最強チートのヒトバシラ~チート無し!ハーレム無し!無双無し!あるのは地道な努力だけ!~ (独郎)
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はじめに

「努力」

 

富や名声、その他諸々……

この世で幸福と呼ばれる物を手に入れるためには多くの場合、努力が必要だ。

 

中には天才だとか強運というのもあるが、

どんな人間でも努力さえ報われれば基本的にそれなりの幸福が手に入る。

 

しかし努力が一切報われない、

体にも頭にも成功するための技術や方法が残らない。

いくら努力をしても何かに吸われるように消えて行く。

 

そんな人間が居たらどうなるのだろうか?

生憎、それが俺だ。

 

俺の名前は「大神 佐助」

どこにでもいるただの高校生……とはいかなかった人間だ。

 

まずは、俺の過去を話そうか。

始めに聞かないほうがいいと伝えておく。

以前このことを話した後はなぜか皆げんなりしていたんだ。

しかも長いんだこの話は、なにせ短くも俺の人生全てを語る訳だから。

 

よほど興味の無い限り、断ることをオススメする。

俺の二度目の人生の話から聞いた方がいい。

 

最初の人生は俺の中でもぶっちぎりでつまらないものだった。

そんな話でいいなら聞くといい。

 

 

俺は小さな頃から、

落ちこぼれが努力によって成長する王道少年漫画が大好きだった。

 

俺は秀でた才能はなかったが、

努力をすればこんなにも凄い存在になれるのだと期待していた。

 

しかし、俺の現実は創作物なんて比較にならないほど

成功とはかけ離れていた。

 

小学生の頃はまだ問題なかった。

この頃はただ物覚えが悪いだけだと思えて幸せだった、

未来に不安なんてなかった。

 

友達も100人とは行かないまでも広く浅くといった感じに付き合いを持っていた。

 

学力だってなんとかついていけるレベルだった。

テストがあったってその場しのぎの勉強で切り抜けられた。

運動は特別得意ではなかったが体を動かすのは楽しかった。

 

高学年ともなれば多少は成績が悪いのが目につくようになったが、

親はそれほど心配していなかった。

 

義務教育六年が終わり、俺は意気揚々と未来に歩き出した。

 

中学校に上がった、初っぱなから選択肢を誤った。

俺はその時ハマっていたスポーツ漫画に触発されてバスケ部に入った。

 

スポーツ初心者の主人公が廃部寸前の弱小運動部に入り、

仲間と共に全国大会出場を目指すというありがちな汗と涙の青春スポーツ漫画だ。

 

体験入部で見せられた練習風景はその漫画そのものだった。

 

しかし、実際に入ってみると俺の描いていた幻想は実現しなかった。

練習が厳しい、コーチが怖い、そんなものならまだ良かった。

もっと違う理由だ。

 

スポーツというものは上達するとある程度の技術が身につくものだが、

そこで俺の「呪い」が問題になった。

 

俺はいつまでたっても全く技術が向上しなかった。

 

勿論、努力を怠っていた訳じゃない。

他のどの部員より早く来てどの部員よりも長く残って練習した。

それでも足りない所はコーチに頼み直接指導してもらうことで改善に努めた。

 

思えばこの頃から俺はようやく自分の異常さに気付き始めた。

 

ただ忘れるのとは違う、

思い出そうとしても気味の悪い違和感だけが込み上げてくる。

 

どんな努力をしたか自体はなんとなく思い出せるものの、

明らかに体に努力の記憶が刻まれていない。

 

俺がミスを繰り返すと練習が中断される、

酷いときにはチームメイト全員が連帯責任を取らされた。

 

俺のせいで練習が中断させられるとそれだけ効率が悪くなった。

 

疲れだけならまだしも他人に迷惑を掛けているという事実が、

ちっぽけな正義感と責任感が芽生え始めた

中学生になりたての俺の心を罪悪感で征服した。

 

最初の頃は先輩も同級生も

「お前はきっと上手くなれる!諦めんな!」とか

「迷惑なんかじゃないから気にすんな!チームだろ?」

 

なんて言ってくれていたが、

半年もすれば俺が成長しないことに気付いたらしく無言になった。

 

コーチにも見切りをつけられ、

チームメイトの無言は次第に悪態と舌打ちに変わっていった。

 

部活に入って一年が経ったある日、それがついに「イジメ」に発展した。

 

遅すぎるくらいだった、よく一年も我慢してくれたものだ。

 

最初は靴を隠される、金品をたかられるといった典型的なもの。

 

俺があまり苦しんでいないのに気づくと、

イジメは練習中に行われる嫌がらせに変わった。

 

ミスすれば顔面にボールが当たるようなパスをする。

 

俺が最高のパフォーマンスを発揮しても、

ギリギリ対応出来ない位置にボールを投げる。

 

それを取りこぼす度にバランスを崩して転倒したり、突き指や痣も増えた。

 

決して対応が難しいという訳でもないボール、

しかしそれは「バスケ経験者」であればの話。

 

つまりこの部活の中で一人だけバスケの経験が残っていない俺だけに脅威となる。

とても考えられたイジメだ。

 

周囲から見れば高度な練習に初心者が混ざっているように見えるだけ、

イジメのようには見えない。

俺がミスするのはそれほどに自然な光景だった。

 

その練習に明確な悪意を感じ取った俺は、

ようやく自分が必要とされていないことに気付いた。

 

俺がいたらいつまでたってもチームが成長しない、

純粋にバスケをしたい皆に申し訳ない。

 

俺は部活に行かなくなった。

 

 

 

イジメの理由が自分にある以上、誰にも相談しようとは思わなかった。

放課後になるとすぐに荷物をまとめ、誰にも気付かれないように帰宅する。

 

同じクラスにバスケ部員がいなかったのは好都合だった。

 

顧問には直接ではなく担任を通して連絡した。

「家の都合で早退するので部活には参加できない」と。

 

流石に毎回同じ理由では怪しまれもする。

俺はすぐに顧問に呼び出された。

 

顧問はいわゆる体育会系の熱血教師だった。

その指導は厳しく、彼の説教を部員たちは苦手としていた。

 

かつて彼に怒られるのが嫌で退部した奴もいるそうで、

生徒の間では伝説となっていた。

 

彼は俺が部活に来ないのが練習が辛いからだと勝手に勘違いし、

軟弱者だと非難した。

 

なぜか励ましてもくれたのだが。

 

残念ながら俺が問題としているのはそこじゃない。

 

部活に来なかったのは、

自分が下手で皆に迷惑を掛けるのが精神的に辛いからだと説明すると。

 

「一人は皆のために! 皆は一人のために! チームメイトに遠慮なんてするな、

 仲間同士フォローしあうのが当然だ。迷惑だなんて思っちゃいない!」

 

と言われた。いや、そりゃ最初はその精神だったろうさ。

皆は俺の成長の無さに呆れて迷惑に思ってるんだ。

そうじゃなきゃイジメなんかしない。

 

当然、イジメの事は話さなかった。

そもそも俺が悪いのだ、これ以上チームに迷惑はかけられなかった。

 

俺は早くバスケから離れたかった。

すぐに部活を辞めたいと相談したが顧問は猛反対してきた。

 

内申書に悪いというのは自己責任だから良いとしても、

俺が抜けた場合の部活の人数が問題だった。

 

当時は三年生が引退した直後で俺を含めても部員が二年生が五人、

一年生は一人しか居なかった。

 

新入部員が少ないのは恐らく俺の責任だ。

 

俺に対するイジメ練習が運悪く部活見学に来た一年生によって目撃され、

バスケ部はとても厳しい練習をしているという噂が

一年生の間で広まってしまった為、初心者が尻込みしてしまったのだ。

 

バスケは五人でやるスポーツだ。

俺が抜けると一応公式戦には出られるものの、

入ったばかりの一年生にいきなりスタメンを強いることになる。

 

少しでも練習すれば成長しない俺より遥かに役に立つだろうが、

五人だけでは出来ることに限界もある。

どうしても試合外で自由に動ける人間は必要だった。

 

早い話、俺にはもう雑用係としての価値しか無かった。

それならばと一応、マネージャーの勧誘なんかにも挑戦してみたが

戦果はゼロだった。

 

部活を辞めればもう迷惑はかからないと思ったら、部活を辞めても迷惑がかかる。

それが分かって部活を辞められなかった。

 

それから俺は呪いと正面から戦うことを決心した。

 

どちらにしても迷惑が掛かるのなら、なんとか解決出来そうな方がましだ。

 

部活に復帰すると二年生にはあからさまに嫌な顔をされた。

まあ、しょうがないな。

 

さすがに一年生が練習に馴れるまでは俺に対するイジメ練習は再開しなかった。

 

その間にどうにかして呪いの抜け穴はないかいろんなことを試し続けた。

始めに気付いたのは体の成長と呪いの関係だった。

 

俺の呪いは記憶に関係する、無くなるのは感覚だ。

 

努力して成功した過程の感覚が記憶と共に思い出せない。

 

なら体を鍛えるという努力は呪いに関係しないかもしれないと考えた。

実際、背なんかは縮んだりしていなかった。

 

毎日部活後に筋トレに力を入れた。

結果としては上々だった。

 

筋肉が完全に衰えるのが約三日と、常人と比べて異常に早かったものの、

毎日限界まで体を鍛えれば筋力を維持することができた。

 

高い筋力があれば、

ボールに反応するにしても今までより随分と楽になり、ミスも減った。

 

技術は相変わらず向上しなかったがこれが分かってからは部活が楽しかった。

 

ミスが減ったぶん練習もスムーズに進み、

一年生も練習に慣れてきてイジメも再開したが、

俺さえついていけていれば、その高度な練習はむしろチームのためになった。

 

身体への負担は増えたが罪悪感で精神が参ってしまうよりましだ。

 

しかし、ある日この方法に問題が発生した。

毎日限界まで体を鍛えていた俺は筋肉ダルマもいいところだった。

体脂肪率が危険な域まで低下し、免疫力が著しく低下した。

 

インフルエンザ、感染性胃腸炎、マイコプラズマ

とメジャーな感染症は一通り体験した。

 

中でも最も危険だったのが「結核」だ。

 

結核は空気感染する。

あらゆる病気に感染し、病院に通いづめだったために感染してしまったのだ。

 

本来であればワクチンで予防できるものだが、

その時の俺の免疫力は疲労も相まって皆無だった。

 

最初は風邪かと勘違いしたが二週間以上も不調が続いたため病院に行った所、

結核と診断された。

 

結核と言えば昔は不治の病として恐れられた病気らしい。

 

治るのか心配だったが医療技術の発達により、

薬を飲み続けることで治るようになっていた。

 

だが薬局に行くと尋常じゃない程の薬の山を渡された。

 

ちょっと目眩がした。

 

薬の副作用には悩まされた。

嘔吐、蕁麻疹、手足の痺れ、目眩、発熱、筋肉痛、下痢。

 

結核菌を殺すために作られた強力な薬なので当然副作用も強い。

 

「乳房の女性化」、「勃起困難」なんてのもあった。

 

笑えない冗談みたいだった。

 

心だって健康じゃなかった。

やっとチームが軌道に乗ったと思ったらまた途中で降ろされたのだ。

 

呪いを憎む心が闘病生活をしていく上での原動力になった。

 

言ってはいなかったのだが、

いつの間にか俺が結核の療養中であることがクラスに知れ渡り、

感染を恐れて誰も見舞いには来てくれなかった。

 

だが俺はむしろ安心した。

そもそも結核は見舞いに来ていい病気じゃ無いのだ。

 

誰かに感染させてしまっていたらそれこそ首を吊っていたかもしれない。

 

二ヶ月近く入院し、六ヶ月間薬を服用して治療した。

医師には再発防止のために免疫力を低下させないように厳重注意を受けた。

 

俺は幸運な方で半年間棒に振っただけで助かってしまった。

だが、これでもう体は鍛えられなくなった。

体脂肪率に気を付け、無理をしないレベルで再開しようとしたが、

やはり限界まで鍛えなければ衰えるスピードのほうが早かった。

 

部活に戻ると俺はまた邪魔者に戻っていた。

クラスでは厄介者を見るような視線を向けられた。

 

一方、俺のイジメに使われていた高度な練習は俺がいない間も続けられており、

その成果で他のチームメイトの実力は大幅に上がっていた。

 

中でも一年生は抜群のセンスを開花させ部内一の実力者になっていた。

俺が寝込んでる間にも周りは確実に成長している。

 

俺も体を鍛える方法がとれなくなった以上、別の方法を考えなくてはならない。

 

これまでの事から俺はあることが気になっていた。

 

俺の呪いが発動するのは努力した日の翌日ということだ。

今までも活動している時に突然努力の消失が起こった事はない。

 

一日中起きていれば、努力の消失の瞬間を体験することが出来るかもしれない。

 

思えば今まではどんなに突き詰めていても、

翌日のために睡眠だけは最低でも四時間は取っていた。

 

自分の知らないうちに何が起こっているのかが分かれば、

対策を立てられる可能性だってある。

 

早速、徹夜を実行した。学校生活に悪影響がないよう、連休の期間を選んだ。

翌日になると気分は最悪だったが、

朝の復習をしようとするとすぐに最高になった。

 

もともと呪いが発動する瞬間を体験するために始めたことだが、

思わぬ収穫があった。

 

一睡もしなければ呪いは発動しない。

 

ノートを読めば前日にやった授業の内容がハッキリと思い出され、

体を動かせば動きに昨日の練習の感覚が残っている。

 

素晴らしい成果だった。

やっと努力が報われて、やっと普通の人間になれた気がした。

 

これで呪いによって何が失われて、

何が残っているのかがおぼろげながら分かるようになった。

 

無くなるものはその日経験または学習した専門知識、

技術などとそれが成功したときの記憶。

 

努力をしても経験が蓄積されず、

成功を再現出来ないから結果に結び付かないのだ。

 

だが言葉は喋れるし、字も読める。

もっとも、字を読めるといっても自分の名前以外は書くことができないのだが。

 

一般教養のレベルは四則演算すらできないため、

毎朝小学校低学年レベルの学習の総復習を二時間ほどやっている。

 

基本的には誰でも出来ることと記憶、

無くなったら人として生きられないようなものは忘れないのだ。

 

あとはどうでもいい雑学や簡単な機械の使い方なんかも忘れないが、

なにかしら人の役に立つ仕事と人に認められたり、

評価される事柄においてだけ急に思い出せなくなる。

 

まるで鍵でもかかっているかのように、「成果」だけが出ない。

 

この呪いはどうも失うものと失わないもののラインが物凄く曖昧だ。

そして呪いのかからない例外も多い、この呪いの穴は俺でも思い付いた位だ。

 

ここでもうひとつ分かったのは、

呪いが発動するときは俺の意識がないときに限るということだ。

 

これは夜に寝なければ大丈夫だと思い、

調子にのって昼間の時間を睡眠に使う方法を考えた時と、

徹夜の影響で授業中に居眠りをした時に、

それまでの授業内容を全て忘れたことで気付いた。

 

まあ、この方法も完全じゃなかった。

 

それでも努力が失われない裏技を発見したのは大きかった。

分かった当初ははりきって徹夜した。

 

睡魔を疲労を栄養剤とカフェイン飲料によるドーピングで強引に押さえつけ、

一週間が経ったころ遂に過労でぶっ倒れて1日ほど入院した。

 

結核の時も思ったがやっぱり点滴は全身で味わう食べ物だ。

 

もしかしたらかなり好物かもしれない。

 

ヤバイな、違法薬物の勧誘には気を付けなくては…

一瞬で疲れがとれるなんて言われたら喜んで買ってしまいそうだ。

 

集中力が維持できて徹夜が続けられるのは最大でも四日が限界といった所だった。

それ以来この裏技は定期考査や試合前なんかにしかやらないことにした。

 

そうこうしているうちにも周りは着実に成長し、チームの実力は上がった。

俺が三年生になったころには県大会で優勝するレベルになっていた。

 

そうなると新入生もどんどん入って来て、

ついに部活内での俺の仕事は完全に無くなった。

 

ほどなくして俺は部活を引退、

当然ながら最後まで後輩にも好かれず先輩としても情けなかったと思う。

 

部活でそんな程度だったので、勉強なんてもっと酷かった。

俺の呪いにとって一番の難関となるのが勉強だった。

 

中学校生活初期、俺は部活に気を取られていて勉強を怠っていた。

 

小学校の時のテストの難易度は

直前の詰め込みでも十分に切り抜けられるものだったから、

完全に油断していた。

 

第一回定期考査で地獄を見た。

人生初の全教科オール一桁を取った。

保護者を呼ばれて校長室で説教を受け、親に初めて土下座した。

 

それからは授業を全力で受けた。

自分で言うのもなんだが授業態度だけは評価されるようになった。

 

それでも成果が上がっていないことが分かると、

教師達には哀れみの目で見られるようになった。

 

部活と平行して勉強にも力を入れなくてはならないのは

流石に疲れることだったが、精神的に辛くならないだけ部活の事より楽だった。

 

授業中は教師の言ったことをおおまかにノートにまとめて、

日記形式で授業内容を記録する作業と板書をとる作業を平行してやった。

 

それを家に帰ってから整理し直し、テスト当日までに最高のノートを作る。

 

そうすることで、当日に詰め込んでギリギリのラインを保っていた。

 

そんなことを部活への対処と同時にしなくてはならなかったために当然、

睡眠時間は削られた。

 

体には日に日にストレスがかかり、白髪や抜け毛、腹痛にも悩まされた。

 

徹夜の裏技を知ってからは少し点数は安定したものの、

体への負担が更に増えたため、テストの度にボロボロになった。

 

結核との闘病中も自分でやってはいたものの、

二ヶ月も学校に通わなかっためにその後のテストは散々だった。

 

だがその時ばかりは特別待遇をしてもらって、お咎め無しだった。

 

やれることを全てして、やっとのことで食らいついていたが、

それでも運命は邪魔をした。

 

どうやら俺は運命にも嫌われていたらしい。

 

高校入学前の大事な時期、受験シーズン真っ只中に行われる最後の定期考査前。

 

定期考査用のノート一式と受験対策ノートを紛失した。

 

しかも全教科。

 

俺は一気に青ざめた。

 

定期考査用のノートは一年、

ましてや受験対策用のノートは三年丸々使ってようやくまとめた、

 

言わば俺の努力の結晶とも言えるノートだったのだ。

 

勉強においてはそのノートが無ければ俺は無力だった。

 

あのノートはその内容を丸四日かけて徹夜で記憶すれば、

たとえ小学生だろうが選択問題の運込みで赤点回避が可能になる

俺の最高傑作だった。

 

そのノートが無くなったのだ。

 

俺は血眼になって丸四日寝ずに探し続けた。

 

何としてもノートを探さなくてはならなかった。

 

他のことは全てどうでもよくなっていた。

 

自分のことに精一杯でこれまでまともに友好関係も築いていなかったため、

ほとんど他人の協力は得られなかった。

 

定期考査まであと二週間となったところで我に帰り、

最後の足掻きをすることにした。

 

しかし、今回のテストの範囲だけでも最低三ヶ月分あった。

 

どう考えても時間は足らなかった。

 

 

 

人生で二度目の土下座をした。

 

 

テスト後に学年最底辺の奴が突然成績を上げて学年一位になったという噂が、

生徒の間で広まった。

 

今となってはどうでもいいことだが彼は手癖が悪く、

人のものをよく盗むことで有名だったそうだ。

 

ノート紛失による受験に対する不安で俺はその後、精神病になった。

 

この頃の俺はストレスと寝不足で髪はほぼ真っ白で、

成長期だというのに背だって一年に三センチ程しか伸びなかった。

 

しばらく学校も休んだ。

 

その精神病がきっかけで俺は取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。

 

三年生になった当時、俺に気になる女性がいた。

 

別に最初は恋愛感情があった訳じゃない、

初めは俺と同じように部活で苦労をしている者への

共感といったレベルの感情だった。

 

彼女は部活内で部長という立場でありながら皆をまとめられない

という苦悩を抱えていて、それを改善する為に努力していた。

 

その姿勢に感心し、それが段々と彼女自身への興味に変わっていった。

 

彼女は美術部の部長をやっていて、実はかなりの美人だった。

美少女ではなく美人、

中学生にして彼女にはそう思わせる大人びた魅力があった。

 

長い髪は腰まであり、夜の暗闇の中でも際立つほどの漆黒でとても美しく、

赤い眼鏡はその凛とした顔立ちにとても良く似合い、

その全てが美と調和していた。

 

美しさなんて人によって捉え方が変わると思うが、

俺は彼女の美しさに不思議な説得力を感じた。

 

しかし彼女自身は目立つのが好きではなくいつもマスクをしていたため、

ごく僅かな人にしか彼女の素顔は知られていなかった。

 

差別をしない性格で責任感が人一倍強く、頼まれごとを断れないタイプ。

彼女が部長にされたのはその性格から考えれば当然の結果だと言えるだろう。

 

そんな彼女が抱えていた問題は二つ。

一癖も二癖もある個性的な美術部員達に手を焼いているということと、

美術部自体に他の部からの偏見が向けられているということだ。

 

前者は彼女が部長として解決すべき問題であるためしょうがないことだが、

後者は完全に彼女の責任ではなく、

しかもそのことで部長である彼女が偏見を受けていたのが問題だった。

 

美術部に対して偏見の目を向けていたのは主に運動部の女子のグループだった。

自分達の部活の練習が苦しいことで生まれるストレスを

美術部をバカにすることで発散していたらしい。

 

彼女達の話を聞いていると、

まるで運動部が文化部より優れているような口ぶりだった。

 

「美術部は楽している」「真面目な活動なんてしちゃいない」

「運動部は毎日辛い練習をしているのに美術部は遊んでいる」 

「美術部は運動部の厳しさについてこれなかった負け犬が行き着く場所だ」

 

そんな会話が聞こえてきた。

 

初めはなにを言っているのかと呆れていたが、

実際に調べてみると根も葉もない噂ではなかった。

 

確かに

部自体の活動目的の曖昧さから噂通りの不真面目な部員は少なからずいたし、

部活が辛いという理由で運動部から転部する生徒は

美術部を選ぶケースが多かった。

 

彼女はその偏見を無くすようすぐに部活内容を改善しようとした。

 

規模の大きめなコンクールに部全体で定期的に参加させることで

不真面目な部員達に目的を与えた。

 

月に一回外に出て部内写生大会を行ったり、

部内コンクールを開催するなど、

部活の内容を至って具体的なものにすることで偏見を無くそうとした。

 

しかし、

一度植え付けられた固定概念をひっくり返すのは容易いことではなかった。

 

偏見を無くすどころか、

むしろ彼女が頑張っているのが気に食わない奴等が事態を悪化させた。

 

それから彼女は事あるごとに

運動部の女子らにちょっかいを出され陰口を叩かれた。

 

次第に面白がって運動部の男達も加わって

運動部全体が彼女を集中的に攻撃し始めた。

 

陰湿なイジメだった。彼女は集団の外へ隔離された。

 

それまで俺は陰から見守ろうとしてきたが、

このときから彼女に本格的に協力を申し出た。

 

協力を申し出た時、

彼女がとても安心した笑みを向けてくれた事を今でも覚えている。

 

その後俺は自分の事に加えて

彼女と美術部に対する偏見を取り除く為に動き出した。

 

無理を言って美術部の活動内容を生徒会発行の新聞に載せて貰ったり、

まだ偏見の薄い人たちを説得して回ったりもした。

 

そういった活動の甲斐もあってか、

一部の理解ある人間からの誤解は次第に溶けていった。

 

ある時、

最初にイジメを行った女子のグループが

彼女のマスクをバカにして外させようとした。

 

「どうせブスだから着けてるんでしょ?」 「カッコいいとでも思ってんの?」

 

そんな事を言った後、彼女から強引にマスクを取り上げた。

 

数秒後、クラスにどよめきが起こり、

その場にいた全員の視線が彼女に向けられた。

 

それもそのはず、

今まで異性の魅力などこれっぽっちも考える暇のなかった俺でさえ、

初めて見たときは彼女の美しさに丸一日中心を奪われてしまったのだ。

 

ましてや、

思春期真っ盛りである中学生男子達にとっては

少々刺激が強すぎるほどだった。

 

瞬く間に男子の間で噂が広がり、

男子によるイジメはその日を境にに無くなった。

 

代わりに彼女に最も近い俺を踏み台にするべく男共が近寄って来たり、

散々俺が妬まれるようになったが彼女の幸せを思えばどうでもいいことだった。

 

これに対して腹を立てたのが彼女をイジメていた女子グループである。

 

彼女らは恐らく彼女がブスであり

イジメがエスカレートすることを望んだのだろうが、

完全に思惑が外れてしまったのだ。

 

一部の女子はそれ以来彼女とは仲良くしてくれたが、

性格のひねくれた奴らのイジメはもっと酷くなった。

 

でも、彼女の回りには彼女を付け狙うとともに最高の盾となってくれる男共も、

少なからず彼女を理解する女友達もできていたので安心だと思っていた。

 

だがそれでも絶対に敵はいるのだ。

どんなに人より優れていようとも。どんなに多くの人に愛されようとも。

人がこの世に二人以上いる限りは、人から人への悪意は無くならない。

 

ある日、彼女から相談を受けた。

 

帰り道、誰かに付けられているらしい。

彼女の家は反対方向だったが彼女が心配になった俺はしばらくの間、

帰り道に付き添った。

 

俺が付き添っているときは例の視線も感じなかった。

 

やがてテスト間近になって俺のノートが無くなる事件が起こった。

テストの後、もう一度彼女から相談を受けたが、

精神的に参っていた俺は相談を受けることを断ってしまった。

 

「今の俺じゃ絶対に力になれない」

 

断言した。

 

それを聞いた彼女は黙ってその場を去った。

泣いていたようにも見えた。

 

今思えば、深刻な表情で俺の手を握ってきた彼女の手首には、

何かで切ったような傷痕がいくつもあった。

 

真っ先に俺を頼ってくれた彼女を俺は心ない言葉で突き放してしまった。

 

その翌日から俺は学校を休んだ。

 

俺が自分のしでかした事の重大さに気付いたのはそれから一ヵ月後の事だった。

俺は寝ぼけた状態でテレビの電源をつけて朝のニュースを見ていた。

 

ニュースの内容は帰宅途中の女子中学生が誘拐、監禁され、

複数の男に二週間に渡り酷い暴行を受けた後、惨殺されたというもので

犯行が行われたアパートの一室から覚醒剤などの違法薬物が検出されたことで

近年まれに見る凶悪事件として取り上げられていた。

 

初めはそんなことをするクズもいるんだなくらいの認識だったが、

ニュースの内容を聞いているとだんだんと奇妙な違和感を感じ始めた。

 

最近感じなかった努力が報われなくなる忌々しい呪いの感覚と、

他人事に感じられない、

まるでこの事件の一部を体験しているかのような感覚が心の中で混ざる。

 

被害者は数週間前からストーカーの被害にあっていたらしく、

今回の事件とも関連性があるという。

 

しかも事件が起きた場所はこの町だった。

 

この違和感の理由を俺は考えた。考えに考えてついにたどり着いた。

 

最悪の可能性に。

 

そしてその可能性を裏付けるようにテレビに映ったのは……

 

被害者という肩書きが付けられた。

 

彼女の

 

名前だった。

 

 

 



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第一話 「人生のサイシュウワ」

結果だけ言えば彼女は俺のせいで死んだ。

 

彼女は俺が彼女の相談を断った後、下校途中に公園へと寄り道していた。

その時、銀色のワゴン車から現れた男達に車内に連れ込まれ誘拐されたという。

 

発見直後の彼女は衣服を纏ってなく、傷だらけで、

大きな火傷の跡もあったそうだ。

 

監禁されていたアパートには覚醒剤を使用するための注射器が三十本以上、

タバコ、割れた酒瓶、シンナーの容器、

あらゆるものがそこで起こった事の残酷さを物語っていた。

事件発生から二週間もの間、彼女の受けた仕打ちを想像すれば軽く人生十回分は自殺できる。

 

俺は死んで償うべきだった。

首吊りに始まり、飛び降り、リストカット、焼身、練炭、服毒、硫化水素、切腹…

ありとあらゆる自殺を試そうとした。

 

だが、その度に…

 

その度にっ!

 

また邪魔が入った。

 

いい加減にして欲しい。

 

自分の終わりくらい自分で選ばせてくれ。

 

結局俺は死ねなかった。

死ぬ「努力」さえ報われなかった。

 

死のうとすると誰かが来たり、

用意していた道具が突然見つからなくなったりした。

 

もはや、俺の呪いはとても直接的なものに変わってきていた。

それこそあからさまな超常現象になってきているのだ。

 

そのうち自殺しようとしていた所を家族に見つかってしまった。

 

俺の精神状態を心配した親は俺を病院に連れていったが、

俺の精神は至って健康だった。

 

精神病なんか事件のせいで吹っ飛んだ、

俺は純粋に責任を取りたかっただけなのだ。

 

日本の武士は責任を命で償ったと聞いたことがある。

なにも責任に命を使うなんておかしいことでも無いだろう。

 

こんな人生なら、早々に自分の為に使うのはやめにした方がいい。

 

これは危険で異常な考えなのだろうか、一般的にはそうなのかもしれない。

 

けど、俺は「普通」じゃない。

 

俺は誰にも理解されることがない、

異常な俺を分かってくれる奴は俺の周りにはいなかった。

 

身勝手にも俺は部屋に入ったっきり出てこなくなった。

 

社会にとってはクズ中のクズ、中卒ニートの引きこもり風呪い添えの完成だ。

こんなの社会のメニューにはとても載せられない。

それからの日々は俺の人生にとって久しぶりの堕落だった。

 

ニートになってからは暇な時間が増えたため、

暇潰しを考えなくてはならなかった。

俺は折角だから、暇を潰す努力をしてやろうと考えた。

 

俺は小さい頃から好きだった漫画を中心に、

ライトノベル、アニメとのめり込むだけのめり込んだ。

いわゆる二次元オタクだ。

 

不思議なことに二次元についての知識に衰えはなかったが、

おそらく呪いの例外の一部だろう。

 

俺の呪いはなかなか適当だからな、よく言えば柔軟性があるとも言える。

 

この際そっちの仕事は出来ないかとも思ったが、

案の定俺には文才も絵の才能もなかった。

 

子供の頃から、漫画の落ちこぼれ主人公が努力を実らせ、才能のあるものを倒す話が好きだった俺は物語の中に報われなかった努力を求め、

そういった話はないか探した。

 

しかし時代の求めるものは常に変わっていくのだ。

もう、物語の中ですら「努力だけ」なんて求められちゃいなかった。

俺の大好きだった努力はもう化石のような概念に成り下がっていた。

 

強くてニューゲーム、伝説の血筋、天才、棚ぼたチート能力。

みんなそれが前提として存在した上に努力があるのだ。

何も与えられていない凡人が敵う筈がない。

 

俺の求める凡人の成長期は時代遅れの象徴となり、

物語は才能至上主義になっていた。

 

そう、才能だ。

 

努力が実るには才能が必要、簡単な道理だ。

多分、俺には才能というものがこれっぽっちも無かったのだろう。

 

努力が報われるのは才能を与えられた一部の人間だけ、

物語も現実も凡人に厳しいのだ。

 

例えばRPGゲームにおいて小さな村にある男がいたとしよう。

人として生まれたのだから彼も色々とやりたいこともあるだろう。

 

しかし、その村人に与えられた役目は

村を訪れた旅人に村の名前を紹介し続けるというものだ。

 

例えその村が滅ぼされようと家族が魔王に拐われようとも彼の物語は始まらない。

 

その物語においてモブである彼には村が滅びるのを止めることは出来ないし、

勇者でもないから魔王を倒しに行くこともできないのだ。

 

村の名前を紹介し続けることが物語の中での彼の役割だ、

物語は彼のために作られているのではないのだ。

 

物語はほんの一握りの圧倒的な才能を持つ主人公が活躍するために存在している。

 

与えられるものと与えられないもの、

現実でも物語の中でもその差は変わらないのでは無いだろうか。

 

俺はたった一つの才能も与えられず、運命に嫌われて生まれてきたのだろう。

そう考えるともう全くと言っていいほど努力をする気は起こらなかった。

 

いくら努力しても才能がなければどうしようもない。

もう努力なんてしてやるものか、なにせ絶対に報われないのだ。

 

そんな考えを持ったまま、今日まで過ごしてきた。

思えば今年で26歳になる。

 

引きこもりは20歳で卒業し、

日雇いのバイトを探し回って小銭を稼いでは家に納めていた。

 

正直いって俺一人分の生活費にはほど遠い金額しか稼げていなかったが、

そうでもしないと無駄な責任感で成り立った俺のガラスのハートは

粉々に砕けてしまうところだった。

 

最初は親に養われて一生暮らそうかと思っていたが、数年と持たなかった。

俺に親の脛をかじって暮らすことはとてもストレスがかかることだったのだ。

 

とはいえ本来であれば俺の年齢なら働き盛りのはずだ。

早ければ結婚する年齢だし、

大人として社会にも親にも貢献しなければならないのだろう。

 

そしてある日、両親が事故で亡くなった。

俺がアルバイトに行っている間に交通事故で二人とも逝ってしまった。

 

医者だった両親は莫大な財産を残していたが、

はっきりいって俺はそんなものに興味はなかった。

 

遺産相続なんてする気もなく、全部親戚にくれてやった。

 

それからは日雇いバイトを掛け持ちする日々だった。

もちろん辛さはあったが、昔の暮らしに比べれば天と地程の差があった。

 

むしろそんな状況が生活に緊張感を与え、

俺はギリギリで生きることに生き甲斐を持ってさえいた。

 

さすがにオタク趣味も止めたが、

忘れないくらい読み込んだラノベの内容を思い出すことはできた。

 

そんな少しは充実していた日々も二年そこそこで終わりを告げた。

 

ある朝、寝苦しさで目が覚めると部屋が燃えていた。

俺は慌てて外に飛び出した、今思えばそのまま寝ていても良かったと思う。

 

聞けば放火だったというが、特に恨みもしなかった。

別に恨んでる奴にやられた訳でもない、そもそも恨むなんて時間と体力の無駄だ。

 

家は完全に全焼、消防隊の方にはよく生きてたものだと驚かれた。

 

この時俺の中に

俺は何かに生かされているのではないだろうかという考えが芽生えた。

 

こんなになってまで死なせて貰えないという事は俺には何か使命があるんだ。

もしかしたら俺はその為に生かされているのかも知れない。

 

そんな事を考えた。

 

 

まあ、少し遅めの厨二病である。

 

何も目標のないまま日々を生きるよりも

何か目標を持ったほうが生活にはメリハリが生まれる。

 

なので俺はいつ来るかも分からない自分の使命のために生きることにした。

 

とはいっても本当に財産は全て無くなってしまったし、

かといって誰かに頼る真似は出来なかった。

 

考えた末に俺は河川敷の大きな橋の下で人目を忍んで暮らした。

 

それからの主な主食は雑草と虫やミミズだった、

運が良ければ小魚なんかにもありつけた。

 

調理の知識もなく、ほとんど踊り食いだったからか

食事の度に口の中で命が砕けていくのを感じた。

 

最初の方こそその感触への拒否反応で嘔吐が続いたが、

何度もやっているうちに慣れた。

 

しょうがないことだと自分にいいきかせながら、

絶対に命に感謝することだけは忘れないようにした。

 

毎日のように、「頂きます」という言葉の意味が慢性的に心に響き続けた。

 

台風の後だったか、

どうしようも無くなってカラスと共にゴミ捨て場を漁った事があった。

 

漁っている途中に人に見られ、俺は慌てて近くにあったゴミ袋を掴んで逃げた。

 

手に入ったのは少しだけ残ったマヨネーズと幾つかのずぶ濡れの本だけだった。

やった後、俺はとてつもない罪悪感に苛まれた。

「やってしまった」と思った。

 

それでも手にした物は少なからず俺の生活を豊かにした。

 

ほんの少しのマヨネーズが食卓に文明を取り戻し、

久しぶりに人の食べ物を食べられた。

 

その時、生まれて初めて俺は調味料に感動した。

 

拾って来た本の中には、

分厚かったために運よく浸水を免れた国語辞典や数学の参考書が含まれていた。

 

毎日時間だけはあったのでずっと読み続けた。

 

もちろん次の日には読んだ内容は忘れていたが、

本を読むと精神はこれ以上なく安定した。

 

俺の呪いはろくなものじゃないが、何をしても飽きないのは良いことだ。

 

なにせ何度やっても初経験だからな。

 

やはり俺と努力は切っても切り離せない物だった。

 

そんな生活をして一年が経とうとしていたころ、久しぶりに人と話をした。

見た目は五十代程の優しそうな顔をした人だった。

 

身なりや雰囲気から、

彼が自分と同じような境遇にある人物だということは一目で分かった。

 

彼は三郎さんという名前だった。

 

彼には共に暮らす仲間がいるらしく、彼の知り合いから橋の下で一人で暮らすやつがいるとの噂を聞き、様子を見に来たそうだ。

 

彼らは住む場所を追われ、新しい拠点を探しているらしく俺の住んでいる所に空きは無いだろうかと聞いてきた。

 

俺が彼らがここで暮らす事を快く承諾すると三郎さんはとても喜び、

すぐに他の人を連れて来た。

 

彼の仲間は二人いた。

坊主頭が特徴的な義昭さんと割とがっちりとした体型の隆文さんの二人だ。

 

二人とも陽気で気のいい性格で俺たちはすぐに打ち解けた。

 

次の日の朝、俺が朝食を取ろうと河原の雑草をつんだり、

石をひっくり返してミミズを取ったりしていると、

後から起きた三郎さんは驚いて俺を止めた。

 

彼の話では都会の雑草は排ガスだらけで食べたらすぐ病気になってしまうし、

そもそもミミズなんかは人の食い物じゃないそうだ。

 

そんなわけでその日の朝は彼らの飼っている鶏の卵を食べさせて貰った。

 

四人で分けたため食べたのは本の少しだったが、

久しぶりに摂取したタンパク質は全身に染み渡った。

 

何とかして卵の恩を返したかった俺は日々ゴミを漁った。

 

罪悪感を恩返しという大義名分のもとに押し殺し、

血眼になって使えそうな物を探した。

 

そんなことを続けていると「もっといい方法がある」と隆文さんは言った。

 

隆文さんの言う「もっといい方法」とは廃品回収の事だった。

 

空き缶や鉄屑、週刊誌、使用済みテレフォンカードなどは良い収入源になった。

 

空き缶は1キロ程で80円に満たない程度だったが、それでも一週間で100キロを目標にすれば運のいいときは一ヶ月辺りで3万円強は稼げた。

 

毎朝日が上る前に行動を始め、夜は夜目が利かなくなるまで粘った。

いつしか俺は四人の中で一番の稼ぎになり、

卵の恩を返すことができるまでになった。

 

いつだったか卵のお礼として居酒屋のごみ捨て場でたまたま発見したガスコンロを使ってすき焼きをやったことがあった。

 

あのときは楽しかった、体もそうだが人とともに楽しむ食事は心を暖めてくれた。

 

ある年の元日、炊き出しでもらった雑煮を食べながら義昭さんは俺に自分は年金を納めていたから来年になれば年金暮らしができるのだと嬉しそうに話してくれた。

 

その年の夏の事だった、俺が空き缶集めから帰ると廃材にブルーシートを張った俺たちの家がぐちゃぐちゃに壊されていた。

 

家に残っていた三人は全身アザだらけで衰弱していた。

辛うじて意識があった隆文さんの話では十数人の高校生らしき集団に突然襲われたらしかった。

 

救急車を呼ぶため俺は公衆電話を探したが、

携帯電話が普及した都会に公衆電話は全くといっていいほどなかった。

 

やっとのことで電話を見つけ、三人は救急車で病院に搬送された。

 

幸いなことに三人とも命に別状はなく、一ヶ月ほどで退院できるとのことだった。

治療費だけが心配だったがそこは国が出してくれることになっているらしい。

 

病院からの帰り道、とりあえず皇居の近くと国会議事堂前に頭を下げてきた。

警備員の方には怪しまれたが、事情を話すと笑って許してくれた。

 

三人が帰ってくるまで俺は今まで以上に頑張って稼いだ、

三人の退院祝いをするためだ。

 

壊された家も再建し、自家発電機を導入、扇風機と小型の冷蔵庫も買ってきた。

 

充実した日々に、自分の呪いのことを忘れていた。

そうだ、こんなにうまくいくなんて本当はおかしかったんだ。

 

思えば朝起きたときに必ず感じるはずの呪いの感覚は消えていた。

 

三人の退院する一週間前、突如台風が日本に上陸した。

俺は台風に備えて家の補強を考えていたが、

川が増水したくらいですぐに台風は去った。

 

正午頃、昼食を終えて再び河川敷の空き缶拾いを再開しようとした所、

小さな子供の声が聞こえた。

 

声が聞こえた方を見ると川沿いの公園で小さな子供が遊んでいるようだった。

ついさっきまで台風だったというのに元気なことだ。

 

しばらく微笑ましくて見ていたが、子供たちが川に近づき始めた。

川は台風が通り過ぎた直後で増水していて流れも激しくなっている。

足を踏み外したら危険だ。

 

(ちょっと注意したほうがいいか…)

 

彼らがいる方向は逆だ、引き返さなくてはならない。

彼らが遊んでいる所の近くまで来たところで、出来るだけ大きな声で。

 

「今、川は危ないから近づくなよー」

 

と言った瞬間―――

 

「あ……」

 

川岸で押し相撲をしていた子供のうちの一人が、足を踏み外して川へと落ちた。

 

俺は考えるより先に体が動いていた。

脱げるだけ服を脱いで全力で駆け出し、川へと飛び込んだ。

 

飛び込んでから後悔した。

俺は泳ぎなんてできない、学校の授業でも度々溺れていた。

 

すぐに鼻に水が入り、あの独特のツーンとした感覚が不快感を煽った。

 

 

砂と泥の混じった水が体に当たって気持ち悪い、

徐々に体は沈み、川の流れによって流され続ける。

 

とりあえず浮くことを第一に考えて足を全力で動かした。

 

なんとか浮くことには成功したがそれはいたって効率が悪く、

急激に足の疲れが溜まっていく。

 

俺は本能的に流れに逆らわず、体力を温存しながら子供に近づいていった。

 

子供の方はまだかろうじて水から首を出して足掻いているようだが、

それも時間の問題だ。

 

やっとのことで子供の手を掴み、抱き寄せる。

俺の足はもう限界だった。

 

だが、まだなんとかなるはずだ。

俺は何度自殺しようとしても死ねなかった、何かが俺が死ぬのを邪魔していた。

ならばそれを逆手にとってやる、

俺はなぜか運命に生かされているらしいからな。

 

だがもう俺の体は限界、子供の方もかなり消耗しているようだ。

ふと気付くと、子供の着ていた上着が強い流れによって脱げそうになっていた。

それを一旦水から出し、なるべく空気が入るようにもう一度水に付ける。

 

小さい頃、風呂場でタオルを使ってやったアレだ。

まさかここで役に立つとは思わなかったが……。

空気を入れるために勢いを付けて沈んだため、

大量に水を飲んでしまったが気にしてはいられなかった。

 

砂が入ってもう目を開けているのも辛い。

 

上手くいった、上着はさながら風船のように空気を含んだ。

長い袖が絡まって少しは空気が逃げるのを防いでくれていた。

これなら大丈夫だろう、少なくともこの子供は。

 

既に意識が朦朧としている子供に最後の力を振り絞って水から顔を出し、伝える。

 

「これに掴まれ! 絶対離すな!」

 

そういったつもりだったのだが、あまりハッキリとは伝わらなかったようだ。

子供は頷いたのだろうか、

少なくとも彼の腕は空気の入った上着を掴んでいるようだ。

 

そう長持ちするものでもないので不安だが取りあえずはこれでいい。

 

それにしても死にかけた時には視野も広がるのだろうか、

遠くに何人かの人がが見える。

 

子供達の親だろうか、ともあれこれで助かった。

 

さて、いつまでも俺が掴まっている訳にもいかないな…

 

一旦離れて流されれば俺は多分何処かに打ち上げられるだろう。

 

俺が子供から手を離そうとした瞬間。

 

流れてきた丸太が俺の頭に直撃した。

 

 

 

 

 

 

気付くと俺は視界全てが真っ白な空間に居た。

 

自分の腕は見えるが、手を握っても手を握った感触はない。

 

(夢……か?)

 

夢にしては随分と意識がハッキリしていて不気味だった。

 

辺りを見回すと、遠くに何かチカチカと光のようなものが見える。

真っ暗な部屋でテレビを観ているときのような光だ。

 

(取りあえずあそこまで行ってみるか)

 

俺は光に向かって歩き出した。

やがて光の前に着くと光の正体が分かった。

 

それは見覚えのある川が流れる映像だった。

俺がさっきまで入っていた川だ。

同じような服を着た多くの人が、何かを探しているように見える。

 

しばらくして流れた映像に俺は驚愕した。

 

そこに映っていたのは水に浮いた「鬼」だった。

 

全身が赤黒く膨張していて俺の二倍はあるだろうか、角は無いようだ。

顔は表現するのもおぞましいほどグロテスクで髪はほぼ抜け落ちているが

白髪が多いようだ。

 

その隣には小鬼だろうか……

さっきの鬼の半分位の大きさの同じような生き物が浮いていた。

 

その鬼たちが何かを探していた人達によって回収されている。

見たところ二匹とも死んでいるのだろうか。

 

鬼たちが回収された後、今度は別の映像が流れ始めた。

 

黒い服を着た人たちが何か集会を開いているようだ。

そんなに参加している人は多くない。

 

(誰かの葬式だろうか……。)

 

分かったのはその直後の事、そこに「現実」があった。

 

映像は俺の葬式のものだった。

 

(嘘だろ?)

 

(俺は死ねないんじゃなかったのか?)

 

そんな思いが頭の中を駆け巡った。

 

しかし、いつまで経っても現実に目覚めることはなかった。

 

(俺は……死んだのか……)

 

不思議と納得する答えだった。

それなら変に意識がハッキリしているのにも、体の感覚が無いのにも合点がいく。

 

三郎さん、隆文さん、義昭さん達が映像に映った。

三人とも涙を流している、そうか……彼らが葬式を開いてくれたのか……。

 

少しだけ心残りがあるとするならば彼らの退院を祝えなかったことだろうか。

 

しかし死んでしまうとは情けないことだ。

 

とするとさっきの鬼のようなものは俺とあのときの子供の死体か、

水死体ってああなるんだな。

 

まあ俺は元々死ぬ予定だったのだ、今更急に死んだとしても別にいい。

 

そう思えばそれほど辛いことではない、

社会から俺というクズが一人掃除されただけだ。

 

だが、子供に悪いことをしたな。

しっかり岸まで届けて最後まで助けるべきだった。

 

まあ、今更悔やんでもしょうがないことだ。

彼も俺も死んでしまったのだ。

もう彼のために死ぬことも生きることもできない。

 

そうするとここは死後の世界というものだろうか、

 

俺は宗教には関心がなかったので詳しくは知らないが

 

前に読んだラノベの通りだとすれば

やはり日本人は最初は三途の川を渡って地獄で閻魔様に会うのだろう。

 

しかし回りに川らしきものは見当たらない。

 

(探すか……やることないし)

 

それから俺は三途の川を探しに行くことにした。

死んだのだから俺は恐らく霊、もしくは魂だけの存在という感じだろうか。

それはともかく、この状態はとても楽なものだった。

 

体が無いから腹は減らないし、疲れも感じない。

おまけに進みたい方向に意識を向けるだけで進んでくれる。

おかげでかなりの距離を探し回れたと思う。

 

しかし、何も見つからなかった。

あの時見た映像以外はものといったものが全く見当たらない。

そのうち飽きてしまった。

 

俺はずっとこんな真っ白な世界で何も感じないまま、存在し続けるのだろうか。

少しは嫌だとも思えたが、同時に悪くないとも思えた。

これこそ十回分の自殺に匹敵する自分への罰ではないだろうか。

 

そのまま俺は生前読んだラノベの内容を思い出したりしながら

そこに「存在」し続けた。

 

ある日、

いやある日というのもおかしいか。

 

ここでは時が進んでいるのかすら分からない。

 

まあ、とにかくある日としよう。

 

久しぶりに音が聞こえた。

 

初めは何かが落ちるような音の後にゲームの効果音のような派手な音が響き、

最後に鎖のじゃらじゃらとした金属音がした。

 

わりと近いな。

 

音のした方へ行くとそこには赤髪の男が遥か上から下がった鎖に繋がれていた。

 

「興味深いな、ここに何かが居るとは思わなかったぞ」

 

鎖に繋がれた男は俺を見て珍しそうに言った。

 

「あんたが閻魔様か?」

 

俺はここを死後の世界だと認識している、

日本人である俺があの世で最初に会うのは閻魔のはずだ。

次に口を開いたのは男だった。

 

「そなたは何者だ? 何故ここにいる。」

 

「俺は大神 佐助、三途の川を探している。

 川で丸太に頭を打たれて気付いたらここにいた。」

 

「……それはおかしいことだな、

 ただ死んだだけではこんな所には来ないハズだが…。」

 

どうやら男は閻魔では無さそうだ。

なにやら考え事をし始めそうだったので、さっさと話を進めておくことにした。

 

「すまない、そっちも名乗って貰っていいか?」

 

「おお、そうであったな、これはすまなかった。」

 

「私は四元素世界人、

 そなた達の世界で言うところの「運命」、もしくは「神」だ。」

 

神か、辺り一面真っ白なここはなんか神聖な所なのだろうか……

 

と言うことは天国か?

まあ、いろいろ考える前にしなきゃいけないことがある、

言葉による交友関係の構築には必要なことだとラノベに書いてあったことだ。

 

「まあいろいろ質問するのは後にして、まずあんたの名前を教えてくれないか?」

 

「別にいいが…案外驚かないものなのだな、そなたは神に会うておるのだぞ?」

 

「まあ、こんな所に来た時点で大概の事には驚かなくなったつもりだ。」

 

少しの間男は黙ったが、

それほど時間の掛からないうちに考えはまとまったようだ。

 

「そうだな私はヨンだ、四元神ヨンと読んでくれ。」

 

「じゃあ質問を始めてもいいか?ヨンさん、いやヨン様か?」

 

「別に信仰している訳でもない神に敬意をはらう必要もあるまいて、

 ヨンでよいぞ」

 

お互い自己紹介がすんだ所で質問の時間だ。

 

「じゃああんたは神と言ったが具体的に教えてくれ、あんたはどんな神だ?」

 

「私達四元素世界人はそなたらの世界、

 つまりは三元素世界の上位に位置する次元の住民だ。」

 

「そなたらの世界をさながら紙に書いた絵のように作り替えられる超存在、

 それが神だ。」

 

なるほど、彼が自分の事を運命と表現したのも頷けるな。

 

「じゃあ四元素世界とかってのはなんのことなのか教えてくれ。」

 

「簡単にいえば世界というものは4つ存在するのだ。

 基本的に小さな数字を持つ下の世界を

 大きな数字を持つ上の世界が管理している。

 一元素世界、二元素世界、三元素世界、四元素世界といった具合にな。」

 

そうか、大体分かった。つまり俺は世界の頂点に立つ存在と会っているんだな。

まったく、生きているうちに知り合いになっておきたかったものだ。

 

「もう質問はいいのか?」

 

「ああ、もういいよ。取りあえず当分は話し相手には困らなそうだ。」

 

「私はこんな所にいる場合でもないのだがな、

 そなたの暇潰しには付き合えそうもない。」

 

断られてしまった、

まあ急ぐなら止めはしないがせっかくの話し相手と別れるのは惜しいな。

 

「しかし、この鎖が邪魔で何処にも行けそうにないのだ。

 自分では外せないのでな。」

 

「そこでだ、もし外せたならば最高の暇潰しを提供しようではないか。」

 

それはとてもいい取り引きだ、俺に断る理由はなかった。

というのも、俺はとにかくここへ来てからはずっと暇だった。

 

ラノベの内容を思い出したり、

空間内では浮けることに気づいた時は自由に飛び回ったり。

 

死んだせいか呪いを感じなかったので頑張って生前の記憶を思い出したり。

 

色々工夫をこらして暇を潰して来たのだがとうとう最近ネタ切れ感が出てきた。

 

もちろん、現世への贖罪の期間だと捉えていたから楽しく過ごそうとは思っていなかったのだが…

 

俺も人間だ、どうしても暇なのは辛いのだ。

 

俺はこの取り引きを成立させるため、鎖に手を触れた。

すると鎖は音も出さずに消滅し、ヨンはその呪縛から解き放たれた。

 

「おお、助かったぞ大神よ。

 早速だが少し確かめたいことがあるのだ、近くに来てくれるか?」

 

そう言われて俺は彼に近づいた。

彼は俺の頭に手を突っ込み、何かをしているらしい…ちょっと変な感じがする。

頭だけが生きていた頃の触覚を取り戻している、けっしていい感覚ではないが。

 

ちょうど頭の中をハンドミキサーでかき混ぜられているような感覚だ。

不思議と痛くはない。

 

「そういうことか…とにかくこれで合点がいった。」

 

俺の頭から手を抜くと、ヨンはなにかに納得したようだ。

 

「大神、お前に伝えねばならないことがいくつかある。」

 

「わかった。」

 

「お前は「被害者」だ。我々神の遊びのな…。」

 

「どういうことだ?」

 

神妙な顔つきでヨンは話を始めた。

 

「お前は才能がどうやって創られるものかは知っているか?」

 

「いや、知らないな。」

 

「端的に言えば、才能は人の努力から産み出されるのだ。」

 

「あえて表現するなら「我力」、

 形という器に注がれ存在を構成する万能エネルギー」

 

「我力は人が努力する過程で生み出され、魂に蓄積される。」

 

「それを我等神は回収し、才能を創るのだ。」

 

「それでしばしば努力が報われないって人間が出てくると…」

 

「基本的には才能に見合わない高望みの努力や、

 なんらかの要因で目的達成前に中断された努力等が使われるのだがな。

 衰えるという感覚、ブランク、全て同じだ。」

 

「才能とは元々、人間同士に違いを持たせ、努力によって輝き、運命を覆す力となるものだ。」

 

「なにぶん神も暇なのでな、

 自分が与えた才能で人が運命を覆すのを見せあうのはいい遊びになるのだ。」

 

少しだけ胸糞の悪い話だったが人間も同じような事をしているしな、

ラノベなんかまさにそれだ。

 

そうすると二元素世界というのは二次元のことになるのだろうか、

少しだけ行ってみたい気はするな。

 

「神の定めた運命を多少なりとも覆してしまえる努力と才能の存在は

 神にとって面白きものでもあり、同時に恐ろしいものでもあった。

 そこに目をつけた一人の神が禁忌を犯した。」

 

俺はただ静かに彼の次の言葉を待っていた。

そして彼は忌々しそうに話の続きを語り始めた。

 

「その神は神をも滅ぼす力を従えて他の神に宣戦布告したのだ。本来神は絶対に神同士で滅ぼしあうことは出来ないのだがその神は最強の才能で神を滅ぼす存在を生み出し、数多の神を殺した。」

 

「ちょっと待ってくれ、神が神を殺すのに意味はあるのか?」

 

「ただ今まで誰も出来なかったことが出来るようになったから試したいだけだろ  う。それこそ殺せないものがいなくなるまでな。」

 

そんな理由で相手を殺せるものなのか、神というか子供みたいだな。

 

「神など本来そんな理由で動くものだ、常に己の行動に正当性を求めたがるそなた ら人間には理解できないかも知れんがな。神は欲望に素直だぞ? なにせ全能でい てなお、暇だというのだからな。」

 

「そしてここからがそなたに直接関係ある所だ。心して聞け。」

 

ようやく本題らしい。

 

「神をも凌駕する才能にはそれこそ大量の人間の我力を犠牲にする必要があった。

 

「奴はそれを複数の人間から同時に努力を回収することで賄おうとし、

 数にして約59億8000万人もの人間の努力を無差別に奪った。」

 

「……がどうしても才能の核となる我力が足りなかったらしい、

 どうにも行き詰まってしまってある事を考えついた。」

 

「才能を産み出すための才能を作ったのだ。

 それはつまりどんな努力も絶対に結果に結びつかない才能…」

 

「つまりは努力の全てが高純度の報われない徒労……つまり我力となり、

 エネルギーとして貯蔵される「徒労の才能」を作ったのだ。」

 

そのこと聞いた途端、

まるでパズルの最後のピースがはまるように俺のなかである結論が出た。

 

「その才能を与えられたのが俺ってことか…」

 

「そうだ」

 

そうか、今まで呪いだったと思っていたこれは才能だったんだ。

俺のための才能ではなく、才能のための才能。

俺の存在は言わば発電機のようなものだったって訳か。

 

冗談じゃない。

 

俺がその才能のせいでどれだけ人に迷惑を掛けたと思ってるんだ。

親に! 教師に! チームメイトに! 医者に! 社会に! 彼女に!

 

俺にとって人に迷惑を掛けることがどんなに辛いことだか分かっているのか?

世界にとって俺みたいな人間がどれだけ邪魔になるか分かっているのか?

 

分かっていて俺にその才能を与えたのならば許してはおけない。

明確に何かに対する殺意が沸いたのははじめてのことだった。

 

「大神よ、これは素晴らしき偶然かもしれぬ、

 そなたに復讐を誓う心があるならば私も力になろう。」

 

「あの神は恐らく全ての世界の生命を滅ぼそうとするだろう。

 それを止められるのはそなたの努力だけなのだ。」

 

またとない素晴らしい取り引きだ。

これは暇潰しのレベルじゃない、新たな俺の目的となるものだ。

死者となった俺にこんな素晴らしい目的を与えてくれた神に敬意を払わないのはおかしいな。

 

「この力、喜んで御貸し致しましょう。

 これより私は貴方を信仰させていただきます。」

 

「協力に感謝しよう、神の人柱となった哀れな人間よ。」

 

俺はその日から宗教を始めた。

 

俺はその後もヨンに敬語を使おうとしたが、

堅苦しいので止めろと言われてしまった。

 

こっちとしてはやめる気は無かったので頼み込んで許して貰った。

 

ヨンから聞いた話によれば俺達が今いるここは一元素世界で、時間の概念なども俺が居た世界と比べると恐ろしく早いものの、一応あるらしい。

 

調べてもらったところ、俺はここの時間で言えば千年は居たらしい。

ヨンにはこんな何も無いところでよく千年も居て精神がやられなかったものだと感心された。

 

当たり前だ、俺にとって精神崩壊するほどストレスのかかることといえば人に迷惑をかけることだ。

 

ここには誰一人としていなかったから精神がやられるなんてあり得ないのだ。

 

また、俺の才能について詳しく分かったことがある。

俺の才能は努力をしても結果に繋がらず、結果に繋がる量の努力がその数値を遥かに越えても努力を凝縮し続け、才能の元となる我力エネルギーを高純度で産み出す才能だ。

 

敵の神、俺からすれば邪神となるそいつはその超過した努力を俺の意識がないうちに気付かれないように回収して、最強の才能を作っていたらしい。

 

しかし、体に関する変化は俺が気付く可能性があるので一度には出来なかったり、

俺が寝ないければ良いことに気付いたり、努力を辞めようとした時はやむ無く運命を操作して俺が抵抗できないようにしていたそうだ。

 

しかし、神が強引に運命を変えると神の介入によって変化した魂にその人間の運命に起こった出来事が定着し、魂が来世に記憶を引き継いでしまうらしい。

 

それを繰り返すと、だんだんと人は運命の拘束力に対して強くなっていき、それによって神の力への耐性を持った俺の復讐を恐れた邪神は、俺から必要な量の我力を採った後に俺の運命を操って殺し、俺の魂を一元素世界に飛ばしたそうだ。

 

少なくとも一元素世界に飛ばしてしまえば、

俺一人ではどの世界へも生まれ変わることは出来ないので、

俺が記憶を引き継いで生まれ変わることもなかったはずだった。

 

だがそこに予想外の要素が加わった。

邪神の魔の手から自分自身を封印して一元素世界に逃げ込んだ

我が神ヨンの存在だ。

 

神であるヨンの力を持ってすれば俺をどこかに転生させることは簡単にできる。

 

だがもちろん問題はあった。

彼が自分自身に掛けた封印は、邪神からの追撃の目を逃れることができる代わりに

自分の神の力を大きく制限してしまうものだったということだ。

 

そのせいで俺はもといた世界には転生できない。

そもそも四元素世界の直下に位置する世界に

俺を送り込むのはリスクが高いらしい。

 

これから行く二元素世界とはどんな所かヨンに聞いてみたことがあった。

 

「二元素世界ではより運命の拘束力が強い、運命に寄生しなければ存在自体が危ういのだ。台本通りに演技出来ない人形に存在価値がないのと同じようにな。」

 

とのことだった。

どうやらかなり運命が強い拘束力を持っている世界らしいが、

運命の拘束力が強いほど運命への耐性も早く付くらしい。

 

邪神の使徒である最強の才能を持つ者に対抗するためには

俺の持つ徒労の才能が重要だ。

俺の報われずにオーバーフローした努力は強力なエネルギーを産み出す、

それをうまく使えば邪神の使徒と同等か

それ以上の力を手に入れることが可能だとか。

 

だが、そのエネルギーが才能に変換されてしまうと

俺自身はそれを使えないらしい。

 

理由を聞いたが、ハッキリしていないことを話すのは嫌だそうで言葉を濁された。

 

その為、俺は二元素世界で神の使徒として人々の運命に介入し、

俺と同じ神の力への耐性を持つ仲間を増やさなければならない。

 

その仲間達に俺の才能から産み出された才能を使わせるのだ。

 

 

 

ここで俺の当面の目的が決まった。

 

1、神の力に抗うための運命への耐性を数回の転生で付ける。

 

2、神の使徒に対抗する才能を二元素世界での努力で獲得する。

 

3、二元素世界の住民の運命を変え、才能を与えて仲間に引き入れる。

 

大まかにすればこの3つが二元素世界で果たさなければいけないことだ。

 

大体の説明が終わった所でヨンがこう言った。

 

「ところで、そなたのその才能はこれからの旅において重要ではあるが

 同時に邪魔な物でもあるだろう?」

 

「確かに、そうですね。」

 

それもそうだ、俺の才能は大きなエネルギーを産み出すがその反面、

何かを成し遂げるという時においては邪魔なものでしかないのだ。

なにせ結果に努力が反映されないのだから。

 

「そこでだ、

 完璧にとは言えないがそなたとその才能を分離してみようかと思う。」

 

「そんなことが出来るんですか!」

 

「まだ成功するかも危ういが、より事を上手く運ぶためには必要だ。」

 

そう言うとヨンは俺に向かって手をかざした。

一瞬、俺の体が光に包まれ、体から何かが抜け出た感覚があった。

そして俺の足下には小さな青い宝石のようなものが転がり落ちた。

 

「結果は…まずまずと言った所か。」

 

ヨンの顔は安堵の表情を浮かべていたが、同時に疲れの色も見えた。

 

「具体的にはどう変わったんです?」

 

「まず、結果としてそなたの努力の一部は徒労の才能の影響を受けなくなった。」

 

「おお!」

 

「しかし、それは常人の2割程度だ。」

 

この際、量なんてどうでもいい、報われることが重要だ。

常人の2割なら常人の五倍やればまともになれるということだ。

簡単ではないが、可能性があるだけで俺にとっては大きな一歩だ。

 

「この石は切り離したそなたの才能の一部だ、

 これに命を吹き込み二元素世界の案内役としよう。」

 

そう言うとヨンは石に文字通りに息を吹き込んだ。

石が光を帯び、俺の近くに飛んでくる。

俺の前まで来ると、流暢な日本語で喋り始めた。

 

「初めましてマスター、二元素世界の案内役をお仰せつかりました…」

 

「……」

 

あれ、黙ってしまった。

故障だろうか。

 

「あの……なんと名乗れば宜しいのでしょうか?」

 

「俺に聞くの!?」

 

「そう言われましても…私まだ作られたばかりですので。

 できればお名前を頂戴したく存じます。」

 

俺が決めるのかと思いヨンのほうを見ると頷かれた。

じゃあ俺が決めるか。

声からすると女の子のようなんだが、どうしたものか…

 

生前は結婚していなかったし、子供もいなかったから人の名前なんて考えたことも無かった。

 

名前はずっと使うものだから由来がちゃんとしたのを付けてやりたい。

 

「お前性別とかは有るのか?」

 

「魂は女のもののようだぞ。」

 

「別にどんな名前でも構いません、甘んじて受け入れる所存です。」

 

ヨンが教えてくれた。

そして石はまた俺に要らぬ責任感を抱かせる。

いや、そんなこと言われたら尚更まともなのを付けてやりたくなっちゃうよ。

 

俺の才能だから俺の努力が貯まるものか、

RPGで言うならEXPゲージと言った所か。

 

じゃあEXPゲージをもじって考えてみよう。

名字的なのはゲージ、そのまんまで良いとして……問題はEXPの読み方だな。

エクス……パ、エクスピ、エクスプ、エクスペ、エクスポ……

うん、エクスパがしっくり来る。

エクスパ・ゲージちゃん、これで行こう。

 

「お前の名前はこれから「エクスパ・ゲージ」だ」

 

「素晴らしい名前を下さってありがとうございます。」

 

歓喜の入り混じった敬語でエクスパが答える。

エクスパはその青い石の体をクルリと回して一礼した。

 

「では改めて」

 

「私はエクスパ・ゲージ、

 マスターの二元素世界の案内役として誠心誠意励ませていただきます。」

 

こうして俺の案内役、エクスパ・ゲージが誕生した。

どうも俺のネーミングセンスは乏しいようだ。



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第二話 「転生のダイイチワ」

前回までのあらすじ

 

世界の最下層、一元素世界で四元素世界の住民である神、「ヨン」に出会った俺は自分の生まれてきた意味を知った。

 

どうやら俺は邪神の暇潰しのため、最強の才能の材料にするための才能…

「徒労の才能」を与えられて生まれたらしい。

 

その才能せいで周囲の人々に迷惑を掛けっぱなしのクズみたいな人生を歩んできた俺はその贖罪と邪心への復讐のためヨンと手を組み、

二元素世界でその準備をすることに。

 

遂に俺の才能がヨンによって分離されて生まれた二元素世界の案内役、

「エクスパ・ゲージ」とともに遂に異世界に足を踏み入れることとなる……。

 

_____________________________________

 

「準備は出来たか?」

 

「準備もなにもここはなにも無いところでしょう?」

 

「そうであったな、いや私が言いたかったのは心の準備だ。」

 

「大丈夫ですよ、ちょっと楽しみですらあります。」

 

これから俺は二元素世界へと旅立つ、

仲間を集め、努力して力を付け、運命に抗うのだ。

 

頼れる案内役もいる、きっと大丈夫だ。

 

「そうか、では二元素世界への扉を開くとしよう。」

 

ヨンが指を指した所に穴が開く、

指をさながら鍵を開けるように捻ると大きな穴になった。

 

「最後に言っておく事がある。」

 

「何でしょうか?」

 

「そなたは私が体を与えて世界に送り込むことになるが、元々その世界にいなかったものが突然青年の姿で現れるのは色々と邪神に見つかるリスクがある。」

 

「故にそなたは赤子の状態でどこかに生まれるという形で世界に行くことになる」

 

「別の世界に行くごとに人生やり直しというわけですか……」

 

「まあ、今回の目的の為には時間が多いほど良いだろう

 子供のうちしか出来ぬこともあるやもしれぬ。」

 

「言っておくが、肉体を生み出すのには結構な力を使う、無駄にはするな。」

 

「分かりました、なるべく気をつけます。」

 

なんだか結構条件付きなようだ。

 

神がついているのだからサポート万全なのかと思ったが、

そういえば彼は今、力の大部分を失っているんだったな。

 

「案ずるな、エクスパも付いておる。」

 

エクスパは俺の隣で時折くるくると回っている。

不安が無いわけじゃないが、俺は何よりもこの旅立ちに期待している。

 

俺は死してようやく味わうチャンスを得たのだ。

ちゃんと実る可能性のある努力ができるまともな人生ってやつのチャンスをだ。

 

俺が穴に向かおうとすると、ヨンは俺の頭を掴んだ。

記憶が流れ込んで来る、どうやら前世の記憶のようだ。

 

「餞別だ、お前が生前に手に入れた知識の中でここに来てから思い出せたものはできる限り魂に定着させておいた。」

 

「無知過ぎてあまり役に立たなくても困るのでな。」

 

ヨンはそう告げてニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。

俺としては最高に嬉しい餞別だ、感謝感謝。

 

「じゃあ、行ってきます!」

 

「うむ、朗報を期待しておるぞ」

 

旅立ちの挨拶を終えると、俺は二元素世界へ続く穴へと入っていった。

 

_____________________________________

 

 

気付くとどうやら俺は水中にいるようだった。

今の状況はヤバイ。

 

本能的に感じ取った、波もあるようで恐らく海中だ。

体の自由がきかない、どうやら本当に乳幼児のレベルからやり直しになるようだ。

耳元でエクスパがパニックに陥っている。

 

(どうしましょう! いきなり失敗なんて案内役の面目丸潰れですよぉ!)

 

ああ、もう頼れる案内役のキャラが崩壊しかけている……。

 

俺はと言えばほとんど呼吸が出来なかった、

たまに波で水面に浮かぶ時だけしか空気に触れられない。

 

どうして普通に生まれられなかったのか。

 

意識が遠のいていく…

転生第一回目で冒頭から溺死か、傑作だな。

 

 

次に意識が戻ったとき、そこは見慣れた一元素世界の景色ではなかった。

 

目が見えないということはまだ俺は生きていて、

しかも赤ん坊のままだということだ。

 

どうやら転生第一回目で失敗するのは免れたらしい、我ながら悪運の強いことだ。

 

「船長! この赤子なんとか生きてます! どうしやしょう?」

 

なにやら頬に触れるやつがいる、

何を言ってるかはよくわからないがこの世界の言葉だろうか。

 

しかし元気で声が大きいな、耳が割れそうだ。

 

「そいつの近くにはサファイアサーペントの群れがいたんだ。

 縁起がいいし、しばらくは俺たちが預かることにしよう。」

 

「了解しやしたぁ! 」

 

俺の体ががっしりとした腕に持ち上げられた。

ちょっと首!、首いたい! まだ据わってないんだから優しく頼むよ…。

抗議の鳴き声は波の音と男達の大きな歌声にかき消された。

 

 

少し経ってまた体が動かされた。

どうやら俺は中々上等な毛皮のような物の上に寝かされたようだ。

 

しかし目が見えないのはとても不便だな、

景色が見えないとそれだけ入る情報が少なくなる。

 

エクスパは一緒に助かったのだろうか……彼女なら今の状況が分かるかもしれない。

近くにいるのだろうか、心のなかで呼んでみたりして、おーいエクスパー。

 

(ご無事ですかっ! マスター。)

 

おっ、近くにいたようだ。

魂の状態で話していたのだからもしかしてと思ったが、

やっぱり心で会話出来るのか。

 

俺なら無事だ、心配するな。

ところで今はどんな状況だ? お前の知ってる範囲でいいから教えてくれ。

 

(はい、現在マスターは船の上に居ます。

恐らく通りかかった漁師にでも拾われたのかと…)

 

漁師に拾われたのか…幸運だった。

あのまま海の中を漂っていたら、

恐らく溺れ死ぬか魚介類の餌にでもなっていただろう。

 

さて、命は助かったのだから俺の使命を果たさなきゃな。

 

(それにつきましてはまず、この世界の言葉を覚えるのが宜しいかと存じます。)

 

言葉は生きるには大切な事だからな、

なんだかんだで邪神も俺の言語能力は奪わなかったし。

 

とにかく、物を買うにも人と話すのにも言語は大事だ。

よし、まずはこの世界の言葉を覚えよう。

 

それから約1年ほど経ったろうか、ようやく視界がはっきりしてきた。

俺は現在小さな部屋の中でモフモフした白い毛皮に包まれている。

 

1日2回、当番のらしき人が俺に何かの母乳のようなものを飲ませに来る。

 

もちろん、男が母乳を出せる訳ではない。

大きめのスプーンのようなもので器から与えられる。

目が見えない頃はは毒かと疑ったりもしたが、

エクスパが大丈夫だと言ってくれたので安心だ。

 

味は中々に濃い甘さで旨く、腹持ちも良かったので食生活に不満は無かった。

 

言葉を発せないのは非常に面倒だったが、

子供というのは意思表示がシンプルにできていい。

 

YESなら笑い、NOなら泣けばいいのだ。

 

やがてもう少したった頃、遂に自力での移動が可能になった。

自力で歩けるようになると行動範囲が大きく広がり、色々な事が分かる。

 

まず、俺を育ててくれているコイツらは恐らく漁師なんかではない。

 

コイツらは恐らく海賊というやつだろう、

船内を探検していて武器庫のような所を見つけた。

 

銛や網なんかは分かるが、剣や銃、チェーンメイルのようなものまであった。

 

あるいはそれらを運ぶ商船団というのも考えつくが、

明らかに使われた痕跡があり血の匂いもした。

 

歩けるようになってからは凄い速さで出来ることが増えていった、

全く子供の成長スピードには驚かされる。

 

二年が経った頃には少しは言葉も理解出来るようになり、

まだ単語だけだが喋れるようにもなった。

 

周りの人物の名前も少しは覚えた。

 

まず俺の食事を運んで来てくれる二十歳位の茶髪の大柄な男、

こいつの名前はファーガスというらしい。

声がとても大きく、明るくて陽気な男だ。

 

いつもは船の柱の上で望遠鏡を使って遠くを見ている、

確かに彼の大声は偵察の報告に向いている。

 

最近は俺の歯が生え揃ってきたからか食事のバリエーションが増え始めた。

 

色々な魚介類と一緒に炊き込んだ黄色い米の炊き込みご飯や、

平たいマカロニのようなものをミートソースと和えたもの、

野菜たっぷりで素朴な味付けのスープ。

 

この人の料理の腕は素晴らしい、習いたいくらいだ。

 

後は俺を助けてくれた張本人にして、

この船の船長であるケヴィンという男がいる。

 

見た目は三十歳位のジョリジョリしそうな髭が目立つ筋肉質の男、

手下たちからはとても慕われていた。

 

いかつい見た目に似合わず子供好きで、

手下への威厳を保つために夜中になってから俺に会いに来ている。

 

そしてその度にそのジョリジョリした髭の生えた顎を容赦なく擦り付けてくる。

 

ちょっと気持ち悪いが俺を助けてくれた恩人には他ならない、

絶対にこの恩は返したいものだ。

 

そんな訳でこの船には二十数人余りの乗組員が乗船している、かなりの大所帯だ。

だからこの船は部屋がとても多く、船自体もかなりの大きさだ。

 

もう二年近くもここに暮らしているが、未だに港に停泊したのを見たことがない。

 

船内を探検していた時にとても寒い部屋があったから、

食料は冷蔵庫のような場所に保存しているのだろうか。

 

野菜やキノコのようなものを栽培しているような場所もあったので、

船の上で自給自足ができるようになっているのかも知れない。

 

生きている時には見なかったものが多く、飽きが来なかった。

 

三歳になるとこの世界の言葉がほとんど理解出来るようになった。

簡単なものだけだが字も読める、書けるようにはまだなっていないが。

 

二割しか努力が報われないせいなのか、俺の頑張りが足りなかったのか。

かなり遅くなってしまったがこれでようやく彼らと話が出来る。

 

今まで俺は全く乗組員達と会話をしていなかったので知らないことも多い。

取り敢えず日頃のお礼を兼ねて今日は挨拶をしに行くとしよう。

 

そう思っているとちょうど朝食の時間の時間がやって来たようだ、

ファーガスさんが来る。

 

「おーい飯の時間だぞ、ボウズ。」

 

「おはようございます、ファーガスさん!」

 

ファーガスはビックリした顔でこっちを見つめている。

 

もしかして伝わらなかったか?

 

(いえ、マスターの言葉は完璧なはずですが……)

 

エクスパのフォローが入るが、相変わらずファーガスは硬直したままだ。

 

「お…お前、喋れるようになったのか!?」

 

「は、はい! ついこの間…うわっと」

 

次の瞬間、ファーガスに抱き締められた。太い二の腕が苦しい、首が絞まる。

 

「よかった……喋るのが遅かったから

 助ける前に頭でも打ったのかとみんな心配してたんだぞ。」

 

「すみません……俺、できが悪いみたいで。」

 

「良いってことよ! それにここの奴等はみんなでき損ないみたいなもんだぜ?」

 

「よし! 船長に伝えてくる。今夜は宴だぁ!」

 

そう言うとファーガスは物凄いスピードで走り去って行ってしまった。

 

「ファーガスさん、朝飯持ったまま走って行っちゃったな…」

 

腹は空いたが、久しぶりに感じた人の暖かさに胸が一杯になった。

 

その日はファーガスの言っていた通りに宴になった。

乗組員が一同に会し、酒を飲み、飯を食い、歌を歌う。

船の上はいわゆる、「お祭りムード」だった。

 

俺はというと、船長であるケヴィンの前にいた。

 

宴だというのに表情は固く、

いつも夜中にやって来る時の父性本能丸出しな顔とは真逆の雰囲気だった。

 

宴の時とはいえ、

部下たちに威厳のない行動を見られる訳にはいかないと頑張っているのだ。

 

だが明らかに口元がニヤけている。

部下たちもケヴィンが俺に飛び付きたいのを我慢しているのに気付いて、

笑いを堪えているようだ。

 

見てるこっちが微笑ましい、

こんなリーダーだから乗組員達にも信頼されているのだろう。

 

「おい、坊主。」

 

「なんでしょう? えっと……船長。」

 

「本当に喋れるんだな……よかった。」

 

まず彼の口から出たのは安堵の言葉だった。

そこにはもう威厳もなにもなかったが、

代わりにいつもの穏やかで暖かな表情を見れた。

 

やっぱりアンタは子供と接してるときが一番いい顔してるよ。

 

「ええ、コホン。

 せっかく話せるようになったんだ、お前を拾った時の話をしよう。」

 

「良いですね、気になります。」

 

そんな訳でケヴィンが俺を見つけた時の話をすることになった。

 

「お前を拾ったのはちょうど三年前か…

 あの時俺たちはジェネラルホエールを狩りに来ていた。」

 

「無事にジェネラルホエールを狩って帰ろうとした時だ…」

 

「サファイアサーペントの群れの中心で流されている赤ん坊を見つけたのは。」

 

俺が流されていた時ってそんな状況だったのか、

生き物の群れのど真ん中とか危険すぎる。

 

「サファイアサーペントってのは富の象徴でなぁ、これが滅茶苦茶強ぇんだが……

牙は最高の剣の素材に、肉は滋養強壮に、骨と鱗は価値の高い工芸品の材料に、油は食材と良質な燃料に、ってなもんで体の全てが金に変わる一攫千金の海の財宝と言われる生き物なんだ。」

 

「昔から生まれた時にサファイアサーペントが近くにいた子供ってのは大成する事が多くてその子の家族は末代まで繁栄するって言われててな、これは助けねぇとなって思ったわけよ。」

 

「え…でもサファイアサーペントって滅茶苦茶強いんですよね?」

 

俺がそう言うとケヴィンはバツの悪そうな顔をして、黙ってしまった。

そのあと近くにいた乗組員が

なかなか出来上がった様子で上機嫌に口を挟んで来た。

 

「あんときはなぁ、船長ってば俺達がサファイアサーペントはヤバイって止めようとしたら「お前ら子供を見捨てるのか!」って怒鳴ってよう、結局一人で狩っちまったんだぜ。」

 

「おい、止めろ! 恥ずかしいからそういうことを言うな!」

 

別に恥ずかしがらなくてもあんたが優しい人間だってのは俺も含めてここの全員が分かっていると思うが…言葉に出すとこのままケヴィンが真っ赤になって海に飛び込みそうなので言わないことにした。

 

「まあ……つまりはお前はそうやってここにいるってことだ。」

 

「助けて頂いてどうもありがとうございました。」

 

満面の笑みでそう答える。

笑顔を作ったつもりはない、

この人の人柄に救われた事を心のそこから喜びたい気分だった。

 

「やめろい……そう改まって礼をされるとなんだかこそばゆいぜ……」

 

「あ、そうだ。お前に渡すもんがあったな……おい! アレを。」

 

そういってケヴィンが隣にいた部下に声をかけると、

部下はしばらくして布に包まれた長い物を持って戻ってきた。

 

「俺達から喋れるようになったお前への贈り物だ、受け取れ。」

 

ケヴィンから布の外されたそれを受けとる。

それは三歳の体にはあまりにも大きく、引きずることの出来ないほど重かった。

 

「三歳にはちょっと過ぎたもんだったか? 

それはお前を助けた時狩ったサファイアサーペントの牙を

うちの鍛冶士に加工して作ってもらった一級品だ、大事にしろよ?」

 

俺が貰ったもの、それは恐らく片手用であろう剣だった。

 

船員に手伝って貰いながらゆっくりと剣を鞘から抜くと、

透き通るような白銀の刀身が姿を表した。

 

よく見てみると、

刀身には海の波の様な装飾となにやら文字のようなものがあった。

 

「ウルフ……バート?」

 

「それがその剣の名だそして…」

 

「それはこれからお前の名前だ。」

 

衝撃的だった。

俺は今、名前を貰ったのだ。

 

こんなに嬉しいことはない、

俺は助けて貰った上にこの世界で自分を示すための証まで貰ったのだ。

 

もちろん、前世で親から貰った名前も大事にしたいが

少なくともこの世界では俺はこの名を名乗ろう。

 

嬉しくて、嬉しくて、終いには感極まって泣いてしまった。

 

本当に、子供は感情を制御しきれなくて不便だ。

だが、子供は感情が素直に出てきていい。

 

その日は俺のこの世界に転生して初めての忘れられない出来事になった。

 

部屋に戻ってもう一度ウルフバートを見てみると

柄の付け根の所になにかをはめる場所があった。

 

気になったので後日鍛冶士達の作業場へ聞きに行ってみた。

 

その質問に答えてくれたのは新米鍛冶士のゴバンという男だった。

 

彼はこの船の中では俺の次に若い、

歳は12、髪は茶髪で頭にバンダナを巻いていた。

 

「それは界石をはめる部分だな。」

 

「界石?」

 

「界石はこの世界に流れる力が地中で結晶化したものらしいぜ、

 道具に混ぜ込んだり、一緒に使うことで特殊な力を得られる。」

 

「その界石はうちにはないんですか?」

 

「食料保管庫にある氷の界石だけかなぁ……あれは使っちゃダメだぞ。」

 

そうか、無いのならしょうがない。

せっかく世界に一つだけの俺の剣なのだから、

もっとオリジナリティを持たせたいと思ったが。

 

「まあまあ、そう落ち込むなって。お前の剣は水深12000メートルの深海にある鉱石を主食とするサファイアサーペントの牙から作られているんだからそこらの界石頼りの剣より強いんだぞ。」

 

それは頼もしいことだ。

 

それにしても、

サファイアサーペントって鉱物が好ぶ…いや、寒いギャグはやめとこう。

肉である俺が群れの中心にいても食われなかったことに合点がいった。

 

部屋に戻った後、俺はさっきの会話で少し気になった事について考えていた。

 

この世界では距離の単位にメートル法を使うのだろうか、

俺のいた世界と同じメートル法を。

 

もしかしたらエクスパがこのことについてなにか知ってるかも知れないな。

おーい、エクスパ。

 

(了解しました、ご質問にお答えしましょう。)

 

(そもそもこの世界は二元素世界であり、三元素世界の人間の手によって生み出されているものです。言葉こそ違えど、独自の単位を使うより三元素世界で一般的に使われているメートル法を使うほうが楽だったのでしょう。)

 

(特に深い意味などございません、ご安心ください。)

 

そうか、それもそうだな。

実際に俺がもといた世界のラノベなんかでは

異世界でもメートル法は普通に使われている場合があった。

 

あっちでは何故異世界でメートル法が使われているのかと指摘されるものもあったが、結局の所はそっちのほうが楽だからだし、確かに深い意味なんてない。

 

それに、異世界でメートル法が使われるルーツまで物語の中で書いていたら作者も読み手も面白くない。

 

各自で勝手に脳内補完すればよいのだ。

異世界だけど主人公は現実世界の住人だからだとか、本当は違う単位だが小説のなかで分かりやすくするために翻訳されているとか、言葉も同様だ。

 

それはそれでいいとして、

俺はこの剣のくぼみに取り付けるものに目星をつけていた。

 

そう、エクスパだ。

 

(えっ……私ですか? 確かにピッタリになるでしょうが、良いのでしょうか……)

 

ああ、この剣は俺の名前の付けられた言わば半身だ。

だからこそ、この世界で今最も信用の置けるお前に守っていて貰いたい。

 

(了解しました、

エクスパ・ゲージの名に懸けて全身全霊でこの剣を御守りしましょう。)

 

こうして俺の剣に対二元素世界用石型案内人エクスパが搭載された。

 

 

早いものでもう二年が経つらしい。

五歳の誕生日、正確に言えば俺がこの船に拾われた日に俺はケヴィンに船長室に呼ばれていた。

 

「今日でもうウルフも五歳になるのか…」

 

「そうですね、あの時救っていただいたご恩は今も忘れていません。」

 

俺がそう言うと、ケヴィンは少し笑ってから話の本題に入り始めた。

 

「お前ももう五歳だ、俺達の国では五歳から親の手伝いを始める。一家の労働力として立派に家計を支えることで責任感を持たせ、早いうちから家族の連帯感を強めるためだ。」

 

「そこで、今日からお前には雑用係をやってもらいたい。できるか?」

 

「はい! 喜んで!」

 

二つ返事で了承した。

とにかくこれで少しは助けてもらった恩返しができるだろう。

 

それにこの世界で生きていくためにはいろんな知識が必要になる。

 

まだヨンからはこの世界で何をすべきかなどの連絡は受けていないが、

この世界で使命を果たすためには一人でやれることを増やさなければならない。

 

まだ協力者はいない、この世界で何かの運命を変えるようなことをするために何が必要かは分からないが、一通りのことは自分一人で出来るようにしなければならないだろう。

 

今の期間とこの船での経験は後に大きく生かせることになるだろう。

幸運なことにこの船に乗っている人達にはその道のスペシャリストが揃っている。

 

次の日から早速、俺の雑用係生活が幕を開けた。

 

雑用係というのは基本的に暇で、忙しい時に手伝いをする程度のものだった。

空き時間はこの船にいる色々な方面の熟練者たちに教えを請い、

技術を磨く生活を送る。

 

初日はなかなか忙しい日だったので疲れた。

 

朝起きてすぐ、この船の植物の栽培長であるワイネさんが俺のことを呼びに来た。

 

「おーい、起きろウルフ。今日は畑の仕事を教えるから。」

 

眠い目をこすり、ベットから起きる。

 

実は昨日、自分の語彙力を試すため

夜遅くまでエクスパとしりとりをしていたのだ。

 

結果はエクスパの圧勝、流石は案内人といった所だった。

 

俺はワイネさんに連れられて船の甲板にあるガラス張りの畑に来た。

ここでは環境に適応して海の上でも育つ野菜を数種類栽培している。

 

「まずこれがポタ、食べれる部分は土の中に埋まっていて根っこから直接生える。

 蒸しても旨いし、細長く切って揚げたり、スープに入れてもいい。」

 

そんな感じでこの畑にある全ての野菜を一つ一つ説明してくれた。

 

米のような小さく細長い粒が楕円形の固い殻に詰まっているシャリコ。

 

皮が紫のジャガイモのような野菜のポタ。

 

キャベツのように緑の葉が何枚も重なっている中心に、

紫のトウモロコシのようなものが実っているロロコ。

 

白黒のスイカのような見た目だが

中にはカボチャのような甘い身が詰まっているラスマ。

 

低い木にバナナのように実った赤い瓜のような野菜のハビ。

 

若干の違いはあれど、どれも俺のもといた世界と同じような味がした。

ちょっと違う所はみんな火を通さなくても生で食べられるという所と、

潮風の影響か全ての野菜ほんのり塩味が付いている所か。

 

実が地中に実るものは特にその傾向が強く、しょっぱさがすぐ分かった。

 

なかでも特に驚いた所はその野菜たちの成長スピードだ。

一番実が実るのが早いハビは種を蒔いてから実が実るまで二日ほど、最も実が実るのが遅いポタですら一週間とちょっとあれば種から実が実るまで成長する。

 

代わりに実が落ちるのも物凄く早いため、

ちゃんと収穫しないといつの間にか畑が無法地帯になるので

毎朝の収穫は欠かせないのだとか。

 

聞いた話によると、野菜を狙う多くの鳥系モンスターが折角実った実を種が落ちる前に食べて強力な胃酸で種まで消化してしまうので、己の寿命を削ってこの成長スピードを獲得したらしい。

 

また、生存圏を広げるために塩水でも育つようになった。

 

これはいわゆる生存戦略という奴だ、

農業ラノベに書いてあったの読んだことがある。

それを人間が利用させて貰っているわけだ、ありがたいのやら申し訳ないやら……

 

野菜の説明を受けて、一通り収穫を終えると今度はそれを調理場に持って行くことになった。

 

調理場の指揮を取っているのは副船長兼料理長のファーガスさんだ、

毎日食欲旺盛な船員達の食事を一人で作っている彼の料理の腕は俺も知っている。

 

「ファーガスさーん、今朝採れた野菜を持って来ましたー」

 

「おう、ウルフか! そこにまとめて置いといてくれ。」

 

調理場の釜でなにかを煮ていたファーガスは、俺に気付くとそう言った。

調理場全体に食欲をそそる匂いが充満している。

この体はとても鼻が利く。

 

「ファーガスさん、なにをつくられているんですか?」

 

「朝飯のスープだ、ちょうどいいからお前が朝採ってきたポタとシャリコを使うとしよう。」

 

この世界では基本的には朝夕の一日二食で、たまに各自で間食を取る。

朝はお粥やリゾットのように野菜のスープに炊いたシャリコを入れて食べる。

夜は焼いた肉をゆで野菜やシャリコで作ったパンやマカロニと一緒に食べることが多い。

 

この船での主食はシャリコだ。

シャリコは三日に一度実をつけるが、実の熟し具合によって加工方法が変わる。

よく熟したシャリコはそのまま鍋で炊いて食べ、熟さないものは粉にして様々な用途に使う。

 

肉はどうしているかというと、主に狩りによって手に入れている。

 

代表的なのはジェネラルホエール、

味はちょっと生臭い牛肉を想像してもらえればいい。

 

体長は10~20メートルもある大鯨だ。

これを大砲で撃ち、船の錨で固定して海上で解体する。

 

そうすると流れた血や肉に小魚や肉食生物が寄ってくる。

 

強力な大砲を搭載したこの船は、

そいつらも同時に狩ることができるのでお得という訳だ。

 

ジェネラルホエールは大きいわりに個体数が多く、増えすぎると港に迷いこんで船を転覆させたりするので優先的に狩られているらしい。

 

この船でも一ヶ月ぐらいで肉を消費するので定期的に狩りをしている。

 

俺も何度か見させてもらったことがあるが、

あの巨体が海上でバラバラにされて運びこまれるのは圧巻だ。

 

「ウルフ、味見するか?」

 

そう言いながらファーガスが小皿にスープを入れて、俺にくれる。

 

「では、ちょっとだけ……」

 

野菜のスープのなかに深い肉の旨味が溶け込んでいる、

これはジェネラルホエールの骨の出汁だ。

始めから塩辛い野菜は臭みのあるジェネラルホエールと相性がいい。

 

「今日のスープはジェネラルホエールの骨の出汁を使っていますね? 」

 

「やっぱ分かったか? お前、いい舌を持ってるな。」

 

「毎日美味しい物を作ってもらってますから。きっと舌が肥えてるんですよ。」

 

「くーっ、嬉しいこといってくれるじゃねぇの!」

 

喜んだファーガスの手によってその日の朝食はちょっぴり豪華になった。

 

朝食が終わると、今度は鍛冶場に呼ばれた。

武器の手入れを手伝って欲しいとのことだ。

 

「来たかウルフ、それじゃあ頼んだぜ。」

 

呼んだのは新米鍛冶士のゴバンだった。

早速、20本位の剣やら斧やら槍やらの山を渡された。

 

「まず、やり方を教えてやらねぇとな。こっち来い。」

 

「最初は武器の錆をジェネラルホエールの皮で落とす、

 その後に砥石で研いで、刃に油を塗った後、布で丁寧に拭くんだ。」

 

「普通はただの砥石でいいけど、刃が大きい武器なんかはあれで研ぐ。」

 

ゴバンが指差した先には2つの車輪のようなものが取り付けられた器具があった。

 

「あれは足踏み式回転研磨器、通称グラインダーってやつだ。」

 

「その名の通り、足で下に付いてる板の部分を踏むと2つの車輪が回って武器が研げる仕組みだ。火花が出るからマスクをつけて使った方がいい。」

 

そう言ってゴバンが差し出してきたマスクは、マスクというか鉄仮面だった。

 

夕方までかかって、やっと全ての武器の手入れが終わった。

手入れというのも案外疲れるものだ。

 

ゴバンの方を見ると、こっちはへとへとだというのに彼ははいたって元気だった。

 

「お、終わったな。よし、ついでにお前の剣も手入れしちまおう。」

 

そう言われて、

重いからだを引きずりながら部屋からウルフバートを取って来たのだが。

 

なにやら心の中に聞こえてくるものがあった。

恐らくエクスパの寝息だ、石でも寝るのか。

まあ、なるべく彼女を起こさないようにさっさと済ませてしまおう。

ウルフバートは片手用だが長剣だ、ゴバンの言った通りにグラインダーにかける。

 

(ひやっ!……くすぐったい、何!? )

 

ウルフバートをグラインダーにかけているとエクスパを起こしてしまったようだ。

すまん、ウルフバートを手入れしてたんだ。

 

(い……いえ、それは別に構わないのですが……何かがこ、こすれてっ! )

 

それは研磨機の刃だ、何か様子が変だが大丈夫なのか?

 

(も、問題ありませ……んっ! 

ちょっとこの剣と感覚が一体化してしまっていたようで……くふっ! )

 

そうか、問題ないならいいんだ。

でもなんだか苦しそうだからスピードを上げてさっさと終わらせるからな。

 

(ま、待ってください、これ以上はっ! くすぐったくて笑っちゃうからぁ! )

 

エクスパの狂ったような笑い声が響く中、ウルフバートの手入れは無事終わった。

 

(ハァ……ハァ……やっと終わっ……た。)

 

急に起こしてしまってすまなかったなエクスパ。

 

それにしても石でも動機が荒くなったり、呼吸の音が聞こえたり、感覚があったりするのか。この先ウルフバートを戦闘で使う時、痛かったりしないのだろうかと心配になる。

 

(ご心配なく、さっきは寝起きで制御が出来ませんでしたが、

ある程度は自分の意思で制御出来るようですから。)

 

しかし、その先もウルフバートの手入れをしていると

度々小さくエクスパの声が聞こえるのだった。



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第三話 「初めてのタタカイ」

前回までのあらすじ

 

俺は神であるヨンの手によって二元素世界に転生するも、

目を覚ますとそこは海の中だった。

 

たまたま狩りで通りかかっていた子供好きのケヴィン船長率いる海賊団に拾われ

一命をとりとめた俺は、ケヴィンからこの世界での俺の「ウルフバート」という名前とそれと同じ名を持つ剣を貰い、海賊の船で暮らすことになった。

 

五歳の時に雑用係に任命された俺は今日まで野菜を育てたり、武器の手入れをしたり、料理長であるファーガスさんに料理を教えてもらったりしていた。

 

___________________________________

俺が雑用係に任命されて五年が経った。

俺は今年で10歳になる。

 

今日まで様々な雑用をした結果、全てではないが割と身に付いたこともあった。

二割程度とはいえ、やはり努力が報われるのは素晴らしい。

 

料理の腕はそこそこまともになってきたので

今日の朝食は俺がつくることになった。

 

だが流石にこの船にいる二十数人の朝食を俺一人でつくるのは難しいので

今日はファーガスさんも手伝ってくれている。

 

メニューはシャリコを炊いたものとシカーという鮭に似た赤身の魚の塩焼き、

ポタと海草のスープ、ハビの塩浸けの四品で構成されている。

 

日本の食卓を出来るだけ再現してみようと思って考えてみた結果、

こういうメニューになった。

 

この世界の朝食はスープが中心なので受け入れられるのかが心配だが。

 

朝食を告げるベルが鳴ると、それぞれが部屋から食堂へとやって来る。

 

「お、今日の朝飯はなんだかいつもと違う感じだな」

 

俺のつくった朝食に最初に気付いたのは

野菜の世話を終えてきたワイネさんだった。

 

俺が緊張していると、

ファーガスさんがワイネさんに今日の朝食の説明をしてくれた。

 

「今日はウルフに作らせてみたんだ、食べてみてくれ。」

 

「へぇ、ウルフがか? どれ、早速頂くとしよう」

 

俺は緊張で固まっていた、

果たして俺の料理はこの船の栽培長であるワイネさんの口に合うのだろうか。

 

ワイネさんが俺が浸けたハビの塩浸けを一つ食べる、次にシカーの塩焼きを、そしてポタと海草のスープをすすり、最後に炊いたシャリコを一口食べた。

 

「旨いじゃないか、特にこのハビの料理は素材の味が生かされていて俺好みだ。」

 

「ありがとうございます!」

 

どうやら口に合ったらしい、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

「でも少しきになったんだが……」

 

「なんでしょう?」

 

あれ? なにか変な味付けでもしてただろうか。

 

「このシャリコに味が無いんだが……どうやって食えばいいんだ?」

 

なにもシカーの身なり、ハビと一緒に口に運べば美味しく食べられるはずだが……

あ、そうか! そういう食べ方を知らないのか。

 

思えばワイネさんはどれも順番に食べていて、

一つのものを飲み込んでから次のものを食べていた。

 

「えーっとですね、

こうやってシカーの身やハビと一緒に口に入れて味を混ぜるんです。」

 

俺はもとの世界でやっていたような食べ方をしてみせる。

 

「味を混ぜる? とにかくやってみよう。」

 

見よう見まねでワイネさんがシカーを食べ、その後シャリコを口に運んだ。

するとその顔はすぐに喜びに満ちたものになった。

 

「そうか! こうやって食べるんだな、なかなか旨いぞ!」

 

その後も船員の皆にその食べ方を教えるとかなりの好評を貰った。

 

少し多めに用意していたシャリコだったが

船員たちの食欲の前に見事に完食された。

 

「シャリコにあんな食いかたが有るとはな

 ……これからもたまに朝食の用意を頼んでもいいか?」

 

ファーガスさんにも絶賛され、初めての朝食づくりは大成功に終わった。

 

朝食が終わり皿洗いをしていると、ケヴィンさんが俺のところに来た。

 

「近々、港に寄ることになったから出かける準備をしておいてくれ。」

 

「本当ですか!」

 

港、つまりは陸! 

この世界に転生してから俺は陸地というものを一切見ていない。

 

香辛料や武器等の消耗品も航海中に船上で商船から譲って貰うことが多く、

ここ十年は港に停泊していないそうだ。

 

一応、海賊という職業なのだが略奪をしている所を見たことがない。

やっていることは完全に漁師みたいな感じなのだ。

 

ほとんどの物は狩りと船内での栽培で賄えているので普通は陸に用はない。

ただ数年に一度は船の点検と船員の都合で港に行かなくてはならないらしい。

 

船員の慰安旅行、本や地図などの買い換え、

世界情勢の確認なども目的に含まれているそうだ。

 

「しかし、港ですか……楽しみです!」

 

「ああ、同士の皆に会うのが楽しみだ!」

 

「同士?」

 

ケヴィンが俺には聞き慣れない単語を言った。

 

同士……なんの事だろうか?

俺が首を傾げていると、俺の疑問をケヴィンは悟ってくれたらしい。

 

「ああ、そうか。 お前にはまだ言ってなかったな……」

 

「ウルフ、俺たちがなぜ海で暮らしているか分かるか?」

 

「分かりません」

 

「はっはっは! お前は正直でいいな、こっちも語りがいがあるってもんだ。」

 

豪快にケヴィンが笑う、

しかしその笑いには若干の空元気のようなものを感じた。

 

予想は当たり、ケヴィンが真剣な話をするときの顔になった。

 

「俺達はな……故郷を追われたんだ。」

 

「……」

 

そういう事だったのか、

海賊なんてやってるのも海の上で暮らしているのもそれが理由というわけだ。

 

「俺達の故郷、ダイカンは豊富な海洋資源を誇る小さな集落の集まりだった。」

 

「そこでは造船技術が発達していてな、優秀な職人も多かった。」

 

「そこに目を付けられたのさ、

 世界各国の軍事国家がその造船技術を欲しがった。」

 

それもそうだ。

十年以上使ってもまだ丈夫で、ジェネラルホエールを一撃で倒す大砲を搭載し、居住性抜群となればどの国だって欲しがるだろう。

 

「まあ、小さな集落の集まりでも島国だったし海戦なら負け知らずだから最初は全部返り討ちにしてたさ、攻めて来るのも大体は軍事力を付けるのが目的の近隣の小国ばかりだったからな。」

 

「だが、一人の職人が生み出した発明が

 ダイカンの技術力を全世界に知らしめちまった。」

 

「船神と呼ばれた船大工、アンガスが作った「風を生み出し増幅する技術」これを俺達じゃ到底敵わない軍事大国がこぞって欲しがったのさ。」

 

「俺達は必死に戦った、だが世界一の軍事国家「バウ」には敵わなかった。」

 

風を生み出して増幅する技術、帆船のような見た目のこの船がほとんど風のない日でも動くのはそのお陰だったのか、それに最強の軍事国家「バウ」か……。

 

「バウの力は凄まじく、俺達はあっという間に制圧されそうになった。そこで俺達は全ての技術を船に乗せて方々に逃げたのさ。」

 

「それから今日まで俺達は故郷を取り戻すために航海を続けているって訳だ。」

 

俺はその話を聞いて考えていた。

俺の使命はこの話と関係しているかもしれないということだ。

 

最強の軍事国家なら俺の使命でもある、

邪神との戦いのための協力者を探せるかもしれない。

 

俺だってこの船は好きだが、

いつまでもこの船の上で暮らしていても使命を果たす事はできない。

頃合いを見て、この船から降りることも考えなくてはならないだろう。

 

問題はこの船とバウが対立しているということだ。

どうやって敵側に渡ればよいのだろうか、この船には極力迷惑を掛けたくない。

 

まずは港で情報を集めよう、バウに行くか決めるのはその後でもいいはずだ。

悩んでいる俺を見て、ケヴィンは心配している様だった。

 

「話が長かったか? すまんな、明日に向けて準備頼むぞ。」

 

「あ、はい! 分かりました。」

 

その日の仕事が終わり、部屋に戻るとエクスパが心に話しかけてきた。

 

(ウルフバート様、我が神よりお言葉がありました。)

 

ヨンからか? 俺の使命に関する事だろうか。

 

(はい、我が神は「そなたの使命は軍事国家バウにあり」と。)

 

やっぱりバウか……これで悩んでいる意味は無くなったな、

明日は港でバウの情報を集めるか。

 

エクスパ、明日は港に着くそうだからバウの情報を集めることにするつもりだ。

お前も連れていくけどいいか?

 

(かしこまりました、では今日はもうお休みなさいませ。)

 

ああ、おやすみ……

 

 

翌日、船は予定通りの時刻に港町「チェト・イベツ」に着いた。

港にはうちの船と同じような船がいくつか見受けられる、

例の「同士」というやつだろう。

 

港は多数の出店で賑わっているようだ、なにか祭りでもやっているのだろうか。

 

一方、俺は地面に下りた途端に強烈な不快感に襲われていた。

陸なのに体が揺れているような感覚があり、めまいと吐き気がして気持ち悪い。

 

(ウルフバート様、それは恐らく丘酔いかと思われます。)

 

丘酔い? 船酔いとか車酔いみたいなもんか。

 

(ええ、船酔いの逆ですね。

深呼吸をする、鏡の中の自分の目を見るなどの対処方法があります。)

 

取りあえず全て試すことにする、いつまでもこの不快な感覚ではいられない。

まずは深呼吸、スゥー……ハァー……スゥー……ハァー。

 

よし! 全く効果なしだな。

次は鏡だが……運良くうちの船の積み荷に丸い鏡を発見した。

さて、確か鏡の中の自分の目を見るんだっけな。

 

ん? そういえばこの世界に来てから自分の顔をしっかり見たことは無かったな。

髪は白く、手入れしていない髪は長くボサボサ。

目は海のように青く、肌は毎日日差しを浴びているというのに白っぽい。

 

この世界での俺が男の体というのは分かっているのだがどうも中性的な顔立ちだ。

 

生前のラノベ知識で言うならば男の娘といった所だろう、

俺としてはちょっと複雑だ。

 

髪は切った方がいいか、この長さでは本当に女の子に間違われそうだ。

そう思ってもみ上げの部分を触ってみると、驚くことに気付いた。

 

本来耳が付いているべき所に耳がない、

だが頭を触ると代わりに付いているモノがあった。

 

初めは髪の中に隠れていたが、触るとピンと立ってその姿を現した。

ケモミミだ、俺の頭に付いていたのは白く大きな犬耳だった。

 

なんか鼻や耳が生前よりいいと感じていたらそういうことか……

この世界の俺の体はラノベで言うところの獣人というわけか。

 

俺は悟った。

この体では絶対に特殊な性癖を持つ輩には出会ってはいけないと。

 

いつの間にか丘酔いは治まったようだ、一時的なもので助かった。

 

これでようやく落ち着いて行動を起こせる、俺は辺りを見回した。

取りあえずケヴィンに自由行動の許可を貰わなくてはならない。

 

うちの船に似た大きな船が停泊している場所にケヴィンはいた。

どうやら彼の言っていた「同士」と感動の再開を果たしていたようだ。

 

「ケヴィンさん、ちょっといいですか? 」

 

俺の声に気付いたケヴィンが振り替える。

 

「おお、ウルフか。なんだ? 」

 

「へぇ! そいつがお前が拾ったっていう子供か。

 見たところ女の子なのか? すげぇかわいいじゃねぇか!」

 

ケヴィンがさっきまで話していたと思われる人物がこちらに顔を覗かせた。

この人は大きな勘違いをしているようだ。

 

「いや、僕は正真正銘男です。」

 

「え? 本当かよ、こいつは惜しいぜ。育てば美人になると思ったんだがなぁ……」

 

俺が否定するとその人はがっくりとうなだれた。

俺の乗っていた船のメンバーはあらかじめ知っていたから分かってくれているが、やはり他人から見れば中性的な顔立ちに見えるらしい、苦労しそうだ。

 

「おいおい……うちのウルフをからかわんでくれよ、ガルバーン。」

 

「はっはっは、すまねぇな俺は女に目がねぇんでな」

 

ガルバーンと呼ばれた男は豪快に笑った。

年はケヴィンより五歳ほど若く見える、

ケヴィンと同じような格好をしているがこの人も船長なのだろうか。

 

彼の後ろにある船はうちの船の一・五倍はあろうかという大きさで、積み荷を運んでいる船員の数もうちより十人か十五人ほど多いように感じた。

 

「ところで、何のようだ? ウルフ。」

 

「あ、えっと日没までには帰ってくるので外出の許可を頂けないかと。」

 

「勿論いいさ、だが町の門から外へは出るなよ? 

 あと裏通りにも入るな、町のゴロツキ共がいて危ないからな。」

 

「分かりました、行ってきます!」

 

そう言って町の中に駆け出そうとしたら、

何かを思い出した様子のケヴィンに呼び止められた。

 

「そうだ、今は豊漁祭をやってるんだったな。

 小遣いをやろう、遊んで来るといい。」

 

そう言うとケヴィンは俺に大きめの麻袋のようなものを渡した。

中を見てみるとなにやら金と銀、合わせて二十枚ほどのメダルが入っている。

これがこの世界の金のようだ、金色というのはやはり価値があるのだろうか。

 

「ありがとうございます、じゃあ改めて……行ってきます!」

 

俺は祭りの人混みの中に走っていった。

 

 

 

 

 

 

そして、ウルフがその場を離れてしばらく経った頃……

 

「しかし、良かったのか? あれお前の財布だろ。」

 

ガルバーンがケヴィンに問いかける。

 

「なにいってんだ、あれはウルフのために用意してた小銭……」

 

ポケットに手を入れ、上着をはたいて確認した後。

ケヴィンの顔はみるみるうちに青ざめた。

 

「しまった! ウルフに渡したの船の修理代だぞ!?」

 

その後ケヴィンはゴバンにウルフを探しに行くよう言い付けたのであった。

 

 

 

ケヴィンに小遣いを貰った俺はせっかくなので祭りの露店を回る事にした。

 

色々な店がある、香ばしい匂いの焼き鳥のような物を焼いている店、怪しい商人がいろんな道具や小瓶に入った薬を売っている店、まだ生きているような新鮮な海産物を沢山取り扱っている店……

 

どれも面白そうで目移りしてしまう、

思えば生前は祭りの時ですら勉強に部活に追われていたっけ……

 

典型的な灰色の青春だろう、余裕が無かったことが悔やまれる。

 

出店の列なる道を歩いていると、目に留まる店があった。

剣などの武器を売っているらしい、

やはり男としては武器屋というのは心踊るのだ。

 

「こんにちは」

 

「お? これは可愛いお客さんだな。嬢ちゃん、何をお探しかな?」

 

「いや……よく間違われますが男です。」

 

はあ……またか、もっと男らしい服装をした方がいいのだろうか。

 

現在俺は白のシャツと短パンを履いていて、

格好はいたってシンプルな格好なのだが……。

 

「そりゃすまなかったな、坊っちゃん。

 ところでその背中に背負っているのは剣かい? 」

 

店主は俺の背中にくくりつけてあるウルフバートを指差してそう言った。

 

「はい、僕の剣です。」

 

「坊っちゃんの体には重そうだねぇ、どうだ? いいものがあるんだが。」

 

「ちょっと見てみたいですね、お願いします。」

 

店主のイチオシってやつか、興味が無いわけではない。

 

確かにウルフバートは俺の体にはまだ合っていない。

五歳の時と比べて多少は持ち運べるようにはなったがそれでも走るとすぐバテる。

 

今回はバウの情報を集めるためにエクスパにはついてきて貰わなければならなかったのでウルフバートごと布で縛り付けて持って来た。

 

エクスパも石の時は自力で浮いて移動できていたが、

剣に付いているときはどうやら無理らしい。

 

剣から外して連れてこようとも考えたが、

思った以上にピッタリ剣にはまってしまっていた。

 

押しても引いても外れないので工具を持ってきたらエクスパに泣かれてしまった。

 

店主は店の裏に周って、木箱のようなものから何かを探しだして持って来た。

 

「俺がお勧めしたいのはこれさ」

 

「なんでしょう? 剣の鞘の様に見えますが……」

 

「フッフッフ、そりゃただの鞘じゃねぇぞぉ?」

 

得意そうな笑みを浮かべながら店主は俺に説明を始めた。

 

「何を隠そうその鞘はあの「四剣」のNo.2「忠剣」の持ち物だったもんさ!」

 

「すいません、「しけん」ってなんでしょう?」

 

テストのことではないとして、何処かの四天王的な奴だろうか。

俺が質問すると店主は信じられないといった顔をした。

 

「坊っちゃん、男の子なのに「四剣」を知らないってか!?」

 

「生まれたときから十年間、ずっと海の上で暮らしていたので……」

 

「そうか……じゃあ知らないのも無理はねぇか。」

 

「四剣ってのは最強の軍事国家「バウ」の皇帝の側近たちのことだ、なんでも一人だけで一国を壊滅させられるって噂の四人の将軍さ。男の子なら皆ごっこ遊びをするぐらい人気なんだぜ? 」

 

「また……バウか。」

 

ここ最近、何かと最強の軍事国家「バウ」が会話の中に出てくることが多い。

 

この鞘との出会いが偶然ではないとすれば、

バウと関係を持つこれはこの先重要な鍵になってくるかもしれない。

 

「どうした? 考え込んじまって。」

 

「あ、いえ……大丈夫です。」

 

「四剣については分かりました、ところでその鞘はどこがすごいんです?」

 

そう俺が聞くと再び店主は鞘を指差して説明を始めた。

 

「こいつに入れた剣は中に入っている間、重さが無いように軽くなる。

 しかも抜いた瞬間は重さが何倍にもなるから剣の威力が格段に上がるって訳よ、

 どうだ? 」

 

魔法の鞘ってわけか……便利そうだ。

まだ十分に体も鍛えられていないし、剣を振り回すためには必要になってくるか。

 

振り抜いた時の威力が上がるなら利用価値は高そうだ。

 

「取りあえず、値段を聞きましょうか。」

 

「本当ならバウ金貨三枚……と言いたいところだが豊漁祭を祝ってバウ金貨二枚だ。

 まあ、坊っちゃんみたいな子供に取っちゃ大金だが。」

 

ケヴィンから貰った袋には金貨が五枚入っている、これで足りるはずだ。

 

袋から二枚の金貨を取り出すと、

俺の知っている文字で小さくバウと書いてあった。

 

「買います、二枚ですよね?」

 

「えぇ!? そんな大金持ってるなんて坊っちゃん何者だよ……

 まあ買ってくれるならいいが。」

 

店主から鞘を受け取って背中に背負い、

ウルフバートを収めようとしたが少し疑問があった。

 

そもそもサイズは合うのだろうか、

もしかしたら無駄な買い物をしたかもしれない。

 

「あの、これはどれくらいの大きさの剣の鞘ですか? 」

 

と不安そうに聞くと。

 

「ああ、それなら心配しなくていい。

 若干ならこっちで調整できるから貸してくれ。」

 

「じゃあ、お願いします。」

 

鞘はウルフバートにピッタリ合うように調整された。

ちなみにそのサービスはタダだった、作業後に一応財布を取り出したがこいつはおまけだから気にすんなと言われた。

 

本当に気のいい店主だ、なにか商売を始める機会があればこの人を参考にしよう。

 

なんだか心の中に幸せな感情が流れ込んでくる、俺のじゃない。

エクスパが喜んでいるようだ。

 

(ウルフバート様、ありがとうございます。なんだか体が軽いです! )

 

お礼はいいよ、自分のために買ったんだから。

 

しかし、わりと高額な買い物をしてしまったようだ。

まだ財布の中には金貨が三枚ほど残っているが

金の使い方も考えなくてはならない。

 

なにより今日の目的はバウの情報を集める事だ。

 

本を買う、図書館に行く、

あるいは情報を買うためにもこれ以上は使わない方がいいな。

 

屋台が多く立ち並ぶ大通りは誘惑が多いので、一気に駆け抜ける。

鞘のお陰で随分と走るのが楽になった、代わりに落としたら気付かなそうだが……

 

風を感じながら思いっきり走っていると、やがて人通りの少ない道に出た。

 

道全体が薄暗く、細い道でなんとなく不気味さが感じられる。

これはもしかしてケヴィンの言っていた裏通りに出てしまったか?

 

なら急いで引きかえさなければ、ここは危険だ。

エクスパ、大通りへの帰り道は分かるか?

 

(はい、全て記録しています。まずは後ろを向いてまっすぐ進んだ道を左です。)

 

お前は最高のナビゲーターだぜまったく……

それじゃあまず後ろを向いて……うわっ!

 

「ん? なんだぁガキィ……痛ぇなコラ! 」

 

俺がぶつかったのは強面の男だった、

謝ろうとしたがすぐに首を掴まれて持ち上げられた。

 

取り巻きの男が三人ほどいる、典型的なゴロツキ集団だな。

振り返った時、一人の男の急所に剣の柄がクリーンヒット! 痛いよなそりゃ。

 

「すみません、僕の不注意でした。許してください。」

 

首を締め付けられて言いづらかったかしっかりと謝罪ができた。

 

怒り一色だったチンピラの顔が少し緩んだようだ。

これで話が分かる人なら助かるんだが……。

 

「フンッ! 礼儀はあるみたいだな……よし。」

 

どうやら許してもらえるようだ、よかった。

 

「今後気を付けますので許してもらえると助かるんですが……」

 

そう言った瞬間チンピラから再び怒気を感じた、

チンピラがニタァと下衆な笑いを浮かべる。

 

「今回は殺さないでやる、半殺しだ。」

 

え?

 

考える暇もなく俺の顔面に男の右ストレートがヒットした。

しばらくの間俺の体は宙を舞い、やがて建物の壁に叩きつけられて止まった。

 

一瞬で肺の中の空気が全部抜け、

全身が一斉に酸素を求めて刺すような苦痛が神経を駆け巡る。

 

男たちはゆっくりと近づいてくるようだ、数が増えてないか?

うまく視界が定まらない、苦しい。

 

息がしづらい、過呼吸のような症状が続く。

口の中を切ったようだ、血の味がする。

 

「まだ、意識があるみてぇだ……なっ!」

 

男たちは代わる代わる俺の腹を蹴る、

俺がたまらず吐くとひとまず蹴りが止んだ。

 

「汚ねぇなオイ、水汲んでこい。塩水だ。」

 

しばらくして俺の全身に塩水がかけられた。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ! 」

 

情けない悲鳴を上げてしまう、だがこの痛みには耐えられなかった。

切り傷に塩がしみて、言い様のない痛みが全身を襲った。

 

意識が朦朧とする、全身に慢性的に続く鋭い痛みでもう目を開ける気力もない。

今は辛うじて彼らの会話が聞こえる程度だ。

 

「さて、もう気を失っちまったか? 面白くねぇ……」

 

俺の背中に僅かに何かが触れる感覚がある。

 

「アニキ、こいつの持ってる剣、なかなか高値で売れそうですぜ。」

 

俺はその言葉だけは聞き逃さなかった、

コイツらは俺の剣を持っていくつもりだ。

 

やらせてたまるものか、ここ剣は俺でありエクスパでもあるんだ。

 

「ま……って、く……だ……さい。」

 

「ん? まだ意識があんのかよ、殴られ足りねぇか? 」

 

「その……剣……は、や……め…くだ……さい。」

 

「生意気な……お前になんかを頼む権利なんざねぇよ! 」

 

かすれた声で辛うじて要求を伝える、しかしそれに対する返答は蹴りだった。

口から血を吐いた、なんて奴だ。

 

だが、諦めない。

 

「もって……いかな……へぶっ!」

 

顎を蹴りあげられ、舌を噛む。

 

「とて……も大切な……物なん……で……がはっ!」

 

腹に重い蹴りが入り、もはや出すもののない腹から胃液だけが込み上げる。

 

「お願……い、し……ま……ぐほぉ!」

 

左脇腹を強く蹴られ、横の壁に叩きつけられる。

左腕に違和感を感じたが、もはや痛みの感覚はなかった。

 

「もうめんどくせえから殺しちまうか……おい、剣を貸せ。」

 

おお、どうやら俺は首を跳ねられてしまうらしい。

そうなってくるとこっちも抵抗しないわけにはいかないな。

 

これは正当防衛だ、俺だってやらなきゃいけない事がある。

まあ、最初の加害者は俺だけどしょうがない。

 

エクスパ、浮けるか?

 

(はい、今の重量であれば十分に可能です。)

 

幸い、右手だけは動かせるようだ。

散々ボコボコにされたお陰で痛みが感じられなくなったから動かしやすい。

 

チャンスは一瞬だ、

奴が剣を降り下ろしたタイミングでエクスパの指示通りに剣を振り抜く。

 

うまくいけば剣を受け止められないにしろ、方向をずらせはするかも知れない。

 

その一撃を回避して次はどうするか、考えたくもない。

いざとなったらエクスパには一人で飛んで逃げてもらい、

俺は死んだフリでもしよう。

 

(ウルフバート様、私はその案には賛同出来かねます。)

 

お? 俺に意見するのかよ。

いいね、自分の意見を正直に伝えるのはいいことだ。

 

じゃあ、頑張って生きてみましょうかね!

 

 

 

 

(男が剣を構えました、準備をお願いします。)

 

背筋に緊張が走り体がこわばる、

俺は手探りで背中のウルフバートの柄を掴んだ。

 

この剣を貰ってから今日まで、

幾度となく触れたその感覚が俺の心に余裕を与えてくれる。

 

恐怖はない、なにも見えないが俺には彼女がついている。

 

 

彼女が見ている風景が心の中に流れこんでくる、とても鮮やかな世界だ。

 

剣を構えた男がこちらを見てニヤリと笑い、

大きく振りかぶって鉈のような剣を降り下ろす。

 

「今だっ!」

 

最後の力を振り絞り、血で濡れた目をカッと見開く。

振り抜いた剣は羽のように軽く、俺の傷付いた右手でも十分に勢いがついた。

 

鞘から完全に抜けて奴の剣とかち合った瞬間、

肩が外れた感覚とともに耳をつんざく金属音。

 

一瞬写った視界には宙を舞う白い金属片とチンピラたちの驚愕の表情。

ゴロツキのリーダーの腹にはウルフバートの剣先が綺麗な傷後を残した。

 

俺は何とも言えない達成感を感じた。

あえて言うなら、「ざまあみやがれ」だ。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ、くっそ! このガキっ!」

 

「アニキぃ! 大丈夫ですか!? このっ……やっちまえ! 」

 

俺が斬りつけた奴はじたばたともがき苦しんでいるようだ、音で大体分かった。

そして報復をしようと部下たちが俺を襲う、痛い。

 

それにしても、このままでいくとやはりタコ殴りによる大量出血でお陀仏だな……

エクスパ、とりあえずお前だけでも逃げろよ。

 

(逃げろと言われましても……

私、現在壁に鞘から出た状態で突き刺さっておりますので……。)

 

(それに、お互い逃げる必要は無さそうです。)

 

逃げる必要がない? ああ、なんか裏技があるのか。

港に入った時からリセット&ロードとかな。

 

そんなありもしない冗談を考えてしまうほど、生還は絶望的だった。

なにもかも使い果たした、もう指一本だって動かない。

 

「おい!」

 

「な、なんだ……テメェは! 」

 

「俺はソイツの保護者の一人だ、

 うちの子をゴロツキどもの託児所から迎えに来た。」

 

薄れゆく意識の中、聞き慣れた声が聞こえた気がした。

 

かつての新米鍛冶士、ゴバンの声だ。

 



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第四話 「平穏にサヨナラ」

前回までのあらすじ

 

十歳になった俺は船長のケヴィンから彼らの旅の意味を話された。

 

港町「チェト・イベツ」についた俺は彼の話に出てきた最強の軍事国家「バウ」についての情報を探すべく町へと出た。

 

港では豊漁祭をやっていて、

俺はそこで軍事国家バウ最強の「四剣」の一人が使っていた剣の鞘を購入した。

 

鞘には物の重さを無くすという不思議な力が備わっていて、

軽くなった体で俺は調子に乗って走り回った。

 

その結果裏通りに迷いこんだ俺は

チンピラに因縁をつけられてぼこぼこにされてしまったのだった。

 

_____________________________________

 

 

目を覚ますと俺はゴバンの背中に背負われていた。

どうやら意識がなくなる前に聞いたのは幻聴ではなかったらしい。

 

「ゴバ……っ!」

 

喋ろうとすると口のなかに鋭い痛みを感じた。

そういえば口を切っていたな、血の臭いと鉄の味が口一杯に広がっている。

 

当然、あまり美味しいものではない。

 

「お、気がついたか? 痛むだろうから無理に喋るな。」

 

「船長に言われてお前を探しに来たら、

 まさか裏通りでチンピラにボコられてるとはなぁ……」

 

俺だって、走ってたら裏通りに入ってしまうとは思ってなかった。

ぶつかってしまったのは申し訳なかったが、あの仕打ちはないだろう。

 

「そうだお前、財布は盗られてないか?」

 

財布? ああ、ケヴィンから貰った袋のことか。

あれだけぼこぼこにされていたのだ、落としたかもしれない……。

 

そう思ったが、しっかり服の中に入っていた。

 

海水と血と吐瀉物でぐちゃぐちゃに濡れてはいたが……

この世界の貨幣が紙じゃなくて本当に良かったと思う。

 

なんとか腕を動かしてゴバンにそれを手渡した。

 

「よし、持ってたか……」

 

袋を受け取ったゴバンはすぐに袋の中を確認し、なぜか冷や汗をかき始めた。

そして、明らかに焦りの混じった表情でこっちを見た。

 

「おい……金貨が二枚も減ってるんだが……どういうことだ?」

 

そりゃあ、金は使ったら減るだろう。

俺はきょとんとした顔で背中の鞘を指差して見せた。

 

「あー! それ買っちゃったのかよ!?」

 

俺は頷いた、しかしそれを見るとゴバンは頭を抱えた。

もしかして……使っちゃ駄目だったやつですか?

 

 

その後、船に戻った俺を迎えたのは号泣したケヴィンと船員たちだった。

多分、一生分抱き締められたと思う。

 

聞いた話によると、

俺に渡された金はこの船の修理代として用意されていたものらしい。

 

ケヴィンが誤って俺に渡してしまい、

ゴバンはそれを伝えるために俺を追っていたそうだ。

 

だが見つけた途端に俺が猛スピードで走り出したので見失ってしまったそうだ。

 

俺が誤って使い込んでしまった金貨を補うため、

俺たちはしばらく港に停泊して金を集めることになった。

 

一週間もすると、俺もかなり動けるようになった。

これも港でケヴィンが揃えたという薬のお陰だ。

 

まだ所々痛いが、

大部分は筋肉痛レベルの痛みが残っている程度で大したことはない。

 

ところで、チンピラの件のおかげで

俺はこの港で最もやらなきゃいけない事ができていない。

 

バウに関しての情報集めだ。

 

だが、今ケヴィンに外出許可を取ろうとしてもきっと止められるだろう。

あんなに心配もかけたし、裏路地に行くなという約束も事実上破ったのだ。

 

だが、俺は使命を果たさなくてはならない。

黙って外に出るのはいけないことだが、今は仕方ないだろう。

 

エクスパ、情報収集を再開しよう。

 

(私は構いませんが……御体のほうは万全ですか? )

 

大丈夫だ、気にするな。

 

(……そうですか、では参りましょう。)

 

一瞬、疑いの心が流れ込んできた。

初めての戦いの時に最も強く感じたが、どうも俺とエクスパの心は繋がるらしい。

 

(現在、ケヴィン様は外出しておられるようですから抜け出すには好都合です。)

 

よし、早速部屋から出よう。

誰にも気付かれないように、抜き足差し足でゆっくりと……

 

「あれ? どこ行くんだウルフ、港か? 」

 

部屋から出て約二秒、早速ゴバンに見つかった。

俺が言い訳を考えるのに必死になっていると先に口を開いたのはゴバンだった。

 

「ちょうど良かったぜ、俺も港に用があるんだ。一緒に来るか? 」

 

「え……止めないんですか? 」

 

「俺がいれば大丈夫だろ、船長には後で言っておけばいい。それに……」

 

「遊び盛りの子供に外に出るななんて拷問だよなぁ? 」

 

そう言って、ゴバンはニヤリと笑った。

確かにゴバンが一緒なら安全だ、心強い協力者が現れてくれたものだ。

 

だが、俺を連れ出したのがばれれば、

きっとゴバンは後でケヴィンに大目玉をくらうことだろう。

 

船から出るにしたって、他の船員たちに見つかって止められる可能性もある。

 

「それにしてもどうやって見つからないように出るんです?」

 

「フッフッフッ……あれだ! 」

 

ゴバンが勢いよく指差した先には手押し式の台車と木箱が積んであった。

ああ、つまり……

 

スニーキングミッション開始というわけですか!

 

(スニーキング……ミッション? 全く違うと思うのですが……これ脱出でしょう?)

 

エクスパの疑問の声はさておき、任務は始まった。

 

 

 

 

 

こちらウルフ、状況はどうなっているか教えてくれ、オーバー。

 

(心の中を無線機のように使わないでください。)

 

ぐぬぅ……久しぶりに気分が乗ってるんだから合わせてくれてもいいだろう……。

 

俺は生前の世界ではこういうのに憧れてたんだ、潜入任務ってカッコいいだろ?

その手のゲームでは、確かダンボールとかに隠れていたな。

 

(段ボールですか……倉庫なんかではいいでしょうが……)

 

若干エクスパが呆れぎみだが、ダンボールは凄いんだぞ。

 

しかし、このままじゃ心の温度差が凄いな……せっかく繋がっているというのに。

この感情を共有すればきっと楽しいはずなんだが……よし。

 

聞いてくれエクスパ。

 

(なんでしょうか? )

 

この任務の成功はお前の働きにかかっている。

スニーキングミッションでは味方のバックアップが重要だ、

お前がサポートすることが……

 

(あ、もう出口付近ですね。ミッション終了です。)

 

ミッション終わったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

 

初めてのスニーキングミッションは成功に終わった。

本当はこんなに早く終わって欲しくなかったが……

 

そう思っていると木箱が叩かれた、おそらく到着の合図だ。

 

「もう出てきてもいいぞ、ウルフ。」

 

ゴバンに言われて俺は木箱の中から出た、太陽がやけに眩しく感じる。

俺が出たのは港から少し進んだ町の入り口だった、見覚えのある風景だ。

 

「ところでゴバンさんは何処に用事があるんです? 」

 

「本屋と鍛冶道具を取り扱ってる道具屋だな、ちょっと揃える物がある。」

 

「奇遇ですね、僕も本屋に用事があったんです。」

 

「なら最初に鍛冶道具屋にいってもいいか?」

 

「分かりました、行きましょう!」

 

三十分ほど歩いて、俺達は町の外れにある小さな鍛冶道具屋に到着した。

実に色々な物がある、グラインダーの歯なんかも見つけた。

 

そのなかでゴバンは真剣な面向きで小さなハンマーを手にとって品定めしていた。

二十本ほど調べ終わった後でようやくこれといった一本を選んだようだ。

 

その後、俺達は町の中心部にある大きめの本屋に向かった。

 

本屋の中に入ると無数の本が俺たちを出迎えてくれた。

 

天井付近まで綺麗に陳列された本たちは

さながらファンタジーに出てくる大書庫のようだった。

 

「こんなに本があるなんて……凄いですね。」

 

俺はその質量に圧倒されていた、こんなにあって目的の本は見つかるのだろうか。

 

「そりゃ世界でも有数の規模を誇る、チェト・イベツの本屋だからな。」

 

「こんなに本があって欲しいものが見つかるんでしょうか……」

 

「そこんとこは心配すんな、店員だれかいるか? 」

 

「あっちにいる人でしょうか? 」

 

カウンターの付近にスーツのような服を来た知的な見た目の女性が見える。

なにやら真剣な顔で本の中身をチェックしているようだが、恐ろしいスピードだ。

 

「多分、あの人だな。呼んできてくれるか? 」

 

「はい。」

 

カウンターの方へ駆け寄り、店員に声をかける。

 

「すみません、本を探してるんですが……」

 

「…………」

 

「すみませーん!本を探しているんですがー!」

 

「……はっ!、すみません!」

 

一回では気付かなかったようなので二回目は大きな声で言うと、

ようやく気付いたようで店員は本のページをめくる手を止め、

カウンターから出てきた。

 

「どのような本をお探しでしょうか? 」

 

「バウという国についての本です、なるべく詳しいのをお願いします。」

 

「バウについての本ですね、

 歴史、観光、地理などを取り揃えておりますが………。」

 

「取り敢えずあるだけお願いします。」

 

俺がそう言うと、

店員は制服の胸ポケットから折り畳まれた紙のような物を取り出した。

 

彼女が紙に息を吹き掛けるとそれはたちまち両手サイズの石板となった。

 

「本の神ラブラ・リア・ドールの眷属が使役する、

 ここに在りし万の書よ! 我が声を聞け! 」

 

店員が石板に向かって話し始めた、これは詠唱?……つまり魔法だ!

 

「ここに紡ぎだされし言葉は

 “国”、“バウ”、“詳細”、かの言葉を持つものよ集えっ!」

 

一通り魔法らしきものの詠唱を言い終えると、

店内の本棚から本が一斉に飛び出した。

 

本は空中でそれぞれ二つの組に分かれた。

約一冊、組になれていない奴がいたが他の二冊と三冊一組になれたようだ。

 

片方の本が勝手に開いてページがめくれていて、

もう片方の本は開かれたページの前で浮遊している。

 

そんな光景は俺には本たちがお互いの内容を確認しあっているように見えた。

 

やがて本たちはもとあった場所に戻っていき、

彼女の持っていた石板の上に五冊ほどの本が来た。

 

「お待たせしました、こちらがバウについて詳しく書かれた本になります。」

 

この港に来てから待ちに待っていたバウの情報が目の前にあるが、

それより先に今俺が目撃したロマンについて聞かねばなるまい。

 

「さっきのはなんなんですか? 始めてみました。」

 

「本の召集ですか? 

 あれはラブラ様の力をお借りして本に一時的に命を与えました。

 本同士に互いの内容を確認させ、該当する本が集まるのです。」

 

「そのラブラ様と言うのは?」

 

「本の神と呼ばれているお方で、

 世界中の本屋と図書館は全てラブラ様が創られたそうです。」

 

「凄い方なんですね。」

 

「はい! それはもう凄い御方です。」

 

本の神か……覚えておいて損は無さそうだな。

 

店員から本を受け取り、ここで読んでもいいか聞くと許可が貰えた。

どうやらこの本屋は図書館も兼ねているらしく、

この町の人間でなければ借りることは出来ないようだった。

 

だが旅の人であっても館内で読むのは問題ないらしい。

 

因みにこの本屋と図書館が一体化した施設も本の神の案なんだそうだ。

 

図書館の運営は本屋の売り上げと

作家でもあるラブラさんの莫大な財産によって成り立っている。

 

まったく、本の神さまさまだな。

 

さてと、目当ての本も手に入ったことだしバウの情報集めと行きますか。

ん?まてよ……何か忘れているような……

 

「ウルフ……まだか?」

 

肩におかれた手にに気付き、

後ろを向くと少々残念そうな顔をしたゴバンが立っていた。

 

「俺、呼んできてくれと頼んだはずなんだが……」

 

「あっ! すいませんすぐに呼んできます!」

 

俺はもう一度カウンターにダッシュし、ロマン溢れる本の召集を見たのだった。

 

 

なんやかんやでようやく本が読める。

この世界の文字はもうほとんど読めるようになったが、若干の不安が残る。

まあ、読めなかったらエクスパに読んでもらうか。

 

(了解しました、いつでもお任せください。)

 

言い方は至って事務的だが俺の心とエクスパの心は繋がっている。

今、エクスパの心が少しだけ嬉しさを感じたのが分かった。

彼女はどうやら頼られると嬉しいようだ。

 

それじゃあ早速情報収集に取りかかるとしよう。

店員から受け取った本は五冊、驚く事に全ての本がパンフレットのように薄い。

一応、詳しく書いてある本を頼んだはずなんだが……秘密主義の国なのだろうか。

 

 

さあ、まず最初の本は「最強の軍事国家バウの成立について」か。

 

最近は軍事国家と言えばバウといったように、

最強の軍事国家バウについての話題が絶えない。

 

そんな軍事国家バウの成立について専門家達は大いに興味を示しているようだ。

 

軍事国家バウは二十年前に突如として北東のガイアス大陸に出現した。

 

「国が出現する」というのは言い方がおかしいようだが

かの国の成立はまさにその通りなのである。

 

かつてのガイアス大陸には大ガイアス共和国という大規模な共和国があった。

しかし、その国はバウが成立して一週間後に一夜のうちに消えている。

現在はそこにバウがあるため、ガイアスはバウに乗っ取られたという説が主流だ。

 

専門家達が興味を示している点は

その驚異的な大国家としての成立のスピードとその仕方にある。

 

軍事国家バウは現在のバウの皇帝である

サーベラス・バウ・ハウンド一世が一週間で建国したと言われている。

 

そんなバウ帝国の成立について、ある興味深い逸話がある。

 

あるところに五人の若者がいた、若者の中の一人がある日突然こう言った。

 

「戦争がしたい、だから俺たちの国を作ろう。」

 

そう宣言した男は自らの国の旗を地面に立て、

そのわずか直径1センチ程の国土を基礎とした。

 

それから一週間余りの間、

彼らの旗の付近の領主が次々に倒され土地を奪われていった。

 

中には数万の私兵を持つ領主もいたが、

それらの兵は半日にして全滅させられたという。

 

わずか五人の若者にだ。

 

その後大ガイアス帝国が吸収され、

現在バウはガイアス大陸全てを治める大国になった。

 

バウの成立に大きく関わった五人がバウの王とその側近である四剣らしい。

 

読んでみると概ねそんなことが書いてあった。

どうやらバウのトップ達は相当強いようだ、これは期待が持てる。

なんとしても四剣と王を仲間に引き入れたいものだ。

 

しかし、五人で建国……ただ事ではないな。

 

次の本は「世界擬人伝~バウの成立に見る疑人化現象の謎~」か。

 

三十五年前、世界に新たな生物が現れた。

後に「擬人」と呼ばれるそれらは人とよく似た姿を持っていた。

ある日突然出現した彼らは瞬く間に世界中に溢れかえった。

 

驚異的なスピードで知恵を獲得した彼らは独特の文化を形成、繁栄していった。

そして僅か二年余りで世界人口の三割は擬人が占めるようになった。

 

彼らの異常なまでの生物としての成長速度は目を見張るものがあった。

 

多くの学者は口々にこう言った、

「彼らは我々に代わる新人類なのではないか?」と…………。

 

そんな声を聞いて彼らの存在に恐怖を抱き始めたのは大国の指導者達である。

当時最大の国であった大ガイアス共和国を主導に、

大規模な「擬人狩り」が各地で行われた。

 

いくら擬人が人類より身体能力的優れているとはいえ、

数の差、文明の有無は勝敗を分ける決定的な要因になりえた。

 

結果、大半の擬人は絶滅。

僅かに残った種族は国々に拉致され、兵器の人体実験、交配実験等に利用された。

流出した資料によれば、相当非人道的な扱いを受けていたようだ。

 

現在、世界にいる擬人の数は全人口の一割に満たない。

運よく拉致を免れた種族は、今も世界の片隅でひっそりと暮らしている。

 

例外として、最強の軍事国家で知られるバウ帝国は擬人の国である。

特に犬族が多く、国民の半数以上が犬族だそうだ。

 

一般的に擬人とは、人でないものが人のようになったものと定義されている。

犬や猫などの動物、道具等の非生物、

自然現象等の抽象的存在が人の姿を得たものだ。

 

三十五年経った今でも未だに擬人になる条件、原理は解明されていない。

 

擬人には二種類ある、人にない身体的特徴を持つ者と人にない能力を持つ者だ。

 

人に無い特徴を持つ擬人には、犬の特徴を持つ犬族

コウモリの特徴を持つヴァンパイア族など数多い種族が存在しているが、

特殊な能力を獲得したものは数える程しかいない。

 

今のところ犬族に六人のみ確認されているらしい。

 

まずは四剣、

「忠剣」ハチ・サスペード 建物を投げたり船をひっくり返す怪力。

「名剣」ラッシー・フロムハート 不明。

「正剣」パトラッシュ・フランクローバー 圧倒的な速さ。

「調剣」タロー・クロムダイア、ジロー・クロムダイア 天候の操作

 

そして「剣帝」、サーベラス・バウ・ハウンド一世 全知最強。

 

この本に書いてあった事はこんな感じだった。

「調剣」の能力はまだ分かりやすいとして。

「忠剣」はただの怪力なのか、物体の重さを操作するのか判別しがたい。

「正剣」だって加速なのか例えば音速や光速なのか分かりにくいし、

「名剣」に至っては不明だ、これじゃあ書く意味ほとんどないだろう。

 

それになんだ、「剣帝」の「全知最強」って。

そのままの意味ならなんでも知っている最強の奴ということだ。

そんな奴、誰も勝てないんじゃないだろうか

 

とりあえず、この世界には特別な存在として「擬人」というものがいるらしい。

どうやら俺のこの姿も「擬人」であるということのようだ。

 

昔は迫害を受けていた種族とのこと、俺も簡単には正体を明かせなくなったな。

 

しかし好都合だ、この本には「犬族」と記されていた。

「犬族」が犬の身体的特徴を持つものだとするなら

バウに行くのはとても簡単そうだ。

 

どれどれ、次の本は………。

 

 

約二時間かけてようやく五冊全てを読むことが出来た。

残りの三冊は地理書、旅行本、戦争記録書だった。

 

地理書からはバウの大体の位置と大きさ、回りの地形が分かった。

旅行本によればここからでもバウを目指すことはできるようで安心した。

 

それにしても戦争記録だけは文字がびっしりだった、

総計だけ見ても2000回近い。

 

なにせほとんどの戦争は一ヶ月刻みで攻略しているのだ

どれだけ「軍事国家してる国」なのだろう。

 

これらの本から俺のバウへのイメージが固まった。

恐ろしく強い人材を抱える、戦争大好きなヤバい国だ。

 

これだけ戦闘狂ばかり集まっていそうな国では

まともな協力者を見つけるのも苦労しそうだが……。

 

とりあえず暗記が出来ない地理書と旅行書だけは

ゴバンに購入してもらって店を出た。

 

夕方頃、船に戻ってもケヴィンはまだ帰って来ていなかった。

ゴバンはケヴィンの拳骨を回避できて嬉しそうだったが、俺は少し不安だ。

嫌な予感がする、というやつかもしれない……。

 

俺はバウへ行くためにこの港から月に一回出る定期船に乗らなくてはいけない。

ケヴィンに言えば止められるだろう、だが何も言わずに出ていくのも気が引ける。

なにより、今日まで俺を育ててくれた人たちに対してそんな態度は取れない。

 

月が明るくなった頃、ようやくケヴィンは船に戻ってきた。

帰ってきたケヴィンは少し疲れた様子だったが皆を集めるように俺に言った。

やがて甲板に全員が集合し、ケヴィンの話が始まった。

 

「今日、ここに集まってもらったのは他でもねぇ……

 ガルバーンとの話し合いで重要なことが決まったんだ。」

 

そこにいる全員が息を飲む、今までにない緊迫した空気が立ち込めていた。

 

「……バウに復讐する手筈が整った。」

 

「ウォォォォォォォォォォォ!!!」

 

辺りが一瞬の静寂に包まれた後、各々は興奮した様子で騒ぎ始めた。

 

「やっと俺たちのダイカンを取り戻しに行けるのか!」

 

「これでようやく旅が終わるんだな!」

 

それぞれ自分の思いを口に出して喜びを語り合っている船員達を

一旦なだめてしてケヴィンが続けた。

 

「日時は一週間後、ガルバーン達や他の船と合流して夜襲をかける!」

 

「各員は決戦の日に向けて準備を進めてくれ! 以上! 」

 

ケヴィンの話が終わった後もまだ兵士達は興奮冷めやらぬ様子で、

酒を飲み始めるものもいた。

 

一方、俺はこの複雑な感情の制御に苦しんでいた。

 

この船がバウに行くというのなら、それこそ目的の達成により近づく。

だが、俺にはもはやこの船の人々の安否のほうが重要に感じられていた。

 

俺がこの世界に来たのはヨンの助けになって、

迷惑をかけた人々への贖罪をするためだ。

 

だが俺が今日まで暮らして来れたのはこの船の人々のお陰だ。

 

使命を取るか、恩義を取るか……俺にはどっちも重要だ。

だが、少なくとも「この世界の俺」は恩義を忘れない人でありたい。

 

俺にはもうどうにもならない後悔があるから、

まだなんとかなるかもしれない今は諦めたくない。

 

……ってな感じで綺麗事を並べたところで、

やらなきゃいけないことより、やりたいことをとる俺はとっても不真面目だな。

 

(ええ、バウと敵対すると大幅に目的の達成が遅くなってしまいます。)

 

まあ、それならもっと努力するだけだ。

回り道をしなきゃならないなら、

それだけ急いで、止まらないように努力する。

 

走った結果転んで傷ができるのなんて何ともない、

自業自得はもっとも軽い怪我だ。

 

それに分かってるんだぜ? 

ちゃんとお前が俺の選択に同意してくれているってのは。

 

まあ、恩義を取ると言ったってまだ何も決めて無いんだがな。

そこのところはまた話し合いと行こうじゃないか、エクスパ。

 

(ええ、ウルフバート様が決めたことですから。

私は貴方に後悔させない為に……全力でサポート致します。)

 

 

一夜掛けた話し合いの結果、プランAとプランBが計画された。

プランA 戦闘を事前に防ぐ為、ケヴィンを含めた全員を説得する。

プランB 俺も戦闘に参加して最大限尽力し、肉盾になってでも被害を減らす。

 

俺の足りない頭ではエクスパの知恵を借りてもこれくらいしか思い付かなかった。

正直言ってどちらの案も現実的ではなく、成功するとは思えない。

 

だからってこれ以外に俺の力でなんとかなりそうなことは見つからなかった。

この世界の俺は「擬人」だが少しばかり体が丈夫な位しか取り柄がない。

力もない、財力も、コネもない。

 

掛けられるものなんて命ぐらいしかない。

出来ることならヨンに貰ったこの命は捨てたくない、

俺の体がもつことを祈るばかりだ。

 

まずはプランAを実行に移す、俺はケヴィンのいる部屋へと向かった。

 

 

「ケヴィン船長、お話があります。」

 

「ウルフか? 入っていいぞ。」

 

船長室にはいつも通りの父性オーラを纏ったケヴィンが立っていた。

きょとんとしたケヴィンに対して、俺はすぐに話題を切り出した。

 

「船長、バウとの戦いをやめて貰うわけにはいきませんか?」

 

「怖いのか? 行きたくないのなら港で待っててもいいんだぞ」

 

俺の言葉を聞いた後に放ったケヴィンの言葉にはいつものとは別の父性を感じた。

駄々をこねる子供を教え諭す時のような静かな怒気と真剣な眼差しが心に刺さる。

 

「お前はまだ子供だからな、無理もない……」

 

「…………っ! 違います!」

 

予想だにしなかったであろう俺からの反論にケヴィンは若干の驚きを見せた。

抑え込んでいた感情が溢れ出し、それをせき止めていた壁が決壊した。

 

「あんな奴らと戦ったらみんな死ぬかもしれないんですよ……」

 

「怖いんですよ、俺はっ!」

 

「死ぬのは怖くない! 失うのが……怖いんです。」

 

「この船のみんなが居なくなるのは……嫌です……嫌だ……嫌だぁ!」

 

決壊の衝撃は余りにも強く、すぐに自分一人では立っていられなくなった。

俺はたまらずケヴィンの胸にすがった。

 

言っていて自分でも驚いた、

俺の本心がこんなにも自分勝手で弱いものだとは思わなかった。

 

他人にすがらなければ生きていけない、他人に迷惑を掛け続けてしまう弱い心。

自分では否定していたつもりが俺は確かにその心を持っていたのだ。

 

次の言葉が紡ぎ出せない、

これ以上声を出そうとすれば俺はもっと弱くなるだろう。

 

元の世界では一度味わったきり

全く感じなかった深い悲しみが俺の喉を塞き止めていた。

 

「………ウルフ。」

 

僅かの静寂が訪れた後、ケヴィンは俺の名を呼んだ。

なんとなくさっきまでとは違う、いつものケヴィンの感じだ。

 

それを聞いて安心できたからか、喉のつかえが少し取れた。

 

「………すみません、自分勝手な事を言って。」

 

「なんでお前が謝るんだ……自分勝手なのは俺たち大人だ。」

 

ケヴィンが俺を撫でる、この世界で一番好きな大きな手だ。

俺はこの手に海の中から救い出され、今日まで育てられ、守られてきた。

 

そしてこれからは俺が守らなければならない手だ。

俺のいる場所に無くてはならない温もりだ。

 

「すまねぇな……でも俺達はやらなきゃならねぇ。」

 

「こんな俺たちに付き合わせちまって、本当に……悪かったな。」

 

俯きながら喋ったケヴィンの声は途切れ途切れで聞き取りにくかった。

だが、これで俺のやることは決まった。

 

もう自分勝手でもいい、人に迷惑を掛けるのだって構わない。

この素晴らしい場所を守るためなら、俺はクズになってやる。

 

「……ケヴィンさん。」

 

「なんだ? 」

 

「俺に戦いかたを教えて下さい、俺の居場所を守るために。」

 

「…………分かった。」

 

覚悟は決まった、これで今までの平穏とはサヨナラだ。

 

 

 

 

 



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第五話 「突然のフナデ」

前回までのあらすじ

裏通りでチンピラにぼこぼこにされたせいで心配され、

もう体はいいものの外に出るのが困難になっていた俺だが

ゴバンの手引きによって外に出ることが出来た。

 

港町「チェト・イベツ」でもっとも大きい本屋で目的の軍事国家「バウ」についての情報を得た俺は邪神と戦う味方を探すという本来の目的の一つを果たすためにバウに行くことを決心する。

 

だが船に帰った後ケヴィンが持ってきた知らせは

この計画に大きな支障を与えかねないものだった。

 

悩んだ結果、まずは使命よりこの船のみんなの命を優先するのが先だと思った俺はケヴィンに共に戦わせてくれるように頼んだのだった。

 

____________________________________

 

あれから一週間掛けてケヴィンから直々に戦いかたを教わった俺だったが

やっと基礎が出来てきた程度だった。

 

まったく、飲み込みが悪いことをこんなに悔やんだ事はない。

 

普段からの雑用で基礎体力は十分についていたがやはり技術面では問題がある。

当初の予定通り、俺の役目は肉盾となって皆を守ることだろう。

 

考えて無かったが、果たしてケヴィンはこれを許してくれるだろうか…………

 

そして今日が決戦の日、

バウからケヴィンたちの村を取り戻す為の戦いが始まる。

 

一方、夜になって戦いが始まるまで俺は暇だった。

 

せめて少しでも足しになればと甲板で剣の素振りをしていると、

ゴバンに声を掛けられた。

 

「お、そこにいるのはウルフか? ちょっと手伝ってくれ。」

 

ゴバンの手に抱えられた木箱には沢山の武器があった、船員全員分はある。

 

「船員全員の武器を決戦前に手入れするんですね。」

 

「そういうこった、話が早くて助かるぜ。」

 

武器たちの手入れは最早慣れたものだ、一つ一つ丁寧に磨いていく。

かなりの間使い込まれているはずなのに未だに切れ味が衰えないのは、

日頃の丁寧な手入れの賜物だ。

 

地味だが、これも大事な作業なのだと思う。

戦いは武器を振るう者だけでやっているんじゃない、

いろんな支えがあってこそ戦う人が最大限の力を振るう事が出来る。

 

武器を研ぐことにも責任が有るんだ。

 

作業に集中していたらいつの間にかお互い無言になっていた。

 

気が付けば俺の分の武器の手入れは終了しており、

横で俺の二倍の量はやっていたはずのゴバンもまた終わりかけだった。

 

作業も終わりに近かったので、前から気になっていた事を聞くことにした。

 

ゴバンの家族の事だ。

 

この船では皆がお互いを本当の家族のように思い、固い絆で結ばれている。

だが、誰も自分自身の肉親と一緒にはいないのだ。

 

「ゴバンさん」

 

「なんだ?」

 

「ゴバンさんはケヴィンさんと同郷なんですよね?」

 

「ああ、そうだが?」

 

手に取った手斧を砥石に掛けながらゴバンは答えた。

 

「ダイカンから脱出した時の事って覚えてますか?」

 

ゴバンの作業の手がピタリと止まり、

真剣に武器と向き合っていた彼の目は遠くを見るようなものに変わった。

 

まずい話だったのだろうか、

なるべく直接的に聞かないように頑張ったのが裏目に出てしまったか……。

 

しかしすぐに彼の手は動きを取り戻し

再び真剣な眼差しが手先の獲物を捉えた。

 

ただ黙々と作業をしている、これは不味い状況だ。

 

「あ……あのっ!」

 

「……すまねぇ、覚えて無いんだ。あの時俺はまだ赤ん坊だったからな。」

 

「あっ……そうか。」

 

言われてみればそれもそうだ、

本屋で読んだ資料にはダイカンとの戦争の記録があった。

 

バウが行った戦争の中でもかなり重要だったものだと記憶している。

今のバウの戦力があるのはこの戦いによって得た

「風の増幅機」のお陰だという。

 

それが確か十五年前のこと、そうすると当時ゴバンは一歳そこらのはずだ。

 

前世の記憶を持ってこの世界に産まれた俺とは違う。

おそらく物心もついてないころのことだ、覚えていないのも無理はないはずだ。

 

「それにしてもなんでいきなりそんなことを聞いたんだ?」

 

「あ……いや。」

 

「なんだ、さっきから歯切れが悪いな……

 なんか遠回しに聞きたいことでもあんのか?」

 

「なんで……分かったんです?」

 

「分かるさ、遠慮してるときの顔だったからな。

 別に気を使ってくれなくてもいいぞ。」

 

なんでもお見通しって訳か、というか俺はそんなに顔に出るタイプだったのか?

 

「じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく。」

 

「この船にいる人達の中で互いに血の繋がっている方はいるんですか?」

 

それを聞くとゴバンは即座に答えた。

 

「いねぇな。なるほど、その理由が聞きたいって訳か。」

 

「そうです。」

 

ゴバンは一旦武器を手入れする手を止め、俺の前にしゃがんだ。

 

「あ、別に作業を止めるくらいならいいですよ?」

 

「いや、いいんだ。

 この戦いに参加するんだったら知っているべきことだからな。それに…」

 

「ちょっと疲れちまった。」

 

俺にパンパンになった腕を見せ、苦笑いしながらゴバンはそう言った。

そういえば俺の二倍はやっていたんだっけな、しかも大剣や斧ばっかり。

後でマッサージでもしてあげよう、本当にお疲れ様だ。

 

「よし、まずは皆が戦う理由をもう一度詳しく話すか。」

 

「お願いします。」

 

「ダイカンが侵略されたとき、俺達が奪われたものは何か知っているか?」

 

「風を産み出して増幅することができる技術……ですか?」

 

この船にも使われている技術だな、扇風機やエアコンとはまた違う感じだ。

 

「そうだ。じゃあその技術をどんな形で手に入れたか分かるか?」

 

「そこがおかしいと思います、技術は全部船に乗せて運んだ筈でしょう。」

 

ケヴィンから聞いた話では、

確かに「風の増幅機」の技術は脱出の際に運び出された筈だ。

 

それにも関わらず、

その後の記録では風の増幅技術を得たバウの戦いが記されていた。

 

明らかに話に矛盾があったのだ。

だがそれに対する疑問は直後にゴバンの一言によって解決された。

 

「船に乗っけたって、全部が全部逃げ切れると思うか?」

 

「!?」

 

「一瞬だったそうだ……

 ケヴィン達が逃がした船の一隻が四剣の一人に沈められたのは。」

 

「……」

 

「その船には沢山の女子供や老人が優先的に乗せられていたそうだ。」

 

「船長の奥さんも乗ってたらしい、技術者も大勢居た。」

 

「不幸中の幸いは誰も怪我人が出なかったことだ、

 だが今もその人達はバウに捕らえられているはずだ。」

 

「実は俺の両親も技術者だったらしくてな、

 今もバウで研究させられているらしい。」

 

「で、その事件で家族を奪われた奴らがこの船に乗っているってわけさ。」

 

成る程、全て合点がいった。

バウとの戦いが決まったとき、みんながあんなにも喜んでいたのも。

この船の乗組員がなぜ、お互い家族のような絆で結ばれているのも。

バウが奪われなかったはずの技術を持っている理由も。

 

ケヴィンがなぜ俺に真実を話してくれなかったかも。

 

ケヴィンもみんなも己の家族を取り戻すために圧倒的な力に抗おうとしている。

最初から、俺などが止められる覚悟ではなかった。

 

「確か今日はダイカンから脱出した船が全部集結するんですよね?」

 

きっと勝てるはずだ、彼らの努力と思いが報われなくていいはずがない。

その覚悟に敬意を示したかった俺はゴバンの前に手を差し出した。

 

「絶対に取り戻しましょう、大切なもの全部!」

 

「ああ!」

 

差し出した手をゴバンが握る。

そしてお互いの手のひらの豆が潰れる位に

強い力と思いを込めた固い握手が交わされた。

 

その後、俺はゴバンの仕事の残りを手伝った。

一通り作業が終了し、ゴバンと別れた俺は再び甲板に戻って来ていた。

 

特に仕事もなかった俺は再び剣の素振りを始めた。

波の音以外に一切雑音のない甲板に風を切る音だけが響く。

 

誰も甲板に出ていないのは

ほとんどの乗組員がガルバーンの船に行っているからだ。

向こうで今夜の作戦説明があるらしい、俺も行くと言ったが止められた。

 

そういうわけでゴバンと二人でお留守番となっていた。

ケヴィン曰く、「お前を前線に出すつもりはないから行かなくていい」そうだ。

 

その話からすると恐らく俺は後方支援に回されるのだろう、

そうすると同じく残ったゴバンもそうなのだろうか。

 

もちろん与えられた仕事は全うするが、

俺の一番の目的はなるべく死者を出さない事だ。

 

こんなちっぽけな力でなにが出来るか分からないが、今はただ努力あるのみだ。

 

 

一心不乱に続けていたらあっという間に時間が経ってしまった。

 

素振りをしている最中は気にしなかったが

いつの間にか体の至るところが筋肉痛になっている。

特に上腕部分の筋肉が痛んだ。

 

ふと空を見上げると、

始めた頃には高く上っていた太陽が既に西の水平線に触れていた。

 

この地域は四季があるらしく、今は夏だ。

生前なら夏の日没はかなり遅かったと記憶しているが

この世界でもそういうところは一緒なのだろうか。

 

そんなことを考えていたら唐突に腹がなった。

そういえば昼食を取るのも忘れていたのか、

気づいた途端に食欲が沸き上がって来た。

 

この船で食事を作れる人間は厨房の人間以外では俺くらいだ。

 

そうするとゴバンも昼食を取らなかったのかも知れない、

食べるなら呼びに来るはずだ。

 

いや、仕事が終わった後にゴバンは

疲れたから一眠りするようなことを言っていたな。

取り敢えず呼びに行ってみるか……。

 

様子を見に行くとゴバンは大きないびきをたてながら、

鍛冶場の床に直接寝転がっていた。

 

凄く気持ち良さそうな寝顔をしている。

 

その安眠を台無しにするのはいたたまれないが、

腹ペコのまま戦闘に参加して力が出ませんでしたでは話にならない。

腹が減ってはなんとやらだ。

 

とは言ってもあまり強引な起こしかたはしたくない。

 

まずは肩を持って揺らしてみる、起きない。

 

次に耳元で大声を出してみる、無反応。

 

ちょっと罪悪感を感じたが蹴ってみた、びくともしない。

 

これはまずい、このまま戦闘が始まるまで起きないのではないだろうか……

ここはエクスパにも協力を仰ぐことにしよう、おーいエクスパ。

 

(zzz……)

 

お前も寝てたのか、どうりで静かだと思ったら……。

おーい、起きろーもう夕方だぞー。

 

(ん……御早うございましゅ……ふあぁあ……。)

 

ようやく起きたかまったく……

最近になって寝る時間が増えてきてるんじゃないか?

 

一見固く思われるエクスパの態度も寝起きの時だけは軟化する。

言葉使いもなんだか適当になっていて寝ぼけがひどい。

 

(あと……五分……だけ……zzz……。)

 

「…………」

 

俺は無言で剣を鍛える時に使う熱した金属を冷やすための水瓶の前に移動した。

そして思いっきりウルフバートを柄まで沈む一番でかい水瓶にぶちこんだ。

 

次の瞬間的、俺の脳内に大音量の悲鳴が響いた。

 

 

(申し訳ありませんでした……。)

 

まだ頭がガンガンする。

水瓶にウルフバートをぶちこんだ時のエクスパの黄色い悲鳴のせいだ。

 

心の声で頭が痛くなるというのもおかしい話だが、

実際痛いのだからしょうがない。

 

まあ、やり過ぎたとは思っている。

だが正直あの時にあの行動以外の選択肢があったかと言われると、なかった。

 

寝ぼけている時のエクスパは基本的にウルフバートと感覚を共有している。

寝ている時に手入れをすると後でなんとなく不機嫌になるので避けていた。

 

今回はちょっとした出来心というやつだったのだ、

むしろ許して欲しいのは軽率な行動をしてしまった俺の方だ。

 

俺だって寝ている間に急に水風呂にぶちこまれて目が覚めたら、

この子供の体の未熟な精神では、驚きと怒りを抑えられる気がしない。

 

転生というものを体験して初めて分かったが、精神もまた体の一部だ。

いくら前世で強靭な精神力を持っていても子供の体ではそれを生かしづらい。

 

RPGで言うならばMP消費の高い技を持っているがMPが成長していない状態だ。

生前のある程度成熟した精神力を使うためには

こっちの世界の体も成長しないと無理なのだ。

 

(それで、緊急の案件のようでしたがどうされましたか?)

 

ああ、そうだったエクスパに意見を聞くんだったな。

 

ゴバンが全然起きないんだ、

これから食事を食べてもらわなけりゃならないんだが……。

大声を出したり、揺さぶったり、蹴ったりしてみたんだが効き目がなくてな。

 

(それでしたらまつ毛を刺激するという方法はどうでしょう?)

 

まつ毛……そんなんで起きるのか?

 

(人間のまつ毛は目への異物の存在を瞬時に察知するための高感度センサーのようなものです。ですので、まつ毛を触ろうとすると脳に瞬時に信号が伝達され、起きるのです。)

 

へぇ、なんだか理科の勉強をしている気分だな。

 

この世界に学校があるかは分からないが、

何度目かの転生では学校にも行けるのだろうか。

 

取り敢えずその方法を試してみるとゴバンが跳ね起き、

俺の頭とゴバンの頭がぶつかった。

 

不思議なことにそんなに痛くない、俺は石頭なのだろうか。

 

一方ゴバンは部屋を転がりながら悶え苦しんでいる。

そんな彼には申し訳ないがこっちも用があって起こしたのだ。

 

「夕御飯にしましょう。」

 

 

 

二人とも厨房に移動し、俺が調理、ゴバンがテーブルのセッティングを担当する。

 

今晩のメニューは元を担いでカツカレーにした。

……と言っても本来のカレーとはほど遠いが。

 

俺はカレーの作り方をよく知らないが鯨シチューなら作った事がある。

恐らく似たような物だ、上手く調整すれば近い物ができるだろう。

 

幸い、カレーに向いたスパイスならたくさんある。

チェト・イベツの港で大量に仕入れた粉末状の数種類が混合したやつだ。

 

色は……なんか黒いが大丈夫だろう、黒いカレーもあるらしいし。

思えばイエロー、グリーン、レッドとそもそもカレーに明確な色などないのだ。

 

カレーは自由な食べ物だ、そう考えよう。

 

 

そうして出来上がったのは鯨シチューにスパイスを入れただけの代物。

それがシャリコにかかっていて、上には特大の鯨カツが乗っている。

普段から揚げ物は手伝っていたのでカツは上手くできた。

 

見た目は完全にカツカレーなのだが、こう……なにかが足りない。

俺の中の記憶がこれを全力でカレーと認めたがらない。

 

全体的に黒い、

ルーそのものの色と鯨肉の色が相まって重油が掛かっているような黒さだ。

 

そしてカレーとは違うワサビや山椒を連想するツンとした風味の辛さ、

とろみも少ない。

 

これは俺の知るカレーではない。

 

決めた。

この料理の名は「カツカレーモドキ」だ。

カレーはまた今度時間のあるときにリベンジしよう。

 

料理の出来に納得していない俺とは逆に

厨房を覗きに来たゴバンは目を輝かせていた。

 

「なんだこれ! めっちゃ旨そうじゃねぇか!」

 

子供のようにはしゃぐゴバン、それもそうか。

普段の夕食では肉こそ出るもののファーガスさんの料理はとってもヘルシー。

 

育ち盛りのゴバンにはいささか物足りないカロリーだっただろう。

そんな彼がいきなりこんなカロリー面において「 Hell see 」な料理を見せられたら食わずにはいられないだろう。

 

まあ実際は鯨肉って高タンパク低カロリーらしいけどね、

この前エクスパに聞いた。

 

俺がカツカレーモドキをテーブルに置き食事の準備が整った。

 

「よっしゃぁ! 食らいつくしてやる!」

 

スプーンを渡すや否や、大盛りにしたカツカレーモドキの山が切り崩される。

山はあっという間にゴバンの胃に消え、更地……いやまさに皿地と化した。

 

「こいつはうめぇ! おかわりだウルフ!」

 

こんなわさび風味の鯨シチューがそんなに旨いかねぇ……取り敢えず一口。

 

あ、アリかもしれないコレ……。

 

空腹は最高のスパイスとはよくいったもんだ……。

 

 

一時間後……。

鍋一つ分作ったはずの鯨シチューは見事に空になっていた。

 

これから戦場に行くというのに、

今の俺はなんとも言えない幸福感に満たされている。

隣で横になっているゴバンも幸せそうな顔をしている。

 

腹が減っては戦は出来ぬというが満腹すぎてもいけないな。

戦いなんか行かないでこのまま食後の倦怠感に浸りたくなってくる。

 

「…………はっ! だめだ寝そうだ、後片付けしなきゃ……。」

 

徐々に怠惰に支配されつつある体を起こし、厨房に向かう。

大きな鍋を使ったから洗うのも一苦労だ……。

 

この世界ではスポンジの代わりかは知らないが

ヒトデに近い生物の死骸を食器洗いに使う。

 

生物の死骸といっても使い心地は完全にスポンジだ、

むしろ人工の物より使いやすい。

 

洗剤はこの世界の海なら大体どこでも取れるユリモという海藻の煮汁を使う。

原理は分からないがぬるぬるしたこの煮汁は油でも何でもよく落とす。

 

流した油等をそのまま海には捨てられないから、

生活排水は一旦船のなかに貯められる。

 

貯められた生活排水の中でアシャ・ナリクという海虫が汚れを食べ、

綺麗にしてから海に流す。

 

一通り洗い物を済ませると、しばらくして誰かが帰って来た。

 

「今帰ったぞー、待たせて悪かったな。」

 

帰って来たのは疲れた顔をしたファーガスさん一人だった、

他の皆の姿は見えない。

 

「お帰りなさい、ファーガスさん」

 

「お、ファーガスさん! 帰って来てたのか。」

 

ゴバンと二人でファーガスさんを出迎えると、

彼はすぐに引き寄せられるようにイスに座った。

 

俺が出した水を飲み干すと、

厨房からパンを持ってきてそれをかじりながら話を始めた。

 

「悪いな、急いでたんで飯を食わずに来ちまったんだ。」

 

「ゴバン、頼んでた仕事は終わったか?」

 

「バッチリだぜ、ウルフも手伝ってくれて捗った。」

 

いつの間にかゴバンもパンに手を伸ばしていた、

さっきあれだけ食べたというのに……。

 

ゴバンの返答を聞くなりファーガスさんは

食べかけのパンを水で流し込んで立ち上がった。

 

「よし!すぐに出港だ、準備してくれ。」

 

「そりゃ別にいいが……なんでだ?」

 

「それは準備が終わってから話す、今は一刻も早く港を出なきゃなんねぇ!」

 

ファーガスさんに急かされ、ゴバンと二人での出港の準備が始められる。

錨を上げ、帆を広げ、風の増幅機を作動させる一連の動作……。

 

普段ならスピーディーに進む作業も

こうも人手が足りないと暗さも相まって一苦労だ。

 

一体ファーガスさんは何を急いでいるのか、

俺は帆の縄をほどきながらそう考えていた。

 

だが、ケヴィン達が戻らない所を見ると大体の検討はつく。

 

恐らく逃げなければならないか、作戦を変えなくてはならないかのどちらかだ。

俺としては後者であったほうがまだ助かるが……。

 

もし前者であった場合、ケヴィン達の身に何かあったという事だ。

 

当然俺の身も危険に晒される、計画は一瞬にしてパァになる。

……止めよう、「もしもの時」のことより目の前の作業だ。

 

 

 

総勢三人というちっぽけな労働力の中、

急ピッチで準備が進められ無事に船は港を出発した。

 

風の増幅機を作動させた船はさながら突風の如きスピードで進んだ。

 

水平線まで届くとも思える灯台の光さえ、みるみるうちに遠ざかっていく。

甲板に出ていると吹き付ける強風に自分の体が飛ばされそうにさえなった。

 

必死に甲板にしがみついているとファーガスさんに船内に戻るよう促された。

船が動き出してからは船室で風の増幅機の向きを調整していればいいそうだ。

 

船内の食堂に戻ると驚くことにまったくと言っていいほど揺れは無かった。

若干、部屋の荷物や家具が揺れているが

高速で動いていることを考えると凄いことだ。

 

「よし、しばらくは舵を取らなくても良いことだし

 こうなった理由を聞かせて貰おうか?」

 

静かな食堂の中でゴバンが会話を切り出す。

 

「ああ、二人ともいきなりのことですまなかったな……。」

 

はぁ……、とファーガスは重いため息を吐いた。

 

「…………何から話せば良いことやら、そうだな……会議が終わった時だ。」

 

「作戦がまとまって後は帰るだけってときに誰かが部屋に飛び込んできた。」

 

「そいつはガルバーンの船の偵察員だった、全身血まみれでな……。」

 

「四剣がダイカンに向かってる……それだけいうとそいつは力尽きた。」

 

「四剣とまともに戦ったら勝ち目がない、だが今は要塞と化しているダイカンを先に占拠さえ出来ればやり方次第で俺たちにも勝算はある。」

 

「今一番ダイカンに近いのは俺達とガルバーンの船だけだ。

他の船のやつらは恐らく間に合わない……」

 

「四剣よりも先に着く、これは一番重要だ。だが、こっちまで戻ってたらケヴィン達が遅れて制圧するために必要な戦力が不足することになる……。」

 

「幸いガルバーンの船に全員乗り込めたんでケヴィン達は先に行ったんだ。」

 

ファーガスさんが喋り終わると、また船内にわずかばかりの静寂が戻った。

 

「だからあんただけ戻ってきてこっちに情報を伝えに来たってわけか。

 で、俺たちもさっさと合流して武器を届けなきゃなんねぇ……と。」

 

俺の横で腕をくみながら静かに話を聞いていたゴバンが呟いた。

 

一方俺はとてつもなく大きい不安を抱えていた。

四剣と鉢合わせになるかも知れない、そうしたら全滅はまぬがれない。

 

そもそも何人来るんだ……四剣の一人か? はたまた全員か?

全員ではないにしても「忠剣」か「正剣」が来た時点でアウトだ。

 

勝算があると言ってもどれくらいだ? 確実に勝てるのか?

負けたら俺はどうなるんだ、使命はどうなるんだ。

 

様々な思惑が交錯し、酷い不快感に襲われる。

しかも必ず自分勝手な心があって自己嫌悪に陥りそうになる。

 

考えたくないと思えば、自分かわいさの感情と気付き吐き気を催す。

かといって考えても、答えが見つけ出せない不甲斐なさに絶望する。

 

「どうした? ウルフ、顔色が悪いぞ。」

 

ファーガスさんに心配されてしまった……

そうだ、こんなことで迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

不安になるのはよそう、みんなだって不安なのは同じはずだ。

 

「大丈夫です、ところでダイカンは今は要塞になっているという話ですが。」

 

「ああ、港の入り口が高い壁に覆われてて

 普通に入るには水門をくぐるしかねぇ。」

 

「簡単には入れそうもないんですが……どうやって侵入するんです?」

 

「それはな……」

 

俺がそう言うとファーガスさんはニヤリと笑って天井を指差した。

俺はいまいち意味が分からないまま、ゴバンの方を見た。

 

ゴバンも全くおなじニヤリとした顔で天井を指差していた。

なんだ? 天井……天井……ん?

 

「…………上?」

 

俺がそう言うと、二人はいっそうにやけた顔で告げた。

 

「この船、飛ぶんだぜ?」

 

「えっ? マジですか!?」

 

「風に向かって真っ直ぐマストを張って風の力で舞い上がるんだ。」

 

「まあ、正確にはジャンプみたいなもんだけどな。」

 

なるほど、それを使って壁を飛び越えるのか。

しかしこの船は機能を詰め込みすぎではないだろうか、

そんじょそこらの国が接収した所で使いこなせないんだろうと思う。

 

だが俺としてはその事実に少し不安を覚えた。

まあ、念のために聞いておいたほうがいいだろう。

 

「バウにはその技術は渡っていないんですか?」

 

「この機能はこの船とガルバーンの船にしか乗っていない試作品でな、

 おそらくバウはこの機能を知ってすらいないはずだ。」

 

「それなら良かった。」

 

どうやら心配しなくても良さそうだ、これで後は目的地に着くだけだな。

 

体感で約十分ほど経つと

船の舵を取るためにファーガスさんが内部操舵室へと向かった。

そして、その後間もなく船は目的地周辺に到着した。

 

甲板に出てみると全長60メートルはあろうかという

大きな鉄の壁が海にそびえ立っていた。

所々に大砲らしきものが備えてあって壁の上には海鳥達が留まっている。

 

今はすっかり夜だというのに

壁の所々にある目映い照明が金属に反射して全てがくっきり見える。

まあ、単純に擬人の身体能力のせいで夜目がきくのかもしれないが。

 

壁の奥から砲撃音が響くのが聞こえる、

恐らくもうケヴィン達が戦いを始めているのだ。

うかうかしてはいられない、俺も行かなくては。

 

船の中心にある柱からマストへと登っていく。

普段マストを広げる作業をするところよりも上の所に

マストの向きを変更するためのレバーはあった。

 

ファーガスさんに指示された通りにレバーを操作する。

 

手前に一度引き、奥へ倒す、

もう一度手前に引いた後、レバーの先端のスイッチを押す。

 

カチッと音がして、

マストの向きがゆっくりと風の増幅機に対して平行になっていく。

 

そのままぼーっとしていると

マストに阻まれて降りられなくなりそうだったので急いで降りた。

 

柱の根本にはファーガスさんとゴバンがいた。

 

「ご苦労だったなウルフ……よし、ゴバン! 増幅機の準備を。」

 

「もうやってるぜ、ファーガスさん!」

 

ゴバンが勢いよく返事をする、

彼の手にはいつぞや買ったハンマーが握られていた。

興味があったので近づいてみると彼はハンマーと釘抜きのような物を持って風の増幅機の内部を弄っていた。

 

「今は何の作業をしてるんですか?」

 

「増幅機の制限を解除して出力を上げてるんだ

 空を飛ぶにはこれの最大出力を出しきらねぇといけねぇ。」

 

「こんなかにいっぱい出っ張りがあるだろ?」

 

ゴバンに指差された部分を見ると確かに釘のような出っ張りがいくつもあった。

 

「こんなかで余分な空気を逃がす管に栓をして、

 空気の出る量を調節してる栓を全開にする。」

 

鮮やかな手つきで風力を調整する作業は進められていき、

あっという間に終了した。

 

「…………よしっと、これで準備完了だ。」

 

そう言ってゴバンが風の増幅機の蓋を閉じると、

今度は背後から鎖を引きずるようなジャラジャラとした金属音が聞こえてきた。

 

後ろを振り向くと見るからに重くて頑丈そうである鎖がファーガスさんの手によって船の柱に巻き付けられていた。

 

「どうするんです? 鎖なんか巻いて……。」

 

「ああ、これか? 船が飛ぶときに

 船から落ちない様に柱と体を鎖で繋いでおくんだ。

 なにせ滅茶苦茶揺れるそうだからな。」

 

「大人なら問題ないがお前やゴバンは軽いからな、

 つけるにこしたことはない。」

 

ああ、言わばシートベルトと命綱の役割か。

というかまてよ……ん?

 

「ということは、飛ぶときって俺達外にずっといるんですね。」

 

「部屋の物が傾いたり、動いたりしている状態の部屋に居たら危ないだろう?」

 

なるほど、念に念を押して安全第一ってことだな納得した。

 

全員が体に鎖を巻き付け、安全を確認するとゴバンが風の増幅機を起動させた。

風の増幅機が今までに見たことのないレベルの風量を吐き出している。

 

マストはどんどん膨らみ、船は気球のように空へと舞い上がっていく。

水面が少し、また少しと遠ざかっていく。

 

空へと近づくほど、己の心臓の鼓動が高鳴って行くのを感じる。

この鼓動の高鳴りは緊張ではない、ましてや恐怖から来るものでもなかった。

 

楽しいのだ、俺は。

 

こんな状況なのに船で空を飛んでいるという事実が俺の心を動かしているのだ。

 

マンガでもアニメでもゲームでも

船は海の乗り物でありながら空や宇宙の乗り物も兼ねていた。

 

俺は今、船で飛んでいる。

幼き日に憧れた創作物の主人公と

同じ光景を見ている事にワクワクしているんだ。

 

 

 

 

やがて船は鳥たちと同じ高さまで到達する。

60メートルの壁を越えた先には、

いくつもの船が煙を出しながら燃えている光景が広がっていた。

 

俺は燃え盛る船たちの中心に一隻だけ燃えていない船を見つけた。

それはあの日港で見た、ガルバーンたちのものだ。

 

どうやら心配事は全て解決されそうだ。

 

 

 



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第六話 「無力のゲンジツ」

前回までのあらすじ

港町「チェト・イベツ」で出会ったケヴィン達と同郷の男「ガルバーン」

彼の呼び掛けで彼らの故郷、

「ダイカン」を最強の軍事国家「バウ」から奪還する作戦が立てられた。

 

作戦には直接参加させられないと言われた俺はガルバーンの船に作戦会議に出た

ケヴィン達を見送り、船でゴバンとともに準備を進めることに……

しかし、夕食後に突然一人で戻ってきたファーガスさんの言葉で

作戦は大幅に変更された。

 

四剣がダイカンに向かっている……

丸腰のケヴィン達に武器を届けるため俺達はダイカンへと急いだ。

 

___________________________________

 

風の増幅機によって大空へと舞い上がった船体は、

少し余計に壁を飛び越えた。

 

一瞬大きく揺れたかと思うと、

船は昇るときよりは速いと感じる程度のスピードで降下していく。

 

静かな夜の闇に似合わない明るく賑やかな所に注目すれば

いくつもの火の手が上がる船の中に見覚えのある船が一隻、

炎に照らされていてしっかり確認できた。

 

あれはケヴィン達の乗るガルバーンの船だ。

 

じっと船を見ていると何かが空に打ち上げられた。

それは空で爆発音と共にはじけると、緑色に光る煙を上げた。

 

「ファーガスさん、ガルバーンさんたちの船の方から緑色の煙が………」

 

「緑色の煙? 俺にはよく見えんが緑色の煙なら恐らく心配はないな」

 

俺の横で鎖に繋がれながらあぐらをかいていたファーガスさんが答える。

 

「ああ、緑色の煙……うっすらだが炎に照らされて確認できるぜ、

あれは勝利を知らせる煙弾だ。」

 

ファーガスさんの隣で俺の指差す方を凝視していたゴバンが呟いた。

勝利を知らせる煙弾……ということは俺達が着くより先に

ケヴィンとガルバーン達が敵を全部倒してしまったということか。

 

彼らの船の周りでいくつも船が炎上しているのを見ればつじつまが合う。

武器なしで倒してしまったということは案外敵も弱かったのだろうか、

あるいはケヴィン達が強すぎたのか、これは希望が湧いてきたかもしれない。

 

しばらくして船が着水すると、ガルバーンの船が近くまで来て出迎えてくれた。

近くで見た船には驚くことにほとんど傷が付いていなかった、

きっとまさに圧勝だったのだろう。

 

「おーい!」

 

向こうの甲板から皆が手を降っている、

二つの船の距離が近づくと直ぐに船と船との間に橋が掛けられた。

 

俺は真っ先に鎖を抜けて走り出し、集団の先頭にいたケヴィンの胸に飛び込んだ。

 

「良かった……生きてて」

 

「当たり前だ、俺達はそんなにやわじゃねぇぜ? ハッハッハ!」

 

俺の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でながらケヴィンは豪快に笑った。

それにつられるように周りの船員達も次々に笑い出す。

 

しばらくの間、二つの船の間には大きな笑い声が木霊した。

 

その間ケヴィンに聞いたことだが

今回の戦いでは死者はおろか怪我人すらでなかったという。

流石に疑問に思った俺がどうやって勝ったのか聞いてみると。

 

まず水門に何度も主砲をぶっぱなし、

敵の戦艦を要塞から出動させたところで壁の上に飛んだ。

 

空中で敵の戦艦へと大量の可燃性煙幕を投下しながらその中心へ切りもみ急降下、着水した瞬間に船の周辺の煙幕のみを風で吹き飛ばし敵艦に主砲を発射、

適当に撃っても命中するほどに密集していた戦艦達のどれかにそれが命中。

 

着弾直後に爆発したそれは炎を発し、

瞬く間に煙幕に引火し周囲の船たちを包み込んだ。

 

ちなみに敵の船は全部木造だったそうだ、相当な酷さだったに違いない。

敵のほとんどは海に飛び込んで難を逃れたが、

すぐにケヴィンたちに確保されたそうだ。

 

……網で。

 

よく見ると船の下に大きな網がいくつも吊るしてあった。

かなりぎゅうぎゅう詰めで辛そうだ……

 

ともかくこれでようやく安心できた。

さて、そろそろ俺の使命も始めないとな……

 

やけに明るいと思ったら日が登り始めているようだ。

何気に徹夜の作業だったんだよな……思い出したように眠気が襲ってくる。

 

睡魔に抵抗する前に俺の視界はブラックアウトした。

 

 

 

 

~ダイカン要塞水門前にて~

ウルフバート達がダイカン要塞を占領して数時間後のこと……

犬の顔のシルエットの前に四つの剣が並んだ国旗を掲げた

バウの戦艦が水門の前に到着した。

 

「おーおー完全に閉まってるなーこりゃ」

 

反りたつ防壁と完全に閉まった水門を見て、

手にした水筒から酒を飲みながら壮年の男が呟いた。

 

男は黒に赤が混じった短髪に黒い犬耳、

気力に満ち溢れた無邪気な子供のような目とは裏腹に

雑に剃られた顎髭が目立つ、猛々しくガッチリとした顔立ちをしている。

 

一目見ただけで分かるほどの鍛え上げられた体には肩を出した白い肌着と同じ色の硬そうな素材のズボンを身に付けていた。

 

彼こそが最強の軍事国家バウにおいてその名を世界に轟かす「四剣」のNo.2……

「ハチ・サスペード」である。

 

「それで、どうします? 忠剣殿」

 

ハチの横に立っていた眼鏡を掛けた副官の男がハチへ指示を仰いだ。

 

「まあそうあせんなって、ゆったりやろうや」

 

あぐらをかいて座り込みながらハチは気だるそうに言った。

 

「ですが……既に内部の部隊は全滅したと先ほど剣帝様より連絡が……」

 

「いちいち兄貴の言う通りにしなくてもいいさ、

どうせこっちはいつでも制圧できるんだ」

 

ハチは甲板に横になりながら大きな伸びをした後、

ヘッドスプリングで飛び起きた。

 

「さて、朝飯と行こうか! 今日は魚で頼むぜ。あと酒足してくれ」

 

ハチは手にもった水筒を突き付けながら副官に対してそのように要求した。

 

一瞬ムッとした表情になった副官だったが、

すぐに深いため息をついて水筒を受け取った。

 

「はあ……いい加減誰か軍規というものを作って頂けないものでしょうか……」

 

副官の男は頭を抱えながら船内へと消えていった。

 

一方、ハチはというとまた水門と防壁を見上げながら……

 

「本当に兄貴の言うやつがここに居るんかねぇ……」

 

水筒の酒を全部飲み欲した後、遠くを見るような目でそう一言だけ呟いた。

 

 

 

 

 

~ダイカン要塞防壁内部~

 

目を覚ますと視界に入って来たのは見覚えのある天井だった。

体を半分起こして周りを見わたす、どうやらここは俺の部屋のようだ。

 

しまった、俺はいつの間にか寝てしまっていたらしい。

昨夜からぶっ通しで働いてたからだろうか、

どうにもまだ体力には問題点があるようだ。

 

………さっさと起きないとな。

 

一旦危機は去ったとはいえ、

まだ俺にもこの船でやらなきゃいけない事はあるだろう。

これからのことも考えなくてはならない。

 

おい、起きてるかエクスパ。

 

(…………zzz)

 

さてと、水瓶はどこにおいてあっただろうか………

 

(おはようございます、ウルフバート様)

 

おはよう、エクスパ。

それとさっきのは冗談だ、悪かったな。

 

前から気になっていたんだが……お前の寝起きが悪いのは何故なんだ?

こう毎回呼び出すのに時間がかかると

俺はそのうち水瓶を携帯しなくてはならなくなるんだが……

 

(何故……と言われましても……

そうですね、あえて言うなら仕様としか言い様がありません)

 

仕様か……そうか、仕様ならしょうがないな。

いわゆる「スリープ」モードね、ヨンも随分凝ったものを作ったものだ。

 

(まあ、所詮私は意思をもった道具なので……

道具は自分の作りに逆らえない宿命なのです)

 

道具の宿命か……

次の世界でお前に体を与えてやれないかヨンに頼んでみるか?

俺としては動ける相棒の方が助かるしな。

 

(いえ、私は現状にも満足しています

別に体が欲しいなどとは思っておりませんし……)

 

(私はあくまでサポートです、

それ以上でもそれ以下にもなるつもりはありません)

 

そうか、じゃあこれからもサポートよろしくな。

 

(はい、このエクスパ・ゲージにお任せください)

 

一通りの話がすんだ後、俺達は部屋の外に出てそこから甲板へと向かった。

甲板に出るともうすでに空高くまで日が上っていた。

 

「お、寝坊助が起きてきたな」

 

船首に立って海の方を観察していたゴバンがそう言って俺をからかった。

 

「すみません、どうやら随分長く寝てたみたいですが……」

 

「ま、お前の歳じゃ無理もねぇさ。もう少し寝ててもいいんだぞ」

 

「いえ、もう十分です。

それより、なにかお手伝い出来ることはありませんか?」

 

「残念ながら今はお前にやらせるような仕事はないぜ、働き者さんよ」

 

なんだやることないのか、じゃあこの先のことでも考えるかな……ん?

例のごとく皆出払っているようだが……

 

「あの……他の皆さんはどうしたんですか?」

 

「ん?……ああ、皆は防壁の上でバウの軍艦を一隻見張ってるな」

 

「バウの軍艦!? もしかして四剣が……」

 

「そりゃ来てるだろうが、

いくら四剣でも一人位じゃここの防壁はそう破れないんじゃないか?」

 

ゴバンはそんなことを言っているが敵の力を侮ってはいけない。

それに俺は四剣がこの要塞の防壁位なら

簡単に突破できる存在であることを知っている。

 

どんなに強固な防壁であろうと関係なく、蹂躙する力。

本に書いてあった戦争記録には

防壁に阻まれて撤退した記録などは一つもなかった。

 

むしろ、あるときからそれまでバウの進行に耐えていた鉄壁の守りを持つ国々が一気に更地になった記録があるのだ、他の記録と照らし合わせると四剣の編成が変わった時期と重なる。

 

四剣のNo.2 ハチ・サスペードは建国に関わっていない五人目の四剣だ。

もともと四剣はパトラッシュ、ラッシー、タロー、ジロー、の四人だった。

 

だが、タロー、ジローの兄弟の戦闘力は他の二人に比べると半分程だったのもあり、そこにパトラッシュの次に強いハチが入って来たためタロー、ジローの兄弟は二人合わせて一人分の四剣の地位を持ち、以降は五人編成の四剣になったそうだ。

 

四剣の能力を常識的に考えてはいけない。

それに相手は軍事国家なのだ、

防壁に対して何かしらの対策を持っている可能性だって十分にある。

 

そしてなによりこの防壁を造ったのはバウなのだ、

抜け道くらい知っていても不思議ではない。

 

手遅れになる前にさっさと行動を起こした方がいい、

ケヴィンにこの事を伝えなくては。

 

「ほっておくと大変な事になりかねません、

四剣の力はそんなものじゃないんです」

 

「おいおい……

いくら四剣だからって船一隻でこの防壁を突破できるってのか?」

 

まだゴバンは俺の言葉を信用しきれていないようだ……なら。

 

「もし突破されないとしても、

隠し通路くらいはあってもおかしくないでしょう?」

 

そう、今最も重要なのは

四剣が突破する力を持っている可能性を伝えることじゃない。

 

なんでもいいからこの船をケヴィン達に合流させ、

戦力を集結させておくことだ。

 

そしてあわよくば四剣を撃退し、

最悪の状況にだけはならないように準備する。

これが今の俺にできる最大限の努力だ。

 

「そうだな、非常用の脱出口ぐらいはあるかもしれねぇな……

一応知らせに行ってみるか!」

 

少しだけ考えた様子だったゴバンだが、すぐに俺の案に乗ってくれた。

さて、問題はどの四剣がやって来ているかだな……

 

エクスパ、四剣の特殊能力についての記録は覚えているか?

 

(はい、しっかりと記録しています)

 

そのなかで今回最も危険なのはだれだ? お前の独断と偏見でいい。

 

(……恐らく「忠剣」の怪力の能力が一番危険かと思われます)

 

やっぱりお前もそう思うか、ただの怪力ならいいんだが……

 

(物体に干渉して重さを減らしたりする能力では厄介ですね……)

 

ああ、あまり強い奴でないことを今は祈りたいよ。

後で仲間にする都合上、弱すぎても困るんだがな……

 

ケヴィン達の居るところへはゴバンが案内してくれた。

 

元はダイカンで一番大きな集落があった島、

それが今は巨大な軍事要塞になっている。

その軍事要塞の内部を一旦地下に進み、海中通路を通ると防壁の下に着く。

 

そこには上への階段がひたすら続いていた。

手入れする苦労とか考えなかったのだろうか、

清掃員にお疲れさまと一言労いたい。

 

階段をゴバンとともに猛ダッシュで翔け上がり、

屋上に着いたときには両足がパンパンだった。

 

屋上のドアから飛び出した俺たち、

海を監視していたケヴィン達は驚いてこちらに視線を向けた。

 

「どうしたんだ!? ウルフ、ゴバンまで」

 

最初に言葉を発したのはケヴィンだった、

息はあがっていたが俺はそれに答えなくてはならない。

 

「……ハーッ……ハッ……四剣が……ヤバイです」

 

「すまん、落ち着いてからでいい」

 

ケヴィンは謝って、水が入った水筒を差し出した。

俺達はそれを受けとると、喉を鳴らしながらすぐに水を飲み干した。

 

ああ、心地よい清涼感が全身に広がっていく。

この感覚で思い出したが、しばらく点滴を味わっていない。

点滴が好物だなんて人間としてどうかと思われるだろうが、

好きなものは好きなのだ。

 

「それで……どうしたんだ?」

 

落ち着きを取り戻した俺達に再びケヴィンが問いかけた。

 

「四剣が来ていると聞いて、

不安になって来てみたんですが……様子はどうですか」

 

「朝になってからずっと観察しているが、今のところは動きがない」

 

防壁の縁に立って遠くを眺めていたファーガスさんが答えた。

 

ファーガスさんの隣にはガルバーンさんが立っていた。

見たところ大体の戦力は集結しているようだ船も要塞に停めてある。

 

これで第一の目的は達成できている、四剣にもまだ動きはないようだ。

なら今のうちにもう一つ不安要素を消しておくか。

 

「もう一つ、この要塞に隠し通路の類いはありませんか?」

 

「内部の地図を見た限りではなかったぞ、

要塞内にもそれらしき通路は見当たらねぇ」

 

「そうですか………」

 

不安要素は無くなった筈だ、しかし依然として胸騒ぎが治まらない。

敵は今どうしているのだろうか………

 

ファーガスさんに望遠鏡を貸してもらってバウの船を見ると、

兵士らしき人達がせっせと甲板にテーブルを並べているのが確認できた。

 

時間的には昼食をとるのだろうか………

しかし、敵がいるというのにこの余裕はどう考えてもおかしい。

 

普通、何も知らない者が見れば敵地で堂々と昼食をとる愚かな軍隊だ。

だが、俺はその光景に恐怖さえ覚えた。

 

船の先端部分を見ると、他の奴らとは明らかに違う男を見つけた。

 

全身の鍛え上げられた鎧のような筋肉が薄着のせいでよく目立つ、

柴犬の尻尾のような前髪は赤毛と黒毛が混じっている、

両顎には二本の牙のような剃りかたをした髭が見られる。

 

頭には赤い鉢巻き、腰にお揃いの色の帯、

ズボンは生きているときに見た何かの武道の物によく似ている。

 

 

 

 

獣の擬人だったからかはわからないが、

嫌でも一瞬にして悟ることが出来てしまった。

 

「こいつが四剣だ」と

 

自然に息が詰まり、心拍が大きくなる。

息苦しい、そんな身近な感覚よりも

遥か遠くにある恐怖が俺の精神を支配していた。

 

言うなれば本能、天敵に気づく為に遺伝子に刻まれた野生のカンが

脳に危険信号を送り続けている。

 

だが、感謝しなくてはならない、この体に。

おかげで最も絶望的な状況だけは未然に防げるかも知れない。

 

そのために出来るのは……エクスパ、お前はどう思う。

 

(先制攻撃して船を沈めます)

 

それは危険じゃないか? そもそも壁の中からじゃあ無理だ。

 

(そうです。ですからこれは壁内から安全かつ、

一撃で沈めることのできる兵器がある場合に限ります)

 

なるほど、もっとあるか?

 

(もう一つは……降参することです)

 

確かにそれならもしかしたら全員助かるかもしれない……

バウは降参した軍や民間人をわざわざ殺したりはしないらしいしな。

 

もしかしたらそのままバウに連れていってもらえるかもしれないしな。

良い案なんだが……絶対に協力してもらえなさそうだ。

 

(ですのでこれは……)

 

ああ、却下だな……一番楽なんだがなぁ……

 

………一応聞いておくが、壁内に留まったりは無理だな。

 

(はい、籠城は大国であるバウに対しては得策ではありません)

 

となるとやっぱり四剣は追い払わなきゃならないか……

…………待てよ。

 

なんでケヴィンはここを占拠しようとしたんだ?

 

「……ケヴィンさん、聞きたいことがあります」

 

望遠鏡を覗きながら俺はケヴィンに問い掛ける。

 

「なんだ?」

 

「四剣を追い払ったって、この要塞一つとたった船二隻じゃ

さらわれたダイカンの人々を取り戻すのは無理ですよね?」

 

「情けない話、その通りだ」

 

僅かな沈黙の後、ケヴィンは真面目な顔で答えた。

 

「だから俺達はこの要塞と船を手土産に反帝国連合に参加する」

 

「俺達以外にもそんな人たちが?」

 

「バウとの戦いで運よく生き残った歴戦の勇士だけが集う組織でな……」

 

「年々力を増していて、戦力はバウにも引けを取らねぇって噂だ」

 

「先に船で出たガルバーンが連合の基地に向かってる」

 

なるほど、取りあえずは目の先の心配だけですみそうだ。

まずは敵の船を沈めてその後、組織の本拠地に向かう。

 

そうと決まれば、さっさと状況を打破だ。

 

「ケヴィンさん、提案があります」

 

俺はいつになく真面目な顔を作ってケヴィンに話しかけた。

 

「…………聞こう」

 

ケヴィンはそう言うと俺の近くに来てあぐらをかいた。

 

「いきなりですが、敵に先制攻撃を仕掛けましょう」

 

「おいおい、本当にいきなりだな……」

 

そう言うとケヴィンは腕を組み、俯いて黙りこんだ。

そうして暫くすると顔をあげて真っ直ぐに俺を見つめた。

 

「理由を……聞かせてくれ

わざわざ危険を犯してまで先制攻撃をする理由を」

 

「奴は四剣のハチ・サスペードです、

アイツは幾つもの防壁や要塞を攻略している危険な奴なんです」

 

「ハチだと……四剣にそんな奴がいたのか?」

 

「チェト・イベツの本屋で調べたんですが、数年前に四剣にハチが加わって新体制になってから要塞の攻略スピードが大幅に速くなったんです」

 

「俺はハチが何らかの要塞に対する攻略手段を持ってると思います

だから今のうちに対処しないと」

 

「……分かった、ファーガス!」

 

理解が早くて助かった、どうやら俺の提案に乗ってくれそうだ。

もう一刻の猶予だってあるかどうかわからないんだ、

きっと相手はいつだって行動に出れるに違いない。

 

「船の準備か……分かった」

 

ケヴィンさんが呼ぶと阿吽の呼吸でファーガスさんが頷いた。

 

その後、俺達は要塞に停めてある船へと向かった。

 

「よし、船を空に上げるぞ! 数人だけで乗り込むんだ」

 

移動中にケヴィン達と話し合った結果、

片方の船を敵目掛けて垂直落下させて潰すという豪快な作戦が決まった。

 

流石にそこまでしなくても……と思ったが、

どうやら俺より彼らの方が勝利に貪欲だったようだ。

 

前日に着陸してそのままだった為、ジャンプの準備はすぐに整った。

帆に空気が貯まり、船体は徐々に浮かび出す。

 

同行を望んだ俺だったが瞬く間に押さえ付けられ、

結局乗り込んだのはケヴィンと数人の技師だけだった。

 

一方、俺は空に浮かんでいく船を要塞の波止場から見送ることとなった。

空では嫌に眩しかった太陽が雲に隠れ始めていた。

 

 

 

~敵艦上空~

 

「ありがてえ、雲が出てきたな」

 

雲が出れば日光が遮られ影がなくなる分、敵に感づかれる可能性も低い。

奇襲をしかけるには絶好のチャンスだとケヴィンは考えていた。

 

船はすでに敵艦の上空にあリ、後は脱出用のロープを防壁に繋げるだけだ。

 

「船長! ロープ、掛け終わりやした」

 

「増幅装置、いつでも止められますぜ」

 

船の各所で作業を進めていた技師達が次々に作業終了を報告した。

 

「よし、装置を止めろ! 脱出するぞ!」

 

ケヴィンの指示で風の増幅機の送風が止まったのを確認すると、

船員は各々に防壁に向かってかけられたロープに掴まった。

 

帆に貯められた空気は徐々に抜けていき、

船体は一気に重力に引かれて落ち………なかった。

 

「どういうことだ? 船がまだ浮いてやがる!」

 

もう一度確認して見ても、帆の中に空気は溜まっていない。

 

辺りを見回してみても何も見当たらない、

直接船内を確認しに行こうとロープを握った瞬間のことだ。

 

大人3人は支えられるはずの強靭なロープは音を立てて千切れ、

彼らの体は真っ直ぐ下に引かれた。

 

海面が近付き、船の底が顔を覗かせる。

信じられない光景は彼らの眼下にあった。

 

「人が……空に……」

 

空を飛ぶ人影が一瞬でケヴィンとの距離を詰めたかと思うと……

次の瞬間、彼の意識は失われた。

 

~要塞の波止場~

 

気付いた時、もう目の前には絶望が広がっていた。

 

ほんの数分前のことだ。

防壁の外から大きな水音がしたかと思うと、突如として景色に変化が表れた。

 

端的に言えば「防壁が引き抜かれた」といえる。

 

言葉にすれば簡単だ、さっきまで俺達の目の前に在った防壁が無くなった。

引き抜かれた防壁は今、俺達の頭上に見える。

 

なるほど、どんな防壁もこれじゃ意味が無いわけだ。

破壊しなくても

「障害物」としての機能さえ無くしてしまえば防壁に意味は無い。

 

(ウルフバート様……これは……重力操作の類ではないでしょうか)

 

重力操作か、ラノベじゃチート能力の一角であるあれだな。

まあ、これだけ大規模なことをやられると流石に怪力では説明がつかない。

 

さて、問題はここからどうやって生き延びるか……だ。

いかに全員無事で反帝国連合に参加できるか。

 

(そのことについて言いたくはありませんが、

この状況は御自分の安全を最優先していただけませんか?)

 

却下だ、もし俺だけ生き残ったら海に飛び込んでやる。

 

(…………はぁ、ご自由にどうぞ)

 

お? 呆れたな?

わがままな主人ですまないな、何なら別の奴にでもつくか?

 

(いえ、ウルフバート様のサポートが私の存在意義です、

ウルフバート様がそう決めたならば私も全力でサポートするまでです)

 

それでこそだ。

この戦いが終わったらピッカピカに磨いてやるよ、相棒。

 

改めて周りを見ると船員達は皆、あまりの衝撃に上を向いて呆けている。

 

「ファーガスさん! 俺達も船で出ましょう、ケヴィンさん達が心配です」

 

「……え?……あぁ……わかった!」

 

他の船員達と同じく唖然していたファーガスさんに声をかけ、

出港の準備を始める。

 

今、敵の方に向かうのは危険窮まりないが

ケヴィンを見捨ててなんかいられない。

 

もちろん、いざとなったら頭を下げてでも皆の命を守る覚悟だ。

 

動き出した船は最大船速でケヴィン達がいるはずの防壁跡地へと向かった。

依然として上空にある防壁がいい目印になった。

 

やがて船は防壁の真下に着いた。

見上げれば空から雨のように海水が落ちている、

その先に見えたのは空中で制止した船と数人の人影だった。

 

「あれは……ケヴィンたちかっ!」

 

俺と同じく上空の光景に気付いたファーガスさんが声をあげる。

 

よく目を凝らして見ると確かにケヴィンだった、

気を失っているようだが大きな怪我はない、生きている可能性はある。

 

ケヴィンの安否を確認したいが、まず奴はどこだ?

この異常な現状を作った元凶の姿は…………いた。

 

船の真下、影になっていて見づらい位置だったが確かに確認できる。

四剣「忠剣ハチ」エクスパの言う通り、

あいつはおそらく重力操作ができるようだ。

 

しかもかなりの広範囲、

余裕そうな顔を見るとデメリットありでもないか……

 

生前のラノベ知識も少しは使えるな。

 

「おい! 下りて来るぞ!」

 

そういったのはゴバンだった、ハチは見る見るうちにこちらに近づいて来る。

 

「皆さん! 構えて!」

 

俺の掛け声で船員達が各々に武器を構える。

だが、奴が近付くにつれて次々に構えた武器は地面に落ちた。

 

どうやら武器が重くなっているようが、なぜか俺の剣だけは重くならなかった。

誰にも邪魔されることなくハチは甲板に舞い降りた。

 

「へぇ、俺の「重導」を食らってるのに武器を落とさねぇか…………」

 

ハチが最初に語りかけたのは俺だった。

 

「もしかしてお前かぁ? 兄貴の言ってた奴ってのは……おっと」

 

俺の背後からファーガスさんとゴバンが飛びだしハチに飛び掛かったが、

ハチは足を全く使わず、ヌルリとした動きで攻撃を回避した。

 

「下がってろ! 武器がなくたってやってやる」

 

「お前に怪我でもさせたら俺はケヴィンに顔向け出来ねぇ!」

 

再び二人はハチに立ち向かっていく。

しかし、どう見ても遊ばれている様にしか見えない。

 

ファーガスさんはケヴィンさんと

ガルバーンさんを除けば船では最強のはずだ。

 

ゴバンだってこの船ではかなり強い方なのに、やはり次元が違いすぎる……

 

だが、攻撃をかわすうちにファーガスさんとゴバンの息をする間もない

コンビネーションがハチを確実に追い詰めているようにも見える。

 

ハチがファーガスの右フックを回避した次の瞬間、

時間差でファーガスの巨体に隠れたゴバンが飛びだし、

回し蹴りを打ち込んだ。

 

それに続ける様にファーガスも巨体を生かして背後の退路を塞いだ。

 

ハチは二人に挟み込まれる形で攻撃を受けた。

それはこの戦いで初めてハチが攻撃を受け止めた瞬間だった。

 

「おまけもなかなかやるもんだ、だがお前さん方にゃようはねぇんだ」

 

 重術!「調重五体投地」

 

ハチに触れられた二人の体が一瞬宙に浮いたかと思うと、

そのまま二人は空中で一回転して甲板に叩き付けられた。

 

「どうした? もうかかって来る奴はいねぇのか?」

 

ダメだ。

 

殴っても重力操作で体力消費無しで避けられる、

例え触っても今の二人のように叩き付けられる。

 

何か見たことがあるような気がしたが……

 

柔道……だったか? 

ラノベの知識が正しければ投げ技を中心とする格闘術のはずだ。

あいつの来ている服はまさにその柔道で使う服だ。

 

くそっ! 

武器の使えない状況下で格闘術の達人に素手で挑むなんて自殺行為だ。

 

後ろを見ても船員は二人がやられたのを見てすっかり意気消沈だ。

海に飛び込んで逃げ出す奴すらいた。

 

考えろ、考えろ、考えろ。

何ができる、どうすれば変わる、今俺はっ!

 

…………よし

 

たどり着いた答えはいたってシンプルだった。

敵の目的は俺だ、少なくとも殺すのが目的じゃないなら。

 

エクスパ。

 

(何でしょう)

 

無理をやる。

 

(……了解しました)

 

 

「おい、お前の用事は俺だろ」

 

ハチはゆっくりと俺の方を向いた。

 

「二人から離れてくれよ、その人たちは「関係」ない」

 

「…………ウルフ、お前っ!」

 

そんな悲しい顔をしないでくれよゴバン、関係ない何て言ってゴメンな。

 

しょうがないんだ、今俺がやらなきゃ誰かが身代わりになる。

俺がやらなきゃ、俺が誰かの代わりをしなくちゃ皆生き残れない。

 

ハチはどうやら能力を解除したようで、

地面に下りてこちらに向かって歩き出した。

 

そうだ、こっちへ来い。

 

能力を解除したのは好都合だ、アレがあるとどうなるかわからないからな。

やがてハチは俺の前に立った。

 

不思議とその圧倒的存在感に気圧されることはなかった。

 

現状を打破しなくてはならないという責任感。

絶対に皆を守るという使命感。

 

さっきまで震えていたはずの両足を魂に宿った二つの思いが支えた。

 

「やっと仕事が終わるぜ全く……エーッと、見たところ雌か?」

 

その阿保な勘違いがお前の最後の思考となることを祈る。

 

殺すっ!

 

俺は今持てる全力のスピードで背中の鞘から剣を抜き、振り下ろした。

すぐに防御体制をとったハチだったがその腕に刃が当たった。

 

しかし、攻撃は無駄に終わった。

 

「……な……なんで……斬撃が完全に当たったのに……」

 

完全に斬ったはずだ、当たった感触は確かにあった。

なのに何で切り傷の一つも無ければ血すら出てないんだ。

 

能力は解除されていなかったのか?

 

俺が驚愕していると剣を受け止めたまま、ハチは笑った。

 

「ハッハッハッ、訂正するよお前は雄だ」

 

「随分と思いやりのある殺意だったな、俺は嫌いじゃない」

 

「だが、それはあくまで受ける側からすればの話だ」

 

そういいながらハチは俺を甲板に叩き付けた。

能力すら使わず、素手で頭を掴んでだ。

 

俺は自分の無力さを改めて思い知らされただけだった。

覚悟があれば少しは何かができるかとも思ったが、努力不足だった。

 

「戦場でそんな程度の殺意じゃ死ぬ、いい勉強になったな」

 

「へへっ……ご指導ご鞭撻どうも」

 

余裕を持て、動揺してる場合じゃない次だ。

まだ一人も殺されてない、まだ遅くない。

 

「俺は国からお前を連れて来るように言われてる、なぜかは知らねぇ」

 

それがコイツの目的か、俺が行けば……良いのか。

皆が助かる方法はこれだけか。

 

くっそ……くそっ!

情けねぇ、自己嫌悪で死にそうだ。

 

………でもやるんだ。

 

俺は選んだ、もう後には引けない選択を。

 

「……そりゃあいい、もともとバウには行く予定だったんだ」

 

俺がそう切り出すと、それを聞いたハチは微笑で応答した。

 

「そうか、こっちとしても助かる」

 

「早速だが船に乗ってくれ、俺の上司がお待ちかねなんでね」

 

ハチがそう言うとこちらの船の隣にバウの戦艦が近付き、

折りたたみ式の橋を互いの船の間に架けた。

 

橋を渡って船の方から一人の男が俺の前に来てしゃがんだ。

男が俺の体に触れると打撲した傷が見る見るうちに消えた。

 

痛みが完全に消えたわけではないが、

ハチに叩き付けられたせいで動かなくなった関節もしっかり動いた。

 

「雄なら自分の足で歩け、

痛みはまだ消えないだろうがなるべく早くな」

 

怪我を治してくれたのはそういった計らいなのだろうか。

ハチが船の方に戻りそうだったので、俺は必要な要求を伝えた。

 

「上にいる奴らを下ろしてこいつらを見逃してやってくれ、

一応恩がある」

 

「じゃなきゃ死ぬ」

 

俺は自分の喉元に剣を突き立てながらそう要求した。

 

「子供の癖にいっちょ前に脅迫ですか……どうします?」

 

俺の怪我を治した男がハチに聞く。

ハチが上を見上げると宙に浮いたケヴィン達がゆっくりと降下し、

甲板に下ろされた。

 

「これで良いか?」

 

こちらに背を向けたまま、ハチはそう言うと船の中へ消えていった。

俺はその後ろ姿にできるだけ大きい声で叫んだ。

 

「ありがとうございます!」

 

さて、やることはもう一つ残ってる。

正直、一番やりたくない。

 

あ、小雨が降ってきた。

こりゃ良いや、隠してくれよ?

 

俺が待つまでも無く、甲板に横たわったケヴィンが目を覚ました。

 

「…………ここは? 船の……甲板……皆は!」

 

「心配しなくても全員無事ですよ、

何人か海に飛び込んじゃいましたけど」

 

とりあえず、ケヴィンに船員の無事を伝えた。

 

「頑張ったんですよ? 俺……」

 

「それでいろいろあって俺はバウに行くことになりました」

 

ケヴィンは状況の整理がついてないようだが、時間がない。

 

「ちょっと待て、なんでお前が! ちゃんと説明しろ!」

 

「悪いですが時間がないんで、事実だけ見せます」

 

俺は髪をかきあげ、長い髪の中に隠した犬の耳をケヴィン達の前に晒した。

その瞬間、ケヴィンもゴバンもファーガスも全員の表情が凍りついた。

 

「こういうことです、俺は最初っから「こっち側」だったんですよ」

 

これしか無かった。

いくら説明した所で彼らの性格上、必ず俺を助けに来る。

 

これ以上、俺と関わらせると確実に死ぬ。

 

なら、裏切ればいい。

これ以上なく注いでもらった恩をあだで返し、敵だと断言することで。

 

「今までお世話になりました、ケヴィン船長」

 

今までの感謝を込めた言葉。

 

それはなるべく皮肉めいて。

 

さながら下卑た悪役の如く。

 

そんな口調で伝えなくてはならなかった。

 

本降りになった雨が本音を隠してくれた、今日はいい天気だ。

みんなに背を向けて船に乗る、進路は北だ。

 

ある程度離れると、浮いていた防壁は元の位置にゆっくりと戻っていく。

 

どしゃ降りの豪雨の音の中。

 

裏切られた男達の悲しみに暮れる叫び声が、

いつまでも俺の耳を捕らえて離さなかった。

 



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第七話 「命のイロ」

前回までのあらすじ

 

ダイカン奪還に向かったケヴィンたちを追ってバウの要塞にたどり着いた、

ゴバン、ファーガス、俺の三人は船員達と勝利の喜びを噛み締めた。

翌日、四剣「忠剣 ハチ」が要塞に訪れると、

俺の提案で船の急降下突撃による先制攻撃をしかけることに。

 

しかし、四剣の人を超えた圧倒的な力の前に攻撃は失敗に終わった。

要塞も攻略され、ゴバンもファーガスさんもケヴィンも皆やられてしまう。

 

船員達を守るために無力な俺は己を偽り、彼らを裏切るしかなかった。

 

___________________________________

 

船がいつもより揺れて感じる。

とても気分が悪い、今にも吐きそうだ。

ハチの戦艦に乗った俺はこれからバウへと向かう。

十年かかってようやく自分の使命を果たすために動き出せるというわけだ。

 

夢のように幸せだった十年間は、良い休暇になったと考えよう。

これで心置きなく使命に取り組めるというものだ。

 

こんなにも幸せな時間はもう来ないのだろう。

これほどまでに非力な俺には大切なものを抱えることなどできない。

 

今の俺じゃ何も守れない。

目的のためにも当分はバウで力をつける必要がある。

 

……俺の存在が彼らにとって重要だったとは言わない。

 

だが、少なくとも俺は彼らが好きだった。

その彼らに涙を流させた自分自身が許せないのだ。

人を泣かせた俺には幸せに笑う権利など無い。

 

俺にとって一週間は反省期間にしては短く感じた。

しかし、いつまでも後悔させてくれるほど時間がないのが現状だった。

 

船は一週間後、バウの港町に停泊した。

船を下りると広がっていたのはチェト・イベツ以上の巨大な港だった。

右を見ても、左を見ても視界全てに船、船、船。

 

そのスケールに圧倒されたおかげで、少しは気分が良くなった。

しかし、暗い船内でずっと考えごとをしていたせいか太陽が眩しい。

 

俺はすぐに立ち眩みを起こして座り込んだ。

 

「大丈夫ですか? ちゃんと食べないからですよ。」

 

俺の横から男の声がした。

声のした方を見ると話しかけた男が

俺の傷を治してくれた人だと分かった。

 

あれから考えてみたがこの人はどうやら治癒能力を持っているらしい。

 

「あなたは……えっと……すいません、お名前をまだ聞いてませんでした。」

 

「おっと、これは失礼」

 

そう言うと男は姿勢を正し、右手を胸に当てた。

 

「私はバウ帝国、忠剣指揮下、血闘将 シバ・サスペード。」

 

「どうぞ御見知りおきを、ウルフバートさん?」

 

そういって彼はにこやかに笑った。

なんでこうもハチの部下は子供のように無邪気な笑顔をするんだろうか。

お前ら兵隊だろと思う。

 

さりげなく俺の名前を知ってる辺り、バウの情報収集能力の高さが伺える。

 

「こちらこそよろしくお願いします。ところで……」

 

「サスペードというのはハチさんの姓ですよね、ご親族なのですか?」

 

どうでもいいことだがふとした疑問をぶつけてみる。

そうすると、シバの表情が少し曇り、

少し間をおいてそのままの重い表情で彼は語りだした。

 

「いえ、犬族は仕える主君に姓を付けてもらうのですが……」

 

「うちの場合は……ほら、主君がめんどくさがりやですから……」

 

シバの表情が一層暗くなった。

 

「自分の姓を付けるんですよぉぉぉ! しかも全員にぃぃぃ!」

 

突然泣き出してしまった、

俺にはよくわからないが部下なりに苦労してるんだろうな。

 

しかし腕は立つが上に立つものとしてはダメみたいだな、忠剣。

 

俺は悪い上司では無いよな、エクスパ?

 

(……さぁ? どうでしょうか?)

 

……改善を前向きに検討させていただきます。

 

そうか……俺も人のことは言えなかったか。

俺も自分を悔やんでシバと一緒に泣いてしまいたい気分になった。

 

「……何してる、血闘将のくせに情けない。」

 

完全に泣きのスイッチが入ってしまったシバさんに声をかけたのは、

10代始めくらいの少女だった。

 

釣り目がちの茶褐色の目は瞳孔だけが青く輝いている。

虎の毛皮を縞模様で分けずに混ぜたような黄色と黒が混ざったような色の髪を

後ろで束ね、ハチと同じような柔道着の格好をしていた。

 

頭の耳から推察するにこの人も犬族のようだ。

 

「カイ! 戦闘しかしない貴女に管理職の辛さがわかるものですか! 」

 

「……いいから来い。」

 

そう言うとカイと呼ばれる少女は、騒ぐシバの襟を掴んで引きずっていく。

身長は俺と変わらないが、見た目に寄らず相当な怪力のようだ。

 

シバが引きずられるのを眺めていると、

カイは途中で思い出したように振り返った。

 

「……忠剣様と他の兵達はもう来ている、お前も早く来い」

 

無表情のカイが開いた左手をパキポキ鳴らしながら手招きをする。

俺も引きずられたくはない、黙って付いていくか。

しかし、何も食べてないから力が出ない。

意外に速いカイの足並みについて行くのは大変だった。

 

いっそ、引きずられる方が楽か?

 

「やめなさいカイ! やめろ! いや、やめて下さい! 」

 

「絞まるっ! 首! 背中痛い! 」

 

いや、楽なんてするつもりはない。

 

カイの背は低いので、シバの体はほとんど地面に接触している。

残念だが、シバの必死の抗議はカイに無視されているようだった。

 

しばらく町を進むと遠くに門が姿を現し始めた。

馬車のようなものが留めてありよく見るとその近くにハチもいた。

すると途端にカイの歩くスピードが上がり、ついには走り出した。

 

ああ……投げられた。

彼は大丈夫だろうか……。

 

一方、すぐさまハチに駆け寄っていったカイはというと……

満面の笑みでハチに頭を撫でてもらっていた。

 

めちゃくちゃ尻尾振ってる、耳も垂れてる、

さっきまでの冷たい雰囲気は何だったのだろうか……

 

「……ボス、私頑張った。」

 

「そうか、よし偉いぞ!」

 

……傍から見てるとまるで犬と飼い主だな。

なんかこう、俺達は「とって来い」感覚で連れて来られた感じだ。

 

「……や、やっと解放された。」

 

俺の後ろからカイに投げられたシバが戻ってきた、本当、お疲れ様です。

心の中でその苦労を称し、「さん」づけにすることにしますよシバさん。

 

「お? お前らも来たか。」

 

カイを撫でていたハチがこちらに気付いた。

 

「馬車に乗り込め、夕方までに兄貴……剣帝様に謁見の予定だ。」

 

そう言われて俺達は馬車に乗り込んだ。

俺は、擦り傷だらけのシバさんが気の毒だったので肩を貸そうとすると。

 

「いえ、お構いなく。自分で治しますので……。」

 

やんわりと断られた。

この人、治癒能力なかったらいつか死ぬんじゃないだろうか……

 

馬車に乗ったのは俺達四人だけだった。

馬車の車の中はやや広い相席になっていて、

左側に俺とシバさん、右側にハチとカイが座った。

 

 

やがて馬車はガタゴトと音を立てながら進み始めた。

 

……しかし乗り心地が悪い、さっきから何度も体が小刻みに揺れている。

全く揺れを感じなかったケヴィンの船とは大違いだ。

しばらく車内は馬車が揺れる音以外はほとんどしない沈黙の空間だった。

 

「そういや名前忘れちまったな、兄貴……剣帝様から聞いたはずなんだが」

 

沈黙を破ったのは忠剣ハチだった。

 

「ウルフバートさんです、それくらい覚えていて下さいよ……」

 

ハチの発言に対し、シバさんは飽きれ顔で返した。

それを正面からカイさんが物凄い殺気を放ちながら睨んでいる。

 

「ウルフバートといいます、これからよろしくお願いします」

 

一応、まだ挨拶をしていなかったのでハチに挨拶をした。

 

四剣はこの世界では最大クラスの規模を誇る国のNo.2だ。

コネとしては絶対に確保しなくてはならない。

 

「まあ知ってると思うが、俺は忠剣 ハチ・サスペード。」

 

「私はボスの忠臣、血闘将 カイ・サスペード。」

 

「改めて申し上げます、同じく血闘将 シバ・サスペード。」

 

シバさんの行ってた通り本当に全員同じ姓なんだな……。

でも考え方によっては家族みたいでいいかもしれない。

 

「ウルフバートさん、あの暴力的な雌には近寄らない方がいいですよ」

 

「……気を付けろウルフバート、そいつ雄でも犯すぞ」

 

「ありもしない嘘をつくのはやめなさい!」

 

狭い馬車の中で二人はお互いを睨み合っている。

 

どうやらシバさんとカイは犬猿の仲のようだ……いや、犬犬の仲か。

 

か、家族みたいでいいよな、ケンカも。

しかし、どうやら犬族は男女ではなく雄雌なんだな。

どんな文化なのか興味が湧いてきた。

 

「それぐらいにしておけ、ただでさえ乗り心地が悪くて眠れねぇんだよ」

 

ハチの一言で取っ組み合いになりかかっていた二人のケンカが収まった。

というか寝る気でいたのか? めんどくさがりやは本当のようだ。

 

「ハチさん、寝られないなら俺にバウのことを教えてくれませんか?」

 

「すまんがシバにでも聞いてくれ、早起きしたせいで眠いんだ」

 

そういったっきり、ハチは馬車の中で横になった。

待っていましたとばかりにカイがハチの頭をひざ枕で受け止めた。

実に満足げな顔でいるが、重くないのだろうか。

 

 

仕方ないのでシバさんの方を向くと、シバさんは大きなため息をついた。

 

「さて、何が聞きたいんですか?」

 

内心、面倒がっているだろうに……仕事熱心な人だ。

その後、目的地に着くまでシバさんを質問攻めにして手に入れた情報は

なかなか興味深いものだった。

 

まずバウの文化について

バウは様々な国を侵略して出来た国であるため、

多種多様な文化が混ざっているらしい。

そのため人種も多い、擬人も多いようだ。

宗教なんかは特に強制されず、差別なんかもなく、治安もいいらしい。

 

聞けばただの良い国に聞こえるが、真相は違うようだ。

 

バウの最高戦力である四剣にはそれぞれ平時における役割が存在する。

正剣が警察組織、裁判所の運営。

調剣が産業、外交、開拓。

忠剣が軍事の最高責任者。

名剣が娯楽、宗教、国の情報網の管理。

 

なるほど差別も宗教も勝手をやらないわけだ、

圧倒的な力の下ではまず間違いは起こらない。

 

続いてバウ帝国とは?

人口約8億人、国土面積約5000万平方km。

大ガイアス洋、西ガイアス洋、モラド海の三洋全てに面している。

歴史上最大の軍事大国だ。

 

正直、国土面積5000万平方kmなんて想像できないのでエクスパに聞くと……

 

(ウルフバート様がおられた世界の歴史ですとモンゴル帝国という国が歴史上最大の国ですね、それでも国土は3300万平方kmですが。)

 

バウが明らかにおかしい大きさだということだけは分かった。

そう思うと俺達が攻めた元ダイカンの要塞も、

バウからすれば小さな砦程度でしかないのだろう。

 

体感で1時間程馬車に揺られると、なぜか馬車が止まった。

馬車の窓から首を出すと、馬車は十数人の男達に取り囲まれていた。

 

「おい! 出てきやがれ! ここを通りたきゃ金目の物を出してもらおうか。」

 

男達の中でも一際厳つい顔をした奴がそんなことをいった。

リーダーだろうか。

隣にいたシバさんも奴らに気づいているようだ。

 

「恐らく山賊でしょうか、カイ! 

馬を奪われる前にさっさと撃退しますよ。」

 

シバさんがカイにそう言うと。

 

「……無理、ボスのひざ枕で忙しいから。」

 

カイはものすごくどうでもいい理由でそれを断った。

 

「……わかりましたよ! 私一人でやればいいんでしょう……本当にもうっ!」

 

シバさんは渋々承諾し、勢いよく立ち上がった。

そして馬車の出口に向かい始めたシバさんに俺は提案した。

 

「俺、手伝いましょうか?」

 

要塞の時、俺は実践経験も訓練も全く足りなかった。

少しでも強くなるためにはまだまだ経験が足りないのだ。

今数え直したら山賊の数は十七人、一人くらいは……やってやる。

 

「いえ、貴方は護衛対象ですから。

万一のことがあれば処罰されるのは私達です。」

 

「それにちょうどいいですし、

最強の軍事国家バウの将の力、見せてあげましょう。」

 

そういった彼に、俺は初めて言い表せぬ恐怖を覚えた。

 

 

だが、今はその恐怖が味方だ。

そう思うと恐怖はすぐに安心に変わった。

 

俺は馬車の窓からシバさんを見守っていた。

馬車から降りた彼はリーダー格の男の前まで出るとこう言った。

 

「一応最初に聞いておきますが……降伏の意思は?」

 

「ああん? なに言ってやがるこのヒョロヒョロ野郎!」

 

振り下ろされた山賊の背丈ほどもある巨大な斧はシバさんの細い右手に阻まれた。

初めて会った時からさっきまで、細目がちだった彼の目がはっきりと開かれる。

 

「なるほど……降伏の意思無しですか……ではこちらからもご挨拶を。」

 

過剰治療《オーバーキュアー》! 「細胞自殺《アポトーシス》」!

 

シバさんはそう叫びながら左腕で山賊の腹部を貫いた。

だがすぐに腕は引き抜かれ、シバさんが腹部に触れると傷が塞がれた。

 

不思議と血すら出ていなかった、一体シバさんは何をしたかったんだろうか。

待てよ、よく見ると山賊の様子がおかしい。

 

「あ、が……なにをした?」

 

「少し貴方の体をを弄らせていただきました。」

 

「貴方方にも分かるように説明しますと、私が今触った細胞はちょっと自意識過剰な勘違いをしたものとなりました。」

 

「故に、現在の貴方の細胞は体にとって悪い細胞です。そして体は正常な動きに戻るために一斉に細胞に対して自殺をさせます。」

 

「ですが貴方の体では今以上の細胞が作り出せません、自殺を繰り返した体はいずれ……おっと、もう終わってしまいましたか」

 

直立不動になっていた山賊のリーダーはシバさんの言葉を

最後まで聞くことなく、そのまま地面に倒れてしまった。

 

聞いていた俺もよく分からなかったが、

シバさんは血の一滴も流すことなく人殺しをやってのけた。

いたって涼しい顔で、少しも恐れることなく。

 

俺に足りなかった殺意とはこのことなんだろうか。

 

「はい、これで一人。」

 

「さて、次の方はどなたです?」

 

シバさんが冷たい目つきで山賊を睨むと、山賊達は一瞬たじろいだ。

 

「おい、頭領がやられちまったぞ……」

 

「どうする……」

 

山賊達はまだこの光景を現実として受け入れられていないようだ。

無理もない、彼らだって悪夢だと思いたいだろう。

 

「チクショウ! 弔い合戦だ!」

 

「そうですか……では、

私のストレス解消に付き合っていただきましょう。」

 

山賊達は覚悟を決め、シバさんに向かっていった。

 

だが、何人でかかろうが意味はなく、

彼らは次々と丸腰のシバさんに叩きのめされていく。

 

だが、依然としてこの場所では一滴の血すら流れていない。

死体だけが次々に増えていく、異様な光景だった。

 

「終わりましたか、ご協力感謝します。」

 

二分ほどで十七人いたはずの山賊は全滅した。

十四……十五……あれ? 一人足りなくないか?

 

ふと物音がした方を振り向くと……いた、馬車の入口だ。

 

「くそっ! あの野郎、後悔しやがれぇぇぇ!」

 

直接馬車を狙って来たのか、山賊は斧を持って突っ込んで来る。

まずい、今からじゃ剣を抜くのが間に合わない。

 

 

「……うるさい、ボスが起きる。」

 

そう聞こえたかと思うと、凄まじい怒気を放つ何かが俺の前を通り過ぎた。

それは山賊の頭を掴み、馬車の外へと勢いよく飛び出していった。

 

一瞬ではっきりとは確認できなかったが、

恐らくそれはその手に似合わぬ大きな小手をつけたカイだった。

 

俺もすぐにカイを追って外へ出ると。

 

「ぐぎゃぁぁ! 助けっ! 助すけてくれぇ……」

 

山賊は禍々しく輝くカイの小手に頭を掴まれ、体の自由を奪われていた。

こちらからでも頭蓋骨が軋むような音がはっきり聞こえる。

 

抵抗をつづけていた山賊だったが、やがてぴくりとも動かなくなった。

しかし、カイは一向にその手を離そうとしない。

 

「……後悔しろ。」

 

カイがそれだけ言うと、山賊を掴んだ手の平に力を込めた。

すると盗賊の頭は粉々に砕かれ、様々な破片が辺りに飛び散った。

 

俺の頬にも飛んできたそれがこの戦い最初の赤、命の色だった。

カイの行動によってこの状況にようやく現実味が出てきた。

 

彼らがやっていたのは間違いなく

正当防衛を越えた殺戮だということに気づいた。

 

だからといって俺に彼らを批難することは出来ない。

俺はただ見ていただけで、止めることすらしなかったのだから。

そもそも俺は守ってもらった側だ、言える立場じゃない。

 

「あのですね、人がせっかく血を出さないように戦ったというのに……」

 

「……一匹見失った奴に言われたくない。」

 

「ですが十歳そこらの子供に血なんて見せるものじゃないでしょう?」

 

「私も十一、問題ある?」

 

また二人の口論が始まりそうだったので、俺は話に割って入った。

 

「シバさん、俺なら大丈夫です。血なんて狩りで見慣れてますよ。」

 

ジェネラルホエールなんか特に血の量が多くて最初は気分が悪くなったが、

慣れてしまえば人も動物も同じ色の命が流れていると考えられた。

自分にも同じ色が流れていると思えば恐怖も嫌悪もさほど感じない。

だが、人が目の前で死ぬのを見るのは初めてだ。

 

この色を見る度に俺は生きている事を実感する。

だがこの色を見る時というのは同時に死に近づくことを表す。

 

誰も犠牲にしたくないと思っても誰かが生きれば

勝手に何かが犠牲になるのが世界の構造だ。

それはヒトバシラにされた俺が一番よく分かっているつもりだ。

 

俺だって見慣れはしたが、忘れたくはないものだ。

流された血には一つ一つ意味がなくてはならないことを。

 

俺達を乗せ、馬車は再び動き出した。

 

盗賊達は無理を言って土葬してもらった、だからといって許されはしない。

去り際に手を合わせた、俺に出来たのはせめてもの礼儀だけだった。

 

荒れた道を進むこと約二時間、

馬車を降りると俺を迎えたのは巨大な滝だった。

 

「すげぇだろ? これがバウの象徴、ガイアスの大滝だ。」

 

唖然としている俺の肩を叩きながらハチがそう言った。

確かに凄い、海以外でこんなに大量の水を見たのは初めてだ。

ガイアスの大滝はその荘厳かつ勇ましい爆音で、

俺達を出迎えてくれているように感じた。

 

そして、最強の軍事国家バウはその滝を背景に存在していた。

ダイカンの要塞とは桁が違うほど高く強度の高そうな防壁。

恐らく唯一の入口であろう巨大な鋼鉄の扉は、

数十人の兵士によって固く警備されていた。

 

「これは忠剣様、ご勤務お疲れ様です。」

 

警備兵の一人がハチに敬礼をした。

 

「お前らもご苦労だった、門を開けてくれるか?」

 

「はい! 只今!」

 

警備兵が門の傍にある蓋を鍵で開けると、ロープのようなものが出てきた。

兵士によってそれが引っ張られ、カランカランと金属の響く音が鳴った。

 

すると固く閉ざされた鋼鉄の扉から徐々に光が差し込んできた。

外は日が傾き始めてはいるが、まだ明るいはずだ。

それでも門の中のほうが明るいというのだろうか。

そんな疑問は門が開いていくにつれて解消された。

 

視界に飛び込んで来たのは繁栄の光に包まれた街の景色だった。

 

この世界で街を見たこと自体少ないが、

この街が最大クラスのものであることは比べなくても分かる気がした。

 

「さあ、行きましょう。剣帝様がお待ちです。」

 

シバさんについて行きながら、俺は街へと足を踏み入れた。

 

「忠剣様が帰って来られたぞー」

 

「血闘将のお二方もだ!」

 

「お帰りなさーい」

 

街に入るなり住民の喚声が俺達に向けられた。

まあ、正確に言えば俺ではなく他の三人に向けてのようだが。

他国から恐れられている分、それだけ国民からの人気は高いようだ。

国の外では最大の脅威、国の中では最強の英雄か……

 

住民達の様子を見ると、やはり擬人らしき人が多い。

犬族が大半を占めるようだが、普通の人間も少しはいる。

恐らくは故郷を侵略され、連れて来られた人々だろう。

しかしこの様子を見ると特に恨みも持っていなさそうだ。

 

街の中でも一際広い大通りの階段を進んで行くと、

黒いレンガの城が姿を現した。

 

これがバウ帝国の城か、想像していたより割と小さいな。

 

「では、私は一足先に失礼します」

 

「ご苦労さん。後で一杯飲もうぜ」

 

「……報告書、頼んだ。」

 

「わかりました、それではまた後で」

 

城の門の前でシバさんとは別れた。

なにやら仕事があるらしく、そちらを先に片付けなくてはならないそうだ。

別れ際に彼から剣帝との謁見について礼儀をしっかりしろと教えられた。

礼儀さえしっかりすれば、まず大丈夫なようだ。

 

城に入ると使用人達に大量の軍服が並べられた部屋に案内された。

謁見の前にまずは身だしなみを整えるらしい。

ハチやカイは自分の部屋からとって来るそうだ。

 

考えてみればそれもそうだ、今の俺は半袖短パン。

その姿はさながら虫取り少年、網を持っていたら完璧だ。

 

それでさっきからメイド達が俺に合う軍服を合わせてくれていたのだが、

途中から何故か女物のメイド服やドレスばかり持って来られるようになった。

 

「これも似合いますね!」

 

「本当! 女の子みたい!」

 

女顔であることは否定しないが、早く飽きてくれないだろうか。

着せ替え人形にされる方はたまったもんじゃない。

 

今後、間違われないためにも髪は切るべきだろうか……。

 

鏡の中でどんどん女の子にされていく自分を見ながら、

俺はいつしか考えることをやめた。

 

しばらくされるがままになっていると、

いつの間にか俺は白い軍服姿になっていた。

 

やっと終わったか、なんだか謁見前から疲れてしまった……

でも何故か変わったようには思えない、軍服も半袖短パンだったからだ。

 

部屋を出るとお揃いの黒い軍服を着たハチ達が待っていた。

 

「……遅い」

 

カイから冷たい一瞥が投げかけられた。

 

「すみません、なかなか合う服がなかったもので……。」

 

メイド達の着せ替え人形にされていたなんて口が裂けても言えない……。

怒らせて頭を掴まれるのはごめんだ。

 

「……」

 

無言でデコピンをされた、かなり鋭かった。

 

「なかなか様になってるな、さあ王の間はこっちだ。」

 

さりげなくハチに褒められ、

少しばかり誇らしい気持ちで俺は剣帝の待つ王の間へと向かった。

 

王の間の前まで来ると、扉の前にシバさんが立っていた。

 

「待ちくたびれましたよ。さあ、剣帝様もお待ちです」

 

「相変わらず仕事が早いな、感心するぜ」

 

「私、事務仕事だけは自信がありますから」

 

シバさんが優越感たっぷりな顔でカイの方を見た。

 

一方カイは凄く悔しそうな顔をしている、

シバさんが褒められたからだろうか。

しかしさりげなく帯刀してることに何も言われないのは

相当の自信あってのことだろう。

 

ハチが先頭に立ち、扉をノックする。

 

「忠剣 ハチ、血闘将 カイ シバ両名、

捕獲対象を連れて謁見に参りました。」

 

ハチがとても似合わない敬語でそう言うと、扉が開いた。

 

「入れ」

 

これが剣帝 サーベラス・バウ・ハウンド 一世の声か。

不思議と空気の重さを感じた、プレッシャーってやつだな。

 

俺達はゆっくりと赤い絨毯の道を進み、

王座の前まで来ると片膝をついて頭を垂れた。

辺りに重苦しい空気が漂う、今にも潰されてしまいそうだ。

 

「表を上げよ。」

 

えーと、一度目は上げないんだっけか。

 

(それは恐らく時代劇では……?)

 

えっ? 本当だ、皆上げてる!

早速やらかした、顔を上げるのがワンテンポ遅くなった。

 

急いで周りに合わせると、ようやく剣帝の姿を見ることが出来た。

 

頭以外を漆黒の鎧で包み、

肩には金属の飾りの付いた赤黒いマントを羽織っている。

年齢は恐らくハチと同等かそれ以上だろうが、髭が生えていない分若く見える。

 

髪は毛先に近づくにつれて色濃くなる白黒のコントラストが特徴の短髪。

顔つきは全てのものを睨むように勇ましく、静かに輝く銀色の目が印象的だった。

周囲を圧倒する雰囲気を放つ剣帝には

まさに「覇王」の二文字がぴったりだった。

 

「さて、まずは任務ご苦労」

 

「おいたわりの言葉、ありがとうございます」

 

代表してハチが応答する、やはり彼の敬語はしっくり来ない。

 

「ところでハチ、彼が我の頼んだ者か?」

 

「はい、剣帝様のおっしゃった通りの者を連れて来ました」

 

「白い髪、青い目を持つ犬族の少年……確かにそうだな」

 

剣帝にじっと見つめられる、

さながら蛇に睨まれた蛙のように俺の体は硬直した。

こちらに向けられた銀色の目はまるで俺の全てを見通しているようだった。

 

「我に対し名乗ることを許そう。さあ、名乗るがよい」

 

落ち着け、もうやらかせない。

 

「お目にかかれて光栄です剣帝様、私の名はウルフバートと言います」

 

「ほう……賊に飼われていたとはいえ、礼儀が出来るのは大したものだ」

 

剣帝の顔に若干の笑みが浮かんだ、これでよかったらしい。

 

「では本題に移ろう」

 

そう言うと剣帝は脚を組んで頬杖をついた。

すると彼から漂っていたプレッシャーが徐々に感じられなくなっていった。

 

「……そろそろ堅苦しいのはいいだろうか、ハチ」

 

「ああ、俺も笑いを押さえるのがしんどくなってきた所だ」

 

急に人の変わったようになった剣帝を見て、俺は驚きを隠せないでいた。

 

「ああそれと、ウルフバートよ」

 

「は、はい! なんでしょう」

 

「もっと楽な格好で聞くがよい、

そう固まられるとこちらまで肩が凝ってしまう」

 

「は、はぁ……」

 

俺は少々唖然としている、

今の剣帝からはさっきまでの威厳と権威が一切感じられない。

 

同一人物なんだよな……

そんな疑問を抱きながらも、俺は言われた通りに楽な姿勢をとった。

 

「随分と不思議な座り方をするものだ、それは本当に楽なのか?」

 

「えぇ、まあ……」

 

(……ウルフバート様、一般的に「正座」は楽な姿勢とはいいません。)

 

えっ、そうなのか?

そんな事実に驚く間もなく剣帝の話は始まった。

 

「お前を連れてきたのは他でもない、聞きたい事があるからだ。」

 

「お前は何者だ?」

 

その質問に一瞬俺は心臓を掴まれたような緊張を感じた。

もしかして、俺が別世界から転生した事が分かっているのか?

 

「我は世界の全てを知っているが、何故かお前の事だけは分からない」

 

「世界人口と個人情報の数がどうしても一人分ズレているのだ」

 

「名前がはっきりしたのが五年前、ケヴィンという賊の行動から分かった。」

 

「特徴なんかは他人の記憶情報から分かるものの、

本人の詳しい情報が分からない」

 

「だから直接招いた訳だ、お前の事を聞くためにな」

 

本に載っていた全知最強というやつか、確かになにもかも知ってそうだな。

きっと全知である自分に知らないことがあるのが嫌なんだろう。

 

しかしどう答えればいい、正直に伝えるべきか。

 

(素性を明かすのはまだやめておきましょう、今はあまりメリットがありません)

 

確かにすぐには信じてもらえないだろうしな。

いずれ彼らを仲間にするつもりだが、それはまだ早いような気がする。

 

他の目的を達成してからでも真実を打ち明けるには遅くはないはずだ。

ここは上手くごまかすか。

 

「申し訳ありませんが、私にも分かりません」

 

「物心ついた時から海賊船に乗っていましたので、それ以前のことは……」

 

「そうか……」

 

俺の返答に、剣帝はほんの少しだががっかりしているように見えた。

 

「まあよい、お前はしばらくハチに預けることとしよう、よいな? 」

 

「任せといてくれ、兄貴! 」

 

ハチが胸をバンと叩いて承諾した。

 

「ではこれにて謁見を終了とする、下がってよいぞ。」

 

こうして、剣帝への謁見は意外なほどあっさり終わった。

 



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第八話 「新たなニチジョウ」

前回までのあらすじ

 

要塞での戦いの後、俺を乗せた船は一週間後にバウの港へと着いた。

 

そしてバウの港で血闘将 カイ・サスペードと出会い、

馬車に乗り換えて本国で待つ

剣帝 サーベラス・バウ・ハウンドの元へと向かった。

 

途中、馬車が盗賊に囲まれたが、

カイとシバさん二人の血闘将の力で盗賊達は全滅。

この出来事で改めてバウの恐ろしさを体感した。

 

無事にバウに着くと剣帝への謁見が始まった。

だが剣帝は俺が思っていたものとは若干の違いがあった。

 

___________________________________

 

少し拍子抜けした気分だ。

世界最強の軍事国家の主がああなのかと少し疑いたくもある。

 

ああ、もしかしたら海賊出身の俺に合わせてくれたのか……

いや、仮にも一国の主が自分より下の身分の者にそんな配慮をするか?

 

考えても納得出来そうになかったので

部屋から出た後にシバさんに聞いてみた。

 

「そうですね、私も初めてお会いしたときは偽物かと思いましたよ」

 

「軍の関係者には気さくに接する方ですよ、

特に客人には敬意を払っておられます」

 

「それって、威厳とか大丈夫なんですか?」

 

俺がそう聞くと、

シバさんは一瞬キョトンとした顔になった後に笑いだした。

 

「国を平和にするのは権力でも威厳でもありません、民からの信頼です」

 

「恐怖政治は長続きしないものですよ」

 

そういうものか、やっぱり政治はよくわからない。

まあ……確かに国家元首が世界最強なら安心感はあるだろう。

 

しかし国民は怖くは無いのだろうか、それに一番近いのは自分達だろうに。

いつかその力が自分達に向けられるとは考えないのだろうか。

 

(恐らくそれを危惧されないことが「信頼」なのではないでしょうか)

 

本当に国民が安心できる国なんだな……

 

「ところで、お腹が空きませんか? 私達とご一緒にどうです?」

 

シバさん達から夕食への誘いを受けると、

思い出したように空腹感が出てきた。

 

思えば朝から何も食べていなかった。

腹が減りすぎると一周回って減らなくなるんだよな、おかげで忘れていた。

 

「いいですね、行きましょう」

 

昼間にあんなことがあったから、正直食えそうにない。

特に肉は。

 

でも食わなきゃ死ぬのは俺だしな、我慢しよう。

 

「決まったか? じゃあ行くぞ! 酒だ~」

 

「……早く、ご飯」

 

シバさんの後ろで足踏みし始めていた二人は

俺の返事を聞くや否や走っていった。

カイはいいとして、ハチは大人としてあれでいいのだろうか。

 

「まったく……こういう時だけ早いんですから」

 

残された俺達も二人を追って食堂へ向かった。

 

たどり着いた食堂はかなりの広さだった。

もしかしたら王の間より大きいんじゃないだろうか。

 

ここで食事をしているのはいずれも軍の関係者だろうか、

それにしても凄い数だ。

 

男女問わず、十歳位の子供から、六十位の老人まで様々な人がいる。

 

一つの円いテーブルに椅子が四席、

簡素な白シャツを着た店員達がせわしなく各テーブルに料理を運んでいる。

 

食堂右奥に位置するテーブルでハチ達は既に食事を始めていた。

 

「遅ぇぞー! シバァ!」

 

「もう出来上がってるじゃないですか、飲みすぎは体に毒ですよ」

 

俺達に気づいたハチの顔は赤くなっていた、酒を飲んでいたらしい。

隣にいるカイの顔もほんのり赤く染まって見えるが……まさか……

 

「カイさん、お酒飲みましたか?」

 

「……」

 

カイは黙って首を縦に降った、未成年で飲酒はまずいんじゃないだろうか。

生前の日本じゃ「お酒は二十歳から」って言っていたはずだが……

 

(いえ、彼らは擬人ですし。

そもそも成人が二十歳と決まった訳でもありません)

 

いや、そういうもんか? どちらにしたって子供が飲酒は良くないだろう。

 

生前のトラウマなのか、

どうやら俺は酒、タバコ、薬物などがどうも苦手だ。

 

流石に酒くらいは克服しないとまずいだろうか、ハチの好物なようだが……

飲酒はコミュニケーションの一環と聞いた事もある。

 

俺の酒が飲めねぇのか! 

なんてこの国の屈強な方々に言われればきっぱりと断る自信はない。

 

「さあ、席に着きましょう、料理が来たようですよ」

 

シバさんの目線の先に目をやると

両手に料理の皿を持った人が歩いて来るのが見えた。

 

やがてテーブルに料理が並べられた……

 

うわ、マジかよ。

 

「本日の日替わりメニュー、ガイアス牛の舌の炭火焼き定食になりまーす」

 

「鉄板のほう、熱くなっていますのでご注意ください、どうぞごゆっくり」

 

俺の目の前にあるのは焼肉定食だった。

よりによってこれかと、今一番食べたくないものかと。

 

もう一度並べられた料理を確認してみる。

 

まず、アツアツの鉄板にに山盛りに盛られた牛の舌だという焼肉。

その隣に味噌のような調味料で味付けされている細長いハビっぽい野菜。

それと白いロロコのようなもののしっとりとしたサラダ……いや漬物か?

 

骨付きの肉がトロトロに煮込まれて

薄切りされた透明な野菜が入っているスープ。

 

そしてふっくらと炊かれたシャリコに

一回り大きい別の穀物が混じっている。

意外にも箸があった。

 

普段なら、確実に喜ぶ献立だ。

 

(牛タン、味噌南蛮、葉野菜の浅漬け、テールスープ、そして麦飯……

典型的な牛タン定食ですね、日本では仙台名物として知られています)

 

そんなことはどうでもいい、問題はこの量の肉を完食出来るかだ。

 

(別に食べ切れなければ、お残しなさればよろしいのでは?)

 

馬鹿いえ! ご馳走になっているんだぞ、粗末に出来るか。

もう覚悟を決めた、吐いても飲み込む!

 

「……食べないなら貰う」

 

「いや、食べます! 食べますから! 」

 

目を輝かせ、よだれをすすりながら俺の牛タンに手を伸ばすカイを止める。

 

ええい、ままよ!

 

いただきます!

 

食事開始の儀式を忘れず行い、まずは牛タンの一つに箸を向かわせる。

そして回収した肉汁滴る一切れをシャリコに乗せ、肉で巻いて食う。

 

二秒後、最初に感じたのは嘔吐感ではなく食材の旨味だった。

 

ちょっとばかし肉の味に癖があるのが

むしろこの炊いたシャリコにマッチしている。

びりびりと強めに効いた塩味がシャリコを掻き込む手を休ませてくれない。

 

そしてなによりもこのシャリコの中に混じっている穀物だ。

プリッとした触感が面白く、どことなく香ばしさもある。

おかず無しでもこれだけで十分なくらいだ。

 

細長いハビを口に入れると

芳醇な豆の香りが広がった直後にガツンとした辛さがきた。

その後に白いロロコの漬物をを食べれば、

すっきりしたみずみずしさのある酸味で辛さがちょうど良く中和される。

 

骨付き肉のスープに口をつけると、すぐに繊細な肉の旨味を感じた。

余計な味付けが無く、薄い味付けであるはずなのになぜか満足感がある。

 

長時間かけて煮込まれたであろう肉をスープと一緒に口に入れれば、

咀嚼することで旨味は倍以上に膨れ上がった。

 

肉と一緒に入っていた透明な野菜はシャキシャキと軽快な音と共に、

程よい薬味の役割を果たしている。

 

あっという間に食器は空になった。

 

「あのー、おかわりあります?」

 

お椀を差し出してから自分の外道さに気付いた。

 

ええ、そりゃあ最低ですとも!

ちょっと前まで血を見て肉食えないとか言ってたんだものね!

 

だが、今は何と言われようとも構わん!

今の俺に出来ることはこの素晴らしい瞬間を提供してくれた食材への感謝。

そして最大限食べることによって命を無駄にしないことだ!

 

(ウルフバート様、完全に吹っ切れておられますね)

 

そうとも!俺はもう迷わない!

 

(今までこんなどうでもよい「俺はもう迷わない!」があったでしょうか……)

 

美味かった。

とにかく今まで食べたもののなによりもシンプルに美味かった。

 

これは自分で作れるようになりたい……そう思うほどに。

 

「なかなか豪快な食べっぷりだったぜ、やっぱ雄はそうでなくっちゃな!」

 

結局、四回大盛りでおかわりした俺はハチから称賛の言葉を貰った。

だがそれよりもカイの十回のほうが多い、

あの小柄な体のどこに入るのだろうか。

 

「さて、飯も食ったし行くとするか!」

 

「どこへです?」

 

「決まってんだろ、今日からお前の寝床になる場所だ。」

 

ああ、そういえば剣帝は俺をハチに預けると言っていたな。

そういうことなら今日から俺の寝床は軍の施設になるのか。

 

ハチが席を立つ、俺もそれに続いて立ち上がった。

 

「あれ? シバさん達は行かないんですか?」

 

「今ちょっとカイが食べすぎてしまって

動けないようなので付き添うことにします」

 

「……満腹、満足」

 

カイは幸せそうに食後の緩やかな倦怠感に身を委ねている。

確かにあれだけ食べては動けないのも無理はないか。

 

「そうですか、今日はご馳走様でした。ではまた明日」

 

「ええ、おやすみなさい」

 

「……」

 

椅子を二つ使って寝っ転がっていたカイも手を振って挨拶をしてくれた。

そんな訳でここで二人と別れることになった。

 

それからは千鳥足気味になっているハチの後を支えながらついていった。

軍の宿舎は城から入ったのとは

逆の入口から出て右に曲がったところにあった。

 

流石に大所帯のバウ帝国軍だ、宿舎というより数十回建てのホテルに見える。

しかし、城より大きいというのはどうしたものか。

 

本当に自分の威厳とか気にしないんだな、あの王様。

 

「でっけぇから部屋の番号間違えないようにしろよ?」

 

そう言いながらハチが俺に渡したのは部屋の鍵だった。

鍵の持ち手には306号室と彫られていた。

 

「じゃ、俺は寝るから」

 

「えっ? ちょっとまって下さいよ。まだ聞いてないことが……」

 

要求を伝えきるまえにハチは重力を操り、闇夜に消えていった。

一人残された俺に出来ることは一つだった。

 

306号室……行けばわかるか……。

 

明日の予定とか、

俺は結局どういう扱いになるのかとか、

部屋の使い方とか……

 

諸々聞きそびれてしまった、情報が乏しいと行動にも影響するものだ。

 

宿舎の各階にあるネームプレートによれば

部屋は一フロアに十部屋あるらしい。

 

えっと、じゃあ306号室は…………

 

(三十一階ですね、最上階です)

 

あの野郎……やめよう、怒りは無駄に体力を使う。

なにせこれから三十階分の階段を上がるのだからなおさらだ。

 

夜なのでなるべく静かに上がっていくが、

気をつけていても静かな夜に足音は響く。

十五階辺りで一度休憩を入れた、食べてすぐの運動はきついな。

 

休み終わってからは一気にいった、

三十一階に着く頃には息が上がっていた。

 

まったく情けないことだ、

階段の上り下りに加えて走り込みの習慣でもつけるか。

 

やっとたどり着いた306号室は既に明かりが付いていた。

 

同居人がいるのか、

出来れば睡眠を妨げない程度にうるさくない人がいいものだ。

 

まずは扉をノックしよう、ノックもせずに入るのは失礼だ。

突然入って同居人とトラブルでもあったらその後の生活が気まずくなる。

 

要するに、俺はラノベなんかの「お約束」が怖いのだ。

こう、主人公が部屋に入るとヒロインの着替えに出くわすとかいうのが。

 

まあ俺は主人公なんかではないし、

ここにいる兵士なんて大概男だろうから心配するだけ無駄だろうが……

 

それでもこの世界は俺のいた世界から見れば創作物の世界だから、

そんなことが起こるのを危惧せざるをえないのだ。

 

(……実は期待してませんか?)

 

してない、断じてそんなことはない。

もしそんな展開になったら土下座して自分の目を潰す覚悟がある。

 

(そこまでなさらなくてもよろしいのでは!?)

 

大きく深呼吸をしてから、俺は木製の部屋のドアを軽くノックした。

コンコンと乾いた音がなる、まず自分が誰かを伝える必要があるか。

 

「今日からお世話になります、ウルフバートです。

入ってもよろしいでしょうか?」

 

返事を待っていると部屋のドアが開いた。

女性だ、一瞬で分かった。

 

頭にタオルをかけていて上半身が裸、

固そうな素材の青いズボンを履いている。

赤い長髪は濡れていて、ぎりぎり胸の先端部分を隠していた。

 

そうだ、目を潰さなくては。

 

「あー、君がウルフバート君? まあ取り合えず入って」

 

そういった彼女に手を引かれ、部屋に引き込まれた。

取り合えず目は閉じておこう。

 

「忠剣様から聞いてたよ、私はサーシャ、今日からよろしくね。」

 

ああ、自己紹介されているのか。

俺はそれを適当に聞きながら、目を潰すための刃物を探していた。

 

……そういや背中にあったか。

 

(おやめ下さい! ウルフバート様! これはしょうがないですから!)

 

エクスパが必死に抵抗している。

ええい! 俺だってこうなるとは思わなかったんだよ!

 

でも決めちゃったんだからやるしかないだろ!

 

(これは完全な不可抗力です、それにあなたは今、十歳なんですから)

 

法や世間が許しても相手に許されない限り、俺が自分を許せねぇ。

いいから抵抗をやめろぉ!

 

「さっきから目を瞑ってるけど……ああ! もしかして恥ずかしかった?」

 

「ゴメンね、さっきまでお風呂入ってたから。

……もう目を開けて大丈夫だよ」

 

そう言われて恐る恐る目を開けると、

彼女は薄い白の肌着を着てイスに座っていた。

すぐさま俺は彼女の前に進むと土下座の体勢に入った。

 

「すいませんでした。」

 

俺の謝罪の言葉の直後に彼女は腹を抱えて笑った。

 

「真面目だなぁ、別に君くらいの歳の子に見られてもなんともないよ」

 

「第一、そんな可愛い顔してたら

女風呂入ってたって気付かれないんじゃない?」

 

そう言って彼女はさらっと許してくれた。

 

合掌

我が神ヨンに感謝します、子供から始めさせてくれたことを。

 

(本当に、一時はどうなることかと思いましたよ……。)

 

俺にテーブルにつくように促すと彼女は席を立ち、

俺の視線から左手に見える壁に埋め込まれた扉を開けた。

 

ケヴィンの船にあった冷凍室の簡易版だろうか……。

彼女はそこから円柱状の透明な入れ物を取り出した。

見たところ中身は透き通った茶色の飲み物のようだ。

 

「十歳位の男の子って聞いてたからどんな悪ガキかなって思ってたんだけど……

えっと、飲み物お茶でいいよね?」

 

「あ、はい」

 

更に透明なグラスを二つ、

食器棚から取り出して彼女はテーブルに戻ってきた。

彼女はグラスをテーブルの上に置き、俺の正面に座った。

 

「まさか、こんなかわいくて礼儀正しい子だとは思わなくって安心したよ」

 

お茶をグラスに注ぎながら彼女は俺を褒めた。

俺だって伊達に十年間敬語を続けてきたわけではない。

俺はちょっとだけ誇らしい気分になった。

 

だが、かわいいはどうしても言われるのだろうか……

早く成長したい、イケメンとは行かないまでも男らしくなりたい。

 

そんなことを考えて、俺は渡されたお茶を一気に飲んだ。

水分が全身に染み渡る。

 

この爽快感のある後味は何だろうか、後で聞いてみよう。

 

「そうだ、今日は疲れたでしょ? 君もお風呂に入りなよ」

 

一瞬、脳裏を「残り湯」という単語が過ぎった。

すかさずその煩悩を捕まえ、惨殺する。

 

煩悩よ、死ねぇ!

 

早く精神が成長しないものか、この弱い意思ではもう辛くなってきた。

ただでさえ、数秒前まで裸だった人が目の前にいるのだ。

 

サーシャといったか、改めて見れば彼女は色白で整った顔立ちだ。

肌着を着たとはいえ、下着は着けていないようで汗で肌が若干透けて見える。

 

まだしっとりと濡れた赤い長髪、

さっきから部屋には若干いい匂いが漂っている。

それこそ男だらけの海賊船では嗅いだこともない上品な香りだ。

 

……じゃなくて死ねぇ! 煩悩よ死ねぇ!

てか俺が死ね! ちくしょう!

 

(見事に本能に翻弄されていますね……)

 

一刻も早くここから逃げなくては、理性が持たない。

ここは風呂だ、彼女の言う通り風呂に入ろう。

 

目一杯、冷水を被ろう、そうだそうしよう。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

そそくさと席を立ち、急いで先程から見えていた左手奥の扉へ向かう。

慌てすぎたのか、途中でイスに足をぶつけた。

 

俺は悶絶した、当たった部位は足の中でも特に痛い小指だった。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「大丈夫です、何ともありません!」

 

椅子を引いて駆け寄ろうとしたサーシャを手で制止する。

俺は歯を食いしばって風呂場に向かった。

 

服を脱ぎ、ウルフバートは脱衣所に置いていく。

エクスパは剣にはまっているので一緒にはいけない。

 

そもそも石とはいえ、

エクスパだって女性なのだから一緒に入浴などできない。

という訳でエクスパはしばしの間お留守番だ。

 

(ご配慮ありがとうございます、ではごゆっくりどうぞ。)

 

風呂場に入るとサーシャから漂っているいい香りがした。

深呼吸したくなる衝動を押さえながら、急いで窓を開けて換気する。

 

この体、身体能力が高いのはいいが、どうも鼻が利きすぎる。

 

どこかに水は無いかと探していると、前世では見慣れていたものがあった。

水道の蛇口だ。

 

だがあの捻る部分が無い、どうすればいいのかと色々いじっていると

蛇口の先端が回せることに気付いた。

 

ねじの要領で反時計回りに蛇口の先端を回していくと、冷水が出てきた。

それほど勢いは強く無いようだが、頭を冷やすのに重要なのはその温度だ。

 

桶に冷水を汲み、俺はそれを頭から被った。

 

頭が痛い、全身に冷たさが染み渡る。

だがおかげで冷静さは取り戻せたようだ。

 

俺は忘れずに蛇口を閉め、浴槽へと向かう。

 

灰色の光沢のある石で作られている浴槽の蓋を開けると、

大量の湯気が俺の顔を覆った。

 

つま先を湯舟に張られたお湯につける。

熱すぎず、ぬるすぎず、絶妙な湯加減であることが確認できた。

 

冷水に頭を突っ込んだせいで凍えていた俺はすぐさま風呂に飛び込んだ。

肩までお湯に浸かれば、体の奥底から沸き上がるものがあった。

 

「はぁ~」

 

全身の力が抜け、沸き上がる幸福感がため息として出た。

 

風呂に入ったのなんていつ以来だろうか、

記憶を辿ってみると、

どうやら前世で家が焼け落ちてから入っていないようだ。

 

いくらケヴィンの海賊船が居住性抜群だったとはいえ、

海の上では真水が貴重で、風呂に使える程に余ってはいなかった。

 

この国は背後に巨大な滝があるため、水資源には事欠かないのだろう。

だがどうやってこんなに大量のお湯を用意するんだろうか。

 

時代劇なんかで見る釜戸や、前世で見た湯沸かし機がある訳でもなさそうだ。

上がったらサーシャに聞いてみるか。

 

今日はいろんなことがあった。

バウに来て、盗賊に襲われ、カイやサーシャと出会い、剣帝と話した。

 

ケヴィン達は無事にガルバーン達と合流出来ただろうか。

今度彼らと会うときは俺達は敵同士だ。

 

目的の為なら彼らの命を奪うことにもなるかも知れない。

その時はためらわずにやろう、俺が使命を果たさなきゃどうせみんな死ぬ。

 

思い出せば、この世界に来てからというもの俺は運がよかった。

 

かなり無茶をやったが、今日まで生きてこれた。

だが、それは周りにいつも守ってくれる存在がいたからだ。

 

出会いに恵まれていたのだ、俺は。

 

それこそケヴィンに拾われていなければ、俺は最初に死んでいた。

ファーガスさんに出会わなければ、料理に興味を持つことはなかった。

ワイネさんに教えてもらわなければ、俺は農業なんて出来なかった。

ゴバンが助けに来なければチンピラに殺されていた。

ハチがいなければバウに来ることは出来なかった。

シバさんとカイがいなければ山賊にやられていた。

 

ふと数えてみただけでも、なんて俺は幸運なんだろうと思った。

少し恵まれ過ぎだと自分でも思う。

 

だが、彼らに頼っていられたのは今日までの話だ。

もう簡単に助けられはしない、いつまでもおんぶに抱っこは嫌だ。

 

俺は強くならなくてはならない、それこそ誰にも負けない位に。

誰にも守られることのない存在になりたい。

 

明日は早起きをしよう。

今の俺に必要なのは今の所、戦闘技術だ。

 

自分で調べるか……誰かに教わるか……。

それはまたエクスパに相談してみるか。

 

さて、長く湯舟に浸かり過ぎた。

のぼせる前に上がるとしよう……。

 

おっと、体と頭を洗うのを忘れる所だった。

ちゃんと洗剤もあるんだな、よく泡立ついい洗剤だ。

 

髪を洗おうと洗剤をつけるとサーシャから感じた匂いが風呂場に広がった。

……シャンプーの香りだったのか。

 

サーシャの香りと信じた俺の夢ははかないものだった。

……本当どうしようもねぇな、俺。

 

 

 

俺が風呂から上がると、

出口でタオルを持って待ち構えていたサーシャに髪を拭かれた。

 

頭を拭かれながら風呂で疑問に思ったことを聞いてみると、

次のような回答が得られた。

 

暖かいお湯はどこから来るのか、

それはこの国が大きな山に囲まれた温泉地帯だからだそうだ。

 

どの部屋にも同じような源泉かけ流しの風呂があるらしい。

 

そして今、俺はクシで髪を梳されている。

 

「別に髪まで解かさなくても……」

 

「だーめ、せっかく綺麗な長髪なんだから。もったいないよ」

 

「いや、俺としては邪魔なんで切っちゃおうかと思ってるんですけど……」

 

もう女の子に間違えられるのは御免だしな。

 

「えーっ! やめた方がいいよ、絶対にダメ。

 バウでは色の薄い髪ほど美しいって言われてるんだから」

 

つまり白が一番綺麗だというのか。

 

そもそもなんで俺は白髪なんだ?

この世界に来てからというものの、白髪なんて俺しか見たことないぞ。

 

(転生の際に我が神が創られた貴方の体は前世の影響をある程度受けています。

それがたまたま髪の色となって表れたのでしょう。)

 

それじゃあ白髪《はくはつ》じゃなくて白髪《しらが》だな、

美しくも何ともない。

 

「私はルー君の髪の毛好きだなぁ、もっと大事にしなよ。」

 

「ルー君って俺のことですか?」

 

俺が振り返って聞くとサーシャは頷いた。

 

「そう、ウルフバート君じゃ長いでしょ?」

 

「それもそうですね、じゃあこれからはそうしましょう。

そうだ、サーシャさんは呼ばれたい愛称とかありますか?」

 

俺がそう聞くとサーシャは腕を組んで悩み始めた。

少しの間待つことになったが、ようやくまとまったようだ。

 

「……えっと、お姉ちゃん……かな……」

 

彼女は若干気恥ずかしそうに答えた。

 

あー、うん。

 

それはちょっと精神持たない、嫌だとかじゃなく純粋に恥ずかしい。

ただでさえ見た目かわいいそうなのに、弟属性まで増やせと?

 

だが、彼女は俺をあっさり許してくれたしな……どうしようか。

 

「お願い! 私一人っ子でさ、弟欲しかったの! だめ?」

 

若干、興奮した様子で彼女は顔を近づけた。

 

ちょっとそんな目で俺を見るな、わかったわかった。

そのうち慣れるはず、死にそうなくらい恥ずかしいのは最初だけと信じよう。

 

「わかったよ……お、お姉ちゃん……。」

 

勇気を振り絞った一言だったが、気付けばお互いに顔が真っ赤だった。

 

一応違和感の無いように敬語を使わないで言ってみたが

ダメだ、やっぱり恥ずかしい。

 

そして今更のようだが、俺は敬語以外で喋れる人と会話した経験が乏しい。

敬語を使っていないとろくに会話も出来ないようだ、これはまずい。

 

「も、もう寝ますね!」

 

「う、うん! おやすみ」

 

二つ並べられたベッドの片方に俺のスペースがあった。

俺はすぐにそこに横になり、毛布を被った。

 

部屋の明かりはサーシャが消してくれたようだ。

この国はちょっと前世の世界並に文明が発達している節がある。

 

明かりがある、冷蔵庫もある。

どう考えても機械や電気無しで行えるものだとは思えないが……

 

思えば水道ってどう動かしてるんだろうか、やっぱり電気か。

 

(ウルフバート様のおられた世界の話ですと、水道は電気でポンプを稼動させ

その圧力で水を届ける仕組みになっています。)

 

やっぱり電気は不可欠か、この国の便利さは謎が深まるばかりだ。

なんだか気になって来たんだが……エクスパ。

 

(今日は早く寝られるのではなかったのですか?)

 

そういえばそうだった、夜更かしはするべきじゃない。

というか、風呂では離れてた筈なのにのにちゃんと聞こえてたのか。

 

(しっかりと計測した訳ではありませんが、

障害物の有無に関わらず半径5メートル圏内なら心による意思疎通は可能です)

 

わりと狭いな、でもそんなもんか。

その距離を伸ばせれば色々と便利なんだがな……

 

(ウルフバート様はそうやって次々に考え事をなさりますね、

うまく寝付けないようでしたら羊でも数えましょうか?)

 

やめてくれ、なんだか小腹が空いてきた所だったんだ。

予定通り今日は大人しく寝るよ、ここは軍隊だしきっと朝は早い。

 

(今日は一日お疲れ様でした、ではおやすみなさいませ。)

 

お前もお疲れ様。

最近、スリープモードにならないように頑張ってたんだろ?

やっぱりお前は道具じゃないよ、お前はエクスパ・ゲージだ。

 

彼女にその心の声が届いたかは分からない、

だが俺は彼女の安心したような寝息を聞いただけで満足だった。

 

 

 

 



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