メイの早撃ち講座 (シャケ@シャム猫亭)
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最速への挑戦

皆さんは、ファストドロウという競技はご存知ですか?
いわゆる、早撃ちのことです。
この小説は、ファストドロウに興味を持って貰うきっかけになればと書き始めました。


『………ターゲットD、ウルフさん。ご準備をお願いします』

 

 室内会場に響くアナウンスが、ついに俺の順番を告げた。

 俺の前は3組、たった12人だというのに、待ちきれなかった俺の足は自然と小走りになる。

 さして広くもない会場だ。すぐに所定の位置に着くことが出来た。

 右手側80センチほど離れたところにある、腰ほどの高さの白い台に、持っていた赤いケースを置く。

 それから、正面に置かれたターゲットを見た。

 

 8インチの穴があいた円盤に固定された黄色い風船、その上部にはランプが取り付けてある。

 これがターゲットだ。

 俺はターゲットに向き合うと、自分のホルスターの位置を微調整する。

 ホルスター。そう、西部劇でカウボーイが拳銃を収めているベルトのことだ。

 このベルトをしているんだから、当然俺の右腰にはリボルバーが、コルトのシングル(S)アクション(A)アーミー(A)が収められている。

 カウボーイハットも被り、気分はクリント・イーストウッドの演じるモンコだ。

 ………気分だけな。流石に、キャラものTシャツを着てモンコとは口が裂けても言えん。

 何せ、隣のおっさんはガチでモンコの格好してるし。

 

 ホルスターの調整には数秒とかからない。

 待ち時間の間、散々やったからな。

 続いてホルスターベルトの正面についたバックルの中心よりも風船の中心が下にならないように、ターゲット三脚の高さが調節される。

 これは自分では行わず、前の組みの人が行う。

 不正防止の意味合いもあるのだが、俺としては競技に集中出来るので、とてもありがたい。

 調整してくれた人に礼を込めて軽く会釈をすれば、彼はぴっと親指を立てた。

 

『各シューターは、シューティングスタンスを取ってください』

 

 横一列に並んだ4人は、アナウンスを聞くと思い思いに構えを取った。

 四人の共通点は、ホルスターを付けた足がシューティングラインを越えていないことと、利き手がリボルバーのグリップにぎりぎり触れないほどに添えられていることだけ。

 その様子を、審判が一人一人チェックしていく。

 

『はい、オッケーです』

 

 そのアナウンスに、全員が構えを解いた。

 どうやら、不正な構えやホルスターの角度が違反している者は居ないようだ。

 俺も大きく息を吐いた後で、緊張をほぐす為に軽く伸びをする。

 

 そろそろ、これから行われる競技が何なのか、わかったんじゃないか?

 

『では……Load and make ready』

 

 並んだ4人のシューターは、それぞれ持ってきたケースから、カートリッジを一つ取り出す。

 俺も先程置いた赤いケースから一つ取り出すと、掌で転がした。

 真鍮で出来たそれは、形だけ見れば本物そっくりだ。

 でも、これに込められているのは火薬(パウダー)のみ。弾丸(ブレット)なんかないので、銃口から飛び出すのは火花と一筋の煙だけだ。

 いや、まあ、競技ではこの火花が重要なんだけどね。

 

 ころりとカートリッジを転がして親指と人差し指で挟み込むと、空いた中指でコルトSAAのシリンダーに付いた(ゲート)を開ける。

 祈るようにカートリッジをシリンダーに収めて、蓋を閉じた。

 後は次弾の位置までシリンダーを回せば準備完了だ。

 

『Range is clear』

 

 このコールで、他のシューターは何度かリボルバーを抜く練習をする。

 一方、俺はというと腕を組んで目を閉じ、深呼吸をする。

 精神のコンディションは、この競技では非常に重要なファクターだ。精神統一をはかる意味は大きい。

 それに、一発勝負って燃えないか?

 

 シューターはそれぞれ数回の練習が終わると構えに入る。

 その頃合を見て俺も腕組みを解き、構えに入った。

 

 足は肩幅に開き、右足はほんの少しだけ後ろに引く。

 その状態で腰を十数センチ落とすことで、身体の重心を下げて下半身を安定させる。

 脇を締めて、右手はリボルバーのグリップを軽く握った。

 

『Are you ready?』

「「「「Yeah!」」」」

 

 準備はいいかと尋ねるコールに、全シューターが声を揃えて答える。

 会場は、いつの間にか静かになっていた。

 隣のシューターの息遣いが耳に届く。

 

『Shooter on the line』

 

 コールは、全員が位置に付いたことを知らせる。

 待ったなし。

 ここから始まるのは、千分の一秒を競う世界最速の戦い。

 瞬きなんかしていられない。その瞬きにかかる時間が明暗を分ける。

 ターゲットの風船の上に置かれたランプを、じっと見つめる。

 

『Shooter set』

 

 始まった。

 コールと共に、リボルバーから手を数ミリ浮かせる。触れたら失格だ。

 このコールの瞬間から5秒以内にランプが灯り、その時初めて拳銃に触れることが許される。

 拳銃をホルスターから引き抜き、撃鉄を起こし、風船に銃口を向け、引き金(トリガー)を引いて銃口から飛び出した火花で風船を破る。

 この一連の動作を行う速度を競うのだ。

 ランプが灯る瞬間、いや刹那こそが勝負の分かれ目。

 

 コールが聞こえた時には、シューターはすでに自分の世界に入っている。

 周りの音は全て消え失せて、真っ暗な世界でただ一人、光がやって来るのを待つ。

 それが何時来るのかは、神すらわからない。

 一秒後か、二秒後か、はたまた今この瞬間か。

 己の時間が限界まで引き伸ばされたこの世界では、たった一秒が永遠にも思えるほど長い。

 心臓すら鼓動するのを止め、ただ成り行きを見守る。

 狂おしいほどの時が流れ、もしや光は来ないのかと絶望さえする。

 狂気と正気を行き来し、ついには己を失い「」へと成り果てながらも、それでも待ち続け………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が現れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三つ(・・)の銃声は重なり、一つの銃声となった。

 

 

 

 

 

 

 

『ターゲットD、ウルフさん、不発です』

「なんでやねん!!」




因みに、使う拳銃は厳しい規定があります。
もちろん、安全に競技するためです。


感想、評価お待ちしております。
感想、評価お待ちしております。
大事なことなので2回書きました。


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スタンディング・ワックス

女の子の登場を心待ちにしている紳士の皆さん。
後、1、2話ほどお待ちください。


 君は西部劇を見たことがあるかい?

 19世紀後半のアメリカ合衆国、いわゆる西部開拓時代のアメリカ西部を舞台とした物語のことだ。

 と、言ってもイマイチ分からないか。

 あれだ、カウボーイが背中合わせに立って、1、2、3歩目で振り返って拳銃を撃つやつ。

 あれが西部劇だ。イメージが湧いたか?

 それじゃ、それをもうちょっとだけ膨らませよう。

 

 舞台は、果てしない荒野の無法地帯だ。

 カウボーイハットを被り腰に拳銃をさげた男が、馬に乗って旅をしている。

 見渡す限り砂と岩、時折サボテンと風に転がる枯れ草。

 夜は満天の星空の下、小さく燃える焚き火にあたり、手にはスキットル。

 街に着けば酒場でトランプに興じ、その内容に一喜一憂していると、何やら金の匂いが厄介事と共にやって来る。

 男は正義のために、金のために、はたまたプライドをかけて決闘に挑むんだ。

 

 どうだ、ロマン溢れるだろ?

 

 では、そんなロマン溢れる西部劇の世界を、現代でも体験出来るとしたら?

 俺はその存在を知って、飛びついた。

 現代の西部劇、それは先ほど俺がやっていた競技、『ファストドロウ』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファストドロウが行われる競技場は、そう広い場所ではない。精々、学校の体育館程度だ。

 理由は至極単純、必要ないのだ。

 用意されたターゲットを如何に早く撃ち抜くかだけであり、ターゲットは一番離れていても2メートルしかない。

 後は大会の規模で何レーン用意するかだが、それもだいたい、3レーンか4レーン。

 今回の定期大会も、とある体育館を借りて行われている。

 

「ウルフよ、しけた顔しておるな」

「………スミスのおっちゃんか、放っておいてくれ」

 

 会場に用意されたベンチに座り、頭を抱えて蹲っていた俺に声をかけてきたのは、スミス渡辺だった。

 相変わらず膨れたビール腹はカッターシャツの柄を引き伸ばしており、蓄えた口髭を自慢げに撫でている。

 スミスはたまに軍服を着て来るのだが、それが死ぬほど似合っている。是非とも戦争映画のキャストとして無能将校を演じて貰いたい。

 因みに、スミスが俺のことを『ウルフ』と呼んだが、もちろん本名ではない。『スミス渡辺』もだ。

 これはシューターネームと言って、ファストドロウ競技での登録名なのだが………まあ、あだ名と思ってくれて構わない。

 

「はっはっは、ワシも見とったが、散々な結果だったからなぁ。まあ、気持ちは分かるぞ」

「7回中5回ノータイムとか………もうダメだぁ、おしまいだぁ」

「そうだな、今大会の入賞は厳しいだろうな」

 

 先ほど俺がやっていたのは、ファストドロウ三競技の内の一つ、『スタンディング・ブランク』だ。

 ルールは簡単。

 40センチ離れたターゲットバルーンを、拳銃を撃ったことで出る火花で破る、この速さを競うのだ。

 スタンディング・ブランクは一人7回行われ、そのうち好タイムの5回の合計が記録になる。風船が破れなかった場合は、『ノータイム』となり、タイムは1秒として計算する。

 早い人は1回0.27秒ほどであり、今大会のスタンディング・ブランク一位のタイムは合計1.351秒だ。

 そして、俺の記録といえば………合計3.501秒。

 その差は、2.15秒。

 たかが2秒と思った奴、ファストドロウに限らずスポーツの世界での2秒は、余りにも大きい差だぞ。

 野球なら盗塁は3秒で成功するし、サッカーならフォアードの選手がフリーでボール受けて2秒後にはシュートしている。陸上なら2秒あれば20メートル進んでいる。

 挽回は、はっきり言って絶望的だ。

 残りの二競技で大会最速記録を更新したとしても、正直厳しい。

 

「あー、練習では上手く行ってたんだけどなぁ………いつものサミングスタイルにしとけば良かった」

「シューターあるあるだな、やはり練習と本番では緊張感が違うからのぅ」

 

 今回、俺がこんなにもタイムが悪い理由。

 それは撃ち方、シューティングスタイルを変えたためだ。

 これまで、俺はサミングスタイルという構えをとっていた。これはいわゆる西部劇に登場する撃ち方で、拳銃を収めたホルスターを腰に吊るし、利き手一本で早撃ちを行う。

 ファストドロウで一番基本のスタイルと言ってもいい。

 西部劇への憧れからファストドロウ界への門を叩いた俺は、当然このサミングスタイルで早撃ちを始め、かれこれ十年になる。

 そんな俺が、ここに来て何故スタイルを変えることにしたのか。

 まあ、そんなに複雑な理由はなくて、西部劇への憧れよりも、ファストドロウ最速への憧れが上回ったというだけのこと。

 『最速』って称号、単純明快なだけに格好良いとは思わないか?

 

「ま、全国大会まではまだ時間がある。それまでに仕上げるんじゃな」

ALL JAPAN(オールジャパン)か、今年は九月だっけ?」

「九月の下旬じゃな」

 

 おおよそ五ヶ月後。

 まだ時間はあるが、そう思ってるとあっという間に来てしまうくらいには短い。

 俺のスタイルは、形は出来ているが如何せんノータイムが多すぎる。

 引き金を早く引きすぎてホルスターの中で発砲したり、撃鉄(ハンマー)を十分に引かなかったせいで撃てなかったり。

 これではいくら早くても、ALL JAPANで優勝なんて夢のまた夢。

 

「はぁ、練習あるのみかー」

「そうじゃそうじゃ。うだうだしていても、結局行き着く先は鍛錬のみ。こんなところで頭抱えておっても仕方がないぞ」

「おっちゃん………もしかして慰めに来てくれたのか?」

「ウルフが珍しく凹んでおるようだから、からかってやろうと思っておったのじゃが………こりゃうっかりだわい」

 

 おっさんのツンデレなんぞいらんわ! とは言わない。言いたいけど言わない。

 だって、気分が晴れたのは本当だし、感謝してる。

 でも、出来れば可愛い子が良かったなぁ。もしくは綺麗なお姉さんでも可。

 そういえば、最近ファストドロウ九州支部にカウガールの格好をしたナイスバディのお姉さんシューターが入ったらしい。ALL JAPANに来ないだろうか。

 

「む、そろそろじゃないのか?」

「そろそろって、何が?」

「ウルフの番じゃよ、準備しなくて良いのか?」

 

 スミスの言葉に、俺はシュータースペースを見る。

 そこでは二つ目の競技、『スタンディング・ワックス』がすでに始まっていた。

 しかも、今は三組目である。

 

「やっべぇ、何も準備してねえ!」

「はっはっは。ウルフよ、先のことよりまずはこの大会じゃな」

 

 慌てて準備する俺の背中を、スミスはバシンと叩く。

 それに押されるようにして、俺は次の組の人たちが待つスペースへと急ぐのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『それでは、4組目です。Aターゲット、ジャンゴ太陽さん。Bターゲット、西郷マンティスさん。Cターゲット、ウルフさん。Dターゲット、スパゲッティさん。シューティングレーンへどうぞ』

 

 どうやら今度はCターゲットのようだ。

 名前を呼ばれ、よろしくと周りに会釈をしてから、自分のシューティングレーンに入る。

 ファストドロウの第二競技、『スタンディング・ワックス』。

 先ほどのスタンディング・ブランクとは違い、今度はマンターゲットを撃つ速さを競う。

 マンターゲットってのは、そのままの意味で人の形をした的のことだ。黒色の金属板で出来ており、白で縁取りされている。

 高さ170センチ、頭の部分が8×8インチ、身体が30.5×14.5インチの凸型だ。(1インチは約2.5センチ)

 シューターは、8フィート(1フィートは約0.3メートル)先に置かれたこれを、ガスガンで撃つ。

 ターゲットはスタンディング・ブランクよりも大きいが、その分距離があるのでどっちが難しいとは言えない。

 スタンディング・ブランクは如何に早く『抜けるか』に重きがあり、スタンディング・ワックスは如何に早く『狙うか』に重きが置かれている。

 同じ早撃ちに見えても、求められるスキルが違うのだ。

 実際、人によって得意不得意が分かれる。

 俺? 苦手な方かな。得意なのは『ダブル・ブランクス』だし。

 

『それでは、各シューターはシューティングスタンスを取ってください』

 

 審判であるレンジオフィサーからのアナウンスで、俺たちシューターは銃を抜く構え(シューティングスタンス)を取った。

 ファストドロウ三競技の流れは、ほとんど同じだ。

 構えに不正が無いかチェックして、弾を込める。それから、ちょっとの練習時間の後で本番が行われる。

 そしてまた弾を込めての繰り返し。何回撃つかは競技によって違うけどな。

 スタンディング・ワックスは7回中5回が記録となる。スタンディング・ブランクと同じだ。

 

『はい、オーケーです』

 

 どうやら今回も不正はないようだ。というか、不正してる奴なんてこの支部じゃ見たことない。

 ルール改定で、自分のスタイルが禁止になって嘆いていた奴ならいるけどな。

 

『では、4組1回目です。Lord and make ready』

 

 コールを聞いて、俺は弾を込めるためにホルスターから拳銃を引き抜いた。

 マルシン工業製のコルトS.A.A 45ピースメーカー Xカートリッジ仕様。ヘヴィウェイトプラスチックで出来ているため、手にずっしりとくる。

 ファストドロウでマルシン工業製のS.A.Aを使っている人はほとんどいない。多くはタナカワークス製の物を使っている。

 命中精度が良いとか、カスタムパーツが充実しているとか、タナカワークス製を採用する理由は色々あるし、正直言ってファストドロウではマルシン工業製は不利と言える。

 だが一つだけ、俺がマルシン工業製を選ぶ、圧倒的な魅力がある。

 それが、今行っている弾込め(リロード)だ。

 タナカワークス製はリロードの際、シリンダーにB()B()()を込めるのだが、マルシン工業製はBB弾を取り付けた()()()()()()を込める。

 モデルガンと同じで本物の弾を込めているようで堪らないのだ。

 まさに、「リロードがこんなにも息吹をッ!」というやつである。

 

 俺は6つのカートリッジをケースから取り出す。手のひらに乗せて転がせば、真鍮製のそれはジャラリと音を立てた。

 一発ずつ、ゆっくりと拳銃に込めていく。

 カチャリ、カチャリ、カチャリ。

 円状に並んだ6つの暗い洞穴が、一つ、また一つと金色に変わる。

 最後の一発を込めた後、パチリとゲートを閉じた。

 さあ………準備は整った。

 

『Range is clear』

 

 少しの練習時間。

 先のスタンディング・ブランクの失敗が頭を過ぎり、拳銃へ手が伸びる。

 だが、結局その手は銃を掴みはしなかった。

 俺は頭を振って、大きく深呼吸する。

 ここで練習しようと考えるなんて、いつもの俺じゃない。俺らしくない。

 一発勝負が俺じゃなかったか?

 そうだ、そうだ。

 この緊張感を、不安を、負けるものかという競争感を、全力で楽しむんだ。

 自然と自分の口角が上がるのを感じる。

 

 ああ、やっといつもの俺がやってきた。

 

 周りのシューターが練習を終えるのを見計り、構えを取った。

 右手はグリップに、左手薬指の第一関節を撃鉄(ハンマー)へ添える。

 十年により身体に染み付いた利き手一本で撃つサミングスタイルを止め、始めた新しいスタイル。

 西部劇の憧れを、最速への憧れが上回った証。

 ツーハンドスタイル。

 

『Are you ready?』

「「「「Yeah!」」」」

 

 レンジオフィサーのコールにシューターは答えた。

 会場全体が静まり、ただ行方を見守る。

 

『Shooter on the line』

 

 マンターゲットの胸に目を向ける。

 そこだけ円形のアクリル板になっており、向こう側にランプが見える。

 ランプが灯った時に撃つのはスタンディングワックスも変わらない。

 ああ、もう、ゴチャゴチャ考えるのは止めだ。

 

『Shooter set』

 

 ただ、見つめる。

 

 片時も目を逸らさず、瞬きすら許さない。

 

 俺と相棒と的があれば良い。

 

 他は何もいらない。

 

 音もいらない、匂いもいらない、呼吸もいらない。

 

 全てを捨てていく。

 

 

 

 シューティングエリアに立っているモノは、今この時全て削ぎ落とし、人であることを止めている。

 刹那の世界は人であるならば、たどり着けぬ。

 ただシューターというモノになり、初めて足を踏み入ることが出来る。

 その寿命は最長で5000ミリ秒。

 千分の一秒を数えて生きる彼らは、その一生を暗闇で過ごす。

 彼らの願いは、ただ一つ。

 光。

 光こそが彼らを死に追いやるものだとしても、ただ愚直に光を求める。

 光を見た時から死ぬまでのほんの僅かな時間こそが、彼らにとって生きる意味だから。

 

 光よ、現れよ。私を救ってくれ。

 光よ、来るな。私はまだ死にたくない。

 

 正と負、陰と陽、相反する祈りがぶつかり合う。

 互いが反存在であり、願いは、祈りは次々と消えていく。

 そうして最後には何も残らない。

 意思を生む己は消え去り、「」だけがそこに()る。

 ただ、「」だけが在り続ける…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パスリッと軽い音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「」から戻った俺は、ゆっくりと銃をホルスターに戻し、指を離した。

 計測中は銃に触れることは許されない。

 不意に息苦しさを覚える。

 そういえば、呼吸を止めたままだった。

 口を開けば、すぐさま肺が新鮮な空気を求めて膨らみ始めた。

 

『Aターゲット、0.389秒、0.389秒。Bターゲット、0.463秒、0.463秒。Cターゲット、0.351秒、0.351秒。Dターゲット、0.421秒、0.421秒』

 

 自分のタイムを聞き、ギュっと拳を握りしめた。

 

 最速は、遠い。

 

 




2017 ALL JAPAN FASTDRAW CHAMPIONSHIPは9月23、24日に京都で行われます。
全国からシューターが集まり、毎年熱い戦いが繰り広げられます。
見学は無料ですから、気になる人は是非覗いてみてくださいね。


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こだわり

『Unload and show clear』

 

 スタンディング・ワックス、その7回の射撃が終了し、レンジオフィサーから弾を排出するようコールされる。

 シューター達はパスッパスッパスッと的の方に向かって適当に拳銃を連射した。

 一々BB弾をシリンダーから取り出すよりも、こっちの方が手っ取り早いからだ。そもそも取り出せない物もある。

 もちろん、俺もそれにならって拳銃を連射するのだが、二発目を撃った後でちょっとだけ遊び心がわいた。

 引き金を引きっぱなしにすると、左手を撃鉄(ハンマー)起こす(コッキング)ために一度(・・)だけ振る。

 パパパスッと銃声が鳴り、3発(・・)のBB弾が飛び出した。一度のアクションで複数の弾を撃つ、バーストショットと呼ばれる速射技だ。

 まるで西部劇の主人公のように綺麗に決まったことでテンションが上がった俺は、手の内で拳銃を一回転させてからホルスターに収めた。

 

『ウルフさーん、カッコイイけど競技中のガンプレイは禁止だよ』

「あ………す、すみません!」

『まったく、次やったら失格ね』

 

 慌てて頭を下げる。

 調子こいて完全に失念してた。

 競技中のガンプレイ、拳銃を指に引っ掛けて回したり投げたりする行為は、安全の為禁止されている。

 拳銃の暴発や、拳銃がすっぽ抜けて他の人にぶつかる危険があるからだ。

 

『それでは、残弾が無いことを確認しますので、銃口に蓋(マズルキャップ)をしてからシリンダーを見せてください』

 

 アナウンスの後、レンジオフィサーがシューターの拳銃を順に見ていく。

 俺はレンジオフィサーが来るまでの間、相棒(ピースメーカー)銃身(バレル)の横に付いているエジェクターロッドを使って、カートリッジを一つずつ取り出しシリンダーを空にした。

 ピースメーカー、というかS.A.Aは基本的に固定式(ソリッドフレーム)なため、映画でよく見るシリンダーを横に外したり、真ん中で折ったりしてカートリッジを全部排出するということが出来ない。

 だからどうしても装填、排出に時間がかかる。まあ、裏ワザとしてシリンダーを丸ごと交換するってのもあるが。

 ああ、でも、ちゃんと利点もあるぞ。

 こっちの方が構造がシンプルだからメンテナンスも簡単だし、何より頑丈で壊れにくい。

 実銃なら、カートリッジに火薬を2倍詰めたものを発砲するなんてムチャも出来る。

 

「ウルフさん、シリンダー見せてください」

「あ、はい」

 

 どうやらいつの間にか俺の番になっていたようだ。

 すぐにレンジオフィサーにピースメーカーのシリンダーを見せる。

 カートリッジが抜いてあるため、当然ながら残弾ゼロ。

 別に抜かなくても良かったのだが、手持ち無沙汰だったしな。

 

「………はい、確認しました。ホルスターに収めたら、シューティングエリアから退出して結構です」

「ありがとうございました」

 

 レンジオフィサーに礼を言ってから、俺はシューティングエリアから退出した。

 そのまま、さっきのベンチの所まで行ったのだが、俺の座っていた所はスミスがどっかりと座っていた。

 三人がけのベンチなのに、スミスが真ん中で座っているせいで隣に座れそうにない。

 

「おう、ウルフ。ワックスは悪くなかったようじゃな」

「まあ、ね。それよりちょいと端に寄ってくれよ。俺も座りたい」

「なんじゃ、若いのにだらしない」

「電車の中じゃないってのに老いも若いもあるかよ。つーか、おっちゃんが真ん中に座ってんのが悪いだろ」

「はっはっは、その通りだな」

 

 どっこいせっと掛け声を上げて、スミスは端にズレる。

 一人座るのに十分なスペースが空き、俺はそこに腰を下ろした。

 うわっ、ベンチが生暖かい………。

 

「ウルフよ、コーヒー飲むか?」

 

 スミスの手には湯気を立てている紙コップが一つ。

 

「え? そりゃ、くれるって言うんなら貰うけど」

「そうか、ワシの飲みかけで悪いが―――」

「やっぱいらん」

 

 渡されたコーヒーを速攻でスミスに突き返す。

 誰がいるか、そんなもの。

 

「冗談じゃ。あっちにインスタントとポットがあるから貰ってくると良いぞ」

「………そうするよ」

 

 ベンチに座って早々に立ち上がり、俺は会場の端に置かれたポットの元へと赴く。

 そこにはインスタントコーヒー以外にも、緑茶、紅茶のティーバックが置かれていた。もちろん、砂糖とガムシロップ、ミルクも用意されている。

 俺はちらりと迷った末に、緑茶に手を伸ばした。

 緑の小袋に大きく『お茶』と書かれている物を破り、中からティーバックを取り出す。

 紐だけを紙コップから出すようにしてティーバックを入れ、ポットからお湯を注ぐ。

 初めは紙コップから湯気だけが立ち昇っていたのだが、二度三度と紐を引っ張るようにしてティーバックを揺らせば、ふわりと緑茶の香りが昇ってきた。

 コップを口元まで持ってくるが、鼻に当たる蒸気の熱さにコップはそこで止まった。

 

 これ、飲んだら舌やけどするわ。

 

 俺はコップを下ろすと、溢さぬよう慎重にスミスのもとへと戻った。

 

「ウルフよ、話は戻るが、ワックスは良い感じじゃったの」

「ん? ああ………」

 

 平均0.359秒に最速0.342秒。

 スタンディング・ワックスの平均タイムはスタイルによって異なるが、ツーハンドスタイルだと0.38~0.39秒辺りのことを考えれば、悪くはない。というか、速いと言っていいかもしれない。

 

「けどなあぁ、ノータイムを3回やらかしてるし、競技記録は遅いんだよな」

「スタンディング・ブランクよりマシじゃないか」

「そりゃそうだけどさ、おっちゃんの最速記録にはまだまだ及ばないし」

「アホぅ、あんなの十何年も前の話じゃ。それに公式記録でも無いしのう」

「それでも、0.3秒を切ったのは事実だろ?」

 

 息を吹きかけ、ようやく飲めるようになった緑茶をズズズッとすする。

 緑茶特有の苦味と渋みが抜けた後に、ほのかな甘味がやってきた。

 

 ああ、落ち着く……。

 

 競技で高ぶっていた神経が、収まっていくのを感じる。

 って、いかんいかん。まだ、最後の競技があるっていうのに。

 

「ALL JAPANで優勝するって目標もあるけど、こうして目の前に『最速』が居るんだから、俺としちゃ越えたいわけよ」

「なら、タナカワークス製のガスガンに変えれば良いじゃろ」

 

 確かに、あっちのガスガンの方がファストドロウに向いてはいるが。

 

「タナカのガスガンはなぁ、カートリッジないじゃん」

「その代わり構造が実銃と同じじゃぞ。その分カスタムパーツも揃っておる」

「俺、カートリッジをリロードするの好きだからさ、これだけは譲れないんだよね」

「ポリシーか、なら仕方がないの」

 

 あっさりと引くスミス。

 ファストドロウをやっている人の中には、何かしらポリシーを持っている人がそこそこいる。

 サミングスタイルを貫く人や、お守りと称して二丁の拳銃を吊る人、はたまたファストドロウに全く向いていない銃身が長い銃(キャバルリー)を使う人もいる。

 ファストドロウ界ではそういったポリシーに寛容、というか推奨してると言ってもいいかもしれない。

 何せ、多くのシューターが『ロマン』に生きているのだから。

 それをスミスもわかっているので、強く勧めはしなかった。

 

「ただ、ワシとしてはマルシンの銃はカスタムパーツを作らなきゃならなくて面倒なんだがのう」

「感謝してるって。おっちゃんが作ってくれたパーツのおかげでこいつ(ピースメーカー)を使えるんだから」

 

 そう、シューターネーム『スミス渡辺』のスミスとは、銃職人(ガンスミス)のこと。

 彼の制作するカスタムパーツは出来が良く、全国から依頼が舞い込むほどだ。

 その気になれば、一丁(こしら)えることも出来るとは、本人の談である。

 俺のピースメーカーも、スミスに色々手を入れて貰っている。ツーハンドスタイル用の撃鉄(ハンマー)なんかは良い例だ。

 …………結構イイ値段するんだけどな。

 

「ところでウルフよ、この後昼休憩じゃが昼飯はどうする?」

「メシかー、昨日カレー食べたからそれ以外で」

「ならイタリアンはどうじゃ? 近くに新しい店が出来たらしいぞ」

「いいね。俺、海鮮パスタにしようかな…………ん?」

 

 ブルルと俺のポケットが震えた。

 携帯を取り出して画面を見れば、着信元はどうやら姉さんのようだ。

 スミスに一言断わってから電話に出る。

 

「もしもし」

『やー、久しぶり。今電話しても大丈夫?』

「あー、ちょっと待ってくれ………」

 

 俺の時もそうだったが、ファストドロウの競技中、周りの人は物音を立てないよう注意する必要がある。

 雑音は千分の一秒を競っている彼らの集中を妨げることになるからだ。

 実際スミスとの会話も、実は何度も途中で途切れている。

 俺はハンドサインでスミスに会場の外に出ることを伝えると、その場を後にした。

 

「ん、いいよ」

『悪いね、取り込み中だった?』

「いや、ファストドロウの競技中。俺の番は終わったから大丈夫だよ。それにしても、久しぶりじゃん」

 

 前に連絡したのは、たしか姉さんの誕生日だった。

 何となく気が向いて、ハッピーバースデーを伝えたのだ。

 

『どう、社会人生活は? イイ人見つかった?』

「いや、探してすらいないよ」

『そんなんだから未だに童貞なのよ。アラサーって呼ばれる年齢に入ったんだから、そろそろ探し始めないと。良い人から売れていくんだからね』

「姉さんみたいに?」

『そうよ、私みたいにイイ女は売れるのが早いの。あんた拳銃好きなんでしょ。ハートを撃ち抜くためにも、まずは標的を見つけなきゃ』

「見つけたら、お得意の早撃ちでってか?」

『そうそう。でも、下の早撃ちはダメよ?』

 

 マジもう、姉さんは………。

 下ネタは勘弁してくれよ、つーか本題が全然見えてこない。

 

『ああ、ごめんごめん。積もる話はあるけど、それはまた今度にするわ』

「そうしてくれ。時間があるって言っても一時間も二時間もあるわけじゃないから」

 

 スタンディング・ワックスもそろそろ終わり、昼休憩に入る。

 飯抜きなんて俺は嫌だからな、話せるのは精々十分くらいか。

 

『あんたさぁ、ゴールデンウィーク空いてる?』

「ゴールデンウィーク? ちょっと待って、スケジュール見るから」

 

 通話をそのままに、カレンダーアプリを起動。

 一ヶ月分を送り、予定を確認する。

 

「空いてることは空いてるかな。一日だけファストドロウの定例会があるけど」

『よかった。お願いなんだけどさ、芽衣(めい)のことゴールデンウィークに預かって欲しいのよ』

 

 芽衣ちゃん。

 姉さんの一人娘で、つまりは俺の姪だ。

 確か、今年で十歳になる。最後に会ったのは…………五年前か。

 父さんの葬式で会ったのだが、義兄さんの影から顔を出し、「はやみ めい……です」と挨拶してくれたのを覚えている。

 その後すぐにまた影に隠れてしまったが。

 

「芽衣ちゃんか、毎年姉さんからの年賀状の写真で見てるけど、大きくなったよね」

『実物は写真よりキュートよ』

「それは義兄さんの写真の腕が悪いから?」

『そうそう、何万画素あったって、旦那の腕じゃねぇ』

 

 辛辣ぅ。

 けど、まあ、写真の腕は年賀状で分かるから、擁護してあげられない。

 

「それで、預かるのって一日?」

『出来れば二泊三日くらいかな』

「それって母さんの所じゃダメなの?」

『母さん、老人会の旅行でゴールデンウィークまるまる居ないのよ』

 

 そうか、母さんは相変わらず元気そうで何よりだ。

 父さんが生きてた頃よりも、元気なのはご愛嬌だな。

 別に仲悪かったわけじゃないぞ? というか、こっちが引くぐらい両親は仲良かった。

 

「じゃあ、仕方がないか。しかしまた、突然だな」

『いやー、そろそろ二人目が欲しいと思ってるのよ』

「………は?」

『だから、二人目。子供よ子供』

「いや、それはわかるけど………」

『生理の周期計算したら、ちょうどゴールデンウィーク辺りなのよね、危ない日』

「…………つまり、あんあんしてるところを芽衣ちゃんに見せないために、俺の所でお泊りさせると?」

『そうよ、ダメ?』

 

 そんな理由………いや、深刻なことなのか?

 俺はたっぷり時間をかけて悩んだ。

 悩んで悩んで悩んで、悩んだ末、

 

「………貸し一つな」

『いいわ、今度友達を紹介してあげる』

「そういうのは要らない。菓子折りでも送ってくれ」

 

 取り敢えず、来客用の布団を用意するか。

 俺は姉さんとの通話を終えると、スケジュールに芽衣の来訪を書き加えるのであった。




次回、芽衣ちゃんが登場。
まだ、どんな子か決めてないけどな!!

感想お待ちしています。


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嵐のような

 俺がまだ子供だったころ、世の中には不思議が溢れていた。

 どうして風が吹くのか。何で空は青いのか。月って何なのか。

 なぜ、なに、どうして?

 そんな疑問を、俺は片っ端から父さんにぶつけた。

 父さんは物知りだった。

 俺の中の不思議を一つ一つ説明してくれた。時には実験をして実際に見せてくれた。

 

 風が吹く理由はな、暖かい空気と冷たい空気があるからだ。

 何、分からない? よし、今日の風呂は父さんと入ろう。そうしたら分かるぞ。

 

 こんな風に色んなことを教えてくれたのだが、いくつかの疑問には答えてくれなかった。

 そんなときは、決まってこう言うのだ。

 

 お前も大人になれば分かるさ。

 

 ああ、そうだ。

 確かに、大人になってわかったよ。

 お酒やコーヒーの美味しさ、お金を稼ぐことの大変さと大切さ、時が経つのが早いと感じること。

 そう、つまり何を言いたいのかというと、

 

「それじゃ、芽衣(めい)のことよろしくねー」

 

 あっという間にゴールデンウィークが来てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉さん………来るの早くない?」

「そう?」

「まだ7時なんだけど………」

 

 もちろん、朝の7時だ。

 てっきり昼くらいに来るものだと思っていたから、当然俺は寝ていたわけで。

 チャイムを連打されて起きた俺は、ちょっぴり不機嫌だ。

 もちろん連打したのは姉さん。高橋名人に匹敵する16連打だった。

 

「すまないね。(はる)さんが張り切っちゃって、家を早く出たんだ」

「いえ、義兄さんが謝ることじゃありませんよ。むしろ、姉さんがご迷惑をおかけして申し訳ない」

 

 春姉さんの一歩後ろに立っていた和樹(かずき)義兄さんと二人で、あははと力なく笑う。

 良く言えば優しい、悪く言えば押しに弱い和樹義兄さん。きっと苦労しているんだろうな。

 俺も経験したことだから良く分かる。

 というか、二人して現在進行形だしな。

 

「姉さんも大人なんだから、朝早く来るなら前日に連絡しろよ」

「あんたも大人なんだから、早寝早起き一日三食を心がけなさい」

 

 俺は言い返そうとして、結局言葉を飲み込んだ。

 どうせ口喧嘩じゃ勝てないし、なにより子供の前でみっともないからな。

 

「って………あれ? 芽衣ちゃんは?」

 

 玄関先に立っているのは春姉さんと和樹義兄さんだけだ。

 義兄さんの影にも、玄関扉の裏にも芽衣ちゃんの姿はない。

 

「芽衣なら車の中で寝てるわ」

「義兄さん、朝何時に家出たの?」

「……4時くらい、かな」

 

 4時って朝と言っていいのだろうか。

 少なくとも俺の中だと、日が顔を出していないなら夜だ。

 

「そんな時間に車に乗せられたら、芽衣ちゃんが寝てるのも当たり前か」

「ははっ、僕も眠いよ。何せノンストップでここまで来たからね」

 

 目をショボつかせながら和樹義兄さんは言う。

 睡眠不足の中、3時間も運転してれば当然だわな。

 

「姉さん、安全のためにも2時間に1回は休憩を挟もうよ」

「じゃ、ここで休憩ね」

「ここって、俺ん家?」

「そうよ。芽衣を預けるんだから、あんたの生活チェックもしたいし、一石二鳥ね」

「………まあいいよ。別に変なものとか無いし」

 

 言うやいなや、姉さんは俺を押し退けるようにして家に入っていった。

 お邪魔しまーすと言っただけマシか。

 

「僕は芽衣を連れてくるよ」

「あ、じゃあ布団敷いて置きますんで義兄さんも一眠りしてください。二人分はないので、どっちか俺のベットになっちゃいますけど」

「すまないね、お言葉に甘えるよ」

 

 そう言って和樹義兄さんは、駐車場の方へと戻っていった。

 俺は玄関扉に楔を打って開けっ放しにする。もし和樹義兄さんが芽衣ちゃんを抱えて来たら、両手が塞がっているだろうからな。

 俺は姉さんの靴を揃えてから家の中へと戻り、寝室のベットの横に布団を敷いた。

 それからリビングに戻る途中、姉さんが台所にいるのを見つけた。

 

「なかなか良い物件じゃない、2LDKで月いくらくらいなの?」

「だいたい8万。けど、会社から家賃補助で半額出てるから、実質月4万円」

「流石、一部上場企業は福利厚生が違うわね」

「義兄さんの会社の方が、俺の所よりデカいでしょ」

 

 前に企業総資産を比べたら、なんと20倍だった。

 そんな企業が福利厚生をしっかりしていないとは考え難いのだが。

 

「私、あんまり旦那の会社のこと知らないのよね。多分、あんたの所と同じくらい福利厚生あると思うけど」

 

 いや、そこは知っておけよ。

 こういうところ、姉さんは世間知らずだ。大学中に結婚してそのまま主婦になったせいか、企業とか仕事への関心が薄い。世の中知らなきゃ損することがいっぱいなのに。

 

「大丈夫よ、その辺は旦那が何とかするわ」

「確かに義兄さんはしっかりしてるけどさ。けど姉さんだって――」

「冷蔵庫チェークッ!」

 

 ガバリと勢いよく冷蔵庫を開ける姉さん。

 俺の話、聞く気無いな。

 

「ふむふむ、卵、ソーセージ、こま切れ豚肉、キャベツ、ネギ、もやし、麦茶はちゃんとパックで作ってるわね………根菜は?」

「流し下の戸棚の中」

「じゃがいも、人参、玉ねぎ、ニンニク………生姜は?」

「冷凍庫」

「……うん!ちゃんと自炊出来てるようね」

 

 大学生の頃から一人暮らししているのだから、当たり前だ。

 正直、今更確認されるようなことじゃないと思うのだが。

 

「馬鹿ね、口では何とでも言えるのよ。実際に見なきゃ安心出来るわけないでしょ」

「そういうものか?」

「そういうものよ」

 

 そんな風に姉さんのチェックを受けていると、玄関から「お邪魔します」との声が聞こえた。

 もちろん、声の主は和樹義兄さんだ。

 程なくして和樹義兄さんが、芽衣ちゃんを抱き抱えてリビングに入ってきた。やはり芽衣ちゃんはぐっすり寝ていて、起こすのに忍びなかったようだ。

 俺は静かに寝室へ案内する。

 和樹義兄さんは静かに芽衣ちゃんをベットへ下ろすと、小声で礼を言ってから敷かれた布団で横になった。

 

「旦那は?」

「寝たよ。一時間くらい寝かせてあげようぜ」

「そうね………ところで、エプロンはどこ?」

「壁に掛かってるだろ」

 

 ピンクの花柄のやつだ。

 

「だっさ」

「いいんだよ、消耗品なんだから安いやつで」

「エプロンの柄と値段はあんまり関係ないでしょ。今時100円均一にだって数種類置いてるんだから。単に、この柄を選ぶあんたのセンスの問題よ」

 

 ………ごもっとも。

 姉さんの指摘に項垂れていると、それを尻目に姉さんはエプロンを着け始めた。

 俺に合わせたサイズなせいで、姉さんにはちょっと大きい。前から見たらワンピースみたいだ………ださいけど。

 

「って、何してんの」

「エプロン着けるんだから料理に決まってるでしょ。あんたどうせ朝食まだよね?」

「そりゃ、チャイムで起こされたんだからな」

 

 返事を聞くなり、姉さんはてきぱきと料理を始める。

 さっき物色した際に調理器具の場所は把握したようで、何の迷いもなくフライパンや包丁を取り出す。

 

「たまには他人の手料理食べたいでしょ?」

「おう、ありがと…………姉さん、前より手際良くなったね」

 

 分かりやすいのは、包丁捌きだ。前はトン、トン、トンという感じだったのに、今はトトトトトトンと包丁が鳴る。

 

「10年も主婦やってるのよ、当たり前じゃない」

 

 そうか、姉さんが結婚してもう10年になるのか。

 大学生の頃から和樹義兄さんと付き合ってた姉さん。芽衣ちゃんを授かったのを機に、内定した企業を蹴って和樹義兄さんのところに籍を入れた。

 卒業式の日は、お腹が大きくて大変だったとのこと。

 因みに、和樹義兄さんは姉さんの3つ年上で、姉さんとはサークルで出会った。初めは後輩としか見ていなかったらしいが、姉さんからの熱烈アプローチにヤられたらしい。

 自他共に認める肉食系だからな、姉さんは。文字通り食われたのだろう。何がとは言わないが。

 

「あれ、パンはどこ? あんた朝はパン派だったじゃない」

「パンって意外と持たないだろ? 賞味期限を気にするの面倒で、ご飯だけになった」

「あらら。朝パン、昼麺、夜ご飯の黄金サイクルとか言ってたのに」

 

 そんなのは作ってくれる人が居る時の我侭だ。少なくとも、俺は自炊一ヶ月でそれを悟った。

 

「暇なら着替えてきなさいよ。この台所、そんなに広くないから突っ立ってると邪魔なのよ」

「はいはい」

 

 追い出されてしまった。

 でも、着替える必要はあったので、そっと寝室に戻り服をタンスから取り出した。

 流石に和樹義兄さんや芽衣ちゃんが寝てる横で着替えるのは抵抗があったので、隣の趣味部屋に行ってそこで着替えた。

 青のデニムに襟付きのシャツ。下着とか全部合わせても五千円行かない、安いやつだ。

 一応、気を使った服もあるにはあるが、普段着ならこれでもいいだろ。

 それから風呂場にある洗面台で顔を洗い、すっきりしてリビングに戻れば、既にテーブルには朝食が並んでいた。

 早いな、おい。

 

「このぐらい普通よ」

「いや、少なくとも俺はこんなに早く作れないぞ?」

「手際が悪いのよ。どうせ味噌汁作るのにお湯が沸くの待ってたりするんでしょ」

 

 うっ、その通りです。

 

「この朝食なら、一つのコンロで味噌汁の湯を沸かしている間に、もう一個のコンロでフライパンに玉子とソーセージを焼くの。水入れて蒸し焼きにしている間にサラダのキャベツを切って皿に盛り付けて、ついでにネギ切った時には目玉焼きとソーセージが焼きあがるでしょ。盛り付けてたらお湯沸くから、そこに乾燥ワカメと切ったネギ入れて、出汁入り味噌を放り込んで、出来上がり」

「はー」

「朝、変に余裕があるから手際が良くならないのよ。幼稚園バスに遅れるとかでバタバタしてたら出来るようになるわよ」

 

 俺は姉さんの向かいに座ると、作ってくれた姉さんに感謝と食材への感謝を込めて「いただきます」を言う。

 どうぞ、召し上がれと姉さんは返した。

 

「………おお、美味い」

「ふふーん、当然でしょ」

 

 同じ食材を使っていても、やはり味は全然違う。姉さんの方が少し甘めで、何かが優しい。

 ぱくぱくと箸が進む俺。

 ふと、姉さんを見れば、その昔の母さんと同じ顔をしていた。

 

「最近、どうなのよ?」

「んぐっ……どうって?」

「ほら、この間は電話だったからあんまり聞けなかったじゃない。久しぶりに会うんだし、近況を聞きたいわ」

 

 と、言われてもな。

 いきなりだから、これといって話題が思いつかない。

 

「じゃあ、仕事はどうなのよ?」

「そうさなぁ………あ、今年はうちの部署に新人が入るらしい。初めての後輩だな」

「毎年入ってくるもんじゃないの?」

「学校じゃないから、そんなわけないじゃん」

 

 もし、毎年入ってくるなら、一つの部署に40人近くいることになる。

 

「会社って、○○部の下に××課があって、さらにその下に□□グループってのがあるもんなの。んで、このグループは5人から多くても20人くらいで構成されていて、新人が入るのは三年に一人くらいだな」

 

 例えば、営業部 大型家電課 洗濯機グループみたいにな。こんな明白な部署名じゃないだろうけど、でもこんな感じだ。

 

「大体、新人を育てるのも結構大変だからね。毎年入ってきたら面倒見切れないよ」

「そういうものなの?」

「そういうもんだよ」

 

 何だか似たようなやり取りになってしまったのは、きっと俺たちが姉弟の証なんだろう。

 

「そういえば、あんたまだ早撃ちやってるのよね。そっちはどうなのよ?」

「それの答えはあの扉の先、趣味部屋を見ればわかるよ」

 

 味噌汁を片手で啜りながら、俺がさっき出てきた趣味部屋を指す。

 興味を持ったのか、姉さんは席を立って趣味部屋に入っていった。

 そうして五分後、朝食を食べ終えて丁度ごちそうさまを唱えている時に姉さんが戻ってきた。

 

「ご感想は?」

「あんた、戦争でもおっぱじめる気?」

「全部本物なら出来るかもね」

 

 もう一度、今度は姉さんに向かってごちそうさまを伝えてから、食器を流しへ持っていく。

 軽く水をつけて、洗うのは後回しにする。

 急須でお茶を淹れ、二人分の湯呑とお茶請けの煎餅を持ってリビングに戻った。

 

「緑茶か………コーヒーは無いの?」

「あれ、姉さんコーヒー派だっけ?」

「旦那がコーヒーミルで豆を引くくらいコーヒー好きでね、私もいつの間にか好きになっちゃった」

 

 そうか、やっぱり姉さんも変わったんだな。

 悪いことじゃないけど、ちょっと寂しく思う。

 

「インスタントならあるけど?」

「ならいいや、あれはコーヒーとはまた別物だから」

 

 結局二人共緑茶に落ち着いて、煎餅を摘みながらお茶をすする。

 

「話を戻すけど、あの部屋スゴいわね」

「自分で買ったのは二割くらいかな。大会の入賞賞品や貰い物、預かり物がほとんどだよ」

 

 俺は西部劇が好きなわけで、現代の銃は嫌いじゃないが買うほど好きでもない。

 俺が買うのは、ファストドロウで使えるS.A.Aやウィンチェスターライフルなど、西部開拓時代に使われていた型のものばかりだ。

 けれど、あそこにはアサルトライフルやマシンガン、グレネードランチャー、挙句の果てにロケットランチャーにミニガンまである。

 何故か?

 

 一つは、大会の入賞賞品だ。

 ファストドロウの大会は参加費が高額で一万円を超えるのだが、その分賞品が豪華だ。三、四万のモデルガンやガスガンをポンッとくれる。

 しかもそれが、発売前の新商品だったりワンオフのカスタムモデルだったりして、値段以上の価値があることもしばしばだ。

 俺も10年もファストドロウをやっているからな、入賞経験は何度かあるし、入賞回数はほぼそのまま銃の数になる。

 

 二つ目は、貰い物。

 引退する人が捨てるに忍びないということで貰ったのが何丁か。

 後は、サバイバルゲームの布教活動と称して渡してきたりした。アサルトライフルはそれだな。

 

 三つ目、これが実はほとんどを占めるのだが、預かり物である。

 特に家庭持ちの人が家に置き場所が無いと言って、俺の家に置いていくのだ。ロケットランチャーやミニガン等の大物はみんなこれである。

 ああ、奥さんが許してくれなくてこっそりやってる人の銃もあるな。

 

「まあそんなわけで、見た目ほどお金かかってないから」

「趣味を許してくれないのは可愛そうね。理解出来ないからって禁止することないのに」

「姉さんはその辺寛容だよね、義兄さんの趣味も許してるし」

「巻き込んでは欲しくないけど、禁止するようなことじゃないしねぇ」

 

「おや、僕の話かい?」

 

 丁度そこに和樹義兄さんが起きてきた。

 先程よりもすっきりした顔をしているし、だいぶ回復したようだ。

 

「おはよう義兄さん、もう体調はいいんですか?」

「良い布団のおかげ様でぐっすり眠れたよ。あれはどこで買ったんだい?」

「近くの家具店ですよ。型番を後でメールしましょうか?」

「よろしく頼むよ」

 

 実際に買うかどうかは、姉さんと相談になるんだろうけど。

 でも、財布はがっちり握られているわけじゃないから、きっと大丈夫だろう。和樹義兄さん、あまり無駄使いするような人でもないし。

 

「それで、姉さん達はこれからどうするの?」

 

 夫婦水入らずの三日間。

 その目的は知っているが、せっかくなら有効に使って貰いたいものだ。

 

「実は、あんまり考えてないのよね。私は三日間ホテルに缶詰でも良かったんだけど」

 

 流石にそれは、風情のへったくれも無さすぎて義兄さんも大反対だったようで。

 何とか説得して、そういうことは夜だけとしたらしい。

 大体、ホテルに缶詰とか和樹義兄さんが持たないだろ………。

 

「そんなわけで、デートプランは僕が立てたんだ」

「それなら安心ですね」

 

 まあ、早速出発時間を狂わされてしまったが、それぐらいは許容範囲とのこと。

 

「それじゃ旦那も起きたことだし、私たちは出発するわ」

 

 そう言って、腰を上げる姉さん。

 だが、ちょっと待って欲しい。

 

「芽衣ちゃん、まだ寝てんだけど?」

「そうね、ゆっくり寝かせてあげて」

「いやいやいや、ここで姉さん達が行ったら、起きたときに見知らぬ家でよく知らない叔父さんと二人っきりだろ。ちょっと芽衣ちゃんに酷じゃね?」

 

 というか、俺にとっても酷なんだけど。

 

「大丈夫だいじょーぶ」

 

 しかし、姉さんはそれに全く取り合わない。

 和樹義兄さんを引きずるようにして、家を出てしまう。

 

「それじゃ、芽衣のことよろしくねー」

 

 玄関扉の隙間からひらひらと手を振って、そう言い残して姉さんは去っていった。

 止める間もないほどあっという間だった。

 

「………え、ガチ?」

 

 慌ててサンダルを履いて外に出るも、既に姉さん達の姿はなかった。

 姉さん達の車があった駐車場には、可愛らしい子供用のリュックサックが一つ置いてある。

 手に持って見れば、『早見 芽衣』と書かれたネームカードが紐で付いていた。

 おそらく、これは芽衣ちゃんのお泊りセットなのだろう。

 

「………はぁ」

 

 本当に春姉さんは強引な人だ。

 しかもそれでいて、顔もスタイルもいいからあっちこっちで敵を作っている。

 でも、それと同じくらい姉さんを好いている人がいるのも事実で。

 俺も何故か憎めないのだから、きっとそれが姉さんの魅力なんだろう。

 迷惑なのは変わらないけどな!

 

「……家もどるか」

 

 ここで突っ立っていても仕方がない。

 リュックサックを回収した俺は、家の中へと戻った。リュックサックはリビングに適当に置いて、台所へ行き使った食器を洗う。

 朝食の味を思い出して、自然と心がふわりと軽くなる。

 興が乗って、つい下手な口笛を吹きながら洗い物をする。

 だがその口笛も、洗い物を済ませてリビングに戻るところで、唐突に止んだ。

 

「誰、ですか?」

 

 五年ぶりに会った芽衣ちゃんの第一声。

 それは、俺の身元を問うものだった。

 

 …………当たり前だわな。

 

 

 




う、嘘ついてないから!!
芽衣ちゃん登場したから!!(最後だけ)



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『初めまして』から始まる

ご評価頂いたおかげで週間「オリジナル」ランキングに乗ったので、頑張って次話書きました。
多分、こんなに早いのは今後ないかも。


 ひじょーに気まずい沈黙が二人の間を流れる。

 見知らぬおじさんと、何処かも分からない家で二人っきり。これで、俺と芽衣(めい)ちゃんの間に血の繋がりが無ければ、完全に犯罪である。

 だが、今一番問題なのは、この血の繋がりを芽衣ちゃんが知らないこと。

 もうね、警戒バリバリでメーター振り切ってるのが、手に取るようにわかる。ちょっとでも対応を間違えたら、悲鳴を上げて逃げ出すこと間違いなし。

 こうなることが目に見えてたから、姉さんには芽衣ちゃんが起きるまで家にいて欲しかったのに。

 俺は爆弾解体班もかくやというレベルで、言葉を選ぶ。

 

「あー、俺は、君のお母さん、早見 春(はやみ はる)の弟、つまりは君の叔父です」

「叔父さん?」

「そう。五年前のお葬式で一回会ってるんだけど、覚えてない?」

「………覚えてない」

 

 そ、そっか、やっぱ覚えてないか。

 覚えてたら「誰、ですか?」なんて聞かないよな。

 取り敢えず、何か証拠を示さないとマズイ。

 俺はスマホを取り出して写真を探る。幸い、直ぐに良いものを見つけることができた。

 

「ガラケーの時の写真だから画質悪いけど、姉さ、君のお母さんの結婚式の時に家族で取った写真」

 

 お母さんの右に居るのが俺ねと言って、スマホを印籠を持つようにして芽衣ちゃんに見せる。

 10年前の俺は高校生だが、今と顔は変わっていないので見ればすぐにわかる。

 芽衣ちゃんの視線が、俺とスマホを行き来して、

 

「……確かめる」

「へ?」

 

 スカートのポケットから子供用のスマホを取り出し、誰かに電話をかけ始めた。

 まあ相手が誰か何て考えるまでもなく、

 

「………もしもし、お母さん?」

 

 姉さんに決まってる。

 というか、俺もそうすれば良かった。姉さんから説明してもらえば一発じゃん。

 

「……うん……覚えてない……うん…え、聞いてないよ………二泊三日も?」

 

 お、おいおいおい!

 まさか、芽衣ちゃんにお泊りのこと教えてなかったのか!?

 嘘だといってよ、バーニィ。

 

「じゃあ、本当に叔父さんなんだね………わかった………うん、バイバイ」

 

 ピッ、と音がして、芽衣ちゃんが通話を切ったのがわかった。

 因みに、この通話の間、俺は指一つとして動かしていない。背中が汗でやばい。

 

「……お母さんが本物の叔父さんだって」

「そ、そう」

 

 またもや、二人の間に沈黙が流れる。

 さっきよりは芽衣ちゃんが警戒を解いてくれたおかげで一発触発の緊張感は減ったが、その分お互いの気まずさが足されている。

 俺は何とかしなきゃと必死で考えを巡らせていたが、それはあっさりと霧散した。

 

 くきゅう………。

 

 一瞬動物の鳴き声かと思った。

 けどそれは()は鳴でも、芽衣ちゃんの腹の()だったわけで、

 

「……朝ごはん作るから、リビングで待ってるといいよ」

「………はい」

 

 顔を真っ赤にした芽衣ちゃんを見て、俺の肩の力が抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何だかさっきの焼き増しみたいだ。

 姉さんほど包丁は早く鳴らないし、相変わらず味噌汁用のお湯が待っているけど。

 センス悪いと言われたエプロンを身につけて、自分が食べた朝食と同じものを作ろうとしている。

 芽衣ちゃんはリビングに待たせた。敷かれた座布団の上で、居心地悪そうに座っている。

 その原因は、二割が気恥ずかしさ、三割が身勝手なお母さんの申し訳なさ、残りは俺への警戒心。

 出されたジュースにも手をつけず、ちらりちらりとこちらを伺っている。

 

「芽衣ちゃんは、とろとろの目玉焼きとかちかちの目玉焼きどっちが好き?」

 

 話しかけただけなのに、芽衣ちゃんの身体がびくんっと身体跳ねて、彼女が驚いたのがわかった。

 なんてことない質問のはずなのだが、どう答えるべきか困惑し、口を開かない芽衣ちゃん。

 一方の俺はというと、熱したフライパンの前で生玉子を持って答えを待っている。

 油から煙が立ち始め、これ以上は火事になりそうというところで、やっと芽衣ちゃんが答えた。

 

「………オムレツ」

 

 まさか、第三の選択肢を出してくるとは。

 とはいえ、せっかく答えてくれたのだからリクエストに沿わなくては。

 フライパンの油をキッチンペーパーで拭き取り、新たにバターを用意する。卵は割って器に入れて溶いておく。

 フライパンにバターを落とし、全体に馴染んだのを見計らって溶き玉子を投入。

 素早く菜箸でかき混ぜて、スクランブルエッグを作っていく。

 もちろん、俺が作っているのはオムレツなので、スクランブルエッグにするのは半分くらいに止め、玉子をフライパンの端に集める。

 フライパンを持つ腕をトントンと叩き、その振動で形を整えればオムレツの完成である。

 専門店なんかとは比べ物にならないけど、それでも見た目はきれいだ。

 味?

 バターと玉子だけだぞ、焦げたとかでもない限り悪くなりようがない。

 後はこれにケチャップを一筋かければ…………あれ? 

 

「……ケチャップ無いや」

 

 そういえば、一昨日スパゲッティを作った時に使い切ったのだった。

 仕方がない、代わりに粉チーズをかけておく。玉子とチーズの相性は良いし、いけるだろ。

 

「はい、お待たせ」

 

 出来上がたものを、芽衣ちゃんの前に並べて置く。

 この中で一番香り高いのは、やはり味噌汁だ。立ち上る湯気に乗ってカツオ節が鼻腔をくすぐる。

 俺は来客用の箸を芽衣ちゃんの前に置いて、使った調理器具を洗いに台所に戻る。

 五分もしないうちに洗い終わってリビングに戻ったのだが、芽衣ちゃんは未だに箸を付けていなかった。

 

「………食べていいんだよ?」

 

 芽衣ちゃんの視線が、俺と朝食を何度か行き来する。

 そして、小さな声でいただきますを唱えると、おずおずと箸を手に取った。

 俺は少し離れた所に腰を下ろし、芽衣ちゃんのことを眺める。

 

 目や唇の位置、顔全体のバランスは春姉さんの遺伝子が濃く出ている。ただ、パーツ一つ一つを見ると、和樹義兄さんに似ている。

 どっちに似ているかと聞かれれば、間違いなく姉さんと答えるのだけど、姉さんにそっくりかと聞かれれば首を捻る。

 姉さんは昔からアクティブなスタイルを好んでいて、髪は短く揃えていたしそれが良く合っていた。

 一方の芽衣ちゃんはふわりとした服装で、セミロングの黒髪を淡いピンクのシュシュで二つに束ね、両肩から前に垂らしている。義兄さんに似て物静かで御淑やかな印象を受ける。

 本当に、姉さんと義兄さんを足して2で割ったような子だ。

 

「……あの」

「ん?」

「見られてると、食べにくい………です」

「あ、ご、ごめんな」

 

 慌てて芽衣ちゃんから視線を外す。

 ただ、外した視線の行き先がなく、困ったときのテレビだとリモコンで電源を入れて適当にチャンネルを回した。

 ニュースではゴールデンウィークの始めの日ということで、帰省ラッシュによる渋滞を報道している。

 ………もしや、姉さんはこれを見越して、朝早く家を出たのではないだろうか?

 

「………ないなぁ、姉さんだもん」

 

 漏れた呟きに、芽衣ちゃんが首をかしげる。

 

「いやさ、姉さんが夜中に家を出発したのは渋滞を回避するためかと思ったんだけど、よく考えるまでもなく気まぐれだろうなって」

「……何時に出たの?」

「4時らしいけど、覚えてないの?」

 

 芽衣ちゃんは少し考えてから、こくりと頷く。

 

「起きたら知らない家だった」

「それは……驚くよね」

「うん………びっくりした」

 

 しかも、知らない叔父さんの家で、突如言い渡される二泊三日。

 今ここで泣き叫ばないのが不思議なくらいである。

 いや、俺もめっちゃ気を使ってるけど、それでも普通はそうなるだろ。

 

「あのさ、芽衣ちゃん。嫌なら嫌って言っていいんだよ? 正直、悪いのは100%姉さんだし、俺も姉さんを説得するよ」

「………いい、大丈夫」

「ホントに? 無理してない?」

「大丈夫。それに………いつものこと」

 

 なんてこった。

 ここにも一人、姉さんの型破りな行動に慣れてしまった人がいたとは。

 

「それよりも、あの………残していい?」

「へ? あ、ああ、ご飯多かったか」

 

 その問に芽衣ちゃんは頷く。

 しまったな、俺基準でご飯をよそったせいで芽衣ちゃんには少々多かったようだ。

 他は綺麗に食べてあるのだが、ご飯だけが少し残っている。

 姉さんは俺に適量のご飯をよそったというのに、何だかまた差を見せられた。

 

「ごちそうさま、でした」

「お粗末さまでした。や、食器は俺が片付けるから、座ってなよ」

 

 芽衣ちゃんが手を合わせた後、食器を運びやすいように重ね始めたのを見て、俺はそれを制した。

 彼女はお客様だ、やらせるわけには行かない。

 芽衣ちゃんが戸惑っている間に、ささっと食器をまとめて台所へ持っていく。余ったご飯をラップして冷蔵庫へ入れてから食器を洗う。

 こうして何かやることがあると、芽衣ちゃんと向き合わなくてすむので、正直ほっとしてしまう。

 それもたった数分だけなのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 リビングでちゃぶ台を挟んで座る二人。

 自分の家だというのに正座して、まるでお見合いでもしているかのようだ。

 そんな経験無いのだけれど。

 

「……あ、あー、それにしても芽衣ちゃん、大きくなったね」

「………」

「ま、毎年、年賀状の写真で見ていたけど、ほら、義兄さんが撮った写真だからさ」

「…………」

「だから、さ………イマイチわからなかったというか…………はは、は」

「……………」

 

 誰か、助けてッ!!

 

 さっきまでと違い、話さなくなってしまった芽衣ちゃん。

 時折テレビから笑い声が流れるのだが、その場違い感といったらもう。

 唯一の救いは、芽衣ちゃんの沈黙が警戒から来るものではなく、困惑によるものに変わったことか。

 何話したらいいのか分からないのだろうけど、それは俺も同じだから。

 せめて、相槌だけでも打って欲しい。

 

 そうして、お互い黙り込むこと五分。

 正座した足がしびれ始め、そろそろ足を崩そうと思ったところで芽衣ちゃんが口を開いた。

 

「あの、早見 芽衣(はやみ めい)です!」

「え、あ、はい」

「えっと、じゅ、十歳です!」

「……うん」

「く、クラスの背の順じゃ前から三番目で、えっと、えっと………」

 

 そこまで言われて、やっと気づいた。

 芽衣ちゃんは自己紹介していたのだ。

 そうか、そうだよな。お互い知らない人が会ったんだ、最初は自己紹介からだよな。

 

「芽衣ちゃんは俺のこと覚えてないんだったね………初めまして、大星 晴(おおほし きよし)と申します。 早見 春の弟で、君の叔父になります」

「……はい」

「歳は27歳。職業は会社員で、工場で使う機械の設計をしています」

「…はい」

「趣味は西部劇、それとファストドロウっていう拳銃の早撃ちです」

 

 よろしくお願いしますと言って頭を下げれば、芽衣ちゃんも慌てて頭を下げる。

 

「よ、よろしくお願いしま、いたっ!」

 

 慌てていたせいか、勢いよく机にヘッドバットを決めていた。

 額を手で抑えながら頭を上げる。

 うっすらと浮かんだ涙は、痛みから来るものか、それとも気恥ずかしさから来るものなのか。

 芽衣ちゃんにはちょっと悪いが、その様子が可笑しくて、少し吹き出した。

 くつくつと笑っていると、その笑い声に抗議するように、唸りながらジト目でこちらを見る芽衣ちゃん。

 そんな様子に、子供相手に何緊張してんだかと、自分が馬鹿らしくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがお風呂、それからこっちがトイレね」

「はい」

 

 対して広くも無い家だが、それでも説明は必要だろう。

 俺は芽衣ちゃんを連れ立って、タオルなどの日用品が何処にあるのか、風呂でのお湯の出し方などを一通り教えていく。

 そんな中で、一番説明に時間を要したのは、やはり趣味部屋だった。

 

「スゴい……」

「俺もたまに、この数はどうかと思うよ」

 

 銃、銃、銃。

 六畳の洋室は、古今東西のモデルガンやエアガンで大部分を埋め尽くされていた。

 壁は大型の銃が掛けられていてほとんど壁紙が見えないし、いくつも置かれたショーケースの中には小型中型の銃が所狭しと並べられている。

 いったい何丁あるのか、俺も把握していない。

 

「全部、(きよし)叔父さんが買ったの?」

「いや、ほとんど預かり物だよ」

 

 この中で俺の物なんてほんのひと握りだ。

 家族に内緒でサバイバルゲームをやっている人の物や、買ったはいいがデカすぎて家庭内に置き場所がなく、泣く泣く俺の所に置いていった人の物だ。

 そして、ショーケース内の銃は一人のガンマニアによるものである。

 見ただけで分かるような()っすい物まで集める奴なので、馬鹿みたいに増えていく。

 

「まあ、それなりに高い物もあるから、ここに入る時は気をつけてね」

「………」

 

 入ること、あるのだろうか?

 芽衣ちゃん、これ見て若干引いているし。

 

「取り敢えず、説明はこんなところかな。何か他に聞きたいことある?」

 

 ほんの少し考える間を置いて、芽衣ちゃんはふるふると首を横に振った。

 それならば、後は分からなかった時にその都度聞いてもらえばいいだろう。

 俺自身、何か忘れているかもしれないしな。

 趣味部屋に居てもしょうがないので、二人してリビングに戻る。

 壁に掛けてある時計を見れば、9時をちょっと回ったところだ。

 

「さて、と………どうしようか?」

「………どうって?」

「今日一日を何して過ごすかってこと」

 

 申し訳ないが、何も考えていない。

 来るのは午後だと思っていたので、午前中に調べればいいやと考えていた。

 

「芽衣ちゃんは、何処か行きたい所とかない? もしくは、やってみたいことでもいいけど」

 

 軽だけど車はあるし、大抵のことなら叶えてあげられる。

 ネズミの国とかも、有り得ないほど混んでいて気が進まないけど、無理ではない。

 それに、俺が考えるよりも芽衣ちゃんの行きたいところの方が、間違いなく満足できるだろうし。

 芽衣ちゃんは、顎に人差し指を当てて考え込む。

 その癖、姉さんと同じだ。

 

「………何でもいいの?」

「おう、もちろん」

「じゃあ………映画見たい」

 

 映画か。

 それって、映画館に行きたいってことだよな?

 

「見たい映画の名前分かる? 上映している映画館を調べるから」

 

 芽衣ちゃんが上げたのは、最近話題のアニメ映画だった。

 上映場所も多く、一番近いところなら車で30分もかからない。

 

「上映時間は……9時40分は今からだとぎりぎりだなぁ。次の13時からのにしようか」

「はい」

「大型ショッピングモールだし、買い物してお昼食べたら丁度いい時間になるな」

「……買い物?」

 

 靴がくたびれてきたから新しいのが欲しいし、そろそろ夏服も買わなきゃいけない。

 冬に来年着なさそうな夏服を処分したから、枚数が減っている。

 

「芽衣ちゃんも服とか買うかい?」

「でも、お金……」

「そんなつまらないこと、子供が気にするんじゃない」

 

 そういうのは義務教育を終えてから考えることだ。

 

「…………わかった」

「んじゃ、ちょっと着替えてくるから、ここで待ってて」

 

 そう言って、俺は寝室へと向かう。

 俺一人で行くなら今の格好でもいいのだが、芽衣ちゃんが一緒なので少しだけめかしこむ。

 それから窓の戸締りとガスの元栓を確認して、二人で玄関を出る。

 さあ、出発だ。

 

 




ついに主人公の名前登場!!
実はこの話に至るまで考えてなかった………可哀想な(きよし)君……。


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北へ南へ

 俺は昔から大型ショッピングモールが好きだ。

 巨大な建物の中に多種多様なお店が入っていて、カッコイイ物も、可愛い物も、見たことの無い物もいっぱいでわくわくした。

 ショッピングモール自体もとっても広くて、親と逸れたら二度と会えないのではないか、そんな思いが俺を未開の地を行く冒険家に変えてくれた。

 大人になった今でもそれは変わらない。入口の自動ドアを潜るこの瞬間、俺はダンジョンに挑む勇者になる。

 もちろんそれは気分だけの話で、外には一切漏らさないが。

 

「やっぱ三連休なだけあって、いつもより混んでるな」

 

 駐車場に入った時から分かっていた。何せいつも使うモールの入口に近い場所が全て埋まっており、少々離れた所に車を駐めることになったからだ。

 見渡して見れば、いつもより家族連れの割合が多い気がする。子供の楽しそうな笑い声が聞こえるし、母親と一緒に買い物カートを押している子もいる。

 

「先に映画のチケットを買って、それから買い物しようか」

「はい」

 

 芽衣(めい)ちゃんは頷いて答える。

 映画館はこのモール二階の一番北側にある。ここは南口なので、ちょうど反対側だ。

 エスカレーターに乗って二階へ上がり、絨毯敷きの通路を歩いていく。

 芽衣ちゃんは興味深そうにきょろきょろしながら俺の後を付いてくる。はぐれてしまわないか少し心配になり、視界に入るよう芽衣ちゃんの横を歩くことにした。

 

「芽衣ちゃんはこういう大型ショッピングモールに来たことある?」

「ない、初めて」

 

 姉さんの家の近くにモールが無かったのか思い出そうとしたが、そもそも一回しか行ったことがない場所なので、周辺地理なんぞ思い出す以前に知りもしなかった。

 まあ、芽衣ちゃんが行ったことないというのだから近場にないのだろう。

 

「ここは大体200店舗くらい集まってたかな。色んな専門店があって、見てるだけでも面白いと思うよ」

 

 三階建てなので、単純に計算してワンフロアに66店舗くらいある。

 店の入れ替わりもあるので、たまに来るだけの俺は何処に何の店があるか把握していない。

 後でショッピングモールのガイドパンフレットを入手することにしよう。

 

 芽衣ちゃんの身長は、クラスで前の方と言っていた通り、年の割に低い。

 当然歩幅も小さく、俺の一歩が芽衣ちゃんにとって二歩にも三歩にもなる。

 手を引いてさっさと進むのも、何か違う気がして、芽衣ちゃんに合わせて俺も歩く速度を緩めた。

 芽衣ちゃんは辺りを興味深そうに見回しながら歩いている。二人の歩く速度は自然とゆっくりとしたものになった。

 おかげで映画館に着くのに普段の倍はかかったが、対して気にならなかったのは何故なのだろうか。

 

「チケット買ってくるから、芽衣ちゃんはここで待ってて」

 

 上映を待っている人のために置かれたソファーのそばで、俺は芽衣ちゃんに言った。

 近くには顔出し看板やら、上映中の映画の広告用紙が置かれている。チケットカウンターの混み具合からいって10分くらい待つだろうし、ここで座って待っていた方が良いだろう。

 芽衣ちゃんが、こくりと頷いてソファーに腰を下ろすのを見てから、俺は列に並んだ。

 

 カウンターでは受付嬢たちが三ヶ所でにこやかな笑顔を浮かべながら、途切れなく客を捌いている。それでも列は一向に短くならないのは、単純に新たに来る客の方が多いからだろう。

 俺もその一人だし。

 ポールとロープで仕切られた列は、四度ほど折り返して最後尾になる。俺の前を並んでいるのは20人ほど。チケットを買うのに一人二分くらいかかっていることから計算すると、俺の番まで13分と少しといったところだ。ぱっと見の予想と計算が大体合ってることに少し嬉しくなる。

 しかし、実際に俺の番になったのは10分かからなかった。カップルや夫婦が二人で並んでいることを見落としていたからだ。予想が外れ、今度は少しだけ悔しく思った。

 

「いらっしゃいませ、どの映画をご希望ですか?」

 

 そんな俺の心境なんぞ受付嬢の仕事には微塵も関係ないわけで、朝からずっと同じであろう営業スマイルで受付嬢は俺に尋ねてきた。

 もちろん俺もそんな下らないことを外に出すはずもなく、芽衣ちゃんが見たいと言った映画と上映時間、それと人数を告げる。

 

「お席はどちらに致しますか?」

 

 カウンターに置かれたモニターが、空席状況を映し出す。公開日から二週間ほど経っていることと、先程本日一回目の上映が始まったからか、ほとんどが空席を示している。

 取り敢えず画面中央の位置というのは言うまでもなく決まっているが、芽衣ちゃんが前の方が好きなのか後ろの方が好きなのか分からない。予め聞いておけば置けば良かった。

 仕方がないので、どっちつかずの真ん中を選ぶ。

 そして料金を支払うのだが、小学生の料金は大人の半額だと知り、随分とお得だと思った。もっとも、小学生のお財布事情からすれば十分高いのかもしれないが。

 

 受け取ったチケットを財布に仕舞い、芽衣ちゃんの元に戻る。

 しかし、別れたソファーの所に芽衣ちゃんの姿はなかった。辺りを見回しても、芽衣ちゃんの姿は見えない。

 

「すみません、ここに座っていた女の子が何処に行ったか知りませんか?」

「ああ、あっちに歩いて行ったよ」

 

 近くに座っていた家族連れのお父さんに芽衣ちゃんのことを知らないか尋ねる。

 礼を言ってから指差して教えてくれた方へ小走りで向かう。

 途中の壁にあった表示から、この先にあるのがお手洗いだと分かった。そしてちょうどお手洗いが見えてくるのと、そこから芽衣ちゃんが出てくるのは同時であった。

 

「……あ」

 

 芽衣ちゃんが俺を見つけた時、少し驚いた顔をした。

 

「チケット買ったし、買い物に行こうか」

「え、あ、はい」

 

 俺は驚いた理由を特に追求せず、芽衣ちゃんを買い物に誘う。

 戸惑いながらも、芽衣ちゃんはそれに同意を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に向かったのはアウトレット品を取り扱う靴屋だ。

 種類も豊富で値段もお手頃、普段使いの靴を探すにはちょうど良い。

 俺は芽衣ちゃんを連れ立って店に入った。

 

「欲しい靴とかある?」

「……ない」

 

 芽衣ちゃんは、ちらりとだけ子供用の靴コーナを見て、首を横に振った。

 さっき一緒に歩いた時に分かったのだが、芽衣ちゃんが興味を引かれるときはそれをしっかりと見ている。一瞬だけ見て答えたところを見ると、本当にここの靴には興味がないのだろう。

 興味がない所は、つまらない所。

 俺はささっと二、三足試し履きして、一番履き心地が良かったものを購入した。

 続けて向かった服屋も、サイズだけ確認して購入したからほとんど時間はかからなかった。

 

「さーて、俺の買い物は済んだし、今度は芽衣ちゃんの番だな」

 

 現在時刻は10時半を過ぎたところ。

 お昼ご飯を食べることを考慮しても、十分に時間がある。

 

「芽衣ちゃん、気になるお店とかなかった?」

「気になる店?」

「そう、色々見てたでしょ」

「…………」

 

 顎に人差し指を当てて考え込む芽衣ちゃん。

 その様子は、気になる店が無いのではなく多くて困っているように見えた。

 

「……こっち」

 

 不意に、芽衣ちゃんは俺に背を向けて歩き出した。どうやら目的の店を決めたようだ。

 たった一度そばを通っただけの店を目的地にしているはずなのに、芽衣ちゃんは何度も来たかのように迷いなく歩いていく。その記憶力の良さに感心を覚える。

 後ろを振り返ることなく進む芽衣ちゃんの後を、俺は黙って付いて行く。

 目的地が決まっているお陰か、芽衣ちゃんはよそ見をしなかった。そのため、割と直ぐに芽衣ちゃんの目的の店にたどり着いた。

 

「ここは……ホビーショップか」

 

 プラモデルやトレーディングカード、フィギュアとかが売っている店だ。

 男の子が好きそうな物が多くある店を芽衣ちゃんが目的地としていたことに意外性を感じる。

 だが、どうやら芽衣ちゃんの目当ての物は、先に上げたものではなかったようだ。

 迷いなく進んでいった先にあったのは、ジグゾーパズル。

 芽衣ちゃんは並んでいる品を手に取り、箱の説明を見ては元の場所に戻していく。

 

「ジグゾーパズルが好きなのか?」

「うん」

 

 芽衣ちゃんの声が普段より跳ねていたのは、気のせいではないだろう。

 先程よりずっと楽しそうにしている様子を見て、俺はほっとする。

 ここまで芽衣ちゃんは、年の割に大人しかった。本人の性格というのもあるのだろうが、それよりもやはり緊張のせいというのが大きかった。

 だが、好きなものに触れることで年相応の姿を見せてくれた。

 

「好きなの選びな、プレゼントだ」

「……いいの?」

「もちろん、額縁もセットでね」

 

 言った後で財布の中身を確認する。

 ………うん、諭吉さんが何人かいらっしゃるから大丈夫だ。

 例え彼らがいなかったとしても、クレジットカードがあるから問題はないはずなのだが。

 

「………ねえ、(きよし)叔父さん」

 

 財布を確認していたら、芽衣ちゃんが話しかけてきた。

 もしかして、芽衣ちゃんから俺に話しかけてきたのって初めてじゃないか? あ、いや、自己紹介があったか。後、「誰、ですか」発言も。

 

「どっちが、いい?」

「ええっと、何々………アルフォンス・ミシャの絵と、ラッセンの絵のパズルか」

 

 どちらも幻想的で美しいものだ。

 完成したらインテリアとして飾るのもいいだろう。

 ただ、心配ごとが一つ。

 

 これ、どっちも難易度高くね?

 

 ミシャの絵が2000ピース、ラッセンの絵に至っては3000ピースである。

 ピース数だとイマイチ分かりにくいが、2000ピースを組み立てるのに一ヶ月かかると言えばその難易度が伝わるだろう。3000ピースだと二ヶ月くらいだな。

 

「ホントにこれにするの? かなり難しいよ」

「大丈夫、この前1000ピース出来た」

 

 どうやら適当に選んだわけでなさそうだ。

 1000ピース出来たからその次の難易度と、段階を踏んでいるようなら心配いらないだろう。

 

「それなら、2000ピースのミシャかな。2000ピースが出来たらこっちの3000ピースを買ってあげるよ」

「……わかった」

 

 芽衣ちゃんも納得したようで、ラッセンの方を棚へ戻した。

 手元に残った箱を見て、そのサイズを確認する。どうやらスーパースモールピースというやつらしく、2000ピースなのに38×53センチとかなりコンパクトだ。

 ピースサイズがかなり小さいので、無くしてしまわないか心配になる。

 額縁はミシャの絵に合いそうな装飾が施されているものにした。ぶっちゃけ、パズルよりも額縁の方がずっと高い。

 

「それじゃ買ってくるけど、ここでパズル見てる?」

 

 俺の問にこくりと頷く芽衣ちゃん。

 レジは混んでいるわけではないので、大して待ちはしないだろうが二人で並ぶこともないだろう。

 芽衣ちゃんをパズルコーナーに残し、俺は一人でレジに向かう。

 ちょうど、前の人の会計が終わったところで、そのまま俺の番になった。

 店員は、いらっしゃいませと言って商品を受け取る。

 

「こちら、お包み致しますか?」

 

 聞けば、プレゼント用のラッピングを無料で行っているらしい。

 これが芽衣ちゃんへのサプライズプレゼントならお願いしたのだが、本人と一緒に選んだ物なのだし必要ないだろう。

 それを断わってから財布を取り出したところで、突然、わっと歓声が店の外から聞こえてきた。

 声の方を見ても、何もないので首を捻る。

 

「一階のステージで催し物が始まったんですよ」

 

 不思議そうにしているのが店員にも分かったのだろう。歓声の出処を教えてくれた。

 

「そういえば、そんなのもありましたね」

「たしかヒーローショーだと思いますよ。さっき、女の子の着ぐるみ達が歩いて宣伝してましたから」

「ああ、あの女の子二人組が戦うやつか」

「それ古いですよ、今年は六人ですね」

 

 そうなのか……。

 ところで、女の子達が戦うのにヒーローショーでいいのだろうか?

 

「ありがとうございましたー」

 

 買ったものを入れた袋を受け取り、俺は芽衣ちゃんのいるはずのパズルコーナーに戻る。

 しかし、そこに芽衣ちゃんの姿は無かった。

 

「……え、また?」

 

 悪いことに、さっきと違い行き先を知ってそうな人は見当たらない。

 取り敢えず店内をぐるりと回り、店の外でも辺りを見回したが芽衣ちゃんは見つからなかった。

 どうやらマジではぐれてしまったようだ。

 

「……しくったな、芽衣ちゃん携帯持ってるんだから、連絡先交換しておくんだった」

 

 残念ながら、後の祭りだ。

 使えないのならば、別の手を考えなければならない。

 

「目を離したのは数分、そんなに遠くへは行っていないはずだ」

 

 俺は店を出て南側、映画館の方へ駆け出した。

 首を振って視界を広く取り、芽衣ちゃんを探す。だが、モールの端にある映画館についても芽衣ちゃんは見つからなかった。

 背中がじんわりと汗ばむ。嫌な汗だ。

 今度は折り返して、北側へ向かう。だが此方も端まで行っても芽衣ちゃんはいなかった。

 焦燥がどんどんと沸き上がってくる。

 小さな声で落ち着けと自分に言い聞かせ、思考を回す。

 

 二階には居なかった。ということは、一階か三階に行ったのか? 

 モールの外ってことは流石にないだろう。

 なら、どっちを探す……………そうだ、館内放送って手があった!

 確か、サービスカウンターで出来たはず。サービスカウンターは一階だし、そっちを探して見つからなければ放送だな。

 

 俺は近場のエスカレータで一階に降り、芽衣ちゃんを探す。

 途中、ステージの脇を駆け抜けた。

 ステージ上では、女の子の着ぐるみ達が困っている人を助けるシーンを演じていて、俺のことも助けてくれないだろうかなんて考えてしまう。

 一階の端から端まで駆け抜けて、それでも芽衣ちゃんは見当たらなかった。

 もう館内放送しかないと、サービスカウンターに向かう。

 カウンターにはスーツを着込み、首にスカーフを巻いた女性スタッフが立っていた。

 

「こんにちは、どういったご要件でしょうか?」

「えっと、迷子の放送をお願いしたいのですが………」

「迷子ということはお子様ですね。年齢はいくつでしょうか?」

 

 迷子の放送は、対象の年齢によって内容が変わる。

 自分である程度判断出来る歳ならば、「○○様、お連れ様がサービスカウンターでお待ちです」になるし、判断が難しい歳ならば、「○○の格好をした××(ちゃん)を見かけた方は、サービスカウンターまでお連れ願います」になる。芽衣ちゃんの場合は前者だ。

 

「それでは、お客様のお名前と、お子様のお名前をお教えください」

大星 晴(おおほし きよし)です。探しているのは――」

 

 芽衣ちゃんの名前を告げようとしたところで、俺のスマホが着信音を鳴らした。

 このメロディは、姉さんだ。

 俺はスタッフに断りを入れてから、電話に出る。

 

「もしもし!」

『あんたバカでしょ』

 

 開口一番、姉さんは俺を罵倒する。

 

『芽衣から電話あったわよ、叔父さんがいないって』

「いや、いなくなったのは芽衣ちゃんの方で……」

『はぐれた時点であんたが悪いのよ。子供は何するか分からないんだから、目を離しちゃダメでしょうが』

「……ごめん」

『大方、焦って探し回ったんでしょうけど、私に連絡した芽衣の方がよっぽど冷静よ』

「………面目ない」

『芽衣の電話番号教えるから、メモ取りなさい。まったく……』

「…………すみませんでした」

 

 俺はスタッフにお願いして筆記用具を借り、言われた番号をメモした。

 迷子放送の必要がなくなり、ご迷惑をおかけしましたとカウンターを後にする。

 

『さっさと芽衣を安心させなさい!』

 

 そう言い残し、姉さんは電話を切った。

 俺は何も言い返せなかった。

 保護者としての自覚が足りなかった、そんな自分を不甲斐なく思う。

 気持ちの切り替えが出来ていないまま、メモにある番号に電話をかける。

 二度目のコール音の途中で、芽衣ちゃんと繋がった。

 

『…はい』

「もしもし、芽衣ちゃん? 大星 晴、叔父です」

『はい』

「今、何処に居るのかな?」

『パズル屋さん。叔父さんが待っててって言った所』

「わかった、すぐ行くよ」

 

 通話を切り、俺は走り出した。

 頭の中は後悔と反省がぐるぐると渦を巻いている。

 でも、お店について芽衣ちゃんを見たときに、それらは安堵によって端に追いやられた。

 

「よかった……」

 

 俺は上がった息を整えながら、胸をなで下ろした。

 

「ごめん、芽衣ちゃん」

 

 膝を付いて目線を同じ高さに合わせてから、しっかりと頭を下げて芽衣ちゃんに謝る。

 それを見て、芽衣ちゃんは驚いた顔をした。

 

「俺がしっかりしていなかったせいで、芽衣ちゃんとはぐれちゃって」

「ち、違う! わたしが、勝手にどっか行ったから」

「それでも、一人にしてごめん」

 

 もう一度、頭を下げる。

 だが、芽衣ちゃんは首を横に振る。

 

「わたしも、ごめんなさい!」

 

 ゴチンッと音がした。

 続いて鈍い痛みが頭頂部にやって来る。

 どうやら、芽衣ちゃんが頭を下げたときに、俺に頭突きを食らわせたようだ。

 両の手で額を抑え、涙目で(うずくま)る芽衣ちゃん。俺の頭もじんじんする。

 

「………二人とも悪かった。そういうことにしようか」

「ううっ……はぃ」

 

 互いに誤った。だから、互いに謝った。

 これでこの件は終わりにしよう。後は、自分で反省点を改善すればいい。

 

 時計を見れば、11時45分。

 食事処が混むことを考えると、もうお昼にしたほうがいいだろう。

 

「お昼ご飯、芽衣ちゃんは何が食べたい?」

「………叔父さんは、何が好き?」

「俺? んー、天ぷらかな」

「じゃあ、それ」

「いいのか?」

 

 答えは頷きで返された。

 モールのパンフレットを見るに、天ぷらを食べられそうなのは蕎麦屋しかなさそうだ。

 さあ、行こうかというところで、一つ思いつく。

 

「手、繋ごうか。今度ははぐれないように」

 

 目を丸くする芽衣ちゃん。

 視線が何度も、俺の顔と差し出された手を行き来する。その様子を見て、嫌なのかと手を戻そうをしたときだった。

 おずおずと、芽衣ちゃんの手が差し出された。

 

「それじゃ、行こうか」

 

 二人は並んで歩き出した。

 

 

 




この間ショッピングモールに行ってエスカレーターに乗ったら、急に肩をポンポンと叩かれました。
振り向いたら、そこにはプリキュアが笑顔で手を振ってきました。
手を振り返しましたが、どうして大人の私のことを気にかけたのか謎です。
ザケンナーとか負のメロディでも付いていたのでしょうか?




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久しぶりの映画

 蕎麦屋はモールの三階、食事処が集まる区画にあった。

 暖簾をくぐると割烹着を着た女性が現れ、人数を確認される。

 二名と伝えると窓側の座敷に通され、芽衣ちゃんが上座に俺が下座に座った。座は特に意図したものではない。大体、この場で上座に座っても、辛うじて読めない書(・・・・・)の掛け軸が見れるだけだ。

 木の格子がされた窓から店の外を見ると数人のグループが外に置かれた待合椅子に座っていた。どうやら後一分遅ければ、待つことになったらしい。

 

「はい、お品書き。好きなの注文していいよ」

 

 この店のメニュー表は、ファミレスにあるような写真がいっぱいの物ではなく、筆で書かれたお品書きがラミネート加工された物。しかも、俺のと芽衣ちゃんに渡したので字が違うから、きっと一枚一枚手書きだ。

 俺の注文はすぐに決まった。

 季節の天ぷらとざる蕎麦。何が出されるのか書いていないが、今の時期なら(たけのこ)やたらの芽、若鮎あたりだろうか。銀宝(ぎんぽ)なんかが出てきたら嬉しい。

 

「決まった?」

「……叔父さん、これ何て読むの?」

「どれ……(かも)うどんだな」

「カモって、鳥の? 美味しい?」

「俺は美味しいと思うぞ。鶏よりもコクがあって」

「じゃあ、これにする」

 

 二人共注文が決まったので、呼び鈴を鳴らす。

 少しして先程案内してくれた店員がやってきた。注文を取った後、慌ただしそうに戻っていったのを見ると、やはり昼時は忙しいのだろう。

 その後ろ姿を何となしに見ながらお冷を手に取る。持ち上げられたことで氷が揺れ、グラスにぶつかってカラリッと音を立てた。

 そんな風に、料理が来るまでの手持ち無沙汰を感じていたところだった。姉さんからメールが入ってきた。

 

『見つかったなら「見つかった」ってコッチに連絡入れなさい。心配になるでしょうが』

 

 確かにその通りだ。

 俺はすぐに『ごめん。合流できた』と返事を送る。

 そうしてスマホを手にすることで思い出した。

 

「そうだ芽衣ちゃん、連絡先交換しようか」

 

 さっきの二の舞にならぬよう、アドレスの交換を申し出る。

 姉さんに電話番号は教えてもらったが、メールアドレスも知っておきたい。姉さんに聞けば教えてもらえるかもしれないが、本人が目の前にいるのにそれはないだろう。

 

「ちょっと待って……」

 

 俺の言葉に頷いた芽衣ちゃんは、自分のスマホを取り出して色々いじっていたのだが、

 

「……やり方、分かんない」

 

 結局、スマホごと俺に渡してきた。

 子供用のスマホに初めて触るが、俺のより一回り小さい。

 アドレス帳を呼び出してQRコードやBluetooth通信でアドレスの交換が出来ないか調べたが、やはり他社の物は勝手が違ってよくわからない。

 仕方がないので、アドレス帳に手打ちで入力する。それが終わると、入力した俺のアドレスには自動的に番号が割り振られた。0004ってことは、四番目の登録者ってことか。

 ついでに俺のスマホへ空メールを送る。

 これで俺の方に電話とメールの通信履歴が出来たので、俺の方のアドレスの登録は楽に済む。

 

「はい、出来たよ」

 

 渡されたスマホを礼を言って受け取る芽衣ちゃん。

 すぐにアドレス帳を確認した。

 

(きよし)叔父さんって、晴れって書くんだ」

「晴れの日に生まれたからって父さん、芽衣ちゃんのお祖父ちゃんが言ってたよ。後、姉さんと同じ読みも出来るし」

「お母さんと?」

「そう、(はる)って読めるからね。昔は春晴(はるはる)姉弟なんて言われたりもしたなぁ」

 

 少しだけ、懐かしく思う。

 

「…………お母さん、昔は大星(おおほし)だったんだよね?」

「そうだよ。和樹義兄さんと結婚して早見(はやみ)の性に変わったんだ」

「昔のお母さんって、どうだったの?」

 

 どうとは随分と曖昧な質問だ。

 でも、自身を持って答えられる。

 

「今と変わんないよ」

 

 それからしばらく、姉さんの昔話を芽衣ちゃんに聞かせた。

 姉さんの事件簿は非常にファイル数が多いので、ネタが尽きることがない。

 それと、こうして話していて分かったのだが、芽衣ちゃんはかなりの聞き上手だ。芽衣ちゃんはこちらの話を静かに聞き、たまに意味が分からない言葉を質問してくる。話の腰を折ることも、興を削ぐこともない。

 話すのが楽しくなって来て、つい余計な話をしてしまったくらいだ。

 後で姉さんに、余計なこと教えたでしょ、と怒られそう。

 

「お待たせしました、鴨うどんのお客様」

「あ、こっちの子です」

 

 店員さんが芽衣ちゃんの前に置いたお盆の上には、大きめの丼が湯気を立てていた。

 澄んだ狐色のつゆにつやつやとした白のうどんが沈んでおり、その上に厚めにスライスされた鴨肉が四枚、それと焼いた長ネギが三本トッピングさえている。(いろどり)に三つ葉が添えられているのが、これまた目で美味しい。

 一方で俺の注文したのはというと、ざるに乗った蕎麦はかなり白に近い色をしており、更科粉(さらしなこ)をメインにして打ったものだということが分かる。上にまぶされた刻み海苔とのコントラストが綺麗に出ている。天ぷらは、新たまねぎのかき揚げ、筍、椎茸(しいたけ)、それに海老(えび)が付いてきた。海老の旬は正直よく分からないので除くとしても、確かに旬の食材の天ぷらだ。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 二人で手を合わせてから、割り箸を割る。

 用意された薬味をつゆに溶かしているうちに、芽衣ちゃんはうどんに口を付けていた。

 

「あ、美味(おい)しい……」

 

 ぽろりと口から感想が溢れた。

 芽衣ちゃんは二、三本のうどんを箸で(すく)い、息を吹きかけて冷ましながら食べる。

 七味をかけていないところを見ると、まだ刺激が強いものは苦手なのかもしれない。

 

「さて、俺も食べるか」

 

 薬味を溶かし終えたので、俺も箸を動かす。

 まずは、蕎麦から。

 刻み海苔が乗った上層に箸を入れ、一口分を掴む。そのまま引き上げれば、複雑に絡まっているはずなのに不思議と引っかかることなくすっと持ち上がった。垂れ下がる蕎麦を、そば猪口(ちょこ)の方から迎えにいく。

 

「……うん、美味(うま)い」

 

 歯を当てた途端にぷつぷつっと蕎麦が千切れた。鼻へ抜ける蕎麦の香りは薄いが、その分舌に甘味が感じられる。つゆはかえしよりもだしが強く、塩分よりも旨みが先に感じられるもので、その上品さが蕎麦と良くマッチしている。

 天ぷらは薄い衣で、さっと揚げられたもののようだ。噛んだ椎茸は、サクッとした食感は少なめに、すぐに食材に歯が届く。途端に芳醇な香りが鼻腔をくすぐった。

 正直、ショッピングモールの中にある店なのでそんなに期待していなかったのだが、これは良い意味で裏切られた。

 

「……フーフー……チュルチュル……」

「……ズゾゾゾ……サク、サクサク……」

 

 美味しい物を食べているとき、人は自然と無口になる。

 箸が止まらず常に口に物が入っているからなのだが、二人ともそれに漏れず、自分の食事に集中していた。

 だからだろう、いつもより早いペースで食が進み、気づけば俺のお膳は空になっていた。

 芽衣ちゃんの方も、もう少しで終わりそうである。俺はそれを蕎麦湯を飲みながら待つ。蕎麦で冷えた体がじんわりと温かくなった。

 芽衣ちゃんが食べ終えたのを見計らい、お冷を継ぎ足して渡す。礼を言って芽衣ちゃんは受け取り、そのまま口を付けた。こくりこくりと喉が動き、半分ほど無くなったところでほうっと一息ついた。

 

「美味しかった」

「そうだな、美味かった」

 

 二人とも手を合わせて、ごちそうさまを唱えた。

 お会計では相応な値段だったが、文句などない。

 

「いい時間だし、映画館に行こうか」

「うん」

 

 心なしか、芽衣ちゃんとの距離が近くなった気がする。

 共通の話題で盛り上がったお陰だろうか。姉さんに感謝しなくては。

 

 映画館は午前中よりも混雑していた。一時開場の作品が何本かあるので、みんなそれをまっているのだろう。俺たちもその一組なわけだし。

 

「飲み物買ってくるけど、芽衣ちゃんは何が………」

 

 訊ねようとして、言葉を切る。

 そうじゃない。それでは先程の二の舞だ。

 

「芽衣ちゃん、一緒に飲み物買いに行こうか」

「……うん」

 

 芽衣ちゃんと二人で売店に並ぶ。

 手は繋がないけれど、手を伸ばせば触れられる距離。

 順番を待つ間に、大きく掲げられたメニュー表を読む。

 

「ホットスナックが充実してるなぁ。ポップコーンとか食べる?」

「いらない、お腹いっぱい」

「同感だ。飲み物は、オレンジ、ジンジャー、コーラ……何にする?」

「………スプライトって何?」

「レモンの炭酸。炭酸好き?」

「口がびりびりするから嫌い………オレンジジュースにする」

「そっか。じゃ、俺はスプライトにしよ」

 

 芽衣ちゃんと話せるようになって、時間が過ぎるのが早い。

 チケットを買うときと同じくらい待ったはずなのに、全然待った気がしない。

 

「はい、オレンジジュース」

 

 差し出したカップを芽衣ちゃんは両手で受け取った。

 ソファーに並んで座り、ストローに口を付ける。

 チューと音がした。

 程なくして俺たちが見る映画の開場アナウンスが流れた。思い思いに過ごしていた人達の中から、この映画を目的にしていた人達がシアターゲートへと向かっていく。

 俺たちも、その流れに乗る。

 ゲートでチケットを渡すと、来場者プレゼントで銀色の袋に入れられたカードが貰えた。

 袋を開けることはしない。

 どうやらこれから見る映画のキャラクターブロマイドらしく、ネタバレ注意の表示が書かれていたからだ。

 まあ、前を歩く見知らぬ男の子は気にしない性格なのか、もう袋を破いて中のカードを確認していた。

 いや、もしかしたらこの映画二回目かもしれない。それならネタバレも何もないからな。

 

「えーと、席はGの9と10だから………あった、ここだな」

 

 俺が9番で、芽衣ちゃんが10番。

 芽衣ちゃんの席が、このシアターのちょうど真ん中。前も後ろも右も左も同じ数だけ席が並んでいる。

 ドリンクホルダーに飲み物を置いて、席に着いた。

 そこで気づいた、芽衣ちゃんの前に座っている人の背が高いということに。一方、俺の前は子供で、後ろの席からはほとんどその姿が見えない。

 

「俺の席と交換しようか、見づらいでしょ」

「え、でも……」

「俺の方が芽衣ちゃんより背が高いし、平気だよ」

「……ありがとう」

 

 芽衣ちゃんはお礼を言って席を立ち、俺の席へと座った。

 俺も、芽衣ちゃんの座ってたG-10番に腰を下ろす。

 二人で上映前のCMをぼーと眺める。映画館によって違うのだが、ここは上映前のCMが結構長い。

 CMは嫌いじゃないけど、それでも早く始まらないかななんて思う。

 

「……叔父さん、映画好き?」

「まあ、好きだよ」

 

 しょっちゅう来たり、同じのを何度も見るほどではないが、それでも映画は映画館で見るのが好きだ。

 迫力が違うし、何より映画館で見ることを前提に作られた作品なのだから、映画館で見るのが一番楽しめると思う。

 

「だから俺も久しぶりにここに来て、結構わくわくしてる」

 

 どんな内容なのかは、ほとんど知らない。

 そりゃ、ちょっとは知ってるよ。テレビでCMとかやってたし。

 

「……同じ」

「ん?」

「わたしも、わくわくしてる」

「そっか……楽しみだな」

「うん」

 

 芽衣ちゃんがドリンクホルダーに置いた飲み物に手を伸ばす。

 ………あれ? 俺、飲み物移動したっけ?

 

「ッッッ!!」

「あ、やっぱり」

 

 芽衣ちゃんが飲んだのは、俺のスプライトだった。

 目を白黒させて口を押さえている。そう言えば、炭酸苦手だったな。

 

「ごめん、飲み物替えるの忘れてた」

 

 芽衣ちゃんからスプライトを受け取り、代わりにオレンジジュースを手渡す。

 ちょっと涙目なところを見ると、相当驚いたのだろう。

 それを見て、芽衣ちゃんって普段は物静かで大人しいけど、突発的なアクシデントで素が出るんだなって思った。

 

 ビイィィィィ。

 

 ブザーの音が鳴り、ゆっくりと照明が消えていく。

 どうやら、始まるようだ。

 俺は受け取ったスプライトを一口飲んで、席に深く座り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 映画は動物達の宇宙開拓記で、いわゆる冒険スペクタクルだった。

 開拓記ということで、西部劇の内容を宇宙で、登場人物を動物にしたような話だ。

 正直に言おう、かなり面白かった。

 特に、副主人公(サブヒーロー)が悪役と早撃ちで決闘(デュエル)するシーンは手に汗握る。

 もちろん、子供向けなので銃で撃たれても気絶するだけ。

 最後は主人公が悪役をやっつけてハッピーエンドだ。

 

「面白かったな」

「うん」

 

 どうやら、芽衣ちゃんも満足したようで少し安心した。

 俺たちは人の出が収まるのを、座って待つ。

 待つ間に、ゲートで貰ったカードを取り出した。この銀色の袋の中には、何のキャラクターブロマイドが入っているのだろうか。

 端っこに入っている切れ込みから、袋をぴっと開ける。

 

ラビィ(ヒロイン)か。芽衣ちゃんは何だった?」

「……ホーク」

 

 おお、決闘した副主人公じゃん。

 ヒロインも可愛いけど、俺はホークの方が好きだ。ちょっと羨ましい。

 

「3時か、カフェでお菓子でも食べていこうか」

 

 それなら座って映画の話が出来る。

 やっぱり、感動や興奮が薄れる前に色々話したい。

 

「物販でパンフレット買って……」

「…叔父さん」

「キーホルダも売ってたな。一個買っていくか」

「叔父さん」

「ん? ああ、ごめん、何?」

 

 少しあれこれ考えてたせいか、芽衣ちゃんの呼びかけに気づくのが遅れた。

 

「叔父さんって、ホークみたいな事出来るの?」

「ホークみたいって、あの決闘のこと?」

「うん」

「出来るよ。これでも、結構早い方なんだ」

 

 まあ、今はスタイルを変えたせいてミスショットが多く、総合タイムは遅いけど。

 

「……見てみたい」

「え?」

「ホークみたいなんでしょ?」

 

 いや、あそこまで格好良くはないぞ。

 あれは、ホークだから格好良いのであって、俺が同じことしても大したことないと思う。

 

「まあ、いいか。帰ったらやって見せようか」

「うん」

 

 がっかりしなきゃいいけど……。

 

 

 




食事の話、夜に書くものじゃありませんね。
画像とか探してたらお腹減りました。

次からは、ファストドロウの話の予定です。


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