Darkness spirits Online (オリーブドラブ)
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紅殻勇者グランタロト
第0話 おとぎ話と罪の始まり


 ――2027年。私達が過ごしている今の時代より、少しばかり未来の出来事。

 豪華絢爛、その一言に尽きる一室のベッドで、1人の幼い少女が横たわっていた。すでに夜の帳は下りているというのに、彼女は眠りにつくことが出来ないのか……目尻に涙を浮かべ、枕にしがみつき肩を震わせている。

 そんな彼女の傍らでは、体格の良い父親が椅子に腰掛け、愛娘の手を握っていた。

 

「パパ……怖いよ」

「……また悪い夢を見たんだな、優璃(ゆり)。大丈夫だ、パパがついている」

 

 可憐に咲き乱れる、純白の花々で彩られたこの部屋に――幼気な少女の啜り泣く声が、絶えず響いている。手を握る父は、見た目に反した優しげな声色で娘を励ましていた。

 だが、少女の不安は拭えない。彼女の涙が止まらない理由は、絶えず脳裏を過る「悪夢」にあった。

 

「だって……夢の中に行ったら、みんな死んじゃうんだもん。ゆりのお友達、夢の中でどんどんおかしくなって……いっぱいけんかして、ひどいこと言ったりしたりして、最後は……みんな……」

「心配することはない。確かに夢の中ではそうかも知れないが、目が覚めたらみんないつも通りじゃないか。夢は、あくまで夢だ。優璃のお友達は、誰も傷ついてはいない」

「でも! ゆり、知ってるんだよ。まさゆめ、っていうのがあるんでしょ? もしかしたら、いつか本当にみんな死んじゃうかも知れないんだよ!? やだよ、そんなのやだぁ!」

 

 例え今が夢でしかなくとも、それが現実にならない保証はない。そんな不安が鎌首をもたげるたび、彼女はこうして泣き噦るようになっていた。

 大切な友達が、夢の世界でいがみ合い、傷付け合う。そんな夢を頻繁に見てしまったことが、幼い心を焦燥と恐怖へと駆り立てていたのだ。

 

「……仕方ないな。眠れないなら、絵本を読んであげよう」

「ぅっ……ぐずっ……」

「きっと、優璃に元気をくれる。素敵なお話が、あるんだ」

 

 そんな愛娘の姿を、痛ましい表情で暫し見つめ――父は傍らの袋から、一冊の絵本を抜き出して来た。今日買ったばかりの、新作である。

 今まで読んだことのない本が目に入り、暗く淀み始めていた娘の瞳は、微かな光を取り戻す。

 

「きっとこのお話を読めば、悪夢なんて怖くなくなるさ。このお話の勇者様が、きっと優璃を助けてくれる」

「勇者、様? 本当?」

「あぁ、本当だとも。この話はな――」

 

 その輝きを、確かなものに変えるため。父は悪夢に苦しむ娘のために買って来た、その絵本を朗読し始める。

 

 それは。

 

 夢の世界に囚われたお姫様を助けに行く、勇敢な少年のおとぎ話だった。

 

 ◇

 

 ――2035年。私達が暮らしているこの国から、遥か遠く。海を隔てた、異国の地で。

 

 ある少年が……少女の骸を抱いていた。

 

「う、ぅ……ぁあ、あ……」

 

 ウェーブのかかった、ブロンドのセミロング。

 艶やかなその髪を撫で、動かなくなった彼女を抱く少年は、嗚咽を漏らし、荒れ果てた部屋の中にその声を響かせる。踏み荒らされた花々と、真紅(・・)を滲ませた1冊の絵本(・・)が、彼の荒んだ胸中を物語っているかのようだ。

 少女の身体は、まだ暖かい。ほんの数分前までは、息をしていたのだろう。まるで、生きているかのような温もりだった。

 

「ソフィア……! ごめん、ごめん……!」

 

 もう決して届くことはない。そうと知りながら、少年は啜り泣くように少女へ謝罪する。彼女はそれに対し、怒ることも悲しむこともなく、ただ静かに眠り続けていた。

 

 少女の額から伝う紅い雫が、少年の腕を伝い床へと滴り落ちていく。彼の嗚咽が止まった時、この場に響くのはその水音のみとなるのだろう。

 微かなその音を掻き消す少年の慟哭だけが、今はこの部屋に轟いている。声が枯れるほどに泣き叫んだとしても、全ては出遅れだというのに。

 

「……オレは、こんな……こんなことのためじゃあ……!」

 

 黒髪を振り乱し、少年は懺悔する。だが、もう遅い。

 何よりも守りたかった人を、死に追いやった彼にはもう、現実から目を背ける資格すらなかった。

 

 ――彼は。彼女の、全てを奪ってしまったのだから。

 

 「夢の世界」での、「殺戮」の果てに。

 

 ◇

 

 ――少女の葬儀に参列した遺族は、多いものとは言えなかった。

 元々病弱で友人も少なく、親族からも疎まれていた彼女には「味方」すらいなかったのである。

 

 草原の中に広がる墓地の中で、喪に服し少女に花を捧ぐ。その葬いの中で、少年は光を失った瞳で――愛した彼女の、寝顔を見下ろしていた。

 白く穢れのない、百合の花。生前の彼女が愛した、その花々が今、棺の中に眠る彼女を華やかに彩っている。彼女の骸が向かう先には、「Sophia Parnell」の名を刻む墓標が建てられていた。

 

「……別れは、済ませたかい」

 

 少年の傍に、老境の神父が寄り添う。優しげに頬を緩め、少年の頭を抱き寄せる彼は、愛おしげに少女を見つめていた。

 

「……私は、昔からこの子のことをよく知っていてね。友達が欲しい、友達が欲しいと、小さな頃から神様に願い続けていたのを覚えているよ」

「……」

「この子にとって、君は天使だったのだろうね。自分を愛してくれる、たった1人の男の子。そんな子を、好きにならないはずがない」

 

 唇を噛み締め、肩を震わせる黒髪の少年。神父はそんな彼の頬を、静かに撫でながら――幼子をあやすように語り掛ける。

 

「私も、君のことを愛しているよ。この子の希望になってくれた、君をね。だから私は、君自身にも君のことを愛してあげて欲しい」

「……オレは、ソフィアを殺したんです。神父様。そんなの……できっこない」

「出来るとも。……例え、海を隔てても。私も、彼女も、いつまでも君のことを見守っているよ」

 

 やがて神父は棺の前に立つと、天上への旅立ちを祈るように――十字を切る。その背中を見つめる少年は、嗚咽が漏れだしそうな口元を噛み締めながら、拳を震わせていた。握り締められたその掌から、鮮血が滴り落ちる。

 

 ――自分は、取り返しのつかないことをしたのだと。そう自分を責め立て、傷付けるかのように。

 

 

 



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第1話 学園のアイドル

 VRMMOとは、明晰夢に近い。

 夢の世界であると知りながら、その世界に思うまま入り浸り、その恩恵を堪能することができる。現実の何にも縛られることなく。

 

 それは社会という鎖に束縛された現代の人間にとっては、何物にも代え難い至福のひとときにもなりうる。

 

 五感全てを電脳空間にダイブさせる技術を投入した、初のVRゲーム機「ヘブンダイバー」。それが発売された瞬間、現代人は至高の娯楽を手にしたのである。

 見たことのない世界で、感じたことのない冒険を、スリルを。人々はその世界にいる間だけ、全ての鎖を捨てて自由に羽ばたいていた。

 

 ――だが、明晰夢であろうと夢は夢。いつかは覚めるものであり、やがて彼らは現実へと帰っていく。

 喪失感を背負いながらも、本来の自分がいるべき世界へと。

 

 しかし、それでいい。

 

 夢は夢で終わらせるのが、最良なのだ。夢をいつまでも引きずり、現実に持ち込むものではない。

 現実と夢が混ざれば、夢の意識を現実に持ち込めば……生きるべき本来の世界に、そこで生きている本当の人間に、癒えない傷を残してしまうこともある。

 

 夢の楽しみ方を誤れば、それは悲劇に繋がるのだ。

 ゲームも、夢も、いつだって楽しくなくてはならない。それは、悲しいものであってはならない。

 

 それが、飛香炫(あすかひかる)の信条であった。

 

 ◇

 

 ――西暦2037年5月。

 数年前に発売された初のVRゲーム機「ヘブンダイバー」の登場以来、世間ではVRMMOが娯楽の主流となっていた。

 

 そのヘブンダイバーの開発元であるアメリカのメーカー「アーヴィングコーポレーション」は、その新生ハードに対応する数多くのゲームソフトを発表。時代を変えたVRゲームを代表する一大企業として、その名声を欲しいままにしていた。

 

 ――そのアーヴィングコーポレーションが発売するソフトの中でも特に最近人気なのが、ポップな世界観で女性や子供にも好評の「Happy Hope Online」。

 愛らしいキャラやオブジェ、見目麗しい景色や自然風景に溢れたゲームであり、その人気ぶりは社会現象にまで発展している。近頃の中高生では、このゲームに触っていない者の方が珍しい。

 

 アーヴィングコーポレーション日本支社の近くにある五野寺学園高校(ごのでらがくえんこうこう)、通称五野高(ごのこう)

 その学び舎に通う若者達も、その多くがVRMMOのプレイヤーとなっていた。

 

 ◇

 

「え!? 飛香君、『ハピホプ』やってないんだ!?」

 

 林間学校を間近に控えた、五野高一年Aクラスの教室。昼休みを迎え、仲良くつるんでいる男子三人組の前で、一人の美少女が声を上げていた。

 その近くの花瓶に差された花が、窓から吹き込む風で穏やかに揺れる。

 

 クラス――否、学園のアイドルとしてその名誉を独占する彼女の存在には、教室にいる誰もが注目している。

 それゆえに、男子生徒達は三人組に怒りの視線を注ぎ……女子生徒達もまた、侮蔑の眼差しを送っていた。三人組がそれらの視線に当てられ萎縮する中、当のアイドルはまるで気づいていないようであるが。

 

 ――深窓の姫君を彷彿させる純白の柔肌。16歳という年齢には不相応な、豊満たるバスト。妖艶なまでに滑らかな曲線を描く肢体。

 目鼻立ちは美術館の彫刻に勝る整然とした並びであり、その薄い桜色の唇からはえもいわれぬ色香が漂っている。

 さらに窓から吹き込む風に揺れ、ふわりと舞う漆黒のボブカットは、絹のように艶やかだ。

 

 彼女の名は、伊犂江優璃(いりえゆり)。アーヴィングコーポレーション日本支社のスポンサーであり、日本を代表する一大企業でもある「伊犂江グループ」の令嬢である。

 さらに成績優秀、品行方正。それに加え、人当たりも良く教師陣からも信頼されている人物でもあり、運動だけは苦手という可愛らしさもあって、男子生徒からは絶大な人気を得ている。

 噂によれば、「学園の聖女」という異名まで付けられており、校内のファンクラブの会員数は二百名に及んでいるという。他校からも注目されるほどの美貌であることを鑑みるなら、ほぼ真実である可能性が高い。

 

 それほどの絶対的美貌と人気を持つ彼女は、これまで数多の男子から交際を申し込まれてきたのだが――その都度、丁重に御断りし続けており、彼女と付き合えた男性は一人としていないと言われている。

 親しみやすい人柄ではあるが、深い仲には誰も踏み込めない、絶対不可侵の高嶺の華。それが、伊犂江優璃という少女なのだ。

 

 ――その彼女が、男子に自ら声を掛けに行っている。しかもその相手は、いわゆる「キモオタ」のレッテルを貼られている三人組の男子達。

 そんな状況を目の当たりにすれば、周りの男子が「なんであんなキモオタ三人衆に伊犂江さんが!」と憤るのも必然なのだろう。そればかりか女子までもが、「伊犂江さんを穢す豚ども」と言いたげな眼光で三人組を射抜いていた。

 

 そんな殺気を浴びせられ、教室の隅で寄り集まっていた三人組はさらに萎縮してしまっていた。

 眼鏡を掛けた、細身の少年「鶴岡信太(つるおかしんた)」。美少女キャラをプリントしたシャツを着ている、小太りの少年「真木俊史(まきしゅんじ)」。

 そして、艶やかな黒髪と中性的な顔立ちを持つ少年「飛香炫(あすかひかる)」の三人は、揃ってゲンナリした様子で優璃を見上げている。

 

(ま、また伊犂江さんがこっちに来てるんだねっ……いい加減、周りに睨まれるのは勘弁して欲しいんだねっ)

 

 本人に聞こえないよう、俊史は小声で二人に訴える。

 ツンデレキャラの定番である「勘違いしないでよねっ」という台詞がお気に入りの彼は、決まって「ねっ」という語尾を使いたがる。その外見に対して、些かミスマッチではあるのだが。

 

(だいたい、伊犂江さんが用事あるのって、炫! お前だろ! なんとかしろっ!)

(え、えぇー……オレぇ……?)

 

 隣で弁当を開いていた信太に対応を押し付けられ、炫は困った表情で優璃の方に視線を移す。彼女は弁当箱を持ったまま、近くの椅子を借りて座っていた。

 どうやら少し話をするだけではなく、昼食までここで食べるつもりらしい。周囲の殺気が、ますます高まる。

 

「あ、あはは。まぁ、別にやらなきゃいけない理由もないし。単に機会がないからやってないだけだよ」

「ふーん? でも、今時『ハピホプ』やってない人の方が珍しいよ? 鶴岡君と真木君は?」

「ふぇっ!? ぼ、僕は登録はしてるけど、あんまりやってないんだねっ」

「ぼ、僕もかな……」

「そうなんだ。じゃあ三人とも、別のゲームしてるの?」

「そ、それは……うーん……」

 

 優璃の問いかけに対し、三人組は言い淀んでいた。

 確かに「Happy Hope Online」、通称「ハピホプ」が今あるVRゲームの中での主流ではあるが、他にも人気があるソフトは幾つかある。優璃は三人組がそのどれかを遊んでいて、その繋がりがあるから付き合いがあるのだと当たりをつけていた。

 それ自体は間違いないのだが、その「三人組が遊んでいるゲーム」というのが、少々言いにくいのである。

 

「――伊犂江さん。そいつらから、離れた方がいい」

「えっ?」

 

 その時。凛とした声が、この教室に響き渡り――その声を聞いた女子生徒達が、一様に頬を赤らめた。

 優璃の隣に現れ、その細い肩に手を置く声の主は、黒髪を短く切りそろえた美男子だった。

 

 生徒会役員、真殿大雅(まどのたいが)。女子生徒達から高い人気を集める、文武両道の秀才としてその名を知られている少年だ。

 一年にして、サッカー部のレギュラーを勝ち取ったスポーツマンということもあり、優璃ほどの規模ではないにしろ、ファンクラブも設立されているとか。

 

 そんな人物に声を掛けられれば、大抵の女子は顔を赤らめ喜んでしまうものなのだが――優璃はきょとんとした表情で、彼を見上げていた。

 

「こいつらはVRの女の子に如何わしいことをするゲームをしている連中なんだ。関わると、君に危害を及ぼすだろう。すぐに離れるんだ」

「ちょ、ちょっと待て! 『Love Hearts Online』はそんなゲームじゃないぞ!」

「そ、そうなんだねっ! プレイヤー好みにクリエイトした女の子と、デ、デートしたり出来るゲームってだけなんだねっ!」

 

 大雅は心底見下したような目つきで三人を見下ろし、優璃の肩に優しく手を置きながら彼らを糾弾する。

 信太と俊史はそんな彼に対し、眉を吊り上げ椅子から立ち上がり、威勢良く反論するのだが――好きなもののために戦う彼らに、周囲のクラスメートは味方しなかった。

 

「うわぁ……」

「マジきもっ……」

「やっぱ最低のキモオタじゃん……」

「伊犂江さん可哀想……あんな奴らに相手させられて」

 

 怒り。侮蔑。それらの負の感情が、ギャラリーから沸き立っているようだった。大雅の言い分よりその迫力に圧倒され、信太と俊史は引っ込んでしまう。

 

「……これでわかったろう、伊犂江さん。こいつらは現実の女の子に相手にされないからって、バーチャルの女の子に走って欲望をぶつけている最悪な連中なんだ。君がこいつらを可哀想に思う気持ちもわかるが、だからといって優しくすればつけ上がるに決まっている。君の安全のためにも、すぐにここから離れるんだ。昼食なら、俺と一緒に食べよう」

 

 その様子を見届け、自分の勝利(?)を確信した大雅は、耳元で囁くように優璃を昼食に誘う。

 普通の女子なら、一発で墜ちるフェミニズム全開の台詞。それが炸裂した今、優璃が席を立つのは自明の理――

 

「あはは、大丈夫だよ真殿君。私、飛香君と昼食食べに来てるだけだし」

 

 ――と、思いきや。優璃は「何を大袈裟な」と言いたげに笑いながら、そのまま昼食を再開してしまった。

 あっけらかんとした彼女の対応に、大雅やクラスメート達は、揃って唖然とした表情になる。それは、炫達三人組も同様だった。

 

「でも、『Love Hearts Online』かぁ。私、最近ゲーム始めた初心者だから、ハピホプしか知らなかったんだ。そんなゲームもあったんだね、飛香君」

「あ、あぁ、うん……そうだね……」

「――で? 飛香君は、VRでどんなコとデートしてるの?」

「……!?」

 

 その時。優璃は楽しげに笑いながら――スゥッと目を細め、炫の表情を窺う。微かに声色を変えた彼女の眼に、炫が息を飲んだ瞬間。

 

「……なんてね! 他にはどんなのやってるの? 飛香君って、この中じゃ一番ゲーム得意なんだよね?」

「え、ええと。他にやってるのって言ったら、VRじゃない昔のテレビゲームとかばっかりで……」

「……へぇー、今時珍しいよね! テレビゲームかぁ……随分レトロだよね。どんなソフトがあったんだろ。知ってたら、教えてくれる?」

「あ、あぁ……うん……そうだね……」

 

 優璃は再び声色を元に戻し、小首を傾げながら「お願い♪」とウィンクする。

 そんな彼女の仕草を間近で見れば、ほとんどの男子は一発で撃沈必至なのだが――先ほどの彼女の眼や、周囲から迸る嫉妬の業火に肝を冷やしている当の炫は、それどころではないようだった。

 

 ……飛香炫というこの少年は、体力学力ともに平均以下の信太や俊史とは違い、学力テストでは常にトップに立っている。

 アメリカからの帰国子女ということもあり、特に英会話を得意としていて、英語の授業では無敵を誇っている優等生でもあるのだ。

 さらに帰宅部でありながら体力テストでも高い成績を保持しており、外見も「キモオタ」には程遠い中性的美少年でもある。

 加えて美化委員も務めており、この教室の花瓶や校舎周りの花壇を、頻繁に手入れしている。

 

 それだけのスペックを備えていても、キモオタの二人とつるんでいる「同じ穴のムジナ」というだけで、周囲からは蔑視されている身なのだ。それだけ二人の(悪い噂の)影響力が強いということでもあるのだが。

 教師陣も、「文武両道で優秀だが、人を見る目がなさすぎる変わり者」と見做し、扱いに困っているらしい。キモオタとはいえ数値上は優等生であることから無碍にもできないのだとか。

 

 そんな「キワモノ」の飛香炫が、全校生徒の「憧れ」である伊犂江優璃に話し掛けられている。しかも、仲睦まじげに。

 その事実を目の当たりにした大雅が、クラス――ひいては他校の男子を含めた男性陣を代表するように、「伊犂江さんを誑かすのはやめろ」と声を上げようとした……その時だった。

 

「ご、ごめんなさいお嬢様! 遅くなりました!」

「あ、もー遅いよ利佐子。お昼休み終わっちゃうよ」

 

 息を切らして、もう一人の女子生徒が駆け込んでくる。大雅と同じ、生徒会役員の一人・蟻田利佐子(ありたりさこ)だ。

 栗色のセミロングを揺らして、あくせく走る小柄な姿や愛嬌のある顔立ちから、優璃に次ぐ人気を誇る生徒であり、このAクラスでは学級委員も任されている。

 そんな人望に溢れた彼女は何かと頼られることも多く、こうして昼食に遅れる場合は先生の手伝い等が理由であることが殆どなのだ。そうした甲斐甲斐しさから、学内では「学園の天使」とも呼ばれている。

 

 親が伊犂江グループの重役であり、その縁もあって優璃とは幼い頃からの付き合いがある。いわば幼馴染なのだが、現在は彼女の侍女(メイド)のような立ち位置にいるようだ。

 

「ご、ごめんなさい。委員会の書類を運ぶように先生から頼まれていたものですから……」

「昔から優しすぎるもんね、利佐子は。さ、早く食べよ? 本当に昼休み終わっちゃうよ」

「あっ!? は、はい! では飛香さん、ちょっとお邪魔しますね!」

「え? あ、あぁ、いいよ」

 

 利佐子は炫にぺこりと一礼すると、わたわたと椅子を借りて優璃の隣で弁当を開いた。どうやら彼女もここで食べるつもりのようだ。

 

「あ、蟻田さん! 君までこんな奴らと!」

「大丈夫ですよ、この人達は別に悪い人達なんかじゃありませんから。ねっ?」

 

 大雅は同じ生徒会役員、それも自分より人望の厚い利佐子が、優璃と同様にキモオタ三人組と昼食を取っているのが我慢ならなかったのだろう。

 なんとか離そうと試みるのだが、利佐子はぱぁっと明るく笑いながらそれを受け流し、華やかな笑顔を三人に向ける。

 

 炫は学園のアイドル達が自分達に好意を向けている現状に、先行きの不安を覚えて口元をヒクつかせているのだが――他二人は、利佐子の笑顔にすっかりやられてしまったらしい。

 

「蟻田さんっ……なんて素敵な人なんだ……!」

「ぼ、僕……感激なんだねっ……!」

 

 信太と俊史は、自分達に好意的な目を向けてくれる大天使を前に、感激の涙を浮かべていた。

 

「蟻田さん、あんな奴らにまで笑顔を振りまいて……天使かよ」

「あの蟻田さんにまで気を遣わせて……あいつら、本当に最低だな!」

 

 そんな彼らにクラスメート達はさらに厳しい目を向けるのだが、利佐子の笑顔に浄化された二人はもはやそれすらも意に介していないようだった。

 

(入学式からもう一ヶ月になるけど……ずっとこんな調子じゃあ胃がもたないよ……なんとかならないかなぁ)

 

 良くも悪くも単純な友人二人を一瞥し、炫は親の仇のように自分達を睨む大雅やクラスメート達に視線を移す。

 事の発端は「学園の聖女」である優璃が炫に構っていることにあるためか、炫個人には特にキツい視線が集中しているようであった。

 

「飛香君? どうしたの?」

「あ、あぁいや、別に」

 

 一方、殺気の原因である優璃本人は何もわかっていないのか、ゲンナリした表情の炫を不思議そうに見つめていた。

 

 ――とにかく、伊犂江さんを心配させるような顔はしない方が良さそうだ。彼女のためにも、自分の安全のためにも。

 

 そう思い立った炫は、口元をヒクつかせつつも懸命に作り笑いを浮かべるのだが。

 

「あ、そうそう! 今度の林間学校なんだけど、私そっちの班に入っていいかな?」

 

「……ヴェ?」

 

 変な声が出た。

 

 ――林間学校の班決めは、この昼休みの後に行われる。男子の誰もが、あの手この手で優璃を班に誘おうと躍起になっているところだったのだが。

 その男子達の前で、彼女は自分から班に入りたいと申し出てきたのである。しかもその班は、学園のゴミと悪名高いキモオタ三人組。

 

「だ、駄目に決まっているだろう伊犂江さん! 何考えてるんだ! そんなの絶対駄目だ!」

「え、え? なんで真殿君の許可がいるの……?」

「そうですよ! お嬢様が決めたことなんですから、真殿君の口出しは無用です! ……あ、飛香さん。ついでに私も入っていいですか?」

「あ、蟻田さんまで……!?」

 

 即座に近くで聞いていた大雅が抗議の声を上げるのだが、優璃は取り付く島もなく、利佐子も反論に出た。そればかりか彼女までもが、炫達の班に入りたいと言い始める。

 

 「学園の聖女」。「学園の天使」。この五野高の人気を二分する二人の美少女が、両方揃って一つの班に集まっている。

 それだけでも嫉妬の爆炎が噴き上がることは必至だというのに――その班が、よりによってキモオタ三人組という事実。

 そこから導かれていく男子達の嫉妬の火柱は、天を衝くかの如く突き上げられていた。

 

「ふざけんな……ふざけんなよ……! あんのキモオタどもが……!」

「伊犂江さんだけじゃ飽き足らず、蟻田さんまで……!? さてはあいつら、何か伊犂江さん達の弱みを握って……!」

「そうだ、そうに決まってる!」

「あいつら、サイッテー……! 女の敵よ! 敵だ!」

 

 そこまで嫉妬がヒートアップしてしまっては、単なる憶測すらも(彼らの中で)真実味を帯びてしまう。かくして炫達三人組は、クラスメート全体から謂れのない憎しみを買う羽目になるのであった。

 

「……ッ! 飛香炫! お前一体、この子達に何をしたんだ!」

「い、いやオレは何も……」

「この子達の弱みを握って言いなりにさせようってところなんだろうが……そうはさせないぞ。確か、班は六人までだったな。なら、俺が入る!」

「えぇ!?」

 

 さらに事態は急転していく。大雅までもが、炫達の班に入ると言い出したのだ。そのことで女子の怒りまでもが噴き上がり、教室の隅に集まった三人組は四面楚歌のような状況に陥ってしまう。

 

「お前達三人組……特に飛香炫! お前の好きには絶対にさせない。この林間学校でお前の悪事を暴いて、彼女達を救ってみせる!」

 

 彼の脳内では、炫達三人組は完全に悪者になっているようだ。勇者さながらに勇ましい宣言と共に、大雅はこの班に組み込まれることになってしまう。

 

「え、えーと……まぁ、せっかく組むんだったら仲良くやろう? 真殿君?」

「ああ。伊犂江さん、俺がこの班にいるからには、もう安心だ。必ず、君を守るよ」

「もー……わかってませんね、この人。あ、もうそろそろ昼休み終わりですね。じゃあ飛香さん、またあとで!」

 

 そして怒涛の展開の果てに、チャイムが鳴り。優璃と利佐子と大雅の三人は元の席へと帰っていく。

 思わぬ展開であっけにとられていた二人は、やがて我に帰ると自分達に集まる強烈な憎しみの眼に、身震いするのだった。

 

「ど、どうしよ……」

「えらいことに、なったんだねっ……」

 

 そんな友人達を横目で見やりながら。自分を睨む大雅と、笑顔で手を振る優璃と利佐子を、交互に見つめる炫は。

 

(あぁ……どうしよう。絶対穏やかに終われない……)

 

 この先の不安に頭を抱えながら、林間学校当日を迎えることになるのであった。

 



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第2話 運命の始まり

「……でね! エーデルエリアっていうところがもう、ほんとにすごいの! 楽園っていうイメージがぴったりの花畑が、いっぱいに広がってるんだよ!」

「私もお嬢様も、もう何時間も入り浸っちゃいまして!」

「へ、へぇ……」

 

 ――胃の痛む数日を経て迎えた、林間学校当日。炫達六人班は、行きの新幹線に乗り東京から出発していた。

 窓から伺える豊かな自然風景。その美しさを眺めながら、旅先へと思いを馳せる至福のひととき……であるはずの旅路は、針のむしろのような生き地獄となっている。

 

『安心で快適な暮らしを。伊犂江グループ』

『今話題の最新VRゲーム情報を、多数収録! 週刊アーヴィング、毎週水曜日発売!』

『ハリウッド女優、エリザベス・エッシェンバッハも絶賛! 硝煙と銃弾が彩る、最凶の戦場……! VRFPSの最高峰、「Raging Army Online」好評発売中!』

 

 車内に備え付けられているTVは景気のいいCMを流してばかりで、気休めにもならない。

 「Happy Hope Online」――通称「ハピホプ」の話題で盛り上がる優璃と利佐子に付き合いながら、周囲の視線に怯える炫は、キリキリと痛む胃を抑えながら作り笑いを続けていた。

 キモオタ三人組……とりわけ炫に対する周囲の眼光は凄まじく、学園の二大アイドルを独占(?)している彼への睨みは、さらにその鋭さを増している。

 

 ◇

 

 その渦中にいる炫達の班を、遠巻きに見つめる男女が二人。

 

「い、いやぁ、彼らはいつも注目の的ですなぁ、春野先生。ウチのクラスの男子共も、彼ら……とりわけ伊犂江さんにはご執心でして」

「まぁ、彼女の身の上を鑑みれば、目立つのも仕方のないことでしょう。……それより冬馬先生。ここの車両は私のクラスなのですが」

 

 灰色のスーツに身を包む、二十代後半に差し掛かる美女。茶色がかった髪をポニーテールに纏めた彼女は――炫達のクラスを担当する女教師、春野睦都実(はるのむつみ)。その美貌と冷静沈着な人柄から、男子生徒や教師陣から人気を集めている人物である。

 その寡黙な佇まいや切れ目の眼差しゆえ、クールな印象を受けることが多い彼女であるが……生徒達に対しては真摯な姿勢の持ち主であり、成績優秀でありながら正当に評価されることが少ない炫に理解を示す、数少ない人物でもある。

 

「しかし、あの飛香とかいう生徒は、どうやって伊犂江さんに取り入ったんでしょうなぁ。歪んだ性癖のオタクの癖して」

「彼は趣味こそ些か特殊ではありますが、それは他者に迷惑をかけるものではありません。加えて、授業に対する姿勢や成績も良好。私としては――あなた方のような見識を持つ人間が、教鞭を振るっていることの方が不思議でなりません」

「そ、それはその……」

 

 ――そんな彼女だからこそ、彼を悪く言う者……とりわけ、同じ教師に対しては、厳しく対応しているのだ。

 鋭い眼光に射抜かれ、隣に座る肥満体の男教師が縮こまる。

 

 こことは別の車両にいる他クラスの担当である、冬馬海太郎(とうまかいたろう)先生だ。

 でっぷりと太った体格に禿げ上がった頭皮。首が見えず、頭部と胴体が繋がっているような出で立ちから、「ヒキガエル」と陰口を叩かれている人物でもある。

 

 睦都実に対して恋心を抱いているらしく、隙あらばこうしてアプローチに励んでいるのだが……それが実を結んだことは一度もない。

 こうして、バッサリと拒絶されることが日常茶飯事なのだ。

 

「……しかし、確かにこのままでは無用な諍いにも繋がりかねませんね。彼をよく思わない生徒は、少なからずいるようですから」

 

 萎縮する海太郎を冷徹な眼で一瞥した後。睦都実は、憂いを帯びた眼差しを一人の生徒に注ぐ。

 ――炫に対し、一際険しい敵意を見せる男子生徒に。

 

 ◇

 

「あいつ……クソふざけやがって……!」

「た、鷹山さん……」

 

 炫に睨みを効かせる生徒達。その中でも、特に強い敵意を抱いているのが――いわゆる不良という部類に当たる男子生徒、鷹山宗生(たかやまむねお)である。

 

 制服を着崩し、髪を金髪に染めたその外見。常に眉を吊り上げ、声を荒げる威圧的な態度。それらを頼りに日々周囲を恫喝して、同級生の財布や女に手を付けてきた彼は、見目麗しい優璃や利佐子にも目をつけていた。

 だが、伊犂江グループの身内である優璃や利佐子に容易く手は出せない。力づくでモノにしたくとも、運動神経抜群の大雅という壁もある。

 

 あの柔肌が手に届く距離にいながら、実質的にはどうにもできない。表面上の強さだけで思うままに生きてきた彼にとって、それは生殺しに等しい日々だった。

 それでも、二人の近くに立つのが完璧男子の大雅であるなら、まだ諦めはついたかも知れない。だが、妄想の中で毎日のように優璃達を穢していた宗生の眼前では――あのキモオタ三人組の一部である飛香炫が、最も優璃に近しい場所にいる。

 

 本来なら優璃どころか、どんな女にも相手にされないような男子が。自分が生殺しにされている間に、優璃と談笑している。

 その現状に向かう激しい憤怒は、グツグツと煮え滾り、殺意にも近しい憎悪へと繋がっていた。

 

 優璃の隣に座り、向かいの炫に厳しい視線を向けている大雅も、当然ながら心中穏やかではないのだが――宗生のそれは、大雅以上の熱気を持っていた。近くに座っている不良仲間達が、全員たじろぐほどに。

 

 ――そんな、煮え湯のような空気の中で、数時間が過ぎ。

 

「あ、そろそろ到着だね。楽しみだなぁ……」

「お嬢様、はしゃぎすぎてはいけませんよ」

「ふふっ、わかってるわかってる」

 

 彼らを乗せた新幹線は、ようやく目的地の自然公園に辿り着こうとしていた。

 自然に溢れた観光名所も多い場所での、楽しい日々がこれから始まる――はずなのだが、炫の表情はどうにも優れない。

 

「あれ? 飛香君、顔色良くないけど、大丈夫?」

「酔ったのですか?」

「い、いやぁ、別に。……もうそろそろ到着みたいだし、ちょっとトイレ済ませてくるよ」

「あ、うん。いってらっしゃい」

 

 どうにか居た堪れない空気から逃れようと、炫は理由をつけて席を立つ。鼻を鳴らす大雅のジト目に睨まれながら、彼はそそくさとトイレに移動し始めた。

 

(いつまでもこんな風に全方位から睨まれるのかと思うと、本当に体調崩しそうだよ……大丈夫かなぁ、オレ)

 

 そして、先行きの不安に腹を痛めつつ、トイレを目指して通路を直進していく。――その進路上に、宗生の足が入ってきたのは、その直後だった。

 

「……!」

 

 タイミングはやや遅い。普通に跨いでかわすこともできる。

 

 ――だが宗生の性格上、避けたら避けたで余計に怒らせてしまうだろう。

 炫は一瞬に満たない時の中で、そう判断し……彼をはじめとするクラスメート達の溜飲を下げるため、敢えて引っかかることを選んだ。

 

「あいたっ!」

「ぎゃははは! おいおい何やってんだ飛香ぁ! こんなとこで転んでんじゃねーよ!」

 

 差し込まれた宗生の足に躓き、すっ転ぶ炫。そんな彼の醜態に気を良くしたのか、宗生はゲラゲラと笑い声をあげる。

 位置的に彼が足を引っ掛けた瞬間が見えていた者も多いのだが、彼を糾弾する者はおらず、誰もが転んだ炫を笑っていた。

 

「ちょっと飛香君、大丈夫!?」

「あ、あはは……ごめんごめん、何でもないよ」

「擦りむいては……いないようですね、よかった……。気をつけてくださいね、飛香さん」

「うん、ありがとう」

 

 だが、学園のアイドル達はそれを良しとせず。優璃と利佐子はすぐさま炫のそばに駆け寄ると、甲斐甲斐しく彼を助け起すのだった。

 彼女達の席からは、宗生の行為は見えないはずだが――なんとなく経緯を察したのか、利佐子は宗生の方をじろりと見遣る。それに肝を冷やした彼は、笑い声を止めると窓の外に視線を移すのだった。

 

 その様を目の当たりにして、クラスメート達も笑いを止め、バツが悪そうに視線を外した。宗生のやったことがバレたら、炫を笑っていた自分達まで、絶対的な人望を持つ「学園のアイドル」に睨まれる――という展開を恐れたのだ。

 優璃の方は何も気づいていないようだが、利佐子が告げ口をするかも知れない。その可能性もあった。

 

「もう大丈夫。ごめん、心配かけて」

「ううん。じゃあ、早く帰って来てね」

 

 だが、利佐子は空気が悪くならないようにしているのか、目を細めて宗生やクラスメート達を見遣るだけで何も語らない。

 そのまま優璃と炫が別れ、彼女達が席に着いた時。クラスメート達はなんとか見逃して貰えたのだと、胸を撫で下ろすのだった。

 

「全く……かっこ悪い人達なんですから」

「かっこ悪い?」

「いえ、なんでも」

 

 そんな彼らに、利佐子はため息をつく。珍しく気疲れの色が窺える幼馴染の姿に、優璃は小首を傾げるのだが――利佐子は何も語らず、朗らかな笑みを浮かべるのだった。

 その眩しい笑顔には、信太や俊史もすっかり魅了されている。

 

「しかし、伊犂江さんはなぜあんな奴にこだわるんだ。確かに成績は優秀だし、学校での素行に致命的な問題があるわけじゃない。だが、あいつはバーチャルで女の子を弄ぶ陰湿なオタクなんだぞ」

 

 一方。トイレに向かって立ち去っていく炫の後ろ姿を見やりながら、大雅は腑に落ちない表情を浮かべていた。

 相変わらずな言い草に、利佐子は再びため息をつくが……優璃は穏やかに笑いながら、彼に向けて口を開く。

 

「……確かに、趣味はちょっと変わってるかも知れない。でも、あの人はそんなことどうでもいいくらい、大切なものを持ってるんだよ」

「なに……?」

 

 諭すような口調に、大雅の眉が釣り上がる。あの飛香炫に何があるというのか。好奇心と反発心が入り混じった、複雑な表情を浮かべる彼は、優璃の言葉に耳を傾ける。

 

 ――やがて彼女の口から、炫が美化委員としてどれほど花々に尽くして来たかが語られた。

 

 直接の接点はなかったものの、優璃と利佐子は中学三年の時から炫と同じクラスであり……その頃から彼は美化委員として、常に花壇に咲く花々を世話していたのだという。

 暑い日も、寒い日も。季節の移り変わりの中、手塩にかけて育てた花が枯れても。彼は手を土に汚しながら、花壇で無数に咲く花の一つ一つを、一日でも長く咲き続けられるよう育て続けていた。

 

 それは傍目に見ればとても地味なことだし、さして特別なことでもない。やろうと思えば、誰にだって出来ることだろう。

 しかし、実際にそれをやり抜いたのは、飛香炫だった。年中校舎の花を労わり、その咲き誇る姿に愛情を注ぐ。それを実践していたのは、炫だけだったのである。

 

 花を好む優璃にとって――土に濡れながら、花壇の手入れを続ける炫の姿は。周りの女子が囃し立てているようなスポーツ男子達よりも、輝いて見えたのだという。

 

「私も……お嬢様を笑顔にしてくださる彼には、心底感謝しているのです。そんな殿方と、仲睦まじく過ごしたいと思うのは不自然でしょうか?」

「多分、みんなにはわからないのかも知れないけど。飛香君は、本当に強くて優しいところを持ってるんだ。……ちょっと、かっこいいところもね」

 

 一通り語り終えると、優璃ははにかむように笑い、それに釣られるように利佐子もクスクスと笑みをこぼす。

 一方。優璃や利佐子が炫に対して好意的である理由を聞かされてからも、大雅はどこか納得しきれず、渋い表情を浮かべていた。

 

「……そんなの。誰だって出来ることじゃないか」

「うん、そうだね。……でも、本当にそれをやってくれたのは飛香君だった。私には、それで十分なんだよ」

「……」

 

 だが、優璃の言葉を受け。釣り上がっていた彼の眉が、僅かに緩む。

 

(……確かに、後からなら何とでも言える……か。少なくとも、飛香炫がそれほど誠意を持って花を労わっていたのは、事実なのかも知れんな)

 

 なぜ炫が、それほどまでに花を大切にしているのかはわからない。だが、少なくともそのひた向きさが、優璃の心を動かしたのだろう。

 ――炫のことを語る彼女の眼は、全ての疑念を掻き消すほどの真っ直ぐさを持っていた。

 

「……あとで、詳しく聞き出してやるとするか。伊犂江さんを誑かした、手口をな」

「……くすっ」

 

 それゆえに、少しだけ――信じてみようという気持ちが働いたのか。大雅は憮然とした表情で腕を組み、炫が向かった方へ目を向ける。

 そんな彼の意固地な横顔に、利佐子は困ったような笑みを浮かべるのだった。

 

 ◇

 

 やがて、新幹線が減速していき――到着の瞬間が近づく頃。

 炫はトイレからの帰り道である通路を、早足で直進していた。

 

(やばやば、みんなもう荷物まとめ出してるよ……急がなきゃ)

 

 辺りのクラスメート達も、他所のクラスも、到着が近いこともあって荷物を纏め始めている。その光景に急かされながら、そそくさと自分の席を目指していた炫は――向かいからやって来た他の一般客とぶつかってしまう。

 

「いたっ! す、すみませ……!?」

 

 そして。頭一つ分以上の体格を持つ、黒ずくめの姿に息を飲むのだった。さらにブラウンに近しい髪と、鋭く蒼い瞳は、獲物を射抜くような鋭い光を放っている。

 オールバックに整えられたブラウンの髪を持ち、漆黒のトレンチコートに身を包むその青年は――暫しの間、立ち止まって炫の目を正視していた。そんな彼の眼差しと向き合う炫は、彼のえもいわれぬ威圧感に肝を冷やす。

 

(……!? この人は……?)

 

 ――しかし。炫はそれだけではない何かを、この青年に感じていた。どこかで見たことがあるような、ないような。

 奇妙な既視感を、覚えていたのだ。

 

「……」

「あっ……」

 

 だが。青年は僅かな間、炫を見つめた後――興味を失ったように、無言のまま炫の傍らを通り過ぎていく。

 謝罪の言葉を言いそびれた炫は、咄嗟に引き止めようと口を開いた。

 

 だが。

 

 その瞬間。

 

「え――」

 

 炫の視界が、突如「煙」のような靄に包まれる。

 

 何が起きたのか。まさか、何かのトラブルか。

 

 その推測から、炫は車内がパニックに陥る可能性を考え、咄嗟に口元を覆い隠しながら辺りを見渡す。

 

(……!)

 

 だが。すでに辺りは静寂に包まれ――つい先程まで、旅先に思いを馳せて談笑していたクラスメート達は、その意識を刈り取られ力無く倒れていた。

 引率の先生も。そして……自分の帰りを待っていた、優璃達までも。

 

(伊犂江さん、みんな!)

 

 ぐったりしたまま動かない優璃の手には、炫の荷物が握られている。彼の分の荷物も、纏めようとしていたのだろう。

 そんな彼女に手を伸ばす炫も、力が抜けたかのように片膝をついてしまった。うまく、足が動かない。

 

(ガス、なのか……!? 一体、何が、どうなって……!)

 

 詳しい状況はまるで見えてこないが、この車内にいる全員が意識を失っている以上、とてつもない異常事態が発生していることは間違いない。

 すでに新幹線は目的の駅に到達し、停車しているが――運転手は無事だろうか。

 

(あの人、は……!?)

 

 次第に薄れていく意識の中。炫は、先程すれ違った青年のことが気掛かりになり、振り返ろうとする。

 だが……すでに彼の体は、指先一つ動かせなくなっていた。

 

 このまま、死ぬのか。わけもわからないまま、その運命を予感した少年は。

 

(……ソフィ、ア……)

 

 ――ある少女の名を、心の奥底で呟き。己の意識を、闇の中へと手放した。

 

『散布、完了。全ての準備が整いました』

『よろしい。では、私達は暫し身を隠すとしましょうか。……さぁ皆さん。待ちに待った瞬間ですよ』

『おぉ……いよいよ我らも、この下らない世界からの解脱(・・)を果たすのですね』

 

『えぇ、そうです。脆弱で窮屈な、この身を捨てて……今こそ旅立とうではありませんか。悠久の、仮想世界へ』

 

 倒れた自分のそばを歩く、男達の足音にも。彼らが交わす、怪しい言葉にも。

 頭に「何か」を被せられたことにも、気づかずに。

 



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第3話 禁じられた世界

 ――あの瞬間から、どれほどの時が過ぎたのだろうか。

 

「ん……」

 

 炫は閉じていた瞼を開き――その黒い瞳に、青空を映す。

 そう。彼の眼には、青空が広がっていた。

 

「え……!? こ、ここは!? みんなは!?」

 

 何が何だかわからない。自分は確かに、新幹線の中で意識を失ったはず。

 だが。咄嗟に跳ね起きた彼の視界に広がっていたのは――鬱蒼と生い茂る草花に囲まれた、森の中。

 

(……この、花は……!)

 

 この地球上に「実在」はしていないが、見覚え(・・・)はある珍妙な形状の花々。足元に咲くそれを見つけ、炫は瞠目する。

 

「な、なにがどうなっ……!?」

 

 しかも。変わり果てていたのは、周りの景色だけではない。

 立ち上がろうとした彼の体からは、金属の軋む音が響いている。

 

 ――炫の全身は、赤い服と鋼鉄の軽鎧に包まれていた。さらに首には、白い長マフラーまで巻かれている。

 

「……!」

 

 自分の身に起きた、その変化に息を飲み。彼は腰を上げ、足元から広がる芝生の上に立つ。

 見渡す限りの森。僅かな隙間から差し込む光に、自分が着ている鎧が照らされる。全身をまさぐってみると、左手に剣の鞘が当たった。

 

 ……一振りの剣が、腰に差されている。それを握ってみると、確かな重量感が伝わってきた。

 自分の頬をつねる。痛い。……夢、ではない。

 

(だけど、これは……)

 

 人一人いない森の中。ファンタジー感溢れる鎧姿に、剣。痛みを感じているということは、明晰夢でもない。

 ――まさに、異世界。RPGの世界に迷い込んでしまったかのような状況だった。

 

(信じられない……どうして、ここが……)

 

 だが。炫が動じていたのは、「なぜ自分がここに来ているのか」という点のみであった。ここがそもそもどこであるかは、まるで気にしていない。

 

 ――知っているからだ。この景色も、今着ている鎧も。腰に差している剣も。

 

 そして、自分の身体が痛みを感じている理由も。

 

(なんで、オレが……「DSO」の世界に……)

 

 籠手に固められた掌を握り締め、炫は空を仰ぐ。

 なぜ、「一度捨て去ったはず」の世界に自分が来てしまったのか。それだけがわからず、彼は苦い表情を浮かべている。

 

 ――「Darkness spirits Online」。通称、「DSO」。

 

 空気感や景色、人物など、あらゆる表現において極限に至るまでリアリティを追求し、圧倒的なクオリティを誇った、アーヴィングコーポレーションが開発したVRMMOの一つ。2035年にアメリカでのみ発売されたゲームであり、凄まじいほどの臨場感を売りとするファンタジーRPGとして発表されていた。

 

 人間とほぼ遜色ない知能と行動パターンを持つAIを搭載するNPCが数多く登場し、当時は大きくニュースでも取り上げられていた一作である。

 

(この痛み……間違いない)

 

 その最大の特徴は、他のゲームにはない「リアリティ・ペインシステム」。プレイヤーの五感に、現実と遜色ない「痛覚」を齎し、死と隣り合わせの戦いを体感できるという機能だった。

 この機能により、ゲームと現実はプレイヤーの意識下で一体となり――正しく生死を分ける死闘を、「リアル」に体験できるようになったのである。

 

 その画期的な機能により、DSOはVRMMOの頂点に立つ――はずだった。

 

 しかし、そのリアリティを追求し過ぎた機能は、人間の精神に異常を来す悲劇へと繋がったのである。

 

 ――あまりにもリアル過ぎる(・・・)DSOにより、現実とゲームの区別がつかなくなってしまったプレイヤーが続出したのだ。

 リアリティ・ペインシステムに狂わされたプレイヤー達が、現実世界で凶行に走るケースが頻発したのである。DSOの影響によるものと判断された殺人事件の件数は、数百に及ぶと言われている。

 

 結果、DSOは発売から僅か2ヶ月で発禁となり、全てのソフトがアーヴィングコーポレーションに回収された。オンライン対戦が基本であるゲームでありながら、その公式大会も一度しか開かれなかった。

 

 ……それが、2年前の事件。

 以来、全てのVRMMOから「痛覚」の概念が消え去り、ゲームは「極限のリアリティ」を代償に、万人が求める「安全」を取り戻した。

 

 だから、もうこの世には――少なくとも一般の手が届くところには、もう「DSO」は存在していないはずなのだ。

 

 しかし現に自分は、その「DSO」の世界にいる。

 

 当時、ただ一度だけ開かれた公式大会に参加し、優勝をもぎ取ったプロゲーマー……飛香炫は。

 確かに、「DSO」の世界へと招かれているのだ。

 

(……ここは、本当に「DSO」の世界なのか? だったら……)

 

 ここは本当に「DSO」の世界なのか。それとも、それによく似た、本当の異世界なのか。

 途方もない疑問を、一つ一つ解き明かすべく。炫は指先を空間の中で滑らせる。

 

 ――すると。VRMMOならではの、立体ステータスバーが表示された。

 

(ステータスが出て来た! ということは、ここはやはり「DSO」の……!? いや、違う!)

 

 このような現象、ゲーム世界でなければありえない。だが、すでに炫が知っている「DSO」とは違う部分が見受けられていた。

 

 ログアウトの選択肢が、なかったのである。

 

(ということは、ここはただの「DSO」ではない、ということなのか。しかし、一体なぜ、なんのために……!?)

 

 少なくとも、今すぐこの世界から出ることはできないようだ。

 ――林間学校に行く新幹線が、目的地に到着した瞬間。自分を含む乗客全員が、ガスか何かで眠らされ。目が覚めれば、発禁されたゲームの世界。しかも、ログアウトできないという特殊仕様。

 判明したことを軽く纏めてみると、事態の異常さが際立ってくる。事実は小説よりも奇なり、とは言うが……さすがにこれは限度がある。

 

(……とにかく、いつまでもここに居てはラチがあかない。オレと同じように、乗客や学校の誰かが、この世界に迷い込んでいる可能性もある。……探してみるしか、ないな)

 

 だが、不幸中の幸い、と言うべきか。判明している「普通の『DSO』と違う点」は、「ログアウトできない」という部分のみ。それ以外は全て、炫が熟知している「DSO」そのものの光景が広がっているのだ。

 ゆえにどこに何があるかは、ある程度見当がつく。それにこの先を進めば、今自分が置かれている異常な状況について、何かがわかるかも知れない。

 

(……「DSO」のシナリオモードは、至って短い。案外、答えはすぐに見つかるかもな)

 

 ここが「DSO」の世界であると勘付いて、数分も経たないうちに。炫は自分が知り得る最短ルートを直進すべく、森の中を歩み始めた。

 

 ――「DSO」はあくまでオンライン対戦を主な要素としており、オフラインでプレイできるシナリオモードは、昨今のゲームとしては非常に短い。

 

 旅の剣士である主人公がならず者の街に訪れ、そこで依頼をこなしていく日々が始まる。やがて貴族の姫君を救ってほしいという依頼が舞い込み、依頼主の騎士達と共に姫君を救う。最後は姫君の屋敷に現れた魔獣を倒して、ハッピーエンド。

 

 たったそれだけの、短い英雄譚だ。どちらかと言えば、オンライン対戦を控えているビギナープレイヤーを慣れさせるための「チュートリアル」に近く、全体的に難易度も低い。

 もしこの世界が、炫の知る「DSO」と大差ない作りであるなら、ノーダメージクリアも容易いだろう。

 

(問題は……そこまで上手く事が運んでくれるか、だが……)

 

 険しい表情を浮かべつつ、炫は慣れた足取りで道無き道を歩む。最初にプレイヤーが遭遇する「イベント」が発生する地点を目指しているのだ。

 程なくして、森を抜ける直前に至るまで歩みを進めた彼の前に。幻想的な自然に彩られた、蒼い泉が現れた。

 

(ここでプレイヤーは、このゲームについて大まかな説明を受けて、最初の町への道を示してもらう。そのあとすぐ、モンスターとの初戦闘になるわけだが……)

 

 炫の知る「DSO」なら、泉に辿り着いたところで水中から美しい精霊が現れ、このゲームの目的や基本操作を説明してくれる。

 その展開を予見した炫は、イベントが発生する距離まで、泉に歩み寄るのだが。

 

(……やはり、普通の「DSO」とは違う、のか……?)

 

 イベントは、発生しなかった。

 本来なら確実に精霊が現れるはずの距離だが、そんなフラグは微塵も感じられない。すでに炫が知る「DSO」からは逸脱した展開である。

 

「驚いていらっしゃるようですね」

 

「……!?」

 

 その事実を。ここが、自分が知る「DSO」とは似て非なる世界なのだということを、炫が明確に実感したのは。

 

 ――見知らぬ老紳士が、背後から現れた瞬間であった。

 

 



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第4話 操り人形達の箱庭

 歳は五十代中盤から、六十代だろうか。漆黒の礼服や深く被られた帽子、手にした木製のステッキからは、絵に描いたような「老紳士」という印象を受ける。

 ――だが。そんなNPCは、「DSO」のシナリオモードには登場しない。まして、こんなタイミングで、こんな森の中に出てくることなどあり得ない。

 

 これではっきりした。この世界は「DSO」などではなく、「DSO」の世界に似た「どこかの異世界」なのだということが。

 

「先ほどから見させて頂きましたが……あなた、かなり慣れて(・・・)いらっしゃるようですね。まさか『DSO』の元プレイヤーが紛れていた上、その人物がよりにもよって『主役』とは。運命とは、不思議なものです」

「……何を言っている。あなたは何者だ、何か知っているのか!」

 

 この場で強制戦闘もあり得る。自分の知る「DSO」ではない以上、何が起きても不思議ではない。

 それを実感した炫は老紳士に対し、警戒心を露わにして身構える。何か変な真似を見せれば、すぐさま剣を抜ける体勢だ。

 だが、老紳士は剣呑な雰囲気で睨まれていながら、眉ひとつ動かすことなく。穏やかな表情のまま、皺の寄った口元を緩めた。

 

「私は単なる水先案内人ですよ。ここへ辿り着いた勇者に、町へと行き方と戦い方を伝授するつもりだったのですが……あなたに関しては、その必要もなさそうですね」

「……この世界は何なんだ。ここは、『DSO』なのか?」

「基本的には『DSO』のシナリオモードそのものですよ……あなたがご存知のように。ただ、『配役』と『展開』に多少のアレンジは入っていますが」

「アレンジだって?」

 

 言っている意味は、今ひとつ要領を得ないが。どうやら、この世界はやはり「DSO」のシナリオモードを基盤としているらしい。

 ――仮にそれが事実だとして。それを知っているこの老紳士は、何者なのか。疑問は尽きず、炫はさらに目付きの鋭さを増す。

 

「心配せずとも、姫君(・・)を救い出しゲームをクリアすればあなた()は帰れますよ。このゲームをやり尽くしているであろうあなたなら、容易いことでしょう?」

「……あなたは、何者なんだ。この世界の、何なんだ!?」

 

 踵を返し、森の中へと歩み出す老紳士。炫はその背を追いかけようとするが、すでに彼の姿は消えかかっていた。

 

「先ほど申し上げた通り。ただの、水先案内人ですよ」

「ま、待てッ!」

 

「ご武運を、お祈りしていますよ。――あなたに、『名誉(オナー)』と『勇気(カレッジ)』……そして『献身

(デディケーション)』の精神があると信じて」

 

 そして、その言葉を最後に。老紳士は、完全に己の姿を消し去ってしまうのだった。

 

「……」

 

 やがて、再び独りになった炫は。老紳士が残した言葉を思い返しつつ、移動を始める。わからないことだらけだが、とにかくここに居座っても状況が動かないのは間違いなさそうだからだ。

 ――少なくとも、これはオフラインのシナリオモード。なら、主人公である自分がアクションを起こさなくては、フラグも発生せず、何も進まない。

 

 それならば、まずはこのままゲームを進めるしかないだろう。いずれ、あの老紳士の言葉の意味にたどり着くと、信じて。

 

名誉(オナー)勇気(カレッジ)献身(デディケーション)……海兵隊の言葉、か……?)

 

 ――老紳士が残した言葉を、心の片隅にしまいながら。

 

 ◇

 

 ――シナリオモードの舞台である「ベムーラ島」。治安の悪さで知られるその島には、賞金稼ぎが集う「スフィメラの町」がある。

 そこが資金や経験値集めの拠点であり、その町に辿り着いてから、本格的にゲームが始まる流れとなっている。

 

 そこへ向かうには、森を抜けて町へ続く平原の一本道を通ればいい。迷うような道ではないし、出てくるモンスターも初期装備で十分に対応できるレベルだ。

 

 しかし。森を抜ける、という段階において。

 この後の展開を分ける、「分岐イベント」が存在している。

 

 森を抜ける直前で、モンスターと初戦闘となるわけだが。ほぼ同時に少し離れた林の中で、二人組の賞金稼ぎがモンスターに襲われるイベントが発生するのだ。

 

 その賞金稼ぎ達は滞納している飲み食い代の返済の為、空腹を押して討伐クエストに挑んでいるという無茶をしており、本来の力を発揮できずピンチに陥っている。

 強制ではないので、初戦闘の後に二人を見捨てて森を抜けても、シナリオの進行に支障はない。

 

 実際、初見プレイヤーは大抵、一周目では彼らを放置して町に向かっている。賞金稼ぎ達を襲っているモンスターの数が、シャレにならないからだ。

 能力が低いNPC二人を守りながら、大量のモンスターをほぼ独力で殲滅しなくてはならないため、シナリオモードの全イベント中でも屈指の難易度を誇っているのである。

 

 だが救出に成功すれば、二人組の賞金稼ぎ達は主人公の仲間として常時随行するようになり、それ以降の戦闘は大幅に楽になる。

 なので二周目以降の腕を磨いたプレイヤー達は、軒並みこのイベントに挑戦し、二人を救い出しているのだ。縛りプレイのために敢えて見捨てるケースもあるらしいが。

 

(最後まで付き合ってくれる、NPCの仲間……か)

 

 ――森の出口付近で待ち構える、棍棒を掲げた数体のゴブリン。その「余りにリアル過ぎる」醜悪なモンスター達と対峙しつつ、炫は出口とは異なる方向に視線を向けていた。

 その方向からは、「イベント発生」を告げるゴブリンの大群の雄叫びが響いている。

 

(……何の変哲もない「DSO」のシナリオモードなら、オレ独りでもどうにかなると言いたいところだが。ここはオレが知っている「DSO」じゃないんだ。どんな「展開」でも対応できるよう、万全を期する必要がある)

 

 普通のVRゲームではない以上、万一ゲームオーバーになればどのようなペナルティーが伴うかは想像もつかない。

 それでなくとも、痛覚がリアルに存在する「DSO」の世界で手を抜くなど、マゾのすることだ。

 

 炫は、鮮やかな太刀筋でゴブリン達を斬り捨てつつ。その返り血を拭う暇も惜しみ、林の中へと駆けつけていった。

 

「いた……!」

 

 イベントそのものは、通常の「DSO」と変わらないようだ。木のくぼみに身を隠す二つの人影を、約三十体のゴブリンが包囲している。

 このゴブリン軍団を殲滅すれば、晴れて優秀なNPCを味方につけることが出来るというわけだ。

 

 何が起きるかわからないこんな世界だからこそ。少々のリスクを冒してでも、確実にクリアできるファクターを引き寄せなくてはならない。

 炫はその一身で、ゴブリンの血糊に塗れた剣を振るい、ゴブリン軍団に襲い掛かる。白マフラーを靡かせ、黒髪の剣士が戦場に舞い降りた。

 

「ギィィァアァア!」

「ゴォガアガアァッ!」

「遅いんだよ……お前らァッ!」

 

 大振りなモーションからの、棍棒のフルスイング。その得物が空を裂く轟音を、耳元に感じながら。

 炫は流れるように剣を振るい、各個撃破でゴブリン達を切り裂いていく。ゴブリン達の狙い(タゲ)を自分に引きつけつつ、賞金稼ぎ達を狙う個体を背後から攻撃。その繰り返しにより、殲滅を狙う算段であった。

 

「おっ……と!」

「グォオォオッ!」

「悪いな――ここでドジってる場合じゃないんだ!」

 

 背後から振り下ろされた一閃を、紙一重でかわし。後ろ足で蹴り飛ばしながら、前方にいる個体を斬る。

 側方から横薙ぎに振るわれた攻撃をジャンプでかわし、同士討ちを誘う。

 いずれも、ゴブリン達の習性や攻撃パターンを熟知しているプレイヤーでなければ、成し得ないアクションだった。

 

 ――やがて、ゴブリン軍団の数が激減し、救出完了を目前に控えた頃。余裕を得た炫は木のくぼみに近づき、二人の護衛を優先しつつ残りを駆逐する体勢に入った。

 

「助けに来た! ここはオレに任せ――ッ!?」

 

 そして。

 

 これから組むことになる賞金稼ぎ達と顔を合わせるべく、白マフラーを翻して振り返り。

 炫は、凍り付いた。

 

「た、助かったぜぇ。俺はダイナグ・ローグマンだ。恩に着るぜ、旅の剣士さんよ」

「オ、オラは、ノアラグン・グローチアだねっ。助けてくれて、感謝なんだねっ!」

 

 ダイナグ・ローグマン。ノアラグン・グローチア。二人とも、そう名乗っていた。間違いなく、スフィメラの町で活動している賞金稼ぎ達の名前だ。

 状況的に、彼らが仲間になるNPCであるに違いない。

 

「う、そ……だろ」

 

 しかし。

 

 炫は、すぐにはそれを受け入れることが、出来なかった。

 

 確かに、台詞はダイナグとノアラグンのものだが。自分がよく知る、荒くれ者のキャラクターの台詞だが。

 アメリカでしか発売されなかったゲームでありながら。その発音は、日本語であり。

 

「信太……!? 俊史……!?」

 

 ――彼らの外見は。炫がよく知る、日本の友人のものだったのである。

 ダイナグの格好をした、鶴岡信太。ノアラグンの格好をした、真木俊史。彼らは、NPCとして。

 この「DSO」の世界に、生を受けていたのである。

 

『まさか「DSO」の元プレイヤーが紛れていた上、その人物がよりにもよって「主役」とは。運命とは、不思議なものです』

 

『基本的には「DSO」のシナリオモードそのものですよ……あなたがご存知のように。ただ、「配役」と「展開」に多少のアレンジは入っていますが』

 

 やがて炫の脳裏に、あの老紳士が残した言葉が蘇る。それは、この世界の歪さを端的に語っている言葉だったのだ。

 

(「主役」って……「配役」って……! まさか、こんなッ……!)

 

 その悍ましさを理解した瞬間。全身が総毛立ち、剣を握る手が小刻みに震える。そして――突き上げるような憤怒の渦が、炫の眉を吊り上げた。

 

(……こんな風に。「主役」のオレ以外の人間全てを操り、NPCを演らせているっていうのか! なんなんだ……この世界はッ!)

 

 その怒りが、剣に乗る瞬間。炫の隙を狙おうと飛びかかってきたゴブリンが、無惨に斬り裂かれた。

 ――振り向きざまに放った横一閃。その剣の閃きが、ゴブリンの身体を上下に切り分けたのだ。

 

『心配せずとも、ゲームをクリアすればあなた()は帰れますよ。このゲームをやり尽くしているであろうあなたなら、容易いことでしょう?』

 

「……そうさ。オレは、必ずこのゲームをクリアする。誰一人として……死なせてたまるかッ!」

 

 例え、そう思わせる罠だとしても。今はただ、迸る怒りを鎮めるために。

 

 炫は激情の赴くまま、行く手を阻むゴブリン達に、鉄の剣を叩きつけるのだった。

 

 ――その影で。老紳士が嗤っていることも、知らずに……。

 



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第5話 電脳世界のマリオネット

 遠い昔、王国のとある貴族のもとへ、二人の若者がやってきました。

 

 恐ろしい魔獣に襲われているから、助けてほしいと頼まれていたからです。

 

 二人は紅く煌めく剣と、蒼く輝く剣を持つ、凄腕の剣士でした。

 

 彼らは貴族の屋敷を襲う魔獣に勇敢に立ち向かい、辛く苦しい戦いの果てに、ようやく魔獣を打ち倒すことができました。

 

 若者達は二本の剣のうち、一本に魔獣を封じ込めました。

 再び魔獣が暴れ出し、人々を苦しめぬように。

 

 そして残る一本を、魔獣を討つ最後の希望として残し。二人は、いずこかへと旅立ちました。

 

 その二本の剣を貴族は大切に預かり、それらを家宝としました。そして、二度と魔獣が目覚めぬよう、魔法で封印したのです。

 

 それ以来、その貴族は魔法の力を使い果たしたため、魔法が使えなくなってしまいました。

 

 しかし、彼は満足でした。

 

 こうしていれば、悪い魔獣から人々を守れると、信じていたからです。

 

 そして、彼は勇敢な若者達のことを、自らの血筋にちなんだ名で、子孫達に語りつづけました。

 

 「イリアルダの勇者達」の伝説を。

 

 ◇

 

「なぜ! なぜなのだ! どうして騎士団の救援が出せない!」

 

 きらびやかな甲冑に身を包んだ若い男の騎士が、城の門番との口論を繰り返していた。

 短く切り揃えられた黒髪と、強い意志を感じさせる瞳が特徴の美男子である彼は、険しい表情で強く訴える。

 

 その後ろでは、彼と同じ鎧に身を包んだ、意思の強そうな瞳で門番を射抜く少女がいる。

 

 栗色のセミロングと、澄み渡った水色の眼差しを持つ彼女もまた、声を張り上げる若い騎士と同意見らしい。

 

 みずみずしい肌と、あどけなく愛らしい顔立ちからは想像もつかない気迫を放っている。

 

「そうです! 貴族令嬢が賊に誘拐されたんですよ!? なのに騎士団が動かないなんておかしすぎます! 救援を要請する手紙は送ったのに、返事はないし!」

「貴族令嬢とはいえ、しょせんは没落貴族。それしきのことに構っているヒマはないのだ」

「ふざけるな! ユリアヌ様を見捨てるというのか!」

 

 ベムーラ島に屋敷を構えるイリアルダ家は、王国の勢力争いに敗れた、いわゆる没落貴族である。

 没落貴族の令嬢がさらわれたからといって、おいそれと腰を上げるわけにはいかないということだろう。

 門番は騎士の鎧を纏う者達を一瞥し、鼻で笑う。

 

「そんなにその令嬢を救いたいのなら、仕えている貴様らでなんとかするんだな」

 

 そしてフン、と鼻で笑うと、

 

「ベムーラ島の薄汚れた庶民同然の没落貴族の相手などしている時間はない」

 

 そんな言い草で一蹴してしまった。

 

「よ、汚れているだと!? 失敬な! 抜けッ!」

 

 あまりの物言いに耐え兼ねたのか、若い騎士は腰にした剣に手を伸ばす。

 その動きを見ていた門番はため息交じりに、少し離れた所で警備の仕事をしていた同僚を呼ぶ。

 

「おい、くせ者だ!」

 

 その声に反応した彼の同僚は水を得た魚のように活発に動き出し、

 

「ぐっ――!?」

 

 仲間達を集めたかと思うと、あっという間に若い騎士を槍で取り囲んでしまった。

 

「ひ、卑怯な!」

「騎士団長ならわかってくださるはずです、会って話をさせてください!」

 

 大勢に槍を向けられて動けなくなった彼に代わり、少女の方が声を上げる。

 しかし、門番は全く意に介さない様子で彼女を見下ろす。

 

「何度も言わせるな。騎士団長殿に貴様らと関わっていられる(いとま)はない。手紙とやらを読むヒマもな」

「そんな――まさか、握り潰したというのですか!?」

「握り潰すとは人聞きの悪い。政治的にも軍事的にもマイナスにしかならない、切り捨てなければならない、些細なことだと上が判断したのだ」

「貴様ッ! なんという下劣な――ッ!」

 

 若い騎士は怒りに任せて剣を引き抜こうとするが、喉元まで伸びてきた槍の切っ先がそれを許さなかった。

 

「く……ううッ! 卑怯者どもが……!」

「ユリアヌ様、お許しください……」

 

 これ以上迂闊に動けば、本当にこの場で粛清されかねない――それほどの殺気がその槍から放たれていた。

 

「話は終わりだ。お引き取り願おう」

 

 その一言を受けて、若い男と少女の騎士達、テイガート・デュネイオンとネクサリー・ニーチェスの二人は、やむなく踵を返したのだった。

 

 ◇

 

「そうか……騎士団の救援は、無理だったのか」

 

 助けを得られなかったばかりか、くせ者扱いされて槍まで向けられた自分達の無力さを痛感し、絶望的な表情で俯いていた二人の眼前で、一人の男性が呟く。

 

 かつての名門・イリアルダ家の当主であるマクセル・バルド・イリアルダは、苦悶の表情で部下達を見遣った。

 「恰幅のいい体格」と、「禿げ上がった頭皮」が特徴の彼が呟く言葉は、重々しい現実をあるがままに表していた。

 

 彼が座る玉座の前に、二人の騎士がひざまづく。

 

「申し訳ありません! 私達がもっと強く申し出ていればきっと……!」

「いや、私の手紙が握り潰されてしまう時点で、騎士団の力に頼ることはもはや絶望的であろう。だが、テイガートもネクサリーも、よくやってくれた」

「そ、そんな! 私達、頑張っても全然お役に立てなくて……」

 

 少女である以上に騎士でもあるネクサリーは、どうしようもなく申し訳なさそうな顔で、自分達の主を見上げる。

 

「でもあなた、このままじゃユリアヌは……」

 

 マクセルの隣に腰掛けている「茶色がかったポニーテール」の優雅な女性、コスモア・クレア・イリアルダは、心配そうな表情で夫である彼を見詰めた。

 

 茶色の長髪と優美な純白のドレスが、彼女の持つ高貴さを浮き彫りにしている。

 端正な顔立ちと白く透き通った肌、スレンダーな体つきに感じられる若々しさからは、年頃の娘の母親とは想像もつかないだろう。

 

「うむ、わかっておる。テイガートよ、頼みがある」

 

 主に名前で呼ばれて、若い騎士はハッとして顔を上げる。

 

「は、はい! なんなりとお申しつけ下さい!」

 

 自分に出来ることならなんだって、という徹底忠誠を示すテイガートの反応を前に、マクセルは意を決したように頷く。

 

 そして、真剣な眼差しを臣下に向け、口を開いた。

 

「これからネクサリーと貧民街『スフィメラの町』まで行って、腕の立つ用心棒を雇ってきてほしい。経済的にも苦境な我が家だが、一人くらいならなんとか大丈夫なはずだ」

 

 その言い付けに、テイガートは驚きのあまり、瞳を大きく見開いた。

 

「なんですって!」

「貧民街の用心棒を雇うなんて歴史ある貴族のすることではない、というのだろう? だが、我がイリアルダ家はどのみち没落貴族だ。今さらなにをためらうことがある」

「し、しかし!」

「貴族が、それもかつては優れた魔法を以って王国に仕えてきた、由緒正しきイリアルダ家が、そんな……!」

 

 現実的な背景を鑑みて、可能な限りの手を尽くそうとするマクセルに、二人は反対の意を示す。

 そしてそれを押し潰すように、彼らの主は語気を強めた。

 

「これは命令だ。テイガート、そしてネクサリーよ。騎士団に代わる勇敢な仲間を引き連れ、必ず娘を賊から救い出してくれ。騎士団が動かない今、お前達だけが頼りなのだ」

 

 身体と心の芯から絞り出されたような、切実な訴えだった。

 厳しいことはわかっている。貴族としてのプライドを自ら投げ出すことになるのもわかっている。

 

 それでも、どうしても、娘を救いたい。

 ――貴族諸々抜きにして、一人の父として。

 

 その重さを肌から感じ取ったテイガートは目を見張ると反発を止め、片膝をついて騎士としての誓いを立てる。

 

「……わかりました。このテイガート・デュネイオン、命を賭してユリアヌ・リデル・イリアルダ様を救出してご覧にいれます」

「わ、私、ネクサリー・ニーチェスも、最善をつ、尽くします!」

 

 少々噛みつつ、ネクサリーも彼に続いて決意を表明した。

 

「二人とも……ありがとう。お前達こそ、真の騎士だ」

「ええ、私達が証人になるわ」

 

 若き騎士達の誠意に、貴族夫妻はありのままの気持ちを言葉に、二人を称えるのだった。

 

 ◇

 

 ――イリアルダ邸の中で交わされる、君主と騎士の絆。プレイヤーが知り得ない舞台裏では、このような一幕が繰り広げられていたのである。

 

 プレイヤーの目が届かないようなNPCの一挙一動に至るまで、「生きた人間」の如く一人一人の人格を作り込む。

 それが、「DSO」の持つ圧倒的クオリティの由縁であり。それほどのリアリティを追求したからこそ、現実と混同するプレイヤーが続出するに至ったのである。

 

「……」

 

 ――そんな、常軌を逸する「作り込み」から生まれたキャラクター同士のやり取りを。一人の青年が、遠くの林に紛れて見つめていた。

 

 艶やかなブラウンの髪をオールバックにしている彼は、白く透き通った肌を持っている。日本人ばかりが「キャスティング」されている中で、明らかな白人である彼の存在は、この世界で異彩を放っていた。

 林の中に身を潜める彼は、剣呑な面持ちでNPC同士の対話を見守っている。その蒼い瞳が電脳世界のマリオネットを、貫くように見つめていた。

 

 窓の向こうで、さも本当の人間であるかのように振る舞っているNPC達。彼らの自然な挙動を、その青年は目を細めて監視していたのである。

 

(……本来の「DSO」なら、微かに生身の人間(プレイヤー)とは違う不自然さがあるものだが……今の彼らの挙動には、もうそれすらも窺えない。より完全で、限りなく人間に近しいNPCとなっている。それも……「生身の人間」を洗脳し、各キャラクターの「キャスト」に割り当てていることに起因しているのか)

 

 テイガート。ネクサリー。そのような「人格」を与えられている彼らは、日本の高校生の顔を持っている。

 生きた人間に生きた人間を演じさせることで、より完全な「キャラクター」を創出しているのだ。AIだけでは、ここまで精巧に人間に近しいキャラクターは作れない。

 

(私がこの世界に「ボスキャラ」としてキャスティングされて、もう二日になる。……外部の「解析班」はすでに手を打っているはずだ、私も急がねばならん)

 

 林の中に身を隠す彼は、踵を返すと視線を手元に落とし――その手に握られた「あるもの」を凝視する。

 

 紫紺の塗装に固められた「それ」は、両端から二つのグリップが伸びており……さながら、ゲームのコントローラのような形状だった。

 

(「奴」が私に気づくのも、時間の問題だろう。その前にこの世界の解析を終え、データを「解析班」まで送らねば……この世界に巻き込まれた民間人が全て、「奴」のオモチャにされてしまう)

 

 唇を噛みしめる青年は「それ」を懐に仕舞うと、足早に歩き出していく。彼の胸中に渦巻く焦りが、その足取りに現れているようだった。

 

(全ては、この世界の「プレイヤー」が左右することになるだろう。飛香炫、君はどう動く……?)

 

 やがて彼は、焦燥の色を滲ませる瞳で空を仰ぎ。まだ見ぬ勇者へと、思いを馳せる。

 

(……ソフィア……)

 

 ――そして。彼もまた、ある少女の名を胸の内で呟くのだった。

 



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第6話 一方的な再会

 薄汚れ、乾いた土の臭いで充満している貧民街の酒場。

 そこに集まるのは、品性が足りないのか知能が足りないのか――

 

「んだテメェ! 文句あんのかァ!?」

「ざけんじゃねェ!」

 

 ――この王国の常備軍である騎士団に入れず、かといって他にめぼしい職業にも就けず。

 冒険者や賞金稼ぎで、やっと生計を立てているような「ならず者達」ばかりなのだ。

 

 王国の数ある領島の中でも、群を抜いて治安の悪いことで有名な「ベムーラ島」。

 この島には、このような連中が大半を占めているのだ。

 

「よぉよぉヒカル! 昨日は大活躍だったじゃねぇかよ、えぇ?」

「ああもう、やめろよ酒臭い! だいたい信太、お前未成年じゃ……!」

「シンタ? 誰だそりゃあ」

「あっ……い、いや、別に……」

 

 鼻を突き刺すような凄まじい異臭を放つ男を、押し退けようとする炫。鶴岡信太の容姿を持つ、そのNPCは――人間と遜色ない自然な動作で、彼と肩を組んでいた。

 

「……」

 

 ――あれから約一週間。炫はダイナグ・ローグマンとノアラグン・グローチアの二人を伴い、この「スフィメラの町」に到着。以降、彼らと共に町で受注したクエストを攻略する日々を送っていた。

 

 この町は、「DSO」の目玉であるマルチプレイの際に、プレイヤー同士が交流する集会所(ロビー)としての役割を持っている。シナリオモードにおいても、活動の拠点として扱われる重要な町だ。

 

(……シナリオ進行のフラグに直結するクエストは、昨日で全てクリアした。あとは、イベントの発生を待つのみだが……。果たして、首尾よくイベントは進行してくれるのだろうか)

 

 昨日は炫達三人で、若い女ばかりをを狙う連続誘拐犯を捕縛するクエストに挑んでいた。

 だが、本来の「DSO」なら三人で報酬金が山分けされるところ、ダイナグとノアラグンが飲み代で使い果たしてしまうという事態が発生した。

 

 NPCがプレイヤーの取り分で、勝手に報酬金を飲み代に費やす。

 「DSO」はもとより、普通のゲームでもまずありえない事象だ。ゲームの不文律を乱すほどに、この世界のNPCは「各々の人格」を保持しているのである。

 

 そこまで行けば、もう彼らは単なるNPCとは言い切れなくなってくる。いわば、電脳世界に暮らす異世界人。

 ――そんな人々がそこかしこに息づいている世界なのだ。もはや、フラグという概念が機能しているかも怪しい。炫が知る「DSO」とは、全く違う結末を迎えることもありうるだろう。

 

(商人も、他の賞金稼ぎや冒険者も、みんな日本人の姿になってる……。やっぱり、あの新幹線に乗り合わせていた人達がみんな、NPCをやらされているんだな。……これじゃあ、タチの悪い仮装大会だ)

 

 そうした先行きの不安を覚える彼は、片手で顔を覆いながら目を伏せていた。

 

 炫達の後ろで殴り合いを始めている冒険者達。町を歩く一般人達。クエストの受付業務に励む、酒場の看板娘達。

 彼らは皆、この世界の住人として生きており、服装も与えられた「配役」に応じたものなのだが……服を除いた外見だけは、紛れも無い「日本人」であった。

 

 人の多い町に出たことで、より強くその歪さを実感し、炫は深くため息をつく。まるで大規模な仮装大会のようである――と。

 

「若い女をさらう誘拐犯に正義の鉄槌! ってな! いやぁ、イカすじゃねぇか俺達!」

「知るもんかよ。結局三人で賞金山分けって話だったのに、夜の飲み食いだけで使い切っちゃってさ」

 

 炫は目を細めて、隣のダイナグと、後ろのテーブル席で肉を貪っているノアラグンを言葉でチクリと刺す。

 ――自分の気も知らずにどんちゃん騒ぎに興じる親友達への、軽い意地悪であった。

 

「い、いやぁ〜、快勝快勝! ってハメを外しすぎちゃったみたいでなぁ!」

「そ、そうそうっ! そういうこともあるんだねっ!」

 

 炫の指摘に冷や汗をかき、乾いた声で笑う眼鏡を掛けた少年。

 そして――「ツンデレ」というものが好き過ぎるあまり、野太い声でありながら「勘違いしないでよねっ」の「ねっ」を語尾に付けたがる小太りの少年。

 

 賞金稼ぎ仲間の、ダイナグ・ローグマンとノアラグン・グローチア。彼らは日本人の容姿を持ちながら、ファンタジー感に溢れた衣装に身を包んでいる。

 

 黒い髪を少し長めに伸ばし、黒いジャケットを着込んでいる、貧民街に居座る賞金稼ぎにしては割りとオシャレなダイナグ。

 自力で仕留めた熊の皮で作った、肩の露出する服で身を包む、小太りのノアラグン。

 

 そんな彼らは眉をヒクヒクと動かしながら、炫の表情を伺う。

 

「……わかってるだろうが、金は出さないからな」

「そんなぁ〜っ! ひどいねっ!」

「つれないぞヒカルぅ!」

「やかましい! だいたいこないだのツケも払わないで、何を勝手なこと言ってんだよ!」

 

 いつもこうして、彼らは自分達が次の賞金首を見つけるまでの、生活費をねだろうとしてくる。

 

「……まったく……」

 

 炫はそんな彼らを煙たがりつつ……何処と無く、その眼に憂いを滲ませていた。

 

 ――この一週間。炫はこの「DSO」の世界の中で、数多のNPCと巡り合ってきた。クエストの受付嬢、賞金稼ぎギルドのマスター、同じ賞金稼ぎのライバル達。個性豊かな「キャラクター」達と、関わってきた。

 

 だが、その中に彼の記憶と合致する「容姿」の持ち主は、一人もいなかった。彼らは皆、日本人の外見を持っていたのである。

 イマドキの女子高生。頭皮が心配な中年男性。二十代後半のサラリーマンらしき青年。老若男女問わず、誰もがこの世界の「キャスト」として、無意識下で己のキャラクターを演じさせられていた。

 

 例えるなら、コスプレ大会といったところだが。彼らは「キャラクターを演じる」どころか、人格そのもの(・・・・・・)を挿げ替えられているかのような、トランス状態に近い精神に変心していた。

 炫と同じ、日本人の顔を持っていながら。炫と同じように、本来の人格を持った「人間(プレイヤー)」は、一人もいなかったのである。

 

(信太……俊史、みんな……)

 

 友達なら、すぐそばにいる。それどころか、一緒に戦ってくれてもいる。しかし、それは鶴岡信太や真木俊史としての意思ではない。

 あくまで、ダイナグとノアラグンという、ゲームによって設定された「プログラム」の範疇でしかない。

 

 ――近いようで遠く、賑やかなようで孤独。

 そんなえもいわれぬ疎外感の中で生きる彼は、逡巡する。

 

(……そもそも、なぜオレなんだ。元DSOプレイヤーだから……ではないのだとしたら、本当に単なるランダムで……?)

 

 あの老紳士は炫と対面するまで、炫が元DSOプレイヤーであることは知らないようだった。もし彼がこの世界の「配役」に関わっていたとするなら、炫が「主役(プレイヤー)」に選ばれた原因は別にある……ということになる。

 何か他に、彼自身に選ばれる理由があったのか。それとも本当に、単なる気まぐれ……ランダムだったのか。

 少なくとも今は、分かるはずのないことである。

 

 いつまで、こんな日々が続くのか。現実(リアル)の自分達はどうなっているのか。……いつになれば、自分達は帰れるのだろうか。

 

 ふと、そんな弱気が脳裏をよぎろうとしていた、時だった。

 

「失礼する! 賞金稼ぎや用心棒が集まる酒場とは、ここで間違いないか!」

「……!?」

 

 酒場一帯に響き渡る、甲高い男の声。

 すると、それまで好き放題にどんちゃん騒ぎしていた連中は全員、目を丸くして声を上げた男に注目した。

 

 何しろ、ここにいるような者達からすれば、あまりにもその声や、その主の格好は場違いなものだったからだ。

 精巧に作られた鎧を見れば、高貴な出の人間であることは一目でわかる。

 

「王国の騎士……?」

 

 一人がそうこぼした途端、一気に場がざわめいた。

 

「なんで騎士団がこんなところに!?」「まさか騎士団に入れなかった俺達の、今の仕事にまで難癖つけようってハラか!?」

 

 ならず者達は、思い思いの疑惑を囁き合う。そんな彼らの喧騒を尻目に、突如現れた黒髪の騎士は、しきりに辺りを見渡していた。

 

「おいおいヒカル、とんだ客人だな」

 

 ダイナグはうまく話題を逸らせたと思っているのか、調子のいいことを炫に囁いている。

 

「な……!」

 

 一方。炫は現れた騎士の人相に、暫し硬直していた。

 

 ――真殿大雅。彼はその美貌に相応しい鎧を纏い、イリアルダ家の騎士として「キャスティング」されていたのである。

 

(真殿君がテイガート……! ――なんだろう、こんな状況なのに妙に納得がいく)

「今日は諸君のいずれか一人に、救出任務の同行を依頼したく、参上した。騎士団が救援要請に応じない現状では、諸君が頼りになる。これが報酬金だ!」

 

 簡潔に用件を述べると、大雅――が扮する騎士は、貴族のサインが付いた一枚の紙を広げ、ならず者達からよく見えるように突き出した。

 一年は遊んで暮らせるような破格の金額に、周囲は喚声に包まれる。

 

「おいおい騎士団のあんちゃん! 誰を救出しようってのよ!? なんなら俺が一肌脱いでやってもいいんだぜ!?」

「てめぇのストリップなんざ誰も見たかねぇんだよ! それよりワシを雇ってみねぇか!? ワシぁこう見えても若い頃はそらもう……」

「歳食ったオヤジの出る幕はねーよ! それよりこの俺がだな!」

 

 この場の賞金稼ぎ達はこぞって、依頼を受けようと騎士の男に猛然と迫る。

 しかし、当の騎士は暑苦しい熱気に当てられても、一歩も引く気配がない。本来なら近付かれるのも嫌であるはずだが、そうも言っていられないほどに事態が切迫しているのだろう。

 

「救出対象は――ユリアヌ・リデル・イリアルダ様だ」

 

 だが。騎士のその一言で、盛り上がっていた空気が一気に凍り付いてしまった。

 その名前に、炫は他の連中とは違う事情で表情を強張らせる。

 

 ――ユリアヌ・リデル・イリアルダ。

 この「DSO」シナリオモードのヒロインであり、物語を引っ掻き回すお転婆姫だ。彼女を救い、ラスボスを倒せば、晴れてシナリオモードはクリアを迎えられる。

 ……もっとも、それは炫が知る「DSO」の話であり、この世界に当てはまるとは限らないのだが。

 

「マジかよ……イリアルダの格闘娘じゃねぇか」

「暴れ豚五十頭を素手でブチのめしたって噂のあの怪力女がさらわれるって……相手はどんなバケモンなんだよ」

「それはわからない。ただ、目撃情報を元手に追うことは容易だ。今必要なのは、戦力に他ならない」

 

 淡々と現状を説明してみせる騎士だが、周りのならず者達は先ほどまでの威勢が嘘のように萎縮している。

 

 ユリアヌ・リデル・イリアルダといえば、没落貴族イリアルダ家の令嬢にしてイリアルダ式格闘術の使い手だ。

 その手腕は、慈悲なき冷酷な山賊さえ黙らせる程と言われている。

 

 それほどな怪物を捕まえてしまうような、それ以上の怪物と戦え。

 この依頼は――そう解釈して差し支えないのだ。

 

「はは、こいつはちょっとキツイぜ……」

「ど、どうもワシには向いとらんかった依頼みたいだのう」

 

 賞金しか目に入らずにがっついていた連中は、頭を冷やしてその場から引き下がっていく。

 そんな手の平返しを前にして、騎士の表情が険しくなる。頼みの綱の賞金稼ぎですらこれでは、いよいよ万事休すとなってしまうからだ。

 

 だが、光明はある。それが「主人公(プレイヤー)」の役割なのだから。

 

「わかった。オレが行く」

 

 周囲を一瞥し、立候補者がいないことを確認した上で、炫は名乗りを上げた。「DSO」では稀に、他の立候補者に随伴する形でこの依頼に応じるケースもあるのだが――どうやら今回は、そんな猛者が現れる気配はなさそうだ。

 

「おお、やる気かヒカル! ガッツあるなあ!」

 

 ダイナグは空席が一つだけなのをいいことに、他人事扱い。

 

「実は俺とノアラグンも別の依頼されててよぉ、お前だけ仲間はずれにしちまうのは気が引けるから、返事は保留にしてたんだが……」

「行くのがお前一人だってんならちょうどいいじゃねぇか、応援してるねっ」

「なんだ、そうだったのか? 別に構うことないのに、律儀だな全く。じゃあ、行ってくるよ」

 

 ――それでも彼らがいたからこそ、ここまで致命的な負傷もなくたどり着くことが出来たのも、事実。

 ヒカルは特に文句を言うこともなく、席を立った。

 

(……本来ならダイナグとノアラグンも、オレと同行するはず。やはり、本来の「シナリオ」とは違う展開になろうとしているな……)

 

 だが、ここでも炫が知る「DSO」とは合致しない状況が発生していた。この先に待っているであろう「物語の結末(エンディング)」は、どこに向かうのか。

 それは、かつてトッププレイヤーとして名を馳せた彼にも、予見できない。

 

 ◇

 

 例の騎士の前に立つと、テイガートは怪訝そうな顔で炫をジロジロと見ている。

 

「王宮での直談判が通じなかったとは言え、よりによって残ったのがこんな子供だとは……ユリアヌ様、マクセル様、どうかお許しを……」

 

 最終的に名乗りを上げたのが少年一人、という状況への嘆かわしさゆえか。彼は懺悔するように、暫し目を伏せる。

 到底戦力として当てになどできない、といわんばかりの反応だ。予想していたこととはいえ、露骨なまでに侮った対応を見せられ、炫は微かに眉を顰める。

 

 ――本家の「DSO」でも、ここまで邪険にはされなかった。やはり、大雅の人格がテイガートの「キャラクター」に影響しているのか。

 

「……お嬢様を救うことが、あなたの誇りなんだろう。汚い小僧一人を引き連れたくらいで、その誇りが汚れるものか」

「くっ……」

 

 大雅の顔を持つ彼の前で強気に出るのは気がひけるが、多少は威勢を示さないと話が進まない。

 炫はクリア後に彼ら「キャスト一同」が、この世界での出来事を覚えている可能性に冷や汗をかきつつ、あくまで毅然に対応する。

 

 一方、テイガートは言葉に詰まったのか、バツが悪そうに炫から目を逸す。よほど、後がないのだろう。

 

「……やむを得ん。賞金稼ぎとして生計を立てているならば、多少は戦えよう。名は何と言う?」

「ヒカルだ」

「ヒカル……だと? 変な名前だな」

「ほっといてくれ。……しかしオレとあなただけでやるのか?」

「仲間はいる。外で待機してるから挨拶しておけ」

「ん、わかった騎士さん」

「私はテイガート・デュネイオンだ。覚えておけ」

 

 炫の問いに、テイガートは鼻を鳴らしてぶっきらぼうに答える。

 主人公にいい印象を抱いていない、という点は本来のキャラ付け通りだが、その言動はいつにも増してエスカレートしているようだった。

 

 没落とは言え立派な貴族の人間を救うのに、薄汚い庶民の手を借りなければならない。そんな屈辱感ゆえの感情、なのだが。明らかにそれ以外の「私怨」も入っているように感じられる。

 ――やはり、大雅の炫に対する反発心が、テイガートの威圧に拍車を掛けているらしい。

 

 そんな思いがけない悪影響に頭を抱えつつ、酒場を出た炫を、テイガートと同じ鎧を纏った少女が出迎えてくれた。

 

「あ、ど、どうも! 私、ネクサリー・ニーチェスという者です! この度はよろしくお願いしますっ!」

 

 そこで、炫はハトが豆鉄砲を食らったような顔になる。

 

「……蟻田さん?」

 

 ……栗色のセミロングを揺らす、小柄な少女。間違いなく、蟻田利佐子の人相だ。

 

(蟻田さん……無事でよかった。ネクサリーの役ということは、そうそう彼女が殺されるような展開にはならないはず)

 

 利佐子がネクサリーの人格を与えられていたことに、炫は不幸中の幸いだと胸をなで下ろす。

 

 「DSO」のシナリオモードでは、ネクサリーは最終的に、マクセル達を連れてラスボスの魔獣から避難する役目を請け負う。エンディングまで生存していることが確定しているキャラだ。

 

 仮に利佐子――ネクサリーがこの世界で死んだところで、現実の肉体に影響があるとは限らない。が、この状況そのものが異常である以上、何も起こらないとも考えにくい。

 だから炫自身も、ダイナグとノアラグンが信太と俊史であると知って以来、彼らを決して死なせない立ち回りを続けてきたのだ。

 

「オレは……ヒカル。短い間だが、よろしくな」

「はいっ! こちらこそよろしく……?」

 

 これからも、それは変わらないだろう。炫は握手を求め、右手を差し出す。ネクサリーも、たどたどしい様子でそれに応じようとする――のだが。

 

「……?」

「どうした?」

「あの……私達、どこかで一度、お会いしましたか?」

 

 小首を傾げ、不思議そうにそう問いかけて来た。そんな彼女の言葉に、炫は苦々しく目を背ける。

 

(……蟻田さん……)

 

 ――テイガートが大雅の人格に影響されていたように。ネクサリーもやはり、利佐子の影響を受けているようだ。

 「DSO」本来のネクサリーにこんな台詞はないし、過去に主人公と面識があった、などという設定もない。

 

 会ったことがあるだろう、オレだ、同じクラスだ。飛香炫だ。思い出してくれ。

 ――そう訴えたところで、今の彼女はまず理解しないだろう。利佐子の影響があるとはいえ、基本的な人格は「ネクサリー・ニーチェス」というNPC。AIだ。

 

 手が届くどころか、こうして目の前にクラスメート達が集まり始めているというのに。誰一人、本来の人格を塗り潰されている。

 唯一それを認識している自分は、そのことを伝えることすら叶わない。

 

「……」

「ヒカル、さん? どうしたんですか、どこか痛むんですか?」

「……いや、なんでもないよ。ありがとう」

 

 そんな歯痒さに顔を顰める炫に、ネクサリーは心配げに顔を覗き込んでくる。その甲斐甲斐しさは、まるで利佐子本人のようだった。彼女の姿をしている分、余計に強く、そう感じてしまう。

 

 しかし、彼女の優しさは蟻田利佐子の人格ではない。ネクサリー・ニーチェスのAIによるもの。

 ――その事実に、炫が拳を震わせた時。

 

「ネクサリー、そろそろ出発だ」

「はい!」

 

 準備を終えたテイガートが戻り、いよいよ旅立ちの瞬間を迎えることとなった。炫は名残惜しげにネクサリーから視線を逸らし、未練を断ち切るように踵を返す。

 ――今ここにいるのはネクサリー・ニーチェス。蟻田利佐子じゃない。そう、己に言い聞かせるために。

 

「なんだよ〜、美少女連れてピクニックなんて、羨ましいにもほどがあるもんねっ!」

「さっきから見てたら、なんかイイ雰囲気だったじゃねぇか! なんだよヒカル、お前さっそくハッスルかあ!?」

 

 そして、いざ出発と思いきや。

見送りに来たダイナグとノアラグンの二人が冷やかしに掛かる。

 

「あ、いえ、その……! わ、私そういうことは……!」

「……」

 

 それを受け、ネクサリーは頬を赤らめてそそくさと後退りしてしまう。余計なことを口走る二人に、炫は無言で睨みを効かせた。

 

「何をモタモタしている! 行くぞネクサリー! あとヒカルとやら!」

「は、はいっ!」

「ああ。……まったく、もう」

 

 そして。テイガート率いるユリアヌ救出隊は、ようやくこの街を出発する。

 陽気そのものな友人二人や、本来の人格以上に自分を嫌う騎士に、ため息をつきながら。炫はいよいよ、「物語」を動かすべく旅立つのだった。




※「DSO」シナリオモードについて

 マルチプレイによる協力及び対戦を主眼に置いた「DSO」には、プレイヤーを世界観に慣れさせる「チュートリアル」として、短めのシナリオモードが用意されています。
 基本となるストーリーは一応あるのですが、筋書きに沿わなくてもエンディングは迎えられるように作られており、極端な話、ほとんど戦うこともなく時間経過だけでクリアしてしまうことも可能となっています。
 予め決まっているストーリーを追い、人々を救う勇者気分を味わうもよし。悪の限りを尽くし、NPCを殺しまくるもよし。ヒロインもシナリオも放置して、マルチプレイで使える武器の素材を集めるもよし。NPCの生死はプレイヤーの行動次第で大きく分かれますが、基本的には何をするのもプレイヤーの自由なのです。

 炫はその無数にあるルートの中から、最も難易度の高い「NPCを1人も死なせないベストエンド」を目指してプレイしています。
 自分が知っている「DSO」とは勝手が違うことは理解していますが、この世界でNPCが死ぬとどうなるかわからないため(最悪の場合、現実世界でも死ぬかもしれない)、敵味方問わず全NPCを殺さずに済むエンディングを目標としているのです。


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第7話 月夜の逢瀬

 闇夜に包まれた森の中、焚火の放つ光が木々の幹を明るく照らし出す。

 そこにもたれ掛かるのは、一人の少年。

 

「……んっ」

 

 赤い服の上に簡素な軽鎧を纏うその少年――炫は、ふと居眠りから目を覚まし、辺りを見渡す。

 

「……しまった、ついうたた寝を……」

 

 自分を雇った若い騎士は疲れが溜まっているのか、ぐっすりと夢の中に引き込まれていた。

 

「……!?」

 

 だが、もう一人――彼にとってかけがえのない「クラスメート」である少女の姿が見えない。

 それは勿論のこと……予期していた事態が発生しなかった(・・・・・・・)ことにも、炫は眉を潜めていた。

 

(……妙だ。「DSO」なら、この日の夜に野党達が襲ってきて、テイガートやネクサリーを起こして戦う「イベント戦闘」があるはず。だが……出現の時間になっても、野党達の影も形もない。野党に「キャスティング」された人の影響によるものなのか……)

 

 ――「DSO」シナリオモードにおける炫の経験則では、この深夜の時間から野党達の襲撃を受け、テイガートやネクサリーと共闘する強制戦闘があるはずだった。

 しかし、その時刻を迎えても野党達は全く現れない。同時に、「何が起きるかわからない」という不確定要素が、炫の背に重くのしかかる。

 

(野党達が現れない。なぜかネクサリー……蟻田さんもいない。……まさか……)

 

 テイガートやネクサリーのように、この世界のキャラクターとして「キャスティング」されている者達は、NPCとして操られる一方で、本来の人格による影響を僅かながらキャラクターに及ぼしている。

 野党役にキャスティングされた人間が善良な人格であり、襲撃を取り止める。そんなこともあり得るし――悪辣な人格に影響され、野党達が「DSO」よりも外道な手段に出ることもあり得るのだ。

 

 ――例えば。眠っている間にネクサリーを攫い……。

 

(……!?)

 

 そこまで考えが及んだ瞬間。そう遠くない場所から何かの物音を耳にした。

 炫は剣の鞘を握り、その場所へ向かう。

 

(……蟻田さん!)

 

 ◇

 

「はぁ……」

 

 その頃、月夜に照らされた水辺には、一人の少女が生まれたままの姿で佇んでいた。あることで思い悩む彼女は、短くため息を零す。

 

 彼女の持つ、やや小柄でありながら女性らしい滑らかな曲線を描いた肢体に、いくつもの水滴が滴り落ちる。

 

 その身体は幼さを残していながら、えもいわれぬ艶かしさを放っていた。

 彼女――ネクサリー・ニーチェスは、偶然見つけたこの水辺で身を清めつつ。初対面であり、面識などないはずの炫のことを思い返していた。

 

(ヒカル……さん)

 

 優しげな顔立ちや、柔らかな物腰。自分に向けられた、安堵するような笑顔。脳裏に過る彼の姿が、ネクサリーの胸中を擽る。

 

(でも、私達……)

 

 だが。何よりも気にかかるのは、そんな彼のことが今日会ったばかりの相手だとは思えないことだった。

 

 炫と顔を合わせた時。まるで、何日も一緒に過ごして来た大切な相手と再会できたような……そんな、胸を打つ多幸感があった。

 

 しかし、あんな少年は自分の知り合いにはいないはず。彼自身も、あくまで初対面として自分に対応していた。

 だが、自分も彼も。どこかで、「再会」を喜びあっているかのようだった。

 再会も何も、会ったことすらないはずなのに。

 

(……私達は……)

 

 今日一日中歩き続け、この森の中で一夜を明かすようになった今まで。ネクサリーは炫と何度も語らい合い、親交を深めていた。

 

 その交流の中で彼女は、炫と過ごす時間というものに、言い知れぬ心地よさを覚えていた。……もしかしたら。恋人ができれば、こんな気持ちになるのかも知れない。

 ――そんな、幸せなようで。もう一人の大切な誰かを裏切っているような、身に覚えのない罪悪感が、ちくりと胸を刺す。不思議な感覚だった。

 

 気がついた時には既に日が暮れていて、自分達一行のリーダーであるテイガート・デュネイオンの指示により、今日はこの森で野宿となり。

 明日中に町に到着することを予定としつつ、今日は休むこととなった。

 

 ――それから、炫のことでなかなか寝付けず……気づけば、ここで思考を整理しようと、水浴びに興じていた。

 

 得体の知れない罪悪感に苛まれている間にテイガートは眠ってしまい、炫も「見張りをする」といい、木の上で一休みしている。

 今の間に、一度頭を冷やそうと考えたのだ。

 

 そして、現在に至る。

 

「もしかして、前世では恋人同士だったりして……はは、なんちゃって」

 

 やがて。そう独り言を紡ごうとした、時だった。

 

「ネクサリー!?」

「……え?」

 

 聞き覚えのある――いや、むしろ忘れるはずのない声。

 振り返った先には、物々しい形相で剣を握る、赤い服を着た少年が立っていた。

 

 艶やかな黒髪に、クリッとした瞳。中性的であり、どこかもの鬱げな影のある面持ち。

 そう、ネクサリーが今まさに夢想していた、炫本人だった。

 

「よかった……! ここにいたのか! 急に姿が見えなくなったから、てっきり野党達に――ブファア!」

 

 一糸纏わぬネクサリーの裸身を前に、真相に辿り着いた炫は穏やかな表情で胸を撫で下ろす――が。

 乙女の問答無用かつ条件反射的キックの前には、言い終える猶予すら与えられなかった。

 

 ◇

 

 しばらく気絶していた炫が目を覚ました頃には、ネクサリーは既に体を拭いて騎士の鎧を着ていた。

 

「全く! ヒカルさんったらホントにホントにえ、えっちなんですから!」

「悪かったよ。ほら、急にいなくなっちゃったからさ」

「それはっ! ……そうですけど……」

 

 頬を膨らませてプンプンと怒りを表現したつもりでいたネクサリーだったが、どうも炫から見ると迫力に欠けるらしい。

 怒られている本人は覗きの罪悪感よりも、彼女が無事だったという喜びの方が大きいらしく、苦笑いするばかりだ。

 

(もう、全く……でも)

 

 それからしばらくした後、ネクサリーはぷりぷりと怒りながらも――神妙に、彼の横顔を見つめながら、帰路につく。

 隣を歩く彼の、優しげな眼差し。どこか見覚えのある、その瞳の奥を。

 

(なんだろう……この、感じ。変だよ……私)

 

 ――胸を突く心地よさ。温もり。罪悪感。どれも身に覚えのない感情であり、それら全てが炫に向かっている。

 その言い知れぬ感覚に、ネクサリーはただ、戸惑う。自分の中で眠る、本当の人格の存在を、知る由もなく。

 

 ◇

 

「……」

 

 ――そんな二人を。煌びやかな鎧に身を固めるオールバックの青年が、木陰から見つめていた。彼の手に握られた「あるもの」は、月夜を浴びて妖しい輝きを放っている。

 美術品のような鎧といい、気品に溢れた剣といい、長身といい、堀の深い美貌といい。簡素な鎧と剣しか持たない炫とは、何もかもが正反対な出で立ちだ。

 

(……この世界での死は、現実世界での死に直結する。彼がそれに気づいているかは定かではないが……見たところ、今の時点では「不殺(ノーキル)」を貫いているようだな)

 

 そんな彼の足元には――縛り上げられた少年達が気絶したまま転がっている。

 炫を妬んでいたクラスメート達と全く同じ面相だが、その身は盗賊の戦闘服に包まれている。AIに洗脳され、NPCの盗賊として炫達と戦う予定だった男子生徒達であった。

 彼らは突如現れたイレギュラーにより、こうして捕われてしまったのである。本来の役目を、果たすことさえ叶わず。

 

(……この世界から民間人(・・・)全員が生還できるか否か。今は……彼に頼るしかない、か……)

 

 そんな少年達を見下ろし、青年は踵を返す。盗賊という、主役からかけ離れた「キャスティング」をされてしまった被害者達を、片手で担ぎ上げながら。

 

 ――その表情に。苦虫を噛み潰したような、色を滲ませて。

 



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第8話 奇妙な変化

 翌朝、炫達は野宿していた森を抜けて、目的地としていた小さな町「ルバンター」に到達した。

 

 森や山に囲まれ、のどかで、それでいてレンガ造りの建物が幾つも立ち並んだ、活気に溢れた町。大勢の町民達が、ところ構わず和気藹々と賑わっている。

 

 町民達の話に耳を傾けてみると――つい最近に、ここでイリアルダ家主催の武術大会があったらしい。

 元々はイリアルダ家の領地だった場所らしく、町民達は現当主に仕えているネクサリーとテイガートを温かく出迎えていた。

 

 没落してなお、その家にいる者達を厚遇している現状は、今の当主様の人徳の賜物なのだろう。このベムーラ島にいる、ほぼ唯一の貴族家系である彼らの。

 

 ――ただ、よそ者の炫にはどことなく冷淡な態度であった。格好から、ならず者が集まるスフィメラの町から来た者だと看破されたのだろう。

 

 騎士二人が町民から持て囃されてる中、炫は少し遠く離れた場所を歩いていた。一緒に歩いていたら、ますます風当たりが強くなるからだ。

 

 すると、たまたま近くにいた四十代の主婦らしき女性達が険しい面持ちで声をかけてきた。見るからに、穏やかではない。

 

「あんた、貧民街から来たんだって? お二方の足を引っ張っちゃいないだろうね?」

「金に目が眩んだんだろうねえ。でなきゃ自分達が嫌う騎士団の依頼に応じるもんかね」

 

 この島の隅にあるスフィメラの町で、賞金稼ぎや用心棒をやっている連中の多くは、入団試験に落ちて騎士団に入れなかったような者達ばかりだ。

 

 戦う力が有り余っていても、知性や品位に欠けるような者では、騎士団には入れない。

 そこ以外には騎士団以上に教養を厳しく要求される「憲兵隊」くらいしかないのだから、戦闘しか取り柄のない者は、こういう仕事でしか生計が立てられないのだ。

 

 ゆえに、そういう連中が溜まるスフィメラの町には騎士団を妬む人間が多い。

 しかし騎士団はいわばこの島の「ヒーロー」。……世間的に見れば、スフィメラ側が疎まれるのは必至だろう。

 

「全く、騎士団が国を守るために命張ってるってのに、あんた達ときたら! ちょっとはテイガート様やネクサリー様を見習ったらどうだい」

「ホントよねぇ。若いうちから、そんな物騒な格好であちこち歩き回って……恥ずかしくないのかねぇ」

「は、はぁ……」

 

 こういう目で見られるのは慣れたつもりでいたが、いかにも大阪辺りにいそうな外見の彼女達に詰め寄られると、ついたじろいでしまう。「DSO」では、ファンタジーらしくゲルマン系に寄った女性達だったのだが。

 

(……やっぱりそうだ。この世界でNPCを演じさせられてるのは、五野高の生徒だけじゃない。恐らくは、あの新幹線に乗り合わせていた一般客も……)

 

 一方。炫が周りから白い目で見られている間に、テイガートとネクサリーは目撃情報を纏めて犯人の賊を特定し始めていた。

 

「……ん?」

 

 ――すると。炫の目に、あるものが留まった。

 

 町の中央にある噴水広場。その中心点に飾られた、2人の若者を祀る銅像。それは古の伝説に伝わる、2本の「宝剣」を持った勇者達のものである。

 ――遥か昔、魔獣に苦しめられていた人々の前に現れた2人の男。彼らは2本ある剣のうちの1本に魔獣を封印し……残る1本を、魔獣復活に備えて残した。それが、イリアルダの勇者達の伝説なのである。

 

「……!」

 

 ――しかし。いつしか伝説の像は、炫の知らない変化を見せていた。

 

「……これは……!?」

 

 「2人の若者」であるはずだった銅像は、今。気づけば、「2人の鎧騎士」になっていたのである。

 足先から頭まで、全身の至る所を珍妙な鎧で(・・・・・)完全に塞いだ甲冑姿。その変化の意味を見いだせず、炫は暫し呆然と、顔すら(・・・)隠してしまった古の勇者達を見上げるのだった。

 

(……なん、だ……? この変わり様は。一体、「宝剣」の伝説にどういう変化が起きたんだ?)

 

 ◇

 

 ――その後。

 炫はネクサリーが取っていた宿屋まで呼び出され、テイガートのいる個室まで招待される。

 そして、そこに着くまでの廊下を渡る中で、彼女が進展のほどを説明してくれた。

 

「テイガート様が例の賊を特定されたようです。今日中に追撃に向けて行動を開始するとのことで」

「もう出発するのか? 忙しいな」

「ユリアヌ様の命が懸かっていますからね。善は急げ、ですよ!」

 

 彼女の先導に従って個室に入ると、憮然とした表情のテイガートがベッドの上に腰掛けていた。

 部屋の中にいるというのに、ガッチリと鎧を着込んでいる。ネクサリーですら、今は地味な布の私服を着ているというのに。

 

「遅い! いつまで町をほっつき歩いているのだ! やる気があるのか、貴様!」

「き、来てそうそうにあんまりじゃないか? こっちは町中からひどい嫌われようで胃に穴が開きそうだったんだけど」

「す、すみませんヒカルさん……代わりにお詫びを!」

「いや、別に君のせいじゃないし……」

 

 ペコペコと頭を下げるネクサリーをなだめつつ、炫はテイガートの手にある地図に目を向ける。

 

(……絶対、真殿君の人格が入ってるよなぁコレ……)

 

 ――そんなことを、ふと思いながら。

 

 ◇

 

 見たところ、地図はルバンターの町近辺の縮図らしい。その中心点に赤い印があった。

 

「随分と限定的なんだな?」

「話題を逸らす気か……まあいい。ユリアヌ様がさらわれてからまだほんの数日しか経っていないからな。この島の外までは行けまい」

 

 テイガートは遅れた件についてはぐらかされたことに腹を立てながらも、淡々と状況を説明する。

 

「恐らく実行犯は近隣の山岳地帯を根城にしていると言われている山賊『ガイアン・バイルブランダー』。既に町民の殆どからその男の目撃情報を得ている」

「ガイアン、か。今日からその山の中に行こうって話になるのか」

「そうだ。最後にユリアヌ様が目撃された場所からも近い。そこに行けば間違いないだろう」

 

 作戦は至って単純。山賊の根城に攻め込み、ユリアヌ嬢を救出。それだけの正攻法で挑む事になる。

 増援を望むこともできず、そもそもそれを待っていられる猶予もない。地の利でも人数でも圧倒的に不利ではあるが――仕掛けるなら、今しかないのだ。

 

「今から出発すれば、日が落ちる頃には奴のアジトに着く。夜襲を掛けて、一気にカタをつけるぞ」

「は……はい! 了解しました!」

 

 少なからず不安を帯びた表情を浮かばせつつも、威勢のいい声でネクサリーは出動を決意する。

 

 奇襲という手段は、本来騎士たるものが頼るべきではない。だが、今は何もかもが不足していている状況だ。

 なんとしても勝たねばならない以上、どんな手でも使うしかない。結果は、手段を正当化するのだから。

 

 そして。

 

「うむ。そしてヒカルとやら!」

「あ、あぁ」

「足は引っ張るなよ」

「……あぁ」

 

 ――町民のみんなといい、真殿君といい、踏んだり蹴ったりだ。炫はそう思い、この世界の、絶妙にアレンジされた理不尽さにため息をつくのだった。

 

 ◇

 

 そして、その日の夕暮れ。

 ルバンターの町のはずれにある山岳地帯を登る炫達は、それらしい洞窟の穴を見つけた。

 その両端には、まだ少し明るいためか火は付けられていないものの、燭台の存在が窺える。

 

 テイガートの指示で炫達は日が暮れるまで、近くに隠れて様子をみることになった。

 燭台に火を付けるには明るく、付けないにしては暗い。

 そんな微妙な暗さの空を見上げ、炫達のリーダーは何か考え始めたように顎に手をあてて唸り出す。

 

「この時間帯が攻め時だな……しかし、向こうの戦力はいかほどなものか……」

「今攻めるのか? 夜襲と言うからには、真っ暗になってから攻め込むものと思ってたんだが」

 

 ロールプレイに徹するべく、敢えて先の展開を知らないフリをしている炫の感想に、テイガートは一瞬で呆れた表情になる。

 

「そんな時間帯にこそ、奴らが最も警戒するのだ。燭台に火が付いて警備万全になってから仕掛けるつもりだったのか?」

「……!」

 

 確かに、昼間は昼間、夜は夜で警備を交代させているケースは多い。その合間を縫って攻撃を仕掛ければ、少なからず混乱が起きる。

 

 ――「DSO」では、完全に夜になり、門番が燭台に火を付けようと外に出てきた瞬間に仕掛けていた。やはり、本来のゲームとはイベント開始のタイミングが違う。

 

 だが……本来なら、テイガートは燭台に火を付けられ警戒態勢に入られることに焦り(・・)、仕掛けると言う展開だった。

 

(凄いな……真殿君は、やっぱり)

 

 性格はキツさを増しているようだが……同時に、頭の回転も本来のテイガートより高まっているように感じられる。恐らくは、大雅の影響なのだろう。

 炫は改めて、彼に敬意を表する言葉を口にしようとする。

 

「ようやく理解したらしいな。わかったら、今後下らん質問をするな。頭が痛くなる」

「……」

 

 ……が、口を開くと同時に飛び出た辛辣な物言いに、引っ込んでしまうのだった。

 

(……やっぱ真殿君、キツいや……)

 



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第9話 破天荒な姫君

 絶妙な時間帯を狙って攻撃を仕掛ける、今回の夜襲。その切り込み隊長を務めるのは……どういうわけか炫だった。

 

「って、なんで……?」

「貴様が使い物になるかどうかをテストするためだ。それに、奴らの戦力を測る強行偵察にもなる」

 

 要するに、当て馬。予想だにしない展開に、炫は目をしばたたかせる。

 

「そ、そんなっ! テイガート様、あんまりです!」

 

 炫の処遇に、ネクサリーが異論を唱えた。しかし、テイガートの考えが揺らぐ様子はない。

 

「ネクサリー。お前とこの男の間にどういう関係があるのかは知らんが、お前はこいつを甘やかし過ぎだ。元々戦力の補充するためだけに雇ったに過ぎない。それを活かすための作戦に、何か不満でもあるのか?」

「それはっ……」

 

 言葉に詰まる彼女を一瞥し、炫は思い直す。彼の言い分は(いつにも増して)キツい内容であることには違いない。

 しかしそれと同時に、正論でもあった。

 

 炫自身、彼らに協力することを目的として同行して来ている。これくらい出来ないで、この世界をクリアすることなど不可能なのだろう。

 ――そう思い立ち、炫は腰の鞘を握りながら進み出る。もとより、後戻りなどできないのだから。

 

「ネクサリー、もういい」

「ヒカルさん、でもっ……!」

「絶対に成功させて見せる。……オレは大丈夫だから、君もちゃんと続いてくれよ?」

 

 炫は彼女に身を寄せ、宥めるように囁く。途端に、ネクサリーは頬を朱に染めて、つぶらな瞳を見開いた。

 

「え! あ、う……」

 

 薄く、それでいてみずみずしさのある唇に指先を当て、視線を泳がせている。そんな彼女の反応を微笑ましげに見送り――炫は一人、剣を手に死地へ向かう。

 テイガートの睨みを、背に受けて。

 

(……そうさ。必ずクリアすると決めて、ここまで足を運んで来たんだ。ちょっと予想と違ったくらいで、いつまでもたじろいでいてどうする!)

 

 ◇

 

 鞘を手に、単身で洞窟の前に立った炫は、深呼吸すると共に抜刀の構えに入る。

 今までもこうして盗賊や山賊と一戦交えることは何度もあった。なにより、炫にはこの「DSO」そのもののクリア経験もある。

 

 それでも深呼吸しなくては落ち着かないほどに緊張しているのは、以前までとは勝手が全く違うことにあるのだろう。

 スフィメラの町で依頼をこなしていた頃は、防御力の高いノアラグンが先頭に立ち、炫がサポートしつつダイナグが敵を掃討していく、という流れで戦闘を進めていた。

 

 それは、炫達三人がそれなりの信頼関係を築いているから「作戦」として機能しているものであり、今回ではその点に不安が残っているのである。

 

 テイガートもネクサリーも、イリアルダ家に仕える騎士である上、今更戦力を疑うつもりはない。

 ただ、こちらが向こうを助けても向こうがこちらを助けてくれる、とは信じきれない。

 

 ネクサリーはともかく、テイガートに仲間意識はあるのだろうか。「DSO」なら文句を言いながらも加勢に来てくれるのだが、もはや彼は自分が知るテイガートではない。

 利用するだけ利用して、窮地に陥った瞬間に見捨てる可能性もある。NPCに背中を預けると言う行為が、この世界において吉と出るか、凶と出るか。

 ――それは、未知の境地であった。

 

(でも、今はッ……!)

 

 しかし、凶と出たとしても。炫の背に、引き返せる道はない。たとえこの先が罠だとしても、生き延びるためには罠すらも踏み越えるしかないのだ。

 自分が生きねば、誰一人救えないのだから。

 

「――おぉおッ!」

 

 炫は開戦の合図とばかりに燭台を叩き壊し、洞窟の中に駆け込んでいく。迷いはない。全て、叩き伏せるのみ。

 

「な、なんだこのガキ!」

「イリアルダの回し者かァ! 野郎共、ぶち殺せェッ!」

 

 見知った顔の山賊達が、槍や斧を持ち出して迎撃してくる。皆、炫や信太達を睨んでいたクラスの男子達だ。

 

(山賊役までやらされているのか! ――みんな、ごめん!)

 

 その攻撃の数々を受け流し、次から次へと腹に重い一発をお見舞いしていく。本来なら無惨に斬り裂かれているはずの彼らは、腹を抑えて続々と気絶していった。

 

 ――山賊達の人相を目の当たりにした瞬間。炫は咄嗟に剣を鞘にしまい、「不殺(ノーキル)」で戦う方向に切り替えたのだ。

 例えNPCの敵という役割であろうと、リアリティ・ペインシステムでクラスメートを苦しめるわけにはいかない。

 

「はあっ!」

 

 鞘の先端が、勢いよく振るわれたことで発生する遠心力が、強力な衝撃を生み――山賊のどてっ腹に突き刺さる。

 

「ぅぐはあッ!」

 

 炫の一撃に昏倒し、山賊――に扮するクラスメート達は次々と気絶していく。

 単純な力押しだけでは数の暴力に押されるが、身をかわして攻撃をいなせば、隙は必ず生まれるもの。そこさえ突けば、攻略は容易い。

 

 しかし、テイガートがそうだったように、山賊側も思考能力を高めていたらしい。

 炫の目的が「ユリアヌの救出」と察したのか、これ以上先には進ませまいと体格を活かして、陣地防衛に徹し始めた。

 

 決して広くはない洞窟の道を、あっという間に山賊達は塞いでしまう。この状況で斧やら槍やら突き付けられたら、迂闊に先に進めなくなる。

 

(……まずい! クラスメートの皆だろうと、今のテイガート達にとって彼らは全員「山賊」! テイガート達がここに来る前に、なんとか始末をつけないと……!)

「実力は確かなようだな! ご苦労だった!」

「……しまっ……!?」

 

 ――そこで山賊達の人間防壁に行き詰まっていた時、炫の頭上を飛び越えて、二人の騎士が現れた。

 

「あとは、お任せください!」

「ま、待てテイガート! ネクサリーッ!」

 

 腰から引き抜かれた細身の優雅な剣――を包む鞘が、風に流されるように山賊達を打ち抜いていく。

 

(……!? まさか!)

 

 ――テイガートもネクサリーも、基本的に不殺はしない。敵とあらば抜き身で斬り伏せるのが、彼らのやり方だ。

 しかし、彼らは剣を抜かず炫と同じ鞘のまま、山賊達を打撃で気絶させていた。本来の「DSO」なら、まずあり得ない光景だ。

 

(真殿君……! 蟻田さん……!)

 

 ……やはり、大雅や利佐子の精神はここにも影響を及ぼしている。クラスメート達を救おうと言う気持ちは、彼らの中にも無意識下に息づいているのだ。

 

「き、騎士団の連中かッ! こんなところにまで……!」

「我らはイリアルダ家に仕える騎士。貴様らに然るべき制裁を下すべく参上した!」

「ほ、ほざけ!」

 

 山賊の一人が、いきなり攻め入ってきた騎士をひねりつぶそうと、人間二人分の面積はあろうかというほどの巨大な鎚を振り下ろしてくる。

 

 あれを避けようとしたら、攻撃の面積が広いから足捌きではかわしきれない。

 だから左右もしくは後ろへ跳ぶしかないのだが、それでは他の山賊達に狙い撃ちにされる。

 それに、騎士団の剣であれほどの巨大なハンマーを、受け止められるはずがない。

 

「テイガート様ッ!」

 

 ネクサリーも動揺し、声を上げる。

 

 しかし、当のテイガートは全く動じていなかった。それどころか、してやったりの顔で笑ってすらいる。

 

「この私を――テイガート・デュネイオンを見くびったことが、貴様の唯一にして最大の敗因だ」

 

 ニヤリと口角を上げたかと思うと、次の瞬間にはハンマーを振り下ろした山賊の懐に飛び込んでいた。

 

「な、なにい!?」

「左右の回避は不可、後退も不可、防御も不可。……ならば前に進むだけだ」

 

 山賊は驚愕のあまり声を上げる。

 しかし、それ以上彼が何かを喋ることはなかった。

 

 間髪入れずに放たれたテイガートの一閃が、山賊の胸を打ち抜いていたからだ。

 

 崩れ落ちるように倒れる山賊。

 それに対し、テイガートの方は無傷であるばかりか呼吸一つ乱れていない。

 

 ――炫が思っていた以上に。この世界のテイガートは、オリジナルを上回っているようだ。本来なら、あの巨漢は主人公が倒さねばならない相手なのだから。

 

 たった今テイガートに討たれた山賊は連中にとってもかなりの強者だったらしい。

 彼が倒れた途端、向こうの雰囲気から気後れに近いものを感じた。

 

「これ以上続けるつもりなら、死者を出すことも厭わんぞ! 我々と同行してきたこの男に倒された者達も、私が倒したこの山賊も、命に別状はない。しかし、この先もそうとは限らないと覚えておけ!」

 

 テイガートもこの空気を察していたらしい。この機に乗じて先に進むつもりなのか、高圧的な態度で残りの連中を一喝した。

 

 結局、他の山賊達は気圧されるあまり敵わないと感じたのか、悲鳴を上げながら洞窟の外へと飛び出して行った。

 

 これで予想される次の展開は、主犯格のガイアン・バイルブランダーとの対決。いよいよ、「ボス戦」が始まる。

 

(……さぁ、次はどう変わる(・・・)……?)

 

 ◇

 

 さらに洞窟の奥に進み続けると、怪しく辺りを照らす二つの燭台にたどり着いた。

 入り口にあったものと同じだ。

 

「この奥に、奴がいる――というわけだな」

「ユ、ユ、ユリアヌ様のためにも、私、頑張ります!」

「……ユリアヌ嬢を捕まえるほどの手練れ。そうだとしても、奴は極力生け捕りにしたい。オレはそのつもりで戦わせてもらう」

「……フン。不愉快ながら、貴様と同意見だ。奴には、生きて罪を償わせる必要があるからな」

 

 炫の主張に、珍しくテイガートが同調する。やはり大雅の人格の影響もあり、一人も死なせまいとする心理が働いているようだ。

 今回の事件の主犯格であるガイアン・バイルブランダーの捕縛。そして、ユリアヌ・リデル・イリアルダの救出。いずれも容易い任務ではないが、なんとしてもやり遂げねばならない。

 まだ見ぬクラスメート達を、この世界から救うためにも。

 

(――よし、行くぞ!)

 

 炫は鞘を握って薄暗い洞窟の中を突き進み、その後ろをテイガートとネクサリーが続いていく。

 

 ……やがて眼前にうっすらと、二つの人影が見えてきた。彼らは激しくぶつかり合い、この洞窟の中で火花を散らしている。

 

「このユリアヌ様を娶ろうなんて、百万年速いわよ!」

「ええぃ、すばしっこい! グダグダ抜かしてねぇで、俺様のオンナになりやがれっ!」

 

 間違いなく、ユリアヌ・リデル・イリアルダと、ガイアン・バイルブランダーの二人だ。

 囚われたと見せかけ、持ち前の怪力で拘束を破り反撃に出ている最中――という、「DSO」の筋書き通りの展開だった。ユリアヌは拳を、ガイアンは斧を武器に熾烈な戦いを繰り広げている。

 彼女はミニスカートから覗く白い足を露わに、白い下着が見えることも厭わず大胆な蹴り技を連発していた。

 

 その渦中へ、炫達三人はようやく到着した。ようやく主人との再会を果たし、テイガートとネクサリーは破顔する。

 

「ユリアヌ様! ご無事で!」

「ユリアヌ様ぁあ……! よかったですぅ……!」

「テイガート、ネクサリー! 来てくれたのね! ――って、あれ? あなたは……?」

「あ、こちらは救援に駆け付けてくださったヒカルさんという人で……!」

「……そう、助かるわ! もう知ってると思うけど、アタシはユリアヌ。救援に感謝するわ、ヒカル君っ!」

「……あ、あぁ」

 

 そんな彼らに溌溂とした笑顔を向けながら。ユリアヌという少女は黒髪のボブカット(・・・・・・・・)を揺らして、炫にウィンクする。

 ――だが、炫はそんな彼女に対して、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

 

 運動が苦手だったはずの、品行方正な伊犂江優璃は。

 格闘術に秀でた、男勝りのユリアヌ・リデル・イリアルダに扮していたのだ。

 

 ――テイガートやネクサリーは、大雅や利佐子と大差ない人柄であったため、大して気にならなかったのだが。

 ユリアヌこと優璃に関しては、強烈なミスマッチが炸裂している。

 

(う、うわぁ……よりによって、伊犂江さんがユリアヌなのか……)

 

 動きやすさを重視したノースリーブの黄色い服と同色のミニスカートは、白くみずみずしい肌や脚の麗しさを引き出している。

 そこからは、ネクサリーの少し日に焼けた健康的な美肌とは似て非なる魅力が放たれていた。

 

 加えて、一流の彫刻家を動員しても再現が不可能と言えるほどに均整のとれた肢体に違わず、その麗顔はまばゆいほどの美しさを持ち合わせている。

 整い尽くされた目鼻立ちと端麗な口元は、彼女が高貴な身分の人間であることの、何よりの証明となるだろう。

 

(……確かに、伊犂江さんも可愛いしお嬢様だけどさ。無理があるでしょ、ユリアヌのコスチュームは……)

 

 ――だが。ユリアヌは本来、かなりスレンダーな体型のキャラクターだった。その服を、そのまま豊満な肢体の優璃が着ているのである。

 当然、服はかなり張り詰めており、巨峰に衣服を押し上げられているせいで、腹回りが露出している。元々露出度が高めであるユリアヌの衣裳が、優璃の身体に影響されて、より際どくなってしまっていた。

 ――チアガールより、露出が激しいんじゃないか。それが、炫の素直な感想であった。

 

(……しかも……)

「あぁん、仲間かぁ? へっ、何人来ようが、このガイアン・バイルブランダー様に敵いやしねぇよ! ユリアヌをモノにするため、十年鍛えた俺様のチカラを味わいやがれ!」

 

 炫は困り果てた様子で、視線を横に滑らせる。金髪を振り乱し、恫喝の叫びを上げるガイアン・バイルブランダーは――あの鷹山宗生が演じていた。

 

 ガイアンの台詞。宗生の表情。完全に一致。

 申し訳ないという感情が先に来るほど、ガイアンというキャラクターと宗生の人格は、完璧にマッチしてしまっていた。ユリアヌ=優璃を手に入れたいという願望のリンクが、それに拍車をかけているのだろうか。

 

(鷹山君……痛かったら、ごめん。早くクリアして、元の世界に返すから、さ……)

 

 炫は申し訳なさそうに目を伏せながら、ユリアヌ達と共に鞘を構える。今にも零れ落ちそうな優璃の胸から、懸命に目を逸らして。

 

 ――そう、全てはこの世界から脱出するため。

 

(……だから……ごめんッ!)

 

 炫は、クリア後のことに頭を悩ませながら。宗生をブン殴るべく、己の鞘を振るい。

 

 この洞窟に、悪党の悲鳴を轟かせるのだった。

 



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第10話 宝剣の片割れ

 ――洞窟の戦いの、翌日。死闘(ほぼ一方的な姫君による殴打)の果てにガイアンを捕えた後。

 

 金色のドレスに身を包むユリアヌ・リデル・イリアルダは今、イリアルダ邸の会食室の席についていた。

 その周りには、イリアルダ家に仕える騎士のテイガート、ネクサリー、そして彼らに雇われた賞金稼ぎの炫が立っている。

 そんなユリアヌと炫達が招かれている、煌びやかな装飾に囲まれた会食室では――スフィメラの町ではまず目にすることのないような御馳走が振舞われていた。

 

「さ、遠慮はいらない。存分に召し上がってくれ。……娘を救ってくれた君達には、この程度の礼では全く足りないがな」

「いえ、そんな……」

「ありがたきお言葉、感謝致します。マクセル様」

「ユ、ユリアヌ様のためですから! ……は、はわわ、こんなにすごい御馳走……だ、大丈夫かな……」

「うふふ、ネクサリーは食いしん坊ねぇ」

「ひぁあ!? もも、申し訳ありませんコスモア様ぁ!」

 

 炫とテイガート、ネクサリーの三人に、マクセルは朗らかな笑顔を向けている。その隣で愛娘の髪を撫でるコスモアも、慈愛に満ちた眼差しを彼らに送っていた。

 

(嘘だろ……)

 

 そんなイリアルダ家の当主である彼らを、炫はなんとも言えない表情で一瞥する。

 

 ――マクセルを演じさせられている、冬馬海太郎先生は。同じくコスモアとして「キャスティング」されている春野睦都実先生と、この世界で夫婦になっているのだ。

 仲睦まじく見つめ合う二人に、現実(リアル)の彼らをよく知る炫は、微妙な面持ちで俯くより他なかった。

 

(……祈るしかない。誰の記憶にも、この世界が残らないことを)

 

 もし、無事にこのゲームをクリアして現実世界に生還(ログアウト)できたとしても。彼ら二人がこの時の記憶を持っていようものなら、間違いなく大変なことになる。その先に待ち受ける展開など、想像もつかない。したくない。

 ゆえに炫は、内心で祈るのだった。彼らがこの世界の記憶を持つことなく、悪い夢から醒めてくれることを。

 

「ほんと……ヒカル君、だったかな。君の剣術、物凄かったよね! よかったらさ、今度アタシと手合わせしてみない?」

「これユリアヌ。昨日まで誘拐されていた娘が、そんなことを言うものではない。そもそもお前は、貴族の子女としての自覚がなさ過ぎる!」

「い、いざとなったら自分でなんとかする気だったもん! ……でも、助けてくれて、ありがと」

 

 一方。ユリアヌは攫われてからも気丈さを失っておらず、事件から夜が明けたばかりだというのに、非常に元気だ。その上、炫に手合わせまで申し込もうとしている。

 ――が、助けられた恩があることは自覚しているようであり。照れ臭そうにしながらも、炫に謝礼と笑顔を送っていた。

 

(……やっぱり、変だな)

 

 そんな彼女に、微笑で返しつつ。炫はユリアヌと優璃の間にある「人柄」の隔たりに、他のNPCにされた者達とは違う何か(・・)を感じていた。

 大雅や利佐子のように、キャラクターの人格と本来の人格が、ある程度マッチしている中で……ほぼ正反対な優璃とユリアヌの組み合わせは、異彩を放っている。

 あまりマッチしていないというだけなら、海太郎が扮するマクセル等にも通じるところはあるが……その点を差し引いても、やはり優璃が扮しているユリアヌは浮いて(・・・)いた。

 

(伊犂江さんに対する「配役」だけ、他のNPCとは違う法則で決められているのか? だとしたら、どうして……?)

 

 疑問は尽きないが、今はそれを解き明かせる状況ではない。炫は違和感を顔に出さないよう取り繕い、愛想笑いを浮かべようとする。

 

「はは……まぁ、手合わせは機会がある時に、ね」

「うん! ――ところでさ。ヒカル君って……今、恋人とかいたりするの?」

「……ヴェ?」

「ユリアヌ様……!?」

 

 だが。次に出てきた彼女の言葉に、またもや変な声を漏らしてしまった。

 異性が恋人の有無を確認。それは世が世なら、「変な勘違い」を生みかねない質問だ。

 この世界にもそういう考え方はあるという設定なのか、テイガートが信じられないような表情で立ち上がってくる。

 

「もし、さ……あ、いや……うん。アタシ、強い人とか、結構イイなって……いや、これは違うかな……あ、えっと、なんて言ったらいいかな……」

 

 髪の端を指先で弄りながら。ユリアヌは急に口籠ると、炫から目を逸らして消え入りそうな声で呟く。

 男勝りな普段の彼女からは、あまり想像のつかない仕草だった。「DSO」にも、こんなシーンは本来ない。

 

「えっと……だから、その……あんもう! とにかく、アタシを助けた騎士(ナイト)様なんだから、それ相応のモノをあげなきゃいけないわよね!」

「……? え、えっと、オレは別に……!」

「お父様! ヒカル君なら上げてもいいよね! あの『宝剣』!」

 

 すると、ユリアヌは話題を切り替えるようにマクセルに視線を移す。その口から出て来た言葉に、炫も目の色を変えた。

 

(……!)

 

 ――「DSO」のシナリオモードならこのあと、イリアルダ家に伝わる「宝剣」を巡り、ライバルとなる剣士と戦うことになる。

 その剣士は片割れとなる二本目の「宝剣」の持ち主であり、彼との戦いを経て、ラスボスである魔獣との決戦が始まるのだ。

 

 クライマックスは近い。イリアルダ家秘伝の宝剣が彼女の口から語られたことで、炫はそう予見し。周囲に見えないテーブルの裏側で、独り拳を握り締める。

 

(もう少し、もう少しだ。もう少しで、皆が……!)

 

 ――その時だった。

 

「……おや。今日は、先客がいらっしゃるようですね」

 

 艶やかな声を響かせ――ある一人の青年が現れた。

 美術館から飛び出て来たかのような煌びやかな鎧を纏う、その青年の登場に……マクセルは露骨に顔を顰める。

 

「オーヴェル殿……。先日も申し上げたことだが、貴殿にはすでに『宝剣』を渡している。お引き取り願いたい」

 

 招かれざる客に対し、マクセルは諭すような口調で退出するよう言い渡す。だが、オーヴェルと呼ばれた青年にここから出ていく気配はない。

 彼がこのイリアルダ邸に来るのは今に始まったことではないらしく、他の者達も「また来たのか」と煙たがるような面持ちだ。

 

「君はすでに私がルバンターの町で開いた武術大会に優勝して、『宝剣』を得ているだろう。残されたもう一つの『宝剣』は、こちらで新たに所有者を決める」

「力の均衡を保ち、剣の力が暴走せぬようバランスを守るため……ですか? そんなことをせずとも、全て私に任せて頂ければいいのに」

「……もう、いい加減にして。『宝剣』は並大抵の力じゃないの。そんなことしたら、誰もあんたを止められなくなるじゃない。男なら、一本で我慢しなさいよ」

 

 遥か昔から伝わる、イリアルダ家に伝わる秘宝の剣。かつて、人々を苦しめた魔獣を封じ込めた剣と、その魔力に対する抑止力として残された剣。

 イリアルダ家は、その二本を家宝の「宝剣」として、代々続いて守り抜いて来た。そんな剣を両方、このオーヴェルという男は手に入れようとしているのだ。

 

 ――彼こそ、このシナリオモードにおいてプレイヤーと対を成す「ライバル」の剣士。

 本来の筋書きなら、彼が持つ「宝剣」に封印されている魔獣が、彼との決闘を通じて覚醒し……封印を破って暴走することになる。その魔獣との戦いが、所謂ラスボス戦に当たるのだ。

 

「止める必要など、ありませんよ。この私こそ『勇者』であり、唯一無二の正義なのですから」

 

 自らの力を誇示するように両手を広げ、オーヴェルは交渉を進めようとする。しかし、マクセルに妥協する気配はない。

 

(……この、人は……!)

 

 そんな膠着状態の双方を前に。炫は一人、「宝剣」を持つオーヴェルの人相に瞠目していた。

 

 ――あの新幹線の中。通路の時にすれ違った、オールバックの外国人。その人物が今、オーヴェルとなっていたのだ。

 

(まさか、この人がオーヴェルなのか……。しかし……なんだ? この、妙な感じは……)

 

 それに加え。炫は彼に対し、言い知れぬ違和感を覚えていた。

 

 ルバンターの町の住民や、スフィメラの町の賞金稼ぎ達がそうであったように、この世界でNPCを演じているのは五野寺高校の生徒達だけではない。恐らくはあの新幹線に乗っていたのであろう一般人達も、大勢この世界に集められている。

 オーヴェルを演じさせられているあの外国人も、その手合いなのだろう。そう思えば、さして珍しいことではない。

 

 ……だが。炫は、オーヴェルとして悪役を演じている、あの青年の言動を訝しむように観察していた。

 

(……)

 

 直感ではあるが……感じていたのだ。本来の人格を加味することで、より人間味を増したNPCとは、どこか違う何かを。

 

 この世界のNPCのような、演技と本音が入り混じったような雰囲気ではなく。まるで、「本当の人格」が無理にNPCを演じているかのような……。

 

「剣の力を一人に集めれば、必ず災いが起きる。二つに分かち、互いに牽制しあうことで、バランスが保たれるのだ。君が何を言おうと、私の考えが変わることはないと思いたまえ」

 

 そんな炫の思案をよそに。これ以上は焼け石に水だと、マクセルは一蹴した。

 

 すると――オーヴェルは、そこで表情を一変させる。穏やかな好青年の面持ちから、獰猛な猟犬の貌へと。

 

「そうですか。――では、仕方ありませんね」

 

 これでもかというほど深いため息をつくと、何かの合図を出すように右腕を掲げる。

 

「……ッ!?」

 

 刹那。会食室の窓が、激しい音と共に砕き割れた。

 辺りに戦慄が走り、オーヴェルを除く一同の注意は、屋敷の外から飛び込んできた直径五メートルほどの鉄球に注がれる。

 

「な、なんだ! オーヴェル殿、これは一体!?」

「……残る一本の『宝剣』。それを頂くというのは、決定事項なのですよ」

「何のつもりだ、貴様!」

 

 イリアルダ家に伝わる伝説の剣の持ち主ということで、ある程度は譲っていくつもりだったが、この事態を前にしては敵対せずにはいられない。

 剣を抜こうと鞘に手を伸ばすテイガートだったが、

 

「――うっ!?」

 

 突如、強烈な衝撃が足元に響き渡り、条件反射的に動きを止めてしまった。

 

 その場所を見下ろしてみれば、どういうわけか――小さな火が床を燃やしている。

 

(火の玉が、飛んできた――まさか、これは……!?)

 

 そう察したテイガートと炫が同時に天井を見上げると、そこには二丁の拳銃を構えてほくそ笑む一人の男が、シャンデリアの上に立っていた。

 

 オーヴェルのように、招かれざる客人であることは間違いない。

 

「貴様は……!」

「……なっ!?」

 

 見覚えのあるその顔にテイガートが声を上げ、炫が瞠目する瞬間。テイガートの脚が、火の銃弾に撃ち抜かれてしまった。

 

「ぐわああッ!」

「テイガート様ッ!」

 

 突然の敵襲にうろたえながらも、騎士としての責務を果たすべくネクサリーも加勢しようとする。

 

 そこへ――追い撃ちを掛けるように、鉄球が唸りを上げて襲い掛かってきた。

 

「くッ……!」

 

 テイガートを守るように立っていたネクサリーは彼を連れてかわすことも出来ず、顔を腕で覆って衝撃に備えることしかできなかった。

 それを目撃した炫は反射的に飛び出し、二人を抱えて横に回避する。三人が立っていた場所に鉄球が減り込んだのは、その直後だった。

 

「ヒ、ヒカルさんっ!」

「ぐっ……ま、まさか、貴様に助けられるとはな」

 

 ネクサリーとテイガートは、間一髪自分達を救出した炫に声を掛ける。

 

「この鉄球……嘘だろ……!」

 

 だが、当の炫は返事をする余裕もなく――信じられないものを見る表情で、シャンデリアにいる男と床に減り込んだ鉄球を、交互に見やっていた。

 

 シャンデリアから火球を撃ち込んできた男。この鉄球の持ち主。どちらも――炫がよく知る人物だったのだ。

 

「……信太! 俊史ッ!」

 

 炫の悲痛な叫びと共に。

 鋼鉄の球体が、割れた窓から入り込んできた小太りの男の手元に引き寄せられる。

 

「ビビりすぎて動けなかったのかねっ? 今の仲間がこの程度じゃあ、ヒカルも大変なんだねっ」

 

 ドスの効いた低い声に、特徴的な語尾。ネクサリーはまさかと思って目を見開くと、

 

「ローグマンにグローチア。手間を掛けさせたな」

「後味悪いが、これも『依頼』だしな。やることはやるさ」

「ヒカルには悪いけど、これも仕事なんだねっ」

 

 そこには――スフィメラの町を拠点とする、二人の賞金稼ぎが立っていた。

 

「しっかし、ホントに弱っちいなこいつら。よく今まで盗賊に潰されなかったもんだ」

「仕方ないんだねっ。何せ当主様が小さな町でしか武術大会も満足に開けないくらいの超貧乏貴族様なんだからねっ」

「さぁ……まずはここを焼き払い、残る『宝剣』を探すとしようか」

 

 オーヴェルが無感情に放った一言に、ネクサリーの表情が凍り付く。そして炫は――わなわなと身を震わせていた。

 

(……オーヴェルとの「宝剣」を賭けた闘いは、マクセルが主催する御前試合で決着を付ける筋書きだったはず。こんな場所でいきなり戦闘になるなんて……ましてや、ダイナグとノアラグンが、敵になるなんて!)

 

 自分が知る「DSO」では、考えられない展開であった。

 

 確かにダイナグやノアラグンの「キャラ」を鑑みれば、賞金稼ぎの流儀に則り雇い主側に付くことは不思議ではない。だが、その雇い主がよりによって「ボスキャラ」のオーヴェルになる事態など、全く想定していなかった。

 

 ダイナグとノアラグンは、実力は確かだがスフィメラの町で特に名が知れている凄腕、というわけではない。狙って(・・・)雇わなければ、このような状況にはならないだろう。

 

 ――そう。

 

 オーヴェル自身が、「この世界の物語」を知っていなければ、そうそう起こり得ない事態だった。

 

(……!)

 

 その事象と、こちらを窺うように目を細めるオーヴェルを前に。炫は、彼が持つ他のNPCとの「違い」を明確に意識する。

 

(まさか、あの人は……ッ!)

 

 彼がその「違い」を解き明かすために立ち上がった、その時。

 賞金稼ぎの一人――ダイナグが、あの火の銃弾を放つ拳銃を、腰のホルスターから引き抜いた。

 

「その前に、あの二人を始末しておけ」

「あいよ」

 

 一切の感情を持たない声色で交わされたそのやり取りを合図に、その銃口がネクサリーと脚を撃たれて動けずにいるテイガートに向けられる。

 

「信太……やめろッ!」

「……させませんッ!」

 

 テイガートを置いて避けるわけにはいかない。

 炫とネクサリーは決死の覚悟で剣を抜き、防御の姿勢を取る。

 

「やれやれ……相変わらず、甘いなヒカル」

 

 そんな彼らに呆れた様子で、賞金稼ぎはそのまま――引き金を引いた。

 

「ハァッ!」

 

 しかし。放たれた火炎弾が、炫達の命を絶つことはなかった。

 

 凛とした掛け声がこの場に響き渡り、同時にジュウッと火が燃え尽きる音がする。

 

「――!?」

 

 目の前で起きたことに、今度はオーヴェルも含めた全員が目を見開いた。

 物陰に身を隠して混乱から逃れていたマクセルとコスモアも、驚きのあまり身を乗り出す。

 

「……『宝剣』の持ち主だろうと、こんなことは絶対に許さない! ここでアンタ達をやっつけて、汚名返上よ!」

 

 火の弾丸を手刀で叩き落とし、ユリアヌ・リデル・イリアルダは勇ましく、オーヴェル達の前で啖呵を切る。ドレスの裾を勢いよく破り捨て、動き易い格好に変えながら。

 

「ユ、ユリアヌ様! お怪我は!?」

「大丈夫よ、ネクサリー。それにテイガート、ヒカル君。今ここで……助けてくれた恩に報いさせて。ここはアタシに任せて、ネクサリーはテイガートをお願い!」

 

 ネクサリーの前で拳を握りしめ、ユリアヌはキッと賞金稼ぎ達を睨みつける。その視線のまま、彼女は隣で身構えている炫に声を掛けた。

 

「ヒカル君。こんなことになっちゃって、ごめん。アタシ達のことはいいから、早く逃げて……って言いたいけど……連中、一人も逃さないつもりみたいだし」

「……そう、だな」

「だから、今度こそ。絶対に皆に償ってみせる、皆を守ってみせる! アタシはオーヴェルをなんとかするから、ヒカル君はあいつらをお願いッ!」

 

 そして義憤に拳を震わせ、勇ましく一歩を踏み出していく。そんな彼女を一瞥しつつ、炫は予期せぬ展開で迎えることになった「ボス戦」に臨むことになったのだが。

 

(……信太、俊史……)

 

 その手に握られた剣には――少なからず。迷いが、滲んでいた。

 



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第11話 友との戦い

「信太、俊史……!」

 

 鉄球を軽々しく扱うノアラグン――俊史と、火球を撃つ拳銃を扱うダイナグ――信太。

 その二人を前に、炫は剣を握る手を震わせる。……これから、友人達と戦うことになるのだと、己に言い聞かせて。

 すでにユリアヌは、オーヴェル目掛けて走り出していた。

 

「やっぱりこうなっちまったかァ。できりゃあ、お前には大人しく引いてもらいたかったんだがなぁ」

「――ま、これも仕事。やむを得ないんだねっ!」

 

 得意げに手にした拳銃をクルクルと回すダイナグと、鉄球をぎらつかせて威嚇してくるノアラグン。

 

 二人の「仲間」だった時からすれば見慣れた光景だが、こうして二人の「敵」に回った視点から見れば、彼らがいかに脅威なのかがハッキリとわかる。

 

(別の依頼ってのは――こういうことだったわけか)

 

「――金のためなら、なんでもやる。賞金稼ぎの鑑だな」

「まぁ、気持ちはわかるがそう怒るなよ。あいつの行動に協力すりゃあ、たっぷり報酬が出まくりんぐなんだからさ」

「今回の依頼、ヒカルは関係ないんだねっ。刃向かいさえしなければ、仲間のよしみで見逃してやるし、報酬も分けてやるんだねっ!」

 

 二人の呼び掛けに、炫は暫し押し黙る。そんな彼に、ネクサリーは不安げな眼差しを向けるが……彼の眼にはまだ、「戦意」が確かに残されていた。

 

(……あくまで、彼らはダイナグとノアラグン。いくら呼び掛けたところで、信太と俊史は目覚めやしない……だったら)

 

 無視しているわけではない。口では応えないだけだ。炫は剣の切っ先を彼らに向け、語らずして宣戦を布告する。

 

 ――賞金稼ぎなら、賞金首を捕らえる以外の仕事だって、何だって引き受ける。金さえ、貰えるなら。

 

(……やるしか、ないんだ)

 

 ならば、戦うしかない。ダイナグ達も説得は無理と悟ったのか、戦闘態勢を整える。

 

「ヒカルとやら……奴らに挑むつもりなら心しておけ。あの鉄球を喰らえばひとたまりもないし、もう一人の男も何やら妙な銃器を使う。火の玉を発するあの拳銃に撃たれれば、ただ撃たれるだけの痛みでは済まんぞ」

「わかってる。オレの方が、付き合い長いからな」

 

 戦いの直前。片膝をついたまま、忠告するように語り掛けるテイガートに、炫は視線を外さないまま答える。

 ……テイガートのキャラ付けによる台詞でしかないとはいえ。大雅の口から気にかけるような言葉を貰い、炫は微かに口元を緩めた。

 

 ダイナグ達は、それを「余裕」と解釈したらしい。

 

「お喋りはもういいか?」

「ああ――いいぞ!」

 

 炫が剣を一回転させ、それを開戦の合図とした瞬間。拳銃から発せられた多数の小さな火の玉が出迎えてきた。

 剣で防御に回れば、隙が生まれる。炫は真横に転がり、顔を上げて迎撃してきたダイナグの手元を見る。

 

 その手に握られた拳銃の銃口からは、硝煙ではなく小さな火が、立ち上る煙のように漂っていた。

 

「いつもは二丁だったはずだが?」

「お前なら一丁で十分……って、言っちまってもいいか?」

 

 余裕そのものの表情で、ダイナグは銃口の火を吐息で消し、再び俺に向ける。

 

 ダイナグの持つ、火の玉を弾丸とする拳銃――魔法炎銃(マフレイガン)は、彼の戦闘力を象徴する……いわば大事な「商売道具」なのだ。

 

 貧民街のジャンク屋から見つけた、所有者の魔力を火力に変換して、火炎弾を発射する。

 あの武器を用いて、彼は炫やノアラグンと共に、ありとあらゆる修羅場を駆け抜けてきた。

 

 ダイナグ自身の魔法の素質は微小なものだが、それでも魔法炎銃を手にしてしまえば、恐ろしいほどの戦力を発揮する。

 

「怪我しない内に退散するんだな、ヒカル!」

 

 間髪入れず、火炎弾が群を成して襲って来る。

 

「くっ!」

 

 炫は椅子やテーブル等の遮蔽物に身を隠し、一旦はそれらをやりすごした……が、

 

「そこに逃げちゃあ、危ないんだねっ!」

 

 真上から垂直に炫目掛けて落下して来るノアラグンの鉄球が、息つく暇を与えない。

 彼はさらにそこから飛び出し、落下した鉄球に砕かれて飛び散る床の破片を回避しようと左右に飛び回る。

 

「そこだっ!」

 

 もちろん、そんな隙を見逃すダイナグではない。彼から見て炫が遮蔽物から飛び出す格好になった瞬間。

 ――炫の左肩が、炎の弾丸に撃ち抜かれてしまった。

 

「あぐっ!」

 

 肉が焼かれる痛みに一瞬視界が歪むものの、動きは止めない。立ち止まれば、その瞬間に鉄球で潰される。

 

「長い付き合いなだけはあるよな……手の内を知らないよそ者だったら、初撃でおだぶつだってのによ」

「でも、せいぜい逃げ回るのがやっと。その剣一本で俺達を叩き潰すには、荷が重いんだねっ!」

 

 鉄球でへし折られて、縦に突き刺さったテーブルに身を隠す炫に、二人は言葉で揺さぶりを掛けてきた。

 

(くっ……魔法炎銃をかわせても、近づく前に鉄球に潰される! シナリオを優位に進めるために二人を助けたはずなのに、こんなことになるなんて!)

 

 遠距離にいれば魔法炎銃の銃撃が待っている。なんとか弾幕をかい潜って近付けても、ノアラグンの鉄球が迫ってくる。

 経験値を稼ぎ強化した剣であるとはいえ、その一本だけで切り抜けるのは、確かに困難を極めるだろう。

 

「らしくねぇな。お前ともあろうものが、逃げ回るなんてよォ!」

 

 ダイナグの叫びが部屋全体に響き渡ったと思うと、炫の背中に痛いほどの熱気が訪れた。

 

(打つ手を考える時間も与えない……ということか!)

 

 炫は燃え盛るテーブルの破片から転がり出ると、剣を構え直す。テーブル中央に大穴が開いたのは、その直後だった。

 

(……なら、オレも……覚悟を決めるしかないッ!)

 

 やがて彼は意を決するように白刃を振り上げ、二人に向かって正面から突進し始める。

 

「何を考えてるんだねっ!?」

 

 ノアラグンが動揺しながらも、鉄球を撃ち放った。

 

 彼は敵が走って来る場合、その走るスピードから計算して、敵が通過すると予測した位置に鉄球を落とす。

 

(……狙うなら、その「手順」だ!)

 

 その戦法を逆手に取り、炫は彼が鉄球を投げる瞬間に僅かに減速した。

 

 結果、鉄球は炫の僅か手前に落下し、同時に落ちた鉄球と衝撃による土埃が目くらましとなった。

 

「なぁ……!?」

(……取ったッ!)

 

 炫はそこから鉄球の上を飛び越え、土埃に身を隠しつつ、さらに前進する。

 

「見えてるぞ……もらった!」

 

 それでも、ダイナグの目はごまかせなかったらしい。魔法炎銃の銃弾が次々と襲い掛かって来る。

 

 ここまで近付いたからには、もう避け切ることはできない。

 となれば、炫が生き延びる術は一つ。

 防御だ。

 

「ぐっ――らああああああっ!」

 

 直撃コースの火炎弾をいくつか剣で受け止め、炫はそのまま突き進む。

 当然ながら火を鉄製の剣に受け続ければ、熱が伝導していく。あっという間に、柄を握る炫の手元にまで熱気が染み込んできた。

 

「……ぉぉおおおッ!」

 

 彼はそれでも剣を離さず、握っていられるギリギリまで、二人に向かって走り続けた。

 

「終わりにするぞ……ここでッ!」

 

 そして剣の熱気が限界に達し、赤熱が発生する瞬間。炫は素早く剣を鞘へ納め、ノアラグンの顔面に思い切り投げ付けた。

 

 土埃で炫を見失っていた彼は、突然眼前に飛んできた謎の物体に反応出来ず、「ぎゃふうっ!?」と悲鳴を上げて昏倒してしまった。

 頭上をひよこが飛び交っているノアラグン――俊史の額からは、小さな煙が立ち上っている。

 

「ノアラグンッ!?」

 

 ダイナグも土埃で反応しきれなかったらしく、派手な音を立てて倒れたノアラグンに驚きを隠せずにいた。

 その僅かな隙を、炫は見逃さない。

 

「そこだッ!」

 

 一瞬で間合いを詰め、魔法炎銃の銃身を掴む。

 

「がぁっ!?」

 

 そして、その手を下に向かって引っ張り、彼の後ろ足が浮くほどに体勢を崩したところへ。体重を目一杯乗せた顔面ストレートを、お見舞いするのだった。

 

「ごはぁあっ!?」

 

 鼻血を噴き出し、一メートルほどぶっ飛んだダイナグは、もんどりうって倒れてしまった。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 息を切らして肩を上下に揺らしながら、倒れたダイナグとノアラグンを一瞥すると。炫は、違う場所で戦い続けているユリアヌとオーヴェルの方へ視線を向けた。

 

(伊犂江さん、みんな……!)

 

 信太と俊史の阻止には成功した。どちらも、しっかり「不殺(ノーキル)」で決着を付けられたのだが……急がねば、優璃の身にも危険が及ぶかもしれない。

 

(信太、俊史……!)

 

 炫はその焦りを胸に、加勢するべくユリアヌの側へ急行する。足元で倒れている友人達の姿に、後ろ髪を引かれながら。

 

 ◇

 

「ちぃっ……!」

「ハッ、トァッ!」

 

 ――炫の手で二人の賞金稼ぎが倒された頃。ユリアヌとオーヴェルの戦いも、佳境に突入しようとしていた。

 鋭い刺突の連撃をかわし、足や腕に蹴りを浴びせるユリアヌの猛攻。貴族令嬢とは思えないその立ち回りに、オーヴェルは防戦一方となっていたのだ。

 

 突き出された剣の上を舞い、片手で着地したユリアヌの蹴りが、弧を描いてオーヴェルの腕に命中する。その一撃に僅かに怯んだ瞬間――彼の膝下に、痛烈なローキックが飛んだ。

 反撃に転じるべく水平に薙ぎ払われた剣をかわし、後方にバック宙するユリアヌ。そんな彼女を追うように、オーヴェルは斬撃の嵐を見舞うが――その全てを、彼女は軽やかに避け続けていく。

 

「――イヤッ!」

「がっ!」

 

 やがて、斬撃の中から生まれた僅かな隙を見抜き。剣を握る手を掴まれたオーヴェルの顔面に裏拳が減り込み――その手で頭を掴むと、縦に回転させるように投げ飛ばしてしまった。

 

 視界を回転させ、床に墜落したオーヴェルはすぐさま立ち上がり距離をとるが――圧倒的な速さでこちらの攻撃を寄せ付けないユリアヌの立ち回りに、攻めあぐねているようだった。

 

「……さすが、レベリング次第で最強格にもなりうるNPC。かなりこちらも準備はしてきたつもりだったのだが……読みが少々、甘かったようだな」

「……? 何をごちゃごちゃと……諦めて降参しなさい!」

 

 オーヴェルの、この世界の住人としてはありえない発言。それを耳にしたユリアヌは、一瞬眉を顰めるが直ちに気を取り直し、構えを取る。

 

「ユリアヌ!」

「ヒカル君! もう片付いたんだ、さすがね!」

「……ああ、まぁな」

 

 すると、今度はこの場に炫も合流してきた。彼は気絶しているダイナグとノアラグンを、痛ましい表情で一瞥する。

 

「……」

 

 そんな彼の横顔を、オーヴェルは暫し神妙に見つめつつ――剣を鞘に納めた。彼の行動に、炫とユリアヌの表情が変わる。

 

「さすがに諦めて降参ってわけ? 懸命ね、アンタの連れは全員ヒカル君がやっつけちゃったんだから!」

「……確かに、この状況で今の私が逆転出来る可能性は……ないだろう」

 

 ――その時。

 オーヴェルは、その懐に手を伸ばし。

 

「……ッ!?」

 

 「あるもの」を、出した。

 紫紺に塗装され、二つのグリップを両端に備えた「それ」は、さながらゲームのコントローラのような形状であり――それを目の当たりにした炫の表情を、驚愕の色に染め上げる。

 

「……この『宝剣』を使わない限りはな」

(「宝剣」……だって!? あれが……!?)

 

 当然だが、「DSO」はファンタジーRPGである。このような、世界観を壊すようなアイテムなど実装されていない。

 得体の知れないオブジェの出現に、炫は警戒を露わにして剣を構え直した。

 

 ――本来の「DSO」ならば、宝剣はその言葉通りに「剣」の形状であるはずなのだ。あんな、コントローラのような意味のわからない物体などではない。

 

「させないッ!」

「……」

 

 ユリアヌはオーヴェルがやろうとしていることがわかっているらしく、速攻で潰そうと走り出す。だが……彼の行動の方が、早い。

 

 オーヴェルは「宝剣」を丹田に近い腰の部分に当てる。すると――「宝剣」の両端からベルトが飛び出し、一瞬で彼の体に巻きついてしまった。

 

(巻きついてベルトになった……!? あのコントローラみたいなアイテムは、ベルトのバックル……!?)

「たぁあぁああッ!」

 

 その事象に、炫はさらに瞠目する。ユリアヌはなんとかオーヴェルの行動を止めようと、飛び蹴りを放つが――

 

「……発動」

 

 ――その宣言と共に。「宝剣」の中心に在る白いボタンを押し込んだオーヴェルの全身を、眩い光が包み。

 

「きゃあぁああっ!」

「ユリアヌっ!?」

 

 飛び蹴りを命中させるはずだったユリアヌを、何らかの力で弾き飛ばしてしまった。その威力は尋常ならざるものであり、咄嗟に抱き留めた炫が横転するほどの勢いを生んでいた。

 

「し、しまった……!」

「ユリアヌ、これは一体……!?」

 

 そして、体勢を持ち直した二人の前には――白いボディスーツと紫紺の鎧を纏う鎧騎士が立っていた。

 両肩には21世紀初頭のゲーム機のような、正方形の箱が備え付けられている。どうやら紫に塗装されたそれは、肩鎧であるらしい。

 

「……! あ、れは……!」

 

 ――そう。ルバンターの町で見た、古の勇者達が着ていたとされる、あの仮面と鎧。その内の一つが今、炫の眼前に顕現したのである。

 

(あの町で見た鎧と同じだ! じゃあ、あの人は……!)

 

Set up(セタップ)!! Sixth(シクス) generation(ジェネレーション)!!』

 

 その時、この場にファンタジー世界には相応しくない電子音声が響き渡る。その声の主は――アーメットヘルムを装備する鎧騎士の腰に巻かれた、あのコントローラ状のベルトだった。

 鎧騎士の腰に、あのベルトが巻かれている。それは、目の前の鎧騎士がオーヴェルの「変身」した姿である証だった。

 

「……!」

 

 しかも。彼が腰のコントローラ……のようなベルトに付いている赤いボタンを押すと。

 炫が「DSO」で何度も目にした「宝剣」の一つ――「ベリアンセイバー」を納めた鞘が出現した。

 

「……あれは、『蒼甲勇者(そうこうゆうしゃ)ベリアンタイト』。ベルト型の神具『ブレイブドライバー』を介して鎧騎士になることで顕現する、『宝剣』の化身よ」

「ベリアン、タイト……」

 

 そこで炫はようやく、理解した。あのコントローラ状のベルトで鎧を纏うことにより、初めてこの世界の「宝剣」はその性能を発揮するのだと。

 

 一体、なぜそのようなプロセスがないと「宝剣」が使えないようになっているのか。あの鎧を纏うことで、どれほどの能力を手にしたのか。

 わからないことばかりだが――確かなことは、一つだけある。

 

「……ああやって、『宝剣』の鎧を纏った勇者のことを『甲冑勇者(アーマードブレイブ)』って言うらしいんだけど」

「なるほどな。……要するに、オレ達はそれほどの『切り札』を使わせてしまった……ということか」

 

 「甲冑勇者」という超常の力の保持者。それを持たない、人間でしかない自分達。その間にある、隔絶された力の差。

 ベリアンタイトの鎧から発せられる迫力から――炫はそれを、敏感に感じ取るのだった。



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第12話 赤と青、剣と剣

 ――伊犂江優璃。

 日本有数の大企業「伊犂江グループ」の令嬢として、彼女はこの世に生を受けた。

 

 東京湾の海を一望できる豪邸。各所に設けられた別荘。常に付き従う使用人。

 この現代日本において、これほどのものを生まれながらに備えていた者など、数える程もいない。

 

 彼女は生まれたその瞬間からずっと、特別であった。

 

 望めば、ありとあらゆるものが手に入る。そんな彼女には当然のように、有力者の子息が群がってきたのだが――彼女は、誰とも婚約を結ぶことなく今日を生きている。

 ――その理由は、彼女が愛するものにあった。

 

 幼い頃から花をこよなく愛する彼女は、幼馴染の利佐子と共に花畑や公園を散歩することを好み――その噂を聞きつけた男達は、挙って花束を送っていた。

 いずれも品種改良を重ね、鮮やかに彩られた高級品ばかり。花を好むのなら、これに興味を示さないはずがない。それが、彼らの見立てであった。

 

 ――しかし、思惑通りに彼女との関係を深められた男性は、一人としていない。

 それは、彼らが送りつけた花が原因であった。

 

 本来持っている美しさより、見た目の色鮮やかさのみに拘って「造られた」花々は、彼女を笑顔にさせるどころか、その貌に悲哀の色を滲ませてしまったのである。

 

 彼女が愛するのは煌びやかに造られた花ではなく、野に咲く自然の花々。それを知らない男達は、優璃を手に入れるためだけに花に手を加え――それが叶わぬと知ればゴミとして廃棄していた。

 

 ある時、優璃は偶然にもその光景を目にしてしまったことで、自分に近づく男性に猜疑心を抱くようになったのである。

 ――甘い言葉で自分を誘う男達は、花を傷付け、最後には捨ててしまう。幼い少女の眼に映されたその瞬間が……彼女の心を、男というものから遠ざけてしまったのだ。

 

 それから、数年。2036年の春。

 中学三年の頃に――彼女は、飛香炫と出会った。

 

 顔立ちは整っているものの、大人しく自己主張も少ない彼はクラスでは目立たない存在であり。友人は所謂「オタク」と蔑まれている2人の男子くらいのもので、それ以外に彼を気にかけるクラスメートはほとんどいなかった。

 数少ない友人と別れた後、誰もいない校庭の片隅で、独り花壇の手入れを続ける少年。そんな自分を見ている人間がいるなど、彼自身思いもよらなかっただろう。

 

 男子の注目を集める「学園の聖女」が陰ながら、花を世話する自分を見ているなど。

 

 ――学園というコミュニティにおいて、ヒエラルキーの上位は基本的にスポーツに明るい生徒が占めている。成績が優秀であることを売りとする生徒も少なからず存在はするが、やはり花形は体育会系だ。

 そんな界隈から遠ければ遠いほど、ヒエラルキーは下降して行く。一人で黙々と花壇を世話する帰宅部など、最下層もいいところだろう。

 

 ……だが。優璃にとっては、違っていた。

 

 花を弄び、踏み躙る男。欲に塗れた眼で自分を見る男。そんな者達にばかり囲まれていた彼女にとって――慈しむように花を守る彼の姿は、衝撃的だったのである。

 草毟り、施肥、花がら摘み、植栽。土に汚れながら、美化委員の本分以上に花壇を整備する彼の横顔を――気づけば、無意識のうちに追い求めるようになっていた。

 やがて、常に行動を共にしている利佐子と2人で、彼の仕事を見守る日々が始まったのである。

 

 手伝おう、とは何度も思った。隣に座り声を掛け、お喋りしようとは何度も思った。だが、どうにも気恥ずかしく……彼女は幼馴染と共に、物陰から見つめるばかりであった。

 ――思えば、男から声を掛けられることなら何度もあったが……自分から掛けたことなど一度もない。話しかけようにも、きっかけを掴めずにいたのだ。

 しかも、こういう時に取り持ってくれるはずの利佐子まで、「殿方に自らお声を掛けるのも、社会勉強です」という意地悪に出たせいで、彼女はますます話し掛けられず……そのまま半年が過ぎたのであった。

 

 ――自分の胸中に芽生え始めた気持ちに、説明がつかないまま。

 

 そんな折、彼女は数少ない友人達とゲームの話題で談笑する炫を目撃する。そこで彼女は初めて、彼が「ゲーム好き」であることを知った。

 

 彼が好きなゲームに詳しくなれば、お話するきっかけを作れるかも知れない。

 そんな考えを抱いた彼女は、それまで見向きもしなかったゲームに関心を向け――当時から大人気となっていたVRゲーム用ヘッドギア「ヘブンダイバー」を利佐子と共に購入。

 そして、一目で気に入った「Happy Hope Online」こと「ハピホプ」のプレイヤーとして、ゲームデビューを果たし――電脳世界に咲き乱れる花畑に、二度目の衝撃を受けるのだった。

 

 見たことのない世界での冒険。摩訶不思議な花々。

 作り物とは到底思えない、その「異世界」とも言うべき花の楽園に魅了された優璃は――付き合いで「ハピホプ」を始めた利佐子と共に、VRMMOの世界へとのめり込んで行く。

 

 ――これで、ゲームにも詳しくなった。もう、気後れする心配もない。これからようやく、私は彼と……。

 

 高校進学を機に、優璃はそう思い立ち。晴れて同じクラスとなった炫に、初めて声を掛けた。

 その日からようやく、優璃は炫との交流を始めることが出来たのである。

 

 彼女の胸中を知らない周囲の男子達が「なぜあんな奴を」と妬む中。優璃はこれまでの見ているだけだった時間を取り戻すように、炫との関係を深めるべく、積極的に話し掛けるようになっていった。

 

 ――そうした自分の行動と、その時に感じた甘く切ない感覚。それを顧みて、ようやく。

 伊犂江優璃という少女は、自分が飛香炫という少年に「恋」をしていると気づいたのである。

 

 そして、その瞬間から――間も無く。彼女は、予想だにしなかった事実を知るのであった。

 

「え!? 飛香君、『ハピホプ』やってないんだ!?」

 

 ◇

 

「……来るッ!」

 

 一閃。

 

 ベリアンタイトの鎧を纏う、オーヴェルの剣が煌めきを放ち――咄嗟に身を屈めた炫とユリアヌの頭上を、鎌鼬が通り過ぎた。

 彼らの背後では、切り裂かれたテーブルが無残に飛び散っている。それを一瞥する猶予もなく、第二波の鎌鼬が飛んできた。

 

「くっ!」

「うっ!?」

 

 今度は、縦の剣閃。炫は一瞬反応が遅れたユリアヌを横に突き飛ばし……その反動を利用して、自分も反対方向へ転がった。

 二人の間を裂くように、床に溝が生まれたのは、その直後である。大理石の床を豆腐のように切り裂くその鎌鼬は、間違いなくオーヴェルの技であった。

 

「……さぁ、第2ラウンドを始めようか」

「く……!」

 

 能力の差は、歴然。それを目に見える形で示すかのような、二連撃であった。剣で防御しようものなら、その刀身もろとも真っ二つに両断されていただろう。

 ――ゲームバランスも何も、あったものではない。これはもう、「DSO」の舞台を借りた殺し合いそのものだ。

 

(だけど……死なせるわけには、行かないんだ! 誰一人ッ!)

 

 それでも、炫は一歩も引き下がることなく、剣を構えて立ち上がる。

 この世界で生きているNPCは、誰一人として斬らせない。死なせない。その決意を、眼で訴えるように。

 

「……」

 

 そんな彼の瞳を、刃の如き眼光で射抜くオーヴェルは――鉄の仮面にその貌を隠したまま、宝剣「ベリアンセイバー」を振り上げる。

 その紫紺の刀身からは、禍々しい靄が滲み出ていた。

 

(……「DSO」の設定なら、今もあの剣にはイリアルダ家に伝わる「魔獣」が封じ込められているわけだが……)

 

 果たして、そこに潜む存在は何なのか。今となっては、過去のプレイ経験など全く役に立たない。

 炫がこの戦いの先に在るものに、目を向けようとした――その瞬間。

 

「ハァッ!」

「くっ――!」

 

 ベリアンセイバーのさらなる斬撃。乱れ飛ぶ鎌鼬の嵐をかわし、炫はユリアヌを抱えて窓から外へと飛び出していく。

 

「きゃあっ!?」

「掴まって!」

 

 激しく砕け散る窓ガラスの破片が、イリアルダ邸の庭に着地した二人の頭上に降り注ぐ。炫はユリアヌの上に覆い被さり、その破片の雨から彼女を庇った。

 

「ヒ、ヒカルく……!」

「――まずいッ!」

 

 だが、イリアルダ邸から飛び出しても、ベリアンタイトの攻撃は続いている。ガラスの破片に紛れ、追撃の鎌鼬が飛んできたのである。

 頭上から打ち下ろされた風の刃。それを感知した炫は、ユリアヌを抱いたままさらに前方に転がり回避する。

 直後、彼らがいた場所は地面ごと切り裂かれ――その近辺に広がっていた花畑が、細切れにされていく。

 

「あ……っ!」

 

 宙に舞い上がる花びら。鎌鼬の余波に蹂躙された花々が、炫とユリアヌの視界を埋め尽くした。

 ――その光景を目の当たりにした少女は、悲痛な表情になり。足元に落ちた花びらの切れ端を、震える手で拾う。

 

「……っ」

 

 痛ましい面持ちで無残に裂かれた花を抱き締め、彼女は暫し目を伏せる。そんな彼女の横顔を、炫は神妙な眼差しで見つめていた。

 

(……ユリアヌという「キャラクター」は本来、戦いを好む好戦的な少女であり、花やドレスには全く興味がない変わり者。だけど、この子は……)

 

 彼女は戦いを始める時、ドレスの裾を破り捨てていた。着飾ることに無頓着である点は、変わっていない。

 だが――花を蹂躙されたことに心を痛める彼女の貌は。間違いなく、伊犂江優璃の人格による「変化」であった。

 

(……伊犂江さん……)

 

 知らない世界に連れて来られ、似合わないキャラを演じさせられ、戦わされ、目の前で大好きな花まで踏み躙られ。そんな苦境に中に立たされ続けている彼女の苦しみは、いかばかりか。

 彼女がこの世界の出来事を全て覚えているかはわからないが……もし、記憶が残るのだとしたら。その心に、深い影を落とすことになる。

 

(能力差は歴然。戦局は不利だろう。……だけど!)

 

 ――ならば、これ以上。その傷を深めるわけにはいかない。炫は反撃に転じるべく、地を蹴り窓辺に跳び上がった。花を抱いているユリアヌを、この場に残して。

 

「ヒカル君っ!?」

 

 それが、かつて目指した「より確実にクリアする」ことから遠のく道と知りながら。

 

 ◇

 

「くそっ……あの男、一人で……!」

「テイガート様っ!」

 

 ネクサリーの肩を借り、辛うじて立ち上がるテイガートは――剣を上段に構え、単身でベリアンタイトに挑む炫を苦々しい面持ちで見守っていた。

 一進一退の攻防のようであるが……戦局は、見た目以上に苦しいと言える。

 

 立ち回りそのものは、炫の方が身軽で素早い。ベリアンタイトの斬撃を紙一重でかわしながら、着実に反撃を加えている。

 

 ――しかし、ベリアンタイトの方はまるでダメージを受けていない。全くの無傷というほどではないが、ほとんどの攻撃に対して「怯まない」のだ。

 それゆえ、炫に斬られながら(・・・)反撃に転じることが可能なのである。生身のキャラから受ける攻撃に対し、仰け反らない「スーパーアーマー」と呼ばれるスキルが発動しているのだ。

 

 そのため、圧倒的な防御力の差がありながら、それを埋めるだけの攻撃に転じられずにいるのである。

 何度攻撃を潜り抜けて斬撃を加えても、その直後にはベリアンセイバーの一閃が迫ってくる。攻撃より回避を優先しないと、反撃で致命傷を受けかねない状況なのだ。

 

 炫は何度斬りつけてもほとんどダメージ一つ通らないが……ベリアンタイトの攻撃は、たった一発でも強烈なダメージへと繋がる。しかもベリアンタイトの方は、攻撃されながら斬り返すことも可能。

 

 その圧倒的なスペック差を前に、炫は徐々に……そして確実に、追い詰められ始めていた。

 

「ヒカルさんっ……!」

「くそっ、あのままではいずれ……!」

「……っ」

 

 この戦況を目の当たりにして、テイガートは苦虫を噛み潰したような面持ちを浮かべている。そんな彼を一瞥し、ネクサリーは僅かに逡巡した後――決意を固めたように、強い眼差しで後方を見遣った。

 

「ごめんなさい、テイガート様。……少し、ここで待っていてくださいますか!」

「ネクサリー!?」

「すぐに戻りますっ!」

 

 そして、言うが早いか。テイガートを床に降ろすと、素早く屋敷の奥へと走り出していった。そんな彼女の背を見送る騎士は――部下の胸中を察し、眼を見張る。

 

「まさか、あいつ……!」

 

 その直後。吹き飛ばされた炫の体が、テーブルを弾きながら壁に叩き付けられた。

 

「がぁっ!」

「軽く牽制で蹴っただけで、この威力か……。さすがだな、『甲冑勇者』というものは」

 

 自らの全身を見やり、力の奔流を実感するオーヴェル。そんな彼を睨み上げながら、炫は割れたテーブルを杖代わりに立ち上がる。

 

「……そん、な……モノ、くらいでっ……!」

「今の一発は急所に入ったはずだが……やはりVRだと、リアルのようには行かないか」

「……!?」

 

 そんな彼を一瞥するオーヴェル――ベリアンタイトは、追撃のために剣を振り上げる。一方、炫は彼が呟いた「NPCとしてはありえない台詞」に目を剥いていた。

 

「ヒカル君っ!」

 

 その時。炫を追うように窓から飛び込んできたユリアヌが、彼を庇うようにベリアンタイトに立ちはだかる。

 だが、紫紺の勇者に手心を加える気配はない。そのまま、あの鎌鼬を放つ体勢に入っている。

 

「ユリアヌ!?」

「ごめん……戦いの最中に、立ち止まったりして。でも、もう大丈夫だから」

 

 それでも、彼女に怯みはない。毅然と拳を構えるその背中は、可憐な外見とは不釣り合いな凛々しさを滲ませていた。

 

「……もう、花も。大切な人達も、傷つけさせない」

 

 その言葉は。ユリアヌ・リデル・イリアルダのものか。

 ――それとも、伊犂江優璃のものか。

 

(伊犂江さん……!)

 

 その、どちらともつかない言葉を紡いで。彼女は、ベリアンタイトの剣に真っ向から立ち向かおうとしていた。

 

「ヒカルさんっ!」

 

 そんな無謀な戦いが、幕を開けようとした瞬間。息を切らして戻ってきたネクサリーが、この場にその声を響かせる。

 彼女の手には――臙脂色と薄いベージュに彩られた、「あるもの」が握られていた。

 

「ネクサリー!? ――そ、れは……!」

 

 それを目にした炫は……それが何であるかを、容易く見抜くのだった。

 

(……あれは……!)

 

 形は長方形。十字のボタンや二つ並んだ円形のボタンが特徴であり――さながら、前世紀のゲームのコントローラーのような形状であった。

 

 ――そう。オーヴェルが持っていたものと同じ。「宝剣」を発現させる神具、「ブレイブドライバー」だ。

 

「ネクサリーッ!」

「はいっ!」

 

 炫がそれを認識するよりも早く。テイガートの叫びに応じ、ネクサリーは彼目掛けて「あるもの」を投げつける。

 ――ネクサリーは、この場で最も炫達から遠い位置にいる。そこから直接投げ渡すには届かないと判断したのだ。

 

「ヒカルとやらァア!」

「……!」

 

 その判断ゆえ、自分に向けて神具を投げるよう命じたテイガートは――炫に向けて、怒号を放ちながら。

 怪我をしている足で体重を支え、残された足でボレーシュートを炸裂させた。

 

 伝説となった神具を蹴り飛ばすなど、この世界の騎士としてはありえない行いだが……サッカー部の大雅の人格ならば、これくらいやっても不思議ではない。

 

 ――彼は伊犂江優璃に想いを寄せ、守りたいと願う者の一人なのだから。

 

「……ッ!」

 

 やがて炫は、剛速球の如き速さで接近してきた神具を。咄嗟に伸ばした手で掴みながら、素早く駆け出し優璃の前に立つ。その勢いで、白いマフラーがふわりと舞い上がった。

 

「真殿君、ありがとうッ!」

 

 すでにオーヴェルは技を放ち。鎌鼬は――目前に迫っていた。炫は迷う暇も惜しむように、手にした神具を丹田に押し当てる。

 直後、長方形の神具は左右にベルトを伸ばし、彼の腰に巻き付いた。そして確実に「変身」するため、オーヴェルを真似るように――口を開く。

 

「発動ッ!」

 

 その叫びと共に、バックル部分となった神具の黒いボタンを押し込む。

 どのボタンを押せば「変身」できるのか。どのボタンを押せば、「宝剣」を出せるのか。それは、元プロゲーマーの「直感」が教えていた。

 

 そして……アイテムストレージに、「ブレイブドライバー」という文字が現れる瞬間。

 炫の体が、紅い電光に包まれ――その煌めきの中から、光の刃が伸びる。

 

「はァッ!」

 

 その輝きは瞬く間に鎌鼬を斬り払い、二つに分かれた風の刃が炫達から離れていく。

 彼らの後ろにあった壁が、その風の刃達に斬り裂かれた時――瓦礫の崩落が生む土埃が、辺りを覆い隠してしまった。

 

Set up(セタップ)!! Third(サード) generation(ジェネレーション)!!』

 

 やがて。土埃の中から、あの電子音声だけが響き渡ると。

 

 その中から現れた電光を振り払うように――ベリアンタイトと同じ、甲冑と鉄仮面に全てを覆い隠した鎧騎士が飛び出してきたのだった。

 

 臙脂色のボディスーツの上に纏われる、薄いベージュのプロテクター。

 アーメットヘルムを被ったその姿は、ベリアンタイトと同規格のようにも見えるが――額から伸びた雄々しい角が、彼との違いを物語っているようだった。

 さらに胸鎧や両端の肩鎧は力強く盛り上がったデザインであり、スマートなベリアンタイトと比べて非常にマッシブなシルエットになっている。その上半身のアーマーは、下半身の軽鎧と比べると極めて分厚い。

 その色遣いは――80年代のゲーム機を彷彿させていた。

 

 更にその手には、ベリアンタイトの鎌鼬を斬り裂いた宝剣「グランヘンダー」が握られている。

 イリアルダ家に残された、二本の宝剣の片割れ――という「設定」の、大剣だ。

 

 その紅く重厚な両手剣(ツヴァイヘンダー)を振るい、土埃の中から現れた鎧騎士は……先ほどまでこの場で戦っていた黒髪の少年と同じ「上段の構え」で、ベリアンタイトと対峙していた。

 

「……あれは……!」

「宝剣『グランヘンダー』の化身……!」

 

 土埃を振り払い、そんな彼の背中を見つけたユリアヌは。炫の「変身」を目の当たりにした、テイガートとネクサリーは。

 2人の「宝剣」の化身達が対決しているこの状況に、固唾を飲むのだった。

 

「……『紅殻勇者(こうかくゆうしゃ)グランタロト』!」



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第13話 闇の魂

 ――ついに幕を開けた、「甲冑勇者」同士の戦い。

 先にその火蓋を切ったのは、グランタロトの鎧を纏う炫だった。

 

「おぉおぉおッ!」

「……ッ!」

 

 グランヘンダーを振るい、上段構えから一気に振り下ろす。

 ベリアンタイトもベリアンセイバーの刀身でそれを受け止めるが――もはや、「スーパーアーマー」の恩恵は通じなかった。

 

「があっ……!」

「とあぁあッ!」

 

 力任せにガードを崩し、よろめいた紫紺の鎧騎士に、渾身の鉄拳を見舞う。この一撃を浴びたベリアンタイトは、初めて「仰け反り」、劣勢の兆しを見せた。

 無論、ここで手心は加えない。そのまま炫は、持てる「DSO」時代のプレイヤースキルを総動員し、一気に攻め立てる。

 嵐の如く舞い飛ぶ斬撃に、今度はベリアンタイトが防戦一方となった。

 

 かつて、ただ一度開かれた「DSO」の大会で覇権を取った彼にとって――今のベリアンタイトは手強くはあれど、決して勝てない相手ではない。

 それに、同じ土俵に立った今ならば。これまでの太刀合わせで掴んだベリアンタイトの攻撃を読み、反撃に転じることが出来る。

 

(今までの借り……返させてもらうッ!)

 

 圧倒的に不利な条件で戦ってきた経験を活かせば――もう、遅れをとることはない。

 それを証明するかのごとく、炫はベリアンセイバーの一閃を鮮やかにいなし、剣の柄で顔面に打撃を加える。

 

「ぐッ!」

「とぉあッ!」

 

 鉄仮面の上では、大したダメージは与えられないだろう。だが、それは所詮牽制でしかない。

 炫は最速の打撃でベリアンタイトの虚を突いた瞬間、手首を返して首筋を撫でるように斬りつけた。

 

 刹那、ベリアンタイトの白いボディスーツが火花を散らす。鮮血のごとく噴き出る閃光が、炫の視界に映り込んだ。

 どうやらさしものグランヘンダーでも、一撃でベリアンタイトの鎧を破るには至らないようだ。それに――僅かな差だが、グランタロトの方が動き出しが遅い。

 

 鎧の性能においては、ベリアンタイトの方が上なのだろう。

 

(スペックの差なんて……相性の差なんて、いつだって……!)

 

 しかし、VRMMOのプレイヤースキルにおいては、炫の方が上回っているようだ。

 ベリアンタイトの立ち回りは、現実世界における格闘術をベースにしているようだが――それを完全には、この世界にフィードバック出来ていないようなのである。

 

 VRMMOにおける身体の動きは現実のそれよりも軽やかなものであり、個人差はあるが勝手も違ってくる。

 現実世界では運動音痴でもVRMMOに慣れていれば、俊敏に動けるプレイヤーもいる。その一方、現実世界では運動神経に秀でていてもVRMMOに慣れておらず、上手く動けないというプレイヤーもいる。

 

 ――もし、ベリアンタイトを纏っているこのオーヴェルという男が、炫が睨んだ通りなら。

 「後者」の「プレイヤー」である可能性が高い。

 

(やはり、この人は……!)

 

 一見すればNPCと見紛うような、無駄のない巧みな剣術だが――その中から窺える細やかな仕草は、NPCらしからぬ「人間味」が感じられる。

 「DSO」をやり込んだ炫だからこそ敏感に感じ取る、違和感。その違和感が生む隙を突くように、炫はベリアンタイトの腹に蹴りを入れた。

 

「がッ!」

 

 床の上を転がるベリアンタイトは、腹部を抑えながら立ち上がり、体勢を立て直す。そんな彼の出方を窺うように、炫も剣を上段に構え直した。

 

「す、すごい……!」

「これが、『甲冑勇者』同士の戦い……!」

「頑張って……ヒカル君!」

 

 緊迫した面持ちで、彼らの戦いを見守るユリアヌ達。生身である彼女達にはもう、この一騎打ちの行く末を見届けることしかできないのだろう。

 

(……VRMMOにこそ慣れていないようだが……元がかなりの手練れなんだな。一体何者なんだ……?)

 

 そんな仲間達を一瞥しつつ。

 炫はベリアンタイト――に変身しているオーヴェルに、訝しむような視線を送っていた。

 

 VRMMOでの戦いには慣れていない。それは間違いないだろう。だが、その点を差し引いても、並のプレイヤーでは勝負にもならないほどの腕前だ。

 よほど元々の――つまり現実の世界での戦いに精通していなければ、ここまでの戦闘力は発揮できない。

 

 ベリアンタイトを纏うオーヴェル。そのキャラを演じる、あのオールバックの青年は、それほどの実力者だということになる。

 

(……!?)

 

 すると。炫が、その実態を思案している最中――ベリアンタイトが、動きを見せた。

 咄嗟に剣を握り締める炫を前に、彼は片手でベリアンセイバーを振りかざしながら、腰に巻かれたブレイブドライバーに手を掛けた。

 

 幾つかあるボタンの中でも、一際大きい緑色のボタンを押し込むと――

 

Sixth(シクス) generation(ジェネレーション)!! Ignition(イグニッション) slash(スラッシュ)!!』

 

 ――ベルトから電子音声が響き渡り。ベリアンセイバーが、妖しい電光を放ち始めた。

 

「……!」

 

 ベリアンタイトはベリアンセイバーを水平に構え、腰を落として次の攻撃への姿勢を整える。――あからさまに、大技を放つ体勢だ。

 この間合いから放つ大技。それを予期した炫は、彼を真似るように自身もブレイブドライバーに手を伸ばす。

 

 この時勢に珍しく、VRではないテレビゲームをプレイしている炫なら、わかるのだ。ベリアンタイトと同じ大技で迎え撃つには、どのボタンを押せばいいのか。

 ――どのボタンが、オーヴェルが押したボタンと対応しているのか。

 

Third(サード) generation(ジェネレーション)!! Ignition(イグニッション) drive(ドライブ)!!』

 

 そのボタンを炫が押し込んだ瞬間。ブレイブドライバーから電子音声が響くと――グランタロトの額から伸びる角が、真紅の電光を纏い始めた。

 その輝きはバチバチと音を立て、やがて炫の右脚へと伝導していく。大技の発動には成功しているようだが……電光が剣に集まっているベリアンタイトとは、技の内容が異なるようだ。

 

(……そういうことかッ!)

 

 だが、グランタロトの仮面に隠された炫の貌に、戸惑いはない。

 彼はグランヘンダーを床に突き立てると、右脚に電光を集めたまま正面に走り出した。今まさに大技を放とうとしている、ベリアンタイトに向かって。

 

「ヒカル君っ!?」

 

 その行動の真意が読めず、ユリアヌが声を上げた時。

 

「はあぁあぁッ!」

 

 ベリアンセイバーに蓄積された電光が、弾け飛ぶように――光の鎌鼬が、青白く閃いた。

 炫の首を刎ねんと、水平に舞い飛ぶ刃。それが出現した瞬間と……同時に。

 

「とぉぁッ!」

 

 炫も左脚で床を蹴り、高く跳び上がっていた。そう、光の刃をかわすように。

 

「……!」

 

 まさしく、紙一重。ベリアンタイトの一閃を、間一髪で上に跳んで回避した炫は――飛び蹴りの体勢で、紅い電光を纏う右脚を、ベリアンタイトに向けて伸ばす。

 

「はぁあぁああぁあッ!」

 

 大技の反動ゆえか。ベリアンタイトはかわそうとも防ごうともせず――紅い電光を、その身に受けようとしていた。

 

(……ッ!?)

 

 わざと大技を喰らおうとしているようにも見える、彼の様子に何処と無く違和感を覚えつつも。

 炫は、そのまま紅く発光する右脚を、ベリアンタイトの胸に叩き込んだ。

 

「ぐうあぁあッ……!」

 

 強烈な轟音と共に、ベリアンタイトは苦悶の声を漏らして横転すると――青白い電光に包まれながら、オーヴェルの姿に戻ってしまった。

 どうやら、ダメージが蓄積すると変身が解かれてしまうらしい。仮面を剥がれ、苦悶の表情を露わにするオーヴェルは、どこか憂いを帯びた眼差しで炫を見つめていた。

 

「やったぁああ!」

「ヒカルさんっ……凄いです!」

「……どうやら、今回ばかりは助けられたようだな」

 

 一方。ユリアヌ達は、この幕引きに歓声を上げ、炫の奮戦に賞賛を送っていた。そんな彼女達を尻目に、炫は自分を見つめるオーヴェルと視線を交わす。

 

(……この、人は……)

 

 オーヴェル……もとい、オーヴェルに当たるキャラクターを演じさせられている、かも知れない外国人の男性。

 この世界における彼には、ユリアヌ――もとい、優璃達とは違う何かを感じ続けてきた。NPCとしてはありえない発言や、NPCらしからぬ挙動など。

 まるで……自分と同じ、「プレイヤー」のような。

 

(……)

 

 そんな彼の眼を見つめ続ける炫は……それとは別の何かを感じ始めていた。

 あの日、初めて会ったはずなのに――どこか見覚えのある、あの碧い眼。

 

(……ソフィア……?)

 

 気がつけば彼は、記憶の中にある一人の少女を、その眼の色に重ねていた。

 

「……とどめは、刺さないのか」

 

 その時。炫を見つめるオーヴェルは倒れ伏したまま、声を絞り出す。

 彼の貌には、もう敵意の色は見られない。どこか、憑き物が落ちたようにも窺える表情だ。

 

「これまでずっと、不殺(ノーキル)でやってきたんだ。今更、殺せるわけない」

「……そうか。やはり、君は……」

 

 そんな彼の胸中は読めなかったが。炫はあくまで、毅然と言い放つ。この世界において、自分は誰一人殺さないということを。

 

 それを聞いたオーヴェルは、炫の言葉を胸の奥に染み込ませるように、瞼を閉じる。その口からこぼれ出た言葉は、何を意味するのか。

 

 炫がそれを問おうとした――その時だった。

 

「……!」

「ベリアンセイバーが……!?」

 

 炫の蹴りを浴びた時に、オーヴェルの手から離れたベリアンセイバー。床に突き刺さっていたその宝剣が――突如。

 禍々しい漆黒の霧に包まれ始めた。やがて、その霧は剣から離れると宙に舞い上がり、一同の注目を集める。

 

「まさか……戦いの余波で、魔獣が目覚めたのか!?」

「ヒカル君、気をつけてッ!」

 

 この靄から、何が現れるのか。これから、何が起きるのか。炫には、ある程度予想がついている。

 

 「DSO」のシナリオに沿うならば……この後、ベリアンセイバーに封じられていた古の魔獣が復活し、このイリアルダ邸で大暴れすることになる。

 その暴走を止めるため、炫が持つグランヘンダーの力で魔獣に立ち向かう――という筋書きだ。

 

 炫が知る「DSO」においては、その戦いがラスボス戦になる。だが……もはやこの世界は、炫が知っている物語からは大きく逸脱している。

 魔獣ではない何かが現れても――不思議ではない。あるいは、「DSO」に登場するそれを遥かに凌ぐ個体か。

 

 いずれにせよ、油断はできない。炫はグランヘンダーを構えたまま、黒い霧の出方を伺う。古の魔獣の化身である、闇の魂(ダークネス・スピリッツ)の動向を。

 

「……ッ!」

 

 すると。黒い霧は、唸りを上げて炫に向かって襲い掛かってきた。急降下し、低空を滑るように飛ぶ霧を前に、炫は息を呑み咄嗟に横へ転がる。

 

 炫のそばを通り過ぎた霧は、やがて地に堕ち――みるみるうちに、人の姿へとその形状を変えていく。

 

(……魔獣、じゃない!)

 

 やはり、「DSO」とは違う。

 炫は自分の知らない「何者か」の出現に、息を呑む。ユリアヌ達も同様だ。

 

 ……だが。オーヴェルだけは、違っていた。

 彼は、「何者か」の正体がすでに分かっているのか――焦りを貌に滲ませることなく、目を細めて霧を凝視している。

 

 そんな彼の面持ちに、炫が気付いた時だった。

 

「……ゲームクリア、おめでとうございます。不殺を掲げた、若き勇者の英雄譚。いやはや、期待以上ですよ。素晴らしい……」

 

 霧が、いや。霧から現れた「何者か」が、喋った。

 

「……っ!?」

 

 その声に。

 炫は、聞き覚えがある。

 

 こちらに背を向ける、漆黒の礼服。床を着くステッキ。眼深く被られた帽子。

 そして――肩越しにこちらを見遣る、皺の寄った貌。

 

「……私の最期に観るに相応しい、物語でしたよ」

 

 この世界に来た、あの日に出会った老紳士。今ここに現れた彼は、しゃがれた声でそう、呟いた。

 



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第14話 外界からの異物

 突如として現れた老紳士。

 あの時以来となる再会に、炫は訝しげな視線を向ける。ユリアヌ達は魔獣という伝承から懸け離れた存在の登場に、戸惑いを隠せない。

 

「あ、あいつは何者だ……!? ベリアンセイバーから現れたようにも見えたが……!」

「魔獣、じゃない……? でも、なんだろう……すごく、嫌な予感がするよ」

「ヒカルさん、気をつけてください!」

 

 ネクサリーの声に反応する余裕もなく、炫は仮面越しに視線を交わす老紳士に問い掛ける。

 

「あなたは……一体、誰なんだ。NPCではないな。この世界の何なんだ!?」

「先日、申し上げたでしょう。単なる水先案内人ですよ。……まぁ、あなた方の視点に立つならば、さしずめゲームマスター……と言ったところでしょうか」

「ゲームマスター……!」

 

 ――ゲームマスター。つまりこのゲーム、ひいてはこの世界そのものの主導権を握る絶対の存在。

 自らをそう称する老紳士の言葉に、炫は瞠目し、警戒を露わにする。

 

 自分達を洗脳し、このようなゲームに参加させる。そこに一体、何の目的があるというのか。

 

「もっとも。私はそんなつまらない存在として、この世界を終わらせるつもりはありませんがね」

「……!?」

「この世界と、君が紡いだ不殺の物語は――最高のアートであり。私は、それを創り上げたアーティストとなる」

 

 炫から視線を外した老紳士は、天を仰ぎ両手を広げる。ここではない、遠い世界を見ているような彼の眼は、ヒトの理解を超えた狂気の色を帯びていた。

 

「ここまでの協力に、深く御礼申し上げます。おかげさまで、最期にいいものを見ることができましたよ」

「なにを言って……!」

「今日に至るまで戦い抜いたご褒美です。君達を、元の世界に返してあげましょう」

「……!?」

 

 ――すると。

 老紳士はギョロリと眼を動かし、炫を射抜き。片手を翳し、何かを操作するように指を動かした。

 

 その直後。炫の目の前に、立体メニューバーが現れる。そのバーには、「ログアウトしますか?」という表記が映されていた。

 

(これは……!)

 

 「DSO」と全く同じ、VR世界から目覚めるためのコマンド。それを目にして、炫は思わず息を飲む。

 「はい」と「いいえ」の二つに別れた、選択肢。そのうちの一つを選べば、自分は元の世界に帰ることができる。老紳士の言葉を信じるなら、ユリアヌ――優璃達も。

 

「どうしました? あなたが何より望まれていた、ログアウトの瞬間ですよ」

「……っ」

 

 だが。本当にこれを押してもいいのか。何らかの、罠ではないのか。

 こんなゲームを作るような相手が、素直に自分達を帰すのか。

 

 そんな疑問が浮かび、鎌首をもたげる。しかし……そうであったとして、自分に選択肢などあるだろうか。

 ここで「いいえ」を選んで老紳士を拒絶したとして。自力でログアウトする方法が――みんなを助ける方法が見つかるだろうか。一介のプレイヤーでしかない、自分が。

 

(……オレは……)

 

 そこまで考えたところで。炫は指先を震わせて、眼前の立体メニューバーを凝視する。もはや……いや、はじめから。彼には、選択肢などなかったのである。

 罠であろうと、そうでなかろうと。この世界に来た時点で、炫にはこうするしかなかったのだ。

 

(頼む……どうか、どうか……!)

 

 そう諦めるように、彼は「はい」のタッチパネルに指先を伸ばしていく。罠ではない、という絶望的な可能性に賭けて。

 

「待てッ!」

 

「……!」

 

 その時だった。それまで事態の推移を見守るだけだったオーヴェルが、突如声を上げて炫を見据える。

 彼の碧い瞳は、真摯な眼差しで炫の仮面を射抜き――「はい」に触れかけた指先を、すんでのところで止めさせていた。

 

 グランタロトの仮面からでも伝わる、強い意志の宿った眼光。それを目の当たりにして、炫は思わず指を引っ込めてしまう。

 老紳士はそんな彼を一瞥すると、冷酷な眼差しでオーヴェルを見下ろした。

 

「……やはり。『異物』はあなたでしたか。道理で、何かおかしいと思っていたのですよ」

「……貴様は、所詮独り。単独でゲームを全て監視するには、限界があったようだな」

 

 忌々しげに睨む老紳士に対し、オーヴェルは床に伏せたまま不敵に笑う。そんな彼を見据えながら、老紳士が何かをしようと片手を振り上げた――その時。

 

「ぬっ……!?」

「……来たか!」

 

 眩い光が、この場――いや、イリアルダ邸そのものを包み込み。炫達の視界が、ホワイトアウトし始めた。

 この現象は老紳士の仕業ではないらしく、彼も目を抑えて苦悶の声を漏らしている。今の状況を理解しているのは、オーヴェルだけのようだった。

 

「なん……だッ!?」

 

 何も見えなくなっていく。何も聞こえなくなっていく。

 まるで、自分そのものが消えて無くなっていくような……そんな感覚が炫を、炫達を襲っていた。

 

 ――そして。

 

『外部からの強制アクセスにより、本ゲームはシャットダウンされます。繰り返します。本ゲームは、シャットダウンされます』

 

 無機質な音声が、聴覚を通して脳に響いた瞬間。

 炫は、己の意識さえも失うのだった。

 

 ◇

 

 ――それから、どれほどの時が過ぎたのか。

 

「……なッ!?」

 

 炫が次に目を覚ました時。

 彼を取り巻く世界の景色は、すでに「DSO」のものではなくなっていた。その時にはグランタロトに変身していた体も、元の生身に戻っている。

 

 透明で、碧い床。六角形のラインを描き、果てしなく広がるその地平線は――いわゆる、電脳空間のものであった。

 

(……ここは、まさか……!)

 

 僅かな光明すら見えない暗黒の空。無機質な空気感。「DSO」の世界で感じていた自然の匂いすら、消え去った「無」の牢獄。

 

「ようやく目覚めたな」

「……あなたはッ!」

 

 そんな世界に来てしまった炫の前には、背を向けて立つオーヴェルの姿があった。彼は炫の方には見向きもしないまま、片手で立体メニューバーを操作し続けている。

 ――だが、そのバーには炫にも見覚えがない表記が幾つも並んでいて、何を操作しているのかがまるで読めない。英文のようだが、炫が読み取る前に次々と流されてしまっている。

 少なくとも、「DSO」のメニューバーではないようだ。ということは、ここはやはり、先程までいた「DSO」の世界ではない、ということなのか。

 

「心配はいらない。ここは『ログアウト待ち』のプレイヤーを保護するための『インターフェース・エリア』だ。君もよく知っているだろう」

「……!」

 

 思考を巡らせる炫に対し、オーヴェルはある言葉を口にする。その単語を耳にして、炫はここがどのような空間であるかを悟った。

 

 ――インターフェース・エリア。

 「ヘブンダイバー」に搭載されている電脳空間であり、プレイヤーの意識をゲーム世界に転送するまでの中継地点に相当する。

 プレイヤーはこの空間で、キャラクターメイキングやアカウントの管理など、ゲーム世界に行くまでの準備を整える。そこに今、自分とオーヴェルが転送されている状態なのだ。

 

「なんでオレ達がここに……!? あの時、ログアウトボタンは押してなかったはずだ! それに皆は……!?」

「問題ない。外部からのアクセスによる『DSO』の強制ログアウトは、すでに成功している。君の友人達も、このゲームに巻き込まれた他の乗員乗客も、じきに悪夢から醒めるだろう」

「なんだって……!?」

 

 そこまで思考を巡らせたところへ、オーヴェルの口から「強制ログアウト」という言葉が告げられる。

 ――つまり。今もログアウトされていないのは、自分達二人だけだというのだろうか。他の人々は……優璃達は、あの世界から抜け出せたのか。

 次々と告げられて行く情報に、炫はただ瞠目するばかりだった。

 

「君も私も、『甲冑勇者』であることから、ある程度は自衛できると判断されたのだろう。一度に全員をログアウトさせると、サーバーが負荷に耐えられない。だから……『奴』から身を守れないNPC化された被害者達から、優先的にログアウトされているというわけだな」

「さっきから何を言ってる……!?」

「……あぁ、済まない。申し遅れたな。こうなった以上、もはや正体を隠す必要もないだろう」

 

 そんな彼に、オーヴェルは振り返り――碧く、どこか儚げな眼差しを向けてくる。その瞳に既視感を覚えた炫は、

 

「私はFBIサイバー犯罪捜査官のアレクサンダー・パーネル。このゲームから君達を救出するために潜伏していた。……君と同じ、『奴』に洗脳されていない者としてね」

「……パーネル!?」

 

 次の瞬間に、感じ続けてきた違和感の実態へ辿り着くのだった。

 オーヴェル――こと、アレクサンダーの「名字」に反応する炫を見つめ、彼は物憂げな表情を浮かべる。

 

「そうだ。妹が……『ソフィア』が、世話になったな。飛香炫君」

 

 その眼の色を見遣り、炫は口元を震わせる。「ソフィア」という名前を出した彼の「正体」は、かつてない衝撃を齎していた。

 

 ――彼は。FBI捜査官だという、アレクサンダーは。

 

 今は亡き飛香炫の恋人、ソフィア・パーネルの兄だったのである。

 




 今回正体が発覚した「オーヴェル」ことアレクサンダー・パーネルは、小説家になろうで「ダンスパーティーシリーズ」を手掛けておられるsungen先生からご応募頂いたキャラです。


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第15話 男達の罪

 今回は色々と真相が明らかになるお話なのですが、ぶっちゃけかなりややこしい内容です。
 なので、後書きで今回発覚した内容をさっくりとまとめております。どうかご容赦を……。


 ――飛香炫という少年は、独りだった。

 

 幼くして父を失い、兄弟もいなかった彼は、大人しい性格も影響してか友人も作れない日々を送っていた。

 そんな彼の孤独を癒していたのが、ゲームだった。

 

 誰も隣にいない毎日でも、遊んでくれる親も兄弟もいない日々でも。

 自分に「楽しい」という感情を与えてくれるゲームだけが、その当時の彼にとっては拠り所だったのだ。彼は周囲と打ち解けられず、孤立を深めれば深めるほど、仮想空間にのめり込んで行った。

 

 それから数年。中学生となった彼は得意なゲームを通じて、ほんの僅かではあるが――友人を得るようになり始めていた。

 成績も優秀であり、ゲームも上手いということが、友人作りのステータスとして機能していたのである。自分を認めてくれる友を得た彼は、かつてない喜びを噛み締めていた。

 

 それゆえに、友人に自慢したいという自己顕示欲を抱いた彼は。

 海外留学を名目に、プロゲーマーの舞台に立つことを目指すようになった。

 

 ――やっと出来た友達が、離れていかないように。もっと、自分を好きになってもらえるように。

 それは、自信のなさや寂しさの裏返しだったのかも知れない。

 

 普通ならば、どこかで挫折して現実を味わい、夢から醒めるものだろう。

 だが、なまじ天才肌な彼は醒めない夢を見続けるかの如く――海外留学を決めてアメリカへと渡り、初参加したゲーム大会で優勝をもぎ取ってしまった。

 

 ――そして。

 

 その頃のホームステイ先のパーネル家で、彼は――ソフィア・パーネルという少女と出逢う。

 

 同い年でありながら、病弱であるという理由から学校に通えず、友達もできない。満足に外に出ることさえ叶わず、好きな花々を遠目に眺めるばかり。

 いつの日か、自分の足で外を歩き、花が咲き乱れる並木道を歩きたい――そう願いながら彼女は、寝たきりの毎日を送っていた。

 両親もおらず、親戚の養父母からは疎まれ、唯一の味方である兄も、警察の仕事が多忙を極めほとんど家に帰らない。

 

 そんな彼女に、幼き日の己を重ねて同情したのか。炫は彼女に、「Happy Hope Online」――「ハピホプ」を紹介した。

 一面に咲き誇る花畑。ポップな世界観に彩られた幻想世界。そこならば、彼女の願いに近づけるかも知れない……と。

 

 そんな彼の考えが、功を奏し。

 彼女は見たことのない異世界と、自分の足で歩ける感覚を知り、感動を覚えていた。

 VRMMOだからこそできる、自分の体を自在に動かせるという喜びを知るソフィア。そんな彼女の横顔を見遣り、炫も確かな充足を感じていた。

 

 そうして、「ハピホプ」を通じて二人の仲が深まってから、半年。

 同情から始まった彼らの関係は、いつしか「恋」という感情を伴うようになっていた。

 

 ゲームの大会で得た賞金で、炫はソフィアが見たいと言っていた花をプレゼントし。ソフィアはそんな彼に、VR世界で口付けを落とす。

 ――現実世界で実行するには恥ずかしいという理由だったのだが、それでも炫には満ち足りた幸せとなっていた。彼女と逢うまでは人肌を求めて繰り返していた「火遊び」も、すっぱりと止めてしまった。

 

 そのためだけに賞金稼ぎに躍起になっていた炫は、コンピュータゲームだけでは飽き足らず。ストリートバスケやブレイクダンス、果てはパルクールの大会など――「ゲーム」と名のつくあらゆる大会に乗り込んでは、優勝をさらい続けていた。

 

 炫個人の自己顕示欲から始まったプロゲーマーとしての一面は、ソフィアとの繋がりをより深いものに変えていくようになり――炫が求めた「自信」へと、昇華され始めていたのだ。

 

 自分なら、どんなゲームでも優勝できる。自分なら、ソフィアのそばで彼女の笑顔を守ることができる。

 この当時。彼は心から、そう信じていた。同時期に、「e(イー)-Sports(スポーツ)」選手としてのスカウトが来たことも、その確信を後押ししていた。

 

 ――だが、二年前。

 炫が最も得意とするVRMMOの最新作「Darkness spirits Online」の大会で、事件は起きた。

 

 圧倒的なプレイヤースキルを駆使して、いつものように優勝をさらった炫だったが――彼に倒された参加者がPTSDを発症し、狂乱の果てに表彰式で彼に襲い掛かるという事態が発生したのだ。

 自分に死ぬほどの痛みを味合わせた少年が、自分が立つはずだった場所に居座っている――という事実への憎悪が、彼を凶行へと駆り立てたのである。

 

 駆け付けた警備員により事なきは得たものの……「DSO」の特性であるリアリティ・ペインシステムの影響は、この一件を通じてより広く知れ渡ることとなった。

 

 ――しかし。アーヴィングコーポレーション渾身の大作として発売された「DSO」は、すでに多くのユーザーを得ていた。このゲームの恐ろしさを世に訴えるには、遅過ぎたのである。

 表彰式の一件以来、それ以前から散見されていた、リアリティ・ペインシステムによるPTSD発症とそれを原因とする犯罪が表面化。

 「DSO」との関連を指摘された殺人事件の件数は数百に上り、「DSO」はほどなくして発売中止となった。全てのソフトはアーヴィングコーポレーションにより回収され、この悪魔のソフトはゲーム市場から抹消された。

 

 だが、それで「DSO」の犠牲となった人々が蘇るわけではない。

 その頃にはすでに――炫は、失ってはならない者を、失っていた。

 

 ソフィアの誕生日。表彰式で発狂し、炫を襲った参加者は……彼の住所を調べ、パーネル家へ押し入ったのである。

 そしてその日、何も知らない炫が、最愛の恋人へのプレゼントを手に帰ってきた時――ようやく。

 

 彼は自分の過ちを知るに至り、長い夢から醒めたのだった。

 

 自分がやっていたゲームのせいで。

 彼は、かけがえのない恋人も、その家族までも。全てを一度に、失ったのである。

 

 ――その後。

 

 炫は「e-Sports」選手としての代表入りを目前にして、プロゲーマーを引退。ソフィアとの思い出が詰まった「ハピホプ」のアカウントも削除。「DSO」を返品し、生徒の保護という理由から、日本へと引き返すことになった。

 彼女達への弔いを、最後にして。

 

 だが。

 

 パーネル家の葬儀に参列していた者達の中に、「兄」の姿はなかった。

 ソフィアを天上へ導く為、彼女と顔馴染みだった神父がイエスに祈りを捧げ、十字を切る一方。彼女が最期まで、自分の味方であると炫に語って聞かせていた「兄」は。妹の葬儀にさえ、姿を見せなかったのである。

 

 ――その事実に胸を痛めながら、日本へ帰ってきた彼は。

 留学前とは別人のように暗くなり、プロゲーマーを志望していた頃から一転し、ゲームの話題に口を閉ざすようになっていた。

 

 留学先で起きた事件はクラスにも知れ渡っており――無邪気な好奇心に由来する質問攻めにも遭ったのだが。その全てに答えられず、沈黙を続けていくうちに……やがて友人達は、炫のもとから離れていった。

 暗くなった少年にいつまでも構うより、明るい友人と付き合う方が気が晴れるからだ。

 

 そうして炫は、昔のように孤立していく……はずだった。

 

 しかし。二人だけ、炫から離れなかった少年達がいた。

 鶴岡信太と、真木俊史である。

 

 悪名高い変態オタクとして、当時から白い目で見られていた彼らだったが――炫にとって彼らは、最後に残された光だったのだ。

 そんな彼らと過ごすうちに、彼の心は少しずつではあるが、本来の自分を取り戻し始めていた。

 

 しかし、VRMMOに復帰するには、まだ傷は深い。かといって、自分と深く関わってきたゲームから完全に離れることもできなかった。

 この時代においてはレトロと呼ばれる、前時代のTVゲームに手を出すようになったのは、その頃である。

 

 VRMMOのような臨場感には程遠いが……夢は夢であるとわかり、本当の世界を見失わない、絶妙な距離感があった。

 ゲームは、夢は、いつだって楽しくなくてはならない。それは、悲しいものであってはならない。

 そう信じる彼にとっては、夢と分かり切った明晰夢こそ、心地よい世界なのだろう。夢と現実が曖昧となり、本当の血が流れる幻想世界を味わった、彼にとっては。

 

 ――以来、彼はTVゲームを嗜みつつ、信太や俊史とつるむようになり。二年の歳月を経て、ようやく前を向き始めていた。

 「ハピホプ」への復帰こそ出来ていないが……友人達に付き合う形で「Love Heart Online」を始め、VRにも再び触れるようになった。

 

 その傍らで。かつてソフィアがそうしていたように、花を愛でる日々を送りながら。

 

 だが。

 

 今になって。

 

 追い縋る十字架のように――最期まで姿を見せなかった「兄」。アレクサンダー・パーネルが、炫の前に現れたのだった。

 

 彼らの運命を引き裂いた、この「DSO」の世界で……。

 

 ◇

 

「……っ」

 

 ――アレクサンダー・パーネル。

 確かに彼はそう名乗り、炫のこともソフィアのことも知っていた。間違いない。

 彼が、ソフィアの兄。仕事が多忙と言い家を空け続け、葬儀にすら来なかった……。

 

(……この、人が……!)

 

 そう思えば思うほど、二年間の中で記憶の隅に追いやっていた感情が、込み上げてくる。

 どうして彼女のそばにいてあげられなかったのか。どうして彼女を独りにしていたのか。そんなに、大切な仕事だったとでもいうのか。

 ――そんな恨み言ばかりが、衝き上げて来てしまう。だが、炫は決してそれを口にはしなかった。ただ己の感情を押し殺し、唇を噛み締めるばかり。

 震える拳と口元だけが、彼の感情を物語っていた。

 

 炫自身も、わかっている。ソフィアばかりか、養父母までも死に追いやった自分に、そんなことを言える資格がないことは。むしろ、罰せられるべきは自分なのだろう。

 ――そう思えば、自分たちを助けに来たFBI捜査官だという彼が、あれほど殺気を露わにして襲いかかってきたことにも合点が行く。あの老紳士を欺く演技にしては、真に迫り過ぎていた。

 

「……君の言いたいことはわかる。ソフィアが言っていた通り、嘘をつくのが下手な人間だな、君は」

「……!」

「とにかく、『甲冑勇者』であるという理由から自衛能力があると本部に見なされ、ログアウトを先送りにされた君には……今のうちに全てを話す必要があるだろう。何もわからないままでは、『奴』の襲撃に備えることもできまい」

「……あの老紳士のこと、なのか?」

「あぁ、そうだ」

 

 表情を読んだのか。アレクサンダーはスゥッと目を細めて、そう呟く。

 リアリティ・ペインシステムを持つ「DSO」の存在をニュースで知ったソフィアは当時、そんな危ないゲームをしていないか炫に尋ね――「バリバリやってる」と顔に出ていた彼に詰め寄ったことがあった。

 そんなことまで、彼は聞き及んでいたらしい。ソフィアと彼は、ごく稀に電話で話せる機会がある程度だったらしいが……。

 

「この世界に潜入し、NPCを演じて奴の目を欺き、この世界を構築しているデータを解析してFBI本部に転送。あとは本部がデータをもとにこの世界をハックし、被害者達をこの世界から解放する。……それが、私の任務だ」

「……あなた達は、この事態を予見していたのか!?」

「ある程度は、な。具体的に掴めていたわけではないが、『奴』の行動原理から推測して……君達が乗り合わせていた車両に張っていた」

「……!」

 

 アレクサンダーはそんな炫の思案をよそに、この一連の事態の真相を語り始める。外部の人間――FBIが、この事態が起きる可能性をキャッチしていた事実に、炫は瞠目した。

 

「奴の名は――アドルフ・ギルフォード。元『DSO』開発主任であり、リアリティ・ペインシステムの考案者でもある男だ。そして、この一件の首謀者でもある」

「……!」

「二年前、奴は『DSO』発禁の直後に行方を眩まし、自分に心酔する部下達を連れて国外に逃亡していた。私はその行方を追う任務についていてな。……奴は別件で、『他のVRゲームをハッキングしてリアリティ・ペインシステムを仕込む』というサイバーテロに関わっていた。犯罪者となった奴を追うのが、我々の当初(・・)の目的だったのだが……」

「……当初?」

 

 この一連の事件の首謀者であるという、老紳士――もとい、アドルフ・ギルフォード。その実態を知るアレクサンダーの言葉を、炫は緊迫した面持ちで聴き続ける。

 

「奴の眼をかいくぐり、NPCを演じながらこの世界のデータを解析している最中に……外部との交信に成功してな。先刻、現実世界の状況を知ることができた」

「……?」

「アドルフ・ギルフォード。奴は三日前に部下達共々――遺体で発見された。全員ヘブンダイバーを被っており、遺体には電磁パルスで脳髄を焼き切られた痕跡があったそうだ」

「な……!」

「奴は……奴らは最早、この世にいる『人間』ではない。自ら生身を捨て、電脳空間の意識の中でのみ生きる、データ上だけの存在となっている」

「そんなことが……!」

「奴らはそういう連中だということだ。……我々はもちろん、君達にとっても理解しがたい相手だろう」

 

 あの老紳士は。すでに死人であり、この世には生きていない。

 その事実に愕然とする炫の眼を、アレクサンダーは静かに見据えている。

 

「……今の君達の体のことも話しておこうか。君達のクラスを含む第2車両。そこに乗り合わせていた乗員乗客85名は現在、東京の天坂(あまさか)総合病院で昏睡状態にある。ヘブンダイバーを被せられた状態でな」

「それは……」

「そう。ギルフォードと、その部下達の仕業だ。奴らは電磁パルスで自殺する前、君達が乗り合わせるタイミングで車内の空調機に催眠ガスを仕込み――君達全員を眠らせ、ヘブンダイバーを仕掛けた」

「……それでオレ達はみんな、あの世界に……でも、どうしてそんなことを……?」

「RPGの演出、だな」

「演出……?」

 

 どうやら現実世界の自分達は全員、東京の病院で眠らされているようだ。やはりあの時、自分達はヘブンダイバーを被せられていたらしい。

 

「……まずは、判明している奴の情報から話そう。奴が作ったリアリティ・ペインシステムは元々、ゲーム開発のためのものではなかった」

「え……?」

「奴はアーヴィングコーポレーションに入る以前は……海兵隊に所属する研究員だったのだ」

「海兵隊!?」

 

 アレクサンダーの言葉に、炫は瞠目し――この世界に導かれた日に、老紳士から聞かされた言葉を思い返していた。

 

『ご武運を、お祈りしていますよ。――あなたに、「名誉(オナー)」と「勇気(カレッジ)」……そして「献身(デディケーション)」の精神があると信じて』

(……!)

 

 確かに。あれは、海兵隊がモットーとする三つの言葉だった。やはりギルフォードは、海兵隊と繋がりを持っていたのだ。

 

「当時海兵隊では、最前線に向かう主力部隊の育成を目的とする、VR訓練の導入を検討していた。限りなく現実に近い仮想世界での、殺し合いをな」

「まさか、リアリティ・ペインシステムはそこで……!?」

「その通り。だが……あまりにリアル過ぎる(・・・)奴のVRシステムにより、仮想と現実の境界を見失い殺人事件に発展する事案が頻発してな。結局、奴はほどなくして軍部を追放された」

「……!」

 

 ギルフォードのゲーム開発は、軍事研究に端を発するものだというのか。そう視線で問い掛ける炫に、アレクサンダーは無言で頷く。

 

「そのVR訓練の過程の一つに……互いに仮面(マスク)で顔を隠し合い、近接格闘を死ぬ(・・)まで続行するというものがあった。『殺害する対象の顔が見えるか否かによる、PTSD発症率の変動』を実験(・・)する目的でな」

「……仮面?」

「そう。痛みのある世界で殺し合いを強いるだけでなく――より実戦に近しい状況下で、訓練兵達を実験動物(モルモット)として扱う。……そんな狂った研究の一環だ」

「仮面で顔を見えなくして、より殺しやすい状況を模索する実験……まさか、それが……?」

「ああ。奴がこの世界に新要素として実装した『甲冑勇者』は、その実験過程を源流としたプログラムだ。『DSO』というファンタジー世界に合わせてアレンジされた、殺人実験の副産物。それが、この世界における『宝剣』の正体だ」

「……あのギルフォードという人にとって、オレ達が囚われていた『DSO』の世界は……ファンタジーゲームの皮を被った殺人実験場だったということなのか?」

「そうだ。仮面の概念をこの世界に流用したのも、よりスムーズに『プレイヤー』である君が、『ボスキャラ』であるオーヴェルを殺せるようにするため。私達が持っているグランタロトとベリアンタイトの仮面は、殺し合いを誘発するための舞台装置ということだ」

 

 ――基本的なゲームシステムだけでなく。炫にとっては単なる装備品でしかなかった『甲冑勇者』の力までもが、軍事研究から生まれた代物だった。

 その事実に触れて炫はようやく、自分が行使していた力の恐ろしさを知り――脳裏を過る恐怖を殺すように、拳を震わせた。

 

「そんなギルフォードが、軍部を追われた後に足を運んだのが……当時から話題を集めていたVRMMO。奴は己の研究を正当化するため、ゲーム開発という分野にリアリティ・ペインシステムを投入したのだ」

「軍事目的のシステムをゲームに……?」

「2010年代にはすでに、ゲーマーの能力に軍事的価値を見出す論文が発表されている。その時から『ゲーム』を通して映し出される世界は、架空のものではなくなった。……何も可笑しな話ではないのさ、奴にとってはな」

「……」

「優れた技術を生む『戦争』に端を発する文化こそ、最も美しい。……それが、奴の言い分らしい。奴は自分のグラフィック技術やAI技術を売り込み、アーヴィングコーポレーションに入社した。そして……『DSO』を作った」

 

 嘲るように呟くアレクサンダーの口元は、微かに震えているようだった。だが、それは少なくとも恐れという感情によるものではない。

 ――あるのは、怒り。この悲劇と、愛する家族を奪った元凶への憎しみが、その眼に滲み出ているようだった。それを懸命に隠すかのように、口調だけは平静を保ち続けている。

 

「だが結局は、君も私も……よく知る通り。奴がリベンジを目指して開発した『DSO』は、海兵隊時代のVR訓練と同じ道を辿った。ゲーム開発からも追われた奴は行方を眩まし――最期に、この自爆テロを仕掛けてきた」

「自爆、テロ……?」

 

 ギルフォードが己の生身を捨てて臨んだ自爆テロ。その途方も無い破滅願望に、炫は言い知れぬ不気味さを覚え顔を顰める。

 

「奴は……自分が創り上げた世界への拘りが特に強い傾向があり、それを周囲に認めさせようとする言動が絶えなかった。行く先々でそれを否定され自棄になった奴はついに、最期(・・)の手段に出た、ということだ」

「まさか、それが今回の……!?」

「そう。奴は第2車両の乗客乗員を催眠ガスで眠らせ、彼らをNPCとして洗脳し……かつて自分が創り上げた『DSO』を舞台にした『物語(ストーリー)』を演出しようとしたのだ。戦いから最も遠い、平穏で暴力を知らない少年少女が――剣を取り、生きるために戦う……文字通り、命懸け(・・・)の物語をな」

「命懸けって……まさか」

「そのまさかだ。奴は君達に被せたヘブンダイバーに、特殊なプログラムを組んでいたらしい。――この世界にいるアバターが死亡した場合、その主の脳髄を電磁パルスで焼き切るという、デスゲームの仕掛けをな」

「……!」

 

 ――もしや、とは思い続けていた。やはり、この世界は現実の死と直結したデスゲームだったのだ。

 もしあの日、ダイナグとノアラグンの役を与えられていた信太と俊史を助けていなければ、どうなっていたのか。今となっては、想像したくもない。

 

「アバターが死亡してから、1分。そのタイムラグを経て、電磁パルスが我々の脳を殺す。――そうした本当の『死』と隣り合わせの世界が織り成す幻想の英雄譚(ファンタジー)を、死にゆく自分の(まなこ)に刻む。それが、ギルフォードの目的だったのだ」

「……そうか。やっぱり……オレ達は皆……」

 

 自分達はギルフォードの破滅願望に付き合わされる形で、人間一人ひとりにキャラクターを演じさせる「劇」をやらされていた――ということになる。

 プレイヤーが一歩間違えるたび、役割を演じているだけの人を本当に死なせてしまう、狂気の世界で。

 

 そんな事実が常に纏わりついていたことを今になって知り、炫は肩を震わせた。

 

「……さっき、『戦いから最も遠い』って言ったけど……それで、オレ達が?」

「ああ。だが奴は、物語の姫君――そう、『ユリアヌ』の役だけは最初から決めていたようだ」

「……!?」

 

「そうだ……伊犂江優璃。彼女だけは、最初から奴の『キャスティング』に入っていたのだ」

 

「なっ……!?」

 

 その時。アレクサンダーの口から飛び出た言葉に、炫はさらに衝撃を受ける。ギルフォードが炫達五野高の生徒を狙った原因は、優璃だというのだ。

 

「伊犂江さんが……!? じゃあ、オレ達は……!」

「君達は、言ってしまうなら『その他』でしかなかったのだろうな。伊犂江優璃を『キャスティング』の中心に据えつつ、『物語』が成り立つ程度の人数が集まるタイミング……それが、一週間前のあの日だった」

 

 林間学校で集まった五野高の生徒達が、新幹線に乗るタイミング。かなりの人数が密閉空間に集まり、伊犂江優璃もその中に含まれている場としては、確かに最適だったかも知れない。

 優璃を狙いの中心としつつ、RPGの全NPC役を一挙に集められる場としては。

 

(オレ達と違って、伊犂江さんだけは最初から「配役」が固定されていた……。だから彼女だけ「本来の人柄」と「キャラクターの性格」が噛み合っていなかったのか……!)

 

 ――その真相を耳にして、炫の表情もより険しくなっていく。もし優璃がこの事実を知れば、心根の優しい彼女は、自分が騒動の中心にされていたことに責任を感じてしまうだろう。

 彼女が真相を知ることなく生還できることを、祈るしかない。

 

「……でも、なんで伊犂江さんが……!?」

「2年前。伊犂江グループは、奴に『DSO』の開発費を提供していた。奴のアイデアや才能から、金になると踏んだのだろうな。……だが日本版の発売を視野に入れた矢先、殺人事件を誘発した『DSO』は発禁となり、伊犂江グループはあのゲームに関与していたことが公にならないよう、計画を白紙にした。悪魔の研究の片棒を担いでいながら、それを隠蔽したのだ」

「そんな……!」

「それゆえ。ギルフォードは自分を見放した伊犂江グループへの復讐として、令嬢である伊犂江優璃を『姫君』の役に据えようと考えていたようだ」

「ユリアヌの役を伊犂江さんに与えることが……あのギルフォードという男にとっての、復讐……?」

「復讐、というよりは当てつけに近いがな。……奴は自ら命を断ち、データ上の存在となりこの世界で生きながらえているようだが……催眠ガスを仕掛け、君達にヘブンダイバーを被せた実行犯である部下達のアバターは発見できなかった。恐らく、奴に騙されアバターすら与えられぬまま殺害されたのだろう」

「自分の部下まで……!?」

 

 どうやら、ギルフォードは自分が追求する「演出」のためならば、自分についてきた同胞すら容易く切り捨ててしまえるらしい。

 そんな話を聞かされた炫は、あの老紳士の笑みに隠された狂気に、尋常ならざる戦慄を覚えるのだった。

 

「だが、そんなふざけた演劇も終わりだ。私が『オーヴェル』を演じながら解析した『DSO』のデータは、全て外部に送信され――あちら側からのハッキングによる強制ログアウトに成功した」

「それであの光が……じゃあやっぱり、みんなはもう?」

「ああ、そこは安心していい。君以外の民間人は全員ログアウトに成功したと、先程連絡が入った」

「……そうか……」

 

 少なくとも、優璃や信太達の無事は確定したようだ。現実世界のギルフォード達がすでに死亡しているなら、再び狙われることもない。

 炫はその情報を耳にして、僅かな間だけ胸を撫で下ろし――即座に剣呑な面持ちを取り戻すと、アレクサンダーと視線を交わす。

 自分達が生きてこの世界から抜け出さなくては、優璃達の無事を自分の眼で確かめることさえ叶わないのだから。

 

「ギルフォードに洗脳されている彼らを後回しにすれば、『物語』を崩壊させられたことで逆上したギルフォードに、なす術なく殺害される可能性がある。確実に彼らを救い出すには、奴の洗脳下にない我々二人を後回しにせざるを得なかったのだ」

「……自衛能力がどうの、って聞いたけど。やはりあなたが言うように、ギルフォードがこのエリアまで襲ってくる可能性があると?」

「十分にあり得る話だ。外部からのハッキングにより、ゲームマスターとしての奴は大幅に弱体化しているが……この世界が奴の箱庭であることには違いない。今に我々を見つけて、道連れにしようとするだろう」

「彼と同じ、死人に……?」

 

 もし、ここまで来てギルフォードに殺害されるようなことになれば……自分達は脳髄を焼かれ現実で死亡してしまう。ギルフォードと違い、電脳空間で生きられるようなアバターも貰えないだろう。

 ――彼に倒されれば、現実世界でも仮想世界でも死ぬ。その事実が、炫の両肩にのしかかっていた。

 

「……そうさせないために、私がこうして残っているのだ。『甲冑勇者』であるとはいえ、一介の民間人でしかない君を、元の世界へ送り届けるためにな」

「……その割には、本気で殺しに掛かってるようにも見えたけど」

「君を殺そうとする『オーヴェル』を演じ切らねば、ギルフォードを欺き時間を稼ぐことはできなかった。早々に勘付かれては、強制ログアウトを仕掛ける前に乗員乗客を皆殺しにされる危険もあったからな」

 

 そこまで言葉を続けて。アレクサンダーは、炫から一度視線を外すと――自嘲の笑みを浮かべた。

 

「……と、言い切れれば……君の言い分を否定できたのだろうが……」

「……」

「認めざるを、得ないだろう。多くの人命が懸かっているこの状況下で……私情を挟んでいたことを」

 

 やがて口を開いたアレクサンダーは、炫と顔を向けあいながらも目線は合わせられず、罪悪感に滲む瞳を揺らしていた。

 

「怨んださ……君を。ソフィアの隣にいながら……私よりも近しいところにいながら、君は妹を守ってくれなかった。そんな君が『プレイヤー』だったのは、ある意味では僥倖だったのかも知れない」

「でも、あなたは……!」

「……そうとも。わかっている。ギルフォードを追う任務に没頭し、気づけば……何よりも護らねばならない家族を、喪っていた。己の罪と向き合うことを恐れるあまり、任務に逃げ葬儀にも来なかった……」

 

 やはり、ソフィアを独りにしていた頃の彼は、当時からギルフォードを追っていたらしい。二年前の真実に辿り着き、炫は怒りとも悲しみとも付かない表情でアレクサンダーを見つめていた。

 ――確かに彼は、信太と俊史を炫と戦うよう仕向け、優璃や利佐子、大雅に危害を加えようとした。だが、その胸中は察するに余りある。

 

「……君も私も、許しがたい罪を背負って今日まで生きてきた。だが……私達が互いを裁き合うなど、あの子は決して望まないだろう。……故に私の復讐は、君に敗れたあの瞬間に、終わったのだ」

「アレクサンダー……さん」

「もし君が、自分が生き延びるためだけに他者を斬り捨てるような男だったなら。私も、心置き無く戦えていたかも知れんな」

 

 すると。炫を見つめるアレクサンダーの眼が――今までとは打って変わり、優しげな色を帯びる。

 

「だが……君は違った。君は、そんな男ではなかった。痛みを伴うゲームのリスクを知りながら、それでも誰一人としてNPCを死なせないために戦い――強制ログアウトの成功まで、不殺(ノーキル)を貫き全員の生還へと繋げてみせた」

「……」

「我々FBIにとっての誤算は、奴の『キャスティング』に介入できなかったことだ。本来ならば私が『プレイヤー』となり、FBI解析班がハッキングしてくるまで時間を稼ぐつもりだったのだが……」

「……そういえば、なんであなたはギルフォードの洗脳下に置かれなかったんだ? いくらFBI捜査官だからって……」

 

 炫の問い掛けに対し、アレクサンダーは自分の頭を指先で小突いて応えて見せた。

 

「……私はゲームに参加させられても奴の洗脳下に置かれないよう、予め脳髄に特殊な対電脳チップを埋め込んでいる。奴が過去に起こしたサイバーテロからデータを取り、それを元に開発したものだ」

「ヘブンダイバーを被せられても、脳への影響を抑えられる……ということなのか? そんなものが作られていたなんて……」

「ああ。だが、あくまで試作品でしかなく……奴から『キャスティング』の権限を奪うには至らなかった。洗脳を回避するという最低限の部分でしか性能を発揮できず、ここでNPCのふりをしながら、隙を見計らって地道に解析を進めるしかなくなってしまったんだ」

 

 どうやら、アレクサンダーはこの世界から乗員乗客を救出するまで、ずっと裏で動き続けていたらしい。

 

「こうなってしまった以上、ゲームの進行は奴に『プレイヤー』として選定されていた君に託すしか無い。……我々はこの時点で、数人の死者が出ることを覚悟せねばならなかった。この世界がデスゲームであることさえ知らない、一介の高校生である君が、全てのNPCを死なせずにゲームを進めてくれるとは思っていなかったからだ」

「……ギルフォードも、オレが『DSO』の元プレイヤーだとは想定していなかったからな」

「そう。奴がたまたま、『DSO』の元トッププレイヤーである君を主役に選んでいなければ……今頃、天坂総合病院から多くの死者が出ていたところだ。どういうロジックで君が『勇者』に選ばれたのかはわからないが……そういう意味では、君は真のヒーローと言っていい」

「……オレは、ただ何も知らずにシナリオを進めていたに過ぎないよ」

「そうだろうな。だが、そんな君のおかげで多くの人々は無事に解放された。……そんな君に私怨混じりの剣を向けた私こそ、許されざる者なのかも知れんな」

 

 再び自虐的な笑みを浮かべる彼は、「オーヴェル」の鎧を纏う自分の手を一瞥する。この手が罪を犯したのだと、己に言い聞かせるかのように。

 

「……ふふ。真に怨むべき相手は誰か、わかっていたはずなのにな。……私は任務中でありながら、筋違いな私怨で君と向き合っていた……」

「でも……! でも、アレクサンダーさん! オレは、あの家の……おじさんも、おばさんも……ソフィアも!」

 

 そんな彼に。炫も、自分の罪を懺悔するかのように訴える。しかし、アレクサンダーは最後までそれを聞き入れようとはしなかった。

 

「知っているさ。あの養父母らに代わり、ソフィアのそばにいてくれていたことは。唯一の味方だったはずの私に代わり、あの子を慰めてくれていたことは……」

「アレクサンダーさん……」

「炫君。私は……君を、君を許したい。君は、私を許してくれるか?」

 

 もはや、アレクサンダーの眼に炫への憎しみはなく。今度はむしろ、炫に許しを乞うているようだった。

 そんな彼に対する答えなど――今もソフィアを想っている炫には、分かりきっている。

 

(アレクサンダーさん……ソフィア……)

 

 一歩一歩踏み出していき、やがて立ち止まり。炫は、アレクサンダーが自分に向けたものと同じような――優しげな眼差しを向けた。

 

「アレクサンダーさん。オレは、あなたを――」

 

 そして、互いに罪を背負いあった二人が、前に進めていけるように。

 炫は己の手を、静かに差し出していた。その手を握るべく、アレクサンダーも導かれるがままに手を伸ばした――

 

「……ッ!」

「どうやら……懺悔の暇すら、この世界の主は与えてくれないらしい」

 

 ――が。

 

 天を衝くような殺気の奔流を感じ取り――振り返った瞬間。

 

 世界が凍りついたかのような、戦慄が生まれた。

 

 アレクサンダーのジョークに触れる暇もなく。炫の頬を冷や汗が伝い、その眼に怒りと恐れが混じり合う。

 一方。顔にこそ出さないが……アレクサンダーも、これから始まる「最期の死闘」に形容し難いほどの焦りを感じていた。

 

「やってくれましたね……FBIの犬どもが」

 

 ――そんな二人の、逃げ遅れた(・・・・・)「異物」を前に。アドルフ・ギルフォードはさらに衝き上がるような殺気を放つ。

 低くくぐもった彼の声は、小さな呟きでありながら……このインターフェース・エリアに、大きく響き渡っていた。

 




 今回のお話で大体の真相は明かされたのですが、作者の至らなさゆえ、非常にややこしい内容になってしまいました。そこで、今回判明した事実をさっくりまとめてみることに。
 箇条書きで時系列順にまとめておりますので、ややこしいと感じられた方はこちらで補完して頂ければと。

・海兵隊で、限りなく「現実の実戦」に近しいVR訓練の導入が計画される。

・当時研究員だったギルフォードが、リアリティ・ペインシステムを開発。現実と見紛う痛覚を実現。

・あまりにリアル過ぎるせいで現実との境界を失った隊員が、殺人事件を起こすケースが頻発。制式採用を前に計画は凍結され、ギルフォードは除隊。

・自分の研究が拒絶されたことを受け入れられず、軍を去ったギルフォードは自分の才能を民衆に認めさせるべくアーヴィングコーポレーションに入社。現実と見紛う圧倒的グラフィック技術を売り込み、「DSO」開発に着手。

・ギルフォード、日本随一の大企業「伊犂江グループ」を相手に開発費を交渉。会長から協力資金を得る。

・「DSO」が完成し、発売される。が、海兵隊の時と同様に現実との区別ができなくなったプレイヤーによる、凶悪犯罪が多発。それにより発売から2ヶ月足らずで「DSO」は発禁処分となり、全ソフトがアーヴィングコーポレーションにより回収された。(※この事件でソフィア・パーネルが死亡。その後、彼女の葬儀に参加した炫は、日本に帰国した)

・開発費を提供していた伊犂江グループは、関与していた事実を隠蔽。ギルフォードはアーヴィングコーポレーションから解雇され、自分に心酔する数人の部下を連れて失踪。アレクサンダーは彼の行方を追う。

・ギルフォードが後述の計画のための予行演習として、アメリカ内のあるVRゲームでサイバーテロを起こす。FBIはその際に得た彼のデータから、対電脳チップを開発。被験体にアレクサンダーが選ばれた。

・ギルフォードは自分との関わりを無かったことにした伊犂江グループを恨み、復讐として会長の娘である優璃をターゲットにする。部下達を連れて日本に渡った彼は、自分自身への冥土の土産として「リアルさを追求した英雄譚」を演出し、その一環で優璃を含む大勢の民間人を殺害する自爆テロを企てた。この時、彼はすでに自殺により現実の肉体を捨てるつもりであり、その際に部下達も殺す算段だった。

・ギルフォードが部下達と共に日本に渡ったことを突き止め、アレクサンダーと解析班が来日。

・ギルフォードとその部下達が、新幹線内に催眠ガスを散布。林間学校に向かう五野高生徒を含む乗客乗員85名を眠らせ、彼らにヘブンダイバーを被せた後、現場から逃走した。なお、85名の中には潜伏していたアレクサンダーも含まれている。

・ギルフォードは部下達に、自分と共に現実の肉体を捨てるよう唆し、電磁パルスで殺害。自身も生身の肉体を死亡させるが、自らの精神をデータ化してVR空間に転送。仮想空間にのみ生きる存在となった。

・ギルフォードはランダムに乗客乗員達をNPCとしてキャスティングし、デスゲーム仕様となった「DSO」のシナリオモードに組み込んだ。が、優璃だけは最初からユリアヌ役に固定していた。その後、プレイヤーの役を炫に与える。

・FBI解析班は、ボスキャラ「オーヴェル」としてキャスティングされていたアレクサンダーと交信し、「DSO」のデータを解析。乗客乗員を強制ログアウトで解放するための準備を始めた。

・対電脳チップで洗脳を回避したものの、プレイヤーの役を手に入れられなかったアレクサンダーは、NPCのフリをしながらデータを集め、解析班と交信し続ける。その間、炫は事情を知らないなりに、NPCを一人も死なせないように立ち回っていた。

・事件発生から一週間。炫が「オーヴェル」を演じるアレクサンダーと対決。VR訓練の一環から生まれた「甲冑勇者」同士の対決となり、炫が勝利した。(※アレクサンダーが計画通りにプレイヤーの役を得られた場合、解析班の準備が整うまで時間を稼ぐため、ギルフォードに怪しまれない程度に「敢えてゆっくり」とシナリオを進めるつもりだった。結果として「オーヴェル」の役を与えられた彼が、本気で炫を止めに掛かっていたのは、ギルフォードの策謀やFBIの干渉を知らない炫が「最速で」シナリオを進めようとしていたから)

・同時期、アレクサンダーからデータを集めていた解析班は、強制ログアウトを実行するプログラムを完成させる。ギルフォードもそれに勘付いたが、それより早くログアウトは発動した。

・NPCにされていた83名はログアウトに成功。だが、一度に全員を脱出させることは不可能だったため、洗脳されていない炫とアレクサンダーは後回しとなった。ゲームマスター権限を奪われ、弱体化したギルフォードに襲われても「甲冑勇者」で対抗できると見做されたのも、理由の一つ。

・ギルフォードが、未だにログアウトされていない炫とアレクサンダーを発見。インターフェース・エリアに襲来。←今ここ

 だいたい今の所はこんな状況となっています。うん、やっぱりややこしい。
 もう「だいたいギルフォードのせい」でいいような気がしてきました(笑

 あとついでに、これまでに登場した「甲冑勇者」達の概要について↓に記載しておきます。だいたいこういうスペックなんだ、という程度に思って頂ければと。ではでは。

・紅殻勇者グランタロト
 殺人実験用電子外骨格「甲冑勇者(アーマードブレイブ)」第3号。正式名称「Type(タイプ)-Family(ファミリー)」。変身者は飛香炫。
 上半身を固めている大型プロテクターと額に伸びる角が特徴であり、真紅の両手剣「グランヘンダー」を主武装とする。
 大技は、右脚に赤い電光を纏い飛び蹴りを放つ「イグニッションドライブ」。
 なお、この個体を含む全ての「甲冑勇者」は、海兵隊時代のギルフォードがVR訓練の一環として行っていた、「殺害対象の顔が見える場合と見えない場合の、PTSD発症率の変動」の研究で使われていたプログラムを源流としている。

・蒼甲勇者ベリアンタイト
 殺人実験用電子外骨格「甲冑勇者」第6号。正式名称「Type(タイプ)-Cube(キューブ)」。変身者はアレクサンダー・パーネル。
 バランスの取れた体系であり、最も安定した性能を持っている。紫紺の直剣「ベリアンセイバー」が主武装。
 大技は、青白く輝く鎌鼬を放つ「イグニッションスラッシュ」。
 これら「甲冑勇者」は全て、VR訓練の研究における「殺害対象の顔を隠す」プログラムを、ファンタジーゲームのアイテムとしてアレンジしたものである。


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第16話 白銀の帝王

 ――同時刻、天坂総合病院。

 

「……んっ……ぅ……」

「あっ……お嬢様! 優璃お嬢様ぁっ!」

 

 患者服に身を包む伊犂江優璃は、長い夢から目覚めて間も無く――見慣れない天井を目にしていた。

 そんな彼女のそばには、涙ながらに歓喜の笑みを浮かべる幼馴染が寄り添っている。

 

「……利佐、子……?」

「あぁ、お嬢様……よかった! お目覚めになられたのですねっ!」

 

 約一週間に渡り夢の中にいた彼女は、曖昧な意識のまま上体を起こすが……その視界に入り込んできた蟻田利佐子との再会が、彼女の精神を正常な状態へと覚ましていく。

 

「あれっ……なんで、私……!? 新幹線に乗ってたはずじゃっ……!?」

「あぁっ、お嬢様、どうか落ち着いてください! 事情はお話ししますから!」

「事情……?」

 

 なぜ自分は、彼女は、ここにいるのか。自分達は林間学校の新幹線に乗っていたのではないのか。

 それは「DSO」から目覚めた彼女達にとっては当然の疑問である。――そう。彼女達は全員、あの世界でのことを覚えていないのだ。

 

 利佐子自身、自分達に何が起きたのか詳しく知っているわけではない。

 ただ、FBIの者だという警察関係者から大まかな事情は知らされていた。他の生徒達や乗客達も、同様である。

 

「蟻田さん! 伊犂江さんが起きたのかッ!?」

「あっ、真殿君……」

「あ、ぁあ……! 伊犂江さん、よかった目が覚めたんだね!」

「えっ、ほんと!?」

「ほんとだ、伊犂江さんが起きてるぞ!」

「あ、あなた達待ちなさい! 伊犂江さんは目が覚めたばかりで……!」

「そ、そうだぞお前達! ここは春野先生に従って……ぶげ!」

「るっせぇヒキガエル! んな場合かよっ!」

 

 するとそこへ、真殿大雅を筆頭とするクラスメート一同が駆け込んでくる。春野睦都実先生や冬馬海太郎先生の制止など御構い無しだ。海太郎に至ってはヒキガエルの如く、鷹山宗生に踏みつけられている。

 

「なんやろかあれ、騒がしいなぁ」

「ほら、あれよあれ。修学旅行かなんかで集まっとった高校生の子らやって」

「あ、そやったなぁ。……親御さんら、心配しとんのやろなぁ」

 

 そんな彼らも全員、患者服に身を包んでいた。その後ろを、大阪のおばちゃんのような中年女性達が通り過ぎている。

 

「よかった……! 伊犂江さんが目覚めなかったら、もうどうしようかって!」

「本当によかったんだねっ!」

 

 クラスメート達の中から身を乗り出してきた鶴岡信太と真木俊史も、優璃の目覚めに歓声を上げていた。

 

「えっ……なに、なに? なにがどうなってるの?」

「お嬢様、それは――」

 

 状況が読めず、一人混乱する優璃。そんな彼女の胸中を慮り、利佐子は事情を話そうとする。

 

「――私から説明しましょう」

 

 そんな彼女の肩に手を置く、黒いスーツ姿の青年が現れたのは、その直後だった。利佐子に触れるその青年の出現に、周囲の男子達は殺気のこもった眼差しをぶつけるが、青年はまるで意に介さない。

 ブラウンの髪を短く切り揃えた、碧眼の美男子。年齢は20歳前後だろうか。そんな彼に対する視線は男子の殺気だけではなく、女子達からの熱っぽい視線も含まれていた。

 

 そうして、羨望や嫉妬を一身に集める青年の美貌を前にして――優璃と利佐子は、真剣な面持ちで青年の言葉を待ち続けていた。

 すでに「意中の男」がいる彼女達にとって、青年の美しさは何の意味もなさないようだ。

 

 ――そして、それは青年も同じであり。絶世の美少女達を前にしながら、彼は眉ひとつ動かさず、淡々と口を開く。

 

「私はFBIサイバー犯罪捜査官のキッド・アーヴィング。……伊犂江優璃様を含む、五野寺学園高校の皆様に起きた事態について……私の口から、改めて説明させて頂きます」

「アーヴィング……!?」

 

 その名に瞠目する優璃に、深く頷きながら。

 

 ◇

 

 キッドと名乗るFBI捜査官により、林間学校のあの日に起きた出来事が語られた。

 

 ――今から一週間前。アドルフ・ギルフォードという科学者が率いるカルト組織が、新幹線の第2車両に催眠ガスを散布。その車両に乗り合わせていた乗員乗客85名が昏睡状態に陥った。

 ギルフォードはその全員を仮想空間にダイブさせ、自らの洗脳下に置いた上で、自身が企画した殺人ゲームをさせていた。だが、仮想空間には第2車両に居合わせたFBI捜査官も潜伏しており――現実世界から殺人ゲームを阻止しようと動いていた解析班との連携により、ゲームの強制ログアウトに成功。

 今では85名全員が、次々とゲーム世界から解放されつつある。一方、ギルフォードら実行犯達の身柄も確保された。事件は、終息に向かいつつある。

 

 ……というのが、キッドが語る事件の推移であった。五野高の生徒達を含む乗員乗客全員が、この説明を受けている。

 

 今は目覚めたばかりであるため入院している状態だが、じきに身体への異常がないと確認された者から退院していく予定だという。

 すでに病院の外は、被害者達の目覚めを聞きつけたマスコミで溢れかえっていた。さらに病院一階のロビーには、我が子との再会を切望している五野高生徒の父兄達も集まっている。彼らは互いに励まし合い、全生徒の生還を祈り続けていた。

 

 そんな父兄達だけでなく、優璃達がいる三階の病室にまで向けられるカメラやフラッシュから、彼女達を守るように。キッドは素早い動作で、カーテンを閉めた。

 

「あっ……」

「……私の父が生んだゲームが、このような悲劇を招いた。その責めを受ける覚悟は、出来ています」

「そんな……あなたは、私達を助けるために頑張ってくださったんでしょ? 助けてくれた人を責めるなんて、出来ません!」

「そうです! それにあなたは、アーヴィングコーポレーションの関係者である前に、FBI捜査官じゃないですか!」

「……ありがとうございます」

 

 その苗字を聞けば、誰もが気づくことだった。

 ――キッド・アーヴィング。彼はFBI捜査官にして、アーヴィングコーポレーションの御曹司でもあるのだ。

 

 ギルフォードがアーヴィングコーポレーションの元社員であったことは、すでに周知の事実となっている。そんな男を抱え込んでいた企業の者となれば、相応の誹りは避けられない。

 キッド自身も、それは覚悟していたようだが――優璃と利佐子は、あくまで自分達を助けに来たFBI捜査官として、キッドという男を見ていた。その後ろにいる人々は、複雑な面持ちだったが。

 

 ――実のところ。アーヴィングコーポレーションの社長だけでなく、優璃の父である伊犂江グループの会長もまた……ギルフォードに加担していた一人なのだが。

 優璃自身も利佐子も、その真相を知る由もなかった。

 

「……あっ、そうだ利佐子! 飛香君はどうしたの? さっきから姿が見えないんだけど」

「あっ……」

 

 真実を知らない優璃は、キッドに疑いの眼差しを向ける周囲の人々を一瞥し、話題を変えようと思い――ふと。この中にいるはずのクラスメートが一人(・・)いないことに気がつく。

 飛香炫。その所在を問われた利佐子は、答えるべきか迷うように視線を泳がせる。だが……その様子を間近で見て、気づかない幼馴染ではない。

 

「……起きて、ないの?」

 

「――っ! お嬢様っ!」

「伊犂江さん! まだ寝てなきゃダメよッ!」

「お、おい伊犂江さんっ!」

 

 それが意味するものは何か。そこまで想像した途端、優璃は弾かれるようにベッドから飛び出した。睦都実やクラスメート達の制止も聞かず、躓きながらも廊下を走り出す。

 品行方正な普段の彼女からは、想像もつかない姿だった。一週間も寝たきりだった体は思い通りに動くことはおろか、まっすぐに走ることさえままならない。

 

「あぐっ、うぅっ!」

「お、お嬢様ぁっ!」

 

 あちこちにぶつかり、手すりや器具に引っかかり患者服を乱しながら、それでも彼女は懸命にひた走る。

 

「はぁ、はぁっ……あ、飛香、君っ……飛香君っ!」

 

 そうして白い柔肌の節々を露わにしつつ、ようやく――優璃は、ある一室で眠り続ける少年を見つけた。

 ヘブンダイバーを被せられたまま、夢の世界に囚われている飛香炫。それを目の当たりにして、優璃は寄りかかるようにそこへ駆け込んだ。

 

「飛香君、飛香君っ! ねぇっ、飛香君っ!」

「お嬢様、落ち着いてください! 飛香さんはまだ、ログアウトが済んでいないんですっ!」

「ねぇ起きてよ! ねぇったら、返事してよっ! 飛香君、飛香君っ!」

「お嬢様っ!」

 

 そして、目元を潤ませながら懸命に揺さぶるのだが……炫の体は、糸の切れた人形のようにぐったりとしたままだった。

 強引にヘブンダイバーを外せば、その瞬間に電磁パルスが発動して死に至る。キッドからそう聞かされていた利佐子は、懸命に炫から優璃を引き剥がした。

 

「……飛香炫様につきましては、まだログアウトまでに若干のタイムラグがあるようです。いずれは彼も目覚めるでしょうが、もう暫く掛かるかと」

「いずれは……って、一体いつなんですか!?」

 

 そこへ、キッドを含む他の人々も追いついてきた。彼らの先頭に立ち、声を掛けてくるキッドに、優璃はいつになく取り乱した様子で訴える。

 

「具体的な時間を申し上げることはできません。ですが、すでに解析班の手は彼のアバターにも及んでいるはず。焦らずとも、必ず彼は目覚めますよ」

「……飛香君っ……」

 

 だが、「必ず目覚める」というキッドの言葉を受け――僅かに、平静を取り戻した。それでも不安をぬぐい切れなかったのか、懸命に手を握りながら、祈るように目を伏せている。

 

 そんな彼女の姿を見れば、伊犂江優璃という少女が、どれほど飛香炫という少年を想っているのかは明らかだった。優璃の形相を前に、男子達はこの状況下でありながら、胸中に苛立ちを募らせる。

 

「……けっ。あのキモいゲームオタクのことだ。『まだゲームしたいー』って、駄々こねてんじゃねーの」

 

 ――そんな彼らの、口には出さないまでも心のどこかで思っていた本音。それを零したのは、鷹山宗生だった。

 

「ちょ、ちょっと鷹山!」

「……そーそー。もしかしたら、もう目が覚めてんのに狸寝入りしてんじゃねーの? 伊犂江さんにかまって欲しくてよぉ」

「きったねぇ野郎だなァ、おい」

「あなた達っ……!」

「そ、そんな言い方ないんだねっ!」

 

 この非常時に露骨にクラスメートを軽んじる彼の物言いは、当然ながら非難の視線を集める。だが、炫に対し反感を持っていた一部の男子達は、宗生に続くように彼を罵倒する。

 そんな彼らの言い草に、睦都実や大雅、信太達が眉を吊り上げ声を上げようとする――その時だった。

 

「……最っ、低」

 

 感情を押し殺した、冷ややかな呟き。普段とあまりにも違う声色ゆえ、周囲はそれが伊犂江優璃の声であると、すぐに気づくことができなかった。

 彼らが声の主に気づいた時には――すでに。優璃は炫の手を握ったまま、涙を目尻に貯めながら、怒りの形相でクラスメート達を睨んでいた。

 

 その眼力や、「学園の聖女」を敵に回すような物言いをしてしまった事実に直面し、男子達は今になって口をつぐむ。だが、もはや遅かったようだ。

 

「……鷹山さん。あなたは決して、言ってはならないことを言いましたね」

「な、なんっ……ぶげっ!」

 

 怒りが一周し、氷点下の如く冷たい表情となった利佐子が、ツカツカと宗生の前に歩み寄り――空を裂く速さで、平手打ちを放った。

 宗生と利佐子には、大人と子供のような体格差があるはずだが……彼女の平手は、その差を覆すほどの威力だったらしい。思わず周囲が怯んでしまうほどの激しい轟音が響くと――宗生は目を回して、膝から崩れ落ちてしまった。

 白目を剥いて失神してしまった彼の有様を目にして、男子達は顔面蒼白となり利佐子を見遣る。そんな彼らに、「学園の天使」は冷酷な視線を注いだ。

 

「……下らないことしか喋れないなら、その口は閉じていてください。黙らせる手間が省けますから」

 

 逆らえば、死。そう思わせてしまう眼光を浴びて、炫を罵っていた男子達は揃ってコクコクと頷き、引き下がってしまった。

 そんな「学園の天使」の真の怒りを目にして、大雅や女子達も息を飲む。信太と俊史に至っては、ガタガタと奥歯を震わせていた。

 

「……お、恐ろしい」

「ぼ、僕、見ちゃいけないものを見たんじゃあ……」

「な、なにも見てないんだねっ……」

 

 やがて利佐子は大雅達のほうを見遣ると、まるで何事もなかったかのように、普段と変わらない柔らかな笑みを浮かべ――睦都実の側を通り過ぎ、優璃の隣に向かった。

 

「……生徒への暴行を見過ごすわけにはいかないけれど。反省文は原稿用紙15枚から……14枚にまけてあげます」

「……はい。ご厚意に、感謝致します」

 

 すれ違いざまに、僅かに言葉を交わして。

 

「り、利佐子……」

「ふふ。飛香さんの名誉をお守りするためなら……お安い御用ですよ、お嬢様。さ、お寝坊さんが目覚めるまで、ここで待っててあげましょうか」

「……うん、ありがとう。反省文、私も手伝うね……」

 

 そんな幼馴染の、いつもと変わらない笑顔と共鳴するように。優璃は目覚めてから初めて、口元を緩めたのだった。

 

(……さて、解析班は間に合うだろうか)

 

 ――その一方。被害者達の動向を静観しつつ、五野高を代表する美少女2人に見守られている少年を見下ろす、キッド・アーヴィングは。

 

(パーネル捜査官。必ず彼を守り……そして、あなた自身も生き抜いてください。あなたの、そして俺達の戦いを終わらせるためにも……)

 

 別室で眠りにつき、今も仮想空間で戦い続けている上司を含む――「全員」の生還を、ただ静かに祈っていた。

 

 ◇

 

 ――同時刻、インターフェース・エリア。

 

「アドルフ・ギルフォード……!」

「あなたが……!」

 

 この電脳空間に取り残された飛香炫と、アレクサンダー・パーネルの2人は――諸悪の根源である老紳士と対峙していた。

 険しい面持ちで睨みつける彼らに対し、ギルフォードは普段と変わらない涼しげな面持ちだが……その眼だけは、衝き上げるような憤怒の色に染まっている。

 

「……NPCに成りすまし、私を欺きながらこの世界を解析していたのですね。まさか、物語の感動的な幕引きを前に……全てを台無しにされるとは、夢にも思いませんでしたよ」

「……生憎だったな。貴様のくだらん劇は終わりだ。じきに、我々のアバターもログアウトされる」

 

 静かな口調からは想像もつかない、圧倒的な殺意。それを真っ向から浴びてなおも、アレクサンダーは怯むことなく毅然と言い放つ。

 ――もう、ゲームは終わったのだと。

 

「それを私が許すと思いますか? この世界の創造主にして、(GOD)である私が」

「すでに貴様からはゲームマスターの権限が失われている。もはや貴様など、神を僭称する紛い物に過ぎん」

 

 そんな彼の力強い言葉を耳にしても、ギルフォードに怯む気配はない。そればかりか、さらに内に秘めた黒い激情を掻き立てるかのように、皺の寄った貌を歪ませていく。

 

「……確かに。もはや私の体は、この世界におけるキャラクターのアバターに過ぎない。あなた方と同じ、消えゆく存在……」

「……っ!」

「ですが……その前に、あなた方を消せる道具を持ち出すことには成功しているのですよ」

 

 ――やがて。彼はステッキを投げ捨て、懐に手を伸ばすと。

 そこから、「ある物」を引き出してきた。

 

「……!?」

 

 その形状に炫は瞠目し、アレクサンダーはより険しい面持ちとなる。

 

 濃いオレンジで塗装された長方形。その中央には白く塗られた四角形のスペースがあり、その中には幾つものボタンが並べられていた。

 さらに長方形の両端には、黒塗りのボリュームタイプのつまみが備え付けられている。

 

 ――それはまるで、70年代のゲーム機のようだった。

 

 そう。彼の手中に在るそれ(・・)は……炫とアレクサンダーが持つ「神具」に通じる、ファンタジー世界にそぐわない代物だったのだ。

 

「あれは……ブレイブドライバー!?」

「……あの世界のシナリオに、実装されていなかったドライバーか」

「ほう、さすがはFBI。この個体の情報もサーチしていましたか。……なら、わかるでしょう? ゲームにならないという理由でお蔵入りになった、この鎧の力を」

 

 その言葉に、アレクサンダーは息を飲む。ゲームにならない――それは、ゲームバランスが崩壊するほどの性能であることを意味していた。

 

 それを理解している彼の、焦燥の表情を眺めるギルフォードは……歪に口元を吊り上げながら、手にしたドライバーを丹田に当てる。

 やがて、その両端からベルトが伸び――彼の腰に巻き付いた。

 

「あなた方……特に、そこの捜査官。全ての命が灰燼と帰す感動的瞬間に、水を差したあなたには、とびきりの返礼をせねばなりませんね」

「……やれるのか? もはやただの一プレイヤーでしかなくなった、貴様に」

「命を灰燼……じゃあやっぱり、あのログアウトボタンは……!」

「そう……奴は『物語』を終わらせた君に、君を含む全ての人間を殺させようとしていたんだ」

 

 「甲冑勇者」という、この電脳空間における絶対的な暴力。その力を振りかざそうとしている老紳士を前に、炫は唇を噛み締める。どこまで人々をおもちゃにしようというのか――と。

 

「……あなたはッ……!」

「飛香炫君。私の人生を懸けた英雄譚を、完成直前まで進めてくれたことに免じて……今すぐ私の側につけば、ログアウトの時まで生かしておいて差し上げますよ?」

「……オレ達皆を殺そうとして、よくもそんなことを」

「あの時はまだ、私はゲームマスターでしたからねぇ。しかし今となっては、ただのプレイヤーでしかない。そんな私としては、差し違えてもその男だけは殺したいのですよ。あの時とは違います……約束は守りますよ」

 

 白々しくも、ギルフォードは炫に甘い言葉で囁こうとする。だが、真実を知った炫が出せる答えは、一つだった。

 

「……失ったものは、もう、帰ってこない。人も、信頼も。それはあなたも、知っているはずだ」

「そうですか……なら、仕方ありませんね」

 

 それを受け。ギルフォードは、分かりきっていた言葉を聞きほくそ笑むと――「電源」と書かれたスイッチを指先で入力する。

 

「――発動」

 

 その直後に出てきた言葉は、いわば彼らへの死刑宣告だったのだろう。一瞬にして、ギルフォードの全身を包んだ輝きの中から――新たな「甲冑勇者」が現れる。

 

 バーゴネットの鉄仮面や、フルプレートアーマーで固められた全身は、全て純白に塗装されている。

 そんな無骨な鎧姿である一方で、襟を立てたオレンジ色のマントを纏ってもいた。鮮やかにマントを翻すその姿は、無用な飾り気を要さない武闘派の「王」のようだ。

 さらに――紳士服に隠されていた、ギルフォードの肉体を強調するかのように。その鎧は、内側から漲る力により張り詰めていた。

 

Set up(セタップ)!! First(ファースト) generation(ジェネレーション)!!』

 

 そんな中、「変身」の完了を告げる電子音声が鳴り響き。ギルフォードは拳を握ると、改めて2人と対峙する。

 ――これから殺す、彼ら2人と。

 

「さぁ……始めましょうか。あなた達の命で飾る、この世界の終末を」

「……炫君ッ!」

「わかってる……!」

 

 これが、真の最終決戦となる。

 「原始勇者(げんしゆうしゃ)ディアボロト」と相対した炫とアレクサンダーは、そう確信し……同時に、この戦況を左右する「神具」に手を伸ばすのだった。

 

 ――全ては、この悪夢を終わらせるために。

 




 今回初登場したキッド・アーヴィングは、小説家になろうで「ヒーローロード」を手掛けておられるMrR先生からご応募頂いたキャラです。
 ちなみにこの時ギルフォードは、「解析班の干渉への妨害」と「炫達との戦闘」を同時にこなしている状態です。


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第17話 帝王の裁き

 炫とアレクサンダーの腰に、同時にブレイブドライバーが装着される。二人は互いに顔を見合わせ、頷き合うと――同時に、「変身」のスイッチとなるボタンを入力した。

 

「発動……!」

「……発動ッ!」

 

 刹那、彼らの全身を光が覆い隠し――その輝きの中から、鎧騎士達が飛び出してくる。

 

『Set up!! Third generation!!』

『Set up!! Sixth generation!!』

 

 電子音声と共に登場した二人は、同時に武装を出現させるボタンを押し――その手に宝剣を掴んだ。ファンタジー世界の剣であるグランヘンダーとベリアンセイバーの刀身が、インターフェース・エリアの中で輝きを放つ。

 

「……死にたがりが、二人。ふふふ……」

 

 やがてマントを靡かせ悠然と佇むディアボロトの前に、グランタロトとベリアンタイトが立ちはだかる……のだが。

 嗤う貌を仮面に隠すギルフォードは、二人の「甲冑勇者」を前にしても動じることなく、平静を保っていた。

 

「アレクサンダーさん、あれは……」

「性能が高過ぎるあまり、ゲームバランスを崩壊させてしまう――として、私達がいた『DSO』の世界には実装されていなかったドライバーだ。いわゆる『没データ』であり、私も全てを調べているわけではないのだが……どうやらあの鎧には、リアリティ・ペインシステムに干渉するプログラムが組まれているらしい」

「ゲームシステムに干渉……!?」

「奴はゲームマスターの資格を失い、大幅に弱体化しているとはいえ……この世界における最強の装備を身に付けている状態だ。おかしな真似をさせる前に、速攻でカタをつけるぞ」

「……ああ!」

 

 ――何かをさせる前に、潰さなくてはならない。そう判断した二人は、己の得物を手にして一気に仕掛けた。

 超人的な踏み込みから繰り出される、瞬足の一閃。弧を描き、垂直に振り下ろされた彼らの剣は――

 

「……ッ!?」

「なっ!」

 

「ようこそ……私の『間合い』へ」

 

 ――振り上げられたディアボロトの両肘に激突し。その勢いを、完全に殺されていた。

 

 渾身の力で振り下ろした剣を、エルボーだけで受け止める「甲冑勇者」の王。その圧倒的な防御力に、炫とアレクサンダーは仮面の奥で瞠目する。

 

(一人の『甲冑勇者』の攻撃を片肘で……!)

(オレ達のものより、さらに上位の『スーパーアーマー』が!?)

 

 ベリアンセイバーを右肘で。グランヘンダーを左肘で。宝剣の一閃であるはずの初撃を、それだけで受け止めてしまう、ディアボロトの耐久力。

 それに驚愕する二人の腕は、いつの間にか白い籠手に掴まれていた。初撃を凌いだギルフォードは、そのまま肘を伸ばして彼らの腕を捕まえたのである。

 

「……フンッ!」

 

 その勢いのまま、ギルフォードは二人の体を同時に引き寄せる。予期せぬ攻撃に出られた彼らは反応が間に合わず、前方に体重を傾けてしまった。

 

「がッ……!?」

「うぁッ!」

 

 そんな大きな隙を、この至近距離で突かれないはずもなく。

 ディアボロトは両腕を引き寄せた体勢から、自分の方へ傾く二人の腹に拳を突き込むのだった。

 

「あがあぁあッ!」

「うぁああッ!」

 

 激しい衝撃音を響かせて、二人は数メートルほど吹き飛ばされてしまう。地に落ち、床を転がる彼らは……暫し、全身に迸る激痛に呻き続けていた。

 

「な、んだ……! この、痛み……!」

「『甲冑勇者』に変身しているはずの我々に、これほどダメージによる痛みを……!」

 

 単に攻撃力が高いというだけで、これほどの痛みになるというのか。そんな疑問が浮き上がるほど、彼らの全身を貫いた痛覚の濁流は、凄まじい勢いだったのだ。

 

(……まさか!?)

 

 やがて二人が、その答えに辿り着いた時。ギルフォードは仮面の奥で嗤いを噛み殺し、その答えを肯定する。

 

「……あなた方が思った通り、ですよ。この『原始勇者ディアボロト』の鎧には、最上位のスーパーアーマーだけでなく――攻撃対象に与える痛覚を、5倍に引き上げる特殊スキルがあるのです」

「5倍……!?」

「私の鎧に得物など、不要。この拳、この体そのものが、あなた方で云う『宝剣』そのものなのですから……」

 

 くっくっ……と、噛み締めた口元から、笑みを零し。ギルフォードはマントを揺らしながら、じりじりと二人に迫る。

 

「しかも。このディアボロトは、装着者への痛覚を遮断するスキルも備えているのです。いくらあなた方が攻撃してきても、私には何の痛みもないのですよ」

「ぐ……!」

 

 炫とアレクサンダーは、剣を杖に立ち上がりながら構え直すが――身心に受けたダメージは尋常ではなく、先ほどのように強くは踏み込めなくなっていた。

 

「ふふふ、そうですかそうですか。あなた方でも『痛み』は怖いですか。そうでしょうそうでしょう、怖いでしょう。なにせ最悪の場合、HPを全損してアバターが死亡する前に壊れて(・・・)しまう可能性もあるのですから。いいのですよ、泣いて喚いても。どうせ誰も見てはいないし、いたとしても死にゆくあなた方には関係のないこと……」

「貴様ッ……!」

「さぁ……まずは、FBIの忠犬君。あなたから、泣き叫んで頂きましょうか。……そうやって、助けを求めながら死んでいった妹のように」

「……ッ!」

「――ふざけるなァッ!」

 

 そんな二人を煽るように、両手を大仰に広げるギルフォード。敢えて無防備な体勢を見せ、ソフィアの死にまで言及した彼の言葉に、アレクサンダーは激しく昂ぶった。

 あの短時間でアレクサンダーのことを調べたのか――と、怒りと共に驚愕する炫の脇をすり抜けるように。ベリアンタイトの蒼い体が、弾かれたようにディアボロトに迫る。

 

 ――ドライバーに指先を伸ばし、緑のボタンを押し込みながら。

 

『Sixth generation!! Ignition slash!!』

 

「はぁああッ!」

「アレクサンダーさんッ!」

 

 炫が声を上げるよりも早く、ベリアンセイバーが唸りを上げた。その蒼い電光を帯びた刀身は、青白い鎌鼬を放つ。

 

「フンッ……!」

「くッ!? ――おぉおッ!」

 

 だが、ディアボロトは真っ向からそれを浴びても、斃れることはなく……僅かに後退るだけであった。

 「大技」すら決定打にならないディアボロトのアーマー強度に焦燥を募らせ……それでもアレクサンダーは、先ほどの初撃とは比にならない速さで踏み込み、ディアボロトの胸に斬撃を叩き込む。

 

 しかし……それでも。白き帝王は揺るぎない姿勢のまま、微動だにしない。ただ仮面の底から、暗澹とした嗤いが響くばかりだった。

 

「またもや私情を挟んで暴走……ですか。あなたらしい愚直さですね、アレクサンダー・パーネル」

「くッ……! 如何に高性能なスーパーアーマーであろうと、それは所詮『仰け反り』を解消するものでしかない! 攻撃を重ねれば、貴様とてッ……!」

「……えぇ、その通りですとも。尤も……それまであなたが持てば、の話ですがね!」

「アレクサンダーさんッ!」

 

 烈火の如き憤怒さえ踏み潰す、圧倒的能力差。目に見える形でそれを示すかのように、ディアボロトの拳が振り上げられる。

 だが――その拳はアレクサンダーの顔面ではなく。彼らの間に割り込んできたグランタロトの剣に突き刺さるのだった。

 

「がッ!?」

「慌てずとも……君にもすぐに、素晴らしい最期を演出して差し上げますとも。華々しく戦い散る、英雄の最期をね」

 

 衝撃のあまり、グランヘンダーが凄まじい回転と共に舞い上がる。パワータイプであるはずのグランタロトが力負けしている事態に、炫は仮面の奥で目を剥いた。

 

「ぐわぁああッ!」

「炫く――ごはァッ!」

「……んん、いい悲鳴です。やはり英雄の最期には、それ相応の悲劇がなくてはなりません。ロビンフットやヨシツネ、ジャンヌダルクのように……」

 

 ギルフォードはさらに、剣を失ったグランタロトの腹に蹴りを叩き込み、その蹴り足でベリアンタイトの頬を薙ぎ払った。

 一本の脚で蹂躙される鎧騎士達は、5倍の激痛に悲鳴を上げ、吹き飛ばされて行く。

 

「あ、ぁぐッ……!」

「くッ、う……!」

 

 「宝剣」の化身でありながら、自らの半身とも言うべき剣を手放してしまう二人。そんな彼らを見やるギルフォードは、愉悦に満ちた笑みを浮かべてマントを翻す。

 

「実に愉快だ……実に、美しい。これ、これですよ。私が最期に見たかった、素晴らしい英雄の、終わりは……」

 

 感慨に耽るように、拳を握り締めるギルフォード。純白の鎧と仮面に、滾る狂気を覆い隠した彼は――やがて、ドライバーの赤いボタンに指先を伸ばす。

 その箇所には、「発射ボタン」と書かれていた。

 

「……ですが、いつまでも遊んでいては強制ログアウトで逃げられてしまいますからね。人生最期の愉しみを、早々に切り上げてしまうのは忍びないですが……本末転倒な事態は避けたい」

「……!?」

「よって。全てをここで、終わらせるとしましょうか」

 

 ――破滅願望の権化は、その欲望のままに。赤いボタンを、押し込んだ。

 

First(ファースト) generation(ジェネレーション)!! Ignition(イグニッション) break(ブレイク)!!』

 

 刹那。ディアボロトの右拳が、真紅の灼熱を纏い――この一帯の景色を、蜃気楼の如く揺らめかせる。

 かなりの距離があるというのに、焼け付くような熱気の勢いは、炫達にまで及んでいた。

 

「……!? なんてッ……熱さだ!」

「火傷、痛いですよねぇ。痛覚5倍の状態から、焼きごてを押し付けられる気分を味わえますよ。さぞや、素敵な最期を飾れることでしょう」

 

 ギルフォードの言葉通りの現象が起きるなら――例え現実世界の肉体に影響がなくとも、確実に当人の精神に異常を来す。

 並の人間が味わえば、廃人化は免れない。そしてそれは、人間としての「死」と同義である。

 仮想と現実の壁さえ超え、命を奪うギルフォードの「芸術」。その真髄を目の当たりにして、炫とアレクサンダーは己を狂わせる「怒り」と「戦慄」を同時に味わっていた。

 

「残念でしたね。あなた方は、逃げ切れなかった。頼もしい仲間達と共に戦い、邪悪な魂を宿した剣を打ち破った英雄は――最期に」

 

 そんな彼らに向けて……ディアボロトは、突き上がるような嗤いと共に。

 

「世界の創造者に! 神に! 見放され! 果敢に戦うも……儚く! 散りゆくのでしたァッ!」

 

 右手の鉄拳を、勢いよく突き出し。そこに集中していた灼熱は、真紅の火球へと変貌すると――持ち主の拳を離れ、火炎の砲弾となっていった。

 

 その弾頭が向かう先で、炫は……ただ死を待つことを良しとせず。ふらつきながらも片膝をついて立ち上がり、震える指先で「大技」の発動ボタンに触れた。

 

(……オレの、「大技」で迎え撃つしか……ない。オレは間違いなく直撃するけど……でも、少しでもアレクサンダーさんから遠いところで命中させれば……ッ!?)

 

 高速の飛び蹴りで、真っ向から火炎砲弾に激突し、より早く爆発させれば。自分は間違いなく地獄の業火を味わうことになるが――アレクサンダーに及ぶ熱気の余波を、最小限に抑えられる。

 

 そう考えた彼の、咄嗟の行動だったのだが。

 

 ――それが、実行されることはなかった。

 

「あっ……!?」

 

「……ッ!」

 

 触れたボタンを押し込む、直前。身を引きずるように飛び出したアレクサンダーが、炫を突き飛ばしたのだ。

 一瞬何が起きたかわからず……しかし痛みもなく吹き飛ばされたことから、すぐに彼の仕業であると気づいた炫は。

 

(アレクサンダー……さんッ!)

 

 地を転がりながら、蒼い鎧騎士に手を伸ばし。

 

(……これが、私が果たすべき任務なんだ。これで……いい)

 

 その仮面の奥で。アレクサンダーは、儚げな微笑を浮かべていた。

 仮面という壁に隔てられた炫には、見えないように。

 

 ――そして。

 

(せめて君だけは、いつまでも……幸せに生きて欲しい。全てを喪った私だが……ソフィアを愛してくれた、君だけは、せめて……)

 

 親愛とも、憎しみとも、哀しみともつかない瞳は、少年を見つめたまま。

 己の罪に値する、罰を受けるかの如く。

 

 王の業火に、包まれたのだった。

 

「――アレクサンダーさぁあぁんッ!」




・原始勇者ディアボロト
 殺人実験用電子外骨格「甲冑勇者」第1号。正式名称「Type(タイプ)-Color(カラー)」。変身者はアドルフ・ギルフォード。
 主武装こそ持たないが、「最上位のスーパーアーマー」や「攻撃対象の痛覚5倍」、「自身に対する痛覚無効」といった強力な固有スキルを有しており、他の「甲冑勇者」を圧倒する性能を持っている。
 大技は、巨大な火球を拳から放つ「イグニッションブレイク」。
 なお、この個体を含む全ての「甲冑勇者」は、旧世代のゲーム機をモチーフとしており、各個体名には悪魔に由来したネーミングが使われている。それは「この鎧を使う者は所詮、悪魔の研究から生まれたゲームの玩具でしかない」という、ギルフォードによる自虐と皮肉の現れである。


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第18話 明晰夢のヒーロー

 ――あれから、どうなったのだろう。

 

 曖昧な意識のまま、身を起こした炫の眼前には……倒れ臥した一人の騎士がいた。力なく横たわる彼は、顔だけをこちらに向けている。

 

「……ぁ、あ……!」

 

 今にも消えそうな――そう、比喩ではなく、本当に消えてしまいそうな儚い笑みで。騎士は、アレクサンダーは、炫を見守っていた。

 彼が身を呈して、爆発の中心から炫を遠ざけても、かなりの余波が及んでいたらしく……彼自身はもとより、最小限の余波しか浴びていない炫まで、変身が解けている。

 

 しかも。血だるまになり、体のあちこちが焼け爛れているアレクサンダーは、半透明になり消えかけていた。

 アバターの消滅……即ち、この世界における「死」の前触れである。

 

「アレクサンダー……さん……!」

 

 未だに残る灼熱の残滓を感じながら――炫は、無意味と知りながら、それでも手を伸ばす。

 覚束ない足取りで歩み、何度も転び……それでも。

 

「ひか……る、君」

 

 そんな少年に、焼き尽くされた騎士は「もういい」と微笑で語る。

 ――高熱の生き地獄を味わいながらも、その精神を保ち続けている彼は……痛みに耐え抜きながらも、HP全損という形で最期を迎えようとしていた。

 もう、彼の命がこの世界で繋がることは……ないのだ。それは、アレクサンダー自身がよく理解している。

 

「ソフィ……ア……あ、りが……」

 

 だからこそ、最期に。

 炫への憎しみを捨て、彼への感謝と謝罪を、遺言にしようとしたのだが。

 ――無情なゲームシステムに、その口を抹消される方が先となってしまうのだった。

 

「アレクサンダー……さっ……!」

 

 光の粒子となり、霧散していくアレクサンダーのアバター。そのかけらを追うように、炫は宙に舞う光の粒に手を伸ばす。だが、その全ては彼の行為を嘲るように、空振りに終わった。

 彼の拳の中には、何もない。虚空だけが、その手の中にある。

 

「……困りましたね。今の『大技』で、2人纏めて華々しく散らせるはずだったのですが……」

「……ギルフォードォッ!」

 

 火炎砲弾の残り火。インターフェース・エリアの中で逆巻く、その業火の向こうで――ギルフォードは、呆れるようにため息をついていた。

 人の「死」に対し、あまりにも軽いその反応を目の当たりにして、炫はかつてない憤怒を瞳に宿す。恋人を失う元凶を作り、彼女の兄さえ殺め、自分の大切な友人達まで玩具にする「王」を、その眼差しで射抜いて。

 

「……まぁ、いいでしょう。あなた一人、『大技』が使えずとも処理するのは容易い。強制ログアウトで逃げられる前に、始末をつけてしまいましょうか」

「……誰が、始末をつけるって?」

 

 だが、その眼光を真正面から浴びても。ギルフォードはまるで動じることなく悠然と歩み出す。炎を掻き分け、炫にとどめを刺すために。

 そんな仇敵に対し――炫はふらつきながらも、しっかりと両足で立ち上がると。痛みに震える手で、ブレイブドライバーを握り締めた。

 

「……逃げずに戦うつもりですか? えぇ、いいですとも。その方が実にあなたらしい。強制ログアウトで逃げるより、よほど……」

「……強制ログアウトなんて、待っていられない(・・・・・・・・)からな」

「待って……いられない?」

 

 この絶望的な状況でありながら、なおも立ち上がり、戦う姿勢まで見せる炫に対し、ギルフォードは大仰に手を広げて賛辞を送る。

 ――だが。炫の言葉に、初めて彼は笑みを止めた。

 

 強制ログアウトという、自分一人だけでも生き延びられる最後の希望に対し、「待っていられない」と言い放つ彼の真意が読めなかったのだ。

 恥も外聞もなく、剣を捨てて必死に逃げ回れば……あるいは、強制ログアウトに助けられる可能性もあるというのに。

 

 そんなギルフォードをよそに、炫は再びブレイブドライバーを腰に装着する。この時、彼の脳裏にはアレクサンダーが残した言葉が残されていた。

 

『アバターが死亡してから、1分。そのタイムラグを経て、電磁パルスが我々の脳を殺す』

 

(……それならアレクサンダーさんのヘブンダイバーが、電磁パルスを発動させるまでの1分の間に……この世界のホストであるギルフォードを消滅させて、ゲームを強制終了させるしかない)

 

 この世界は、ギルフォードがホストとしてゲームを主導することにより形成されている。すでに彼はゲームマスターの権限を失っているが……それでも、元を辿ればゲームの主軸となる「ホスト」であることに違いはない。

 つまり、ゲームシェアリングの際にホストの通信が切れればゲーム自体が解散してしまうように……この世界自体を、ギルフォードの消滅に連動させて、消してしまうことも出来る。

 

 ――だがそれは、この世界でしか生きられないギルフォードを、完全に「抹殺」することを意味していた。

 ゲームに恋人を殺された自分が、今度はゲームで人を殺そうとしている。その罪深さを知りながら――なおも炫は、この決意を翻すことなく、ギルフォードと対峙していた。

 

「……強制ログアウトが作動するより先に、私を倒してゲーム自体を強制終了させる……ということですかな?」

「……外部が助けてくれるまでの間、アレクサンダーさんの脳が無事である保証は、ないからな」

「そうですか……ふふっ、いいでしょう。どうせ最期なのですから、気が済むまで……お好きなようになさい。あなたを『主役』に選んだのは、彼女(・・)が最も心を委ねている男性だった……というだけの理由でしたが。さすがは、この私が選定した『勇者』ですね」

 

 やがて炫の意図を読んだギルフォードは。圧倒的優位に立っているがゆえの余裕から、彼の決断を悠々と見つめている。

 あの世界の「姫君(ユリアヌ)」――伊犂江優璃に、心から愛されたが故に課せられた、「勇者」の宿命。その全てを背負う炫を映す眼は――狂気に歪み、嗤っていた。

 

 ――今さら何をしようと、自分には勝てないし逃げられない。なら、最期の抵抗というものを見届けてやるのも一興か。

 そんなギルフォードの驕りが、透けて見えるようだった。ディアボロトの仮面で貌は隠れていても、その態度が仕草に大きく現れている。

 

(アレクサンダーさん……ソフィア!)

 

 その様子を見遣る炫は。

 決意を固めるように、目の色を変える。人を救うために、人を殺す。矛盾に満ちたそのエゴを、実行するために。

 

「……!?」

 

 必ずやり遂げる。その覚悟が生む殺気が、迸った時。

 元海兵隊の直感から、それを感知したギルフォードは初めて、頬に汗を伝せた。

 

「……ッ!」

 

 ――そんな彼と、鋭い視線を交わして。炫は、右手を額に当て……そこから、キリストの作法に倣い十字を切る。

 かつてソフィアを天上へ送った神父が、葬儀の場でそうしていたように。

 

 そう。これは、意思表示だ。

 

 2年前から続いてきた、悪魔の研究に端を発する悲劇を終わらせ。ソフィアをはじめとする、犠牲者達の魂を鎮め。

 ――そしてこれより。アドルフ・ギルフォードを、天上に送るという。

 

「……発動ッ!」

 

「……!」

 

 そうして。ギルフォードに、死と冥福を祈るように……十字を切り終えた瞬間。炫は「変身」するためのボタンを押し、その全身を輝きの中に包み隠してしまった。

 

「……これが、最期のコンティニューだ」

 

 やがて。

 輝きの中から顕現した明晰夢のヒーローが、グランヘンダーを手にして……再び、ディアボロトの前に立ちはだかる。

 今までとは、まるで気迫が違うその立ち姿に――ギルフォードは、かつてない威圧感を覚えていた。

 

 そして、理解していた。

 この少年は、迅速に殺さねばならないと。

 

「……では、改めて。あなたの幕引きを、最高の悲劇で彩るとしましょうか」

「誰の幕も、あなたには引かせない。あなたの物語は……ここで終わりだッ!」

 

 やがてグランタロトとディアボロトは、逆巻く炎に囲まれながら、互いを近接戦闘の間合いで捉える。

 

 消滅が迫る電脳空間を舞台に。

 2人の「甲冑勇者」が今――雌雄を決しようとしていた。




 今回、炫が見せた十字を切る動き。アレが本作初にして、唯一の「変身ポーズ」です。


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第19話 創造主の破壊

 上段にグランヘンダーを構え、躙り寄るグランタロト。無謀な戦いに臨む英雄を前に、ディアボロト――ギルフォードは仮面の奥に嗤いを隠し。

 

「……面白い。どこまで、私の描く終末から逃れられるか……見せて頂きましょうか」

「逃げたりなんかしない。今この場で、叩き潰すッ!」

「……ッ!」

 

 鋭い眼差しで、彼を射抜く。元海兵隊の直感が、この少年を危険な存在として認識しているのだ。

 

 それを正解と告げるように。炫は素早い踏み込みから、一気にグランヘンダーを振り下ろした。先ほどまでより、さらに鋭さを増した斬撃が、ディアボロトに迫る。

 

「……!」

「――おぉおッ!」

 

 白い帝王は片腕一本でそれを凌ぎ、振り抜かれるはずだった剣を静止させる……が。炫はその反動を利用して体を半回転させ、ディアボロトの腹に後ろ足で蹴りを叩き込む。

 さらにその反作用を利用して、地を蹴るようにディアボロトの腹部を脚で押し込み、反撃が届かない距離を取った。

 

「……私のスーパーアーマーを利用する戦いに切り替えた、ということですか。しかし、いいのですか? そんなもたもたした戦い方では、1分などあっという間ですよ」

「……ッ!」

 

 だがギルフォードの言う通り、ヒット&アウェイの戦法では、自身に及ぶダメージを抑える事は出来ても、時間を大きく浪費することになる。

 ――うまくやれば、いつかはギルフォードに勝てるだろう。だがその時は、アレクサンダーの脳はとうに焼かれている。

 

 それを理解しているからこそ、一本取られた状況でありながら、ギルフォードは余裕を崩していないのだ。

 炫に、この手段を続けることは出来ない。必ず焦りから、調子を狂わせ隙を生む。その時こそ、待ち侘びた悲劇が訪れるのだ……と。

 

「私の間合いに入らないギリギリで戦えば、確かに勝機はあるかも知れません。しかし、それではアレクサンダー・パーネルは助からない。しかし私の間合いに入っても、痛覚5倍の拳を浴びるだけ……困りましたね?」

「……」

 

 どれほど勇んだところで、グランタロトに……飛香炫に勝機などありはしない。そう信じて疑わないギルフォードは、両手を広げて煽るように嗤う。

 そんな彼を前にした炫は、剣を下ろすと……暫し、物思いに耽るように目を伏せた。

 

(……近づかなければ、時間内に彼のHPを全損させることなんて、出来ない。全損させないと、アレクサンダーさんは助からない。……答えなら、分かっているじゃないか)

 

 そして。

 

 決意と共に、顔を上げると。

 

「……おぉおぉぉおぉおッ!」

 

 火を吐くが如き、雄叫びと共に。仮面に隠された瞳に、覚悟の色を灯して。炫はグランヘンダーを振り上げ、真っ向からディアボロトに猛進して行った。

 

「……ッ!?」

 

 先ほどまでの小細工を感じさせない、猪突猛進そのものといった姿勢。

 時間に追われるがゆえの焦りとも違う、その予測から外れた炫の攻勢に――ギルフォードは、かつてない程に瞠目していた。

 

「……シィッ!」

 

 だが正面から突っ込んできたなら、こちらも迎撃あるのみ。ディアボロトは白銀の拳を振るい、迫り来る臙脂色の鎧騎士を迎え撃つ。

 

「はぁああぁあッ!」

 

 炫はその剛拳から繰り出されるストレートを、紙一重でかわすと。命中させた後の回避など、まるで考えてない――渾身の一閃を叩きつけた。

 

「あなたも死にたいと……そういうことなのですねぇッ!?」

 

 その一撃と迫力に気圧されながらも、ギルフォードは狂ったように嗤い――懐に飛び込んできたグランタロトの顔面を、その鉄拳で撃ち抜いていく。

 

 如何に気迫が凄まじくとも、グランタロトとディアボロトの間には、スーパーアーマーのレベルという覆せない能力差がある。

 例えグランタロトが捨て身で攻撃に集中したとしても、その連撃が続くことはない。グランタロトが二撃目に入ると同時に、ディアボロトは怯むことなく反撃に移れるのだ。

 ゆえに自在にカウンターを放てる帝王の前では、グランタロトは長い間近づくことすら出来ない。連撃を仕掛けようとしても、その前に吹き飛ばされてしまうのだから。

 

 つまりたった今、ディアボロトのストレートを浴びたグランタロトは、5倍の痛覚を味わいながら間合いを離されることになる。

 その未来を確信し、ギルフォードはほくそ笑む……の、だが。

 

「ぐぁッ……ぉあぁああッ!」

「なッ……!?」

 

 次の瞬間には、グランタロトの二撃目が迫っていた。

 

 何が起きたか、理解が追いつかない。そんな表情を、仮面に隠したまま。ギルフォードは、その身に再び斬撃を浴びてしまった。

 痛覚を遮断している彼に痛みはない。そのうえ、上位のスーパーアーマーに守られたディアボロトのアバターは、全く怯んでいない。……しかしそれでも、ギルフォードの動揺は止まらなかった。

 

「ぉぉあぁああッ!」

(なんだ!? 何が起きた!? なぜ、なぜ、スーパーアーマーの性能で劣るグランタロトが、ディアボロトの攻撃に耐えられるのだ!? なぜ、なぜ吹き飛ばない!?)

 

 まるで、グランタロトもディアボロトと同等のスーパーアーマーを得たかのような現象。もしや、FBI解析班の干渉のせいで何らかのバグが発生したのか。

 ――そのように、ひたすら思考を巡らせている間も。殴られたはずのグランタロトは、懸命に剣を振るい続けていた。文字通り、一歩も引くことなく。

 

(……まずい! ダメージが!)

 

 とにかく、このまま一方的に攻撃を浴び続けるわけにはいかない。ギルフォードは再び白き剛拳を振るい、グランタロトを打ち据えた。

 

「がうァッ! ……うぉあぁああッ!」

「バ、バカな、こんな……!」

 

 ――だが。それでも、臙脂色の鎧騎士は動かない。吹き飛ばない。

 ディアボロトが、何度グランヘンダーで斬られても動じていないように。グランタロトもまた、何度殴られても引き下がることなく、剣を振るい続けていた。

 

 本来ならば一方的な戦いになるはずだった両者の対決は、いつしか超至近距離で互いの一撃をぶつけ合うインファイトへと発展している。

 

(バカな……ありえない! グランタロトが、ディアボロトと同等の土俵に立てるなどッ……!?)

 

 剣と拳の、絶え間ない応酬。繰り返される轟音、衝撃音。

 ――データ上のスペック差に基づくなら、決してあり得ないその状況を目の前にして、冷静さを欠いていた彼は……何十回と斬られた今になって、ようやく気がついた。

 

「ぐ……ぅぅうあッ!」

「……!」

 

 グランタロトは――炫は。

 

 左手でディアボロトの肩を掴み、その場に踏み止まっているのだ。

 

 彼は至近距離でディアボロトの拳を浴びながら、それでも一歩も引くことなく腕一本でしがみつき、ただひたすらにグランヘンダーを振るい続けていたのである。

 

(なっ……! こ、んなッ……!)

 

 自分を吹き飛ばす相手に掴まり、間合いを離させない。そうすればダメージを受け続けるリスクと引き換えに、こちらも矢継ぎ早に攻撃ができる。

 そんな至極単純な炫の「捨て身」を、ようやく理解したギルフォードは。これほど簡単で、無謀な戦い方に翻弄されていた事実に愕然とし。

 

「――このガキがァアァアァッ!」

 

 烈火の如き激昂が、衝き上がる。

 この現象のカラクリに気づくや否や、ギルフォードは手刀でグランタロトの左手を弾き――その胸に高速の拳を叩き込んだ。

 

「がッ……!」

 

 5倍の痛覚で幾度となく殴られ、それでも気力だけを頼りにしがみついていた炫だったが――左手を狙われては、長く掴まってはいられない。

 たまらず左手を離してしまったところに怒りの一撃を浴び、激しく吹き飛ばされてしまった。地を転がり、鎧の各部から火花が飛び散る。

 

「ぅ……がはッ……」

 

 力無く倒れ伏した彼だったが……震える両手で身を起こそうと、なおも足掻き続ける。その身に変調が訪れたのは、次の瞬間だった。

 

「……!」

「はっ……はははは! どうやら、あなたの奮闘も、ここで終幕のようですね! どれほど足掻こうとあなたは所詮、私の『劇』のために用意された『作り物』のヒーローに過ぎないッ!」

 

 全身が、半透明に点滅し始めたのである。HPの全損が近づいている証だ。

 散々に追い詰められていた反動からか、それを目の当たりにしてギルフォードは高笑いを上げる。その眼は自らの勝利を確信し、敗者を蔑む……「狂人」にすら劣る、「俗物」の色を湛えていた。

 

 ――だが。

 

「ははははははっ……は!?」

 

 仮面に隠された嗤いは、たちどころに消え去ってしまう。

 

 グランタロトだけでなく――ディアボロトの身体まで、点滅を始めたのだ。

 

「な、なぜだ!? なぜ私までッ!」

 

 自分の身に迫る消滅の危機。それを実感したギルフォードは、その理由をすぐには見出せずに頭を抱え、狼狽える。

 

(……ベリアンタイトの「大技」か! FBIの犬めがッ……!)

 

 だが、グランタロトに攻め立てられた時よりかは早く、彼は思考を巡らせ答えに辿り着く。

 ――ギルフォードは最上位のスーパーアーマーに胡座をかき、アレクサンダーの一撃を真っ向から受け。グランタロトの捨て身にたじろぎ、幾度となく斬り付けられた。

 

 痛覚を遮断し、あらゆる攻撃に仰け反らないディアボロトのスーパーアーマー。それは、装着者に「無敵」であると錯覚させる側面を持っている。

 自身は痛みを感じることなく、相手にのみ一方的な苦痛を与え。どれほど攻撃されても、自分の体はビクともしない。そんな状況が生む増長が、この事態を招いたのだ。

 

 ――「如何に高性能なスーパーアーマーであろうと、それは所詮『仰け反り』を解消するものでしかない」。

 

 アレクサンダーが、そう言っていたように。ディアボロトのスーパーアーマーは、ダメージそのものを無効化させているわけではなく。

 ただ、痛みという感覚を奪っているに過ぎないのだ。

 

(く……迂闊だった……! だが、点滅の速度はグランタロトの方が遥かに早い! この調子なら、先に力尽きるのは奴の方だ!)

 

 「死」に瀕した今になり、ようやくそれを理解したギルフォードは焦燥に駆られつつも、グランタロトの方を一瞥して平静を取り戻そうとする。

 HP全損が近ければ近いほど、アバターの点滅はより早くなっていく。ディアボロトを超える早さで点滅している炫のアバターは、徐々に「死」へと近づいていた。

 

 やはりアバターに与えるダメージ量そのものは、ディアボロトの方が上回っているのだ。痛覚5倍のスキルは攻撃力とは無関係であるため、例え痛覚5倍がなくとも結果は変わらなかっただろう。

 今の戦い方を続ければ、間違いなく炫が先に倒れることになる。だが、もう今の戦法以外にアレクサンダーを助ける手段はない。

 

「……はーッ、はッはッはァアッ! 詰んでいたのです。詰んでいたのですよ! あなた方は、最初からッ!」

 

「……」

 

「もう誰も、私すらも助かりはしない。全員が、何もかもが、美しい終幕を飾るのですよ……!」

 

 結果を通してみれば、ギルフォードの勝利は堅いのだろう。改めて勝利を確信した彼は、再び両手を大仰に広げて勝利を宣言する。

 一度の戦闘につき一発しか使えない「大技」がなくとも、基本スペックで上回っているなら負けることはない。

 

 そう、もう奇跡は起きない。

 勝敗が覆ることはない。

 

「ははは……ははははァはァッ!」

 

 そう信じて疑わない彼は、

 

『Third generation!! Ignition drive!!』

 

「……は」

 

 見過ごしていた。

 

 最後の気力を振り絞り、身を起こしたグランタロトが。ブレイブドライバーのボタンを押し込み……「大技」を発動していたことに。

 

 ――そう。この戦いの中で、グランタロトだけはまだ。

 

 一発限りの「大技」を、使っていないのだ。

 

「は、はは、はぁッ!?」

 

 一瞬でギルフォードから嗤いが消し飛び、ディアボロトの挙動が不自然なものになる。仮想世界の僭王は、今まさにその威光を剥がされようとしていた。

 ディアボロトの方がスペックで上回っているとはいえ、HP全損に近づいている今の状況で「大技」を喰らえば、どうなるか。そこまで理解が及んだ瞬間、ギルフォードはもう、普段の自分を保てなくなっていた。

 

「……」

 

 片膝立ちの姿勢から、グランタロトはゆっくりと立ち上がっていく。額の角に集まり行く電光は、迸るように彼の体を駆け巡り……やがて、右脚の一点に収束していった。

 

「ま、待て、待て飛香炫君! そこから動いてはいけないッ! 近づいてはッ!」

「……」

 

 両手を振り、脚を震わせ、ディアボロトは後退る。わなわなと消滅の恐怖に凍えるその様は、もはや「甲冑勇者」の王と呼ぶには程遠い。

 

「私が望んだ終末は! エンディングは! こんなものではない! こ、こんなものであってはならないッ!」

「アレクサンダー、さん……ソフィア……」

 

 ギルフォードの叫びは届かず。炫は譫言のように呟きながら、ゆっくりと前に歩いていく。その足元からは、紅い電光が己の力を持て余すように飛び散っていた。

 仮面に隠されたその眼は、永く続いた激痛の嵐により朦朧となっていたが――混濁した意識の中でもなお、倒すべき仇敵を追い続けている。

 

「やめろ、くる、な。来るな、飛香炫、来るなぁああぁあッ!」

 

 仮面を隔てて、その眼に宿る絶対の殺意を感じ取ったギルフォードは、やがて踵を返して逃げ出していく。

 マントに躓き、よたよたとふらつきながら。震える脚で、なんとか立ちながら。それは、王とは対極に等しい醜悪な姿であった。

 

「……おぉおぉあぁあぁあッ!」

 

 ――そして。命を燃やし尽くすが如く、雄叫びを上げて。

 炫は地を蹴り飛び上がると、逃げ惑うディアボロトに天誅を下すかのように。

 

「やめろぉおぉおぉあぁあぁあッ!」

 

 頭を抱え耳を塞ぎ、のたうつように走る僭王の背へ。電光を纏う飛び蹴りを、打ち込むのだった。

 

 絶叫と共に、ディアボロトの体が吹き飛んでいく。鎧の各部から火花を散らし、地を転げ回る彼は、情けない呻き声と共に……仮面と鎧を剥がされ、ただのアドルフ・ギルフォードとなっていった。

 

「あぁ、はぁあぁ……! 違う、違う違う、こんなはずでは……こんなはずではなかった! 私の物語は……英雄譚は、悲劇で終わらねばならないのに……!」

 

 変身を解除された老紳士は、半透明となった自分の手を見遣り……HPの全損を、否応なしに悟らされた。

 彼がそれを受け入れるのは容易ではない。だが絶対に、否定だけはできないのだ。

 この世界を創ったのは、彼自身なのだから。彼が自ら、己を創造主と称したように。

 

「なぜだ、なぜ誰も私を認めない!? 私はこんなにも……こんなにも! 美しい世界を築き上げたというのにッ! 世は、世は! 私だけの世界に閉じこもることすら許さないというのか!? 冥土の土産に、至高の物語を拝むことすらッ!」

「……」

「人は皆酔いしれた! 私の世界という夢の中で、幸せでいられたはずなのだ! 飛香炫! 君もその一人だろう!? なんとも……なんとも思わないのか! この私を、創造主を殺めることを!」

 

 だからこそ、他者を責めるしかなかったのだ。

 ギルフォードは消滅しかけている状態の中、地を這いずりグランタロトに迫る。炫はそんな彼を、憎しみとも哀しみともつかぬ眼差しで見下ろしていた。

 

「……思うさ。おかげで、悪い夢から覚めることができる」

「はっ……!?」

「――夢は、いつだって楽しくなくちゃいけない。それは、悲しいものであってはならない」

 

 炫はブレイブドライバーを腰から取り外し、変身を解除する。露わになったその素顔は、憂いの色を帯びていた。

 諸悪の根源を前にして、彼は憎しみに振り切ることもできず。ただ苦々しい面持ちのまま、背を向ける。

 

 ギルフォードが言う通り、自分も幻想の世界に酔いしれた者の一人でしかなく。そんな自分のために、大切な人を犠牲にしてしまったのだから。

 

(ソフィア……)

 

 炫はギルフォードを一瞥もせず、彼から視線を外して電脳空間の空を仰ぐ。その後ろでは――

 

「……ぁあ……あぁああ……! そんな……嫌だ! 私はまだ、誰にも……!」

 

 ――誰にも、そう、目の前にいる炫にすらも看取られることなく。全ての災厄を振りまいた男はただ独り、光の粒子と化していった。

 炫の背に伸ばされた手が、指先が、消えていく。彼が振り返った時には、もう――そこには、何もなかった(・・・・・・)

 

 ただ、自分を肯定してくれる世界が欲しかった。それだけの男はもう、現実世界にも、仮想世界にもいない。

 

『ホストのデータが破損。フルダイブを強制終了します』

 

 その直後。強制ログアウトが始まった瞬間と同じ、無機質な音声がこの場に響き渡る。だが、その内容はあの時とは違うものだった。

 ――それはこのログアウトが、FBI解析班によるハッキングとは別の(・・・)強制力によるものという証。

 

「……」

 

 アナウンスを耳にして、炫はアレクサンダーが居た場所を一瞥する。果たして、自分は間に合ったのだろうか。そう、問いかけるかのように。

 そんな答えなど、この夢から覚めねばわかるはずもないと、知りながら。

 

「ソフィア……ごめん、ごめんな」

 

 もし、駄目だったら。そんな考えが過ると、そう呟いてしまう。

 ――炫は、そのような自分を嘲るように笑いながら。眩い輝きの中に消えて行き……やがて。

 

 この世界と共に。仮想空間から、その姿を消し去るのだった。

 

 ◇

 

「あっ……!?」

 

 ――そして。次に目が醒め、視界に「景色」が映る時。

 炫の眼前には、こちらを覗き込む絶世の美少女。突如眠りから覚めた想い人と視線が交わり、彼女――伊犂江優璃は暫し目を剥き呆然となる。

 それは、彼女の隣で目覚めを祈り続けていた蟻田利佐子も同様だった。周囲のクラスメート達や教師陣も、炫に注目している。

 

「あ、すか……君……」

「飛香さん……!」

「……」

 

 そんな彼らと、瞬きする間も惜しむようにこちらを凝視する優璃を見遣り。炫は、自分があの世界から目覚めたことを悟る。

 ――ユリアヌとネクサリーは、自分を飛香と呼んだ。そう、彼女達はもうNPCなどではない。伊犂江優璃と、蟻田利佐子なのだと。

 

(真殿君、信太、俊史、みんな……)

 

 そんな彼女達を含む、先にログアウトを果たした人々。その顔触れの中から、炫はあの世界で共に戦った仲間達を見つけた。

 ――そして。もう、あの世界で知り合ったユリアヌやネクサリー、テイガートに会うことはないのだと、理解する。

 

(……でも)

 

 しかし、悲しみは無い。今ここにいる彼女達は、あの時共に戦った彼女達は、確かに生きている。あのデスゲームから、共に生き延びているのだから。

 そう。炫達は全員、誰一人欠けることなく、あの世界から帰ってくることができたのだ。だからきっと、悲しくなどないのだと――炫は信じていた。

 

「あ、あぁああっ……! 飛香君っ……飛香君、飛香君っ……!」

「飛香さんっ……! よかった……!」

「や、やった! やっと炫が起きたぞ!」

「やったんだねっ! これで全員生還なんだねっ!」

 

 ――その一方。炫が目覚めたことに、ようやく思考が追いついた優璃は、止めどなく涙を溢れさせ、想い人にしがみつく。利佐子も胸に手を当て、感涙を頬に伝わせていた。

 そうして、学園のアイドル達が肩を震わせている後ろでは、信太や俊史が歓声を上げていた。周囲のクラスメート達も、一人も死者が出ずに済んだことに安堵するように、表情を緩める。宗生は……まだ伸びていた。

 

「……全く。いつもいつも、伊犂江さんを困らせる奴だ……」

「そういうあなたも、気が気でなかったようだけど?」

「あ、あいつに何かあった時の伊犂江さんが気掛かりだっただけです」

 

 あれほど炫を毛嫌いしていた大雅も、心底安心したような面持ちだ。その様子を睦都実に指摘された途端、眉をへの字に曲げる彼の貌は……微かに、照れの色が滲んでいる。

 

「……」

 

 そんな彼らを一瞥する炫は。

 永い眠りから覚め、一足先に冒険を終えた彼らに向け、微笑を浮かべた。

 

「……ただいま、みんな」

 

 誰に向けたわけでもなく、ただ独り言のように呟かれた、その言葉は。優璃の嗚咽や信太達の歓声に掻き消されていく。

 

「……うんっ」

 

 だが、それでも。最も彼のそばにいた優璃だけは、しっかりと聞き取っていたようだ。

 彼の胸元に顔を埋め、啜り泣きながらも。彼女は炫の言葉に頷くように、頭を擦り付けていた。

 

 そんな彼女を見つめ、炫の胸中にようやく実感が生まれる。もう、あの夢は終わったのだと。

 

 ◇

 

「……どうだ、彼の様子は」

「間違いありません。彼は、覚えて(・・・)いますね」

 

 炫の覚醒に沸き立つ病室。その空間を遠巻きに眺めるキッド・アーヴィングの隣には――患者服に袖を通した、オールバックの青年が佇んでいた。

 壁に背を預け、腕を組む彼……アレクサンダー・パーネルは、キッドの報告を聞くと憂いを帯びた表情を浮かべる。

 

「彼には、辛い記憶を残してしまったな」

「ギルフォードを消滅させたあの子の影響で、解析班のハッキングが完了する前にログアウトしてしまいましたからね。ログアウト対象の記憶を抹消――という、我々のプログラムには引っかからなかったのでしょう」

「我々に頼らず別の手段でログアウトしたんだ、当然だろう。……尤も、私はそのおかげで命拾いしたわけだが」

 

 自嘲するようにほくそ笑み、アレクサンダーは親友達に揉みくちゃにされている炫を、ただ静かに見つめる。穏やかな笑みを浮かべる彼の貌は、憑き物が落ちたかのようだった。

 

(ギルフォードを斃し、仇を討ったことで心が安らいだか。……そうだ、君はそれでいい)

 

 自分を除いてただ一人、妹を愛してくれた少年。いつかは弟になっていたかも知れない彼を、アレクサンダーは慈しむような眼で見つめていた。

 

「あなたのアバター……『オーヴェル』の死亡から、約57秒。解析班の干渉では、あと2分は必要でした。……奇跡と言う他に、言いようがありませんね」

「結局、あの子がいなければ民間人全員の生還も、私の脱出も不可能だったということか。……ふふ、これをどう上に報告したものかな」

「しかし、彼の処遇はどうしますか? ……必要なら、強制的に記憶を消去することも出来ますが……」

 

 そんなアレクサンダーと向き合いつつ、キッドは消え入りそうな声で……炫の記憶の消去を提案する。だが、アレクサンダーは優しげな面持ちのまま首を振った。

 

「その必要はない。彼は私のアバターが死亡した後、1分以内にギルフォードを消滅させて脱出した。その事情聴取をせねばなるまい。あの状況でいかに、あの『王』を破ったのか……」

「えぇ。俺も、大いに興味がありますよ。プロゲーマーにしかわからないVR戦術……でしょうか」

「さぁな。……どの道、君に彼の記憶の抹消などさせられんよ。そんな汚れ役はな」

「……お心遣いに感謝します」

 

 それが、彼なりの優しさであることは、キッドにもよくわかっていた。深々と頭を下げる彼にも微笑を送り――アレクサンダーは、遠い何処かを見つめるように、視線を窓の向こうに広がる青空に向ける。

 

「それに……まだ、彼から『答え』を聞いていないことだしな」

 

 ――現実の世界に広がる、本当の青空を。

 

 ◇

 

 それから1ヶ月が過ぎた、2037年6月。

 

 アレクサンダー・パーネルは、FBI捜査官の職を辞することとなるのだが……その時の炫には、知る由もなかった。




 泥臭いインファイトの場面は、昭和の特撮ヒーローを参考にして書いていました。レッドマン? 知らない子ですね……(震え声


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第20話 終わらない憎しみ

 2037年、7月。

 ――林間学校に向かう途中の、五野寺学園高校の生徒達を襲った集団催眠事件。犯人の名を取り「ギルフォード事件」と呼ばれたその一件から、2ヶ月の月日が過ぎていた。

 

 保護された五野高生徒達を含む、乗員乗客全員は無事にギルフォードの支配から解放され、天坂総合病院での療養を経て快復。その後、警察関係者からの事情聴取やマスコミからのインタビューを受けたのだが――FBI解析班により仮想空間での記憶を削除されていた彼らは、何一つまともに答えることはなかった。

 

 仮想空間で殺し合いをさせられていた記憶が残ることで、今後の被害者達の社会復帰に悪影響を及ぼさないための措置である。

 日本側の警察関係者の間では、そうしたFBIの意向に対し「事件の解明に繋がる情報がほとんど得られない」と反発する声もあったが、最終的には人道的見地に則り、被害者達の記憶を消去する方向を推進する流れとなった。

 ……事件の解決がほぼ、FBIの解析班頼みだったことへの負い目も、少なからず絡んでいたようだが。

 

 この事件はVRMMOの技術を悪用した狂人の犯行として大々的に報道され、連日特番が組まれるほどの大騒動となった。その影響で、事件の事後処理がある程度済んだ後も、五野高の生徒達はしばらくの間は注目を集め続けていた。

 

 それでも世間の話題の移り変わりは早いもので、2ヶ月が過ぎた今では、徐々に彼らを取り巻く周囲の目が少なくなってきている。

 

 ――その影には事件発生当時、速やかに病院を手配するなどして対応に奔走していた「伊犂江グループ」の圧力が関わっていたことは、知られていない。

 

 ◇

 

「オウ、飛香。お前また伊犂江にちょっかい出してたらしいじゃねぇか。なにちょっと話す機会があったからって、調子くれてんだ。アァ?」

「お前ホント調子こいてんな。なに? 喧嘩売ってんの?」

「……え、えっと……」

 

 7月に差し掛かり、季節は夏を迎えている。夏休みを目前に控えていることや事件の影響もあり、生徒達は平穏な生活を送っている一方で、何処と無く浮き足立っているようであった。

 教師陣もギルフォード事件を受け、夏休み中の行動について厳しく指導するようになったため、その反動もあってのことだろう。

 

 そうした中で相変わらず、飛香炫は伊犂江優璃関連のことで周囲の男子達からやっかみに晒されていた。休み時間に廊下へ連れ出された彼は現在、鷹山宗生とその取り巻きから尋問を受けている。

 ――炫が目覚めたあの日。蟻田利佐子からの手痛いビンタを浴びた彼は、学園の聖女にも天使にも近寄れなくなり。前にも増して、炫への風当たりを強めるようになっていた。その貌は、夏の暑さとは無関係な苛立ちにより、忌々しげに歪んでいる。

 

「い、いや、オレはただいつも通り喋ってただけで何も特別なことは――」

「なぁにがただいつも……だッ! ブチ殺されてぇのかてめぇ!」

「そうだそうだ! 鷹山さんがその『いつも通り』にすら手が届かないと知っていてなんてことほざき……べげっ!」

「てめぇも黙ってろ! ……とにかく夏休みに入ってさらに調子こく前に、ここらでいっぺん灸を据えてやらねぇとなあァ!?」

「えー……と……ぁあはは、どうしよ……」

 

 痛い所を味方に突かれた宗生は、取り巻きの一人を殴り倒して炫に迫る。その威圧感に溢れた眼光を前に、当人はどう弁解したものかと苦笑いを浮かべていた。

 

「いい加減にするのはお前だ、鷹山宗生!」

「げ……! ぶりっ子野郎!」

「誰がぶりっ子野郎だ、この不良。夏休みを前にして浮かれているのだろうが、学校の風紀を乱す奴は許さんぞ」

「……チッ! あぁつまんねぇ、行くぞお前ら!」

「は、はい!」

 

 ――すると、そこへ。生徒会の腕章を身につけた、真殿大雅が現れた。その後ろでは、大雅ファンクラブの女子達が汚物を見るような眼で宗生達を睨みつけている。

 さすがに、多勢に無勢。それにこれだけ人が集まれば、いずれ教師に勘付かれさらに面倒になる。

 不良の勘から、その展開を予見した宗生は、露骨な舌打ちをしながら取り巻きを連れて立ち去っていった。そんな彼に大雅がため息を零す一方で、炫はホッと胸を撫で下ろしている。

 

「全く……なんと月並みな奴らだ」

「あはは……でも、おかげで助かったよ。ありがとう、真殿君」

「……勘違いするな。お前が下手に喧嘩でもして怪我をするようなことになれば、伊犂江さんも今日のパーティを素直に楽しめんだろう。お前のような陰湿オタクにも、心を砕くような人なんだからな」

「はは……そうかもね」

 

 笑顔で礼を言う炫に対し、大雅は目を合わせることなく冷たくあしらう。だが、横目でちらりと炫を一瞥するその表情は、何処と無く安堵するように緩んでいた。

 

 ――今日、優璃は自身の誕生日を祝う、伊犂江グループ主催のパーティに、主賓として参加することになっている。

 

 毎年開かれるこのパーティでは、グループ傘下の企業が大勢参加しており、その御曹司達も必ず出席している。優璃は毎度、その御曹司達からアプローチを受け続けているのだ。

 当然そのアプローチの一環として、誕生日プレゼントなども多数送られてくる。優璃は立場上無碍にもできず、それを受け取り続けてはいるのだが……あまりにしつこいと、常に側に控えている利佐子が睨みを利かせて追い払ってしまうらしい。

 

 執拗な男共に対する露払いとして優璃の側にいる利佐子だが、彼女自身もグループの重役の令嬢。当然、彼女に言い寄る御曹司も少なくはないのだが、下心を見透かされ辛辣な言葉で撃退されるケースが後を絶たないようだ。

 

 そうした家の事情があるため、五野高の男子達の間では、優璃と利佐子には誕生日プレゼントを渡さないことが暗黙の了解となっていた。一介の高校生に買えるプレゼントなどたかが知れるものであり、御曹司達が彼女に渡すであろう品物には敵わないことが明白だからだ。

 それに彼女は、御曹司達からのプレゼントまで嫌がっている節もある。そんな彼女の心を射止める物など、おいそれと手に入るはずもない。

 

 ――何より中学時代の彼女に対し、遠慮を知らなかった当時の男子達がプレゼントを大量に送った結果、激怒した利佐子の説教を招く結果となった過去が大きいのだろう。

 その一件は今も伝説として語り継がれており、この暗黙の了解を守らねばならない根拠として周知されていた。

 

「お前も迷惑を掛けている自覚があるなら、面倒ごとに巻き込まれんよう立ち回れ。痛い目に遭う前にな」

「うん……気をつけるよ。ありがとう」

「ふ、ふん。礼なんかいらん。それよりお前、伊犂江さんに――」

 

 そんな時期である以上、今年に入って優璃と話すようになった炫が、その暗黙の了解を破る可能性について考えなくてはならない。そう睨む大雅が、じろりと炫に視線を移した……その時だった。

 

「あ、飛香くーん!」

「飛香さん、真殿君、どうされたのですか?」

「あっ、伊犂江さんに蟻田さん!」

「……!」

 

 当の本人である伊犂江優璃と蟻田利佐子が、その姿を現したのである。薄い夏服へ衣替えした彼女達は、その均整の取れたプロポーションを遺憾なく発揮し、男女問わず羨望の視線を集めていた。

 ――そして。その視線は、炫に向かう嫉妬と憎悪の色まで帯びている。その眼光を肌で感じた炫は、夏場とは思えない寒気を覚えていた。

 

「なんかこっちの方が騒がしかった気がしたんだけど……何かあった?」

「い、いいや別に。何もなかったよ、ねぇ真殿君」

「へ……あ、あぁ、大したことはない。もう済んだことだ」

「ふぅん……?」

「そ、それより誕生日って今日だよね。何もプレゼントとか渡せないけど……おめでとう!」

「……うん! ありがとう、飛香君っ!」

 

 大雅と共に、騒ぎの原因を必死にごまかし、炫はその過程で優璃の誕生日について言及する。それに気を良くした彼女は、ぱぁっと笑顔を咲かせて周囲を悶絶させた。

 彼女の美貌と愛嬌は、遠巻きに見ているだけの生徒達すら魅了しているようだった。

 

「今回はあの事件の後……ということになりますから、その話題でパーティは持ちきりになるでしょうね。『事件に巻き込まれて傷心のお嬢様に優しくする』という卑劣なポイント稼ぎに出る輩は絶えないでしょう」

「あははー……仕方ないとはいえ、誕生日パーティって毎回疲れるんだよねぇ。しかも傷心って言われても……私達みんな、ゲーム世界にいた時のことなんて覚えてないんだから、全然ピンと来ないんだし。……どう返したらいいのかなぁ」

「必要なら私がお嬢様に代わり、キツくお灸を据えましょうか」

「……やめたほうがいいと思うな。そういう時の利佐子って、ほんと容赦がないんだから」

「い、いろいろ大変だね……」

「せっかくお嬢様の誕生日なのに、当のお嬢様を困らせる人達ばかりですからね。……それよりっ」

 

 すると。利佐子は眉を吊り上げ炫を見上げると、ツカツカと歩み寄り彼の耳元に近寄った。そして、子供を叱るような口調で彼に囁く。

 

(……なんであなたまで何も用意していないんですか! せっかくお嬢様の誕生日なのにっ!)

(えぇ……? でも、プレゼントを渡したら伊犂江さんが困るってみんなが……)

(それとこれとは別ですっ! 今年に入ってようやく飛香さんとお知り合いになれたのに、プレゼントが何もないなんて……!)

(べ、別なの……? というか、今年に入ってようやくってどういう――)

(とにかく何でもいいから早く渡してあげてください! 飛香さんの贈り物なら、例えシャーペン1本でも大喜び必至なんですからっ!)

(シャ、シャーペンて……うーん……)

 

 その話に、炫は半信半疑といった表情を浮かべる。が、優璃はどことなく何かを期待するような眼で彼を見ていた。

 彼女の後ろでは、男子達が誕生日を祝う声が聞こえてくるが……そんな彼らに対応しつつも、彼女の意識は炫にのみ向いているようだった。

 

「あー……と、ごめん伊犂江さん。せっかくの誕生日なのに、何も用意してなくてさ。えと、オレが持ってる昔のゲームとかいる?」

 

 当然ながら、そんな物がプレゼントとして成り立つはずはない。が、炫がすぐに用意できるものなんて、それくらいしかないのである。

 隙間時間を利用するため、常に懐に忍ばせている携帯ゲーム機くらいしか。

 

「えっ……いいの!? だってそういうの、飛香君の宝物なんじゃ……」

「他に渡せる物なんて何もないしさ。あ、春野先生には内緒ね」

 

 だが優璃にとってそれは、愛する少年から渡された初めての贈り物。何よりもかけがえのない、宝物であった。利佐子の影に隠れるように、そっと懐から携帯ゲーム機を取り出した炫は、それを彼女に手渡す。

 その際に近寄った瞬間、優璃はかぁっと頬を赤らめていたのだが……周りに隠しながら携帯ゲーム機を渡そうとあくせくしている炫は、それに気づくことはなかった。

 

 ――そして、炫が願った通り。彼が優璃にゲームをプレゼントする瞬間は、誰にも見られることなく終わった。

 空気を読んで、彼らの間に立ち周囲から炫の私物が見えないようにした、利佐子のファインプレーである。

 

「……!? おい飛香炫! 貴様今何を渡した!? プレゼントじゃないだろうな!」

「あはは違うよ、私が貸してたもの返してもらっただけ」

「……そ、そうなのか……?」

 

 だが「何を」渡したかまではわからなくとも、「何か」が優璃の手に渡ったことには、近くにいた大雅が気づいていた。彼は当然ながら炫に詰め寄ろうと厳しい視線を向ける……のだが。

 それより早く、彼を庇うように進み出た優璃がにこやかに対応し、大雅は訝しみながらもすごすごと引き下がった。

 

(こういうのバレたら、飛香君困っちゃうもんね。ここは私に任せて)

(あぁ……うん、まぁね。ありがとう、伊犂江さん)

(ううん……だって、飛香君からこんな素敵なプレゼント貰えたんだもん。私だって、何かお返ししたい)

(伊犂江さん……)

(……ふふ、でも飛香君ったら、学校にこんなもの持ってきちゃって。いけないんだー)

(あ、あはは……返す言葉もありません)

(もう。春野先生のこと、あんまり困らせちゃダメだよ?)

(……ごめん、これっきりにしとくよ)

(うん、よろしい!)

 

 そんな彼を一瞥し、優璃はそっと耳打ちする。頬を染め、幸せに溢れた笑顔を向けながら……やがて彼女は利佐子と共に教室に戻っていった。

 

「……さ、戻ろ! そろそろ授業始まっちゃうよ!」

「飛香さん、さぁ早く。次の授業、冬馬先生ですよ。真面目に受けないと、八つ当たりの標的にされてしまいます」

「う、うん。……春野先生のことでオレ達に当たるの、やめてほしいんだけどなぁ……」

「……全くだ」

 

 そんな彼女達に手を振りつつ、炫も大雅と顔を見合わせ、教室へと引き返していった。すでに教壇には、苛立った表情で足踏みを繰り返す冬馬海太郎の姿が現れている。

 ――どうやら今日も、食事の誘いを断られたようだ。

 

「炫! アレはどうした、アレ!」

「ん? アレって……?」

「炫が持ってるあのゲームなんだねっ! あの激レアプレミアムものの前時代携帯ゲーム! 今日こそ貸してくれるってハナシだったはずだねっ!」

「あ、ごめん。さっき伊犂江さんにあげちゃった」

「んぬぁあぁにぃぃい!?」

「契約不履行なんだねぇえぇ!」

 

 そして――炫秘蔵の携帯ゲーム機を借りようとやってきた、鶴岡信太と真木俊史。彼らが周囲から集まる軽蔑の視線を無視して、怒号を上げる一方で。

 

(……誕生日、か)

 

 亡き恋人の命日に想いを馳せ、炫は窓の向こう――青空の遥か彼方を見つめていた。かつて捨てたはずの思い出に彩られた、彼女の故郷の方角を。

 

 ◇

 

(……アレクサンダーさん、ここしばらく連絡して来ないな。さすがに、もう聞くことはないってことなのかな)

 

 その日の夜。

 上流階級が集まるパーティで賑わっているであろう、伊犂江グループ本社ビルを遠くから見つめ。

 自宅の一軒家から東京の夜景を眺める炫は、手にした携帯に視線を落としていた。今は黒のTシャツに赤いダメージジーンズという、ラフな格好になっている。

 

 ――ギルフォード事件で、巻き込まれた乗員乗客85名は全員、その記憶を抹消されていた。それゆえ、誰も事情聴取やインタビューに、事件の内容を語ることができなかった。

 それがこの事件についての、表向きの結末である。

 

 しかし、その裏ではFBI主導による「記憶を持った当事者」への事情聴取が進められていた。

 警察関係者達が、すでに被害者達が記憶を失っていると知りながら事情聴取を行なったのは、その存在を公にさせないため。たった一人の、記憶を持った少年を世間から隠すために、彼らは形式だけの聴取を行なっていたのである。

 

 ……本来。「ただ一人記憶を持った帰還者」は、対電脳チップにより解析班の記憶消去プログラムを回避できる、アレクサンダー・パーネル捜査官であるはずだった。

 しかし彼は最後の最後で、ギルフォードに自身のアバター「オーヴェル」を殺害され意識を失った。このため、「アレクサンダーだけが事件の情報を持ち帰る」というFBIの当初の計画が破綻。

 さらに「DSO」における主役(プレイヤー)だった「ヒカル」こと飛香炫が、ゲームマスターでありホストでもあるギルフォードを倒したことで、解析班のハッキングとは異なるルートでログアウトする事態に発展。

 予期せぬ「第二の記憶保持者」となった彼は、記憶を持たない他者に紛れてFBIの聴取を受けることになったのである。

 

 飛香炫はいわば、ギルフォード事件における重要参考人。天坂総合病院で彼と接触したアレクサンダー・パーネルとキッド・アーヴィングは、無意味な事情聴取に紛れて、彼から「オーヴェル」死亡後の詳細を聞き出した。

 そして、あの状況下でも戦い抜くための情報を引き出したのである。

 

 その後も炫は情報提供者としてアレクサンダーと連絡を取り合い、たびたび彼と顔を合わせる関係となっていた。

 アレクサンダーと炫から入手した事件の情報を本部に持ち帰るべく、キッドはすでにアメリカ本国へ移動している。

 

(……でも、よかった。みんなが、あの世界の出来事を覚えてなくて……)

 

 これまで続いていた連絡が数日途絶え、炫は思案を巡らせつつ――ベッドの上に身を投げ、ふぅと息を吐き出す。

 そしてアレクサンダーのことを気にかける一方で、自身が懸念していた「帰還後のクラスメート達の変化」がさほど(・・・)なかったことに、胸を撫で下ろしていた。

 

 ダイナグとノアラグン――つまりは信太と俊史。彼らとパーティを組んでクエストをこなしていた頃。盗賊に苦戦している騎士達を助けに行く、という旨の撃退クエストがあったのだが。

 敵も味方も、両方がクラスメートだったのである。

 

 もし、その時の記憶が彼らに残っていようものなら、現実に帰還した今でも禍根が残っていたかも知れない。その可能性に配慮して彼らの記憶を消去したFBIの判断に、炫は密かに感謝していた。

 

(でも……本当に、そうだったのかな)

 

 ――だが、一方で。本当に何一つ以前と変わらないまま、とは言いにくいところがあった。

 

 利佐子は炫と話す際、胸元や下腹部をさりげなく隠すようになり。宗生は優璃に欲を滾らせた視線を注ぎつつも、以前よりさらに近寄れなくなり。大雅は炫に冷たく当たりつつも、なんだかんだと理由を付けて助けるようになった。

 ――そして、優璃は。以前より少しだけ、炫に対して積極的になっていた。

 

 もしや彼らは、あの時のことを覚えているのではないか。そう勘繰った炫は、彼らに対して探りを入れたこともあったのだが……どうやら、明確にあの世界のことを覚えているわけではないらしい。

 だが、アバターに作用するプログラムでも消しきれない人間の感情は、少なからず今の彼らに影響を及ぼしているようだった。

 

「炫ー! そろそろご飯よー!」

「あ、はーい! 今行くー!」

 

 ――すると思考を断ち切るように、母の声が下のリビングから響いてくる。炫は返事と共にベッドから身を起こすと、考えることを一時中断した。今は、空腹を満たすことが先決である。

 

「……ん?」

 

 だが、そのタイミングで今度は携帯がメールの着信を知らせてきた。

 一瞬、後で見ようとも考えた炫だったが、先に内容だけ確認して食事中に返信内容を考えることに決め、携帯の画面に視線を移す。

 メールの差出人は――アレクサンダーだった。

 

(アレクサンダーさん……!?)

 

 数日連絡がなく、もう聞くことなどなくなったのかと思いきや。予期せぬタイミングでやってきたメールに、炫は思わず見入ってしまう。

 

(ひょっとして別れの挨拶とかかな。アレクサンダーさんも、もう随分日本(こっち)にいるし……)

 

 帰国する日が近いなら、次に会うまでに何か東京の土産でも買っていこうか。

 そう思案する炫は、携帯に触れた指を滑らせ――

 

「……え」

 

 ――その内容を目の当たりにして、暫し硬直した。

 

 何が書かれているのか、それが何を意味しているのか、そこにどのような意図があるのか。僅か数秒の間、彼はそれを理解することが出来ず絶句していた。

 

「炫ー? ご飯冷めちゃうわよー?」

 

 それから、さらに数秒。再び母が呼びかけてくるが、炫は反応できずにいた。

 

 ――無事に事件から生還してきた息子へ、毎日のようにご馳走を振る舞う母。そんな彼女を表面上では煙たがりつつも、内心では確かな愛情を感じて嬉しさを覚えていた炫。

 また今日も、口先だけの文句を言いつつ、母の手料理を楽しむのだろう。何一つ疑うことなく、そう、思っていた。

 

 震えるその手に握られた、携帯に映されたメールを見るまでは。

 

「……なん、でっ、こんな……!」

 

 わなわなと肩まで震わせて、炫はベッドから飛び上がるように立ち上がった。そのままクローゼットを乱暴に開き、Tシャツの上に漆黒のライダースジャケットを羽織る。

 血相を変えて階段から駆け下りる息子を、母が目撃したのはその直後だった。

 

「ひ、炫!? ちょっと、どこに行くのよ!」

「……ちょっと出てくる! すぐ戻るから!」

 

 その険しい表情を見れば、ただならぬ事態であることは容易に察しがつく。それがわからない母ではない。

 だが真相を問う暇もなく、炫は突き破るように玄関を開けて外へと走り出していった。隣にある車庫に駆け込んだ彼は、愛車「VFR800X」に颯爽と跨る。

 

 キャンディープロミネンスレッドで塗装された、鋭利なフォルムを持つバイクが――主人を乗せて、摩天楼が並び立つ暗夜の街道を目指して走り始めた。

 

「なんでだ……! アレクサンダーさん、どうしてッ!」

 

 フルフェイスのヘルメットに険しい貌を隠して、彼はアスファルトの上を駆け抜けていく。悲痛な声を漏らすその口元は、酷く歪んでいた。

 

 ◇

 

 ――それから、約20分。

 夜景に彩られた街道を進む、車の群れの中から……炫は、追い求めた人物を見つけた。青いジャケットを端正に着こなしている、長身の青年である。

 

「……!」

 

 摩天楼に囲まれた交差点を、鮮やかなカーブを描いて曲がる一台のバイク。ミラーコートスパークブラックで塗装された車体が、街灯の光を浴びて妖しい輝きを放っていた。

 「カワサキ・NinjaH2」。そのバイクに乗っている青年を追うように、炫もVFR800Xを滑らせた。

 

 ――すると。炫に気づいたのか、カワサキ・NinjaH2に跨る青年は、一瞬だけ首を横に傾け……進路を変え始めた。

 

「……」

 

 その意図を悟るように、炫はスゥッと目を細め追跡していく。やがて青年を乗せたカワサキ・NinjaH2は、伊犂江グループ本社ビル――から、数十メートルほど離れた駐車場へと進入していった。

 そこは車もほとんど停まっていない閑散とした空間であり、都心の一部でありながら静寂に包まれている。二人が駆るバイクのエンジン音だけが、夜空まで響いていた。

 

 この場にたどり着いた青年は、後方を見遣ると同時に停止し、車体を90度まで旋回させる。それを受け、炫もバイクを停めて青年と顔を向かい合わせた。

 

 互いにヘルメットで顔を隠していた二人だったが――すぐに彼らは、示し合わせたかの如く、同時に素顔を露わにする。

 

「……」

 

 哀しみとも、怒りともつかない炫の表情とは対照的に、青年……こと、アレクサンダーは澄ました面持ちだった。

 諦観にも似た、悟りに近しい貌を目の当たりにして、炫はさらに口元を歪めて歯をくいしばる。

 

「アレクサンダーさんッ……!」

「……その様子だと、警察に連絡はしていないようだな。君なら、直接私を追ってくる……そう思っていたよ」

 

 悠然と足を振り上げ、バイクから降り立つアレクサンダー。そんな彼に続くように、炫も愛車から飛び降りた。

 そして、彼は詰め寄るように歩み出す。全ては、あのメールの真意を問いただすために。

 

「……なんで会長を殺す必要があるんだ。あなたの復讐は、終わったんじゃないのか!?」

 




 炫の私服は、性格の割にオラついている。


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第21話 罪と罰

 刃渡り約20センチほどの、ダガーナイフ。街灯に照り返され、眩く輝くその刃が、相対する炫の目に留まった。

 

「……終わったさ、君への(・・・)復讐ならな。全てを知った君なら、問うまでもなくわかることではないか?」

「……」

「伊犂江グループは2年前、ギルフォードの『DSO』開発に加担していながら揉み消し、関係を一方的に絶った。開発元のアーヴィングコーポレーションが正式に謝罪していた時も……彼らは我関せずを貫いていた」

 

 それを手に取るアレクサンダーは、淡々とした口調で語り始める。この凶行に至るまでの、経緯を。

 

「そして、今回の件も。マスコミに過去を掘り返されまいと、彼らは『会長令嬢とその学友達を救うため』という大義名分を掲げ、傘下の天坂総合病院を手配して被害者全員の身柄を確保した。身内の病院で囲い込み、真相を隠すために」

「……!」

「『人命を優先した速やかな対応』という功績を盾にマスコミに圧力を掛け、詳細な報道と事実の究明を封じた彼らは……何一つ業を背負うことなく、今も平和を謳歌している」

「……だから、会長を殺すのか」

 

 「DSO」の開発元であるアーヴィングコーポレーションは、ソフトを回収した後に、謝罪会見を開き。諸悪の根源であるギルフォードは、すでに死亡した。

 残るは当時、「DSO」開発に協力していた伊犂江グループのみ。それが、アレクサンダーの考えであった。

 ――炫自身も、伊犂江グループの内情に不信感を抱いている節はある。だがそれでも、彼の考えに共感できない理由があった。

 

「そうだ。我々が癒えぬ傷に苛まれる一方で……彼らは今日も、身内のパーティにうつつを抜かしている。もはや、あのゲームの犠牲になった人々のことなど、記憶の片隅にも残ってはいまい」

「あなたは、ソフィアを……犯罪者の妹にするつもりなのか!? FBIの立場はどうなる!」

「犯罪者の妹……か。だとしてもこの世にいないあの子は、もう……悲しむことも怒ることもできん。私が何をしたとしてもな」

「……っ」

 

 しかし。炫が、アレクサンダーの復讐をよしとしない理由である「ソフィアの名誉」すら、今の彼への抑止力にはなりえなかった。

 諦観、憎悪、絶望、失意。負に満ちたその眼は、虚ろに炫の姿を映している。

 

「私にできることは、二度と同じ企みが出来ないよう――終わらせるだけだ。それにFBIも、今となっては同じ穴のムジナでしかない」

「なんだって……!?」

 

 しかも。アレクサンダーは、事件を捜査する役割を持つFBIですら、すでに切り捨てていた。

 

「伊犂江グループは数億の資産を握らせ、『DSO』関連の捜査を本部に封じさせていたのだ。アーヴィング捜査官の報告書にはギルフォードの行動だけでなく、彼に出資した企業についても触れられているが――伊犂江グループに関する情報は、上層部の検閲が入るだろう」

「そんな……!」

「金はいくらでも稼げるが、金はを稼ぐには信頼と名声が必要。ゆえに伊犂江グループは手段を問わず、自らの汚点を隠滅することに固執したのだ」

 

 自分の預かり知らぬところで、進められていた大人達の暗躍。アレクサンダーの話からその一端を感じ取り、炫は顔を顰める。

 

「……そんな彼らに正義を売ったFBI、ではあるが。それでも全てを喪った私にとって、最後の居場所だった。せめてもの義理立て……というわけではないが、すでにバッジは返上している」

「……!」

 

 ――そして。アレクサンダー自身は、すでにFBI捜査官の役職すらも返上していた。彼の胸から、有るはずのバッジが失われていることに気づき、炫は瞠目する。

 

「今の私はもう、何者でもない。だが……そんな私でも、パーティに浮かれた連中の警備を掻い潜り、人一人を始末することくらいは容易い」

「……そんなことはさせないッ!」

 

 アレクサンダーの言葉が全て真実であるという保証もなければ、これから彼がやろうとしていることが、本気であるとも限らない。

 だが、少なくとも。彼をこのままにしておくわけにはいかない、というのが炫の判断だった。

 

 炫は拳を構え、力尽くでもアレクサンダーを制するべく向かっていく。

 

「――シュッ!」

「く……!」

 

 そんな彼に対し、元FBI捜査官は――手にしたダガーナイフを、容赦なく突き立てる。空を裂くように閃いた刃は、あの仮想世界とは比にならない鋭さで、炫に襲い掛かってきた。

 速さそのものは、この一閃の方が劣る。だが「甲冑勇者」ではなくなった現実世界の少年にとっては、ベリアンセイバーにも勝る俊速の刃だった。

 

 炫は自身の反射神経を駆使し、上体を翻して間一髪刺突をかわす。だが、アレクサンダーはその挙動を先読みするように――ダガーナイフを振るいながら、体を半回転させ後ろ回し蹴りを放った。

 

「ぅがッ!」

 

 それに反応しきれなかった炫は、直撃を浴びてしまう。顎を蹴り抜かれた彼の体は、一瞬浮き上がると――糸が切れた人形のように、どしゃりと音を立てて地面に落ちてしまった。

 仰向けに倒された炫は、脳を揺さぶられ意識が混濁する中――自分が何としても止めねばならない相手を、懸命に視界に捉えようとする。

 

「……やめておけ。元捜査官の私に、現実世界(リアル)の戦いで勝てるはずもないだろう」

「ぐっ、ぁ……!」

「あの時の『答え』を聞くために、君の記憶を残していたようなものだったが……もう、その必要もないな」

「……!」

 

 そんな炫を見下ろし、もはやこれ以上の戦いは無意味と判断したのか。アレクサンダーはダガーナイフを懐に収めると、踵を返してしまった。

 

「あの問いは、撤回しよう。君は私を許す必要などない。思うがまま、私を憎めばいい。……私も、己に従い復讐を果たす」

「……さ、せ、ないッ……!」

 

 ――このままでは、行かせてしまう。それだけは、あってはならない。

 炫はその一心で、歪んだ視界に映るアレクサンダーを見据え……立ち上がり始めた。並の成人男性なら、1時間は動けなくなるような蹴りを浴びていながら。

 彼の精神はすでに、「一介の男子高校生」の肉体を凌駕している。

 

「……やはり君は大した男だ。並の成人男性なら、当分は動けないはずだが……」

「ゲームにだって、体力は要るんだよ……!」

「そうか。だが、すでに限界は見えている。……共に戦ったよしみだ。これ以上邪魔をしないのであれば、危害は加えないと約束しよう」

 

 そんな彼の、普通の高校生からは逸脱した耐久力に、微かに目を見張り。その内心を隠すように、アレクサンダーは目を背けた。

 だが、炫は自分から目を離す彼を引きつけるように、声を張り上げる。

 

「オレが邪魔なら……なんで、あんなメールを送った!」

「……」

「ギルフォードと組んでいた会長を殺しに行く、なんて言われて……納得できるわけがないだろッ!」

 

 炫は震える両足で、アスファルトを踏みしめ――渾身の力で立ち上がった。視界は歪んでいても、意識は濁っていても、その眼は何一つ見失うことなくアレクサンダーを射抜いている。

 並々ならぬその気迫に、アレクサンダーは一瞬目を見張り――深くため息をついた。

 

「……オレが、警察にこのことを報せていたら、どうするつもりだったんだ」

「報せない男だと知っていたから、私は君に伝えたんだ。君なら必ず大事にしまいと、説得に駆け付ける――とね。事実君はこうして、私を止めに来ている」

「……っ」

 

 その淡々とした口調で語るアレクサンダーの眼は、哀れみにも似た憂いを帯びていた。炫は彼の言葉を受け、いいように乗せられていると感じ、唇を噛みしめる。

 

「自分が何も知らない間に、友人の父親が殺されたと知れば……君は何も出来なかったと嘆くだろう。だからあのメールで君を誘い、この場を設けたのだ。君が、精一杯の抵抗を尽くせるようにな」

「アレクサンダーさん、あなたは……!」

 

 やがて炫は、ようやく定まり始めた視線をアレクサンダーに注ぎ、再び拳を構えた。差し違えてでも、と言わんばかりの眼を見つめ、アレクサンダーも身構える。

 

 ――その瞳は、これ以上戦うことを、望んではいなかったが。

 

「……まだ続けるのか? 怪我が増えるぞ」

「……オレは、諦めない。諦めるわけには、いかないッ!」

 

 そんなアレクサンダーの貌を目の当たりにした炫は、何かに気づいたように一瞬だけ眼を見開き――すぐさま、鋭い目付きに切り替えた。

 そして再び、敵うはずのない戦いへと飛び込んでいく。今まで押し殺してきた「感情」に敗れた彼を、もう一度食い止めるために。

 

(だって、今日は……!)

 

 何一つ真実を知ることなく、彼が守り抜いた日常を謳歌する少女。遥か遠くのビルで咲き誇る、その笑顔を背にして。

 

 ◇

 

 ――同時刻。東京から約14時間の時差がある、アメリカ合衆国ワシントンでは。

 

(……朝食の時間までには、終わりそうだな)

 

 朝陽が差し込むオフィスの一室で、一人の青年がコンピュータと向かい合っていた。

 大都市の景観を一望できるその部屋で、キッド・アーヴィング捜査官は朝早くから報告書の仕上げを行なっている。

 

(パーネル捜査官……あなたは、本当に……)

 

 FBI――こと、連邦捜査局本部に身を置く彼は、忙しなくキーボードを叩き続けていた。遥か上の階で自分の報告を待ち続けている、上司達のために。

 だが当の彼自身は、目の前で作成している資料よりも……自分の前から姿を消した、かつての戦友のことに意識を向けている。自分にバッジを託し、復讐に身をやつした男に。

 

(……確かに、この報告書で全ての悪は裁けないだろう。俺だって、そんなことはわかっている)

 

 ――アレクサンダーの苦しみをよく知っていた彼は、その凶行を阻止することが出来なかった。伊犂江グループに買収されたFBIの捜査では、真実を伝えることはできないと、知っていたから。

 せめて自分に出来ることがあるとすれば、それは「検閲」が入ると知りつつも報告書を完成させ、一つでも多くの正義を完遂することのみ。

 

 自分の全てを捨ててでも悪を裁く、というアレクサンダーの道とは違えることになるが……自分がこれをやらねば、ギルフォード事件に幕を降ろす人間がいなくなってしまう。

 ゆえにキッドはただ、この報告書を完成させることしかできなかった。

 

(それでも、俺は無意味とするわけにはいかないんだ。この事件に巻き込まれた人々と、解決のために戦い続けて来た仲間達のためにも……)

 

 それしか、もう自分に出来ることなどない。それが、彼の結論。

 ――では、あったが。

 

 人知れず心の奥底で、彼は願っていた。憎しみや悲しみの矛先を求め、もがき彷徨うアレクサンダーを、止めてくれる誰かが現れることを。

 

 ◇

 

 ――伊犂江グループ本社ビルで開かれている、伊犂江優璃の誕生日パーティ。その席に招かれた有名企業の御曹司達は、可憐にドレスアップされた姫君に群がっていた。

 華やかなパーティ会場の水面下で繰り広げられる、日本最大級の資産を巡る争奪戦。その一端を垣間見つつ、優璃は今日も、自分を狙う男達をあしらい続けていた。

 

「優璃様、今宵は大変ご機嫌麗しく……」

「16歳の誕生日、大変にめでたいですなぁ。その歳と言えば、法律上結婚も出来る年齢。優璃様も立派な女性になられた、ということでしょう」

「ささやかなものですが、私からもお祝いの品を贈呈したく存じます、優璃様。今後とも、弊社をご贔屓に……」

 

 美辞麗句と高価な造花を次々と贈る、端正な佇まいの男達。一般家庭の少女なら、立ち所に魅了されてしまいそうな彼らだが……当の優璃は、見飽きたとばかりにため息をついている。

 

「はい、皆様も私のためにご足労頂き、ありがとうございます。今宵は是非、楽しんでいってください」

 

 取り繕うような笑顔でそれを隠しつつ、優璃は利佐子と共に自然な足取りでその場を離れていく。

 ――それまで溜め込んでいたものを吐露するように大きく息を吐き出したのは、男達の群れから逃れて間も無くのことだった。

 

「……はぁ、疲れる〜……。ねぇ利佐子、あとは任せてもいい……?」

「いけませんよお嬢様。あと23件、挨拶回りが残っています。それにまだ、15件目の見合いの断りが済んでいません」

「ふぇえ……利佐子の鬼ぃ……」

「こればかりは仕方ありませんよ。お嬢様の口からはっきり断って頂かなくては、勘違いした殿方が勝手に話を進めかねません」

 

 優璃は今にも会場の外へと逃げ出しそうであるが……隣に控えていた利佐子が、そうはさせじと身を乗り出してくる。

 

「う〜……」

「ふふ、でもご安心ください。いざとはれば私が、きゅうっとお灸を据えて差し上げますから」

「……わ、わかったよ。行く、行くから手荒なことはしないでね?」

 

 参加者達への気遣いに疲れ果てた優璃に、利佐子は励ますように穏やかな微笑を浮かべる。だが、その眼は全く笑っておらず、彼女の身体からは暗黒のオーラが滲み出ていた。

 こうなった時の利佐子は、宗生にビンタした時とは比にならないほど容赦がないことを、優璃はよく知っている。放っておけば、御曹司達がどうなるかわからない。

 それゆえ、どうにか穏便に済まそうと、冷や汗をかきつつ説得を試みるのだが……利佐子自身はそんな優璃の様子を楽しむかのように、くすくすと笑っていた。

 

「……私は、飛香君にこそ来て欲しかったのになぁ」

「……そう仰るのも237回目になりますよ、お嬢様。何度口にされても、仕方がないんです」

「うん……それはわかってるけどさ……」

「飛香さんをお呼びしても、場所が場所ですから悪目立ちしてしまうかも知れません。そうなった時に苦労されるのは、目立つことを好まれない飛香さんなのですから」

 

 その時。優璃はこんな時にこそ会いたい、とばかりに想い人の名前を口に出した。何百回とそれを聞かされて来た利佐子はため息と共に、嗜めるように優璃の前で人差し指を立てる。

 

 炫の動向を普段から観察し、その人柄を日々調べ続けている彼女は、優璃以上に彼を理解していた。そんな彼女の結論としては、炫をこの会場へ招待するわけにはいかないのである。

 優璃もその旨は常々聞かされていたため、わかっていたことではあったのだが。それでも会いたいとぼやいてしまうのは、恋する乙女の性なのかも知れない。

 

「……来年の誕生日には、飛香さんから花束でも頂きましょうか」

「……! あ、飛香君からの花束、かぁ……!」

 

 そんな優璃の胸中を慮るように、利佐子は励みとなる言葉を投げかけた。最高に好きな相手から、最高に好きな物を貰えたら――という想像に囚われた優璃は顔を赤らめ、でれっと頬を緩める。

 

「おっと。それで満足してはなりませんよ、お嬢様。それじゃ足りない、と駄々をこねてデートに漕ぎ着けるのです。映画を見て、花屋を巡り、自然に囲まれた並木道を2人で……」

「ふ、2人きりでデート……! う、うんいいね! それ採用! 利佐子ありがとう、なんだか気力戻って来た!」

「ふふっ、お嬢様のニーズならお見通しですよ」

 

 想像しうるシチュエーションを次々と聞かされた優璃は、先ほどまでの疲れが吹き飛んだように目を輝かせた。そんな彼女の姿を微笑ましげに見つめ、利佐子は幼馴染に元気が戻ったことに安堵する。

 

(……そう、お嬢様の恋を叶えるためなら……)

 

 ――誰にも気づかれぬよう、ひた隠しにして来た想いを押し殺し……ドレスの胸元を、握り締めながら。

 

「優璃お嬢様、お久しぶりです。あなた様の誕生日を祝う、この席にお招き頂き、感謝の言葉もありません」

「あっ……」

 

 すると。話し掛ける機会を伺い続けていたのか、優璃が上機嫌になった途端に、身なりのいい1人の男性が話しかけて来た。先ほどまで彼女に集まっていた御曹司達と同様、伊犂江グループ傘下にある大企業の子息である。

 しかし優璃の中ではあまり印象に残っていなかったのか、「久しぶり」という言葉に上手く反応できずにいた。隙あらば口説こうと歩み寄る男達に、利佐子は隣でため息をつく。

 

「いやはや、しかしいつにも増してお美しい。16歳といえば、結婚することも出来る年頃であるわけですし……やはりあなた様も、立派な淑女となられたということなのでしょうな」

「……はぁ、どうもありがとうございます……」

 

 先ほども聞かされたような言葉を受け、優璃は形式的に対応しつつも、内心でげんなりしていた。

 結婚ができる年齢といっても、優璃自身はまだ高校1年生でありそんな予定は全くない。いつになるかもわからない未来の話で盛り上がる彼らに、優璃は居心地の悪さを感じていた。

 

「ただやはり心配なのは、この場に招かれた他方の企業関係者らに限らず、あなた様が通われている学校にまで、悪い虫が湧かないか……ということでしょうか。確か以前は、分不相応な贈り物を寄越してくる輩が絶えなかったとか。心中、痛み入りますな。全く、これだから底辺の高校は……。優璃お嬢様ならば、より相応しい進学先があったでしょうに」

「……」

 

 そんな彼女の胸中に気づく気配もなく、男は五野高の生徒達について言及し始めた。

 ――彼の言葉自体は概ね事実ではあるが、信頼できる友人がいることもまた事実。それなのに、あの学校の生徒達をまとめて否定されているように感じ、優璃は露骨に顔を顰める。

 

 だが、そのサインすらも見落としてしまった男は、さらに言及を重ね――「地雷」を踏んでしまった。

 

「しかも噂に聞くところ、今もあなた様の学校には、身分の差というものを弁えずに言い寄る悪辣な生徒が居るとか。しかも、その生徒は確か……そう、所謂『オタク』という理解しがたい低俗な趣味嗜好の持ち主だそうですな」

「……!」

「全く……程度の低い一般人には、もう少し自分達との住む世界の違い、というものを知って貰わなくてはならない。優璃お嬢様に悪い影響を与えかねませんからね」

「……」

 

 噂はあくまで噂。ではあるが、その噂が誰を指したものであるかに気づいた優璃は、目を伏せ肩を震わせる。

 自分が大好きなものを大切にしてくれる、最愛の少年を否定する男達。そんな彼らに向けられた優璃の怒りは、この一瞬で氷点下を通り過ぎていた。

 

「おっと、もうこんな時間ですか。このあと、我が社の新商品の発表があるのですが……いかがでしょう、是非ご一緒に――」

「大変申し訳ありません、他の方々にもご挨拶に伺わねばなりませんから。では、失礼します」

「あっ……そ、そうですか、それでは……」

 

 そして、冷たく低い声色で男の誘いを拒絶し、彼女は幼馴染と共に早歩きでその場を離れていく。

 普通なら、ここからしつこく付きまとっていくものだが――優璃の眼から感じた、言い知れぬ威圧感に負け。男は一歩も身動きが取れないまま、去りゆく彼女達を見送ってしまうのだった。

 

「……利佐子。あとであの会社、調べておいて。お父様に言いつけるから」

「いえ、旦那様のお手を煩わせる必要はありません。……私の方から、きつくお灸を据えておきましょう」

「手荒にならないように、ね」

 

 一方。ツカツカと会場内を歩みながら、優璃は冷たい声色のまま利佐子に「制裁」を命じていた。それを受けて利佐子は先ほど以上の、暗黒を秘めた微笑を浮かべている。

 

 優璃達の前で五野高を否定した、あの男が見えなくなるまで離れた時。窓辺にたどり着いた彼女達はようやく、一時的に殺気を抑え、ため息をつくのだった。

 やがて優璃は、ドレスの胸元から――この場には到底そぐわない「携帯ゲーム機」を取り出すと。手にしたハンカチで手入れを始めた。

 

「……飛香君、今頃どうしてるかなぁ」

 

 日本有数の職人の手で作られた、鮮やかな刺繍。その麗しい花の模様を描いたハンカチは今、「携帯ゲーム機」を磨くために使われていた。

 そのアンバランスな事実に、隣で利佐子がくすくすと笑う一方で。優璃は想い人からの贈り物を、愛おしげに手入れしながら。彼の行方を求めるように、東京の夜景を見つめるのだった。

 

 ――その夜景の下。このビルからそう遠くない駐車場で起きていることなど、知るよしもなく。

 




 今回と次回は、リアルファイト回となっております。


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第22話 永遠の十字架

「ハッ……トァッ!」

「シュッ……!」

 

 ――街灯に照らされた、暗夜の駐車場。人がまるで寄り付かないその空間で、2人の男達が人知れず戦っている。

 

 アレクサンダーの回し蹴りが、大きく弧を描いて炫の首を狙った。

 ……が、それに反応した炫は上体を後方に倒し倒立の姿勢になり、蹴りを回避。さらに両足を振り上げ、その勢いでアレクサンダーの下顎を蹴り上げた。

 

 だが、2人の間には大きな筋力差がある。アレクサンダーは蹴りを浴びつつも怯むことなく、突き刺すように足刀を放った。

 

「かっ……!」

 

 炫は咄嗟に横へ転がり、その一撃を回避する。そこから一気に地を蹴り、今度はアレクサンダーの眉間に肘鉄を叩き込んだ。

 

「ち……!」

「ごはッ!?」

 

 だが、体重と勢いを乗せた肘を浴びても、アレクサンダーは仰け反ることなく反撃に出る。肘鉄を放った炫の腕を片腕で挟み、身動きを封じたところへ、鳩尾への膝蹴り。

 それを受け、炫は口から胃液を吐き出し硬直してしまった。アレクサンダーはそのまま、片腕で挟んだ炫の腕を捻り、肩を外そうとする。

 しかし、そうはさせじと炫は自分から前方へ転がり、距離を取りながら跳ね起きた。

 

「――シィィイッ!」

「トアァアッ!」

 

 アレクサンダーはそこへ、追撃の如く回し蹴りを連発する。ドリルのような高速回転から放たれる、絶え間ない蹴りの嵐。炫はそれに応じてバク転を繰り返し、回避に徹した。

 

「ぐ!」

「シァアッ!」

 

 だが、その回避行動も長くは続かない。倒立の姿勢から立ち上がった炫の背中に、街灯の柱がぶつかる。たまらず息を漏らす彼の胸めがけ、アレクサンダーの蹴りが迫った。

 

「だぁッ!」

「……ッ!?」

 

 そこで炫は咄嗟に跳び上がると、両手を上げて柱を掴み下半身を振り上げる。アレクサンダーの蹴りは空を裂き、柱に激突した。

 その衝撃により、鉄製であるはずの柱が無惨にひしゃげ、上端のライトが明滅し始める。この隙と反動を使い、炫は身を振ってアレクサンダーの背後に飛び降りた。

 

「せあァッ!」

「……!」

 

 そして彼の脇腹に、渾身の後ろ回し蹴りを叩き込む。急所に鋭い一撃を浴びたアレクサンダーは、ようやく片脚を震わせたが。

 

「ふんッ!」

「う!?」

 

 すぐさま、鋭利な眼差しで炫を射抜くと……自分に苦痛を与えた蹴り足を、小脇に挟み込んでしまった。

 

「がぁあッ!?」

 

 そして、その蹴り足に容赦なく膝蹴りを叩き込む。ディアボロトの攻撃に勝るとも劣らない激痛に、炫は悶絶しよろけてしまった。

 

「フンッ! セィアッ!」

「あッ……がは、ごあぁッ!」

 

 ただでさえ体力差は歴然なのに、さらに致命的な隙まで見せてしまっては、もはや勝ち目は皆無。

 そう告げるかのように、アレクサンダーは速攻のボディブローを炫の腹に叩き込み――首根っこを掴んで、投げ飛ばしてしまった。

 

 炫の体は人形のように宙を舞い、アスファルトに墜落する。鈍い音と共に苦悶の声を漏らし、炫は足を抑えながらのたうちまわった。

 

「……ここまでだな。確かに私はVR戦闘においては君より未熟だが……ここは、あの世界とは違う」

「あ……ぐ、がっ……!」

「筋の良さは認めるが、戦う相手を選ぶべきだったな」

 

 そんな彼を見下ろし、アレクサンダーは今度こそ終わりだと確信し……再び踵を返した。

 死なせないよう手加減はしているが、炫に浴びせた打撃は気絶必至の威力を持っている。それを受けても意識を保っている時点で、異常といえば異常な耐久力ではあるのだが……やはり、まともに動けなくなるほどのダメージがあることには違いないようだ。

 呻き声を上げ、身を震わせる炫は――朧げな眼差しでアレクサンダーを見上げながらも、立ち上がる気配を見せない。ここが、肉体の限界であった。

 

(……しかし、ただの高校生にここまで粘られるとは想定外だったな。……まぁ、いい。ここまで死力を尽くして戦った結果なら、この子も満足だろう)

 

 これほどまで懸命に、元捜査官を相手に戦った結果であるならば。会長を守れなかったとしても多少は、炫も己を責めずに済むだろう。

 ――そう結論付け、アレクサンダーは漆黒の愛車を目指して歩み始めた。

 

(……これで、いい。許す、などという苦行を……この子にさせるわけにはいかない。憎しみも悲しみも、怨みも。全て私が、この一身に引き受ける)

 

 そして。その側に近づき、ハンドルに手を伸ばした――

 

(それが……自分の罪から逃げ続けてきた私が、最期に受ける罰だ)

 

 ――時だった。

 

「……ア……レク、サッ……!」

 

「……ッ!?」

 

 裾に感じた違和感。下方から囁かれた、消え入りそうな声。

 誤魔化しようのない、確かなその感覚が、アレクサンダーの動きを阻止した。やがて彼は、信じられないものを目の当たりにし、瞠目する。

 

「……め、だ……!」

 

「炫、君……!」

 

 炫はまだ、諦めていなかったのだ。地を這いずり、アレクサンダーに追いついていた彼は、縋り付くように裾を握り締めている。

 頭や口元から血を滴らせ、焦点の合わない眼でアレクサンダーの行方を追うその姿に……元捜査官は、戦慄を覚えていた。

 

「……き、みは、なぜ……!」

 

 そして湧き上がる、焦燥。

 なぜここまでして、止めようとするのか。「DSO」に関わった伊犂江グループの会長に、なぜそこまで肩入れするのか。――恋人の仇を守る、ということに、なぜそこまで気力を注げるのか。

 

 あらゆる疑問が浮かんでは、アレクサンダーの精神を揺さぶっていく。彼の心を遠ざけるために、望まぬ暴力を振るい続けているというのに……その彼は、なおも近寄ろうとしているのだ。

 

 なぜここまで拒んでいる自分に、なおも手を差し伸べるのか。なぜ、このような悪人のために心を砕くのか。

 ――なぜ、自分を止めるために、ここまで戦えるのか。

 

「……今日は、だめだ。だめなんだよ、アレクサンダー……さん!」

「……何が、駄目だと言うんだ。今日の何が、駄目だと言っているんだ、君は!」

 

「誕生日なんだよ! ……今日は!」

 

 その問いに、答えるように。炫はしゃがれた声のまま、気力を絞り出すように叫ぶ。言い放たれた言葉は、アレクサンダーの聴覚を通して、その胸中へと染み込んで行った。

 

(……誕、生日……)

 

 ――誕生日。そう、ソフィアの命日となってしまった、あの日。炫がこれから先ずっと、幸せな日々が続いていくのだと信じていた、あの日。

 伊犂江優璃という少女にとっては、それが、今日なのだ。

 

「伊犂江さんは、信じてる……。今日は、みんなで楽しく過ごして。明日、いつもみたいに学校に来て。夏休みを、楽しんで。来年も、再来年も、ずっと幸せに暮らしていける……って」

「……」

「きっと、蟻田さんだってそうだ。オレだって、そうだよ。みんなもう、怖い夢から覚めたんだ。もう、終わったことなんだ! だから……!」

 

 過去に纏わる復讐よりも、今ある幸せと平和のために。そう謳う炫を見下ろし、アレクサンダーは苦々しく貌を歪める。

 自分に、そんな風に生きていける強さがあったなら――どれほど、幸せになれただろうか……と。

 

「では、君は許せるのか!? ソフィアを死に追いやった原因に手を貸した、あの伊犂江グループを!」

「わからない……! だけど、わかってることも、ある! あなたは、本気で会長を殺すつもりなんかないって!」

「……!」

 

 気づけばアレクサンダーは、己の感情さえも操れず、炫に思うがままの心をぶつけていた。その気迫を真っ向から浴びせられながら、彼は全く引き下がることなく――視線を、重ねる。

 すでに炫の眼は焦点を取り戻し、アレクサンダーの揺れる瞳を捉えていた。

 

「本気で会長を殺すつもりなら、そもそもこんな場を設けるはずがない。オレに報せることなんて、ない。あなたは、ただぶつけたかっただけなんだ。自分の気持ちを、誰かに」

「……君に、私の何がわかる。ソフィアを死に追いやっていながら、新しい居場所を見つけ、過去を捨てようとしている君に、一体何がッ!」

「わかるさ! あなたも、ずっとずっと辛かった! 辛かったから、任務に逃げたんだ! あの事件で、アメリカから逃げたオレと同じだ! だけど……あなたの側に、信太と俊史はいなかった。何があっても、側にいてくれる誰かが、いなかったから! だからッ!」

 

 息を荒げ、咳き込み、血を吐き。それでも炫は、訴えることをやめない。よじ登るようにアレクサンダーのズボンを握り、叫び続ける。

 そんな彼から目を背けるように、元捜査官はヘルメットに手を伸ばす。だが、ここから逃げ出したいという心理とは裏腹に、それ以上彼の手が動くことはなかった。

 

「……仮に、そうだと、しよう。だとしても、だ。そんな私に、君がこんなになってまで付き合う理由が、どこにある」

「答えていないから、だ。まだ……あなたの問いに」

「……!」

 

 炫がその一言を呟いた時。彼を避けていたはずのアレクサンダーの眼が、少年の瞳に引き付けられてしまった。

 全てを切り捨てようとしても。この少年は、その全てを拾い集めて来てしまう。

 

「あなたは、答える必要などないと言った。でも……オレは答える」

「……ッ」

 

 その先に待つ言葉を予見し。アレクサンダーは、観念したように瞼を閉じると、悲痛な表情を浮かべ愛車に寄り掛かかる。「カワサキ・NinjaH2」の逞しい車体が、主人の体重を受け止めていた。

 

「……オレは、あなたを許します。もう、誰も怨んだりなんかしない。だからあなたもどうか、許してください。オレの罪なんかじゃない。こうするしかなかった、あなたの弱さを、全て……」

「く……ッ!」

 

 ――受けた言葉は、予想通りだった。短い付き合いの中でも、飛香炫という少年を知っていたアレクサンダーにとって……これは、ある意味では理想だったのである。

 

 彼自身、こんな復讐に意味がないことなどわかっていた。仮に会長を殺せたとしても、頭が挿げ替わるだけで大した損害には至らない。そんなものは復讐にすら値しない、ただの八つ当たりだと。

 それでも、会長を殺すと声を上げて飛香炫を呼び寄せたのは……ただ、理解者が欲しかったからに他ならない。同じ少女を愛し、それゆえに共に戦った彼ならば、自分の苦しみも分かってくれるだろう、と。

 

 だが、そんな自分を情けないと思わないはずもなく。アレクサンダーは自分自身を罰するため、望みであった彼の赦しを拒み、独りになろうとした。

 自分が望んでいたものを全て捨て去ることで、彼は自分を裁こうとしていたのである。

 

 ――だが、炫はそれをさせてはくれなかった。

 

 アレクサンダーが内心で望んでいた通り、彼の苦悩を理解していた炫は。彼が本当は、罪に苦しむ生き方から逃れたい――赦しが欲しいのだということを、知っていたのである。

 だから彼は、戦いを望まないアレクサンダーの眼を見て、その真意に気づいたのだ。

 

「……炫君。許されるはずがないだろう。私は、君をッ……!」

「……うん。だから、オレが許すんだ。ここには、オレ達しかいない。オレ達の罪はオレ達にしかわからないから……オレ達が許したって、いいんだよ」

「……くッ……ぅ……!」

 

 嗚咽が、漏れる。格好悪いったら、ない。そうと知りながら、アレクサンダーは止めどなく溢れる感情を、堪え切ることはできなかった。

 そんな彼を見上げ、炫は安堵するように裾から滑り落ちていく。全身の力が抜けたように、その身体はぐったりとアスファルトの上に転がっていった。

 

「……うん。……これでいいよな、ソフィア」

 

 彼の眼が移す夜空。その向こうに繋がっているであろう、遠方の国で眠り続ける少女に――炫は、人知れず告げた。

 もう誰も、悪夢に振り回されることはないのだと。もう、皆を苦しめた怖い夢は、本当に終わったのだと。

 

 ◇

 

 ――同時刻。すでに誕生日パーティは、酣の時が近づいていた。相も変わらず、優璃や利佐子の周りに集まり続けている御曹司達も、そろそろ引き際かと時計を意識し始めている。

 

「……蟻田君。そろそろ宴も酣といったところだが……来賓の方々をお送りする準備に、不備はないな?」

「はい、もちろんです会長。リムジンはすでに控えておりますし、警備も万全。優璃お嬢様の記念すべき日は、円満に終わりますとも」

 

 そんな彼らを一瞥する、礼服に身を包んだ2人の男達。長身と筋骨逞しい肉体を持つ初老の男性と、スマートな体躯を持った壮年の男性である彼らは、この伊犂江グループの中心人物である。

 初老の男性こと伊犂江芯(いりえしん)は、側近である壮年の男性こと蟻田椴(ありただん)と共に、パーティ終了後の段取りを確認していた。

 

「利佐子君には、優璃も大変世話になっている。彼女の誕生日も、私から盛大に祝わせてもらおう」

「恐縮です、会長。あなた様のお役に立てるということだけでも、身に余る光栄なのですから……」

「そう言うな。……私も、優璃を守ってくれる人々には感謝したいのだよ」

「ご安心くださいませ、会長。我々蟻田商事は、今後とも誠心誠意を込めて、お嬢様を御守りします」

 

 遠い眼差しで愛娘を見つめる芯。そんな彼を見上げながら、椴は自信に溢れた声色で優璃の安全を保証していた。

 ――あのギルフォード事件が発生した直後、伊犂江グループの中でも最も迅速に対応を始めていた実績が、その自信に繋がっているようだ。

 

 一方。自分が最も信頼する部下の言葉に、頷きながらも――芯はどことなく「心ここに在らず」といった様子で、優璃を見つめ続けていた。

 

(私が背負い、墓まで持ち去ろうとしている「罪」。その報いを受ける日も近いだろう、とは思っていたが……どうやら、それは今日ではなかったようだな)

 

 ――このグループをさらに成長させ、愛する家族や仲間達を幸せにするため。芯は2年前、多大な利益に繋がると見込み、アドルフ・ギルフォードに開発費を投資していた。

 その「罪」が公になれば、世間は自分のみならず、何も知らない家族達までも責め立てるだろう。例えそれが許し難い悪業であろうとも、芯は愛する家族のために、「DSO」との関わりを隠滅するしかなかった。

 

 いつかは、その報いをこの身に受けるのだろう。いつかは、真実を暴かれる日が来るのだろう。

 

 ――なら、その時までに。

 罪に塗れた自分がいつか、誰かに討たれたとしても。真実が周知され、伊犂江グループの名が地に堕ちる日が来たとしても。

 最愛の娘を、ただ1人の女性として守り抜いてくれる者が現れるまで。父として、娘を守り続けねばならない。

 

 それが、罪を胸に抱えたまま生き続けている伊犂江芯の、原動力であった。

 

「悪鬼の娘であろうとも、愛してくれる男……か。欲塗れの虫しか来ないこんなパーティでは、見つかるはずもないな」

「は?」

「いや、なんでもない。……こちらの話だ」

 

 天を仰ぎ、独りごちる芯。まだ見ぬ婿を夢見る瞳は、哀願の色を帯びていた。

 

(……恥を承知で、祈ろう。誰か、私の娘を愛してくれ……)

 

 いつか、報いを受ける時。それに怯えて日々を暮らして行くことが、彼に課せられた「罰」なのかも知れない。

 



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最終話 白き献花

 ――静けさに包まれた木々と草原。現世を離れた魂が、安らかに眠るためにあるその場所で、黒服に身を包む1人の男が花束を携えていた。

 無数に立ち並ぶ墓標の数々。それらを見遣りながら歩む男は、その中から「Sophia Parnell」の名を見つける。

 

「――あなたのことは、彼からよく聞かされていましたが。こうしてお会いするのは、初めてになりますね」

 

 艶やかなブラウンの髪を靡かせ、男は墓標に語り掛ける。穏やかな微笑を浮かべる彼の手には、純白の献花が握られていた。

 男は片膝をつき、その花束を墓標に捧げる。優しげな眼差しで、この下に眠る少女を見下ろし――男は、眼に寂しげな色を滲ませた。

 

「今日は俺1人ですが……次は、彼らを連れて来ますよ。だからそれまで、もう少しだけ……待っていてください」

 

 少女の兄と、恋人。いつかその2人が、ここへ足を運ぶ日が来ることを祈り――男は立ち上がる。

 

(……やはり上層部は、伊犂江グループの関与を握り潰していたようだ)

 

 そして、踵を返し……哀しげな色を貌に滲ませ、立ち去って行くのだった。

 

(……パーネル捜査官。俺達の正義は、一体何を守ったのでしょうか)

 

 少女の死に関わる、一連の事件。その決着を憂う彼が、立ち去った後。この広大な墓地には、完全なる静寂が訪れていた。

 だが、不気味さはない。「DSO」の犠牲となった魂の群れは、悪夢から解き放たれたかのように――今も、静かに眠り続けている。

 

「……おや。百合の花ですか。……彼女を知る、お優しい方がいらっしゃるのですね」

 

 ――そして。ブラウンの髪の青年が、立ち去った後。

 彼が花を捧げた墓標の元に、年老いた神父が現れていた。白髭を撫で、慈しむように花束を見下ろす彼は――微笑を浮かべ、静かに十字を切る。

 

 彼女の御霊が、無事に天上へと旅立っていることを、祈るように。

 

「……ぁあ、綺麗な花だ。見えるかい、ソフィア。君を愛してくれる人は、こんなにもいるんだよ」

 

 そう願う神父の眼が、青空を仰ぐ時。頬を撫でるような優しげな風が吹き抜け、白き花々を揺らしていた。

 

 ◇

 

「失礼、カプチーノを一つ」

「はい、畏まりました」

 

 ウッドデッキのある整然とした空間。そこから伺える野外の花々を一瞥し、青年はウェイトレスにコーヒーを注文する。窓の外では、一羽のカラスが珍しいものを見るかのように、青年を凝視していた。

 

「少々、お待ちください」

「ああ」

 

 薄茶色の髪をポニーテールに纏めたウェイトレスは、白く瑞々しい肌の持ち主であり、物静かな印象と相まって「深窓の令嬢」という言葉がよく似合う。年齢は、15歳前後のように窺えた。

 外見の幼さとは裏腹な落ち着きを感じさせる、そのウェイトレスの背中を見送り――ブラウンの髪をオールバックにした青年は、その碧い瞳に憂いを帯びる。

 

 生きていれば(・・・・・・)、妹もあれくらいの年頃になっていただろうか……と。

 

(……なら私は、祈るのみだ。あのような幼い子の未来が、途絶えないことを……)

 

 青年の眼はやがて、窓の外――青空の彼方へと向かう。天上へ導かれた最愛の妹の、幸福な転生を祈るように。

 

 ――東京都内に位置する、とある森の片隅。その穏やかな自然に囲まれた小さなカフェは、「COFFEE&CAFEアトリ」という看板を掲げていた。

 ウッドデッキや自然風景を重視した景観などが人気を呼び、20年以上続いている「穴場」のカフェとして知られている。

 ……場所がわかりにくいせいもあり、アルバイトが中々集まらないことが経営側の悩みなのだが、その辺りはあまり知られていない。

 

「お待たせしました、カプチーノです」

「あぁ、ありがとう。君が淹れてくれるコーヒーはいつも、安らいだ気持ちにさせてくれるね」

「いえ……私なんて、まだまだ未熟ですから」

 

 やがて、ふわりとした笑みを浮かべて、ウェイトレスの少女がカプチーノを運んで来る。それを受け取り、青年も優しげに微笑んだ。

 そんな彼を、ウェイトレスはまじまじと見つめる。

 

「……」

 

 平日の昼前であるこの時間帯には、客はあまり来ない。いるとすればここ最近、毎日のように通うこの青年くらいのもの。

 ――彼女としては、それが気掛かりだったのだろう。つい、聞いてしまったのだ。

 

「……よく、この時間帯に来られますけど……夜の時間帯にお勤めされていらっしゃるのでしょうか」

「……」

「……あ」

 

 ほぼ顔馴染みに近い関係になったからこそ、不意に口をついて出てしまった。ウェイトレスは言った後に、地雷を踏んでしまったと悟り――彼女にしては珍しく、顔を赤らめる。

 

「……ご、ごめんなさい」

「いや、いい。実際、仕事が見つからなくてね。焦っても仕方ないから、ここで気を休ませて貰っているんだ」

 

 自分の不甲斐なさを笑うように、青年は苦笑を浮かべる。彼はカプチーノを手に取ると、再び窓の外に視線を移した。穏やかな風に靡く野花が、その碧い瞳に留まる。

 

「……ここは、本当に居心地がいい。昔住んでいた、故郷の家を思い出すよ」

「……帰られないのですか?」

「私自身が、捨ててしまったからね。帰る家も居場所も、私は全て捨ててしまった」

 

 聞いてはいけなかったか――と、ウェイトレスはバツの悪そうな表情を浮かべる。そんな彼女を一瞥する青年は、いつしか妹の面影を重ねるようになっていた。

 

「……だからこそ、この先の未来に得るものもある。失う痛みを知ったからこそ……守りたいという願いが生まれる。私は、そう信じているよ」

「そう、ですか……」

 

 カプチーノのカップを見下ろす青年。その横顔を、ウェイトレスは暫し神妙に見つめていた。

 痛みや苦しみに苛まれ、それでもなお前に進もうと足掻く男の横顔。それは優しげでありつつも、言い知れぬ力強さを放っていたのである。

 

「……ところで。一つ君に伺いたい話があるのだが」

「は、はい」

 

 そんな彼に、不意に声を掛けられ。ウェイトレスは思わず、上擦った声を漏らしてしまった。そして青年は、たじろぐ彼女を見上げ――新たな道を見出す一言を、告げる。

 

「このお店、従業員は募集しているかな」

 

 ◇

 

 ――2037年7月。

 終業式を明日に控えた五野高は、すでに夏休みムードが濃厚になりつつあった。それに合わせ、生活指導の教師や生徒会も目を光らせるようになり……彼らの注意が、ある1人の少年に向けられるようになっていた。

 

「全く……浮かれすぎて階段から転げ落ちるとは、なんたる体たらくだ」

「炫って頭は良くても基本ドジだよな」

「契約不履行のバチが当たったんだね。夏休みにはまだ早いんだねっ」

「あぁあもうっ! わかってる! わかってるよっ!」

 

 飛香炫。彼は、伊犂江優璃の誕生日パーティが開かれていたあの日、自宅の階段から転げ落ちた……ということになっている。彼が体のあちこちに包帯を巻いた姿で登校してきたことで、生活指導は夏休みまでの「締め上げ」を強化するようになっていた。

 そういうこともあり、昼食中に炫は信太達からお小言を頂いているのである。……この頃には当然のように、炫達の集まりに大雅が居座るようになっていた。

 

「ねぇ……ほんとに痛まない? 大丈夫?」

「飛香さん、もしよろしければ父の会社に掛け合って最新鋭医療器具を……」

「い、いやいやいや、ほんとに大したことないから!」

 

 一方で、優璃と利佐子は純粋に炫の身を案じて気遣うようになっていた。炫はそんな彼女達の優しさに感謝しつつも、値段が想像もつかない解決策を避け続けている。

 もしそんな高価過ぎるモノを使われたら、恐ろしくて怪我どころではないからだ。

 

「もう……飛香君も夏休みだから気持ちはわかるけど、もっと気をつけないとダメだよ? ほんとに、打ち所が悪かったら死んじゃうんだからね?」

「そうですよ、飛香さん。あなたの怪我を知った時のお嬢様ときたら、それはもう大変だったのですから。あなたには特に、夏休み中の過ごし方について気をつけて頂かなくては」

「ちょ、ちょっと利佐子っ!」

 

 あまり掘り返されたくない情報であるらしく、優璃は顔を赤らめ利佐子の口を塞ごうとする。そんな彼女達を一瞥しつつ、炫は窓の外に目を向けた。

 

「……」

 

 いつもと変わらない、快晴の青空。真夏の日差しが教室に差し込み、窓際の席を照らしている。

 ――あの日からずっと変わらない、日常の空だ。

 

 数日前の、アレクサンダーとの戦い。あの肉弾戦の後、彼は炫の前から姿を消した。

 ギルフォード事件に纏わる事情聴取も終わり、バッジも返上した今、彼はもはや何者でもない。ゆえにもはやその身は自由であり、何処に旅立つも思うがままなのだ。

 

 彼が今、どこで何をしているのかはわからない。連絡先は今も残ってはいるが、あれ以来彼と話せたことはなかった。

 ――否、話す必要がなかったのだ。互いの想いをぶつけ合い、悲しみを吐き出し合った今なら……彼はもう、復讐に堕ちることはないのだから。

 

「……なぁ、伊犂江さん。一つ、頼みたいことがあるんだけど」

「え? な、なにかな」

 

 そして、それゆえに。炫も、過去を踏み越えて行かねばと――あることを決めていた。

 赤い顔のまま、利佐子の口を塞ぐ優璃に、炫は穏やかな微笑を向ける。そんな彼の笑顔を目の当たりにして、さらに彼女が紅潮した時。

 

「……オレさ、『ハピホプ』始めようと思うんだ。また色々、教えてくれる?」

 

 炫は優しげな笑みと共に、過去を乗り越えていくための一歩を踏み出した。2年前の事件以来、アカウントまで消し去り避け続けていた、あの花園の世界へと。

 

 ――そして。花を愛する2人の近くでは。水を入れ替えたばかりの百合の花が、陽射しを浴びて純白の煌めきを放っていた。

 




 本章「紅殻勇者グランタロト」は、これにて完結となりました。ここまで読んで頂き、誠にありがとうございます。
 次回からは、本章の前日談である外伝「砲皇勇者ヴァラクレイザー」が始まります。本章ではチョイ役だったキッド・アーヴィングにスポットを当てた作品であり、炫は全く登場しません。ご了承ください。

※今回登場した「COFFEE&CAFEアトリ」は、アレクサンダーを投稿してくださったsungen先生の、小説家になろうにおける作品「喫茶アトリ - COFFEE & CAFE Atori -」に登場するカフェです。sungen先生から御許可を頂き、この度こうしてコラボさせて頂きました。sungen先生、ありがとうございます。


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砲皇勇者ヴァラクレイザー
第1話 クリスマスの怪事件


 2036年12月。

 ワシントンの大都会はクリスマスの季節を迎え、毎年恒例の賑わいを見せていた。何人ものサンタクロースが、プレゼント袋を手に往来を行き交い、至る所にクリスマスツリーが飾られている。

 降り積もる雪。夜景を彩るイルミネーション。その景色の中を、1人の青年が歩んでいた。

 

「……」

 

 煌びやかに光を放つ街は、夜の帳が降りても昼間のように賑やかだ。その只中を進む彼は、ショーケースの中で飾られたペンダントを見つめ、白い息を吐く。

 

「……はぁ」

 

 漆黒のトレンチコートに身を包む、ブラウンの髪を持つ青年。その端正な顔立ちに、道行く女性達はすれ違い様に熱い視線を送るのだが――彼はそのいずれにも、目を合わせることなく歩み続けている。

 

 ため息をつき、ジトッとした眼差しで青年が見つめる先には――ナンパに励む、ある男の姿があった。

 

「よぉ、姉ちゃん。イカしてるブーツだね、ボーナスで買ったのかい? イイねー、オンナに磨きが掛かってるってカンジだ」

「……」

 

 艶やかなブロンドを靡かせる、逞しい肉体の青年。年齢はおおよそ、20代中盤。容姿の素材(・・)に関しては、女性受けするものがあるだろう。

 ――だが。くたびれたテンガロンハットやサングラス、ジーパンというセンスが、それら全てを台無しにしている。

 

 青年の外見的アドバンテージを損なう、その服装は……彼が今声を掛けている女性だけでなく、周囲の通行人からも冷たい眼で見られていた。

 しかし、青年はその視線に気付きながらも「男は見た目ではなく中身」と言わんばかりに、構うことなく付きまとっている。レディーススーツに身を包む若い女性は、そんな彼を鋭く睨みつけた。

 

「どうよ、いっちょ男の1人でも引っ掛けてみない? 俺が練習相手になってやるぜ?」

「……失せろクソダサ野郎、ケツの穴増やすぞ」

「オゥ、手厳しい」

 

 それさえも受け流し、サングラスの青年は黒い革ジャケットを翻して女性に擦り寄っていく。

 そんな彼に苛立ちを募らせた彼女は、害虫を追い払うかのようにバッグを振り上げた――のだが。

 

「だがな姉ちゃん、汚い言葉で男を遠ざけようったって、そうはいかねぇ。ほんとはわかってンだろぅ? 君を満たしてやれるのは俺だけってこ――あだだ!」

 

 それよりも速く、青年の耳が勢いよく抓られ、彼のトークは強制終了させられた。悲鳴を上げながら振り返った彼の目線が、背後にいた人物の眼差しと重なる。

 

「……いつまで油を売っているのですか、先任。被害者への聴取はとっくに終わっているのですよ」

「わ、わかっ! わかってるよアー坊! 思ったよりも早く終わったんだ、ちょっとくらい休憩挟んだっていいだろうがよ!?」

 

 サングラスの青年の耳を抓る、トレンチコート姿の人物。彼は呆れ返った表情で、さらに深くため息をついた。

 

「よくありません。我々はここに遊びに来ているのではないのですよ。……それと、その子供っぽい呼び方もやめてください。俺の名は、キッド・アーヴィングです」

「……アーヴィング……!?」

 

 すると。その名を耳にして、近くにいた女性が反応を示した。

 彼女は信じられないような表情を浮かべ、キッドと名乗る青年の顔を見遣る。――そして、その表情は徐々に。悍ましいものを見るような色に変わっていった。

 

「……私の連れが失礼しました。お怪我はありませんか?」

「え、えぇ、大丈夫。……私、これで失礼するわね、じゃあ」

 

 自分に向けられる視線。その意味を知りつつも、キッドはあくまで紳士的に対応する。一方、女性の方は関わり合いになりたくないとばかりに、そそくさとこの場を立ち去ってしまった。

 

「……だぁから、黙ってた方がいいっつってんのによ」

「それでアー坊、ですか? ……そんな気遣いなら無用ですよ、先任」

 

 そんな彼女の後ろ姿を見送り。「先任」と呼ばれるサングラスの男は、隣に立つキッドを一瞥する。無表情のまま、踵を返す部下を見つめるその眼差しは、手のかかる弟を見ているかの様だった。

 

 ――彼らは、FBIサイバー対策部に属する捜査官。近頃、あるVRゲームで発生している奇妙な事件を追い、この場に訪れていた……。

 

 ◇

 

 ――アーヴィングコーポレーション。

 アメリカで初めて、フルダイブ技術をゲームに本格投入した一大メーカーであり、あらゆるVRゲームに携わる企業として知られている。

 

 だが、1年前。「圧倒的なリアリティ」を謳い、を満を持して発売した「Darkness spirits Online」――こと「DSO」で発生した事件の数々は、その名声に多大な傷を付けた。

 公式に謝罪会見を行った上、被害者への支援を表明したことで一応の決着はついたのだが……その名に拒否反応を示す人間は、今も決して少なくはない。

 

「……いつだって人はわからねぇもんさ、他人の苦しみなんてな」

「別に……分かってもらうつもりなど、ありませんよ。……分からせる、それだけのことです。悪夢ならとうに皆、醒めているのだと」

 

 その御曹司であるキッド・アーヴィングは現在、FBIに籍を置く捜査官の一人として活動していた。

 ――VRに纏わる犯罪を自らの手で取り締まり、アーヴィング家が呼び込んだ「罪」の禊とするために。

 

 FBI本部のオフィスにて、キーボードを叩き書類を作成しているキッド。そこからやや離れた位置にあるソファに踏ん反り返り、「先任」は新聞を読み耽っていた。

 

「……『RAO』の総プレイヤー数、2割減少。『DSO』の爪痕、未だ消えず――か」

 

 ――「先任」、こと日系三世のトラメデス・N・(イカヅチ)は、新聞の隅にひっそりと掲載された記事に目をつける。

 それは一見、あるVRゲームのプレイヤー数が激減した……という程度の、小さなニュースでしかなかったが。

 トラメデスも、コンピュータと向き合いながら話を聞いていたキッドも、神妙な面持ちを浮かべている。

 

 ――「Raging Army Online」、通称「RAO」。

 中東の紛争地帯をモチーフとした戦場を舞台とする、アーヴィングコーポレーションが開発したVRFPSである。

 実在する銃の質感や銃声のみならず、硝煙の匂いや砂塵の感触に至るまで、現実(リアル)を追求したゲームであり、発禁となった「DSO」に代わる看板タイトルの一つとなっている。

 

 その「RAO」でも当然、オンライン対戦が導入されており――リアリティに溢れた仮想空間の戦場に、多くのプレイヤーが沸き立っていたのだが。

 数週間前から――奇妙な事件が起きるようになったのである。

 

 それは、「DSO」で問題となり発禁の原因にもなった「リアリティ・ペインシステム」が、オンライン対戦中に一定時間だけ作動している――というものだった。

 

 確かに「RAO」は「DSO」のゲームエンジンを基盤にしており、「DSO」の没データが入っていることもある。リアリティ・ペインシステムが隠されていても、不思議ではない。

 だが当然ながら、そうした没データは通常のプレイではまず見つからない。それに本来、「RAO」にリアリティ・ペインシステムは実装されていないはずだった。

 

 リアリティを追求しつつも、痛みだけはない。それが、プレイヤー達が安心して「RAO」というゲームに没頭できる理由だった。

 その前提が崩れるような事件が起これば、「DSO」の二の舞を恐れたプレイヤーが離れていくのは自明の理である。他にも、VRゲームならあるのだから。未だに事件を信じていないプレイヤーも多いようであるが、時間の問題だろう。

 

 先程トラメデスとキッドは、事件に遭遇し現実と同じ痛み(リアリティ・ペイン)を味わった元プレイヤーに事情聴取を行っていた。

 あるはずのない痛みと死の恐怖に震えていた彼からは、断片的な情報しか得られずにいたが……それでも、2人にとっては大きな前進だった。

 

「システムが作動している時間帯に法則性はなく、完全にランダム。中には、PTSDを発症したプレイヤーもいるらしい。そして……」

「……仮面の装甲歩兵、ですか」

 

 手に入った情報の中で2人が最も注目していたのは、システムが作動している時間帯にのみ目撃された謎の兵士の存在だった。

 

 ――鉄仮面に顔を隠した装甲歩兵。

 

 それに該当する装備品や武装は現状、「RAO」には実装されていない。体が隠れるほどの重武装ならあり得るが、それでも全く肌が見えない装備ではないのだ。事情聴取した元プレイヤーも、「あんな中世の鎧騎士みたいな兵装は見たことがない」と証言している。

 彼が見たことがないだけ、とも取れる話だが――「RAO」の運営スタッフも、そのような「世界観にそぐわない装備」は実装していないと発言していた。

 

 あるはずのないシステム。あるはずのない装備。その二つが同時に発生している以上、無関係であるとは考えにくい。トラメデスとキッドは、この「仮面の装甲歩兵」にヒントがあると見ていた。

 

「……考えられるのは、何者かが没データを引き出して『RAO』にあのシステムを実装させている……ってとこだな。『仮面の装甲歩兵』ってのも多分、元々ソフトに入ってた没データの一部だろう。今のアーヴィングコーポレーションは方々から目を付けられてるから、検査もなしに変なアップデートはできねぇ」

「少なくとも……『RAO』のゲームエンジンが『DSO』の流用であることと、リアリティ・ペインシステムが没データとしてソフト内に残っていることを知らなければ、できない芸当ですね」

「と、すると……アーヴィングコーポレーションの関係者の仕業……ってのが、妥当な線だな」

 

 トラメデスは新聞を放り投げると、両手を頭の後ろに組み、天井を仰いだ。そんな彼の横顔を一瞥し、キッドは目を細める。

 

「……あのシステムを開発したという元社員が、1年前から行方を眩ましているそうですが」

「アレックスが追いかけてる奴だな。確か名前は――アドルフ・ギルフォード」

 

 その名前を耳にして、キッドはディスプレイに視線を移す。画面には、年老いた一人の男の顔写真が映されていた。

 ――トラメデスが「アレックス」という愛称で呼ぶ、FBI捜査官の1人「アレクサンダー・パーネル」。その人物が1年以上に渡り追い続けているのが、写真の男「アドルフ・ギルフォード」だ。

 

「パーネル捜査官はあれ(・・)以来、血眼でギルフォードを追い続けています。……俺の、せいでもありますが」

「なにせ、可愛い妹の仇だからな。お前が気に病むのも分かるが……あいつは、お前を恨んじゃいねぇさ。アレックスは確かに脳髄までガチガチな堅物だが、裁きを受けた相手を執拗に責めやしない」

 

 トラメデスはディスプレイを一瞥した後、視線を外して煙草に火を付ける。天井に昇る煙を見上げる蒼い瞳は、何処と無く優しげであった。

 

「そういえば、パーネル捜査官はあなたの同期でしたね」

「捜査官としてはな。デルタフォースに居た頃は、あいつが上官だった」

「なぜFBIに?」

「あいつが嫌うタイプの上官がいてな。2人揃って楯突いて、この始末さ」

「……」

 

 トラメデスは苦笑を浮かべ、窓の外に広がったワシントンの夜景を見遣る。過去を思い返すように、彼の眼は遠くを見つめていた。

 

 不正や不義を嫌い、道理に背く者は上司であろうと許さない苛烈な正義漢。それがキッドがよく知る、アレクサンダー・パーネルという男だった。

 ゆえに、そんな彼が上官に反発したとなれば、何があったかはある程度想像がつく。

 

「ま、あいつも俺も中身はガキだったってこったな。汚ねぇ相手にも媚びへつらって生きるのが、お利口なオトナなんだからよ」

「俺は……そうはなれません。そんなに、器用じゃ……ない」

「かもな。でも、俺達と違ってお前は、自分を殺してでも何かを為そうって気概がある。そういう辛抱強い奴なら、やっていけるさ」

「……」

 

 トラメデスは明るく笑い飛ばしてみせるが、一方のキッドは苦虫を噛み潰したような表情のままだった。

 

 ――「仮想空間」というものが誰にとっても身近なものになったこの時代に、それをゲームとして売り出し利益を得る以上、プレイヤー達の安全と安心は何としても守らねばならない。

 その信念の下、キッドはサイバー犯罪に対処する術を学ぶべくFBIの門を叩いた。いずれ会社を継ぐ上での、心構えを身につけるために。

 

 ――しかし、その先には「DSO事件」という、想像を絶する試練が待ち受けていた。

 自分達の会社が開発したゲームのために、安全はおろか人命すら失われ、取り返しのつかない傷を生んでしまったのだ。

 謝罪会見や然るべき支援を通じて、法的には決着が付いている事件であり、終わったこととして見做す者も多いが――今でもその重責は、御曹司であるキッドに深くのしかかっている。

 

 償わねばならない。これ以上、何人たりとも傷付けさせるわけにはいかない。その焦りがいつしか、トラメデスが云うように「自分を殺す」方向に向かっていたのだろう。

 それは、本当の強さとは違う。ただひたすらに自分を罰することで、潜在的に赦しを乞い続けているに過ぎない。トラメデスも、それはわかっていた。

 

 だからこそ、もがき苦しむかのような生き方しか出来ない彼の胸中を慮り。その重荷を和らげるため、敢えて彼の在り方を肯定したのである。

 だが、その優しさに気づかないキッドではなく。こうして心配を掛けることしか出来ないもどかしさは、彼の良心をさらに苛んでいた。

 

「……よぉし。明日は解析班に『RAO』の内部データを根こそぎ調べてもらおうぜ。例の装甲歩兵やリアリティ・ペインシステムのこともわかるだろう」

「えぇ……そうですね」

「俺らは引き続き、一般プレイヤーとして潜入捜査だ。……ハマり過ぎて、仕事忘れんなよ〜?」

「その辺りは先任の方がよほど怪しいのですが」

「オッフゥ信用ゼロ? おいおい困るねぇ、こう見えても仕事とプライベートはきっちり分けるタイプなんだぜ?」

 

 それを汲んだ上で、トラメデスは話題を変えるように明日の行動内容を告げる。

 

 ――事件の捜査を始めて数日。すでに彼らは、一プレイヤーとして「RAO」に参加するようになっていた。事件を追うための、潜入捜査として。

 今回の件は、プレイヤーに現実に近しい「痛み」が発生する……というものであるため、「苦痛に耐え得る精神力」に信頼の置けるトラメデス達が潜入班に選ばれたのだ。

 

「……だといいんですけどね」

「なんだよひっでぇなー。ま、お前もプライベートが大変なんだから、当たりたくなる気持ちはわかるぜ。もうあの嬢ちゃんにプレゼントは渡したのかい?」

「やめてくださいよ、もう。……だいたい、彼女とはまだそういう関係ではないんです」

「へぇー……まだ、ね……ほぉーん?」

「……何が言いたいんですか」

 

 トラメデスの容赦なき追及に、キッドは顔を赤らめながら反発する。そこを皮切りに、この一室を包んでいた剣呑な空気は、徐々に和らぎ始めていた……。

 




 今回初登場したトラメデス・N・雷は、「ウルトラマンΣ」を手掛けておられるオニギリ男先生からご応募頂いたキャラです。


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第2話 仮想世界の戦火

 クリスマスのムードは、夜が明け朝陽が差し込んでからも続いている。

 通学路を走る子供達は、サンタからのプレゼントを夢見て浮き足立っているようだった。往来を歩く若いカップルも、互いに渡し合うプレゼントのことで盛り上がっている。

 

「……」

 

 そんな人々を、一瞥しつつ。愛車「スクランブラー・sixty2」を駆るキッドは、アスファルトを駆け抜けある場所を目指していた。

 

 オレンジに塗装されたバイクが、滑るようにワシントンの街を走る。風を切り突き進むそのマシンは――やがて、錆びついた車庫の前に辿り着いた。

 

「……フゥッ」

 

 キッドは短く息を吐き、ヘルメットを脱ぐ。その視線は、車庫より上の方へと向けられていた。

 

 ――「Workshop Hopkins」。シャッターの上には、そう殴り書きされた看板が掲げられている。それを見上げていると、シャッターの隣にある錆びたドアから、1人の少女が顔を出してきた。

 

「いらっしゃいませ……って、キキ、キッドさん!? どうされたんですか、こんな朝早くから!」

「おはようベサニー。店長はいるか?」

 

 そしてキッドと顔を合わせた途端、彼女は頬を赤らめながら仰け反ってしまう。どうやら、予想だにしなかった来客であるらしい。

 

 年齢は概ね18歳前後。シャギーショートの赤髪と、くりっとしたブラウンの瞳からは、快活な印象を受ける。一方、目鼻立ちは整っているのだが、両頬のそばかすや化粧とは無縁な佇まいからは、垢抜けないイメージが漂っていた。

 ……が、素材としては優良であり、汚れた作業服の下にはグラマラスな肢体が隠されている。それを知る男は、未だにいないのだが。

 

 彼女の名は、ベサニー・ホプキンス。

 この修理屋を父と2人で営む女子高生であり、ここをよく利用するキッドとは顔馴染みの間柄なのだ。

 

「は、はははいっ! と、父さーん! キッドさんがぁー!」

「……なんだぁい、朝っぱらから騒々しい」

 

 キッドを前に上がってしまっているのか、ベサニーは上擦った声のまま車庫にいる父を呼び出す。すると、工具やガラクタが散らかった車庫の中から、小柄な老人がひょこっと顔を出してきた。

 娘と同様に、油汚れに塗れた作業服に袖を通した彼は、白髭をなぞりながら2人の前に歩み寄ってくる。ベサニーの腰程度の身長しかないその姿は、さながらホビットのようだった。

 

「……なんだ坊主か。どうしたんだい、こんな朝早くから。定期修理ならこないだしてやっただろう」

「いい音の出るマフラーが欲しくてな。その道のプロから意見を聞きに来た次第だ」

「マフラーだぁ? お前みたいな堅物がそんなオシャレに拘るなんて、どういう風の……」

 

 キッドの口から出て来た注文に、店長は訝しげな表情を浮かべる。だが、言い終える前に何かに気づいたらしい。

 

「……あぁ、そうかい。ウチにあるもんから、気に入ったヤツを選びな」

「……恩に着る」

「え……えっ?」

 

 それ以上は何も言わず、踵を返してしまった。そんな彼の後ろに続き、キッドも言葉少なに歩き出す。

 一方、ベサニーだけは2人の意図が読めず、首を左右に振っていた。

 

「ベサニー、お前そろそろ学校だろうが。さっさとシャワー浴びてこい」

「えっ――あっやだ! もうこんな時間っ!? 急が……ぎゃん!」

 

 そんな娘に、店長は背を向けたままぶっきらぼうに言い放つ。すでに時刻は7時過ぎ。身支度の時間を考えると、かなり急がねば遅刻は免れない。

 ベサニーはようやくそれを悟ると、慌てて駆け出し――工具箱に躓いて転んでしまった。キッドに向けて臀部を突き出し、地べたに顔面から墜落した娘を一瞥すると、父は深くため息をつく。

 

「……全く、忙しない娘だわい。欲しがる男の気が知れんのう」

「……それは、どうも」

 

 一方。キッドはベサニーに聞こえぬよう、想い人の父に呟いていた。

 

 ◇

 

「ねぇ、見てあれ」

「やだぁ……ホプキンスの奴よ」

 

 午後の休み時間。ハイスクールの授業も終わりに近づき、生徒達が放課後の予定に意識を向ける頃。

 ベサニーは独り、グラウンドにばら撒かれた鞄や教材を拾い続けていた。上の階からその光景を眺めていた女子生徒達が、嘲るように笑っている。

 

「……参ったなぁ。授業始まっちゃう……」

 

 彼女達の嗤い声を聞き流し。ため息をつきながら、散らばった私物をかき集めていく。その表情は疲れだけでなく、諦めにも似た色を滲ませていた。

 ――そう。彼女は以前から、虐めを受けているのだ。

 

「なぁにそんなとこで油売ってんのよ、赤毛。次の授業、遅れても知らないよ!」

「行こ行こ、油臭いのが移っちゃう」

「それもそうね! ――アハハッ!」

 

 ベサニーが席を外した隙に、彼女の私物を窓から放り捨てた女子生徒達。彼女達のリーダー格である金髪の生徒は、ベサニーの髪色をなじりながら、踵を返す。

 さらに取り巻きの生徒達も、ベサニーを笑い者にしながら立ち去っていった。すでに、次の授業の予鈴が鳴っている。……どうやら、間に合いそうにはない。

 

「……母さん……」

 

 自分の髪を撫でながら、ベサニーは消え入りそうな声で呟く。

 ――虐めを辛いと思わない日はなかった。自分の髪が恨めしいと感じたのは、一度や二度ではない。だが、幼い頃に死に別れた母から貰った、この髪を他の色に塗り潰すことは出来なかった。

 

 髪の色は変えられない。なら、諦めるしかない。

 昔は、いつか王子様のような人が助けてくれると夢見ていたが、高校3年生になった今となっては儚い思い出に過ぎないのだ。

 

(……キッド、さん……)

 

 自分にとっての王子様がいないわけではない。だが今では、その王子様に迷惑を掛けたくない、という気持ちの方が強かった。

 ――知れば、彼はきっと助けてくれる。だが、自分一人のために多くの生徒に牙を剥くようなことになれば、人々はさらに畏怖の視線を彼に向けるだろう。その視線を払拭するために、彼は戦っているというのに。

 

 だから自分には、どうにもできない。ただ、じっと耐えるより他ないのだ。

 

 ◇

 

「……はぁ」

 

 その日の夜。

 学校から帰った後、店の手伝いで1日を終え――シャワーを浴びたベサニーは、狭い自室のベッドに身を投げていた。古びたベッドは主人の体重に軋み、ギシギシと悲鳴を上げている。

 

(……ベ、ベッドがボロいだけだから! あたしが太ったわけじゃないからっ!)

 

 誰に対する言い訳なのか、ベサニーは胸中でそう叫びつつ、枕元に置いていたヘッドギアに手を伸ばした。

 

 赤と白で塗装された、そのヘッドギアの名は――「ヘブンダイバー」。アーヴィングコーポレーションが誇る、世界最高峰のVRゲーム機である。

 3年に渡り、こつこつと貯めて来た貯金をはたいてようやく買えた宝物。ベサニーは愛おしげにそれを抱え込むと、「わくわく」という楽しさに満ちた表情を浮かべ、頭に被せた。

 

「……」

 

 ――すると。彼女は、自室の壁に貼られた1枚のポスターに目を移した。

 そこには、煌びやかなドレスを着こなす金髪の美女が映されている。……今をときめくハリウッド女優の、「エリザベス・エッシェンバッハ」だ。

 

 艶やかな金髪に、そばかすなどとは無縁の美肌。ベサニーには一生届かないものを全て備えた、理想の女性像そのものである。

 

(……リアル(ほんとう)のあたしは、赤毛でそばかす顔の地味女。キッドさんになんか、一生掛かっても釣り合いっこない。だけど、あの世界なら……)

 

 そんな彼女を写したポスターを、羨望の眼差しで眺めつつ。ベサニーは、仮想空間へのフルダイブに臨む。

 ――ずっと前から一目惚れだった、青年とのひと時を思い描きながら。

 

「……ログインっ!」

 

 そして、ゲームへの接続スイッチとなる台詞を口にして。彼女の意識は、仮想空間へと転送されていく。本当の身体を、この現実世界に残して。

 

 ◇

 

「……ログインしてから、かれこれ6時間になるが……まだ例の現象が起きている気配はない、か」

「ずっと仮想空間に張り付いてるってのも、これはこれでしんどいねぇ。世のゲーマー諸君には頭がさがるぜ」

 

 ――その頃。

 「RAO」のマルチプレイにおける拠点(ロビー)である、砂漠のキャンプ地。その中でキッドとトラメデスは、プレイヤーに扮して調査を行っていた。

 米兵の兵装に身を包む2人は、キャンプの近くを歩みながら辺りを伺っている。様々な装備品で身を固めるプレイヤー達は、次のバトルに向けて作戦を練り合っていた。

 

「解析班から報告はありましたか?」

「あぁ、ついさっきな。……やっぱり、ハッカーの線が強いらしいぜ」

 

 キッドの問い掛けに答えるトラメデスは、仮想空間の空を仰ぐ。蒼く澄み渡る世界は、現実と見紛う精巧さを持っていた。

 ――この世界の基盤である「DSO」を開発したギルフォードの実力が、垣間見える。

 

「『RAO』のサーバーが、一時的にコントロール不能になるケースがここ数週間頻発してるそうだ。まだ運営は正式な公表をしていないがな」

「ハッキングで運営からコントロールを奪い、『RAO』内に在る例のシステムを引き出している……ということですか。『仮面の装甲歩兵』については何か分かりましたか?」

「甲冑姿の没データは幾つもあるから、ここで目撃された個体がどれかまではわからねぇらしいが……『RAO』のソフト内にデータがあることは間違いねぇ。……ギルフォードの説。マジに捉えてもいいかもな」

 

 これほどまでに現実に近しい仮想空間を創り出せる人間が、その力をテロに行使すればどうなるか。そうと知らず、ゲームとして楽しんでいる人々は、どうなってしまうのか。

 ――そんな考えが過ぎる度、彼らはこの事件の深刻さを再認識していた。行方不明であるギルフォードが実行犯だとすれば、それに抗う術があるかどうか……。

 

「……しかしよ、アー坊。いい加減アバターくらい弄ったらどうよ? 変装は捜査官の嗜みだぜ?」

「堂々としていれば、却って怪しまれないものです。……それに、先任のようになるのも遠慮したいので」

「あん? なんだよカッコいいだろうが、このウェスタンルック」

「……はぁ」

 

 ――その不安を拭うかのように。トラメデスは努めて明るく振る舞い、キッドの容姿に言及し始めた。

 

 「RAO」は「DSO」と同じく、リアルなディテールを追求したグラフィックであり、ポップな世界観で構成されている「Happy Hope Online」こと「ハピホプ」とは対極のゲームである。

 ゆえにプレイヤーのアバターも、ある程度は現実に即したデザインとなっている。ゲーム内通貨を利用することで様々なイメチェンは可能だが、デフォルトのアバターは、プレイヤーのリアルに合わせた外見になるのだ。

 

 トラメデスはゲームで稼いだ通貨を使い、いわゆる「ネタ装備」であるテンガロンハットを被っている。米兵の迷彩服を纏いながら、そんなものを被っている彼はひどく浮いていた。

 キッドはそんな先任を、冷ややかな眼差しで一瞥する。こうはなりたくないな、と表情が語っていた。

 

「第一、我々はここに遊びに来ているわけではないのですよ。資金があるなら自分の身を守り、調査を続行するための武器や装備品に投資すべきです」

「まぁ、一理あるな。だがなアー坊、デフォルトだとリアルと変わらねぇ見た目なんだぜ? ちょっとはアレンジしとかねぇと身バレしちまうぞ」

「ご安心を。身バレして困るほど、友人はいないので」

「……悪かったよ」

 

 トラメデスは珍しく自分の発言を省みて、帽子のつばを摘んで目を伏せる。そんな彼を一瞥し、キッドは手のかかる兄を見ているような表情を浮かべていた。

 

 ――普段から気難しい顔をしてばかりいるキッドは、「DSO」事件より以前から、近寄り難い雰囲気を絶えず漂わせていた。それゆえ、「大企業の御曹司」や「誰もが振り向く美男子」でありながら、友人はおろか恋人すらろくに出来た試しがない。

 それに加え、「DSO」事件の影響でさらに周囲が自分を畏怖するようになり……もはや、修理屋の店長とベサニーくらいしか、プライベートの話相手すらいない状態なのだ。

 

 だが、当の本人はそこまで気にしていないらしく、澄ました表情のままトラメデスから視線を外す。

 ……その時だった。

 

「別に構いませんよ。それは俺が撒いている種ですか――」

 

「――キッドぉ〜っ!」

 

 彼の言葉に被さるように、女性の声が響き渡ってくる。その声の主が、このキャンプに現れた途端――周囲のプレイヤー達が、「彼女」に注目を集めた。

 男所帯のど真ん中に現れた、金髪のショートヘアを靡かせる絶世の美女。OD色のTシャツにチェストハーネスという軽装備である彼女は、その豊満な胸をありのままに揺らしている。

 

「ヒュー……なんだい、あの可愛こちゃん。いつの間に引っ掛けたんだよ、アー坊」

「……エリザベスか」

 

 その姿に、男性プレイヤーが大半を占めるこの場のギャラリーが、釘付けになっていた。トラメデスも、彼女のナイスバディを前に口笛を吹いている。

 キッドが「エリザベス」と呼ぶ彼女は、華やかな笑みを浮かべて彼の元へと駆け寄って来た。当然ながらキッドには妬みの視線が集中するのだが、悪感情を抱かれることに慣れている彼は、まるで意に介していない。

 

「キッドぉ、会いたかったぁ! もう、昨日は全然ログインして来ないんだから、寂しくて死んじゃいそうだったよ!」

「リアルが忙しくてな。……で、今日も色々と教えて貰えるのか?」

「もっちろん! 教官役ならあたしにお任せっ!」

 

 明朗な声を上げ、キッドの腕に抱きつくエリザベス。その豊満な胸が、鍛え抜かれた彼の右腕に押し当てられていた。

 

「ヘェ、先輩プレイヤーさんかい」

「彼女には、ゲームを始めたばかりの頃から何かと世話になっていましたからね。この世界でのことは大抵、彼女から教わっています」

「へへーん! どう、凄いでしょ!」

「はぁ〜、大したもんだよなぁ。女の子なのによ」

 

 ――VRゲームは原則、プレイヤーの精神への影響を鑑みて、異性のアバターは使えないようになっている。さらに「RAO」においては、スタイルも基本的にリアルの体型を模したものになる。

 

 つまり……彼女はリアルでもグラマラスなスタイルの持ち主である、ということだ。それを知るプレイヤー達は皆、リアルのエリザベスを夢想し喉を鳴らしていた。

 

「い〜いオンナだなぁ。さぞや、リアルでもいいカラダしてんだろうぜ」

「かぁっ、たまんねぇな! ――あの坊主、いい思いしやがってよ……クソが!」

 

 思い思いに劣情を催し、粘つく視線をエリザベスに向ける男達。そんな彼らの視線に、当の本人は気づいていないようだった。

 

「……さて。今日の君の講座は、別の場所で聞こうか。こちらは、俺の知り合いのトラメデスだ」

「よろしくな、ナイスなバディのねーちゃんよ」

「へぇ、キッドの知り合いなんだ〜。あたしはエリザベス。よろしくねっ!」

 

 そんな彼女を庇うように、キッドはエリザベスの手を引きながら、自然な足取りでこの場を後にしていく。彼に導かれるように、トラメデスやエリザベスも歩き出していた。

 

「……」

 

 ――そして。

 先頭を歩きつつも、後方を振り返ったキッドの目には。

 

「ん? どうしたの?」

「……いや、なんでもない」

 

 今朝に見た(・・・・・)ものと、寸分違わぬ大きさの臀部が留まっていた。彼は、そこにえもいわれぬ違和感を覚えていたのだが……彼女の「正体」を悟るには、至らなかった。

 

(オイ、いいのかアー坊。確かに美人だが、お前にゃあ大事なオンナがだな……)

(……わかってますよ。彼女は、ゲームのことをよく教えてくれる、親切な先輩。それだけですから)

 

 トラメデスの追及に、キッドは再び顔を赤らめる。

 ――だが、彼らは知らなかった。否、真には理解していなかったのだ。

 

 ここは仮想空間。現実に限りなく近しい明晰夢の世界であり、現実に出来ないことを体験できる場であることを。

 それゆえに、人が本来とは違う自分に、どこまでも「変身」出来るのだということを。

 

 ◇

 

 ――現実世界の銃火器にはついては、キッドもトラメデスも職業柄、ある程度心得ている。だが、ここはVRFPSの仮想空間。

 現実とは勝手が違う所があるのは当然であり、それゆえにゲームの基礎をレクチャーしてくれる先輩プレイヤーの存在は貴重なのだ。

 

「なるほど……10秒間しか使えない仮死薬なんてもの、戦場のど真ん中でどう使うのか理解に苦しんでいたのだが……」

「そ。仮死薬を使って仮死状態になってる間、そのプレイヤーには流れ弾も含めて、一切の攻撃が通らなくなるの。無敵時間を利用して相手の隙を探ったり、包囲網を抜ける算段をつけたり……色々出来るんだよ」

「しかし、仮死薬が使えるのは一度の戦闘で一度きり……か。使い所の見極めが重要ということだな」

「そうそう! さすがあたしのキッド〜!」

 

 プレイスコアに影響しない、練習場所となるエリアでの戦闘。その渦中で今、キッドはベテランプレイヤーであるエリザベスから講義を受けていた。

 廃屋に身を隠しながら、偶然手に入った新装備について説明を受けている彼。その側では、トラメデスが窓の縁に身を隠しながら応戦している。

 

「お二人さん。イチャつくのもいいけどさ、そろそろ手伝ってくれよ。なんでさっきから俺一人なんだァ?」

「あぁ、失礼しました。今行きますので」

「ごめんね〜トラメデスさん。キッドが素敵過ぎるせいで、いつまでも話したくなっちゃうの」

「……エリザベス、そろそろ腕を離してくれ。銃が構えられない」

「不公平だぜ……俺もエリザベスちゃんの胸、堪能したいんだがな」

「ふふ、ざんねーん。……エリザベスの全部はね、キッド専用なの」

「おぉおぉ、お熱いこって」

 

 人前、まして戦闘中であるにも拘らず、大胆に身をすり寄せキッドにアピールするエリザベス。

 その、男の情欲を掻き立てる仕草と吐息を前にして、トラメデスは溜息と共にロケットランチャーを撃ち放った。彼のからかいを前に、キッドはなんとも言えない表情を浮かべている。

 

 ――すると。

 

「……ぁあぁあッ!」

 

「――!?」

 

 他方から、突然悲鳴が上がった。

 隣の廃屋から、反撃に出ようと飛び出したプレイヤーが――肩を抑えてのたうち回っている。

 

「……まさか!?」

 

 それを目の当たりにして、エリザベスは今まで保っていた余裕の表情を一変させ、剣呑な面持ちで身を隠す。その俊敏な反応からは、ベテランプレイヤーとしての彼女の実力が窺えた。

 キッドとトラメデスも互いに見合わせると、頷き合い同時に窓の下へ潜り込む。

 

「……あんな反応……普通のプレイじゃ、ありえない。『DSO』と同じ、リアルな痛覚が発生するバグがあるっていう噂は聞いてたけど、まさか、ほんとに……!?」

 

 手にしたアサルトライフルを手に、エリザベスは険しい表情で敵方を見やる。――向こうは、まだ今の事態に気づいていないようだ。

 このままでは痛覚が発生している状態のまま、戦闘が続いてしまう。最悪、痛みに晒され続けたプレイヤーが発狂し、「DSO」の二の舞になりかねない。

 

「……っ!?」

 

 エリザベスはその可能性にたどり着き、戦闘を中断すべく指先を滑らせる。

 ――だが。立体メニューバーは、現れなかった。これではプレイヤーと交信するためのチャットも、ログアウトもできない。

 

 その様子を見ていたキッドとトラメデスは、神妙な面持ちで顔を見合わせる。

 

(被害者の供述通りだな……! リアリティ・ペインシステムが作動している時間帯は、ログアウトもチャットも出来ない。他者と交信することができないから、戦闘中断を呼びかけることもできない!)

(やがて痛みとショックで錯乱したプレイヤー達が、本物の殺し合いを引き起こしていく……そういうことか。先任、俺は撃たれたプレイヤーの救出に行きます。彼女を頼めますか)

(わかった。……しかし二股とは、お前もやるもんだな)

(……だから違うってさっきから言ってるでしょう!)

 

 そして暫しの間、小声で囁き合った後。キッドは、今も廃屋の外で苦しんでいるプレイヤーを救出すべく、窓の外を覗き戦況に目を向けた。

 

「……ッ!?」

 

 次の瞬間。彼は、言葉を失う。

 

 砂塵の彼方に見えた人影。

 2人の兵士の姿が、その眼に映されたのだが――それは、明らかに普通とは違っていたのだ。

 

 鉄兜と騎士の甲冑に身を固めた、2人の兵士達が……悠然と大地を踏みならし、戦場を闊歩しているのである。

 

 その光景を目の当たりしたキッドは、口元を震わせ声を絞り出した。彼の横顔を見上げたトラメデスは、その口から出た言葉に、目を見張る。

 

「……あれが。仮面の、装甲歩兵か……!」

 




 ちなみにエリザベス・エッシェンバッハという女優の名前は、「紅殻勇者グランタロト」の第2話でも出ています。


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第3話 仮面の装甲歩兵

 フルプレートメイルに固められた全身は、陽の光に浴びて眩い輝きを放っている。

 自分の居場所を教えているようなものだが――銃弾や爆発を幾ら浴びても微動だにしていないところを見ると、隠れる必要さえないほどの防御力であるらしい。

 

 鎧の形状や、その隙間にある黒いボディースーツは共通しているが――兜の種類は異なっていた。

 片方は口先が鋭利に突き出たバシネット。もう片方は、バケツ状のグレートヘルム。さらに、腰に巻かれたベルトの形状にも個体差が見受けられる。

 

(……? なん、だ……あのベルトは……)

(前時代のゲーム機にも見えるが……)

 

 窓からその様子を伺う、キッドとトラメデス。彼らの視線は、鎧騎士達のベルトに集中していた。

 

 三叉槍を彷彿とさせる形状の、三本のグリップ。その特徴を持つグレーのコントローラが、バシネットの騎士に装着されている。丹田の中心部にあるそれは、バックルのようだった。

 一方グレートヘルムの騎士には、同じくグレーに塗装された長方形のコントローラが装備されている。丸みを帯びた両端や、四色のボタンが特徴だ。

 

 ――いずれも、VR技術が発達する以前に存在していた旧時代のゲーム機。そのコントローラの形状を模していた。

 端から見れば、トラメデスのテンガロンハットと同じ「ネタ装備」のようにも見えるが……あまりにも「RAO」の世界観から浮いたその外見は、えもいわれぬ不気味さを放っている。

 

「なんだあいつ!?」

「知らねぇよ! ――だが、俺らのチームじゃねぇことには違いねぇ。やっちまえ!」

 

 その鎧騎士達は、キッド達の位置よりかは敵方に近い場所にいる。向こう側のチームは、砂塵の中から現れた2人の曲者を発見したらしく、包囲殲滅すべく散開していた。

 

「いかん……! 何を持ってるかわからないんだぞ、退がれ!」

 

 交信する術がない以上、叫んでも無駄であることは、頭で理解はしていた。それでもキッドは声を上げ、退避を呼びかける。

 無論、それが身を結ぶことはなく――敵方のチームは、鎧騎士達に一斉射撃を敢行した。

 

 銃声と爆音の濁流が戦場に雪崩れ込み、鎧騎士達の周囲が土埃に包まれる。視界が砂塵に埋まり、遠巻きに戦況を見ていたキッド達ですら、全く全貌が見えない状況になってしまった。

 

「……あ、あぁ……!」

 

 ――だが、何が起きているかはわかる。砂煙に塗り潰された景色の向こうでは、人々の悲鳴が轟いていた。

 得体の知れない敵による、目眩しに紛れた強襲。そして断末魔の如き絶叫が、絶えず響き渡るこの状況。リアルでの戦闘行為に心得があるキッドとトラメデスですら、固唾を飲んでいた。

 ベテランプレイヤーとはいえ、リアルにおいては単なる一般人に過ぎないエリザベスは、顔面蒼白でへたり込んでしまっている。もはや、先ほどまでの威勢の良さは見る影もない。

 

(……とにかく、今のうちに負傷者を保護します。先任!)

(あぁ、急げ!)

 

 そんな彼女を一瞥し、キッドはトラメデスに耳打ちすると――弾かれるように、廃屋の外へと転げ出る。

 

「しっかりしろ、絶対に助けるから!」

「……ぅ、ぁあ……いた……い、なん、で……」

 

 そして素早く負傷者の傍に滑り込むと、脇下に手を入れ引きずり始めた。HPこそ大して消耗していないが、かなりの痛みなのか意識が朦朧としているようだ。

 

 ――すると。

 

「……ッ!?」

 

 身を貫くような悪寒が、廃屋を目前にしてキッドを襲う。気づけば彼は、土埃の方角に目を向けていた。

 ――そして、言葉を失う。

 

 砂塵の中から現れた、鎧騎士達。彼らは無傷のまま、HPが半減しているプレイヤー達の体を引きずっていた。

 

 しかも。プレイヤー達は誰一人として五体満足ではなく、誰もが手足をもがれ達磨のようにされている。……痛覚がリアルであるなら、どれほどの苦痛が彼らを襲ったのか。考えるまでも、ない。

 

(奴ら……何も武器を持っていない! 丸腰であんなことを……!?)

 

 生きているだけの肉塊と化したプレイヤー達を引きずりながら、鎧騎士達は悠然と歩み続けている。その膂力は、計り知れない。

 

 そして彼らの行き先は――こちらの、廃屋。

 

「……狙いは俺達だ! アー坊、急げッ!」

「ぃ、やぁあ!」

「くッ……!」

 

 トラメデスの怒号とエリザベスの悲鳴が重なり、キッドの焦燥を掻き立てる。懸命にプレイヤーを引きずり、遮蔽物となる廃屋を懸命に目指すが……このままでは、逃げ切ることは難しい。

 

「……!?」

 

 ――すると次の瞬間。どこからか銃声が響き渡り、鎧騎士達の頭部に弾丸が命中した。

 それは……スナイパーライフルによるもの。

 

「……まだ生き残りが!」

 

 鎧騎士達の注意が、弾道を辿り先程の射線上に向かう。その挙動と状況から、トラメデスは相手チームの生き残りによる反撃であると悟った。

 

(……もしかすると奴ら、飛び道具は持っていないのかも知れん。「RAO」のキャラとしては考えられないことだが……元が近接主体の「DSO」の没データなら、あり得る話だ。ならば牽制射撃と併せて撤退すれば、あるいは――)

 

 そしてキッドが、鎧騎士達が未だに丸腰である今の状況から、この場を脱する算段をつけようとした――時だった。

 

Fifth(フィフス) generation(ジェネレーション)!! Ignition(イグニッション) shoot(シュート)!!』

 

「……な」

 

 バシネットの騎士が、ベルトのコントローラに手を掛け――緑色の丸ボタンに触れた。すると、彼の手に一丁の拳銃が現れる。

 自身のコントローラに似た形状のグリップがある、その拳銃を握り――彼は銃口を射線上に向けた。電子音声に合わせ、その中心点からは妖しい光が溢れ出ている。

 

「駄目だッ!」

 

 ――直感に訴える、殺気。それを察知したキッドが、声を上げる。よりも、速く。

 

 バシネットの騎士は引き金を引き――白い閃光を纏う光弾を、その銃口から解き放つのだった。大地から舞い上がる流星が、一条の光となり砂塵の戦場を駆け抜ける。

 一瞬にも満たない、発射の瞬間。それを目撃したキッド達の聴覚に、スナイパーの断末魔が轟いた。

 

「……ひっ!」

「スナイパーが射程に入るハンドガンかよ……チートもいいとこじゃねぇか。アー坊、急いでずらかるぞ! ここの廃屋に隠れても無駄だ!」

 

 唇を震わせ、さらに萎縮するエリザベス。そんな彼女を庇うように立ちながら、トラメデスは手を振り撤退を促す。

 キッドもそれに頷き、渾身の力でプレイヤーを担ぎ上げた。――すると。

 

「……ッ!」

 

 バシネットの騎士に撃たれたスナイパーが、肩を抑えながら転げ落ちてきた。崩れた廃墟の崖に潜んでいたらしく、鉄柱や瓦礫に墜落しながら、地面近くまで転落していく。

 やはりリアリティ・ペインシステムはまだ作動中であるらしく、スナイパーは仲間達と同様に、耳をつんざくような絶叫を上げてのたうち回っていた。

 

 ――HPが全損していない、ということは仮想空間の命が続いているということであり。リアルの肉体と違い、精神に対する防御としての「気絶」が意味をなさない……ということを意味している。

 HPが残っている限り、仮に気絶したとしても、その攻撃が通る(・・・・・)体は仮想空間に残され続ける。ゆえに激痛により気を失っても、次の瞬間にはさらなる痛みにより強制的に覚醒させられるのだ。

 

 それはHPが全損しない限り、永遠に続く。気を失おうとも、「ゲームだから」と構わず攻撃し続けるプレイヤー達により。

 

 つまり。現実の肉体とは異なるプログラムの体で生きている、この仮想空間で「現実の痛み(リアリティ・ペイン)」がある……ということは。

 現実世界なら「気絶」という肉体の機能により回避できる痛みからも、逃げ切れない――ということなのだ。

 

 そして、精神のキャパシティを超える痛みを味わい続けた者は、やがて精神に異常を来す。そこから発展して生まれたPTSDが、「DSO」事件の惨劇へと繋がったのだ。

 

「……や、めろ」

 

 加害者側として、それをよく知っているキッドは。口元を震わせ、制止の言葉を吐く。だが、あの鎧騎士達がそれを聞き入れることはない。

 

「……ひ、ぎぃ、あぁあぁあ!」

 

 絶望的な痛みと、そこから逃れられない閉塞感からか。すでに正常な判断力を失っているらしく、スナイパーは腰に忍ばせていたハンドガンを乱射し始めた。

 無軌道に飛ぶ弾丸が、鎧騎士達の全身に命中するが――金属音が反響するのみであり、ダメージを受けている気配はない。

 

 このままでは、他のプレイヤー達のように嬲り殺しにされてしまう。そう判断したキッドが、無謀を承知でアサルトライフルを手に、援護射撃に入ろうとした――その時だった。

 

 方々に乱れ飛ぶ銃弾。そのうちの数発が、鎧騎士達のベルトに命中し。その箇所だけが、白く点滅した。

 

「……あれは!」

 

 そのエフェクトは、「DSO」における「ダメージが入った」ことを示す反応の一つ。それを知るキッドは、今の現象を目の当たりにして……彼らのウィークポイントを悟るのだった。

 

 ――しかし。それは、鎧騎士達の逆鱗に触れることを意味していたのか。

 

Fourth(フォース) generation(ジェネレーション)!! Ignition(イグニッション) fire(ファイア)!!』

 

 今度はグレートヘルムの騎士が、腰のコントローラに手を伸ばした。四色あるうちの、黄色のボタンに触れた彼の両肩に――2門の黒い砲身が現れる。

 

「……!」

 

 二つの大砲の狙いは、すでに虫の息のスナイパーへ向けられていた。その砲口には、四色の光が螺旋を描いて集まっている。

 もはや、止める術も暇もない。

 

「アー坊、伏せろッ!」

 

 トラメデスが叫ぶと同時に、キッドは手にしていたライフルを捨て、地に伏せていた。

 

 そして――蓄積されていた四色の光は、大気に絶大な振動を与え。

 その余波で舞い上がった砂嵐もろとも、四本に伸びる閃光の放射で、全てを吹き飛ばしていた。

 

「きゃあぁああッ!」

「ちっ……演出は現実離れしてるくせに、こういう現象だけリアルに拘りやがる……!」

 

 システム上ありえないほどの衝撃波を浴び、エリザベスはたまらず転倒してしまう。そんな彼女の前に立ち、トラメデスは砂の濁流から彼女を庇い続けていた。

 

「く……ぁっ……!」

 

 キッドも、地に伏せながら負傷しているプレイヤーの頭を抱き抱え、懸命に守り続けていた。

 

 ◇

 

 ――その砂嵐が過ぎ去り、あの放射の余波が鎮静するまで。一体、どれほどの時が流れたのか。

 それは、時計を見ればわかることだが……居合わせた人間は誰も、そんなものを確認する余裕はなかった。

 

「……あ、いつらは……!?」

 

 砂塵が舞い飛ぶ音。あのスナイパー共々、廃墟が撃ち砕かれた轟音。遠く離れた自分達にまで、間近のように迫っていた爆発音。

 その全てが過ぎ去り、静寂が戻った頃。キッドはようやく、砂まみれになった顔を上げたのだが――その頃にはすでに、この戦場の景色は一変していた。

 

 あらゆる廃墟は、さらに無惨な姿へと瓦解し……一部には、レーザーのようなもので焼き切られたような痕跡も残っていた。

 近くにいたプレイヤー達は、1人残らずHP全損。……もしこれでもまだHPが残っていたら、まだ地獄の苦しみが続いていたのだろう。

 

「……あいつらの、姿が見えない……!?」

 

 だが問題は、この惨劇の張本人である、当の鎧騎士達が見えないことだろう。彼らの行方を求め、キッドは視線をあらゆる方向に向ける。

 

「どうやら、逃げられた――いや、見逃してもらえた、ってとこか。さっき確認したが、ログアウト機能も復活してるようだぜ」

「先任、ご無事で!」

「……無事、ねぇ。まぁ、この嬢ちゃんよりはな」

 

 すると、前にも増して砂まみれになった廃屋から、トラメデスが顔を出してきた。彼に肩を預けているエリザベスは、すでに死人のように生気が抜けている。

 キッドの下で震えているプレイヤーも、顔から血の気が失せていた。

 

「……しかし、まさかこんなエキシビションマッチにまで出現してくるとはな。ランキングに影響する戦闘にしか出なかった今までとは、違うケースじゃねぇか」

「もしかしたら、完全なランダムではなく……何か法則性があるのかも知れません。解析班に、あらゆる視点から徹底的に洗ってもらいましょうか」

「お前も中々、人使いが荒いな」

「一刻も早く真相に辿り着かなくては、人々の不安を煽るばかりですよ。それに……」

 

 キッドの視線が、ぐったりしているエリザベスに向けられる。ベテランプレイヤーの仮面が剥がれた、弱々しいその貌は――彼の想い人を彷彿させていた。

 

(……こんな顔は、もう見ていたくない)

 



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第4話 守るべき人

「……ふぅ」

 

 ログアウトした先に広がる、見慣れた自室の天井。そこから視線を、窓の外に向けながら――現実に帰還したキッドは、気だるげにベッドから身を起こす。

 音一つ立たない最高級のベッドから立ち上がる彼は、窓の前に立つと、そこからワシントンの夜景を見下ろしていた。

 

 アーヴィングコーポレーション本社の超高層ビルは、この大都市の中においても際立った存在感を放っている。

 

「坊っちゃま。例の事件の調査、大変お疲れ様でした」

「……お疲れも何も、まだ何一つ解決していない。俺は、まだ……何もできてはいないさ」

 

 するとそこへ、礼服に身を包む白髪の老人が現れた。執事らしきその男性は、淹れていた紅茶をキッドに差し出すと、恭しく頭を下げる。

 キッドはそれを受け取り、夜の街並みを眺めながら紅茶を嗜んでいた。アルフレッドと呼ばれる執事を一瞥もせず、その瞳は憂いを帯びた色を湛え、このワシントンを見つめ続けている。

 

「それと、俺はもう21だ。いい加減『坊っちゃま』はやめろ」

「……そうでしたな。これは、失礼しました」

 

 そんな主人の背を、温もりが滲む眼差しで見つめつつ。アルフレッドは静かに踵を返し、部屋から立ち去っていった。

 やがて扉を閉める物音から、この部屋にいる人間が自分だけであると判断し。キッドは、手にした携帯に指を滑らせる。

 

「……先任。ログアウト後、特に変調はありませんでしたか?」

『あぁ、こっちは平気だ。お前も元気そうでよかったよ。あの嬢ちゃん達も、ちゃんとログアウト出来たようだしな……』

「そうですか、よかった……。この事件の被害は……これを最後にしたいものですね」

『あぁ、まぁな。だが、連中の動きが読みきれない以上、そいつはちと難しい。何にせよ今は、解析班の情報を待つしかないぞ』

「……」

 

 電話の向こうから響いてくる、いつも通りの声。それに安堵する一方――キッドは敵の姿を視認しておきながら、逃げるしかなかった自分の至らなさに、唇を噛み締めていた。

 

『……ま、俺達はそれに備えて英気を養うとしようぜ。お前、確か明日は非番だったろう。学校帰りの彼女でも誘ってやれよ、いいガス抜きになると思うぜ』

「また適当なことを……」

『適当じゃねぇさ。メンタルってのは、あのエリザベスの嬢ちゃんがそうだったように、戦いに大きく響くんだよ。勝ちたいなら、勝ちたくなる精神状況を作っときな』

「……」

 

 そんな彼の感情を、電話越しに読み取っていたのか。トラメデスはからかうような声色で、キッドにベサニーへの誘いを促していた。戦いの中で荒んだ彼の心を、癒しに浸すために。

 キッドはそんな先任の言葉を、表面上は受け流しつつ。冗談を交えつつ、真っ当な論をぶつけてきた彼の話を、神妙に思い返していた。

 

(……勝ちたいなら、勝ちたくなるように……か)

 

 ――そして、翌日。

 

 週末を前にして、キッドは「彼女」に気持ちを伝えることに決めた。

 必ず勝って生き延びて、その先にある答えを知るために。知りたい、という想いを、力にするために。

 

 ◇

 

 ――キッド・アーヴィング。アーヴィングコーポレーションの跡取りとして生を受けた彼は、幼少の頃から英才教育を受けてきた。

 父の期待に応えなくては。周囲の期待に応えねば。その重責が、寡黙な今の彼を作り上げてきたのだろう。

 

 心を許せる友を得られず、それゆえ自身へのプレッシャーに対する共感を得ることもできず。彼を賞賛する者達は皆、彼の「外側」にいた。

 それでも構わない、これも跡取りとしての運命。そう受け止めて生きていくことができれば、彼はある意味では幸せだったかも知れない。

 だが。それを受け入れるには、彼はまだ若過ぎた。

 

 理解者を得られない中、荒んで行く彼は夜中にバイクを乗り回すようになり。俗に言う「不良」と呼ばれる立ち位置に身を落とすようになった。

 ――「Workshop Hopkins」に身を寄せるようになったのは、その頃からである。その時に彼は、ベサニー・ホプキンスとの出会いを果たしていた。

 

 赤毛の髪という理由から、周囲に疎まれているという彼女。その背景を知り、孤独な人間として共感を覚えていたのかも知れない。

 キッドは彼女との関わりを通じて、徐々にではあるが心を落ち着けるようになり、不良から遠退いて行った。彼女はいつしか、彼の「内側」に住み着いていたのである。

 

 ……その後、大学を飛び級で卒業してFBI捜査官となった今も、「Workshop Hopkins」との交流は続いている。

 誰からも色眼鏡で見られてきた彼にとって、「DSO」事件のことがあっても変わらずにいてくれた彼女は、唯一無二の存在なのだ。

 

「……ベサニー……」

 

 どんな事件が起きても、自分がどんな目で見られていても、変わらず慕ってくれる少女。そんな想い人の姿を脳裏に浮かべ、キッドは「スクランブラー・sixty2」を走らせる。

 白い雪でデコレーションされたアスファルトの上を、鋭いラインを描くバイクが駆け抜けて行った。

 

 ――その背後では。いつか彼女を乗せる時に備えて新調したマフラーが、穏やかに息を吐き出している。

 

 ◇

 

(……ど、どど、どうしよう)

 

 学校の帰り道。いつものように灰色の1日を終え、ベサニーは帰路につく――予定だった。昨日の夜までは。

 

 だが昨晩、キッドから食事の誘いが来てしまい、「たまには羽を伸ばせ」と父に促されるまま……彼の行きつけである高級レストランに来てしまっていた。

 

(わ、わぁ……やばいやばい、どうしようあたし……!)

 

 ワシントンの景色を一望できる、超高層ビル。そこからガラス張りの向こうにある街並みを見下ろし、ベサニーは一生縁がないはずだった世界にいることを実感していた。

 彼に用意された真紅のドレスに身を包み、借りて来た猫のように窓際の席で固まる彼女を、向かいに座るキッドは無言のまま見つめている。

 

(キッドさん……あの後、大丈夫だったのかな……)

 

 いきなりこんな場違いな所へ招待されたことに、動揺しながら。ベサニーは、こちらを見遣る想い人と不安げな眼で視線を交わしていた。

 

 ――昨夜の「RAO」で起きたことは、今でも彼女の脳裏に深くこびりつき、その胸中を苛んでいる。

 彼女自身は動転する余り、はっきりと覚えてはいなかったが……それでも、あの絶叫と恐怖だけは鮮明に記憶されていた。

 

 驚きの叫びや、悔しがる声なら、今まで何度も聞いて来た。だが、あのような声は知らない。あんな、さも本当に撃たれた(・・・・・・・)かのような悲鳴は。

 

(あの噂は本当だったんだ……! 帰ったら、「RAO」のみんなに知らせてあげなくちゃ――)

「ベサニー」

「ひゃあい!」

 

 あの時は恐怖に負け、想い人に情け無いところを見せてしまった。だが、このままでは終われない。

 自分を守ろうと奮闘していたキッドや、仲間の「トラメデス」のためにも、「RAO」のプレイヤー達に事件のことを広めなくては。

 

 ――内心で、そう息巻いていた彼女だったが。真正面にいるキッドから不意に声を掛けられ、思わず変な声を出してしまった。

 数秒後に自分が出した声を思い返し、ベサニーの顔が髪の色より真っ赤に染まる。

 

「ぁ、あぁうぅ……」

「……大丈夫か?」

 

 とても大丈夫そうには見えないが。キッドはあくまで彼女のペースを尊重することに決め、落ち着いた様子になるまで静かに待ち続けていた。

 

「……もう落ち着いたようだな」

「ご、ごめんなさい……」

「別にいい、呼びつけたのは俺だ」

 

 それから暫く間を置いて、ようやく2人は食事のひと時を共有するに至った。すでに外は黄昏時を過ぎており、周囲はベサニーの知らないアダルトなムードを帯び始めている。

 そんな未知の空間にたじろぐ彼女を、表情に出さぬよう微笑ましく見守りながら。キッドは、懐に手を伸ばした。

 

「ベサニー」

「は、はい」

 

 彼の雰囲気が変わったことを感じたのだろう。ベサニーは顔を強張らせ、キッドの言葉を待つ。

 ――そして、そんな彼女の前に。煌びやかな箱に収まる、一つのペンダントが差し出された。

 

「えっ……」

「……この先、少し忙しくなりそうでな。数日前倒しになるが……クリスマスプレゼントだ」

「え……で、でもあた、あたし、こんなの貰っても……!」

「要らないなら、売って店の足しにしてもいい。……こんな物でしか、気持ちの一つも伝えられない男だ。俺は」

「ぁ……」

 

 余りにも自分には不釣り合いな、高価過ぎるプレゼント。それを前にしたベサニーは大慌てで手を振り、思わず拒んでしまう。

 ――だが。自分に目を合わせず、微かに頬を染めながらそう告げるキッドを目にして。彼女は、彼の心中に気づいてしまった。

 

(キッド、さん……あ、あたし……)

 

 何年にも渡る付き合いの中で、今まで見たことのなかった、彼の貌を知ることで。

 

 ――そして、考えてしまう。こんな話を急にして来たということには、何か意味があるのではないか、と。

 

 例えば。これから危険な任務に就くから、その前にプレゼントを渡す……など。

 

「キッドさん……あたし、嬉しいです。プレゼントも、ですけど……そんなふうに、言ってくれたことが。何もかも、夢みたいで」

「ベサニー……」

「……全部全部、あたしには勿体なさ過ぎるくらいで。だから、いっそ夢だと思って……ワガママ言っても、いいですか」

 

 その考えに至る瞬間。ベサニーは、顔を赤らめたまま、真摯な眼差しでキッドを正面から見つめる。上目遣いでこちらを見遣る想い人の貌を前に、彼も内心で息を飲んでいた。

 

「……来年も、また。こうして、あなたと2人でいたいです」

 

 ――その一言は。何があっても、必ず帰って来てほしいという、彼女なりのサインだった。

 無茶しないでと泣きつけば、きっと彼を困らせてしまう。だが、このまま知らないふりはできない。そのジレンマの果てに出た答えが、その言葉だったのである。

 

「……あぁ」

 

 感嘆の息を、漏らしながら。キッドは絞り出すような声で、そう答えた。感情を押し殺したその声色が、彼の胸中を表している。

 衝き上げるような、喜び。筆舌に尽くしがたい、その想いを。

 

 ◇

 

 ――その日の夜。ベサニーを車庫まで送り届けた後、キッドは愛車に跨りFBI本部に駆け付けていた。本来なら今日は非番だが、今はそんなことを言ってはいられない。

 

 解析班から、連絡が来たのである。「各ケースに共通する条件が見つかった」――という、吉報を携えて。

 

「先任! ……またですか」

「おぅ、まぁな。……とりあえず、今は置いとこうぜ」

「……全く」

 

 本部の地下駐車場を照らす、二つの輝き。その光明を放つ2台のバイクが、合流するように並んで停車する。

 キッドの「スクランブラー・sixty2」の隣に停まった「XL1200CX・ロードスター」。トラメデスの愛車であるブラックデニムのハーレーは、燻る闘牛の如きエンジン音を響かせていた。

 

 漆黒のバイクに跨るトラメデスは、気障な仕草でヘルメットを脱ぎ去り、艶やかな金髪を靡かせる。そんな彼の頬には――女性の手形が、赤い跡になって残されていた。

 その様子から大体何があったのかを察したキッドは、愛車から降りつつため息をつく。見慣れた部下の反応を目にした愛の狩人(プレイボーイ)は、フッとほくそ笑んでいた。

 

「……で、どうよ首尾は。気持ちの整理はついたか?」

「……まぁ、おかげさまで」

「そいつは何よりだ。――何も言えねぇままくたばるなんざ、堪えられるもんじゃねぇし……堪えちゃいけねえ」

「……」

 

 足早にエレベーターに乗り込み、解析班の部署を目指す2人。その道中、トラメデスの口から呟かれた言葉に、キッドは神妙な面持ちを浮かべる。

 

「ま、大人になればいずれわかるさ」

「俺はもう成人です。……だからもういい加減、『アー坊』はやめてください」

「中身の話だよ。……この件が片付いて、お前がイッパシになったら、考えといてやる」

 

 ――この先に待ち受けているであろう、あの鎧騎士達との対決。例え仮想空間の戦いであろうと「リアリティ・ペインシステム」が絡む以上、その勝敗には「生死」が関わることになる。

 それほどの脅威でなくば、多くの人命を奪うに至った「DSO」事件は起こらなかっただろう。

 

 その渦中に飛び込む以上は……万一に備え、未練を断たねばならない。

 

『……来年も、また。こうして、あなたと2人でいたいです』

 

(来年も、か……)

 

 キッドはいつになく真剣な上司の横顔を一瞥し、自分がベサニーと過ごしたひと時の重みを、改めて噛み締めるのだった。

 

 ◇

 

「……プレイヤーのID?」

「えぇ。件の鎧騎士達が発見され、リアリティ・ペインシステムが作動していた全てケースを調べたところ――IDが古い、ベテランプレイヤーが居る戦地(フィールド)にのみ作動していることがわかりました」

 

 数多のコンピュータに囲まれた、電子ネットワークの砦。そう形容して差し支え無い一室の中で、キーボードを叩く解析班の青年はそう告げた。

 彼の背後から、その報告に耳を傾けるキッドとトラメデスは、互いに顔を見合わせる。

 

「ベテラン……それも、サービス初日から参加している程の古参プレイヤーがいる。それが、全てのケースに共通している唯一の条件です」

「……ベテラン、ねぇ。道理で時間や場所では引っ掛からなかったわけだ」

「じゃあ、俺達がエキシビションマッチで奴らと遭遇したのは……」

 

 ――あの戦闘。

 他のプレイヤー達を一蹴しつつ、こちらを目指して前進していた鎧騎士達。調査のためにゲームを始めたビギナー達に向かう、彼らの真の狙いは――自明の理であった。

 

「アー坊。……あの嬢ちゃん、昨日の今日でインして来ると思うか?」

「ない……とは、言い切れません。面倒見のいい彼女のことです、他のプレイヤーに昨日の件を報せに行っている可能性もあります」

「彼女がインするのはいつぐらいからだ?」

「基本的には19時以降……と聞いています。家の手伝いで遅くまで忙しいとか……」

「……ちっ、もうとっくに過ぎてんじゃねぇか」

 

 トラメデスは時計を見遣り、19時30分を指す針を目にする。忌々しげに口元を歪めた彼は、キッドと頷き合いながら「ヘブンダイバー」を手にした。

 VR潜入のために用意されている、専用の椅子と接続端子。そこに駆け寄る2人は、迅速にログイン体勢に入った。

 

「回線借りるぞ!」

「は、はい……ご武運を!」

 

 予断を許さない状況。それを前にして、解析班の青年は緊迫した面持ちで潜入班の2人を見送る。流れるようにフルダイブの体勢になった彼らは、互いを横目で一瞥しつつ、スイッチとなる台詞を言い放った。

 

 ――ログイン!

 

 ◇

 

 碧き電子空間の牢。インターフェース・エリアと称されるその世界で、キッドとトラメデスは「RAO」への接続完了を待ち続けていた。

 彼らの眼前にある立体パラメータは、「100%」の表記を目指して数値を徐々に高めていく。

 

「ここを抜けて『RAO』に出たら、速攻で嬢ちゃんと連絡を取れ。すでに戦闘中かも知れんがな……」

「えぇ。キャンプ地(ロビー)にいるならすぐに会えるでしょうけど……すでにランキング戦に絡んでいるなら、こちらも飛び入り参加するしかありませんね」

 

 ただでさえゲームの性質上、血の気の多いプレイヤーばかりなのだ。話を聞かせるには、実力で黙らせるしかないケースもありうる。

 キッドとトラメデスは説得のために、熱心なプレイヤー達すらも相手にしなくてはならない可能性を鑑みて、身構えていた。

 

 やがて。彼らの行く手を阻んでいたログイン待ちの時間が、終了を迎え。2人の目の前を、白い輝きが覆い隠してしまう。

 

「……来たぞ。頼むぜ、二股王子」

「……いい加減にしないと怒りますよ」

 

 ホワイトアウトしていく視界の中で、冗談を飛ばすトラメデスは、強張った表情を浮かべる部下の貌を思い浮かべていた。緊張を拭わんとする彼の言葉は、からかいだけの色ではなかったのかも知れない。

 

 ――そして。

 白く染められた彼らの視界は。

 

 夢から醒めるかのように、ゆっくりと……「RAO」の世界を映し出していた。ゲームのスタート地点となるキャンプ地に、2人の男が姿を現わす。

 

 まず、ログインには成功した。あとは彼女――ベテランプレイヤーのエリザベスと連絡を取り、状況を報せなくてはならない。

 一分一秒でも早く、実行に移さねば。そのように気負うキッドが、視界が明瞭になった瞬間に指先を滑らせる。

 

「――!?」

 

 時、だった。

 

 立体メニューバーを出そうと動かした、キッドの指先を――銃弾が通り過ぎ。その先端から、鋭い痛みが現れてきた。

 

 何が起きたのか、すぐにはわからなかった。キッドは顔を上げ、あたりを見渡し――「あるはずのない事態」が起きていることを、その時になってようやく悟るのだった。

 

 次の瞬間、キッドは弾かれたように輸送車の影に身を隠し、地に伏せる。トラメデスは向かいの瓦礫に隠れ、キッドと同じ表情で「戦況」を見つめていた。

 

 ――そう。戦況。

 本来ならプレイヤー同士の交流場であり、このエリアでの戦闘行為は、システム上は不可能であるはずだった。

 

 はず(・・)だったのだ。

 

「おいおい……何だ。この、笑えねぇ冗談は」

 

 乾いた笑いと共に、トラメデスは鋭い眼差しで、ルールから外れたこの世界を見つめている。おそらくは、このキャンプ地に件の鎧騎士達が来たのだろうが……そのままロビーの中で戦闘が始まるなど、いったい誰が予測できたというのだろう。

 

 乱れ飛ぶ銃弾、弾頭。

 轟く怒号と悲鳴、そして爆音。

 戦いとは無縁であるはずの世界は、いつしか……「もう、この世界に安全な場所などない」と言い放つように。射撃音と絶叫で、この異様な空間を作り上げていた。

 

 逃げ惑う者。戦いに向かう者。ログアウトを目指し、失敗する者。あらゆるプレイヤー達の行動と感情が、濁流となり――この仮想空間を席巻していた。

 

 これほどまでにキャンプ地が騒然となっている理由に関しては、鎧騎士達が原因なのだろうと予想はつく。

 ――だが。彼の脳裏は未だに、目の前にある状況を、受け止め切れずにいた。

 

キャンプ地(ロビー)で戦闘が起きてるなんて……どういうことなんだ!?」

 



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第5話 帝王の影

 ――本来なら戦場ではないはずの、キャンプ地。「RAO」におけるロビーに該当するその場所は今、阿鼻叫喚の煉獄と化していた。

 

「なんでだよ!? なんでログアウト出来ないんだ!?」

「出してくれよ! 出してぇえぇ!」

「痛ぇ、痛ぇよ! なんでだよ、なんでこんな……!」

 

 逃げ惑うプレイヤー達。その渦中に、意中の少女が紛れていることも知らず。キッドは突然の事態に、思わず固まってしまっていた。

 辺りは駆け回るプレイヤー達により砂煙が舞い上がっており、周囲の状況も今ひとつわからない。

 

「アー坊何してる!」

「……!」

 

 キッドはふと我に帰り、乱射による流れ弾をかわすべく遮蔽物に飛び込む。その頃にはすでに、トラメデスも身を隠していた。

 

「……アー坊、嬢ちゃんと連絡は取れるか!?」

「ダメです、メニューバーすら開きません! あの時と同じです……!」

「クソッタレめ……。こうなったら『奴ら』を仕留めない限り、事態は収拾できねぇな。行くぞ!」

 

 これほどの大騒動が起きている理由は、わかっている。キッドとトラメデスは顔を見合わせると、匍匐の姿勢で土埃が立ち込めるキャンプ地を進み出した。

 

(プレイヤー達の逃げる道筋を逆に辿れば、連中の居場所は容易く見つかる。――いたな)

 

 キャンプ地は元々戦闘を想定して作られたマップではないため、通常のフィールドと比べれば非常に狭い。

 それゆえ――プレイヤー達の恐慌の原因は、早々に見つかった。2人組の鎧騎士は、逃げ遅れた者や向かってくる者を容赦なく嬲っている。

 

(アー坊、手筈通りに行くぞ)

(はい。……頼りにしてますよ、先任)

(……こっちもな)

 

 その光景を目の当たりにして、キッドは拳を震わせながらも平静を装い、トラメデスと別れる。衝き上がる激情と戦う部下の背を、男は微笑を浮かべ見守っていた。

 

 ――それから、数分。倒れたドラム缶に身を隠したキッドは、土煙に身を隠しつつスナイパーライフルを構え、狙撃の姿勢に入る。

 狙うは2人組の片割れ……バシネットの騎士。厳密には、その腰に巻かれたベルトのバックル。

 

(お前達の凶行もここまでだ……覚悟しろッ!)

 

 コントローラを模した、そのバックルを狙い。キッドは躊躇なく引き金を引く。

 僅かでも外れれば、流れ弾となりプレイヤーに当たる可能性もあるが――キッドの指に、震えはなかった。

 

 ――決して外さない。その信念に引き寄せられるが如く……銃弾の先は、バックルへと猛進していく。

 

「……!」

 

 次の瞬間。ウィークポイントに当たれば即死級の威力となる、スナイパーライフルを受け――バシネットの騎士が、金属音を響かせ膝から崩れ落ちていった。

 弾け飛んだバックルに、手を伸ばす彼だったが――奮戦虚しく、その手は道半ばで地に堕ちてしまう。

 

 動かなくなった相棒に気づき、グレートヘルムの騎士が、キッドのいる方向に視線を向けた。

 

(そいつが命取りだぜ、バケツ野郎)

 

 だが。キッドとは反対の方向にある壁に隠れていた、トラメデスは。待っていたその好機を狙い、身を乗り出して一瞬で引き金を引く。

 

 ――刹那。発砲音が轟く、その時。

 激しい金属音と共に、トラメデスの銃弾がグレートヘルムの騎士に命中した。

 

 力の源泉であるベルトに狙撃を受け、グレートヘルムの騎士も膝をついてしまう。――だが、まだ勝ち目はあると見ているのか。

 彼の震える指先は、コントローラのボタンに向かっていた。

 

(……やはりな。だが……)

 

 あの砲門で一帯を焼き払われてしまえば、狭いキャンプ地はもちろん、ここで生きているプレイヤー達もひとたまりもない。

 しかし――その一撃が実現することは、なかった。

 

「……ッ!」

 

 反対方向から再び飛んできた銃弾が、指先を弾いてボタン入力を阻止する。

 砂煙で正面も周囲もまるで見えない中、寸分狂わずグレートヘルムの騎士を狙撃する部下の手腕に、トラメデスは内心でガッツポーズを送った。

 

(いい狙いだ、アー坊!)

 

 そして――決定打となる銃弾を当てるべく。照準を、コントローラの中心に合わせ、再び引き金を引く。

 

(散々暴れたツケだ。きっちり払っときな)

 

 乾いた発砲音が空に響き、やがて逃げ惑うプレイヤー達の喧騒に掻き消されて行く。前も見えず、どこに逃げればいいのかもわからない彼らは――自分達を追い詰めていた敵が、完全に沈黙したことにも気づかなかった。

 

 膝から崩れ落ち、グレートヘルムの騎士は大地に伏せる。彼は同胞のように、地に転がる自分のコントローラに手を伸ばしながら……意識を、手放していた。

 

 そんな彼らの背を一瞥し。互いの姿が見えないまま、キッドとトラメデスは同時に立ち上がり周囲を警戒する。

 だが、すでに敵の気配はこの場から消え失せているようだった。

 

(……仕留めた? やけにあっさりしているが……)

(囮……じゃあ、ないな。辺りに伏兵の気配もねぇ。それに……)

 

 それをいち早く悟ったトラメデスは、銃口を下ろし歩み出す。その足は、鎧騎士――だった(・・・)者達の傍で止まった。

 

(仮面まで剥がすってのは、演技にしちゃあやり過ぎだぜ)

 

 ――すでに、この時。ベルトを撃たれて倒れていた彼らは。

 鎧も仮面も失い、アバターの素顔を晒していたのだった。

 

 ◇

 

 ――静寂が訪れた砂漠の戦地。

 ベルトを撃たれ、その地に倒れ伏した2人のプレイヤーは、最後まで動き出す気配を見せなかった。素顔を晒したまま気を失っている彼らを見下ろした後、キッドとトラメデスは互いを見遣る。

 

「伏兵がいる気配は感じられませんでしたが……本当に、仕留めているのでしょうか」

「アバターの素顔がわかりゃあ、アーヴィングコーポレーション本社のデータと照合してリアルを調べることもできる。そこまで致命的な情報を、今晒してるんだ。死んだふりでも、まずそこまではやらねぇ」

 

 解析班に掛かれば、アバターの顔だけでもリアル情報を探り当てることは出来る。潜入班の視覚を通して情報を現実世界側に送れば、あとは解析班が全て解き明かしてしまうのだ。

 それが可能である以上、素顔をさらした鎧騎士達は完全に制圧した、と言っていい。

 

 自分達の「一先ず」の勝利を確信したトラメデスは、足元に転がっていたコントローラに手を伸ばす。グレートヘルムの騎士が持っていた物だ。

 キッドも、自分が仕留めたバシネットの騎士が所持していたコントローラを拾い上げていた。

 

「とりあえず、こいつは預かっておこうか」

 

 ――その時、彼らの所有武器を表示する欄(ウェポンストレージ)に、「Brave driver」の文字が現れた。どうやら、メニューバーも復活しているようである。

 

「『ブレイブドライバー』、ねぇ。玩具みたいな風体の割に、随分とまぁ仰々しい名前だな」

「鎧を顕現させるアイテムなのに、装備品ではなく武器の扱いなのですね。……無理なコンバートによるバグでしょうか」

「いや、武器で合ってるさ。このコントローラのボタンが、あの世界観ブチ壊しビームの『引き金』……ってことなんだろうよ」

 

 戦利品を手元で弄びながら、トラメデスは先刻の戦いで目撃したレーザー照射を反芻し、苦々しい面持ちとなる。キッドもあの戦いで、苦痛の果ての「死」を味わったプレイヤー達の絶叫を思い返し、唇を噛み締めた。

 

 ――すると。トラメデスは思い立ったように顔を上げ、サングラスの中心を指先で持ち上げる。

 

「……しかし、アー坊。妙だと思わないか」

「えぇ。……さっきから静か過ぎる」

 

 そう。キッドが言うように、周辺は先程までの大騒動が嘘のように、静まり返っていた。

 メニューバーが復活したため、早々にログアウトして脱出した――ということも考えられたが、まだキッド達のメニューバーにはログアウトボタンが復活していない。

 

 しかも、周りは未だに土煙が立ち込めていて、プレイヤー達の姿が見えなかった。

 一体、叫び声を上げて逃げ惑っていた彼らは……どうなったというのか。

 

 エリザベスの安否が気に掛かり、キッドの顔に焦燥の色が浮かび上がる。――その時だった。

 

 視界を眩ませる砂塵の煙。その彼方からゆっくりと……こちらに歩み寄る、人影が現れたのだ。

 無警戒に自分達に近づいてくる影に、キッドとトラメデスは互いを見合わせアサルトライフルを構える。

 

(新手か……!?)

 

 そして――砂塵を破るように。土煙を掻き分け、1人の男が現れた。

 

 漆黒の礼服とステッキを持つ、白髪の老紳士。鎧騎士達と同様に、「RAO」の世界観からは逸脱した外見である。

 

「……!? お前は!」

「素晴らしいものを見せて頂きましたよ。やはり、いいものですねぇ。命を懸けて戦う若者達の、勇敢な戦いというものは」

 

 大仰に両手を広げ、皺の寄った口元を歪ませるその男は――見る者に悪寒を走らせる「嗤い」を浮かべていた。

 深淵の如く、暗く深く淀んだ彼の眼を前にして、キッド達は息を飲む。彼らは……この男の貌を、知っていた。

 

「やはり、全てお前の仕業だったのか……アドルフ・ギルフォード!」

 

 ◇

 

 ――アドルフ・ギルフォード。

 元海兵隊という奇妙な経歴を持つゲーム開発者であり、当時「DSO」の開発主任でもあった男だ。彼の、徹底したリアル志向に基づく美麗なグラフィックは、VR業界に衝撃を与えるほどのクオリティを誇り――この「RAO」にも、彼が残したグラフィック技術が流用されている。

 

 1年前の「DSO」事件以来、行方を眩ませていた彼が、今。VRのアバターとして、キッド達の前に姿を現していた。

 

「やはり……も何も。聡明なあなた方なら、とうに分かりきっていたことでは?」

「何のためにこんなことを……!」

「……何のため、ですか。至極、単純なことですよ。私はただ、この世界を本気で(・・・)生きる人間を見ていたかった。ゲームなどというお遊びに留まらない、その世界で本当に生き抜いている、人間の命を。その、輝きを」

「命の、輝きだぁ……?」

 

 演劇のような口調で、大仰に語る彼の様子を、2人は怪訝な表情で観察する。武器は持っていないように見えるが、何をする気かわからない以上、迂闊に手出しはできない。

 

「痛みという人間本来の感覚を否定しない、至高の臨場感。逃れられぬ激痛の恐怖――その極限的状況に晒されるがゆえに生じる、生きることへの喜び。そう、私達の肉体が眠る現実世界とは似て非なる、それでいてどこまでも近しい、いわばもう一つの異世界。そう、現実との境界を失わせる、精巧なる仮想空間。それこそがVRという文明を以て表現出来る、究極の芸術です」

「そんなことのために……大勢の人々を苦しめ、死に追いやるのか!」

「ほう? それをあなたが仰るのですか。私を利用して『DSO』を売り出していながら、問題があれば追放し、精巧なグラフィックという旨味だけを抜き出して、この『RAO』を開発したあなた方が」

「ぐっ……」

 

 やがてギルフォードの言い分に、キッドは激しく憤り声を上げる。だが、自身が背負う罪の重さを知る彼は、それ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。

 

「……んぁあ、これは失礼。私は別に、あなた方を悪く言うつもりなどないのですよ。むしろ、素晴らしい戦いを見せて頂けたことに感謝しているくらいなのですから」

「さっきの……鎧騎士達との戦闘か」

「ええ。生身の兵隊が死力を尽くして、『甲冑勇者(アーマードブレイブ)』を打ち破る。実に美しい話ではありませんか。おかげさまで、私の最期を飾る英雄譚のためのデータも、十分に揃いましたよ」

「……?」

 

 最期を飾る英雄譚。それが意味するものを見出せず、トラメデスは目を細める。一体、何をしようというのか……。

 

「もう、この世界に用はありません。じきにログアウトボタンも復活するでしょうし、あなた方も引き上げて、自分達の華々しい戦果を報告するといいでしょう」

「……俺達が逃がすと思うか。解析班に掛かれば、お前がどこからログインしているかなんて簡単に調べられる。これ以上お前が何かをする前に、捕縛することくらいわけはない」

「困りましたね、私を誰だと思っていらっしゃるのですか? サーバーに偽の情報をばらまき、そちらの捜査を撹乱することなど――『DSO』から『甲冑勇者』をコンバートするより、遥かに容易いのですよ」

「く……!」

 

 一方。キッドは解析班との連携で、現実世界のギルフォードを確保しようと考えていたが――すでにサーバー上には、彼の手が回っているようだった。

 

「とはいえ、FBIの解析班が侮れないのも事実。あまり長居していては、こちらのデータを取られて面倒なことにもなりかねませんし……ここは、早々に引き上げるとしましょうか」

「行かせるかッ……ぐ!?」

 

 それでも、この男の思い通りにさせるわけにはいかない。キッドはその一心で、背を向けたギルフォードに飛び掛かる。

 

 ――だが、ギルフォードはキッドの方を見向きもせず。片腕一本で彼の首を掴み、吊るし上げてしまった。

 リアリティ・ペインシステムが生む、首を絞められる感覚が彼を襲う。

 

「あまり勘違いしない方がいい。私はあなた方から逃げているのではありません。あなた方を、見逃して(・・・・)いるのですよ」

「ぐあッ!」

「アー坊! ……!?」

 

 やがてギルフォードに投げ捨てられ、キッドの体が力無く墜落していく。それを受け止めるトラメデスは、鋭い眼差しでギルフォードを睨み――同時に、言葉を失った。

 

「そう。私は、この仮想世界の創造主にして……(GOD)。その力を以てすれば、如何なることも可能なのです。例えば……このように」

 

 その言葉と共に、ギルフォードがパチンと指を鳴らした瞬間。

 周辺の砂煙は、突風に煽られたかのように吹き飛ばされ――キャンプ地の全貌が、一瞬にして露わになった。

 

「……!」

「あなた方を除く、全てのプレイヤーの意識を刈り取る――とか」

 

 そして――砂煙に阻まれていた、キャンプ地の中は。死屍累々と横たわるプレイヤー達で、埋め尽くされていた。

 全員動き出す気配はなく、呻き声すら聞こえない。これが、先ほどから続いていた静けさの実態だったのだ。

 

 ――その中に、エリザベスの姿を見つけた瞬間。キッドは勢いよく立ち上がり、血相を変えて言い募る。

 

「彼らに……彼女に何をしたッ!」

「ご安心ください、命に別状はありませんよ。数時間後には、後遺症もなく目覚めるでしょう。私のデータ収集に協力して頂いたのですから、無闇に命は取りませんよ。……ここで起きていたことは、覚えていないかも知れませんが」

「なんだと……!?」

「……さて。素晴らしい戦いを見せて頂いた礼として、あなた方には栄誉を与えねばなりませんね」

 

 それほどの気迫を浴びても、ギルフォードは全く怯む様子はなく――涼しい表情のまま、柔らかい口調で語り掛けてきた。

 

「栄誉、ねぇ。そんなもんはいいから、お縄についてくれねぇかな。有難いネットの神様のお慈悲……ってとこでよ」

「生憎、私は神であるがゆえに人の法には当て嵌らない。私を捕らえて裁こうなど、雲を掴もうとするようなものですよ」

「あっ……そう。話が通じる手合いじゃあ、なさそうだな」

 

 その不気味さに触れ、冷や汗をかきつつ。トラメデスは冗談交じりに投降を呼び掛けては見たのだが……やはり、交渉は決裂。

 

「そうですとも。私はゲームマスターであり、あなた方はプレイヤー。そもそも、対等の立場で言葉を交わせるはずもないのです」

「ふざけたことを……!」

 

 穏やかな声色に反した、その尊大な物言いに、キッドは拳を震わせる。

 

「仲間達を傷付ける鎧の怪人。その仇敵を、勇敢な兵士達は知恵と勇気で打ち倒す。――だが、物語は、そこで終わりではない」

「……!?」

 

 ――すると。ギルフォードは再び両手を広げ、演劇を彷彿させる仕草で「物語(ストーリー)」を語り始めた。

 その異様な佇まいに、キッドとトラメデスは目を見張り銃を構える。……だが。

 

「実は。怪人は、もう1人いたのです」

 

「あれは……!」

「オイオイ、冗談キツいぜ……」

 

 彼の懐から現れた、銃――よりも遥かに危険な、「コントローラ状のバックル」を前にして。驚愕の余り、銃口を下ろしてしまった。

 

「――発動」

 

 刹那。オレンジ色の長方形である、その「ブレイブドライバー」がギルフォードの腰に装着された。

 

 そして、彼が「変身」のスイッチとなる言葉を入力する瞬間。

 

 眩い輝きと共に――老紳士の全身が、オレンジのマントを纏う白銀の「帝王」へと変貌する。

 

『Set up!! First generation!!』

 

 バーゴネットの仮面に、狂笑を隠して。ギルフォードは電子音声と共に、「原始勇者(げんしゆうしゃ)ディアボロト」への変身を果たすのだった。

 

 その威厳に溢れた立ち姿を前にして、キッドとトラメデスは同時に銃を下ろしてしまう。――直感で、分かってしまったのだ。この鎧騎士には、銃も通じないのだと。

 

「そう。勇敢な兵士達は、愛と勇気を武器に戦い――華々しく、散る。……いかがです? 即興にしては、悪くない物語でしょう? 英雄譚に、悲劇は付き物ですからね」

「……へっ、悪いがお前の英雄とやらになるつもりはない。その脚本寄越しな、ハッピーエンドに書き換えてやるぜ」

「お前は絶対に、ここで阻止する……! 先任、これを使うしかありません!」

「らしいな!」

 

 ギルフォードの「物語」。それを否定すべく、キッドとトラメデスは先ほど奪ったブレイブドライバーを、自分達の腰に装着する。

 目の前に立ちはだかる、この「帝王」を攻略するには――こちらも「変身」し、同じ土俵に立つしかない。

 

 ディアボロトから放たれるプレッシャーからそう判断した彼らは、矢継ぎ早に「変身」のスイッチを口にする。

 

 ――発動!

 

 その声が、重なる瞬間。

 

 2人の全身は、ギルフォードと同じく眩い輝きに包まれ――その中から、バシネットの騎士とグレートヘルムの騎士が顕現した。

 

Set up(セタップ)!! Fourth(フォース) generation(ジェネレーション)!!』

Set up(セタップ)!! Fifth(フィフス) generation(ジェネレーション)!!』

 

 ――やがて。変身シークエンスの完了を告げる、電子音声が鳴り響き。

 

 トラメデスは「第4世代(フォースジェネレーション)」の「砲皇勇者(ほうおうゆうしゃ)ヴァラクレイザー」へと変身。

 キッドも、「第5世代(フィフスジェネレーション)」の「覇銃勇者(はじゅうゆうしゃ)サブノルク」へと変身するのだった。

 

「さぁ……私の、華々しい『最期』に向けた予行演習です。たっぷりと……戦いを、謳歌しましょうか」

「……いいだろう。予行演習で、お前はゲームオーバーだ」

「お前だけは、逃してなるものか……!」

 

 これ以上の、ギルフォードの「物語」を阻止するべく。2人の「甲冑勇者(アーマードブレイブ)」が立ち上がろうとしていた。

 ――この先に待ち受ける未来など、知る由もなく。

 




 クレイジーサイコジジイ現る。本作に纏わる悪事はだいたいこいつのせい。

・砲皇勇者ヴァラクレイザー
 殺人実験用電子外骨格「甲冑勇者」第4号。正式名称「Type(タイプ)-Super(スーパー)」。変身者はトラメデス・N・雷。
 特徴はグレートヘルムの鉄仮面。最も鈍重である一方で、ディアボロトに次ぐ装甲を持っており、リアリティ・ペインシステムが作動している空間でも、ある程度の痛覚は抑えることができる。主武装は、両肩に装備する2門の砲台「グシオンダブルバスター」。
 大技は、砲口から四色のレーザーを照射する「イグニッションファイア」。

・覇銃勇者サブノルク
 殺人実験用電子外骨格「甲冑勇者」第5号。正式名称「Type(タイプ)-Sixtyfour(シクスティフォウ)」。変身者はキッド・アーヴィング。
 特徴はバシネットの鉄仮面。最も装甲が薄い代わりに、高い機動力を有しておりアクロバットな挙動が可能。主武装は、ゲームのコントローラを模した大型拳銃「デモンブラスター」。
 大技は、銃口から白い閃光を放ち対象を撃ち抜く「イグニッションシュート」。


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第6話 受け継がれる覚悟

「……ハッ!」

「トァアッ!」

 

 先手必勝。そう言い放つかのように、ヴァラクレイザーとサブノルクは拳を構え一気に仕掛けた。鋼鉄の拳が唸りを上げ、帝王の首を狙う。

 

「……フフ」

 

 ――そんな彼らを前に。ギルフォードは、避けることも防ぐこともせず。2人の拳を真っ向から受けてしまった。

 

 金属同士が激突し、この荒野に衝撃音が響き渡る。その振動と拳に伝わる確かな手応えは、キッド達に勝機を感じさせていたのだが。

 

「……!?」

「こいつ……!」

 

 渾身の鉄拳を浴びてなお、微動だにしない「甲冑勇者」の帝王。その力の一端はすでに、目に見える形となって顕れていたのだ。

 銃弾さえ凌ぐ「甲冑勇者」の装甲。それのさらに上を行く、最上位の「スーパーアーマー」は、他の追随を決して許さない。

 

 キッド達の拳では決定打はおろか――毛ほどの痛みすら、与えられていなかったのだ。

 

「さぁ、書き換えてみなさい。神たる私の物語に、干渉できるものなら!」

「クッ……!?」

 

 ディアボロトの白銀の拳が、横薙ぎに振るわれた。同時に後方へ跳び退き、2人はその一撃を回避するのだが――その余波が、彼らに重くのし掛かる。

 逆らうことなど、許されない。現象が、そう語っているかのようだった。それほどのプレッシャーを纏う鉄仮面の帝王は、嗤う貌を隠して、自らが思い描く「勇敢な若者達」に躍り掛かっていく。

 

 狂笑と共に剛拳を振るう帝王。その一撃に込められた威力は、直に受けるまでもなく風圧で感じられた。

 ゆえにキッドもトラメデスも、攻勢に転じることすら出来ず回避に徹している。兜の傍を拳が突き抜けていく度、その余波が彼らの焦燥を掻き立てていた。

 

「ハァ、ハァアハハハハァハハッ!」

「く、ぬッ……!」

「シッ、ちぃッ……!」

 

 さらに、その攻撃は拳だけには留まらず。矢継ぎ早に飛ぶ回し蹴りが、2人に肉迫して来る。

 鈍重なヴァラクレイザーは横へ転がり、身軽なサブノルクは後方へ宙返りしてそれをかわすのだが。

 

「ハァイ!」

「……ッ!?」

 

 ディアボロトはパワーだけではなく、スピードにおいても彼らを圧倒する性能を誇っていたのだ。

 

 白銀の帝王は、空中で回転していたサブノルクの首を着地する前(・・・・・)に掴み、その体を腕一本で投げ飛ばしてしまった。

 

「ぐ……ぁあぁあッ!?」

 

 紙切れのように吹き飛ばされた先は、ヴァラクレイザーの体が待っている。激しく激突する2人の「甲冑勇者」は、衝撃音と共にお互いを弾き合ってしまった。

 

「がぁああッ!?」

「ごぉあッ! ――なん、だ、この威力ッ……!?」

 

 ――そして彼らの全身に迸る、痛覚5倍の洗礼。それがディアボロトの固有スキルと知らない彼らは、その現象が単なる「攻撃力」によるものと誤認していた。

 

「フフフ、さぁ……許しを乞うて見なさい。恥も外聞もなく、泣き喚きなさい。私以外には誰も見ていないのです、恥ずかしがることはありませんよ」

「ふざ、けるなァッ!」

 

 バシネットの仮面に、憤怒の形相を隠して。キッドは渾身の力で鉄拳を放ち、それが顔面を捉えた瞬間――反動を利用して、後ろ回し蹴りを放つ。

 だが、その連撃を浴びてもなお、ディアボロトの牙城は揺るがない。

 

「いいですねぇ、そのコンボ。どれ、私も一つ……練習して見ましょうか!」

「う……!」

「アー坊ッ!」

 

 待ち受けるディアボロトの反撃。痛覚5倍の鉄拳を前に、キッドの貌から血の気が失せた――その時。

 割って入ったヴァラクレイザーことトラメデスが、その拳をまともに受けてしまった。グレートヘルムの仮面に、帝王の裁きが下る。

 

「……かッ!」

 

 悲鳴すら上がらないほどの激痛。脳を揺さぶるその感覚に、トラメデスは足元をふらつかせた。さらにそこへ、キッドの連撃を真似た回し蹴りが飛び込んで来る。

 

「先任!」

 

 だが、その一撃がトラメデスの精神を破壊する――寸前。ヴァラクレイザーの体を抱えたキッドが、全力で地を蹴り回避に成功した。

 2人揃って砂地を転がる一方、回し蹴りが生む風圧は、キャンプ地のテントを次々と薙ぎ倒している。……空振りで終わらなかったら、どれほどの痛みが待っていただろうか。

 

「先任、奴のベルトを!」

「……あぁ、やっぱそれしかねぇな……!」

 

 その威力に戦慄を覚えつつ……キッドとトラメデスは同時に立ち上がり、自分達のベルトに手を伸ばす。

 どのボタンを押せばいいかは――分かっている。すでに一度、その過程を見ているのだから。

 

『Fourth generation!! Ignition fire!!』

『Fifth generation! Ignition shoot!!』

 

 サブノルクの手に、コントローラのグリップを模した大型ハンドガン「デモンブラスター」が現れる。それと同時に、ヴァラクレイザーの両肩に二門の大砲「グシオンダブルバスター」が出現した。

 ――そして。彼らが擁するその切り札に、全てを焼き払う光が収束されていく。キッドの銃には、白い閃光が。トラメデスの砲門には、四色の灼熱が。

 

「……そうです、それでいい。あなた方には、死闘の果ての絶望が相応しい」

「黙れ……! これで全て終わりだ!」

「あばよ似非アーティスト!」

 

 その煌めきを前にしてなお、ディアボロトは仁王立ちを崩さない。

 

 ――そう。灼熱と閃光の奔流を浴び、ハリケーンの如く吹き荒れる砂嵐に晒されても。彼は最後まで、一歩もそこから動くことはなかった。

 

 ◇

 

「……はは。反則(チート)もいいとこだな、おい」

「こんな……こんなことって……!」

 

 ――爆炎と砂嵐が噴き上がり、全てを飲み込み、どれほどの時が過ぎただろう。テントは全て、台風が通り過ぎた後のように薙ぎ倒されている。

 気絶しているプレイヤー達は無事なようだが、もし彼らの近くで照射していたならただでは済まなかっただろう。

 

 戦地ではなかったはずのキャンプ地は、もはや壊滅状態。

 

 ……だが。それほどの余波を持つ、2人の「大技」を浴びても。

 

「んん……やはり、私の作品はいい音を奏でてくれる。良き爆音、良き風音……実に芸術的だ。私の才能が恐ろしい限りだよ」

 

 ――ディアボロトは。ギルフォードは。傷一つなく、地を抉られたその場に……佇んでいた。

 サブノルクとヴァラクレイザーの一斉照射を一身に受けていながら、傷一つ追っていない白銀の帝王。雄々しいその立ち姿は、キッド達に悟らせる(・・・・)には十分だった。

 

 ――この「王」とは、戦いそのものが成り立たない……と。

 

「さぁ……終わらせましょうか。この私の手で紡ぐ、素晴らしい『物語』を」

 

 ディアボロトの足が、砂地を踏みしめるたび。大地は怯えるように震え、創造主にひれ伏していた。

 ――この世界そのものが、屈しているのだ。アドルフ・ギルフォードという、狂気に。

 

「……アー坊。俺の話、よく聞け」

「先任……!?」

 

 それを悟ったトラメデスは、仮面の奥で決意を固め――鋼鉄の一歩を踏み出していく。前に出始めた上司の背を見遣り、キッドは狼狽するように声を震わせた。

 

「奴の耐久力は、想像以上だ。恐らく奴の鎧にバフが掛かってるか……あるいは、俺達の鎧にデバフが掛けられてる。まともにやりあったところで、捕まえるどころか追っ払うことも出来ん」

「……で、では……!」

「だが……解析班だってバカじゃない。すぐに俺達を強制ログアウトさせて来るはず。それまで時間を稼いで、『精神が壊れるほどの痛み』を喰らわないようにしなきゃならねぇ」

 

 パワーもスピードも桁違いなディアボロトを前に、平静を保てずにいるキッド。そんな彼を庇うように立つトラメデスの背を見つめ、部下はその真意に勘付いた。

 

「……まさか! ダメです先任、そんなことッ!」

「いいか、アー坊。二人一組(ツーマンセル)ってのは、片方が殺られても確実に情報(データ)を持ち帰るためにあるんだ。そいつを元手に事態を解決するのが、生き残りの役目よ」

「そんなッ……!」

「それに若いお前には、お勉強に励む義務がある。いつの日かまた、こういう犯罪が起きた時のためにな。……心配すんなよ。俺は死なねぇ、絶対にな」

 

 自身の意図に気づき、懸命に制止を試みる部下を一瞥し。トラメデスは、仮面の奥で口元を緩め――ため息を吐き出す。

 

「しかし、いくらVRだからといって……!」

「……しょうがねぇ頑固モンだなァ。ま、それがお前の取り柄みてぇなもんだし……ちと前倒しだが、見込みがあるってことで認めてやるとするか」

「……!?」

 

 そして。その呟きが意味するものに、部下が辿り着くよりも早く。トラメデスは鉄拳を構え、単身でディアボロトに猛進し始めた。

 高笑いと共に、その挑戦に応じたギルフォードが――白銀の拳を振り上げる瞬間。

 

「――先任捜査官として、命ずる。絶対に生き延びろよ、キッド・アーヴィングッ!」

 

「……!」

 

 トラメデスは。キッドという男の、独り立ちを認めた。

 

 ――それは、つまり。彼という存在が、自分の手元から離れることを意味する。その意味を悟るキッドは、このまま別れてはならない、と加勢すべく片足を踏み入れ、

 

「……俺、は……!」

 

 それ以上先へ、進むことが出来ずにいた。

 

 一人前の捜査官として、認められたのなら。一端の潜入班としての使命を託されたのなら。ここで、その命令に反してはならない。

 

「ぐっ……ぅ、うぅうぅうッ!」

 

 その葛藤の果てに。キッドは、踵を返して駆け出していく。自ら巻き上げた土煙に、己の姿を搔き消して。

 

「トァアッ!」

 

 ――そんな彼とは正反対の方角へ、ヴァラクレイザーは鉄拳を振るう。その先に待ち受けるディアボロトの胸板は、それを真っ向から浴びても微動だにしない。

 絶対に諦めない、という人間の信念さえ踏み潰す圧倒的スペック。それを思い知らせるかの如く――帝王の拳が猛威を振るった。

 

「……ま、いいでしょう。戦いを投げ出し、逃げ惑う憶病者に用はありません。私が最期を彩りたいのは――悲劇に散りゆく勇者ですから」

「ごぁあッ!」

 

 白銀の剛拳に打ちのめされ、ヴァラクレイザーの体が砂上に減り込む。辺りに亀裂が走り、トラメデスの悲鳴が地表に轟いた。

 ……この一撃で、気を失ったのか。彼はそれ以降、立ち上がる気配を見せなくなってしまう。

 

「おやおや……せっかく残った勇敢な戦士も、これしきでおねんねですか」

 

 腹を何度か蹴り、意識がないことを確かめた後。ディアボロトの興味は逃走したサブノルクへと向けられた。

 ヴァラクレイザーの背を踏みつけながら、マントを靡かせ帝王が歩み始める。

 

「さて……逃げ出す雑魚を狩っても盛り上がりには欠けますが……まぁ、シチュエーション上は彼も勇者の1人ですし。せいぜいいたぶって、悲劇を演出するとしましょうかね」

 

 悲鳴すら上げなくなったトラメデスから、注意が逸れたその瞬間。それが――彼の狙いだった。

 

「……ッ!」

 

「ぬ……!」

 

 刹那。突如起き上がり、ヴァラクレイザーは無言のまま最速の拳を打ち放つ。

 その殺気を感知したギルフォードは咄嗟に振り返るが――防御する暇も与えられず、鋼鉄の拳が彼のベルトに直撃した。

 

 オレンジのコントローラを模したベルトが、激しく点滅してダメージの発生を報せる。

 

「……!」

「やっぱ――帝王様も、ここは効くんだな」

 

 仮面の奥で口元を緩め、ヴァラクレイザーの手がディアボロトのベルトを掴む。その光景を見下ろしたギルフォードは――

 

「ぉおお……いい、素晴らしい! 素晴らしいですよあなた! こんな展開は予想外でした!」

 

 ――怒るどころか、むしろ狂笑と共に。ヴァラクレイザーの籠手を弾くと、彼を突き倒して胸板を強く踏みつけた。

 

「ぐうッ!」

「そうですかそうですか……失念しておりましたよ、確かこの『RAO』には仮死薬が実装されているのでしたね! 使用中はあらゆるダメージを通さない……なるほどなるほど、それで私のリアリティ・ペインシステムを欺いたということですか!」

 

 まくし立てながらヴァラクレイザーの胸を踏み躙り、ディアボロトはトラメデスの仮面を覗き込む。貌は隠れているはずなのに、その奥に潜む狂気が赤裸々に滲み出ているようだった。

 

 ――この時。ギルフォードは、致命的なミスを犯している。FBIに自身のデータを取られることより、勇者をいたぶるという目先の快楽を優先していたのだ。

 

「……けっ、教えてくれたんだよ。お前が雑魚扱いしてる、親切なプレイヤーがな。どんな気分だ? 自分の掌にいる奴に、一杯食わされた気分はよ」

「いいですよいいですよ最高ですとも。やはり全てが全て脚本通りではつまらないですからねぇ。大筋を守りつつ、その役者ならでは(・・・・・・)本来の人格(アドリブ)を生かしてこそ……血肉の通った物語は完成するのですから!」

 

 嗤い声と共に、ギルフォードは踏みつける力を徐々に強めていく。すでにその負荷が生む痛みは――トラメデスの精神を、キャパシティを超える寸前にまで追い詰めていた。

 

「……ぉぁあ、がッ……!」

 

「あなたは実に、良き悲劇を彩ってくれる。これほどまでに素晴らしい戦いを演出してくださったあなたならば……さぞかし」

 

 ――そこへ。追い討ちを掛けるかのように。

 

『First generation!! Ignition break!!』

 

「最高の悲劇を……創り出してくださるのでしょうね」

 

 ディアボロトの拳に――灼熱の赤い輝きが、収束していく。

 トラメデスの眼に映る、その太陽の如き光は。人間の心を、「痛み」によって失わせるためだけに……身を焦がすような熱気を、滾らせていた。

 

(……へっ、バカが。肝心な奴を、見逃しやがってよ。お前の負けだぜ、アーティスト気取りが)

 

 だが、それほどの熱に晒されても。これから自身に起きる、焦熱の洗礼を予期していても。トラメデスという男は、一瞬たりとも怯むことなく――ただ真っ直ぐに、ギルフォードを睨みつけていた。

 

 例え恐怖に怯えても、仮面が隠してくれるというのに。

 それでも彼は最後まで、決して――恐れることなく、「痛み」と向き合い続けていた。

 

 ――やがて。

 

「……先任……!」

 

 遥か遠方で起きた爆音を聞き取った、キッド・アーヴィングは――この数十分後に、解析班に救助され強制ログアウトに成功する。

 

 他のプレイヤー達も、この一晩の記憶を奪われつつも、無事にゲームから脱出することができた。

 

 ――そう。

 ただ1人、数十分に渡り戦い続けていた男を、除いて。

 

 ◇

 

 ――「RAO」で頻発していた奇妙な事件。その裏にギルフォードの関与が認められた後、FBIは直ちに彼の身柄を確保すべく捜査を展開。

 幾重にもばらまかれた偽の情報から真実を探り当て、当時彼が「RAO」にログインするために利用していた場所を発見。そこは――彼の手記が無数にばらまかれ、もぬけの殻と化していた「隠れ家」であった。

 

 その手記から得た情報を元に、ギルフォードが日本へ渡っていると推察したFBIは、日本警察と協力体制を取り現地に捜査官と解析班を派遣することに決めた。

 

 さらにギルフォードが「RAO」での事件当時、ゲーム内からサーバーをハッキングして、解析班の干渉を妨害していたことを踏まえ――彼のハッキングに対抗すべく、過去の事件から彼のサイバーテロに纏わるデータを収集。

 VRゲームの参加者を「強制ログアウト」させる強力なプログラムを開発し、彼の次なる暴走に備えた。

 

 それに加え、VRでギルフォードによる洗脳を受けないよう、「RAO」事件から得たデータを基に「対電脳チップ」の開発にも成功した。鎧騎士達に変身させられ(・・・・)ていたプレイヤー達のように、VR空間でギルフォードに操られないようにするためだ。

 

 隠れ家で発見されたギルフォードの手記によると――次の狙いは伊犂江グループの令嬢・伊犂江優璃。彼女を標的の中心に据えた、無差別サイバーテロを計画している可能性が浮上してきたのだった。

 しかし、ギルフォードの正確な足取りは掴めず。事態が終息するまで、彼女の側に24時間体制の警護(SP)と捜査官を配置する方針が検討された――のだが。

 

 それは何故か(・・・)、伊犂江グループ側から拒否されてしまった。伊犂江グループ会長・伊犂江芯の意向によって。

 

 結果、FBIは表立って優璃を警護することは出来ず……一名の捜査官を近辺に潜伏させるのみに留まった。

 サイバーテロが起きた場合に備え、その捜査官には対電脳チップを埋め込む改造手術が施され――ギルフォードが行動を起こすまで、彼を泳がせる方針に変わったのである。

 

 ――だが。その捜査官に選ばれたのは、実戦経験のあるキッド・アーヴィングではなかった。

 

 ◇

 

「……なぜ、ですか」

 

 ――2037年1月。

 「RAO」事件の事後処理に追われるまま新年を迎えていたキッド・アーヴィングは。

 

「今回の件は、他の事件とは比にならない危険性を孕んでいる。成功率を僅かでも高めるために、元デルタフォースの私に白羽の矢が立った……ということだろう。他のサイバー捜査官はあいつの二の舞を恐れて、尻込みしているようだしな」

 

 自分がデスクワークに奔走している間に、改造手術を終え日本に発つ準備を終えていたアレクサンダー・パーネルの元を訪れていた。

 

 FBI本部のある一室にて――いきり立つキッドの方を一瞥もせず、コンピュータと向き合いキーボードを叩くオールバックの青年。その横顔を覗き込みながら、キッドは声を荒げる。

 

「しかしあなたは元々、後方の解析班に属する分析官だ! 我々捜査官より、VR空間での活動に慣れているとは思えません!」

「辛辣だな。それもあいつの教えか?」

「……ッ! 奴は、先任の仇です。今からでも改造手術は間に合う、俺にやらせてください! 危険など元より承知、刺し違えても構わない! それに一度奴と戦った俺の方が――!?」

 

 静かにキーボードを叩き続けるアレクサンダーに、キッドはさらに詰め寄る。

 だが……彼の碧眼と視線を交わした瞬間。そこから続くはずだった言葉は、失われてしまった。

 

 復讐に燃える若人(キッド)すら圧倒する、深淵の如き深さの――怒り。悲しみ。憎悪。その負に満ちた感情を滲ませる眼が、彼を黙らせていた。

 

「――君には、私より大切な役目が残っているだろう。この事件を記録し後世に残せるのは、死線を潜り抜け現実(ここ)に還ってきた君だけだ」

「し、しかし!」

「それに、君には守るべき大切な人がいるのだろう? あいつから聞いている」

「……!」

 

 こちらの胸中を見透かす、アレクサンダーの一言。その透明な刃を胸に受け、キッドは口ごもる。

 

「……この任務は、決死隊も同然だ。対電脳チップと解析班のバックアップがあろうと、向こうがそれ以上のプログラムを仕組んでいないという保証はない。最悪、こちらの下準備など一蹴され、私もあいつと同じ道を辿る可能性もある」

「……っ」

 

 ――あの戦いの後。

 騒動に巻き込まれていた全プレイヤーが脱出に成功し、キッド自身も逃げおおせた一方で……数十分に渡り、ディアボロトの拳が描く「悲劇」に晒され続けていたトラメデスは。

 

 精神を破壊する激痛を長時間、かつ断続的に浴び続けたことで「廃人」となり、昏睡状態に陥っていた。現在はワシントン大学病院にて、覚めない眠りに沈んでいる。

 

 快復が難しいとされるほどの精神ダメージを負い、意識を失っている彼は半死半生の身であり――いつ目覚めるかの目処は、全く立っていない。

 数ヶ月も経てば自然に快復するかも知れないし――このまま、永久に目覚めないかも知れない。それは即ち、正真正銘の「死」を意味する。

 

 その結末はキッドの胸中に、深い影を落としていた。

 あの命令に従ったばかりに――否。命じられたのをいいこと(・・・・)に、ディアボロトの恐怖に負けて逃げ出したばかりに。

 

 ――あの事件以来、自分をそのように責め立てない日はなかった。そんなキッドにとって、トラメデスのことを言及されるのは古傷を抉られるようなものである。

 見えない傷を切り裂かれ、その痛みに言葉を失うキッド。そんな彼に、アレクサンダーはさらに言葉を畳み掛けた。

 

「私は言うなれば、鉄砲玉に過ぎん。それは、もう失うものがない空虚な者にしか務まらない役割だ。未来ある君にだけは、その道を歩ませるわけにはいかん」

 

 噓偽りない、真摯な眼差し。その瞳に射抜かれ、キッドは反論を封じられていた。そんな彼を暫し神妙に見つめた後――アレクサンダーは、過去を懐かしむように天井を仰ぐ。

 

「そう、約束したからな。……あいつと」

 

「……先任っ……!」

 

 ――それは、殺し文句だった。

 

 そう言われてはもう、どれほど望もうと、あのギルフォードに再び挑むことはできない。これ以上駄々をこねれば、今度こそトラメデスの献身を踏み躙ることになる。

 それだけは、できなかった。

 

 打ちのめされたキッドは、数歩引き下がると……苦々しい表情で、アレクサンダーを見つめる。

 そんな彼と暫し視線を交わし――やがて、オールバックの青年は無表情のまま目を背けた。

 

「あなたは……卑怯だ。パーネル捜査官」

 

「そうだな。……だから。君のその怒りも、憎しみも、悲しみも全て――この私が、貰い受ける」

 

 表情は見えないが――そう語る彼の言葉は、確かな決意と覇気を纏っていた。聞く者を奮い立たせる、気勢に溢れたその声色は……小さな呟きでありながら、キッドの精神を圧倒していた。

 

 ――そして、この日からさらに数ヶ月が過ぎた、2037年5月。

 

 アレクサンダー・パーネルは日本へと渡り……その東洋の地で。己の運命を変える少年との、邂逅を果たすのだった。




 本作は次回で最終話となります。最後まで、何卒よろしくお願い申し上げます。


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最終話 おとぎ話と罪の終わり

 ――2037年8月。

 アメリカ合衆国ワシントン州、シアトル。

 

 ありとあらゆる人種が調和し、共存しているこの都市は今、夏の盛りを迎え眩い陽射しに照らされていた。

 そのビル群と、蒼く広がる海辺を一望できるテラスにて――2人の男女が、パラソルの下で向かい合っている。互いに微笑を浮かべて見つめ合うその姿は、付き合い始めて間もない恋人同士のようだった。

 

 「EAGLE CAFE」という看板を掲げる、鷲のエンブレムが特徴の有名チェーン。その店舗の一つであるこのテラスは、その絶景ゆえに来客が絶えず、デートスポットとして絶大な人気を博していた。

 陽射しを凌ぐパラソルの下から眺める、蒼い海原と街並み。さらに日が沈めば、鮮やかな夜景を堪能することも出来るこの席は、誰もが簡単に座れるものではない。

 

 ――思わず周囲が席を譲ってしまうほどの、セレブが足を運んで来ない限りは。

 

「……すっごく綺麗。いいのかな……あたしが、こんなとこに来ちゃって」

「誘ったのは俺なんだ。ケチを付けられた時は、俺のせいにすればいい」

「あはは……キッドさんっていつも、そうやって全部背負い込もうとするよね」

「ん……そうか?」

「そうだよ」

 

 赤髪の少女は首に下げたペンダントを揺らしながら、ブラウンの髪の青年を愛おしげに見つめ――頬を掻く彼にウィンクする。その仕草は、彼との関係に尻込みしていた頃からは想像もつかないものだった。

 肌身離さずペンダントを身につけているため、いつしか「アーヴィング家の花嫁候補」として知れ渡っていた彼女は、赤髪を理由に虐められることもなくなり、少しずつではあるが女性として前進するようになったのである。

 

 青年はそんな彼女のアプローチに胸を高鳴らせ――それを誤魔化すように、コーヒーカップに手を伸ばす。口に広がる苦味が、脳裏に過る煩悩を鎮めていた。

 

 ――「RAO」は昨年の12月以来、特に問題もなく運営が続いている。一時広まっていた「リアリティ・ペインシステムの再来」という噂も、今年の春には立ち消えになっていた。

 事件に巻き込まれたプレイヤーの1人だった赤髪の少女も、今では元通り――男性プレイヤーの人気を集める「RAO」のアイドル「エリザベス」として活躍している。

 

 さらに、3ヶ月前に発生した「ギルフォード事件」の主犯格であるアドルフ・ギルフォードはすでにこの世を去っており――彼を巡る問題の数々は、ほぼ全て終息していた。

 

 戦いは、もう終わった。この事件に携わって来た誰もが、そう確信している頃だろう。

 

 ――だが。青年にとって、今は「結末」ではなかった。

 

「……早く、目が覚めるといいね」

「……あぁ」

 

 少女は詳しい事情は知らないものの、彼の恩人が眠り続けていることを知っている。青年を慮るその言葉に、彼は絞り出すような声で答えていた。

 

「ね、覚えてる? 去年、約束したこと」

「え? ――あぁ、もちろん。忘れたことなんてない」

 

 そんな彼を、元気付けようと。少女は明るく振る舞い、かつて交わした約束に触れる。彼女の問い掛けに応える青年の眼は、微かな光を灯していた。

 

「……また、2人で一緒に」

「その時は、例の恩人さんも呼ぼうね」

「え……?」

「えと、ね。その人のこと、あなたからいっぱい聞いて……思ったんだ。……その方が絶対、賑やかになるでしょ。きっと、楽しいよ」

「……」

 

 必ず彼は目を覚ます。そう励ますように、彼女は「恩人」が眠りから覚めることを「前提」とする予定を口にしていた。

 

「……賑やかだろうな、確かに。だが、それはダメだ」

「え……そ、そうかな」

「あぁ。――君と2人きりになれないのは、困る」

「……〜っ、もうっ!」

 

 そんな少女の、不器用な心遣いを前にして――青年は口元に手を当て、くすっと笑みを零す。そして悪戯っぽく笑い、彼女の頬を赤く染めた。

 

 その様子を、慈しむように暫し見つめた後。青年は少女から視線を外すと、海の向こうを見遣る。遥か遠くを見つめるその眼差しは、大海の彼方にある異国へと向かっていた。

 ――正しくは、その地で暮らしているであろう、かつての同志へと。

 

(……パーネル……さん。俺はずっと、ここで待ち続けます。あなたが、還る日を。彼が、目覚める日を……)

 

 ◇

 

 少女を、彼女の自宅である車庫まで送った後。青年は愛車を走らせ、ワシントン大学病院へと身を寄せていた。

 

 すでに空は黄昏時を迎え、黄金色の景色がシアトルの街並みを艶やかに染めている。その景色を廊下の窓から見遣りながら、青年は携帯で自分の執事と通話していた。

 

「――あぁ、わかってる。明日は五条橋(ごじょうばし)グループとの会食だろう。ちゃんと8時までには帰るさ、いちいち心配性なんだよ。うん、じゃあな。アルフレッド」

 

 会社の命運を預かる自分を案じる、執事の小言にため息をつき。青年は携帯を懐に収め、ある病室を目指す。

 

「ったく……ん?」

 

 そして、その目的地が目に入った――時だった。

 

 彼が向かおうとしていた病室から1人の女性が姿を現し、その場を後にしていく。彼女が青年に背を向ける寸前、彼はその横顔を目にしていた。

 

(あの人は……)

 

 青年は、彼女の顔には見覚えがある。昨年の12月、彼の「恩人」にナンパされていた女性だ。

 あの時は手厳しく拒絶されていたはずだが……どうやら、見舞いに足を運んでいたらしい。あれからも、「彼」との交流は続いていたというのか。

 

 ――そんな新事実に瞠目しつつも、青年は気を取り直し病室のドアを開く。音もなく静かにスライドしていく扉の向こうでは……ベッドの上で静に、金髪の男が眠り続けていた。

 

(……先任……)

 

 胸中で彼を呼ぶ青年は、ベッドの傍らにある椅子に腰掛けると――周囲に視線を移す。「恩人」の側には、色鮮やかな花が飾られていた。

 ――青年はこうして頻繁に見舞いには来ているが、こんな華やかな品を持ち込んだことはない。こういうものに関するセンスは持ち合わせていない、という自覚があるためだ。

 

 つまりこの病室に飾られている花は、あの女性が用意した物ということになる。

 ――どうやら人の気も知らずに眠り続けているこの男は、意外に女性から好意を持たれているらしい。死んだように意識を手放している「恩人」の寝顔を見下ろし、青年はため息をつく。

 

(……全く、この人は)

 

 だが、それから間も無く。顰めっ面になっていた彼の貌は、苦笑いへと変化していった。仕方ないな、と表情が語っているようだった。

 

(……先任。俺は、自分に出来ることは尽くしました。ですが……まだ。終わりじゃない。あなたが目覚める日まで、俺の戦いは……)

 

 やがて神妙な面持ちで「恩人」を見つめた後、青年は額に手を当て目を伏せる。終わらせたくとも終わらない、自分にとっての「戦い」が、途方もないものになるのだと――覚悟するように。

 

 だが。

 

「……なぁん……て、カオ……してんだ、よ」

 

「――!」

 

 永遠のように続いて来たその日々は。唐突に、終わりを告げる。

 自分達以外は誰もいない病室で、自分ではない声が聞こえた。それが意味するものを頭で理解するより早く、青年は顔を上げる。

 

 一体、何が起きた。俺は夢を見ているのか。

 彼の顔が、そう叫んでいるかのようだった。

 

 そんな青年の顔が、よほど可笑しかったのだろう。先ほどまで、長い眠りに囚われていた「恩人」は――今まで死に体だったことが、嘘のように。

 

「……俺は死なねぇ。そうだろ、キッド」

 

 大らかに、笑っていた。

 

「……っ、ふ、ぐっ……!」

 

 その笑顔で、ようやく青年は目の前の光景を受け入れるに至り――泣けばいいのか笑えばいいのか、脳が理解出来ないまま、言葉にならない声を漏らす。

 それはまるで、嗚咽のようだった。

 

 そして、この日。

 

 青年――キッド・アーヴィングの長い「戦い」は、ようやくその幕を下ろす。

 

 ◇

 

 ――2037年8月。

 東京郊外某所、「COFFEE&CAFEアトリ」。

 

 日本最大の都市からやや離れた森の中で、静かに営まれているこのカフェは――自然に囲まれたウッドデッキと、そこから窺える景観を売りとする憩いの場だ。

 約20年に渡り、知る人ぞ知る「穴場」として密かな人気を集め続けているその空間は、今――若い主婦の間で、大いに話題となっていた。

 

 ――最近、アメリカ人の超美男子が従業員になった。

 

 その噂を耳にした主婦達が癒しを求め、昼下がりに森の中まで足を運ぶようになったのである。駐車場が少ないと知りながら、諦めることなく徒歩で来る客もいるほどだ。

 

「いらっしゃいませ、COFFEE&CAFEアトリへようこそ――」

「んまぁアレクサンダーさんお久しぶりねぇ! また来ちゃったわぁ!」

「アメリカの兄ちゃん、こんにちはー!」

「――えぇ、お久しぶりです。2名様ですね、どうぞこちらのテラスへ……」

 

 更にここ最近では子連れの主婦も来るようになり、ママ友の溜まり場としても利用されるようになっていた。それに応じて、小さな子供も足を運ぶようになり――現在経営側は、その客層に応じた新メニューを検討しているという。

 紳士服に身を包み、流暢な日本語で柔らかく接する、オールバックのアメリカ人美男子。その青年はたちどころに、女性層を中心に「COFFEE&CAFEアトリ」の存在を広く知らしめたのである。

 

「……売り上げも徐々に伸びているようだな、チーフ。これなら、子供向けのメニューを組む予算も問題ないだろう」

「はい。雑誌で特集したいって話も来てたし、アレクサンダーさんが入ってくれてから、もうずっと大盛況です」

 

 カウンターでコーヒーを淹れつつ、満席になっているテラスを眺めて。看板カラスに次ぐ「目玉」となった青年は、微笑を浮かべる。

 そんな彼の隣では、「チーフ」と呼ばれるポニーテールの美少女が、満面の笑みで注文された品を運んでいた。

 ――窓の向こうに止まっている一羽のカラスが、そんな彼女をじっと見守っている。子供達は、アレクサンダーが入る以前から「名物」となっているそのカラスに夢中のようだ。

 

「雑誌で取材、か。あの子が読んだら、さぞ驚くだろうな」

「……あの子?」

「ふふ、すまない。こちらの話だ」

 

 すると。青年の言葉に、少女は薄茶色の長髪を靡かせ――きょとんとした表情で振り返る。青年はそんな彼女に苦笑いを浮かべると、小さく首を振った。

 

「ねーねー、外国のおにーちゃん! また絵本読んでよー!」

「ぼくもー! ねぇ、アメリカの兄ちゃん!」

「……あぁ、いいとも。少し待っていなさい」

 

 するとそこへ、母親達の談笑に飽き飽きしていた子供達が、青年の元へ集まって来る。彼は子供達を相手にするために、幾つか自費で絵本を買い集めていた。

 幼い彼らを慈しむように微笑を向け、青年はカウンターの後ろにある、小さな本棚に手を伸ばす。

 

「今日は……これにしようか」

「あれ? その本、なんか古いね」

「私が小さい頃からあった本だからね。このお話は――」

 

 ――やがて、赤黒い(・・・)染みを残した一冊の本を手に取り、子供達の前に向き直った彼は。その古ぼけた本の題名を読み上げ、朗読を始めた。

 優雅な口調で物語を読む彼の声に、子供達だけでなく若い女性客まで聞き入っている。

 

 それは。

 

 夢の世界に囚われたお姫様を助けに行く、勇敢な少年のおとぎ話だった。

 

 




 本作「Darkness spirits Online」は、これにて完結となります! 最後まで本作を読んで頂き、誠にありがとうございました!
 特に、本作に登場したアレクサンダー、キッド、トラメデスを投稿してくださったsungen先生、MrR先生、オニギリ男先生には感謝の言葉もありません。皆様のおかげで、こうして無事に完結まで漕ぎ着けることができました。本当に、ありがとうございました!

 それでは、次回作のお知らせ。
 来週のこの時間帯からは、アメコミをリスペクトしつつ異世界モノにも斬り込んだ、異色の多人数ヒーローもの「グリット・スクワッド! 〜超人ヒーロー達が、元社長令嬢の私を異世界ごと救いに来ました〜」が始まります! これまで以上に作者の趣味を煮詰めた闇鍋的作品になりますが、気が向かれた時にチラ見して頂けると幸いであります(^^;;
 では皆様、いつかまたお会いしましょう。失礼します!٩( 'ω' )و

※今回登場した「EAGLE CAFE」も、「COFFEE&CAFEアトリ」と同様にsungen先生の作品「喫茶アトリ - COFFEE & CAFE Atori -」に登場するカフェです。また、キッドの台詞に出ていた「五条橋グループ」という企業も、同作に登場しています。sungen先生、度々ありがとうございます。


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