綾子†無双 (はるたか㌠)
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その為、以前公開していたものに若干修正が入っています。


「うし、ログアウト、っと」

 

 カチッとマウスをクリックし、画面を閉じる。

 そして、大きく伸びをする。

 ゲーム好きのあたしが、今ハマっているのが、三国志を舞台としたオンラインゲー。

 ちょっと前まで名ばかりのブラウザ三国志ゲーもやっていたけど、実質ただのカード集めと作業ゲーで引退。

 で、今はこっちばかりを進めている。

 しかし、今日はちょっとやり込み過ぎたかな?

 時計は、既に午前二時を過ぎている。

 今日も朝練があるし、いい加減に寝ないとな。

 パソコンの電源を切り、ベッドに潜り込む。

 ではでは、おやすみ。

 

「……さま」

「…………」

「……しゅ……さま」

「…………」

「ご主人様、ねぇ、起きてん♪」

 

 ……?

 誰かがあたしを呼んでいる……らしい。

 あたり一面、靄がかかったように真っ白。

 

「あら、やっと起きたのねん♪」

 

 ……で、あたしの目の前に、巨木が立っている。

 ……じゃない、大男だ。

 全身ムキムキの筋肉に、何故かビキニパンツ一枚の。

 

「……い……」

「おはよう、ご主人様」

「いやぁぁぁぁぁぁぁ、変態!!!!!!!」

「だぁれが、ムキムキマッチョで見るのも悍ましい変態ですってぇ?」

 

 そこまで言ってないし!

 てか、自覚してるのかこいつは。

 

「だ、だ、誰よ、アンタ?」

「うふ、よくぞ聞いてくれたわね。私は、貂蝉(ちょうせん)よ」

「ちょ、貂蝉? 貂蝉っていや……」

 

 さっきまでやっていた三国志ゲーのイベントに出てきた名前だ。

 え~と、確か董卓と呂布の仲を引き裂くために、身を犠牲にした絶世の美女……だったよな?

 ……うん、どこをどう見てもイメージが一致しないんですが。

 

「で、その自称貂蝉が、一体何の用?」

「あん、酷いわ酷いわ。あたしは正真正銘の、貂蝉よん」

 

 くねくねすんな、キモイわ!

 

「……で、もちろん用があるから来たのねん。ご主人様」

「その、ご主人様って何だ?」

「う~ん、詳しい事は話せないの、ごめんなさい。ただ、ご主人様はこれから、外史の世界に行って貰うの」

「外史?」

「そう。ご主人様、三国志の世界はご存知ね?」

「あ、ああ。あたしが知っているのは、ゲームの世界ぐらいだけど」

「概ね問題ないのねん、それでも。でも、外史の世界は、ご主人様が知っているのとは結構違うの」

 

 何を言っているのかわからないけど、貂蝉の目は真剣だった。

 

「でね、ご主人様にはその世界を救って欲しいの」

「世界を救う? なんであたしが?」

「それはおいおいわかると思うのねん。ただ、一つだけ注意しておく事があるから、それを聞いて欲しいのねん」

「注意?」

「そうよ。外史の世界では、『真名』というものがあるの」

「『真名』? 何だそりゃ?」

「その名のとおり、真の名前よ。ただし、外史の世界では命に等しい神聖なものねん。本人の許しなしに迂闊にそれを口にする事は、決して許されないものなの」

「…………」

「だから、相手を呼ぶときは、本人が許さない限り、絶対に真名は使っちゃいけないのねん」

「ふ~ん。じゃあ、あたしはどうすればいい?」

「ご主人様は真名がないから、そう言えばいいのねん」

 

 ……わからん。

 あたしが世界を救うとか、真名だとか。

 遠坂や氷室あたりなら、何か推定できるんだろうけど……あたしの頭じゃ無理だ。

 

「じゃあ、また会いに行くから、頑張ってねん、ご主人様♪」

 

 そして、ウインクをする貂蝉。

 うげ、吐きそう。

 ……と思った瞬間、あたりは光りに包まれ……あたしは意識を失った。

 

 

 

「……ん……?」

 

 鳥のさえずりで目が覚めた。

 なんか、変にリアルな夢を見た気がする。

 貂蝉とかいう変態に迫られるとか、どんな悪夢だよ。

 さて、朝練に……あれ?

 ベッドに寝ていたはずなのに、そこは地面の上。

 そして、あたりは……森?

 お気に入りのキュートなパジャマを着ていた筈なのに、何故か制服姿だし。

 おまけに、ご丁寧に通学カバンと愛用の薙刀、弓矢が隣に置かれている。

 とりあえず、誰かに連絡してみようか。

 ポケットを探ると、買い換えたばかりのケータイが入っていた。

 ケータイというよりもデジカメにしか見えない形状で、ソーラー充電タイプだから電池切れはあまり心配要らない。

 ……ただ、電話として使えれば、の話。

 液晶に映っていたのは『圏外』の表示。

 どんだけ田舎にいるんだ、一体?

 もちろん、メールもダメ、となれば……。

 しょうがない、とりあえず人を探しますか。

 持ち物一式を手に、あたしは立ち上がった。

 

 

 

 勘を頼りに歩いて行くと、やがて視界が開けてきた。

 ……で、何だここ?

 一面に広がる草原に、遥か向こうにそびえる小高い山。

 前に蒔寺の家で見た、水墨画みたいな風景。

 そして、空気がえらく澄んでいる。

 合宿で行った、高原の空気も爽やかだったけど、その比じゃない。

 ……ふと、人の気配を感じた。

 振り向いても誰もいない……いや、違う。

 大木の上に、誰かいる。

 

「……誰かいるのか?」

「…………」

 

 シュタッと何かが、目の前に降り立った。

 ……へ、忍者?

 あたしよりも小さいけど、その身長ほどの刀を背負い、脚絆に手甲を付けた、髪の長い女の子。

 

「よく気づきましたね。……何者ですか、あなたは」

「そりゃ、こっちの台詞だけど」

「…………」

 

 無言で、彼女は背負った刀を抜いた。

 殺気からすると、冗談ではないみたい。

 白刃が木漏れ日を受けてキラリ、と光る。

 

「ちょ、ちょっと。あたしは別にアンタと遣り合うつもりは……」

「…………」

 

 女の子は、剣を下げる気配がない。

 参ったなぁ、こんなところで殺陣をする気もないんだけど。

 でも、隙あらば斬りつけてくるのは、どう見ても間違いない。

 ……仕方ない、身を守るか。

 あたしは手にしたカバンを置き、弓矢を下ろした。

 そして、薙刀の包みを解く。

 その間にかかってくるかな、と思ったけど……待ってくれるのか様子を見ているのか、とにかく女の子は動かない。

 

「お待たせ。その前に……、名前を聞かせて貰えないか? あたしは、美綴綾子」

「……姓は周、名は泰、字は幼平」

「周泰、ね。なら、勝負!」

 

 同時に、周泰は横へ飛んだ。

 素早い動きだ。

 ……でも、あたしの目には、ちゃんと追えていた。

 そのまま横に払われる刀を、薙刀で受けた。

 ガキン、と金属同士がぶつかる衝撃が伝わってきた。

 

「……!!」

 

 彼女の目が、驚きで開かれた。

 が、それも一瞬。

 今度は突きを入れてくる。

 それをかわしながら、周泰の動きを観察。

 見た目の通り、パワーよりもスピードで勝負するタイプみたい。

 とは言え、その一撃はなかなかのもの。

 どう見ても真剣だけに、間違っても喰らう訳にはいかない。

 突きのラッシュをかわされ、彼女は一度間合いを取るべく、下がった。

 

「やりますね」

「アンタも。それだけ遣う奴は、久しぶりだよ」

 

 ヘルプで出場した剣道の全国大会でも、ここまでやる相手はほとんど覚えがない。

 ……当然だけど、その大会はあたしが優勝した。

 ただ、剣道はルールがあり、防具をつけて竹刀での試合だけど、今は違う。

 それだけに気は抜けないけど、あたしは緊張感と同時に、高揚感も味わっている。

 

「ですが、ここまでです!」

 

 そう言うと、周泰は素早く動き出す。

 そして、あたしの周りをぐるぐると。

 ……不思議な事に、あたしの目は彼女を見失う事が、なかった。

 動体視力にはそれなりに自信はあったけど、それにしても何かがおかしい。

 

「……そこっ!」

 

 あたしはその刹那、薙刀を一閃。

 ガンと大きな音と共に、周泰の刀が宙を舞った。

 

「あっ!」

 

 声をあげた彼女の喉元に、薙刀を当てる。

 

「勝負あったね」

「……の、ようですね」

 

 観念したように、周泰は目を閉じた。

 

「なら、あたしの質問に答えてくれるか?」

「…………」

「黙秘するのか。なら、ここは、どこ?」

 

 ……と、周泰が目を開いた……というか、驚いている。

 

「どこ、とは……?」

「いや、気がついたらこんな場所にいるんだけどさ。で、やっと人がいた、と思ったらいきなり襲われるし」

「…………」

「明命。そのぐらいにしなさい」

 

 と、草原の方から声がした。

 見ると、馬に跨った女性がひとり。

 ……いや、もう一人いる。

 ……二人とも、全く隙がない。

 

「雪蓮様、冥琳様!」

 

 周泰は、片膝を付く。

 どうやら、この娘の主人……かな。

 

「ねえ、あなた。名前は?」

 

 と、最初に声をかけてきた、桃色の髪をした女性。

 この中では、一番の遣い手と見た。

 

「あたしは、美綴綾子。アンタは?」

「私は、姓は孫、名は策。字は伯符よ。で、こっちは周瑜」

「……周瑜公瑾だ」

 

 今度は、あたしも即座に反応してしまった。

 

「……えーっ! 孫策に周瑜って、呉の小覇王に美周郎!?」

 

 と、孫策は不思議そうに、

 

「呉の小覇王? ねぇ冥琳、私、そんな風に呼ばれてるの?」

「さあな。私も美周郎とは……。幼平は聞いた事あるか?」

「わ、私も初耳です」

 

 あれ、人違いかな?

 ……ふと、気がついた。

 周泰も、呉の有力武将じゃんか。

 ……でも、何でみんな女性なんだろう?

 

「まぁ、いいわ。でもあなた、相当腕が立つわね」

 

 孫策は、何故か楽しそうだ。

 そして周瑜は……こっちも何故か、こめかみに手を当てている。

 

「明命を簡単にあしらうなんて、並の腕じゃ無理よ」

 

 確かにそうだろう。

 あたしも、何故あんなに簡単に勝てたのかが不思議なぐらいだし。

 

「雪蓮様、申し訳ありません。私の腕が未熟なばかりに」

「それは違うわよ、明命。わたし、ううん、母様でもその人に勝てるかどうかわからないもの」

 

 そして、孫策はあたしを見て、

 

「とりあえず、わたしのところに来ない? いろいろと聞きたい事もあるし」

「雪蓮! 不用心過ぎるぞ」

 

 周瑜は、あたしを警戒してるっぽい。

 まぁ、普通はそういう反応するよな。

 

「いいじゃない。これだけの凄腕、武勇伝も多そうだし。そのあたりも聞きたいなぁ、って」

「だが、どこかの間者かも知れんのだぞ」

「ん~。でも、悪い人には見えないのよね~。それに、わたしの勘が大丈夫、って言ってるし」

「ハァ~……」

 

 すると、周瑜、大きくため息を一つ。

 

「全く、言い出したら聞かない奴だ。ただ、雪蓮の勘働きは外れがないからな……。わかった、好きにしろ」

「わ~い、ありがとう。冥琳♪」

 

 孫策、満面の笑みだし。

 ……まぁ、このままいても途方に暮れるだけだし、申し出はありがたいんだけどさ。

 

 

 

 一向に連れられ歩く事、数時間。

 程なく、大きな城壁が見えてきた。

 

「うへ~、流石は孫策。大きな城持ってるね」

 

 すると孫策、微妙な顔つきで、

 

「残念だけどあれ、わたしの城じゃないの」

「我らは今、袁術の食客でな」

 

 周瑜も苦い顔。

 

「あれ? って事は、もう都が長安になったって事?」

「え?」

「は?」

「……あ、あの……。美綴、何の事でしょう?」

 

 一同が呆気に取られているけど……あたし、何か変な事、言った?

 

「……孫策、あのさ。変な事、聞いてもいい?」

「変な事って?」

「洛陽の井戸から、アンタのお父さん、何か拾ったりしてない?」

「父様が? 冥琳、知ってる?」

「いや」

 

 惚けている、という雰囲気でもない。

 

「ねぇ、何の事言ってるの?」

「あ、いや……」

 

 どうやら、武将が女性ばかり、というだけじゃなく、歴史もあたしが知っているものとは違うらしい。

 となると……迂闊な事は言えないな。

 未来から来たから知っている、なんて……どう考えても危険過ぎる。

 

「……。ごめん、いろいろと混乱してて」

「……そう。まぁ、今日はゆっくりと休む事ね」

 

 幸い、それ以上はツッコまれなかった。

 

 

 

「姉様、お帰りなさい」

「雪蓮姉様、お帰り~」

 

 城下町を過ぎ、城門のところで、よく似た二人の女の子が出迎えていた。

 ちょっと雰囲気こそ違うけど、どうも姉妹っぽい。

 

「ただいま、蓮華、小蓮。変わった事はない?」

「はい。……それより、その者は?」

 

 蓮華と呼ばれた娘が、訝しげにあたしを見る。

 ……まぁ、バリバリ不審者なのかもね、あたし。

 

「じゃ、自己紹介して貰える?」

 

 孫策に促され、あたしは頷いた。

 

「美綴綾子。字とかなくて、姓が美綴で、名が綾子ってんだ。よろしく」

 

 すると一同、ほぉ、という感じ。

 

「字もないのか。では、この大陸の生まれではないのか?」

「そうなるかな。生まれ、って意味では東の島国出身になるけど」

「東の島国? すると、蓬莱の国か?」

 

 う、知らん、その名前は。

 

「どうだろう? ただ、地理的に言えばそうなる」

「……そうか。私は姓は孫、名は権、字は仲謀だ」

「シャオは孫尚香だよ!」

 

 孫権に孫尚香、か。

 孫権は言わずもがな、孫尚香は確か……ああ、劉備と結婚するんだっけ。

 どうやら、性別が皆逆、という訳じゃないんだな。

 

「とにかく、今日はもう休むといいわ。明命、部屋に案内してあげて」

「はい!」

「それじゃ美綴、また明日ね」

 

 孫策はそう言って、城の中へ。

「では美綴様、どうぞこちらへ」

 

「あ、うん。ありがとう」

 

 

 

「では、何かあれば呼んで下さい」

「わかった」

 

 バタンとドアを閉める。

 ベッドと机だけしかない、シンプルな部屋。

 もっとも、外には人の気配。

 まぁ、見張りを立てるのが当然だろうし、気にしててもしょうがない。

 ドサッと固いベッドの上に、あたしは身を投げ出す。

 

「ハァ、何がどうなってるんだか」

 

 あの筋肉達磨の言う通り、あたしは三国志の世界に来ちゃったらしい。

 ただ、出会う武将は皆女性ばかり。

 城下町にいた人は男もいたから、女性だけの世界、って訳でもなさそうだけど。

 あたしもゲームを通してだけど、ある程度の知識は持っているつもり。

 ……でも、歴史からしてそもそもが違っている。

 

「一体、あたしに何をさせようってんだろうねぇ……」

 

 疲れていたあたしは、そのまま目を閉じた。



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見返してみると結構修正箇所が多く、全部公開するまでにはちょっと時間がかかりそうです。
キャラの呼称がバラバラだったので統一させました。


「……朝か……ふぁぁ……」

 

 チュンチュンというスズメの(さえず)りってのも、久しぶりの気がする。

 昔に比べて、スズメが繁殖しにくくなっているらしいし。

 ベッドから身体を起こし、

 

「……やっぱり、変わってない、か……」

 

 見慣れた、自分の部屋ではなく、質素なベッドと机だけの部屋。

 当然、照明なんてものもなく、窓から差し込む太陽光だけが唯一の明かり。

 蝋燭か行灯(あんどん)……そもそもあるのか、この時代も?

 ……まぁいいや、とりあえず起きよう。

 

 

 

 ガチャとドアを開けた。

 

「おはようございます。お目覚めですか?」

 

 外には、周泰が立っていた。

 

「……もしかして、ずっとそこに?」

「はい。申し訳ありませんが、これも命令ですので……」

 

 寝不足なのだろう、やや眼が赤い気がした。

 

「すまないね、あたしみたいなイレギュラーのせいで」

「いれ……ぎゅらー?」

「あ、ゴメンゴメン。不正規な存在って事」

「なるほど。では、朝食をお持ちしますね」

「ありがとう。それから、顔を洗いたいんだけど」

 

 本当はシャワーも、といいたいけど……ないだろうな、そんな気の利いたものは。

 

「では、桶に入れて持ってきます。あと、着替えも何か探してみます」

「うん、すまない」

「いえ。では、少しお待ち下さい」

 

 そう言い残し、周泰は消えた。

 ……本当に、忍者じゃないのか、あの娘は?

 

 

 

「入ってもいいかしら」

「どうぞ」

 

 だいぶ日も高くなった頃、孫策が部屋にやってきた。

 それと、見知らぬ妙齢の女性も一緒。

 ……周瑜さんもそうだったけど、この世界の女性は胸が立派な人が多いのか?

 

「自己紹介しておこう。儂は姓は黄、名は蓋、字は公覆じゃ」

 

 またまた有名人登場。

 赤壁の、苦肉の計の人だっけ……三国志演義の創作らしいけど、実際は。

 

「奇妙な者が来ておると聞いてな。策殿に頼んで同道させて貰った」

 

 奇妙かぁ。

 実際そうなんだろうけど、そう言われるとちょっと複雑なものが。

 

「あ、その前に。一つ、提案があるの」

 

 と、孫策。

 

「?」

「あなたの事をなんて呼ぼうかな、って」

 

 そう言えば、名前を呼ばれた事がまだなかったな。

 

「あなた、姓が美綴、名が綾子……だったわね」

「ああ」

「わたしたちと同じように、という事だと姓名続けるんだけど、何か長いような気がするの」

「なら、美綴でも綾子でも。好きに呼んでいいよ」

「わかった。なら、美綴、でいいかしら。わたしたちも、さんづけはなしでいいわ」

「そう?」

 

 あたしもその方が気楽でいいし。

 

「じゃあ美綴。改めて聞くけど、あなたは一体どこから来たの?」

 

 黄蓋さんも、ジッとあたしを見ている。

 

「それは、出身という意味か? それなら、昨日話した通りだけど」

「違うわ。字がない……それは文化の違いだからいいとして。あなた、昨日わたしの事、『江東の小覇王』って呼んだわよね?」

「……ああ」

「それ、どういう事なのか聞かせて貰える?」

 

 孫策の目は笑っていない。

 誤魔化そうものなら、腰の刀を抜き放たれそうな雰囲気。

 ちなみにあたしの薙刀は、万が一の事があると……という周瑜の言葉で預かって貰っている。

 

「少なくとも、あたしの世界では、孫策はそう呼ばれている」

「でも、わたしは見ての通り、袁術に飼われているだけ。江東の制覇、なんてもちろん適うわけもない、脆弱な存在よ? でも、あなたはそう言ったわ」

「……そうだな。この時代と、違う世界から来た、だから知っている。それが答えさ」

「違う世界? なんじゃ、それは?」

 

 考え込む黄蓋さん。

 証明するもの……そうだな。

 あたしはポケットから、財布を出した。

 そして、百円玉を二人に見せた。

 

「これは?」

「あたしの国で使っている硬貨、お金さ」

「ふむ、確かにこの大陸では見た事がない……。輝きといい、意匠といい」

「そうね、こんな精巧な細工の施されたお金なんて、わたしも知らないわ」

 

 二人は、興味深そうに百円玉を眺める。

 

「後は……そうだな」

 

 取り出したケータイ。

 もちろん、本来の電話機としての機能は使えないけど。

 

「これは、電話なんだけど、今は使えない」

「電話って?」

「あ、そうか。えーと、この端末同士で、離れた場所でも会話が出来る機械さ」

「離れた場所というのはどのぐらいだ? 例えば、ここから城門程か?」

 

 そう言って、黄蓋さんは窓の外の城門を指さした。

 

「それも可能だけど……そうだな。ここから洛陽とか長安とか、蜀でも」

「ふむ。なら、やってみせい」

「そうしたいのはやまやまなんだけど、アンテナ……専用の設備がないと使えないんだ。だから、この時代ではどうにもならない。でも、その代わりにこんな事が出来る」

 

 そう言って、あたしはカメラモードを起動。

 そして、孫策と黄蓋さんに向けた。

 

「貴様! 何をするか!」

 

 あれ、何か怒らせちゃった?

 

「え? いや、写真を撮ろうかと」

「写真?」

「あ~、ええと、見て貰った方が早いと思うんだよね」

(あやかし)の類ではあるまいな?」

 

 妖って……。

 まぁ、迷信がまかり通っている時代だろうから……怪奇現象、とでも解釈すれば正解かな?

 

「いや、そんなつもりはないんだけど……」

「祭。いいからやらせてみせましょ。体調に異変があったら、斬り捨てればいいだけじゃない」

 

 ぶ、物騒だなぁ。

 

「そんなものじゃないから。な?」

「……わかった。好きにせい」

「じゃ、行くよ」

 

 そのまま、二人のツーショットをパチリ。

 

「で、何をしたの?」

「これを見て貰えるか?」

 

 撮ったばかりの画像データを液晶画面に呼び出し、二人に見せる。

 

「これは、策殿と儂?」

「すご~い! こんなに精巧な絵を一瞬で描いちゃうんだ」

 

 百円玉の比じゃないぐらい、驚く二人。

 

「これは絵じゃなくてさっきも言ったけど、写真さ。ここで写したものをそのまま、機械の中に取り込むんだ」

「あ、ちょっと待ってて」

 

 と、孫策はいきなり立ち上がると飛び出していく。

 

「おい、策殿!」

「祭、悪いけどしばらくよろしく~!」

 

 そして、黄蓋さんはやれやれ、と腰に手をやった。

 

「あの様子だと、また何か思いついたようだ。策殿らしいと言えばそうだがな」

「はは、でも嫌いじゃないですよ、楽しそうだし」

 

 どう見ても年上の黄蓋さんにタメ口は、という事で丁寧語のあたし。

 

「お主もそう思うか。なかなか気が合いそうじゃ」

 

 

 

 そしてしばらくして、あたしは城の外に連れて行かれた。

 孫策に孫権、孫尚香の三姉妹。

 黄蓋さんに周泰、周瑜。

 ……あと、のんびりした雰囲気の巨乳な娘とか、目つきの鋭いスレンダーな娘とか、メガネをかけて袖丈の長い服を着た娘とかも。

 

「これでみんな揃ったわね」

「雪蓮姉様。急に一体何なんです?」

「そうだよ。シャオ、訓練の途中だったのに」

 

 姉妹が皆を代表するかのように、不服そうな顔をしている。

 

「みんなにも聞いて貰いたくて。たぶん、ううん、間違いなく、これからのわたしたちの方針がこれで決まるから」

 

 孫権はそう言うと、

 

「美綴。あなたが、違う世界の人だ、ってのは信じるわ」

「雪蓮!」

「お姉様!」

「冥琳も蓮華も聞いて欲しい。わたしたち、このままでいいと思う?」

「…………」

「いい訳がないわ。『江東の虎』と呼ばれた母様の娘が、袁術のような能なしにいいように使われるだけなんて」

 

 あ~、孫堅も女性だったのか。

 道理で、親父さんが~、って言っても反応なかった訳だ。

 ……そう言えば、その本人は見かけないな。

 と、孫策があたしを見ながら、続けた。

 

「冥琳。『天の御遣い』の話は知ってるわね?」

「ああ。管輅とかいう占い師が予言したという奴だな。だが……」

「そう。『白く輝く衣装に包まれし者、この地に降り立ち世を救う者なり』……確か、そんな感じだったわね」

「だが雪蓮。その予言と美綴が、どうつながる?」

 

 周瑜の言葉に、何人かが頷く。

 

「わたしね、あの予言、ちょっと間違っていたんじゃないか、って思うの」

「間違い?」

「ええ。ここにいる美綴が、本当の御遣いなんじゃないかな、って」

「……バカな。何の根拠もないではないか」

「根拠ならあるわ。美綴、あれをやって見せて」

「あれ?」

「けーたい、よ。あれで、みんなを撮ってあげて」

「あ、ああ」

 

 やれやれ、ソーラー充電タイプで良かった。

 でなきゃ、バッテリー切れ起こしてただの箱になるところだし。

 

「貴様! 何をするつもりだ!」

 

 と、目つきの鋭い娘が、剣を抜いた。

 この時代の人たち、ちょっと血の気が多すぎないか?

 

「思春。平気よ、さっきわたしと祭も、試したから」

「お姉様! 無謀も大概にして下さい! あなたは、我らにとって欠かせない玉なのですよ!」

「もう、蓮華は堅すぎるわよ。とにかく、平気だってわかってるんだから」

 

 そう言いながら、孫策は全員を整列させる。

 あたしは少し離れて、全員が画面に入る位置に立った。

 

「じゃ、行くぞ~」

 

 シャッターを押す。

 そして、画像を呼び出して孫策に手渡した。

 

「これでいいか?」

「ええ。みんな、その箱を覗いてみて」

 

 興味津々といった風情で、一同があたしの方へ。

 

「ふぇっ? こ、これ、私ですか?」

「すごいです~~、私が、と~っても上手に描かれていますね~」

「面妖な。貴様、やはり妖か!」

 

 名前を知らない娘たち、反応は三者三様。

 ……驚いているのだけは同じだけど。

 

「ふむ、この女が妖の類であるかも知れない、という点は認めよう。だが、それだけか雪蓮?」

 

 それでも、簡単に妥協しないあたりが、周瑜という人なんだろう。

 

「後は、明命との一騎打ちでの振る舞い、それにわたしの勘ね」

「また勘か」

「ええ。まぁ、他にもあるんだけどね」

 

 チラ、とあたしを見る孫策。

 ……なんか、獲物を見つけた猛獣、そんな雰囲気のような……。

 

「良いではないか、冥琳」

「祭殿まで何を!」

「儂も策殿とこの娘が何を語るか、何者かを見ておった。どうやら、我らに害を成す者とは思えんのじゃ」

「…………」

 

 どうやら、黄蓋さんの言葉は相当、重みがあるみたいだな。

 

「この娘が、『天の御遣い』なのかどうかは、儂にはわからん。だが、策殿の勘、それに儂の長年の経験、信じてみても損はなかろう?」

「どう、冥琳、蓮華? これでもまだ、反対?」

 

 と、ふう、と息を吐く周瑜。

 

「雪蓮だけでなく、祭殿までそう仰せとあらば。これ以上の意見は無意味だ」

「……私も周瑜と同じです。ただし、その人となり、これから見せて貰うわよ、美綴?」

「ああ。あたしが孫権の立場でも、同じ事を考えるかも知れない。だから、今はそれでいい」

「じゃ、決まりって事で。思春、穏、亞莎《あーしぇ》、自己紹介してね」

「……姓は甘、名は寧、字は興覇だ」

「私は~、姓は陸、名は遜、字は伯言です。よろしくお願いしますね~」

「……わ、私は、姓は呂、名は蒙、字は子明ですっ!」

 

 甘寧に、陸遜、呂蒙。

 は~、まさに呉のオールスター勢揃いってとこですかね。

 後は太史慈とか朱桓とか程普とか徐盛とか魯粛とか諸葛瑾とか……まぁ、あたしの知っている歴史とは違うんだし、みんな揃っている訳とは限らない、か。

 こうして、あたしは呉……というか、孫策軍団と共に行動する事となった。

 

 

 

「おい」

 

 翌朝。

 こっちに来てから、あまり身体を動かしていないけど、鈍ったら一大事。

 という事で、 朝食を済ませたあたしは、庭に出てストレッチ中。

 そこに、甘寧がやって来た。

 

「おはよう、甘寧」

「…………」

 

 相変わらず、甘寧はあたしを射貫くかのような目。

 もっとも、その程度のガンを飛ばされて怯むあたしじゃないんだけどね。

 

「お前は、薙刀を得物にしていたな」

「ああ。あたしの一番は、それかな」

「……他の得物でも、問題ない、そう聞こえるが?」

「問題ないっていうか……。武道全般と相性がいいんだ、あたしは」

「ほぉ。なら、これはどうだ」

 

 と、甘寧は手にした剣を、あたしの方に放ってきた。

 刃引きした、訓練用の剣。

 

「雪蓮様はああ仰るが、私は自分の目で確かめないと信じる気はない。私と仕合しろ、美綴」

 

 甘寧っていや、魏の曹操にも認められた、呉随一の猛将だったような。

 もちろんあたしがイメージしていたのは、髭面の豪傑なんだけど……もちろん目の前にいるのは、全く似ても似つかない。

 ただ、隙のなさといい、あたしに向ける殺気といい……相当な遣い手なのは事実。

 とは言え、断る理由もないな。

 

「わかった。けど、手加減はなしで行こうぜ、お互いに」

 

「私は最初から、容赦などする気はない」

 

 あらら、愚問だったかな?

 

 

 

 一定の間を置き、あたし達は相対した。

 

「あ、ちょっと素振りさせて」

「……好きにしろ」

 

 ブンブンと、何度か振ってみた。

 甘寧から借りた刀、一応は訓練用らしい。

 とは言っても、竹刀に比べればずっと重い。

 手に馴染む、というには程遠いけど……ま、仕方ないな。

 

「お待たせ」

「……参る!」

 

 ダッ!

 あっという間に、あたしの目前まで迫ってきた。

 動きはかなり速い。

 そして、鎌鼬のように繰り出される、鋭い一撃。

 ……でも、不思議な事に、あたしには見えている。

 もちろん、緩慢どころか、並の人間ならそのまま斬られる方が普通なんだろう。

 剣が描く弧の範囲外に、身体をずらす。

 

「……クッ!」

 

 歯噛みをしたのも一瞬、立て続けに甘寧はあたしに斬りかかる。

 ガキンと甲高い音と共に、剣を立てて受け止めた。

 何故なら、それだけはかわさない方がいい……あたしの本能がそう教えたから。

 

「もう終わり?」

「……舐めるな! はぁぁぁぁっ!」

 

 甘寧の剣は、何というか……鋭い。

 周泰と違うのは、その一撃が重い事。

 だから、訓練用の剣とは言え、まともに食らう訳にはいかない。

 

「たぁっ!」

 

 ヒュン、と風切音が聴こえた。

 今度は、下からの攻撃。

 それを間一髪のところで見切りつつ、あたしも隙を伺う。

 これだけの手練れだ、そう機会は多くない筈。

 あたしはそれを待つ事にして、それまではひたすら回避に努める。

 

「どうした! 逃げてばかりではないか!」

「そう? なら、こっちからも行っていいのかな?」

「何っ?」

 

 ほんの一瞬だけど、彼女の動きが止まる。

 

「そこっ!」

「うっ!」

 

 あたしの突きを、何とか受け止める甘寧。

 

「まだまだぁ!」

 

 息つく間もなく、攻め続ける。

 

「クッ、なんて重い……」

 

 甘寧の顔が、歪んでいる。

 そして何合か打ち続け、

 

「はっ!」

 

 突き一辺倒だったところに、剣の根元を狙った一撃。

 パキンという音が響き渡る。

 

「あたしの勝ちだね」

「……バカ……な……」

 

 呆然とする甘寧の手には、ポッキリと折れた剣。

 そして、その先端は……あれ?

 

「おい、儂を殺す気か?」

 

 いつの間にか、門のところにいた黄蓋さんの足下に刺さっていた。

 

「思春。お主の負けじゃな」

「祭様! たまたま、油断しただけで……」

「ははは、悔しいのはわかるが、実力じゃよ」

「クッ……」

 

 本当に、悔しそうな甘寧。

 

「どうじゃ、思春。これでもまだ、心許せぬか?」

「…………」

 

 黄蓋さんの言葉に何も応えず、甘寧は去っていった。

 

「あ奴の事を悪く思わんでやってくれ」

「いえ、そんな。それより、いつからここに?」

「ああ。天気がよい故、酒でもやろうかと思っての」

 

 確かに、黄蓋さんの手には、大きな酒徳利が。

 

「ますます、お主の事が気になるの。どうじゃ、一杯付き合え」

「え? あたし?」

「他に誰がおるんじゃ。さ、行くぞ」

「え? ちょ、ちょっと待って下さいって!」

 

 問答無用で引きずられていくあたし。

 ……いや、酒は飲めない訳じゃないんだけど……。



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 トクトクトクと、酒を注がれた。

 

「さ、グッといけ。遠慮なぞするな」

「は、はぁ……」

 

 杯……というよりも、大ぶりなそれは茶碗に近い。

 それになみなみと注がれた酒……濁り酒のようだ。

 この時代、清酒なんてある訳がないし、ビールやウイスキーもあり得ない。

 酒と言えば、たぶんイコールこれなんだろうな。

 

「では、いただきます」

 

 運動系部活なので、どうしても……まぁ、飲む機会ってのはある訳で。

 でも、飲んだ事のない種類を一気に呷れるほど、酒量に自信がある訳でもないんだけどさ。

 とは言え、ちびちび飲んだら黄蓋さんに何を言われるか。

 ええい、ままよ。

 覚悟を決め、杯の中を一気に空けた。

 あれ、結構薄いかな?

 匂いから、きつめを連想していただけに、ちょっと意外かも。

 

「ほぉ、良い飲みっぷりではないか。さ、もう一杯」

「いえ、あたしからもご返杯を。でないと、失礼に当たります」

「気にせんでいい」

「そうはいきません。これ、あたしの国では礼儀ですから」

 

 実際のところ、本当に礼儀なのかどうかは知らない。

 ただ、酒は差しつ差されつつ、というのが暗黙のルールらしい。

 

「む。礼儀では仕方あるまい。では、いただこう」

「どうぞ」

 

 あたしのよりも、ちょっと大きめの杯。

 ……てか、ご飯茶碗ぐらいあるんですけど、黄蓋さんのは。

 

「んぐ、んぐ、んぐ……。ふう、甘露甘露」

「でも、いいんですか?」

「何がじゃ?」

「何がじゃないですよ。孫策は、袁術の食客なんですよね?」

「一応、そういう事になっておるが?」

「いくら食客とは言っても、その配下がこんな朝っぱらから酒とか」

 

 すると黄蓋さん、

 

「はっはっは。お主、公瑾のような事を言うのぉ」

 

 いや、周瑜じゃなくてもそう思うし普通。

「儂はの。嬉しいのじゃよ」

「嬉しい?」

「うむ。お主がここに来てから、策殿が楽しげで、な」

「そうなんですか?」

「ああ。堅殿が亡くなられてからは、策殿は必死であった」

「…………」

「……呆気ないものじゃな。『江東の虎』と呼ばれた御方も、病には勝てなんだ」

 

 確か、孫堅は病死じゃなかった筈。

 ……こんなところにも、違いがあるんだ。

 

「じゃが、策殿はただ、悲しみに暮れておればよいか、と言えば否じゃ。曲がりなりにも、儂らの主となったからには、それなりの実力を見せねばならぬからの」

「実力、ですか。でも孫策は、腕も立つし覇気も備えていますよね?」

「それはそれ。実績がなければ、兵も民も従う訳がなかろう? ましてや、堅殿の威光がなくなり、去っていく者も大勢おった中じゃ」

「そんな……。冷たいですよ、あんまりにも」

 

 が、黄蓋さんはニコリともせず、続けた。

 

「未だ皇帝は健在とは申せ、この乱世じゃ。自らを守る力のない君主に、従う民はおらぬ。兵もまた然り、己の働く場がなければ、食うにも事欠くのじゃぞ?」

「…………」

「じゃから、必要なのは実績、そして力じゃ。理想を唱えるのは、その裏付けがあってこそ」

「……わかります、何となく」

 

 比べたら怒られるかも知れないけど、これって部活にも当てはまる。

 実績があり、実力がある奴がレギュラーになり、主将やキャプテン、部長になる。

 もちろん、面倒見の良さとか、人当たりとかもあるだろうけど。

 

「じゃが、想いだけでそれは身につくものではない。それ故、策殿は苦しみ、悩んでおった」

 

 大変なんだ、人の上に立つ、ってのは。

 

「のう、美綴」

「はい」

「お主はまだ、何か秘めたるモノがあるようじゃ。……その力、策殿に役立ててやってはくれぬか?」

「黄蓋さん?」

「この通りじゃ、頼む」

 

 そう言って、頭を下げる黄蓋さん。

 

「あ、あの……。でも、あたしで役に立つ、と?」

「儂はの、そこいらのひよっ子どもよりも遙かに多くの戦場に立ち、多くの人を見ておる。じゃが、お主のような娘は、未だ出会っておらぬ」

「でも、周瑜とか甘寧とか、何より黄蓋さんがいるじゃないですか。孫策には」

「無論、儂らとて、策殿を盛り立てるため、力は尽くす所存じゃ。だがの、そこにお主が加われば、より未来が開ける……儂は、そんな気がするのじゃ」

 

 空になった杯に、新たな酒が注がれる。

 

「ほれ、飲め」

「……はい」

 

 今度は一気に干さず、ゆっくりと口に含んでみる。

 フルーティーな香り、悪くない。

 

「黄蓋さん」

「うむ」

「あたし、正直どこまで自分がやれるのかは、まだわかりません。ただ……」

「ただ?」

「……詳しい事は話せませんが。この乱世、終わらせたいと思っています。孫策がそれを目指すなら、あたしもそのために頑張ってみます」

「……そうか。わかった、お主の志。儂はしかと、見届けようぞ」

 

 正直、こんな事を言う自分に驚いている。

 ……でも、黄蓋さんは、決して酔った勢いで話している訳じゃない。

 だから、あたしも真剣に答えたつもりだ。

 

「あら、祭に美綴?」

 

 孫策がやって来た。

 

「おお、策殿か。どうじゃ、一緒に飲らんか?」

「そうしたいのはやまやまなんだけどね」

「ん? また冥琳に何か言われたのか?」

「違うわ。袁術ちゃんから、また雑用を押しつけられたの」

 

 う~ん、心底嫌そうだ。

 

「雑用?」

「ええ。蜂蜜が切れたから、手配するらしいの。で、その商隊の護衛をしろって」

「そのような事、策殿である必要はなかろう?」

「そう言ったわよ。……そうしたら、張勲の奴に、『孫策さんはお強いですからね~。美羽様の為に、是非一働きして下さいね~』って。もう、本当にむかつくわ!」

 

 袁術はともかく、張勲って……思い浮かばない。

 

「あの。張勲って誰……かな?」

「袁術の守り役兼軍師、ってところかの。そこそこ頭も腕もいいが……どちらかと言えば、悪知恵が働く奴じゃ」

「……絶対、いつか殺す」

 

 背景に文字が書けるなら、『ゴゴゴゴゴ』とでもなりそう。

 

「そんな訳で、これから打ち合わせに行かなきゃいけないの。あ~あ、わたしもこんな事してないで、一緒に飲みたいな~」

 

 ……そうだ。

 思い立ったあたしは、声をかけた。

 

「なあ、孫策」

「うん?」

「その任務、あたしに手伝わせて貰えないか?」

「え? 美綴が?」

 

 あたしは、大きく頷く。

 

「あたし、何も仕事がないし。でも、頭使うの苦手だから、何か手伝えないかな、って」

「ふむ……。よし、その意気じゃ、美綴!」

 

 黄蓋さんが、あたしの背中をバシバシ叩く。

 結構力があるってか、痛いんですけど?

 

「いいの、本当に? 言っておくけど、危険を伴うわよ?」

「わかってる。この時代、この大陸じゃ、危険を避けて生きる、なんて無理だろうから。それに、あたしもいろいろと見てみたいんだ、この大陸を」

「そう……。わかった、じゃあお願いしちゃおうかな?」

 

 さっきまで暗かった孫策、一気に明るくなったな。

 ……黄蓋さんとの約束だ、やれるところからやってみるさ。

 

 

 

 三日後。

 袁術御用達の、蜂蜜商隊が出発。

 で、護衛を命じられた孫策も、

 

「やれやれ。じゃあ、行きましょうか」

 

 やはり気が進まないみたい。

 

「なぁ、孫策」

「何?」

「一つ、疑問があるんだが。何故、蜂蜜でここまで大仰な事になるんだ?」

 

 砂糖もないこの時代、甘味料として貴重な存在なのはわかる。

 ……にしても、ちょっと大げさすぎるんだよな、どう考えても。

 いくら物騒なご時世とは言え、交易商品に軍隊の警護付きとか、コスト悪すぎだろう。

 

「……簡単よ。袁術ちゃんの好物が、蜂蜜水だから」

「……は?」

 

 ちょっと待て。

 

「やっぱり、変だとお思いですか~?」

 

 間延びした声で、陸遜が話しかけてきた。

 何かあった時のために、という周瑜の判断であたし達に同行している。

 もっとも、黄蓋さんに言わせると、彼女は九節棍の遣い手でもあるらしい。

 ……あの巨大な胸が邪魔しなければ、の話らしいけど。

 

「そりゃ、あたしでも変だと思うさ。だって袁術一人だろ、実際に必要なのは」

「確かにそうなんですけどぉ。でも、袁術さん、何かというと蜂蜜水、ですからね~」

「おまけに、あの張勲が袁術ちゃんをダシに腹黒い事をする時、ご機嫌取りに飲ませるから。減りも早いのよ」

「それにしたって……」

 

 まだ、釈然としない。

 

「だいたい、蜂蜜なんてミツバチを飼えば済む事じゃないか」

「……は?」

「ええと、美綴さん?」

 

 二人がポカーンとあたしを見ている。

 

「な、何か変な事……言ったか?」

「変よ……。どうやって、蜜蜂を飼う気?」

「え? だって、こんな四角い箱に、巣みたいな模様を……」

 

 そこまで言って、ふと気がついた。

 

「な、なぁ、陸遜」

「はい~、何でしょう?」

「もしかして……。蜂蜜って、天然だけ? 養殖ってないの?」

「仰る意味がよくわかりませんが~。蜂蜜は全部、野生の巣を集めて作ってますよ~」

「げ? なら、とっても手間がかかって……あ」

「ご明察ですね~。そうなんです、蜂蜜はかなり高価な品物なのです」

「ま、袁術ちゃんの消費量が尋常じゃない、ってのは置いといて。警戒を厳重に、ってのはあながち不可解でもないのよ」

 

 う~ん、あたしの世界じゃ、蜂蜜を手にするのにそんなに苦労とかあり得なかったからなぁ。

 車も飛行機もない、道路もまともに整備されていない、治安も悪い……。

 つくづく、あたしは恵まれた世界にいたんだなぁ、ってのを再認識。

 

「……だからって、わたしにやらせる事はない、と思うけどね」

「袁術さんの軍、こういう任務ですら、担える人材がいませんからね~。雪蓮さまがお出になるかはともかく、ですけどぉ」

「あれ? でも袁術の配下って……紀霊とかいなかったっけ?」

「紀霊?……穏、知ってる?」

「いいえ。美綴さん、どなたですかぁ、その方?」

 

 ありゃりゃ、紀霊は存在していないのか。

 ……あと、袁術の配下って誰がいたっけか?

 蒔寺の奴なら、スラスラと出てくるんだろうけど……う~ん、思い浮かばん。

 

「美綴さん、本当に不思議な方ですねぇ」

「……そうね」

 

 そんな、生暖かい目で、あたしを見るな!

 

 

 

 日が傾いた頃。

 

「今日はここいらで野宿ね」

「じゃあ、まずは火をおこさないとな。あと、水」

 

 これなら、あたしも率先して動ける。

 

「……随分、手慣れてない?」

「ま、サバイバルならお手のものさ」

「さばいばる? 何ですかぁ、それ?」

「あ、野山である程度自給自足するというか……まぁ、野宿もその一つだ」

「ふ~ん。ま、いいわ。なら、わたしは軽く一杯……」

 

 早速酒かい!

 が、あたしがツッコミを入れるまでもなかった。

 

「ダメですよ、雪蓮さま。皆さんの支度が調ってからです」

「ぶーぶー。いいじゃないの、穏のケチー」

「冥琳さまから、ちゃ~んと監督するよう言われているんですぅ。だから、あまり我が儘言わないで下さい」

「わ、わかったから泣かないの。全くもう」

 

 この主従のことは、とりあえず置いておこう。

 あたしは、商隊を率いる男に話しかけた。

 

「おい、食材の用意はあるな?」

「え、ええ。と言っても麦に干し芋、あとは野菜と干し肉……ですかね」

「う~ん、イマイチもの足りないな。お、そうだ」

 

 おあつらえ向きに、すぐ近くに川が見える。

 そんなあたしに気づいたのか、孫策がやって来て、

 

「あら、今から釣りをする気? 夜が明けちゃうわよ、魚だって寝る時間だもの」

「わかってる。だから、叩き起こす」

「え?」

 

 両手で持てるぐらいの、小さめの岩を見つけた。

 うん、思ったほど重くない。

 

「せーのっ!」

 

 ブンッ!

 思い切り、川に向かって岩を叩き付けた。

 ガン!

 岩と岩をぶつけると、当然その衝撃は周囲、つまり水中に伝わる。

 その結果。

 

「あ、魚が浮いてきた」

「気絶しているだけだけどさ。でも、これなら楽だし手っ取り早いだろ?」

「そりゃそうだけど……。美綴、あなたも案外、荒々しいわね」

 

 孫策に言われたくないぞ、おい。

 

 

 

 そして、日がすっかり暮れた頃。

 

「お待ちどうさん」

 

 何故か、料理当番みたいな格好になってしまったけど、別に嫌いじゃないのでいいや、と。

 獲った魚は半分を火で炙り、残った半分は野菜と一緒に揚げてみた。

 天ぷら粉がありゃいいんだけど、片栗粉とかすぐに手に入りそうにないので断念、衣は一応ついているけど、ほとんど素揚げ状態。

 干し芋や干し肉は水で戻したり、軽く炙ってから麦と一緒に鍋に。

 雑多と言えば雑多だけど……でも、あたしはこの方が得意だし。

 人数が多いから、量を一度に作れるのはむしろありがたい。

 

「じゃ、いっただっきまーす」

「では、いただきます」

 

 孫策と陸遜の声を合図に、一同食事開始。

 

「この雑炊、美味しい!」

「うわ~、揚げ物も美味しいです~」

 

 他の面々も、どうやら喜んでくれているみたい。

 さて、あたしもいただきますか。

 

 

 

「美綴」

 

 後片付けを終えたあたしのところに、孫策が来た。

 もともと手伝ってくれる、という期待はしてなかったけど……案の定。

 まぁ、将来の王様候補だし、別にいいけどさ。

 

「つくづく、不思議ね、あなたって」

「そうかな?」

「ええ。明命や思春をあしらう強さを見せたかと思えば、あんな風に料理まで出来て。それに、わたし達にはまだ見えない何かを、貴女は見ている」

「……そんな、大層な奴じゃないよ。あたし、頭を使うよりは身体を動かしたい方だし」

「あはは、その意味ではわたし達、気が合うわね」

「……かもな」

 

 ふと、あたしは思い浮かんだ台詞を、口にする。

 

「なあ、孫策」

「うん?」

「アンタとは、殺す殺さないの関係までいきそうだ」

「……美綴? あなた、まさか……」

 

 慌てて身構える孫策。

 あ~、誤解されちゃったかな?

 

「待て待て。何も、孫策を害するつもりはない」

「……じゃあ、さっきの言葉の意味は、何?」

「お前とはとことんまでやりあえる友人になる、そう言いたかったんだけど。どうだろう?」

「……美綴」

「何となく、そんな気がするんだよ。あたしは」

「……そう。ふふっ」

 

 と、孫策はどこから出したのか、徳利と杯を置いた。

 そして、酒を満たすと、旨そうにそれを干す。

 

「今日は月が見事よ。こんな日に、月見酒しないのは、無粋じゃない?」

「……全く、黄蓋さんといいお前さんといい、酒好きだな」

「ええ。今日は、とことん付き合って貰うわよ? だって、こんなに気分がいいんですもの」

「……そうだな。それも悪くない」

 

 あたしも、倣って杯を干した。

 

「……美綴。貴女がそう言うのなら、わたしもあなたに言う事があるの」

「何?」

「名前。孫策じゃなく、雪蓮でいいわ」

 

 真名。

 神聖だからこそ、迂闊に名乗るべきでもなく、また呼ぶべきでもない……それは、ここに来て強く実感しているもの。

 それを許す、と?

 

「いいのか?」

「ええ。その代わり、わたしも貴女の事、他人行儀で呼びたくない」

「なら、綾子でいいよ。あたしは、真名がないからさ」

「……うん。改めてよろしくね、綾子」

「こちらこそ、雪蓮」

 

 カチンと杯を杯を合わせたあたし達。

 ……桃園の誓いならぬ、満月の誓い、って奴かな?



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「ふぁぁ……」

 

 思い切り伸びをする。

 結局、あれから雪蓮と……思い出せないぐらい、飲んだな。

 いろんな事を語ったし、ちょっとだけど本音も話してくれた。

 ……その代わり、流石に飲みすぎで頭が重いけどな。

 とは言え、早朝のせいもあるけど、やっぱり空気がさわやかだ。

 あたしのいた時代、中国は急成長と引き換えに、深刻な環境問題に悩んでいる……葛木先生が、授業でそんな話をしていたな。

 今時エコエコと騒いでいる連中、この空気を知ったら愕然とするだろうなぁ。

 昨日魚を採った川に行き、顔を洗う。

 水も程よく冷たいし、澄み切っている。

 ついでに、そのまま頭ごと、川の中へ。

 ブルブルと水気を切って、手拭いで拭く。

 うし、だいぶさっぱりした。

 さて、朝の自主トレ開始。

 

 

 

 こっちに来てから、あまり手にする機会のなかった、弓矢。

 静止して射る事はまずなさそうだけど、折角モノにした腕、むざむざ腐らせるつもりはない。

 まずは、身体を軽く解して、と。

 弓道部でやっていたのと同じ、ストレッチをひと通り。

 弓は、不用意に射ると、筋を痛める傾向があるからな。

 特に、これを使うような場面でそのザマじゃ、間違いなく生死に関わる。

 そういや、黄蓋さんも、弓を得意としてるって言ってたな。

 今度、心構えでも教えて貰おうかな。

 

 

 

 だいぶ、身体が暖まったところで、射を開始。

 的はないから、手近の大木に、メモ用紙を小刀で留めて、と。

 ちょっと小さいけど、無いものねだりをしてもしょうがない。

 メジャーがないので歩測でだいたい、三十メートルぐらいの間を置く。

 本当は安土(矢が痛まないようにするための盛土)とかも必要だけど……ま、そこまで望むのは贅沢って奴だ。

 ちなみにあたしの流派は、特にない。

 つーか、所謂弓道で、流派云々、ってのはあまり重要じゃない。

 強いて言うなら、あたしのスタイルは武射系。

 理由は簡単、その方があたしに合っていたから。

 ……ま、藤村先生はその辺放任主義って言うか、投げっぱなしだったから、好きにやるしかなかったのも確かだけどさ。

 そして、決めた位置に立ち、弓を構えた。

 キリキリと弦を弾く。

 久々に聞くけど、やっぱ心地よいもんだ。

 放った矢は、カツンと的に命中。

 どうやら、メモ用紙の真ん中のようだ。

 うん、腕が鈍ってなくて何より。

 よし、もう一度。

 

 

 

「ふう、こんなモンかな」

 

 小一時間ほどで、自主トレ終了。

 

「見事な腕前ね、綾子」

「雪蓮か。ずっと眺めていたようだけど?」

「あら、気づいていたの?」

 

 ニヤリと笑う雪蓮に、あたしも笑みで返す。

 

「ま、弓って奴は無心にならないといけないから。だから、周囲の気配にはより敏感になる」

「なるほどね。でも、こんな的によく当てられるわね」

 

 雪蓮が手にした、的代わりのメモ用紙。

 その中心付近は穴だらけ……というか、もはや破れないのが不思議な有様。

 

「これでも、弓は一番苦手なんだけどな」

「あら、言うじゃない。これなら、祭だけじゃなく、夏侯淵あたりともいい勝負になるんじゃない?」

「夏侯淵? 曹操配下の?」

「ええ。大陸一の弓使い、なんていう人もいるぐらいね」

 

 会ったことはないけど、きっと女性なんだろうな。

 

「どうかな。あたしのは、競技としての弓だから、実戦だとどうなるかは」

 

 この世界の弓は、あたしのよりも少し小さい。

 そして当たり前だけど、鏃は尖っているし、当たれば死に繋がる。

 ボウガンでヤガモを撃ったバカがいたけど、生物に対して矢を放つなんて、狩猟以外では許されない行為。

 そういう世界にいたあたしに取っては、弓ですら人殺しの道具、というのは未だに違和感がある。

 ……まだ、覚悟が出来ていない、そう言われても仕方ないな、こりゃ。

 

「雪蓮さま、美綴さん、朝ご飯ですよ~」

「穏が呼んでいるわ。行きましょ」

「ああ」

 

 とりあえず……難しく考えるの、ヤメ。

 なんか、あたしらしくないな、ここんとこ。

 ……ん?

 ふと、感じた妙な違和感。

 その刹那、あたしは本能的に、手にした矢を放っていた。

 

「ギャーッ!」

 

 見知らぬ男が、あたしの矢を肩に受け、転げ回っている。

 ……いきなりだったので、反射的に放った矢。

 それが、人間を傷つけている。

 

「あなた、何者?」

 

 雪蓮が、男に剣を突きつけている。

 頭に黄色いバンダナ……というか、ただの布を巻いている。

 

「た、助けてくれ! お、オレはまだ、死にたくない!」

「なら、知っている事を話しなさい。でないと」

 

 雪蓮の愛剣『南海覇王』が、朝日を受けてギラリと輝く。

 昨日、教えて貰ったんだけど、何でも孫堅さんの形見というか、孫家に代々伝わる名剣らしい。

 当然、相当な業物(わざもの)という事で……まさに、賊とおぼしき男の命は、風前の灯火。

 

「わ、わかった! な、何でも話す!」

 

 雪蓮の気迫に加え、首筋に南海覇王を突きつけられてるんじゃ、抵抗するだけ無駄だろう。

 

 

 

「あれね」

「ああ。ざっと、二百ってとこか」

 

 男に洗いざらい吐かせたところ、やはり賊がすぐそばにいるらしい。

 しかも。

 

「黄巾賊……いや、黄巾党、か」

「何か知ってるの、綾子?」

「……ああ」

 

 三国志の世界をかじった人間なら誰でも知る、一大事件。

 世界は違っても、歴史は変わらない……そういう事なんだろうな。

 

「じゃあ、貴方が戻り次第、わたし達を襲う手はずになっている。それで間違いないのね?」

「へ、へい! ありやせん!」

「そう。他には?」

「そ、それだけしか知らないでさぁ! ほ、ホントですって!」

 

 男の必死さから見て、ウソではなさそう。

 

「そう。なら、貴方はもう用済みね」

 

 雪蓮は眼を細め、南海覇王を振り上げた。

 

「ひ、ひいっ! や、約束が違うじゃねぇか!」

「約束? 正直に話せば殺さない、って事?」

「そ、そうだ! なのに、俺を殺す気かっ!」

「そうよ。だって、あなたを許したら、また罪もない民が悲しむもの」

「ひ、ひぃぃぃっ!」

 

 男は、一太刀で頸動脈を切られて……事切れた。

 目の前で、人が死ぬ。

 ……あまりの事に、現実感がない。

 

「綾子」

「…………」

「わたしを、非情だと思う?」

 

 雪蓮の目は笑っていない。

 いつもの明るく陽気な彼女ではなく、そこにいるのは……まさに覇王、というべき気迫を持った、強い女性だった。

 

「……わからない。でも、間違っているとは思わない。確かに、雪蓮の言う事も一理あるから」

 

 ごめんなさいで済めば、警察は要らない。

 あたしの世界で時々聞いたフレーズ。

 ……これも、やっぱりそうなんだ。

 今は物言わぬ存在となった賊の男。

 みっともなく命乞いはしたけど、何人かの命を奪ったのだろう。

 ……それも、自分たちの欲望を満たす、という理不尽極まりない理由で。

 あくまでも推測でしかないし、偏見かも知れない。

 ……でも、あたしはこの男よりも、雪蓮を信じたい。

 いや、信じなくっちゃ。

 預かった真名に、あたしなりに応えるためにも。

 

 

 

 男の情報を元に、雪蓮と二人、偵察に来たあたし。

 やはり黄色い布を巻いた連中が、一カ所に固まっている。

 

「どうする?」

「そうね。放っておく訳にはいかないわ。商隊が襲われたら、守るのも大変だし」

 

 打倒漢王朝という大義名分があっても、所詮は反乱でしかない。

 こうして、守るべき民衆を襲うようなマネをしている限り。

 歴史の事実としてそれは知っていたけど、実際に目の当たりにしてみると……やっぱ、許せない。

 

「やるしかない、か」

「ええ。戻って作戦を立てましょ」

「……いや、そんな余裕はなさそうだ」

「どういう事?」

「ほら」

 

 雪蓮は、あたしの指し示した方を見て、あっという顔。

 

「火の始末を始めている……って事は」

「そう。そろそろ動き出す、って訳じゃないか?」

「でも、戻って待ち構える時間も……くっ」

 

 カチャリと、剣を手にする雪蓮。

 

「おい、まさか一人で斬り込みかける気?」

「……ええ。二百と言ってもたかが賊よ。何とでも」

「無茶だって。雪蓮にもしもの事があったらどうする」

「その時はその時。蓮華もいるんだし」

「バカッ!」

 

 思わず、あたしは手を出してしまった。

 

「綾子?」

 

 雪蓮の頬が、赤くなっている。

 

「ゴメン。でも、落ち着いて。昨夜の誓い、忘れてないだろ?」

「そんな訳ないじゃない。わたしにも、大切な誓いだから」

「だったら、もう少し自分を大事にしろ! いいか、今は無茶をする時期でも場面でもない」

「でも、放っておいたら!」

「わかってる。でも、雪蓮のやろうとしている事は、ただの蛮勇だよ。それがわからない雪蓮じゃないだろ?」

「…………」

 

 下唇をギュッと噛みしめながらも、あたしの言葉を聞いてくれている。

 

「大丈夫。それより、あたしに策がある」

「策?」

「ああ。……周泰、頼みがある。出てきてくれない?」

 

 あたしの言葉を合図に、周泰登場。

 しっかし、つくづく忍者だわこの娘。

 

「気づかれていましたか。いつからですか?」

「うん? 南陽を出たあたりかな?」

「最初からですか。私もまだまだ未熟ですね」

 

 周泰、がっくりと落ち込んでいる。

 

「いや、それは違うさ。だって、雪蓮も気づいたの、さっきだろ?」

「全く、鋭いわね綾子は。そう、さっきわたしが叩かれた時に、ね。……冥琳が気を回したんだろうけど、わたしでも全然わからなかったのに。綾子、つくづく底が知れないわね」

 

 主が平手打ちを喰らって、僅かだけど空気が動いた。

 ……でも、あたしってこんなに鋭かったかな……?

 どうも、こっちに来てから、いろいろとパワーアップしている気がする。

 ……ま、今は気にしないでおこう。

 

「で。本隊に戻って、この事をまず陸遜に伝えて。あと……」

「わかりました。ではすぐに戻ります」

 

 再び姿を消した。

 

「どうするの?」

「ま、見てなって」

 

 

 

「お待たせしました」

 

 約束通り、十分程で周泰が戻ってきた。

 

「美綴さんの弓と、かき集めた矢。それに、荷駄の中にあったこれを」

「ありがとう」

「何それ?」

 

 革袋から取り出した物を、雪蓮に見せた。

 

「花火?」

「そう。これを、矢にくくりつけるんだ。悪いけど、二人とも手伝って」

「は、はい!」

「いいけど、どうするの?」

「へへ、ロケット花火もどきを、ね」

「ろけっと花火?」

「ま、いいからいいから」

 

 準備が整うと、あたしは弓を手に立ち、

 

「周泰。合図したら、こいつを反対の丘で派手に叩いて欲しい」

「それで、銅鑼を? 構いませんが」

「頼む。合図は、花火の三発目だ」

「わかりました。では!」

 

 再び、姿を消す周泰……流石にもう、驚かない。

 

「で、雪蓮には……」

 

 作戦を告げ、任務を耳打ち。

 

「いいけど、それだけ?」

 

 ちょっと不満そうだ。

 でも、作戦の変更はしない。

 

「それだけだ。じゃ、頼む」

「はーい」

 

 

 

「さて、と」

 

 一人になったあたしは、賊の集団を見やった。

 

「よーし、野郎ども。行くぞ」

「応!」

 

 頭とおぼしき奴を発見。

 あたしはそこで、大きく深呼吸。

 ……そして、これからの事に覚悟を決める。

 大切な人を守るため……そう。

 バシッと両手で頬を叩き、気合を入れた。

 

「よし!」

 

 そして弓を構え、盗賊の頭に狙いをつける。

 慣れ親しんだよりも少し離れているけど……不思議と、あたしは外す気がしなかった。

 

「……()っ!」

 

 矢は狙い違わず、頭に向かい。

 

「グワッ!」

 

 その眉間を射貫いた。

 もちろん、無事では済まない……恐らく、即死だろう。

 とうとう、この手で人を……殺した。

 その事実は、もう消しようがない。

 震える手を、あたしは無理に抑えつけた。

 

「済まないな。だけど……」

 

 さっき準備した、花火付きの矢をつがえ、放つ。

 賊が混乱の最中でなければ、この策はあまり効果がない。

 だから、後悔は後ですればいい……いや、そうでなければ。

 パーンと派手な音が響いた。

 火薬とはいえ所詮は花火。

 だが、混乱から立ち直る前の賊には、十分な効果があった。

 

「お、お頭がやられた!」

「て、敵襲~!」

「くそ、どこだ!」

 

 この辺りは木立が密集しているから、そうそう見つかりっこない。

 そして、三発目を打ち込んだ。

 すかさず銅鑼の音が響き渡り、連中はますます混乱する。

 

「盗賊ども! 貴様らは完全に包囲されている! 命惜しくば、武器を棄てて投降しろ!」

 

 そして、凛々しい雪蓮の声。

 戸惑う賊。

 うん、いいぞ、その調子だ。

 ……が、やはりというか、そうそう思い通りには行かないようで。

 

「騙されるな! てめぇら!」

 

 次席の指揮官……いや、次席の頭(?)らしき奴が、鎮めようと懸命だ。

 そして、騒ぎ立てる仲間を何人か、斬り捨てはじめた。

 非情だけど、流石に効いたのか、混乱が収まり始めた。

 ……やれやれ、しょうがない。

 あたしは、残った矢を、立て続けに射つ。

 連射なんて練習した事もないのに、あまりにもスムーズに身体が動いた。

 そして、叫んでいた幹部と、その周りが矢を受けて倒れた。

 

「さあ、どうする? 次はお前だぞ! 後から増援も迫っているぞ。皆殺しに遭いたいかっ!」

 

 ナイスタイミングで、雪蓮の畳み掛け。

 更に、彼方で土煙が上がる。

 観念したのか、賊たちはついに武器を捨て出した。

 ……ちなみに、あれは周泰に、とにかく土埃が立つように派手に動き回って貰っただけで、遠目だからこそ使えるトリック。

 ま、結果オーライって事で。

 

 

 

「お見事でした」

「美綴さん、まさに文武両道ですねぇ」

 

 陸遜が警護の兵士を引き連れてきて、賊は皆連行。

 もちろん、こちらは被害なし。

 雪蓮は暴れ足りなさそうだけど。

 ……で、陸遜も周泰も、しきりに感心……というか、何かあたしを見る目が変わってないか?

 

「いやいや、たまたまさ。それに、こんな子どもだまし、相手がまともな軍隊なら通用しないさ」

「いえ。流石は雪蓮様が、真名を預けられただけの事はあります」

「……知っていたのか」

「昨夜、聞いてしまいました。申し訳ありません!」

「ま、聞かれて悪い事はないし。な、雪蓮」

「そうね。だから明命、気にする事ないわよ」

「は、はい。わかりました」

 

 と、雪蓮があたしに顔を寄せてきた。

 

「綾子」

「ん?」

 

 こうしてみると、ホント美人だよな~。

 あたしも容姿にはそれなりに自信があるけど、並んだら……負けそう。

 

「……後悔、してる?」

「……いや。もう、吹っ切れた。やるさ、皆のためにも」

 

 キッパリと言い切ったあたしを見て、雪蓮は満足そうに頷いた。

 

「ん、ならいいの。さ、行きましょ」

「ああ」



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 あれから賊の襲撃もなく、一行は無事に目的地へ。

 同じ荊州の中とは言え、やっぱり中国は広いもんだ。

 

「へえ、結構大きな街だな」

「ここは襄陽というところです。大陸中から、人も物も集まりますから、賑わうのが当然ですね」

「太守は、劉表?」

「はい~、正解です」

「って事は、蔡瑁や張允、カイ越にカイ良、伊籍あたりもいるって事か」

 

 あたしの知識はゲームがベースだから、わかるのはせいぜい名前と能力値ぐらい。

 このあたりは出てきた筈だけど、この世界だと実在しない奴もいるんだろうな。

 ……と、陸遜と周泰が呆けている。

 

「どうした?」

「……いえ。劉表配下を、それだけ把握しているとは驚きです」

「明命ちゃんの言う通りです。わたしは立場上、知ってますけど」

 

 あ、勘ぐられたか?

 

「い、いや、あたしも旅の道すがら、いろいろと……な?」

「…………」

「…………」

 

 うむ、また誤解されたかな、もしや。

 そう言えば、雪蓮が妙に静かだけど。

 つーか、むしろ沈痛な顔。

 

「どうかしたのか、雪蓮?」

「……え? あ、うん……」

 

 生返事なんて、雪蓮らしくもない。

 と、陸遜が小声で話しかけてきた。

 

「美綴さん。劉表さんは、雪蓮様の仇なんです」

「仇?」

 

 あたしも、雪蓮に聞こえないぐらいの声で返す。

 

「はい。私が仕官したばかりの頃、孫堅様と劉表さんは戦っていたんです」

「……で、その戦いで、孫堅さんが?」

「はい……。命は助かったものの、傷が治らないうちに疫病で……」

 

 見ると、いつも明朗な周泰までも暗い顔をしている。

 黄蓋さんも、孫堅さん亡き後の苦労を語っていたし。

 うん、事情はわかった。

 なら、あたしのすべき事は……と。

 

「さて、飯にしようぜ」

 

 ポン、と雪蓮の肩を叩く。

 

「綾子……?」

「襄陽ってのは賑やかなんだろ? なら、美味いものもあるって訳だ」

「…………」

「あたしは、雪蓮の気持ちがわかる、なんて言わないぜ? でも、そんな顔をしていても、何も変わらないぞ」

「綾子……。あなた……」

「ま、頭で考える前に、まずは空腹を抑える事が先。な?」

 

 そう言って、ニカッと笑って見せる。

 苦しい時ほど、笑えってな。

 

「……不思議ね、本当にあなたって」

「難しい事考えるのは苦手だからな」

「……わかった。そうしましょう」

 

 やっと、いつもの雪蓮に戻ってくれた、かな?

 周泰と陸遜も、ホッと一息付いている。

 商隊の面々も食事となれば異論はないらしく、一同連れ立って食堂街へ。

 

 

 

 美味い昼食を済ませ、本来の目的だった蜂蜜も無事に購入。

 すかさずとんぼ返り……という訳ではないので、そのまま宿へ。

 まだ日も高いし、寝るには惜しい。

 折角だから、街を見て回りたいなぁ。

 

「う~ん、わたしはやめとく。いろいろとヤバいしね」

 

 それならそもそも、今回の任務自体が適任じゃないって事になるんだけど。

 

「張勲が腹黒い、って意味、少しはわかった?」

 

 ごもっとも。

 あたしが雪蓮の立場でも、やっぱりムカついただろうなぁ。

 

「では、私がご案内します」

「なら、私もご一緒していいですかぁ?」

 

 周泰と陸遜は来てくれるらしい。

 あたし一人だと、何かと勝手が違うので正直助かる。

 

「なら雪蓮、留守番だな」

「そうね。あ、帰りにお酒よろしくね」

 

「はいはい」

 

 全く、酒好きなのはどこにいても同じか。

 

「では、準備してきますので」

「ああ。じゃあ三十分……じゃないな、四半刻後に」

 

 あたしも準備……っても、何も無いな。

 この時代の金を持っている訳でもないし。

 いくら物騒な世の中とは言え、目立つ武器を持ち歩いて無用な警戒をされるのもアレだし。

 護身用に、何か手軽な武器でも欲しいところだな。

 まぁ、稼ぐ方法が見つかれば、だけどな。

 

 

 

 軽装になった周泰と、いつも通りの陸遜。

 もっとも、軍師がいつも甲冑姿なんてあり得ないけどさ。

 

「ねぇ、明命ちゃん。ちょっとだけ、寄ってもいい?」

 

 と、陸遜が書店を見ている。

 やっぱり軍師なんだなぁ、と変な感心をしてみるあたし。

 が、何故か周泰、慌てているんだけど。

 

「だ、ダメですよ! 穏さま」

「で、でもぉ、ちょっとだけでも」

「ダメです! 冥琳さまからも、絶対に止めるようにって言われていますから」

「う~。でも……」

 

 未練たっぷりの陸遜に、何がなんでも止めようとする周泰。

 ……何なんだ、一体?

 

「なぁ、陸遜は軍師だろ? なら、書を求めるのは当然だと思うんだけど」

 

 あ、陸遜の顔がパッと輝いた。

 

「そ、そうですよねぇ~。美綴さん、私の事もよくおわかりですね~」

「だ、だから、ダメなものはダメで……。美綴さま、止めて下さい!」

 

 どっちも譲らないなぁ。

 

「なら、周泰が買ってきたらどうなんだ? 欲しい本は決まってるんだろ?」

「え? は、はぁ……。ですが……」

「うう~」

 

 妥協案にも、どうにも煮え切らない。

 というか、話が見えない。

 

「周泰。どうしてそこまで止めるんだ?」

「え、ええとですね……。その、あの」

 

 思い切り動揺してるぞ?

 

「陸遜は行きたがってるのに、必死に止めるのがわからないんだよ。それに、周瑜がそれを頼んだってのも」

「それは……」

 

 言い辛そうだな。

 

「あ、無理には聞かない。言えない事情があるんだろ?」

「……すみませ~ん。私の病気のせいなんです……」

「の、穏さま!」

「いいんですよ、明命ちゃん。美綴さんが不審に思うのも当たり前ですから」

「穏さま……」

「どういう事だ?」

 

 周泰は目を伏せ、陸遜は搾り出すように、いつもよりも更にゆっくりと、語り出した。

 

「私……。素晴らしい書に出会うと、と~っても興奮してしまうんです」

「と、言うと?」

「はい~。例えば、美綴さんを襲っちゃうかも知れません」

「は、ハァ? あたしは、そっちの気はないぞ!」

 

 そうでなくても同性からもてて困ってたんだから、マジ勘弁。

 

「いえ、穏さまが仰ってるのは物の例えでして」

 

 いや、流石にわかってるけど。

 ホントに襲われたら、反射的に防衛行動に走るぞ。

 

「だから、書は好きですし。いろんな書を読みたいのですが……」

「……その調子で書店に入ったら最後、どんな事になるか予測するのも悍ましい、と」

「私としても、とても不本意なのですが……お止めするしかないんです」

 

 なるほどなぁ。

 しかし、厄介な病気というか……軍師が好きに書を読めないのは、何とかしないと。

 

「……とりあえず、今日のところは止めておこう。何か、ちゃんと手を考えておかないとダメだ」

「はい。穏さま、美綴さまの仰る通りですので」

「はぁ~い」

 

 不満そうだけど、仕方がない。

 ……ホント、何とかならないかな。

 こういう時、氷室あたりならいい考えが浮かぶんだろうけど、あたしじゃ無理。

 つくづく、自分のおバカさが恨めしい。

 

「あーっ!」

 

 あたしなりの悩みは、突如して上がった大声で中段。

 ……あれ、周泰?

 何やら硬直しているようだけど。

 

「お、お……」

「お?」

「お猫様~!!」

 

 へ?

 

「明命ちゃん、またですかぁ」

 

 またって何またって?

 見ると、三毛猫が毛繕い中。

 じりじりと間を詰めていく……でも、相手は野良猫。

 一定距離まで近づくと、身構えて……。

 周泰が手を伸ばしたその瞬間、ダッシュ。

 

「ああ~、申し訳ありません。貢ぎ物が……今、用意します!」

「貢ぎ物って……おい!」

 

 あっという間に、どっかに行ってしまった。

 

「……で、あたし達はどうすりゃいい?」

「……そうですねぇ、とりあえず市でも見に行きましょうか」

「……賛成」

 

 武将が女ばかりなのにも驚いたけど、みんななんていうか……個性強いかも。

 

 

 

「ふう、結構歩いたな」

「ですねぇ」

 

 市の外れにあった茶店で、一息つくあたし達。

 

「お猫様、待っていて下さらなかったのですね……」

 

 そして、すっかりしょげている周泰も。

 

「そんなに猫が好きなら、飼えばいいんじゃないか?」

「そうしたいのはやまやまなのですが、お猫様を養えるだけの給金がありませんから」

「そうなの?」

 

 こっくりと頷く。

 周泰の性格からして、誇張でもウソでもなさそうだ。

 

「でも、陸遜は高価な書を揃えているようだけど。そんなに給金に差が?」

「ああ、違うんです~。私は、実家が多少裕福ですので」

 

 多少、ね。

 この長閑(のどか)さ、そのあたりから来てるのかも。

 

「だから、お猫様をお見かけした時は、お近づきになれるよう努力を」

 

 う~ん、ピュアだ。

 こんな素直な娘だ、何とかしてやりたいなぁ。

 ……と、あたしのお節介スキルが発動。

 あ、そうだ。

 

「陸遜。この襄陽の規模なら、コレクターもいるんじゃないか?」

「これくたー、ですかぁ?」

 

 首をかしげる彼女。

 

「ああ、ゴメンゴメン。好事家というか、珍しい物を集める金持ちみたいなの」

「はぁ。それなら、いると思いますけどぉ」

「よし。なら、一旦宿に戻って、そいつのところへ行こう」

 

 一度決断すると、あたしは即行動がモットー。

 という事で、二人の手を引いて宿へレッツゴー。

 

「あ、あの、美綴さま?」

「あら~」

 

 戸惑っているようだけど、気にしない方向で。

 

 

 

 一刻後。

 ずっしりと重い革袋を手に、好事家の家を出るあたし達。

 

「思ったより、高く買って貰えたかな」

「す、凄い大金ですよ、これ」

 

 周泰が眼を丸くしてる。

 ちなみに売った物は、カバンに入っていた英単語暗記用のカード(白紙)に、赤い下敷きと赤マーカー。

 試験が近かったので入っていたけど……この時代じゃ役に立たないというか、使い道がない。

 でも、この時代の人からすれば、書いた文字をマーキングしてそれが見えなくなるとか、掌よりも小さい紙の束とか……ま、あり得ないよな。

 後は陸遜がばっちり交渉してくれたお陰で、まとまった金になった。

 ……決して、勉強が嫌で手放した訳じゃないからな?

 

 そして市で買い物をし、裏路地へ。

 

「美綴さま、薬の材料なんて揃えてどうするのです?」

「ま、いいからいいから。周泰、このあたりか?」

「は、はい。……あ、おられました!」

 

 裏路地で、日の差す一角。

 そこには、確かに猫たちの姿がある。

 日向ぼっこに格好の場所、って訳か。

 

「じゃ、周泰。これを持って、近づいてみな」

「え? で、ですが……」

 

 得体の知れない植物の茎や葉を渡され、明らかに戸惑っている。

 

「いいから、騙されたと思ってさ」

「は、はい」

 

 恐る恐る、猫たちに近づいていく。

 無論、連中もそれには気づいているし、当然警戒する。

 

「その茎を何本か、猫たちの前に投げて」

「え? でも、お猫様たちに当たったら」

「そんな程度でケガする筈もないし、そもそもよけるから大丈夫」

「わ、わかりました!」

 

 意を決し、周泰が放った茎は猫たちの前に。

 驚いてよけるものの、興味津々といった風情でそれに近づき……。

 

「ゴロゴロ」

「ニャ~ン」

 

 途端に、猫たちが無警戒状態に。

 

「え? こ、これは?」

 

 呆気にとられる周泰の頭をポン、と叩いてから、あたしは猫たちのところへ。

 そして、ブチ猫を抱きかかえてみせる。

 

「ホラ。今なら好きなだけ、抱けるぞ?」

「あ……」

 

 周泰は虎模様の猫に手を伸ばした。

 もちろん逃げも引っかく事もなく、大人しく彼女の腕の中に。

 

「あうあうぁ~」

 

 うん、至福の笑顔だな、まさに。

 

「モフモフですぅ」

 

 野良猫ならここまでするのは、普通は無理。

 でも、今の猫たちは全くの無抵抗。

 

「あの~、何をしたんですか、一体?」

 

 キョトンとしながら、残った茎を手にする陸遜。

 

木天蓼(またたび)さ」

「木天蓼? 確か、冷え性に効く薬の材料でしたね」

「そう。でもこれ、猫の大好物でもあるんだ」

「……なるほど。搦め手から攻めた訳ですか」

 

 妙に感心されてしまった。

 

「うふふふ、モフモフ、モフモフ~」

 そして、周泰は……しばらく元に戻らないな、これ。

 

 

 

 その夜。

 宿に戻ってから、何故か周泰が私の前で土下座。

 

「美綴さま! 是非、私をあなた様の弟子に!」

「い、いや、弟子っても……」

「お願いします! あ、真名もお預けします、私の事は明命とお呼び下さい」

 

 すっかり眼の色の変わってしまった周泰。

 

「い、いや、真名は……いいの?」

「はいっ!」

 

 断言されてしまった。

 

「じゃあ、あたしも綾子でいいけど」

「ありがとうございます! 綾子お姉さま!」

「ちょ、ちょっと待て! なんで『お姉さま』なんだ!」

「え? お気に召しませんか?」

 

 そこ、ウルウルすな!

 あたしが悪者みたいじゃないか。

「だぁぁ、わかったわかった! 好きにしろ!」

 

 パッと、満面の笑みを浮かべる周泰……いや、もう真名で呼ばないとまた泣かれそうだから、明命か。

 

 そして、何故か陸遜にも真名を預けられてしまった。

 

「それだけ機知に富んでいて、人を惹きつける御方ですから~」

 

 と、陸遜……もとい穏。

 ……なんか、どんどんあたしが過大評価されていく気がする。

 

「ま、なるようにしかならない、か」

 

 市で買った、猫のぬいぐるみ(明命とお揃い)を抱えながら、あたしは眼を閉じる。

 いろいろあって、疲れた……。



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 いろいろあったけど、襄陽の街を後に南陽へと向かう一行。

 昨日また市をぶらついて、剣を二振りゲット。

 片方は、まぁまぁ手頃、でも特に銘もない普通の剣。

 もう片方は……見た瞬間、インスピレーションというか、とにかく買わなきゃ、と思ったもの。

 衝動買いといえばそうなんだけど……この剣は何故か、手にしておかないと後で後悔する、そんな気がした。

 とは言っても、錆は浮いているわ刃こぼれしているわでそのままじゃ使えそうにもないんだけどさ。

 ともあれ、帰り道も気は抜けない。

 盗賊が減った訳でもなく、積み荷は高価な蜂蜜。

 でも、行きに比べれば幾分、慣れてきた気がする。

 ……まぁ、隣から明命が離れようとしないせいも、多分にあるかも。

 

「綾子お姉さま」

 

 この言われ方も、もう慣れた。

 つーか、悟った。

 

「どうした、明命?」

「いえ、お姉さまのようなお召し物、作れるでしょうか?」

「う~ん、どうだろ? 素材はともかく、デザインなら」

「でざいん?」

「意匠の事さ。こういう絵を描ける人を探せば、どうにかなるんじゃないか?」

 

 あたしが着ているTシャツの絵柄が、どうもかなり気に入ったようだ。

 キュートな猫デザインのだから、無理もない。

 

「でも、お金がかかりそうですね……」

「ま、後のお楽しみって奴じゃないか。まずは、今の境遇を何とかしないと」

 

 一時的な金なら、あたしの持ち物を売り払えばどうにかなる事はわかった。

 でも、例えばそれで兵士を養ったり、兵糧を用意したり……なんてのは、無理。

 そのあたりは、穏が教えてくれた。

 猫Tシャツを作れるようになるには、まだまだかかりそうだな。

 

 

 

 帰路について、三日目。

 

「雪蓮さま、只今戻りました」

「おかえり。どうだった?」

「はい。十里四方、特に異常はありません。このまま進んでいけると思います」

「わかったわ、ご苦労様」

 

 盗賊も昼間はあまり活動しないとは言っても、油断は禁物。

 そんな訳で、明命が偵察に行ってきたんだけど。

 ……十里四方って簡単に言うけど、普通に歩いたら一時間はかかる距離。

 それを素早く偵察してくるとはねぇ。

 

「綾子お姉さま。私の顔に、何かついていますか?」

「いや、そうじゃなくって。身のこなしが凄いな、って」

「私はこれが取り柄ですから。雪蓮さまや綾子お姉さまのように強くありませんし、穏さまみたいに頭も良くありませんし」

「そんな事ないさ。十分、凄いよ明命も」

 

 あまりの可愛さに、思わず頭を撫でてやる。

 

「はわっ! お、お姉さま」

「あ、嫌かな?」

「い、いえ……。はふぅ~」

 

 顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうだ。

 なので、もうちょっと続けてやろうっと。

 

「ふ~ん。仲がいいわね、本当の姉妹みたい」

 

 真名を預かっている事にも特に何も言わないけど、少なくとも雪蓮は好意的に受け止めてくれているようだ。

 

「こんな妹がいたら良かったんだけど、あいにく……な」

 

 あたしは、生意気な弟の顔を思い浮かべた。

 どうしてるんだろうか。

 桜に惚れているくせに、それを言い出せないシャイな奴だけど、あれでも弟は弟。

 ……少ししか経っていないのに、もう何年も見ていない気がするな、家族も友達も。

 

「どうかしましたか、綾子様?」

「い、いや、何でもないよ穏。ちょっと、家族とかの事を思い出していて」

「ご家族ですかぁ。きっと、皆さん凄腕なんでしょうね」

「そうね。綾子のご両親とか、きっと貴女の国でも名のある存在なんでしょう」

「……それはない。あたしの家は、ごくごく平凡な庶民だし」

 

 ……うん。

 完全に信用されてないようだ、眼がそう訴えている。

 ハァ、どんどんあたしが誇張されていくなぁ……。

 

 

 

 その夜。

 道すがらにある、大きめの邑で泊まりとなった。

 邑なのでちゃんとした宿屋じゃなく民宿みたいな雰囲気だけど、これはこれでいいかも。

 この時代、電気がある訳じゃないから、夜の明かりと言えば蝋燭か菜種油。

 どっちも貴重品なので、庶人が無闇に使えるものじゃない。

 なので、夜が更けたら、後は寝るだけ。

 ……なんだけど、そんなに早く寝るという習慣がなかったあたし。

 そうそう眠くならない。

 襄陽で買い求めた剣のうち、普通の方を手に、宿を出た。

 そして、宿の裏手へ。

 剣を鞘から抜く。

 月の光を受けて、刃が青白く輝いている。

 

「よし」

 

 ただひたすら、無心に剣を振ってみる。

 鍛えた鋼の重みがあるけど、思っていたよりは手に馴染む感じがする。

 ついでだから、イメトレもやってみるか。

 相手は……そうだな、藤村先生にしてみるか。

 何度か剣道場を借りて、稽古をお願いした事があるから、それを思い出せばいい。

 いい勝負にはなるけど、結局はいつも一本取られていたけどな。

 ……今なら、もう少し遣り合えるかも知れないけど。

 もしあっちに戻れる事があれば、一度手合わせをお願いしてみよう。

 とりあえず、仮想敵になっていただきますかね。

 ……今、家が数軒木っ端微塵ね。

 ……今度は、地面に月みたいにクレーターですよ?

 ……あ、慎二がわくわくざぶ~んまで吹っ飛ばされた。

 ……藤村先生を思い浮かべると、何故か人外な結果ばかり出るのは何故だろう。

 この世界も、大概人外ばっかりの筈なんだけどなぁ。

 ……うん、藤村先生、あなたはバーチャルでも敵に回さない方がいい事はよくわかりましたよ、ええ。

 

「お姉さま?」

「明命か。どうした?」

「いえ、外から話し声が聞こえたので」

 

 ……あれ?

 

「な、なぁ。そんなにはっきりと聞こえた?」

「は、はい」

 

 どうも、声に出していたらしい。

 こっちに来てから、独り言が増えた……のかなぁ。

 と、あたしは思考を中断。

 ……そう、この気配は……。

 

「綾子お姉さま」

「……ああ」

 

 殺気。

 それも一人じゃない、かなりの人数だ。

 

「雪蓮と、穏も起こしてきてくれ。あと、警護の連中も」

「はっ!」

「呼んだかしら?」

「もう起きてますから大丈夫ですよ~。ふぁぁぁ……」

 

 流石は、名のある将だけの事はあるようだ。

 気を回すだけ、無駄だったかな?

 

「明命。武器を取ってきたら、様子を探ってきて」

「御意!」

 

 身の軽さは、絶対あの娘には勝てないな。

 ま、人それぞれ、特技があるってのはいい事だけどさ。

 ……あたしは、一体何が特技なのかねぇ。

 

 

 

「なるほど~。黄色布を巻いた盗賊さん、五百名ですか」

「ちょっと多いわね」

「……確かに」

 

 明命の報告に、正直頭を抱えたくなった。

 この前の二百でも十分すぎたのに、今度は更にドン、更に倍。

 古すぎる、というツッコミが聞こえた気がするが、多分に空耳だろう。

 

「穏。どうする?」

「そうですねぇ」

 

 と、何故かあたしを見る穏。

 

「な、なんだ?」

「綾子さんの弓で、指揮官さんを倒すのは必須ですね~」

 

 あ、やっぱり。

 

「ただ、この間もそうだったけど、連中、意外とそれだけじゃ崩れないかも知れないぞ」

「はい~、それはその通りだと。ですが、後は雪蓮様と明命ちゃんで、頑張っていただきましょう」

「どういう事?」

 

 雪蓮が首を傾げる。

 

「今回は、投降させるのはちょっと無理かも知れませんが……」

「ま、いいわ。穏、作戦を説明して」

「はぁ~い♪」

 

 

 

 穏の指示通り、あたし達は展開を始めていた。

 

「あれです」

「わかった」

 

 明命があたりをつけてくれた、盗賊の頭目らしき男。

 腕組みをして、何か指示を飛ばしている。

 距離は……百メートル、いや百五十メートル以上はありそうだ。

 正直、この距離での弓は経験がない。

 三十三間堂の通し矢でさえ、百二十メートル程度だし、それですら普通の人間には無理な注文。

 それをいきなりやれ、ってんだから……穏もああ見えて、結構無茶振りするな。

 とは言え、時間がない。

 キリキリと矢をつがえ、放つ。

 

「う……」

 

 短くうめいて、頭目は倒れた。

 どうやら、首筋を射貫いたらしい。

 ……前ほど、手の震えは、ない。

 慣れたくはないけど、慣れるしかない……よな、こればかりは。

 

「では、後は手筈通りに」

「わかった。明命、気をつけろよ」

「綾子お姉さまも。では!」

 

 賊は予想通り混乱を始め、それを幹部とおぼしき連中が抑えにかかっている。

 ここまでは、前回と同じ。

 ただ違うのは、村の中という立地。

 つまり、一方的に弓で撃つのは不可能。

 あと違うのは、今日が夜、という事。

 そして、月が隠れ始めた。

 明るかったあたりが、不意に暗くなる。

 よし、今だ。

 距離を一気に詰めたあたしは、連中の至近距離まで迫っていた。

 しばし止まり、眼を閉じる。

 

「ギャァァァァ!」

「ふんっ!」

「はっ!」

 

 雪蓮と明命が、斬り込みをかけた。

 雪蓮は背後から、明命は頭上から。

 暗闇の中での出来事に、連中はますます混乱する。

 そして、あたしも眼を見開いた。

 よし、ある程度だけど、見える!

 

「ぐわぁぁぁ!」

「ぐふっ!」

 

 あたしの弓を合図に、他の兵士も一斉に矢を放つ。

 当てる事が目的ではなく、混乱を増幅させるのが狙い。

 

「て、敵の待ち伏せだぁ!」

「に、逃げろ!」

 

 もう、統率も何もあったもんじゃない。

 

「よし。かかれぇ!」

「応!」

 

 あたしの合図で、兵士達も斬り込む。

 もちろんあたしも、剣を抜いた。

 ザクリと肉を引き裂く感触。

 そして、返り血が降りかかる。

 もちろん、気持ちのいい訳がない。

 むしろ、吐きそうだ。

 ……でも、やらなきゃ、自分が、みんながやられてしまうだけだ。

 そう思い、気持ちを奮い立たせるしかない。

 

 だいぶ数が減ってきたが、それでも相手は大人数。

 剣も、最初ほどは斬れなくなってきた。

 切れ味が鈍ってきたのもあるし、そもそも、こんな重さのあるものをずっと振り回しながら動いているんだから。

 つまり、へばってきたって事。

 やっぱ、時代劇とかゲームみたいに、ひたすら無双……とか、あり得ないって事だな。

 返り血が眼に入り、視界が霞んでくるし。

 くそっ!

 

「ぐぼっ!」

 

 斬るというよりも、殴りつけるような格好。

 やばいな、そろそろ腕の感覚がなくなってきた。

 ふらついたあたしに、

 

「この野郎、くたばれ!」

 

 賊の白刃が、迫った。

 辛うじて受け止め、押し返した。

 ……が、その弾みで、剣を取り落としてしまう。

 もうダメ、かな。

 覚悟を決め、あたしは眼を閉じる。

 短い間にいろいろあったな。

 個性的な連中と親しくなったり、こうして人の命を手にかける事になったり。

 ……人を殺せばその報いが来る、そういう事なんだろうな。

 ……あれ、いつまで経っても、何もされない。

 霞む眼をこすりながら、恐る恐る見る。

 

「……ぐばっ!」

 

 あたしに剣を向けていた男が、倒れた。

 背中に、矢が刺さっている。

 あ、あれ、一体?

 

「うわぁぁぁぁ!」

「きぇぇぇぇぃ!」

 

 周囲には、いつの間にか無数の松明。

 そして、人、人、人。

 ど、どこからこんな人数が?

 

「無事か、美綴?」

 

 この声は……黄蓋さん?

 どこか懐かしくすらなった、ナイスバディ登場。

 

「おお、無事か。どうやら間に合ったようじゃの」

「ど、どうして……」

「話は後じゃ。ふむ、誰か」

「はっ!」

 

 兵士の一人がかけてきた。

 

「この者を、安全な場所に。少し休ませてやってくれ」

「ははっ!」

「こ、黄蓋さん。でも……」

「たまには年寄りの言う事も聞くもんじゃ。さ、行けい」

「は、ははっ」

 

 た、助かった。

 安心したせいか、あたしの意識はそこで途絶えた。

 

 

 

「…………」

 

 知らない天井で、眼が覚めた。

 夢でも見ていたのかな、あたし。

 

「おお、気がついたようじゃな」

「……黄蓋、さん?」

「うむ。二日も寝ておったから、気が気でなかったぞ」

 

 そう言いながらも、黄蓋さんは笑っている。

 

「あたし……何が……?」

 

 記憶が、ぼんやりと戻ってくる。

 確か、賊に襲われて、殺し合いになって……。

 ……そうだ、たくさんの血を見たんだ。

 

「うぷっ!」

「ほれ、桶じゃ」

「す、すみませ……げほっ、げほっ!」

 

 何も食べていないのに、胃の中のものが全て、逆流してくる。

 喉に苦いものがこみ上げてきて、桶の中がますますカオスに。

 

「よくやったの。しばらくは辛いじゃろうが……」

「ハァ、ハァ、ハァ……。え、ええ」

 

 布で、あたしの顔を拭う黄蓋さん。

 

「あ、ありがとうございます……」

「何、若い者はそれでいい。さ、もう少し休め」

 

 なんか、母さんにあやされているような気持ち。

 ……今は、この時を大切にしよう。

 あたしは、もう一度眼を閉じた。

 

「さて、儂も一眠りするかの」

 

 おやすみなさい。

 そして……ありがとうございます、黄蓋さん。

 

 

 

 後で聞くと、黄巾党が村を襲う、という情報が入り、周瑜が袁術に申し入れ、黄蓋さんが駆けつけた、という事だった。

 タイミングはまさに間一髪、というところだったみたいだけど。

 ……どうやら、あたしはもう少し、この世界にいてもいいみたいだな。



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 翌朝眼が覚めると、身体もだいぶ楽になり、頭もすっきり。

 雪蓮に穏、黄蓋さんの姿はもう、なかった。

 もともと黄蓋さんは賊征伐で出陣した都合上、作戦が終わったらさっさと引き上げる必要があり、蜂蜜も早く運ばないといけないので、警護で雪蓮と穏が同行。

 で、今回の行軍にはイレギュラー参加で、制約のない明命だけが、村に残った。

 まぁ、あまり世話をかけるつもりもないので、さっさと床上げ。

 

「綾子お姉さま、もう大丈夫なのですか?」

「ああ。いつまでも寝ていたら、身体にカビが生えちまうよ」

 

 奇跡的というか、あたしは過労で寝込んだものの、身体そのものは全くの無傷。

 剣同士で打ち合った時に、刃の破片が飛んでいたみたいだけど、全部胸当てとか籠手も刺さっていたし。

 まぁ、いろいろと考えると……運が良かったんだろうな、あたしは。

 今は、その幸運に感謝、だな。

 

「さて、ちょっと身体をほぐすかな。明命、付き合って貰える?」

「はい、喜んで!」

 

 う~ん、いい笑顔だ。

 もともと純な娘ってのは感じていた事だけど、何より心から慕ってくれているのが嬉しい。

 

 外に出た瞬間。

 

「ニャ~オ」

「ニャ~ン」

 

 ……なんでしょう、この猫の大群は。

 

「ほわわわ~、お猫様がたくさんいらっしゃいます」

 

 既に明命、トリップしかかってるけど。

 そのうちの一匹が、トコトコとあたしのところに歩いてきて、顔を持ち上げた。

 

「ん? 喉を撫でろ、って事か?」

「うにゃ~」

 

 そうだ、と言わんばかりなので、とりあえず撫でてやる。

 

「ゴロゴロ」

 

 喉を鳴らしながら、あたしの手にすりすり。

 や、やばい、可愛らしすぎる。

 それを見た他の猫たち、一斉に殺到。

 腹を見せて寝転がる子に、やたらと身体を擦りつけてくる子、甘えるように鳴き声を上げる子。

 

「綾子お姉さま、凄すぎです」

 

 いや、あたし何もしてないんだけど。

 木天蓼が、服にでも染み付いているのかな?

 でも、仕草が何か違うし……どうなってるの、これ?

 

 

 

「さて、と」

 

 いきなりの猫攻撃(?)で、ちょっと調子が狂ったけど、ストレッチ開始。

 明命は……。

 

「ほわわ~」

 

 ……まだトリップ中か。

 ちょっと可哀想だけど、現実に引き戻すか。

 すぅぅぅ。

 

「明命!!」

「ひゃ、ひゃい!」

 

 文字通り飛び上がる。

「気持ちはわかるが、とりあえずは付き合ってくれ。終わったら、好きなだけ堪能していいんだからさ」

「は、はい」

 

 

 

 軽く一時間は経っただろうか。

 おかげでいい汗をかいて、だいぶすっきりした。

 

「ふう、流石は明命だ。いい鍛錬になったよ」

「ありがとうございます。でも、一本も取れませんでしたけど」

 

 実際はきわどい場面もあったし、そこまで圧倒していたとも思わない。

 

「もっと自信を持て。まだまだ強くなる余地があると考えればいいだろ?」

「そ、そうですよね!」

「そうそう。常にポジティブ思考でないと」

「ぽじてぃぶ?」

「前向きに、って事。その方が明命らしくていいと思うぞ」

「は、はい。それにしても、綾子お姉さまの言葉、時々わからなくなりますね」

 

 横文字は使わないようにって思っているんだが、思わず出ちゃう事がある。

 向こうの世界では、ごく普通に使っている横文字がそれだけ多かったって事だろう。

 

「もし。そこの御仁」

 

 と、誰かが声をかけてきた。

 白を基調とした露出多めの服を着た、それでいて隙のない女性。

 手にした朱槍も、かなり使い込んでいると見た。

 

「あたし?」

「うむ。貴殿たちのお手並み、勝手ながら拝見させていただいていた」

「別に秘密でもなんでもないから構わないが」

「そう言って下さるか。いやはや、良いものを拝見できた」

 

 と、女姓は何か気づいたようで、

 

「おっと、名乗りも上げずに重ね重ね失礼した。私は姓は趙、名は雲、字は子龍と申す」

 

 流石にいちいち驚く事もないけど、はたまた有名人登場ですよ。

 趙雲って……あの趙雲、だよな?

 まだ劉備に仕えていないって事かな、でなきゃこんな場所にいる訳がない。

 

「あたしは姓が美綴で名が綾子。字はないよ」

「姓は周、名は泰、字は幼平です」

 

 すると趙雲はほぉ、という顔。

 

「字がないとは珍しい。私もあちこち旅をして来てからわかるが……。美綴殿は五胡あたりの出か?」

「いや、違う。東の島国から来たんだ」

「何と。風、稟、知っておるか?」

 

 趙雲が振り向き、後ろにいた女の子達に話しかけた。

「風は知りませんね~。稟ちゃん、どうですか?」

 

「いえ、私も初めて聞く名です」

「ふむ。だが、その武がもっとも興味深い……。一手所望したいが、よろしいかな?」

「え? アンタが?」

「そうだ。この者たちは武人ではないのでな」

 

 まぁ、それは見ればわかるけどさ。

 

「風は姓が程、名は立、字は仲徳です。よろしくです、お姉さん」

「私は戯志才です。よろしくお願いします」

 

 二人とも聞いたことのない名前。

 ただ、頭は良さそうだ。

 あたしが知らないだけで、きっと名のある人物なんだろうな、歴史的に。

 ……小さい女の子が、何故にペロペロキャンディーを舐めているのかは、大きな謎だけど。

 この時代に、そんなものがある訳ないと思う、流石に。

 

「ああ、よろしく。で、趙雲さん、相手はあたしか、それとも明命か?」

 

 趙雲はあたし達を見比べてから、

 

「やはり美綴殿かな。ところで、本来の得物は剣ではござらぬな?」

「へぇ、よくわかったな」

「うむ、どこか硬さがあったのでな。もちろん、それでも武人としては申し分のない腕前であったが」

 

 流石に、趙雲ぐらいの実力があると、その程度はお見通しか。

 

「明命」

「はっ! どうぞ」

 

 いつの間にか、あたしの薙刀を手にしている。

 以心伝心、ここまで来ると心地いいもんだね、うん。

 

「では、早速」

「いざ!」

 

 空気がピーンと張り詰めるような感触。

 盗賊を相手にするのとはやはり、訳が違う。

 本物の武人が持つ、気迫と威厳。

 これだけでも、趙雲が口だけの人物でない事がわかる。

 

「やあっ!」

「!!」

 

 繰り出される鋭い突きを、間一髪でかわす。

 時には柄で払うが、全く気を抜けない。

 甘寧や明命には悪いけど、実力は趙雲の方が上だろう。

 

「逃げてばかりでは、勝てませぬぞ?」

「だろうな。なら、これでどうだ!」

 

 後ろに飛び、薙刀を上段に構えた。

「では、今度はこっちから行くぜ!」

 そのまま、文字通り薙ぎ払うあたし。

 全て払われるが、それは織り込み済み。

 趙雲の槍が下りたところを見計らい、突きに切り替える。

 

「ぐうっ!」

 

 顔を顰めながらも、受け止める趙雲。

 そのまま二十合は打ち合っただろうか。

 互いに決定打のないまま、お互いに一旦距離を置く。

 

「想像以上だな、美綴殿?」

「それはこっちの台詞だな。流石は趙子龍ってトコか」

 

 ……あ、しまった、つい口が滑った。

 案の定、趙雲は訝しげにあたしを見ている。

 

「美綴殿は、私の事をご存知か?」

「い、いや、もちろん初対面さ」

「それにしては、何やら知っておられるな。お聞かせいただこうか」

 

 槍を構え直す趙雲。

 

「気にしないでくれ。あたしは率直に、アンタが強いな、って」

「そうは聞こえなかったが?」

 

 誤魔化すのは無理かな。

 でも、ホントの事は言えないし、言ったところで信じて貰える訳もないし。

 なら、言わずに済むようにすりゃいい……結構、それはそれで難題だけどな。

 

「ならば、腕ずくで聞き出してみるかい?」

「ほぉ、言うではないか。面白い!」

 

 冗談のような槍捌きを、これまた冗談みたいにかわしまくるあたし。

 某大佐じゃないけど、とにかく見えちゃうモンは見えちゃってる訳で。

 ……そして、気づいた。

 趙雲の、一見不規則に見える槍捌きに、ある特徴がある事を。

 突きの深さが、一定周期で繰り返されてる。

 つまりは……。

 

「そこだ!」

「!!」

 

 槍の軌跡を読んで、得物を跳ね上げる。

 そしてすかさず、石突きで肩を一撃。

 

「ううっ!」

 

 趙雲は槍を取り落とした。

 そして、その鼻先に薙刀を突きつけるあたし。

 

「ま、参った。私の負けだ」

「流石は綾子お姉さま……。見事です!」

「星ちゃんが負けるところなんて、初めて見ましたね~」

「ええ。星殿は私から見ても、かなりの手練れ……。それがあのようになるとは」

 

 賞賛の嵐。

 まぁ、悪い気はしないけどね……なんせ、あの趙子龍に勝ったんだし。

 

 

 

 三人も今日はこの村に滞在する、という事で。

 同じ宿に落ち着くと、

 

「では、お近づきに一献」

 

 う~ん、この時代の人は酒好きなのかな?

 雪蓮といい、黄蓋さんといい。

 

「なあ、一つ聞いていいか?」

「何かな、美綴殿?」

「……酒のツマミが、なんでメンマなんだ?」

「おや。メンマは嫌いですかな?」

 

 心外だと言わんばかりだな、趙雲。

 

「いや、そうじゃないけど」

「これほど酒に合う食べ物はありませぬぞ。さ、遠慮せずに」

「……明命。もしかして、あたしの方がおかしいのか?」

「い、いえ……。たぶん、お姉さまは問題ないかと」

「だよな……」

 

 これはこれで食えない訳じゃないので、まぁいいんだけど。

 

「ところでお姉さん。さっき、東の島国から来たって言ってましたね~?」

 

 ペロペロキャンディーを頭上の人形に持たせて、程立が会話に入ってくる。

 ……てか、この人形も謎すぎる。

 

「ああ。そうだけど」

「どのようなところか教えて貰えないでしょうか~。興味がありまして」

「そうだな……」

 

 どの程度まで話せばいいんだろうか。

 文明の世代がまるで違うし、横文字は使えないし。

 ……とりあえず、当たり障りのないあたりを、何とか連想。

 

「国の広さは、ここよりもずっと狭いんだ。あと、雨が多めで水資源が豊富、それに四季がはっきりしている」

「つまり、温暖にして湿潤、という事でしょうか?」

 

 戯志才も話に加わってくる。

 

「そうなるな」

「では、食べ物には困らない気候と風土という事ですか。豊かな国という印象を受けます」

「だから、あのように武に長ける、という事か?」

「いや、それは違うよ趙雲さん。基本、平和な国だから武を磨くというのは一部だけさ」

「ふむ。では美綴殿は選ばれし者であろうな。あれだけの腕の持ち主、これだけ諸国を巡った私でも、まだ出会っておらぬ」

 

 また誤解されているようだけど、訂正するのも面倒だから、敢えてスルー。

 

「そう言えば、三人はずっと旅を?」

「私は、仕えるべき主探しでな」

「私もです」

「……ぐー」

 

 趙雲と戯志才は答えたが……程立が寝てる。

 

「寝るな!」

「……おおっ! つい陽気に釣られてうとうとしてしまいました」

「……今日、曇り空なんだけどな」

「おうおう、細かい事気にするなよ、姉ちゃん」

 

 頭上の人形がしゃべった。

 ……な訳がないってか、腹話術か?

 

「俺は宝譿だ。この風の相棒、よろしくな」

「……よろしく」

 

 うん、ツッコミ入れたら負けだから、これ。

 

「でさ、程立は何を目的にしているんだ?」

「そうですね~。稟ちゃんは仕えるべき相手を決めているようですけど。風はまだですね」

 

 と、何故か程立、ジーッとあたしを見つめている。

 

「な、何?」

「例えばですけど、お姉さんに仕える事になるかも知れませんね~」

「は?」

 

 意味がわからん。

 あたしは家臣どころか、袁術の食客でしかない雪蓮の世話になっている程度。

 この、一見つかみ所がない、でもあたしの何倍も頭の回る娘が家臣とか。

 ……うん、あり得ない。

 絶対無理。

 

「ふむ。それも一興か」

 

 ニヤリと笑う趙雲。

 

「お、おい。あたしをからかっても何も出ないぞ? なあ、戯志才?」

 

 一番冷静そうな奴に話を振る。

 戯志才はそんなあたしを見ながら、

 

「星殿も風も、茶化してはいますが何割かは本気で言っているようですよ。私から見ても、美綴殿は将器たる素質をお持ちですしね」

 

 ……あたし、一体何者だと思われているんだ?

 

「私も、雪蓮様よりもお姉さまと先に出会っていたら、迷わずお姉さまに仕えていましたよ、きっと」

「って明命?」

 

 あ、酒が入って変なスイッチが入ったか?

 そのままスリスリと……って、仕草まで猫っぽくなってるし。

 

「ならば周泰殿。美綴殿の事、とくとお聞かせ願いたい」

「はい! 綾子お姉さまの凄いのはですね」

 

 まさに四面楚歌。

 もう、好きにして……。

 

 

 

 そして夜が明け。

 

「ではでは、またお会いしましょう~」

「いつの日か、共に戦いましょうぞ」

「お二方とも、お達者で」

 

 三人は、再び旅を続けるという。

 あたしと明命も、南陽へ戻る事にした。

 なので、ここで一旦のお別れに。

 

「賑やかな方々でしたね」

「まぁ……な」

 

 おかげで、だいぶ精神的にくたびれたけど。

 でも、叶うなら次に出会う時、敵ではなく味方であって欲しいけどな。

 

「じゃあ、行くか」

「はい……。ところでお姉さま。このお猫様達は」

「……わからん」

 

 木天蓼もないのに、何故かあたしの周りは猫だらけだった。

 このまま南陽までとか……ないわ。

 

「うにゃ~」

「綾子お姉さまに一生ついていきます、とお猫様が仰せに」

「言ってねぇ!」

 

 こうして、大量のお供(?)と共に、雪蓮たちの待つ南陽へと発った。

 ……無事に着けるのか、これ?



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 山を飛び、谷を越え……てはいないけど、決して平坦とは言えない道のり。

 それを幾日も歩き、見えてきたもの。

 そう、南陽の街。

 二人とも、無事に辿り着く事が出来た。

 

「やれやれ、やっと帰れたな」

「はい、本当に久しぶりの気がします」

 

 実際には一月ぐらいなんだけど、いろいろありまくりだったからなぁ。

 この数日だけでも、盗賊に三度ほど襲われたし。

 ……当然、全員返り討ちにしたけどな。

 つくづく、自分が強くなっている事を再認識する日々。

 同時に実戦経験が、所詮は競技でしかない武道とは違うものかも痛感している。

 

「さ、行きましょう。雪蓮様がお待ちかねでしょうから」

 

 とりあえず、感慨に耽るのは後回しだ。

 ……似合わないだけ、って話もあるか。

 

「ああ、そうだな」

 

 城門を潜る時、

 

「にゃあ!」

「ニャン!」

 

 結局ずっとついてきた猫達が、サッといなくなった。

 

「あ、お猫様が」

「ここまで着いてきたって事は……。逃げた訳じゃないんだろ。またやって来るよ」

 

 実際、道中は食料をやらなかった……というか、そんな余裕はなかったし。

 正確に数を数えた訳でもないけど、見覚えのある柄は一匹も脱落していない……と思う。

 この時代の野良なのだから、自給自足するぐらいの逞しさはありそう。

 とは言え、一時的に猫が去っていくと。

 案の定、落ち込む明命。

 何とか励ましたくて、わしわしと頭を撫でてやる。

 

「お、お姉さま……」

 

 ん、何か嬉しそうにしてる気が……。

 つか、この小動物的な可愛さは……おっと、危ない危ない。

 

 

 

「綾子、お帰りなさい」

 

 見慣れた屋敷で、雪蓮と周瑜が迎えてくれた。

 

「心配かけてすまん。けど、もう大丈夫」

「……ふふ」

 

 周瑜が、あたしの顔を見て笑みを浮かべる。

 

「どうした? あたしの顔に何かついているか?」

「いや、顔つきが変わった……そう思ってな。ここに来た時は、強さも感じたが、それ以上に脆さがあった。だが、今は違う。いい眼をしている」

「冥琳もそう思う? 今の綾子なら、わたしでも互角……ううん、もしかしたら勝てないかもね」

 

 それは流石に、と言いたかったけど、あながち否定出来ないあたし。

 

「雪蓮の見立てなら、間違いはないだろう。とりあえず、今日はもう休むといい」

「それじゃ綾子。無事の帰りを祝ってこれから……」

 

 そう言いかけた雪蓮の首根っこを、むんずと掴む周瑜。

 

「これから何をする気だ、伯符?」

「そりゃもちろん、お酒を……って、ダメ?」

「ダメに決まっているだろうが! 仕事ならいくらでもあるんだ、サボってないで取りかかれ!」

「ぶーぶー、いいじゃないの今日ぐらい」

「雪蓮の場合は、何かというと酒、という日の方が圧倒的に多いのだがな?」

「冥琳のけちー、いけずー」

「何とでも言え。ほら、行くぞ」

「あーん、助けて綾子ー、明命ー」

 

 ズルズルと引き摺られていく、未来の呉王。

 

「お、お姉さま……どうしましょうか?」

「どう、って。あの状態の周瑜に、何かする自信あるのか?」

「……いえ」

 

 まぁ……頑張れ、雪蓮。

 

 

 

 さて。

 休んでいいとは言われたが……流石に寝るには、まだ日が高い。

 明命もやる事があるみたいで、どこかへ行ってしまった。

 袁術との関係を考えると、あたしがあまり勝手に城の中を彷徨く訳にもいかない。

 何かあって、雪蓮に迷惑がかかるとマズイしな。

 ……そんな訳で、ぶっちゃけ、ヒマ。

 

「あら?」

 

 と、そこにやってきたのは孫権。

 

「戻ったとは聞いたけど、元気そうね」

「ああ。色々あったけど、何とか……な」

「そう」

 

 周瑜みたいに、しげしげと見られるあたし。

 

「雰囲気、変わったようね」

「かもな」

「ふ~ん。……あ、そうだわ。美綴、手空いてる?」

「見ての通り、ヒマだけど」

「なら、ちょっと付き合って貰える?」

 

 孫権から誘われるなんて珍しいな。

 

「いいぜ」

 

 何をするのかは聞かなかったけど、真面目な娘だ、理不尽な事にはならないだろ。

 

 

 

 連れて来られたのは、街。

 

「何か買い物か?」

「それも悪くないけど、今日は自主的に仕事ね。誰に頼まれた訳じゃないんだけど」

 

 内職……とか、そういうタイプじゃなさそうだけどなぁ。

 

「見廻りか?」

「正解よ。警らは本来、警備の兵士がする事なんだけど……」

 

 そう言いながら、孫権は大きな溜め息を一つ。

 

「……もしかして。あまり大きな声では言えないが、って奴か」

「そう。太守がアレだから、どうしても手薄なのよ」

 

 激しく納得……ってのもどうかとは思うけど、その通りだし。

 

「治安は大事なのに、全くその方には気が回ってないのよ。だから、見るに見かねて、ってところ」

「確かにな。税収は減る、人口は減る、おまけに盗賊が増えて更に治安が悪化。まぁ、いい事はないな」

「……結構、わかっているのね」

 

 意外そうな孫権。

 まぁ、ゲームやってりゃ、その程度はわかる。

 もっとも、ソースがゲームだなんて、少なくとも目の前の人物には言えないけどな。

 

「全てがそう。とにかく、袁術には、民を支配する資格はない」

 

 孫権は眼を臥せる。

 

「民には罪はないわ。彼らを守り幸せに暮らせるようにするのも、逆に恨みを買って抵抗勢力にするのも、全ては支配する側次第だから」

「…………」

「袁術にはその自覚がない。君主に自覚がないなら、臣下が教え諭せばいい。でも、それもない」

 

 無念そうに、唇を噛み締める。

 

「私が太守なら、少なくとも無為に民を苦しめはしない。……でも、今は想いだけでそれを具現化できる力がない」

「そこまで考えているなら、立派だと思うよ」

「考えるだけなら、誰でも出来る事よ。でも、ずっとこのままでいい筈もないわ」

「それで、せめて警らでも、と?」

 

 頷いた孫権の表情は、曇っている。

 

「もちろん、根本的な対策じゃない事ぐらい、わかってる。でも、無力な私には、この程度しか」

 

 う~ん、ネガティブ思考に陥ってるな。

 なら、切り替えて貰いますかね。

 

「あたしには、難しい事はわからないよ。頭も悪いしさ」

「……それ、自慢にならないわよ?」

「いいんだ、自覚してるから。だから、孫権みたいにいろいろ考える奴は、素直に凄いと思う」

「そうかしら……。雪蓮姉様みたいな人なら、道を自分で切り開けるだろうけど……」

 

 自嘲気味に笑って、

 

「私にはそれだけの覇気も実力もない。所詮は頭でっかちなだけで」

「おっと、そこまでにしな」

 

 あたしは、わざと孫権の話を遮る。

 

「美綴?」

「さっき、自分で言ったよな。主人の至らないところは、家来が補えばいいって」

「……言ったわ、確かに」

「なら、そうすればいいじゃないか。周瑜に黄蓋さん、甘寧、穏に明命だっている。あと、バカだけどさ……あたしだって」

「プッ」

 

 思わず噴き出す彼女。

 

「そうそう。そんな感じで、笑っていなよ。いずれは上に立つ奴がネガテ……いや、後ろ向きじゃ、国中が暗くなるぜ?」

「美綴……」

「美人は笑顔が一番だぞ。あたしみたいにな」

「……ふふ。凄い自信ね」

 

 うん、さっきよりいい笑顔だね。

 

「天狗はダメだけど、自信は持つべきじゃないかな。これ、あたしのポリシー」

「ぽりしぃ?」

 

 あ、また横文字使っちまった。

 

「信念さ」

 

 孫権は、キッパリと言い切るあたしに少しばかり驚いたようだ。

 

「強いのね、貴女は」

「そうかな。これが普通だけどな」

「そう。……姉様が真名を預けた理由、わかる気がするわ」

 

 ふう、と息を吐く孫権。

 さっきまでの、悩んでいる様子もない。

 晴れ晴れとした、いい顔つきをしているな。

 

「さて、見廻りするんだろ。行こうぜ?」

「そうね。折角だから、少し案内するわ」

 

 

 

 いくら太守がおバカちゃんとは言っても、もともとの立地がよく、人口も多い荊州北部。

 自然、賑わいを見せる土地柄、かなり豊かな方に入るらしい。

 人の数が多ければ、比例して犯罪も起きやすくなる。

 そこは為政者の腕の見せ処で、見事治めればそれだけの見返りがある。

 ……筈なんだけど。

 目付きの悪い奴らとか、ガラの悪そうな奴らとか、胡散臭い奴らとか……ちょっと歩いただけでも、いるわいるわ。

 襄陽と比べると、活気がやや劣るのは、あたしの気のせいって訳でもなさそうだ。

 ガシャンと、何かをひっくり返す音が。

 あたし達は頷き合い、駆け出した。

 

 

 

「お、お前さん方。何をするだ!」

「バカ野郎。俺様から金を取ろうだぁ?」

「全くだ。オメェ、頭大丈夫か?」

 

 露天が壊され、商品が散乱していた。

 そして、大柄な男に胸ぐらを捕まれている爺さん。

 そのそばで、女の子が別の男に羽交い締めにされている。

 

「や、やめて! おじいちゃんから手を離して!」

「うるせぇ、このガキ!」

「おい、じじい。このガキ、借りてくぜ。もっとも、返すつもりはねぇがな」

「あ、菖蒲(あやめ)! 孫娘には手を出すでねぇ!」

「やかましい!」

 

 剣の柄で殴られた爺さん、額が割れて血が流れ出す。

 

「さ、来いよガキ」

「い、嫌ぁぁぁ! おじいちゃん! だ、誰か助けて!」

 

 女の子は必死で周りを見渡す。

 が、いかにも、という連中に怯えて、誰も手助けする様子がない。

 

「美綴」

「ああ、行くぞ」

「へっへっへ、誰も助けなんてい……いででででで!」

 

 女の子を捕まえていた男の腕を、ねじり上げる。

 

「全く。下衆とはまさにお前らの事だな」

 

 突然乱入したあたし達に一瞬怯んだ男達。

 が、女の二人連れと見て、嫌らしい目つきで迫ってきた。

 

「へっへっへ、威勢のいい姉ちゃん。なら、ちょっと俺たちとつきあ……へごばっ!」

 

 声をかけてきたそんな輩の一人、皆まで言わせずアゴにアッパー。

 歯の数本は折れたかも知れないな、手応えからして。

 

「このアマ! 何しやがる!」

 

 いきり立った男達が、あたしと孫権を取り囲む。

 中には脅しのつもりか、剣を抜く奴まで。

 

「さて、どうする?」

「決まっているだろう? こういう連中には、身体でわからせるしかないさ」

 

 孫権の腕前はまだ見ていないが、自分で警らをする言い出すあたり、それなりに覚えはあるんだろう。

 身のこなしから見ても、修練を積んでいるってのはわかるし。

 ……まぁ、目の前のバカ共は、全く気づいていないようだけど。

 

「死ね!」

 

 力任せに振り回される剣。

 手入れが悪いようで、錆が浮いていたり、刃こぼれがあったり。

 あたしが襄陽で衝動買いした剣よりは、いくらか斬れそう……その程度。

 そもそも、振りが大きすぎ。

 

「隙だらけだぞ!」

 

 がら空きの脇腹に、回し蹴りを叩き込む。

 

「ギャーッ!」

 

 肋の数本は固そうだ。

 もちろん、そいつは戦闘続行不能。

 孫権は、剣を抜き、斬り結んでいる。

 

「ひ、ひぎぃ!」

 

 男の一人が、剣ごと腕を斬り飛ばされた。

 なかなか容赦がないねぇ。

 

「くそっ!」

「おっと」

 

 ナイフごと突っ込んできた男の腕を捕まえ、

 

「それっ!」

「いでででででっ!」

 

 そのままへし折ってやる。

 

「美綴! 剣は!」

「要らないね。この程度なら」

「そうか。せやっ!」

「うぎゃー!!」

 

 また一人、孫権に膝を斬られる。

 

「う、動くなテメェら!」

 

 連中の一人が、さっきの女の子に小刀を突きつけている。

 

「動けば……わかるな?」

「クッ! 卑怯だぞ、貴様ら!」

「やかましい! このガキぶっ殺されたくなかったら、武器を捨てろ!」

 

 孫権の一喝にも怯まない。

 度胸がいいのか、底抜けのバカなのか。

 孫権が、剣を地に放り投げた。

 比較的軽傷の別の男が、それを拾い、孫権に突きつける。

 あたしも、鞘ごと剣を引き抜く。

 

「それも捨てろ! ガキがどうなってもいいのか!」

「あ~、わかったわかった」

 

 剣を投げる仕草をしつつ、あたしは素早くポケットに手を突っ込む。

 そして、剣を放り投げると同時に、手にしたそれを、ナイフ男に投げつけた。

 

「ぐはっ!」

 

 眉間を割られた男、ノックアウト。

 ポケットの五円玉を、銭形平次よろしく投げつけてみたんだけどね。

 

「てめぇ!」

 

 孫権の剣を奪った男が、いきり立って孫権を突き刺そうとする。

 ……が。

 チリーンという鈴の音と共に。

 

「……あ?」

 

 男は何が起こったのかも、理解する間もなかっただろう。

 なんせ、その瞬間に自分の首が飛んでいたのだから。

 

「助かったわ、思春」

「はっ。……美綴、貴様気づいていたな?」

「ん~? 何の話?」

 

 惚けるあたし。

 甘寧が、屋敷を出てから見え隠れについてきている事は、確かに気づいていた。

 もっとも、何もなければ出てくるつもりがないのはわかっていたから、素知らぬフリをしてみただけ。

 

「フン。蓮華様、お怪我は」

「え、ええ、大丈夫」

「では、後始末は私の方で」

 

 男達は、生きていた奴も全員、処刑は免れないだろう。

 自業自得とは言え、死刑廃止論者すらいた時代から見れば、何とも過酷な限り。

 ……でも、これが今の現実。

 

 

 

「ありがとうごぜえますだ、何とお礼を申してよいやら」

 

 爺さん、あたし達が気にするなって言っても、頭を下げるのを止めない。

 

「こちらこそ、警備が行き届かずに酷い目に遭わせてしまった。申し訳ない」

「とにかく、無事で良かった。じゃ、気をつけて帰りな」

 

 その場を去ろうとするあたし達。

 が、爺さん、服の裾を掴んで放そうとしない。

 

「そ、それじゃおいらの気が済まねぇだ! お、お礼をさせて下せぇ」

「だからそのようなつもりはない。気にしないで欲しい」

 

 孫権に同じく。

 だいたい、このぐらいでお礼されていたらキリがないし。

 

「菖蒲。よいな?」

「うん、じゃなくって……はい!」

 

 爺さんと女の子、何か頷き合ってるけど。

 

「美綴様、でしたかな?」

「え? あたし?」

「おいらには何もねぇ。だから、この孫娘を、使ってやって下せぇ」

「……へ?」

 

 唖然とするあたしと孫権。

 

「い、いや、あたしは……」

「じゃ、しっかりやるだぞ?」

「はい。美綴様、よろしくお願いします!」

 

 ……どうなってるんだ、一体?

 つか、何故に孫権じゃなくあたし?

 訳もわからず混乱するあたしと、あまりの急転直下に目を白黒させている孫権と。

 ……そして、あたしの目の前でニコニコ、目を輝かせる女の子。

 ああ、もう何がなんだか……ハァ。



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 馬に乗るのって、案外難しいモンだ。

 この時代は鞍も鐙もないから、余計に乗り手の技量が問われる、ってのもあるだろうけど。

 もっとも、あたしが考える以上にこの時代の馬は高価らしい。

 

「綾子は将だもの。馬に乗っていてもおかしくないわよ?」

 

 という、雪蓮の一言でこうなっている。

 まぁ、悪い気分じゃないけど……いつの間にか、あたしも将にされてしまったな。

 

 しかし、ホントに束の間の平穏だった。

 

「全く、人使いが荒いんだから」

「仕方あるまい。今回は事情が事情なのだ」

「わかってるけどね、そりゃ」

 

 商隊警護から戻って休む間もなく、出陣命令が下ったとあり、雪蓮はご機嫌斜め。

 ただ、今回は規模が違う。

 袁術と張勲のコンビは相変わらずいないものの、与えられた兵士は一気に二桁増。

 そして、雪蓮一統は全員が参加。

 ……あたしと、結局ついてきた菖蒲も含めて。

 ちなみに菖蒲ってのは、あたしから離れようとしない娘、徐盛の真名。

 結局城に連れて帰るハメになり、雪蓮達を前に自己紹介の最中、いきなり真名を預けます……と。

 流石に断ろうとした途端、

 

「ダメ……ですか?」

 

 って目をうるうるさせて頼まれ……押し切られた。

 ……この、可愛いものに目がない性分、実は結構損をして……いや、気のせいにしておこう。

 それだけでも頭が痛いってのに、

 

「綾子様が戦うのに、私だけ留守番なんて出来ません。お供します」

 

 と、無理矢理についてきた次第。

 まだ剣も修行中らしいし、市で見た限り、まだまだ武人としてはこれから、というところかな。

 それだけに、あまり無理はさせたくないんだが……。

 

「ま、いいんじゃない? 綾子が守ってあげればいいのよ」

 

 と、お気楽に雪蓮に言われる始末。

 あたし、何でも出来ると思われてないだろうな……マジ勘弁だ、それは。

 

 

 

「雪蓮さま、只今戻りました」

 

 偵察に出ていた、明命と甘寧が戻ってきたようだ。

 二人とも、普段にも増して動きが機敏な気がする。

 

「ご苦労様。どうだった?」

「間違いなく、張角ら黄巾党の主だった者共、揃っています」

「糧秣もかなりの量で、規模からして連中の本隊である事は確実と思われます」

「そう。でも、あれだけ大きな陣を構えるとはね。どう思う、冥琳?」

「狙いがわからんのだ。都を窺うのであれば、方角が違うしな」

「そうね。ただ、かなりの数が集まっている事は確か、か」

 

 あたしが見る限りでも、十万近い軍勢の集まりだ。

 周瑜曰く、これでも少ない方で、本来なら二、三十万いてもおかしくない、との事だ。

 こちらは六万で、しかもあの袁術軍の兵士だけあり、練度は今ひとつ。

 その上、精鋭と呼べる兵は全て本拠地の警護が手薄になるという理由で除外され、割り当てられたのは新兵と老兵が主体。

 ある意味嫌がらせでもあるな、これ。

 ……正直、戦力としては心許ないどころか、不安だらけ。

 

「せめて、儂自ら調練した兵が二万もあれば、思う存分暴れてやれるのじゃがのう」

「ないものねだりですけどね~。でも、確かにこの兵士さん達では、祭さまの指揮でも厳しいですよ」

 

 戦争は数も大事だが、やはり質の高い兵を揃え、優れた作戦と万全の指揮が必要不可欠。

 これで敵が少数ならば、烏合の衆相手に、正規軍が負ける要素もないんだろうけど……。

 黄蓋さんみたいな猛者も、穏みたいな秀才でも、ない袖は振れない……その一言に尽きるって事。

 マウスをクリックすれば湧いてくる訳じゃないし。

 

「う~ん」

 

 考え込んでいた雪蓮が、閃いたように言った。

 

「綾子。あなたならどうする?」

「……はい?」

 

 その一言で、全員の視線があたしに向けられた。

 

「ちょ、ちょっと待て。何故そこで、あたしに振る?」

「だって、皆が手詰まりなんですもの。あなたなら、何かいい思案でもあるんじゃないかな、って」

「そんなモン、あたしの数万倍頭のいい周瑜や穏が思い付かないのに、無理無理無理!」

「あら、常に前向きが、貴女のぽりしぃ、じゃなかったの?」

 

 孫権、横文字まで使って追い込むな。

 ……明命と菖蒲は、期待に満ちた目をしてるし。

 周瑜は……ああ、明らかに楽しんでるな。

 とりあえず、逃れる方法はない、というのは理解。

 ええい、ならそれっぽい事で口から出任せだ!

 居直りモード、またの名をヤケっぱち。

 

「とりあえず、火攻めかな」

「火?」

「そうさ。ここ、草原になってるけど、枯れ草が多いなって。火をつけたら、勢いよく燃えたりするんじゃないか?」

 

 歴史に残る名軍師たちに向かって、あたしは何を偉そうに、と我ながら思ってみたり。

 

「火は何より恐怖心を呼ぶし、効果的じゃないかな……なんてな、あはは」

 

 ま、鼻で笑われるな……と思っていた。

 ……が、予想は思い切り外れたらしい。

 てかなんか皆さん、もの凄く真剣に聞き入ってませんか?

 

「どうかしましたかぁ? 続けて下さい」

 

 穏も例外ではなく、真面目モードで続きを促すし。

 うう、プレッシャーで胃が痛い……。

 

「タイミング……じゃない、機を見て使えば、効果はあるんじゃないか? いくら弱兵と言っても、混乱する相手ならやれなくもないの……かな?」

 

 そう上手く行けばいいが、そんな事を断言出来るだけの自信が……ある訳ない。

 

「ふむ。じゃが敵は大軍。確かに混乱させるのは可能かも知れぬが、いっぱしの指揮官がおれば、それまでじゃぞ?」

 

「黄蓋殿の言われる通りだ。火計は確かに有効だが、それだけでは決め手に欠けるな」

 

 あっさりと、黄蓋さんと周瑜にダメ出しを食らう。

 

「だ~か~ら~、あたしに軍略を期待するなって言っただろ!」

「あの~、ちょっと待っていただけますか?」

「なんだ、穏?」

「綾子さんの策、少し手を加えれば有効かと思いますよ~。夜襲と、ちょっと火も追加、とかどうでしょうかぁ」

「……成程な。うむ、その手でいくか」

 

 ニヤリとする周瑜。

 

「え? え? どういう事よ、冥琳?」

「冥琳と穏がわかったのなら、後は任せるぞ。儂は、指示を待つ」

 

 ……どういう訳だ、一体?

 雪蓮もそうだが、何よりあたしがまだ理解してないぞ?

 

「綾子様、どのような策を?」

「教えて下さい、綾子お姉さま」

 

 菖蒲に明命……少しは空気読め。

 

「だぁぁ、あたしに聞くな!!」

 

 

 

 結局、作戦は周瑜と穏で取りまとめたようだ。

 つーか、最初からそうしてくれ……。

 変に頭を使ったせいで、テンションはだだ落ち中。

 そんなあたしを余所に、こちらの軍は行動を開始。

 昼間のうちは、連中から離れた場所で休憩。

 夜陰に乗じて出発し、じわじわと黄巾党の陣へと近付いていく。

 今日は新月、あたり一面が、闇。

 行く手に見える、かがり火が唯一の明かり。

 時折、

 

「ほぁあぁぁぁあああぁぁぁあぁああぁっっっっ!」

 

 と、地鳴りのような咆哮が聞こえるんだが……。

 黄巾党は宗教の一種だったような記憶があるから、何かの儀式なのかもな。

 戦いが目前に迫り、漸くあたしも雑念を振り払えた。

 

「菖蒲、いるか?」

「は、はい」

「いいか? 始まっても、あたしのそばを離れるな。絶対にな」

 

 やはり、怖いんだろう。

 肩に手を置くと、震えているのがわかる。

 

「心配するな。あたしだって、死にたくはないし、怖いよ」

「綾子様が?」

「そりゃそうさ。いや、慣れてしまわない方がいい……。命を奪う、その重さを忘れないためにも、な」

「ですが、武人たるもの、恐れは禁物では?」

「確かに菖蒲の言う事もわかる。でも、あたしはそれを貫きたいな」

「……はい。それが綾子様の覚悟、ですね」

「そうだ。だから、生き抜くさ」

 

 だいぶ、震えが収まったようだ。

 そこに、伝令の兵士が到着。

 

「黄蓋様、美綴様。合図です」

 

 暗闇の向こうで、一条の明かりが輪を描いた。

 

「よし、火の手を合図にかかれ! 射撃用意!」

 

 あたしは黄蓋さんと一緒に、弓兵隊の指揮を任されていた。

 ……と言っても、実際には黄蓋さんに全てお任せ。

 部活の部長経験ぐらいじゃ、まともな軍隊の指揮官が務まる訳もないし、第一何をしたらいいのかもわからない。

 

「ま、儂のする事を見ているがよい。伊達に場数は踏んでおらぬよ」

 

 有言実行と言うか、実際に黄蓋さんの統率は見事、の一言。

 まとまりに欠ける筈の兵士達だというのに、いざ動かしてみると一糸の乱れも感じさせない。

 ……もちろん、規律を乱す行為に対しては、容赦なく鉄拳が飛んでくる。

 そのせいも、多分にあったみたいだけどな。

 枯れ草に火がかけられた。

 

「よし、テーッ!」

 

 号令と共に、一斉に火箭を放つ。

 燃え盛る炎で、あたり一面は一気に昼間のように明るくなった。

 

「て、敵襲ー!」

「火を消せ!」

「防げ! 防ぐんだ!」

 

 混乱に陥る賊軍。

 そして、中央の一際目立つ天幕から、パッと火の手があがる。

 明命の部隊が、やってのけた。

 周囲から焼き払うのみならず、火の気がない中心部が燃え始めるのだから、連中はますます動揺するばかり。

 

「二番隊、テーッ!」

 

 逃げ惑う賊の頭上から、矢の雨を降らせる。

 立て続けに、三番隊が火箭、一番隊が普通の矢を、と繰り返す。

 

「美綴。この三段構え、なかなかによいではないか」

「そうみたいですね、あはは……」

 

 ふと思い出した、長篠の合戦で織田勢が用いた、鉄砲の三段構え。

 この時代は鉄砲なんてものはないし、所詮はアイディア倒れかな、と思ったんだけど。

 何気なく黄蓋さんに伝えた結果が、これ。

 

「火箭は準備に時間がかかる。じゃが、これならば交互に射るから、時間が稼げる。儂も、このような使い道は知らなんだ」

 

 ……妙に感心されてしまった。

 

 

 

「わーっ、わーっ!」

 

 派手に銅鑼を鳴らし、鬨の声を上げ。

 そして、一人で二本の旗を持ち、陣の周りをランダムに走り回る。

 とにかく、数で劣ることを悟らせず、かつ混乱を増幅させる。

 ……周瑜が考え、ありあわせの材料でとにかく軽いだけの、ハリボテ旗を用意させる穏。

 やっぱ、歴史に名だたる軍師の発想だ。

 その間にも、敵陣はますます燃えさかる。

 

「クソッタレぇぇぇ!」

 

 と、陣から向かってくる集団。

 決死なのだろう、気迫が感じられる。

 

「任せて!」

「ここは通さん!」

 

 雪蓮と孫権が立ちはだかる。

 

「げぇっ?」

「ぐぼっ……」

 

 流石に直属の兵たち、賊の決死の突撃にも動じる様子がない。

 しかし、いくら自暴自棄になったとはいえ、ここで突撃をする……?

 あたしの勘が、何かおかしい、と伝えてる。

 ……よし。

 

「綾子様、どちらへ?」

「菖蒲、一緒に乗れ!」

 

 馬にまたがり、あたしは駆け出した。

 

 

 

「あ~ん、ちーちゃん、れんほーちゃん」

「ちょっと姉さん。しゃがみこんでないで! 人和、どう?」

「大丈夫みたい。姉さんたち、急いで」

 

 三人連れが、陣の反対側から飛び出してきた。

 やっぱり、身を挺した囮だったみたいだな。

 となれば、こっちが本命か。

 

「待て」

 

 あたしは馬を下り、薙刀を構えた。

 三人は、ビクッとなり、動きを止めた。

 

「黄巾党だな? 悪いが、逃がす訳にはいかないぜ」

「ちょ、ちょっとれんほーちゃん! どういう事なの?」

「こっちには誰もいないって……」

 

 逃げ腰のせいもあるだろうが、全く殺気を感じない。

 でも、賊軍がああまでして逃がそうとするのだから、正解はただ一つだけ……だな。

 

「張角、張宝、張梁だな? 無駄な抵抗はよせ」

「……わ、わたし達をどうする気?」

 

 虚勢は張っているが、それだけだな。

 

「大人しくすれば危害は加えない。一緒に来て貰うよ?」

「……選択の余地は、ないのね?」

「ああ。それでも抵抗するなり逃亡するとなれば……」

 

 あたしは薙刀を一閃。

 そして、張角ののど元に突きつけた。

 

「わ、わかったよ……。行けばいいんでしょ」

「菖蒲。こいつら、縛ってくれ。念のためだ」

「わかりました!」

 

 

 

 そして、夜が明けた。

 

「ふ~ん、あなた達が今回の反乱の首謀者だったのね」

 

 あたしの独断で処分する訳もなく、張角姉妹を連れて本陣へ帰還。

 首領が捕らえられたと伝わると、賊軍は瞬く間に降伏。

 武器の接収やら後始末やらで皆大わらわ、残っていたのは雪蓮と孫権、周瑜だけだった。

 

「反乱じゃないわよ。わたしたちはただ、歌いたかっただけよ!」

「そーよ。わたしは大陸のみんなに愛されたかっただけだもん!」

「姉さん達。そんな事を言っても、もう手遅れよ」

 

 一番落ち着いている張梁の一言で、張角も張宝も押し黙る。

 

「それにしても、変じゃない? 歌っているだけのあなた達が、こうまで手を焼かせる存在になるなんて」

「そ、それは……」

「……だ、だって……」

 

 口ごもる三姉妹。

 ふと、あたしの頭の中に、ゲームで出てくるアイテムが浮かんだ。

 

「なあ、持ってるんだろ? 『太平要術の書』って」

「!!」

 

 あれ、何か飛び上がりそうになってる。

 

「美綴。何だその書とは?」

 

 書というキーワードに、周瑜が反応する。

 

「ホントかどうかはわからないけど、この張角が仙人から貰った書を持っているんだよ、あたしの知る限りだと」

「な、何の事かなぁ」

 

 張角、声が震えてるぞ。

 

「どれどれ」

「ちょ、な、何するのよ!」

 

 抵抗も空しく(縛られているからそもそも無理だけど)、懐の書を雪蓮に発見されてしまう。

 

「『太平要術の書』……あ、本当だ」

「面妖な。これは何なのだ?」

 

 観念したのか、張宝が絞り出すように答える。

 

「天和姉さんが貰ったのよ。……まだ、わたし達が全然人気のない時に」

「これさえあれば、大陸一の人気者になれる、って言うんだもん」

「悪用するつもりはなかったわ。……でも、人気と共に、熱狂的な人達が増えて、いつの間にかこうなったって訳」

 

 あまりの真相に、孫権と周瑜はこめかみを押さえている。

 雪蓮もただ、苦笑い。

 

「全く。諸侯や朝廷が、この事を知ったらどう思うかしらね。……ところで、あなた達の処分だけど」

 

 三姉妹がその言葉に、身を竦める。

 上の姉二人は、顔が青ざめているというか……絶望してるな、ありゃ。

 

「皆の意見はどうかしら。冥琳は?」

「理由はどうあれ、反乱の首謀者として処刑、もしくは都へ送還……が妥当なところだろうな」

「なるほど。蓮華はどう?」

「罪もなき民を苦しめ、多くの命を奪う事になった。それだけで万死に値します」

「そうね。……綾子、あなたは?」

「あたし?」

 

 もう一度、三姉妹を見る。

 天真爛漫に生意気、冷静と個性はあるけど……何だか、悪い事をした奴らとは考えたくないんだよな。

 実際問題、史実の太平道だって、張角は人々を救うという理想だけで、集まった奴らが勝手に暴走しただけ。

 ……って、蒔寺に語られたからな。

 

「なあ、一つ聞いていいか?」

 

 三姉妹は顔を見合わせる。

 そして、張梁があたしを見据えた。

 

「何かしら?」

「今でも、歌いたいか? この書がなかったとしても」

「ええ」

「わたしも、歌が好き!」

「れんほーちゃんと同じだよ、わたしも」

 

 うん、この眼はウソを言っていない。

 

「雪蓮。あたしの意見だけど……許してやって欲しい」

「何を言うんだ、美綴! そんな事が許される訳ないだろう!」

「蓮華様の言う通りだ、美綴。朝廷から討伐令が出ている以上、それをかばい立てすれば、我らに罪が及ぶ」

「なら、死ねばそれで終わり。そうだな?」

 

 あたしは、薙刀を手に取る。

 そして、ビュンビュンと振り回した。

 

「たぁっ!」

 

 『太平要術の書』を、粉々に切り裂いた。

 念には念を入れ、紙くずになった書を、残っていた火の中に放り込む。

 

「これで、もう黄巾党の首領は死んだ。そうだろ?」

「やれやれ、あなたって人は……。ま、いいわ」

「雪蓮!」

「お姉様!」

 

 二人は詰め寄るが、雪蓮は怯まない。

 

「あなた達が歌いたいだけ、というのなら止めないわ。ただし、勝手にわたしの元を離れる事は許さないけどね」

「え? じ、じゃあ……」

「助けてくれる……の?」

 

 雪蓮はコクリ、と頷く。

 

「ええ、そこの綾子に免じてね。何か考えがあるんでしょ、綾子」

 

 う~ん、お見通しか。

 

「歌ってのは、人の心を癒したり、活力を与えるからな。だから、兵士達の前で歌って貰う、ってのはどうだ? 士気向上になると思うんだ」

 

 あたしのいた世界のライブも、あれだけ熱狂的だったんだ。

 この世界でも通用するはずだし、現にこうして、大きなインパクトを生んだんだからな。

 

「……また、歌えるの? わたし達」

「それで良ければな。……周瑜、孫権、まだ納得できない?」

 

 二人は顔を見合わせ、大きくため息をつく。

 

「全く……。突拍子もない事を思いつくのだな」

「雪蓮姉様が助ける、という以上は反対はしないわ。ただし、身勝手な行動を取ったら、その時は……いいわね?」

「いいわ。姉さんたちも、いいかしら?」

「う、うん!」

「やったぁ、また歌えるんだぁ!」

 

 こうして、変わった仲間が増えたあたし達だった。

 ……それが、どんな影響を当たる事になるのか、この時のあたしにはまだ、知る由もなかった。



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「これでよし、と。では、頼んだわよ」

「はっ」

 

 首の入った桶を三つ。

 それを兵士が運んでいく。

 行き先は、都。

 張三姉妹を救う事に決めたとは言え、討ち取ったという証拠が必要だろう、と周瑜の意見で、賊の死体からそれらしく見えるものを選んで……という次第。

 残酷だけど、こうでもしなければ、雪蓮が罰を受ける事になる。

 ……いろいろと、理不尽な時代だよな、全く。

 

「孫策様」

 

 と、そこに袁術からつけられた兵が、やって来た。

 鎧からして、それなりの身分というか、恐らくはまとめ役なのかも。

 

「折り入って、お話したい事があります。お人払いを」

「何かしら。冥琳と蓮華、それに綾子だけ残って。後は下がりなさい」

 

 そう指示してから、雪蓮はその兵に向かって、

 

「悪いけど、この三人は私と一心同体なの。だから、それがダメなら話は聞けないわ」

「……わかりました」

 

 兵士は頷くと、一緒にいた別の兵士に目配せをした。

 そして、布に包まれた何かを取り出し、広げる。

 ……また生首か。

 いい加減見慣れてきた気はするけど、そうは言ってもあまり気持ちのいいものじゃない。

 

「! この者は……まさか!」

 

 普段から冷静な周瑜が、珍しく動揺している。

 

「はっ。袁術様より派遣された、我らの指揮官です」

 

 そう言えばいたな、そんな奴が。

 体のいい目付というか、監視役だったんだろうけど。

 威張り散らすだけで無能な奴だった事もあり、雪蓮以下完全に無視していたけどな。

 

「実は、この戦で、ある密命を帯びていたのです」

「密命とは何だ?」

「……孫策様を、戦闘に紛れて討ち取れ、と」

「何だと、貴様!」

「蓮華、落ち着きなさい! それで?」

 

 兵は臆する様もなく、続ける。

 

「我々兵士は、命令は絶対遵守が当然です。……ですが、こればかりは疑問を禁じ得ませんでした」

「疑問、ね」

「はい。袁術様は気づいておられませんが、今南陽が安泰なのも、袁家が健在なのも、皆孫策様のお働きによるもの。我らはそう思っております」

 

 あたしが思っていたのと同じ事だな。

 袁術は、家柄はいいのかも知れないけど、ただそれに甘んじているだけ。

 血を流し、手を汚し、汗をかいているのは雪蓮たちばかり。

 いいように使い、成果だけを横取りし、自分たちだけがこの世の春を謳歌している。

 その想いは、他の奴も同じだったって訳か。

 

「袁術様は、自分の意のままにならない孫策様を、常々排しようと考えておられたようです。ただ、孫策様には兵こそありませんが、将の方々は皆、一騎当千。それに、成敗するだけの非がありません」

「それで、黄巾党の戦闘にかこつけて……やれやれ、張勲あたりの考えそうな事ね」

「何と卑劣な! 姉様、冥琳。そのような理不尽で失われた兵が、このままでは民が浮かばれません!」

 

 孫権の言葉こそ、まっとうな人間の思考だと思う。

 つか、この場でそれを否定する奴がいたとしたら、頭おかしいな。

 

「孫策様。我ら、もはや袁術様に従うつもりはありません。……この命、いかようにもお使い下さい」

 

 そう言って、頭を下げる兵士達。

 

「張勲は嫌がらせのつもりであったのだろうが、策は裏目に出たようだな」

「ん? どういう事だ、周瑜?」

 

 あたしの問いかけに、髪に手を当てながら答える。

 

「新兵、つまり袁術軍に入って日が浅いという事は、それだけ忠誠心が高くないという事だ。そして老兵は逆に、場数を踏んでいて思慮もあるから、このような非道を見れば愛想を尽かす」

「つまり、あいつらはわざわざ、わたし達の味方を作るような事をしてくれた、そういう事よ」

 

 雪蓮は、頭を下げる兵士の手を取った。

 

「ありがとう。あなた達の命、確かに預かるわ……力を貸して」

「ははっ!」

 

 さて、ここからどうするか。

 一気に選択肢が増えたけど、周瑜あたりはもう考えているんだろうな。

 

「申し上げます!」

 

 と、そこに駆け込んでくる伝令。

 

「何だ?」

「陳留の刺史、曹操様より使者が参りました」

「曹操?」

 

 皆、顔を見合わせる。

 まだ袁術の食客扱いでしかない雪蓮に比べて、向こうは正式な朝廷の官職を持つ。

 もし、何かの命令をされれば、従わざるを得なくなる……んだよな、きっと。

 

「わかったわ。通して」

「ハッ!」

「では、命あるまで控えています」

 

 兵士達は下がっていく。

 正式ではないとは言え謁見の場、当然だろう。

 ……さて、三国志一の大物登場か。

 この世界の常識からすると……やっぱ、女性なんだろうな。

 そして、案内されてきた、金髪クルクルヘアーの女の子。

 ……うん、やっぱり美人だ。

 雪蓮とはタイプが違うけど、この時代の女性って美人が多いなぁ、ホント。

 それに髪の毛を変わった形に縛った女の子と……何故か、あたしと同じ年ぐらいの男も一緒。

 曹操もそうだけど、この女の子も、全然隙がないな。

 そして、男が来ているのはこの時代の着物ではなく……どこかの学ランにしか見えないもの。

 白く輝く、つまりはポリエステル製という事らしいけど、だとすると、噂通りなのかもな。

 

「会って貰えて嬉しいわ。私は、曹孟徳よ」

「孫伯符よ。にしても、本人がいきなり来る、普通?」

 

 雪蓮の言葉に、曹操はフッと笑って、

 

「たった一晩で、あの黄巾党を壊滅させたのはどんな人物か、この目で見てみたかったの」

「それは光栄ね」

 

 握手をする二人の間に、見えない火花が……気のせいかな?

 

「紹介するわ。こっちは許仲康、そしてこの男は北郷一刀」

 

 許仲康……許チョか。

 曹操の警護役としてついてきたんだろうけど、確かに適任だな。

 北郷ってのは……誰だろう。

 この世界の人間、というには違和感がある……というか、むしろ……。

 名前からして、いろいろとおかしい。

 

「ならこっちも紹介するわ。これが妹の孫仲謀、こっちが周公瑾。あと、そっちが美綴綾子」

 

 と、男が驚いたようにあたしを見る。

 

「どうかしたの、一刀?」

「いや、俺以外に字がない人がいるなんて。なぁ、美綴。一つ、聞いてもいいか?」

「何だ?」

 

 北郷はあたしを窺うように、

 

「美綴も……その、未来から来たのか?」

「……すまん。意味がよくわからないんだが」

 

 顔に出ているかも知れないけど、素知らぬ顔をするしかない。

 あたしが言わないようにしている言葉を、あっさりと口にする奴、油断が出来ない。

 

「あ、いや、名前が日本人みたいだし。それに、雰囲気が何か違うから」

「そうなのか、美綴?」

 

 孫権の言葉に、あたしは大きく頭を振る。

 

「……違うな、多分。少なくとも、あたしはこの男を知らない」

「俺だって初対面さ。でもなぁ……」

 

 まだ何か言いかける北郷を、曹操が遮った。

 

「一刀。今は私と孫策の対面の場よ。控えなさい」

「……わかった」

 

 とりあえず引いてくれたけど、まだ何か言いたそうにしている。

 

「失礼したわ。この北郷は、『天の御遣い』」

「え?」

 

 曹操の言葉に、あたし達は奴を見つめてしまう。

 

「確か、管輅の予言にあったわね。その本人かしら?」

「ええ、流石はよく知っているわね。縁あって、今は私の配下にしているわ」

「そう。でも、何か証拠はあるの?」

 

 雪蓮が挑発するように言うが、曹操は軽く受け流す。

 

「いろいろとあるわ。だから、間違いや嘘ではないわね」

「ふ~ん、随分と自信があるのね。まぁいいわ、用件はそれだけ?」

「いえ、まだあるわ。黄巾党の残党が、南陽の方角に逃げ込んだって情報が入ったの」

 

 そんな話、初めて聞いたな。

 それなら、ここでのんびりしている時間なんてないし、そもそも明命達からは何の報告も来ていない。

 

「黄巾党征伐は、朝廷の命令だから従わなければならないでしょ。……ましてや、そんな賊が来ているのに何もしていないとあれば、太守としては失格。いいえ、朝廷に対する反逆者ね」

「……あなた、何を考えているの?」

 

 雪蓮だけじゃない、孫策も周瑜も、警戒の眼で曹操を見ている。

 

「あら、そんな怖い顔をしないで欲しいわね。私は事実を言っているだけよ」

「……何が狙いだ、曹操?」

「黄巾党にしろ、何にしろ、民の事を想わない奴らに、統治する資格などない。だったら、よりよい為政者が取って代わればいいだけ。違うかしら?」

「では貴様が、黄巾党討伐を名目に南陽を手中にするとでも言うつもりか!」

「孫権、だったかしら? 貴女は、もう少し視野を広げるべきね。第一、私は朝廷の臣よ、勝手に他の太守の城を奪えると思う?」

「そ、それは……」

「それに、もし私がそのつもりなら、ここにこうして来ていないわ。その間に攻め落とせるもの」

 

 曹操の言葉は揺るぎがない。

 この自信、どっから来るんだ?

 

「欲しいものは必ず手に入れる。でも、それは正々堂々と、それが私の覇道よ」

「なるほどな。でも曹操、その言葉が嘘偽りだったときは?」

「その時は、私の首を刎ねるなり、天下に事実を流布するなり、好きにすればいいわ」

 

 英雄、英雄を知る。

 ……そんな言葉がぴったりだな、このシチュエーション。

 雪蓮は、曹操を真っ直ぐ見据えながら、

 

「では、南陽に向かった残党を討伐する。で、貴女も協力する……でいいのね?」

「そうね。けど、一つ言っておく」

「何かしら?」

「もし、新たな南陽の為政者が、民を守るに値しない者でしかなかった場合。……私は、容赦しないわ」

「ええ。その言葉、覚えておきましょう」

「では、作戦については改めて知らせるわ。私も戻って、準備をするから」

「わかったわ」

 

 颯爽と去っていく、曹操一行。

 北郷の事も気にはなるけど、それ以上にあたしは……曹操という人物に圧倒されていた。

 

「雪蓮。本当にいいのだな?」

「ええ、冥琳。これは借りでもなんでもないんだし、向こうが手を貸してくれるんだったら、ありがたくいただくまでよ」

「雪蓮姉様。やっとこの日が来たのですね……」

「そうよ、蓮華。これでやっと、母様の無念も晴らせるわ……」

 

 孫堅文台。

 会う事は叶わなかったけど、きっと破天荒な人だったんだろう。

 ……あたしだったら、大いに意気投合したかもな。

 その娘の雪蓮が、雌伏の時を終えようとしている。

 

「綾子。この戦いが終わったら、ゆっくり話したいわ」

「ああ……。そうしよう」

 

 雪蓮とあたし、頷き合う。

 

「誰か。皆を集めてくれる?」

「はっ!」

 

 

 

 そして、再び一同集結。

 

「では、曹操軍が南陽に攻めかかり、呼応して動く。基本はこれでよいのじゃな?」

「そうですね~。曹操さんの軍は兵もよく訓練されていますし、将も揃っていますから。まず、袁術さん達に勝ち目はないでしょうねぇ」

「…………」

「綾子。さっきから黙っているけど、どうかしたの?」

 

 目敏いな、雪蓮は。

 

「いや、南陽に残っている兵は、果たして袁術に従うのかな、って」

「どういう事かしら?」

「う~ん、何て言うか。さっきみたいに、実は見限っている奴もいるんじゃないかな、って。兵士って言っても、元は庶人の出、って奴がほとんどだろ? だとすると、袁術の治世に愛想を尽かしている……そんな奴が案外、多いんじゃないかな?」

 

 あたしの言葉に、皆が顔を見合わせる。

 見当外れな事言ったかな、こりゃ。

 

「なるほど。そこに気が回るとは。思春、どう思う?」

「はっ。美綴の意見、一理あるかと。無論、金に釣られている輩も混じっているでしょうが」

「もし味方に出来れば、罪のない民を巻き添えにする事が、最小限で済むかも……姉様!」

「そうね。でも、どうするの? 曹操はすぐにでも動くでしょうし、あまり時間はないわよ」

「さっきの兵に、あたしと菖蒲、出来れば明命を貸して欲しい。大勢で行けば目立つ」

「……危険よ? 一歩間違えば、全員無事では済まないわ」

「雪蓮、孫権が言ったじゃないか。このまま動けば、袁術達は死ぬ必要のない兵士を死地へ駆り出し、最悪の場合は民を盾にしかねない。自分たちさえよければいい連中なんだ、追い詰めればそのぐらいの事は十分あり得る」

 

 あたしは、想いのままをぶつけたつもり。

 奪わずに済む命は奪いたくない。

 ……ちょっとは成長したのかな、あたしも。

 

「あのぉ、確かに説得はいいんですが。成功させる見込み、あるんでしょうか~?」

「ああ。何も全軍を説得しようとは思わないし、一応手は考えている」

 

 全員が押し黙った。

 が、雪蓮が意を決したように、

 

「わかった。あなたに任せましょう。でも、軍は進めるわ。曹操の手を借りるだけ、じゃ孫家の名折れですもの」

「あたしだって、まだ死ぬ気はないから安心しな?」

 

 ニカッと笑って見せた。

 

「よし、明命、菖蒲。行くよ?」

「はいっ!」

「わ、わかりました!」

 

 

 

 

「開門! 孫策よりの急使だ!」

「わかった、今門を開ける」

 

 ギギギギギと頑丈な門が開けられ、あたし達一行は中へ。

 明命と、連れてきた兵がいるのだから怪しまれるところはない。

 

「さて。今、守備隊の責任者はどこにいる?」

「それでしたら、こちらへ」

 

 兵士と共に、城内へ向かう。

 幸い、あたしはほとんど顔を知られていないから、怪しまれる事もないだろうと踏んでいる。

 

「わかった。明命と菖蒲には、別に頼みがある」

「綾子お姉さま。何なりとお命じ下さい」

「綾子様のためです、頑張ります!」

「よし。なら……」

 

 手早く作戦を打ち合わせ、二人はそろぞれの方角へと散っていく。

 

「待たせたね。じゃ、行こうか」

「ハッ!」

 

 

 

「アンタが、守備隊の責任者だね」

「誰だ?」

 

 兵士達の溜まり場に出向いたあたし達。

 

「孫策配下の者だ。時間がないから前置きはしないで話す」

「孫策?」

 

 無論、その名前を知らない訳ではないだろうけど、あからさまに訝しげな顔をされる。

 指揮系統が違う上に、彼らは曲がりなりにも、袁術の直属。

 接点がないのだから、個人的に面識がある訳でもない相手の、しかも配下がいきなりやってくれば、面食らうのも当たり前。

 

「まず、黄巾党は壊滅した。昨日一晩でな」

「な、何だと! 出鱈目を言うな!」

「事実だ。孫策の指揮で、張角も討ち取られた」

 

 兵の言葉に、隊長は頭を振った。

 

「信じられん……。あれだけ手を焼いていた黄巾党が、たったの一晩で」

 

 あたしは構わず続けた、とにかく時間が惜しい。

 

「疑うのなら、後で確かめればいい。それともう一つ」

「ま、まだあるのか?」

「この城に向けて、陳留刺史の曹操が進撃中だ。黄巾党の残党を匿っているという理由でな」

「な、なにぃ?」

「黄巾党の残党、つまりは朝敵って訳。それを庇うのであれば朝敵、という訳さ。そして、その命に従い、孫策も向かっている」

「…………」

 

 あまりの事に、固まっている。

 

「で、アンタはどうする?」

「お、俺は……。兵士だ……戦わないといけない……」

「誰と?」

「き、決まっているだろう……。曹操と、孫策と……」

「勝てると思うか? 一騎当千揃いの両軍相手に」

「お、脅すのか!」

「事実を言っているだけさ。それに、そこまでして命を賭ける存在か、袁術は」

「な、何が言いたい!」

「アンタらが守ろうとするものは何か、それを聞きたいのさ。名家というだけで、民の事を顧みず、贅沢三昧の袁術なのか、それとも力なき民なのか」

「…………」

「袁術に忠誠を誓うのならそれはそれでいい。でも考えて欲しいんだ、元は同じ庶人だった彼らが、袁術のような身勝手極まる奴のために、無為に苦しんでいいなんて、おかしいじゃないか」

「……お、俺達に、袁術様を裏切れ、というのか」

「そうさ。でも、それは孫策のためじゃない。民のためだ」

「民のため……」

「孫策なら、己の欲望だけのために民を虐げたりはしない。もし、それが偽りだと思うのなら」

 

 あたしはどっかりと、その場に座る。

 

「この場であたしを討てばいい。覚悟はしている」

「……一つだけ、聞きたい」

「ああ」

「孫策は、何を目指している? 天下か?」

「そこまでは本人に聞いてくれ。ただ、一つだけ言える事がある」

「何だ、一体?」

「孫策は、自らの民を守るためなら、命を賭けて死地に飛び込んでいく。そういう奴だ」

「…………」

 

 沈黙。

 さて、これで失敗したら……ま、そこまでだったって事だ、あたしも。

 ドカドカドカと、兵士達が駆け込んできた。

 

「た、隊長!」

「どうした?」

「こ、この城に向かって軍勢が向かってきます! 旗は曹と……孫!」

「隊長、大変です!」

 

 別の兵士も飛び込んできた。

 

「今度は何だ?」

「反乱です! 街の民が、反乱を起こしました!」

 

 菖蒲、どうやら上手くやってくれたらしい。

 この間まで庶人だった菖蒲なら、民の知り合いも多いだろう、そう踏んで任せてみたんだけど。

 

「隊長!」

 右往左往する兵士達。

「……あんた。名前は」

 

 隊長が、静かに聞いた。

 

「美綴綾子」

「そうか」

 

 そう言うと、隊長は剣を鞘毎引き抜くと、あたしの前で膝をついた。

 

「今は、アンタを信じよう。指示……いや、美綴様、ご指示を!」

「……わかった」

 

 あたしは立ち上がると、

 

「城門を開け、白旗を掲げろ! 曹操と孫策には抵抗するな!」

「…………」

「ぐずぐずするな! これは、隊長の命だ!」

「は、はっ!」

 

 隊長の言葉に、兵士達は直立不動で応える。

 

「あと何人か、一緒に来てくれ」

「ははっ!」

 

 あたしはそのまま、城の奥へと向かう。

 途中で誰何されるかと思っていたけど……どうやら、皆それどころではないようだ。

 そして、謁見の間。

 

「だ、誰じゃ!」

「ひ、控えなさい!」

 

 玉座にいるのは、金髪の小さな女の子。

 そして、隣には小さな帽子を被った、青い髪の女性。

 

「袁術に、張勲だな?」

「わ、妾を呼び捨てにするのか? 無礼じゃぞ!」

 

 この期に及んで……。

 あたしは、怒り心頭だった。

 

「状況がわかっているのか? 貴様ら」

 

 ずかずかと玉座へと向かう。

 

「よ、寄るでない!」

「だ、誰か止めて下さい!」

 

 その声に、近衛の兵士達が飛び込んでくる。

 

「貴様!」

 

 剣を抜き、あたしに斬りかかろうとする近衛兵たち。

 と、その前に、何かが降り立った。

 剣は弾かれ、次々に近衛兵は打ち倒されていく。

 

「綾子お姉さま、ここはお任せを!」

「明命。頼む」

 

 そして、袁術と張勲の前までやって来た。

 二人は抱き合いながら、震えている。

 その頬に一発ずつ、渾身のビンタをくれてやった。

 

「ひゃっ!」

「あうっ!」

 

 そして、二人を、城下を見下ろすテラスみたいな場所へ引きずって行く。

 

「見ろ。貴様らがしてきた事の報いを」

 

 城下は、兵と民衆で溢れかえっていた。

 

「もう、俺たちは袁術には従わないぞ!」

「そうだそうだ! 自分たちだけ贅沢三昧しやがって! 俺達がどれだけ苦しんでいるか!」

「袁術を倒すぞ!」

「応!」

 

 次々に上がる、怨嗟の声。

 そして、袁術に対する非難の嵐。

 

「なななな、七乃。何じゃ、これは……」

「美羽様ぁ……」

「わかったか。もう、お前達に民の上に立つ資格はない」

 

 ガックリとうなだれる二人。

 

「うぉーっ!」

 

 割れんばかりの歓声が、遠くから聞こえる。

 ……片付いたな、どうやら。



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十一

「綾子!」

 

 雪蓮たちが到着したな。

 僅かに抵抗を示した将や兵もいたけど、とりあえずノシておいた。

 ……言ってもわからない奴は、ちょっとばかしフルコン組み手でボコってみた。

 明命と菖蒲の見る眼が更に妙になった気がするが……うん、スルーしよう。

 

「見ての通り、被害もほとんどなしだ」

「そうみたいね。でも、あなた達が無事だ、というのが何よりだけどね」

「しかし、無茶をする。まるで、若き頃の堅殿のようじゃ」

「はは、孫堅さんに例えられるなんて光栄ですね」

 

 さて、再会を喜ぶのは一旦置いといて、だ。

 袁術と張勲はそのままにしてある、武器だけは取り上げたけどな。

 

「さて、袁術ちゃん。張勲。あなた達だけど」

「ひぃぃぃ、な、七乃ぉ!」

「美羽おおお嬢様!」

 

 あれだけ傍若無人&好き勝手放題やっていた二人も、今はただただ震えるだけ。

 雪蓮は冷たい眼で、南海覇王を抜く。

 

「覚悟は、いいわね?」

「い、嫌じゃ! な、なんで妾が死なないとならんのじゃ!」

「袁術ちゃん? 言いたい事はそれだけ?」

「七乃! な、何とかするのじゃ」

「むむむ、無理ですよぉ!」

 

 我が儘放題の袁術。

 ……でも、まだまだ子供。

 子供という事は、どう育つかは大人の責任じゃないのか?

 余計な事とは思いつつ、あたしは口を挟んだ。

 

「雪蓮。袁術は、殺さなくていいと思う」

「綾子。……これは、あなたには関係のない事、口出ししないで」

「確かに、こいつらが雪蓮達にしてきた事は許されない。でも、もう全てを失った、明日どころか今日からは、誰も従わないし好きにも出来ないんだ。……それに、子供に罪はない」

「…………」

「それでも斬る、って言うのならあたしには何も言えない。それが、雪蓮の決断だからな」

 

 ふう、と雪蓮は息を吐く。

 

「じゃあ、どうすればいいと思う?」

「そうだな。身分は平民に落として、自分で糧を得る生活をさせてみるとかどうだ?」

「……で、コイツは?」

 

 張勲に、南海覇王が突きつけられる。

 

「そいつは、袁術を甘やかしてダメにした、張本人だ。他の兵が、民が許さないだろう」

「そうね。なら、ここで死んで貰うわ!」

「あ、あわわわわわ……」

 

 張勲は、口をパクパクさせるばかり。

 だけど、こいつは断罪されるだけの事をしてきた。

 ……自業自得、だな。

 

「嫌じゃ! な、七乃を殺さないでたもれ!」

 

 袁術が、震えながらも張勲の前に立ちはだかった。

 

「……どいて。袁術ちゃん」

「い、嫌なものは嫌なのじゃ! 七乃がおらねば、妾は……妾はどうすればよいのかわからぬ!」

「み、美羽様ぁ……」

「ぐすっ……七乃、七乃……」

 

 カシャと金属音がした。

 南海覇王は、鞘に戻されていた。

 

「ハァ。これじゃ、わたしが悪者みたいじゃない。……いいわ、二人とも助けるわ、どこへなりとも行きなさい」

「え……? ほ、本当ですか……?」

「そ、孫策……。そ、それは真じゃな?」

「二言はないわ。ただし……」

 

 静かだけど、ドスの効いた一言。

 

「今度わたしの目の前に現れたら、殺すから」

 

 コクコクと二人とも、首がもげそうなぐらいに頷いている。

 

「綾子。……今回だけは、功績に免じて貴女の甘さに付き合うけど……。その甘さ、いつか命取りになるわよ?」

「……そうかもな。肝に銘じる」

 

 

 

 混乱の最中、袁術についていた文官は、かなりの数が逃亡を謀った。

 ……まぁ、逃げたところであちこちで捕縛されていたけど。

 そりゃ、政治が乱れているのをいい事に、甘い汁を吸った連中が大半なんだろうし。

 それもあって、まだ南陽は城全体が騒然としていた。

 

「ちょっといいかしら?」

 

 と、曹操がやって来た。

 

「何か用か? 雪蓮なら今、城内だけど」

「忙しいでしょうからいいわ。それより、貴女に用があるの」

 

 と、あたしを指名する曹操。

 

「え? あたし?」

「ええ。少し、時間を貰えるかしら?」

 

 取り立ててする事もないけど……一体何だろう。

 

「わかった。なら、街の茶店でいいか?」

「いいわよ。季衣、一刀、ついてらっしゃい」

 

 

 

 茶と団子を頼み、席につくあたし達。

 

「さて。美綴、だったわね?」

「ああ」

「そう警戒しないで。別に、貴女に何かしようって訳じゃないから」

 

 そうは言われても、相手はあの曹操だ。

 緊張するな、って方が難しい。

 

「貴女の事は、いろいろと聞いているわ。なかなかの腕をしているそうね」

「そうかな? これだけ化け物揃いだと……」

 

 と、曹操の横で団子に夢中になっている許チョを見やる。

 

「ふえ? 姉ちゃん、ボクの顔に何かついてる?」

「ふ~ん、季衣も、その一人って事かしら?」

「だってそうだろ? アンタみたいな人物が、側に置くんだから、相当な遣い手……誰だって、そう思う」

「流石ね。でも、貴女も……見事ね。隙がない」

 

 完璧超人の曹操だからこその発言だろう。

 実際、本気で遣り合ったら……どうなるだろう?

 

「それに、いくらあの袁術相手とは言え、こうしてこの南陽をほぼ無傷で手に入れるなんて。猪なだけじゃなく、機転も利くようね」

「よしてくれ。頭がいい、ってのは曹操とか、アンタの陣営なら荀イクや郭嘉みたいな奴の事だろ?」

「郭嘉? 私のところにはそんな者はいないわ?」

 

 ……あれ?

 だって曹操のところの軍師って、荀イクに荀攸に郭嘉、程イク……ってのは、違うのか?

 う~ん、曹操の見る眼が……バリバリ疑ってるな、やっぱ。

 ついでに、北郷までジッとあたしを見ている。

 

「貴女……何者なの?」

「さあな。で、話ってのはそれだけか? あたしもそろそろ、皆のところに戻りたいんだけど」

 

 強引だろうが何だろうが、話の流れを変えないと、いろいろとヤバいんで。

 

「なら、単刀直入に言うわ。美綴、私のところに来ない?」

「……は? それってスカ、じゃない、勧誘か?」

「そうよ。今ひとつつかみ所はないけど、少なくとも貴女の武と性格は、十分に希有な存在よ」

 

 ふえ~、あの曹操に認められちゃったよ、あたし。

 ま、悪い気持ちはしないな。

 ……けど。

 

「それは受けられないな」

「あら、何故かしら? 俸給なら貴女の望むままでも構わないし、私の出来る範囲でなら条件も飲むけど?」

「そうじゃない。確かに、曹操みたいな英雄に認められるのは嬉しいさ。けど、あたしは約束したんだ。雪蓮を支えるって」

 

 黄蓋さんとも約束した。

 それに、あたしは別にいい暮らしがしたい訳じゃない。

 

「そう、残念だけど決意は固そうね。でも、これだけは覚えておいて。私は欲しい物は、どんな困難があっても手に入れる。それが、地位だろうと人だろうとね」

「はは、じゃああたしもその対象、って訳か」

「そうね。少なくとも貴女みたいな破天荒さ、嫌いじゃないわよ。それじゃ、失礼するわ」

「あ、待ってくれ華琳」

 

 北郷が、席を立とうとする曹操を押し止めた。

 

「どうしたの、一刀」

「今は公式の場じゃないんだろう? ちょっと美綴と話を……」

「綾子様~!」

 

 お、菖蒲(徐盛)の声だ。

 

「こっちだこっち」

「あ、こちらでしたか。孫策様がお呼びです」

「わかった。そういう訳だから、これで失礼する」

「ええ。孫策にもよろしく伝えておいて」

 

 正直、ナイスタイミングだった。

 北郷は、明らかにあたしを疑っている。

 ……けど、未来からやって来た、という事は言わない方がいい気がするんだ。

 あたしの勘が、そう告げている。

 

「綾子様。どうかなさいましたか?」

「……あ、いや。菖蒲はいい娘だな、って思ってな」

 

 わしわしと頭を撫でてやる。

 

「綾子様ぁ~」

 

 ……蕩ける笑顔する程なのか、これ?

 まぁ、嬉しそうだからいいけどさ。

 

 

 

「呼んだか?」

 

 城には、一同が勢揃いしていた。

 というか、食堂に呼ばれたと思ったら……まぁ、ご馳走がずらりと並んでいる訳で。

 

「黄巾党との戦勝祝い、それから袁術ちゃんからの独立記念じゃない? だから祝宴よ」

 

 堂々と酒が飲めるからだろう、雪蓮ははしゃいでいる。

 

「今日は仕方ないが、あまりハメを外し過ぎないようにな」

「まぁまぁ、良いではないか公瑾。儂も今日ほど嬉しい日はない」

「そういう事だから、あなたももちろん参加ね」

「よし、わかった」

 

 ま、皆ではしゃぐのも悪くないしな。

 

「じゃ、そういう事で……乾杯!」

「乾杯!」

 

 思い思いに杯を傾け、料理をいただく。

 ……あたしも、ちょっとはこの瞬間のために貢献できたのかもな。

 そう考えると、感慨深いものがある……って、似合わないね、あはは。

 

 孫権に手招きされ、隣へ。

 

「あなたの想いと覚悟……見事だった。身震いするぐらいにね」

「あたしは難しいのは無理だからさ、直球勝負をするだけ。ただ、目指すところは同じかもな」

「そうね、ふふ。……それで、貴方にまずは謝りたいの。初対面で間諜かも、って疑ってしまったわ。不快な思いをさせてごめんなさい」

 

 孫権は頭を下げる。

 

「いや、あれが当然だろう。誰だって、あの時のあたしを怪しむのが普通だと思うよ。だから、気にすんなって」

「ありがとう。信頼の証に真名、受けて貰える?」

「わかったよ、蓮華。あたしも、綾子でいいぜ?」

「思春。貴女は?」

「……蓮華様がお許しになったのであれば、異存はありません。腕は、元から認めるところです」

 

 甘寧は短く、

 

「思春だ」

 

 それだけを告げた。

 

「あたしも綾子で。杯、受けてくれるな」

「ああ。……貴様には期待している」

「こちらこそ」

 

 で、今度は軍師コンビ。

 

「しかし、結果としてほぼ無血開城。黄巾党も一方的。……本気で軍師にならんか?」

「そうですねぇ。綾子さんなら、立派に務まると思いますよ~」

 

 ……いや、歴史に残る名軍師達からそう言われても。

 

「勘弁してくれ……あたしは、身体を動かしている方がいい」

 

 周瑜はメガネを直しながら、

 

「惜しいな。ま、気が変わったらいつでも来るがいい。それから、私も今後は冥琳で構わない。お前の事も、綾子と呼ばせて貰う」

「よろしくな、冥琳。穏も」

「はぁ~い♪」

「お前も加わらないか、亞莎」

「は、はひっ? で、ですが私は武官で」

 

 隅で小さくなっていた娘……呂蒙だったかな?

 

「ダメよ、亞莎ちゃん? あなたも、軍師候補なんだから~」

「そうだ。綾子共々、鍛えてやるからな」

 

 あたしは全力で遠慮します……。

 

「あ、あの……私も、亞莎と呼んで下さい。お手合わせも、宜しければ一度……」

「よし、約束だ」

 

 武官というからには、腕もお墨付きなんだろう。

 ちょっと楽しみだな。

 

「儂との約束、果たしてくれたようじゃな」

 

 黄蓋さん、相変わらず凄い飲みっぷりで。

 

「あなた程の方にああまで言われて、素知らぬ顔は無理です。……と言うか、あたしの性格を知りながらでしょ?」

「うははは、バレておったか。じゃが、お主を見込んで正解であったわ。儂の事も、祭で良いぞ」

 

 バシバシと肩を叩かれる。

 相変わらずバカ力というか、痛いです……。

 

「あ~っ、シャオだけ仲間外れ?」

 

 そこに乱入してくる、末の姫様。

 

「シャオの事も、シャオでいいからね。だから」

「綾子で……」

 

 と言いかけるあたしの顔を、ジーッと見てくる。

 

「あのね……。お願いがあるの、聞いてくれる?」

 

 ズギューン、って効果音付きであたしにダメージ百ポイント。

 上目遣いに指を口に当てるとか、ヤバ過ぎです。

 

「あ、あたしに出来る事なら……いいけどさ」

「本当に? 約束だよ?」

 

 反射的に頷いたけど……あんまし無茶を言われたらどうしよう。

 

「あのね。……綾子お姉ちゃん、って呼んでもいい……?」

 

 綾子お姉ちゃん、綾子お姉ちゃん、綾子お姉ちゃん……。

 つか、雪蓮も蓮華も姉様だろうに、なんであたしだけ『ちゃん』……ああ、どうでもいいかそんな事。

 その時、あたしの中で何かが……弾けた。

 

「いいぜ……。ぶはっ!」

 

 我慢の限界で、鼻血が大爆発。

 

「あ、あれ……?」

「お、おい、しっかりせい!」

「お姉ちゃん? ど、どうしたの?」

 

 なんか、お花畑が見えるよ……。

 これで死んだら……ある意味本望か、あたし?

 

 

 

「う……」

 

 気がつくと、ベッドに寝かされていたあたし。

 しかし、何とも情けない夢だったな……。

 可愛いものに目がないにも、程があるだろう、全く。

 

「あ、お姉さま」

「……明命か?」

「はい。びっくりしましたよ、いきなり鼻血噴いて倒れるなんて」

 

 夢……じゃなかったのか、アレ。

 うわぁ、ハズ過ぎる!

 

「あれから大騒ぎでしたよ。お医者様を呼ぶわ、血塗れの小蓮さまは固まっておられましたし」

「う……。面目ない」

 

 後で、小蓮には謝りに行かないとな。

 

「ところで、食欲はありますか?」

「そう言えば、ちょっと空腹気味かも……」

 

 明命はニコリと笑って、

 

「良かった。今、お粥用意しますね」

「いや、病人じゃないんだし。普通で大丈夫……」

「ダメですっ!」

「……は?」

 

 なんか、いつになく気迫を感じるんだけど……?

 

「お任せ下さい」

「わ、わかったから」

「では、少しお待ち下さいね」

 

 そう言いながら、明命は外に出て、何かを運んできた。

 小さめの土鍋、その蓋を取ると湯気が立ち上る。

 

「もしかして、明命が作ったのか?」

「はいっ!」

 

 う~ん、いい娘だな、つくづく。

 

「ありがとう。早速いただくよ」

 

 と、起き上がるあたし。

 

「……」

「……? どうかしたか?」

 

 土鍋を置くと、明命はあたしを、押し戻した。

 

「……明命?」

「そのまま、横になっていて下さい。……た、食べさせて差し上げますっ!」

「ハァ? いや、だからあたしは病人じゃないんだけど」

「い、いいですからっ!」

「ちょっ、何でそんなに必死なんだ!」

 

 いろいろとヤバい雰囲気に……って、何だこの展開。

 バンと、ドアが開かれた。

 あれは菖蒲と……小蓮?

 

「明命! 抜け駆けとは卑怯よ!」

「尚香様の仰る通りです! 綾子様を独り占めだなんて、いくら周泰様でも許せません!」

 

 ア、アナタタチハナニヲイッテイルノカナ?

 

「さ、お姉ちゃん。シャオが食べさせてあげる!」

「いいえ! 綾子様のお世話は私の務め! 譲れません!」

「小蓮様も徐盛も、ひ、退いて下さい!」

 

 あ~、もう収拾がつかない。

 とうとう、あたしもリミッター解除。

 

「オマエら! 全員そこに正座!!」

「ひゃっ!」

「ひぇっ!」

「は、はははいっ!」

 

 ようし、こうなったら根性から叩き直してやる!

 

 

 

 ……翌日。

 

「綾子お姉ちゃん、シャオと買い物に行こ?」

「綾子お姉さま。また、お猫様達とお話を。是非!」

「綾子様~。武の鍛錬、お願いします」

 

 説教をしたつもりが、却って懐かれてしまったらしい。

 そのまま城内に出たものだから、出会う人皆、唖然としているし。

 

「どうなってるの、これ?」

「……あたしに聞くな、雪蓮」

 

 また、あたしの悩みの種が増えた……ああもう!



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十二

 南陽城、謁見の間。

 雪蓮以下、将が勢揃い。

 ドタバタしていたけど、菖蒲(徐盛)も正式に雪蓮への仕官が認められた。

 あたしの下に配置されているから身分的には陪臣って事になるらしいけど、本人が喜んでいるので何も言えない。

 もっとも雪蓮の事だから、それで差別をしたりって事はなさそうだけど。

 

「さて、今後の方針だが」

 

 進行役は冥琳。

 つーか、他に適任者がいない。

 

「まずは、この南陽の建て直しだな。なんせ、前の太守がアレだったからな」

「ですねぇ。民の皆さんも疲弊していますし、治安も良くしないと」

 

 袁術は民に重税を課していたが生活自体が贅沢だったから、城には思いの外蓄えがないらしい。

 もともとは人口が多く豊かな土地だったのに、あまりの統治の酷さに逃散する民が多い上に戸籍も当てにならない状態ってんだから……。

 

「ふむ。袁術を打倒してみると、想像以上に難儀な状態だった、という事か……」

「冥琳さま、穏さま。復興のための資金も、決して潤沢とは言えません。それに、兵も養わなければなりませんし」

 

 祭さんに亞莎も、難しい顔つきだ。

 

「こうなると、袁術の兵力がそっくりそのまま手に入った、というのも考え物ね……」

「う……すまん」

「あ、いや、綾子が悪い訳じゃないわ。それとこれとは、また別の話よ」

 

 蓮華は慌ててフォローしてくれるが……まぁ、多かれ少なかれ、みんな同じ思いなんじゃないか、これ。

 

「……となると。この兵力を活かせるうちに、地盤を固める必要がある、って事ね」

「その通りだ、雪蓮。それに、この地に留まるならば、守りの問題が出てくる」

 

 あたしも地図を見せて貰って気がついたんだが、ここ南陽は、大陸のほぼ中心。

 都にも近いから、他の勢力と争いになった場合最悪は包囲されてしまう。

 それでも豊かなままであればまだ良かったが、今は建て直すのも気が遠くなるレベル。

 

「あの……。打開策はお持ちなのでしょうか?」

 

 菖蒲が、遠慮気味に言った言葉。

 その言葉に、皆の視線が冥琳に集まる。

 

「……なくもない。ただ、覚悟は必要だが……。綾子、わかるか?」

 

 って、なんでそこでまたあたしに振る!

 

「冥琳。わかってやってるだろ?」

「何の事だ? 私はただ、綾子の意見を聞いたまでだが?」

 

 うー、ニヤニヤ笑いながら言われても、説得力なさ過ぎだろ。

 ……さっきから黙っている思春も明命まで、あたしが何か言うのを待ち構えているし。

 

「あ~、ゴホン。 雪蓮に聞きたいんだが。……まず、漢王朝は、どう見てももう保たない。それはいいよな?」

「ええ。末期の病人状態ですものね」

「それでだ。仮に漢王朝が倒れて群雄割拠の時代になったとして。もし、国を作るとしたら、その名前は決めているのか?」

「名前?」

 

 キョトンと、あたしを見る雪蓮。

 

「名前、ねぇ。……冥琳、蓮華、どう?」

「……考えていないのだな」

「姉様。その振りはどうかと思いますが」

「だってそうじゃない。だいたい綾子、それが冥琳の質問とどう関係があるの?」

 

 矛先が戻ってきたか。

 別に話を逸らした訳じゃないぞ、うん。

 

「例えばだけど、ここから江東の地を支配していく……とか。つまりは、呉の地だな」

「江東か。しかし、無人の地という訳ではないぞ? 劉ヨウや王朗もいる」

「全くの無抵抗で、ってのは無理だろうけどさ。でも、この面々がいて、質は今ひとつでも、兵は揃っている。それに、北に比べて南はまだ、余裕があるんだろ?」

「そうだな。河北は袁紹に曹操、公孫賛……他にもいろいろとひしめいている。それに、ここからなら江東の方が近い、か。ふふ」

「どうしたの、冥琳?」

「いや何。綾子が、期待以上の答えを返してくれたのでな。つい」

「……やっぱり、わかって言わせたな?」

「いや、江東への侵攻はともかく、呉の名前までは予想していなかったな。相変わらず、読めない奴だ」

「って事は……。孫家の呉だから……孫呉! 何故かはわからないけど、とてもいいと思わない?」

「うん! シャオもいいと思う!」

「私も小蓮と同じです。まだ先の事かも知れません。けど……呉の国を……我らの理想とする国を目指しましょう!」

 

 あらら、なんか三姉妹で盛り上がり始めたんですけど?

 ……うわ~、ますますみんなの見る眼が……とほほ。

 

 

 

 そして、トントン拍子に話は進み。

 南陽は最低限の守備隊を残して、実質放棄に決定。

 江東の地を制してそっちで勢力を築く、という戦略で落ち着いた。

 

「……で。冥琳、あたしをどこに連れて行く気だ?」

「何。戦略が決まれば、後は物資の手配ではないか」

「それはわかるんだけど。それとこれと何の関係が? だいたい、冥琳だって落ち着いているヒマなんてない筈だろ?」

 

 そう。

 翌日になり、あたしはいきなり冥琳に連れ出された。

 城内の整理でも手伝わされるのかと思いきや……何故かそのまま城外へ。

 で、そのまま馬に揺られている、という訳。

 そして、ほど近い邑に。

 

「すぐにわかる。それ、着いたぞ」

「着いた……って。塀しか見えないぞ?」

「何を言っている。こっちだ」

「こっち……って、何じゃこりゃ?」

 

 冥琳の前には、でっかい門。

 って事はこれ……屋敷か?

 それにしても、でかすぎだろこれ。

 前に見た、武家屋敷どころの規模じゃない。

 

「千花はいるか?」

「あ、これは周瑜様。お嬢様なら中におられます」

 

 と、門番らしき男。

 

「そうか。綾子、入るぞ?」

「え? あ、ああ」

 

 戸惑いながらも、冥琳の後に続く。

 門を潜ると、そこもやっぱり豪邸そのもの。

 

「ふえ~。この家、めっちゃ金持ちじゃないのか?」

「その通りだ。このあたり、いや、江東でも三本の指に入る富豪だろうな」

 

 想像もつかないけど、とりあえずは大金持ちらしい。

 こんなところの主人って、どんな奴なんだ?

 ……貧相なあたしの想像力だと、どうしても小太りで葉巻を持って着物を着ているイメージが……。

 

「あ。冥琳さん、いらっしゃい」

「うむ、しばらくぶりだな、千花」

 

 縁側に腰掛けていたのは、紫色の髪をした少年。

 ……北郷以外で、男を見るのは久々かな?

 もちろん、街の人々や兵士にはいるんだが……。

 

「二人は知り合いか?」

「ああ。千花、紹介しよう。我が軍きっての猛将、美綴綾子だ」

「ブホッ! こ、こら冥琳! 知らない人が聞いたら誤解するだろ!」

「おや、私はそう思っているのだがな」

 

 こんだけ人外揃いの中で一番の猛将とか……あり得ないだろそりゃ。

 

「あ、どうも~。私は姓が魯、名が粛、字を子敬と言います。よろしくお願いしますね」

 

 何だかほわほわした子だなぁ。

 ……でも、魯粛って言えば、周瑜亡き後の呉の軍師じゃないか。

 

「ん? どうした綾子。私の顔に、何かついているか?」

「あ、いや何でもない。……そうか、魯粛か」

「私の事、ご存じでしたか?」

「まぁ、こやつは洞察力もあるし、意外に人物に対しての造詣も深い。千花ぐらい知名度があれば、知っていても不思議ではない」

「おやおや、随分と私も知られているんですね~。なんだか光栄ですよ」

「で、冥琳。あたしをここに連れてきた訳は?」

「その前に、用件を済ませたい。千花、頼みがある」

 

 と、冥琳は居住まいを正した。

 

「どうしたの、冥琳さん。改まって?」

「実はな。雪蓮を旗頭に、江東の地をまとめる事になった」

「なるほどなるほど。それで?」

「将も兵も揃えられたが……。軍資金と兵糧に事欠いている始末でな。千花に、援助を頼みに来たのだ」

「なんだぁ、そんな事でしたか」

 

 と、ニコニコ笑う魯粛。

 

「なら、あの蔵ごと、使っちゃっていいですよ」

「蔵ごとって……どわっ!」

 

 屋敷の中に、ひときわでかい蔵が、二つ。

 ……これ、南陽城の蔵よりもでかいんじゃ……。

 

「千花。援助してくれるのは有り難いが……しかし……」

 

 冥琳も流石にそのまま受け取るのは躊躇いがあるようだ。

 だが、言い出した本人は相変わらずニコニコしたまま。

 

「いいんだよ。冥琳さんの役に立つなら」

「しかしな……」

「それだけじゃ納得できないかなぁ? じゃあ、そちらの美綴さんの為にも、と言う事でどうかなぁ?」

「……へ?」

 

 そこで何故、あたしの名前が出る?

 

「冥琳さんが、意味もなく人を連れてくる筈がありませんから~。それに美綴さん、貴女も英雄の相がありますし」

「英雄の相? 何だそれ?」

「流石は千花、気づいたか。本来なら、英雄並び立たず、って奴なんだが……。不思議と、雪蓮と並んでもぶつかり合う事がない」

 

 またな~んか、えらい事言われてますよ、あたし?

 

「これだけの人物にお会いできたんですから、蔵の一つぐらい安い物ですよ、はい~」

 

 魯粛はニコニコしながら、

 

「でも冥琳さん、ずるいよね~」

「ふっ、何の話だ?」

「わかってるくせに~。こんな人にお会いしちゃったら、私が断れない、ってわかってるくせに」

「……え~と、何のお話をしていらっしゃるのでしょうか、お二人様は」

 

 怪しい敬語になるあたし。

 

「私は、一角の人物を見るのが大好きなんですよ~。冥琳さんも、最初にお会いした時はとーっても感激でしたから」

「そ、そうなの……」

「ダシにしたようで悪かったな、綾子。だが、お前にも千花は紹介しておきたかったんだ。それで千花、前にした話は、考えてくれたか?」

「う~んと、冥琳さん達のところで、お仕事するって話かなぁ?」

「そうだ。お前は野に置いておくにはあまりに惜しい。富豪としての地位もあるだろうが、そこを曲げて頼みたいのだ」

 

 何となく納得するあたし。

 まぁ、あの魯粛と同一人物なら、相当に優秀……なんだよな、きっと。

 

「ん~……。そうですねぇ」

 

 何故か、あたしを見る魯粛。

 

「じゃあ、賭をしましょう~」

「賭?」

「そうですよ~。美綴さんが私の私兵に勝ったら、冥琳さんについて行きます」

「……ちょっと待て。どうしてそうなる?」

「だって~、孫策さんのところで一番の猛将、って聞かされたら、見てみたくなるじゃないですか~」

「冥琳! だから言わんこっちゃない」

「……すまん、綾子。だが、悪い条件ではない」

 

 コラー! あたしの意思は無視かい!

 

 

 

 結局、なし崩し的に勝負するハメになった。

 

「では、勝負の判定方法ですけど~。美綴さんが、無事にこの森を抜けられたら、美綴さんの勝ちとしますね~」

 

 あたしの前には、村はずれに広がる森があった。

 

「無事ってのは?」

「捕まらなければいいですけど~。もちろん、大人しく通れるようにはなっていませんけど~」

 

 ……ハァ、気が進まない。

 

「冥琳。帰ったら覚えてろ」

「……恨まれたままでは敵わん。結果はどうあれ、戻ったら相応に報いさせて貰うさ」

 

 クソ、ならやってやろうじゃないか。

 もう、矢でも鉄砲でも持ってこい!

 あたしは意を決して、森に飛び込んだ。

 

 

 

 結構深い森。

 迷ったら出るどころじゃないだろ、と思っていたんだが、時折目印がついている。

 一応、順路はあるらしい。

 突如、ヒュンと風切音がした。

 

「!!」

 

 飛んできた矢を、薙刀を振り回して払いのける。

 鏃は潰してあるようだけど、当たれば痛い。

 間髪を入れず、木立の間からの槍衾。

 全部叩き付け、穂先を折ってやる。

 

「そこだっ!」

 

 慌てる槍遣い達に、石突きで一撃を入れる。

 

「グウッ!」

 

 そして、間断なく飛んでくる矢は、かわしながら発射地点を探す。

 太い枝の上に、影が見えた。

 

「そこっ!」

 

 ビームライフル……はないので、携帯用、というかおもちゃの弓を放つ。

 鏃はもちろん潰れているのと、命中するとすぐにわかる。

 何故なら、

 

「キャッ! な、なにこれ?」

 

 樹上にいた弓遣い達が、パニックを起こして落ちてきた。

 潰した鏃に、小さな袋が付けてある。

 命中すると袋が破け、中に詰めた食紅が飛び出る仕組み。

 食紅だから害はないが、真っ赤に染まるので誰がどう見ても命中、という訳。

 ……子供の玩具として軽い気持ちで作ってみたけど、意外と使えるなこれ。

 

 

 

 襲撃をかわして先へと進むあたし。

 待ち構えていたのは、落とし穴やら引っかけたら岩が飛んでくる仕掛けやら。

 どこのたけ○城ですか、あんたら。

 落とし穴はともかく、岩は結構シャレにならなかった。

 あっさり砕けたので、軽石か何かだったんだろう。

 ……その後で、仕掛けたらしき連中が、何故か呆然としていたが。

 そんなこんなで、森の出口が見えてきた。

 やれやれ、やっと終わりか。

 

「おっと、ここは通さないよ」

 

 誰かが通せんぼう。

 両手に刀を持った、女の子。

 口調はおどけているが……うん、隙はないな。

 

「なるほど。アンタがラスボスって訳か」

「らすぼす?」

「最後の敵、親玉って意味さ。さて、どうする?」

「勿論」

 

 女の子はニヤリ、と笑うと、

 

「ここは通さないよ。つまりは……アンタを倒す!」

「なら、一対一で勝負だね」

 

 あたしも、薙刀を構え直す。

 その瞬間、女の子が消えた。

 ……いや。

 

「頭上か!」

 

 素早く薙刀で防ぎ、そのまま振り払う。

 女の子は二刀流で防ぎ、一旦間合いを取った。

 

「へえ。ボクの動きについてくる奴は久しぶりだよ」

「アンタこそ、やるじゃないか」

「余裕? なら、これでどう?」

 

 素早く地を蹴り、そのままあたしの懐に飛び込んでくる。

 交互に突き出される剣を、柄で受け流す。

 もちろん、そのまま受けたんじゃ、柄は真っ二つ。

 なので、振り払いながら刃を受けないようにする……言うのは簡単でも、実践するのはかなり大変。

 

「守るだけじゃ勝てないよ!」

「そうだな……。なら、そろそろ反撃といくかね」

「な、何っ!」

 

 がら空きのボディに、蹴りを一撃。

 もちろん、かわされる事は承知の上。

 体制が崩れたところで、女の子の腕を掴み、

 

「せいっ!」

 

 そのまま、背負い投げ。

「あ、あわわわわっ!」

 見事に決まり、女の子は倒れた。

 そして手にしていた剣は……近くの木立に突き刺さった。

 

「勝負あったな」

「くっそー……。強いなぁ、このボクが歯が立たないなんて」

「いや、そっちこそ。いい勝負ができたぜ?」

 

 どちらからともなく、握手を交わすあたし達。

 

 

 

 森の出口には、冥琳と魯粛が待っていた。

 ……というか、二人でお茶してるよ。

 

「あらあら、やっぱりご無事でしたか~」

 

 勝負に負けたというのに、魯粛はニコニコ顔。

 

「悔しくないのか?」

「悔しくない、と言えば嘘になりますけど~。でも私は、美綴さんの凄さを見られた嬉しさが先ですね~」

「そうか」

 

 ふう、と息を吐く。

 あたしも勧められるままに茶を一杯。

 うん、動いた後だから余計に旨い。

 

「では千花。約束通り、来て貰うぞ」

「うん、冥琳さん。あ、そうそう」

 

 と、魯粛はあたしを見る。

 

「真名は、千花(ちか)です。改めてよろしくお願いしますね~」

「いいのか、そんな簡単に?」

「はい~。美綴さんの武は、嘘偽りのないものですよ~。そこに敬意を表しまして、です~」

「そうか。ならあたしも綾子でいいよ。よろしくな」

「ありがとうございます~、綾子さん」

「ところで、一つ聞きたい。あたしと最後に遣り合った娘は?」

「ああ、あの娘なら~」

「ボク?」

 

 呼ぶまでもなく、目の前にいた。

 

「魯粛さん。悪いけど、今は一緒に行けない」

「あれれ? どうしてですか~?」

「……この人に、子供扱いされちゃったんでね。悔しいけど、今のボクじゃそこまでだ」

「子供扱いなんてしてないって。実際、強いと思うぜ?」

 

 本心からそう思う。

 だが、女の子は小さく笑うだけ。

 

「もう一度、鍛練を積んでくるよ。そして、その後で改めて……手合わせ、いいかな?」

「……わかった。じゃ、名前を聞かせてくれ」

「……いや、それもよしておくよ。次に、貴女の前に姿を見せたら、改めて名乗るから」

「そうか、わかった」

「じゃ、世話になったね、魯粛さん」

「いえいえ、こちらこそ~。お元気でいて下さいね~」

「うん!」

 

 女の子は大きく手を振ると、そのまま去って行った。

 

「綾子。あの者、どう思う?」

「そうだな。真っ直ぐで、武官としての素質も悪くない。……きっと、仲間にすれば心強い奴になるかもな」

「……そうだな。さて、戻ろう。そうでないと、また雪蓮がサボり出す」

 

 こうして、千花が仲間に加わった。

 

 

 

 ……案の定、サボって酒を飲んでいた雪蓮は、戻った冥琳に大目玉を食らった。

 もはや、お約束だな。



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十三

 千花(魯粛)が仲間に加わり、人的にも物的にも用意が整い始めた。

 いよいよ、江東制圧に向けて動き出す事になる。

 兵については、そのままでは多すぎるため、祭さん、思春、明命で一度調練を行う事となった。

 兵に適正なし、という連中は手当てを出した上で帰農させ、なるべく精鋭だけに絞った。

 調練なら手伝うつもりだったんだが……。

 

「悪いが、綾子では絞られ過ぎる危険がある」

「すまぬな、徹底的に鍛え上げるのはまたの機会になろう。ここは儂らに任せるがよい」

 

 ……思春に祭さん、あたしを一体何だと?

 仕方がないので片隅で猫達と黄昏ていたら、明命が調練そっちのけでトリップしかかり、猫ごと調練場から追い出された。

 

 当てもなく城内をフラフラしていると、たくさんの竹簡を抱えた文官達とすれ違った。

 

「大変そうだな。そんなに一度に運ぶんじゃ大変だろ? あたしも手伝うよ」

「あ、美綴様。しかし、そのような事でお手を煩わせては……」

「いいって、あたしもヒマだし。どれ」

 

 先頭の文官の腕から、竹簡を受け取る。

 お、案外軽いなこれ。

 

「そっちのも貸しなよ。このぐらいなら持てる」

「い、いやしかし……」

 

 仕事を横取りするつもりじゃないが、どいつもこいつも足元がふらついていて危なっかしいんだよ。

 

「ほら」

「は、はぁ……」

 

 戸惑う彼らに構わず、全部を受け取る。

 嵩はあるけど、重さは……うん、大した事はないかな。

 ……で、何でこの人は石化してるんだ?

 

「どうかしたか?」

「……ハッ。い、いえ……。しかし、流石は美綴様ですな、これだけの量を」

「そうかな? 鍛え方が足りないんだよ、文官だからって、身体は動かした方がいいぜ?」

「あ、あははは、さ、左様で……」

 

 乾いた笑いで返すな。

 

「で、何処に持って行くんだ?」

「はい。周瑜様と魯粛様、陸遜様のところへ」

「あいよ。じゃ、案内してくれ」

「…………」

「ん? 行かないのか?」

「い、いえ。こちらです」

 

 ……怖がられている気がするのは、何故だろう。

 

「お待たせ、持ってきたぞ」

「あ、ご苦労。……綾子、何だその量は?」

「綾子さん、ま、まさか全部一度に運んだんですかぁ?」

「はわ~、凄いですね~」

 

 なんか、三人の反応がおかしい。

 ……つーか、呆れられてないか?

 

「あれ? いっぺんに運んだ方が効率いいかなって。もしかして、余計な事したか?」

「……い、いや……助かる。な、穏、千花?」

 

 声が上擦ってるぞ、冥琳。

 

「なら、ここに置くぞ?」

 

 空いている机の上に、竹簡を崩れないように置く……結構難しいかな、この量だと。

 

「あ、ちょっと待って下さい。綾子さん、いいものをお見せしますよぉ」」

 

 何故かニコニコしている穏。

 千花と並ぶと……うん、和む。

 

「いいものって?」

「ではでは千花さん、こちらをお願いしますね~」

「は~い、お願いされました~」

 

 竹簡を広げた千花。

 ……その瞬間、あたしは信じられないものを、見た。

 目にも止まらぬ早業で、手裏剣を投げ……じゃなく、書簡を処理。

 

「……何、だと……」

 

 彼女の前に積まれた竹簡が、みるみる減っていく。

 適当に片付けて……いる訳がないな。

 それなら、横にいる冥琳が黙っていないだろうし。

 他の文官もサボっている訳じゃないのに、千花の減り方があまりにも早すぎる。

 あの、ぽわぽわした雰囲気は、どこかに消え失せているし……やっぱり、魯粛なんだなぁ、と再認識。

 

「流石は千花だな。計算が速い」

「い、いや……。電卓も算盤もないのに、それは凄すぎだぞ……」

 

 と、あたしのつぶやきを聞き逃さない穏。

 

「綾子さん。何か、計算に便利な道具でもご存知のようですねぇ」

「へ? ま、まぁな」

 

 あたしは、ポケットからケータイを取り出した。

 

「あらぁ? それは何でしょう~?」

 

 あ、千花がぽわぽわモードに戻ってる。

 

「確か、美麗な絵を、自動で描く機械だったな? けーたい、とか言ったか?」

「よく覚えているな、冥琳」

「忘れる筈がないだろう。それだけ印象深いものを。で、またあの絵を見せるのか?」

「あ、今日は違うんだ。これ、他にも機能があるんだけど……」

 

 メニューキーを操作し、電卓モードに。

 

「で、例えば……そうだな、このあたりの邑の人口を合計して、平均を計算してみるか」

 

 度量衡も違うから、こんな事しか事例が浮かばないし。

 

「……七百四十一。どうだ?」

「ふえ~、ピッタリですよ綾子さん」

 

 千花は既に、暗算で計算済みらしい。

 電卓使ってまで、負けるあたしって一体……。

 凹んでいるあたしを他所に、三人はワイワイと盛り上がっている。

 

「しかし、この小さな箱にどんな絡繰が……。ふむ、綾子の国とは、ますます不可思議だ」

「でも~。国中の職人さんたちが頑張っても……無理ですよねぇ」

「う~ん。便利なんですけどね~。綾子さん~、他には何かご存知じゃないですか~?」

「そうだな。なら、算盤かな?」

 

 実物は流石にないので、碁石と筆で、それっぽくして説明。

 

「……で、足し算だとこう。引き算だと、こんな感じで」

「なるほど~」

 

 十進法が使えないみたいなので、改良しないとそのままでは使えない事が判明。

 

「すまんな、役に立たなくて」

「いえ~。これはいいですよ~」

「そうですね。千花さんみたいに、計算が速い方だと効果的ですよ」

「ならば、職人に作らせてみるか。計算が速くなるならば、文官にも試させる価値はあるな」

 ……あら、いつの間にか正式採用の方向に……?

「それはさておき」

 

 と、ニヤリとあたしを見る冥琳。

 物凄く、いや~な予感が。

 

「さ、さて、じゃああたしは鍛練に……」

 

 ガシッと両腕を穏と千花に挟まれた。

 

「綾子さん。ちょ~っとだけ、お手伝いして欲しい書簡がありまして~」

「一緒にお仕事して貰えますよね~、もちろん~?」

 

 二人ともニコニコしたままだが……逆らいがたい迫力が……ホントにアンタら、文官か?

 

「……ちなみに、拒否権は……?」

「もちろん、ない」

 

 あ~、薮蛇だ~!

 

 

 

「ハァ……疲れた」

 

 竹簡の山がなくなり、やっとこさ解放された。

 また頼むぞ、なんて冥琳に言われたが、全力で辞退したい。

 

「にゃ~」

 

 黄昏れて城壁に登ったあたしの周りに、猫がわらわらと集まってきた。

 スリスリされてしまった。

 何故か、こっちに来てから猫になつかれるようになった。

 あたしも嫌いじゃないし、甘えてくる猫に癒されない筈もない。

 

「よしよし」

 

 喉を撫でてやると、気持ち良さそうに喉を鳴らす。

 次は自分だ、と別の猫がやってきて……ある意味、カオス。

 明命がここにいたら、悶え転げ回ってるな、間違いなく。

 

「あらあら、猫王さん、こんなところにいたの?」

「誰が猫王だよ、雪蓮」

「あら、違うの? 街の子供がそう呼んでいたわよ」

 

 子供は正直だ、確かにそう見えるんだろう。

 ……まぁ、悪い気はしないからいいんだけどな。

 

「さて、やっと約束が果たせそうね」

 

 そう言いながら、雪蓮はあたしの隣に腰を下ろす。

 猫達も心得たもので、場所を空けつつ、あたしへのスリスリ攻撃は続けている。

 

「約束って?」

「言ったじゃない。袁術ちゃんの事とか片付いたら、ゆっくり話しましょう、って」

「あ、その事か」

「祝宴はそれどころじゃなかったし、その後も忙しかったからね」

「……その割には、冥琳が探し回る姿を随分見かけたんだけど?」

 

 う、と雪蓮が顔を顰める。

 

「そ、それは……。そう、偶然がいくつも重なり合ったのよ、うん」

「ま、雪蓮らしいっちゃそうなんだけどさ」

「そういう事で、はい」

 

 何がそういう事なのかはわからんが、雪蓮は徳利と杯を手にしていた。

 

「また飲むのか。好きだねぇ」

「いーじゃない。綾子と飲むお酒、美味しいんですもの」

「とか何とか言いながら、口実にされているとしか思えない」

「ぶーぶー。それは酷いわよ、綾子」

 

 拗ねている素振りをしているが、本心からではない。

 まぁ、あたしも軽くからかっているだけだしな。

 

「じゃ、かんぱーい」

「ああ、乾杯」

 

 少し、きつめの酒。

 だが、悪くないかも。

 

「ふう、やっぱり美味しいわ。やっぱり、お酒は美味しく飲めなきゃね」

 

 どことなく、はしゃいでいるな。

 

「何か嬉しい事でも?」

「そりゃあるわよ、いろいろと。こうして、自由の身にもなれたし」

「ま、その代わり今度は王としての仕事が待っているけどな」

「う……。嫌な事を思い出させないで、もう」

「仕方ないだろ、それが上に立つものの宿命みたいなもんだ」

「……綾子、最近冥琳に似てきたんじゃない?」

「あはは、それはない。逆立ちしたって、あんな稀代の軍師様にはなれないよ、あたしじゃ」

「ま、それもそっか」

 

 そうあっさり認められるのも、それはそれでちょっと癪かも。

 

「綾子は綾子だもの。……本当、不思議よね、あなたって」

「そうかな?」

「そうよ。あなた、庶人の出、って言ったわよね」

「ああ。まかり間違っても、どこぞの名家とか末裔とか、そんなのはない」

「庶人の出でも、優れた人は大勢いる。漢の高祖だって、元を辿ればそうだもの」

 

 高祖って……そりゃ、確かに。

 でも、比較される対象が偉大すぎ。

 

「あなたはそう言うけど、武はまさに無双、明命や小蓮、菖蒲があれだけ慕う人徳。それに、いろんな知識もあるじゃない」

「褒めすぎだって。あたしはただの武道バカだよ」

 

 つうか、人徳とは何か違うような気がする……あの三人の場合。

 

「あら、謙遜?」

 

 おかしそうに、雪蓮が笑う。

 

「そんなつもりはないよ。これでも、あたしは身の程をわきまえているつもりだけどな」

「そうかしら? もし、あなたが仮に独立でもしたら、結構な勢力を築けちゃったりして」

「……それは、あたしならあの曹操とでも張り合える、とでも?」

「そうね。綾子なら……あり得るんじゃない?」

 

 勘弁してくれ。

 あんな完璧超人とタメ張るなんて、考えただけでもゾッとする。

 

「……でも、ありがと」

「急にどうしたんだ?」

「いろいろとね。綾子が来てから、いろいろあったもの。そして、あなたのおかげで、今のわたしがある」

「大げさだろ、そりゃ。あたしは大した事はしていないさ」

「ふ~ん、今日はやけに謙遜するのね」

「だから、謙遜じゃないんだって。ああ、もう!」

 

 勢いで、杯の中身を一気に干した。

 う、クラクラする。

 

「じゃあ、どうして曹操の誘いを断ったの?」

「へ?」

 

 どうして、雪蓮がその事を?

 

「あら、自分の城下町で起きた事ですもの。そりゃ、耳に入るわよ」

 

 まぁ、普通の茶店での会話だったからなぁ。

 誰にも知られないって方が無理、か。

 

「まず、あたしは曹操が期待する程の器量じゃない」

「謙遜、三回目よ?」

「だから……もういい、それは。あと、フィーリング的に、無理」

「ふぃーりんぐ、って何?」

 

 いかん、変に酔いが回ってきたからまた横文字使っちまった。

 

「感覚的というか、相性的に。それだったら、雪蓮の方がよほど気楽だ」

「それ、褒めてるの?」

「当たり前だろ。さっきも言っただろ、あたしはただの武道バカだって。小難しい事はダメなんだよ」

「ぷっ、あっはっはっは」

 

 何がツボに入ったのか、雪蓮は大笑い。

 

「何かあたし、変な事言ったか?」

「い、いえ、あはは、ちょ、ちょっと待って、うくくく」

 

 涙目になってまで笑われてもなぁ……。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……。ちょ、もうちょっと、待ってね」

 

 雪蓮は杯を一気に干した。

 

「ふう……。だ、だって、綾子、あんまりにも直球なんだもの。自分を飾らないのはいいと思うけど、限度があるわよ」

「だからって、そこまで笑わなくてもいいだろ……」

「ご、ゴメンね。でも、綾子がいけないのよ。ぷっくっく」

 

 また笑いを堪えてるし。

 

「ったく。ほら」

 

 徳利を持つと、妙に軽かった。

 どうやら、空になったようだ。

 

 

 

「ほれ。酒なら持ってきたぞ。……にしても、何じゃこれは?」

 

 祭さんが、呆れ返っている。

 雪蓮は腹を抱えて笑っているし、あたしの周りは猫だらけ。

 ……まぁ、傍から見ればシュールだろうな、この状況。

 

「まぁよい。にしても策殿、綾子。酒の場に儂を呼ばぬとは、随分と冷たくはないか?」

「そんなつもりはなかったのよ。綾子と話がしたかっただけで、お酒はついで」

「にしちゃ、いい飲みっぷりだったけどな」

「あ~ん、祭。綾子がいじめる~」

「これこれ、じゃれ合うのも大概になされい。それはそうと、綾子」

「何ですか、祭さん?」

「お主、弓にも長けておったの。どうじゃ、今度儂と弓比べをせぬか?」

「望むところです。あたし、祭さんにも教えを請いたいと思っていましたし」

「そうかそうか、よし、決まりじゃな。さ、飲め飲め」

 

 あたしもご返杯。

 で、やっぱり水のようにすいすい飲むあたりが祭さんクオリティー。

 

「綾子~。あたしにも」

「はいはい」

「ほれ、綾子もグッといけ、グッと」

 

 祭さんに捕まったんじゃ、相当飲まされるなこりゃ。

 

 

 

 ……で、気がついたらベッドの上だったんだけど。

 

「何、これ……?」

 

 ベッドの周りで大量の猫が丸くなって寝ていて。

 あたしを挟むように明命と小蓮が、すやすやと安眠中。

 どうやら潰れたあたしを、祭さんが運んでくれたらしいんだけど、その時に猫達が一緒についてきたらしい。

 それはいい。

 ……でも、この二人は一体……?

 

「綾子様。お水をお持ちしました……って」

 

 まさにナイスタイミングで入ってくる菖蒲(徐盛)。

 

「な、な、な……」

「落ち着け! まずは話を聞け!」

「何してるんですか、綾子様!」

「な、何事ですか!」

「シャオの寝起きを襲うなんて何様!」

「だぁぁぁ、寝ぼけるなオマエら!」

 

 夜中に大騒ぎになり、何事かと皆が駆けつける始末。

 ……冥琳と蓮華に、全員こってり絞られましたよ、ええ。

 

 ちなみに、明命は猫の気配につられて無意識であたしのところへ。

 たまたま目が覚めた小蓮が、後をつけてそのまま……と。

 

 

 

 一つ、問いたい。

 ……あたし、何か今回の件、悪い事したか……?



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十四

「雪蓮」

「ええ」

 

 南陽城に勢揃いした兵士達。

 もちろん全員は入りきらないけど、主要な兵士が集められている。

 その前に、進み出る雪蓮。

 

「皆の者、よく聞いて欲しい。暴政を敷いていた袁術は既に打倒した。だが、ここ南陽は疲弊し、民も塗炭の苦しみに喘いでいる。袁術の罪は重いが、それを責めるだけでは未来はない! 我々は、これより江東の制覇へと進む。これは、新天地を得るためだけの戦いではない! この地の、そして戦乱に苦しんでいる江東の民を解放し、安んじるための義戦である! 私はこれより、江東の安寧を目指す! 皆はその呉、孫呉の兵士として、立ちはだかる者達を打ち破り、安住の地を得ようではないか! 皆、大いに励み、そして力を貸して欲しい!」

 

「オオーッ!」

 

 湧き起こる歓声。

 短期間ではあったが、選び抜かれた士気の高い、精鋭達。

 そして、優れた将達。

 大陸最強、とはさすがに言えないだろうけど、少なくとも相当に強い軍が、できあがった瞬間。

 

「綾子」

 

 隣にいた蓮華も、いい表情をしている。

 

「私も、孫呉のため精一杯やるわ。力を貸して」

「……ああ。やるさ、雪蓮や蓮華のため、そして皆のためにも、な」

 

 

 

「では、出立!」

「応!」

 

 先陣は明命と穏。

 ……で。

 

「なぁ、穏」

「何でしょうか~?」

「……あのさ。やっぱあたしが先陣の司令官ってのは……」

「もう決定事項ですよぉ? それに、綾子さんなら問題ありませんから」

 

 そう言われてもなぁ。

 

「大丈夫ですよ、綾子さんはどーんと構えていて下さいねぇ」

 

 いいんだろうか、しかし。

 作戦指揮なんて、祭さんのを一度見たぐらいだぞ。

 

「それで、目標は寿春……だよな」

「はい~。劉ヨウさんのお城ですね」

 

 ……さて、誰だったっけ?

 名前が出てこないぐらいだから、あまり気にする事はないのかも知れないけど。

 ま、なるようにしかならんか。

 

「そう言えば~。あの猫の大群はどうしたのでしょう?」

「ああ。たぶん勝手についてきてると思う。ただ、一緒だと……」

「ああ~、明命ちゃんが戦闘どころじゃなくなっちゃいますものねぇ」

「……そういう事だ」

 

 どうもあたしが猫に好かれるスキル(?)を身に付けたせいか、余計にトリップしやすくなってるからな、明命は。

 別に命令した訳でもないけど、猫達は城を出る前からサッといなくなった。

 ……また、猫王なんて呼ばれそうだなぁ。

 

 

 

 途中で黄巾党の残党を打ち破ったり、軍に志願してきた連中の対応をしたり。

 ほとんどは穏が対応方法を指示してくれるし、それ以上の判断が必要な場合は雪蓮のところに使いを出すだけだから問題はない。

 寿春までの行軍は、順調そのものだった。

 

「よーし、全軍止まれ!」

 

 かねてからの打ち合わせにあった地点で、行軍をストップ。

 明命隊が斥候に出ているので、それを待つ。

 

「綾子お姉さま、穏さま、戻りました」

 

 って、早っ!

 

「明命ちゃん、ご苦労様でした。どうでしたかぁ?」

「はい。『太史』の旗が、寿春城の手前に立っていました」

 

 江東でその名前って事は……たぶん、あの武将だな。

 

「太史……。太史慈、か?」

「お姉さま、よくご存じで」

「まぁ、いろいろあるんだよ、あたしも。それで、数は?」

「一万ほどかと」

 

 雪蓮から預かった兵も、ほぼ同数。

 数の上では互角だけど……。

 

「それから、牛渚の砦には、張英とハン能の旗が」

 

 あ、そっちは完全に知らん。

 

「そちらは、雪蓮さまの本隊が来てからでも良さそうですね。となると、まずは太史慈さんでしょうか~」

「そうだな。下手にかかると、被害もバカにならなさそうだし」

「あの~。綾子さんは、太史慈さんをご存じなんでしょうか?」

「そうですよ。もしそれなら、作戦の立てようもあると思いますが」

 

 さて、どう説明したものかな。

 あたしが知っているのは後世の歴史であって、目の前の現実とは違う。

 だから、必ずしも同じ人物とは限らないんだけど。

 

「伝令、伝令!」

 

 と、そこに兵士が駆け込んできた。

 

「申し上げます! 劉ヨウ軍より、使者が参りました」

「使者? わかった、通せ」

「ははっ!」

 

 入れ替わりに、使者として派遣されてきた兵士が入ってきた。

 

「我が軍の将、太史慈からの言伝がございます。まずは、尋常に一騎打ちを申し入れたい、と」

「一騎打ち、ねぇ」

 

 ……この場に雪蓮がいなくて、よかった。

 彼女の性格なら、喜んで飛び出していただろうからな。

 

「返事はこちらからする。一旦戻っていいぞ、ご苦労さん」

「はっ!」

 

 さて、どうしますかね。

 ゲームだと、断ると士気が下がるんだけど。

 

「穏。出るべきか?」

「う~ん。危険ですよぉ?」

「それはわかるんだが……明命はどうだ?」

「私もあまり賛成は出来ません。ただ……」

「ただ、何だ?」

「はい。今いる兵は、雪蓮さまに従ってまだ日が浅く、忠誠心も決して高い訳ではありません。ここで断れば、ますます彼らを指示通りに動かすのが難しくなるかも知れません」

「なるほど」

 

 兵を間近で見ている、明命ならではの意見だろう。

 

「穏。あたしもそう思う」

「……そうですねぇ~。明命ちゃんの見る目は、間違いないとは思います」

 ……なら、話は決まりだ。

「穏。あたしが行ってくる」

 

 二人とも、驚いてあたしを見る。

 

「え? 綾子さんが?」

「ああ。向こうも一軍を率いている将なんだろう? だったら、あたしが行かないと」

「ですが~」

「大丈夫、簡単にやられはしないさ。司令官としちゃ頼りないだろうけど、一対一なら何とかなる」

「……お姉さま、気をつけて下さい。ご武運を」

「ああ」

 

 そのまま、馬に乗って陣の前に出る。

 

「太史慈! 申し入れ通り、来てやったぞ!」

 

 あたしの呼びかけに、敵陣から一騎、飛び出してきた。

 

「よし、敵ながら天晴れ。我が名は太史慈!」

「あたしは美綴だ。さて、勝負はどうする?」

「私の得物はこれだ。貴殿は?」

 

 と、弓を取り出す太史慈。

 そういや、弓の名手だったな、太史慈って。

 

「あたしも弓で構わない。弓比べと行こうか?」

「結構だ。そうだな、的は……あれにしよう」

 

 と、太史慈は頭上を指した。

 雁の群れが飛んでいる。

 って、飛ぶ鳥を落とせって?

 

「では私から、参る」

 

 太史慈は手にした弓を構え、狙いを定める。

 

「フッ!」

 

 短い気合いと共に、放たれた弓。

 

「ギャッ!」

 

 狙い過たず、一羽の雁が落ちてきた。

 見事に羽を射貫かれて。

 ……百発百中の腕、ってのは伊達じゃなさそうだ。

 

「では、次は貴殿だ」

 

 う~、止めときゃよかったか?

 あたしの弓は、静止した的ばかりだったし。

 そりゃ、こっちに来て多少は動くものも射たけど。

 とにかく、落ち着けあたし。

 

「……行くぞ」

 

 覚悟を決め、矢を番える。

 そして、放つ!

 

「ギョエ!」

 

 ……当たった。

 落ちてきた雁、その首を射貫いていた。

 

「見事な腕だ。私よりも優れているとはな」

 

 いや~、たまたまなんだよね。

 とか言ったら、本気で怒られそうだからやめとこ。

 

「では、次はこれで参る」

 

 と、槍を取り出す太史慈。

 

「なら、あたしもこれで」

 

 薙刀を構える。

 

「いざ!」

「来いっ!」

 

 突きを受け流す。

 間を取り、素早く足払いをかける。

 

「なんの!」

 

 そして、繰り出される槍。

 趙雲の突きも速かったが、太史慈のそれも、勝るとも劣らない。

 気を抜いたら、やられるな……。

 

 打ち合う事、五十、いや七十合を過ぎたかな。

 いい加減、手が痺れてきた。

 

「や、やるな……」

「貴殿こそ……。私がここまで手こずるのは、初めてだ」

 

 息も上がってるし、喉もカラカラ。

 

「太史慈様!」

「何だ! 邪魔をするな!」

 

 声をかけてきた兵士を一喝する太史慈。

 

「そ、それが……。牛渚の砦、陥落したとの事」

「な、何だと!」

 

 さっき明命が言っていた砦か。

 ……となると、雪蓮達、もう着いたって事だろうな。

 

「劉ヨウ様より、退却の命が来ております」

「クッ! しかし!」

 

 あたしは、構えを解いた。

 

「命令なんだろ? 行けよ」

「し、しかし! 敵前で退却など!」

「ん? ああ、追撃ならしないし、させない。安心しな」

 

 あたしはそう言って、親指を立てる。

 

「美綴殿……? しかし、それでは」

「あたしと互角にやる相手に、追い討ちをかけたくないだけさ。武人としての礼だよ」

 

 太史慈は、あたしの言葉にフッと笑みを浮かべる。

 

「武人として、か。ではこの場は、お言葉に甘えよう」

「今度は負けないぜ?」

「それは私の台詞だ。では美綴殿、失礼する」

 

 くるりと踵を返し、太史慈は自陣へ戻っていく。

 

「寿春城へ戻る。全軍、続け!」

「応!」

 

 砂塵を上げて、太史慈の軍勢は去って行った。

 

「綾子お姉さま。大丈夫ですか?」

 

 明命が、手ぬぐいと水筒を手渡してくれる。

 

「ああ、すまない。……ふう」

「流石は綾子さんですね、お見事でした」

 

 穏もやって来た。

 

「すまない。独断で見逃してやった……。処罰は覚悟している、あたしの責任でな」

「え~と、何の事でしょうかぁ」

「……え?」

「私、目が悪いので何が起きたのか見えなかったんですけどぉ」

 

 そ、そんな訳ないだろ?

 

「明命!」

「あ、見て下さい。こんな戦場にも、お猫様がいらっしゃいますよ~」

 

 猫なんていないし、いる訳がない。

 

「ささ、戻って休みましょう」

「そうですよ。お姉さま、お疲れ様です」

「穏、明命……」

 

 二人に手を借りて、陣に戻った。

 

「み、美綴様、凄かったです!」

「お、俺、あんな勝負、生まれて初めて見ました!」

 

 なんか、兵士達から賞賛の嵐が。

 自分の武が認められるのだから、悪い気はしないね。

 とにかく、少し休憩。

 

 

 

「綾子。ご苦労様」

 

 数刻後、雪蓮達と合流。

 城から出ていた軍勢は全て蹴散らすか、退却したらしい。

 

「綾子。貴様と互角に遣り合った将がいる、というのは本当か?」

「そうさ、思春。それは明命も穏も見ていたから。太史慈って奴だ」

「あの綾子と五分……恐ろしい手練れだな」

 

 ……それは、あたしもその恐ろしい方に入る、と聞こえるぞ。

 

「残念ねぇ。私も勝負したかったなぁ」

「雪蓮。立場を忘れるな」

「そうです、雪蓮姉様は大事な身体なのですよ!」

「ぶー。冥琳も蓮華もわかってるわよ」

 

 と、頬を膨らませる雪蓮。

 

「江東にそのような将が……。私でも、戦えたでしょうか……?」

「これ、亞莎。お主は武官でもあるが、自分で戦うよりもいかにして兵を動かすかを考えい! 冥琳に言われたばかりであろうが」

「は、はひ! も、申し訳ありません、祭様!」

「でも、綾子お姉ちゃんと互角って事は、かなり強いんだよね、その人? シャオも会ってみたかったな」

「う~ん、なら~、会えるようにすればいいんじゃないでしょうか~」

 

 口に手を当てながら呟く千花(魯粛)に、皆の視線が集まる。

 

「しかし、牛渚の砦は落としたとはいえ、まだ寿春には数万の軍勢がいるぞ」

「冥琳さん、私にお任せなのです」

「千花? 何か、策でもあるの?」

 

 雪蓮の言葉に、ニコニコしながら頷く千花。

 

「策と呼べるほどのものじゃありませんけど~。劉ヨウさんに、城の明け渡しを交渉してきます~」

 

 あまりに気軽に言うので、その場の一同は皆唖然とする。

 ……一名を除いて。

 

「千花。勝算はあるのね?」

「もちろんですよ~」

「いいわ。なら、任せましょう」

「雪蓮! いくら何でも」

「あら、千花の才を評価したのは冥琳、あなたでしょ? その彼女が策があるというのなら、信じてあげて当然じゃない?」

「それはそうだが……しかしな」

 

 まぁ、心配なんだろうな、友人として。

 

「あの~。雪蓮さま。お願いがあるんですけど~」

「何かしら?」

「綾子さんを~、貸していただけないでしょうか~」

「綾子を?」

「はい~」

 

 敵地に使者として乗り込むのであれば、当然警護が必要。

 使者は普通斬らないものだが、それも相手によるからな。

 

「そうね……。思春は蓮華の警護、明命は斥候。祭は全体を見ているし……あ、なら私が」

「却下だ、雪蓮」

「ぶーぶー。いけずよ、冥琳」

「……立場を考えろ、と言ったはずだが? 綾子、頼む」

 

 確かに、動ける武官はあたししかいなさそうだ。

 

「わかった」

 

 

 

「ご無沙汰です~、劉ヨウさん~」

「おお、魯粛ではないか」

 

 寿春城の、謁見の間。

 ちなみに、劉ヨウは男だった……まぁ、女ばかりじゃ、子孫が残らないし。

 正使は千花、あたしは副使という立場で。

 どうやら二人、知り合いらしい。

 

「して、今日は何用かな?」

「はい~。孫策さまの使いで参りました~」

「……そうか。お前ほどの者も、孫策に仕えているのか」

 

 ちらり、とあたしを見る劉ヨウ。

 

「あの者も、そうか?」

「美綴さんは~、孫策さま第一の武将さんですから~」

「では、太史慈と互角だったというのは……そうか、なるほどな」

 

 劉ヨウはふう、と息を吐く。

 

「それで。用向きは何だ?」

「おわかりかと思いますけど~。降伏していただけないかと思いまして~」

「それはできん。孫策の勢いと人望のほどはわかったが、臣従するつもりはない」

「そうですか~。では、戦うと?」

「……いや、牛渚の砦が奪われ、戦力が半減してしまった。今の勢いで、我が軍では孫策を止められないだろう」

「劉ヨウ様、何を!」

 

 側に控えていた太史慈が、いきり立つ。

 

「まぁ聞け、太史慈。儂が病を得ている事は知っているだろう。息子共も、残念ながら天下に名を成す程の器量は持ち合わせておらん」

「ですが、戦わずして降るなど、武門の恥です!」

「恥など、雪げばよいだけの事。もちろん、皆がどうしようと止めはせぬ。ただ、儂は孫策にここを明け渡し、どこぞに退去しようと思う」

「バカな! 私はこれで、御免!」

 

 太史慈はズカズカと出て行く。

 

「あ奴は性根は良いのだが、自分が納得できなければ降る事はあるまい。それよりも魯粛、城を明け渡すに当たり、孫策に一つ、条件がある」

「はい~、何でしょう~?」

「民を、苦しめる事のない政治を。それを約束できるのなら、儂はもう思い残す事はない」

 

 青白い顔にも、しっかりとした意思を宿す劉ヨウ。

 あたしは知らない人物だったけど、刺史を務めるだけの人物、ただ者じゃないって事か。

 千花はあたしを見てから、しっかりと頷いた。

 

「はい。確かにその言葉、伝えましょう」

 

 ぽわぽわモードを解除した千花の言葉に、劉ヨウも頷き返す。

 

「ふふ、世代交代が進んでいるという事だな……。そちらの副使、美綴、とか申したか?」

「はい。姓が美綴、名が綾子です」

「……よい眼をしている。それに、運気もあるな……この者がおる限り、孫策は安泰であろう」

 

 おいおい、占い師かアンタは。

 

「では、戻って孫策に伝えるがよい。儂は、引き継ぎの支度にかかるでな」

 

 

 

 こうして、寿春は無血開城。

 劉ヨウは宣言通り、どこかに落ち延びていった。

 そして太史慈は、降伏に同意できない兵士たちを集め、丹陽というところに向かった……らしい。

 今度こそ、決着をつける日が、迫っていた。



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十五

 丹陽を目前に、軍議中。

 メンツは蓮華に思春、そして亞莎。

 雪蓮は来たがったが、冥琳が引き摺って連れて行った。

 まぁ、寿春の体制作りがあるしな。

 

「それで思春。敵の数は?」

「ハッ! およそ五千かと」

 

 率いてきた軍勢は二万。

 数の上ではこちらが優勢……だけど。

 

「相手の将が、あの太史慈なのよね」

「はい。美綴様と互角に打ち合えるだけの猛将、相当に厄介かと」

 

 さりげなく亞莎に人外扱いされている気がするんだが……確かに奴は強い。

 

「綾子。実際に手合わせした経験からして、どうかしら?」

「そうだな、得意は弓らしいが、それだけじゃなさそうだ。それに、あの時率いていた軍も、一糸の乱れもなかったように思う」

「となると、将としても優れている、と……厄介ですね」

 

 亞莎も、必死に考えを巡らせているようだ。

 本人はあまり自覚はないが、冥琳や穏も理由があって自分たちと同じ、軍師として育てようとしている。

 ……あたしの知識からすると、むしろ呂蒙って智の人ってイメージが強いぐらいだし、素養は間違いないんだろう。

 

「ともあれ、一戦交える事になるのは避けられないでしょう。戦わずして降る、武門の恥だと宣言したのですから」

「仮に思春が太史慈の立場だったとしても、そう思う?」

「……かも知れません。それ故に、正面から当たるとなれば、相応の覚悟が必要かと」

「今後の事も考えると、あまり多くの犠牲は払えない。とは言え、放置も出来ない……か」

 考え込む蓮華。

「なあ」

「何? 綾子」

「太史慈なんだけど……。討ち取るつもりか?」

「え?」

 

 あたしの言葉に、怪訝な顔をする一同。

 だって、太史慈は実際に孫策に仕えたんだし、ここで死んじゃったらおかしいだろ?

 

「綾子様? あの、それはどういう?」

「いや、あれだけの手練れ。あと性根もいいって劉ヨウさんも言っていたじゃん。そんな奴を、いくら戦場だからって言って討ち取るのかな、って」

「綾子の言いたい事はわかるわ。確かに、孫呉にとって、あれだけの人材は欲しいわ」

「とは言え、犠牲は……。ど、どうしましょう……」

 

 手詰まりか。

 数で圧倒する事は出来るけど、被害もバカにならない上、太史慈を討ち取らない、となると……。

 

「……あたしが出る。それしかなさそうだ」

「綾子? 何をする気だ?」

「アイツとは、まだ一騎打ちの決着がついていない。だから、それを利用する」

「利用って……。危険過ぎるぞ、いくら貴様でも」

 

 思春の懸念ももっともだろう。

 あの時互角だったとは言え、一瞬の隙が、油断があれば、討ち取られるのはあたしなんだから。

 

「わかってるさ。だけど、ここは戦場。危険な真似をせずに勝ちだけを拾えるとか、そんな都合よく行かないだろ?」

「それはそうだが……」

「亞莎」

「は、はひっ!」

「太史慈を引き摺りだすのは、あたしでやる。その間に、丹陽を何とかしてくれ」

「ええっ! わ、私がですか?」

「冥琳が信頼して送り出した軍師じゃないか。自信を持て」

「そうね。太史慈が一番の問題なんですから、それを綾子が引き付けてくれる。後は私達の仕事ね」

「そういうこった。頼むぜ、みんな?」

 

 あたしの言葉に、蓮華と思春が大きく頷く。

 亞莎も、決意が眼に宿る。

 

「……わ、わかりました! 綾子様、お気をつけて」

「任せな」

 

 親指を立てて、ニカッと笑う。

 

 

 

 丹陽の城。

 規模も小さいし、全軍で攻めれば落ちるだろう。

 ……ま、被害を気にしなければ、だろうけど。

 城門の前まで、あたし一騎で進み出る。

 敵は弓を構えているものの、射ってくる気配はない。

 

「太史慈! 美綴が来てやったぞ、こないだの決着をつけないか?」

 

 これで出てこなかったら、手を変えるしかない。

 早速、門が開いた。

 槍を手にした、太史慈登場。

 

「よっ、来たな。武人としての決着をつけないか?」

「望むところだ。いざ、尋常に勝負!」

 

 あたしも馬を下り、薙刀を手にする。

 

「いざ!」

「参る!」

 

 獲物同士がぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響く。

 

「いい腕だ!」

「余裕か?なら、これでどうだ!」

 

 繰り出される槍を受けつつ、間合いを保つ。

 

「どうした? その程度かい?」

「ほざけ!」

 

 突きと払いの応酬。

 勿論、殺したくない相手だけど、だからと言って手加減はできない。

 ふふ、久々にゾクゾクする相手だね。

 ……けど、あたしは負けないよ。

 

 そして、数十合打ち合っただろうか。

 パキン!と聞きなれない音が、二人の間で響いた。

 

「……え?」

「……な、何っ?」

 

 驚いて、手にした薙刀を見る。

 見事に、刃がポッキリと欠けている。

 そして、太史慈の槍も、穂先がない。

 

「仕方がない。こうなれば」

「力比べだな!」

 

 回し蹴りを、腕で受け止める。

 そして、返す刀で正拳突き。

 止められるが、それは囮。

 

「おりゃ!」

「クッ!」

 

 顎に向けての頭突き。

 太史慈は身体を反ってかわすが、すかさず蹴り上げるあたし。

 直撃はできなかったが、兜は吹っ飛んだ。

 長い髪が、フワッと流れる。

 ……まぁ、予想はしていたが、太史慈も女だった。

 しかしまぁ、どうしてこの世界の女性武将ってのは、どいつもこいつも美形揃いなのやら。

 

「まだまだぁ!」

 

 反撃の蹴り。

 間一髪で避けられたけど、喰らったらタダじゃ済まなさそうだ。

 

「ふんっ!」

「なんのっ!」

 

 ガシッ!

 腕と腕がぶつかり合う。

 

「それそれっ!」

「……なんてバカ力だっ!」

「それはお互い様だろう、っ!」

 

 その時。

 

「ワーッ!」

 

 丹陽城から、喚声が上がる。

 

「何事だ! あっ!」

 

 振り向いた太史慈は、短く叫んだ。

 城内から、煙が上がっている。

 どうやら、亞莎が上手くやったらしいな。

 

「は、謀ったな!」

「謀ったとは人聞きが悪いな。正々堂々と勝負はしてるだろ?」

「クッ! この場は預ける!」

「おっと。そうはいかないと思うぜ?」

「何だと!」

 

 城門の上に、一斉に立つ弓兵。

 全員が、太史慈に狙いを付けている。

 

「そ、そんな……いつの間に」

「大人しくしてくれるな? あたしは、アンタを殺したくない」

「……わかった。投降する」

 

 太史慈は、抜き払った剣を、地面に置いた。

 

 

 

 彼女を連れ、本陣へ戻った。

 亞莎と思春は、丹陽の制圧に向かっていて、この場にいるのは蓮華とあたしだけ。

 

「あなたが、太史慈ね」

「……そうだ。私を、どうする気だ?」

「できる事なら、力を貸して欲しいの」

「孫策の野望のためにか?」

「違うわ。呉の民のため」

「呉の……民?」

 

 怪訝な顔をする太史慈。

 

「そう。攻めこまれた貴女達にしてみれば、私達の行動は野心によるもの、そう見えても仕方のない事。だけど、この地の民は、本当に安寧に暮らせているかしら? 盗賊に怯え、戦乱に泣いている」

「それはそうかも知れない。だが、この地の事はこの地の者が決める事だ。他人に指図される事ではない」

「ええ、そうね。でもね、私達はそのままで見て見ぬふりはできないわ。だから、民を守るためなら、武力行使も辞さない。少なくとも、孫家はその信念で動いているわ」

「…………」

 

 蓮華は、何だかんだでやっぱり王たる資質を持っていると思う。

 

「それが嘘か真か、貴方の眼で確かめたらいいわ。もし、私の言葉が偽りだった、そう思ったなら、もう引き止めはしない」

「随分と、自信があるのだな」

「ええ。そこの、綾子のお陰でね」

 

 どうして、そこであたしの名前が出る?

 

「なるほど。ただ武が優れているだけの御仁ではない、という事か」

「……いやいや。あまり過大評価しないで欲しいんだけどな」

「ふふ、面白い。いいだろう、暫くここに置かせて貰う。その前に、一つだけ、提案がある」

「提案?」

 

 蓮華が首を傾げる。

 

「そうだ。丹陽は落ちたが、兵達は散らばっているだけだ。その中には勇者も少なくない、これを集めて来たいのだ」

「それで、一時解き放て、そう言いたいのね?」

「そうだ」

 

 太史慈の言葉にしばし考え、そして、

 

「綾子。どうかしら?」

 

 ……あたしに振るな。

 

 あたしは軍師でも何でもないんだが。

「どう、と言われても……」

「太史慈という人物を、少なくとも私よりも知っているのは貴女よ。そのあなたから見て、この提案はどう思うか、意見を聞かせて欲しいのだけど?」

「……そう来たか。あたしは、太史慈の提案、悪くないと思う」

「そう。なら、任せるわ。ただし、期限は設けさせて貰うけど、いいかしら?」

「勿論だ。明日の日暮れまでに戻ってくる」

 

 太史慈という人物を、信じるしかない。

 

 

 

「蓮華様! 何という事を。綾子、貴様がついていながら!」

 

 制圧を済ませ、本陣に戻ってきた思春は、あたし達に詰め寄ってきた。

 

「逃げるための口実、そうに決まってます!」

「いいえ。私にはそうは思えなかった。だから、許可したわ」

「ですが!」

「ああ、あの、蓮華様も、思春様も、おおお、落ち着いて下さい!」

 

 亞莎、どもりまくりだぞ。

 

「一騎打ちで決着がつかなかった、それは仕方のない事だ。だが、おめおめと逃がすとは」

「逃げたんじゃない。それは保証する」

「何だと!」

 

 あたしの胸倉をつかむ思春。

 

「思春、やめなさい!」

「しかし、蓮華様!」

「決定を下したのは私よ。もし、本当に戻ってこなければ、罰は受けるわ」

 

 その言葉に、澱みは全く感じられない。

 思春も、それでいくらか冷静さを取り戻したようだ。

 

「……わかりました。明日の刻限まで、待ちましょう。ですが、戻らない場合は追っ手を差し向けます。よろしいですね?」

「ええ、それでいいわ」

「あ、あの、この事は、雪蓮様には……」

「報告しておいて。ありのままを」

「は、はいっ!」

 

 

 

 翌朝。

 

「では、これが一周するまでという事で」

 

 地面に円を描き、中心に棒を立てる。

 太陽光で影ができるから、その動きで時刻を調べる。

 要は日時計。

 ……さて、太史慈は。

 頼むから、蓮華と、あたしの信頼は裏切らないでくれよ……。

 

「それはそうと、綾子。薙刀は砕けたらしいが、得物はどうする気だ?」

「そうだな。とりあえずはこの剣で……」

 

 襄陽で買い求めた剣は、二振り。

 一本は惹かれて買ったものの、錆やら何やらで手入れしないといけない有様だが、ここのところ落ち着く間もなくそのままになっている。

 もう一本は使えるので、とりあえずはこれで行くしかないだろう。

 

「あ、そう言えば」

「ん? どうした、亞莎」

「は、はい。寿春に、鍛冶の名人がいる、と聞いたことがあります」

「鍛冶の名人?」

「そうです。変わった人で、どんなにお金を積んでも、気に入らない人だったら絶対に仕事は受けないそうです。その代わり、その手から生み出される武器は、いずれも名のあるものになるとか」

「なるほど。なら、明日にでも行ってみるか」

「その方がいいわ。貴女が戦えないと、それだけで大変な損失だもの」

「いや~、そんな事はないと思うけどな。それに、あたしには弓もあるし。でも、ちょうどいい機会だし」

 

 変人らしいから、行っても無駄足になるかも知れないが、な。

 

 

 

 昼も過ぎ、日も傾き始めた。

 日時計は、もうすぐ一周を迎えるところ。

 

「……どうやら、来ないようだな」

「いえ、まだ日は沈んでいないわ。もう少し、待ちましょう」

 

 まだか、太史慈。

 蓮華の事だ、戻ってこなければ自分を責めるだろう。

 折角、自信を持って動き始めたところなんだから、挫けさせたくない。

 ……頼む、戻ってこい。

 

「刻限です」

「…………」

「……い、いえ、待って下さい。あっちに砂塵が見えます!」

「何!」

 

 亞莎の声に、皆が視線を向ける。

 確かに、荒野の向こうから何かが向かってくる。

 先頭にいるのは……太史慈だ。

 

「蓮華様、申し訳ありません。ご無礼については、いかようにも処罰を」

「いいのよ、思春。それより、彼女を迎えましょう」

「ハッ!」

 

 良かった、本当に良かった。

 蓮華とあたしは、笑顔で頷き合った。



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十六

 太史慈を仲間に加えたあたしは、寿春城へ戻った。

 城主が変わった混乱も治まってきたようで、街には活気があった。

 

「で、どこなんだ亞莎?」

「は、はい。確か、この辺りと聞いたのですが」

 

 やはりちゃんとした武器を用意した方がいい……という蓮華の勧めもあり、件の鍛冶屋を探してる訳だが。

 ……なかなか見つからない。

 

「美綴殿。貴殿はわかるが、何故私も付き合わされているのかな?」

 

 連れてきた太史慈は、あまり乗り気ではない。

 と言うか、戸惑ってるようにも見える。

 

「いや、アンタだって得物なしって訳にもいかないだろ?」

「だが武器を与えては、貴殿に危害を与えるやも知れぬのだぞ?」

「それはないな。少なくとも、あたしはアンタを信じる」

「ふ、おかしなものだな。昨日まで敵対していた私を、こうも容易く信じるとは。お人好しにも程があると思うが」

 

「蓮華もそうだが、一度信頼した人物は大事にするってのがあたしの主義でね。だから、信頼した仲間が戦えるようにする。当然だろ?」

「全く。貴殿だけならともかく、孫策殿までその調子とはな。ま、私としても、弓だけで戦場に出たくはないがな」

 

 ここに来る前に雪蓮にも会わせたが、あたしとほとんど同じ事を言ったのには……なんつーか、シンクロし過ぎだなあたしらは。

 で、太史慈をここまで信じる訳。

 もちろん根拠はあるけど、それは口にしない。

 まさか、後世の歴史で義理堅い事を知っているから……なんて言えないし、言ったところで信じて貰えないだろうから。

 もっとも、戦いの中で、そして約束を果たした時点で、例え歴史と違っていようとも、あたしは信じるに足りる、そう思った。

 

「あ、ここみたいです」

 

 ホッとした亞莎の声。

 どうやら、探し当てたらしい。

 古びた建物で、特に看板も何も掛かっていない。

 ……まぁ、わからんわな、これじゃ。

 奥から、金属を叩く音が聞こえてくる。

 

「ごめんください」

 

 声をかけるが、返事はない。

 

「失礼しまーす」

 

 庭の方を覗くと、大柄な男が、一心不乱に熱した鉄の棒を叩いている。

 

「集中しているようだな」

「邪魔しない方がいいだろうな」

「では、待たせていただきましょうか」

 

 三人並んで、職人の仕事を見る。

 カン、カン、カンと分厚かった鉄の棒が、次第に薄くなっていく。

 厚さは測ったように均一。

 腕が確かなのは、間違いではなさそうだ。

 と、男があたし達に気付いたようだ。

 

「何か用か」

 

 ぶっきら棒に言う。

 

「あたしと、こっちの武器を頼みたいんだ」

「悪いが、他を当たるんだな」

 

 男は全く関心がなさそうだ。

 

「そうはいかない。一軍を率いる将が、適当な得物って訳にはいかないからな」

「ほう。……そっちは太史慈様か。で、アンタは?」

「美綴綾子。孫策の将だ」

「なるほど。だが、俺は相手が例え皇帝陛下だろうが、気に入った仕事しかしねぇ。だから、他を当たったほうが早いぜ?」

 

 本当に偏屈な男らしい。

 恐らく金をいくら積んだところで、首を縦に振る事はしないだろう。

 

「そもそも、剣なら腰にあるようだがな?」

「ああ、これはまた別だ。後で、研ぎに出すつもりでな」

 

 もう一振りの剣も、そのままにしておく訳にもいかないしな。

 いくら錆だらけとは言え、相応の値はしたんだし。

 ……と、男の表情が動いた。

 

「……なあ、その剣、少し見せては貰えないか?」

「いいぜ」

 

 あたしは剣を抜き、男に手渡した。

 

「……こ、こいつは……まさか!」

 

 さっきまでの態度はどこへやら、真剣に剣を調べ始めた。

 砥石で身を擦ったり、柄を何やら調べたり。

 

「間違いねぇ。……なぁ、アンタ。こいつを二、三日預からせてくれ!」

「どうする気だ、一体?」

「俺が全力で研ぎ、いや、甦らせる。頼む!」

 

 思わず顔を見合わせるあたし達。

 さっきまでの傲岸さは、すっかり影を潜めている。

 

「アンタが、全力でやってくれる、そう言うのか?」

「そうだ。もし、仕上がりが気にいらなけりゃ、この首落としてもらっても後悔はねぇ」

 

 男は、何故か必死だ。

 

「……わかった。なら、頼むとしよう。ただし、条件がある」

「何だ? 俺に出来る事なら何でも言ってくれ」

「この太史慈の槍を頼みたい。もちろん、生半可な奴じゃなく、将として相応しいものを、だ」

「美綴殿、それは」

 

 何か言いかける太史慈を、手で押し止めて、

 

「なら、三日後にまた来る。その剣と槍、宜しく頼むぜ」

「……わかった。一世一代の大仕事だ、やらせて貰う」

 

 男は、しっかりと頷いた。

 

 

 

 工房を出て、あたし達は城へと戻る。

 

「綾子様、宜しかったのですか?」

 

 やりとりを見ていた亞莎、心配になったのだろう。

 

「ま、大丈夫だろ。あれだけの名人が全力を尽くす、そう宣言したんだ」

「は、はぁ……」

「それより太史慈。この辺りで、何か美味い物ないか?」

「む? そうだな、懇意にしている茶店があるが」

「ほぉ、そいつはいいね。よし、案内してくれ」

「案内も何も、そこだ」

 

 太史慈について、茶店に入る。

 

「いらっしゃいませ。おや、太史慈様」

「茶と、いつものを頼む」

「はい、少しお待ち下さいませ」

 

 店の主人が、丁寧に頭を下げて奥に入っていく。

 

「どうした、呂蒙。意外か?」

「い、いえっ! ただ、太史慈様と店の主人が、あまりに親しげなので」

「私とて、年中鍛錬や調練を行っている訳ではない。たまさか、こうして街に出る事もある」

 

 そう言って、太史慈は茶碗を口にする。

 ……まぁ、あたしからしてもちょっと意外な感じはする。

 普段から、こんな調子でちょっとお堅いし。

 それとも、もっと親しくなったら違った面が見られるのかな?

 

「お待たせしました。どうぞ」

 

 小皿に置かれたのは、こんがりと揚がったごま団子。

 

「へぇ、こいつは美味そうだ。じゃ、いただきます」

 

 あちちちち、火傷しないようにしないとな。

 気をつけながら、口へと運ぶ。

 ……うん、軽い歯ごたえに、ゴマの香ばしさ。

 そして、餡が絶妙だ。

 

「美味い!」

「うむ、ここのごま団子は、少なくとも揚州では随一、と私は見ている」

「随一って。食べ比べでもしたのか?」

「な、何を言うのだ美綴殿。武人ともあろう者が、そのような真似、する筈がなかろう」

「……まぁいいけど。顔、赤くなってるぞ?」

「い、いいから黙って食べるのが礼儀というものだぞ」

 

 う~ん、敢えてツッコまない方がいいのかな、これは。

 ……あれ、亞莎がジーッとごま団子を見つめたまま、固まってないか?

 

「どうしたんだ、亞莎?」

「……は、はい……」

「熱いうちに食べるのが一番美味いんだぞ。それとも、ごま団子は嫌いだったか?」

「い、いえ! そ、そんな事は。いただきます!」

 

 そして、一気に口へ。

 

「あ、あひひひひっ!」

「熱いのを一気に頬張る奴があるか! ほら、水」

「す、すひばせん。んくっ、んくっ……ふう」

 

 一息ついて、今度は慎重に食べている。

 

「……美味しい、美味しいです!」

 

 感激している。

 

「ごま団子って、こんな味だったんですね」

「何だ。食べた事なかったのか?」

「はい。私の家は裕福ではありませんでしたから。このような砂糖を用いたお菓子など、到底口には出来ませんでした」

 

 泣ける話というか、向こうの世界では考えられない話だよな。

 実際、この時代の砂糖の値は、相当に高い。

 袁術の蜂蜜じゃないが、甘味料自体がとても高価だ。

 

「よし! すいません、ごま団子をあと十個追加で!」

「美綴殿。気に入ったのはわかるが、食べられるのか?」

 

 太史慈が目を丸くしている。

 

「いや、亞莎のためさ。あたしの奢りだ、食べてくれ」

「え? で、ですが、それでは綾子様に申し訳ないです」

「いいって。鍛冶屋に案内してくれたお礼って事で。な?」

「綾子様……。あ、ありがとうございます」

 

 嬉しそうに、次のごま団子に手を伸ばす亞莎。

 見ているこっちが、何だか幸せな気分だよ。

 

 

 

 城に戻ったあたし。

 ……さて、何をしたものか。

 働き詰めだったせいもあり、ゆっくりするといい、と冥琳。

 とは言え、何もせずにぼーっとしているのは性に合わない。

 なので、菖蒲(徐盛)の鍛練を思い立った。

 ……あたしのところに来てから、雑用ばかりさせている気がするし。

 本人は嫌がっていないが、武官候補である以上、それではまずい。

 

「いいか。あたしを敵だと思って、全力でかかってくるんだ」

「し、しかし綾子様を……」

「菖蒲。強くならなければ、自分が死ぬ。守りたい者を守れず、願い事も叶えられずにな。今のお前はまだまだ弱い。あたしを慕ってくれるのは嬉しいけど、ならば尚更強くなれ。いいな?」

「は、はいっ! 行きます!」

 

 剣を構え、突進してくる菖蒲。

 思い切りはよし、でも!

 ガアン、と大きな音がした。

 

「うっ!」

 

 菖蒲は、剣を取り落としてしまう。

 

「自分の狙いをつけるだけじゃ、相手にやられるぞ。もっと意識して!」

「はい! もう一度!」

 

 今度は払いから、突きへの変化か。

 悪くはないが、それだけでは。

 

「それっ!」

「あうっ!」

 

 凪ぎを辛うじて受け止めるが、顔が苦痛に歪んでいる。

 そのまま剣を一閃すると、菖蒲の剣は宙を舞った。

 

「……あ」

「今のあたしの動き、少しは見えたか?」

「……いいえ」

 

 悔しそうに頭を振る。

 

「なら、もう一度だ。来い!」

「い、行きます!」

 

 がむしゃらな剣の乱れ打ちを受け止めながら、がら空きのボディに蹴り。

 

「ぐっ……けほっ、けほっ」

「攻撃は武器だけとは限らない。あたしが敵ならば、次は菖蒲の首を落としているさ」

「あ、綾子様……。ですが、私には……」

「ああ、まだまだ無理だ。とりあえず、明日からこれを毎日五百回、ひたすら振るんだ」

 

 樫の木で作った木刀を、菖蒲に手渡す。

 

「こ、これ、重い……」

「それを重いと感じるうちは、あたしはまだ菖蒲に何も教えられない」

「…………」

「それが出来るようになったら、あたしのところに来るんだ。いいね?」

「わかりました。私、頑張ります!」

 

 うん、いい眼だ。

 素養は悪くないんだ、鍛えれば立派な武人になれる。

 あたしはそう確信している。

 

 

 

 三日後。

 あたしはまた、太史慈と一緒に鍛冶屋へと向かった。

 さて、あの男、どんな仕事をしてくれたのか。

 

「邪魔するぜ」

「お、来たな。まずは、見てくれ」

 

 あたしが預けた剣を差し出す男。

 ……え?

 

「剣が……光り輝いている……?」

 

 そんな筈はないのに、そうとしか見えない。

 錆も刃こぼれも全くないどころか、正しく名剣、と呼べるだけのものになっている。

 

「それから、これもだ。その剣を使うからには、な」

 

 男は、もう一振りの刀を持ってきた。

 それも、この剣に劣らず、輝きを放っている。

 

「どういう事だ? これが、あの剣なのか……」

「そうだ。その件は、『青コウの剣』。そしてこっちが、『倚天の剣』。どっちも、アンタの物だ」

 

 ……ちょっと待て。

 青コウの剣に、倚天の剣って。

 確かそれ、曹操が作らせた、二振りの名剣じゃないか?

 何でそれが、ここにあるんだ……。

 

「ひとつ、聞いてもいいか?」

「何だ」

「この剣は、あたしが襄陽の市で惹かれて買い求めたものだ。なんで、あんな場所にあんな状態であったのかも謎だけど、もう一本は何だ?」

「……アンタが持ってきた青コウの剣は、俺の師匠が鍛えた剣だ」

「アンタの師匠が?」

「ああ。師匠の、最後の作品だ。そいつを鍛え上げて間もなく、死んじまったんだ」

「…………」

 

 人は、作品に魂を込める……なんて言うけど、文字通りこの剣は、この男の師匠にとって、魂そのものだろう。

 そう思うと、剣の重みがズシリ、と増した気がする。

 

「だが、師匠がなくなった後、弟子の一人に小悪党がいてな。遊ぶ金欲しさに、そいつを持って逃げたんだ」

 

 男は無念そうに言う。

 

「もっとも、買い取った古物商も、ケチな野郎だったらしくてな。その剣の真価をわからなかったらしい。……おまけに、盗んだ奴は盗賊に殺され、古物商は洪水で流されたって話だ」

「それで、この剣があんな場所に埋もれていた訳か」

「おかげで、こうしてまためぐり合う事ができた。アンタには感謝している」

「それはわかった。けど、倚天の剣は?」

「これは……。俺の渾身の作だ。師匠を目指して、一心に鍛えてきたんだが、何かが足りなかった。だがな、師匠の剣に再び出会って、その足りなかったものが何か、わかったんだ」

「それは一体何だ?」

「……口では言えねぇ。だが、対となるに相応しい出来になった、俺はそう自負している」

 

 倚天の剣を抜き、払った。

 何年も共にしたかのように、しっくりと手に馴染む。

 重さも、サイズも、何の違和感もない。

 

「……わかった、アンタとアンタの師匠の魂、確かに受け取った。代金は……」

「要らねぇよ。いや、貰っちゃいけねぇ」

 

 男はきっぱりと断った。

 

「そうはいかないだろう。少なくとも、倚天の剣はアンタの作だ」

「いや、それは例え山ほど黄金を積まれても売る気はなかった。だが、アンタのおかげで、俺は師匠にようやく肩を並べられたんだ。むしろ、俺から礼を言いたいぐらいだ」

「しかし、アンタは鍛冶屋が生業なんだろう? だったら」

「……じゃあ、一つだけ、約束してくれ。代金は受け取れないが、これだけは守って欲しい」

「いいだろう。何だ?」

「その剣は、大義のためだけに使って欲しい。……それだけだ」

 

 男は、もう話は終わりだ、とばかりに手を振る。

 

「おっと、太史慈様の槍がまだだったな。これでどうだ?」

 

 意匠の施された槍。

 オーラすら漂う、これも業物だ。

 

「……これは……見事な」

 

 太史慈も、ただただ見入っている。

 

「こいつは、俺の一番弟子に任せたシロモノだ。その対の剣と比べちゃ気の毒だが、それでも俺が太鼓判を押せる出来だ」

「……いや、こいつは……。うむ、素晴らしい」

 

 嬉しそうに、それを振るう太史慈。

 槍捌きが、一段と鋭く見える。

 

「これは、代金を払うからな」

「……いいのか? 俺じゃなく、俺の弟子の作だぞ」

「太鼓判を押す、と言ったではないか? それに、これにも立派に、魂が込められている。その魂に敬意を表したい、ただそれだけだ」

「……わかった。なら、遠慮無く受けよう」

「うむ。ところで、美綴殿」

「何だ?」

「貴殿、得物は薙刀であったな。それは良いのか?」

 

 確かに、あたしの一番の得意は薙刀だ。

 それは、今でも変わらないだろう。

 ……けど。

 

「こんな業物を二振りも手にしたんだ。あたしにはこれを、という運命なのさ。きっとな」

「運命、か……。なるほど、それも良いのかも知れぬな」

 

 こうして、あたしと太史慈は、新たな力を、得た。



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十七

 会稽の太守、王朗。

 一応、降伏を求める使者を出してみたらしい。

 が、劉ヨウの残党やら周辺の豪族やらが彼につき、抵抗の姿勢を見せた。

 という事で、戦う事が決まった。

 揚州に残る最後の有力な勢力らしいから、これが終わればしばらくは平穏な日々になる筈。

 ……らしい、ってのは、あたしの出番がないから。

 雪蓮が、私も戦いた~い、と……要は駄々をこねた結果だったりするんだが。

 

「止めたら止めたで勝手に抜け出すだろうから、それぐらいなら行かせるか」

 

 と、冥琳がしぶしぶ許可を出した。

 まぁ、何というか……雪蓮らしいな。

 もっとも、太史慈クラスの将はいない、って話だし。

 祭さんと穏が同行しているから、恐らく何も問題なく片付くだろうけどさ。

 そんな訳で、あたしは居残り。

 ……なんだが、冥琳に呼び出された。

 はて、何だろう。

 

「呼んだか?」

「あ、すまんな。休んでいたところだろう?」

「別に構わないさ」

「そうか。まぁ、かけてくれ」

 

 勧められた椅子に腰掛けると、冥琳は改まった顔で、

 

「まず、改めて礼を言わせて欲しい。この揚州が、あと一歩でまとまる。その立役者は、間違いなく綾子だ」

 

 頭を下げられてしまった。

 

「よ、よせよ。あたしは太史慈と戦ったぐらいだぞ?」

「だが、それが大きかった。そして、劉ヨウが降服したのもある」

「いや、あれは千花(魯粛)の功だし」

「ふ、相変わらず謙遜するのだな。ま、それが良いところでもあるのだが」

 

 と、眼鏡を直す冥琳。

 

「そこで、綾子に二つほど頼みがある。聞いてくれるか?」

「……事と次第による。書類仕事なら、全力で願い下げだ」

「ふふ、安心しろ。それなら、まだ今のところはない」

 

 今のところ、って事はそのうちにあるのかよ。

 頼むから、それは振らないでくれ。

 

「……ならいいけど。で、何をしろって言うんだ?」

「まず一つ目だが、領内の巡検を頼みたい。城下はどうにでもなるが、ここを離れればそうもいかん。まだ手に入れたばかりの地で、勝手もわからん。だから村々を回って、様子を見てきて欲しいのだ。もちろん、不逞な輩の退治もな」

「そりゃいいが、あたしが行けばいろいろと聞かれると思うぜ? 正直、政治向きの話になったら、あたしじゃ無理だ」

「だろうな。想定される問答については、書簡に認めておく。文字は、だいぶ読めるようになったのであろう?」

 

 そりゃ、字が読めなきゃ何も出来ないからな。

 言葉は通じるけど、文字だけは古代中国のままだから、厄介だった。

 漢字だから何とかなるだろう、ってのは甘かったし……そもそもあたしは漢文が得意でもなかった。

 教科書みたいにレ点付きならともかく、白文だぜ?

 字も微妙に違っている上に、パソコンとか印刷なんて気の利いた技術はある訳もないから、全て手書き。

 とにかく、地図を見るのと文字を覚えるのだけは必死にならざるを得ない。

 おかげで、どうにか日常の読み書きは支障のないレベルにはなった、と思う。

 それでも時々、読めない字が出てきて頭を抱えてるけどな。

 

「ま、とにかくわかった。で、もう一つは?」

「人材発掘だ」

「人材発掘?」

「ああ。劉ヨウもどうやら、人材を求める事にあまり熱心ではなかったようでな。何人か面談をしてみたが、将たる器の人材がいなかった。だが、揚州を束ねていくとなれば、今のままではあまりにも手不足だ」

「それはわかる。でも、何故にあたしなんだ?」

「人を惹きつけるものを備え、人を見る目もある。そしてかつ、比較的自由に動ける人物。……綾子以外に、適任はいないと思ってな」

「……あのなぁ。過大評価し過ぎなんだよ、あたしを」

「では、無理だと言うのか?」

「無理って言うか、そこまで期待されても応えられるだけの自信なんてないって」

「ふむ。……では、この書類の処理を、やはり手伝って貰おうか」

 

 冥琳の机に、山のように積まれた書簡。

 実際、これぐらいでもこなせるからこそこうなっているんだろうけど。

 

「く、謀ったな、冥琳!」

「人聞きの悪い事を言わないで欲しいものだ。私は、選択肢を与えているのだぞ?」

 

 だったら、ニヤニヤと笑うな。

 

「何も最終的な判断まで下せ、とは言わんよ。それは、私の方でやる。ただ、最初の目利きは任せたいのだ」

「わかったよ。あたしだって、別に怠けたい訳じゃないからな」

「頼んだぞ、綾子」

 

 全く、あたしは便利屋かよ。

 人を遊ばせておく余裕が無い現状、冥琳なりに考えているんだろうけど……ハァ。

 

「綾子お姉ちゃん!」

 

 いきなり、小蓮乱入。

 

「どうしたのです、小蓮様」

「ねーねー、シャオも連れてって、巡検に」

「は?」

 

 唐突に何を言い出すんだ、この娘は。

 

「だってシャオも、お仕事したいんだもん」

「いや、それはわかるが……。どうして、巡検なんだ?」

「もちろん、綾子お姉ちゃんと一緒だからよ」

 

 う~む、何という直球勝負。

 イラブクラゲも真っ青だな。

 

「小蓮様。これは遊びではありませんぞ?」

「む~、また冥琳ったら、シャオの事子供扱いするんだから」

 

 いや、そこでムキになるところがお子様なんだけど。

 

「しかしな、小蓮。まだこの地は、治安も不安定だ。黄巾党の残党を見たって話もあるんだし」

「大丈夫よ。シャオだって戦えるもん」

「そうじゃなくってな……」

 

 あたしと冥琳は、互いに肩を竦めた。

 

「どうする?」

「……仕方ないだろう。小蓮様は、言い出したら聞かないからな」

 

 冥琳は大きくため息を一つ。

 

「小蓮様。では、綾子に同行を認めます。ただし、綾子の指示に従う事と決して無理はしない事、これが条件です。宜しいですか?」

「わかった。よろしくね、綾子お姉ちゃん!」

 

 ……不安だ。

 とは言え、この天真爛漫さ、何も言えないあたしだった。

 

 

 

「では、困り事があれば城へ伝えるようにな」

「見廻り、ご苦労様です」

 

 この村も問題なし、と。

 小蓮は言いつけ通り、大人しくしている。

 ……つーか、むしろ歓迎されてすらいる。

 これだけ愛らしく天真爛漫な子供なんだ、大抵の大人は弱い。

 ……本人はそう言われると、嫌がりそうだけどな。

 勿論良からぬ企みを持って近付く不届き者もいたが、とりあえずボコっておいた。

 一応、保護者として。

 この時代にもロ○コンはいるんだな、と妙なところで感心してしまったが。

 そういう輩はさておき、あの娘が歓迎されたのは事実。

 本人がカミングアウトしてしまい、孫家の末娘って知られた時は、思わず頭を抱えたが。

 ……少しは、人を疑う事も覚えるべきだぞ、小蓮。

 

「あれ~?」

「どうした?」

 

 四つ目の村を出て、五つ目の村が見えてきた頃。

 小蓮が、不意に声を上げた。

 

「綾子お姉ちゃん、あそこに誰か倒れてるよ?」

「何処だ?」

「ほら、あそこだって。見えない?」

 

 この時代の人は、エラく眼がいい。

 あたしもそこまで視力は悪くないけど、現代人の生活はとにかく眼を酷使する。

 ……ってのが、こっちに来てから痛感した事。

 パソコンもテレビもない、ケータイはあるけどメールもウェブも使えないので、画面を見続けるという事が皆無。

 眼は疲れないし、以前よりも遠目が効くようになった気がするし。

 ……でも、まだまだ追いつかないようだけどな。

 

「小蓮、あたしの馬に」

「え? う、うん」

 

 小蓮を前に載せた。

 

「おい、二名ほど先に行け。人が倒れているらしいから、確かめてくれ」

「ハッ!」

 

 命を受けた兵士は、即座に駆けていく。

 

「綾子お姉ちゃん、どうしたの?」

「万が一、という事もあるからな。小蓮に何かあったら大変だ」

「でもシャオだって戦えるよ?」

「わかってるさ。それでも、あたしは小蓮を守る」

「……ありがとう、お姉ちゃん」

 

 何だかんだで、嬉しいらしい。

 

「美綴様、どうやら行き倒れのようです!」

 

 お前、もう行って来たのかよ。

 いくら馬でも、結構な距離があるんだが……。

 

「お姉ちゃん、行ってみようよ!」

「よし」

 

 馬を駆けさせ、その場所へ。

 流石に、馬は速い。

 ほどなく、到着。

 

「この者です」

「怪我は?」

「はい、調べましたが目だったものは特に」

 

 そんなやり取りを始めた時、小蓮が馬から降りた。

 馬上からは結構な高さがあるんだが、器用なものだ。

 

「ねぇ、大丈夫?」

 

 倒れていた少年は、あたしと同年代ぐらいかな?

 身なりはややみすぼらしいが、傍らに落ちているさすまたみたいな格好の槍からして、武人なのだろう。

 身体つきも細身だけど、逆に無駄がない印象だし。

 どうやら、誰かに襲われたとか、そっちの線はなさそうだ。

 

「お姉ちゃん、どうしよう」

「とりあえず、村まで運ぼう。誰かこの先の村で、医者がいないかどうか聞いてきてくれ!」

「ハッ、ただちに!」

 

 兵士に指示を出した後、胸に手を当ててみる。

 鼓動が聞こえる……どうやら、心臓は動いているな。

 息もしているから、至急の手当てが必要、という訳ではなさそう。

 

「う……」

「あ、お姉ちゃん」

「ああ、気がついたらしいな」

 

 小蓮が、顔を覗き込む。

 

「……は……」

「は?」

「腹が……減って。な、何か食わせて……」

 

 小蓮と顔を見合わせる。

 やれやれ、空腹で倒れていただけか。

 とにかく、命に別状はなさそうだな。

 

「しょうがないなぁ。ほら、お饅頭あげる」

 

 小蓮が腰に下げた巾着から、やや小振りの饅頭を取り出した。

 

「よく持ってたな、そんなもの」

「武人のたしなみよ。こうしておけば、いつお腹が空いても平気でしょ?」

 

 そりゃそうだが、武人のたしなみって……吹き込んだ奴は、後でシメておかないとな。

 

「う……」

 

 饅頭を見て、彼は即座に反応。

 

「ガツガツ……う、み、水!」

「慌てないの、はい」

「んくっ、んくっ、んくっ……。プハッ!」

 

 まさにツーカーだな、小蓮。

 面倒見の良さは意外だったけど、物怖じしないってのは流石だね。

 

「ねぇねぇ、あなた。名前は?」

「凌統……。あ、アンタは?」

「シャオは孫尚香。よろしくね」

「あ、ああ……」

 

 出番がないな、あたしは。

 凌統、か。

 やっぱり、歴史にも登場する、呉の武将。

 もう驚きはしないけど、まさかこんな形で出会うとは、ね。

 

 

 

 目の前に並べられた皿が、みるみるうちに空になっていく。

 

「よく食べるね……」

「ひゃって、いつひゃもなにもちゃべていにゃい」

「ああ、もう! 口に物を入れて話さないの!」

 

 小蓮、まるで姉気取りだな。

 ……どう見ても、逆だけどな。

 二人に聞こえないように、あたしは食堂のオヤジと話をする。

 

「なぁ。支払いは、寿春城にツケといてくれるかな?」

「は、はぁ……」

「頼む。流石にこれを建て替える自信がない」

 

 頭でも何でも下げちゃう。

 つーか、マジでシャレにならんぞ、これ。

 

「ほら、口の周りがベトベト。拭いてあげる」

「すまにゃい。おれは」

「だーかーらー、お行儀悪すぎだって!」

 

 ……とりあえず、見ている方が気持ち悪くなってくるな、この食べっぷりは。

 

 

 

「ふう……。人心地ついた」

「全く、いくら何でも食べすぎよ?」

「仕方ないだろ。路銀が尽きて、何も食べてなかっただから」

 

 それにしたって、魚を捕るなり出来ただろうに、と内心でツッコミを入れておく。

 

「あんなところで行き倒れになって、どうする気だったんだ?」

「あ、そうそう。俺の親父が病気で倒れちまったって便りが来たんで、余杭から急いで来る途中だったんだけど……。途中で、財布を無くしちまって」

「ドジね。それで、あんなにお腹を空かせていたんだ」

「う、うっせ!」

「でも、それなら親父さんのところに、急がないといけないんじゃないか?」

「あ、そ、そうだった! いけね!」

 

 凌統は急に立ち上がると、持ち物の大剣を手に取った。

 

「世話になった。この恩は、必ず返す!」

「ちょっと待ちなさいよ!」

「な、何だよ?」

 

 小蓮の声に、凌統は振り向く。

 

「バカねぇ、アンタ。路銀もないのに、この先旅をする気?」

「……けど、俺は行かなきゃならないんだ。路銀は……ないけど」

「しょうがないわね。これ、持って行きなさい」

 

 と、懐の袋を手渡した。

 

「これは……金?」

「そうよ。シャオのお小遣いだけど、持って行きなさいよ」

「そ、そんな。メシを食わせて貰った上に、こんな」

「いいのよ。だって、恩は返してくれるんでしょ?」

「……ああ。この槍に誓って」

「なら、さっさと行きなさい」

「わかった。必ず、戻るからな。孫尚香と……誰だっけ?」

 

 某喜劇のノリで、ずっこけそうになるあたし。

 

「……美綴綾子だ」

「美綴か、よしわかった。じゃあな、いろいろとありがとうよ!」

 

 そして、砂埃を上げて去っていく。

 ……マンガのキャラみたいな奴だな、ありゃ。

 にしても。

 

「小蓮」

「うん?」

 

 あたしは、小蓮の頭に手を載せ、撫でた。

 

「綾子お姉ちゃん?」

「……こう言っちゃ悪いけど、あたし、小蓮の事見直した。あたしの出番がなかったからな」

「だって、見てられなかったんだもん。あの子、危なっかしくて」

「ま、そうだけどさ。……やっぱ、小蓮も、立派な孫家の娘、って訳だ」

「ありがとう、お姉ちゃん。シャオ、嬉しいよ」

 

 いい笑顔が見られた。

 ……凌統は、戻ってくるだろう。

 小蓮の恩、借りたままにするにはちょっとでかいぜ?



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十八

「いい天気ですねぇ」

「うむ。これは絶好の月見酒日和だな」

「……祭さん。終わってからにして下さいね、酒は。冥琳に小言喰らうのは願い下げですから」

「わかっておる。儂を何だと思っておる」

 

 ……いや、雪蓮と貴女に関しては、酒にまつわる逸話だらけですし。

 

 今日も、あたしは巡検に出ている。

 小蓮はまた同行したがったが、賊が出没している……という情報があったので、置いてきた。

 ……雪蓮が折よく戻ってきて、助かった。

 雪蓮と蓮華のステレオ説得(と言う事にしておいてくれ)が効いたな。

 勿論、戦闘に備えて兵も多めに連れてきている。

 あまり多いと無意味に民を威圧する格好にもなるので、バランスが難しいところだけど。

 それもあり、祭さんが一緒に来てくれている。

 

「やれやれ、冥琳も人使いが荒いの。年寄りはもっと労るものじゃ」

 

 祭さん、貴女そこまでトシでもないでしょ。

 

「そう言わずにお願いしますよ。昔、祭さんはこのあたりも行き来したって聞いていますし」

「昔の話じゃがな。まだ、堅殿が若かりし時分でな」

「それでも、土地勘があるとないとでは大違いですよ」

「ま、お前程の者に頼られるのは、悪い気はせぬが、な」

 

 祭さんに評価されるのは、素直に嬉しい。

 ……母さんみたいな人だからかも知れないな、いろんな意味で。

 

「綾子。今、何やらよからぬ事を考えておらなんだか?」

「え~と。何の事ですか、一体?」

「惚けおって。まぁよい」

 

 危ない危ない、鋭いお人だ。

 

 今日は、長江付近の村を廻るコース。

 

「この辺りは、昔から洪水が多くてな。土地は肥沃なんじゃが」

「でしょうね」

 

 家は皆、頑丈な石垣の上に立てられている。

 洪水対策の知恵だろう。

 

「……けど、田畑はそのままですね」

「気付いたか。家はあれで良いが、作物は土の上でなければ無理じゃからな」

 

 じゃあ、洪水の度に流されてしまう訳か。

 何せ川と言っても、あたしが知っている奴とはスケールがダンチ。

 大げさに言えば、向こう岸が霞んでみえるぐらい。

 鎧をつけて泳げ、とか言われたら相当にしんどいだろうな。

 これが氾濫したら……と思うと、ゾッとする。

 

「民も困っておるのだが。綾子、何か良い策はないか?」

 

 と、祭さんはあたしの顔を覗き込む。

 こうして、祭さんはよく人を試す。

 一生懸命考えたりいいアイディアを出せば褒めて貰える。

 逆にいい加減な事や頓珍漢な事を言うと、容赦なく拳骨が飛んで来る。

 雪蓮も何度となく洗礼を浴びているらしく、祭さんの前では上手く立ち回っている印象がある。

 あたしも今のところは無事だけど……どんだけ恐れられているんだ、この人は。

 

「いや、治水をすればいいってのはわかるんですが……」

 

 コンクリートで護岸工事をすればいいんだろうけど、そもそもコンクリートってどう作るんだ?

 石灰と砂を水で混ぜればいいんだろうけど、分量とか知らないし。

 それに測量技術だって、まだまだ原始的だろうし。

 やるとしても伊能忠敬みたいに、歩幅とロープみたいにとかその程度だろう。

 後は……思いつくのは信玄堤、とか?

 でもあれですら何十年もかかったって記憶があるし、そもそも川幅が違いすぎる。

 根気よく川底をさらうとか、そんな水深でもないし……無理だな。

 

「そうですね。思いつくのは、放水路とか、そんな程度ですかね」

「放水路?」

「ええ。川は一本だと、水量が増えれば水位が上がって、そのうちに溢れますよね」

「当たり前ではないか。そのぐらい、儂とて承知しておる」

 

 祭さんはムッとする。

 いや、バカにした訳じゃないんですけど……。

 

「でも、一本の川が、数本に枝分かれしていたら、どうなると思います?」

「それは、水もその分、分散して……成程、そういう事か」

「はい。ただ、新たに川を作るような真似をする事になるので、労力がハンパじゃありませんけど」

「……確かにな。権殿の代ですら完成しそうにはない話だ」

「ブルトーザーとか、ショベルカーもないしな……」

「ぶるとうざあ? しょべるかあ?」

 

 祭さんの頭に、クエスチョンマークが見える。

 ……わかる訳ないか、てかあたしの独り言に反応しないで下さい。

 

「あたしの国にある道具です」

「ふむ。それは、職人たちに作らせる事は出来るのか?」

「無理ですね。それだけの技術は、どこにもないでしょう」

「ますます興味深いな、綾子の国は。儂も元気なうちに一度見てみたいものじゃ」

 

 見せてあげたいけど、それは無理です。

 ……祭さんを連れて行ったら、豊富な酒の種類の方に関心が行きそうだけどさ。

 

「もしくは、浮稲みたいなのがあればいいんですけどね」

「浮稲? 稲が浮くのか?」

「あ、そうじゃなく。稲の背丈がとんでもなく高い種類で、水嵩が増しても穂が水没しないんです」

「それも、綾子の国にあるのか?」

「いえ。確か……ベトナムとかラオスあたりに行けば」

「……聞かぬ名じゃが。南越あたりか?」

 

 南越とは、南にいる異民族の国……って、地図にあった。

 いわゆる中国から見て南東側は全部南越と記されているから、間違いではないかな。

 ……でも、この時代にあるのか、あれ?

 

「あたしも見た事はないんですが。聞いた話ですよ」

「それがあれば、田を作らずとも湿地で米が取れる、か」

 

 ブツブツ言ってる。

 あたしのいた時代の知識と技術が全て揃っていたら、どれだけ豊かになるんだろうな。

 ただ、それが正しい事なのかどうかは微妙な気もする。

 

「よし。呉が安泰となったら、南越に出向いてみようぞ」

「……へ?」

「何じゃ、その顔は。綾子も聞いただけの話と言うが、お主の伝聞はかなりアテになるではないか」

「い、いや……。それはですね、結果論で」

「つべこべ言うでない! その時は頼むぞ」

 

 ……もしかして、またやっちゃったか、あたし?

 思わず、天を仰いでしまう。

 

「ふふ。まだまだ底を見せぬとは。全く、お主が味方で良かったと思うぞ、つくづくな」

 

 まぁ、褒められるのは嬉しいけどさ。

 今度、胃薬でも処方して貰うかな……胃に穴が空きそう。

 

「申し上げます!」

 

 と、そこに兵士が一人、慌ただしくやって来た。

 

「何事か!」

「ハッ! この先で、煙が上がっております」

「煙? 綾子、参るぞ」

「え? あ、はい!」

 

 何やら、雲行きが怪しくなってきたな。

 祭さんに続いて、近くの高台に登ると。

 

「煙が……いや、火も見える。火事か?」

「ただの火事ではあるまい。火の勢いが強すぎるし、範囲も広い」

 

 付近には人家もないし、山火事としては不自然だ。

 

「誰ぞある!」

「ははっ!」

「斥候を放て! それから、周囲を警戒せよ! 手の空いているものは、水を探して消火の準備をせい!」

 

 祭さんが、テキパキと指示を出す。

 

「綾子。どう考える?」

「山火事や野火の可能性もあります。ここしばらく、晴天が続いて乾燥していますから」

「確かにそうじゃ。……が、何やら嫌な予感がしての。杞憂で済めばよいのじゃが……」

 

 勘、か。

 雪蓮もそうけど、ここの人達の勘が、バカに出来ない事を最近、改めて感じている。

 ましてや、百戦錬磨の祭さんが言う事だ。

 ……当たらないといいな、ホント。

 

 火はかなり燃え盛っているらしい。

 空気が乾燥しているだけに、余計に始末が悪い。

 

「黄蓋様! 泉がありました!」

 

 待ちに待った、消火用水源は確保したな。

 

「よし、直ぐに取りかかれ!」

「はいっ!」

 

 あ、そうだ。

 これなら、使っても問題ない未来知識だろう。

 そんなものを、あたしは思いついた。

 

「祭さん!」

「何じゃ?」

「バケツリレーをやれば、少しは早く消せるかも知れません」

「ばけつりれえ?」

「はい。兵士達の冑に水を汲んで、自分で運ぶのではなく、大勢で協力するんです。おい、何人か来てくれ」

「ハッ」

 

 あたしは兵士を一列に並べ、手本を見せる事にした。

 

「そうだな、桶はないだろうから兜で代用しよう。まず一人が水を汲み、それを次の人に手渡す。で、火元に近い人間が水をかける。こうして数珠繋ぎになって、順々に水を手渡しで運ぶんだ」

「ですが、火の勢いは盛んです。これでは、追いつかないのでは?」

 

 兵士の一人が、疑問を示す。

 

「確かにそうだが、なら皆が一人ずつ泉に行き、火元まで走るのを繰り返せばどうなる?」

「……草臥(くたび)れますな、確実に」

「そうさ。それだけじゃない、泉自体はさほど大きいものじゃない。一斉に殺到すれば、水を汲むのに順番待ちになる。その時間も無駄になるだろ?」

「成程。一見非効率に見えますが、これならむしろ効率が良くなります」

 

 うん、どうやら理解して貰えたようだな。

 

「さあ、皆並べ! それから、水汲み担当と火消し担当は適宜交代するんだ、運動量が多くなるからな」

「了解であります!」

 

 そこまで指示を出してから、あたしは祭さんの所に戻った。

 

「後は皆で頑張るしかありません。あたしも、兵を手伝います」

「待たんか、阿呆が」

 

 ゴツンと拳骨を喰らってしまった。

 うう、手加減なしかよ……。

 

「な、何をするんですか!」

 

 涙目のあたしを、祭さんは厳しい顔で睨み付ける。

 

「お主の策、これは妙案じゃ。しかしな綾子、将たる者、すべき事を見誤ってはならぬ」

「…………」

「さっきも言っておったが、役割は適宜入れ替えるのであろう? その指示は誰が出すのじゃ? 消火に懸命になっている兵に、それを考えろと申すのか?」

「そ、それは……」

「それだけではない。火は一カ所ではないのだ、消火する地点もその都度変えねばならぬし、そうなればこの並びの長さも調整となる。それはどうするのじゃ」

 

 ビシビシと指摘され、あたしは何も言えない。

 ……そうだ。

 それを動かす人間がいなければ、折角のアイディアも企画倒れになってしまう。

 

「……どうやら、わかったようじゃな。綾子、将とは何だ? 先頭に立ち、敵を殺す事か? 武を磨き、自己陶酔していれば良い存在なのか?」

「違います……。それならば、将である必要はありません」

「その通り。前者はただの猪、一兵卒ならばまだ存在価値があろうが、将としては最悪じゃ。後者は、武芸者であって将ではない。わかるな?」

「……はい」

「もっと視野を広く持て。人の上に立つという事は、従う者全てに責任を持つ事でもある。肝に銘じておくのじゃ、良いな?」

「わかりました。……ありがとうございます、祭さん」

「わかったら、さっさと動かんか。火の手は、待ってはくれぬぞ!」

「は、はい!」

 

 弾かれたように、あたしは動き出した。

 

 

 

 あたしも戸惑いながらも兵の動きを、火の手を見ながら指示を出す。

 兵たちも初めてのバケツリレーながら、懸命に指示通りに動こうとしてくれた。

 お陰で、一部だけだが消し止める事が出来た。

 その間に、手空きの兵が斧で木を切り倒していた。

 祭さんが、延焼を食い止めるために指示を出していたらしい。

 そこまでは気が回らなかったが、適切な処置だと思う。

 ……まだまだ、祭さんには敵わない、いろいろと。

 

「後は、雨が降るのを待つ他あるまい」

「そうですね」

 

 兵達は皆、疲労困憊で座り込んでいる。

 合戦とは違うが、あれだけ必死で動き回ったんだから当然だろう。

 

「綾子。さっきはあのような事を言ったが……。その後の指揮、なかなかのものじゃ」

「……いえ。あたしはわかってなかったんです、自分の思いつきに夢中になり過ぎて。その先まで考えなくて」

「それがわかったら、二度と同じ過ちを繰り返すでないぞ? さもなくば、いつでもコレじゃ」

 

 と、殴る仕草を見せる祭さん。

 

「兵はの、率いる兵の用い方一つで、無敵の槍とも有象無象の集団ともなり得る。無論、普段の調練は欠かせぬが、それだけでは戦場で勝利を得る事は適わぬ」

 

 経験と実績に裏打ちされた、祭さんの言葉。

 まさしく、千金に値すると思う。

 

 

 

「も、申し上げます!」

 

 息も絶え絶えの兵士が、他の兵士に抱えられてやって来た。

 

「おお、お主は斥候に出した者ではないか」

「は、はっ!……お、遅くなりまして……ゼェ、ゼェ」

「良い。して、どうであった?」

「そ、それが……」

 

 息を整えつつも、兵は言葉を選ぼうとしているように見えた。

 

「ええぃ、有り体に申せ!」

「は、はっ! では」

 

 祭さんの一喝に、意を決したようだ。

 

「こ、この先に、小さな村がございます」

「え? そんな村、あったかな……」

 

 あたしは地図を広げ、首を傾げる。

 

「儂も覚えがないな。まぁよいわ、して?」

「……村人が……全滅しているようでした」

「ぜ、全滅?」

「皆殺しという事か?」

 

 あたしも祭さんも、二の句が継げない。

 信じたくないが、目の前でうなだれる兵士が、嘘を告げる訳もない。

 

「……綾子。参るぞ」

「祭さん?」

 

 祭さんが、ブルブルと身体を震わせている。

 ……本気だ、祭さんが本気で怒っている。

 

「このような真似をする輩、相応の報いを与えねばなるまい?」

「で、ですが。犯人が誰だかもまだ」

「だから、探すのじゃ。手がかりを持ってな」

「……では、その村に行くのですね」

「そうじゃ。……ただ、まさに地獄の様相であろう。もし見るに堪えぬのであれば、無理強いはせぬ」

「……いえ、行きます。これも、将たる務めでしょうから」

「……そうか」

 

 それ以上、祭さんは何も言わなかった。

 そう、あたしはもう決めたんだ、今更逃げるつもりもないし、それはあたし自身が許さない。

 

「皆の者! よう聞けい!」

 

 祭さんの言葉に、兵達が顔を上げる。

 

「消火で奔走し、皆が疲れている事はよく存じておる! だが、悪逆非道な賊どもが、すぐ近くにいるようじゃ! 正体を突き止め次第、そ奴らに天罰を下す! もう一踏ん張り、皆の力を貸して貰いたい!」

「応!」

「応!」

 

 声も出せないかと思った兵達が、祭さんの檄に気勢を上げている。

 ……凄い、やっぱり祭さんは。

 

「では、儂と綾子は村を見て参る。それまで、この場にて全員待機して備えよ。それから、ご苦労だがこの事を寿春城へ伝えるのじゃ」

「ハッ!」

 

 

 

 確かに、小さな村だった。

 ……動く者は、皆無。

 家という家は全て焼け落ち、道には人……だった物体が横たわっている。

 ある人は喉を切られ、ある人は腹を切られて、腸がはみ出ていた。

 ハリウッドのホラー映画なんて、これを見たら怖くも何ともなくなるだろう。

 こみ上げる吐き気を抑えるのに、あたしはそんな事を思っていた。

 

「酷い……。ここまでするか……」

 

 殺されているのは、男だけじゃない。

 あたしの目の前には、子供の小さな腕が転がっている。

 派手な音を立てて、また一軒、焼け落ちた。

 

「惨いな……。本当に、全滅させられたようじゃ」

「こんなの……。こんなのって……」

「綾子。……これは現実。受け入れるしかあるまい」

「……わかってます! わかってますけど……クッ!」

 

 視界がぼやける。

 ……あたし、泣いている……の?

 

「ム? 誰じゃ!」

 

 祭さんが、素早く弓を構え、何かを射た。

 

「ぐわっ!」

 

 茂みの向こうで、人が転がるのが見える。

 見ると、黄色の布を頭に巻いた、小男だった。

 ……黄巾党の残党か……。

 

「い、痛ぇよ!」

「痛いじゃと? 屑の分際で何を言うか!」

 

 グッと鏃を押し込む祭さん。

 

「ぎゃああああっ!」

「貴様。この村を、何故襲った?」

「そ、そりゃ、村を襲えば食い物も女も手に入るから……ウギャーッ!」

 

 男は、ギリギリと首を締め上げられる。

 

「おい。仲間はどうした?」

「し、知らねぇな」

「そうか。なら、貴様に用はない」

 

 祭さんは剣を抜くと、

 

「ぎゃああああ!」

 

 男の片耳を切り落とした。

 

「最後の機会をやろう。仲間はどうした?」

「……あ、い、言う! 言うから、殺さないでくれ!」

「いいだろう。それで?」

「こ、ここから十五里ほど山奥に入ると、山塞がある。そ、そこが俺達のねぐらだ」

「で、人数は?」

「たた、た、確か、二百人ぐらいだ」

「他にはいないんだな?」

「い、いない。本当だ、信じてくれ!」

 

 殺気を緩めない祭さんに、男は失禁していた。

 

「そうか」

 

 男は、もう片方の耳も、切り落とされた。

 

「あ、ああああ……」

 

 傷みと恐怖で、気絶……したらしい。

 

「直ちに、兵達を連れて参れ!」

「ははっ!」

 

 連れてきた兵が、馬に乗って駆けていく。

 

「綾子。儂を、酷だと思うか?」

「……いえ」

「……そうか。だが、無理はするな」

「は、はい……。うぷっ!」

 

 吐いた。

 初めて人を、この手で直に斬った、あの日以来。

 胃液しか出なくなっても、まだ吐いた。

 ……そして、やり切れなかった。

 

 黄巾党の残党は、結果として皆殺し。

 そのアジトに連れられていた女性達は、一部を救えた。

 ……だが、全員、身も心も傷を負った状態で。

 あたしにとってはこの先忘れられない、だが忘れちゃいけない、そんな一日となった。



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十九

「う~ん」

 

 今、あたしは悩んでいる。

 ……というより、日々悩みが深まるばかり。

 先日のショッキングな出来事は、もちろん脳裏から離れない。

 でも、そうじゃなく。

 いろいろとあるんだが、一番は……。

 

「綾子。ちょっといい?」

 

 ベッドで寝転んでいたあたしは、ガバッと起き上がった。

 

「どうした、雪蓮?」

「ちょっと話があって。入るわよ」

 

 どうやら一人らしい。

 雪蓮の場合は誰かを連れてないと、という事はない。

 むしろ一人でどこかに抜け出す方が、彼女らしいぐらいかも。

 

「掛けてくれ。今、お茶でも入れるよ」

「ありがと。本当は、お酒でもいいんだけどね」

 

 頼むから、朝っぱらからそれは勘弁して欲しい。

 冥琳あたりに見つかったら、あたしまで大目玉だぞ?

 朝食の時に貰ってきたお湯で煎茶を入れ、茶碗に注いで手渡した。

 

「準備がいいのね」

「いや、ついでだし。その都度お湯を沸かすのは手間だからな」

 

 電気ポットでもあれば別だけど、望むだけ無意味だしな。

 

「で、話って?」

「ああ、そうね。……わたし、綾子はいつも不思議だなぁ、って思ってたけど。その強さの秘訣、あるの?」

 

 雪蓮の素朴な疑問だった。

 ……確かにそうなんだ。

 あたしは少なくとも競技レベルの武道じゃ、かなりいい線行っていたし。

 当然、それなりに自信もある。

 でも、リアルで命のやり取りをした経験は流石にないし、だからこそこないだみたいな醜態も晒してしまったんだし。

 今にして思えば、思春や明命にはあっさり勝てたけど……だからと言って、彼女らは決して弱くはない。

 いや、むしろ強い部類に入るだろうな。

 太史慈ははかなり強かったけど、あたしはそれでも後れを取らなかった。

 指揮能力ではもちろん敵わないけど、あの正確無比な祭さんと、弓の腕も見劣りしない。

 ……ゲームのキャラ魔改造じゃありまいし、これだけ一騎当千の強者揃いの中で、あたしがこうして存在感があるのは、どう考えても異常。

 けど、原因がわからない。

 あの筋肉オ○マは、あたしの持ち物だけは一緒に飛ばしたようだけど、まさか武力ステータスまで弄れるとは思えないし。

 

「それでね。わたしと仕合してみない?」

「……え? 雪蓮と?」

「そうよ。わたしのところで、武官はみんなあなたには敵わない。なら、後はわたしぐらいじゃない?」

「しかしなぁ。万が一怪我でもさせたら……。雪蓮の身体はもう、雪蓮一人のモノじゃないし」

「あら、心配してくれるの? それとも、余裕?」

 

 あ~、絶対これ、戦いたくてウズウズしてるな。

 ……でも、あたし自身、気になるのは確か。

 

「仕合えば、何かわかるかも知れないしね」

「それも、勘か?」

「あはは、違う……とも言えないか。そうね、それもあるけど。で、どう?」

 

 そうだな……。

 仕合なんだ、真剣を使わないなら、多分問題ないだろう。

 後は……雪蓮の後ろで青筋を立てている人物が、同意してくれたら、かな。

 

「雪蓮」

「あら冥琳。何かしら?」

 

 冥琳の怒りオーラに平然と出来るってのは、長年の付き合いだからなのかなぁ。

 あたしでも、ちょっと怖いぐらいなのに。

 

「どこを探しても見当たらないと思えば、全く。いい加減、上に立つ者としての自覚を持って欲しいのだが?」

「何よ。それじゃ、まるでわたしが好き勝手放題みたいじゃない」

 

 頬を膨らませる雪蓮。

 

「ほう、違うとでも言うのか、伯符殿? ならば、すべき事はわかるのでしょうな?」

「め、冥琳? いや、あのね」

「とりあえず、来るんだ。綾子もな」

 

 何で、あたしまで?

 疑問には思ったけど……反論できる雰囲気じゃなかったので、そのままついていく。

 ……で、執務室。

 これはこれは、見事な竹簡の山で。

 

「さて、自分のなすべき事をわかっているのなら、これを片付けて欲しいのだがな」

「ぶー。わたしは、綾子と仕合したいー!」

「……頼むから、すべき事は果たしてくれ。さもないと、政が滞って仕方がない」

 

 切実なのだろうな、実際。

 が、それだけでないのが冥琳クオリティ。

 

「それが片付いたら、仕合もいいだろう」

「おい、ホントにいいのか?」

 

 思わず、口を挟んでしまった。

 

「構わんさ。雪蓮が簡単に手傷を負う程弱いとは思っていない。それにこう言えば、これをほったかしにして逃亡する事もないだろう。私としては、その方が助かる」

「ううー、わかったわよ。これを片付けたら、綾子と仕合よ。冥琳、後から約束破ったら承知しないわよ?」

「雪蓮。私が、お前との約束を違えた事があるか?」

「……ないわよ。いいわ、わたしの本気を見せてあげるから」

「出来れば、それが普通であって欲しいがな」

 

 ま、雪蓮の本気ってのを見せて貰いますか。

 

 

 

 で、数刻後。

 まだ日は……高いな、うん。

 

「……なあ、冥琳。あたしは何か、おかしな夢を見ているのか?」

「だとすると、私もそうなのだろうな」

「ぶーぶー。二人とも酷いわよ」

「いや、しかしな……」

「よもや、とは思ったが」

 

 そう。

 目の前にあった山は、綺麗さっぱりなくなっている。

 雪蓮はあの量の書簡を、完全に仕上げて見せた。

 冥琳の表情からしても、本気であり得ないんだろう、これ。

 

「約束だから、いいわね?」

「あ、ああ。構わない」

「やったね。じゃ綾子、早速行くわよ」

 

 スキップでもしかねない様子の、雪蓮だった。

 

 模造刀を手に、調練場に出た。

 

「あら? 薙刀じゃなくていいの?」

 

 雪蓮もまた、同じ模造刀。

 

「いいんだ。実戦でも、あたしの得物は剣だしな」

「そう。でも、手加減はしないわよ?」

「勿論さ。そうでなけりゃ意味がないだろ」

「……いいわ。本気で仕合うのは久しぶりだから、ゾクゾクする」

 

 獲物を狙う、トラのような目付き。

 身の毛がよだつ程の、殺気が感じられる。

 やはり、並みの腕じゃない。

 

「……行くぞ」

「いつでもいいわ」

「ハアッ!」

 

 やはり、受け止められるな。

 すぐさま、反撃が来る。

 

「ぐっ!」

 

 こんな細身の身体で、どうしてこんな力が出せるんだ?

 受け止めた一撃は、かなり重かった。

 何とか押し返し、後退りして間合いを取る。

 

「やるな、流石だ」

「うふふふ、もっと楽しませてね」

 

 そう言って、雪蓮は地を蹴る。

 は、速い!

 咄嗟に剣を下げる。

 

「チッ、見切るとはね」

 

 ……まただ。

 あたし自身、疑問の一つ。

 動体視力が、ハンパじゃなく良くなっている事。

 他勢力の武将がどうなのかはまだ戦った事がないからわからないけど、趙雲といい、明命に思春と、素早さを活かした戦い方をする人が多い。

 勿論、彼女達も自信を持っている筈だろう。

 ……でも、何故だかその動きは、あたしの眼には確実に捉えられる。

 

「クッ、ちょこまかとかわしてくれるわね!」

 

 宣言した通りに一切の手加減も容赦もない、雪蓮の剣捌き。

 考え事しながらとか、そんな余裕がある方がどうかしてる。

 ……あたしに何か取り憑いてるんじゃないか、とでも思いたくなる。

 

「せいやっ!」

「!!」

 

 これは……ヤバい!

 無意識に立てた剣が、雪蓮の突きを防いだ。

 

「綾子。やっぱりあなた、普通じゃないわね」

 

 雪蓮、あたしも残念だが同感だ。

 

「あれを防ぐとはね……。思春、どう?」

「はい。今の雪蓮様の一撃は、綾子の一瞬の隙をついたものでした。私でも、運が悪ければ受ける自信はありません」

 

 ……あれ、いつの間にか蓮華と思春が見物に?

 というか、見えてるのかよこれ!

 

「綾子。余所見していていいのかしらっ!」

 しまった、剣を弾かれた。

 

「これで決まりよ!」

 

 雪蓮が、トドメに剣を振り下ろした。

 うわっ、もうダメか!

 ……が、雪蓮の剣は、あたしに届いていない。

 

「……何よ、それ」

 

 呆れたような彼女の声で、あたしは我に返った。

 ……あらら、そりゃ、呆れるしかないか。

 だって、雪蓮の剣先はあたしの手の中。

 所謂『真剣白刃取り』をやってるんだから。

 ……柳生新陰流なんて名前しか知らないし。

 この技も、ドラマや小説の中でしかない、フィクションだとずっと思っていたのに。

 

「うわぁ、綾子さん凄いですね~」

「剣を弾かれた時点で勝負あった、と思いましたが。綾子様に、まだ策があったとは」

「そうですね~。まさに達人、とでも言うべきなんでしょう~」

 

 軍師様ご一行までいるし。

 ……つか、止めたはいいけど……コレ、どうすりゃいいんだ?

 

「ハァ、何だか馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。もうお仕舞いにしましょ」

 

 雪蓮の言葉に、あたしは力を抜き、剣から手を離した。

 

「……と、見せかけて!」

「うわっ!危なっ!」

 

 間一髪でかわすあたし。

 

「卑怯だぞ、雪蓮!」

「あら、それは言いがかりよ? わたしは、お仕舞いにするとは言ったけど、仕合を中断するとは言ってないもの」

 

 雪蓮、地面に剣を突き立てるな!

 いくら模造刀でもそれはヤバいだろ!

 転がりながら、何とかそれをかわす。

 つか、かわさないとマジで大変な目に遭う。

 

「あーっはっはっは。あー、楽しい!」

「あの~、雪蓮さん?」

 

 ……ダメだ、眼がイッちゃってる。

 これ、仕合だよね?

 

「血を見た訳でもないのに……どうなっているんだ?」

「わ、わかりませんよ冥琳さま。ああ、綾子お姉さま、危ない!」

「綾子お姉ちゃん、頑張れ!」

「綾子様! そこです、ああ、そうじゃありませんってば!」

 

 ちょっと待て、ギャラリー増えすぎだろ!

 内心でツッコミを入れつつ、どうにか飛ばした剣を掴めた。

 ようやく、雪蓮の剣を止めた。

 今度こそ、鍔迫り合い。

 

「力比べだ……。と見せかけて」

「え?」

 

 すかさず足払い。

 ジャンプでかわされたところへ、左アッパー!

 

「クッ、これもかわすか!」

「わたしの勘を甘く見ない方がいいわよ。せっ!」

 

 あんたはニュー○イプか!

 すれすれのところで雪蓮の一撃をかわし、再度打ち込みをかける。

 お、避けずに受け止めた。

 

「しっかし、ここまで避けられるかしら? 普通」

「そりゃ、あたしの台詞だ……ぞっ、と!」

 

 あたしが通っていた道場の乱稽古でも、ここまでの迫力はなかったな。

 まぁ、一歩間違えば冗談抜きで死ぬからなぁ。

 特に、今の雪蓮は……いろんな意味でヤバ過ぎだろ。

 ……よし、ならば。

 あたしは剣を目の前に突き刺し、柄頭に両手を置いた。

 

「ふふふ、諦めたの? でも、わたしは止めないわよ!」

 

 雪蓮が迫り、剣を一閃。

 

「よし、今だ!」

 

 剣を、シャベルのように雪蓮の方に払いながら、抜く。

 

「え? キャッ!」

 

 勢いよく抜いたから、その分土も一緒に抜け、飛んだ。

 雪蓮の顔にも直撃しかかり、一瞬だが視界が遮られる。

 

「……え?」

「チェックメイト。……じゃない、終わりだな」

 

 あたしは、剣を雪蓮の喉元に突きつける。

 

「……負けちゃった」

 

 途端に、雪蓮の眼から狂気が、消えた。

 ガクリと膝をつく。

 

「勝った……か」

 

 あ、もう体力限界気味かも。

 いくら運動量豊富なあたしでも、これはしんどいって……。

 

 

 

「……あれ?」

 

 気がつくと、そこは見知らぬ天井……はもういいな。

 どうやら、あたしの部屋らしい。。

 

「あ、気が付かれたようですね」

「……亞莎?」

 

 特徴のある帽子に服、見間違いようがない。

 

「はい。ご気分は如何ですか?」

「……別に、何ともないような気がする。あたし、一体どうなったんだ?」

「あのまま、調練場で気を失ってしまわれたんです。雪蓮様も、ですが」

「雪蓮は大丈夫?」

「ええ。……回復するためにはお酒が、と仰せになって、祭様とご一緒に」

 

 ああ、なら問題なさそうだ。

 それにしても、激闘だった。

 ……そして、いつにも増して、あり得ない自分が、いた。

 そのうち、昇○拳とか使えるようになった、とか……あり得ないと言い切れないのが嫌過ぎる。

 真剣白刃取りとか、まるでこっちに来る前に読んでいた……。

 ……ん?

 読んでいたって……まさか?

 

「亞莎!」

「は、はいっ!」

 

 いきなりあたしが大声を出したせいで、びびらせたようだ。

 

「あ、すまん。あたしのカバン、取って貰っていいか?」

「はい。これでしょうか?」

「そうそう。……えっと」

 

 カバンの中身は、何度か確認している。

 その中で、一番意味のなさそうなもの。

 意味がないので気にもしていなかったけど、ここまで揃うと思い当たる節がある。

 

「綾子様。それは?」

「ああ。情報端末、とでも言えばいいのかな」

「情報端末……。情報を得られるものですか?」

「そうさ。……動けばだけど、な」

 

 大画面液晶が特徴の、タブレット型コンピュータ。

 メカ音痴の遠坂に見せたらどんな反応するかと思って、カバンに入れた記憶がある。

 とは言え、ただのネタにする程は安くないので、電子書籍とゲームを入れておいた。

 ……確か入れたゲームに、三国志とか戦国で大暴れする、見切りの達人が主人公、ってのがあったわ。

 で、電子書籍は、剣豪モノがずらり。

 ……ま、あたしが魔改造状態な原因はわかった……というか、これ以外にあり得ん。

 でもな……これ、バッテリー切れで動かないんだよなぁ。

 ……わからん。

 あ~、頭が茹だってきた。

 と、言うか。

 盛大に、腹の虫が鳴ってくれた。

 

「……とりあえず、何か食うか。亞莎、街に行こうぜ」

「え? でも、寝てなくて大丈夫なんですか?」

「ああ。それに、この時間じゃ厨房に行っても何もないだろう。ごま団子、ご馳走するぜ?」

「え? で、ですが……」

 

 今、明らかに動揺しただろ。

 別に、虐めるつもりはないし、ご馳走するのも本心だけどな。

 

「世話になった礼さ。ほら、行くぞ」

「は、はいっ!」

 

 謎はあるけど、今はこれでいいのかも知れない。

 魔改造だろうが何だろうが、今のあたしは、この人達にとって、必要とされているじゃないか。

 ……いずれ、何かわかるだろう、きっと。



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二十

「たあっ! やあっ!」

 

 菖蒲(徐盛)は今日もまた、鍛錬に励んでいる。

 あたしの教えを忠実に守って、例の木刀を振るい続けていた。

 少しずつだけど、足腰がしっかりしてきたかもな。

 あれが自在に出来るようになれば、次の段階に進むとするかな……とか思っていたりする。

 

 さてさて、あたしも自主トレ始めますかね。

 青コウの剣と、倚天の剣を抜く。

 二刀流なんて、それこそ時代劇の世界というか……あたしのイメージだと宮本武蔵と、中村主水ぐらいか?

 もっとも、あっちは長刀と脇差しの組み合わせだけど。

 さて、上手く扱えるのかねぇ。

 左手に青コウの剣を持ち、何度か振ってみる。

 ……う~ん、やっぱり違和感がある。

 剣は両手で扱うか、さもなくば右手で操る事が多い。

 竹刀は割と持ちやすさを考えて作られていたけど、昔居合いを習いに行った時は、かなり戸惑いがあった。

 まず、重い上に、握り方や力のかけ方が、まるで違う。

 それに、吊した紙を斬るとか、冗談みたいな真似を本気でやる道場だったし。

 そんなもん斬れるか、と思ったけど、そこの師範代はあっさりとやってのけてみせた。

 曰く、力任せに『切る』んじゃなく、あくまでも『斬る』ものなんだ、と。

 西洋の剣みたいに、鎧の上から叩き潰すような代物とはまた違うから、力の要れどころが難しい。

 この時代の剣は、またこれはこれで違う。

 少なくとも、襄陽で買った普通の剣は、最後まであたしの手に馴染まなかったからな。

 

 ちなみにあの剣、使い道がないので部屋に放置しておいたら、菖蒲が勿体ないですね、とか言っていたので、

 

「なら、菖蒲にやるよ。ただの剣だけどな」

 

 と言ったら、文字通り飛び上がって大喜びされた。

 言っちゃ何だけど、宝剣とか名剣とか、そんな類じゃないと思うんだがなぁ。

 ……その後しばらく、鞘に頬ずりする菖蒲は、コメントのしようがなかった。

 まぁその……世の中には知らない方が幸せな事もあるって、アレだな、うん。

 

 右手に倚天の剣を追加。

 うん、これだけなら問題なさそうだ。

 ……しかし、この剣も不思議だ。

 長年愛用した筆記用具みたいに、ぴったりと手に馴染む。

 まるで、身体の一部のように思える。

 斬れ味は……言うまでもない。

 両手に剣を構え、仮想敵をイメージ。

 ……そうだな、太史慈にしよう。

 

「フッ!」

 

 槍を青コウの剣で払おうとするが、押し込まれてしまう。

 左で受け、右で反撃。

 ……そう、単純には行かないようだ。

 二本でこれだから、某ゲームみたいに、刀を八本も十本も一度に振り回すとか、やっぱありゃ無理があるよな。

 

「おりゃあ!」

 

 今度は、左右から交互に打ち込みをかける。

 数十回これを繰り返す。

 ……ダメだ、違和感が払拭できない。

 利き腕の右はいいが、左が思うように動かない。

 誰かに聞こうにも、二刀流なんて遣い手はいないしなぁ。

 やっぱり、一本ずつ使うのがいいんだろうか?

 試しに、倚天の剣だけで突進してみる。

 受け流されるけど、さっきに比べれば雲泥の差があるな。

 こちらの方が確実に相手に迫れる気がする。

 

「綾子お姉ちゃん!」

 

 小蓮が、向こうで手を振っている。

 そのままこっちに駆けてきて……ダイブ?

 慌てて、受け止めるあたし。

 ちなみに剣は、彼女が向かってきた時点で、地面に突き刺しておいた。

 

「どうした、小蓮?」

「……む~」

 

 あれ、何かむくれてるな。

 

「お姉ちゃん、なんでシャオの事、『シャオ』って呼んでくれないの?」

「え? だって、雪蓮も蓮華もそう呼んでないだろ?」

「お姉さまたちはいいの!……綾子お姉ちゃんは、特別だもん」

 

 なんかライフルで狙撃された後、マシンガンで蜂の巣にされましたよ、あたし?

 この娘の上目遣いは、ヤバ過ぎる。

 破壊力が半端ないというか……自覚してるのかしてないのかはわからんけど、可愛い過ぎ!

 

「わ、わかったよ。じゃあ、シャオ」

「えへへへ~♪」

 

 うわ、めっさいい笑顔。

 ……はっ、一瞬だけど、黄色い花畑がフラッシュバックしたような。

 しっかりしろ、あたし。

 バシ、バシ!

 

「お姉ちゃん? どうして、頬を叩いているの?」

「あ、いや、こうでもしないと、いろいろと危険が危ないんだよ」

「? 変なお姉ちゃん」

 

 はい、自分でも変だと思います。

 ちなみに、さっきの返事も誤用じゃないからな?

 

「ところで、何か用があったんじゃないのか?」

「あ、そうそう。あのね。凌統が城下に来たみたいよ」

「凌統が?……そうか、シャオに恩返しに来たか」

「でね、シャオに会いたいって。行こうよ、お姉ちゃん」

「ちょ、ちょっと待て。あたしもか?」

「だって、あの時は綾子お姉ちゃんも一緒だったじゃない」

「そりゃそうだけどさ。でも、シャオに、って来たんだろ?」

「む~、シャオは綾子お姉ちゃんと一緒がいいの! ほら、行こう!」

「お、おい!」

 

 手を引っ張られる。

 もちろん、力任せに振り解く事は出来るけど……。

 

「綾子お姉ちゃん。シャオと一緒は、嫌?」

 

 とか泣き顔で言われたら……だあああ、そんなになったらあたしは今日一日、部屋で自己嫌悪&ヒキコモリ決定だ!

 ……という訳で、選択の余地はなく、そのまま引き摺られていくあたしだった。

 

 

 

「よっ、久しぶり」

 

 指定された飯店へと着いたあたし達。

 

「……何だ、これ」

「相変わらずね……」

 

 テーブルの上には、空になった皿が堆く積まれていたりする。

 もちろん、全部綺麗に平らげられている次第。

 

「よく食うな、ホント」

「いや~、寿春ってところはメシが美味いね。あ、青椒肉絲と炒飯お代わりね!」

「い、いらっしゃい。ご注文は?」

 

 凌統の食いっぷりにドン引きしながら、注文を聞きに来た店員。

 

 まぁ、普通は引くわな。

 

「シャオ、烏龍茶と点心でいいか?」

「……う、うん」

「何だ? もっと食えよ、力出ないぞ?」

 

 いや、この光景見てがっつり食えるとしたら、それはお前さんと同類だから。

 

「あ、そうそう。これ、返すよ」

 

 箸を置いて、凌統が巾着をシャオに手渡す。

 ズシリと重そうだから、シャオが貸した分、入っているんだろうな。

 

「お父さんは、大丈夫だったの?」

「ああ、何とか持ち直した。全く、お陰でメシも喉を通らなかったよ」

 

 説得力全くないぞ、おい。

 

「あ、その金は別にやましいモンじゃないからな? ちゃんと、俺が自分で稼いだんだ」

「ふうん。どうやって?」

「そりゃ、賞金首を捕まえたり、盗賊をやっつけたり。そんなのでも、結構な稼ぎになるからな」

 

 そう言いながら、凌統はまた、箸を取った。

 まだまだ食うつもりらしいな、こりゃ。

 

「お金返してくれるのはいいんだけどね。ちゃんと、ここのお代は払えるんだよね?」

 

 シャオの疑問はもっとも。

 

「大丈夫、大丈夫。余裕だからさ、孫尚香と……名前なんだっけか、そっちの奴も好きに食ってくれ。あたしの奢りだ」

 

 そっちの奴って……また名前覚えられてないのか、あたしは?

 

「綾子お姉ちゃん? どうしたの、テーブルなぞったりして」

「……いいんだ、少しほっといてくれ」

 

 『の』の字を描く、あたしだった。

 

 結局、半刻ほど、目の前の大食いショーは続いた。

 

「ふう、食った食った」

「食べ過ぎよ? あ、もう、口の周りまだついてる?」

「え? どこだ?」

「ここよ。もう、ちょっと屈みなさい。拭いてあげるから」

 

 シャオって、時々わからなくなる。

 あたしにはあんなに甘えてくるのに、こんな風に面倒見がいい事もあるし。

 どっちにも打算も何もないから、悪い事じゃないんだけどな。

 

「ところで、この後はどうする気だ、凌統?」

「ん? もう一軒行くか?」

 

 また、ずっこけそうになるあたし。

 

「これだけ食ってどうしてそうなる! あたしがいいたいのは、身の振り方だ」

「何だ、それならそうと言ってくれよ」

 

 普通はそう思うだろう……。

 何か、調子狂うなぁ。

 

「ん~、俺は武でしか世の役に立てないからな。また、盗賊退治でもするかな」

「なら、仕官しないか?」

「へ? 俺が?」

「そうさ。まだ世は乱れている、アンタみたいな腕の立つ奴は、重宝されるぞ?」

「う~ん、仕官か……。でもアレだろ、仕官って試験もあるんだろ? 俺みたいなバカには無理だって」

 

 この時代、科挙なんてあったっけ?

 確か、もっと後の時代だった気がするんだけど……。

 

「それか、有力豪族の推挙とか。でも俺、そんな伝手はないしなぁ」

「という事は、伝手さえありゃ、仕官してもいいんだな?」

「え? そ、そりゃ、俺だっていつまでも根無し草じゃいられないし」

「そうか。だそうだよ、シャオ」

「え?」

 

 首を傾げるシャオ。

 うん、仕草は可愛いが、見とれていたら先に進まないから続けるな?

 

「シャオの推挙なら、間違いないじゃないか。な?」

「……あ。うん、そうだね!」

 

 わかってくれたらしい。

 

「へ? 何の話だ、一体?」

「いいから、ちょっと来てくれ」

「お、おい! 俺をどこに連れて行く気だよ」

 

 何か文句を言っているが、気にしない方向で。

 

 城門の処まで来た。

 日本と違い、中国では城と街が合体した、城郭都市がデフォらしい。

 だから、ここで言う城門ってのは、軍事施設としての城の門。

 ……まぁ、早い話があたし達が普段いる場所に連れてきた訳。

 

「って、ここ城じゃないか。勝手に入ったら」

 

 凌統、戸惑っているな。

 

「いいんだよ、ここ、シャオのおうちだもん」

「え? えーっ!」

「……なぁ、凌統。まさかと思うけど、孫尚香って名前で何か浮かばなかったのか?」

「だって、孫尚香は孫尚香……。ま、まさか、あの孫家の?」

「そうだよ。シャオは孫家の娘だもん」

 

 あらら、何か固まったぞ。

 

「ねぇ、綾子お姉ちゃん。どうしちゃったのかな?」

「……とりあえず、冥琳のところに連れて行くか」

 

 硬直したままの凌統を担いで、あたしは城内へと入った。

 

 

 

「ご、ご無礼の程を!」

「だからもういいってばぁ」

「い、いえ。あた、いや自分の無知から来たとは言え、孫家の姫君に対して数々の非礼、お詫びしてもたりまひぇん」

 

 あ、噛んだ。

 冥琳と、いつの間にかやって来た雪蓮、顔を見合わせている。

 

「何か面白そうな事が起こりそうだから、来てみたのよね~」

 

 ってアンタはどうしてそういう勘は無駄に働くかね、しかし。

 

「もういいんじゃない? 小蓮も、気にしてないって言ってるんだし」

「で、ですが!」

 

 土下座という習慣があったら、間違いなくやりかねない勢いだな。

 

「そ、それに。そちらの方も将とはつゆ知らず、重ねてご無礼を」

「あ~、あたし? 別にいいよ、将らしくないのは自覚してるからさ」

「ねぇ、本人達がもういいって言ってるんだから。それより、自己紹介して貰えないかしら?」

 

 雪蓮の言葉に、あっと気づいたようだ。

 つーか、百面相だね、まさに。

 

「あ、こ、これは。俺、いえ私は、姓を凌、名を統、字を公績と。余杭の出です」

「凌統ね。わたしは孫策で、こっちが周瑜。あと、彼女にもちゃんと美綴、って名前があるんだけど」

 

 名前を覚えてないの、早速雪蓮にバレてるよ。

 

「は、はい! ももも、申し訳ありません!」

「あんまり硬くなられてもやりにくいんだけどね。じゃ、後はよろしくね、冥琳」

「任されよう。さて凌統、尚香様からの推薦という事で、何点か聞かせて貰いたい」

「は、はい。どどどど、どぞ!」

 

 う~ん、カチカチになってるなぁ。

 よし、ちょっと手助けしてやるか。

 あたしはそっと、凌統の後ろに回った。

 これぐらいの手練れなら気配で気づかれそうなものだけど、緊張過ぎで全然反応がない。

 

「せーの」

 

 こちょこちょこちょ。

 脇腹を、思い切りくすぐってやる。

 

「い、いや、やめろ、あはははははっ!」

 

 いーや、しばらく続けてやろう。

 

 

 

「どうだ? 落ち着いたか?」

「……は、はい。何とか」

「よし。じゃ冥琳、続けてくれ」

 

 冥琳は、ハァ、とため息を一つ。

 

「全く、綾子が何をするのかと思えば。まぁ、緊張は解れたようだがな」

「にしても、いきなりくすぐるとか。突飛もないわね、綾子も」

「雪蓮に言われたくないけどな。突拍子もないって意味じゃ、アンタもそうだし」

「ぶー。何気に酷いわよ、それ」

「……始めたいのだがな」

 

 すいません。

 

「ゴホン。では、まず初めに。得意とする事は何か、聞かせて貰いたい」

「得意ですか。おれ、私にはご覧の通り、武しか能がありません」

「なるほど。今までに、どこかに仕官した事は?」

「ありません。ずっと一人でしたから」

「そうか。では、兵を率いた経験もない、という事だな?」

「ないです」

「ふむ。なら、実力を見せて貰った方が良さそうだ」

「はいはーい、ならわたしが」

「雪蓮。先ほど渡しておいた書簡は片付いたのか?」

「あ、あれ? え、えーと。あ、あはははは」

 

 全く手を付けてないな、あの様子だと。

 

「じ、じゃ、わたしはそういう事で」

 

 あ、逃げた。

 結局逃げても一緒なんだけどなぁ。

 

「……すまん。では、仕合をして貰うか……。相手はどうするか」

 

 この部屋には、シャオとあたししかいない。

 いやまぁ、あたしでもいいんだけど。

 祭さんとか思春、明命、太史慈と腕自慢は揃っているしなぁ。

 

「では」

 

 冥琳がそう言いかけた時。

 

「失礼するわ。仕官希望者が来た、って聞いたんだけど」

 

 蓮華が入ってきた。

 そして、当然の如く従っている思春。

 二人に視線を向けた凌統が……ん、何か驚いてる。

 

「し……いや、甘寧!」

「……凌統か! 貴様、何故ここに」

 

 あら、二人は知り合いだったのか?

 ……なんか、空気がピリピリするんだけど。

 一波乱、ありそうだな。



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