ブレイブウィッチーズ 星降る夜に (茘枝そるて)
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第1話 雁淵ひかり、再着任す 前編

 あの色を、覚えている。

 全てを見通す緋と、全てを貫く蒼。

 その手で触れてもらえること、その声で語りかけてもらえること、

 その背を、追っていられること。

 地面から見上げる輝きは、途方もなく鮮やかで、鮮明で、

 ただ、ただ美しくて。

 届かなくてもよかった。いつまでも、その輝きを目にしていたかった。

 その中でこの目が擦り切れ果てて、終わっていってもよかったとさえ、思えたほど。

 なのに、それなのに、全ては唐突で、あっけなくて、どうしようもなくて。

 出来る事なんて、何一つなくて。

 残ったものなんて、痛みだけしかなくて。

 けれど、それでも。

 そうだとしても。

 例えどんなに日々を重ねて、何もかもが擦り切れて無くなったとしても。

 ――わたしは、その色を、忘れることはないだろう。

 

 

 

 *

 

 

 

 それは、一九三九年の事だった。

 その存在は、前触れも無く空を埋め尽くし、人類に侵攻を仕掛けてきた。何故、どんな目的があって……そんな事も明かさずに、彼らは無造作に全てを奪い、破壊し尽くした。

 出自も、所以も、道理さえわからない。

 太古より、人類はその異形との戦いを繰り広げていたのに、だ。

 彼らが人類に全面戦争を仕掛けるのは今回で二度目ではあるのだが、月日が経てど彼らの正体や目的、どういう性質を持った存在であるか――わかっていることはあまりにも少ない。

 瘴気をまき散らし、大地を腐らせ、金属を根こそぎにする。すなわち、目に見える全てを破壊しないと気が済まない“たち”であるということ。身体の内部に内包されたコアを破壊すれば一応は撃滅せしめること。わかっていることはたったのそれだけだった。

 

 だから人類は、彼らに、

 ――そう、“正体不明(ネウロイ)”と名付けた。

 

 正体不明のまま、彼らは何もかもを奪っていく。

 瞬く間に人類は居場所を追いやられた。

 欧州の大半は彼らの“巣”に占拠され、人の住まう場所ではなくなった。このままでは全てが奪われ、人類は異形に敗北する。

 そんな未来は非現実的ではなくなり、もはや目の前に差し迫っていると言っても良かった。

 しかし、そんなギリギリの瀬戸際の中、人類は唯一彼らに有効な対抗手段を見つける。

 

 魔法力をその身に宿し、瘴気をまき散らす彼らに唯一接近が可能な少女の存在。

 魔女(ウィッチ)

 武器を手に取り、宮藤一郎博士が考案した現代の魔法の箒(ストライカーユニット)を装着した彼女達は、戦闘機や戦車、軍艦を活用したとて発揮し得ない戦果を容易に叩き出した。

 彼女達ウィッチの活躍によって、欧州への侵攻はギリギリで押し留めたのだ。

 そして少しの時間が経ち、ネウロイ撃滅に対して多少なりともノウハウを得た人類は、一転攻勢に打って出る。

 

 一九四四年、第501統合戦闘航空団『ストライクウィッチーズ』によるガリア開放。

 以前までどうすればいいかもわからなかった“ネウロイの巣”の撃破によって、それは成されたのだった。

 それをきっかけに、各地で様々な反攻作戦が開始される。

 それらの中には、成功したものもいくつかあるし、失敗したものもいくつかある。

 一九四五年一月に開始された、一九四四年秋にペテルブルグ周辺に発生したネウロイの巣、“グリゴーリ”に対する攻略作戦『豊穣の女神(フレイヤー)作戦』はその一つだ。

 

 その作戦に参加し、生き残ったものは皆こう言う。

 

 ――地獄を見たと。

 

 その作戦はまず、超大型列車砲『グスタフ』によってネウロイの巣を取り巻く雲を吹き飛ばし、魔眼の特異能力持ちのウィッチが“グリゴーリ”のコアを特定、後にそのコアをもう一台の超大型列車砲『ドーラ』が装填した魔力徹甲弾で撃ち抜く、というものだった。

 それはわかっていないことの多い対ネウロイ戦で人類が見つけ出した、最も有効な作戦の一つだったのだが――

 

 酷く簡単に言えば、作戦は失敗した。

 

 相手はネウロイの侵攻の要、“巣”である。同類を果てもなく生産し、送り続けるだけの力を持った超大型ネウロイだ。そんなネウロイが、ただネウロイを生産するだけの木偶の坊であるはずがない。

 作戦でも九人のウィッチから構成される第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』が“グリゴーリ”のコアを特定、生産されるネウロイの撃滅、『グスタフ』『ドーラ』の護衛も請け負っていたのだが、ネウロイの巣相手にそこまでの戦力で足りるわけがない。

 例えその全員が全員各国でも抜きん出たスーパーエースだったとしても。

 

 “グリゴーリ”の戦力を見誤ったのだった。

 

 ネウロイの巣を取り巻く雲は吹き飛ばしたが、護衛を突破され、まず魔力徹甲弾を装填した『ドーラ』が破壊された。

 次いで『グスタフ』もすぐに破壊され、第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』と、それを支援する『ペテルブルグ軍集団』の『豊穣の女神(フレイヤー)作戦』は瓦解した。

 そして雲を破壊された事により“ここには自分を撃滅できうるだけの戦力がある”と“グリゴーリ”に判断され、ゆっくりとペテルブルグ方面に向かっていたはずの

“グリゴーリ”は驚くべきスピードを持ってオラーシャ帝国ペテルブルグへと侵攻の手を向けた。

 攻略するはずが、手痛いしっぺ返しどころではないほどの痛手を背負う形になったのだった。

 

 そして、あんまりの間もなく、ペテルブルグは侵略され尽くす。

 ――はず、だった。

 

 九名の英雄の存在によって、その未来を、ギリギリで押し留める。

 第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』九名が“グリゴーリ”へと特攻し、コア中枢に大ダメージを与え、その侵攻を停止させた。

 果たして撃滅とはならなかったが、滅びの未来を回避させたのだ。

 ネウロイの巣内部に特攻し、魔眼によって“グリゴーリ”のコアを特定した雁淵孝美中尉。

 特異能力によってコアに大ダメージを与えた管野直枝中尉。

 その二人の、まさしく命を賭けた犠牲によって、ペテルブルグは守られた。

 失敗であり、被害も数多く出たが、それでもこの『豊穣の女神(フレイヤー)作戦』自体の有用性は評価され、様々な問題点を見直されていくつかの反攻作戦でも活用される。

 その雪辱が果たされる日は決して遠くはない。

 けれど、それには未だ遠い一九四五年五月。

 作戦後からあまり日も経っていない春のこと。

 

 人類は未だ、諦めることを知らなかった。

 

 

 *

 

 

 

 車の揺れる音を聞きながら、凍結していた湖が最近完全に溶けたのだと運転手が言う。

 その話にあまりにも興味がなさ過ぎて、少女は答えなかった。

 何かしら言葉が返ってくると思っていた運転手はその無視に辟易して、気まずげに視線を揺らして、息をつく。

 これだから、軍人というものは困りものだ。

 一応ウィッチは年若い少女とはいえ軍規でそれなりの高官だし、大事な戦力だ。だからといって護衛の車をつけたり監視の目があったりするのはやり過ぎだと思うし、窮屈だ。それなのに、無駄な話までついてくるなんて……窮屈さには目を瞑るが、せめて黙っていて欲しかった。

 そんなことを思うと、なんだか気分が悪くなってくる。酔ったのかな、と少女は眉にしわを寄せた。

 とりあえず、軍用車両の分厚い窓を開けてみた。

 瞬間、ぶわり、ときつい風と共に髪の毛が頬を叩いてくすぐったい。

 窓の外では、湖が、きらきらと太陽の光を反射して輝いていた。

 そしてその遥か先には、停止して動かない“グリゴーリ”の姿がかすかに見えた。破壊されたわけでもなかったが、動いているわけでもない。あの作戦のあとは誰しもがいつ動き出すか、と戦々恐々としていたが、一月でもしやと思い、二月でまさか、と思い、三月で慣れた。

 それもあって、ペテルブルグに駐屯する軍人は皆、そういう不安もありつつ平和な日々を過ごしている。なんせネウロイの生産も止まっているのだ。時々他の“巣”から出てくるネウロイを警戒、撃破するのみで特に動きもない。これまでとそう変わらないからだ。

 少女はそんな事を考えながらぼんやりと流れていく風景と湖を眺める。

 ……。

 そう言えば、いつか彼女達と凍った湖でそり滑りをしたことがあった。

 楽しかった。

 娯楽なんてあんまりなかったから、あんななんでもない遊びでも楽しかった。遊んでいる暇が少なかったというのもあるけれど、最前線で補給路が止まってしまっていたから、そういう嗜好品はあまり持ち込まれなかった。他の遊びといえば……トランプはよくやったし、夕飯のデザートなんかを賭けたりして悔しい思いをしたり嬉しい思いをしたりした。

 それら含めて、あの日々は楽しかったのだ、と少女は思う。

 

(……そんなの、今更だ)

 

 何故なら、そうでないとあんなに無防備に、脳天気に笑っていられるはずがない。

 今となってはそんな過去の自分をぶん殴ってやりたくてしょうがないけれど、生憎と少女の固有魔法は時間を巻き戻すものなどではない。

 そんなものであったらどれほどにいいだろう――と何十回、何百回、何千回、何万回目かもわからない後悔をその身に宿して、

 雁淵ひかりは、ペテルブルグにある第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の基地に戻ってきたのだった。

 

「久しぶりね、ひかりさん」

「お久しぶりです、ひかりさん」

 

 車から降りて、入口まで着てみれば、そこにはエディータ・ロスマンとアレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキン――通称サーシャの二人がひかりを待っていた。

 エディータはひかりより年上にも関わらず、童女と見紛うほどの低身長と童顔のウィッチだ。戦歴も長く、その経験を活かしてか新人を育成することにかけては彼女の右に出るものはいない。彼女の手にかかればペンギンですら空を飛ぶと言われている。ひかりは、彼女のお陰で飛べるようになったといってもいいくらいだ。

 サーシャはぱっと見大人しそうな顔をしているが、ここ502で戦闘隊長を務めるほどの腕利きだ。さらに持ち前の映像記憶能力の固有魔法で整備にも長けている。あと、ストライカーユニットを壊すと烈火の如く怒る。ひかりはそれでよく怒られたので、何処と無く頭が上がらなかった。

 

「先生、サーシャさんまで。他の皆は?」

 

 見慣れた基地で、勝手もわかっているから出迎えなど無いとひかりは思っていた。

 けれどせっかく迎えに来てくれているので、二人に笑顔を向ける。

 

「……出撃しているわ。さあ、隊長が待っているから」

「……はい」

 

 かなり取り繕って満面とも言えるほどに微笑んだつもりだったが、何故かその笑顔にサーシャはひどく怯えたような顔をして、エディータは顔をしかめた。

 そんな二人の様子に、ひかりは首を傾げる。

 

(……歓迎されてない?)

 

 まあ当然か、と思い直して、ひかりは彼女達の後ろを着いて行った。

 歓迎されていないとしても、彼女がここに呼ばれた事実は変わりようもなく、やることはやらなければならない。

 面倒だなあ、という言葉を口の中だけで弄んで、飴のように溶かす。

 苦かった。

 

「カウハバでの生活はどうだったの?」

「ここの生活を経験してたらなんでもありませんよ。まあ別の意味で大変だったんですけど。クルピンスキーさんで慣れてなかったら、どうなってたか」

「……そうでしょうね」

 

 後ろ姿でもわかるほどに苦い顔でエディータは頷く。

 どうにもカウハバの基地ははっちゃけた印象のある502と比べても随分とはっちゃけた所だった。

 度々上司の人に肉体的な意味で迫られ、口説かれた。その事実は他の基地でも有名のようで、それはエディータも知る所のようだった。

 そして、そんな彼女達の猛攻を防ぎきることが出来たのもひとえにヴァルトルート・クルピンスキーのおかげだった。

 ヴァルトルートは502に所属する酒好き女好きの享楽的な人間で、度々ひかりも彼女に酒やら一晩の関係やらを誘われたものだった。最初は慣れずに危うく、という事もあったけれど、ここで日々を過ごすうちに慣れて受け流せるようになった。その経験が無ければカウハバでもやっていくことは出来なかっただろう。

 

「先生とサーシャさんはどうですか?」

「どう……? とは」

「……元気に過ごせてますか?」

 

 何事も無いような言葉を選んで言ったつもりだったけれど、ひかりの言葉にエディータはぴくり、と背中を跳ねさせる。

 

「ええ。何事もないわ……驚くくらいにね」

「ロスマンさん……」

「ひかりさんはどうだった? カウハバはここよりも寒いから、風邪なんか引かなかった?」

「そんな暇もありませんでしたよ。毎日出撃で」

「そう……」

 

 何事もない会話だが、ほんとうに何事もない。

 上っ面だけで会話しているから、中身が伴わないのだ。前はこんな風じゃなかったんだけどなぁ、とひかりは思わず自嘲する。

 少しくらいは、会話したら昔を思い出してそのまま、という風に期待していたけれど、そんなこともない。

 だからそのまま会話もなく、無駄に広いペテルブルグ基地の廊下を、三人は歩いて行く。

 広いのは知っていたけれど、こんなに広かったか。

 それはひかり、エディータ、サーシャの三人の間に漂う気まずい雰囲気もひとつの原因なのだろう。

 これを楽しめるほど図太い神経でもない。

 持て余すばかりだった。

 

「隊長、雁淵軍曹をお連れしました」

 

 けれど、そんな風にもやもやしている間にも足は動いている。

 とんとん、とエディータが扉を二回ノックして言う。

 着いたらしい。

 

「ご苦労、入ってくれ。サーシャ、エディータは解散してくれて構わない。各々の勤務表に準ずるように」

「はい」

「了解しました」

 

 扉の中から聞こえた声に従って、サーシャとエディータは踵を返す。

 それを見送ることもせず、ひかりはノブを手にとって、扉を開いた。

 瞬間、ふわりと珈琲の匂いが鼻孔をくすぐる。

 懐かしい香りだった。そういえばこの人は砂糖を山程入れて飲むのが好きだったな、と思い出す。

 

「……久しぶりだな」

「そんなこともないですよ。三ヶ月くらいです」

 

 そして部屋に入ったひかりを見て寂しそうに微笑むのは第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の隊長、グンドュラ・ラル。

 くすんだオレンジ色の髪、紺碧色の瞳と整った目鼻立ち。背筋が通っていて、古傷の療治のためだというコルセットは本来の目的を外れて本人の凛とした雰囲気をどこまでも引き立てている。

 見ているこちらの背筋まで張ってきそうだ、とひかりは彼女を見る度に思っていた。

 思わず息を呑む。

 

「……それもそうか。最近は出撃も無くてな。書類とか、人事整理ばかりで引きこもってばかりだったから、日付の感覚も鈍ったのかもな」

 

 そんなひかりを一瞥してから、ラルは机にごまんと積まれた書類を見て溜息をついた。相変わらず仕事に追われているようだ。こんなのなら出撃していた方がいい、と食事の席で度々こぼしていたのを覚えている。

 それでも、ラルが出撃しなければそれでいいのではないか、とひかりは思う。

 彼女はこう見えて世界第三位の実力を誇るスーパーエースだ。彼女の実力が必要になるような危うい戦闘など、無いならそれでいい。

 ……それに、彼女が出撃などしてみろ。

 ――わたし(・・・)取り分が減る(・・・・・・)じゃないか。

 

「お変わり無いみたいで、何よりです」

「そういうお前は変わったな」

「……そう、ですか?」

 

 ラルの言葉にひかりは首を傾げる。

 その疑問にラルは、少し口角を上げて答えた。

 

「少し髪が伸びた」

「……切るのが面倒で」

「後でエディータに整えてもらえ。前髪で目が隠れてしまっているじゃないか。あいつはそういうのも上手いから、私もよくやってもらっている」

「そうさせてもらいます」

 

 確かにラルの髪はよく整えられており、撫でれば指の間からするり、とこぼれ落ちていきそうだ。ここには腕の良い美容師が居るのだろうか、と思いきやエディータの手腕であったらしい。言われてみれば、確かにエディータはそういうのが得意そうだ。髪の毛もさらさらだし、先程見た時も肌にはシミひとつ存在しなかった。

 対するひかりはどこもかしこも伸ばしっぱで、下手をすればすぐにぼさぼさになりそうだ。あまり魅力的とは言いがたい。まあ魅力的だとそれだけカウハバ基地で口説かれる回数も増えたのだから、それはそれで良かったのだけれど。

 そしてラルは少し考えてから、「それに」と前に置いて言う。

 

「……少し、孝美に似てきたよ。やはりおまえ達は姉妹だったんだな、とおまえの顔を見て、今思った」

「……そうだと、嬉しいです」

「明日から任務に当たってもらう。今日は移動で疲れたろうし、ゆっくり休むといい。部屋は前と同じだ」

「了解しました、ラル隊長」

「ああ」

 

 ラルが頷く。話は終わった。一礼して、ひかりはラルに背を向ける。

 そして入ってきた時と同じように、ノブに手をかけ……

 ひかりは首をラルの方に向けて言った。

 

「一つ、聞いてもいいですか」

「……何だ?」

「どうして、わたしだったんですか」

「どうして、とは」

 

 質問を質問で返すラルに、ひかりは答えない。

 その目が、その表情が、その身体が、全身で物語っていた。

 あの日、姉との勝負に負け、カウハバに転属となった自分を。

 ――どうして今更、此処に呼び戻すようなことをしたのか、と。

 その問いかけにラルは息を吐く。

 そして、椅子の背もたれに体重を乗せながら言った。

 

「ネウロイとの戦闘では、隊に一人でも魔眼持ちのウィッチが居ると、それだけで撃破率がまるで違う。そして孝美と管野が居なくなった今、魔眼持ちのウィッチ、管野のような前衛をやれるウィッチが必要だった」

「……、」

「ここは無理を言って人材を引きぬきまくって出来た隊だし、先の作戦も失敗した。孝美や管野のようなエースウィッチは他国から引き抜いてこれない。魔眼持ちもしくは前衛に適した能力、そして現在他国から欧州に派遣されているウィッチ。この条件にピッタリと合うのがおまえだった」

「……そうですか」

 

 ひかりは目を細める。

 その灼眼が己を捉えていることも構わずに、ラルはにやり、と微笑む。

 

「それ以上に、私の求める人材は、強いウィッチだ。

 その条件さえクリアしたおまえを、どうしてあのカウハバで腐らせておくことが出来る?

 ――どうだ、気に食わないか?」

「……いえ、やれというのなら、やるだけですから」

「そうか」

「ありがとうございます。では」

 

 そのまま、ひかりは頷くこともせずに退出する。

 ぶしつけな態度だったが、ラルはそれでもかまわなかった。ネウロイを、“グリゴーリ”を撃滅するという目的が同じなら、どう思われようが、殺されようが、死のうが、どうだってよかったからだ。

 戦果を上げねばならない。

 そしてその目的に合致するなら、なんだってやってみせよう。

 そう、決めたから。

 ……ああ、ああ。

 けれど、それでも。

 なんだかたまらなくなって、ラルは机の上に置いてあったマグカップに口をつける。中身の珈琲は淹れてから数時間経ち、すっかり冷め切って酸っぱくなっていた。

 半分ほど残ったそれらを一息で流し込み、荒い息をつく。

 それでも全身に広がった苦味は消えてくれなくて、ラルはぎりり、と奥歯を噛み締めた。

 

「クソったれが……」

 

 横目で、数ある書類のうち一つに目を向ける。

 それはカウハバからの雁淵ひかりについての書類だった。

 パーソナルデータ、基地での素行、ネウロイの撃滅回数、戦闘についての志向。

 それら全てが簡潔に、されど精密に書き込まれている書類をぐしゃぐしゃに丸めて、ゴミ箱に投げ入れる。

 そこに書かれてあることはラルの言葉通り、クソったれのそれでしかなかったから。

 

 

 

 ――雁淵ひかりについて

 

・基地での素行は問題なし。忠実に任務を遂行しようとする姿勢を見せている。しかし、戦闘時に関してのみ命令違反を多数重ねている

・戦意については目覚ましいものがあるが、戦闘を継続できるかどうかは不明 当人任意の上でカウンセリングを行ったが、精神状態に問題ありとの診断結果

・以前そちらから公開された接触魔眼の能力について変化がある可能性あり

・カウハバ基地着任から三ヶ月の間のネウロイ撃破数 五一

・内二七が小型ネウロイ、一六が中型ネウロイ、八が大型ネウロイ

・全てが共同のものではなく、単独撃破である

 

 その簡潔な文面を見るだけで、彼女のカウハバでの日々が容易に想像できる。

 あの日から、その痛みを忘れるようにして戦闘に明け暮れ続けたのだろう。

 誰とも手を取り合うこと無く。

 ただただ、自らの大切なものを奪っていった全てに復讐するためだけに。

 けれど、例えその悲願を果たしたとて、愛した彼女達は戻ってくることはない。

 喪ったままなのだ。

 だというのに、彼女は、雁淵ひかりは……

 

「――ああ、ああ。わかっている、わかっているとも」

 

 止まれないのだろう。

 管野直枝も、雁淵孝美も、その存在が彼女にとって途方もなく大事だったというだけだ。

 それが無ければ自身の存在が成立し得ないほど、その二人に溺れこんでいただけだ。

 それらを失くせば、彼女はもう雁淵ひかりという存在を保ってすらいられないはずだった。

 なのに、彼女は未だ自分自身であることをやめられない。

 決して折れることが出来ない。

 やってみなくちゃわからないと言い張って、走り続けていたあの日の姿のまま、傷だらけになっていく。

 傷を負ったことすら自覚できないで摩耗していく。

 その最果てはもう、考えるまでもないだろう。

 そんな事をわかっていながら、地獄へと突き放す己は何だ?

 外道のそしりを受けたとて生ぬるいような気がした。

 ……それだって、気休めにはなるだろうな、としか思えないほどに。

 けれど。

 

(……もう、事態は動き始めた。止めることなんて出来ない。あいつが地獄に落ちるというのなら、私も連れ添って行こうじゃないか)

 

 ……先ほど見た、彼女の姿を思う。

 彼女達が遺した、先の方が焦げ付いたマフラーを首に巻き、ほつれが見える白のリボンを髪に結いた、血塗れの心をそのままにしたような彼女の姿。

 あんなにも似合っていたのに、どうしても、その姿が死に装束にしか見えなかった。

 その姿は己のものではないのに、ひどく心臓のあたりが軋んだ。

 人はあそこまで痛みに愚直になれるものかと、思ったほど。

 ならば、その足並みを揃えて、共に果てよう。

 もう、それだけだ。

 たったそれだけのことしか、かつて肩を揃えて戦った戦友に、彼女の忘れ形見に、出来る事はない。

 生のまま一生乾くことのない傷にぬるい慰めを擦り当てても、痛いだけで埋まることはないから。

 だから、これでいい。

 これでいい。

 はず、なのだけれど。

 どうしてだろう。

 

 ――書類の最後に書かれてあった「どうかもう、これ以上彼女を戦わせないで下さい」という文面が、頭から離れなかった。

 

 

 

 




 はじまりました。初投稿です。感想とかその他諸々の何かがあれば是非。よろしくお願いします。


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第1話 雁淵ひかり、再着任す 後編

「そういえば今日、新人の子が来るみたいだよ、ニパくん」

「え、そうなの?」

 

 哨戒任務の途中、ヴァルトルート・クルピンスキーはニッカ・エドワーディン・カタヤイネン――通称ニパに耳打ちする。

 あまり褒められた行為じゃなかったが、“グリゴーリ”が動きを止めてからネウロイの侵攻はぴたりと止まっているせいでネウロイの出現確率はぐんと落ちた。そうは言っても、一応ペテルブルグ周辺には他にもネウロイの巣が点在しているので、やらないわけにはいかないのだけれど。

 

「うん。前に先生と隊長が話してたのをたまたま聞いてね。どんな子かまではわからなかったけど、口ぶりからするに相当のエースを引っ張ってきたみたいだよ」

「へえ……盗み聞きしてたとかじゃないんですか? クルピンスキーさんって趣味悪そうだし」

「流石にそんなことはしないよ……ほんとうにたまたま。でもこのご時世だし、引き抜いてくるっていうのもなかなか難しい気がするんだけどね……となると、知り合いとか? それなら、エイラくんとサーニャちゃんとかだったりするのかな。そうだったらいいなぁ。あの二人、かわいいし」

「クルピンスキーさんはいつもそればっかだなぁ」

 

 ヴァルトルートの口ぶりに、ニパは顔をしかめる。

 彼女は酒好き女好きの享楽主義者で、気に入った女性が居ればすぐに声をかけるような軟派なところがあった。金色の短髪、褐色の肌、長身という格好のいい風貌がそれに拍車をかけた。かくいうニパ自身も数えきれないくらい口説かれてきたのだが、その全てを断り続けている。

 いい加減にちゃんとした関係を誰かと持ってくれればそういった面もなりを潜めるだろうとニパは思っているのだが、出会いの多さに反して続く関係を持つことはあまりないようだった。

 そしてニパは、金髪の短髪という点では同じだが、スオムス人特有の肌の白さもあって、どこか少年のような風貌を持ち合わせている。しかしそれに反した胸の大きさと、朗らかな性格が女性らしさを感じさせる。持ち前の馬鹿みたいな不幸さも合わせて、どこかアシンメトリーな雰囲気を持つ少女だった。

 

「あ、でもイッルとサーニャさんはヴェネツィアの件で501が再結成したみたいだし、ないと思うけど……隊長のことだから、声は一応かけてそう」

「あはは、そうだね……何にしろ、可愛い娘だったらいいな。僕らが戻る頃にはもうその娘、基地に居るんだろうなぁ。顔見せは夕食の時だろうけど、仲良くできると良いよね」

「クルピンスキーさんのそれは別の意味でしょ……」

 

 うんざりしたような表情でニパが言う。

 ヴァルトルートは、その悪態にやけに嬉しそうな表情でうなずいた。どう攻めようか今から気が気でないらしい。

 

「でも、新人かぁ……」

 

 しかし、そんなうきうきのヴァルトルートとは裏腹に、ニパの表情は重い。

 何やら思うところがあるらしかった。

 

「どうしたの? なにか思うところでも?」

「いや、さ……」

 

 大したことじゃない。

 褒められた思考でもない。

 でも、それでも、そう思うことを誰が止められようか。

 たった三ヶ月。

 されど三ヶ月の間に、全てを割りきれるほど、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンは大人にはなりきれなかっただけの話だから。

 

「今回の人って、言わばカンノと孝美さんの代わりってことになるでしょ? そう思うと、なんか……」

「あぁ……」

 

 ヴァルトルートは頷く。

 彼女もニパも、厳しい戦場を乗り越えてきた歴戦のエースウィッチだ。同僚のウィッチが死ぬ様など何回も見てきている。

 欠員が出れば、何処かから補充されてくるものだとはわかっている。そんな風に戦場に出たことなんて日常茶飯事だったから。

 けれど、それでも。

 管野直枝は、ニパにとって、かけがえのない友人だった。

 喧嘩になることも数多くあれど、それでも憎みきれはしなかったし、仲も隊の中では良かった方だと思う。ヴァルトルートとあわせて「ブレイクウィッチーズ」なんて呼ばれたりして、仲間意識も格段に強かった。

 雁淵孝美は、かつてこの502に在籍していた雁淵ひかりの姉だ。雁淵ひかりはなんだか立場的に他人のように思えず、直枝と共によく世話を焼いた。

 人柄もよく、真っ直ぐな気性は好感を覚えた。最終的にカウハバ基地に転属になってしまったけれど、それでも一時期は「ブレイクウィッチーズ」の面々と同じくよくストライカーユニットを壊すので、その仲間と言われるほどにまで仲を深めた。

 そんな彼女の姉だ。

 交わした言葉の数は少なくとも、ひかりから姉の話はよく聞いていたし、会ってみれば不器用なところはあるものの、妹想いのいいお姉さんだった。

 そして二人とも、肩を並べる存在を探すのは難しいくらいの実力を持ったエースウィッチだった。

 そんな彼女達の代わりを努められる存在なんて、そんなものは……

 

「わかるよ。正直なところ直ちゃんや孝美ちゃんのような強い娘なんてそうそういないし……それ以上に、孝美ちゃんはそこまでだったけれど、直ちゃんは一年半も一緒の場所で暮らして、過ごしてきたんだ。彼女達の代わりなんて何処にも居ない」

「……そうですね」

「僕らにとって直ちゃんは直ちゃんで、孝美ちゃんは孝美ちゃん。例え実力があったとしても、その娘はその娘だと僕は思う」

 

 だからね、と前に置いてヴァルトルートは続ける。

 

「きょう来る娘は、直ちゃんと孝美ちゃんの代わりなんかじゃない。絶対にね。割りきれなくてもいいけど、その娘との思い出は、その娘と作っていこうよ。きっといい娘だし、仲良くできるよ。ひかりちゃんや、直ちゃんの時と同じように」

「そうだといいけどなぁ……」

 

 ぽつり、とニパは頷く。

 ヴァルトルートの言葉に、そうだといいな、と思えたことは正直意外だった。

 時々彼女は、こういうことを言う。しかも気障ったらしい口説き文句までつけて。それが格好のいい風貌とあわせて、かなり堂に入っているからわりともてる。いつもこんな感じだといいのだけれど、たまのたまにしかこういう顔を見せることはない。

 それに、言いながらもどうやって新人を口説こうか算段を立てているに違いない。もし口説きに行ったとて、定子かエディータに邪魔されて思うようにすら出来ないのだから、やめておいたほうがいいのに。

 そう思うとなんだか少し笑えて、肩の力が抜ける。彼女に伝えるのは癪だったから、言わなかったけれど。

 そして、そのまま夕方まで飛んでみても、いつも通りネウロイはただの一機とて見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 哨戒任務を終えたニパとヴァルトルートは、軽くシャワーを浴びて食堂に向かっていた。

 その時に今日来る新人のためであろう、格納庫(ハンガー)内に新しくストライカーユニットが整備され始めていて、それがかつて雁淵姉妹が使用していたストライカーユニットでニパは気が重くなりかけた。

 かなりの性能を持ったストライカーユニットなので、もちろんのことながら魔法力やコントロール面での要求は多い。クルピンスキーの言うとおり、かなりのエースを引っ張ってきたのだろうと思う。

 けれど、あのまま倉庫で眠っているより、あの姉妹がこぞって呼んでいた“チドリ”という愛称の通り空を飛んでいる方がいい。あのストライカーユニットを使って少しの数でも多くネウロイが堕とさればなおさらだ。

 そう強引に思い込んで、食堂の扉を開ける。

 その思い込みが軽率であったと思い知らせるかのように。

 瞬間、

 ふわりと、芳しい夕飯の香りと共に、

 血の匂いが、した。

 

「ひ、かり……?」

「――ああ、ニパさん」

 

 彼女は、なんでもない風に、椅子に座って微笑んでいた。

 その姿があまりにも変わり映えしなさすぎて、

 そして、あまりにも変わっていて、完全に壊れ果ててしまっていて、

 ただ、ただ……己の目を、疑った。

 

「どうして、ここに……」

「あれ?聞いてませんでした? 今日からまた、ここで戦えることになったんですよ。隊長のことだから、皆を驚かせたかったのかな?」

 

 見れば、隣のヴァルトルートは驚愕に目を見開き、固まってしまっている。

 普段から飄々とした態度の彼女にしてはひどく珍しい姿だった。

 今じゃなくて、普段にそんな姿を見れば、ニパは笑ってからかうくらいのことはしただろう。

 けれど、そんなことなんて頭から吹き飛ぶくらい、目の前の光景は信じられなくて……

 

「あは、は……そうか。そうだったんだね」

 

 ニパは曖昧に笑う。

 なんと言葉を返せばいい?

 なんと言葉を返せば、どういう風に振る舞えば、後で間違っていないと思える?

 そんなことを考えていると、なにも出来ず――それが最悪だとわかっているのに、動けない。

 その間にも、下原定子は食事の配膳を終えていく。時間は進んでいく。進捗と比例して、次々に隊員達は席についていく。

 彼女達の間には、言葉さえ、無かった。

 それからちょっとして、最後の一人――隊長であるラルが席につく。

 そして、一度隊の全員を見回すように一瞥してから、あくまで事務的に、取り繕ったように、言い放った。

 

「皆、見ればわかると思うが、今日からまたここに入ることになった雁淵軍曹だ。勝手はわかっていると思うが、今一度“グリゴーリ”撃破の為に心を一つにしてもらおう」

 

 そう言うグンドュラ・ラルはいつも通り感情の読めない表情で、

 エディータ・ロスマンは何も言わずひかりのほうを見て、

 ヴァルトルート・クルピンスキーは様々な感情の入り交じった表情で顎に手を当て、

 アレクサンドラ・イワーノヴナ・ポクルイーシキンは重い表情で俯き、

 ジョーゼット・ルマールは生気の無い目で色が変わるほどに唇を噛みしめ、食欲さえ失せ果てたかのように顔を伏せ、

 下原定子は硬い表情で何かを考え込んでいた。

 雁淵ひかりはそれら全てをまっすぐに受け止め、

 

「皆さん、こんばんわ。今日からまたこの502に着任することになった雁淵ひかりです。もう皆さん知っていると思いますが、改めましてよろしくお願いします」

 

 にこり、と笑う。

 その笑顔を見て、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンは頭をとんかちでぶん殴られたかのような衝撃を覚えていた。

 うまくは言えない。

 伴った感情さえ明瞭にならない。

 見た目は、ぱっと見の部分で言えば、少し髪が伸びた。

 こげ茶色の短かった髪の毛が、今では肩ほどに届こうとしている。それ故に長く伸びた前髪は目にかかるほどだ。合間から時折見える瞳は、紅蓮のように赤かった。

 あとは見慣れたマフラーと、白いリボン。それはまさしく彼女達がそれぞれひかりに遺していったものだ。

 それらを見に纏い、前よりずっときれいになった笑顔を見せる彼女の姿は、

 とても美しくて、苦しくて……

 息が、詰まる。

 そして、そんな痛みだけに忠実になったような笑顔の中身はきっと、もうどうしようもないのだろう。

 風貌だけでそうとわかるのだから、実際の所なんてどんなことになっているかもわからない。

 けれど、いつか見た彼女の姿からすれば、今の姿に違和感は覚えなかった。

 むしろ、正しくそうなったようにさえ、思えたほど。

 愚直なまでに真っ直ぐで、折れることを知らず、

 ただ、ただ目に見える全てを追いかけてしまわないと気が済まなかった、いつかの瞳。

 傷つき、その表面が曇りきって、なにも見えなくなっても……未だ彼女は、雁淵ひかりは、その在り方さえ忘れられずにいる。

 それをどうして、こんな、こんな……

 思わず涙が出てきそうになって、必死にニパは歯を噛み締めた。

 そんなことしか出来なかった。

 この胸を焦がす感情のままに、彼女を抱き締める事が出来れば、少しはこの気持ちも晴れただろうか。

 けれど、なんだか、そんなことをする資格すら無いように思えて、どうしようもなかった。

 どうしようもなかったのだ。

 

「……ひさし、ぶり。また、会えて嬉しいよ。これからよろしくね、ひかり」

「はい、ニパさん」

 

 ああ。

 ああ、ああ、ああ。

 何を、勘違いしていたのだろう。

 代わりになど、なれない?

 そんなのは当たり前だ。

 当たり前の事だ。

 それ以上に、きっと私達は頭から抜け落ちていた。

 あの日、痛みさえ覚えるほどに泣き叫んだ彼女の末路。

 そんなもの、こうなると、わかりきっていた。

 わかりきっていたのに。

 けれど私達は己の寂しさと悲しさで手が一杯で、どうすることもできなくて。

 だから、終わったようにして、代わりなんて、とか言ってみて、気を紛らわせていた。

 そもそも物事は、そんなところにまで来ていない。

 そんな後のことなんか、まだ考えられない。

 悲しみは消えていない。消えることもない。

 “グリゴーリ”は消えていない。彼女達をひかりから奪った敵はまだ終わっていない。

 何もかもが、結末さえ見えないまま転がっている。

 傷も、痛みも、悲しみも、切なさも。

 全てが未だ生ざらしのまま、赤く染まって垂れ流しになっている。

 だから皆が抱えていた後のことなんて、意味を成さない。

 ならば、

 真っ直ぐに進んでいくしか知らないまま壊れてしまった彼女は何処へ行く?

 ――いつか、誰かが言っていたことをふと、思い出す。

 

“戦いたければ、強くなれ”。

 

 彼女は強さを手にした。手にしてしまった。その果てに自身の何もかもを犠牲にしてしまおうと、それでよかった。

 そのくらい、自分から全てを奪った“グリゴーリ”を許しておくことは出来なかった。

 ただ、それだけの話だ。

 ならば、彼女が向かう先はきっと――

 

 戦場さえ生温いほどの、地獄。

 

 

 

 *

 

 

 

 午前一時。

 夜も深まった頃に、ヴァルトルートはエディータの部屋を訪ねていた。

 

「驚いたよ。新人さんがまさかひかりちゃんだなんて」

「……こんな時間におしかけてきたと思ったら、話はそれ?」

 

 エディータは、不機嫌そうに顔をしかめる。

 もう寝ようかと思っていたところにいきなり押し掛けられて、開口一番そう言うものだから、不機嫌になるのはしょうがないことだった。

 けれど、ヴァルトルートは、そんなエディータに「そんな顔しないでよ」、と微笑みかけながらコップを差し出した。

 中身はワインで、安酒だが最前線のこの場所で飲めるならこれでも上等だろう。“グリゴーリ”の動きはないにしても刺激して何かの拍子に再度動き始めたらペテルブルグは終わりだ。

 そういう意味で、補給路は自主的に塞き止められていたのだった。

 それ以降の補給はスオムス方面から時たま来るのみなので、こんなものでも大事な一品となる。無礼の詫びとしては十分だろう。

 しかし、それを受け取ることもなく、腕を組んだままエディータは言う。

 

「ひかりさんのことなら、いつも通り隊長の無茶よ。話を聞いたときに止めようと思ったけど、もう既に辞令が出たあとだった」

「……隊長らしいや」

 

 ヴァルトルートはけらけらと笑う。

 

「でも、確かにひかりちゃんは直ちゃんの相棒になるほどにバチバチの近接タイプだし、そして魔眼持ちだ。確かに二人が空けた穴を一気に埋めるにはひかりちゃんしかいない。盲点だったよ」

「……そうね」

 

 エディータは頷く。

 無茶だし、隊員達の士気は目に見えて下がったが、人員的にこれ以上はない。

 

「しかも、スオムスではトゥルーデやフラウ、最盛期の頃の隊長に迫る勢いでネウロイを撃墜してたんだよね? しかも一人きりで。僕の知るひかりちゃんから考えると、尋常じゃないよね」

「……彼女にとって、それだけのことだった、ということよ」

「……残酷だよ、ほんとうに」

 

 自嘲するようにヴァルトルートは口角を上げる。

 そしてそのまま、ワインを瓶からラッパ飲みし始めた。

 

「……でも、綺麗だと思った」

「……クルピンスキー」

「あんなになってしまった彼女を見て、不思議と、そう感じたんだ。前の太陽みたいな笑顔じゃなく、花が咲いたように、取り繕って笑うひかりちゃんを、とても綺麗だと思ったんだ」

 

 脳裏に過ぎるのは、かつての彼女と今の彼女。

 あまり時間が経ったわけではない。最後に見たのは三ヶ月前、二人の国葬が執り行われた日のことだった。

 こんなに人は泣けるのかというくらいに棺に向かって涙を流す彼女に、ヴァルトルートも、エディータもかけてあげる言葉なんて見つからなかった。

 かつて妹が意識不明の重体になり、目に見えて復讐の炎を目に宿したゲルトルート・バルクホルンの時も同じだった。

 変化というものは、容易く起こりうるものではない。

 花も、川の流れに削られる石も、年齢だってそうだ。一生をかけて人は変わっていく。

 けれど、三ヶ月という短時間でなにかが変わるというのなら、それは、

 変化ではなく、壊れた、という方が正しいように思えた。

 

「あの感じ、なんていうのかな。孝美ちゃんみたいなんだよね。心臓をそのまま掴まれるって言うのかな……そんな、気がした」

「……そうね。同意するのは癪だけど、あなたの言うことはわかるわ」

 

 ひかりの姉、雁淵孝美は人を惹き付けるような、そんな魅力を持っていた。その魅力というのは、見ているこっちがはっとさせられるような、気付かされるようなそんなものだ。

 鋭さ、と言い換えてもいい。

 それはかつての妹が持ち得ぬもので、かつての姉が持っていたもの。

 今、彼女は……そんなものを、纏っているような気がした。

 

「そう思ったら、先生に話したくなったんだ。なんでだろう、わかるかな」

「……わかるわけないでしょう」

「どうしよう。このままじゃ、眠れないよ」

「……そう」

 

 それだけ言うと、エディータは部屋の電球を消す。

 そして、そのままベッドの中に潜り込んだ。

 

「そういうことなら、私はもう寝るわ」

「ええ、どうして」

「あなたに付き合って起きてやれるほど暇じゃないし、何より私は眠いの。明日に備えて眠りたいわ」

「それなら一緒にどう? 先生と一緒なら眠れる気がする」

「馬鹿言わないで。あなた、身体が大きいから一緒にベッドに入ると狭いのよ」

「先生は小さいからちょうどいいよ」

「よくない。あなたの不安に私を付き合わせないで、クルピンスキー」

 

 寝返りを打って、エディータはヴァルトルートに背を向ける。

 ……ぐぽん、と瓶に入ったワインが波打つ音が聞こえた。

 飲まないとやってられないのだろう。それくらい、雁淵ひかりの再着任と変わり果てた姿は彼女にとって衝撃だったというだけだ。

 エディータも、その気持ちはわからないでもない。酒に溺れたい気持ちも、人肌恋しくなる気持ちもわかる。

 ヴァルトルートはいつもそうだ。何かあると、すぐに自分の部屋を訪ねてくる。貴重な酒瓶を片手に、ご相判に預かられることがないとわかっていても、それでもやってくる。

 言葉には出したくないし、出すつもりも毛頭ないけれど、今日もきっと来ると思っていた。雁淵ひかりの着任という事実にヴァルトルート・クルピンスキーは耐えられない。自分がそうなのだから、彼女もきっとそうだと思った。

 そんな彼女にエディータがしてあげられることなんかない。

 それでもやって来るのだ。そうしないと、気が済まないから。

 

(……ばか)

 

 あれからずっと、何をどうやれば正しかったのだろう、と考えている。

 “グリゴーリ”に突入すると言い放った管野直枝と雁淵孝美を止めること? それとも、エイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉とサーニャ・V・リトヴャク中尉に雁淵ひかりを何としてでもカウハバ基地に送り届けるよう厳命すること?

 それとも……もっと、何か、出来る事はあったのだろうか。

 わからない。

 過去に戻る力はない。

 止まっていないことだけが、唯一できることだったから。

 けれども、考えないでいることは心が許さなくて。出来ないことは数多くあったと思うから、せめてそんな後悔だけはしておきたくて。

 三ヶ月の間……いや、きっと今も、エディータ・ロスマンは考え続けていた。

 そしてそんなことをしていると、次第に何が正しいのかわからなくなる。

 真っ暗闇の中に一人、取り残されたみたいな気分になる。

 不安になって、たまらなくなる。

 そうしたら、眠る。

 眠りこけて、また明日考え続けていられるようにする。

 それだけが、自分に出来る唯一の事のような気がしているから。

 

「……不安、か。確かに、そうかもしれないね」

 

 ぽつり、とヴァルトルートが呟くように言う。

 その独り言に、エディータは答えなかった。

 泥に飲まれていくように、意識を暗闇に放す。

 呼吸が、徐々に落ち着いていく。

 

「……エディータ」

 

 そして幾ばくかの時間が経ったあと、ヴァルトルートは再度、ぽつりと呟くように言う。

 それにエディータは、ほとんど残っていない意識で答えた。

 

「なに?」

「……おやすみなさい」

「……うん」

 

 がちゃり、と控えめに扉が閉まる音が響く。

 部屋には、彼女が飲んでいたワインの匂いが少しだけ残っていた。

 その匂いを足がかりに、エディータは眠りに落ちる。

 落ちていく。

 今この時に、ゆっくり休んでおかなければならない。

 きっと明日からは、息つく暇もないだろうから。

 何の確証もなかったけれど、何故だか、そんな気がしていた。

 

 

 



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第2話 羽ばたけ、血塗れの翼 前編

 雁淵ひかりの朝は走り込みから始まる。

 何メートル、何キロ走るというのは特に決めていないので、前は朝食が出来るまでずっと走っていた。

 今はそれに含めて魔法力をコントロールする練習もしているので、走り込みの方はほどほどに抑えている。だいたい五キロから一〇キロくらいが目安だ。

 

「――よし」

 

 基地内にある巨大な塔に、右手をつける。

 かつてここでエディータから試練を課され、クリア出来ないと扶桑に帰れと言われたことがあった。ストライカーユニットを使わずに魔法力だけを用いて塔を登り、てっぺんに置かれた帽子を取るというものだ。

 きつかったが、その試練がきっかけで自身の戦い方に気付けたし、彼女や直枝ともっと仲良くなれた気がする。ひかりが自主的に行っている訓練の中でも、特に思い入れを込めてやっているものの一つだった。

 

「――魔法力、展開」

 

 右手に魔法力を集中させる。

 雁淵ひかりには、魔法力が絶対的に欠如している。生まれるときに姉の孝美に根こそぎにされたかのように、その魔法力は貧弱だった。ストライカーユニットも動かすだけで精一杯だし、シールドだって、魔法力減衰期に入ったウィッチのように脆い。

 けれど、姉の真似をして魔法力を用いて川を渡る訓練を長年続けてきたせいだろうか、魔法力コントロールの技術においては頭ひとつ飛び抜けたものがあった。

 その技術を活かし、局所的に魔法力を集中させ、それを足掛かりにして塔を登っていく。

 試練で始めたときはこんなこと出来るのかと本気で思ったものだが、ここ半年以上ずっと続けていたせいか、苦でもなくなった。

 むしろ、物足りなくなって新たなことをやりはじめているくらいだ。

 その一つが……

 

「おおおおお……っ!」

 

 片足に魔法力を集中させ、一歩ごとに魔法力を交互に入れ換える。その上で塔を回るようにしてひかりは走っていく。

 端から見れば非常におかしな光景だったが、見るものが見れば感嘆にため息をつくくらいの技術ではあった。

 

「うわ、すごい。ひかり、なにやってるの?」

「……ニパさん。おはようございます。今は練習で塔を登ってます」

「おはよ。それ、登ってるっていうか、回ってるよね」

「そうとも言いますね」

「そうとしか言わないよ!」

 

 そしてそんなことをしていると、地上から声がかかる。

 ニッカ・エドワーディン・カタヤイネン――通称ニパだった。

 彼女もひかりと同じく早朝からの走り込みをよくしている。かつては直枝とニパ、ひかりで毎日のように走ったものだった。誰が一番速く走れるかで競ったりして、大概はひかりが勝って、直枝が悔しそうにしていた。

 それは、かつてあった光景だ。当時はそういうものだ、と疑うこともしなかったけれど……喪ってはじめて、その過去の美しさに目眩を起こしそうになる。

 その度に思い知らされるのだ。

 もう、戻って来ることはないと。

 

「どうしたんですかこんな早くに?」

 

 登り切った塔の上からひかりが問いかける。

 ニパは、それをお前が言うのか、といったように苦笑いした。

 

「いや、ワタシも走り込みしようと出てきたんだけどさ、そしたらひかりが変なコトやっててつい声かけちゃった。ごめんね、邪魔しちゃった?」

「……いえ、もう終わりにしようと思ってましたから」

 

 そう言って、ひかりは塔から降りる。

 ひかりには魔法力が少ないため、出来る時間や回数は限られている。もし訓練で魔法力を使い果たして出撃できませんなんて事になったら、間抜けどころの話ではない。もしそんなことになったら、自分のことを一生恨んでも足りないだろう。

 

「もう朝食ですか?」

「いや、まだじゃないかな。淹れるけど、お茶飲む?」

「いえ……いや、お願いします」

「お菓子もあるよ。サルミアッキ」

「それは……いいです」

「美味しいんだけどなぁ」

 

 ニパは口を尖らせる。

 ひかりは、いつか食べたその味を思い出して顔を背けた。エイラや目の前のニパは好んで食しているみたいだが、どうにも美味しいとは思えなかった。というか、死を覚悟した。ひかりにとってはそれくらいのものだった。

 けれど、外国の人は扶桑の納豆を嫌う人も多いといつかひかりは孝美に聞いたので、そこの辺りが文化の違いというものかもしれない。

 

「自分で淹れて飲むくらいだから、味は期待しないでね」

「だいたい皆そんなものですよ」

 

 それから基地内の娯楽室に場所を移し、炊いた暖房の熱で湯を沸かした後、なんとかという作法に則って淹れられたお茶にひかりは口をつける。

 甘いのか苦いのかよくわからない。

 最近、口の中に入ってくるものの違いがよくわからなくなってきた。温かいことだけはなんとかわかる。今の調子ならサルミアッキも食べられるだろうが、それでも口に入れたいとは思わなかった。かの珍味は、少しの不調なら難なく乗り越えてきそうだからだ。

 

「美味しいです。わたしはお茶なんて淹れられないので、部屋で何か飲むときは白湯か水ですね」

「良かったよ、サーシャさんに教えてもらってさ。まだ自信無いんだけど」

「……それは……道理で」

 

 ひかりは曖昧に微笑みかける。

 ニパは照れたように頬をかきながら言った。

 

「あぁ、やっぱひかりで良かったよ」

「……何がですか?」

「この隊に来たのが、だよ」

「どうしてですか? 昨日の様子だと、どう見ても歓迎されてるようには見えませんでしたが」

 

 茶に口をつけながら、確かめるように、突き付けるように冷静にひかりは言う。

 その事実にニパはうーんと一回唸ってから言った。

 

「まぁそうだけどさ、ひかりが来てから、昨日ちょっと考えたんだよ」

 

 顎に手を当てて、ニパは言う。

 昨日、ひかりが夕食の時に現れた時から、考えていた。というより、考えが止まらなかった。寝付こうとしても動くことをやめない脳味噌は安楽を阻止し、気だるい熱病と苦悩の中へと意識を放り投げた。

 そのまま朝まで寝付けず、今も少し寝不足気味だが、出撃には問題ない。

 むしろ、今直ぐ出撃の命令が出ても意気揚々と向かっていけるくらいの気持ちだった。

 

「見た感じ隊長が無理言って呼び寄せた感じだし……それについて思う所はワタシも、隊のみんなもあると思うけどさ。“グリゴーリ”を倒すっていう目的の上でなら最高の人選だと思ってる」

「……というと?」

 

 ひかりはニパを見る。

 その目は(あか)く、貫くようにニパを見据えていた。

 宿された鋭さは、まるで心の奥底の中心まで射抜くようで。

 しかし、ニパは何にも動じた様子も無く、

 

「この隊のみんななら、ひかりも誰もお互いの勝手はわかってるし、いちいち再訓練で連携を高める必要はないよね。それが一つと、あとは……」

「……――」

「“グリゴーリ”、倒したいでしょ?」

 

 きっぱりと言い切る。

 ――それが。

 それが、苦悩の果てに、見つけた答え。

 僥倖だと、そう思った。

 意図しない形で得た雁淵ひかりとの再会は、ニッカ・エドワーディン・カタヤイネンにとって、そうだと。

 いつ動き出すともしれない“グリゴーリ”。

 それに備えて戦力を増強するのはわかる。

 けれど、けれど。

 そのメンバーが、管野直枝と雁淵孝美の抜けた穴を埋められる人材で無ければいけなかった。そんなスーパーエースは探すのも難しい。もし見つけたとしても、ニパにとってそのメンバーは最善ではない。

 何故なら、その“新入り”は、別に“グリゴーリ”に長い時間を共に過ごした仲間を奪われたわけではないから。例え直枝と孝美の知り合いであったとしても、そこに温度差は必ずある。そんな生温さを持って死地へと向かってしまうだなんて……やはり、どうしても許せなかった。

 結局のところ、“グリゴーリ”に立ち向かう――その一点に置いて、雁淵ひかり以上の適任者は居ないのだ。

 だから、不幸中の幸い――僥倖。

 それだけの話だ。

 一晩使って出した答えにしては情けないと自分でも思う。

 けれど、やはりこの胸を貫く感情だけが全てで、理由なんて後付にしかならないとわかっていた。

 だから理由なんてものはなんだって構わない。

 まず感じていたのは納得で、それ以外のものなんて大した価値さえ覚えないから。冷たい水に触れでもすれば、全て忘れてしまう程度のことだろう。

 それにひかりは、瞼を閉じて頷く。

 

「……ええ」

「そういうことだよ、ワタシの心境的にも、隊の都合でも、実力的にもね」

「……そういう風に思ってくれるなら、わたしも嬉しいですし、やりやすいです」

「それなら良かった」

 

 ニパはにっこりと微笑む。

 

「これからまたよろしくね、ひかり」

「こちらこそ、ニパさん」

 

 

 

 

 その後の朝食は、ひかりが思っていた通りだった。昨日の晩と変わらないというか、まあ変わった点もあるのだが、概ね変わらない。

 サーシャ、エディータ、ラルは無言で食事を進めている。

 定子、ジョゼの二名は重い表情で。

 ニパはにこやかに。

 そして、ヴァルトルートは、

 

「ひかりちゃん、たくさん食べなきゃ駄目だよ」

「はあ……」

 

 ニパ以上のご機嫌さでひかりに話しかけていた。

 

「見ない間にすっかり痩せてしまったように見えるよ。やっぱりひかりちゃんは健康じゃなきゃ」

「そうですか?」

「うんうん。まあそれでも、ソコは僕の為に日々成長を続けていたようだけど……」

 

 ヴァルトルートがにへらと顔を崩す。視点はひかりの胸に注がれていた。

 ぶしつけな視線だが、ひかりは気にせずに食事を続ける。気にしたことは無かったが、彼女が言うのであればそうらしい。だからといって何だ、とは思うのだが。

 

「話すなとは言わないけど、食事の時くらいもう少し上品にできないの?」

 

 そして、そんなヴァルトルートを見かねたエディータが拳をテーブルに叩きつける。そう言う彼女こそあまり褒められたマナーじゃなかったが、有無を言わせぬ雰囲気がエディータにはあった。

 

「もちろん、先生のかわいらしい胸も僕のロマンだよ」

「いっぺん死になさい」

「先生の為ならいつでも死んでみせろということかい? 何を今更」

「……ああ言えばこう言う」

 

 はぁ、とエディータが大きなため息をついた。

 懐かしい光景だ、とひかりは思う。以前この隊に所属していた時は度々見られたような微笑ましい光景だが、まさか再着任して次の日に見れるとは思わなかった。仲違いのように見えて、その実漫才のように息が合っている。

 予定調和、と言い換えたほうがいいかもしれない。

 生温いが、それはそれでいい。変わらないものがあるというのは、それだけで少し安心できる。

 いつか、実家に帰ることがあったらその時も同じ感想を抱くのだろうな、とひかりは思った。

 一人欠けてしまったことはそのままにできないだろうけれど。

 

「雁淵さん、どうですか?」

 

 そんなことをぼんやり考えていると、隣に座る定子がひかりに問いかける。

 どう、とは味の事だろう。質素な食事だが、味なんて今更何を食べても一緒だ。栄養さえあればなんでもいい。だからひかりは、下原に笑顔を向ける。

 

「久しぶりに食べましたけど、変わらず美味しいです。実はもう下原さんのごはんじゃないと満足できなくて、あっちでは苦労しました」

 

 けれど、その笑顔に定子は何故か俯きながら言う。

 

「そう……ですか。良かったです。補給路もほぼほぼ止まって、まともなものも作れなくて……でも、そう言ってくれるのなら幸いです」

「下原さんが作るのなら全部美味しいに決まってますから」

 

 そうだ、美味しいに決まっている。

 決まっているけれど、もう麻痺してしまった感覚では温度と感触しか掴めない。

 だから……

 

「雁淵さん――」

「雁淵軍曹。昨日言った通り、今日から任務に当たってもらう」

「……はい」

 

 もう食べ終えたのか、ナプキンで口を拭いながらラルが言う。

 ひかりは、なにか言いたげな定子をよそにラルへと視線を移した。

 

「基本は哨戒任務だが、その時はクルピンスキー中尉、カタヤイネン曹長、もしくは下原少尉、ルマール少尉のフォローアップに回ってもらう」

「隊長、それは……」

 

 エディータが苦言を呈する。

 基本的に哨戒任務はヴァルトルート、ニパの二名、定子、ジョゼの二名で一日ごとに行っている。ネウロイ出現時や特別警戒時はその限りではないが、片方が任務に出ている最中、片方は訓練にあたる。サーシャ、エディータ、ラルは事務処理や整備に追われている為この持ち回りが基本となっていた。

 そのフォローアップということは、毎日出撃することとなる。訓練ではネウロイに遭遇することはそうそうないが、哨戒任務はたびたびネウロイと遭遇する。

 それに伴う消耗を度外視しているのか……とエディータはラルに問うているのだった。

 しかしラルは気にも留めないみたいに話を続ける。

 

「勝手は知っているとはいえ、少し期間が開いた。再確認する意味もある。

 ――それに……」

 

 そうでもしないと気が済まないだろ?

 そう言いたげにラルは口元を歪める。

 ひかりは、今にも唾を床に吐き捨てそうなほどの苦い表情で頷いた。

 

「……わかっているみたいですね」

「ああ。これでもおまえの隊長だからな」

「ネウロイを見つけた場合の判断は?」

「その場の状況と判断に任せる。なに、安心しろ。カウハバの隊長のようにいちいち引き止めて、それを盾に命令無視として禁固……なんてことにはしたりしない。存分に戦ってくれ」

「……ありがとうございます」

 

 気まずげにひかりは笑う。

 その程度の事は報告に上がっているだろうと思っていたが、このタイミングで言われると思わなかった。

 だというならば、恐らく……

 

「今日はクルピンスキーとニパか。はしゃぎすぎて、くれぐれもストライカーユニットを壊すなよ。命令を出した私もサーシャに正座させられる」

「……善処します」

 

 やはりそうきたか、とひかりは口元を歪める。

 ストライカーユニットを壊す癖が治っているどころか酷くなっていることもバレているみたいだった。

 少し控えようかなとちょっとの間だけ思う。

 思うが、すぐにその思考を吐き捨てた。

 ……そんなどうでもいい(・・・・・・)事で、ネウロイを逃すようなことになればその時は悔しさで自殺しかねない。

 そんな瑣末なことで立ち止まってしまうくらいなら、死んだほうがましだから。

 なんとしても死ぬわけにはいかないのだ。

 立ち止まるわけにはいかないのだ。

 “グリゴーリ”を倒す、その時までは。

 

「じゃあ今日は久しぶりにひかりちゃんと飛べるんだ? いいねぇ、今からムラ……おっと、ワクワクしてきたよ」

「ワタシも居るけどね」

「もちろんニパくんの事も忘れたわけじゃないよ。ただ両手に花だなんてって思っただけさ」

「誰も聞いてないよそんなコト」

 

 身体をくねらせるヴァルトルートに、ニパがうんざりしたように息をつく。

 ひかりは、そんな二人に「迷惑をかけないように頑張りますね」と愛想笑いを送った。

 

 

 

 思えば、格納庫(ここ)にくるのも久しぶりだ。

 並べられたストライカーユニットの発進機。

 かつてはここから共に飛び立ち、そして帰って来ては正座させられたものだった。共に行うこともあれば、自分だけ、そして彼女だけの時もあった。

 そして何やらそれが無性に嬉しくて、相当に綻んだ顔をしていたのだろう、その度にサーシャから「何喜んでるんですか」と激が飛んできたものだった。

 ……。

 ……嬉し、かった。

 あの時は、早く隊の皆に認めてもらいたくて必死だった。だから、ストライカーユニットを毎回のように壊す『ブレイクウィッチーズ』の仲間入りだと言われても、そここそが自分の居場所だと思えたのだ。

 そこに、自分が居ていいと思えるなら、なんでも、よかった。

 思わず嗤えてくるほど殊勝な心掛けだったと思う。

 結局、それにさえ何の意味もなかったのかもしれないけれど。

 一度、ひかりは格納庫(ハンガー)を見渡す。

 サーシャのように映像記憶能力を使うまでもない。

 ここには、この基地には、思い出が多過ぎる。

 それが秋から冬までこの基地で過ごした証明だ。彼女と生きていた証明だ。

 中途半端なところで居なくなってしまったから、忘れられるということもない。

 ああ。

 それらが途方も無く甘くて、

 ただ、ただ、痛かった。

 

「ひかりちゃん、もう来てたんだね」

「……クルピンスキーさん」

 

 そんな風に思考をかつての日々に窶していると、ハンガーの二階部分からヴァルトルートが声をかけてくる。

 彼女の様子だと今来たかのように振る舞っているが、実際の所はそうでもないのだろう。

 扉が開く音をひかりは格納庫(ハンガー)に入ってきてから聞いていないから。例え思い出に心を灼かれていても、音がすれば聞き逃すなんてことはない。

 

「……コソコソと隠れて、人を肴にお酒でも飲んでいたんですか?」

「おっと」

 

 ヴァルトルートは二階部分から飛び降りながら(ウィッチは魔法力によって身体が頑強なのでこれくらいではびくともしない)、ひかりの言葉に驚いたような素振りを見せた。しかし動じていないのは見ただけでわかる。見透かすまでもない。

 

「そんなわけじゃないけどね、案外君と同じようなことかもしれないよ、子猫ちゃん」

「……そんな風には見えないですけど」

「見えないだけだよ」

「そうですか」

 

 興味なさげにひかりは頷く。実際そうだとしても、興味なんてほんとのほんとに無かったから。

 そんなひかりの無関心さえ愛おしいかのように、ヴァルトルートは顔を綻ばせる。

 

「聞いたよ、カウハバでの撃墜数。スーパーエースにも迫る勢いだって」

「命令違反で何度閉じ込められたかわかりませんけどね」

「それでこの勢いなら大したものさ。君が来てくれて心強いよ、ひかりちゃん」

「……期待に答えられるよう頑張ります」

 

 言いながら、ひかりはヴァルトルートの方を見ていない。視点は先程から、一つのものに注がれていた。

 ぶしつけな態度だったが、無理もないとヴァルトルートは思う。

 まだ、失えないでいるのだ。

 何もかも失っても、生来の心の強さを。

 だから全てを直視して、その上でこの場に立っていられる。飛び続けていられる。

 それが良いことなのか悪いことなのか、ヴァルトルートには、もう……

 

「そう言えば、あのお守りはどうしたんだい?」

 

 なんだか言葉をかけないではいられなくなって、ヴァルトルートはひかりに聞く。

 以前ヴァルトルートは「お守り」と言ってひかりに小さな銃を贈った。

 解放者(リベレーター)の名を関する、欠陥品と名高い拳銃。

 あの頃のひかりは純真で、人が嘘をついてもそれを疑うことなんてしなかった。だからヴァルトルートの口八丁に騙されて、それをお守りなんだと言われて信じ込んで、かつて単身ネウロイに挑むヴァルトルートに「持っていてください」と預けたほどだった。

 そしてその預けられた“お守り”にヴァルトルートは弾を一発込めて、カウハバへと送られる直前の彼女へと返した。

 カウハバでも接触魔眼というネウロイに触らなければ使えない魔眼を使うだろうと思って。いざという時に彼女が使える奥の手(ラストリゾート)としてのお守りになるように。

 けれど……

 ああ、なんでこんな事を言ってしまったのだろうとヴァルトルートは後悔する。普段なら、甘い言葉の一つや二つ、お手の物なのに。

 適当にそれらを口にしていれば良かったのに。

 なのに、どうして……

 

「……カウハバに居た時に駄目になっちゃいました。使い過ぎで……折角贈ってもらったのにすみません」

 

 そしてひかりは、ヴァルトルートの方を一瞥してから申し訳なさそうに言う。

 リベレーターは、継戦能力も無ければ威力もない。装填数はたったの一発だけだし、その一発を終えれば戦闘中にリロードすることも難しい。そして何発か撃ってしまえばそのまま本体のほうが駄目になるという杜撰な武器だ。

 だから、だろうか。

 とんでもない、とヴァルトルートは思った。

 

「いいんだ。使われない武器なんて……いや、この話はやめておいた方が良かったね。ごめんね」

「……そうですか」

 

 ひかりはぼんやりと言葉を返す。

 難儀なものだと思う。なまじっか心が強いから、うまくやれないのだ。ウィッチが死ぬ事なんて日常茶飯事なのに、しかも相手が“グリゴーリ”なら、死人の一人や二人出ていなければおかしいほどなのに。

 けれどもそれに潰されていては戦えないから、なんとか誤魔化しきって戦っていくしかないのだ。

 これは、そんなに然程珍しい話でもない。

 ただ、それが雁淵ひかりにとって途方も無く致命的であっただけ。そんなことにヴァルトルートは付き合う必要なんて無いのだから。

 一度、息をつく。

 

「クルピンスキーさん」

「……ん? なんだい」

 

 ヴァルトルートの方を見ないまま、ひかりは呟くように言う。

 

「そういうのは、先生が得意ですよ」

「生憎と、昨日フラれたばっかりでね」

「めげないことです」

「キツいね、ひかりちゃん。慰めてもくれないなんて」

 

 ヴァルトルートは肩をすくめる。

 ひかりは、少しの間だけ瞼を閉じてから、

 

「ふふっ」

「……!」

「ほんとうのほんとうに、わたしがクルピンスキーさんのこと慰めてもいいんですか?」

 

 彼女の方を見やった。

 その灼眼は、言葉もなしにこう言っている。

 ――共に地獄に落ちる覚悟はあるか?

 それなら、いくらでも付き合ってあげる、と。

 

「かなわないなあ」

 

 ヴァルトルートは苦笑した。

 そんなもの、そんなもの……

 

「……なんでだろう、一瞬でも幸せになれる気がしない」

「なら、頑張ってください。いい人ですよ、先生は」

 

 

 

 ニパが来たのはそれから少ししてのことだった。

 

「あれ、二人とももう来てたの、早いなぁ」

「ニパくんを待ってたんだよ」

「そうなの?」

「じゃないと両手に花ができないからね」

「はいはい……」

 

 うんざりしたようにニパがため息をつく。

 ひかりは、ニパが来る少し前から準備運動に勤しんでいた。

 身体を倒して筋肉を伸ばしている。身体が柔らかいのか、地面と接するような所まで行っても苦しそうにすら見えなかった。

 

「ひかり、何してるの?」

「速く出撃したくてうずうずしてたんです。気持ちを誤魔化すために身体を動かしてました」

「あはは……」

 

 苦笑するニパに、ひかりは跳ねるようにして飛び上がる。

 そして二、三度身体を捻ったり回したりしてから軽く頷いた。

 

「さ、行きましょうか」

 

 にっこりと微笑む姿。それは、かつての彼女を思わせる満面の笑みだった。

 

「うん、そうだね」

「あぁぁ、やっとだよ……ついにこの、時が! ぶどうジュースを飲むより甘美だね! ニパくんもそう思わないかい?」

「ただの哨戒任務にそんな感慨あるわけないでしょ……まあ、ひかりがいるってのは心強いけどさ」

 

 ニパは、ヴァルトルートがそこまで言うことが意外だった。

 酒好き、女好き、とは思っていたがそのどちらも同じだけ愛しているように見えたから。今までなら、こんな風に優劣をつけることなどなかったのだが……

 ひかりが来て、少し心境が変わったのかもしれない。

 もしかすると、ほんとうのきっかけはあの“グリゴーリ”戦なのかもしれないけれど。

 ……聞く気は起きなかった。

 

「ネウロイは殆ど見つからないと聞いたんですけど」

 

 ひかりが聞く。

 

「そうだね。ほかの“巣”から出てくるのを叩くくらいで、“グリゴーリ”からは一機も出てきてないよ」

「その他の“巣”も最近はナイーブなのか活動を収縮してるね。あっちの世界にも軍縮条約みたいなものがあるのかな」

 

 ヴァルトルートは嘯いた。ひかりも今更その冗談を真に受けることもしない。

 

「……そうですか」

 

 言って、ひかりはポケットから、対の形見を取り出す。

 茶色の手袋。それを両の手に入れた。

 ニパもヴァルトルートも、その手袋のかつての持ち主を知っている。けれど口に出すことはしなかった。

 今更すぎた、から。

 それはずっと彼女がつけていたものだったが、つけてみると驚くほどひかりの手に馴染む。最初からひかりの為にあったかのようにさえ、思えたほど。

 彼女はひかりより手が小さかった。

 なんとなしにお互いの手を合わせて、

 ――管野さん手が小さいんですね。

 ――うるせえ。そんなことはいーんだよ。

 と、そんな会話をしたことを覚えている。

 ……覚えている。

 だから、この手袋は彼女にとって少し大きかったのではないかな、と余計な勘繰りを、つけるたびにしてみる。

 今となってはもう、確かめようもない事だけれど。

 だから代わりに、ゆっくりと、そして確実に、ひかりは歩いていく。

 その先には、先程ひかりがずっと見つめていたものが格納庫(ハンガー)の薄暗い照明を吸い込んで鈍く輝いていた。

 かつては姉と共に。

 そして、かつて自分と共に、戦場を駆け抜けた――これもまた、形見の一つ。

 深い緑と鈍い白。

 その二つのコントラストに彩られた、羽を持った魔法の箒(ストライカーユニット)

 思わず、手を伸ばした。

 そして、こつ、と返ってくる硬い感触を手袋越しに撫でる。

 ああ。

 なんて、なんて冷たい……

 ああ、馬鹿だ。

 馬鹿げていると、ほんとうに思う。

 もはや、こんな温度ですら愛おしくてたまらないなんて、馬鹿げているとしか言い様がないのだから。

 一度、目を閉じる。

 こんな、こんな言葉しか無いけれど。

 わたしが今、彼女(・・)に言える事なんて、きっと……

 

「ただいま、チドリ」

 

 ――帰ってきたよ、お姉ちゃん。

 

 

 



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第2話 羽ばたけ、血塗れの翼 中編

 隊長にあてがわれた執務室の中。

 燻ゆる珈琲の香りを肌で感じながら、呟くようにラルが言う。

 

「……行ったか」

 

 エディータは、感情の読めない表情で薄目を閉じる。

 

「隊長、何を考えているんですか? こうなることは半ばわかりきっていたはずなのに……」

「……そう、だな」

 

 エディータの言葉に、ラルがぼんやりと頷く。

 窓の外では、三人が出撃する軌跡(コントレイル)が青い空を白く切り裂いていくのが見えた。

 こうなること、というのは雁淵ひかりが着任することによって及ぼす影響のことだろう。前もってラルがエディータに伝えた時も、同じような事を言われた事を覚えている。といっても、文句を言われるのがわかっていたから、辞令を出した後に彼女へ打ち明けたのだが。 

 

「失望したか?」

「ええ、とても。真剣に脱退を二、三度考えました」

「それは困る。おまえが居ないと、ここは存続も難しい」

「でしょうね。だから、真剣に考えたんです」

「いい結論が出たみたいで何よりだ」

 

 すっ、とラルは窓の外から書類に視点を戻しながら言う。

 細々した仕事は増える一方で減ることを知らない。以前はよくサーシャに押し付けたものだが、持ち前の生真面目さでどんどんと憔悴していく彼女の様子を見てからは大半は自分でやることにした。さすがにあの姿を見るのは忍びない。

 

「辞表も書きましたよ」

「絶対に取り合わないからな」

「ストライキも視野ですね」

「馬鹿言え。反逆罪だ」

 

 軽口だが、事態は重大だ。

 彼女は軽々とこの基地までやって来てくれたが、そんな単純なことではない。

 特にジョーゼット・ルマールとヴァルトルート・クルピンスキーに及ぼす影響は大きなものだと言えた。このまま事を放置していては、いずれ深刻な事態に陥るであろうことは想像に難くない。自分で招いた事とはいえ、なんだか頭が痛かった。

 

「クルピンスキー、随分とひかりにご執心のようじゃないか。焼きもちか?」

「……」

「悪かった。だからその辞表はしまってくれ」

 

 そして、可及的速やかに対処しなければいけない問題もここに。

 わかっていたことだが、あまり部下の反感なんて買うものじゃない。ラルは生ぬるい珈琲を啜り、そして幾分か考えた後に、ぽつり、と言った。

 

「……ジョゼが、辛そうだな」

「かつてと同じように、気にしているのでしょう」

 

 それは、ひかりがこの第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』に来た時のことだ。大量のネウロイと一人で戦い、負傷した孝美に変わり、カウハバに着任するはずだったひかりがここで戦いたいと、そう言った時のこと。

 その時、治癒魔法持ちのジョゼは孝美の治療を受け持ったのだが、絶対魔眼の発動、そしてダメージを受けてから時間が経っていたこともあり孝美は昏睡状態に陥ってしまった。ジョゼはその事をひどく気にして、代わりにやってきたひかりに声すらかけられなかった。

 それと同じように……いや、それ以上に。

 彼女が今回心に落とし込んだ責は重く、水銀のようにどろりとしていた。

 

「あの時はまだ命は助かりましたが、今回は……」

「……あいつが気にすることではないというのに」

 

 二人共、攻撃を仕掛ける際に“グリゴーリ”の反撃を受けている。その時点で致命傷であった彼女達に、ジョゼがしてやれることはひとつもない。せいぜい攻撃を受けてから三分後に死に至るのを、五分後に変えられるくらいだ。

 命に致す傷であるから“致命傷”なのであり、どんな凄腕の治癒魔法使いがいようと、そんな傷を受けてしまったら……そうなるのは当然だ。

 助けられる命と、そうでない命がある。

 ただ、それだけの話。

 だから、割り切っていくしか無いのだけれど。

 それこそ、割りきってしまえば何のために人の命を救おうとしたのかさえわからなくなる。

 そんな矛盾を抱えこんでしまう。

 それが、固有魔法として治癒魔法が発現した者の……引いては、救命の志に目覚めてしまった者の宿命だった。

 けれど、ジョゼの痛みは、ラルにもエディータにも解いてはやれない。解こうとしても、土台無理な話なのだ。それは彼女にしか抱え込めない痛みだから。誰も代わりに、彼女の痛みを抱えてやることなんて出来ないから。

 どうにもできない自分を歯がゆく思う。

 ああ。

 けれど、それこそ、誰かが気にするようなことではない。

 そんなような気がして、ラルは所在なさ気に咳払いした。

 

「……ままならないものだな。一つ綻べば、連鎖的に他の所まで脆くなる。ジョゼも、ひかりも……あいつらが悪いなんてことは一つだってない。悪いのはいつだってこの世界だ」

「……そうですね」

 

 エディータは瞼を閉じて頭を振る。

 呪いのようなこの世界は、気紛れに悲劇を押し付けてくる。

 基準も、その意味もあやふやなままだから、どうすればいいかもわからないまま悲しみだけが残っていく。

 ――こんな世界なんて嫌いだ。

 いつか直枝がそう言っていた事を覚えている。

 だから異形を討ち滅ぼさねばならないと、その拳に変革の意志を込め、彼女は戦っていた。

 その姿を眩しく思っていたことを思い出す。

 そんな瑞々しさすら、エディータもラルもこの世界に奪われていた。ずっと、そんな風にしたかったのだと、かつての自分が出来なかったことをその身そのままで身に纏う管野直枝という少女の事を。

 結局は彼女も悲劇に飲まれてしまったけれど、かつて眩いほどに光を放っていたあの姿が間違いだったとは思わない。思えない。思いたくもない。

 ……そんな事を、高々悲劇の内に居るくらいで認める訳にはいかない。

 

「……だから、私は抗うと決めたんだ。他のものならまだ諦めがつくが、こんなクソッタレな世界にだけは負けるわけにはいかない。その為ならなんだってやるし、何だって失うさ」

 

 いつか、背中に傷を受けた時もそうだった。

 望みは無いと言われた。もう歩くことすら厳しいと。

 でも、負けるわけにはいかなかった。諦められたほうがまだ良かったとさえ思えるほど、グンドュラ・ラルという存在の性根は、意地っ張りで、負けず嫌いで、頑固な偏屈女でしかなかった。

 ……けれど。

 脳裏を掠めるのは。

 想いの果てに、何もかもを失った、彼女の事。

 あの日、血が滲むほどに悲しみを放った彼女の慟哭は、未だ耳に張り付いて消えやしない。

 あの叫びを、あの涙を、あの絶望を――……

 

「……例えその先で、決して報われなくとも、ですか?」

「……わからない。あいつをここに呼び戻すと決めてから、そのことで頭がいっぱいだ」

 

 この世界に生まれてきてから、納得のいくように事が進んだ試しはない。

 ひかりを呼び戻すと決めても、「ほんとうにこれでいいのか」という疑念はラルの内から消えなかった。

 戻ってきた今も、それは鋭さこそ増せど……

 

「それでも……それでも……なんでだろうな。その悲劇を共にすること……これくらいしか、もうしてやれることはないと、そう思ったんだ」

 

 もう、かつてのように笑い合えることなんてない。

 欠落は決して他のものでは埋められず、無理して何かを流し込めば歪なものが出来上がるだけで元に戻ることはない。

 傷はかさぶたにもならないで、血は流れ続けていく。

 それでも諦めきれないでいるのだ。

 馬鹿馬鹿しすぎて嗤えてくる。

 けれど、考えれば考える程、彼女たちにしてあげられる事だなんて、そんな都合のいいものは……

 

「……馬鹿ですね」

「孝美……あいつのが移ったのかもな。あいつ、ひかりに似て馬鹿だったから」

「……違いますね。元々、似た物同士だったんです」

「……手厳しいな」

 

 寂しげにラルは口元だけで笑う。

 そして、見えなくなった軌跡の先を見据えて言った。

 

「そういえば先生、どう見る? かつての教え子の“成果”は」

 

 頭に思い浮かぶのはひかりのネウロイ撃破スコア。

 小型二七、中型一六、大型八。合計五一の撃滅数。

 はっきり言って異常だと言わざるを得ないが、特筆すべきは小型二七に比べて中型一六、大型八という大物の多さだ。

 

「そうですね。ここ最近ネウロイの出現率ががくんと落ちていたのは間違いなく彼女の功績でしょう」

「……そうなのか?」

「ええ。中型一六、大型八のスコアですが、三ヶ月で“そこまでのネウロイ”を見つけることは容易ではありません。“グリゴーリ”が活発であったときでさえネウロイの出現確率はそれほどまでではありませんでした」

 

 小型くらいなら毎日見つけることも出来るだろうが、基本的に大型や中型ネウロイは月一回か二回現れるかどうかだった。“グリゴーリ”が現れる前はもっと少なかったことを思うと、“グリゴーリ”が停止してなお、この撃破数は異常に異常を重ねたといってもいいほど。

 小型の撃破数が少ないことを考えると、出撃の度に(・・・・・)大型ないし中型ネウロイを撃破していたということになる。

 そこから導き出される答えはただ、単純なほどに明快。

 そして、悲痛。

 

「つまり“それほどに死に物狂いで哨戒を続け、撃破し続けた”という事になります。それこそ、カウハバ基地の隊長が必死になって止めたり、ここペテルブルグがザルになるほどには」

 

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはこの事だろう。

 ほんとうならここペテルブルグに回ってくるはずのネウロイすら撃破していたのだから。

 たったそれだけの情報で“グリゴーリ”だけではなく、“ネウロイ”全てを果てもなく憎み……根こそぎにしてやろうという意志が垣間見えるほど。

 直枝のような「世界がこんな悲劇に満ちているのが許せない」という鋭さに満ちたものでも、

 孝美のような「平和になった世界を飛び回りたい」という輝きに満ちたものでもない。

 ただ、自分から姉と親友を奪った“ネウロイ”全てが許せないという憎悪に満ちた意志。

 だからこそ、望んだのだろう。

 手を伸ばしたのだろう。

 それが可能となるものに。

 ネウロイを見つけやすくなる“眼”を。

 ただのウィッチよりももっと、ずっと倒しやすくなる“力”を。

 

「――彼女の魔眼に遠視の能力が付与されているかもしれません。付与、というより、獲得……かもしれませんが。固有魔法は私達ウィッチの精神状態にひどく影響を受けます」

「それほどまでに、望んだ……ということか」

「ええ。そうなると……魔法力を通さない裸眼の視力が著しく落ちているかもしれません。もしくは、他の感覚器官のどこかか。固有魔法における“増強”というのは生半可なことではありませんから」

 

 ヴァルトルートの固有魔法、“マジックブースト”が良い例だ。

 通常の稼働ではありえない速度、旋回性、銃撃の性能を獲得することが出来るが、それと引き換えにストライカーユニットのエンジンが著しく摩耗していく。ここぞ、という時に使わなければいけない諸刃の剣だ。強すぎる力は自分さえも傷付け、消耗させていく。ヴァルトルートは負担をストライカーユニットへと押し付けてなんとかしているが、自身へとその負担をかけてしまえば今でも戦闘に出ていることは無かっただろう。それほどまでに強力な固有魔法だ。

 そして、エディータの読みが正しければ、雁淵ひかりはそれ“以上”の事をしている。

 無かったものを獲得したのだ。何を代償にしていても不思議ではない。

 最低でも心身の消耗だけでは済まないだろうと思う。

 

「魔法力の少ない彼女なら、“代償”も大きいでしょう。ウィッチとしての寿命も……」

「減るのか?」

「いいえ、増えているでしょう。魔法力があれば遠くまで見えるけれど、裸眼だと視力が落ちる……すなわち、魔法力無しには生きられなくなっている、ということですから」

「なんだ、良いじゃないか。それだけ戦えるんだから」

 

 ふつうウィッチは二〇歳を皮切りにどんどん魔法力が減少していく。二二歳を超えれば、ほぼ普通の人間と変わらなくなるほどに。

 少女の間しか戦うことは出来ないのだ。

 それがウィッチとしての宿命であり、十代のラルが少佐で第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の隊長で居られる理由でもある。

 どうせ戦っていられる時間が少ないのだから、いくらでも昇進させてしまえばいいのだ。

 魔法力が無くなれば一般人と変わらなくなる。そうすればよほど司令としての能力に長けていない限り、階級だけ高い只の小娘が幅を利かせてもいられない。

 そんなものだ。

 だがしかし、それが伸びるというのなら、二〇歳を超えても戦えるというのなら、寿命がきっかけに志半ばで終わることもなくなる。

 良いことづく目だ。

 ただ、

 ――そんな風に、思えるほど。

 ラルも、エディータも、簡単な話だとは思っていない。

 

「ええ。そうですね。ですが、それも“人”としての寿命と引き換えでしょうが」

「……だろうな」

 

 感覚器官を犠牲に、遠視能力を手に入れた。

 強さを手に入れるために、何もかもを犠牲にしてきた。

 であれば、ウィッチとしての寿命が伸びる代わりに、生命としての寿命がすり減るのは当然の道理だった。

 何故、そこまで……

 もう、それを考えるのは野暮だったけれど、そう思わないではいられない。

 願わくば、その最果てに何か……何か、意味があるといいのだけれど。

 どうしてだろう。

 “どう生きたか”、人なら当然として振り返ることが出来る栄光でさえ、

 彼女の手には残らない気がした。

 何故なら……

 

「人であることすら望まない……か」

「ええ。苦しいだけですもの」

「随分と訳知り顔じゃないか。おまえにもそういう経験が?」

「あるわけないでしょう。バルクホルンが、そう言っていました」

「ああ……」

 

 それは、いつかのこと。

 ――いっそのこと、機械になってしまえたらいい。

 そう、こぼしていたのを覚えている。

 ネウロイを斃すだけの機械に。それだけを成す何かに。

 であれば、何かを失った苦しみも忘れられるかもしれない……と。

 家族を喪うというのは、そういうことだ。傷付けられるというのは、そういうことだ。

 けれど、何故だろう。

 そう思う心こそが、誰よりも人間臭くあると、そう思うのは。

 今は快復したと聞く彼女の妹。

 そして、ゲルトルート・バルクホルンは今、どんな風に過ごしているのだろう。

 久し振りに会ってみたい、と、二人は何となく思う。

 しかし、そんな暇は無い。与えられることもないだろう。

 

「これからは落ち着いている暇もないでしょうね。また激戦区になりますよ、ここは」

「どうしてそう思う? あいつにネウロイを呼び寄せる力があるとでも?」

「違いますよ。彼女が此処に来たから、です」

「――……、」

 

 それこそ、簡単な話だ。

 ここ三ヶ月“グリゴーリ”は一体もネウロイを生み出してなどいないが、そもそもここペテルブルグは“アンナ”“ヴァシリー”という二つのネウロイの巣に向けた戦いを強いられてきた激戦区だ。

 ネウロイの攻勢が落ち着くなんてことはありえない。

 だというのに、ありえないはずのそれが起こっていたのは、それらペテルブルグに回ってくるはずのネウロイまで雁淵ひかりが倒していたからだ。

 ならば、彼女がカウハバでなくペテルブルグに着任した今。

 三ヶ月の間、きっちり根こそぎになるまで倒されていたネウロイはどうなる?

 

「――少しの休暇は楽しみましたか? これからは一睡もできないかもしれませんよ」

「馬鹿言え。隊長など、基地でふんぞり返っているのが似合っているんだ。私が出たら、きっとあいつは不機嫌になるだろうからな……獲物を取るなと言って。まるで管野のようだ」

「それだけであれば、ほんとうに良かったんですけどね」

「ああ、ほんとうに……ほんとうに」

 

 心臓(こころ)を食いしばる。

 ここからだ。

 ここから、また。

 

 ――さあ、最果てに待ち受ける、

 地獄に向けた過酷を、

 今――

 はじめよう。

 

 

 



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第2話 羽ばたけ、血塗れの翼 後編

 ペテルブルグ上空一〇〇〇メートル。

 ニパ、ヴァルトルート、ひかりの三人は格納庫(ハンガー)から一直線に飛び出して、すぐさま何もかもを見渡せる高度までたどり着く。

 これから行うのは決められたルートを辿る哨戒任務。

 ニパ、ヴァルトルートの二名からすれば普段からやっているなんでもない任務で最近はもっぱら暇だが、それでもいつもと違う感触と喜びがあった。

 

「ひかりちゃん、すごいね」

「何がですか?」

「前よりすごくきれいな飛び方になってる。この調子だと501のスーパーエースにも引けをとらないんじゃないかな」

 

 願うならば、もうちょっと下のアングルから眺めさせてくれると嬉しいかな、と少し後ろを飛ぶヴァルトルートが言う。

 その要望を無視しながら、ひかりはぼそり、と呟くように答えた。

 

「……エイラさんはもっときれいな飛び方でずっと速かったですけどね」

「そりゃあ、エイラくんはねえ。あんなにきれいな飛び方をするウィッチは中々いないよ。彼女は特別だ」

「……そうなんですか?」

「ああ。彼女の本領はかわいさや未来予測の固有魔法だけじゃない。それに左右されない彼女自身の力量もずば抜けていると思う。その点で言えば孝美ちゃんだってそうだったけどね。マジックブーストを使った僕でとんとん、ってとこかな」

 

 かつて、孝美がこの隊にやってきた際にヴァルトルートは彼女と模擬戦をやったことがあった。

 結果は引き分けで、マジックブーストを使ったクルピンスキーに孝美は難なくついてくるほど。実力者揃いの502でも十二分にやっていけることを証明した。

 全てはひかりを安全な後方地帯へ送るために。

 ……。

 

「もちろん、この隊に来た時のひかりちゃんからするともう、それは恐ろしくなるほどの変化だよ。それにまだまだ、もっとずっときれいに飛ぶつもりなんだろう? じゃあいつか追いつけるさ」

「……いえ、無理だと思います」

「そう? まだまだ行けそうに見えるけど」

「チドリは行けると思いますが、わたしのほうが、魔法力が足りなくてだめですね。これ以上は多分ですが墜落します」

「いいね。ブレイクウィッチーズさまさまだ」

「笑い事じゃないですよ」

 

 軽口を叩き合いながらネウロイを探す。

 ニパもヴァルトルートもここ最近の襲撃ペースからして今日もまともにネウロイが見つかるとは思っていない。小型ネウロイが一機見つかれば良いほうだろう。

 ひかりでさえもあまり期待していない。

 もちろん必死になって探すつもりではあるのだが、話を聞く限りどうだか。

 血の色をした眼をきょろきょろと動かす。

 気配すら感じ取れなかった。

 不穏さ、というものが欠如している。

 遠くに沈黙した“グリゴーリ”が微かに見えるだけだった。

 

「あーあ、ひかりちゃんが来たってのに、今日もどうせ暇なんだろうなぁ。もう“グリゴーリ”倒しに行っちゃう?」

「馬鹿言わないでよ……一応任務なんだから、まじめにやらないとだめですよ」

 

 ため息をつくニパに、ヴァルトルートは口を尖らせる。

 

「はいはい……っと。そういえばひかりちゃん、カウハバの時はどんな風だったの?」

「どんなふう……とは?」

「そりゃネウロイとの戦闘だよ。ここ以上に激戦区だったっぽいよね? 撃墜数とか隊長や先生の話からするに」

「いえ……そんなこと無かったですよ」

「へ?」

 

 ヴァルトルートが気の抜けたような声を出す。

 構わずひかりはネウロイを探すことに意識を割きながら、ぼんやりと言った。

 

「出撃できる日は朝から晩までネウロイを探してました。あっちで使っていたストライカーユニットはチドリのように燃料も魔法力も多く要求されなかったので」

「それは……」

「あっちの隊長にも止められたんですけど、どうしてもじっとしてられなくて。撃墜数とかは気にしたことが無かったのでわからないですが、そういうことだと思います」

 

 言いながら、それでまた閉じ込められたなあ、とカウハバでの日々を思い出す。

 結局のところ朝から晩までネウロイを探して、時には占領区近くまで近づいてネウロイと戦って、戦って、戦って……

 あの時は死に物狂いだったからつらくは感じなかったけれど、逆にそれで命令違反とされて閉じ込められるほうが嫌だった。

 確かに出撃の度にストライカーユニットを壊すのはいけない事かもしれないけれど、かといって事あるごとに閉じ込めるのはやりすぎだったと思う。せいぜいがサーシャの正座くらいだ。それでも充分以上だと思うけれど。

 

「なんか、そういうの、直ちゃんを思い出すなぁ。いつか、チョコレートを賭けてネウロイの撃墜数を競ったことがあったんだよね」

「あ、それワタシも覚えてますよ。此処に来たばっかりの時ですよね」

「そうだっけ?」

「そうですよ。結局サーシャさんに全部取り上げられちゃったけど」

「クマさんは怒らせると怖いからなぁ……」

 

 そう言ってニパとヴァルトルートは微笑む。

 それはひかりの知らない直枝の話だ。

 詳しく聞かないでもわかる。きっと彼女は一番に張り切ってネウロイへと立ち向かっていっただろうこと。

 それを思い出すと言われても、動機が彼女の真っ直ぐな気持ちと自分の醜悪な憎悪とでは天と地ほどの差があるということ。

 意味など無い。

 ただ、そうやっていることでしか、もう続けていけないだけだから。

 息をするのもつらいから。

 それだけの話だった。

 

「僕らでまたやる? 今日ネウロイを倒した人が勝ちで。賭けるものはなんにしようか」

「いいですね。サルミアッキならいっぱいありますよ、みんな食べないから」

「それはいいです」

「ぶー。じゃ、じゃあさ! 負けた人が全部食べるってのはどうかな。あーでも罰ゲームになんかしたくないなぁ……」

 

 ニパがぶーたれる。

 それを慰めるように……とまではいかないが、ヴァルトルートが指を立てて優しげに言う。

 

「じゃあ今日の昼食の一品をかけて、ってのはどうかな? もちろん一位の人が全取りだよ。下原ちゃんの料理を勝手に賭けるのも忍びないけど、今は補給路もほぼほぼ止まってるし、それなりに貴重だと思うんだよね」

「あーじゃあ、最下位の人はそれに加えてサルミアッキ食べること! だって昼ごはん取られた上に最下位なんてかわいそうだし! そういうことにしちゃおう!」

「結局そうなるんですか……」

 

 ひかりがため息をつく。

 

「……そもそも見つからないかもしれませんよ。その時はどうするんですか?」

「その時はその時さ。全部ジョゼちゃんにあげちゃおう」

「えー……なにそれ。ワタシ達だけ損することになりそう」

「そうならないよう一生懸命探そうねってことさ。ま、最近の調子だと難しいだろうけどねぇ。それでも小型くらいなら見つかるかもしれないし、やってみる価値はあると思うよ。

 なんたって――」

 

 ヴァルトルートがウインクを決める。

 ひかりは彼女が何を言うのか感覚的にわかって耳を塞ぎたくなったが、塞いだ所で鋭敏化した感覚はそれを拾うだろう。

 彼女が口走ることを止められないだろう。

 無かったことにはできないだろう。

 せめて、目を背ける。

 

「“やってみなくちゃわからない”でしょ?」

「……、」

「ね、ひかりちゃん」

 

 けれど、背けたとして。

 消えないものだってある。なくならないものだってある。

 愚かで、能天気で。

 その姿が。

 その姿こそが姉に愛されると、そうだとわかっていたから。

 能無しで、それでも姉の真似をしたから底無しに明るくて。

 ……ああ、ああ。

 居なくなってしまえば、そんなものには何の意味もない。

 結局のところ、本質など変わらないのだ。

 卑しくて、おぞましくて、あの時一緒に居なくなってしまえばよかったのに、そんなこともできない――

 自分。

 

「……ひかりちゃん?」

 

 息を吐く。

 そして、上空の薄い酸素を少し吸い込んだ。

 冷たさに吐き気がする。

 

「……どうですかね。やった先で何もなかったら意味はないと思いますよ」

「……そんな事、」

「それが通用するのは、お姉ちゃんや管野さんみたいな人だけです」

 

 吐き捨てるように言う。

 出来ることと、出来ないことがある。

 走っていったその先で、転ぶことだってある。

 可否は、そんな簡単なことと同じように未来で待ち受けている。

 わからない、なんてことはない。

 出来るかどうかなんて、やってみればわかることだ。

 やる前からわかりきっていることもある。

 だから。

 だからこそ。

 ……やらなければいけないことも、きっとある。

 

「もうそんな身の丈に合わないことは、わたしには言ってる暇もありません。

 わからない、じゃないんです。絶対に“グリゴーリ”は倒します。それだけです。この哨戒任務も、ネウロイ撃滅も、その為に必要なことだから、やるだけです」

「ひかりちゃん……」

 

 それに。

 昼食を賭けたとて、それに勝ったとて。

 もうそれを楽しめるような感覚は何処かに置いてきてしまった。

 無くなってしまった。

 忘れてしまった。

 そのくらい、冷たくなってしまった。

 それを埋める暖かさもどこかに置いてきてしまった。

 もう許されないと思ったから、それでいい。

 けれどニパは、そんな事など知る由もないと楽天家みたいに言う。

 

「やらない、できないなんて言わないのがひかりらしいね」

「……ニパさん」

「意気込みは伝わったけど、ワタシ達だって歴戦のウィッチだよ。しかも大事な大事なお昼ごはんがかかってるからね。負けないよ」

「別にそっちはどうでもいいんですけど……」

「あー、そんなこと言ったら駄目なんだー。作るのは下原さんなのに。言っちゃおっかなー」

「勘弁してください……」

 

 顔をしかめるひかりに、ニパはあははと笑う。

 

「中尉も、そういうことなんで」

「はいはい。わかったよ。まったくニパくんにはかなわないなぁ」

 

 ヴァルトルートは所在なさげに髪の毛を少しいじる。

 ……それは、わかっていたことだった。

 わかっているはずのことだった。

 けれど、それができなかったのはどうしてだろう。

 認めたくなかったのか……それとも。

 彼女と同じように、自分もあの日から変わってしまったのか。

 そのことを否定することは出来ない。

 ――だからこそ、だからこそ。

 目の前の、何もかもを失ってしまおうと、

 それでもあがき、もがくことをやめられない少女と同じように。

 自分にもきっと、出来ることがあるはずだから。

 

「そうだね」

「……、」

「きみは変わってしまったけど、それでも変わらないところもある。昨日と今日と――今で。それがわかったよ」

 

 だからよかった、とヴァルトルートは笑う。

 彼女との再会は、自分にとって予期せぬものだった。

 だからどうしようもなく心がぐらついた。

 でも、柄でもないことはするものじゃない。

 元々が元々だ。

 器用なんかじゃないし、出来ることと言ったら一般的な軍属ウィッチより少しうまくネウロイを倒せるくらいだ。

 エディータにはよく宙ぶらりんの様を咎められてしまうし、真っ直ぐに生きることも出来ない自分自身の様を呪うこともある。

 でも、そんな自分にだって、

 彼女の仲間だった過去があって、

 それが傷跡になった今があった。

 だからこそ心臓を蝕む果てぬ痛みへと、誓う。

 ――絶対に、もう、絶対に、

 

 この痛みを間違いなんかにしてやるものか。

 ぐらついて、危うくなどなってたまるものか。

 間違いなどではない。

 この心臓を蝕む痛みこそが、証明だ。

 無くならない。無くなってなんかいない。

 君がどれほどにすり減ろうとも、何もかもわからなくなるほどに痛みに飲まれようとも、

 それでも構わない。

 それを見ないふりをするようなら、その時はその時で思い知らせてやろう。

 僕だって、確かに君の傷の一部だったのだと。

 例え今がそうでなくても、絶対に……

 年月を経てもひどく痛む傷跡に、なってみせるのだと。

 ――それが、それが。

 “ヴァルトルート・クルピンスキー”が見出した、“雁淵ひかり”への答えだった。

 

「ひかりちゃん、絶対に“グリゴーリ(あいつ)”を倒そう。そのために僕が出来ることがあるなら、なんだってするから。もちろん心身のケアもね。夜通しでウェルカムだよ」

「それは遠慮しておきますが……もちろん、言われなくても、そうするつもりです」

 

 諦めたように、ひかりはため息をつく。

 結局のところ、逃げることも、まごつくことも出来はしない。

 自分が大好きだった人達だ。

 あまりにも優しくて、美しくて、

 目が霞むほどに眩しい。

 それがあまりにも、

 痛くて。

 辛くて、どうしようもなくて。

 息を。

 息をすることも苦しい。

 

「……ごめんなさい」

「え?」

 

 放った言葉は、誰にも受け取られること無く北欧の空に消えた。

 けれど、目線を上げる。

 ここで迷っている暇はない。

 兎にも角にも、目の前の“脅威”をどうにかしなければ。

 

「なんでもありません。それより」

 

 その灼眼を細めて、ひかりは言う。

 

「――良かったですね。今日の昼ごはん、ジョゼさんに取られないで済みそうですよ」

「……え?」

「まさ、か……」

 

 何もかもを見通すほどに鋭く、紅い視線。

 その見つめる先には――分厚い雲。

 ただ、それだけ。

 それだけ、だけど。

 一瞬の間を置いて、緋色が空を焼いて一閃。

 間違いない。

 この温度は。

 この、背筋をひた走る独特の感覚は。

 彼ら(・・)と戦うときのものだ。

 

「――ネウロイ……!」

 

 

 

 その出自は、明らかではない。

 けれど、何もかもを根こそぎにしなければ気の済まない性質であることは間違いはない。

 目に見える全てを奪わなければ満足しない。

 だからこそ異形として成り立ち、

 ――人類は、彼らに正体不明(ネウロイ)と名付けたのだ。

 

「――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ァァ■■■■■■■■!!!■!!」

 

 怪音を上げて悲鳴のように異形が()く。

 まるで目の前の自分達が存在していること、それ自体が悲しいと言うように。

 それ自体がおかしいと言うように。

 ならば、消さなければならないとその身をもって襲い掛かってくるのは当然の道理だろう。

 再度、三つの閃光が青色の空を一瞬赤色に染めて輝いた。

 同時に彼の姿を塞いでいた雲が吹き飛ばされ、姿が露わになる。

 

「大っきいな……中型と大型の間くらいかな」

 

 ニパが目を細めて言う。

 砲門は大きめのものが五つ。小さめのものが七つ。中型にしては多いが、大型にしては少ない。身体もその砲門の数に合わせて通常の中型ネウロイよりも幾分か大きかった。

 その中型ネウロイにしては過多ともいっていい火力が、ひかり達の方を向く。

 ああ。

 ネウロイには目など存在しないが、そんなものなくても関係ない。

 今――ネウロイは、ひかり達の方を視た。

 

「――ッ!」

 

 即時散開。

 その瞬間、先程までひかりが居た場所を閃光が焼き払っていった。

 

「こんな大きなネウロイなんて……何ヶ月ぶりだろう。冗談じゃないよね?」

「目の前の状況が全てですよ」

「しかもひかりちゃんが来て早速なんて――気前の良さもあるようで何よりだよ」

 

 ヴァルトルートが皮肉げに笑う。

 そしてインカムに手を当て、基地のラルへと通信を飛ばす。

 

「隊長、ネウロイと会敵しました」

『そうか』

 

 久し振りの大きいネウロイの出現だが、ラルには驚いた様子はない。

 むしろ当然のことのように言う。

 

『わざわざ連絡するということは、雑魚というわけでもないのだろう?』

「ええ、久し振りの中型――ちょいと大型よりですが」

『いいじゃないか。あいつはもうやる気なんだろう?』

「当然」

 

 ヴァルトルートは片目でひかりの方を見やる。

 ひどく戦意に満ちた眼。

 当然だ。退却するなんて選択肢、彼女にはない。

 彼女の目の前に現れたが最後、どちらかが斃れるまで戦いが終わることはないだろう。

 だから――

 

「すみません、先に失礼します」

「あっ、ちょっと!」

 

 ヴァルトルートとニパを置いてひかりは一目散にネウロイの方へと向かっていく。

 話している途中なのに、とヴァルトルートは肩を落とすが、ひかりは後ろを振り返ることもしなかった。

 通信の向こうのラルへとため息をつく。

 

「ということです。不公平だなぁ、まったくもう」

『だろうなと思ったよ。なんだ? 戦果で賭け事でもしてたのか?』

「そーいうとこです」

『潔く諦めるか? あいつがカウハバで積み上げてきたものがよく見れるぞ。それはそれでいいんじゃないか?』

「なんとも。複雑ですね――とりあえず、僕も行ってきますよ」

『ああ。ひかりが墜落しないようによろしく頼む』

「それ、僕に言うんですか? まあ、出来る限りやりますけどねぇ」

 

 通信を切る。

 一息ついて前方を見やれば、ひかりはヴァルトルートとニパのずっと先へと行っていた。

 先程言っていた、「これが限界です」という言葉が遠く霞むほどの速度。

 方便も覚えちゃったか、とヴァルトルートは口元に苦い笑み。

 

「これはお昼ごはん全取りされちゃうかな?」

「馬鹿言ってないで行きますよ。絶対に中尉にサルミアッキ食べさせちゃうんだから。それこそ味覚が死んで美味しいって感じるまで」

「縁起でもないことを言わないでくれるかなぁ……っと!」

 

 ヴァルトルートとニパも、魔法力をストライカーへと回して、一気に加速。

 ひかりに次いでネウロイへと向かう。

 一度軽く降下するように斜め下へ。そして反発するように、上昇気流に乗るように速度を上げていく。

 それは回避のことをあまりにも考えていない挙動で、欧州で戦っているウィッチでもこんなことをするのはここ502のウィッチ――とりわけ『ブレイクウィッチーズ』のニパ、ヴァルトルートだけだろう。かつてはそこにもう一人と有望な新人が一人居たが、その面影を背負った少女はそれ以上のスピードで飛んでいった。

 馬鹿やるよねえ、とヴァルトルートは楽しそうに笑う。

 そして、その少女は……

 

「……、」

 

 九九式二号二型改13mm機関銃の弾丸をネウロイに向けてばら撒く。

 とりあえず当てようとも思っていない、憂さ晴らしのような射撃だった。それでも中型よりかは少し大きいネウロイの身体にはいくつか当たるもので、きん、と弾丸の弾かれる音がいくつか響いた。

 

「硬いな……」

 

 ひかりは絶対的に魔法力が少ない。故に有効射程距離もごく僅かなものだが、それにしたって全てが弾かれるとは思っていなかった。

 その原因は間違いなくネウロイの装甲の硬さによるものだろう。

 眉をひそめる。

 瞬間、お返しとばかりに閃光がひかり目掛け(ほとばし)った。

 それを身体を反らし、回転しながら斜め下へと下降して回避する。

 そして左方向へと急加速して、位置取りを探っていく。

 あまり砲門に偏りはない。どの角度からでも射撃は飛んできそうだった。

 のうのうとしていたら、直ぐにでもその身を焦がそうと射撃を放ってくるだろう。

 今だって、ほら。

 

「……っ……」

 

 スケートリンクを滑るように、身体を捻って放たれたそれら全てを回避する。

 ――“いいか、ネウロイの攻撃はこうやって躱すんだ”。

 その回避技術は、去年の年末にペテルブルグへと補給物資を届けに来たエイラ・イルマタル・ユーティライネンが雁淵ひかりへと伝えたものだ。

 ひかりには魔法力が少ない。故にシールドも脆く、張ると著しく動きが止まってしまう。ネウロイはそんな当てやすい的を倒せないなんてほどの無能ではない。

 避ければそのまま攻撃に転化出来る上、魔法力の消費も少なく済む。

 だから、命に差し迫らない時以外は出来るだけ攻撃を避け、速度を落とさず攻撃を避け続けることが望ましい。

 エディータにもいつか、「できれば攻撃は避け、そのまま一撃を与えた後に離脱する」という戦い方を教えてもらった。

 それはすごく有用な戦闘法だとひかりは思う。

 思うのだけれど。

 離脱(そんなこと)をしている暇があるのなら。

 目の前のクソ野郎(ネウロイ)(ことごと)く殺し尽くす事もできるだろう。

 ――倒してしまえば、結果なんて、どちらも同じなのだから。

 

「……■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」

 

 ネウロイが吠える。

 その耳をつんざくような奇声に顔をしかめながら、ひかりは銃弾をばら撒き、接近していく。

 それが気に障ってしょうがない、と言うようにネウロイはいくつも射撃を放った。

 ひかりの紅い目とよく似た、緋色の閃光が空を焼く。

 けれどそんなことは関係ない。

 ネウロイのご機嫌をとって、恐怖に心を焼かれて、自らの命を慮って攻撃の手を休めるくらいなら死んだほうがマシだ。

 そんな命はいらない。

 管野さんはそんなこと気にしなかった。

 管野さんはそんなことに気を取られなかった。

 だから、そんな命なら、いらない。

 ……どうでも(・・・・)、いい。

 

「クルピンスキーさん、ニパさん」

「……なんだい?」

 

 インカムを通じてヴァルトルートとニパに通信を送る。

 

「……今から十中八九墜落します。回収班の手配よろしくお願いします。それかどっかで拾ってください。あとお昼ごはんは三人分もいらないので全部ジョゼさんにあげちゃいますね」

「は?」

「何それ! なにすんのさ!?」

「ちょ、ちょっと待ってそっちいくから!」

 

 困惑するヴァルトルートとニパ。

 大慌てでこちらに向かってこようとしていたが、無視してひかりは速度を上げた。

 息を巻いてネウロイへと迫る。

 数十メートルの至近距離から銃弾を放った。

 さすがにこの距離から放てば弾かれることもなく通る。

 しかし装甲は分厚い。射撃の通りも悪かった。このまま射撃を続けてコアの位置を探るのも一苦労だろう。

 近づいたおかげで攻撃も激しくなる。

 まだ躱すのに余裕はあるが、これを続けながら……ということにも自信はない。

 早々に終わらせてしまうのが吉だろう。

 右手を一度握り、開く。

 息を深く吸い込んだ。

 

「いくよチドリ」

 

 履いているストライカーユニット……試製紫電改二型――チドリが返事をするように大きくエンジン音を上げる。

 これから無理をさせてしまうことには申し訳が立たないが、それでもやることはやらなければならない。

 一度大きく溜めを作って、身体を前傾姿勢に。

 見るものが見れば陸上のクラウチングスタートをするような姿にも見えたかもしれない。

 そして一気に息を吐いて――今!

 

「――ッ!」

 

 エンジンが焼け付くほどの急加速。

 弾丸のように一直線へと飛び出していく。

 もちろん直撃コースで射撃が放たれる。

 それを身体を180度反らして躱し、速度を落とさずにそのままネウロイへとぶつかるくらいの勢いで空を走る。

 銃撃を放つこともしない。

 手を。

 右手を、伸ばす。

 そこに、不可視の未来(コア)を視る術が在る……!

 

「……目標、補足……!」

 

 金属質な黒い装甲の感触はいつ触っても慣れない。

 右手から身体へ。身体から、目へ。

 目から、

 心臓(こころ)へ。

 電気信号のように伝わるネウロイの情報が、硬質な糸をめちゃくちゃに触っているかのような感触を想起させるからだ。

 

(コアは……)

 

 ネウロイにはコアが存在し、それを壊さない限り攻撃の手を止めることはない。

 コアは銃弾一発で破壊できるくらい脆いが、硬い上に再生する装甲の下に守られている。

 だからネウロイとの戦闘は“射撃によってコアの位置を探り当て、破壊する”というものに集約される。

 故に装甲の硬いネウロイとの戦闘は厳しいものになる。コアの内に真コアを内包し、極小さな部位を撃ち抜かねば倒せないような厄介なネウロイだって居る。多くは大型ネウロイにその傾向が強い。

 けれど。

 もし、そのコアの位置を一発で探り当てることが出来たのならば。

 まどろっこしいコアの位置探しなどしなくたってそこを狙えばいいだけになる。

 ――魔眼。

 そんな夢みたいな能力を持つ固有魔法のことをそう呼ぶ。

 姉の孝美がそうだった。ネウロイのコアを完全補足、離れた位置からでも真コア持ちのような厄介なネウロイのコアでも即座に視認する“絶対魔眼(ぜったいまがん)”の固有魔法を持っていた。

 だからこそ、ここ第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』に招集されたのだ。

 魔眼持ちのウィッチが居るだけで戦果はまるで違う。

 “探り当てる”という非効率な行為をしなくても良いのだ。

 姉妹だから、だろうか。

 形は違えど、ひかりにもその力はある。

 “接触魔眼(せっしょくまがん)”。

 その名の通り、

 ――ネウロイに触らないと視えることはない。

 けれど、触ることが出来たならば話は別だ。

 姉と同じように、過不足なくネウロイのコアを補足することができるようになる。

 そこに伴う危険を度外視すれば、ひかりだって立派な魔眼持ちと言えるだろう。

 だからそれに対する躊躇は捨てることにした。

 そんなどうでもいいことでネウロイを倒せないなんて事になれば、その時はそのまま死んだほうがマシだからだ。

 この先、死ぬ時は負けた時だ。

 ネウロイに灼かれて死ぬ未来。

 それ以外、絶対に許してはやらない。

 そのために、雁淵ひかりはここペテルブルグに戻ってきたのだから。

 

「目標……補正」

 

 手を離し、上昇。

 空を駆け上っていく。

 ネウロイのコアは機体上部の端っこだ。砲門から最も離れた安全な場所で装甲に守られている。

 触れた今だからわかる。

 こいつは大型ネウロイだ。

 大型ネウロイの装甲を中型ぐらいにまで凝縮して出来た火力装甲特化型ネウロイ。

 その分動きは鈍重だが、むやみに動き回るより射撃に集中していたほうが射線は安定するだろう。

 魔眼持ちのウィッチが居なければ、少しは苦労したかもしれない。

 

「目標、最終補正」

 

 だが、そんなことは関係ない。

 出会ったネウロイは全て(たお)す。

 それだけだ。

 それだけのことに、強いも弱いも大型も小型もない。

 

「……だから、大人しく倒されろ。

 ――目標、完全補足」

 

 眼球の奥がじくりと疼く。

 場所は既にネウロイの遥か上空――高度3000メートル。酸素の薄さに吐き気がする。

 そこから右手へと魔法力を回し、ぐらりと身体を傾ける。

 墜落するように、ネウロイへと真っ逆さまに落ちていった。

 いつか、彼女から受け取った手袋が鈍く水色に輝く。

 

「……」

 

 ――かつて、その手袋を貰った時、どうすればよかっただろうか。

 此処に残っていたい、離れたくないと喚き散らせば彼女は隣に居てくれただろうか。

 それで自分の中にある心残りは消えてくれただろうか。

 けれどそんなものだ。

 人との別れなんてそんなあっけないもので、

 突然で、

 どうしようもないほど痛いだけだ。

 だから代わりに貰っていく。

 この心臓(こころ)を縛る“後悔”に、みっともなくしがみついて、それでもまだ諦めきれないことを嘆き続ける。

 これはその証明みたいなものだ。

 ――雁淵ひかりが、かつて管野直枝の“相棒”であったことの。

 未だ、この胸を燃やし続ける“憧れ”が決して消えないことの。

 ネウロイの放つ閃光を右手で弾き飛ばす。

 

「――おおおおおおおおおおああああああああああっっっ!!」

 

 

 

「――あれは、そんな、まさか……」

 

 ようやくネウロイとの戦闘圏に入ったヴァルトルートは、ひかりのその右手を見て、今が戦闘中だということも忘れて立ち尽くす。

 馬鹿な話だと思う。

 そんなことあるわけないと思う。

 ほんとうのほんとうに思う。

 けれど、とてもじゃないけれど望まずには居られない。

 今、ひかりの右手に宿った紺碧。

 それが、自分の思う鋭さを宿していればいいと。

 ああ、

 ああ。

 孝美を思わせる緋色に、

 直枝を思わせる紺碧。

 きっと、ずっと本質的なところで雁淵ひかりは管野直枝と雁淵孝美が空けた穴を埋めるのにふさわしいのだろう。

 誰よりも憧れた。

 誰よりも好きだった。

 好きだったから。

 だからこそ、彼女達の面影を纏わないではいられないのだ。

 ほら、今も。

 紺碧を纏った右手でネウロイの攻撃を弾き飛ばして……

 

「ひかり、ちゃん……」

 

 目の奥がつん、とさんざめいた。

 喉から声とも息ともわからない音が鳴った。

 心臓のあたりがどきどきして落ち着かない。

 当然だ。

 もし、彼女が望み通りの事をしてくれるのなら。

 その期待の遥か遠くへとたどり着いてくれたのなら。

 こんなに嬉しいことはない。

 例え彼女自身がそれを紛い物だと吐き捨てようと、自分を苛もうと、そんなことはもう、どうでもよかった。

 

(だって……)

 

 だってそれは。

 ほんとうの意味で、自分の中に戦う理由が生まれる瞬間だから。

 その光景を見たいと願ってしまうから。

 ――彼女達の面影を二つ重ねた少女が、あの異形(グリゴーリ)にその紺碧を叩きつける、その瞬間を。

 望まないでは、いられなくなってしまうから。

 一瞬、目を閉じる。

 呆然とした身体を動かすことも忘れる。

 その瞼の裏の透明の中。

 願いは、確かに瞬いた。

 応えは、開いた目の先で――。

 

「……砕けろ」

 

 振りかぶる。

 その右手に宿った紺碧は、かつて強き意志を拳に込めて放った彼女と同じように輝いていた。

 だからこそ、強く、その名を口にする。

 目の前の倒すべき敵へと、力いっぱいに放つ。

 

「――(つるぎ)一閃(いっせん)……!」

 

 

 

 瞬間、

 ――轟音と共に、弾ける。

 その一撃は容易く重厚なネウロイの装甲をぶち抜いて、コアを露出させた。

 銃弾の一つでは到底敵わない破壊力。

 それはまさしく、管野直枝がかつて使っていた固有魔法、“剣一閃(つるぎいっせん)”そのものだった。

 しかし、右手の輝きはそこで失われてしまう。

 彼女と同じものならそのままコアさえ貫いていっただろうが……

 あと、一撃足りない――!

 

「……ッッあああ!!」

 

 しかし、ひかりはそれをわかっていたかのように、殴った右手を戻し、体勢を入れ替える。

 そのまま左手に持った九九式二号二型改13mm機関銃でコアを撃ち抜いた。

 そして、何かが削れるような音が二度、三度響き、

 ――ネウロイの存在が根源から消失する。

 瞬時にその巨体の全てを白い破片と変えて世界へと溶けていった。

 幾分か幻想的な光景だが、ネウロイをやっとのことで倒してこれでは割に合わないな、とひかりは思う。

 呆然とそれらを見ながら、ゆっくりと辺りを見回す。

 周辺にネウロイの気配はない。

 後続も、増援も、この様子では恐らくだがないだろう。

 ゆっくりと、息を吸って――吐く。

 たちまちの内に、疲労やら何やらが膨れ上がった。

 

「――はあ、はあ……」

 

 肩で息をしながら、(かぶり)を振る。

 この疲労はいくら呼吸を整えたとてどうにかなるものではない。

 きっと、身体的な疲労とはまた違った部類の何かだからだ。

 何かをごそっと削られているような感覚。どこか貧血にも似た倦怠感が全身を包んでいた。

 その上に、右手の感覚が鈍い。剣一閃(つるぎいっせん)を使った後はいつもそうだった。

 自分のものではないものを強制的に使っているのだから当然だ。

 人には得手不得手というものが存在する。それを覆して何かをしようとすれば、代償が伴うのはひどく当たり前のことのように思えた。

 それ以上に、ストライカーユニットの無理な動作、接触魔眼(せっしょくまがん)剣一閃(つるぎいっせん)と魔法力を立て続けに消費している。

 もう意識を保っていることも難しい。

 ゆっくりと、インカムに手を当てる。

 

「ニパさん、クルピンスキーさん、後お願いします……」

「え、ちょっと!?」

 

 このまま墜落したら間違いなく命はないだろう。

 だから、最低限減速しながら緩やかに墜落していく。

 後のことは任せればいい。

 泥濘していく意識。その中で、空と風景だけが下から上へとくぐり抜けていく。

 それらを呆然と眺めていた。

 血が染み込んだような色の、

 その、(あか)い目で。

 

 

 



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第3話 例え、報われずとも 前編

 ――宛もないまま暗闇を歩き続けている。

 感覚が鈍い。

 走ろうとしているような気がする。

 けれどもたついているような、何か途方もないものに邪魔されているようでうまくいかない。

 だからといって、歩こうとしても阻まれる。

 水中でもがいているような不自由感があった。

 予め定められているような、そんな大きな流れの中を揺蕩っているようにも感じる。

 そして、そんな不自由の中でも、一つだけ確かな感覚が身体を刺す。

 寒い。

 途方もなく寒かった。

 何かがあるというわけではない。

 冷たい、ということがあるわけではない。

 むしろその逆だった。

 何もなかった。

 虚空とも言っていいほどの絶対真空の中に取り残されている。

 知らなかった。

 何もないことがこんなに寒いなんて。

 痛いなんて。

 ここには何もない。

 目指すものも、側にあるものも、

 何もない。

 何もなかった。

 何も……

 

「寒い……」

 

 お姉ちゃん、管野さん、どこ。

 どこにいったの

 さむいよ

 たすけて たすけて。

 痛くて……寒くて、

 もう、もう、わたし……

 

 

 

 目を開く。

 

「あ、起きた」

「はっ、あ……」

 

 身体が何かを求めて勢い良く空気を吸い込む。

 その様子を心配そうに見つめながら――ニパは微笑んだ。

 

「大丈夫? どっか痛いとこはない?」

「……ニパ、さん」

 

 寝起きのぼやけた頭で、大丈夫です、となんとなく返す。

 何処も痛いところはない。

 何処も傷ついてなど居ない。

 けれど、先程見ていたような気がする夢の感覚だけが皮膚の内側に染み付いていて気持ち悪い。

 よじるように、起き上がろうとする。

 

「だーめ」

 

 でも、それをニパに頭を両手で掴まれて阻まれる。

 

「もうすぐねーちゃんが来るはずだから、それまでもうちょっとゆっくりしてよ」

 

 そう言ってニパは強情さと優しさを滲ませた表情で嬉しそうに笑う。

 そこで気付く。

 寝転んでいる自分の視界の先に真っ直ぐニパの顔があるというのは、その。

 

「……それはいいんですが、これは、」

「だーめ。見張ってないと、きっとすぐどっかいっちゃうんだから。だからワタシが休ませてあげることにしたんだよ。ちなみにこれ上官命令ね」

「……、」

 

 再度起き上がろうとするが、ニパは容易く逃してくれそうもない。

 だから代わりに、諦めたようにため息をつく。

 ――どうやら膝枕をされているらしかった。

 宿舎の硬い枕が石に思えるほど柔らかい膝の感触が頭を支配している。

 こんなの幼いころに姉にされたっきりだ。

 今でも瞼を閉じればすぐさま鮮明に描き出せる。

 それは、春のこと。

 天気が良いからと散歩に出かけた先で、日差しの暖かさにうとうとしていたら孝美がそうしてくれたのだ。

 その心地よさに、暖かさに、

 結局夕方まで寝てしまって一日をふいにしたけれど。

 ……それは、それでよかった。

 よかったと、ほんとうに思う。

 戻れるなら、今すぐにでもそうしたいくらいに。

 

「……あれからどれくらい寝てました?」

 

 あれから、というのはひかりが墜落してからのことだ。

 なんとかラドガ湖近隣の森に不時着したことは覚えているが、そこからが曖昧だ。

 恐らく魔法力の消費のしすぎで気を失ったのだろう。なんとかストライカーを制御してゆっくりと不時着できたことが奇跡みたいに思えるほど、あの時の意識は混濁していた。

 けれど、やらなければくだらない理由で死ぬ。そんなことが許せるほど、ひかりは痛みに鈍感ではないつもりだった。

 

「そんなにだよ? 三〇分くらい」

「……そうですか」

「でもこの調子だと、お昼ごはんの時間には帰れそうもないね」

「……結局、どちらにしてもジョゼさんの総取りですか」

「携帯食あるけど、食べる?」

「いえ、いいです」

 

 食欲が無いので、という言葉は飲み込んだ。

 食べる気になどなれなかった。

 軍用のまずい携帯食も定子の作ったものも今となっては同じだ。

 同じだからこそ、意地でもそれは認めるわけにはいかなかった。

 食べるわけにはいかなかった。

 

「そっかぁ」

 

 曖昧に笑ってニパはポケットから取り出した栄養食を口に放り込む。

 そして一瞬苦い顔をした後、水筒の水でそれらを流し込む。

 当然だ。それは軍の間でもまずいと評判のレーションだったから。

 サルミアッキは好んで食べるのに、単純にまずいものは嫌というのはどういうことなんだろう、とひかりは不思議に思う。

 

「クルピンスキーさんは?」

 

 目だけで辺りを見回すが、ヴァルトルートの姿はない。

 周囲に人の気配がないため、近くに居る風でもなさそうだった。

 

「一足先に基地に帰投したよ。隊長に報告書頼まれてるんだって。寝込み襲われないでよかったね」

「……クルピンスキーさんはそんなことする人じゃないですけどね」

「まあねえ」

 

 何だかんだでヴァルトルートはその辺りはしっかりしている。

 なんでも、“口説き落とした相手でないと気分が乗らない”そうだ。そういう真っ直ぐな気性は好ましいものではあるが、それに見境の無さを加えると厄介にもなろう。

 けれど、そんな事はどうでもいい、とニパはひかりの頬を両手で柔く触る。

 

「ここ最近、ちゃんと休めてなかったんじゃない? 顔が疲れてるよ」

 

 むにむにと指でいじる。

 くすぐったいが、それ以上に意外と体温が低いのが気になった。寝ていたせいで自分の体温が上がっているのかどうか、やけにその指先が冷たく感じられた。

 冷え性なのだろうか。寒い地方に居る人達は基本的に体温が高いと聞いていたからそれは意外だった。

 

「そんなことはないですよ。前の隊長にはよく閉じ込められましたから、そのときにはよく休めました」

「そんなコト言って、今朝みたいな訓練を部屋の中でずっとしてたでしょ」

「……」

「やっぱり」

 

 むにーと頬を伸ばす。

 

「だからこんなに痩せちゃうんだよ。馬鹿。馬鹿ひかり」

「ええ……」

 

 しかしあまり伸びない頬の肉について咎められる。理不尽極まりない。

 この調子だと何を言っても怒られそうな気がした。

 

「これはワタシの手のひらを喜ばせるためにひかりは健康的な肉体に戻らないといけないね。下原さんに言っておくよ」

「むうー」

 

 反射的に何か言おうと思ったがその瞬間に頬を引っ張られて何も言えない。

 さっきから何も言えないでばっかりだ、とひかりはため息をつく。

 

「また今度確かめるから。その時に満足できなかったら……栄養たっぷりなサルミアッキだね」

 

 ふふ、と笑うニパ。

 

「勘弁してください……」

 

 ため息をつく。

 そのまましばらくゆっくりとした時間が流れた。

 こんなになにもしないでいたのはいつぶりだろう、とひかりは思う。

 ペテルブルグに再着任する前?

 違う。

 カウハバにいた時?

 違う。

 ……。

 ふと思い浮かぶのはサトゥルヌス祭。

 風邪を引いて、倒れた日のこと。

 エイラ・イルマタル・ユーティライネンとサーニャ・V・リトヴャクが共にここペテルブルグに来た時だ。

 彼女らが持ってきた補給物資とともに、その日はささやかながら暖かなサトゥルヌス祭を過ごした。

 ――思えば、それ以来、か……

 目を閉じる。

 動かないでいるとどうも昔のことばかり思い出す。

 振り払おうとして動き続けても、ふとした瞬間に思い出してしまう。

 どうして、どうして……

 考えても、答えなど出ない。

 誰も教えてなんかくれない。

 けれどきっと、この追憶からは逃れることも出来ないだろう。

 何故なら……

 

「おいニパ。いるかー? まいったな、通信による情報だとここの辺りなんだが……」

 

 そんなひかりの考えを割くように、近くから声が響く。

 言っていた回収班が到着したのだろう。

 ニパが嬉しそうに声を上げた。

 

「あ、ねーちゃん来たみたい。こっちこっち!」

「おー」

 

 がさがさと草をかき分けてこっちに来る。

 陸戦用ストライカーユニットを履いた、ニパにねーちゃんと呼ばれる銀髪の美人。

 ニパの姉というには少し似てないところはあるが、確かに姉御肌を感じさせるような雰囲気を持っていた。ひかりも、前ペテルブルグに居るときにはしばしばお世話になった恩人の一人である。

 きっと、これからも世話になるのだろう。

 そんな事を、彼女の透き通った美貌を久し振りに見て思った。

 

「なんだ、墜落したと聞いたから来たんだが、意外と大丈夫そうだな」

「被弾しての墜落じゃないので」

「そういうことか。それより、おまえら、そういう仲か?」

 

 膝枕をしている二人を見てにやにやしながら言う。

 ニパがどう言おうか一瞬首を捻るが、すぐに思いついたみたいで、自慢げに言う。

 

「違うよねーちゃん。ひかりを休ませてあげてるんだよ」

「休まされてます」

「そうかい。普通に仲が良いだけか。面白くない」

 

 そう言って銀髪の美人は陸戦用ストライカーユニットを脱いで、ひかりとニパの側に「よっこいせ」とあぐらをかく。なんとも親父臭い仕草だったが、不思議と堂に入っていた。

 そして懐から酒を取り出していきなり飲み始める。

 ニパがあわてて止めようとした。

 

「ねーちゃん、まだ任務中だよ」

「まーいいだろ。休憩ってやつだ。何事もなかったし」

 

 一息で酒瓶の半分ほどを飲み干すと、にへらと格好を崩して酒臭い息を吐く。

 

「昨日来た新人が早速墜落したって聞いたから何事かと思ったけど、おまえだったのか、ひかり。

 ――久し振りだな。墜落癖がひどくなっているようで何よりだ」

「……アウロラさん」

「ねーちゃんでいいぞ。そこのニパみたいに。イッルもお前のこと褒めてたしな、有望だって。そしたら妹みたいなもんさ」

「……それはいいです」

「残念」

 

 銀髪の美女……アウロラ・E・ユーティライネンは第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』が誇る“ストライカー回収班”の隊長だ。

 502は、他の部隊や統合戦闘航空団と比べてもおびただしい“墜落率”を誇る。それを見かねたラルは墜落したウィッチとストライカーユニットを回収、そのままネウロイに襲われているようなら戦闘も出来るようにとスオムス出身の陸戦ウィッチを集めてストライカー回収班を設立したのだ。

 ほんとうなら設立するのも馬鹿らしいと思える部隊だが、この部隊も本隊同様目覚ましい戦果を上げた。

 というのも、彼女達回収班は墜落したウィッチを回収するだけではなく、通常任務における地上型ネウロイとの戦闘にも一役買ったのだ。

 ネウロイは空中から進行してくるだけではない。

 一定数、地上から進行してくる地上型ネウロイだっている。それらとの戦闘でも数ある陸戦ウィッチ部隊でも有数のものであった。スオムスの血気盛んな戦闘意欲は、ここペテルブルグでも健在を示すだけでなく有用さえも示したのだ。

 で、その回収部隊の隊長であるアウロラは任務を放棄してここで酒を飲んでいるわけだが。

 

「それにしても前より美人になって帰ってきたなぁ。ニパやイッルが目をつけるわけだ」

 

 清々しいほどに酔っ払いの発言。人は見かけによらないという。

 しかし、彼女はスオムス人の透き通った美貌をそのままに、豪放磊落を絵に描いたような豪快さも持ち合わせていた。任務のない日は日がな一日酒をかっ食らっているし、時には今みたいに任務の最中にも飲む。戦闘スタイルも、彼女の気性を体現したかのように荒々しいものだった。特にスコップや丸太でネウロイを撃破した話は502の間――引いてはスオムス中でも語り草である。

 彼女の話を噂でも聞いたものは必ずこう言う。

 “そんな滅茶苦茶なウィッチ、居るわけがない”と。

 けれど彼女はそんな滅茶苦茶の体現者だ。

 魔力減衰が始まっているはずの二一歳にして、それでもまだまだ衰えることを知らない。例えこの人がウィッチでなくなろうとも、一生頭が上がらないのだろうなとひかりは思う。

 

「……髪の毛、もっと伸ばしてみたらどうだ? きっといい女になるぞ」

「それワタシも思った。どうせだし、伸ばしてみたら?」

「昔お姉ちゃんに憧れて伸ばしてた時期もありましたが、やっぱりお姉ちゃんのほうが似合うので、やめました」

「そう? そんなことないと思うけどなぁ。ひかりはひかりでかわいいよ」

「まったくだ」

 

 アウロラは手を伸ばして、ひかりの前髪をそっと横に撫ぜる。

 

「ん……? なんだ、ちょっとイッルに似てきたな。道理で美人になったなぁと思うわけだ」

 

 アウロラはエイラの実の姉だ。その彼女から直々に似ていると言われればそうだと頷きたくもなるが、ひかりとエイラでは扶桑人とスオムス人でそもそも顔の作りが違う。

 それに、エイラは誰がどう見てもはっとするような美少女だ。地味で髪の毛もぼさぼさなものぐさの自分とはわけが違う、とひかりは思う。

 だから、

 

「……飲み過ぎで目がぼやけてるんですか?」

 

 素直に思った事を口にする。

 しかし、アウロラはひかりのそんな言葉を笑い飛ばした。

 

「あっはっは、何を言う。逆に良くなるぞ。酒は百薬の長だ」

「飲み過ぎれば薬も毒ですよ」

「そんなの迷信だ。それより、イッルに似てきたっていうのはほんとうだぞ」

 

 ふっ、とアウロラが笑う。

 そこにこそ、ひかりはエイラの面影を感じた。

 

「……あいつから色々教わったんだろ?」

「去年の暮れにと、カウハバに向かう列車の中で、少しだけ」

「だったらあいつがどれだけこの世界に期待なんかしてないかわかっただろ」

「……」

「それ故に、あいつは色んなことが当たり前なんかじゃないってことを知ってる。私にはいまいちピンと来んがな」

 

 去年の暮れや、列車の中で話した少しの時間。

 教えてもらったことはいくつもない。

 それでもその言葉は鮮明にひかりの中に灼き付いている。

 “……私の未来予知の能力っていうのは、夜を視るようなものなんだよ”。

 果たして、その“前提”に立った時、人はマトモでいられるのか。

 望みっていうものが粉々に打ち砕かれて、絶たれて、どう生きていけばいいのか。

 その途方もない距離を、その一端を、彼女に垣間視たような、気がした。

 

「ひかりにはわかったのか?」

「……すみません」

「そうか……おまえもまだまだ新人ウィッチには変わりないってことか。まあいいさ。“発端”は掴んでいるみたいだし、おまえにもいつかわかる日がきっと来るさ」

 

 そう言って、アウロラはひかりの頭を撫でた。

 そして酒瓶の残りを一気に飲み干すと、立ち上がる。

 かなり度の強い酒だったが、千鳥足になんかならないで歩き始めた。

 

「ちょっと離れた場所に停めてあるが、車で来てる。立てるか? ひかりのストライカーは持ってやるから、ゆっくりついてこい」

「えーもうちょっと休んでようよ」

「悪いが、これ以上ゆっくりしてるとおまえらの戦闘隊長に怒鳴られるんでな。ここまでだ」

 

 少し離れた場所にあるチドリを担いで、再度陸戦用ストライカーに搭乗する。独特の起動音が森の中でざわついた。

 ゆっくりと、ひかりも立ち上がる。ニパが名残惜しそうにしていたが、もう十二分に付き合ったのだから、これくらいで勘弁してもらいたい。

 貧血に似た酩酊感はまだ身体の芯に残っている。

 それを振り払うように(かぶり)を振って、ニパと一つずつ彼女のストライカーユニットを持って歩き始めた。

 

(……夜、か……)

 

 心の奥は、きっともう既にわかっている。

 だからこんなにも考える事を嫌がるのだ。

 考えてしまえば、知ってしまえば、もう戻れなくなると、わかっているから。

 皮膚の奥に染み付いたこの寒さを、無いものにはできなくなるから。

 ……寒い。

 けれど五月の暖かな気候はそれを当然のものとは扱わない。

 どうして、あんなにも穏やかにしていられる?

 あんな寒さの中で生きてきた、彼女は。

 それがわからなくて、わかりたくもなくて、どうしようもなくて。

 ただ、ひかりは。

 誤魔化すように歩き続けることしか出来なかった。

 

 

 

 それから基地に着く頃には、辺りは夕焼けの色に染まっていた。

 ニパとひかりは、しばらくアウロラの運転する軍用車に揺られて、基地を目指した。舗装された道なんてなかったから、ひどく揺られた。

 アウロラの運転が荒かったのもある。

 当然だ。だって飲酒運転なのだから。それでも無事故で居られたのはアウロラだから、と言う他ない。それだけで全てを済ませられるのは彼女を置いて他に居ないだろう。これからは控えてもらいたい。せめて酒を入れたまま運転するのはやめて欲しいところだ。

 まあ、それだって叶うことは無いだろうけれど。

 

「おかえり。無事で何よりだよ」

 

 そして、基地に戻った三人を出迎えたのはヴァルトルート。

 誰かを口説く以外にそんなことをしない彼女にしては珍しいことだったが、不思議と意外さはなかった。何となくだが、ニパもひかりも帰ってきた時迎えてくれそうな気がしていたからだ。

 この人は、きっと。

 

「こんなこと言ってるけど、ちゃんとひかりの無事を確認してから基地に戻ったからねこの人」

「それは言わない約束じゃ」

「そんな約束してないよ」

「暗黙の了解ってあるじゃないか」

「そうなの?」

「もう……ニパくんったら手厳しいなぁ」

 

 芝居がかったように額に手を当てる。

 いくら、安全を確認してから戻ったとしても、その先で何かあったらたまったものではない。それをちゃんと確かめたかったのだろう。だからこそ返ってくるのをヴァルトルートは待っていてくれたのだ。少々過保護過ぎる気もしないでないが、彼女の人柄はそれを感じさせない。

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 だからこそ、ひかりは頭を下げる。

 一つは、待っていたヴァルトルートに。

 一つは、送ってくれたアウロラに。

 

「もちろん。ひかりちゃんの為だったら何だってやるさ」

「おー。これからはあんまり落ちるんじゃないぞ。私の仕事が増えるからな。じゃあな」

 

 アウロラはそう言って車で去っていった。ああは言っているが、仕事はきちんとしてくれるだろう。去り際に見せてくれた笑顔が、それを物語っているようだった。

 そして、最後の一つは、近くに居てくれたニパに。

 

「ニパさんも、ありがとうございます」

「いやーたいしたことないって。今回はひかりが一人で倒しちゃったし……これくらいはしないと」

 

 ニパは照れくさそうに頬をかく。

 その照れくささを逸らす、とまではいかないが、ふと思いついたように言った。

 

「あ、そういえばあれすごかったよね。

 ……カンノの」

「そう! そうだよ! それ、聞かせて。なんでひかりちゃんが直ちゃんの“剣一閃(つるぎいっせん)”を使えるのさ。僕、ほんとのほんとにびっくりしちゃったよ」

 

 ヴァルトルートもそれに乗じる。

 その勢いは凄まじく、身体を乗り出して食って掛かる勢いだった。

 先の戦闘では――確かにひかりはかつて直枝の固有魔法であったところの“剣一閃(つるぎいっせん)”を使用してネウロイを撃破した。

 それは普通ならありえないはずのことだから、二人が気になるのも当然のことだろう。

 

「なんで……と言われましても」

 

 しかし、ひかりは返答に困る。

 なんでと言われても……どう説明したものか。

 

「勝手に言ってるだけで……管野さんのと比べれば、わたしのはただの紛い物……いえ、それにすらなれていないただの猿真似ですから」

「でも、見た目は完璧にカンノだったよ」

「そうそう、確かに途中で止まっちゃったけど、威力も大したものだったんだから」

「多分……皆さんがやれば、わたしよりももっと強い威力で出来ると思いますけど」

「ええ。一回真似しようと思ってやってみたけど、出来なかったよ」

「ワタシもワタシも!」

「何やってるんですか二人共……」

 

 しかし、かくいうひかりもその内の一人だ。魔法力コントロール訓練の一環で右手に魔法力を集中してやってみたら出来たに過ぎない。細かい事は考えたこともなかった。

 それ以上に“直枝の手袋が無ければ使えない(・・・・・・・・・・・・・・)”上、他にも制約はたくさんある。

 ふつうのウィッチなら使おうとも思わない下策中の下策だ。

 

「ともかく、威力も低いですし、ストライカーに回す魔法力も全て右手に集中しないと使えません。だから上昇してから重力に任せて落ちないと、スピードが出なくて殴ることも出来ないんです。それであの様ですから、みっともないですよ。

 失敗したら当然のように……その、死にますし」

 

 直枝の“剣一閃(つるぎいっせん)”は、彼女の固有魔法だ。それに、魔法力もひかりよりずっとずっと強かった。

 ストライカーに回す魔法力さえ足りないなんてことにはならなかったし、「この一撃を失敗すれば死ぬ」が当たり前にはならなかった。当てるところを間違えてもそのままネウロイは貫いていけるし、軌道変更もお手の物だ。

 しかし重力に任せて落下していくしかないひかりでは、それもできない。

 威力も彼女と比べれば数段……それ以上に劣る。全身の魔法力を一点に集めてようやくエディータが使用するフリーガーハマーの一発分くらいがせいぜいだ。

 それでも接触魔眼でコアの特定から、即座に上昇、コア目掛け突撃といった流れはスムーズだし、状況的にマッチしていることも多い。

 失敗したら死ぬなんてのも、どうせひかりみたいな戦い方のウィッチが敗北する時は死ぬと同義だ。

 それを思えば、どうということはない。

 

「えーかっこよかったけどなあ。そうだ、今度ワタシ達にもやり方教えてよ! やりたいやりたい!」

「ええ……わたしのやり方だと途中で強制的に電源を落とすことになるのでストライカーも調子悪くなりますし、下手したら墜落しますよ」

「それはー……やだな……サーシャさんに怒られちゃう」

「いいじゃないか。ブレイクウィッチーズさまさまだね」

 

 あっはっは、と笑うヴァルトルート。

 

「でも、ひかりちゃんは直ちゃんの“相棒”だったわけでしょ? そのひかりちゃんが直ちゃんのを使えたっていうのはなんだか面白いしかっこいいよね。それに、ひかりちゃんの感じだと、接触魔眼がないと使うに使えないっぽくない?」

「確かに、そうかも……」

 

 ニパはそう言って難しい顔をした。

 いくら“剣一閃(つるぎいっせん)”が使えたとしても、ひかりの魔眼がなければどこを殴っていいかもわからない。直枝のように貫いていけるだけの火力が保持できそうにないならば殊更に。

 ストライカーに回す魔法力があったとして、ネウロイに殴るだけの至近距離にまで近づくということはとても危険だ。命が幾つあっても足りない。

 だからこそ、ネウロイに触れればコアの位置が視えるひかりと、そこまで貫いていけるだけの突破力を持った直枝同士が相棒に成り得たのだ。

 ――そして今、直枝の突破力さえ手に入れたひかり。

 こりゃ、激戦をくぐり抜けて強いウィッチになるわけだよ、とヴァルトルートは納得する。

 

「ひかりちゃんも、魔眼使った上でないとあれは使えないんでしょ?」

「……まあ、そうですね」

「そういうことさ。確かにあの技が使えれば便利だけど……どーにもこーにも、僕らは僕らでやってくしかないみたいだね」

「そうみたいだね」

「僕達もうかうかしてられないよ。今に何もかも追い越されて、先輩面できなくなるかも。「あれ? 二人共ほんとうに先輩だったんですかぁ?」とか言われちゃうよ!」

「……それは大変だ! 頑張らなきゃ!」

「別にそんなこと言いませんし追い抜いたりもできません……」

 

 そんな風にわーきゃー言いながら三人は基地の中へと入っていく。

 落ちかけた夕日が、背中を鈍く照らして、前向きに影を作っていた。もうじきにすれば夜になるだろう。その前に用事は済ませておきたかった。

 基地に入ると、早速格納庫(ハンガー)へと向かう。

 アウロラが車で去るついでにストライカーも整備班に送られたみたいだが、一応どんな状況になっているか聞いておきたかった。

 本日に至っては戦闘行為をほぼほぼ行っていないため、ヴァルトルートとニパのストライカーは問題なさそうだが、ニパに関しては何が起こるかわからない。持ち前の不運さで、ひかり以上にストライカーがおかしくなっているかもしれなかったから。

 格納庫(ハンガー)の中は、外の夕焼けが差して血を塗りたくったように赤く輝いていた。そこに控えめな照明が輝いて、整備兵や――彼女の作業を手助けするために照らしている。

 

「サーシャさん、お疲れ様です。整備ですか?」

 

 ひかりが声をかけると、サーシャは振り向いて腕を組んだ。

 

「そうですよ。どこかの誰かが墜落したみたいなので、やらなければいけません。見たところ、大した異常は無いみたいですが」

「すみません。なかなか手強くて」

「それでも、着任直後に中型ネウロイを倒すとは幸先が良いですね。いえ、出現しなければそれでいいのですが……ともかく、これからも頑張ってください。墜落しないように」

「……がんばります」

 

 わざわざサーシャ自らがひかりのストライカーを整備してくれていた。手や頬を油に汚して。

 それでも彼女の期待に答えられない事に対しては気が重いが、墜落癖はひどくなる一方だ。

 “剣一閃(つるぎいっせん)”を使わずに射撃戦で追い詰めようにも、ひかりは有効射程領域が狭いためどっちにしろストライカーの損耗率は変わらない。申し訳ないなぁ、と思うがひかりが戦う限りこれからも迷惑はかけ続けることになる。

 

(……どうにかして機嫌取らなきゃこれからストライカー直してもらえないかも)

 

 けれど、人のご機嫌取りなんてしたことない。酒でも渡せばいいのか、と考えるもののサーシャが酒を飲んでいるイメージなんてない。

 そうなるとお茶っ葉? コーヒーの豆? 美味しいと評判の缶詰……?

 

「ただの賄賂だなぁ」

 

 ため息をつく。

 壊したら壊したでその都度謝るくらいしか出来ることはない。あと普段からしょうもないことで怒らせないようにするくらい。

 それくらいだ。

 サーシャは、そんなひかりの様子をよそにヴァルトルートとニパへ向き直って言った。

 

「クルピンスキー中尉は、あとで報告書を私と隊長に」

「はいはい」

「ニパさんは、珍しく何もなかったです。良かったですね」

「本当ですか? 良かったぁ! へへーん見たか中尉。ワタシにだってラッキーな日くらいはあるんですよ」

「まあ墜落しないのが普通なんだけどね」

「それは……そうだけど!」

 

 なんか納得行かない、とニパは不機嫌そうな顔をする。

 それにまぁまぁ、とヴァルトルートは愛想笑いした。

 

「サーシャちゃんも、ひかりちゃんのストライカーあんまり壊れてなかったみたいだし、ラッキーじゃない?」

「確かに出撃毎に整備はするものですし変に仕事が増えなくて助かりましたが……だからといってあなた方が無茶をしていい理由にはならないんですからね」

「わかってる、わかってるよ、まったくサーシャちゃんは心配症だなぁ」

「あなた達が墜落しすぎ無茶しすぎなんです!」

 

 もう、とサーシャはむくれる。

 

「何回でも言いますが、別にストライカーなんかいくら壊してもいいんです。良くないですが! 良くないですが……! それ以上に私が怒っているのは、ストライカーが壊れるような激しい戦闘を当たり前のように行うあなた達のその“姿勢”に怒ってるんです」

「えーでもなぁ。僕は固有魔法でしょうがないし」

「勝手に壊れるし」

「ブレイク上等でしょう。ネウロイを倒せればそれでよくないですか?」

「だから、そういうとこなんです!」

 

 身を乗り出して、三人に怒鳴るサーシャ。

 ヴァルトルート、ニパ、ひかりも口答えしつつ、背筋が伸びている。この三人が過去現在合わせても壊しまくっているのは事実だからだ。何だかんだ整備してもらっているので頭が上がらない。

 

「はあ……」

 

 あからさまなため息。その仕草だけで、彼女の苦労人気質な所が垣間見えた。

 書類整理、整備、哨戒任務……

 仕事のやりすぎだろう。

 目元に隈が出来ている。

 休ませるべきは自分じゃなくてこの人だろう、とひかりは思った。

 

「……壊すようなら容赦なく正座ですからね」

「もちろん。君のためならいくらでも座ってみせるさ」

「はいはい」

「つれないねえ。じゃあストライカーも大丈夫そうだし……ニパくんとひかりちゃん、夕食の時間までトランプしてようよ」

「また賭け事ですか? 程々にしておいてくださいね」

「やだなぁ。そんな事しないってば。クマさんもお疲れ様。頑張ってね」

 

 その呼び方はやめてください、とサーシャがヴァルトルートを睨む。

 逃れるように、そそくさとヴァルトルートは格納庫(ハンガー)を後にした。

 ひかりとニパもそれに続いてサーシャに頭を下げてから退出しようとする。

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 言われて、振り返る。

 悪戯っぽい笑み。

 それは、先程の疲れたような顔が嘘になるくらい眩しかった。

 

「言い忘れてましたが、無事に戻ってきて、何よりです。あなたが来てくれて、ほんとうに心強いですよ」

「……そんな、隊長の無理な人事です」

「隊長は必要じゃなければそんなことしません。胸を張っていいですよ」

「……そうですかね」

「そうです。あなたは間違いなく、栄えあるこの第502統合戦闘航空団『ブレイブウィッチーズ』の一員なんですから。

 ……私の、大切な仲間の一人、なんですから」

 

 夕日の赤が紫に変わりつつある。

 サーシャは夕食の時間を過ぎてもここで整備をするだろう。

 それは以前でも、ひかり達がストライカーを壊せばごく当たり前のように見られた光景だ。

 そして夕食の時間を過ぎても正座させられたから。

 皆とは少し遅れて、冷めた夕食を一緒に口にした。

 壊した四人と直す一人。

 どうしてだろう。

 どうして、あんなに冷えていたのに……あんなにも暖かったのは。

 どうして……

 

「……そういえば、夕食まで、まだ少し時間がありますね。トランプもいいですが……」

「……サーシャさん?」

「ふふっ」

 

 その問いに答えが出る前にサーシャは微笑む。

 ああ。

 着任してからの初出撃でネウロイの撃破。

 いつも突然の不幸でストライカーを壊すニパも今日は壊さなかった。

 それでも、

 幸先が良いわけでも、ラッキーなわけでもなんでもない。

 だって。

 

「久し振りに正座、していきますか?」

 

 罰で正座させられるなんて、幸運だなんて言えるわけがないのだから。

 その言葉に、一つ息をつく。

 断れる道理なんて何処にもない。

 墜落したのは確かだ。

 無茶をしたのも。

 この強情で、真面目で、繊細な、

 そんな彼女が怒る理由はいつもひどく優しかったから。

 今更だ。

 アウロラやエイラ、ニパやヴァルトルート、サーシャだけじゃない。

 きっと、此処にいる間、雁淵ひかりは誰にも頭が上がらない。

 なんせ、ひかりはこの部隊に着任してから二日の新人ウィッチなのだから。

 

「……ニパさん、すいません」

「うん。まかせて」

 

 言うと、ニパは嬉しそうな笑顔で頷く。

 うきうきとした足取りで娯楽室へと向かっていった。

 ひかりは、そんな彼女を横目に格納庫(ハンガー)の隅に膝を揃えて座る。

 

「じゃあ、ちょっとだけ」

「よろしい」

 

 その言葉にサーシャは、安心したようにまた笑った。

 

 

 



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第3話 例え、報われずとも 中編

 それから、一週間ほどの日が過ぎた。

 ひかりはその間にも毎日出撃して、ネウロイを倒して、倒して、倒して……

 ここ最近攻勢は沈黙しているという情報も嘘に思えるくらい、ネウロイはペテルブルグへと来襲した。

 ニパやヴァルトルートとはかつてのように、とまではいかないがそこそこに連携を取れるようになって、殲滅効率も上がっている。ひかり一人で突っ込んでいくのを二人がカバーする、といったような方法だが。ひかりが同じことをやれ、と言われればまず無理なので、やはり歴戦のエースウィッチはさすがと言うべきか。

 定子とジョゼと出撃することもあったが、こっちはこっちでひかりの速度に定子とジョゼがついてくることが出来ない。

 この502部隊の特色とも言うべきか、他のウィッチと比べて荒々しいのは確かだが――ブレイクウィッチーズほどまで行かない。どこかある一線を超えていかない印象だ。だからひかり一人が孤立してネウロイと戦うことになってしまう。

 それに、会話をほぼほぼしていないので連携が取れないのもある。定子が何やらひかりに言いたそうな表情をしているのには気付いているが、どうすればいいのかわからない。

 だから、自然とそうなってしまう。

 しかし――このままでは、かくあるべき瞬間に連携が取れず倒せるはずだったネウロイが倒せない、なんて事になるかもしれない。

 けれど、ひかりは今やっていること以外の確立された戦い方なんて知らない。ちゃんとエディータから一撃離脱戦法を学んでおけばこうなることも無かったのだろうが……

 だから、

 

「また、壊して……ニパさんも中尉も最近控えめになってきたと思ってきたら、ひかりさんは毎回……はあ……」

「……すみません……」

 

 出撃の度に正座することになる。

 毎日出撃、そしてその度壊しているということもあって、サーシャも腹に据えかねているのか、ここ数日は終わるまでの時間が長い。整備の件も相まって、最近は毎日サーシャと夕食を共にしていた。

 

「ほら、食べますよ」

「……はい」

 

 今も補給路がほぼほぼ止まったお陰でかなり質素になった食事を正座したままサーシャと食べている。

 格納庫(ハンガー)特有の油臭い空気が料理の匂いで少し薄まった。

 口をつける。

 味を感じることはない。

 それを悟られぬよう口に運ぶ。

 

「……ほんとうですね」

「……何がですか?」

「いえ、何も……先程料理を受け取った時に、下原さんが落ち着いた時間があればひかりさんと話がしたいと言っていましたが……」

「そうですか。明日辺り話します」

「そうしてください」

 

 生まれが扶桑なので長時間の正座はニパやヴァルトルートに比べれば苦ではない。けれど、サーシャを付き合わせてしまっているのが少し辛かった。

 整備をした上でさらに罰を命じた人と夕食を共にする。

 心中を思えば少し気分が重くなった。

 そこまでしなくてもいいのに、とほんとうのほんとうに思うが……サーシャの人柄と言えば否定することもできやしない。

 壊したのは確かなことだから、大人しく正座するくらいしか今ひかりに出来ることはなかった。

 

「あ、そうだ。正座なくせばいますぐにでもお話できますよ」

「逆ですね。墜落してストライカー壊さなかったら今日お話できたんです」

「でも下原さん用事あるみたいだし、今日はこの辺でやめにしておきませんか?」

「それとこれとは話が別です」

「ええ……」

 

 とりあえず、言うだけ言ってみるがやはり聞き入れてはもらえない。

 そうだろうな、と思ったし例え聞き入れてもらえても正座は続けるつもりだったけれど。

 サーシャは一度とて正座の懲罰を緩めたことはない。もちろんストライカーを直す費用だったり、手間だったりを鑑みてのことだろうが。

 それでも他人にいつも言っている「自分を大事にしてください、無茶をしないでください」という言葉。

 疎かに、していないだろうか。

 こんなこと、言う資格は全く無いのだけれど。

 それでも、油で頬を汚して、疲れきった彼女の表情を見ていると、そう思わないではいられなかった。

 

「全く、こんな所ばっかり管野さんに似たんですね、もう」

 

 呆れたように、サーシャが言う。

 直枝もよく壊した。だから今みたいに二人で食事を共にすることもよくあったのだろう。

 今もひかりは首に彼女の遺したマフラーを巻いている。

 ならば、面影を見ずには居られない。

 

「……そう、ですかね」

「管野さんもよく正座を嫌がりました」

「誰だって、いやですよ。だから、罰に成り得るんです」

「そうでしたね。中尉はよく逃げましたが、管野さんは一度も逃げませんでした。あなたと同じです」

「……ニパさんは?」

 

 聞けば、ヴァルトルートにそそのかされて時々逃げたらしい。

 二人らしい、と思う。

 そして、直枝は――やはり、そうだった。

 

「今はあなたも“剣一閃(つるぎいっせん)”を使っていると聞きました。やっぱりあなたは、ずっと管野さんの“相棒”なんですね」

「……はい。今でもそう在りたいと、思ってます……でも」

 

 あの日、ひかりは孝美との勝負に負けてカウハバへと向かうことになった。

 孝美はずっと、ずっとずっと、遥か彼方に居るくらいの――理想(ゆめ)、だった。

 だから、勝てるなんて万に一つも思っていなかった。けれどやらずにはいられなかった。

 どうしてだろうか。

 ああ、ああ。

 今だからわかる。

 雁淵ひかりは、管野直枝の“相棒”で居たかったのだ。

 彼女の隣に居たかった。

 それが予期せぬ形でなくなってしまうことが、ほんとうのほんとうに怖かった。

 だからあんなにも必死になって意地を張ったのだ。ここにいる為だけに。

 雁淵ひかりは雁淵孝美の妹だ。

 孝美はひかりを大事にしてくれた。

 ひかりのことを一番に思ってくれた。

 けれど、そこには、“雁淵孝美の妹としての”居場所しか無かったように思える。

 周りもひかりのことをそう見たし、それでも出来損ないのひかりに思うところもあっただろう。

 きっと、対等ではなかった。

 何もかもが。

 だからこそ、憧れた。

 誰かと等距離で結べる関係を。

 管野直枝の“相棒”で居る限り、彼女はきっと自分のことを対等に見てくれる。出来損ないでも、及ばなくても、そういうものだから。そういうことを前提としても、彼女はどこまでもひかりを真っ直ぐに捉えてくれた。

 結局最後はあんな風になってしまったけれど、

 それでもひかりは直枝と“相棒”で居られてよかったと思っている。

 もちろん、

 雁淵孝美の妹として居られたことも。

 だって、愛してくれたから。

 望んでくれたから。

 こんな、出来損ないの自分でさえも。

 

「未だ、管野さんと肩を並べられるくらいに強くなれたとは思えません。管野さんもお姉ちゃんも、わたしよりずっとずっと遠くて、あこがれで、追いつける気なんてしないんです」

「ひかりさん……」

「あれから、色んなことを知りました。自分の限界も、わからなかったやってないことも、全部……全部、手を伸ばして空振りました。そんなわたしが、管野さんの“相棒”だなんて……馬鹿みたいで」

 

 力なく笑う。

 憧れた。

 そうなれたら、と思った。

 けれど未だ彼女達の輝きは遠くて、追いつける気がしない。

 肩を並べて……“対等”に向き合える気がしない。

 それでも、未だ足を止められないのは、どうしてだろうか。

 だって。

 憧れは、今もここにずっとあるから。

 消えないから。

 そんな気配もなく、むしろ以前よりずっと強くなっているくらいだから。

 ずっと強く、この胸を締め付けるから。

 そんなのは、当たり前のことだった。

 

「……すみません、みっともない話ですね。忘れてください」

「――……」

 

 ひかりの言葉に、サーシャは目を伏せて一つ息を吐く。

 どう言ったものか。

 きっと自分もそうだった。

 現実を認識して、理想だけでは、想いを口にするだけではやっていけないと知った。

 ――こうして、色んなことに打ちのめされて、私達は大人になっていくのだ。

 大事だったものも、大切にしなければいけないと思うことも、置き去りにしていって。

 それが良いことなのか、悪いことなのか。

 どうにも、それがわからない。

 それすらも見失ってしまったみたいだった。

 ふと、悲しいことがあって泣いた幼い頃の自分と、慰める母親と祖母の姿を思い出す。

 あの日、自分は何を思っていたのか……

 

「……今となっては、確かめようもないことです」

「……そうですね」

 

 最愛の二人はひかりを置いて何処かへ居なくなった。

 聞きたいことも、確かめたいことも、明らかになる日は永遠に来なくなった。

 

「それでも、飛ぶんですね」

「はい。“グリゴーリ”を倒すまで、わたしは止まっちゃいけないんです」

 

 赤い目。

 サーシャを真っ直ぐに見据えるその目は、かつてのひかりを思わせる。

 結局のところ、形が変わっただけなのだろう。

 傷つき、失っても。

 手の内に何も残らなくとも。

 ――雁淵ひかりは、きっと。

 ならば、自分のやることは変わらない。

 サーシャはひかりに向けて微笑む。

 

「わかりました。管野さんに免じて、正座、ちゃんとしてくれるなら――もう、それでいいですよ」

「……がんばります」

 

 ひかりは、さすがに痺れ始めた足をもぞもぞさせながら、曖昧げに頷いた。

 

 

 

 その後、正座を終えたひかりはお休みなさい、と一言だけサーシャに伝えて、格納庫(ハンガー)から外に出た。

 そのまま就寝するくらいしかやることがないはずだが、ひかりは自室に向かわなかった。

 向かうのは少し離れた――早朝訓練でいつも使っている――塔。

 

「……魔法力、展開」

 

 季節は五月で、日中こそ穏やかな暖かさがあるが、未だ夜になると少し肌寒い。

 その温度を吸い込んでひんやりとした感触の塔に手をつける。

 今日も出撃していたが、なんだか気が休まらない。というのも、小型ネウロイとしか会敵しなかったので、戦った気がしなかった。

 だから夜も深まったこの時間に訓練なんてことをしようとしている。明日の出撃のことを考えれば休んでおくのが得策なのだが、このまま悶々としたまま寝るより、こうして身体を動かしていたかった。

 足は未だ痺れていたが、気にはならない。

 塔の頂上の先、夜の透明の果てに輝く月を一度だけ見つめ、

 登り――

 

「……こんな時間からやるつもり?」

「――……」

 

 始めようとしたときだった。

 それを見咎めるように、声が響く。

 幼さの中に、知性を宿した落ち着いた声だった。

 

「……先生」

 

 夜風に銀髪をなびかせて、昂然と姿を表したのはエディータ。

 少し不機嫌そうな表情。

 それは、いつかひかりがエディータに教えを請うた時を想起させた。

 

「……何処にも居ないと思ったら、こんな所に」

「それは、どういう……」

「ちょっと付き合いなさい」

 

 ひかりの言葉を待たないで、エディータは歩きだす。

 随分とぶしつけで横暴な態度だったが、ひかりは少し考えてから、彼女の後をゆっくりと追いかけた。

 

「何処に行くんですか?」

「……」

 

 ひかりが聞く。

 が、エディータは答えない。

 こつこつ、と響く足音と動きに合わせて伸び縮みする影だけが応えみたいだった。

 

「先生……」

「どこでも良いでしょう。ここは少し寒いわ」

 

 ぶっきらぼうに言い放つ。

 風が吹いている。確かに少し肌寒いが、そこまで言うほどでもない。

 言葉の通り、此処でないならどこでも良いのだろうが、そうだとしたならば何処へ行くのだろう?

 とりあえず基地の中へと向かっているようだった。

 基地はしん、と静まり返っている。

 誰も彼も居なくなってしまったみたいだった。

 けれど建物の窓からわずかにこぼれる照明の光と、目の前のエディータの姿はひどく有機的で、生きている人のかたちを感じさせる。

 そのコントラストが何故か不気味に思えて、彼女についていくのを躊躇わせた。

 気付かれてしまわないように痺れの残った足を動かす。

 

「……最近、クルピンスキーが元気ね」

 

 エディータはひかりの先を歩いている。

 だから、ひかりの所以のわからない感情は悟られることはない。

 

「そうですね。不必要なくらいに」

「……知ってる? あなたが来た時、あいつ凄く狼狽えてたのよ」

「……そうなんですか?」

「ええ。無様で面白かったわ」

 

 面白い、というが声色には棘がある。

 不機嫌さを隠そうともしていなかった。

 

「それを思うと、最近の元気さが不気味で……ひかりさん、あなたは知ってる?」

「うーん……」

 

 ひかりは少し考える。

 思い浮かぶのは、嬉しそうに自分へと話す彼女の姿。

 あれは確か一昨日くらいのこと……

 

「やることがわかった、と言っていました」

「やること……ね」

 

 ひかりの言葉を口の中で溶かすようにエディータはなぞった。

 その様子がひどく忌々しそうで、どうしたものか、とひかりは思った。

 エディータはヴァルトルートが絡むととたんにいらいらし始めたり、怒ったりする。普段が優しく聡明なだけに、そのヒステリックささえ孕んだギャップは鮮烈に映るものだった。反りが合わないのか、逆に気になるのか……502の面々も自然と彼女達の話題は避けるようになったが、本人が聞いてくればもうどうしようもない。

 

「……今更何も変わらないのに」

 

 つぶやいた言葉は、ヴァルトルートへのものか。

 ひかりへ向けたものなのか。

 それとも……。

 

「……まあいいわ。こっちよ」

 

 一つ息を吐いて、消化さえしないでエディータは基地の中へと入っていく。

 建物の中はさすがに肌寒くもなかったが、しんとした静寂が辺りを支配していた。

 ここには娯楽なんてものは少ない。あるのはネウロイと戦うという仕事と使命だけだ。夜が来ればいずれ訪れる明日に備えて寝るのが得策だった。例えそれが二一時という時間だったとしても。

 向かっているのは……ひかりなら、クルピンスキーとニパとで来ることが多い、娯楽室……?

 談話室も兼ねているので、話をするならそこが格好の場所というわけだった。

 しかし、娯楽室の扉の隙間からは明かりが漏れている。

 誰か居るみたいだった。

 

「……入るわよ」

 

 扉を二回ノックして、エディータが入る。

 ひかりも彼女に続いた。

 

「……あれぇ? 先生。ひかりちゃんまで。どうしたの?」

「……クルピンスキー」

「んー、そうだよ」

 

 エディータの言葉にえへへ、と嬉しそうに笑うのはヴァルトルート。

 顔が薄ら赤い。

 右手に酒瓶を持っている事を考えると、どうやら一人で酒盛りをしているみたいだった。

 傍らには欧州でよく携帯食として支給されているビーフジャーキー。

 塩っ辛いだけが取り柄だったので誰も好んで食べない。だからどこでも余っているものだとひかりは記憶しているが、彼女にとっては酒の肴なんてどうでも良いのだろう。余っているならそれにこの機会に消費してしまおう、ということみたいだった。

 けれどやはりというべきか、沢山余ったまま、酒瓶に口をつけてがぱがぱ飲む。

 悪酔いするだろうな、と見ていてエディータは思った。

 

「久し振りに手に入ったんだ。ここじゃ酒とか煙草は貴重品だからね。手に入れるのに苦労したよ」

「賭け事ね……はぁ、入手経路も飲み方も最悪」

「先生も飲む?」

「いい」

「そんなこと言わずにさぁ」

「馬鹿」

 

 つんと跳ね返す。

 そして椅子に伸びやかに座っているヴァルトルートの首根っこを掴むと、エディータは酒瓶とビーフジャーキーと一緒に彼女を娯楽室から追い出した。

 150cm程度しかないエディータが170cm以上あるヴァルトルートをそうやって追い出しているというのは体格差的に変な光景だが、ウィッチは魔法力で成人男性を安々と上回る筋力を持つ。なんてことはない。

 

「ねえ、ちょっと、ひどいよ」

「黙りなさい。私はひかりさんと話があるから」

「僕無しじゃないと出来ない話なの?」

「誰が酔っ払いと話をするものですか」

 

 そう言うと舌まで出してばいばいをして、エディータは娯楽室の扉を閉じた。

 そんなぁ、とすすり泣くようなヴァルトルートの声が聞こえる。

 無視してエディータはうんざりしたようにため息をついた。

 

「まったくもう……」

 

 誰にも迷惑なんてかけないで一人で飲んでたのに追い出されたヴァルトルートの事を思えば同情しないでもないが、エディータは彼女にめっぽう厳しい。彼女の行路の先に居たのが運の尽きということだろう。

 明日から少しの間は優しくしてあげよう、なんてひかりが思っていると、

 

「とりあえず、そこに座りなさい」

 

 むすったした表情のままエディータが言う。

 ひかりは首を傾げながらとりあえず座った。

 

「ここ……ですか?」

「ええ。すぐ済むから」

 

 そう言うと、エディータは先程ヴァルトルートが腰掛けていたテーブルからテーブルクロスをまくった。そして、椅子に座ったひかりへと巻きつける。

 首元から下が椅子ごとすっぽりと隠されて、巻きついたテーブルクロスの上から顔だけがひょこりと覗いている。

 てるてる坊主みたいだった。

 何をされているのかわからなくて困惑する。

 

「えっ、と……」

「じっとしてなさい。鏡がないからわかりづらいと思うけど、少し我慢して」

 

 思わず後ろに立っているエディータの方を向こうとするけれど、両手でぐっと押しとどめられた。

 そのまま、ポケットから何かを取り出して……ひかりの髪に結いたリボンと髪留めを外す。

 そして、

 さく、と軽い音がした。

 はらり、と焦げ茶色の髪が少し地面に落ちる。

 

「……先生?」

「このままじゃ、目に髪の毛が入って邪魔でしょう。隊長に言われなかった?」

「……ああ」

 

 確か、着任当初、エディータに髪の毛を整えてもらえと言われていたような。髪なんてどうでもいいので忘れていた。

 突然だが、髪の毛を切られるらしい。

 抵抗しても無駄だろうというのは何となくわかっていたから、邪魔にならないようひかりは目を閉じた。

 

「ちょっと短くするのと、梳くくらいだから、水はつけないでこのまま切るわね。どうして欲しいとかある?」

「なんでもいいです」

「そう。じゃ、前と同じくらいにするわね」

「そうしてください」

 

 こんな時間に髪の毛を切られるとは思わなかった。

 どうにも、ニパ、サーシャも含めて502の面々は強引が過ぎる。

 なのに、その強引さでなんでもない事を押し通してくるものだから、意図がわからない。

 切るなら切ると言ってくれればよかったのだ。それに付き合わないほどひかりもわからずやではないつもりだった。

 もちろん、それが夜更けに訓練をしようとしていた自分に言えることではないことも。

 

「……伸ばさなくても良かったの?」

「……? どうしてですか?」

「いえ、あなたは雁淵中尉に憧れていると思っていたから。髪も彼女に近づけたいのかと思って」

「ああ、そういうことですか。昔、確かに憧れて伸ばしてましたよ。似合わないのでやめました」

「そんなことないのに」

「ニパさんとアウロラさんもそう言ってました」

「ならそういうことでいいじゃない」

「……伸ばしても、お姉ちゃんにはなれないですから」

「……そう」

 

 さくりと切る。

 孝美も昔、ひかりが髪の毛を短くすると言った時は残念がった。そして短くなったひかりの髪を見て、「こっちも良い」と微笑んだ。

 その時、何故か無性に嬉しかった事を覚えている。

 どうしてかはわからなかったけれど、それ以来伸ばすのはやめた。

 エディータは、量の多いひかりの髪の毛を梳きながら、ぼんやりと言う。

 

「もし、もし……あなたが“グリゴーリ”を倒せたら、その時は……もう一度、伸ばしてみてくれない?」

「……どうしてですか?」

 

 払うように髪を撫で付けて、切った髪の毛を吹き飛ばす。

 雁淵孝美はもう居ない。

 そして、かつて天真爛漫さを宿した少女は面影を残したまま壊れ果ててしまった。

 ……ならば、“グリゴーリ”が居なくなるなんてことがあれば、その時ひかりは自分の存在意義を見失うだろう。

 何もかも失った彼女は、宙ぶらりんにぶら下がった殺意だけで此処に留まっているようなものだからだ。

 その状態で取り残されたら、取り残されてしまったら、かつての憧れも、自分自身でさえも、きっと遠くに霞んでしまう。

 だからその時、彼女が。

 雁淵孝美でもなく、

 雁淵ひかりでもない、“何か”になれていたならば。

 その暗闇も……と思って、エディータはその考えを打ち消した。

 

「どうして……でしょうね。気まぐれかしら。忘れて」

「……わかりました」

 

 ひどく現実的でない。 

 それに、髪を伸ばしたくらいでそんなものになれていたならば、そもそも苦労なんてしないのだ。

 きっとだけれど、これは時間を戻さなければどうにもならない類のもの。

 かつて厳しいながらも満たされていたあの日々に取り残してきたものだ。

 だから望むものはどこにもなく、

 手に入ることもない。

 ならば、どうしようもないだろう。

 時間は戻せない。

 喪ったことも、過ぎてしまったことも。

 そのことですら裏切ることも出来ないから。

 

「……前に、飛べなくなった子の話をしたけど、覚えている?」

 

 気まぐれを取り繕うかのように、話を変える。

 それだけで先程鈍った思いが消えるわけではないけれど、とりあえずは取り繕った。

 そんなものに意味はないが、これだけは何をしてもうまくいかないエディータの日々の中で、うまくなったことだった。

 かつては出来なかったことだった。

 

「……能力のない人は、本人も周りも、悲しい思いをする、って話ですね」

「そう……よく覚えていたわね」

 

 去年の秋口に、エディータはひかりにそう話した。

 とりとめのない話だったから、今でも覚えているとは思わなかったけれど。

 これも心の奥に染み付いた後悔の一つだ。

 今でも、思い出そうとすればすぐさま手に取れる場所にある。

 

「あれから管野さんと雁淵中尉が居なくなって、ひかりさん……あなたもここを去った。

 今あなたは此処にいるけれど、それから少し思うこともあったの」

 

 あの時は、それが悲劇の有様だと思っていた。

 悲しいことがあるから悲しいと思っていた。

 でもそれは違った。

 

「飛ぶことが悲しいことだとは思ってなかった」

 

 空を飛ぶことは尊いものだと思っていた。

 自分達航空ウィッチだけに与えられた特権だと思っていた。

 それは違わないし、一つの事実ではあっただろう。

 でも、それこそが悲しいと思うなんて、今の今まで無かったから。

 受け入れることは難しかった。

 けれど、

 息をするのも痛くて、精一杯で、

 悲しくとも。

 それでも、痛みを胸に孕ませたまま、悲しみに暮れたまま、飛び続けていくことが出来ることを。

 目の前の少女はその傷だらけの身体で、

 その傷だらけの心で証明してみせたのだから。

 

「そうね。飛ぶことだって、悲しいことなのよね。戦うことだって、悩むことだって、きっと……生きることだって、そう」

「先生……」

「私たちはきっと、死んでいないなら、生きているしかないの。だったら、悲しいことも嬉しいことも等しく、不平等に与えられる。

 ……そう思うと、何が正解か、わからなくなる」

 

 悲しくなるなら、出来るだけ悲しくならないように過ごそうと思った。

 楽しく過ごしていれば心は痛まずに済むだろうと思った。

 けれどそれはとても難しくて。

 望み通りに生きれたことなんて思い返しても一度だって無い。

 強く意志を持とうと思っても、誰かの言葉でいとも容易くぐらついた。

 この世界の不条理はいつでも悲しかった。

 考えるだけ無駄なことのように思えた。

 でも、それでも。

 後悔は容易く胸を灼く。

 それを嘘にしないために、出来るだけ足掻こうとする。

 例え、その先でまた同じことを繰り返すとわかっていても。

 

「どうすればよかったのか……今でも、頭の中にあるのはずっとそれだけ」

 

 ……果たして、こんな自分に生きている意味などあるのだろうか。

 ぼんやりと思うのは、そんなこと。

 けれど、そんなことさえわからない。

 情けなくて、馬鹿らしくて、吐き気のする毎日だ。

 

「いえ……違うわね。きっと、言い訳したいだけ。

 見せかけの正しさみたいなものにすがって、“こうしていれば間違っても、それは間違った世界のほうが悪いんだ”――って。

 でも駄目だった。そんな正しさはきっと何処にもない」

 

 そもそも、そんな論理を振りかざす自分自身こそが正しくなんてないのだから。

 縋ってはいられない。

 望んでもいられない。

 絶たれた望み(それら)の中で、どう生きていけばいいか迷っている。

 ……ならば、やはり痛みはついて回るのだろう。

 目の前の彼女と同じように。

 ああ、あの時の瞳を覚えている。

 月日が経っても未だかつての後悔を忘れられない自分に、

 迷いも、痛みも飲み込んだ上で振り切った事を。

 ひどく真っ直ぐで、

 折れることすら知らない、

 ただただ輝きだけをその身に宿した、いつかの瞳。

 足りないものは同じだった。

 魔法力の欠けた身体で、資質を持たないものは容赦なく振り落とそうとするこの世界を飛びたがった。

 一人は飛べなくなった。

 悲しい思いをした。

 だから、あの日から……才能や資質に囚われることのない一撃離脱戦法を開発しようと必死になった。

 そんな自分が、誰かに足りないだなんて言うなんてそもそもがおかしかったのだ。

 一人は……果てに背負ったものが同じでも。

 何処までも、飛べるだろう。

 だって。

 見えなくなっても、聞こえなくなっても。

 その手から全てがこぼれ落ちようと。

 心に宿した(あこがれ)は、彼女を何処までも導いていくのだろうから。

 例えその先で、何もかもが報われないとしても。

 ――それはそれでいいと、あの時、教えてくれたのは、

 いつかの、あなただったでしょう?

 

「……あの時に誰よりも悲しかったのはきっと、私ね。いいわ。情けないけど、こればっかりはしょうがないの。

 ひかりさん、あなたは……あなたは、決して優れた教え子では無かった。でも努力は誰よりもしてきたわ。費やした努力の価値がどれほどかを、ここで証明してみせなさい」

「……先生」

 

 鋏が走り終える。

 前よりは少し長めだけれど、これでいいだろう。

 あの時の彼女ではない。

 そして、雁淵孝美にもなれはしない。

 ならば、このくらいが丁度いいのだ、きっと。

 

「はい、これで終わり。絶対に“グリゴーリ”を倒さないと、承知しないわよ」

「……はい」

 

 

 

 髪を整え終わり、切った髪の毛を箒で集めながら、エディータが言う。

 

「……そういえばひかりさん、あなた、管野さんの“剣一閃(つるぎいっせん)”を使っていると聞いたわ」

「……そうですね」

 

 その事は再着任してから初めて出撃した日から報告に上がっていた。

 そうなるともちろん出撃メンバーであるニパ、ヴァルトルート、ジョゼ、定子以外のメンバーの耳にも入ることになる。

 ラルは面白いじゃないかと微笑んでいたが、エディータからすればどうにも信じられない。

 背負いきれない、と思ったのだ。

 唯でさえ今のひかりは感覚器官を犠牲にして視力を向上させている。そうなると、直枝の固有魔法の再現、というイレギュラーに対する代償を背負いきれない。よしんば出来たとしても、出撃できるほどの何かは残らないはずだった。

 なのに目の前の彼女は変わってしまったとはいえあまりにも平常が過ぎる。

 確かめる必要がある、と思っていた。

 

「今ここでやって見せてくれる?」

「ここでですか?」

「ええ。別に何も殴らなくていいから。先程しなかった訓練の代わりと思って」

 

 エディータは言う。

 そこまで言うなら、とひかりはポケットから手袋を取り出した。

 魔法力を込める。

 

「……っ」

 

 淡く、水色の光が手袋に宿った。

 それは確かに魔法力だ。

 何かを代償にして手に入れた危うさは何処にもない。

 かつてそれを振るった彼女のように、真っ直ぐに輝いていた。

 

「……ほんとうなのね。管野さんよりは弱いけれど……確かに、そうだわ」

 

 硬質なシールドの集合体は、“圧縮式超硬度防御魔方陣”――直枝の“剣一閃(つるぎいっせん)”そのもの。

 彼女のものよりは数段劣るが、違いはない。

 それは報告書でも書いてあったことだから、驚きはさほどない。

 けれど、実際その目にしても信じられない。

 “代償”の件といい……

 

「でも、この手袋が無いと使えないですよ」

「……そうなの?」

 

 ひかりの言葉に、エディータは素直に驚く。

 そんな事情があったなんて聞いていない。

 あの偽伯爵め、根掘り葉掘り聞かずに適当に話を済ませたな、と眉をひそめる。

 まあいい。

 今はそんなことを考えている場合ではない。

 

「はい。手袋がないと魔法力がちゃんとシールドに変換されなくて」

「……そう。ちょっと貸してみてくれる?」

「どうぞ」

 

 魔法力を霧散させて、エディータに渡す。

 受け取ったエディータは、つけたりはずしたり、じっと見つめたりする。

 そして、ひかりと同じように手袋へと魔法力を込める。

 瞬間、ふわり、と水色の光が彼女の右手を包んだ。

 

「……そういうこと」

 

 その光景を目の当たりにして、エディータは納得する。

 別に、“代償”を支払ってこの能力を手にしていたわけではない。

 これは、彼女の忘れ形見みたいなものだ。

 残された雛鳥が、一人でも飛んでいけるようにするための。

 

「……度重なる“剣一閃(つるぎいっせん)”の使用で物質が魔法力に充てられて変質したのね」

 

 直枝はこの手袋を用いて何回も“剣一閃(つるぎいっせん)”を放った。

 それこそ、何回、何十回ではきかないくらいに。

 物質に魔法力を込めることは難しくない。実際“グリゴーリ”戦で用いられた超魔導徹甲弾も陸戦ウィッチの魔力を大量に押し込めた砲弾だ。直枝は、その理屈で手袋に魔法力をシールドの形にして押し込めて“剣一閃(いっせん)”を放っていた。

 しかし、物質に無理を言って押し込めた魔法力はその“代償”に、急速に消失していく。超魔導徹甲弾で五日程度、ウィッチが放つ銃弾の一つ一つが数秒程度。

 その程度しか保っていられない。

 そして、魔法力は普通の人間が持ち得ないものだ。

 即ち、先天的な異常。

 それを引き起こす魔法力の特質といえば――“変化”に他ならない。

 雁淵ひかりの感覚器官が犠牲になったことと同じだ。

 “代償”が生じるならば、それが背負いきれないと言うならば、一番簡単な方法を持って責任を完遂するのだ。

 その“代償”が背負いきれるくらいに、何かを変化させてしまう。

 今回は手袋ではあるが、それをずっと繰り返してきたのだ。

 長い時間をかけて何回も何回も大きな魔法力を込められた手袋。

 つまり、魔法力によって“剣一閃(つるぎいっせん)”を放つことに最適化された手袋といっていい。

 魔法力を込めたならば、その魔法力がシールドに変換される。直枝の使用していたものへと昇華される。

 ならばこそ、ひかりは本来ありえなかった“剣一閃(つるぎいっせん)”の使用を許されたのだ。

 

「……数奇なものね、ほんとうに」

 

 淡く水色に輝く右手を見て、エディータは一つ息をつく。

 やはりだが、エディータも直枝のものには届かない。やはりこれは本人が使用しているべきだったのだろう。彼女以外の誰かが使っても紛い物にしか成りえない。

 けれど、それでも。

 その本質が、かつて彼女の“相棒”だった少女に受け継がれるのならば。

 そこに伴うのは……

 先程、ひかりがヴァルトルートに言われたという「やることがわかった」という言葉の意味を理解する。

 ――こんなもの、こんなもの……。

 見たくないはずがないのだ。

 あの憎き“異形”へと、この紺碧が振り下ろされる瞬間を。

 悲劇へと復讐出来るこの瞬間を。

 二人の面影を纏った少女の手を持って。

 ならばきっと、自分にも出来ることはあるだろう。

 ひかりへと手袋を返す。

 

「良かったわね。居なくなっても、管野さんの遺したものは貴方の側にあるわ。目に見える形で。あなたの力になって」

「……はい」

 

 依然“グリゴーリ”の撃滅方法に確証はない。

 作戦自体が失敗しただけで、方法自体は間違っていなかったように思える。

 けれど、再度あの大規模作戦を行えるだけの物資と人員がここ欧州に残されているのか……

 しかし、それを考えても襲ってくるのは不安だけだ。

 ひかりだってそうだが、負けず嫌いで有名なここ502の隊長はまだ諦めていない。

 死んでいない。

 ならば、大丈夫だ。

 その機会はいくらでも訪れるはずだから。

 

「はい、髪留めとリボン」

 

 そう思って、先程髪を切るために外した髪留めとリボンを彼女に手渡す。

 しかし彼女は、一瞬戸惑ったようにしてそれを受け取った。

 

「ありがとうございます。忘れるところでした」

「大事なものでしょ。忘れちゃ駄目じゃない」

「……すみません」

 

 そう曖昧げに笑って、ひかりは髪留めを前髪に差し込む。

 それはそれで良かったのだが、リボンの方が髪の長さが足りなくて結いきれない。

 よしんば結いきれたとしても、ちんちくりんになることは容易くわかった。

 本気で困った顔をしてひかりは首を傾げる。

 

「……どうしましょう」

「……しょうがないわね」

 

 ひかりのその様子に、エディータは一つ息をつく。

 少しは強くなったようだが、やはり不肖の弟子なことに変わりはない。

 

「貸してみて」

「え、はい」

「これは別に髪だけに使わなくてもいいのよ。あなたが雁淵中尉になれないのなら、尚更に」

 

 そう言って、エディータはリボンをひかりの左腕に結びつける。

 形は違ってくるが、上質な布だ。スカーフのように使ってしまえばいい。

 孝美がかつて髪に結いていた白いリボン。

 それはひかりの纏う紺色のセーラー服によく映えて見えた。

 

「これでいいでしょう。伸びてきたらまた切るなり、結ぶなりしなさい」

「……はい」

 

 ……けれど。

 直枝のマフラーと、白いリボン。

 そして蒼い拳と紅い瞳。

 ああ、馬鹿だ。

 馬鹿げている。

 その面影を背負ってまで。

 自分自身でしか居られないなんて。

 そんな呪いを背負ってまで生き続けるしかないなんて。

 ほんとうに……

 ずっとずっと自分自身で、それでいて彼女達二人にそっくりなひかりの姿を見て、エディータはそう思わずにはいられなかった。

 

「かつて、あなたはあなたになりなさいと、私はそう言ったわ。

 ……けれど違った」

 

 決定的な一言。

 

「“雁淵ひかり(あなた)“は、“雁淵ひかり(あなた)”にしかなれなかったのね」

「……、」

「……なんて、なんて」

 

 残酷なことだろう。

 いっそのこと、何かに生まれ変われればよかったけれど。

 それでも、やはり。

 絶対に。

 ……何度も何度も浮かび上がる妄執と、絶対に叶うことのない妄想に縋りそうになる。

 それらを必死に吹き飛ばして、エディータはひかりの背中を押した。

 震え出す身体を隠すために。

 

「さ、もう寝る時間よ。あまり夜更かしして、明日の出撃に差し障るなんてことのないように」

「……はい、おやすみなさい」

 

 けれど、ひかりは思う。

 中途半端に隠そうとするから、こんなにも浮かび上がって見えるのだ。

 それこそが彼女の美徳であり、悪癖だと、

 そう、思ったのは――かつても同じだった。

 

 

 

 *

 

 

 

 翌日。

 ひかりはいつものように起きて、早朝訓練をして、

 朝食を済ませ、出撃へと準備をかける。

 朝食時には、髪の毛を切ったことを皆に驚かれた。ヴァルトルートやニパは少し残念そうにしていたが、髪の毛なんてひどいものになっていなければなんでも良いとひかりは思う。もちろん、切る前がそれなりにひどかったのは置いておくとしてもだ。

 頭も少し軽い。これなら空を飛んでいる時に目に入ったり口に入ったりなんてしないだろう。此処最近は度々あったので辟易していた。やはり切るべきだったのだ。

 格納庫(ハンガー)の窓から漏れる光に目を細める。

 出撃まではあと一時間ほど。

 それまでどうやって時間を潰すかがいつもの課題だ。

 もっぱらひかりは格納庫(ハンガー)の中で過ごすことが多い。

 整備兵からは変な顔をされるが、どうせここから出撃するのだ。ならば最初からここで過ごして時間を潰すのが性に合っている。

 もちろん、彼ら整備兵達の仕事を邪魔しない程度にだが。

 

「雁淵さん、もう居たんですね」

 

 そんな所に、声がかかる。

 鈴の音のような、透き通った細くも芯のある声。

 振り向けば、定子――それと、半ば彼女の影に隠れるようにして、ジョゼの姿もあった。

 

「――……下原さん、ジョゼさんまで。出撃まではまだ時間がありますよ?」

「いえ、その……」

 

 もじもじと、言いにくそうな表情をする定子。

 定子やジョゼは自分のように出撃するからと言って最初から格納庫(ハンガー)で待機するようなものぐさではないはずだ、とひかりは思う。

 もし仮に気が変わってものぐさになったとしたならば、その先輩である自分にコツでも伺いに来たのだろうか……とピントのズレた事を考える。

 もちろん違う。

 

「話が、したくて」

「……ああ、そういうことですか。昨日サーシャさんから聞いていますよ」

 

 それは昨日サーシャからそれとなく聞いたこと。

 やはりこのままの状況を好ましく思っていないのだろう。

 連携が取れず、グダグダな戦況の中でひかりが一人突出してネウロイを倒してしまうこと。

 今はなんとかなっているが、そのせいでいつか大事になるかもしれない。

 それを思えば、なんとか話をつけてしまうのが得策だった。

 といっても、ひかり自身もどうすればいいのかわかっていない。

 今の戦い方以上にうまくやれそうな戦い方はできないし、覚えるにしても効率が悪い。

 “接触魔眼(せっしょくまがん)”と“剣一閃(つるぎいっせん)”を使うひかりは、根っからのインファイターだ。射撃も使うが、有効射程距離が狭いため結局のところネウロイに近付かざるを得ない。ひかりにとって一番効率の良い戦い方はこれ以外にないのだ。

 それがわかっているからこそ、定子もどうにかして着地点を見つけたいのだろう。

 

「えっと……雁淵さん……、その」

「はい、なんでしょう」

 

 ひかりもなんとかできるならなんとかしたい。方法は思いつかないが。

 見聞の広い定子のことだ。何かしらの解決方法を知っているかもしれない。

 半ば縋るように、話を促した。

 ……が、しかし。

 

「……私の料理、おいしくないですか?」

「……え?」

 

 定子の口から飛び出てきたのは、予想もつかない言葉だった。

 今、なんと言った?

 ……料、理……?

 聞き間違えかもしれないと思う。

 

「料理……ですか?」

「はい……」

 

 だから聞く。

 しかし間違えてなどいなかった。

 困惑で思考が鈍る。

 美味しくない、というより、そもそも……

 

「いえ、あの、その……毎日、隣で食べているのを見ているんですけど……どうにも、味のないものを食べてるみたいな表情をしているので」

「あ……」

 

 瞬間的に脳が冷えていく。

 しまった、と思った。

 隠した、と思っていた。誰も何にも言わないから大丈夫なのだと思っていた。

 けれど。

 そもそも、食事を食べる自分の姿なんて鏡で見たことない。

 例えその時に気を使っていようとも、表情はきっと、乾いていた。美味しいものを食べるような表情なんてしていなかった。

 それを他人に見出したならば、己もわかっていなければいけないことだった。

 なまじっか心が強いから、うまくやれないのだと。

 中途半端に隠そうとするから、逆に浮かび上がってしまうのだと。

 なんということはない。

 ひかりだって、彼女達と同じだったというだけの話だから。

 

「……いえ、そういうわけじゃないんですけど」

 

 とりあえず、取り繕ってみる。

 けれど、定子の表情は晴れない。

 今思えば、毎朝朝食の時に味を聞かれていた。その度に「美味しいです」と返した。

 それでもこう聞かれているのだ。

 今更取り繕った所で意味なんてない。

 

「……でも私、雁淵さんがあそこまで美味しくなさそうに食べる姿を始めて見ました。ここに帰ってきてから……ずっとです」

 

 直枝はいつも美味しそうに食べていた。

 美味しい料理はちゃんと美味しい、といって食べるのが流儀だ、とも言っていた。

 ひかりも、そうだった。

 孝美の作る海軍カレーも、定子の作る料理も大好きだった。

 大事じゃなくなってしまったわけじゃない。

 それがもう届かなくなってしまっただけだ。

 意識すると耐えられなくなりそうだから、惜しむこともしないようにしてきた。

 見ないふりをしてきた。

 でも、その態度こそが大事にしない、ということではないのだろうか。

 好きじゃなくなってしまった、ということではないだろうか。

 思考が重くなる。

 それにつられて立っていられなくなりそうになる。

 危うい平衡感覚と、明滅していく視界。

 苦しかった。

 

「……違うんです、下原さん……ただ、わたしは……」

 

 けれど、出てくるのはこんな言葉。

 何に言い訳したいのかもわからない。

 けれど、胸の内に浮かび上がってくるのは、

 ……こんなつもりはなかった。

 傷つけるつもりではなかった。

 こんな体たらくではきっと見放されてしまうと思った。

 最低限の何かすら手をかすめて行かない気がしたのだ。

 だから認めるわけにはいかなかった。

 認めるつもりもなかった。

 けれど、そこにある“事実”からは目を背けることも、逃げることも出来ない。

 かといって開き直ることも出来ないから。

 解決する方法さえもわからないから。

 暴かれた痛みは、麻酔に浸されることもなく、その姿を晒すしかない。

 

「最初はカウハバで食べていたものに慣れて口に合わなくなったと思っていたんですけど……」

「……それは、違います」

「そうですね。その上で、雁淵さんが私を気遣ってくれているのは感じました。でも……」

 

 何かに耐えるように目を細めるひかりに、定子は言う。

 

「ほんとうは、味なんて感じている余裕も無いんですよね。ゆっくり料理も食べてられないくらいに切羽詰まっているんですよね」

 

 そして、ひかりの両手を包み込むように握り込んだ。

 その手のひらの暖かさに、ひかりは面食らう。

 ひかりがそれは違う、という暇も無く、定子は続けた。

 

「だったら、私は、もっと強くなります。

 “グリゴーリ”を倒して、雁淵さんがゆっくり料理が食べられるようにします。頭の中が料理でいっぱいになるくらいの平和さを取り戻してみせます」

「下原、さん……」

「……ひかりさん、私も。私も、もっともっと強くなります」

 

 ジョゼも、定子の上から自身の手を重ねた。

 自分のものではない重みと暖かさ。

 それが二つ分。

 思わず溺れてしまいたいと願うくらい力強かった。

 

「ジョゼがもっともっと強くなるなら、私はもっともっともっと強くなるんだから」

「それだったら、私はもっともっともっともっと強くなる!」

 

 ひかりは呆然とした表情で定子とジョゼの顔を見やる。

 二人共、隠し事をしていた自分を叱責するような表情なんかではなかった。

 むしろ、自らを包み込むような優しい表情で。

 ああ、そうだ。

 自分の知っている“第502統合戦闘航空団(ここ)”は、いつもそうだった。

 こんな弱い自分なんかよりずっとずっと強くて。

 憧れで。

 先に走っていってしまうような人達だった。

 

「……ごめんなさい、ひかりさん。あの時、私がもっと強ければ、きっと孝美さんや管野さんを喪わないで済みました」

「……違うんです、ジョゼさん。わたし、は」

 

 ジョゼが頭を下げる。

 ひかりは、その謝罪を受け入れられなかった。

 そんなことを言わせたいのではない。

 こんな事に責任を感じる必要はない。

 気に病む必要もない。

 “グリゴーリ”の攻撃を受けた時点で直枝は即死、孝美も死が確定した上で少しの猶予を与えられたに過ぎない。

 彼女が居なければ駄目だったのだ。

 彼女が居なければ、

 最期に話をすることもできなかった。

 死に目に立ち会うことすらできなかった。

 死に向かう三分間を五分間に伸ばしてくれただけで、ひかりにとって彼女は途方も無いほどの恩人だったのだ。

 

「……ジョゼさんが居なければ、きっと駄目でした。わたしは今でも感謝してます。ジョゼさんのおかげで、最期にお姉ちゃんと話が出来ました」

「……ひかりさん……」

 

 ひかりの言葉に、ジョゼは悲痛な表情を見せる。

 別に、それでも構わなかった。

 他人からすればこんな表情をされてしまうような別れでも、ひかりにとってはそれで良かったのだ。

 だって。

 

「だから、ジョゼさんが気に病む必要なんて何処にもないんです。ほんとうです」

 

 今、こうして此処に立てているのも、孝美の命をあの一瞬だけでも繋いでくれたジョゼのお陰なのだから。

 もし何も知らないまますべてが終わってしまっていたとしたら、その大きな流れにすくわれて……足を動かすこともできなくなっただろう。

 でも、立ち会えたから。

 当事者になれたから。

 ――この“眼”で見れたから。

 だからこそ、この痛みは全身から消えないで、

 諦めることも出来ないままここでのたうち回っている。

 

「でも……起きてしまったことは覆せません」

「……そうですね」

 

 過去に戻ることは出来ない。

 そうなってようやく叶う願いなら、それは報われることも無いだろう。

 ……けれどラルは、それが望んでいたものだと言った。

 ニパやヴァルトルート、エディータは、それでもいいと言った。

 サーシャは正座をしてくれるならいいと許してさえくれた。

 そして、定子とジョゼは。

 

「だからこそ、もうあんな事にならないように、もっと強くなります。戦闘も、治癒魔法も……もっと……ひかりさんを助けられるくらいに。

 ひかりさんを、喪ってしまわないように」

「私だって同じ気持ちです。もっと強くなって、絶対に雁淵さんの力になります」

「ジョゼさん……下原さん……」

 

 馬鹿だった、と思う。

 戦闘がどうとか、そういう話じゃない。

 まずすべきだったのは、定子やジョゼのように、

 ただ再会を喜ぶような、そんな話でよかった。

 思い返す。

 形は違えど、皆ひかりとの再会を喜んでくれていた。願ってくれていた。

 でもずっとひかりは自分のことでいっぱいいっぱいで、他の人を気にかける視界の余裕なんて何処にもなくて、

 ただ戦って、倒して、

 それくらいしか考えることが出来なかった。

 ……わたしは、とてつもないバカ野郎だ。

 だからこんなにも優しくされて、後ろめたかったのだ。

 痛かったのだ。

 必死に、心臓(こころ)を食いしばる。

 こんな痛み程度、耐えきってしまえばそれでよかったのに。

 どうして、こんな簡単なことができなかったのか……

 

「……すみません」

 

 頭を下げた。

 もう、自分に出来ることはこれくらいしかない。

 味覚が麻痺している、ということも言えない。

 そうしたら身体機能に問題ありと判断されて、後方に送られてしまう可能性があるから。

 心配されてしまうから。

 もう余計な心配をかけてしまったあとで意味は無いかもしれないけれど、

 だからこそ引き返すことは出来ない。

 もう“グリゴーリ”を倒す以外に望めることなんてない。

 それ以外にやりたいこともない。

 やらなければいけないことも。

 

「……これからも、よろしくお願いします」

「ひかりさん……こちらこそ! こんな私で良かったら!」

「わっ……」

「あっジョゼずるい……私だって!」

 

 ジョゼが頭を下げたひかりの身体を抱きしめる。

 それを見て、すぐさま定子も同じようにした。

 手を重ねたくらいでは届かないくらいの暖かさがひかりを包む。

 

「……ありがとうございます」

 

 彼女達の温度に、ひかりは力を込めて返す。

 けれど、格納庫(ハンガー)内に設置されたスピーカーが息を吸い込むみたいにブツリ、と音を漏らしたのを聞いて思う。

 ああ。

 出撃までにはまだ余裕があったが、このままゆっくり話をしている時間もなさそうだ。

 色々ごちゃごちゃになった頭を冷やすために、静かに息を吸って――吐く。

 心を、満たしていく。

 ――ネウロイとの戦闘意欲で。

 

「……来ますね」

「……え?」

 

 ひかりは定子とジョゼから手を離す。

 瞬間、

 耳をつんざくほどの音量で警報が響き渡った。

 そのけたたましさに思わず目を細める。

 

「警報……ネウロイ……?!」

「みたいですね。しかも――」

 

 小型や中型が一機二機いるくらいならさっさと出撃しろと言われるだけだ。

 そうでないのなら――きっと。

 

『今の警報は聞いたか? 雁淵、お前の出番だ。下原、ジョゼ両名も格納庫(ハンガー)へすぐ向かえ。フォローアップにはニパ、クルピンスキー、エディータの三名で向かってもらう。

 ――喜べクソったれめ、久々の大物だぞ』

 

 次いでスピーカーから流れたのはラルの声。

 出撃前から格納庫(ハンガー)に待機している事を知っているのだろう。すぐさま出撃しろと来た。

 もちろん拒否する理由はない。

 定子とジョゼが此処に居るのが偶然といえば偶然で、都合もいい。

 

「――ゆっくり話をするのはまた明日以降になりそうですね」

「……そう、みたいですね」

 

 定子が残念そうに微笑む。

 なんせ帰ってくればきっと正座だ。

 そこに付き合ってくれればやりようもあるだろうが、そんなヘマをこの二人は犯さないだろう。

 久々の大型ネウロイの襲来。

 一筋縄ではいかないだろう。

 だからこそ、絶対にわたしが倒す……!

 

「さ、行きましょうか。大物ですよ。張り切っていきましょうね」

「……は、はい!」

 

 ジョゼが狼狽えながらも、力強く頷く。

 満面の笑み。

 久し振りに見たその表情は、

 料理を食べている時や仲間と話している時ではなく、

 “これから戦闘へと向かう”際に見られた。

 その様子が見栄や意地ではなく本心からのものだとわかったのは、どうしてだろうか。

 でも、それがわかるのはこの戦闘が終わって、明日になってからのこと。

 きっと、この、目の前の表情(えがお)が、

 ひどく、痛々しく思えるほど……美しかったからだろう、と。

 全てが終わってから。

 そう、思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――今日この日、ひかりはサーシャの元で正座をすることなんてなかった。

 定子の料理を、食べることも。

 帰ってくることでさえ、出来なかった。

 

 

 



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第3話 例え、報われずとも 後編

『ネウロイは基地から北北東、丁度占領区のあたりから一直線にこちらの基地を目指して周囲の地形を破壊(・・)しながら進んでいるらしい』

「わかりました。他には何か無いですか? 形状等は……」

『観測班に確認した所、“確認できなかった”そうだ。その意味は見ればわかる、と言っていたな』

「……そうですか、ありがとうございます」

 

 不鮮明な情報。肝心な時に仕事しないものだな、と思いつつひかりは通信を切る。

 既に出撃し、現在位置はペテルブルグ上空一五〇〇メートル。

 言われたとおりに北北東を目指す。一時間ほど前に一二〇キロメートル離れた場所で観測されたらしいから、八〇キロメートル地点くらいには迫っているだろう。

 周囲の地形を破壊しながら進んでいるらしいので、早めに食い止めないとまずい。

 破壊――即ち更地にされているわけだから、大型ネウロイが通った道がそのまま地上型ネウロイが侵攻するための“道”になってしまう。

 そうなると侵攻の手が加速するのは想像に難くない。

 なんとしてでもここで迎え撃つ必要があった。

 

「……ということみたいです。急ぎましょう」

「はい!」

 

 定子とジョゼが頷いて、北北東、通信で指示された場所まで向かう。

 一五分程飛んで、大凡の場所まで辿り着いた。

 辺りは広大な森林で埋め尽くされている。

 

「……通信だとこのあたりみたいですが」

 

 定子が固有魔法で視力を強化しながら辺りを探る。

 空より地面のあたりを必死になって探しているので何故かとひかりが聞けば、破壊の後がないかどうか探しているみたいだった。

 高度の関係で発見できなくとも、どうせこの広大な森林を耕しながら彼は侵攻している。

 なら、それを追っていけば容易く見つかるだろう。

 

「……あれでしょうか」

 

 しかし、その必要もないようだ。

 探し始めてからすぐ、ずん、と鈍く重い音が地震のように響き渡る。

 上がる土煙。

 何よりもわかりやすい信号だった。

 自らの姿を隠そうともしていない。

 ひかりはその赤い目でそちらを見やる。

 

「……なるほど」」

 

 確かに観測班が形状を確認するのは難しかっただろう。

 それに“見ればわかる”。

 その意味がよくわかって、ひかりは忌々しげに目を細めた。

 

「なに、あれ……」

蜻蛉(とんぼ)の大群みたいな……」

 

 定子が驚きに声を震わせながら言う。

 彼女の固有魔法による遠視はひかりの目よりずっと遠くの方まで見える。だから彼ら(・・)の姿が、よく見えたのだろう。

 端的に言えば黒。

 そうでなければ、なんと表現すればいいだろうか。

 羽音さえ響いてきそうなほどに密集した小型ネウロイの群れが、蒼穹を黒一色に塗りつぶしていた。

 そのおぞましさたるや、一瞬呼吸を忘れるほど。

 そして。

 

「――■■■■■■■ァ■■ァア■■■■ア■■■■アアア■■■■■■!!!!!■!!」

 

 怪音を上げて叫ぶ異形。

 その瞬間、そのけたたましい悲鳴とは別の轟音が響く。

 熱した鉄を、思い切り金槌で叩くような、そんな甲高く、硬い音。

 衝撃さえ伴って、赤黒い亀裂が空間に走ったような錯覚を起こした。

 同時に、足元の森林から土煙が上がる。

 豊かな自然が追いやられて、瘴気でたちまちの内に腐る。

 ……そして土煙とは違った種類の白い煙が空へと登っていって、

 その姿をネウロイへと変える。

 そして空を埋め尽くす群体の一つとなって、小さな体をはためかせた。

 

「……そういうことですか」

 

 唾さえ吐き捨てそうな程に不機嫌な表情で、ひかりは(かぶり)を振る。

 目の前の群体も、恐らくそうやって作られたのだ。

 周囲の地形を破壊しつつ小型ネウロイを生み出す“本体”が居て、何処からかはわからないが――恐らく占領区からだろう――“道”を作りながら、そして手下さえ増やしながらここまで来た。

 彼らの群れに一人で突っ込む自分の姿を想像する。

 ……きっと、本体の姿さえ見れないで撃ち落とされてしまうだろう。

 それくらいの数だし、広域に作用するような攻撃方法だって無いし、いちいち全てを破壊していたら自分の命より先に銃弾が切れてしまうに違いない。 

 一つ、息を吐く。

 そしてゆっくりとインカムに手を当てた。

 

「……クルピンスキーさん」

『なに、ひかりちゃん、任務中に。……あ、わかった。デートのお誘いかな?』

「違います。そんなこと言ってるとまた先生に怒られますよ」

『あっはっは、何を言うんだい。別にひかりちゃんが思ってるようなことはないしそもそも先生は僕の事が大好きだから謝れば許してくれるさ……ひぃん!』

 

 殴られたな、と思う。

 けれどそんなことはどうでもいい。

 

「ネウロイを見つけました。報告通り大型です」

『そうかい……で、一人で突っ込んでいかないでわざわざ僕に連絡をよこすってことは、何か訳ありかい?』

 

 訳ありなんてものじゃない。

 明らかに一人でなんとかなるレベルを超えている。

 もちろん、慣れないし納得も出来ない。一人で倒しきれるならそれが一番いい。

 それでも、アレをひかり一人で倒すのは――引いては、此処に居る定子、ジョゼの二人と協力しても撃墜することは難しいだろう。

 なんせどうしていいかもわからない。

 

「察しがいいですね。現在位置はどこですか?」

『ペテルブルグから二〇キロメートル離れたとこくらいかなぁ』

「そうですか、それなら一〇分ほどでこちらまで来れると思いますが、なるべく早めにお願いします」

『了解……っと!』

 

 それから五分ほどしてヴァルトルートはやって来た。言葉通り急いで来てくれたみたいだ。

 並のウィッチならそれだけでへとへとにもなりそうなほどの強行軍だが、彼女の顔には汗一つ浮かんでいない。当然ついてきたエディータとニパにも。

 

「ひかりちゃん、状況はどう?」

「特に変わってないですが……小型ネウロイの数は増えましたね」

「小型……? そういうことかい」

 

 ひかりの物言いに、ヴァルトルートは皮肉げに口元を歪める。

 目の前の状況を見て察したのだろう。

 

「こりゃ骨が折れるね。下原ちゃん、何か作戦とか考えた?」

 

 定子はこういう突発的な状況に対応するのがうまい。

 作戦も自然と出てくるので、こういうブリーフィングみたいなものは定子から始まることが多かった。

 

「少しは……ですが、あの小型ネウロイの数を減らさないことにはなんとも……敵大型ネウロイはあの群体の中に隠れていると思われます。戦闘能力に関しては戦闘に入ってないため不明ですが、恐らく地形破壊と小型ネウロイ創造に特化したものと思われるので……そこまででは無いかと思われます」

 

 定子が難しそうな顔をする。

 いいっていいって、とヴァルトルートは嬉しそうに肩を叩いた。

 

「そこまでわかっているなら上出来だよ。それなら僕らは後あいつを倒すだけでいい」

「簡単に言うけど、大丈夫なの?」

 

 ニパがうんざりしたように言う。

 ヴァルトルートは気にした様子もなく、肩をすくめた。

 

「そんなのやってみなくちゃわかんないさ」

「そんな所だと思ってた……」

「地上に交戦部隊を構築できれば良かったのだけれど……そんな悠長な時間はないわね」

 

 ため息をつくエディータ。

 それに定子が少し考えてから言った。

 

「部隊があっても地形と一緒に壊滅させられてしまうかもしれませんね」

「それはそうね……はあ、結局私達だけでやるしかないのね」

「そういうことだよ」

 

 ヴァルトルートが元気良く胸を張る。

 ――結局のところ、やるしかないのだ。

 作戦は一つ。

 

「……あの有象無象をかき分けて、本体を直接叩くしか無いというわけですね」

「もちろん。もしかしてひかりちゃん、臆病風に吹かれちゃったかな?」

「そんな暇があったらネウロイに殺されたほうがまだマシですね」

「言うねえ」

「本心です」

 

 きっぱりと言い切る。

 嘘なんて無い。

 目の前の“敵”を(ことごと)く打ち倒す。

 それだけだ。

 だから、その先で。

 ……。

 

「そんなことだろうと思っていたわ」

 

 そう言って、エディータは身体を傾けて背負ったバックパックを見せる。

 彼女の小さな身体に似合わずかなり大型だ。遠足に向けて荷物を沢山詰め込んだ子供のようにも見えた。

 しかし、中身はそんな微笑ましいものではない。

 

「隊長の指示で弾薬をいくつか持ってきているの。ジョゼさん、下原さんのは替えマガジン二つ分……ブレイクウィッチーズの三人は多めに三つあるわ。切れたら言って」

「……わかりました」

 

 報告の段階で消耗戦のような状態になると予想していたのだろう。流石とも言うべき準備の良さだった。被弾すれば誘爆の危険性があるが、ミサイル機器であるフリーガーハマーを持っているエディータは元々後方支援が主となる。被弾する可能性は少ないだろう。

 そうでなくても、きっと一番の火力を持つエディータを護衛しつつ、という形となる。采配も文句なしだ。

 

「私のフリーガーハマーは弾数が少ないから、小型ネウロイ戦で半分から七割、大型に残りをぶつけるつもりよ。全弾使い果たしたら使い物にならなくなるから、その時は潔く退避するわね」

「その時、エスコートは必要かい?」

「馬鹿言わないで」

 

 ぷい、とエディータは顔を背ける。

 

「あなた達が墜落した時、回収するのが私ってだけよ」

「これはこれは」

 

 その様子に、ヴァルトルートはくくく、と喉を鳴らした。

 

「なに?」

「なんでもないさ。下原ちゃん、行けそうかい?」

「はい。小型ネウロイを殲滅しつつ、本体を確認した後……そこからは私も色々やってみますが……基本、皆さんに任せます」

「つまり、思いっきり叩けってことだね。行くよ、二パくん、ひかりちゃん!」

「……はい」

「うん!」

 

 目線だけで合図して、一直線に飛び立つ。

 弾薬の事は気にしないでいい。エディータが持ってきたマガジンが最後の一つになったら考えれば良いことだ。

 そしてすぐに、小型ネウロイが自分達の存在に気付く。

 びくり、と肩が跳ねるように蠢いた彼ら達に構わず、ひかりは手に持った九九式二号二型改13mm機関銃の引き金を押し込んだ。

 数が数だ。何処に撃ったって当たるだろう。

 

「――■■■■■■■■■ァ■■■!■!」

「来るよ!」

「わかってるって!」

 

 息を巻いて、小型ネウロイが押し寄せてくる。

 それはきちきちと、虫のような身体が擦れる音さえ響いてきそうなほどのおぞましい光景だった。

 それらを銃撃で迎撃しながら、三人は黒い空に飛び込んでいく。

 すぐさま視界がネウロイの破片と、その屍さえ越えて襲ってくる小型ネウロイで埋まっていった。

 

「補給船団護衛の時を思い出すね……! あの時もさすがにこれほどの数じゃなかったけど……」

「あの時みたいに一人でネウロイ倒しにいって怪我とかしないでくださいね」

 

 ヴァルトルートがぽつりと言った言葉に、ひかりが言う。

 皮肉めいていたが、ヴァルトルートは機嫌を良くした。

 発破にすらなっていないぞ、と。

 

「そっくりそのまま返すよ。ひかりちゃんこそ一人で倒しに行かなくて良いのかい?」

「それが出来ればとっくにそうしてます」

「だよねえ……っと!」

 

 襲ってきた一つのネウロイを銃撃で弾き飛ばす。

 魔法力のこもった銃弾はネウロイの硬い装甲を貫いて、なおかつその射線上の先に居た二体目すら撃ち抜いた。

 それでもその何倍、何十倍の数を持って小型ネウロイはうら若い少女達を亡き者にしようと襲い掛かってくる。

 止まってなんかいられない。

 一つ一つは小さいが、それでも数が無数になんかなれば、放たれる射撃は最早止めどなく波打っている。

 それらをかき分けて、押し抜いて、無理矢理に進んでいく。

 

「……きつ。イッルに会いたいなぁ、ヘルシンキのカフェが恋しいよ」

「僕もぶどうジュースが飲みたいねえ。これ終わったら一緒に飲もうよ、ニパくん。楽しい夜を過ごそう」

「やだよ。クルピンスキーさん酔うと死ぬほどめんどくさいから」

「ひどいなぁ。甘えさせてくれてもいいじゃないか」

「年下の部下に甘えるとか年上の上司としてどうかと思いません?」

「思わないね!」

 

 軽口を叩きながらだが、その戦闘技術は並のウィッチでは収まりがつかない。もし此処に初出撃です、みたいな新人ウィッチがいれば一〇秒とて保たないだろう。それくらいの厳しい戦闘下にありながら、彼女達は戦後どう過ごすかということを考えていた。

 無論、そんな事を考えていなければやっていられないくらい厳しいというのも確かなのだが――

 

「――っ!」

 

 迫ってきた小型ネウロイをひかりは銃身そのもので殴り伏せる。

 下手をすればフレームやら砲身やらなんやらが歪んで撃てなくなるほどの大雑把な攻撃だったが、一瞬銃へと魔法力を集中させることによって剛性を確保してなんとかする。

 そのせいでストライカーユニットに回す魔法力が足りなくなって動きが鈍る。

 見逃されるはずはない。

 迫る閃光。

 それを宙返りするように躱して射撃を返す。当たったかどうかなんて確かめる暇もない。

 そこから一息さえつかないで上昇。

 

「ニパさん!」

「うん!」

 

 呼びかけると、ニパはすぐにひかりの元へとやって来た。

 言葉にしないでもわかっている。

 背中同士を突き合わせ、

 

「おおおおおお……っ!」

 

 引き金を押し込んだ。

 フルオートの機関銃はその意志に背かないで銃弾を吐き出し続ける。

 そのまま弾が切れるまで回転しながら上昇、黒い雲を突っ切った。

 

(……先生は……)

 

 先陣を切った戦いとしてはここまでやれば悪くない。

 一度退避して弾丸を補給したかった。

 そう思ってエディータの位置を確認しようとすると――

 

「雁淵さん!」

 

 後ろから迫る小型ネウロイ。

 砲門を持っていない。速度と身体に任せて体当たりするつもりなのだろう。小型ネウロイでも大体車両程度の大きさはあるので、当たれば大怪我は免れない。

 しかし、ひかりは避けようともしなかった。

 そういうのが得意なウィッチならすぐ隣に居る。

 

「……頼みます」

「うん!」

 

 ニパがシールドを張る。

 硬いものがぶつかるような音が響いて、小型ネウロイの特攻は堰き止められた。

 しかしニパもひかりも銃弾が残っていない。

 ここで手をこまねいていてはすぐに包囲されて撃ち抜かれるだけだろう。

 でも、先程ひかりを呼ぶ声はニパのものでも、ヴァルトルートのものでもなかった。

 じゃあ居るはずだ。

 まだ殆ど放ってすらいない弾丸を持った定子、ジョゼ、エディータの三名が――思い切り先陣を切った自分達に追いついているはずだった。

 

「……っ!」

 

 がりがりがり、と何かが削れるような音。

 同時に小型ネウロイの身体にいくつも穴が空いて砕ける。

 

「雁淵さん……無事ですか!」

「……下原さん」

 

 心配するような声と一緒に、こちらまで飛んで来る定子。

 

「無事でよかったです」

「下原さんが声をかけてくれたからですよ」

「そんな……、時間が無いので色々省きますが、弾薬です。ロスマンさんから受け取ってきました」

「えっホント? 気が利きますね」

 

 差し出されたドラムマガジンに、ニパがぱあっと顔を明るくさせる。

 弾がなければ銃があっても撃てない。

 撃てるなら、まだ戦える。

 よーし、と意気込んで、ニパはまた小型ネウロイの大群向けて飛んでいった。

 

「雁淵さん、ロスマンさんがこれからフリーガーハマーの一斉掃射を行います。そこで出来た隙間から雁淵さんが大型ネウロイを補足、可能なら接触魔眼でコアの特定を行ってください」

「……わかりました」

「補足もしくはコアの特定が出来たならば一旦退避して再度作戦を練ろうかと思っています」

「出来るならそのまま倒してもいいんですよね?」

「……もちろんです!」

 

 ひかりの言葉に、定子は勢い良く頷く。

 ならばやるべきことは一つだ。

 息を整える。

 小型ネウロイは今もヴァルトルートとニパの両名が引っ掻き回し続けてくれている。今はそこにジョゼも加わって戦況は泥沼の様相だ。

 ここまでやっても大型ネウロイから射撃が届いてこないのはやはり先の定子の読み通り地形破壊と小型ネウロイ創造に自身のリソースを使い果たしているからなのだろう、とひかりは思う。

 そして少し後方でエディータが味方に当たらないよう狙いを定めながらフリーガーハマーを構えている。

 ストライカーユニットの全速力を持ってすれば射出されるミサイルなど簡単に追い越せる。

 発射してから少し待って……

 

「高火力を持っている、と知られればきっと狙われるので、先生をお願いします」

「……わかりました!」

 

 ひかりが言うと、定子は射撃で小型ネウロイを誘導しながらエディータの援護に入る。

 退避するにも安全圏を確保するのは大事だ。エディータの背にある弾薬に万が一誘爆なんてすれば彼女自身もただではすまない。

 ならば、そんなものなど持っていない自分達が責を追うのは当然だろう。

 

「クルピンスキーさん、ニパさん、行きますよ」

 

 インカムに手を当てて通信を送る。

 返ってくるのは無言。

 けれどそれだけで伝わったのか、射線を空けるような動きを取る。ジョゼも同じように後方へと下がった。

 それを見たエディータがすぐさまフリーガーハマーを射出する。

 意志を持ったかのように飛んでいくミサイルが、小型ネウロイの群れを吹き飛ばし、熱で焼き、木っ端微塵に変えていった。

 それで全てがどうにかなるわけではないけれど、ある一種の“道”のようなものは出来る。

 後は辿っていくだけでいい。

 エンジンが急激に音を立てる。

 それを置いてけぼりにしながら、一直線にひかりは飛んだ。

 

「――っ!」

 

 ヴァルトルート、ニパはその“道”が埋まるのを食い止めながら自身も流れに飛び込む。

 黒一色の世界に切れ目が刺す。

 台風の目みたいに、その中心は凪いでいた。太陽の光さえ差し込んでいる。

 そこで目の当たりにしたのは、

 この戦場を作り出した“元凶”と呼んでもいい大型ネウロイの姿だった。

 

 

 

「な、にこれ……」

 

 ニパが呆然としたような声を出す。

 当然だ。

 大型ネウロイにしてはあまりにも異形。

 まず、コアがそのまま露出している(・・・・・・・・・・)

 しかも特大のコアだ。このコア一つ分だけで大型ネウロイと呼んで差し支えないかもしれない。

 それを支えるみたいにして黒い装甲が下部に収まっている。それでも覆うには断然至らず、九割方が露出していた。

 さらにエンジンが駆動するように特大のコアが高速回転している。

 異形中の異形。

 かつて戦った“グリゴーリ”でさえ、ここまでの奇形は見られなかった。

 とりあえずコアが露出しているということはチャンスだと踏んで、三人で銃撃を放つ。

 ――が。

 

「弾かれる……硬いなこいつ!」

「いや違う! 回転で銃弾が弾かれているんだ……!」

 

 顔をしかめるニパに、ヴァルトルートがあわてたように言う。

 銃弾の全てをコアは自身の回転によって弾き飛ばした。多少なりとも傷はついているはずだが、こうも忙しなく回っていては確かめることも出来ない。

 それにネウロイはコアを傷付けたとて破壊まで至らないのなら再生する。視認すら出来ないほどではすぐに癒えてしまっているだろう。

 

「……、」

 

 ひかりも目を細める。

 あんな風になっていては触ることも出来やしない。触れるだろうが、その瞬間触れた手が弾き飛びかねない勢いだ。

 しかし、目の前のコアが偽造(ダミー)ということもある。

 とりあえず接触魔眼でコアの位置を特定しようと、高速回転していないネウロイ下部装甲目掛けて飛ぼうとした、

 その刹那。

 

「――■■■■……」

 

 息を吸い込むように、目の前の異形(ネウロイ)が胎動する。

 コアを支えるような位置にある下部装甲がぐぐぐ、と振り絞るように動き始めた。

 射撃なんて放たれていない。

 放たれる素振りもない。

 けれど、背筋に走る最大級の悪寒は大型ネウロイと相対する時そのもの。

 何かする気だ……!

 

「ひかりちゃん!」

「……ああ、くそ!」

 

 それを必死で押さえつけてひかりは大型ネウロイへと急いで迫るが、きっと駄目なのだろうということは頭の片隅でわかっていた。

 銃弾も放つ。けれどびくともしていない。

 当然だ。

 今のこれだって逃避みたいなものだから。

 目に見えていることが全てで、それ以外のことは冷たい水に触れさえすれば忘れてしまう程度のこと。

 手を伸ばす。

 届くか、

 届かないか。

 それさえ遠く霞んでいくほどの、

 ――衝撃。

 

「――ッッッッ■ッ■■■■■■■■■■ァ■■■■■■■■■■ァアアアアアア■■■■■■■■■■■■■■■■■!!■■!!!!!!!■■■■■!!」

 

 なんと、言葉にすればいいだろうか。

 それさえわからなくなるほど、色んなものがぐちゃぐちゃになりすぎて、個として成立さえ出来ていない何かが全身を波打って、流れていった。

 そのことを理解する前に遥か後方へと吹き飛ばされる。

 なんだ、あれは。

 遠く流れていく風景とともに、ひかりは必死になって脳裏へと光景を描き出す。

 起こったことは単純だ。

 ゴムを伸ばすがのごとく限界まで振り絞られたネウロイの下部装甲が、撃鉄のように高速回転するコアを叩きつけた。

 ただ、それだけ。

 ただそれだけのことなのに、衝撃は色さえ伴って自分達を叩いた。

 そして叩かれて砕け散ったコアの破片が地面へと降り注いで、地面を破壊していった。

 細かくなったものは小型ネウロイへと姿を変えて、大群の一つとなる。

 ああ、そういうことだったのか……

 

(となると、真コア型かな……)

 

 そんなことをぼんやり思いながら、速度が落ちるまで吹き飛ばされる。

 幸い衝撃波が大きかっただけで、威力はそれほどでもない。怪我もなかった。ストライカーユニットにも影響はなさそうだ。

 轟音だったので未だ耳がガンガンするが、鼓膜も破れていない。

 とりあえずそんな耳に鞭を打って、インカムに手を当てる。

 

「……クルピンスキーさん、ニパさん、無事ですか?」

「あーうん。ワタシは大丈夫」

「何あれ、すごかったねえ。僕も無事だよーひかりちゃん」

 

 聞こえてくる音声はざざ、とノイズが酷いが彼女達に問題はないようだ。

 手順にも問題はない。退避する手間だけが省けたな、と頑張って楽観思考しながら連絡を取り合って皆と集合する。

 幸い怪我を負った者もなく、予め立てておいた作戦に支障はない。

 ストライカーユニットの燃料だけが不安だが、感じ的にまだまだいけそうだ。

 そのことに対してひかりは本気で安堵する。

 このまま退却なんてことになったら命令違反は確定だからだ。

 退くわけにはいかない。

 ここで帰るわけにはいかないのだ。

 敵を目の前にして帰るなんて、そんな事許しておけないから。

 ……それより、もっと。

 今回のネウロイはどこか癪に障る。

 何故か、この手で殴って置かなければ気が済みそうにもなかった。

 

「皆無事で何より、ひかりさんはネウロイに触れた?」

「……いえ、ギリギリで触れませんでした。すみません」

 

 エディータが聞く。

 ひかりはそれに頭を下げて答えた。

 

「そう……でもあれじゃしょうがないわね。見てたけど、相当吹き飛ばされてたわよ」

「そんなにですか?」

「ええ」

 

 難しい顔でエディータが頷く。定子も何やら考え込んでいる様子だった。

 

「でもコアが露出してたよ」

「そうだね。でも自分で自分のコアをハンマーみたいなもので攻撃してたから、コアの中に真コアがあるめんどくさい奴っぽいよねぇ。しかもあんな風に吹き飛ばされちゃおいそれと近づけないし」

「あー……確かに」

 

 ニパとヴァルトルートがうーんと唸る。

 真コア型なら、結局のところ……

 

「じゃあどの道ひかりさんが触らないといけないのね。それはできそう?」

「……隙を見ればなんとか」

「確証はない……ってわけね」

 

 エディータが顎に手をやる。

 やり様はいくらでもありそうだが、どうやって行くか。

 フリーガーハマーの残り弾数も少ない。先程大幅に数を減らしたから多少は少なくても大丈夫だろうが、それでも不安が残る残弾数だ。

 逆に、他の五人に関しては残弾数に余裕がある。

 やはり、当初の予定通り……

 

「わかったわ。先程と同じ通りに、私がフリーガーハマーで敵を掃射した後、ブレイクウィッチーズの三人、ジョゼさん、下原さんで敵大型ネウロイに突撃。なんとかして敵コアを補足した後、撃破ということで……」

「待ってください、先生」

「……? なに、ひかりさん」

 

 エディータの発案に、ひかりが待ったをかける。

 

「コアは露出しているだけでなく、そのままそれ自体が独楽みたいに回転してました。銃撃はそれにほぼほぼ弾かれて意味がなくて……わたしの“剣一閃(つるぎいっせん)”なら接触魔眼と一緒にコアを殴れますが、多分その一撃じゃ破壊できないと思いますし、そもそも“剣一閃(つるぎいっせん)”だって何発も撃てません」

「……何か別のアプローチを考える必要がある、ってこと?」

「……そういうことです」

 

 今のところひかり自身が持つものではあのネウロイを撃滅に至るまでもっていけそうなものがない。

 何かうまい方法があればいいのだが、それも思いつきそうにない。

 今できることは、結局のところ。

 あのネウロイに触れるかどうか。

 それだけで、倒せるだなんて。

 楽観的な思考は――この隊の誰もしていない。

 

「……こうなると、退却も視野ね。今の私達では対抗手段が足りないわ。被害は大きくなるだろうけど、一度戻って、対抗部隊をなんとか編成して――」

「待ってください。それは、」

 

 エディータの提案に対して、ひかりは即座に首を振る。

 それは駄目だ。

 そんな馬鹿な事出来るわけない。

 だって、だって。

 

「一度だけ、チャンスを下さい。触れたなら、きっと倒してみせます。絶対です」

「ほんとうに?」

「……ほんとうです」

「どうやって?」

「……それは……」

 

 言ったは良いけれど、エディータの言葉に返せるものがなくて、ひかりは俯く。

 コアが見えたところで攻撃方法が無ければ倒せない。

 それでも倒してみせると、口だけで言っているように思えたのだろう。

 実際の所そうだ。

 倒し方なんて、今思いつきもしない。

 

「……ないのね」

「でも。やってみせます。ほんとうです。だから――」

「却下します」

 

 ぴしゃり、と言い切る。

 

「確証もないのに、自分の命をみすみす捨てるような貴方を見過ごしてなんておけないわ」

「……先生」

「それとも何? あなた、自殺願望でもあったの?」

 

 厳しい言葉だが、ひかりだってそう言われてもしょうがないことを言ったと思っている。

 ひかりの物言いはまさしく自殺志願者のそれだ。

 まともな神経をしていたら、見過ごしておけるものでもない。

 でも、

 でも。

 今ここで頷いてしまったら。

 諦めてしまったら。

 きっとあのネウロイには届かない。

 倒せないと認めてしまうことになる。

 そんなこと、お姉ちゃんはしなかった。

 管野さんだって、ずっと。

 最後の最期まで、ずっと。

 だったら、抗わなければならない。

 あんな、あんな。

 ――自分で自分を傷つけているくせに、あんな風に痛い痛いと泣き叫ぶようなネウロイなんて見てられない。

 今すぐ視界から消し去らなければどうにかなってしまいそうだ。

 まるで、どこかの誰かを見ているようで。

 途方も無く痛々しくて、どうしようもなくて。

 

「……確かに、そうかもしれません」

 

 エディータの言葉は的確だ。

 確かに今そうした方がいいのはわかる。考え込んでいる定子だって同じような事を考えているだろう。

 けれど、でも。

 此処で退くわけにはいかないのだ。

 何故なら、まだ何もしていない。

 何も成し得ていない。

 雑魚の有象無象をいくらか倒した所で満足なんてしない。

 彼女から貰った手袋も、

 彼女から受け継いだこの瞳も。

 まだ何の役にも立っていない。

 そんなのは嫌だ。

 嫌だったから。

 

「でも、それでも。無茶して傷を負っても、死んでないならジョゼさんが治してくれます。可能性がゼロじゃないなら、やってみなくちゃわかりません。例えその先で死んでも――相打ちくらいにはなってみせます。信じてください」

「……ひかりさん」

 

 ひかりの言葉に、エディータが面食らう。

 今のひかりから、こんなにも力強い言葉が出てくるなんて思っていなかったから。

 ――いや、彼女の言動はいつも通りだ。それを、力強いだなんて思ったのはどうしてだろう。

 そんなこと、考えなくてもわかっていなければいけなかったのに。

 ……単純な話だ。

 此処に居る誰もが、諦めて逃げ出したくない。

 それをわかっていて今、困難に打ちのめされようとしているのだ。

 ならば、そんな弱音を打ち消すほどの何かが欲しくてたまらないのは当たり前だろう。

 

「今更ビビって逃げ出すくらいなら、そもそも出撃なんてしなければいいんです。私達はまだ誰も死んでいません。怪我すら負っていません。なら、行けるでしょう。わたしを何だと思っているんですか?」

 

 そしてその願いにひかりは応えてみせた。

 諦めが根付いた心に、それでも“死に物狂い”で戦ってみせろ、と、そう言ってみせたのだ。

 だから、

 

「わたしは……」

 

 彼女は。

 

「――“ブレイクウィッチーズ”です」

 

 その“名”を、冠することが出来たのだと。

 凛と言い放つ。

 その気持ちに嘘偽りなんてない。

 かつて、この看板を掲げた少女が居た。

 彼女が居なくなったとしても。

 喪ったことを手に入れたから。

 それを目印にして、また集まれたから。

 ここに、居るから。

 

「その通り。僕らはまだやれるよ。ここで引き返すなんて、早計が過ぎるね」

「クルピンスキー……」

「ワタシだってまだまだ元気なんだから、先生はもう疲れちゃった?」

「ニパさんまで……」

 

 せっかくだ。

 それを蔑ろにするなんて、もったいない。

 少なくともニパとヴァルトルートは、掲げたそれを降ろすつもりなんて毛頭なかった。

 

「そうだね。先生はもうお手上げみたいだけど、下原ちゃん、ジョゼちゃんはどう?」

「ちょっと……私は……」

「私はまだまだ大丈夫です!」

「私だって、まだ雁淵さんの力になれていません。全然いけます!」

 

 ヴァルトルートの言葉に、ジョゼと定子も勢い良く頷いた。

 ここに居る者で、諦めているものなんて誰一人としていない。

 誰もが、この北欧の空を駆け抜けた歴戦の魔女(ウィッチ)だ。

 並大抵ではない。

 そしてそれは、先程退却を提案したエディータだってそうで。

 

「……まったくもう……」

 

 ため息をつく。

 諦めたくない、とは誰しも思っていただろう。けれど、予想以上の力強さで彼女達は“まだやれる”と言葉を返してきた。

 だったら、そうするまでだろう。

 無論、死なないように、

 勝てるように、

 帰ってこれるように、作戦を考えなければいけないけれど。

 それは退却して、部隊を再編するよりずっと難しいことだ。

 けれど一人でやることでもない。

 誰かの言葉を聞かなければならないだろう。

 ……少なくとも、こういう面に関してブレイクウィッチーズの三人は役に立ちそうにもない。

 だから。

 

「……下原さん、貴方は何か思いついた? 先ほどからずっと考えていたみたいだけど」

「あ、ええ……もしかしたら、と言った感じですが」

「聞かせて。それこそもしかしたら突破口になるかもしれない」

 

 エディータが定子に話の先を促すと、定子はおずおず、といった様子で話し始めた。

 

「……もしかすると、地形を破壊、小型ネウロイを創造するタイミングでハンマーを振り下ろした瞬間、コアの高速回転が止まっている可能性があります。そうでなくても、衝撃を放って雁淵さん達を追い払う目的で使用したなら――先に私、ジョゼの二人で囮となれば、自傷して疲弊したネウロイを後続で突っ込んだ三人がそのまま叩けるかもしれません」

「なるほど……やってみる価値はありそうね」

 

 出てきた言葉を吟味する。

 二通り出てきてくれた。ほんとうのほんとうに彼女が居てくれてよかった、とエディータは思う。

 確かめる意味でももう一度突っ込んでみるしかない。

 駄目だったらその時はその時だ。

 

「こういう時サーシャちゃんが居てくれたらなあ。映像記憶能力でどっちも確かめられるんだけど」

「隊長が出さなかったなら私達だけでやれると判断したんでしょう。それに彼女は彼女で今頃隊長の仕事の尻拭いで大変でしょうね」

「確かに。それはそれで大変だね」

 

 にひひ、と笑うヴァルトルート。エディータもそれに微笑みを返した。

 なあなあに流れていきそうな柔い雰囲気だが、真意はそこにはない。

 その証明に、ヴァルトルートが両手で頬を軽く張って意気込む。

 

「よし、じゃあ行こうか」

「……はい」

「ひかりちゃん、君が頼りだよ」

「任せてください。腕が砕けても触れてみせます」

「それは勘弁してほしいかな……」

 

 過剰に意気込むひかりに、ヴァルトルートは苦笑いする。

 けれど、そんなものでいい。

 自分だって人のことは――言えないのだから。

 

「安心して突っ込んできなさい。墜落しても私とユーティライネン大尉で回収してあげるから」

 

 幼さの中に年長としての知性と頼もしさを忍ばせた表情でエディータが言う。

 それに背中を押されて。

 再度、ひかり達は異形を倒すべくその身を賭した。

 

 

 

「順序はわかっている? 私がフリーガーハマーであらかた吹き飛ばすから、その後に下原さん、ジョゼさんが突撃。ネウロイが二人を吹き飛ばしたらその後にニパさん、クルピンスキー、ひかりさんが突入して、本体を叩くわ」

 

 再度突入しながらエディータが言う。

 大まかな流れだけで、詳しくは決めなかった。そのほうがやりやすいとエディータもわかっているのだろう。エースウィッチは顕著だが、ここ502はその中でもやりたい放題やる方だ。

 残り時間は少ない。

 手をこまねいているだけで目の前の大型ネウロイは侵攻に容易な環境を作り出していくだろうし、こちらとしてもストライカーユニットの燃料にも不安が募るところだ。

 

「ストライカーの燃料や残弾数も考えるとこれっきりになると思うから。駄目だったら再度作戦を考え直して再戦よ。こればっかりは譲れないわ」

「……わかりました」

 

 しぶしぶだがひかりが頷く。

 戦いたい気持ちだけがあっても飛べなければ、撃てなければ戦えない。直枝のように“剣一閃(つるぎいっせん)”だけで戦えるとも思っていない。必要に迫られればそうするつもりではけれど。

 ……再度接近してきたことに気付いたのか、小型ネウロイの大群がざわめき立つ。

 これからは余計なことを考えている暇もない。

 途切れなく向かってくる射撃を避けながら、ひかりは気を引き締め直した。

 

「行きます! ロスマンさん、お願いします」

「……わかったわ!」

 

 滅茶苦茶に射撃をばら撒きながらジョゼと定子が小型ネウロイの群れに飛び込んでいく。

 当てようとも思っていないが、数が数だ。何処に撃っても当たる。

 気を引き付ければそれでいい。本命はエディータのフリーガーハマーだ。それが群れにぶつかれば否応なく隙間が出来る。

 気の抜けたような音を立てて飛んでいくミサイル。

 それが爆風を伴って小型ネウロイを蹴散らしていく。

 

「……退くから、何かあったら言って」

「……了解です」

 

 これで全部。

 フリーガーハマーの全弾を打ち尽くした。最早飛んでいられているだけで彼女は何も出来ない。かといってフリーガーハマーで大量に蹴散らしているのだから目をつけられている。

 否応なく下がるしかない。

 けれど十二分に仕事はしてくれた。

 あとは自分達がなんとかすればいい。

 赤い目で黒い空の中を飛びながら、ひかりは飛び込んでいった下原、ジョゼの背を追う。

 それもすぐに小型ネウロイの波に紛れて見えなくなる。

 それから数瞬の後。

 

「――ッッ■■ッ■■■■■■■■■ァァア■■■■■■■■■■■■■■■アアア■■■■■!!!■■■!■!!!」

 

 ネウロイの絶叫と共に、空間さえ歪んで見えるほどの衝撃が空を叩く。

 飛び散ったコアの破片が周囲を破壊していった。

 そして細かくなった破片が小型ネウロイとなって、出来た隙間をさらに埋めていく。

 

『雁淵さん、今です!』

「……ありがとうございます、わかりました!」

 

 そして耳に入ってくる定子の通信を聞いた瞬間、エンジンに鞭を打つ。

 きっと帰ったら修理が必要だろうな、と思いつつ一気に加速。

 手に持った銃の引き金を強く押し込んだ。

 

「おおおおおおおっっっ!!!」

 

 小型ネウロイを蹴散らしながら、敵の元へ向かう。

 ニパとヴァルトルートも同じようにして後ろについてくる。

 そして、ふっと風景が途切れた瞬間、

 ――大型ネウロイはそこに居た。

 ボロボロになって、

 うまく回らなくなった身体(コア)をゆっくりと再生しながら。

 

「ビンゴ、ビンゴだよ下原ちゃん! 最高! 僕、君になら抱かれたっていい!」

「ひかり!」

「――はい!」

 

 笑顔で叫ぶヴァルトルート。ニパも同じような表情でひかりの名前を読んだ。

 応えるように、さらに急加速。

 焼け付くエンジンと、横目に流れていく空。

 

「――■■■■■■ゥウゥウ■■■■■■■■■■■ァ■■■■■■■■■■■■■■■■!?」

 

 第二波としてやってきたウィッチに驚いたのか、困惑したような声を異形(ネウロイ)は上げる。

 そのままに、ボロボロの身体で射撃を放った。

 なんだ、撃てたのか――そんな事を、放たれたそれを避けながらひかりは思う。

 しかし、そんなことは関係ない。

 手を。

 右手を伸ばす。

 

「――目標、補足」

 

 そして辿り着いた永遠の不可視の先。

 随分と手こずらせてくれた。

 けれど強いも弱いも、容易いも手強いも関係ない。

 現れたなら、

 そこにいるなら、

 彼らは“敵”だ。

 どんな理由があったとしても、どんな出自だとしても容赦しない。

 全てを屍に変えてやらないと気がすまない。

 ただ、それだけだ。

 

「……目標、補正」

 

 瞳の奥がじくじくと疼く。

 普通の視界とは違うそれが脳裏に広がっているのだから当然だ。何回使っても慣れやしない。

 それでも理解できる。

 雁淵ひかりの魂は、その使い方を誰よりも知っている。

 この形が唯一無二だと、そう叫んでいる。

 ならば、触れたその先でこの目に映るのは当然の道理だった。

 

「目標、最終補正――()()、だぁああッ!!」

 

 真コアは巨大なコアの中心部より少し下の方にある。

 そこ目掛けて、左手に持った九九式二号二型改13mm機関銃を乱射した。

 ニパとヴァルトルートも続いて射撃を放つ。

 が――しかし。

 

「小型ネウロイ……!? くそ、この期に及んで……!」

 

 射撃で削れたコアの破片から、小型ネウロイが生成される。

 それごと撃ち抜くが、巨大なコアと合わせて強固な装甲の役割を果たす。

 その間にネウロイは自身の再生に集中できる。

 

「――■■■■■■■■■■■■ぁ■■■■■■■ァアぁ■■■■■■■■■■■■■■――――!!!!■!」

「まずい、もう大分再生してるよ!」

「復活してまたあれをやられたら終わりだ……くそ!」

 

 普通のネウロイよりかは大分遅いが、それでもこのペースだと攻撃より先に再生の方が早くかたがつく。

 そうなったら終わりだ。

 ――作戦は失敗し、エディータの言うとおり退却しなければならないだろう。

 

「構いません、いきます!」

「ひかりちゃん……待って、それはほんとうに危ないって!」

「そんなの関係ありません!」

 

 しかし、コア目掛けてひかりは強引に突っ込む。

 此処まで来たのに、こんな事で諦められるか。

 こんなのただの悪あがきだ。そんなものに屈するわけにはいかない。

 近づけばもっと威力を確保できる。

 生じるのならそれごとコアを撃ち抜けばいいだけの話だ。

 

「おおおおっっ!!」

 

 小型ネウロイの身体で視界が真っ黒に埋め尽くされる。

 銃撃も放つが、一向に減る気配は見えない。

 コアも撃ち抜けているが、その度に増えるというのだから始末が悪い。

 

「ぐ……」

 

 生成されてまっすぐに飛び込んできた小型ネウロイの身体がひかりの右肩を掠める。

 正面から来るのは銃撃に撃ち抜かれて居なくなるが、側面から現れるものにまで手をつけていられる余裕はない。

 故に、身体のあちこちをガリガリと掠めていく。

 やすりで体の側面をひたすら削られているような気分だった。

 痛みで視界が真っ赤になる。

 と、思っていたらこめかみを掠めたせいで出血した血が目の中に入っていただけだった。

 焼け付く身体。

 次第に、感覚さえも希薄になっていくようだった。

 ああ。

 これは、

 これはなんだろう。

 何処かで、似たような温度を知っている。

 

「く、っそ、おおおおお……ッッッ!!!」

 

 まだ届かない。

 けれど、

 もう少し、もう少し。

 もう少し。

 あと数秒で届く。

 届くのに。

 がちり、と鈍い音が響く。

 

「弾切れ……こんな時に……うぐ!?」

 

 まずい、と思う暇もなく小型ネウロイの身体が真正面からひかりの身体を叩いた。

 シールドでなんとか防ぐ。

 しかしひかりの脆弱なシールドではそう何秒も防いでいられない。

 どうする。

 どうすればいい。

 血液を流しすぎて、体温が希薄になる。

 皮膚の裏側に染み付いた寒さに、見ないふりができなくなる。

 ああ、

 寒い……。

 暗闇の中を歩いている。

 霧のような、夜のような不確かさだった。

 どうしてこんな暗くて寒い場所に、わたしは居るんだろう。

 これから、どうしたらいいんだろう。

 そもそもあの時、どうしていればよかったのか。

 考えるけれど、わからない。

 なんでわからないんだろうという疑問にさえも答えは出ない。

 でも、その間にも、刻一刻と時間は無くなっていく。

 消え失せていく。

 なんで、

 どうして……

 

「あ、あ……」

 

 そのおぞましさに縮こまりそうになりながら、なんとか右手に魔法力を集めた。

 銃がなくても、わたしは。

 わたしには……!

 

「あああああああああっっ!!」

 

 獣のように叫びながら、目の前の小型ネウロイを殴り飛ばす。

 大丈夫。

 このくらいじゃ込めた魔法力はどこかに行かない。

 どこかに行っても、また込めればいい。

 ただ、ただ、それ だけの

 …………

 

「あ、ああ……ああ ああ あ ああああ……!」

 

 なんども、

 何度も意識が途切れそうになりながら、目の前の暗闇を一心不乱に殴りつける。

 弾の切れた九九式二号二型改13mm機関銃の銃身さえ盾のように使って。

 そのせいでフレームや砲身は既に歪みきっていて、修理に出したとて使い物になるかどうか……

 だから代わりに殴る。

 何度も何度も何度も。

 機械みたいに表情の抜けた顔をして、寒さに身を軋ませながら、ただひたすらにその拳を打ち付ける。

 それが端から見ればどんなに情けない姿か、考えることすらひどく恐ろしくてどうしようもなかった。

 うまいやり方なんてわからない。

 これしか出来ないからこうするだけだ。

 それしか知らないから。

 なんで、どうしてと考えても、もうしょうがない。

 しょうがないから、どうか、もう許して欲しい。

 なんで、どうしてと弱音を吐きながら歩むことを。

 彼女達のように強くもすごくもなれなかったから。

 こんなみっともなく戦うことに縋っても、誰かに力を借りないと胸を張ることすらできなかったから。

 だから……

 

「は、あ……はあ……!」

 

 そして、永遠にも思えるほどの一瞬を切り抜けた先。

 辿り着いたのは敵の本体。

 ここまで来たなら、やるべきことはただ一つだ。

 絶え絶えの身体をなんとか動かして、それ目掛けて拳を握りしめる。

 

「……終わり、だ」

 

 ストライカーユニットに回せるような魔法力なんて数秒前に途絶えてしまった。

 だから勢いは自らでつけなければいけない。

 身体を反らして、逆手に持ったナイフを叩きつけるようにして拳を振り下ろす。

 

「……(つるぎ)一閃(いっせん)……!」

 

 びき、とひび割れる音。

 放った拳は、ネウロイの根源(コア)を中心から叩き割った。

 次の瞬間、掻き消えるようにしてその大きな身体が白い破片となって世界へと溶けていく。

 それを確かめていられるような何もかもはひかりに残っていない。

 ぼやり、と視界が眩む。

 

「――ひかりちゃん!」

「ひかり!」

 

 ああ、寒い……

 消えていく意識の中、そんな不透明感だけが確かだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 書類仕事もだいぶ片付いて、ラルは執務室の中でぼんやりしていた。

 珈琲ばっかり飲んでいてもあれなので紅茶でも飲もうと思ったが、あいにく茶葉を切らしているみたいだった。

 ならば酒でも……と考えを巡らせていたのだが、今の時刻は午後四時。こんな時間から飲むのもなぁ、と気が引けていた。

 だからといって今飲まねば次いつ飲めるか……と思っていると、こんこん、とドアを叩く音が響いた。

 

「すみません、隊長――失礼します」

「ああ、サーシャか。先ほどはご苦労だった」

「いえ……隊長の助けになるなら」

 

 サーシャが居心地悪そうに入ってくる。

 普段はわりと堂々としているのでなんだなんだ、と思っていると――申し訳なさそうに言う。

 

「悪い知らせと良い知らせがあります」

「良い知らせから聞こう」

 

 即答。

 こういうのは良い知らせから聞くに限る。

 悪い知らせを聞いてもやっとした気分で良い知らせに集中できないのは嫌だ。

 どうせ悪い知らせなんて自分達がなんとかしなければならない面倒事の類だ。

 そんなもの聞いてからどうにかするかを考えればいい。

 終わりよければ全て良しなんてのは大嘘なんだというのがラルの持論である。

 

「先ほど撃滅した大型ネウロイですが――本体を倒しても小型の方は残ったそうですが、大方殲滅が完了したとのことです」

「そうか。隊員達は?」

「ひかりさんが怪我をしましたが……ジョゼさんの治癒魔法でなんとか無事みたいです。帰投も終わって今は医務室で眠っていますね」

「それはよかった」

 

 ほっと一息。中々の強敵みたいだったから、皆が無事で何よりだと思う。

 その安堵に任せて、行儀が悪いが机に頬杖をつく。

 わざわざかしこまって聞く必要もあるまい。

 だってそんなものだ。

 

「……で、悪い知らせの方だが」

「……そうですね」

 

 ため息をつくサーシャ。

 ほんとうのほんとうに憂鬱そうだった。こんな表情になるのは彼女にしては珍しい。

 何かがあったのだろう。

 

「……先ほど、観測班が確認しましたが」

「……まさか」

「そのまさかです。ほんとうに、どうしたものか……」

「……クソったれめ……」

 

 苦虫を噛み潰したような表情でラルが舌打ちする。

 いつか、いつかその日が来るとは思っていた。

 でもそれが――まさか、

 まさか今日この日で。

 大型ネウロイ戦を終えた直後だなんて。

 何もかもを呪いそうになる。

 けれどそうしたところでどうにかなるわけではない。

 最後通告みたいな残酷さをもって、サーシャの口が動く。

 断頭台に登っていく死刑囚のような気持ちだった。

 ああ。

 

「――“グリゴーリ”に動きがあったそうです」

 

 終わりが、近付いてくる。

 

 

 



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第4話 果てぬ痛み 前編

 暗闇の中を歩いている。

 ここでは何もかもがうまくいかない。

 走ろうとしても水の中に居るみたいで駄目だし、

 かといって止まろうとしても何処かぎこちない。

 故に、歩いている……というより、流されていると言えばいいだろうか。

 ああ、そうだ。

 流されている。

 予め定められた、大きな流れのようなものに沿って足を動かしているに過ぎないのだ。

 そんなあやふやな状態でいるのだから、起きたあとに何かを覚えていることは難しいだろう。

 ここには何もない。

 姉のようになれれば、こんな不出来な自分だって誰かに見てもらえるような気がした。

 愛してもらえるような気がした。

 彼女のようになれれば、こんなちっぽけな自分にだって胸を張れるような気がした。

 認めてもらえるような気がしていた。

 けれどそれすら否定されるみたいに二人は居なくなった。

 どうすればいいのかわからない。

 何を目指していけばいいのかすら。

 彼女達の後ろ姿を目指して走っていることだけが、唯一の望みみたいなものだったから。

 けれどこんな暗闇の中では止まっていることさえ怖くてしょうがなくて、

 ……うまく、いかなくて。

 例えばの話だ。

 夢を見ている間に何か良いことがあったとして。

 それが目覚めてしまえばなくなるのなら、

 瞼を開けている事にどれほどの意味があるのだろう?

 絶対真空の夜に取り残されて、過去に落としてきた何もかもを必死になって探すことで消費される今に、

 それだけを繰り返してきた未来に。

 一体、どんな意味を見出だせるのだろう?

 ……わからない。

 それさえ、わからない。

 悲しくて、悔しくて、情けなくて涙が出そうになる。

 けれど夢の中ではそれさえうまくいかない。

 何もかもを落としてきてしまった。

 それらを拾い上げられるとも思っていない。

 新しく得られる、なんてそんな都合のいい事もないだろう。

 これからもきっと落としていく。

 “当たり前”だと思っていた何もかもが崩れ落ちていくことでしか、

 過去を置いてけぼりにすることでしか、息を続けていくことすらできないから。

 

 瞼は閉じている。

 瞳に映るものは何もない。

 だったなら、目を覚ましていない限り、この暗闇だけが、

 ――真実だと、そう言えるだろう。

 

 

 

 *

 

 

 

「……さよならだね、チドリ」

 

 早朝、格納庫(ハンガー)の中。

 姉、孝美との部隊残留をかけた対決に負けたひかりは、最後に姉から借り受けていたストライカーユニット――チドリに最後の挨拶をしていた。

 最初はうまく使えなくて、真っ直ぐ飛ぶことすら危うかった。

 けれど今の今まで、孝美との対決すら出来るようになれたのはこの機体の力もあったことだろう。愛着もひとしおだった。

 心寂しい気持ちもあるが……それはしょうがない。

 もともと借り受けていたものだ。元の場所に収まるだけだろう。

 

「昨日は接戦だったぜ」

「……管野さん」

 

 そんなひかりの元に現れたのは直枝。

 朗らかな調子で、昨日のひかりの健闘を讃えていた。

 

「一瞬お前が勝つかも、って思ったくらいな」

「もしかして、わたしを応援してくれてました?」

「んなわけねーだろ。昨日はたまたま出来が良かっただけだ。もともと孝美とお前じゃ実力は月とスッポンだ」

 

 ひかりの軽口に、直枝も同じそれで肩をすくめる。

 けれどひかりはそれに少し俯いて、

 

「……ですね」

「……?」

 

 あっさりと言い放つ。

 その様子に、直枝は違和感を覚えた。

 何故なら、ひかりはいつでも明るく前向きで、ついでに言えば、底抜けの意地っ張りだったはずだったから。直枝が憎まれ口を叩けば直ぐ様それに対して異を唱えて、真っ向から立ち向かってきた。その気性が直枝としては歯ごたえがあって好むところだったのだが……今日の彼女は、それすら宿していない様子だった。

 

「……なんだよ、お前悔しくないのか? あんなに強くなりたいって言ってたのによ」

「悔しいけど、やれることはやりきったので、すっきりしました。やっぱりお姉ちゃんはすごいです」

「……ひかり」

 

 らしくない。

 ひどく、らしくない。

 そう思えるほどに潔いひかりの様子に、直枝は言葉が出なかった。

 いつもなら「此処に居る」とも。

 もしくは――「いつか、絶対に此処に戻ってくる」と強い口調で言いそうなものなのだが。

 何と言えば……

 そこまで喉元に出かかって、直枝はそんな風に思案を巡らせていることに腹を据えかねる。

 なんでこいつにこんなこと考えなきゃいけないんだ、と眉をひそめた。

 

「チドリ……今までありがとう。お姉ちゃんと頑張ってね」

 

 しかしひかりは、そんな直枝の問答に気付くこともなく、ボロボロのストライカーに手を当てる。

 昨日わがままは言いきった。

 そこで粉々に打ちのめされて、自分の代わりに孝美が完璧な仕事を果たしてくれると思えば何の遺恨もない。

 ……けれど。

 けれど、もし。

 今此処で、行きたくないなんて駄々をこねれば。

 涙ながらに一緒に居たいと訴えれば、どうにかなるだろうか。

 そんな考えが一瞬頭によぎって、ひかりは胸が詰まる。

 今更だ。

 沢山困らせた。ほんとうなら対決なんてしないままカウハバに送られる予定だったのだ。そこに無理を言って打ちのめされる機会まで作ってもらった。

 これ以上わがままは言っていられない。

 敗者は潔く去るべきだろう。

 

「おい」

「わっ」

 

 そんな風に考えを巡らせるひかりに、直枝は何か物を投げてよこす。

 ひかりは取り落としそうになりながらもあわててそれを受け取った。

 

「……この手袋……」

 

 見てみれば、それは航空パイロット等が使用する茶色の手袋。

 直枝が“剣一閃(つるぎいっせん)”を放つ際に魔法力を込める媒介として愛用しているものだった。

 

「選別だ。前に欲しがってたろ」

「……管野さん。ありがとうございます」

 

 かつて直枝が“剣一閃(つるぎいっせん)”を放つ所を初めて見た時、ひかりがひどく羨ましがったのを覚えていた。

 その際に手袋をいたく欲しがり、自分も練習するのだと意気込んでいたのはまた別の話だが……ここを離れるひかりに向ける選別として、これ以上のものはないだろう。

 ぱあ、と花が咲いたように微笑んで喜ぶ。

 

「けっ。負けて腑抜けきってるみたいだからな。そんな様子であっちでやってけんのかって思ってよ」

「……そんなのは、やってみなくちゃわかりませんよ」

「そーか」

 

 直枝の言葉に拳を握りしめて返すひかりに、安心したような気持ちになる。

 やっぱりこいつはそうでなくては面白くない。この調子であればあっちでもやっていけるだろう。

 ……でも、けれど。

 ほんとうなら。

 ほんとうなら、きっと。

 今じゃなくて――少し前。

 最初からこうできていれば。

 ちゃんと認めてやれれば。

 ……、

 

「わたしたち、離れても……相棒ですよね」

「……ふん」

「じゃあ、行ってきます」

「……おう」

 

 けれど、過ぎ去ってしまったものは、

 過ぎ行くものはしょうがない。

 かける言葉も未だ曖昧なまま、

 目の前の少女は。

 直枝を置いて、何処か別の土地へと行ってしまう。

 これが自分と最期に交わした言葉になるなんて、思いもしないままに。

 

 

 

 思い思いの言葉を交わして、皆に見送られてひかりはペテルブルグから旅立った。

 軍用車に乗せられて、丁重にひかりはスオムスへと送り届けられる。

 

「寒くないですか?」

「いえ、全然平気です」

「502のウィッチの方を運ぶことができて、小官は光栄です」

「……もう502じゃないんですけどね」

 

 もう502のウィッチでもないのにこんな待遇で……と思ったけれど、それだけ自分は大事に思われていたということなのだろう。見送りの時も孝美の姿は最後まで見れなかったけれど、ヴァルトルートにはお守りということでリベレーターという名のハンドガンを、定子には弁当まで持たされた。控えめに見積もっても悪くない別れだったと思う。

 そう思うとなんだか嬉しかった。

 あそこから去る意味も少しくらいはあるような気がした。

 

(……これから、どうなるんだろ)

 

 今思えば、夢みたいな日々を過ごしてきたみたいだった。

 優秀なウィッチは軍学校へと入り、士官教育を受けながら訓練に勤しむ。実力に問題無しと判断されれば各国に派遣もしくは扶桑の国力として働く。

 そしてそこへと及ばないウィッチは予備学校で鍛錬を重ね、軍学校入学を目指す。

 その予備学校ですら落ちこぼれだった自分が最前線のペテルブルグで戦うなんて、あそこでがむしゃらに海渡りの練習を重ねていたあの頃からすると考えもしないことだった。

 少しは、あの頃憧れた姉に追いつけたのかな、と揺れる車の中でひかりは思う。

 そうだったらいい。

 追いつけはせずに敗れたものの、少しでも姉の背に迫っていられたのなら、それ以上の喜びはない。

 だって自分とは違うから。

 こんな出来損ないの自分とは違う事を再確認できて……なんだか、嬉しかった。

 敗北感とも違う、暗い喜びがあった。

 全身全霊でぶつかって、それでなお打ちのめされるような、そんな事を望んでいたような。

 何故なら。

 だってもう、歩いていかなくて、いい。

 報われるかもわからない不確かさの中に飛び込んで行かなくてもいい。

 これからはようやく誰かに与えられた使命を胸に……

 

(……そう、そうだよね)

 

 カウハバでの日々は502で過ごした日々ともまた違う慌ただしさがあるだろう。

 無為に命を落とす危険性も少なくなった。しっかりと地に足をつけて歩んでいけるだろう。

 そこでまた力をつけて、姉のような立派なウィッチを目指していけばいい。

 元よりそれ以外に望めることなんてない。

 ないから。

 だから、だから。

 未だこの胸を灼く焦燥感は嘘だと。

 今歩もうとしている道は絶対的に正しいのだと。

 ――誰かに、そう、言ってほしかった。

 

「では、ここからは列車移動になりますので」

 

 それから車に揺られること小一時間。現在地はペテルブルグにある列車の駅。

 ここからは電車でスオムスに向かうとのことだった。

 駅周辺にはこれから“豊穣の女神(フレイヤー)作戦”に参加するであろう軍人や、予想される戦闘に備えて疎開する民間人の姿があった。

 

「はい、ありがとうございました!」

 

 ここまで送ってくれた軍の人に礼をして、駅へと向かう。

 そこからの予定は、確か……

 

「えっと……確かスオムスからの迎えの人が……」

 

 スオムスから迎えが来ているそうなので、合流してカウハバの基地まで向かう。

 あちらの基地は変人揃いと聞いているので、果たしてどんな人が来るのだろうか……ちょっと不安だった。

 

「よう」

 

 そんなことを考えていたひかりに、後ろから声がかかる。

 聞き覚えのある、お気楽そうなちょっと間延びした声。

 間違いない。

 この声は。

 

「あ……エイラさん、サーニャさん! 迎えに来てくれたんですか?」

 

 かのスオムスが誇る、通称“ダイヤのエース”。

 これまでのネウロイとの戦いで未曾有の被弾数ゼロ。シールドすら張ったことがないらしい。

 少し前には第501統合戦闘航空団“ストライクウィッチーズ”の一員としてガリア開放すら果たしたエイラ・イルマタル・ユーティライネンの姿がそこにあった。

 隣にはエイラと同じく501の隊員だったサーニャ・V・リトヴャク。

 触れれば壊れてしまいそうな儚い美貌を持つ銀髪の少女だが、ひかりと同い年の若干14歳にして、中尉という階級にまで登り詰めたエース中のエースだ。

 

「久し振り……ってほどでもないな。ごはん食べたかー?」

「ええ、下原さんにお弁当を作ってもらって。車の中で」

「そっかー下原のは美味かったもんな。宮藤もびびるんじゃないのか?」

「宮、藤……?」

「あーごめん、こっちの話。サーニャもそう思うだろ?」

「ええ、そうね」

 

 エイラの言葉に微笑むサーニャ。

 彼女の言う“宮藤”という此処には居ない少女は、いちおう軍の間では機密となっている。ガリア開放に纏わる話もそうだが、軍を不名誉除隊となったからだ。

 ひかりも彼女を知る機会はこれからも無いだろう。

 が――しかし。

 負傷した傷が元で昏睡状態に陥った孝美の傷を癒やしたのは、類まれなる治癒魔法の才能を持つ宮藤芳佳――彼女に他ならない。

 すれ違うように行き違った、どこか似た雰囲気を持つ扶桑生まれの二人の少女(ひかりと芳佳)

 その運命が交わる日があるかもしれない。

 そんなありえない妄想を側に置いて、エイラは目の前の少女へと笑いかける。

 

「さ、こんな寒い所で話しててもなんだしさっさと列車に乗り込んじゃおうな」

「あ、はい!」

 

 エイラとサーニャに連れられて、ひかりはスオムスの駅に入る。

 列車に乗るのは初めてなので色々と珍しいものだったが、エイラとサーニャは慣れているようで悠々と駅構内を歩いて行く。

 しばし内装に見とれて遅れながらも、ひかりは彼女達を追っていった。

 そして、いくつもあるホームからスオムスに向かう列車に乗り込み、しばし発車までの時間を過ごす。

 かなり502の面々に離れるのを惜しまれたので遅刻気味だったが、もともと早め早めにスケジュールが組まれていたようで結構な時間を待った。

 

「ニパさんから、迎えに来て欲しいって連絡があったの」

 

 そして少し経った後、無事に発車した列車の中。

 初めて乗る列車に新鮮な思いのひかりにサーニャが言った。

 

「ニパさんが……?」

「ひかりのことすっげー心配してたぞ」

 

 面白げにエイラが言う。

 一人で向かうひかりを心配したニパが連絡をして、無理を言ってあちらから来てもらったらしい。

 元々ニパは気難しいところがあって、スオムスに居た頃には様々な問題を起こしていた。そんなニパを知っているだけに、新人のひかりに対してこうも面倒見の良い所を見せるとはエイラも思っていなかったのだ。

 

「だからっつって私達にその役目が回ってくるとは思ってなかったけどさ。面倒だけど、まーひかりの迎えなら任されるのも吝かじゃないんだな」

 

 にひひ、と口元を緩めて笑う。

 そんなエイラに、サーニャが眉を顰めた。

 

「もうエイラったらそんな言い方……」

「あーサーニャ、違うんだよ、言い方というか、言葉の綾みたいなもんでさ……」

 

 わたわたとうろたえる。

 スオムスでも名実ともにトップエースということで様々な功績を持つ彼女でも、目の前の一人の少女に対しては形無しだった。

 ひかりはアウロラやサーシャ、そしてニパから彼女がどれほどに凄いかいつも聞いていたし、実際会ってその言葉は嘘ではないと知った。しかしそれほどのウィッチでもやはり一つ二つ弱点はあるもので、エイラにとってそれがサーニャという年下のウィッチというだけだった。

 それは去年の年末に出会った時から変わらなくて、501でも出会ったときから彼女達はそうなのだろうなあ、ということがひかりにも窺い知れた。

 

「と、とにかく、そういうことだからニパには感謝しとけよな。次会ったら抱きしめて感謝の言葉を囁くくらいしないと割に合わないかもしれないぞ」

「ええ……そうですかね……?」

「もちろん! 可愛い後輩にそんなことされたらあいつ嬉しくて飛び上がって泣いちゃうかもな。にひひ……想像しただけで笑えてくる」

「もう、エイラ!」

「ち、違うよサーニャ! これはだな……」

 

 それこそ飛び上がって泣きそうになりながらエイラが弁解する。

 その姿にひかりが苦笑いをこぼしていると、

 

「……!」

 

 サーニャの頭上すぐに光の筋が走る。

 ――魔導針。

 魔法力で構成されたレーダーのようなものだ。

 目視によって哨戒任務を行うことが困難な夜に、魔法力を使って哨戒を行う時に用いるものだ。

 適性があるものとないものの差が激しく、一般的な航空ウィッチは魔導針に対しての適性を持っていない。故に、この魔導針に適性のあるものはもっぱら夜間任務を行うナイトウィッチになることが多い。

 サーニャはナイトウィッチの中でも随一の能力を誇り、501でも腕利きのナイトウィッチとして夜間哨戒を担当していたらしい。

 502でも下原がその役目を背負っていたが、彼女は魔導針を使えない。固有魔法による夜間視でどうにか賄えていたというところだ。

 

「……サーニャ?」

「空……」

 

 ぼそり、とつぶやくように言う。

 その意味は……サーニャと時間を多く過ごしてきたエイラだからわかる。

 平常時では見られない何か特異なものが上空にあり――そこに魔導針が反応した、ということだ。

 直ぐ様窓の外に目線をやるが……何もわからない。

 もっと空高く、ということなのだろう。

 ひかりが窓を開けた。

 

「……あ!」

 

 そして、その表情が弾む。

 次いでエイラも開け放った窓の外に視線をやった。

 

「……502が出撃したのか」

「はい!」

 

 今日は“豊穣の女神(フレイヤー)作戦”決行の日だ。502はその作戦の要である。少しでもストライカー燃料を節約したいか、もしくは長距離の移動なら車や飛行機で輸送されるが、激しい戦闘が予想され、なおかつ近場の戦地へと向かうならストライカーユニットでそのまま向かった方が手っ取り早い。

 もちろん相手は“グリゴーリ”、激しい戦闘が予想され、場所もペテルブルグからかなり近い。

 隊列を成して描かれる九つの軌跡(コントレイル)が北欧の寒空を白く切り裂いて遠くなっていく。

 

「あれは隊長! あれはサーシャさん!

 ……ロスマン先生、下原さん、ジョゼさん!」

「……よく見えるなぁ」

 

 一つ一つの軌跡を指差しながら名前を呼ぶひかりに、エイラは感嘆する。

 とんでもない視力だ。何キロ離れているかもわからないというのに。魔法力で強化されているとはいえ並のウィッチではきかないぐらいだった。もちろん魔眼持ちのウィッチは殆ど視力が並外れていいというのもある。ひかりもその例に漏れないみたいだった。

 

「左は、クルピンスキーさん……ニパさん、管野さん!

 ……それから……」

 

 一つ一つ指差していって、最後の一人。

 きっと、自分をここから遠ざけるために無理矢理いがみ合ってくれた……孝美。

 

「ねーちゃんか?」

「……はい」

 

 エイラも事の顛末は知っているのだろう。

 話していると相当な朴念仁のようだったが、ひかりの内にある気まずい気持ちはわかってくれたのだろう、心配そうな表情でひかりの指差す先を見つめていた。

 ……こんなことになってしまったけれど。

 今回の作戦は、前孝美が負傷し昏睡状態に陥った戦闘と同じ、もしくはそれ以上の危険な作戦だ。

 リスクのある“絶対魔眼(ぜったいまがん)”を使わないでいられるか……いや、状況がまずくなれば即座に使うのだろう。

 そうなれば、命に関わってくる。昏睡状態じゃきかないかもしれない、死んでしまうかもしれない。

 孝美の性格をよく知っているだけに、気が気でなかった。

 だからこそ、願う。

 

「……お姉ちゃん、頑張って……」

 

 今回の作戦が終われば、ひとまずは一つ状況が落ち着く。

 まだネウロイとの戦いは終わることなど無いだろうが、死ぬなんてことにはならない。

 そうしたら、いつかきっとまた会えるだろう。

 だったなら、前みたいに笑いあって過ごせる日々がくるに違いない。

 そんなにおかしなことじゃない。姉妹だからわかる。ずっと一緒に過ごしてきたからわかる。

 ……ずっと、憧れ続けてきたのだからわかる。

 そんな日をお互いに待ちわびているというだけ。

 

「まーそんな湿っぽくなるなって」

「……?」

 

 じゃーん、とポッケからエイラは箱のような何かを取り出す。

 

「気分が落ち込んだときでも、美味しいお菓子を食べれば、うきうきはっぴーになるもんさ」

 

 そしてその箱を振って、ひかりの手一杯に中身を取り出してやる。

 それは焦げ茶色の、皆大好きなお菓子にぱっと見は似ていた。

 

「わあ、チョコレートだ……いただきます!」

 

 その手一杯のお菓子を、ひかりは一息で口の中に放り込む。

 チョコレートは皆大好きだ。故に価値があり、ウィッチでも中々配給されるものじゃない。全員分に一つずつパッケージが渡されても取り合いが起こるくらいだった。

 それを手一杯くれるなんて……!

 満面の笑みで口の中に放り込んだものだが、そんなひかりの軽率さを嘲笑うかのように、エイラは言う。

 

「チョコじゃないぞ。サルミアッキだ」

「そ、そんなに一杯……!」

 

 その味を知っているサーニャは一気に青ざめる。

 サルミアッキ。エイラの住むスオムスでは一般的かつ庶民的なお菓子だが、国外からすればその味は中々受け入れてもらえるものじゃない。納豆が外国では不人気なのと同じように。

 ともすれば世界一不味い菓子とも言われるくらいだから。

 

「……っっっっ」

 

 それを知らないまま口いっぱいに頬張ったひかりの末路は当然、

 

「あ、おいひかり!?」

「ひかりさん……!」

 

 意識がふっと遠くなる。

 ニパは502との触れ合いの中で扶桑の人間がこのお菓子を好まないと知っていた。だからひかりに勧めるなんてことはしなかったのだ。

 そしてエイラはニパと同じようにこのお菓子が大好物ではあるのだが、様々な国の珍味が出てくることが常だった501では平凡なものくらいだと割り切っていた。まあ人に合う合わないはあるだろうが納豆や肝油よりマシ、と。

 それが良くなかった、というだけの話。

 悶絶するひかりをよそに、列車はスオムスに向けて走り去っていく。

 サルミアッキは二度と食べない、という彼女の決意と共に。

 

 

 

「……っはあ! びっくりした……」

「大丈夫……?」

「どうだ、いけるだろ?」

 

 水筒の中身を一気に半分ほど飲み干して、一息つく。サーニャが未だ心配そうしていたが、どうにか山は越えた。

 自身でそれを美味しそうにもぐもぐしながら言うエイラ。

 そんなわけあるか、という言葉を水と一緒に飲み込みながら、ひかりは未だ脳裏にこびりつく悪夢を払いのける事に集中していた。

 そしてそんな矢先に、またもサーニャの魔導針が反応する。

 

「……始まったみたい」

「えっ……」

 

 その言葉に、ひかりは飛びつくように窓の外を見やる。

 始まった、というのは“豊穣の女神(フレイヤー)作戦”のことだろう。

 が、しかし窓の外の景色は雪の積もった針葉樹が延々続くだけ。戦闘の様相など欠片もなかった。

 

「こっからじゃ見えないって。作戦地はもっとずっと後ろの方だ」

「そんな……」

「しょうがないさ。これから向かうスオムスとオラーシャの作戦地じゃ方向が間逆だからな」

 

 はあ、とうんざりしたようにため息をつくエイラ。

 それでも状況を拾えるのはサーニャの力量がそれだけ優れているということだ。魔導針が使えてもこんなことができるウィッチはそうそういない。

 

「あーあ。私達も出撃したいなぁ。これじゃ暇でしょうがない」

「スオムス軍はバックアップでしょ? それに、私達はひかりさんを送り届けなきゃいけないわ」

「それはそーだけどさぁ……ネウロイの巣の手強さは私達もよく知ってるだろ? 生半可じゃ行かない相手だ。少しでも戦力は多い方がいいのにさ」

 

 ぶーたれるエイラ。

 今回の作戦は“ペテルブルグ軍集団”が表立って決行することになっている。スオムス軍はそのバックアップ――縁の下の力持ちでしかない。目立って活躍してはいけないのだ。得られる戦果と、その責任の先がぐちゃぐちゃになってしまうから。

 馬鹿げてる、と思わないではいられない。

 ネウロイとの戦闘は、戦果や軍、名誉や報奨などを振り切って、全員で手を取り合って行うべきものだ。一度滅亡までリーチがかかったというのに、未だ軍上層部はそれを理解できていないらしい。その事実が、今回の作戦だと言えるだろう。

 もちろん、攻勢作戦を発動できること自体は好ましいものではあるが。

 

「まじであいつら脳味噌どうにかしてるよ。ガリアの時も結局……まあこれはいいか」

「エイラ……」

「わかってるって。こんなこと表立って言うわけない。それにここは私とサーニャ、ひかりで貸し切ってあるし、護衛もあいつらより私達のほうが強いから必要ない。監視の目も無いさ」

 

 はあ、とエイラはため息をつく

 ガリア開放の件は機密だし、ともすれば反乱の意志あり、ともとられかねない言葉だっただけにサーニャの身体がこわばった。

 それをなだめながら、エイラはどこか遠い目をして言う。

 

「……ほんと馬鹿げてるよ。こんな事に何の意味があるのかもわからない。ただネウロイを倒すだけじゃ駄目なのかよ……駄目なんだろうな。こんなんじゃネウロイを倒しきれてもその後が思いやられるよ」

「エイラさん……」

「時々軍所属のウィッチなんか辞めてやりたくなるよ。でもそれだとストライカーユニットは使えないし、大事なものを守ることだってできなくなる。だから仕方なく“言いなりになってやってる(・・・・・・・・・・・・)”。そんなもんさ」

 

 その言葉は、スオムスのトップエースにしてはひどく投げやりだった。

 伝え聞く華々しい活躍がものすごいだけに、彼女の擦れた言動は際立って見える。同じエース同士、戦っていて感じるものもあるのだろう、直枝やヴァルトルートも時々同じような物言いをすることがあったけれど、ここまでではなかった。

 何を……何を視てきた(・・・・・・)のだろう。

 その目は何故か、どこか孝美と同じような雰囲気も感じた。

 見た目も、声も、性格も何もかも違うというのに。それでも似たふうに思える事が不思議だった。

 

「……お姉ちゃん……」

「んあ? ……おーし、ちょっと待ってろー」

 

 思わず口にすると、孝美のことを未だ心配していると勘違いしたエイラが無理に笑顔を作ってみせる。

 そして、

 

「じゃーん、っと」

「これは……無線機……ですか?」

「そうそう。へへ、待ってろ……お?」

 

 後ろの席に置いてあった荷物から、無線機を取り出す。

 その規格は間違いなくペテルブルグ軍集団が使用しているもので、どこかからかっぱらってきたのだろう――チャンネルもほぼほぼ合っていた。ダイヤルも回しきらない内に、通信が流れてくる。

 

『第八航空隊、二〇五空域にて、小型ネウロイ一〇体と交戦状態……!』

 

 それは紛れもなく、ペテルブルグ軍集団が――第502統合戦闘航空団がネウロイの巣、“グリゴーリ”と戦闘を開始した合図に他ならない。

 他にも色々な通信が入ってくる。

 戦況や、現在の軍の隊列など。超大型列車砲“ドーラ”、“グスタフ”の発射準備が着々と整っていることも。

 このまま行けば間違いなく作戦は完遂されるだろう。

 そして、“グスタフ”が発射した超爆風弾が“グリゴーリ”を取り巻く雲を吹き飛ばしたらしい事まではわかった。

 そこで――……

 

「……あれ?」

「あーいいとこなのに……」

「すごい電波障害……!」

 

 恐らく雲を吹き飛ばされて脅威を認識した“グリゴーリ”が発している瘴気のせいだろう、ひどい電波障害が無線機を襲った。

 このままでは何もわからない。

 

「どうなってんだーおい……!?」

 

 色々ダイヤルをいじくったりしてみるも、繋がる気配は一向にない。

 こうやれば、もしくは……色々やるけど、エイラはすぐに放り投げてため息をついた。

 

「あーやってらんないぞこれ。やめだやめだ。ほっときゃその内繋がるだろ」

 

 電波障害が起こったのはちょっと前の事なのに一気にどっと疲れた顔をして、座席に体重を預ける。エイラはストライカーの整備も自分でやるので色々機械については詳しいつもりだが、無線機や電波障害についての知識はない。少しだけある機械の知識を含めて考えても、“どうにもならない”と匙を投げるには十分な結論しか出なかった。

 

「サーニャ……魔導針には何かひっかかるか?」

「いえ……瘴気がひどくて……」

「そっか……ここまでくると“グリゴーリ”のやつが出してるんだろうな。気になるけど……まあうまく行ってるみたいだし、問題ないと信じるしかないなー」

 

 投げやりなのか信頼してるのかわからないような事を言う。そして、頭の後ろに両腕を回してだらけた。

 だらしない姿だったが、どこかアウロラの面影も見えるようで不思議と堂に入っていた。

 

「悪いひかり。中途半端になっちゃってやきもきさせちゃったな。サルミアッキ食うかー?」

「いえ……それに、お姉ちゃんなら、なんとかしてくれると信じてます」

「そうだそうだ。なんてたってお前けっこう見どころあるんだぞ? 私が言うんだから間違いない。そんなお前を下したって言うんだから、お前のねーちゃんはほんとすごいんだからな」

「……そうですね。そうです」

 

 エイラの言葉に、神妙な表情でひかりは頷く。

 納得しているというより、自分に言い聞かせているみたいだった。

 そんなひかりに、ぱっと思いついたようにエイラは言う。

 

「あ、そうだ。暇つぶしがてらちょっと占ってやるよ」

 

 懐から取り出したのはサルミアッキに引き続き細長い塊。

 よく見るとそれは札の束のようで、そこには色々な絵柄が描かれていた。

 

「なんですかそれ?」

「タロットカードだよ。これを使って占いするんだ。私の占い、結構当たるって評判だぞー? 食堂開けるかも、ってくらいな」

「食堂……?」

「まー何年もやってるからなあ。占ってほしいこととかあるか? 恋愛運でも結婚運でもなんでもいいぞ」

「うーん、そう言われると特に……」

 

 ひかりは首を傾げる。

 姉の無事はどうなのか、と言ってみるもそういうのは本人でないと意味がないらしい。ひかりが無事かどうか占ってもしょうがないので、占ってほしいことは特に……

 

「あ、そうだ。わたし、これから強くなれますか? 立派なウィッチになれますか? お姉ちゃんみたいに!」

「お、いいなーそれ。早速占ってやるよ……むにゃむにゃむにゃ……」

 

 タロットカードをよく切ってから、んなあーまじろ! と変な掛け声を叫んで一枚引く。そんなエイラを苦笑いでサーニャは見つめていた。

 この奇行に見える何かもいつもの事なのだろう。とひかりは思った。エイラの物言いとサーニャの様子では当たるかどうかも怪しいが、きっと景気づけにはなる。

 

「女教皇の逆位置か……うーん」

「それってどういうことなんですか?」

「んー? あーなんだろな。とりあえず、ねーちゃんみたいになるのは厳しいかもな」

「ええ……? ほんとですか?」

「お前はお前になるしかないってことだよ」

 

 きっぱりと言い切る。

 その様子がやけに自信ありげだったので、何となく説得力みたいなものがあった。もちろん虚勢だが。

 

「ええー……そんなぁ……」

「まー良い結果が出るとは限らないもんだからなーこればっかりは」

「あ、でもロスマン先生も確か同じような事言ってましたよ」

「へーそうなのか? じゃーそういうことだな。やっぱ当たるぞーこれ。マジすごいなー私」

「もう、エイラったら……」

 

 女教皇の逆位置の意味は悲観、現実逃避、疑心暗鬼――などだ。逆位置という事もあって、あまりいい意味のあるものではない。要約すると“現実を見ろ”というメッセージの意味合いが強い出目だ。ほんとうに当たるかどうかは置いておいて、エイラなりに少し慮ってみたものの、どうにも先人が居たらしい。それなら説得力もひとしおだろう、と思う。

 ひかりはほんとうのほんとうに憧れだけでここまで突き進んできた少女だ。

 けれど、雁淵ひかりは雁淵ひかりにしかなれやしない。

 雁淵孝美や、管野直枝――引いてはエイラ・イルマタル・ユーティライネンになることもできないのだ。

 その憧れは、その熱源は、歩く道の支えにはなってくれるだろうが、道そのものにはなってくれない。

 先に行こうとすればするほど、きっと未踏の場所に踏み込んでいかなければならないだろう。

 そして、それは、途方もない暗闇の中を歩いていくことに他ならないから。

 そこまで思い当たってぞっとする。

 ああ。

 確かに、目の前の少女だって、そうだった。

 

「……なあ、知ってると思うが、私の固有魔法は未来予知っていう馬鹿みたいな能力だ」

「そうですね、その能力を操るエイラさんだからこそ被弾数ゼロ……を成し遂げられてるってことですよね。すごいです」

「ま、それもそーだが」

 

 なんだかエイラは一気に落ち着いた様子で言った。

 それは別にひかりの言葉が癪に障ったとかそういうことではなく、彼女自身が元々持ち合わせていた聡明さで、纏う少女らしからぬ大人びた雰囲気がそのことを証明していた。

 

「……私の未来予知の能力っていうのは、夜を視るようなものなんだよ」

「夜……ですか?」

「ああ。一〇〇〇通りの可能性の中で、九九九通りの致死を捨てて、一の生存を掴み取る。先のない死は――まさしく広がる夜みたいなもんだ。その中で輝く星を……生存を探すんだ」

 

 どこか遠い所を視るように言う。

 その目には言っている言葉通りの実感や達成感、そして成功談を語っているような確かな輝きは宿っていない。

 どこか他人事のようだ。

 

「……ピンと来ないか?」

「え、ええ……」

 

 言葉で言われても想像がつかない。

 ひかりも、エイラと同じく感覚で物事を把握するタイプだ。それは去年の暮れ、サーシャに頼まれてエイラが教壇に立った時にわかっている。

 そして――こればっかりは直面してみないと理解できるものでもない。

 ああ、ふざけてると思う。

 馬鹿げているとも。

 ――こんなもの、視ないで済むならそれが一番いい、と。

 

「でも、他のウィッチだってそんなもんだよ。私がたまたまそれを見つけやすいってだけで、皆夜を視ているんだ。先の見えない中で、それでも未来に繋がる星を探す。サーニャだって、ひかりだってずっと夜を視続けてる」

 

 言いながら、エイラは501の魔眼持ちである坂本美緒の事をふっと思い出す。

 彼女はひどく一本気で、芯がはっきりしているというか、有り体に言ってしまえば心が強い。

 そんな彼女ですら、その魔眼を普段は眼帯で閉じてしまっていた。

 “見たくないものを見ないように”していたのだ。

 それは彼女の魔眼が片目だけに宿ったことだからできることで。

 両目を隠すことがかなわない孝美やひかりは、これから何を見るかわかったものじゃない。

 何もウィッチの魔眼が見通すのはネウロイのコアだけじゃないのだ。

 “あんなもの(・・・・・)”、直視し続けていたら心が壊れるというのに。

 見ないふりすらできないなんて。

 はは、と思わず乾いた笑いが溢れる。

 

「ウィッチじゃないただの人だってソレは変わらない。生きるってことは、先の見えない暗がりの中を歩いて行く……夜を視るってことなんだ」

 

 けれど、それでも。

 501を先頭で引っ張っていった美緒の姿。

 伝え聞く孝美の勇姿。

 どれだけ歩いても果てることのない“暗闇(よる)”を視続けてきた彼女達は、きっと。

 自らと同じように思い知ったに違いない。

 だからきっと、目の前のうら若き少女にだって、思い知らされる日がきっと来る。

 そしてその先でわかる何かだって、きっと。

 

「だからおまえにも、星が見える日がいつか来る。それがいつかはわからないけれど、それでもきっと来る。保証してやるよ」

 

 美緒にとって、それはかつての恩師の娘であって、

 孝美にとって、それが今目の前で夜に迷う少女であった。

 ならば、ひかりにとって、それが何になるのか――

 それは未だわからない。

 でも、知っていることはいくつもない。

 できることも。

 だから。

 

「でも、それでも、光が見えない時がもしあったなら……」

 

 先駆者として、道を示すことくらいはしてやってもいいだろう、とエイラは微笑む。

 今では絶対に何を言っているかすらわからないだろうけれど……いつか彼女がほんとうに道に迷った時、指針くらいになればいい。

 何の役に立たないかもしれないけれど、その時はその時だ。

 

「その時は、おまえが灯すんだ。太陽や月、星にも負けないくらいに強く、強く……」

 

 なんでもない風に言う。

 未来を見るだけで変えられない運命は、そうしてなんとかしていくしかなかった。

 美緒も孝美も、コアを見通すだけでは倒せない敵をそうやって乗り越えてきたのだろう。

 だからこそ彼女達は、今もずっと、探している。

 何でもないことでも、いちいちしゃがみこんで、必死になってうろたえて、その果てに――……

 

「ま、これくらいでいいか。そうだひかり、ついでだし幸先でも占ってやろうか? “カウハバでやっていけるかどうか”とか」

「ほんとですか? 是非、おねがいします」

「よしきた。まかせとけって」

 

 そう言って、エイラは再度タロットカードを切り始める。

 そして、彼女がカウハバでやっていけるかどうかを思案しながらカードを引く。

 果たして何のカードが出てくるのやら。

 その直後。

 ざざ、と砂嵐。

 電波障害で続報が途絶えていたはずの通信機からだった。

 

『ブレイブウィッチーズがグリゴーリに再突入するようです!』

『何――真コアは特定できるのか!? 絶対魔眼を使用した雁淵孝美中尉の状態は!?』

『大丈夫です――きっと何とかしてみせます!』

「何だって!?」

 

 占いしていた事も忘れて、エイラが驚愕に声を荒げる。

 通信が回復した、というより、告げられたその状況の異常さに声が漏れたようだった。

 “グリゴーリ”に突入……?

 超魔導徹甲弾を用いるという話はどうした?

 ぐるぐる、と思考が加速する。

 それに、最後に聞こえてきた声は軍上層部のものではない。会話の流れからして、ひかりの姉だという雁淵孝美だろう。

 それが意味することは、すなわち……

 

「まさか……作戦、失敗したのか!?」

「……そんな……!」

 

 そして、傍らで、ひかりは急激に顔を青ざめさせて震えていた。

 その尋常じゃない様子に、エイラは思わず驚愕も引っ込める。

 狼狽えている場合じゃない。

 親しくしてはいるものの、今自分は年上の先輩で、彼女の上官だ。ここで取り乱して余計な心配をさせるより、状況を整理して落ち着きを取り戻させるべきだろう。

 

「……ひかり、落ち着け、突入するったって……ああ、もう!」

 

 言葉を尽くそうと思うが、どうしたって先ほどの通信から受け取った情報は覆せない。

 “絶対魔眼(ぜったいまがん)を使用して尚倒せなかった“グリゴーリ”は真コア型である”。

 なおかつ、“これから決死とも言うべき程の無茶を伴って再突入するということ”。

 どうすれば……どうすればいい。

 かつてない速度で頭が回るが、それにしたってどうしようもない。

 

「お姉ちゃん……」

 

 だから、ひかりはエイラの言葉を気にも留めなかった。

 使えば多大な負担がかかるのをわかっていて、シールドすら弱まるのをわかっていて、今日この日、使ったという。

 瞬間的に蘇るのはあの日の記憶。

 飛べずに、彼女が堕ちていく様を目の前で見せつけられたあの日の敗北。

 そして、この前も勝てないで負けた。

 今思えば、いつも負けてばかりだったように思う。

 けれど、

 それがどうした(・・・・・・・)

 今、ここで手をこまねいては――また起こる。

 起こってしまう。

 あの悲劇が。

 あの敗北が。

 それだけじゃない。

 相手はネウロイの巣、“グリゴーリ”だ。

 あの時の状況とは訳が違う。

 怪我をするだけじゃ済まないかもしれない。

 駄目だ。

 それだけは、駄目だ。

 

「行かなきゃ……」

「おい、ひかり!」

 

 呟いた言葉とともに、身体は即座に動き出した。

 

「お姉ちゃんを止めなきゃ……!」

 

 走って、列車後部の扉を開く。

 が、しかし――お目当てのものはそこには無く。

 列車すら連結されておらず、開け放たれた通路からは流れていく雪原と針葉樹だけが広がっていた。

 

「ユニットは……!?」

「貨物列車は別だって! それにお前、ストライカーがあったって発進許可も無いのに――」

「く……」

 

 一瞬尻込みするが、すぐに吹き飛ばす。

 関係ない。

 関係ないのだ。

 ここで行かなければ、一生後悔する。

 だって。

 

「構いません、行きます!」

「はあ!? 行くってお前、どうやって……」

「それに、ユニットも無いのに行っても……」

「そんなの……やってみなくちゃわかりません!」

 

 言葉通り、行ってみなくちゃわからないのだから。

 とりあえず孝美の命さえあればいい。

 自分なんてどうなったって。

 それからだ。

 それが、最低前提条件で、それが叶うなら他の何も要らない。

 だから。

 

「……あああっ!」

 

 一息で列車後部から踏み出して、雪原に飛び出す。

 着地しようと空中で体勢を整えるけど、勢いを殺しきれずにそのまま頭から地面にぶつかった。

 積もった雪がヤスリのように肌を削っていく。涙が出そうになるくらい痛かった。

 けれど、それでも身体は動く。

 動くなら、行かなければ。

 どれだけ遠くても。

 届かないとしても。

 どんなに拙くても、この手足を伸ばしていないと、今自分の中を渦巻く熱源を収めることも出来そうになかったから。

 

「はあ、はあ……」

 

 全力で走るから、すぐさま息が上がる。

 それを魔法力で押さえつけて、無理矢理走る。

 瞬間、足に展開している魔法力が疎かになって、転びそうになる。

 それを何とか立て直して――無理だった。

 勢い良く転ぶ。

 膝を切ったようで、吹き出た血が白い雪原を赤く汚した。

 情けなさと痛みに涙が出てくる。同時に、ぶり返してきた先ほどの雪原に頭から突っ込んだ時の痛みがじくじくとうっとおしかった。

 それらを涙と一緒に拭い去ろうとしながら、身体に魔法力を込める。

 一歩を踏みしめる。

 それが出来たなら、後は惰性で走り続けて行ってくれるだろう。

 効率的な魔法力の動かし方はエディータから教わった。

 だから前よりずっと強く、ずっと長く魔法力を使って身体を動かせる。

 ここから戦地まで、どれだけの距離があるかはわからない。

 けれど何十キロでも、何百キロでも走ってみせる。

 だって、

 だってだって、

 だって……

 

「ぐ、っう……ああ、お姉ちゃん、どうか、死なないで……」

 

 痛みを感じる事も、

 涙を流す感情もどうでもいい。

 この身は姉のために。

 いつか笑いあった安寧の中にまた飛び込めるなら、

 彼女とまた笑い合えるのなら。

 ただそれだけで良かったのだ。

 それだけで良かったのに。

 どうしてこんな風になってしまったのだろう。

 考えるけれど、わからない。

 わからないけれど、今は走って、あがいて、もがいて。

 この思いのままに走り続けるしか無いのだ。

 だから、痛みも感情もどうでもいい。

 どうでもよくなるように、足を動かす。

 きっと、きっと辿り着いてしまえば、

 痛みも感情も消えて何処かにいってしまうだろう。

 姉がけろっと生き延びている安堵に、

 “グリゴーリ”も倒してしまったと笑う姉の笑顔に。

 だから、どうか。

 ああ、ああ、ああ……

 どうか、怪我すら無きよう。

 そう、願う。

 願って、全てを振り払うようにして走った。

 

 どれだけ走っただろう。

 どれだけの時間が経ったのだろう。

 それすらも曖昧になるくらい走り続けて、ひかりはついに辿り着いた。

 荒い息と心臓の鼓動の音が耳に張り付いてやかましい。

 どこ、

 どこ、お姉ちゃん。

 さっき、ここに何かが落ちてくるのを見た。

 それ目掛け一目散に走った。

 頭上には未だ“グリゴーリ”が青空を汚すようにして存在している。

 気にもならなかった。

 目をきょろきょろと動かして、その姿を探す。

 

「お姉、ちゃん――」

 

 そして、そこで視たものは。

 

 

 

 *

 

 

 

 ひかりが走り去っていった後、エイラとサーニャは残された列車の中で呆然としていた。

 無茶どころの話じゃない。

 宮藤でもこんなことしたか、と(はし)る思考に答えるのは表情に浮き出た苦笑いだけ。

 直枝や定子、孝美、

 そして美緒、宮藤芳佳――雁淵ひかり。

 揃いも揃って扶桑のウィッチはどこか逸している。そう思うほどに、知り合いの扶桑ウィッチは無茶ばっかりしたり変人ばっかりだった。

 

「はあ……ったく」

 

 ため息などをついてみる。

 それだけでかなり混乱した思考は収まってくれた。

 これからどうするか……

 

「……あ?」

 

 幾分か冷静になったおかげか、先ほど占ったタロットカードを未だ手に持ったままだという事に気づく。

 さっきやった占いは単純なものだ。

 “カウハバでの幸先はどうか”。

 その結果を示すカード。

 思わず先ほどの苦笑いも吹き飛ぶような呆れ笑いが飛び出るほどだった。

 

「はは……馬鹿げてる」

 

 そのまま身体的なものが原因でない頭痛に額を抑えて、次もう一度見るときにはこの結果が変わっていないか――なんて馬鹿げた現実逃避をしてみる。

 さっき“現実を見ろ”とひかりにアドバイスしたにも関わらず、だ。

 ああ、わかっている。

 覆りようもない。

 見なかったふりをすることもできない。

 気をつけろよ、と一言言えればそれで何もかも安心できるように思う。

 それもできないから、どこか、決定的な何かを間違えてしまったようにも感じた。

 ただ、それでも。

 そうだとしても。

 どうか、この占いが外れていますように。

 全てが終わったときにはこの焦燥も、先ほど走り去っていった彼女の事も、何もかも笑って吹き飛ばせるようになっていますように。

 今願えることは、ただそれだけ。

 それだけだった。

 なのに。

 

「死神……」

 

 隣に居るサーニャがぼそり、と呟く。

 そう。

 彼女の幸先を占ったタロットカードは、

 大アルカナ、カード番号は一三番。

 “死神”のカードの正位置。

 

 意味は――

 停止、終末、終局。

 もっと簡単に言い換えるなら、

 破滅、死。

 

 

 

 



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第4話 果てぬ痛み 中編

 基地の入り口近く、エンジンのかかった車をよそに、最後の挨拶を交わす。そこに孝美の姿は無かったが、ひかりは内心少しほっとしていた。どんな言葉を交わして良いかもわからなかったから。

 

「ほんとにスオムスに行っちゃうのかよ、ひかり……」

「えへへ……そうですね」

 

 名残惜しそうにするニパだったが、今更どうにかなるものではない。 

 ひかりは申し訳なさそうに微笑む。

 彼女の祖国だというのに、ここからもそんなに離れていないのに、まるでどこか遠い国に行ってしまうように言うものだから……なんだか、言葉が出なかった。

 

「あっちに行っても、ユニット壊しちゃ駄目よ」

「はい、正座させられないように気をつけます」

 

 心配そうに言うサーシャ。

 ひかりはそれを拭うように意気込んで言葉を返したつもりだった。

 だったのだが、それが余計だったみたいでサーシャはむしろ悲痛そうな表情を見せる。

 

「ほんとうにひかりさんは、毎回のように壊してたんだから。ほんとうに心の底から気をつけないと駄目よ。あなたが此処に来てから壊したユニットの数、覚えている……? 七回……七回、七回って言うとね。一般的なウィッチが一年の内にストライカーの不調を訴える数字と同じなの。それを三ヶ月でって言うんだから、私ほんとうに心配で……」

「サーシャさん……あはは」

 

 マシンガンのように飛んでくる言葉。

 正座なんかしていないのにしているような気分だった。

 

「これ、お弁当よ」

「飲み物も……車の中でどうぞ」

「下原さん……ジョゼさん……お世話になりました」

 

 未だ止まらないサーシャをよそに、定子とジョゼが弁当を持たせてくれる。

 もう定子の料理が食べれないのかと思うとひかりは気が重かったが、今日一日でもう一度食べれるならそれ以上のことはない。ありがたく頂いておくとしよう。

 

「ひかりさん、あなたの今日までの日々は、無駄じゃなかったわ。私が保証してあげる」

「ロスマン先生……」

「昨日の動き、なかなか良かったわよ。あっちでも同じようにがんばれたのなら……また、ここに戻ってこられるかもしれないわね」

「……ありがとうございます!」

 

 そう言って激励してくれるのはエディータ。

 きっとそれは、一番欲しかった言葉。

 全てが終わってからもらえたなんて……皮肉だけど、見送りの餞別としては最上のものだろう。

 例えそこにおべっかが入っていたとしても、それはそれで構わなかった。

 

「……ひかりちゃん?」

 

 そして、思い思いの言葉を交わしあった後、ひかりが車に乗り込もうとすると、切羽詰まったような表情をしたヴァルトルートがひかりに声をかける。

「……クルピンスキーさん」

「やっぱり、これはひかりちゃんが持ってたほうがいいよ」

「これは……」

 

 ヴァルトルートが、ひかりに何かを手渡す。

 解放者(リベレーター)の名を冠した、拳大くらいの大きさの拳銃だった。

 持ち手のところが少し歪んでいる。

 ひかりが此処の部隊に来てからも印象深い物事の一つだ。

 エイラとサーニャが年末持ってきた補給物資の中に紛れ込んでいたもの。それを欲しがったひかりに、ヴァルトルートが「お守りだ」とおふざけで嘘を教え込んだのだ。それを信じ込んだひかりは、弾除けだと言って一人大型ネウロイと相対するヴァルトルートにそれを渡した。

 胸元にしまい込まれたそれが実際に弾除けのお守りとなって彼女の身を守った。

 だから少し歪んだ持ち手の部分は、名誉の負傷と言ってもいいくらい愛おしく思えるものだった。

 

「……ニパさんから聞きましたよ。これ、ほんとはお守りなんかじゃなくって、武器なんですよね」

「あはは。バレちゃった? でも実際僕の身を守ってくれたのはほんとうなんだから、縁起物になるかなあ、って」

 

 そう言って、ヴァルトルートはリベレーターに弾丸を込める。

 一発しか装填出来ないため、銃としては頼りないものだったが、これはこれでいい。

 だって。

 

「一発くらい入ってたほうがお守りっぽいよね」

「……ありがとうございます。わたし、皆さんから貰いっぱなしですね」

「いいんだ。出世払いってことで。もちろん今身体で払ってくれても……あいたたた!」

「ごめんなさいね、最後まで。さ、この偽伯爵がまた発情しない内に」

「ええ……ありがとうございました!」

 

 頭を下げてから、いよいよ車に乗り込んでいくひかり。

 スローモーションみたいで、けれど一瞬で。

 エンジンが既に入っていた車は、瞬く間にその身体をスオムスへと運び去っていく。

 意識しない間に、身体が動いていた。

 

「ひかり……!」

「ニパさん!」

 

 その華奢な身体の何処にそんな力がこもっていたのか、大声でニパが叫ぶ。

 

「“グリゴーリ”倒したら、きっとスオムスに遊びに行くよ! ワタシ色々知ってるんだ、イッルも連れて迎えに行く……だからひかり……ひかり!」

「……ニパさん……あっちについたら、手紙書きますね!」

「……待ってる、待ってるよ、ひかり……!」

 

 目に涙を浮かべながら、追いつかないことをわかっていながらひかりの方へと走ってくるニパに、どうしてか胸がひどく切なくなった。

 これほどまでに想ってくれていたのか。

 先ほど、エディータが言った言葉に実像が伴う。

 意味はあった。

 きっと、意味はあったのだろう。

 こんなに心配してくれて、大事にしてくれる仲間が出来た。

 ただ、それだけで。

 たった、それだけで……。

 いよいよ、視界の端にも映らなくなったペテルブルグ基地。

 そして、ニパの目にも届かなくなった軍用車の後ろ姿。

 その残像を瞼の裏に未だ閉じ込めたまま、しばらくニパは動けないでいた。

 身体を縛る一月の空気が、嫌に冷たくて気持ち悪い。

 こんなもの、普段ならなんともなかったはずなのに。自他共に認める寒さへの強さは、此処に来て何の役にも立たないみたいだった。

 

「……おい、作戦会議始まるぞ」

「……カンノ」

 

 そんなニパの肩を叩いて呼びかけたのは直枝。

 不貞腐れたような、気難しそうな表情。

 それを見て、何かが堰を切ったように溢れ出した。

 

「どうして、どうして何も言わずに見送ったんだよ……ひかりは、ワタシ達の仲間だろ! カンノの相棒じゃなかったのかよ……!」

「……、」

 

 わかっている。

 先ほどの見送りでも直枝は何一つ言葉も交わさずに少し遠くからひかりの方を見ているだけだった。

 だからニパの言いたいことはわかっている。

 わかっているけれど。

 ただ、どうしてだろう。

 どうして。

 “こんなはずじゃなかった”という気持ちが湧き上がるのは。

 ずっと、望んでいたことのはずだった。

 かつて憧れた孝美と肩を並べて戦うこと。

 ずっと一匹狼で飛び続けてきた直枝が見つけた、背中を預けるに足る“相棒”という存在。

 なのに、どうして……

 

「……俺の、俺の相棒は……」

 

 言葉は続かない。

 かけてやる言葉さえ見つからなかったのだ。

 だから今この場で

 送るべき言葉だって、見つからなくて……それはきっと、当然のことだった。

 

 

 

 ひかりがスオムスへと向かった後、孝美は格納庫(ハンガー)の中ひかりが乗っていたストライカー……チドリの前で、言葉もなく一人佇んでいた。

 これから自分がこのストライカーに乗ることになる。

 個人ごとの微調整はもう既に済んでいるはずだが、それでもこのストライカーユニットが自分のもの、という気がなんとなくしなかった。

 今日の作戦で乗ればまた違うのだろうか?

 そんなことを考えるけれど、答えは出ない。

 だからこそ、染み付いたこの感情はきっと抜け切らないのだろうな、という諦観が身体中を支配していた。

 

「……ひかりが行ったぞ」

 

 そんな静寂を打ち破るように、声が響く。

 その声はここ502の隊長、ラルのものだ。普段出不精の気質がある彼女自らが訪れるなんて大したことではあったのだが、振り返りもせずに孝美は言う。

 

「どんな様子でした?」

「心配なら、何故見送ってやらなかった」

 

 うんざりしたような、それでいて呆れたような様子でラルが言う。

 結局孝美はひかりの見送りに姿を見せなかった。それなのに心底心配するくらいなら、その目で彼女の姿を見届けてやればよかったのだ。

 しかし、今更合わせる顔なんて無い。

 ひどいことをしてしまった。

 ひかりが此処に居たがっていたのは誰よりも知っていたのに。自分の命を投げ打ってまで、此処に居ることはひかりにとって大事なことだったのに。

 でも、“グリゴーリ”とひかりが戦えば彼女の命の保証はない。

 もしひかりが居なくなってしまったら。

 死んでしまったら。

 きっと自分は耐えられないだろう。

 だから、全てを――ひかり自身さえ裏切ってでも、彼女を守らなければいけなかった。万一にでも死ぬなんて事にならないようにしなければいけなかった。

 

「……傷だらけ」

「その傷は、ひかりが此処に居た証だ」

 

 けれど、それでも。

 

「あの子が、こんな最前線で戦えるようになっていたなんて……」

 

 孝美の知るひかりは、ここペテルブルグ……最前線で戦えるような実力なんて持っていなかった。

 出来損ないで、でも頑張りやで……そのひたむきさが好ましく思えて、愛おしかった。

 同じ境遇に置かれた時、彼女と同じように前を向いていられるか――そんな風には思えなかったからだ。

 たまたま自分に才能があって、そして彼女には乏しかっただけ。

 たったそれだけで、佐世保の英雄とまで呼ばれるウィッチとその妹が落ちこぼれだって言う事実が生まれる。

 自分だったなら、きっと恨まないでいられない。

 疎まないではいられない。

 きっと、姉が居なければこんなにも惨めにならないで済んだなんて、そんな事を思うだろう。

 それなのに、いつまでもひかりは前を向いたまま、こんな自分をすごいすごいと言って好いてくれる。

 こんな残酷な事があってもいいのか?

 ふざけている。

 馬鹿げている。

 なのに、それなのに。

 

「……ほんとうに、頑張ったんですね」

「ああ。頑張ったさ。ほんとうにな」

 

 故に、ストライカーユニット……チドリについた傷はそれだけの意味がある。

 自分のものだと思えない?

 当然だ。

 だって――この傷は自分がつけたものじゃない。

 自分が歩んできた道ではない。

 だから、これはとっくにひかりのものになっていて、それを借り受けるだけなのだ。

 きっと。

 

「……だが、私が求めるのは作戦を遂行できるおまえ自身(強いウィッチ)だ。勝負もほぼほぼ引き分けみたいなものなのに、今までの経験というただその一点に置いて、おまえを選んだんだ。そして、おまえが心置きなく任務を遂行できるよう、あいつをカウハバに送ってやったんだぞ」

 

 だがしかし、ラルは目を細めて言う。

 実際の所、孝美とひかりが部隊残留を賭けて行った勝負はほぼ引き分けみたいなものだった。

 接触魔眼、絶対魔眼。

 その強さを競ってどっちが早くネウロイのコアを特定できるか。

 特定は、確かに孝美のほうがゼロコンマ一秒程度速かった。

 が――しかし、情報の正確さは、ひかりの伝えたもののほうが確かだった。

 それを考えると、結果なんて馬鹿馬鹿しいと思えるほどのことなのに。

 二人が一緒に部隊に残ったっていいって思えたのに。

 ――今まで、類を見ない活躍を見せてきた孝美の腕を買うつもりで彼女をカウハバに送ったのだ。

 だから、それ相応の仕事をしてもらわないと困る。

 それにひかりは、最前線で揉まれて落ちこぼれから将来有望なウィッチに叩き上げられた。

 ここでわざわざ死亡率をかさ増しするより、カウハバでさらなる教育を受けたっていい。

 きっと孝美もひかりくらいの年頃で、あんなに強くはなれなかったはずだから。

 

「……わかっています。

 ――その役目は、私が必ず果たします」

 

 凛とした表情で、孝美が頷く。

 元々やる予定だったことだ。そのために舞台を整えてくれたとあらば、より全力を尽くさねば嘘だろう。

 けど、孝美は腐った果実みたいなおぞましさを孕んだ表情でふっと笑う。

 

「……でも私、ちょっとほっとしているんです」

 

 その表情を見て、魔眼持ちはこれだから、とラルはため息をつく。

 

「どうしてだ?」

 

 聞きながら、まあそうだろうな、と勝手に納得する。

 実のところ、かつてひかりがネウロイのコアが見えたと言ったとき、認める材料が見つからなかっただけで「ああやっぱり」とラルは思ったから。

 魔眼持ちのウィッチには、とにかく特有の空気感のようなものがあるからだ。雁淵姉妹も、それに漏れず他のウィッチとは持っている雰囲気がまるで違う。

 何も魔眼が見抜くのはネウロイのコアだけではない。

 彼女達はとにかく目敏い。

 言外の意味や、隠したはずの本心まで容易く見抜いてくる。彼女達は、その優れた視力を持って何もかもを暴いてしまうのだ。

 その分、気付かなくても良いことに気付いてしまう。

 それは悪意であったり、欲望であったり。

 だから、魔眼持ちのウィッチは擦れた目をしていることが多い。人の至らなさばかりを目にして、疲れ果ててしまっているのだ。目の前の孝美も、そういう目をしている。

 けれど、雁淵ひかりは違った。

 魔眼持ち特有の鋭さはあるものの、その鋭さが丸いというか、人を突き刺さない程度の鋭さなのだ。

 それは彼女の魔法力が少ないことから来るものだった。ちょうど良い塩梅に抑えられたその目敏さは、きっと見なくて良いものを見ずに済んでいた。

 だから、彼女のこころはひどく真っ直ぐだったし、折れることも知らなかった。

 その真っ直ぐさに、きっと擦れて疲れ果てた孝美は憧れたのだろう。だから自分の側に置いておこうと、彼女の望む姉で在り続けた。

 その好意を受け止め続けたひかりは、その好意が依存に近いものだと見抜けずに、愚直にその好意を返した。

 けれど、真っ直ぐな心は、広い世界に立って、姉以外の輝きを知った。

 ……知って、しまった。

 

「だって、ひかりが誰のものにもならないで済んだ。あの子、ここにいたらきっと、誰かのものになってしまう。良い子だから、きっと誰かが他に憧れる――そう考えたら、もう駄目でした」

「……歪んでいるな」

「そう、ですね」

 

 こんな考えが、自分が歪んでいるのはわかっている。

 わかっているからこそ、偽り続けた。

 彼女の望む姉で在り続けた。

 だれのものにもならないように。

 

「でも、それはそれでよかったんです。あの子はだれのものにもならなくていい」

「自分のものにならなくても……か?」

「ええ、もし誰かの手で……それが自分のものであったとしても、汚れてしまうくらいなら……」

「馬鹿だな……大馬鹿者だ」

 

 ラルの言葉に、孝美は弾けるような笑顔で頷いた。

 

「ええ! だってこんな腐った世界で唯一のものなんですもの。それを守ることは当然でしょう? 隊長だって、そんなこと……わかっているのにどうして、今更そんなことを言うんですか?」

 

 孝美は壊れている。

 魔眼の鋭さは、その心さえも見抜く。

 ネウロイの襲撃で憔悴し続けた人の心を見続けた彼女は、どうしようもないほどに壊れてしまった。

 そして似たようなものを見続けてきたラルの心が、同じように擦り切れ果てていることも、孝美は見抜いていた。

 だからこそ、彼女は打ち明けることができたのだ。

 同じように壊れていると思ったから。

 汚れていると、知っているから。

 

「もうネウロイを倒すことしか頭にないのでしょう? 使命だから、命令だから、かつての仲間の敵だから、脅かされているから……色々理由をつけているみたいですけれど、もう認めてしまえば良いのに!

 自分が人の皮を被った化物だと! 私と同じだと!」

「……そうだな」

 

 ラルは頷く。

 

「確かに私は化物だ。あのような異形相手に恐怖すら感じないのであれば、それは人ではなく、きっとそうなのだろう。

 けれど、未だ私は人の心を捨てきれずにいるよ」

「……そんな、」

 

 ラルの言葉に、孝美は心底傷ついたような顔を見せる。

 

「……そんな、ずるい。ずるいですよ」

 

 どうして、と孝美は聞かなかった。

 わかっているからだ。

 その在り様が化物であろうと、そのこころは未だ人で、離れる気配すら見せやしない。

 他の人からすれば「そんなものが?」と言われてしまうようなことが愛しいし、手放したくない。

 ……愛しい。

 ああ。

 今すぐひかりを追い掛けて、謝って、抱き締めてやりたい。

 困惑する彼女に「もういいのよ」と言って、そのまま戦場から逃げて、何処かへ行ってしまいたい。

 それでもわたしを戦場に向かわせようとするひかりをグズグズに甘やかして腐らせて、そのまま翼まで溶け落ちるぐらいずっと愛でていたい。

 でも、それでは駄目なのだ。

 もしそうしてしまうと、わたしの望むひかりではなくなってしまうから。

 彼女に望まれるわたしでなくなってしまうから。

 だから、手放した。

 だから、手放した。

 だから、それでいい。

 わたしは、わたしは、わたしは、わたしは……

 少し、前のことを思う。

 あの時、あなたはいっぱいいっぱいだから気付かなかったと思うけれど、同じ場所から同じ空目掛けて飛んで行くあの瞬間、わたしがどれだけ嬉しかったか。

 どれだけ、救われたか。

 あぁ、ひかりとまた一緒に飛びたいなぁ。

 

「……ほんとうに、あいつと一緒で大馬鹿者だ」

 

 呟いたラルの言葉は、愛で曇った孝美の元には届かなかった。

 

 

 

 その後の作戦会議はつつがなく終わった。

 “グリゴーリ”が攻めてくるポイントに防衛網を敷き、大量の軍と兵器で物量戦を仕掛ける。

 その内に800ミリの口径を誇る超大型列車砲“グスタフ”に装填された超爆風弾で“グリゴーリ”が纏う雲を吹き飛ばし、“ドーラ”が放つ超魔導徹甲弾で“グリゴーリ”のコアを撃ち抜く。

 そして“グリゴーリ”のコアを特定するのが孝美で、彼女含め超大型列車砲を502の隊員全員で護衛する、というのが作戦の主な概要だ。

 作戦としては随分あっさりとしている。難しいことはない。

 だからこそ、求められるレベルというものは並のウィッチではきかないのだろう。

 なんせ相手は超大型ネウロイの“グリゴーリ”だ。ふつうの大型ネウロイにやるようにはいかない。

 もちろん、それは502の全員が持つべき意識としてもそうだ。

 

「いいか、“グリゴーリ”を倒すまで帰れると思うなよ」

 

 だからこそラルはストライカーを履いた隊員の表情を見渡す。

 皆、ラルが求めるものと違わぬ覚悟を表情に滲ませていた。

 特に直枝と孝美のそれは他とは段違いだ。孝美は作戦の肝というだけあって、かかるプレッシャーも他の隊員とは訳が違う。

 それ以上に、この作戦のためにひかりは此処を出て行くことになった。

 これで失敗なんてしたら合わせる顔が無い所の話じゃない。

 だから文字通り、倒せるまで帰るわけにはいかないのだ。

 

「第502統合戦闘航空団、出撃!」

「了解!」

 

 ラルが言うと、隊員の全員が声を揃えて頷く。

 それに応えるように、轟々とエンジンの音を噴かせてストライカーが稼働した。

 一気に加速して、北欧の寒空へとその身を駆け出す。

 ここから作戦地まで行って、そのまま作戦開始となる。

 即ち、出撃したこの瞬間から戦いはもう既に始まっているのだ。

 ああ、けれど。

 それでも。

 出撃してすぐに、列車が目に入る。

 おそらくひかりが乗り込んでいるだろうその列車は、自分達の向かう方向とは反対に彼女の身体を運んでいく。

 遠ざかっていく。

 その事実から目を背けたいのか、とうに思い知らされてしまったのか、直枝は孝美のそばにぐっと近づく。

 インカムを通して会話もできたが、それをしてしまえば今から行う会話は隊員の皆に聞かれてしまう。

 それだけは嫌だった。

 

「孝美。おまえはひかりに勝って俺の相棒になったんだ。だから俺達は勝たなくちゃいけねえ。絶対にだ」

「ええ……もちろんよ管野さん」

 

 さっき、天真爛漫に振る舞っていたけれど、

 悔しくないはずがないのだ。

 悲しくないはずがないのだ。

 勝てないのをわかっていたはずだった。自分と姉では比べるのもおこがましいくらいだなんてのは彼女自身が嫌というほど思い知らされてきた事実のはずだ。

 それでも“此処に居たい”とわがままと意地を張ったのは、それだけひかりにとって此処(502)という場所が大事だったということに他ならない。

 きっと、こうなるはずなんかじゃなかった。もっといいやり方もあったに違いない。

 ……だったならば、どうにかして彼女を引き留めていれば、今更こんなことを思わずに済んだのだろうか。

 でも結局、そんな思いすらも裏切って自分達は今此処に居る。

 ああ、ああ。

 

(……そんなの、今更だ)

 

 もう何回目かもわからない思案。

 けれど、これからどうにかなることではない。

 事態は既に動き始めている。

 あとはひたすら、慣性に任せて――滑り落ちていくだけ。

 そんなこと、とっくに……

 とっくにわかっているから。

 こんなにも、やりきれなくて、どうしようもないんじゃないか。

 

「超大型列車砲、グスタフとドーラを確認しました」

「アレを僕たちが守るのか……」

 

 顔をしかめる直枝をよそに、直下に“グスタフ”と“ドーラ”の姿を捉える。

 何メートルか数えることも馬鹿らしい大きさのそれが――

 

「一〇時の方向、グリゴーリを視認した」

 

 超大型ネウロイかつ“巣”である“グリゴーリ”の方を向いていた。

 彼は時速五キロメートルの速度を持ってここペテルブルグへと徐々に近付いてきている。それを押し留めなければ、ここ最前線ペテルブルグは陥落し、また一歩人類はネウロイに生存圏を追いやられるだろう。

 

「あれがグリゴーリ……」

「……空の藻屑にしてやんぜ」

 

 “グスタフ”と“ドーラ”ですら大きいと思ったのに、それ以上の巨体を雲に隠して“グリゴーリ”は悠然とそこに佇んでいた。

 虚勢か自信か――はたまた、矜持か。

 直枝はその巨体が崩れ落ちるイメージを脳天に描きながら、手に持った九九式二号二型改13mm機関銃の安全装置を外す。

 ――戦闘が、始まろうとしていた。

 

 

 

「敵の攻撃範囲内に到達……!」

「来るぞ! 列車砲が射程内に到達するまで、何としてでも守り抜け!」

 

 サーシャの喘ぐような、叫ぶような必死な声に、ラルが吠える。

 “グスタフ”、“ドーラ”の攻撃射程範囲は半径一〇キロメートル。当然のごとく“グリゴーリ”の射程範囲内でもある。

 それに加え彼は“巣”だ。

 大量のネウロイを生産してこちらに差し向けてもくるだろう。

 今だって、ほら。

 空を埋め尽くすほどの暗闇が群れを成して――

 

「五秒で一体がノルマだぞ!」

 

 言うと同時にラルは引き金を押し込んで、目の前の(ネウロイ)へと銃弾をばらまく。

 それにならって、各々それぞれのやり方で戦闘に突入していった。

 今までの撤退戦やちまちました攻勢作戦とは違う。

 人類にだってネウロイへと反撃することの出来る力が備わった。

 それぞれの全力を持った攻勢作戦。

 だからこそ、起こる戦闘の激しさは今まで経験してきたものとは比べ物にならなかった。

 

(ひかり……必ず勝って帰るから!)

 

 迫る中型ネウロイ。

 そのコアを魔眼を持って見抜いた孝美は銃弾を撃ち込んで、即座に消滅させる。

 けれどそれだけじゃない。

 迫る無数の小型ネウロイが放つ射撃は最早隙間を探すほうが難しいくらいだし、それに隠れた中型ネウロイは自分達を殺そうと息つく間もなく襲い掛かってくる。

 気を抜けば一瞬で墜落する死の空。

 その中で孝美は、ここに彼女が居なくてよかった――と思わないでは居られなかった。

 自分ですら一秒先どうなっているかわからない。

 それでも自らの矜持を貫くため、退くわけにはいかなかった。

 

「――おおおおおおおおおッッッ!!」

 

 直枝もそれに並ぶ勢いでネウロイを撃滅していく。

 展開した部隊も徐々に削られていくが、“グリゴーリ”が生成するネウロイの数は最初に比べれば半数程度に落ち着いた。

 交戦数はまだまだ減っているわけではないが、補充は散発的になるだろう。

 これならば、とペテルブルグ軍集団本部からゴーサインがかかる。

 発射するのに二〇分ほどの準備が居るらしいが、それは既に済んでいるみたいだった。

 “グスタフ”の砲身が“グリゴーリ”の方角を向く。

 超魔導徹甲弾のように詳しい狙いはつけなくてもいい。

 一瞬、息を吸い込むかのように時が止まる。

 その刹那を食い殺して、轟音を上げて超爆風弾が発射された。

 

「な――」

「すごい、衝撃……!」

 

 その威力たるや、“グリゴーリ”周辺の雲を吹き飛ばすだけでなく、その周りに展開していたネウロイまで根こそぎにしていった。

 そして現れる、“グリゴーリ”――超大型ネウロイとしての姿。

 周りを覆う雲がなくなっても……いや、なくなったからだろうか。

 その存在感は未だ衰えることを知らず、むしろ感じる圧力は以前より断然増している。

 雲自体がその存在感を隠すヴェールの役割があったのではとさえ、思えるほど。

 

「あれが、“グリゴーリ”……」

「――孝美」

「……はい、わかっています」

 

 それに孝美が圧倒されていると、ラルがぼそり、とインカムで通信を送ってくる。

 わかっている。

 何の意味も産まない感情に心臓をつかまれている暇なんてない。

 

「……通常の兵器では傷もつきませんね」

 

 エディータが気休め程度にフリーガーハマーを放つも、その大きさからくる硬度と剛性はミサイル兵器程度では役にも立たない。

 やはり作戦通り超魔導徹甲弾を撃ち込むほか無いのだろう。

 

「行くぞ孝美!」

「孝美をコア特定可能エリアまで護衛する!」

「はい!」

 

 そのためには、まず“グリゴーリ”のコアを特定しなければならない。

 弾数は予備含め二発。

 いつもの戦闘のように適当に放ってコアを探していられる余裕もない。

 一発でしっかり決めなければ、作戦の成功率はがくんと落ちるだろう。

 それほどまでの薄氷を渡っていく作戦。

 それだって他と比べれば入念に組み上げ、唯一無二とさえ思えるほどの成功率。

 ここに全てのチップを賭けるしかないのだ。

 

「――――■■■■゛■゛■゛■゛■゛■■■■■■■■■ァ゛ァァアア■■■■■■■゛■゛■■■アアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!■!!!」

 

 “グリゴーリ”が哭く。

 ようやく実像を伴った作戦でネウロイに歯向かってくる人類に対し、祝福の叫びを上げるくらいには情も芽生えたのだろうか。

 そんな“ありえない(・・・・・)”妄想も実像を伴いそうなくらい、その声は真っ直ぐだった。

 途方も無く真っ直ぐに、望んでいる。

 全てを、殺し尽くさねば気が済まない――と。

 それを証明するかのように、その大きい身体に収納されていた砲門が開いていく。

 一つ一つが自立する中型ネウロイにも見えるその砲門は一つ、二つ……数えるのも馬鹿らしい。

 それが蛇のように自由自在にも動くから――かつて八岐の大蛇(ヤマタノオロチ)に立ち向かった須佐之男(スサノオ)はこんな気分だったのだろうか、と直枝は思う。

 馬鹿みたいな話だ。

 そんな宛のない考えさえ愛おしく思えるほどに、“グリゴーリ”の射撃は重い。

 大型ネウロイの一発一発が小型ネウロイの大群と同じ弾数で迫ってくる。

 空の青が、死の赤でどんどんと埋まっていく。

 その恐ろしさたるや、この戦闘を一〇分も続けていたらノイローゼになるだろうな、と思ってしまうほど。

 

「ぐ……こいつ、私を――」

 

 魔眼持ちの存在を察したのだろうか、“グリゴーリ”は孝美を重点的に狙ってくる。

 シールドで防ぐが、この威力の射撃を防ぎながら魔眼を発動するのは難しい。出来ないこともないだろうが、直ぐ様魔法力が底をついて墜落するだけだろう。

 何か手は……

 

「孝美!」

「管野さん!」

 

 直枝は攻撃を遮るように射線上を飛び回る。

 孝美に当たるものだけをシールドで防いでいく。直枝の固有魔法は超硬度シールドだ。持ち前のシールドも並のウィッチより随分硬い。

 これ、なら……!

 

「孝美、見えたか!?」

「ええ……目標、重補足!」

 

 視界を魂の奥の奥へと送る。

 これから視るのは網膜を通した視界ではない。

 魂の奥底に染み付いた視覚とは違う感覚――それを持って、重厚な装甲の下に隠した“グリゴーリ”のコアを見つけ出す――!

 

「目標補正――最終補正」

 

 そして永遠の不可視の先。

 手を――手を伸ばす。

 形を伴わない指先だ。きっとその手が形のあるものかそうじゃないかだけで、力の本質は姉妹揃って同じものなのだろう。確かめたことは無いけれど、孝美だって直接ネウロイに触ったほうが都合がいいはずだった。

 そのまま、触れた先から“グリゴーリ”の全てを暴いていく。

 もたらされた情報はネウロイのもので、人間にとっては意味不明なもの。

 そこから情報の取捨選択をして、ちゃんと言葉になるように解き解してやらなければいけない。

 その為の力だ。

 きっと、それら全部を含めて“視る”と言い換えているだけにすぎないのだろう。

 

「――完全捕捉! グリッドH2541、T0429……!」

 

 基地本部へと通信を送る。

 その情報を元に照準を当て、“ドーラ”の砲身が超魔導徹甲弾に込められた魔法力でゆるく震えた。

 あと数秒もしない内に発射されるだろう。

 だが、目の前の巨体はわざわざ自分がやられるのを見過ごしておく木偶の坊ではない。

 

「くそ……くそ!」

 

 “ドーラ”を重点的に護衛するのはニパとジョゼ。

 治癒魔法使いはシールドの硬度に秀でているものが多い。ジョゼはそうだし、ニパも自分にしか作用しないという点を踏まえれば強力な治癒魔法使いだ。

 だと、いうのに。

 たった三つの砲門で集中砲火するだけで彼女達は額に汗が滲むほどの苦しさを覚えた。

 こんなの一〇秒だって保っていられない。

 しかしその間に“ドーラ”はきっと発射されるだろう。

 だから問題ない、そのはず――

 

「――っぁ!」

 

 だった。

 “グリゴーリ”が、さらに砲門を幾つか重ね大きな一撃を放つ。

 平常の状態であればそれも防ぎきれたかもしれない。

 だがしかし、何発、何十発と重い一撃を防ぎ続けてきたニパ、ジョゼのシールドは限界ギリギリだった。そこにかつてない一撃が飛び込んでくれば、張った堤防も容易く決壊してしまうのは当然の道理だろう。

 

「“ドーラ”が……!」

 

 シールドを突き抜けていった射撃が“ドーラ”の砲身を射抜く。

 発射寸前で砲身内には術式が展開されており、それに誘爆して巨大な砲身がまるごと捻り潰されたかのようにひしゃげた。装填されていた超魔導徹甲弾に引火しなかったのが唯一の救いといえばそうで、もしそうなっていたなら周囲何百メートルという範囲で何もかもが木っ端微塵になっていただろう。

 だが、それでも状況は最悪の一言で表す他ない。

 今から“グスタフ”に予備の超魔導徹甲弾を装填して放とうとすれば、二〇数分程度の時間がかかるらしい。

 もし、その間に“グリゴーリ”が射程距離から離れてしまえば……作戦は失敗、ペテルブルグは陥落し――人類はまた一つ生存圏を追いやられるということになる。

 そして、そのことを彼が理解していないわけがなく。

 

「……攻撃が、止んだ……?」

「……僕たちには興味なしって事か。ただのデカブツかと思ってたのに、よほど頭が回るみたいだ」

 

 ヴァルトルートが苦い顔で毒づく。

 最悪には最悪が重なるものだ。

 こちらから攻撃手段を奪った“グリゴーリ”は、そのまま射程外に逃れるため移動を開始する。言葉を発さないだけでその巨体には人類同等、もしくはそれ以上の狡猾さを宿しているようだった。

 

「二〇分も待ってたら射程外になっちゃうよ……」

「こっちの武器じゃ歯が立たねえし……くそ、どうすりゃ……」

「……、」

 

 それでも何か出来ないかと考えを巡らすニパと直枝。

 その傍らで、孝美は思い詰めたような、切羽詰まった表情で周囲を見渡していた。

 居ても立ってもいられない。

 押し留めようかと思ったけど、それもできなかったみたいで、少しの間を置いてから身体が動く。

 

「あ、おい孝美……!?」

 

 破損した“ドーラ”の元へと赴く。

 そして装填された超魔導徹甲弾を抜き出し、持ち上げるように手をかけた。

 

「ぐ、っう……!」

「直接ぶつけようって気か……!」

「無理ですよ、孝美さん……!」

 

 孝美のやろうとしている事を見抜いたラル。そして、それを無理だと叫ぶようにジョゼが言った。

 魔導徹甲弾の重量は一トンにも及ぶ。

 だから、そんなことはやる前からわかっている。

 わかっているのだけれど。

 このまま黙って終わるなんてそれこそ無理だ。

 抵抗する手立てがあるなら、全部の全部までやりきらなければ気が済まない。

 きっと、この作戦の発案理由だって同じことだろう。

 だったなら、誰が孝美の行動を非難できる?

 

「きっと……ひかりなら、ひかりならこうしたはず……」

 

 だから諦めるわけにはいかない、と自分に言い聞かせるように孝美は言う。

 だって。

 だって、裏切った。

 彼女の理想も、気持ちも、何もかも裏切って今ここにいる。

 ほんとうは彼女が望むような存在なんかじゃない。

 憧れてくれるから、その通りを取り繕っただけで。

 言ってないだけで、この世界なんて、

 嫌で嫌で、しょうがなくって。

 ひかりが生きていたら、もうそれでよかった。

 真っ直ぐで、汚れを知らない彼女の笑顔が守られているなら、それでよかった。

 ほんとうは、一緒にいたかったけど。

 それも、うまくできそうにない。

 だから、これくらいだ。

 残ったもの。

 大事にしたいもの。

 この終わりのない夜の中で、星みたいに輝いてかけがえのないもの。

 このまま逃げ帰るくらいなら――それこそ、ネウロイに灼かれて死んだほうがマシだ。

 だから一人でも、最後の最期まであがき続ける……!

 

「ばーか」

 

 けれど、今ここに集うウィッチはそんな負けず嫌いの孝美に劣らないほどのきかん坊ばかりだ。

 

「管野、さん……」

「一人で出来るわけねえだろ」

 

 そう言って、直枝は超魔導徹甲弾を持とうとする孝美の隣に並ぶ。

 それだけじゃない。

 502の面々が次々に集って、孝美と同じように魔導徹甲弾を持ち上げようとその手に力を込める。

 

「やっぱり、妹さんにそっくりね」

「姉妹揃って馬鹿ってこったな」

 

 エディータの言葉に、直枝は皮肉げに笑った。

 しかし、それさえ祝福に変えるかのように、ラルは頷く。

 

「――馬鹿は嫌いじゃない」

 

 そう言って孝美を見つめる眼差しは、優しげで力強いもの。

 ただの、欺瞞だ。

 こんなの、最低限の意地で取り繕った嘘みたいなものだ。

 魔眼がそう伝えてくるのだから、それに違いはないのだろう。

 けれど、ラルの心は壊れていて、汚れきっていて。

 同じだったから。

 この世界は何の価値も見いだせない悲劇に溢れているのだと。

 全身全霊の嘘で、その真実を大事にしまいこんでいるのだと。

 それは孝美がひかりに感じていたものと同じもので。

 そうやって欺瞞を塗り重ねて、その度に全てが崩れていくことでしか、息を続けていくことすら出来ないから。

 

「せーの……っ!」

 

 掛け声と共に、力を込める。

 瞬間、ふわり、と重力が無くなるみたいに超魔導徹甲弾が持ち上がった。

 ニパが口いっぱいに声を広げる。

 

「上がった……! 向こうはまだこっちに気付いてないよ!」

「――行くぞ!」

 

 ラルの掛け声と共に、そのまま上空二〇〇〇メートル――“グリゴーリ”の上空六〇〇メートルまで上昇する。

 そこから落とすように重力を用いて加速させ、“グリゴーリ”のコアへと撃ち込む。

 一トン近い重量がある超魔導徹甲弾だ。直ぐ様大砲で放つような速度まで加速するだろう。

 

「コアの位置変わらず――行けます!」

「……行くぞ、降下!」

 

 そして、勢いをつけてから手を離して、超魔導徹甲弾を放つ。

 後は敵がこちらに気付かないよう祈るだけ――

 

「何やってんだ孝美!」

 

 が、しかし直枝が叫ぶように言う。

 そのまま見ているだけで問題はないはずだが、勢いに任せて落下する超魔導徹甲弾を抱えたまま、“グリゴーリ”まで向かっていく。

 

「絶対に外せない……だから……だから!」

「くそ……っ!」

 

 直枝が舌打ちする。そして孝美目掛けて思い切り加速した。

 他の誰よりも強い覚悟があるのは知っていたが――駄目だ。

 危険過ぎる。

 

「――■■■■■■ァァ■■■■■■ァァァァ■ァア■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」

「気付かれたか!」

 

 触手のように蠢く砲門が直ぐ様孝美へと狙いをつけて、特大の射撃を放つ。

 魔眼を使用している最中の孝美のシールドはいつもより幾分か弱い。

 こんな状態で“グリゴーリ”の射撃を喰らえば、重症はまず避けられない。それに超魔導徹甲弾諸共撃ち抜くような射線になっている。もし誘爆すればシールドが十全に機能したとて意味はない。辺り一帯を根こそぎにするほどの威力が込められた爆風を超至近距離から防げるウィッチなんてこの世に存在しないからだ。

 

「くっそ……行くぞ、孝美ィイイイッ!」

「管野さん……!」

 

 が、死なば諸共、と言わんばかりにギリギリで追いついた直枝は“グリゴーリ”の射撃を防ぎつつ、さらに射線をシールドで覆う。

 間一髪でつながった命。

 すべてを無駄にしないために、最高効率で活かしてみせる……!

 

「――いっけええええぇッ!」

 

 魔眼に魔法力を乗せて、一つのブレまで起こさないよう集中する。

 しかと限界まで見極めて、“グリゴーリ”へと超魔導徹甲弾を放った。

 外しっこない。

 考えるのも馬鹿らしいほどに魔法力を溜め込んだ弾丸は、“グリゴーリ”の身体を破壊せしめんと、その猛威を振るった。

 花火のように瞬いて、その身体を白い欠片へと変えてゆく。

 

「やったぞ孝美!」

「ええ……!」

 

 直枝と共に声を上げて、成功を喜び合う。

 これで胸を張って帰る事ができる……!

 そう思った瞬間のこと。

 

「な――」

 

 排水口に飲み込まれる水のように、内側から散らばった“グリゴーリ”の身体が巻き戻ってゆく。

 コアを撃ち抜いたはずなのに。

 どうして……!

 

「再生……あれは!?」

 

 何故、と魔眼に魔法力を込める孝美。

 その答えはすぐに見つかった。

 治りかけで未だ何もかもが暴かれたままのコア。

 

「コアの中に、コアが……――」

「こいつもコアの内部の中に真コアを持っているタイプだったのか……!」

 

 あわてる孝美に、声を荒げるラル。

 その言葉に、作戦本部がザワついた。

 真コア型。

 最近ちらほらと発見されるようになった、コアの内部に真なるコアを持ち、“上層のコアを破壊しても撃滅にはいたらない”厄介なネウロイだ。

 その分上層コアを破壊すればその再生には手間取るようだが、今までのネウロイの撃滅パターンの中で最も安定した“コアを破壊する”というセオリーが通じないというのは相手取る上で難敵と言う他ない。

 魔眼持ちがいれば真コアまで見通せることが多いのだが……

 

『雁淵中尉、コアは未だ見えているのか――?』

「見えます……グリッド、H66……!?」

 

 それでも、“グスタフ”では超魔導徹甲弾の再装填が始まっている。僥倖というほかない。位置を割り出して、そこを撃ち抜ければ今度こそ“グリゴーリ”を倒せるだろう。

 が――つっかかる言葉。

 無理もない。

 見えないものを、言葉にすることなんてできないからだ。

 

「どうした、孝美……!」

「消えた……? 補足不能、真コアが見えません……!

 コアが、魔眼を遮っているんだわ……!」

 

 コアの中で高まる圧力。

 その内圧が、魔眼の透視を完全に遮った。

 相手は“巣”である“グリゴーリ”。ネウロイの根源とも言えるコアの内部に渦巻いたエネルギーは大型ネウロイと比べてさえあまりにも強すぎたのだ。

 これで身体の砕ける今の今まで真コアが補足できなかったのも頷ける。

 ――ここまで準備してきても、まだ一つ二つ、上を行く。

 相手取った敵の強大さと、人類が未だ勝利できない所以。

 その重みと、“敗北”という二文字が頭を掠めて、孝美は思わず唇を噛んだ。

 

「……っ……――」

 

 さあ、絶望が――押し寄せてくる。

 人類を、淘汰するために。

 

 その中で、それでも。

 未だ――立ち向かうことを、やめられずに居ること。

 孝美にとって、瞳の中の緋色だけが、その手がかりだった。

 

 

 



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第4話 果てぬ痛み 後編

 戦況は、ゆるやかに、されど確かに終局へと向かっていった。

 いくつも用意してきた打開策。

 そのどれもが通じなかったわけじゃないし、むしろ十全の効果を発揮して戦況を作ってくれたと言えるだろう。

 けれど、それでも勝利には至らなかった故に、徐々に詰められるように退いていった。

 

「……失敗だ……!」

 

 暗雲立ち込める空にぽつりと放たれた言葉。

 それが現在の状況を切実に物語っていた。

 “グリゴーリ”の真コアを特定するために“絶対魔眼(ぜったいまがん)”を使用した孝美。

 単身突撃するようにそうしたものだから、一時はあわや、というところまで追い詰められたが、隊員全員で彼女を護衛することによってなんとか窮地を脱した。

 それでも襲い来る砲撃すべてを防ぎきれず負傷する孝美だったが、なんとか真コアを特定し、超魔導徹甲弾は放たれた。

 ――が、しかし。

 吹き飛ばしたはずの雲を防壁のように再度展開した“グリゴーリ”は、確殺の一撃を難なく防ぎきった。

 時間をかけすぎたのだ。

 恐らく雲を再展開するのにはギリギリだったはずだ。

 最初の段階から孝美が“絶対魔眼(ぜったいまがん)”を使用して真コアがあることを突き止めていれば、直接当てた超魔導徹甲弾の一撃で彼を葬り去ることができただろう。

 しかし、それはあるはずのないたらればを言っているに過ぎない。

 真コア型自体が最近一部で出現し始めたばかりの特異型で、研究も情報も出揃っていなかった。

 そんなものに対して対策が出来るようであれば、人類はネウロイにここまで追いやられることもなく、またここまで苦戦することもなかっただろう。

 ――全ては過ぎ去ったあとのこと。

 人類は彼らに比べてずっと愚鈍で、馬鹿で、そして脆弱だというのは、

 誰しもが知っているような当たり前の事実だった。

 

「……孝美の状態は?」

「傷も塞がってますし、脈も体温も正常です……ただ……」

「……そうだろうな」

 

 “絶対魔眼(ぜったいまがん)”を使用し、一撃を受けた孝美。

 疲労も負傷もジョゼがなんとか治癒し、今も治癒魔法を行使しているが、万全とは言い難い。

 作戦のほうは既に万策尽き、本部からは撤退命令が出ている――これから長い撤退戦が始まるだろう。

 ペテルブルグは滅ぶ。

 これは間違いないけれど、それ以上を認めるわけにはいかない。

 手負いの孝美を抱えたまま、乗り切れるかどうか。

 ……。

 

「……クソったれめ」

 

 考えれば、考えるほどどうにかなりそうだった。

 けれど、それでも事態は進んでいく。

 動いていく。

 取り返しがつきそうにもない。

 最悪だけが、霧のように辺りに立ち込めていた。

 

「……とにかく、動くしかないか」

 

 現在地はペテルブルグ周辺の雪原。

 ここで往生していてもしょうがない。

 じきにここもネウロイの占領区となるだろう。

 じっとしているだけの暇なんてない。

 ……けれど。

 

「……俺は、まだ、なんにもしてねえぞ」

 

 直枝が吠えるように言う。

 なのに、言ってからやってしまった、といったような表情を見せた。

 抑えようとしたのに、思わずこぼれ出てしまったみたいに。

 それでも、一度溢れ出たものは抑えきれない。

 そのまま堤防が決壊したみたいに、思いのまま暴れまわる。

 

「孝美が命がけで真コアを特定したっていうのによ……俺はまだピンピンしてる。弾だって、魔法力だってまだ残ってる!

 まだ……やれるはずなんだ!」

 

 作戦の主体は孝美と超大型列車砲による攻撃だ。

 だから、孝美以外の隊員の余力が余っているのは当然だ。

 けれど、そのことすら許せないみたいに直枝は言う。

 まだ、戦えると。

 身体は動くと。

 ならば、やれることはあるはずだと。

 

「なのに……なのに! ここでペテルブルグが堕ちるのを見てるだけなんて耐えられるかよ……!

 俺達は……俺は! 絶対に諦めちゃいけないんだ……

 あいつを、俺達がなんとかするからって諦めさせて、それで今ここに立ってるんだ……!

 最後の最期を使い切るまで諦めちゃいけないんだ!

 弾がねえなら、この拳がある!

 俺が、ぶん殴ってやる……!」

 

 拳を握りしめて、振り絞るように声を放って、全身で伝えかける。

 そのきっかけは意図したものではなかったけれど、それが直枝の偽らざる本心だった。

 

「気持ちは、わかるけど……」

「列車砲も、魔導徹甲弾もない今となっては……」

 

 ヴァルトルートとサーシャがうつむく。

 直枝のその気持ちは隊員全員も同じだった。

 できることがあるなら、この命を賭したっていい。

 でも、太刀打ちできる手段なんてもう……

 

「……そうです」

 

 けれど、それでも。

 人類は、まるで勝てない相手に“諦められない”だなんて、その一点においてここまで戦ってきた。

 戦ってこれた。

 絶対的に劣勢の状況を塗り替えんと何回も何回も立ち向かってきた。

 ストライカーユニットの発明はその証明だ。

 ならば、それを纏うウィッチは意地を張り続けなければならない。

 愛した、この空を。

 わけもわからないような存在にタダで明け渡すなど、そんなものは認められない……!

 

「管野さんの、言う通りです。まだ、やれることはあるはず。

 ……私だって、まだ飛べます」

 

 血を吐くような重い声色。

 言葉についてこない憔悴を伴って、雁淵孝美はその身体を起こした。

 身体に滲んだいくつかの血痕が痛々しい。

 そのどれもは塞がっているだろうが、無理をすれば容易く悪くなるだろうことは想像に難くなかった。

 

「孝、美……おまえ」

「すみません……少し、寝てしまいました。

 ですがその遅れはすべて取り戻してみせます」

 

 重い病で入院中の病人だと言われても信じられるほどの青い顔。

 よろけた足と、震える手。

 身体はもう限界で、意地だけで立っているようなものだった。

 けれど、それこそがまだ諦めるわけにはいかないと言う決意の証明。

 

「……たとえ、ペテルブルグが陥落するとしても、

 こんなところで負けを認めるなんて、おめおめ引き返すことなんて――私にできるわけないでしょう」

 

 こんな身体で、飛べるわけなんかない。

 よしんば飛べたとて、魔法力だっておぼつかないだろう。

 一〇メートル程度飛んで墜落するのがせいぜいだ。

 ……なのに、

 なのに。

 どうしてだろうか。

 隊員全員が、その言葉を紡げないでいたのは。

 

「隊長、指示を。

 退却ではなく、目の前の敵に向けて」

 

 紅い瞳。

 全てを貫くほどの鋭さを持ったそれは、人の心でさえ見透かして、絡め取る。

 それを見て、ラルは何故か彼女と初めて会った時を思い出した。

 病室の中で、ベッドの中で窓の外――空を見ている。

 人なんて信じられない、みたいな顔をしていた。

 今回はなんとか生き延びたが、長生きしないだろうな、と思った。

 

 ――そしてそれは自分も同じだということに気付いて、

 何と話しかけたのだったか……

 

「馬鹿二人、か……」

「隊長……」

 

 そこから始まった彼女との関係。

 途切れながらもそれは続いてきた。

 ようやく肩を並べられた今日。

 

「いいだろう、ならば……ぐ」

 

 ならば、今日も、あの日も窮地に陥ったのもきっと、偶然ではないのだろう。

 そう言いかけて、突如、身体の中心に鈍痛が走る。

 痛むのは負傷してからずっとだから気にも止めなかったが、ここまで疼くのは……

 

「……隊長、どうしました?」

「……先程から、古傷が疼く。向こうになにかあるな」

 

 怪訝に思ったエディータが聞くと、ラルは向こうの方を指さした。

 確か、あちらの方は……

 ゆったりとした動きで、そちらへと向かう。

 なにかに誘導されているような気分だった。自分の意志ではないような。

 ああ、知っている。

 これで自分と孝美は出会ったのだ。

 このクソったれな何かに導かれて、吐き気がするほどの必然さで、今日この日を定められたのだ。

 人は、それをこう呼ぶ。

 ――運命、と。

 

「これ、か……」

 

 そう遠くは離れてはいない雪原のどこか。

 落下の衝撃で出来上がった塹壕みたいな土の中に埋もれるように、それはあった。

 埋もれていても、それでもなお薄れることのない輝き。

 ……魔法力。

 

「超魔導徹甲弾の、砕けた弾芯のようですね」

「まだ魔法力を失っていないわ……」

 

 先程“グリゴーリ”の雲に防がれ、墜落していった超魔導徹甲弾。

 その砕けた弾芯が魔法力を失わないまま宝石みたいにキラキラと輝いていた。

 

「……そうか」

 

 それを見て、ラルはふっと息を吐く。

 全てが全て、繋がっていくような。

 それこそ導かれなければ到達しようのないほどにパズルのピースが全て噛み合った状態。

 嫌になる――が、これにすがる以外方法は無いように思えた。

 

「……元帥、作戦があります」

『……何?』

 

 すぐさま、ペテルブルグ軍集団の本部に連絡をとる。

 もう撤退の令は出ていて、その対応に慌ただしい本部だったが、ここにきて光明が見つかるだなんて――そうは思えないだけに、電波の先でにわかにざわついたような雰囲気が蠢いた。

 気にすることもなく、言い放つ。

 

「……管野、望みを叶えさせてやる」

「……あ?」

 

 憎き、あの異形を。

 

「――殴ってこい」

 

 

 

「……隊長、本気ですか……!?」

 

 ラルの言葉に、エディータが驚く。

 無理もない。エディータのフリーガーハマーですらびくともしなかった相手なのだ。

 直枝の剣一閃があったとて、太刀打ちできるわけが……

 

「時間がない。手短に伝える」

 

 だがラルは、構わないで言い切る。

 

「この超魔導徹甲弾の魔法力を管野の手に移す。そしてその魔法力を用いて、“剣一閃”をヤツにぶつけるんだ」

「そんなこと……」

「できるだろ。いつもやってるんだ」

 

 当たり前みたいに言う。

 それを受けて、サーシャははっとした。

 

「確かに、管野さんの剣一閃は魔法力を物質に込める能力ですし……この魔法力をそっくりそのまま手袋に移植できれば、超魔導徹甲弾の一撃をそのまま管野さんが放つことが出来るかもしれません……」

「察しが良いな。そういうことだ」

「隊長、もう……この超魔導徹甲弾の弾芯も、落下の衝撃でバラバラになっていますが魔法力はまだ残っています。できるはずです」

 

 言って、サーシャは直枝の方を見やる。

 その言葉に、他の隊員たちも続いてそうした。

 

「俺が……」

「ああ。おまえが殴るんだ。

 文学少女らしい、お前好みの展開だろ?」

「……うるせえやい」

 

 恥ずかしそうにうつむく。そういう言われ方は慣れていない。

 だが、すぐにニヤリ、と笑う。 

 

「……だが、盛り上がってはきたみたいだ」

 

 そして、懐から手袋を取り出そうとして。

 

「手袋……」

 

 しまった、といった表情をした。

 愛用の手袋は、今やカウハバへと向かった少女の下だ。

 会議が始まる間際に渡したので、換えを持ってくる暇もなかった。

 どうするか……

 素手でやってもいいが、それで身体が魔法力の内圧に耐えられる保証はない。

 だからこそ今まで素手ではなく手袋を用いて放ってきた。

 

「……しゃーねえな」

 

 はあ、とため息をつく。

 そして、首元に巻いたマフラーを外した。

 そのまま、包帯みたいにぐるぐると手元に巻きつける。

 最後には肘あたりでしっかりと結んで、外れないように固定した。

 

「こうするよ」

「なんだ、いつも大事に抱えてるのに。落としたのか?」

「……そんなとこさ」

 

 そうして掲げた右手は、黄色と緑のコントラストで彩られたものとなった。

 それは不格好だしラルに笑われるけれど、が、気にしてはいられない。

 背に腹は代えられないのだ。

 

「……ぐ」

 

 手をかざし、魔法力を移植する。

 自分の魔法力はいつも手袋に込められたが、誰のかもわからない、しかも膨大な魔法力を扱うのは骨が折れた。

 しかしなんとか右手に収める。

 

「……すげえ」

「管野の右手は、いまや超魔導徹甲弾そのものだ。これならやれるはずだろう」

 

 普段では考えられないほどの魔法力。

 完全に調律し、内包しきったというのにマフラーのほうが耐えきれなさそうにギシギシと揺れている。

 改めて、これほどの威力があったのか……とこの作戦の要である超魔導徹甲弾の威力を思い知った直枝だった。

 

「……それとクルピンスキー、エディータ。恐らくだが、近くに超爆風弾の弾芯もあるはずだ。どれだけ小さい欠片でもいいから、頼む」

「了解」

「了解しました」

 

 そして古傷のほうを押さえながら言うラルに、エディータとヴァルトルートは頷く。

 すぐさまラルの言う方角へと飛び立った。

 それから五分ほど、だろうか。

 エンジンの鈍い音と共に戻ってくる。

 

「あったよ」

「大きさは?」

「使えそうなのは、これくらいしか見つからなくて。充分かい?」

「ちょうどいい」

 

 見つけてきたそれを、ラルの使う銃の下部にあるグレネードランチャーへと巻きつける。

 

「いいな管野。殴れるのは一度きりだ」

「へっ、これっきりで充分だぜ」

 

 これで必要な材料は出揃った。

 あとは……

 

「孝美。いけるか。ジョゼも……」

「もちろんです」

「は、はい……大丈夫です! 残った魔法力的に銃弾を放って、というのは難しいかもしれませんが……シールドを張りながらの援護なら問題ありません」

「……そうか、だがな」

 

 青い顔で頷く孝美とジョゼ。

 ジョゼの方は言う通り問題は無さそうだが……

 やはり、孝美の方にラルは不安を覚える。

 先程までジョゼに抱えられてすらいたのだ。今は自分の足で立っているものの、それすらおぼつかないように思える。

 そこに全てを賭けるしかないだなんて……

 

「孝美、コアを特定できるか、と聞いてるんだ」

「私を誰だとお思いですか?」

 

 吐き捨てるように言う。

 ふらふらの身体で、おぼつかない心で、それでも立ち向かうことを諦められない。

 それは駄々っ子のような癇癪で、

 こびりついた油汚れのような意地で。

 決して褒められたものじゃない。わけもわからず彼女を褒め称える民衆に見せてやりたいほど、今の孝美の姿は切実だった。

 ふと、胸が締め付けられるような思いを抱く。

 

「……佐世保の英雄、雁淵孝美は伊達じゃないってか」

「そのとおりですよ」

 

 らしくない、獰猛な笑みで笑った。

 話し言葉は上品で見た目だって大和撫子を絵に描いたようなものだが、孝美だってこのブレイブウィッチーズの隊員。

 叩き上げられた粗暴さで言えば、並のウィッチには収まらない。

 

「……いいだろう」

 

 そんな事をわかっていながら、地獄へと突き放す己は何だ?

 外道のそしりを受けたとて生ぬるいような気がした。

 ……それだって、気休めにはなるだろうな、としか思えないほどに。

 

 ああ、そうなのだろう。

 

 彼女の、言ったとおりだ。

 

 化物。

 それ以外に、形容すべき言葉が見つからない。

 けれど、それでも。

 それをわかっていながら、気休めを求めてしまう。

 許しを請いたくなる。

 いつだってひどく脆い、人の心は離れなくて。

 だからこそ苦しくて。

 どうにかなってしまいたくて。

 それでも時間は進んでいく。

 終わっていく。

 歪な過去に裏付けられた、正しい未来へと。

 

「――さあ、ヤツをぶっ飛ばしに行くぞ!」

 

 ストライカーユニットのエンジンが轟音を立てて震える。

 浮かび上がる身体。

 空を支配する黒雲は、地上から見上げるより随分と大きく見えた。

 上がっていくのに、底に落ちていくような感覚。

 ――決死の作戦が、今、始まった。

 

 

 

「先程の超爆風弾の砕けた弾芯を用いて、ヤツの雲に穴を開ける。小さいものになるだろうが、私達が懐に入るには充分だろう。そこで孝美がコアを特定し、管野が殴る――単純な作戦だが、今までの何より難しい作戦だ。気を引き締めろ」

 

 飛び立ちながら、簡単な作戦会議。

 作戦とも言い難い、博打のようなものだ。

 しかし、そんなものに全てのチップを賭けなければならないほどに追い込まれた。

 なんとしてでも、ペテルブルグを堕とさせるわけにはいかない……!

 

「サーシャ」

「はい、雲の生成過程をすべて記憶し、分析した結果……グリッドH2223、T3358に層の薄い場所が確認できました」

 

 全力の固有魔法行使。

 今まで類を見ないほどだったが、サーシャは難なくこなした。彼女との付き合いはペテルブルグに来てからだが、未だに底が見えない。時が経てば、恐らく自分よりずっと頼りになる隊長になるだろう、とラルは思う。かといってまだまだ全然降りる気はないのだが。

 

「“グリゴーリ”との距離、12000……!」

 

 定子が叫ぶように言う。

 間違いなく交戦距離だ。

 それでも彼がこちらに見向きもしないでペテルブルグに向かっているのは、すなわち無視しても問題ないと思われているから。

 

「いまの進行速度だと、一五分もあればペテルブルグが飲み込まれるわ……!」

「五分でカタをつける……! 行くぞ!」

 

 エディータの言葉に、ラルが発破をかける。

 全員で頷きあって、グリゴーリより上方へ向かって加速した。

 そしてようやく銃弾が当たるほどの近距離へと到達する。

 さすがにここまで来ると相手からの反撃がやってくるが、それもどこかおざなりだ。

 

「……舐めやがって。目に物言わせてやる……!」

 

 その様子に直枝が光り輝く右手を握りしめる。

 先程の攻撃の凄烈さを知っているだけに、苛立ちが募るばかりだった。

 が――しかし。

 それも今の状況では好都合。

 エディータが稲妻のように走る熱戦をシールドで防ぎ、浮くように上昇。

 彼女一人分空いた空間の先には、銃を構えたラルの姿があった。

 

「……そこだ……!」

 

 即座に超爆風弾の弾芯をくくりつけたグレネードランチャーを雲へと放つ。

 吸い込まれるようにして、それは暗雲へと飛び込んでいった。

 一瞬の間だけおいて、爆発。

 雲を押し退けて、その巨大な体積と比べれば極小の入り口が出来上がる。

 しかし、それで充分。

 そしてそこ目掛けて、隊員全員が一列になって潜り込んだ。

 即座に襲い来るとてつもない密度の反撃を、散開して回避する。

 

「■■■■■■■■■■ァ■■■■■■ァア■■■■――ッッッッッッ!!!」

「すごい攻撃……」

「それでも、なんとしても管野さんと孝美さんを“グリゴーリ”のコアまで連れて行くのよ!」

 

 サーシャが弾丸を撒き散らしながら言う。

 彼女たち二人の位置は最後方。

 一つの消費も許してはいけない。

 一人は限界ギリギリで、一人は一撃しか許されていない。

 隊員全員で蛇のように蠢く“グリゴーリ”の砲門を相手取る。

 その激しさたるや、激戦続きだった今までを思い返しても類を見ないほど。

 “死”という概念が現実になったのだ、と誰かに嘯かれても信じてしまいそうだった。

 

「こんなんじゃ、事が終わる前にストライカーユニットが馬鹿になる……!」

「……壊しても怒らない?」

「……ちゃんと二人を届けられたらいいですよ!」

 

 ぼやくニパとヴァルトルートに、サーシャが再度檄を飛ばす。

 その言葉に、頬を緩めるヴァルトルート。

 一つ、息を吐く。

 

「さすがぁ。話がわかる。

 ……マジックブースト……!」

 

 そして青白い燐光を纏いながら、闇を切り裂くように“死”の真っ只中を走り抜けた。

 出来たか細い道を全力でこじ開けて進んでいく。

 

「……まさか、孝美……おまえと肩を並べる作戦が、のっけでこんなことになるだなんて思わなかったよ。

 こんな馬鹿、まともなヤツはやらねえ」

「……でも、勝つ望みがある時ばかり、戦うのとは訳が違うでしょう」

「……シラノとは趣味がいいな。読んでたのか」

「読んでたも何も、手紙で勧めてくれたのはあなたですよ。管野さん」

「……そうだったか」

 

 へら、と笑う直枝。

 孝美は飛行すらおぼつかなさそうだ。

 そんな状態ですら、攻撃が来ればまるで最初から来ることがわかっていたかのように避け、危なげない。

 改めて彼女の底の知れなさを思い知るようだった。

 しかし、彼女の手に銃は無い。

 銃というのは持っているだけでかなりの重しになる。それに彼女が使うのは特大のライフルで、飛行ですらおぼつかない今の孝美がそれを抱えたままここまで飛んでくることは不可能だっただろう。もちろん懐に拳銃ぐらいは持っているだろうが、馬鹿げた装甲を持つ“グリゴーリ”相手にはきっと役に立たない。

 だから、攻撃を放つこともしないでぐんぐんと進んでいく。

 そしてその進んだ先から足元の氷は割れていって、引き返しがつかなくなるような薄氷の上を渡っているような気分を直枝は覚えた。

 

「……孝美……もう少しだ」

「……はい」

 

 一つずつ痛みを確かめるように、孝美は顔をしかめる。

 魔法力もギリギリで、支える身体はぎこちない。

 身体中に針が刺さっているかのような不透明感だった。

 けれど、

 それでも。

 

「――行きます」

「ああ、頼んだぞ!」

 

 一瞬、目を閉じる。

 瞼の裏に、走馬灯のような何かが駆け巡った。

 縋ることはない。

 それでも、忘れたりなんかしない。

 例え、これが最後の最期でも。

 

 手を、手を伸ばす。

 伸ばし続ける。

 

 そして刺さった全てを、思い切り引き抜き。

 その名を、手繰り寄せる。

 

 紅く、ただ、緋く。

 染まる瞼の奥。

 

 全ては、今まで、傷つき、喘ぎ、悲しんできた記憶の中に。

 身体中血塗れで真っ赤だ。

 けれど、そんな、血塗れの手を伸ばし続けていられたこと。 

 傷だらけの身体で、その心で。

 今まで、歩いてこれたこと。

 

 ただ、それだけで。

 ただ、それだけが。

 

 ――ここに!

 

「――“絶対魔眼(ぜったいまがん)”!」

 

 ぞわり、と内側で膨れ上がる力は、何もかもを壊して、そして作り上げた。

 激痛と悦楽がぐちゃぐちゃになって混ざり合って、それでも消えないまま個を保っている。

 感覚のない感覚。

 雷に灼かれたみたいだ、と思う。

 実際にそうなったことはないけれど、恐らく似ているのだと思う。

 受け入れられない。

 処理できない。

 果てもなく、卸しきれず。

 

 けれど、それでも。

 

 雁淵孝美の魂の形に最も相応しき形がこれなのだから、こう在るのだろう。

 固有魔法は魂の在り方を最も端的に顕現(あら)わした姿だ。

 ならば、この“見えざる手”はどこへでも届く。

 目に視える世界の最果て。

 祈るように、呪うように、手にかける。

 

「――■■■■■■■■■■■■■■ぅ、あ、あああああああ■■■■■■■■■■■■■■■■ァアアアアア■■■■■ッッッッ■ッッ■■ッッ!!!!!!」

「……ええ、そうよ。

 私こそが、あなたの“敵”。

 それ以上でも、それ以下でもないわ」

 

 “(コア)”の位置を暴かれたことを悟った“グリゴーリ”が、嫌悪に声を荒げる。

 ふざけるな、ふざけるな、と重ねるように、悲痛とさえ言っていいほどのその声に、何故か孝美は口元を緩めた。

 

 全てを見通す目は、虚偽も、妥協も、偏見も、卑怯未練も、痴愚も(あらわ)にした。

 受け入れられなかった。

 人の生きる世界は汚れていて、悲しくて、残酷な世界で。

 このままネウロイに滅ぼされるならそれもいいか、と思えるほど。

 今でもそれを否定できるだけの材料なんて用意できていない。

 そんなものは積み重ねてこれなかった。

 こんなものが見えるから、と目を潰してしまおうか、

 ……いなくなってしまおうか、と考えたことは一度や二度じゃきかない。

 

 人以外のものが好きだった。

 世界を渡る鳥や、

 直枝が勧めてくれた本。

 美しい景色や青空、

 そして冷たい空気。

 

 その中で、妹の存在だけが目が潰れるほどに眩しかった。

 真っ直ぐで、知らなくて、ひどく愚かしげで。

 彼女と居るときだけが、安心できた。

 “彼女の望む姉で居続ける”という虚像の中で、ようやく窒息しかけの呼吸が透き通っていった。

 ちゃんと、生きられるような気がした。

 それは勘違いで、傲慢さで、望むべくもない独りよがりで。自分が一番忌み嫌っていたもので。

 

 そして知った。

 結局、人は、人のいる場所でしか、生きられないのだと。

 暗闇の中、彷徨い続けて、間違え続けて、探し続けて、見つけた明るいものだって、守りたいものなんて、そんな陳腐な虚像のように微かなものでしかなくて。

 馬鹿みたいで。

 ふざけている、としか思えなくて。

 

 だから、目の前の“敵”が世界を呪うのもわからなくはないのだ。

 ある意味では、ネウロイこそが最も人類の事を想う理解者だと言えよう。

 何故ならこんなつまらない世界、滅んだって、壊れたって、何ということはないのだから。

 それに対する回答を人類は持つことさえ許されない。

 

 だって――生まれたのも、死にたくないのも。

 それで抗うのも。

 全部人類の都合でしかないのだから。

 

「だから――だから、此処で死になさい。

 ネウロイ(あなた)の都合で滅ぼされるわけにはいかないもの。

 であるならば、あなたに相応しい居場所は、墓標(それ)以外にはありえないでしょう?」

 

 管野さん、と小さく呟くように語りかける。

 直枝は、言葉なく頷き、身構えた。

 

「――こっちです」

「ああ……ああ!」

 

 そして何に追突してもおかしくないほどのスピードで加速する孝美。

 当然“グリゴーリ”は拒絶反応を示す。

 おぞましい、と言っていいほどの密度で放たれる反撃。

 孝美はそれら全てを小さく身体を撚るだけで回避する。

 シールドなんて使わない。

 止まっている暇なんて無いのだから。

 

「はは……すげえ、すげえよ。孝美。

 こうでないと俺の“相棒”は務まんねえよな」

 

 人間業じゃない。

 エイラ・イルマタル・ユーティライネンもかくやというべき反応速度と先読みの精度で、マトモじゃありえない軌道を三次元的に描きながら、なおかつどんどんと加速して、一撃も当たらないまま中心部へと向かっていく。

 直枝はそれについていくのがやっとだ。“グリゴーリ”が孝美に気を取られて入れ込む隙が多くなっているのにも関わらず。

 ずっと先で道を指し示しながら舞うように飛び、紅い閃光がそれを追って軌跡を描いている。

 その光景を、直枝はほんとうのほんとうに美しい、と思った。

 この先どんな戦場を垣間見たって、恐らくこれ以上の美しいものを視ることは無いのだと、なんとなく思う。

 

 きっと、

 きっとだ。

 たくさん傷ついて、泣いて、悲しんできたのだろう。

 戦いとはそういうものだ。

 そこには直枝が知らない、たくさんの傷と、涙の痕があったのだろう。

 

 ――ああ、ああ。

 

 それでも、歩いてこれた。

 彼女が傷ついてきたことも、泣いてきたことも、何一つ無駄なんかじゃなかった。

 全てが全て、星みたいに黒雲の中を照らして、一秒先の未来を形作っている。

 

 例え彼女自身がそのことをどれほどに呪おうと、受け入れられなくとも。

 今、それらを背負って羽ばたく彼女の姿は。

 その全てを振り切るくらい、美しかった。

 

「――目標、重補足」

 

 ずん、と空気が一層重くなる。

 息苦しささえ覚えるほどの張り詰めた存在感。

 ネウロイの巣たりうる“グリゴーリ”の“(コア)”。

 暴かれれば、当然その内側に秘められた圧力を思い知ることになる。

 

「……目標、補正」

 

 魔眼を使っていない直枝ですら感じるほどのプレッシャー。

 実際にその暗闇を覗く孝美には、考えもできないような重圧がのしかかっているのだろう。

 それでも、探して、指し示す。

 ――選びだした一つきりの可能性を……!

 

「目標、最終補足」

 

 夜に、星を灯す。

 一筋の光芒が、曖昧な暗闇を切り裂いて瞬いた。

 

「――目標、完全補足。

 ――管野さん!

 “グリッドH2000、T0831(此処)”だ、あァアァァアアアッッ!!!」

 

 その光の方を、指し示し、

 懐に隠し持っていた拳銃を放つ。

 乗せる魔法力なんてとうに尽きているから、素の状態で放たれた銃弾は“グリゴーリ”の装甲表面に軽い傷をつけただけで弾かれた。

 だが、目印にするならそれで充分。

 

 ――覚悟はもうとうの昔に決まっている。

 さあ取れ、取るがいい。

 この拳こそ、

 全身全霊を懸けるに相応しき一撃――!

 

「――お、 おおお お おおォオオオぁあああああああッッッッッ!!」

 

 振りかぶる。

 何十人、何百人の魔女(ウィッチ)の魔法力を束ね、弾丸とした超魔導徹甲弾。

 その全てを内包し、さらに自らの魔法力全てを振り絞る。

 指の一つ一つ、

 握りしめた手のひらの感覚。

 雪を固く潰すように、弓を引くように、

 ただ一つ、最果てを目指して、

 (はし)っていくより、ずっと速く先を行く、

 その光よりさらに先へ!

 

「――“(つるぎ)……一閃(いっせん)”ッッッッ!!!」

 

 瞬間、

 ――轟音と共に、弾ける。

 特大の魔法力を持って放たれたそれは、“グリゴーリ”の分厚い装甲をぶち抜いて、容易くコアを露出させた。

 そしてそれだけでは足りないと、のたうち回って駆け巡って浸透する。

 

「砕、けろぉおおおおおおおおッッッッッッッ!!」

 

 みるみるうちに砕けていく“グリゴーリ”。

 コアだけならず、魔法力はその全身をも蝕んで壊して、

 全てを塵に返さんと暴れ狂う。

 段階を踏んで、しかとその破壊を撒き散らしていく。

 

「■ぉ、あ■■■■■……!? ■■■■■…………!」

 

 異形はその痛みに叫び散らす。

 それだって、消えゆく自分の運命を悟ったように弱々しかった。

 が――しかし。

 そこで魔法力の輝きが急激に萎んでいく。

 ほんとうに、あと一ミリ。

 一ミリ届けば、それで終わりなのに。

 

 直枝の右手からは、その輝きは失われていた。

 

「あとちょっと……管野さん……もう一発!」

「ぐ、ぁ……」

 

 たまらず孝美が叫ぶように言うも、ひと目見てそれは無理だと悟った。

 これほどのものがあるのか、と思うほどに根こそぎにされている。

 指先一つにですら魔法力が残っていない。

 意識を保っていられるはずもないだろう。

 ストライカーユニットのエンジンはとうに止まっていて、

 朦朧と合わない焦点が、空をあやふやと漂っていた。

 

「――く、管野さん……!」

 

 手を伸ばして、なんとか落ちていきそうになる彼女の身体を抱きとめる。

 だらり、と自らで体重を支えきれない重さが左腕にのしかかった。

 そのまま、目の前の崩壊寸前の“グリゴーリ”を見やる。

 “グリゴーリ”が踏みとどまったのか、

 それとも超魔導徹甲弾の火力がギリギリ足りていなかったのか……

 恐らくそれは無いはずだ。

 外したものの、超魔導徹甲弾は先の一撃で奴の身体全てを破壊する威力を見せている。

 

 ならば……

 答えは一つ。

 

「まさか……こいつ、学習して……!」

 

 恐らく、コア付近に対して重点的に装甲を割くことによってギリギリで踏みとどまった。

 自らをまるごと撃滅せしめんとする火力の存在を知ったことによる防衛策。

 

「――ここに来て、そんな……!」

 

 けれど、それでもあと一撃。

 あと何か一つでもあれば、それで届く。

 手には小さな扶桑式の拳銃。

 

 これしかない、と右手の先に魔法力を、

 込め、

 込め……

 

「ご、は……」

 

 突如、明滅する意識。

 内臓の奥がきゅっと捻れるような感覚があって、

 それで湧き上がってくる嘔吐感。

 逆らえないまま、大量に血を吐き出す。

 無理もない。

 治療されたとはいえ身体は死に体で、魔法力は度重なる“魔眼”の使用でギリギリだった。

 そこに限界を無視した飛行と“絶対魔眼(ぜったいまがん)”の行使。

 

 今意識を保てている事自体が、おかしいくらいで。

 

「が、は……っっ……ぜぇッ……ぜぇッ……」

 

 ああ、それでも。

 それでも!

 手を伸ばし、右手に魔法力を込めようとする。

 放とうとする。

 彼に届く一撃を。

 全てを終わらせる為に。

 

 けれど、暗闇に囚われてしまったみたいに光は途絶えていて。

 何も、何も視えない。

 右手に持ったままの拳銃はいつまで経ってもただの拳銃で、

 徐々に末端から力を失っていく身体では、それを持ち続けていることで精一杯で。

 震える銃身。

 徐々に曖昧になっていく意識。

 

 どうして、

 どうして…

 

「たか、み……」

「管、野さん……!?」

 

 そのまま気を取られていると、何故か魔法力の途絶えた直枝が孝美の身体を掴んでいた。

 覆いかぶさるように、孝美にしなだれかかる。

 その重みに、孝美は思わずバランスを崩す。

 一体、何が……

 

「――■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■ァアアアアアアアア!!!!!!」

「ぁ――」

 

 それが。

 反撃のタイミングを手に入れた“グリゴーリ”から自らを守るために、

 動かせないはずの身体を振り絞って、

 それでも何かを成し得ようと手を伸ばした結果なのだと。

 そう、理解する頃には。

 

 視界の全ては、赤い閃光で埋め尽くされ――

 

 

 

 *

 

 

 

 生まれた時から、全ては必然で、決定付けられていたように思う。

 皆を引っ張って飛んでいける姉と、

 誰かの足を引っ張ることでしか生きられない自分。

 比べられるのは当然のことだった。

 最初のうちは、それに傷ついたりもしたけれど。

 そんなにしない内に理解する。

 “そういうもの”だって。

 予めそういう風に世界は決まっていて、それに流されるということが生きるということだと。

 気持ちや心はそれについていけないけれど、時間が経てば置いてけぼりにされたことすら忘れて当然になる。

 諦めが、つくようになる。

 ……それでも、やってみなくちゃわからないと、姉は言った。

 けれど知っていた。

 それは嘘だと。

 いや、そうじゃなくて。

 やってみた所で、失敗を突きつけられるだけだと、

 そう、知っていた。

 それでも、こんな自分でも愛してくれる事が嬉しくて、それを裏切らないために、なんとか歩いてきた。

 “頑張ったけど、駄目だった”って事実を突きつけられるために、日々をしのいできた。

 それをすることでしか、彼女の妹ですら居られないような気がしたのだ。

 

 ……ああ、ああ。

 ああ。

 

 生きることは、夜を視るようなものだと、誰かが言った。

 広がる死を遠ざけて、生存というただ一つの光を探し出すこと、だと。

 

 けれど。

 例えばの話だ。

 一〇〇〇通りの中で九九九通りの“死”、一つきりの“生存”ならば。

 

 “生存”というのは望外の奇跡みたいなもので、

 “死”という暗闇こそが真実でしかなく。

 

 今、目の前に広がる“暗闇(それ)”は。

 運命に決定付けられた“必然”だと、

 ――どうしようもなく、そう言えるだろう。

 

「あ、あ、ああ……」

 

 たどり着いた先で、真っ先に見えたのは赤だった。

 赤……

 赤、

 赤。

 

 白い雪原を汚す、

 致命的だって、見た瞬間にわかるほどの――どこまでも広がる血液の鈍い赤。

 

「は、……っ……は……っ」

 

 落ち着かない心臓。

 きゅう、と締まる喉。

 今息苦しいのが、ずっと走ってきたからだろうか。

 それとも、視界に映る赤に途方もなく心を揺さぶられるからだろうか。

 

 血液が露出する、という事はそれだけの外傷を経た、ということだ。

 ならば、その光景に本能的に嫌悪感を示すのは間違いでもないのだろう。

 けれどそんなのじゃきかないくらい、心臓の鼓動はどくんどくんと脈打って、一向に収まる気配を知らない。

 だって、そこには、

 その赤の中心には、

 ……力なく倒れ伏す、最愛の姉の姿があったから。

 

「お、ねえ、ちゃ……ん?」

 

 からり、と爆ぜるような硬い音が締まった喉から生じた。

 息が苦しい。

 だから空気を吸おうとするけど、うまくいかない。

 まるで辺り一帯の酸素全てが個体に変わってしまったみたいだった。

 

 身体から力が抜ける。

 今まで数十キロメートルも走ってきたことが嘘みたいに、震える足は心もとなかった。

 それでも血の滲む膝を動かして、なんとか一歩、歩く。

 雪原の柔らかく繊細で硬質な地面がざり、と音を立てた。

 

 ゆっくりと、一歩ずつ、近付いていく。

 何故、そうしようと思ったのかはわからない。

 その度に自分は何をしているんだろう、という不可思議な感覚に陥る。

 まるで幽霊が乗り移って、自分の身体を操っているかのようだった。

 歩いているけど、座り込んでしまいたい。

 知りたくないけど、確かめなければならない。

 そんな二律背反の交わらない思いがぐちゃぐちゃになって、どうにかなりそうだった。

 

「……は……、っ……は……あっ」

 

 未だ息苦しい。

 胸に綿でも詰まったみたいだった。

 指先が熱くて、うなじの辺りに冷や汗をかいているのが自分でもわかる。

 なのに冷え切ったみたいに寒くて、凍えてしまいそうなほどだ。

 

 視力は、悪いほうじゃない。

 むしろ、魔眼持ちの例に漏れず、ふつうのウィッチよりずっと遠くまで見える。

 だから、どんな事になっているかは、もうほんとうは、

 ほんとうはわかっていた。

 

 けれど、一歩ずつ近付いて、その間近で確かめるまでは嘘だって、

 そうなんだって。

 言い聞かせるようにして抗う。

 そんな些細なものだけが“必然”に対して唯一許された抵抗で、

 だからこそ引き返せなくなって、

 それができなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 

「おねえ……ちゃ……かん、のさん……」

 

 雪原と、その白い服を(おびただ)しいほどに赤く汚す血液の発生源。

 孝美の腹にはいくつか焦げた円状の傷跡と、そこから血が止めどなく溢れていた。

 直枝はそんな彼女の肩のあたりに、

 上半身だけになった身体で重なっている。

 

 脳天を直接ハンマーでぶん殴られるような、そんな錯覚を覚えた。

 

「あ……ッッっあ、が……は、……あ、あああ……!!」

 

 水に溺れたみたいに、息ができなくなる。

 

「なに、これ……っ はあ……っ……は……ッ……うそ……こんなの……こんなの……、ぅあ……」

 

 うわ言のようにぼそぼそと言葉を並べながら、それでも刻一刻と現実は変わらないことを認識して、こめかみの辺りがぎしぎしと歪むのを感じていた。

 孝美と直枝のすぐそばでは、恐らく彼女たち二人のものだろう、身体を血で真っ赤に汚しながら倒れ込んでいるジョゼの姿があった。

 意識はない……けれど、息はある。

 恐らく孝美と直枝を治療しようと限界まで魔法力を使ったのだろう。

 表情が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったままだった。

 

 そんな風に冷静に状況を分析できる思考と、

 目の前の光景を信じたくないと必死に叫ぶ心。

 

 なんだかおかしいけれど、

 一つも、笑えなかった。

 

「……ひかり! どうして、ここに」

「……隊、長」

 

 そこに、空からストライカーユニットのエンジン音を響かせながらラルが降りてくる。

 他の隊員も下降してくるのが見える。

 関係なかった。

 

「隊長……お、ねえちゃんが……かんのさんが!」

「……孝美、管野…………そうか」

「お姉ちゃんが、管野さんが……ぁ!!! このままじゃ、死んじゃい、ます……どうにか、どうにかしない、と……どうにか、しなきゃ……!

 お姉ちゃん、かんのさんがぁ! 、は、ぁあ……っ あああ、あああ……っ」

「……、」

 

 うまく回らない呼吸で、窒息しそうになりながらそれでも言う。

 それでもラルは悲痛そうな表情を見せてうつむくだけで、動こうとはしなかった。

 

「……おい、かけてきたんです。しっ……ぱいしたっていうから!! ……っぁ…… お、ねえちゃんが、大変だって、

 だから、 だから、、 …… 。 ぁ……ぁっ!」

「……そう、か」

 

 必死に伝えかける。

 けど、もう、わかっている。

 わかっていた。

 

 直枝にもう息がないこと、

 孝美のか細い呼吸が今にも絶えようとしていること。

 

 そして、それをどうにかする術がないこと。

 

「あ、あああああああ……ああああああああああああああ……!!」

 

 ぼと、ぼと、と雪原に溢れる透明な雫。

 それは真っ赤に染まったそれを一つも分解しないまま、血と共に浸透して、消えていった。

 嫌だ、嫌だと願う心。

 それを跳ね除ける思考。

 

 ぐしゃぐしゃで、わけがわからなくて、

 大きくて、途方も無くて、

 言葉にならなくて、

 どうすればいいのかわからなくて、叫ぶ。

 

「……じょぜ……さ、ん、寝てる、ばあいじゃないですよ…………起きて、治さなきゃ、かんのさん、が……おねえちゃんが!

 嫌……………いや、なんです

 だから、はやく……はやくう、っっ……ぅ、うう………………!」

 

 必死に揺さぶって起こそうとするけれど、手に触れた彼女の異常に高い体温が、施した治癒魔法の量と、それに伴う魔法力の消費と当然の如く起こる意識の断絶を伝えていた。

 だから、この声が、この憔悴は彼女に届かないのはわかっていた。

 わかっていたけれど、

 どうすればいいのかわからないから、これしかなかった。

 

「ねえ……ねえ! このまま、じゃ……このままじゃ……!

 ああ、あああああ……、あああああ……!!」

 

 泣きながらわめいて、叫んで、必死にジョゼの身体を揺する。

 ままならない呼吸が次第にそれすら困難にさせて、残ったのは曖昧になる視界と切羽詰まった胸の奥、いまだぎしぎしと歪み続ける心と身体。

 それだけが全てだった。

 彼女に届くことはない。

 そのはず、だった。

 

 けれど、底なしの夜の中で。

 遠くから聞こえた最愛の妹の声は。

 死に向かう身体をほんの少しだけ呼び起こして、未来に打ち付ける分だったはずの鼓動をもらって、か細いながらも、すぐ消えゆくそれでも、生きようとするには――充分だった。 

 

「……ひかり?」

「――え」

 

 ごぽり、と液体混じりの息を漏らしながら、掠れた声で自分の名を呼ぶ誰かの声。

 どれだけ汚れていようが、聞き間違えようもない。

 

「おね、ちゃ……」

 

 同じように掠れた息を吐きながら、すぐそばの、声のした方を見やる。

 

「なに……?」

 

 寝起きのように朦朧としながら話す孝美。

 それでもすぐに目を覚まして、ゆっくりと瞼を開いて、何が起こったのか、何が起きているのか把握する。

 意識の途切れる直前。

 直枝が“グリゴーリ”の反撃に気付いたものの、死に体の二人では避けることすら叶わず、攻撃を食らった。

 その結果、一人を犠牲にすることによって一人を致命傷に抑えた、というところか。

 墜落しなかったのは僥倖だが、恐らく途中でジョゼが堕ちる二人を抱えてここまで降りてきてくれたのだろう。

 まったく馬鹿馬鹿しすぎて、ため息をつくしかなかった。

 

「……そういうことね」

 

 そうか、死んじゃうんだ。

 孝美は当然のように、そう言った。

 その態度があまりにも冷静で、そして嘘みたいで、信じられなくて、ひかりは思わず笑いそうになって、

 でも。

 でも、認めたくなくて、代わりに言葉にならない何か、息や声が混ざりあったよくわからない音を出して答えた。

 そんなひかりの様子がおかしくて、孝美は口だけで微笑む。

 

「まったく、ひかりがそんなにうるさくするから、寝てられなかったでしょ……」

「ごめ、な、さ……でも、でも……」

「ごめんね、冗談だってば」

「おねえ、ちゃん……」

「なに?」

 

 なんでそんな、と、掠れた声で、涙を流して言うひかり。

 こんな時になってもいつまでも甘えん坊が抜けきらないみたいだった。それが彼女の可愛いところだとは知っていたのだけれど。

 それ以上に、自分が死ぬということ。

 その事実がこれほどまでに自分の中に気安く収まるとは思わなくて、そのことに驚愕するほどだった。

 

「隊長、すみません。あと一歩及びませんでした」

「……いや、よくやってくれた。……ほんとうに」

 

 首だけを動かして、ラルを探す。

 近くにいるだろうと思ったからそうしたけど、そのとおりで、すぐに彼女は見つかった。

 

「気休めは結構ですよ」

「そんなわけあるか。

 そんな、わけ……」

 

 似合わない悲痛そうな表情。

 何かから逃げるように唇を噛んで、目を細めて、それでも逃げ切れないとわかっているから、仕方なくそこに居るみたいだった。

 

「……皆さんも、ありがとうございます。最期までわがままを聞いてもらって」

 

 一人ひとりを視線で追いながら、感謝の言葉を紡ぐ。

 届かないだろうが、ジョゼには感謝してもしきれなかった。

 今こうやって会話できるのも、お別れできるのも。

 全て彼女が命を振り絞って治癒魔法をかけ続けてくれたからできることで。

 

 痛みは不思議と感じなかった。

 麻痺しているのか、そもそも痛みを感じる神経自体が焼き切られたのか、

 ……治癒の賜物か。

 それはわからないが、僥倖だ。

 そんな下らない感覚に思考を邪魔されるなどあってはならない。

 何故なら、残された時間はそう多くない。

 それでも、消えゆく最後の最期まで、

 “可能性”を、残さなければならなかったから。

 伝えなければならなかったから。

 

「ねえ、ひかり。私、あなたの姉でいられてよかった。こんな下らない世界の中で、あなたの存在だけが無条件に眩しかった」

「おねえちゃ……ん」

 

 やめて、とひかりは言う。

 嗚咽と吃音にまみれた声で、ままならない呼吸で、

 そんな、最後みたいな――と。

 ちゃんと生きようとしてよ、と力無い声で言う。

 

「ごめんね、私、居なくなる。

 居なくなっちゃう。

 ごめんね……ほんとうにごめんね」

「おね、え、ちゃ、あ……!」

「でもね、誰にだって平等に訪れることなの。あなたにだって。もしかしたら、それは次の瞬間かも知れない」

 

 けれど、と前置きして続ける。

 

「ずっと、“視続けていて”。底無しの暗闇を、果てのない未来を、終わりのない夜を。それが、“目”を持ってしまったあなたに唯一許された、他の人にはない、可能性。

 ……これから、ひかりは、たくさん傷つくんだと思う。諦めるんだと思う。失くしていくんだと思う。

 でも、それでも……それでも、どうか……諦めないで。

 だって……“やってみなくちゃ、わからない”んだから……」

 

 そのまま、咽る。

 たくさんの血を吐き出した。

 視界が眩む。

 

「……おねえちゃん、

 いい、いいから」

 

 その中で、手に体温を感じた。

 この極寒の中でも感じる暖かな感触。

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、おぼつかない呼吸のままで、両手で右手を掴むあなたの姿すら、もうじきに、見えなくなる。

 

「もう、いい、から。

 わかった、から……」

「ひかり……」

 

 渾身の力を込めて、ひかりは孝美の手を握る。

 これくらいしか、してやれることはないと思った。

 これから死に向かうあなたは、一人ではない、と。

 決して訪れないはずの死を、迎えに行くあなたを想う、誰かが居たこと。

 それを教えてあげること、それくらいしか、もう。

 

「……そんなに、心配しなくても、管野さんが先で待ってるわ。大丈夫、大丈夫よ」

「……うん……、うん……」

「“相棒”なんだって。おかしな話だって思ったけど……一蓮托生、っていうのも、悪くないわね……」

 

 力なく微笑む孝美。

 そんなやせ衰えた表情なんて今までに見たことなかったから、なんだか別人を見ているようだった。

 ああ。

 一秒ごとに、失われていく。

 先細って、欠けて、こぼれて、なくなっていく。

 その中で、最愛の姉は笑っていた。

 いっそ、いつどこで見るより穏やかに。

 それすら美しいと思える自分が、ひどく汚く思えて、ほんとうのほんとうにどうしようもなく、憎くて、情けなくて、張り裂けそうで、叫び出したくなって、ままならなくて、たまらなかった。

 

「ねえ、ひかり……最後にわがまま、言っていい……?」

「な、に……?」

 

 そんな泣き疲れて憔悴したひかりに、孝美は問いかける。

 今ここで望めることなんてそう多くはないし、叶えられる保証もない。

 けれど、出来ることなら叶えてあげたかった。

 だからわがままなんて……そんな事は無いのだと、

 そう、言いたかったけれど。

 そんなひかりの思いさえわかった上で、それを踏み躙るからこそ“わがまま”なのだと、孝美は知っていた。

 

「どうか……私を、終わらせて」

「え……?」

 

 ぼそり、と、呪詛のように放たれた言葉。

 その言葉を、理解するのに。

 数秒、かかる。

 

「ど、う、いう……」

「私、ずっと、この、世界が……嫌いだった。こんな世界に殺されるなんて嫌……嫌なの。

 だから最期くらいはせめて、あなたの手で……終わりたい」

「おねえ、ちゃん……」

 

 微笑みながら孝美が言う。

 嘘のようにしか聞こえない、それは。

 握り返される手から伝わるか細い力の前では、太刀打ちできなかった。

 嘘だって、そう思いたい……だなんて。

 そんな浅い考えでは、理解できなかった。

 噛み砕くことが出来なかった。追いつけなかった。

 わからない。

 姉が何故、そう言っているのか――わからない、のに。

 手に触れた言葉以上の言葉は、“この世界が嫌いだ”という嫌悪を重く伝えてくる。

 文字にすればたったそれだけのものに、途轍もない程の憎悪を知ってしまう。

 せせり笑うように深くなる灼眼の色。

 

 やらなければ、と。

 そう、思った。

 

「……ッッ!!」

 

 だから、自分でも驚くほどの早い動作で、躊躇いもなく、ポケットに入ったままだったそれを取り出した。

 弾は既にヴァルトルートによって装填されている。

 基地を発つ前、お守りとして渡された――“開放者(リベレーター)”の名を関する、単発式の拳銃。

 構えて、照準を合わせる。

 両手で構えたし、ずっと前に訓練だって受けた。

 それに、ウィッチの筋力は拳銃なんかボールペンと同じくらいの重さにしか感じない。

 その、はずなのに。

 向けた銃口の先は、未訓練の子供が初めて銃を持った時みたいに、

 ひどく、揺れた。

 

「ひかり!」

「いいんです、隊長……だって、おねえちゃんが、そう言った、から……!

 そう望んだ、から……!」

 

 ラルが思わず声を荒げる。

 しかし彼女の方を見ないまま、ひかりは叫ぶように言った。

 そんなひかりを慈しむように、孝美は言う。

 

「……そう、叶えてくれるの。

 いい子ね」

「……だって、それが最後の望み、なんでしょ……う?

 いっつも、わたしが、わがままばっかだったから、

 これくらい……これ、くらい……」

 

 へらへら、と、自分でも何を言っているかわからなくなりながら、ひかりは引き金に手をかける。

 無駄に苦しませたくない。

 この拳銃は再装填にひどく時間がかかる。

 だから、この一発で終わらせなければならない。

 出来るはずだ。

 魔法力を右手に集中して放てば、こんな欠陥銃でもネウロイのコアくらいは撃ち抜ける。

 だから、

 だから、

 だから……

 

「……っっ…………」

 

 銃口を孝美に向けて、それでも定まらない照準を合わせようと躍起になる。

 荒い息が収まらない。

 どれだけ吸っても苦しくて、際限がない。

 そして真っ黒な銃口の内を、見やる、

 姉のその瞳の(うろ)が、まるで全てを飲み込む黒天のように、ひどくて。

 どうして、そんな平然としていられるのか。

 待ち望んだような表情をしていられるのか。

 耐えきれなくて。

 

「………………ッッッ………!!」

 

 その場でうずくまって、耐えきれない感情のままに、吠えた。

 

「でき、ない……できないよ……!

 できるわけ、ない……!

 なんで……?

 なんで、そんなこと、言うの……?

 お姉ちゃん、おねえちゃ、ああ、あああああああ……!」

 

 わけもわからず涙を流して、大声で泣き叫びながら言う。

 ただ、生きて、

 生きていて、ほしいのに。

 隣に居て、微笑みかけて、

 何でもなくとも、何かあったこと、それを話して、そうしてくれたら。

 それがずっと続いていけば、

 それだけで、よかったのに。

 目の前で、今にも息絶えようとしている人が言ったのだとしても。

 それが唯一の望みだったのだと、そうなのだとしても。

 できるわけなんて、なかった。

 

「……ひかり……」

 

 けれど、それでも。

 それでも、彼女は。

 ――……

 

「――そうだよね。出来ないよね」

「お、ねえ、ちゃ、」

 

 呆然とするひかりをよそに、孝美は、

 ほんとうのほんとうに、死の淵にあったのかだなんて思えるほどの力強さでひかりの手から拳銃を奪い取った。

 そしてそのままそれをこめかみに押し当てる。

 

「え……?」

「ごめんね。……大好きよ、ひかり」

 

 そして、

 それから一度だけ、銃声が響いた。

 乾いたような、湿ったような、そんな音だけが残って、

 じわりと広がる血痕。

 もう二度と動かない身体。

 

「……な、んで」

 

 座り込んだまま、一歩後ずさる。

 頭が、くらくらする。

 そうしてわけがわからなくなって、出てきた言葉はそんなものだった。

 そして、少し遅れて、思い出すのは。

 ほんとうに最後の最期まで、

 痛みさえ覚えるほどに、まっすぐに、美しく笑っていた、

 ……生きていた、孝美の姿。

 

「ぁ……ああ……」

 

 それでも、目の前にあるのは、

 いっそ、ほんとうにただ寝ているんじゃないかと信じてしまいそうなほど穏やかに眠っている直枝と、

 最後の一瞬を永遠に閉じ込めたような、残酷なまでに微笑んだままの孝美。

 そんな、二人の亡骸で。

 置いてけぼりにされたことすら気付かないまま、手を伸ばす。

 でも望んだ何かは物質的に支配されていないので、何処にも届かないで、虚空だけを掠めた。

 その事を感覚的に理解した瞬間、瓦解する。

 今まで自分を構成していたもの、その全てが。

 

 ――雁淵孝美と管野直枝は、今、死んだのだ。

 自分を置いて。

 憧れだけこの胸に残して、それがどんなに、血さえ滲むのではないかと思うほどに痛むことさえ、知らないままで。

 こんな……こんな、こんな……

 

 ああ、

 ああ。

 ああ、あああああ……!

 

 

 

 

「……ぁぁぁああああああああああああああああああッッッッッ!!!」

 

 

 

 それからの事はよく覚えていない。

 誰かに連れられて基地に戻った後、一週間ほどの時間を置いた後カウハバへと移送された。

 ……ような気がするし、そうでない気もする。日数においては定かじゃなかった。

 そこではネウロイが出るから戦わないといけなくて、そうした。

 少ししてから国葬が執り行われて、

 リボンとマフラー、そして遺灰だけが残った。

 リベレーターもその頃返却された。

 カウハバでの戦いを経る内に壊してしまったけれど。

 

 役に立たないお守りなんて、壊れるくらいで、ちょうどよかった。

 

 

 

 それから、月日は戻る。

 少し先の未来に、またペテルブルグに戻ってくる日に。

 底無しの暗闇の中、折れた翼と血塗れの身体で、もがき続ける日々に。

 

 ――夜の帳が下りる。

 底無しで、ありふれていて、けれど同じものなんて一つもない悲劇の先は。

 

 

 

 未だ、瞼の裏に広がるそれのように、透明で、不確定で、わからないままだった。

 

 

 



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第5話 ■■■■ 前編

 暗闇の中を歩いている。

 もう、力は残っていなかった。

 過去にあったものの名残が、惰性と慣性を持ち続けたまま幽霊のように蠢いているに過ぎないのだ。

 溺れているみたいに、息苦しかった。

 あの日から、ずっと胸は苦しいままで、うまく息ができないままで、身体に力が入らないままだ。

 その中で、泡のようにぼろぼろといろんなものが通り過ぎていった。

 虚偽、妥協、偏見、卑怯未練、痴愚。

 姉の視てきた、世界を知った。

 こんなもの、視続けていたらきっと正気を保っていられるはずはない。

 次の瞬間に心が壊れてもおかしくない、と思えたほど。

 日増しに崩れていく過去の勘違いと妄執、嘘と欺瞞。

 笑顔は、喜びは、楽しさは、ずっと、姉に守られてそこにあった。

 世界がこんなくだらないものと知っていた姉が“せめて妹にだけは”と願って、嘘を見せ続けてくれていただけで。

 

 憧れも、夢も。

 目標も、努力も。

 

 全てが剥がれてしまえば、何の意味も成さなくて。

 そのことを認めたくなくて、必死に過去にすがればすがるほど、

 蔑ろにされた今は、野蛮な現実性を持って襲いかかってくる。

 それを否定できるだけの材料なんてどこにもない。

 そんな当たり前だと思っていた“嘘”が剥がれ落ちていくことでしか、

 それでも過去の憧れだった、夢だった、目標だった、努力していた何かにすがることでしか、

 もう、窒息しかけの呼吸を続けることもできなかった。

 

 泡のように通り過ぎていった何かに、きっと大事なものはいくつもあったのだろう。

 けれど、置いてけぼりにしてきてしまった。

 手を伸ばす力は身体に残っていなかったから、視ていることしかできなかった。

 

 せめて、願う。

 どうか、このまますっと無くなるように、彼女達の元へ行けたらいい。

 もう一度会えたら、

 笑い合えたら。

 ただ、それだけでいい。

 それだけでいいと、ほんとうにそう思うのに。

 未だ――この手は、この身体は。

 それすらできないまま、何処にも行けないままで、

 ずっと力をなくして、ぼんやりと彷徨っているだけだった。

 

 

 

 浮上するように醒めていく。

 ふと、温度を感じた。

 温かい。

 懐かしい感覚。

 ……これは……

 

「お姉ちゃん……管野さん……?」

 

 目を開く。

 手を伝う温度の先を見やれば、自分の手を握って心配そうな表情をこちらに向けるニパの姿があった。

 それがなんだかおかしくて、軽く笑う。

 

「……なんだ、ニパさんか」

「……なんだ、ってなんだよ。こっちは墜落したひかり抱えてここまで戻ってきたんだからさ」

 

 ひかりの言葉に、唇を尖らせるニパ。

 思わず呟いた言葉だったが、確かに失言だったので息を吐きつつ言う。

 

「ああ、そうなんですか……すみません。言葉の綾みたいなものです」

 

 眠気はない。頭の芯に残るような頭痛はあるが、それくらいだ。

 ベッドから起き上がって、軽く身体を伸ばす。そして、ベッドサイドテーブルに置いてあったマフラーを首へと巻きつける。

 あちこちに痛みが走るが、今更だ。

 この程度は問題ない。

 そうしていると、何か言っているのはわかるが聞こえないような声量でニパが言う。

 

「……確かに、ワタシじゃあの二人の代わりにはなれないけどさ」

「……? 何か言いました?」

「なんでも」

 

 どこか怒っているような、拗ねているような雰囲気。

 掘り下げてみたかったけれど、藪蛇をつつくだけになりそうなのでやめた。

 代わりといってはなんだが、気になっていることを聞いてみる。

 

「……あれからどうなりました?」

「作戦のこと?」

「そうです」

「ちゃんと倒せたよ。小型ネウロイが残ったらしいけど、殲滅も終わったって」

「よかったです」

 

 ほっと息をつく。

 もしあれだけやって倒せないなんてことになれば目も当てられない。無茶を言って作戦を通した上に、墜落までしたのだ。営倉送りになっても文句は言えなかっただろう。

 

「……身体は? どこも痛くない?」

「問題ないですよ。ジョゼさんの治癒魔法がきいたみたいです」

「安静にしろ、とは言ってたよ。明日一日くらい休んだら?」

「休んだら、逆に悪くなりますよ」

「どういうこと、それ」

「鮪は止まったら死ぬみたいなんで、そんな感じです」

「なにそれ。おかしいんだ」

 

 ニパはけらけらと笑う。

 

「……ま、そうだよね。そうか……そっちのが、いいんだよね」

 

 そして、気だるげに言う。

 なんだか投げやりだ。

 

「でも、ちょっと休んでよう。寝ててもいいし、本を読んでもいいし、なんなら、コーヒー淹れるよ」

「ニパさん……?」

 

 なんだかニパの様子がおかしいので、ひかりは疑問に思う。

 ぼんやり、というか退廃的な雰囲気まで感じるほどだった。

 微かに赤みが差し掛かった窓の外をぼんやりと眺めて、ため息をつく。

 

「多分もうちょっとしたらサーシャさんが呼びに来ると思うんだ。だからそれまで、それまでね」

「は、はあ……」

 

 しかもその様子がやけに切羽詰まっているので、何も言えなくなる。

 そしてこんなこと、前にもあったな、と思い出す。

 あれはいつだったか……

 

「そうだ。膝枕してあげよっか」

「……別にいいです」

 

 にやにやとからかいたそうな表情で言うニパ。

 無論固辞する。

 ニパはえー、と名残惜しそうに言うが、一度そうされたら逃してくれないのは知っていたので、捕まるわけにはいかない。

 

「……じゃ、もっかい」

「え?」

「もっかい、手、握っていいかな」

「……いい、ですけど」

 

 うつむいて言うニパに、ひかりは右手を差し出す。

 その手はあまり見られたものじゃなく、あちこち擦り切れてささくれだっていた。先の戦闘で親指が割れていたのか、爪に一筋赤い線が入っている。

 それをニパは親指の腹で慈しむように撫でた。

 痛みはなかったが、なんだかむず痒いような感覚。存在しない場所が触れられたかのような錯覚に陥って、思わず右肩を上げた。

 それからゆっくりと握りしめられる。温かいようなひんやりとしたような温度。

 皮膚の表面はひんやりとしていて、すべすべとしている。

 けれど体温自体は高いようで、握り込むとその暖かさがよく伝わってきた。

 

「……傷だらけ」

「……そりゃ、そうでしょう。戦ってるんですから」

「ワタシ、傷はできたそばから治っちゃうから」

「先生が聞いたら羨ましがりそうですね。手先が乾燥して切れるのを気にしていました」

「そういうのはクルピンスキーさんがなんとかすべきだと思うな」

「どうやってですか?」

「どうやってでも、だよ」

 

 ハンドクリームだったり、軟膏だったりを贈ればいい。

 でも、そういう細かい気の配りは彼女には期待できないだろう。花束だったり、愛の言葉を囁いているうちはまだまだ、とニパは思う。あまり人のことを言ってられないような性格をしているのはニパもひかりも同じだが。

 

「今度こういうのに効きそうなもの、探しとくね」

「……いや……いえ、そうしてくれるなら、ありがたいですが」

 

 ひかりの傷だらけの手を撫でながら、ニパが言う。

 けれど、そういうのはもらっても気が回らなさそうだ。以前姉に同じように贈られたものは実家の押し入れの奥底に今も眠っている。

 

「いま、どうせもらっても使わないから、って思ったでしょ」

「……すみません」

「贈ったら、ちゃんと使ってくれないと、やだよ」

 

 拗ねたように言うニパに、ひかりは何も言うことができなくなる。

 確約できそうにない。

 別に嫌だからそうなのではなく、性格的に……となると、どうにもうまくいきそうになかったから。

 

「そしたら、毎日ちゃんと見ててあげるから。使うトコ」

「……えー……」

「じゃないと、一生このままでしょ。女の子なんだから、ちゃんとしなきゃだめだよ」

「そんなものですかね」

「そんなものだよー」

 

 えへへ、と笑うニパ。

 そんな和やかな会話の中でも、ひかりも、ニパもわかっていた。

 辺りがどんどんと騒がしくなっていくこと。

 ばたばたと、誰彼構わず走り回っていて、それが作戦後の撤収作業などではなく、これから行われる何かに対してのことなのだということ。

 喧騒。

 賑やか――とは言い難い、忙しなく騒がしいそれの中で、

 ニパとひかりが居る、この医務室の中だけが世界から切り離されたかのように穏やかだった。

 

「たぶん、世界が終わる直前も、多分こんな感じなんだろね」

「……どういうことですか?」

「うーん、なんだろな」

 

 自分で言ったことなのに、顎に手を当てて考え込む。

 しばらくの間そうしていたが、

 

「例えばの話だけどね、ほんとうのほんとうにネウロイに人が滅ぼされる、ってなった時もこんな感じで、忙しなくて、慌ててて、急いでて、でもどこかのどっかは嘘みたいに静かなんだ。何事もなかったかのように、何事もないみたいにこうやって静かに見ないふりをしたまま終わっていく」

 

 ぼんやりとしたまま、ぼうっと言葉を吐き出した。

 まとまっていなくて、曖昧な部分も多い。荒唐無稽で、支離滅裂と言ってもいい。

 ただ身に宿った切実さだけが確かで、まるでそれ以外の全てを何処かに置いてきてしまったみたいだった。

 

「……ニパ、さん?」

「……でも、最後じゃないよ」

 

 握ったままの手に力を込めて、言う。

 ひんやりとした熱が熱病に浮かされたみたいにのたうち回っていて、伝わってくるそれがまるで胎児のように肉の下で蠢いている。

 

「……ぜったいに、今日が最後なんかじゃない」

 

 そうして顔を上げれば、紺碧の瞳に滲んだ雫がきらきらと陽の光を取り込んで輝いていた。

 眩しくて、思わず目を細める。

 どうしてか、魔眼は彼女を見通さなかった。

 何も伝わってくるものはない。

 ……いや、わかっている。

 わかっているが、どうにも頭の方が理解しがたく思っているに過ぎないのだ。

 切羽詰まったそれが、表も裏もなく、

 ただ目の前に見えているそれと、手の内にある温度だけが真実だなんて。

 ――そんな、こと。

 

「……、」

 

 何か、口の中で芽生えそうで、言葉になりそうで、ならなくて、形を失って瓦解したそれが、止まった呼吸のリズムと共に停滞している。

 やがて苦しくなるから、仕方なくゆっくり息を吸って、吐いて、

 それでもまだ抜けきらないそれが形にならないまま霧のように胸中で反芻し続けている。

 そんな不可解にまた息が詰まった。

 声すら、出なくて。

 

 どこかへ逃げ出したくなるような衝動だけがふつふつと湧き上がってきて、

 かといって何処へ行けばいいかもわからない。

 

 思わず目元を押さえて、しゃがみこんでしまいそうになった、その時。

 ばたばたばた、と一際大きい騒がしさが響く。

 それはだんだんと近付いてきて、医務室の前で止まった。一度取り繕うかのような素振りを見せて、それの持ち主はゆっくりと扉を開けた。

 

「ニパさん、よかった……ここに居たのね」

「うん」

「時間切れです。準備をお願いします」

「……はーい」

 

 額に汗を浮かばせて、息を切らして、それでも努めて落ち着き払った態度で彼女は言う。

 ニパは残念そうな表情で彼女の言葉通り医務室を後にした。

 

「……サーシャさん」

「起きていたのね。身体は大丈夫?」

「ええ。問題ないです」

 

 どこかぼうっとしたような様子でひかりは彼女……サーシャの言葉に答える。

 それにサーシャは一瞬訝しげな様子を見せるが、なりふり構っていられないと胸の内で確かにしてきた言葉を吐き出した。

 

「――ひかりさん、話があるそうです。隊長室へお願いします」

 

 

 

 

 

「……入れ」

 

 たどり着いた扉の前、ノックを二回して返ってきたのは、そんなラルの言葉だった。

 サーシャは言うだけ言って、何処かへ行ってしまった。

 仕方ないので言われた通りにひかりは此処へと向かった。

 医務室の外は、漏れていた慌ただしさでいっぱいだった。

 整備兵や陸戦ウィッチがすれ違っていく中、何処か別の世界に来てしまったような場違いさを感じながら。

 

「……失礼します。話がある……って、何ですか」

「ああ。病み上がりの所すまないな」

 

 扉を開ければ、燻ゆる珈琲の香りが鼻についた。

 粘膜を潜るような錯覚さえ起こすほどのそれに、眉を顰めながらひかりは中に入る。

 

「……いえ、こんなの、かすり傷ですから」

「そうなら良いんだ」

 

 そう言ってラルは大きく息をつく。

 ひかりの方を見ないで、横の壁の方をぼんやりと見つめていた。

 顔が疲れている。

 その退廃的な横顔に、ろくな話がやってこないことを察した。

 

「時間がない。単刀直入に言おう」

 

 一瞬だけ瞼を閉じてから、ひかりの方に向き直る。

 机を挟んで相対するような錯覚さえ覚えた。

 そしてラルはゆっくりと、間違えないように言葉を紡ぐ。

 

「“グリゴーリ”が動き始めた。このままではあと一時間もしないうちにここペテルブルグは滅ぼされる」

「……――ッッ!!」

 

 稲妻が走ったかのように全身が強張る。

 一瞬、ラルが何を言ったのか、ひかりは理解することが出来なくて――でも、身体に走った感覚は確かで、それだけはずっと確かで、間違えようがない。

 だから惑う。

 それが真実だったなら、

 もう、どうしようもないような気がして、しょうがなかったから。

 

「それは、いったい……どう、いう」

「言葉通りだ。奴さん、どうやら待ちきれなくなったらしい」

 

 ラルは机の上に乗っている機械を手に取る。

 そしてボタンを押し込めば、映写機が壁に映像を映し出した。

 あまり鮮明なものとは言えないが、それでもわかる。

 

「解析班が雲内部のヤツを撮影したものだ」

 

 映されたのは紛うことなき“グリゴーリ”の姿。

 だが、身体中にヒビが入っている。

 それどころか下の方からぼろぼろと崩れ落ち始めていた。

 

「これは……」

「“グリゴーリ”だ。あの時の作戦の傷が癒えていないらしい。倒せなかったものの、傷はコアの中心部まで響いてたんだろう。あの時から沈黙していたのも頷ける……だが気が変わったのか、なりふり構わずにこっちに来てる。身体が崩れてるところを見るに相当無理を押して、だ。

 ――恐らくペテルブルグと相打ちの形で心中するつもりなんだろう」

 

 しかし、相当有用な情報である、とひかりは思う。

 あと一撃、というところまで追い込んでいるはずだ。

 すなわち――

 

「これはチャンスだ、と思ったろう」

「……」

「憎きアイツをこの手でぶちのめす、最大のチャンスだと……だがな」

 

 ふう、と一回息を吐いてからラルは続ける。

 仕切り直すように、取り繕うように、

 まるで、有無を言わさないように。

 

「――作戦本部やここの方針としては、ペテルブルグを放棄し、“グリゴーリ”と共に滅んでもらうつもりだ。今、急ピッチで退却準備を進めている」

「――ッ!!」

 

 どうして、と掠れた声でひかりが呟く。

 その言葉に、ラルはさもありなん、と言うような表情で、

 

「太刀打ちできるだけの何かがないからな。魔導徹甲弾も、爆風弾もない。ウィッチも居なけりゃ、戦闘に耐えうるだけの人員も兵器もない。正直先の戦いでボロボロになったうちとネウロイの巣である“グリゴーリ”を天秤にかけるならば、どう考えても釣り合わない」

 

 言う。

 それは、とても正しい言葉だった。

 理がかなっていて、無理がなくて、整然としていて、反論の必要がない。

 

「……それは、そう、かもしれません、が」

 

 なんとか言い返そうとする。

 言葉を探して、理屈をはめ込んで。違う、違うと自分にさえ言い聞かせるように。

 そうしてから、自分が“グリゴーリ”を打ち倒さなければならない、と思っていることに気付いた。

 考える。

 ……どうして、

 どうして。

 死んでくれるならそれでいいのに。

 

 胸の内に思考を広げて、考える。

 答えにならない感情ばかりが募った。

 

 ああ、ああ。

 

 ただ、単純に。

 

 違うと、思った。

 正しいとか、間違っているとかじゃなくて、それは違うと感じた。

 頭はラルの言葉を受け入れている。心でさえもそうしたほうがいいとさえ思っている。

 だが、そんな頭と心こそが何故か“それは違う”と切実に、痛みさえ伴うほどに訴える。

 唇を噛んで、言葉を探して、必死に抵抗しようと目を細める。

 その瞬間、紅い目が、彼女を指差した。

 それは意識しない間に全てを絡め取り、

 

 ――そして、理解する。

 

「……それは、できません」

「……ほう?」

「――それは、隊長が一番よくわかっているはずです」

 

 はっきりと、言い切る。

 根拠なんてまったくないと言ってもよかったのに、それでもラルはそんなひかりの言葉に口角を釣り上げた。

 今更否定なんてしたりしない。

 そんなくだらないおままごとに、今更価値なんて芽生えないのだから。

 

「……そうだな。その通りだ」

 

 机の上に乗っていた彼女の掌が、ぐぐ、と握りしめられる。

 

「……このまま、アイツの無理心中に付き合うつもりなんて毛頭ない。何としてでも、私達はアイツの息の根をこの手で止めなければ気が済まない」

「……、」

「ああ、そうだ。完全な“私怨”だよ。

 だがな、孝美と管野を奪っていった“グリゴーリ(アイツ)”の結末が、こんな、こんなものであってたまるか……!」

 

 最初から、そうだった。

 この手で、この手でその生命を根こそぎにしなければ、許せない。

 だからこそ、ラルはひかりを此処へと呼び戻した。

 “力があるから”、“強くなったから”じゃない。

 “グリゴーリ”に対して有用な魔眼を持ち合わせていたからでもない。

 

 最も、“グリゴーリ”に相対するべき人物として相応しいからこそ、此処に呼ばれたからに過ぎない。

 

 そんなエゴと私怨に塗れた彼女が、こんな結末を許すと?

 “ダメージが抜けきらないからペテルブルグと心中することにした”なんて馬鹿みたいな話を許せると?

 

 そんなはずはない。

 決して、

 ――決して!

 

「ひかり。おまえ以外の隊員達には既に準備を始めてもらっている。絶対に倒すんだ。そうでなくても、絶対に奴の目論見を許すな。

 ――必ずや此処ペテルブルグを守り抜き、あの日のリベンジを果たそう」

「隊長……」

 

 凛とした眼差し。確固たる決意。

 ……とは無縁の、怨念で歪んだ、死臭の漂う視線と復讐に取り憑かれた哀れな魂。

 そんな薄汚れたもので取り繕って継ぎ接いで出来た意志が、視界を塞いでいた。

 そして、ラルは懐から何かを取り出す。

 結晶のような、宝石のような――きらきらと輝いていて、とても綺麗だ。

 けれど、何処かで見たことがある。

 あれは確か……直枝の……

 そうだ。

 “剣一閃”を込められた手袋のそれによく似ている。

 硬質で、水色の……何もかもを切り裂くような、鋭い光。

 魔法力を込められた物質が放つ光だ。

 

「これ、は……」

「魔導徹甲弾の弾芯だ。あの時、砕かれた欠片を一つ、回収していたんだ」

 

 一体何だ、と問いかけると、ラルはいつものように答えた。

 なんでもないかのように、当たり前みたいに。

 でも、

 そんなわけ、なくて。

 こんな確かな憎悪を滲ませる化物のような人間の心で、

 蜘蛛の糸を辿るような奇跡に縋るほどに追い詰められて。

 それでもまだ、諦められないでいること。

 それがどんなに辛いことか、痛いことか、苦しいことか。

 

 無自覚でいられないわけ、ないのに。

 

「これに、あの日から三ヶ月間……私の魔法力を込め続けた。威力は本物の比にも及ばないが、何かの役に立つはずだ」

「…………んで」

「なんだ? この三ヶ月間、一度も出撃しないで怠惰を貪り続けた上司に愛想が尽きたのか?」

 

 淡々と言う。

 出撃しないで、じゃない。

 出撃も出来ないで、今日この日を待ち続けたのだ。

 自分だって、“グリゴーリ”の息の根をその手で討ち取りたいはずなのに。

 それすら不意にして、全てをこの可能性に収束して、それ以外は無視した。

 

「……まあ、こんなことに魔法力を消費しきった私では戦いには臨めないがな。しかしそんなことは些細な問題だ」

 

 ラルは皮肉げに笑う。

 何故だか、まったくもってわからなかったけれど。

 その、笑みが。

 その、言葉が。

 その、振る舞いが。

 どうしても、許せなくて。

 ひかりは思わず、歯を食いしばる。

 力を込めすぎて、こめかみの辺りがびきり、と音を立てた。

 そんな憤った心さえ嘲笑うかのように、ラルは言葉を続ける。

 

「……これも、今更になるか」

 

 そして、深く、頭を下げた。

 その様に、ひかりは息が詰まるかのように胸のあたりが締め付けられるのを感じる。

 

「すまなかった。あの時、先に真コアの位置を特定したのは確かに孝美だった。

 だが、よりピンポイントで真コアの位置を特定できていたのは――ひかり、おまえだった」

「……、なんで……」

 

 抑えきれなくなったみたいに、詰まった息が漏れた。

 例え、今日が、最期だとしたって。

 それだけは。

 そんな言葉だけは――聞きたくなかった。

 

「なんで……なんで、今更そんな……!」

「……その、通りだな」

 

 激高するひかりに、ラルは言葉を重ねる。

 そんな殊勝な態度すら鼻につく。許せない。見たくなんてない。

 感情に任せて乗った魔法力のままに、ひかりは叫ぶように言う。

 

「ふざけ、ないで、ください。

 こんなこと、いまさら、言われたって……!!」

「……、」

「それだって、お姉ちゃんが、そう頼んだんでしょう。

 そうしたほうが、作戦がスムーズに済むからって、命を賭けるから、って!

 そう言えばいいじゃないですか……!

 何を今更、そんなこと……!」

 

 意味なんてない。

 全てはもう過ぎたことだ。終わったことだ。

 取り返しがつかなくて、置いてけぼりにして、遠くなって見えなくなったものだ。

 届かなくなったはずだ。

 そんなこと、

 とっくの昔にわかっているはずなのに。

 

「ああ、そうだ。

 ……だが、この一度きりの勝負。私はひかりに全てのチップを賭けよう」

 

 それでもラルは手を伸ばす。

 掲げるようにして。

 その先には魔導徹甲弾の弾芯が握りしめられていた。

 

「頼む。どうか、孝美と管野の(かたき)を、討ってくれ」

「隊、長……」

 

 けれどひかりは受け取らない。

 受け取れるわけなんて、なかった。

 これほどまでに抱えた思いがあるのなら、

 全てを蔑ろにしてまで果たしたい願いがあるのなら。

 そうするべきなのだ。

 他人の手なんか借りずに、他ならぬその手で。

 でも、ラルは、そんな事さえ投げ捨てて、意味をなくしてしまった。

 

 ――全ては、“グリゴーリ”を討ち取る為に。

 

「そして戻ってこい。それだけが、私からおまえに言える全てだ」

 

 だから、ラルは投げ捨てるようにして魔導徹甲弾をひかりの方へと投げ渡す。

 そのまま地面にぶつかって砕けてしまえばいいと思ったけど、そんなこと出来るわけなかった。

 思わず抱きしめるようにして受け止めてしまう。

 その様子に、ラルは我が子を見送る母のような表情で微笑んだ。

 全ては決定付けられている。

 途方もない何に導かれて、吐き気を催すほどの必然さで。

 きっとあの日、孝美と直枝が居なくなってから、

 今日この日を迎えることを定められていたのだ。

 数奇で、過酷な運命に。

 

「そんな……ずるい、ずるいですよ」

 

 最低限の抵抗を示す為に、ひかりは吐き捨てるように言う。

 それに意味が芽生えないことはわかっていたけれど、それでも言わないではいられなかった。

 

「自分だけ! 自分だけ、そうやって!

 言うことだけ言って……託して……やりきって!」

 

 まだ、こんなにも渦中にいるのに。

 汚れていて、悲しくて、残酷な世界の中なのに。

 一人だけ一抜けたみたいに笑って荷をおろして。

 ……そんなこと、許されるわけ、ないのに!

 

「……わたしだけじゃない! お姉ちゃんにも! 管野さんにも!!

 そうやって言うつもりなんですか! 言えるんですか、そんなふうに!」

「……、」

「……ふざけるのも、いい加減にしてください。

 “グリゴーリ”を倒せ? そんなこと、言われなくたってやりますよ。命令なんか関係ありません。

 他の人なんかじゃなくって、わたし自身の、この手で……!」

 

 そう言って、ひかりは逃げるように部屋を後にする。

 彼女が居なくなった部屋には一人、ラルだけが残されていた。

 中空をぼんやりと眺める。

 一緒に行けたらなぁ、なんてことをぼんやり思って、まあ無理かと思い直して、皮肉げに笑った。

 

「……さあ、後は天命を待つことにしようか」

 

 淹れてから時間が経って酸っぱくなった珈琲を啜る。

 これが最期かもしれないのに、こんなまずいものでいいのかとちょっと思ったけど、なんとか飲み下す。

 今までずっとこれでやってきたのだ。ちょっとやそっとのことで浮ついていてもしょうがない。

 だが、どうしてだろう。

 

 あの日から、ずっと心は痛いままだ。

 消えないままだ。

 癒えないままだ。

 

 それをわかっていながら、残酷な運命の中に放り出してしまった。

 傷つき、歪んでしまっても、あの少女はまだその性根を変えられないでいる。

 この世界が地獄と見紛う有様と知っても、まだ、

 それでも、まだ。

 

「……なあ、孝美、管野……これで、よかったよな」

 

 ぽつり、と呟く。

 その答えは、未だ――何処にも視えないままで、

 いよいよ暗雲立ち込める空の果てに吸い込まれていくだけだった。

 

 

 

 *

 

 

 

「その様子だと、話はうまく終わらなかったみたいですね。やはり意地悪でしたか?」

「……サーシャさん」

 

 うまく具現化出来ない気持ちをそのままに、ひかりは格納庫(ハンガー)へと赴く。

 そして辿り着けば、そこにはサーシャが居た。

 待っていたのだろう、少しくたびれた様子で腕を組んでいた。

 

「……人が悪いんです。いつもそう。全部自分ばっかりみたいな顔して」

 

 ひかりの表情を見て察したみたいで、口を尖らせて言う言葉は文句ばかりだ。

 それにひかりが何も言えないでいると、はっとしたような表情で取り繕った。

 

「……壊れたストライカーは直してあります。損傷がひどかったですが、なんとかしました。

 あの具合だと……飛べるのはこの一回限りかもしれませんが」

「……ありがとうございます。それっきりで充分です」

 

 サーシャの言葉に、ひかりは即座に頷く。

 先の戦いでは相当な無茶をした。受けた傷は治癒魔法を受けたとて治りきっておらずじくじくと未だ痛むし、チドリだって同じだろう。

 だが、飛べないわけじゃない。

 これっきりかもしれない。

 でもそれが、その“それっきり”こそが、何より欲しかった一回で、それ以外は切り捨てた一回。

 この悲願が果たせるならば、もう終わってしまってもいい。

 既に生きてるのが不思議で、意味がなくて、あの時の名残だけで息をしているような状態だ。

 だったならば、未来のことなんかどうだってよくて当たり前だった。

 そう、強く思えた。

 

「……あなたは、いつもそうでしたね」

「サーシャさん……?」

 

 そんな事を思っていると、急に頭を撫でられる。

 サーシャの手は整備でぼろぼろだった。指の先はささくれだって、掌の皮は分厚くて、ところどころ破けている。

 通信技師である父親を思い出した。

 透き通った美貌を持ち、姉のような優しさと柔らかさと厳しさ、そして父親のような武骨な手。

 彼女の事を知れば知るほど、わけがわからなくなるようだった。

 

「……あなたは、雁淵中尉によく似ています」

「……やめてください、わたしは……」

「いいえ、やめませんよ」

 

 ひかりは今でも頭を撫でるサーシャの手をどかそうと手をやるが、サーシャは構わないで続ける。

 凛とした表情。

 今でも追い続けている。それどころか進むたびに姉の凄さを思い知らされ、遠のいていくような感覚。

 こんな自分が似ているだなんて?

 馬鹿馬鹿しすぎて吐き気がする。

 そんなわけ……

 

「あの日も、そうでした。

 打ち勝てるか、そうじゃないかわからない中で歩むことをやめない、

 いえ、やめられない……」

 

 撫でる手がそのまま下がり、こめかみを伝って、耳へ。

 そして頬をすうと手の甲がすり抜ける。

 下から抱えあげられるように、顔を掴まれる。

 そして視線をそらせなくなって、サーシャの方を視るしかなくなれば――

 切羽詰まった表情。先程ニパが見せたようなものに近かったが、それよりずっと透明だった。

 灼眼は、理解を手放す。

 “目の前にあることが全て”だなんて、

 そんな……

 

「あなたは、あの日、確かにその羽根をもがれました。そのはずでした。でももがれたと思っていた羽根はすんでのところで折れるに留まり、傷だらけで、血まみれの色を背負って、それでも生きることにさえ、痛みを伴うほどです」

 

 縋るような表情。

 それが、危うさと共に力強さも感じたのは、どうしてだろうか。

 先程のニパのようにそらせないまま、向き合わざるを得ないまま、サーシャは言葉を続ける。

 続けてしまう。

 どんな言葉を、どんな何かを示して答えれば……

 考えるけれど、全ては無情に過ぎていく。

 流れ落ちていくように進んでいく。

 それを止める術さえわからないまま。

 

「それでも……それでも、足を止めないあなたを、私は心から尊敬します。

 でも……もし、その先であなたまで居なくなってしまったら、私は、どうしたらいいのかわからなくなります」

「サーシャ、さん……」

「必死に止めたのも、心配したのも、怒ったのも、意味がなくなります」

 

 だから。

 

「だから、空へ向けて「いってらっしゃい」をしたなら、あなたは「ただいま」と言って、ストライカーを壊した罰で正座をしなければいけません」

 

 切なげな表情で、にこりと微笑むサーシャ。

 何か、どこか、自分の魔眼以上の精度で持って何かを見透かされた気がした。

 もはや致命的とすら思う。

 そんな自分ですら気付いていない何かを暴かれてしまったような、そんな危機感がぼんやりと浮かび上がった。

 形にならないものは言葉にすらできない。

 感じている忌避感も。

 嫌悪感も、遠慮も、羨望も。

 

「……少し、長くなってしまいましたね」

 

 ふっと手を離される。

 そうして初めて、ぼろぼろの手に通っていた温度の暖かさを思い知らされた。

 手を伸ばしかけて――すんでのところで思いとどまって。

 転びそうになる不安定感のまま、背中を向けるサーシャに追いすがった。

 

「行きましょうか。皆さんが待っています」

「……はい」

 

 

 

「お待たせしました。みなさんは……もう行けそうですね」

「待ちくたびれたよ、サーシャちゃん、ひかりちゃん」

 

 格納庫(ハンガー)への扉を開けば、既に全員が準備を完了していた。ヴァルトルートが爽やかに手を上げながら代表して声をかける。

 この様子では打ち合わせも終えているだろう……ひかりがその手に持っているラルの魔力が込められた魔導徹甲弾についても。

 

「ジョゼさんは魔法力が戻っていません……なので隊長と共に避難の手助けをしてもらおうと思っています」

「はい」

「そして彼女たち二人を抜いた私達六人で、全力で“グリゴーリ”の足止め、殲滅を行います」

 

 “グリゴーリ”は満身創痍の様相だ。身体中に入った亀裂を狙って銃弾を放てば、かつては弾かれるだけだった通常武器も意味を成すだろう。もしかしたら砲門の全破壊も夢ではないかもしれない。その上で殲滅――果ての足止めすら難しいだろうことは想像に難くないのだが。

 

「魔導徹甲弾……これは爆風弾に変換して、雲の中に突入するのに使おうと思います。そうなると決定的な打撃がない分あの時と比べても作戦の難度は段違いに尽きると思います」

「……、」

「後には引けません。いいんですか?」

 

 サーシャが問いかけるように言う。

 作戦会議にすらなっていないただのうわ言のようなそれ。

 けれど、それで構わなかった。

 

「ええ」

 

 ひかりが頷くと、それを待っていたと言わんばかりに隊員全員がストライカーユニットに乗り込んでいく。

 時間はない。

 ニパは、意気揚々と。

 ヴァルトルートは、エディータと何やら話しながら。

 定子は凛とした表情で。

 サーシャは、一度息を吐いてから意を決して。

 

 ひかりは。

 

(……ようやく、ここまで来たよ、お姉ちゃん、管野さん)

 

 ポケットの中に入れていた手袋を取り出し、ゆっくりと指を入れていく。

 大きさは過不足ない。とてもぴったりで、まるで自分のために誂えたのでは、と錯覚してしまうほど。

 その度に、自分より手が小さかった直枝にとってこの手袋は大きかったのではないか、と余計な勘繰りをしてしまう。

 今となっては確かめようもないこと。

 そんな思いを振り切るように、確かな足取りでストライカーユニットまで向かっていく。

 一度、手で触れる。

 こつ、と帰ってくる硬い感触。そして冷たい温度。

 ああ、なんて。

 なんて冷たい……

 ああ、馬鹿だ。

 馬鹿げていると思う。

 痛みと苦しみに脳髄をぐちゃぐちゃにかき回されて、それでも途絶えない命はここまで続いてきた。

 愛しかった全ては、今も愛しい全ては。

 自分を置き去りにしたまま何処かへと消えてしまった。

 それでも消えない思い出は今も狂おしく胸を掻きむしる。

 それにさえ決着がつくのだと言う。

 今日、何があっても、何をしていても。

 こんなふざけた話、ただただ馬鹿げているとしか言いようがないのだから。

 

 だから、

 

 だから。

 

(……終わらせる)

 

 この手で。

 こんな間違いを、こんな、馬鹿げた話を。

 その為に戻ってきた。

 未来を投げ売って、現在を置き去りにして、過去を抱き寄せた。

 何故なら、ほんとうに欲しかったのは、必要だったのは、あの日失った全てだけだから。

 

 一度、目を閉じる。

 

 過っていったそれに、縋りたくてしょうがない。

 忘れることができたら、捨てることができたら、どれだけよかったか。

 永遠に報われない願いが、今も心の中を我が物顔で居座っている。

 この身体は、この心は、あの日から何も変わらず、弱くて、意気地なしで、泣き虫のまんまだ。

 三ヶ月が経った今も雁淵ひかりはあの雪原で無力にも泣き叫び続けている。

 それを変えることもできなかったから。

 壊れるようにして、転がり落ちてきてしまった。

 

「いくよ、チドリ」

 

 目を開いて、手を離して、向かう。

 唐突に訪れた、最後の最期へと。

 振り返ることはない。

 だって、後ろを向いたまま振り返っても。

 

 目を背けた未来(それ)に、もう一度向き合えるとは思えなかったから。

 

 

 

 *

 

 

 

 基地から飛び出してみればあんなに青かった青空は紫と赤に蝕まれ、その先の透明色した暗闇に飲み込まれようとしていた。

 その最果てを遮るようにして迸る暗雲は、全てを道連れにするためだけに自身の存在価値を見出しているようで。

 纏うそれにはボロ布のように切れ目が覗いており、そこから絶え間なく緋色の閃光が夕焼けを灼いた。

 宛はない。

 “目に見える全てが気に入らない”と癇癪を起こす子供のように手当たり次第に破壊を撒き散らしている。

 言葉はない。

 これまでに疎通した事実もない。

 ならば、目に見える彼らの全ては錯覚にも近い。考えるだけ無駄で、問いかけることすら浪費で、言葉にすれば呆れ果てるだけだ。

 ただ、その生態を大雑把に俯瞰して見れば、全てが人類にとって致命的であるというだけ。

 そうして始まった――もしかするとあちらはそうとすら思っていないかもしれないが――戦争。

 それが今日一つ、何か一つの節目を迎えようとしていた。

 どうあがこうと滅びる目の前の“巣”……“グリゴーリ”。

 飛び立ち、その姿を眼前に捉えたひかりは、無意識的にその右手を強く握り込んだ。

 しぶとく生き残っておいて、結局ダメだから悪あがきをするように心中を試みるなんて。

 絶対に許してはおけない。

 だから、せめて。

 せめて、この拳を叩きつけなければ、何か納得のいく決着をつけなければ、気が済まない。

 

「正面から行きます」

 

 グリゴーリを視認したサーシャは、毅然とそう言い放った。

 その言葉に、ぴゅうとヴァルトルートは口笛を吹く。

 揶揄するような意味じゃない。

 以前戦った時よりずっとずっと密度と量の増した閃光……なりふり構わなくなった“グリゴーリ”の世界に対する猛攻を見てなお、立ち向かうように言い放ったサーシャの勇気と意志を称賛しないではいられなかったから。

 

「言うねぇ、サーシャちゃん」

「此処まで来て、作戦なんてありませんよ」

「そうでなくちゃ」

 

 その言葉を受けて、ヴァルトルートは銃を構える。

 下部に装着されているグレネードには、あの日のように魔導徹甲弾がくくりつけられていた。

 照準はそれほど定めなくていい。外さないなら、何処だって。

 そんな最低限のルール。

 どこに向けたって当たりそうな一面の暗闇に向け、

 一瞬、息を詰めて――撃つ。

 吸い込まれるようにして飛び込んでいく弾丸。

 それは暗雲を吹き飛ばして、小さな入口を開ける。

 飛行機の一機すら通れないようなものだったが、それくらいで丁度いい。

 そこめがけ、隊員全員で飛び込もうとして、

 

「危ない……!」

 

 ニパが速度を増して前へと躍り出る。

 そのまま勢いよく両手をかざして、特大のシールドを作り出す。

 

「く……!」

 

 直後、それは襲い来る熱線に悲鳴を上げた。

 数秒間ほどせめぎ合って、なんとか防ぎ切る。

 だが、突入直前に襲った攻撃の余韻は隊員全員に影響をもたらした。

 ――まるで、まるで……“来るなら来い、殺してやる”と挑発しているようで。

 その大胆さと強烈さに足がすくみそうになる。

 そんな臆病を必死に押し殺して、噛み砕いて、ひかりは一歩前へ。

 

「……今更、怖気づいて……何?

 そんなことで逃げ帰るとでも? 馬鹿みたい」

 

 呟いたひかりの元へ再度攻撃が迸るが、まともに照準も定められていない攻撃は動かなくても勝手に避けてくれる。

 威嚇射撃にもなっていない。

 ふざけろ、と一目散に飛び出した。

 

「ひかりちゃん!」

「お先に失礼します。手間取ってるとわたしが頂いちゃいますよ?」

「全くもう……こんな時まで」

 

 ヴァルトルートとニパが呆れたようにため息をつく。そして逡巡もなく飛び込んでいくのを見て、残りの隊員もそれに続いた。

 こんな修羅場の中でも変わらない雰囲気に、思わず笑みが溢れる。

 こぼれるが、そんなものはただのやせ我慢と見栄っ張りだなんてことはわかっていた。

 死ぬかもしれない。

 一度目があって、二度目がないなんてそんな呑気なことは考えられない。

 でも、それでも。

 立ち向かわないではいられない。

 奪われたから。

 なくしてしまったから。

 きっと、この“敵”と相対するにあたってブレイブウィッチーズの全員は正気を保っていられない。

 心の奥底に粘り付く程のしぶとさでこびりついた恐怖と憎しみが、その足を動かしてゆく。

 止まらない。

 止まれない。

 

「――ッ!」

 

 暗雲の中に飛び込めば、即座に返ってきたのは反撃だった。

 過密と言っていいほどの弾幕が当てずっぽうの感覚で連射されて放たれる。

 狙いをつけていないのがよくわかった。とりあえず撃ちまくっている。そう言うのがぴったりだった。

 宛のない射撃は読みづらい。自分を狙っている攻撃は回避すればなんとかなるが、そもそも当てようとすら思っていない攻撃を回避するのは難しいからだ。

 

「……これじゃ足止めなんて……」

 

 その様子を視たニパがげんなりした顔で言うが、ひかりは即座に首を振る。

 

「痛手を与えれば意識は向けられるはずです。現に、入ってくるわたし達をあいつは警戒してました」

「そうだねひかりちゃん。なりふり構わないのは、それだけ追い詰められてるからだ。それに……」

 

 ヴァルトルートが人差し指を“グリゴーリ”の方へ向ける。

 

「あれだけ手負いのヤツだ。相当装甲も弱ってるに違いない。僕たちでも充分なんとかできる可能性はあるよ」

 

 言って、ヴァルトルートは射撃を放つ砲門に向けて銃を放つ。

 以前戦った時は相当手こずったが、二、三発でボロボロになって崩れ落ちた。

 それだけじゃない。

 進むごとに、射撃を放つごとに、その身体が空気と触れ合う度に、“グリゴーリ”は削れ落ちていく。

 風化してボロボロになったプラスチックのように、あまりにも脆く。恐らくだが、コアに一撃入れればそれだけで果てるだろう。

 この調子では、ペテルブルグと心中さえできるかどうか……

 けれどやるだろう。やってみせるだろう。

 これはそういう戦いだ。

 ネウロイの王たる“巣”と、

 人類の希望たる“魔女(ウィッチ)”の意地をかけた戦い。

 

 追い込まれた鼠同士が全身全霊を持って牙を剥き合っている。

 

 どちらにも、もう後がないから。

 

「……孝美ちゃんと直ちゃんの一撃は相当堪えたみたいだね。ひかりちゃん、いけそう?」

「ええ」

 

 ひかりが頷くと、追いついたエディータがフリーガーハマーを構える。

 

「全力で守るから。行きなさい。

 ――殴ってやるのよ。管野さんみたいにね!」

 

 言って、全砲門を一気に射出。

 大爆発を起こす暗雲の中で、それを狼煙にして――作戦開始。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■ァァアゥ■■■■■■■■■■■――ッッ■ッッッ!!■!」

 

 痛みに絶叫を上げる“グリゴーリ”。

 そして滅茶苦茶に砲門を動かして、自らの身体が壊れるのも厭わずに全力で弾幕を放つ。

 熱線は空を灼いて、自らさえも撃ち抜いた。

 それすら構わなかった。

 そしてその捨て身の攻撃こそが、今までに見てきたどんなネウロイの攻撃より、あの日の万全な体勢の“グリゴーリ”より激しく、重かった。

 シールドで防げばそのシールドもろとも吹き飛ばされそうだった。

 ギリギリで躱せば、その余波で容易く体勢を崩された。

 そんな“致死”がゼロコンマ秒単位で襲いかかってくる。

 跳ね上がる心臓をなんとか抑えて、防いで、躱して、銃撃を放つ。

 

「雁淵さん!」

「ひかりさん!」

 

 定子とジョゼの影から飛び出るようにひかりは“グリゴーリ”へと近づく。

 コアさえ視認できれば、後はこの拳を叩きつけるだけでいい。

 それで終わる。

 逆にそれさえできなければ、ペテルブルグは今後千年草も生えない死の大地へと変わり果てるだろう。

 定子とジョゼの陽動によってその最悪を否定する未来へ一歩分近づく。

 しかし、その程度では届かないと言わんばかりに、反撃は激しさを増す。

 それをスケートリンクを滑るように躱し、マトモじゃありえない軌道を三次元的に描きながら、なおかつ更に加速して、ぐんぐんと近づいていく。

 

「絶対に……絶対にひかりさんをあそこまで届けるのよ!」

「ストライカー、壊したって怒らない?」

「今度こそ、無事に帰れたらね! じゃなきゃ正座どころじゃないですよ!」

「そうでなくちゃ!」

 

 それに追いつくのですら難しかったが、サーシャは叫ぶようにニパとヴァルトルートへ託す。普段清楚で大人しい彼女からは考えられないほど荒く攻撃的な飛び方と銃撃だった。

 その激励を受け取って、ヴァルトルートは獰猛に笑う。

 

「“マジックブースト”……!」

 

 瞬間、ストライカーに魔法力の光が宿る。その力強さに違わない超加速を持って、ヴァルトルートはひかりを追い越す。

 そして“グリゴーリ”からの攻撃を全て引き受け、一つの“道”といっていい活路を見出す。

 それ目掛け、ひかりは一瞬溜めを作ってから飛び込んだ。

 しかし、それを見逃す“グリゴーリ”ではない。

 懐に残しておいた砲門を持って、ひかりを撃ち落とそうと全力の射撃を放つ。

 

「……ッ!」

 

 それを回避する手立てはない。全力のヴァルトルートを持ってして作り出した活路も、射線の合間を縫って人一人が通れるか通れないかさえギリギリのものでしかなかったから。

 舌打ちして、シールドを作り出そうとして――ニパがひかりの身体を押した。

 

「なんっ……!」

 

 身体の位置がずれて、ピンポイントでひかりを狙っていたいくつかの射撃が頭上を通り過ぎる。

 その意味がわからないわけじゃない。

 だって、直後聞こえた柔らかいなにかに包丁を突き刺すような音と、肉が焦げるような生々しい匂い。

 脳裏にフラッシュバックするあの日の光景。

 

「ニパさん!」

 

 大声で叫んで、振り返る。

 おぞましい感情に脳髄を支配されながら。

 

「へ、へ……大丈夫、だよ」

「……ニパ、さん」

 

 そして返ってきたのは、生存を示す声。

 普段ならそれにほっとしたのだろうが、無理だった。

 心底、ぞっとする。

 だって。

 

「そ、れ……」

「大丈夫。ワタシはこんなのじゃ死なない(・・・・・・・・・・)

 

 血混じりの水っぽい声で言いながら、ニパはひかりへと笑いかける。

 腹の半分は消え失せていて、水色のセーターは血の色で真っ赤だ。

 そして銃を構えていた右手は根本からなくなっており、そこから飛び散る血液が痛々しい。

 明らかな致命傷。

 しかしそれさえ涼しい顔で受け流して、ニパは残った左手でひかりの背中を押した。

 

「……今日が最後なんかじゃないよ」

 

 絶対に。

 ――絶対に!

 

「さあ、行って!」

「ニパ、さん……」

 

 間違えれば、即死だってありえたはずだった。

 それを“運良く(・・・)”やり過ごしただけで、痛みがないわけじゃないのに。

 その、はずなのに。

 いっそ、いつ、どこで見るよりも優しく、朗らかに、ニパは笑っていた。

 今が決死の戦いだなんて事を忘れるくらいに、彼女の身体を汚す血液の赤すら綺麗だって思えるくらいに、

 ニパは、笑っていた。

 

「く、うう……ううう……!!!」

 

 その笑顔から目を背けて、ひかりは“致死”の真っ只中を走り抜ける。

 それは立ち向かうためなのに、何故か逃げているときのような焦燥感が胸を支配していた。

 何かを間違えた気がしてならない。

 どんな気持ちでいればいいのかもわからない。

 理解したら、今この場でうずくまって、大声で泣き出してしまいそうだったから、考えなかった。

 つっかえた思いが、呼吸を阻害して苦しかった。

 窒息しかけの金魚のように喘ぎながら、顔をしかめて痛みに悶えながら、手を伸ばす。

 これしか知らないから。

 それしか出来ることがなかったから。

 

 それでも、魂はその役目を果たそうとしている。

 報われぬ全てに悲鳴を上げながら、途絶えそうな呼吸を必死に支えながら。

 

 ならば、届くのも、

 視えるのも、

 

 当然の道理だと、そう言えよう。

 

「あぁああああああああ……ッ!!!」

 

 襲い来る熱線。

 こんなもの、最早怖くもなんともなかった。

 掠めたそれが身体を焼くが、痛みさえ、苦しみさえ、胸中を掌握する焦燥感に比べれば大人しいほうだ。

 

 だから手を。

 右手を、伸ばす。

 

 受け取った全てに、返せるものはなにもない。

 それでも、全員がひかりの背を押した。

 思いを理解してくれた。

 止めることもしなかった。

 きっと、孝美や直枝も同じことを言ってくれただろう。

 

 ――ただ、“そこにいて”と言ってくれた。

 

 その言葉が、どれほどに自分を打ちのめすものか、わかった上で。

 

 わけがわからない。

 わけがわからなかった。

 

 なんで、こんな……

 

 それから目を逸らすように、ごまかすように走ってきた。

 でも、でも、でも。

 もう、生きていても辛いだけだ。

 前に進むことにも、敵を倒すことにも、意味を見出だせなかった。

 一番にそれを見てほしい人はもういない。

 一番にそばに居てほしい人ももういない。

 そんな中で生きていても、走っても、戦っても、辛くて、痛くて、苦しいだけだ。

 そんな未来の中に居たくない。

 居たくなんてなかった。

 

 ああ、ああ。

 きっと、目の前の“敵”だってそうなのだろう。

 

 もう、生きていても意味がないとわかったから、何もかもを巻き込んで終わろうとしているに過ぎない。

 痛みに耐えて蹲っていても、もしこの場でペテルブルグを滅ぼしても。

 その先に何にも見出だせるものがなかったから、終わろうとしているだけなのだろう。

 たったそれだけの大袈裟な自殺。

 

 許せないことも、認められないことも、沢山ある。

 あるけど、

 もう。

 

 そんなに一人が寂しいなら、付き合ってあげるから。

 だから、だから。

 もう、わたしから何も奪わないで。

 奪おうとしないで。

 これで、終わりにしてあげるから。

 

「あああ、あ ぁあああああ あああああああッッッッ!」

 

 そうして伸ばした手は、漸く“グリゴーリ”の死にかけの表皮に触れる。

 腐り果てた果実のような感触。

 そしてそこから繋がって視界へと映し出された“間違い”は。

 

 ――過去を掌握する、未来の残滓だった。

 

 

 

 



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第5話 ■■一閃 中編

「――ッ…!?」

 

 吹き飛ばされるように、切り替わる。

 夢から覚めるような確かさがあって、眠りに入る時のような微睡みでもあった。

 白い世界。

 自分の身体以外なにもない。

 手を開いたり握ったりしてみる。

 感覚は確かだ。こんな鮮明な夢など在りはしない。

 けれど、こんな場所に心当たりがなさすぎて戸惑う。

 

「……ここは……?」

 

 必死に記憶を手繰り寄せて考える。

 先程までわたしは、何を……

 

「“グリゴーリ”に触れて、それから……」

 

 それから、気付いたら“こう”なっていた。

 気付いていないだけで、反撃でも喰らったのだろうか?

 それで死んでしまったから、こうしてわけのわからない世界に着ている。

 だってこんな、何もない世界は、

 ――まるで、あの世みたいで。

 

「は、はは……」

 

 そんなありえない妄想に身を窶して、自嘲で笑えてくるほど、わけがわからなかった。

 しかし、そんな唐突さの中で、

 

「よう」

「――っ!!」

 

 声が響く。真正面から響くその声に、ひかりは顔を上げられないではいなかった。そうして、漸く自分がずっと俯いていたことに気付く。

 けれどそんなことすらどうでもよくなるほどに、

 その声は、

 愛おしくて。

 欲しかったもので。

 けれど二度ともう届かないもので。

 ああ。もしかして、ほんとうに死んでしまったのだろうか?

 だって、こんな、

 ありえない妄想が形になった、みたいな……

 

「……その様子だと、俺達は失敗したみてえだな」

 

 気安く話しかけてくるのは少し舌っ足らずな少女の声。

 それに違わない小さな身体は、白い世界の中、少女にしては少々だらしない風貌で座り込んでいた。

 そして白いリボンを左腕にくくりつけ、マフラーを巻いたひかりの姿は、彼女に全てを伝えるにはうってつけだった。

 

「か……んの、さ」

 

 喉に何かが詰まったように、うまく声が出ない。思わずむせて、彼女に笑われた。

 そんなやり取りですら懐かしくて、夢みたいで、ありえなくて、涙が出そうになる。

 

「なんだよ。そんな幽霊でも見たような顔して」

「なんだ……って……」

 

 だって、目の前の彼女は、あの日居なくなった管野直枝そのもので。

 だらしない格好で座るのも、宿った不敵な表情も、その声も。

 何もかも、あの日、最後に見た姿と変わりなくて。

 

「管野さ……かんの、さん……」

 

 ふらふらと、何もないのに転びそうになりながら、彼女の下まで歩いていく。

 嘘みたいだったから、確かめたかった。

 眼の前の彼女が幻影でも、何者でも、なんでもよかった。

 そして直枝の前にへたりこむように座り込んで、おずおずと手を伸ばす。

 肩に、触れた。

 温度が、あった。

 かかった髪の毛がさらりと手袋越しに甲を撫ぜた。

 

「管野さん……なん、で……」

「俺は――名残みたいなものだ。いや、“残滓”というのが的確か」

 

 それが確認作業だとわかっていたから、直枝は言う。

 名残……残滓?

 ひかりは戸惑う。

 しかし、

 雰囲気も、

 纏う温度も、

 感じられる息遣いも、

 視界も、何もかも。

 “彼女”は、“今、此処(・ ・・)”にいるとしか思えなくて。

 

「“グリゴーリ”に触ったんだろ?」

「え、ええ……」

「じゃあ話は簡単だ」

 

 ぼんやりとした調子で直枝が言う。

 

「あの時、俺が“グリゴーリ”に俺が打ち込んだ魔法力は相当なものだった。なんせ超魔導徹甲弾だからな。その魔法力が未だコアに残っていて、触れてコアを見通したおまえの魔眼が、それに反応している――恐らくそんなとこだろう」

「何言ってるか、まったくわからないですよ……」

「そっか――そうだろうな」

 

 ひかりは、その言葉に再度俯いた。直枝も、腕を組んで考え込んでしまう。

 なんとなく言ってみたが、彼女自身もこれで理屈があっているかどうかはわかっていなかったから。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 考えれば考える程浮かび上がってくる笑いを抑えきれずに、直枝は思わず口元に手を当てた。

 

「全く、こんな事になるなんてなぁ。面白くなってきたじゃねぇか。そうか、そうだよな」

 

 けらけらと笑って何度も頷く直枝に、ひかりは反射的に言い返す。

 

「そんな! そんな……ことないですよ」

「どうしてだ?」

「だって、だって……管野さん、しんじゃった、んですよ」

「そうだな。恐らくそうらしい」

「なんで、そんな……」

 

 何でもないような顔をしてられるのか。

 平然としてられるのか。

 わからなくて聞くけれど、直枝は困ったように笑うだけだった。

 

「まぁ、確かにやられちまったのは悔しいけどよ、おまえが敵を討ってくれんだろ? なら、俺はそれでいい」

「管野さん……!!」

 

 泣き出しそうになってしまうひかりに、まあまあと直枝はひかりの頭を撫でてやる。

 なのにもっと泣き出しそうになっているのがおかしくて、

 ……本当におかしくて。

 

「……なんだよ、馬鹿なやつだな。そんなになるまで戦わなくたってよかったんだぜ」

「だって……これしか、できなくて、わたしは……」

「そうだろうな。おまえはそういうやつだ」

 

 傷だらけのひかりの身体を見て、直枝は頷く。

 孝美もそういえば身体中に生傷が絶えなかった。そういう意味で、今のひかりの姿は孝美によく似ている。掠れて蠢く灼眼も、緋色じみた髪の毛の色も、纏う雰囲気も。

 恐らく魔眼を生来の気質として発現した時から、こうなると決まっていたのだろう。魔眼とはそういうモノだ。

 

「……だからこそ、“グリゴーリ”も放って置けなかったか」

「どういう、ことですか?」

「どうもなにも、そのままだよ」

 

 頭を撫でていた手でそのままぐしゃぐしゃとやると、ひかりは目を細めてそれを受け入れた。前だったら何するんですか、と食って掛かってきそうなそれだっただけに、なんだかなぁ、と思う。

 

「ここ何ヶ月か“グリゴーリ”の中に居てわかった。……ネウロイ(あいつら)は俺たちを模倣し続けている」

「……もほう?」

「真似っこってこった」

「はあ……」

 

 直枝の言っていることがよくわからないので、ひかりは首を傾げる。

 しかし直枝はその粗暴な態度に似合わない理知的な言葉を隠さない。伝わらなくてもいいと言わんばかりだ。

 

「飛行機や戦車という現代兵器に対する大型ネウロイ、報告書にあったリトヴャク中尉に対する歌を歌うネウロイ、……ウォーロックに対する人型ネウロイ。

 ――そして、おまえに対する自傷する大型ネウロイ」

「自傷する、大型ネウロイ……」

 

 言っていることは理解出来ないが、出てきた言葉をそのまま反芻する。思い当たる――というか、今日戦ったばかりだから。

 あれが自分に対する存在なのだと言われても、何のことかまったくもってわからなかった。

 わからなかったけど、それでもよかった。

 直枝が居て、自分も居て。

 それだけでよかった。

 それ以外の何も、いらなかったから。

 こうしてわからない話でも。

 話せているだけで、途方もなく嬉しかったから。

 

「おまえ、どうせ俺たちがいなくなってから相当無茶やったろ。それを看過できなくなったから、同じような存在をぶつけて相殺しようと目論んだんだ。自傷型ネウロイには相当手こずったはずだ」

「は、はい……」

 

 見てもないことを言い当てられて、おっかなびっくりしながらひかりは頷く。

 確かに自らの身体を傷つけてそれで小型ネウロイを生むあのネウロイは強敵だった。自分ひとりだけで戦っていたら恐らく勝てなかっただろう。定子やエディータの作戦、そして他の皆の援護が無ければ撃滅し得なかった。

 それがまさか自分への対抗策(カウンター)だなんて、言われても信じられないが……

 

自傷型ネウロイ(あいつ)はずっと悲鳴を上げていた。生まれた時から死にたくてたまらねえ、ってな。それは此処に居てもよく聞こえたよ。おまえそっくりだ」

「ネウロイに似てるなんて言われても、うれしくないです」

「だよな」

 

 不満げに頬を膨らませるひかりに、直枝は笑顔で返した。

 それにもう、とひかりは拗ねてみせたが、まあまあ、と話を続ける。

 

「そしてそんなあいつの泣き叫ぶ声が、“グリゴーリ”を呼び起こした――」

「呼び起こした、って……どうして」

「あんなに騒がれたらおちおち寝ても居られねえだろ。このままじっとしていても再生できる傷じゃねえってのは“グリゴーリ”自身もこの数ヶ月でわかったみたいだしな」

 

 直枝と孝美の一撃を受けてから、“グリゴーリ”が休眠活動に入ったのは身体の傷を癒やすためだ。

 相当なダメージであったことは間違いないだろうが、その一撃の元は超魔導徹甲弾――傷を癒そうにも、その膨大な魔法力が治癒を阻害した。その副作用として、自分が生まれたのだと直枝は言う。

 そして、それに、と前置きしてから続ける。

 

「そんな風になるまで“グリゴーリ”を倒したがってたおまえを模倣したネウロイだ。その泣き叫ぶ声が“グリゴーリ”に作用しないわけがない。つまり――」

 

 それが意味することはただ一つだ。

 

「――これは喜んでいいぜ。おまえはおまえの辿ってきた道程そのもので、“グリゴーリ”を此処まで引きずり出してきたんだ」

「管野、さん……」

 

 けれど、ひかりはそう言われても、全然喜べなかった。

 だって、“グリゴーリ”は動き始めた。それで勝手に滅んでくれる。それは元を辿れば直枝と孝美が命を賭けて成し得た作戦の成果なのだ。

 引きずり出したから何だというのだ。

 こんなボロクズ、コアに一撃くれればそれだけで終わるほどのものでしかなくなっている。

 きっと自分が居なくたって、他の誰かが“グリゴーリ”を倒しただろう。

 あの時ほどの周到さではないかもしれないが、もう一度作戦を立てて、立ち向かって、それで終わっただろう。

 だから、

 だから……嬉しくなんてない。

 ちっとも、嬉しくなんてなかった。

 なのに、直枝はそれすら祝福するように両腕を広げて言う。

 

「あいつにどでかいのを一発決めてやれよ。それは俺と孝美じゃできなかったことだ。“()”の“おまえ(・・・)”にしかできないことだ」

「そんなの……そんなの!」

 

 何もわかっていない、とひかりは思った。

 そんなことに。

 そんなことに!

 

「意味ない! そんなことに意味なんてない! ない……ないですよ。やる意味も……ありません」

「何言ってんだ。その為に此処まで来たんだろ?」

「それは……! それ、は……」

 

 反論しようとして、言葉がつっかえる。

 違う、と思ったけど、形にならなかった。

 何が違うのか。それすらわからないまま。

 

「でも……でも、でも……」

 

 欲しかったのは、

 願ったのは。

 あなたと、もう一人と、わたしで過ごす日々で。

 それさえなくても、生きてさえくれればよかった。

 相棒って言ってくれた、過去の思い出がただそれだけで一生を続ける意味にさえなってくれた。そこに何の価値すら芽生えなくても、それでひかりはよかった。

 よかったのに。

 奪われたから。なくしていってしまったから。

 過去の思い出だけで構成された亡霊みたいなものが、その質量をすり減らしながら呪いを振りまいているだけに過ぎないのだ。

 ただ、それだけの、言葉にしてみればなんてことないもので。

 そんなの、胸を張っていられるわけない。

 

「ちが……うんです、ただ、ただ、わたしは……

 わたし、は……管野さんと、おねえちゃんと、一緒に居たかった!

 ただ、それだけで、ほんとうに、それだけだった……!

 ほんとうは、ほんとうは……あなたが“相棒”って言ってくれるような、そんなものですらなかった……!!」

 

 だから、堰を切ったように泣き出してしまう。

 溢れ出る涙と共に、今までにつっかえてきた全てが雪崩れ込む。

 思うまま口走る。

 封じ込めてきた弱音も、卑屈も、未練も。

 

「できるはず、ないんです。

 わたしには、そんな力、なくて……

 管野さんが、お姉ちゃんが、どれだけ凄かったのかを、今になってほんとうに思い知らされる!

 昔のわたしが……今になってさえ! どれだけ弱くて、馬鹿で、愚かだったのか……!」

 

 けれど目の前の直枝は。

 そんな弱ささえも許してくれない。

 今放った全てに首を振って。

 残酷に背を押す。

 かつて、ひかりがそうしたように。

 

「……そうかい、それでもよ。ここまで来たんだ。来れたんだ。だから、きっとできるさ」

「でも、でも、管野さん……わたし……わたし」

 

 いくつも裏切って、ここまで来た。

 信頼も、愛情も。

 過去に目がくらんだまま未来を投げ打ってしまった。

 残された時間だって人並みまでにもいかないだろう。

 かといって、それで肩を並べられたとも到底思えない。

 そんな自分が、こんなことを言ってもらえていい理由なんて、何処にも見つからなくて。

 ほんとうに、涙が止まらなかった。

 

「泣いてんじゃねえよ。そんなんで“グリゴーリ”を倒せんのか」

「泣いて……ない、です」

「……ばーか」

「管野さん……管野さん……あ、あああああああああ……!」

 

 両手で押さえつけても、流れる涙は止まらない。

 どうしていいかわからない。

 どうして、どうして自分じゃなくて彼女だったのだろう。

 彼女が生き残っていれば、自分よりもずっと役に立った。

 ずっと多くのネウロイを倒せた。

 生き残る価値なんて無い。

 死んでしまえばよかった。

 よかったのに。

 どうして、

 そんな、

 そんなわたしに……

 

「……管野さん、どうして」

「悪い」

「どうして、居なくなっちゃったんですか」

「悪かったよ」

「どうして……相棒って言ったのに! 一人だけじゃ……いみ、ないですよ……どうして……どうして……ああ、ああああああ……」

 

 いよいよすがりついて泣きじゃくるひかりに、困ったように直枝は笑う。

 これはあの時置いてけぼりにしてきた言葉だ。

 どうしようもなく渦巻いていたのに、言うべき相手がそもそも居なくなってしまったから言えなかった言葉の名残。

 好きだったのに。

 一緒に居たかったのに。

 癇癪を起こしたみたいに、どうして、どうして、と繰り返す。

 それでも直枝は笑っていた。

 いままで見てきた、全ての“あの日”のように。

 変わらないままで、壊れないままで、朽ちていかないままで。

 それがどうしようもなく悲しくて、切なくて、たまらなかった。

 

「あなたが、お姉ちゃんが、いなくて! 何処にも、居なくて……寂しくて、悲しくて、どうしたら、いいか、わからなくて……!!」

「…………ひかり」

「あぁああああっ!! うわあああああああああっっ……! 管野さん、管野さん……!! ああぁああああ……!!」

 

 必死にすがりつく腕。その手袋越しに、無数の傷を感じた。

 それは今までに受けたもので、残ったものも、癒えている途中のものもある。

 孝美もきっと、同じようにして進んできたのだろう。

 この妹と、自分も揃って彼女に憧れた。

 ならば。

 その“未来(さき)”へと進んでいくひかりならば。

 出来ないわけがないだろう、と信じる。

 自身は存在すらあやふやな過去の名残だが、思い出にもそのくらいの力はあるだろう。

 ささやかでいい。

 小さくてもいい。

 それが、現在を追いかける過去が持つ、唯一の効力だった。

 

「……言いたいことは、これで最後だ。どうか、“グリゴーリ”を、終わらせてやってくれ」

 

 しかしその言葉に、ひかりは首を振る。

 言いたいことも、伝えたかったことも、何一つ言えてない。

 まだまだ、まだまだだったはずだ。

 なのに、

 それなのに、どうして、どうして……!

 

「駄目、ですよ……こんな、わたしじゃ……できません……」

「駄目じゃない」

「駄目、です……」

「駄目じゃねえつってるだろ」

「それでも、駄目なんです!」

「それでも、駄目なんかじゃない! 大丈夫だって。信じろよ」

 

 泣きながら弱音をこぼすひかり。

 けれど、それに頷いてやることは出来ない。

 だって、もう信じてしまった。

 裏切られることはない。

 反故になる瞬間さえ訪れない。

 

 何故なら。

 

「おまえは、俺が心のそこからすげえって思った奴ら……ブレイブウィッチーズの、一員なんだから」

 

 すがりつくひかりの背に腕を回して、抱きしめてやる。

 自分のよりずっと確かな体温。熱くて、柔らかくて、逃げられないもの。

 命の暖かさだった。

 なんでこうなっちゃったんだろうなぁ、という言葉が頭に過ったけど、それはもういい。

 もう、よかった。

 全ては過去のことだ。

 未来は、変わっていく。全てを置き去りにして。

 こんな風に留まっていられたことこそが奇跡みたいなものだったから。

 

 だから、だろうか。

 

 こんな感情さえも無視して、ぐらり、と世界全体が揺らぐ。

 辺り一面が白いのに、それでもさらに白んでコントラストを無くし、輝度を増していく。

 そんな世界を見据えながら、直枝はぽつりと言った。

 

「……どうやら、ここまでらしい」

「……いや、です。ここに、管野さんと、ずっといます」

「無理だって」

「無理なら、すぐ、追いかけますから」

「馬鹿言うなよ。あんまり困らせないでくれ」

 

 そのままとん、と背を推してやる。

 こんな情けない有様だが、それはそれでいい。

 飛べない翼で羽ばたこうとするには、勇気がいるだろうから。

 それがなくて迷子で居ても、それでも大丈夫だと思う。

 ――答えはきっと、“既に知っている(・・・・・・・)”。

 孝美が、過去の自分が、それを教えてくれるだろう。

 だから――大丈夫!

 

「じゃあな。達者でやれよ」

「だめ……管野さん……管野さん!」

 

 押されて、浮かび上がっていく。

 だから、振り返って、急いで手を伸ばすけれど。

 その手は物質的なものに支配されていないから。

 届かないで、虚空を掬った。

 遠くなっていく。

 引き上げられていく。

 離れていく。

 二度と会えなくなってしまう。

 二度と、もう。

 

「ああ、ああ……!! 行かないで、管野さん……!!」

 

 あがいて、もがいて、泣いて喚いて抵抗するけど。

 それでも、やはり駄目だった。

 貴方が此処にいるなら、わたしもずっと此処に居たかったのに。

 あんな痛いだけの世界に居場所なんて無いのに。

 だからせめて、瞬きさえも惜しんであなたの姿を目に焼き付けようとするけれど。

 どんどんと白んでいく視界は、それすらも許してくれなかった。

 引き剥がされてしまう。

 痛いだけの現実に引き戻されて、

 奇跡のような、甘い夢の時間が終わりを告げる。

 

「どうか頼むぜ――“相棒(・・)”」

 

 けれど、その中で。

 困ったように笑う直枝の表情だけが、紅い瞳に残ってやまなかった。

 

 

 



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第5話 未来一閃 後編

 夢から覚めるように、意識が戻る。

 戻って、最初に感じたのは喪失感だった。

 叩きつけるようにして押し戻された現実に、吐き気を催す。

 ふらついて、飛び退くように“グリゴーリ”から一歩後ずさる。

 瞬間、先程までひかりが居た場所を熱線が焼き払った。

 眼の前で迸るそれを見て、これに飛び込んでしまおうか、と本気の本気で思う。

 残されたものはもう、

 それくらいしか。

 それくらいしか。

 ああ。

 ああ、ああ、ああ、ああ……!

 でも、でも。

 そんな簡単なことすら戸惑って、出来ないで、呆けているうちに熱線は途絶える。触手のように伸びる砲門がこちらをじっと見つめていた。

 反射的に右手を伸ばす。

 展開されたシールドに放たれた閃光が遮られて、高い音を奏でた。

 ひかりの脆弱なそれでは一秒もせめぎ合っていられなくて、弾かれる。

 ストライカーユニットに魔法力を回すのも惜しくて、このまま墜落してしまおうと思う。

 “グリゴーリ”はどうせ誰かが倒してくれるだろう。そうでなくても、勝手に滅ぶのだという。

 ならば変わらない。

 何も、何も……

 

 ほんとうのほんとうに、そう思うのに。

 

 受け取った、彼女の言葉がそれを否定する。

 限界寸前の途絶えそうな身体でも、折れまくって歪になった心でも、届いてみせるよう、意地を張れと。

 

 この“間違い”を、この“中途半端”を、確かな形で終わらせられるのは。

 雁淵孝美の妹であり、管野直枝の相棒であった、雁淵ひかりだけなのだと。

 

 強く。

 とても、強く。

 痛みさえ伴うほどに。

 そう、叫んでいた。

 だから、だから、だから、

 だから――――

 

「ぁ……あ……!」

 

 空を切るように、もがく。

 手繰り寄せるように両手を伸ばして、墜落しようとする重力に抵抗する。

 その姿は端から見ればみっともないことこの上なかったが、そんなの構わなかった。

 ストライカーユニット――チドリも、ぶすぶすと音を立ててぐずっている。先程食らった攻撃で、ガタがきていたそれに拍車がかかったのだろう。

 彼女もずっと、翼のないひかりの代わりに飛び続けてきてくれた。

 相当に無茶を言ってきた。

 でも、これで最後だ。これっきりでいい。

 

 今一度、足元に力を乗せて。

 空気力学を、世界に、全てへ、

 届くように――今。

 

 ――大きく、羽ばたけ!

 

「――ッッッッッああああああああああああああァアアアアアアアアアアアッッッッッッッ!!!!」

 

 めちゃくちゃに叫びながら、暗闇を、雲を、突っ切る。

 何を思っているのか、何を考えているのか、何を、吐き出したいのか。

 そんなことさえわからずに、思いのままに吠えた。

 喉の奥が焼け付く。

 でも今は、それすら腑に落ちるような感覚があった。

 どこまでも飛ぶ。

 そして、どこまで行っただろうか。

 視界が急速に晴れる。

 その中で一度、

 空を。

 

 ――空を、仰ぎ見た。

 

 落ちゆく太陽に照らされ燃えている空は、

 赤く、とても紅く、

 ただ、ただ緋く。

 その奥に、黒い夜が炭のように炎を蝕んでいくのが見えた。

 ふと、あの日の言葉を思い出す。

 あれは、誰に言われた言葉だったか。

 

『……私の未来予知の能力っていうのは、夜を視るようなものなんだよ』

 

 かつて、彼女は何でもない風にそう言った。

 けれど、未来予知の能力はそれだけこの世界の夜が深いということを他の人よりも知ることだ。

 どれだけ先が見えないか、ということを思い知ることだ。

 底無しの暗闇。

 そんな場所に居てさえ、彼女は知っていた。見えていた。わかっていた。

 夜の中輝く星をちゃんと見つけられた。

 ならば、出来るはずだ。

 でも、それは。

 それは、

 過去の一切を振り切ってしまうということだ。決着をつけてしまうということだ。情けなく過去にすがりついて泣きわめくことが許されなくなるということだ。

 きっと、きっとだ。

 二人がいなくなっても、雁淵ひかりは彼女達にずっと守られてきた。過去にもらった全てを身に纏って、それでどうにか途絶えかけの呼吸を繋いでいけた。

 それに今日見切りをつけて、自分ひとりで歩いていかなければならない。

 ……そんなこと、できるわけなんてない。

 でもやらなければならない。

 今、ここで?

 

「あ、ああ…………」

 

 でも、それでも。

 “雁淵ひかり(わたし)”が“自分自身(わたし)”であるのなら。

 今まで放り投げてきたすべてを背負って飛び続けてきてくれた彼女たちに報いるには、もう。

 これしか、なくて。

 こんなことしか、できなくって。

 

 だから、わたしは。

 誰かが見せてくれた輝きを、星を追うのではなく――

 今、此処で。

 “わたし”自身の、未来を。

 ――夜を視る。

 

「ごめんなさい、ちゃんと、言えなかったけど。

 管野、さん……わたし、わたし……きっと、やってみせるから。

 だから、見ていて……」

 

 コアにはもう触れた。

 場所もわかっている。

 けれど、それだけではきっと届かないだろう。倒すならば、触れたその直後でなければいけなかった。一度離脱なんてしてしまえば再度突入して攻撃のチャンスを伺わなければならない。あの時よりずっと強くて激しくなった“グリゴーリ”相手に。

 接触魔眼を使われているのもわかっているので、相当警戒していることだろう。

 でも、それでも。

 あいつの魂をぶち抜くのは鉛の玉などではなく、この拳だ。

 意地と矜持を貫くために、この魔眼と拳を持って打ち勝たねばならない。

 

 だから。

 だから――

 

 目を閉じる。

 瞳を焼いた夕日を瞼の裏に閉じ込め、ただただ手を伸ばす。

 これから視るのは過去(かつて)を追う現在(いま)現在(いま)に背中を押され、辿り着く一秒先の未来(あした)

 コアだけではなく、ネウロイ全ての構造、思考、攻撃パターン……何もかもを読み取り、

 “何処に攻撃が放たれるか”という予測を視る――!

 

「……目標」

 

 わかっている。

 これは、接触魔眼本来の使い方ではない。

 雁淵ひかりの魂は、そんな複雑な構造をしていない。

 かつて、憧れた姉の姿を真似ただけだ。ほんとうは一番遠い場所に居るのに、一番近い場所に居た姉に対する憧れで視界を濁らせるために欲したものに過ぎない。不相応だと言うこの世界の全てから逃げただけだ。姉がどんなことを考えて、どんな風に自分と違うのか、そしてどれだけ尊敬できるのかということしか知りたくなかっただけだ。

 現在さえ明瞭に見れていなかったのに、未来なんて見れるわけない。

 それに加え、相手は超大型ネウロイの“グリゴーリ”だ。小型や中型ネウロイにしていたのと同じようにはいかないだろう。

 だから、軋む。

 ギチギチと音を立てて、魂がひどく軋む。

 だが、そんな事は関係ない。

 例えその先で光を失ってしまおうと、この手が傷つき、力を失くしても。

 この瞳は……元より、不相応な未来を映す為のものだから。

 

「重、補足」

 

 意識を、視界を、瞼の裏に送る。

 ああ。

 これが、彼女の、エイラ・イルマタル・ユーティライネンの視ていたものだ。

 ……寒い。

 瞼の裏の透明など比較にならないほどの暗闇が身体を包む。

 よく、こんなものを視続けていられるな、と本気で不思議に思う。自分の死ぬ光景を何十回、何百回、何千回、何万回と視て、どうして彼女は正気を保っていられるのだろうか、と。

 幻痛が、幻聴が、幻覚が、在り得たかもしれない全ての“致死”が、夜の形となって心を押し潰す。

 こんな夜の中では人は正気を保っていられない。

 寒くて、辛くて、寂しくて……

 知りたくなかった。

 ああ。

 無知は、ある意味では幸福な事だったのかもしれない。

 未来が、こんなにも暗いだなんて、こんなにも寒いだなんて知らなければ、視界が濁っている事も、寒さも感じないでいられた。希望がないことも、望む未来にも絶対届かないことも。今ある苦痛みたいなものが全てなくなって、報われる日なんて……そんな都合の良いものさえないことも。

 見なければ……そんな事、知らないでいられた。

 けれど、もう戻ることは出来ない。知るということは、変わるということだ。知らなかった過去と決別して、不可逆の現在を経て、未来を歩むということだ。

 幾億の、在り得ただろう致死を経て。

 

「……目標、補正」

 

 その中で、もしかしたら、と考えてみる。

 嘘みたいなものだ。誰も居なくならないまま春を迎えるような、そんな世界だ。コップの水が凍っていなかったことを嬉しそうに話す自分と、そんなことにさえ自分の変化を視る姉。そして、自分の事を待っていてくれる仲間が居ること。

 少し幸せな未来だ。

 それは自分がもう少し早くあの場に行っていれば、という後悔が生み出した宛のない願望みたいなもので、

 “ここ”には無いものだった。

 ……こんな世界で生きていけたらよかったと思う。

 けれど、起きてしまったことは戻せない。

 別の何かと取り替えることも出来ない。

 だから代わりに絶対真空の夜を、一歩ずつ歩いて、確かめていく。

 もう、それくらいしか、出来る事は……してやれることはない。

 かつて、憧れた。

 孝美のようになれば、誰にも、自分にも認められずに居るこの不相応を覆せると思っていた。

 その憧れだけが、自らを救うものだと信じてやまなかった。

 かつて、憧れた。

 直枝の隣に立てば、少しくらいは自分も強くなれると思った。

 隣に居る、という場所が欲しかった。

 かつて、憧れた。

 一人じゃない、という実感が欲しかった。

 雁淵孝美の妹としてじゃなくて、雁淵ひかりとして、誰かに認められたかった。

 けれど結局、そんなものに目を曇らせずとも、雁淵ひかりは、雁淵ひかりにしかなれなかった。

 誰かに憧れても、変わろうと願っても。

 間違っても、喪っても、その先で化物に成り果てようとも――それを変えることはできない。

 さよなら。

 もう、二度と手に入らない幸福。

 在り得たかもしれない……今となってはもう、過去の世界。

 ああ、今更だ。

 今更、何を思うこともない。

 縋ることもしない。

 けれど、

 ――わたしだけは、その“もしかして”を忘れたりなんかしない。

 絶対に……絶対に!

 

「目標、最終補正」

 

 夜は深い。

 ここまで潜っても、まだ一縷の月光すら見えてこない。

 ただ視ているだけではいけないのだろう。

 灯さなければならない。

 だから、腕を伸ばした。

 まず、いくつかの可能性を試す。

 そしてその中で最も遠くに到達した可能性を元に、可能性を発展させていく。

 “グリゴーリ”はまず崩壊する身体を無視して最大級の一撃を放ってくる。

 それを自身の脆弱なシールドで防ぐことはかなわない。

 避けるとしても、何処に避けるか。

 魔法力は右手に集中させなければならない上に速度も必要なため、余計な動きは出来ない。

 ――結果、身体を反らして、空気抵抗の赴くままに斜め下に向かって下降するのが最善だとわかった。

 次いで、襲い来るのは……

 そんな風にして、幾億の“致死”を、夜を乗り越えていく。

 魔眼から得られる“グリゴーリ”の全情報を元に、可能性の模索を続けていく。

 太刀打ち出来ない可能性は即座に打ち消し、より鋭い可能性だけが選ばれていく。

 淘汰、されていく。

 暗い夜を切り裂く一本の光芒として、瞼の裏に刻まれていく。

 そして辿り着いた一瞬の無限の先。

 

「――目標、完全補足」

 

 その“未来”に“到達(・・)”する。

 右手を、掲げる。

 そしてもう一度だけ、この紅い空をその目に映した。

 魔眼は、その夕焼けを吸い込んで同じように光る。

 この間違いを、ちゃんと終わらせるために。

 その証明に、だろうか。

 ぐらり、と身体が傾く。

 上昇、浮遊の為に回していた魔力をストライカーユニットから右手へと回した為だった。

 重力が、身体を誘う。

 最早落ちているだけ、とも言ってよかった。

 瞬間、襲い来る特大の攻撃。

 それを身体を反らして斜め下に向かって下降することで回避する。

 その先を撃ち抜くように放たれる熱線。

 頭からぶつかるような体勢だが、それも回転するようにひらりと躱してさらに先へ。

 勢いを削ごうと、触手のような砲門をそのままぶつけようとしてくる。

 魔法力を左手に少しだけ纏わせて、掴み、自身の身体を投げるように押し退けて、さらに加速する。

 しかしそれを見越していたかのように、“グリゴーリ”はひかりに向かって攻撃の密度を増して襲いかかってくる。

 それさえすり抜けて、ぶち抜いて、進んでいく。

 マトモじゃありえない軌道。

 それがただ落下しているのだということが嘘のように思えるほど、その未来は鮮やかで、綺麗で、美しくて。

 きっとこれは“間違い”で、意味のない戦いで、終わってしまえば通り過ぎていくようなものでしかないのだろう。

 それでも、こうするしかなかった。

 

 信じてくれたから。

 嘘でも、間違いでも、過去の思い出でも。

 背を、押してくれたから。

 その事を間違いにする訳にはいかない。

 いかなかった。

 

 雲を突っ切る。

 紫電が身体を焼くが、気にしない。

 最奥目掛けて落下していく。

 

「あぁあああああ あ あああ ああっっっ!!!」

「――■■■■■■■■■■■■ァァアア■■■■■ァ■■■■■■ッッッッッ!!!!」

 

 共に大声を上げて向かい合う。

 無数の閃光を放つ“グリゴーリ”と、それを必要最小限の動きで回避していくひかり。

 既に攻撃は未来予知すら匙を投げそうなほどの馬鹿らしい密度だ。

 知恵の輪を解くような緻密さと全てを吹き飛ばす威力の嵐の中、全てを潜り抜けていく。

 現在が過去を置いてけぼりにするように。

 そうして未来へと繋がっていくように。

 

 後は振り下ろすだけで全てが終わる。

 たったそれだけで、決着がついてしまう。

 

 なのに、急に全てがわからなくなる。

 胸が苦しかった。

 

 きっと馬鹿みたいな何かに、吐き気がするほどの必然さで、今日この日を定められていたのだ。

 あの日、全てを失ってから。

 できることなんて、そうして変わっていく全ての中を滑り落ちていくことだけ。

 

 そんな中で、何処に辿り着くかもわからないまま歩いて、歩いて、歩き続けて。

 ……そんな人生に、何の意味があるというのだろう?

 わからない。

 そんなことさえ、わかる日は来ない。

 未来は危うげで、怖くて、わからないままだ。

 人が達観するには、この夜は未だ遠く、深すぎる。

 多少何かを知った所で、それは夜の深さの証明にしかならない。

 一つの“致死”を乗り越えた所で、次に襲い来るのはまた別種の夜だ。

 何もかもを知る日が来ることはきっとないのだろう。

 ならばこそ、全てを見通す目を持った雁淵孝美も、未来の致死を知るエイラ・イルマタル・ユーティライネンも、真っ直ぐに生きようとしていた。

 意識しないと見逃してしまうようなところでも、一つ一つしゃがみこんで、目を凝らして、自らさえも苛むほどの懸命さで探していた。

 夜を裂いて輝く――光明を。

 

「……砕けろ、“グリゴーリ”」

 

 こんな深い虚空の中では、自分自身などちっぽけな存在のように思える。

 それにこの先、苦痛が無くなって報われることなんて、絶対にない。

 雁淵ひかりが雁淵ひかりで在るというのなら、この身を苛む孤独と苦痛は絶対前提条件として置かなければいけない。これら全てを念頭に置いてでしか、もはや雁淵ひかりは雁淵ひかりとして成立し得ない。

 望む何もかもは嘘だと知った。その憧れは偽りに過ぎず、到達出来る日は来ないまま、中途半端なうちに全てが終わってしまうのだと、きっとそうなのだろうと、それを思い知らされた。

 きっと、この一歩は血の滲む一歩。そして最後までちっぽけなものなのだろう。

 それでも、あがいて、もがいて、心臓の止まる最後の最期まで、報われぬ明日を探して動き続けなければ、この身体を支配する諦観さえ嘘になってしまうから。

 

 ――かつて、その言葉を受け取った時。

 そこに込められた、意味さえわからなかった。わからないままに、ただ自分にだけ都合のいい言葉としてそれを胸に括りつけた。

 そんな言葉に力が伴わないのは当然だ。宙ぶらりんのまま、言葉だけがどこかしこへと振り回されているだけなのだから。

 けれど、それでも。

 今、自身に胸を張るために、その言葉を再度、胸に刻む。

 その鋭さを、右手に込める。

 傷つけるためではなく、切り拓いていくために。

 未来なんて、そんなものは。

 “やってみなくちゃ、わからない”のだから。

 

「うぁぁあああああああっっ!!」

 

 せめて、願う。

 どうか、この鋭さが、一つも無くならないままわたしの中に残っていますように。

 もう忘れてしまわないことでしか、この痛みを消さないことでしか、彼女達と一緒に居る方法がないから。

 それが唯一残った、わたしにできることだから。

 それでも変わっていく全ての中で、思い出に留まっていられる今この瞬間だけは、永遠でありますように。

 

 

 

 

 一つだけ、聞いてもいいですか。

 

 ん? なんだよ。

 

 いつかまた、会えますよね、管野さん。

 

 

 

 振り返る、彼女の姿が見えた。

 

 

 

 ――ああ、きっとな。

 

 

 

「――(つるぎ)一閃(いっせん)……!」

 

 

 

 光が、夜の中で瞬いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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エピローグ 星降る夜に

 あの色を、覚えている。

 全てを見通す緋と、全てを貫く蒼。

 その手で触れてもらえること、その声で語りかけてもらえること、

 その背を、追っていられること。

 それだけが、信じられるものだった。

 世界は汚れていて、悲しくて、残酷な世界で。

 正解なんて何処にもなくて、だから間違えて、間違えたくないから間違えて。

 得たものから順にこの手をすり抜けていって、最期には全て取り上げられる。

 

 だからきっと、生きることに意味なんてない。

 なのに、訪れる未来からは、誰も逃れることすらできない。

 

 だから、せめて一緒に居たかったけど。

 ……きっと、最初からわかっていた。

 

 この手には、何も残らないことを。

 

 けれど、一つだけ。

 一つだけ、過去から未来まで。果てはあの世にまで持っていけるものが一つある。

 皺一つ、染み一つつかないままで。

 

 思い出、だけ。

 あなたと居た全てのことを、そのまま未来まで持っていこう。

 痛くても、辛くても、苦しくても。

 意味すら、感じられなくても。

 例えどんなに日々を重ねて、何もかもが擦り切れて無くなったとしても。

 

 それでも。

 

 ――わたしはずっと、その色を、忘れられはしないから。

 

 

 

*

 

 

 

 ……とても、静かな夜だった。

 それがまるで人類の快勝を祝う夜なのだとしても、誰も信じられなかったほど。

 音という音が全て闇に飲み干され、静寂しか残らなくなってしまっていた。

 

 人の営みは続いている。あわやという所で踏み止まり、恐らくだが、近い内に新しい思惑だって動き始める。

 嵐の前の静けさだ。

 一つ乗り越えた所で次に襲い来るのは次の嵐で、落ち着かないまま、落ち着けないまま進み続けるしかない。

 魔女(ウィッチ)も、ただの人も、どれだけ時間が進んでも、それは何も変わらないままだった。

 夜を視る――生きるということは、そんな、言葉にしてみれば単純なもので。

 それでいて、ひどく間違いやすくて難しいものだった。

 

 だからこそ、人は夜に願いを灯す。

 奇跡を願ってしまう。決して訪れないそれを夢見て、追いかけてしまう。

 中途半端なまま終わっていく事を知りながら、それでも向かっていく。

 馬鹿げた話だが、そうやって続いてきた。

 続けてきた。

 だから、目に見える全ては過去からの逆算。

 闇の中に芽生えた光だって、希望だって、奇跡だって。

 ずっと、過去は現在を追いかけて、

 現在は未来に繋がっていった。

 

 

 

 ――星が、降っていた。

 “グリゴーリ”の砕けた身体が夜空に星のように降り注いでいる。

 暗雲は溶け、透き通った黒い透明だけが広がっている。

 暮れゆく空も、夜に追い越されてしまったみたいだった。

 その中で、瞬く星屑の光は人類の勝利を祝福している。

 それはとても綺麗で、見るもの全てが言葉を失うほどだった。

 

 そして、その眼下。

 かつて雪原だったその場所は、今や雪解けして草原に変わっている。

 その中で一人、少女がうずくまっていた。

 

「あぁ、あああ…………」

 

 近くには動かなくなったストライカーユニットが乱暴に脱ぎ捨てられている。修理しても動くかどうかもわからない。このままじゃ基地に戻るのも一苦労だろう。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。

 考えの内にすら入らなかった。

 この身を蝕むのは、

 たった一つ、

 途方も無いほどの暗闇。

 

「管野さん、お姉ちゃん……ああああぁ、あああああああ……!」

 

 全ては終わってしまった。

 あれだけ憎かった“グリゴーリ”も、この手で倒してしまった。永遠に待ち望んだ日々が来ないと知りながら、それでも彼女達が遺した全てにすがりつくことでしか、窒息しかけの呼吸を続けていくこともできなかったから。

 残ったものは何もない。

 彼女達を失ったことは変わらないし、変えようがない。傷だらけの心と身体だけが残って、ほかは全部置いてけぼりにしてしまった。

 何もなかった。

 

「わたし……わたし……っ……うああああああ……!」

 

 その事実に耐えられなくて、蹲って、大声で泣き喚きながら涙を流す。

 わかっていたはずだった。最後はこうなるんだって、ずっとわかっていたはずだった。

 けれど、わかっていたのに、どうしても耐えられなかった。

 耐えられるわけ、なかった。

 

「会いたい……会いたいよ……どうして、どうして、……っっああああああ……!!」

 

 死にたい、死にたい、と呪詛をこぼす。

 それが出来ないのもわかっていて、今此処に彼女達が居ればそれを許さないのもわかっていた。

 だから、ただ言葉だけが悠久の夜の彼方へと吸い込まれてゆく。

 通り過ぎていく。

 そして、その虚空にして虚無ではない、絶対真空の孤独の中で。

 

 

 

 ただ、

 星が、輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これにて完結です。長い間、お付き合いいただきありがとうございました。
 活動報告であとがきめいたものを書いております。よければどうぞー。


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