偽ハイキュー!! 月島蛍の元カノは影山飛雄と付き合ってみた (由比レギナ)
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あたしゃこの時はスッピンである
あたしの朝の日課は、ゲンジの散歩だ。リードをグイグイ引っ張る勇ましさに反して、フリフリと揺れているお尻が愛らしい。名前の由来は、彼氏の名前だった。この柴犬を飼い始める時に、彼氏に『ホタル』と名付けていいか訊いたら、即答で『は? キモチワル!』と嫌がられたので、仕方なく『源氏蛍』から『ゲンジ』と名付けた。
あたしの彼氏の名前は、月島蛍。蛍と書いて、ケイと読む。『あなたの名前から取ったのよ』なんてわざわざ言っていないのに、自分からそう察して『気持ち悪い』というアイツのほうが、自意識過剰で気持ち悪いと思うが、それを言うとすぐ口論になって、『僕は別れてもいいんだよ?』とか言うから、あたしはグッと堪えてあげた。どうせ別れるつもりなんかないくせに、すぐにそう言うから面倒だ。一日連絡しないだけで、すぐドヤ顔のスタンプを送ってくるくせに。
そんな男と付き合いだして、もう二年になる。
中学一年生のバレンタインの時に、例年通りにチョコレートをあげたら、ホワイトデーのお返しの時に『お返しを買うなんてわざわざ面倒だから、代わりに君の彼氏になってあげるよ。それでいいデショ?』なんて言われたのが、付き合うキッカケだった。『なんて面倒な男だ!』とその時改めて認識したのだが、少し視線を逸らして照れてる顔を見たら、思わず頷いていたのだから仕方ない。蛍とはもう十年以上の付き合いだった。その中で、あんな可愛い姿はまず見たことがなかったのだ。ちなみに、蛍とは家が隣同士の幼馴染でもある。そして、付き合いだした当日から、両家公認の仲だった。告白シーンを、蛍のお兄ちゃんに見られていたのだ。
去年から飼い出したゲンジは、まだ小柄ながらもパワフルだ。デカいくせに、ひ弱なアイツとは大違い。可愛らしさも段違いだ。だけど、もう少し加減しておくれ。あたしゃ、運動神経ゼロなんだ……。
と、土手を駆け足で散歩していた時である。同世代のランニングする男の子とすれ違ったと思いきや、なぜだかゲンジがそいつに付いて行ってしまったいっ!
艶やかな黒髪が爽やかな背の高い男の子。朝から清々しくてイイのは分かるが、急に方向転換して行くなゲンジよ! 謝るから!! 阿呆な理由で女の子なのにゲンジと名付けたことに今でも文句があるなら、謝るから!! キャンキャン嬉しそうに鳴きながらイケメンに付いていかんでおくれっ!!
あたしの手からリードが離れたのと、あたしが転んだのは同時だった。
ずてーんと壮大に転んだ擬音語が気持ちがいい朝陽を背景に書かれていそうで恥ずかしい。
嬉しそうなゲンジの声が聴こえる。
あーあ、入学式そうそう顔から転んでしまうとは……烏野高校史上最上の美人女子高生誕生の瞬間に膝が汚いとか、幸先不安じゃないの……としぶしぶ顔を上げた時だ。
目の前に、鋭い目つきの男の子がいた。今しがたすれ違った男の子だ。しゃがみ込んで片手でゲンジとじゃれ合っているのが微笑ましいが、彼の顔は心配そうにしかめられていた。
蛍ほどではないが、なかなかのイケメンだ。
それに対して、あたしゃ今はスッピンだ。ぼさぼさの髪に、牛乳瓶の底型メガネ。中学生時代のヨレヨレジャージ。
爽やかスポーツ好青年と向かい合うには、役不足も甚だしい。
だけど、彼はそんなブチャイクなあたしに向かって訊いてくる。
「だ……大丈夫ですか?」
「あ、あい」
涙ぐみながらそう返事をするものの、彼の表情は全然晴れなかった。むしろより険しくなって、ジャージのポケットをゴソゴソ漁っている。そして、
「あの、良ければこれ」
不愛想に差し出してくるのは、ヨレヨレになった絆創膏だった。一体何日しまっていたのか、というより、洗濯機にも入れてしまったのではないかと疑いたくなるほどの代物だったが、ここで遠慮するのも、人としての価値が下がるというものであろう。
「あ、ありがとう」
そう受け取ると、彼はちょっとだけホッとした顔を見せて、立ち上がった。
「じゃ、これで」
「あ、はい」
会話はそれで終了。彼はまたスマートなフォームで走り去っていく。そのあとをゲンジが付いていこうとするものの、「やめれ」とリードをしっかりと握り阻止することに成功した。
影山飛雄。
あたしが彼の名前を知るのは、ほんの少しだけ後のことになる。
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