが……。

 

「果報は寝て待て、よ。龍太君もまだ特訓の途中なんだし、今は決闘の件に集中しましょう?」

「ん……まぁ、そうだよな」

 

 ――そういう俺の思案が顔に出ていたらしい。救芽井は真剣な表情から穏やかな笑みに切り替えると、俺の鼻先を指先で突いて見せた。

 確かに、ここであの女性のことを考えていても答えが出るはずがない。俺は、俺のやるべきことをやらなくては。

 

 するとそこへ、俺の机の傍らで屈んで話を聞いていた矢村が、ぴょこんと顔を出してきた。

 

「それにしても……せっかく龍太の試験も無事に終わって、合格祝いも兼ねた誕生パーティーやろう……って時に、大変な事になってもうたもんやなぁ……」

「……そうね。私も、お義母様への合格報告を兼ねて盛大に祝いたかったところなのに」

 

 同じ意見を呈していながら、なぜか互いの交わる視線が火花を散らしている。そんな二人の姿を見て、俺は自分の誕生日が近いということをふと思い出した。

 今の今まで、決闘の件で頭がいっぱいになっていたせいかすっかり忘れていたらしい。兄貴や母さんが帰って来るのもそのためだと言うのに、我ながら親不孝な奴だ。

 

「あ――でも梢先輩は参加させん方がええんちゃう? そこまでせんにしても、せめてプレゼントは考え直させないけん……」

「あら、どうして?」

「ダスカリアンの二人が来る少し前の時な。アタシが早めに部室に行っとったら……梢先輩、素っ裸の状態で大事なところだけリボンで隠して、鏡の前でやらしいポーズ決めとったんや。鮎子も止めるどころか、何か感心しとるみたいにメモ取りよったし……あの二人の感性に任せとったら、龍太ん家が大変なことになってまうで」

「うわぁ……」

「何を考えてるのか邪推してしまう自分が嫌になりそうだ……」

 

 ――だが、今は決闘のため、敢えて誕生日のことは頭から離そうと思う。久水先輩の暴走を、時間を掛けて止める意味でも。

 俺は部室で起きていたピンク色の非常事態を想像し、救芽井と二人で頭を抱えながら、人知れずそう誓うのだった。

 

 それから、放課後を迎えた俺達は「一煉寺」へと向かい、そこで再び修練に臨む。日を追うごとにその内容は厳しさを増し、涼しげな夜中でも俺の汗が止まることはなかった。

 それが終わっても、相変わらずの道衣争奪戦までもが激しさを増したり、入浴中に久水先輩がタオルも巻かずに乱入してきたり。そんな面倒ごとが絶え間無く続きはしたが、何とか今日も乗り切ることが出来た。

 

 その後、食事も入浴も洗濯も終えた俺は、眠りにつく前に散歩に繰り出していた。再び夜道を歩く俺の頭上で、満月の光が穏やかに道を照らしている。

 

 普段は家の周りを少しうろつく程度だったのだが……今回は、ちょっとだけ遠出だ。

 俺は夜空を見上げながら、ゆっくりと目的地へ歩を進めていった。

 

 たどり着いた先は――昨夜の空地。ダウゥ姫の愛猫、グレートイスカンダルの住家だ。

 あれから、あの子猫は元気にやっているのか。それがふと気になり、気づけばここへ足が向かうようになっていたのである。

 

「……ん」

 

 そこへ、静かに響いて来る子猫の鳴き声。どうやら、今夜は特に抜け出すこともなく大人しくしていたようだな。

 俺はその声に誘われるように、グレートイスカンダルが住む段ボールへ向かった。段ボールの中から、顔をひょこっと出している虎模様の子猫が見える。

 

 段ボールの周りは綺麗にされており、念入りに手入れされた跡が伺えた。恐らく、彼女がしっかり面倒を見た後なのだろう。

 ふと、グレートイスカンダルと目が合う――が、特に向こうは警戒することもなく、俺をじっと見つめていた。

 ……この子の飼い主は、いずれここから居なくなってしまうだろう。それまでに、新しい引き取り先を探さなくてはならないが……果たしてこの子は、そこに馴染めるのだろうか。

 

 それが少しだけ心配になり、気づけば俺はグレートイスカンダルの毛並みを静かに撫でていた。まるで、今日までの苦労を労うかのように。

 この子も、特にその愛撫に反発することなく、俺の掌を受け入れていた――のだが。

 

「……!?」

 

 突然、グレートイスカンダルは俺の手から飛びのくように離れ、威嚇するような鳴き声を上げた。その不意を突くような行動に、俺は思わず手を引っ込めてしまう。

 一体、どうしたのか。その理由を求めるうちに、俺の視界が妙に暗くなっていることに気づく。

 

 さっきまで月明かりに照らされていたはずの、この空地に突如訪れた闇。その実態を察した瞬間、俺は素早く後ろへ振り向いた。

 

 そこに佇んでいたのは――

 

「このような夜更けに、どうされたのかな。イチレンジ殿」

 

 ――青い浴衣に身を包み、こちらを悠然と見下ろす褐色の巨漢だった。

 

「ジェ、ジェリバン将軍……!?」

 



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第175話 夜空を見上げる父の顔

 俺の眼前に聳える、巨大な影。それを前にして、全く動じずにいろというのは無理な話だろう。

 グレートイスカンダルが反発するように鳴き、俺も咄嗟に目を細める。何故彼がここに居るのか。その理由を、見極めるために。

 

「構えることはない。私はただ、姫様が抜け出される『理由』を見に来たに過ぎん。貴殿と同じだ」

「……ッ!」

 

 ――そう言われて、構えない奴が居るものか。

 俺はあの娘が守り続けてきた愛猫を庇うように立ち上がり、猫の周辺を覆う暗い領域を、俺自身の影で塗り潰した。

 

 一方、暗がりのせいではっきりとは見えないが、将軍の顔には表情がないように伺える。能面のような面持ちで、静かにこちらを見据えているようだった。

 

「案ずるな。その子猫の存在を確かめたかっただけのこと、無用な手出しなどしない」

「……本当だろうな」

「姫様が愛するものを、私が無為に否定するわけには行くまい。もっとも、戦士の魂に染み付く殺気ゆえ、私が動物に好かれることはないだろうがな」

 

 グレートイスカンダルを一瞥する将軍の瞳に、微かな憂いが浮かぶ。その光景が真実なのか、錯覚なのか――俺がそれを判断するより先に、彼は大きな踵を返して満月を見上げていた。

 

「貴殿と話をするには、ここは適さないらしい。子猫のためにも、場所を移すとしよう」

 

 そう呟いた彼は、肩越しに俺と一瞬だけ視線を合わせると、そのまま空地の外へ歩き出してしまった。

 別に彼と会うためにここへ来たわけではないが……彼と一対一で話をする機会など、そうそうないだろう。彼がダウゥ姫やダスカリアンをどう見ているのか。そこを聞き出すこともできるかも知れない。

 

 その期待から俺はあの大きな背を追うことに決め、グレートイスカンダルに「またな」と一言別れを告げると、この場を離れることにした。

 そして、気のせいかも知れないが――俺が去る間際、あの子は寂しがるような声で、小さく鳴いていたように思う。

 

 ――ジェリバン将軍が、俺と話し合うために選んだ場所。それは、俺の自宅に近いところにある公園だった。

 三年前、俺が着鎧甲冑の戦いを初めて見た場所でもある。あれから少し経つが、遊具も景色も、何一つ変わっていない。

 

 一方、将軍はベンチの端に無言のままどっしりと腰掛ける。隣に座れ、と視線で訴えながら。

 

「昔から、殺気を隠しきるのが得意ではなくてな。人間相手ならまだしも、深層に眠る本能まで感知する動物には、どうしても悟られ避けられてしまう。ゆえに狩猟だけはからっきしで、小動物と触れ合いたがる姫様にもよく怒られたものだ」

「……そのガタイじゃ、殺気だけ隠してもあんまり意味ないんじゃないか?」

「ふむ、確かに。町並みを眺めるために出歩くことも多いが、みな私を避けるように歩いていたな。むやみに町民を惑わせてしまったことについては、申し訳ないと思う」

 

 俺は彼の誘いに乗りつつ、雰囲気に飲まれないために軽く毒づいた。しかし、彼は全く不快な様子を見せず、至って率直に対応している。

 柳に風。一見すればそんな言葉が似合う、穏やかな男だ。しかし、動物に本能で看破される「殺気」を持っている事実が、油断を見せるなと俺に命じていた。

 

「最近になって、姫様が私の目を盗んで抜け出すことが特に増えていてな。あのお方が気にかけておられる猫のことを、一目見ておく必要があったのだ。――先日は、姫様が世話になった。貴殿の協力に、感謝する」

「え? 昨日のアレ、見てたのか?」

「見ていなくてもわかる。以前は何かと窓から外を眺め、不安がっていた姫様が、貴殿の声が聞こえた昨晩だけは満足げに笑っておられた。今夜も、安心した様子で眠っておられる。子猫の件について、貴殿が何か手を打ってくれたのだろう?」

「……別に。飼い主を探すって言っただけさ。いつまでも一緒には居られないんだから」

 

 どうやら、民宿前でのやり取りは聞かれていたらしい。その情報だけでほぼ全てを察していたというのだから、驚きだ。

 ……これだけ物分かりがいい人と、国の存続を賭けて戦わなければならないとはな。彼の根本に眠る、話し合いで解決できない武闘派としての一面を、グレートイスカンダルは本能で察知したのだろう。

 

「そうか。……我々も、あの猫と同じだ。誰かの支えがなくては生きていけない、脆弱な『生き者』。今の姫様には、想像を許される『明日』すらない」

「よそ者の俺が口を挟むもんじゃないだろうが……国の『明日』を自分から潰しに掛かってる人の言葉じゃないな。あの娘の命より、地位の方が大事だってのか」

「いや、大切なのは地位ではない。もちろん王女としての名誉を失うことも多大な損失ではあるが……何よりもあのお方は、『故郷』を離れることを恐れておられるのだ。御家族が眠り、御自身が生まれ育って来られたダスカリアン王国から、去らねばならない日を」

 

 夜空を見上げる将軍の眼差しは、姫君を案じる色を湛えている。月明かりに照らされ、その憂いは鮮明に映し出されたのだった。

 

「私の強さで平和が保たれているとは言え、それはあくまでダスカリアンの国内に限った話でしかない。中東全域は未だに各地で戦乱が起き、人々は不安と恐怖に苛まれ続けている。そんな『国の外』を見て来られた姫様が、国王様や王妃様を死に追いやった『日本』に行くことになった時、どれほど震えておられたか……」

「……」

「そんな姫様にとって、貴殿はある意味では希望だったのだろう。初めて訪れる外国、それも御両親を奪った恐るべき国家に踏み入ったあのお方には、当然ながら現地の知り合いなどいなかった。例え姿が似ているだけだとしても、息子の生き写しとも呼べる貴殿の顔を見るまでは、あのお方は常に戦々恐々としておられた」

 

 彼の口から語られるダウゥ姫は、俺が見た彼女の印象からは掛け離れたものだった。

 しかし、彼女の境遇を考えればありえない話ではない。外国をろくに知らない彼女にとって、未知の国に住む「知人に似た男」という存在は大きいのだろう。現地に知る者や頼る者がほとんどいない、という状況ならばなおさらだ。

 何かと俺に突っ掛かってばかりの彼女だったが……ああ見えて、本当は構って欲しかったのだろうか。

 

「――だが、私達の戦いが避けられないことも事実。貴殿が我が子と同じ姿をしていようと、『瀧上凱樹を倒した日本人』には変わりない。私は姫様を故郷に帰すためにも、貴殿に勝たねばならんのだ」

「その帰した先の故郷が墓場とわかっていて、みすみす行かせるほど俺は親切じゃない。そう簡単に、死なせてくれるとは思わないこった」

「承知している。……このような事情さえなければ、貴殿と戦うことなどありえなかっただろうが、な」

 

 ジェリバン将軍は視線を落とすと、俺と目を合わせないままゆっくりと立ち上がる。そろそろ帰るつもりなのだろう。

 俺も、明日は最後の特訓が控えている。いい加減に帰って寝なきゃ、翌日に響きかねない。

 

「――日本の悪鬼は、瀧上凱樹ただ一人。日本人全てが、仇敵にはなりえない。それはカズマサ殿が証明してくれたことだ。……しかし、まさか私の息子と瓜二つの少年が、あの瀧上凱樹を討ち取ってしまった……とはな」

「国のために戦って死んだ、あんたの息子と比べられても困る。俺は、単に顔が似てるってだけさ」

「いや……本当にそれだけならば、姫様が憎んでいるはずの『日本人』である貴殿に、あそこまで気を許されるはずがない。貴殿には――何かの運命を感ずにはいられんな」

 

 俺は将軍に続く形でベンチから立ち上がり、そこでようやく彼と目線が交わった。

 そして、その瞬間の彼は――「父親」のように、慈しむ面持ちで俺を見ているようだった。月明かりを背に浴び、影に隠れていても、その眼差しが見えなくなることはない。

 

「だが、手を抜くつもりはない。一人の戦士として、決闘には真摯に臨ませて貰う」

「……ああ」

 

 しかし、踵を返して向けられた背に、その温もりはない。あるのは戦士として戦場に赴く、荘厳な威風だけだ。……浴衣だけど。

 彼は直球な捨て台詞を残すと、静かにその場を立ち去って行く。

 

 ――そしてその背中を見つめ、俺も腹を括った。あの穏やかな彼の姿は、決闘が終わるまで頭から離しておくとしよう。

 今の俺達は、譲れないものを賭けて戦う敵同士。そのけじめは、付けておくべきだ。

 

「あんたの息子もきっと、故郷で仲良く死んで欲しい、とは思わないだろうよ」

 

 彼が姿を消し、誰もいなくなった公園の中で、俺は一人呟く。

 身勝手で、傲慢で――決めつけでしかない考え。だが、俺はそれを否定しない。

 テンニーンとやらが、あの娘を生かすために命を使ったのなら……俺がそれに続かない理由はない。

 

 レスキューに固執する怪物としてだが、その役目は引き継がせて貰うとしよう。

 

 ――そして、決闘当日。

 

 命を使う日が、訪れた。

 



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第176話 暗雲の朝

 甲侍郎さんの父――つまりは救芽井の祖父に当たる救芽井稟吾郎丸(きゅうめいりんごろうまる)、通称ゴロマルさんが現れたのは、決闘当日の朝だった。

 真っ白な頭髪や髭、厳つい顔と相反する小柄な体格。どれをとっても、一年前と変わらないままだ。

 

 休日でありながら、心安まる瞬間など片時もないこの日に、そんな彼が我が家を訪れる。それが意味するものは、一つだ。

 

「その様子じゃ、何もかも聞き及んでるらしいな。ゴロマルさん」

「うむ。今回も、大変なことになってしまったようじゃの」

「まー、なっちまったもんはしょうがねぇさ。ウチの龍太なら、きっと大丈夫だと思うぜ?」

「……そう、だな。ともあれ、遠路遥々ご苦労様でした。稟吾郎丸さん」

 

 アメリカで穏やかな隠居生活を送っていたはずの彼が、わざわざこの町までやって来ている以上、甲侍郎さんがこの件に感づいたことは自明の理。大方、彼に代わってこの決闘を見届けに来たのだろう。

 親父も兄貴も、彼の登場にさほど驚いてはいなかった。救芽井エレクトロニクスにこの件を隠し通すことなど、不可能に近いからだ。

 

 居間の食卓で、矢村特製の目玉焼きを頬張りながら耳を傾ける俺に対し、ゴロマルさんはいつになく真剣な眼差しを向けている。尤も、国の存亡が懸かっていることを考えれば、そうなっているのも当たり前なのだが。

 

「甲侍郎や茂君は、今も海外との商談に追われて顔を出せん状況らしい。暇を持て余しているワシぐらいしか見届けることが出来んことについては、申し訳ないと思っておる」

「ムグ、ング……いいさ、ゴロマルさんが付いてくれるなら心強い。甲侍郎さんは何か言ってたか?」

「あいつとしては、やはりお前さんには是非とも勝ってもらいたいらしい。レスキューヒーローとして、健闘を祈る……と言っておった。日本政府からすれば、たいそう気に食わん話じゃろうがの」

「日本政府……? なんで日本の役人さんが困るんや?」

 

 そこで、台所で洗い物をしていた矢村が口を挟んできた。自分達の国の偉いさんが反対意見を持っていると聞き、何故なのかと首を傾げている。……あのフリル付きのエプロン……悪くないな……。

 

 ……さて。確かに、人の命を救うことに反対する道理など、現代日本の倫理感ではありえない。ましてや国民を率いる「国」が率先して難色を示すようなことが、許されていいはずがないだろう。彼女の疑問は尤もだ。

 

 しかし、俺の脳裏に同じ考えが浮かぶことはなかった。その答えを、すでに見つけてしまっているのだから。

 

「ダスカリアンと日本の関係を考えてみればわかることじゃよ、矢村ちゃん。人道的な意味において、この国はダスカリアンに対して多大な負い目がある。あの国を下手に存続させれば、それだけ痛いところを突かれる機会が増えかねん、ということなんじゃよ」

「あっ……!」

「ましてや、この件で既にダスカリアンの国民の一部には、十一年前の惨劇が『噂』として出回ってるって話だ。いっそ王女も将軍も国も纏めて滅んでくれた方が、日本としては手っ取り早くて都合もいい。『死人に口なし』って言葉もあるだろ?」

 

 ――そう。事なかれ主義を重んじる現代日本の政府にとって、「臭いものには蓋を」は必須技能なのだ。かつて、瀧上凱樹の一件を隠蔽したように。

 そんな彼らにとっては、ダスカリアン王国の生き残りなど邪魔者以外の何者でもない。手を汚す必要もなく、自分から死にに行ってくれるなら、まさに万々歳といったところなのだろう。

 

 今回の件は小国が対象とは言え、立派な国家レベルの問題だ。救芽井エレクトロニクスに知れる過程で、日本政府がこの件の情報を掴んでいても不思議じゃない。

 まさか決闘の邪魔立てまではしない……と思いたいが、少なくとも俺への応援は期待できそうにない。死んでくれた方が都合がいい人間を助けようってんだから、当たり前なのだろうが。

 

 ――しかし、彼らの考えも全くわからないわけじゃない。不利益しかないとわかっていて助けに行くなんて、確かに頭のいい話じゃないからな。

 それでも勝たざるを得ないのは、それが「仕事」だからだ。相手がどこの誰だろうと、着鎧甲冑を預かる身である限り俺はレスキューヒーローとして動き続ける。

 その判断が間違いであったとしても、結局のところは「職業柄」なのだから仕方ないのだ。この思いが怪物の境地に達しているのというのなら、俺はそれで構わない。

 

「そんなん……あんまりや。確かにアイツはええ奴って感じやないけど……やけど、そんなん……!」

「あぁ、あんまりさ。だからこそ、俺が戦うんだろ。死んだ方がマシな奴だっているのかも知れないが、そんなことは俺の管轄外だ」

「龍太君……」

「だから、正しくなくたっていい。それを決めるのは俺じゃなくて周りのみんなだから。俺は、俺がやらなきゃいけないと思うことをやる。今考えることは、それだけだ」

 

 政府にどう思われようと、俺は俺のやらなくちゃいけない仕事をやる。咀嚼した目玉焼きを飲み込みながら、俺はゴロマルさんに向かい、その旨を伝えるのだった。

 それを受けて、彼がどのように感じたのかはわからないが――沈痛な表情を浮かべて「ありがとう」と頭を下げる姿には、哀れみに近い感情が漂っていた。正しさを主張できない中でも戦わなくちゃならないことに、ある種の申し訳なさを感じているのかも知れない。

 

「……そういえば、剣一を見んのう。よく一緒に特訓しておったと聞いたのじゃが」

「あいつなら、一足先に廃工場に行っちまったぜ。居ても立ってもいられない、って顔してたなぁ」

「そうか……。一年間だけとは言え、あやつもダスカリアンで暮らした身。あの心配性の塊のことじゃ、情が染み込んでダスカリアン王国二名の行く末を想わずにはいられなくなったのじゃろう」

「杞憂で終わらせて見せるさ、絶対に」

 

 俺はゴロマルさんや古我知さんへの気遣いと自分自身への鼓舞を兼ねて、威勢のいい啖呵を切る。そして、無言のまま話を聞いていた親父と視線を交わし、同時に頷いて見せた。

 

「龍太。そろそろ、準備した方がええんやない? 十時回っとるで」

「……だな。ちょっと早いけど、着替えて来る。御馳走様、美味かったよ」

「えへへ、お粗末様」

 

 決闘開始は正午。その瞬間は近い。

 俺は乗せるものがなくなった食器を矢村に渡し、その小さな頭を優しく撫でる。セミロングの黒髪がふわりと揺れ、女の子ならではの香りが嗅覚をくすぐった。

 彼女自身も自分の髪を揺らすように小さく跳ね、満面の笑みを浮かべている。失礼に当たるだろうが、しっぽを振る小犬のような姿だ。

 

 ――これはあくまで決闘であり、殺し合いなどではない。だから彼女のこの笑顔が、見納めになるはずはない。

 しかし、なぜか俺は彼女の顔からなかなか目が離せずにいた。死地へ赴くわけでもないというのに、この小麦色の肌を視線から外すことに、臆病になっている自分がいるのだ。

 

 何を恐れてるんだ、俺は。

 

 心当たりのない恐怖心に困惑し、俺はその根拠を求めて思考を巡らせる。しかし、自分自身への問いに容易に答えられるほど、人間は便利な生き物ではない。

 敢えて理屈を立てず、あてずっぽうで答えを出すならば――直感。

 

 この戦いで自分が死ぬかも知れない、という第六感の警鐘だ。

 なぜそんなものを感じているのかは見当もつかない――が、それだけ油断できない相手だということは確かだ。

 今は、この恐怖を肝に命じつつ、戦うことだけを考えるようにしよう。それがいい。

 

「……」

「え、や、何なん? ア、アタシ、なんか変なもん、つつ、付いとる……?」

「おーおー、朝っぱらから見つめ合っちゃって。いってらっしゃいのキスでも期待してんのか?」

「ほっほっほ、見せ付けてくれるのぅ。樋稟がこの場に居たら、さぞかし賑やかになってたじゃろうな」

「――ゴホン。龍太、決闘前で不安になる気持ちはわかるが、いついかなる場合であっても節度を忘れてはならんぞ」

 

 ……そんな俺の思案も知らずに茶化すんじゃないよ、全く。

 

「ちょ、なんだよもう! と、とにかく着替えて来るっ!」

 

 俺は矢村との関係に突っ込まれたことで思わず動転してしまい、慌てて居間を飛び出してしまう。自室に上がって寝間着を脱ぎ捨ててからも動悸は続き、落ち着く頃には着替えはほとんど完了していた。

 

 その時の窓から見える景色は思わしいものではなく、曇り空が町を覆わんと広がっていた。天気予報によれば、昼からは雷まで落ちるそうだ。

 あまり景気のいい眺めではないが、そんなことはいちいち気にしてはいられない。

 

「……行くか」

 

 一年前から「救済の超機龍」の所有者として纏い続けてきた赤いユニフォーム。その上着を黒いTシャツの上に羽織ると、俺は階段を降りて居間へと引き返して行った。

 

 そんな俺を出迎える矢村は、既にエプロンを脱いで出発の準備を整えている。と言っても、普段の制服姿に加えて「必勝!」と書かれたハチマキを巻いているくらいなのだが。

 

「龍太、さっき梢先輩から電話があったで。もうみんな、廃工場に出発しとるみたい!」

「そうか……よし、俺達もそろそろ行くか」

「ワシはここで結果が出る待つとしよう。あまり大人数で押しかけてもプレッシャーにしかなるまいて」

「俺も同意見だ。お前の勝利を信じ、ここで待つ」

 

 一方、俺と一緒に廃工場まで行く気満々の矢村と違い、親父とゴロマルさんはここで待機するつもりでいるらしい。だが、兄貴は違うようだ。

 

「お二人さん、釣れないねぇ。俺は行くぜ、かわいい弟の勇姿って奴をこの目に刻むまでは、安心して不眠不休でシコれねぇからな!」

「寝ろよ!」

「寝ろや!」

 

 すっかり昔のようなノリになっていた兄貴に、俺と矢村は同時にツッコむ。おかげで、少し気持ちが解れたような気がした。

 そして、この感覚を忘れないまま決闘に臨むべく、俺と矢村は「行ってきます」と言い残し、足早に玄関へ向かう。

 

「……わかっておろうな、龍亮君。例え何が起ころうとも、君は着鎧してはならんぞ」

「へっ……わかってら」

 

 その俺達に続こうとしていた兄貴が、ゴロマルさんと何か話していたが……まぁ、「ちゃんと見守れよ」とか、そういう軽い挨拶だったのだろう。

 俺はゴロマルさんの言葉を受けた兄貴の背中を、一緒だけ見つめ――矢村と共に家を出る。

 

「さ、行くで龍太!」

「おうっ!」

「お〜い、お兄ちゃんを置いてくんじゃねぇぞ〜っ!」

 

 そして三年前、救芽井を救うべく廃工場へ走った時と同じように。日に焼けた少女と二人で、俺はあの場所へと駆け出していた。不吉な暗雲もものともせず、おまけに兄貴も連れながら。

 

 ……だが。

 

「――救うだけでは、全ては救えない。壊すことを知らないあなたに、守れるものは何もない」

 

 我が家の屋上で組まれた、二本のしなやかな黒い脚。その存在に、俺達が気づくことはなかった。

 



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第177話 豪雨と異変の中で

 既に廃工場には、ある程度の役者が揃っていた。

 救芽井に久水先輩に四郷。鮎美先生や伊葉さん、そして古我知さん。そして、ダスカリアンの二名。

 彼ら全員が、赤や青に錆び付いた入口の向こうで、一堂に会している。その全ての視線がこちらへ集中される瞬間、俺達三人はおんぼろな廃墟への入口を潜った。

 

「龍太君、賀織! お兄さんっ! もう、遅いじゃない。皆ずっと待ってたんだから」

「あんたらが早過ぎるんやっ!」

「一時間前集合は社会人の鉄則ざます。賀織さんも龍太様も、少しばかりプロの自覚が足りないのではなくって?」

「……梢。一時間は長すぎ……」

「いやですわ、冗談でしてよ」

 

 まず俺達を出迎えたのは、着鎧甲冑部の面々。一年前のコンペティションとは違い、今回の彼女達は随分と落ち着いている様子だ。

 丸一年間、俺の無茶苦茶に振り回され続けてきたせいで、すっかり慣れてしまったのだろう。ありがたいと思う反面、申し訳ない気持ちも芽生えてしまった。

 

「主役は遅れて――ってヤツかしら? 随分と余裕じゃない」

「好きで遅れてきたわけじゃ……って、そもそも遅れてねぇよ。ちょっとはエールの一つくらいくれたっていいんじゃない?」

「それもそうね。じゃあ、あなたが勝ったら先生の下着一式プレゼントしちゃう」

「他の部員にひきちぎられる未来しか見えないからやめれ」

 

 ……もっとも、鮎美先生のようにフリーダム過ぎるのも考えものではあるのだが。

 

「龍太君。僕には見ていることしか出来ないが……せめて、ここから君の勝利を祈らせてくれ」

「私も同様だ。一煉寺君、頼んだぞ」

 

 その落ち着きに反比例するように、ダスカリアンに関わっていた男二人は、深刻な面持ちでこちらに迫っている。自分達で解決出来なかったことを、今でも悔やんでいるようだ。

 着鎧甲冑部の対応に緊張をほぐされつつあった俺は、その姿を目の当たりにして再び気を引き締める。そして、彼らに応えるべく無言のまま強く頷くのだった。

 

 次いで、俺の肩に兄貴のでかくてゴツゴツした掌が乗る。

 

「まーまー、そんなに肩肘張ってちゃ動けるモンも動けねぇぞ。お前はアホ面引っ提げて気ままにやりゃいいんだよ」

「りゅ、龍亮さん!」

「あんたも、あんまり難しく考えなさんな。焦りや緊張は判断を鈍らせる。一歩引いた目線で物を見る方が、少しは気楽になれると思うぜ?」

 

 普段はちゃらんぽらんという言葉そのものを体現しているような兄貴も、この時ばかりは至って真面目なことを言っている。

 特に、「焦りや緊張は判断を鈍らせる」と言い放つ際の声のトーンは、弟の俺ですら聞いたことのないようなドスが効いていた。まるで、そうでなければならない状況を身近に感じているかのように。

 

「……わ、わかりました。龍太君、とにかく気をつけてくれ。旧型のパワードスーツとは言え、将軍本人の実力は折り紙付きだ」

「ああ、わかってる。梢先輩から聞いたが、ダスカリアン人の平均的身体能力は日本人のそれを遥かに上回ってるんだってな。その中でも頂点に立ってるガッチガチの本職、ってわけだ」

 

 古我知さんから視線を外し、俺は将軍の方を見遣る。

 既に彼は戦闘準備を万全に整えており、その傍には――どこかいたたまれない表情の、ダウゥ姫が佇んでいた。相も変わらず、男の子のような格好であるが。

 

 ――しかし、見るからに鈍重そうな格好だ。あれが噂に聞く「銅殻勇鎧」って奴か。

 

 全身を覆わんと鈍く輝く、銅色の装甲。寸分の隙間もない完璧な鎧に見えなくもないが、その関節の節々には、人工筋肉を支える電線がモロに露出していた。

 頭部には、トサカのような斧まで取り付けられている。西洋の甲冑を彷彿させる無骨な外見ではあるが、どこと無く日本の侍が着る鎧にも近しい雰囲気を漂わせていた。

 ……案外、将軍の祖先が日本人だったりしてな。

 

 さて、アレは救芽井研究所で着鎧甲冑の開発が本格化する以前から、戦闘用のパワードスーツとしてアメリカで開発が進められていたという話だが――その話を鵜呑みにするなら、十年近く使い古された旧型だと言う古我知さんの言葉にも納得がいく。

 十年間に渡って使い尽くされ、改良も行われていないパワードスーツなど、開発されて一年経つか経たないかというレベルの「救済の超機龍」や「必要悪」と比べれば、骨董品のようなものだ。

 

 しかし、彼はその性能差を覆し、古我知さんを破ったらしい。

 性能の格差を跳ね退ける、ジェリバン将軍の圧倒的身体能力。考えたくないが、人外レベルの兄貴にも肉迫する次元に達しているのかも知れない。

 もし、生身でも着鎧甲冑と張り合えるような兄貴が、着鎧してさらに強くなったら――という悍ましい妄想を浮かべたのは一度や二度ではない。その「あってはならない」世界に到達したのが彼であるとするならば、古我知さんが敗れるのも納得がいく。

 

 古我知さんの身体――「必要悪」の電動義肢体は、最新鋭の完全な戦闘用として作られている。あの瀧上凱樹と、真っ向から渡り合える程の性能を持っているのだ。

 その彼が、たったの一撃で敗れ去った。そんな話を聞かされた時の衝撃は、今でも忘れられない。

 

 一年前の彼は、俺の知る中では間違いなく「最強」の座に君臨していた。周りが非兵器を謳う着鎧甲冑ばかりなのだから、ある意味当然と言えば当然なのだが。

 それでも、瀧上凱樹と正面きって互角に戦えるポテンシャルを持つ彼が、たったの一撃で敗北を喫するなど、普通に考えれば悪い冗談としか思えなかった。だが、事実として敗れた彼は、ダスカリアンを救うための決闘を俺に託している。

 

 少なくとも、ジェリバン将軍はそれほどの強さを誇っている、ということだ。彼の身体に刻まれた傷痕が、その力を裏付ける歴史を物語っている。

 

 日の光を浴びていれば黄金の如く輝いていたであろう、銅の甲殻。その全身の至る部分には、銃弾やナイフの傷が痛ましく残されていた。

 どうやら、装甲を磨く程度の手入れはしていても、本格的なメンテや補修を行えるだけの予算はなかったらしい。そんなコンディションで最新鋭の古我知さんを倒したというのだから、ますます驚かされる。

 

 一年前に戦った瀧上凱樹と比べれば、僅かに小さいようにも見える将軍だが、それでも俺と比べれば大人と子供程の体格差がある。パワーで対抗などという愚かなマネをしようものなら、一瞬でおだぶつだ。

 今の俺が彼に勝るものは、恐らくスピードと性能くらいしかない。それら全てをフル稼動し、なんとしても勝ちを拾わなくては。

 

 そう意気込んでいるうちに、いつの間にか俺は拳を震わせていたらしい。そっと拳を包む柔らかい温もりを感じた瞬間、俺は自分の手を握る久水先輩の方へと振り向いた。

 

「それでも、龍太様が取り組まれた特訓の成果を以ってすれば、敵わない相手ではありませんわ。お兄様も、東京の久水財閥本社から応援されてましてよ」

「そっか、茂さんにも伝わってんだな。気持ちだけでも十分ありがたい、って後で連絡してやらなくちゃ」

「ええ。残念ながらこの場に出席することまでは叶わなかったようですが、『もし負けたら鮎美さんのパンティーを盗んで来い』とエールを送っておりましたわ。決闘が終わり次第、ぶちのめしておきます」

「……いや、それは俺がやるよ」

 

 茂さんのアホな注文のおかげで、肩の力が少しだけ抜けたような気がした。決闘が終わったら、礼代わりに顔面ストレートだな。

 

 ――そう。戦うのは俺一人だが、背中を押してくれる仲間はこんなにいるのだ。

 クサい言い方になるが……信頼できる仲間が付いているとわかっている今なら、俺は戦える。

 

 戦ったこともない将軍の強さに、やる前からビビるのは、もう辞めだ。

 

 俺は、俺の思うようにやる。「怪物」になると決めた日から、俺はそう誓い続けてきたのだから。

 

「じゃあ……行ってくる」

 

 そして、決闘開始予定の数分前。

 俺はみんなに向けて静かに微笑み、悠然と歩を進めた。

 

「うん。龍太君……頑張って」

「フレェー! フレェエー! 龍太ァー!」

「龍太様、御武運を」

「……先輩。みんな、応援してるから……」

 

 背中に浴びる、着鎧甲冑部のエールが心地好い。何も言わない鮎美先生も、俺が背を向ける瞬間まで優しく笑みを返してくれていた。

 

「おーし、行ってこい弟よ! 骨は拾ってやるぞーい」

「縁起でもないこと言わないで下さいよっ! と、とにかく頑張って! 龍太君!」

「……健闘を、祈る」

 

 次いで、大人の男三人衆からも応援の言葉が送られて来る。この期に及んで洒落にならない冗談を飛ばすのも、俺を信頼してのこと――だと、都合よく解釈しておくとしよう。

 

 一歩踏み出すごとに、眼前にそびえ立つブロンズの巨人が大きくなっていく。その威圧感を前に、俺は突風を浴びているような錯覚に陥ってしまった。

 あまりのプレッシャーで、あるはずのない圧力まで感じてしまっているのだろう。しかし、そこで立ち止まるわけにも行かない。

 

 俺は唇を噛み締め、ジェリバン将軍の元へと歩き続けていく。将軍も決闘を目前にして、ようやく組んでいた両腕を解き、真っ向からこちらへ進み出た。

 

 そして、決闘を行う俺達二人が僅か十メートル程度の距離を置いて、ようやく立ち止まった時。

 

 ふと、俺はこの場に違和感を覚えた。

 

 辺りを見渡すと――この廃墟の中で積み上げられていたはずの大量の鉄骨が、跡形もなく無くなっている。そのせいか、この周辺はいつになく広々とした場所となっていた。

 ジェリバン将軍や他のみんなが、決闘の邪魔にならないように、外に放り出したのだろうか? いや、この廃墟に入る前にはそれらしい鉄骨の山はなかった。

 

 それにさっきから聞こえて来る、この錆びた鉄が軋む音。どこから響いているのか、耳を澄まして辿ってみたら……あろうことか、天井に行き着いてしまったのだ。

 確かに今日は天気が思わしくないが、まだ今のところは雨なんて降っていない。それによる音ではないのだろう。

 だったら、あのギシギシという嫌な音は一体なんだ……?

 

「どうした? まだ戦う覚悟が決まってはいなかったのかな?」

「いや……なんでもない」

 

 そんな俺の思考を遮断するように、将軍の声が響く。

 ……そうだ、何を余計なことまで考えてるんだ。今は、目の前の将軍に集中するべきだろうに。

 

 俺は意識を切り替え、兜に素顔を隠した将軍と視線を交わす。その直後、俺の違和感を掻き消すように別の音が一斉に響き始めた。

 どうやら、ようやく本格的に降り始めたらしい。雨が天井に激しく立て続けに当たる音で、さっきまでの不審な音は掻き消されてしまった。

 多少なりとも後ろ髪を引かれる思いはあったが……まぁ、いい。おかげで決闘に集中できる。

 

「君とは、他人のようには思えない……言葉にはできない何かを感じていた。しかし、こうして戦わねばならなくなった以上、容赦はできん」

「それでいい。俺も、心置きなくぶつかっていける。――着鎧甲冑ッ!」

 

 決闘開始、一分前。

 

 その時を迎え、俺は右の腕輪に威勢のいい声で音声を入力する。

 次の瞬間、俺の全身に巻き付く赤い帯が「救済の超機龍」のスーツとなった。

 

 そんな俺の姿を目の当たりにして、向こうも本格的に戦闘開始の準備を整えるようになる。

 

 俺達は互いに身構え――開始の瞬間を待った。

 

 雨の音だけが、この空間を支配している。誰ひとり喋ることなく、この戦いの行く末を見守っているのだろう。

 

 三十秒前。二十秒前。

 

 十秒前。

 

「手加減は期待しないでくれ」

 

「そいつはありがたい」

 

 そして、五秒前。俺達は、戦闘開始を前に僅かな軽口を交わし――

 

「テン、ニーン……」

 

 ――ダウゥ姫の、消え入りそうな小声を聞いて。

 

 正午を、迎えた。

 



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第178話 真紅の拳と黄金の拳

「――ホァアァアアアッ!」

 

 俺の顔を覆うバイザーに映されたデジタル時計。その文字が示す時間が、決闘の開始を告げる時。

 戦場となる廃屋に、俺の怪鳥音が轟いた。

 

 同時に、地を蹴り一気に距離を詰める俺の視線が、「銅殻勇鎧」の隙間――鎧の関節から露出した電線に注がれた。

 ……あの線はパワードスーツの生命も同然。あれさえ断てば、容易に決着はつく。

 

 そう確信し、俺は右手を手刀の形に構え、矢の如くジェリバン将軍に躍りかかった。当の将軍は、どっしりと構えたままで動き出す気配がない。

 まるで、俺の接近に気付かないかのように。

 

 このまま行けば、確実に仕留められる。――端から見れば、誰もがそう思うだろう。

 

 そして、突き出された手刀が槍のように、電線へ伸び――空を切る。

 

「やはり、この程度か」

 

 呆れ果てるような将軍の声が聞こえるのと同時に、俺が襲い掛かった右腕は上へ振り上げられていた。黄金の肘鉄を、放つために。

 

 ――わかりきっていたことだ。この将軍が、そうやすやすと勝ちを譲ってくれないことなど。

 

 その上で、俺はこの攻撃を選んでいる。古我知さんを一瞬のうちに葬ったという、この「流れ」を。

 

 俺は空振りになった手刀の軌道を、一気に下へとずらしていく。次第に、俺の身体は勢い余って転ぶような放物線を描きはじめた。

 

 攻撃が外れた。その事実を俺が受け止めた頃には、肘からの一撃で勝負が決まる。本来ならば、そんな「筋書き」でこの決闘は終わりを迎えていたのだろう。

 少なくとも、将軍の頭の中では。

 

 しかし、そのシナリオに大人しく従うほど、俺は利口ではない。

 

「――そうかな」

 

 槍の切っ先のようになっていた手刀が、花を開くように掌をあらわにしていく。やがて、完全に「パー」の形になった掌は、砂利だらけの地面と密着してしまった。

 次いで、拳を握って構えていた左手も、右手を追うように大地へ向かっていく。

 

 そして、俺の両手が全て地面に付いた時。

 その体勢と突進の勢いに導かれた俺の下半身が、弧を描いて縦に回転した。

 

 体重と遠心力を携えた、右足の浴びせ蹴り。その一撃は、肘鉄を放つ将軍の首を確実に捉えていた。

 

「――これは失敬」

 

 だが、向こうもこんな手に引っ掛かる程マヌケではない。俺の蹴りが首に直撃する瞬間、左腕の外腕刀で咄嗟に防いでいたのだ。

 それによる激しい金属音が止まないうちに、将軍の肘鉄が俺の頭目掛けて急降下を仕掛けてきた。しかも、全体重を乗せてのエルボードロップ。当たれば当然、痛いでは済まない。

 

 俺は側転からの浴びせ蹴りを止められた体勢から、瞬時に横へ転がってこれを回避。俺の頭があった場所に、悍ましい亀裂が広がった。

 

 追撃をかわすため、俺は素早く転がりながら飛び起きる。向こうはそんな俺の姿を認めつつ、ゆっくりと地面から肘を引き抜いていた。

 

「なるほど。初めて会った時はまさかと思ったものだが――やはり瀧上凱樹を倒した、という話に間違いはなかったらしい」

「未だに疑われてたのは心外だが……わかってくれたんなら、よしってことにしとこう。ことのついでに、勝ちを譲ってくれるわけには行かないか?」

「私とて、痩せても枯れても一人の軍人だ。そんな冗談に付き合うつもりはない」

「そのパワーで痩せても枯れても、っていう方が遥かに冗談だろうが」

 

 戦いの緊張感。恐怖心。その全てを薙ぎ払うべく、俺は敢えて軽口を叩く。向こうはさすがに戦い慣れているだけあって、全く振る舞いに乱れというものがない。

 

 ――こりゃあ、ちょっと長引くかも知れないな。

 

「す、すごい……! い、今の見えた……!? 剣一さん!」

「いや……やっぱり、龍太君の素質は龍亮さんが言う通り……!」

「おっしゃあー! 行けるで龍太ァ〜!」

 

 一方、観客側では救芽井と矢村がやけに興奮している様子。古我知さんは今の太刀合わせを見逃したのか、微妙に視線を泳がせていた。

 他の皆は、ただ静かに固唾を飲んで、勝負の行方を見守っている。ダウゥ姫も、どこか不安げな面持ちで俺と将軍を交互に見遣っていた。

 

 ……兄貴や親父の話によれば、俺は歴代の一煉寺家の拳士の中でも、最高峰の素質を持っているらしい。拳法の道に入る時期が遅くなければ、とっくに兄貴や親父を超えていたはず……なのだそうだ。

 確かに、幼少期から修練を始めていた親父達とは違い、俺は中学二年までは拳法自体に触れていなかった。たらればは言いたくないが、もし俺の教育方針に拳法が除外されていなければ、今頃は将軍にも簡単に勝てるようになっていたのかも知れない。

 

「さて――それじゃあ、お遊びはここまでにしとこうぜ。お互いな」

「ほう、余興であの動きか。なかなか頼もしいことを言ってくれる」

 

 ――しかし、過去は過去、今は今。過ぎた時間を気にしていてもしょうがない。

 とにかく、長期戦になりすぎると勝負が終わる前にこっちの技を見切られかねん。向こうのスタミナが簡単に尽きるとも思えないが……可能な限り、早めに決着を付けなくては。

 

 俺は勢いよく再び将軍へ飛び掛かると、空中から左の回し蹴りを見舞う。それを難無く見切っていた彼は、右腕の外腕刀でそれを受け止め、ほぼ同時に左のストレートを放った。

 その巨大な剛拳は俺の顔面目掛けて迫り来る――が、俺はそれよりも早く、右足で回し蹴りを止めた外腕刀を押し込むように蹴り、その反動を利用して後方に回避する。

 

 もちろん、簡単に攻撃を当てさせてくれるとは思っちゃいない。向こうにとっての急所となる関節の電線を狙うなら、なおさらだ。

 

 だから、まずは電線ではなく経脈秘孔――人体に共通する急所を狙い、将軍の読みを乱す。

 幸い、向こうの装甲は十年間使いっぱなしだったせいで、随分と弱っている。体重を十分に乗せた上で確実に当てれば、あの鎧の上からでもダメージを与えられるはずだ。

 

「なかなかの速さだ。それが『救済の超機龍』の力、ということか」

「見損なわないでくれ。俺もコイツも、まだまだこんなもんじゃない」

 

 俺は赤いスーツに覆われた胸を叩くと、静かに少林寺拳法の構えを取り――これから始める攻撃に備え、軽いフットワークを見せる。

 断続的に聞こえるはずの俺の足音は、外の雨音に掻き消され、当の俺自身にさえほとんど聞こえて来ない。天井に響いていた、あの得体の知れない金属音も。

 

「……まだまだ、か。ならば、今度こそ見せて頂きたい」

「いいぜ。仰せのままに――見せてやらァ」

 

 再三、俺は将軍へ向かっていく。相手もこちらの空気が変わったことを悟ったのか、自らの構えた拳に力を込めているのが伺えた。

 

「ぬぅあぁあ!」

 

 仕掛けたのは、将軍が先だった。

 俺が突きを放とうと拳を握るよりも早く、怒号と共に大上段からの手刀を振り下ろして来る。まるで、こちらの手をあらかじめ予知していたかのように。

 歴戦の経験と記憶に裏打ちされたカン。俺にはない、彼ならではの力が活きているのだろう。しかし、それだけで俺を制することは出来ん。

 

 俺はさっきのように引き下がることなく、敢えて正面を突き進む。加速していく手刀が最大速度に乗り、俺の手に余る力を得るよりも速く――この一撃を封じるために。

 頭上から雷の如く降り懸かる将軍の手刀は、地に近づくにつれて威力も速さも増していく。その勢いが最大になった時、彼の攻撃は真価を発揮するのだ。

 

 それを防ぐには、手刀の速度が最高潮に達するより先に、懐に入りきらねばならない。そして、そのためには絶対に引き下がらない、という覚悟が要求される。

 下手をすれば、真正面から体重が乗った将軍の手刀にぶち当たる。だが、そのリスクなくしてリターンは得られない。ゆえに俺は、真っ向から挑む。

 

 空を斬り、地を砕く将軍の一撃が、轟音と共に視界を覆う。まだ最大の威力には至っていないはずなのに、触れてもいないのに――見ているだけで、吹き飛ばされてしまいそうだ。

 だが、この段階ならばいなせる。直撃は避けられる。そう確信させるだけの力が、今の俺にはあった。

 

「ホォァアアァーッ!」

 

 怪鳥音と共に――俺の手刀が、振り切っていない将軍の剛腕を撫でる。力をぶつけ合うことなく、紙一重でかわすように。

 そして、将軍の腕は俺の手刀の干渉を受けて外側に動き、数センチにも満たない程度の誤差を生む。しかし、その些細な影響は確実に、俺に転機をもたらしていた。

 

 かするだけで吹き飛ばされてしまいそうな、巨大な縦一閃。やがて最大の威力にたどり着いたその力は――空を斬り、地を砕くのみ。

 俺を叩き伏せるには、至らなかったのだ。

 

「むッ……!」

「トワァチャーッ!」

 

 そして、将軍自身がその事実を認識した頃には。

 俺の怪鳥音を引き金に打ち出された拳が、彼の懐から下顎に向けて打ち出されていた。

 

「ぐぉ……ッ!」

 

 赤い拳は頬の下にある顎の急所、三日月に直撃し――将軍の頭が、後方にぐらつく。

 しかし、それで終わりではなかった。彼は脳が揺れるような攻撃を受けても、正常な判断力を失うことなく、膝蹴りを反射的に俺の腹へ見舞うのだった。

 

「あぐッ!」

 

 一瞬とは言え、今の一発への手応えに意識を集中させていたせいで反応が遅れてしまい、俺はその手痛い反撃をモロに食らってしまった。

 たまらず数メートル吹っ飛ばされ、受け身すら取れないまま転がってしまう。体重もろくに乗っていないはずなのに、この威力か……。

 

 起き上がってみると、向こうは片膝をついて頬をさすっていた。やはり、今の一発はそれなりに効いていたようだ。

 

「……思っていた以上、だな。この力を手にして以来、片膝をついたことはなかった」

「そうかい。だったら今度は、初のノックダウンを経験させてやるよ」

「面白い。ならば私も戦士として、君に全力で挑まねばならん。先程までの小手調べとは、訳が違うぞ」

「……そうでなきゃな」

 

 まだまだ彼を打ち倒すには足りない。それでも、こちらの攻撃が通用する、という事実は非常に大きいものがある。

 相手を攻略するための、欠かせない糸口になりうるからだ。

 

「りゅ、龍太君っ!」

「あわわ、だ、大丈夫なん? めっちゃ吹っ飛んどったで……?」

「体重の差はやはり大きいようですわね……一見すると五分と五分のようにも見えますが、龍太様が吹っ飛ばされているのに対して、将軍は片膝をつく程度。この勝負、やはり楽には終わらないようざます」

「いや、それでもあの将軍に片膝を付かせたのはすごいよ……! やっぱり、龍太君は僕が思っていた以上に腕を上げていたんだ!」

「将軍のモーションを見切ることが出来れば……あるいは、なんとかなるかも知れないわね」

 

 一方、この戦況に対する観客の反応は様々。着鎧甲冑部は今後の流れを案じている様子だが、古我知さんと鮎美先生はある程度の勝機はあると、前向きに見ているらしい。

 向こう側にいるダウゥ姫は、心臓が止まりそうな程にハラハラした面持ちで、戦いの行方を見守っている。

 

「今の一煉寺君が剣一君の力を遥かに越えているならば、希望が持てるかも知れんが……」

「……龍亮さん。先輩が何度か古我知さんと戦ったって、言ってたけど……?」

「ん? あぁ、実戦的な練習も大事だからな。五十回、着鎧アリで二人を戦わせてたぜ」

「五十回、も……?」

 

 その時。伊葉さんの言葉にハッとした表情を浮かべた四郷が、落ち着いた物腰で試合を見ていた兄貴に質問を投げ掛けていた。

 不意に特訓内容について話題を振られた兄貴は、一瞬だけ目を丸くすると、ニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべる。

 

 そんな彼の姿を一瞥して、俺は腰に装備された電磁警棒を掴み――投げ捨てた。

 

「ちなみに、アイツは一回も負けちゃいねぇ。五十戦、五十勝、零敗。『重り』を外してマジになった時は、たいてい二分でケリが付いてたな」

 

 ――こんな使えもしない得物、俺には「重り」にしかならんからな。

 



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第179話 龍虎相打つ

 戦いの流れは、その瞬間を境に大きな唸りを生んだ。

 

「ホォワァアァアッ!」

「ぐぬッ……!」

 

 鈍く輝く銅色の鉄槌をかい潜り、俺の赤い拳が弾丸の如く――鼻頭の急所、「三角」を捉える。

 将軍は僅かにふらつきながらも、もう片方の鉄腕を薙ぎ払うように振るうが、同じ轍を踏んでばかりの俺ではない。

 

「ぬりゃあぁあッ!」

「く、おぉッ!」

 

 咄嗟に外腕刀で身を守り、その一撃を辛うじて受け止める。俺の身体はその衝撃に押され、両足で地面をえぐりながら真横の方向に数メートル退避させられてしまった。

 

 急所への攻撃で体勢がふらつき、体重が乗らないままでのカウンターだったはずだが……それでもこの威力、か。パワーだけなら、間違いなく瀧上凱樹にも引けを取らないだろう。

 

「フゥッ……!」

 

 ――しかし、それだけでやすやすと勝てるほど、今の俺は鈍くはない。さっきの防御が間に合ったのは、電磁警棒を捨てて体幹が安定し、動作に無駄がなくなったからだ。

 

 長さ三十センチ、重量八キロの電磁警棒。腰に吊されたG型共通のその装備は、残念ながら俺にとっては体幹のバランスを奪う「重り」以外の意味を成さない。

 

 ゆえにそれを外してからが、俺の本領となるのである。着鎧甲冑の超人的運動能力の前では八キロ程度の重りなど些細な荷物に過ぎないが、それでも体重差で敵わない以上、技のスピードと精度で勝負せざるを得ない俺には死活問題なのだ。

 

 敢えて自己のバランスに枷を与え、相手の様子を見てから本性を現して一気に畳み掛ける。

 それが将軍に手の内を読む隙を与えないために即興で編み出した、俺の新戦法なのだ。効果の程は、古我知さんとの模擬戦で実証済みである。

 

「フウッ……ホォオォーウッ!」

「くっ!」

 

 一息ついての怪鳥音とともに、地を這うように姿勢を低くして前のめりになるように突き進む。そんな俺を迎撃すべく、将軍は丸太のような脚でローキックを放った。

 外見に似合わぬ速さで迫るその蹴りは、風を裂く轟音をあげて俺の頬を狙う。だが、その攻撃のためのモーションが始まるより早く、俺は次の一手に臨んでいた。

 

 両の手を伸ばして倒れ込むように地面へ覆いかぶさり、手が砂利の上に接した反動で下半身が持ち上がると、一瞬だけ逆立ちの体勢になる。そこから地面に付けられた両手を全力で押し出し――その勢いで突き上げられた両脚が、将軍の顎を打ち上げた。

 顎にある急所「三日月」への一撃を受けた将軍は今までよりも大きくよろめき、大きな隙を見せた。脳を揺らされたショックは、やはり大きいものだったらしい。

 

「フウウッ――トアチャァアアーッ!」

 

 無論、ここまで来ておいて追い討ちを掛けない手はない。俺は畳み掛けるように前傾姿勢でさらに突き進み、銅色の胸に突きを見舞う。胸部の急所の一つだ。

 俺の呼吸と雄叫びが、廃工場に轟いていく。

 

「ぐっ……ぬ!」

「ワ、ワーリッ!?」

 

 パワーに差はあれど、やはり急所を突かれてはダメージは避けられないようだ。追い込みの一発を受けた将軍は数歩後ろへ下がり、同時にダウゥ姫から悲鳴が上がる。

 

「――ぬぅおぉあッ!」

「く、うっ!」

 

 その声を聞いて、このままではいかん、と奮起したのだろうか。将軍の巨体が背中から突き飛ばされたかのように突っ込んできた。

 予想よりあまりにも速い、急所攻撃からの回復。その予期しない動きに反応が遅れた俺は、回避は間に合わないと判断して腕を十字に構えた防御体勢に入る。

 刹那、まともに受けてはならないはずの将軍のストレートが、俺の両腕に衝突した。さっきの薙ぎ払いとは比にならないパワーが、予測を超えるスピードでのしかかる。

 

 当然、凄まじい勢いで俺は地面をえぐりながら後退させられる――のだが、今回はそれで終わるような生易しい攻撃ではない。

 パンチを防御された反動を受けてもなお、将軍はスピードをほとんど殺さず、そのまま突き進んでくる。

 

 一方、将軍の剛拳を真っ向から受けてしまった俺の両腕は、痺れという形で悲鳴を上げていた。その想定外の痛手に仮面の奥で顔をしかめていた俺は、反応が間に合わず――追撃として伸びていた巨大な両手に、己の両肩を掴まれていた。

 

「うぐっ!?」

「素晴らしい攻撃だったが、ここまでだ!」

 

 肩に掛かる重さは尋常ではなく、身じろぎすらままならない。

 そんな俺に打開策を練る暇も与えまいと、将軍の頭が天井へ向けて振り上げられる。その姿は、さながら獲物を喰らわんと唸る「虎」のようだ。

 

 これは――ただのヘッドバットではない。兜の頂に取り付けられた、トサカ状の斧による斬撃だ。直撃したら、マスクどころか……!

 

「――トワァアッ!」

 

 俺は動かせない両腕に代わり、両足を振り上げて空を切り裂く将軍の斧を挟み込む。両方から膝蹴りを当てられた刃の先端が、マスクを突き破りバイザーの中へ侵入する――が、そこから先へ進み出ることはなかった。

 膝で真剣白刃取りを間一髪成功させた俺は、ヘッドバットに意識を向けていた将軍の不意を突き、掌側にある手首の急所「寸脈」に手刀を当て、拘束から解放させる。

 

 そして、ここまで真っすぐ突き進んできた将軍の体勢を利用し、彼の両腕を引きながら――銅色の腹の下へ滑り込んだ。

 

「チャアァアアッ!」

「ぬぐあっ!?」

 

 闘牛すら跳ね飛ばすであろう、巨大な鋼鉄の弾丸。そう呼ぶに相応しい攻勢を見せた将軍に対抗するには、やはりこれしかあるまい。

 俺はつんのめって覆いかぶさって来る将軍の身体を、将軍自身の勢いと「救済の超機龍」の脚力を以って、ひっくり返してみせた。

 

 巴投げをお見舞いされた将軍は宙に己の巨体を投げ出され、やがて轟音と共に地面へと墜落する。舞い上がる土埃と砂利が、作戦が成功したことを告げていた。

 

「やったぁああ!」

「いよっしゃあぁい! 行ける、行けるで龍太ッ!」

 

 俺の優勢ぶりに救芽井と矢村が歓声を上げる――が、当の俺はそれどころではなかった。

 

 ――今の肩を掴んでからのヘッドバット。これまでにはない、将軍からの本格的な攻撃だった。

 今まで様子見だった彼が、ついに本気で動き出した、ということなのかも知れない。膝の白刃取りが間に合わなかったら、切り傷では済まなかっただろう。

 

 それに、向こうも段々と俺の攻撃のリズムを掴み始めてるみたいだ。これ以上手の内を読まれる前に勝負を付けないと、決着がつく前にこっちのスーツがバッテリー切れになっちまう。

 「銅殻勇鎧」とやらのエネルギーが持続する時間がどの程度かは知らないが、俺のように激しく動き回っていない以上、向こうが先にバテてくれる線は期待できない。リミットは、俺のバッテリーが切れるまで、か。

 

 俺は弾かれるように飛び起きると、将軍が飛ばされた方向へ視線を向ける。そして、ぐるりと移り変わる景色に銅色の甲冑が現れた時――

 

「ならばこれはどうだ!?」

 

 ――鉄腕に搭載された漆黒の銃身が、火を噴いた。

 

「うぉっ……!?」

 

 俺は思わず腕で顔を覆い、緊急防御の体勢に突入。俺の全身はもちろん、その周囲にも鉛玉が浴びせられることとなった。

 篭手に内蔵された小型のガトリング――か。ガチンコの戦闘用に載せられてる武器があのトサカだけ、なんてことはないだろうとは思ってたが、まさかあんなモンを持ち出して来やがるとは……!

 それなりに距離が離れていたから、まともに喰らっても激痛で済んだが――あんな連射を至近距離で貰ったら、三年前みたいな銃創じゃ済まないぜ。

 

「な、なんなんアレッ! 鉄砲なんてずるいやろッ!」

「いや、この決闘で武器の使用は禁止されてないんだ。将軍は今まで使おうとしてなかっただけだし、龍太君は持ってても邪魔にしかならないらしいから、これまでは肉弾戦になってたけど……」

 

 憤慨する矢村を宥めている古我知さんも、苦虫を噛み潰すような表情を浮かべている。飛び道具を持たない俺の不利を憂いているのだろう。

 確かに、丸腰同然の俺に銃器は天敵そのもの。まともにやり合えば勝ち目はないだろう。

 

 ――だが、そんなことで勝負を諦めるつもりはないぜ、俺は。

 

「……ンンッ!」

 

 視界に映す対象を「ガトリングそのもの」から「ガトリングを持つ将軍」へ切り替え、俺は彼の周辺を回るように駆け出す。その後ろでは、砂利だらけの地面が立て続けに銃撃を受け、小さく土埃を上げていた。

 

「クッ!」

「射撃が止まった……? なるほど、そういうことか」

 

 しかし、俺が様子見のために距離を置いて周回を始めた途端、ガトリングの銃口から煙が立ち上り、銃撃が止んでしまった。

 

 どうやら、流れ弾を防ぐために照準はなるべく下の方へ向けているらしい。円形に駆け回りながら、ある程度距離を取ってみると銃撃がピタリと止んでしまったのだ。

 逆に、ぐるぐると周りながら一定の間合いまで近づくと、たちまちガトリングが猛威を振るう。向こうも、それなりに戦い方には気を遣っているらしい。

 

 確かに、射線をあらかじめ下に向けておけば誤射の可能性は薄まるし、近距離で足を撃てれば俺のアドバンテージであるスピードを殺すこともできる。一石二鳥、というわけだ。

 

 だが――俺は、一鳥たりとも取らせはしないぜ。

 



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第180話 予期せぬ流血

 目まぐるしく周回を繰り返す俺を追い、将軍のガトリングが唸りを上げる。火を噴く銃口は休むことなく弾丸を放ち、俺の背後の土をえぐり続けていた。

 端から見れば、俺が将軍から逃げ回っているようにしか映らない光景だろう。それに、銃撃を避けるのに必死なのは事実だ。

 

 しかし、この状況が示しているのはそれだけではない。俺は、この体勢に入ってからまだ一発も弾には当たっていないのである。

 つまり、向こうも俺を捉え切れてはいない、ということだ。この状態が長く続けば弾切れを起こし、下手な鉄砲も撃てなくなる。

 だが、このまま逃げ回っていては弾切れより先に俺のバッテリーが切れてしまうだろう。相手の武器を封じる代わりに着鎧が解けるなんて、本末転倒もいいところだ。

 

 だからあのガトリングを攻略するには、早期決戦しかない。だが、迂闊に近づけば蜂の巣になる末路は必至。

 これ以上のバッテリーの浪費を抑え、かつ攻勢に移れるようにするには――やはり、向こうが俺の周回に付いていけていない、今の状況を利用するしかないだろう。

 

 俺は彼の周りを走り続けながら、少しずつコースの幅を狭めていく。銃声がじわじわと迫り、焦燥感を掻き立てた。三年前の痛みと苦しみが、津波のように襲い来る。

 仮面の奥で唇を噛み締め、その恐怖心を押さえ込みながら、俺はさらに将軍との距離を縮めて行った。唇の痛みと血の味が、俺の焦りと恐れを塗り潰していく。

 

 そして――ついに、将軍との間合いは四メートルを切る。銃声が常に怒号のように響き渡り、俺の心を揺さぶらんとしていた。

 しかし、俺は呑まれない。このリスクに見合うリターンを、背中に感じているからだ。

 

 俺の後ろで常に聞こえていた、銃弾が地面に突き刺さる音。その悍ましい衝撃音との間隔は、ガトリングそのものとの距離と反比例するかのように、離れつつあったのだ。

 

 それもそのはず。周回のコースが狭くなれば、その分だけ一周ごとの距離は縮まり、回るペースも速くなる。

 そして速くなればなるほど、将軍は俺のスピードに付いて来れなくなっていくのだ。

 

 もちろん、ガトリングそのものに近づいていることも事実なので、下手をすれば自分から撃たれに行くような事態にも繋がりかねない行為でもある。それを知った上での、勝負だった。

 

 その狙い通り、俺を狙う銃弾の照準は徐々に離れつつある。それに比例し、俺から見える将軍の姿が、少しずつ背を向けるようになって来ていた。

 俺の周回に、将軍が追い付けなくなっている証拠だ。

 

 そして、このリスキーなかけっこが始まってから一分が過ぎ――将軍は、完全に俺に背を向ける格好になってしまった。

 余りのスピードに、とうとう相手を見失ってしまっているようだ。……とにかく、攻めるなら今しかない。

 

 俺は深く息を吸い込み――勢いよく地を蹴る。こちらが見えていない将軍の背後、すなわち後頭部の急所「脳戸」を狙って。

 

「……ホワチャアァアアァーッ!」

 

 経脈秘孔を突くべく、打ち出された全力の突き。その赤い拳は、無防備な将軍の後頭部へ矢の如く迫り――

 

「フンッ!」

 

 ――将軍の肘鉄で、跳ね返されてしまった。

 

「がっ……!?」

 

 何が起きたのか、その瞬間にはわからなかった。

 

 こちらが見えていない将軍が、背を向けた状態で左から肘鉄を振るい、マスクを貫通する程の衝撃を俺の鼻頭にブチ当てた。

 その結末を悟る頃には、俺は仮面の中で鼻血を撒き散らしながら、激しく吹っ飛び――後頭部を強打していたのだった。目に映る天井が明滅し、俺の意識を混濁させていく。

 

 絶対に行ける。そう確信していた攻撃を破られたショックと、不測の事態に対応仕切れなかった応用力のなさ。その二つに正常な判断力を奪われていた俺は、受け身すら取れずに墜落してしまったようだ。

 

「りゅっ……龍太君ッ!」

「龍太ぁあっ! いい、いけん、こんなんいけんてっ!」

「二人とも、落ち着きなさいな! まだ……終わってはいなくってよ」

「……今の一撃、軽くはなかった。先輩のダメージも……」

 

 そんな無様な俺の姿に、救芽井と矢村が悲鳴を上げる。久水先輩と四郷は年長なだけあって、冷静に彼女達を宥めていたが――劣勢であることは否定していなかった。

 

「や、やった! ……の、かな」

 

 一方、将軍の反撃に歓喜しているはずのダウゥ姫は、どことなく戸惑いの表情を浮かべ、視線を泳がせている。さすがに、今の光景は痛々し過ぎたのだろうか。

 

「りゅ、龍亮さん! これは……!」

「……なーる。あの将軍さん、龍太がどこから来るかをあらかじめ予想してたんだな。それでアイツが地面を蹴る音を頼りに肘鉄をキメた、と。……しかし、あの天井の足音は……?」

 

 翻って日本側のギャラリーの中では、兄貴が古我知さんの動揺を尻目に、呑気に解説を垂れていた。

 音を頼りに、だって……? じゃあ、将軍は目で追わずに俺を捉えたってことなのかよ。

 

 なんて無茶苦茶な技量だ……。伊達に軍人やってるわけじゃないみたいだな。

 ――だけど種さえわかりゃ、やりようはあるはず。視覚で撹乱してもついて来るなら……聴覚も惑わすまでだ!

 

 俺はこちらを見下ろす将軍を睨み上げながら、勢いよく飛び起き――もう一度周回を始める。バッテリー残量を考えれば、この作戦が使えるのは今回で最後だ。

 

 一度破られたからと言って、諦めてはいられない。次の一発こそ、通用させて見せる。

 

「既に見切られた技で再度挑む、か。いかに優れた資質と装備を持っていようと、所詮はまだ若僧だったということかな」

 

 将軍はさっきまでとは違い、ガトリングを使うこともなく棒立ちのままで俺を一瞥した。一度作戦を見抜いた以上、ガトリングをむやみに使うこともない、と踏んでいるのだろう。

 無理に俺を追うこともなく、ただ静かに周りを走らせている。どこから来てもさっきのように跳ね返せる、という自信がそうさせているのかも知れない。

 向こうは、俺が策に窮して自棄を起こしていると見做している。ならば、そこには付け入る隙があるはずだ。

 

 俺は繰り返し駆け回りながら、その瞬間を探る。この勝負を、意地でも頂くために。

 

「右か、左か。意表を突くべく、敢えての正面か。それとも、また背後からか。……どこからでも来るがいい、結果は同じだ」

 

 そんな俺と視線を合わせることなく、将軍は静かに何かを呟いていた。聞き取ることこそできなかったが、だいたい何を言っていたのかは想像がつく。大方、俺の出方の予測を並べているのだろう。

 今度こそ……その賢いオツムを出し抜いてやる。

 

 周回を始めて、四十秒。普通の人間なら、緊張している状態を続け過ぎて精神が摩耗し始める頃だ。

 もちろん、将軍はそれに当てはまるようなヤワな存在ではあるまい。だが、バッテリー残量を考えれば、撹乱を続けられるのはそろそろ限界だ。

 

 一方で、今の将軍は棒立ち――いや、自然体のままで俺を待ち構えている。どこから来ても、何が来ても通用しない自信が、その佇まいから溢れていた。

 

 だが――そんな余裕ぶっこいたマネしてられるのも、ここまでだ!

 

「フゥッ……チャアァアアッ!」

 

 息を吸い、地を蹴り。怪鳥音を放ち。

 将軍の真後ろで、俺は叫ぶ。

 

「――ヌゥアッ!」

 

 そして、周回している時とは明らかに違う「音」に反応し、将軍はぐるりと回転する。次いで、待ち構えていたかのような正拳突きが罠の如く飛び出してきた。

 

「……ッ!?」

 

 ――だが、その拳は空を裂く。俺を砕くまでには至らない。

 

 将軍が正拳突きに入るモーションには一切の無駄がなく、彼の動きを見てから避けるのは至難の技。――だが、何が来るかをある程度予測できていれば、その限りではない。

 俺は将軍が振り返るために、素早く足を動かす……よりも速く、地を蹴った足に急ブレーキを掛け、正拳突きが飛ぶ頃にはその射線を外していたのだ。

 

 もちろん、予測から避ける幅が足りなければそのままパンチを貰っておしまいだし、広すぎればこちらの反撃が届かない。そもそも、何が来るかを読み違えたら、まともに喰らって賭けすら成立しない。

 

 そんな綱渡りの状態で臨んだ時間差攻撃が――どうやら、功を奏したらしい。頬を掠めるように飛ぶ正拳突きの余波に煽られながら、俺は突き進む。決着を付けるために。

 

「ホォゥアァアアッ!」

「ムッ……オォッ!」

 

 狙うは顔面の経脈秘孔。だが、意表を突いたからと言って、やすやすと攻めさせてくれる彼ではなかった。

 流れるように振り上げられた赤い脚は、将軍の頭部――ではなく、咄嗟にかわした弾みで彼の左肩に命中したのだ。片方しかない銅殻勇鎧の肩当てが、轟音と共に持ち主の身体から切り離され、吹き飛んでいく。

 

「ク……!」

 

 そして、ほんの僅かだが……将軍の声に、焦りの色が滲む。畳み掛けるなら、今――!

 

 俺は懐に入り込んだ状態のまま、ガトリングを持つ右腕を狙う――が、そこで何かの違和感を覚え、立ち止まってしまった。

 

「わ、わあッ!?」

 

「え……あれ、何……!?」

 

 矢村の、信じられないものを見たような声。さっきまでとは違う、ギャラリー全体に広がるどよめき。そして――ダウゥ姫の悲鳴。

 

 何があったのか。咄嗟に得体の知れない悪寒を感じた俺は、瞬時に真横に視線を移し――僅かに、固まる。

 

 今まで決闘に集中し過ぎて、全く気づかなかった異物の陰。その実態が牙を剥き、俺達の前に現れた――とでも云うのだろうか。

 将軍と共に、ダウゥ姫の方向を見詰める俺は……正体不明の「異物」に、戦慄する。

 

 ダウゥ姫の周囲を――謎の赤い光の線が、円を描くように天井から差し込んでいるのだ。しかも、鉄製の天井を紙切れのように焼き切り、砂利だらけの地面に無惨な切り傷を刻みながら。

 

「あれは……レーザー!?」

「姫様! そこから速くお逃げ下さ――!」

 

 そして、将軍が言い終えるよりも速く。円形に切り取られた直径十メートル相当の天井が、真下のダウゥ姫へ覆いかぶさるように――焼き切られたが故の運命を辿る。

 

「うっ……うわぁああーっ!」

「ひ、姫様ァッ! ……ぐッ!」

 

 突如、真上から迫る円形の天井。予測不可能なその脅威に、ダウゥ姫が更に悲鳴を上げる。そんな彼女を守るべく、将軍が咄嗟に動き出す――が、さっきの一発で肩を痛めたらしく、一瞬だけ左肩を抑えて足を止めてしまっていた。

 

「ななな、なんなんやアレッ!」

「レーザー!? なんであんなモノがッ!?」

「いかんッ! 一煉寺君ッ!」

 

 救芽井と矢村が、周囲を代弁するような驚愕の声を上げ、伊葉さんが俺を促すように叫ぶ。

 もちろん、俺はそれを聞くよりも速く動き出していた。将軍の鈍重な身体じゃ厳しいってことはとっくに分かりきっていたことだしな。

 

 俺は意識を決闘から眼前の危機へと一瞬で切り替え、ダウゥ姫の傍に即座に駆け付ける。そして、両手を突き上げるように上へ翳し――切り取られた天井を、受け止めた。その衝撃の轟音が、周囲に響き渡る。

 

「あ……」

「ふうっ……全く、決闘の最中にいきなりなんだってんだよなぁ?」

 

 呆気に取られているダウゥ姫に向けて、俺は仮面越しに苦笑いを浮かべる。あのレーザーの実態が何なのかはわからないが、ひとまず彼女を守れてよかった。

 だが、外部からの妨害があった以上、ここで安心している場合じゃない。速くみんなを連れてここから離脱――

 

「龍太君、逃げてぇえっ!」

 

 ――しようとした時。

 

 救芽井が、今までにないくらい、悲痛な声で叫び。

 

「……え」

 

 俺の身体は、天井を支えたまま動かなくなった。

 

 何が起きたのか。なぜ、俺はこの格好のまま動けないのか。

 

 得体の知れない恐怖に顔を引き攣らせ、震えているダウゥ姫の視線を追い――ようやく、俺はその理由を知ることができた。

 

「ぐ、ぶ……!」

 

 ――できることなら、もうちょっと早く知りたかったけどな。

 

 俺の胸に、上から落ちてきた鉄骨が、天井越しに突き刺さったってことくらい。

 



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第181話 禁じられた着鎧

 鉄骨は俺の背中から胸元を突き抜け、砂利の中に深々と埋まっている。

 

 自分に何が起きたのかを俺自身が悟る頃には、バイザーの視界が俺の血で閉ざされていた。次いで、重たい何かが墜落する轟音が断続的に響き渡り、天井を支える俺の両手に振動が走る。

 だらり、とバイザーにへばりついた血が落ちていくにつれて、その音の実態が少しずつ見えてきた。どうやら、俺を貫いたものとは別の鉄骨が、あちこちに落っこちて来ているらしい。

 

 周囲を見渡してみると、いくつもの鉄製の杭が天井をぶちぬいているのがわかる。大量の鉄骨がどこに消えたのかは確かに気掛かりではあったが――まさか、上から降って来るなんてな。

 

 こんな手の込んだマネをしたのがどこのどいつかは知らないが……随分と、痛手を負わせてくれたもんだ。

 

「お、ごっ……」

 

 膝がかくかくと笑い、両腕に込められた力が抜けていく。呼吸が止まり、目眩がする。

 痛みは、ない。ただ、苦しい。息が、できない。

 

「ああっ、あああ……! テンニーン……テンニーン! や、やだぁああっ……!」

「こ、これはッ……!?」

 

 しばらく腰を抜かしたままへたりこんでいたダウゥ姫が、頭を抱えて泣き叫ぶ。俺と死んだテンニーンとやらを重ねているのだろうか。

 ジェリバン将軍も突然の事態に驚愕を隠せず、俺と頭上を交互に見遣っていた。暗雲が立ち込める空が剥き出しにされたせいか、俺が支える天井は豪雨に晒されており、その勢いが更に重量を上乗せしている。

 

「え……あ……りゅ、りゅう、た……!?」

「あ、あああ、あ……いつっ!?」

「何をボサッとしてらっしゃるの!? 決闘は中止ざます、さっさと龍太様の救援に向かいなさいッ!」

「龍太先輩……!」

 

 一方、ギャラリー側もこの事態にたまげているらしく、救芽井と矢村はあまりの展開に呆然と立ち尽くしていた。そんな彼女達の尻をひっぱたく久水先輩も、明らかに声色に焦りを滲ませている。

 四郷の悲痛な呟きが聞こえた頃には、我に帰った救芽井が深緑の着鎧甲冑を纏いながら、こちら目掛けて全力疾走していた。世界初の着鎧甲冑、「救済の先駆者」だ。

 

「な、なんてことだ……! と、とにかく僕も!」

「いかん剣一君! まだ何かあるかも知れんのだぞッ!」

「……あのレーザー、やはり……!」

 

 古我知さんも尻を叩かれて飛び出した救芽井に続き、俺の傍へ駆け寄って来る。彼を制止せんと伊葉さんが叫ぶが、留まる気配はない。

 鮎美先生は俺の惨状に痛ましい視線を送りつつ、上を見上げていた。

 

 そして、兄貴は。

 

「……」

 

 目を伏せて、ただ沈黙し――拳を握り締めている。

 悩み抜き、そして何かを決断する前触れのように。

 

 ――兄貴。俺は、死ぬのか? 兄貴は、どう、思ってる……?

 

「龍太君ッ! 今、助けてあげるからッ! しっかりッ!」

「意識を失うな! すぐに助けるからッ!」

 

 ……朦朧とする意識の中で、その答えを求めようとしていた俺の前に、救芽井と古我知さんが現れる。二人は互いに顔を見合わせて強く頷くと、同時に天井に両手を当てた。

 

「なんとか鉄骨を抜きましょう! 抜けた瞬間、龍太君が出血死する前に私の瞬間止血剤で傷を塞ぎます!」

「ああ! すぐに使えるよう、バックルから用意しておいてくれ!」

「はい!」

 

 さすがはたった一年で一時代を築いたスーパーヒロインと、その元開発スタッフだ。二人は一切無駄のない動きで迅速に対応を決め、それを実行に移している。

 救芽井は一瞬だけ片手を離して腰周りのバックルに手を伸ばし、そこから一つの白い球体を取り出した。野球ボールくらいの大きさを持ったソレは、傷に当てると血に反応して液状化し、僅か数秒で硬化する特殊な瞬間止血剤。

 

 これを使うことで、一時的に血を完全に止める止血剤の効果を得ることができるのだ。俺も資格試験や一年間のヒーロー活動の中で、何度か使ったことがある。……昔は間違えて自分の顔に付いた傷にへばりつけたりして、エラい目に遭うこともあったなぁ。

 

 そして、そのことを思い出したのが契機となったのか――これまでに経験してきた戦い、任務、部活で過ごした日々や関わってきた人々との記憶が、濁流のように脳裏へ流れ込んで来る。

 これが……走馬灯って奴なのか。

 

「うぐっ、うおぉおぉッ……!」

「う、あぁ、あぁああぁッ!」

 

 鉄骨で貫かれた人間が辿るであろう、死という結末。そのエンディングを覆すべく、救芽井と古我知さんが天井を押しのけるべく全力を注ぎ、唸る。

 救芽井の片手に握られた止血剤が、俺の生死を分ける最後の希望だった。

 

 しかし、天井は超人二人の力を以ってしても、容易には動かない。斜めだったり垂直だったりと、様々な角度で周囲に突き刺さっている他の鉄骨が重なり合い、相当な重量となって彼らの奮闘を阻害しているのだろう。

 俺の背中に刺さっている鉄骨だけ切断できれば簡単なのだが、あいにく俺の背中と天井は、ほぼ密着してしまっているのだ。古我知さんの高電圧ダガーでは、俺の身体ごと焼き切られてしまう。

 

 結局はこの天井をどうにかしなければ、俺には死しかない。

 

「ヌッ……ウウッ!」

「ジェ、ジェリバン将軍!?」

「――協力、させてくれ。姫様のためにも、彼のためにも!」

 

 その事実に、突き動かされるものがあったのだろう。さっきまで敵対していたはずのが将軍までもが、一切の迷いも見せず救芽井達に加勢していた。

 将軍の装甲服は旧式なれど、そのパワーはこの中においては間違いなくトップ。銅殻勇鎧の常軌を逸した馬力を受け、大量の鉄骨の重量がのしかかっているはずの天井が、一際大きな軋みの音を上げた。

 

 尽くせる手は、尽くされた。

 あとは天命を待つのみ。

 

 そして、与えられた末路は――ハッピーエンドを許さなかった。

 

「クッ……! まだ、足りぬ、のか……!?」

「まさか龍太君との戦闘で、電力を大量に消耗したせいでは……!」

「そんな……! ダメ! そんなのダメッ! 絶対ダメぇえっ!」

 

 これほどの力をぶつけてもなお、天井は動かない。古我知さんが言う通り、将軍のパワーも限界を迎えようとしているのだろうか。

 頭を振り、現実を振り払わんと叫ぶ救芽井の声色が、絶望と恐怖を覗かせている。目の前で人が死んでいく。それはレスキューヒーローの始祖たる彼女にとっては、何よりも堪え難い結果に違いない。

 

 だからこそ、俺の死を止められない自分を責めているのだ。頭上で自分の邪魔をする、無機質な鉄の板に全力を込めながら。

 彼女も、古我知さんも、将軍も。誰もが叫び、唸り、渾身の力を天にぶつけ続けている。例え、それが届かない願いの現れであったとしても。

 

 ……そんな彼女達に水を差すようなことかも知れないが。

 

 俺は、このまま死んでいくなら、それもいいと思っている。

 

「……」

 

 混濁していく血まみれの視界の中に、確かに見える褐色の肌。涙に頬を濡らすやんちゃな姫君は今、駆け付けた鮎美先生に保護されていた。

 

 俺が助けた、この命の対価。その無事をこの目に映る世界に認めた時。

 安堵する自分が居るのだ。こんな時であっても。

 

 いや、こんな時だからこそ、だろう。

 ここで彼女に何かあったならば、それこそ俺は自分が生きてきた意義を見失っていた。

 

 自分も助からなければ、レスキューヒーローとは言えない。それはわかっている。

 だけど。彼女だけでも生き延びた事実を喜んでいる、この気持ちを否定はできない。

 

 だから、これでいい。これでよかったのだ。

 

「……も、う、いい」

 

 ゆえに俺は、今も闘い続けている彼女達に、そう呟いていた。聞こえるはずもない程の小声で。

 ――この天井が落ちてきたのは、間違いなく人為的なものだ。この場にいる彼女達にも、何らかの危害が及ばないとも限らない。

 

 少しでも全員を危険から遠ざけるならば、すぐさまここから離れるしかない。天井と鉄骨を落とした張本人がどこにいるかわからない以上、とにかく現場から少しでも距離を取るのが先決だ。

 俺の命を拾うための行為でさらに被害が拡大しようものなら、その方が俺には堪えられない。

 

 そのためにも、彼女達には一刻も早くここから逃げて欲しかった――のだが、歯痒いことに今の俺には、その考えを届かせる手段がない。

 どれだけ声を振り絞っても、どれだけ叫ぼうとしても。胸を貫かれ、呼吸を遮断された俺の声量などたかが知れている。

 

「まだなん!? まだ動けへんの!? 龍太は、龍太はどうなんのッ!」

「取り乱しては……取り乱してはなりませんわよッ! 龍太様は死にません、死んで……たまる、ものですか……!」

「梢……」

 

 一方、着鎧甲冑部の面々の表情は、さらに険しいものになっていた。半ば錯乱状態の矢村を必死に宥めている久水先輩も、唇を強く噛み締める余り、艶やかな桃色の口先から鮮血を滴らせていた。

 そんな親友の形相を前に、四郷も顔を曇らせ、服の胸元をギュッと握り締めている。こちらを見遣る深紅の眼差しは、張り裂けるような想いと後悔の念を滲ませていた。

 普段は冷淡なくせに、ここぞってところで情に厚くなる彼女のことだ。かつて、自分が機械の身体を持っていた頃のあの力があれば、などと考えているに違いない。そんなものが今も残っていたら、一年前に俺が戦った理由がほとんど吹っ飛んじまうだろうに。

 

「着鎧甲冑、必要悪、銅殻勇鎧が揃っても動かせんというのか……! これでは、手の打ちようがッ……!」

「えぇ……。それに、龍太君にはほとんど助かる気がないようにも見えるわ。それよりも早くやった奴を探せ、っていいたげね」

「オレッ……ダメ、ダメだこんなのッ! 早くなんとか……あぁ……!」

 

 伊葉さんと鮎美先生も、どうにもならないこの状況に歯を食いしばっているようだった。

 鮎美先生は俺の考えを汲み取ってはいるみたいだが、救芽井達にそれを伝えようとしていないところを見るに、彼女も俺をどうにか助けようってクチらしい。

 

 当の俺には、もっと他にやって貰いたいことがあるというのに。そこで泣きわめいているダウゥ姫を、守り抜いて欲しいというのに。

 

「龍太君ッ! しっかりしてッ! 死んじゃダメッ、死なないでよぉッ!」

 

 そんな俺の意識を断ち切るように、救芽井が懸命に呼び掛けている。半狂乱と言って差し支えない取り乱しようだ。

 ……すまん、救芽井。プロ合格早々だが、俺はもう殉職らしい。

 

 俺の身体の震えが、少しずつ小さくなっていく。そろそろ、この姿勢を維持するのも限界のようだ。

 そんな俺の様子にいよいよ最期を感じたのか、救芽井は手を緩めないままべそをかき、俯いてしまう。

 

 ――このまま俺は死に、レスキューヒーローとしての短い人生を終える。それが、避けようのない結末。

 

 そして、その運命付けられた瞬間が訪れようとしていた時まで。俺は、見失っていた。

 

「あ、に……き」

 

 生まれた時から共にいた、掛け替えのない家族を。

 

「りゅ、龍亮さ……ッ!?」

 

 いつの間にか救芽井達の傍らまで来ていた、この世でただ一人の兄弟。自分と同じ遺伝子を持った血を見るその瞳は、ここに駆け付けた古我知さんと同じ色を湛えている。

 

 しかし、そんな彼が最初に見せた行動は俺の予測から大きく外れたものだった。

 

 兄貴はいきなり救芽井の後ろから、振り下ろすような手刀を見舞ったのだ。

 

 戦闘ロボットを素手で破壊する、正真正銘の「超人」のチョップを背後から喰らっては、いかに着鎧甲冑といえどただでは済まない。背面のバックル部分に隠された、深紅の円形スイッチを覆う防護ガラスが一瞬で砕け散り……その奥に眠る強制着鎧解除装置が作動された。

 悪意ある第三者に強制解除されないための防護ガラスは、本来ならば着鎧している本人のパワーでなければ破壊できない。その設計思想を根本から覆すチョップに、救芽井は短い悲鳴を上げる。

 

 彼の一撃を受けた救芽井はあっさりと着鎧を解除され、今度は瞬間止血剤を握ったまま砂利の地面に突き飛ばされてしまった。咄嗟に顔を上げた彼女の信じられない、といいたげな表情があらわになる。

 

「……済まねーな、樋稟ちゃん。頼めるような立場じゃねーが……その球、ちゃんと弟に使ってくれよ」

「い、一体なにをッ……!?」

 

 救芽井の視線は、兄貴の手に握られた翡翠色の「腕輪型着鎧装置」に向けられていた。その行動に、古我知さんと将軍も目を見張る。

 

「龍太。わりぃな、これくらいしかしてやれない――ダメな兄ちゃんでさ」

 

 当の本人はそんな視線など全く意に介さない様子で、俺と向かい合うように天井を支える。

 次いで、今まさに力尽きようとしている弟と全く同じ姿勢で、兄貴は自分の右腕に嵌めた「救済の先駆者」の腕輪を一瞥した。

 

「……着鎧甲冑」

 

 そして――僅かに伺えた微笑と共に。

 

 聞き慣れた言葉ではあるけれど、彼の口からは一度も聞いたことのない「コール」が、廃工場に轟くのだった。

 



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第182話 どこまでも、いつも通りに

「龍太ぁ……ちぃっとばかし痛いかも知れんが、辛抱だぜ?」

 

 兄貴の全身を覆い隠す、深緑のスーツ。一切の表情を遮断する翡翠色の仮面。その奥で、聞き慣れた笑い声が聞こえたような――気がした。

 

 このくっくっと笑うような声は、昔から知っている。俺が四歳の頃、熱を出して「僕、死んじゃうの?」と泣き声を漏らした時も、兄貴は「んなわけあるかバカ」と笑い飛ばして、今のように笑いながら、ずっと傍で看病を続けていた。

 

 そう、夜が明けても日が沈んでも。旅行に出掛けていた両親が帰ってくるまで――あの日の兄貴は、一時も俺の傍から離れなかったんだ。

 確か兄貴はそのあと、四日間一睡もせずに看病を続けたせいで体調を崩して、俺が治った直後にブッ倒れて病院に搬送されたんだっけ。

 

 ――なぜ、それを今になって思い出したのだろう。なぜ、こんなに寒いのだろう。これはきっと――悪寒。

 

「えっ……!?」

「りゅ――龍亮、さん……?」

「……なんだというのだ、これはッ……」

 

 その悪寒が、形となって顕れる時。

 

 救芽井と古我知さんと将軍の三人が、同時に兄貴の変貌に目を見張る。

 

 そして俺は――声にならない悲鳴を上げていた。

 

「あっ……ちぃなぁ、全く……ハハハ」

 

 人の命を守るべく、生まれてきたはずの「救済の先駆者」は今――得体の知れない猛火で、守られるべき肉体を焼き尽くしている。

 俺も「救済の先駆者」を行使して古我知さんと戦った三年前は、火炎放射器で全身を焼かれてスーツごと黒焦げにされかけたが……今の兄貴の状況は、それとは根本的に掛け離れている部分がある。

 

 この発火は――内側からのものだ。

 

「な、なんやアレ!? おっ……お兄さんどうなっとんの!?」

「あれは……外部の損傷による炎上とは違いますわね……!?」

「……お兄さん、四肢から発火してる……。だとしたら詳しい原因まではわからないけど、間違いなく人工筋肉のショートが関係してる……!」

「人工筋肉ですって……?」

 

 突然兄貴を襲う謎の炎上に、周囲にも緊張が走る。着鎧甲冑部の面々からは人工筋肉がどうのこうの、という問答が聞こえていた。

 

「あの現象は一体……!? 四郷先生、これは!?」

「あ、あぁああ、あんなに火がっ、あんなにっ……!」

「……人工筋肉……なるほど、そういうことね」

 

 一方、この状況に困惑している伊葉さんとダウゥ姫に対して、比較的冷静な鮎美先生は兄貴の手足を一瞥すると、沈痛な面持ちでありながら、どこか納得したように相槌を打っていた。

 

「……おぉーう、樋稟ちゃん。古我知さん。ついでに将軍さん。あぶねーから離れときな」

 

 しかし、これほどの状況になっていながら、当の兄貴は軽い口調のまま。

 手足が震え、炎に包まれ、全身の関節からは煙さえ噴き出しているというのに。その奥から聞こえて来る笑い声は、あの日のままなのだった。

 

「よっ……と!」

「あ、にぎ……」

「あーバカ喋んな喋んな。傷に余計に響くだろーが。ここは愛しいお兄ちゃんに任せときなさい」

 

 スーツに全身を密閉された状態で高熱を浴びることが、どれほど苦痛なのかは俺だって知っている。逃げ場のない苦しみが際限なく身体の隅々まで覆いかぶさる、あの感覚が……今も兄貴を襲っているはずだ。

 

 ――だというのに。

 

「てっ……天井がッ!?」

「樋稟ちゃん、ここは龍亮さんの言う通りにしよう! 止血剤の用意だ!」

「は、はい!」

「……信じられん。我ら三人でも全く動かせなかったというのに……!」

 

 炎に包まれ震える両手で、今まで超人が三人掛かりで挑んでもビクともしなかった天井を、たった一人で動かし始めた兄貴は――どこまで追い詰められても、いつも通りだったのだ。

 

 兄貴一人の力で動き始めた天井は、栓が勢いよくすっぽ抜ける直前のように、小刻みに震えている。その光景を目の当たりにして何かを予感したらしく、いち早く我に帰った古我知さんが救芽井に止血剤の指示を出していた。

 

「……すまねーな、樋稟ちゃん。大事なスーツ、ダメにしちまってよ。ここは俺の首一つで、堪忍してくれ」

 

 表情を動揺の色に染めながらも、震える手で止血剤を握る救芽井。そんな彼女に向け、兄貴は小さく――何かを呟いている。

 ……なんだよ。首一つ、って、なんなんだよ。何の話だよ、それ。

 

 そんな俺の胸中に気づくこともなく、兄貴は古我知さんと僅かに視線を交わし――互いに頷き合っていた。

 

 ――そして。

 

「じゃー、行くぜ」

 

 あっけらかんとした、どこまでも「いつも通り」な掛け声と共に。

 

 兄貴が扮する「救済の先駆者」は――幾多の鉄骨に貫かれた円形の天井を、俺の胸に刺さったモノを含めての、全ての鉄骨を。

 一瞬にして、大穴が開いている天井「だった」部分から、この廃工場の外まで――投げ飛ばしてしまうのだった。

 

 鉄骨を引っこ抜くとか、天井を退かすとか、そんなレベルの騒ぎではない。兄貴が一瞬の踏ん張りから繰り出した上方への衝撃が、俺を苦しめる物体の全てを吹き飛ばしていたのだ。

 まるで、小さい頃の俺を虐めていた悪ガキを、土手から川までぶっ飛ばしていた時のように。……そう。スケールが違うだけで、兄貴がやっていること、やろうとしていることは……昔から何一つ変わっていないのだ。

 

 俺を守る。ただ、それだけのために。

 

「――樋稟ちゃんッ!」

「はいッ!」

 

 この衝撃的な光景を前に、ほとんどの人間は硬直してしまっており、周囲の時が止まっているかのような状況になっていた。

 しかし、例外はある。兄貴が何をしでかすかをあらかじめ予感していた古我知さんと――止血剤を持った救芽井だ。

 

 そう。鉄骨を抜かれたということは、俺の出血を止める物体が失われたことを意味する。鉄骨が抜ける瞬間、俺の胸と背中からは鮮血が噴水のように噴き出していたのだ。

 それを止められるのは、出血剤を持った救芽井以外にない。

 

 彼女は古我知さんの怒号のような叫びに応え、音さえ凌ぐような速さで純白の球体を投げつけて来た。

 俺の胸にぶち当たったボールは、風船のように破裂し――白くトリモチのように粘っこい物体となって、胸と背中の傷に絡み付いていく。

 

 その粘っこさが消え、かつて球体だった止血剤が、セメントの如く硬化された時――廃工場の外から、俺を苛んでいたもの全てが、激しく墜落する轟音が響き渡った。

 

 ひとまずは、助かった。その僅かな安心感が、俺の意識を刈り取っていく。そして、眼前には――

 

 ――俺と同様に、俯せに倒れ込もうとしている、兄貴の姿があった。

 既に着鎧は解除されているが、表情は見えない。……常軌を逸した業火に包まれ、黒焦げになった肉体しか、見えないのだ。

 

 今すぐ、兄貴を助けたい。安否を確かめたい。なのに――身体が、動かない。どうあがいても、動かない。

 こんなにも痛くて苦しいのは――きっと、傷のせいじゃ、ないんだ。

 

「――上に誰か居るわッ!」

 

 そんな俺の意識を、兄貴から逸らさせるかのように、鮎美先生の叫び声が轟く。固まっていた皆が咄嗟に上を向く姿に釣られ、俺は震える片手で身体をひっくり返し、仰向けになる。

 

 目に映るのは、暗雲と豪雨。

 

 そして――天井の大穴から微かに覗く、金色の長髪。

 

 ……それが、この日に見た最後の光景だった。

 



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第183話 歪んだ心、許されざる精神

 ――二〇三十年、六月。

 

 病室で目を覚ました時――俺はもう、十八歳になっていた。

 

 しかし、そんな俺を祝おうとする人は誰ひとり居なかった。……この状況を考えれば、当然かも知れない。

 それでも――いっそ空気を読まずに派手に祝ってくれてた方が、俺としては気が楽になれたかもな。

 

「……」

「太ぁちゃん、亮ちゃんのことはパパとママに任せて。鮎美先生に呼ばれてるんでしょう?」

「お前にできること……やるべきことは、他にあるはずだ。今は、それだけを考えなさい」

 

 黒いウェーブの掛かった長髪を持つ、ブラウンのスーツに身を包んだ妙齢の女性――母の一煉寺久美(いちれんじくみ)は、今まで聞いたこともないような低い声で、俺に退室を促していた。この件で一番ショックを受けたのは、他でもない母さんだろうに。

 その隣で同色のスーツを着込んでいる親父も、母さんと意見を揃えている。……理屈では、彼ら両親の言い分はきちんと理解しているつもりだ。俺はそこまで子供じゃない。

 

 ――しかし、一寸の躊躇もなしに踵を返せる程の、大人でもなかった。

 

 眼前のベッドに横たわる、包帯に全身を包まれ、顔まで隠されてしまった兄貴。ピクリとも動かないその姿は、周りの機材がなければ生死の判別すら付けられない。

 周囲に漂う消毒液の臭いと、目の前に映る光景が、俺達一家が病室で兄貴を見舞っているという現実を、逃れようのないものとしていた。

 

 あのあと、俺と兄貴は病院へ搬送され、ゴロマルさんが用意していた治療カプセル――メディックシステムの中へとブチ込まれた。

 特殊な培養液で満たされたカプセルの中で外傷を治療する機構であり、世界最高峰の治癒能力と救命率を誇るスグレモノだ。しかし、自然に治せば消える傷痕も後遺症として残してしまったり、異常に電力消費が激しかったり――という欠点も多く、コストの都合もあって量産化はされていない。

 ゴロマルさんは今回、予備と合わせて二台用意していた。俺達兄弟はその二つに同時にお世話になったわけだが――そのせいで松霧町は約三日間に渡り、町中が停電騒ぎになっていたらしい。急を要する事態だったとは言え、町のみんなには悪いことをしたな……。

 

 ……まぁ、それで全てが解決した、というわけでもないんだがな。

 

 俺も兄貴も、辛うじて一命は取り留めた。しかし兄貴の火傷はメディックシステムでも治し切れず、これ以上のシステムによる電力消費は住民の安全に関わるということで、こうして普通の療養による回復にシフトせざるを得なくなってしまったのだ。

 メディックシステムが完成してから四年程経つらしいが、一度の使用で完治できなかった例は今まで皆無だったらしい。

 

 一方で、俺は貫通していた傷そのものは塞がったものの、内臓や骨格の損傷が激しかったため、鮎美先生が研究していた人工臓器や人工骨格で補強することになったのである。彼女の発明品には振り回されることの方が多かったが、今回ばかりは命を救われてしまったらしい。

 ――だが、今の俺の身体を保っているそのパーツも、現状では試作段階でしかない。しかも、俺自身はメディックシステムの中で丸一ヶ月も昏睡状態になっていた。体力は、決闘前より格段に落ちている。リハビリの度に、俺はそれを痛感させられていた。

 

 結果、途中からメディックシステムを降ろされた兄貴は、こうして意識不明の重体のまま病院で眠り続け――完治した俺の方も、完全な生身ではなくなっていたのだ。

 

 全ては俺の過失。俺の行動が今回の事態を招き、兄貴をこんな風にしてしまった。許されることでは、ないだろう。

 家族を傷付けた上で今の生き方を続けていくなど、できるはずもない。やはり俺は、怪物にもヒーローにもなれなかったのだ。

 

 ――そう、思うものなのだろうな。俺に、真っ当な人間の心があったなら。

 

「……ごめん」

 

 俺は動かない兄貴の前で、そう呟いた。だがそれは、兄貴だけではなく――家族にも向けられた言葉だった。

 

 大切な兄弟を死地に追いやった、俺のエゴ。それは、俺自身が最も許してはならない精神であるべきだった。

 それなのに。俺を守ってくれた兄貴が、こんな目に遭ったというのに。

 

 ――後悔していない自分が、居るのだ。悪魔のような自分の心の内側の、一番深いところに。

 

「……龍亮は、自分が着鎧甲冑を使えないことは三年前から聞き及んでいたのだそうだ。稟吾郎丸さんが、全て話してくれた」

「亮ちゃんはね、本当は太ぁちゃんの代わりに戦いたかったのよ。危ないことなんて、させたくなかったのよ。それが出来なかったあの子は、虚勢を張って太ぁちゃんの背中を押すことしか出来なかった……」

「我が一煉寺家の拳士が持つ、超常的身体能力は、装着者の体力に応じてパワーを発揮する着鎧甲冑のシステムを狂わせてしまうらしい。強すぎる我らの力が、『常人に対する計算』で成り立つ科学の鎧を惑わせてしまった、ということなのだろう。だからこそ、常人として育った後に入門したお前だけが、着鎧甲冑を纏った上で我が拳法を行使することが出来たのだそうだ。我が家の名前を聞いた上でお前の体力を見た稟吾郎丸さんは、三年前からその可能性に着目していたらしい」

「亮ちゃんはね、ずっと後悔してたのよ。弱いから助けられないんじゃなくて、強すぎるから太ぁちゃんを助けられないってことが、凄く歯痒かったんだと思う。だから今回の亮ちゃんの頑張りは、きっと本望だったんじゃないかしら。亮ちゃんはね、絶対に太ぁちゃんを恨んだりしてないから……あなたが心配することは、ないのよ」

 

 そんな俺の胸中を知ってか知らずか、両親は俺が瀕死に追いやった兄貴の、背景を語る。

 ……それだけの想いを持って俺を助けてくれた兄貴に対して、俺は何を考えているのだろう。なぜ、後悔することが出来ないのだろう。

 

 いや、本当はわかりきっている。ただ、兄貴が払った犠牲を受け止めることで、犯した罪を償っている気になりたかったから、目を逸らしていただけだ。

 心のうちに眠る俺の悪しき本性は、今も叫び続けている。ここで悔いてはいけないのだと。

 

 ――俺が犯した罪の結果、助かった命があるのだから、と。

 

「だから、先生やお友達のところに、早く行ってあげて?」

「……あぁ」

 

 よりによって家族の前で、そんなことを考えてしまう。そんな自分が悍ましくて、赦せなかったのだろう。

 いたたまれない気持ちに支配された俺は、逃げ出すように病室を後にしていた。後は母さんや親父に任せよう、なんて前向きな心境ではない――ただの、現実逃避だ。

 

 病室を出てドアを閉めて、しばらくは無心で歩き続けた。鮎美先生や救芽井達が待っている方向じゃないことにも気づかないまま。

 

 しばらくそうしているうちに、窓からいつもと変わらない町並みを見て――あの頃は、いつも兄貴と一緒に、何も考えることも悩むこともなく遊んでいたことを、ふと思い出す。

 

 すると、どうしたことか。

 疲弊しているわけでもないのに、俺の足腰からは力が抜け……壁により掛かるように座り込んでしまった。

 

「……兄ちゃん……ごめん」

 

 自然と喉から、小さい頃の呼び名と謝罪の言葉が出てくる。

 ばかな。謝れば許されるとでも思うのか。昔の頃に戻れたら、とでも思うのか。ふざけている。ふざけるな。

 

「ごめん、ごめん。俺、やっぱ、止まれない……。辞められないんだ、ごめんな……」

 

 なぜ、膝を抱えている。ふざけるな。

 

 なぜ、顔を伏せる。ふざけるな。

 

 ……なぜ、泣く。ふざけるな! 泣けばいいってもんじゃない! 泣けば許されるってもんじゃない!

 

「ごめんな、ごめんな……」

 

 そんな胸の憤りなど、気にも留めていないかのように――俺の意志を無視するこの口は、延々と泣き言を漏らし続けていた。

 

 ふざけるな……ふざけるなよっ……。

 



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第184話 温もりと拳骨

「……なにを、べそかいとんや」

「えっ……」

 

 しばらくの間感情のままに、身勝手な雫を垂れ流し――ようやく少しだけ落ち着いた時。

 立ち上がろうとした俺の目の前に、ここに居ないはずの人物が現れる。

 

 親父にも劣らない、筋骨逞しい体格。短く切り揃えられた角刈りの黒髪。肉食動物を彷彿とさせる獰猛な眼差し。

 そして、聞き慣れた言葉遣い。間違える、はずがない。

 

「武章、さん……? どうしてここに……」

 

 矢村武章。矢村のお父さんであり、この町に住む大工達を束ねる棟梁だ。

 しかし、本来なら彼は今ここに居るべきではない。なぜなら――

 

「ふん。避難命令のことか? 俺ぁ、んなことより大事なことがあるけんのぉ」

 

 ――そう。今、松霧町全体には避難命令が発令されている。あの得体の知れない妨害者の存在が、その理由だ。

 

 あの天井を切り裂いたレーザー。あらかじめ積み上げられていた鉄骨。どう考えても、普通の相手ではない。

 そして向こうの狙いも見えない以上、この町全体に何らかの危害が及ぶ可能性も考慮しなくてはならないため、住民全員には隣町に一時的に退避するよう救芽井が呼び掛けていたのだ。

 久水も金にモノを言わせて、隣町に避難施設を大量に用意したらしいし、今は閉鎖されている隣町の一煉寺道院も、臨時避難所の一つとして活用されていると聞く。住めるスペースが足りないはずはないのだが……。

 

「……他の皆も、おま――ゴホン、「救済の超機龍」を見捨てて逃げられるかって反発しとったんやけどなぁ。『「救済の超機龍」に負担が掛かりますから』って言われちまったら、どうしようもないやんけ。あのお嬢ちゃん、見掛けによらず卑怯な言い方してくれるのぉ」

「あ、えっと、その……お、俺と兄貴も体調が回復したら、すぐに娘さんと一緒に隣町に向かいますから、お構いなく……」

 

 兄貴はともかく、俺が隣町に向かう、などという話はもちろん真っ赤な嘘だ。しかし、俺も「避難する側」の人間だと主張しておかないと、俺が「救済の超機龍」ではないかと勘繰られてしまうに違いない。

 そんな俺の弁明に武章さんは深いため息をつき、角刈りの頭を掻きむしる。……大丈夫、だよな? バレてないよな?

 

「……ったく、まぁだそんな戯れ事ぬかしよるか。まぁええ、今は乗っかったるか」

「え? 今何か……」

「ちっ、なんでもないわ! ただの独り言や、独り言!」

「は、はぁ……。そ、それで、武章さんはどうしてここへ?」

 

 彼が呟いた一言。その意味を問おうとした俺に、理不尽な怒号が飛んで来る。

 今の自分自身が情緒不安定なこともあって、その勢いにすっかり気圧されてしまった俺は、怖ず怖ずと彼にこの場にいる理由を問い掛けた。我ながら、気持ちも身体も随分と弱ってしまっているらしい。

 

「……足手まといなんは事実やし、娘を迎えに来たつもりやったんやけどなぁ。当の賀織から『龍太を置いて避難なんて出来んっ!』って、物凄い剣幕で噛み付かれてのぉ。しゃあないけん、お前に『救済の超機龍』への伝言を伝えて帰ることにしたんや」

「伝言……?」

 

 そう言って、彼は作業着の袖を捲って小さな歯形を見せ付ける。物理的に噛み付いたのかよアイツ……。

 ――それはさておき、「救済の超機龍」への伝言……か。妨害者の正体を掴めず、ふがいない失態を侵した俺への、叱責に違いあるまい。

 この町の皆を守る。それだけのためにこの町のヒーローとして常駐してきたのに、こんなザマでは信用なんてあったもんじゃない。

 ……何を言われても、真正面から受け止めるしか、ないんだ。俺には、反論する資格なんてない。

 

 険しい表情を湛えた武章さんが、静かに歩み寄る。そこからどんな言葉の暴力が来ても、俺は目を背けたりしない。背けることなど、許されないのだから。

 

「よぅ、あの赤いヤツに伝えとけや」

 

「――!?」

 

 しかし。

 

 飛んできたのは言葉の暴力ではなく――拳骨。意表を突いた武章さんの鉄拳は、反応する暇も与えず俺の脳天に減り込んだのだった。

 

「つうっ……!?」

 

 思わず頭頂部を手で抑え、うずくまってしまう。しかし、猛烈な激痛ではあるものの……たんこぶまでは出来ていない。

 痛みだけを与え、怪我はさせない――昔ながらの躾のような、完璧な加減による一撃だった。

 

「お前がどんなに苦しい思いで、ヒーローになったかは知らん。お前がどんな覚悟を持って、俺らを守っとるんかは知らん」

「……!?」

「――やけんど、お前が命張って皆のためになることをしとる。その事実だけは、町の皆はちゃんと知っとる。やから、誰もお前を責めたりなどせん」

「……」

「この先どこかで、そのためにどんな間違いが起きたとしても、お前は自分を曲げたらいけん。それは、それまでのお前の生き方で救われた連中を、否定することと同じやからや」

 

 そう言い放つ武章さんの眼差しは、俺の眼を捉えて離さない。険しくも、どこか温もりを漂わせるその佇まいは、えもいわれぬ安心感を与えていた。

 ……救われた連中の、否定……。

 

 ふと、俺の脳裏にダウゥ姫の泣き顔が過ぎる。あの時、俺は彼女のために串刺しになり――兄貴は瀕死の重傷を負った。

 それは、許されない俺の過失。だが、助けなければ彼女は命を落としていたかも知れなかった。ゆえに悔いてはならないと叫ぶ、自分がいる。

 

 それを真っ向から認めた存在は――何かと俺に突っ掛かっていた、あの武章さんだったのだ。

 

「だいたい、若造如きが『何が正しい』だの、『何が間違い』だのと、そんな高尚な悩みを抱えるなんざ百年はえぇ。若いもんはやりたいことを、やりたいようにやりゃあいいんや。それが本当にどうしようもないくらいの間違いなんやったら、俺達大人が腕ずくでブチのめしたる。……今度こそ、や」

 

 「今度こそ」。その言葉が意味するものを考えた俺の頭の中に、あの赤髪の戦士のビジョンが浮かび上がった。

 この町の皆はやはり――俺に瀧上の姿を重ねていたのだろうか。

 

「それに……お前がどんな失敗をしよったって、『まだ』その力を必要としとる連中もぎょうさんおる。途中で諦めて、そいつら全員見放すようなマネでもしおったら、俺が地球の裏側――いや、宇宙の向こうまで追いかけ回して、さっきよりキツくドツいたるけんな」

「……」

「やから賀織のためにも……さっさとシャキッとせぇよ。お前の『力』も、『生き方』も、まだまだ皆には、必要なんやけんの」

 

 畳み掛けるような説教は、そこで一区切りを迎えた。武章さんは最後に俺の額をデコピンで弾くと、踵を返して咳ばらいをする。

 そして、「さぁて」と小さく呟いてから、再びこちらへと向き直るのだった。

 

「俺が言いたかったんは、こんだけや。今の拳骨の痛みも言葉も、全部しっかり『救済の超機龍』に伝えとけよ。ええな」

「……はい」

 

 言動の節々に違和感こそあるものの、どうやら俺の素性まではバレてはいないらしい。そのことに安堵しつつ、武章さんの言い付けに対して返事をした俺の声色は――自分でも驚くほど、穏やかなものになっていた。

 ただ殴られて、説教されただけだというのに。少し話しただけだというのに。なぜ、こんなにも気持ちが落ち着いているのだろう。なぜこんなにも、暖かいのだろう。

 

「返事が弱い。男なら、気合い入れて返事せぇ!」

「は、はいっ!」

 

 そう一喝する彼に頭を掴まれ、乱暴にわしわしと撫でられた時。俺は、「錯覚」していた。

 彼に背中を押され、少しずつ……ほんの少しずつ、心が活力を取り戻し始めている。そんな、おこがましい「錯覚」だ。

 

 ――しかし、今はそれでいい。誰かに許されてそう思っているわけじゃないが……この「錯覚」を手放してはならないと、本能が訴えているのだ。

 兄貴のことは、今でも濃厚に記憶の全体にこびりついている。その上で俺は浅はかにも、この温もりと「錯覚」を享受しようとしていた。

 物理的にも精神的にも、ぽっかりと穴を空けられてしまったこの胸の、いびつな隙間を埋めるように。

 

「フン、男はそれくらい元気がねぇとな。よし……俺はもう隣町に行くけんのぉ。お前らも用が済んだら、さっさと逃げるんやで」

「……はい。武章さんも、道中気をつけて」

「バァーロゥ! 『武章さん』なんてやめぇや、気持ち悪ぃ。『おやっさん』だ、『おやっさん』」

「え……? わ、わかりました。えと、お、おやっさん」

 

 しかし、その「錯覚」に浸る暇も与えず、彼は再びこちらに背を向けてしまった。どうやら、そろそろ彼も隣町に向かうつもりらしい。

 そんな武章さ――おやっさんの背には、目に見える分以上の「父親」としての逞しさが伺えた。なぜ呼び名を指定されたのかはイマイチわからなかったが――彼との距離が縮まったような気がして、なんだか照れ臭い。疎遠になっていた父に甘えてしまった時の感覚に、近いものがあった。

 

「……一発殴った以上、認めてやらにゃ男やないけんのぉ。賀織のこと、泣かせよったら承知せんでぇ……」

「え? 今なんて……」

「だぁーやかましい! 人の呟きにいちいち聞き耳立てんなや、女々しい奴やのぉ!」

「え、えぇえぇ!?」

 

 だから、なのだろうか。彼の一挙一動を気にかけてしまい、当の本人に反発されてしまうのは。

 そんな照れ臭くも、どこか暖かい時間を少しだけ延長し、俺達は別々の道へ進んで行く。

 

 おやっさんは、町の皆が待つ隣町へ。そして俺は、着鎧甲冑部の皆が待つ別の病室へ。

 そして、そこへ赴く俺の足取りは、兄貴の病室を出た時よりも少しだけ――ほんの少しだけ、軽いものになっていた。

 



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第185話 エルナ・ラドロイバーという女

 俺が眠っていた病室には、着鎧甲冑部の皆や鮎美先生、それに古我知さんや伊葉さんも待っていた。あのダスカリアンの二人は、今こちらに向かっている最中と聞いている。

 その中の一人を除く全員が、どこと無く沈痛な表情のまま、帰ってきた俺を見つめている。掛ける言葉が見つからないのだろう。

 

「やっと帰ってきたわね。どう? 少しは落ち着いたかしら」

「ああ。なんとか、な」

「そう。無茶したツケを払わされて意気消沈って感じにも見えたけど、意外に元気みたいね」

「あ、鮎美先生っ! そんな言い方……!」

 

 その一人――鮎美先生の、静寂を破る無遠慮な言い草に、救芽井が悲痛な顔のまま食ってかかる。が、俺はその先の言葉を片腕で制して、鮎美先生の冷たい瞳を真っ向から見つめた。

 

「まぁな。ちょっと、叩き直されてきた」

「りゅ、龍太、君……?」

「ふーん? ま、元気になったなら何でもいいわ。その方が話も進めやすいしね」

 

 なぜ俺が立ち直ったか。その理由を深く問わないまま、彼女は胸の谷間から一つのガジェットを引き抜いた。

 青いスマートフォンのようにも見えるそれは、彼女が愛用している手の平サイズの立体プロジェクターだ。新開発した作品の3Dシミュレーション等を行う際に、よく使っているのを見たことがある。

 

 今回の件で何かわかったことがあるのだろうか。

 彼女の口ぶりからそう察した俺は、プロジェクターが起動する前にディスプレイに注目し――驚愕することになる。

 

「……これ、は」

「あなたが寝てる間に、レスキューカッツェの調査データと天井の焼け跡から手に入った情報が合致しててね。今までご家族のゴタゴタで説明するタイミングがなかったわけだけど――つまるところこの女が、今回の件の黒幕ってわけ」

 

 そこに映されていたのは、あの時の――ブロンドの長髪を靡かせた黒衣の美女。人形のように立体映像として映し出されたその姿は、あの豪華客船に現れた時のままだ。

 艶やかな桜色の唇。切れ目で、鋭くもあり――どこと無く哀れみの色も湛えている眼差し。あの日と、何も変わっていない。

 

「エルナ・ラドロイバー。元陸軍の技術大佐であり――『新人類の巨鎧体』の開発主任だった女よ」

「『新人類の巨鎧体』、だと……!?」

「生年月日は一九八〇年八月七日。セルビア出身で、二十一世紀初頭にアメリカ陸軍へ入隊。兵器開発部の道へ進み、女性であることや若手であることを感じさせない活躍を続けてきたことで、陸軍では有名だったそうよ。……このナリで五十歳ってんだから、腹立たしいったらありゃしないわ。十一年前に私が会った頃とこれっぽっちも変わってないんだもの。若返りの秘薬作りが本業なんじゃないのって、一度文句言ってやりたいぐらいね」

 

 ともすれば二十代にも見えるその実態に、鮎美先生は露骨に舌打ちをする。ふと周囲を見渡すと、それが波紋のように病室に広がり、女性陣全員をより不機嫌にさせていることが分かった。

 

 確かに、その姿に似合わぬ経歴の持ち主らしいが……俺としてはそれ以上に、「新人類の巨鎧体」の名が現れたことに驚きを隠せずにいた。

 「新人類の巨鎧体(ヤークトパンタン)」。それは、瀧上凱樹がダスカリアン王国を滅ぼした際に運用していた、十メートル以上の体躯を誇る戦闘用人型ロボット。

 一年前の事件で、古我知さんに破壊されたのだが……言われてみれば確かに、鮎美先生はアレを陸軍に「作らされた」と言っていた。それを主導していたのが、この女性だというのか。

 

「――そんな彼女は二〇十九年に、当時中東で目撃されていたサイボーグ……凱樹に目を付けた。彼と接触したラドロイバー大佐は、『力が欲しい』という凱樹の意向に乗っかる形で、私に新兵器の話を持ち込んできたのよ。……ちょうど、十一年前のことね」

「……その人は、俺に何の用があってあんなマネを……」

「詳しい経緯は私も把握してはいないのだけれど……とにかく彼女は、強力な兵器を一秒でも早く作り出すことにこだわり続けていたわ。そして、その思想を退役する直前まで主張していたそうよ」

「――まさか」

 

「ええ。彼女のことだから――おそらく狙いは、着鎧甲冑の兵器化にある」

 

 鮎美先生が呟いた一言に、周囲が瞬く間に凍り付く。他の皆は俺より先に聞き及んでいるはずだが――それでもなお、この事実による緊張は拭えないようだ。

 かつて封じられたはずの思想の再現。その脅威に触れた経験を持つ救芽井と、その実行者だった古我知さんの表情が、一際険しいものになる。

 

「『新人類の巨鎧体』が起こした大量殺戮の責任を問われたことで、彼女の支持者は激減したわ。これまで重ねてきた功績のおかげで退役だけは免れていたのだけど、二〇二八年に創設された救芽井エレクトロニクスの方針に、真っ向から反発し続けたことがとどめとなって軍部から追放されたのよ」

「……鮎美先生に言われて、思い出したの。二年前、女性の陸軍将校に着鎧甲冑の技術を公開するよう何度も詰め寄られた、って……」

「龍太君。救芽井エレクトロニクスが掲げている『軍用禁止令』が保たれている背景は知ってる?」

「ああ、救芽井から聞いたことがあるよ。国連が結託してアメリカ軍に圧力をかけたって話だろう」

 

 救芽井が言うように、設立当初の救芽井エレクトロニクスには今以上に敵が多かった。着鎧甲冑の技術を応用すれば、古我知さんが開発した「呪詛の伝導者(フルーフマン)」のような戦闘用パワードスーツを開発できるからだ。

 超人的身体能力と防御力。そして、その開発理念に裏打ちされた圧倒的突破力。白兵戦において、これほど旨味に溢れたテクノロジーは近年では希少だったのだ。

 

 それゆえにアメリカ軍部や軍需企業は躍起になり、この技術を独占しようと救芽井エレクトロニクスに迫ったのである。この技術が万一テロリストや敵対国家の手に落ちれば、三年前のゴロマルさんや甲侍郎さんが危惧していた通り、戦闘用のパワードスーツによる殺戮が始まる危険性があるためだ。「呪詛の伝導者」という前例の存在があったことも大きい。

 事実、アメリカで「救済の先駆者」としてヒーロー活動を続け、賞賛を浴びていた救芽井も、その裏では現地のマフィアや噂を聞き付けたテロリスト達、さらには他国のスパイにまで日夜狙われ続けていたのだという。一年前に日本に来たのは、そこから逃れるため、という意味合いもあったらしい。

 

 ――だが、甲侍郎さんはあくまでアメリカ軍を含む全ての武装組織を拒み、着鎧甲冑を兵器に関わらせることについて、強硬な姿勢を固め続けた。それに業を煮やした勢力が、とうとう彼の暗殺まで企てるようになった頃。

 救芽井エレクトロニクスが掲げる理念や着鎧甲冑の性能に目を付けた国連が、動き出したのである。

 

 国連は自分達の息が掛かったマスメディアを最大限に利用し、救芽井エレクトロニクスの方針や活動を徹底的に美化して全世界に発信したのである。

 それまで救芽井エレクトロニクスの指針について疑問を提示していたアメリカのマスコミも、その煽りを受けて手放しに救芽井エレクトロニクスを支持する方向に「変えられて」行った。

 そうした世論の変化を受け、軍部の兵器化を求める声も次第に萎縮し、現在の救芽井エレクトロニクスの地位に至るのである。

 

 だが、別に国連は救芽井エレクトロニクスの理念に感銘を受けて、このような大々的な印象操作を行ったわけではない。

 救芽井エレクトロニクスの理念とアメリカ軍の対立が、自分達にとって都合が良かった、というだけの話なのだ。

 

 年々軍拡を続け、武力に物を言わせているアメリカの独断専攻に歯止めを掛けたかった。そんな国連にとっては、救芽井エレクトロニクスとアメリカ軍の構図は、まさに「好機」だったのである。さらに国連の舵を握る主要国の中には、自力で開発出来ない着鎧甲冑の技術に近づくべく、救芽井エレクトロニクスに恩を売る……という思惑もあった。

 

 百数十の加盟国が結託して救芽井エレクトロニクスを支持し、その意向を全世界に発信する。そんな中で、さも平和の象徴であるかのように神格化された着鎧甲冑を、一つの大国が「兵器にしよう」と言い続けるならば――世界がどのようにそう主張する人々を見るかは、自明の理と言える。

 

 これ以上アメリカに強力な武器を与え、さらなる増長を招くようなことがあれば、自分達の意見がさらに蔑ろにされてしまう。そう感じていた国連の幹部達が声を揃えて実行に移したのが、この牽制作戦だったのだ。

 もちろん世間で報じられているように、「救済の龍勇者」の性能を二分化することで兵器化を求める勢力に譲歩したことも大きい。が、そんなものは実際のところ、国連に話のネタを与える程度に過ぎなかったそうだ。

 

 ――というのが、救芽井から聞いた救芽井エレクトロニクスの繁栄の裏側。あまり聞こえのいい話じゃないが、綺麗事だけでは世の中が回らなかった、ということだろう。

 

「そう。国連による印象操作で立場が悪くなりかけた軍部は、痛い目を見る前にしっぽを巻いて逃げた……ってわけ。ゴリ押しで兵器にするだけの価値があるのかも、当時はわからなかったしね」

「それでも兵器化を推し続けたから、同じ軍人達から疎まれて追放された、ってことなのか? 一体、どうして……」

「さぁね。私も『新人類の巨鎧体』の設計に携わった時に何度か彼女と話したことはあったけど、そこまで親しかったわけじゃないから詳しくはわからないわ。ただ、そうさせるだけの何かがあったんじゃないかしら」

 

 そこで一度言葉を切り、鮎美先生はプロジェクターを胸元にしまい込む。そして――鋭い眼差しをこちらに向けた。

 まるで、槍で刺し貫くような――覚悟を問う瞳だ。

 

「――ま、これでだいたいの意図は読めたわね。向こうの狙いは恐らく、着鎧甲冑の兵器化。そして――『救済の超機龍』の抹殺」

「抹殺……ね。俺のタマを取る意味を聞きたいもんだ」

「最高傑作である『救済の超機龍』の奪取と、一種のみせしめじゃないかしら。『人命救助なんて負け戦してたって所詮はこうなる運命。だったら兵器として戦って成果を挙げた方がマシでしょ』……ってね。あの手のマッドサイエンティストにはありがちな思考回路よ」

「あんた鏡見たことある?」

「失礼ね。私はマッドサイエンティストという名の清廉な淑女よ」

「結局マッドじゃないか」

「ほっといて頂戴」

 

 命を狙われる恐怖に呑まれまいと、敢えて軽口を飛ばす。そんな俺の意図を汲んでか、彼女も冗談めかした返事を寄越して来る――が、その眼は微塵も笑っていない。

 

「ダスカリアンに凱樹の情報が漏れたのも、彼女の仕業と見ていいわ。決闘になる事態を誘って、そのゴタゴタに紛れてあなたを殺すか。もしくは目の前で犠牲者を出させることで、精神的になぶるつもりでいたのか――どちらにしろ、悪趣味には違いないわね」

「俺を潰してから『救済の超機龍』を頂く寸法、ってわけか」

「今やあなたは救芽井エレクトロニクス最強のヒーローで、言わば樋稟ちゃんに次ぐ同社のシンボル。そんなあなたを存在から否定することで、もう一度世界に自分の主張を訴えようとしているのかも知れないわね」

 

 俺のために作り出された「救済の超機龍」が、兵器のために使われる。そして、その野望のために俺は作り物の内臓を入れられ、兄貴は瀕死の重傷を負った。

 許されることじゃない。いいや、俺が許さない。その人を――放っておくわけにはいかない。

 

「――とにかく、そのラドロイバーって人を捕まえるまでは、決闘どころじゃなさそうだな。住民の避難はもう完了してるのか?」

「えぇ。一人だけ避難所から抜け出してきた人がいたらしいけど、たった今無事に保護されたらしいわ」

 

 バイブが鳴っていたケータイを弄りながら、鮎美先生は呆れたような視線を俺に送って来る。おやっさんも無事のようだ。

 ここまでのことをされた以上、逃がすわけには行かない。俺はおやっさんの励ましを思い返し、拳を握る――が。

 

 その拳に、白く滑らかな手が添えられた。弱々しく寄り掛かるかのように。

 

「……ねぇ、龍太君。ラドロイバーはまだこの町に潜伏してる可能性もあるし、あなたの内臓もまだ不完全なのよ。今まで寝たきりだったせいで体力も落ちてるはずだし……その、気持ちはわかるけど、今回だけはあなたは動いちゃ――」

「――悪いが、ここまでやられて何もしないわけには行かないんだよ。俺は今だって資格者で、『救済の超機龍』なんだ」

「い、いけんよっ! あんな目に遭ったばっかやのにっ!」

「……抑えなきゃ、ダメ……! 先輩、ダメっ……!」

 

 救芽井の言い分もわかる。今の自分の身体が完全とは程遠い、ということも。

 だが、俺はここで引っ込んだままでいたくはない。例え、血ヘドを吐いてもう一度ブッ倒れようと――彼女を、止めなくちゃ行けないんだ。

 矢村も四郷も俺の患者服を掴み、必死に引き止めようと引っ張っている。普段なら小言を言いつつもおとなしく従っていたところだが――今回ばかりは、彼女達の言葉を聞き入れる余地はなさそうだ。

 

 一方、伊葉さんと古我知さんは痛ましい表情のまま、目を伏せてしまっている。自分達が決闘――すなわち今回の事態を招いてしまったと、再び責任を感じているに違いない。結局のところはラドロイバーという女性が悪いのだが、それでも結果的に片棒を担いでしまったと思い悩んでいるのだろう。

 

「……」

 

 そんな中で、一番騒ぎそうな久水先輩は――腕を組んで膨大な巨峰を寄せ上げながら、ひたすら沈黙していた。

 そして、何か言いたげであり――忌ま忌ましげな視線をこちらにぶつけている。……あれ程までに鋭い眼差しは、初めて見るな。眼を合わせるだけで、剣で刺されているかのように錯覚しそうだ。

 他の男に向けているような見下した色でも、いつも俺に注いでいる情欲の色でもない。倒すべき敵を見るような――憎しみの色。

 なぜ彼女がそんな眼の色を見せるようになったのか。この時の俺は、それを完全に理解してはいなかったのである。

 

「……ごめんな。それでも、俺はやらなきゃいけないんだ。それに決闘の原因がラドロイバーって人の仕業だとしても、どの道俺の強さを証明してダスカリアンを救うには、ジェリバン将軍との決着もちゃんと着けなきゃならないし――こんな身体でも、やるべきことはあるんだよ」

「龍太君、そのことなんだけど――」

 

 そして、俺が久水先輩から視線を外し、救芽井達に向けて説得の言葉を述べ――それを聞いていた鮎美先生が、何かを言おうと口を開いた時。

 

「――その必要はない」

 

 唐突に扉が開かれ――今まさに話題に挙がっていた張本人が、その姿を現したのだった。

 

 ……必要、ない……?

 



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第186話 良いも悪いもロリコン次第

「ジェッ……ジェリバン将軍っ!?」

 

 予期せぬタイミングでの来客に、救芽井は思わず声を上げる。他の皆も、少なからず驚いているようだった。

 突如眼前に現れた、ブラウン色のスーツを纏う大男は彼らの様子を一瞥すると、病室の中へ静かに進み出る。

 

「――失礼する。さ、姫様」

「う、うん」

 

 その後ろでは、小柄な長髪の美少年――じゃなくて美少女が続いていた。最初に会った頃の活発そうな振る舞いとは裏腹に、今の彼女はまるで、お通夜に参列しているかのように暗い。まぁ、実際お通夜になる寸前ではあったんだけどな。

 

「道が空いているおかげで、予定より随分と早めに着いてしまってな。驚かせてしまったようで、申し訳ない」

「……いや、別にいいさ。それより、決闘がもう必要ないってのは、どういうことなんだ」

「その前に私個人としては、身を挺して姫様を救って頂いたことについて御礼を申し上げたかったのだが――どうも貴殿にとっては、それよりも決闘の件の方が余程重要なことであると伺える」

「済んじまったもんをいつまでも引きずったって、過去は変えられないからな。ダウゥ姫をあの時助けられたと言っても、次の再試合であんたに勝たなきゃ意味がなくなる」

 

「……ないのだよ。再試合など」

「なんだと?」

 

 俺から視線を外し、ジェリバン将軍は天を仰ぐ。

 再試合がない。その言葉が意味するところを理解した瞬間、俺は自分の身体が赤みを帯びた鉄板のように、徐々に熱くなっていく錯覚を覚えた。

 

 将軍本人に、もう一度戦おうという意思がない。つまり、決闘による判断が無意味になったということか。

 ラドロイバーとやらの存在が発覚したことで、それどころではなくなった? いいや、それなら彼女の件が片付いた後に再試合を行えばいい話じゃないか。

 彼女を捕まえれば決闘をせずともダスカリアンは平和になる? 違う、彼女を取っ捕まえたところで、民衆の憎しみの矛がアメリカ陸軍に向かうだけだ。そんなことになったら、世界最強の軍を相手にした国際紛争に発展する危険性すらある。ダスカリアンに、勝ち目などない。

 それに、この決闘の主旨は「単騎で将軍を超える存在が日本にいることの証明」なのだから、俺と将軍が戦わなくちゃ意味がない。将軍だって、それはちゃんとわかっているはずだ。

 

 ……要するに。

 

「不戦勝で終わりにするつもりなのか、あんたは」

「当然だろう。貴殿の身体のことや御家族が負った痛みを鑑みても、そうするのが自然だ。それに、我々は非常に金欠でな。ラドロイバーという女が捕まるまで、静かに待っていられるような滞在費は持ち合わせてはおらん」

「ふざけっ――ゴ、ガハッ!」

「りゅ、龍太っ!」

「ダメよ龍太君ッ!」

「先輩ッ!」

 

 身体の芯から熱くなっていく感覚に身を委ね、将軍につかみ掛かろうとした俺は――喉の奥から込み上げる吐き気に襲われる。そして、ふらついたところを救芽井と矢村、四郷の三人に支えられながら、咄嗟に口に当てた両手には――赤い液体が花のように広がっていた。

 

 ……滞在費が足りないなんて、口実だ。そんなもん伊葉さんにたかれば、いくらでも手に入るはずなのに。

 結局のところ、不完全な人工臓器で辛うじて生かされている程度の俺など、相手にできないということか。それで、将軍の判定勝ちで終わりにしようってのか。

 ――そんな馬鹿なことが、あるか!

 

「ゴホッ、オゥッ……!」

「龍太君っ、動いちゃダメよ……お願いだから、ねっ?」

「先輩、しっかり……」

「あうぅ、龍太、龍太ぁ……」

 

 救芽井は俺の背中を摩りながら、優しく諭すように語りかけて来る。俺をリラックスさせようと必死に笑顔を作っているようだが――強張った顔と、背中の手から感じる震えを隠せるだけの余裕はないらしい。

 四郷も俺の胸を撫でて落ち着かせようとはしているが、たどたどしい手つきを見るに、彼女も動揺を隠し切れていないと見える。

 一方、矢村の方はそういう「形」を作れるだけの余力もないらしく、大粒の涙をとめどなく流しながら、懸命に俺の口元を紙で拭っていた。

 「誰かを助けに行くため」のレスキューヒーローがこんな腫れ物扱いじゃあ、確かにもう一度戦おうなんて意思はなくなっちまう……かも、な。

 

 ――だけど。それでも、だ。

 

「ハァッ、ハッ……お、俺を誰だと思ってる。誰だと思ってやがる。あんたが勝てなかった瀧上を倒した、『救済の超機龍』なんだぜ。こんなもん、ちょっと休んで治したらちょろいもんさ」

「その『ちょろい』という怪我は、最新鋭の医療システムを以って、一ヶ月以上もの時間を掛けて集中治療を行っても癒えぬものなのか? 貴殿の人となりはそれなりに聞き及んでいるつもりでいたが、これは想像以上だな」

「ハッ、褒めてるんだかバカにしてるんだか」

「褒めているともさ。貴殿が我が国の兵ならば、勲章二つでも足りない程にな。それゆえに私は、その身を犠牲にし過ぎる精神を良く思うことが出来んのだ」

 

 将軍はあくまで、俺と戦うことを避けるつもりでいるらしい。

 ……確かに、今の俺じゃあまともな勝負を成立させることも難しいだろう。でも、だからって、こんな終わり方ッ……!

 

「さて……カズマサ殿。イチレンジ殿に重傷を負わせた、あの鉄骨の元凶――以前聞かせて頂いた人物に間違いないのか?」

「うむ。既に彼女によるものと思しき情報は出揃っている。この町に潜伏している可能性も高い」

「――エルナ・ラドロイバー、か。真に討つべき敵が、ようやく見えたということだな。我が国が消え行く前に是非、私にも一矢報いさせて頂きたい」

「気持ちは尤もだが……しかし」

「民の無念を僅かでも晴らすためだ。それに、姫様を残して果てるつもりはない」

「『銅殻勇鎧』をあなたに渡したのが陸軍の部隊だったのなら、彼女が絡んでいたことも考えられるわ。……あなたのデータは、ほぼ筒抜けだと思った方がいいわよ」

「……構わんさ。データなどという、机上の空論ごときに簡単に負けるつもりはない」

 

 ――と、俺が憤る一方で、将軍はラドロイバーとの対決を決意していた。もう俺との決闘など、とうに忘れてしまったかのように。

 

「イチレンジ殿。決着こそ付けられなかったが……貴殿という武士(もののふ)と戦えたことを誇りに思う。これからは、私達よりも救うべき人々のために――その力を尽くして欲しい」

「……そう、だよ。もういいよ……いんだよ、ジャッ――イチ、レンジ」

 

 既に本人の中では「終わったこと」という扱いなのか――こちらに向き直る将軍の顔は、やけに穏やかだ。とても、これからもう一度戦う相手を見る目とは思えない。

 その将軍の傍で、敵意を感じさせない表情を見せるダウゥ姫も、いつしか俺をジャップと呼ばなくなっていた。上目遣いでこちらを見つめるその姿は、戦いを止めることを哀願しているようにも伺える。

 ――そんなに、俺が哀れか! そんなに、戦おうとする俺が見苦しいのか! だけどな、それでも俺はッ……!

 

「どうしても、もう一度決闘をやり直したい――きちんと強さを証明して、ダスカリアンの崩壊を阻止したい。それが、あなたの意思なのね?」

 

 その時。

 無様に決闘を続行しようとしていた俺に、鮎美先生はゆっくりとした口調で問い掛ける。一つ一つの文言を、確実に伝えようとするかのように。

 

 俺はその問いの意味を考えるために数秒の時間を掛け――やがて、言葉通りに受け取ることに決め、深く頷いて見せた。

 彼女はそんな俺に食い入るような眼差しを真っ向からぶつけて、その意思を確固たるものと認め――次に、妹の方へと視線を移す。姉の真摯な瞳を目の当たりにして、四郷の表情もより引き締まったものになった。

 

「鮎子。あなた、龍太君のこと――好き?」

「……ッ! ……す、好き。それが何?」

「龍太君のためなら、何でも出来る?」

「……出来る。先輩のためなら、命だって上げられる。ボクの全部、先輩に捧げられる」

「本気ね?」

「本気よ」

 

 ほのかに頬を赤らめる妹と、その意思を深く問い詰める姉。そんな姉妹のとんでもないやり取りに、救芽井と矢村は揃って顔を赤くして眉を吊り上げ、伊葉さんと古我知さんは何事かと顔を見合わせ、久水先輩は深くため息をつき、将軍はあわあわと真っ赤な顔で視線を泳がせるダウゥ姫の隣で、静かに成り行きを見守っていた。

 俺が好きとかどうとか、それが決闘の話にどう繋がるというのだろうか。ていうか、ここでそんなカミングアウトされても俺はどんな顔をしたらいいかわからないんだが。笑えばいいのか? いいわけあるか!

 だいたい、俺が今の四郷とそんなことになったら絵面的には完全犯罪――

 

「そう。なら、十分だわ。あなたはなにがなんでも、龍太君のために生きたい。そういうことなのね」

「……当然。でも、それが何……?」

「龍太君。あなたの身体から失われた耐久力を、急ごしらえでも十分にカバーできる新装備があるわ。ラドロイバーに対する自衛も、将軍との再試合も……まぁ、形だけなら可能になるはずよ」

「なッ!?」

 

 ――というところで、再び四郷から俺へと視線を戻した鮎美先生は、思いがけない話を持ち込んできた。将軍との再試合ばかりか、ラドロイバーとの戦いも可能になる……だと?

 ありがたい話ではあるが――まさかこの期に及んで、「救済の超機龍」に兵器を取り付けようって寸法じゃないだろうな?

 

「そんな顔しないで頂戴。兵器になりうるかどうかは、あなたの運用次第よ。将軍も、龍太君が『瀧上を倒した者として恥ずかしくない強さ』を持っていれば、決闘をナシにする理由はなくなるのよね?」

「む……確かに。しかし、そんな装備をすぐに用意できるのか? ラドロイバーとやらの次の襲撃が、いつになるのかもわからないというのに……」

「前々からの『作り置き』があるのよ。憎たらしくて、何度でもスクラップにしてやりたくなるような、『作り置き』がね」

 

 そんな俺の意図を顔色から読み解きながら、鮎美先生は将軍の返答に対し、バツが悪そうな表情を見せる。

 そして、俺に向かって仁王立ちになると――改まった面持ちで、高らかに宣言するのだった。

 

「こうなったらスクラップにする前に、使い物にならなくなるまで使い潰すわよ。……『二段着鎧(にだんちゃくがい)』を、ね」

 



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第187話 求められた答え

 二段着鎧。その聞きなれない単語に、俺と四郷は互いに顔を見合わせる。そんな俺達の反応は予想済みだったのだろう。

 鮎美先生は俺達のリアクションをしばし見守ってから、改めて口を開いた。

 

「龍太君。部室の地下で青いボディのバイクを見たでしょう? あれが二段着鎧の鍵になる『超機龍の鉄馬(マシンドラーゲン)』よ」

「『超機龍の鉄馬』……だって? それが一体……」

「二段着鎧とは、『超機龍の鉄馬』に要求される増加装甲のこと。私が鮎子に求めてることも明らかにしなきゃならないし、そっちの説明から始めた方が良さそうね」

 

 この状況を切り開く鍵になると言う、二段着鎧。その実態を求める俺達に、鮎美先生は順を追って内容を語る。

 

「まず『超機龍の鉄馬』とは、着鎧甲冑との連携を前提に作られた飛行ユニットよ。R型の『救済の龍勇者』やあなたの『救済の超機龍』だけでは運べない量の医療キットや、消火剤等を運用することを目的としているの」

「ちょっと待て、飛行ユニットだって? ありゃどう見たって――」

「――バイクだ、って言いたいんでしょう? 実際、バイクとしても運用は可能よ。地上、空中を問わず、より迅速に目的地へ向かう……そのためだけに設計された機体なんだから。機体後部のダブルジェットによる最高速度は、時速三百キロを超えるわ。バイクというより、小型のジェット機と言った方がイメージしやすいかも知れないわね」

 

 どうやら、あの蒼いマシンは着鎧甲冑を素早く行きたい場所へ連れて行くためのものだったらしい。

 さすがに驚きを隠しきれないのか、今まで気難しい表情で成り行きを静観していた久水も目を見張って鮎美先生の話に聞き入っている。矢村に至っては無垢な男子のように目を輝かせていた。まぁ、確かにロマンがあるよね、こういうのは。

 

 しかし、妙だ。地下であのバイクを見つけた時、鮎美先生は「ガラクタ」などと吐き捨てていた。普通に考えれば、これだけ役立ちそうなモノを作っといて「ガラクタ」呼ばわりはないだろう。むしろ、普段から俺を実験台に使ってる発明品の方がよっぽどガラク――やべ、睨まれた。

 

 ま、まぁ少なくとも、機能上では信頼できるシステムなんだろうな。あくまで構想でしかなく、失敗する可能性もある――なら、こんなに自信満々に自分から二段着鎧のことを話したりしないだろうし。

 

「だけど、その運用には空気抵抗という壁が残るの。『超機龍の鉄馬』の加速に搭乗者が風圧に煽られて、宙に放り出されちゃうっていう厄介な問題よ。そこを何とかするための、二段着鎧ってわけ」

「二段着鎧の設計思想は、その『超機龍の鉄馬』という飛行バイクの加速に耐えるため――と言うことなのですか?」

「その通り。樋稟ちゃんはお利口さんだから説明が省けて助かるわ。――さっき彼女が言った通り、二段着鎧はこの飛行バイクに対応する役目があるの。その増加装甲の全身に取り付けられた小型ジェットには、姿勢を安定させる狙いがあるのよ」

「え? バイクだけじゃなくて、上から着る増加装甲? ってのにも、噴射口が付いとんの?」

「えぇ。さすがにバイク自体を飛ばしてるダブルジェットには遠く及ばない推進力だし、姿勢を維持するためにはちゃんと制御する必要もあるんだけど、ちょっとの間は飛べるくらいのパワーはあるのよ。『超機龍の鉄馬』の本体にも、風圧を殺して搭乗者を守るための防護シールドはあるんだけど、それだけじゃ心許ないからね。備えあれば憂いなしって奴よ」

 

 救芽井や矢村の質問に、鮎美先生は慣れた言葉使いで解説して行く。もしかしたら俺が目を覚ます以前から、この話題を出すことを視野に入れていたのかもしれない。

 つまり二段着鎧とは、搭乗者が振り落とされないために着る、ちっこいジェット付きの鎧ってことなんだな。それを「救済の超機龍」の上に着る、という流れなんだろう。

 

 それによって防御力と機動力を同時に高め、俺の失った体力をカバーする――か。なるほど、確かに話が繋がってくるな。

 

 ……しかし、まだ全ては明らかにはなっていない。その中でも俺が今、一番に疑問に思うのは――彼女が「二段着鎧なら将軍と張り合える」と主張する、その根拠だ。

 

「鮎美先生。疑うつもりはないんだけどさ。その二段着鎧ってのは、一体どれだけ凄いんだ?」

「どれだけ……ねぇ。それなら、『現物』とやりあったあなたの方が、よく知ってることなんじゃないかしら」

「『現物』……?」

 

 訝しがる俺の瞳を一瞥し――鮎美先生は、タネを明かす。

 一年前を彷彿させる、引き締まった眼差しを、ぶつけながら。

 

「『超機龍の鉄馬』と、それに搭載された増加装甲には――『新人類の巨鎧体』の装甲が流用されているのよ」

 

 その一言で、ただでさえ冷えていた病室の空気がさらに凍り付いてしまった。鮎子はトラウマを掘り返されたことで眉をキュッと引き締め、久水は怪訝そうな表情で鮎美先生を睨む。

 

 そして、古我知さんは両の拳を震えるほどに握り締め、息を飲み込んだ。矢村もさすがにこの種明かしには堪えたらしく、さっきまでとは一転して、怯えたような表情を見せていた。

 

 ダスカリアンを滅ぼし、俺達を深く追い詰めた「新人類の巨鎧体」。その残骸から作られた装甲を、纏えと――彼女は言っているのだ。

 

 ジェリバン将軍もダウゥ姫も、見るからに表情が険しい。自分達に起きた不幸の元凶など、名前すら聞きたくないだろうに。

 そんな彼らの痛切な姿を見てしまっては、伊葉さんの胸中も穏やかではあるまい。彼自身、掛ける言葉を見つけられず、唇を血が出そうなほどに噛み締めている。

 

「……なるほど、な。あのどうしようもねぇ硬さなら、先生の自信にも納得がいく。ガラクタ呼ばわりしてた理由もな」

「そう言ってやりたくなるのは、他にも理由があるんだけどね。ま、いいわ。少しは私の提案が理解できたかしら?」

「おう。……だけどさ、そんなもの持ち出されだって、俺は動かせっこないぞ? バイクの免許なんて持ってないし、飛行機なんて以ての外だ。小型ジェットの制御とか別にいいから、装甲だけで十分だし」

「小型ジェットがないと、機動力が殺されて外敵の的にしかならないわよ。――大丈夫。あなたにそんな器用な仕事は最初から期待してないわ」

 

 辛辣な言い草で俺を窘めてから、鮎美先生は四郷の方を見やる。彼女は震える両手を握り締めながら、過去の恐怖に屈しまいと、懸命に姉の瞳を睨み付けていた。

 そんな妹の姿に満足したかのように、鮎美先生は説明を再開する。――だがその表情と声色は、時間を追うごとに険しさを増しつつあった。

 

「『超機龍の鉄馬』には、もう一つの重大な問題があるの。それは、機動力と防御力を優先させるために余分なスペースを切り詰めたことで、全ての機能を自立制御で運用できるようなコンピュータを積めなくなったことよ」

「コンピュータが、積めなくなった……?」

「他の機能を優先して積み上げたせいで、肝心のそれを操るオツムが入らなくなった――と言えば、わかるかしら?」

「ははぁ、なるほど……って、それじゃそもそも動かせないってことじゃねーか」

「そう、意味がないの。あなたが上乗せで纏う増加装甲の小型ジェットも、それを遠隔操作で操る頭脳がなければ、制御なんて出来ない。戦いに集中しながらジェットを手動で制御……なんて、現実的じゃないからね」

「そこまで分かっててこの話をここでする――ってことは、何か考えがあるってことなのか?」

 

 俺の問いに、鮎美先生はため息混じりに「あるっちゃあるけど、これを言うのが一番キツイのよねぇ」とぼやく。その「考え」というヤツは、あまり歓迎できる代物ではないらしい。

 だが、教えてもらわなくちゃならない。ここまで来て、勝てる望みを捨てたら笑い話にもならねぇよ。

 

「まるで人間のような複雑な思考を同時に進行させ、かつ、機械のように優れた演算能力と冷静さを併せ持つ。それが、『超機龍の鉄馬』に要求される頭脳よ」

「清々しいレベルでバカ高い理想だな。そんなもん機械にやらせろ――ってのが、出来ない状態なんだっけか」

「出来るのよ。そんな頭脳が、用意できるの」

「はぁ? あんた、さっきはコンピュータは積めないって――」

 

 そこまで言いかけて、俺は勘付いた。

 

「――ッ!?」

 

 そして、呪った。自分の、無駄な洞察力を。

 

「鮎子。そこで、あなたに頼みたいことがあるの」

「……うん」

 

 ――彼女は、「頭脳」と言った。

 「コンピュータ」とは、一言も口にしていない。

 

「人工知能を載せたコンピュータじゃ、同じ性能の『人間の脳』をブッ込むより、かなりの物理的なスペースを食っちゃうのよ」

「……だいたい、わかった。わかったよ。お姉ちゃん」

「そう。やっぱり、あなたは一番のお利口さんね」

 

 それが、「理由」だったのだ。鮎美先生が「超機龍の鉄馬」をガラクタと罵った、最大の「理由」。

 

 俺は鮎美先生が妹に言おうとしていることに気付くと――無意識のうちに、二人の間に手を伸ばしていた。

 先生の口を塞ごうとしていたのかも知れない。そんなことは無理だと、分かり切った上で。

 

 そして、姉妹は言葉を交わす。

 

「鮎子。あなた、『新人類の身体(ノーヴィロイド)』に戻りなさい」

「……うん」

 

 俺の手など届くはずのない、彼女達だけの世界の中で。

 



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第188話 義憤の行方

 姉妹の間で交わされたそのやり取りは、俺達により強烈な衝撃を与える。

 「新人類の身体」と言えば、「新人類の巨鎧体」の中核となる、人間の脳を移植した電動義肢体だ。四郷を十年間に渡って幽閉し、苦しめてきた……鋼鉄の牢獄でもある。

 

 本来ならば名前を聞くことさえ憚れるような、その存在に――「戻れ」と、鮎美先生は言ったのか。一年前の事件で、ようやく生身の身体を取り戻したばかりの彼女を。

 

 四郷は鮎美先生の言いたかったことをかなり早い段階で察していたらしく、大して驚いた様子もなく、無表情を貫いている。

 だが、スカートの裾を握る手は微かに震え、決して「戻る」という決断が生易しいものではないことを訴えていた。

 

「ちょっと――待ってくれ! いくらなんでも、そいつは無茶だ! せっかく一年前に生身に戻れたばっかだってのに、そんなこと!」

「あら、そう? じゃあ身体一つで戦って早々にくたばっちゃいなさい。この世界は、子供のワガママが全て通るようには出来ちゃいないのよ」

「でも、鮎美先生ッ! そこまでするぐらいなら、コンピュータが入るようにバイクのサイズを調整すれば……!」

「コンピュータによる運用を前提にしていたら、ボディそのものを一から作り直さなくてはならないわ。そんな時間の掛かる仕事を、ラドロイバーの襲撃に怯えながら行えって言いたいのかしら? 私はそれでも構わないけど、その時はあっちに『完成するまで攻撃しないで』ってお願いしなくちゃね」

 

 俺と救芽井は口々に異議を申し立てるが、鮎美先生は皮肉たっぷりに切り返してくる。俺達がこういう反応をして来ることも、予想済みだったのだろう。

 矢村も、古我知さんも、伊葉さんも、鮎美先生の提案にいい顔はしていなかった。それでも、何も言えずにいるこの状況は――四郷を「新人類の身体」に戻す以外の最善策を、誰も見出せずにいることを意味している。

 恐らくは、ダスカリアンの二人も同様だろう。苦々しい顔をさらに歪めてはいるが、口は固く結ばれたまま。彼らにとっても、この話は聞き苦しいどころの騒ぎじゃないだろうに。

 

 そして、かけがえのない四郷の親友は――組まれた腕を震わせながら顔を伏せ、沈黙を貫いていた。

 

「龍太君。あなたに一番欠けているのは、力でも技量でもない。自分のヤりたいことのために他人を巻き込める、図々しさよ」

「……な、に」

「これは、あなた一人が頑張ってどうにかなる話じゃないのよ。仲間だろうと恋人だろうと、必要とあらば危地へ連れて行く。その上で、結果を出す。それが出来なくては、あなたはこれ以上前には進めないのよ」

「だけどっ……!」

「こんな人道から外れた真似は許せない――って? あのね、誰が一番『人の道から逸れたことをやろうとしてる』のか、鏡に聞いて見なさいよ。そんなポンコツ同然の身体でダスカリアンとお姫様を救おうなんて考えてる男に、普通の神経の女が付いていけると思う? 鮎子じゃなきゃ、あなたの望みは叶えられないのよ」

 

 息詰まる俺を責め立てるように、鮎美先生は次々に言葉の圧力で畳み掛けてくる。言葉遣いこそ穏やかではあるが、その口調の節々には確かな熱気が篭っていた。

 腹立たしいのかも知れない。最愛の妹に、こんな決断をさせた俺のことが。俺の中の、「怪物」が。

 

「……先輩。ボク、言ったよね。先輩になら、全部捧げられるって。あれに、嘘はないんだよ。だから……自分のシたいこと……我慢しないで?」

「四郷……」

「……大丈夫。怖くないって言ったら嘘になると思うけど……先輩の傍なら、きっと大丈夫。そう、思うんだ」

 

 そんな俺を姉から庇うように、四郷は優しげな声色で、囁くように語りかけてくる。まるで、子を慰める母親のように。

 外見に隠された、年の功。その片鱗を目の当たりにした俺に対し、彼女はさらに背中を押した。

 

「――だから、今度はボクにも。ワガママを、言わせて欲しい。一緒に……居させて?」

 

 さながら、兄に甘える妹のように。今までの佇まいを覆す、上目遣いで。彼女は、俺のそばに居たいと――そう、言ったのだ。

 

 拒めるわけが、ないだろう。ワガママだと言われて、図星になって。その後にワガママを言わせて欲しいと言われたら。

 嫌がる俺が、馬鹿みたいじゃないか。虫のいいことしか言わない俺が、情けないじゃないか。

 

 ――恐らく、彼女に掛かる精神的な負担は生半可なものじゃないだろう。十年間という年月を掛けて刻み込まれたトラウマが、そうホイホイと解消されるはずがない。

 俺はそれら全てを分かった上で、彼女を「超機龍の鉄馬」に乗せるのだ。それが、どれほど罪深いことなのかも。

 

 そんな俺に出来ることは、彼女の負担を少しでも削ること――すなわち、一刻も早くこの事件を解決することだけだ。

 痛みも苦しみも避けられないのなら……せめて、一瞬にしてあげたい。いや、もうそれしかないんだ。

 

 だから、ごめん。いや、ありがとう四郷。少しだけ、力を借り――

 

「認めませんわよ。そんな狼藉は」

 

 ――ッ!?

 

「こっ、梢先輩? いきなり、なにを……」

「いきなり? ワタクシに言わせれば、あなた方が勝手に進めているこの狂気的な話の方が、余程『いきなり』でしてよ。殿方の顔を立てるためにも、話が終わるまでは口を出すまいと控えさせて頂いておりましたが――もう、限界ざます」

「……梢……?」

 

 四郷の意思を汲み、この計画が纏まる直前のことだった。久水先輩が、自分を訝しむ救芽井と四郷を一瞥し、俺を鋭い眼差しで突き刺したのは。

 

 彼女は腕を組んだ姿勢のまま、全身から威圧感を雷のように走らせ――俺の目の前へ、静かに歩み寄る。

 その迸る激情を顕すように、黒一色のチャイナドレスに覆われた巨大な双丘が、波のように大きく脈打ち、上下に揺れていた……が、そこに気を取られていられないほどに、彼女は強烈な殺気をその豊満な肢体に滾らせていた。

 スリットから覗く、流麗な線を描いた白い脚の先で、光沢を放つ漆黒のハイヒールが、コツ、コツと音を立てる。その音が近づくに連れて、俺は自分の胸中に芽生える「焦り」を感じた。

 

 わかっているから、だろうか。これから、俺が彼女に何を言われるのかを。

 

 その考えに至った時、彼女は俺の目前で足を止める。久水先輩のなだらかで端正な輪郭が、目と鼻の先に迫っていた。純白の柔肌の中で一際目立つ真紅の薄い唇が、照明の光を浴びて瑞々しい輝きを放つ。

 

 この光景は、よく知っている。俺の子種が欲しいとか調教して欲しいとか、そんな「おねだり」をせがんで来る時、彼女は決まってこれくらいの距離まで急接近してくるのだ。もっとも、大抵はすぐ悩ましい嬌声と共に、救芽井達によって引き剥がされていくのだが。

 

 ……しかし、今回はいつもとは違う。救芽井達は彼女のただならぬ雰囲気に戸惑って動き出す気配がないし、当の久水先輩自身も、普段の官能的な振る舞いとは掛け離れた佇まいだ。

 親友のことを思えば……彼女の怒りももっともだろう。だが、四郷にああ言われてしまった以上、俺も引き下がることは出来ない。

 恨んでもいいぜ、久水先輩。俺は、あんたの――大切な親友を、自分のエゴに巻き込もうってんだからな。

 

「龍太様。あなた様のためにも、撤回して頂きますわ。ジェリバン将軍との再試合。ラドロイバー捜索への関与。そして――『超機龍の鉄馬』計画の実行。その、全てを」

 

 そんな俺に対し、「義憤」を募らせた久水先輩は「正義の使者」の如き毅然とした出で立ちで、俺の瞳を真っ向から睨み付ける。

 

 ……全く。俺もすっかり、瀧上凱樹(ヒーローまがい)の仲間入りだな。

 



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第189話 姫騎士の眼光

 俺に向けられる、敵意とも言うべき鋭い視線。それは親友を危険な目に遭わせまいとする、「正義感」に基づく「義憤」であった。

 確かに、彼女の言い分を覆せるだけの正当性は、俺にはない。自分のエゴで四郷を「新人類の身体」にしようという俺のやり方が、許されるはずはないだろう。

 しかし、今はそれでもやらなくてはならないのだ。誰よりも正しい彼女に、逆らうことになるのだとしても。

 

「撤回――か。残念だが、それは無理だ。お前の言うことの方が正しいんだろうけどな」

「ご自分のなされていることが、あの瀧上凱樹とさして変わらぬ道である……という自覚は?」

「……あるさ。あいつも俺も、きっと大して違わない。それは、あの時あいつを助けようと思った時から、わかってたことだから」

「全て理解した上で、あなたは鮎子を?」

「お前からすれば、許せないだろうな。俺も、正直どうかとは思ってるよ。もう少し前の俺なら、今も他に方法はないのかって喚いてただろうな」

 

 俺は拳を握り締める久水先輩を一瞥し、自分の手に付いた血の痕へ視線を落とす。救芽井達に拭き取られた後も、その赤い痕跡は僅かに俺の掌に残されていた。

 

 ――余裕がない、と身体が察したのだろう。決断を迷っていられるだけの時間も惜しいのだと、俺の肉体が信号を発したのだ。

 健全な精神は、健全な肉体に宿る――という言葉がある。それは裏を返せば、肉体が健全なものでない限り、健全な精神は得られないと言うことだ。

 

 人間に必要とされる部分を機械で補い、それによって「生かされている」だけの俺の身体は、もうまともな精神を宿せないのだろう。生身の部分が脳髄しかない「新人類の身体」だった四郷や瀧上が、人とはどこか違う雰囲気を纏っていたのも、肉体の有無が関係していたのかも知れない。

 

 四郷の力を借りなければ、今回の危機を脱することは出来ない。その現実に抗おうとしていた俺の精神は、ガタガタになった俺の肉体に内側から侵食されていた。

 きっと今、屈している、のだろう。俺は、俺の弱さに。

 

「――今は、そうやって喚いていられる時間も惜しいんだ。お前の怒りは尤もだが、今だけは俺のワガママを聞いては貰えないか」

「……梢。ボクからも、お願い。先輩の好きに、させてあげて……」

「ワタクシは、鮎子のためだけに言っているわけではありませんのよ。先程も申し上げたはずざます。あなた様のためにも――と」

「俺のため、だって?」

 

 眉を顰める俺に向け、久水は少しだけ――悲しげな表情を覗かせる。それは一年前の事件で、「新人類の身体」だった頃の四郷が眼前で砕かれた時の形相に、少しだけ似ていた。

 

「その左目の傷も。左肘の裂傷も。その胸に残された痕も。全て、あなた様自身の『狂気』によって刻まれたものですわ。樋稟さんも賀織さんも――鮎子も、あなた様の狂気を受け入れていくつもりでいるようですけれど。ワタクシは、あなた様とあなた様を取り巻く人々のためにも、その狂気を認めるわけには参りませんの」

「……一年前に古我知さんからも、同じようなことを言われたよ。それで、先輩はどうしたいんだ。俺に再試合を降りて欲しいのか?」

 

 メディックシステムには、身体の傷を最高速度で完治する代わりに、通常の治療なら消えるはずの傷痕を一生残してしまう――という欠点がある。その影響で、俺の胸と背中には、鉄骨による大きな裂傷の跡が残されていた。

 既に痛みも消えているはずの、その胸を抑え……俺は逡巡する。

 

 ――例え弱い心を持ってしまったのだとしても、ここまで来ておいてダウゥ姫を諦めることなど、俺に出来るはずがない。久水先輩だって、それはわかっているだろうに。

 

 そんな身勝手なことを思う俺に向けられる眼差しは、さらに鋭さを増す。凍てつく氷柱のように、硬く――冷たい。

 

「その通りですわ。鮎子を救って下さった、あの優しさを――この無礼な異国の姫君のために投げ捨てると仰るのならば、そんな『異物』など見捨てて下さいませ」

 

 残酷。久水先輩が放つ言葉は、その一言に尽きた。

 

 その言いように、周囲に更なる戦慄が走り――ダウゥ姫は唇を噛み締めた。憤怒と負い目のジレンマに苛まれ、その愛らしい顔は痛ましく歪んでいる。

 そんな彼女へ向けられる久水先輩の眼光は、俺に向けられた時以上の敵意に満ちていた。

 

「梢先輩っ! あなた、なんてこと……!」

「――ダスカリアン王国は過去……あの憎っくき瀧上凱樹に滅ぼされたとは言え、現在では伊葉氏の活躍で復興へ進みつつありますわ。その恩恵がありながら、わざわざ過去の話を掘り返して無用な衝突を招いた挙句、今回の一件であなた方の仇を討って下さったはずの龍太様にこのような重傷を負わせる。例えラドロイバーが諸悪の根源なのだとしても、あなた方が犯した過ちは到底許されるものではありませんのよ」

「……確かに、な。貴殿の言う通りだ。ラドロイバーの策に乗せられた民衆を抑えられなかったのは、私の落ち度だ。あの天井の件にしても、私がいち早く感づいてさえいれば……」

 

 救芽井の叱責に耳を貸すことなく、久水先輩は淡々とダスカリアン組を糾弾する。ジェリバン将軍は歯を食いしばり、身を震わせるダウゥ姫を庇うように立ち――その非難を真っ向から受け止めていた。

 そんな将軍の様子をしばらく静観していた久水先輩は、やがて興味を失ったかのように俺に視線を戻す。

 

 彼女の言い分は理解出来るし、俺を案じての言葉だというのは確かだろう。

 しかし、それでも。ダウゥを責め立てる久水先輩に向けて、いい顔をすることは出来なかった。矢村はそんな俺と先輩を交互に見遣り、おろおろと視線を彷徨わせている。

 四郷は親友の発言を止めようと足を踏み出していたが、姉に肩を掴まれ制止されていた。伊葉さんと古我知さんの二人は「自分達にどうこう言える資格はない」と、目を伏せていた。

 

「――などという、もっともらしい理屈をこねたところであなた様が折れるわけがない。そうでしょう? 龍太様」

「そこまでわかっておきながら、随分な言い草だったじゃないか。俺を挑発するメリットなんて、先輩にあるのかよ」

「ええ、もちろん。大有りですわ。あなた様の反応を見れば、ダウゥ姫のことを本気で助けようとしていることが確かめられるんですもの。ワタクシや鮎子を想って下さった時と、『同じ』ように」

「……」

「でも女というのは、自分が一番愛されていないと我慢できない生き物ですの。気に入りませんのよ、ハッキリと申し上げるならば」

 

 久水先輩はそこで言葉を切ると――再び俺を、真剣な眼差しで刺し貫く。

 冷たさはない。むしろ、焼け付くように――熱い意思が、瞳の奥から滲んでいた。

 

「ですが、そんなことを言ったところであなた様の心は動かない。ですから、ワタクシはあなた様に相応しいやり方で、あなた様の意思を潰させて頂きますわ」

「相応しい……やり方?」

 

 そして、彼女は告げる。俺が、この弱い心から生まれた決断を押し通すための試練を。

 

「――今のあなた様に、狂気を持った上で鮎子を守れるだけの力が残されていることを証明してくださいまし。お兄様ともう一度闘い、勝つことで」

 



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第190話 「二号ヒーロー」の影

 久水茂――彼女の、兄との、再戦。

 それが、俺のエゴに少しでも応えるために提示された、「譲歩」だった。

 

「……らしくないな。力押しの解決なんて、俺くらいしか好まないようなやり方を、先輩がやるなんて」

「だからこそ、ですわ。理屈で制御が効くような利口な方ではないということくらいは、ワタクシでもよく知っていましてよ。あなた様の行動パターンを踏まえた上で、すでにお兄様にも話は通してあります」

 

 先輩自身の感情としては、是が非でも俺と四郷を止めたかったはずだ。持ち前の胆力と強引さで、否が応でも説き伏せる。それが、本来の彼女のやり方だった。

 もし、彼女が微塵も四郷姉妹の意思に共感していなければ。俺の言い分に、聞く耳を持たなければ。茂さんとの再戦などという提案を出すこともしなかっただろう。

 理屈を抜いた感情を否定しつつも、その言い分を受け止め――平行線を避ける。そんな彼女なりの理性が働いた結果、この譲歩に至ったのだとすれば……俺の情けなさは、さらに浮き彫りになってしまうな。

 

 だが――それでいい。言葉より力。俺が現実に戦う力が残されているかを見定める、最もシンプルな落とし所と言ったところだろう。

 茂さんは特定の警察組織やレスキュー隊とは独立した、自身専用の「救済の龍勇者」を保持している。その戦闘力は、甲侍郎さんの直属であるエリート部隊にも引けを取らない。

 四郷を巻き込んで戦う俺の身体が、そもそも使い物になるのかを確かめる上では、これ以上ない相手と言える。

 

「ルールは単純ざます。一年前と同じように――どちらかがギブアップするか、行動不能になるか。実に、龍太様に相応しい方法ではなくて?」

「そいつはどうも」

「皮肉ですのよ」

「わかってる」

 

 一年前に戦った時はそれなりに苦戦したものの、ある程度の余裕も残しつつ勝つことができた。この体の中身さえまともなままなら、決して勝てない相手ではなかっただろう。

 ――しかし、今の俺はあまりにも脆い。これまで当たり前のように繰り返してきた「戦い」が成立するかどうかさえ、怪しいかも知れないレベルで……だ。

 あくまで量産型でしかない「救済の龍勇者」G型とワンオフ専用機である「救済の超機龍」との性能差を差し引いても、今の俺で果たして勝てるかどうか……。

 

「かつてあなた様が一蹴して見せたお兄様ですが、多忙な現在でも鍛錬は積み重ねておりますし、有事に備えて最新鋭のG型装備を加えた強化改修機も最高のコンディションを維持しております。一年前ほど楽に勝てるとは、思わないでくださいまし」

「強化……改修機?」

「『救済の龍勇者』G型を原型に、まだ正式にG型にロールアウトされていない新型装備や『救済の超機龍』に引けを取らない人工筋肉等を採用した、『お兄様専用』のG型ですわ。つぎ込んだ予算は『救済の超機龍』に迫る額ざます」

 

 なんと、まぁ。そんな秘密兵器があったとは。さらに鍛えた上に、「救済の超機龍」に迫るスペックの改修機か……。

 こいつは、思い通りには行かせてくれそうも――

 

「ちょっ――ちょっと待って! そんなの、聞かされてないわよ!?」

 

 ――というところで、目を剥いた救芽井が身を乗り出すように久水先輩に顔を近付ける。勢いのあまりキスしそうな体制で。

 自分が迫られてるわけでもないのに、気圧されてしまいそうな剣幕を放つ彼女だが――その気迫を真っ向から受け止めているはずの久水先輩は、至って澄まし顔。

 

「樋稟さんがご存知なはずありませんわ。だって、このプロジェクトはお兄様とワタクシ、そして甲侍郎様だけで話し合われて完成した企画ですもの」

「な、なんですって……お父様が!?」

「瀧上凱樹の一件で、龍太様の行動に危うさを覚えられた甲侍郎様の提案で、『救済の超機龍』を抑えられる『二号ヒーロー』を作る計画が始まっていましたの。あの四郷研究所の事件から、一ヶ月後のことですわ」

「そんな時期から……!? じゃあ梢先輩は……その頃からずっと、龍太君を止めるための開発計画に携わってたって言うの!?」

「――それも、全ては龍太様のため。このようなことのために、そのかけがえのない命を潰させないための『砦』を造るためですわ」

 

 詰め寄る救芽井に対し、久水先輩は淡々とした口調でいきさつを説明する。どうやら、俺が学校で補習に追われている間に、大人達の間できな臭い計画が進行中だったらしい。

 瀧上を助けようとしたことで、確かに一年前の俺は周りの大人達から散々な評価を受けた覚えがある。あんな奴は助けるな、助けるだけ無駄だ、と。

 そういう選別に慣れてしまうことへの恐ろしさが杞憂だとは、どうしても思えないのだがなぁ……。

 

「……梢。茂さんも、あなたも、甲侍郎さんも……龍太先輩のやること、そんなに許せないの……?」

「想うがゆえに、壁にならざるを得ない時もあるのですよ、鮎子。例え『超機龍の鉄馬』への改造があなた自身の望みだとしても、ワタクシは『生きて欲しい』と願う者として、そのやり方を認めるわけには参りません」

 

 親友からの追及に対し、先輩は僅かに熱の篭った言葉遣いで応えてみせる。こういう暑苦しい言葉を躊躇なく言い放つところもあれば、俺に隠れて『二号ヒーロー』なんてものに協力するところもある。

 熱血なのか、狡猾なのか。……どっちも、か?

 

「……わざわざ久水財閥の経営で忙しい茂さんを、その対『救済の超機龍』用の『二号ヒーロー』とやらに任命するとはな。甲侍郎さんも、なかなかえげつない真似をしなさる」

「水面下で進んでいた計画に感づいて、参加したいと飛び込んできたのはお兄様の方ですわ。あなた様の暴走を止めたいという点においては、完全に価値観が甲侍郎様と一致しておりますもの。同じ考えを持つ者同士のシンパシー……のようなものを、感じたのでしょう」

「――で、そのままあいつがその『二号ヒーロー』の座をぶんどったってことか。そんなに、俺のやることが気に食わないのかよ」

「……お兄様も、甲侍郎様も。ワタクシも。あなた様に会えたから、今がある。そんなあなた様を死なせたくないから、こうしておりますの。それをどう受け止めるかは、あなた様次第になるでしょう――しかし、例えあなた様の不興を買うことになろうとも、ワタクシ達は『賭け』に敗れるまで考えを曲げるつもりはありませんわ」

 

 裏でコソコソされるってのは、正直、気分のいい話じゃない。だが、それが自分のためだとはっきり言われちゃあ、振り上げた拳の下ろす先がわからなくなっちまうのが普通だ。

 ――俺は、構わず振り下ろすけどな。

 

「そう……か。すまねぇな、いらん手間を掛けさせちまってよ。でも、やっぱ俺としちゃあ、ここでダウゥ姫を見捨てるのは思わしくないわけで」

 

 様子を見守る矢村達――そして、不安げに視線を彷徨わせるダスカリアンの姫君を一瞥し、俺は久水先輩の方へ向き直る。

 突き刺すような眼光に対し、刺し違える思いで更に鋭い眼差しを向ける。そして、僅かな沈黙を経て――

 

「重ね重ねすまないが――勝たせて貰いたい」

「お断りざます」

 

 ――交渉は、敢え無く決裂し。俺と茂さんの一騎打ちが決定した。

 



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第191話 二人の改造人間

 俺と先輩の決裂から、一週間。

 血を吐かず、ぶっ倒れることもないギリギリのラインの中で――俺は必死のリハビリを断行していた。

 

 立って、歩き、走る。そんな子供でも出来るような挙動にさえ苦心する俺を見る皆の視線は、常に不安の色を湛えていた。

 ――当たり前だろう。万全だったとしても勝てるかどうか定かではない相手に、こんなコンディションのままで挑もうというのだから。

 

 しかし、やらなきゃならない。逃げるわけには、いかないんだ。

 自分で決めたやり方に、嘘を付かないためには。

 

 ……そして、決闘の前日。その日だけはリハビリという名の特訓は休みとなり、回復のみに専念することとなった。

 

 一分一秒も無駄にしたくない、という感情としてはもどかしい限りだったが、ガタガタになった身体に前日まで鞭打ちしたところで、本番の時に動けなくなるのが関の山だろう。

 そう説得する鮎美先生の眼差しは、いつになく据わっていた。――そう。妹にあんな宣告をさせた以上、彼女にとっても負けられない戦いとなったのだ。

 

「……ふぅ」

「具合はどうだい、龍太君」

「明日から決闘を始めようって奴に言う台詞じゃないなぁ。この期に及んで半病人扱いはあんまりだぜ」

「確かに、これから戦いに向かう君には相応しくはなかったかもね。だけど、忘れないことだ。今の君は本来ならば今も病室で安静にすべき状態なんだよ」

「……分かってるさ。だから今日だけは大人しくしてるんじゃないか」

 

 病院の敷地内にある、緑豊かな広場。兄貴が眠る病棟のすぐそばにある、その静けさに包まれた光景を眺めながら、俺と古我知さんはベンチに腰掛けていた。

 患者服を着たまま外に出ている俺とは違い、彼の方は兜だけを外した臨戦体勢となっている。――ラドロイバーがいつ襲ってきても、即座に迎撃出来るようにするためだ。

 

 決闘を翌日に控えた今日、こうして快晴に照らされた病院の外に出ているのは、外気に慣れさせるという目的の他に、俺の精神状態をリフレッシュするという意味がある。

 

 襲撃の危険があるとはいえ、決闘直前まで外に出さないままでは気が滅入ってしまう……という、鮎美先生なりの気遣いによるものなのだ。

 

 燦々と輝き、俺と古我知さんを照らす太陽。雲ひとつない、澄んだ青空。そして、静寂の中で際立つ小鳥の囀り。

 ――これが決闘という嵐の前の静けさでなければ、どれほど安らいだことだろう。

 

 ちなみに、決闘は先輩の実家――すなわち、久水家の本家がある京都で行われる運びとなっている。

 ……茂さんが決闘に勝った暁には、そのまま俺の身柄を京都に縛り付け、久水家の総力を挙げてラドロイバーからの保護に尽力する。それが、久水先輩が表明する、舞台を京都に選んだ理由であった。

 先輩自身は交渉が決裂した次の日に、足早に松霧町を去ってしまっている。今は京都で、「決闘に勝った後の段取り」を進めているらしい。……舐められたもんだ。

 

 ――まぁ、勝つ前提の準備のしてるのは向こうだけじゃないんだがな。

 

「で、四郷の方はどうなんだ? 例の訓練」

「まだまだ難航してるみたいだね……。君のデータを把握しきって動くには、かなりの技量が要求されるみたいだよ。僕らの常識がまるで通じない君を知り尽くさなきゃならないんだから、当然なのかもしれないけどね」

「悪かったな、非常識で」

「僕にぼやいたってしょうがないだろ。――そんな君だからこそ、彼女は生きて、こうして君に尽くしてるんだろうけどね」

 

 この一週間、血反吐を吐く思いで特訓に臨んでいるのは、何も俺一人だけではない。

 

 俺の行動を的確にサポートし、二段着鎧のメリットを活かすための訓練を始めた四郷もまた、地獄の苦しみを味わっているのだ。

 

 引き際をわきまえた他の資格者達とは違い、レッドゾーンの遥か先にまで土足で踏み込んで行く俺の動きに合わせながら、増加装甲に装備されたスラスターを、正確なタイミングで起動させる。本来ならば、俺の筋肉の動きを感知して自動で行うコンピュータの仕事であるそれを、彼女は人力で制御しなくてはならないのだ。

 つまり、ただでさえ非常識な奴の一挙一動を、全て把握して手動でサポートしなくてはならない――ということになる。

 

 「新人類の身体」の機構に疎い俺にだってわかる。これは、無茶振り以外の何物でもない。

 あの豪華客船の一件も含めた俺の全ての出動データがあるとはいえ、それだけの情報で俺に合わせた動きを得ようだなんて、無茶苦茶にも程がある。

 

 それに彼女にとっては、機械仕掛けの身体に戻ることはおろか、その名を聞くことさえ身を裂かれるような苦痛だったはず。なのに彼女は今も俺の勝利を信じながら、その理不尽な訓練をめげることなく続けているのだ。

 

 ……俺は、間違っているのだろうか。

 

 仲が良かったはずの姉に散々怒鳴り散らされながら、コンピュータに向かってひたすらシミュレーションを繰り返す。そんな小さな背中を病院の中で見かける度に、そんな言葉が脳裏を過る。

 そしてその都度、俺は頭を振り、自身のリハビリに臨む日々を過ごしていた。

 

 ――ここで引き返すことは、ダウゥ姫を見捨てることを意味する。それは彼女を救おうとした、俺自身のやり方を……四郷達を助けてきた、一煉寺龍太という在り方を、辞めてしまうことを指す。

 そのやり方が間違いだというなら、いつか必ず、そいつを力でねじ伏せられる日が来るだろう。あれほど強かった瀧上凱樹が、結局は……ああなったように。

 だから俺も――抗いようがない力に潰されるまでは、間違いだとしても……走り続けるしかないんだよ。

 

 その時が今なのか、そうじゃないのか。その結論は、明日の決闘がきっと教えてくれる。

 

「樋稟ちゃんは鮎子君のケアに大わらわだし、賀織ちゃんは君の世話に必死だし。伊葉さんは甲侍郎さんの支援を求めて東京に行ってるし。将軍は『我々は我々でラドロイバーを探ろう』なんて言って、姫様と一緒に行方をくらますし……なんだろうね、僕ばかり役立たずって気がするよ」

「んなこたぁない。あんたがいなきゃ、俺はこうしてお天道様の恵みを浴びることすら出来なかったんだ。感謝してんだぜ、これでも」

「……僕に、もっと人間兵器としての力があれば。君が、それを有り難がることもなかったのかもね」

「よせよ、辛気臭い。どんなに悔いたって、それで兄貴の怪我が治るわけじゃないし、ラドロイバーに勝てるわけでもない。だったら、今の俺達に残された手段で、この厄介な事件を乗り切るしかないだろ。違うか?」

「……そう、だね。あはは、まさか君に元気付けて貰う日が来るとは思わなかったよ。――大人に、なったね」

 

 そう呟き、微笑みかける古我知さんの面持ちは――少しだけ、安らいでいるようにも見えた。

 かなり、気に病んでいたのだろう。

 

「ま、兄貴の身分証に頼らずともエロゲーを買える歳にはなったからな」

「はは……それが言えちゃうくらい立ち直れてるなら、精神面の心配はなさそうだね。……でも」

 

 そこで一度言葉を切り、古我知さんはこちらへ刺し貫くような視線をぶつける。さっきまでとは――違う空気だ。

 

「……僕の本音を言わせて貰うなら……君にはこれを契機に、『普通の人間』に立ち戻って貰いたかったよ。わがままな話だけど、それだけが心残りだった」

「――あいにく、だったな。俺は、まだ怪物を辞める気はない」

「そうか、残念だ」

 

 短い問答を経て、俺達の間に妙な静寂が訪れる。理解出来ないわけではないけれど、どこか相容れない。そんな、距離だ。

 

「……あまり長い時間、外にいたら危険かも知れない。そろそろ、病室に戻ろうか」

「……そう、だな。ジッとするのは好きじゃないんだが、仕方ない――ん?」

 

 どちらが先に耐え兼ねたのか。俺達は同時に立ち上がると、病棟に向けて踵を返した――のだが。

 遥か先から土埃を上げて急接近してくる人影に、思わず眉を潜めてしまう。それが矢村だと俺達が気づく頃には、既に目と鼻の先まで間合いを詰められていた。

 

「龍太ぁぁっ! 大変やぁぁっ!」

「ど、どうしたんだよいきなり。俺が言うのも変だけど、ラドロイバーが襲ってくるかも知れないってのに、勝手に外に出ちゃダメだろ」

「賀織ちゃん、一体何があったんだ?」

 

 突然、切羽詰まった様子で駆け込んできた矢村にたじろぐ俺に対し、古我知さんは息を切らしている矢村を冷静に宥めながら、事態の把握を急いでいる。

 やがて、数秒の間を置いて息を整えた彼女は、大口を開けてまくし立てるように状況の説明を始めた。

 

「りゅりゅ、龍太んとこのお母ちゃんが、えらい真剣な顔で樋稟を呼び出しとったんや! ここ、今回のことで樋稟、めっちゃ怒られてまうんやないやろか……! 龍太、どど、どないしよ……!?」

 

 怯える子犬のように瞳を潤ませながら、小麦色の少女は視線を泳がせる。

 そんな彼女の様子を一瞥し、俺と古我知さんは互いの顔を見合わせる。

 

 母さんは元々、着鎧甲冑の仕事に対してはあまり快く思ってはいなかった。

 その関係もあって、救芽井に対してはやたらと厳しい一面も覗かせていた――のだが、救芽井の真摯な姿勢も知っている母さんが、彼女を頭ごなしに否定するとは考えにくい。

 

 だが、今回の一件で兄貴は意識不明の重体になり、俺は内臓まで失っている。その責任がどこに向かうのかを、母さんが考えた場合、行き着く先は――!

 

「……行ってみよう。あんまりなことを言うようなら、俺が止める」

 

 不安げにこちらを見上げる矢村の頭を優しく撫でて、俺は古我知さんと視線を交わす。

 

 そして、無言のまま静かに頷く彼に対し、首を縦に振ってから――矢村を連れて、俺は病棟へと駆け出した。

 

 母さん……信じていいんだよな……?

 



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第192話 嫁姑戦争(物理)

 病院に勤めている看護婦や医師は、その多くが既に避難しており、元々ここに入院していた患者達も隣町に移されている。志願により残って働くことを許された医療関係者達は、十人もいない。

 そのため、院内のあちこちが閑散としており、場所によっては病院自体が閉鎖されているように錯覚してしまうこともある。

 

 受付が席を外していたロビーも、その一つだった。

 その中でうごめく、人影が二つ。

 

 母さんと――救芽井だ。

 

「ほら、龍太あそこ……!」

「ホントだ……二人とも、あんなところで何を……」

 

 駆け寄ろうとも思ったが、彼女達を包む空気は目に見えない重さを放ち、俺達の接近を拒んでいるようだった。

 自然と、俺も矢村も曲がり角に身を隠してしまう。誰かに隠れろと言われたわけでもないのに。

 

 ――なんだよ。何にビビってんだ、俺は。

 

 得体の知れない第六感の警鐘に、俺は思わず眉を顰める。隠れるように、と本能を導いたモノを肉眼で探し求めた結果、俺の視線は母さんの姿を捉えたところで落ち着いた。

 

 ――だいたい、あれはどういうことなんだ。本当に、あれが母さん、なのか?

 

 以前、俺の見舞いに来ていた時とは違い、全身を茶色のロングコートで包み込んでいる。しかも襟の周りは高級そうな羽毛で飾られており、慎ましい服装ばかりだった母さんらしからぬ出で立ちであった。

 

 さらにその瞳は、かつてない程に鋭い。長い年月を掛けて追い詰めた宿敵を睨むかのような、揺るぎなく――苛烈な眼差し。

 全てが、俺の知らない姿だけで埋め尽くされている。十八年間の思い出がなければ、母さんだと気づかないくらいに。

 

「いつかは、こういう日が来るやも知れん。そう思う時もあったが、まさかこのようなタイミングで来ようとはな」

「う、うおっ!? 親父!?」

「ひぁあ!?」

「龍太。それに賀織君。これは、母さんと樋稟君の問題だ。わかっているだろうが、俺達が手を出すべきではない」

 

 いつから居たのだろうか。俺達が隠れるために身を寄せた曲がり角で、親父は懸命に身を潜めていた。ガタイのせいで少々無理があるようにも見えるが、母さん達が親父に気づいている気配はない。

 

「な、なんだよそりゃあ。母さん、何をする気なんだ!?」

「じきにわかる。お前自身のことも含めて、な」

 

 親父は向かい合う二つの人影を見つめ、静かにそう呟いた。俺自身のこと……? なんだってんだ、そりゃあ。

 

「あなたがここへ呼ばれた意味、今さら考えるまでもないでしょうね。救芽井さん」

「……はい」

 

 そんな疑問に向かう意識を断ち切るように、母さんが重々しく口を開く。聞いたことのない、低く唸るような声色――これが、母さんの声、なのか?

 

「一年前、あなたは約束したわ。息子を、戦うばかりではない、拳法ばかりに頼らない――そんな、名前の通りの素晴らしい『ヒーロー』に育てて見せる、と」

「……」

「あなたの思うその『素晴らしいヒーロー』とは、今のあの子のように、一国の存亡を賭けた決闘に駆り出された挙句、元軍人の陰謀に巻き込まれるような人を云うのかしら。かけがえのない兄弟を失いかけるところまで行かないと、辿り着けない場所なのかしら」

 

 救芽井を追及する母さんの眼差しは、洗練された刀剣のように、鋭く――冷たく、そして容赦がない。今にも、救芽井の肉を切り裂かんと狙っているようにも見えてしまう。

 そのただならぬ雰囲気を肌で感じ取っていた俺は、反射的に母さんを止めようと動き出す――が、親父に肩を掴まれ、あっけなく止められてしまった。

 その手に込められた力は尋常ではなく、肩を掴まれているだけなのに、俺の体は金縛りに遭ったかのように動かない。

 

 俺は咄嗟に上を見上げて親父に抗議の視線を送るが、親父は無言のまま首を横に振るばかり。

 あくまで、母さんに任せておくつもりなのか。少なくとも、親父は母さんを信頼しているみたいだが……不安だ。

 

 ――それにしても、母さんは一体、どういう人だったのだろうか。十八歳を迎えた今になって、俺は不思議に思っていた。

 

 俺が知っている母さんは、何があっても柔らかく笑うばかりの人で、怒った顔なんて一度も見たことがない。怒ることがないわけではないのだが、そういう時はにこやかに笑いながら妖しいオーラを噴き出して、俺達を屈服させていた。

 ……そう。俺がクラスの女子と喋ったというだけでそわそわしたり、一緒に暮らしていた頃は、毎日弁当を作ってくれたり。少々思い込みが激しい点を除けば、基本的にはどこにでもいる普通の主婦だったはず。あんな顔をする人では、なかった。

 

 だが思い返してみると、普通と言うには違和感が残る部分もあった。

 

 実は母方の実家、というものを、俺は知らないのだ。親父と結婚するまで、母さんは孤児だったと聞かされていたからだ。亡くなった両親のことを思い起こさせるのは可哀想だから詮索するものじゃない、と親父に言い聞かされていたこともある。

 俺としても、無為に母さんを傷つけるような真似は望まないし、知らなきゃいけない理由もなかったから、特に母さんの過去を気にすることはなかった。きっと、兄貴もそうだったのだろう。

 

 それに、親父が以前話していた「母さんと結婚するために一煉寺を出奔した」という話もよく考えたらちょっと変だ。

 確かに身元不明の孤児との結婚ってのは、時代が時代なら嫌がられてもしょうがないのかも知れないが……親父の世代でそんな風習が残っていたとは考えにくい。爺ちゃんがよほど古風な価値観を持っていたから、とか?

 でも、爺ちゃんは親父に一煉寺を継ぐかどうかは、自由に決めさせていたとも聞いている。そんなにフリーダムだったという爺ちゃんが、孤児との結婚くらいでいちいち目くじらを立てていたというのは、違う気がする。

 親父が母さんと一緒になるために実家を飛び出したのには、別の理由があったのか……?

 

「……今回の、私の失態は……弁明の余地すらありません。決闘の話が出た時点で、外部からの干渉を警戒すべきでした」

「ああすればよかった、こうすればよかった。そんなことを語って罪を清算できるのなら、私がここに居る意味はないのよ。私はただ、あなたの今の考えを聞きたいのよ」

 

 そうして俺が思考を巡らせている間も、母さんと救芽井の会話は続いていた。母さんの眼光を真正面から受け止める救芽井は、俯きながらも母さんから視線を逸らさずにいる。

 逃げてはならない、と己に言い聞かせているようだった。

 

「今回の主犯とされるエルナ・ラドロイバーの身柄を確保することが、今の最優先事項です。龍太君とジェリバン将軍の決闘の件は、しばらく保留になるでしょう。――私は、確かに龍太君を守れなかった。そればかりか、龍亮さんまで……」

「……」

「……でも、彼がもう一度立ち上がろうとしている今、私だけがいつまでも悔いているわけには参りません。今度こそ彼を守り抜けるよう、可能な限りの最善を尽くして――」

 

「――そんな言葉には、もう何の意味もないわ。あなたには、もう何の信頼もない」

 

 全てを断ち切る、はっきりとした一声。

 

 その有無を言わせぬ気迫が、救芽井の言葉を遮り……彼女の瞳を貫いて行く。恐れを隠し切れなくなった救芽井の肩が、僅かに震えた。

 

「今までだって、あなたは最善を尽くしてきたでしょう。それでも、あなたは何もできなかった。そして、私の息子達を――その生贄にした。他に残された事実があるのかしら?」

「……ッ!」

「ここまでのことをしておいて、よくも私をお義母様などと呼べたものね。吐き気がするわ」

 

 畳み掛けるように、母さんは救芽井を罵倒していく。怒りよりも――冷ややかさを前面に出して。

 どうでもいい人間を、軽くあしらうような口調だった。その言葉を受けて、とうとう救芽井は目を伏せてしまう。

 

「あ、あわ、あわわっ……! ひ、樋稟っ……!」

「くっ……のっ!」

 

 矢村も、救芽井を案じて焦りを募らせていく。俺は救芽井の側へ駆け寄ろうと身をよじるが――親父の手は未だに離れない。

 

「離せよ! 離せ! あんなの、あんまりだろうがッ!」

「待つんだ、龍太。母さんは、樋稟君を見放してなどいない」

「な、なんだと……!?」

「試し方を、変えようとしているだけだ。心配はいらない」

 

 親父は、表情を変えないまま母さんを静かに見つめている。俺が訝しみながら、その視線の先を追った時――状況に、変化が現れた。

 

 茶色のロングコートが、羽毛を散らしてふわりと落ちる。その上には――紫紺のチャイナドレスを纏う、母さんの姿があった。

 豊満に飛び出した胸。くびれた腰つき。大きくも、引き締まった臀部。そして、細くしなやかな手足を覆う――人体の限界まで凝縮された筋肉。

 

 様になっている、なんてものじゃなかった。

 まるで、これが母さんの本来の姿であると思い込まされてしまうほどに、その凛々しい立ち姿は堂に入ったものだった。

 考えてみれば、今まで母さんは俺の前で露出度の高い格好を見せたことはほとんどない。一緒に風呂に入る相手はいつも親父だったし、常に体のラインが出ない服ばかりを着ていた気がする。

 

 だからだろうか。母さんなのに、母さんに見えない。

 

「おっ……お義母、様っ……!?」

「構えなさい」

 

 動転しているのは俺だけではない。救芽井は目を見張り、口を半開きにしたまま硬直している。

 しかし、母さんは全く表情を変えないままだ。まるで、母さんだけが時間の流れから取り残されているかのように。

 

 そんな俺達の動揺をよそに、母さんはスリットから覗いていた白く流線的な脚を上げ、何かの構えを見せる。

 無駄を感じさせない、洗練された佇まい。親父や――将軍に通じるものさえ感じてしまう。なんだ……!? なんなんだ、母さんは!?

 

「……もう、潮時ということだな。お前だけには知られまいと家族ぐるみで隠していたが……」

 

 その時、沈黙を破って親父が口を開く。その眼の色は、どことなく「何かを懐かしむ」思いを漂わせていた。

 

「母さん――久美の故郷は、この国ではない。だが、今の彼女にとってはこの国、この家だけが全てなのだ。かつて俺が壊滅させたチャイニーズマフィアの頭領『獄久美(ユー・ジゥメイ)』は、もうただの主婦でしかないのだから」

 

 母さんが、誰だったのか。

 

 それが明らかになる時――

 

「来ないのなら――私から参る」

 

 ――物理的な嫁姑戦争が、幕を開けた。

 



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第193話 一煉寺久美という女

 開幕は、一瞬だった。

 

 救芽井との間合いから遠く離れた母さんの脚は、ロビーに並べられた待合用の椅子をサッカーボールのように蹴り飛ばす。そして砲弾の如く風を切り、救芽井の顔面を襲う椅子は――軌道を変え、天井の照明に激突した。

 

 咄嗟に母さんの攻撃手段を察知した救芽井は、椅子が自分に向かって飛んでくる瞬間に構えを取り、上段の蹴り上げで迎撃していたのだ。その一撃により更に弾かれた椅子は今、粉々にされた照明を貫通し、破片を撒き散らしながら天井に突き刺さっている。

 この僅か二秒足らずの太刀合わせが、この空間の緊張感を最大限に引き締めていた。――戦いは最早避けられないのだ、と。

 

「い、今のは……!」

「なるほど、一応の心得はあるのね。中途半端な玉無しの畜生共は大抵、今の一発で終わるのだけれど」

「あなたは、一体ッ……!」

「どこにでもいる平凡な主婦よ。今は、ね」

 

 母さんらしからぬ罵詈雑言。元マフィアだと言うのなら、むしろ自然とも言うべき言葉遣いなのかも知れない――が、そんな背景をついさっき知らされたばかりの俺にとっては、混乱を招く衝撃展開でしかない。

 あまりと言えばあまりな光景に、思わず目の前が眩んでしまう。それでも姿勢が崩れないのは、後ろの親父が支えてくれているからだ。

 親父はあくまで母さんを信じろ、と言い、その行く末をただ静かに見つめている。横槍を入れさせまいと、俺の肩に力を込めながら。

 

 ――そうだ。どんな過去があろうと、俺と兄貴を育ててくれた母さんに違いないのなら……。

 

「母さん……」

 

 ぶつける先が見つからない拳を震わせて、俺は唇を噛み締めて救芽井を見守る。母の行いを、少しでも信じて。

 

 ――にしても、救芽井はよくさっきの椅子キックを見切ったな。俺があそこに居たら間違いなく一発貰うか、最低でも掠める程度のダメージは負っていたはず。少なくともそれくらい、母さんの攻撃は意外性に溢れた速攻だった。

 しかし救芽井は、母さんが実際に椅子を蹴る前に行動を起こしていた。まるで、先読みしていたかのように。

 ……そういや、去年にこっちに来るまでの間は、「救済の先駆者」としてギャングみたいな犯罪組織とも戦ったことがあったらしいが――やはり、否応なしに環境に「学ばされた」結果なのだろうか。

 

 だが、戦いの流れそのものは完全に仕掛けた側の母さんに傾いている。

 救芽井が振り上げた脚を下ろした瞬間には、滑り込むような突進の勢いを活かした母さんの連撃が始まっていたのだ。

 

 正拳突きからの回し蹴り――をかわすことを見越した、体全体を回転させてのヒールキック。それを避けられる事態をさらに先読みして放つ、胴回し回転蹴り。

 生半可な修練では到底体得できない、空手技の数々。空を切り裂くその轟音が、母さんの技の威力を物語っていた。

 それは、直に向き合って回避に徹している救芽井の方が強く実感していることだろう。今のところ一発も食らっていない彼女だったが、その表情は既に母さんに「吞まれて」いた。

 

「逃げていては、敵は倒せないわよ。救芽井エレクトロニクスのスーパーヒロインが、聞いて呆れるわ」

「あうっ……きゃあ!」

 

 救芽井とは対照的に、激しい動きをしていながら汗一つかいていない母さんは、彼女を更に呑み込むかのように痛烈な肘鉄を繰り出す。それをかわしきれなかった救芽井は、咄嗟に顔面を守るように両腕を構え――容赦無く吹き飛ばされた。

 壁に勢いよく叩きつけられた彼女の双丘が、その衝撃を伝えるように激しく揺れ動く。

 

「あら。立ち上がって来ないのね。まだ、あの子達の痛みの千分の一も味わっていないんじゃないかしら?」

「くっ……」

 

 両腕が痺れたのか、彼女の手は雷に打たれたように痙攣し、立ち上がろうとする膝もかくかくと笑っていた。

 ――気圧されているのだ。母さんの、有無を言わさぬ力を見せ付けられて。

 

「……ねぇ。救芽井さん。あなた、大切な人を失う痛み――知ってる?」

「えっ……?」

「私は、知ってる。知ってるのよ」

 

 救芽井の戦意が失われつつあるのを悟ったのか、母さんは構えを解くと、髪を掻き上げて彼女に背を向ける。その向きは俺達にとっても死角であり、母さんの表情は見えない。

 

「私はかつて、獄久美と呼ばれていた。チャイニーズマフィア……獄炎会(ユーヤンカイ)頭領の娘としてね」

「獄炎会っ……て、まさか!?」

「そう。あなたが二年前に壊滅させた、麻薬密売や人身売買で当時の香港を裏で牛耳っていたシンジケートよ。――もっとも、二十五年前に父の跡を継いで頭領になっていた私が抜けた時点で、組織としては既にボロボロだったわ。当時設立されたばかりで、まだ後ろ盾が弱かった『救芽井エレクトロニクス』の令嬢だったあなたを拐って、着鎧甲冑の利権を手に入れることで巻き返しを狙っていたようだけれど……見事に返り討ちに遭って一人残らずブタ箱行きになったらしいじゃない」

「……あの頃は、所詮十六歳の女だと侮られていましたから、その隙を突いただけで……そ、それより! どうして、あの獄炎会の人が……!」

 

 ウチの母さんが、かつて敵対していた組織の人間だった。その告白が余程堪えたのか、母さんを問い詰める救芽井の声色は、嘆きの色を濃く滲ませている。

 

「――私は生まれ落ちた瞬間から、穢れた人生を強いられていたわ。父も、己の醜さを自覚していながら、既に引き返せないところにまで来ていた」

「……」

「それでもあの人は、娘達にだけは少しでも真っ当な生き方をさせようとしていたのよ。私と二つ下の妹は、中学校に入学するまでは護衛も付けずに、ごく普通の子供として暮らせていたの。些細なことでいっぱい喧嘩もしたけど……楽しかったわ。そこを狙った敵対勢力に妹が誘拐されて――惨殺されるまでは」

「……ッ!」

 

 悲劇的な過去を、機械のように淡々と告げる母さんの姿に――救芽井の背筋が凍りつく。同様に、俺と矢村も緊張に肩を震わせた。

 

「か、母さん……」

「くく、久美さん、そんな過去が、あ、あったん……!?」

「……龍太。賀織君。しっかりと、見ていてあげてくれ。久美のことを」

 

 一方で、親父は緊張どころか母さんに労わるような眼差しを向けつつ、ただ静かにあの背中を見守っている。

 母さんの全てを、よく知っているのだろう。――当然か。夫婦なのだから。

 

「結局、私達は普通の女の子にはなれずじまいだった。普通になった振りをしていただけだったのよ。少なくとも、あの子を殺された時――私に見えていた現実は、それだけが全てだった」

「……お義母様……」

「それから三年間。私は妹の死が原因で病没した父に代わり、周りに言われるがまま、獄炎会の頭領となり――あの人に。龍拳に出会ったわ。彼が、私を取り巻いていた枷を――そんな枷に縋らなければ生きられなかった私自身を、打ちのめしてくれた。気持ちいいくらいに、こてんぱんに、ね」

「それで、日本へ……」

「そう。あの人は私を妻にするために一煉寺を捨て……この町に私を迎え入れてくれた。私は、やっと。やっと、普通を手に入れられたのよ。その証が亮ちゃんであり……太ぁちゃんだった」

「……龍太君、が」

「ええ。そうよ。あの子達の笑顔が。姿が。私に教えてくれた。私が一番欲しかった、幸せの形を」

 

 そこで、一度言葉を止めた母さんは、救芽井の方へ向き直り――かつてない、憤怒の形相を露にする。

 

「――それを粉々に踏みにじり、私の故郷よりも過酷な死地に、あの子達を引きずり込もうと言うのね。あなたは」

「……!」

 

「太ぁちゃんは、昔から思い込みが強くておっちょこちょいで――優しい子だった。だからこそ、人命を救うためというあなたの気高さに惹かれたのだと、私は思うの」

「えっ……?」

「素晴らしいことだと思うわ。自らの危険も顧みず、人々の命を助けるための技術を広めて行こうなんて。誰にでも出来ることじゃない……」

 

 母さんは怒りの表情のまま、救芽井を見下ろし――その顔に見合わない賛辞を送っている。親父は、既に母さんは救芽井を認めている、と言っていたが……?

 

「……だからこそ、そんなあなたが。清く優しい心を持ったあなたが! 普通のままで居て欲しかった太ぁちゃんを導いてしまったことが! 私は! たまらなく! 悔しいのよッ!」

「それがッ……!」

 

 刹那。

 

 ロビーの沈黙を破壊するかのように飛び出した、母さんのキックが。

 救芽井がさっきまでもたれ掛かっていた壁を粉砕する。

 

 そして、救芽井は――

 

「……あなたのお気持ちなのですね、お義母様!」

「その通りよ……あなたはッ――あの子の前で、美しくあり過ぎたッ!」

 

 ――母さんの頭上を飛び越えてキックをかわし、背後に回っていた。母さんもそれを察知していたらしく、即座に振り向いて追撃を再開している。

 一見、先程と同じ一方的な展開にも見えるが――流れは正反対だ。救芽井に、落ち着きが戻っている。

 母さんの本音を垣間見たことで、却って余裕を得ているのだ。

 

「は、はわわ……どないしよ龍太、このまんまやったら樋稟が……!」

 

「――いや、もう大丈夫さ。今の救芽井なら、母さんにも負けない!」

 

 狼狽える矢村は瞳を揺らして、母さんと救芽井を交互に見つめる。俺はその小さな肩を抱き、自分自身に言い聞かせるように――あのスーパーヒロインの勝利を宣言した。

 

 そして、その宣言に沿うかの如く。

 

「美しくなんかない! 私は、ワガママで自己中心的で! 下心もいっぱいで、お義母様の想いにも気づかなくて! そのくせ自分の正義を押し通す勇気もない! それでもッ――!」

「ちぃっ……!」

「――あの人の、今の願いを! あの人が、今やろうとしていることを! 支えることは出来る! 私だって、私だって――」

 

 背後に向かって放たれた後ろ回し蹴りを、翡翠の少女は……艶やかな肢体をしならせるように躱し。

 その勢いのままに、宙を舞う。

 

 まるで、曲芸。

 

 更に、滑らかなラインを描く白い脚は、重力を凌ぐ力に吸い寄せられるかのように天井へ向かい、一瞬のうちに彼女の体勢を反転させた。

 

 蒼い瞳が向かう先は――湧き出る激情を抑えきれず、唇を噛みしめる妙齢の仇敵。

 その一点だけを見下ろし、彼女は逆さの姿勢から全力で天井を蹴りつける。自らの身体を、母へぶつける砲弾として撃ち出すために。

 

「――龍太君がッ! 好きなんだからァァァッ!」

 

 そして彼女は、全ての想いを気勢に変えて。

 両手を十字に組む母に、全身全霊の飛び蹴りを放つ。

 

 それを受けた瞬間。

 

 母さんの頬を伝った一筋の雫を、俺は見逃さなかった。

 



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第194話 翡翠の少女と負けられない理由

 母さんの頬から顎へ伝わる雫は、重力に引かれ床へと落ちる。

 それはこの場で母さんがかいた初めての汗であり――焦燥の現れでもあった。

 

「……」

「――ッ!」

 

 しかし、焦っているのは母さんだけではない。

 

 意表を突いた渾身の飛び蹴り。タイミングも狙いも威力も、文句の付けようがない一撃だった。救芽井が平静を取り戻さなければ、到底成し得なかった攻撃だろう。

 

 だが、母さんはそれを防いで見せた。咄嗟に出した十時受けで、完全に。

 俺でさえ、防御が間に合うかどうかわからない。それほどの一瞬の中で、母さんは吹き飛ばされない姿勢を瞬時に整え、救芽井の一撃を凌ぐ体勢を完成させていたのだ。

 その証拠に――あの蹴りを真っ向から受けていながら、母さんは一歩も引き下がってはいない。救芽井は、絶対的な瞬間を押さえていながら、決定打を与えられなかったのだ。

 

 母さんは十時に組んだ腕の奥から、静かに救芽井を見つめている。息を殺し、獲物を狙う獣のように。

 一方、決着を付けるつもりで放った一撃を凌がれた救芽井は――脂汗を滴らせ、唇を噛み締めていた。

 

 これ以上ないチャンスを掴んでいながら、モノに出来なかった口惜しさ。ここから始まるであろう、苛烈な反撃への恐怖。

 渦巻く負の感情が、いたいけな勇気を振り絞った彼女を、容赦なく飲み込まんとしている……。

 

 救芽井なら、負けない。そう信じようとしていた俺でも、その状況の重さは読める。これはもう、劣勢という次元の話ではない。

 眠れる獅子を起こしてしまった。そう形容して差し支えない、絶望なのだ。

 俺は無意識のうちに拳を震わせ、矢村はより強く俺の腕を握り締める。

 その中でただ一人、親父だけは――いつもと寸分違わぬ冷静さで、この戦況を見つめていた。

 

 そして。

 石のように固まっていた母さんの身体に、動きが現れ――

 

「ひ……!」

 

 ――敗北を悟った救芽井が、短い悲鳴を上げかけた時。

 

「よく、逃げずに言い切ったわね。……補欠合格、ってことにしてあげる」

 

「……えっ!?」

 

 唐突に、この決闘は幕を下ろした。

 

 何が起きたのか。本当に、救芽井は認められたのか。

 俺達が目を見開いて見守る中で、母さんは先ほどまで迸らせていた殺気を一瞬のうちに消し去り――瞬く間に、元の「一煉寺久美」に戻っていた。

 格好を見なければ、ついさっきまで身も凍るような威圧感を放っていたとは思えない、「ごく普通の主婦」の表情。その激し過ぎる変わり身の速さが、俺達の混乱を誘う。

 

「合格……!? 私、認めて貰えたのですか!? お義母様ッ!」

「勘違いしないでちょうだい。補欠、と言ったでしょう? あの子の『友達』から『親友』にランクアップした程度よ。調子に乗らないで」

「え……あ、はい……」

 

 母さんの言葉の意味を汲み取った救芽井は、瞳を潤ませて真実を確かめようとする――が、一瞬にしてキツイ眼差しに戻った母さんに睨まれ、空気を抜かれた風船のようにしょげてしまった。

 だが、母さんの「合格」の一言に嘘がないことは、そんな彼女を暖かく見つめる瞳の色を見ればわかる。

 そこから僅かに滲む、穏やかさ。それを目の当たりにして、ようやく俺達は決闘の終わりを実感していた。緊張の糸が切れたように、矢村はため息をついて文字通り胸を撫で下ろしている。

 

「……わかっていたことよ。今のあの子を支えて上げることが、あなたの望みであり、役割でもあるということは、ね」

「そ、そんな……なら、どうしてこんな……」

「支えたいと願うことと、本当に支える覚悟があることとは、まるで違うものなのよ。あなたがこの程度の殺気で己を曲げるような女なら、あの子の側に置いておくわけには行かないの」

「お義母様……」

「正直に言えば、私は今でもあなたが嫌いよ。それでも、あの子が選んだ正しさはあなたの中にある。それがあの子の望みなら……私は、大切にしてあげたいのよ」

 

 俺の言った通りだったろう。

 そう表情で語る親父の眼差しが、自らの妻へ向かう時。

 母さんの掌が救芽井の頬へ迫る。

 

 救芽井はその動作に肩を竦めるが……それは平手打ちと呼ぶには、あまりにも穏やかで。優しい。

 かつては血に濡れることもあったはずの手は今、穢れを知らない肌を静かに撫でている。赤子をあやす母のように。

 

「だから、私はあなたに望む。あの子の気持ちを裏切らないためにも――必ず、件の姫君を救うことを。そして、あの子の願いを、叶えさせてくれることを」

「……!」

「この私に汗をかかせておいて、出来ないとは言わせないわよ。救芽井樋稟」

 

 穏やかな手つきとは裏腹に、放つ言葉は重い。しかし、その声色は決して救芽井を責め立てるようなものではなかった。

 むしろ、その背を押すように――鼓舞するように。勇ましくも、暖かく。

 

 彼女を、支えるように……。

 

「……はい! 必ず!」

 

 そして、その言葉を受けた救芽井もまた、火を付けられたかの如く気勢を高めている。

 ――俺の歪な願望を叶えるために、か。

 

 ああまで彼女に言わせておいて、俺がいつまでも手をこまねいているわけには……行かないだろう。それを間違いだと断じる人が、どれだけ居ようと。

 俺は、俺自身のためにも。俺を信じてくれる人のためにも。勝たなくちゃいけないんだ、俺は。

 

「……次は、俺の番だな」

 

 傍の矢村にも気づかれない程の小さな声で、俺は人知れず自分自身に戦いの時が近いことを告げる。戦いが避けられないところまで来ていることを、己に言い聞かせるために。

 

「さて。それじゃあ改めて、太ぁちゃんに今の気持ちを報告しておきなさい。こういうことは、当人同士が顔を付き合わせてやることよ」

 

「……え?」

「……へ?」

 

 その時。

 ピンポイントでこちらに視線を移す母さんが、思いがけないことを口走り――俺と救芽井は、同時に間抜けな声を上げる。

 

 そして、交わされる瞳。凍り付く空気。

 青ざめる俺の顔と、赤く染まる救芽井の顔。

 そんな、何とも申し上げにくいひと時を経て。

 

「りゅ……龍太君……!? い、いっ、いつから……!?」

「あー、うん。まぁ……『あなたがここへ呼ばれた意味、今さら考えるまでもないでしょうね。救芽井さん』……から、かな」

「――ッ! ほ、ほほっ……ほとんど最初からじゃないのッ!」

 

 恥じらいと怒りを迸らせて、救芽井は激情のままに叫ぶ。しかし、その途中で彼女は気づいてしまっていた。

 ほぼ最初から俺がいたことが、何を意味するのかを。

 

「と、とにかく。俺はお前の気持ちに応えるためにも、必ず茂さんとの決闘に――」

「いっ……いやぁぁぁあぁああーっ!」

 

 その事実に耐えきれなかったのか。彼女の告白に対する思いを打ち明けるよりも早く、翡翠の少女は疾風の如くロビーから逃走してしまった。

 

「え、ちょ、待てってオイ! 俺はッ! お前のためにもッ――痛っ!? なんでいきなり脇腹をつねるんですかね矢村さん!?」

「……言っとくけど! 先に告ったんは、アタシなんやからなっ! 樋稟を追いかけるためやからって、アタシをほったらかす理由にはならんけんなっ!」

「全く……ちょっとは骨があるかと思えば。これは、改めて調教する必要がありそうね。そうでしょ? あなた」

「そ、そう……だな……?」

 

 救芽井を追おうとする俺をつねる矢村。逃げ出す救芽井を、冷ややかに睨む母さん。そんな母さんにタジタジの親父。

 いつも通りの日常のようにも見えるこの景色も、そう遠くない内に終わりを迎えるのだろう。

 

 今この瞬間も俺を待ち構えているであろう、あの男の姿を脳裏に浮かべて――俺は窓の外から映る景色を見つめ、拳を握る。

 

 そうだ。負けられないんだ……俺は。

 



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第195話 褐色の少女と戦える理由

「明日……か」

 

 決闘前夜の空を見上げ、俺は窓の淵を握り締める。

 久々に帰り着いた我が家のベッドの上は、そこに込められた焦りを僅かに癒してくれるが……やはり、不安は拭えない。

 

 救芽井にああまで言わせたこと。四郷に過酷な訓練を強いている事実。久水先輩の、真っ向から俺に挑もうという、あの眼差し。

 そして、今だに百パーセントの力を出し得ない、この腑抜けた身体。

 

 自分自身の正しさも、強さも、全てが揺らごうとしている中で――時間だけがいたずらに過ぎてゆく。まるで、俺だけが時計の中から切り離されているかのように。

 

 きっと、長い間病院で眠り続けていたせいもあるのだろう。あのあと、意識のない兄貴に別れを告げた時も、家族三人で食卓を囲った時も。

 胸の内を蝕む孤独感から、逃れることは出来ないでいた。

 

 せっかくリラックスさせるための計らいとして、古我知さんに自宅まで帰して貰ったってのに――情けないったらないぜ。

 

 だが、それでも俺は勝たなくてはならない。今まで止められてきた時間を取り戻し、前に進むためにも。

 

「茂さん……待ってろよ……!」

 

 淵を握る手に、ますます力が入る。以前の俺なら、淵ごと握り潰しかねないような力み方だ。

 だが、淵には何の変化もない。何事もなく、ありのままにそこに存在している。

 その些細な現実さえも、今の俺には耐え難い光景になりうるのだ。もう俺には最年少資格者としての力すらないのだと、知らしめるかのようで……。

 

「……くそっ」

 

 例えどれだけ背中を押されようと、励ましの言葉を受けようと。実際に決闘の舞台に上がり、彼と戦うのは俺一人だ。

 そこから先の世界には、助けもなければ支えもない。全て、俺自身の力に懸っている。

 物理的に見れば、あまりにも不利。ジェリバン将軍との決闘の時のようには、絶対に行くまい。あの時よりも、今の俺は確実に劣っているのだから。

 

 そうであっても、勝とうという戦意を見失わずにいられるのは、救芽井や四郷――家族達みんなが、俺について来てくれているからだ。こんな俺を、見放さずにいてくれるからだ。

 

 そして、この世界に踏み込んでいく前から、ずっと俺の側に居てくれた彼女が……。

 

「……」

 

 振り返った先に飾られた時計の針は、夜の十時を過ぎていた。……まだ、あいつは起きてるだろうか。

 聞きたい。今だからこそ、あいつの声が。

 ……聞きたいんだ。

 

 悪いと思いつつも、気がつけば携帯に手が伸びている。普段なら思い留まりそうなところなのに。

 ボタンを押す指が、止まらない。気持ちが、止まらない。

 

『もしもし……龍太? どないしたん?』

「あ、えっと……よ、よぉ矢村」

 

 そうして何を話すかも思いつかないまま、気がつけば彼女の声が聞こえるところまで来てしまっていた。

 ……参ったな。それなのに、嬉しい気持ちが出て来てしまっている。手の震えも、いつの間にか止まっていた。

 

「なぁ、今……ちょっといいか」

『へっ? まぁええけど、明日は朝早いんやろ。大事な日なんやから、あんまり長話はしちゃいけんよ』

 

 今、矢村は厳重なセキュリティに護られた救芽井のマンションに仮入居している。四郷姉妹は別室だが、確か救芽井が同室だったはず。昼間、あんなことがあった彼女が近くにいるであろう状況の中で、こんな不純な動機で電話をしようとはな……。

 全くもって今更な話だが、ゲスい奴だな俺は。

 

「わかってる。ただ、お前の声が聞きたかっただけだから」

 

『え』

 

「あ」

 

 そんな時に電話を掛けていながら、気持ちに歯止めが効かない中で、思うままに喋りすぎてしまったせいなのか。

 あまりにもバカ正直で、歯が浮くような文言が飛び出してしまった。

 

「ん……えっと、今のはだな――」

『フニャァアァアアアァッ! フニュウウウゥッ!』

「――え、ちょ、なに!? 何事!?」

『な、なんなの!? どうしたのよ賀織っ!』

『りゅ、りゅりゅりゅ! 龍太がアタシのこと今すぐ抱きたいって! すぐに赤ちゃん作りたいってぇえぇぇえっ!』

『な、なな、なんですってぇぇえええぇ!?』

 

 さすがに照れくさかったので、もっともらしい理由を付け加えて誤魔化そうとしていた、俺の卑小な考えを吹き飛ばすかのように。

 矢村の強烈な絶叫と騒音が、電話の先から轟いて来た。皿が割れる音や本棚が倒れる音、救芽井の驚いた叫び。

 ありとあらゆる爆音がひしめき合う阿鼻叫喚の地獄絵図が、繰り広げられていた。

 

 ていうか矢村。俺はそんな下世話なことは口走っちゃいない。誤解を振りまくのはやめれ。

 

『龍太君! ちょっとそれ本当なの!?』

「誤解だ、誤解! 少し矢村に用があるだけだよ。夜中に脅かして悪かったな」

『べ、別にあなたが気にすることじゃないけど……じゃあ、本当は何て?』

「矢村の声が、聞きたかった。それだけだ」

『……聞きたいのは私じゃ、ないんだ』

「お前からは、昼間に元気を貰い過ぎちまったからな。これ以上お前の声を聞いてたら、お前に甘ったれて腑抜けになっちまう」

『も、もう……ばか! ……甘えても、いいんだからね。代わるわよ』

「あぁ」

 

 今は、俺と電話越しに話すのも恥ずかしいのか。

 矢村から強引に代わり、電話の向こうから俺に詰め寄ってきた救芽井は、昼間のことを触れられた途端、露骨に声を上ずらせて引っ込んでしまった。ちょっと可哀想だった……かな。

 

 そこから数秒の時を経て、気を取り直した俺は再び矢村に話しかけて行く。あの声を、もっと聞きたいから。

 

「矢村ぁ? おーい、大丈夫かよ」

『んにゅっ! だっ、だだ、大丈夫やで! どどど、どしたんや?』

「いや……なんだろうな。ただ声が聞きたかっただけなのに。今は、お礼が言いたい」

『おっ、お礼?』

「うん。お礼だ」

 

 この夜の闇の中で、不安に押し潰されそうになって。そうはなるまい、と半ば強引に意気込んで。

 それでも、恐れから逃げられなくなりそうだった時。気がつけば、俺は彼女の名を呼んでいた。

 

 そして、いざ声を聞いてみれば。

 耳をつんざくような騒がしい彼女が、いつもと変わらない雰囲気を纏って、いつものようにハレンチなことを口走っていた。

 今は、それすらも愛おしい。

 

 変わらないでいてくれる彼女と、その在り方が。それを大切にしたいと、俺を願わせるのだ。

 

『ア……アタシは別に、何もお礼なんて言われるようなことはしとらんよ。樋稟も鮎子もすごいことやってきとるし、梢先輩やってホンマはあんたが心配やからこんなことしとるんやろうし……。アタシは今も昔も変わらんまんまで、何の役にも――』

「変わらないで居てくれることに、だよ」

『――えっ? か、変わらん、こと?』

「そ。俺がどうなっても、周りがどんなに変わっても。お前はずっと、昔のままだ。昔みたいに口うるさくて騒がしくて、ちんちくりんで。……こんな時でも、電話に出てくれるくらい優しくてさ」

 

 不安な気持ちを、彼女の普段通りの姿にほぐされたからか。いつも

なら最後の砦となるはずの心のブレーキが、まるで仕事をしてくれない。

 

「もうっ! ちんちくりんは余計――」

 

『そんなお前がずっと好きだったから。お前の前でカッコつけたかったから、俺は今まで戦い抜いてこれたんだと思うんだ』

 

 そしていつからか。俺は、ブレーキを踏もうとする気持ちさえ、彼女に溶かされていたようだった。

 

『えっ……』

「だから、これからもきっと大丈夫。お前なら、そう思わせてくれるから。この先も、そうありたいんだよ、俺は」

『あ、や、う、うそ、アタシ、アタシは……!』

 

 ――それ見たことか。ブレーキを踏まなかったばかりに、慌てさせちまってよ。いちいち人を困らせることに余念がない男だな、俺は。

 

 まぁ、いい。言うだけ言ってスッキリした方が、明日の決闘のモチベーションになるってものだ。

 夜の闇に、自業自得で赤くなった顔が隠れているうちに――言いたい放題、言わせてもらうとしよう。

 

「矢村。お前は、俺のやることには反対か?」

『ん、んなわけないやんっ! アタシは、あんたがしたいことの邪魔なんて出来ん! アタシには、あんたをちょっとでも励ますことしか……やれそうなことも、ないんやから』

「だったら。俺は、お前のためにも勝つよ。おかげで、決心もついた」

『ひぅ……!?』

 

 矢村はさらに上ずった声でひっくり返ったような音を立てるが、電話の向こうからは嬉しそうな声が立て続けに漏れ出していた。

 ここまで来ておいて、やっぱ負けました。なんてことになった日にゃ、身体が完全になってラドロイバーが無事に捕まっても、一生着鎧甲冑には触れられなくなっちまうな。

 

 ま、勝てばいい話だ。

 

 ……って、我ながら現金なもんだよな。さっきはあれだけ決闘を怖がってたってのに。

 今は勝てる気しか、しないなんてよ。

 

「じゃ、お前の言うとおり明日は早いんだし。もう寝るわ」

『えぇえっ!? ちょ、ちょっと待っ――!』

「お休み。俺がぞっこんな、矢村賀織」

 

 明日どんな顔で会えばいいのか。そんなことはまるで考えていない、どストレートな告白の嵐。

 面と向かっているわけでもなく、つかは殺されるかも知れない今でしか、到底言えない台詞だっただろう。

 

 だが、これでいい。

 これくらい無茶苦茶に負けられない理由を作っとかなきゃ、現実の状況に呑まれ、戦う前から勝敗が決まっていた。

 

 瞼を閉じると――照れた褐色少女の愛らしい笑顔がふわりと浮かび、消えてゆく。

 

「……いい夢、見れっかな」

 

 決闘前夜の空を見上げて、俺は窓の淵を静かに撫でる。淵に触れる手に、震えはない。

 そして、まどろみに意識を任せる中で――俺はようやく。笑うことができた。

 



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第196話 落涙と決意

 京都へ向かう救芽井エレクトロニクスのヘリは、けたたましいローター音を立てて、病院前の広場へ着陸しようとしている。

 目にも留まらぬ速さで回転するローターは風の波紋を呼び、広場の芝生を波打たせていた。俺と、未だに眠ったままの兄貴を看ている両親以外のほとんどの人が、そのヘリの出迎えに向かっている。

 

 病室の窓からもよく見えるその光景が、決戦の日の到来を証明している。そう、あの空の方舟で、俺は京都へ行くんだ。

 ……歪んだ正義を、通すために。

 

「いよいよ、だね。龍太君」

「……だな」

 

 俺の背後から、透き通るような声が響く。振り返った先に見える救芽井の顔は、いつになく落ち着いているようにも見えた。

 母さんとの決闘を経たからなのか、憑き物が取れたかのような清々しさ。最早、俺が死にかけた時に右往左往していた時のような弱々しさは微塵も見られない。

 

「大丈夫だよ。梢先輩の言うことだって、正しいと思うし……私達の方が間違ってることだっていうのも、事実だとは思うの」

「救芽井……」

「――でも、正しさだけじゃ助からない命はある。それは、一年前にあなたが教えてくれたことでしょ」

「……一年前、か。思えば、あの頃からいい顔はされてなかったっけな、俺は」

「普通のヒーローであって欲しかった人は、みんなそうだよ。瀧上凱樹と戦うことも、助けることも、本当は望まれなかったんだから。でも、そんな歪なあなただから、鮎子は生き延びることが出来たのよ。あなただから、鮎子だって……命を、預けられるのよ」

 

 そう言って彼女は、綺麗に畳まれた服を差し出してくる。赤い鉢巻のようなものも見えるが……なんだ、この既視感は。

 

「これは?」

「景気付けだよ。前のユニフォームはもう、ボロボロになっちゃったし……私がデザインし直したんだ。お父様に倣って、龍太君っぽいのにしたから、かっこよさは保証するね」

「……保証はともかく、気持ちはありがたく受け取っとく」

 

 救芽井がわざわざ作ってくれたという、新ユニフォーム。確かに、決闘前の景気付けには丁度いいかも知れない。

 ……が、なかなか俺はその服に手を伸ばすことが出来ないでいた。

 

 今の俺に、「選んだ」俺に、これを着る資格があるのだろうか。

 

「でも、それで十分なんだ。だって、俺は――」

「――賀織を選んだのだから、受け取れない……って?」

「……!」

 

 だが。

 その胸中は、既に知れていたようだ。心の先まで見透かすような微笑みと、細まった蒼い眼差しに射抜かれ、俺の体温が高まって行く。

 

「わかるわよ、あなたのように鈍くはないもの。真っ赤な顔で呆然と夜空を眺めてたあの娘の顔を見れば、何を話してたかなんてわからないわけないじゃない。今日だって、どんな顔して会いに行けばいいかわからないって感じだったし」

 

 呆れるようにため息をつき、腕を組んでたわわな胸を寄せ上げる。もし歳の近い姉がいたら、こんな具合だったのだろうか……。

 

「それがあなたなりのケジメなのかも知れないけど、私に言わせればそれは間違いよ、龍太君」

「な、なに?」

 

 その時、救芽井の瞳に――今まで見たことのないような、強い炎が宿る。

 仇敵を刺し貫く、大槍のように。どこまでも真っ直ぐな眼光が、俺の視界に突き刺さる。

 

「勘違いしないで。私は、龍太君に振り向いて欲しくて、これを渡しているわけじゃないのよ。何があっても、私達が臨んだ正義を貫いて欲しいから――これを託すの。あなたが誰を選んだとしても、支え続けるって……私は、ずっと決めてたんだから」

「救芽井……」

「鮎子だって、そうよ。あなたが選んだ結果を叶えたいから、戦うことを望んだの」

 

 さらに彼女は、手にした新ユニフォームを俺の胸に押し付けながら……畳み掛けるように声を張り上げる。

 

「……あなたが命より大切にしている矜恃を捨てさせてでも生きていて欲しいのなら、私達だって向こう側に居たわ! 私達は、どんな未来が待っていたとしても、あなたがあなたらしく生きることを望んでる! だからあなたに付いた! 二段着鎧に手を染めることも、賀織を選んだことも、そのあなたが決めたことなら、私達が止める理由はないのよ!」

「……」

「バカの癖に! 筆記ギリギリのおバカの癖に! それらしい言葉で取り繕うのはやめて! 本当にケジメを付けたいのなら、あなたらしく行動で示してよ! 好きな娘も、助けたい人も、皆救って見せてよ! そのために尽くせることを、尽くしてよ! 使えるものはとことん使って、ボロボロになるまで使い潰しなさいよ! でなきゃ、あなたを信じてる人も……私達も……みんなみんな、惨めじゃない……ッ! 悲しい、だけじゃない……」

 

 だが荒れ狂う嵐が、やがて過ぎ去り静けさが戻るように。彼女の叫びも、徐々にその勢いを失いつつあった。

 声にならない悲鳴と涙を、押し殺して。新ユニフォームごと、自分の顔を俺の胸元に擦り付けて。

 

 ――ここに来て、ようやく気づかされた……ような気がする。自分が、どれ程の罪を背負っているのか。どれ程、彼女を傷つけていたのか。

 正直、償えばどうにかなる次元の過ちではない。彼女の言う通り、どう言葉で取り繕っても意味はないのだろう。

 彼女の涙は、もう――零れてしまったのだから。

 

「――わかった。ありがとう、救芽井」

「……」

「これ以上グチグチ御託を並べるのは、やめだ。遅過ぎたかも知れない答えだけど、お前が見せた言葉も涙も、無駄遣いにはしない。絶対に勝って、ダウゥ姫を救う。助けたい人を助ける。俺にできるケジメの付け方は、土下座以外にはそれだけだ」

「……よかった。昔の顔だよ、龍太君」

「昔?」

 

 小首を傾げた俺を見上げる、蒼い瞳は――痛ましく腫れてはいるものの、その辛さを感じさせてはいなかった。痛み以上の喜び。その感情が、眼差しの奥から、滲んでいる。

 

「初めて会った時の、バカで単細胞で変態だった時の、あなただよ。迷いも悩みもない、真っ直ぐな眼……」

「はは、全力で貶すか褒めるか、どっちかにしてくれよ」

 

 俺にぶつけたい言葉を、一通り出し尽くしたからか……彼女の表情にも、少しずつだが元気が戻り始めている。もうじき、元通りの落ち着きを取り戻すことだろう。

 

「じゃあ、私……先に皆のところに行ってるから。……さっきの言葉、忘れないでね!」

「――ああ。絶対だ!」

 

 そして救芽井は強引に涙を袖で拭うと、踵を返して病室を出て行く。その直前に一度だけ振り返り、満面の笑顔を浮かべて。

 

「さて……俺も、さっさと着替えて行くとすっか」

 

 次いで、俺も救芽井がいなくなってすぐに、貰った新ユニフォームを広げて着替えを始める。デザインは最早諦めたも同然だが、そこは救芽井に注入された気合で補って――

 

「……ぐっ、ひぐ、ぅう、あ、あああぁっ……!」

「……」

 

 ――そう。補えばいい。彼女の、殺し切れなかった泣き声を、ほんの一瞬でも聞いてしまえば……デザインがどうの、なんて言う気はたちどころに失せてしまう。

 

 彼女を苦しめたのは、泣かせたのは、他ならない俺自身。だからこそ、俺は俺に出来るやり方で。

 

「……ありがとう、救芽井樋稟。そして、ごめんな」

 

 報いなければならないんだ。あの声に。瞳に。涙に。

 

 そのためにも。

 

「勝つ。……絶対だ!」

 

 絞り出した唸り声と共に、俺は赤い鉢巻を握り締めた。

 



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第197話 言葉よりもシンプルに

 救芽井に渡された新ユニフォームは、以前のダサかっこいい赤一色のものとはカラーリングが異っていた。

 上下共に、燃え上がるような炎柄と黒を基調にしており、「救済の超機龍」のイメージをより強調した色遣いになっている。……親父の趣味に染まった救芽井が仕立てたんだ、そらこうなるわな。

 

 それでも、黒い皮グローブを嵌めて赤い鉢巻を締めてみると、案外イケてるようにも思えてくる。染まってるのは俺も同じらしい。

 とにかく、着替えは完了した。俺は右手首の腕輪を確かめると、病室を後にする。

 

 そして、ヘリが待機している病院外へ向かう道中。

 兄貴が眠る病室に、通りがかった。

 

「……」

 

 この扉の向こうでは、兄貴は親父と母さんに見守られながら静かに眠っている。きっと扉を開けば、親父達は暖かい言葉を与えてくれるに違いない。それは間違いなく、俺の背を押す力となるだらう。

 

 ――だが、今の俺にそれを求める資格はない。一途に想ってくれていた彼女も、敵対してでも俺の命を救おうとしているあの先輩も、みんな切り捨てて戦いの中へ飛び込もうとしている、今の俺には。

 

「……ごめん。勝手ばかりで」

 

 だけど。

 そんな正しいとは言い難い道でも。俺が、自分で選んだ道だから。

 引き返すわけには行かないから。

 

 これ以上、家族の優しさに身を委ねはしない。俺は一度だけ、家族のいる部屋に視線を映し――踵を返す。

 

 ――もう、俺は子供じゃないから。守られるほど、弱くはならないから。

 

 ――だから、見ていてくれ。俺を、ヒーローとしての俺自身を。

 

 ――ここからは、俺の正念場だ。

 

 階段を下り、廊下を渡り、ロビーを抜けて。病院の外へ歩み出た俺を、仲間達が出迎える。

 

「来たね、龍太君。準備はいい?」

「……ああ。見た目通りバッチリだ」

「らしいね。……ここまで来たら、もう僕が何かを言うのは野暮だろう。あとは、君の好きにするといい」

「心配いらねぇよ。俺は絶対、タダでは死なねぇから」

 

 最初に声を掛けてきたのは、古我知さんだった。俺達はすれ違い様に、互いの裏拳をぶつけ合う。

 相容れないところはあるだろうが――俺達はきっと、それだけじゃないはずだ。

 

「一煉寺君。ダスカリアンの未来と王女様の

命、君に預けたぞ」

「わかってる。お膳立ては十分してもらってんだ、ここで負けたら格好つかねぇ」

「うむ。存分に君の力を振るいなさい。後始末は、我々に任せてもらう」

 

 次いで、グローブを外して伊葉さんと握手を交わす。長い償いの人生を生きたシワだらけの手の感触が、俺に託された願いの重さを物語っているようだった。

 

「『超機龍の鉄馬』のプログラミングは八割方完了したわ。ここまでさせといて負けました、なんてことになったらただじゃおかないわよ」

「百も承知だそんなこと。キッチリ勝って、あんたの妹もあのやんちゃ姫も、全員守り抜く。これは決定事項だ」

「ふふ……その強引さ、ますます凱樹にそっくりね。いいわ、ひとまずあなたに賭けてあげる。あと、なかなか悪くないわね、その服」

「あんたのセンスも大概だな」

 

 鮎美先生は妖しく笑うと、研究機材を載せたヘリに乗り込む。決闘に勝った場合、すぐに俺のデータを取って最終調整に臨まなければならないため、彼女と四郷も同行することになっていた。

 

 そんな姉の後ろ姿を、四郷は憂いを帯びた眼差しで見つめている。

 

「……先輩」

「そんな不安そうな顔すんなって。……俺は絶対、負けやしないから――」

「……そんなの、わかりきってる。……先輩が、一番大切にしてる人も」

「――ッ!」

 

 だが、その紅い瞳が俺に向かう時。既に彼女の眼は強い決意の色を湛えていた。

 白い頬を、僅かに染めて。四郷のつぶらな瞳が、真っ直ぐに俺を見上げている。

 

「お姉ちゃんだって、苦しかったはずなのに。梢だって、本当は辛いのに。それでも、ボク達のことを想ってくれている。だからボク達も、それに応えるべきだと思うの」

「四郷……」

「だから、あなたの一番じゃなくてもいい。端っこでも構わない。先輩にとっての、大切な仲間の一人でさえいられるなら……ボクは、きっとこの痛みだって乗り越えていける。そうして初めて、先輩と一緒に戦う資格を持てるんだって、今はそう信じてる」

 

「……」

「……年上のお姉さんに、ここまで言わせたんだから。先輩だって、絶対に勝たなきゃダメ。いい?」

「――ああ、了解だ」

 

 その紅い瞳からは――とめどなく彼女の想いが、溢れ出ていた。両手を胸にあて、その雫を隠そうと俯く彼女は今、救芽井と同じ「痛み」と戦っている。

 それを「資格」などと言われてしまっては、いよいよ負けられなくなっちまうな。

 

 溢れ続ける感情の渦を拭い、姉に続いてヘリに乗り込んでいくその姿を見送り、俺は踵を返す。

 この町を出る前に、言うべきことは言わなきゃ――な。

 

 振り返った先には、瞳を腫らした翡翠の少女と……俺が想うと決めた、褐色の少女がいた。

 

「……」

「……」

 

 俺はまず、このユニフォームをくれた翡翠の少女――救芽井樋稟に視線を移すが、彼女は黙してなにも語らない。

 しかし温もりを滲ませるその微笑みは、言葉以上に強い想いを俺に伝えている。どんな言葉よりも、暖かく、力強く。

 

 ――行ってらっしゃい。負けないでね、私のヒーロー。

 

 ――任せとけよ、俺の憧れ。

 

 伝わる。声にならない意思が、声以上に。

 二人の間に言葉はいらない、とは、こういうことを言うのだろうか。

 

 それでも、やはり矢村に対して思うところはあったのか――ほんの一瞬だけ、ためらうようにこちらを見つめてから、彼女は他の皆と一緒にヘリから離れていく。

 ローターが巻き起こす風に、僅かな雫を乗せて。

 

 ――ありがとう、救芽井。

 

 そして、最後に。

 

 俺の眼差しは褐色の少女――矢村賀織へ向かう。

 俺と彼女の瞳が交わる瞬間、矢村のくりっとした眼は見開かれ、その顔は真っ赤に染まっていた。かつて口付けを交わした唇はキュッと縮こまり、緊張している様子を伺わせている。

 

 いつからなのだろう。このちんちくりんな昔馴染みを、愛おしいと思ったのは。

 

 思えば、初めて会って間もない頃から、俺は彼女との時間を楽しんでいた。

 それに彼女の近くにいたいと思わなければ、彼女を巡った喧嘩などしなかったはずだ。あの頃の俺は、拳法のけの字にも触れていなかったのだから。

 

 俺が救芽井と出会い、レスキューヒーローとしての活動を初めて、彼女と二人で居る時間がなくなってきて初めて、それを実感出来た、ということなのだろう。我ながら、贅沢なことをしていたものだ。

 

 だが、気づいてしまえば。想いが繋がっているのなら。もう、やることは一つ。

 

 惚れた女なら、落とすまで。

 他の誰にも、渡しはしない。

 

「――矢村」

「あ、りゅ、龍太! あ、あんな、アタシも、龍太のこと、応援しとるから! ずっと、待っとるけん! や、やけん、この決闘が終わって、ダスカリアンが平和んなったら、あ、アタシと――」

 

 あらかじめ用意していたと思しき言葉を、噛みながらまくし立てる矢村。俺はそんな彼女の前に立つと、その小さな顎をクイッと持ち上げる。

 

 語彙のない俺には、上流階級お得意の美辞麗句など無理だ。それよりもっと、俺らしいシンプルなやり方がある。

 ……一年前の、お返しだ。

 

「んっ……!? ん、う……うぅんッ……」

 

 熱く、深く。俺は、矢村の唇を奪う。この少女の胸中を、塗り潰すように。自分からキスするのは初めてだが――効果は、あるにはあったようだ。

 

 初めこそ矢村は強く俺の両腕を掴んで抵抗していたが、程なくしてその勢いも失速し……最後は自分から求めるように、俺の背を抱き締めていた。

 

 二度目の口付けとなるこの瞬間から、約三十秒。俺達の唇は、糸を引いて名残惜しむように離れる。

 既に矢村の表情は、かつてない程に桃色に染まり、蕩け切っている。

 

 ……あとは、シンプルに要件を伝えるだけだ。

 

「――結婚してくれ」

 

「……は、い……」

 

 その瞬間。

 俺は、彼女に誓う。

 

 この妻に相応しい、全てを救える怪物的ヒーローになる、と。

 

 ……さて。

 

 そのためにも、あの姫騎士を納得させられるだけの強さを見せなくちゃな。

 

 ――悪いが、勝ちは貰ってくぜ。茂さん。



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第198話 京都の兄妹

 陰りの色を滲ませる灰色の空。風に煽られ、幾重もの音を奏でる森の木々。

 人の心を映すように澄み渡り、せせらぎを響かせる河川。

 

 その景色を見下ろす俺を乗せ、ヘリは京都の空を舞う。

 

 ラドロイバーとの抗争に参加せんとする俺の意思が、久水兄妹に届くか否かは、この先に待ち受ける一戦に掛かっている。

 勝ったとしても、後ろ指を差される未来しかないかも知れない。希望など、望めないのかも知れない。

 ……しかし、それでも俺は進まねばならないんだ。

 

「――見えたわよ。あれが、久水家の本家ね」

「……!」

 

 森と川を抜けた先――古き良き文化を遺した街から、遠く離れたこの山奥。そこに、目指すべき場所がある。

 その想像を越えた光景に、俺は思わず息を飲んだ。

 

 五千坪はあろうかという広大な敷地に築かれた、古城のような木造の屋敷。森に囲まれているが故に、そこだけが時代の流れから切り離されているかのようにも感じられる。

 これが、久水家の本家……。あの二人の、実家、なのか……。

 

「怖気付いた?」

「まさか。それより、件のシステムは間に合いそうなのか?」

「……鮎子の訓練はかなり順調よ。あなたにフラれると分かっていても、シンクロ能率は着実に伸ばしてる。それでも、あくまであなたの『データ』に合わせられるようになった、ってだけだけどね。そういう机上の空論が通じなさそうなあなたに、今のあの子がどこまで合わせられるか……」

 

 鮎美先生は腕を組んで豊満な胸を寄せ上げつつ、ヘリの中でコンピュータに向かい、シミュレーションに臨み続けている妹に視線を移す。

 その小柄な淑女の赤い眼差しは、心なしか病院で訓練していた時以上に煌めいているようであった。――まるで、何かが吹っ切れたかのように。

 

「……ま、当人達が決めたことだもの。姉の私がグチグチ言うつもりはないわ」

「ああ、ありがとうよ」

「けど、あの娘は他の聞き分け良い子ちゃんとは訳が違うわよ。あなたの命を救うために、あなたと敵対することさえ厭わなかったのだから」

「……そうだな」

「誰かを選んだ以上、選ばれなかった子にはきちんとケジメをつけておくこと。それが出来ない男に、モテる資格はないわよ」

「わかってるさ。それくらいはハッキリさせなきゃ、矢村にフラれちまう」

 

 ……そうだ。問題は、茂さんとの決闘に勝つことだけじゃない。梢先輩の気持ちとも、決着を付けなくてはならないのだ。

 この戦いは、俺自身のケジメのためにも、避けて通ることはできない。例えあの二人にどのような罵声を浴びせられようとも、俺は俺の気持ちを通さなきゃならないんだ。

 

「さ、そろそろ降下するわよ。鮎子、いい?」

「……了解。先輩」

「うん?」

「……大丈夫、だからね」

 

 降下準備を姉に促され、四郷はコンピュータを畳んでその場を離れていく。その途中、ぎこちない笑みを俺に見せながら。

 ……俺の都合でフラれて、その上でエゴに付き合わされて。それでも、俺を励まそうってのか。それで、あんたは……!

 

「さて、次は私が降りる番ね。……負けんじゃ、ないわよ」

「……ああ」

 

 ヘリから吊るされたハシゴを伝い、訓練用コンピュータを背負う四郷が地面へ降りて行く。そんな妹に続くように、研究機材を背負った鮎美先生もハシゴに足を掛けるのだが……その背は、焚きつけるように俺を励ましていた。

 こんな俺でも、助けようとしている。勝たせようとしている。姉妹揃って、割に合わないことをしやがる……!

 

「……勝つさ。絶対に、勝つ」

 

 そう、誓いながら。俺は姉妹の後を追う。

 今はただ、戦うことだけを考えていよう。それこそが四郷姉妹の激励への、せめてもの報いになると信じて。

 

 ――そうして、久水家の正門に広がる石垣の広場へ降り立った俺達を、静かに出迎えるように……一人の男が、その姿を現した。

 

「――よく来たな」

 

「――ああ。遊びに、とは言えん用事だがな」

 

 獰猛に、それでいて狡猾に、獲物を狙うように細められた鋭い瞳。日の光を浴びて、まばゆく輝くスキンヘッド。百八十センチを悠に超える長身。

 ――そして、黒の袴姿の上からでも分かる、鍛え抜かれた浅黒い筋肉。

 

 この男こそ久水財閥現当主にして、俺に次ぐ着鎧甲冑所有資格の最年少保持者、久水茂なのだ。

 

「……久水、茂……!」

「どういう風の吹き回しかは知らないけど――今日の彼、今までとは別人のような眼をしてるわね」

 

 普段は西洋趣味にかぶれ、さながら英国紳士のような格好をすることの方が多い彼だが、今は本家である京都に身を置いているためか、いつもの姿からは想像もつかない和服に身を包んでいた。

 

「随分と、イカした格好じゃないか」

「貴様こそ、随分と似合う格好になったものだ。その衣が纏う炎、世の理から外れた狂龍には丁度いい」

 

 とにかく、あんな好戦的な面構えで出て来たからには、のんびり話し合う気は向こうも持ち合わせてはいないと見ていい。

 彼がご執心なはずの鮎美先生が近くにいるってのに、そっちには目もくれない有様だし――すぐにでも、俺と彼の一騎打ちが始まりそうな予感だ。

 

 ……すると、その時。

 

「あら、二人とも穏やかではありませんわね。そのような血の気の多さでは、どちらが勝ってもこの屋敷の敷居は跨がせられなくってよ?」

 

 女の色香と、静けさを滲ませる柔らかな声が、緊迫した久水家の入口に響き渡る。

 声色そのものは聞き慣れたものであるが、その穏やかな口調と佇まいは、まるで別の何かがとり憑いたのかと思う程の変わりようであった。

 

「その声、梢ちゃ……んっ!?」

「……こず、え……?」

 

 それから僅か数秒の間を置いて、兄に続くように和服を纏う久水梢が姿を見せた――のだが。

 その姿を認めた瞬間、四郷姉妹は思わず目を見開き、固まってしまっていた。それは、俺も同様である。

 

「梢、先輩……?」

 

「――龍太様。あなたの『ケジメ』など、何の意味もありませんわ。ワタクシは、ワタクシの思うままに生きておりますもの。これまでも……これからも」

 

 当然と言えば、当然だろう。

 あの水流のような長髪が、久水梢の茶色い髪が、バッサリと切り落とされていたのだから。

 



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第199話 茶番劇の始まり

「こ、梢……」

「……さ、こちらざます鮎子。鮎美先生も、どうぞこちらへ」

「……えぇ、失礼するわ。――その髪も、似合ってるわね」

「――ありがとうございます」

 

 短く切り揃えられた久水先輩の髪が、風に流され僅かに揺れる。その姿を遮るように、茂さんは一歩ずつこちらへ踏み込んでくる。

 ――右腕に、黄金の輝きを放つ腕輪を携えて。

 

 一方、久水先輩は俺を一瞥すると、四郷姉妹の方へと声を掛けていた。当然といえば当然だが、随分と素っ気なくなってしまったもんだ。

 

「入院している間の貴様のことは、こちらで一通り調べてある。貴様が、とうとう一人に決めたこともな」

「……そうか。報告が省けて助かる。決闘が済めば、その件であんたに謝らなけりゃならないだろうが――」

「――必要ない。梢がいかに貴様を想おうと、全ては互いの心次第。貴様は梢を選ばなかった。それだけの話だ」

 

 そして、茂さんは刺し貫くような眼光を一寸の狂いもなく――ただ真っ直ぐに、俺に叩きつけている。

 言葉遣いこそ穏やかだが、その眼の色は滾る戦意を隠そうともしていない。

 

「オレが許せないのは、そんなことではない」

 

 ……「オレ」、だと? 今までの茂さんじゃない……。

 これが、今目の前にいる男の、素顔だとでも言うのか……?

 

「誰よりも強く。それゆえに、誰よりも正しくあらねばならない貴様が。よりにもよって、あの『新人類の身体』の残骸に縋り、鮎子君を地獄に叩き落とそうとしていること。それだけは、何を置いても許すわけには、いかんのだ」

「――その業を背負わなければ、ダスカリアンとあの王女が滅ぶとしてもか」

「その通りだ。確かに貴様が手をこまねいていれば、あの国は滅ぶ。だが、あの国を見捨ててでも貴様が生きねば――貴様にしか救えぬ別の未来が、破滅を迎えるだろう」

 

 茂さんは言葉を紡ぎながら、決闘の間合いまで足を踏み込んで行く。

 そして、林から吹き抜ける一つの風が過ぎ去り――また一つ、言葉が流れ出る。

 

「今の貴様は、瀧上凱樹と何ら変わらぬ。目の前にある全てを救うために、己の中にある人間の心さえ、捨て去ろうとしている。本末転倒という言葉が、これほど似合う男はいまい」

「あんたの言うことは、もっともだ。間違いなく、俺は狂ってるだろうよ。間違ってるだろうよ。だがな、その正しさだけじゃ、あの国は救われないんだ。瀧上凱樹の犯した罪を、精算することさえ叶わないんだよ。俺が普通のヒーローとして生き延びることで、救われる命があるとあんたは言うが――俺にとっては、そんなあるかないかわからない未来よりも、目の前にある現実の中で苦しんでる人間の方が、何倍も大切なんだ」

 

 脳裏に、ダウゥ姫の姿が過る。

 茂さんの知らない、ただの女の子としての彼女の姿が。決して、犠牲にしてはいけない少女の姿が。

 

「その大切な人のために、貴様は鮎子君を修羅道の道連れにするというのか」

「四郷には、辛い思いをさせるだろう。恨まれもするだろう。それでも俺はやらなきゃならない。そのために戦って死ぬなら、諦めもつく」

「――いい加減に、目を覚ませ。いかな『救済の超機龍』といえど、所詮は人の手で造られたカラクリの鎧に過ぎん。万人を救える、都合のいい神にはなれんのだぞ」

「だったら、演じ切るまでだ。都合のいい神、って奴をな。そのためなら、人間だって辞められる」

 

 そんなところにまで踏み込んだ俺さえ、支えると言った矢村や救芽井のためにも、ここで立ち止まるわけには行かない。

 テコでも動かない俺の姿勢を前に、向かい合う茂さんと、奥の入り口で見守る久水先輩は、見定めるように目を細めた。

 

「……呆れましたわ。人の話も聞かないで、もう決闘を始めるつもりですわね」

「お姉ちゃん、先輩は長旅で疲れてるはずじゃ……」

「――そのはずだけど、あそこまで言っといて今更止まるとは思えないわね。どっちも単細胞の大馬鹿だわ」

 

 久水先輩にエスコートされ、彼女の隣に移動した四郷姉妹は、固唾を呑んでこちらを見つめている。

 

「太陽に近づき過ぎた英雄は、得てして翼をもがれるもの。ここで引き返さねば、貴様も地に堕とされるぞ」

「上等。なら、その太陽とやらもブチ抜いてやるまでだ」

「――やはり、決心は固いか。ならば、仕方あるまい」

 

 そして、強硬な姿勢を崩さない俺を前に、茂さんは一歩だけ下がると――右手に巻かれた黄金の「腕輪型着鎧装置」を構える。

 アレが、例の「二号ヒーロー」って奴だな……!

 

「力なき正義は無力であり、正義なき力は暴力。少林寺拳法の理にもある言葉だ、貴様も知っていよう」

「……?」

「そう、正義は力によって守られ、力は正義によって秩序を得る。力がなければ、その正義は他の正義に蹂躙され、悪と見なされ破滅するのだ」

 

 茂さんの構えに応じてこちらも臨戦態勢に入るが、向こうは戦う気配を見せずに、諭すように語りかけてくる。

 

「それは、法整備が敷かれた現代においても変わらない。救芽井エレクトロニクスが正義を勝ち取り、軍事利用の魔の手から逃れられたのは、国連という力の傘に守られていたがために起きた奇跡に過ぎないのだ。それがなければ、救芽井甲侍郎はとうに暗殺され、着鎧甲冑の技術は戦闘用装甲服に成り果てていた。力が、正義を守ったのだよ」

「何が言いたい?」

「正義を成すのも壊すのも、結局は力次第、ということだ。松霧町に巣食う悪を力で粉砕した瀧上凱樹が、正義として認められていたように――貴様もまた、オレを屠ることで己の正義を証明しようとしている」

「妙なことを言う。それは、あんたも同じことだろうが」

 

「そうだ。どのような御託を並べようが、結局は強い者が正しい。この世界はそのように造られている。そんな世界に生まれ育ったオレ達が、その理から逃れることは永遠に不可能なのだよ――!」

 

「――ッ!」

 

 強い者こそが正しく、その真理からは逃れられない。そう言い切って見せた茂さんの眼に、一瞬にして炎が宿る。

 

 そこから迸る猛烈な殺気に突き動かされるように、俺も赤い腕輪を翳し――互いの身を、稲妻が覆い隠してしまった。

 

「だから――」

 

 そして、稲妻が作る煙が晴れる頃。

 「救済の超機龍」の鎧を纏った俺の眼前に、金色のヒーローが現れる。

 

 全身を覆う黄金のスーツ。各関節や胸板を守る、真紅の装甲。「龍」と刻まれた、和の鉄兜。

 そして、右手に握られた琥珀色の小銃。

 

「――なッ!?」

 

 「救済の龍勇者」の名残など、微塵も残していないその姿に、俺は思わず息を飲む。

 

「――あくまで己の正義を貫くというならば、力を以て通せ。貴様の矛が『救済の超機龍』ならば、オレの矛はこの『龍を統べる者(タツノオウ)』だ」

 

 そんな俺に畳み掛けるように、茂さんは威風堂々と構えたまま、決闘の開始を宣言するのだった。

 

「ついに、始まったのね……全く、二人ともせっかちなんだから……!」

「先輩、負けないで……!」

 

 そして、この決闘を見守る女性陣の一人が――

 

「このままじゃ敷居は跨がせないって、言ったのに……。男はみんなそう、女の気持ちなんで、これっぽっちも知らないで……愚者同士の、茶番だわ……こんな戦い……」

 

 ――拗ねるように、それでいて切なげに独りごちていたことを、俺達は知る由もなかったのだ。

 



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第200話 雷の銃剣

 ――「龍を統べる者」、か。大層な名前を付けやがる。

 つまり、俺の名を使った全ての着鎧甲冑の上に立つ鎧ってことかよ。茂さんらしいな。

 

 だが……あの琥珀色の小銃が気になる。あれが久水先輩の云う新型装備って奴か?

 

「随分ゴテゴテした矛だな。そんなんでまともに動き回れるのかよ?」

「直に戦えば、その余裕も一瞬で消し飛ぶ」

 

 俺の挑発も意に介さず、茂さんはただ静かにこちらを見据え、出方を伺っていた。

 やはり違う。一年前の時とは、根本から。

 

 フェンシングの構えによる軽快なステップもない。それどころか、腰に提げた電磁警棒を抜いてもいない。

 まるで別人と対峙しているかのように錯覚してしまう。今の彼が纏う気迫は、フェンサーの色ではない。

 むしろ――俺に近い、日本の武術家の色だ。

 

「……」

「……来るか」

 

 茂さんを中心にして円を描くように、俺はすり足でその場から移動する。足音を立てることなく、地の上をゆっくりと、滑るように。

 ――そして、茂さんがこちらに合わせて体の向きを変える、直前。

 

「……ホワチャアアアアッ!」

 

 俺の軸足に眠る獅子が、眼前の敵に牙を剥く。

 地面をえぐるように蹴り飛ばし、俺の身体は一気に黄金の兜に飛びかかった。

 

 ――反応する隙も与えず、速攻で脳に飛び蹴りを決めてやる。それで倒れるタマじゃないだろうが、ダメージはあるはず。

 手の内を見せる気がないってんなら、その気になる前に畳み掛けてや――!?

 

「ぬるいッ!」

「――ッ!?」

 

 膝から先が――蹴り足が、上がらない。

 

 止められたのだ。小銃で、蹴り足を出すための膝を。

 

「……は、やッ……!?」

 

 しかも茂さんは俺の蹴りを止めるために、今の一瞬でこちらの間合いに踏み込み、膝を押さえ込んで蹴りを止められる距離まで接近していた。

 反応出来なかったのは、俺の方。茂さんの移動速度は、俺の見立てを遥かに上回っていたのだ。

 

「オレの分析力を見誤っていたらしいな。直に戦った貴様の強さを、オレが忘れるはずがなかろう」

 

 そして茂さんは小銃を振り上げ、銃床の一撃で俺を弾き飛ばす。

 

「ぐっ!」

「貴様こそ、人の心配の前に己の身体を気遣うことだな」

「――ッ!」

 

 さらに間髪入れず石畳の上を転がる俺を狙い、茂さんは小銃を構え――発砲した。

 咄嗟に真横へ跳んで躱した俺の視界を、鋭利な針とワイヤーが横切って行く。

 そして、地面に当たり跳ね返った針は吸い寄せられるように、銃口の中へと引き返して行った。

 

 ……アレは、まさか……。

 

「貴様も不殺を掲げた戦士の一人だ。テイザーガンというものを知っているだろう」

「二十世紀に開発され、アメリカ警察や裁判官が所持していたとされるスタンガンの一種か……。ワイヤーに繋がれた針の弾丸を突き刺し、電気ショックで対象の動きを止める非殺傷兵器……」

「左様。これはその機構を元に開発された、より優れた弾速と射程距離を誇る『テイザーライフル』。次世代のG型にロールアウトされる、着鎧甲冑に許された新たな矛だ」

 

 やはり、スタンガンの派生系だったか。G型とはいえ、甲侍郎さんが着鎧甲冑の装備に小銃を取り入れるなんてただ事じゃない、とは思っていたが……。

 ……そうまでして、俺を止めたいのか。あなたは。

 

「確かに当たれば、痛いじゃ済まない新装備だな。――だがッ!」

 

 二射目の銃口がこちらに向けられた瞬間、俺は曲線のような軌道を描いて茂さんに肉迫する。

 茂さんはじっくりと狙う時間を省き、腰だめの姿勢から発砲するが、そんな闇雲な射撃に当たってやるつもりはない。

 そして、射出された針が銃口に戻る前に、俺は拳が届く間合いにまで踏み込んだ。

 

「俺に言わせりゃ無用の長物だッ!」

「――その無用の長物に手こずっているうちは、一生掛っても真打は破れん」

「……ッ!?」

 

 次の策が飛び出す前に力でねじ伏せる。その一心で打ち出した拳の前に、一瞬で引き抜かれた電磁警棒が現われた。

 近づき過ぎて相手の全体像が見えない位置に居たとはいえ――いくらなんでも、速すぎる。まるで居合抜刀術だ。

 

「クッ……!」

「むうッ!」

 

 とにかく、電磁警棒に拳を当てて感電するわけには行かない。俺は条件反射で拳の軌道を捻じ曲げ、電磁警棒を握る金色の手の甲に当てた。

 一方、向こうにとってもこの一発は軽いものではなかったらしく、苦悶の声を漏らしながら数歩引き下がっていた。

 

「一進一退……と言いたいところだけど、やはり茂君が優勢ね。龍太君の怪我のこともあるけど、同等以上の性能を持った着鎧甲冑を得たのが大きいわ。しかも、完全に使いこなしている……」

「先輩……ボクは……それでも、先輩を……」

「馬鹿よ……馬鹿だわ……。死んだら、死んだら何にもならないのに。悲しいだけなのに……」

 

 ギャラリーにも緊張が走る。特に久水先輩は見ていられない、と言わんばかりの苦悶の表情だ。

 ……彼女には悪いが、こうなった以上は引き下がることは出来ない。今俺にできるのは、一秒でも早くこの決闘を終わらせることだけだ。

 

「さっさと、片を付けるぞ」

「それを貴様が言うのか。もはや戦える身でない、貴様が」

 

 茂さんの声色に、僅かな怒気が灯る。そして彼の右手に握られた小銃が、銃口を下に向けて静止した。

 次いで、左手に握られた電磁警棒が銃口の下部に向かい――ガチリ、と何かが嵌る音を立てる。

 

 その音と共に、茂さんは小銃を振り上げ――そこに装着された電磁警棒を太陽に翳す。

 これは……銃剣?

 

「『電磁銃剣サムライダイト』。我々の茶番は、ここからだ」

「……フェンサーとは思えないチョイスだな。そんな妙な得物、ちゃんと扱えるのか」

「フェンシングなら、封印した」

「なに?」

 

 茂さんは淡々と言葉を並べ、静かに切っ先をこちらへ向ける。

 これは――慣れない武器の構え方じゃない。隙が、見えない。

 

「言ったはずだ。貴様の強さは、よく知っていると。こだわりも浪漫も何もかも捨て去り、古臭いと嫌ってきた家伝の武術に縋ってでも強くならなければ、オレは貴様には敵わない」

「家伝の、武術……?」

「その代償を払った先に勝利があるなら――貴様の無事を望む梢が喜ぶなら、オレはこの銃剣を選ぶ。オレ自身が望んでいた、西洋の剣よりもな」

「……そうかい。だったら先輩のためにも、さっさと俺を仕留めるこった。強さを証明しなきゃ自分の正義を通せないと言ったのは、あんたの方――」

 

 言い終える暇もなく。

 

 俺の眉間を、電磁警棒が捉えていた。

 

「……ッ!?」

「貴様に、言われるまでもない」

 

 間一髪、頭を右に躱して命拾いした俺の顔面に、今度は銃床が弧を描いて襲い掛かる。

 回避は間に合わない。本能でそう察した俺は、無意識に十字に構えた両腕で受け――吹き飛ばされた。

 

「うぐあっ……!」

 

 石畳の上を跳ね、ダウンを取られる。しかし、寝転がっていてはテイザーライフルの餌食。

 俺は追撃を警戒し、息を荒げながら素早く体勢を立て直す。向こうは、一寸の乱れもなく静かに構え直していた。

 

 ――なんなんだ、この速さは。これは「龍を統べる者」の性能だけじゃないぞ……!

 

「久水流銃剣術。シベリア出兵に参加していた時の当主、久水忍(ひさみずしのぶ)が大正時代に編み出した古流武術だ。代々、久水家当主の護身の技として受け継がれている。もっとも、オレの好みじゃないがな」

 

 ……何が好みじゃない、だ。

 手が付けられないくらい極めた動きしやがって……!

 



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第201話 久水流の爪と牙

 ――随分と手強くなったもんだ。「龍を統べる者」の性能にサムライダイトという新装備、そして久水流銃剣術……。

 久水先輩が楽には勝てんと太鼓判を押したのも納得の強さだ。なるほど、確かにこれは楽勝とは行かない。

 

 だが、付け入る隙はあるはずだ。

 

 銃剣は接近戦において、槍に近しい性能を持ってはいるものの……長槍ほどのリーチがあるわけではなく、得物としての高い効果を発揮する部分は剣の辺りに限られている。

 

 あのテイザーライフルの懐に踏み込み、取り付けられた電磁警棒さえ躱せれば……!

 

「――電磁警棒もテイザーガンも知っていながら、丸腰で相対することに全く抵抗がなく、怖気付く気配もない、か。オレの見立て通り、相も変わらず痛みを恐れぬ男だ」

「痛みは怖いさ。怖いなら、当たらなけりゃいい」

「オレの攻撃全てを躱し、その拳で打ち抜く算段があるということか。いいだろう、見せてもらうぞ」

 

 油断も慢心もなく。茂さんはただ悠然とサムライダイトを構え、俺の出方にいつでも対応できるような臨戦態勢を整えていた。

 ――寸分の隙も見逃さないし見せない。って言いたげな構えだな。澄んだ水みたいな眼、してやがる。

 

 だが、俺にも負けられない理由はある。ここであんたを抜かなきゃ、ダスカリアンは救われない。ダウゥ姫も、見殺しにしちまうんだ。

 そんな未来を呼ばないためにも――あんたを、討つ。

 

 軸足となる足を前方に構え、そこに全体重を掛ける。一瞬で相手に接近する、必殺の体勢。

 それを前にしてなお、茂さんは姿勢を崩すことなく――穏やかささえ感じさせる佇まいで、勝負の瞬間を待っている。

 

 言葉が途切れ、互いの動作が完全に静止し、風の音ばかりが響く頃。

 誰もが息を殺し、静寂がこの世界を包む頃。

 

 一枚の深緑の葉が、林から吹き抜けるそよ風に運ばれ、俺達の間へ流れ出る。

 

 ひらひらと左右に揺れ、石畳に吸い寄せられるかのように、地に落ちて行く。

 ――この葉が地面に届けば、揺れることもなくなる。命を失った人間が、動かなくなるように。

 

 一年前のあの日。鮎美先生に見せられたダスカリアンの惨事が蘇る。

 あの悪夢が……ああなってはならないという焦りが、俺をここへ誘った。

 

 だから、俺は――

 

「……ァァァアアアチャアアァアァッ!」

 

 ――葉が大地に伏せる時、地を蹴るのだ。眼前に立ちはだかる障壁を、打ち破るために。

 

「この愚か者がァァァッ!」

 

 茂さんの怒号と共に、テイザーライフルの針がこめかみを掠め、左の角を貫いて行く。酸素タンクが破かれ、空気が猛烈に吹き出し――その勢いに流されるように、俺の進路は軌道を変えた。

 

 ――こんな動き、あんたは見たことないだろう。狂った予測に思考が追い付く前に、ブチのめす!

 

 変則的な動きで間合いに踏み込んだ俺に向け、茂さんは咄嗟にサムライダイトを構える。だが、そんな見え透いた攻撃手段で俺を止めることはッ……!?

 

「久水流銃剣術、蛇流撃(じゃりゅうげき)ッ!」

 

 銃剣のリーチを測るため、持ち手から切っ先にかけての銃身全体を見ていた俺に、衝撃が走る。

 銃剣の状態で突き込んで来ると思わせておいて――あっさりと、銃身から電磁警棒を切り離しやがったのだ。

 銃身から外れた電磁警棒は、当然ながら銃身とは違う軌道で動く。銃剣という一括りに気を取られ、銃身も電磁警棒も同じ軌道を描くだろうと見ていた俺を、欺くように。

 

 切り離された電磁警棒は、しなる鞭のようにうねりを上げ、俺の顔面を狙う。

 確かに意表は突かれたが――その程度の小手先でどうにかなる俺じゃないぜ。

 

 最小限の動きで首をひねり、電磁警棒を躱す。これで奴の攻撃は品切れ、今こそ反撃――!?

 

「……シュッ!」

 

 茂さんが息を吹く瞬間。

 躱された電磁警棒が、攻撃の軌道をさらに転換させる。

 

 紙一重で躱された刺突から、さらに水平への薙ぎ払いに繋げてきたのだ。さながら、獲物を追う蛇のように。

 

「ぐっ……!」

 

 さらなる焦燥が、俺から余裕を奪い去って行く。なまじ「紙一重」で最初の刺突を避けてしまったがために、二撃目の薙ぎ払いへの反応が出遅れてしまったのだ。

 

 咄嗟に伏せる俺の頭上を、青白い電光が掠めていく。読みがあと一瞬、ほんの一瞬遅れていたなら、この時既に脳を打ち抜かれ意識を失っていた。

 

 ――見事に俺の予想を超える連撃。さすが、勝つ気満々で向かってきただけのことはある。正直、全て避け切れたのは運と言っていい。

 さぁ、あとはその技の数々に敬意を表して、無防備な顔面に手痛いしっぺ返しをお見舞いしてやるだけだ。

 

 俺は地に伏せた体勢から、バネのように身体を打ち出す。そして、下からえぐりこむように拳を放ち――

 

「ぐぼあッ……!?」

 

「久水流銃剣術――虎流撃(こりゅうげき)

 

 ――電磁警棒とは逆の手で持たれていた銃身の端……つまり銃床で、無防備な頬を横薙ぎに打ち据えられていた。

 

 完全に意識の外にあった、反対の手に持たれた得物による挟撃。その真打を受け、俺の身体は石畳の上へ投げ出されて行った。

 

「貴様の算段と読み、見事であった。だが、蛇の牙からいかに逃れようとも、虎の爪を躱すことは出来ぬ。真に守るべき者を、守るべき正義を見失った、貴様にはな」

 



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第202話 茶番の本番

 ……な、んだ。今の、一発は。

 

 俺の意表を完全に突くように――計算し尽くされた、銃床の一撃。あれを、直情的なフェンサーだった茂さんがやったというのか。

 

「三日月――顎の側面に当たる人間の急所を突いた。貴様なら、わかるだろう。そこを攻める一撃を受けてしまえば、立ち上がることさえ困難になると」

 

 今までとは、根幹の精神から違う戦い方。その現実を改めて、実感させる攻撃だった。

 それを悟るには……遅すぎたのかも知れないが。

 

 だが、まだ終わりではない。……終わりになど、させるものか。

 

「……そんな、人間様の理屈。怪物まがいに当てはめるんじゃねえ」

「……一寸の狂いもなかったはず。完全な直撃だった。にもかかわらず――立ち上がるか、化物め」

 

 震える足に幾度となく拳を打ちつける。頭の痺れを忘れるように。手の痛みだけで、他の感覚全てを塗り潰すように。

 

「……!」

 

 自分でもわかるほどの、この常軌を逸した行動を繰り返す俺を目の当たりにして、女性陣は戦慄の表情を浮かべる。

 本来、女の子に見せるようなものじゃあるまいが――ここは戦地だ。男も、女もない。一蓮托生の相棒を前に、猫を被る必要もないだろう。

 そして、その暴挙をただひたすらに繰り返し――足元が血溜まりを作る頃。俺は、更に紅く染め上げた拳を翳し、完全に立ち上がる。

 これが、人間をやめるってことだ。救えるものを救うために、人間の壁さえ越えんとする意思の証なんだ。

 

「どのような痛みに苦しもうと、己は曲げられぬ。それが貴様の答えか」

「……ハァッ、ハッ……」

「――しかし如何に精神が肉体を凌駕しようとも、その肉体が機能を失えば全て無に帰する。ダスカリアンを守らんと立ち上がった兵士達が、あの巨人に蹂躙されたようにな」

 

 そんな俺を冷徹に見下ろし、茂さんは淡々と言葉を紡ぐ。俺の為すこと、全てが無駄であると諭すかのように。

 

「貴様はそのダスカリアンの民草と平和を守るため、と宣うが――その身と心を突き動かしている原動力は、そんな曖昧な大義名分ではなかろう」

「……!」

「言えぬか。当然だな。所詮、何もかも貴様のわがままから生まれた戦いでしかないのだから」

 

 ……大義名分、だと。何を言うつもりだ、こいつは。

 

「言えぬというなら、それでもいい。オレが代わりに言ってやろう」

「……な、に」

「貴様は矢村賀織を好いている。故に、その面影を持ったダスカリアンの王女にその姿を重ね――見捨てられなくなったのだ」

 

 面影……? ダウゥ姫と、矢村が……。

 

「だが、そんな貴様のわがままに付き合わせるためだけに、鮎子君に『新人類の身体』に立ち戻ることを強いるのは忍びなかった。だから貴様はダスカリアンの民草という体のいい大義名分を持ち出して、彼女の顔を立てようとしたのだ。……気づいていたのだよ、梢はな」

「……!」

 

 茂さんの言及に反応し、俺は咄嗟に視線を女性陣に映す。

 久水先輩はただ苦々しい表情で、俺をじっと見つめていた。……もう見ていられない、と言いたげに。

 

「男が命を張る理由など、そんなものだ。だから貴様も、プロポーズしてまであの娘を手に入れようとしたのだろう。今の自分の生き方では、長くは持たないとわかりきっていたのだから」

「……ッ!」

「オレも、鮎美さんに汚れ役をさせたくない、という下心から貴様に挑んでいる。だからそれが悪いことだとは思わん。だが、そんな理由で動く男が『怪物』であるはずがない。常人よりは遥かに強くとも、その壁を破るには至らぬ。『救済の超機龍』が貴様の兄のようなオーバーヒートを起こしていないのが、その証だ」

「……だ、まれ……!」

「まだドス黒い悪夢の中にいるのなら、オレが覚ましてやる。いいか、貴様は怪物などではない。怪物になろうと足掻いているだけの人間。そんな貴様を動かす理由など、女一人で充分だ」

 

 好き放題に言いたいことを言いながら、茂さんはじりじりと間合いを詰めてくる。既にフラフラな俺を前にしているというのに、その構えには一片の慢心も感じられない。

 実際のダメージ以上にフラついて油断を誘うつもりでいたが――こりゃあ、読まれてるな。

 なら、実力で制圧するしかない。俺の胸中に土足で上がり込んでくるこの男を、黙らせるために。

 

「――どこまでも、周りに信を置かぬ男だ。四郷姉妹も、梢も、樋稟も……そして恐らくは矢村賀織も。皆、貴様が振りかざすわがまま故にその身を救われ、それ故に貴様を慕っている。そんな彼女達が、貴様の本音を知ったところで想いを揺るがすはずもないというのに」

「……にが……てんだ……!」

 

 その今にも噴き上がらんと燻る激情を、さらに焚き付けるように。茂さんは挑発を重ね――刺突の間合いに入る。

 俺も防御を無視した攻撃の構えを取るが……さっきの一撃もあり、足元がふらつく。

 

 だが、負けられない。これはラドロイバーやダスカリアンがどうこうじゃなくて――単純で野蛮で、ある意味最も俺らしい怒り。

 ――こいつが、気に入らない。その奥底から流れ出る本音という激情の奔流が、俺の全てとなっていた。

 

 そして――

 

「……よく知りもしない小国などをダシにくだらん御託を並べおってッ! 人を本気で動かしたいのなら、貴様も本音を語らんかァァァァッ!」

「あんたに……なにが、わかるってんだァァァァッ!」

 

 ――大義名分も何も無い。ただムカつくという理由だけの、一騎打ちに発展する。

 ダスカリアンの命運を分ける決闘なんて、格好のいいものじゃない。

 

 こんなもの、ただの茶番だ。

 



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第203話 雄の性

 突き出される稲妻の銃剣。

 その唸る切っ先から、さらに奥へ踏み込み――電磁警棒の柄に当たる部分へ、拳を伸ばす。そして、下から突き上げるように拳を打ち出し……弾く。

 

「むうッ!」

「銃剣の主要な戦術は刺突! こうして踏み込めば突きは打てず、さっきのような切り離しも間に合わんッ!」

「ぬかせぇッ! 突きと切るのみが銃剣ではない! もう一度この銃床を味わってみるかッ!」

 

 その崩しを見越して、茂さんは突き上げられた弾みを転用し、上方へ回る銃剣の流れを活かして銃床をぶつけてくる。下方から迫る琥珀の鎚が、風を切り裂き轟音を上げた。

 ――が、そんな手にいつまでも引っかかる俺ではない。今度はその銃床の一撃、こちらが利用させてもらう。

 

「とオッ!」

「……んぬッ!?」

 

 銃床が弧を描き、俺の顎に向かい始めるよりも速く――俺の足裏が、その鎚に触れる。そして銃床が打ち出すその衝撃は「期待」以上の効果を発揮し、俺の身体を遥か上空へと打ち上げるのだった。

 

「……とッ……!」

「飛んだ!? だけど、あれじゃ……!」

「真上に飛んで重力を利用したところで、迎撃されたら意味がない……。しかも、お兄様は既に位置を把握している。あれではただの的でしかなくてよ、龍太様……!」

 

 女性陣は俺の判断に驚いているようだが……すぐに俺が置かれている状況に気づいたようだ。

 確かに、ただ高く飛んで真上を取ったくらいでは、優位になど立てはしない。現に、茂さんはもう俺を発見し、銃剣を構えている。

 このまま落下の勢いを活かして攻撃を仕掛けようにも、その前に電磁警棒の一閃を浴びてしまえばダウンは必至。なにしろ、こちらは人工内臓で生かされている半死人なのだから。

 

「万策尽きたな、一煉寺龍太。銃床の一撃を恐れる余り、空中に飛んで難を逃れたつもりだろうが――真上に上がってしまっては、ただの動かぬ獲物も同然」

「――獲物はどっちか、じきにわかるさ。あんたの方こそ、さっさとそこから離れた方がいいんじゃないか?」

「戯れ言を……と、言いたいところではあるが。貴様のことだ、迎撃を浴びて刺し違えようとも、オレを殴り倒すつもりだろう。……せっかくの真剣勝負なんだ。せめて一瞬でその意識、刈り取ってやる」

 

 茂さんは寸分たりとも俺から目を離さずに、静かに銃剣を構え――待ち構える。俺の身体も重力に引き寄せられるように、その瞬間へ向けて動き始めていた。

 勝負は一瞬、チャンスは一度。この一閃で、茂さんの急所に手痛い一発を叩き込み――この決闘に終止符を打ってやる。

 

 そうだ。矢村のためにも、俺は、絶対に……!

 

「――勝つ!」

 

 大気の壁を突き抜け、空間を破るように。俺の赤い身体は、眼前の強敵へ吸い寄せられて行く。茂さんも決着の一瞬に備え、銃剣の狙いを定めていた。

 そして――俺が腰を捻り、右の拳を突き出した瞬間。トリガーに、指が触れる。

 

「終わりだッ!」

 

 絶対に外さぬよう、ギリギリまで引きつけて。テイザーライフルの麻酔針が、俺の眉間へ撃ち放たれた。

 突き出された拳とすれ違い、俺の頭に向かって鋭利な弾丸が伸びていく。刹那の世界で、今まさに勝負が決しようとしていた。

 

 ――だが、こんな針一本でこの戦いを終わらせるつもりはない。まだ、俺は何もしちゃいないんだから!

 

「……トワチャアッ!」

「――なっ、に!?」

 

 そう。この瞬間、彼の意表を突くために、俺はわざわざ先に右拳を突き出していたのだから。

 

 テイザーライフルの麻酔針は俺の額に突き刺さるよりも早く、俺の左手で弾かれていたのだ。正しくは、俺の左手に握られていた――電磁警棒で。

 

 今まで自分の電磁警棒を戦いで使ったことがなかった俺にとっては、ほとんど賭けに近い戦法。

 だが、あの電磁銃剣に立ち向かうには電撃を凌げる同質の「防具」が必要なのだ。不意を突くために、わざわざフェイント用の右拳を突き出した甲斐はあったらしい。

 

 とにかく、テイザーライフルの麻酔針はかわせた。あとはライフルに取り付けられた電撃警棒さえ防げば、拳で叩きのめすのみ。電磁警棒の扱いで劣る俺がこの勝負を制するには、その分野での技能差が露呈する前に決着を付けるしかない!

 

「貴様がッ、電磁警棒とはッ……!」

 

 ――読み通り。茂さんは今まで一度も電磁警棒を使ってこなかった俺の不意打ちに動揺している。あとはこの隙と落下の勢いを利用して、一気に畳み掛けるのみ。

 

「あんたの迎撃を受けるくらいなら――ポリシーなんざ捨ててやる」

 

 左から右へなぎ払い、麻酔針を弾いた姿勢から、さらに反対方向へ電磁警棒を振り抜く。その一閃を受け、迎撃のために突き出された茂さんの銃剣は、左方向へ弾かれてしまった。

 ここまで来れば、もうこの禿げた石頭を守る得物は何も無い。墜落の勢いに身を委ね、赤い鉄槌を下す。

 

「終わりだ――トワァァアアッ!」

「ぬぅ、ん……アァアァアアッ!」

 

 そして。為す術もない茂さんの眉間に、俺の拳が激突し――全てが終わる。

 

 終わる。

 はずだった。

 

 最後の力を振り絞って、茂さんが第三の迎撃を仕掛けて来ることさえなければ。

 

「ごはァッ!」

「う……が、ああッ!」

 

 互いにのたうちまわり、地に伏せる。狙い通りに拳は入ったが、想定以上の反撃を受けてしまった。刺し違えられたのは、こちらの方らしい。

 

 ……頭に、電磁警棒を受けたようだ。視界が、歪んでいる。目眩が、止まらない。

 だが……はっきりと、覚えている。

 あれは――久水流銃剣術、蛇流撃。

 

 俺が拳を茂さんの急所に叩き込む、あの刹那。片手だけでライフルから電磁警棒を切り離した茂さんは、俺がやったように弾かれた反動をバネにして、反対方向へ電磁警棒を薙ぎ払ったのだ。

 俺に裏をかかれていながら、さらにその裏を瞬時にかいてきやがった。……どうやら、技量の差はあの一瞬で暴かれちまったらしい。

 

 ……ま、いいさ。どのみちその分野で勝てるとは思っちゃいない。結局俺の拳は入ったんだから御の字さ。

 あとはもう一度立ち上がって、勝利宣言でもすりゃあ、それで終わ……り?

 

 あ、あれ。参ったな。

 うまく、立てねぇや。

 

「……ぐ」

 

 向こうも、手痛い一発を食らってグロッキーだってのに。相打ちじゃあ、意味ねぇってのに。

 

 ちくしょう。これじゃあ、約束はどうなるんだよ。矢村はどうなるんだ。ダウゥ姫はどうなるんだ。

 俺が守りたいものは――どうなっちまうんだよッ!

 

「うっ……ぐ、おおおッ、ああッ……!」

「ん……むぅ、ぬぅぅうぅ、オオォッ!」

 

 己の身から、滾る血を絞り出すように。

 俺達は、もう一度立ち上がる。

 

「や、むら……!」

「あゆ、み、さん……!」

 

 呼んだのは、女の名前。

 俺達の中にある雄を突き動かす、理由の全てだった。

 

 そして、その原動力が命ずるままに。

 動くはずのない身体を引きずり、再び俺達は向かい合う。

 

「負けられない、んだ……!」

「ま、け、られぬッ……!」

 もう、どれほど攻撃を入れればいいとか。どう立ち回ればいいとか。そんなことを考えていられる余力はなさそうだ。

 だが、これだけは間違いない。

 

 最後まで、意識を保ってさえいれば。

 生きてさえいれば、俺の勝利は揺るがないのだ。

 

 生きなければ……そう、生きて、戦わなくては。

 

 ……けど、変だ。

 今まで、俺は人間を辞めるつもりで……心から「怪物」になる気で、戦ってきた。

 そうでなくては、誰も救えない。兄貴の傷を見た時からは、より強くそう思えたから。

 

 ――それなのに。

 

「……?」

 

 そんなことを望める身分じゃないのに。

 

 死にたくない、と思ってしまう。

 

 そんな自分を、心のどこかに感じていた。

 

 俺は、「怪物」には……なれなかった……?

 



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第204話 茶番劇の終幕

 俺の胸中に芽生える、戸惑い。

 自分にあるはずのない――あってはならないはずの、恐れ。生への執着。

 それら全ての淀みが波を立て、渦となり、俺の歩みを妨げていた。

 

「ハ、ハァ、ハァッ……!」

「ゼエ、ゼエェッ……!」

 

 そんな俺を射抜くように、足元がおぼつかないままの茂さんは静かにこちらを見据える。今の俺が考えていることの全てを、見透かしているかのように。

 

(……随分と、人間臭いものだな。怪物だなんだと宣いながら、結局は死ぬのが怖いのか)

(……ぬかせ。あんたこそ、どうなんだ)

(怖い。だからこそ、戦うのだ。目の前にある恐怖を乗り越え、安らぎを掴み取るために)

 

 臆面もなく、茂さんは己の立ち姿のみでそう語り――サムライダイトの銃身を握り締める。眉間の急所に全力の鉄槌を受けた今、立っているのがやっとのはずだが……その仮面の奥に燻る瞳は、まだ戦いを投げ出してはいない。

 やはり、この男は完膚なきまでに叩きのめす必要があるらしい。生半可な攻めでは、あの身体を支える力を打ち崩すことは叶わないままだ。

 

 一歩。また一歩と、俺達は互いに踏み込んで行く。呼吸もままならず、手足も震え、視界もぼやけていく中で――ただ一つ残された真実のみが、この身を突き動かしていた。

 

 まだ、負けたわけではないのだと。

 

(貴様とて、もう限界に達しておる、はず。ここで、終わりにしてもいいのではないか)

(――残念だが、そういうわけにも行かねぇ。引けないところまで、来ちまったんだから……よッ!?)

 

 だが――そんな俺の意地さえも、踏みにじるように。

 膝から力を失い、崩れ落ちた俺の足元に――紅い花が咲く。

 

「先輩ッ!」

「龍太君……!」

「……龍太、様……」

 

 その瞬間を目の当たりにして、女性陣にも動揺が広がる。さすがに流血沙汰は、キツい……か、はは。

 

 ――まぁ、わかっていたことだ。

 人工臓器で辛うじて生かされている程度であり、本来なら今も病院で療養を受けているはずのこの身体を引きずれば、いずれはこうなると。

 どうやら、あの強烈な二発の打撃が随分効いたらしい。思っていたよりシャレにならない量の血が、俺の口から溢れ出してくる。

 

 その流れが止まる頃には……随分とだだっ広い、血の池が出来てしまっていた。

 ヤバい状態。それは誰が見ても明らかであり、俺から見ても、すぐに決闘を中止しなくてはならない頃合いだと思う。

 

 ――こんな時でさえなければ、だが。

 

(……いつだって、貴様はそうだ。己の流す血も恐れず、貴様を案ずる周りの苦悩など、気にも留めず。そうして掴んだ勝利に、何の意味がある。誰が心から喜べる。そんな生き方は、他人の不幸を自分一人に掻き集めるだけの、愚かな姿しか生まんのだぞ)

(構わない、さ。そうしなきゃ救われない命だってある。これで死んじまったなら、俺はそこまでだったってことさ)

(そうか――なら、オレが殺してやる。そうすれば、身の程を知るだろう?)

(……上等)

 

 俺の吐血など、お構いなしに。

 満身創痍のまま、俺達は相対する。

 

 膝をつき、震えたままの俺を、黄金の鉄人はただ冷ややかに見つめている。その手に、銃身から切り離した電磁警棒を握り締めて。

 四郷姉妹が制止を求める叫び声を上げているようだが……もう、彼女達の声は届かない。

 

 届くのは――

 

「終わりだァァァァッ!」

 

 ――茂さんの、哀れみを孕んだ絶叫のみ。

 

 その振り下ろされた電磁警棒を前に、俺は自分自身に迫る死を悟る。

 

 電磁警棒といえど、超人の膂力から放たれる金属棒の一撃には違いなく……この弱り切った身体に直撃すれば、命にも関わる。

 

 それを知った上で、茂さんはとどめの一撃を振り下ろして来たのだ。俺を、殺すために。

 

 だが、それは必然。死を賭した戦いの中では避けられない現実。

 

 俺自身、そんな戦いを乗り越えてきたからこそ、今の姿がある。

 

 だから――恐れることなど何もない。俺は精一杯、自分に出来る限りを尽くしたのだから。

 

 恐がることなんて――何も。何も、ないはずなのに。

 

 ちらつく。

 

 救芽井。鮎子。鮎美先生。久水先輩。古我知さん。伊葉さん。甲侍郎さん。華稟さん。親父、母さん、兄貴。町のみんな。

 

 そして――矢村の顔が。

 

 ちらついて、離れない。そんなものを見せられたら、悔いが残るというのに。

 

 胸の奥。その最も深い底に封じたはずの、恐れが。噴き出してしまうというのに。

 

(――死ねない。俺は、まだ!)

 

 誰かがそう叫んだ時、俺は咄嗟に顔を上げる。そこには……矢村の顔――よりも、よく知っている姿があった。

 

 ……俺だ。

 救芽井と初めて会って、古我知さんと戦うことになった、あの頃の。

 

 歪みも何もない、ただ自分の中にある正義感にだけ従い、戦っていた、あの日の俺だったのだ。

 

 その姿は自身の血に汚れても決して諦めず、目の前の敵に食らいついている。

 

 ――そうだ。俺は、こういう奴だったはずだ。

 バカで世間知らずで、何が正しくて間違いかなんて、考えもしないで。

 

 それでも――目の前にある命と幸せを、諦めたりなんか、しない奴だったはずなんだ。

 

 そうだ……だから。

 

 俺は……まだ……!

 

 今は、まだッ……!

 

「……ま、だだァァァァアアッ!」

 

 迸る恐れ。生きることへの執着。そして、蘇った自分自身の生き方。

 その全てが糧となり、俺の身体を思うままに動かして行く。

 

「むうッ!」

「俺にはまだ、守らなくちゃならない人がいる! まだあんたに、この命はくれてやらんッ!」

 

 振り下ろされた電磁警棒を、左手で掴み取る。刹那、電流が全身に迸り――耐え難い激痛が俺の意識を奪って行く。

 

「オオ、オ、オオォオォォオオオッ!」

 

 だが――俺はまだ、止まらない。

 

 掴んだ勢いのまま、痛みを真正面から受け止めたまま。左手の握力のみで、電磁警棒を破壊する。

 けたたましい破裂音と共に、電磁警棒はバラバラとなり――破片を撒き散らして四散した。

 

「ぬおっ……!?」

「グアア、ア、ァァァアアアアッ!」

 

 その反動で仰け反り、茂さんは数歩後ろへ後退する。無論、その隙を逃す手はない。

 全身の体重を預けるように、俺の最後の左拳が、仇敵の三日月へと向かっていく。

 これで、今度こそ――終わりだ。

 

「ごわアァッ!」

「うぐッ……!?」

 

 そして、勝敗を決する一撃が決まる瞬間。

 俺の身体に、さらなる痛みが襲い来る。

 

 こちらの拳が決まる直前、茂さんが最後の力を振り絞って引いた引き金により……テイザーライフルの麻酔針が放たれ、俺の左足を撃ち抜いていたのだ。

 全身の筋肉を痙攣させ、自由を奪う麻酔針。これを受けてしまえば、もはや指一本動かせず完全に打つ手を失う。もう、尽くせる力はここまでだ。

 

「ぐ、う……!」

「む、おっ……!」

 

 そして、互いに決定打をぶつけ合った俺達は、その勢いのまま重なるように倒れ込む。

 もうお互い、微動だに出来ないようだ。

 

(……そうだ。それでいい。己の命を犠牲にして勝利を掴み取ったところで、ダスカリアンの未来が明るくなることはない。この先、あの国には貴様の力が絶対に必要となるのだ……)

 

 だが、麻酔針を受けて全く動けない俺に対し、茂さんは僅かに意識を保っているようだった。

 

(……必ず生き延びろ、一煉寺龍太。自分自身も鮎子君も、ダウゥ姫も矢村賀織も、ダスカリアン王国も。纏めて救って見せるのだ。力を証明し、このオレに勝ってしまった貴様には……その、義務、が……)

 

 そして、久水先輩の方に首を向け――何かを訴えるように見つめた後。その首は、力無く地面に落ちてしまった。

 

 どうやら、気絶したらしい。普通なら最初の一撃でダウンを奪えるくらいの攻撃だったはずなんだけどな……全く、甲侍郎さんも厄介な兜を作りやがる。

 おかげで、どっちも満身創痍だっての。

 

「……」

 

 そんな俺達を静かに見つめながら、久水先輩はゆっくりと歩み寄ってくる。決闘の終焉を、感じ取ったからだろう。

 俺と茂さんを交互に見遣り、先輩は沈黙した。判定が気になるところだが……どうやら、俺も意識が限界らしい。

 やっぱ……手で電磁警棒を掴むなんて無茶、するもんじゃないや……。

 

「……先に気絶したのが、お兄様である以上――判定は覆りませんわね。この決闘、一煉寺龍太様の勝ちとします」

 

 そして、その口から告げられたのは――茶番劇の終幕。

 

 だが、その声を聴き終える前に俺の意識も、深い闇に落ちていた。

 



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第205話 久水家の宴

「ん……」

 

 一煉寺の寺とは違う、畳や襖の匂い。枕の温もり。

 そして、この嗅覚を擽る香りは――味噌汁だろうか。

 意識が目覚め始めた俺を出迎えたのは、得体の知れない匂いの数々。その感覚が、自分自身が知らない場所にいることを悟らせ、えもいわれぬ不安を煽る。

 

「……ッ!?」

 

 その不安に追われるように、俺は飛び起き……そこでようやく、見知らぬ和室を目の当たりにするのだった。

 

「ここは……? 俺は確か、あの時……」

 茂さんとの決着を付けた直後、俺は意識を失って……ってことは、ここは久水家の中なのか?

 

「ん……?」

 

 その結論にたどり着いた俺の関心を次に引いたのは、味噌汁の香りの先から僅かに聞こえる喧騒。

 何を喋っているのかまでは聞き取れなかったが、数人が集まって騒いでいることだけは確かなようだ。

 

「……」

 

 その騒ぎに引き寄せられるように布団から立ち上がり、襖を開く。その時になり、俺は自分が見慣れない浴衣を着ていることに気づいた。

 「救済の超機龍」を彷彿とさせる、燃え上がるような真紅の浴衣。ただの客人用にしては随分と派手な色遣いだが……なんだろうな、何かしらの作為を感じる……。

 

 襖を開けた先では、屋敷の廊下が延々と続いていた。既に夜の帳も下りており、月明かりに照らされた庭の池が妖しく照り返している。

 それだけに、明かりが灯っていたとある一室の喧騒はひどく際立っているように思えた。そこへ近づくに連れて、聞き覚えのない声が響き渡ってくる。

 

「なんじゃあ茂ぅ! わしの酒が飲めんと申すかぁ!? おぉん!?」

「……ワガハイ、下戸ゆえ」

「まぁまぁ、あなた。嬉しいのはわかりますけど、茂はお酒はダメなんですから……」

 

 その部屋の襖を開くと、親子と思しき三人が整然とした和室で和気藹々と団欒に興じていた。その隅で、数人の使用人らしき人達が正座で待機している。

 藍色の和風に身を包んだ茂さんは、禿頭に貼られた絆創膏をさすりながら茶を飲んでいる。その隣で、わいのわいのと騒ぎ立てている初老の男性を、三十代半ばと思しき妙齢の美女が窘めていた。

 

 ……この女の人、写真で見た覚えがあるぞ。確か、久水先輩のお母さん、だったはず。てことはやっぱり、この人達は……。

 

「ん? おぉ目が覚めたか! 待っておったぞい、一煉寺龍太君! わしは先代久水家当主の久水毅(ひさみずたけし)っちゅうもんじゃ! あ、わしのバク転見る!? 見ちゃう!?」

「初めまして。わたくしは久水舞(ひさみずまい)、と申しますわ。いつも、茂と梢がお世話になっております」

「……ふん。ようやく目覚めたか、だらしのない奴め」

「あら、いけませんよ茂。お友達にそのようなことを言っては」

 

 やはり、茂さんと久水先輩の両親だったらしい。毅さんの方は見た感じだと六十代後半くらいのご老体のようにしか見えないが、酒を手に腹踊りしたり室内でバク転したりと、まるで落ち着きがない。

 一見子供のような振る舞いだが……あの頭、ご年配に違いない。茂さんのスキンヘッドとは違う、正真正銘の禿頭だ。

 

 一方、舞さんの方ははち切れんばかりのナイスバディを和服の中に隠し、慎ましく座っている。……本当に還暦近いんだろうな?

 

 茂さんは相変わらずの仏頂面だが、一人称は元通りの「ワガハイ」に戻っていた。その態度に舞さんが苦笑いで苦言を呈したが、当の本人に変化はない。

 

「いやー、まさかあの茂が、この本家に友達を連れてくる日が来るとはのぅ! 二十年間ぼっちだった茂にも、ついに仲のいい友達が出来たか……。ようし、龍太君も起きたことだし、今宵は飲むぞ! 朝まで飲むぞ! ううう……」

「あらやだ、泣かないでくださいまし。わたくしまで……もらい泣きしそうで……。そ、それに龍太様はまだ未成年なのですから……」

「何を言うか! 男と男の語らいに酒が入らんでどうする! 拳で語り合う友情には、最高の酒で応えねばならん! 瀬芭(せば)、酒を持ってこーい!」

「はは、ただいま」

 

 ――と思っていたら、急に親御さん達の方がさめざめと泣き始めていた。え、ぼっちって茂さんのこと? 友達って、俺のこと?

 しかも、酒瓶持って来てるあの使用人さん……和服のせいで気付かなかったけど、まさか茂さんの別荘に居たセバスチャンさんじゃない? 瀬芭って名前だったんだ……なるほど、だからセバスチャン。

 

「おうおう瀬芭、お主も飲まんかい! 今宵は無礼講じゃ!」

「ははっ! ……この瀬芭、坊っちゃんの此度の躍進に無上の喜びを感じております。しかし、それゆえに! 件の決闘の審判として、是非とも……立ち会いたかったッ! うおろろろろんっ!」

 

 ……いや、あの決闘に限っては来なくてよかったと思うよ。多分気が散っちゃうから。

 

「ワガハイが違うと言っても聞かなくてな。――こう騒がしくては話になるまい、外に出るか」

「お、おう……」

 

 肩を抱き合いむせび泣く久水家の面々を尻目に、茂さんはスッと廊下へ出て行ってしまった。俺は後ろ髪を引かれる思いをあの人達に感じつつ、そのあとに続いて行く。

 やがて茂さんが立ち止まり、腰を下ろしたのはさっきの池の目の前だった。その隣に俺が腰を下ろしてから程なくして、寡黙だった彼がようやく口を開く。

 

「……結論から言えば、この決闘は貴様の勝ちだ。あの一戦で、今の貴様でもワガハイよりは使い物になると証明されてしまったからな」

「……」

 

 ――茂さんはそう言うが、俺の胸中は晴れない。勝った、という気がしないのだ。

 精神面では終始、俺は茂さんに圧倒されていたように思う。真に強い者だけが正義を通せる、という話なら、否定されたのは俺の方じゃないだろうか。

 

「だが、これで終わりではないぞ。いや、始まりですらない。貴様はワガハイに勝った以上、是が非でも勝者としての義務を果たさねばならん。必ずラドロイバーを倒し、皆を守り抜くという責任がな」

「……わかってるさ。鮎子のことも、俺が守ってやる」

「……やはり貴様はわかっていない。彼女は貴様に命を――全てを託した。貴様のために『新人類の身体』への恐れを乗り越え、共に戦うために」

「……共に……」

「貴様が眠っている間に……彼女達姉妹の覚悟のほどは見せてもらった。鮎子君と貴様は、もはや一心同体。貴様は彼女を守るのではない。彼女と共に、人々を守り抜くのだ。肩を並べて、互いの命を懸ける――そのリスクと引き換えに得る力が、『二段着鎧』なのだぞ」

 

「……二段着鎧、か」

「そうだ。一人で戦い、一人で終わらせる『怪物』ではなく――仲間と共にリスクを背負って立ち上がる『人間』として、貴様は貴様の守りたい者を守れ。それが、貴様が望まれる強さだ」

 

 ――二段着鎧。そうだ。そいつを使いこなすために、鮎子は今までずっと……。

 

「そのリスクなくして、ダスカリアンを救うことは出来ん。彼女だけを修羅にはさせるな。修羅の道には、貴様も付き合え。それが、今の貴様が為すべき義務だ」

「……ああ。やって見せるさ」

「それに、ちょうど明日は七夕だ。今のうちに、貴様が果たしたい正義でも書き留めておくのだな」

「……は?」

 

 今、なんつった。七夕?

 

「ん? ああ、言っていなかったか。貴様は三週間以上昏睡状態だったからな。鮎美さんがいなければ、今頃は病院に強制送還になっていたところだ。感謝することだな」

「そんなに寝てたのか俺!? ――ってあれ? そういえば女性陣はどうしたんだ」

「彼女達なら夕食を取って先に就寝したはずだ。といっても、全員貴様のことが気掛かりで眠れない日々が続いていたからな。まだ起きている者もいるかも知れん」

 

 ……そっか。みんな、俺のこと……。三週間も眠りっぱなしじゃ、結構長いこと心配かけただろうしなぁ。

 せめてこれからは、いらん迷惑はかけねぇようにしなきゃな。

 

「……じゃあ俺、ちょっと部屋に戻るわ。もしかしたら入れ違いになってるかもだし」

「ああ。――それと、梢にも断りは入れておけ。ああ見えて、未練がましいところもある」

「……わかった」

 

 ――そうだな。ケジメは、ちゃんと付けとかないと。

 

 そのやり取りを最後に、俺は踵を返して自分が眠っていた部屋へ向かう。

 そこは――茂さんの見立て通り、襖の奥で人影が蠢いていた。あのボンキュッボンなシルエット、俺が知る中では一人しかいない。

 

 やがてその人影の主は、切迫した様子で襖から飛び出し――すぐ目の前にいた俺と相対した。

 

 寝間着と思しき薄い生地の浴衣を纏う、豊満な肢体。その美しいラインを、冷や汗がなぞるように伝う。

 茶色が僅かにかかった、その艶やか黒髪は――短くなった今でも、強く俺の脳裏に刻まれていた。

 

「龍太……様……!?」

 

 その全てを持つ女――久水梢は今、俺の目覚めに驚きを隠せずにいた。

 



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第206話 終わる恋、始まる戦い

「りゅ、龍太様……! いつお目覚めに……!?」

「……ついさっき、かな。先輩のご両親、ご機嫌だったよ」

「そう……ですか。ともあれ、無事に回復されたようで、何よりざます。鮎美さんが三日三晩付いていてくださったおかげですわ」

「鮎美先生か……そうだな。明日には改めてお礼言っとかないと」

「ええ……きっと、その方が先生もお喜びになりますわね」

 

 俺の回復を確認した先輩は、ほっと胸を撫で下ろした様子でこちらを見ていた。……が、その視線は徐々に俺から離れて行き、ついには首ごと明後日の方向へ向いてしまう。

 

「なぁ、先輩――」

「――あ、その浴衣いかがざますか? ワタクシが仕立てましたのよ」

「ん? あ、ああ。やっぱり先輩が作ったのかコレ。動きやすいし涼しいし、気に入ってるよ」

「ふふ、それは何よりでしてよ」

 

 何かと器用なところもある彼女だが、本音が絡むとぶきっちょになってしまうらしい。俺と話すことを、避けたがっている――正確には、俺に何かを言われることを避けようとしているのが、丸わかりだ。

 今なら、その苦しみも少しはわかる。俺だって矢村に振られるとわかってしまったら、向こうの口からその旨を伝えられることを怖がってしまうはずだ。

 

 ――それでも、言わなきゃならない。言葉を濁して、傷口を広げるほど、残酷な話もないだろう。

 

「……先輩」

「……はい」

 

 面と向かって言うには、今しかないだろう。これで先輩に嫌われてますます敵対することになったとしても、俺は受け入れて見せる。

 けじめを付ける。そう、約束したものな。

 

「俺は――矢村が好きだ。あいつに、国が滅んだなんて悲しい報せを聞かせたくはない。そのためにも……俺は先輩にどう言われても、この戦いから逃げ出すわけには行かないんだ」

「……」

「だから。先輩の気持ちには、応えられない。すまん」

 

 ――沈黙。

 

 その一言に尽きる静寂が、月明かりに照らされた俺達を包みこむ。月光の青い輝きの中で、光を浴びた先輩の頬を雫が伝っていた。

 ……分かり切っていたことだ。今更、動じるようなことじゃない。それに戦いが終わるまで先延ばしにしておくのも、卑怯だしな。

 

 先輩は何も言わずただ静かに――そして微かに。縋るような想いを滲ませた瞳で、俺を見つめていた。その瞳に、こちらも真剣な眼差しを全身全霊を込めて叩き込む。

 その涙も、眼も、全ては彼女の真摯な気持ちゆえ。だから――せめて俺も、その想いには正面から応えなくては。

 

「……ねぇ」

 

 永遠のような静寂を経て、ようやく彼女が口を開いた時。月を見上げるその横顔は、幼い頃のような幼気な色を湛えていた。

 この言葉遣いも――

 

「りゅーたん、覚えてる?」

 

 ――昔のようだった。

 

「小さい頃、こんな風に月がすっごく綺麗な夜……一緒に星を見に行ったよね」

「……ちょうど、今みたいな夏の日だったか。一度だけ、先輩が家を抜け出した時だったよな」

「お父さんにもお母さんにも、いっぱい叱られたけど……それでも、楽しかった。本当に楽しかったんだ。あんな日がずっと続くなら――それが叶わないなら、いっそ時間が止まってしまえば。そんな風に思うことは、何度もあった」

 

 お嬢様らしさも高飛車さもない、ありのままの素顔。その全てを解き放ち、明るく過去を語る彼女の笑顔は、まるで全ての憑き物が落ちたかのようだった。

 

「だから、あなたと離れ離れになったとき……あなたみたいな、優しい子になろうと思ったんだ。そしたら、また昔みたいに一緒にいられる。素直に好きって言えるようになったら、また一緒に遊べるようになるっ……て」

「……そっか」

「そう思ったから――あなたに色んなものをいっぱい貰ったから……こんなわたしでも、鮎子と友達になれたんだと思ってる」

 

 廊下に座り、月の灯りを浴びながら――あの日の少女は、優しげな声色で親友の名を呼ぶ。鮎子の名前が出るだけで、彼女の頬は安らぐように綻んでいた。

 久水家の娘として、茂さんの秘書として生きてきた彼女が、それほどまでに気を許せる間柄なのだ。俺には想像もつかないほどの絆が、彼女達の間にはあるのだろう。

 

「ねぇ。りゅーたん」

「ん?」

 

 隣に座る俺の手の甲に、彼女の柔らかい手が重なる。この手を握り返すことは叶わないけれど……それでも、この温もりを守ることは出来るはずだ。

 

「鮎子のこと……ちゃんと守ってあげてね? りゅーたんも……元気に帰ってきてね?」

「……心配、ないさ。俺は先輩が思ってるよりずっとタフだし。鮎子は、俺なんかよりずっと――強い」

「そっか……よかった」

 

 その言葉を聞いた彼女は、心から安堵するように微笑むと――自分の頭を、俺の胸に預ける。

 ……そうだ。俺は、鮎子を守るんじゃない。あの娘と、共に戦うんだ。もう、一人で拳を振るって戦うわけじゃないんだ。

 だから――俺も、鮎子を信じるよ。先輩が、俺を信じてくれたように。

 

「ねぇ、りゅーたん」

「うん?」

「もう少しだけ……こうしてていい? ……昔みたい……にっ、一緒……に……ッ!」

 

 そう語る彼女の「本音」は、言い終えないうちから濁流となって、その瞳から溢れ出していた。決闘の結果が意味する、親友に降りかかる試練。俺の言葉が意味する、十年以上に渡る恋の終わり。

 

 幼い頃の素顔に立ち戻っても、誤魔化し切れないその事実の重さが今、一斉に彼女に降りかかっていた。

 筆舌に尽くし難いその泣き声は、小さくも強く、俺の胸に響いている。

 

「……変っ、だねっ。こうなるって……決闘が決まった、あの日からずっと分かってた……分かってた、ことなのにッ……!」

 

 ――だが、その業を生んだ張本人である俺に、その涙と悲しみを止める術はない。

 あるとすればこの胸を叩く彼女の拳を、夜明けまで受け止め続けることだけだ。

 

 決して引き返せない道に立った人間に出来ることなんて、選んだ道を突き進むことくらいなんだから――。

 

 そして。

 

 この夜が明ける先――二◯三◯年七月七日。

 

 俺達の運命を変える決戦の一日が――始まろうとしていた。

 



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第207話 運命の狼煙

 快晴の青空。木の葉を撫でる風の音。

 穏やかに波紋を描く透明の池。

 

 静かな山奥、などという言葉は、きっとこんな場所のためにあるのだろう。ここに居ると、今が大変な状況であることさえ、忘れてしまいそうになる。

 

「ひさぁ〜みずぅ〜のぉ、あつぅ〜いちぃ〜はぁ〜……っと、どうじゃ鮎美君、君も一曲!」

「あ、あら、私歌は上手ではありませんのよ」

「か〜まうもんかい! 歌は心で歌うもんじゃ! 瀬芭、マイク持ってこんかいマイク! 今度はデュエットで行くぞい!」

「もう、あなたいい加減になさい。こんな朝早くから……お酒臭いですよ」

「なんじゃいなんじゃい、舞たんのケチんぼ!」

「……父上。鮎美さんへのナンパならワガハイを通してからにして頂きたい」

「ほう、わしに楯突くか。いいじゃろう、鮎美君を賭けてカラオケ勝負じゃ!」

「望むところ! 見ていて下され鮎美さん、ワガハイの勇姿をッ!」

「人を勝手に賭けないでくれる!?」

 

 ――この騒がしさがなければ、の話だが。

 

 湯飲みを手に廊下で池を眺めている俺の背後では、毅さんが朝っぱらから朝食の場で全力フィーバーしており、舞さんがフォローに奔走している。茂さんは父に睨みを利かせつつ勢いよく立ち上がり、瀬芭さん達使用人一同は毅さんに付き合って合いの手を入れていた。

 

 恐らく、これが久水家の日常なのだろう。並外れた胆力の持ち主であるはずの鮎美先生も、この空気に飲まれて若干タジタジの様子。……ここに古我知さんがいたらさぞ激しいカラオケ大会になったろうな。

 

「……」

「あれ、鮎子は参加しないのか」

「……騒がしいのは苦手」

「――あはは、確かにあれは俺もごめん被る」

 

 そんな騒々しい朝の食卓を抜け出し、鮎子は俺の隣にちょこんと座り込む。カラオケ大会を抜け出す隙を見極めたこの手腕も、特訓の賜物なのかも知れない。

 

「……先輩。昨日、梢のこと振ったよね」

「……!」

 

 ――この察しの良さも、だろうか。

 

「今朝、梢の頬に涙の痕が残ってた。梢が泣くなんて、よっぽど」

「……やっぱり、わかるんだな」

「わかるよ。梢のことなら」

 

 射抜くような真剣な眼差しで、鮎子は俺を真っ直ぐに見つめる。その瞳は、表情を引き締める俺の顔を克明に映していた。

 

「怒ってるのか」

「……あなたが決めたことに、口を出すつもりはない。けど、ここまでしておいて賀織まで泣かせたりしたら、今度こそ許さない」

「肝に命じる。これから一つになる相棒にまで、失望されちゃかなわんからな」

 

 不敵に口元を緩め、俺はその小さな肩に掌を乗せる。

 

 ――そうさ。

 俺はこれから、鮎子と二人三脚で、ラドロイバーや将軍に立ち向かわなければならないんだ。ここで、いつまでも立ち往生しているわけには行かない。

 

「……」

 

 すると照れ臭くなったのか、鮎子は頬を赤く染めると、視線を下に落としてしまった。あれ、さすがにクサ過ぎたかな。

 

「困った殿方ですわね。こんな朝早くから、『一つになる』なんて。言葉はもっとよく咀嚼してから口にするものでしてよ」

「んなっ!?」

「……あ。おはよう」

 

 そんな俺の意表を突くように、背後から聞き慣れた声が刺さる。

 

 振り返った先には――淡い桃色の和服を纏う、久水先輩の姿があった。

 今までのような体のラインを強調した服とは違う、慎ましい佇まい。これが本当にあの久水先輩なのかと、我が目を疑ってしまう。

 少なくとも、俺が知る限りでは――今までのどんな時よりも、彼女の姿は輝いているようだった。

 

「ふふ、今更見惚れても手遅れでしてよ。せいぜい、このワタクシを振ったことを後悔するざます」

「な、なにを……」

 

 生まれ変わった彼女は、俺をからかうように笑いながら――

 

「――賀織さんと、お幸せに。そして、親友のこと……改めて、お願いしますわ」

「……!」

 

 ――最後にそう耳打ちし、喧騒の中へ向かって行った。

 

 どんな表情をしていたのかは、見逃してしまったが――俺に囁いた時の声色は、いつになく安らいでいた。

 

 ……参ったね。俺が気を揉んでいたことが滑稽になるくらい、彼女は強かったらしい。

 その強い女にああ言われちゃあ、責任も重大だ。これから、大変になりそうだぜ。

 

「……先輩?」

「鮎子。改めて頼む。俺のために、もう少しだけ――修羅道ってヤツに付き合って欲しい」

 

「……今更にも程がある。そんなの、ずっと前から決めてたことだよ」

 

「そっか……恩に着るよ。ありがとう」

 

 これから始まる戦いに向けて、改めてパートナーに協力を申請――というつもりだったが、確かに今更にも程があったな。

 

「……ぷっ」

「……ぶふっ」

 

 冷静に考えるとあまりにも可笑しかったんで、気がつけば俺も鮎子も吹き出してしまっていた。

 思えば、お互いそればっかりの数週間だったもんなぁ。今更も今更、超今更だ。

 

「……じゃあ、今更ついでに願掛けでもしてく?」

「願掛け? ああそうか、今日って七夕だっけ」

 

 鮎子の誘いで、俺はふと先日の話を思い出す。長いこと眠っていたせいで、日にちの感覚がズレてきているらしい。

 

「織姫様と彦星様が、ボク達についてくれるかはわからないけど――それでも、今は一人でも多くの味方が欲しいからね」

「だな。もしラドロイバーの方につこうもんなら、天の川まで殴り込みに行ってやろうぜ。空まで飛べると評判の『超機龍の鉄馬』でな」

「……『超機龍の鉄馬』に大気圏突破能力はないよ?」

「……例えに決まってんだろ、そこはマジレスしなくていいよ……」

 

 「超機龍の鉄馬」に夢を見させない鮎子のシビアな言葉に辟易しつつ、俺は彼女から短冊を受け取る。既に池の奥にある笹には、数枚の短冊が掛けられていた。

 どうやら、藁にもすがる思いなのは俺達だけではないらしい。日本の風習を重んじてるだけかも知れんが。……ここ、京都だしなぁ。

 

「……そういや、鮎子はどんなこと頼んだんだ?」

「もちろん、ラドロイバーの打倒だよ。茂さんと梢も、同じようなこと書いてる」

「ふーん、なるほどね……」

「先輩もそうでしょ?」

 

 俺の顔を確認するように覗き込みながら、鮎子はそう訪ねてくる。

 

「いや、ちょっとだけ違うことを書くよ」

「違うこと?」

「みんなして同じことばかり組織票みたいに書いてたら、織姫も彦星もウザがるだろ。俺はもうちょっと、その先のことを願うことにするよ」

 

 拝借した筆ペンを滑らせ、神様への訴状を書き上げる。その旨は「遠い砂漠の人々に、平和な未来が訪れる日を願う」、というものだった。

 

「……そっか。先輩、らしいね」

「もっとも、本音を言っちまえば矢村やダウゥ姫のためみたいなもんだが……せっかく神様に勇気を貰うんだ、綺麗な建前でゴマするくらいはしとかなきゃな」

「……そんなセコい人に神様が協力してくれるのかな」

「ひっでぇ! 願掛けしろっつったのは鮎子なのに!」

「……ん、そうだったかな?」

 

 相変わらずな毒舌にひとしきり突っ込んだあと、俺は短冊を手に腰を上げる。

 

 この戦いが終わった先に、何が待ち受けているのか。それは、その時になってみなけりゃわからない。

 その結末を少しでも良いものに近づけられるなら、願掛けでも何でもやるさ。その思いがあるから、二段着鎧の実現にここまで来れたんだし。

 

 ――あとは、向こうの力がこっちの想定を上回っていないことを祈るぐらいか。

 

「……そう、そう。……わかったわ、すぐに準備させる。そちらも気をつけて」

 

 気休め程度の願掛けでも、それでモチベーションが上がるなら。その思いに引かれ、笹に向かおうとした俺を、鮎美先生の逼迫した声が引き止める。

 誰かと電話で話しているらしい。ついさっきまで騒がしくしていた久水家の面々も、この時ばかりは借りてきた猫より大人しくなっていた。

 

 ……あの様子。まさか。

 

「――龍太君」

「……ああ」

 

 そう直感で感じ取った、俺の勘は。

 

「状況が変わったわ。松霧町で、ラドロイバーが発見されたようよ」

 

 鬱陶しいほどに、的中していた。

 



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第208話 最初で最後の決戦日和

 鮎美先生が運んできた報せは、ラドロイバー発見という衝撃の内容だった。

 その名が出てきたことに、一同は戦慄を覚え――誰もが、迫る嵐の激しさを予感する。

 

「――来たか」

 

 その宣告に微塵も臆することなく、茂さんが立ち上がる。既にその右手には、黄金の腕輪が巻かれていた。

 

「我が久水家直属の親衛G型部隊を伴い、エルナ・ラドロイバーを直ちに発見、捕縛する。……行くぞ梢、松霧町へ」

「――はい。直ちに」

 

 いずれはこの時が来ると常に想定し、警戒していたのだろう。久水先輩も慌てる様子を見せることなく、淡々と兄の命に応じていた。

 

「では父上。カラオケ対決の決着は次の機会に」

「……おう、行ってこい。せっかく久水流を修める決心を付けたんじゃ、先祖に誇れる戦をしてこい」

「くれぐれも気をつけるのですよ……茂、梢」

「お任せを。必ずや、開祖に勝る戦果を挙げましょうぞ」

 

 両親に挨拶している彼の横顔は、勇ましくも生気に溢れている。刺し違えてでも――などというような後ろめたさはない。

 

 ……今朝方、毅さんから久水流の開祖――久水忍の話を聞いたことがある。

 

 大正七年に当たる一九一八年に久水流銃剣術を編み出した彼は二年後、京都に妻子を残してシベリアに赴き――戦死したという。

 シベリアからの撤兵が声明される大正十一年まで生き延びた彼の部下は、「何をおいても生き延びることこそ、最大の戦果」としていたと、彼の人柄を語っていたそうだ。

 その信念に沿うならば、彼はその「最大の戦果」を挙げることは叶わなかったのだろう。

 

 生き延びるという、何より勝る戦果を得られなかった開祖。その開祖を超える戦果を挙げるということは――必ず生きて帰って来る、という決意の証なのだ。

 

 命を賭し、その上で生き延びることを望む。危険を代償にしてなお、生を勝ち取る。

 それこそが、「人間」が強くある仕組みなのかも知れない。命を顧みないのではなく――顧みるからこそ、その重さを守るために戦おうとしているのだ、彼は。

 

「鮎美さん、『超機龍の鉄馬』の調整は?」

「システム自体は出来上がってるし、あとは鮎子の脳波を受信させるだけよ。……ただ、エネルギー充電とエンジン出力調整には少々時間が掛かるわ」

「――出発までに日付が変わらなければ十分です」

 

 鮎美先生と短い言葉を交わし、茂さんは素早い足取りで屋敷の出口へ向かう。彼の従者達も、緊急出動に臨むレスキューヒーローに負けない速さで行動を起こしていた。

 

「茂様。今からですと到着予定時刻は午後三時半となります。それから現地に遣わした調査員によりますと、救芽井エレクトロニクス直轄のG型機動連隊とレスキューカッツェが警戒を強化。ラドロイバーの追跡に当たっているとのことです」

「戦闘による火災で町を焼かれんためのレスキューカッツェか……。もしくは戦闘が長期化した場合のバッテリー補給要員でもあるのだろうが、戦闘能力を持たない彼女達は状況次第では獲物にしかならん。それまでに我らの親衛G型部隊を機動連隊と合流させておけ。か弱いレディには指一本触れさせぬよう伝えろ」

「かしこまりました」

 

 早歩きで廊下を歩く茂さんの背後につき、セバスチャン――じゃなくて瀬芭さんが状況を伝える。レスキューカッツェ……フラヴィさん達も来てるのか……。

 茂さんは瀬芭さんの語る現状に対し、しばらくは背を向けたまま対応していたが――

 

「それともう一つ。誰一人として、犠牲になることは許さん。全隊員に生還を厳命せよ」

「……仰せのままに」

 

 ――振り返り、その一言を言い放つ様は、随分と堂に入っている。こういう当主らしいところをいつも見せてくれりゃあ、素直に先輩ヒーローとして立てようって気にもなるんだがなぁ。

 

 とにかく、俺達もこうしちゃいられない。

 俺と鮎子は互いに目を合わせて頷き合うと、互いの部屋へ駆け出して行く。今すぐとは行かないが、俺達も戦闘準備だ。

 

 燃え滾るような色遣いのユニフォームに袖を通し、暑苦しい鉢巻をきつく締める。

 不思議と今日は、服を着る動作一つにも力が入ってしまう。それに、よく見ると指先の先端だけが僅かに震えているようだった。

 ――武者震いか。恐れか。答えなら、すぐに出るさ。

 

 せめて、先輩の出陣くらいは見送ってやろう。その一心で門前に駆けつけた頃には、既に久水家のヘリが旋風を起こしていた。

 

 見送りは――いない。ヘリの中から威風堂々と身を乗り出している茂さんの両脇は、瀬芭さんと久水先輩に固められていた。

 

「……なんだよ、見送りは俺だけか」

「必要なかろう。ワガハイが命じた以上、全員の生還は確定された。見送りというものは、その者の未来を案じるがゆえに行うもの。ワガハイには不要である」

「随分な自信じゃねーか。それでコテンパンにされたら格好つかないぞ」

「格好ならつくさ。むしろ、我々だけで決着がついた時に肩透かしを食らうのは誰かな」

「……その方が、俺も鮎子も楽でいいんだがな」

 

 この土壇場でも、茂さんの姿勢には一片の揺らぎもない。俺の心配が馬鹿らしくなるほどに、恐れや焦りというような負の感情からは遠いところに立ち続けている。

 

「確かに、な。我々の敵はラドロイバーだけではないのだからな」

「なに?」

「――日本政府の連中が、この件がここまで拡大していることに感づくのも時間の問題だ。そうなれば、我々に手を引くよう厳命し――国家権力を利用して脅しに来ることも考えられる」

「……!」

「そうなる前に手を打たねば、どの道ダスカリアンにもあの王女にも未来はなくなる。今日を逃せば、次はないと思った方がいい」

 

 ……瀧上凱樹を切り捨て、四郷姉妹を見殺しにしようとした日本政府――か。確かに、その線もあるかもな。

 敵はラドロイバーと――時間。全てを解決するチャンスは茂さんが言う通り、今日しかないのだろう。

 

「――そうだな。明日はない。今日を、決戦にしよう」

「うむ。貴様も、その意気でワガハイに続くがいい。……瀬芭、出陣だ!」

「ははっ!」

 

 そして、茂さんの命令に応じる瀬芭さんの声に応じて、ヘリは勢いよく上空へ舞い上がる。これから赴く、戦地を目指して。

 俺はしばらく、微動だにせずにその出発を見送っていたが――

 

「……!」

 

 ――ふとした瞬間、久水先輩の姿が目に入り。思わず、目を見張る。

 

 彼女は、地上の俺に向けてあるサインを送っていたのだ。

 中指、人差し指、親指の三本を立て、手の甲を相手に見せるようにして額に翳す。

 ――俺が所属していた、レスキューカッツェ特有の敬礼だった。

 

「……」

 

 レスキューカッツェは追っかけ対策として、隊員個人の情報から訓練内容に至るまで、救芽井エレクトロニクスによってあらゆる情報が秘匿されている。

 にもかかわらず、あのローカルルールをどこで知ったのか。どうやって知ったのか。

 

 皆目見当つかないが――ただひとつ、はっきりしていることはある。

 そんな細かいところまで知ろうとするほどに、彼女は俺を愛してくれていた。それだけは、たぶん確かだ。

 

「……ありがとな、こずちゃん」

 

 その気持ちには応えられなかったが――せめて、敬意として応じよう。きっとそれが、今の俺の精一杯だから。

 

 レスキューカッツェ式敬礼で送り出す俺を背に、ヘリはさらに高く舞い、遠くへ飛び去って行く。

 見えなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 ――そして。

 

「……参ったな。震え、止まらねぇ」

 

 すぐにでも追いたい、力になりたい。そんな俺の思いが、この拳を震わせていた。

 



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第209話 猛火へ向かう急転直下

 久水兄妹がこの屋敷から飛び去り、静けさだけは戻ってきた。

 だが、もはや今朝と同じ空気になることはなく――穏やかな景色を残したまま、久水家の本家は剣呑な雰囲気に包まれている。

 

 誰一人として無駄口は叩かず、各々の使命に殉じていた。

 四郷姉妹は裏庭で「超機龍の鉄馬」の最終調整に邁進し、使用人達はここに似合わない大掛かりな無線機を自分達の控室に置き、現場の状況を調べていた。

 

 だが、今の俺に出来ることはない。どっしりと構えて普段通りに茶を嗜んでいる毅さんと共に、出番を待つだけだ。

 毅さんが舞さんと穏やかに過ごしている和室。その側にある庭で、俺は身体のスイッチを入れるための演武に興じていた。

 

「よう、龍太君や。はやる気持ちはもっともじゃが、今からそんなに張り切ってちゃいざって時に持たんぞ」

「……常在戦場、とも言いましてね。長く気を抜いてると、火付きが悪くなりそうなんですよ」

「なるほどの。しかし、ほどほどに抑えておかんと戦場に着く前にへばってしまうじゃろうて。舞、茶を淹れてやってくれ。戦場じゃろうと死地じゃろうと、落ち着きがなくては長くは生きられんよ」

「はい、ただいま。あなたはどうされます?」

「そうじゃな、わしも貰おうかの」

 

 毅さんの言う通り、ウォーミングアップの段階でへばってちゃ話にならない。特に今回は、鮎子との連携が命なんだから。

 ――だが、焦るなってのが無理な話だ。今回の相手は今までとは訳が違う。最先端技術で完全武装した元軍人相手に、牙を持てない俺達がどこまで通じるか――

 

「一煉寺様、一煉寺様はいずこにッ!?」

 

 ――と、思考を巡らせるよりも早く。使用人達の一人が、毅さんの部屋に駆け込んでくる。

 

「なんですか騒々しい。客人の前ですよ」

「まぁまぁ、よい。龍太君ならそこの庭じゃ」

「ははっ!」

 

 久水夫妻との短い会話の中で俺を見つけたその人は、切迫した面持ちで廊下まで近づいてくる。……動いたのか、状況が。

 

「どうかしたんですか」

「無人のはずの松霧町幼稚園が、謎の火災により全焼! 鎮火したものの、周辺の家屋にも被害が及んでいる模様です!」

「!?」

 

 予想だにしないダメージに、思わず目を見開く。フラヴィさん達レスキューカッツェがついていて全焼!?

 

「現場からの報告によれば、真っ先に消火に向かった近くの隊員数名が、謎の闇討ちに遭ったために対処が遅れたとのこと。被害件数は七件に及び、闇討ちに遭い重傷を負った隊員は護衛についた連合機動隊も含め二十一名にのぼると……!」

「……ッ!」

「茂はどうしておる? もう直ぐ三時半になろう」

「茂様は松霧町まであと八キロの地点におられます。じきに到着されるかと……」

「ああ、茂……梢……」

 

 ――状況は、思っていた以上に酷い。救芽井エレクトロニクスのレーダーをかいくぐるステルス機能を備え、確実に先手を打ってきている。

 しかも、救芽井家と久水家の連合機動隊の警備を纏めてねじ伏せるだけの戦闘力まで持ってるときた。このままじゃ、松霧町が焼き尽くされる……!

 

「茂さん、まだなのか……!」

 

 すると。

 

「報告します! 茂様御一行、松霧町に到着! 捜索隊に合流したとのことです!」

「ぬ、やっと着きおったか!」

 

 焦りと共に零れる俺の言葉に反応したかのように、別の使用人が連絡に駆けつける。

 さらに。

 

「龍太君、『超機龍の鉄馬』の最終調整が完了したわ! 一緒に来て!」

 

 鮎美先生が息を切らして、この部屋に踏み込んでくる。矢継ぎ早に入ってくる客人の多さに、久水夫妻は面食らっていた。

 

「……ああ、今行く!」

 

 ――ついに、この時が来た。

 これ以上、松霧町を……俺の町を、好き勝手にはさせられん……!

 

 力を貸してくれよ、茂さん、鮎子!

 



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第210話 重なる殻

 鮎美先生に呼び出された先に待っていたのは、最終調整を終えて待機している蒼いバイク――「超機龍の鉄馬」だ。

 陽の光に照らされ、空の色を湛えた装甲が、まばゆい光沢を放っている。その奥の和室には、布団に寝かされた鮎子の姿が伺えた。

 その頭に取り付けられた、ヘルメットのような機材。俺は、見覚えがある。

 

「……なるほど。つまり『新人類の巨鎧体』みたいなものか」

「ええ。脳波を発信して遠隔操作するより脳髄そのものを移植した方が機体への伝達は速いんだけど……それだと、開発期間が延び過ぎちゃうからね。完成する前にラドロイバーに攻められちゃ、お手上げだし」

「どのみち、鮎子にかかる負担は計り知れない。このイカしたバイクに頼るのはこれっきりにしたいな」

「まったくだわ。だから、今回で思う存分使い潰して頂戴」

 

 俺は不敵な笑みを浮かべる鮎美先生に、頷きで応え――鮎子を一瞥し、「超機龍の鉄馬」に跨る。

 

「着鎧甲冑!」

 

 そして「救済の超機龍」を纏い、ハンドルを握る瞬間。

 

『先輩、準備はいい?』

「……おう、いつでも来い」

 

 ハンドルの間にあるスピードメーターの上に設置されたディスプレイ。その画面に、鮎子の真剣な面持ちが映された。

 ――運転は基本鮎子任せになるし、それまで俺自身は待機するしかないんだよな。やれやれ、まさか女の子が運転するバイクのお世話になるとは思えなかったぜ。

 ま、世話を焼かせるのはそこまでだ。向こうに着いてからは、俺の本領。今までの借りを全部、返してやらなくちゃな。

 

「……改めて覚悟を問うまでもなさそうね。じゃ、皆を呼んでくるわ」

「いや、いい。このまますぐに行く」

『先輩?』

 

 茂さんの言葉を思い起こし、俺はハンドルを握り込む。

 見送りとは、その者の未来を案じるがゆえ……か。

 

「必ず皆で、生きてこの戦いを終える。それが決まってることなら、見送りなんてしたってしょうがないさ」

「――そう。なら、その大口に見合う働きを見せなさい」

 

 俺がそう言い切る根拠――それを見抜いたらしく、鮎美さんは口元を緩ませて、檄を飛ばす。これで負けたら、格好つかないってもんじゃないな。

 ……そして、俺を守るように車体前方に防風シールドが展開され――

 

「わかってるさ。行こう、鮎子!」

『……了解!』

 

 ――その勢いのまま、「超機龍の鉄馬」は車体後方の白いウイングを広げ、エンジンを噴かせる。刹那、ウィリーのように前輪が浮かび上がり――ジェット噴射の推力が、俺達を大空に打ち上げた。

 

「……ぐ、おおおおおっ!」

 

 次いで猛烈なGに、身体が弾き出されそうになる。「救済の超機龍」の膂力と防風シールドの機能を、突き破るかのように。

 振り落とされるわけには行かない、落っこちてたまるか! ……そんな気力だけが、俺の命を繋いでいるようだった。

 

「お、おっ……あああああッ!」

『先輩、今ッ!』

「――ッ! あ、ああ、行くぜッ!」

 

 そして、僅か数秒程度の死闘の果て。鮎子の叫びに応じ、俺はディスプレイの下部にあるスイッチに、拳を振り下ろす。

 この鎧に、殻を重ねるために。

 

「二段――ッ!」

 

 拳の鎚が、赤い円形に衝撃を叩き込み……ディスプレイに「FULL PLATE ARMOR」のイニシャルが現れる。

 同時に後方のタンデムシートが上に開かれ、そこから数多のプロテクターが打ち上げられて行く。まるで巡行ミサイルの群れだ。

 

 その防具の部品は、やがてこちら目掛けて急降下を開始する。流星の如き速さで、青と白のプロテクターが降り注いできた。

 

「――着鎧ッ!」

 

 そして鎧を纏うためにハンドルを手放し、力こぶを作るように腕を広げ――

 ――頭、肩、胴、腕、拳、腰、太腿、脛、足。身体中のありとあらゆる箇所に、蒼い鎧が張り付いて行く。

 「救済の重殻龍(ドラッヘンファイヤー・デュアル)」の、完成か。

 

 やがて、プロテクターの背後から小型ジェットが噴き出し――振り落とされかけた俺の背を押す。

 その推力に体勢を修正され、俺が再びハンドルを握り直す頃。上方に向かっていた車体の角度が徐々に緩まって行き……ついに、水平になる。

 

 久水家を飛び出してから、僅か数秒程度。たったそれだけの間に、数十年分の寿命を使ったかのような心境だった。

 ……鮎子の事情云々抜きにしたって、こんなの二度と乗りたくねぇよ。松霧町に着く前に星になるかと思ったわ!

 

『二段着鎧、完了。ぶっつけなのにバッチリだったね、先輩』

「お、おう。……これっきりにしたいもんだな、いやホントに」

『それは先輩次第。ボクとしては、この装甲を今後の主力にしてもいいくらいなんだけど』

 

 大事なアソコがヒュンヒュンしてる俺とは裏腹に、鮎子の声は涼しさを保っている。遠隔操作だから速さ実感がないのだろうか。……いや、実は済ました顔してスピード狂なのかも知れん。

 

 そんな俺の無意味な思案を他所に、彼女はディスプレイに二段着鎧後のビジュアルを表示させていた。これが今の俺の格好、ということか。

 本来のスーツの色である赤を基調にしつつ、白いパーツで縁取りされた蒼いプロテクターが全身の至るところに装着されている。

 肩の部分はやや横に向かって尖った形になっており、頭にはトサカのような兜が乗せられている。壁に叩きつけられた時、直接その部位に衝撃が加わらないようにするためだろうか。

 しかも、口元にはシールドも張られている。唇型の部分を覆い隠すかのように、その装甲は頑丈だ。

 

 ……確かに、実用性は申し分ない。だが、問題は見た目だ見た目。

 前よりはマシな気はする。が、それは前世紀の七十年代風デザインが九十年代風に変わった程度でしかない。どっちにしろ、今時のセンスじゃない。

 アラサーの鮎美さんが作ったんだから、当たり前なのかも知れないけどさ。

 

『……それに、カッコいいし』

「……そっすか」

 

 だが、いちいちそれを口に出すつもりはない。実年齢がアラサー手前の鮎子も、お気に召してるみたいだし。

 ――そうだ、要は勝てばいいんだよ勝てば。それに、この格好で負けたらさらに格好悪い。

 

「……よし。二段着鎧も完了したことだし、気合入れて行くぜ、鮎子」

『うん……!」

 

 恐らく鮎子が想定していないであろう動機で気合いを入れる俺に、彼女は強く応えている。……ピュアだ。ホントにアラサー手前なんだろうか。

 

『――龍太君、聞こえる?』

「えっ……!?」

 

 その時。突如、鮎子意外の声がディスプレイから飛び出してくる。次いで、その画面に件のアラサーが顔を出してきた。

 ――そうか。鮎美先生も、このバイクと交信出来るのか。

 

「無事に二段着鎧には成功したようね。どう? 悪くないでしょ」

「ああ、性能は申し分なさそうだ」

「当たり前じゃない。それとは別に褒めるところ、あるでしょ?」

「……いいセンスしてるよ。ところで、何かあったのか?」

 

 二段着鎧の確認だけが用事とは思えない。そう問い詰める俺に対し、鮎美先生は真剣な面持ちで見つめている。……状況が、動いたのだろうか。

 

『……茂君達は現場に到着したらしいんだけど、状況は未だ好転していないわね。単体でも高い自衛能力がある剣一君や将軍を避けて、手薄な分隊をピンポイントで強襲しているようなの』

「向こうに配置がバレてるのか……!?」

『その線が濃厚ね。――現場の状況を瀬芭さんに持たせたカメラを通して、あなたに見えるように設定しておくわ。少しでも情報がないと、あなたが合流してもうまく立ち回れないでしょうし』

「……ああ、頼む」

 

 向こうの状況。それは是非とも知りたかった情報だが、同時に知りたくない情報でもあった。

 自分の町が、焼かれている光景など……見たくなくて当然だが。しかし、目を背けてはならない。

 どのみち、この空の先で嫌でも目にしなくてはならないのだから。

 

「……!」

 

 そして、鮎美先生の通信が途絶える瞬間。

 松霧町を舞台に繰り広げられる攻防の様子が、俺の知るところとなる。



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第211話 女傑の怒号

 俺の眼前に映された景色は、地獄だった。

 町中のあらゆる場所が消し炭と化し、あちこちに瓦礫や着鎧甲冑の破片が転がっている。

 しかも散乱しているパーツの多くはR型――つまりレスキューカッツェのものだ。

 

「く……!」

 

 無意識に、唇を噛み締める。武装を持たない補給部隊から、先に潰そうという算段なのだ。加えて、個々で強い力を持っている相手を避けながら、確実に勝てる相手だけを狙っている。

 敵はたった一人だというのに、連合機動隊の誰もが平静を欠いていた。指揮系統の混乱を収めるために全員が一旦病院前に集まっているらしいが、ほとんどの隊員は露骨なまでに狼狽している。

 

『どこだ、どこなんだよ犯人はぁ!?』

『落ち着け、パニックを起こすなッ!』

『ちくしょう! 出てこいよ卑怯者! どうせ殺ろうと思えば簡単に殺れるくせに!』

 

 一部の隊員の焦りは徐々に伝染し、やがて連合機動隊を飲み込んだ焦燥感は、レスキューカッツェにも及んでいた。

 

『ひりりん様、皆様……あ、ああ、どうしたら……!』

 

 プレッシャーに呑まれつつある西条さんが、レスキューカッツェの畏れを代弁するかのように、涙声を漏らす。その仮面越しの眼差しは、助けを求めるように救芽井――「救済の先駆者」に向けられていた。

 すると……その時。

 

『狼狽えてんじゃねぇダボがァァ!』

『ひぁああ!?』

 

 天を衝く叫びが轟き、西条さんの頭に拳骨が落ちる。

 

『命張る仕事で飯食ってる連中がビビってんじゃねぇ! てめらそれでもキンタマ付いて――あら失礼』

 

 次いで、その声に追従するかのような怒号が響く。が、言い終える寸前で正気に戻ったのか、最後の方は大人しい声色だった。

 

 激しい発声の振動による、声の主の胸の揺れ。それさえ見極めれば、識別は容易だろう。

 顔が隠れていたってわかる。ぶるるんっと派手に揺れるフラヴィさんと、ぷるんっと小ぶりに揺れるジュリアさん。

 この二人の雄々しい叫びに、連合機動隊もレスキューカッツェも静まり返っていた。

 

『いいか玉無し共。奴は戦闘のプロだ。着鎧甲冑の鎧に守られてなきゃ、決して怪我じゃ済まねぇ。それにアタイらが泣いて喚いて命乞いしたところで、助けてくれるお人好しでもねぇ』

『つまりビビって動かない奴から死ぬってことだ。やられて泣くぐらいなら、怒れ。戦意がありゃ生き残るって保証はねぇが、戦意をなくした奴は確実に死ぬと私は断言する』

 

 二人の女傑による演説は、全ての着鎧甲冑の資格者達を一様に惹きつけていた。道理の通用しない相手を前にしている彼らが畏れに立ち向かうには、彼女らのようなリーダーシップを持つ「大将」が必要だったのだろう。

 

『わかったな? わからなきゃ――』

『――私ら二人が』

『玉をもいで』

『乳を絞る』

 

 そして、その演説の締めとなるダブルパンチの脅しを受けて。

 

『ひッ……!』

『ひひぃ……!』

 

 連合機動隊は股間を、レスキューカッツェは胸を隠して、震え上がってしまった。

 あ、あの、逆に戦意喪失してるんじゃあ……。

 

『……全く。フラヴィさんとジュリアさんたら……』

『まぁ、あれくらい肝が据わってる方が見ている側としては頼もしいがね。ところでキュウメイ殿。イチレンジ殿の現場到着は何時頃になりそうか?』

『は、はい。鮎美先生からの連絡だと六時過ぎになるかと』

『そうか……それまでに、奴を補足出来ればいいのだが』

 

 一方、フラヴィさん達からやや離れた場所にいる救芽井は、ジェリバン将軍と今後の方針を巡って話し合っていた。

 

『……あの』

『ん?』

『その……ダウゥ王女のことなのですが』

『……姫様のことなら、心配あるまい。ヤムラ殿やイチレンジ殿の御家族と共に隣町まで移られておる以上、すぐに奴も襲いには行けぬであろう。カズマサ殿も付いておるし、ヤムラ殿とは随分打ち解けている様子。私達は私達の使命を果たせば――』

『この戦いが終わっても、決闘を続けるおつもりなのですか? どのような結末が、待っていたとしても』

 

 問いかける救芽井の声は、切なげだ。豊かな胸に当てられている手も、微かに震えている。

 「銅殻勇鎧」を纏う将軍は、その問いに僅かな間を置き――応える。

 

『……貴殿も、先の見えない未来を案じなら、あの少年を慕う人生を選んだのだろう。それと同じだ』

『そ、それは……!』

『どのような結末が待っていたとしても、人は己が信じる道しか歩めぬ。正義の是非は、後の未来に生きる人々にしかわからぬこと。勝てば官軍、負ければ賊軍。実に単純であり、真理に近しい道理だ』

『王女様と民を死に追いやる未来が、あなたにとっての官軍だとでも言うの!?』

『少なくとも姫様にとっては、日本に屈して事実上の属国となることこそ死に値している。それが変わらない限り、姫様に仕える私の正義も変わりはしない』

『……』

 

 救芽井の反論をねじ伏せ、将軍は遠方を見遣る。遠いふるさとに、思いを馳せているのだろうか。

 

『……わかりました。今はこの戦いに集中します』

『それがよかろう。まずはラドロイバーを倒さねば、決闘どころではないからな。イチレンジ殿の体調も気掛かりだが――』

『――きっと、大丈夫ですよ。龍太君は負けません。絶対に、誰にも、負けませんから』

『……そうか。頼もしいな』

 

 そんな彼に対し、救芽井は苦し紛れのようにその一言を呟く。やはり彼女にとっても、納得の行かないところは多かったのだろう。

 将軍に食ってかかる彼女の姿はいつになく、感情的になっているように見えた。

 

『全隊員集合! これより作戦を発表する!』

 

 すると、久水兄妹と古我知さんがいる場所から高らかな号令が響いてくる。茂さんの声色も、この状況ゆえか従来より引き締まった雰囲気を湛えていた。

 

『……行くか』

『はい』

 

 そして、それまでの言い合いが嘘のように、将軍と救芽井は同じタイミングで集合場所へ駆け出して行く。まるで意気投合した戦友である。

 そんな二人に続くように全隊員が集まった後――茂さんの口から、新たな作戦が伝えられる。

 

 エルナ・ラドロイバーとの第二ラウンドが、始まろうとしていた。

 



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第212話 陽炎の向こうへ

 茂さんの打ち出した作戦は、分隊の数を絞り少数精鋭での警戒に当たる、というものだった。

 G型やR型を凌ぐ耐久性を持つ、特殊仕様のヒーローは救芽井、ジェリバン将軍、茂さん、古我知さんの四名のみ。この四名を避けながら、ラドロイバーは破壊活動を行っていた。

 逆に言えば、この四名のうちの誰か一人がラドロイバーと接触して足止め出来れば、すぐさま全員を集めて包囲することが出来る。

 

 つまり、上述の四名のうちの誰かがラドロイバーと遭遇する状況を作ればいい。それこそが、本作戦の狙いなのだ。

 

 新たに編成された分隊は五つ。

 救芽井分隊、ジェリバン分隊、久水分隊、古我知分隊、そしてデュボワ分隊。

 特殊ヒーローがいない分隊を一つ作ったのには、囮という理由があった。

 

 先の戦いでラドロイバーは、四名を避けて襲撃を繰り返していた。つまり、特殊ヒーローの頭数は既に把握されているはず。

 分隊を四つに絞って防御を固めれば、向こうもいたずらに襲撃できなくなる……が、こちらも敵の居場所が見えない以上、膠着状態に陥り時間を浪費してしまうリスクがあるのだ。そうなればやがて政府の介入を招き、事実上の敗北にもなりかねない。

 ゆえに敢えて餌となる囮分隊を作ることで、相手の尻尾を掴むチャンスを狙おう、ということなのだ。

 

 加えて、分隊長は決して姿を見せず、物陰に隠れながら出方を伺う態勢になっている。ラドロイバーからすれば、五つある分隊のうち四つが特殊ヒーローがいる分隊――つまりはハズレ、ということだ。

 

 もちろん、危険性が最も高いのは特殊ヒーローがいない、フラヴィさんとジュリアさんが指揮するデュボワ分隊。同分隊の隊員はもちろん、他の分隊の隊員達も、そこを狙う可能性があるラドロイバーの動きを強く警戒するようになっていた。

 そして、各分隊がそれぞれの場所へ展開し、哨戒を開始して約三十分。

 

 カメラを持つ瀬芭さんは、拠点である病院から生体レーダーを駆使して指揮を執っている久水先輩により、救芽井分隊に回されていた。デュボワ分隊よりは安全と見込まれたのだろう。

 とはいえ、救芽井分隊は最もデュボワ分隊に近い位置にいる。襲撃される分隊がこの辺りだった場合、危険性もより高くなるだろう。

 ――俺も急がなくては。

 

『動きがない……。分隊長、場所をより遠くに移されては? デュボワ分隊から離れ、こちらに隙があると見せかければ、奴が同分隊に釣られる可能性も……』

『いえ。そこまであからさまな挑発をすれば、別の手段を取って攻めてくるかも知れません。向こうが手の内を出し切ってしまう前に無力化しないと、捕縛どころではなくなってしまいます』

『しかし……!』

『焦りは禁物です。こちらが萎縮し、分散していた部隊を慌てて少数に纏めた――ということにしておけば、向こうも侮って戦術は変えてこないでしょう。そこが狙い目です』

 

 救芽井は潜伏したまま、隊員に対して毅然とした面持ちで答えている。しかし、その声と体は僅かに震え、額を汗が伝っていた。

 目に見えて、憔悴しているのがわかる。彼女にとっても、ここは思い出深い町なのだ。加えて責任感が強いこともあり、焦燥感は人一倍なのだろう。

 

 ――捕縛どころではなくなる。つまり、殺してしまうかも知れない、ということか。

 これが戦争であり俺達が兵隊だったなら。何を甘っちょろいことを、と一蹴されていたことだろう。だが、俺達は兵隊ではない。

 その一線を越えてしまった時、着鎧甲冑は兵器に成り果ててしまうのだ。

 

『こちらデュボワ分隊。特に異常はないぜお嬢様』

『わかりました。そのまま警戒を厳にして待機――』

 

 そして何事もないまま、四十分が経過しようとしていた――その時。

 

 デュボワ分隊と救芽井分隊を結ぶ地点。

 

 松霧高校から、火の手が上がる。

 

『なっ……!?』

『きゅ、救芽井分隊から各隊へ! 松霧高校にて火災発生!』

『敵襲だッ! 近くにいるぞッ! 各隊員、警戒を怠るなッ!』

『そ、そんな……! 学校が、私達の学校が!』

 

 慣れ親しんだ校舎が、巨大な炎により瞬く間に飲まれて行く。その光景に、救芽井は為す術もなく取り乱してしまっていた。瀬芭さんのカメラも慌ただしく揺れており、俺から見える視界は一向に安定しない。

 そして、緊張の糸が緩みかけた瞬間に襲撃を受け、救芽井分隊は騒然となった。

 

 囮となるデュボワ分隊。そこに食いつくラドロイバーを足止めするための救芽井分隊。その布陣を崩すなら、松霧高校を破壊して救芽井の戦意を削げばいい。

 確かに効率的だ。しかし、この策には問題がある。

 その手が通用する特殊ヒーローなんて、松霧町との縁が特に深い救芽井くらいのもの。救芽井分隊が今いる地点に他の分隊がいれば、撹乱には至らないはず。それに、獲物になるデュボワ分隊がその近くにいる確証もない。

 

 にもかかわらず、ラドロイバーはピンポイントで松霧高校を焼き討ちにして、救芽井の精神を崩して見せた。護衛のメンタルを揺るがすことで獲物のデュボワ分隊を丸裸にする、というおまけ付きで。

 

 つまり。

 

『バレてるぞ、アタイらの配置ッ!』

 

 フラヴィさんの叫びが、通信越しに救芽井分隊に響き渡り――全分隊に動揺が走る。

 そう。こんなピンポイント攻撃、誰がどこに潜んでいるか把握していなければ出来ない。向こうのエネルギーが有限なら、無駄な破壊行為でしかないからだ。

 

 恐らくは、向こうも生体レーダーを所持している。しかも「どこに人間がいるか」ではなく、「どこに誰がいるか」がわかるということは、こちらのレーダーより高性能である可能性が高い。

 

『あ、ああ……!』

『狼狽えんじゃねぇお嬢様! それでも分隊長か!』

『で、でも!』

 

『泣き喚く前に悪足掻きを尽くせ! 旦那に自慢出来る活躍をして見せろッ!』

『りゅ、龍太……君……』

『ホラ、そこから敵は見えるか!? アタイらからじゃ死角なんだ、お嬢様が頼りなんだぜ!』

 

 通信で救芽井を怒鳴るフラヴィさんの声も、切迫していた。彼女も、恐れを知らないわけではないのだ。

 ただ、乗り越え方を知っているだけで。

 

『……』

『ぶ、分隊長……』

 

 ――フラヴィさんの言葉が、効いたのか。救芽井の指先から、震えが消えた。

 そして。

 

『見えたッ! 二時の方向、体育館の裏手ですッ!』

『よしきたァァ!』

 

 カメラが一瞬だけ捉えた、陽炎の先に映る影を指差し、救芽井が叫ぶ。それに応じるように、フラヴィさんも威勢に溢れた雄叫びを上げた。

 

『デュボワ分隊、敵襲に備えろ! ジュリア、てめぇはカッツェの連中数名引き抜いて消火だ!』

『けッ、あんたに言われるまでもねぇ。行くぜ夏、フンドシ締めてけよッ!』

『は、はぃぃい! ――って、私フンドシは締めてないですぅうぅ!』

 

 救芽井分隊が繋いでいる通信の向こう側では、デュボワ分隊の奮闘が始まっていた。他の分隊も、立ち止まってはいられない。

 

『指揮官より各隊へ! 松霧高校周辺に、ラドロイバー出現! 包囲なさい!』

『久水分隊、了解。久水茂、いざ参る!』

『ジェリバン分隊、了解。現地に急行する』

『古我知分隊、了解した。すぐに行くよ!』

 

 久水先輩の命令に応じ、方々に展開していた分隊が集結を始めているようだ。通信の向こう側から、現場に向かう隊員達の激しい足音が響き続けている。

 

 そして、救芽井分隊では。

 救芽井樋稟という一人のレスキューヒーローが、新たな一歩を踏み出していた。

 

『きゅ、救芽井分隊長……』

『……作戦を実行します。R型は松霧高校の鎮火に、G型は敵の警戒に当たってください。私はラドロイバーの追跡、及びデュボワ分隊の護衛に向かいます!』

『――ははっ!』

『了解しました!』

 

 どうやらラドロイバーの意図を破り、気を持ち直したらしい。救芽井は声を張り上げ、ラドロイバーとの対決を宣言する。

 その真摯な姿勢に、救芽井分隊も士気を取り戻しつつあった。

 

 フラヴィさんの影響もあり、一際逞しくなったらしい。俺も、負けてられないな。

 

『各隊員、全力を尽くしてください! さもないと、き、きん……た、た、たまま……』

 

 ……でもね救芽井。そこは無理して真似しなくていいのよ。

 



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第213話 灼熱の雨

『放水準備、良しッ!』

『放水始めぇえッ!』

 

 西条さんの叫びとジュリアさんの怒号。そして、両分隊のレスキューカッツェが駆け回る音が松霧高校に響き渡る。

 一方、救芽井を追うカメラは、炎の壁に沿うように校舎の側を走っていた。

 

 危険なはずだろうに……いち早く現場にたどり着くためとは言え、無茶だぜ瀬芭さん。

 俺が早く現地入りして、お役御免にしないと……!

 

『ハァ、ハァッ……!』

 

 そして、瀬芭さん自身の息が切れ始める頃。

 

『……』

『とうとう見つけたわ……! 装備を捨て、投降しなさい! エルナ・ラドロイバーッ!』

 

 最後の角を曲がった先――敷地の裏手には、決戦の光景が広がっていた。

 

 その身を包む漆黒のロングコート。風に靡く薄いブロンドの長髪。純白の肌。すらりと伸びた脚。整い尽くされた目鼻立ち。

 そして――氷のように冷え切った、あの冷徹な碧眼。

 見間違うはずがない。

 

 エルナ・ラドロイバー。この戦いの、元凶となった女だ。

 

『あなたにどのような理念があったのかは知らない。だけど、父が平和を願って創り出した着鎧甲冑を兵器にする計画も――この街を焼き払おうとしたあなたの行いも、許すわけにはいかないわ!』

『……』

『――もう一度言います。装備を捨てて、投降しなさいッ!』

 

 彼女と対峙している救芽井は、自分を冷ややかに見つめるだけで動きを見せないラドロイバーに対し、語気を強めている。

 一見、威圧しているようにも見えるが……俺にはわかる。あれはむしろ、気圧されているのだ。

 

 得体の知れない、殺気すら伺わせないラドロイバーの佇まい。その姿に、言い知れぬ不気味さを感じ、それ以上踏み込めずにいる。

 だが他の連合機動隊は、その不気味さすら読み取れなかったのか。長身の美女を包囲しつつ、ジリジリと近寄り始めていた。

 

『……』

『……ッ!?』

 

 ラドロイバーはそんな彼らに一瞥すらせず、救芽井の指示に従うように両手を上げる。

 抵抗するわけでもなく、逃走するわけでもなく。能面のような無表情のまま、降伏する動きを見せるラドロイバーの様子に、救芽井は困惑を隠せずにいた。

 

 彼女だけではない。

 これまでゲリラ戦を繰り返してきた強敵が、捕捉された途端に降伏する。そんな拍子抜けしそうな光景に、連合機動隊も思わず歩みを止めてしまっていたのだ。

 

 だが。

 

 彼らは、立ち止まるべきではなかったのかも知れない。

 

『ッ!?』

『あれは!?』

 

 ラドロイバーが降伏する動きを見せてから、僅か数秒の間を置いて。

 両手を上げた彼女の袖の中から、「何か」が飛び出してきた。

 

『なっ、なんだ、あれ……!』

『お、おい……あの球、なんか穴がいっぱい空いてたぞ……』

 

 彼女の真上に打ち出されたその物体――幾つもの穴が空いた黒い楕円形の球体は、二十メートル程の高さまで飛び上がる。

 連合機動隊の隊員達は、その物体を目の当たりにして、ようやく彼女の不気味さを察していた。

 

『ブラック・ビーハイブ』

 

 それが、あの球体の名前だったのだろうか。

 

 彼女がその名前を呼ぶ瞬間――

 

『ひっ――ァァアアアッギャアアアッ!』

『いぎゃあああ! 熱い! 熱いィィッ!』

『た、退避、退避ィィいッ!』

 

 ――瞬く間に。本当に、瞬く間に。

 

 ラドロイバーの周囲は、火の海に包まれ……罪なき人さえ飲み込む地獄と化した。

 

『……ッ!? 夏、裏手から火が回ってる! 鎮火に向かえ!』

『わかりました!』

 

 何が起きたかわからぬまま、着鎧甲冑の装甲すら貫通する灼熱を浴び、のたうちまわる連合機動隊。その絶叫とここに生まれた火の海を察知したのか、フラヴィさんは西条さんを派遣する。

 

『こ、これは……!? み、みなさんしっかりしてください!』

 

 そして、この場に駆け付けた西条さんは案の定、眼前に広がっている惨劇に絶句していた。それでもすぐに気を取り直し、倒れている連合機動隊の保護を始めているところは、さすがプロって感じだ。

 

 一方、ラドロイバーは西条さんの動きも気に留めず、火の海地獄をまぬがれた救芽井を冷たく見つめている。救芽井もそんな彼女に負けまいと、バイザー越しに怒りに満ちた視線をぶつけていた。

 そしてラドロイバーの足元に、例の黒い物体が力無く落ちてきた瞬間――救芽井は、怒りに任せて叫び出す。

 

『打ち上げた弾頭から、周囲に拡散する焼夷弾だなんて……! なんて惨いッ!』

『……』

 

 本能で危険を感じ、踏み込まずにいたことが功を奏したらしい。救芽井は、突如隊員達を襲ったこの炎の実態を、見破っていたのだ。

 そう、この攻撃の正体は焼夷弾。手を上げると見せかけて上空に打ち出した黒い弾頭から、焼夷弾を拡散し……自身の周りを囲む外敵を根刮ぎ焼き尽くす。

 しかも、着鎧甲冑ですら熱を防ぎ切れない程の火力。生身の人間に当たれば、どうなるか……想像もしたくない。

 

『ひ、ひりりん様! お逃げください! あなた様に万一のことがあったら……!』

『……』

『ひっ!』

 

 西条さんもそのビジョンが見えてしまったのだろう。狼狽した様子で、救芽井に退却を呼びかけている。ラドロイバーにチラッと一瞥された途端、萎縮してしまっているが。

 

『――やめろぉぉおぉッ!』

 

 それを見て、西条さんまでやられると危惧したのだろう。

 今まで聞いたことのないような叫び声を上げ、救芽井は拳を振り上げ突進していく。

 

 だが、ラドロイバーは余所見をしたまま空高く跳び上がり、彼女のパンチを難なくかわしてしまった。

 

『ひ、ひりりん様!』

『奴は私が引きつけます。あなたは連合機動隊のみんなを!』

 

 ラドロイバーはふわりと民家の屋上に降り立ち、無言のまま救芽井達を見つめる。

 救芽井はそんな彼女を見上げながら、西条さんを庇うように身構えた。

 

『ひりりん様、お気をつけて! 今のジャンプ、生身の人間じゃあり得ない動きです!』

『……ええ、わかっています夏さん。恐らく、さっきの焼夷弾のような何かを隠し持っているに違いありません!』

 

 あの黒いコートの中に、どんなものが隠されているのか。これから始まる、得体の知れない恐怖との戦いに、救芽井も俺も息を飲む。

 

 ――だが。

 

『美しい友情ですね。それも、あなた方が語る小綺麗な理想の賜物なのでしょう』

『……ッ!?』

『彼が来るまでに町を焼き払うのも悪くはないのですが……せっかくのご好意にお応えしないわけにも参りません。あなたなりの理想、拝見致しますわ』

 

 ラドロイバーの方は、救芽井達を「敵」とすら認識していなかった。

 



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第214話 真理と力と三つの影

『はぁあああッ!』

 

 ついに幕を開ける、救芽井とラドロイバーの闘い。

 先手を打つべく最初に動き出したのは、救芽井の方だった。

 

 地を蹴り、矢のように打ち出された身体から拳が振るわれる。弧を描くように放たれたその一撃は――ラドロイバーの肩をかすめ、空を切る。

 足捌きにより紙一重でかわすラドロイバー。その表情に、動きはない。

 

『くっ!』

 

 だが、救芽井の攻勢もこれで終わりではない。パンチが空振りに終わる瞬間、屋上に足を着け……そこからのワンステップで、一気に間合いを詰めて行く。

 

『うああぁあぁッ!』

『……』

 

 次いで、機関銃のような乱打が始まる。手数のみに賭けた力押しの技だが、着鎧甲冑の拳で繰り出す以上、一発でも生身に当たれば痛いじゃ済まない。

 ――が、ラドロイバーには一発も当たっていなかった。少なくとも見た目は生身のままだというのに。狭い民家の屋上だというのに。

 

 やはり、あのコートの下には何かある……!

 

『は、はぁ……はぁっ……』

『……近接格闘において、スタミナ切れを相手に悟られる事態は致命的です。素人が撃つ鉄砲玉では決定打にはなり得ません』

 

 救芽井がラッシュを始めて約三分。スタミナの限界を感じた救芽井は一旦間合いを離し、息を整えているが……ラドロイバーの方は、汗一つかいていなかった。

 ――しかも、二年以上前から拳一つで着鎧甲冑や自身を狙う悪漢と戦ってきた救芽井が、素人扱い。この腕前、仕込んでる兵器だけのおかげじゃなさそうだ……!

 

『あなたが取るべき策は一つ。着鎧甲冑の機動性を活かして私を撹乱し、撤退すること。少なくとも、その程度の動きで私を捉えるのは不可能ですから』

『ひ、ひりりん様っ! これ以上は危険です、お逃げください! 私達は大丈夫ですからっ!』

『……残念だけど、それだけはあり得ないわ』

 

 ラドロイバーは息を乱している救芽井に、退却を呼びかけている。一見、敵に塩を送っているかのようにも見えるが――この言葉こそ、彼女が云う撹乱なのだ。

 ここで救芽井が撤退する……つまりラドロイバーをロストすれば、再び作戦はふりだしに戻ってしまう。そうなれば、次にラドロイバーを発見するまでにどれほど被害が広がることになるか。

 それが見えていた救芽井に、撤退の二文字はない。他の分隊が集結するまでの足止め、それこそが彼女の任務なのだから。

 

『……あなたは勘違いをしています。これは勧告ではありません。命令です』

『ならば尚更、あなたの指示には従えない! あなたは、絶対に――ここで食い止めるッ!』

『……』

 

 その思いに突き進むまま。

 救芽井は再び拳を振り上げ、ラドロイバーに向かって行った。

 

 そして。

 

『……がっ……!』

 

 再び拳は虚空を切り裂き。

 

 悲鳴を上げる暇もなく。

 

 彼女の鳩尾に、ラドロイバーの膝が突き刺さる。

 

『命令違反は、重罪です』

 

 次いで、感情のない、冷たい声が風に乗り。集音マイクを通して、俺の聴覚に届く頃。

 救芽井は膝から崩れ落ちるように、倒れ伏していた。

 

 その様子を見下ろす彼女の瞳に、光はない。まるで、羽虫が落ちていく姿を眺めているかのようだった。

 ……彼女にとって、救芽井は倒すべき外敵ですらなかったのかッ……!

 

『ま……ま、ちな、さっ……』

『……意識は保っていましたか。さすがにそこまで貧弱ではなかったようですね』

 

 ――だが、そんなラドロイバーの評定を、救芽井は覆して見せた。

 震える腕を伸ばし、踵を返したラドロイバーの片足にしがみついたのだ。すがりつくように彼女を捕まえているその姿からは、ここで逃がせば更に町が燃やされると、自身を奮い立たせている意志が伝わってくる。

 その決死の思いが、立ち去ろうとしたラドロイバーを引き止めていた。

 

 しかし、ラドロイバーの顔色は変わらない。彼女は石ころを蹴るような仕草で、救芽井を簡単に振り払ってしまう。

 

『あうッ!』

『……ですが、これでわかったでしょう。所詮、力の伴わない正義に値打ちなどないのだと』

『……な、んですって……! あ、あぁっ!』

 

 屋上に打ち捨てられた救芽井は、震える身を起こそうとする。しかし鳩尾に入った衝撃は想像以上だったらしく、短い悲鳴と共に倒れこんでしまった。

 

『あなた方がどれほど気高い精神で、着鎧甲冑の兵器化を封じてきたか。私も知識だけなら知っているつもりです』

『なら、どうしてこんなッ……』

『――知った上で、愚かであると感じたからです』

『なんですって!?』

『言語も文化も常識も違う。そんな人間ばかりがひしめき合うこの星に、あなたが掲げるような薄甘い理想はあり得ない。あるとすれば、それは全てを屈服させる圧倒的な武力によってのみ実現しうる概念です』

 

 救芽井を煽るような言葉を選び、ラドロイバーは淡々と語る。まるで、事務的に授業を進める教師のようだ。

 

『……それでも、私達はッ……!』

『その「それでも」という想いの果てにあるのが、この状況なのですよ。命を救う力は、兵器に始まる武力ありきのもの。優しさとは、強さのあとについて来るものなのです』

『うッ……!』

 

 しばらく救芽井を見下ろしていたラドロイバーは、そこで言葉を切ると再び踵を返してしまった。一瞥する価値もない、と背中で語るかのように。

 

『……ダスカリアン王国の姿をご覧になればお分かり頂けることでしょう。あの国は日本の支援がなければとうに崩壊し、諸外国の紛争に巻き込まれ国土も分裂していたはず。生き延びた元国民も、流れた先の紛争に駆り出され、同郷同士で殺し合っていたかも知れません』

『……な、なにが言いたいの』

『そんな国を日本が助けられたのは、日本に力――すなわち知力と財力があったからです。それがなければ、日本は滅びて行く王国の姿をただ眺めるしかなかったはず』

『……』

『ですが。その逆は決してあり得ない。ダスカリアン王国が日本を助けることはない。強さを持たないダスカリアンに、そんな余力はないのですから。そしてそれをわかっていながら、なお日本が援助を続けられるのも、仇で返されても受け止められるほどの「武力」の賜物。あなたの語る理想は、あなたが良しとしない「力」によって守られてきたのです』

『……そ、んな』

 

 責めるような口調ではない。ラドロイバーはありのままの真実を、諭すように並べている。

 確かにラドロイバーの言うことにも一理はある。しかし、その武力が暴走すれば悪戯に被害を振りまいてしまうことだってあるはずだ。あの、瀧上凱樹のように。

 だからこそ、当たり前のように兵器として着鎧甲冑を扱う相手にこの力を渡すわけにはいかないんだ。

 ……しかし、救芽井は根っこの理想を大切に抱えて生きてきたためか――俺以上に重く、彼女の言葉を受け止めているようだ。物理的なダメージ以上の痛みが、指先の震えに現れている。

 

『母は強くなければ、我が子に無償の愛を捧げることすら叶わない。それと同じなのですよ』

『……』

『――尤も、あなたの思い描く未来も嫌いではありません。やり方さえ違わなければ、あなたとは上手く付き合えたことでしょう』

 

 そんな救芽井の衰弱した姿を、再び一瞥するラドロイバー。その瞳には、哀れみの色が滲んでいる。

 もう、救芽井に彼女を引き留める余力はない。彼女を止めるために一番必要だった「力」が、届かなかったことに心を折られてしまったのだろうか。

 

『では――さようなら。夢見る可愛い女の子』

 

 そして、改めて立ち去ろうとするラドロイバーが。

 

 皮肉るような捨て台詞を残す――

 

『確かに、貴様の言うことは正しい。どのような御託を並べようと、弱肉強食こそが真理。世を統べる資格は強者にのみ与えられる』

 

 ――瞬間。

 

『……だが、その真理に則り勝利するのは貴様ではない』

 

 金、銀、銅。三つの影が、青空から舞い降りる。

 

『我々だッ!』

 

 ――そう。

 第二ラウンドは、まだ終わってはいない。

 



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第215話 金銀銅の包囲網

 金色の「龍を統べる者」。

 白銀の「必要悪」。

 銅色の「銅殻勇鎧」。

 

 三方向からラドロイバーを囲うように、三つの鎧は上空から降り立った。刹那、民家の屋上が軋む音が三度響き渡る。

 次いで、周囲にけたたましい足音が轟く。全部隊が、この場を包囲していく轟音だ。

 

『……』

『観念するがいい、エルナ・ラドロイバー。貴様は完全に包囲されている。大人しく、降伏するのだ』

 

 その衝撃の波を背に受け、茂さんはサムライダイトの切っ先をラドロイバーに向ける。しかし、彼女は返事はおろか反応すら見せなかった。

 

『――やはり、言葉が通じる相手ではないか』

『……そういうものでしょう? 戦いとは』

『違いない。だが貴殿は、我々に語る舌を持たぬまま虐殺を繰り返した。これ以上、その暴挙を見逃してはおれぬ』

 

 ラドロイバーと茂さんの会話に、将軍が踏み入ってくる。その鈍く輝く銅色の拳は、溢れる激情に飲まれまいと、強く握り締められていた。

 自分達の国に災厄を振りまいた張本人。それを前にした彼の心は、察するに余りある。

 

『あなたは今まで、あまりにも多くの人間を殺しすぎた。どのような理由があったとしても、どんな信念を持っていたとしても――その事実がある限り、あなたの罪は揺るがない。ダスカリアンを滅ぼしたこと、この町に手を出したこと、罪のない人間を苦しめたこと。……全て、償ってもらうぞ』

『……彼を助けようとして燃え尽きた、あの殿方のことでしょうか?』

『――ッ!』

 

 古我知さんが高電圧ダガーを構えて凄んでも、ラドロイバーの表情に変化はない。

 それどころか、兄貴のことに触れてさらに彼を煽っている。……煽られたのは、古我知さんだけじゃない、がな……!

 

『……剣一、さん……』

『樋稟ちゃん、もう大丈夫だ。よく頑張ったね。――あとは、僕らに任せてくれ』

 

 古我知さんは、静かに構えたまま救芽井にねぎらいの言葉を送る。その表情はマスクで見えないが、彼女の震えが僅かに収まったことから、安堵している様子が伺えた。

 

『……言いたいことは、それだけのようですね。では、あとはお好きにどうぞ』

 

 ラドロイバーは仮面の奥で歯を食いしばる古我知さんを一瞥すると、両手を広げて他人事のように呟く。暴れたいなら勝手にしろ、とでも言いたげな様子だ。

 一方、三人は眠るように瞼を閉じる彼女を前に、あくまで慎重に身構えていた。

 

 ――そして、一瞬のアイコンタクトを経て。

 

『……ぬぅおおおぉおッ!』

『どぉあああああッ!』

『シャアアアアァァーッ!』

 

 三方向から同時に――いや、僅かな時間差を開けて、ラドロイバーに向かって突進していった。

 一番手である茂さんは、銃剣を突き出しラドロイバーに接近していく。残り十メートルというところで、ようやくラドロイバーは瞼を開けて茂さんの方を見遣った。

 

『やはり反応するかッ!』

 

 すると、茂さんは何故かそこで急ブレーキをかける。間合いまで、あと一瞬という距離だというのに。

 

『今だッ!』

『覚悟せいッ!』

『……!』

 

 その予想を裏切る動きにより、ラドロイバーに生じた刹那の揺らぎ。それを逃すまいと、古我知さんと将軍が時間差攻撃を背後から仕掛けていく。

 だが、それだけでは仕留めるには及ばない。ラドロイバーは背を向けたまま、高電圧ダガーを持つ手を脇に挟んで刺突をかわし、後ろ回し蹴りで将軍の拳を払って見せた。

 

 いずれも、決定打にはなりえなかった。しかし、彼らの真の狙いはそこではなく――

 

『かかったな愚か者がッ!』

 

 ――背後からの攻撃に、僅かでも気を取られる瞬間。その刹那に、彼女の胸部を狙って放たれたテイザーライフルの弾丸だったのだ。

 

『……!』

 

 反応する頃には、もう遅い。

 ラドロイバーが僅かに目を見開く頃には、既に相手の挙動を封じる針が、その豊かな胸に突き刺さっていた。

 テイザーライフルの弾丸は着鎧甲冑の装甲すら貫通し、筋肉を痙攣させて強制的に身体の自由を奪う。ラドロイバーとて、例外ではないはず。

 

『これでッ……!』

 

 決着がつく。茂さんがそう確信する瞬間。

 

『――女性の胸に悪戯することが、そんなに楽しいですか』

 

 動けないはずのラドロイバーが。筋肉が痙攣しているはずの彼女が。

 ゴキブリを見るような冷徹な視線を茂さんに向け、突き刺さった針を自力で抜いてしまったのだ。

 

『なッ……! 手応えは確かに――ッ!?』

 

 しかも、それだけでは終わらない。ラドロイバーはそのまま針とワイヤーを手繰り寄せ、サムライダイトを持ったままの茂さんを勢いよく引き寄せて行く。

 予想を遥かに凌ぐ事態に、茂さんは反応しきれず――そのまま釣り上げられた魚のように、銃剣ごと間合いに引き込まれてしまった。

 

 ともすれば、引き摺り込んでいるラドロイバー自身と激突しかねない勢い。しかし彼女は、茂さんと衝突する寸前に自分の身を真横にかわし、彼の身を背後の古我知さんと将軍の二人にぶつけてしまった。

 

『ぐっ!?』

『ああっ!?』

 

 さらに、ラドロイバーは茂さんをぶつけられよろめく二人に、容赦のない前蹴りを叩き込む。結果、三人は民家の屋上から叩き落とされ、住宅街の道路上に転げ落ちてしまった。

 

『茂さん! みんなッ!』

 

 想像を上回るラドロイバーの攻撃に、救芽井の悲鳴が上がる。

 

『くっ……馬鹿な。テイザーライフルが通じない装甲だと!?』

『おのれ――ならば!』

 

 民家の屋上に立ち、道路に落下した三人を見下ろすラドロイバー。その目は、救芽井を相手にしていた時よりも僅かに鋭い。

 彼女よりも厄介な敵だと、先程の連携攻撃で察知したのだろうか。

 一方、三人側の一人――将軍は、まずテイザーライフルを凌ぐ装甲を破壊しなくてはならないと見たのだろう。右腕に搭載されたガトリングを構え、その銃口をラドロイバーに向ける。

 

 しかし、その場で彼が引き金を引くことはなかった。

 

『……くッ』

『町を巻き込むから迂闊に撃てない――ですか。相変わらず、言い訳だけはお上手ですね』

『黙れ! 貴様のような卑劣な女が、何を言うのか!』

 

 そんな彼を揶揄するラドロイバーの言い草に、将軍も怒りを露にする。

 その怒号を受け、鋭い目つきをさらに細める彼女は……一つの提案を示した。

 

『――いいでしょう。ならば松霧高校のグラウンドに場を移しましょうか。あそこなら多少派手に暴れても、被害は薄いでしょう』

『な、なんだと……!?』

『ガトリングが使えれば勝てた。そんなありもしない可能性を根拠に、勝てる希望を持たれても迷惑ですから』

 

 それだけ言い残すと、ラドロイバーは一飛びで松霧高校の方へ向かってしまった。

 その背を見送り、ほんの数秒。将軍は逡巡するように顎に手を当て――決意するように、顔を上げる。

 

 ――行く気なのか、将軍。

 

『ジェ、ジェリバン将軍……』

『……一人で行くつもりか。将軍』

『コガチ殿、ヒサミズ殿。貴殿らは下がっていてくれ。巻き込んでしまっては、また同士討ちになる』

 

 その言葉に、古我知さんと茂さんは俯くことしか出来なかった。そんな二人の姿をしばらく見つめたあと、将軍は踵を返して松霧高校に向かっていく。

 

 一方、瀬芭さんのカメラはその背中を静かに追っていた。――その時。

 

『イチレンジ殿』

 

 振り返る彼のカメラに合わせた目線が、俺の視界と交わる。

 

『恐らく、私は奴には敵わぬ。この鎧を作ったのは奴だ、間違いなくこちらの手の内は知り尽くしているはず』

「……」

『だが、奴の力という情報を引き出すことは出来よう。敵を知り、己を知り――奴に屈せぬ術を掴んでくれ』

 

 その言葉を最後に彼は再び背を向け、歩き出して行く。

 確かに、俺にはありがたい話だ。――しかし、あんたはどうなる。

 あんたを拠り所にしてる姫様が、悲しむようなことになったら……どうすんだよ、あんたは。

 

『全機動連隊、松霧高校を包囲! ネズミ一匹逃がすな!』

 

 茂さんがG型部隊一同に指令を下す一方で、そんな考えが俺の脳裏を巡っていた頃。

 

『んっ……?』

『どうしたんだ、樋稟ちゃん』

『……隣町から通信だわ。どうしたのかしら……。はい、こちら救芽井分隊』

 

 古我知さんに保護されていた救芽井が、通信を受けたらしい。誰かと話している声が僅かに聞こえていた。

 

『……賀織? どうしたのよ、こんな時に――え?』

『――樋稟ちゃん?』

『何があった?』

 

 刹那。

 耳の部分に手を当て、通信に専念していた救芽井の身体が――凍り付いたように動かなくなる。

 その異変を感じたらしく、古我知さんと茂さんも訝しむように救芽井に問い詰める。

 

 それに対する、救芽井の回答は。

 

『姫様が……ダウゥ姫が、いないって』

 

 この戦況に訪れる、新たな波紋を報せるものだった。

 



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第216話 無謀な乱入者

 松霧高校のグラウンドを包囲する、連合機動隊の面々。その中央で対峙する将軍とラドロイバーを、瀬芭さんは鎮火された飼育小屋の屋上から撮影していた。

 カメラの激しい揺れやマイクが拾う荒い呼吸音から、かなり無理な運動でここまで駆けつけてきたことがわかる。ご老体なんだから無理しちゃあかんよ……。

 

『圧倒的に不利であるはずの、この状況に自ら身を投じようとはな。よほど、いざという時の逃げ足に自信があると見える』

『私が自負しているのが逃げ足だけかどうかは――あなた自身のやり方でご確認ください』

 

 ラドロイバーは相変わらずの無表情。最初に救芽井と対峙した時から、寸分も様子を変えていない。

 そんな彼女と真正面から向き合いつつ、将軍はジリジリと間合いを詰めていた。

 

 そして、周囲の誰もが固唾を飲んで見守るさなか。

 

『……ォオオォオォオッ!』

 

 天を衝く雄叫びと共に、遂に将軍がその沈黙を打ち砕く。

 一瞬にして詰めた間合い。その速攻を目の当たりにしたラドロイバーに、銅色の鉄槌が下る。

 

『……』

 

 しかし、この女に先手必勝の理屈は通じないのか。振り下ろされた拳が命中する瞬間、彼女は片足を軸に己の体を後ろへ回転させ、紙一重の距離でパンチをかわしてみせる。

 さらに、その流れのまま放たれた後ろ回し蹴りが、将軍の顎を下から打ち抜いてしまった。

 

『ごッ……!』

 

 あまりの衝撃に、将軍の巨体が宙に浮き上がる。その光景を見せつけられ、連合機動隊の隊員達に動揺が広がった。

 

『う、嘘だろあんなの……!』

『あんな化け物、どうやって捕まえるんだよっ!?』

『狼狽えるな馬鹿者! 目を背けてはそれこそ命がないぞ!』

 

 彼らを叱咤する茂さんの声にも、少なからず焦りが滲んでいる。やはり、ラドロイバーが発するプレッシャーというものは、並大抵のものではないらしい。

 轟音と共に墜落する将軍の身体が、この戦いの壮絶さを物語っているようだった。

 

『……け、剣一さん……』

『大丈夫だ。龍太君は間に合う。――きっと、間に合うさ』

 

 戦いを見守る古我知さんと救芽井は、俺の到着を待ちわびているらしい。……くそっ、物凄い速さで向かってるはずなのに、もどかしくてたまらない。

 

『それより、抜け出したダウゥ姫の方が気掛かりだ。もしこのタイミングでここに来られたりしたら、格好の餌食だよ』

『今、賀織が追いかけてるらしいんだけど……まだ、姿は見えないって……』

 

 ダウゥ姫か……。

 彼女のことだから、きっと松霧町の状況を知って、加勢しようとしているのかも知れない。無茶にも程がある話だが、彼女ならやりかねん。

 上手く矢村が連れ戻してくれればいいんだが……。ジェリバン将軍に知れたら、戦いに集中するどころじゃなくなっちまうな。

 

『そのアーマー、経年劣化で随分と質が落ちてしまっているようですね。要請すれば、新しい装備を新調して差し上げますが』

『……御免被る。私とて、ダスカリアンの守り手の一人。敵の施しを受ける程、誇りを捨ててはおらぬ』

『その敵の施しのおかげで生き延びた国に、どのような誇りが残っていると?』

『黙れッ!』

 

 将軍は怒りに任せて身を起こし、腕に装着されたガトリングを構えた。

 刹那、火を吹く数多の銃弾がグラウンドの土をえぐり出して行く。巻き上がる土埃は、蛇のようにラドロイバーを狙い――やがて、その全身を覆い隠してしまった。

 

『やったか!?』

 

 激しい土埃に向けて、誰もが期待と不安をない交ぜにした視線を送る。

 軍人として、兵士として戦う将軍に、生け捕りなどという甘い考えは馴染まないのだろう。今の攻撃は、本気で殺しにかかる人間にしか出来ない。

 

 それを受けて、ラドロイバーはどうなったのか。余裕を失う程度か、重傷か。あるいは、死か。

 

 そして。

 土埃が晴れた先に、見えた答えは。

 

『――あなたは、おもちゃで人が殺せると本気で思うのですか?』

 

 ……そのどれにも当たらない。最悪の回答だった。

 

『――お、おのれッ!』

 

 死ぬどころか、重傷どころか。まるで意に介していない。

 しかも、防御に使っていたのは片腕一本。それだけで唯一露出していた頭部を、彼女は守り切っていたのだ。

 

 コートの下に着込んでいる「何か」だけでは、こんな芸当はできない。彼女自身も、超人的な身体能力を持っている。

 兄貴程ではないが、恐らくは改造手術前の俺に匹敵しかねない。着鎧甲冑がオーバヒートを起こさない、ギリギリのラインで己を鍛え抜いた「準超人」なのだ。

 そんな奴が着鎧なんてしようものなら、それこそ手がつけられなくなる。まさか、あのコートの下にあるのは……。

 

『さて……。あなたは確か、周りを巻き込みたくなかったのでしたね』

『……ッ!?』

 

 そんな俺の思考を断ち切るように、ラドロイバーは意味深な台詞を吐く。そして、自分の足元に落ちた弾丸に手を伸ばした。

 彼女が手に取った弾丸は衝撃でひしゃげており、とても銃に込められるような形ではなくなっている。自分が利用しようにも、弾倉に入るとは思えないが……。

 

 いや……まさか。

 

『では、これはいかがでしょう』

 

 彼女は、銃弾を人差し指と親指の間に挟み込み――

 

『いかんッ! 伏せろォッ!』

 

 ――将軍が叫び、振り返るよりも速く。指で弾き出し――包囲していた機動隊員の一人を、撃ち抜いてしまった。

 

『……がッ!』

 

 その隊員は、悲鳴を上げる暇もなくマスクの中で血を吐き……膝から崩れ落ちていく。側にいた他の隊員達が反応した頃には、既に彼の着鎧は解除されていた。

 

『変形した銃弾を受けた人間の身体は、普通の銃創を受けた時よりも不規則に肉を抉られる。苦痛の激しさも――ひとしおでしょう』

 

 集音マイクは、彼女の非情な呟きを克明に聞き取っていた。

 

 着鎧が解除されるということ。その原因は、いくつかある。バッテリー切れ、爆発反応装甲としての機能。――あるいは、死。

 

『レスキューカッツェ! ただちに治療だッ!』

『了解ッ! オラオラてめぇら、ボサッとしてんじゃねぇえッ!』

 

 状況をいち早く飲み込んだ茂さんが、パニックを掻き消すように怒号を上げる。次いで、フラヴィさんの叫びが隊員達に広がる恐怖を抑え込んだ。

 

『急所は外れていますが、中の骨が衝撃で折れてます! とにかく固定して、安全な場所に移さないと!』

『見りゃわかんだよバッキャロォ! 夏、さっさと病院前まで連れて行け! 絶対に死なせるんじゃねぇぞ!』

『りょ、了解っ!』

 

 フラヴィさんの叱責を受けた西条さんが、大慌てで同僚達と共に撃たれた隊員を搬送していく。その光景を背後にして、将軍は一層激しく拳を握り締めていた。

 

『貴様……! 許せん、許せんぞッ!』

『許さないから、どうだと仰るのですか。感情でどうにかなる戦力差でもないでしょう』

 

 そんな将軍に対し、ラドロイバーは一向に態度を崩さない。しかし、そうであってもおかしくない程の強さを持っているのは確かだ。

 彼女は着鎧甲冑を貫通する勢いで、ガトリングの銃弾を「指で」弾き飛ばしていた。恐らくは、それほどの膂力を発揮するパワードスーツを、あのコートの下に着込んでいるのだろう。

 将軍の言うとおり、「銅殻勇鎧」を作ったのがラドロイバーだとするなら――その流れを組んだ上位互換って可能性もある。

 将軍自身の力だけでは、埋めきれない差があっても不思議じゃない。

 ……それでも、戦うのか。あんたは。

 

『――将軍といえど、所詮は教養に欠ける途上国の成り上がり者、ですか』

『その程度であろうとも――貴様に一矢報いることは出来るッ!』

 

 将軍は再び拳を振り上げ、ラドロイバーに挑みかかって行く。そんな彼を見つめる彼女の瞳には、僅かに苛立ちの色が漂っていた。

 

 やがて双方が激突する瞬間。

 将軍の拳は、ラドロイバーの髪を掠め――

 

『あ、がッ――!』

 

 ――空を切り裂く。彼女の膝が将軍の鳩尾に突き刺さったのは、その直前のことであった。

 

『――沈みなさい』

 

 そして、彼女の前で膝をついた将軍の延髄に、漆黒の肘が落ちる。鈍い音を響かせたその一撃は、将軍の意識を一瞬で刈り取っていた。

 

 あまりにも圧倒的。あまりにも絶望的。

 その刹那の攻防を目の当たりにした誰もが、ラドロイバーとの戦いに言い知れぬ恐怖を覚えていた。

 

『……、く……!』

 

 常に声を張り上げ、皆を鼓舞していた茂さんでさえ、将軍が一瞬で破られた事実に言葉を失いかけている。

 救芽井や古我知さんも、彼女が生むプレッシャーに、飲まれようとしていた。

 

 修羅場をくぐって来たはずの彼ら特殊ヒーローでさえ、こうなのだ。他の連合機動隊やレスキューカッツェは言わずもがな、である。

 

 たった一人が、相手だというのに。こっちは大勢いるというのに。

 誰もが、自分達の劣勢を感じていた。

 

 ――その時。

 

『ちょ、ちょっと誰かぁー! そこのアホひっ捕まえてぇーっ!』

 

 この状況で言えば場違いとしか言いようのない声が、周囲に響き渡る。

 その声に反応したカメラが向いた先には……本来なら隣町にいるべきである、矢村の姿があった。そして、彼女が息を切らしながら追いかけているのは――

 

『ダ、ダウゥ姫ッ!?』

 

 ――救芽井が戸惑いの声を上げる瞬間、ダウゥ姫が連合機動隊の中へ突っ込んで行く。……やっぱり、予想通りになってしまったか。

 

『どけどけ! ジャッ――ニホン人ども! ここからはオレの戦場だァッ!』

『きゃっ! ――あ、い、いけませんソレはっ!』

 

 彼女は荒々しく叫びながら、連合機動隊の包囲網の中を駆け抜けて行く。そしてレスキューカッツェの隊員が保管していた、先程撃たれた機動隊員の腕輪をひったくり――

 

『オレ達の国を滅ぼして、テンニーンを殺した奴ッ! だらしねぇニホン人に代わって、このダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィが征伐してやるぜッ!』

 

 ――無謀にも、包囲網を抜けた先に見えるラドロイバーに宣戦布告してしまった。

 

『あ、あっちゃあ〜……!』

 

 そんな彼女の背中に追いついた矢村も、頭を抱えている。

 ……とにかく、一秒でも速く松霧町に着かなきゃ取り返しのつかないことになるな。頼む鮎子、急いでくれッ!

 

 ――ていうかあの姫様、ジャップじゃなくてニホン人って……?

 



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第217話 小さなレスキューヒーローズ

『……』

 

 ダウゥ姫が強い眼差しを向けた先で、ラドロイバーは静かに腕を組んで佇んでいる。彼女の人となりも把握していたのか、さほど驚いてはいないようだった。

 しかしその目の色は、見る者の本能に脅威を与えている。獲物を見つけた、冷酷な狩人の目だと。

 

『着鎧甲冑ッ!』

 

 一方、ダウゥ姫は一切の裏表なく、闘志をむき出しにしてG型の装備を纏って見せる。世界最小のヒーローが、ここに誕生してしまった。

 

『む、無茶にも程がある! お下がりください、ダウゥ姫ッ!』

『いけません、前に出てはッ!』

『るせェッ! オレには、こうすることしか出来ねぇんだよッ!』

 

 古我知さんと救芽井の制止も聞かず、ダウゥ姫は砲弾のようにラドロイバー目掛けて突進していく。策も何も無い、相手とは対照的な猪突猛進そのものな攻撃だった。

 

『……』

『ぎゃうっ!』

 

 無論、将軍すら退けた彼女にそんな考えなしな攻撃が通じるはずもなく。あっという間に、彼女はハエを叩き落とすような平手打ちで吹き飛ばされてしまった。

 ゴムまりのように地面を跳ねた後、地面を擦りながら小さな身体が墜落する。

 

『ダウゥ姫ッ!』

『くッ……!』

『ぬ……!』

 

 救芽井はその姿に短い悲鳴を上げ、古我知さんと茂さんは歯を食いしばる。

 ラドロイバーが持つ圧倒的な力。その恐ろしさを肌で教えられたためか、彼らはすぐさま駆けつけることができずにいた。

 

 その恐怖を真っ先に振り払い、救芽井は彼女の元へ駆けつける――が、当のダウゥ姫はすぐさま立ち上がると、彼女が差し伸べた手を払いのけてしまった。

 

『るせェッて、言ってんだろ! オレには、退けない理由があんだッ!』

『ラドロイバーなら、私達で対処します! あなたに万一のことがあったら……!』

『――それじゃダメなんだ! お前らニホン人に全部任してちゃ、ダメなんだッ!』

『ダ、ダウゥ姫……!』

 

 ダウゥ姫は拳を震わせると、再びラドロイバーに向かっていく。しかし、通用しなかった手段をもう一度使ったところで、何かが変わるわけもない。

 

『ぎゃんっ!』

『ダウゥ姫ぇっ!』

 

 今度は顔面に拳を叩き込まれ、再び跳ね返されてしまった。しかし、それでも彼女は立ち上がる。

 

『……オレは、戦って死ぬことも、ワーリと一緒に死んでいくことも、怖くなかった。怖くなかった、つもりでいた……』

『えっ……』

『でも、目の前でオレをかばったイチレンジが死にかけた時、思い知らされたんだ。オレは、ホントはどうしようもない怖がりで……死ぬのが、怖くて、怖くて、しょうがなかったんだ。威張り散らして、強そうに振舞って、必死にそれを隠してるだけだったんだ』

『ダウゥ姫……』

 

 さっきのパンチで脳を揺らされたのか、立ち上がりはしたものの足はかなりふらついている。もう、さっきまでの勢いの突進は出来ないだろう。

 

『ホントは、死にたくねぇ。死にたくねぇんだ、怖いんだ。それがわかった時、オレも何かしなくちゃ……って思ったんだよ。そんなオレを助けるために、敵でしかないニホン人が、こんなに命張ってんだから』

『でしたら……もう、お下がりください。あなたは何があっても、私達がお守りしますから。あなたには、ダスカリアンの未来のためにも、生き抜いて頂かなければ……!』

『……ワーリが負けたんだ。そんな奴に、オレが勝てっこねぇことくらいわかる。けどよ、もうオレにはこれしかねぇんだ。イチレンジが来るまで、お前らに怪我させねぇようにするしか――』

 

 しかし、それでもなお。ダウゥ姫は立ち向かう。

 

『――能がねぇんだよぉぉーッ!』

『ダウゥ姫ぇーっ!』

 

 敵対しているはずの、俺達を守るために。

 

『……あぐぅっ!』

 

 だが。

 その意思だけで状況を変えられる程、甘い相手ではない。

 やはりパンチのダメージは足に来ていたらしく、ラドロイバーの目前まで接近したところで彼女は躓いてしまった。

 

『……もう、言いたいことはそれで十分ですか』

 

 自身の足元に倒れ込む彼女を、ラドロイバーは冷たく見下ろしている。そして、ゆっくりと右手を彼女の方に向けていた。

 コートの下に仕込んでいるであろう何かで、とどめを刺すつもりなのか。そう察した瞬間、彼女の袖から赤い光が閃く――

 

『着鎧甲冑ッ!』

 

 ――刹那。白く小さな物体が、電光石火の如き速さでダウゥ姫をさらってしまった。次いで、彼女が倒れていたラドロイバーの足元が、焼けついた痕を残して煙を上げる。

 

『……』

 

 ラドロイバーが静かに視線で追う、物体の正体。それは、レスキューカッツェが所持するR型だった。

 

『はぁ、はぁっ……!』

『お、お前……!?』

 

 しかし、あんな小柄な隊員はレスキューカッツェにはいない。というか、身長制限に確実に引っかかる。

 

『……っぷはぁ! あーもー、死ぬかと思ったわっ! ホンマに好き勝手しまくる奴やなあんたはっ!』

『な、なんだとっ!? お前こそオレの邪魔ばっかしやがって! せっかくオレが活躍してイチレンジの役に立ってやろうって時にっ!』

『なんやと!?』

『なんだよ!?』

 

 ……だが、助かって早々口喧嘩を始める姿を見れば、中の人は察するまでもない。どうやら最初にやられたレスキューカッツェの隊員から腕輪をくすねてきたらしいが……うちの嫁さんも、かなり無茶なことをしなさる。

 それにしても、さっきの攻撃。あの地面を焼いた赤い閃光は――

 

『二人とも喧嘩してる場合じゃないでしょっ! レーザーが来る!』

 

 ――やはり救芽井が言う通り、あの決闘の場で天井をくり抜いたレーザーだったか。

 二人を標的に定めたラドロイバーの右腕が、再び彼女達に向けられる。

 

 しかし、レーザーの第二射が彼女達に向かうことはなかった。

 

『トワァアァアーッ!』

『ぬぁぁぁああーッ!』

 

 ラドロイバーの背後に迫る、金と銀の闘士。その気配を察した瞬間、彼女は振り向きながら薙ぎ払うようにレーザーを照射する。

 しかしそれを読んでいたのか、二人は別々の方向へ回避し、ラドロイバーを挟み撃ちにする体勢へ移った。

 

『古我知剣一。貴様、随分と無謀なタイミングで攻勢に出たな』

『あのお姫様を見ていると、命知らずな誰かを思い出してね。君の方こそ、僕と同じ瞬間に動いたじゃないか』

『なに、知り合いに甲斐性なしで無鉄砲な大馬鹿者がいてな。そいつを思い出して動かずにはいられなくなっただけだ』

『そうかい、奇遇だね。……正直、君とだけは組みたくはなかったが。背に腹は変えられない』

『そうだな。ワガハイとしても貴様と組むなど反吐が出る思いだが……そんな贅沢を言える相手でもあるまい』

 

 憎まれ口を叩き合ってはいるが、仮面越しに伺える、その目の色は先刻よりも滾っているようだった。……つーか二人とも、ちょっと言い過ぎじゃねーのソレは。後で覚えとけ。

 

『さぁ、二人とも下がって! あの二人、遠慮抜きで暴れるつもりだわ。ここに居ては危険よ!』

『そ、そうみたいやな……。ほら、行くでお姫様!』

『……しょ、しょうがねぇな……』

 一方、救芽井は気絶した将軍を担ぎ、矢村とダウゥ姫を連れて戦場から距離を取っていた。彼女の言う通り、ここで戦うからには二人が周囲に遠慮することはないだろう。

 その気になれば加勢することも出来る状況でありながら、非戦闘員の保護を優先する賢明な判断は、さすがとしか言いようがない。俺だったら血の気が勝って戦いに行っちゃいそうだ。

 

『……あー……ヤムラっつったか。お前』

『ん? なんや』

『気にくわねぇし、癪に障ってしょうがねぇが……とりあえず、助けられた礼だけは言っとく。ありがたく受け取っとけ』

『……ホンマ、素直やないなぁ、あんた。うちのダンナみたいや』

『……る、るせぇ』

 

 ――そして、とうとう矢村までが俺をダシにしている頃。

 

『……いいのですよ。何人掛かりで来ても』

 

『その言葉――』

『――刑務所で悔いるがいい』

 

 金と銀の乱舞が、始まろうとしていた。

 



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第218話 金と銀の剣舞

 ラドロイバーを間に挟み、各々の得物を構える茂さんと古我知さん。無駄な動きを一切見せないその姿勢からは、厳かな気迫が感じられる。

 

『……』

『……』

 

 そんな二人に対しても、ラドロイバーは見向きもしていない。眼中にない、とでも言うのだろうか。

 「新人類の巨鎧体」を潰した古我知さんと、俺と相打ちに持ち込んだ茂さんの二人を相手にして。

 

 そして――二人が互いに一歩踏み込み、今まさに飛び掛かろうかという瞬間。

 

『さぁ――どうぞ』

 

 ラドロイバーは、明後日の方を向いたまま穏やかに呟く。まるで、二人が仕掛けるタイミングを見抜いていたかのように。

 

『……ッ!?』

『くッ!』

 

 出鼻を挫かれたのか、二人はそこから同時に飛び掛かる――のではなく、数歩引き下がり体勢を立て直していた。

 彼らの動きを見ていたわけでもないのに……! 何をもって、こっちの動きを見てるんだ……!?

 

『こちらよりも高精度のレーダーだとは思っていたが――まさか、モーションまで確認できるとは』

『熱線映像装置と併用している、ということか。……どうやら、死角に回る程度では虚は突けんようだ』

 

 二人は先程より距離を取りながら、通信でラドロイバーの対応を分析している。集音マイクの音量を最大にしないと、聞き取れない程の小声だ。

 遠方からでも近距離でも、誰がどこでどんなことをしているかがわかるシステム――か。厄介なんて次元じゃないぞ……!

 

『さっきの太刀合わせで背面からの攻撃に対処していたのも、恐らくはそのシステムによるものだと思う。彼女はコートの中に仕込んだそれを使って、僕達の動きを常に把握してるんだ』

『ああ。しかもそれだけじゃない、奴はあのコートの下にレーザー銃も隠している。まずは奴のコートを剥がさなくては、手の内も見えん』

『同感だ。女性の服に手を掛けるのは望ましくないが、命には替えられない。少し、失敬しようか』

『――そうだな』

 

 そこで通信を切り、二人は再び挟み撃ちの体勢に入る。今度こそ、立ち止まりはしないだろう。

 ラドロイバーもそれを感じたのか、腕を組んだ姿勢のまま、指先をピクリと震わせた。やはり、彼らの動きは見えている。

 

『はァァァァァァッ!』

『ぬォあァァァァァァッ!』

 

 しかし、そこはすでに二人も折り込み済みだ。その上で、速さと力と手数で押し切ろうとしている。

 同時に駆け出す二人に、迷いはない。

 

 まずテイザーライフルの麻酔針が、ラドロイバーの首筋を狙う。彼女がそれを片手で払おうとする瞬間――

 

『今だッ!』

『……!?』

 

 ――茂さんは発射している最中の麻酔針を繋いでいるワイヤーを握り、しならせるように右に振り切った。刹那、麻酔針の先端は蛇の如く軌道を変え――払いのけようとした彼女の腕に絡み付いてしまう。

 

『とォォあァァァッ!』

 

 その機転により生じた一瞬の隙を突き、彼女の背後から高電圧ダガーの斬撃が迫る。それに反応したラドロイバーは咄嗟に振り返り、その一太刀を指二本の白刃取りで受け止めた。

 体重も助走も乗せた一撃を、指二本で止めるなんて……どんなパワーしてやがるんだ……!?

 

『ぐッ……! 電磁警棒対策の絶縁体かッ……!』

『――あなたも、着鎧甲冑の兵器化を目指した一人でしょう? 相容れないはずはないと、私は見ていたのですがね』

『僕は着鎧甲冑を兵器にしたかったわけじゃない――ただ、この力を次代に繋げたかった! それだけだッ!』

『私のやり方でも、着鎧甲冑の力は伝わると……約束しますよ』

 

『それは……樋稟ちゃんの! あの娘の望んだ未来じゃないんだァァァッ!』

 

 しかし、それだけでは終わらない。古我知さんは指の隙間から力任せにラドロイバーの拘束を振り切り、再び大上段から高電圧ダガーを振り下ろす。

 そして彼女の実態を暴こうと、コートの胸元に刃を突き立て――

 

 ――止まってしまった。

 

『……こ、これはッ!?』

 

 高電圧ダガーで胸元からコートを切り裂き、ラドロイバーの戦力を暴く。本来なら、そうなるはずだった。……はず、だったのだ。

 しかし現実では、高電圧ダガーは胸元の隙間に刺し込まれたところで止まってしまっている。斬れるはずのものが――斬れない。

 

『コッ――コートの下に仕込んでるわけじゃない! このコートそのものが……!』

 

 それが意味するものに気づいた瞬間。赤い電光が怒るように閃き――彼女の無機質な瞳が、古我知さんに向けられた。

 

 ――ダメだ、古我知さん!

 

 俺が胸中でそう叫ぶよりも速く。高電圧ダガーを握る古我知さんの義手が、部品を撒き散らしながら吹き飛んで行く。次いで足も、残った腕も。瞬く間に、切り刻まれてしまった。

 

『ごふっ……!』

 

 そしてとどめを刺すかのように、ダルマにされた古我知さんの身体にラドロイバーの蹴りが入る。サッカーボールのように吹き飛ばされた古我知さんの身体は、頭から突き刺さるようにグラウンドに墜落した。

 随分と……派手にやってくれたもんだッ……!

 

『おのれ――ぐォァッ!』

 

 茂さんも追撃に出ようとした瞬間、胸板に靴底を叩き込むような蹴りを受け、激しく吹き飛ばされてしまった。

 しかもその頃には、麻酔針と銃剣を繋ぐワイヤーがレーザーで焼き切られてしまっていたのだ。これでは、もうテイザーライフルとしての効果は発揮できない。

 

『……申し訳ありません。少しばかり、力が入り過ぎてしまったようで』

 

 ほんの僅かに揺らいだラドロイバーの表情も、すっかり元通りになってしまっている。ここまでの犠牲を払っても……ダメージ一つ、まともに通らないなんて。

 

『……ま、だだ。まだ、何も終わっては……! ゴ、オァッ!』

『――立ち上がらない方が身のためですよ。肋骨も何本かは折れているはずです』

 

 なおも立ち上がる茂さんだったが、身体はかなり限界に近いらしい。マスクの隙間から、吐き出された鮮血がこぼれ出ている。

 ……無茶だ。これ以上、どうする気なんだ茂さん!

 

『し……げる、君……。もう、それ以上戦っては……!』

『ふん……! 四肢をもがれた貴様にだけは、言われたくはない、わッ……』

 

 辛うじて意識を保っている古我知さんも、ボロボロの状態だ。こちらは電動義肢の全てを破壊され、もはや戦うどころか立ち上がることさえできない。

 

『……あなた方の想い、しかと拝見しました。もう十分でしょう。いたずらに、命を消費することもありません』

『ぬかせ……! ここで貴様を野放しにすれば、違う命が犠牲として消費されるだけのこと! それを防げぬ者が、着鎧甲冑を語るわけには行かぬ! ――う、ぐッ!』

『――何がそこまで、あなたを駆り立てるというのです』

 

 膝から崩れかけ、銃剣を杖に辛うじて両の足で立つ茂さん。そんな彼の姿に、ラドロイバーは少しばかり眉をひそめていた。

 そう。あの無慈悲にして無表情のラドロイバーが、表情を変えたのだ。

 

『……我が久水家は、長きに渡り日本の財政に携わってきた。それはすなわち、民の生活――幸せを預かるということ。力を持つがゆえに課せられる責任を、負うということだ』

『……』

『ワガハイは、そんな自分の生家が好きではなかった。趣味の西洋にかぶれ、気ままに生きる。それでいいとさえ……』

 

 そんな彼女に視線を合わせるように、茂さんも顔を上げる。その仮面の奥に燻る瞳は、研ぎ澄まされた剣のように鋭く――揺るぎない。

 

『だが……ワガハイの最愛の妹が、愛する男が正義に狂って行く苦しみに苛まれていた時。気づかされたのだ。生家を嫌うあまり久水流という「力」を持つことに手を抜いたがために、守るべき家族の苦しみにすら目を背けていた……己の醜さにな』

『し、茂君……』

『――この頭はかつて、妹を守るという誓いの証だった。そして今は久水流銃剣術を極め、民の幸せを守り抜くと梢に約束した、オレ自身の成り立ちの全てだァッ!』

 

 そして、雄叫びが上がる瞬間。

 茂さんは己を奮い立たせるようにサムライダイトを振り上げ――完全に両足のみで立ち上がって見せた。

 

『家族と……家族が守る民のため、ですか。ダスカリアンの民にまで手を差し伸べるとは、随分と寛大な方のようですね』

『それが愚かに見えるのならば、好きなように申せ。民の命のために戦う者の強さ――』

 

 そして、冷ややかな口調の彼女に銃剣の先を向け――

 

『――あの男に代わり、貴様に証明してくれる』

 

 ――俺の代わりに人々を守り抜くと、宣言するのだった。

 

 ……ちくしょう。まだ、まだ着かないのかッ! 急いでくれ、鮎子!

 間に合わせてくれッ!

 



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第219話 迫る死闘と影

『――ォォォオオオッ!』

 

 地の底から唸るような雄叫び。それが響き渡る頃には、サムライダイトの切っ先がラドロイバーの眉間に迫ろうとしていた。

 弾丸の如き速さ。人間の常識を超えない相手だったなら、この一撃だけで勝敗が決していたところだろう。

 

『いい踏み込みですね』

 

 ――それすらも容易く見切るラドロイバーが、相手でさえなければ。

 彼女は茂さんの刺突を、僅かな足捌きだけでかわしてしまう。紙一重でかわされれば、生まれてしまう隙も大きい。

 だが、それは攻撃が刺突だけで終わった場合の話だ。久水流銃剣術の本領は、あらゆる状況に柔軟に対応し、確実に一太刀を浴びせる汎用性にある。

 

『久水流銃剣術――蛇流撃ッ!』

 

 紙一重の距離で横にかわされる瞬間。茂さんは電磁警棒をテイザーライフルの銃身から抜き放ち、横一線に薙ぎ払う。狙うはラドロイバーの露出した頬。

 命中すれば、昏倒間違いなし――

 

『……』

『――ちィッ!』

 

 ――だというのに。一瞬の追撃だったというのに。ラドロイバーはあっさりと、指で電磁警棒を「摘んで」蛇流撃を止めてしまったのだ。

 紙一重でかわす方が却って危険であるはずの蛇流撃に対応した反射神経と動体視力も十分脅威だが――電磁警棒に直に触れても感電しない絶縁体繊維の強度、そして全力で振り抜いた一撃を指三本で止めてしまう膂力。

 一体、どうすれば――どんな攻撃を浴びせれば、この鉄壁を破れるというのか。

 

『先程のあなたの技。あれを見れば、何を狙って真っ向から挑んでくるかは、すぐに推測できますから』

『――なるほど、さすがによく見ている。……だが、それは机上の空論というものだッ!』

『……!?』

『久水流銃剣術――虎流撃ッ!』

 

 それでも、茂さんは諦めない。蛇流撃を放った電磁警棒の軌道とは反対の方向から、銃床に遠心力を乗せた追撃を放つ。

 獲物を捉えた猛虎の如き、決して相手を逃がさぬ獰猛な追撃。その凄みは、実際にその一撃を浴びた俺がよく知っている。

 

『……!』

 

 だが、その奇襲攻撃すらも、ラドロイバーは凌いでしまう。視界の外から振りかぶってくる銃床を、掌で受け止めてしまったのだ。

 ――しかしその動作は、これまでの余裕を伺わせる防御の数々と比べ、若干タイミングが遅れかけたように見えた。

 加えて、虎流撃を止めた彼女の頬からは、一滴だけではあるものの――冷や汗が伝っている。

 

 初めて――ラドロイバーの絶対的な余裕が、揺らいだのだ。

 行ける。行けるぞ、茂さん!

 

『ぐ……が、はッ!』

 

 ――ッ!?

 

『……よく、頑張りましたね』

 

 茂さんの優勢は、ここで終わってしまうのか。虎流撃が止まった直後、彼はさらに仮面の中で血を吐き出し――膝から崩れ落ちて行く。

 

『ぐ……ぅ、ぬぅあぁあァァッ……!』

 

 その様を見下ろすラドロイバーの声色は、再び落ち着きを取り戻したのか穏やかなものになっていた。

 

 俯くように顔を伏せ、脱力するように落ちていく。電磁警棒と銃身を握る腕も、するりとラドロイバーの拘束から撫でるように抜け落ちてしまった。

 

 ……くッ! 死んだら……死んだら、何にもならないんだぞ、茂さん……!

 もういい、もうすぐ着く、もうすぐそこにたどり着くから……もう立ち上がるんじゃねぇ、あとは俺が――!

 

『――まだ、終わりだと思うな……!』

 

 ――刹那。

 

 膝から崩れ落ちて行く、「龍を統べる者」のマスクの眼が――蒼く煌めいた。

 

 消えかけた蝋燭の火が、最後の瞬間に燃え上がるように。

 

『……ッ!?』

『――久水流銃剣術、秘技』

 

 次いで、真下に崩れ落ちて行く姿勢から――弧を描く軌道で、茂さんの上体が再び浮き上がる。急降下した飛行機が、体勢を持ち直して急上昇するかのようだった。

 

 そうして身体を上昇させながら、虎流撃の軌道で銃身を振るう勢いに流されるかのように、彼自身の身体も半回転を起こしていく。

 

 ……まさかこれは、虎流撃からさらに派生した技なのかッ……!?

 

『――獅流撃(しりゅうげき)

 

 俺がその結論にたどり着く瞬間。茂さんの呟きと共に――

 膝から崩れて行く姿勢から、アッパーのように下から突き上げる動きで放った、強力な飛び後ろ回し蹴りが――ラドロイバーの土手っ腹に炸裂した。

 

 ――恐らくは、蛇流撃も虎流撃も受け切られた時のために作られた、銃剣術の理から外れた「秘技」。

 膝から落ちて力尽きたと思わせ、虎流撃の流れが生む遠心力を利用して放つ、最後の一撃必殺なのだろう。

 

 下から抉り込むような蹴りを受け、ラドロイバーは数歩後ずさる。彼女の防御力がなければ、今の一撃で確実に終わっていた。

 まさに、眠りから醒めた獅子の猛襲。これを受けて大して効いてないのなら、俺が到着しても勝ち目がないかも知れん……。

 

 頼む。この一撃だけは、通用しててくれ……!

 

『……』

 

 ――そんな俺の願いは、最悪な形で叶えられてしまった。

 

 腹を撫で、再び直立不動の姿勢に戻った彼女からは……慢心の色が見えない。

 その眼は、摘み取るべき危険な芽を見つめる狩人そのもの。茂さんを外敵として認めた、戦士の貌であった。

 

『ぐっ……ぅ、ぁ……』

『し、茂さんっ! 逃げてぇっ!』

『茂君ッ! 早く逃げるんだァッ!』

 

 一方、茂さんは今度こそ力尽きたのか、膝をついて身動きが取れない状況になっていた。救芽井や古我知さんが撤退するよう呼びかけているが、もはや逃げるどころか返事することさえ叶わない状態だ。

 

 ……なんてことだ。ラドロイバーに手痛い一発を浴びせるどころか、却って怒らせてしまった。しかも、当の茂さんはもう身動きが取れない。

 今まで手加減していたラドロイバーがこの状況で本気になろうものなら、全滅は必至。……くそッ、最悪過ぎるぜッ! 早く辿り着かないと、皆殺されちまうッ!

 

『……見事です。私にここまで強力な一撃を浴びせるとは。やはり、只者ではありませんでしたか』

『う、ぐ……!』

『ですが、そろそろあなたも限界でしょう。一兵士としての経緯を込めて、せめて苦しまずに逝かせて差し上げます』

 

 そんな俺の焦りをさらに煽るように、ラドロイバーは茂さんの正面に歩み寄り――彼の眉間に、袖口を向ける。――レーザーで、頭を撃ち抜く気だ。

 

 その時、グラウンドを覆うナイターの光が、スポットライトのように二人を照らす。戦いが長期化したためか、既に辺りは薄暗くなり始めていた。

 

 ……ちくしょう。まだなのか。まだなのか、鮎子ッ!

 

『そこまで、だッ!』

 

 すると、抵抗する間もなく行われようとしていた処刑を――新たな声が遮った。

 

『……お早いお目覚めでしたね』

『抜かせッ! このワーリ・ダイン=ジェリバン、この程度で屈する武人ではないッ!』

 

 声の主――ジェリバン将軍は震える足に鞭打つように、再び立ち上がろうとしていた。

 

『ジェ、ジェリバン将軍! 無茶です!』

『ワッ……ワーリっ! ダメ! 絶対にダメだっ! 今行ったら、死んじゃうっ!』

『……姫様。キュウメイ殿。私は、守るべき者のために戦うことこそが、かけがえのない使命なのです。ここで私がいつまでも倒れていては……「将軍」の名折れ』

 

 彼はダウゥ姫や救芽井の制止を振り切り、ついに両の足で立ち上がってしまう。無茶にも程があるぞ、将軍ッ!

 

『……ヤムラ殿』

『え? ア、アタシ?』

『私に万一のことがあった時、イチレンジ殿に伝えて欲しい。姫様が望まれた未来を、貴殿に託すと。そして――』

 

 そのまま将軍は満身創痍の身を押して、ラドロイバーと対峙する。そんな彼を前にしても――ラドロイバーの表情に、手加減の色はない。

 本気で殺すつもりの、顔だ。

 

『――国の未来を賭けた決闘として、ではなく。ただ純粋に力を試すための勝負を……心ゆくまで、続けたかったと』

 

 それでも、将軍は向かっていく。声にならない叫びを上げ、ただひたすらに――突き進む。

 迎え撃つラドロイバーも、その拳を強く握りしめていた。もう、容赦はない。

 

『イチ、レンジ……早く、来て……来てよぉッ……!』

 

 その時。

 

 彼の背に手を伸ばすダウゥ姫が、涙声でそう呟き――

 

『龍太君ッ……!』

『りゅ、龍太ぁ……』

『頼む……急いでくれ、龍太君……!』

『旦那ァッ……!』

『一煉寺の坊や……!』

『龍太……様ッ……!』

 

 ――それが波及するように、他の仲間達も俺の名を呼ぶようになっていった。

 ……わかってるさ。救芽井、矢村、古我知さん、フラヴィさん、ジュリアさん、久水先輩。もう十八時は回ってるはず――そろそろ、松霧町にたどり着く頃だ!

 

 顔を上げた俺の視界の先では、見慣れた町並みが小さく覗いている。ここまで来れば、あとは目と鼻の先。

 待たせたな、皆。もうすぐそこに――

 

『……一煉寺龍太君。ただちに着陸し、着鎧を解除したまえ』

 

 ――ッ!?

 

「なッ!?」

『聞こえなかったか。ならば、もう一度言おう。ただちに着陸し、着鎧を解除してくれたまえ』

 

 何が、起こったんだ。

 

 いきなり瀬芭さんのカメラ映像が途絶えたかと思ったら、さっきと違う景色に映像が切り替わってしまった。

 

 しかも、映っているのは全く面識のない五十代程の中年男性。黒いスーツを着込み、黒い髪を切り揃えた姿からは、清潔な雰囲気を感じる……が、一体誰なんだこのおっさんは。

 話し方やこの雰囲気から察するに、どこかのお偉いさんのようだが……。

 

「鮎美先生、鮎子! これは一体……!?」

『この通信は首相官邸から、日本最高のアクセス権限を行使することで繋がっている。通常回線ではしばらくは繋がらない』

「官邸、だと……!?」

 

 この男……官邸からの通信で、俺達の情報を遮断してるってのか!?

 

 まさか――

 

『……失礼、申し遅れた。私は牛居敬信(うしいたかのぶ)。内閣総理大臣の政務担当秘書官を務めている者だ』

 

 ――とうとう感づかれたのか、日本政府にッ!

 



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第220話 残された時間

「政務担当、の秘書官……!? 鮎子を乗っ取っておいて、言うことがそれか!」

『そうだ。――あぁ、心配はいらない。こちらから干渉しているのはモニタリングと会話機能のみだ。そのマシンを動かしている彼女がこれだけで墜落することはない。私としては君の口から穏便に、着陸を命じて欲しいからね』

 

 通信を妨害し、行動を中止せよと命じる男――牛居敬信。

 総理大臣の秘書官様がわざわざ仕掛けてくるってことは……それが、国の意向ってことかい。ふざけてやがる!

 

「――それで『はいそうですか』と応じるタイプに見えるか?」

『君の人柄は関係ない。これは、国家の命令なのだ。君に選択の余地はないのだよ』

「……なぜ見捨てさせる。見殺しをさせようとする!」

 

 俺だってお国の命令に背くなんて破天荒な真似はしたくないが、状況が状況だ。今さら、引き下がるなんて選択肢はない。

 それどころか将軍の安否が不透明である以上、何をおいても急行しなくてはならない事態なんだ。こんな時に余計な茶々を入れられたら、相手が大統領でも文句の一つは言いたくなる。

 

『……この一件に深く関わっている君のことだ、何も知らないわけではあるまい。十一年前の瀧上凱樹が起こしたジェノサイドにより、ダスカリアン王国は甚大な被害を被った。当時の政府はこの件を公には認めていないが、既にダスカリアンの国内では噂として周知されつつある』

「――だから、なんだっていうんだよ!」

『十一年前のジェノサイドがまことしやかに知れ渡った今の状況を、真相を知るダスカリアン首脳部に付け込まれてしまっては、日本の国際社会における信用は失墜するだろう。それならば日本の汚点が世界に知れる前に、彼らの王女が望むまま、日本と縁を切って衰退して頂いた方が、我々としても都合がいいのだ。臭いものが自らに蓋をしたいと言っているのだからな』

 

 一方、牛居さんはそんな俺の憤りなど気にも留めず、好き放題に物を言っている。素で言っているのか、俺を挑発するつもりなのか。

 ――どっちにしろ、腸が煮えくり返る思いだ。

 

「……その前にここでダウゥ姫やジェリバン将軍に何かあったら、それこそ失墜じゃ済まねぇはずだぞ! 今の状況を知っててそう言ってんのか!」

『その場合、犯人はエルナ・ラドロイバーだろう。日本人の仕業でないのなら手の打ちようはある。瀧上凱樹の情報のみを削除し――彼女に纏わるデータを証拠として切り抜き、王家暗殺とジェノサイドの首謀者というサンドバッグに仕立てる――というようにな』

「な、なんだそりゃ……!」

『少なくとも彼女が諸悪の根源であることは事実だろう? 我々も嘘をつくつもりはない。威力はどうあれ、瀧上凱樹は所詮彼女の使い走りでしかなかったのだ。雑兵一人の情報に新聞のスペースをくれてやることもなかろう。……もっとも、ラドロイバーに対して多少の脚色は入るかも知れないがね。日本に暗殺の罪を着せるために、来日のタイミングを狙った――と』

「……、……」

『何より、その方が口封じとしては手っ取り早くて我々も助かる。ダスカリアンの首脳部二人が倒れれば、後は所詮烏合の衆。仮に真実を知ったとしても、もはや国家の解体は免れん』

 

 淡々と恐ろしい言葉を、平然と並べている。……これが、俺達のお上だっていうのかよ。

 寒気すら感じるその冷徹さに、俺は僅かに言葉を失ってしまう。こいつら、ダウゥ姫を助ける気がないばかりか、この戦いで死んでも上手くそれを利用する気でいやがる。

 

「……ダウゥ姫は……あの娘は……死にたくない、って、言ってんだぞ……!」

『――そうか。だが、生きていたいという望みが叶わない悲劇はザラにある。仕方のないことだ』

 

 だから……その悲劇のシナリオには俺が邪魔だから、松霧町に行くなって言ってんのか。この男は!

 

『私を汚いと思うかね。許せないと思うかね』

「……」

『――許せないはずだろう。そう感じる人間でなければ、あの潔癖な救芽井甲侍郎が君を買うはずがない。彼の非武装主義は狂気の域だからね。瀧上凱樹さえ救おうとする程の酔狂さがなければ、ついていけない領域なのだろうな』

 

 俺の怒りを知ってか知らずか、彼の煽るような口調はなりを潜め、少しずつ穏やかな声色に変化していった。

 ――潔癖、ね。確かに甲侍郎さんを端から見たらそう感じるだろうが……ラドロイバーのような人間に着鎧甲冑の力を狙われてると思えば、ああなるのも納得だ。

 

『だが、そんな君が君であるために必要だったこの国を守ってきたのは、私達のような政治屋だ。救うべき人間も、捨てるべき人間も、私達が皆、選別してきた。君のような国民を守るためにな。それは、これからも変わりはしない』

「ダウゥ姫は……ダスカリアン王国は、見捨てるべきだっていうのかよ!?」

『その通りだ。あの国との関わりで我が国が得することなど、背負うリスクの重さに比べればないに等しい。世界を股にかける救芽井エレクトロニクスのエースである君一人の方が、よほど保護する値打ちがある』

「……その俺が、助けたいと言ってもか」

『それでも、だ。私達としてもヒーローとして名高い君を、国家に逆らった前科者にしたくはない。君も日本国民なら、日本国民のためにその力を振るってくれたまえ。君が命を張るステージは、ここではないのだよ』

 

 ……この連中には、この連中なりの考えがあってのことなんだろう。この男が語るような汚い策略がなければ、俺達の当たり前の幸せが続かなかったって時もあったんだろう。

 それは、わかる。綺麗なことだけじゃ世の中は回らないし、純粋な幸せも守れないってこと、わかるさ。

 

 ――けどな。それでも俺は、「救済の重殻龍」なんだ。

 ダウゥ姫と、ダスカリアン王国を守るために、この力を手にしたんだ。俺を想ってくれたあの娘を、泣かせてでも。

 

 その俺がここで逃げたら――きっとこの先、守れるはずの人々も守れなくなってしまう。そんな気がして、ならないんだ。

 

 綺麗なことばかりってわけにはいかない。わかってんだよ、んなことは最初から。

 だからって、綺麗になろうとしちゃいけないなんて、そんな理屈は通らないだろ。

 

 俺は確かに綺麗なんかじゃないけど、それでも。

 ――汚いことを、当たり前にしたくはないんだ!

 

「……悪いな、牛居さん。やっぱり、俺は――」

『牛居君。交渉する相手が違うのではないかね?』

「――ッ!?」

 

 日本という国家に逆らう。その咎を背負う覚悟を、決めようとした瞬間。

 俺の言葉を遮り、別の男性の声が俺達の通信に割り込んでくる。こ、この声は……!?

 

『伊葉氏……なぜこの通信に』

『ダスカリアン復興のためには、諸外国から物資を輸出入する外交制度の見直しも必要だったからな。その施策に協力するために、ジェリバン将軍から王室の国際通信に繋がるパスコードを預かっていたのだ』

『……なるほど。国内からの回線なら決して割り込めないこの通信も、王国の国際通信を操れるアクセス権限を持つあなたならば、その限りではない。相変わらず、強かなお方だ』

『十一年前から、私は何も変わってはいないさ』

 

 ……えっと。つまり、伊葉さんは自分が持ってるパスコードを使って、王室の国際通信に日本から接続して、そこからこの通信に割り込んだってことか?

 回りくどくてしょうがない……っていうか、この二人知り合いなのか?

 

『しかし、日本からダスカリアン王国の王室に繋げられる回線など、この官邸以外にそうはないはずですが』

『甲侍郎が着鎧甲冑の配備のために繋いだ世界中の情報網(パイプ)を通じて、王室の国際通信に接続させてもらった。彼も救える命を見殺しにするつもりはないようでな』

『……あなたは、また過ちを犯そうというのですか。災厄を呼び込むとわかっていて、なぜあの国を……』

『瀧上凱樹という男をダスカリアン王国に招いてしまったのは、私の責任だ。その贖いを終える日まで、まだ私は立ち止まるわけには行かん。何より、そのために今最も必要とされている彼を、躊躇わせるわけには行かんのだ』

 

 ――どうやら、この戦いには甲侍郎さんも協力してくれているらしい。何が何でもダウゥ姫を死なせまいと、皆が全力を挙げている。

 それに応えるためにも……やはり、俺は行かなくちゃならない。例え、それが罪なのだとしても。

 

『どういう理念があなたにあろうと、私達の選択は変わらない。着鎧甲冑を狙い日本に現れたエルナ・ラドロイバーのテロに乗じ、ダスカリアン王国の首脳陣二名には、ここで舞台から降りて頂く』

 

『……ふむ。どうやら君は一つ、思い違いをしているようだな。――私がそんな殊勝な建前だけでここまで本気になっていると思うかね』

『……なんですと?』

 

 ――すると。

 伊葉さんの声色が――深く沈んだ色に変わる。今まで、聞いたことのない声だ。

 

『まだわからんのなら、教えてやろう。エルナ・ラドロイバーを日本に呼び込んだのは、私だ』

 

 そして、次の瞬間。

 彼の口から、とんでもない情報が飛び出していた。

 ――嘘、だろう。何を考えてそんなこと……!

 

『……何を仰るのかと思えば。そんなことをして、あなたに何の得があるというのです』

『彼女は「新人類の巨鎧体」の基礎設計を担当し、四郷鮎美を利用してあの超兵器を実現させた。その力、闇に葬るには惜しいと思わんかね』

『一煉寺龍太君を餌にラドロイバーを日本へ誘い込み、その技術を狙った……そう仰るので?』

『その通りだ。龍太君の力でラドロイバーをねじ伏せれば、あの技術は日本のものとなる。その時のお零れを期待しても、バチは当たらんと思うのだがな?』

 

 牛居さんに自らの陰謀を語る伊葉さんの声は、深い濁りの色を漂わせている。まるで、地獄の底から唸りを上げる鬼のようだった。

 

 ……バカな。ダスカリアン王国を救おうと尽力したのも、俺にそれを託したのも、ラドロイバーの技術を奪うことへの報酬が目当てだったっていうのか!?

 そんな人が、十一年もかけて復興に力を入れたりするもんかよ!

 

『――仮に、そういうことだとするならば。私は日本の国土に危難を運んできたあなたを、野放しにはしておけなくなる』

『いいのかね? 私はラドロイバーの情報を握っているのだぞ。取引する価値があるとは思わないのか。それに避難している松霧町の住民も、私の手中にある』

『我々の務めは、この国の平和と安寧を守ること。それを乱す外敵には決して屈してはならない。それが、かつて私が担当していたあなただったとしてもだ』

『――ならばさっさと捕まえに来るがいい。松霧町の人々に、危害が及んでも知らんがな』

 

 ……一体、伊葉さんはどうしちまったんだ。こんなことを言う人じゃなかったはずなのに……?

 

『……やはり、あなたは変わらない。どこまでも自分を犠牲にすることしか知らない、愚かな男だ』

『――さて、何のことかな。それより、この会話は総理大臣の耳にも入っているはず。君もさっさと国に仕える者としての務めを果たさねばならんだろう。早くしないと私の操り人形が現場に到着してしまうぞ?』

『承知しています。……伊葉和雅。国家の平和を乱した疑いのあるあなたの身柄、拘束させて頂く』

 

『……好きにするがいい』

 

 その嘲るような言葉を最後に、伊葉さんの通信は途絶えてしまった。一体、彼に何が起きてしまったんだ……!?

 

『……君も、せいぜい後悔しないようにすることだ』

 

 彼の真意を問う暇もなく、牛居さんとの通信もそこで途切れてしまった。

 焼け付くような夕陽が沈み、夜の帳が降りる頃。暗転したままの画面を見つめる俺を乗せて、「超機龍の鉄馬」は松霧町に到着しようとしていた。

 

 なぜ……どうして……伊葉さんは、あんなことを……。

 

『国家反逆の罪を、肩代わりしたのよ――彼は』

「――ッ!」

 

 その時。音信不通となっていた会話機能が突如蘇り――鮎美先生の声がスピーカーから飛び出してくる。その不意打ちに、俺は思わず仰け反ってしまった。

 

「肩代わり、だって……!?」

『ええ。あなたを利用してラドロイバーを捕縛し、彼女の技術を手土産に恩恵に預かる。それが真の狙いというシナリオを翳して、この件の罪を一人で被るつもりなのよ』

「そんな……」

『もちろん、そんなものは方便だってこと、向こうだってお見通しよ。だけど官邸から繋がってる特別回線であんなことを言われた以上、向こうも国家の体裁として動かないわけには行かない。結果、彼の拘束に政府が動いている間に、あなたがラドロイバーと戦える、というわけ』

 

 ――つまり伊葉さんは、自分自身を悪役に仕立て上げることで、スケープゴートの役を買って出たということなのか。

 そんなことをしたら……!

 

『……当然、彼は積み上げてきた全てを失うわ。その全てを、あなたが使う僅かな時間に懸けたのよ、彼は』

「伊葉さん……」

『彼は、私に話したの。あの日の決闘に敗れ、あなたに頼るしかなくなった瞬間から、自分は償い難い罪を背負っていたんだと……』

「……」

『ダスカリアンの未来は、文字通りあなたに懸ってるのよ。龍太君。――ここで逃げ出す、あなたじゃないわよね』

 

 伊葉さんの行く末を案じる俺に、鮎美先生は焚き付けるように声を掛ける。――これは出てくる答えを、初めから知っている人間の声だ。

 

「――当然。なんとしても、繋いで見せる! 行こう、鮎子!」

『……うんっ!』

 

 牛居さんの妨害から解放された鮎子の返事が、弾けるように響き渡る。

 

 ……俺はここにたどり着くまで、色んなものを、色んな思いを犠牲にしてきた。もう、レスキューヒーローを語れる体裁なんて、毛ほども残っちゃいない。

 それでも、せめて。今、生きている命が未来に繋がるように――今の俺に出来る精一杯を、全うしたい。

 それだけがきっと……俺に残された、最後の正義だから。

 

「――見えた!」

 

 映像と同じ光景が、視界に広がっていく。

 

 砕かれた町並み、住宅街の焼け跡。鎮火された校舎。

 ――そして、ナイターに照らされたグラウンドと――

 

「……龍太君ッ!」

 

 ――涙ながらに俺を呼ぶ、救芽井の姿。

 

 それを見つける瞬間。鮎子が操る「超機龍の鉄馬」はグラウンドの上を滑るように、ナイターというスポットライトの中に着陸した。

 突然空から飛来してきた新手に、静まり返る一同。そんな彼らを一瞥し、俺は着陸した体勢のまま後ろを振り返る。

 

 ……目に映るは、ラドロイバーの冷たい瞳。

 

「――お待ちしておりました」

「そうかい。――待たせて、悪かったな」

 

 あの日から、約二ヶ月。

 

 再会は、果たされた。

 



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第221話 願いの繋ぎ人

 「超機龍の鉄馬」から降り、ラドロイバーと相対する俺は、静かに――熱く。拳を握り締める。

 ――俺がいない間に、随分と好き放題に暴れてくれたな……。

 

「以前とは、随分と出で立ちが違いますね。兵器より兵器染みていますよ」

「あんたの兵器なんかには決して負けない拳――という意味なら、その通りだな」

 

 束の間の静寂。その中で僅かな音を立てる風が、一つの「爪痕」を運んできた。

 それが眼前を横切る瞬間、俺は咄嗟に片手でその実体を捕まえる。

 

「……」

 

 この手に握られたのは――端々が黒焦げている、一枚の画用紙。

 裏返してみると、そこにはクレヨンで描かれた「救済の超機龍」の絵があった。幼稚園児が描いた作品らしく、線はぐちゃぐちゃだったが――赤いスーツや黒い角という特徴はよく捉えている。

 イラストの下部には、「いつもありがとう!」と書き殴られた後も伺えた。

 

 ――この町の皆も、着鎧甲冑部も、伊葉さんも、将軍やダウゥ姫も――皆、俺を信じてくれている。だのに、俺は……。

 

「りゅ、龍太君……」

「……これ、大切に持っていてくれ」

 

 俺は駆け寄って来る救芽井に画用紙を渡すと、歩みを進めてラドロイバーとの距離を詰める。

 その間、俺も彼女も口を開くことはなかった。

 

「……」

「……」

 

 いつでも戦闘に入れる、絶妙な間合い。そこまでたどり着いたところで、俺は立ち止まる。

 そんな俺をジッと見つめる彼女の足元では、再び打ち倒されていた将軍が、小さく呻いていた。

 

「……」

「ぐあッ!」

 

 ラドロイバーは無言のまま、彼を俺の方まで蹴飛ばしてくる。その光景を目の当たりにしたダウゥ姫が、俺の後ろで短く悲鳴を上げた。

 俺はその隙を突いた奇襲を警戒しつつ、片膝をついて将軍を助け起こす。……動けない人間に、ここまでするかッ……!

 

「将軍、立てるか」

「……ああ、すまない。カズマサ殿が予見していた通り……君に頼る、ことになってしまったな……」

「――喋らなくていい。フラヴィさん、ジュリアさん、将軍を」

「……おぅ」

「あとは任せな、坊や」

 

 視線でラドロイバーを威嚇しつつ、俺はレスキューカッツェの二人を呼び寄せ――将軍に肩を貸した。かなり痛めつけられているらしく、声もほとんど掠れている。

 

「……イチレンジ殿。我々はこの十一年、あの日の惨劇を乗り越えるために生きてきた。もう二度と、あのようなことが起きぬように……次の世代が、争いに苛まれることが、ないように」

「……」

「そして、それすらも叶わぬのならば、せめて……姫様の、あの娘の望んだ未来だけは捧げねばならぬ、と……」

「……ダウゥ姫は、生きたいと願った。それが、全てだ」

「そうか……やはり姫様は……生きる未来を、お望みになられたか。ならば……もう……」

 

 ――戦う必要なんて、ない。

 そう。俺達は、本当は初めから戦う必要なんて、なかったんだ。

 あの娘が生きたいと願ったのなら、それで十分だったのだから。

 

「……将軍、もういい」

「た、のむ。姫様を……ダスカリアン王国の、未来を……」

 

 その真実にたどり着く頃には、既に将軍は意識が朦朧となっていた。それでも、最後の力を振り絞るように――震える手を、懸命に俺の顔に伸ばしている。

 彼はそのまま、俺の仮面の頬に手を当て――撫でた。まるで、幼い我が子を慈しむかのように。

 

「繋いで……くれ。テン……ニー、ン……」

 

 そして、その一言を最後に。

 ジェリバン将軍の意識は、完全に消え失せた。

 

「……」

「……大丈夫だぜ、旦那。こりゃあ気絶してるだけだ。四肢の骨とアバラがほとんどブチ折られてるが……十分回復の余地はある」

「隊長、とにかく病院前に移した方がいい。先に運ばれた久水会長と古我知さんも酷いが、間違いなくこのデカブツが一番重傷だ」

「わかってらぁ。んじゃ、アタイらはもう行くぜ旦那。……あんたの手で、この町の笑顔――取り返してやんなよ」

 

 俺は無言のまま、フラヴィさんとジュリアさんに将軍を引き渡し――再び、ラドロイバーの方へと向き直る。

 

「……」

「マスク越しでも伝わる、瞳に込められたその殺気……なるほど。瀧上凱樹では、あなたに勝てなかったわけです」

 

 そんな俺の視線を浴びてもなお、ラドロイバーは表情を崩さない。あくまで怜悧冷徹そのものといった面持ちで、俺と眼差しを交わしている。

 

「――あなたなら、瀧上凱樹さえ超える最強の強化装甲兵にもなれたはずですが……どうやら、その拳を向ける相手を間違えているようですね」

「……間違えちゃいないさ。少なくとも、俺にとっては」

 

 俺も、ある意味では瀧上凱樹と何も変わっちゃいない。鮎子を苦しめ、救芽井や久水先輩を泣かせ、茂さんをぶちのめし――そうまでして得た力で、着鎧甲冑に最も望まれない「戦い」に、身を投じようとしている。

 

 自分自身の正義に従い、他の皆を踏みにじり。そうした果てに、俺はここにいる。どう言い繕ったところで、その真実が変わることはないし――否定するつもりもない。

 

 だが。

 そんな奴にも、守れる命はある。繋げる未来はある。

 

 それを――今から、証明してやる。

 

「ダスカリアンのためにも、ダウゥ姫のためにも……皆のためにも、矢村のためにも」

 

 ――そして、兄貴のためにもッ!

 

「……お前は、必ずここで止めて見せる!」

 

「……そう。『優しい』のですね、あなたは」

 

 ラドロイバーが残した言葉の意味。

 それを咀嚼する間も無く、彼女の殺気が膨れ上がる。

 次いで、その威圧に反応した俺の両足も臨戦態勢に入った。

 

『龍太様……ご武運を』

『……先輩、死んじゃダメだからね』

『龍太君……信じてるよ』

「――わかってるって、任せときな」

 

 そして、着鎧甲冑部からの無線越しエールを受け取り――

 

「りゅっ……龍太ぁーっ! 負けるなぁあーっ!」

「……イチレンジッ! やっちゃえぇえーッ!」

 

 ――矢村とダウゥ姫の叫びが轟く瞬間。最後の戦いが、幕を開ける。

 

『行こう、先輩!』

「……ああ!」

 

 「救済の重殻龍」の、最初で最後の戦いだ。

 



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第222話 空戦拳舞

 鎧を通し、スーツを通し、伝わる殺気。

 そこからどのような攻撃が飛んで来るのかはわからないが――受け手に徹しているばかりでは、状況は動かない。

 

「二段着鎧の真髄――」

『――篤とご覧あれ』

 

 まずはこちらから仕掛けて、手の内を引きずり出すッ!

 

「ホワチャアアアッ!」

『ホワチャアアアッ!』

 

 俺と鮎子の怪鳥音が重なると――地を蹴って飛び出す身体に、小型ジェットの加速が乗った。俺の思考と身体の動作を、彼女は確実に読み取っている。

 

「……ッ!」

 

 鎧に取り付けられた小型ジェットは蒼い炎を噴き出し、俺の飛び蹴りに猛烈な推進力を加えていた。

 それを目の当たりにしたラドロイバーは、一瞬だけ目を見開くと――後方に飛び上がり、回避行動に出る。

 

 今まではどこからどんな攻撃が来ても、彼女は微動だにせず受け止めてきた。その彼女が、自ら動いて避けることに専念している。

 つまり――このパワーでぶつかる攻撃は、受けきれないということだ。それを自分で理解しているから、彼女は防御より回避を選んだ。

 

 ならば、この勢いを確実に命中するところまで持って行けば……!

 

「トォアアァアアアァッ!」

『トォアアァアアアァッ!』

 

 俺は飛び蹴りを中断し――蹴りのために突き出した脚をその勢いのまま、地面に振り下ろす。

 そして、グラウンドに触れた俺の足でつんのめるように、身体全体が前傾姿勢になり――倒れ込む瞬間。

 

 もう片方の脚で大地を踏み潰すように、踏ん張りを入れる。次いで、その脚をバネに再び地面を蹴り――俺達は勢いを殺すことなく、ラドロイバーを追うように飛び上がった。

 

「く……!」

 

 さすがに予想を超えた動きだったらしく、ラドロイバーは険しい表情でこちらを睨みつける。――どうやら、一杯食わせられそうなところまで、来てるらしいなッ!

 彼女は万策尽きたのか、それ以上の動きは見せず、そのまま滞空している。これ以上の回避は無理と見た……!

 

「ヤァアァァアッ!」

『ヤァアァァアッ!』

 

 この機を逃す手はない。俺は拳を振り上げ、ラドロイバーの土手っ腹目掛けて正拳を放つ。その鉄拳に、肘の部分に付いていた小型ジェットが加勢した。

 今までとは比較にならない推力と硬度で打ち込む拳。当たれば、いくらラドロイバーでもッ――

 

「ん……!」

「うッ!?」

 

 ――とは、行かなかった。さすがに、そう簡単に決めさせてはくれないらしい。

 

 彼女は俺の拳を食らう直前、空中で体を捻るように回転させ――まるで新体操のような挙動で頭上を越え、俺の背後へ移動していたのだ。

 ただ高くジャンプできるというだけでは、空中でこんな芸当は出来ない。……しかし、呑気に後ろを振り返って、その実態を眺めている暇はないだろう。

 ――赤い閃光が、背後から俺を狙っている以上は。

 

「鮎子ッ!」

『わかってる!』

 

 俺が叫ぶより早く、鮎子は鎧全体の小型ジェットを停止させる。つまり、失速させたのだ。

 全ての推力を失い、重力に引かれて行く俺の頭上を、真紅のレーザーが閃いて行く。判断が僅かでも遅れていたら、今頃は後ろから頭を貫かれていただろう。

 向こうは、俺を殺すことに躊躇などないのだから。

 

「くっ!」

『先輩、あれ!』

「……!?」

 

 一際大きな轟音と共に、俺はグラウンドの上に着地する。そのGの大きさに苦悶する暇もなく、俺は鮎子に促され頭上を見上げた。

 

 そこには――足の裏から赤い炎を噴き出し、空中で仁王立ちを披露しているラドロイバーの姿があった。

 

「ま、まさか……!」

「アイツも、飛べるってのかよ……!?」

「りゅ、龍太達だけやなかったんか……!」

 

 その光景に、救芽井達は驚きを隠せず――この場を包囲している全隊員も、どよめきを広げていた。

 

 ――なるほどな。あの時、燃え盛る船から逃げおおせたのはそういうことだったのか。

 別におかしいことじゃない。十一年前、鮎美先生を動かしていた彼女が、先生と同じものを作れないはずがないものな。

 

 いや……むしろ、その上位互換って可能性もある。少なくともこっちは鮎子の操作が要となっているが、向こうのシステムがラドロイバー本人だけで機能してる場合――人力に頼ってるこっちの方が不利になるかも知れない。

 いくらコンピュータより優秀な頭脳って言ったって、鮎子自身は人間だ。プログラムされたコンピュータのように、いつまでも働けるわけじゃない。集中力の限界というものがある。

 

 それに彼女はここまで来る道中、ずっと「超機龍の鉄馬」の運転に回っていた。数時間、休まずにだ。

 もしこの先、鎧の小型ジェットと並行して「超機龍の鉄馬」の制御まで、なんてことになったら――その負担は、さらに大きなものとなるだろう。

 「救済の重殻龍」の強さは、鮎子の並外れた頭脳と集中力に支えられている。その力が尽きる前に、決着を付けなくてはならない!

 

『先輩……』

「――最速でケリを付ける。もう少しだけ力を借りるぞ、鮎子」

『……うん!』

 

 俺の宣言に、彼女は強く頷き返す。この元気が続いているうちに、勝負を決めねば。

 

「テァアッ!」

『テァアッ!』

 

 今度は両足で地面を蹴り、先刻以上の推力でラドロイバーに突進していく。

 

「……!」

 

 彼女はそれに対し、レーザーで迎撃――ではなく、再び身体を捻って回避行動に入ろうとしていた。

 ――どうやらあの光線、むやみやたらに連発出来る代物でもないらしい。照射している時間も長くはないし、恐らくはエネルギー消費が激しい武装なのだろう。

 ならば、付け込む余地はある!

 

「取ったァ!」

「……ッ!?」

 

 紙一重で突進をかわされる瞬間。

 回避する方向を分析していた鮎子は、ラドロイバーを追うように小型ジェットの軌道を変え――俺はその流れに従いながら、ラドロイバーの右脚を右腕で、右腕を左腕で捕まえる。

 そして土手っ腹に首裏を当て、持ち上げるような姿勢に入り――その勢いで激しく回転しながら、グラウンド目掛けて急降下。

 

肩車(かたぐるま)ァァッ!」

「ぐッ……!」

 

 刹那。

 地面に墜落していく俺の右腕が、ラドロイバーの右脚から離れ――遠心力と重力に流された彼女の身体は、硬いグラウンドの上に叩きつけられたのだった。

 

「や、やったぁ!」

「決まった! これで決まりやっ!」

 

 一瞬の中で繰り出された強烈な一撃を目の当たりにして、矢村とダウゥ姫が歓声を上げる。他の隊員達も、声を綻ばせていた。

 

「……」

 

 しかし、ラドロイバーの恐ろしさを肌で知っている救芽井に、その気配はない。

 一方、当のラドロイバーは苦悶の表情で唇を噛み締め、全身を痙攣させている。このまま取り押さえに行くのも手だが――そろそろレーザーの充填が終わってもおかしくない頃だ。

 勝負を急がなければならないのは事実だが、深追いして致命傷を負うようなことになっては元も子もない。俺はその場から飛び退き、残心で様子を見ることを選ぶ。

 

「……」

 

 そして。

 

 ラドロイバーは僅かな間を置き……何事もなかったかのように立ち上がった。

 ……着鎧甲冑を着ていても、二週間は昏倒しかねない威力なんだけどな。どんな耐久力してんだ、あのコートの下にある実態は。

 いや……それを言うならあのコートそのもの……だよな。古我知さん。

 

「……正直、感服致しました。これほどの性能を発揮し、かつ今の段階でそこまで使いこなせているとは。四郷鮎美につきましては、以前から見込みがあると買っていましたが……あなた方の力も十分、人智を超えていると言って良いでしょう」

「……俺達としてはそんなお世辞より、そのままノビててくれてた方が嬉しかったんだがな」

「世辞などではありません。そんな下らない方便など、あなた方には無用でしょう。――四郷鮎美に匹敵する頭脳を、遠隔操作の擬似コンピュータとして転用する。いい着眼点ですね」

 

 ラドロイバーは口元を不敵に緩め――再び、足裏のジェットで空中に舞い上がる。その瞳は、さらに鋭く――俺達を狙っていた。

 

「その性能――『救済の超機龍』と二段着鎧とやらのポテンシャルは、まだまだその程度ではないでしょう。ですが、こんな残骸だらけの場所ではあなた方の全力など出るはずがありません。あなた方がよりベストを尽くせる、いい場所を見つけておりますので――ご案内します」

「……どういうつもりだ。敵に塩を送るようなものだろう」

 

 場所を変える――か。どうやら、その必要が出てくるほどの大暴れをやらかすつもりらしいな。あるいは、俺達にそれをさせるつもりか。

 いずれにせよ、彼女がどこかに逃げるというなら、俺達は追うまでだ。

 

「あなたを殺す前に、確かめておきたいのです。救芽井エレクトロニクスが造る最高のスーツが、どこまで戦闘行為に順応出来るのか」

「……いいぜ、乗ってやる。勢い余って、お前をぶちのめしてしまうかも知れんがな」

「――いえ、ご心配なく。あなたならいつでも殺せますので」

 

 抑揚のない口調で、淡々と言い切った後――彼女は両足のバーニアを吹かせ、グラウンドの外へ飛び去って行く。

 

『先輩……』

「……心配すんな。俺のしぶとさ、知ってんだろ」

 

 その姿を見送った後。鮎子の不安を掻き消すように、俺は拳を握り締め――踵を返して「超機龍の鉄馬」の方へ向かう。

 こちらを案ずるように見つめる仲間達を、視界に映しながら。

 

 ――これから行く舞台に立つ頭数は、俺と彼女の二人だけだ。

 だけど、これは一騎打ちじゃない。

 

 俺はもう――たった一人の「救済の超機龍」じゃないから。

 



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第223話 黒曜の兜

 グラウンドの外へ、ラドロイバーは飛び去ってしまった。俺の――いや、俺達の底力を引き出すために。

 ただ俺を殺すことだけが目的だったなら、ここで暴れてもいいはず。それで困るのは、こっちだけなのだから。

 それをしないで、わざわざ手間をかけて場所を移すということは……それだけ、このスーツの性能限界が気になっている、ということなのだろう。

 

 殺すだけならいつでも出来る、だからその前にスーツの真価を見たい――と。

 ……全く、なめられたもんだ。

 

「龍太君……」

 

 ラドロイバーを追うべく「超機龍の鉄馬」に跨る俺に、救芽井が駆け寄ってくる。あの画用紙を胸に抱き締めて。

 仮面を被っている今ではその表情は伺えないが、声色からは言い知れぬ不安を滲ませているようだった。

 

「……救芽井。ラドロイバーは恐らく、俺達が暴れても構わないような場所に向かうはずだ。もう、この町が標的になることはない」

「……!」

「レスキューカッツェのみんなと一緒に、被害状況の確認を急いでくれ。それと、負傷者の手当ても」

「ま、待って! あなたはどうするつもりなの!? 向こうはあなたが来るまで、私達を攪乱するような行動を取り続けてたのよ! 罠を張ってる可能性もあるのに……!」

「――いや、その心配はない。ラドロイバーの狙いは『救済の超機龍』の入手と性能限界の把握。これ以上余計な罠で、俺達の戦力を削ごうとはしないさ」

 

 確かに俺達がここに来るまで、ラドロイバーはゲリラ戦を繰り返して救芽井達を苦しめていた。しかし、もう彼女にそんな手段に頼る必要はないだろう。

 俺達が全力を出せるように……と、言っていたのだから。あの眼は、戦いそのものに価値を見出す狂人の色を湛えている。

 

「……わかったわ。それなら連合機動隊も、すぐあなたの援護に――」

「――いや、戦うのは俺達二人だけでいい。大人数で挑んでも、あのレーザーで薙ぎ払われたら一網打尽だ。いたずらに怪我人を増やしたくはない」

「でも……!」

 

 増援を断る俺に対し、救芽井はなおも食い下がる。ここで俺達が負ければ状況が絶望的になる以上、なんとしても勝たせようとするのも当然だろう。

 だが、ラドロイバーの強さの「質」は連合機動隊の「量」を完全に凌駕している。俺達と彼女の本気のぶつかり合いに巻き込まれようものなら、今度こそ怪我人では済まなくなるだろう。

 

 ここから先は「人」を超越した存在から、さらに一歩踏み越えた先にある境地。ただ力があるだけの超人では、生きられない場所なのだ。

 この硬い鎧に覆われた俺でさえ、どうなるかのかはわからない。そんな場所まで、わざわざ道連れにすることもないだろう。

 

「大丈夫さ。――ダスカリアンの悲劇も、その根源を絶つための戦いも、今日で終わる。もう誰も、死なせたりするもんか……」

「龍太君……」

「……ってな! さ、あとは任せたぜ」

「……うん。――負けないでね、龍太君。どんなに、ラドロイバーが強くても」

「おう。兵器じゃ壊せない拳があるってこと、教えてきてやるよ」

 

 これ以上説得してもしょうがない、と判断したのか――救芽井は画用紙を握る手を震わせながら、俺の行動予定を認可してくれた。

 その寛大さに応え、せめて少しでも彼女が安心できるようにと――俺は大見得を切り、拳を彼女の前に突き出す。それに対し彼女は承認の証として、自らの拳を俺のそれにぶつけるのだった。

 

 そして、救芽井への挨拶を済ませた俺は、鮎子が操る「超機龍の鉄馬」の推力を頼りに、夜空の海へと飛び出して行く。

 

 ――不安げに見守っていた矢村とダウゥ姫に、サムズアップで応えながら。

 

「……イチレンジ……大丈夫かな」

「……心配したって、しゃあないって。龍太って昔から、こうって決めてもうたらテコでも動かんのやから」

 

 そんな俺の背を見送る妻は。

 

「――そんなあいつに、アタシは一生ついて行くんやなぁ。ま、そういうのもええよな」

 

 人知れず、諦めたようにため息をついて――無邪気に笑っていた。俺達が、初めて出会った頃のように。

 

 ――そして。

 月に見守られた空を駆け、ラドロイバーの後を追う俺達に……町とは違う光景が飛び込んで来る。

 

「あれは……」

『採石場……?』

「……なるほど。確かに、暴れるには丁度いいか」

 

 そこは、かつて古我知さんとの決着の舞台にされていた――廃工場の裏手にある採石場。彼女が言う通り、被害を気にせず全力で戦うには持ってこいだ。

 一方、既にラドロイバーはその中央に着地し、いつも通りの佇まいで俺達を待っている様子。だが、その眼はかつてない程に鋭く――冷たい。

 

「……ようやく来られましたね。別れの挨拶は終わりましたか?」

「……」

 

 採石場に降り立つ俺に対し、ラドロイバーは相変わらずの抑揚のない、無機質な口調で問いかけてくる。そんな彼女に対し、俺は仮面越しの眼光で応えて見せた。

 ――ここで死なない俺達に、そんなものは必要ない、と。

 

「……少なくとも、戦意は残っているご様子。場所を変えた意味もなくはなかった、というところでしょうか」

「――言いたいだけ言ってろ。すぐに後悔させてやる。ただ勝つことだけに執着しなかったことをな」

 

 やろうと思えばいつでもやれた。そういう余裕をぶっこいてる奴ほど、足元を掬われれば脆いもんだ。ラドロイバーだって、脆くはならなくとも隙の一つは生まれるはず。

 その一つで、さっさとこのバカ騒ぎを終わりにしてやる……!

 

「執着しておりますよ、勝つことだけに。着鎧甲冑を含めたあらゆる技術を『武力』に変え、何事にも屈しない『力』を手にする――それのみが、私の『勝利』なのですから」

「……へぇ。俺達はその通過点でしかないってことか。大きく出やがったな」

「あるがままの事実を述べているだけですよ」

 

 俺達にとっては、今日ここでラドロイバーを倒すことが勝利。

 だが彼女にとっては着鎧甲冑の入手こそが勝利であり、俺達二人はその途中にある障害の一つでしかない――そういうことだってのか。

 

「――とはいえ、あなた方が最大の障害であることもまた、揺るがない事実。先程の立ち回りは、お見事でした」

「……」

「あれほどの性能を今の段階から発揮できるのであれば――より兵器としての高い効果も期待出来るでしょう。こちらが、ポテンシャルを出し惜しみすることもありません」

「……今では手加減してやってた。要は、そう言いたいんだろ」

 

「ええ。事実ゆえ――仕方のないことですが」

 

 その時。

 彼女のコートの裏側から、周囲一帯を飲み込む勢いで蒸気が噴き出してくる。

 

「……ッ!」

『先輩、あれは……ッ!?』

 

 俺は思わず片腕で視界を遮り――僅かに見えた上空の「異変」に、息を飲む。

 その「異変」に、鮎子もわずかにたじろいでいる様子だった。

 

 つい先程まで、ラドロイバーが身に纏っていた暗黒のコートは……彼女の頭上に、蒸気を噴いて舞い上がっていたのである。

 

 その真下に立つ彼女の全身はコートと同じ、漆黒の色を湛えたボディスーツで覆われていた。ぴっちりと肢体に張り付き、優美なラインを描くスーツのラインは女性らしさを残してはいるが、その節々に取り付けられた武装が見る者に戦慄を与えている。

 

 手榴弾、手甲のレーザー光線銃、コンバットナイフ、自動拳銃――そして両足の裏に取り付けられた、小型ジェット。どれも、彼女が持てば手が付けられなくなるような物ばかりだ。

 

 それに、あの両足のジェット……。足裏から直接火を噴いているってことは、あの足は生身ではないのだろう。思えば、さっきの太刀合わせで足を掴んだ時も、やけに硬く感じた気がする。

 恐らく、古我知さんのような電動義肢も取り入れて――

 

『先輩、コートが!』

「……なッ!?」

 

 ――という俺の思考を、鮎子の一言が断ち切った。

 蒸気を噴いて飛び上がっていたコートが――なんと内側を曝け出すように裏返ってしまったのだ。

 

 その瞬間を目の当たりにして、俺はようやく古我知さんが残した言葉を実感する。

 漆黒のコートは――その裏に、更なる増加装甲を隠していたのだ。

 

「あれは……!」

『……コートという形状自体が、増加装甲とボディスーツを隠すためのフェイクだったんだ……!』

 

 そう、まさに古我知さんが言った通り。

 コートの下にある武装が全てではなく――むしろ、コートに偽装されていたこの増加装甲こそが、恐らくはラドロイバーの真の切り札。

 

 曝け出された増加装甲には、超小型のミサイルランチャーのような砲身が二門程伺える。こんなものまでさらに装着しようだなんて……!

 一人で世界大戦でもおっ始めようってのか、このマッドサイエンティストはッ!

 

「呪装(じゅそう)――着鎧(ちゃくがい)」

 

 刹那。

 ラドロイバーの、呪詛を吐くような呟きと共に。

 

 裏返ったコート、もとい増加装甲が――バラバラに四散し宙を舞う。

 そして主人の肢体に纏わり付くように、その全てがラドロイバーに装着されていく。

 腕に、足に、胸に、肩に。

 

 そして最後に――今まで露出されてきた頭にも、荘厳な兜が乗せられた。

 この兜が変形して口元を塞ぎ――そこから蒸気が噴き出す時。彼女の「着鎧」は、完了を迎える。

 

 漆黒の武装スーツの上に加えられた、同色の増加装甲。その両肩に乗せられた二門の超小型ミサイルランチャーが、強烈な存在感を主張していた。

 

 ――まさか、自分の技術だけで着鎧甲冑に近しいスーツまで作り上げていたなんてな。こっちの二段着鎧とは全く違う外見だが――スーツの性能も見た目も、ほぼ「再現」と読んで差し支えないレベルに達している。

 

 一見すれば、着鎧甲冑の技術を手に入れているも同然なのだが……その彼女がここまで「救済の超機龍」に固執しているということは、まだスーツの性能面ではこちらが勝っている可能性もある。

 その望みと鮎子の集中力に運命を預け――俺は、勝たねばならないのだ。この、歩いて空飛ぶ人間武器庫に。

 

「……コードネームは『|呪詛の後継妹(フルーフマン・シュヴェスター)』。かつて一台だけ開発されたことのある幻の着鎧甲冑『|呪詛の伝導者(フルーフマン)』の、後継機と言ったところでしょうか」

「……継がせてたまるかよ。その系譜は、ここで打ち止めだ」

 

 そして。あの日を思い起こさせる、月下の採石場を舞台に――最後の一戦が始まろうとしていた。

 

 ……ちくしょう。脇腹の傷が、疼きそうだ。

 



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第224話 二段着鎧対呪装着鎧

 ――あの鎧。身体中を隙間なく武装しているようだが……人の形をしている以上、その形ゆえの弱点は必ずあるはず。

 そう、関節だ。

 どんなに外側を固めていようと、人間が中身である以上、身体の各関節を正常に可動させられるようにしておかなければ意味がない。でなきゃただの棺桶だ。

 その柔らかくなければならない関節を突けば、あの鉄壁の鎧もその意味を失うはず。付け入る隙があるならば、そこだ。

 

 だが将軍がそうだったように、恐らくはその部分を守るための対策があるだろう。まずはそこから崩していかなくてはならない。

 そのためには……!

 

「間合いを――」

『――詰めるッ!』

 

 俺と鮎子の意思が交わり、装甲のバーニアが蒼い炎を噴き出した。そして、その力が生む推力が俺の身体をラドロイバーの元へ導いて行く。

 

「やはり――狙いは私の関節ですか」

 

 ラドロイバーは既に俺達の意図には感づいているらしく、赤いスラスターを吹かして上空に舞い上がってしまった。

 そのあとを追うように、俺達も夜空へ上昇していく。

 

 ……あんな重武装を乗っけた後だっていうのに、まるで速度が落ちていない。姿勢制御も安定している。やっぱり、飛行経験ではあちらが遥かに上を行っているようだ。

 確かに、慣れない空中戦では関節技には持って行きづらい。だったら、肉弾戦に持ち込んで地上に誘導してやる!

 

「ワチャアアアッ!」

『ワチャアアアッ!』

 

 俺と鮎子の怪鳥音が重なり、弾丸速度の突きが顔面に向かう。そっちが兜を付けたからには、こちらも容赦はしない!

 

「……ふっ!」

 

 ラドロイバーは短く息を吐くと、両腕をこちらに向ける。手甲に装備された二門のレーザー銃が、俺達を狙っていた。

 その銃口が赤く閃く瞬間、鮎子はバーニアの軌道を不規則に変えて照射をかわす。

 

「……なら」

 

 次いで、もう片方のレーザー銃による迎撃が、鮎子のタイミングを外すように放たれた。

 

「――トゥアッ!」

 

 その一閃を、今度は俺自身が身を翻して回避した。腕を掠めた赤い光線が、俺の神経に熱の痛みを刻み付ける。

 ……直撃すれば、痛いでは済まされないな。これは。

 

「ホォアアアッ!」

『ホォアアアッ!』

 

 ともあれ、最大の砦であろうレーザーの照射は凌げた。あとは、あのごっつい両肩のミサイルランチャーだろうが……もう目と鼻の先まで接近した今では、無用の長物だ。

 俺と四郷の叫びを乗せた拳が、再びラドロイバーの眉間に向かっていく。

 

「……ッ!」

 

 その気勢が、僅かでもラドロイバーに威圧感を与えたのか。彼女はほんの一瞬だけたじろぐように身を強張らせ、一拍の間を置き――コンバットナイフによる近接格闘に出た。

 だが、その一拍の間が生んだタイムラグ……俺達にとっては絶対の好機だ。

 

「――ハァッ!」

「くッ!」

 

 俺の眉間に伸びる、白い刃。その得物を握る腕に、肘の小型ジェットによる加速を得た外腕刀が当たる。

 それによりナイフの攻撃は不発に終わり、刃の切っ先は俺の眉間に触れる直前で勢いを失ってしまった。

 

「……!」

 

 しかし。

 彼女の手は、それだけではなかった。

 

「うっ……!?」

 

 俺がコンバットナイフの防御に意識を向けている間に――もう片方の手で、自動拳銃を抜いていたのだ。

 冷たい銃口が、俺の脇腹に密着する。ここまで近くては――移動速度がどうの、なんて話は関係ない。

 逃れる術など……ない。

 

 そのまま躊躇なく、彼女は引き金を引き。

 

 俺は三年前のあの日のように、脇腹を――

 

『二段着鎧を……!』

「なめるなァァァァッ!」

「……ッ!?」

 

 ――撃ち抜かれなかった。

 

 確かに密着されては完全な回避は出来ない。しかし、僅かな動きで着弾する部位を変えることなら可能だ。

 以前までの着鎧甲冑なら、撃たれる場所をどこに変えてもゼロ距離射撃を凌ぐことは出来なかっただろうが……二段着鎧の鎧で各部を固めた「救済の重殻龍」は別だ。

 撃たれる場所を増加装甲の部分にずらしてしまえば、ゼロ距離射撃にだって耐えられる!

 

 もちろん、迎撃手段を全て乗り越えたこの好機を、逃す手はない。俺は渾身の力を蒼いバーニアと拳に乗せ、ラドロイバーの顔面に叩き込む。

 

「まだまだァァァァッ!」

『まだまだァァァァッ!』

「あぐ……ッ!」

 

 それだけでは終わらせない。拳を叩きつけた勢いをそのままに、俺達はラドロイバーごと地面に墜落していく。

 

「う……うぐッ!」

 

 彼女は自分の視界が拳で塞がれたまま、後頭部から地表に激突しようとしている現状を打破しようともがく。が、レーザーの充填が終わっていない上に前方も把握できない状態では、逃れようがない。

 

 そして――俺達は隕石の如き速さを生み出し。採石場の地平を凹ませる衝撃と、夜空を覆い尽くすような砂埃を巻き上げるのだった。

 

 ……今までの敵ならば、この一撃だけで勝敗は決まっている。だが――この人間武器庫を制するには、一切の躊躇も妥協も捨てねばならない。

 俺は墜落の衝撃音が止む前に、Gの圧力に軋む身体に鞭打ち――ラドロイバーの後ろ手を取って関節を決める。

 

『これで――』

「――全て終わりだ」

「……」

 

 ――金剛拳(こんごうけん)「吊上捕(つりあげどり)」。こうなっては、もう彼女に逃げ場はない。

 下手に動けば、肩が外れる危険な技だ。抵抗すれば余計に痛い目を見る技だということは……今食らっている彼女自身、よく理解していることだろう。

 

「――お前には、お前の信念があったんだろうな。それに力が全てだという理屈なら、俺にもわかる。どんな理屈を並べたって、力で踏み倒されちゃ損しかないってのは事実だもんな」

「……それを踏まえてなお、甘い理想に縋るのですか」

「踏まえてるからこそ、そんな甘い理想を守ってやる誰かがいなくちゃならないんだよ。俺は、そのつもりで戦って行くつもりだぜ」

 

 関節を責められていても、彼女の抑揚のない口調に変化はない。まるで、吊上捕が効いていないような……いや、そんなはずはない。確かに関節は完璧に決まって――

 

「そうですか。やはりあなたは、排除すべき障害のようです」

 

 ――ッ!?

 何だ……? ラドロイバーが足のバーニアを使って、強引に拘束を外そうとしている……!?

 そんな無理な外し方をしたら、肩関節が……!

 

「な、何をッ……!?」

『先輩ッ! この女、まさかッ……!』

「甘い理想の守り手など、悪戯に寿命を削るだけの不要な労力でしかありません。あなたが纏う、その強き力は――」

 

 俺の配慮など気にも留めず、彼女は無理な動きで吊上捕から逃れようとする。

 そして。

 

 ゴキン、という鈍い音と共に。

 

「――そんなことのために、あるべきではない」

 

 俺の拘束から脱出し、一瞬にして十数メートルの距離まで後退してしまった。

 

『先輩の拘束から逃れるために、自分から関節を……!?』

「な、なんて奴だ……!」

 

 その行動から滲み出る狂気と、脱臼してぶらりと垂れ下がった彼女の腕を目の当たりにして――俺達は、目の前に存在する大敵の本質を垣間見る。

 彼女は自身の目的を遂行するためには、あらゆる犠牲も厭わない。――それは、自分自身ですら例外ではなかったのだと。

 

「肩関節を抑えた程度で、勝利した気になるその甘さ。どれほど優れた力に恵まれていても……その甘さがある限り、あなたに勝機は訪れないでしょう」

「な、に……!」

「……とはいえ、私をここまで追い込んだ実力は認める他ありません。その奮闘に敬意を表し――」

 

 しかも彼女は、垂れ下がった腕を無事な方の腕で掴み。

 平然とした声色のまま――自力で肩を整復してしまったのだ。

 骨と骨が軋み合う……耳を覆うような音を響かせて。

 

「――その甘さ、吹き飛ばして差し上げます」

 

 刹那。

 兜の奥に窺えるラドロイバーの瞳に――鋭利に研ぎ澄まされた「殺意」が宿る。

 

「……ッ!」

『――先輩ッ!』

 

 その圧倒的な殺気を浴びた俺の精神は、あの女に近づいてはならないと本能に訴えた。

 だが――彼女の動きはそれよりも速い。

 

 鮎子が叫びを上げた頃には既に――両肩のミサイルランチャーから、無数の弾頭が撃ち放たれていたのだ。

 

「どんな願いも、想いも――」

 

 恐れる暇すら、与えられぬまま。

 

「――現実に在る力には、敵わないのですから」

 

 無情の弾雨が、俺達の頭上を覆い尽くしていた。

 



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第225話 弾雨と閃光

 夜空の暗闇を、幾つもの白煙が駆け抜けていく。流星群のようにも見えるその実態は、やがて俺達を飲み込まんとする濁流へと姿を変えた。

 

『先輩ッ!』

「――くッ!」

 

 鮎子の叫びに突き動かされるように、俺は後ろへ飛び退いていく。その流れに勢いを加えるため、鮎子は両足のバーニアを噴射させた。

 脹脛に装備されたバーニアの推力は、弾くように俺の身体を後方へと導いて行く。そして――俺の足元を、降り注ぐ流星群が吹き飛ばしていった。

 

 小型ミサイルはホーミング機能も備えているらしく、全てのミサイルが一箇所に着弾したわけではなかった。

 急降下した飛行機が地表すれすれで持ち直すように、軌道を修正してさらに追尾してくる弾頭もあったのだ。

 

『くう、うッ……!』

 

 鮎子は苦悶の声を漏らし、バーニアの噴射角を不規則に変えていく。

 右へ左へ。上へ下へ。

 そうして撹乱を繰り返せば、単純な追尾プログラムしか持たないミサイルにも限界が来る。

 

 その縦横無尽な動きに軌道を乱されたミサイルは、一つ、また一つと、俺達を捉えきれずに地面で爆発していった。

 そして、その最後の一発を凌ぎ――

 

『ミサイルの全弾回避を確認……!』

「よし、体勢を立て直して――ッ!?」

 

 ――反撃に移ろうと顔を上げる瞬間。

 既にラドロイバーは、二射目に入ろうとしていたのだった。

 

『速い……!』

「もう装填が終わったのかッ!?」

『先輩、「超機龍の鉄馬」に! 最高速度で振り切るッ!』

「……よし!」

 

 あの弾幕を何度も繰り返されては、こちらも対処のしようがない。しかし、手をこまねいていては鮎子が持たない。

 ――ここは、鮎子のもう一踏ん張りに賭けるしかない、か。

 

 俺は踵を返し、近くまで来ていた「超機龍の鉄馬」に飛び乗る。鮎子が急発進で地表から飛び出したのは、その直後であった。

 

「……」

 

 そんな俺達を静かに見上げながら、ラドロイバーは地上から第二のミサイル弾幕を斉射する。再び、無数の弾頭が俺達を猛襲するのだった。

 

『う……く、ぅッ……!』

 

 夜空を疾走する俺達二人を狙う、数十発のホーミングミサイル。その追撃をかわすため、鮎子はミサイル同士の誘爆を狙っていた。

 螺旋状に回転し、ミサイルに自分の動きを真似させながら――上下左右に機体を振り、弾頭の衝突を誘う。

 

 俺の背で、幾つもの爆音が轟いていることを考えれば、この作戦は成功したと言っていいのだろう。

 

『う……ぅ、う……』

「もう……少しだ、鮎子ッ!」

 

 ――だが、鮎子に掛かる負担は生易しいものではなく。螺旋状の回避で順調にミサイルを凌いではいるが、この機体を飛ばしているバーニアの勢いは、目に見えて弱りつつあった。

 最大速度でこの機体を飛ばしながら、俺が吹き飛ばないように装甲ジェットの出力も調整する。そんなことを続けていれば……こうなるのは目に見えていたはずだ。

 ……くッ。なのに、俺は……!

 

 それに、このままでは第二射は凌げても、その次は、もう……。

 

『せん、ぱい……ごめん、なさ……』

「くッ……あ、鮎子!」

 

 鮎子自身、それを察しているのだろう。二発のミサイルを、やっとの思いで落としたところで――「超機龍の鉄馬」は、バーニアの力を失い……失速していく。

 蝋燭に灯された火が、その光を失って行くかのように。

 

「……これで、最後ですね」

 

 そんな俺達を屠らんとするラドロイバーは――淡々と、第三のミサイル発射体勢に入ろうとしていた。

 ――「超機龍の鉄馬」はもう、最大速度は出せない。そんな状況で、またあんな一斉射撃を浴びせられたら……。

 恐らく、もう逃げ切ることは出来ないだろう。弾幕を掻い潜り、近づくなど以ての外だ。

 

「……だったら!」

 

 やむを得ない。こうなったら鎧をパージして機体から降り、直接ラドロイバーに挑むしかない!

 勝ち目は薄いが……このままでは確実に共倒れだ。

 

 俺は強く息を呑み――装甲を強制解除するボタンに指先を伸ばす。

 ……ここまでありがとう、鮎子。勝てるかどうかはわからないが、お前の頑張りに応えられるだけの結果は残してやる。

 ただでは死なない。救芽井達が捕まえられるように、命が続く限り奴の力を削って――!

 

『……せん、ぱい。待って……!』

「あ、鮎子!?」

 

 その時。俺が何をしようとしていたのかを察したのか――絞り出すような彼女の声が、俺を引き止める。

 

『まだ手はある……! 「超機龍の鉄馬」を乗り捨てて、残りの力を装甲ジェットのバーニアに集中する!』

「なんだって!?」

『……次のミサイルは、恐らくこの機体をロックオンしてくるはず。マシンを囮にしてミサイルを凌げれば、ラドロイバーに接近できる!』

「無茶だ! 遠隔操作で動かしてるったって、お前の脳波と繋がってるマシンなんだぞ! 破壊されたら、操作してるお前の脳にもっと負担が掛かることだって……!」

『わかっ……てる! だけど、先輩を死なせたりしたら……それこそ、ボクがこうして戦ってる意味がなくなっちゃうんだ!』

「くッ……!」

 

 ――確かに、少しでも勝率を伸ばすなら……鮎子の賭けに乗るしかない。だが、それは憔悴し切っている鮎子に、さらなる負担を課すことを意味していた。

 やるしか……ないのか、俺は!

 

「さあ、終わりにしましょうか」

 

 俺の答えを待たずして、ラドロイバーの第三射が始まる。おびただしい数の弾頭が、群れを成して――地上から伸びる龍の如く、俺達を喰らおうとしていた。

 

『先輩、思い出して! 先輩は、何を守りたいの!』

 

 そして、鮎子の一言が――俺の葛藤を断ち切らせて行く。

 

 俺を、ここまで連れてきてくれた……みんなのために。そして……!

 

「……俺のために、力を貸してくれ!」

『……了解!』

 

 その決意に応えるように。鮎子は、「超機龍の鉄馬」を飛び降りた俺を――精一杯のバーニア噴射で、弧を描くように舞い上がらせて行く。

 

 刹那、俺達のそばを通り過ぎて行く弾頭の流星群が――蒼いマシンを、爆炎で飲み込んで行った。

 生まれ出る激しい爆風は、俺達を後押しするように大敵の元へ誘う。ラドロイバーが一瞬、俺達を見失う程の――最高速度だった。

 

『う、ああああぁあぁあっ!』

「鮎子ッ!」

 

 それと時を同じくして、ラドロイバーに向かっていた装甲ジェットの推力も……その力を失ってしまう。

 頭脳となる鮎子の脳波を受信していた「超機龍の鉄馬」が撃墜されたのだ。……当然、だろう。

 

『先輩……あと、は……』

「――任せとけッ!」

 

 ノイズに掻き消され、次第に途切れて行く鮎子の声。せめて希望を持って帰りを待てるように――俺は、精一杯の威勢を込めて応えて見せた。

 

 そして、鮎子の通信は完全に途絶え――二段着鎧の装甲がただの鎧となる。

 

 だが、それで十分。

 

 ラドロイバーの両肩に乗っていたミサイルランチャーは、弾切れになったらしく既にパージされている。しかも、最後の全力噴射が付けてくれた勢いのおかげで、ジェットが切れても十分飛び蹴りが狙える。

 

 ――そして、鮎子が最後の力を振り絞って導いてくれた先は……ラドロイバーの背後。加えて、今の彼女は爆風と鮎子の速さに撹乱され、俺を見失っている!

 

 ……行ける。鮎子が残してくれた力を掛け、ラドロイバーに渾身の突撃をぶつけてやる。この一撃に、全てを掛けて!

 

「これで、全て終わりだッ――!」

 

 そう、決意した時だった。

 

「……そこでしたか」

 

 ラドロイバーの首が――ギュルリと、こちらを向く。

 まるで、俺の居場所など初めからわかっていたかのように。

 

「なっ……!」

 

 あれ程、速く動いていたというのに……もう俺の正確な位置をッ……!?

 

 そう驚いた頃には既に――

 

「確かに、大部分の兵装は失いましたが……」

 

 ――俺の胸は、真紅の閃光に貫かれていた。

 

「生体センサーとレーザーシステムは、まだ生きていますから」

 

「……ちく、しょう……ちくしょう……!」

 

 悔し涙を流す力さえ、出なかった。

 俺の意識は、胸を貫く一閃によって――あっさりと、刈り取られてしまった。

 

 ……なにも、出来ずに。なにも、応えられずに。

 こんなところで……俺は……。

 

「――もう少し……もう少しですから。ヨシエさん……」

 

 そうして、俺の意識が暗転していく直前。

 ……彼女は何かを、呟いているようだった。

 



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第226話 唸る鎧

 ……俺は、どうなったんだ……。

 死んだ、のか……?

 

 それにしては随分と――身体が、重い。

 死ねば楽になる、なんて嘘っぱちじゃないか。息苦しくて、口の中に血の味が広がってて……。

 

「生きているかも、死んでいるかもわからない――そんなところでしょうか」

 

 ぼんやりと映るラドロイバーの影が、静かに俺を身下ろしていて……。

 

 ――そうか。俺はまだ死んだわけじゃなくて。これから、殺されるところなのか。

 はは……やっぱ俺みたいな奴は、楽には死ねない運命にあるらしい……。

 鮎子の想いにも応えられずに……情けないったら。

 

「しかし、それこそが真実。戦いを望んではならないヒーローが戦うことでしか、己を守れない――。そんな矛盾の中で生きる人間など、生きているとも、死んでいるとも言えないのです」

「……」

「真の平和とは、戦いの中で勝ち取るもの。勝ち取るためには力が要る。あなたが持て余した、その鎧に秘められた力が」

 

 意識が朦朧としている俺に対し、ラドロイバーは諭すような口調で自分の信念を語る。その声色には、一片の躊躇いもない。

 最期まで自分の正義を曲げずに死んで行った、瀧上凱樹のように。

 

「――そして、私はついにここまで辿り着いた。『花淵』に纏わるヨシエさんの想いと、その血を引くあなたの命を贄として……今こそ、彼女が願う平和を掴み取って見せる」

 

 ……なに? 花淵、だと……!?

 

「もう二度と――あんな殺戮は起こさせない」

「……」

「矛盾している、と言いたげですね。その通りでしょう。しかし、あなたにはもう、私のやり方を曲げる力は残されていない。それが『結果』です」

 

 ラドロイバーが、花淵のことをどこまで把握してるかなんて知らないが……ダスカリアンを滅ぼしておいて、何が平和だ。

 ……何が、殺戮は起こさせない、だ!

 

「もう十分でしょう。あなたはよく戦いました。それは、この私が認めます」

「……がふぁッ!」

「だから、もう――眠りなさい」

 

 ――しかし、そう叫ぼうとしても……口の中に溢れる血の逆流が、それを阻んでしまう。仮面の中を血で汚して行く俺を、彼女は穏やかに見下ろし……レーザー銃を構えた。

 介錯、だとでも言うのか……。

 

 俺は……まだ……。

 

「……!」

 

 そして、彼女が銃口に赤い閃きを灯し――

 ――俺の額を貫く。

 

 直前。

 

「――くッ!?」

 

 ラドロイバーは何かを察したらしく、俺から離れるようにその場から飛び上がる。

 刹那、俺が倒れていた場所の側に――突如、サッカーボール程のサイズの岩が激突したのだった。

 

 なんだ……!? 一体、何が起きたんだ……!

 

「……まさか、わざわざ殺されるためにこちらまでいらしたと?」

「そんなわけ、ないじゃない。あなたの好きにはさせないと――そう、言いに来たのよ!」

 

 ラドロイバーの苛立った呟きに応じるように、気高い叫びが採石場に響き渡る。

 この声――救芽井か!? 無茶だ、ラドロイバーはさらに強くなってるんだぞ!

 

「勝算もなく、ただ愚直に攻め入るその姿勢――それがかの有名なカミカゼというものですか?」

「違うわ。私は、犠牲になんてならない。勝算なら、ちゃんとあるもの」

 

 そんな俺の心の叫びなど、伝わるはずもなく――俺が血反吐を吐きながら身を起こした頃には、既に「救済の先駆者」と「呪詛の後継妹」が対峙していた。

 

「……きゅ、う……め……!」

「――私なら、大丈夫よ。見てて、龍太君……!」

 

 戦力差は絶望的。個人のスキルでどうにか覆せるような次元じゃない。それがわからない彼女じゃないだろうに!

 

「そう――それなら、拝見させて頂きましょうか。今後の参考のためにも」

「残念だけど……あなたの戦いに『今後』はないわッ!」

 

 その問答を合図にして――二人の戦いが始まってしまう。ラドロイバーがレーザー銃を構える瞬間、救芽井は先程と同じサイズの岩を拾い――彼女の周囲を周るように走り始める。

 その瞬発力とスピードは――今までの「救済の先駆者」とは比べものにならない速さだった。

 

 ――よく見ると、救芽井の身体を覆う人工筋肉が、いつもより少しだけ膨れている。身体能力を少しでも伸ばすために、オーバーヒートで中身を焼かれないギリギリのところまで、電力供給を高めているのか……。

 

 恐らく、他の「救済の龍勇者」からバッテリーを掻き集めて強化したのだろうが……あのやり方によるパワーアップは一時的なもので、決して長くは持たない。

 しかも、使ったあとの反動も大きいことから、今の着鎧甲冑運用ガイドラインでは非常時のみ許される「最終手段」とされている。

 本来なら、瓦礫などで閉鎖された空間から強引に脱出するための機構だ。戦いに使うなら、近接格闘による短期決戦しかない。

 ――だが、レーザー銃で防衛ラインを固めているラドロイバーが相手では、そこまで持ち込むのは困難。下手すりゃ、近づく前にバッテリー切れになったところを蜂の巣――だ。

 

 彼女がそれをわかっていないはずがない。一体、彼女は何が狙いでこんな無謀な戦いを……?

 

「……そこッ!」

「そんな石ころで、この装甲がどうにかなると?」

 

 救芽井は生体センサーの処理が追いつかない程の速さで動き――完全に死角に入ったところで、持っていた岩を投げ付ける。

 だが、投擲された岩がラドロイバーに届く頃には、もう生体センサーも反応していたのだろう。彼女は背を向けたまま、右腕で払いのけるように岩を粉砕してしまった。

 

「……く」

 

 しかし、その時。僅かばかり、ラドロイバーの右腕は――痛みに耐えるように震えていた。

 ん……? あの腕は……。

 

「今だぁぁあッ!」

 

 その震えが生む一瞬の隙。そこへ畳み掛けるように、救芽井は矢の如き速さで襲い掛かって行く。

 本来なら簡単に右のレーザー銃で撃ち落とされていたところだが――この時の彼女はなぜか、わざわざ振り返って左のレーザー銃を構えていた。

 その遅れにより生じたタイムラグを活かし、救芽井はレーザー銃が閃光を放つ前に、外腕刀で銃身を逸らし――ラドロイバーの懐へ入り込むのだった。

 

「賀織がくれた、この力を――着鎧甲冑部を、ナメるなあぁぁあッ!」

「――ぐッ!」

 

 そして、顔面に炸裂する強力な肘鉄。その一撃を受けたラドロイバーは、額を抑えながら数歩後ずさる。

 傍目に見れば絶好のチャンスである――が、救芽井はそれ以上追撃することなく、残心を取りつつ後退した。

 

 ――今の一連の攻勢。ラドロイバーが左でレーザー銃を撃とうとしていなければ、確実に俺のように撃墜されていたはず。

 だが、彼女の佇まいに博打のような緊迫感はなかった。恐らく、全て計算尽くだったのだろう。

 ……だとしたら、なぜラドロイバーが右のレーザー銃を使わないとわかって……右?

 

 右……右腕。右肩。……そうか!

 

『お気付きになられましたか、龍太様』

「……!?」

『いえ、喋らずとも結構ざます。今の状況で不要に体力を使うこともありませんわ』

 

 俺が救芽井の胸中に感づいた瞬間。久水先輩からの通信が入ってくる。やっぱり救芽井は、彼女の差し金だったのか。

 

『あなた様と鮎子の戦い。僭越ながら、鮎美さんのコンピュータを介して、モニタリングさせて頂いておりましたわ』

「……!」

『あなた方はミサイルをかわすことに精一杯で、気づいておられなかったようですけど……。あなたが外した、ラドロイバーの右肩。自力で整復して可動するようにしたと言っても、ダメージ自体は残っておりましたのよ』

「……」

『そこをパワーアップさせた「救済の先駆者」で攻め、一矢報いる。それこそが、ワタクシ達の目的でしたの』

 

 俺が残したダメージに賭けて、唯一まともに戦える「救済の先駆者」をパワーアップさせて畳み掛ける。なるほど、確かに効率的だ。

 ――しかし、それだけじゃラドロイバーは破れない。額から手を離し、救芽井を見据える漆黒の鉄兜からは、ただならぬ殺気が漂っている。

 その鉄兜にも、俺達の拳や救芽井の肘鉄が効いていたのか――小さな亀裂が入っていた。もう、旧式が相手だからといって容赦することはないだろう。

 同じ手は、使えない……万事休す、だ。

 

『龍太様。あなたは、もう諦めてしまわれたのですか?』

「……?」

『鮎子は少なくとも、あなたが諦めるような人ではないと――今でも信じ続けているはずざます。樋稟さんを、このまま見捨てたりはしない――と』

「……!」

 

 その時。

 

 久水先輩は、俺を焚きつけるような言葉を並べながら――親友の名を挙げる。

 それに導かれるように……俺は仰向けになっていた身体を捻り、身を起こそうとして――血反吐を吐いて倒れ伏した。

 

 それでも、まだ……俺の身体は動いている。

 全身が悲鳴を上げているというのに……機械仕掛けとなった俺の中身が、まだ倒れてはならないと叫び続けているのだ。

 

「……」

 

 言葉を発する気力と引き換えに、俺はうつ伏せの状態から顔を上げ――撃墜された「超機龍の鉄馬」の残骸を見遣る。

 完膚なきまでにボロボロだが――まだ、鮎子の脳波を受信する機材だけは、辛うじて生きているようだった。

 かつては蒼く輝く装甲に守られていた、その部分だけが――痛ましくも懸命に、作動し続けていた。

 

 ――まだだ。まだ、終わっちゃいない。終わらせちゃ、いけない!

 救芽井を、こんなところで死なせるわけにはッ……!

 

「……っ、くぅ……ッ!」

「無理なパワーアップの反動……のようですね。所詮、試作機の性能限界を超えるには至らなかったということですか」

「……ごめ……ん、賀織……。せっかく、貰ったパワー……でも、倒し、切れなくって……」

 

 一方、俺の後ろでは、力尽きたらしい救芽井の喘ぎ声が聞こえている。とうとう、パワーアップが限界に達してしまったらしい。

 ……このままでは、先に救芽井が殺される。俺が行かなきゃ……俺が立たなきゃ、皆が死ぬんだ!

 

 こんなところで、終わらせてッ……!

 

「……た、まる、か……!」

「――ッ!? りゅ、龍太君……!?」

 

 仮面の中を、血で汚しながら――俺は両膝をついて上体を起こす。

 次いで、全身を軋ませながら、膝に手をつき――そこを杖にするように力を込めて。

 

「……たまる、かァァァアアァアッ!」

 

 命を削るように、叫び。

 

 両の足で――ついに、立ち上がる。

 

『――そう。それでこそ、ワタクシが全身全霊で愛した――殿方ですわ』

 

 そんな俺の姿を、今もどこかで見ているのか――久水先輩は、満足げな声色で何かを呟いていた。

 

「……そう、か」

 

 そこでようやく、俺は内臓が機械化されていたおかげで生き延びていることに気がついた。胸を貫かれたはずなのに――呼吸が安定してきているのである。

 貫かれたのが胸の機械化されたパーツでなければ、今頃は出血多量でくたばっていたところだ。生身の頃の感覚に飲まれて、精神から死にかけていたがな……。

 

 いや――ラドロイバーに勝たない限り、それは早いか遅いかの違いしかない。鮎子はもう眠ってしまったが……ここまで来たなら、後は俺一人で――!

 

『……せん、ぱい……!』

「……なッ! あ、鮎子!? 目覚めたのか……!?」

 

 ――というところで、鮎子の声までが俺の通信に現われてしまった。そうか、受信機材は生きていたから……!

 

『――諦められない。そんな先輩の感情が、先輩と一体化して戦ってきたボクの精神を、一緒に目覚めさせてくれたんだ』

「そっか……。済まねぇな、叩き起こすようなマネしちまってよ」

『ううん。――信じてたから。先輩は最後には結局、助けるために立ち上がっちゃう人だって』

 

 鮎子の精神が目覚めたということは、装甲のバーニアも復活したということ。「超機龍の鉄馬」はもう使えないが――まだ、諦めるには早い。

 俺と長い間、一体化して戦っているためか――彼女の語気も、いつになく強まっている。

 

『ようやく目覚めましたわね、鮎子』

『……梢のいじわる。最初から、先輩を焚きつけて復活させることと、その時間を稼ぐのが目的だったんでしょ』

『さて、何のことでしょう。ワタクシはただ、このままバッドエンドで終わらせるつもりはなかった――それだけのことでしてよ』

 

 ――どうやら、すっかり久水先輩の策に乗ってしまったらしい。

 だが、今回ばかりはその配慮には感謝しないとな……!

 

「……どうやら、ただ撃ち抜くだけでは終わらなかったようですね」

「……ああ。さっきの一発を撃てなかったのが、痛かったな」

 

 振り返り、俺は――俺達は、再びラドロイバーと相対する。既にお互い、手負いとなっている状態だ。

 もう――これ以上、戦いが長引くことはない。

 

「これで最後となるでしょう。あなたの命運も、私の真の戦いも」

 

 ラドロイバーも、それはわかっているのだろう。俺達との戦闘を真の戦いと称し、月光を背に飛び上がって行くその姿からは、決戦に臨む者ならではの威勢が滲んでいる。

 その様を見上げる俺も、ボロボロの身体に鞭打ち――飛び上がるため、両足に力を込めた。

 

 そして。

 

「龍太君……」

「世話かけたな、救芽井。俺はもう、大丈夫だ!」

「……うん!」

 

 膝をついている救芽井に、俺は精一杯の元気で応え――

 

『龍太様。負けたら罰として、死ぬまで精を絞り取りますわよ』

「負けたらその前に死んでるっつの。――鮎子のことは、任せとけ」

『――お願い致します。ご武運を』

 

 軽口を叩く久水先輩にも、勝利を約束し。

 

『これが、本当に最後の戦いになる……。――さあ、行こう先輩!』

「おうっ!」

 

 鮎子と共に決意を固めて……両足で地を蹴り、俺達は夜空へ飛び出して行く。

 真の決着を、付けるために。

 

「そろそろ――終幕と行きましょう」

「ああ――もっともだ」

 

 夜空は既に、少しずつ――ほんの少しずつ。その闇を失い、夜明けという光を帯び始めていた。

 ――今はまだ、暗いけれど。

 俺達を照らしている、この月が去り――次の日が登る頃には……きっと、答えが出ているはずだ。

 

「……ホワチャアアアッ!」

『……ホワチャアアアッ!』

 

 俺達か。

 

「――ハアアアァアアッ!」

 

 彼女か。

 

 どちらが、正しかったのか。

 



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第227話 俺とお前の最終決戦

 月を背に――バーニアを全力で噴射させたラドロイバーが迫る。

 その左手に握られたコンバットナイフは、俺の急所を怜悧冷徹に狙っていた。

 

「トゥアッ!」

『トゥアッ!』

 

 俺達はその一閃を紙一重でかわし――脇腹にバーニアを乗せた突きを入れる。しかし彼女はそれよりも速く、膝を使って突きを受け止めていた。

 

「くっ……!」

 

 ただ捌くだけなら右腕を使った方が速かったはず。救芽井がやって見せた通り、右腕に生じたダメージは色濃く残っているようだ。

 

「もらったァ!」

『もらったァ!』

「……!」

 

 無駄な動きを見せるラドロイバーの虚を突き、俺達は脹脛のバーニアを逆噴射させて正面蹴りを放つ。

 それを受けた彼女は、後ろに大きく吹き飛び――そこから持ち直すように、バーニア出力を高めて急上昇した。

 

 頭上を取った彼女は間髪入れず、レーザー銃を構えて俺達に狙いを付ける。この位置取り――俺達には不利だ!

 

「鮎子ッ!」

『わかってる!』

 

 上空を取られては、狙われ放題だ。俺は鮎子と意識を交わし、バーニアを噴かせて水平に移動する。

 そんな俺達を付け狙うように、レーザー照射の閃光が追いすがる。その追撃から逃れるように、俺達はさらに高く舞い上がった。

 

「頭上を取らせるわけには行かない! もっと高いところへ!」

『任せて!』

 

 採石場はおろか、松霧町全体が小さく見える。町の向こうまで見えてしまいそうだ……。

 一方、ラドロイバーは照射を終え、さらに高度を上げようとしていた。どうやら少しでも、自分に有利な状況を作ろうとしているらしい。

 

 このままイタチごっこを続けていたら、いずれ鮎子が再び限界を迎えてしまうだろう。それでなくとも、そろそろバッテリーも尽きてくるはず。

 ――急がなければ、こっちがジリ貧だ。

 

『……接近して捕まえるしかない!』

「……そうみたいだなッ!」

 

 俺達もバーニアの出力を高め、ラドロイバーに追従しながら少しずつ近づいて行く。

 

 ……妙だな。

 高度を合わせながら、徐々に距離を詰めてくる俺達の動きは、とうにレーダーで確認出来ているはず。

 なのに、なかなかレーザー銃で迎撃してこない。さっき俺を撃ち抜いた時のように、ギリギリまで引きつけてから撃つつもりか……!?

 

 俺は鮎子と思考をリンクさせ、いつでも回避行動に入れる体勢を維持したまま――とうとう、あと少しで近接格闘に入れる、というところまで辿り着いてしまった。

 

 俺達がそこまで到達したところで、ようやく彼女は上昇を止める。既に、町がほとんど見えない程の高さまで来てしまっていた。

 

「――ハァッ!」

「くッ!?」

 

 直後、彼女はレーザー銃で来るという俺の予想を裏切り――コンバットナイフで仕掛けて来た。

 乱れ飛ぶ刺突に、装甲が徐々に削られて行き――赤いスーツの部分は、中身の肉まで掠められていた。……このナイフも、着鎧甲冑を貫通する特別製だったようだ。

 

「あぐッ……!」

『先輩ッ!』

 

 読みの裏をかく連撃に怯み、俺達は思わず後ろへ後退してしまう。既に俺の全身は血塗れだ。

 ――そこへ容赦無く、ラドロイバーは追撃のレーザー銃を放ってくる。俺は咄嗟に仰け反ることでヘッドショットだけは避けた。

 

「く……うッ!」

 

 ……しかし。

 その無理な体勢では、これ以上避け続けることが出来ない。もう片方のレーザー銃を使われても、今の照射を垂直に振り下ろされても、俺に逃げる術はない。

 もう一度胸を貫かれるか。真っ二つに切り裂かれるか。二つに、一つ――

 

「……んッ!?」

 

 ――の、はずなのだが。

 不思議なことに――仰け反った俺達がさらに後退するまで、彼女は何もしてこなかったのだ。明らかに、今のは絶好のチャンスだったというのに。

 

 何の狙いがあって、そんな好機を逃すようなことを……。俺達が近づくまで、何も仕掛けて来なかったことといい……。

 

 ……何も?

 ――そうか!

 

「鮎子、一気に畳み掛けるぞ!」

『……うんッ!』

 

 俺の意図を汲み取り、鮎子はバーニアをさらに強く噴かせる。その勢いに乗じた拳の連打を、ラドロイバーの顔面に浴びせて行った。

 彼女は痛めた右腕と左腕を駆使してそれを捌くと――レーザー銃を使わぬまま後退してしまう。

 

 彼女は右腕をさらに痛めたらしく、その腕は再びだらりと垂れ下がってしまっていた。恐らく、その腕でレーザー銃はもう撃てないだろう。

 

「く、はぁ……!」

 

 そして――そうまでしても、結局は兜を守り切れなかったらしい。両腕のガードを掻い潜り、何発も浴びせた俺の拳は、彼女の兜に付いていた亀裂をさらに大きく広げていた。

 

「……やっぱりそうだ。レーザー銃を使わないんじゃない、使えないんだ。ここに来るまで、エネルギーを消費し過ぎたせいでな」

『そのレーザー銃、やはりかなりのエネルギーを使う代物だったんだね。使用頻度が、明らかに減っている』

「……」

 

 俺達の読み通り、ラドロイバーは既にほとんどのエネルギーを使い切ってしまっていたのだ。……当然だろう。彼女は俺達が合流するまでの間、たった一人で救芽井達と戦っていたのだから。

 

「もう俺を仕留め切るだけの力は、残っちゃいないみたいだな。その様子だと……逃げるだけのパワーもないだろう」

「……」

 

 ほぼ一日中、休むことなく戦い続けていて、こうならない方がおかしい。着鎧甲冑を本格的に軍事利用すればきっと――この途方もない強さが、当たり前になってしまうのだろう。

 

 だからこそ――

 

「――あんたの道を、これ以上進ませるわけには行かないんだ。投降してくれ」

「……そんな問答に、意味はありません。私を無力化したいのであれば、戦って倒せばいい。殺してしまえばいい」

「ただ相手を倒すことだけが、俺達の仕事なら――言われるまでもなく、そうしてるさ」

「……わかりませんね。私は、あなたのお兄さんを――」

「――分かるはずがないさ。お前と俺は、違う道に生きてるんだから」

 

 兄貴のことは、確かに許せない。だけど、それで彼女を殴り倒したところで――何も変わりはしない。ただ、俺の拳が痛いだけだ。

 だったら、きちんと法に則った罰を受けてもらった方がいい。それしか……ないだろうが。

 

「違う道――ですか。なるほど、確かにその通りです。ヨシエさんの生き方に背くことでしか、私は彼女の理想を追うことが出来なかった……」

「……なに?」

 

 その一方で、ラドロイバーは穏やかな口調のまま、ヨシエという女性に思いを馳せていた。この圧倒的に不利な状況がわかっていないのか?

 ていうか、ヨシエって……。

 

「……ですが。そこまでわかっていながら――道を違えていると知っていながら。こうして私に手を差し伸べようとしているあなたは――」

「――ッ!」

 

 刹那。

 残り少ないエネルギーの、全てを乗せたレーザーの一閃が――俺の視界に広がっていく。

 

「――本当に、愚かなのですね」

 

 まるで。

 赤い花が、開いていくように――

 

『先輩ッ!』

 

 ――と、いう景色の中で。鮎子の叫びが、一際大きく俺の心に轟いていた。

 

「くぁ……ッ!」

 

 その響きだけが――不意の一閃で終わりかけていた俺の命を、紙一重で繋いだのだった。

 反射だけで頭を横にかわし……右の頬に、レーザーの焼け跡が付く。増加装甲を取り付けられた仮面など、容易に貫通していた。

 ――今までの中で一番、強力なエネルギーが込もっていたように感じる。鮎子が呼びかけてくれなければ、今頃は仮面ごと、頭を吹き飛ばされていただろう。

 

 ……何が、愚かだ。愚かだから、なんだ! お前の方こそ――!

 

「――この分からず屋がァァァァアァアッ!」

『――この分からず屋がァァァァアァアッ!』

 

 辛うじて、最後のレーザーをかわした瞬間。

 俺達は全ての鬱憤を叩き込むように、渾身の正拳で彼女の顔面を打ち抜いて行く。肘の小型ジェットにも、強烈な加速を付けて。

 

「が……あッ!」

 

 その一撃をまともに受けた彼女の兜は――ついに、粉々に粉砕された。砕け散った黒曜の仮面が、幾つもの破片となって空へ広がっていく。

 そして、全ての力を失い……落ちて行く彼女の身体を――夜明け前の空が照らしていた。

 

「鮎子、最後の大仕事だ!」

『うん……行こう!』

 

 俺達はやがて、示し合わせたように身体を半回転させ――全速力のバーニアで急降下に突入する。ラドロイバーを、追って。

 

 もうバーニアを噴かせるエネルギーはおろか、着鎧を維持するだけの力も残っていなかったらしい。

 彼女の身体からは、鎧や武器が次々と剥がれ落ちていた。やがて、彼女の身体はボディスーツのみの丸腰と化していく。

 ……まるで、今まで彼女に纏わり付いていた憑き物が落ちて行くかのようだった。

 

「届ッ……けぇええぇえッ!」

『届ッ……けぇええぇえッ!』

 

 そして――視界に広がる松霧町が大きくなり……採石場の地表が目に映るところまで来た時。

 俺達はついに、彼女の元へ辿り着くのだった。

 

「よっ……と!」

「……」

 

 俺は脹脛のバーニアで体勢を維持しつつ、ラドロイバーをお姫様抱っこの格好で確保する。彼女の意識はハッキリしているようだったが――その目からは、今までのような殺気は失われていた。

 まるで、何かを懐かしむような……夢を見ているような。そんな、不思議な色の瞳だったのだ。

 

「……そうか。あの日の、夢の中で……悪い人から皆を守ってくれた……天使様は……」

「……?」

「私では、なくて……」

 

 彼女はうわ言で何かを呟き、力無く俺の頬を撫でる。その表情には、どこか温かみさえ感じられた。

 

「ヨシエさん……私、やっと……」

 

 そして、その呟きを最後に――彼女の意識は眠りについていく。瞼を閉じたその顔は、激闘の後とは思えない程に安らかなものだった。

 

「……」

『……先輩。ボク達、勝ったんだよね。きっと、正しかったんだよね』

「――そいつは、今にわかるさ」

 

 その姿に、戸惑いを隠せなかったのだろう。鮎子は確かめるように、俺に問いかけてきた。

 ……確かに、勝ったのは俺達だ。しかし、勝った方が全部正しいってんなら、それはラドロイバーの理屈になる。

 俺達が正しかったのかどうかは……着鎧甲冑が兵器にならなかった世界で生きてる、他の連中が決めてくれるさ。だからきっと――今にわかる。

 

 少なくとも、俺達なりの正義に力が伴っていたことだけは……間違いない、と見ていいだろうよ。

 

「……さ、帰ろう。皆が待ってる!」

『……うん!』

 

 地上から手を振り、涙ながらの笑顔で出迎えている救芽井達を見れば――それくらいは信じたくなるってもんだ。

 

「ただいま、皆」

 

 彼女達に向け、俺が小さく呟く頃。

 

 採石場の岩山の向こうでは――七月八日の日の出が、鮮やかに煌めいていた。

 



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第228話 不思議な感慨

 あの激闘の日から、一ヶ月が過ぎた。

 

 気絶したラドロイバーを拘束した後、俺達は破壊された松霧町の復興に追われ――休む暇もなく働き続けていたのである。

 

 被害を受けた建物の修繕、住民の帰還支援云々の作業を終えるまでに要した時間と労力は凄まじく、過労でノビてしまう隊員も少なくはなかった。

 

 そして住民全員が町内に帰還し、生活体制が元通りになった頃には、既に季節は夏真っ盛りの八月に突入していたのだ。

 ようやく学校に帰って来た中高生は、帰還早々に行われた一ヶ月遅れの期末考査に泣かされる羽目になったのである。……俺も含めてな。

 

 ――こうして、松霧町の平和は確かに取り戻された。しかし、全てが丸く収まったわけではない。

 

 伊葉さんは政府の意向に背いた俺達の罪を肩代わりする形で、国家反逆の罪に問われ、無期懲役を言い渡されてしまったのだ。現在は、同じ罪状のラドロイバーと同じ刑務所に拘置されているのだという。

 会いに行くことは出来るが――もう、彼がそこから出て行くことはないのかも知れない。罪を償うことこそが、彼にとっての生きる意味だったというのなら。

 

 一方で、そこそこ前向きな話もある。

 今後、ダスカリアン王国における伊葉さんの立ち位置は、古我知さんが引き継ぐそうだ。伊葉さんほどではないにしろ、彼もかなり国内での信頼は築いているそうだし、適任だろう。

 伊葉さんの意志を継ぎ、ダスカリアン王国に本当の平和を齎すまで戦い抜く。彼は常々、俺にそう語っていた。

 

 ジェリバン将軍は、近々ダスカリアンに帰るつもりのようだ。ダウゥ姫の「生きたい」という望みが明らかになった以上、俺と戦う意味も失われたらしい。

 元々絶大な信頼を勝ち得ている彼だが――負けて帰ってきたとなれば、国内の敵も増えることになるだろう。日本に反対している勢力も勢いづくはずだ。さらに伊葉さんを欠いた今、国を生かす外交に携われる人材も限られてくる。

 間違いなく、これからのダスカリアン王国は苦難の時代を迎えることになるだろう。それを乗り越える時がいつになるかは――将軍や古我知さんに掛かっている。

 

 また、この先始まるであろうダスカリアン王国の混乱から遠ざけるために、ダウゥ姫は当分「留学」という形で松霧町に住み着くことになった。このことをダシに将軍を糾弾する勢力も出るだろうが、それでもダウゥ姫が危険にさらされるよりはマシなのだろう。

 彼女も渋々……という態度ではあったものの、それには了承している。来月の二学期からは、松霧高校一年生としての女子高生デビューを飾るわけだ。……見た目は完全に小学生なんだけどね。

 

 見た目が小学生といえば、鮎子。

 彼女と俺を繋いでいた二段着鎧の装備は、ラドロイバーの呪装着鎧と共に完全に廃棄されることになった。もう、彼女を苦しめるような力が世に出ることはないだろう。

 ただ鮎美さん曰く、二段着鎧で初めて実現した飛行能力については利用価値があるらしく、人工知能による完全自律システムを用いた実用化を目指すつもりのようだ。

 

 皆、今回の戦いで受けた痛みを乗り越えて、その先に進もうとしている。兄貴も無事に退院したことだし、俺も自分に出来ることをしなくちゃな!

 

 ……ってところだったんだけどな……。

 

「午後六時までパトロールして来い……って、何なんだよもう……」

 

 復興した校舎の屋上から、町中を見渡し――俺は本日最大のため息を全力放射する。

 

 確かに「救済の超機龍」としての大切な務めではあるんだけどな……。

 試験終わりに自宅で美味いもんでも喰おうとした矢先、救芽井からの「午後六時までパトロールして来なさい! それまで帰宅厳禁!」とかいう謎の指令が来たんだもんなぁ。

 

 おかげで腹が減ってしょうがない……。矢村に何か作って貰おうかと思ったら、あいつも家にいなかったし……。

 ――大体! 何が悲しくて、戦いが終わって早々に腹ペコでパトロールせにゃならんのだ! どんな事情があってのことかは知らんが、後であいつのおやつに大嫌いなマスタードでもぶっかけてやる!

 

「……くぅ」

 

 ――などという情けない怒りに任せ、青空に向けて拳を振り上げた途端。突如響き渡る腹の虫にエネルギーを奪われ、俺はその場で膝をついてしまった。

 いかん……怒ると余計に腹が減る。ああ……早く六時来ねぇかなぁ……。

 

 と、俺はお預けを食らった犬の心境で快晴の空を見上げる。

 しかし不思議なもので、時間というものは意識すればするほど長く感じてしまうものらしい。ラドロイバーと戦っていた時はあっという間に夜中になって、あっという間に夜が明けていたのに――今は、一分一秒が永遠のように長い。

 

 時間を忘れられたのは、道行く生徒や商店街のおっちゃんやおばちゃんに手を振っている時くらいだ。あとは――

 

「あっ、『救済の超機龍』さん! パトロールお疲れ様です! いや〜聞いて下さいよ、実は本官の知り合いの龍太君って男の子がですね、賀織ちゃんって女の子とこないだ公園でイケないアバンチュールを……」

「根も葉もない噂の言いふらしはイケませんなァアァアアァアアァアッ!?」

 

 ――帰ってきても相変わらずなお巡りさんを追い回している間くらいか。

 いや、ホントにイケないアバンチュールなんてしてないし。ホントだし。復興作業の合間に、ちょっとこないだのキスの続きしただけだし!

 

 ……ま、こんな騒がしい日常でもいざ失うと寂しいってことは、今回の戦いでよくわかったからな。

 伊葉さんの想いに応えるためにも、これからはその有り難みを忘れないよう心掛けて――って。

 

「なんだよ……もうこんな時間か」

 

 ――そう。時間とは不思議なことに、ちょっと物思いに耽るだけで物凄く短く感じることがあるのだ。午後六時まであと十分、ということにようやく気付いた、今の俺のように。

 一見すれば吸い込まれるように蒼い空も、遠くに目を向けてみれば徐々に黄昏が滲み始めているのがわかる。夏という季節ならではの、日の長さだな。

 

「やれやれ。……とにかく、そろそろ帰るか。――トゥアッ!」

 

 今日一日、何も起きなかったことに感謝しつつ、俺は屋上から勢いよく飛び上がり――夕焼けに滲んで行く空を舞う。

 ……そして、平和を少しずつ感じて行く度に。俺の脳裏に、あの日の伊葉さんの声が蘇っていた。

 ――伊葉さん、どうしてるかな。もう晩飯は食ったのかな……。

 

 そして、幾度となくジャンプを繰り返し――ようやく自宅に辿り着いた時。

 入り口の近くに、人影が伺えた。あれは……矢村?

 

「あっ! 龍太おかえりっ!」

「矢村じゃないか。どこに行ってたんだよ、部室にも家にもいなかったし……」

「そ、それはホラ……お楽しみってヤツやけん」

「……?」

 

 俺を見つけるなり、彼女は満面の笑みでとことこと駆け寄ってくる。そんな彼女の前で着鎧を解除しつつ、俺は目の前の違和感に首を傾げた。

 

「……その両手に持ってるクラッカーは何なんだ?」

「ギクッ! い、いやこれは――って、そんなんええから早よ行こ! 皆待っとるんやからっ!」

「みんな……って、ちょ、ええっ!?」

 

 矢村は質問に答えぬまま、強引に俺の手を掴んで自宅に引っ張り込んでいく。

 ……皆って、どういうことだ? 着鎧甲冑部の皆もいるってことか? 昼間の部室には誰もいなかったんだが……。

 

 そんな俺の疑問に応じる気配もなく、矢村は俺の手を引いて玄関の先を進んでいく。そこから先には――かつてない程の「人の気配」で溢れていた。

 

 なんだ……? この先に、一体何が――

 

「一煉寺龍太君、十八歳の誕生日おめでとぉおーっ!」

「おめでとう、龍太っ!」

「おめでとうございます、龍太様」

「……おめでとう、先輩」

「おめでとう! イチレンジ!」

 

 ――って、うぇぇえ!?

 

 なんだ、この所狭しと俺ん家に集まった人の数は。なんなんだ、このクラッカーの一斉射撃は!?

 ……大体、俺の誕生日なんてとっくに過ぎて……あ。

 

「そっか。誕生日パーティー、してなかったんだ……」

 

 そう。着鎧甲冑の資格試験を終え、松霧町に帰ってきた時から、すでに戦いは始まっていた。

 ジェリバン将軍との決闘、茂さんとの再戦、ラドロイバーとの決着。何もかもが、立て続けに続いていたのだ。確かに、俺の誕生日パーティーなんてしてる暇はなかったよな。

 

「ほらほら、龍太君! ローソクローソク!」

「あ、ああ……!」

 

 俺はうまく思考が纏まらないまま、救芽井に促され――食卓に並べられたご馳走の中央を飾る、白いワンホールケーキの前に立たされた。目の前には、十八本の蝋燭。

 

「ハッピバースデー、トゥーユー!」

「ハッピバースデー、トゥー、ユーっ!」

 

 直後、俺の周りではお約束の歌と手拍子が始まっていた。といっても歌っているのは着鎧甲冑部の女性陣やダウゥ姫くらいで、あとはほぼ手拍子のみとなっている。

 

 しかし、問題はそんなことじゃない。この大して広くもない家に集まったメンツだ。

 着鎧甲冑部の面々に、ジェリバン将軍とダウゥ姫、古我知さんに茂さん、久水家の先代夫婦に救芽井甲侍郎夫妻、さらには矢村夫妻までが、この場に集結していたのである。

 

「ハッピバースデー、ディア、龍太!」

「ハッピバースデー、トゥーユー!」

 

 冷静に考え――なくとも凄まじ過ぎる顔ぶれのはずなのだが、俺の正面で満面の笑みを浮かべ、手拍子に興じている俺の家族は相変わらずの佇まいだった。

 

 こんな大物ぞろいのサプライズパーティーが、まさか俺ん家の中で始まっちまうなんて……わからねぇもんだな、世の中ってのは。

 

「……このところ、伊葉さんのことでちょっと沈んでたみたいだから。――それに、ちゃんとお祝いはしてあげたかったからね。おめでとう、龍太君」

 

「――ああ、ありがとう。皆」

 

 ……それに、不思議なもんだ。

 あの時は、誕生日のことなんてすっかり忘れていたのに。

 

 今は、どんな時よりも強く――戦いが終わったことを実感している。

 

 ――あの平和な町が、戻ってきたのだと。

 

 蝋燭の火を全て吹き消した時。

 俺は、その思いがさらに強くなっていることに、改めて気づかされたのだった。

 



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第229話 招かれざる者

「いいかね? 私はあくまで、君の意思を尊重しているつもりだ。君も娘も若いのだ、こういうこともあるだろう」

「は、はぁ……」

「だがね、私は父親として君に物申したい。娘を振ったからには、それ相応の覚悟を持って今後の任務に当たって貰うと!」

 

 俺ん家を舞台に開かれた誕生日パーティーは、どんちゃん騒ぎが絶えない飲み会のような状況に陥っていた。主に、早々に酔っ払ってカラオケ大会を始めている久水夫妻のせいだが。

 そんな中、俺は酒の入った甲侍郎さんに肩を組まれ、延々と説教を聞かされている。婚約者だのなんだのと持ち上げられておいて、結局救芽井を振ったのだから当然なんだけどな。

 

「あなた、いけませんよいつまでも。本人達が納得してることなんですから。失恋だって、女を強くする経験ですわ」

「し、しかしなぁ……」

「まっ、ワシは前から賀織ちゃんとくっつくだろうとは思っておったがの」

「ち、父上!?」

 

 すると、彼を宥める華稟さんの肩から、ひょっこりとゴロマルさんが顔を出してきた。ゴロマルさんまで参加してたのか!?

 

「ゴロマルさんも来てたのか!?」

「せっかく近くまで来たところを驚かしてやろうと隠れておったのに、お前さんが全然来やせんかったからのぅ。このまま隠れっぱなしじゃ、せっかくのご馳走を食いっぱぐれてしまうわい。ほいっ、と」

「ああっ! ちょ、俺の唐揚げっ!?」

「もう、いけませんよお義父さん。夕食なら昨日も食べたじゃないですか」

「いや今日も食べさせてあげましょうよ!? 唐揚げはダメだけど!」

 

 俺が救芽井家のフリーダムさに翻弄されていた頃。

 後ろの方では、久水家によるカラオケ大会が熾烈を極めていた。

 

「やるのう茂……じゃが、まだまだ勝負はこれからじゃ」

「フフフ……父上、やめるなら今のうちですよ。もう若くはないのですから」

「ぬかせぃ! 鮎美ちゃんのパンティーはワシのものじゃい!」

「だから私を勝手に賭けないでくれる!?」

「ホホホ、いい度胸ねあなた。今夜は腹上死の刑かしら?」

 

 鮎美先生はノリについていけずに困惑しており、舞さんは何やら黒い笑みを浮かべて勝負を見守っている。あ、毅さんの顔から血の気が引いた。

 

「ぐぉお〜っ……うぐぅうぅっ……賀織よぉお……お父ちゃんを捨てんでくれぇえ……」

「もう、あんた! 大の男がいつまでもメソメソしとるんやないっ!」

「ぢぐじょう! 母さん、おかわり! 今日は食って食って食いまくってやる!」

「……はいはい、もう、しょうがないんやから……。久美さん、おかわりええか?」

「ふふふ。はい、ただいま」

 

 さらに向こう側では武章さんがやけ食いに熱中しており、おばちゃんが甲斐甲斐しく世話を焼いているようだった。……俺も近い将来、あんな風になるのかな。

 母さんは母さんで、そんな将来の親戚を微笑ましく見つめている。

 

「これは随分と口に合うな。きっと、ダスカリアンでも人気が出るだろう」

「作り方なら教えられますよ。材料も、向こうで手に入れられるものが多いですし」

「それは頼もしい。人間同士の和を保つ上で、食文化という要素は欠かせないからな」

「ええ――そうですね、本当に」

「……?」

 

 一方で、厨房では古我知さんとジェリバン将軍が料理に興じているようだった。どうやら将軍は、日本の料理がかなり気に入っているらしい。

 古我知さんも一見乗り気だが――さっきからカラオケ大会を睨む目つきがやべぇ。今にも料理をほっぽり出して電撃参戦しそうな勢いだ。

 

「ほら、腹いっぱい食いや。グレカン」

「勝手に略してんじゃねぇ! グレートイスカンダルだ、グレートイスカンダル!」

「そんな呼びにくい名前噛んでまうわ! だいたいあんたごと引き取ったのはアタシん家なんやから、呼び方くらい好きにさしたってええやろっ!」

「それとこれとは話が別だっ! とにかく、グレートイスカンダルに勝手な略称を付けるのは、このオレが許さない! 絶対ったら絶対だ!」

「なんやと!?」

「なんだよ!?」

 

 その頃テーブルの下では、キャットフードを与えられたグレートイスカンダルを間に挟んでの、恒例の口喧嘩が始まっていた。

 日本に留学している間のダウゥ姫が矢村家に居候することになったこともあり、彼女達はさながら姉妹のように毎日を共に過ごしている。……いつもあんな感じではあるけどな。

 

「しかし……本当によく戦ってくれましたわ、鮎子。龍太様だけでは絶対! こうは行かなかったことでしょうし」

「……当然。先輩なら例え一人でもバカみたいに! 突っ走っていくって……わかりきってたから」

「そうよね。龍太君ったら、今も昔も無茶しか! しないんだから」

 

 救芽井、鮎子、久水先輩の三人はご馳走をつまみながらガールズトークに興じている――が、その話題の多くは俺の悪口になっていた。

 聞こえよがしなボリュームである上に、口調がいちいち刺々しいんですけど……女ってこえぇ……。

 

「お前にも、随分たくさんの友達ができたのだな……。三年という月日は、こうも人を変えていくものなのか」

「……変わらないさ、昔から。俺は今だって、猪突猛進のバカ野郎だ」

「本当にお前がそれだけの男だったなら、今日のためにこんなに人が集まることはなかったさ。見るべきものを持った人間とは、そういうものだ」

 

 ようやく甲侍郎さんから解放された俺は、親父に肩を抱かれながらスネるようにジュースを飲む。俺に見るべきものがあるってんなら、もう少しオブラートに包んだ言い方したっていいじゃない!

 

「だ〜いじょぶだって龍太。泣きたくなったら兄ちゃんがべろべろばーしてやっからよ!」

「あーもう、バカにすんな! 俺だってもう大人なんだから!」

「そーそー、みんなを守るヒーロー様はそれくらいの元気がないとな! あん時みたいにメソメソしてんじゃないぞ!」

「……え?」

 

 相変わらずのおちゃらけた態度の兄貴。だがその言葉の端々は、俺にえもいわれぬ違和感を覚えさせる。あの時……兄貴を失いかけた、あの時か。

 ――兄ちゃん。俺は、今度こそ……俺は……。

 

「ん? 龍太、客人のようだが」

「他にも誰か呼んでたのか? ……まぁいいや、行ってくる」

 

 その時。チャイムの音を聞きつけた親父が、首を傾げて俺に問いかけた。誰だろう? レスキューカッツェのみんなかな?

 

 親父が把握していないことを不審に思いつつ、俺は玄関に向かい――扉を開けて。

 

「なっ……!」

「――これは失礼。お楽しみの最中だったかな」

 

 予想だにしなかった人物の登場に、旋律を覚える。

 なんで、この男がここに……!?

 

「申し訳ないが、君に向けて現総理大臣からの通告があってな。しばし時間を頂戴したい」

「牛居、敬信……!」

 



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第230話 新たなるステージへ

「『救済の超機龍』の派遣……か」

「ええ、それが私達に出来る譲歩です」

 

 冷や水をかけるようにパーティーの最中に現れ、居間まで上がり込んできた――政府の使者。

 その対応には、救芽井エレクトロニクスの社長である救芽井甲侍郎が当たっていた。

 

 牛居さんは伊葉さんを刑務所送りにするだけでは今回の罪は清算出来ない、と言っている。なんでも国からの指令として、俺をダスカリアン王国に派遣する話になっているらしい。

 ……言うことを聞かない問題児を体よく追っ払う、ということか。

 

 そんな彼らの言い分が気に入らず、矢村一家や着鎧甲冑部の面々が突っかかることもあったが、今は周囲に宥められ、牛居さんを睨むだけにとどまっている。

 だが、牛居さんが伝える国の主張には、この場にいる誰もが反発心を抱いていた。それは言葉にならずとも、表情に強く現れている。

 

「この件であなた方は私達の意向に反し、関わるべきでなかったダスカリアン王国の救援に向かってしまわれた。伊葉氏がその責を被る形になったとはいえ、実行犯とも呼べるあなた方を全くの不問とするわけにもいかないのです」

「……我々が、恐ろしいからか」

「ええ、その通りです。数十人の私兵を利用してのこととはいえ、戦闘用に開発された着鎧甲冑に相当するパワードスーツを制圧した。――これは、着鎧甲冑は兵器ではないと謳ってきたあなた方の信頼を、大きく損なうものなのです」

「信じはしないだろうが……我々はあくまで、この力を軍事利用させないための抵抗を尽くしたに過ぎない。兵器を超えたのは鎧ではなく、それを纏う人間だ」

「言葉なら、いくらでも理想は語れましょう。それにあなたの発言が本心によるものだったとしても……それは着鎧甲冑の技術が守られる保証にはなり得ません。あなたの『立場』を継いで着鎧甲冑を管理する後継者が、あなたの『志』を受け継ぐとは限らないのですから」

「……」

 

 牛居さんの追及に、甲侍郎さんは押し黙る。

 思い出してしまったからだろう。同じ道を志していながら、一度は道を違えてしまった――古我知さんのことを。

 当の古我知さんも、口をつぐんでしまっている。……が、その時。

 

「――受け継ぎます」

 

 甲侍郎さんのそばに寄り添う救芽井が、静かに――それでいて厳かに、声を張る。

 その凛とした面持ちに、この場にいる全員が注目していた。

 

「父の志は、私が受け継ぎます。そして、これからもずっと……紡いで見せます。こんな戦いを生むような思惑、私は絶対に許しません」

「……」

 

 牛居さんは、そんな彼女を品定めするかのような目でジッと見つめている。――彼なりに確かめているのだろうか。彼女の想いを。

 ……だが、そんな必要はあるまい。彼女なら絶対、守れるはずさ。甲侍郎さんの願いを……。

 

「――だとしても。あなた方が国からの信頼を失っている現状に変わりはありません。今後の方針を宣言する前に、あなた方には信頼を取り戻すための誠意を見せて頂かなくてはなりません。そのためには、彼の協力が不可欠なのです」

「……それで、彼を――『救済の超機龍』を、ダスカリアンに送ると言うのですか」

 

 両者の視線が、俺に向かう。これから始まる宣告を前に、俺は拳を握り締めた。

 そして、そんな俺を励ますように、矢村の小さな掌が俺の拳を覆う。

 

「はい。あなた方の思惑がどうであれ、彼の力が脅威的であることに変わりはありません。しかし、その力をダスカリアン王国との国交に活かして下さるのであれば――偉大なヒーローとして、彼をこの国へ迎え入れることもできましょう」

「まさか……彼の強さを背景に、ダスカリアン王国を事実上の属国にするつもりですか」

「……いえいえ、そのような非道なことは決してさせません。彼はこの国から生まれた、大切なヒーローなのですから。我々が彼に託したい任務は、より人道的な正義に基づいたものです」

 

 救芽井の追及をかわしながら、牛居さんは愛想笑いを浮かべて俺を見遣る。……額面通りには、受け取れない任務らしいな。

 

「彼にはダスカリアン王国に赴き、同国内で活動している武器密売シンジケートを無力化して頂きたい」

「……!」

「ジェリバン将軍の監視を掻い潜り、二十年以上に渡って国内外で武器を密売しているその組織……実は、着鎧甲冑を狙っているという情報がありましてね。先日、技術を奪うための人質として、現地にいた日本人が狙われるという事件があったのです」

「なんですって!」

「幸い、日本に対して好意的なダスカリアン兵士によって救助され、事なきを得たようですが……今のダスカリアン王国内には、日本に不信を抱く国民も、兵士も多い。このままでは、レスキューヒーローを創出していく者としての沽券に関わるでしょう?」

「……」

「我々としても、国民を守るための最善を尽くしたいのです。それに、この任務が成功すれば救芽井エレクトロニクスは、ヒーローとしての着鎧甲冑の有用性をさらに広められる上、ダスカリアン王国も悩みの種を一つ解消することが出来る。国境を問わず人々の幸せを守る、まさにヒーローに相応しい大命であるとは思いませんか?」

 

 武器密売シンジケートの退治。確かに、ダスカリアン王国のためにも日本のためにも必要な任務だが……日本政府の狙いがそれだけとは思えない。

 恐らくはこれを足掛かりとしてダスカリアン王国に恩を売り、救芽井が危惧した通りか、それに近しい体制に誘導しようとしているのだろう。

 

 ……だが。だが、しかし。

 

「ジェリバン将軍。その武器密売シンジケートってのは、ホントにそんなことをやりかねない連中なのか」

「……うむ。奴らは、力を手にするためにはどのような手段も厭わぬ。この一年、私とコガチ殿で幾多のアジトを壊滅させてきたのだが……大元は未だに潜伏を続けているのだ。国内に広がりつつある日本への反発心を利用して、着鎧甲冑の技術を狙うようになっても不思議ではない」

「日本人に優しい人だっているんだろ?」

「一部にはカズマサ殿への感謝を忘れず、日本に好意を持っている国民や兵士もいるが……もし件の兵士が親日家でなかったなら、最悪の事態も考えられた。今後は、そうなっていく可能性も高まるだろう。これ以上奴らを野放しにしていたら、ダスカリアンの国民にとっても危険であることは確かだ」

「……そうか」

 

 俺が迷っている間に……振り回されている間に、苦しんでいる人がいる。助けられるかも知れない人を、俺は見放そうとしている。

 だったら……!

 

「いいだろう。その仕事、受けて立つ」

「りゅ、龍太君!」

「……だけど、後出しの任務追加はナシだ。そいつらをぶっ飛ばしたら、すぐに日本に帰らせて貰う。俺の帰りを待つ人もいるんでな」

「……君ならそう言うだろうと、思っていたよ。もちろん、我々も信頼を守ることを是としている。裏切るような真似はしない」

 

 俺は拳を胸に当て、依頼を受けることを宣言した。それを目の当たりにした牛居さんの口元が、不気味に吊り上がる。

 ダスカリアン王国を食い物にしようとしてる連中の言い分なんて、聞きたくはないが――それを、戦いから逃げ出す口実にする気はない。

 そんな俺を好きと言った矢村のためにも、この仕事は速攻で片付ける。この手を握るチンチクリンを、俺のオンナにするために。

 

「では、契約成立だ。高校を卒業したらすぐ、君にはダスカリアン王国に発ってもらう」

「……ああ。任せとけ」

「龍太……」

 

 牛居さんは再び、品定めするような目で俺を見た後――満足げに踵を返した。その背中を視線で追う俺の手を、矢村はギュッと握り締めている。

 

「三年だ、矢村」

「え?」

「高校を卒業したら、三年で帰ってくる。それまでに悪い奴らを全員ぶちのめして、帰ってきたら速攻で結婚式。約束だ」

「……うんっ!」

 

 俺は牛居さんの後ろ姿を見据えながら、ちっこい妻の肩を抱く。……この温もりは、今のうちにたっぷり味わっておかないとな。

 ――そして、そこ。死亡フラグとか言うんじゃない。

 

「古我知さん」

「……ん?」

「今度の面会で、伊葉さんに伝えてくれ。もう、あんた一人で戦わせたりはしない――って」

「ああ……そうだね。確かに、そう伝えておくよ」

 

 背中越しに、古我知さんに伝言を託して。俺は窓から覗く、日本の夕焼けを見つめる。

 ……帰ってくるさ、必ずここに。

 

 そして。

 

「くぉらぁぁああッ! なにを俺の前でイチャついとんじゃああぁああッ!」

 

 武章さんの怒号が暴発し。

 

「君にはデリカシーというものがないのかねぇえぇえぇぇぇえええッ!」

 

 甲侍郎さんの叫びが轟いた瞬間。

 

「もう、龍太君ったら! 人がせっかく心配してるのに、ドサクサに紛れて賀織とイチャついて! 賀織もお尻撫でられて喜んでんじゃないわよっ!」

「このやろ〜ッ! オレを抱きしめといてそれかよッ! イチレンジ絶対許さねぇ!」

「鮎子、公然ハレンチ罪で征伐するざますッ!」

「……御意」

「いや、これはその――って! ちょちょ、鮎子! 椅子とか反則だし! 反則だしッ!」

 

 空気の乱れに乗じてか――女性陣の不満が爆発するのだった。

 だが、周囲の大人達は俺を助けることもなく、ただ生暖かい視線で見守る……もとい見捨てるばかり。

 文字通りの踏んだり蹴ったりだが――まぁ、矢村を貰うからには、これくらいの代償はあって然るべきなのだろう。

 

「龍太、一時徹底や! いつもの公園で作戦会議やで!」

「なんのだよッ!?」

「アタシらの将来設計……なんちて!」

 

 俺の手を引いて玄関の外へ駆け出して行く、彼女の笑顔を見ていると――そんな気になってしまう。

 

 そして、この騒動からさらに七ヶ月余りが過ぎた――二◯三一年三月二十三日。

 秋を経て、冬を越え――桜が近づくこの日。

 

 俺の運命は、大きな転機を迎えるのだった。

 



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第231話 旅立ち

 成田空港のロビーに集まる、着鎧甲冑部の面々。俺の家族。そして――相変わらずの男装で身を固めたダウゥ姫。

 その姿を一瞥し、俺は懐からパスポートを引き抜いた。

 

「いよいよ、か」

 

 ダスカリアン王国へ赴くために、必要となる鍵。

 それを隅々まで見つめ、俺はこれから始まる戦いを実感していく。

 

 ――ジェリバン将軍から、ダウゥ姫送還の要請が来たのは一月の頃だった。

 将軍や古我知さんの尽力により、ダスカリアン王国の混乱も収まりつつあるようだが、やはり決め手にはダウゥ姫というシンボルが必要なのだという。

 負けて帰ってきた将軍が、姫が帰って来る前に国を乗っ取ろうとしている――という噂を断ち切る目的もあるらしい。

 そうした噂を野放しにしていれば、例の組織に付け入る隙を与えてしまう。それが、将軍の言い分であった。

 

 そこで俺達は、高校を卒業するタイミングでダウゥ姫を日本から送還することに決めた。そのボディーガードを、俺が兼ねることになったのである。

 

 そして、卒業式の翌日である今日。

 ついにダスカリアン王国へ発つ時が来たのだった。

 

「龍太君、とにかく現地の人達には失礼がないようにしてね。あなたはただでさえ、人一倍礼節に欠けてるんだから」

「……わかってるって。相変わらず歯に衣着せないなぁ。今日ぐらい優しくしてくれたっていいじゃない」

「ダメよ。我が救芽井エレクトロニクスのエースヒーローとして出向くんだから、次期社長として管理は徹底しないとね。少なくとも今の時点じゃ、あなたは戦闘力にしか期待されてないんだから」

「あのなぁ! 俺はヤクザの用心棒じゃないんだぞ!」

「だったら、そう思われないように礼儀正しくすること! わかった!?」

「はい……」

 

 そんな俺に向け、救芽井は暖かいエール……の代わりに、痛烈な説教を見舞う。婚約破棄してから、ずっとこんな調子だぜ……とほほ……。

 

「――優しくなんてしたら、賀織に悪いし……何より、私が辛いのよ……」

「あん? 何か言った?」

「ホ、ホラ! そういうデリカシーのない詮索がいけないのよ! もっと気を遣うっ!」

 

 ぽつりと呟く一言に、言い知れぬ憂いを感じた俺は思わず彼女に尋ねるが――顔を赤くした彼女にぽかぽかと叩かれ、はぐらかされてしまった。

 ……デリカシーとは一体。うごご……。

 

「この先に待ち受ける戦いは、龍太様のホームグランドからは大きく離れた場所。今までのセオリーを捨て、新天地に向かう思いで任務に当たるべきですわね」

「……先輩は強い。だけど、無敵なんかじゃない。それを、忘れないで……」

「――ああ。お前達に負けないような、頼れる仲間を見つけてやるさ」

 

 一方、久水先輩と鮎子は甲斐甲斐しい程に俺の世話を焼いている。まるで初の遠足に出掛ける息子を見送る、母親のようだ。

 

「龍太様、ハンカチはお忘れでなくて?」

「……トイレに行きたかったら、早く済ませて」

「だああああ! お前ら俺を幾つだと思ってやがるぅうぅう!」

 

 ……ホントに母親のようだ。

 卒業式を終えて早々の、この子供扱いはなんとからならないんかい?

 

「お兄様があなたの矯正に手を焼いたのもわかりますわね……全く」

「るせぇ! ……そういや茂さん、最近また忙しくなってるみたいだな」

「ええ。松霧町の復興事業、着鎧甲冑のシェア拡大――ダスカリアン王国へのG型配備の検討。救芽井エレクトロニクスとの共同事業においては、今が一番忙しい時期ですから」

「そんな時にわざわざ見送りに来させて、悪かったな」

「勘違いなさらないで下さる? ワタクシは自分がしたいことしかしませんのよ。ワタクシ、わがままな女ですから」

 

 久水先輩は巨大な胸を張り、目を閉じてそっぽを向いてしまう。その頬は、ほのかに赤い。

 ……その高飛車な態度も面倒見のよさも、変わらないな。

 

「そうかい。じゃあ、わがままついでに最後まで見送ってもらおうかな」

「……初めから、そのつもりですわよ」

 

 次いで、俺は鮎子と――その隣に立つ鮎美先生に視線を移す。

 

「じゃあ龍太君。向こうにいる剣一君とジェリバン将軍によろしく。ちゃんとお姫様を送ってあげるのよ?」

「わかってるって。少なくとも、怪我するような目には合わせないさ」

「……迷子にならない自信はないんだ?」

「やかましい!」

「……怪我しちゃいけないのは、先輩も一緒。自分も、ちゃんと守らなくちゃダメ……」

「――ああ、わかったよ。死なない程度には気を付けるさ」

 

 やけに周りから心配されてるような気がするが……俺だって、今まで命を張って戦ってきたんだ。そう簡単に死ぬつもりはないさ。

 周囲の憂慮を跳ね除けるように、内心でそう意気込んでいる頃。

 

 ダウゥ姫は、矢村と対面していた。

 異国の姫君を見送る彼女の腕の中には、小さく鳴いて主人を見つめるグレートイスカンダルの姿がある。

 

「じゃあな、グレートイスカンダル。いつかまた、会いに来るから」

「心配せんと行ってき。この子の面倒ならみちゃるけん、あんたはあんたの仕事を頑張るんやで」

「……ちぇっ、わかってるよそんなこと。カオリのくせに、いつまでも姉ちゃんヅラしちゃってさ。オレだってもう立派な王族なんだから、子供扱いすんなよ!」

「そーゆーとこ、ホントに龍太にそっくりやなぁ。子供やないって言うんなら、今度日本に来る時までに女らしくなりぃよ」

「う、うるせー! お前だけには言われたかねぇよ!」

 

 相変わらずのやり取りだが、来日したばかりの頃とは比べ物にならないほどに雰囲気が柔らかくなっている。

 一つ屋根の下で暮らせば、やはり変わっていくものなのだろう。元々矢村は友達も多く、人当たりもいい方だったからな。

 

「――これは、今生の別れなんかやない。そうやろ?」

「――決まってんだろ」

 

 そして、深く繋がった絆を象徴するかのように。彼女達はこつん、と互いの拳をぶつけ合う。

 離れ離れなどではない。必ずまた会える。そう確かめ合うかのようだった。

 

「さぁ、そろそろ時間よ。……体に気を付けてね」

「今日ここに、お前の仲間達が集っていたこと――決して忘れるな。お前は、独りではないのだぞ」

「……うん。それじゃあ、行ってくる」

 

 俺が乗る便についてのアナウンスが始まり――いよいよ、その時が近づいてきた。

 両親の穏やかな言葉は、むず痒いようで……暖かい。少しだけ、ほんの少しだけ心細さを覚えていた俺にとっては、何物にも代え難い助け舟となっている。

 

「もう大丈夫さ、お前なら。自分が守りたいもの、したかったこと。それを忘れない限り、ダメになんかなりゃしない。この俺が保証してやる」

「兄貴……」

「ヒーローらしく、バッチリ決めて帰ってこい。お巡りさんも商店街のおっちゃん達も、みんなお前を待ってるからな」

「……ああ。楽しみにしてるよ」

 

 そして。

 兄貴と言葉を交わす時間を、少しだけ名残惜しんだ後。

 

「さあ。行くか、ダウゥ」

「……おう。ワーリも、待ってるからな」

 

 俺達は踵を返し、他の乗客に混じるように搭乗ゲートに向かっていく。俺の手を握るダウゥの手は、僅かに震えていた。

 ……未だ混乱に苛まれている故郷に帰るのが、怖いのだろう。

 

「リュ、リュウタ……」

「怖がることなんかない。――って言っても無駄だろうけどな。自分一人で戦うわけじゃないってこと、忘れんなよ」

「……うん」

 

 そんな彼女の手を、強く握りしめ――俺は俺なりに、彼女の背中を押して行く。絶対に、一人にはさせない。そのために、俺達がいるんだから。

 

「頑張ってね、龍太君!」

「龍太様……ご武運を」

「先輩……負けないでね」

「これ以上身体をぶっ壊さないこと! いいわね!」

「行ってらっしゃい。お母さん、応援してるからね」

「自身が信ずる全力を尽くせ。例えどのような状況に立たされようと、それさえ出来れば……お前は英雄だ」

「……とかなんとか難しいこと言ってる親父のことは気にしないで、とにかく頑張ってこい! ケツは兄ちゃんが持っててやるからな!」

 

 ……そうして、皆から少しばかり離れた時。背中に受ける数々の激励が、俺の肩を震わせる。

 みんな、行ってきます。そして――

 

「……行ってくる。賀織」

 

「……待っとるけんな。龍太」

 

 ――賀織。

 

 声にならない、その短い言葉を交わし終えて――俺は僅かな荷物を抱えてダウゥ姫と共に、ダスカリアン王国行きの便へ乗り込んで行く。

 

 恐れもある。不安もある。

 だけど、決して立ち止まりはしない。

 

 どんなに辛い時代にも、いつかは終わりがくる。この手を握る少女に、その希望を持たせるためにも――俺は、絶対に。

 ――ダスカリアンを、見放しはしない。

 

 そんな俺を、賀織は信じたのだから。

 

「震えが止まったな」

「誰かさんのせいでな」

「ふふ……そうかい、そりゃあ何よりだ」

 

 手に感じるダウゥ姫の感触から、凍えるような震えが消えていく。その変化を確かめながら、俺はダウゥ姫の笑顔に頬を綻ばせていた。

 

 ――この日。俺達はダスカリアン王国へ出発し、ジェリバン将軍や古我知さんとの再会を果たす。

 そして、武器密売シンジケートとの戦いが幕を開け――奴らとの決着にもつれ込んだのは、それから三年後のことであった……。

 




 龍太視点はこれで最後。今回以降は、全て三人称視点でお送りします。


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第232話 矢村賀織の願い

 二◯三四年、七月。

 エルナ・ラドロイバーとの死闘から四年の月日が経った頃。

 

「さて、と。んじゃ、行ってくるで!」

「あいよ。気を付けておいで」

「車に気をつけてな」

 

 小麦色に焼けた肌と、黒いセミロングをなびかせて。一人の少女――否、女性が一軒家の玄関から現れる。

 ベージュのスーツを纏い、皮の鞄を肩にかけたその姿は、絵に描いたような「新人女教師」の雰囲気を漂わせている。

 その一方で、何処と無くあどけない少女の面影も残しているその女性は、両親との短い言葉を交わし――住み慣れた町並みを照らす空を見上げた。

 

「三年……かぁ」

 

 彼女は懐かしむようにそう呟くと……鞄から取り出した一枚の写真に、優しく口付けをする。

 それには、生涯の伴侶となる男性、一煉寺龍太の笑顔が映されていた。

 

「……へへ。もうすぐやな、龍太」

 

 直後、彼女は自身を見下ろす太陽に劣らぬほどの、満面の笑みを浮かべ――軽やかな足取りで駆け出して行く。

 そこには曇りなど、微塵も感じさせない「希望」が滲んでいた。その男性への、信頼が成せる技なのだろう。

 

 ――女性の名は矢村賀織。短大卒を経て教員免許を取得したばかりの、松霧高校新任教師である。

 

「賀織ちゃん、おはよう! 今日はやけに元気だねぇ、何かいいことあったかい?」

「へへ〜、内緒! ていうか、アタシはいつでも元気やろっ!」

「おう、賀織ちゃんかい。朝から精が出るのう。あとで採れたての大根サービスするから、帰りに寄りな!」

「うん! おっちゃん、ありがと!」

 

 ……とはいえ、彼女は学生時代から地域との深い繋がりの中で生活してきた身だ。今も昔も、馴染みの深い人々との関係には変化がない。

 商店街の顔馴染みとの付き合いも、少女だった頃から何一つ変わってはいなかった。

 

「おっ、賀織ちゃんおはよう! これから学校かぁ!」

「あ、お疲れ様です! そうそう、今日は定期考査なんですよ〜。ウチのクラス、だらしない子ばっかりだから大変で」

「はっはは! そりゃあ大変だね。でも、あの賀織ちゃんが今は立派な先生だなんて、時が経つのは早いもんなんだねぇ。いつか本官も息子と一緒に、賀織先生の授業を受けてみたいものですなぁ!」

「……あ〜、じゃあ早速今日から参加しちゃいます? 数学と英語ですよ〜」

「……おっと、ヤブヘビだったね。てなわけで本官はパトロールに戻ります! さいなら〜!」

 

 それは、長く付き合ってきた警察官の前でも変わらない。ただ、最近結婚して子供が出来たという彼の話を聞くたびに、心のどこかに寂しさを覚えることもあった。

 

(もうすぐ会える……もうすぐ、一緒になれる。そうやろ、龍太)

 

 だが、もう暗い気持ちにはならない。警察官と別れて学校に向かう彼女の目には、不安を塗り潰す期待の色が滲んでいた。

 

「おや、賀織君。おはよう」

「お義父さん、おはようございます!」

「ふふ、まだそう呼んでもらうには早い気もするが……まぁいい。今日は試験だろう、しっかり生徒達を見てあげなさい」

「了解しましたっ!」

 

 その明るさは、本人も知らぬうちに、周囲の人々に影響を与えているのだろうか。一煉寺宅の玄関から現れた大柄な男性……一煉寺龍拳も、彼女の笑顔に釣られるように穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「さっきの賀織ちゃんか? ……ていうか親父ぃ、早く行かねぇと遅刻するぜ」

「あなたもでしょ、龍亮。ほらあなた、早くしないと」

「……ああ、そうだな」

 

 そうして走り去っていく彼女を見送る彼の後ろから、朝食を摂っていた妻と長男が現れた。その手には、トーストや目玉焼きを乗せた皿がある。

 

(……あんなにも純粋に、龍太の帰りを待てるとは……強い子だな。さて、あいつがちゃんと応えてやれればいいんだが……)

 

 一方。龍拳の胸中には、義理の娘と次男への想いが渦巻いていた。

 異国に身を投じた息子が、無事でいるか。彼女の愛に応えられるのか。父として、それを案じずにはいられなかったのである。

 

(彼女の愛情より守らねばならぬ正義は、ないと思え……龍太よ)

 

 どのような立場と責任を負おうとも、忘れてはならない愛情がある。息子が、それを理解しているのか――龍拳の気がかりは、そこにあるのだった。

 

 ――そして、少しばかりの時を経て。

 松霧高校を舞台にした「定期考査」という名の死闘に、幕が下ろされた。

 

「はい、そこまで!」

「ちょっともー! 賀織ちゃん手加減なさすぎィ!」

「出題範囲が意地悪すぎんよー! 賀織ちゃん!」

「出来とる奴はおるんやから、言い訳ナシ! 赤点は夏休み返上で先生と補習やから、覚悟しとき!」

「ゲェーッ! 賀織ちゃん怒りの夏期講習キタコレ!」

 

 生徒達から「賀織ちゃん」の愛称で親しまれている彼女に向けて、成績不良の男子達からの悲鳴があがる。

 鬼教師と巷で有名な賀織にとっては、実に見慣れた光景であった。

 

 その後、職員室での事務作業を終え――彼女は自身にとってはかけがえのない場所だった、ある部屋に足を運ぶ。

 そこは――白い塗装で清潔に管理された、部室棟の中にある一室。「着鎧甲冑部」の部室であった。

 定期考査の期間中ゆえ、部室は完全な無人であり――そこに佇む賀織は、静かな空間の中で物思いに耽っている。

 

「変わらんなぁ……ここは」

 

 白い壁に手を這わせ、賀織は懐かしむように微笑みを浮かべた。

 

 ――龍太達が卒業したのち、着鎧甲冑部は「ヒーローを養成する部活」から「ヒーローについて研究する部活」へとシフトしていった。

 着鎧甲冑の資格試験を受けられるような逸材が、頻繁に出るような環境でもない以上、こうなるのも当然の流れだろう。

 現在では、養護教諭を退職して救芽井エレクトロニクスの専属研究員となった四郷鮎美に代わり、賀織が顧問を務めている。

 

 ――あの時に学び取ったことを、違う形になろうとも伝えていきたい。そう願った彼女の想いが、今の彼女自身を作り上げたのだろう。

 

「……」

 

 ふと、彼女の目に一つの写真立てが留まる。そこには、当時の着鎧甲冑部が全員で撮った集合写真が飾られていた。

 当時の自分。四郷鮎子。四郷鮎美。久水梢。救芽井樋稟。そして――

 

「――龍太」

 

 その名が、自然と零れてしまう。

 ……次いで、彼女の願いが――何より叶えたい願いが、漏れ出してしまった。

 

「早う、会いたいな。龍太……」

 

 信じている。絶対に帰って来ると、信じている。

 ――それでも少しだけ、ほんのちょっぴり。

 

 矢村賀織は、寂しさを覚えていた。

 



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第233話 救芽井樋稟の想い

 その頃――東京都千代田区にある、救芽井エレクトロニクス日本支社。

 日本国内における着鎧甲冑の製造、配備、管理全てを取り仕切るその一大企業を、一人の若き女社長が率いていた。

 

「社長、コーヒーが入りました」

「ありがとう」

 

 年中無休で舞い込んでくるスケジュールを淡々とこなしつつ、ほとんどの仕事を社長室のパソコン通信だけで終えている彼女。その隣には、常に怜悧な美貌を湛えた秘書が控えていた。

 壮絶な仕事量とは裏腹な静けさに包まれた社長室に、穏やかな美声が響く。その声とともに机上に置かれた一杯のコーヒーに、白く艶やかな手が伸びた。

 

「早いものね。あれから、もう三年になるわ」

「ええ、本当に。……一煉寺様なら、大丈夫ですわ。心配なさらなくてもきっと――」

「――心配なんて、してないわ。彼は約束を破るような人じゃないもの」

「……そうでしたね」

「いつだって、あの人は帰ってきてくれた。あの時だって……」

 

 音を立てることなくコーヒーを嗜み、彼女――救芽井樋稟は、過去の記憶に思いを馳せる。

 その景色にはいつも、ある少年との思い出が息づいていた。

 

(剣一さんと戦った時も、瀧上凱樹と戦った時も。ラドロイバーと戦った時も……あの人は、必ず生きて帰ってきた。どんなに苦しい戦いが続いても、最後には必ず、笑顔を見せてくれた……)

 

 しかし。それは彼女にとってかけがえのない記憶であると同時に――辛い記憶でもあった。

 

(……いつか私も、彼を好きじゃなくなるのかな……この気持ちも、いつか……)

 

 いっそ忘れてしまえるなら、どれほど楽になっただろう。忘れてしまおうと思えば思うほどに、その少年との思い出は強く彼女に焼き付いていた。

 

「社長?」

「え、あ……な、なんでもないわ」

 

 秘書――ジュリア・メイ・ビリンガムに声を掛けられるまで我を忘れていたほどに、その思いは根深い。

 その過去を振り切ろうとするかのように、彼女は再びパソコンに向かい始める。

 

 今の自分に課せられた使命を全うすることこそが、自分の生きる意味であると――己に訴えかけるように。

 

(……せめて、彼が帰って来たら……笑顔で迎えてあげよう。それくらいなら、許してくれるよね? 賀織)

 

 ――ラドロイバーの一件から三年。救芽井エレクトロニクスと久水財閥の共同事業により、着鎧甲冑のシェアはさらに拡大しつつあった。

 さらにG型の装備として制式採用されたテイザーライフルは、FBIや各国の警察組織を中心に配備されるようになり――二段着鎧を出発点とする着鎧甲冑用飛行ユニットは、人工知能による自動化を実現させ、R型の新装備とするべく研究が始まっている。

 そして二◯三四年現在、着鎧甲冑の生産総数は二千台以上に登っていた。

 

 久水茂はそのスポンサーとして、久水財閥を纏め上げ――妹の久水梢も、その秘書として多忙な日々を送っている。

 彼らは、あの死闘を乗り越えてからも……休むことなく戦い続けているのだ。

 

 彼らだけではない。

 かつては平和になった松霧町で穏やかに暮らしていた四郷姉妹も、現在では救芽井エレクトロニクスの専属研究員として、着鎧甲冑の研究開発に心血を注いでいた。

 

「そういえば、フラヴィさんはどうしているかしら。能力的には非常に優秀だから、教官職は適任だと思ったのだけど……」

「確かに、優れた後進を多数輩出しておりますし、社長の采配は適切でしたわ。ただ……どうも噂では、教え子達にアレをばら撒いているようで……」

「……来週の会議の議題になるかも知れないわね、彼女は」

 

 一方、救芽井エレクトロニクス直属の精鋭部隊「レスキューカッツェ」の隊長を務めていたフラヴィ・デュボワは、部下の西条夏にポストを託す形で隊を去り――現在ではアメリカの本社で教鞭を執る立場となっている。

 本社を率いている救芽井甲侍郎が太鼓判を押すほどの実績を上げている彼女だが、三十路手前でありながら未婚である現状を憂いてか、訓練生達に婚姻届を教材ごと配るという問題行動を繰り返す常習犯でもあった。

 現地の生徒曰く、講義を終えた彼女は飢えた野獣の眼をしていたという……。

 

「……ところで社長。そろそろ面会のお時間では?」

「そうね。――行きましょう」

 

 その時。ジュリアが指し示した時刻を見遣った樋稟は、目の色を変えて立ち上がる。

 ジュリアもまた、神妙な面持ちでその背中を見守っていた。

 

 救芽井樋稟が社長室を出て、直々に外へ出向く。それが並々ならぬ案件であるということは、彼女を知る者達にとっては常識であった。

 海外の大企業との商談か。他国の政府との交渉か。大勢のボディガードに囲われながら、社内を歩くその姿に、道行く社員達の誰もが注目していた。

 

 そして、参列した社員達の中央を進み――彼女は、専用のリムジンに乗り込んで行く。

 その後、秘書のジュリアやボディガード達が続いて行き――黒一色に塗装された厳かな高級車は、静かに目的地へ走り始めた。

 

 ……だが、彼女がこれから向かう「面会」には政府も企業も絡んではいない。いわば、完全な彼女の「私用」であった。

 しかし、彼女の背景を深く知る一部の人間に、その行いを咎める者はいない。

 例え私用であろうと、彼女が会わねばならない人物が――そこに居るのだから。

 

「――来たか」

 

 東京橋正管区、府中刑務所。

 その牢の中に生きる、一人の男が顔を上げる。

 

 男の名は――伊葉和雅。

 かつて、総理大臣と称されたことのある男だった。

 



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第234話 伊葉和雅の償い

 無機質な灰色で彩られた面会室。

 俗世間から隔絶された咎人と外界の人間を繋ぐ、その閉鎖された空間の中で――二人の男女が相対していた。

 

「……そうか。私の知らぬ間に、君達は大人になっていたのだな」

「あなたから見れば、私達はまだ子供です」

「子供なら、自分のことをそのようには言わんよ」

 

 透明な壁一枚に隔たれた、明と暗の世界。

 その双方に居座る伊葉和雅と救芽井樋稟は今、同じ目線で言葉を交わしている。

 

 樋稟はこの場で自分達の三年間を、自らの言葉で語っていた。

 おおよその世情は刑務所内に届けられる新聞でもわかるが、それに書かれることのない情報まで手に入れる術はない。

 それを憂いた彼女は、自分達の知りうる限りの状況を事細かに、和雅に伝えていたのだ。

 

「……早いものだ。もう、あれから三年になるのか。そろそろ、一煉寺君が宣言していた頃になるが――」

「――彼はまだ、帰ってきてはいません。ですが、いつか必ず帰ってくる。私はそう信じます」

「そうか……そうだな。彼ならば必ず、ダスカリアンに巣食う奴らを阻止してくれると、私も信じたい」

 

 無精髭を生やし、前にも増して痩せこけた和雅は、樋稟の真摯な瞳を見遣り――祈るように瞼を閉じる。

 加齢による体力の低下もあってか、その声は風前の灯のように掠れかけていた。

 

「伊葉さん……」

「……ふふ、私も少しばかり歳を取った。生きてダスカリアンの繁栄を見届けることは叶わぬであろうが……君達に託せたならば、それを望む必要もなかろう」

 

 しかし、その佇まいに生への執着や焦燥の色はない。あるのは、次の世代に希望を見出した者が見せる、安堵。

 かつてダスカリアンへの償いのために身を粉にしていた老人は、それまでにない穏やかさを表情に浮かべ、樋稟の言葉に耳を傾けていた。

 

 ――そうして彼を安心させた、という意味では、樋稟の行動は正しかった言える。だが、彼女の用件はそれだけではなかった。

 

 彼女は逡巡するように視線を泳がせ……やがて、意を決して顔を上げる。

 

「……伊葉さん。私は、着鎧甲冑と救芽井エレクトロニクスは人々を救うためにあるべきだと……そのために力を尽くすべきだと、幼い頃から信じ続けてきました。いえ、その信念は今でも続いています」

「そうか」

「……ですが、私達は……その信念のために、あなたを犠牲にした。その上、龍太君を死地に追いやるようなことまで……」

「……」

「人々を助けるために誰かを犠牲にする。そのために尽くした人を生贄に差し出す。……そうして掴んだ平和に、本当の正義はあるのでしょうか」

 

 聞くべきではなかったかも知れない。それでも、聞かずにはいられなかった。

 その想いだけが、彼女の口唇を動かしている。

 

 彼女の言う「犠牲」の張本人である和雅は、迷いながらも答えを探そうとする彼女の眼を静かに見据え――

 

「君には、私が犠牲者に見えるかね」

 

 ――静かに、諭すように……呟いた。

 

「え……」

「いや、少なくとも君にはそう見えたのだろう。しかし、私は犠牲になるつもりで生きてきたつもりはない。一煉寺君だって、そうだったろう」

「……」

「人はそれが正しいと信じる道にしか、本気で生きることは出来ん。自分自身ですら信じられぬ生き方に、誰が命を懸けられようか。誰が、人生を捧げられようか」

 

 和雅はあくまで穏やかに、彼女に自身の胸中を語り続けていく。子供をあやす、親のように。

 

「私も彼も。自分にとってはそれこそが真実の正義であると信じて、その道を選んだのだ。その理想のための戦いに身を投じて行くことが、犠牲になることだとは私には思えんよ」

「……そう、でしょうか」

「君も君が信じる正義のために、命を懸けているだろう。それは決して、君にとっての犠牲ではなかろう。それと同じだ」

「……」

 

 樋稟はそれでも葛藤を乗り切れず、陰鬱な表情を覗かせる。そんな彼女を見守り、和雅はさらに言葉を重ねた。

 

「ラドロイバーも、凱樹も。恐らくは、かつての剣一君も。自分が信じた正義に生き、その代償として然るべき結末を迎えた」

「……」

「――しかし、私達の正義が目指す先は同じであるはず。ならば君も……心から、信じてあげなさい。彼も、そうであって欲しいと望んでいるはずだ」

「……ッ!」

 

 その瞬間。

 樋稟は桜色の唇を噛み締め、膝に置かれた拳を震わせた。

 

 ――自分はまだ、龍太に全てを預けられずにいた。彼を心の底から、信じ切れずにいた。

 心配していない、と口にしていても……心のどこかで、彼を失うことを恐れていた。彼の力を、深い底の中で疑っていた。

 その罪悪感から逃れるために、彼を犠牲にしてしまったと、自分を卑下していたのだ。本当に彼を信じていたなら、そんな言葉など出るはずがなかったのに。

 

 それを、看破されてしまった。

 完膚なきまでに。言い訳など、する余地がないほどに。

 

 しかも彼は、あくまで樋稟を責めるようなことは言わず、優しく諭すように語っていた。

 ――そう、優しくされてしまっていたのだ。自分には、そうして貰える資格などなかったというのに。

 龍太を信じ切れず、彼を犠牲にしたなどと……言ってしまったのに。

 

「私、は……!」

 

 刹那。樋稟の頬を、熱い雫が伝い――白い柔肌に跡を残していく。

 

(……だから、私は……賀織に勝てなかったのかな……)

 

 もっと彼を信じてあげられたなら、違う未来に繋がっていたのだろうか。そんなことはありえないと思えば思うほどに、その想いは強く彼女の胸を縛り付けていた。

 

「……誰かを心の底から信じる。それほど、言葉にすることは簡単でも実現するには難しい話はない。むしろ自分の命を懸けるより、何倍も難しい道のりなのだ」

「……」

「しかし、人は強くなれる。変わることもできる。今日の君に出来なかったことが、明日の君に出来ないという保証はないのだ」

「……伊葉、さんっ……!」

「今は出来なくても、構わんさ。いつか彼と再会するその時に、心からの笑顔を向けられれば……」

 

 そして、樋稟が耐え続けた声は。

 

「きっと彼も、君を信じて良かったと思うだろう」

 

 その言葉を受け、タガが外れたように漏れ始めて行く。

 

「……さて」

 

 樋稟のすすり泣く声を聞きながら、和雅は静かに席を立つ。

 もうじき、面会時間の終わりも近い。そろそろ、鉄格子の牢獄に帰る時間だ。

 

 彼はゆっくりと踵を返し――振り返ると、泣き腫らした顔を上げた彼女に、穏やかな微笑みで応えた。

 自分なら大丈夫だ、と励ますように。

 

「――私も、君の話を聞けて良かったと思っている。……ありがとう」

「……はい……」

 

 そして、そのやり取りを最後に。

 伊葉和雅の面会は、終了を迎えるのだった。

 

 ◇

 

 ――その後。

 

 再び鉄格子の牢に帰還した和雅を、一人の女が出迎える。

 向かいの牢に囚われたその女は、面会を終えて帰ってきた和雅を静かに見つめていた。

 

「……いいお話は聞けたのかしら?」

「ああ。ためになる話さ」

 

 その女囚――エルナ・ラドロイバーは、かつての所業からは考えられないほどの穏やかな面持ちで、和雅の瞳を見遣る。

 お互い、憑き物の落ちた顔だ。自身にとってのやるべきことを尽くした者達が、その果てに浮かべる表情だ。

 

「不思議ね……終わってみれば、こんなにもあっけなくて……儚い」

「……そういうものだ。それが、悪いことというわけでもなかろう」

「――そうかも知れないわ。あの日と変わらない空なのに……」

 

 その面持ちのまま、ラドロイバーは牢獄の窓から外へと視線を移す。そこには、月と星に彩られた夜空が広がっていた。

 

「硝煙のない空がこんなにも広いなんて、思いもしなかった……」

「今になって、気づくこともあるさ。人は、いつだって変わっていくものだ」

 

 魅入られるように夜空を見上げるラドロイバー。その様子を見守りながら、和雅は瞼を閉じて眠りに落ちていく。

 走り続けた人生の中で、安らぎを求めるかのように……。

 

「本当に、変わるものね……」

 

 その様を見届けるラドロイバーは、そう、ひとりごちるのだった。

 

 ◇

 

 ――海と砂漠を越えた、遥か遠く。荒々しい風が吹き抜ける砂上の道を、一人の男が進んでいた。

 その男を囲むように並び立つ小さな家々からは、猛獣の如き殺気が漂い――竜巻のように唸りを上げている。

 しかし、男は自身に覆い被さる殺気を感知した上で、眉一つ動かすことなく歩みを進めていた。

 

 黒いブーツ。真紅のカーゴパンツ。漆黒のポリスジャケット。それと同色のフィンガーレスグローブ。

 男が身に纏うその服装を目にした殺気の主達は、さらに威圧感を噴き出していきり立つ。

 

「おい……あいつ」

「ああ、間違いねぇ。例の『赤い悪魔(レッドデーモン)』だ」

 

 加えて、腰に届く黒い長髪を赤い鉢巻で一束に纏めたその髪型と、左目の傷――そして肩から先がない左腕という特徴が、男達の緊張をより強く煽っていた。

 

「ち、ちくしょう……! もうここを嗅ぎつけやがったのかよ!」

「どうする……!?」

「やるしかねぇ。いくら『赤い悪魔』が相手だろうと、こっちは十人いるんだ」

 

 ダスカリアン王国城下町に駐在する、保安官の制服。それを目の当たりにしてそこまで戦意を膨れ上がらせる勢力は、現状では一つしかない。

 男がそれを意に介さずに進み続けたその時、ついに状況が動き出す。

 

 周囲の家屋に潜んでいた殺気の主達――あらゆる武装で身を包んだ男達が、保安官の男を一瞬で包囲したのだ。

 計算され尽くした、無駄のない陣形。殺気さえ隠せていれば、完全に保安官の虚を突くことも出来ただろう。

 

 だが、この男には一寸の揺らぎもない。

 焦ることも昂ぶることもなく、ただ飄々とした面持ちで、自身を囲む武装集団を見遣る。

 

「城下町郊外にある、七年前に過疎化して消滅した村の跡地――にしては、随分とおっかないお兄さん達がたむろしてんだな」

 

 保安官は懐から取り出した書類に目を通すと、男達の方には見向きもせずに口を開く。

 その態度は、ただでさえいきり立っていた男達をさらに挑発する結果を招いていた。

 

「てめぇ……この状況わかってんのか」

「生きて報告に戻れるとでも思ってんのかよ」

 

 しかし、その恫喝に保安官が耳を貸す気配はない。あくまで呑気な表情のまま、手の中にある書類に視線を集中させていた。

 それから程なくして、彼は書類を懐にしまい――視線を男達に戻す。

 

「最近この辺りで、武器密売シンジケートの取引が行われてるって情報があってな。もしよかったら、お話をお伺いしたいんだが――」

「――てめぇらにくれる情報なんぞねぇよ!」

 

 その瞬間、男達のうちの一人が引き金を引いた。銃口から火が吹き、乾いた銃声が辺りに響き渡る。

 

 本来ならば、その一発だけで終わるはずだった。――しかし、この男はその限りではない。

 

「ち、ちいッ!」

「――いくらなんでもせっかちなんじゃない? 俺はお兄さん達がシンジケートの構成員と睨んでる、なんて一言も言ってないんだが?」

 

 漆黒の双角を持つ赤い鎧。その甲冑を一瞬で纏う隻腕の拳士は――残された右腕だけで、ヘッドショットを防いでいた。

 その口から零れ出る低いトーンの声に、男達は身の危険を本能で覚え――反射的に銃を構えた。

 

「おっと!」

 

 だが、保安官「だった」男はそれよりも早く飛び上がり、家屋の屋上に着地する。銃を構える頃には敵がいなくなっていたことに気づいた男達は、狼狽しながら周囲を見渡し始める。

 

「危ねえなぁ。同士討ちしたらどうすんだ」

 

 その声を聞き取って、男達はようやく敵の存在を感知して銃を向ける。

 

「そうそう、武器は仲間に当たらねぇようにしなきゃな」

 

 そんな武装集団の姿に感心するような声を上げながら、男は改めて臨戦態勢の構えに突入した。

 

「……さーて。用意が出来たところで、そろそろ一仕事始めるかな」

 

 それは戦いと呼ぶには、あまりにも一方的で――男達にとって、凄惨なものだったという。

 

 ――ダスカリアン王国城下町駐在、一煉寺龍太保安官。

 二十二歳の若さにして絶対的な戦闘力を持ち、幾多の武器密売シンジケートのアジトを潰してきたことで知られる、中国系ハーフの拳士である。

 しかし、その一方で――日本人としてこの国に来たことから、国民の中には「赤い悪魔」と彼を呼ぶ者もいた……。



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第235話 二人の予感

「全く! イチレンジ先輩はいつもそう! 一人で先走って私の仕事を増やしてばっかり! 私の特訓には付き合わないくせして毎回それなんだもの!」

「い、いや俺だっていきなり大立ち回りする気なんてなかったんだって。ちょ〜っと様子見たらすぐに帰る気だったんだって! ホント! これホント!」

 

 翌朝の城下町詰所にて、一煉寺龍太は恒例の説教を受けていた。

 武器密売シンジケートの報復に怯え、辞職する保安官が続出している昨今、現職の保安官は龍太を含めてもたったの二人しかいないのだが――それでも龍太が問題児であることには変わりないようだ。

 

 齢十五で城下町駐在の保安官となり、今では事務関係のほとんどを取り仕切る褐色の少女――ジェナ・ライアン。

 瀧上凱樹のジェノサイドによりダスカリアンが滅びた日に生まれ、孤児として生きてきた彼女は今、事実上の上司として龍太の手綱を握る存在となっている。

 黒いショートボブの髪に、鮮やかな褐色肌。しなやかな筋肉に、豊満な胸。そのルックスや生来の生真面目な人柄もあり、彼女は城下町におけるアイドル的存在でもあった。

 

「イチレンジ先輩がいつも必要以上に連中をボコボコにしちゃうから、こうして私が毎回始末書書かされてるのよ! 国防軍の嫌味に耐えながらあなたの尻拭いに奔走する私の身にもなってみたら!?」

「だ、だけどさホラ、なんだかんだで国防軍から報酬も出てるし、城下町の皆からは感謝されてるしで結果オーライじゃん? まんざら悪いことばかりでもないと思うよ、うん!」

「じゃあたまには始末書手伝ってよ!」

「腕一本じゃヘンな字になっちまうって!」

「じゃあ肩揉んで!」

「イエッサー!」

 

 執務机に向かい、ガリガリと事務作業に奔走していた上司の肩を、肘でマッサージする龍太。そのサービスを受けながら、ジェナは穏やかにコーヒーを嗜んでいた。

 

 ちなみに今、武器密売シンジケート対策は国が注力している問題の一つであり、国防軍も保安局も、大元となるボスの捕縛が急務となっているのである。

 ただ現在では国防軍と保安局による手柄の取り合いが発生しており、それが捜査難航の遠因にもなっている。情報を共有しようとしないために、ボス捕縛のためのデータが纏まらずにいるのだ。

 現場で活動できる数少ない保安官である龍太とジェナも、そのままでは不味いと情報開示の交渉に出向いたことはあるのだが、にべもなく追い返されたことしかない、というのが現状だった。

 

「……」

 

 真剣な面持ちで肩をマッサージする龍太は、その原因が自分にあるのでは――と見ていた。

 ダスカリアン王国における有名人である自分は、武器密売シンジケートから人々と国を守る保安官であると同時に、日本から来た恐ろしく強い上に得体の知れない存在でもある。

 「赤い悪魔」などという異名まで付き纏う今となっては、色眼鏡で自分を見ない国民はいないと言っていい。

 結果として伊葉和雅の政策のおかげで暮らしが改善されているため、日本に対してそこまで反発していない人もいるにはいるが――やはり、過去の虐殺に根付いた恐れと恨みは、まだ根深いのだろう。

 

 それでも、龍太がダスカリアン王国に来た時よりは遥かに改善された方である。

 彼がこの国に来て間もない頃は、彼が道を歩くだけで物を投げつける人が後を絶たなかったのだ。

 二年前、武器密売シンジケートとの戦いのさなか、逃げ遅れた民間人を庇って迫撃砲に直撃し――左腕を失ったという逸話が残っていなければ、今もそんな状況が続いていたのかも知れない。

 

「ふんふふーん……あ、イチレンジ先輩。コーヒーおかわり」

「はいよー」

 

 ――否。

 その民間人が自分を追って保安官となり、町の人々にその活躍を語るようなことをしなければ、確実に今も龍太は物を投げられながら人々を守る戦いに臨んでいただろう。

 瀧上凱樹により両親を失って以来、日本人を憎み続けてきた彼女が、今は自分と同じ保安官として働いている。その不思議さに頬を緩めつつ、龍太はコーヒーカップを手に取り――

 

「失礼する!」

 

 ――おかわりを入れに向かおうとした、その時。

 

 乱暴に開けられた扉から、迷彩服とベレー帽に身を固めた屈強な男達が、所狭しとこの詰所に上がり込んで来るのだった。

 紛れもない――ダスカリアン王国国防軍である。しかも男性が少ないダスカリアン王国としては貴重な、男性兵士であった。

 

「……ふっ、相変わらず汚らしい詰所だな、まるで豚小屋だ。まぁ、二人しか働き手がいないんじゃあしょうがない」

「……ちょっと、ルナイガン中尉! いきなり上がり込んで言うことがそれ!?」

 

 精悍な目鼻立ち。褐色の肌に切り揃えられた金髪。そして鎧の如く鍛え抜かれた筋肉と長身。

 二十一歳にして小隊長に登り詰めた国防軍中尉マックス・ルナイガンは、まさしく軍人として相応しい体格を備えていた。ジェナに下卑た笑みを浮かべている取り巻きの兵士達も、彼に劣らない体躯の持ち主である。

 

「……はて、栄えある国防軍の中尉様がどうしてこのようなところへ?」

「醜悪な日本人に語る舌など持った覚えはない……が、まぁいいだろう。用件は単なる忠告だ。武器密売シンジケートの件からは手を引け」

「な、なんですって!?」

「当然のことだろう、何を驚くことがある。先日貴様らが捕縛した連中から、ボスの居所を突き止めることが出来た。これからは戦闘のプロである我々の仕事。町の人間と仲良く治安維持ごっこに興じるべき貴様らが、首を突っ込んでいい案件ではないのだ」

 

 思わぬ進展。どうやら、長らく難航してきた武器密売シンジケートとの抗争も終わりが見えてきたらしい。

 しかし、その幕引きをルナイガン達に任せるには少しばかりの不安があると、龍太は感じていた。

 

 ルナイガンは龍太に次いで、武器密売シンジケートの件において高い実績を上げている。確かに、実力という面においては信の置ける人物ではあるだろう。

 だが、生来の才能に裏打ちされた実力がそうさせたのか、非常に利己的で傲慢な一面があり――城下町の住民からはいたく嫌われているらしい。

 それだけなら大した問題ではないのだが、近頃はその背景を利用して女性兵士やメイドに手を出したり、他者の妻を寝取るようなことまでしている噂もあるのだ。

 仮にその噂が事実だったとするなら……これ以上増長してしまう前に、どこかで手を打たなければならない。

 

 ――なにより、予感があったのだ。

 彼をこのまま行かせてはならない、という予感が。

 

「ふっざけないで! 今まで私達が集めた情報を横取りしてきたくせに、今さらそんな――!」

「――中尉殿。確かに戦力とするには心許ないかも知れませんが、俺達には連中と戦ってきた分だけの経験値がある。何かのお役には立てると思いますぜ」

「フン、何を言い出すのかと思えば。ジェリバン元帥の誘いを蹴って保安官などに成り下がった貴様に、今さらどうこう言われる筋合いなどないわ! 『救済の超機龍』だか何だか知らんが、権威を持たない貴様の言い分などクソ程の価値もないのだぞ!」

 

 ルナイガンは龍太の顔に唾を吐きかけると、踵を返して部下と共に詰所を立ち去って行く。

 慌ててハンカチで龍太の顔を拭くジェナを一瞥し、彼は高笑いと共に姿を消すのだった。

 

「とにかく、忠告はしておいた。足手まといになって恥を晒したくなければ、今後は大人しくしていることだ!」

「そうそう、あとは軍人に任せときな!」

「あばよ町民の味方の保安官さん! ギャハハハハ!」

 

 その皮肉たっぷりの言葉遣いに、ジェナは激昂し何か投げつけてやろうと、花瓶に手を伸ばす。

 しかし、その直前に龍太の右手に掴まれ、阻止されてしまった。

 

「先輩っ!」

「そんなことしたってしょうがないさ、ああいう連中には」

「だけどっ……!」

「……」

 

 悔しげに唇を噛み締め、拳を握りしめるジェナ。その姿を見守りながら、龍太はルナイガン達が立ち去った後の光景に視線を移す。

 

(さて……ルナイガン中尉には悪いが、勝手に動かさせて貰うかな。こちとら、もう誰も死なせないと決めてるんでね)

 

 胸中で決意を固める、その拳もまた――新たなる戦いを予感し、武者震いを始めていた。

 

 ――そして、時を同じくして。

 

「……」

 

 とある牢獄に幽閉された一人の男が、何かに導かれるかのように立ち上がる。

 虚ろな眼で天井を見上げるその姿は、さながら廃人のようだが――その肉体は「廃人」には似つかわしくないほどに鍛え抜かれていた。

 茶髪のショートヘアとブラウンの瞳、そして端正な顔立ちの持ち主である彼は、それ以上の動きを見せることなく、ただ静かに天井を見つめ続けている。

 

「くそう、国防軍め! 何が何でもワシを捕まえる気かっ! このままでは絶対に終わらんぞ……!」

 

 その時、牢の外から肥え太った初老の男が息を切らして駆け込んでくる。自分の身に迫る危機を感じてか、既にその顔は脂汗だらこになっていた。

 

「おいっ、『鉄拳兵士(ガントマン)』! 出番だぞ、『鉄拳兵士』ッ!」

 

 そして助けを求めるように、牢の中にいる男に声を掛ける。その声を受け、男の虚ろだった瞳に僅かな光が灯った。

 

「……戦い、か……」

「そうだ、戦いだ! 今こそお前を育ててやったワシに報いるんだ! いいな!?」

「……」

 

 焦燥感に満ちたその声を聞きながら、男は牢の鉄格子に手を伸ばし――針金のように、簡単にそれをひしゃげさせてしまった。

 

「ひ、ひひぃぃいぃっ!」

「……予感が、する」

「よ、よ、予感?」

 

 その異常な膂力にひっくり返る肥満男には見向きもせず、鉄格子を破った男達は拳を握りながら――再び天井を見上げる。

 

「……戦いの、予感だ」

 

 これが――二人の拳士による一騎打ちの、予兆であった。



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第236話 天真爛漫な女王陛下

 その翌日。

 国防軍特捜隊を率いる、マックス・ルナイガンは――

 

「マックス・ルナイガン以下五十名の特別捜索隊に、武器密売シンジケートの摘発を命ずる。ダスカリアン王国と妾(わらわ)の名の下に、国民を脅かす者共へ鉄槌を下せ」

「ははっ!」

 

 ――現ダスカリアン王国女王、ダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィへの謁見に臨んでいた。

 煌びやかな装束に身を包み、王冠を戴くその姿は、砂漠の国を導く女王としての威厳に溢れていた。両脇を固める二人の男――ワーリ・ダイン=ジェリバン元帥と古我知剣一も、その厳かな雰囲気を支えている。

 二十歳を迎えたばかりとは思えぬほどに堂々とした佇まいと、その褐色の肌に彩られた美貌には、この国に仕える者の多くが心酔していた。

 

 それは、ルナイガンも例外ではない。ダウゥの持つ絶対的な美しさから、寸分も目を離すことなく歓喜の表情で任務を賜っていた。

 この絶世の美女たる女王から、この国の平和を懸けた大役を仰せつかることが出来た。その事実に打ち震える彼は、跪きながら強く拳を握り締めている。

 

(――武器密売シンジケートを壊滅させれば、ダスカリアン王国は長きに渡って苦しめられてきた障害から解放される。すなわち、この国を奴らの魔手から救う英雄になる、ということだ)

 

 ルナイガンはこの任務の先に訪れるであろう展開を予期し、期待に胸を膨らませて行った。特捜隊の勝利を、疑うこともなく。

 

(そうなれば……こんな一部隊の隊長には勿体無いと、女王陛下も俺を取り立てて下さるに違いない。さらに、ゆくゆくはこの国の政権を手にし……そして!)

 

 ダウゥを見つめる瞳に、さらなる熱が籠もり――下腹部に燃え滾るような情欲が芽生える。

 眼前の女王を己のモノにする。その男としての本能に基づく信念が、ルナイガンを昂らせ――突き動かしていた。

 

(……そのためにはまず、俺が英雄として幅を利かせるための下地が必要だ。手柄を横取りするような連中――特にあの日本人には、念入りに釘を刺さねばな)

 

 しかし、そのルナイガンの胸中を知ってか知らずか。ダウゥは艶やかな唇を僅かに動かし、任務にあることを付け加える。

 

「……とはいえ、お前達だけで行かせるほど薄情になるつもりはない。保安局から信頼に足る保安官を一人、派遣するように要請してある。安心して任務に臨んでくれ」

「――ッ!? 女王陛下、今なんと!?」

「保安官を一人、この任務に同行させると言っておるのだ。心配せずとも腕は確かだ、足手まといにはなるまい」

 

 この女王がここまで買う保安官など、現状一人しかいない。ジェリバン元帥の誘いを蹴り、ルナイガンより多くの手柄を上げ続けている、あの男。

 

「……女王陛下! 保安局如きの手を借りずとも、我々は必ず件のシンジケートを壊滅させてご覧に入れます! そのようなお気遣いがなくとも……!」

「そういう軋轢を解消するための派遣なのだ。ただでさえ国内が安定しきっていないというのに、国の治安を担うお前達がその有様ではそれこそ心許ない。国防軍も保安局も、国民の守り手であることには変わりないのだぞ」

「し、しかし!」

「慌てずとも、任務を果たせばお前にも兵士達にも恩賞は与える。今はしっかりと英気を養うことだ。……下がれ」

 

 有無を言わさぬ口調に気圧され、主張を通しきれなかったルナイガンは、やがて腑に落ちない表情で王室を後にする。

 よりにもよって、最大の邪魔者であるあの日本人を同行させねばならない。その事実に、歯痒さを覚えているようだった。

 

 その背中を見送り、王室に静寂が戻ると――ダウゥは積もり積もった鬱憤を吐き出すように、大きく溜息をつく。

 

「全く……あいつにも困ったもんだぜ。何が保安局如き、だよ。リュウタが調査してきた情報を横取りしなきゃ、捜査もままならなかったクセして」

「国防軍が再編されて十四年。人口増加に伴い男性兵士も増えてきているとはいえ、一般的な軍隊としてはまだまだ発展途上ですからな。日本の技術とノウハウが浸透しきっていない現状では、この程度が関の山――ということでしょう」

 

 ジェリバンは淡々と語りつつ、国防軍に捜査技術等のノウハウが定着していない現状を憂いていた。

 国内に息づく日本への反発心。日本の力がなくては現状維持もままならない国力。その両方に縛られながら、このダスカリアン王国は存続している。

 ライフラインや経済が徐々に安定に向かい始めている一方で、この問題は絶えることなく首脳部を苦しめ続けていた。

 そのしわ寄せを受けながら、今も懸命に戦っているであろう息子の生き写しを案じ、ジェリバンは俯くように視線を落とす。

 

「それより姫様。いけませんよ、そんな言葉遣いは。これからこの国を治めていくお方が、いつまでもそんな口調では……」

「もー、いいじゃねーかケンイチ。どうせ誰も見てないんだし。それにこういう堅っ苦しい物言い、オレにはどうも馴染まねーし」

「……それじゃあ龍太君にも、女の子扱いしてもらえなくなりますが」

「……や、やだ! それはやだ!」

 

 その空気を変えようと話題を変える剣一の言葉に、ダウゥは三年前と変わらぬ口調で反発する。身体つきや声色、顔立ちは大人の女性となった彼女であるが、その内面に根本的な変化は見られない。

 テンニーンに酷似していた龍太の顔立ちは、三年間の時を経て成人の風格となり――兄、龍亮と瓜二つの美男子に成長していた。

 ダウゥから見れば、それは憧れのテンニーンがさらに逞しくなった姿でもあり……彼女の内に眠る女としての本能を引き出させる要素でもあった。

 

「……リュウタが国防軍に入ってればなぁ。いや、それだと保安局が国防軍に飲まれちまってたかも知れないし……う〜ん……」

「リュウタ殿は、権威という鎧を着ていては人々の本音に向き合えない……と語っておりましたな。確かに、彼には保安官として直に人々に尽くして行く方が性に合うのでしょう」

「だけど……ついこないだまで、道を歩くだけで石を投げられてたって話じゃないか。国防軍の将官に取り立ててやれば、今頃は……」

「姫様。彼には彼の想いがあるからこそ、今のやり方に殉じているのでしょう。我々も、ここは彼の力を信じる他ありません」

「……う、うん……」

 

 龍太の選択を尊重したい一方で、その身を案じずにはいられない。そのジレンマに眉を顰める姫君を見遣り、ジェリバンは剣一に耳打ちする。

 

「ケンイチ殿。リュウタ殿は武器密売シンジケート壊滅の任務が完了し次第、日本に帰国すると聞いているが……それ以降、こちらに来る機会はあるのか?」

「さ、さぁ……。ですが、当分は日本から離れないでしょうね。何せその頃には新婚ですから」

「ふむ、そうか……。ならばヤムラ殿と共にこの王宮で暮らすつもりはないか、聞いて見てはくれぬか? 貴殿の方が付き合いは長かろう」

「……非常に恐れ多いのですが、彼をどうするつもりで?」

「どうするか……いや、『どうなるか』は本人達が決めることだが――少なくとも、あのような不埒者が寄り付かぬようにはしたい」

「やはり、気づいておりましたか」

「あのようなあからさまな目線、気づかぬ方がどうかしている。私ももう歳だが、姫様を守り抜ける殿方が見つかるまでは、親代わりでいるつもりだ」

 

 先程、獣欲に爛れた視線をダウゥに注いでいた兵士。その表情を思い返す度に、ジェリバンのこめかみからは血管がはち切れんばかりに浮き出ていた。

 その様子を剣一は無言で見つめ――納得するように深く頷く。そんな二人を、ダウゥは訝しんでいた。

 

「二人とも、さっきから何ヒソヒソ話してたんだ? ……あ、そうか」

「あ、いえ。姫様、これは……」

「今日の献立の打ち合わせだな!? いやー、ケンイチが作る晩飯は何度食っても飽きねぇからなー! で、今日は何だ? オレ、スシがいいな!」

 

 無邪気そのもの、と言うべき表情を前にした二人は、互いに顔を見合わせ――彼女よりも大きく溜息をつく。先程まで厭らしい目で見られていた美女の台詞ではなかった。

 

(――あの子の鈍感が移ったんだな)

 

 そんな彼女の様子を見つめながら、剣一は原因と思しき青年の顔を思い浮かべていた。

 しかし、その表情にダウゥのような思案の色はない。

 

 古我知剣一は確信していたのだ。

 今の一煉寺龍太ならば、どのような障害に阻まれようと決して負けない……と。

 



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第237話 決戦の幕開け

 城下町から遠く離れた、とある村の跡地。

 人はおろか動物さえ住まぬ、死臭に塗れた砂漠の廃墟。

 かつて、瀧上凱樹が守り切れず――狂気に堕ちるきっかけとなった村であった。

 

 一人残らず焼き尽くされ、弔う者もいないまま朽ち果てたその地は、今も当時の惨状を残したままでいる。まるで、忘れようとする者達に訴えかけるかのように。

 あるいはこの跡地こそが、村の人々が眠る墓標なのかも知れない。

 

 だが、その墓地を荒らし――自らの隠れ家にする者達がいた。

 地下を掘り、死臭ゆえに現地民ですら近寄らないこの場所に潜む、悪の秘密結社。武器密売シンジケートの中枢である。

 

「来た……やっぱ来やがったぞ、国防軍の奴ら!」

「どうします、ボス!」

「あ、慌てるんじゃねぇテメェら! 今夜になれば、取引先の武装組織と合流できる。今日さえ凌げりゃ、この国から逃げ切れるんだ!」

 

 焼け跡に隠れた兵士の双眼鏡に映る、無数の装甲車。そして、トラックに控えている屈強な兵士達。いずれも、一筋縄で行く相手ではない。

 その軍勢にたじろぐ私兵達に、肥え太った醜悪な男が怒号を飛ばす。しかし、シンジケートのボスであるこの男も焦りを隠せずにいた。

 

「ちくしょう、なんだってこんなとこまで追い詰められちまってんだ! ダスカリアンは女だらけで、人身売買の商品調達にうってつけなんじゃなかったのかよ!」

「男性兵士が増えてきたってだけなら、ここまでいいようにはやられねぇ。全部、『赤い悪魔』の仕業さ。奴が来てから、何もかもが狂い始めた……!」

「まさか、あんな死に損ないの国に着鎧甲冑を投入できる予算があるなんて! 一体なにがどうなってんだよッ!」

 

 早すぎるアジトの捕捉。早すぎる進撃。その全てに予定を狂わされ、シンジケートの兵士達にも動揺が広がりつつあった。

 その波に飲まれ、冷や汗をかきながら――ボスは唇を噛み締める。

 

(おのれ……あの生意気な女王めがッ! この戦闘を乗り切り、取引先と合流してこの国を脱出した暁には――必ず軍備を整え逆襲してやる! 城下町は再び焼け野原となり、貴様はワシの性奴隷となるのだッ!)

 

 獲物であるはずの国に返り討ちにされ、絶体絶命の窮地に追いやられている屈辱。その感情が、ボスの戦意に火を付けた。

 

「ぼやぼやするなッ! このアジトにはああいった輩を排除するための用意があるだろうがッ! 死にたくなければ配置に付けェッ!」

「ハ、ハハッ!」

 

 怒り狂う首領の叫びに突き動かされ、兵士達は焦りを感じつつも、各々の持ち場へ向かっていく。

 

 その頃。

 村の跡地に踏み入った特捜隊は対戦車地雷による奇襲を受け、混乱に陥っていた。

 

「ひぃっ……装甲車が、こんな、こんなバカなッ……!」

「落ち着け、パニックを起こすな!」

 

 訓練ばかりで実戦経験に欠ける者が多い男性兵士で構成された特捜隊は、早くも瓦解の危機を迎えている。その中で唯一、冷静さを保っているルナイガンも、額に焦燥の汗を滲ませていた。

 女性が中心だったダスカリアンを変え、男の強さを証明するために編成された、この特捜隊。その急先鋒たる自分達が敗走したとあっては、今まで築き上げてきた地位を失いかねない。国民に不安を煽らせないための少数精鋭、という持ち味も失うことになる。

 特捜隊が発足するまで国防軍を支えていた女性兵士達に「貴様らは用済み」と大見得を切った手前、無様な負けは晒せない――という意地もある。

 

 出世を重ね、女王を手に入れることに執着していたルナイガンにとって、それは耐え難い結末であり……それゆえにそうなってはならない、負けてはならないという強迫観念が、彼自身を追い詰めていた。

 

 その隙を狙うように現れたシンジケートの兵士達が襲撃してきた時、その表情はさらに強張ったものになる。

 

「ちいっ! 後退、後退しろ! 体勢を立て直せェッ!」

 

 特捜隊の兵士達はルナイガンの指示に応じ、ひっくり返った装甲車の影に逃げ込んで行く。それを目撃したシンジケートの兵士達は、装甲車に向けてがむしゃらに銃を連射した。

 

「ひ、いい……こんな、こんなはずじゃあ……!」

「ちくしょう、ちくしょう! このままで、終われるかぁぁ……!」

 

 銃弾そのものは当たらなくとも、その攻撃は特捜隊の戦意を大きく削いでいる。負けじと撃ち返す兵士もいたが、勢いはシンジケートに奪われたと言っていい。

 村の跡地を戦場にした、特捜隊とシンジケートの銃撃戦は膠着状態を迎えようとしていた。

 

 ……その一方。

 女王陛下から同行を命じられ、この戦場に向かっている――はずだった保安官は。

 

「ねぇ、先輩! もっとスピード出ないのこれ! 国防軍の女性兵からも応援されてるんだから、ちょっとは気張りなさい!」

「とほほ、変身ヒーローのマシンが軽トラってどういうことなのよ……」

 

 錆び付いた三輪トラックで、ゆっくりと現場に急行していた。本来ならば同行するはずのない上司を、荷台に乗せて。

 

(さてと……剣一が言っていた「鉄拳兵士」とやらは……どう出るかな)

 

 ――だが。その眼差しが剣の如き鋭さを纏っていたことに、気づく者はいない。

 



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第238話 一角と双角

 龍太とジェナが現場に到達する頃には、既に時刻は夜を迎えており……戦線は疲弊しきっていた。

 破壊され、転倒した装甲車に隠れ、震えながら銃を取る特捜隊の兵士達。それを迎え撃つシンジケートの私兵達も、疲労を隠しきれずにいる。

 

「……随分と攻めあぐねているらしいな。これ以上粘られると、取り逃がしかねないが……」

「ルナイガン中尉はどこに――あっ! あそこ!」

「ん……!?」

 

 その状況に立たされてなお、懸命に活路を見出そうと積極的に攻撃を仕掛けている兵士がいた。ルナイガンである。

 彼は憔悴しながらも、遮蔽物を頼りにアジトへの接近を試み続けていた。

 

 しかし、いかに戦意を維持していようと多勢に無勢であることに変わりはなく……シンジケートの反撃を受けては、退却を繰り返しているようだった。

 

「ひぃ、はぁ、ひぃ……くそッ、くそッ! こんなはずがないんだ、こんなことがあってたまるか! 奴らを逃がすようなことなど、万に一つもあってたまるか!」

 

 この村は国境に非常に近い。そこまで本拠地を引き上げているということは、この国を出る準備をしていると見ていいだろう。

 ここで逃がせば、国外に脱出されてしまう可能性がある。そこまで逃げられればこちらに打つ手はなく、向こうが装備を整えて再来するまで指をくわえて待つことになる。

 

 だからこそ、ダスカリアン側はなんとしてもこの戦いに勝利しなければならないのだ。

 それを誰よりも重く受け止めているがゆえに、ルナイガンは焦っているのである。

 

「ルナイガン中尉、遅れて済まない! 助太刀に来たぞッ!」

「……そうだ。要は奴らを逃がさなければいいんだ。一人残らず、始末してやれば……ひ、ひひひ……!」

「ちゅ、中尉……!?」

 

 そして、その勝利への異常な執念が――彼という男を狂わせて行く。龍太の声が聞こえていないのか、彼は龍太を無視してさらに後ろへ後退した。

 その瞬間に垣間見た、狂気の表情。そこに現れた悍ましい感情に、龍太は戦慄を覚える。

 

「ちょ、ちょっとルナイガン中尉! それって、まさか……!」

 

 彼が向かった先は、横転した一台のトラックだった。その中に入り込む彼の、背中越しに伺えた兵器に――ジェナは血の気を失う。

 

 ドラム缶を彷彿させる容器に詰められた、大量の燃料。それと繋げられた――ライフルのような形状の兵器。

 俗に、火炎放射器と呼ばれる代物であった。

 

「……奴らを逃がすくらいなら……ここで……一人残らず、焼き尽くしてやるッ!」

 

 その殺戮兵器を持ち出したルナイガンの人相は、もはや人間のそれではなかった。

 充血した目を見開き、涎を垂れ流し――敵を殺すことのみに邁進する。お伽話の魔物ですら敵わない程の狂気が、そこにあった。

 

「お、おいあれ……!」

「やっ……やばい、逃げろぉおおぉっ!」

 

 その兵器を目の当たりにしたシンジケート側は、積もり積もった疲労もあいまって、ついに戦線崩壊を迎える。

 武器を捨て、我先に地下のアジトへ逃げ込んで行くシンジケートの私兵達。その背中を付け狙うように、ルナイガンはジリジリと歩みを進めていた。

 

「ひひ、ひひひ……! 皆殺しだ、全員焼死だ……ざまあみろ!」

「た、隊長……」

「隊長……」

 

 本来ならば優位に立ったと喜び、戦意を回復させるところであるが……特捜隊の兵士達は誰一人、隊長に続こうとはしなかった。

 

 豹変した彼の姿に――言い知れぬ恐怖を感じていたからだ。人間のそれとは掛け離れた表情で、シンジケートを追うその姿に腰を抜かしているのである。

 

「やめてルナイガン中尉! 自分が何をしようとしてるかわかってるの!? 私達の任務は、シンジケートのボスを逮捕することなのよ!?」

「……黙れ! 後から来ただけの保安官風情が偉そうな口を利くなッ! このまま取り逃がすより百倍マシだろうがッ!」

「あうっ!」

 

 その狂気に触れてもなお、挫けずにいたジェナは彼にしがみつき、説得を試みる。が、にべもなく火炎放射器の銃身で殴り飛ばされてしまった。

 小柄な彼女の身体が、勢いよく跳ね飛ばされる。しかし地面に激突する寸前、その身体は龍太に受け止められていた。

 

「……」

「イ、イチレンジ先輩……」

「貴様……なんだその眼は。俺が、間違っているとでも言うのか」

 

 冷ややかな龍太の眼光と、ルナイガンの狂気の瞳が交わる。味方同士でありながら、既に一触即発の様相であった。

 

 ――その時。

 シンジケートの私兵達が逃げ込んでいたアジトの入り口から――新たな人影が現れた。

 

 それに気づいた三人は、咄嗟にそちらへと視線を集中させる。そこに立っていたのは――人間、ではなかった。

 否、人間の形はしているが……そのシルエットは常人のそれを逸脱するものだったのだ。

 

 全身を覆う漆黒のボディースーツ。その各部を保護するように装着された、銅色のプロテクター。

 一角獣を彷彿させる突起を持つ、プロテクターと同色の兜。

 

 その奇妙な衣を纏う男は、逃げ出した私兵達と入れ違いになるように、龍太達の前に姿を現す。

 他のシンジケートの私兵達とは一線を画する外見。その様相に、龍太は――「銅殻勇鎧」の面影を見るのだった。

 

(そうか、あいつが……)

 

 刹那、男を睨む龍太の眼差しに鋭さが加わる。だが、新手を前にして動き出したのは彼ではなかった。

 

「貴様も仲間かァァァァッ!」

 

 狂乱の叫びと共に、ルナイガンは火炎放射器の引き金を引き――

 

「だめぇえぇえぇえッ!」

 

 ――この荒野に火の手が上がる時。ジェナの叫びが、砂塵と共に風に運ばれて行く。

 

 唸りを上げて、男に迫る強力な炎。だが、それだけでこの男が倒れるはずはないと、龍太は確信していた。

 彼はジェナに飛び火しないよう、彼女を担ぎ上げて距離を取る。その直後に振り返る頃には、すでに放射は終わっていた。

 

 辺りはさらに焼き尽くされ、辛うじて形が残っていた廃屋も、完全に焼失しまっている。その痛ましさに目を向けることなく、ルナイガンは高らかに笑っていた。

 

「消し炭に……なりやがった! ハッ……ハハハハハ! 買った! 俺達特捜隊の勝利だッ!」

 

 銃口を空に翳し、ルナイガンは勝鬨を上げる。それに歓声で応える兵士はいなかったが、彼は構わず夜空を見上げて狂喜していた。

 

「あ、あ……なんてことを……! ルナイガン中尉ッ!」

「……く、くく。これで邪魔者はいなくなった。――この際だ、不要なウジ虫共も纏めて焼き払ってしまうか」

「なっ……!? 正気なの!?」

 

 それを目の当たりにしたジェナはルナイガンの行いに憤る――が、それすら意に介さない狂気の男は、火炎放射器の銃口を龍太達に向ける。

 いくらいがみ合っていても、同じ敵と戦う同志ではあるはず。ジェナが微かに抱いていたその淡い期待を、打ち砕く行為であった。

 

 火炎放射器の銃口を向け、再び敵と認識した相手ににじり寄るルナイガン。その姿にたじろぐジェナに対し、龍太はあくまで冷静に――冷ややかなほど冷静に、ルナイガンと視線を交わしていた。

 

 彼には、薄々わかっていたのだろう。

 

「纏めて焼却、焼却、しょうきゃッ……あッ……!?」

 

 炎をかわしていたあの男が、背後からの一撃でルナイガンを昏倒させてしまう結末が。

 だからこそ、ジェナだけは守らなくてはならない。それが、彼女を担いで距離を取った最大の理由であった。

 

(あの瞬間……奴は瞬速のジャンプで火炎放射をかわし、死角に入ることでルナイガン中尉の後ろを取っていた。やはり、相当出来る奴らしいな)

 

 一角の兜を持つこの男の力。

 それを垣間見た龍太は、眼前で起きた一瞬の出来事に翻弄され、驚きの表情を浮かべるジェナの隣に立ち――

 

「噂より随分動けるじゃねーか、『鉄拳兵士』さんよ」

「……」

 

 ――真打ち同士の一騎打ちを、始めようとしていた。

 



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第239話 鉄拳同士

 目撃した者は必ず半殺しに遭い記憶を失うため、確固とした証拠や証言が存在せず、半ば伝説となっている用心棒がいた。

 幼少の頃から武器密売シンジケートの兵士として育てられたその男は、今も己の意思を持つことなく冷たい拳を振るい続けているという。

 

「『鉄拳兵士』……! ただの噂じゃなかったんだ……!」

 

 その伝説を体現する存在を前に、ジェナは戦慄する。次いで、状況に追い付いた頭を働かせ――腰のホルスターから拳銃を引き抜いた。

 しかし、その銃口が銅色の戦士に向けられる直前。拳銃を握る手に、龍太の掌が添えられた。

 思いとどまるよう、諭すように。

 

「イチレンジ先輩……!?」

「残念だが、ジェナではあいつは止められない。広範囲に渡る火炎放射器の攻撃さえかわす速さなんだ、拳銃で捉えるには無理がある」

「だけどっ……!」

 

 なおも食い下がるジェナ。その瞳には、彼女の十五年間を支えてきた強固な意志が宿っている。

 彼女がこうなってしまったら、テコでも動かなくなることは龍太もよく知っていた。身体能力に優れたダスカリアン人の例に漏れず、彼女自身も保安官として非凡な才能を持っていることも承知している。

 

 しかし、それでも。鋼鉄を纏う超人の相手を、生身の彼女にさせるわけには行かなかった。――戦う者としての土俵が、そもそも違うのだから。

 

(……つっても、この娘がそれで納得するとも思えないんだよなぁ。ほっとけば勝手に向かって行きそうだし……よし、ここは……)

 

 そこで、龍太は彼女にさらなる大役を与えることに決める。

 彼女の手腕を発揮するに足るステージへ、誘うために。

 

「ジェナ。お前は奴らのボスを追ってくれ。こいつは俺がなんとかする」

「せ、先輩……だけど!」

「このまま奴らを逃がせば、必ず準備を整えて仕返しに来るだろう。そうなりゃ、確実に大勢の人が危険にさらされることになるんだ。お前が行かなくちゃ、この国が危ないんだぞ」

「くっ……!」

 

 ジェナは焦りを滲ませた表情で視線を泳がせる。だが、龍太の言うことが事実であることも、迷っている時間がないことも確かであった。

 多くの人々を守るために、自分が為すべきこと。僅か数秒でそれを見極めた彼女は、拳銃のグリップを握り締め――顔を上げた。

 

「……先輩、必ず応えて見せるから!」

「ああ、期待してるぜ!」

 

 刹那、彼女は勢いよく地を蹴り――アジトへと乗り込んで行く。疲労と恐怖で戦意を喪失してしまった今の私兵達では、ジェナ一人にも敵わないことは明白であった。

 

 勇ましく敵地へ踏み込んで行く彼女を見送り、龍太は「鉄拳兵士」の方へ向き直る。

 銅色の戦士は両拳を構えたまま、静かに龍太の出方を伺っていた。

 

「なるほど、ボクシングのスタイルってわけか。……しかしあんた、随分と慎重なんだな。俺を倒せるチャンスならいくらでもあったはずだが」

「……お前が見え透いた奇襲で勝ちを拾える相手だとは、思わん……」

「ほう、随分と高く評価されてるらしいな」

「事実を述べているまでだ」

 

 その冷淡な口調に反して、彼の両拳は既にこれから始まる闘いを期待し、武者震いを始めている。その姿を一瞥した龍太は、僅かに目を細め――瞬時に「救済の超機龍」を纏うのだった。

 

「さすが、『鉄拳兵士』様はお目が高い。ジェリバン元帥にも負けてないぜ。……もっとも、その鎧はそろそろ博物館入りだろうがな」

「……!」

 

 言葉の最後に付け足された単語に、「鉄拳兵士」は反応するように一瞬だけ両肩を震わせた。

 軽いフットワークで常に体を揺らしている彼にとっては微々たる動きであったが、それを見逃す龍太ではない。

 仮面の奥の瞳を細め、口元を静かに緩ませる。そして、自らが知り得る「鉄拳兵士」の全てを語るのだった。

 

「『鉄拳兵士』――本名、真壁悠(まかべゆう)。日本人ではあるが、出生後間も無くダスカリアン王国に渡って来た移民の一人。十五年前のジェノサイドで両親を失った後、武器密売シンジケートに拾われ、用心棒として育成される」

「……ッ!?」

「その後はシンジケートが戦乱に乗じて奪取した、『銅殻勇鎧』の先行試作型を使って組織お抱えの用心棒となった……どうだ? タレコミだが、そこそこ信頼できる筋からの情報だからな。まるっきりハズレでもねーだろ」

 

 龍太の発言に対し、「鉄拳兵士」は何も答えない。しかし、そのフットワークには微かな乱れが出来ていた。

 彼が言う通り、全て外れているような見当違いの情報だったならば――こんな影響は出ない。思うところがなければ、このような反応はあり得ないのだ。

 

「――ジェノサイドが起きた当時、遺体が発見されなかった子供のリストにあんたの名前があったらしくてな。あんたが過去の活動で現場に残した指紋や頭髪を研究して、ようやく繋がったんだ」

「……」

「政府が公にしないはずさ。なにせ、今は日本の助けがなきゃ国が存続できない状況なんだ。そんな中で日本人への憎しみに拍車を掛けるような情報が出回ったら、それこそダスカリアンは自滅の道にまっしぐらよ」

 

 現地のダスカリアン人に彼を始末させては、その情報が漏れてしまう。牛居敬信が日本政府を代表して、日本人の龍太にシンジケート壊滅を依頼した理由の一つは、彼にあったのだ。

 

 彼自身にどのような思いがあって、シンジケートに与しているかは知らない。それでも龍太は、同じ日本人として彼を見過ごすわけには行かないと――拳を握るのだった。

 

「――さあ、かかってきな。長かったあんたの闘いに、幕を引いてやるよ」

「……ッ!」

 

 そして。

 その一言を合図に――戦いの幕が上がる。

 

 「鉄拳兵士」の速攻が始まったのは、その直後だった。

 

「おっ……と!」

「……シッ!」

 

 手数とパワーを共有する、拳という弾丸の雨が降る。その連撃を、龍太は紙一重でかわし――適度な間合いを確保する。

 しかし、流れは「鉄拳兵士」にあった。

 

 素早いジャブやフック、ストレートの連打は龍太を徐々に後退させ、追い詰めて行く。

 横転した装甲車を背後にした瞬間、彼は大きく跳び上がり……相手の視界から逃れるように、車体の裏側に着地するのだが。

 

「……ォオッ!」

 

 地の底から唸るような叫びと共に――「鉄拳兵士」は装甲車をアッパーで殴り飛ばしてしまった。車体の向こう側に降りた龍太に、その鉄塊をぶつけるために。

 いかに「救済の超機龍」と言えど、十数トンの装甲車をぶつけられては、ひとたまりまない。

 

 そう。それを纏う人間が、「超人」に近しい「人間」である一煉寺龍太でさえなければ。

 

「――ホワチャアアアッ!」

 

 怪鳥音が轟く瞬間、龍太の蹴り上げが装甲車を舞い上げ――彼の後方に墜落する。その衝撃で砂埃が吹き上がり、夜空を覆い隠してしまった。

 

「ひ、ひひぃあぁっ!」

「うわぁああぁああっ!」

 

 人智を超えた、超人同士の戦い。その激しさを肌で感じた特捜隊の兵士達は、武器を捨てて戦場から散らばって行く。

 

(……いいんだぜ、怖いなら逃げても。その方が、俺としても戦いやすくていい――が)

 

 龍太はそんな彼らを一瞥し、踵を返して「鉄拳兵士」に背を向ける。しかし、銅色の拳士は両拳を構えたまま、動き出す気配を見せなかった。

 

 ちらり、とそんな彼の様子を見遣りながら――龍太は気絶しているルナイガンを担ぎ上げた。

 

(誰か一人くらい、助けてやれよなぁ。お前らの隊長だろうがよ)

 

 胸中でぼやきつつ、彼はルナイガンを唯一無事なトラックの荷台に寝かせる。その作業を終えて元の位置に戻ってくるまで、「鉄拳兵士」はただ静かに待ち続けていた。

 

「……あんたなら、待っててくれると思ってたよ」

「……言ったはずだ。見え透いた奇襲になど、頼るつもりはない」

「カッコいいねぇ。……悪党なのが勿体ない」

 

 龍太の感心した声が「鉄拳兵士」の聴覚に届く瞬間。

 彼は、再び攻撃を再開する。

 

 十数メートルの間合いを一瞬で詰め、低姿勢からのアッパーカット。弾丸の如く――という言葉が比喩にならないほどの速さだった。

 

 しかし。

 

「がっ……!」

 

 「鉄拳兵士」の拳は、龍太の仮面の鼻先を掠め――

 

「速いな」

 

 ――龍太の上段回し蹴りが、「鉄拳兵士」の三日月を打ち抜いていた。

 

 頬と顎の中間に存在する急所に痛烈な一撃を浴びた銅色の身体は、激しく回転しながら地面に墜落する。

 その様を見届けた龍太は、確かな手応えを感じていた。

 

 一秒にも満たない時間の中で交わされた攻防。その一瞬を制した彼は、身を震わせながらも立ち上がる「鉄拳兵士」の背を見つめ、思案する。

 

(見え透いた奇襲になど――か。やはり、ただの戦闘マシーンじゃなかったな)

 

 「鉄拳兵士」は今まで、数多くの人間を半殺しにしてきた。軍人、傭兵、要人、偶然現場に居合わせた民間人……。彼の手に掛かった人々の痛みは計り知れない。

 しかし、彼は記憶を失わせるような打撃のみを繰り返し――誰一人として殺してはいなかった。殺すよりも何倍も難しい戦い方を、選び続けていたのだ。

 

(俺にこだわっていることといい……なんで、こんな奴が……)

 

 その理由を知ることに価値を見出す龍太。気づけば彼は、敢えて構えを解き――片膝で辛うじて立っている「鉄拳兵士」に歩み寄っていた。

 そんな彼を、銅色の男は静かに見上げている。

 

「……さっきはちと惜しかったが、見事なパンチだった。俺でなきゃ、確実に入ってたろうよ」

「……」

「その見事な腕前ついでに、ワケを聞いてもいいかな。それだけの力を、シンジケートに捧げている理由」

 

 「鉄拳兵士」が、その強さを悪事に委ねている現状。その経緯を尋ねる龍太に――彼は沈黙と。

 

「……シィッ!」

 

 ――拳で答えるのだった。お前に語るつもりはない、と。

 

 それも想定に含んでいた龍太は、片膝の体勢から繰り出されて来たストレートをスウェーでかわす。

 ……しかし、「鉄拳兵士」の攻勢はそれだけでは終わらなかった。

 

「……ッ!」

「な……ッ!」

 

 紙一重でかわした龍太の首に、パンチをかわされた腕が勢いよく絡み付く。スウェーで避けられることを想定した動きだった。

 向こうも、こちらの動きを読んでいたのである。

 

 そして、たじろぐ暇も与えず――龍太の眉間に、一角を突き刺すように放たれた頭突きが炸裂する。

 その一撃は「救済の超機龍」の仮面を貫き、龍太自身の生身を傷つけた。

 

「……!」

 

 悲鳴を上げるまもなく、龍太の身体は膝から崩れ落ちていく。

 その時――地に倒れ伏す彼を、「鉄拳兵士」が受け止めた。

 

「……」

 

 銅色の男は無言のまま、龍太の身体を静かに寝かせる。容赦のない攻撃を繰り返した伝説の用心棒とは、別人のようだった。

 

 再び、静けさを取り戻す荒野の戦場。その周囲を見渡した後――「鉄拳兵士」は踵を返し、アジトへと帰還していく。

 

 ――だが。

 

「……やっぱ、強いな。あいつ」

 

 打ち倒されたはずの「救済の超機龍」は……一煉寺龍太は。

 

「あいつなら、俺がマジになっても大丈夫そうだ」

 

 額から血を流しながら――ゆらり、と立ち上がるのだった。

 

 その全力を縛る、電磁警棒を投げ捨てて。

 



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第240話 ジェナ・ライアンの戦い

「さあ、残るはあんた一人よ。観念しなさい!」

「き、貴様らァァ……!」

 

 薄暗い地下に急造されたアジト。墓を荒らすように造られたその空間の中で、ジェナ・ライアンは肥え太った醜悪な男と対峙していた。

 拳銃の銃口が向かう先には、脂汗に塗れたボスの顔がある。焦りに満ちたその表情は、降伏の先にある結末――投獄という未来に怯えているようだった。

 

 火炎放射器から逃げおおせた部下達はジェナの打撃により全員昏倒しており、もはや使い物になる者はいない。頼みの綱の「鉄拳兵士」も、迎撃に出向いてから帰ってくる気配がない。

 

(……このままでは為す術なく、この小娘に逮捕されてしまう! こんなバカなことが、あるというのか! この二十年、ダスカリアンから女も金も毟り続けてきたというのに……こんなところで、こんな小娘に!)

 

 それは、この男にとっては耐え難い屈辱だった。

 負けるはずのない相手。搾取の対象。それ以上の存在ではなかったはずなのに。今は、それを象徴するような風貌の少女一人に、ここまで追い詰められている。

 それも、あと少しで逃げ切れる、というところで。

 

(こうなれば……!)

 

 しかしこの状況の中でも、この男は諦め切れずにいた。どの道、降伏したところで終身刑は免れない。ならばいっそ、という心境が芽生えつつあったのだ。

 

「なっ……!?」

「ワ、ワシにも意地というものがある! 貴様などに捕まるくらいならば、自らの死を選ぶぞ!」

 

 懐に忍ばせていた小型拳銃を引き抜いたボスは、ジェナではなく自分のこめかみに銃口を向ける。その自殺行為に、彼女は思わず銃の狙いを崩してしまった。

 

 それこそが――この男の、最後の賭け。まともな撃ち合いでは敵わない者に残された、最後のカード。

 

 自分が自殺しようとする動きに動揺し、集中が乱れる一瞬の隙。ボスは、その僅かなタイムラグに活路を見出すのだった。

 

「――死ねぇええぇっ!」

 

 刹那、ボスはこめかみに当てていた銃口をジェナに向け、引き金を引く指に力を込める。

 

「……ッ!」

 

 ――しかし、彼女の反応は。

 

「ぎゃあっ……!?」

 

 その不意打ちさえも、乗り越える速さを持っていた。

 

 鋭い眼差しで手早く構え直したジェナは、ボスが引き金を引く前に発砲し、小型拳銃を跳ね飛ばしていたのだ。それを受けた相手が、何が起きたのかもわからなくなる程の速さで。

 

「ひぇ、あっ……!」

 

 そして、ボスが状況を理解する瞬間――小型拳銃の銃身が、ジェナの足元に落ちてくる。その音が、この対決の決着を示しているようだった。

 

「……生憎ね。私、悪党には死ぬより重い罰を与える信条なの」

「ひ、ひひぃあぁ……!」

 

 苦肉の策さえも破られたボスは、腰を抜かしてジェナを見上げる。彼女の瞳は、台所に巣食う害虫を見るかのように冷たい。

 その殺気を浴びたボスは、股から温かい湯気を上げながら恐怖する。もう彼には逮捕される未来より、これから始まるであろう折檻の方が恐ろしいのだろう。

 

「さあ、今まで私達を苦しませてきた分……たっぷり償ってもらうから。覚悟しなさい」

 

 そんな彼を冷ややかに見下ろしながら、ジェナはゆっくりと歩みを進める。

 その胸中には、今日のために繰り返して来た戦いの日々が渦巻いていた。

 

(私は、日本人が嫌いだった。父さんや母さんを奪った、あいつらが憎くて、たまらなかった。それと同じくらい……私の友達を攫い続けてきたこいつらが、許せなかった)

 

 ふと、彼女の胸の中に一人の男が現れる。その男を思い浮かべた彼女は、表情に憂いの色を滲ませた。

 

(そんな私を……あの人は、自分の腕さえ犠牲にして助けた。あいつらの凶弾に傷付いて、私達から石を投げられても……あの人は辛い顔一つ見せずに、戦い続けてる……)

 

 彼女の中に在る、その男の存在は――さらに大きくなっていく。ジェナ自身、それを自覚しつつも……止められずにいるのだ。

 

(私は多分、あんな風には生きられないし……今まで受けてきた痛みを忘れることもない。それでも……戦い続けていればいつか、この痛みも乗り越えていける。そんな気がするの)

 

 そして、その憂いを断ち切るように彼女はキッと顔を上げ――懐から手錠を取り出した。この戦いに、終止符を打つために。

 

(……だから私は、せめてこの戦いで彼に証明したい。あなたが国に帰っても、私はきっと大丈夫だ――って)

 

 この任務への飛び入り参加は、いずれ来るであろう別れに備えるための、彼女なりの禊だったのだろう。手錠を握る彼女の手は……近づく別離を恐れるように、震えている。

 

 ――その時。

 

「あぐッ……!?」

 

 ジェナの手が、突如何かに締め付けられるかのような痛みに襲われる。

 咄嗟に、その原因を求めて振り返った彼女は――戦慄した。

 

「……『赤い悪魔』は仕留めた。残る敵は、この女一人のようだな」

「なッ……!? い、いつの間にッ!?」

 

 仮面の奥から響くような音を立て、「鉄拳兵士」はジェナの腕をねじり上げる。

 

「あ、あぁあ……ッ!」

 

 その痛みに呻く彼女を目の当たりにして、腰を抜かしているボスが歓声を上げた。

 

「おおお……! よくやった『鉄拳兵士』! よくぞワシの恩に応えた!」

「……」

 

 情けない格好のまま自分に縋り付く主人の姿を一瞥し、銅色の拳士はジェナの方へと向き直る。形成を逆転された少女保安官は、気丈な態度を崩さないまま彼を睨み付けていた。

 

「さあ、その小娘を叩き殺せ! ワシを脅かした罰だ、バラバラにして鳥の餌にしてやるのだッ!」

「……話が違う。女は殺さない、そういう約束だったはずだ」

「そんなことを言っている場合かッ! ワシが殺せと言ったら殺せッ!」

 

 思い通りに動かない用心棒に、ボスは唾を飛ばして喚き散らしている。そんな彼には見向きもせず、「鉄拳兵士」はジェナの真っ直ぐな瞳を見つめ続けていた。

 

「……奴隷だろうと、迫害されるだけの人生であろうと……生きてさえいれば、何かが変わる可能性だけは残る」

「な、なんだと?」

「例え恨みや憎しみだけが動機であろうとも、自分が生きることしか考えていなくとも――死なない限りは、違う生き方を探すこともできる」

「……?」

「それさえ奪う行いを、進んでしようとは思わん。殺すくらいなら、俺が貰う」

「――は、はぁ!?」

 

 その突拍子もない言葉に、ジェナは唖然とする。次いで、ボスはさらに声を荒げた。

 

「何を戯けたことを! 保安官の小娘なぞ、生かしておいていいわけがあるか! ワシの命令が聞けんのか、貴様ッ!」

「……」

「もうよい、貴様が殺さんのならばワシがやる! どけッ!」

 

 一向に命令を聞く気配を見せない部下に苛立ちを募らせ、ついにボスは自ら手を下すことを選ぶ。彼は地を這うように小型拳銃を拾うと、手早くその銃口をジェナに向けた。

 立て続けに引き金を引く指の動きには、一切の躊躇もない。

 

「……ッ!」

「ちょっ……!」

 

 すると「鉄拳兵士」はジェナの身体を咄嗟に抱き寄せ、背中でその銃撃を受け止めてしまった。

 旧型である「銅殻勇鎧」の先行試作型では、ゼロ距離射撃に耐えるのにも限界がある。小型拳銃が弾切れになるまで、ジェナを庇い続けていた彼の背部装甲は、既に亀裂が走っていた。

 

「き、貴様! ワシに楯突くつもりか! 今まで育ててやってきた恩を忘れおって!」

「……」

「許さんぞ……裏切り者め! 取引先と合流したら、すぐに貴様など――ぶッ!?」

 

 それはボスにとっては重い裏切り行為でしかなく、彼は目を剥いて「鉄拳兵士」を罵倒する。

 しかし、その言葉が終わる前に――彼の脂ぎった顔は、鋼鉄の裏拳に跳ね飛ばされてしまった。

 

「――忘れてはいない。だから、報いを受ける時はあんたと一緒だ。ボス」

 

 宙を舞い、力無く地面に墜落していくシンジケートの首領。その姿を静かに見つめながら、「鉄拳兵士」は独りごちた。

 

「あ、あんた……」

「……さあ、戦いは終わりだ。逮捕したいのならさっさと済ませろ、もたもたしてると新手が来るぞ」

 

 ジェナは「鉄拳兵士」の腕から解放されると、狼狽した表情で彼を見上げる。新手とは、シンジケートが取引先としていた武装組織のことだろう。

 確かに、特捜隊が崩壊している今の状況では、武装組織には到底歯が立たない。それに、自分達の目的はシンジケートのボスを捕縛することにあり、深追いするメリットもない。

 

「で、でも……」

「俺はこの世界から抜け出せる力を持った上で、足を洗うより義理を果たすことを選んだ。変われたはずの人生を変えなかったのは、俺が自分で決めたことだ」

「……」

 

 ジェナとしてはこの男ともっと話がしたいという気持ちがあったが、今はそれどころではない、という理性の方が上回っていた。

 

「じゃ、じゃあ……」

「……」

 

 躊躇いながらも、ジェナは再び手錠を手に取り――「鉄拳兵士」の両手を拘束する。彼は一切の抵抗を見せることなく、ただ静かにそれを受け入れていた。

 

 だが――それで決着、ではなかった。

 

「あらま。もう全部終わってたのかよ、こりゃ意外な展開だ」

「あっ……!? イ、イチレンジ先輩!」

「……!?」

 

 彼ら二人の前に――「鉄拳兵士」に倒されたはずの「救済の超機龍」が現れたのである。破損した額から、血を滴らせて。

 その光景にジェナは安堵し、「鉄拳兵士」は衝撃を受けたように固まってしまった。

 

「もう、心配したのよ! 『鉄拳兵士』があなたを倒したなんて、言うから……! それより、そんな状態で動き回っちゃダメじゃない!」

「はは、まぁ一度倒されたのは本当さ。――ていうか、ホントにすげぇなジェナ。他の連中はともかく、『鉄拳兵士』までとっ捕まえちまったのか?」

「えっ? いやその、それは……」

 

 一度倒された……という割には至って元気な龍太の姿に、ジェナは胸を撫で下ろす。その一方で、ここで起きていた一連の出来事を思い出した彼女は、言葉に詰まってしまっていた。

 

「じ、実はね。『鉄拳兵士』が私を助けて――」

 

 そこで一拍置き、「鉄拳兵士」のことを説明しようと彼女が彼に視線を向ける瞬間。

 

「ジェナ、と言ったか。済まない」

「――えっ?」

 

 膝をついて逮捕を受け入れていた彼は、突如勢いよく立ち上がり――力任せに手錠を引きちぎってしまった。

 先程までと矛盾する行動と、迸る殺気にたじろぐジェナ。そんな彼女を庇うように、龍太が立ちはだかる。

 

「俺はボスに、『赤い悪魔』は仕留めたと報告してしまった。例え裏切り者であろうと、その言葉を嘘にするわけにはいかん」

「……ふぅん、そういうことか。まあいい、せっかく俺を本気にさせたんだ。そっちもその気になって貰わなきゃ、張り合いがない」

 

 その「鉄拳兵士」の言葉と周囲の状況を照らし合わせ、龍太はおおよそのいきさつを把握する。

 そして、改めて決着を付けるために――お互いが、拳を握り締めるのだった。

 

「イチレンジ先輩、『鉄拳兵士』……!」

 

 それを見届けるジェナの胸中など、知る由もなく。

 



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第241話 一煉寺龍太の戦い

 真壁悠という男は、祖国の景色を知らない。

 彼の知る日本は、ダスカリアンを恐怖に陥れた悪魔の国家でしかなく――それを否定する者も現れなかった。

 ゆえに彼は、日本人である自分が差別されることにも……闇社会の中でしか生きられないことにも、疑問を持つことなく生きてきた。

 それが当然のことであると、その身に染み付いていたのだ。

 

 しかし、五年前――十九歳を迎えた頃。

 彼は生まれて初めて、自分以外の日本人と言葉を交わすことになる。

 

 いつも通り、要人を闇討ちして病院送りにする任務の時のこと。伊葉和雅をターゲットにしたその任務で、真壁は予期せぬ出会いを果たした。

 伊葉和雅の新たな側近として来訪していた男は、尋常ならざる強さを持っており――真壁は初めて、撤退を強いられたのだ。

 

 その男――古我知剣一が戦いの中で発した言葉は、五年を経た今でも真壁の脳裏に深く焼き付いている。

 

『僕は、僕達は、罪は犯したけれど! まだ、悪魔になりきっちゃいないッ!』

 

 悪魔に、なり切ってはいない。まだ、悪魔ではない。彼は、確かにそう言った。

 

 日本人は悪魔ではない? ではなぜ、こんなにも疎まれている。こんなにも、恨まれている。

 その疑問が真壁を苦しめる度に、ボスは「奴らの言葉は欺瞞に過ぎない、惑わされるな」と諭し続けて来た。

 彼には、それが心地よかったのだろう。真壁はそんなボスの囁きに膝を折り、考えることを放棄していた。

 

 ――だが三年前、そうやって逃げることさえ許さない存在が現れた。

 

 彗星の如く現れ、颯爽と人々の窮地を救う日本人保安官。紅の鎧を纏い、隻腕になりながらも決して挫けず正義のために戦うヒーロー。

 彼に救われた一部の国民が、そう賞賛する男。一煉寺龍太の存在が、真壁の世界を打ち壊してしまったのだ。

 

 自分はどんな人達からも石を投げられる悪党でしかなかった。しかし彼は、憎しみを背負いながら戦いに生き、人々を守り続けている。

 日本人であることを理由に、正しく在ろうとする道から逃げ出した真壁にとって彼は、アイデンティティの全てを破壊する存在だった。

 

 自分は、一体何だったのだろう。自分の二十四年間は、どのような意味があったのだろう。

 その答えを彼に求めて行くうちに――次第に真壁は、龍太との戦いを望むようになった。

 

 自分と違う人生を生きた日本人。そんな人と触れ合うことが出来れば、何かが変わるかも知れない。

 しかし……それを望むには、自分はあまりにも罪を重ね過ぎた。

 

 だからせめて、悪党として彼と戦うことで――自分という人間の意味を、確かめたい。

 真壁悠とは、何だったのか。それを、確かめたい。

 

(……その答えが、きっとここにあるんだ)

 

 フットワークで間合いを計る自分とは対照的に、静かに構えたまま微動だにしない紅の拳士。その一挙一動に注視しつつ、真壁――もとい「鉄拳兵士」は最後の一戦に臨もうとしていた。

 

 恩人を殴り、恥知らずの裏切り者と成り果てた今でも――生き延びることに意味はあると信じている。それが出来るのは、死ぬ前に自分という人間の意味を知りたい、という欲求が成せる業なのだろう。

 

 一方、龍太も「鉄拳兵士」の全身から迸る殺気を受け、彼がこの戦いに懸けた想いの強さを感じ取っていた。

 

(単なる義理でここまでの戦意は出せねぇ。こいつなりの、でっかい理由があるんだろうな)

 

 詳しい理由など知らない。初対面の相手をどこまで理解できるかなんて、たかが知れている。

 それでも、拳を合わせていれば伝わる物もある。どれほどこの戦いに真剣か。どれほどのものを、この戦いに懸けているのか。

 

 その強さが、勝敗を分けることもある。物理によらない、精神の強さが。

 

「――ッ!」

 

 そして――龍太が攻撃を誘うように、わざと構えを緩めた瞬間。

 その一瞬のみで全てを終わらせようと、「鉄拳兵士」の拳が唸る。

 

「ほぁッ……!」

「シュオッ!」

 

 素早い踏み込みからのストレートを唯一の腕で受け流し、龍太は流れるような手刀を「鉄拳兵士」の首筋に浴びせる。しかし効き目は浅く、すぐにもう片方の腕からフックが繰り出された。

 それをくぐって回避した龍太は、流れるような動きで「鉄拳兵士」の背後へ回り、距離を取る。

 

 一本しかない腕では、いくらスーツのスペック差があると言っても防ぎ切るには限界がある。手数が圧倒的に劣る龍太では、決定打になりうる攻撃を出すチャンスが掴めない。

 そこに勝機を見出した「鉄拳兵士」は、激しいラッシュで龍太を襲う。

 

「シュ、シュシュッ! シュアッ!」

「トゥッ、トゥアァッ!」

「……す、すごい……」

 

 瞬きする間もない時間の中で、絶え間無く続く攻防。その行く末を見守るジェナは、超人同士による異次元の戦いを見せつけられ、固唾を飲んでいた。

 しかし――激戦が始まり、十数分が過ぎる頃。

 

(でもやっぱり……腕が一本しかないイチレンジ先輩の方が不利だ。さっきから防戦一方だし――あれ?)

 

 彼女は戦いの中で起きて行く異変に、徐々に気づき始めていた。

 

「ハァ、ハァ……ハ、ハァッ……」

「……」

 

 長く続いた打ち合いが止まり、再び睨み合いになった時。その異変の実態が、明らかとなる。

 お互い激しく戦い続けていたというのに、龍太の方はまるで息を切らしていないのだ。対して、「鉄拳兵士」は目に見えて疲労が色濃くなっている。

 

 あれほど激しかった攻勢も、少しずつではあるが――勢いを失い始めていたのだ。

 

「俺は確かに腕が一本しかない。けど、それを理由に手加減してくれるような優しい奴ばかりじゃないだろう?」

「ハァ、ハッ……」

「だったら。腕一本でも勝てるくらい、体力を無駄に消耗しない戦い方を掴むしかないだろう。防戦一方を装って体力を削らせる、とかな」

 

 腕力のみによらない、強かな戦法。その術中に嵌まった「鉄拳兵士」は、拳の狙いも正確さを欠きつつあった。

 再び攻撃を再開しても、一発も当たることなく切り抜けられてしまう。のれんに腕押し、という言葉を体現したかのような体術だった。

 

「……あんたが単なる義理人情だけで戦ってるわけじゃないってのは、見てりゃわかる。他にもっと大きな、戦う理由があるんだろうな。あんたには」

「……!」

「だが、あくまで敵として俺の前に現れたからには――」

 

 そして、疲弊により「鉄拳兵士」の構えが緩んだ瞬間。

 その一瞬で決着を付けるべく、彼の懐に龍太の身体が飛び込んで来る。

 

「――俺の拳で、沈んでもらう」

「……ッ!」

 

 その右手に宿る力。殺気。

 そこから迸る猛々しい気配に反応し、「鉄拳兵士」の右ストレートが条件反射で打ち放たれた。

 

 それをスウェーでかわす龍太。紙一重でかわしたその首を、再び右腕が絡め取る。

 

「甘いんだよ作戦がァァ!」

「がッ……!」

 

 しかし、同じ手が通用するほど甘い相手ではなく――「鉄拳兵士」が一角の兜で頭突きするよりも早く、龍太のヘッドバットが「鉄拳兵士」の鼻頭に炸裂した。

 

 そして、痛烈なカウンターを急所に受けた「鉄拳兵士」は大きく仰け反り――

 

「けど」

「……!」

「やっぱり強かったぜ、あんた」

 

 ――決定打のチャンスを、許してしまう。

 

 渾身の力と体重を乗せた、右逆突き。

 水月と呼ばれる人体の急所へ、抉るように突き刺さったその一撃は――耐える暇すら与えることなく、「鉄拳兵士」に膝をつかせるのだった。

 

「あ……が……!」

 

 それから間も無く――うずくまるように、「鉄拳兵士」は地に倒れ伏した。

 戦いは、ついに終わりを迎えたのだ。

 

「……ふう」

 

 暫し残心を取り、彼の様子を見ていた龍太は、「鉄拳兵士」が完全に戦闘不能になったことを確認し――ジェナの方へ向き直る。

 そこには、安堵の笑みを浮かべて戦友の帰還を喜ぶ、彼女の姿があった。

 

「……終わったね、イチレンジ先輩」

「……ああ。ジェナもよく頑張ったな。――大手柄だぜ、お前!」

「えへへ、これくらい当然よ当然。ダスカリアン王国が誇る保安官の一員なんだから!」

 

 わしわし、とやや乱暴に頭を撫でる龍太。その勢いに頭を揺らされながら、ジェナは満面の笑みを浮かべている。

 ……しかしその笑顔には程なくして、陰りが差し込んでいた。

 

「――これで、先輩も安心して国に帰れるね」

「まぁな。……ところでジェナ。今日の作戦で、何か得るものはあったか?」

「えっ? ま、まぁ……なくはない、と思うけど……」

「――なら、それで充分。お前の言う通り、安心して国に帰れるってもんだ」

 

 龍太は憂いを帯びた彼女を見ても敢えて深くは詮索せず、ただにっこりと笑い――さらに強く頭を撫でる。その行為を受ける中で、ジェナは彼の言葉を心の中で思い返していた。

 

(安心して国に――か。この人も、信じてくれたのかな……私のこと)

 

 あれほど憎んでいたはずなのに、恐れていたはずなのに。今は、彼の手を笑顔で受け入れてしまっている。

 そんな自分に戸惑いながらも、ジェナは微笑みを隠せずにいるのだった。

 

「……が、がふっ……!」

 

 その時。半ば気絶していた「鉄拳兵士」が、意識を完全に回復させた。

 彼の尋常ならざる復活の速さに、二人は思わず目を見張る。

 

「……驚いたな、想像以上のタフガイじゃねーか」

「ぐっ……ここは……そうか、俺は……」

 

 意識が戻ったと言っても、ダメージが消えるわけではない。「鉄拳兵士」はうつ伏せに倒れたまま、自分のそばに腰を下ろした「救済の超機龍」を見上げる。

 その姿を目の当たりにして、彼は自身が敗北する瞬間を色濃く思い出すのだった。

 

「……やはり、悪は淘汰されるべき、だったな」

「さぁな。……正しいか悪いかなんて、周りが勝手に決めることだ。俺もあんたも、自分なりに正しいと信じたもののために戦った、そんだけだろ」

「……」

 

 龍太の言葉を受け、銅色の拳士は暫し無言になる。そして再び顔を上げた彼は――縋るような声色で、龍太に問い掛けた。

 

「……教えてくれ。俺は、一体なんだったんだ。俺は――今まで、何のために……」

「……!」

 

 戦いの時に見せる精悍さとは違う、どこか弱々しい声。それを耳にしたことで、龍太は彼が自分と戦おうとした真の動機を悟る。

 ――その上で。

 

「……そんなもん、今すぐわかるわけねーだろ。いいヤツか悪いヤツかなんて、そいつが死ぬ時が来るまでわからねぇ」

「……」

「だけど、好きで悪になりたがるヤツなんて、そうはいねぇ。だからみんな、自分が信じるやり方に生きてる。……自分が生きてる意味なんて、そこにしかねぇんだから」

「……死ぬまで生きなければわからない……か」

 

 敢えて突き放すように言い残し――立ち上がる。

 それが「鉄拳兵士」……こと、真壁悠が追い求める答えに近づく、ただ一つの術であると信じて。

 

「さて……じゃあ全員縛り上げて、さっさと帰投しようぜ。武装組織にまでここに来られちゃあ、さすがにたまったもんじゃないからな。行くぜ、ジェナ!」

「う、うん!」

 

 そして、再びジェナの方へ視線を移し、捕縛作業へと移って行く。

 

 こうして――ダスカリアン王国を蝕んでいた武器密売シンジケートとの抗争は、ひとまずの終結を迎えたのだった……。

 



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第242話 「ありがとう」

 あの戦いから、二週間。

 長らくダスカリアン王国を苦しめ続けて来た、武器密売シンジケートの壊滅という大ニュースは今、国中に轟いている。

 

 その中でもボスの捕縛という大役を果たしたジェナ・ライアンの活躍は、ひときわ大きく取り上げられていた。

 彼女が女王陛下から勲章を賜る瞬間を激写した一枚が、新聞の大部分を飾っていたことは誰の記憶にも新しい。

 

 取引先の武装組織とも合流出来ないまま全員捕縛されたシンジケートの構成員達は、約一名を除く全員が投獄され、獄中からは「ここから出せ!」というボスの喚き声がひっきりなしに響き続けているという。

 

 そんなに彼らに標的として狙われ、日夜怯えていたダスカリアンの女性達はジェナを崇拝し、連日詰め所に押し掛けるファンが絶えないほどになっていた。

 そして、そんな彼女達を抑えるために奔走する男――真壁悠は、毎回靴の底を型どった汚れに塗れていたのである。

 

 ――戦いが終わり、シンジケートの構成員達の身柄が国防軍に引き渡された後。

 真壁悠の卓越した格闘能力と、現場の保安官が報せた彼の人格を鑑みたダウゥ女王は、彼に対して異例の判決を下していた。

 それは保安局の一員として業務に従事することを条件に、シンジケート構成員達の減刑を検討する、というものである。

 

 同胞達の罪を一身に背負い、彼らに代わって国民に償い続ける。それが、彼に課せられた罰となったのだ。

 人手不足であるとはいえ、シンジケートの元構成員を保安局に組み込む、という判断には反対の声も多かったが、結局は保安局の監視付きという条件で決定となった。

 現在では研修生という立場で保安官のユニフォームを纏い、城下町の詰め所で慌ただしい毎日を送っている……。

 

 加えて近頃は、指を絡めて彼を見つめるジェナの瞳に「熱」が篭るようになっていた。

 ボスの銃撃から彼女を庇う際に、真壁自身が発した言葉が原因なのだが――当の本人にはまるで自覚がなく、彼女の視線に気付く気配すらない。

 

 ――その一方で、転落の一途を辿る者もいた。

 敵前逃亡を犯した特別捜索隊は解散となり、それを指揮していたマックス・ルナイガンも責任を取る形で、部下共々降格処分を受けたのである。

 現在はかつて自分達が見下していた女性兵士達の下で、お茶汲みの任務に就いている。それでも過去の栄光を捨てられないがために失言を繰り返し、度々上官から鉄拳制裁を受けているようだ。

 

 ……こうして、武器密売シンジケートを巡る戦いの事後処理は着々と進行しつつあった。しかしそれは一人の保安官が、人知れずこの国から去る前兆でもあったのだ。

 

「さて……。そろそろ時間かな」

「もっとゆっくりしてからでもいいだろうに……。女王陛下も寂しがっておられたよ」

「今生の別れじゃないんだ、いつか――また会えるさ」

 

 ダスカリアン国際空港。

 そのロビー内で、二人の日本人が言葉を交わしている。

 一煉寺龍太と、古我知剣一。この国の未来のために戦い続けてきた彼らは今、別れの時を迎えようとしていた。

 

「それに、今は悠もいる。あいつがいれば、俺がいなくても城下町は安泰だろうよ。ジェナのことも、守ってくれるさ」

「随分と信頼してるんだね、彼のこと」

「一度戦えば、な」

「……僕は、戦っても彼の心は掴めなかったよ」

「だったら他のやり方で付き合ってみろよ。一晩中飲んで騒いで殴り合う、とかな」

「ハハハ、結局戦ってるじゃないか」

 

 笑い合う二人は今、同じ目線と同じ言葉で語り合っている。かつては大人と子供だった、二人が。

 その変化を痛感していた剣一は、嬉しさと寂しさを併せた複雑な表情で、龍太の横顔を見つめていた。

 

(出会った頃は……考えもしなかった。君と、こうして語らうなんて)

 

 松霧町という小さな町の中で暮らしていた平凡な少年は、数々の死闘を経て一国を救うヒーローへと成長した。

 彼の人生がこのようになったことは――彼にとって、幸せだったのだろうか。彼が、本当に望んだ未来だったのだろうか。

 失われた左腕を見遣る度に、彼はその疑念に苛まれていた。

 

 しかし――少なくとも、彼の目に映る青年の横顔は。

 希望に溢れている。自分に絶望した人間が、見せる顔ではない。

 

(……君にとって、これでよかったのかは……わからない。だけど、女王陛下も元帥も君を信じたんだ。僕も、君を信じてみるよ)

 

 それだけが、剣一にとっては唯一の救いだった。

 

「……あ、そうそう。ジェリバン元帥が言ってたよ。奥さんと一緒にダスカリアンに住む気はないか? ってさ」

「俺が『帰る場所』は、あの町だけさ」

「――そうだったね」

 

 どうやら、三年経っても彼の想いに揺らぎはないらしい。ダウゥ女王にとっては、分が悪い勝負だったようだ。

 

「あと……これ。ジェナの奴に、渡してやってくれ」

「これは……」

 

 剣一が、龍太の気持ちを確かめた直後。彼は自身の長髪を纏めていた赤い鉢巻を、するりと解いてしまった。

 艶やかな黒髪が、その弾みで鮮やかに靡く。男の髪とは思えないその動きに、剣一は思わず目を奪われていた。

 そんな彼の意識を、目の前に差し出された鉢巻の存在が呼び戻す。

 

「……いいのかい?」

「今の俺よりあいつの方が、お守りは必要だからな。救芽井に貰った元気、あいつにも分けてやりたいんだ」

「龍太君……」

「それに、役目を終えた俺に出来ることと言えば、それくらいだし」

 

 出来ることはやり切った。そう語るように、彼の表情は明るい。

 そんな彼の姿に安堵を覚え、剣一は鉢巻を受け取るのだった。

 

「……わかった。必ず彼女に渡しておくよ。――それじゃ、元気でね」

「ああ。いつかまた、な」

 

 そして、小突くように拳を合わせて――龍太は、踵を返して歩き出す。振り返ることも立ち止まることもなく……真っ直ぐに、自分を故国へ運ぶ旅客機を目指した。

 

 そんな彼の背中を見送り――剣一は、文字通りに胸を撫で下ろす。

 ……今の彼は、不幸なんかじゃない。彼自身の笑顔が、それを教えてくれたのだと。

 

 ――龍太を乗せた旅客機は、他の便と変わらない速度で滑走路を走り出し――順調に空へと向かいつつある。

 じきに、肉眼では見えない高さまで飛び去って行くだろう。

 

 剣一は舞い上がって行く機体を、穏やかな微笑みで見上げていた。窓から自分を見下ろす彼の笑顔が、僅かに――見えた気がしていたからだ。

 

 その頃――彼の感じた通り、龍太は窓から自分を見送る旧友に向け、子供のような笑みを浮かべていた。まるでこの瞬間だけ、遠い日の時代へ遡っているかのように。

 

(じゃあな、剣一。……しかしあいつ、最後まで見送りに来なかったな)

 

 だが、ほんの僅か――その笑みには、名残惜しさが残されていた。気にしないようにすればするほど、自分の目に映らない戦友の姿が脳裏を過る。

 激務が続いている以上来れないのは当然だし、「今さら見送りなんていらないわよ、私は寂しくなんてないんだから!」などと言われてしまっては、どうしようもないのだが。

 

(……ま、しょうがないか。心配だから帰る前に一度、顔を見ておきたかったんだが……悠がいることだし、気を揉むだけ無駄だろ――ん?)

 

 しかし――その時。

 

 剣一のように飛行機を見送る人々の中に、やたら激しく動く二人の人影が見えた。

 彼らは人だかりを掻き分け、少しでも飛行機に近づこうとするかのように突き進む。警備員に止められるギリギリまで接近した彼らは――そこまで来てようやく、進撃を止めるのだった。

 

 その近くにいた剣一は、周囲の注目を集める二人組の姿を目撃し、目を丸くする。

 彼らは、保安官のユニフォームを纏っていたのだ。

 

「……リュウ、タァァアアアァアッ!」

 

 その内の一人――ジェナ・ライアンは、喉から先にある身体の芯から、自身の命を噴き出すように叫ぶ。

 周囲の人間が軒並み耳を塞いでうずくまる中――彼女のそばに立っていた真壁悠は、一切表情を揺るがすことなく、その背中を見守っていた。

 彼には、わかっていたのだ。この少女が、自らの殻を破る行動を起こそうとしていることが。

 

 命を削るような叫びを轟かせ、肩で息をするほどに疲弊仕切った彼女だったが――すでにかなりの高度に達していた飛行機には届くはずもなく。その中にいる龍太も、自分の名を呼ぶ声を聞き取ることは出来なかった。

 

 しかし。理屈ではなく――直感という、説明しがたい感覚で。

 龍太は、導かれるように見送りの人々を見つめていた。その中に立つ、少女の姿を。

 

 そして……互いの姿が視認出来ないまま、空と地に分かれて二人の視線が交わる時――

 

「……『アリガトウ』」

 

 ――ジェナは。生まれて初めて、「日本語」を使った。

 

 日本を嫌い続けてきた彼女が、初めて使った日本語は――口にするには照れくさくて、それでいてどこまでも誠実な――感謝の一言だった。

 

 仕事を抜け出しても。恥ずかしくても。口に出せるような言葉じゃなくても。

 これだけは、言わなくてはならない。

 その強い想いだけが、彼女を突き動かしていたのだ。

 

「……」

 

 そして、ダスカリアン育ち故に日本語が不自由であった真壁も……この言葉だけは、よく知っている。物心がついた頃、両親から教わった最初の言葉だったのだから。

 

 彼女が呟いた言葉は、先程の叫びと比べればあまりにも小さい。例え届けたい相手が近くにいたとしても、聞こえはしなかっただろう。

 

 だが。

 

「はは……なんだよ。結局、来てるんじゃねぇか」

 

 想いは。届いている。

 一煉寺龍太には――届いているのだ。

 不器用ゆえに真っ直ぐな、彼女の気持ちが。

 

「――来て良かったよ。ありがとう、みんな」

 

 そして――満足げに微笑む彼が、そう呟いた頃。

 

「陛下。引き留めなくてもよろしかったので?」

「よくねぇよ。……でも、あいつの邪魔もしたくねぇ。それだけさ」

 

 ダスカリアンの王室にて――ジェリバン元帥と共に、ダウゥは青く澄み渡る空を見つめていた。

 この空を、あの人が飛んでいる。そう意識する彼女の瞳は、寂しさの色を湛えているようだった。

 

「それに――いつかまた、あいつには会える。……あの戦いを乗り越えて生きてなきゃ、それを望むことも出来なかったんだ」

 

 だが、そんな暗い感情に飲まれてしまう彼女ではなく。

 

 気を取り直すように顔を上げ――公務の際に見せる凛々しさとは違う、溌溂とした「素顔」をさらけ出し。

 想い人がいるであろう大空を、元気に溢れた眼差しで見つめるのだった。

 

 幼くも活気に満ちていた、あの頃のように。

 

「だから――『アリガトウ』。リュウタ」

 

 ――この日。

 

 特別保安官、一煉寺龍太の任務は完了し――彼は、ふるさとへと帰還するのだった。

 

 帰るべき場所へ。

 

 帰りを待つ、人々の元へ。

 



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最終話 三年後の生

 雲ひとつなく、晴れ渡る青空。

 その中でまばゆく輝く陽射しの元に、二人の女性の姿があった。

 

 日本の景色としてはありふれた、簡素な住宅街。その道中にぽつんと存在している小さな公園で、彼女達はベンチに腰掛けていた。

 公園ではしゃぎ回る子供達に笑顔を向けるその姿は母のように暖かい――が、彼女達はまだ独身である。

 

「変わらないわね。この町……」

 

 特筆するようなものなどない、平凡で平穏な町並み。その当たり前の風景を愛おしげに見つめる女性は、隣に座る女性にしか聞こえない声で呟く。

 

「ちょうど、今みたいなあっつい日やったっけなぁ。あんたが転校して来たのは」

「ええ。……本当、変わらないわ。どんなに着鎧甲冑が普及しても。ヒーローが大勢いる時代になっても。この町だけは、あの頃から何も変わらない」

「これからもきっと、変わらんよ。あんなに壊されても、綺麗に復興したんやけん。この先何があっても、この町はこの町や」

 

 彼女の目には、この町が時代から切り離されたかのように見えていた。しかし、もう一人の女性は住み慣れたこの町を、あるがままに受け入れている。

 救芽井樋稟はそんな彼女――矢村賀織の姿を、羨ましげに見つめていた。賀織の膝の上に丸まる愛猫「グレートイスカンダル」は、主人の体温に包まれ穏やかに眠っている。

 

「ていうか、あんた仕事はええん? イギリス支社への配備がどうとか、技術者の派遣がどうとか言ってへんかった?」

「……今日は大事な日だからね。ジュリアには、特別ボーナスを条件に頑張って貰ってるわ」

「……おっかない社長やなぁ。アタシ、あんたの下で働いたら三日で倒れそうやわ」

「ふふふ、その時はちゃんと労災くらいは下ろしてあげるわ。賀織は?」

「アタシは有給。こんな時期くらいしか休めへんからなぁ」

「じゃあ、ちょっと短めの夏休みってわけね」

「ちょっと短いどころちゃうわ」

 

 じとっと冷ややかに見つめる親友に対し、樋稟はにこやかに笑っている。プライベートの中でも、今ではあまり人に見せなくなっていた笑顔だった。

 そんな彼女の笑みを目の当たりにした賀織は、「やれやれ」といった表情で苦笑いを浮かべる。よほど今日が楽しみだったのだろう、と彼女が察するほどに、樋稟の表情は明るいものになっていたのだ。

 

 すると、樋稟の表情は憂いを帯びたものに変化し――彼女の碧い瞳は空へ向かう。その面持ちから彼女の胸中を察した賀織は、共感するように頷きながら、愛猫の毛並みを静かに撫でる。

 

「……やっと。やっと、帰ってくるんやなぁ。龍太」

「そうだね……。よかった、無事に帰ってきてくれて」

「やけど古我知さんが言うには、政府の連中はまだ龍太を利用する気なんかも知れんのやろ? 大丈夫なんやろか……」

「――彼らは龍太君の力を利用しようとはしてるけれど、私達と事を構えようとまでは考えていないわ。……もう、彼を好き放題にはさせない」

「……そうやな。そのための、アタシらなんやし」

 

 グレートイスカンダルの寝顔を見つめながら、賀織は静かに――力強く呟いた。彼女の脳裏にも、三年前に別れた「彼」の姿が色濃く焼き付いている。

 高校卒業から三年。賀織も樋稟も、彼のことを忘れた日はなかった。それは恐らく、彼女達だけではないだろう。

 

 彼と関わった人々は皆、その姿を胸に刻み――この時代を生きている。多くのヒーローが息づく、この新時代を。

 

「出来れば、みんなで一緒に出迎えてあげたかったね」

「ま、しゃあないやろ。梢先輩は茂さんと一緒に、ドイツ支社で着鎧甲冑の配備数増加の交渉。鮎美先生はロシアで寒冷地仕様の装甲の開発。鮎子はアメリカ本社で飛行ユニットの自律化の研究。……着鎧甲冑部で日本におるの、アタシら二人だけなんやもんなぁ」

「そうだね……。みんな、それぞれの場所で頑張ってるんだ……」

 

 樋稟は胸から一枚の写真を引き抜き、懐かしむように写された光景を見つめる。それは着鎧甲冑部の部室に飾られたものと、同じ瞬間を収めていた。

 その中で大らかな笑みを浮かべている少年の姿が、彼女の胸を締め付けている。

 

「……ねぇ、賀織。本当によかったの? 空港で出迎えなくて……」

「あいつは騒がしいとこは好きやないけんなぁ。どうせ出迎えるんやったら、この町で出迎えてやりたいんや。あいつが好きな、この町で」

「……もう、敵わないなぁ。賀織には」

 

 その遠因である賀織は、遠い目で子供達を見つめながら微笑みを浮かべていた。相手のことなら何でも知っている――と主張するかのような佇まいに、樋稟は言い知れぬ敗北感を覚えていた。

 

 心から彼を信じ、待ち続けることができる「妻」の姿。

 自分に、そんな真似できただろうか。そう自問自答する彼女の思考を――グレートイスカンダルの鳴き声が断ち切った。

 

「……ほらっ」

 

「……!」

 

 何に反応して、この猫が目を覚ましたのか。その原因を探る前に、賀織は視線をとある方向へ移した。

 

 曲がり角から、公園に繋がる道。そこに現れた、一人の青年。

 

(……えっ!? あ、あれは……!)

 

 艶やかな黒の長髪を靡かせ、キャリーバッグを引いて歩く隻腕の男――。

 あまりと言えばあまりにも異様と言えるその姿に、樋稟は思わず固まってしまっていた。

 

 しかし――賀織は違う。

 

「龍太ぁっ!」

 

 一目見るだけで、その青年の正体を見抜いた彼女は猫を抱いて立ち上がり――彼に向かい、満面の笑みで駆け寄って行く。

 

 何があったのか詮索する素振りも見せず。彼に気を使わせるような表情など見せず。

 

 ただ、あるがままの彼を受け入れるように。

 

「……!」

 

 そんな彼女の背を追うように、我に返った樋稟も駆け出して行く。

 その胸には今、伊葉和雅の言葉が渦巻いていた。

 

『いつか彼と再会するその時に、心からの笑顔を向けられれば……きっと彼も、君を信じて良かったと思うだろう』

 

(心からの、笑顔を……)

 

 今の自分に、出来るだろうか。彼女のように笑ってあげられるのだろうか。

 こんなに、傷付いた姿で帰って来たというのに。こんなに、こんなに辛いのに。胸が、苦しいのに。

 

 そんな恐れを胸に滲ませたまま、樋稟は顔を上げる。

 

 すると、そこには胸に飛び込んでいく賀織の姿と――

 

(……っ!)

 

 ――少年の頃のような。底抜けに明るい笑顔でそれを受け止める、彼の姿があった。

 

 初めてこの町で出会った頃に見た、あどけない表情。

 初めて出会った、男の子の顔。

 初めて好きになった、彼の笑顔。

 

 それが、自分にも向けられた瞬間。

 

「へへ……ただいま、救芽井」

 

「……おかえり、なさい」

 

 あれほどまでに自分を苦しめていた恐れが、嘘のように吹き飛んで行く。靄が晴れ、太陽が差し込んでくるかのように。

 

 そして――それに導かれた彼女は。

 

「おかえり、なさい……!」

 

 恐れの先にある嬉しさを引き出し――心からの笑顔を浮かべて、彼の帰りを喜んでいた。淀みを洗い流すかのような、雫を頬に伝わせて。

 

 そんな彼女を見つめる彼も、賀織も。昔に戻ったように、笑い合っている。

 

 苦しい戦いも、楽しい時間も共有してきた――あの日々のように。

 

 いつまでも変わらない太陽も。青空も。町並みも。そんな彼らを、穏やかに包み続けていた。

 

 ――そして。

 

 さらに三年の時を経た、二◯三七年十二月二十二日。

 一煉寺龍太は、一人の父となる。

 

 それは救芽井樋稟と出会い、全てが始まったあの日から――十年が経つ頃のことであった。

 




 龍太を主人公とした物語は、ここで完結となります。ここまで応援して頂いた皆様、本当にありがとうございました!
 次回からも、新たなヒーロー達を主軸に据えた外伝作をお送りしていく予定ですので、今後とも本作を見守って頂けると幸いです! では!


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外伝 メタル・ライフセーバーズ
第1話 第二世代へのバトン【挿絵あり】




【挿絵表示】


 冬塚おんぜ先生より、本章の表紙イラストを頂きました! 龍太に続いて主役を務めることになる、新ヒーロー達のツーショットとなっております!
 冬塚先生、誠にありがとうございました!(^^)




 ――西暦二◯三二年、東京。

 

 先進国の一角として、繁栄の時を謳歌するその大都市を、ある一人の男が見下ろしていた。

 

 広大なビル群をガラス越しに一望できる、そのオフィスに佇む彼は――鋭い眼差しで、都会を行き交う人々を見つめている。

 百九十センチはあろうかという圧倒的な肉体を漆黒のスーツに隠す、浅黒い肌を持つその男は――太陽の煌めきをスキンヘッドで照り返しながら、懐に手を伸ばした。

 

 取り出されたのは、携帯電話。着信音を鳴らし、男を呼び出した相手は――

 

「ワガハイだ。……どうだね、屋久島の秘密飛行基地でテストしているフェザーシステムの状況は」

『――『至高の超飛龍(アブソリュートフェザー)』、もとい六十二号の調整は順調です。遅くとも来年の末には、正式にロールアウトできるでしょう。予定では来年の八月二十日に、最終テストを行う予定です』

「頼もしい限りだな、西条主任。――して、先月こちらから派遣したテストパイロット達はどうだ? なかなかの粒揃いを寄越したつもりだが」

『はい。こちらの期待通り、かなりのデータを集めてくださいました。ただ、その……テスト飛行中、エンジントラブルで……』

「全滅、か? ――君のいる部隊では、珍しくもないようだが」

『……はい』

 

 ――西条夏(さいじょうなつ)。その名を持つ女性は、電話越しに沈痛な声色でそう呟いた。

 

「そうか……遺族には、ワガハイから話しておこう。補償のことも含めてな。……それで、やはり生き延びているのは――例の少年だけか?」

『はい……。現在も、彼の二十一号だけがテスト飛行を続行しています』

「『改造電池人間(かいぞうでんちにんげん)』……か。甲侍郎殿が恐れていた救芽井エレクトロニクスの暗部が、着鎧甲冑の未来に大きく貢献しているとは皮肉なことだ」

『……やめてください、その言い方は! あの子はただ……!』

「あぁ……すまなかった。ワガハイとしたことが、今の発言は思慮に欠けていたな。――彼も、望んで今のようになったわけではないのだから」

『……』

 

 男の言葉に、相手の女性は何も返さない。これ以上この話題を続けるな、と暗に訴えているかのようだった。

 その意図を知ってか知らずか、男も話題を切り替えた。

 

「――何にせよ、今のフェザーシステムにはあの少年の力が不可欠だ。最後まで協力して貰えるよう、こちらも最大限のフォローは尽くす」

「……ありがとうございます」

「さて。話は変わるが、こちらからも報告すべきことがある。ダイバーシステム試作三号機の試験運用を、ワガハイのアカデミーで行うことになった」

「ヒルフェン・アカデミーで……ですか? 今年から入る一期生から、テストパイロットを選抜するという噂は伺っておりましたが……まさか、本当に……?」

「ワガハイはデマを流したつもりはない。レスキューカッツェに回した一号機と二号機からは、すでに十分なデータが取れているが……それは、あくまで経験豊富なベテランから得た情報に過ぎん。これから次世代機と共に歩んでいく若者のデータがないままでは、試作機の意味がなかろう」

『しかし、ダイバーシステムは精鋭揃いのレスキューカッツェの隊員ですら、乗りこなせる人間は一握りだったのですよ。学生の中から適格者が見つかるものでしょうか……』

 

 電話の向こうから、訝しむような彼女の声が聞こえてくる。だが、男はその反応を予見していたかのように――口元を緩めていた。

 

「案ずることはない。すでに、目星は付けてある」

『え……!』

「帰る場所のない彼には、丁度いい拠り所になるやも知れん。それにダイバーシステムの資格者であるという名誉も、故郷への土産話になろう」

 

 そう言ってのけた彼の背後にある、一台のコンピュータは――ある一人の少年の情報を、そのディスプレイに映していた。

 携帯電話を顔から離し、それを一瞥した男――久水財閥現当主・久水茂(ひさみずしげる)は、視線を窓の向こう……遙か彼方の海原へ移す。

 

「貴様の後釜にも――なり得る少年であることだしな。なぁ……一煉寺龍太(いちれんじりゅうた)よ」

 

 この日本から遠く離れた砂漠の国で、今この瞬間も戦い続けている――盟友を思って。

 



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第2話 ヒルフェン・アカデミー主席、海原凪

 ――着鎧甲冑(ちゃくがいかっちゅう)

 それは、レスキュー現場での運用を主な目的とした、最新鋭パワードスーツである。粒子化して腕輪状のデバイスで携行しつつ、有事の際には特撮ヒーロー然としたその独特のビジュアルに「着鎧」することから、それを纏うことを許された資格者達は、レスキューヒーローと称されることが多い。

 

 そのスーツの開発と生産を一手に請け負う救芽井エレクトロニクスが台頭して、四年。二◯三二年現在では、着鎧甲冑の総生産数は五百台に及んでいた。

 警察、消防、FBI。軍事関係を除く、あらゆる組織で人命救助のツールとして使われている、そのスーツは――今や、「ヒーロー」という存在の象徴となっているのだ。

 

 だが、その力には相応の責任が伴う。着鎧甲冑の使用資格を得るための試験は、容易なものではない。毎年、世界中で数百万人が受験しているが――合格者は多くても百人程度。「ヒーロー」に求められる責任の重さが、試験の難易度に直結しているのだ。

 

 そんな試験に立ち向かわなくてはならない、未来のレスキューヒーロー達のために――着鎧甲冑が初めて登場した国、日本では。彼らを指導するための教育機関が設けられていた。

 救芽井エレクトロニクスのスポンサーである、久水財閥の会長・久水茂が理事長を務めるレスキューヒーロー養成機関「ヒルフェン・アカデミー」である。

 

 東京湾に浮かぶ人工島に新設された、その学び舎は――本島と繋がる橋を通じて、新世代のレスキューヒーローを招いていた。

 今日は、今年からそこへ入学することになる第一期生を発表する日である。

 

「……あった! 受かった、受かったぞぉお! なれるんだ……俺、ヒーローになれるんだ!」

「ちくしょぉおッ! なんで! なんでだよ! なんで、この僕がぁあぁあ!」

「やった……受かってる! あたし受かってるっ! お母さんに電話しなきゃっ!」

 

 合格発表の日を迎えたアカデミーの校舎には、数多の受験者が群れとなってひしめいていた。ある者は喜び、ある者は悲しみ。合否により人生を変えられた少年少女達が、歓声と慟哭を空へ響かせている。

 

「……やれやれ、うるさい連中だな。――さて。合格資料だけ貰って、今日のところはさっさと帰るか」

 

 ――その中に、一人。阿鼻叫喚の渦中にいながら、涼しげな表情を浮かべる少年がいた。短く切り揃えられた黒髪を、潮風に撫でられているその少年は――強い意志を感じさせる黒い瞳を、高く聳え立つ校舎に向けている。

 

 少年は合格発表者を張り出した巨大掲示板には目もくれず、自分の受験番号を記したカードを手に、校舎へと足を向けた。

 だが。そこは本来、合格者でなければくぐれない門である。合格者のカードがなければ、自動ドアが反応しないためだ。

 

 ――しかし。資格なき者を拒むその扉は、当然のことのように少年を招き入れた。少年の方もまた、当然のことのように校舎内へと踏み入れて行く。

 

 彼は、掲示板を見る前から確信していたのた。自分は、この難関をくぐり抜けた合格者なのだと。

 

(全く……ああいう思い上がったバカが集まると、レスキューヒーローの価値が下がっちまう。入学式を終えたら、もっと試験を厳しくしてもらうよう具申するかな)

 

 軽蔑の眼差しで、合否に一喜一憂する同期達を一瞥する少年は――冷酷な面持ちのまま、エレベーターで資料を受け取る会場へと登って行く。

 彼を乗せているエレベーターは、ガラス張りにされたその構造により、学舎の景観や東京湾、その向こうにある首都のビル群まで一望できる。その絶景を見遣る彼は、ふと視線を落とし――受験者の群れの中にいる、一人の同期に注目した。

 

(……ん? な、なんだあいつ……)

 

 うなじが隠れるほどの黒の長髪に、小麦色に焼けた肌。少年より頭一つ分ほど高い長身に、整った目鼻立ち。口元から微かに覗いた八重歯。

 そこだけ見れば、「ちょっと髪が長いスポーツ系のイケメン」で終わる存在だが……その同期は、周りの受験者から激しく浮き出るほどの異彩を放っていた。

 

 藍色の擦り切れた着物に、麦わら帽子。ボロボロに使い古された草履。そんな、遥か昔の村人のような格好だったのだから。

 

(見るからに凄まじい田舎者だが……よくあんなのが受験しに来たものだな。門前払いにならなかったのが不思議なレベルだ)

 

 その異様な容姿の同期は、受験カードらしきものを手に、人混みの中で右往左往している。見るからに、道に迷っているようだった。

 

(落ちたとわかって帰ろうとしたら、帰り道がわからない――ってとこか? やれやれ、あんなのが栄えある一期生になろうとしてた、なんて世間に知れたらロクなことにならないな)

 

 そんな彼を見下ろす少年は、呆れ果てたようにため息をつくと、踵を返してエレベーターから出て行く。もう、二度と見かけることもないだろう、と思いながら。

 

 ――その後。

 

「これで入学手続きは完了です。では、こちらの資料をどうぞ」

「ああ」

 

 合格者が向かう事務室に招かれた少年は、整然としたオフィスで目的の資料を手に取ると――感慨に浸る間もなく、その場を立ち去って行く。喜びに打ち震えていた周りの合格者達は、そんな彼の姿に注目していた。

 

「見ろよ、あいつ……! 伊葉和士(いばかずし)だぜ!」

「うそっ……! あの、オックスフォード大学を飛び級で卒業したっていう天才児……!?」

 

 少年――伊葉和士は、自分の噂話をヒソヒソと囁き合う、有象無象の少年少女を一瞥する。取るに足らない存在を見るような眼で。

 

(ふん……俺ほどの人間でなくば、そもそも着鎧甲冑の資格など、望むことすら許されないだろうに。自分の力量を勘違いしてる蛙共には、ほとほと呆れたものだ)

 

 尊大ながらも、そうなるに値する実力を持つ彼には――ある一つの確信があった。それは、自分が今期の首席合格者であるということ。

 そして――首席合格者にのみテストを任される、と噂されている最新型着鎧甲冑に触れられる人間であるということだ。

 

 ――しかし。

 

「でも、すげぇよな。あんな超人でも次席なんだぜ」

「ああ。俺、よく入学できたなぁ……ま、補欠合格だけどさ」

 

「……なに?」

 

 和士の耳に、聞き捨てならない情報が入り込んできた。その話をしていた同期達に、彼は眉を吊り上げて迫る。

 

「そこのお前達。妬ましいのかどうか知らないが、よくそんなふざけた冗談を抜かせたな。この俺が、次席だと?」

「え、ええ? 伊葉、お前掲示板見てないの……?」

「俺達、掲示板見たけど……お前、次席になってたぜ?」

「掲示板だと……!?」

 

 返ってきた言葉に、和士は信じられない、という表情になり――みるみるうちに、険しい顔色になっていく。気がつけば、彼は弾かれたように走り出していた。

 首席合格していて当然だと、見向きもしなかった掲示板を見るために。

 

(バカな……そんな、バカな……! 首席は俺だ! 俺でなければならないのに……!)

 

 校舎を飛び出し、人混みを掻き分け――巨大な掲示板を見上げた彼の目には。

 

 次席、と書かれた自分の名前が映されていた。

 

(バカ、な……)

 

 信じ難い光景に、目眩を起こし――ふらつきながらも、和士は辛うじて正気を保つ。まだ、明らかになっていないからだ。

 この自分を差し置いて、首席の座を勝ち取った者の名を。

 

 和士はその名を知るべく、視線を自分の名の上へと向ける。あるはずのない、自分以上の順位――首席の場所には、見覚えのない名前が書かれていた。

 

海原凪(うなばらなぐ)……? なんだ、こいつは……?)

 

 和士以外にも、名の知れた首席候補者は何人もいる。そういう少年少女達は皆、特殊部隊の訓練を受けていたり、若くして有名大学を卒業していたりするようなエリートばかりであるが――彼らは全員、和士より下の順位であった。

 そう、自分だけではない。以前から首席候補者と噂されていた猛者達を何人も出し抜き、この海原凪という無名の男は首席の座を掴んだというのだ。

 

(この男は、一体……?)

 

 その実態を思案し、和士は眉を顰める。――その時だった。

 

「あのぉ。合格資料が貰える事務室って、どこですかぁ?」

 

 背後から、間の抜けた少年の声が聞こえてきたのは。

 振り返ってみれば――その声の主が、あの田舎者の少年だったことがわかる。

 

「なんだ……お前」

「いやぁ。おら、試験さ受けて合格したんはいいんだども、合格資料ってのがどこにあんのかわかんねぇんだべ。周りに聞いても、答えてくんねえし。おめさん、合格資料持ってるべ? どこで貰えるか、教えてくんろ!」

「は、はぁ? 合格? お前がか!?」

 

 鬱陶しげに対応していた和士は、自分を見下ろす少年から出てきた言葉に目を剥き――再びよろけてしまう。これ以上ショックなことが起きれば、倒れてしまいそうだ。

 

(こんな奴が合格者だって!? 冗談じゃないぞ、こんなカッペが俺の同期だなんて!)

「な、なぁおねげぇだ。おらぁ、一生懸命勉強して、やっとここさ来ただ。手ぶらじゃ帰れねぇべよ」

 

 長身の少年は、その体格に見合わない態度で頼み込んでくる。そんな彼の様子を見遣り、和士は混乱しながらもなんとか思考を巡らせた。

 

(……と、とにかくこいつが合格者だというなら、さっさと資料を持たせて帰らせるしかない。こんな奴が栄えある一期生だなんて周りに知れ渡る前に、手を打たねば!)

 

 放っておけば、この少年は同じことを他の誰かに聞くために、アカデミー中をうろつくことになる。そうなれば、今日集まった受験者全員が知ることになるだろう。

 ――こんな田舎者が、自分達を蹴落としてヒーロー候補になった一期生なのだと。

 

 そんなことになれば、アカデミーの最初の生徒となる自分達一期生の威厳が完全に失われる。まだ全員には知れ渡ってはいないであろう今なら、対処は可能。

 

「……来い!」

「うわっ!?」

 

 短い時間でそう考えついた和士は、口で道案内する暇も惜しむように少年の手を引き、来た道を引き返していく。首席を飾った海原凪という男のことを、一時後回しにして。

 

 人混みを掻き分けながら、強引に少年を手を引っ張る和士は、人目を憚るように少年を校舎前に連れ込んで行く。天を衝くように聳え立つ校舎を見上げ、少年は嘆息した。

 

「はぇー……すげぇんだなぁ。こったら高いとこに、事務室さあるだか?」

「ここの四十五階だ。……エレベーターの使い方くらいは知ってるよな?」

「へへへ、おら、それならわかるべ。ボタンをピッて押したら、ぐい〜んってあがるんだべな。おらぁ、こう見えてなかなか都会慣れしてっからな」

「都会慣れとかじゃなくて常識だからなコレ! ……はぁ、なんでこんな奴が俺の同期に……。頼むから、変な騒ぎは起こさないでくれよ?」

「んだ! 任せてけろ!」

 

 人懐っこい笑顔で、小麦色の少年はそう宣言してみせたが――和士は全く当てにならない、と深くため息をつくのだった。

 

「いやぁ、持つべきものは同期だべ! おかげで、村のみんなにいい土産話を持って帰れるだよ! 本当にあんがとな!」

「いいよそんなの。わかったから、とっとと行け。そして二度と関わるな」

「いんや、こんだけ助けてもらって、お礼もしないまま別れるわけにはいかねぇだ。入学式には漁れたてで新鮮な魚、持ってきてやるべ! だから、名前教えてくんろ!」

「いらねぇよ、そんなもん!」

 

 これ以上、付き合ってはいられない。あまり長いこと一緒にいると、自分まで同類と思われる。そう危惧した和士は、馴れ馴れしく話しかけてくる彼から逃げるように、早足で歩き出す。

 

 その時。

 

「あ! いたいた! もう、何してるんですか海原凪さん! いつまで経っても資料を取りに来られないですし……」

(……なに? 海原凪!?)

 

 入り口から駆け寄ってきた、若い女性職員――和士に合格資料を渡していた職員が、慌ただしい様子で少年に話しかけてきた。

 

 さらに。その口から出てきた名前に――和士の表情が驚愕の色に染まる。

 

「あ、職員の人だでな? いんやぁ、申し訳ねぇべ。おらぁ、事務室がここにあるたぁ知らねぇで、あちこちウロウロしてたんだべ。こっちの親切な兄ちゃんが案内してくんなかったら、今も迷子だっただな」

「はぁ……。もういいですから、早く資料を取りに来てくださいね。入学手続きも、あの資料を使うんですから」

「今度から気をつけるべ。あんがとな、姉ちゃん」

 

 そして――少年と、職員のやり取りを聞き。彼は、真実を知ってしまうのだった。

 

「お、お前、が……? お前が、一期生の首席合格者、の……?」

「んだ。おらぁ、海原凪ってもんだべ。いやぁ、一番だなんて嬉しいべ」

 

 だらしなく頬を緩め、にへらと笑う田舎者。そんな首席合格者の姿を目撃した和士は――崩れ落ちるように膝をつく。

 そして――虚ろな瞳に青空を映し、乾いた笑い声を上げるのだった。

 

「は、は、はは……こいつが? このカッペが、俺達の中で誰よりも優れた……首席? このカッペが……最新鋭機のテストパイロット? はは、ははは……」

「ど、どしたんだべ? どっか、痛むだか?」

 

 ――これが、共に数多の命を救う相棒との出会いであることなど、知る由もなく。

 



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第3話 入学の時

 それから、約二週間。

 暗雲が空を覆う天候の中で――伊葉和士は、入学式の日を迎えていた。

 

「……すまない、母さん。必ず首席になって、最新鋭機のテストパイロットになると約束したのに……」

「いいのよ、そんなこと。次席でも十分立派じゃない。お父さんも、聞いたらきっと喜ぶわ」

「母さん……」

 

 住宅街の中にある、とある一軒家。そのリビングで朝食を摂る和士は、母の穏やかな微笑みを前に、物鬱げな表情を浮かべる。

 母が視線を向けている、棚の上に飾られた写真立て。そこには、家族三人が最後に揃った一枚があった。

 

「……母さん。俺は、必ず誉れ高いヒーローになるよ。そして、父さんの名誉を取り返して見せる」

「和士……」

「大丈夫さ。確かに、スタートダッシュではあいつに一歩譲ることになったかも知れないが……すぐに追い抜いて、俺がテストパイロットに相応しいって、上に認めさせてやる」

 

 その写真に強い眼差しを送ったのち――少年は勢いよく立ち上がり、入寮のための荷物を手に取る。アカデミーの生徒である証の白い制服を纏い、青いネクタイを締めた彼は、悠然とした足取りで玄関から表へ向かった。

 神妙な面持ちで足を運ぶ彼の後ろでは、テレビで話題のトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」の特集が組まれていたが――この日の空は、流行りのラブソングが似合わない暗雲を漂わせていた。

 

 新世代ヒーローの門出としては幸先の悪い天候だったが、彼にはそんなことは関係ないらしく――淀みのない瞳が、アカデミーへ続く道を映していた。

 

「――行ってらっしゃい。気をつけてね?」

「ああ、行ってくる。待っててくれ、母さん」

 

 心配げに見送る母に、和士は勇ましい表情で手を振ると、迷うことなくアカデミーを目指して歩み出して行く。

 ――そんな彼の背には、父の名誉という重荷がかかっていた。

 

(二年前。あの伝説のレスキューヒーロー「救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)」の協力者だった父さん――元総理大臣・伊葉和雅(いばかずまさ)は、人命救助を優先し無断出動した彼の行いを庇ったことで、投獄された。……分け隔てなく、一人でも多くの人々を救うために走り続けていた父さんは……犯罪者の汚名を着せられ、牢に囚われている)

 

 通学路を行く少年の脳裏には、厳しくも優しい父との思い出が渦巻いていた。人情と義心に溢れた、尊敬すべき父。その名誉が穢されていることへの怒り。

 それを胸の内に封じ込めるように、彼は拳を強く握り締めた。

 

(……これが、日本政府の選択だというのなら。この国にとっての、正しい答えだというのなら。それが覆るほどの絶対的な名誉を、俺が勝ち取ってやる。父さんの汚名を、俺が灌ぐ!)

 

 そして、父の名誉を挽回することへ決意を新たにする瞬間。

 

「んあ! こないだの兄ちゃんじゃねぇだか!」

 

 曲がり角から現れた、一人の少年。その間の抜けた声を聞いた途端――和士の表情は、空よりも曇る。

 

「お前……」

「いやぁ、こったらとこで会えるなんてついてるべ! 東京って、広いようで狭いんだなぁ」

「……また迷ったのか」

「うへへ、面目ねぇべ。あ、そうそう! これ、村のお土産だべ!」

「いらんわ!」

 

 顔を合わせるなり、馴れ馴れしく話しかけてくる首席、海原凪。和士と同じ制服に身を包んだその姿は、元々持ち合わせている長身やスタイルの良さもあいまって、整然とした美男子という印象を与えている――が、垢抜けない言葉遣いは相変わらずであった。

 さらに、その背には薪で作られた木箱を背負っている。箱の中では、文字通り捕れたての魚達が、ピチピチとのたうちまわっていた。

 

(まさかこいつと出くわすなんて……! 最悪だ!)

 

 まさしく変人。一期生の恥。二度目の出会いを経て、和士はさらにその認識を強めてしまう。

 

「な、な! そういや、まだ名前聞いてなかっただな。兄ちゃん、何て言うべ?」

「お前みたいなカッペに名乗る名前なんてない! ついてくんな、俺が恥かくだろうが!」

「そ、そんなぁ。おら、ここまで来てアカデミーさ行けなかったら、村のみんなに合わせる顔がねぇべ! おねげぇだ、助けてくんろ〜!」

「だああああ! わかった! わかったよ! 連れてきゃいいんだろ! 抱きつくな顔を擦るな鼻水付けるなぁぁぁァァ!」

 

 足に縋りつき、涙目になりながら道案内を懇願する――ヒルフェン・アカデミーの首席。そんな新世代ヒーローとしてのあるまじき姿に、和士は泣きそうな表情で悲鳴を上げていた。

 



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第4話 海原凪の真価

「でな、でな! 今ぐれぇの季節だと、海もあったかくなっていく時期に入るから、そりゃもういっぱい魚が増えててな!」

「……」

 

 ――アカデミーに向け、都会の道を歩む和士と凪。だが、二人の間に会話らしい会話はない。

 人懐こい笑みを浮かべ、一方的に故郷の村の事を語る凪に対し、和士は素っ気ない態度で聞き流し続けていた。

 こんなふざけた男が、自分より上の首席合格者だなんて理解できないし、したくない。そう、言わんばかりに。

 だが、そんな彼の露骨な態度など意に介さず、凪は楽しげに話し続けていた。

 

(……だが、曲がりなりにもこいつは首席。こう見えて、凄まじい素養を秘めているのかも――)

 

 和士は脳天気な隣の男に、品定めするような視線を送る。一見すればただのバカだが、実は力を隠しているのかも知れない――と。

 しかし。

 

「あー……。お腹空いただなぁ。でも魚は兄ちゃんのお土産だし、うーん……」

(――いや、どうにも考えられん。首席合格もまぐれだったんじゃないか……?)

 

 早速、豪快に腹の虫を鳴らしている少年。その間抜けな面持ちを見ていると、どうしてもその線で考えることができずにいた。

 再び和士の胸中に、彼が首席合格者であることへの疑問だけが残る。こんな男のまぐれが通るほど、入学試験自体が杜撰だったのか――と、勘繰ってしまうほどに。

 

(……まぁ、いいさ。この分じゃ、入った先でも長くは続くまい。そうなればテストパイロットの座が俺に渡り、元の鞘に収まるだけだ)

 

 完全に凪を見下す姿勢になった和士は、冷ややかな目つきで長身の彼を見上げ、興味を失ったように視線を正面に戻す。もうこんな奴は放っておこう――と、態度で露骨に示しながら。

 

「あ、おーい兄ちゃん。歩くの早いだよー……」

「はぁ……」

 

 ――凪の方は、そこまで邪険にされていることにすら気づいていないようだったが。

 

「だっ、誰か! 助けてください、誰かぁ!」

 

 その時だった。

 川沿いの道同士を繋ぐ橋に来た二人に――橋の中心で叫び声を上げる女性の姿が飛び込んでくる。

 

「……なんだべ?」

「あれは……!」

 

 三十代半ばと思しきその女性は、橋の下に度々視線を送りながら、周囲に助けを求めていた。――彼女の視界には、川の中でもがく幼い子供と、高校生ほどの歳の少女の姿が映されている。

 

「溺れてるのか!?」

 

 天候はさらに悪化しており、雨が降り始めるのは時間の問題。このままでは川はさらに勢いを増し――子供と少女の危険も高まって行く。

 一刻を争う事態に突如直面し、和士は切迫した面持ちでその場に駆け付けた。現れた白い制服の少年に、女性は悲しみに暮れた表情で縋りつく。

 

「そ、その制服……ヒルフェン・アカデミーの生徒さんですよね!? お願いします、助けてください! うちの子ばかりか、助けようとしてくださったお嬢さんまで……!」

「あ、ああ……」

 

 窮地に陥った市民。それを救うヒーロー。父の汚名を払拭し、名誉を勝ち取るまたとない機会。その千載一遇のチャンスが、和士の前に現れる。

 だが――我が子を想い、泣き縋る女性から目を逸らす彼は、沈痛な面持ちで事態を見つめていた。やがて彼はその表情のまま、空を仰いだ。

 とうとう――雨が降り出した。

 

 この状況から子供も少女も助けるなら、ロープか何かで体を固定しながら川に入るのが定石。だが入学式に向かう道中で、そんなものを持ち合わせているはずもない。

 レスキューヒーローを呼ぶ手もあるが、今にも子供達は流されようとしている。通報したところで、到底間に合うとは思えない。

 小さな子供を胸に抱き、少女は懸命に橋の支柱にしがみついている。だが、女子供の力で抗えるほど、水の力は生易しくはない。すぐに振りほどかれ、流されてしまうだろう。

 

(どうする、どうする! どうしたら!)

 

 彼の脳内に、自分が飛び込むという選択肢は初めから用意されていない。そんなことをしたところで、少女の二の舞になることは目に見えているからだ。

 勇敢と無謀は違う。エリートとして教養を積んできた彼は、それを前提として物事を判断している。

 

 だからこそ。

 驚愕したのだ。

 

「――兄ちゃん、ちょっと頼むだ」

「え、あっ……おい!?」

 

 寸分の迷いもなく、急流に飛び込む凪の姿。今までとは別人のような、凛々しさを帯びた、その真剣な横顔に。

 

「無茶な! 死ぬぞッ!」

 

 背負っていた魚入り木箱を和士に託し、流れるように橋から飛び込んで行った凪。その背に向け、動けないままでいた少年は悲痛な声色で叫ぶ。

 この急流に体一つで飛び込んで、ただで済むはずがない。間違いなく、川に流される。

 

 一瞬のうちに、雨水で濁った川の中へと消えた凪。その様子を目撃してしまった和士は、見ていられないと言わんばかりに目を伏せた。

 川の流れは、雨を浴びてさらに激しさを増して行く。やがて――その勢いは高波となり、子供達に覆い被さっていった。

 

「ぼうやぁあぁあ!」

「ち、ちくしょうッ……!」

 

 消えていく命。轟く慟哭。それを見ていることしかできない自分を嘆き、和士は拳を握りしめる。その中から、鮮血が滲むほどまでに。

 

 ――だが。その瞬間は、子供達の最期にはならなかった。

 

「……ッ!?」

「う、うそ……ぼうや、ぼうや!?」

 

 子供達が捕まっていた支柱から、数十メートル離れた桟橋。荒波の中からそこに現れた凪は――自らの両腕に、子供達をまとめて抱えていた。

 

(バ、バカな! あいつ、あの一瞬で……!?)

 

 信じがたい光景であった。この急流から身一つで子供達を救って見せたことだけではない。

 彼は激しい流れの中で、数十メートルの距離を、人二人を抱えて泳ぎ切ったのだ。それも、一分も経たないうちに。

 

 その常軌を逸した凪の行動に、和士は言葉を失い――両膝をつく。完膚なきまでに打ちのめされた敗北感と、子供達が無事なことへの安堵が、同時に降りかかったのだ。

 

「あ、あぁあ……よかった、よかった……!」

「……」

 

 隣で号泣している女性を一瞥し、和士は子供達を桟橋に上げている凪に視線を移す。少しも息を切らしていない彼は、子供達の無事を確認すると、元通りの無邪気な笑みを浮かべていた。

 

(なんて、無茶なヤツだ。こんな急流に飛び込むなんて――)

 

 そんな彼を見やる和士は、そこまで考えたところで首を横に振る。

 

(――いや、違う。あいつはあんなにも余裕そうに、あの子達を救って見せた。少なくともあいつにとっては……無茶じゃなかったんだ)

 

 勇気と、無謀は違う。その言葉が意味するものを振り返り、和士は凪が見せた、あの凛々しい素顔を思い返した。

 

(……俺がぐだぐだと悩んでいる間に、あいつは……何もかも解決してしまった。迅速な救出活動。レスキューヒーローに何より必要なそれを、あいつは持っていて……俺には、それがなかった)

 

 そして――子供達を背負って歩いてくる凪を、和士は……ため息混じりの笑顔で出迎えた。

 

(だから、あいつが首席で――俺が、次席だったんだ……)

 

「ああ、ありがとうございます! ありがとうございますっ! なんとお礼を申し上げれば……!」

「いんや、気にすることねぇべ。それよりこの子達、かなり水さ飲んでるだ。早く病院に連れてかねぇと」

「あっ……そ、そうですね、わかりました!」

 

 意識はあるものの、子供も少女もかなり激しく咳き込んでいる。病院に連れて行かなくては、どうなるかわからない。

 女性は言うが早いか、携帯を取り出して通報していた。

 

「さてと。おら達も、もう行かねぇと。急がなきゃ遅刻だべ」

「……ああ、そうだな」

「あっ! せっかくの制服が泥塗れになっちまっただ! 参っただなぁ、今日は新入生代表の挨拶もあんのに……」

「……」

 

 淀んだ急流に飛び込んだ凪の白い制服は、泥水に塗れて灰色に変色してしまっている。新入生代表として挨拶することになっている彼が、こんな格好で式に出れば間違いなくアカデミーの評価に響くことになるだろう。

 彼は後進の模範となる一期生代表の、首席なのだから。

 

 それを懸念した和士は、狼狽える凪を暫し静かに見つめ、目を伏せた後――意を決したように顔を上げた。

 

「……向こうに着いたら、俺の制服と交換するぞ。お前にはちょっとキツいかも知れないが、我慢しろ」

「え、えぇ!? そったらこと……兄ちゃんの方が泥んこになっちまうべ!?」

「今日の式で壇上に上がるのは、首席のお前だけだ。席に座ってる奴に泥塗れの奴が混じるのと、首席が泥塗れで挨拶するのとじゃ、全然違う」

「で、でも兄ちゃん……」

「……和士だ」

「え?」

「俺は、伊葉和士。好きなように呼べ、海原」

 

 和士は捨て台詞のように、そう言い切ると「さ、急がないと遅刻だぞ」と足早にその場を立ち去って行く。彼の言葉を受け、暫し呆気にとられていた凪は、我に返ると――にへら、とだらしない笑みを浮かべて、その後を追った。

 

「和士くん、かぁ。へへへ、いい名前だべ。おらのことも、凪って呼んでいいだよ」

「そ、それは別にいい」

「あー、照れてるべ? うへへ、めんこいなぁ」

「うるさい! 頭を撫でるなッ!」

 

 騒がしく言葉を交わし、アカデミーを目指す二人。そんな彼らの頭上では、暗雲を晴らした青空に――七色の虹がかかっていた。

 



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第5話 ダイバーシステムの胎動

 着鎧甲冑を纏い、人命救助に立ち上がるレスキューヒーロー。その次世代を担う若者を育てる学び舎、ヒルフェン・アカデミー。

 その新たな学校が幕を開けて――二ヶ月が過ぎた。

 

 すでに、その学び舎に通う生徒の数は――七割まで減っている。

 

「川宮や、伽山も辞めたらしいな……」

「この教室も、なんだかさみしくなっちまったべ……」

 

 着鎧甲冑の生産台数は、スポンサーの久水財閥の事業拡大に比例して、年々激増している。それに合わせて資格者を育成するならば、長い月日は掛けられない。

 十五、六歳からの入学を可とするこのアカデミーは高等学校に当てはまる学園だが、その教育期間は一年と短い。その短期間で、レスキューヒーローの卵を孵らせるカリキュラムは、当然ながら熾烈を極める。

 座学。体育。実技訓練。全てにおいて、「選別」するための授業が行われていた。弱卒に与えられる居場所はなく、志半ばでアカデミーを去る生徒は後を絶たない。

 

 通常の高校とは比較にならない生徒数ではあるが、そのうち無事に卒業できる新世代ヒーローの頭数は、一般的な高校の卒業生よりも少なくなると言われている。

 和士と凪がいる最上級クラスですら、すでに六割が空席になっていた。

 

「……夏期休暇にも入らないうちから、この人数か。内容を鑑みれば、やむを得ない気もするが」

「でも、やっぱさみしいもんはさみしいべ。できたら、みんな一緒に卒業したかっただなぁ」

「去る者を追ったところで、仕方ないさ。自分が何の為にここに来たかを忘れた者達に、ここで戦って行く力はない。――そういえば、まだお前に聞いてなかったことがあったな」

「うん?」

 

 日を重ねるうちに寂れて行く教室を見回した後、和士は後ろの席で物鬱げな表情を浮かべる、ルームメイトの方を振り返る。

 

「こう言ってはなんだが、東北の漁村――みなも村、だったか? そんなところに住んでたお前が、わざわざここに来る理由。まだ、聞いてなかった」

「ああ、そったらことだか。んとな、おらがここさ来たのは――」

 

 そこから凪は、自身がアカデミーに身を寄せる経緯を和士に語った。

 

 彼の生まれ故郷――東北地方の辺境にある、小さな漁村「みなも村」は年々若者の疎開が進み、年配層しか残らなくなってきているという。

 このまま村が寂れて行けば、今までそこで暮らしてきた人々は居場所を失う。今さら、他の人里に移り住んでも、馴染むのは難しい。

 その事態を回避するには、何か大きな話題性を以て、村の存在を宣伝して若者を新たに招き入れるしかない。

 

 そこで目についたのが、若きヒーローを集うというヒルフェン・アカデミー開校のニュースだったのだ。

 合格すれば学費も生活費もただ。しかも一年で卒業できるため、長く村を空けることもない、さらに卒業できれば、「東北出身の一期生」という触れ込みで、日本中にみなも村の存在を知らしめることができる。

 村の存亡を救うには、またとないチャンスだったのだ。

 

「――っていうことだべ。いやぁ、勉強した甲斐があっただなぁ」

「村を救うための名誉、か……」

 

 故郷に生きる人々の未来のため、アカデミー入学を決めた凪。その言葉を聞き、和士は視線を落とす。

 痛感したのだ。「名誉」が理由であるという点は共通していても、父の汚名を返上するためだけに、アカデミーに入ってきた自分とは背負っているものが違うのだと。

 

「和士くんこそ、お父さんのためだなんて立派じゃねえべか」

「別に……ただ、正しいことのために戦った父さんが、悪者扱いされてることに我慢ならなかっただけだ」

「――そういうのが、きっと大切なんだべ。助けたい、家族がいるっていうのが……」

「……?」

 

 その時。いつも能天気に「にへら」と笑っている凪が、ふと見せた切なげな表情に、和士はえもいわれぬ違和感を覚えていた。

 彼が零した言葉には、どういう意味があるのか。それを問うべく、和士が口を開いた瞬間――

 

『Aクラス、海原凪候補生。伊葉和士候補生。至急、理事長室に出頭せよ』

「……んっ? おら?」

「理事長室だと……?」

 

 ――自分達の名が校内放送でアナウンスされたことに、二人は顔を見合わせる。次いで、何事かと訝しみながら席を立った。

 

「なぁ、ほんとなのか? 今日、警視総監の息女が視察に来るって話……」

「マジらしいぜ……参ったなァ。そのお姫様、なんでもかなりのG型優先派で、R型専門のアカデミーを嫌ってるって噂なんだぜ。何言われるかわかったもんじゃ――ん? おい、あいつら……」

「見ろよ、首席と次席だぜ」

「あの二人が揃って呼ばれるなんて、やっぱ噂は……」

 

 廊下を歩き、理事長室を目指す二人を遠巻きに見遣り、同期達は口々に囁き合う。そんな彼らに視線を向ける和士は、この先にある展開に思いを馳せた。

 

(例の噂――最新鋭機のテストパイロットの件が本当ならば、呼ばれるのは凪一人のはず。俺が呼ばれる理由はなんだ……?)

 

 その答えを求め、無機質な威圧感を与える扉を開いた彼らの眼前に――整然とした空間に佇む、一人の男が現れる。

 

「――来たか」

 

 ヒルフェン・アカデミー理事長にして、久水財閥会長――久水茂。その強面を前に、和士は緊張した面持ちになる。凪は、相変わらずきょとんとした表情だが。

 

「え、Aクラス候補生、伊葉和士ッ!」

「同じくAクラス候補生、海原凪だべ。あ、いや、海原凪です」

 

 過度に緊張している和士と、緊張が無さ過ぎる凪は、それぞれ全く違う声色で挨拶をする。そんな二人を交互に見遣るスキンヘッドの巨漢は、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。

 

「――やはり、ワガハイが見込んだ通りであったな」

「え……?」

 

 彼の発言に首を傾げる和士と、凪の前に――二つの書類が差し出された。理事長の様子を伺いながら、それを受け取った二人は――各々の手に託された資料の内容に、目を見張る。

 

 そこには、流線型を描く小型潜水艇「超水龍の方舟(マリン・ストライダー)」と、その機体に搭載される潜水用強化外骨格「救済の超水龍(ドラッヘンダイバー)」の見取り図が描かれていた。

 

 アメリカ本社においても、日本支社においても、一握りの上層部しか持ち得ない機密。その全てが、彼らの手にある資料に記されている。

 

「『救済の超水龍(ドラッヘンダイバー)』……」

「『超水龍の方舟(マリン・ストライダー)』……!」

 

 二人はそれぞれの資料に目を奪われ、自分達に渡された「機密」の名を静かに呟く。和士に至っては、無意識のうちに手まで震えていた。

 

「この資料を読めば、おおよその事情は察して貰えると思っている。――優秀な君達二人には、これよりダイバーシステムのデータ収集に協力してもらう」

 

 有無を言わせぬ、力強い古強者の宣言。その気勢に飲まれたように、和士は言葉を失うのだった。

 

(これが……このシステムの構造が、俺も呼ばれた理由だったのか! テ、テストパイロットとはいえ、お、俺が……ついに、ヒーローに……!?)

(んー、参っただなぁ。こりゃあ、責任重大だべ……。ま、やるしかねぇべ!)

 

 ――だが。その一方で凪は、眉を吊り上げ不遜な笑みを浮かべている。望むところだ、と言わんばかりに。

 

(……いい目だ。やはり、似ている……あの男に)

 

 そんな彼の瞳を、理事長は神妙な眼差しで見つめるのだった。

 



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第6話 思わぬ出会い

 ダイバーシステム。

 それは二◯三◯年に初めて登場した着鎧甲冑の新技術「二段着鎧(にだんちゃくかい)」での運用を前提とした、最新鋭水中用レスキューシステムである。

 

 高速小型潜水艇「超水龍の方舟(マリン・ストライダー)」で海中を潜行し、現場に向かった後、機内に搭載された着鎧要員を射出。次いで、機体に装備されたスクリュージェット付きの増加装甲を切り離す。

 「基本形態(スタンダードフォーム)」に着鎧した状態で射出された着鎧要員は、「超水龍の方舟」から切り離された増加装甲を装着して「潜行形態(ドルフィンフォーム)」に移行しつつ、増加装甲のスクリュージェットの推力を利用して活動する。

 着鎧甲冑の弱点である、活動可能時間の短さをカバーするため、様々な外付け機能を取り入れた末に、形になったシステムなのだ。

 

 その着鎧要員が使用する着鎧甲冑「救済の超水龍(ドラッヘンダイバー)」を任された凪を、「超水龍の方舟(マリン・ストライダー)」のパイロットである和士がサポートする。それが、久水茂からの指令だったのだ。

 

(……サポート、か。ま、それが正当な評価なんだろうな)

 

 理事長室を後にして、教室に帰る道中。和士は即日訓練開始を命じられた凪と別行動となり、廊下の窓からアカデミーの景観を見渡していた。その視線は校内の施設でも艶やかな海でもなく――そこを経た先にある、東京の町並みに向けられていた。

 正しくは――その向こうで、今も牢の中にいるであろう父に。

 

(……父さん。俺はまだ、父さんの名誉を取り返せるヒーローには、遠く及ばない。海原のようには、いきそうにない)

 

 少年の脳裏に、入学式の日のことが過る。「超水龍の方舟」を任されたとはいえ、今の自分ではあの時の凪にも勝てない。

 その凪は、今この瞬間もめきめきと力を伸ばし――ついに「救済の超水龍」を手にするに至った。まるで、世界にその名を轟かせた伝説のヒーロー「救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)」の再来のように。

 

 近しい人間にこれほどの差を付けられてしまっては、迷いも生まれてしまう。自分の力で本当に、父の汚名を晴らせるのか――と。

 

「……ん?」

 

 そうして、目を伏せるように視線を校庭に落とした瞬間。彼の視界に、ある光景が留まった。

 

 校庭の隅で、何やら激しく口論している数人の男女。今にも掴み合いに発展しそうな剣呑な雰囲気が、遠巻きに眺めている他の生徒達を遠ざけている。

 

「あそこは――Eクラスの校舎か。全く、あいつらは……」

 

 現場の位置から察するに、恐らくアカデミー最底辺のEクラスの人間が、喧嘩でもしているのだろう。和士は、そう見ていた。

 退学寸前の落ちこぼれが集まるEクラスには、ここで最底辺として扱われている鬱憤を晴らすために、外部の人間にヒーロー候補生として高慢に振る舞う者が多い。そんな彼らの素行不良はアカデミーの沽券に関わる課題として、Aクラスでも話題になっていた。

 

(このアカデミーの生徒である、という一点のみにしか誇れるものがない、愚か者達には困ったものだ。あいつらのせいで、俺や凪の評価まで下がりかねないんだから堪ったもんじゃない)

 

 ため息混じりに階段を降り、和士は現場を目指して足を運ぶ。本来なら関わり合いになりたくない――というところだが、同期である以上、無関係にはどうしてもなれない。

 こうして、次席の立場にものを言わせてEクラスに苦言を呈するのも、もう何回目になるか。数え切れないトラブルの量に、彼は歩みを進めながら頭を抱えていた。

 

 自分の姿を見るなり、おずおずと道を開けるギャラリー。その間を突き進む彼の眼前に、やがて見目麗しい美少女の姿が現れる。

 

「恥ずかしいとは思わないのかしら! 仮にもヒーローとして、このアカデミーに入学していながら!」

「あんだとォ!?」

「中坊のくせして、イキってんじゃねぇ!」

 

 茶色のセミロングを、東京湾から流れる潮風に靡かせる、色白の肌を持つ彼女は――豊かな胸を揺らし、黒い瞳でEクラスの不良達を射抜いていた。

 その歯に衣着せぬ物言いに、不良達は憤怒の形相で反発している。

 

 見たところ、少女はアカデミーの生徒ではない。高級感溢れる彼女のブレザーは、都内有数の令嬢が集う女学院のものだ。

 本来ならばこことは無縁であるはずの彼女が、Eクラスと揉め事を起こしている。その光景から導き出される彼女の正体は、一つだ。

 

(噂になっていた、例の警視総監の娘――か。話に聞く以上に、強気な女だな)

 

 凛としたその姿は、過酷な訓練に耐え抜いてきたアカデミーの生徒を前にしても、全く揺るがない。その美貌もあいまって、彼女の周りには見惚れている生徒達が何人もいた。

 

「いいのかよ、俺達にそんな口利いてよぉ! 俺達は、お前ら民間人を守るレスキューヒーローになるんだぜ? その時には助けてくださいって裸になって土下座しなきゃ、お前の命はねぇんだぞ!」

「見苦しいわね、何の実績もない癖に。あなた達Eクラスは、卒業しても向こう三年間は教育期間を設けられるらしいじゃない。あなた達の言う『その時』は、いつになったら来るのかしら!」

「なっ……んだぁとォ!?」

 

 ――とはいえ、挑発されているEクラスの者達に、その魅力は効果を成していないようだ。豊かな胸や臀部に好色な視線こそ向けているものの、少女の話を聞き入れる気配は全くない。むしろ今にも、欲求に任せて少女に飛びかからんとしている。

 だが、少女はそれでも引き下がる気配を見せない。このままでは自分に危害が及ぶにもかかわらず。

 

(……やれやれ。自分の身は自分で守れ――とは言わないが、自分に危険が降りかかる可能性くらいは自力で悟って欲しいもんだ)

 

 そんな少女の蛮勇を見兼ねて。和士は威圧的な表情で進み出ると、少女を庇うように立つ。ギャラリーのどよめきを背景に現れた次席を前に、Eクラスの面々が目の色を変えた。

 

「げっ……! こいつ、次席の……!」

「――お前達。この跳ねっ返りに何を言われたか知らないが、問題を起こすつもりなら俺が相手になるぞ」

 

 和士はヒーローの専門校である、このアカデミーへの入学に備え――空手の技を身につけていた。決して達人の域に至るようなものではなく、あくまで護身術として習得したものではあるが――その成果は、こうして荒事に直面する度に発揮されている。

 Eクラスの不良達のほとんどは、既にその犠牲者にされた経験があり――彼らの誰もが、喧嘩で和士には勝てないと認識していた。

 

 その和士にそう宣言されてしまっては、もはや彼らの選択肢は一つしかない。

 

「お、覚えてやがれ!」

 

 月並みな台詞と共に、逃げ去ることである。そのヒーローからは程遠い背を見送る和士は、深いため息と共に少女の方へと向き直る。

 

「全く……。なぁ、君。少しは自分の身を守ることも考えて発言したら――」

「――あなた。理事長室はどこ?」

 

 だが。発言を終える前に、彼の言葉は少女によって遮られてしまった。少女の今後を案じての発言を、当の少女に邪魔されたことで、自然と眉がつり上がる。

 

「あ、あのなぁ。普通こうやって助けられたら、一言礼を言っとくのが礼儀なんじゃないのか」

「あなた達は、人命救助が仕事なのでしょう。やって当たり前のことで――そのために働いてることで、なんで私がわざわざ礼なんてする必要があるのかしら」

「な、なにぃ……」

 

 助けられた礼を言わないばかりか、それが当たり前だと言ってのける彼女に、和士のこめかみから血管が浮き上がる。だが、彼の怒気を前にしても、少女はじとっとした眼差しを崩さない。

 

「悪いけど、私は暇じゃないのよ。今日ここに来たのは、視察のためなんかじゃない。G型の学科を早急に用意してもらうためなんだから」

「G型の学科、だと?」

 

 ――着鎧甲冑の量産機である「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」には、R型(アールがた)G型(ジーがた)という、二つのバリエーションが存在する。

 着鎧甲冑の本分である、レスキュー活動に特化した装備を持つR型。電磁警棒とスタンガン以外の装備品を排除して機動性を高め、治安維持能力に特化させたG型。この二つは、それぞれ世界中のレスキュー隊や警察で制式採用され、その性能を発揮している。

 

 だが、その二つは均等に生産されているわけではない。「救済の龍勇者」の生産ラインの多くは、着鎧甲冑の本領であるR型が占めているのだ。

 ゆえに、世界中の警察組織がG型の生産優先を求める声が絶えないのである。そして現在の警視総監は、G型優先派として有名な人物であった。

 この娘はそれに準じた交渉を、R型の学科しか用意していないアカデミーで行おうとしているのだ。より多く生産されているR型の供給に、対応するための施設だというのに。

 

「……いっそ学科ごと全取っ替えしてもいいくらいなのに。G型の能力こそ、着鎧甲冑のあるべき姿なんだから」

「おい、訂正しろ! R型がどれほど人命救助に貢献しているのか、知らないのか!」

「知ってるわよ。……でも、G型の生産台数が少ないせいで、犯罪率が落ちない地域だってあるのよ。人為的な危険を排除できていない時点で、人命救助も何もないじゃない」

「だが……!」

 

「――それに、どうせ……今から大勢助けたところで、お兄ちゃんは帰ってこないんだから……」

 

 その時。少女が不意に漏らした言葉に、和士は眉を顰める。

 

「……?」

「あっ……と、とにかく! 私はR型専門のアカデミーなんて認めない。悪意から人を守れないで、何がヒーローよ!」

 

 自分が漏らした言葉に気づいたのか、彼女は慌てた様子で踵を返し、走り去って行く。その背を暫し呆然と見つめていた和士は、彼女が残した言葉を静かに思い返すのだった。

 

(お兄ちゃんは、帰ってこない……?)

 

 ――そんな自分の背を、Eクラスの不良達が憎々しく睨んでいることにも気付かずに。

 



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第7話 緊急事態

 その日の、放課後。

 携帯端末を通じ、ネットから情報を集めていた和士は、早々に答えに辿り着いていた。

 

(――なるほど、そういうことか)

 

 夕暮れ時になっても訓練から帰ってこない、田舎者のルームメイトを待ちながら。和士は携帯端末に映る情報に目を通し、息を漏らす。――彼の表情からは、もう少女と接した時の怒気が失われていた。

 

 和士の検索に応じて、明らかにされた少女の背景。それは、彼女が漏らした言葉に対する疑問を解消するものだったのだ。

 

 ――今から約十年前の、二○二二年。屋久島のとある山中で、大規模な航空機事故が発生した。乗員乗客五百名が、全員死亡するという大惨事だ。当時、全国で大ニュースになったのを和士も覚えている。

 その犠牲者の中には――当時五歳だった、警視総監橘花隼司(たちばなしゅんじ)の長男、橘花隼人(たちばなはやと)の名前もあったという。大好きなサッカーチームの応援に行くため、初めて一人で飛行機に乗った際に起きた悲劇であったらしい。

 そんな彼には、双子の妹がいる。その妹――橘花麗(たちばなれい)は、兄を奪った航空会社を糾弾し、多額の賠償金を払わせたという。

 

(あの気性の荒さは、そういう理由だったのか……。どうせ兄は帰ってこない、というのも……)

 

 現時点では、自在な飛行能力を持った着鎧甲冑は開発されていない。初めて二段着鎧を採用した試作機「救済の重殻龍(ドラッヘンファイヤー・デュアル)」はジェット推力による空中への上昇を実現していたらしいが、コストが高すぎる上に小回りにも難点があり、OS(オペレーションシステム)も確立されていなかったため、量産化には至らなかった。

 だが、水中用のものとはいえ完成に近しいOSを搭載し、縦横無尽の潜行能力を得た二段着鎧採用機「救済の超水龍」が生産されている今なら――あるいは。「救済の重殻龍」の飛行能力など及びもつかないほどのOSが完成し、自由自在に空を飛べる着鎧甲冑が誕生するかも知れない。

 そんな着鎧甲冑が完成すれば、飛行機事故が起きても迅速に現場に駆けつけ、墜落を阻止することも出来るようになるだろう。過去の時代ならば絵空事と笑われていたような、荒唐無稽な救出劇を幾つも実現してきた、超科学の産物たる着鎧甲冑のポテンシャルならば。

 

 ――しかし。如何に科学が進歩しようとも、過去を改変できる技術は未だに世に出る気配がない。いくら科学が発達しようと、起きてしまったことを変えることは叶わない。

 例え近い将来、本当に空を飛べる着鎧甲冑が登場したとしても――彼女の兄は、もう帰っては来ないのだ。

 

(だから彼女は、R型を嫌っているのか。――参ったな)

 

 彼女がG型優先派に傾倒したのは、父の影響だけではないのだろう。十年に渡る思いを覆すのは、容易ではない。

 次に会う機会があったとして、自分はどう対応すればいいのだろう――。そう思い悩んでいた時だった。

 

『緊急事態発生、緊急事態発生。二台の訓練用着鎧甲冑が、何者かによって盗難された。全校生徒は、至急捜索に掛かれ!』

 

 この部屋だけでなく、アカデミー中に流された警報の内容に、和士は思わず顔を上げて思考を停止させる。

 

「盗難だと!?」

 

 焦燥を露わに、ハンガーに掛けてあった制服の上着を羽織ると。彼は弾かれたように部屋から飛び出し、慌ただしく駆け回る生徒達を目撃する。

 

「我々Bクラスは校庭周辺を見る! CクラスとDクラスで、全校舎を回れ!」

「くそ、何がどうなってんだ!」

「Eクラスは外周を見張れ! もし外部に持ち逃げでもされたら、アカデミー始まって以来の大不祥事だ!」

「そ、そんなことになったら卒業できても、ヒーローとして雇ってもらえないかも知れないじゃないか! な、なんとしても探し出せえぇえ!」

 

 彼らは戸惑いの声を上げながらも、懸命に捜索を開始している。この一件の結末に自分達の将来が懸かっているのだから、そうなるのも当然なのだが。

 和士はようやく状況を飲み込むと、冷静さを取り戻すべく息を飲み込む。そして毒気を抜くように吐き出すと、近場にいたBクラスの指導者に声をかけた。

 

「おい、Aクラスはどこを捜索している?」

「い、伊葉和士!? Aクラスなら、事務ビルの方に向かっているが……」

「そうか……。一応、校内全域に人手は回っているらしいな。Aクラスの連中が俺を探していたら、Eクラスに加勢していると伝えてくれ。あいつらだけでは当てにならん」

「お、おい!?」

 

 それだけ言い残すと、和士はBクラスの制止も聞かず走り出して行く。彼の迷いのない素早い動きに、Bクラスの指導者は引き留める暇すら与えられなかった。

 

(……もし、この捜索体制に穴があるとすれば、それは落ちこぼれ共が配置されている外周付近だ。じきに校内の警備を任されているG型の勤務員が動くだろうが――大人しくそれを待っているわけには行かない)

 

 思考を巡らせながらも、和士は足を止めることなく広大な敷地を駆け抜けて行く。あれこれと悩んで立ち止まるより、ひた走る方が未来を変えられるかも知れないからだ。人命を預かる、大切な着鎧甲冑が盗み出される、という未来を。

 ――身を以てそれを教えた、あの背中を思い返しながら。和士は、資材の山や花壇を飛び越え、がむしゃらに走る。

 

「……なぁ、いいのか本当に。倉知さんと間山さん、ガチでヤっちまう気だぜ」

 

 やがて、海原を一望できる外周まで来た時。制服を着崩した格好で、見張りとは思えない雰囲気でうろついている同期達を見つけた和士は――怒鳴りつけそうな衝動を抑え、背後から聞き耳を立てる。

 元々、ちゃんと見張りをしているとは期待していなかった。それにEクラスの不良による犯行だったとすれば、何か情報が得られるかも知れないと見たからだ。

 

「なぁにビビってんだよ。どうせあの部外者の女に二台握らせて、私がやりましたって言わせたら全部丸く収まるんだ。……それによ、へへ。うまくすりゃ、俺達もお零れに預かれるかも知れねぇんだぜ。見たか? あの両手に収まりきらねぇ胸!」

「あ、ああ。し、尻もすげぇもんだったしな……」

「倉知さんも間山さんも、どえらい上玉捕まえてきたもんだよなぁ。あれで中三ってのが信じられねぇ。今頃、ヒィヒィ言ってるんだろうぜ」

 

 聞くに、堪えない。拳を震わせ、鋭い目つきで彼らの背中を射抜いた和士は――敢えて冷静な声で、彼らに問いかける。

 その身に纏う殺気に気づき、彼らが振り返ったのは――その直前のことだった。

 

「ん……!? お、お前っ!?」

「な、なんでAクラスのこいつがこんなところにっ!?」

 

「――その話。俺も混ぜてもらおうか」

 



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第8話 正義の鉄槌?

 ――夕日が東京湾の果てに沈み、今日という日の最後に鮮やかな輝きを放つ頃。

 その影に隠された、体育館裏という闇の中に、彼らはいた。

 

「離しなさいッ……離してッ! 私にこんなことして、ただで済むと――!」

「ただで済むように、これから処置するんだろうがよ。へへ……」

「澄ました顔して、どスケベなカラダしやがってよぉ。堪らねぇよ、なぁ」

「あぅッ……ん……!」

 

 警視総監の娘、橘花麗。十五歳という年にそぐわない、その発育した肢体は今――和士に追い払われたばかりの不良達に拘束されている。彼女を羽交い締めにしている倉知という男は、自らの下腹部をその臀部に摺り寄せ、下卑た笑みを浮かべていた。

 対して間山という男は、正面から麗を抱き締めるように体を密着させ、豊満な胸の感触を愉しんでいる。透き通るような色白の肌を、獣欲のままに舐め回しながら。

 

(こんな、こんなッ……! こんな連中に、いいようにされるなんてッ……!)

 

 屈辱的な辱めを受け、怒りと恥じらいで頬を紅潮させる麗。その脳裏に、このようになったいきさつが過る。

 

 和士に報復しようと、着鎧甲冑保管庫から訓練用の「腕輪型着鎧装置(メイルド・アルムバント)」を盗み出そうとしていた彼ら二人を、偶然見つけた彼女が声を上げた瞬間。

 不良達はこれ幸いと彼女を攫い、ここへ連れ込んだのである。散々馬鹿にされた礼を返した上で「溜まったモノ」を解消し、罪を全て被って貰うために。

 

「わかってんな? これから始まる『撮影会』の内容をバラまかれたくなけりゃあ――俺達の指示に従え。拒否権なんてねぇからな」

「全世界にエロい自分を暴露されるのと、ここでちょっと悪さしたことにされるのと――どっちがマシか、世間体が大事なお嬢様ならわかるよなぁ?」

「うぅっ……!」

 

 胸を揉まれ、尻を撫でられ――わざと屈辱を与えるかのように、一つ一つゆっくりと服を脱がせながら。ならず者達は言葉巧みに、麗を追い詰めて行く。

 ブレザーの上着。シャツ。スカート。ストッキング。靴下。――純白のブラジャー。一番大切なところを隠しているパンティを除く全てを剥ぎ取られた麗は、抵抗らしい抵抗も許されないまま、組み伏せられてしまった。

 ――そして。飢えたケダモノの手が、その最後の砦に迫る。

 

(……お兄ちゃんっ!)

 

 自らの貞操に、絶体絶命の危機が訪れたと実感した彼女は――亡き者であるはずの兄に助けを求め、声にならない叫びを上げる。

 だが、そんな叫びを聞き取れるものが、いるはずが――

 

「そこまでだ!」

 

 ――いた。そこには、確かにその男がいたのだ。いるはずのない場所に立ち、夕日の光を背に受けて。

 

「……!」

 

 その輝かんばかりの勇姿を前に――麗は目を剥き、驚嘆のあまり言葉を失った。先ほど、自分が罵倒したばかりの伊葉和士が――この場に駆けつけてきたのだから。

 

「て、てめぇ……伊葉!」

「なんでここが……!」

「親切なお友達が教えてくれてな。――さて、言い残すことはあるか落ちこぼれ共」

 

 間山と倉知は、その天敵の登場を前に動揺を走らせ――互いに顔を見合わせる。そして、互いに冷や汗を頬に伝わせながら、威勢良く立ち上がった。

 

「いい気になんなよ、伊葉ァ。この生意気女の調教は、あくまで延長線上のことに過ぎねぇ。本来の狙いは――」

「――お前なんだぜッ!」

「……!」

 

 そして見せつけるかのように、白い「腕輪型着鎧装置」を空に翳し――彼らの全身を、白く簡素なヒーロースーツが覆って行く。間違いなく、盗難された訓練用のものだ。

 

「貴様ら、どこまでも下衆な……! こんなケンカ如きのために、着鎧甲冑を奪ったのか! 一体貴様らは、何のためにこのアカデミーにっ!」

「うるせぇな。お前みたいなヤツがいるせいで、外部でナンパしても女が寄らねぇんだよ。こっちは溜まって溜まって溜まる一方なんだっつーの!」

「このクソ女は優しくしてやりゃあ付け上がるしよ。もう俺らも、我慢の限界ってやつなのさ。この力でてめぇを再起不能になるまでボコったあと、この女を嬲って弱みを握る。最後はこの女に自分がやったと言わせりゃ、ミッションコンプリートってことさ」

「貴様らッ……!」

 

 着鎧甲冑を纏い、気が大きくなった倉知と間山は、口々に身勝手な計画を語ると――麗の方に振り返る。その粘つくような眼差しを浴び、彼女は思わず身を竦ませる。

 

 だが、彼女が怯えたのは自分が犯されるから、ということだけではない。自分を助けるために来た和士が、着鎧甲冑の馬力で暴行を受けることになる――という未来が、その胸中にのしかかっているのだ。

 

 如何に腕っ節に差があろうと、使用者に超人的身体能力を齎す着鎧甲冑を纏えば、そんなものは容易くひっくり返る。アカデミーの学生ではない彼女から見ても、それは明らかだった。

 

「へへへ……さぁ、今までの分。たぁっぷり

礼をさせて貰おうか! 二度とデカイ口が利けなくなるよう、両手両足へし折って、芋虫にしてやる!」

「そのあとはこの女だ。生意気な口利いてくれた分、今まで俺達が溜め込んできた分、全部そのエロい身体に叩きつけてやる! ……へへ、こりゃあ孕んじまうかもな。今のうちに、ガキの名前でも考えときな」

 

 血と女に飢え、ヒーローの道から外れたならず者が二人。この学び舎に、悲劇をもたらそうとしていた。

 

「……ッ!」

 

 絶体絶命であることは、誰の目にも明らか。――しかし、それでもなお。和士は心を折ることなく男達に向き合い、拳を構えて見せる。

 一歩も引き下がらない、その毅然とした姿勢に男達は嘲るように笑い、麗は表情を驚愕の色に染めた。

 

「ほっほぉ! 面白れぇ! この状況で、俺達と一戦交えようってか!」

「さっすが次席様! いつも俺達には真似出来ねぇことやってくれるね! やりたくもねぇけどな!」

「な、にを……! に、逃げて……!」

 

 震えながら、それでも声を絞り出す麗。そんな彼女を遮るように、下品な笑い声を上げるならず者達。彼らを射抜く和士の眼差しは――猛々しさをその奥に宿している。決して譲れぬという、決意の炎を。

 

「――悪意から人を守れないで、何がヒーロー。君は、そう言ったな」

「……!」

「その通りだと思う。R型よりG型の方が、荒事に向いているのは事実だ。――だがな」

 

 その姿勢のまま、一歩踏み出る和士。彼の気勢に触れてか――圧倒的な優位に立っていながら、男達は僅かにたじろいでしまった。

 

「武器の一つも持たないR型にだって――この拳がある。着鎧甲冑が持っている力は、武器の有無で危険か否かが分かれるような、生半可なものじゃない」

「……」

「――だからこそ。それをこんなことに使うこいつらを、許すわけにはいかないんだ!」

 

 さらに踏み出し、仇敵の目前に進み行く和士。その気勢に飲まれまいと、ならず者達は声を張り上げる。――だが、その言葉は和士をさらに焚き付けるものだった。

 

「ナ、ナメんじゃねーぞ! あんなカッペ野郎に遅れをとったエセエリートが!」

「あんなヤツに首席譲ってる時点で、てめーの威厳なんて高が知れてんだよ!」

 

 それが誰を侮辱している言葉なのか――と、和士が思考を一瞬だけ巡らせた瞬間。彼の脳裏を通う脳細胞がプチンと切れ、その眼差しにさらなる「殺気」が宿る。

 自分達が言ってはならないことを言った――と気づかない彼らは、その身が凍るような威圧感に触れて、無意識のうちに引き下がってしまった。

 

「――口に気をつけろ。あいつをバカにしていいのは、この世界で俺一人だ……!」

「ひ、ひっ……!?」

「バカヤロウ、ビビッてんじゃねぇ! どんなに粋がろうとあいつは生身! 着鎧甲冑を装備した俺達の敵じゃねぇ!」

 

「嘗めるなよ。前へ踏み出すこの一歩に、強いも弱いもない。勇気があるかないか、それだけだ!」

「……!」

 

 気圧されるあまり、物理的に有利な立場であるはずの間山が引き下がる。倉知はそんな彼を怒鳴りつけると、拳を鳴らしながら和士ににじり寄って行く。

 彼の言う通り、如何に気迫で勝っていようと、現実の腕力では向こうが明らかに上。自分に迫ってくる着鎧甲冑と対面し、和士は改めてそれを実感し、頬に冷や汗を伝わせる。

 だが、それでも。彼は恐れを顔に出すことなく、毅然と向き合って見せた。

 

「試してみるか? ――落ちこぼれ共ぉぉおぉおッ!」

 

「や、やめてぇえぇえッ!」

 

 そして――麗の悲痛な制止に、耳を貸すこともなく。その身を弾丸のように撃ち出し、彼は勝ち目のない戦いへと飛び込んで行く。

 効率的とは程遠く、海外の大学を卒業した秀才にあるまじき行い。その無謀窮まりない姿は、あの日垣間見た親友の「勇気」を追い掛けているようだった。

 

 ――が。

 

「わぁあぁあぁあ!」

 

 この緊迫した一瞬をぶち壊すような、間抜けな悲鳴が響き渡り――和士の目が点になる。

 

「へ」

 

 そんな彼が、思わず腑抜けた声を漏らしてしまった瞬間。同じく何事かと歩みを止めた倉知の頭上に――青い物体が激突した。

 悲鳴を上げる暇もなく、人の形をしたその物体の尻に押し潰された倉知は、瞬く間に意識を失い――着鎧を解除されてしまう。

 

「いったたた……! すげぇ性能だべな、これ。訓練用とは全然違うべ」

「海原……!」

 

 青い物体――否、口元をシールドで防護している蒼いヒーロースーツ「救済の超水龍」を纏う彼の、聞き慣れたその声色に触れ、和士は思わず声を上げてしまった。

 ほとんどの着鎧甲冑は人工呼吸を円滑に行うため、マスクの口元部分を唇型に設計してある。だが、この「救済の超水龍」は水中活動を意識して設計された特別製であり、口元は水の抵抗を左右に流すためのシールドで覆われている。

 久水茂からその資料を渡されていた和士は、彼の声と蒼いカラーリング、そしてその外見的特徴から瞬時に凪だと判断することが出来たのだ。

 

 ……訓練中に、暴走してここまで吹っ飛んできたしまった、ということも。

 

(大方、訓練用「救済の龍勇者」との性能差に対応出来ず、勢い余ってここまで跳んできたってところだろう。パワーだけなら、かの「救済の超機龍」にも迫るポテンシャルと書いてあったし……はぁ……)

 

 そんな大変な代物を預かるルームメイトの、その能力に見合わない間抜けな姿にため息をつく。俺の決死の覚悟を返せ、と愚痴るように。

 

「ひ、ひぃぃいい!」

「こ、この着鎧甲冑は……!?」

 

 だが、その口元は安堵に緩んでもいた。(事故とはいえ)一瞬で倉知を無力化してしまった謎の着鎧甲冑の出現に、間山は尻餅をついて怯え切っている。もう、彼らに逃げ場はない。

 麗もその見慣れぬ着鎧甲冑の登場に、驚愕しているようだった。

 

 思わぬ形で勝利をもぎ取ってしまった和士は苦笑を浮かべ、未だに状況が見えず左右を見渡している凪を見遣る。

 

「あれ? 和士くん? おっかしいべ、おらぁ、ついさっきまで校舎中央の訓練場にいたはずなんだども……」

「……はは、助かったよ。ありがとな、海原」

 

 そして、尻餅をついたまま辺りをキョロキョロしている彼に、困ったような笑顔を浮かべ――その手を差し伸べるのだった。

 



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第9話 頼りなくて頼れる相棒

 警視総監の娘を襲った、アカデミーが始まって早々の不祥事。二名の退学者を出した、その事件の翌朝。

 改めて視察を終えた橘花麗は、本島に向けた帰路に立とうとしていた。

 

「全く……大変な目に遭ったわ。今後はG型の護衛を大勢付けて来るようにしないと」

「すまなかった。君を保護しきれなかったのは、アカデミーの人間である俺達の落ち度――って、『今後』?」

「ええ、今後よ」

 

 アカデミー門前にて、彼女を見送ろうとしていた和士は、その言葉に目を丸くする。あのような辱めを受けた彼女が、もう一度アカデミーに来るとは思えなかったからだ。

 そんな彼の反応を予測していたのか、麗はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向く。その白い頬は、微かに桃色を帯びているようだった。

 

「勘違いはしないで。G型専門の学科を創設させるまでは諦められないっていうだけよ」

「あ、ああ、そうか」

「……まぁ。今のアカデミーにも、気概のあるヒーロー候補生はいるらしいし。今回の件の公表は、しないであげる。今アカデミーが潰れても、誰も得しないもの」

「……」

 

 この一件が外部に知られていれば、アカデミーは元より、救芽井エレクトロニクスにも責任が及んでいただろう。それで着鎧甲冑の生産ラインに支障が生じれば、G型専門の学科どころではなくなってしまう。

 自分に対する好意もあるとは知る由もない和士は、彼女がそのためだけに告発を取り止めたのだと判断し――彼女の思慮深さに感服していた。

 亡き兄の無念のために、そこまで戦えるのか、と。

 

「……凄いな。そこまで頑張れるなんて」

「べ、別に。私はただ、R型なんて信用できないだけよ!」

「おいおい、俺達を助けたのもR型だったろうが」

「あの新型が? あんな速度で落下して着鎧甲冑に激突しても、傷一つ付かない強度を持っているのに、対人用じゃないだなんて……」

 

 ――「救済の超水龍」の「基本形態」である、蒼いヒーロースーツ。あのスーツの強度は、かの「救済の超機龍」にも匹敵する耐久性を保持しているという。

 「救済の超機龍」の装着者は、その性能と自らの格闘能力にものを言わせ、着鎧甲冑の悪用を目論んだ勢力を悉く拳で打ち倒してきたと言われている。

 だが、「救済の超機龍」も「救済の超水龍」も、決して戦うためだけに生まれた力ではない。

 

「それが、本来あるべき姿なんだよ。着鎧甲冑は」

「……ま、いいわ。じきに父さんと私で、G型の性能も底上げさせて見せるんだから。見てなさい、伊葉和士」

 

 そう言い切ってみせる和士を一瞥し、麗は踵を返す。その頬を、微かに緩ませて。

 

「……R型、か。確かに、あれはちょっと……かっこよかったかも、ね」

 

 使用人が用意した黒塗りの高級車に乗り込む寸前。見送る和士の方へと振り返った彼女は、本人に聞かれないように、そう呟いた。

 例え生身でも、得物を持たなくても。体一つで危機に立ち向かう、あの勇姿を思い浮かべて。

 

「さて、と」

 

 やがて本島に向けて走り去る車が、見えなくなった後。踵を返した和士は――校舎内で、半べそをかきながら壊れた壁を修理している凪を見つめた。

 

 先日。

 起動実験を始めて早々、事件を聞き付けた彼は久水茂の制止も聞かず、足早に捜索を始めたのだが――「救済の超水龍」のパワーを制御し切れず「基本形態」のまま、アカデミー中をあちこち跳ね回り、和士達のところに墜落するまで様々な場所を破壊していたらしい。

 幸いそれによる怪我人は出なかったようだが、当事者の凪が責任を持って、壊した壁や施設の修理に奔走することになったのである。

 

 ――確かに、今回における彼の行動は単なる暴走に他ならない。だが結果的に、それによってアカデミーの秩序が守られたことも事実だった。

 彼が事件を解決しようと動き出していなかったら、今頃は和士は再起不能になるまで痛め付けられ、麗は純潔を穢されていたかもしれない。久水茂もそれを鑑みているからこそ、修理作業という罰で済ましているのだろう。

 

(やれやれ。教官に見つからないように、ちょっと手伝ってやるか。バディの失敗は、バディの責任だからな)

 

 類を見ないほど強く優しく、ポンコツな相棒。そんな彼の泣き顔を、苦笑混じりに見やりながら。

 少年は袖を捲り上げ、壊れた壁に近づいて行くのだった。

 



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第10話 美女と田舎っぺ

 ――二◯三二年、十二月。

 

 眩い輝きを放つ、東京の夜景。その光を放つ大都会と、冬季休暇を間近に控えたアカデミーを隔てる、極寒の東京湾。

 その深く暗く、冷たい世界の中を――藍色の方舟が駆け抜けていた。

 

 

「準備はいいな、海原!」

「いつでも行けるべ! 和士くん!」

 

 黒のライフジャケットと蒼い防水ズボンで身を固める、「超水龍の方舟」のパイロット――伊葉和士は、自分がいるコクピットの下で発進準備に入っている「救済の超水龍」こと海原凪に、出撃の合図を送っていた。

 紫紺のヒーロースーツとマスクで全身を固める凪は、「超水龍の方舟」の下部ハッチで出撃の瞬間を待ちわびている。

 

 そして――彼らが潜行を始めて、三十分。その時は、ついに訪れた。

 

『目標点に到達。「救済の超水龍」、射出せよ!』

「了解ッ!」

 

 通信機から響いてくる、アカデミー理事長・久水茂からの指令。それを耳にした和士は、コクピット内の赤く塗られているレバーを握り込む。

 

「……行くぞッ!」

 

 そして――意を決してレバーを引いた瞬間。ガコン、と大きな何かが外れる音が響き渡り――下部ハッチが開かれた。

 

「――『救済の超水龍』、発進するだ!」

 

 次の瞬間、前方に向かって打ち出された「救済の超水龍」の青い背が、和士の視界に映し出される。水を切り、魚雷の如く海中を直進していく親友の姿を見届けた彼は、間髪入れず青く塗られた二本目のレバーを手にかけた。

 

「増加装甲、発射!」

 

 その合図とともにレバーを引き――今度は潜水艇の側面から、蒼いプロテクターが次々と打ち出されていった。

 水流ジェットにより猛進する鎧達は、瞬く間に海中を進む「救済の超水龍」に追いつくと――磁石のように、その全身に張り付いて行く。

 そうして全てのプロテクターが「救済の超水龍」の一部となった瞬間。

 

『Setup‼︎ DolphinForm!!』

 

 「潜行形態」への二段着鎧を果たしたことを知らせる電子音声が、プロテクターから発される。――青い鎧を纏う、水中のヒーローはその音声を聞き取ると、背後から見守っている親友にサムズアップを送った。

 

『状況開始から着鎧完了まで二十秒弱、か。――訓練生にしては、頑張っているな』

「……ありがとうございます」

『参考程度に教えてやる。アメリカで試作一号機を運用しているレスキューカッツェのテストパイロット「フラヴィ・デュボワ」と「ジュリア・メイ・ビリンガム」は、十秒以上時間を掛けたことはない』

「……」

 

 ――だが、まだまだプロには及ばない。

 

 通信で冷淡に評価を下す茂の口からは、救芽井エレクトロニクス直属のエリートR型部隊「レスキューカッツェ」によるテストの結果が語られた。――今の和士達の未熟さを、知らしめるかのように。

 レスキューカッツェが所有している試作一号機と二号機はアメリカで運用されている。今現在、日本で和士達が運用している機体は試作三号機。性能で言えば、他の二機より優れているはずだった。

 にも関わらず、倍以上タイムに差をつけられている。その現実と直面した和士は、操縦桿を握る手を悔しさで震わせた。

 

(……訓練生だから仕方ない、とかじゃない。俺が上手くやれないと海原の出動が遅れることになる。そうなれば、救われたはずの命を見殺しにする羽目にも……くそッ!)

 

 ヒーローとして名を上げ、父の名誉を取り戻す。それが如何に大言壮語であるかを――数字という形で突き付けられた和士は、両手を震わせたまま目を伏せ、歯を食いしばるのだった。

 

 ……一週間後。

 世間がクリスマスで賑わい、海を隔てた先の大都会が、より一層活気を増すようになってきた頃。

 年末休暇を目前に控え、気を緩めた訓練生達が談笑しながら校内を往来する中――和士は一人図書室に篭り、「超水龍の方舟」の資料を熟読していた。

 

(来年の春には、俺も海原も卒業して正式なヒーローになる。……あいつは変人な上に田舎者だが、ヒーローとして大切なものを持っている。きっと大丈夫だろう。けど、俺は……)

 

 資料に視線を落とし、考えに耽る和士は憂いを帯びた表情で、今の自分を省みていた。

 プロどころか身近な親友にも敵わないまま、卒業の日を迎えようとしている。卒業すら危うい他の生徒から見れば贅沢な悩みなのだが、それでも和士は真剣だった。

 

(俺は……あいつのように強くない。けど……それでも。諦めるわけにも行かないんだ)

 

 ふと、和士は携帯に送られてきたメールに目を移す。そのディスプレイには、あの橘花麗から送信された文面が映されていた。

 ――夏の日の一件以来、プライベートでも度々交流するようになった二人は、こうして連絡を取り合うようにもなっていたのだ。それが原因で、和士が警視総監に目を付けらたりもしているのだが。

 

(麗……)

 

 そのメールには――ヒーローを目指す和士を素直に応援する、純情な少女の想いが綴られている。顔を合わせればつっけんどんな態度を取る彼女も、メールになると素直になれるらしく……和士を案じる旨の内容が、長々と書かれていた。

 一方で彼女自身も、G型学科を諦めてはいないようで――今日の夜に東京国際空港からアメリカ行きの三二一便に乗り、救芽井エレクトロニクス本社との交渉に発つとメールに記されている。

 

(麗も、頑張ってるんだよな……。なのに、俺は……)

 

 和士はそんな彼女の、相変わらずの強気な物腰に微笑ましさを覚える一方で――自分だけが置いていかれているような錯覚により、焦りを心に滲ませていた。

 

 凪は現在、救芽井エレクトロニクス日本支社で、現役のヒーロー達の下で研修を受けている。僅か数ヶ月で飛躍的に実力を伸ばしていた彼は、本来なら卒業後に受けられるはずの待遇をすでに勝ち取っているのだ。ナンバー2である和士は、未だにアカデミーから出られずにいるというのに。

 

 その現状は絶え間無く、取り残された和士の胸中を締め付けている。

 

(……ダメだ、こんな暗い気持ちのままでいては。そうだ、せっかくもうすぐ年末休暇なんだ。みなも村にこっそり行って、御歳暮を送りつけてやろう。きっと驚くぞ、あいつ)

 

 そこから、無理矢理にでも抜け出そうとして。席を立った和士は校内を歩く生徒達を一瞥すると、本棚の方へと足を運ぶ。日本地図が記されている書類が置かれた棚で足を止めた彼は、今年度の冊子に手を伸ばした。

 仰天してひっくり返る親友の姿を想像し、頬を緩めながら。

 

(夏季休暇の時にお中元でも送ってやろうとして、みなも村の住所を聞いたら、あいつにはぐらかされたんだよなぁ。郵便も届かないド田舎だから……って。だったら、こっちで調べ上げて直接持って行けばいい)

 

 ページをめくり、みなも村を探す和士。その胸に期待を膨らませる彼は、彼が生まれた地である場所を指先でなぞり――徐々に、その表情を曇らせて行く。

 

(え……?)

 

 ――ない。見つからない。本人から聞いた話では、その辺りで間違いないのに。

 凪は、つまらないウソをつくような男ではない。いや、彼はつまらないウソすらつけない。ならば、この地図がおかしいのか。

 半信半疑のまま、和士は手にしていた冊子を元の棚に戻すと、その隣に置かれていた前年度の日本地図を手に取った。

 

 そしてページを開き――同じ地点を探すと。「みなも村」という場所は、すぐに見つかった。

 東北地方の端の端。他の人里から遠く離れたその村を見付けることは、思いの外容易かった。

 

(……なんだよ、ちゃんとあるじゃないか)

 

 胸を撫で下ろした和士は満足げに冊子を戻し、ため息をつく。どうやら、今年度分だけ誤植があったようだ。確かにこんな小さな村、見落とされていても不思議ではない……のかも知れない。

 

 ……だが。

 

(――妙、だな)

 

 和士の心には、微かな違和感が残されている。彼は念のためにと、他の年度の冊子も確認したのだが……その全てに、「みなも村」は正確に記載されていたのだ。

 

 昨年から十年前まで、一度も欠かされることなく。なのに。

 ――今年度「だけ」、みなも村は地図から姿を消しているのだ。

 

(今までずっと記載されてきたのに、今年だけ忘れられるなんて……)

 

 そんなこと、あるのだろうか――と、和士は訝しむ。

 ――すると。

 

『Aクラス、伊葉和士。面会希望者が来られた。直ちに応接室に来るように』

「……面会?」

 

 自分の名がアナウンスされ、顔を上げた和士は思考を一度断ち切り――眉を顰めた。こんな時期に面会希望者が来るとは聞いていない。

 

 アカデミーに入る前まで――投獄された元総理の息子ということでメディアから注目されたり、強引な取材を受けたことはあった。その類が、とうとうアカデミーまで波及してきたのか。

 ――そう訝しむ和士は険しい表情で腰を上げ、応接室へと足を運ぶ。

 

「伊葉和士、入ります」

「……はい」

 

 だが、応接室の扉の向こうから聞こえてきた女性の声を聞き、ドアノブを押した和士は――その表情を驚きの色に一変させる。

 

「……こんにちは」

「き、君は……」

 

 テーブルと向かい合う椅子だけが置かれた、殺風景な応接室に居たのは。メモもカメラも持たない、報道関係とは無縁な人物だったのだ。

 だが――彼を驚かせたのは、そこではない。彼は、応接室で待ち続けていた女性――否、同い年くらいの少女に見覚えがあったのだ。

 

 ――雨が降りしきる入学式の日。橋に落ちた子供を救おうと凪が急流に飛び込んだ、あの一件。

 自分達が到着する前から、溺れている子供を助けようとしていた、あの少女だったのだ。

 

 腰に届く長さの、艶やかな黒髪。淡い桜色を湛えた唇に、透き通るような柔肌。出るところは出て、締まるところは締まっている滑らかなプロポーション。

 そんな女性の理想像を詰め込んだかのような容姿を持ち、大和撫子という言葉がまさに当てはまる、色白の美少女は――穏やかな面持ちで和士に一礼する。

 

「あの時の……」

「……はじめまして。では、ないかも知れませんけど……天坂結友(あまさかゆう)という者です」

 

 そう自己紹介する、彼女の黒い瞳は――か弱くも真摯に、少年の眼を見据えていた。その麗しい眼差しに、彼は思わず息を飲んでしまう。

 

(あの時は必死過ぎて気づかなかったけど……こ、こんな美少女だったのか)

 

 そんな和士の胸中にはまるで気づかないまま、少女は静かに口を開く。だが、ドギマギしながら椅子に腰掛ける和士は冷静な対応ができずにいた。

 

(にしても、この娘の顔……どこかで……? 気のせいか……? いや、それよりも!)

「この辺りで天坂って言ったら、もしかして……」

「……はい。父は天坂総合病院の院長でありまして」

「そ、そうなんだ……」

(こんな美少女な上に、あの天坂総合病院の院長の娘って――どんだけハイスペックなんだよ……!)

 

 一方。あの日以来一度も会っていないはずなのに、どこか既視感のある彼女の顔立ちに、小首を傾げてもいた。

 だが、それも次に飛び出た情報にかき消されてしまう。天坂総合病院と言えば、都内最大の敷地と規模を誇る病院だ。そこの令嬢ともなれば、身なりの良さにも説明がつく。

 

「……あの時は、本当にありがとうございました。身の程も弁えずに無茶なことをして……その挙句、アカデミーの方にまで多大なご迷惑をお掛けしてしまうなんて」

「い、いやいや。むしろ君が頑張ってくれていたおかげで、俺達も間に合ったんだし。そ、それに助けたのは海原であって、俺は結局何もできなかったし……」

「海原……そうですか、あの人は海原さんと仰るのですね」

「……?」

 

 そんな彼女は、ふと、和士が凪のことを口にした途端。パアッと表情を綻ばせ、和士の目を丸くさせる。

 今までの大人しそうな振る舞いから一転して、興味津々といった様子を見せる彼女は、興奮を抑えるように胸に掌を当てていた。

 

「君は、海原を尋ねてここへ?」

「はい……。伊葉さんのことは『元総理の息子がヒーローに』っていう当時のニュースを見て、すぐに知ったのですけど……あの日、あなたと一緒にいらした海原さんのことは、わからないままでしたから……」

(……それで俺を呼び出したのか。まぁ、そうだよな。あの時、命を張って彼女と子供を助けたのは、海原だもんな)

 

 さらにその頬は、ほんのりと桃色を帯びていた。はにかむようなその表情を目の当たりにして、和士はようやく悟る。

 ――子供ごと自分を窮地から救ってくれた凪に会いたくて、あの時彼と一緒にいた自分を尋ねてきたのだと。

 

 健全な男子高校生の性として、スタイル抜群の美少女とお近づきになった以上は、「そういうこと」を否応なしに期待してしまう。

 それゆえに、わかりきってはいても目当てが自分ではないという事実に、和士は微かに落胆していた。

 

「それで……あの……その、今日お尋ねしましたのは、海原さんのことを教えて頂きたくて……」

「そうか……。しかし、悪かったな。あいつは今、特別待遇で救芽井エレクトロニクスまで出向して研修を受けてる。アカデミーには、いないんだ。今日の夜には帰ってくると聞いてるんだが」

「あっ……そ、そうだったのですか。でも……凄い人なんですね、海原さんって! まだ卒業前なのに、プロのヒーローさん達と一緒に仕事してるなんて!」

「そ、そうだな……」

 

 だが、自覚があれば気を取り直すのも相応に早くなる。和士は愛想笑いを浮かべて凪のことを語る。その口から伝えられた彼の輝かしい活躍を聞いた結友は、見る者を虜にする華やかな笑みを浮かべ、和士の話に聞き入っていた。

 

 ――だが。和士の胸には、一抹の不安があった。それは、彼女が望むままに凪を紹介していいのか――ということ。

 ヒーローとしての海原凪を否定する気は毛頭ない。人柄も好ましく、能力も申し分ない。

 

(確かにあいつは、ヒーロー候補としては立派だと思う。申し分ない、と思う。けど、けどなぁ……)

 

 しかし。それほどの高評価を以ってしても、拭いきれない不安がある。それは、凪が非常識なまでに凄まじい田舎者である、ということだ。

 恐らく結友は、朧げにしか覚えていない海原凪という人物を、過剰に美化している。彼女の脳内に存在する命の恩人はきっと、現実とは掛け離れた姿になっていることだろう。

 

 そんな夢想に生きている彼女が。草履に着物、麦わら帽子という場違い極まりない格好で東京を闊歩する変人――もとい「現物」と対面しようものなら。卒倒は必至。

 到底、幻滅では済まされない。

 

「ま、まぁ、あいつが帰ってくるのは夜になるし。あいつには君のことも伝えておくから、そう遠くない日に会えるさ」

「そうですか……! ありがとうございます!」

(……あいつを無修正でこの子に会わせるわけにはいかない。次にこの子がここに来るまでに、あいつに常識的な振る舞いを叩き込まなくては……!)

「……伊葉さん?」

 

 人知れず決意を固め、拳を握り締める和士。そんな彼のただならぬ様子に、結友は小首をかしげるのだった。

 

 ――そして、その夜。

 トップアイドル「フェアリー・ユイユイ」も出演している流行りのバラエティ番組を、テレビでぼんやりと見ながら。和士が自室で頭を悩ませていると。

 

「ただいま帰ったべ〜! いんや〜、さすがにプロとの演習はキツかったべ。アカデミーの訓練とは全然違うんだべなぁ!」

「……」

 

 そんな事情など露ほども知らぬルームメイトが、相変わらずの能天気な笑顔で帰って来た。出会った頃から変わらない、いつも通りの振る舞いを前に――和士はさらにむすっとした表情になる。

 

「ん? どしただ、和士くん。あ、もしかしてお腹空いてるだか? へへ、そうだと思っていっぱいお土産買ってきただよ! 明日は休みだし、今夜はお菓子ぱーてーだべ!」

「……はぁ、お前なぁ……」

 

 アカデミー首席にして、最新鋭スーツ「救済の超水龍」のテストパイロット。そして、学生の枠を超えた、救芽井エレクトロニクスの研修生でもある。

 そんなエリートヒーローとしての肩書を根こそぎ台無しにしてしまう、その佇まいを前にして。結友の件で頭を抱えていた和士が、一言申そうと腰を上げた時。

 

 突如。

 

 緊急速報を伝える無機質な効果音が、テレビから響いてきた。

 

「……ん?」

 

 その聞きなれない音に気を取られた和士は、凪から視線を外しテレビ画面に目を向ける。そこには――緊急速報の内容が、テロップで淡々と流されていた。

 

「え……」

 

 その内容に――和士の顔が。凪の表情が。

 凍りつく。

 

 ――本日未明。乗客乗員合わせ、五百三十名を乗せたジャンボジェット機「三二一便」が、東京国際空港から太平洋上を移動中、消息を絶った。

 機長との通信記録によると、操縦不能に陥ったという情報もある。

 

「こ、れって」

 

 ……そこまでの内容を記したテロップが、淡々と繰り替えされていた。

 司会者や出演者達が陽気に笑い合うバラエティ番組の最中に流された、その情報に――和士は目を剥き、文字の一つ一つを凝視する。

 

 そして、幾度か繰り替えされたループを終え、ようやくテロップが消えた瞬間。元通りになったテレビには目もくれず、和士は充電器に繋いでいた携帯に飛び付き――メールを開く。

 

『――私も今夜の三二一便で、アメリカに発ちます。あなたの勇気に、負けないように』

 

 その内容は――間違いであって欲しい、という和士のささやかな願いを。跡形もなく打ち砕いてしまった。

 

「うそだろ、うそだよな」

 

 譫言のように呟く和士。だが、嘘ではない。

 すでにテレビでは番組が中断され――どのチャンネルでも、この大事件を取り上げた緊急ニュースが放送されるようになっていた。

 

「……麗!」

 



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第11話 本当の名誉

「そ……そんな!」

「おら達、出ちゃいけねぇってか!?」

 

 三二一便が行方不明となった事件は、すぐさま全国に広まった。今、日本全土がこの未曾有の大事件に騒然となっている。

 そんな中。和士と凪はすぐさま、ダイバーシステムのユニフォームである黒のライフジャケットと青の防水ズボンに着替え、理事長室に向かい出動命令を求めていたのだが……。

 

「当然だ。君達は所詮、候補生というヒヨッコに過ぎん。このような案件を任せられるはずもなかろう」

 

 にべもなく、久水茂から却下されていた。その取りつく島もない物言いに、凪は眉を吊り上げて反論する。

 

「だども! 現場は海の上だべ! 『救済の超水龍』なら、三二一便の経路を辿って機体を探せるはずじゃねぇべか!」

「すでにアメリカ側から、試作一号機に出動要請が出されている。君達が無理に出ずとも、彼女達が解決してくれるだろう」

「三二一便が行方不明になったのは、空港を発ってからたった一時間後だって話だべ。そんだけしか経ってねぇから、日本にいるおら達から探した方が早えぇだよ!」

「――『救済の超水龍』は、着鎧甲冑の革命となりうる重要機密だ。素人に毛が生えた程度のテストパイロットが、やすやすと乗り回せるものではない」

「……!」

 

 食い下がる凪に、容赦のない眼光を向ける茂。その有無を言わせぬ眼差しに、凪は納得いかない、という表情を浮かべる一方で、次の言葉を紡げずにいた。

 そんな中……和士は。

 

(確かに、テストパイロット風情の俺達には正規パイロットのような信頼も技術もない。下手なことをされて壊されるよりは、引っ込ませた方がいいのだろう。……「救済の超水龍」は、この先多くの人命を救うレスキューヒーローの、礎になるんだから)

 

 茂の意図を汲んだ上で。

 その拳を、震わせていた。

 

「……だったら、おら達は何のためにここさ来ただ。一つでもたくさんの命さ助けるために、ここにいるはずだべ。今ここにある『救済の超水龍』は! アカデミーの威光さ飾る置物でしかねぇってか!?」

「――君がなんと言おうと。ワガハイは言葉を変えるつもりはない。あくまでも逆らうというのであれば、このアカデミーを立ち去ってもらうのみだ」

「……!」

 

 そんな和士の無念を代弁するかのように、凪は声を荒げるが――茂は答えを変える気配を見せない。彼が出した言葉に、和士は唇を強く噛みしめる。

 それはヒーローとしての「名誉」を追い求めてきた和士にとっては、決して堪えられない処罰だからだ。

 

「……行こう、海原」

「和士くん!?」

「失礼……しました」

 

 引き下がる気配のない凪の腕を強引に引き寄せ、和士は踵を返して理事長室を立ち去って行く。そんな彼の背中を、茂は冷ややかに見送っていた。

 

 やがて――理事長室を出た二人が、自室近くの廊下に出たところで。凪は和士の手を振りほどくと、眉を潜めてルームメイトの肩を揺さぶった。

 

「和士くん! このままじゃ麗ちゃんが危ねぇって、言ってたじゃねぇべか! なして顔さ背けるだ!?」

「……俺達は、ヒーローとしての名誉を勝ち取るために、ここまでやって来たんだ。その全てを、無駄にはできない」

「だども!」

「海原。お前だって、村の仲間達を救う名誉を欲してここに来たんだろう? だったら……応えてやれよ。村の期待に……」

 

 肩を掴む親友の手に、掌を乗せる和士。その手が震えていることに気づいた凪は、彼の胸中に渦巻く葛藤を悟る。

 

 ――見捨てたくなど、ない。それどころか事件を知った瞬間、いの一番に動き出したのは和士だった。

 

 だが……助けに行くことは久水茂に逆らうということであり。それは、アカデミーを退学するということに繋がる。

 それは、父の名誉を取り戻すために戦ってきた和士にとって、絶対にあってはならない結末なのだ。しかも、故郷の命運を背負っている親友の人生まで狂わせてしまう。

 

 ならば――例え、望み薄であろうと。アメリカ側から始まっている捜索の成果に、賭けるしかない。追い求めてきた栄光を、手放さないためにも。

 

「……」

 

 そう思い詰めながら、凪の言い分を否定することもできず。和士は真摯な眼差しから目を背け、悲痛な面持ちで明後日の方向を見ていた。

 そんな彼の痛々しい姿を目の当たりにした凪は――肩から手を離すと。暫し、神妙な面持ちのまま、親友の様子を見つめていた。

 

「……やっぱ和士くん、嘘つきだべ。本当にそう思ってるなら、そんな顔してるはずがねぇだ」

「……」

「なぁ、和士くん。名誉名誉って、いつも言ってるけども。その名誉って、誰のためのもんだか?」

「え……」

 

 やがて開かれた凪の口から、語られた言葉。その意味を思案し、和士は顔を上げる。

 責めるわけでも慰めるわけでもない。ただ静かに――それでいて、反論を許さぬほどに強く。凪の眼差しが、迷いに囚われた和士の瞳を射抜いていた。

 

「お父さんのため? そうやって勝ち取った名誉を、和士くんは……胸張って誇れるだか?」

「そ、それは……」

「確かにおらは村のためにアカデミーさ来ただ。だども、おっ父からは自分に胸を晴れる生き方をしろ、とも言われてるべ。――おらは、おら自身に誇れるものが『名誉』だと思ってるだ。自分にすら誇れないものを、人に見せびらかせるわけがねぇべ」

「……!」

 

 凪の言葉に、胸中に潜む矛盾を暴かれ――和士は目を剥き、彼の眼差しと向き合う。まるで助けを求めているかのような、その瞳を見つめ。凪は、言葉を紡いで行く。

 

「だから、おらは助けに行きたい。例え、それが悪いことなんだとしても。……だって、そげなことであの飛行機さ見捨てたら――おら、みんなのとこへ胸さ張って行けねぇだよ」

「海原……」

「助けることが罪なら、おらが背負うだ。おらが和士くんを脅して、出動させたことにするべ。和士くんは――どうしたい?」

 

 その眼差しは、今まで和士が見てきたものとは全くの別物だった。何も考えていないような能天気な色など、どこにもない。

 心根に眠る真意を問う、何もかも見透かしているような瞳。その佇まいを前に、和士は嘘は言えないと悟り。

 

「俺、は……俺は!」

 

「うん」

 

「助けたい……たずげだいッ! たずげに――いぎだいッ! 俺も、いぎだいんだ、海原ァッ!」

 

「うん……うん」

 

 ――本当の自分を、吐き出し、垂れ流していく。プライドも何もかも剥がされ、本能に等しい真心を、丸裸にして。

 そんな彼の言葉に、優しく相槌をうつ凪は――少しずつ頬を緩め。涙も鼻水もそのままに、目を伏せる和士の頭を抱き寄せた。

 

「……聞きたかっただよ、その言葉」

「だげど、だげどっ……ぞれじゃ、お前がっ……!」

「さっきも言ったべ。おらの名誉は、おらに誇れるもんで十分だ。……それに。和士くんの名誉を、このまま汚させるわけにはいかねぇだよ」

 

 そして――自分の胸ですすり泣く親友の頭を抱いたまま。凪は神妙な面持ちで、「超水龍の方舟」を格納している地下ドックに目を向ける。

 体育館の下に隠された、その「切り札」を目指して。彼らは人知れず――行動を開始した。

 



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第12話 伊葉和士の戦い

「理事長! 地下ドックの『超水龍の方舟』が無断発進しております!」

「――そうか」

 

 夜の闇に包まれた、アカデミーにて。

 理事長室に駆け込んできた年配の教官は、夏季休暇前に起きた事件以上の大不祥事に、滝のような汗をかいていた。一方で、実質的な最高責任者である久水茂は、涼しい表情でこともなげに答えている。

 

「これはアカデミーの信頼に関わる大事件です! 直ちに引き返すようにご命令ください! 万一のことがあれば、アメリカ本社からも何らかの制裁が……!」

「君が言って聞かなかったのであれば、ワガハイが言ったところで変わるまい。放っておけ」

「し、しかし!」

 

 声を荒げる教官を一瞥する久水茂は、部屋の灯りを浴びるスキンヘッドを輝かせ、静かに窓からドックが隠された体育館を見下ろしていた。そこではなく、それよりも遠いどこかを見ているような彼の眼差しは――微かな憂いの色を帯びている。

 

「……罪であろうと助けることを選ぶか。よからぬところまで奴に似おって」

「理事長……!?」

「テストパイロット達には、ワガハイから然るべき処分を下す。君は何も心配するな」

 

 彼はそれ以上何かを語ることなく――「下がれ」と言わんばかりに手を振った。それを受けた教官は、腑に落ちないといった表情で理事長を後にして行った。

 やがて独りになった茂は、足音が消えたことを確かめると――深くため息をつく。その脳裏には、自分の信ずる正義のみに邁進した盟友の姿が過っていた。

 

「……どうもああいう手合いには……この『役職(ヒーロー)』は、長続きせんらしい……」

 

 そうして、彼が独りごちた時。

 アカデミーを擁する人工島から、遥か彼方に離れた大海原の下を――

 

『和士くん、前方に岩礁多数! このままじゃぶつかるべ!』

「回り道してる暇はない! このまま突っ切る、捕まってろよ!」

『わかっただ!』

 

 ――蒼い潜水艇が、魚雷の如き速さで猛進していた。前方に聳える岩礁の数々を、恐れることなく。

 親友の決断と勇気に身を委ねる凪に対し、和士はモニター越しに強く頷いて見せると……意を決したように操縦桿を正面に倒す。

 パイロットの判断に忠実に従うマシンは、その操縦に応じるようにさらに加速していく。和士の目に映る海中の景色が、岩礁の暗闇に染まりかけた瞬間――彼らの「戦い」が幕を開けた。

 

「……ぉぉおおぉお!」

 

 恐れに屈しまいと叫ぶ和士は、操縦桿を一気に捻り「超水龍の方舟」の軌道を変える。水を切り裂くスクリュージェットが唸りをあげ――掠める寸前のところで、船体の向きを微かに変えた。

 僅かでも、船体が岩礁に触れるか。触れないか。その僅差の中で、和士はあくまで「最速」で機体を探し出すことに専念していた。並み居る岩石の山々を、最小限の機動でかわしながら――潜水艇は蒼き水龍が如く、海中の闇を縫うように突き進む。

 

 その巧みな操縦技術により、岩礁地帯を切り抜けたのは……最初の回避行動に入ってから、僅か三十秒後のことだった。

 

『やったべ和士くん!』

「……ヌカ喜びしてる暇はないぞ、海原。三二一便が連絡を絶ったポイントにはもう着いてるってのに――機体の影も形もない!」

 

 すでにコクピットに搭載された電子マップには、三二一便の予定航路がインプットされている。和士はそのルートを辿りながら、音波探知レーダーで異物――すなわち機体を捜索していた。

 

(やはり連絡が付かなくなってから、すぐに墜落したわけじゃないみたいだ。不味いぞ……あまりにも予定航路から離れ過ぎたところにまで行かれていたら、探しようがない!)

 

 広大な太平洋の中からジャンボ機一つを探し出すなど、本来なら砂漠から砂金一粒を見付け出すようなもの。本来その機体が通過するはずだった予定航路という手掛かりが使い物にならなければ、そもそも捜索自体が不可能になる。

 仮に見つかったとしても、その頃には……。

 

(……挫けるな。泣くな。諦めるな! まだ俺達は、何も守れちゃいないんだぞ!)

 

 思考を断ち切らんと、和士は強く左右に頭を振る。操縦桿を握る手がわなわなと震えても――動揺に、瞳が揺れても。心の最後の一線は、戦い続けている。

 

 ほんのわずかな兆候も見逃すまいと、彼はレーダーを凝視する。瞬きする間も惜しみ、滴る汗を拭うこともなく、ただ真っ直ぐに。

 

 その戦いが――二十分に渡り続いた時。

 

「……!?」

 

 ――和士の目が、違和感を捉えた。

 

 レーダーに映る、微弱な波。その蠢きは、何もない海中を進み続けてきた「超水龍の方舟」に確かな「兆候」を見せている。

 この静寂を打ち破る、「兆候」を。

 

(これは……!)

 

 明らかに不自然な反応を示す、そのレーダーに和士の目線が釘付けにされる。電子地図によれば、その方向は数十キロに渡って何もない水平線が広がるのみであり、レーダーに反応するような異物は一つもないはずなのだ。

 あるはずのない場所に、ないはずの反応がある。例えそれが、微弱なものであっても――賭ける理由としては十分であった。

 

「海原! 十時の方向に反応があるぞ! 機体が不時着した跡かも知れん!」

『ほんとだか!? すぐ向かってくんろ!』

「ああ!」

 

 墜落という可能性は、敢えて考えず。不時着と言い切り、和士は操縦桿を左に切る。大きく唸りを上げる流線型の船体は、その意思に沿うように水を切り、進路を変えていく。

 

 ――そして。微かな希望を託し、三二一便の航路から大きく離れた地点へと。

 二人は、迷うことなく突き進んでいく。

 

「……! あ、あぁ……!」

 

 それから、僅か数分。

 彼らの眼前に――小さく。

 

 真っ黒な異物の影が現れた。

 

『和士くん、間違いねぇだ! 三二一便だべ!』

「やった……見つけた! 見つけたぞ海原! 俺達やったんだ!」

 

 視認しにくくはある――が、そのシルエットは紛れもなく飛行機。そして、影の大きさはまさしく――ジャンボ機のそれであった。

 賭けに勝ったことを確信し、和士達は歓喜の声を上げた。機体は水上に漂っている状態である上、原型もしっかり保たれている。

 奇跡的に着水に成功したのだろう。コクピットに積まれた生体反応レーダーでは、無数の点が機体の位置で光を放っていた。

 

『和士くん!』

「ああっ!」

 

 和士はすかさずこの情報を救芽井エレクトロニクス日本支社と、アメリカ本社へと送信。次いで、現在出動している捜索隊にもシェアした。

 ――情報は回った。この場に救助が駆けつけてくるのも、時間の問題だ。

 

(よかった……麗、本当に……!)

 

 そこまでの処置を終えたところで。和士は緊張の糸がほどけたように肩を落とし――その頬を、安堵の涙で濡らす。

 そんな親友の様子を、息遣いで察した凪は、何も言わずモニターの電源を切る。男の涙など、人に見せるものではないからだ。

 

(……ま、これで一件落着だべな。あとは、おら一人で罰さ被れるように、うまく理事長先生に説明しねと……)

 

 自分の出番がないままに終わりそうなことに胸を撫で下ろしつつ。凪は頭の後ろに手を組み、海上を漂う機体を静かに見守っていた――が。

 

(……ん?)

 

 その目が。機体の最後方――尾翼付近に留まる。彼の目には――機体が、そこから徐々に傾き始めているように見えていたのだ。

 

(――波で機体を揺らされて、機体の自重が掛かる場所が一箇所に集まってるだか!?)

 

 今現在、三二一便の機体は水平に海上に乗ることで自重を分散させ、浮力により今の体勢を維持している。

 もし、何らかのはずみ――例えば波で――この体勢が崩れ。大勢の乗員乗客を乗せたジャンボ機の重みが、機体のどこかに集中するようなことがあれば……。

 

『まずいだ和士くん! このままじゃ……!』

「えっ――!」

 

 それに勘付いた凪が、声を荒げ。聞きなれない親友の声色に、和士か思わず顔を上げた瞬間。状況が――動いた。

 

 それまで水平に漂った状態を維持していたはずの機体は――まるで、引き摺り込まれるかのように。

 機体後方から、海中に沈み始めたのだ。

 

 刹那――離れていても伝わるほどの悲鳴と絶叫の嵐が、水の波紋を通じて「超水龍の方舟」まで響いてくる。

 

「そ、そんなッ!?」

 

 凄惨な叫びに突き動かされるように、和士は目を剥き眼前の光景に驚愕する。ゆらゆらと水面を漂っていたはずの機体のシルエットが、海底という永遠の闇に飲まれようとしていた。

 

『和士くん、おらを出して! 助けが来るまで、「救済の超水龍」のジェット推力で機体さ押し上げるだ!』

「なんだって!? 無茶だ! いくら『救済の超水龍』のパワーが凄いったって、限度がある! いくら浮力もあるからって、あんな大きなモノ……!」

『やるしかねぇんだ! 和士くんッ!』

 

 この押し問答が続いている間にも、機体は下へ下へと引き摺り込まれている。このままではやがて、水圧で機体がひしゃげ、そこから浸水し……。

 

「――すまん、海原ッ!」

 

 断腸の思い。その苦みを噛み締めながら。和士は赤塗りのレバーに手を掛ける。

 

『……任せてけろ、和士くん』

 

 だが、凪はそんな彼の冷静さを欠いた行為を、咎めることなく。シールドで防護されたマスクの位置を手で直し――眼前に広がる夜の海に視線を移す。

 一瞬で視界を埋め尽くす闇。その暗黒に包まれながらも彼は――恐れることなく水を蹴り、前方に直進して行った。

 

「増加装甲、発射ァァ!」

 

 その様を見届けた和士の手で、青い二本目のレバーが引かれる。打ち出されたメタリックブルーのプロテクターが、次々と「救済の超水龍」の青いヒーロースーツに張り付いて行った。

 

『Setup!! DolphinForm!!』

 

 彼の全身に纏わり付いていく鎧。それが完成形へと達した瞬間、電子音声が二段着鎧の完了を宣言した。

 その感覚を確かめるように両腕を振るった後――凪は水流ジェットの勢いを得て、さらに三二一便に猛接近していく。

 

 彼の勇姿は――窓から海中の闇を目の当たりにし、絶望していた人々の眼にも焼き付いていた。

 

「おい、あれ見ろ! もしかして着鎧甲冑じゃないか!?」

「助けに来てくれたの!?」

「おぉぉおい! ここだぁあぁあ!」

 

 窓一枚に隔てられ、命を繋いでいる人々は暗闇の中で目を光らせる「救済の超水龍」の姿を目撃し、口々に叫ぶ。

 このスーツが民衆の目に触れたのはこれが初めてだったのだが――誰一人、そんなことを気にしている気配はない。皆、助かることだけに必死なのだ。

 

(あ、あれ、は……!)

 

 絶望だけに支配されかけていた闇の中に、差し込まれた一筋の光明。その輝きが照らし出す「潜行形態(ドルフィンフォーム)」のシルエットに――橘花麗は目を奪われる。

 そして――兄と同じ運命を辿ろうとしていたこの一瞬を、変えようとするその姿に――あの少年の面影を重ねていた。

 

(来て、くれたの……!? 和士!)

 



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第13話 願いはただ、蒼い海へ

「ぐお――ぉおぉおぉおッ!」

 

 水流ジェットの噴射と、浮力を頼りに。「救済の超水龍」は自身の数十倍のサイズを誇るジャンボ機を突き上げていた。

 両手だけではなく、顔面や胸も機体に押し付け、体全体の力で押し上げて行く。全力噴射の勢いと重々しい機体との間で板挟みとなり、凪は呼吸困難に陥っていた。

 だが、それでも手の力が緩むことはない。まるで、進んで自分の首を絞めるかのように――彼はますます、ジェット噴射を強めて行く。

 

「海原……!」

 

 ろくに息もできず。上と下に挟まれながら、全身の力を、ただひたすら上方に捧げる。いつ終わるかもわからない、苦しみの中で。

 見ているだけで伝わるほどの壮絶さを前に、和士は息を飲む。――自分が「救済の超水龍」だったなら、三十秒も持たず力を緩め、ジャンボ機の圧力に押し負けていた。

 そんな過酷な戦いを、彼はもう五十分以上も続けて居た。常人には、堪えるどころか想像することすら遠く及ばない次元である。

 

(――ちくしょう! まだか、救助隊はまだなのか! このままじゃ海原が!)

 

 レーダーは、数多の「異物」が大挙してこの場を目指し、押し寄せていることを示していた。だが、海上に上がって辺りを見渡しても、影一つ見えてこない。

 この太平洋の大海原は、忌々しいほどに広いのだ。

 

 ――そして、その広さは残酷なまでに凪を追い詰めて行く。

 

「……く、ぐっ……」

 

 水流ジェットの残りエネルギーも、凪自身の余力も少ない。すでに彼の両腕は筋肉が悲鳴を上げたように痙攣し、背中から引っ切り無しに吹き出し続けていたジェット水流も、その勢いが弱まりつつあった。

 ――このままでは、間違いなく共倒れだ。

 

「凪! もういい脱出しろ! そんなところでエネルギー切れにでもなったら、ジャンボ機に押されてお前まで……!」

『でぇ、じょうぶ……まだ、行けるだよ』

「大丈夫なわけがあるか! 逃げろ、逃げろよ! 逃げてくれぇッ!」

 

 せめて凪だけは救いたい。矜恃も誇りも全て投げ捨て、最後に残った友情だけを頼りに、和士は泣き叫ぶ。

 だが、凪はそれでも引き下がらない。スーツから警告音が響き、視界が赤く明滅しても――その手が機体から離れる気配はなかった。

 

 救助隊は、目と鼻の先。海の上から辺りを見渡せば――ほんのわずかだが、ヘリや救助艇の影が窺える。

 しかし――海の中からジャンボ機を引き上げられるような装備は、彼らにはない。救助隊が用意しているものはすべて、海の上に浮かぶ要救助者に対応しているものだ。

 

 今まさに沈もうとしている、巨大な棺桶に囚われている人々など、想定に入っていない。

 

(――くそッ! これじゃ助けにならないじゃないか!)

 

 救助隊の詰めの甘さ。自分の非力さ。そこに向かう憎しみをぶつけるように、和士は両手の拳を機材に叩きつける。だが、それで状況が好転するわけではない。

 

 そして――ついに。

 

「キャアァアア! み、水、水がぁあぁあ!」

「出してくれ! 助けてくれぇえ! 出してぇえぇえッ!」

 

 水圧によりひしゃげた部分から、海水が容赦無く機内に流れ込んでくる。その濁流に慄く人々の悲鳴が、波長となって凪達に轟いた。

 

(父さん、母さん……お兄ちゃんっ……和士っ!)

 

 声にならない、麗の叫びも添えて。

 

「……ッ!」

 

 その阿鼻叫喚の嵐を聞いた彼の胸中に――ある記憶が蘇る。

 波に飲まれ、消えゆく人々。その中にいた、彼の――

 

「――ぐぁぉあぁあぉあぁあぁあッ!」

 

 そこからの彼は、もはや人ではなく。獰猛な獣の眼で、立ちはだかる苦難を射抜いていた。慟哭のような叫びと共に――水流ジェットが唸りを上げる。

 

 ――それはまるで、断末魔のように。

 

 後先のことなど、まるで考えない水流ジェットの全力噴射。自分が離脱するための残量さえ無視した、その一点集中の加速は――闇の中に消えゆくはずだった五百三十人の運命に、転機を齎した。

 

「わぁあぁあ! な、なんだよぉ! どうなってんだ!」

「お母さぁあん! 死にたくないよぉおぉお!」

 

 浸水により腰まで浸され、迫る溺死の運命に誰もが慄いていた時。突如機内が激しく揺れ、上方に向かって突き進んでいく。

 その物理法則に抗った現象と衝撃により、人々のパニックはさらに加速していった。騒ぎ立てることなく、静かに祈りを捧げていた麗も、思わず顔を上げる。

 

「え……!」

 

 その時には、もう。

 

 目に映る景色は、闇の中ではなくなっていた。

 

「へ、へへ……おっとう、おら、やっと……」

 

 三二一便の海面浮上。その瞬間を見届けた少年は、バイザーの向こうに広がる水飛沫と波紋を見つめ――穏やかな笑みを浮かべ、瞼を閉じた。

 

『三二一便発見! 機内に多数の生存者を発見!』

『機内はかなり浸水されているようだ……急げ!』

 

 一方。

 天を衝く水飛沫を上げ、海面まで突き上げられた三二一便の乗員乗客を出迎えたのは――眩い証明で自分達を照らす、無数の救助艇とヘリ部隊だった。

 彼らは三二一便の機影を発見するや否や、怒涛の勢いでこの場に駆けつけ、迅速な救助活動を開始したのだ。ようやく助けが来たのだと理解した人々は、歓喜の涙をその頬に伝わせ、泣き崩れていく。

 

「おい! 警視総監の御息女がおられたぞ!」

「麗お嬢様、よくぞご無事で!」

 

 救助隊にはすでに麗の情報が伝わっていたらしく――水浸しになった彼女の姿を発見した救助隊員達は、優先的に彼女の側に駆けつける。

 だが――麗はそこから動くことなく。割れた窓から、暗い海面を静かに覗き込んでいた。

 

「お嬢様……? いかがされましたか?」

「ここも危険です、お急ぎください!」

 

 その様子を見やる救助隊員達に急かされても、彼女はまるで足に根が生えたかのように、その場に留まり続けていた。

 ――まるで。何か大切なものを、忘れてきたかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。

 

 現場から、遠く離れた海面に。「超水龍の方舟」の船体が、静かに漂っている。その上部ハッチの上に立ち、夜空を仰いで佇む少年が一人。

 

「……海原……」

 

 三二一便と引き離されて行くように、水底へと消えていった親友の名を、静かに呟いていた。弱々しく、消え入りそうなその声には――耐え難い悲しみと苦しみの色が滲んでいる。

 

 ――あの時。水流ジェットの推力を使い果たし、沈みゆく「救済の超水龍」を救助すべく、和士は「超水龍の方舟」を急発進させた。

 しかし、「潜行形態」の総重量は二百キロをゆうに超える。そのスーツが沈む速さも尋常ではない上、三二一便の機体が急速に海面まで押し上げられたことで発生した波が、和士の意に反するように方舟の行く手を遮ったのだ。

 

 結果、波が収まり方舟がその機動性を取り戻した頃には――すでに「救済の超水龍」は、レーダーの反応から消失していたのだった。

 

 それでも探そうとあがき続けた結果、帰りの燃料も失った彼は――結局こうして、親友を見つけられないまま、海の上へ浮上することになったのである。

 

 この約一年、いつも隣にいて当然だったはずの彼を失って――少年は、この事件が始まる少し前にあった出来事を思い出す。

 

 今にして思えばくだらない理由で、あの少女の純粋な想いを踏みにじってしまった――と。

 

(……会わせてやれば良かった……! 常識的な振る舞いがどうとかなんて、どうでもいいのに!)

 

 そうして、身動き一つ取れないまま海上に漂う彼の目に、数多のライトに照らされた三二一便が映る。その輝きに包まれながら、救助船に乗り込んで行く乗客達の中には――麗の姿もあった。

 

(麗……すまない、俺は、俺は……!)

 

 大切なものを守れる、強く優しいレスキューヒーロー。そうなってほしい、そうであってほしいと自分に願っていた彼女を、大きく裏切る結末だった。

 

 伊葉和士は、海原凪を――見殺しにしたのだから。

 

「海原っ……海原ぁっ……!」

 

 その罪の重さに潰れ、吐き出すかのように。蒼い船体に両手をついた彼は、泣縋るような表情で月を見上げる。

 

「……凪ぅぅぅうぅッ!」

 

 ――まるで。

 その向こうへと旅立つ彼に、行くなと訴えているかのように。

 

 

 

 

 

 

『……ったくよぉ。帰りのことなんてまるで考えねぇ無茶苦茶ばっかりしやがってよ。よくやるぜ』

 

「……!?」

 

 その時。聞きなれない声を通信で拾い、和士は涙を拭うことも忘れて顔を上げる。そんな彼の前に――月光を背に浴びる、もう一人の青きヒーローが現れた。

 自分が今乗っているものと同じ形状を持つ、二つ目の「超水龍の方舟」に乗るその人物は――傷だらけの「同胞」の肩を抱き、ぶっきらぼうな声を上げている。

 

 男のような喋り方ではあるが――その声色は紛れもなく、女性のものだった。

 

『……ふふ。けど確かに久水会長の仰る通り、あのお方によく似ておられますね? フラヴィ』

『悪いとこまで似てちゃ、こっちはたまったもんじゃねぇよジュリア。アメリカ側からこっちが探しに来てなけりゃ、この坊主は今頃――』

 

 ダイバーシステム試作一号機のテストパイロット「フラヴィ・デュボワ」と「ジュリア・メイ・ビリンガム」。

 目の前に現れたもう一人の「救済の超水龍」と「超水龍の方舟」の実態を、彼の脳が理解した時。

 

 彼女達の肩に抱かれている、ボロボロの「救助の超水龍」は――破片を零しながら、ぐったりしていた首を、「親友」に向けた。

 

「――ただいま、和士くん」

 

「――!」

 

 刹那。

 

 仮面に隠れてもわかる、「親友」の笑顔を感じて――独りになったと疑わなかった少年は。涙を拭うことも忘れ、声にならない歓喜を叫び。

 

 方舟から方舟へと飛び移り――その胸へと、飛び込んで行くのだった。

 



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第14話 「名誉」の代償

 ――事故から、数ヶ月が過ぎ――季節は再び、春を迎えようとしていた。

 時は二◯三三年。その新たな時代の中で、新たなヒーロー達が巣立とうとしている。

 

 ヒルフェン・アカデミー第一期生は、この日を以て卒業を迎えたのだ。桜の満開を待ちわびるかのような、暖かな風が吹き抜ける快晴の下――過酷な訓練をくぐり抜けたヒーローの卵達が、孵る日に向けて踏み出しているのである。

 

「卒業生代表、前へ!」

 

 その卒業生の名代を務めているのは――

 

「はい、伊葉候補生!」

 

 ――かつて次席の座に収まっていた、伊葉和士であった。

 彼は卒業生代表として、理事長である久水茂の眼前に立ち――全ての同期達の視線をその背に浴びて、卒業証書を受け取る。

 

「ヒーロー候補生、伊葉和士! 以下三百名の者は、本校の教育課程を修了したものとする! 貴殿らの、今後益々の活躍を祈る!」

「ハッ! ありがとうございます!」

 

 全ての教官と同期達の拍手を一身に浴びる彼は、神妙な面持ちで久水茂と視線を交わす。――その眼差しは強い決意を帯びて、真っ向から理事長の眼を射抜いていた。

 

 ◇

 

 ――あの三二一便墜落事故で、乗員乗客は一人も欠けることなく生還し、天坂総合病院に搬送された。現在、すでに半数以上が無事に退院している。

 

 この一件で、着水に成功したパイロットの腕ももちろんであるが、現場を早急に発見した「救済の超水龍」の活躍にも注目が集まっていた。

 

 それまで世に出ていなかった新型が、これほどまでに華々しいデビューを飾ったのだから、当然だろう。その試作三号機のパイロットとしてインタビューに応じた伊葉和士は、大勢の人々に英雄と称えられた。

 彼は、待ち望んでいた「名誉」を、ついに手にしたのだ。

 

 だが――彼と共に数多の命を救ったもう一人の英雄は。その表舞台に上がることはなかった。

 

 大勢の人命を救助したとはいえ、伊葉和士と海原凪の行為は、新型機であるダイバーシステムを勝手に運用した挙句、大破させる結果となった。

 その責任を背負う形で、海原凪は――退学処分となったのである。

 

 脅しという強制力によるものとする凪の主張を信じず、二人纏めて連帯責任で処分すべきと叫ぶアカデミー関係者は多かった。

 だが、久水茂は凪の言葉が和士を守るための虚言と見抜いた上で――人々を救ってくれた彼へのせめてもの礼としてその意を汲み、彼の発言通りに事を進め、一名のみの退学処分になったのである。

 

「お願いします! 凪の処分を取り下げてください! 俺は……俺は凪を犠牲にして得た『名誉』なんて、誇れない!」

「――それは、君が望み続けてきたものであろう。海原凪の名誉ならば、彼が望む形ですでに実現されている」

「されていません! あいつは……凪は、故郷を救うための『名誉』が必要なんです! みなも村の名を世に響かせるための、名声がッ!」

 

 その処分が下された直後。和士は床に頭を擦り付け、久水茂に直談判していた。しかし、スキンヘッドを煌めかせる彼の鋭い眼差しは、彼の懸命な訴えを聞いても揺らぐ気配を見せない。

 

「……その様子だと、何も聞いていないようだな」

「え……!?」

 

 そして、和士の訴えを根底から覆すように。淡々と――真実を語る。

 

 彼のふるさと――みなも村は。

 すでに、全滅していたのだ。

 

 東北の海の近くに築かれた、小さな村であるみなも村は――温暖化に煽りを受けた海面の上昇が影響し、徐々にその領域を侵されつつあった。

 相次ぐ若者の疎開だけではなく、村の面積まで失われつつある中。他の村や町で生き抜く術を知らぬまま歳を取った村民達は、唯一村に残っていた若者である凪を外界へ逃がし、自分達は村と心中する決断に踏み切ったのである。

 

 世間の誰にも、知られることなく。彼らは崖から海中へと消え行き――みなも村と共に、日本地図から姿を消し去ったのだ。

 村を見放すことなく、故郷を愛し続けたただ一人の若者――凪だけを、この世に残して。

 

 ――そう。日本地図からみなも村が消えたのは、間違いなどではなかったのだ。

 

「そ、んな」

「彼は全てを喪った。帰る場所も、帰りを待つ人々も。だからこそ彼は、『名誉』を求めてアカデミーの門を叩いたのだ。自分自身を、みなも村とその村民が存在していた証とするために」

「凪……」

「だが、その『名誉』は世間に誇るためではない。自分自身に誇るため――いつの日か家族の元へと逝く時、胸を張って誇るための『名誉』なのだ」

「……!」

 

 久水茂が語る、その背景に――和士は、自分自身が受けた言葉を思い返した。

 

『――おらは、おら自身に誇れるものが「名誉」だと思ってるだ。自分にすら誇れないものを、人に見せびらかせるわけがねぇべ』

 

『あの飛行機さ見捨てたら――おら、みんなのとこへ胸さ張って行けねぇだよ。助けることが罪なら、おらが背負うだ』

 

 過去に裏打ちされた言葉を振り返り、和士はようやく悟る。凪は、亡き家族に顔向けできる自分であるための「名誉」を求めて戦ってきたのだと。

 ――だから彼は。自らの名声を投げ捨て、和士を救う道を選んだのだと。

 

(凪……凪、凪っ……!)

 

 膝から崩れ落ち、涙ながらに親友の名を胸の内で呼び続ける和士。そんな彼の様子を一瞥する久水茂は、踵を返すと話は終わったと言わんばかりに立ち去って行った。

 

(誰かを救うために己を削り、それを信念とする――か。やはり、このような人種はヒーローには向かんな。己を傷付けるばかりでは、いつか倒れる。そうなれば、大切な誰かを守り抜くことはできん)

 

 最後に一瞬だけ。肩越しに、泣き崩れる少年の姿を見届けて。

 

(彼自身、それを理解していたからこそ――この男のヒーロー生命を生かしたのだろう。自分のエゴに他者を巻き込むことを、最後まで恐れていたこの伊葉和士ならば、自分自身も人々も守り抜く本当のヒーローになり得ると信じて……)

 

 ◇

 

 ――それから数ヶ月。晴れて卒業を迎え、ヒーローとしての一歩を踏み出した和士は今。

 揺るがぬ決意を宿した瞳で、自分に卒業証書を渡す久水茂を、射抜いている。

 

(……俺はもう、立ち止まりはしない。凪の戦いは正しかったのだと、俺自身が英雄になることで証明するためにも――最後の一瞬まで、俺は戦い続ける!)

 

 その瞳の色のまま、彼は踵を返して久水茂から視線を外す。そして自分を英雄視する全卒業生を見渡し、壇上から立ち去って行った。

 

(だって、凪がいてくれたからこそ、今の俺が在るのだから……!)

 

 誰にも知られることのない想いを溢れさせるように――その拳を握り締めて。

 

 ◇

 

 ――その後。式を終えた卒業生達は、ルーキーを迎えに現れた世界各国のヒーロー機関の使者に招かれ、それぞれの道へと歩み出して行く。

 トラックの荷台に載せられ、過酷な研修に臨む者。デビュー早々にVIP扱いを受け、リムジンで旅立って行く者。所属していたクラスによって格付けされていた卒業生達は、この時点からすでに扱いの差が現れていた。

 

「……」

 

 ――その一方。卒業生達の中でただ一人、海外のヒーロー機関に赴くことなく、救芽井エレクトロニクス日本支社の正社員として故国に居残ることになった和士は。

 同期達の旅立ちを一通り見送った後、一人静かに空を仰いでいた。平和を象徴するかの如く、青々と透き通る快晴の空を。

 

(……凪……)

 

 目に映る晴れやかな景色に、親友の底抜けの笑顔を重ねた時。彼の後ろに、二人の人影が現れた。

 

「……和士」

「麗、か」

 

 茶色が掛かった黒髪のセミロングに、透き通るような白い柔肌。お嬢様学校らしい純白の制服に袖を通した橘花麗の姿に、和士は僅か一瞬だけ見惚れていた。

 麗自身も――三二一便の件を経て、一皮も二皮も剥けた和士の面持ちに、熱を帯びた視線を送る。そんな二人の様子を、スーツに筋肉を隠した強面の男性が、交互に見遣っていた。

 

 アカデミーの中でも長身だった凪よりも、さらに頭一つ分ほど大きい彼は、値踏みするような視線を和士に送る。

 

「……君が伊葉和士君か。娘が、大変世話になっているな」

「あなたは……」

「申し遅れた。私は橘花隼司――麗の父だ」

 

 その実態は警視総監であり、麗の父でもある橘花隼司。そこいらのゴロツキなど足元にも及ばないほどの強面であり、全身から近寄り難い威圧感が噴出している。

 このような見た目でなくとも、その気勢だけで人を遠ざけてしまいそうな佇まいであった。

 

「まずは、命を賭して娘を……多くの人々を救ってくれたことに、父として警視総監として、例を申し上げたい。……ありがとう」

「私からも言わせて。和士……本当に、ありがとう」

「いえ、俺は……」

「――海原凪という少年にも、いつかそう伝えてくれ」

「……!」

 

 だが、そんな外見に反して、彼の口調は柔らかなものだった。報道規制されているはずの凪の名が出たことに、和士は思わず顔を上げる。

 

「隼人も――私の息子も生きていれば、君を慕っていただろう。あの子は、いつも言っていたからな。皆を守る、ヒーローのようになりたいと」

「うん……お兄ちゃんも、きっと和士のこと、気に入ってくれたよ」

「……そうですか。しかし私など、ヒーローと呼ばれる人々には遠く及びません。凪にも……」

「君自身がそう思うなら、その通りなのかも知れん。だが、君がいなければ娘は助からなかった。それだけは間違いないのだから――どうか、誇っていて欲しい。彼のためにも、君のためにもな」

「……ありがとうございます」

 

 苦笑いを浮かべつつ、和士は目を伏せる。そんな彼の様子を静かに見遣る隼司は、威厳に溢れた容姿とは裏腹な、穏やかな声色で語りかけてくる。

 

「……君の父とは、旧知でね。君と同じように私も度々、彼と面会していてな」

「えっ……?」

「彼は、涙ながらに喜んでいたよ。あの意固地で無愛想な息子が初めて、楽しそうに『友達』の話をしてくれたと」

「……」

「君の『友達』には……海原君には、彼も深く感謝していた。息子に笑顔をくれて、ありがとう、とな。――そんな彼がいて、君がいる。それが、この一件に奇跡を齎してくれたのだろう」

 

 そこまで語ると、隼司は腕時計を見遣り踵を返す。そんな父の様子を一瞥した麗は、名残惜しげに和士を見つめながら、その後に続いていく。

 

「さて。実は君に一目会いたいがために、仕事を抜け出してきたクチでな。そろそろ御暇せねばならん」

「また、ね……和士」

「ああ。――お元気で」

 

 去り行く彼らを身届けた和士は、再び視線を青空へと映し、独りごちる。

 

「……なぜ、俺なんだろうな。みんなを守ったヒーローは、お前なのに」

 

 そんな彼を見下ろす太陽は――この世界のどこかで旅に出ている、本当の英雄を見つめていた。

 小麦色に焼けた肌と、溌剌とした八重歯を持つ彼もまた。――帰る家も故郷も、帰りを待つ家族もいない、彼も、また。

 

「……へへ。こりゃ、いい釣り日和だべ」

 

 同じように――その輝きを見上げている。

 



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第15話 天坂三姉妹の悩み

『アカデミーから誕生した世紀のヒーロー、伊葉和士。彼がいなければ、今頃は尊い多くの人命が失われていたことでしょう。彼こそ、真の英雄です。今回は彼というヒーローを輩出した学び舎、ヒルフェン・アカデミーで取材したいと思います! 玄蕃(げんば)さん?』

『はい、こちら中継の玄蕃です! 今日は彼の活躍について大接近したいと思いますっ! まずはヒルフェン・アカデミーでの訓練風景から――』

 

 都内有数の高層マンション。東京の大都会を一望できる、その最上階に住まう一人の少女が――ジュースを片手に無防備な薄着姿で、大画面のテレビを観ていた。

 有名なキャスターやタレントが声を揃えて賞賛するヒーロー、伊葉和士。その背景を追う取材番組が放送されていたのだが――日本中が注目しているはずのその番組を観ている少女は、どこか腑に落ちない表情を浮かべている。

 

「……違うなぁ」

 

 芸術的なまでに整われた目鼻立ちに、透き通るような柔肌。艶やかな黒髪のショートボブに、見るものを虜にするであろう桜色の唇。

 そして――小柄な身長に反して、豊満に飛び出した双丘。その巨峰をたわわに揺らしながら、彼女はジュースを飲み干し、もう一杯注ごうと腰掛けていたソファから立ち上がる。

 

 すると――このリビングに繋がるドアを開くもう一人の美少女が現れ、テレビに視線を送った。そして、つまらなさそうに鼻を鳴らしている巨乳の持ち主に目線を移す。

 

「あれ? 結衣(ゆい)お姉ちゃん、この番組楽しみにしてたんじゃ……」

「ダメダメ。まぁた伊葉和士さんの特集ばっかり。アカデミーの様子も何度か映ってるけど、結友姉のお目当ての人が出てきそうにはないわ」

「海原凪さん、だよね。伊葉和士さんと入学式の日から一緒に居たんなら、ちょっとくらいテレビに出てきても良さそうなのに……」

「そう、それよそれ。結友姉を体張って助けてくれるくらいの人なのに、それらしい人なんてちっとも映らない。伊葉さんの人気にあやかろうとしてるハイエナ染みた奴らは、散々友達ヅラしてインタビューに答えてるってのに。……まるで、海原さんだけ意図的にハブられてるみたい」

「そ、それは……」

 

 苛立ちを募らせた表情でジュースのお代わりを注ぐ、結衣という少女は――その可憐な容姿に似合わない鋭い眼差しで、テレビ画面を射抜いていた。

 そんな彼女の殺気に当てられた、慎ましい胸の妹は「それは考え過ぎなんじゃ」と言おうとしていたのだが――その言葉が実際に全て声として出ることはなかった。

 

 ない、とは言い切れなかったからだ。テレビ業界を深く知り、インタビューに出ている人間の魂胆など容易く見透かしてしまう姉が、そう言っているのなら。

 

 ボブカットの黒髪と、人形のような白い肌を持つ、その平らな胸の妹は――己の絶壁に掌を当て、姉の表情を恐る恐る伺っていた。

 

「はぁ……結友姉は意中の人を見つけられない。あたしはそもそも出逢いがない。花の思春期真っ只中でありながら、春が来てるのは末妹の結花(ゆか)だけかぁ……」

「ゆ、ゆゆ結衣お姉ちゃん! 変なこと言わないでっ! (りく)とはまだそんな関係じゃっ……!」

「なぁに今更恥ずかしがってるの。両親公認のラブラブバカップルのくせに」

「ら、らぶらっ……!」

「今朝だって、早起きして弁当まで作って応援に行っちゃってさ」

「だ、だって今日から予選が始まるって張り切ってたんだもん……」

「はぁ〜……青春ねぇ……」

 

 ゆでだこのように真っ赤になりながら、結花は両手の指先を合わせて視線を落とす。そんな妹の姿を生暖かく見つめながら、結衣は溜息をついていた。

 

「ただいまー。……あら、お帰り結花。陸君の応援、終わったんだ?」

「結友お姉ちゃんもお帰り! そうそう! 陸、今日も一番だったんだよ! 顧問の先生も新記録だってびっくりしてて、スポーツ新聞からのインタビューもあったんだよ!」

「陸君、ちっちゃい頃から早かったものね。……ふふ、相変わらず自分のことみたいに大喜びね。結婚式はいつになるかしら?」

「……っ!? も、もう! 結友お姉ちゃんまでっ!」

 

 すると――今まで出掛けていたのか。彼女達の姉である天坂結友が玄関から顔を出してきた。意中の男子のことで喜んだり怒ったりと忙しい妹を、微笑ましげに見つめていた彼女は――結衣の無防備な薄着姿に、眉を吊り上げる。

 

「もう、結衣! 家の中でも上着くらい着なさいっていつも言ってるじゃない! はしたないわよ、高校生にもなって!」

「……いーじゃん別に。どうせこんなたっかいマンション、誰も覗いたりしないって」

「覗かれるか覗かれないか、って話じゃないの。あなたの身嗜みのことを言ってるのよ! ……はぁ。日本中のあなたのファンが泣いても知らないわよ、『フェアリー・ユイユイ』」

「お姉ちゃんはカタイなぁ。心配しなくたって、玄関一メートル前まで来たらスイッチ入るからさ」

「だからって家に帰ってスイッチ切れた途端、薄着になるのはやめて! それが無理でもノーブラとノーパンはやめて!」

「しょーがないなぁ……」

 

 恥じらいに頬を染めながら、結友は声を張る。そんなうぶな姉に溜息をつきながら、結衣は渋々パーカーを羽織るのだった。

 

「しょうがなくないわよ全く……ん? これって……」

「そ、伊葉さんの特集番組。この人と入学式に一緒に居たくらいなら、インタビューとかに出てくるかなって思ってさ。まぁ、全然手掛かりはなさそうだったけど」

「そうだったんだ……。ごめんね、心配かけて。結衣もせっかく久しぶりの休みだったのに」

 

 申し訳なさそうに目を伏せる姉に対し、結衣はひらひらと手を振りながらソファに寝そべると、テーブルのポテチに手を伸ばす。

 

「いーのいーの、どうせ家でゴロゴロする気だったし。パパもママも、三二一便の患者がまだまだいるから、遅くまで帰って来れないし。結友姉こそ、海原さんは見つかったの? 今日、アカデミーじゃ卒業式だったんでしょ?」

「……ううん。あちこち探し回ったけど、ダメだったわ」

「そっか……。残念だったね……結友お姉ちゃん。パパもママも、会ってお礼がしたいって言ってたのに」

「大丈夫よ、結花。海原さんには会えなかったけど、伊葉さんから聞いた話だと、今でもどこかで元気にされてるらしいから」

 

 心配げに瞳を潤ませ、上目遣いで姉を見つめる結花。そんな愛らしい妹の頭を撫でながら、結友は慈愛に溢れた笑みで答えて見せる。

 

「元気ならいいんだけどさー。それならさっさと見つけて捕まえて結婚までこぎつけてよね。そんでブーケちょうだい!」

「け、けけけ結婚!? ま、待ってよ結衣! わ、私達お付き合いどころか、まだちゃんとした面識もないのに……!」

「実物に一回会ってるんだから、写真だけ交換していきなり結婚話に移るお見合いよりマシでしょ。ねぇいいじゃん、あたしも出逢い欲しいのー!」

「現役トップアイドルが何言ってるのっ! 今年度から仕事も増えるんでしょ!」

「大丈夫だよー、マネージャーやプロデューサーなんてあたしがちょっと甘えたら、いくらでもスケジュール調整してくれるんだからぁ」

「そんな不正は許しませんっ!」

 

 その一方で、もう一人の妹のからかいに顔を赤らめ、憤慨するのだった。脳裏に浮かぶ、あの日感じた青年の温もりを想いながら。

 

 ――そんな和気藹々とした三姉妹の団欒が続くこのリビングには。天坂結衣こと「フェアリー・ユイユイ」の年間スケジュール表が飾られている。

 

 その一部には、こう書かれていた。

 

『二◯三三年八月二十日、屋久島でグラビア撮影』

 



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第16話 父へ、母へ、妹へ

 ――肉の焼ける嫌な臭いが、鼻につく。人のものか、動物のものか判断がつかないほどにくぐもった呻きが、耳に響く。

 目に映る景色は闇と炎ばかりであり、それを除けば折れた木々や砕かれた無機物の山くらいしかない。……いや、本当はそれだけではないのだろう。単に、見えていないだけだ。

 

 微かに、助けを求める声も聞こえてくる。断末魔のような絶叫も、稀にだが……聞こえる。だが、いつまでもは続かない。

 いずれはその声も消えてなくなり、静かになる。いつも最後はそうだった。理由など、考えたくもないが。

 

 ――そんなことばかりが、目の前で絶えず繰り返されている。いい加減飽きた、と言いたいが……これを止める術などありはしない。自分自身も、その一人なのだから。

 

「……ぅ、ぁ……」

 

 久しぶりに、声が出た。そんな気がした。

 胸の辺りに、ねちゃりと嫌な感触がした。胸の肉が、抉られていた。痛みはなかった。

 

 ただ、冷たい。眠い。

 多分、平静な気持ちに戻れば想像を絶する苦痛と絶望を待ち受けることになるだろう。なら、何もかもわからないまま……今のまま、眠ってしまおう。きっと、その方がいい。

 

 

(父さんも。母さんも。麗も。寂しがるだろうけど。――きっと、仕方ないんだ)

 

 ――死屍累々と骸が広がる、この暗闇と火炎が渦巻く地獄の中で。死を待つ少年は、そんな諦観を抉れた胸に抱いたまま、朽ち果てようとしていた。

 

「救芽井博士! こちらですッ!」

「お、おお……! なんということだ……!」

 

 その時。

 悲鳴でも呻きでもない二つの声が、少年の耳に届けられた。

 

 声の主達は、やがて二人の影となり――壮年の男性という正体を現して行く。傷一つないその姿は、生き地獄と化しているこの空間で異彩を放っていた。

 

「西条君、急いでこの地点に救援を!」

「はい! しかし……この惨状で今から救援を呼んだとして、果たして間に合うか……」

「生きている我々が諦めてどうする! 急ぐんだ!」

 

 その二人の男性は、すぐさま別々の行動に移っていた。一人は指示された通りに携帯電話を手に現場を通報し、もう一人は周辺を歩き回る。生存者を探しているのだろう。

 

「く……!」

 

 男は苦悶の声を漏らしながら、次々と行く先を変えていく。――生存者を見つけられても、手の施しようがない場合しかないのだ。

 無力感に打ちひしがれた表情のまま、彼はそれでも生き残る見込みのある者を探し続けている。

 

「……! 救芽井博士! こ、子供です! 生きている子供が居ます!」

「なに!? 本当か!」

 

 通報を終えた男性が少年を見つけたのは、それから数分後のことだった。目の色から生気が失せながら、それでも剥き出しにされた心臓だけが動いている。

 それは、微かでも少年が生きている証だったのだ。

 

「こ、これはなんという……」

「……やはり、これでは助かる見込みは……」

「いや……ある! あるはずだ! このような幼子の未来を閉ざすなど、あってはならんことだ!」

「しかし……!」

「西条君、動力強化装置、まだ車に残っているな? あれと人工血液のストックを持って来さない、この場で手術する!」

「な、なんですって!? 無謀です博士! 動力強化装置と付属の人工臓器で、破損した内臓を補強しようというのでしょうが……そのサイズは成人男性を想定したものなんですよ!? それに子供の体力で手術に耐え切れるはずがない!」

「この子の体格に合わせて私が自力で改修する! つべこべ言わずに私に従え、一刻を争うのだ!」

 

 激しい口論の果てに、男達の一人はやむなしと言いたげな表情でその場を走り去って行く。――その間。

 少年は、残されたもう一人の男と視線を交わしていた。言葉を交わせる状況ではないが――これから起きることは、なんとなく理解していた。

 

(僕、どうなるんだろう……このまま、死――)

 

「――死なせは、しない。この救芽井甲侍郎の、名にかけて」

 

 だが、意識はそこで途絶えてしまった。男の力強い宣言が、その耳に届くこともなく。

 

 ――この日。二○二二年、八月。

 

 屋久島山中で発生した航空機事故で、乗客乗員合わせた五百名が死亡した。未曾有の大事故の犠牲となった人々の中には、当時五歳だった警視総監の長男、橘花隼人も含まれていた。

 彼の遺体はほとんど残っておらず――破片によって大きく抉り取られた胸の肉片から、身元が特定されたという。

 



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第17話 屋久島の夏

「さすがに……暑いな」

 

 二○三三年、七月下旬。

 世間では夏休みが始まっているこの季節に、ヒルフェン・アカデミー第一期生の伊葉和士は、新たな任務に携わろうとしていた。

 

 救芽井エレクトロニクス日本支社の現社長、救芽井樋稟(きゅうめいひりん)から指令が降りたのは二週間前。

 卒業してから約三ヶ月に渡り、日本支社直属の精鋭部隊「レスキューカッツェ」の下で訓練を受けた彼は、とある使命を帯びて真夏の屋久島に足を運んでいた。

 

 山道や海に近しく、人通りの少ないアスファルトの上を歩む彼の視界は、熱気のせいでゆらゆらと歪んでいる。日の光を遮る帽子のつばに触れた指先からも、汗が滴り落ちていた。

 だが、それほどの熱気に晒されてなお――少年の眼差しは弱まることなく、目的地である山中へと向かっている。

 

(フェザーシステム……「救済の重殻龍(ドラッヘンファイヤー・デュアル)」を超える、着鎧甲冑用飛行OSか……)

 

 ――新たな飛行システムの開発のため、秘密裏にデータ収集を行っている実験小隊が存在する。その話を知らされた当時の彼は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。

 彼が驚いたのは、その事実だけではない。むしろ救芽井樋稟の口から語られた、その実験小隊の実情にこそ、驚愕したのだ。

 

(エンジントラブル。OS不調に伴う空中での制御不能、墜落。機体耐久力の不備による空中分解。……手探りな上に危険も大き過ぎるがゆえに、殉職者が絶えず……莫大な「危険手当」という金のためなら、死も厭わぬというキワモノばかりが集まるようになり……今では、テストパイロットが一人しかいない状態……か)

 

 これほどまでに部隊そのものが衰退していながら未だに計画が頓挫していないのは、それだけこの計画に日本支社――否、救芽井エレクトロニクス全体が望みを賭けていることの表れでもあるのだろう。

 事実、着鎧甲冑が自由自在に三次元の活動を可能としたならば、レスキュースーツとしての汎用性は飛躍的に高まる。その理想まで後一歩というところまで来た今、引き返すわけにも行かないのだ。

 

(今回俺が呼ばれたのは、満を持して開発された全実験機中の最高傑作――すなわち本社に提出する完成形の最終テストを行うためと聞いている。――フェザーシステムに慣れていないものでも扱える代物でなくては、不特定多数のヒーローが着るスーツとして成り立たないから……か)

 

 ここでの和士の任務は、「外部パイロットの代表」としてフェザーシステムの最終テストに携わり、このシステムが万人に扱えるものであることを証明することにある。

 今まで払われてきた犠牲と試行錯誤の果てに生まれた完成形を、外部の自分が乗り回さなくてはならないことへの後ろめたさ。その引け目を飲み込んだ上で、彼の瞳は実験小隊の秘密基地が眠っているという山中を射抜いていた。

 

(……このフェザーシステムのために戦ってきた人々のためにも。この力を必要とするであろう人々のためにも。俺は、なんとしてもやり遂げなきゃならない。もう、二の足を踏んで後悔するのはゴメンだ……!)

 

 そう胸中で嘯く彼は、滴る汗をそのままに拳を握り締める。

 

(――それにしても……どんな人なんだろうな。実験小隊の、最後の生き残りって……)

 

 仲間達を失いながらも単身フライトを断行し、完成形の開発に大きく貢献したという――実験小隊最後のテストパイロットに、思いを馳せながら。

 

 

 

 

 科学技術が著しく発展し、今や人々の生活の大半を機械が支えているこの現代に至ってもなお――この屋久島の森林は長い年月の積み重ねが成せる自然の豊かさを、保ち続けていた。

 鬱蒼と生い茂る林、穏やかな川のせせらぎ。風に揺れる葉の音、日差しを覆い隠す木陰。そのひとつひとつに宿る命の息吹が風となり、道無き道を歩む和士の頬を撫でる。

 ヒルフェン・アカデミーという最新鋭の機械に囲まれた生活の中にいた彼だからこそ――その感覚をより鋭敏に感じているのだろう。かつて経験したことのない空気の匂いに戸惑いながらも……その表情は、どことなく安らいでいるようでもあった。

 

(いい場所だ……。休暇を貰えたら、いつか麗も誘って――)

 

 だが、その表情はそこまで思考が回ったところで、再び険しい色に変わってしまう。

 

(――いや。ここはあの子の兄が、十一年前に亡くなった場所でもあるんだ。残念だが、バカンスに誘える場所じゃないな)

 

 ほんの一瞬とはいえ、浅はかな考えを抱いてしまったことに罪悪感を覚えつつ、和士は木陰から覗く眩い青空を見上げた。日差しを遮る木の葉が、新緑の光を煌々と放っている。

 

(それにしても……かつて航空機の墜落事故が起きたこの地で、飛行システムの研究――か。あまりの危険性ゆえにプロジェクト自体も公に出来ず、飛行場も取れないからと言って、なにもこんな場所に……ん?)

 

 ――ふと、不自然な音が和士の聴覚に響いてきた。大自然に囲まれた、この穏やかな山中だからこそ際立つ、その無機質な音は――凄まじい勢いで、こちらに近づいてきている。

 鋭い刃で、風を切る。そんな言葉を連想させるこの音を身近に感じ取り、和士はハッと顔を上げた。

 

「――!」

 

 刹那。少年の視界に広がる青空の景色を、一つの物体が瞬く間に横切って行った。その正体を追い求め、視線で追いかける和士の瞳には――ライトグリーンとレッドで塗装された、一機の飛行機が映されている。

 

(なんだ、あれは……!? まさか、あの小型飛行機が……ッ!?)

 

 和士の思考が眼前の状況に追い付くよりも早く――突如現れた飛行機は、大きく舞い上がると……そのハッチを開いてしまった。

 そこから飛び出したパイロットは、体を大の字にしたまま地表目掛けて落下していく。だが――その背には、パラシュートらしきものは見当たらない。

 

(……!)

 

 だが、和士が驚愕したのはそこではない。――似ているのだ。そのパイロットの、容姿が。

 「救済の超水龍」の、「基本形態」に。

 

 それが意味することに和士の理解が、ようやく追い付いた頃には――すでに彼の周囲を、飛行機から投下された増加装甲が囲んでいた。

 ライトグリーンに塗られた増加装甲は、赤いヒーロースーツを纏うパイロットの全身に、引き寄せられるように張り付いて行く。やがて彼の全身は、ウイング状のバックパックを搭載した装甲に固められてしまうのだった。

 

『Sailingup!! FalconForm!!』

 

 その状態が完成した時。和士の耳に、聞き覚えのある電子音声が届く。すると――増加装甲を身に付けたパイロットは、自由自在に飛べる自分を見せ付けるかのように、縦横無尽に飛び回り――和士に視線を定めた。

 

「……ッ!」

 

 自分の存在に気づいていると察した和士は、思わず息を飲むが――パイロットがウイングのジェットを噴かし、急降下を開始するのはそれよりも速い。

 

(なっ……んて、加速ッ!?)

 

 そして――あわや地面に激突か、というところで体勢を反転し、逆噴射で減速した彼は、川を二手に分けている岩の上にふわりと降り立った。

 まさに、減速が間に合うか間に合わないかのギリギリ。そんなところを攻められるほどの確かな技量が、その一瞬で証明されていた。

 

(ダイバーシステムに、コンセプトは似ている……似ているが……速さが、まるで桁違いだ。しかも……)

 

 見上げれば、操縦士を失ったはずの飛行機が何処かへと飛び去って行く光景が伺えた。自動操縦機能(オートパイロット・システム)という「超水龍の方舟」との大きな違いが、現象として表れている。

 

(バディ体制のダイバーシステムと違い、単独での活動が可能、ということなのか)

 

 単なる発展型とは言い難いレベルの技術力を目の当たりにして、和士は暑さとは異なる要因による汗を、顎から滴らせた。

 その性能をいきなり見せ付けられた彼が、視線を戻した時――パイロットの顔を覆っていたマスクが、蓋を開けるように解除される。

 

「……?」

 

 焦げ茶色の髪に、意思の強そうな瞳。どこかデジャヴを感じさせる顔立ちの彼は――和士と視線を交わすと、穏やかに微笑んで見せた。

 

(なんだあいつ……ほとんど俺と同い年くらいじゃないのか? いや、それより……あいつ、どこかで見たよう、な……?)

 

「――新任隊長の伊葉和士さん、ですね。僕は救芽井エレクトロニクス第一実験飛行小隊所属、雲無幾望(くもなしきぼう)隊員です。お迎えに上がりました」

 



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第18話 たった独りの実験小隊

 どことなく、見覚えのある風貌を持つ少年――雲無幾望。彼がフェザーシステムに携わる実験小隊の唯一の生き残りであるという事実に、和士は目眩がするような思いを抱いていた。

 聞けば彼は――十六歳。今年十七歳を迎えた和士や海原凪より更に年下だというのだ。そんな子供が、どんな経緯でフェザーシステムのテストパイロットになどなったのか。

 

 それをひたすら問い詰めても「特殊な体質を見込まれたから」としか答えない彼を不審に思いながらも――和士は自分よりやや小柄な彼の手に捕まり、誘われるまま翔ぶ他なかった。

 答えなら、この先にあるはずだと己に言い聞かせて。

 

「――こちらが、僕達実験小隊の秘密飛行場となっております。少々汚いところですが、ご容赦を」

「……!」

 

 そして空を舞い、一際高いとある山を目指す二人は……ようやく、実験小隊の「隠れ家」に辿り着くことができた。

 ――だが。そこは秘密飛行場と呼ぶには、あまりな惨状であった。

 

 山に大きな横穴を空けたそこには、広々とした滑走路が設けられている。さらに脇にはガラスで覆われた管制室が伺えた。

 ――確かに、飛行場の体は成しているようではある。だが、眼前に広がる実験小隊の「実情」は和士にこの任務の影に消えた犠牲の重さを訴えていた。

 

 滑走路の奥や端には飛行機の残骸らしきものが強引に押し込められ、見るも無残なガラクタの山となっている。ここで起きた爆発事故の影響か、天井や管制室近くにまで深々と破片が刺さっており、管制室のガラスはほとんどひび割れていた。

 さらにエンジントラブルの威力を示すように、滑走路のあちこちが黒焦げになっている。そして――飛行機にも。残骸にも。管制室にも。

 何処かには必ず、誰かの血痕が染み付いていた。

 

(……これが、少々。か……)

 

 よく見れば、奥には雲無が乗っていた飛行機が格納されている。その脇には完成形と思しき、黒塗りの同型機も伺えた。

 この二機が問題なく離陸できる程度には、この飛行場の機能しているのだろう。現にさっきまで雲無は和士を迎えるデモンストレーションとして、問題なく飛行して見せていた。

 ――だが、これを見てしまった者が安心して実験機に乗れるはずがない。

 

(最初にここを見たら尻尾を巻いて逃げ出すだろう――と思ったから、基地に着く前にさっきのデモンストレーションを見せたのか。基地がこんなでも、翔ぶことはできると証明するために)

 

 あからさまに侮られていることに憤りつつも、和士は内心の戸惑いを隠せずにいた。確かに、こんな状況の中で実験機に乗って「さあ飛べ」と言われて順応できる気はしない。

 

(だが少なくとも彼らは――その無茶の中で戦って来たんだ。最終試験のためだけに、完成形に乗る俺なんかとは……重さが違いすぎる)

 

 和士の任務は、フェザーシステムを制式採用するに当たって「万人に扱える性能に仕上がったか」をテストするための完成形に搭乗し、その成果を報告することにある。いわば、この実験小隊における「素人代表」なのだ。

 エリートヒーローの登竜門であるヒルフェン・アカデミーの首席であり、新米ゆえおかしな癖もないと見込まれたからこそ、彼が新世代レスキューシステムであるフェザーシステムの最終テスト要員に選ばれたのである。

 

 ――だが、その役回りは多くの犠牲を払ってきた実験小隊の「いいとこ取り」にも等しい。その業の深さを知識として知っていながら、いざ現実として目の当たりにしてしまった和士は、思わず息を飲んでしまうのだった。

 

「……そのような顔をなさらないで下さい、伊葉さん。僕達はむしろ、あなたを歓迎しているのですよ。あなたがこの役目を買って出て下さらなければ、彼らの命も無駄になっていたかも知れないのです」

「雲無……」

「それに、フェザーシステムに触れていない人を想定した上で完成させた六十二号があるのですから。心配することはありません。及ばずながら、僕も全力でサポートしますから」

「……ああ、ありがとう」

 

 その時、見兼ねたのかマスクを開いた雲無が苦笑いを浮かべ、和士の顔を覗き込んできた。実験への不安を少しでも払拭するためだろう。

 露骨といえば露骨だが、それでも初任務早々に地獄絵図を見せられた和士としてはありがたいものであった。

 

「――あなたが三二一便事件の英雄にして、ヒルフェン・アカデミー首席の伊葉和士さんですね。此度は当プロジェクトにご協力頂き、ありがとうございます」

 

 その時。二人の前に、白衣に身を包んだ若い女性が現れた。腰に届く艶やかな長髪をポニーテールで纏めたその女性は、知性を感じさせる眼鏡をクイッと指先で上げながら――恭しくお辞儀をする。

 

「あなたは……」

「申し遅れました。私は当プロジェクト責任者、西条夏(さいじょうなつ)と申します。先の大事件で華々しい活躍をされた英雄に来て頂けるとは、至極光栄ですわ」

「……いや、俺なんか……大したこと、ありませんから」

「そうですか。その謙虚さからも、あなたの善き人柄が伺えますね。――さ、こちらへ」

「……」

 

 西条と名乗る彼女に導かれるまま、和士は歩みを進めていく。あの戦いの果てに別れた、かけがえのない友の影を憂いながら。

 

「じゃあ……夏先生。僕はメンテの方に向かいますね」

「ええ。今日のフライトはどうだった?」

「小回りは良くなったんですが、加速がやや犠牲になっている気がします。もう少しだけ、出力を高めてもいいかも知れません」

「あなたならそれでもいいかも知れないけど、あくまで最優先は安全性よ。いざという時に衝突を回避できる能力こそ優先されるべきだわ」

「はは、それもそうですね」

「まぁでも、フェザーシステムが浸透して全体の習熟度が安定した頃には、あなたの案も役立つかも知れないわね。検討しておくわ」

「ありがとうございます」

 

 一方、雲無は西条に軽い報告を済ませると、装備をパージして着鎧を解き、フライト後のメンテを始めていた。短いやり取りではあったが、それだけでも二人の関係が良好なものであることが窺い知れる。

 

「――失礼。どうぞ、こちらへ」

「ええと……西条主任? 彼とは仲がいいんでしょうか」

「え? ……えぇ、そうですね。彼とは古い付き合いですから。可愛い弟のようなものです。それにああ見えて実力も確かですから、頼りになるのですよ。六十二号のフライトの際には彼も随伴しますが、信頼してください」

「そうなんですか……。あの、彼があの年でテストパイロットになった経緯が気にかかるのですけど……俺が知ったら不味いことなんでしょうか?」

「……それについても、すぐにお話しますわ。――このプロジェクトを終わらせてくださる人ですもの、それくらい知る権利はおありのはず」

「……?」

 

 当人の口ぶりを見ても、二人は公私含めて良好な関係であるようだ。――しかし、そこから先へと踏み込んだ瞬間、彼女は神妙な面持ちで天を仰ぐ。

 その様子を訝しみつつ、和士は自身の愛機の近くでメンテを続けている雲無に視線を移した。

 

(……なんだ? あの、光……)

 

 そして、眉を顰める。

 

 着鎧甲冑のスーツに纏わり付いていた増加装甲を、ひとつひとつ入念に点検する雲無。黒いダウンジャケットを素肌の上に直接羽織り、赤いカーゴパンツに黒い革ブーツという格好の少年は――脇目も振らず、目の前の機械に意識を集中していた。

 

 だが、和士が眉を顰めたのは格好ではない。――不自然な青い電光を放つ、雲無の胸であった。素肌が露出しているその部分からは、電気が溢れるかのように青白い光が迸っている。よく見れば、その部位には大きな傷痕が伺えた。

 少なくとも――普通の人間に起きる現象ではない。

 

(もしかしてあの光……あいつがテストパイロットやってることと、何か関係が……?)

 



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第19話 改造電池人間の闇

 フェザーシステム。

 二◯三◯年に初めて誕生した着鎧甲冑の新技術「二段着鎧」の運用を前提とした新世代のレスキューシステムである。

 

 飛行ユニットを含む増加装甲を搭載した、専用小型ジェット機「超飛龍の天馬(ペガサス・ファイター)」にパイロットが搭乗、一定の高度まで上昇した後に脱出。その動作に応じてコンピュータが増加装甲を射出し、空中で装着、「飛行形態(ファルコンフォーム)」へと移行する。

 

 専用マシンにも搭乗員が必要だった「超水龍の方舟」とは違い、自動操縦機能の導入により一名での運用を可能としており、ダイバーシステムよりも高精度な新型スーツとなっている。

 

 だが、二◯三◯年の時点で未熟だった飛行OSを完成させる技術は並大抵の研究で実現するものではない。ダイバーシステムよりも難度の高い実験の中で、すでに何十名もの殉職者が出ている。

 その殉職者にはテストパイロットだけではなく、飛行場内で起きた爆発事故に巻き込まれたエンジニアや研究員も含まれている。それでも実験を秘密裏に断行した結果、二◯三三年に入ってようやく完成形である六十二号がロールアウトされた。

 だがこの時点でほとんどの人員がプロジェクトを去り、今では責任者と医療スタッフを兼ねる西条夏と、テストパイロットとエンジニアを兼ねる雲無幾望の二人だけとなってしまっている。

 

 プロジェクトを頓挫させることなく、この数多の犠牲の中で誕生した六十二号を世に放つ術はただ一つ。最終テスト要員として派遣された伊葉和士が、フライトを成功させること。

 それがフェザーシステムの理想を実現させる、唯一の手段なのだ。

 

「――と、いうことです。ご理解頂けましたか?」

「ええ、わかってます。――わかってはいたんです、ここに来る前から。ただちょっと、覚悟が足りてなかっただけで」

「心配には及びませんわ。あの誰もが諦め掛けた状況の中で、巧みに『超水龍の方舟』を操縦して見せたあなたなら、必ず出来ます」

 

 深緑と黄色に塗られた小型ジェット機「超飛龍の天馬」六十二号。通称「至高の超飛龍(アブソリュートフェザー)」の操縦席に腰を下ろし、手元の資料を頼りに計器類を確認する和士。そんな彼を見上げる西条は、彼を安心させようとするかの如く穏やかな笑みを浮かべるのだった。

 

「そういえば、雲無の奴どこに行ったんでしょう? メンテを終えたと思ったら、もういないし……」

「彼なら――今頃、慰霊碑にお参りに行っています」

「慰霊碑?」

 

 そうやって三二一便のことを話題にされることへの、居心地の悪さから逃れようと――和士は話題転換を試みる。だが、帰ってきた言葉に思わず首を傾げてしまった。

 

「ええ。十一年前に起きた、航空機墜落事故。あなたもご存知でしょう?」

「……まぁ、知ってますが」

「その犠牲者を悼む慰霊碑が、この近くに在るのです。彼はその日のテストフライトを終えたら、ほぼ毎日欠かさずそこまで足を運んでいるんですよ」

 

 麗の兄を奪った、最悪の事故。

 その話題を出された和士は、神妙な表情で相槌を打つ。だが、西条の口ぶりに不審なものを感じた和士は、思わず聞き返した。

 

「……ほぼ?」

「年に一度。事故が起きた日に、遺族の方々が列を成して慰霊碑に来られるのです。その日だけ、彼はお参りを避けています」

「なぜ避ける必要が? 亡くなった人を悼む気持ちが同じなら、遠慮することなんて――」

 

「――会ってはならない人が、来るから、ですよ。自分の遺族に会うわけにはいかない、というのが彼の考えですから」

 

「……、は?」

 

 変な声が出てしまった。

 

 今、彼女は何と口にした? 自分の遺族?

 どういう意味なのか、さっぱりわからない。まるで雲無を幽霊扱いするかのような彼女の物言いに、和士は思わず身を乗り出してしまった。

 

「……なん、なんですか、それ。どういう意味ですか」

「言葉通りですよ。彼は一度……少なくとも、戸籍上は死んだ人間なのです。自分が生きていると知らない家族に会えない――いえ、会ってはいけない理由が、彼にはあるんです」

「な、なんだって……! じゃ、あいつは……!」

「ええ。十一年前の墜落事故の、ただ一人の生き残りです」

 

 ショックのあまり、操縦席から転げ落ちそうになる。落ちたら怪我をする、という本能の命令に体を支えられたまま、和士は西条を凝視した。

 

「ちょっと待て……十一年前の事故を生き延びて、今が十六歳って……ま、まさか!」

「――さすが、ヒルフェン・アカデミーの首席ですわ。その察しの良さ、イッチーさんにも見習って頂きたいものです」

 

 齎された情報から辿り着いた仮説。西条の反応が、それが正解であることを裏付けていた。判明してしまった事実に驚愕する余り、和士は操縦席に身体を預けるようにへたり込んでしまう。間抜けなあだ名を口にする、西条の呟きに反応する気力もない。

 

「あいつが……麗の、死んだ兄貴……!?」

 

 橘花家の長男、橘花隼人。

 五歳の時にサッカーチームの応援のため、SP同伴の上で飛行機に乗り――事故に巻き込まれ命を絶たれた。破片に抉られた胸の肉だけが、遺体として発見されている。

 ――そう、世間には公表されていた。

 

 その橘花隼人が生きていた上に、こんな地獄のような飛行場で新型レスキューシステムのテストパイロットになっているなどと、どうして想像出来よう。

 

(こんなこと……麗に会ったとして、なんて説明したらいいんだ……!)

 

 兄のためにあれほど気丈に生きてきた彼女が、兄の存命なんて知ったら卒倒では済まないのではないか。恐らくは彼女だけではなく、彼ら兄妹の両親も。

 ――だが、当の雲無が彼らを避けている以上、彼は家族には会うつもりがないということになる。何よりそれが、和士には理解出来ないことであった。

 

(だいたい、家族に会えない理由ってなんだ! 胸の肉まで抉れる重傷から、やっと生き延びたってのに! ……ん? 胸の肉……!?)

 

 ふと、和士の脳裏に先ほど見かけた雲無の姿が過ぎる。あの時、彼の露出した胸には――大きな傷痕があった。さらに、そこからは怪しげな電光まで出ていた。

 

「もしかして……あいつが家族に……麗に会えない理由って、あの胸の傷痕と関係あるのか!?」

「あら? 橘花家と親交がある、というお話は本当だったのですね。えぇ、関係あるというよりは……理由そのもの、といったところでしょうか」

「理由、そのもの……?」

 

 夏の暑さだけではない発汗により、すでに和士は汗だくになっていた。そんな彼を見上げる西条は、静かに眼鏡を外すと――神妙な面持ちで口を開く。

 

「――あなたが容易く口外することのない方である、と見込んだ上でお話ししましょう。彼が、ここへ流れ着いたいきさつを」

「……」

 

 ――雲無が、涼風が吹き抜ける自然の園に囲まれた石碑に、静かに手を合わせている頃。

 西条は、和士に全てを語っていた。

 

「まず、彼は――生身の人間ではないのです。心臓部に『動力強化装置』を内蔵して生き永らえている、『改造電池人間』なのです」

「……!?」

 



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第20話 雲無幾望の名を借りて

 ――かつて、着鎧甲冑は今より遥かに高性能なスーツとして開発される予定だった。長年に渡る研究の末に生み出されたそのスーツは、人々の希望となるはずだった。

 だが。初めてこの世に生まれた、そのスーツは世に出ることを許されなかった。致命的欠陥ゆえに、実用化に至らなかったのだ。

 

 装着者が発揮する身体能力は、スーツの出力に比例して高まって行く。出力が高ければ高いほど、超人に近づいていけるのだ。

 だが、出力が高いことはエネルギーの消耗が激しいことを意味する。内蔵しているバッテリーで長く維持出来ないほどの出力では、その身体能力も長くは持たない。

 

 その問題点ゆえ、最初期の着鎧甲冑は二分と活動出来ないほどの「大食い」だった。活動時間が短過ぎては、救出活動が終わる前にエネルギーが切れてしまう。

 この問題をクリアするため当初、二通りの対処法が検討された。

 

 一つは、スーツに外付けの大型バッテリーパックを装着してエネルギーを維持する方法。そしてもう一つは――大型バッテリーパックに当たる「動力強化装置」を体内に埋め込む、という方法だった。

 前者の場合、バッテリーパックのせいで他の救命具等の装備が難しくなる、という欠点があった。後者はバッテリーパック自体を装着者の体内に組み込み「改造電池人間」とすることで、その問題をクリアしているのだが――人道的見地から、実用化には至らなかった。

 

 結局、外付けバッテリーパックも体内バッテリーパックも使わずに実用化させるべく、スーツの内蔵バッテリーのみで活動できるギリギリまで、スーツ自体の出力を落とすことに決まった。

 

 そうして、実用性を損なわない程度に性能を抑えて作られ、ようやく完成したのが――着鎧甲冑第一号として世に知られている「救済の先駆者(ヒルフェマン)」なのだ。

 

 ――無論、御蔵入りとなった二通りの案は破棄されることとなり。

 当時、アメリカのラボで着鎧甲冑の研究を進めていた、後の救芽井エレクトロニクス創始者・救芽井甲侍郎(きゅうめいこうじろう)は、平和利用のために動力強化装置のテクノロジーを預かりたいと申し出てきた日本の科学者・西条博士とコンタクトを取るべく、彼の研究室がある日本の屋久島へと足を運んでいた。

 

 そこで――十一年前の墜落事故現場に遭遇したのである。

 

 血と肉片と絶叫、炎が渦巻く地獄絵図。その中で甲侍郎は、ある瀕死の少年を見つけた。そして胸の肉を破片で抉られていた彼を救うべく、アメリカから持ってきた動力強化装置を用いた改造手術を決行。

 少年自身の常軌を逸した生命力と、人工血液と急造の小型動力強化装置を駆使した甲侍郎の技術が奇跡を呼び、失われたはずの命は再び息を吹き返すのだった。

 

 ――だが、問題は大きかった。

 

 改造電池人間となった少年は辛うじて一命は取り留めた。だが、それは幼くして生身の人間としての尊厳を失ったことを意味していた。

 手術から一年を経て、ようやく回復の兆しを見せた彼は己の状況を子供心に悟り、絶望に沈んだ。この身体で、家族のもとに帰れるはずがない、と。

 

 この時すでに少年の身元が警視総監の長男・橘花隼人であることは判明していた。だが彼が家族との再会を絶望視している以上、安易に橘花家に帰すことは憚られた。

 さらに警視総監の子息に延命のためとはいえ、改造手術を施したという事実も無視できるものではなかった。この件が公になれば警察の介入を受け、着鎧甲冑の開発どころではなくなってしまう。

 

 そして――甲侍郎と西条博士は最終的に、橘花隼人が家族との再会を望む日が来るまで、その身柄を内密に保護するという決断を下した。そして、西条家の養子として生きることになった彼には、それまでの仮初めの名前が与えられたのだった。

 ――雲無幾望、という名を。

 

 こうして橘花隼人という少年は、雲無幾望と名を変え、救芽井家と西条家の保護下でひっそりと生きていくこととなった。この保身とも取れる甲侍郎の決断が、研究員・古我知剣一(こがちけんいち)の不信を煽り、徐々に後の「技術の解放を望む者達(リベレイション)」事件へと発展していくのだが……それは別の話である。

 

 ともあれ、改造電池人間という人ならざる者という身の上に苦心しつつも、屋久島の西条家で西条博士やその娘の西条夏と、それなりに平和な日々を送っていた雲無だったが――その胸に迸る電光と痛みは、常に彼に警告していた。

 この命は、長くは続かない――と。

 

 ゆえに彼は、迫る死に怯える日々の中で、一つの決意を固めたのだ。

 この命が尽きる前に、一つでも多くの命を救うことで――自分という人間が、確かにこの世にいた証を刻むのだと。

 

 そして、父親代わりだった西条博士が病死したのち――彼は救芽井エレクトロニクスの門を叩き、その社員となっていた姉代わりの夏と再会した。

 その夏の口から、救芽井エレクトロニクス最大のスキャンダルである自分では、いくら活躍してもその功績が名声に結びつくことはない、と告げられる。

 

 夏自身としては、雲無にヒーローを諦めさせるための方便だったのだが――雲無が、それで立ち止まることはなかった。

 彼は己に自身の価値を証明するためにこそ、ヒーローを志したのである。自分だけの名誉を、自分だけに誇るために。

 

 数年の時を経て再会した彼の、そんな愚直とも言える姿勢を目の当たりにした甲侍郎は――せめて、彼の願いを一つでも叶えさせるべく。ある一つの可能性を示した。

 

 それが――フェザーシステムの実験小隊。

 

 かくして甲侍郎推薦のもと、最年少テストパイロットとなった雲無は、そこで思わぬ特性を発揮することとなる。

 それは突出した操縦技術でも頭脳でもなく――尋常ならざるタフネスであった。

 

 元々、雲無の「改造電池人間」のボディはお蔵入りになった最初期型着鎧甲冑を想定して開発されたものだった。

 その身体のまま、最初期型から出力を大幅に削った「救済の先駆者」をベースにした現代の着鎧甲冑を纏えば――彼自身が持つ過剰電力により、着鎧甲冑の人工筋肉が肥大化してしまう。

 その現象はスーツ内に過熱を齎し雲無に苦痛を与えることになるのだが――その肥大化した人工筋肉は、期せずしてクッションの役割を果たすようになっていた。

 

 多くのテストパイロット達が墜落事故で命を落として行く中。彼だけは、肥大化した己のスーツに守られ、何度墜落しても一命を取り留め続けたのである。

 一度堕ちれば、次などない。そんな摂理さえ無視する彼は、幾度となく墜落事故に巻き込まれながらもその都度生き残り、文字通りの「体当たり」で試行錯誤を繰り返した。

 

 そして遂に――フェザーシステムの完成形、六十二号こと「至高の超飛龍」のOS開発に辿り着いたのである。

 

「そんな、ことが……」

「――こうならざるを、得なかったのです。元々は動力強化装置を体内に仕込んでいるだけで、後は生身の人間だったあの子ですが……度重なる墜落事故で欠損した肉体を補うための改造手術を経た今では、もう生身の部分は四割も残っていない……」

「……あって、いいのかよ。そんなこと……!」

「いいも悪いも、ありません。あの子には、そうする以外に道はなかったのです。……もう、あの子が家族の元に帰ることはないでしょう。ならば――少しでも生きている限りの願いをと、この道に誘うことになりましたが……それすらも結局は、あの子を利用するだけの結果にしかなり得なかったのかも知れません」

「……」

 

 一通り語り尽くした夏は、操縦席に腰掛ける和士を見上げ、ふっ……と微笑む。

 

「けれど、それもようやく終わる。この計画が完了すれば、あの子には再び西条家での平穏な暮らしが待っている。――だから、引き受けてくださったあなたには、本当に感謝しているのですよ。傷つくだけのあの子の運命を、終わらせてくださるのですから」

「……俺は、やりたいようにやってるだけさ」

「そうですね。でも、望んでこの道に来たあなたの背は、ここに来るしかなかったあの子には輝いて見えたことでしょう」

「妬ましいとは思わないのか? 俺はあんた達が積み上げてきた功績を、いいとこ取りしてかっ攫おうってんだぞ」

「確かにそうかも知れません。でも、あの子は初めからそんなものは望んではいなかった。この仕事を引き受けてくれる人がいたことの方が、大事なのですよ」

「……そういうものかな」

 

 機体に背を預け、和士は滑走路の向こうに広がる大自然を見つめる。この先で祈りを捧げているあの少年は、どんな気持ちでこの景色を見ていたのだろうと――わかるはずもないことに思いを馳せて。

 

(やっとの思いで生き延びたのに……会おうと思えば会えるのに……残り少ない命を、このためだけに使い果たすなんて……。いいのかよ、それで……!)

 

 ◇

 

 ――その頃。

 

「じゃあ……また、来ます」

 

 少年――雲無は、数多の霊の名を刻む石碑を見上げた後、踵を返す。名残を惜しむように横目で見遣る眼差しは、微かな憂いを帯びていた。

 蝉の鳴き声。葉を撫でる風の音。鳥の囀り。自然の奏でる音楽だけが、その少年の帰路を彩っている。

 

 だが、この屋久島の全てが大自然に包まれているわけではない。山道を降りた先には――この島で暮らす人々のためのアスファルトが敷かれていた。

 日射しを受けたその周辺は噴き上がるような熱気に包まれており、視界が熱を帯びて歪んでいくのがわかる。

 

 そのアスファルトを隔てた先にある、道無き道。そこから続いて行く秘密飛行場への道のりを目指して、彼がその人工の大地に足を踏み入れた時。

 

(……!)

 

 微かなエンジン音が、雲無の聴覚に響き渡る。――もしこんなひと気のない場所を、独りで歩いているところを見られたら、怪しまれる可能性がある。

 飛行場が外部に見つかる可能性は万に一つもあってはならない、と判断した雲無は咄嗟に木陰に身を潜めた。

 

 やがて、彼の眼前を……一台のワゴンカーが通り過ぎて行く。その車はエンジンを噴かし、屋久島のアスファルトを走り抜けて行った。

 

(……!?)

 

 一見、何の変哲もない普通の車なのだが――その後ろ姿を見送る雲無は思わず立ち上がり、暫し茫然と車が走り去る様を見つめていた。

 

 車に不審なものを感じたわけではない。彼が注目していたのは――車内にいた人物。

 後方の席から風景を眺めていた、一人の少女だった。

 

 自分が至近距離で見知らぬ少年に見られていたことなど、知る由もない彼女は――自分を乗せた車が山を抜け、海が一望できる道に出た瞬間。ぱあっと明るい表情を見せた。

 

「わぁーっ! すっごい綺麗! まさに大自然って感じ!」

「ユイちゃん、あんまりはしゃぐと疲れちゃうよ。このあとドラマの撮影もあるし、夜には監督との打ち合わせもあるんだから!」

「えぇー……あたしあの監督やだなぁ、なんか目つきがイヤらしいもん。ねぇプロデューサーさん、夏休み中ずっとここにいようよぉ〜。どうせ二十日にはまたここでグラビア撮影でしょ?」

「ダメダメ、これも大切な仕事なんだから! ちょっとはトップアイドルとしての自覚を持たなきゃ!」

「ちぇ〜……」

 

 だが、その表情はすぐに翳りを見せる。車を運転している眼鏡の男性の言葉に、少女は深く溜息をつくと――青空を仰いだ。

 彼女の脳裏には、姉を救った勇敢な青年の武勇伝が過っている。

 

(……あたしにも、来てくれないかな……。持て囃すだけで中身のない男じゃない。本当に大切な時に助けてくれるような、白馬の王子様……)

 

 半ば諦めにも近い、その願望を少女が胸に抱いていた頃。そんな事情は露も知らない少年は、一瞬にして深く記憶に刻まれるほどの彼女の美貌に――基地へ帰ることも忘れ、暫し立ち尽くすのだった。

 

「……あんな綺麗な子……この辺にいた、かな……?」

 



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第21話 フェアリー・ユイユイの苦悩

 ――それから、僅かな日々の中での「最終試験」が始まった。

 

 「超飛龍の天馬」の操縦、自動操縦機能への切り替えに、空中での二段着鎧。そして縦横無尽な挙動と、安全な着地。

 ファーストコンタクトの際に雲無がやって見せた技の再現を目指し、和士は訓練を重ねていく。より多くのヒーローが事故なくこのシステムを乗りこなすには、和士のフライトが齎すデータが不可欠となる。

 ゆえに和士は、気を失いかねないほどに張り詰めた想いで、日々空を舞い続けていた。

 

 ――その余りにも愚直な姿勢が、功を奏したのか。得られたデータの量は、当初の期待を上回るものとなっていた。

 このデータを基にすれば、「至高の超飛龍」をさらにしのぐフェザーシステムを完成させられる。夏と雲無がそう確信するほどの境地を、和士の献身が齎したのだ。

 

 これなら――最終フライトも、間違いなく成功する。その期待を胸に抱き、たった三人でクライマックスを戦い抜いた試験小隊は――運命の八月二十日を迎えるのだった。

 

「……」

「あれ……和士さん、散歩ですか?」

 

 その日の朝。

 朝早くに調整を終えた和士は、私服に身を包んで飛行場の外へと踏み出そうとしていた。その姿を見かけた雲無に向け、和士はふっと微笑んで見せる。

 

「フライトは午後から、だろ? 誰かさんに代わって、お参りに行こうと思ってな」

「……!」

「お前の妹には、いろいろ世話になっててな。縁が切れてるなら恩返しもクソもないが、そうでないなら……」

「……知っていたのですね。あなたは、麗の……彼氏さんなのですか?」

「ぶ! い、いやまだそんなんじゃ……あ、いやその……」

「――そうですか。ふふ、あの麗にちゃんと『彼女』が務まるのか兄としては心配だったのですが……そうでしたか。なら、心配ありませんね」

「お、おい! 何勝手に解釈して完結してやがる!」

「恥じることなどありませんよ。不束な妹ですが、よろしくお願い致します」

 

 妹とは似ても似つかぬ礼儀正しさを前に、和士はたじろぎながら目を逸らしてしまう。だが、彼は雲無の微笑に隠れた憂いを見逃さなかった。

 ――家族に会う気がないなんて、嘘だ。本当は、会いたくてたまらないはずなんだ。直感が、そう訴えている。妹のことで、それを誤魔化しているということも。

 

「……お前はさ。悔しくはないのかよ。このフライトが成功したら――お前の功績は記録から抹消されて、俺の評価になるんだぞ」

「初めから、そんなものは求めていません。社会的な地位や名声がなくても――自分だけに誇れる『名誉』があるなら、それでいいんです」

「……」

 

 そんな和士の胸中など知る由もない雲無は、にこにこと愛想笑いを浮かべて和士を見送っている。どこか痛ましさすら覚えるその姿を一瞥した和士は、駆けるように山を降りて行った。

 

(そんな結末……認めるかよ。認めさせるかよ……!)

 

 ある一つの決意を、人知れず胸に秘めて。

 

「……」

 

 そんな和士の胸中を、知ってか知らずか。雲無は暫し、その背を神妙に見つめていた。

 

『なんでだよ……どうしてだ! なんだって皆、僕を独りにするんだよ!』

 

『嫌だ、嫌だ! こんな体も、空も! どうして僕なんだ! 帰りたい、帰りたいよぉ!』

 

『死にたい……もう、死なせてよ……。頼むよ、連れてってくれよ! あの雲の、ずっと向こうまで! いつまで僕は、僕らは! こんなことを続けなくちゃいけないんだよ! 大人って、そんなに偉いのかよ!』

 

『死にたくない、死にたくない! 落ちるのも嫌だ、空を飛ぶのもごめんだ! 熱いんだよ! 痛いんだよぉ!』

 

(……ちっ)

 

 逞しいようで、どこか初々しい背中。かつての自分を思い出せる和士の後ろ姿を見遣る、雲無の脳裏には――かつての自分が、恥も外聞もなく撒き散らした醜態が過っていた。

 今更になってそんなものを思い出すのは、心が弱い証。そう決め付け、雲無は自分の弱さに舌打ちする。

 

(……麗。君は今、どうしている? ちゃんと、平穏無事に暮らしているか? ――いや、ダメだな。こんなことを考えてるのは、未練がある証だ)

 

 そうして、麗と親しいという和士に、妹が今どうしているかを問えなかった雲無は――自分の本心にすら、背を向けていた。

 

 そして、「人」から外れた証となる胸の傷に手を当て、独り空を仰ぐ。

 

(……?)

 

 その時。

 肌に触れる空気の湿度に、雲無は不審なものを感じていた。

 予報では、今日は晴れると聞いている。だからこそ以前から決まっていた最終テストフライトの日取りを変えずにいたのだが――自然の暮らしを経て培われた彼の第六感が、ただならぬ警鐘を鳴らしていた……。

 

 ◇

 

 ――その頃。

 真夏の日差しを照り返し、透明な煌きを放つ川に――独りの少女の姿があった。

 際どいピンクのビキニを身に付けた彼女は、黒のショートボブと豊かな胸を揺らし、水飛沫を上げてはしゃいでいる。白い肌は陽の光を浴びて、眩い輝きに包まれていた。

 

 だが、彼女は遊んでいるわけではない。一見、川で水遊びに興じているようにしか見えない彼女の行動は、あくまで「撮影」の一環でしかないのだ。

 

「はいオッケー! ちょっと休憩入ろうか!」

「はーい!」

 

 プロデューサーを務める眼鏡を掛けた痩せ気味の男性が、川で戯れていた彼女に声を掛ける。その呼び掛けに元気よく応えた彼女は、タオルで体を拭きながらスタッフが用意した椅子に腰掛けた。

 

「いやー、いいねいいね! なんかいつにもまして魅力的だよユイちゃん!」

「まーね。やっとあのスケベ監督から解放されたんだもん。……当然のような顔してホテルに連れ込もうとした時には、思いっきりキンタマ蹴り上げてやったし」

「……恐ろしいことをさも当たり前のようにやっちゃう君も大概だよ……」

 

 自分の下腹部にキュッとした幻痛を感じたプロデューサーは、冷や汗をかきながら担当アイドルの勝気な姿勢に慄いていた。

 そんな彼を尻目に、少女――もとい国民的アイドル「フェアリー・ユイユイ」は、水辺に浮かぶ自分の姿をぼんやりと眺めている。

 

(……ホントは、芸能界なんて向いてなかったのかなぁ、あたし)

 

 その胸中には、幼き日に抱いた想いが渦巻いていた。

 

 ――東京最大の医療機関、天坂総合病院の院長を父に持つ天坂結衣が、アイドルを志したのは四歳の頃。

 

 幼い少女なら誰もが夢見る、白馬の王子様との結婚。普通なら歳を重ねるに連れて薄れて行く、儚いものであるはずのその夢は――幼少期から美少女としての自覚を持っていた彼女にとっては現実の目標だった。

 

 自らの愛らしい容姿に自信を持っていた彼女は、謙虚な姉や引っ込み思案の妹とは違い――男勝りと言って差し支えないほどに自己主張の強い人間に成長しつつあったのだ。

 彼女が小学生の頃、三姉妹をアイドルとして迎えたいという有名事務所からのスカウトにただ一人応じた彼女は、瞬く間にトップアイドルへの道を駆け上がり――「フェアリー・ユイユイ」の名声を欲しいままにしてしまう。

 

 それも全ては「白馬の王子様との出会い」という、幼すぎるほどに純粋な願いゆえの行動だった。誰もが羨むお姫様になれば、きっと王子様が現れる。

 そんな浅はかな理由でも、彼女を突き動かすには十分な原動力だったのだ。

 

 だが――現実の全てが、彼女のためにあるわけではない。

 

 素敵な出会い、というものを夢見てトップアイドルへと上り詰めた彼女を待っていたのは、金と権力に塗れた有力者がひしめく、華やかな世界の裏を象徴する「闇」。

 アイドルとして、女としての彼女に触手を伸ばす下衆な男達ばかりが、濁流のように彼女に群がるようになっていた。

 この世界には、王子様も姫を守る騎士もいない。幼いまま肢体だけが豊満になった彼女がそれに気付いたのは、トップアイドルに辿り着いた頃だった。

 

 ――自分が求めていたものは。本当に自分を大切にしてくれる、守ってくれるような人は、この世界にはいない。大切にしたくなるような人にも、出会えなかった。

 むしろこの世界こそ、自分が求めていたものから最も遠いものだったのではないか。学園のアイドルに留まっていた姉が、普段妹達にも見せないような貌をするほどの「出会い」を果たしていたことが、その疑念を強めていた。

 

(結友姉はいつもあたし達やクラスメートに頼られる存在だった。だから、自分が寄り掛かれるような、甘えられるようなタイプに落とされちゃったんだろうな……)

 

 いつも長女としての余裕ある振る舞いを見せている姉が、時折浮かべる恍惚の表情。それは、姉を落とせるような男などそうそういないと思い続けてきた結衣には衝撃的な光景だった。

 姉の心を奪った、その広い背中の温もりとは――どんなものだったのだろう。もしも、そんなもので満たされたら……自分は、どうなってしまうのだろう。

 

 その感情は恐れでもあり、期待でもあった。だが、その姉が知った「温もり」と今の自分がいる世界の間には、凄まじい隔たりがある。

 姉を落とした未知の感覚に想いを馳せるほどに、結衣の心はもどかしさに苛まれて行った。

 

(……あたし、やっぱりワガママだね。……それでもやっぱり……欲しいなぁ、出会い)

 

 姉や妹が知っていて、自分だけが知らず――自分こそが誰よりも追い求めていた「心を焦がすほどの恋」。雲を掴むような想いを抱える彼女は、膝を抱えている自分の姿を、水面の鏡で見つめていた。

 

(――誰か、あたしの心を落としてよ……)

 



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第22話 雷雨が呼ぶ試練

 墜落事故の犠牲者を弔う慰霊碑は、山道を登った先の小さな丘にある。事故から十一年を経た今も、犠牲者の命日には多くの遺族がこの地に足を運んでいた。

 警視総監・伊葉隼司とその一家も、その列を成す一部であった。

 

「他の遺族の方々……去年より大分、少なくなってるよね……お父さん」

「……ああ。あの事故から、もう十一年になる。失ったものに囚われまいと、彼らなりに前を向こうとしておられるのだろう」

「でもあなた……私達まで来なくなったら、きっと隼人は寂しがるわ」

「わかっている。あの子は辛い時でも優しさを失わない強い子だったが――人一倍の寂しがりやでもあったからな」

 

 隼司は妻の橘花(たちばな)うららの言葉から、幼き日の息子の姿を思い返し――儚い苦笑を浮かべる。双子の兄妹に受け継がれたと思しき茶色の長髪と雪のような柔肌、そして四十代という年齢を感じさせない美貌を持つ妻は――そんな夫の横顔を、心配げに見守っていた。

 両親のそんな様子を横目で見遣りながら――慰霊碑に続く山道を歩む麗は、額の汗を拭いつつ、父の言葉を静かに思い返す。

 

(……失ったものに囚われまいと、前を、向く……)

 

 それが、自分がすべきことなのだろうか。その自問に、少女の本心は「否」と告げる。

 

「できるわけ、ないよ……! 幽霊でもいい、会いたいよ、お兄ちゃん……!」

「麗……」

 

 夏の熱気に浮かされてか。父の言葉に昂るあまりか。麗は慰霊碑の前に辿り着く寸前、汗の中に紛れて涙を頬に伝わせる。

 そんな娘の姿を目の当たりにした隼司は、迂闊なことを口にした、と己の発言を悔いた。十一年を経た今もなお、最愛の兄を失った傷みは少女の胸に突き刺さったままだったのだ。

 

 このまま長居しては、ますます娘を追い詰めてしまう。妻と顔を見合わせ、そう判断した隼司は足早に慰霊碑に近づこうとする――が。

 

「……!?」

 

 慰霊碑に集まる遺族達の中に紛れた人影に既視感を覚え――その足を止める。その既視感の実態に勘付いた瞬間、隼司は思わず目を見開いた。

 

「和士君……?」

「――どうも」

 

 遺族に紛れて慰霊碑に手を合わせていた伊葉和士は、特に驚く気配もなく隼司達に会釈する。彼らが来ることなど、わかりきっていた、という顔だ。

 

「和士! ど、どうしてここに!?」

「ちょっと仕事の都合でな。事故の当日に来る時間が出来たのは、ただの偶然だが」

「まぁ……この方が麗の……。初めまして、娘がお世話になっております」

「こちらこそ初めまして。いえ、世話になっているのは俺の方ですよ」

 

 麗とうららに対する落ち着いた対応を見つめる隼司は、彼がヒーローとして更なる急成長を遂げていることに勘付いていた。――それだけの経験を積ませるような任務で、この屋久島に来ていることも。

 

「で、でもどうしてわざわざ……」

「さっきも言っただろ、来る時間が出来たから来ただけだ。……遺族でもない奴が弔いに来るのは、生意気だったか?」

「――そんなことはない。麗の夫となるやも知れぬ君の誠意なのだ。ありがたく頂戴する」

「へ……!?」

「お、お、お父さんなに言ってるの!」

 

 ――だが、敢えて詮索はしない。先の三二一便事件における彼の対応を見るに、不正や不条理というものを特に嫌う人柄であることは明らかだった。ならば彼の云う「仕事の都合」が不透明であろうと、そこに悪意はないのだろう。

 興味津々な様子で娘の想い人を問い詰めるうらら。それを止めようと真っ赤になる麗。いたたまれなくなり、お参りは終わったからと足早に逃げ去る和士。

 そんな彼らの一連の様子を見送った後、隼司は神妙な表情で青空を仰ぐ。

 

(空はこんなにも青いというのに……なんだというんだ、この肌にまとわりつくような歪な湿気は)

 

 そして――息子と同じ違和感を覚えていたことは、知る由もなかったのだった。

 

 ◇

 

 一方――その息子自身は。

 

「……」

 

 両親、そして妹がいるのであろう慰霊碑の丘を見つめ続けていた。最後のフライトを迎える瞬間が刻一刻と迫っているというのに、その表情はどこか遠くを見ているようだった。

 

「……帰りたい?」

「夏さん」

「いつまでも自分に嘘をついて、平気でいられるほど――人は強い生き物ではないのよ」

「――大丈夫ですよ、僕なら」

 

 その後ろから夏に声をかけられた彼は、普段通りの穏やかな微笑を浮かべ、踵を返して自分の乗機に向かう。フライトに向けての念押しのチェックをするために。

 ――否。そうすることで、余計なことを考えないために。

 

(……本当に帰る気がないわけじゃない。ただ、どうしようもないことだからそういうことにして、自分に折り合いを付けようとしている。ワガママを言わない「いい子」だったからこそ、自分の本心に素直になれないのね。それはあの子自身にとって、許されないことなのだから)

 

 彼の苦しみと絶望。そこから這い上がらんと足掻く姿。その全てをそばで見守ってきた夏には、小手先の演技など通じない。

 彼女は家族がすぐ近くまで来ている事実から、懸命に目をそらそうとする少年に、再び声を掛ける。

 

「――あなたの動力強化装置はすでに、度重なる墜落事故のダメージで修復不可なほどに破損してるわ。いつどうなるかわからないカラダだし、着鎧すればあなたの意思とは無関係に装置が作動する以上、着鎧するほどにその確率が跳ね上がるのよ」

「いつものことじゃないですか。全部、覚悟の上ですよ」

「本来、これは六十二号がすでにフェザーシステムとして万全であることを証明するためのフライトよ。六十二号に性能で劣る二十一号パイロットのあなたが、随伴する必要はないはず」

「レスキューヒーローは片方に二次災害が発生した事態を想定して、バディで行動するのが鉄則です。フェザーシステムの模範となる僕達が、大元のセオリーに背くわけには行きません。それに隊長を護るのが、隊員の務め。――それは僕より、元レスキューカッツェのあなたの方がよく知ってるはずでしょう?」

「……決意は、固いのね」

 

 少年にとっては、もう引き返せないところまで来ているのだろう。自分の死を以てしてでも、フェザーシステムを完成させる。

 それ以外に自分という人間の存在意義などない、というほどに。

 

 ――だが、その道も今日で終わる。それならば……存在意義が終わるのならば、家族の元で次の「意義」を見つけることはできないか。

 

 そう、声を掛けようとした時だった。

 

「……え?」

 

 周囲が、徐々に暗くなって行く。――飛行場の照明が消えたわけではない。

 

「……!」

 

 肌に伝わる湿気。冷ややかになっていく空気。異様な暗さの実態である――上空を覆う闇。

 予期せぬ天候の急変は、瞬く間に夏と雲無の目の色を変えた。矢継ぎ早に降り注ぐ豪雨を目の当たりにした夏は、ようやく終わるはずだった任務に水を差された思いで肩を落とす。

 

「山の天気は測り難いとは言うけれど、まさか今日に限ってこんな……」

「……そうですね。かなり風も荒れているようですし、最終フライトは日を改めて――」

 

 だが雲無はそこまで落胆した様子もなく、事務的な口調で予定変更を提案する。最終的にフェザーシステムが完成しさえすればいいのだから、何が起きても最善を尽くすのみ――と言わんばかりに。

 だが――その言葉が出る前に、彼は一つのことに気づき口を閉じた。

 

「――そうだ。和士さんを迎えに行かないと! 今頃びしょ濡れですよ」

「そうね。雲無君、悪いけど彼と連絡を取って迎えに――」

 

 その瞬間。

 

「雲無! 主任! 緊急出動だ!」

 

 二人が言う通りにずぶ濡れになった和士が、息を切らせて帰って来た。だが、その鬼気迫る表情と発言に、二人はただならぬ事態を感知する。

 

「どうしたのですか……!? 一体何が!」

「慰霊碑の丘近くの川辺で、女の子が溺れてる! レスキューに連絡はしたが――正直こんな山の中じゃ、間に合う気がしない!」

「なんですって……!?」

「俺と麗が現場に居合わせたんだが、川の流れが強過ぎて手出しが出来なかったんだ! 俺が他のところにも助けを呼んで来るから待ってろとは言ったが……麗のことだ、しびれを切らして無茶なことをやりかねない! 事態が悪化する前に、俺達で手を打たないと……!」

「待ってください! こんな天候でのフライトは危険過ぎます! データが不足している今では――!」

 

 そして、和士の口から語られる緊急事態を前に――雲無は夏が反対の言葉を言い終えるよりも遥かに速く、乗機に向けて走り出していた。

 

「和士さん!」

「ああっ!」

「ちょっ――あなた達!」

「現場の要救助者は、僕達以上の危機に晒されています! 今は、それだけの理由で充分です!」

「くっ……!」

 

 本来ならば、止めるべきだろう。模範的な行動を求められるテストパイロットが、無謀な出動をするべきではない。

 だが――ここで出動を止めさせたとして、要救助者が死亡するようなことになれば本末転倒。加えて、後々正式にフェザーシステムの研究開発を公表した際に当時のことを洗い出され、バッシングを受ける可能性もある。

 危険な賭けではあるが――それでも挑まざるを得ない状況になってしまったのだ。

 

(あともう少し……もう少しだったのに!)

 

 あとほんのわずかなフライトで、雲無の半生を潰した苦闘は終わるはずだった。そこまで来たところへのこの事態に、夏は苦虫を噛み潰した表情で天を睨む。

 

「着鎧甲冑!」

「……着鎧甲冑!」

 

 素早く操縦席に乗り込んだ雲無と和士は、内部に備え付けられた「腕輪型着鎧装置(メイルド・アルムバント)」を装着し、腕輪に音声を入力した。刹那、羽根をあしらったデザインの腕輪から、激しい光が迸る。

 その光は粒子化されたスーツとして転送され、二人の体に纏わり付いていく。瞬く間に雲無は赤の、和士は深緑のヒーロースーツを着鎧するのだった。フェザーシステムにおける「基本形態(スタンダードフォーム)」である。

 

『雲無』

「どうしました?」

『麗に会ったよ。隼司にも、うららさんにも』

「……そう、ですか」

 

 出動を目前に控え、二機の「超飛龍の天馬」が滑走路の上に並ぶ。すると、進む道を正面に捉えた雲無に、隣の和士から通信が入ってきた。

 そこから出た言葉に、雲無は微かに声色を震わせながらも――努めて事務的に答える。考えないように意識していることは、火を見るよりも明らかだった。

 

「さぁ、行きましょう和士さん。今はそんなこと――」

『――幽霊でも会いたい。あの子は、そう言っていた』

「……ッ!」

 

 諭すように。響かせるように。和士は、厳かにそう告げた。誤魔化しようのない彼の言葉に、雲無は目を伏せ――通信で聞かれまいと、弱音を押し殺す。

 

(会いたいさ……会いたいよ……僕だって、本当は!)

 

 その涙を、振り切るように。発進準備を終えた機体のエンジンに、火を付ける。

 誰にも知られていない、知られる訳にはいかない本心を秘めて。雲無は、豪雨と荒風が渦巻く暗雲の空へと漕ぎ出して行った。

 

「フェザーシステム試験小隊、発進!」

 



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第23話 橘花麗の戦い

(――どうして、こんなことに……!)

 

 目の前に突如訪れた絶対絶命の窮地に、麗は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。握り締めた拳からは、鮮血が滴り落ちていた。

 

 慰霊碑の丘を二人で降りた和士と麗が、現場に居合わせたのは約三十分前。豪雨の影響で濁流と化した川の中で、岩にしがみつき助けを求める少女の叫びが二人に事態の重さを告げた。

 ――現場で右往左往していたスタッフを問い質したところ、グラビア撮影中に天候が急変し、川から引き返す前に彼女が流れのど真ん中で身動き出来なくなったらしい。しかも、その少女の正体は今をときめくトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」だった。

 すぐさま麗は現地の警察及びレスキュー隊に通報し、山を降りる途中だった両親にも状況を報告した。

 

 だが現場はかなりの山奥であり、この豪雨のさなかでは容易にヘリで近づくことも叶わない。しかも、彼女が辛うじてしがみついている岩も、濁流の勢いに押されてぐらつき始めている。

 事態は一刻を争う。和士は「他に助けになるアテがある」と言い残して現場を走り去ったが、何十分経っても戻ってくる気配がない。

 

「誰か……! 誰か、助けてぇっ! も、もう腕がっ……!」

「お、おい誰か早く助けに行けよ! ロープあんだろ、ロープ!」

「助けるって誰が!? 僕はゴメンですよ! あんな流れに飛び込んだら、ロープがあったってどうなるか!」

「じゃあどうすんだ! トップアイドルが事故死なんて、さいっあくのスキャンダルだぞ!」

 

 だが、状況は待ってはくれない。岩にしがみついている少女は、両腕と声を震わせながら懸命に助けを求めている。

 そんな彼女の窮地を前にしてもなお、スタッフは我が身可愛さゆえか救出への道を踏み出せずにいた。

 

「……ッ!」

 

 救えるかも知れない命を前に、激しく口論するばかりで一歩も前へ進まない男達。そんな彼らの姿に、麗は――

 

『前へ踏み出すこの一歩に、強いも弱いもない。勇気があるかないか、それだけだ!』

 

 ――自らを虜にした男の言葉を、胸に抱いて。

 

「……いつまでオタオタしてんのよ、このグズ男共ォォォオッ!」

 

「ひ……!?」

 

 半ばパニック状態のスタッフ一同を、その咆哮で黙らせた。一喝と称するには凶暴過ぎるその叫びに腰を抜かしたプロデューサーに歩み寄る麗は、女子とは思えない腕力で胸倉を掴み、その腕一本で強引に立ち上がらせる。

 

「……ロープならあるんでしょ? だったらさっさと用意なさい、あなた達が嫌と言うなら私が行きます」

「え……!? い、いや、そんな無茶な!」

「――はァ?」

「よ、用意します! お、おいロープだ! ロープを早く!」

「は、はいぃい!」

 

 プロデューサーは腰を抜かした格好のままスタッフに指示を出す。右往左往するばかりでまとまりのなかったスタッフ一同が、ようやく動き始めた。

 ――この豪胆な振る舞いと決断力ゆえか、麗は自身が通う女学院で生徒達から「お姉様」と崇拝されているのだが……それはまた、別の話である。

 

「ロープは岩でちゃんと固定して。急がないと事態は悪化する一方よ!」

「わ!? お嬢さん何を……!」

「人命が懸ってるこの事態で、なにを躊躇ってるの、さっさと動く! 私をジロジロ見てるだけなら猥褻容疑でブタ箱に送るわよ!」

「す、すみませんでしたァァァ!」

 

 スタッフからロープを受け取った麗は着ていた服を乱暴に脱ぎ捨て、純白の下着姿になる。生来の雪のような肌色とあいまって、彼女の姿は裸身と見紛う光景になっていた。

 だが彼女は恥じらう暇も惜しむように、手早くロープを自身に巻き付ける。そして絶え間ない雨粒を頬から顎へ、顎から鎖骨へ、鎖骨から豊かな胸の先端へと滴らせながら――厳かな足取りで濁流の中へと突き進んで行った。

 

「く……!」

 

 だが、いかに優れた身体能力があるとはいえ、所詮は生身の女。自然の圧力の前には、足を一歩踏み出すことすらままならない。

 

「負けられない……! 負けて、なるものですかッ!」

「……!」

 

 だが、その大自然の猛威にすらも、麗は不屈の眼光を叩きつける。折れることを知らず、ただ愚直なまでに濁流を突き進むその姿に、絶望の淵に立たされていた少女の眼に、微かな光が灯る。

 ――しかし、もう少女は限界だった。岩にしがみつく両腕は、力尽きるように岩肌から剥がれ落ちて行く。

 

「諦めてんじゃ――ないッ!」

「あっ……!」

「死なせたりなんか、しない! だからあなたも――諦めないでッ!」

 

 だが、そのまま力無く流されて行くよりも早く。岩にたどり着いた麗が、流されかけた彼女の身を自らの豊満な胸に抱き、自分の腕力で岩にしがみついて見せた。双方の色白な巨乳が互いの胸を圧迫し、二人の美少女が隙間なく密着する。

 

 ――間一髪、麗は自分自身を壁にして少女が流される事態を防いだのだった。

 

「おぉ……凄い! やった! やったぞあの子!」

「あとはレスキューを待つだけだ! 助けはまだ来ないのか!?」

 

 その光景を目の当たりにして、戦々恐々となっていたスタッフの面々が歓声を上げる。しかし確かに最悪の展開だけは凌いだが――まだ、状況は芳しくない。

 

「くっ……!」

 

 両手両足を駆使して、なんとか流される事態は防いでいるが――この体制を長く持たせることはできない。いつ来るかもわからない助けに望みを託し、麗は持てる力を尽くして岩肌にしがみつく。

 

(和士……! お願い、早く……!)

 

 ◇

 

 ――その頃。

 現場から僅かに離れた秘密飛行場から――二機の小型ジェット機が飛び出していた。滑らかな曲線を描いて、雨空を舞う彼らは――マスク内のズーム機能を駆使して、現場の状況を確認する。

 

「麗……! 麗なのか……!」

「……あんのバカ、大人しく待ってろって言ったのに!」

 

 ズームした先に広がる光景に、和士は目を逸らして深く息を漏らした。――妹の窮地を前にした雲無が、胸を抑えて異様な量の汗をかいていたことには気づく気配もなく。

 

「もう一秒たりとも無駄にはできない! ――いくぞ雲無!」

「はい!」

 

 もはやこうなった以上、自分達が迅速に解決に向かうより他はない。和士と雲無は同時に判断し、深く頷き合う。

 そして言うが早いか、二人は同時に前方回転しながらコクピットを飛び出して行く。唸る風と雨に煽られながらも――彼らは体勢を崩すことなく空中で身構えていた。

 

 ――やがて二人の頭上に、別れたジェット機からプレゼントが送られて来る。

 

 和士は深緑のスーツの上に、黄色の飛行ユニットを装着。雲無も自身の赤いスーツの上に、ライトグリーンの飛行ユニットを纏う。

 

『Sailingup!! FalconForm!!』

『Sailingup!! FalconForm!!』

 

 二段着鎧の完了。その進捗を報せる電子音声が、雨の音にかき消されて行く。それでも彼らは、恐れることなく現場へ向かおう――

 

「今日で全て終わらせるぞ、雲無! ……雲無?」

 

 ――と、した時。いつもの訓練とは全く違う流れに、和士は思わず振り返る。普段の訓練では、必ず雲無が前に出て先導していたのに、その雲無の姿が見えなかったのだ。

 

「……!」

 

 それが意味するもの。その答えは、振り返る先に待っていた。

 

 胸を抑え、マスクの隙間から赤い滴りを雨粒に混じらせた雲無は、何かを告げることも叶わず、地に吸い寄せられるように降下を始めていた。

 ――その先は、濁流と化した川。

 

「……雲無ぃぃい!」

 

 事態を察した和士が、咄嗟に雲無目掛けて急加速したのは、その直後だった。

 



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第24話 和士の選択

 ――濁流に落ち、水の暴力に飲み込まれる。その直前の一瞬が、運命を分けた。

 

「くぅ……あッ!」

 

 水面を滑るようにギリギリまで高度を下げた和士は、掬い上げるように雲無のボディを抱え込む。そのまま川岸へ滑り込んだ和士は、素早く彼の身を岸の上に横たえた。

 胸からは蒼い電光が走り、マスクの隙間からは血が流れ出ている。息も絶え絶えであり、時折痙攣までしている。誰の目にも明らかなほどに、雲無の体調に異変が現れていた。

 

「雲無……! おい、雲無!」

「ぅ……ぁ、っ……」

 

 呼びかけに対する反応も曖昧であり、意識が混濁しているようにも見える。その状況と胸元の電光から、和士は雲無に起きた事態を察した。

 

「……まさか、『動力強化装置』にガタが来たのか!?」

「――す、み、ません。今日一日だけ、なら……持つ、と……思っていたのですが……」

「もういい喋るな! 要救助者は俺が助け出す、麗も必ず守り抜く! だから今は、俺を信じて待っていてくれ!」

 

 雲無の窮状は予想外だったが、こうしている間にも麗達のピンチは続いている。ならば迅速に二人を岸に帰し、雲無を基地まで連れ帰るしかない。

 僅かな逡巡でそう決断した和士は、雨に晒されない木陰に雲無の身体を隠した後、現場を目指してバーニアを噴かして飛翔する。メタリックイエローの鋼翼が、雨粒を切り裂き空高く舞い上がっていった。

 

「和士……さん……!」

「必ず迎えに行く! だからそれまで無茶をするんじゃないぞ、いいな!」

 

 震える手を伸ばす雲無に向け、和士は力強い声色で厳命する。そして振り返ることなく、現場を目指してバーニアを急加速させた。――僅か一瞬でも早く、ここへ戻るために。

 

「く、うぅ……う……!」

 

 そして、ここまで来たところで動力強化装置の限界に見舞われ、妹の窮地を前に何もできなくなった事実に――雲無は拳を握り締め、思考を乱す高熱と混濁する意識の中で、悔しさゆえの嗚咽を漏らす。

 その声にならない叫びさえ揉み消していく雨音だけが、絶えずこの空間を支配していた……。

 

「――いたッ!」

 

 その頃。ついに現場へと辿り着いた和士は、岩にしがみつく二人を見るなり急降下を敢行する。突如空から「翼の生えた人型の何か」が現れたことで、スタッフは声を上げてパニックに陥った。

 

「うおわぁああ! なんだアレ!」

「鳥人間!? なんでこんなところにあんなのがいるんだよ、なんなんだよこの島ァァ!」

 

 ――だが。

 暗雲を仰ぐ麗の瞳に映るその姿は、鋼の天使とも言うべき神々しさを放っていた。そして、こちらに手を伸ばす謎の男の細かな仕草、動きに現れる「表情」が、彼女に実態を気付かせる。

 

「和士……! 和士なのっ!? 他のアテってその着鎧甲冑ってこと!? し、しかも自在に滞空可能な着鎧甲冑なんて、どこのデータベースにも――!」

「訳は後だ、全くムチャクチャしやがって! 待ってろ、今助けてやる!」

「う、うん……あッ!?」

「ぐッ!?」

 

 だが、「至高の超飛龍」の深緑の籠手が彼女の白い手を掴む直前――流れが勢いを増し、彼女が捕まっていた岩が大きく傾いた。

 さらに彼女の身体をロープで繋いでいた岸側の岩が、川の勢いに接地面を削られふらつき始めている。

 

 ――命綱の根元まで流されれば、麗も少女も自分で身体を支えられなくなる。そう判断した和士は急いで麗の手を掴み直そうとする――が。

 

「きゃあぁぁあぁあ……!」

「ああっ!」

「……クソッ!」

 

 水の流れに二人が負け、支えるものもなく濁流に放り出されるのが――先だった。

 

 和士は咄嗟にバーニアを噴かしたまま着水し、命綱ごと流されかけた麗の豊満な肢体を抱き留める。だが――この弾みで投げ出された少女の手は、深緑のスーツに触れることさえ叶わず……濁流の中へとその姿を消して行った。

 

「そんなっ……そんなぁ!」

 

 悲痛な表情で、麗は少女が流された方向へと手を伸ばす。彼女の人影は、和士達が翔んできた方向へと流れていた。

 

(流れが速すぎて今からでは追いつけん……どうする!? ――そうだ、流れる先には雲無がいたはず! あいつに連絡、を……)

 

 水に足を取られ、思うように飛行するための姿勢が取れない。そんな状況に平静を奪われた和士は、とっさに雲無を呼ぼうと腕の無線機をマスクの正面に構え――その寸前で手を止める。

 ――できるはずがない。彼は今、「要救助者」の一人なのだ。

 

「……くそッ!」

 

 着鎧甲冑を着ている以上、流される心配はない。だが、波に煽られ体勢が安定しないまま無理に飛び出せば、明後日の方向に急発進して事故に繋がる。だから先程、雲無を助け出した時も水面に触れまいと心掛けたのだ。

 ――先に麗の身柄を岸まで運んで安全を確保し、その後に少女の救出に向かう。それが本来あるべき手順である。急がないと流されてしまうから、と無理に飛行しようとして事故を起こすより、時間を掛けてでも歩きで川を渡り、確実に一つでも多くの人命を救う。それが、レスキューヒーローとしての在るべき姿なのだから。

 

 だが、たった僅かでも助けられる可能性があるのなら――懸ける他ない。そう判断してしまうのが、伊葉和士という男であった。

 

「……雲無、聞こえるか!」

『は、い。こちら雲無』

「すまない、一人助け損ねた! ビキニを着た女の子だ! 今、お前がいる方向へ流されている!」

『……!』

「だが最優先されるべきは『お前を含む』より多くの人命だ! 人一人抱えたままだが、俺も向かう! お前は下手に動かず、彼女の姿が見えたら状況を報告しろ、いいな!」

 

 言うべきことを矢継ぎ早に伝え、和士は目一杯の力でふんじばる。そして流れる先へ身体を向け、麗の身体を抱いたまま――バーニアを噴かした。

 

「聞いての通りだ。麗、ここまで来たからには付き合ってもらう。しっかり掴まれ!」

「うん……! 私に構わず、目一杯飛ばして! 和士ッ!」

 

 突き上げるような爆炎が波を吹き飛ばし、二人の身体を舞い上げて行く。そこから榴弾砲のように弧を描き、堕ちようとする瞬間――

 

「……ぐぅあぁあぁあッ!」

 

 ――絶叫と共に身体を弓なりにそらした和士は、墜ちかけた背部ウイングを上方に引き起こし……ギリギリのところで飛行体勢を安定させた。

 

「やった……やったよ和士!」

「ああ! ――さあ、急ぐぞ! しっかり掴まれよ!」

「うんっ!」

 

 渾身の力で抱きついていた麗は、彼の言葉に応じるように、さらに背に回していた腕を締め付ける。まるで、逃がすまいと木に掴まるカブトムシのように。

 そんな彼女を抱えたまま、和士はさらにバーニアを加速させ、川の激流を追い続けていく。今この瞬間も、助けを求めているはずの少女を追って。

 



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第25話 風が唸り、血潮が叫ぶ

 薄れる意識の中で、少年は何度も夢を見た。

 

 あの墜落事故で、多くの人々が骸と化していく様。

 フェザーシステムのために身命を懸け、散って行ったテストパイロット達。次の世代のためと信じ、自らを命もろとも実験機に捧げて行く彼らは、メディアで持て囃されているどんなヒーローよりも輝いていた。

 だが、彼らの活躍が世に出ることはない。その功績全てを、伊葉和士が手中に収めてしまうのだから。

 

 ――だが、彼らは怨みなどこの世には残さない。これこそが、彼ら自身が望んだ結末だったのだ。自身が名誉を手にするより、少しでも多くの後輩ヒーローを救う。

 フェザーシステムならばそれができると、確信した上での決意だったのだから。

 

 腕一本。首一つ。それだけをこの世に残して昇天していく同志達は後を絶たず、それすらも残さずに消えて行く者もいた。

 そんな人々がどんな思いで空を翔け、地に墜ちていくのか。ずっと、その目に焼き付けて生きてきた。だから――わかる。

 

 そうして世に生まれてくるフェザーシステムが、どれほど尊いか。どれほどの重みを背負い、翔んでいるのか。

 

 そして今まさに――その意義を問う瞬間が訪れていた。

 

(僕の身体は……もう、ヒーローとしては使い物にならないところにまで、来ていたんだ……)

 

 概ねの状況は、和士からの連絡で把握している。流されてしまった少女が、自分が不時着しているポイントを通り掛かるようなのだ。

 ――しかも、少年こと雲無がいるポイントは、隆々とした岩山が川の中に幾つも聳え立っている。これをかわして流れ続けることは、不可能だ。

 無論、この濁流の速さに流されるまま岩山に激突すれば、大怪我では済まされない。間違いなく、命にも関わる。

 

 ならば、彼女がそこまで流されてしまう前に救出しなくてはならない。――そう。己の最期の力さえ、燃やし尽くして。

 

(和士さんは、下手に動くなと仰ったが――行くしかない。人一人を抱えたままの救出活動となれば、如何に完成形のフェザーシステムといえどバランスの安定は難しいものになる。まして、要救助者は濁流のただ中。万一水面に触れてバランスを崩そうものなら、その場で二次災害に繋がりかねない。ここは無茶だろうと何であろうと、手ぶらの僕が動くべきなんだ)

 

 木に背を預け、もたれ掛かりながら震える両足を杖に――雲無はふらつきながらも立ち上がる。二本の足でしっかりと立ちながらも、その上体はぐらりと揺れておぼつかない。

 それでもなお、彼は動き出そうとしている。

 

(――見えた! ……ん!?)

 

 ぐらつき、焦点がなかなか合わない視界の中で――雲無はマスク内の長距離カメラに映された映像を凝視する。そこには、確かにビキニ姿の美少女が助けを求める姿があった。

 

(あ、あの時の綺麗な女の子!? どうしてこんな場所に……!? ――いや、今はいい。とにかく今は、なんとしてでも――あの子を助けなければッ!)

 

 その見覚えのある姿に目を丸くしつつも、雲無はあくまで熱く――それでいて冷静に、次の飛翔に向けて前傾姿勢となる。

 そして――死神から送られる「最終通告」に当たる、胸の痛みを敢えて無視する彼は――拳を震わせ、地を蹴る。

 

「……死なんざ上等だ、このクソッタレがァァァァッ!」

 

 血は、争わない。妹以上の猛々しさが、雲無という少年の温和さを奪い取っていた。妹以上の怒号を上げ、助けを求めてもがく彼女に突撃していく。

 

 崖の端を蹴りつけ宙へ飛び出し、バーニアを噴かせて少女のもとへ。唸る痛みと苦しみに顔を歪める彼の心は、仮面の最奥へと封じられていた。

 打算も何もなく、ただ愚直に翔ぶその姿は――

 

(……! あれ、は……!)

 

 ――水に蹂躙され、意識が混濁する中にいる少女の眼に焼き付けられ。彼女の胸中に、今までにない感情が広がって行った。

 ライトグリーンの翼を背に、唸るように水面を翔ける仮面の騎士。その背後では、同色の飛行機が天翔る天馬の如く上昇していた。

 

(王子、様……?)

 

 白馬の王子と呼ぶには、無骨過ぎる見た目だが。欲に塗れた男達しか知らない少女にとって、その邂逅は強烈であった。

 

「こちら雲無、要救助者を発見! 救助に向かいます!」

『なにっ!? もうそんなところまで……! 俺が来るまで待てそうにないか!?』

「すぐそばで川が岩山に阻まれています! 急がないと彼女が危ない!」

『く……わ、わかった。だが、無理はするなよ!』

 

 和士からの言葉が終わる頃には、すでに少女との距離は目と鼻の先であった。雲無は僅かに逡巡したのち――彼女を素通りする。

 

(向かいから着鎧甲冑のボディで流されている最中の彼女に接触したら、衝撃で骨を折るかも知れない。――だったら!)

 

 そして――僅か数メートル先まで飛んだ瞬間、彼は新体操の如く体を上下に急旋回させ、反対方向への急加速に突入する。

 

「ぐっ――あぁあぁあぁあああぁあッ!」

 

 その切り返しに伴う全身への圧力が、すでにボロボロになっていた雲無の身体にさらなる追い討ちをかけた。マスクだけではなく、スーツ全体の各関節部から鮮血が噴き出してくる。

 それでもなお雲無は寸分も怯まず、躊躇わず――真っ赤に染まる視界に映る、少女の涙に慟哭する。この一瞬のために、自分の半生は在ったのだと、万感の思いを込めて。

 

 ――先程とは打って変わり、少女を追うように猛進する雲無の手は、下から掬い上げるように水没しかけた彼女の手を掴む。そして、一瞬にして少女の肢体を腕一本で引き上げた彼は――彼女の身体を抱き締めながら、最期の力を振り絞るように上昇していった。

 

 だが。もはや彼には、安全に着地できる余力も残されてはいなかった。意識が乱れ、失血により思考もまとまらず、上下左右もはっきりしない。

 そんな状況の中でもなお、心の奥底に残された「少女を守る」という大命だけは、褪せることなく彼の行動原理に焼き付いていた。ふらふらと安定しない飛行の中でも、鋼鉄の腕はしっかりと少女の柔肌を抱き締めている。

 

 ――そして。

 

「うっ……ぐ……!」

 

 徐々に高度を失って行く雲無の身体は、岸辺の砂利を削りながら、不時着していく。大地と己を削りながらも、少女の身体だけはしっかりと守り抜いて。

 数十メートルに渡る滑走を経て、ようやく止まった時。ほんの僅かな静寂を経て――気力に溢れたエンジン音が、聴覚を刺激する、

 

『なんてことだ……雲無! 聞こえるか!? 応答してくれ、雲無!』

「ぁ……ぅ、ぁ……」

 

 歪む視界は、曇り空の中を飛ぶ「至高の超飛龍」の姿があった。そして、その鋼鉄の腕の中には――

 

(麗……よかった)

 

 ――それがわかった時。力尽きたように、雲無の両腕が大の字のように広がる。長い保護から解き放たれた少女は、それに気づくと我に返ったように目を見開く。

 そして青ざめた顔で、動かなくなった白馬の王子の手を――傷付いた羽根の腕輪ごと、揺さぶるのだった。

 

「どうしたの……!? どうしちゃったのよ! 起きてよ! ねぇっ!」

 



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第26話 自分だけに誇る「名誉」

 雲無が、来るはずのなかった目覚めの瞬間を迎えたのは――基地の中にある見慣れた病室のベッドであった。

 

「……ぇ……」

 

 意識が覚醒していくに連れ、今の自分がベッドの上に横たわっているのがわかる。思考が纏まり始めて程なく、それが予想だにしなかった状況であることを思い出した。

 ――あの時、自分は死んだはず。あの身体から血も力も抜け落ちて行く感覚は、死ではなかったというのか。

 

 狼狽える余り声も出ない雲無は、思わず胸をさする。手に触れた包帯の感触から、手厚い治療を受けていたことがわかった。

 

「……!」

 

 ふいにベッド脇のデジタル時計に視線を移すと――そこには、九月二十二日と表示されていた。……丸一ヶ月以上は、眠り続けていたことになる。

 

「つっ……!」

 

 とはいえ、元々はあの時に死んでいたはずの身。一ヶ月眠り続けていたからと言って、完治するはずもない。

 周りの様子を見ようと身じろぎした少年の胸に、強烈な激痛が走った。――その時。

 

「……え?」

 

 ガチャリ、と扉が開かれ――沈痛な面持ちで俯いていた和士が現れた。

 だが、身を起こした雲無の姿を目の当たりにした彼は、表情を驚愕の色に染め――持っていた花を落としてしまった。近くにある花瓶の花を取り替えに来たのだろう。

 彼は花に目もくれず、目を見開いたまま雲無に駆け寄り、両肩に手を載せる。

 

「雲無! よかった……意識が戻ったんだな! 緊急冷却治療が間に合ったのか……!」

「和士……さん、僕は……」

 

 家族のように破顔する和士の様子に困惑しながらも、雲無は最後に意識があった時のことを思い返す。その瞬間、彼の脳裏に名も知らぬ美少女の姿が過った。

 

「そうだ……和士さん、あの女の子は!?」

「心配ない、彼女も麗も無事だ。フェアリー・ユイユイは流木の破片で擦り傷を負った程度だし、麗は石が軽く当たったくらいだ」

「フェアリー……? え? あの子、外国人だったんですか?」

「……」

 

 キョトンとした表情の雲無を前に、和士は生暖かい眼差しで少年の顔を見遣る。「そりゃ、山暮らしだった上に世俗に興味のないお前は知らないだろうな」と、ひとりごちて。

 

「……まぁ、なんだ。あの一件で被害を受けた二人は、もう心配ない。傷も浅かったし、とうに回復してる。……むしろ二人とも、お前の心配をしてたよ。なにせ、意識がない上に全身が過熱状態に陥ってたんだから」

「そう、だったんですか……ん!?」

 

 その時、和士の両手に巻かれた包帯が、雲無の目に留まる。先程の過熱状態という話と照らし合わせた雲無は、それが意味するものを素早く把握した。

 

「和士さん、その手は……!」

「ん? ああ……いや、たいしたことじゃないさ。お前のダメージに比べればな」

「和士さん……」

 

 昏睡状態の雲無をここまで連れてきたのは、間違いなく和士しかいない。だが、あの時の自分は過熱状態のただ中であり、スーツの熱も尋常ならざる強さだったはず。

 そんな焼きごてのようになってしまったスーツに触れれば、如何に着鎧甲冑といえど……。熱が本格化する前に気絶していたおかげで、少女を熱から守れたことを喜ぶべきか。大切な最終テスト要員であり、将来の義弟にもなり得る和士を、傷つけてしまったことを恥ずべきか。

 その双方に思い悩む彼を前に、和士は安心させるように語り掛けた。

 

「……己が身命を賭して、より多くの命を救うことを任務とす――だろ? お飾りの隊長だろうが新米だろうが、命張らなきゃヒーローの真似事も出来ないんだ。ちょっとは、先輩ヅラさせろよ」

「和士さん……」

 

 得意げにそう語る和士を前に、仏頂面のままだった雲無がようやくほくそ笑む。その様子を前に、ようやく彼の思考が平静を取り戻したのだと感づいた和士は、次の言葉を紡ぐ。

 

「『至高の超飛龍』――六十二号も、救芽井エレクトロニクスに提出してある。フェザーシステムの開発責任者のお墨付きでな」

「それじゃあ……!」

「……ああ。フェザーシステムは――完成した。それが、ついに証明されたんだ」

 

 その言葉は、雲無の表情を憑き物が落ちたような柔らかなものにさせる。今この瞬間、ようやく彼の苦闘が終わったのだと――和士は実感した。

 そんな少年に、かつて家族も故郷も失い、自分自身への誇り以外の全てを喪った親友の姿を重ねた彼は――気がつくと少年の手を握り、熱い雫を頬に伝わせていた。

 

「だから……いいんだよ。もう、いいんだ。死のうなんて、馬鹿なこと……考えなくたって、いいんだ……!」

「か、和士さん……」

「お前……言った、よな。自分だけに誇れる『名誉』があるなら……それでいいって」

 

 そして少年に痛みを与えぬよう、そっと――機械仕掛けの体を抱き締めた。失われて来た家族の温もりを、分け与えるかのように。

 初めはそれに戸惑っていた雲無自身も――冷たい機械になっても消えずに根付いていた、人肌を求める自分の「本心」を突き付けられ――唇を噛む。

 

「だったら……生きろよ……! 何もかも捨てても構わないから、生きろよ……! お前が消えたら――いなくなったら。お前だけの『名誉』は、一体誰に誇るんだ……!」

「……!」

 

 強く抱き締められない代わりに、大火傷を負っているはずの拳を、血が滴るほどに震わせる。そんな彼の熱が、冷たい機械を通して少年の胸に突き刺さる。

 

「……ねぇ、お父さん。あの子は、やっと……」

 

 彼らの様子を、背中越しに感じながら西条夏は廊下の天井を見上げた。壁一枚、扉一枚を隔てた向こうでは、一つの長い闘いが幕を下ろそうとしている。そしてそれは、彼女自身の闘いでもあった。

 長らく聞いていなかった、少年の嗚咽。今まで封じ込められてきた全ての想いが、フェザーシステムという枷を壊して解き放たれていた。

 

 どうせ死ぬならとフェザーシステムに打ち込んでも。死を求めるように、何度も墜落しながらテスト飛行を続けても。

 家族に会いたい。生きていたい。その「本心」を、最後まで覆すことは出来なかったのだ。

 

「……やっと……」

 

 頬を伝う雫が、夏の想いを物語っている。――雲無の意思を尊重するといっても、それは所詮、方便でしかない。

 この世でただ一人の「改造電池人間」として、実験動物のように救芽井エレクトロニクスに飼われてきた「弟」は、今ようやく、本当の意味で解放されたのだ。

 「姉」として――これほど、満たされることはない。

 

 そして――二人の姉弟の運命を終わらせた、実験部隊新任隊長は。腕の中で啜り泣くたった一人の隊員に、ある命令を下すのだった……。

 



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第27話 隼は、巣に還る

 九月の末。残暑という季節の節目を終えた空が、涼風を送るこの時の中――ある少年が、黒塗りのキャリーバッグを引いて歩いていた。その腕に、羽根をあしらった腕輪を巻いて。

 

(もうしばらくしたら――涼しくなるな)

 

 道行く人々は皆、少しずつ袖の長い服を着るようになり――その誰もが、紅葉の季節の到来を予感している。

 

 少年はそんな人々の一挙一動を、まるで珍しいものを見るかのように横目で見遣りながら――都心のただ中を歩いていた。

 通勤の男性、通学途中の少年少女。大声で談笑している主婦達。狭い歩道を歩いても、広い交差点を歩いても――目に映る先には必ず、「人」がいた。

 同じ「人」の命を賭して守り続けられている、この平和を享受して生きている「人々」が。

 

(違って見えるものなんだな……こんなにも)

 

 少年が最後にこの景色を見たのは、十一年も前になる。街そのものは代わり映えしていないはずだが――思春期の長い期間を経て、改めて目の当たりにした大都会の光景は、彼にとっては別世界だった。

 

「――ってさァ、まじありえねーって感じでさァ!」

「うっそ!? まじウケるーっ!」

 

 流行のアクセサリーを身に付けた同じ年頃らしき少女達が、少年の傍らを通り過ぎていく。以前まで暮らしていた場所では、聞いたことのないような言葉遣いだ。

 そんな自分の意識と世間との齟齬を肌で感じつつ、少年はある場所を目指し、バッグを引く。

 

『――では、やはり今回のニューシングル「私の彼はレスキューヒーロー」の由来は、その一件から生まれたのですねぇ』

『はいっ! あの瞬間、目に映ったライトグリーンの翼が目に焼き付いて……私のハートも、レスキューされちゃったんですぅ!』

『ご、御執心ですね』

『あぁ……麗お姉様、あなたもあの方もステキですぅ』

『ゆ、百合の花まで広がってる……』

 

 その時。どこか聞き覚えのある声に反応し、少年は思わず顔を上げる。街頭ビジョンに映る女子アナウンサーと、今話題のトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」の対談に、道行く人々も注目していた。

 広大な交差点に集まる民衆の眼差しをテレビ越しに浴びる彼女は、ピンクのフリルをあしらった可愛らしい衣裳に身を包み、満面の笑みでインタビューに答えている。

 彼女がトップアイドルたる所以の華やかな笑顔は、デビューから数年を経た今でも変わることなく人々を魅了している――が。

 

 その笑顔に込められている感情が、今までとはまるで異なる色を湛えていることに、アナウンサーは勘付いていた。

 さながら、本気の恋を知った乙女のように。

 

『ですがそのヒーロー、名前が付いていなかったのですよね? 最近、救芽井エレクトロニクスから新たに発表された「フェザーシステム」の実験機だったようですが……』

「……」

 

 アナウンサーの言葉に、少年は目を細めた。

 

 ――伊葉和士が完成させた新機軸レスキューシステム「フェザーシステム」の存在は世界中に喧伝され、自在に飛行し三次元空間での活動を可能にした新型着鎧甲冑の登場は人々に衝撃を与えた。

 フェザーシステムの発注が世界中から集まった上、伊葉和士の名声もさらに飛躍的な高まりを見せるようになっている。――その影に散った実験小隊の存在は、「そんなものもあった」という程度にしか知られずに。

 ゆえに伊葉和士の乗機である六十二号「至高の超飛龍」を除く全ての実験機には、最後まで名前が付けられないままとなっていた。彼の唯一の部下だった隊員が搭乗していた二十一号も、例外ではない。

 

『はい。……だからぁ、私が付けることにしたんですっ!』

『へっ?』

 

「……!」

 

 それゆえか。そろそろ行こう、とビジョンから目を離した少年が、彼女の言葉に足を止める。そして、食い入るようにフェアリー・ユイユイの笑顔を見つめるのだった。

 

『名付けて私だけのレスキューヒーロー……「救済の超飛龍(ドラッヘンフェザー)」! どうです? カッコイイでしょ!』

『え、えーと……あんまり捻りがないような、そのまんまなような……』

『カッコイイでしょっ!』

『そ、そうですね……カッコイイです、はい……』

 

 目をキラキラと輝かせ、全身からハートマークのオーラを全方位発射しているユイユイのハイテンションに、アナウンサーは完全に飲まれている。さらに、そんな光景を目の当たりにした民衆の中から、「俺のユイユイがぁああ!」という阿鼻叫喚の嵐が巻き起こった。

 

(……「救済の超飛龍」、か……)

 

 光り輝くトップアイドルが与えたその名は、歴史の闇に消えゆく機械人形には、あまりにも煌びやかな響きだ。だが、少年はそれを否定しない。ただ静かに、人知れず受け取るのみ。

 ――自分自身にだけ誇れる、自分だけの「名誉」として。

 

『とゆーわけでぇ! これからも皆のアイドル「フェアリー・ユイユイ」をよろしくねっ! あ、あと「救済の超飛龍」様の情報が見つかったら、迅速に報告してね! じゃ、またね〜』

『え、ええと……それではフェアリー・ユイユイさん、ありがとうございました。これからもトップアイドルのますますの活躍に、期待が高まりますね。以上、中継の玄蕃でした……』

『げ、玄蕃さん、ありがとうございました。……オホン、では気を取り直して次のニュースです。来年に初運行を予定している「リニアストリーム」が本日――』

 

「……ありがとう」

 

 そして届くはずのない礼を言葉にして、少年は踵を返す。アイドルを寝取られたと騒ぎ立てるギャラリーを背にして。

 

 ――そして。

 

 人だかりを離れた先に広がる、高級住宅街。この先進国の中においても上流階級に位置し、やんごとなき身分である人々が暮らす街並みは、少年の記憶そのままの景観を保っていた。

 優雅な高級車が行き交うこの道を、少年はキャリーバッグを引いて歩み出す。――幼い頃の記憶と変わらない、青空を仰いで。

 

(仕方ないよな。命令だもんな)

 

 内心、毒づいているようで。少年の頬は、待ち望んできた瞬間を前にして歓喜の色を滲ませている。

 その気持ちを抑えんと、キャリーバッグの取っ手を握る手に力が入るが――収まる気配はない。

 

 ――やがて。ついに。

 

 最期の一瞬まで、家族との失われた時間を取り戻せ――と命じられた少年は、十一年の時を経て。

 橘花邸と称される、住宅街の中でも一際広大な豪邸の前に立った。

 

 すぐ目の前にある、インターホン。それに触れれば、長い旅が遂に終わる。

 そう実感した少年は――最初に掛けるべき言葉は何にしようかと散々に迷い。やがて、それすらも振り切り。

 

 迷う暇も惜しいと、指先を伸ばした。

 その手にはもう――躊躇いはない。

 

「――ただいま。父さん、母さん。……麗」

 

 この言葉だけが、少年の十一年の全てだった。雲無幾望の旅に幕を引き、橘花隼人の運命を変える、この一言が。

 

 少年の、旅を終えたのだ。

 



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第28話 雨季陸という男

 天坂結花(あまさかゆか)は、恋をしていた。

 それは恐らく、物心がついた時から。

 

 保育園の頃も、幼稚園の頃も、小学生の頃も。彼女の熱を帯びた眼差しは、ただ一人の少年だけに捧げられてきた。

 幼い頃から内気な上に小柄で、苛められやすかった彼女を守り続けてきた、その少年の名は雨季陸(あまきりく)

 

 東京の小さな街角にあるラーメン屋「らあめん雨季」の跡取り息子であり、天坂総合病院院長の娘である結花とは天と地ほどの身分差である彼だが……幼馴染である両者は互いの家を隔てる壁など意に介さず、共に過ごしてきた。

 三姉妹の中でも一際気が弱く、大人しかった結花にとって明るく快活な陸の存在はかけがえのないものであり、両親公認の仲になるまでに、そう時間は掛らなかった。

 

 何年経っても小柄なままの幼児体型である結花とは正反対に、年を追う毎に体格を増して行く陸は、いつだって学校の人気者であった。

 勉強こそからっきしだが、端正な容姿とそれを鼻にかけないあっけらかんとした人柄は老若男女問わず周囲の人気を集め、スポーツ万能というアドバンテージが女子の好意を独占する。さらにラーメン屋の息子というだけあって料理にも精通しており、彼の店にファンが並ぶことも少なくない。

 

 ――しかも、それだけではないのだ。

 

 小学生の頃から始め、その長身を活かした陸上競技において無敗を誇った彼は、中学陸上競技会で新記録を次々と叩き出し――世界大会で同世代のライバルを蹴散らすにまで至ったのである。

 日本の短距離走において、雨季陸の名を知らぬ者はいない。誰もが、そう口にして憚らないほどの成果だったのだ。

 

 まさに、誰もが羨む王道のような存在。そんな陸という身近な幼馴染に対して――結花は、あまりにも平凡だった。

 姉二人と比べ、まるで成長しない胸。幼児体型とからかわれ、あのトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」の妹である事実もなかなか信じてはもらえない。信じられたらそれはそれで「なんで妹のお前は」と蔑まれる。

 いつも成績が危うい陸に勉強を教えているのは彼女だが、彼女自身も特別頭がいいというわけではない。せいぜい、平均より少し上という程度のことである。

 そのことから成績優秀な女子からやっかみを受けた回数は、計り知れない。

 

 運動もできない。勉強も大したことはない。姉達のように美人でもなく胸もない。愛嬌があって可愛らしいと言ってくれる友達はいるが、それでも家族や幼馴染に釣り合うものとは、到底思えなかった。

 なぜ自分だけが平凡なのだろう。どれだけそう嘆いても何かが変わることはない。せめて可愛くなろうとお洒落に気を遣っても、姉達はそんな努力を才能で踏み越えてしまう。

 

 それでも、彼女は絶望しなかった。――陸だけは、どんな時でも味方だったからだ。

 

 保育園や幼稚園で苛められた時は「ゆかをいじめるなー!」と男子達を相手に大立ち回り。小学校に入り、周りの女子達から陰湿な苛めを受けた際は「結花を苛めるってことは宣戦布告ってことだな! オレは逃げも隠れもしねぇ、文句ある奴は掛かって来い!」と周囲を一喝。

 中学校に入れば、苛めから守るために自分の目が届く陸上部へと、マネージャーとして誘い入れた。

 

 そのことでどれほど周囲からからかわれても、彼は「オレはやましいことなんてしてない。恥ずかしがることなんてない」と胸を張り、妬む周囲を黙らせるほどの実績を陸上で叩き出してきた。

 

 ――そんな彼に結花が熱烈な想いを抱いてしまうのは、ある意味では必然だったのかも知れない。

 それを自覚してからの彼女は、彼への献身にのめり込んでいた。

 

 朝早く彼の弁当を作り、早朝の練習をそっと見守り、疲れているようならタオルとドリンクを手に駆けつける。

 そんな毎日が、彼女の心に満ち足りたものを与えていた。

 

 そして、時は過ぎ――二◯三四年四月。

 結花は自分の半生を占めた初恋に、一つの決着を付けようとしていた。

 告白である。

 

 都内の高校「五野寺学園高校(ごのでらがくえんこうこう)」、通称「五野高(ごのこう)」への入学を決めた二人は、桜が舞うこの季節の中、入学式への道を歩んでいる。

 

「今日からオレらも高校生かァ〜……。なんか実感沸かねぇよな、結花」

「そ、そうだね。でも、きっと一週間も経たないうちに馴染むよ。どこでも構わず居眠りしちゃう陸ならね」

「あっはは! そうかもな! んじゃ、またオレが寝てたら上手い具合に起こしてくれよ。先生のチョークが飛んでくる前に、さ」

「もう。最初から私をアテにしないでよ! たまには自分で宿題もやらなきゃダメだよ?」

「ちぇ。結花先生は厳しいなぁ」

「厳しくありません! あと先生でもありませんっ! ――私がなりたいのは、こ、こいび……」

「おん?」

「えっ! えっ、えっと、その……」

 

 このタイミングで想いを告げ、華の高校生活を恋人同士として過ごしたい――それが、結花の願いであった。

 

 黒い髪を春風に靡かせ、少し着崩した制服姿で並木道を歩く幼馴染の姿は、少女の瞳には輝いて見えていた。

 百八十八センチの長身と、百四十五センチの幼児体型ではアンバランスにも程があるだろう。だがそれでも、彼女は想いを告げることに躊躇いはなかった。

 そんな理由では引き返せないほどに、強い想いなのだ。

 

(……い、言うしかない。絶対、絶対伝えて……ちゃんと陸と、愛し合うんだ……!)

 

 震える手を握り締め、ゆでだこのように顔を赤らめ――結花は、横目で最愛の幼馴染を見上げる。中学陸上競技会のスターとは思えないほど、だらしのない表情。だが、そんな表情一つ一つが、結花にはたまらなく愛おしかった。

 

 告白しよう、という時にそんな母性を刺激する顔を見せられたからか。彼女は考えるよりも早く、彼より前へ――横断歩道へと飛び出していた。

 

「結花?」

 

 彼女らしくもない突飛な行動に、幼馴染は目を丸める。――そして。

 

「……陸! あのね、私ね!」

 

 勇気を限界以上に搾り出そうと、彼女は両手で胸元を握り締め――想いのままに声を上げる。

 

「小さい頃から、ずっと、ずっとあなたが! すっ――」

 

 そして己の枷を外した彼女が長年募らせてきた想いを全て、解き放とうとした――その瞬間。

 

「――おい、結花っ!」

 

「――えっ!?」

 

 血相を変えた陸が、飛び込んできた。突然の展開に結花はまともに反応することすら叶わず、されるがままに突き飛ばされてしまう。

 

 視界の先を、大型トラックが過ったのは――その直後だった。

 

「いたっ!」

 

 陸に突き飛ばされるままに尻餅を付いた彼女は、一瞬だけ痛みに目を瞑り――すぐさま正面を見た。

 

 ――それは。想い人への告白に踏み切り、幸せな将来を夢見ていた少女の心を打ち砕くには、過ぎた威力だった。

 

 うつ伏せに倒れたまま動かない幼馴染。いつも能天気に笑っていて、辛い表情など一度も見せてこなかった彼は――初めて。彼女の前で、苦しげな呻き声を上げていた。

 

「……あ」

 

 余りのことに、結花はまともに言葉が出ない。それでもなんとか口を動かそうとする彼女の眼前には――

 

「……あ、ぁぅ、あ」

 

 ――鮮血に濡れた片足が、転がっていた。

 

 その足が誰のものか。どれほどのものか。彼女は知っている。利き足であるあの黄金の左脚で、彼がどれほど多くの功績を打ち立ててきたか。

 どれほど、みんなを元気付けたか。どれほど、自分の心を奪ったか。

 

「い、あぁあ、あぁあぁあ……」

 

 彼女には、わかっていた。

 

 だからこそ――無意識のうちに、己の心を砕いてしまったのだ。

 自分が招いたことの大きさに、自分の全てが破壊される前に。

 

「ぁあぁあぁ、あぁあぁあァァァァッ!」

 

 砕かれた心の嗚咽を、悲痛な叫びに変えて。

 

 無傷であるはずの結花は、血に濡れたまま愛する男の胸を抱き、絶叫を上げる。発狂を回避するために本能が命じた、最後の防壁であった。

 

 ――この日。

 かつて世界の陸上競技にその名を知らしめた雨季陸の存在は、スポーツ界から抹消されることとなる……。

 



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第29話 天坂忠道の苦悩

 ――二◯三四年、七月上旬。

 

 梅雨も明け、眩い夏の陽射しが雲の隙間から覗く季節。アスファルトが敷かれた街道に漂う熱気が視界を歪め、道行く人々は絶えず汗を拭っている。

 

 その猛暑の幕開けとも言える時期でありながら――漆黒のスーツに身を包み、サングラスで顔を隠した一人の男が、東京の道を歩んでいた。通り過ぎる人々はみな、怪しげなその男の姿を振り返り、訝しむような視線を送っている。

 だが、男はそんな視線を気にした様子もなく、ただ悠々とある場所を目指して足を進めている。

 

 ――そのサングラスの奥の瞳に、この熱気さえ凌ぐ情熱を秘めて。

 

『……つまり。このシステムを外部の人間に使わせるつもりはないというのね?』

『はい。……社長。あなた方は、人命のために最善を尽くした凪を杓子定規の判断で追放し。「合意の上」と謳って、生きる道を見失っていた雲無を体よくモルモット同然に扱った。そこにどんな理由があろうと、俺は決して許せません』

『……』

『俺が開発した「ストライカーシステム」のテスト装着者は、俺が「自分の目」で探します。あなた方のような汚い大人達が利権絡みで選出した、どんな腹黒い陰謀を抱えているかわからない連中には、死んでも触らせません』

『容赦のないことを言うのね』

『俺をそこまで駆り立てたのは、あなた方です』

『――あなたも「あの人」と同じね。理想に邁進するがゆえに、職業としてのヒーローから乖離していく……』

 

 男の脳裏には、上司と交わした言葉が過っていた。職業と理想。相反する二つの言葉が、男をこの場へと誘っていたのだ。

 彼はやがて、ひと気の少ないとある街角に入ったところで、ようやく足を止め――顔を上げる。

 

 そこには、「らあめん雨季」と殴り書きされた看板が立てられていた。

 

(……相容れないのなら、妥協するしかないというのはわかる。だが、俺にも決して許せない境界というものがある。それをやすやすと踏み越えて行く連中に、俺の「正義(ストライカー)」は渡さん)

 

 男は黒い手袋を嵌めた手を顔に伸ばし、静かにサングラスを取る。そして、苛烈なまでに強固な意思を宿した瞳が、オンボロの看板を射抜いた。

 

(俺の「正義」を託す先は、俺が決める)

 

 ――その時。四十代半ばと思しき筋肉質な男が、店の暖簾を上げて顔を出してきた。

 

「へいらっしゃい……って、なんだ兄ちゃん! どえらい暑そうなカッコしてんなぁ! 今何月だと思ってんのよ!?」

「――失礼。こちらが、雨季陸君のご自宅であると伺ったのですが」

「あん? 兄ちゃん、陸のお友達かい?」

「いえ。どちらかと言えば、彼のファン……のようなものでしょうか」

 

 店主らしきその男は、スーツ姿の男の言葉に目を丸くして――爆笑する。

 

「ファン〜? ――がっははは! 陸上辞めたってぇのに、まだまだ人気者なんだなァうちのドラ息子!」

「御父兄の方でしたか」

「ああ。しかし、悪いな兄ちゃん。今あいつ病院行ってんのよ、リハビリで。帰ってくるのは夕方になるんじゃねぇかな」

「この辺りで病院――となると、天坂総合病院でしょうか」

「おおそうだ。……兄ちゃん、うちのドラ息子に用があるんだったら店で待ってるかい? そのカッコは暑いだろう」

 

 店主は男を店に招き入れようとするが、男は無用とばかりに手を振ると、一礼して踵を返してしまう。

 

「いえ、お構いなく。彼に励ましのお言葉をと思いましたので、早速、病院にお伺いします。お気遣い、感謝致します」

「いいってことよ。無理に止めはしねぇが、道中気をつけてな。――事故ったら人生、ひっくり返っちまうぜ」

「……そうですね。御忠告、痛み入ります。では……」

 

 そして、どこか含みを持たせた店主の最後の言葉を受け――目を伏せた後。男は、次の目的地へ向けて歩み出して行く。

 その目に宿る炎で、この猛暑を焼き払うように。

 

(……事故ったら人生ひっくり返る、か)

 

 店主の残した言葉を、僅かに思い返して。

 

 

 ――その頃。

 天坂総合病院の、とある診察室では――ある壮年の男性が、受け持ちの患者である少年と向き合っていた。

 

「陸君、足の具合はどうかね?」

「んー……すこぶる良し! いやー、案外ちゃんと動くんだね義足って」

「ここまで可動域が人間に近い筋電義肢が実用化されるようになったのは、着鎧甲冑が生まれて間もない頃……ほんの数年前のことなんだけどね」

「へー、そんなに前なのか。もっと最近のことかと思ってたよ」

「着鎧甲冑が世に出てからここ数年、科学技術は過去に類を見ない速さで発達しているからね」

 

 だが、二人の間には単なる主治医と患者とは思えないほどの「近しい距離感」があった。しかしその一方で、医師の態度には気まずさや申し訳なさが漂っている。

 

「――だが、生身に比べれば不便であるには違いない。……すまない陸君、もっと精巧な義足さえあれば……」

「いいっていいって。おっちゃんがこれ作ってくんなかったら、今頃松葉杖か車椅子生活だったんだ。感謝してんだぜ、これでも」

「……ありがとう、本当に。君には、感謝の言葉もない……」

「あーもー、いつまでも院長先生がそんなメソメソしてちゃダメだろう! ガキはいつだって、大人の背中を見てんだぜ!」

「ああ、そうだな……すまない」

 

 そう言って頭を下げる、壮年の医師の眼前には――「しょうがねぇなぁ」と苦笑いを浮かべる長身の少年の姿があった。

 艶やかな黒髪と黒曜石の色を湛えた瞳は、精悍さと凛々しさを兼ね備え――その一方で、右頬に傷痕を残した端正な顔立ちは、幼い少年のような屈託無い笑みを浮かべている。

 赤いTシャツの上に炎柄のベストを羽織った彼は、野暮ったい黒のGパンには不似合いなほどの長い脚を組んでいる。何を着ても絵になる美男子が、そこに佇んでいた。

 

「しかし、あれからもう三ヶ月とはなぁ。早いもんだぜ、この足にもすっかり慣れたしよ」

「ああ……。しかし、君はもう陸上が……」

「だからさぁ。オレがいいって言ってんだから、それでいいじゃない。おっちゃんまでいつまでもそんな調子じゃあ、結花だって立ち直れねぇぞ」

「わかっているとも……わかっているさ……」

 

 三ヶ月前の、五野高の入学式。通学途中に横断歩道から飛び出した天坂結花を、トラックから庇った陸は利き足である左脚を轢き潰され、陸上の道を絶たれた。

 結花の父であり、天坂総合病院の院長である天坂忠道(あまさかただみち)は、事態を知って緊急手術を行ったが――彼の足を復元するには至らなかった。

 

 ――娘と陸の仲は忠道も深く知っており、小さい頃から結花を守り続けてきた陸のことは、彼が陸上で成功する以前から実の息子のように想っていた。自分が男児に恵まれなかったことも理由の一つだが、それでも彼にとっては陸は息子同然だったのだ。

 結花も心底彼に惚れ込んでいるし、ゆくゆくは陸上選手として華々しく輝く彼を支える妻として、「らあめん雨季」を切り盛りしていくのだろう。そう確信した、矢先の出来事だった。

 

 陸は左脚を失って陸上を辞めることになり、結花はショックのあまり引きこもってしまった。もうすぐ夏休みという時期なのに、彼女は一度も学校に行っていない。

 忠道自身はもちろん、姉の結友や結衣、母の結香梨(ゆかり)も懸命に励まし、従姉妹の佐々波真里(さざなみまり)も見舞いに駆け付けたのだが――結果は芳しいものではなく、部屋から出るようにはなっても外出する気配は見られない状況が続いている。

 

 この件の被害者である陸自身も、一度は見舞いに来たのだが――彼女は義足になった陸を見るなり怯えて部屋に逃げ込み、泣きながら謝罪の言葉を叫ぶようになってしまった。

 さすがにこれには陸も堪えてしまい、以降彼は天坂家には来ていない。下手に刺激して自殺にでも走られたら、本末転倒だからだ。

 

 ――彼女が外に出られない原因には陸への罪悪感もそうだが、学校への恐れも含まれていた。

 期待の超新星として華々しく高校デビューするはずだった陸の夢を潰し、学校にも来ない。さらに幼馴染という理由だけで陸に庇われ続けている。

 そんな彼女を周囲がいいように思うはずはなく――実際、陸が退院して学校に復帰した時、彼女が座るはずだった机は傷と落書きだらけになっていた。

 どれだけ拭き取っても消えない落書き。満足に机として機能するかも怪しいほどの傷。その悪意を目の当たりにした陸は烈火の如く怒り、教師陣や生徒会にことの重大さを訴えたが――結果として陸の人柄が評価されただけに終わり、結花への不評が覆るには至らなかった。

 

 それから、三ヶ月。結花への表立った苛めがなりを潜めた代わりに、彼女は「いないもの」として扱われるようになっていた。

 陸は陸上部への入部こそ叶わなかったが、コーチとして協力して欲しいという部の要請に応える形で、マネージャーを務めている。かつて結花がそうして、彼を支えていたように。

 

 高校に入ってからも難航していた彼の勉強は、結花に代わって長女の結友が見るようになっていた。

 「らあめん雨季」に通い、陸に勉強を教える結友は、結花を案じる陸に知っている限りのことを伝え、彼を支えている。……次女の結衣はアイドル業が多忙である上に陸に劣らず頭が悪いため、この人選となっていた。

 

 結友は高校三年の受験シーズンではあったが、すでに志望校への推薦入学が決まっているほどの才媛である。今は陸の勉強を手伝う一方で、自らが想いを寄せる命の恩人・海原凪の行方を捜す日々を送っていた。

 

 忠道は娘の命を救ってくれた恩と、将来を奪ってしまった罪に報いるため、陸の主治医を引き受け積極的に彼のサポートを尽くしていた。

 

 ――そうして、どうにか彼らは事故から立ち直るための道へと進み出しているのだが。当の結花だけは、未だに回復の傾向が見られないのだ。

 将来を捧げると誓った、最愛の幼馴染の未来を奪ってしまった――という事実を思えば、無理からぬことではあるのだが。

 

「……なんだかんだ言っても、結花もオレもちゃんと生きてる。出来なくなったのは、陸上だけだ。どうせいつかは親父の店を継ぐつもりだったんだから、それがちょっと早まっただけなんだよ。オレにとっちゃあな」

「そうかも知れん。だがあの子は、違っていた」

「って言われてもなぁ。千切れちまったもんはくっつけようもねぇんだし、いつまでもカリカリしたって仕方ねぇだろ。そんなことよりオレは早く結花の顔が見たいし、あいつが作る弁当が食いてぇ」

「――陸君。そのことなのだが……話があるんだ」

「おん?」

 

 そこから忠道は、娘の幸せを願う父として一つの決断を語る。

 ――それは結花を祖父母の実家がある田舎へ転校させ、噂の届かないのどかな町で暮らさせる、というものだった。

 

 ここまでの事態になった以上、もはやどれだけ取り繕ったところで、結花が五野高に復帰することは不可能に近い。

 ならばせめて、ほとぼりが冷めるまで――最低でも高校卒業の年齢に至るまで、田舎の「松霧町(まつぎりちょう)」に転居させるしかない。幸いあの町には、町内唯一の高等学校「松霧高校(まつぎりこうこう)」もある。

 あの町は善良な住民が多く、治安も善い。自然も豊かで祖父母も優しい。結花のケアには最適な環境である。それが、忠道の判断であった。

 

「……ふぅん」

「すまない。私とて、君と結花を引き裂きたいわけではないのだ、むしろ一日も早く一緒になって欲しいと思っている。だが、しかし――」

「――一応、聞くけどさ。その話、結花は知ってんのか?」

 

 そんな彼に対し、陸は真剣な表情で厳かに問い掛ける。到底、「一応」という範疇の質問ではない。

 その威圧を肌で感じた忠道は、彼に負けぬ真剣さを帯びた眼差しを、真っ向から注いだ。

 

「無論、結花にも話はしてある。その上で、この転校の話を決めた。――あの子も、『このままじゃ陸に合わせる顔がない』と泣いていたんだ。今を変えるには、きっかけが必要であると私達は思っている」

「――そうか」

「それに転校といっても、いつまでも引き離すつもりはない。それに休暇があれば会いに行ける距離だ。あの子は『陸にもう会えないなんて嫌』とも言っていたしな……」

 

 忠道の真摯な言葉を受け、陸は厳かな表情のまま天井を仰ぐ。――そして。

 

「……だったら、オレから言うことは何もねぇ! 結花がそうしたいって言ってんなら、男のオレがグチグチ抜かす道理はねぇわな!」

「陸君……」

「それも全部、結花を元気にするために必要なんだろ? だったら、オレはおっちゃんを信じるぜ! 絶対、結花の笑顔を取り戻そうな!」

 

 いつものような溌剌とした笑顔で、頷いて見せた。そんな娘の想い人に、忠道はシワの寄った頬を綻ばせ、胸を撫で下ろす。

 

「ありがとう……本当に。君が、結花の幼馴染で良かった」

「よせやい照れくさい」

 

 頭を掻いてにへへと笑う陸に、忠道は穏やかな笑みを向けた。

 

 結友の命を捨て身で救ったと聞く、海原凪という青年。川に流された結衣を間一髪救い出し、満身創痍になりながらも奮闘したという「救済の超飛龍」。

 長女と次女がこの二人に恋心を抱いていることは忠道も知っていたが、人柄や実態が不明瞭である彼らに対し、忠道は父として不安を募らせていた。

 だが、幼い頃から知っている陸に対しては至って好意的であり、三女のために戦ってくれた彼には深く感謝を捧げている。

 

(ヒーローとの恋……か。私の娘達は皆、そのような運命の中にいるのかも知れんな。ただの偶然にしては、出来過ぎた結果だ)

 

 そして、とある思いを胸に抱えた彼は――再び真摯な表情で、陸の顔を見遣る。そこからただならぬ様子を感じ取った陸は、何事かと首をかしげた。

 

「……おん? どしたのおっちゃん。オレの顔になんか付いてる?」

「……いや。さしたる意味はないが――陸君。私は、君はヒーローと称賛されるに相応しい人物であると思っている」

「は? なんだ急に」

「私がそう思った、というだけの話だ。大した意味はない」

「……?」

 

 それ以上語ることはなく、忠道は陸の瞳を見つめ続けた。今一つ要領を得ない陸は、彼の言葉の意図が読めず、きょとんとした表情になる。

 

 ――その日の夕暮れ。病気を後にして、自宅への帰路についた陸は、未だに忠道が残した言葉に引っ掛かりを覚えていた。

 

(なんだったんだろうな? さっきのおっちゃん)

 

 まるで何かを伝えようとして、上手く言葉に出来なかったことのような……言い知れぬ不自然さが、あの時の忠道に感じられた。

 あれは一体、何だったのだろう。

 

 ――その思考を、目の前の光景が中断した。

 

「雨季陸、だな」

「おん?」

 

 ふと、顔を上げた先には――いかにも怪しそうな、黒スーツのグラサン男。

 この季節には余りにも似合わないその不審者を前に、陸は手馴れた動きで構えを取る。こうして因縁を付けられ喧嘩に発展した経験は、数え切れないほどあるのだ。

 

「カツアゲかい? 悪いね、帰りの電車賃くらいしか持ち合わせはねぇんだ!」

「――何を勘違いしてる、俺が喧嘩をしにきたとでも?」

「おん?」

 

 ――だが男は殺気をまるで見せず、何かする気配もないままサングラスを外して見せた。まるで敵意を感じない相手の雰囲気に、陸は毒気を抜かれたように構えを解く。

 経験則と噛み合わない男の様子に不審を抱きつつも、陸は出方を伺おうと素顔を覗き込む。そして――目を丸くした。

 

「あれ? 兄ちゃん、どっかで見たことある顔してんな」

「――伊葉和士だ」

「うっそぉおぉぉおぉん!?」

 



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第30話 ストライカーシステム

 ――翌日。

 

 日曜日の朝から、陸は東京郊外の平野に訪れていた。都会の景色が一望できる広大な平地に立った彼は、青空の向こうに見えるビル群を一瞥する。

 そんな彼の隣には――昨日知り合ったばかりの青年、伊葉和士の姿があった。サングラスこそ外したままだが、黒スーツ姿の怪しさ全開の外見に、陸は眉を顰める。

 

「伊葉さんよぉ……暑くないの? いやもう、見てるこっちが暑いんだけど」

「なら後ろに立っててやる。お前は前だけ見ていろ」

「そういう問題かなァ……」

 

 にべもなく返された陸は、溜息混じりに自分の左脚を見遣る。彼が履いている黒のGパンの下には――忠道製とは異なる、トリコロールカラーの筋電義足が装着されていた。

 それも、超人的な脚力を持ち、生身の足と見紛うほどの精密な動作を可能にした特別製の。

 

「なんでこうなっちまったんだかなァ」

「その訳なら昨日説明したはずだ」

「いやまぁ、そうだけどさ。ハハ……参ったねえ。まさかオレが――新型ヒーロースーツのテスト装着者だなんてなァ」

 

 苦笑いを浮かべる陸の手首には――黄色に塗装された「腕輪型着鎧装置」が取り付けられていた。

 

 ――昨日の夜。

 伊葉和士に連れられた陸は、彼の自宅である都内の研究室に招かれ――義足を交換させられた。

 新型着鎧甲冑に用いられる、義足型デバイス――「超駆龍の剛脚(ストライカーレッグ)」に。

 

 高機動に特化した最新型レスキュースーツ「ストライカーシステム」の開発者である伊葉和士は、そのテストを陸に依頼するために彼を連れ込んでいた。

 さらにそのストライカーシステムのメインパーツである「超駆龍の剛脚」は、陸の身体に完璧にフィットしていた。――和士は陸に合わせてデバイスを作るため、主治医の忠道から彼のカルテを入手していたのだ。

 

 忠道は、世界的に名が知られているエリートヒーローである伊葉和士が、陸をテストヒーローにスカウトしようとしていることを知っていたのである。

 

 当初こそ「いきなり義足を取り替えろだなんて何事だ」と反発していた陸だったが、信頼している忠道のお墨付きだとわかると渋々ながらも和士の話に乗るようになっていた。和士としては、その単純さに親友を重ねて溜息をついてしまったわけだが。

 

「ま、忠道さんが大丈夫って言ってんなら大丈夫かな。何とかなるだろ多分」

(昨日から思ってたが、こいつ凪以上にチョロいな。自分で選んでおいて難だが、大丈夫かこいつ……)

 

 斯くして陸は「超駆龍の剛脚」を装着し、ストライカーシステムに携わるテストヒーローとなったのである。

 彼は横目でチラチラと和士を見遣りながら、昨日の遣り取りを思い返していた。

 

『……まぁ、だいたいの経緯はわかったよ。要はめちゃくちゃ速い着鎧甲冑をめちゃくちゃ速い奴が使ったら、どれくらいめちゃくちゃな速さが出せるかデータを取りたい――って話だろ?』

『予想していた通りの頭の悪い回答だが、主旨は理解しているようだな。その通りだ』

『……なんかいちいち引っかかる言い方するなぁアンタ。まぁいいや、でもなんでオレなんだ? 確かに足にはそこそこ自信はある方だったけどさ。オレもうこんな足だし、仮に事故がなかったとしても、もっと速い奴は他にいたんじゃないのかい? その、「ストライカーシステム」ってシロモノのテストにはさ』

 

 ストライカーシステム。

 ダイバーシステム、フェザーシステムという二つの新型レスキューヒーロースーツに携わってきた和士が、独自に開発したワンオフ特別実験機である。通称、「救済の超駆龍(ドラッヘンストライカー)」。

 

 「腕輪型着鎧装置」に粒子化内蔵された黄色いヒーロースーツを纏い、「基本形態(スタンダードフォーム)」に着鎧したのち。左脚の筋電義肢型デバイス「超駆龍の剛脚(ストライカーレッグ)」に粒子化内蔵された増加装甲を二段着鎧。「疾走形態(ライオンフォーム)」に移行する。

 

 このシステムの最大の特徴は、義足に粒子化内蔵された増加装甲の特性にある。――増加装甲という(てい)であり、実際、特殊合金により装甲の役割も果たしてはいるが。

 このパーツは正確には増加装甲ではなく、スーツの出力を増大させる「装甲型の」バッテリーパックなのだ。

 

 フェザーシステムに纏わる任務で和士がその存在を知った「改造電池人間」。その体内に埋め込まれる「動力強化装置」。そして、その機構を要求した高出力の最初期型着鎧甲冑。

 そのテクノロジーに目を付けていた和士は、自身の名声を利用して救芽井エレクトロニクス本社のデータバンクにアクセスし、この設計図を入手。

 「動力強化装置」が考案される直前に存在していた大型の外付けバッテリーパックの技術と、最初期型着鎧甲冑の技術を、自分の手で再現することにしたのだ。

 

 バッテリーパックは装着者の動きを阻害するランドセル型から、体の各部に分散して装着するプロテクター型に仕様変更。高出力の最初期型着鎧甲冑のスーツはそのまま再現し、バッテリーパックが齎すエネルギーのリソースを両脚に集中するようプログラムした。

 

 そうして和士は、装着者の動きをギリギリまで阻害せず、かつ強大なエネルギーを両脚に集中させ、高速で走る動作を可能にした着鎧甲冑を開発したのである。

 

 まさに「速さ」という一点にのみ特化し尽くした、ピーキーな機体。レスキューの最重要課題である「迅速な現場到着」に対する回答を、より先鋭化させたシステムなのだ。

 

『――確かに、ただ足が早いだけの奴ならお前以上の人材がごまんといるだろう。実際、俺が開発したストライカーシステムの噂を嗅ぎつけた各国の政府や支社からは、何度もコンタクトを受けた』

『じゃ、どうして?』

『信用ならなかったのさ、腹黒い企業の陰謀をバックにしてる連中がな。仮に送られてきた奴自身が真っ白な奴だったとしても、そいつの「背後(バック)」には必ず何かしらの黒い影がチラついているものだ。そんな連中の中から選ぶくらいなら、俺が自分の目で選出する。企業や政府の介入が及ばないところから、な』

 

 自分の名声や立場より、今助けを求めている人々を優先したはずなのに、ヒーロー業界から追放された親友。不完全な機械の体にされ、家族の元へ帰ることも叶わずに馬車馬のように酷使された、将来の義兄。

 そんな彼らとの出会いと別れが、和士にヒーローとしての成長と――救芽井エレクトロニクスへの不信を齎していた。

 和士はかつて自分を導いた戦友達を陸に重ね、その穢れない瞳を見つめていた。

 

『オレなら信頼出来るって?』

『少なくとも俺の中では――な。積み上げてきた栄光を投げ捨ててまで、たった一人の少女に命を懸ける。そんなことが出来る奴は、ヒーローを仕事にしてる連中ほどいないものなのさ。奴らは大抵、名誉欲に溺れて売名のためにヒーローをやっている。本当に人のために戦えるヒーローなんて、実のところ一握りしかいないんだ』

『ホントかよ……』

『俺自身もそうだ。世間じゃ俺は「救済の超機龍」の再来だとか日本一のレスキューヒーローだとか言われてるが――その評価に見合う男になったと思ったことなど、一度もない。自分の「名誉」のために本当のヒーローを蹴落としてしまうような奴が、のし上がってしまう世の中なんだよ』

 

 自虐するように笑みを浮かべる和士に対し、陸は小首を傾げて覗き込む。言ってることがわからない、と言いたげな表情だ。

 

『そうかな……。ヒーロー業界のことはよく知らないけど、アンタがそんな悪者だとは思えない。そんな「眼」じゃないよ、アンタ』

『「眼」……か。フフ、光栄な限りだが、お前には見る目がないようだな』

『ちぇ、いちいち一言多い人だな。……あいにくだけど、オレは親父の店を継がなきゃならない。ちょびっと手伝うくらいならまだしも、この「道」には進めねぇぞ』

『わかっている。お前の任期はせいぜい一ヶ月といったところだ。あとの余生はその女の子のために、悔いなく過ごせ。――最期の一瞬まで、家族の温もりの中で』

『……?』

 

 そして、どこか含みのある和士の言葉に眉を顰めながらも――彼は、ストライカーシステムのテストを引き受けることとなった。

 陸上を失った彼が、それ以外の何かしらの功績で自信を取り戻すきっかけになれば――という、忠道なりの気遣いを汲んでのことである。

 

「……」

 

 そして――今。陸は生涯関わることなく終わるだろうと思っていたレスキューヒーローの道を、踏み出そうとしていた。

 

「よし……それでは、テストを始める。――最初に言っておくが、間違えても着鎧の順番を忘れるなよ。万一、先に増加装甲の方から出してしまったら、数百キロの鉄塊が直接お前の肉体に張り付くことになる」

「ウ、ウッス! ――よぉぉおしッ!」

 

 そんな状況など想像もつかないし、したくもない。陸は息を飲むと、数回の深呼吸を経て――黄色の腕輪を嵌めた腕を振るい、正拳突きのように突き出した。

 

「着鎧ッ……甲冑ッ!」

 

 刹那、腕輪から迸る閃光が陸の全身を隙間なく包み隠し――光が消えた瞬間、彼の体は黄色いヒーロースーツに固められた。マスクのフェイスシールドが、太陽の輝きを浴びて眩い照り返しを放つ。

 

「よっし! まずは第一段階!」

「……なんだ、さっきの変な踊りは」

「え? 変身ポーズに決まってんじゃん、ヒーローなら当然っしょ」

「……」

 

 あっけらかんとした表情でそう言ってのける陸に、和士は片手で顔を覆って空を仰ぐ。ここに来て初めて、彼は本格的に自分の人選を呪うのだった。

 

「……ッしゃあ、次はいよいよ第二段階だ! 見ててくれよ、伊葉さんッ!」

 

 そんな和士には目もくれず、陸は全力で左脚を降る。太腿が胸に密着するほど振り上げられた足先が、天を衝いた。

 

(こいつ、本当は新体操選手なんじゃないか……?)

「――うぉぅりぃやぁぁあぁあッ!」

 

 その驚異的な柔軟性から放たれた踵落としが、平地の上に炸裂する。一定の衝撃がなければ感知しない足裏のセンサーが、陸の一撃に反応し――トリコロールカラーの電光を放った。

 

 左足から迸る三色の稲妻が、陸の黄色いスーツに纏わり付いて行く。頭。両肩。胸。腰。両腕。両膝。

 全身のあらゆる部位に、トリコロールカラーの増加装甲――を模したバッテリーパックが張り付いていく。その形状は猛獣を髣髴させる猛々しいデザインであり、特に獅子の顔と鬣をあしらった両肩のアーマーは、ひときわ異彩を放っていた。

 

『Blazingup!! LionForm!!』

 

 そして――装着完了を報せる電子音声が、装着シークエンスの終わりを告げる。

 迸る電光が消え去り、プロテクターの隙間から蒸気が吹き抜けた瞬間――着鎧の完了を感じ取った陸は、左脚を大仰に振り回して即興の決めポーズを取る。

 

「出前ェ! ストライカ〜……一丁! ご期待通りにただ今参上ッ! ――なんちて!」

「ぶち殺すぞ」

「アッハイスンマセン」

 

 直ちに怒られたが。

 

「全く……ふざけてないでさっさと準備しろ。クラウチングスタートの体勢を取れ」

「ウッス!」

 

 陸は和士に言われるまま、おもむろに慣れた動作でクラウチングスタートの体勢に入る。その堂に入った佇まいとオーラに、和士も目の色を変えた。

 

(なんだかんだ言っても、やはり陸上選手だな。仕草一つ見ても、安定感がまるで違う)

 

 そして、右手に持ったストップウォッチを見ながら左手を振り上げた。その動作を横目でチラリと見遣った陸は、言われるまでもなく腰を上げて発進体勢に入る。

 

「――ここから向こうの端まで、往復で約二キロある。スーツの特性だの出力だの難しいことは気にせず、思うように最速で走ってみろ」

「ウス!」

 

 そして――和士からの指令を受けた陸が、仮面の下でほくそ笑む。久々の陸上に、元短距離選手の血が騒いだのだ。

 

「用意――始め!」

 

 その叫びが陸に届く瞬間。

 

 陸は、姿を消した。

 

(トップスピードも、そこに入るまでの速さも桁違いだ……やはり、全く数値が違う)

 

 そして、再び和士の前に現れた。吹き上がった土埃が地に落ちる前に、新たな土埃を上げて。――やがて減速し、足を止めた陸は信じられない、という感情を身振り手振りで表現しながら駆け寄ってきた。

 

「おいおいおい! とんっでもなく凄いなコレ! 何コレ何コレ、何か違う世界が見えちゃった系なんですけど!」

「――約二キロの道を往復で九秒ジャスト。間違いなく時速七百五十キロ以上は出ているな……。比喩じゃなしに、弾丸並みの速さだ」

「え? そんなに速かったのオレ? 道理で違う世界が見えたはずだよなぁ〜……」

「自分のスピードに動体視力が追いついていないせいだろう。そういう時はフィーリングで制御するタイミングを見計らって使いこなすんだ」

「フィーリングねぇ……慣れるまでに人を跳ねそうで怖えな」

 

 自分が生み出した予想以上のスピードに、かつて自分の足を奪った事故を思い出し――「はわわ」と身を震わせる。そんな陸を見遣り、和士は深く頷いた。

 

「確かに、な。要求されるフィーリング能力は、俺の比じゃないだろう」

「へ? 和士さんもコレ、使ったことあんのか」

「当たり前だ。自分で使って大丈夫と判断したシロモノじゃなきゃ、他人に触らせたりはせん。――ちなみに俺がそいつを着て走った速さは時速五百二十キロ。ハッキリ言うが、お前とは勝負にならん」

「自分でそれ言っちゃうの?」

「事実だ。それに、それだけ最後にモノを言うのが『フォーム』であることもハッキリしたからな」

「フォーム?」

 

 陸はなんでそれが、小首を傾げる。単純なスーツの出力や、筋肉量のことを言われるとばかり思っていたのだろう。

 

「ああ。如何に着鎧甲冑であろうと、最先端のパワードスーツであろうと――科学力による筋力補助には限界がある。人間が鍛えられる筋力にも、当然ある。ならば最後に力を与えるのは、その使い方。持てる力を最大限に活かす、その人間だけが持ち得る技術にある」

「それがフォームってか。確かにフォームが悪いと、速く走れるもんも走れねぇもんなぁ」

「その通りだ。お前をスカウトしたのは、お前に体力や筋力で勝る外国人ランナーを相手に、その極限まで効率化された『フォーム』を武器に渡り合っていたからだ。――まぁ尤も、お前自身は無意識にやっていたんだろうがな」

「うへへ、お察しの通りで。しかし、伊葉さん何でも知ってんな。ひょっとしなくてもストーカー?」

「お前のことは、一から十まで調べ尽くしてある。ストライカーシステムをより完全なものとし、より多くの人命を『犠牲を一切払うことなく』救うためにな。そのための行動がストーカーなら、それで結構だ」

「お、おう……?」

 

 ちょっとからかうつもりが、マジな表情でガチな返事を返されてしまい、陸の方が言葉を失ってしまう。そんな彼の様子を見遣り、和士は特に追及することもなく次のテストに移った。

 

「――さて。では、次のテストだ。ここから二十メートルの助走で、あそこの廃病院の屋上まで跳べ」

「えーッ!? ここから二十メートル助走で、あそこまで!? あそこ一キロくらいはあんじゃねぇの!?」

「グダグダ抜かすな。さっき出した自分の『違う世界が見えちゃった系』の速さを信じろ」

「うへぇ……」

 

 廃墟となっている病院までの距離は、目測でも一キロ近くの距離がある。ここからたった二十メートルの助走でそこへたどり着くなど、通常の感覚では想像もつかない。

 つい昨日まで着鎧甲冑に触れたこともない陸にとって、この超人的感覚は未知の世界であった。

 

 ――だが、彼は天性の負けず嫌いでもあった。ここで「無理」と降りるのは、彼のプライドが許さなかったのだ。

 

「……よ、よぉし。こーなったらやっちゃうもんね。オレやっちゃうもんね!」

「覚悟はいいようだな。では――始め!」

「――ぬぉりゃあぁぁあぁあぁああッ!」

 

 そして乗せられるままに爆走。瞬く間に地を蹴り、二足歩行の獅子が空の彼方へ飛んでいく。珍妙な風切り音を立てて。

 

「……あっひょぉぉぅうぅんあぁばばばばばばばば!」

 

 だが、絶叫マシンが大の苦手という弱点が仇となったか。放物線を描き、目的地へと滑るように急降下していく陸は、マスクの中で悲鳴を上げる。

 その珍妙で情けない叫びが通信で和士の耳に響き渡り、彼はあまりの惨事に顔をしかめた。

 

 だが、いくら叫んだところで落下は止まらない。彼の機体はそのまま流星の如く廃病院の屋上――

 

「へべレバッ!」

 

 ――の、上部にある錆びた看板に激突。看板は大の字に凹み、暫くそこにへばりついていた陸は、引っぺがされるように落下。

 その下には――アンテナが一本。

 

「あ」

 

 和士がそれに気づいた時には、何もかも手遅れであった。

 

 刺さってはいけないところに、刺さってはいけないものが、ブスリ。

 幸い、スーツの強度に救われ串刺しこそ免れたが。極限まで狭められた表面積の上に、人体の急所が直撃した事実と、その衝撃力は揺るがない。

 

 世界最高峰の走力を誇る、最新型レスキューヒーローは。鋼鉄の鎧を身につけた、獅子の勇者は。

 その尻の中心点に、屈辱の洗練を浴びるのだった。

 

「――あっひょほぅあぁあぁあぁあぁッ!」

 

 聞くに耐えない断末魔が、通信で和士に届けられる。だが、やはり着鎧甲冑の強度は尋常ならざるもので……未だに通信の向こう側からは、「死ぬ……死んじゃう……」というか細い声が響いていた。

 その一部始終を見届けた和士は、この日のデータを「無事」に取り終えたことに安堵しつつ、踵を返す。

 

「……死にたいのは、俺の方だ」

 

 辛辣な一言を残して。

 



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第31話 ツナガルオモイ

「お〜……いちち、痔になってねぇかなオレ……」

 

 日曜の夜。

 あの後解散した陸は、臀部の激痛を堪えながら辛うじて自宅に生還し――自室の散らかった部屋の布団に寝そべっていた。

 

(いつも、これくらい散らかった頃に結花が遊びに来て……ぷりぷり怒りながら片付けてくれてたっけ)

 

 横になったまま、あちこちに散らかったゲームや漫画を見遣る。その光景に、垢抜けない幼馴染の可愛らしい怒り顔が浮かんだ。

 ――そして、視線を天井へと移し。手首に巻かれた黄色の腕輪を、ジッと見つめる。

 

(……別に、こんなもん貰わなくたってオレは……)

 

 忠道は、陸が足を無くして陸上が出来なくなったことについて、かなり気に病んでいる。心配させまいと明るく振舞っているようでも、実のところはこの件で酷く落ち込んでいるに違いない――というのが、彼の見解であった。

 陸自身に言わせればそれは杞憂に過ぎず、彼は忠道の胸中を察しては何度もそう言って励ましてきた。だが、忠道は未だに陸の足のことで自分を責め続けている。その弁明すらも気遣いだと受け取っているのだ。

 

 そんな彼にとって、和士から持ち込まれた「雨季陸を新型着鎧甲冑のテストヒーローにスカウトしたい」という話は天啓だったのだろう。だからこそ、彼のカルテを渡して「超駆龍の剛脚」の開発と採寸に一役買っていたのだ。

 無論。陸にとっては無用な気遣いであったのだが。

 

(でも……確かにな)

 

 ――だが。忠道の言い分がわからないわけではない。

 中学陸上競技会の日本代表でもあった自分の存在は、誰の目から見ても大きなものだった。ちょっと足が速いだけの中高生とは訳が違う。その自覚はあったし、そのための努力に手を抜いたつもりはない。

 バカなりに、がむしゃらだった。

 

 そこまで走り抜いた先がこれとあっては、確かに落ち込まないはずがない。実際、落胆する気持ちは確かにあった。

 ――だが、そこまでなのだ。忠道が案じるほどの傷心ではないし、自暴自棄になるほどのことにも感じなかった。

 あの事故の後、結花を除く天坂家全員が両手をついて謝りに来たこともあったが――陸本人も両親も、死人が出なかっただけでも儲けものと笑い飛ばし、大して怒ることもなかった。

 

 陸の両親はかなりの放任主義で、事故を受けても「生きてるなら良し!」で終わりにしてしまい、陸上辞めるならさっさと卒業して店を継げと言うようになった。

 周りが聞けば陸上競技会の申し子になんてことを言うのか、と憤慨しただろう。陸も、それは容易に想像できる。

 だが両親はそんな調子だし当の陸本人も、自分自身が不思議に思うほどに気にならなかったのだ。

 

(……実はオレ自身が思ってるほど、陸上に打ち込んでなかった――とか? いや、それは違うな……)

 

 なぜそう感じたのかは、今でもわからない。だが、何と無くでも他ならぬ自分自身が「それでいい」と思ったのなら、それでいいだろう――と、気にも留めなかった。

 

 その代わり。

 結花のことを思い出させるものを見つけるたびに、彼女は今どうしているだろう、ちゃんとご飯食べてるだろうか、と気にかかるようになった。

 彼女に代わって勉強を見てくれている結友から聞いた限りでは、回復傾向は今一つであり、度々部屋から出るようになった程度らしい。

 リビングに出ては「らあめん雨季」の方向を窓から見つめて、ポロポロと涙を零していたという。――胸に、陸との思い出が詰まったアルバムを抱いて。

 

(……結花……)

 

 足を無くしても。あれほど打ち込んできた陸上が出来なくなっても。大して辛くもないし、気に病むこともない。

 だが――当たり前のようにいた幼馴染のことばかりが。気にかかる。

 

(……なんだよ。答えなら、出てんじゃねぇか)

 

 ガバッと身を起こした陸は、携帯に手を伸ばすとメールを打ち始めた。過去に何度も送っても返事がなく、会いに行けば泣かれたため控えていたが――今なら、返事が貰える気がした。

 

『長い東京生活、お疲れさん! 見送り行くから、オレのこと忘れんなよ! 気が向いたら、また店に来てくれよな!』

 

 特に変わったことは書かない。いつものように――そう、事故が起きる前の、あの頃のように。陸は、何一つ飾ることなく見送りの言葉を文面に起こした。

 

 そして――送信から、僅か二分。

 

『うん。ありがとう。ごめんね。ごめんね』

 

 事故以来、初めて返事が帰ってきた。天坂家の自室で、枕を抱いて少女が啜り泣く頃。陸は確かに、彼女の言葉を受け取ったのだ。

 

(陸……ごめんね。私、私……逃げることしかできなかった。もう一生かけても、償いきれないこと、しちゃったの。だから、もう陸には会わないって決めてた……)

 

 何があっても変わらない、愛おしい幼馴染のメールは、結花の胸を締め付け、頬を濡らす。

 

(それでも……それなのに。そんな私だって、わかってるのに……会いたい、一緒にいたいって……思っちゃうの!)

 

 ポロポロと、止まらない想いが。彼女の目に映る画面を、歪めていく。携帯を握る手が震え、噛み締めた唇に塩のような味が染み込んだ。

 

 彼を拒絶することで、距離を置くことで。見放してもらうつもりでいた。自分という人間を、消してもらうつもりでいた。自分にできる償いなど、それしかないと思っていたから。

 だが彼は、それすらも容易く受け止め、包み込んでしまう。優しくしないでと暴れる幼子を、あやすように。

 

 そこまでされてしまったら、もう。ドロドロに、心を溶かされてしまったら。拒みようも、なくなってしまう。一緒にいたい、愛し合いたい、という浅ましい本心も、全て丸裸にされてしまう。

 

(でも、このまま何もないような顔で陸に会うなんて、できない……。だから、「時間」が欲しいの。その「時間」でちゃんと自分の罪と向き合って、その上でちゃんと……今度こそ、気持ちを全部伝えられるように。どんな結末でも、泣かないように……)

 

 直に言葉を交わす必要はない。数行にも満たない文章でも、想いは伝わる。幼馴染には、そういう繋がりがある。

 遂に手に入った結花の返事から、携帯の向こう側で涙する幼馴染の想いを、察した陸は。

 

「……」

 

 携帯を切り――再び布団の上で大の字になる。広く逞しい胸元に、その端末を置いて。

 

(……やっぱし。それくらい好きだったってことだよなぁ。コレは)

 

 ――自分の本心を改めて実感した陸は。幼馴染との幸せな毎日でも夢見ようと、瞼を閉じるのだった。

 

 ◇

 

 その頃。

 

 薄暗い研究室の中で、部屋全体を妖しく照らすディスプレイの光を、苛烈な瞳が射抜いていた。

 

「……」

 

 キーボードを絶え間無く叩き、ディスプレイに視線を釘付けにしている男――伊葉和士の目には、今年から初運行となる最新鋭リニアモーターカー「リニアストリーム」の映像が映されていた。

 

 救芽井エレクトロニクスから一部の技術を買い取った企業が、総力を挙げて開発したという最新型のリニアモーターカー。

 フェザーシステムの推進ジェットを応用して開発された超加速システムにより、従来のリニアモーターカーを大きく凌駕した速度を誇ると言われている。

 その最高時速は七百五十キロ。文字通りに弾丸級の速さがウリと、昨年から幾度となくメディアで喧伝されていたニューマシンだ。

 

 その初運行が、月末に行われることになっている。着鎧甲冑の技術を応用した乗り物というだけあり、関係者各位や一般市民も期待を寄せているようだった。

 

 ――だが、伊葉和士だけは。

 そのリニアストリームの勇姿を、訝しむように睨んでいる。

 

(……フェザーシステムの推進ジェットは、確かに強力だ。だが、フェザーシステムの着鎧甲冑があの推力をコントロールできるのは、間に合わない「減速」を「逆噴射」で自在にカバーできる飛行ユニットの特性にある)

 

 総重量数百キロの鉄塊である、二段着鎧した着鎧甲冑を縦横無尽に長時間飛行させるエンジンは、確かに凄まじい。リニアモーターカーのエンジンに使う発想そのものは、悪くはない。

 しかし。あの高出力が生み出す速度を制御するには、通常の減速では間に合わないケースが多い。

 

 ――事実、あの実験小隊の初期メンバーはそのケースのために、雲無幾望を除く全員が殉職している。

 以降、それを補うためにフェザーシステム十号からは、ジェットの噴射角を自在に操作できるギミックが導入された。これによりジェット噴射の角度を反転させ、逆噴射による緊急減速を実現。減速不能による墜落事故は激減した。

 だが、それでも事故が止まなかったのは――その逆噴射の難易度が原因だった。

 

 自在にジェット噴射の方向を調整できる――と言っても、それを「寸分違わず正確に」反対方向に向けられなければ、明後日の方向にジェット噴射が行われ、機体は予期せぬ回転動作を起こし、事故に繋がる。

 今現在「救済の超飛龍」と命名されているフェザーシステム二十一号からは、その操作も自動化されたOSが組まれたが――それまでのデータ収集期間では、操縦ミスによる墜落死という新たな問題が多発していた。

 

 人間一人を満足に飛ばす小さな飛行ユニット一つのために、それほどの人命と時間が失われてきた。そのノウハウがある時代に生まれて来たモノとはいえ、勝手の違うリニアモーターカーに流用して、満足に機能するだろうか。

 ――安全に、人を運べるのか。

 

 それが、フェザーシステムに纏わる悲劇をその眼に焼き付けた和士の、懸念であった。

 

(「企業秘密」のために詳しくは探れなかったのが痛いな……。設計者がリニアモーターカーに合わせて出力を調整しているのなら、杞憂に終わるだろうが……)

 

 速さを追求した流麗なデザイン。何も知らない人々が諸手を挙げて称賛する、その新時代のスーパーマシンを見つめ――和士は席を立った。

 

(――万に一つも。罪なき人々の安全が脅かされるようなことは、あってはならない)

 

 そして、黒い手袋を取り――赤い両手の義手を露わにする。

 

 一年前。瀕死の雲無を抱きかかえて秘密飛行場に駆け込んだ和士は、オーバーヒートした「動力強化装置」から発せられた高エネルギーに両腕を焼かれていた。

 彼の治療も雲無の集中治療と並行して行われたが――彼自身が夏に雲無の救命を優先させたため、両腕の処置は不十分なものとなり。

 ……結果として彼の両腕は壊死。切断を、余儀無くされたのだ。

 

 以来、彼は雲無の改造手術のデータを基に造られた義手を身に付け、ヒーロー活動を続行していたのである。――ストライカーシステムの開発と、並行して。

 

(こいつの眠りを覚ますのは気が引けるが……準備はしておく必要はあるかも知れんな)

 

 彼は過去に味わった痛みを思い出すように、感覚のない腕をさする。そして、予想しうる有事に備え――闇の中に佇む「超飛龍の天馬」を見上げるのだった。

 

(「白」なら、それに越したことはない。だが、仮に「黒」だったとしても。俺達は人々の未来のため、「黒」を「白」に捻じ曲げねばならないんだ。わかってくれ、「至高の超飛龍」)

 



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第32話 暴走、リニアストリーム

「こちら、中継の玄蕃です。いやぁ、やはり凄い人だかりですね! 夏休みの旅行を計画されている皆様も、このリニアストリームに大注目! 新時代のスーパーマシン誕生に、誰もが興奮を隠せないようですね!」

 

 七月も末――これから、夏本番という季節の只中。夏休みというタイミングに乗じて決行されたリニアストリームの初運行には、大勢のギャラリーが詰め掛けていた。

 白と青を基調にした流麗な車体が、眩いフラッシュが幾度となく晒される。多数のテレビ局も集まり、全国生中継の報道が行われていた。

 

「じゃあ、気をつけるのよ……。向こうに着いたら、ママに電話してね?」

「寂しかったら、いつでも連絡しなさい。あと、もし向こうであんたを苛める奴が出てきたら、あたしにすぐ知らせて。天下のフェアリー・ユイユイ様が直々にぶちのめしてあげるから」

「ちょっと結衣、声が大きいわよ。あなた一応お忍びで来てるんだから。……とにかく、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんによろしくね。私も何かあったら、すぐ駆け付けるから」

「――気をつけて行きなさい。大丈夫だ、休みが出来ればいつでも会いに行ける」

 

「うん……。お父さん。お母さん。結友お姉ちゃん。結衣お姉ちゃん。……行ってきます」

 

 ――そして。記念すべき初運行の乗客に選ばれた結花は。

 天坂一家の見送りを受け、キャリーバッグを手に松霧町へと旅立とうとしていた。家族の励ましを一通り受けた結花は、恥じらうように俯きながら、ちょこんと頷く。

 

 やがて顔を上げた彼女と――家族達の後ろでにへへと笑う幼馴染が、視線を交わした。

 

「じゃあ……えっと。その……陸も、あの、その……」

「おう! 元気でな結花! お前もたまにはこっちに来いよ? 大事な客なんだからさっ!」

 

 以前のメールを思い出してしまい、真っ赤になってしどろもどろになってしまう結花。指先を合わせて言葉を探す、そんな幼馴染を――陸は朗らかに笑いながらポンポンと撫でた。

 

「……うんっ……。絶対、絶対、帰ってくるから……! また、絶対、来るからっ……!」

「おう、よしよし。オレも暇できたら、そっち行くぜ。出前でも引っ提げてな」

「……あはは、ここから出前持ってきても、着く頃には冷めちゃうよ」

「おん? ……だっははは! 違いねぇや、じゃあ冷麺だな! いや流しそうめんか? レールに沿って運ばれてる的な意味で!」

「あはは……もう、陸ったら」

 

 その温もりに溺れるように、結花は陸の胸に顔を埋めて啜り泣く。そんな彼女の涙を吹き飛ばすようなジョークに、結花は事故以来、初めての笑顔を見せた。

 そんな二人の仲睦まじい姿に、天坂家は微笑ましい視線を向け――二人の世界になるように、誰とも言わず引き下がるのだった。

 

 やがて――出発の時。

 最後尾のエンジン音と共に、リニアストリームの車体が流れるように走り出して行く。大手を振り、その旅立ちを見送る人々の中には――天坂家と陸の姿もあった。

 長身を活かした大仰な身振り手振りで、幼馴染を見送る彼は太陽のような笑みを浮かべ、こちらを見つめる少女と視線を交わす。

 

(……行って、きます)

(おう! 行ってこーい!)

 

 僅か一瞬、にも満たないそのひと時の中で。陸と結花は、確かに通じ合っていた。

 

 ――刹那。猛烈な加速でレール上を疾走するリニアストリームは、瞬く間に人々の前から消え去って行く。

 その閃光の如き加速で姿を消した後も、陸は暫し結花が向かう先を見つめ続けていた。

 

 ……一方。

 

 薄暗い研究室に閉じこもったまま、和士は耳にヘッドホンを当て、ディスプレイにかじりついていた。

 

『――それでは皆様、快適な高速旅行をお楽しみ下さい』

「……」

 

 耳元に届くのは、乗員のアナウンス。それだけではなく、車内の乗客達が談笑している様子が、音声として響いている。

 平和そのものといった、その様子に聞き入る中で――和士は寸分の油断もなく、耳を澄ましている。

 

(機内情報にアクセスしてはみたが……やはり、これで異常が見つかるはずもないか。まぁ、何もないのならそれが一番なのだがな)

 

 とは言え、聞こえてくるのは人々の穏やかな語らいのみ。平和の福音たるそのせせらぎだけが、和士の聴覚に響いている。

 

 案じるだけ、無駄だっただろうか。

 そう判断した和士が、ヘッドホンを一度外そうと手を動かした――その時。

 

『――か――?』

『おい――速度――』

『とにかく――止め――』

 

「……?」

 

 ふと。

 

 談笑している乗客達の声の中に。

 言い争うような声が、僅かに混じる。

 

 和士はキーボードを叩き、即座に微かな「不協和音」にフォーカスを充てた。集音機能で音声を拡大し、微かな話し声を一つ残らずかき集めて行く。

 

 そして――「不協和音」の実態が、露わになる。

 

『だから! 早く減速しろと言ってるだろう!』

『やってます! でも――止まらないんですっ!』

『どうするんだ何とかしろ! カーブ地点まで、あと百三十キロ程度しかないんだぞ!』

『このスピードじゃ右折できない! 逆噴射機能はどうしたんだ!』

『だからさっきからやってます!』

 

 口論の発信源は、車両最先端部の運転席。そこで繰り広げられていた諍いが、平穏の裏側を物語っていた。

 楽しい未知の高速旅行の裏側では――惨劇の予兆が、その身を覗かせていたのだ。

 

「――くそッ!」

 

 ヘッドホンを叩きつけ、和士は一目散に「超飛龍の天馬」に飛び乗って行く。そして――地下から地上へ翔ぶため、登り坂のカタパルトを展開させて行った。

 

(やっぱり「黒」じゃないか! だいたい、フェザーシステムが発表されて一ヶ月足らずのうちに始まった企画が、まともなはずないんだよ!)

 

 憤怒の余り、操縦桿を握る手に力が篭る。震える義手は、操縦桿を握り潰さんと震えていた。

 

(そもそもフェザーシステムが正式にロールアウトされてから一年以内に、ジェット技術だけ丸々流用したリニアなんて、真っ当にテストしてる時間もなかったはずだ! 大方、救芽井エレクトロニクスの急成長にあやかりたくて、「着鎧甲冑の技術応用」って触れ込みを利用したかったんだろうが……企業利益のエゴのために人民の生命を危機に晒すとは!)

 

 気が狂うほどの怒りが、胸の内を支配して行く。「名声」目当てのエゴのために、雲無幾望という男が人生を懸けた結晶が、穢される。それだけは、絶対に許せないと――和士の眼に灼熱が燻った。

 

(……すでにリニアストリームは、最高速度に達しているはず。あの車体の最高速度は時速七百五十キロ。確か今の話では、カーブ地点まで百三十キロということだったか。……まずい、もう十分もないぞ!)

 

 リニアストリームのカーブ地点を越えたすぐ先には、松霧駅がある。世界最高速のリニアを間近で見ようと、大勢のギャラリーが集まっていることだろう。

 大事故が起きるタイミング次第では、二次災害の現場にも成りかねない地点だ。

 

(……クソッ、こんなことに巻き込むつもりはなかったが……!)

 

 和士は携帯を手に取ると、素早くとある連絡先にコンタクトを試みた。応答は――意外なほどに早かった。

 

『おん? 伊葉さんか? 何々、どったのさ』

「雨季か! お前今どこにいる!?」

『今? ストリームに乗った結花の見送りが終わったから、結花んちの皆とファミレスでお昼。……しかしどうしたんだよ一体。血相変えちゃって』

 

 電話の向こう側では、仲睦まじく語らう家族達の姿が窺える。どうやら、陸を含む天坂家御一行は今、近場のファミレスで息抜きをしていたようだ。

 

「なんだと!? 例の少女までリニアストリームに!?」

『お、おう。……なんかマズイことでもあった?』

「まずいなんてものではない! とにかく、東京駅の近くにいるなら丁度よかった。お前は直ちに『救済の超駆龍』に着鎧し、松霧駅に先回りして住民を非難させろ!」

『え? えっ? どういうこった?』

 

 突然の平静を欠いた和士の言い分に、陸は何事かと首を傾げた。だが――

 

「説明している時間はない、急げ! あと十分足らずで――あのリニアが脱線する!」

『……ッ!?』

 

 ――その理由を彼自身が思い知ったのは、その直後であった。

 



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第33話 燃える闘志を、鎧に込めて

 電話を受けた陸のただならぬ様子に、何かあったのではと訝しむ天坂家。その電話先が伊葉和士と看破していた忠道は一際、陸の剣呑な雰囲気に不穏なものを感じていた。

 その陸が血相を変えてファミレスを飛び出したのが、二分前。何かあったのではと不安げな表情になる家族を宥めながら、忠道は陸に起きた異変の原因を思案する。

 

(あの子があれほど切迫するなど、ただごとではない。しかも、電話先が伊葉和士だとするなら……ま、まさか、結花の身に――リニアストリームに何かが……!?)

 

 額を伝う汗を、拭うことも忘れて。忠道は、陸が一瞬だけ見せた必死な横顔を思い返していた……。

 

 ――その頃。

 

 リニアストリームが通り過ぎたレールの上を――黄色のスーツを纏うヒーローが、唸りを上げて疾走していた。

 

「らぁッ――あぁあぁあぁああッ!」

 

 視界の遥か先に、僅かに映るリニアストリーム。その車体を捉えた瞬間、「救済の超駆龍」はより強くレールを踏み込んで行く。地に穴を開けんとするかの如く。

 

 刹那――色鮮やかな電光の嵐が吹き荒れ、駆け抜ける陸の全身に纏われて行く。

 

『Blazingup!! LionForm!!』

 

 そして。トリコロールカラーの獅子をあしらった、プロテクター状のバッテリーパックが装着された時。

 大自然を駆け抜ける猛獣が如く。鋼鉄の足が、レールを蹴り付け――風圧だけで周囲を破壊しかねないほどの「嵐」を巻き起こした。

 

 その烈風に煽られたレール周辺の無機物がビリビリと振動し、人間という枠組みから逸脱した超人の威力を、物語っていた。

 

(……やっと。やっと、前に進めるって時に。なぁに余計なことしてくれちゃってんのさ? えぇ? おい)

 

 猛り狂う獅子の、声にならない怒りが――冷たい機械に突き刺さる。その実態は新時代のマシンか、ただ大きいだけの棺桶か。

 運命を二分する権利を授かった「救済の超駆龍」は、リニアストリームの車体を至近距離で捉え――より強く。地を踏み抜くように。

 

 足元を蹴り飛ばし、遥か彼方へと舞い飛ぶ。

 

 この瞬間――機械仕掛けの獅子は、時速八百キロを凌ぐ速さで。この青空に閃いていた。

 

 風切り音を立て、青空の向こうへと吹き飛ばされて行く鉄塊。その中に閉じ込められている陸は、真下を通り過ぎて行くリニアストリームを一瞥する。

 

(ああ、ちくしょう。怖え、怖えなぁ……。けど、やっぱし――!)

 

 そして土砂を噴き上げ、辺りを吹き飛ばし――「救済の超駆龍」の機体が、レール上に着地する。

 

 ――リニアストリームに、立ちはだかるが如く。

 

(やっぱし! 何もできないまま、結花を亡くすほうが。よっぽど、怖えッ!)

 

「――かかって来いやァ、ポンコツ棺桶がァァァァッ!」

 

 そして両者は激突し、轟音と共に――陸の足元が火花を散らす。如何に最新型着鎧甲冑と言えど、大質量のリニアモーターカーを止めるなど、不可能。せいぜい、「速度を落とす」程度である。

 

「ぬォッ、がッ、あぁあぁあぁあああッ!」

 

 陸の背を覆うほどの光が、両足から迸る。リニアストリームの先端部も人型に凹み、衝突から数秒も経たないうちに「救済の超駆龍」は満身創痍となっていた。

 ――だが。それでも、なお。

 陸は手も足も離すことなく、どれほど身を削られても――眼前のリニアストリームにしがみついていた。

 

(……一歩足りとも、引いてはやらねぇ。引いたら最後、弾き飛ばされて全部が無駄だ!)

 

「おごォ、オッ、オォオオゥアァアァア!」

 

 腕がダメなら体ごと。陸は全身を車体先端に密着させ、カーブを曲がり切れるまで「減速」させる戦いに、身一つで挑んでいた……。

 

 一方、その頃。

 

「おい! 何がどうなってるんだ!」

「これは安全な設計なんじゃないのか、本当に駅に辿り着けるんだろうな!」

「イヤァ怖い! もう降ろして、降ろしてよぉ!」

 

 乗員の様子から異変を感じていた乗客達は、やがて発生した絶大な衝撃音と振動によりパニックに陥っていた。

 彼らだけではなく乗員側も、カーブで脱線するより遥かに早く発生した衝撃に、動揺を隠せずにいる。

 

「ど、どうなるんだよ一体! 俺達どうすりゃ――いでっ!? ちょ、玄蕃さん!?」

「カメラマン! ボサッとしてんじゃないの、撮影始めなさい撮影!」

「さ、撮影ってこんな時に!」

「男がガタガタ抜かすな! このアタシがさっさと撮影始めろっつってんのよ! こんなスクープ生で伝えずに何がニュースよ! そんなこともわからないでカメラマンやってるわけ!? 脳みそ抉り出してフィルムに差し替えてやろうかしら!」

「そ、そこまで言わなくても……と、撮りますよ撮ればいいんでしょ!」

「よし、わかったならさっさと始めろグズ。――こほん、なんということでしょう! この新時代のスーパーマシンだったはずのリニアストリームですが、なんと速度が落とせない故障に陥ってしまったようです! 果たして我々乗客は無事でいられるのか! 私達スタッフが、この目で確かめようと思います!」

 

 ――尤も、それだけでは終わらない乗客も居たようだが。

 

「お、おち、落ち着いてくださいお客様! ただいま原因を調査中でして――」

「――原因を、調査中!? そんなことしてる間に、俺達は死ぬかも知れないんだぞ!」

「いえ、それはその……おい! どうなってるんだ、前部で何が起きたんだ!」

「わかりません! ただ、何らかの衝撃が起きてから、速度がみるみる落ちているんです!」

「なに、本当か!」

 

 乗客乗員全員が、事態の全容を飲み込めておらず、混迷を極めるさなか。一人の乗員が、息を切らせて駆け込んできた。

 

「大変です、着鎧甲冑が!」

「なんだどうした! ……着鎧甲冑だと!?」

「はい! 着鎧甲冑が、着鎧甲冑がリニアストリームを止めようとしています!」

「なんだとッ!?」

「助けが、助けが来たのか!?」

「着鎧甲冑が止めてくれるのか!? おい、俺達にも見せろ!」

「落ち着いてくださいお客様、暴れないで!」

「なんっ……ということでしょうかッ! 窮地に陥った私達の前に、突如現れた救いの手! 着鎧甲冑のレスキューヒーローが、このリニアストリームを止めようとしているようですッ! その勇姿、是非とも私達の目に焼き付けたいと思います! ――オラどけやクソ車掌ォ! 玄蕃アナのお通りよォ!」

「玄蕃さんやめてください! カメラ回ってます、カメラ回ってますからぁ!」

 

 突然の報せに沸き立ち、操縦室に駆け込もうとする乗客。何にせよ乗客の安全は守らねばと、阻止する乗員。

 暴れ狂う車内は騒然となり、パニックはさらに加速する。

 

(お父さん、お母さん……! 結友お姉ちゃん、結衣お姉ちゃんっ……!)

 

 その真っ只中で――結花は独り、両手の指を絡め合わせて、恐怖と戦い続けていた。

 

(陸……陸ぅっ……!)

 

 狂わないために。諦めないために。最愛の男の、名を呼んで。

 

 ――そして、カーブ地点まであと数十キロ。もう一分もない――その時。

 

 雲を突き抜け、空を切り裂き――鋼の翼が、天からリニアストリームに肉迫した。

 

(もはや手段は選べない。この身をバリケードに、少しでもあのポンコツを減速させる!)

 

 捨て身の決意で、コクピットから飛び出す深緑のパイロットの名は――伊葉和士。その身に纏われる黄色の翼が、唸りを上げて羽ばたいた。

 

『Sailingup!! FalconForm!!』

 

 電子音声と共に装着シークエンスを終えた「至高の超飛龍」が、大空を駆け抜けリニアストリームを一望する。

 

(雨季の奴は、今頃駅に先回りして住民の避難を終えている頃だろうか。最悪、脱線が避けられないとしても……近くの駅への二次災害だけは回避しなくては)

 

 陸を比較的安定な避難誘導に回し、自身の体は捨て身のバリケードに使う。僅かな時間でその作戦を決断していた和士は、死を覚悟の上でリニアストリームに接近していた――

 

(……ッ!?)

 

 ――が。そこで繰り広げられていた死闘に、彼は絶句する。

 自分が引き受けるはずだった、捨て身のバリケードを――先行していた陸が、実行しているのだ。その身を、盾にして。

 

(あ、あいつ……! 避難誘導に向かえって、言っただろうがッ……!)

 

 命令違反には違いない。

 だが、強く非難はできなかった。

 彼が意図した通りに「至高の超飛龍」がバリケードになったとしても、今ほど減速させることは不可能だった。その前に轢き潰されるか、弾き飛ばされていただろう。

 ――役目を入れ替えた今の方が、効率的であることには違いない。

 

(……馬鹿野郎! お前は、お前は……!)

 

 だが、テストヒーローを依頼されただけの一般人である陸を、そんな危険な賭けに駆り出すわけには行かなかった。だから安全に近い避難誘導を命じたのだが――彼の性には、合わなかったようだ。

 

(……!)

 

 そして――遂に。

 リニアストリームの車体が、カーブに突入した。猛追しているはずの「至高の超飛龍」を振り切るように、その車体は大きくうねりを上げて曲線を描く。

 

 その進行を食い止めんと、さらに強く組みついて行く「救済の超駆龍」。彼の足元に迸る火花は――より激しく猛り狂う。

 「超駆龍の剛脚」に、亀裂が走るほど。

 

「……ッ! いかん!」

 

 その光景に、和士は目を見開いて焦燥する。右折しようと車体を捻らせるリニアストリームに対し、それを抑える「救済の超駆龍」の左脚部分に負荷が集中しているのだ。

 当事者である陸自身にもその感覚は伝わっており、熱にうなされるようにもがく姿が窺えた。

 

(雨季……!)

 

 それでもなお、手を離さない。左脚の亀裂が広がっても、生じる熱に全身を焼かれても。鋼鉄の獅子は一歩も怯まず、自らを飲み込まんと襲い来る鉄塊に、真っ向から食らいつく。

 

 ――やがて。市街地を越え、山を越え。海を渡り、一つの町に辿り着く直前。

 カーブが終わるその地点に――リニアストリームは、到達した。

 

「曲がり切った……曲がり切ったぞ!」

 

 その光景に、和士は歓喜して拳を握り締めた。最後の峠を越えた今なら、もう脱線の心配はない。

 リニアストリーム本体も、ようやく停車に向けて速度を落としてきている。これならば、近くの松霧駅に被害が及ぶこともないだろう。

 ――やはり、逆噴射減速の必要出力を見誤った設計が、そもそもの原因だったようだ。

 

「……何にせよ、これでもう脱線の危機も去った。雨季、もういい! そこから離脱しろ! あま、き――」

 

 事故は避けられた。

 ――避けられたが。

 

 「救済の超駆龍」もまた、無事では済まされなかった。

 

 後部を含む全車両のカーブが終わる瞬間、砕け散る「超駆龍の剛脚」。バランスを失い、崩れ落ちるように体勢を崩す陸。

 その身が跳ね飛ばされ、海へと墜落するのは――和士が歓声を上げた直後であった。

 

「あ、まきッ……!」

 

 力を使い果たし、数百キロ超の鉄塊と成り果てた「救済の超駆龍」の機体が墜落していく。

 その瞬間を、スローモーションのように目撃した和士は――脳が状況を正確に飲み込むより早く。反射的に。そこへ駆け付けんとバーニアを噴かしていた。

 

「雨季ぃぃいぃぃいッ!」

 

 天を衝くほど舞い上がる水飛沫を上げ、着水する鋼鉄の獅子。そこへ急行する和士は悲痛な叫びを上げ、初めての教え子に手を伸ばした。

 

 ――が。

 

「ぷひゅー……あー、やっべ、まじっべー。さすがに死ぬかと思ったぜ」

「……」

 

 水面から着鎧が解けた陸が、生身一つで浮上して来たのだった。海面に大の字になって浮き上がり、口から噴水のように海水を吐き出すその姿に――和士は手を伸ばそうと前のめりになったまま、空中でずっこける。

 そんな彼と視線を交わした陸は、間の抜けた表情でひらひらと手を振る。

 

 やがて彼は、辛うじて松霧駅への停車を遂げたリニアストリームを一瞥した。暴走を止めた車体から、大勢の乗客乗員が涙ながらに歓喜して飛び出してくる。

 

 その中には――

 

(……怖かったろ。よく、頑張ったな)

 

 ――キャリーバッグを引き、べそをかきながらも懸命に歩く幼馴染の姿もある。

 

「おう、伊葉さん。悪いなぁ、違うことしちゃってよ。でもホレ、みんな助かったんだしよ。結果オーライってことにしといてよ」

「……お前という奴は、全く……」

 

 陸は命令に背いた上に、ストライカーシステムをお釈迦にした。その結果を出したことには違いないが――和士は、さして彼を責めるようなことは口にしなかった。

 

 ――事実。命じた通りの配置で事に当たったとして、リニアストリームが無事にカーブを曲がり切れたとは思えない。今でこそ松霧駅に到達し、リニアストリームを一目見ようと集まったギャラリーを賑わせているが――陸の判断がなければ、乗員乗客の無事も駅のギャラリーも守れなかっただろう。

 

 かつて海原凪が同じように、型を破ってでも人命を救った時。ヒルフェン・アカデミーは彼を追放した。

 ならば、自分は。この男を守り抜かねばならない。そう決意していたのだ。

 

「……大した奴だよ。お前は」

「へっへへ〜ん……あっ」

「……どうした?」

 

 だからこそ、苦笑と共に手を伸ばすのである。――が、その時。

 手を取ろうとした陸が何かを思い出したかのように、顔を上げると。何を思ったか、突然寝そべった体勢のまま、決めポーズを取り始めた。

 

「そうだ……慌てて飛び出したから、変身ポーズも決めポーズも出来なかったんだよなぁ。よーし、ならば決めポーズだけでも!」

「……」

「出前ッ! ストライカ〜……一丁ッ!」

「……」

「ご期待通りにただ今さんじょゴボガバベゴボゴボゲボ」

 

 だが、大の字の体勢から無理に動いたせいで浮力を保つバランスを崩し、気泡を立てて水没してしまう。そんな彼の手を引き上げながら、和士は一瞬でも彼を認めてしまったことを悔いつつ、深くため息をつくのだった。

 

(……本当、いちいち締まらないなコイツは……)

 



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第34話 蛮勇の群れ

 ――その後。リニアストリームは無期限運行停止となり、開発企業は責任を問われ記者会見を開いていた。調査により設計上の欠陥が多数発見され、企業側は莫大な賠償金を請求されることになったという。

 

 同時に身を呈してリニアストリームを減速させ、乗客乗員を救った謎の着鎧甲冑についての情報を求める声も高まったが、救芽井エレクトロニクスはストライカーシステムの情報は一切明かさず「当人の意志を汲み公表は控える」とした。

 

 だが報道されなかったストライカーシステムの活躍は、この件で各国政府や企業の耳に入ることになり、同システム開発者である伊葉和士へのコンタクトが急増した。

 しかし和士はストライカーシステムは高コストゆえに量産が難しいことと、テスト機が破壊され再建してデータを取る予算もない、という理由から同システムの破棄を決定した。

 ――陸がヒーローとして打ち立てたストライカーシステムの「名誉」を、フェザーシステムの流用から暴走したリニアストリームのように穢させないため。……という真意を隠して。

 

 結局のところ、この事件の全容は和士と陸、そして忠道のみの知るところとなり――「救済の超駆龍」の伝説は、夏空に溶けゆく幻となっていった。

 

 そして――さらにひと月ほどの時が流れ。八月の終わりが近付き、世間では夏休みの終わりという現実が差し迫っていた。

 

「……呆れるほど、平和なものだ」

 

 救芽井エレクトロニクスの日本支社。その高層ビルのガラス窓から、黒スーツに身を包む和士は、下界とも云うべき東京の街並みを見下ろしていた。

 夏休みの終わりに嘆く学生や、残暑に苦しみながら舗装された道を行くリーマン。彼らは皆、当然のように平和を享受し――当然のように、平和のために戦ってきた者達の命を消費している。

 

 ヒーローという役職を持った今だからこそわかる。その「当然」を続けて行くことがどれほど尊く、また困難であるか。

 その重みを実感するたびに、和士は何も知らなかった頃の自分を、道行く人々に重ねていた。

 

「……俺は、あいつらとは違う。あいつらのような、本当に誇るべき『名誉』を背負って戦ってきたわけじゃない」

 

 東京湾の彼方に聳え立つ人工島。その中心に広がるヒルフェン・アカデミー。かつて自分に本当のヒーローというものを教えた、あの学び舎には――自分の分身とも云うべき「至高の超飛龍」の銅像が建てられていた。

 すでに伊葉和士の名は、「救済の超機龍」にも劣らぬ英雄として世に轟いているのだ。

 

「――むしろ、そんな奴らの手柄を食い散らかして、今の地位にありついてしまった。役職としての『ヒーロー』に成功すればするほど、本当の『ヒーロー』から遠ざかって行く。……まさにあいつらとは対極なんだな、俺は」

 

 だが、彼にとっては世間が持て囃す「名声」など何の価値もない。彼が何よりも尊重し、敬ってきたヒーローの本質を持つ、三人の男。彼らの存在を認めない世間の言葉に、和士の心を動かす力はなかった。

 

「それでも俺は……紛い物として。人々が呼ぶ限り、身体が動く限り。これから先も戦い抜いて行く。それが、俺が犠牲にしたあいつらへの、せめてもの贖いだ」

 

 和士の拳に、力が入る。以前なら、とうに血が滲んでいたはずの彼の拳は――金属が擦れ合う歪な音色を刻んでいた。

 それは自分への戒めでもあり――不安の裏返しでもある。もう彼のそばには、海原凪も雲無幾望も、雨季陸もいない。皆、和士の前から姿を消してしまった。

 すでにヒーローとしての和士は、独りであった。もう、心から信じられる本当の仲間はいない。周りのヒーロー達は皆、出世欲に毒された俗物ばかりであった。

 

「――また震えてるわよ、和士」

「……済まない」

 

 それでも、彼が折れないでいられるのは。例え孤独であろうと、守り抜きたい人が隣にいるからだ。

 

 白いドレスに身を包む、茶色のセミロングを靡かせた美少女。身体の発育に沿うような落ち着きに、たおやかな眼差しは――「少女」の壁を超え、大人の女性へと近づき始めた証であった。

 その白い左手からは――眩い宝石が光を放っている。

 

「麗。俺はまだ……いや、これからもずっと。走り続けて行くだろう。走って走って走り抜いて、足が折れたなら両手で這うし、両手も折れたなら地面に食らいつく」

「……ええ」

「そうやって生きて行けば、いつかは力尽きるだろう。その時は――もたれかかってもいいか?」

「イヤって言ってももたれかかるくせに。……ま、それくらい強引で強情なくらいが、あなたらしいんだけどね」

「――違いない、な」

 

 からかうように笑う彼女に釣られ、和士も口元を緩ませる。やがて視線を交わした二人は、夏空の下――人知れず唇を重ねた。

 

(……そうだとも。俺は、まだ止まれない。「あいつら」に報いるには、あまりにも俺は弱過ぎる)

 

 ――か弱き命を明日に繋ぐため、己の命を糧とすることも厭わない蛮勇の群れ。鋼の心か、ただの無謀か。

 どちらとも言えない「彼ら」を、伊葉和士は敢えて「鋼」と称する。さしずめ、「鋼の心の救助者達(メタル・ライフセーバーズ)」と。

 

 ◇

 

 ――同時刻。

 

 天坂結友は晴海ふ頭公園にて、白いワンピースに身を包み――海を一望できる絶景を見つめながら、何処と無く寂しげな表情で佇んでいた。

 

(……神様が、諦めなさいって言ってるのかな……)

 

 潮風が、彼女の艶やかな黒髪を靡かせる。ふわりと揺れるストレートロングの髪が、風に流され彼女の香りを運んでいた。

 白い帽子に陽射しを覆われ、影に隠された彼女の瞳は、青い海原を映している。

 

 ――自分の心を奪い去った海原凪との出会いから二年。あれからずっと結友は、時間さえあれば彼の姿を追い求め続けてきた。

 

 彼女はその美貌と穏やかで心優しい人柄、均整の取れたプロポーション、そしてトップアイドル「フェアリー・ユイユイ」の姉であるというステータスから、高校では学園のアイドルとなっており――すでに二百人以上の男子から告白されていた。

 その中には有名なスポーツ男子や読者モデル、白人留学生や大企業の御曹司まで含まれていたのだが。誰一人、彼女の胸中に住み着いた男の影を消すことは出来なかった。

 

 どんな優良物件に言い寄られても、彼女は寸分たりとも迷うことなく、海原凪への想いを抱き続けてきた。――しかし。

 

(……この二年間、東京中をあちこち探し回ってきたのに……全然見つかる気配がないよ……。私じゃ、ダメだったのかな……。もしかしたら、もう田舎に帰っちゃったのかも……)

 

 持てる力を尽くして情報を集めようとしても、まるで収穫がない。実を結んでくれない捜索を二年間、絶えず続けてきた彼女は途方に暮れていた。

 

(でも――このまま、何も伝えられないままなの? 感謝の言葉も、好きな気持ちも……。そんなのやだ、やだよ……)

 

 妹達の前では決して吐かない弱音が、心の奥で渦巻いている。抑圧された感情を止め切れず、彼女の目尻に「想い」が貯まろうとしていた。

 

 ――その時。

 

「きゃっ……!」

 

 一際強い潮風が結友の体を吹き抜け――白い帽子を風に乗せてさらっていく。

 

「あ……!」

 

 その帽子はひらりと遠くへ飛んで行き――やがて。

 

「――うん? なんだべ、こりゃ?」

 

 通りすがりの釣り人が持っていた、竿に引っかかるのだった。

 

「す、すみません! それ私のなんで――」

 

 そこへ慌てて駆け寄る結友だったが、ふと顔を上げた途端。彼女は言葉を失い、立ち尽くしてしまう。

 

「――ぁ……ぁ、あ」

「ははぁ、これお姉ちゃんのなんだな。この辺、風が強いんだから気をつけねどダメだべ? ……どしただ? お腹痛いだか?」

 

 小麦色に焼けた肌を持つ釣り人は、八重歯を覗かせ「にへら」と笑い、竿から帽子を取り外す。そして微笑と共に持ち主に差し出したのだが――持ち主、即ち結友の異変に小首をかしげるのだった。

 

 そんな彼の思案を他所に。結友は溢れる涙を拭うことも忘れ、口元を両手で覆う。

 「そんなに大事な帽子だっただか!?」と慌てる釣り人を見つめる彼女は、やがて涙声になりながらも問い掛けた。

 

「海原凪、さんですか……?」

「うん? そうだども……おろ? よく見りゃお姉ちゃん、あの雨ん時の――」

 

「――会いたかった……!」

 

 その答えだけが、全てだった。無我夢中になり、結友は感極まる想いで――眼前の釣り人の胸に飛び込んで行く。

 

 ――あの日。混濁した意識の中でも。彼女ははっきりと彼の顔と、伊葉和士との遣り取りを覚えていた。

 

 和士は、結友が海原凪に幻想を抱いていると見ていたが。本当は、違う。

 彼女は知っていた。凪が田舎者のような口調を持つ、間の抜けた男だということを。その上で、彼を好いていた。

 

 下心や欲塗れの男達とは全く違う――本当に命懸けで自分を守り抜いてくれた彼に。彼という「男」に。結友の「女」が、虜にされたのだ。

 

 ◇

 

 ――そうして、長女が二年に渡る想いの丈をぶつけていた頃。

 

 齢十八を迎えた次女は、アイドルからの引退を宣言し――「フェアリー・ユイユイ」の最後を飾るライブを終えていた。

 最後にアイドルとしての彼女に触れようと、ライブ後の握手会にはおびただしい数のファンが訪れていた。そんな彼ら一人一人に、ユイユイは労いと感謝の言葉を伝えていく。

 

「ユイユイ! ぼ、ぼく、ユイユイに貰ったエネルギーでがんばるから! 仕事ぜったいに見つけるから! 今まで本当にありがとう!」

「ありがとうございますっ! ぜ〜ったいイイ仕事見つけて、ご家族を安心させてくださいねっ!」

「お疲れ様ユイユイ! おれも受験頑張るからさ、ユイユイも元気でいてくれよ!」

「だ〜いじょうぶ! ユイユイはいつまでも元気いっぱいですよっ! なんたって妖精さんなんだもんっ! あなたこそ、受験勉強に負けちゃダメだぞ〜っ?」

「今までお疲れーっ、ユイユイ! 俺らも『救済の超飛龍』のこと応援してるから!」

「ありがとうございますーっ! きっと『救済の超飛龍』様も、そう言ってもらえてウキウキですよっ!」

 

 ――ファン一人に分け隔てなく。彼女は自分を引退の瞬間まで支えてくれたファン達に、それぞれのエールを送っていた。

 何百人が相手だろうと。何時間ぶっ続けだろうと。彼女はファンのためとあらば――可憐な容姿からは想像もつかないスタミナで、戦い抜く。

 

 そして、五時間以上に渡る熱気との戦いは――ようやく、終息の時を迎えようとしていた。

 

 八月の猛暑の中で断行された、青空の下での野外ライブ。さらに、その後すぐの握手会。並のアイドルなら、間違いなく途中で体調を崩していたところだ。

 曲がりなりにもトップアイドルの座に数年君臨した彼女ならではの、力技である。

 

「全く、軍隊もびっくりのスタミナだよね結衣ちゃん。だからこそ引退を惜しまれるってもんなんだけど……まぁ、『十八歳で恋愛解禁』が事務所の方針だし、仕方ないか」

「えへへ。それに、惜しまれるタイミングの引退を狙った方が好印象ですからね!」

「……したたかだよね、結衣ちゃん」

「んー? 私妖精だから、難しいことわかんなーい」

 

 最後の別れを惜しみつつ、握手を終えた大勢の客が警備員誘導のもと、ようやく立ち去って行く。そんな彼らの後ろ姿を見送り、ユイユイ――を引退した天坂結衣は、長年連れ添ったプロデューサーと笑いあっていた。

 

「失礼します。握手会と伺ったのですが、もう御開きでしたか?」

「ん? ああ、すまないね。もう時間が来てしまったんだ、私達もそろそろ移動しなくてはならないんだよ」

 

 その時。茶色の髪の少年が、彼女達の前にふらりとやって来る。ゆったりとした服装と穏やかな物腰から、他のファンに圧倒されて並べなかったのだろう――と、プロデューサーは当たりをつけた。

 そうして不憫には思いつつも時間だからと追い返そうとするが――結衣本人がそれを遮る。

 

「いいじゃない、あと一人くらい」

「でも結衣――じゃない、ユイユイちゃん……」

「どうせ最後なんだから、握手一回くらいワガママさせてよ」

「……はぁ、わかったよ。車を待たせてるんだから、手短にね」

 

 腕時計を見やりながら、プロデューサーは結衣の強情さに溜息を零す。そんな彼に、少年は恭しく一礼した。

 

「ご厚意に感謝致します」

「あぁいや、うん、まぁ……君も手短にね」

 

 こういうライブに来るような客層とはまるで違う、上流階級のような佇まいを前に思わずたじろぐプロデューサー。

 そんな彼に微笑を送りつつ、少年は結衣の前に手を差し出した。

 

「――あなたの歌。踊り。笑顔。いずれも生き生きとした情熱を帯びていて……大変感動しました。今まで、私達に希望と勇気を授けて下さり――ありがとうございます。そして、お疲れ様でした」

「そ、そんな大袈裟な。でも、ありがとうございますっ! 最後にそんなウレシい言葉を貰えて、ユイユイもカンゲ……キ」

 

 恥ずかしげもなく歯の浮くような台詞を、真剣に言ってのける変わり者に戸惑いながらも――結衣はなんとかキャラを保ちつつ、差し出した手を握る。

 だが――彼の手首に巻かれたモノが目に入った途端。彼女の「キャラ」は、そこで停止した。

 

 羽根をあしらった、傷のある腕輪。どこか見覚えのあるソレは、彼女の記憶から徐々に蘇り――あの日の光景と重なって行く。

 傷付いた羽根の腕輪。その記憶と重なるように、彼女の眼前に同じものが映された。

 

 この腕輪の傷。手の感触。機械の鎧を隔てた先にも伝わった、温もり。

 全てが一致し、彼女の脳裏に一つの結論が訪れる。

 

「あ……なた」

「ええ。――その節は、どうも」

「……ばかっ! ずっと――ずっと探してたんだからぁっ!」

 

 刹那。じわっと目元に溢れる想いを浮かべた彼女は、握手会のテーブルを蹴り倒し――少年の胸に飛び込んで行く。目の前でそれを見せ付けられたプロデューサーは、大慌てで止めに入るのだった……。

 

 ◇

 

 ――そして、二人の姉がそれぞれの想い人との再会を果たしていた頃。

 

「いやぁ、すまんなぁわざわざ。おかげで大助かりや。あいつら食うだけ食って、ちっとも片付けせぇへんのやから」

「いえいえ、あの人達もお仕事大変でしょうし……。私にできることなら、何でも手伝わせてください、先生」

「あんった……ホンッマにええ子やわぁ〜。ウチの旦那に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ」

 

 祖父母の家で厄介になっていた結花は、隣に住む一煉寺家にて食器洗いに臨んでいた。

 

 つい先ほどまで一煉寺家には、松霧町一の大工である家主と、その部下達が昼食を食べに来ていたのだが――彼らは大量の料理を豪快に食い尽くしたのち、さっさと午後の作業に向かってしまったのである。

 

 家主の妻であり、二学期から結花が通う松霧高校の教師でもある一煉寺賀織(いちれんじかおり)は女だてらにその男達の面倒を見ており、今日も彼らが食い荒らした後の食器洗いに追われていた。

 結花は明日から新しく世話になる担任のために、その片付けの手伝いに来ていたのであった。

 

「……しかし信じられへんなぁ。あんたみたいなええ子が、苛められて転校を余儀無くされるなんて。ま、東京はおっかないところやから、理由のない嫌がらせなんていくらでもあるやろな」

「は、はぁ……」

「やけど安心しぃ! あんたが明日から通うアタシのクラスには――アホはおっても悪い奴は一人もおらん。それに、もし他所のクラスから悪い奴が出て来たら――そん時は、アタシが二度と悪さ出来ひんなるまでブチのめしたるわ!」

「い、一煉寺先生……」

「アタシは賀織先生や。もっと肩の力抜いて、今まで損した分、思いっきり青春しいや! きっと……いんや、あんたなら絶対イイ男も見つかるやろ!」

「……はい。でも……いい人なら、もう、います」

 

 皿を洗いながら、親睦を深め合う教師と生徒。そんな中、ふと幼気な少女が発した言葉に、賀織の口元が釣り上がる。

 

「ほっほ〜……なんや、いっちょ前にやることやっとるやんけ! アタシにも紹介せぇや結花っ!」

「ふえぇっ!? だ、だめですそんな!」

「えーやんえーやん〜。それとも、見せられへんようなカレシなんかぁ?」

「り、陸はまだカレシなんかじゃ……!」

「ふーん……陸っていう男なんやな? まぁまぁイカす名前やんか」

「あっ!? も、も〜! からかわないでください賀織先生っ!」

「わー、結花が怒ってもたー」

「棒読みもやめてくださいっ!」

 

 年上の女性ならではの容赦のないからかいに、結花は皿を丁寧に洗いながらぷりぷりと怒り出す。がさつながら、どこか頼りになる次女の姉を重ねながら。

 

 ――その時。

 

『〜だぁよっ』

 

「……?」

 

 聞きなれない声が、響いてきた。拡声器によるノイズが混じった声のようだが――いつもこの町で聞く、焼き芋屋とは違うようだ。

 長年この町で暮らす賀織にも聞き覚えがないらしく、二人とも手を止めてしまっていた。

 

 そして、その声に耳を済ませた結花は――

 

『らぁめん、あぁまぁぁあきぃ〜……出張開店だぁよぉ〜っ!』

 

「……すみません、すぐ戻ります!」

「え!? ちょ、結花ぁ!?」

 

 ――自分が何をしていたのかも忘れるほど、夢中になる思いで。その場から飛び出し、エプロンと靴下のまま玄関から飛び出してしまった。

 

 息を切らし、汗だくになりながら――彼女は遅い足で懸命に走り、声の主を辿る。

 

「旦那ァいいんすかァ!? 今夜も愛妻のスペシャル料理が待ってるんしょオ!?」

「ばぁーろゥ! 今時滅多に見ねぇラーメン屋台だぞ!? 食わねぇ手がアルカディア!」

「最後の方はよくわかんないスけど、とりあえず俺も食いまーす!」

「あっ!? 先輩ズルイ! あっしも食べりゅうぅう!」

「ヘェイラッシャァアセェエェ! ご注文はァアァアァイ!?」

 

 やがて声は徐々に大きくなり――どこか懐かしいスープの香りが、結花を惹きつけた。賀織の旦那であり、大工達の棟梁である一煉寺龍太(いちれんじりゅうた)の声も響いてくる。

 最愛の幼馴染の、聞き慣れた叫び声も。

 

(陸、陸っ……陸ぅっ!)

 

 ポロポロと涙をこぼしながら、それでもなお前進する少女。そんな彼女を最後の曲がり角を越えた先で待っていたのは――

 

「マイドアリッシャアァアア――ってあれ? おーう、結花じゃねーか!」

 

 ――屋台ラーメンで大工達と和気藹々な雰囲気で交流する、長身の少年。忠道製の義足を付けた彼は、汗だくになりながらも元気にラーメンを並べている。

 他人の空似ではない。夏の暑さが見せる幻でもない。「漢は黙って乳を揉め」と無駄に達筆なフォントでプリントされた炎柄Tシャツを着る、アホ丸出しの高校生など他にいない。

 彼は間違いなく――雨季陸。結花が会いたいと願い続けた、最愛の男だった。

 

「陸……陸、陸、陸ぅっ!」

「おわっ。……ははは、なんだなんだ寂しんぼだなぁお前。休みが出来たら会いに行くっつったろうが」

「ぐすっ……だって、だって……」

「泣くんじゃない泣くんじゃない。――お前には大事な用があるんだからよ」

「だ、大事な、用……!?」

「ああ。とんでもなく、大事な用だ」

 

 感極まるあまり、思わず胸に飛び込んでしまう彼女。そんな幼馴染を、陸はしばらくあやすように頭を撫で――やがて、真剣な面持ちで両肩に手を置く。

 その真摯な眼差しで射抜かれた結花は、夏とは無関係の「熱」でクラクラしてしまう。短い遣り取りで二人の仲を察した龍太達は、無言でラーメンをすすりながらニヤニヤと見守っていた。

 

 ――だが。

 結花の前に差し出されたのは、花や指輪ではなく。

 

「実は宿題全然終わんなくてさァ! 手伝ってくれよ結花センセ!」

「……は」

 

 真っ白な。それはもう、彼のオツムのように真っ白な――夏休みの宿題。汚れ一つないそのノートは、彼が今日に至るまで、いかに全力で宿題をサボっていたかが見て取れる。

 

「いやー、結友姉に手伝ってくれって頼んだら『宿題は自分でやるものです』って叱られてよ。結衣姉はバカだからアテにならねぇし。つーわけで! ここは一つ、結花センセの――結花、センセ……?」

 

 無論、そんな彼の頼みの綱は結花なわけだが――彼女は拳をぷるぷると震わせ、幼馴染を睨み上げていた。

 ――そして。

 

「そんな理由でこっちに来たのーっ!? もー絶対許さないっ! 宿題なんて手伝ってあげないーっ!」

「ウワー! 結花センセが怒ったのだー!」

 

 ジタバタと拳を振り回し、ぷりぷりと怒り出すのだった。そんな彼女に追い回されながら、笑い転げる陸。

 龍太達はそんな凹凸カップルの痴話喧嘩を前に、ひたすら笑い続けるのだった……。

 

 ――四人四色。夏空に吹き抜ける恋の風が、それぞれの巡り合わせを見つめていた。

 この出逢いが幸か不幸かは――当人達にしかわからないだろう。

 



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最終話 救済の遮炎龍

「げほっ、ごほっ! ここ、どこ……!? 苦しいよ、熱いよ……お母様ぁ!」

 

 前後左右、全ての視界が封じられた煙の世界。そのただ中に取り残された一人の少女が、灼熱と窒息の恐怖に震えていた。

 亜麻色の長髪を靡かせる彼女の胸に抱かれた金色のペンダントが、己の存在を示すように音を立てて揺れている。

 

 ――二◯三四年、十二月。

 

 聖フロリアヌス女学院――かつて橘花麗を輩出し、久水茂の妹である久水梢(ひさみずこずえ)が学園長を務める、上流階級の子女ばかりを集めた淑女の園。その学び舎の学生達による、六十階建ての高級ホテルを舞台としたクリスマスパーティーで――事故は、起きた。

 

 シェフの不注意によるガス漏れに端を発する出火。そこから引火と誘爆が連結し、大規模な火災へと発展してしまったのだ。

 女学生達は我先にと悲鳴を上げて逃げ出し、警備員達がそれを誘導した。同席していた父兄側のヒステリックな叫びと、女学生達の嗚咽が飛び交う地獄絵図が、一瞬にしてビルを席巻したのである。

 

 だが、娘の付き添いで居合わせた父兄の中には――救芽井エレクトロニクスと繋がりのある資産家がいた。彼はすぐさま日本支社を経由して、伊葉和士に救助を要請。

 迅速に着鎧甲冑の精鋭レスキュー隊「レスキューカッツェ」を手配した彼の手腕により、火災がパーティー会場を飲み込む前に参加者のほとんどを無事に脱出させることに成功したのだった。

 

 ――だが。事態はまだ、終息に向かってはいなかった。

 

 階段を降り、脱出したはずの女子生徒の一人が――いなくなったのである。それに気づいた父親までもがレスキューカッツェの制止を振り切り、来た道を引き返してしまっていた。

 九死に一生を得た他の生徒や父兄達も、ビルの下でヒステリックに騒いでいる。この場からすぐ離れねば危ない、というレスキューカッツェの警告にも耳を貸さず。

 

(くそ……これだから上流階級はやりにくいんだ)

 

 ビルの前に立ち、全体を見渡せる位置から指示を出す和士は、人知れず毒づいた。

 

 一般的な中流階級なら、プロであるレスキューカッツェの指示にはまず逆らわない。仮に最初だけ反発していたとしても、最終的には素直に礼を言って保護下に入るものだ。

 

 しかし日本全体でもごく少数の上流階級となると、なかなかそうはいかなくなってくる。彼らはレスキューカッツェのようなプロを従える立場であるため、自分達の方が格上である、という意識が強い。そのため、素直にこちらの指示に従いにくいのだ。

 その上、首尾よく救助してもケチを付けてきたりすることもある。自分の無事を確信するや否や、女性隊員にセクハラを働く父兄すらいた。

 無論そんな連中には当てはまらない名君もそれなりにはいる。だが上流階級そのものが少数であるため、そうそう巡り会うことはない。

 

 それはヒーローになる以前から、和士も熟知していることだった。かつて総理大臣だった父を持つ彼は、強い者に媚び弱者を蹴落とす上流階級の闇を、嫌というほど見てきたのである。

 

(助かるための指示は聞かない。助からなけりゃ、何をしていたと難癖付け放題。こんな連中に、あいつらは喰い物にされたのか! ――んッ!?)

 

 その時だった。

 

 ビル全域を見遣りながら、いなくなった父娘を部下に追跡させていた彼の目に――ある変化が留まる。

 

 ――約四十階ほどの階層にて。黒煙が噴き出す窓から、人が乗り出してきた。あの身なりのいい白スーツの壮年男性は――父親の方だ。

 

 火災の熱気と煙に追い詰められた人間が窓に逃げ、極限状態の緊張により地表を実際より近いものと錯覚して飛び降りる。――よくある話だ。

 

「煙に追い詰められたか! 父親の方を発見した、近場の隊員は直ちに救助に――!」

 

 その知識から導き出される悲劇の予兆。瞬時にそれを認識した和士は咄嗟に指示を出すが――父親の飛び降りの方が先だった。

 

「――ちィッ、着鎧甲冑ッ!」

 

 それを見るや否や。和士は走りながら羽根つきの「腕輪型着鎧装置」から黒いヒーロースーツを転送し――「至高の超飛龍」の「基本形態」に着鎧する。

 通報の際に聞いた現場の状況から「飛行形態」は不要と判断し、いち早く現場に到着することを優先して「超飛龍の天馬」に乗って来なかったことが仇となっていた。

 

(恐らく娘を追う途中に煙に遮られ、自分が耐え切れなくなって飛び降りたんだな。ド素人が余計なことしやがって! ――あの高さじゃあ、俺がジャンプして受け止めても骨折は避けられん。ちくしょう、飛行ユニットさえあればこんなことには!)

 

 被災者側が指示に従わなかった結果であるとはいえ、全員無事とは行かなくなったことには変わりない。あらゆる事態に対処し切れなかった自分の采配を悔やみながら、それでも「命」だけはと和士はひた走る。

 

 ――すると。

 

「……!?」

 

 別の人影が、振り子のように和士の視界に映り込んできた。四十階相当の高さから、まるでターザンのように割り込んできた「影」に、和士はさすがに目を点にする。

 

 アンカーを四十階の壁に突き刺し、黒いワイヤーで弧を描くように現れた「影」。それは飛び降りた男性を横から攫うと、滑るように地上へと降り始めた。

 恐らくワイヤーの長さを調節しながら降りているのだろうが――さすがにワイヤーの限界が来たか。残り十メートル前後というところで「影」はワイヤーを手放し、地面を転がりながら着地する。男性を怪我させまいと抱えながら。

 

「お、おいっ!」

 

 他の被災者から離れた地点に着地した彼の元へ、和士は素早く駆け付けた。そんな彼の前で、「影」はゆらりと立ち上がる。

 

「……!」

 

 振り返った「影」は――十五歳ほどの、少年だった。やや切れ目の鋭い目付きであるが、白い肌と艶やかな黒髪を持つ美少年である。

 赤と黒を基調とするライダースジャケットを纏う彼は和士の方へ振り返り、素顔を露わにする。白いマフラーが寒空の風に揺れ、ふわりと舞った。

 彫像のように整った目鼻立ちでありながら、この冬にも勝るほどに冷たい無表情の彼は、訝しむ和士をじっと見つめていた。

 

「……こちらの方に怪我はありません。ですが、かなり煙を吸っておられるはず。救急車の手配もお願いしたいのですが」

「……それはもちろん、こちらで手配する。だが、お前は一体何者だ。先ほどの手腕から只者では無い事はわかるが――!?」

 

 ようやく口を開いた少年に食ってかかる和士だったが、言い終えないうちに言葉を止めてしまう。

 少年の左腕が――右腕より異様に長く。左肩が、右肩よりかなり低い。明らかに、脱臼している。

 

 ――恐らく先ほどのキャッチと、大人一人を庇いながら十メートルの高さから飛び降りたショックのせいだろう。だが、そんな状態でありながら辛そうな表情一つ見せない少年が、和士としては何より不気味に感じられた。

 

「お前、怪我してるじゃないか! 話は後だ、ここに部下を呼ぶからお前は待って――」

「――必要ありません。それに今は、残りの一名の救助を優先すべきです。ここは私が引き受けますので、あなたは他の被災者の説得に向かってください」

「はぁ!? そんな状態で何を言って――!?」

 

 またしても和士は、言葉を止められてしまった。

 

 鈍い音。関節の中にある筋肉と骨が歪に擦れ合う、聞くに耐えない音だ。

 彼は――眉一つ動かすことなく。外れた肩を、自力で整復していた。耐え難い激痛が伴うはずのその行為を、まるで当然のことのようにこなす少年の姿に――和士は一瞬言葉を失うのだった。

 彼の動揺を他所に、少年は無表情のまま首を捻り後方の被災者達を一瞥する。

 

「――お、まえ……」

「被災者の方々は、今も突発的な状況に精神を乱され、冷静さを欠いています。彼等を宥め、より安全に被災者全員の身柄を保護するには――絶大な求心力と名声を持つあなたの『声』が必要なのです」

「……お前は一体!?」

 

 生身一つで飛び降りた男性を救助し。自分の長所を的確に指摘し。事件の状況を正確に把握し。肩を脱臼しても顔色一つ変えず、即座に整復。

 どれをとっても並のレスキューヒーローとは比にならない能力だった。その実態を問う和士の前で――少年はライダースジャケットのファスナーを下ろす。

 

「――私は」

 

 ライダースジャケットの下には――メタリックレッドで塗装された、鋼鉄製の袈裟ベルト。

 

「それ、は……『第三世代型(サードフェイズ)』着鎧甲冑のデバイス!?」

 

 救芽井エレクトロニクス上層部しか知り得ない門外不出の最新鋭機。そのスーツを粒子化した専用デバイスが、彼の胸に巻かれていた。

 

 ――初めて世に現れた着鎧甲冑である「救済の先駆者(ヒルフェマン)」や、世界的にその名を知らしめた伝説的ヒーロー「救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)」。

 それら黎明期の着鎧甲冑は「第一世代型(ファーストフェイズ)」と呼ばれる。

 

 基本となるヒーロースーツに様々なオプション装備を携行させ、汎用性に特化したその世代に対し――「第二世代型(セカンドフェイズ)」では海中や空中など、局地的な状況に特化した増加装甲による、基本性能の底上げが図られた。

 「救済の超水龍(ドラッヘンダイバー)」や「救済の超飛龍(ドラッヘンフェザー)」等が、それである。

 

 だが、状況とは常に移り変わるもの。「第一世代型」の汎用性も、「第二世代型」の局地性も、犠牲には出来ない。

 それに対する回答は、スーツを粒子化して携行するデバイス自体を「腕輪」から「ベルト」に大型化することで、デバイスの容量をギリギリまで高め――スーツと増加装甲の両方(・・)を粒子化・収納し、自在かつ同時に展開するシステムを実現する、というものだった。

 

 そうして、救芽井エレクトロニクス随一の技術を持つ四郷鮎子(しごうあゆこ)博士の設計から「第三世代型(サードフェイズ)」の第一号が開発されたのだが――「腕輪型着鎧装置」に代わるデバイスとなる袈裟ベルトが、スーツと増加装甲を一纏めにした影響で六十キロ以上の重量になるという、到底「有事に備えて手軽に携行」するデバイスとしては成り立たない代物になっていた。

 

 ――そのため、正式なロールアウトは見送られたはずだったのだが。

 

 かつて和士は噂で、より軽量かつ効率的に運用できる「第三世代型」のデバイスを開発すべく、データ収集のために開発関係者が第一号をテスト運用している――という話を聞いたことがあった。

 

「まさかお前が!?」

 

 だが、その噂が本当であることも。その「開発関係者」がこんな少年であることも。和士はこの瞬間まで、信じてはいなかったのだ。

 

 限界まで、粒子化したスーツと増加装甲を袈裟ベルトへ詰め込むためにオミットされた、音声入力機構に代わる着鎧スイッチ――漆黒のカードキーを、その視界に捉えるまでは。

 

「――接触(コンタクト)

 

 少年の呟きと共に。開かれた袈裟ベルトのカバーに、カードキーが装填される。彼がカバーを閉じた時――

 

『Armour Contact!!』

 

 ――電子音声と共に。門外不出の「第三世代型」が、和士の前に姿を現した。

 

 一瞬にして彼の全身を固める、真紅のヒーロースーツ。その関節各部を、黒と黄色のプロテクターが覆い――首に巻かれた白マフラーが、一際激しく揺れる。

 

『Awaken!! Firefighter!!』

 

 着鎧シークエンスの終了を告げる電子音声。その宣告を合図に、未知の鎧を纏う少年の躰が跳び上がって行く。

 

「はァッ!」

 

 彼は短い気勢から放つジャンプでワイヤーをキャッチし、そのまま最初に引っ掛けた階層まで直行して行った。見たことのない着鎧甲冑の登場に、野次馬が沸き立っている。

 

「ご覧ください! 今、謎の着鎧甲冑がワイヤーで壁を伝い、逃げ遅れたものと思しき被災者の救助に向かっているようです! しかし、火災はかなり多くの階層に広がっている模様! 果たして彼は、被災者を助け出せるのでしょうかッ!?」

「ちょ、玄蕃さんトーン落として! 顔怖い! 超怖いですから!」

 

 さらに報道陣も大勢詰め掛け、最前列の女子アナウンサーは猛り狂うように現場を実況している。その鬼気迫る実況に、カメラマンが慄いていた。

 

「ごほ、ごほっ! う、うぅ……琴海(ことみ)、琴海ぃ……!」

 

 その時。和士のそばで倒れたままの男性が、うわ言のように娘の名を呟いた。それに気づいた和士はそばに寄り添い、励ますように声を掛ける。

 

「大丈夫です。大丈夫ですよ。あなたも娘さんも、必ず助かりますから」

「あ……あの娘はきっと、亡くなった妻の形見の、ペンダントを……取りに戻ったのです。あの時、琴海は『お母様のペンダントがない』と泣いていた……」

「ペンダント……ですか」

「確かにあれは、私にとっても大切な宝物です。だが、あの娘の命には換えられない! お願いします! どうか、どうか命だけは……!」

「心配いりません。大丈夫ですよ、絶対に」

 

 和士としては、これといった根拠などない。それでも他に頼れる相手もいない以上、彼は「第三世代型」を持つ少年に賭ける他なかった。

 

(二次災害を回避するために、他の隊員には下層を捜索させているが――あいつは真っ先に上の階層を目指していた。……俺の采配を汲んだ上で、捜索の穴を睨んだのか)

 

 少年自身の意思で上層を捜索した――となれば、そこで彼に万一のことがあっても、形式上は和士の責任にはならない。彼は和士の部下ではないのだ。

 それに、いくら能力があると言っても危険が一際大きい上層の捜索を、他人にさせることは和士の良心が許さなかった。

 

 彼が和士の胸中をそこまで読んだ上で、命令されるまでもなく自己判断で上層に向かったのかは――定かではない。だが少なくとも、今の状況は和士にとっては好機とも言えた。

 

(今は……あいつを信じるしかない。あいつと、「第三世代型」一号機――「救済の遮炎龍(ドラッヘンインパルサー)」を)

 

 やがて――少年の背を見上げる和士が、鉄の拳を握り締める瞬間。ワイヤーを伝っていた彼は、黒煙が立ち込める窓の中へと飛び込んで行った。

 

 彼の視界を暗黒が埋め尽くす。だが――マスクのバイザーに内蔵された暗視装置が、直ちに目の前を明瞭にした。

 

「……」

 

 ――彼が纏う「救済の遮炎龍」のスーツには、生体反応レーダーが内蔵されている。その情報から、すでに彼は逃げ遅れた最後の一人の位置を概ね特定していた。

 だが、それは四十階以上の上層――というところまででしかない。その精度をさらに高める補助機能を使うため――彼は、腰のポーチからもう一枚のカードキーを抜いた。

 先ほどとは対照的な純白のカードキーを胸のカバーに装填し、閉じる。

 

『Shield Contact!!』

 

 刹那。少年の左手に、真紅の盾が装備された。バックラーを彷彿させる、そのアタッチメントは――「盾型消火銃(インパルス・シールド)」。

 特殊合金製の盾にインパルス消火システムを一体化させた「救済の遮炎龍」の主力装備であり、その裏面には圧縮空気タンクと生体反応レーダーの補助機能も組み込まれている。

 

「……要救助者、確認。直ちに保護する」

 

 「盾型消火銃」の装着から、被災者の特定。その所要時間は五秒もなかった。彼は場所を断定するや否や、猛然と階段を駆け抜けて行く。

 黒煙と炎に包囲された五十二階に、亜麻色の髪を持つ彼女はうずくまっていた。窓の近くにいたためか、そこまで煙を吸っておらず――微かに意識がある。

 

「お母様……お母様……琴海を置いていかないで……」

「……」

 

 発見して間も無く保護し、マフラーで少女の鼻と口を塞ぐ直前。彼女が残したうわ言が、少年の耳に届いたのか。

 彼女を抱きかかえた彼が、窓から飛び出した瞬間。彼は、誰にも聞こえないように――囁いていた。

 

「置いて行ったりなんか、しない。絶対に。……そうだろ、父さん」

 

 少女に、その言葉が届くことはない。それは少年もわかっていたはずだった。彼の言葉は、本当に少女に向けたものだったのか。

 

 彼自身にも、それはわからない。窓を飛び出し、四十階のワイヤーまで壁を駆け下り――その勢いのままワイヤーを片手で掴み、減速しつつ優雅に地上へ降りるまで。

 彼は無言のまま、謎のニューヒーロー誕生に沸き立つギャラリーに目もくれず。気を失った少女を、静かに見つめていた。

 

「……『救済の遮炎龍』……か」

 

 そんな彼の活躍を見上げる和士の周りでは、救急車や消防車、それにパトカーまでが大勢入り乱れていた。ようやく、事態が終息に向かおうとしている。

 だが、彼の心は晴れない。少年が見せた、無茶を無茶と思わせないほどの苛烈な戦いぶりに――かつて離れ離れになった戦友達に、重なるものを感じたためだ。

 

「――どんないきさつかは、知らないがな。自分を幸せに出来ない奴は、他人を幸せになんか……出来ないんだぜ」

 

 少年がそれをわかっているか否か。それを見抜けなかった和士は、案じるように言葉を投げかける。だが、この喧騒の中で聞こえる声量ではない。

 言える立場ではない、という意識が邪魔したのだろう。事実、少年がいなければ少女は助からなかった。

 

 その意識の強さが、いたたまれなさを生んだのか。和士は踵を返すと、少年から離れるように被災者達の方へと向かっていく。混迷の中で人々が、傷つけ合うことにならないために。

 それが和士に残された、レスキューヒーローとしての矜恃であった。

 

 ――時は二◯三四年。新しいヒーローの物語はまだ、始まってすらいない……。

 




 次回からは、今回デビューした新ヒーローを主人公とするストーリーが始まります!


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異聞 着鎧甲冑ドラッヘンインパルサー
第1話 消防士の死と、少女の決意


 少女が見上げた空は、黒煙に満ちていた。

 

 逃げ惑う人々の叫び。激しく行き交う車。誰もが、この一瞬を懸命に生きている。戦っている。

 

 これは死者が絶えない戦争でも、人類の終末でもない。単なる、デパートで起きた火災だ。

 確かにただならぬ事態ではあるが……車への引火、誘爆が連発して大火災に発展した――という程度(スケール)が違うに過ぎない。あくまで人類に降りかかる災厄としては、単なる「火事」だ。

 

 だが、その程度でも人は死ぬ。焼かれるより先に煙に巻かれ。煙から逃れようと、窓から飛び降りて。

 少女の目の前に頭から落ち、弾けるように頭部を失った犠牲者も、そんな内の一人だ。

 

 幼気な少女はそんな惨劇に震えながらも生きることだけは捨てまいと、ひた走る。だが、彼女の頭上にも「悲劇」は迫っていた。

 

 設計の想定から外れた衝撃、即ち爆発を受け、変形した天井に亀裂が走ったのだ。やっとの思いで愛娘を見つけた両親は、眼前に迫る娘の「死」に絶叫する。

 

 その声は、まるで宣告のようであった。直後に天井が崩れ、少女の全身をその影で覆い尽くす。黒煙でも火でもない「何か」に視界を埋められ、少女の思考は停止した。

 

 しかし。少女の思考は、再び動き出した。そこに待っていたのは永遠の眠りではなく。

 

 知らない顔の、男性。

 だが、その男性の白い服に、少女は見覚えがあった。

 

(消防士、さん……!)

 

 その時。少女の身体が、自らの意思に寄らない力に突き動かされた。

 少女を庇い、その背で天井の崩落を受けた男性は、血だるまになりながら、それでも。小さな背を押し、両親の元へと送り届けたのだった。

 

「……もう、大丈夫だ」

 

 それが。少女が聞いた、最初で最後の男性の声。消防士、鳶口纏衛(とびくちまとえ)の最期だった。

 

 ◇

 

 その消防士の葬儀は事態の終息後、彼の仲間達の間でひっそりと行われた。両親も妻も既に亡くしていた彼の遺族は、一人息子だけであり、この少年もまた、父だけが拠り所だった。

 ただ一人の肉親であり、家族であった父を喪った息子は誰からも距離を置き、葬儀場の端で膝を抱えていた。

 

 あの火災で纏衛に命を救われた少女――佐々波真里(さざなみまり)の一家が、喪に服してその場に現れた時。幼い少女の瞳に、少年の後ろ姿が映された。

 

(わたしが……わたしが、なくしたんだ。あの子の、たいせつな人を。たいせつな、全てを……)

 

 幼心に、少女は自らの罪を悟り、幼心にその痛みに胸を痛める。小さな胸元を握る手は、その苦痛に耐えようとするかのように震えていた。

 両親が涙ながらに、纏衛の骸に賛辞を送る中。真里の瞳は、自分自身の罪の象徴とも云うべき少年の背を、貫いていた。

 

 そして。

 

(あの子は……)

 

 全てを喪った少年も、また。葬儀を終え、去り行く少女を見つめていた。

 

幸人(ゆきと)君。少し、いいかな」

「……はい」

 

 ふと、少年の前に壮年の男性が現れる。黒スーツの上からもわかる、筋肉質な体躯の持ち主である彼を、少年はよく知っていた。父の親友である科学者、才羽誠之助(さいばせいのすけ)である。

 

 父は生前から、彼が開発する強化服――新型着鎧甲冑のテストに協力していた。完成すれば、より多くの人命を救えるようになる、と。

 

 そんな彼が、真摯な眼差しで自分を見下ろしている。彼の目を見つめる少年はすでに。彼の用件を、概ね察していた。

 

「……ねえ、パパ。ママ」

「どうしたんだ、真里」

 

 その頃。葬儀場を去り、帰路についていた真里は。車の後部座席から喪服の消防士達を見つめながら、呟く。

 

 運転していた父は娘を労わるように、優しく声を掛けた。この一件で傷心した愛娘への、気遣いが感じられる。

 そんな父に。少女は一拍置いて、己が使命を語った。

 

「わたしね……お医者さまに、なる。お医者さまになって……どんなケガをした人も、みんな治してあげるの。誰も……誰も泣かないように」

「真里ちゃん……」

「……わかった。思うままに、やってみなさい」

「……うん」

 

 幼くも力強く、そう宣言する娘に助手席の母が心配げに見つめる。だが父は、強い目標を抱いた娘の背中を押すことに決め、娘の決断を支持するのだった。

 



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第2話 特別優秀生・佐々波真里

 

 ――それから、七年。

 

 二◯三五年の四月に高校生となり、上流階級の子女しか通えない、と言われる「聖フロリアヌス女学院」へ特別成績優秀枠で入学を果たした彼女は。

 

「見て、あの子よ! 庶民の子なのに、特別成績優秀枠で入学を許されたっていう……!」

「綺麗ね……庶民の家の子だなんて、信じられない……」

 

 他の入学生から羨望を集めるアイドル的存在となっていた。

 上流階級で英才教育を受けてきた令嬢ですら、一握りの天才でなければ辿り着けないという特別成績優秀枠。それに一般家庭の少女が合格したという事実が、彼女に注目が集まる所以なのだ。

 生徒だけでなく教員達の間でも、佐々波真里の名は有名であった。それほどまでの偉業を、彼女は齢十五にして成し遂げたのである。

 

 春風に靡く、艶やかなセミロングの黒髪。雪のように白く、瑞々しい柔肌。薄い桜色の唇。少女という歳でありながら、「大人」への成長を感じさせる、均整の取れたプロポーション。

 そのスタイルの良さと美貌も、彼女が注目を集める理由の一つだった。彼女と共にこの超お嬢様学校への入学を果たした同級生達は、自分達より(相対的に見て)遥かに貧しい家柄でありながら、努力を重ねて特別枠を勝ち取った彼女に深い尊敬と好意を寄せていた。

 しかし。

 

「ちっ……先生方も他の下級生達も……どいつもこいつも、あの小娘の話ばっかり。何よあんなの、ただちょっとそこらの庶民より頭がいいだけの芋女じゃない」

「だいたい、あんな田舎娘がこの聖フロリアヌス女学院に入学できる今の制度がおかしいのよ。この女学院は由緒正しき子女しか入れないはずよ! それを、いくら成績が飛び抜けて優秀だからって!」

「そうよ……! 学園長も何をお考えなのかしら! より優れた者を上流階級として取り立てるなんて……下々が付け上がるだけなのに!」

 

 真里を含む新入生達を遠巻きに睨む上級生達はその殆どが、強烈な嫉妬心を滾らせていた。

 

 元々、聖フロリアヌス女学院は家柄が裕福な名家でしか入れない。だが、家柄にあぐらをかいて学業を疎かにする学生への戒めとして、近年から一般家庭からの受験を受け付けるようになっていた。

 

 「名家に恥じぬ努力をせねば、一般庶民に出し抜かれるぞ」という、一種の脅しとして。

 

 だが、今年に入るまではその難易度と門の狭さから、一般家庭からの合格者は一人も出ていなかった。それが余計に在学生達を増長させていたのだが。

 

「佐々波真里……! あの思い上がり娘めっ……!」

「許せないわ、この私達を差し押いて特別成績優秀枠だなんて……!」

 

 初の一般家庭からの合格者である上に、ただ一人の特別成績優秀枠。

 その衝撃的なデビューに、誰もが注目を注ぐようになってしまった。

 

 彼女の存在は、単に「庶民のくせにこの女学院に通うことが許せない」という者達だけでは収まらず。特別成績優秀枠を狙えた才女でありながら、「自分達を差し押いて特別成績優秀枠という頂点を庶民に取られた」という者達からも疎まれる結果となっていた。

 

「なによあの小娘、涼しい顔なんかして……! ちょっと栄えある先輩としてお灸を据えてっ……」

 

「何をしていらっしゃるの? あなた方」

 

「……っ!? 琴海(ことみ)様!?」

 

 そんな彼女達の一人が、真里に物申すべく一歩踏み出した時。澄んだ声が彼女達に響き渡り上級生達の視線が、その声の主に集まった。

 

 その人物、文村琴海(あやむらことみ)は、日本人離れした亜麻色の長髪を靡かせ、豊満な胸に乗る金色のペンダントを揺らし、自身の取り巻きの一人である二年生を睨む。三年生の生徒会長という絶対の存在に見つめられ、二年生は緊張のあまり膝を震わせた。

 

「感心しませんわね。名家の淑女ともあろう者が、嫉妬を露わに陰口など」

「しかし……! あのような下賤な庶民がこの女学院を闊歩するなど、私達には耐え難い苦痛で……!」

「耐え難いのなら簡単なこと。この女学院を去ればよいのです。あなた方が真に彼女に勝る存在であるならば、学校側が引き留めるかも知れませんが」

「……っ!」

 

 白い氷原を彷彿させる白い肌と、豊満に飛び出した胸や臀部を持ち、切れ目の艶やかな瞳を煌めかせる、氷雪の女神を彷彿させる妖艶な美女。

 そんな絶対的な美貌の前に、二年生である吾野美夕(あがのみゆ)は反論すら許されないほどに圧倒され、同時に、魅了されてしまった。

 

「……失礼しました」

「よろしい。素直なあなたが、わたくしは好きですわ」

 

 そんな彼女を見つめる琴海の眼差しが、ふっと柔らかくなる。その変化に翻弄されながら、美夕は情熱的な瞳で琴海の美貌を見遣った。

 

 美夕の琴海に対する敬意は崇拝の域にも達しており、彼女が微笑を浮かべるだけで、美夕は一瞬ながら真里への敵意すら忘れかけてしまう。

 

「では、わたくしも生徒会長として一言挨拶に伺おうかしら」

「なっ……!」

 

 だが、次に飛び出した琴海の発言で我に帰されてしまった。目の前の状況を脳が把握し「琴海様があのような下々に」といきり立つより早く、彼女は悠然とした足取りで真里の方へと歩んで行ってしまう。

 暫し呆然と、その後ろ姿を見送っていた彼女は、やがて煮え滾る憎しみの視線を、何も知らない真里に叩きつけた。

 

「あいつが、あいつがッ……!」

 

 ◇

 

「しっかし、やっぱウチに来たんだなぁ真里。いや、お前が落ちるだなんて思っちゃいなかったんだけどさ。まさか特別成績優秀枠なんてモンに食い込むたぁな」

「えへへ、ありがとう。でも、(めぐみ)がいてくれてよかった……。誰も知り合いがいなかったら、不安だったんだ」

「そうかい? アタシとしちゃあ、一般の高校が良かったんだけどなぁ。『軟弱な庶民の学校に通うなど許さん! それでも玄蕃(げんば)家の娘か!』って親父がうるさくってよ」

「あはは……」

 

 風が桜を運ぶ校庭の中で、真里は隣を歩く少女と親しげに言葉を交わす。

 焦げ茶色のシャギーショートをふわりと揺らす、長身の美少女――玄蕃恵(げんばめぐみ)は、色白のしなやかな肢体の持ち主。切れ目の鋭い目つきからは、お嬢様らしからぬ強気な雰囲気が漂っている。

 さらにそのスレンダーな体型に反して、出自は日本武道の頂点と謳われる玄蕃家の娘であり、彼女自身も空手の世界選手権で活躍するほどの達人である。

 

 だが、それほどの名家の生まれでありながら。

 恵は幼い頃から、東京の街に飛び出しては一般家庭の子供達と遊ぶ変わり者でもあった。東京の住宅地で生まれ育った真里とは、その頃からの幼馴染である。

 

「悪口のつもりじゃないんだけど……やっぱり恵って、お嬢様って感じじゃないよね」

「アタシに限った話じゃねぇさ。姉貴も家飛び出して女子アナやってるし。玄蕃家にまともなお嬢様なんざいねぇよ」

「あはは、そんなこと……あれ?」

「あん? どした真里」

 

 その時。真里の視界に、カーキ色の作業着に袖を通し芝刈りや箒がけに勤しむ男達の姿が入り込んできた。

 

「こういうお嬢様学校にも、男の用務員さんっているんだ。がっちがちの男子禁制って聞いてたけど……」

「ん? まぁ、女子の用務員が嫌がるような野外の汗くせえ仕事もやってくれるしな。人件費も安いし、例外なんだよ。ただまぁ、庶民の男っつー理由で生徒達からは白い目で見られてるし、役得って感じはねーんじゃねぇか? ま、アタシは庶民も男もカンケーないけどさ」

「ふぅん……よし」

 

 この女学院にも男子用務員がいると知り、同時にここの性質ゆえに肩身の狭い思いをしている、ということも聞いた彼女は僅かな逡巡を経て、ぱたぱたと走り出す。

 そんな彼女の行動パターンを読んでいた恵は、「仕方ないな」と溜息混じりに笑いながらゆっくり後を追った。

 

「用務員さん。いつも校舎を綺麗にしてくださり、ありがとうございます」

「……」

 

 無表情で掃き掃除をしていた、白マフラーを巻いている用務員の一人に、真里は恭しく笑顔でお礼を口にする。声を掛けられた用務員は、一瞬驚いたように目を見開きながらも、すぐさま応じるように頭を下げた。

 

「いえ、仕事ですから。こちらこそ、私達のような下々に目をかけて下さり、感謝の言葉もありません」

「えっ……や、やだ、わたし一般家庭の出なんです! お嬢様じゃないんです!」

「存じております。ですが、この女学院の生徒様であることには変わりありません」

「で、でも……」

 

 お嬢様学校に通っているのであって、お嬢様というわけではない。その後ろめたさから、真里は眼前の用務員が深々と頭を下げていることに順応できずにいた。

 

(……あれ?)

 

 そんな中。彼女はふと、用務員の人相に気を取られてしまう。

 切り揃えられた艶やかな黒髪。切れ目であり、冷たさを感じつつも端正に整った目鼻立ち。仏頂面でありながら、どこか美しさすら覚える顔の造形は、美少年と呼ぶに値するものだった。深く作業帽を被っているせいで、ほとんど隠れてしまっているが。

 

 だが、彼女が気にしていたのは用務員らしからぬ美男子であることではない。彼の顔に、既視感を覚えたからだ。

 

「あ、あの……」

「はい」

「……どこかで、お会いしたこと、ありますか?」

 

 今一つ自信なさげだが、気になって仕方がなかった。その好奇心ゆえか、彼女はおずおずと用務員に問い掛ける。

 だが、彼は何も答えない。ただじっと、真里と視線を交わしていた。

 

 やがてそこへ、歩いて追ってきた恵が合流するが。

 

「初めまして、佐々波真里さん。聖フロリアヌス女学院へようこそ」

「あっ……! あ、文村琴海生徒会長!? は、初めまして! 佐々波真里です!」

「あら、すでにわたくしをご存知でしたの。光栄ですわ佐々波さん」

 

 それより一足早く。生徒会長の文村琴海が挨拶のために姿を現したのだった。

 予期せぬ生徒会長との遭遇に、真里は緊張で固まりながらもなんとか言葉を絞り出す。そんな彼女に聖母のような微笑を送り、琴海は真里を歓迎する旨を伝えた。

 

 周囲は今話題の新入生と、憧れの生徒会長とのツーショットを前に、大きくどよめいている。彼女達のフィルターには、二人の周囲に咲き乱れる百合の花が映っていた。無論、用務員達は林と同化している。

 

「中流階級からの初の合格者。それも特別成績優秀枠という泊も付いているあなたには、生徒会長として大変期待しておりますのよ。本校の模範としての、華々しい活躍を楽しみにしておりますわ」

「お、恐れ多いです模範なんて! わたしは、ただ医者になりたくて……」

「そうですわ。あなたのお話を伺った時から、そこが気掛かりでしたの。ただ医者になるだけなら、一般の高校からでも目指せるはず。なぜわざわざ、この女学院へ?」

「それは……」

 

 そんな琴海の質問に、真里は僅かに言い淀む。聞いてはならないことだったか、と当たりをつけた琴海は話題を変えようと口を開くが、それより早く。

 真里は意を決したように、声を絞る。

 

「……ただの医者じゃない。どんな怪我も治せる、最高の名医になりたいんです。普通の学校じゃ目指せない、医師の高みへ」

「……なるほど。並々ならぬ決意を感じますわ。そこまで自分を駆り立てる『何か』が、あなたにはありますのね」

「はい。……七年前、わたしを命懸けで火災から助けてくださった消防士様が、ひどい怪我を負って……亡くなられました。たった一人の、御子息を残して」

 

 そこから語られた、佐々波真里がこの女学院まで登りつめたルーツ。近くでその一節を聞いた用務員の眉が、ぴくりと動く。

 

「あの時、医療技術がもっと進んでいれば……あの人を、鳶口纏衛様を助けられたら。あの子は、独りぼっちになんてならなかった。だから、わたしが医療界を進化させるんです。もう絶対、あんな思いをする子を出さないために」

「……そうだったのですか。わかりました。その願い、必ずや叶えなさい。その子と、あなた自身のために」

「はい!」

 

 真里の真摯な瞳を前に、琴海も思うところがあったのか。差し出された彼女の手を、真里はしっかりと握り締める。

 そんな友情が芽生えた瞬間を、恵や周囲は暖かく見守っていた。

 

「あの、会長。わたしも、一つお伺いしたいことがあるのですけど」

「あら、何かしら」

 

 そんな時。真里からの質問に小首を傾げた琴海は、彼女が指差す方へ視線を移す。

 その先には。

 

 白いマフラーを首に巻き、頑強なプロテクターで身を固めたヒーローの像が飾られていた。

 

「……あの像、もしかして『救済の遮炎龍(ドラッヘンインパルサー)』ですか?」

「そのっっっ通りっ! よくぞ触れてくださいましたわっ!」

「ひぃ!?」

 

 刹那。琴海は豹変したように目を光らせ、先ほどまでの気品に溢れた佇まいからは想像もつかないテンションを見せた。

 人格が変わったかのような叫び声を至近距離で聞かされ、真里は怯えたように短い悲鳴を上げる。一方、恵や周囲は「また始まった」と目を伏せていた。

 

「昨年の十二月に初めて姿を現して以降! 今日に至るまでの半年間に渡り! 東京やこの女学院の近辺で活躍している謎のヒーロー! 消防庁と協力してあらゆる火災現場に颯爽と駆け付け、多くの人命を助けては風のように去ってゆく! 人命救助用パワードスーツ『着鎧甲冑』の最大手『救芽井(きゅうめい)エレクトロニクス』の新製品と噂されつつも、その正体は誰も知らない! そんな謎だらけのヒーローの名こそ! 『救済の遮炎龍』様なのですわ〜っ!」

「え、えっと……」

 

 長々と、最近東京でも話題になっている謎のヒーロー「救済の遮炎龍」の概要を熱弁する琴海。自分がテレビや新聞でしか知らない存在に、ここまで熱を上げる生徒会長の姿に、真里は困惑を隠せない。

 そんな彼女をフォローすべく、恵がそっと耳打ちする。

 

「……この人はな。去年の十二月に起きた火災で『救済の遮炎龍』に助けられて以来、ずっとコレなんだ。あの銅像も、今年に入って会長権限で作らせたのさ。なんでも会長室には、あれのソフビ人形が山ほど飾られてるって話だぜ」

「そ、そうなんだ」

「しかもニュースによると最近、この辺でよく出没してるって話だから、もしかしたら生でまた会えるかもって息巻いてんのさ。滑稽に見えるだろうが、堪忍してやってくれ」

「あぁ……『救済の遮炎龍』様……あなた様の勇姿の前では、わたくしの美貌など砂上の楼閣……。あなた様の堅牢な腕でもう一度抱かれてしまわれたら、わたくしはもう骨抜きに……ハッ」

 

 琴海はその間も、恍惚とした表情で「救済の遮炎龍」の像を見つめていたが。

 やがて新入生の前だということを思い出したのか、我に返ったように背筋を正した。そしてコホンと咳払いをしたのち、頬を赤らめながら凛々しい顔つきを作り出す。

 

「ま、まぁその、アレですわ。勉学も結構ですけれど、花の女子高生ですもの。恋の一つでも経験されてはいかがでしょう? きっとあなたをより成長させてくれますわ」

「あはは……そうですね」

 

 そんな生徒会長が可愛らしく見えたのか。すっかり緊張がほぐれてしまった真里は、華やかな笑みを浮かべるのだった。

 

 自分をジッと見据える、用務員の視線には気づかずに。

 

(……アイツ……)

 

 だが。恵は、気づいていた。真里を見つめる用務員の眼に、普通とは違う「何か」を武道家の勘から感じたのだ。

 

 そうして恵が、鋭い眼差しを用務員に送っていた頃。

 

「ねぇ、あなた達。佐々波真里と同じクラスでしょ?」

「は、はい……そう、ですけど」

「悪いけど。折り入って、頼みがあるのよ」

 

 吾野美夕は、真里のクラスメート達に声をかけていた。そのえもいわれぬ凄みに、幼気な少女達はなす術もなく身を震わせる。「頼み」という言葉ではあるが、その語気には明らかな「強制力」があった。

 そんな気迫に耐えられるほど、この女学院に集まる箱入り娘は精強ではない。「頼み」という名の「命令」に、従う他なかった。

 

 反発する気配のない少女達をじろりと一瞥したのち。

 

 美夕は、歪に口角を吊り上げた。

 

「敷地の端の旧校舎は知ってるわよね? ――あそこの最上階に、薪を用意してちょうだい」

 



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第3話 用務員・才羽幸人

 

 それから一ヶ月。ゴールデンウイークが終わり、季節が夏に向かい動き始める頃。

 

 聖フロリアヌス女学院の高度な授業にも難無く適応し、そればかりか勉学に苦心するクラスメートを積極的に助けて行く真里の人望は、入学当初より高いものとなっていた。

 現在では勉強を教わりたいと他クラスから訪問者が来るほどの人気者となり、当初は彼女を妬んでいた一部の生徒達も、徐々に彼女を認める傾向を見せている。

 

(恋の一つでも、か……)

 

 ある一人の、二年生を除いて。

 

(……あ。才羽(さいば)君、花壇の水やりしてくれてる。後でお礼言いに行こっと……)

 

 そんな先輩がいるとは、露も知らない真里は。休み時間中、ふと窓際から校庭を見下ろし、白マフラーの用務員の姿を見つけていた。

 相変わらずの仏頂面だが……その顔つきには似合わないほどに、丁寧に草花を扱う彼の様子を、真里は華やかな笑顔で見守っていた。

 

(あ、くしゃみしてる……かわいい)

「まーた才羽のこと見てんなお前」

「ふひゃあ!?」

 

 その時。不意に至近距離から、前の席の恵に声をかけられ、真里は仰天するあまり可笑しな声を上げてしまう。その珍妙な悲鳴に注目する周囲に、彼女はひどく赤面した。

 

「……も、もう。なによ恵、いきなり」

「そっちこそなんだよ。入学式の日からずっと、暇さえあれば才羽のヤツのこと見てんじゃんお前。確かに用務員にしちゃあ珍しいイケメンだが、お前が惚れるほどのモンか?」

「ほ、惚れっ……そんなんじゃないってば!」

「そうかい。んじゃ、なんなんだ?」

「そ、それは……」

 

 恵が言う通り、真里は入学式の日に出会って以来ずっと、ふとした時にあの仏頂面の用務員を見つめるようになっていた。

 

 用務員の名は、才羽幸人(さいばゆきと)

 十六歳……つまり真里達と同い年であり、昼は女学院で働き、夜に定時制学校に通っているという。

 

 普段から無表情の仏頂面で、同い年の真里や恵に対しても敬語を崩さない。しかし女学院を彩る花々への手入れは丹精が込められた仕事ぶりであり、花を好む真里には非常に好印象だった。

 

『ねぇ、才羽君。トゥルシーの栽培とか出来ないかな?』

『トゥルシー……医学的効能のあるハーブの一種ですね。基本的に日本の土壌では一年草ですが、近年ではこちらの土壌に合わせた品種も開発されているとか。生徒の希望として、上に掛けあってみましょう』

『やったぁ、ありがとう!』

『いえ、これも仕事ですから』

 

 そんな彼女は時間を見つけては彼に話し掛け、花の話題を咲かせており、彼の方も無表情ながら、真里の話にはいつも付き合っている。女学院の学生と男の用務員、という圧倒的な身分差がなければ、その様子は恋人同士のようにも窺えた。

 

 実際。真里が、いつも花を大切に扱う彼に好意を持っていることは明らかだった。だが、幸人の方はまるでそんな兆候を見せない。

 恵としては互いが好き合っているなら、身分差なんて気にせず付き合えばいい、というスタンスだが、大切な幼馴染がここまでアプローチしているのに眉一つ動かさない幸人の態度については、どうにも気に食わないのだ。

 それだけに、幸人を気に掛ける真里に問い質しているのである。あの男のどこがいいのか、と。

 

「……なんて、言うのかな。うまく言えないけど……ぽかぽかするの。才羽君を見てると」

「はぁ? あいつ作業着に湯たんぽでも仕込んでやがるのか」

「も、もぉ違うよ。……中学の頃から今まで、わたしの近くに来る男の子って、みんな欲塗れっていうか下心っていうか……何か、イヤな感じの人ばかりだったんだ」

「……まぁ、お前のルックスで悪い男が寄らねぇはずがねぇしな。実際、悪い虫を近づけたくなかったから、親父さんもお前をここに通わせたんだろ?」

「うん……。でも、才羽君には、そういうイヤな感じが全然しないの。ちっとも女の子として見られてないってことかもだけど……それでも、安心して隣にいられる男の人って、才羽君が初めてなんだ」

「へぇ、『才羽君が初めて』かァ」

「ちょ、ちょっと恵! 変なとこ抽出しないでったら!」

 

 恵のからかいに、真里はぼっと顔を赤くする。そんな幼馴染の様子を見遣りながら、彼女は無機質な表情で花壇の世話をしている幸人を見下ろす。

 

(……ちっ、いけすかねぇ顔つきでアタシの親友を振り回しやがって。ここは幼馴染として女の端くれとして、アタシがガツンと言ってやらなきゃな)

 

 そして忌々しげに、その顔つきを睨むのだった。

 

 ◇

 

「つまり。私の煮え切らない態度が、佐々波様を困惑させている……と」

「そうだ! あんたは結局、真里とどうなりたいんだ? 付き合いたいならさっさと付き合え! その気がねぇならさっさと友達宣言しろ! ぬか喜びさせて真里を泣かせやがったら、このアタシがただじゃ置かねぇ!」

 

 その日の放課後。真里がいないタイミングを見計らい校舎の外れにある花壇へ呼び出した恵は、彼を正座させていた。彼らのすぐ後ろでは生徒達が自宅や部活に向かっている。

 

 幸人は全身から殺気を放つ恵の眼光を前に、眉一つ動かすことなく真摯な眼差しを送っている。多少腕に覚えのある武道家でも戦意を失い、並の男なら失禁するほどの威圧を真っ向から浴びせられて、なおも。

 彼は視線を外すことなく、恵を瞳で射抜いていた。

 

(……こんだけ肝が据わってる、ってこたァ……アタシが怖くて正座してるわけでもねぇんだな。あくまで生徒様の指示だから付き合ってるだけってか)

 

 凄もうが脅そうが、幸人は顔色一つ変わらない仏頂面のまま。微かな震えも怯えも見えない。

 日本武道の頂点に長らく君臨している父親ですら構えさせるほどの自分の気迫を浴びておいて、ここまで無反応を貫かれた経験は、恵も「初めて」だった。

 

(なんっ、だよコイツ涼しい顔しやがって! 腹立つ〜っ!)

 

 まるで真里への煽りが自分に跳ね返ってきたようだった。その羞恥心から来る怒りが、恵の頬を赤く染める。

 一方、幸人は何もしない内から怒り出した恵の様子に小首をかしげるのだった。

 

「……玄蕃様。もしやお身体の具合が悪いのでは」

「う、うるせぇ許可なく立つな! ……だいたい! お前のその『何言われてもどこ吹く風』って感じの態度が気に入らねぇんだ! 真里は辛いことがあったって前を向いて笑ってんのに、お前ときたら何もかもどうでもよさそーな顔しやがって!」

「返す言葉もありません」

「いや返せよそこは! アタシの気迫を浴びて平気なくらいの大物のクセして、なんでそんなに卑屈……」

 

 幸人の心配を他所に、さらにいきり立つ恵。そんな彼女がさらに声を荒げた瞬間。

 何かに気づいたように、彼女は説教を中断した。

 

 そのまま振り返った先には、純白のテニスウェア姿の真里がいた。遠巻きに見つめているだけでも魅了されてしまいそうな、可憐な佇まいの彼女は、同じ部活の仲間達に笑顔で手を振りながら駆け寄っている。

 

 真里の姿を遠目に見たことで、バツの悪さを感じたのだろう。恵は気まずそうに視線を逸らし、舌打ちする。

 

「……佐々波様、部活にも入られたのですね」

「医者やるにも体力は必要だから、ってな。聞いた話じゃ、一年なのにもうレギュラーの座は固いそうだ。何やらせても天才だなあいつ」

「ええ、全くその通りです」

「……お前、只者じゃねぇくせに嫌に卑屈だな。そういう実力以上に自分を下に見る奴には、安心して親友は任せねぇぞ」

「あなた方に比べれば私は凡人です」

「だからそういうところがアタシは気に食わなッ……!?」

 

 またしても。彼女は、最後まで言い終えることが出来なかった。

 幸人の肩越しに、信じ難い光景が現れたのだ。

 

 屋上から、何かが落ちている。

 

 あれは、植木鉢だ。

 

 落ちる先は、

 

 真里の、頭上。

 

「……真里ぃぃぃいいぃいっ!」

 

 そこまで思考が追い付いた瞬間、恵は弾かれたように走り出していた。その叫びから僅かな間を置いて、周囲に悲鳴が広がる。

 

「えっ!?」

 

 誰もが自分に注目し、叫んでいる。突然起きたその出来事に、真里は事態を飲み込めず、何が何だかわからないまま、ふと頭上を見上げた。

 

 そして、理由に気づいた。

 

 気づいたが、もはや目と鼻の先。

 かわすことも防ぐことも、間に合わない。

 

「くそォォォッ!」

 

 なんで、こんなことに。一体誰が、こんなことを。そんな当たり前の疑念すら、頭から吹き飛んでいた。

 

 もう少し近くにいたら。幸人の説教なんてしていなければ。ひた走る彼女の脳裏は、一瞬にして後悔の色に飲み込まれた。

 

 もう、間に合わない。

 

 その時だった。

 

「え――」

 

 誰もが。本人までもが。真里と頭上の植木鉢に注目していた時。それ以外のものになど、見向きもしていなかった瞬間。

 

 間違いなく先に走り出していた自分を風のように抜き去り、疾走する幸人の背中が見えた。

 

 上着を脱いでいた彼は、体にメタリックレッドに塗装された鋼鉄製の袈裟ベルトを巻いている。その物体と風に靡く白マフラーが、ある存在を連想させた。

 

 その光景に、恵の頭脳が追いつく前に。

 幸人は袈裟ベルトのバックル部分のカバーを開き、その中に、懐から引き抜いた漆黒のカードキーを装填する。

 

「――接触(コンタクト)

 

 彼の声と共に。バックルのカバーが、閉じられた。

 

『Armour Contact!!』

 

 その電子音声が響いた、次の瞬間。

 幸人の顔と全身を、真紅の仮面とヒーロースーツが覆い隠した。

 

 さらにその関節各部が、黒と黄色のプロテクターに固められて行く。

 

 その自動装着が完了し、首に巻かれた白マフラーがふわりと揺れた時。

 

『Awaken!! Firefighter!!』

 

 最後の電子音声と共に、ヒーローと化した幸人が地を蹴った。この瞬間は、彼の後ろにいた恵しか見ていない。

 

 人間の域を逸脱した跳躍力が、すぐさま彼の体を紙切れのように吹き飛ばして行く。向かう先は、植木鉢。

 

 だが、彼は植木鉢を破壊して颯爽と登場、という派手なアクションは見せなかった。

 あくまで壊さないように。真里の頭上を走り幅跳びのように飛び越した彼は、そのまま両手で優しく包むように、植木鉢をさらっていた。

 

「……っぁ……」

 

 やがて、幸人は――「救済の遮炎龍」は、マフラーを揺らしてふわりと着地する。その後ろ姿を見つめ、真里は声にならない叫びを上げる。

 そして真里の無事と噂のヒーローの登場に、ギャラリーの脳が追い付いたのは数秒後のことだった。

 

「きゃ、きゃあぁああ! 『救済の遮炎龍』よ!」

「な、なんでこんなところに!?」

「……だ、誰か会長を呼びなさい! きっと大喜びだわ!」

 

 瞬く間に周囲を黄色い悲鳴が席巻する。幸人は無言のまま、ゆっくりと植木鉢を花壇のそばへ置き、素早く跳び上がってこの場から消え去ってしまった。

 僅か一瞬、去り際に。恵と真里を、交互に見遣って。

 

「……う、そ」

 

 理解が追いつかない。いや、追い付いたとして、受け入れられるだろうか。

 呆然と立ち尽くして、恵はそう思案する。

 

「『救済の遮炎龍』様〜!? キャ〜ッ、(ナマ)『救済の遮炎龍』様よ〜ッ!」

 

 知らせを聞いた残念な会長が、あちこち駆け回っているようだが、それを気にする暇もないほどの、衝撃だった。

 

 才羽幸人が、「救済の遮炎龍」だった。なぜ、彼なのか。なぜ、ここで用務員などやっているのか。

 

 疑問は尽きず、彼が姿を消した方向へと視線を移しながら、ようやく彼女は歩き始めた。……見なかったことにはできない、と。

 



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第4話 本当の名前

 

「……なんだったんだよ、アレ」

「アレ、とは何でしょうか」

 

 夕暮れ時になっても、幸人は休まず庭の整備を続けていた。そんな彼の背後に立つ恵の影が、夕日を受けて大きく伸びる。

 

 あの後。

 役員のビンタを受けて正気を取り戻した琴海は、生徒の頭上に植木鉢を落とし危害を加えようとした犯人を突き止めるべく捜査を開始。さらに緊急の全校集会で、被害者側である一年生に注意喚起を呼び掛けた。

 自分が狙われていた、と知った真里はかなりのショックを受けたものの、学業を遅らせるわけには行かない、と琴海から勧められた自宅待機を拒否。生徒会に見守られながら、明日からも登校し続けることになった。

 

 それほどの騒動の渦中にいた身でありながら、相変わらず素っ気ない幸人の態度に腹を立てつつ、それでもなお、恵は怒気を抑えて口を開く。

 

「とぼけんな。……お前がこそこそ用務員のフリして、ヒーローやってる理由。アタシが納得出来るよう説明しな」

「……」

「それとも企業秘密ってやつか? どのみち、こうして生徒に知られちまった以上は時間の問題じゃねーのか」

 

 幸人の正面に回り込む恵は、強い眼差しで真っ向から彼を見上げる。体格では劣るものの、その姿勢から放たれる気迫は、少女の体躯からは掛け離れた大きさだった。

 

「もう日が沈みます。早くお帰りになられた方が……」

「アタシはな。あんたに、ちゃんと礼が言いたいんだ。あの誰の仕業がわからねぇ嫌がらせ……いや、『殺人未遂』から、真里を守ってくれたあんたに」

「……」

「そのためにも、ちゃんと知りたい。あんたに後ろ暗いところなんかない、真っ当なヒーローだってことを証明して欲しいんだよ」

 

 もしかしたら真里を助けたのも演技か何かで、本当は悪い奴なのではないか。普段無口なのも、腹黒い本音を隠すためではないか。

 全貌が不透明であるがゆえに生じる、不信感。それを取り払い、親友を救ってくれた恩人として誠意を込めて謝礼したい。それが、恵の意思だった。

 

 得体の知れない振る舞いのために、親友の恩人を疑うようなことはしたくない。そんな彼女の心情を鑑み、幸人は暫し黙したまま彼女を見つめる。

 

「大切にされているのですね。佐々波様を」

「な、なんだよ。当たり前だろ」

「わかりました。佐々波様を大切にされている玄蕃様ならば、お話すべきなのかも知れません」

「……? なんだよそれ。お前がヒーローやってること、真里が関係してんのか?」

「私の役職との関係はありません。私の、個人的な問題です」

 

 そしてようやく、恵は真相に近づく一歩を踏み出せたのだが。その言葉か意味するものを、この時はまだ察することは出来なかった。

 

 ◇

 

 翌日。

 

 授業を終えた恵は、真里に「送りたいのは山々だが、今日は大事な用事がある」と言い残して早々に教室を飛び出し、早退の準備をしていた幸人と合流する。

 すでに周りの話題は昨日の一件で持ちきりであり、この近くに「救済の遮炎龍」が住んでいる、という噂も立つようになっていた。

 

「この分じゃ、あんたに当たりをつけられるのも時間の問題だな。……にしても、あの植木鉢落としたクソ野郎はどいつだぁ? ぜってぇ探し出してブチのめしてやる」

「玄蕃様。この女学院に、校舎内に立ち入れる男子用務員はおりません。教員も全て女性です。クソ野郎という形容詞は不適切であるかと」

「言葉の綾だ馬鹿野郎、いちいち訂正すんな!」

 

 相変わらずの仏頂面と口調に、恵は苛立ちを募らせつつも隣を歩く。作業着のまま校門を出る彼と、絢爛な制服に身を包む恵の組み合わせは酷く不釣り合いだ。

 

「……あー、後で真里への言い訳考えとかなくちゃなぁ。コイツと一緒に下校したせいで、変な噂が立ちそうだ」

「確かに、一介の用務員と生徒様が必要以上に親しげにしていては、怪しまれるかも知れませんね」

「アタシが気にしてんのはそこじゃねー。……ったく、よくこんな鈍い奴に惚れたもんだ」

 

 親友の男の趣味は、よくわからない。恵はそんな心境を渋い表情で顕しつつ、幸人の後を追う。

 

(……にしても、あの「救済の遮炎龍」がうちの女学院で用務員やってたなんて、な。あの会長が知ったら卒倒もんだ)

 

 やがて二人は、女学院からやや離れた住宅街の一軒家に辿り着いた。そこで足を止めた幸人の横顔を見遣り、恵はここに「救済の遮炎龍」の秘密があるのだと確信する。

 

(さぁ、才羽。あんたがどういう奴なのか、今日こそ白黒付けてやろうじゃんか)

 

 自分のことを何一つ明かさない、胡散臭さの塊。その靄を切り払い、本当に真里を守ってくれたヒーローだということを自分に証明するべく。

 

 車庫のシャッターを開ける幸人の後を追い、恵はその敷地に一歩ずつ踏み出して行った。

 

「これって……」

 

 そんな彼女の視界に飛び込んできたのは――スポーツカーを思わせる形状の、赤塗りの車体。その背部には、放水ポンプや梯子が折り畳まれて積載されていた。

 バンパーの部分には、「SCARLET RANGER」と刻まれている。恐らく、この消防車の名前だ。

 

 まさか、いきなり小型の消防車と対面することになるとは思わず、恵は暫し呆然とその車体を見つめていた。

 

 そんな彼女をよそに、幸人は作業着の上着を脱いでTシャツ一枚になると、その胸に取り付けていた真紅の袈裟ベルトを外し、車庫の端に置かれたテーブルに乗せる。ゴトリ、という重量感に溢れた音が、その重みを物語っていた。

 

 その時。

 

「おや、お帰り幸人。思いの外、早かったね」

 

 白衣を纏う中年の男性が、別室と繋がる扉からぬうっと顔を出してくる。

 

「ああ。仕事の一区切りが予想より早くってさ。オレも、今帰ったとこ」

「……!」

 

 そんな怪しさ全開の中年男性と言葉を交わす幸人の姿は、一ヶ月に渡る日々の中で恵が抱き続けてきた「才羽幸人」の印象を瓦解させるものだった。表情こそ普段通り仏頂面だが、その口調はかなり砕けている。

 自分や真里の前では欠片も見せてこなかった、素の言葉遣いを見せる彼の佇まいに、恵は思わず目を剥いた。

 

「そうか。……その御令嬢が例の?」

「ああ、そうだ。……玄蕃様。こちらは私の育ての親であり、『救済の遮炎龍』のスーツを開発された才羽誠之助博士です」

 

 だが、学校を一歩出れば……というわけではないらしい。彼は恵と向き合った途端に元の口調に戻ると、淡々とした口調で中年男性を紹介する。

 あからさまにお姫様扱いを受けている感覚に、恵は顔をしかめる。さっきのような振る舞いを普段から垣間見せていれば、真里も好きな男に、もっと気兼ねなく近づいて行くことが出来たろうに、と。

 

「ご紹介に預かりました、救芽井エレクトロニクス研究開発班所属の才羽誠之助です。まぁ、開発者といっても主任である四郷博士の助手のようなものでしたがね。……それはさておき、玄蕃恵様。うちの幸人が大変お世話になっているようで」

「……いいよそういうの。アタシは才羽の話を聞きに来たんだから」

 

 不機嫌を滲ませた表情で、恵はじとりと幸人を見遣る。そんな彼女を一瞥する幸人は、恵のそばにスッと椅子を用意した。

 長話になるから座れ、ということか。そう察した恵はドカッと乱暴に腰を下ろし、しなやかな白い足を組む。

 

「誠之助さん。……話しても、いいよな」

「ああ。しかし、引退間近にバレた相手が選りに選って『彼女』の親友とはな」

「……?」

 

 確認を取るように視線を移す幸人に対する、誠之助の言葉に、恵は引っかかるものを感じた。

 引退間近、という話も十分気になるが。それ以上に、二人の間にある微妙な距離感が気掛かりだった。

 

 苗字から、二人が親子であることは容易に推察出来る。開発者の息子であるならば、「救済の遮炎龍」をやっていた理由も想像がつくというもの。

 

 だが、彼らの間には親子と呼ぶには遠い溝を感じる。

 無論親しい間柄であることは間違いないが「親子」にしては、何処か「遠い」のだ。

 それは父の誠之助を名前で呼ぶ幸人の接し方のせいだろうか。

 

(いや、待て。確か才羽の奴、才羽博士のことは「育ての親」って言ってなかったか?)

 

 そう当たりをつけた恵は、ふと幸人の言葉を思い出し、核心に至る。実の親子でないのなら、あの距離感も納得がいく。

 なら、幸人の両親は……? そんな恵の疑問を氷解させる言葉が、幸人自身の口から飛び出してきた。

 

「まず何から話すべきか……。そう、ですね。まず私は、才羽誠之助の実の息子ではありません。才羽という姓は、彼の養子となる際に頂いたものです」

「……!」

「私の本名は、鳶口幸人(とびくちゆきと)。七年前の火災事故で殉職した消防士、鳶口纏衛の息子です」

「な……!」

 



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第5話 からっぽの少年

 鳶口纏衛。その名を、恵はよく知っている。幼少期からの付き合いである真里を、かつて命懸けで救い出し、亡くなった消防士の名だ。

 真里の家には、生前の彼を移した消防団の集合写真が飾られている。それは初めて彼女の家に遊びに来た日から、今までずっと変わっていない。

 

 家族揃い、事故の日には当時の犠牲者だけでなく彼個人にまで祈りを捧げる習慣となっており、彼女の父が娘の男関係に厳しいのも、纏衛の殉職が原因だった。

 

 彼が死を賭して守り抜いた命を、父として何としても幸せに導かなくてはならない。大恩人である纏衛に深い尊敬の念を抱く真里の父は、彼への敬意をさらなる娘への愛情へと昇華させていた。

 その愛情ゆえ、娘を男の影から遠ざける目的で女子校へ通わせるつもりだった彼としては、聖フロリアヌス女学院への入学の話は天啓だったのだろう。

 

 真里の幼馴染である恵も、その事情には精通している。養子の話に先約がなかったら、佐々波一家が纏衛の息子を引き取るつもりだった、ということも聞き及んでいた。

 

 その纏衛の息子が、ヒーローとなって父と同様に娘を守ってくれたのだと知ったら、真里の父は何を思うのだろう。そんなことを思案しながら、恵は目線で話の続きを促した。

 

「……七年前の事故のあと。私は博士の養子となり、父に代わって『救済の遮炎龍』のテスト要員となるべく、訓練を受けました」

「他にも救芽井エレクトロニクスから派遣された候補者はいたが、最終的な審査の結果、テストは彼に任せることになった。元の鞘に収まった、と言うべきかも知れませんな」

 

 それに応えるように、言葉を紡ぐ幸人。そんな彼の説明を、脇の誠之助が補足する。

 恵はそこでようやく、真里が幼い日に別れた少年が辿った道の険しさを、知るに至った。

 

「確かに、『救済の遮炎龍』に選ばれるための訓練は熾烈でした。……が、私は父の遺志を継ぐつもりで、資格を勝ち取った」

「そっ……か。じゃあ、あんたはお父さんの分まで、みんなを助けるために……!」

 

「――いえ、違います」

 

「えっ?」

 

 そして、父の想いを受け継ぎ、自分達を守るヒーローになったのだと恵は確信し、見直すように頬を緩ませる。やはり希望していた通り、彼には腹黒いところなどなかったのだ、と。

 だが。それは幸人本人の口から、否定されてしまった。これで迷うことなく昨日の件で礼を言える、と喜ぶ恵を曇らせて。

 

「少なくとも、『救済の遮炎龍』になるまでは。私は、そのつもりでいました。父に代わり、人々を危難から救う立派なヒーローになる――と」

「だ、だったら」

「そうして資格を得るに至った時。……感じたのは、虚無感でした」

「……!?」

 

 掌で小型消防車を撫でながら、そう語る幸人は、恵と目を合わさない。背を向けて言葉だけを紡ぐその姿は、恵にはどこか弱々しく映る。

 

「その時になって、ようやくわかりました。……私は……オレは。本当にヒーローになりたかったわけじゃない。人を助けたい、なんて純粋な気持ちがあったわけでもない。ただがむしゃらに『救済の遮炎龍』の道に打ち込むことで、父さんを亡くした気持ちを、悲しみを。埋めようとしていたに過ぎなかったのだと」

「……私も、薄々は勘付いてはいましたが。なにぶん、才能だけは突出しておりましたからな。他の候補者より有用なデータが取れる人材であるなら、動機を問う意味もありません」

「私自身も、そこまで自分が矮小な人間だったとは気付きませんでした。泣いてばかりの弱い自分と決別する。そんな覚悟を決めた『つもり』で、名前まで変えたのに」

「そん、なの……」

 

 椅子から立ち上がり、何かを言おうとしても、かける言葉が見つからない。そんなしみったれた理由でしか戦えないなんて、間違ってる。そう言いたくても、彼らにとってはそれに縋る他なかったのだから。

 

「……それからの半年は、戦う理由を探しながら義務感だけで走り回る毎日でした。どんな動機であれ、本当に心から人々を助けたい、と願った候補者達を蹴落として『救済の遮炎龍』になった以上、勝手に投げ出すわけにも行きませんから」

「……」

 

 初めて人々の前に姿を現した日から、ずっと。みんなのヒーローは、『救済の遮炎龍』は。

 人命救助への情熱などとは無縁な、機械的な義務感だけで戦っていた。あれほど「救済の遮炎龍」を尊敬していた琴海も、「義務だから仕方なく」拾った命でしかない。

 

 言外に、そう言い放たれたように感じた恵は、視線を落として逡巡する。聞きたくはないが、聞かなくてはならない。

 

「真里も……真里も、あんたにとっちゃ、どうでもよかったのか? あんなに走って助けた命も……あんたからすれば、義務だから仕方なく拾ったものでしか、なかったのか?」

 

 真里や琴海には劣る、小ぶりな胸の前で服を握る。不安に瞳を揺らして、それでも真実を求めて。

 振り返り、そんな彼女を見据える幸人の眼は。

 

「それは、違います」

「……!」

 

 はっきりと、それを否定した。

 

 ◇

 

 半年前にようやく完成した「救済の遮炎龍」のスーツは、手探りの研究から生まれた試作品だった。その半ば偶然の産物であるスーツを基に、より完璧な完成品を造るためのデータを集める必要があったのだ。

 

 そのための実戦データを集めるテスト要員になったのは、本来それに選ばれるはずだった鳶口纏衛の息子。

 

 しかし彼はただ能力が高いだけで、本質的にはヒーローへの意欲はないに等しかった。それでも他者を排して資格者になった以上、約半年に渡るテスト期間を満了し、その責任を果たす義務がある。

 

 才羽幸人が、そうして無気力なままヒーローとなってしまい、半年近くの月日を経た三月頃。テスト装着員としての任期満了が、二ヶ月に迫る時期。

 聖フロリアヌス女学院の学園長から、ある依頼が舞い込んできた。用務員として女学院に潜伏し、生徒達の治安を守って欲しい、と。

 

 一般家庭の出身である佐々波真里の入学は、この時点で確定しており、自分達のアイデンティティを脅かす新入生の到来に、当時の在学生達はすでに殺気立っていた。そのため、真里が何らかの危害を加えられる可能性が当時から見え隠れしていたのだ。

 

 しかし、具体的な行動を起こされているわけではない以上、女学院側も迂闊には介入できない案件であり、「何か」が起きてからでしか対処できない以上、「何が起きても」大丈夫な人材を配置しておく必要があったのである。

 

 そこで学園長が白羽の矢を立てたのが、当時世間の注目を集めていた噂のヒーロー「救済の遮炎龍」だった。

 依頼の内容を聞きつけた幸人は、一も二もなく承諾し、カーキ色の作業服に袖を通すことになったのである。

 

 それは無気力で、常に受け身でしか任務を引き受けてこなかった彼が初めて、積極的に動いた案件でもあった。

 理由は無論、依頼内容に登場した「佐々波真里」の名前である。

 

 あの日、父が命と引き換えに救い出した少女が。今も、無事に生きている。

 それは父の殉職が無意味でなかったという何よりの証であり、消えていたはずの火を灯すきっかけになったのだ。

 

 そうして彼が聖フロリアヌス女学院に勤務する用務員となり、一ヶ月。

 四月の入学式の日。ついに幸人は、あの日の少女と再会し。彼女が自分を覚えていないことに安堵した。

 

 覚えているのが自分だけなら、彼女に気を遣わせずに済む。そう思い、勘付かれる前に踵を返し、何も知らない、関係のない用務員として振る舞おう。

 

 そう、しようとした時だった。

 

 生徒会長と言葉を交わした彼女は、自分が女学院に来た目的を、幸人がいる前で口にした。

 

 あの日の男の子が、いる前で。

 

 その瞬間。

 

 幸人は、しばし茫然と彼女を見つめ。

 

 涙を悟られまいと。仕事に打ち込む様を装い、顔を背けた。

 

 生きていてくれたばかりか。自分のために、この女学院に辿り着いたと言い切ってしまった彼女が。

 空虚な理由でヒーローになった少年には、ただひたすらに眩しかった。

 

 その日から、初めて。幸人は。

 「誰かのために戦いたい」という、ヒーローなら持って然るべき気持ちを、知るに至ったのである。

 

 「救済の遮炎龍」テスト要員の、任期満了。その瞬間を目前に控えた今になって、ようやく彼は。

 ヒーローとして、戦う意義を見出したのだ。

 

「……オレは、彼女を。守りたい。それが、からっぽのオレに残された、たった一つの……」

 

 その想いを、記憶を辿るように語る幸人。そんな彼がふと、話に聞き入る恵の顔を見た瞬間。我に返ったように咳払いし、再び背を向けてしまった。

 いつものような余裕がなく、どこか子供っぽい彼の様子に、恵は微笑ましげな表情になる。

 

「……失礼しました。多分に私情を挟んだ話をしてしまったようです」

「いいよ。その私情を聞きたくて、ここまで来たんだからさ」

 

 全ての枷が外れたような思いに、恵は頬を緩ませる。少なくとも真里は、本当に大切に思われていたことは間違いない。あの瞬間、彼女は純粋な想いから守られていた。

 それが、恵にはただただ嬉しかった。才羽幸人は、「救済の遮炎龍」は。悪人なんかではないのだと。

 

「散々隠してきたことは、謝罪せねばなりません。来週には任期満了となる身ですが……本来なら、それまで『救済の遮炎龍』としての個人情報は公表できない規約ですから」

「心配すんな。お前の任期が終わった先も、アタシはベラベラ喋らねぇ。口の硬さには、自信がある」

「ご厚意に、感謝致します」

「感謝しなきゃならないのは、アタシの方さ。……よかったよ。ちゃんと、話聞けて。それで、才羽はこれからどうすんだよ? この先もずっと、任期を終えても真里には何も話さないままなのか?」

「そのつもりです。私が鳶口纏衛の息子と知れば、今までのような気安い話もできなくなるでしょう。知らないほうがいいこともあります」

「……そっか」

「尤も、それは私個人の感覚に基づく判断でしかありません。私より遥かに彼女を理解しておられるであろうあなたが、話すべきであると断じるのであれば……」

「……そうかもね。でも、それは当分先に延ばした方がいいと思う。女学院に馴染む前にそんなこと知ったら、さすがにショックで学校辞めちまうかも知れねぇからな」

 

 恵は親友の、繊細で優しい心をよく知っている。昨日の件で恐ろしい目に遭っても、「ちゃんとやった人と話し合えれば、解決できるかも知れない」と彼女は言っていた。親友でなければ気づけない程度に、肩を震わせながら。

 そんな彼女が、自分が好意を寄せる相手が「自分が人生を壊してしまった少年」であることや「何もかも知っていた上で隠されていた」こと、「親子共々、自分の危難に巻き込んでしまった」ことまで知れば、さすがに心を折られてしまう。

 そんな悪手を、この男に打たせてはならない。僅かな時間でそこまで逡巡した恵は、自分達だけで秘密を共有することに決めるのだった。

 

 その旨を、言葉にして伝えた時。

 

「わかりました。……やはり、あなたに話してよかった」

 

「……!」

 

 幸人は、ふっと口元を緩め。穏やかな笑みで、そう口にした。

 

 刹那。

 

 恵は、頭を鈍器で……それもフルスイングで殴られたような衝撃を受け、思わず足を組んだ姿勢のまま、倒れそうによろけてしまった。

 

 そんな様子を訝しむ幸人は、再び元通りの仏頂面に戻ってしまったのだが。恵は、あまりのことに突っ込む余力もない。

 

(さ、さい、ばが……)

 

 幸人が、笑った。

 

 ほんの一瞬だが、笑っていた。それは、仏頂面しか見たことのなかった恵には、強烈なショックを与える現象だった。

 

(え? なに? あいつ、あんな風に笑えるの? あ、あた、アタシに、笑った……の……?)

 

 もしかしたら、真里ですら見たことがないのではないか。素顔すら知らない生徒会長では、一生縁がないかも知れない。それほどの希少な一瞬に、思わぬタイミングで直面してしまった。

 

 単に顔がいいだけで、何考えてるか見当つかない上、優しい親友を振り回すいけ好かない仏頂面男。それが、昨日までの自分の中の「才羽幸人」だったはず。

 それなのに。そんな男が、ふと笑顔を向けただけで、心臓が爆発させられたような衝撃を受けてしまった。体が、顔が、熱い。焦げる。溶ける。思考が、はっきりしない。

 これは、まずい。

 

 好きに、なってしまう。

 

「ア、アタ、アタタタ!」

「……?」

「アタシ、アタタタシ! そろそろ帰らないと親父がうるさいし、おいとまするわ! ま、また明日な!」

「そうでしたか。長く付き合わせてしまい、返す言葉もありません。今車を用意しますので……」

「いやいい! ちょっと夜風に当たりたいから!」

「畏まりました。では私が送りますから……」

「いや無理! 今あんたと二人きりで夜歩いたらアタシの心臓が死ぬ!」

「では博士を呼びますので……」

「それこそ無理! あんな胡散臭いオッサンとなんか死んでも無理!」

 

 あるはずのない、あってはならない考え。そこへ至ってしまった恵は熱暴走のあまり、お茶を出そうと席を外していた誠之助まで罵倒し、嵐のように走り去ってしまった。

 あらゆる対応を跳ね除け、突然顔を真っ赤にして逃げ出してしまった恵。自分が対応を誤ってしまったのかと頭を悩ませた幸人は、誠之助が戻ってきても、暫し反応が出来ずにいた。

 

「おや、幸人。玄蕃様はもうお帰りか?」

「……オレが何をしたって言うんだ……?」

 



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第6話 悩める空手少女・玄蕃恵

 茹で蛸のように赤い顔のまま、夜道を歩く恵は思案する。明日、どうやって顔を合わせよう、と。

 

(いやありえねぇ! だって才羽だぞ!? あのいけ好かねぇ仏頂面だぞ!? 真里の気持ちも弄んで……!)

 

 あの一瞬。言い訳の余地すら許さないほどはっきりと、自分の中で芽生えてしまった感情。それを否定するため、恵は懸命に心にもない言葉で幸人を罵倒する。

 だが。心にもなくとも、心の中だけでも、口にできない言葉があった。

 

(……いや、違う。あいつは、弄んじゃいなかった。むしろ、真剣過ぎるくらいに真里のことを考えて……深く近づき過ぎないようにしてたんだ。素っ気なく振る舞って、興味がない振りをして。何も知らないまま真里が離れていくように……)

 

 今日知った、才羽幸人の本当の姿。鳶口の名も捨て、半生を「救済の遮炎龍」の道に賭け。それすらも空虚なものとなり、戦う理由すら見つからない。

 そんな、生きているかも死んでいるかもわからない人生の中で、全てのきっかけと再会した彼は、どれほどの想いで彼女を守ろうとしたのだろう。彼女のことを思えば、何一つ明かせない中で。

 途方もない想像だけが、彼女の頭に渦巻いている。

 

(真里……)

 

 気づけば、恵は携帯を手に親友を呼び出していた。全てを告げることは叶わないが、ほんの少しでも同じ気持ちを分かち合いたかったのかも知れない。

 

 同じ男を好きになってしまった、女として。

 

『もしもし、恵? どうしたのこんな時間に。用事、終わったんだ?』

「……あぁ、まぁな。そっちは、あれから変わりねぇか?」

『うん。文村会長が、色々気を遣って下さってて……今日もテニス部が終わるまで、生徒会の役員さんが待っててくれてたの。家まで送り迎えしてくださるなんて、色々申し訳ないんだけどね』

 

 すでに部活を終え、帰宅した後なのだろう。電話の向こう側では、真里の両親が団欒している様子が窺い知れる。

 事件の話を聞いた直後の彼らは、かなり慌てた様子で娘を保護しようとしていたが――琴海の厳戒態勢を目の当たりにして、任せることに決めたらしい。

 彼女がここぞというところで発揮するカリスマ性は、御父兄にも通じる威力のようだ。

 

 ……「救済の遮炎龍」さえ絡まなければ、さぞかし完全無欠な会長になっていただろう。

 

「無理もねえ。あんなことがあった後だ、それくらい気ぃ張ってても足りねぇくらいさ」

『そう、かな……。やっぱり、植木鉢の人とは話し合いで……無理なのかな』

「誰にでも優し過ぎるのは、お前らしいしいいとこだけどな。世の中、そんな優しさを汲んでくれる奴ばかりじゃない。まぁ、汲み過ぎて自分を削る奴にも困ったもんだがな」

『え?』

「あ、やっ……こ、こっちの話さ」

 

 不意に幸人のことを口に出してしまい、疑問の声を漏らした真里に過剰反応してしまう。

 親友の前で、親友の想い人のことを考えてしまった。あの笑顔を、想像してしまった。

 

 その後ろめたさ……もとい背徳感が、余計に恵の「いけない想像」を刺激する。もはや恵の思考は煙が上がりかねないほどにヒートアップしていた。

 

 その時。恵は、ふと芽生えた疑問を口にする。

 

「えと、なぁ、その……あんま辛気臭ぇ話すんのも……難だし、話変えるけどよ。お前、才羽が笑ったところ、見たことあるか?」

『え? ど、どうしたの急に』

「い、いいから」

 

 今度は真里の声まで上擦っている。この間までは、恵はそんな彼女をからかう側だったはずだが……すっかり、彼女のことを笑えないところまで来てしまった。

 

『う、うーん……。実は、ないんだ。才羽君、かっこいいんだから笑ったら素敵だと思うんだけど……。でも、笑ってなくても優しい人なのは、普段から見てれば伝わる。いつかは、見られたらいいな』

「そ、そっか……そうかもな……」

『……? 恵、なんだか様子が変だよ? どうかした?』

「へっ!? いい、いやどうもしてねぇよ!?」

 

 いつもなら、ここで「ふーん、普段から見てんのかぁ」とニヤニヤしてからかうところだ。しかし、今の恵にはそんな余裕は欠片もない。

 さすがにおかしいと思った真里は、心配げに声を掛けるのだが……安心させようと奮闘する恵の声は、上擦る一方だ。

 

「さ、さて! あんま長話させても悪いし、そろそろ切るわ! また明日な!」

『え? あ、うん。また明日ね……?』

 

 このままでは気持ちがバレるかも知れない。それだけは何としても回避せねばならない。ある意味、幸人の秘密よりトップシークレット。

 そんな焦りに苛まれた恵は、荒い呼吸のまま電話を切ってしまった。何も知らない真里も、様子が明らかにおかしい恵を案じながら、言われるままに通話を終える。

 

「……ったくもぉ。何勝手に振り回されてんだアタシはぁ。これも全部あいつのっ……!」

 

 最後に残された、燃え上がるような羞恥心。そこから繋がり、生まれ出る怒りを、八つ当たり気味に幸人へぶつけようとした時。恵は振り上げた拳を、糸が切れた人形のように下ろした。

 ある一つのことを、思い出したからだ。

 

「……明日こそは、ちゃんと……お礼、言わないとな……」

 

 ◇

 

 それから、次の日。五月も終わりが近づき、世間では徐々に夏の予感が囁かれる時期だ。

 

(……もうすぐ、才羽の「救済の遮炎龍」としての任期が終わる。任期が終わったら、あいつがここに居座る理由も……)

 

 そんな中。恵の意識は授業中であっても、昨日の事柄だけに支配されていた。どこか惚けた表情で、ペンを回す彼女の目は、ここではないどこかを映している。

 

 来週には、幸人は「救済の遮炎龍」のテスト要員の任期を満了し、事実上ヒーローから引退する。そのスーツは、次世代スーツを開発するための素体として解体される予定だ。

 

 つまり、あと一週間後には才羽幸人が扮する「救済の遮炎龍」は、この世から消え去ることになる。真里の護衛も、他のヒーローが受け持つようだ。

 

 彼は元々、真里の護衛のために雇われた身。ヒーローでなくなれば、わざわざ女学院に留まる理由もない。……なら、もう会うこともなくなる。

 

 恵は昨日、幸人が任期を満了した後の身の振り方を尋ねなかった。否、出来なかった。

 

 幸人の笑顔にやられ、頭からそのことを吹き飛ばされたのも理由の一つだが……やはり、聞くのが怖かったのだ。

 彼を明確に意識する前から、尋ねるタイミングはいくらでもあった。だが結局、恵はその問いを先延ばしにして、何もわからないまま今日を迎えている。

 

 無意識のうちに、彼にここにいて欲しい、という願望を抱いていたのかも知れない。知らず知らずのうちに、そのことを避けていたのだとすれば……。

 

(……いつから、なんだろうな。いや、いつからなんて、どうだっていい。肝心なのは、あいつが任期を終えたらどうなるか、だ。……礼を言うついでに、そこもハッキリ聞いておかねーと)

 

 そこで一度思考を断ち切ろうと、頭を振る。その視線は、前の席で授業に集中する幼馴染に向かっていた。

 

(もし、いなくなっちまうのなら……真里は、悲しむだろうな)

 

 せめて任期を満了するまでに、真里を狙った悪人には捕まって欲しい。それが無理でもせめてこの一週間は、何事もなく終わって欲しい。

 それが、恵が願える精一杯だった。

 



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第7話 令嬢の謀略

「佐々波さん、少しいいかしら?」

「え……? ど、どうしたんですか吾野先輩?」

 

 その日の放課後。

 部活開始までに、まだ時間に少し空きがあった真里は、幸人のところに足を運ぼうとしたのだが。いつも送り迎えを引き受けてくれる吾野美夕に唐突に声を掛けられ、固まってしまった。

 

「あなたの今後について、相談があるの。テニス部の練習までには、まだ少し時間があるでしょう? ちょっとだけ、付き合って欲しいの」

「……はい、わかりました」

 

 ただならぬ神妙な面持ちで、こちらを見つめる美夕の眼差しから、かなり真剣な内容の話題であると察した真里は唇を結び、深く頷く。

 

(……あれ? 恵、どこ行ったんだろ? 才羽くんのところじゃ、ないよね?)

 

 そうして促されるままに、美夕の後ろを付いて教室を出て行く。親友の行き先に、女の勘を迸らせて。

 

 そこへ一瞬、意識をそらしたせいで。彼女は見逃していた。

 

 歪に口角を吊り上げた、邪悪な笑みで自分を一瞥する美夕の表情に。

 

 それに気づいたクラスメートは、美夕の命令を思い出しながらも、恐怖のあまり何もできずにいた。

 

 ◇

 

「……」

 

 その頃。校舎の中庭に移動していた恵は……物陰に隠れ、頬を染め、意中の男の背中を見つめていた。

 話し掛けるタイミングを見つけられず、立ち往生に陥っているその姿は、さながら恋する乙女そのもの。普段の恵を知る者では、想像もつかない佇まいだった。

 

(……や、やばい。まともに顔も見れない。横顔チラッと見えただけで、体が……熱い。やばいってこれ、真里もこんな感じなのかな)

 

 内側からの熱で体が火照る感覚に翻弄され、恵は目を回す。親友が抱いている感情を共有してしまった罪悪感や背徳感が、そこへ余計な「火」をくべていた。

 

 このままでは一昨日の礼を言うことも、今後のことを尋ねることも出来ない。それ以前に、まともな話も無理だ。

 そんな状況ゆえ、一旦出直そうか……と、踵を返した瞬間。

 

「玄蕃様、何か御用件でも?」

「はひゃあ!?」

 

 くるりと振り返った幸人の言葉に、心臓が爆発するほどの衝撃を受け、動揺のあまり変な声が出てしまった。

 思わず首をひねり、彼の方を見てしまう。つい先日まで、なんとも思わなかったはずの仏頂面が、今はなぜか……愛おしい。

 

(ま、真里……ごめん……)

 

 そんな間違った感情は、早々に正さねばならない。だが、その実現はもうしばらく先になる。

 自分の免疫のなさを痛感し、恵はそう結論付けるのだった。

 

 ◇

 

 この広大な聖フロリアヌス女学院の敷地内には、近日中に取り壊し予定となっている旧校舎がある。

 無人となり、静けさが支配する木造の校舎は、繊細な令嬢達には半ば恐怖の象徴として知られており、自分の意思で近づく者はほとんどいない、と言われている。

 

「あ、あの……どうして、こんなところまで……」

「あまり人通りの多いところでするべき話じゃないから、よ。あなたの場合は特にね」

 

 それは普通の少女として生まれ育ってきた真里にとっても同様だ。元々、どちらかといえば内気で大人しい性格の真里も、こういった「いかにもお化けが出そうな場所」は苦手なのである。

 なのであまり周囲を観察することはできず、悠々と軋む床を歩く美夕について行くしかなかった。ただひと気のないところに行くだけだというのに、階段を上がって最上階の五階まで登っている違和感にも、気づかないまま。

 

「え、えっと、それはどういう……」

「今、生徒会ではあなたを保護する目的で、役員として迎え入れる話が上がっているの」

「えっ!?」

「本当よ。それに、それだけが理由じゃない。一般家庭から進学してきた、初めての生徒であるあなたを立てることで、あなたを妬む上級生達に楔を打つ目的もある」

「……!」

「自分達を差し置いて、生徒会に入り込むあなたをよく思わない連中はいるでしょうけど……植木鉢の犯人のような奴でも、さすがに生徒会を敵に回せる愚か者ではないはずよ。曲がりなりにも、この女学院の生徒であるなら、ね」

 

 振り返り、自信満々な笑みで美夕はそう言い切る。確かに現状、真里を保護できる有力な勢力は生徒会しかない。ここの生徒であるなら生徒会の威光に真っ向から立ち向かう愚かさもわかるはず。

 真里を生徒会の正式な役員として取り込んでしまえば、いくら真里を憎んでいる連中でも、迂闊な手出しは出来なくなる。万一、彼女に手を出せば、全校生徒の頂点に立つ生徒会長、文村琴海を敵に回すことになるのだから。

 

「そ、そんな……ごめんなさい、吾野先輩……。先輩だけじゃなく生徒会長や生徒会の皆さんにも、わたしのせいでたくさんご迷惑を……」

「いいのよ、私達で決めたことなんだから。……ま、あなたが正式な役員になる前から、こんな話が漏れたら、何が起こるかわかったものじゃないからね。ちょっと辛気臭い場所だけど、許してちょうだい」

「い、いえそんな……」

 

 美夕の言い分は尤もだ。

 恐らく植木鉢の犯人の動機は、真里への嫉妬であるが……たったそれだけの理由で、殺人未遂手前の凶行に走るほどの激情家だとすれば。生徒会に入る、などという話を知れば、どんな手段で真里を潰しに来るかわからない。

 そうなる前に、真里を安全に保護できるポジションに置くためには、他者を排した上で当人と話し合う必要があるだろう。

 美夕の言葉から確かな気遣いを感じた真里は、そんな頼れる先輩の背中に、ほのかな憧れさえ抱くようになっていた。

 

 その裏側に潜む、狂喜の貌など知る由もなく。

 

「ま……話の概要と、場所をここに選んだ理由はそんなところね。もう少し詳しい話を教室でするけど、テニス部が始まるまでには終わらせるから心配しないで」

「は、はい。本当にすみません、何から何まで」

「ふふふ、あんまりメソメソしないの。これからは、一緒に頑張る仲間なんだから。……さ、こっちよ」

 

 そして、最上階の最奥の教室。

 普通の生徒なら絶対に立ち入らない、その深淵の向こうへ。美夕は躊躇うことなく踏み込んで行く。

 

「はいっ、吾野先輩!」

 

 もう少し冷静なら。もう少し、美夕の行動を疑っていれば。ここで違和感を覚え、適当な理由をつけて逃げることは出来ただろう。

 

 だが、真里はいつも笑顔で送り迎えしてくれる上、こうして自分の時間を割いて気にかけてくれる美夕を、欠片も疑わず、教室に入ってしまった。

 

「……いらっしゃい。薄汚い庶民の小娘」

 

「え?」

 



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第8話 動き出す状況

 誰の声か、わからなかった。振り返り、美夕の口からその言葉が出たことを知り、受け入れられず。

 思考が混乱し、停止してしまった。

 

 その一瞬のうちに、扉がピシャリと閉められ。真里の体は、瞬く間に影から伸びてきた無数の手に囚われ、組み伏せられてしまった。

 自身を見つめる美夕の表情が、憎悪と狂喜でブレンドされた悍ましい色に変貌していく。手足に感じる縛られた感覚が、この危機的状況を物理的な信号で、真里の神経に伝達していた。

 

 理解を超えたその現象に、何が何だかわからないまま、真里は腰を抜かしてしまう。

 

「……!?」

 

 その直後、自分を捕らえた無数の手……次々と見知った顔が、美夕と同じ色の貌で視界に現れてきた。彼女達は皆、真里を保護するために生徒会から遣わされてきた役員である。

 

 あれほど優しく、事件を受けて傷心だった自分をケアしてくれた彼女達が。つい先ほどまで、あれほど気遣ってくれた先輩が。

 

 なぜ、こんなことを。

 

 この状況も彼女の貌も受け入れられず、目の前が明滅する感覚に襲われる真里。そんな彼女を見下ろす美夕は、裂けるほど歪に口元を吊り上げ、嘲笑する。

 

「あっ、はははは! 傑作、傑作だわ! まさかこんなに簡単に引っかかるなんてねぇ!」

「そ、んな、どうし、て」

 

 恐怖と混乱で、口がうまく動かない。歯と歯がぶつかり、カチカチとおかしな音が鳴る。そんな状況の中、震えながら真里は問いかける。

 

「あの植木鉢がちゃんと当たっていれば、私達の気も早々に晴れたのにねぇ。まさか、『救済の遮炎龍』の邪魔が入るとは思わなかったわ」

「……!? せ、先輩、がっ……!?」

「そうよ。今さら?」

「だ、騙してたんですか……!? 今日まで、ずっと……あぅっ!」

 

 だが、返答の代わりに飛んできたのは言葉ではなく、足。腹を蹴られ、生まれて初めて受けた悪意の込もった「暴力」を味わい、真里はさらに震え上がる。

 

「失礼な上に生意気な小娘ね」

「かはっ、けほっ……」

「そもそも、私は嘘なんか一言も言ってないわ。琴海様があんたを招き入れて、保護しようと仰ったのは本当。あんたを狙ってる奴が、それを知ったら怒り狂うのも本当」

「……!」

 

「その狙ってる奴が、役員の私だった。それだけのことじゃない」

 

 憎悪と怒り、狂気、嘲笑。負の感情の全てがかき混ぜられ、熟成され、彼女の貌を造っている。おおよそ、人間が出来る表情とは思えないほどの悍ましい何かが、真里の眼前に現れていた。

 

「……許せないわ。あんただけは許さない。琴海様の寵愛を奪っておきながら、報いも受けない。私達が、気が狂うほどの怒りに苛まれる日々の中。……薄汚い庶民のあんたが、満面の笑みで毎日を過ごしているッ! ……なんという不条理ッ! なんという理不尽ッ!」

「そん、な」

「許されない、絶対に許さない! どんな力に守られていようと、その全てを引き剥がし、掻い潜り、あんたを裁く! ……それが、一ヶ月の苦しみから私達が見つけ出した結論よ!」

「……さぁ、私達が苦しんできた痛みを、怒りを、わかりやすく教えてあげるわ。下賤な庶民の頭でも、理解できるようにね」

 

 縛られ、身動きが取れない真里を完全に包囲する美夕達。暗闇に飲み込まれるような感覚に陥った真里は、瞼から雫を溢れさせながら、懸命に助けを呼ぶ。

 

「だ、誰か……誰かぁあぁあ!」

「アッハハハ! ここがどこだかわかってんの!? ただでさえ滅多に生徒が近づかない旧校舎の、最上階の最奥なのよ! 誰を呼んだって来やしないわ!」

 

 だが、叫びは届かない。届かせるにはここは、あまりに遠すぎる。

 孤立無援の状況に突如立たされ、絶望に打ちひしがれる真里を嘲笑う、美夕の叫びだけが、この空間に木霊していた。

 

 ◇

 

「いや、その……大した用じゃねぇんだ。ただちょっと……な」

 

 その頃。中庭の整備を続けながら、恵が何かを話す時を待ち続けている幸人は、要領を得ない彼女の様子に、小首を傾げている。

 そんな彼の顔色を伺いながら、恵は深呼吸を繰り返し、いざ言葉にして伝えるべく、彼と正面から向き合った。

 

「な、なぁ、才羽。一昨日のことなんだけどさ」

「はい。植木鉢の件のことですか?」

「そ、そうそう。あの時は、疑うようなこと言っちまって、済まなかった。……ありがとう。真里を、守ってくれて」

「そういうことでしたか。……当然のことをしたまでですよ。気にかけて頂き、こちらこそ感謝の言葉もありません」

 

 何食わぬ顔で、幸人はいつも通りにそう言ってのける。確かに「救済の遮炎龍」の力を持つ彼にとっては、造作もないことだったのだろう。

 だが、少なくとも。

 

「……当然、なんかじゃねぇよ。少なくとも、アタシにとっちゃ全然違う。危うくアタシは、一番大切な奴の笑顔を、失うところだった」

「……」

「なぁ……! アタシは、ずっとあいつの笑顔を守りたい! あんたもそうだってんなら、任期が終わってもずっと一緒に……!」

 

 恵にとって、幼馴染の笑顔は本当にかけがえのないものだった。それが失われるようなことなど、決してあってはならない。

 その想いに突き動かされるまま、恵は幸人の袖を掴む。まるで、何処かへ行ってしまいそうな彼を引き留めるように。

 

 そんな彼女の必死な姿に何かを感じた幸人は、彼女の考えの全てを知らないまま、その真摯な瞳を見据え、言葉に耳を傾ける。

 

 だが……その続きは、聞けなかった。

 

「……!?」

「な、なんだぁ!?」

 

 突如鳴り出した警報。火災報知器の作動を意味する、そのサイレンが彼らの言葉と思考を断ち切ったのである。何事かと辺りを見渡す恵を一瞥し、幸人は一瞬で鋭い表情になると、迷うことなく中庭から飛び出して行く。

 

「あ、おい待てよ才羽! 待てったら!」

 

 一拍遅れてから、その後に続く恵は――並外れた速さで「現場」に向かう幸人の背を追い、驚愕する。

 彼が向かう先……敷地の外れの旧校舎から、火の手が上がっていた。

 

(防火設備が強化されているこの女学院の施設の中で、簡単に火災が起きる場所と言えばあそこしかない。……しかし、あそこで一体が何が……?)

 

 一目散に急行する幸人は、突如火災が発生した「出火地点」である旧校舎の五階を見上げ、その不審火の出処を訝しむ……。

 



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第9話 暗雲を穿つ、赤き鎧

 僅かに時を遡ること、数分。

 本性を露呈し、狂喜の笑みを浮かべた美夕の手には、火の灯る薪が握られていた。薄暗い教室の中で煌々と燃え上がる赤い輝きが、より深く彼女の怒りを表現している。

 その火に怯える真里の涙が、その輝きを照り返していた。

 

「……で、アタシ達でじっくり考えたんだ。どうやったらあんたを、徹底的に潰せるか」

「や、やめ……やめて、ください……! こんなこと……どうか……!」

「思い上がった頭の中を、ちょっと小突いてやれば、とも思ったんだけどね。それだけじゃ足りない、って思ってさ。植木鉢が失敗する前から、こういうの用意してたんだ」

 

 わざと脅すように、ちらちらと真里の眼前で炎を揺らす。その熱気と悪意に、真里の恐怖はさらに高まって行く。

 

「あ、ぁ……!」

「あんた、無駄に顔も体もいいでしょ? 仮にあんたを女学院から追い出せても、どっかで男引っ掛けて貢がせて行けそうじゃん。ビッチの素質、大アリって顔だし」

「それじゃあ、分相応な身分に落としただけ。潰したことにはならないわ」

「だからぁ。その顔を二度と見られないくらい、ズタズタに焼いちゃうことにしたんだ。女学院には来れないし、庶民の生活に帰ったって相手にする男もいない。もう最っ高!」

 

 旧校舎という、普段足を踏み入れることのない空間にいること。女性同士の同調意識。「火」という明確な「力」を持ったという錯覚。共通の敵を持ったことで生まれた、迫害への連帯感。

 

 それら全てが重なり合って生まれた優越感が、自分達が聖フロリアヌス女学院の栄えある生徒会役員である、という自意識すら曖昧なものに歪めていた。

 

 もはや彼女達の理性は旧校舎の闇に溶かされ、攻撃性という剥き出しの本能だけに支配されている。そのケダモノ達が絢爛な制服に袖を通している、という「歪さ」が、より一層狂気的な印象を真里に与えていた。

 

「ひぁ、ぁああっ……!」

 

 そして、ついに。

 彼女の脳裏に渦巻く恐怖が、限界の壁を踏み砕く。

 

「あ、あ、ぁ」

 

 下腹部が、暖かい。全身の力が抜け、魂が抜けたような感覚に陥る。恐怖が一周し、奇妙な浮遊感が真里を襲った。

 

 そんな彼女の目に、液の広がりが映る。

 

「……ぎゃっははは! 傑作! マジ傑作! こいつ漏らしてるぅぅう!」

「ザマァないわ! 神聖なる敷地内を穢すなんて、まさに薄汚い庶民! 肥溜め以下だわ!」

「たまんないわ! アハハハハ! あんた最高!」

 

「……っ……!」

 

 失禁を経たためか、真里の精神に正気が戻り……そのせいで、自分がしてしまったことを正確に認識してしまった。

 

 真里は火が付いたように顔を赤らめ、羞恥の余り声にならない叫びを上げる。両手を縛られ顔を隠すことも出来ず、瞼を強く閉じ、口元を強く結ぶことが精一杯だった。

 

 そんな彼女を、美夕達はさらに狂乱した笑みで嘲笑する。第三者が端から見れば、間違いなく狂っているようにしか見えない光景だが、この場にそれを指摘できる人間はいなかった。

 

 そのため。

 

 笑い転げるあまり、美夕が薪を取り落としていたことに。

 

 そこから、木造の旧校舎に炎が広がっていたことに。

 

 平静を欠いていた彼女達は、気づくことができなかった。

 

「えっ……」

「あっ」

 

 辺り一面が、黒煙に飲まれるまで。狂気を覚ますほどに、煙の臭いが強まるまで。

 

「……き、きゃあぁあぁっ! か、火事、火事ぃぃい!」

「だ、誰か消しなさいよ誰かぁ!」

「ば、ばれる、みんなばれるっ!」

「悪くない! 私、何も悪くないぃっ!」

 

 すでに教室内は煙に包まれ、あちこちから火の手が上がっていた。こうなってはもはや、誰にも隠し通すことはできない。

 そこから導き出される、自分達の末路。彼女達の誰もが、すでにそれを予感していながら、口にする者は一人もいなかった。

 

 やがて、彼女達は混乱する中で一つの結論を出す。それは。

 

「い、いやぁあぁ! パパぁ、ママぁあ! 助けてぇぇえ!」

「私悪くないの! 全部、全部庶民のせいなんだからぁあぁ!」

 

 ……逃走。

 

 彼女達は恥も外聞もなく、喚き散らしながら教室から走り去って行く。

 無論。そんな彼女達の中に、真里の縄を解こうという優しさを持つ者など一人もいない。

 

「ま……待って! 誰か、誰か縄を解いて! お願い、行かないで! 行かないでぇっ! いや、いやぁあぁああ!」

 

 火災に苛まれた過去の記憶が、少女をさらに追い詰める。再び彼女の下腹から、暖かい液が流れ出た。

 

 だが、もう。この場には、それを嗤う人間すらいなかった。

 

 ◇

 

「くそ、なんだってこんな……!」

「玄蕃様。ここは私に」

「ああ! ……済まねぇ、最後まで迷惑かける!」

 

 そして、今。

 

 旧校舎前に辿り着いた幸人と恵は、五階から噴き上がる炎に奇妙な視線を送っていた。突然あんなところから、なぜ……。

 

「いえ。――接触(コンタクト)!」

 

 だが、今はその疑問を解き明かしている場合ではない。幸人はマフラーを靡かせながら上着を脱ぎ捨て、隠された袈裟ベルトを露わにする。

 そして、腰から引き抜いたカードをバックルに装填し、カバーを閉じた。

 

『Armour Contact!!』

 

 電子音声と共に真紅のスーツが現れ、幸人の全身に張り付いて行く。さらにその各部を、黒と黄色のプロテクターが覆った。

 首に巻かれた白いマフラーが、ふわりと宙に舞う。

 

『Awaken!! Firefighter!!』

 

 そして、シークエンス完了を告げる電子音声が再び鳴り響く。ついに出動体勢を整えた幸人は、武運を祈るように頷く恵を一瞥し、旧校舎に突入する。

 

 ……寸前。

 

「ひぃあぁああ! ママぁああ! パパぁああ!」

「……!?」

「な……! こ、こいつら生徒会の!?」

 

 「救済の遮炎龍」に扮する幸人を迎え撃つかのように、突入しようとした先から美夕達が飛び出してくる。咽び泣きながら、煤塗れになって転がり込んできた彼女達を、幸人は若干たじろぎながらも抱きとめた。

 恵は、見知った顔の彼女達が現場から飛び出してきたことに驚きつつも……すぐさま、その現象の理由に感づき、般若の形相となる。

 

「……てめぇら! イイ年こいて火遊びたぁいい度胸じゃねぇか! ボヤ騒ぎが起きても『救済の遮炎龍』が何とかしてくれますってか!? ざッけんなボケェ!」

「ひ、ひひぃい!」

「落ち着いて下さい玄蕃様、ここは私に任せて」

「だけど……!」

「……生徒会の方々ですね。警報を聞きつけて、こちらに参ったのですが、他に逃げ遅れた方は?」

「……!」

 

 怒り狂う恵を片手で制しながら、「救済の遮炎龍」は片膝を着き、うずくまる美夕に目線を合わせながら問い掛ける。

 赤い仮面のせいで表情が見えないことが、恐怖を煽ったせいか、彼女は酷く怯えた様子で、「救済の遮炎龍」を見ていた。

 

「わ、私じゃない。私のせいじゃない! あ、あの子が悪いのよ! 庶民のくせに、この女学院に来るから!」

「……!」

 

 そして、半狂乱になりながら自己弁護を始める。その発言の一端を聞き取った「救済の遮炎龍」はそこから、逃げ遅れた被災者が誰であるかを汲み取った。

 

「玄蕃様。暫し、彼女達をお願いします」

「あ、ああ!」

 

 刹那、「救済の遮炎龍」は。幸人は。

 

 はやる気持ちを懸命に抑えるような口調で、同じくショックを受けていた恵に美夕達を託すと超人的な走力で、旧校舎の中へと突撃していった。

 そんな彼の背中を、憂いを帯びた眼差しで見送る恵は、親友の窮地を知ってさらに怒り、怒髪天を衝く勢いで美夕達を睨み付けた。

 

「てめぇら……まさか、こんなことしといてタダで済むと思っちゃいねぇだろうな。植木鉢の件もてめぇらの仕業か!」

「ひ、ひゃあぁあ!」

「だ、誰かこいつの口を封じなさい! い、今ならまだ……!」

「む、無理よぉ!」

「ああもう! どいつもこいつも使えないっ!」

 

 だが、美夕はまだ諦めていないのか。旧校舎の破片の中から棒状の木材を拾い、恵の前で身構える。

 

 そんな彼女をゴミを見るような目で冷ややかに見つめ、恵も空手の構えを取った。

 

「……つくづく。救いようのねぇ奴らだ」

「うるさい。うるさいうるさいうるさいっ! みんなあんた達が悪いのよ! あんた達のせいよぉぉおぉっ!」

 

 そして悪い夢を振り払うように、がむしゃらに木材を振りかぶる。だが、そんなもので玄蕃家の武道家を止められるはずもなかった。

 

「あっ……!」

 

 あまりにも速く。あまりにも鮮やかな。上段回し蹴りが、木材を天高く舞い上げて行く。

 その光景を見上げるしかない美夕は、絶望に打ちひしがれ、両膝をつき、死んだ魚のような目で、地面を見つめた。

 まるで目に映る景色だけは、現実から背けようとするかのように。

 

「……」

 

 恵はそんな彼女と、自分に怯える他の役員達に侮蔑の視線を送った後。そこから目の色を一転させ、親友達を案ずる眼差しで旧校舎を見上げた。

 

(才羽……ごめん、ごめんな。つらい思いばっかりさせて、最後まで迷惑かけて。これで最後でいいから……もう一度だけ。アタシの、大切な幼馴染を……救ってください)

 

 その時の彼女自身は、気づいていなかったが。

 

 この瞬間の玄蕃恵の貌は、紛れもない、恋する乙女のそれであった。

 



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第10話 あの日の悪夢を砕く盾

(……火の手はそこまでじゃないな。だが、煙がかなり出ている。彼女達が一酸化炭素中毒にならずに出て来れたのは、僥倖だったな)

 

 旧校舎の中を突き進む幸人は、バイザー越しに映る世界の惨状に、息を飲んでいた。暗視装置で視界は確保しているものの、ここが致死量の煙に汚染されていることには違いない。

 もう少し、彼女達の脱出が遅れていたら。最悪、この道の途中で倒れ、そのまま覚めない眠りに落ちていたかも知れない。

 

 ならば、事態は一刻を争う。出火地点の五階の教室に取り残された真里は、今頃火と煙に完全包囲されているはず。

 

(……からっぽのオレに、ヒーローとしての責任なんて語れる資格はない。それでもオレは、君を……!)

 

 そして、ついに目的地に辿り着いた。

 

「……ぁ……!」

 

 涙も、何もかも。体から出るものは、枯れるまで出し尽くした……と言わんばかりに憔悴しきった表情の、黒髪の少女。

 佐々波真里。間違いなく、いつも華やかな笑顔を振りまいていたはずの、彼女だった。

 

「……」

 

 泣き腫らした顔で、それでもなお泣縋るように自分を見つめる少女。そんな痛ましい姿の彼女を、労わるように。

 幸人は刺激しないようゆっくりと、歩み寄って行く。

 

 だが。

 

「……ダメぇぇえぇぇえっ!」

 

「……ッ!」

 

 老朽化していた旧校舎が、火に煽られたせいか。ひび割れた天井が、真里に近づいた幸人の頭上に、一気に降りかかってくる。

 

 その光景に、あの日の瞬間を重ねた真里は枯れたはずの涙を奥深くから絞り出し、絶叫した。

 

 だが。

 

 幸人は、彼女が予感した運命を変えようとしていた。

 

「……ッ!」

 

 崩れた天井が、迫る瞬間。

 

 懐から現れた、白いカードキーが胸のバックルに装填される。そして、カバーが閉じられた。

 

『Shield Contact!!』

 

 その電子音声と。天井の衝突音は、同時だった。

 

 ◇

 

(あんまりだよ……あんまりだよ、こんなのっ……!)

 

 こんなことがあっていいのか。こんな残酷な話が、あるだろうか。

 真里の心理は、耐え難い絶望の淵に立たされ、幼気な良心は現実という刃で絶え間無く切り刻まれていた。

 

 七年前、鳶口纏衛は自分を庇い殉職し。今度はみんなのヒーローだった「救済の遮炎龍」を、自分の至らなさで死へ追いやってしまった。あれほど、尊敬する琴海が慕っていたヒーローを。

 

 なんという疫病神。なんという死神。

 その呪縛から逃れようと、人々を救う医師を目指した果てが、この始末。

 

(こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかった! わたしは、皆の……皆の役に、立ちたかっただけなのにっ!)

 

 散々「死」を撒き散らした挙げ句、その命を糧とすることも叶わず自分も死ぬ。これほど、命を冒涜する女が自分以外にいるだろうか。

 

(ごめんなさい……鳶口様。ごめんなさい……「救済の遮炎龍」さん。わたしは、もう消えるから……どうか、どうか他のみんなだけは……お願い……!)

 

 美夕達はあの後、無事に逃げられたのだろうか。そう逡巡する真里は、許しを乞うように涙を零す。

 

 他人の命を犠牲にしておきながら、自分の命すら活かせない。その無力さに涙する彼女は、せめてもの思いで、自分を貶めた者達すら含む「全て」の幸せを願うのだった。

 

 だが。

 

「ダアッ!」

 

「……っ!?」

 

 そんな甘い白昼夢を抱いたまま逝くことは、真紅のヒーローが許さなかった。

 

 崩落した天井を気合いと共に突き破り、真里の前に姿を現した「救済の遮炎龍」。その手には、消火銃「インパルス」と特殊合金製の盾を一体化させた専用装備「盾型消火銃(インパルス・シールド)」が装着されていた。

 あの一瞬で秘蔵の盾を転送した彼は、崩落してきた天井を防ぎ切っていたのである。

 

 少女を苛む、悪夢のデジャヴを打ち破った彼はそのまま、何事もなかったように真里のそばへ歩み寄り、縄を引きちぎって行く。

 そして、腰の抜けた彼女を抱きかかえ、囁くのだった。

 

「……もう、大丈夫だ」

 

「……ぁっ!」

 

 それは、かつて幸人の父が殉職する瞬間に遺した言葉。だが、今この瞬間にそれを口にした彼は、まだ、生きている。

 

 この瞬間。佐々波真里を蝕み続けていた鳶口纏衛のトラウマは。目の前を塞ぐ闇は。

 

 その息子の手で、切り裂かれたのである。

 



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第11話 消防士ヒーローの本懐

 過去を乗り越え、その道へ誘ってくれた「救済の遮炎龍」にしがみつき、真里は紅い腕の中で涙ぐむ。

 そんな彼女の鼻と口を、白マフラーで塞ぎつつ、彼は脱出を目指した。だが、窓に続く道は立ち昇る猛火に阻まれている。

 

「ハッ!」

 

 だが、彼は消防能力に特化した「救済の遮炎龍」。いかに激しい炎であろうと、それ以上に強力な消火剤で押さえつけられては、人間を焼き殺すには至らない。

 

 「盾型消火銃」に内蔵されたインパルス消火銃の一閃が、灼熱を根元から吹き消して行く。

 

 やがて熱気が消え去り阻むものが黒煙だけになると、「救済の遮炎龍」はマフラーで真里の気道を保護しながら、暗視装置を頼りに窓から飛び出して行った。

 

 そして、壁に打ち込んだワイヤーを伝い、さながらターザンのように鮮やかに着地する。出迎えたのは、満面の笑顔を浮かべる恵だった。

 

「真里ぃぃぃいぃい! バッキャロォ、心配させやがって!」

「恵、恵ぃい……!」

「もう大丈夫、もう大丈夫だからな! ありがとう才……じゃねぇ、『救済の遮炎龍』! 本当に、本当に恩に着るっ!」

 

 恵は「救済の遮炎龍」に抱き上げられたままの真里に泣きつき、身の安全を感じた真里もまた、緊張の糸が途切れたように大泣きしていた。

 そんな彼女達を静かに見守る「救済の遮炎龍」こと幸人は、首を捻り火災が絶えない旧校舎を見上げた。

 

「……あは、あはは……。もう、泣きすぎだよ恵ったら」

「ははは……うるせー、泣いて何が悪いっ。……ん? 真里、なんかお前濡れてねぇ?」

「えっ……や、やだっ! 『救済の遮炎龍』さん早く下ろしてくださいっ!」

 

 羞恥に顔を赤らめる真里。そんな彼女を優しく下ろして、幸人は腕部に装着された機械のボタンを操作する。

 

『Scarlet Ranger!!』

 

 その操作が終わり、腕部の機械から電子音声が響く……刹那。

 

「うわぁ! な、なにあれっ!」

「あ、あれは……!」

 

 猛スピードで敷地内を疾走し、幸人達の前まで駆けつけてきた一台の車。運転席が無人の、その赤塗りの車に、恵は見覚えがあった。

 

 一見すれば、スポーツカーのようにも見えるしなやかな車体だが、後方に設置された梯子やポンプらしきものは、紛れもなく消防車のものだった。

 

 幸人は無言のまま、その車両……「小型高速自動消防車(スカーレット・レンジャー)」に乗り込み、内部からの操作で車両後部のポンプから強烈な放水を開始する。

 放たれている水そのものに特殊な消火剤が含まれているようであり、旧校舎を蝕んでいた炎は、素人目に見ても異常に感じるほどの速さで鎮火されていった。

 

「す、すごい……わたし、『救済の遮炎龍』さんの活躍、ちゃんと見るの初めてかも……」

「あ、ああ、確かにすげぇな。……つーかアイツ車乗ってるけど、免許あんのか?」

「え?」

「い、いや何でもねぇ」

「……?」

 

 不思議そうに首を傾ける真里の隣で、恵は鎮火に勤しむ「救済の遮炎龍」の――幸人の姿を、誇らしげに見つめていた。

 うなだれる美夕達には目もくれず、その瞳は自分の心を射止めた男だけを、焼き付けている。

 

(……ありがとうな、才羽。真里のこと、ちゃんと守ってくれて。……やっぱ、やっぱさ――)

 

 その気持ちには、もはや言い訳の余地はない。

 

 救援に駆け付けた生徒会や有志の生徒達が、バケツリレーの消火活動を始めても。美夕達が他の生徒会役員達に連行されても。

 

 鎮火が終わった途端、目をハートにして飛びついてきた琴海をかわし、「小型高速自動消防車」で走り去る瞬間まで。

 

(――あんたのこと、好きだわ。もう、誤魔化せないくらい……)

 

 恵の熱い眼差しは、「救済の遮炎龍」の――才羽幸人の勇姿だけを、映し続けていた。これで最後だと、頬に雫を伝わせて……。

 



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最終話 辿り着いた意義

 旧校舎の火災事故から、さらに一ヶ月。梅雨も明け、いよいよ夏本番、というこの季節の中。

 

「……で。なんでまだ、あんたがいるんだよ」

「……? 以前もお話ししましたが――学園長から、単純に用務員として有能だからここにいろ、と言われましたので」

「わかってるよそんなこと! あーもー! なんか腹立つ〜!」

「……?」

 

 袈裟ベルトを外した才羽幸人が庭の整備に勤しむ傍らで、玄蕃恵は口先を尖らせていた。その頬は、夏の暑さとは無関係の熱を纏っている。

 あの日、もう会えないと覚悟し流した涙は、すっかり無駄になってしまっていた。

 

 あの火災事故の後。幸人は任期を満了し、「救済の遮炎龍」を引退。スーツは開発元の救芽井エレクトロニクスに引き渡され、解体が決定している。

 

 現在ではパッタリと姿を消した「救済の遮炎龍」に代わり、蒼い装甲強化服で身を固めた量産型「救済の遮炎龍」が消防庁に配備され、あらゆる火災現場で活躍していた。

 

 彼らのスーツを完成させた時点で、才羽幸人のヒーロー生命は終わったのである。

 

 だが、ヒーローでなくなった今も、その仕事ぶりを理由に用務員を続行する運びとなり……こうして変わらず、恵や真里と平和な日々を送っている。

 

 恵個人としては余計な心配で涙を流す羽目になったので、腑に落ちないところもあったのだが、この先も愛する男と共に過ごせる結末は、素直に喜ばしいものでもあった。

 

「才羽くん、恵! お待たせっ!」

「おせーぞ真里、三十分オーバーだ」

「ご、ごめんね恵。生徒会の仕事って、まだまだ全然慣れなくて……琴海先輩にも、迷惑かけっぱなしだし」

「いーんだよそれは。文村先輩なりのケジメって奴さ」

 

 そこに、新たな生徒会長として選ばれた佐々波真里が、息を切らせて駆けつけてくる。

 

 半月の療養を経て、すっかり回復した彼女は、文村琴海に代わる生徒会長として、テニス部を牽引するエースとして、多忙極まりない毎日を送っていた。

 

 植木鉢の件の犯人が、生徒会に紛れ込んでいたこと。その犯人が、さらに真里に危害を加えたこと。

 

 それら諸々の生徒会の不祥事の責任を被る形で、文村琴海は生徒会長の座を退くこととなり、彼女に次ぐ成績優秀者である真里が、その後継者となった。

 

 この女学院の生徒達の頂点である生徒会長。その絶対的存在に、庶民の出が君臨する。その衝撃は女学院全体を震撼させ、前代未聞の事態となった。

 

 だが、後見人となった琴海自身のサポートにより佐々波政権は徐々に人望を集め、今では琴海に次ぐ女学院の有力者としての地位を確立するに至っていた。

 

「それにどーせ遅れた理由はアレだろ? 文村先輩に『救済の遮炎龍』の話をせがまれ、そっから先輩のヒーロー講座が始まり、抜けるに抜け出せずってとこだろ」

「ぎく……」

「あのなぁ、先輩の顔を立てようってんだろーが……バレバレなんだっつーの。何年の付き合いだと思ってやがる」

「うう……ごめん」

「ま、そこがいいところになることも、たまーにあるけどさ」

 

 恥ずかしそうに頭を掻く真里は、上目遣いで幸人を見上げ、舌先をぺろっと出す。

 そんな彼女に対し、幸人は相変わらずの仏頂面の中に微かな笑みを滲ませ、首を振る。

 

「才羽くんもごめんね? お昼ご飯、一緒に食べる約束だったのに」

「いえ。こちらこそ、生徒会長の昼食に立ち会えることを許可して頂き、至極光栄に存じます」

「だ、だからぁ、そういう畏まった感じはやめてぇ! そもそも誘ったの私だし!」

「おーおぉ、赤くなっちゃって。こりゃほっといたらガキでも仕込みかねないなぁ」

「恵ぃぃい!」

「そうですか。しかし佐々波様は未だ学生の身。世継ぎのことをお考えならば計画的に……」

「才羽くんも乗らないでえぇ! 楽しんでるでしょ!? この状況楽しんでるでしょっ!?」

「はて、何のことでしょうか」

 

 昼下がりの中庭を舞台に始まった、平和なひと時。そこから始まった遣り取りの中で、才羽幸人は確かに。

 自分のヒーローとしての意義を、噛み締めるのだった。

 

(父さん。オレは、やっと……)

 

 季節は夏。恋が始まるこの時の中で、新たな日々が幕を開けた。

 ヒーローの物語は終わったけれど。才羽幸人の物語は。佐々波真里の物語は。玄蕃恵の物語は。まだ、終わらない。

 

 この先もずっと。続いて行く。

 

 ◇

 

「……へぇ。ヒーローを降ろされてしょげてるかと思ってたが、意外と元気じゃん」

「もうその辺にしておけ。才羽先輩の様子を確認するというのが、茂先生の命令だ。私生活まで盗み見るものじゃない」

「わぁってるよ。人を盗撮魔みたいに言うんじゃねぇ」

 

 ――その頃。聖フロリアヌス女学院の校庭を、遥か遠くから二人の少年が見つめていた。

 遠方に聳え立つ高層ビルの屋上から、双眼鏡で才羽幸人を監視する短身の少年は、吹き抜ける風に金髪を揺らす。

 

 その傍らに立つ長身の少年は、黒髪を靡かせて踵を返し、この場から立ち去り始めた。そんな彼を追うように、短身の少年も双眼鏡を懐にしまい歩き出す。

 

「まぁ、アレだ。仮に任期満了じゃなかったとしても、外部に身バレしたってことで遠からずヒーローはクビになってたろうな。あの人らしくねぇ幕引きだが」

「俺達も油断していると、思わぬミスでバレるかも知れん。特に、お前は何かと迂闊だからな」

「うるせぇ。もしお前が先にバレたら『ばっきゅんきゅん☆ミニスカポリス』のブルーレイボックス没収だからな」

「フン、ならお前がバレた時は『ぷすっとおちゅうしゃ☆ミニスカナース』の限定フィギュアを貰おうか」

 

 軽口を叩き合いながら、屋上から消え去って行く二人。彼らの胸には――

 

「……さぁて。次のテストは、オレ達か」

「抜かるなよ。俺達の責任は、ある意味では才羽先輩以上に重い。何せ、使い方を誤れば凶悪な兵器にもなり得る『G型』の後継機なんだからな」

 

 ――幸人が身につけていた物とは、似て非なる。銀と銅の色を持つ、鋼鉄の袈裟ベルトが巻かれていた。

 

 「第三世代型(サードフェイズ)」のデータ収集は、今も続いている……。

 



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特別編 着鎧甲冑ドラッヘンブシドー
前編 学級委員と不良


 ――着鎧甲冑の技術を巡る争いは、絶えず繰り返されてきた。その製造を一手に請け負う救芽井エレクトロニクスが、創設される以前から。

 

 着鎧甲冑初の量産型として大量生産され、世界中に配備された白の外骨格「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」。そのスーツには、二種類のバリエーションが存在する。

 人命救助という本来の役割を担う「R型」と、治安維持を目的とし最小限の装備を持つ「G型」の二つだ。

 

 ――このうち、軍事利用を迫る他の勢力への、ある種の牽制として造られた「G型」は、長年デリケートな問題として扱われてきた。

 

 人間を遥かに超えた力。それが悪意ある者によって人間に使われれば、甚大なる被害を生んでしまう。創始者である救芽井甲侍郎が、何よりも危惧していたように。

 

 それゆえ「G型」の資格者試験の厳しさは「R型」を超えたものとなり、スーツ自体の生産数も意図的に抑えられている。結果として、選りすぐられた一部の精鋭にしか扱えないスーツとして、「G型」はそのポジションを確立させていた。

 

 そんな中、「第一世代型(ファーストフェイズ)」であった「救済の龍勇者」が徐々に旧式になり始めようとしていた。「救済の超水龍(ドラッヘンダイバー)」を始めとする「第二世代型(セカンドフェイズ)」が台頭し始めたためである。

 しかも「R型」の「第三世代型(サードフェイズ)」である「救済の遮炎龍(ドラッヘンインパルサー)」までもが、すでにテスト運用を始めようとしていたのだ。

 

 これを受け、「G型」も時代に合わせ進化させるべきであるという意見が、救芽井エレクトロニクス本社まで集まるようになっていた。

 

 その展開を静観していた救芽井エレクトロニクスのスポンサー・久水財閥の現当主である久水茂は、聖フロリアヌス女学院で学園長を務めていた妹の久水梢を呼び寄せ、「第三世代型」の「G型」を設計するよう命令。

 

 兄の指令のもと、新世代着鎧甲冑の「矛」となる鎧を造るべく動き出した久水梢は、そのテストヒーローとして――久水流の門下生である、二人の少年に白羽の矢を立てるのだった。

 

 ◇

 

「兄貴ぃ! 焼きそばパン買ってきやしたァ!」

「おう、ご苦労……ってクソバカがァ! これ学食のパンだろうが! オレが言ったのは近場のコンビニの限定パンだぞ! 『ずっきゅんはぁと☆ミニスカメイド』のコラボ商品だ、わかってんのかこのクサレ野郎がァァ!」

「ひ、ひぃいぃいすみませんッ! すぐ買い直して来ますぅうぅう!」

 

 ――二◯三六年、四月。

 五野寺学園高校(ごのでらがくえんこうこう)、通称「五野高(ごのこう)」。

 

 東京都内の数ある高校の一つである、この学び舎の端には、不良の溜まり場となっている小屋がある。

 その悪の巣窟たる空間に君臨する、小柄な少年は昼休みの時間帯に、窓が震えるほどの怒号を上げていた。

 

 小さな身体からは想像もつかない彼の雄叫びに、小屋に集まった荒くれ者達は一様に震え上がっていた。少年はボサボサの金髪をかきむしりながら、舌打ちを繰り返している。

 顔立ちそのものは中性的な美少年のそれだが、着崩し過ぎな政府姿や手入れがされていない金髪からは、不潔な不良というネガティブなイメージが付きまとう。

 

 だが、この学園で彼に逆らえる者は教師も含めて数えるほどしかいない。何しろ彼は、入学して僅か三日のうちに、学園中の不良を殴り倒して暴力の頂点に立ってしまった男なのだから。

 

 ――新一年生、首里犬の介(しゅりけんのすけ)十六歳。

 小さな身体に見合わない膂力で学園の不良を根刮ぎねじ伏せ、近隣にもその名が知られる札付きのワル。それが、彼についての一般的な情報だった。

 

「首里! さっきの騒ぎはなんだ!」

「……あァ〜? っせぇな真田(さなだ)、今はオメェの説教なんざ聞いてやれる気分じゃねーんだよ」

 

 その時。小屋の扉が勢いよく開かれ、整然と制服を着こなす黒髪の少年が現れた。

 短く切り揃えられた髪や、長身という特徴からは、首里とは何もかも対照的な印象を与えている。

 

 ――新一年生、真田則宗(さなだのりむね)十六歳。

 新入生ながら、風紀を重んじる学級委員として、クラスの信望を集める長身の美男子。その特徴一つ一つが、首里とは対になっているかのようだった。

 

 彼は鋭い眼差しを首里とぶつけ合い、睨み合いに突入している。互いに一歩も譲らない無言の攻防に、周囲は息を飲んでいた。

 首里のプレッシャーに屈しない男子など、三年生の雨季陸(あまきりく)を除けば彼くらいのものであるからだ。真田は首里が手にしていた焼きそばパンを見付けると、何かを察したように鼻を鳴らす。

 

「……ふん。そういうことか。愚かだな首里、自分の足で買いに行かないからだ。真に『ずっきゅんはぁと☆ミニスカメイド』を愛しているファンならば、自分で金を出して買うことだ」

「んだとォ……!」

 

 歯ぎしりする首里に見せびらかすように、真田は懐から焼きそばパンを取り出す。その包装は学食の簡素なものではなく、可愛らしいメイドのイラストが描かれた特殊なものだった。

 パンツが見えるギリギリまで短くされたスカートや、そこから覗く太ももが特徴的なイラストである。

 

「なっ……テメェ!」

「俺はすでに限定焼きそばパンを、今日だけでもこれを含めて六個入手している。これに付いている限定商品応募用のシールは、すでに二十枚を超えた……! どうだ、これだけストックがあれば『あやなちゃんマグカップ』も『ひかりちゃんストラップ』も『さやかちゃん抱き枕』も物量作戦で必ず手に入るぞ!」

「きたねぇぞ真田ッ! 金の力に物言わせやがって!」

「ふっ。俺はお前と違い、常に大局を見て金を出している。特典付きブルーレイボックスの予約を見送ったのは、このコンビニ限定商品のための布石だったのだよ!」

「くそったれ……! オレは、オレは踊らされていたのか!? 『湯気と光に隠されたあそこも、ブルーレイで大公開!』の売り文句にッ!」

 

 深夜アニメのグッズを巡る壮絶な舌戦。それが、学園を牛耳る番長と学級委員との間で繰り広げられていた。

 会話の内容こそ下らないようなものだが、それを語る二人の熱意と殺気は、絶えず周囲を圧倒している。

 

「残念だったな。俺はこの限定商品に、己が青春を懸けている! なにせ一等は、あのあやなちゃん役の声優『CHITOSE』の直筆サイン入りマグカップなんだからなァァァ!」

「畜生お前ばっかり直筆サイン貰い過ぎだろゴルァァァ! こないだもサイン入りの抱き枕当てたばっかだろうがァァ!」

「金さえ出せば必ず買えるグッズより、金で運を引き寄せて初めて手が届くグッズ! それが俺のポリスィーだ!」

 

 彼らを取り巻く誰もが、その会話に割り込めずにいた。――その時。

 

「さっきから何を囀っているのかな。社会の、ゴミ共が」

 

「……!」

 

 真田以上に、端正に制服を着こなした少年が背後から現れた。その周囲には、多数の取り巻きが陣取っている。

 その眼鏡をかけた色白の少年は、冷酷な眼差しで真田と首里を交互に見遣り、深くため息をついた。

 

「……こんな中流家庭の端くれしか集まっていない高校でも、この僕が在籍している学び舎には違いないんだ。これ以上イタズラに泥を塗るのは、やめてくれたまえ」

「……? 誰だテメェ、見ねぇツラだな」

「貴様、立場を弁えろ! 蛭浦蛮童(ひるうらばんどう)様の御前だぞ!」

 

 そんな彼に首里が食ってかかる瞬間。殺気立った表情で、取り巻き達が小屋に押し入ってきた。

 首里としては、このまま流れで荒事に突入するのは一向に構わなかったのだが――取り巻きの口から出てきた名前に、思わず足を止めてしまう。

 それは、端で名を聞いた真田も同様だった。

 

「都内で蛭浦と言えば……久水財閥傘下の、蛭浦グループの?」

「そうだ! この近郊のありとあらゆる企業全てを束ねる、蛭浦グループ会長の御子息様だぞ! 口を慎め下郎が!」

「……いつの時代の三下だ、テメェら」

「なに!」

 

 真田の質問に、高らかに答える取り巻き達。その大仰かつ横柄な態度を目にした首里が、舌打ちと共に悪態をつく瞬間。取り巻き達は、一斉に彼を包囲した。

 そんな彼らの粗暴な態度に、首里も「面白い」と言わんばかりに拳を鳴らす。だが当の蛭浦本人が手を振り、もう下がれと言外に伝えた途端、彼らはすごすごと引き下がってしまった。

 

「もう行くぞ。こんなところで油を売っている暇はないんだ」

「ハッ!」

 

 そして首里から離れた彼らは、蛭浦に付き従い小屋を立ち去って行く。そうしてこの場に静寂が戻ると、彼らの殺気に当てられていた不良達は揃って胸を撫で下ろした。

 

「あ、危なかった……! なんで蛭浦グループの御曹司が、こんな普通の高校に……!」

「……」

 

 校庭の中央を我が物顔で闊歩する蛭浦。彼の取り巻きを避けるように、生徒達は怯えた顔つきで散り散りに離れている。

 蛭浦グループの勢力はこの近郊を完全に掌握しており、彼の権勢に与していない企業はほとんどないに等しい。下手に絡まれ、逆らえば一家離散もあり得るのだから当然だろう。

 

 そんな天上人を遠目に見遣る真田は、首里と視線を合わせると――以心伝心の如く、同時に小屋を出て裏手に回った。

 

「首里。蛭浦といえば最近、悪い噂をよく聞くグループだ」

「……ああ。権威にものを言わせて、あちこちで好き放題してるっていう……アレだろ。暴行、窃盗、何をしても金の力で揉み消し、か……」

 

 首里は迸るような殺気を込め、物陰から蛭浦の背後を睨む。その傍らで歩いている取り巻き達は、見えない鎖で繋がれているかのようだった。

 

「梢さんがオレ達をこの学園に寄越した理由……見えてきたな」

「財閥傘下の企業への自浄作用。それを兼ねた、新型のテスト――か。確かに、俺達には似合いの舞台かもな」

 

 怒りを抑え込むため、敢えて軽口を叩く真田。その眼差しは、凍てつくような冷たさを帯びて蛭浦の背中を貫いている。

 

「しかし、涼しい優等生顔して中身は獣かァ。世の真っ当な男子諸兄に申し訳が立たないとは思わないのかね、ああいう人面獣心の似非エリート様はよ」

「……だが、おかげで奴がこの五野高に来た理由もある程度は予想がつく。確か以前、ここには元アイドルの天坂結衣が通っていたそうだな」

「フェアリー・ユイユイだろ? 確か、その姉ちゃんに求婚して呆気なくフラれたらしいぜ、あいつ。よくストーカーにならなかったな」

「天坂総合病院は蛭浦グループより格上だからな。自分より弱い相手にしか、強くは出られないのさ」

「ペッ、ますますゲスな野郎だ……ん?」

 

 首里が唾を吐き捨てる瞬間。蛭浦の眼前に、ある一人の女子高生が立ちはだかった。その無謀に近しい行動に出ている彼女には、二人とも見覚えがある。

 

 ――新一年生、綾田千歳(あやたちとせ)十五歳。

 茶色がかった黒髪を腰まで伸ばし、括れた腰や豊満に飛び出た巨峰や臀部……さらには色白の肌とそれに見合う美貌までも兼ね備える、スタイル抜群の美少女。

 入学して間も無く学園中の話題をさらい、すでに五十人以上の男子から告白されてるという噂も流れている。

 

 学力テストも上位を保持し、スポーツも万能。その上、綾田商事の令嬢でもある。

 それだけのものを備えていて、話題にならないはずもなく――街を歩けば誰もが振り返ると有名な、まさに「学園のアイドル」としての名声を欲しいままにしていた。

 

 さして詳しいわけでもない真田と首里でも、それくらいの基礎情報は耳にしていた。そんな有名人である彼女は今、憤りを露わに蛭浦を真っ向から睨み付けている。

 

 当然ながら強気な姿勢の取り巻き達が進み出るのだが、蛭浦は部下達を片手で下がらせる。彼は舐め回すような目で、彼女の姿を下から上へと見つめていた。

 

「やぁ、千歳君。わざわざ君から出迎えに来てくれるとはね。ここに籍を移した甲斐があったよ」

「蛭浦……あんた、どこまで私に絡んで来たら気が済むのよ! 学校にまで乗り込んで来て、みんなまで怯えさせて……!」

「僕はただ、君に会いに来たに過ぎないよ。彼らが勝手に怯えているだけじゃかいか?」

「最っ低……!」

 

 どうやら、蛭浦と千歳は以前から面識があるらしい。真田と首里は情報を手繰り寄せるべく、聞き耳を立てる。

 

「父さんと母さんを追い詰めて、こんなところにまで来て……! しつこい男は嫌われるって、女の扱いの常識まで知らないのね!」

「何の話か、よくわからないね。僕は父さんに、君に会えるよう場を儲けたいとお願いしただけさ。君のご両親がどうにかなったとして、僕に責任があると思う?」

「……そんなに私が欲しいの。金の力で何でも好きにして、誰も彼も言いなりにして……!」

「合意の上だよ? こいつらが、僕のそばにいるのは」

 

 蛭浦は不敵に笑いながら、千歳の傍らへにじり寄る。その薄気味悪さに顔を顰めつつも、彼女は強く抵抗できないでいた。

 

「僕は蛭浦グループの跡継ぎとなる男だからね。いい男であることの証明には、ステータスが必要だ。『金』、『権力』……そして『女』。その要素を満たすには、君を伴侶に迎えるのが一番だと思ってね」

「……天坂のお嬢様にフラれたから、権力でねじ伏せられるように狙いを変えただけのクセに。何が一番よ、このクサレ童貞」

「――ッ!」

 

 その発言が、涼しさを保っていた蛭浦の表情を一変させた。彼は激情のままに平手を上げ、千歳は殴られても屈しまいと気丈に睨み続ける。

 暴力を前にしても怯まない彼女に、蛭浦は唇を噛み締めつつも――手を下ろした。

 

「……やめておこう。君の美しい顔に傷が付いては、僕の妻としての価値が下がる」

「……生憎ね。私は、自分でこれと決めた男にしかバージンはあげないって決めてるの」

「君から求めるようになるさ。すぐに、ね」

 

 それが原因で、興を削がれたのか。蛭浦は声色に冷静さを取り戻すと、取り巻き達を引き連れて立ち去って行く。

 彼の背中が見えなくなった時になり、ようやく彼女は安堵するように肩を落とした。

 

「……ある程度の状況は読めたな。蛭浦蛮童という男、噂以上に黒いらしい」

「あそこまで好き放題にしても誰も咎められねぇ。……それくらい、蛭浦グループの蛮行が長らく野放しにされてきた、ということかァ」

「蛭浦グループは久水財閥の傘下としては、かなり古参だからな。しかも、綾田商事の上役……。周りの企業も強くは出られなかったんだろう」

「あの様子じゃあ警察も買収済みだな。まさに金と権力、ってヤツか……イヤになるね」

 

 そんな彼女の、少しやつれたような横顔。それを一瞥する真田は、物陰から歩み出た。

 

「だから、それ以上の権威を以て正すしかない、ということだ。――もう少し、詳しく話を聞いてくる」

「あ? おいおい仕事にかこつけてナンパかよ、抜け駆けたぁますますセコいなお前」

「お前の『役割』では不自然だろう。だから『不良』と『学級委員』に役割を分けたんだ、我慢しろ」

「へぇへぇ……」

 

 口先を尖らせ悪態をつく首里を、呆れた口調で窘めつつ。真田は千歳に近づき、声を掛けた。

 

「大丈夫だったか? 何やら面倒な輩に絡まれていたらしいが」

「ありがと、私は平気よ。あれ……君、確か同じクラスの」

「真田だ。……綾田さん、あの優男と知り合いだったのか?」

 

 学級委員として知られている相手だからか、千歳は特に警戒する様子もなく砕けた態度で真田と目を合わせる。この親しみやすさも人気の秘訣だろうか。

 

「知り合い、ね……ま、そんなとこかな。私のお父さんの上役の子でさ……前々から僕の女になれってしつこいの。で、断り続けてたら父さんの会社にまで圧力かけてきてさ……」

「……そうか」

「私は……あんな奴なんかに負けたくない。父さんを、汚いやり方で苦しめるような奴なんかに……でも、どうにかしようにも……」

「……」

 

 努めて明るく振る舞おうとしていても、やはり限界があるのか。徐々に言葉の端から、気力が失われつつある。

 途中から自分でそれに気づいたらしく、彼女は我に返るように顔を上げると無理に作り笑いを浮かべた。

 

「……それよりさ! 真田君って首里君といつも仲良いよね」

「は? 首里? ……あんな汚ならしいヤンキーと一緒にしないで貰えるか」

「え、でも噂になってるよ。顔突き合わせる度、『ずっきゅんはぁと☆ミニスカメイド』の話で盛り上がってるって。首里君に面と向かって話せる人なんて中々いないのに、あそこまで対等に話すなんて凄い! って友達も言ってたよ」

「その友達の誤解も早々に解いてくれ。というか、綾田さんもよくタイトルまで知ってるな。君もその道に詳しいのか?」

「えっ……う、ううん。話づてによくその名前が出てくるから……」

「そうか。気が向いたら観てみるといい。いや、是非とも観てほしい。君にもミニスカメイドの萌えがわかる」

「あ、あはは……考えとくね」

 

 真剣な面持ちで拳を震わせ、ミニスカメイドを語ろうとする真田。その熱意を帯びた眼差しに当てられ、千歳は引き気味な表情で数歩後ずさった。

 

「……でも、首里君が来てから、この学校って凄く良くなったんだってさ」

「ほう? そうなのか」

「前はもっと不良達があちこちに陣取ってて、みんなが怖い思いをしてたんだけど……。首里君が不良達を締め上げて、全員に睨みを利かせるようになってから、随分ここも平和になったんだって」

「……そうか」

「だから首里君も不良といえば不良だけど、ヤンキー達を纏め上げてくれてるから女の子に人気あるんだってさ。小さいのに頼り甲斐ある〜ってね」

「は……!? あいつがか! いいのかそれで!」

「あはは……ま、恋愛は個人の自由だしね」

 

 千歳の口から漏らされた新事実に驚愕し、真田はあり得ないものを見るような目で後ろを振り返る。その視線の先では、話の内容を知らない遠方の首里が、何事かと小首を傾げていた。

 

「……ふふ、なんか話してたら少しだけ元気出て来たよ。ありがとね、真田君」

「ん……まぁ、気休めになれたのなら光栄だ。今は苦しいかも知れんが、奴の目に余る行為はいずれ必ず暴かれる。遠からず、相応の裁きが下るはずだ」

「そうだね……私も、そう信じておくよ。いつか父さんを助けてくれる誰かが、現れるってね。じゃ、また!」

 

 話をしているうちに気が紛れたのだろう。千歳は気を取り直すように顔を上げると、溌剌とした笑みを浮かべて校舎へと向かって行った。昼休みも、もうすぐ終わる。

 

「……自分より父さん、か」

 

 真田は、そんな彼女のどこか力無い背に向けて――踵を返しながら、背中越しに小さな粒のようなものを投げ付けた。

 それは彼女の制服に付着するが、本人は気づく気配もなくそのまま立ち去っていく。その様子を肩越しに見送ったところで、首里が近くまで駆け寄ってきた。

 

「――どうよ。学園のアイドルと、お喋りした感想は」

「思いの外、気をやられてるようだな。……蛭浦のことだ、強引な手段に出る時も遠くあるまい。『準備』はしておけ」

「あいよ」

 

 首里は好戦的な笑みと共に、拳を鳴らす。そんな「相方」の姿を、真田は呆れた眼差しで一瞥していた。

 

「……それと。いい加減、ファッション誌の一つでも嗜んで身だしなみというものを覚えろ。勘違いしている女子がお前に幻滅して、貴重な青春を浪費してしまう前にな」

「……はァ?」

 



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後編 侍と忍者

 ――この日の夜。

 部活の帰り道の只中で――千歳は、予想だにしないタイミングで「その時」に直面していた。

 

「あんたっ……!」

 

 住宅街の通路を阻む取り巻きの男達。その中心に立つ蛭浦は、昼の時のような涼しげな表情とは正反対な、好色の笑みを浮かべていた。

 下卑た表情で口元を釣り上げた彼の貌は、もはや「人」のそれであるとは思えないほど、歪んでいる。

 

(甘かった……! まさかここまで、強引に出てくるなんて!)

 

 いくら権力を傘に着た卑劣な人間だとしても、血の通った人間には違いない。それに、権力に見合うだけの「立場」も背負っている。

 帰り道の女子高生を誘拐するなんて、かなりの権力者でも揉み消すのは難しいほどの事件を、そうそう起こせるはずはない。そんな甘い見通しが、この事態を招いていた。

 多少の暴力行為などとは、比にならない犯罪。それを彼らは、躊躇なく実行に移そうとしている。

 

「……なによ。そこどかないと、大声出すわよ」

「出せばいいよ。僕が一声かければ、誰も僕を捕まえようとはしなくなる。そう、誰も僕を止められない。誰も、僕を捕まえられないのさ」

「……!」

 

 その危機に直面してなお、千歳は気丈に振る舞い弱みを掴ませないようにしている。だが、彼女の脅しもまるで通じない蛭浦の様子に、ただならぬ薄気味悪さと恐怖も覚えていた。

 

「……っ!?」

 

 逃げねばならない。そこに思考が辿り着き、後退りを始めた瞬間――彼女の口に、突然ハンカチが押し当てられた。

 

(……ぁ……!)

 

 何かの薬品を染み込ませたその一枚を、背後から忍び寄っていた取り巻きに嗅がされ――千歳の意識が、遠のいて行く。

 

(……父、さん、母さん……!)

 

 地に倒れ伏す絶世の美少女。その豊満な肢体を手に入れるための、獰猛な獣が――舌なめずりを繰り返していた。

 

「僕を拒む女なんていない……いちゃいけないんだ……ひ、いひひ……」

 

 ◇

 

「お兄様。蛭浦の愚息が、尻尾を出したようですわ」

「ああ、すでに則宗から報告を受けている。間も無く、現場を押さえて捕縛するそうだ」

 

 その頃。救芽井エレクトロニクス日本支社のとある絢爛な一室で、久水茂と久水梢の兄妹は茶の席に着いていた。

 紅茶を嗜むスキンヘッドの強面は、ガラス壁から一望できる東京の夜景を、神妙な面持ちで見つめている。

 

「獅子身中の虫――とは、よく言ったものだな。蛭浦は長く我々に仕えてきた名家だったが、そろそろ幕を下ろす時か……」

「権力を預かる者としての務め――ノブレス・オブリージュを忘れた者を、自力で矯正出来ない蛭浦グループは解体させるより他ありません。他の傘下企業から代わりを選出して、頭を挿げ替えることにしましょう」

「人選はお前に任せる。――それと、あの愚息は警察管轄の着鎧甲冑もいくつか裏で買収していたそうだ。余罪はまだまだ出てくるだろう」

「橘花総監も、気苦労が絶えませんわね。で、則宗と犬の介は制圧に何時間掛かると?」

 

 久水流を教えた二人の弟子。かの一煉寺龍太を超えるために練り上げた「正義の使者」である彼らを想い、茂は不敵な笑みを浮かべていた。

 

「あと一時間も掛からない、だそうだ。まぁ、当然だろう。ワガハイが直々に鍛え抜いた、精鋭中の精鋭なのだからな」

 

 ――だが、その一方。梢は、胸中に一抹の不安を抱えているようだった。

 

「でも……迂闊なミスで、正体が民間人にバレたりしないでしょうか。あの子達、実力は確かだけど少々詰めが甘いというか……」

「心配いらんだろう。確かに本来の規定においては、テストヒーローの個人情報が民間人に露見した場合は情報漏洩の阻止のため、そのヒーローを任務から降ろさねばならん。……しかし例外はあるし、そもそも民間人自体がほとんどいない空間なのだ。その心配は必要あるまい」

 

 ◇

 

 ――蛭浦グループ本社。

 五野高を含む、東京の一部区画を牛耳る大企業グループ。その運営を統括している、八十階建ての超高層ビルだ。

 

 その正門前に、二台のレーサーバイクが停まる。猛烈な速さでアスファルトを駆け抜けていたその二台は、正門の近くでピタリと停車していた。

 

「本社で『お楽しみ』ってわけか……こいつァ、大・大・大スキャンダルだなァ」

「……発信機によると、綾田さんの身柄は五十階付近まで移動中。ここに運び込まれたのが二分前だ。まだ『行為』には及んでいないだろう」

「貞操のピンチに颯爽と登場! ……ってか? いいねぇ、そういうベタなの嫌いじゃないぜ」

 

 銅色のバイクから飛び降りた首里はパキパキと指を鳴らし、黒いライダースジャケットを翻す。銀色のバイクから優雅に降りる真田も、同色のジャケットを羽織っていた。

 真田は手にしたタブレットに映された映像を、神妙な面持ちで凝視している。そこには、蛭浦グループ本社ビルの見取り図が表示されていた。

 ――その中で、幾つもの光点が動き回っている。

 

「やはりな。買収された『救済の龍勇者』の『G型』がビル内を巡回している。数は五十台」

「なんだよ、金に物言わせたって割りにはシケてんな。しょうがねぇ、一人につき二十五台とするか。警視庁からの恩賞は山分けだ」

「――いや、この光点に反応しているのは『今起動しているG型』だけだ。お前は三十台潰せ、俺は別に恩賞はいらん」

「あっそ。ま、オレは全員任されても構わないんだがな」

 

 早口で遣り取りを済ませ、二人は真正面からズカズカと本社に進み出る。ロビーに入る手前のところで、黒いスーツに身を包む屈強な男達が立ち塞がるのだが――二人にとっては想定内のことだった。

 

「ここから先は関係者以外、立ち入り禁止だ。早々に立ち去れ」

「うっへー高圧的。客商売って言葉知ってんの? 二度と来ないとか言われちゃうよ?」

「――久水財閥直属の調査員だ。蛭浦蛮童様に面会を申し出たい」

 

 煽り立てる首里より一歩前に進み出て、真田は久水財閥直属の証である身分証を提示する。それを目にした男達は揃ってたじろぐと、二人に背を向けてこそこそと誰かと電話で話し始めた。

 

(予想だにしないタイミングで抜き打ち視察が入って、慌てて対応を上に仰いでる――ってヤツだな。やましいことがあるのバレバレって感じで、むしろ清々しいくらいだぜ)

(……ここまで非常識なことをする連中だ。久水財閥の直属だからといって、丁重に持て成してくれるとは考えにくい。構えろ、首里)

(わぁってるよ。つか、こっちはむしろソレが楽しみなくらいだ)

 

 そして、電話が終わる瞬間。

 

 アイコンタクトで会話していた真田と首里に、いきなり拳銃が向けられた。

 

「――ハッ!」

「トアッ!」

 

 刹那。その展開を読んでいた二人は男達が引き金を引くよりも速く、銃身を掴んで射線を外し――急所に高速の拳を叩き込む。

 一瞬で意識を刈り取られ、崩れ落ちるように倒れ伏す男達。その巨漢を見下ろす二人の手には、奪った拳銃が握られていた。

 

「……非殺傷のテイザーガンか。こいつで意識を奪って薬品で記憶を改竄し、事な気を得る――という筋書きだったらしいな」

「いいねー、物分りが悪くて。おかげでこっちも、遠慮なくブチのめせるってもんだ」

 

 すると、ロビーに入ってきた二人の前に、「G型」の着鎧甲冑に身を固めた男達がぞろぞろと集まってくる。スムーズに事が運ばなかったことに焦った「上役」が、早急に事態を収めようと数にものを言わせたようだ。

 「悪」の手元に売られ、蛭浦の尖兵に成り下がった「救済の龍勇者」。その白いヒーロースーツを見遣り、真田は呆れ返るように目を伏せる。

 

「……こんな様では、茂先生もさぞ腹立たしいことだろうな」

「……だな。これ以上、着鎧甲冑が穢される前に。オレ達で、ケリを付けようぜ」

 

 その首里の言葉に、真田が頷いた瞬間。同時にライダースジャケットの前をはだけた二人の胸に、鋼鉄の袈裟ベルトが現れる。

 「第三世代型」の証である、そのデバイスに「救済の龍勇者」達が驚愕する瞬間――二人の手に握られた漆黒のカードキーが、同時にバックルへ装填された。

 

接触(コンタクト)!」

接触(コンタクト)ォッ!」

 

 そして、バックルのカバーが閉じられた瞬間。

 

『Armour Contact!!』

『Armour Contact!!』

 

 二つ電子音声が同時にロビーに響き渡り、眩い輝きが彼らの全身を包み込む。

 その光が、やがて消えた時――二人は、己の正義を執行するための姿へと「着鎧」していた。

 

 真田の全身は、黒いスーツの上に装備された白銀の外骨格で覆い尽くされている。その外骨格は戦国武将の甲冑のような形状であり、和風兜の鉄仮面には紅いバイザーが備えられていた。

 鋼鉄の色を持つ、非殺傷小銃「テイザーライフル」を携えた彼の全身は、例えるなら「白銀の鎧武者」。さらに首に巻かれた漆黒のマフラーが、重々しい彼の全貌をさらに重厚なものとして印象付けている。

 

 一方。首里の全身に纏われた、黒スーツの上にある銅色の外骨格は――真田のものとは対照的に、非常に薄い装甲となっていた。忍装束を彷彿とさせる薄手の外骨格は、重装備な真田とは正反対の軽やかな印象を与えている。忍者の覆面を模る鉄仮面には、黒のバイザーが伺えた。

 小太刀型の電磁警棒を逆手に構えている彼の姿は、例えるなら「銅色の忍者」。首に巻かれた緑色のマフラーは、流水の如く軽やかに靡いている。

 

『Awaken!! Samuraiwarrior!!』

『Awaken!! Ninjawarrior!!』

 

 そして――着鎧完了を告げる電子音声が轟いた時。悪に堕ちた旧式の「G型」達の前に、「第三世代型」の「G型」が降臨する。

 

 「第三世代型」における「G型」の第一号。及び、第二号。「R型」の第一号である「救済の遮炎龍(ドラッヘンインパルサー)」の完成から大幅に遅れて、ようやくロールアウトされた最新型。

 

 それが。

 

 真田竜流と首里雷士がテストを託された――「救済の龍武士弌號(ドラッヘンブシドーいちごう)」と、「救済の龍武士弐號(ドラッヘンブシドーにごう)」なのだ。

 

「さぁて……そんじゃァ、試運転がてら」

「貴様らの悪行に、幕を下ろすとしようか」

 

 ◇

 

 ――蛭浦グループ本社ビル、最上階。その奥にある、蛭浦蛮童の私室。

 そこには今、蛭浦と千歳の二人しかいない。

 

「くっ……!」

「はぁあ……甘い、いい匂いだぁ……。最高だ、やはり最高だよ君は……!」

 

 太ももを撫で回していた蛭浦の手が、拘束された千歳の腹部へと這い回り――下腹部へと向かう。十五年間、誰にも許したことのない女の聖域に、人面獣心のケダモノが触れようとしていた。

 

「あんたッ……!」

 

 それだけは、絶対に許さない。

 その一心で、彼女が蛭浦の顔面に噛み付こうとした時だった。

 

『蛮童様! ひ、久水財閥の調査員共が――がぁっ!』

「……なに!?」

 

 突如、蛭浦のところへ舞い込んできた通信。その僅かな内容から事態を察した彼の表情から、好色の笑みが消え去った。

 ――久水財閥の調査員を始末できなかったばかりか、未だに侵入を許し続けている。このままでは最悪の事態も……。

 

「くそッ! 何をしてるんだ、役立たず共! グダグダやってないで、さっさと事態を収拾させろ!」

『し、しかし相手は……!』

「相手はどうとか関係ない! 命令だ、速く終わらせろ! 待機させている他の『G型』も全部引っ張り出せ!」

『か、畏まりました!』

 

 予想しうる最悪の展開を振り切るため、蛭浦は声を荒げて打てる手段を尽くそうとする。そんな彼の背中を、千歳は静かに見つめていた。

 

(ここまで乗り込んで来てるの……!? 一体、誰が……)

 

 ◇

 

「――さらに数が増えたな。今倒した連中を含め、G型が八十台」

「道理でシケてると思ったら、やっぱりケチってやがったな。で、どうするよ。オレは約束通りの三十台だけでいいのか?」

「ノルマ追加だ、四十五台潰せ。報酬は――『ぷすっとおちゅうしゃ☆ミニスカナース』のOVAでどうだ」

「乗った! ……だが通常版はナシだ。限定版のパッケージじゃねぇと承知しねぇぞ」

「任せておけ。保存用・布教用・視聴用で三つは確保してある」

「ただでさえ生産に限りがある限定版を三つも独占してんじゃねぇ! 帰ったら『知り合いが限定版三つ独占してんだけど質問ある?』ってスレ立てるぞゴラァ!」

 

 ――この戦場の只中には、そぐわない軽口を叩き合いながらも。

 白銀のテイザーライフルによる電磁弾と、小太刀型の電磁警棒。その得物による大規模な「粛清」は、着々と進行していた。

 

 「救済の龍勇者」の電磁警棒を全く通さない弌號の装甲は、何度殴打されても怯むことなく、重戦車の如く悠々と前進し続けている。何が来ようと問答無用で弾き返し、電磁弾の返礼で地に沈める。そんな横綱相撲を、真田は淡々と繰り返していた。

 

 また、「救済の龍勇者」が何人掛かりで向かって来ようとも――弐號の素早く緩急のついた動きを捉えることは出来ず、すれ違い様に何人もの白い尖兵が打ち倒されていた。

 小太刀型電磁警棒の一閃は――川の流水の如く虚空を切り裂き、緑のマフラーを靡かせ、次々と標的の意識を刈り取っていく。それはさながら、千歳を気絶させた彼らへの意趣返しのようであった。

 仮面の下では、首里が好戦的な笑みを浮かべている。

 

「さて……もうすぐ八十階だぜ。どうする大将、オレのノルマは終わっちまったぞ」

「まだ生き残りが下の階で燻ってるだろう。事情聴取を兼ねて、遊んでやれ。――俺は向こうの『大将』に話を聞くとしよう」

「まーた美味しいトコ取りかよ。いいよなー、優等生様はよ」

「……お前も、卑劣な連中への怒りで『溜まってる』んだろう。発散する機会を与えてるんだ、感謝しろ」

「……フン。ま、今日のところはそういうことにしといてやるか。オレは器の広い男だからな」

 

 そのやり取りを最後に、二人は正反対の方向へと進み出す。弐號は下の階へ、弌號は上の階へ。

 

 ◇

 

 そうして、一歩も退かない制圧前進の果てに――弌號こと真田はついに、蛭浦蛮童の私室へと辿り着くのだった。

 

「……蛭浦蛮童、だな。婦女暴行の現行犯で、貴様を逮捕する。余罪はいくらでもありそうだが――まずはそれだ」

「な、なぁっ……!」

 

 ドアを蹴破り、土足で上がり込んできた白銀の鎧武者。その見慣れぬ着鎧甲冑を前に、蛭浦は血が滲むほどに唇を噛みしめる。

 

(……致命傷は避けた、か。だが、こうなる前に対処できなかったのは俺達の落ち度だ。「警察はいつも『起きてから』しか動けないから、いつだって『負け戦』」とはよく聞くが……なるほど、確かにこれは負け戦だな)

 

 だが、真田の眼は対峙している彼ではなく――あられもない姿で愛撫されていた、千歳に向かっていた。彼女はあり得ないものを見つめる驚愕の表情で、こちらを凝視している。

 その憔悴しきった顔を見つめる、鉄仮面の奥で――真田は独り、己の不徳を悔いる。

 

 ここに居たのが首里だったなら、感情的になる余り蛭浦を半殺しにしていた。だから、「ある程度」は感情を抑えられる自分がここに来たのだ。

 

 だが、それでも。真田は耐え切れぬ手前まで、己の感情が昂ぶっていることを感じていた。

 

「……ぎぃいぃっ! なんでだ……なんでだよ! 何でいいところなのに、邪魔が入るんだよ! だいたい、何なんだお前らは! そんな着鎧甲冑、見たことないぞっ!」

「それはそうだろう。ロールアウトされて間も無い最新型なんだから」

「……!? じゃ、じゃあそれが、パパが言ってた『第三世代型』の……! ……そ、それを寄越せ! いくらだ、いくらで買えるんだそれは!」

「悪いが、まだテスト段階でな。売り物ではないし……売り物だとしても、お前の手に渡ることはない」

 

 一方。そうして敵にまで心配されていることにも気付かず、蛭浦は唾を飛ばして喚き散らしていた。

 そんな彼の前に、真田はカーペットを踏み締めて重い一歩を踏み出す。

 

「金だけでは手に入らないものもある。俺が言うのも滑稽な話だが――それに、気付くべきだったな」

「う、うるさいうるさいうるさい! 着鎧甲冑っ!」

 

 だが、蛭浦は怯む気配を見せず。隠し持っていた「腕輪型着鎧装置」で「救済の龍勇者」を纏い、電磁警棒を振り上げた。

 とうとう純白のヒーロースーツは、このケダモノにまで渡ってしまったらしい。着鎧甲冑の買収、という事態が招く損害の大きさを、真田は肌で感じていた。

 

「うがあぁああ!」

「――早くそれを脱ぐんだな。次にそれを着る次代のヒーローが、不憫でならん」

 

 突進してくる蛭浦を前に、真田は悠然とテイザーライフルの銃身を立て――銃口付近に、腰に差されていた電磁警棒を装着した。

 ――師と同じ、着鎧甲冑ならではの武具。「電磁銃剣サムライダイト」が、その手に握られる。

 

「力づくでも、好きな女を求める。オスとしては正直なお前の姿勢に免じて、久水流銃剣術の洗礼で応えてやる」

「死ねぇぇえぇっ!」

 

 蛭浦の絶叫と共に、電磁警棒が振り下ろされる――刹那。サムライダイトの切っ先が、蛭浦の手首に衝撃と電撃を浴びせた。

 

「あぐぅぅぇえぇえ!」

 

 情けない悲鳴を上げ、蛭浦の手からあっさりと電磁警棒が零れ落ちる。その時の真田は――凍てつくような眼差しで、蛭浦を射抜いていた。

 

「……『死ね』、か。それは……例え洒落でも。着鎧甲冑を纏う者にとっては、『死んでも』言ってはならない言葉だ」

 

 この瞬間、真田の感情は「ある程度」の範疇を超え――手加減の向こう側へと、踏み込もうとしていた。怒りは気迫として噴き上がり、漆黒のマフラーをふわりと舞い上げる。

 

 だが、僅かな理性が唸りを上げて、彼の激情と衝突する。

 そのせめぎ合いの果てで、彼の心は「半殺しに至らない範囲で、恐怖を植え付ける」方針に決まった。

 

「――シュッ」

 

 直後。

 真田のサムライダイトから銃剣――に当たる電磁警棒が切り離され、地を這う蛇のような動きと共に……その右手に握られた電磁警棒が、蛭浦の顔面に叩きつけられる。

 

「ひぎぃいィッ!」

 

「……久水流銃剣術、蛇流撃(じゃりゅうげき)

 

 その一閃が生む激痛に、のたうちまわる蛭浦。そして――サムライダイトの銃口付近を左手で握り締めた真田は、そのまま弧を描くように、水平に銃身を振り抜いた。

 

「げぼあぁあぁあぁあぁあ!」

 

「久水流銃剣術――虎流撃(こりゅうげき)

 

 結果。遠心力と質量が生むエネルギーを纏う銃床が、蛭浦の頬を完膚なきまでに打ち抜くのだった。衝撃の余波を浴び、黒マフラーが激しく揺れ動く。

 

 「救済の龍勇者」の仮面が半壊するほどの一撃を浴び、蛭浦の身体は錐揉み回転しながら床の上に墜落した。

 痙攣したまま気絶した彼の、泡を吹いて白目を剥いた無残な顔が、露出した箇所から覗いている。

 

「……いかん、結局やり過ぎたな。始末書は書き慣れていないというのに……」

 

 その結末から我に返り、自分が手加減を誤っていたことに気づいた彼は、深く肩を落とす。……始末書常習犯の首里にも手伝わせよう、という邪な考えも抱きながら。

 

(――さて)

 

 ともあれ、親玉の蛭浦蛮童は確保した。責任者である彼の父は席を外しているようだが、ここまで証拠が出揃ってしまっては、もう彼が同じ席に座り続けることは出来ないだろう。

 九分九厘、事件は解決したと見ていい。タブレットを覗いてみると、すでに下は首里が完全制圧していることも窺える。

 

 真田は戦いの終わりを肌で実感しつつ、安堵の息を漏らす千歳を拘束から解放した。彼女は両手が自由になるや否や、自分の豊かな胸を両腕で隠しながらはにかむ。

 

「……あ、ありがとう……。えへへ、危機一髪だったよ」

「……いいや、俺達は間に合ってはいない。君がこんな目に遭う前から、手を打つべきだった」

「そうかも知れないね。……でも、後からなら何とでも言える。だから私は、ありがとうって言いたいの。現実にこうして、助けてくれたのは――あなたなんだから」

 

 千歳は屈託無く笑い、真田達の正義を肯定する。そんな彼女の微笑に釣られるように、仮面の下の少年も、フッと口元を緩めるのだった。

 

「ね、名前教えてくれない? ちゃんと御礼したいし、顔が隠れてちゃ『面と向かって』ありがとうも言えないしさ」

「いや結構。俺達はこれが『仕事』なんだ、君が気負うことはない。それに……」

「それに?」

 

 すると。真田が纏う弌號の甲冑は、千歳の問いに反応するように拳を震わせる。その挙動に既視感を覚えた彼女は、ある可能性を予感しつつ耳を澄ませた。

 

「……帰ったら始末書を作成して、撮り溜めしていた『ばっきゅんきゅん☆ミニスカポリス』を徹夜で視聴するという、大事な予定がある。だから君の御礼に付き合うヒマなど……」

 

「……真田君?」

 

「ん? どうした綾田さん」

 

「あ、やっぱり真田君なんだ」

 

「――あ」

 

 そして、いとも簡単に。

 「第三世代型」の「G型」を保持するヒーローの個人情報は、民間人に知られてしまうのであった。

 

 ◇

 

 ――それから一週間。

 蛭浦蛮童が姿を消したことによって五野高には平和が戻り、首里は再び不良達のまとめ役として、小屋にたむろする生活を送っていた。

 

「蛭浦も捕まって、不良も大人しくなって……首里君のおかげで、いよいよ五野高も平和になったって感じだよ」

「あいつはそもそも、あれくらいしか取り柄もないからな」

 

 春風を浴びながら――そんな相方を、真田は屋上から見下ろしている。彼の傍には、千歳の元気な姿もあった。

 

 ……あの戦いの後。蛭浦蛮童を始めとする彼の部下達は軒並み逮捕され、買収されていた「救済の龍勇者」の「G型」は全て警視庁に回収された。

 約束通り、着鎧甲冑奪還に関わる恩賞は全て首里に渡っており、彼はさっそくアニメグッズに使い込んでいるらしい。

 

 この件により蛭浦グループは実質解体。グループそのものは健在だが、トップがすげ替えられ組織の上層部が一新されたのだった。

 久水梢の人選により選ばれたのは――久水財閥の直轄で働いていた、千歳の叔父。つまり実質的には、綾田商事の勢力が蛭浦グループのトップに成り代わったに等しい。

 

 事実上、この近郊を牛耳っていた蛭浦と同じ目線に立つことになった千歳は――彼の轍を踏むまいと、持ち前の親しみやすさを活かして更に人望を集めている。

 告白された回数は、とうに百回を超えたそうだが――彼女に恋人が出来たという情報は何処からも上がっていなかった。

 

 千歳自身は「他に好きな人がいるから」という決まり文句で断り続けているようだが、その問題の人物が誰であるかという問いには、頑として答えていない。

 ゆえに「彼女が好きな男は誰か」――という謎は、この学園の男子諸兄の関心を集め続けているのである。

 

「……ねぇ。真田君達がヒーローだったってこと……本当は、知られちゃいけないこと、だったんだよね? だからテストからも降ろされちゃったんでしょ?」

「ん? ああ、まぁそれはそうだが……もう済んだことだ。それに俺も首里も、ヒーローとして為すべきことは果たしている。仮にバレていなくとも、遠からずヒーローは辞めていた。君が気に病むことはない」

「……優しいね、真田君」

「割り切りが早いだけだ、気にするな」

 

 遠い目で首里を見下ろす真田。その横顔を、隣に立つ千歳は熱を帯びた眼差しで見つめている。彼女はやがて、意を決したように拳を握り締めると、真摯な面持ちで真田を凝視した。

 

「……真田君!」

「どうしたんだ、綾田さん。急に改まって」

「真田君。私ね、このままじゃフェアじゃないって思うんだ。真田君達は秘密がバレてヒーローをクビにされちゃったのに、私はこうしておとがめなしなんて……やっぱりおかしいって思うの!」

「いや、だからそれは俺の落ち度だから――」

「だから、私も自分の秘密を真田君に伝えたい。そうして、ちゃんと対等になりたい。だから、言うね!」

「お、おう……?」

 

 まくし立てるような彼女の剣幕に押され、真田はつい頷いてしまった。千歳は真田の了解を得た、と判断すると……深呼吸しつつ、後ろ手に隠していた「何か」を差し出そうとする。

 

 ――しかし。

 

「ん? すまん、電話だ」

「えっ……あ、うん」

 

 突如、真田の携帯にかかって来た電話にタイミングを乱されてしまう。この隙に、彼女は深呼吸をやり直していたのだが……。

 

「なんだ首里か。どうした急に……ん? なんだと!? 『ぷすっとおちゅうしゃ☆ミニスカナース』のOVAの第二弾発売決定!? しかも限定予約特典は『CHITOSE』の直筆サインカード!?」

「え……」

「しかも予約できる店頭には限りがあるのか……。ここからだと、近いのは秋葉原だな。……よしわかった、俺もすぐに行く。限定品を手中に収める好機だ、逃すわけには行かん!」

「え、ちょ……」

 

 会話の内容から、この先の展開を予想してしまい――千歳は完全にペースを乱されてしまっていた。

 声を掛けようにも、当の真田は完全に「そっちの方向」へのスイッチが入ってしまっている。

 

「済まんが急用が出来た。話の続きはまた今度だ!」

「あの、ちょ、待っ……!」

「ぬぁあぁああ! 『CHITOSE』のサインが俺を呼んでいるぅぅぅうッ!」

 

 千歳の制止を完全に振り切り、真田は屋上から駆け出し秋葉原を目指して爆走していく。

 埃を巻き上げ、一瞬にして走り去った彼の残像に、千歳は暫し呆然としたまま手を伸ばしていた。

 

 ……やがて、引きとめようがないと判断した彼女は、がっくりと肩を落とす。そんな彼女の手には――自分が持っていた、「CHITOSE」の直筆サインが握られていた。

 

「……もぉ。『CHITOSE』なら、ここにいるんだぞっ」

 

 ぷぅっと可愛らしく頬を膨らませる彼女。

 誰にも知られていない究極の秘密を打ち明けようとして、見事にタイミングを外された彼女は……相方と並んで校庭を疾走する想い人を、不満げに見下ろしていた。

 

 ――だが。その眼差しは、深い恋情にも満たされている。

 



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特別編 ヒルフェマン・ビギンズ
前編 古我知剣一の追憶


 今より、少し昔。日本では大きな災害が起き、多くの命が奪われた。

 愛する母を、その災厄で喪った一人の男は己の非力を嘆き、ある研究に没頭する。

 

 人を超える力を得る、機械の鎧。

 それを纏う者に、この先の未来で危機に晒されるであろう人々の希望を託すべく。

 

 ◇

 

 ――二◯二四年。

 アメリカ合衆国某州。

 

 砂漠地帯に敷かれた一本のアスファルト。その道を突き抜けた先に広がっている小さな田舎町を、黒のレザージャケットを纏う一人の少年が歩いていた。

 彼の両手は薄茶色の紙袋と、その中に詰め込まれた大量の食料や飲み物で塞がっている。

 

「……あ!」

 

 ふと。寂れたモーテルを通り掛かる彼の目に、そこに溜まっていた三人組の男達が留まった。

 

「おっ、ケンイチか。今日も買い出しか? 大変だなァお前も」

「あはは、しょうがないよ。僕は本当の子じゃないしね」

「家族がいるだけマシに思っとけよ。ま、いない分自由に過ごせると思えば、あながち悪いもんでもないがな」

 

 屈託のない笑みを浮かべ、三人組が少年の周りに集まってくる。彼らはこの片田舎で暮らす孤児であり、少年――古我知剣一の友人達だった。

 彼らは身寄りもなく、日雇いの仕事でその日暮らしの毎日を送っている貧民だが、そんな生い立ち故か仲間意識が人一倍強く、血の繋がった家族のいない剣一にも好意的に接している。

 

「しかしすげーよな、お前んち。人命救助のためのパワードスーツ? なんてSFみたいな代物作ってるんだろ?」

「いいよなー、お前は着たことあんのか? ソレ」

「ううん、全然。僕なんかが触れるようなような物じゃないからね」

「そっかー……こんだけ骨折ってんだから試運転くらいさせてくれたっていいのにな」

「ははは……」

 

 思い思いに語る三人組に、剣一は聞き手に徹しつつ苦笑いを浮かべている。

 

「けどよ。お前もそろそろ、ピストルの一丁くらいはぶら下げといた方がいいぜ。なんもないこんな田舎町だけど、近頃やべー強盗もうろつき出したって噂だ」

「そうなんだ……確かに、ちょっと怖いね」

「お前んちも酷だよなー。そんな買い出しさせといて、護身用のハジキ一つも寄越さないなんてよ」

「あはは……まぁ、僕なんて狙う価値もないし」

 

 ――彼はこの時、嘘をついていた。

 

 剣一は幼少の頃、救芽井家に孤児院から引き取られて以来、ここから数十キロ離れた山中にある研究所で暮らしており――十七歳の若さにして「救済の先駆者」のテストを任される秀才であった。

 

 今も右手首には――そのスーツを粒子化し内蔵する「腕輪型着鎧装置」が巻かれている。いざという時の「実践テスト」のために装備している、ピストル以上の自己防衛手段だ。

 

 非常時にはそれを使い、人命救助を行い実践データを取る――という目的で、彼は腕輪の携行を許可されていた。

 だが、それは「絶対に着鎧甲冑で人を傷つけない」という約束の上に成り立っている。着鎧甲冑の超人パワーで生身の人間を殴打すれば、怪我では済まされないからだ。

 万一、暴漢に狙われるようなことがあっても、その力で戦ってはならない。その力はあくまで、人命救助にのみ使わねばならない。その約束を愚直に守り、彼は今も「救済の先駆者」の力を保持し続けている。

 

 その「人間を超える力」を隠す黒いレザージャケットの袖を一瞥し、彼は愛想笑いを続けていた。

 

(人命救助のため、か……)

 

 友人達から出た言葉を胸の内で噛み締め、少年は胸中に淀みを感じる。

 

 ほんの数年前なら、「人命救助」という理想を掲げる救芽井家の理念を褒められれば、我が事のように心から笑っていられただろう。

 だが今は、素直にその言葉を喜ぶことが出来ない。喜べない自分に、なってしまっていた。

 

 ――着鎧甲冑の基礎技術はすでに完成し、最低限の量産に必要なデータも概ね仕上がっている。

 だが、より安定したスーツを効率的に量産するには、今の研究費用では足りなくなっていた。ここまで辿り着くために、持っていた予算の大部分は使い切っている。

 今後の研究開発を円滑に進めて行くには、スポンサーの確保が必要になるのだが……その点は難航していた。

 

 機械技術で世界一の座を欲しいままにしているこのアメリカは、軍事大国としての側面も持ち合わせている。研究開発においてここ以上の土壌はないが――救芽井家の理念と国家を代表する軍事企業の要求は、真っ向から対立していた。

 

 兵器としての運用を条件とする出資の話は、数年前から絶えず持ちかけられてきたが、甲侍郎は一度たりともその話を聞き入れたことはない。

 軍事が絡まない出資の話もなくはないが、その額はこの先必要になる研究開発費にはまるで届かないものばかりだ。

 

 技術は人を傷付けるものではなく、人を救うためにある。その救芽井家の理念が、救芽井家自身の首を絞める状況が続いていた。

 

 ――兵器として利用することで死者は増えるだろう。だがいずれは、それ以上の生者を救えるはず。

 それが無理だとしても、今この瞬間に死にゆく運命にある人々を救うことは出来るのではないか。理想より、今在る命を守るべきではないか。

 

 研究開発に深く関わっているからこそ少年は、そのような疑念を抱いたまま今日を生きていた。

 

(甲侍郎さん……あなたは、本当に正しいのですか……?)

 

 彼が育ての親を疑い始めるようになったのは、それだけではない。

 

 今から二年前――二◯二二年。日本では未曾有の航空機墜落事故が発生し、乗客乗員が全滅するという大惨事が起きていた。

 

 その墜落現場に居合わせた甲侍郎は、唯一の生き残りである少年「橘花隼人」に延命のため人体改造を施し、「雲無幾望」という新たな名を与えた。

 

 一見、人命のために死力を尽くした美しい行為にも見えるだろう。事実、助けられた当人は甲侍郎に深く感謝していた。

 ――だが剣一には、その光景がただただ痛ましかった。

 

 甲侍郎が彼を秘密裏に保護下に置いたのは、善意によるものではない。いや、善意が全くないと言えば嘘になるが――本質は別のところにあった。

 

 彼は警視総監の子息に人体改造を施したという罪を問われ、研究に支障を来す事態を回避しようとしていたのだ。

 だから新たな名と居場所を与え、隼人本人を懐柔して事実を闇に葬ったのである。

 

 確かに彼は、死の淵から少年の命を救った。全ては、着鎧甲冑の研究――ひいては大勢の人命を救うためにある。

 彼の近くで生きてきたからこそ、剣一はその真意を深く理解し――それゆえに、反発もしていた。

 

 このように人の運命を、自分の物差しで左右するような行いが許されるのか。さも正しいことのように吹聴され、騙されている少年の笑顔を見て、何も思わないのか――。

 

 そうした「疑い」が膨らむに連れ、剣一は幸せであるはずの今の暮らしを、心から受け入れることが出来ずにいた。孤児である少年達の傍らに、「居場所」を感じてしまうほどに。

 

「ケンイチ? どしたんだ、さっきから難しいカオして」

「え……あ、い、いや何でもない。毎日重たくってやんなっちゃうなー、ってさ、ははは」

「はは、だろーな。見るからに重そうだ。何日分買い込んでるんだっての」

 

 いつしか、顔に出ていたらしい。養父への不信が表情に現れていることを指摘され、剣一は焦るあまり紙袋の中身を落としそうになる。

 そんな彼の様子から、疲れているのだろう――と当たりをつけた三人組のリーダーは呆れるように笑いながら、道路の果てを親指で差した。

 

「呼び止めて悪かったな。さっさと帰れよ、しんどいだろ」

「うん、ありがとう。じゃ、また明日!」

 

 彼の心遣いに応じ、剣一は笑顔で会釈すると、彼らに背を向けモーテルから離れていく。やがてその姿が見えなくなると――三人組は再び顔を付き合わせ、談笑を再開した。

 

 すぐそこに――危機が迫っているとも、知らずに。

 

 ◇

 

「あれ……お兄ちゃんは?」

 

 同時刻――とある山中にひっそりと建てられた、救芽井研究所。その一室で暮らす研究者一家の最年少である、十二歳の少女――救芽井樋稟は、台所まで足を運んでいた。

 

「剣一君なら、街まで買い出しよ」

「あれ? そっか、今日は買い溜めの日か……。もう、おじいちゃんったらいつもおっきなピザやハンバーガーばっかりなんだから」

「ふふふ、剣一君も買い出しに行かされて大変よね」

 

 兄代わりの少年の行方を探す彼女を、台所に立っていた一人の美女が微笑ましく見下ろしている。少女の母、救芽井華稟だ。

 義父――救芽井稟吾郎丸の「アメリカンな食べ物がいい!」という我儘に付き合わされ、遥か遠くの田舎町まで買い出しに行かされている養子の苦労は、彼女もよく知っている。

 

「日本食の備蓄ならいっぱいあるのに……」

「だから私達で美味しく頂いちゃいましょ。今日はあなたと剣一君が大好きな唐揚げよ」

「ほんと!? やったー! 私も手伝うー!」

「はいはい。じゃ、お手手洗って来なさい」

「はーい!」

 

 だからせめて、義父の我儘に付き合っている養子には、美味しいものを食べさせてあげたい。その心遣いから、華稟は彼の好物である唐揚げの準備をしていた。

 そんな母の愛情に触れ、樋稟も嬉しさを全身で表現するように飛び跳ねる。どたどたと手洗い場に駆け出す愛娘の背中を、母は穏やかに見送った。

 

(剣一君……近頃、甲侍郎さんを避けてるわよね。何があったのかはわからないけど……どうにか、元気にしてあげないと)

 

 ――だが。

 娘から視線を外し、台所と再び向かい合った彼女の顔色は、どこか不穏な色を滲ませている。

 

(それに……なんだか、嫌な予感がするわ)

 

 養子の胸中に渦巻く闇に気づいていながら、その全貌を解き明かせない至らなさが、その胸を締め付けていた。

 

 ふと、華稟は窓の外から伺える山の下――荒野に敷かれたアスファルトの向こうにある、田舎町を見つめる。

 

(剣一君……)

 

 彼女は内心どこかで、悟っていたのかも知れない。

 

 あの町で今――運命が動き出したことに。

 

 ◇

 

 乾いた青空に突如、火薬の唸りが響き渡る。

 

「え……!?」

 

 銃声が数発。確かに、聴覚に轟いていた。

 自分が撃たれたわけではない。体のどこにも、痛みは感じない。

 

 剣一は、町を背にした途端に響き渡った音に反応し、咄嗟に振り返った。動揺に揺れる、その視線の向こうには――喧騒に包まれたモーテルが伺える。

 

 さっきまで、友人達と談笑していた溜まり場だ。

 

「……!」

 

 それに気づいた瞬間。剣一はそれまで大事に抱えていた紙袋を放り出すと、一目散に走り出す。

 息を荒げ、肩を揺らし、懸命に走る彼の目前で――二度目の銃声と、悲鳴が上がった。

 



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後編 懐かしい香り

「オラァッ! まだあんだろ、まだ出せよ!」

「は、はい……!」

 

 突如、モーテルのロビーに押し入った強盗。近頃噂になっていた、危険人物だ。

 拳銃を振りかざし女性店員を脅す、その男の眼は焦点が定まっておらず、口元からは涎が滴っている。

 

 薬物に詳しくない人間でも、一目で判別出来てしまうほどの、重度の薬物中毒者(ジャンキー)。その闇に取り憑かれた男は、薬を買う金欲しさに凶行へと走っていた。

 

「ひ、ひいぃ……!」

 

 すでに正気ではないからか、あるいは見せしめか。

 居合わせた客や他の店員達も銃撃の対象となっており――ロビーから逃げ出そうとした数名が、すでに何人も銃殺されている。

 足元に転がる遺体から、花が咲くように広がる血の海に、この場にいる誰もが戦慄していた。

 

「く……!」

 

 その中には、ここを溜まり場にしていた三人組も含まれている。彼らは、自分達の町を己のエゴで荒らす強盗を睨む一方で――銃という物理的な圧力に、抗しきれずにいた。

 

 彼らの中には、女性店員の弟もいるというのに。

 

 男はロビー全体を見渡せる位置に立ち、全員を監視しながら、店員に金を積ませている。護身用の銃を抜こうにも、その前に気づかれてしまう立ち位置だった。

 

「みんなッ――!?」

 

「ッ!? バカ! 来るなケンイチッ!」

 

 その上、状況はさらに悪化して行く。

 銃声を聞き付け、この場に正面から剣一が駆け付けてきてしまったのだ。三人組が声を上げるより早く、剣一の頬を銃弾が掠める。

 

「……!」

「動くなよ……お前も!」

 

 血走った強盗の眼と視線が合い、剣一の頬を血と冷や汗が伝った。僅かに掠めた銃弾による傷が、一歩間違えば死――という現状を否応なしに突き付けてくる。

 

 そうして、誰一人として動けなくなったことに気を良くしたのか。強盗はさらに昂るように、金を積んでいた女性店員の背中を蹴る。

 店員は短い悲鳴を上げ、それでも「死にたくない」という一心で、無我夢中に金を積み続けていた。

 

 生きるために。命を繋ぐために。

 誰もが必死だった。

 

「……よぉし。もぉ、いいぜ。ご苦労さん」

 

 そんな懸命な姿勢を、嘲笑うためか。

 強盗は、女性店員を解放するかのように囁くと。

 

 自分の命に光明が差したと、僅かに口元を緩めた彼女を。

 

 ――幸せな夢が覚める前に、後ろから撃ち抜くのだった。痛みはおろか、自分が撃たれたことさえ気づかないように……後頭部を狙って。

 

 乾いた銃声が止んだ後。

 

 時が止まったかのように、静寂に包まれた空間の中で――瞳孔を開いた女性店員が、力無く倒れ伏した。何が起きたかもわからない、といわんばかりの表情で。

 

 斯くして、もうすぐ生きられる、と希望を見出した彼女は。自分の死にすら気づけぬまま、目を見開いて永久の眠りに沈められてしまうのだった。

 

「――ぁあぁあああぁあッ!」

「お、おい!?」

「やめろバカ! 死ぬ気かぁあ!」

 

 その残忍な所業が、姉を殺された少年の限界を突き崩す。三人組の一人は、強盗の所業に激昂するまま突進を始めた。

 仲間達の制止を、耳にするよりも速く。

 

「……!」

 

 強盗の銃口は、やはり少年に向けられる。少年も走りながら懐に隠し持っていた拳銃を引き抜くが、やはり相手の方が早い。

 

 それを目撃した剣一は――本能で動き出した足を、理性で止めてしまった。

 

(ぼ、僕は……!)

 

 この隙に着鎧甲冑を使えば、「救済の先駆者」のスーツで強盗に殴りかかることは可能だ。至近距離で撃たれては、着鎧甲冑の強化繊維でもただでは済まないが――スーツが持つ超人的な走力を活かせば、それより速く強盗を倒せる。

 猛進する友人が撃たれるより早く。

 

 だが。それは着鎧甲冑の力で、人を傷付けることを意味する。

 

 この近距離では、着鎧甲冑でも撃たれれば負傷では済まないし、確実に友人が撃たれるより先に強盗を倒すには、今しかない。

 

 しかし、今ここで着鎧甲冑を使えば強盗もただでは済まないし、甲侍郎が積み上げてきた理想を砕いてしまうことになる。

 軍事企業からの話を断り続け、人命救助への力を守るために、身を粉にして働き続けた、大恩ある育ての親の理想を。

 

(ぼ、くは……)

 

 信じられない、という気持ちもある。彼の全てが清廉なものではない、ということも知っている。近頃は、理想への疑いも深まってはいた。

 それでもやはり、十年以上に渡り共に暮らしてきた育ての親には変わりなく、その中で育まれてきた愛情にも偽りはない。

 

 だから、その理想を疑っている身でありながら――彼は、甲侍郎の理想を裏切ることに踏み切れず。着鎧甲冑の使用を、躊躇ってしまった。

 

「がっ……!」

 

「……っ、あ、ぁ……!」

 

 その、心の底に残された愛情が。

 

 姉の仇討ちに走る少年を、殺す結果を招く。

 

 乾いた銃声が再び、ロビーに轟き。抜きかけた拳銃を手放した少年が、崩れ落ちるように倒れ伏した。

 その胴体を中心に広がり、床を塗り替える鮮血の花。瞳孔が開いた彼の瞳が、虚空を見つめていた。

 

「あ、あぁああ……!」

 

 それほどの過ちを犯して。

 剣一は、ようやく気付いたのだった。自分の選択が、間違いだったことに。

 

(僕は、見殺しにするつもりなんてなかった! こんな、こんなはずじゃなかった! でも、でも、そうじゃなかったんだ!)

 

 気がつけば、彼は声にならない嗚咽と絶叫を上げ、駆け出していた。その全身に、新緑のスーツを纏いながら。

 

 そして瞬く間に襲い掛かってきた新手に、強盗が反応するよりも速く。緑の仮面に泣き顔を隠す少年が、鋼鉄の拳を振り上げる。

 

(正しいとか、間違いとかじゃなかった! 悪でもいいから、過ちでもいいから、何でもいいから、助けるべきだった! 命だけは、守るべきだった! 守るべきだったのに、僕はッ!)

 

 自分は今、泣いているのか。叫んでいるのか。

 何もかもわからない。ただ振るわれた拳が、強盗の顔面を掠め――その背にある壁を打ち砕いたことだけは、確かだった。

 その拳に伝わる衝撃は、神経を通して正しい情報を脳に送っている。マスク越しの視界の中で、強盗が腰を抜かして失神していることも。

 

 だが、もはや強盗の生死などどうだっていい。振るわれたこの拳も、ただやり場のない嘆きをぶつける先を探していたに過ぎない。

 

 ――守るべきだった命が、喪われた後なのだから。

 

 ◇

 

 それから間も無く強盗は逮捕され、駐在していた警官による事情聴取が始まったのだが……「緑色の服を着た少年が一撃で壁を砕いた」という目撃者達の突飛な証言は警官達に受け止められることはなく、当の少年も姿を消していた。

 そのため、田舎町という辺境に身を置く故に怠惰に過ごす警官達により、事件そのものが迷宮入りとなっている頃。

 

「なんでだよ……なんであの時、すぐに動いてくれなかったんだよ! ケンイチがあの時になんとかしてくれりゃあ、コーディは死なずに済んだんじゃないのかよ!」

「……」

 

 街から遠く離れた荒野の中で――生き延びた友人二人と、剣一は向かい合っていた。涙と鼻水をそのままに、彼に縋り付く少年は怒りとも嘆きともつかない声色で訴えている。

 事件を解決してくれた彼に当たるなど、筋違いも甚だしい。それを理解していても、突如喪われた友人の思いをぶつける充てが、他にないのだ。

 

 剣一自身も、己の過失を重く受け止めているがゆえに、反論することもせず黙している。少年が言っていることは、彼が悔いたことと完全に一致しているのだ。

 

 怒るわけにはいかず、それでも当たらずにはいられない少年。正しさに囚われたが故に罪の意識を背負わされた少年。

 そんな友人達の痛ましい姿を、見兼ねてか。二人の様子を見遣っていたもう一人の少年が、咽び泣く少年の肩を抱いた。弟を慰める、兄のように。

 

「……もう、やめろデレク。ケンイチだって、助けたかったんだ。でも、傷付けるためにあの『力』を使うわけにはいかなかった。そうだろ? ケンイチ」

「……!」

 

 その少年は、あくまで剣一の名誉を守ろうと、泣き笑いにも似た笑顔を浮かべた。悲しみを押し殺し、生き延びた友のために創り上げた――満面の笑み。

 それを目の当たりにした剣一は、彼にそうさせねばならないほどの爪痕を残してしまった、という事実に改めて直面する。

 

(僕は、僕はそんな……!)

 

 この少年だって、本当は怒りをぶつけたいはずなのに。なぜなんだと、叫ばずにはいられないはずなのに。

 それでも、内に秘める激情を押さえつけ、友のために笑おうとしている。庇おうとしている。全ては、自分の甘さが招いたことだというのに。

 

 ――命のために理想を捨てる、覚悟がなかったせいだというのに。

 

 彼は、それでも笑ったのだ。甲侍郎の理想に沿おうとする剣一の思想を、肯定するために。

 

(その結果が、その結果が……!)

 

 そんな彼の優しさに甘えた果てに、待っていた結果がこれでは。その優しさに応える術すら、失われてしまう。

 

「エグバート、デレク……ごめん……」

「ケンイチ……」

 

 そうなってはもはや、償う資格すらない。自分が彼らに出来ることといえば……二度とこの街に近寄らないことくらいだ。

 この街から、姿を消すことだ。

 

 剣一は、そのような自責の念を引きずりながら。街を去り、少年達の前から姿を消してていく。

 寂しげな背中を見送る、友人達――否、かつて(・・・)の友人達は、そんな彼の消えゆく様を、ただ見ていることしか出来なかった。

 

 剣一自身が求めたように、彼らもまた――心の奥底で願っていたからだ。

 

 ここから消えてくれ。

 

 ……と。

 

 ◇

 

「お兄ちゃん、おかえりなさい!」

 

 生涯消えることのない傷を胸中に受けたまま、剣一は山岳の中にある救芽井研究所に帰還した。そんな彼を、無垢な妹分が出迎えてくれる。

 力の無い愛想笑いを浮かべる彼は、最後の買い物となった紙袋をリビングに運ぶと――そこで、甲侍郎と居合わせた。

 

 彼の胸中を、何処と無く感じている彼は神妙な眼差しで少年の瞳を射抜いている。

 

「……ただいま、戻りました」

「……あぁ、ご苦労だった。疲れたろう、シャワーを浴びたら食事にしよう。華稟が好物を用意している」

「……」

 

 剣一は彼から目を背け、キッチンで娘と一緒に料理を続けている華稟の背中を見遣る。そこから鼻腔を擽る香りは、唐揚げのそれであった。

 

 促されるままにシャワー室へ足を運ぶ剣一。彼はリビングを後にする寸前で僅かに振り返ると、横目で甲侍郎を一瞥する。

 

「甲侍郎さん。……僕達のしていることは、本当に……正しいのでしょうか」

「……わからん。だが、私は正しいと信じて進んでいる。疑いなく信じ抜ける絶対の正義など、存在しない」

「……」

「だからこそ、己が正しいと思う道に邁進するより他ないのだ。誰かに過ちを正される時まで、な」

 

 剣一が胸の内に抱える闇。その全てを知ってか、知らずか。甲侍郎は真摯な眼差しで、そう言い切って見せる。

 

「……そうですか」

 

 その言葉を最後に、リビングを今度こそ立ち去った彼は――シャワー室に降り注ぐ雫を、一糸纏わぬ自分の体に浴びる中で、ある「決断」に踏み切るのだった。

 

(……ならば、僕も。自分が正しいと思う道を、信じます)

 

 厳かな面持ちで、鏡に映る自分と向かい合う彼は――甲侍郎の云う「誰かに過ちを正される」時まで、自分の本心に従うことに決める。

 

 そして、この日から三年が過ぎた二◯二七年十二月。

 日本のとある小さな町で彼は――その「過ち」を正す少年と、運命的な出逢いを果たすのだった。

 

 ◇

 

 ――二◯三五年、八月。

 古我知剣一、二十八歳。

 

(……あれから、色々なことがあった。多分、これからも……だろうな)

 

 彼の数奇な運命は、巡り巡って彼をこの時代へと導いていた。

 

 ――二◯二七年、当時二十歳。

 救芽井家に謀反を起こし、救芽井甲侍郎と救芽井華稟を誘拐。日本まで逃走し、追いかけてきた救芽井樋稟を返り討ちにするも、松霧町で出会った拳法家の少年・一煉寺龍太との戦いに敗れ、捕縛される。

 

 ――二◯二九年、当時二十二歳。

 元総理大臣・伊葉和雅と救芽井甲侍郎の指揮下のもと、両親の仇でもあるテロリスト・瀧上凱樹と対決。一煉寺龍太と共闘し、撃破に成功。以降、伊葉和雅に随伴して、瀧上凱樹に滅ぼされた砂漠の国「ダスカリアン王国」の復興支援に乗り出す。

 

 ――二◯三◯年、当時二十三歳。

 ダスカリアン王国の将軍ワーリ=ダイン・ジェリバンとの決闘に敗れ、一煉寺龍太に代わりを託す。そのさなか、エルナ・ラドロイバーの暗躍が判明し、彼女と戦うことに。性能差に圧倒され完敗したが、ラドロイバーは二段着鎧を会得した一煉寺龍太により倒された。

 

 ――二◯三一年、当時二十四歳。

 一煉寺龍太と共に、ダスカリアン王国へ渡り復興支援を再開。矢面に立たされる彼へのサポートに回る。

 

 ――二◯三四年、当時二十七歳。

 託されていた任務を果たし、日本へ帰国する一煉寺龍太を見送った。以後一年間、彼の穴を埋めるべく治安維持に加わった「鉄拳兵士(ガントマン)」こと真壁悠の後見人を務める。

 

 そして現在、二◯三五年。

 

 ダスカリアン王国での勤務の中、ワーリ=ダイン・ジェリバン将軍から与えられた休暇を使い、彼は故郷である日本の東京へと足を運んでいた。

 アスファルトと建物で隅々まで埋め尽くした大都市を、真夏の陽射しが覆っている。熱を帯びた地面の影響で、道行く人々の視界は蜃気楼のように揺らめいていた。

 

 その中を歩む彼は、おびただしい人混みの中に紛れながら――歩を進め、やがて寂れた路地に辿り着く。

 交差点の喧騒が嘘の様な静けさ。その静寂なひと時に安らぎを覚え、彼は街角に建つ小さなラーメン屋の看板を見上げた。

 

 その看板――「らあめん雨季」の文字を見遣る彼は、ふっと穏やかな笑みを浮かべて暖簾をくぐる。

 そこで彼の前に、溌剌とした表情を持つ長身の少年が現れた。

 

「へぇいらっしゃあせぇえ――ってあら? お客さん最近よく来るねぇ」

「ふふ、またいつものお願いします」

「はいよぉ! ちょっと待ってなァ!」

 

 明朗快活で底抜けに明るく、自分の運命を変えたあの少年とどこか似ている彼に、剣一は微笑を送る。オーダーを受けた長身の少年は大仰な声を上げながら、厨房へ直進していった。

 

「橘花様。このままでは他のお客様への御迷惑にもなりかねません。やはり、雨季様の狂騒を阻止する手段を、真摯に検討する必要があると愚考します」

「う、うーん……陸君は単に元気いっぱいなだけだから、僕はこれでいいと思うんだけどね……」

 

 その時。カウンターに座っていた三人の少年達の一人が、冷たく口を開く。なんとかフォローしようとしているもう一人は、苦笑いを浮かべていた。

 

「おらぁ、元気いっぺぇなのが一番だと思うだよ。幸人君もあんまり気ぃ張ってっと、眉間のシワが戻らねぇべ?」

「海原様。御忠告は誠に痛み入りますが……雨季様の常軌を逸する言動は、些か目に余るかと」

「ちょ、ちょっとちょっと待て幸人! あんまりそれ以上酷いこと言わないでくれる!? 泣いちゃうよ!? オレ泣いちゃうよ!? 年上泣かすなんてお前それでも血の通った――」

「雨季様。調理中に私語は謹んでください。衛生面においても接客面においても……致命的に不愉快です」

 

 三人目の、浅黒い肌の少年がのほほんとした声色で宥めるが、最初に口を開いた少年の毒舌は止まらない。あまりの言い草にたまらず声を上げた少年にも、容赦無く言葉の刃を突き立てる。

 

「――うわあぁああん! 隼人さーん! 凪さーん! 幸人がぁぁ! 幸人がいじめるんだぁああ!」

「あはは……はいはい、よしよし。いい子、いい子」

「おっきい赤ちゃんだべなぁ」

「……私の言い分に誤りでも?」

 

 それに耐え切れず泣き出す少年を、微笑を浮かべる二人の少年が慰め、毒舌を繰り返していた少年だけは冷ややかに見つめていた。

 

 そんな四人の少年達の遣り取りを、遠くの席から剣一は静かに見守っている。

 偶然にもこの場所で巡り合った彼らは、互いの素性を知らないまま友人としての付き合いを続けていた。

 

 その中には、あの橘花隼人の姿も伺える。

 

 彼は剣一には気づいていないようだが、剣一自身にとってそれは大した問題ではなく。今の彼が幸せな笑みを浮かべていることこそ、何よりも大切なことであった。

 

(エグバート……デレク……コーディ……)

 

 和気藹々と、四人で過ごした平和な毎日。束の間に終わった、あの田舎町での日々が脳裏を過る。

 あの時の自分達は、悲劇のまま永遠に別れてしまったが……あらゆる危機を乗り切ってきた彼らなら、そんな運命に引き裂かれることはないだろう。

 

 そんな、自分には手の届かない境地だからか。彼らを見つめる剣一の眼は、何処と無く羨望の色を帯びていた。

 

「へぇい……お待ちぃ……」

「ありがとうございます。……ふふ。大丈夫ですよ、気を落とさないでください。僕はちゃんとわかっていますから」

「へへ、ありがとよ……ほんとお客様は神様だぜぇ……」

 

 やがて明らかに憔悴した様子で、長身の少年は注文された品を運んでくる。そんな彼に穏やかに微笑みながら、剣一はテーブルに置かれた昼食に手を合わせた。

 

「……しかしあれだな。お客さん、いつもそれ頼んでるよな。好きなのか? 唐揚げ」

 

 少しずつ気を取り直してきた少年は、不思議がるように自分が持ってきた唐揚げセットを見下ろしている。

 

 一方。ラーメンの傍に添えられている、小皿に乗った唐揚げを見つめる剣一は……もう帰れないあの日々を懐かしむように、微笑を浮かべていた。

 

 優しい記憶を呼び覚ます、香りを感じながら。

 

「ええ。好きなんですよ、唐揚げ」

 



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特別編 着鎧甲冑ドラッヘンファイヤーSTRONG
前編 重過ぎた鎧


 砂塵が吹き荒れ、爆風が天を衝き、命だった何かが転がって行く。

 それはこの世界では、当たり前の景色。足元に転がる肉の塊が、誰のものであったとしても、そこに生きる人々は眉ひとつ動かさない。

 そんなことより明日の飯が、水が、今の命が大切だからだ。自分さえ生きていれば、明日の世界を見ることができる。

 それは命あるものの本能にして、特権なのだ。死者に、生者の足を引く資格はない。

 

「立ち止まるな! 龍誠(りゅうせい)、何してる!」

「あぁ……ごめん、ごめんな……! オレが、オレが弱いからっ……!」

 

 だが、それを理解できない愚者もいる。紅い仮面に泣き顔を隠す(くろがね)の男は、盾を着けた腕の中に少女の骸を抱き、戦地の中で啜り泣いていた。

 銃声と怒号が響き渡る、戦場の只中。その渦中で蹲る彼に、仲間が懸命に呼びかけているが……男は、命ですらなくなった肉塊を抱いたまま、そこから動く気配を見せない。

 

「龍誠、走れッ! その子は、もうダメだ!」

(わたる)、オレは、オレ達は何のために……!」

「龍誠ッ!」

 

 このままでは、死者に足を引かれた生者が、その命を地に還される。そうはさせじと動き出した仲間が、危険を顧みず死地に飛び込んできた。

 彼は並外れた膂力で、鉄の男を戦場から引きずり出して行く。そんな中でさえ、男は愚かにも――幼気な少女の骸から、手を離せないでいた。

 

 異邦人である自分達を、快く迎え入れてくれた、心優しく純真な少女。それが、この肉塊のかつての姿だった。だが今はもう、物言わぬタンパク質の塊に過ぎない。

 そんなものに囚われる愚者を、引きずる仲間は哀しげに見下ろしていた。

 

 ――やがて少女の骸が、これ以上傷つくことのない場所に隠された後。男は慟哭と共に盾を振るい……再び、戦火の中へと飛び込んで行くのだった。

 

 愛は地球を救う。そんな世迷言の極地に振り回されてきた、その男にとって……この世界は、残酷過ぎた。

 

 ◇

 

 ――二◯五七年七月。東京の下町は夏の日差しに晒され、猛暑の季節を迎えていた。アスファルトの街道が熱気を浴び、道行く人々の視界を揺らめかせている。

 まだ八月でもないというのに、すでに何人かは熱中症で亡くなっているという話だ。

 

「んじゃあ部長、パトロール行ってきま〜す」

「いてら〜」

 

 エアコンもない古びた交番では、なおさら辛い。身長も頭髪もない、小太りの警官は団扇で暑さを紛らわしつつ、脂汗に塗れた醜悪な顔を拭っている。部長と呼ばれている彼は、デスクに足を乗せながら気だるげにテレビを眺めていた。

 

 ――元人気アイドル「フェアリー・ユイユイ」の娘として知られる人気子役、「雲無希魅(くもなしのぞみ)」。彼女が出演している、今話題の人気ヒーロー「救済の超強龍(ドラッヘンファイヤー・ストロング)」を取り扱う特集番組が放送されていた。

 その正体として知られている久水財閥の御曹司・久水渉(ひさみずわたる)が、大勢の女性ファンに手を振っている。

 

 一方、制服をだらしなく着崩し、胸元の黒いアンダーシャツを晒している若い警官は、アイスを咥えながらふらふらと自転車を漕ぎ出していた。

 艶やかな黒髪を靡かせる、しなやかで筋肉質な体躯を持つ美男子――なのだが、その勤務態度のだらしなさが、全てを帳消しにしている。

 

 だが、そんな彼は下町の住民にとっては顔馴染みであり、「今更」彼のだらしない姿に文句をつける者はいない。

 曲がり角で出くわした、ラーメン屋の店主もその一人だ。胸元をはだけた若い警官を見るなり、厳つくも愛嬌のある笑顔を浮かべた店主が、パトロール中の彼に声を掛けて来た。

 

「よぉ龍誠、今日も暑いなぁ」

「なぁ(りく)さん、まだ冷麺やってねぇの? もうオレ溶けそうなんですけどー」

「ウチは毎年八月からって決めてんの。ギリギリまで勿体つけるスタイルだからな」

「ちぇー……これで美味くなかったら食ブロで叩いてやる」

「言ってろ。今に満点書かせてやる」

 

 へらへらと笑いながら軽口を叩き合う二人の姿は、ここでは日常の一コマに過ぎない。パトロールを中断して市民と談笑する警官を咎める者など、ここには一人もいないのだ。

 

「そいつぁ楽しみだ。んじゃな」

「おう、寄り道も程々にしとけよ。おっぱい同僚がまだ怒り出すぞ」

「そういうこと言ってると、おたくの奥さんもキレちまうぞ」

「バカ言え、ウチの結花(ゆか)はそこらの貧乳とは違う、希少価値レベルなんだぜ」

「あっそ、結果ちっぱいじゃねーか」

 

 やがて警官はケラケラと笑いながら、再び自転車を漕ぎ出して行く。その背中に手を振る、店主の左脚には――鋼鉄の義足が装備されていた。

 

 ◇

 

 それから約一時間。まったりとしたペースで近隣のパトロールを終えた警官が、交番に帰って来た。肥満体の部長は相変わらず、机に足を乗せたままだらしなく団扇を扇いでいる。

 

「ふぃ〜、パトロール終わりましたよっと」

「おかり〜。龍誠、アイス買って来たかぁ?」

「ちゃんとあるっすよ、ホラ」

「おまっ、これコーヒー味じゃねぇか! 俺はチョコ味っつったぞ! なんでちょっと苦いの選んだんだよ、俺の血糖値なんて嫁さんでも気にしねえぞ!」

「チョコ味なら中坊のガキンチョ達が根こそぎ買って行きましたよ。むしろ近い味を探し出して来たオレの機転を褒めて欲しいんですけど?」

「あんのクソガキ共がー! どうせ今頃涼しい部屋でピコピコしてんだろ! こちとらエアコンもねぇ交番で何時間も何時間も何時間も……!」

「あんたいつの時代の人よ……もう二十一世紀も半分終わってるんですけど?」

「何世紀だろうとピコピコはピコピコだ!」

「ハァ……ほら、ハーゲンダタッツやるから機嫌直してくださいよ」

「あん? どしたんだこれ」

「タバコ屋の婆ちゃんが差し入れだってさ」

「いい人だね〜クソガキ共と違ってさぁ」

 

 警官も自転車を交番前に留めると、机の上に座りながら買って来たアイスに手を伸ばす。どちらも、警察官としての自覚というものがまるで感じられない様子だが……この交番は、普段からこんな調子なのだ。

 

「あなた達……またそんな格好で……! いい加減にしなさい、警察官として恥ずかしくないのですか!」

 

 ――だが、当然ながらそうではない警官もいる。この暑い中でありながら、しっかりと制服を着こなした一人の婦警が、仁王立ちの姿で二人の前に現れた。

 

 茶色がかった黒髪をボブカットに切り揃えた、色白の美女。その薄着の制服を内側から押し上げ、いまにもはち切れそうなGカップの巨峰。すらりと伸びた白くしなやかな脚。

 どれを取っても、こんな下町の交番には勿体無い美人警官が、眉を吊り上げ二人を睨みつけている。実は彼女もパトロールから帰って来たところなのだが……言うまでもなく、アイスを咥えながら自転車を漕ぐ同僚とは正反対のタイプだ。

 

「あすかちゅわ〜ん! 会いたかったよぉ、お願いだから今日こそおっぱい揉ませ――ぶぎゃあ!」

一煉寺(いちれんじ)! あなたみたいないい加減な同期がいると、私まで迷惑なのよ! パトロール中くらいボタン締めたらどうなの!」

「やっべ……また始まったよ……」

「聞いてるの!?」

 

 彼女は飛びついて来た部長を裏拳で沈めた後、アイスを咥えたままの警官に詰め寄ってくる。

 ――彼女の名は沙原(さはら)あすか。今も胸元をはだけている一煉寺龍誠(いちれんじりゅうせい)とは警察学校の同期であり、トップクラスの成績で卒業した秀才である。

 

 それゆえ、当時は警視庁への配属も検討されていたエリートだったのだが……本人たっての希望により、今はこの下町の交番に勤務している。

 ……というのも。警察学校時代から、だらしない劣等生として教官達が頭を抱えていた一煉寺龍誠が、この交番に配属されると聞いたのが原因であった。

 

 ――あんな問題児をこのまま世に出したら、警察官の沽券にかかわる。主席の自分が何としても監督し、他の同期達の名誉を守らねば。

 そんな義憤に突き動かされた結果、彼女は龍誠を追う形でこの交番に来たのだが……本人ばかりか上司までこのような調子であるため、頭を悩ませる毎日を送っているのだ。

 

「……おっとぉ! そういやそろそろ次のパトロールの時間だなぁ! いやぁ、市民の生活を守るのも大変だなぁ、うん!」

「ちょ、ちょっと! 話はまだ終わってないわよ! 大体あなた、さっき帰って来たばかりでしょ!」

「平和を守る警察官は忙しいのだ! んじゃ行ってきまーす」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」

 

 ――そんな彼女の説教が始まれば、それだけで数時間は拘束される。経験則からその事態を危惧した龍誠は、白々しさに溢れた言葉を並べながら、交番を飛び出し自転車に跨った。あすかの説教に比べれば、夏の猛暑の方がマシなのだ。

 やがて彼はあすかの制止を振り切り、先ほどとは桁違いの速さで走り去ってしまう。

 

「……もぅっ……!」

 

 そんな彼の背を、あすかは膨れっ面で見送るのだった。

 

 ◇

 

 ――沙原あすかは、警察学校時代から美人と評判であり、同期の男子達からの注目を集めていた。いわばアイドルのような存在であり、龍誠も悪友達と一緒に、その美貌を眺めていたことがある。

 だが、二人にこれといった接点はない。「優等生」と「劣等生」という対極の立場である上、男子と女子は基本的に距離を離されているため、直接会う機会もない。

 だから正確には、この交番に配属されてからが初対面であった。――龍誠にとっては。

 

 だが……あすかは違っていた。彼女は警察学校に入学する以前から、一煉寺龍誠という男を知っていたのである。

 

 ――着鎧甲冑を纏うレスキューヒーロー。その頂点に立ち、伝説として語られ教科書にも載せられている英雄「救済の超機龍(ドラッヘンファイヤー)」。

 かつて彼に命を救われたことがある両親は、娘のあすかにもその話をよく聞かせていた。そんな中で育った彼女は、いつしか「救済の超機龍」に憧れ、彼のようになりたいと願うようになったのである。

 

 それゆえ彼女は、中学時代にヒーローへの道に進むべく「ヒルフェン・アカデミー」の門を叩いたのだが……常軌を逸する倍率の中を勝ち抜けるほどの才覚は、なかった。

 それでも人々の為に戦う道を諦めきれず、彼女は生身でもヒーローになれると信じて警察官を志した。そして、警察学校への入学を果たし――入校初日の朝、一煉寺龍誠と出会ったのである。

 

 春風が吹き抜ける快晴の朝。晴れやかな思いを胸に家を出た矢先――あすかは、三人組のコンビニ強盗に出くわしたのである。強盗は金を手にしたまま、警察学校とは真逆の方向へ逃走してしまった。

 

 警察官なら、何としても捕まえるべき。だが、追っていれば入校初日から遅刻してしまう。それにそもそも、学生の身分で、武装した強盗を捕まえられる保証もない。まして自分は……女なのだから。

 

 そんな葛藤に揺れ、何も出来ず固まっていた――その時だった。

 

 あすかと同様、現場に居合わせていた一煉寺龍誠が、弾かれたように駆け出していたのである。彼はあすかの傍らを通り過ぎると、入校書類が詰まった鞄を投げ捨て、犯人追跡にのみ尽力していた。

 その後ろ姿を、彼女は驚愕の表情で見送ったのである。

 

 ――そんな彼の行為により、コンビニ強盗達は早々に逮捕された。だが、龍誠自身は入校式に間に合わず、初日から教官数人に囲まれ説教される羽目になっていた。

 やがて彼は悪名高い「劣等生」として知れ渡り、対してあすかは成績優秀な「優等生」として知られていくのだが――彼女は、そんな評価など気にも留めなかった。

 

 あの時。震えて動けなかった自分に代わり、全てを解決したのは紛れもなく龍誠だった。彼こそ、真の警察官であり、ヒーローだった。

 

 ――誰もそれがわからないなら、本人すらもわかっていないなら、私が分からせる。私が彼の振る舞いさえ改めさせれば、皆気づくはず。

 彼ならきっと……私が昔、憧れたヒーローに近づけるはずだから。

 

 それが。沙原あすかが、一煉寺龍誠にこだわる真の理由であった。だが、当人がそれを知る由はない。

 そして、あすか自身も知らなかった。

 

 ――だらしない「劣等生」である一煉寺龍誠が、伝説の「救済の超機龍」の息子であることを。

 



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中編 為すべき使命

 下町の住宅街に建てられた、木造のアパート。二十一世紀も後半に差し掛かっているというのに、前世紀さながらの古びた景観を持っているその住まいに、ある一人の男が訪れていた。

 

 青みがかかった黒髪を端整に切り揃えた、精悍な顔つきの青年。このような所には余りにも場違いな、漆黒の高級スーツに袖を通している彼は、このボロアパートの一室の前で佇んでいる。

 彼の頭上では消えかけた電球がしきりに点滅しており、その周囲を蚊が飛び回っていた。夜の帳が下りた闇の中で、青年の姿がスポットライトのように照らされている。

 

「……」

 

 青年は神妙な表情で玄関の扉を見つめ、やがて意を決したようにインターホンを押す。だが、「一煉寺」という立札が掛けられたその部屋の主は、出てくる気配を見せない。

 すでに外は暗いし、寝てしまった……わけでもない。扉の隙間からは灯りが窺える。

 

 ドアノブに手を掛けてみれば……その扉は、あっさりと開いてしまった。その先に広がっていたのは、生活感溢れる六畳間の一室。

 

 缶ビールやつまみ、漫画にゲームにカップ麺など。庶民の嗜みが、その部屋に散らかっている。さらには裁縫の後らしき糸屑も、部屋中に伺えた。

 何かの工作でもしていたのか、ダンボールの切れ端や何に使うのか分からないガラクタまで転がっている。

 

「おいおい、正義のヒーロー様が空き巣かよ。ちゃんとアポ取りゃあ、お前の分も買って来てやったのに」

「……俺が下戸なのは、お前も知っているだろう。だいたい、戸締りくらいはきちっとしておけ」

「いんだよ、盗られて困るほどのモンなんてねぇし。それに、ちょっとそこのコンビニまで行って来ただけなんだから」

 

 すると。青年の隣に歩み寄って来た部屋の主が、気だるげに声をかけて来た。白いTシャツ、青い半パン、サンダル……見るからに緊張感に欠けるその姿に、スーツの青年は眉を潜める。

 部屋の主の手には、缶ビールやスルメが詰まったコンビニ袋が提げられていた。

 

「二年経っても、相変わらずお堅いねぇ」

「約一年と半、だ。お前が俺の前から姿を消したのは、昨年の一月。今は七月だ」

「どっちでもいーわ、めんどくせぇ。……で、どうしたのさ。今話題のトップヒーローが、こんなへんぴなとこに来ちゃってさ」

 

 ――久水渉。

 今や日本随一の大財閥となった久水財閥の御曹司にして、人気ヒーローでもある超絶エリートだ。

 彼が扮する「救済の超強龍」は、この数年間で数多の事故や事件を解決して来たことで広く知られており、日本でその名を知らない者はいないとまで言われている。

 それほどの大人物が、このボロアパートに住む自分の部屋まで来ているというのに……下町で暮らす一介の警官でしかない一煉寺龍誠は、まるで対等であるかのような口調で接していた。

 

 ――だが、渉がそれを咎めることはない。世間的評価はさておき、彼の中では本当に(・・・)二人は対等なのだから。

 

「俺がお前を探し出して、ここまで来た。その用件なんて、一つしかないだろう」

「さて、なんのことやらサッパリですわ。まぁいい、とりあえず上がれよ」

 

 不用心な部屋の主は、高名なヒーローを散らかった自室に招き入れる。だが、埃ひとつないスーツを纏うエリートは、全く嫌そうな顔を見せず彼の後に続いていた。

 

 古いテレビの前に置かれたちゃぶ台。そこで向かい合うように腰を下ろす二人は――互いに目を合わせ、暫し無言になる。

 

「……単刀直入に言う。今日は、お前にこれを返しに(・・・)来たんだ」

「……」

 

 やがて、その静寂を破るように――渉はスーツの上着を脱ぎ、そこに装着されていた鋼鉄の袈裟ベルトを外した。メタリックレッドに塗装された機械的なベルトが、ちゃぶ台の上にコトリと乗せられる。

 そんな「懐かしい相棒」との再会を果たし、龍誠はスルメを口に咥えつつも――神妙な表情で、それを見下ろしていた。

 

 ◇

 

 教科書にその名を残すほどに活躍し、伝説となったヒーロー「救済の超機龍」。その息子である龍誠もまた、父のようなヒーローを目指していた。

 

 ヒルフェン・アカデミーでは首席で入学し、理事長・伊葉和士(いばかずし)による直々の訓練も受けた。

 そして、当時の同期だった渉と切磋琢磨し合い――その類い稀な才覚を以て、主席卒業の座と「救済の超強龍」の資格を勝ち取ったのである。

 

 「救済の超機龍」の息子にして、彼に次ぐレジェンドと言われている「至高の超飛龍(アブソリュートフェザー)」の弟子。その出自を背に、彼は新世代のヒーロー「救済の超強龍」としてのスタートを切ったのだ。

 

 そして――地獄を知った。

 

 デビュー当初の一年間、彼は補佐役(サイドキック)だった渉と共に世界各地で救助活動を行い、その技量と才能を遺憾無く発揮していた。大勢の命を救い、あらゆる国に平和を齎し、新世代ヒーローに「救済の超強龍」ありと知らしめた彼の存在は、父のように世界中へと伝わって行った。

 ワーリ・ダイン=ジェリバン将軍亡き後、砂漠の大国・ダスカリアン王国を独りで纏め上げてきた――美貌の女王「ダウゥ・アリー・アル=ダスカリアニィ」という、強大な支援者(バック)を得て。その躍進は、さらに加速して行ったのだ。

 

 途中、幾度となく困難にもぶつかって来たが……相棒である渉や、現地で得た仲間達とも共に、どんなことも乗り越えてきた。「鉄拳兵士(ガントマン)」の異名を取る伝説の保安官・真壁悠(まかべゆう)と、その妻であるジェナ・(マカベ)・ライアンに鍛えられ、さらに力を上げ続けた。

 そんな彼を見つめる渉達は、信じていたのだ。彼ならばこの先もずっと、平和を守り続けるヒーローに……「新たな伝説」になってくれると。

 

 ――しかし彼らは、気付かなかった。龍誠が、無理(・・)をしていたことに。

 

 例え超人的な身体能力があるとしても、着鎧甲冑を纏うレスキューヒーローは所詮、力を持っただけの「人間」に過ぎない。全ての命を救う神にはなれない。

 龍誠の奮闘を以てしても、救えなかった命も、数え切れないほどある。だが、渉達も彼が最善を尽くしてきたことは理解しており、彼を咎めることはなかった。

 

 誰も彼を、否定してくれなかったのだ。

 龍誠にとっては、失われた命の一つ一つが、掛け替えのないものだったというのに。

 

 ……一煉寺龍誠という男は確かに、優れた体力や精神力、頭脳や人格を備えていた。彼が新世代の最高峰である「救済の超強龍」となることに、誰も異を唱えないほど。

 だが、彼にはヒーローという生き様を続けて行く上で、最も重要なものが欠落していたのだ。

 

 ――それは、「諦め」。

 

 救えなかった命を「仕方ない」と割り切り、記憶の隅に追いやり、明日のために頭を切り替える冷酷さ。死体をただの肉塊と見做し、今在る命を救うため、それを蹴飛ばしてでも前に進む冷徹さ。

 渉も、仲間達も、誰もが当たり前に備えていたそれを――他ならぬ龍誠だけが、持っていなかったのだ。彼の心は「ヒーロー」でいるには、あまりにも優し過ぎた。

 

 それを自覚していながら彼はなおも、人々のためにそれを押し殺し、無理に笑い、走り続けた。なまじ彼が天才であるがゆえ、その胸中に気付かぬまま――渉達は彼を英雄として担ぎ、背中を押し続けた。

 そんな日々が一年続き、二年目に入ろうとしていた頃。とある紛争地帯の中で――龍誠はついに、限界に達したのである。

 

 仲良くなった現地の村人達が、無惨に殺され――そこから逃げ延びた幼気な少女が、自分の眼前で射殺された。

 

 鋼鉄の鎧と盾で、自分は身を固めているのに。何よりそれで守らねばならない少女が、自分の目の前で死を迎えた。自分達を喜んで村に迎え入れてくれた、顔馴染みの少女が。

 

 その事実に直面した瞬間、龍誠はついに精神に異常を来たし――少女の死から二ヶ月後。「救済の超強龍」のスーツだけを残して、渉達の前から姿を消した。

 

 路頭に迷いながら日本へと帰り着いた彼は、「家族に合わせる顔がない」と故郷の松霧町(まつぎりちょう)にも帰れず、彷徨い続け――やがて流れ着いた東京で、ヒルフェン・アカデミー時代の顔見知りだった警視総監・橘花隼人(たちばなはやと)に拾われた。

 そして彼の友人である天才医師・才羽真里(さいばまり)のカウンセリングを経て快復した後。隼人の勧めで警察官としてのリスタートを果たし、現在に至る。ヒーローとして振る舞うことを辞めた彼は、自由気ままに下町で暮らす生き方を選んだのだ。

 

 ◇

 

「……あれ以来、俺はお前に代わって『救済の超強龍』として戦ってきた。内戦が終わって平和になるまでな」

「……そうかい。さっすが、救世主と名高い久水渉様だ。真田(さなだ)さんと首里(しゅり)さんも、大喜びだろうよ」

「お前に成り代わって、初めて分かったよ。世界最高峰の着鎧甲冑を使う責任が、どれほど重いか。……お前が耐え切れなかったのも、今なら分かる」

「……」

 

 かつて戦地で袂を分かった二人は、こうして平和な日本で再会した今も、どこか重苦しい空気で向かい合っていた。渉は苦々しい表情で、自分と目を合わせず酒をあおる龍誠を一瞥する。

 

「あの経験があったからこそ、学べたことも確かにある。だが……やはり俺には、お前の代わりなんて務まらない。内戦が終わるその日まで……俺はとうとう、こいつの性能の半分も引き出せなかった」

「それでも最後には、今生きてる皆を救った。結構なことじゃねーか」

「……龍誠、お前以外の『救済の超強龍』なんてあり得ないんだ。頼む、こいつを付けて戻って来てくれ」

 

 深々と頭を下げ、渉は龍誠の言葉を待つ。だが、世界的に有名なエリートヒーローが頭を垂れているというのに、当の本人はスルメを咥えたまま見向きもしない。

 

「話しただろ。オレは弱い。お前らがなんてことないように耐えてることで、あっさりと心を折られちまった。向いてなかったんだよ、ヒーローにはさ」

「そんな……! だからといって、その類い稀な才能を、力を、こんなところで腐らせるつもりか! 未練はないのか!?」

「お前の云う『こんなところで腐る』ってのが、オレにはお似合いなのさ。……まぁ、腐ってんのはオレだけなんだけどな」

「龍誠……」

 

 渉は沈痛な面持ちを浮かべつつも、言葉を続けられず押し黙ってしまう。

 ――龍誠の胸中が分からないわけではない。振る舞いに反して繊細な心の持ち主であるということは、長い付き合いの彼はよく知っている。

 だが、「救済の超強龍」になった龍誠の強さを一番知っているのも、彼であった。ゆえに諦めるに諦め切れず、彼は苦い貌のまま立ち上がる。

 

「……来週、アメリカで表彰式があるんだ。お前にも、一緒に来て欲しい。『救済の超強龍』が残した功績の半分以上は、お前が作り出したものなんだから」

「そんなもん全部やるから、お前一人で行ってこい。だいたい、下町のしょっぱいお巡りさんをどうやってお偉方に紹介する気なんだ、お前は」

「……どうにでもなるさ。とにかく一週間、このベルトをお前に預ける。もう一度よく考えてみてくれ」

 

 ちゃぶ台の上に世界最強の着鎧甲冑のデバイスを残して、エリートヒーローは部屋から立ち去っていく。その背を、かつてヒーローだった男が神妙な表情で見送っていた。

 

「……やれやれ。相変わらず一方的に話しやがる」

 

 そんな彼は、ちゃぶ台に置き去りにされた袈裟ベルトを一瞥し……咥えたスルメを揺らす。

 

「……とりあえず、戸締りしとこ」



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後編 ヒーロースーツは、もういらない

 それから数日。夏休みが近いこともあり、下町は日を追うごとに賑わいを増しているようだった。

 馴染みの商店街から響く喧騒は、交番の中にいても伝わってくる。

 

「……」

 

 いつも通りに出勤し、いつものようにダラダラ自転車を漕いでパトロール。そんな平凡な日課の一部をこなし、龍誠はアイスを咥えて机に腰掛ける。隣では、部長がいびきを立てて眠りこけていた。

 

 ――もうすぐ、あれから一週間が経つ。そろそろ、渉が答えを聞きにくる頃だろう。答えなどとうに決まっているが……何処と無く、後ろめたい。

 そんな複雑な表情を浮かべながら、龍誠はぼんやりと窓から町並みを眺めていた。

 

(……そういやあいつ、今日は随分遅いな)

 

 ふと、彼の脳裏をあすかの存在が過ぎる。基本的に二人はいつも、同じ時間帯にパトロールから帰ってくるはずなのだが……あすかはまだ、ここに戻って来ていないようだった。

 立ち寄った駄菓子屋でアイスを値切ろうと粘っていた分、今日は龍誠の方が遅れていたはずなのに。

 

(ま、タバコ屋の婆さんといい、最近はこの辺りも高齢化が酷いからな。年寄りの道案内でもやってんだろう)

 

 そう当たりをつけた龍誠は、さして気にすることもなく怠惰に一日を過ごそうとしていた。

 

「ねぇ、奥さん聞いた!? 強盗ですって、商店街前のコンビニで!」

「ええ、聞いた聞いた! やだねぇ怖いわぁ!」

 

 ――交番の外から聞こえた、主婦達の話し声を聞くまでは。

 あすかが戻って来ない理由を悟り、龍誠は一瞬で貌を切り替える。鋭い眼差しで、彼は商店街の方向に眼を向けた。

 

(……商店街前なら、あいつのパトロール経路にあったな。なるほど、あいつが強盗を放っておくはずがねぇ)

 

 あすかの人柄を鑑みれば、まず強盗を放置したりはしない。本来ならこちらに連絡が来るはずだが……恐らく、そのタイミングもなかったのだろう。

 確かに彼女も腕に覚えのある警官だが、強盗が複数いるのなら多勢に無勢。コンビニに立ち寄った瞬間に現場に居合わせ、対処する暇もなく……という状況だとするなら、事件が発生しているというのに情報が伝わっていないことにも説明がつく。

 

(……強盗の連中には悪いが、ちょうどいい。この一件、利用させて貰う)

 

 限られた情報から現状を推測すると、龍誠は机から飛び降りると自分のロッカーに向かう。その扉の向こうには――真紅のヒーロースーツが隠されていた。

 

ベルトを取りに(・・・・・・・)帰ってる時間はない。……まぁ、どっちだろうとオレは構わないがな)

 

 ◇

 

「へへ……大人しくしとけよ?」

「くっ……!」

 

 商店街前のコンビニ。警官の立ち寄り所として指定されているこの店舗で、沙原あすかはかつてないピンチを迎えていた。

 不埒な者がいないか眼を光らせ、自動ドアを潜った瞬間……三人組の強盗犯による犯行現場に居合わせたのである。まさかのタイミングでパトロール中の警官と至近距離で出くわし、強盗側も動転していた。

 

 そんな不意の遭遇に暫し動じつつも、あすかはすぐさま全員を確保すべく動き出した。一瞬遅れて行動に移った三人組の一人が、咄嗟にナイフを振るったのだが――あすかは見事にその手を掴み、犯人の顎に膝蹴りを叩き込んだ。

 痛烈な一撃を浴びた犯人はたまらず昏倒し、あすかは初陣で確かな手応えを得られたことに、思わずほくそ笑んでしまった。その隙を突かれ――強盗側に店員を、人質に取られてしまったのである。

 

「まさかサツとバッタリ出くわすなんてなぁ……しかも、こんなでっけーチチの姉ちゃんとは」

「あぁ、ケッサクだぜ。人質取られて何もできない気分はどうでちゅかー!」

「あんた達っ……!」

 

 目の前でナイフを首筋に突き付けられている店員は、青ざめた表情で震えている。恐らく、バイトの女子高生だろう。純朴な少女に、非日常の刃物はあまりにも恐ろしい。

 あすかは視線で助けを求める彼女を、悲しげに見つめながら……煽られても何もできない悔しさに、唇を噛んでいた。

 

 ――来年で創設三十周年を迎える「救芽井エレクトロニクス」。その大企業が請け負う着鎧甲冑の総生産台数は、今年で二万を超えていた。今では警視庁だけでなく地方警察などでも、「救済の龍勇者(ドラッヘマン)」G型が犯罪への抑止力として普及している。

 だが、日本警察の全てに配備できるだけの生産台数には遠く及ばない。東京だけでもこの下町のように、着鎧甲冑が配備されていない部署は幾つもある。

 結果として、着鎧甲冑が配備されている部署の管轄下では、年々犯罪率が減少しているのだが……その分、着鎧甲冑が配備されていないような地域での犯罪率が高まりつつあるのだ。

 生身の人間では、どうやっても着鎧甲冑には勝てない。なら、それがない場所に行けばいい。至極単純なそのロジックに基づき、現代の悪漢は辺鄙な場所を狙うようになったのだ。

 

 彼らもまた、その一部。着鎧甲冑の配備が届かない場所で悪事を行う彼らは、何もできない生身の婦警を厭らしく見つめていた。

 

「あぁ、そういや一年前もヒーロー気取りのサツ見習いにパクられたんだったな。ハッ、そのサツが今や涙目で何もできずにプルプルしてんだ、マジケッサクだな」

「……! あんた達は……!」

「しかしいいチチしてんなぁ、あんた。顔も激マブだし。……へへ、ぴっちりしたケツもたまんねーぜ」

 

 警察学校入校式の日。龍誠に捕まったあの日のコンビニ強盗達が、今目の前にいる連中だと悟り――あすかは、キッと鋭い眼差しで睨みつける。

 だが、それが却って男達の興味を引いたらしい。残った二人組の内の一人があすかに躙り寄り、無遠慮に豊かな胸を鷲掴みにする。

 

「さ、触るなっ!」

「オイオイ抵抗しちゃう気? おい」

「あぁ」

 

 その感触を堪能する男に怒鳴り、あすかは身をよじる。だが、その反応に男はますます下卑た笑みを浮かべると――片割れに指示を出した。

 次の瞬間、男のナイフが店員の胸元を容赦なく切り裂き、淡いピンクのブラを露わにしてしまう。たわわな胸を晒され、刃物を振るわれた少女は、悲痛な叫び声を上げた。

 

「や、やめなさい! やめてっ!」

「やめてほしい? そう? んじゃあ、お姉さんが代わりに見せてよ――ストリップ」

「わ、分かった……私が脱ぐから、その子には手を出さないで!」

 

 自分に屈辱を味わわせた、あの日の悪漢に、あの時とは比にならない屈辱を受ける。雪辱どころか、さらなる恥辱を味わわせられる現実に、あすかは唇を噛み締め――制服を一枚ずつ脱ぎ始めた。

 ボタンを外した瞬間、Gカップの巨峰が大きく揺れ、男達の情欲を煽る。その姿を、店員は悲しげに見つめていた。

 

(大丈夫よ……あなたは、私が守るから)

 

 そんな彼女に、弱みを見せまいと。あすかはあくまで気丈な態度を崩さぬまま、制服を全て脱ぎ捨て下着姿になった。白いレースのブラとパンティが晒され、彼女の柔肌が男達の視線を集める。

 ――だが今は、個人的な羞恥心や怒りより、目の前の少女を救わねば。その一心で耐え忍ぶあすかは、キッと男達を睨みつけた。

 

「……満足でしょ、これで……あぅっ!?」

「ハァ? んなわけねーだろ、むしろこっからが『本番』だろが!」

 

 だが、男達の欲望は止まらない。男はあすかの胸を揉みしだきながら彼女を突き倒すと、その淫靡な肢体を粘つくような視線で舐め回す。

 

「や、やぁっ!」

「抵抗すんなよ? したら代わりに店員さんに相手してもらうからよ」

「……最、低っ」

「んじゃあ、その最低にヤラれちまうお姉さんはそれ以下ってことで!」

 

 そして獣欲の赴くまま、ブラとパンティに手を掛ける。一気にあすかを生まれたままの姿にしてしまおうと猛るケダモノの目に、力無い婦警は抗うことすら許されなかった。

 

 ――そう。力無い正義に、正義なき力を正することはできない。ならば。

 

「やめとけって兄ちゃん、まだ昼前だぜ?」

 

 それ以上の力を持って、封殺するしかない。その浅ましい現実を象徴するかのように――人ならざる者の手が、男の肩を捕まえた。

 

「な、こ、こいつっ……!」

「えっ……!」

 

 気配もなく、突如現れた謎の新手。その姿を目の当たりにした、この場の全員が――表情を驚愕の一色に染め上げる。

 

 紅いボディスーツに、体の各関節部を保護する蒼いプロテクター。真紅の袈裟ベルトに、頭部の仮面(マスク)から伸びる二本の角とトサカ。左腕に装備された、円形の赤い盾。

 この姿を知らない者など、この日本にはそういない。第四世代型(フォースフェイズ)着鎧甲冑の最新式にして、伝説の名を受け継ぐ新世代ヒーローの筆頭。

 

「ま……そのおっぱいは、確かに魅力的だがな?」

 

 ――「救済の超強龍」。その姿を前に、この場にいる誰もが固まっていた。彼自身を除いて。

 

「お、おい、どうなってんだよ!? この辺に着鎧甲冑場にないって……し、しかもなんで『救済の超強龍』がぁ!?」

「し、知るかよくそがぁ!」

 

 強盗二人は激しく動転し、近くにいた男はがむしゃらにナイフを振るう。それを巧みにかわす「救済の超強龍」は、後方に回転しながら素早く跳びのいた。

 なんとか足止めせねばと焦る強盗は、着地した瞬間を狙いナイフを投げつける。その刃の腹を盾で受け流し、ナイフを弾いた「救済の超強龍」は、ジリジリと男に歩み寄ってきた。

 

「く、来んなクソがぁあ!」

 

 その圧倒的な威圧感に気圧され、男は切り札である拳銃を引き抜く。だが、銃口を突きつけられてもヒーローは怯むことなく歩み続けていた。

 やがて男は目を閉じたまま、がむしゃらに拳銃を連射するのだが……「救済の超強龍」は、その近距離射撃を全てかわし、延髄に手刀を浴びせてしまう。意識を刈り取られた男は、そのまま力無く倒れ伏してしまった。

 

「う、動くんじゃねぇ! 動くとこのガキがッ……!?」

 

 残された最後の強盗は、店員にナイフを突きつけ悪足掻きを続けようとする。だが、強盗の視線が店員に移った一瞬のうちに――「救済の超強龍」は強盗の背後に回り、後ろから取り押えてしまった。

 瞬く間に強盗を打ちのめす、超人的な戦いぶり。人の身を超えた力を手にする着鎧甲冑ならではの戦いを目の当たりにして、あすかは固唾を呑む。

 

 ――そして。

 

「うぅ……ん。げっ!? や、やべぇ早く逃げ……うぐ!?」

「……逃がさないわよ」

 

 意識を取り戻した一人目の強盗が、仲間達の窮状を前に逃げ出そうとした瞬間。あすかに背中を踏みつけられ、御用となってしまうのだった。

 白いレースの下着姿の美女に、踏みつけられるというこの状況。ある意味、ご褒美である。

 

 そして――世界的ヒーローのサプライズ参戦という、インパクト全開のイベントもあってか。この逮捕劇が終わりを迎えた瞬間、外から見守っていた住民達から歓声が上がるのだった。

 

「え、あ……い、いやぁあぁあ!」

 

 その声を耳にして、今までの自分のあられもない姿を見られていた事実にようやく気づいたあすかは、悲鳴を上げて両腕で懸命に肢体を隠していた。

 だが、彼女の豊満な肢体は細腕で隠し切れるようなものではなく――下町の男達はおばちゃん達にしばかれるまで、鼻の下を伸ばして彼女を凝視していたという。

 

 ――そしてその頃、交番では。

 

「むにゃ……うん? なんだもう昼前か……おぉい龍誠、アイス買って来たかぁー?」

 

 誰もいなくなった机の上で、部長がようやく目を覚ましたのだった。

 

 ◇

 

 その後、三人組は敢え無く逮捕され連行されていった。再犯ということもあり、今回は少しばかり重い罪になるという。

 ――そして「救済の超強龍」が下町のコンビニに現れたという衝撃的ニュースは、間も無く世界中を駆け巡っていた。久水渉はこの件への関与については、ノーコメントとしている。

 

 彼がこの事件の中心にいた「救済の超強龍」本人に会ったのは、この翌日のことであった。

 

 ――成田空港の近くにある、とある高級ホテル。そのVIPにのみ許された最上階のスイートルームで、久水渉は夜空を眺めていた。

 バルコニーから伺える東京の夜景が、闇夜の下を鮮やかに彩り、この国の繁栄と平和を物語っている。……彼が身を投じてきた戦地からは、想像もつかない世界だ。

 

「……龍誠、分かっただろう。お前の力は、下町なんて小さなフィールドに収まるものじゃない。この国の、この海の向こうの人々のためにこそ……俺達はいるんだ」

 

 ――先日ニュースになり、自分のところにも取材陣が詰め掛けたコンビニ強盗の一件。あの事件に現れた「救済の超強龍」の正体を唯一知る彼は、袂を分かった親友を憂い、呟く。

 

「何度も言ったろ、そういうのは向いてねーんだよオレは」

「……っ!?」

 

 そして、目の前に突如現れた当人の姿に瞠目するのだった。「救済の超強龍」の鎧と双角が部屋の明かりを浴びて、妖しい光沢を放つ。

 超人的な膂力を以て、この最上階までよじ登ってきたヒーローの姿を前にして、渉は思わず息を飲む。これが自分の追い求めた、「最強の男が扮する最強のヒーロー」なのか――と。

 

「しっかし、お前も随分たっかいとこに宿取ったなぁ。上り下りめんどくさくね?」

「……俺も一階の方が楽でいいと言ったんだが、見栄にこだわる周りがどうにもうるさくてな。お前にも経験があるだろう」

「んー……まぁ、な」

「そのスーツを着てきたということは……先日の件でスーツを使ったということは、とうとうお前も決心したようだな。安心しろ、お前がいたあの部署には俺の方から手を回しておく。ダウゥ女王も、ずっとお前に会いたがっていたことだしな。だからお前は、心置きなく――」

「ああ、それなんだけどさ」

 

  力を持つべき男が、持つべきものを手にして帰ってきた。そのことに安堵するように、渉が胸を撫で下ろした――その時。

 

 彼の前に、紅い袈裟ベルト(・・・・・・・)が差し出された。

 

「……は」

「やっぱこれ、返すわ。オレの答えは変わらねぇよ」

 

 あっけらかんとした口調で、ヒーローへのカムバックを拒む龍誠。だが、渉にはそれに反論する余裕もなかった。

 

 ――なぜ、「救済の超強龍」がベルトを持っている(・・・・・・・・・)!?

 

 物理的にありえないその状況が、渉の思考を混乱に陥れていた。

 当然ながら「救済の超強龍」は、デバイスとなる袈裟ベルトを装着することで着鎧することができる。なら、彼の手に握られているベルトは――否、彼が今着ているスーツは何なのか。

 

 その問いに答えるように――眼前の「救済の超強龍」は、背中に手を回すと。チャックを降ろす音(・・・・・・・・・)と共に、素顔を露わにする。

 スーツの上半身が骨を抜かれた皮のように崩れ落ち、中にいる黒髪の青年が顔を見せた。

 

「よっ」

「は、張りぼて……!? じゃ、じゃあ昨日の『救済の超強龍』は……!?」

「おいおい、張りぼてなんて言ってくれるなよ。百均でいろいろ買い揃えてようやく完成させたオレの力作だぞ。お前ですら見抜けないほど精巧に作り上げた、オレの手先を褒めて差し上げろ」

 

 ――龍誠は、着鎧甲冑を着ていなかった。着ていたのは、「救済の超強龍」に似せただけの手作り布スーツ。

 つまり先日の事件も、今こうしてここまで登ってきたのも……スーツではなく、全て龍誠自身(・・・・)の身体能力によるものだったのだ。

 

 そう。彼は「着鎧甲冑を使うレスキューヒーロー」という在り方に拘る渉を否定するために、わざわざ生身で戦っていたのである。

 スーツを使っていると錯覚させるほどの身体能力を持ちながら、スーツの力を否定する。そんな龍誠の行為に、渉は理解が追いつかず頭を抱える。

 

「……どうして、そんなにも着鎧甲冑を否定する。そうまでして、俺に当てつけがしたかったのか!?」

「やだな、別に否定も当てつけもしてねぇよ。ただちょっと、お前の名声を利用させてもらっただけさ」

「利用……?」

「……着鎧甲冑の総生産台数は、二万。たったの二万だ。日本だけでも、全国に配備するには少な過ぎる数値だよな」

「……それでも、父上が現役だった黎明期に比べればかなりの数だぞ」

「あぁ、かもな。でも現実は、着鎧甲冑を持てない部署が狙われやすくなってる。なまじ力を振りまいたから、矛先がどんどん弱いものに向かっていく……」

 

 そんな彼の様子を一瞥し、龍誠はバルコニーの縁に腰掛ける。どこか意味深なその口ぶりに、渉はハッとして顔を上げた。

 

「俺の名声を利用って、まさかお前……」

「人の生死を左右するのは力じゃない、情報だ。情報一つで戦争は始まりもするし、終わりもする。オレ達がいた戦地が、そうだったようにな」

「俺が……『救済の超強龍』が、着鎧甲冑が配備されていない地域に突然現れた。そんなモデルケースが一つでもあれば、悪党も『神出鬼没のヒーロー』を警戒して、容易くは動けなくなる。だから俺が来日してきたこのタイミングで、『救済の超強龍』に成りすました……そういうことなんだな」

「さぁ、どうだろうな? オレが未練タラタラだったから、コスプレに興じてただけかもよ?」

「……未練のある奴は、そんな晴れ晴れと笑ったりしない」

 

 東京の夜景を見つめながら、龍誠は含みのある笑いを浮かべる。そんな彼の背を、渉は神妙に見つめていた。

 

 着鎧甲冑は確かに、世界各地の治安を改善する上では有効な抑止力として機能している。だがそれは、配備されていない地域が犯罪等の「穴場」となり、より狙われやすくなることも意味していた。

 しかし、実際に配備できる着鎧甲冑にも限りがある。全世界に隈なくスーツを揃えるなど、夢物語だ。

 だからこそ、情報を利用する。悪党が恐れる、ヒーローの名声を使う。「救済の超強龍」の雷名を振り撒けば、着鎧甲冑そのものがなくとも抑止に繋がる。

 スーツの力だけが、全てではない。その証明こそが、龍誠の目的だったのだ。

 

 ――龍誠は、ヒーローという「役職」は捨てたけど。ヒーローとしての「矜持」までは、捨ててはいなかった。彼は彼なりに今も、人々のために戦っていたんだ。

 

 そう思い至った渉は、深くため息をつく。そして諦めるようにベルトを肩に掛けると、踵を返して部屋に入っていった。

 

「……分かったよ。今回の表彰式は一人で行く。このベルトも……一旦、俺が預かる」

「おう、持ってけ持ってけ。お前の方がよっぽどお似合いだぜ」

「だがな、俺は諦めないぞ。お前なら、もっと大きな働きが出来ると俺は信じてる。その時まで……『救済の超強龍』の伝説は、俺が守ってやるからな」

「あっそ。……ま、お前も好きにしたらいいさ。オレも、好きにするからよ」

 

 そんな旧友に、捨て台詞を残して。龍誠も壁に張り付き、蜘蛛のように下へ這い降りていく。

 

「……あぁ。そうさせてもらう」

 

 そして渉は――彼が座っていたバルコニーの縁を一瞥すると。静かに、そう呟くのだった。

 

 ◇

 

 ――二◯五七年八月。

 コンビニ強盗の一件から一ヶ月が過ぎ、この下町もすっかり穏やかな日々を取り戻していた。

 今日も龍誠はアイスが詰まったコンビニ袋と持ち帰りの冷麺を手に、自転車を漕ぎパトロールを終える。だが……帰ってきた先には、仁王立ちの巨乳婦警が待ち構えていた。

 

「一煉寺! また無関係のコンビニで油売ってたわね!」

「げっ、沙原!? ちょ、ちょっといつもより帰って来るの早くない!?」

「私がいないうちに仕事中におやつ。そんな真似、いつまでも私が許すと思うの!? 今日という今日はとことん説教よ、ちょっと来なさい!」

「あだだだだだ! ちょ、待って待ってアイスが溶けちゃう! 部長ヘルプ! ヘルプミーッ!」

 

 あすかに耳を引っ張られ、奥の部屋へと連行されていく龍誠。その救難信号をガン無視――しつつ、すれ違い様にコンビニ袋からチョコアイスバーを引き抜き、部長は新聞を開いた。

 

「……ほぉ、こりゃまた便利な世の中になりそうだわい」

 

 あすかの胸を触ろうとして、張り飛ばされた痕跡を頬に残している彼は――チョコアイスバーを咥えつつ、新聞のとある記事に注目する。

 

 そこには――「久水渉主導のもと、着鎧甲冑総配備数の見直しが検討されている」と記されていた。

 




 どうも、オリーブドラブです。
 着鎧甲冑を巡る「フルメタル・アクションヒーローズ」の物語は、今回を以て完結となりました。約3年間にも渡る長期連載になってしまいましたが、ラストまで読んで頂いた皆様には感謝の言葉しかありません。レスキューヒーロー達の足跡を最後まで見届けて頂き、誠にありがとうございました。

 さて、それでは次回作のお知らせ。
 来週5月3日の日曜朝08:01頃からは、週1更新でお送りする短期連載作「ウルトラマンカイナ」(全4話)が始まります。若きウルトラマンを主人公とした、2次創作作品となっております。機会がありましたら、こちらもチラ読みして頂けると幸いです!
 では、失礼しました! いずれまた、どこかでお会いしましょう!(*≧∀≦*)


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