セングラ的須賀京太郎の人生 (DICEK)
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幼稚園・小学生編
0 高校一年春 長野清澄高校にて


 誰もいない旧校舎の廊下を一人歩く。かつて校舎として使っていただけあって部屋数だけはあるが、そのほとんどは物置として使用されていた。掃除などもされていないから埃っぽいし、歩く度に廊下は音を立てる。照明があるから辛うじて歩けているが、そうでなければ昼間でも歩くのは勇気がいる。

 

 そんな建物の最上階に、麻雀部の部室はあった。

 

 全国的に大人気であるはずの競技だが、清澄高校の麻雀部は人数不足で廃部の可能性が持ち上がるほどに人数が少ない。今の部長が入学した頃にはそれなりの数の部員がいたらしいが……まぁ、色々とあったらしい。

 

 今は三年の部長が一人、二年が一人、一年が二人。全員が女子である。団体戦のエントリーには補欠なしで挑むとしても最低五人の部員が必要になる。このままだと麻雀部は団体戦に出ることができない。

 

 

 その五人目になろうとしている女子がいる。京太郎の中学からの同級生で、宮永咲という。運動苦手の絵に描いたような鈍臭く臆病な文学少女だが、姉の影響か麻雀を得意としており、この高校でも麻雀部に入ると、中学の頃から力説していた。

 

(怖い人がいると嫌だから、京ちゃん、先に見てきてくれない?)

 

 しかし、このお願いである。臆病で人見知りな咲のことだから、先が思いやられる。偵察した結果、怖い人ばかりだったらどうするつもりなのだろうか……意地悪して聞いてみたい気もするが、そうしたら泣きそうだったので止めておいた。女子を泣かせるのは男として本意ではない。

 

 部室のドアの前に立つ。表札はしっかりと麻雀部と出ていた。自動卓の音でもするかと耳を済ませるが、中から音は聞こえない。無人だったらどうするか、と今さらに空振りに終わる可能性に思い至るが、ノブを回すとドアはあっさりと開いた。

 

「こんにちはー。入部希望なんですけどー」

 

 部室に入る。部員が四人しかいない部の部屋にしては、広々としていた。中央には自動卓。壁際には聊か型落ちのパソコン。屋外にも出られるようで、開けっ放しになっている窓からは春の暖かな風が吹きこんでいた。

 

「なんだ? 入部希望者か?」

 

 くるり、と椅子を回転して、こちらに顔を向けるのは小学生みたいなちんまい少女だった。学食で買ったらしいタコスを頬張るその姿は、制服を着ている事実があったとしても、外から遊びにきた小学生ではないか、という疑問を抱かずにはいられない。

 

 その少女の姿を見て、京太郎は軽く目を見開く。見た目があまりにもロリ過ぎたから……ではない。それもあるにはあるが、記憶の中にあるとある少女の姿に、そのタコスが酷似していたからだった。

 

「憧……タイムスリップして長野に来るとか、時を駆け過ぎだろお前」

「人違いだじぇ。私は片岡優希だじょ」

「……まぁ、解ってはいたんだけどな」

 

 そんなオカルトありえないしな、と言葉を続けて部屋を見回す。タコスの他には室内には誰もいない。一人か? とタコスに問うと、タコスはタコスを咥えたまま、んー? と首を傾げた。

 

「部長は会議だじょ。染谷先輩はクラスの仕事で遅くなるじぇ。和ちゃんは今トイレに――」

「そこはボカすのがマナーですよ、優希」

 

 ドアを開けて入ってきたのは、清澄高校一番の有名人だった。

 

 去年の全中覇者、原村和。彼女ほどの実力があれば龍門渕だろうと風越だろうと好きなところに推薦に行けたはずなのに、特に実績のないこの高校を選んだということで、一年の間では話題になっていた。麻雀部に所属しているとは聞いていたが、こうして顔をあわせるのは初めてだった。

 

 和は京太郎の姿を見ると、形の良い眉を僅かに寄せる。あまり歓迎されてはいないようだった。

 

「入部希望者ですか?」

 

 直接聞けば良いのに、和が問うたのは正面に立つ京太郎ではなく、タコスを頬張るタコスだった。巨乳美人に無視され地味にダメージを受けている京太郎を他所に、タコスは首を傾げる。

 

「そう言ってたじぇ。今昔の知り合いに似てると口説かれてたところだじょ」

「事実を捏造しないでもらえるか」

 

 タコスの言葉を額面通りに受け取った和が、京太郎に鋭い視線を向けてくる。誤解だ、という様に京太郎は手をぱたぱたと振った。優希が美少女なのは認めるが、童顔巨乳が好みの京太郎のストライクゾーンからは若干外れていた。

 

 慌てなかったのが功を奏したのだろう。和はまだ胡散臭そうに京太郎を眺めていたが、それ以上特に追求する必要性も感じなかったのか、タコスの対面に着席して、卓を動かした。

 

 牌山がせり出してくる。サイコロに従って山を切ると、和は一人でツモり、切ってという行為を始めた。その切り出しが、異様に早い。流石に全中覇者という仕草に見惚れていると、

 

「座ったらどうですか?」

 

 牌から視線を逸らさずに、和が言った。相変わらず温度が感じられない。これは嫌われたかなと、前途多難な人間関係を思いながら着席すると、タコスが椅子を寄せてきた。こちらは和とは逆に距離が近い。全くタイプは違うが、小動物系と無理やりくくるなら、咲と同じ系統の少女である。

 

(どうして俺はこういうタイプに好かれるんだろうな……)

 

 どうせなら巨乳美少女に好かれたいと思う京太郎だった。

 

「ところでお前、私はそんなにお前の友達に似てるのか?」

「ああ。つっても小学生の時だけどな。最初に見た時は目を疑ったぞ」

 

 細部は違うが、ぱっと見た目の印象はとても似ている。世の中似ている人間は三人はいるというが、その一人が長野にいたと知れば、憧も驚くだろう。ちょっとまて、と携帯を操作して、写真を呼び出す。

 

「おお。何かお前も小さいじょ」

「小学五年生の時の写真だ。真ん中のが俺で、左のがお前のそっくりさん」

 

 奈良にいた時の写真である。当時顔を出していた麻雀教室の帰りに、教室の教師役をしていた大学生に撮ってもらった一枚である。中央に京太郎。両サイドを同級生の少女二人が固めている。

 

「おおー、確かにそっくりだじょ。でも何か、和ちゃんにも見せられたことがある気がするじぇ。和ちゃーん!」

 

 言うが早いか、タコスは京太郎の携帯を分捕り、和の前に差し出した。一人麻雀を中断させられた和は一瞬だけ迷惑そうな顔をしたが、差し出された携帯の写真を、黙って覗き込んだ。

 

 瞬間、目が見開かれる。

 

「どこでこれを……」

「いや、真ん中にいるの俺だし。奈良にいた時の写真だよ。小学五年の時、いたのは一年くらいだけどな。そっちの二人はその時の友達だ」

「……私は、原村和といいます」

「知ってる。同級生で原村のこと知らない奴はいないと思うぞ」

「まだ名前を聞いてませんでした。聞いても良いですか?」

「須賀京太郎。一年だ。よろしくな」

 

 京太郎……と、和はその名前を噛み締めるようにして呟く。目を閉じること、数秒。

 

「……シズや、麻雀教室の娘達から、何度か名前を聞いたことがあるような気がします。京ちゃん、というのは須賀くんのことですよね?」

「そうだろうな。主にそう呼んでたのはギバードだけど。あいつ元気だったか?」

「元気すぎるほどでした。そうですか、シズやアコの友達だったんですね……」

 

 ふっと、和が微笑む。男子というだけで距離を置かれていたようだが、距離が一気に縮まったような気がした。

 

「流石に遠いから、今じゃメールとかでやり取りするくらいだけどな。憧とはたまに電話するけど」

「お前、長野の生まれじゃないのか?」

「生まれは大阪だよ。親が転勤しまくってて、長野に落ち着いたのは中学に入ってからだ。それまでは一年に一回くらいの割合で転校してた」

「そんなに……」

 

 和が目を丸くしている。年相応のその顔が、妙に可愛らしい。

 

「どんなとこに住んでたんだ?」

「話しても良いけど、別に面白くねーし長いぞ」

「構わないんじゃありませんか。三人では卓が立ちませんし、先輩二人は少し遅くなりそうですし」

 

 お茶を淹れますね、と和が卓を立つ。タコスは既に聞く体勢だ。こういう時にタイミングを見計らってその先輩がきてくれないものかと耳を済ませてみるが、聞こえるのは窓から入る風の音ばかりで、足音一つ聞こえない。

 

 和がお茶を淹れて戻ってくる。今度は和も聞く体勢だ。別に面白い話でもないのだが、聞きたいというのならば仕方がない。臆病な友達のためのリサーチと思えば、面倒臭さも何でもないと思えた。

 

「じゃ、最初からな」

 

 言って、自分の人生を思い返す。転校ばかりだった幼少期。最も古い記憶は大阪から始まった。

 

 

 



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1 幼稚園 北大阪にて

北大阪と南大阪どちらにするか死ぬほど悩んで北大阪となりました。

ちなみに数字の横にさらに数字をつけて(1-2みたいな感じ)個別のエピソードをさらに追加できるんじゃないかと思い立ちました。
例えばもう一度北大阪エピソードをやりたいな、と思ったら数字をつけてやり直すかもしれませんが、とりあえず中学入学までは全国セングラ編となりますのでご安心ください。




 須賀京太郎は一般家庭に生まれた一人っ子である。生活に困窮したことはないが、金持ちだなぁ、と思ったことは一度もない。生活レベルはそんなものだった。

 

 そんな京太郎の住む家の近くには、高級住宅街があった。そこに住んでいるのは、自他ともに認める金持ちの連中である。子供の目から見ても明らかに違う世界が、そこにはあった。

 

 その世界を羨ましいとは思わなかったが、一度くらいはそこに入ってみたいと思った。そこにはどんなものがあるんだろう、という子供らしい単純な好奇心である。

 

 幼い身ながら時間を見つけては、高級住宅街周辺をうろうろし、それを観察するのが京太郎の日課となっていた。金持ちサイドからすれば、明らかに不審者である。子供であるから見逃されていたが、近所に住んでいるというだけの人間が自分達の生活圏を伺っているというのは、住人からすれば気分の良いものではない。

 

 金持ち喧嘩せずというが、それにも限度があった。住民の間で京太郎のことが話題に上り、そろそろどこかに知らせた方が良いのでは、と議題に上るようにもなった。

 

 そのまま何もなければ、本当にしかるべきところに連絡が行き、京太郎は親から注意を受けていただろう。だが、金持ちの余裕からそれまで京太郎を放置していたことが、後から見ると一人の少女の命を救い、一人の少年の人生を変えた。

 

 

 その、夏の暑い日。流れる汗を拭いながら、いつもの徘徊をしていた京太郎の視界に、人影が見えた。歩いて人とすれ違うことは、実はあまり多くない。時間帯が悪いのか人を見る機会もあまりないし、見かけることはあっても、車に乗っていることがほとんどだった。

 

 自分と同じくらいの子供の姿を見たこともなかった。人影は小さい。おそらく子供だろう。自分と近しい年齢。それを感じただけで、京太郎は何だか嬉しくなった。

 

 その人影は、塀の影にいた。胸を手で押さえて苦しそうにしている。ただごとではない。京太郎は慌てて駆け寄り、少女を助け起こした。

 

「大丈夫か? 救急車呼ぶか?」

 

 少女は青い顔で全身に冷たい汗をかいていた。呼吸も荒い。どうみても大丈夫ではないと判断した京太郎は、ポケットから携帯電話を取り出し、119番を押した。場所と状況を伝え、繋いだままにした携帯電話を道路に置く。

 

 道に明るい色をした携帯電話がおちていた。色からして少女のものだろう。少女がよりかかっていた壁からは、少し離れた場所にある。拾って、少女の手に握らせると、苦しみ一色だった少女の顔色が、少しだけやわらいだ気がした。

 

「ありがとなー」

「別に良い。大したことはしてない。もう少しで助けがくるから、安心しろ」

「ええよー、べつに。ウチこのまま、死んでまうもん」

 

 少女は儚げに笑う。死ぬ、という言葉をこの日初めて京太郎は他人の口から聞いた。意味は知っているが、実感したことはない。幸いなことに京太郎が生まれた時に存命だった親戚は、今もまだ元気である。葬式とか、そういったものに参加したことは一度もない。

 

 ただ、苦しむ少女の存在が段々と自分から遠のいていくのを、京太郎は感じていた。どんどん遠くなって、やがては消える、死ぬというのは、多分そういうことなのだ。

 

 少女とであったのはこれが初めてである。友達でも何でもないが、この少女が消えてしまうことを、京太郎は酷く悲しいと思った。できることなら消えてほしくないと思った。

 

 ぎゅっと少女の手を握る。予想外の力強さに、少女は涙に濡れた瞳を瞬かせた。

 

「どうしたん?」

「大丈夫だ。お前は死なない。俺がついてるから、だからがんばれ」

 

 根拠のない、励ましの言葉だ。思いついたことを並べただけの、何も知らない少年の言葉である。

 

 だが、このまま誰にも見つけられず、一人死ぬと覚悟した少女の心には、その声は良く響いた。少女の目から、涙がこぼれる。それは、それまで流した涙とは違った意味を持っていた。

 

「ありがとなー」

 

 涙に濡れた顔のまま、少女は微笑む。京太郎はべつに、と答えて、少女から顔を逸らした。

 

 初めて人からお礼を言われた気がした。その笑顔と声音が、妙に照れくさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 救急車に乗せられた少女について、京太郎も病院に向かった。病院につくと、少女はそのまま手術室へと運ばれていく。大丈夫なのか、と医者に問うと、父よりも祖父に近い年齢のその医者は大丈夫だよ、と力強く答えた。

 

 少女が無事に帰ってくることを祈りながら、京太郎は待合室の椅子で無心に祈り続けた。名前も知らない少女が、助かりますように。途中、知らせを聞いた母親が迎えに来ていたが、それに気付かないくらい京太郎は無心で、少女のために祈っていた。

 

 肩を叩かれ、京太郎は顔をあげた。組んでいた両手は血の気が失せて白くなっている。よほど強く握っていたのだろう。今更血が通い始めた手は、痺れていて感覚が鈍い。

 

 ここにやってきたのは昼間だったはずだが、外には夜の帳が下りようとしていた。隣には母がいる。いつの間に、と京太郎が目を丸くして驚いていると、肩を叩いたらしい人間に自分の名前を呼ばれた。

 

 身なりの良いその男性は、京太郎に向かって頭を下げた。少女の父親であるらしい。京太郎がいなければ、少女はあそこで死んでいただろうと、男性は涙ながらに感謝の言葉を続けた。

 

 正直、そんなことはどうでも良かった。京太郎が気にしていたのは、あの少女である。

 

「あの子にあいたい」

 

 顔を上げた少女の父親に、京太郎はそう言った。もちろんだ、と彼は答えた。今は眠っているから、明日また来てくれ。彼の言葉に、京太郎はわかりました、と答えた。

 

 その日の記憶はそこで途切れている。後で母に聞いたら、糸が切れた人形のように崩れ落ち、そのまま寝てしまったという。

 

 

 そして、翌日。母親につれられて京太郎は再度病院を訪れた。自分の名前を告げると、受付の女性は承っています、と少女の部屋の番号を教えてくれた。

 

 エレベーターに乗って、移動する。病院は静かにするものだ、と母親から教えられていたが受付付近にはそれなりに音があった。

 

 だがエレベーターを降りた階は、本当に静かだった。一部屋に一人。個室の病室が並ぶその階は、色々な意味で特別な人間が集まっている。少女もその一人だった。

 

 受付で聞いた番号の部屋の前で、京太郎は足を止める。後は好きにしなさい、と母親は笑顔で京太郎を促した。一人で行って良い。そんな母の配慮に気付かないまま、京太郎は部屋のドアをノックした。

 

「どうぞー」

 

 あの日聞いた、少女の声だった。京太郎はどきどきしながら、ドアを開ける。

 

 白かった。最初に抱いた感想はそれである。病的なまでに白で統一された部屋の中で、少女の髪の色だけがやけに目立って見えた。少女は相変わらず青い顔をしていたが、苦しみ一色だった昨日に比べると大分元気そうだった。

 

 京太郎の姿を認めると、少女は嬉しそうに笑い、手招きをした。ベッドの近くまで行くと、少女は京太郎の手を握った。

 

「あんたのおかげで死なずにすんだ。ありがとなー」

「おれはべつに、たいしたことはしてない」

「ウチにとっては大したことや。おとーさんもおかーさんも、皆あんたに感謝しとる。でも、ウチが一番感謝してるねんで? こうして、あんたにお礼が言えるんも、あんたのおかげなんやから。命の恩人さん、あんたの名前は?」

「須賀京太郎」

「きょうたろーかー、かっこええ名前やなぁ。でも、ウチもなまえのかっこよさではまけてへんで」

 

 少女は胸を張って、得意そうに微笑む。

 

「ウチは園城寺怜。ウチら、今日からともだちや。よろしくな、きょうたろー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怜と友達になったことは素直に喜ばしかった。

 

 ただ、即座に問題に直面する。話題が全くかみ合わないのである。京太郎の話すことを怜はほとんど知らなかったし、怜の話題を京太郎はさっぱり理解できなかった。生活レベルが違うとここまで話が通じないのか、と後に京太郎は述懐する。怜は京太郎の話を飽きることなく聞いてくれたが、正直な話、京太郎の方があまり面白くない。二人で一緒に盛り上がることのできる。何か共通の話題がほしかった。

 

「なーきょうたろー、麻雀ってできるか?」

 

 探してやまなかった共通の話題を提供してくれたのは、怜だった。できると簡潔に答えると、怜はぱーっと顔を輝かせた。そのままベッド脇の荷物からいそいそとカード麻雀セットを取り出す。

 

 牌が紙でできている簡易の麻雀セットだ。牌を用意できない環境で行われる麻雀では定番のアイテムである。京太郎の通っている幼稚園でも、一部の早熟な園児がこれで遊んでいた。身体を動かす遊びの方が人気のためやっているのは少数だったが、京太郎も実はその少数に属していた。

 

 身体を動かすことも苦手ではないのだが、怜を前にそれを話す必要はないだろう。自分と同じ趣味を持っているということを、怜は純粋に喜んでいるようだった。

 

「ルールはわかるか?」

「少しは」

「しょうがないなー。ウチが説明したるわ」

 

 しょうがない、とは言いつつも怜は嬉しそうだった。

 

 それから怜は簡単なルールを説明してくれる。役については代表的なものをいくつかと、付属の役の早見表を渡してくれた。正直、それに書かれているくらいのことは知っていたが、説明する怜が生き生きとしていたので、水を差すのも悪いかと思ってやめた。

 

 さて、とにもかくにも二人麻雀である。

 

 麻雀は普通四人で行うゲームであるが、二人でできないこともない。ゲームセンターとかにたまにあるいかがわしいタイプのゲームが、まさにそれだった。ここにいるのは怜と自分の二人。流れでそのルールでやろうということになり、ゲームは開始された。

 

 最初は怜が親、京太郎が西家で対面からでもチーができる。得点については細かな取り決めはしなかった。ともかく上がった方が勝ちで、偉い。子供らしいざっくりとした取り決めで勝負は開始される。

 

「ろーん!」

 

 とりあえず、3局。怜の親番で始まった麻雀だが、三回連続で怜があがった。ツモが一回、京太郎の振込みが二回。

 

 その3回で、京太郎は怜との絶対的な運量の差を感じていた。自分がずぶずぶと底なし沼に沈んでいくような、そんな錯覚を覚える。相対的に、怜は自分よりも高い位置にいることになるが、こうして麻雀の牌を持ち卓を挟んで怜を見ていると、そもそも彼女の立っている位置は自分よりも遥かに高いところにある、そんな気がしていた。

 

「きょうたろーはよわいなぁ」

 

 あはは、と笑う怜は楽しそうだ。普段の京太郎であれば女子に弱いと言われればむっとする。麻雀であれば途中でもやめていたかもしれない。

 

 だが怜に言われると腹も立たなかった。死ぬかもと泣いていた少女が、楽しそうに笑っている。その事実の前には、全てのことが許せるような気がしたのだ。

 

 もっと怜を喜ばせてみたい、と思った京太郎は自然と怜を観察するようになった。

 

 4局目。怜の視線の動きに気付く。京太郎の河の二点を注視する。これで五度目だ。何か欲しい牌があるのだ、というのは想像に難くない。今は九順目。河の中で2つ切られている牌は東と三筒。このうちどちらかが、怜の欲しい牌なのだろう。

 

 十順目。怜の牌を切る手に力が篭った。紙であるから音も立たないがこれが本物の牌だったら、もっとはっきりとわかっただろう。テンパイしたな、と京太郎は直感する。だが、リーチはかけてこない。今までの三回、怜はテンパッた段階で即座にリーチをしていた。

 

 それが彼女の好みに合致しているのだろう。リーチ、と発声することすら楽しいと感じている風であるが、その怜がリーチをかけてこない。手代わりを待っているのではないことは、先のことからも推測できた。待ちが悪いのだ。

 

 東か、三筒か。おそらくはそのどちらかで待っているのだろう。どちらも二枚切れているから、東で待っているとしたら、単騎か国士である。まさか役満ではあるまいな、と捨て牌を確認する。二人麻雀の弊害で、牌のほとんどは公開されないままゲームが終わる。河と自分の牌だけでは、四枚切れの幺九牌を確認することはできなかった。

 

 京太郎は大きく息を吐いた。腹を括って、覚悟を決める。

 

 国士の可能性は否定できないが、待ちはおそらく三筒だろうとは当たりをつけた。怜はあまりポーカーフェイスが得意ではない。京太郎は仕草で判断したが、今はしっかりと牌を待っていますと顔に出ていた。牌だけでなく相手を見るプレイヤーだったら、即座に見抜かれていただろう。

 

 そんな怜が、役満をテンパって顔に出ないとは思えない。値段はそれよりはるかに落ちる。三筒待ち。読みはそれ一本だ。

 

 結論を出した次の順。京太郎11回目のツモは……三筒だった。

 

 これが運の差か、と思わずツモった牌を伏せる。当たりと判断したのなら、これを切る理由はない。だが既に河に二枚切っていることからも解るように、三筒は京太郎にとって不要牌だった。手なりに進めていくのならば、普通に出て行く牌であり、コレを切ることに不自然なところはない。

 

 そこまで考えて、京太郎は三筒を切った。

 

「ろーんっ!! 三色ドラドラ、マンガンやー」

 

 待ちは①②のペン三筒。ドラ六萬が雀頭の満貫である。

 

「きょうたろー、どんな手から切ったん」

「こんなてだ」

 

 怜の求めに応じて、手を空ける。本当に完全な孤立牌であったから、不自然なところはない。不要だから切ったといったら怜はふーん、と納得した。次やなー、と京太郎からカードを回収し、セッティングを始める。

 

 まだまだ飽きた様子はない。あがり続けて、麻雀が楽しくて仕方がないのだろう。せっせとカードを切る怜の横顔を見ながら、京太郎は悟る。

 

 麻雀というのは、相手を見るゲームなのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁ、それが俺が麻雀を本格的にやるようになった切欠だ」

 

 契機になった出来事を話し終え、聞き手二人を見ると、彼女らは実に微妙な顔をしていた。不満、という訳ではないが、居心地の悪さを前面に出している。特に気分屋そうなタコスは酷い。

 

「どうした。つまらなかったか?」

「どうして私は今日会ったばかりの男の甘酸っぱい初恋エピソードなんて聞かされてるんだじょ」

「初恋とか言うな。友達だよ、普通に」

「男女間の友情ってあるんですね……」

 

 意外です、と和は小さな声で感想を漏らした。照れくさそうなその顔は、初恋ではないという京太郎の発言を信じてはいないようだった。ちょっと待て、と断って携帯電話を操作する。記念写真は大体デ-タにして移してあった。怜の写真もいくつか保存されている。その中で最古のものと最新のものを呼び出して、ほら、と二人に見せた。

 

「友達だよ。別に何もおかしなところはない」

「へぇー、どんなところが?」

 

 ひょい、と背中ごしに携帯電話が取り上げられる。振り返ると、見覚えのある顔があった。入学式で在校生代表で挨拶をしていた学生議会長……いわゆるところの生徒会長だった。その横には、メガネの女生徒もいる。こちらには見覚えはない。

 

 二人は仲良さげに顔を寄せ、京太郎から取り上げた携帯電話を覗き込んだ。

 

「これ、北大阪の千里山の制服よね」

「というか先鋒の園城寺怜じゃな。仲良さそうに腕組んでからに……」

 

 彼女か? とメガネの女生徒。違いますと、と携帯電話を取り戻す。

 

 画面に映っているのは怜の高校の入学式の時の写真である。麻雀の強豪である千里山に無事入学することができたと喜んでいた怜に直接お祝いが言いたくて、時間を作って参加しにいったのだ。

 

 写真はその時、校門の前で撮ったものだ。中央には京太郎と怜。メガネの女生徒のいうように怜は京太郎の腕をとって微笑んでいた。

 

 写真を撮ってくれたのはこの日初めてあった怜の中学時代の友達で、江口セーラという女子である。女子高なのに学ラン着用という変り種だが人懐っこく、初めて会った京太郎にも親しくしてくれた。もう一人怜の友達という人も一緒にいたのだが、そちらの巨乳美人には現在も目の仇にされている。怜についた悪い虫という認識らしい。

 

「で、君は何処の誰なのかしら?」

「入部希望っす。一年の須賀京太郎です」

「男子に見えるけど……男子?」

「質問の意味が解らないんですけど……」

「やー、見ての通り女子が今四人でね。後一人いれば団体戦にも参加できるんだけど、この後一人が中々」

 

 なるほど、と京太郎は小さく息を吐いた。

 

 京太郎が調べた時と状況は変わっていない。つまり今咲が入部すれば自動的に団体戦メンバーになり、レギュラー確定だ。咲の実力ならば、ライバルがいても蹴落とすことはできるだろうが、麻雀の実力と反比例して咲の対人能力は恐ろしく低い。争わなくても済むのなら、それに越したことはない。

 

(照さんはそういうの得意なのにな)

 

 普段は咲に匹敵するぽんこつなのに、それを押し隠すだけの猫かぶりができる。雑誌取材の卒のなさなど圧巻だ。牌を指で挟んでポーズをとる彼女を見た時には、雑誌を抱えて爆笑したほどである。

 

「それでその男子の須賀君は、うちのかわいい一年を捕まえて彼女自慢?」

「彼女じゃありません友達です。俺、転校ばっかりだったんでその話をしてたんですよ。今は長野に住んでますが、生まれは大阪なんで」

「へぇー、何か面白そうね」

 

 空いた一席に、議会長が座る。メガネの女子はその後ろに椅子を引き寄せ、聞く体勢になった。

 

「知ってると思うけど私は竹井久。そっちは染谷まこよ。よろしくね、須賀君」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「自己紹介も終わったところで、話を聞かせてもらえる?」

「いいですよ。基本、俺の人生麻雀が関わってますからね」

 

 笑いながら、思い返す。幼稚園を出て一年目。小学校に入学するとほぼ同時期に、京太郎は東京に引っ越した。

 

 

 

 

 



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2 小学校一年 西東京にて

お盆のせいで来週漫画雑誌が寂しいです。


 小学校一年。

 

 東京に引っ越した京太郎は、麻雀を本格的に学ぶことにした。

 

 子供を対象にした教室は、流石に東京だけあって各所に開かれている。京太郎は色々と調べて、自宅から一番近い教室を選んだ。一人だけで歩いても行けるというのが、何より魅力だったのだ。

 

 今日は日曜日であるから、午後一番からの教室である。早めの昼食を食べて外に出た京太郎は、日課の怜へのメールをこちこちと打ちながら教室へと歩いていた。

 

 その途中。近所の公園の近くと通りかかった時、京太郎は足を止めた。

 

 ブランコで、少女が泣いていた。声を挙げないように下を向いて、静かに泣いている。何かあったのは一目瞭然だ。何しろ泣いているのだから。問題はそれに関わるべきか、ということであるが、早めに昼食を取って出たは良いが、今日が休みというだけあって、教室に生徒が集まるのは結構早い。今の時間でもちょっと出遅れている感じがある。麻雀を打つため、一刻も早く教室に行きたいのだが……

 

 打ち終わった怜へのメールを見て、京太郎は考えを纏めた。メールを送信して、少女の方に歩み寄る。困っている女の子の横を素通りするなど、男のすることではない。

 

「どうした?」

 

 声をかけられて、少女は勢いよく顔を上げた。長く、黒い髪が流れる。露になった少女の顔を見て、京太郎は僅かに息を呑んだ。思わずそうしてしまうくらいの、美人だったのである。涙に濡れた切れ長の瞳も、耳の辺りでばっさりと切られた髪も、細くて白い身体つきも、そのパーツのことごとくが芸術品のような完成度を誇っていた。怜のような親しみやすい美しさではないが、この少女が美少女であるという結論には、誰も異論を挟むことはないだろう。

 

 しかし、美人だろうと不細工であろうと、やることはかわらない。

 

 少女ははっきりと迷惑だ、という顔をしていたが、男の義務として京太郎は質問を繰り返した。

 

「どうした?」

「放っておいてくれ。お前には関係ない」

「見た以上無視できない。どうしたのか答えるまで、俺はお前の近くを離れないからな」

 

 ギロリ、と少女が睨みあげてくる。美人がそうしているだけに、凄い迫力だった。離れないと覚悟を固めた京太郎が、数歩後退ってしまうほどである。

 

 だが、京太郎は逃げなかった。どこにも行かないと強い決意を秘めて見返すと、少女はふぅ~、と深い深い溜息をついた。

 

「お前の麻雀は絶対におかしいと言われた」

「……」

「聞いたのはお前だぞ、慰めるくらいはしろ」

「いや、見てない俺が何か言える訳ないし。つーか、おかしいって言われるくらい、何かしたのか?」

「ちょっと無傷の十五連勝しただけだ。この一週間、誰にも負けなかった」

「そりゃあ、凄いな」

 

 麻雀で勝つことは実はそれほど難しいことではない。京太郎にとっては無理難題であっても、普通は今この時とこだわりさえしなければ、いつかは勝てる。ゲームの性質上、そういうものだ。

 

 だが、勝ち続けるのは、例えばテニスなどのスポーツと比べて、恐ろしく難しい。実力だけでなく、運の要素も絡むからだ。15連勝となると、運の太さもさることながら、周囲とそれこそ雲泥の実力差がないと成立しないだろう。おかしいと言われるのも頷けることだった。負ける側の京太郎には言いたくなる気持ちは良く解る。

 

 しかし、である。

 

「負けてからがたがた言う奴は、俺は好きじゃない。そういう奴はロクなもんじゃないねんでー、と俺の友達も言ってた。だから、そんな奴は放っておけば良い」

 

 泣いている少女を慰める。それを忘れるくらい、少女にそんなことを言った奴に憤っていた。負けは負け。それを受け入れないとは、麻雀を打つ人間の風上にもおけない。

おせっかいにも声をかけてきたと思ったら、話を聞きだして勝手に怒り始めた。京太郎の姿を少女は呆然と見上げて、やがて、小さく微笑んだ。

 

「そうだな……そうだ。ありがとう。お前のおかげで少し気分が楽になった」

「どういたしまして」

 

 じゃあそういうことで、と京太郎は踵を返す。優しくしようと思ったが、深入りしようとは思わない。それに急がないと教室に遅れてしまう。立ち直ったのだからもう良いだろう。今、京太郎は麻雀がしたいのだ。

 

「待て。お前これから麻雀教室に行くのだろう?」

「なぜ知ってる」

「そんな気がした。私もそこに連れて行け。気分がすっきりしたら、無性に麻雀が打ちたくなった」

 

 えー、と思わず声が漏れた。

 

 頭数が増えても教室の卓の数は増えないのだ。つまりこの女が教室に来ると、それだけ打つ機会が減るのである。見て楽しむことができるようになって、より麻雀は深みが増すとどこかで聞いたことがあるが、京太郎はまだその境地には達していなかった。見ているよりは、自分で打つ方が、やはり楽しい。

 

「良いじゃないか。ここで出会ったのも何かの縁だ。私の麻雀をお前に見せてやろう。そこらの小学生など問題にならんくらい、私は強いぞ」

「腕をバカにされて泣くくらいだしな」

 

 正直にものを言うと、今度は頬をつねられた。むっときた京太郎は反撃した。少し上にある少女の頬に手を伸ばす。思い切りひっぱると、むにー、と少女の頬は伸びた。思っていたよりも柔らかい。反撃されるのは思っていなかったのだろう。少女は頬を押さえて飛び退った。

 

 京太郎は動かない。やるのかこのやろうと、強い意志を込めて少女を見やる。

 

「私は悪くない」

「俺も悪くない。だから、もうやめよう。俺も麻雀やりたい」

 

 そうだな、と少女は京太郎に同調した。

 

 年上だろうが、自分よりも背の高い女と並んで歩くのは気が引けた。少女は頭半分くらい、京太郎よりも背が高い。少女が上から見下ろしてきた。見下されているようで気分が悪い。ふん、と視線を逸らすと、頬を掴まれた。ぐい、と少女の方に顔を向けられる。

 

「お前、名前は」

「お前から名乗れ」

「なまいきな……でもわかった、教えてやろう」

 

 少女は落ちていた木の棒を拾い上げ、地面に名前を書いた。漢字一文字で『菫』。最後の横線を力強く引き終わると、少女は京太郎を見上げてにやりと笑った。

 

「読めないだろう」

「……にら?」

 

 今度は拳が飛んできた。痛くて蹲る京太郎の頭を少女はぺしぺし、と棒で叩く。

 

「わざとやってるなら、私も攻撃するぞ」

「攻撃する前に言って欲しかった。なんだ、にらじゃないのか」

「本気で言ってたのか……何でニラは読めてこれは読めないんだ」

 

 まったく、と呟いた少女は木の棒を遠くに放り投げた。

 

「すみれと読むんだ。弘世菫。それが私の名前だ」

「すみれって、花の?」

「似合うだろう」

「わるい。見たことない」

 

 そうか、とだけ菫は答えたが、少しだけ残念そうだった。

 

「すみれはしらないけど、お前はリンドウみたいだな」

 

 怜の家に遊びに行く時、花を持たされることがよくあった。その中でも、一際京太郎の印象に残っていたのがリンドウだった。派手な色ではなくあまり好みではなかったが、落ち着いた雰囲気が少女に似合っていると思った。

 

「……」

 

 京太郎は会心の例えだと思ったのだが、菫の難しい顔をして黙っている。『知らないのか?』と問うと、菫は悔しそうに顔を逸らした。

 

「……すみれを見たことないお前に言われる筋合いはないぞ」

「そうか。でも、お前はリンドウみたいだ。だから、リンちゃんだな!」

 

 わはは、と思い切り笑ってやった。意趣返しの成功である。菫は真っ赤になって突っかかってきた。怒涛の勢いで文句を言ってくるが、京太郎は取り合わなかった。

 

 泣き虫の少女は、とにかくリンちゃんになった。ぽかぽかと背中を叩かれながら、京太郎は麻雀教室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よー、須賀。遅かったな」

 

 菫にぼこすかやられながらたどり着いた教室。案の定、京太郎が最後のようだった。既に卓は生徒で埋まっており、あぶれた面々がそれらを観戦しながら順番待ちをしている。京太郎に話しかけてきたのも、その一人だった。

 

 薄い緑色の髪を短く刈り込んだ、野性味溢れる笑顔が魅力の『少女』である。麻雀よりも野球やサッカーでもやるのが似合っていそうな外見であるが、これでもこの教室でぶっちぎりの成績を誇っている。

 

 名前は亦野誠子といった。年齢は京太郎の一つ上である。見た目通りの姉御肌で、転校してきたばかりの京太郎の世話をあれこれと焼いてくれた。京太郎も誠子の気を使わなくても良い気さくな人柄に好感を持ち、今では東京にきてからの一番の友達となっていた。教室にいる時はいつもつるんでいるくらいである。

 

 その誠子の目が、菫に向いた。

 

「――彼女か? 随分美人さん連れてきたな」

「むりやりついてきたんだ。名前はリンちゃん――」

「弘世菫だ。よろしく」

「よろしく。私は亦野誠子。見ての通り、一卓オーラスでね。私と須賀の分の順番を取っておいたんだけど――」

 

 誠子の視線が、京太郎と菫を見る。嫌な予感が的中した。誠子の言葉を意訳すると『自分以外に麻雀を打てるのは、お前達の内一人だけだ』ということである。姉御肌であるが彼女も麻雀が打ちたいのである。頼めば変わってくれるだろうが、普段世話になっている手前、そうするのは思い切り気が引けた。京太郎とて打ちたいのは同じであるが、遅れてきたのは事実であり、余計な人間を連れてきたのもまた事実だった。

 

「こっちのリンちゃんが打つよ。俺は後ろで見てる」

 

 不本意ではあるが、それも仕方がない。菫に場所を譲るように、京太郎は一歩引いた。リンちゃん言うな、と京太郎の頭を軽く叩き、菫は一歩前に出る。あっさりとついた決着に、誠子は苦笑を漏らした。

 

「打ちたがりの須賀が珍しいな。私は別にかまわないが、あんたはそれで良いのか?」

「問題ない。打ちたいと言ったのは私だからな」

 

 それからしばらくして、一卓空いた。誠子、菫を含めた四人がその卓に集まる。

 

「お客さん、どうぞ」

 

 場所決めの牌を引くよう、誠子が菫を促す。菫は迷わず牌に手を伸ばし、それを叩きつけるようにして裏返した。

 

「私が出親だな」

 

 当たり前のように東を引いた菫は、自分に一番近い席を選んで着席した。尊大な態度に誠子以外の二人がむっとした顔を浮かべる。彼女らは確か五年生である。一年の京太郎が一番年下なのは言うまでもないが、二年の誠子も、三年の菫も彼女らから見れば年下である。他の教室に比べれば大分緩い空気であるが、それでも年齢差を気にする人間は気にする。菫の肩を突付いて、京太郎はその注意を促した。菫は鬱陶しそうに振り返るが、京太郎の視線を見て言いたいことを察したようだった。

 

 その理解の色に京太郎は安堵の溜息を漏らしたが、

 

「実力から言えば私は小学100年生だからな。何も問題はない」

 

 これだから俺様キャラは……と、京太郎は心中で溜息を漏らした。その態度に五年生二人は益々嫌そうな顔をしたが、誠子は逆に腹を抱えて笑い出した。

 

「あんた、面白い奴だな」

 

 残りの中では一番年下、ということで権利を譲られた誠子が西を引く。図ったように、菫の対面だ。残りの二人も牌を引き、コレで全員が着席した。

 

「実力からして100年生とか言ったけど、あんた強いの?」

「強い」

「そっか、じゃあ、とりあえずあんたに勝ってみせよう。そしたら私は101年生だな!」

 

 けらけらと笑う誠子を無視して、菫はサイコロのボタンを押した。

 

 

 

 

 東一局。

 

 着座していないから各々の体勢は解らないが、菫の配牌はとにかく普通の四シャンテンだった。オタ風の北を処理する。すると――

 

「ポン」

 

 誠子がそれを一鳴きした。菫が面白くなさそうに眉を顰める。

 

「随分と軽い麻雀をするな」

「これが私のスタイルなんでね」

 

 へへん、と笑う誠子は、一巡後、上家の捨てた⑨をチーした。菫はますます不可解という顔をするが、残りの二人と京太郎はまた始まった、とこれから始まることを想像して身を固くした。

 

 さらに、三順後。

 

「ポン」

 

 今度は下家の切った二萬をまた誠子がポンする。これで三副露。晒された誠子の牌を見て、菫は困惑の表情を浮かべる、鳴きに一貫性がなく、役が見えないのだ。というか、タンヤオの可能性がない今、ここまで来ると役牌のバックくらいしか考えられない。辺りの牌も消去法で大体絞り込むことができる。この場合ならば、白、中、それから東だ。このうち一つ、あるいは二つでしか上がれないことはほとんど――北は既に四枚目が切られており、最後の二萬は菫の手にあるから嶺上開花はもうない――確定した。

 

 ここまで絞りこめれば、振り込むことはない。自分で100年生と豪語するくらいだ。掴んだとしても振る菫ではないだろう。彼女からして不可解なのは、そう看過されることを見越した上で、役牌バックという結果を、オタ風を一鳴してまで用意した誠子である。

 

 菫の視線を誠子は平然と受け止めている。彼女にとってはこれが当たり前なのだ。

 

 そして、さらに二順後。

 

「ツモ。中ドラドラ、1300、2600」

 

 三つの役牌のうち一つを、誠子は自力でツモあがった。

 

「その手で、オタ風を鳴いたのか?」

「アガった奴が強いんだぞ、100年生」

「……言ったな?」

 

 卓の下で隠れた菫の右手がぎゅっと握り締められるのが、京太郎には見えた。

 

 

 東二局。

 

 親をさっくり流された菫は北家。配牌三シャンテン。先ほどよりは良い配牌だ。タンピン系で、ドラもある。これは菫があがる、と後ろで見ていた京太郎は直感した。

 

 数順後。菫の手牌はこんな形となっていた。

 

 

 二三四②③④2345678 ドラ『3』

 

 

 絶好の三面張である。だがリーチはかけない。次いで、引いた牌は⑨。普通であればツモ切りする牌であるが、菫はその牌を一度置いて長考の姿勢に入った。怪訝に思う京太郎の前で、菫の右手が握り締められる。次いで、菫の視線は下家に向けられた。

 

 そして、菫が切ったのは5だった。思わず京太郎は声を挙げそうになった。三色こそ残ったが、タンヤオが消えて単騎待ちになった上、リーチもかけない。⑨がひっかけになるような捨て牌になる訳ではないからリーチをかけないのは解るが、それにしても⑨を残すという感性が京太郎には信じられない。一体どういう理由で、ぐるぐると思考する京太郎の前で、しかし、下家がリーチ宣言と一緒に切った牌は、なんと⑨だった。

 

「ロン。三色ドラ1、5200」

 

 悔しそうな顔で、下家は点棒を支払う。京太郎はそっと下家の手牌を覗いてみた

 

 五六七③④⑤⑤⑥⑦67北北 ドラ『3』

 

 ドラはないが早い順目で高目三色の好形である。リーチに宣言の牌が⑨ということは⑤⑦⑨の形で待っていて、運良く⑥が来て⑨があぶれた、ということだろう。それ以外に⑨を引っ張る理由が京太郎には思いつかなかった。

 

 菫はそのあぶれた⑨を狙い打ったのである。

 

 言葉にすればそれだけのことであるが、手牌を覗いた京太郎が、観戦者の視点で考えたから菫の行動にも一貫性が出たのだ。菫視点で、普通に見えるものだけから判断したら、少なくとも京太郎にはあの⑨を狙い打つことは不可能に思えた。何より最初に三面張になった段階でリーチをかけないというのが信じられない。

 

 晒された菫の牌を見て、誠子がにやりと笑った。からくりは理解できずとも、菫のやったことを理解したのだ。好敵手の出現に、心が躍っている。ぶっちぎりで強い誠子は、強力な相手に飢えていたのだ。

 

 菫はその視線を正面から受け止め、悠然と微笑む。好敵手を望んでいたのは、菫も同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そんな感じっす。東京で印象に残ってるのは、それが一番ですね」

 

 麻雀をしながら、過去の話をする。転校ばかりだった京太郎にとって初めてのことではなかった。転校生というのはそれほど珍しいものではないが、中学入学までに10回(一年に二回引っ越した年が三回あった)も引っ越したというのは、中々に珍しい。

 

「中々麻雀漬けの生活してるのね」

「そんなに珍しいことじゃないと思いますけどね」

 

 世界的に麻雀が流行っている影響で、小さい頃から英才教育を受けている子供、というのは珍しいことではない。全国常連校にいるような生徒の半分はその口だろう。京太郎は親の強制なく自主的にハマった口であるが、自分よりもスパルタな教育を受けている子供というのは、教室にも学校にもいくらでもいた。

 

「ところでその亦野さんと弘世さんとは交流を続けてるの」

「その日は結局亦野さんが勝って、リンちゃん教室を飛び出したんですよ。連絡先の交換もしてなかったし、それっきりかなと思ってたんですが、一昨年知り合いの応援でいった東京で再会しました。亦野さんとはそれからも交流を続けてたんですが、どうも知らずにリンちゃんと同じ高校に行ったようで……」 

 

 これが最新の写真です、と携帯電話の画面を見せる。

 

 何故か中央に据えられた京太郎の右に咲、左にその姉の照。照の後ろにリンちゃん――高校二年生となった菫がいる。その菫から少し離れて、咲の後ろに誠子がいた。菫は仏頂面、誠子は居心地悪そうに視線を明後日の方に向けている。正面を向いているのは咲と照ともう一人、誠子の同級生でほぼ同時にレギュラーを獲得した渋谷尭深だけだった。

 

「例の一年以外の虎姫が勢ぞろいじゃな……」

「須賀くん、随分顔が広いのね。もしかしてもっと凄いコネがあったりするのかしら」

 

 冗談めかして言う久に、京太郎は沈黙を貫いた。

 

「……何、本当にあるの?」

「いや、あると言えばあるんですが……」

「ここまで来たら言っとき。ここで隠されたらワシらも気になって寝れんわ」

「そうですか? それじゃあ……」

 

 あまり言いたいことではなかったが、別に隠すようなことでもない。気持ちを取り直して、京太郎はその翌年、神奈川での思い出を語り始めた。

 

 

 



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3 小学校二年 神奈川横浜にて

SSの神が私にさっさと書けと囁いているのかもしれません。
かつてないほどのスピードで書きあがりましたが、咏さんが似てる自信がありません。最後の方は特に咏さんっぽくないかもですが、広い心を持って読んでいただけると助かります。

ちなみに投稿する直前まで咏さんが詠さんになってました。修正しきったはずですが、まだ残っていましたらご報告いただけると嬉しいです。


 

 京太郎が麻雀教室に通うようになって早一年が過ぎていた。親の都合でまた引越し通う教室は変わっても、京太郎は飽きもせず麻雀を続けている。

 

 年の割に頭の回転は速いとよく先生には褒められる。同級生はとにかく打ちたがるが、京太郎は良く教本を読んだり先生に意見を聞いたりと非常に勤勉だった。

 

 子供らしからぬその態度は、京太郎の先生達からの覚えを良くしていた。彼らはきちんと京太郎の疑問に答えてくれたし、京太郎が理解できなければ理解できるまで説明してくれた。それが更に京太郎の読みの鋭さに磨きをかけていく。

 

 後は実力が伴えば、と誰よりも思っていたのは京太郎自身だった。教室に通いはじめてからの勝率を見る。トップ率は何と一割を切っていた。卓抜した読みから振込みこそ極端に少なかったが、マイナス方向のイカサマでもしているのかと疑われるほど、京太郎のヒキは弱かった。

 

 引けるはずのところで引けず、勝てるべきところで勝てない。振り返ってみれば、この時が人生の岐路だったのだろう。この時もっと倦んでいれば、牌を握ることをやめていたかもしれない。それほどまでに京太郎は、麻雀で勝てない自分を嫌っていた。

 

 そんな京太郎を、先生はしっかりと見ていた。せめて気分転換にでもなってくれれば、と教室に一つしかなかったイベント枠を京太郎のために使ってくれた。地元の有名校が開催する麻雀教室である。インターハイ常連の超名門校が小学生向けに開催するそのイベントは、神奈川で麻雀教室に通う子供ならば皆が行ってみたいと思うイベントだったのだ。

 

 もちろん、京太郎もその一人である。麻雀をすることが嫌になってはいたが、やはり麻雀は好きなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 妙香寺高校。

 

 神奈川県では一二を争う強豪校で、近年は特に女子が強いことで有名……らしい。女子リーグにあまり興味がなかったから誰がどの程度強いのか知らなかったが、教室の先生が言うには今年のIHで団体戦全国二位。その団体戦で先鋒を務めた少女は、個人戦優勝という快挙を成し遂げたという。二年生なのに既に複数のプロチームから声がかかっているとか。その人は地元の名家の出身らしく、おそらく地元のチームを選ぶだろう、というのは近所の麻雀好きのおじさんの弁だった。

 

 守衛さんのいる校門に来校目的を告げ、チケットを見せる。君一人? と穏やかに問うてくる老齢の守衛さんに、京太郎は一人です、と答えた。親子連れでないことに守衛さんは驚いたようだったが、子供一人だと通してはいけないという決まりはない。親切なその守衛さんは会場までの道のりを丁寧に教えてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

 丁寧に頭を下げて、高校の中に入る。休日なのに高校の中には人の気配が沢山あった。校庭では運動部の生徒が汗を流し、遠くに吹奏楽の音が聞こえる。小学校の印象から、休日の学校は閑散としているものだと思っていた京太郎は、その活気に心を躍らせていた。

 

 ここしばらく倦んでいたことも忘れて、会場を目指す。

 

 小学生のために解放された教室は、麻雀部の部室だった。受付の女生徒に、チケットを渡すとここでも『一人?』と聞かれた。二度目でも照れくさい。一人です、と突き放すように答え、会場の中に。

 

 麻雀部というだけあって、広い部屋には沢山の全自動卓が置かれていた。

 

 ホワイトボードにはマグネットの牌カードが張られ、男子高校生が牌効率について小学生に講義していた。京太郎の教室ではあまり人気のある内容ではないが、態々名門校まで足を運ぶ小学生は流石に熱心に、男子生徒の話に耳を傾けていた。

 

 奥の方の卓では、高校生同士の対局に熱を上げている男子がいる。高校生と同卓している女子もいた。皆が麻雀をしている。京太郎も、麻雀が打ちたくなった。

 

 しかし、どうしたら麻雀ができるのか解らない。イベントは既に始まっていた。誰かに聞けば良いのだろうが、高校生は皆忙しそうだし小学生は皆楽しそうだ。それに水を差すのは、京太郎も気が引けた。誰か暇そうな人は……と視線を彷徨わせると、着物を着た少女が目にとまった。

 

 美人、というよりもかわいい感じのその少女は、空いた卓の椅子に座って足をぶらぶらさせながら、一人暇そうにジュースを飲んでいた。

 

「すいません。麻雀するにはどうしたら良いんでしょうか」

「面子集めて、その辺の卓使えば良いんじゃね?」

 

 少女の言葉はにべもない。京太郎はその対応に、少しカチンときた。

 

 だが、相手は少女で年上だ。我慢我慢、と京太郎は心の中で念じながら下手に出て言葉を続ける。

 

「空いてる卓は勝手に使っても良いんですか?」

「これだけあるんだから、文句は言われないっしょ。というか私が許す。使っても良いよ」

 

 床を蹴って、くるくるー、と椅子が回転する。肩口まで伸びた少女の髪が風に舞った。微かな匂いが届く。京太郎はそれを線香みたいだ、と思った。

 

「じゃあ、俺と打ってくれますか?」

「私が?」

 

 少女は目をまん丸にして、京太郎を見つめ返した。それから、腹を抱えて笑い出す。

 

「あはっ、少年、命知らずなことを言うね。お前は打つなって言われたから隅で大人しくしてた私に、一緒に打てって、少年はそう言うんだね?」

「少年じゃないです。須賀京太郎です」

「京太郎か。その蛮勇に免じてお姉さんが適当に相手を連れてきてやろうかねぃ。その辺の暇そうな部員を一人二人――」

「あの、できれば俺たちと同じ小学生が良いです」

 

 高校生と打つのは、何となく怖かったのだ。小学生の感性として、それは当たり前といえる。

 

 しかし、眼前の少女にとって当たり前でないことがあった。京太郎の言葉を聞いた少女は、

 

「ほう、俺達と同じ、ときたか……」

 

 腹の底から搾り出すような声をあげた。誰がどう聞いても、激怒している。何か怒らせるようなことを言ったのだろうか。いきなりの事態に京太郎は自分の発言を振り返るが、何も落ち度は見つけられなかった。

 

 自分はただ、同じ小学生の少女と一緒に、小学生の相手を見つけて麻雀をしようと言っただけだ。それのどこが悪いのだろうか。京太郎には理解できなかった。

 

「あはは、京太郎。お前は面白いことを言うねぃ。俺達っていうのはひょっとして、私と、京太郎ってことなのかね。あぁ、答えなくてもいい。そうだってのは解ってるからさ」

 

 からから、と少女は扇子を広げて優雅に笑う。少女に周囲の視線が集まる。

 

「気が変わった。優しくしてやろうかと思ったけど、全力で潰す。泣いたりするなよ、男の子。高校生のお姉さんの強さを、今から見せてやるから」

 

 ぴしゃり、と扇子を閉じた少女の顔は思わず見とれてしまいそうなほどかわいらしかったが、まとう雰囲気はまるで鬼だった。

 

 あぁ、と京太郎は溜息を漏らす。

 

 自分は地雷を踏み抜いたのだ、と遅まきながらに理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな身体を怒らせて、咏が着席した。高校生にしては身長の低い彼女は、高校生用に合わせた椅子に座ると、足が地面につかない。低い身長は麻雀について天賦の才を持つ咏の、数少ないコンプレックスの一つだった。

 

 今回のイベントは私服でOKというから、お気に入りの着物を着てきた。最近は制服ばかりを着て過ごしていたから、久しぶりに着物に袖を通すことを楽しみにしていたのだ。同級生がやたらと遠まわしに制服の方が……と勧めてきたことは、別に気にしていなかった。

 

 今にして思えば、それは小学生に小学生と間違われないための配慮だったのだろう。同級生の気遣いが胸に染みるが、だからと言って自分を小学生と言った小学生を見逃してやるつもりはなかった。

 

 実力に開きがありすぎるから、と顧問と部長の両方から打つなと言われていた咏だったが、そんなことは気にしなかった。名門校の中にあっても、比類なき強さを持つ咏を相手に、本気で意見できる人間などいない。

 

 咏がやると言えば、それは決定事項である。普段は皆の顔を立てて大人しくしているだけ。やると決めたことは、咏は必ず成し遂げた。

 

 それが大人気なくも小学生の少年を全力で叩き潰すことでも、である。

 

 少年――京太郎は地雷を踏み抜いたことを理解したらしく、必死に謝ろうとしているようだったが、咏はそれに気付かないふりをした。すぐに謝ろうとした姿勢は認める。実に男らしい潔さで、好感が持てた。

 

 しかし、それを受け入れるのは勝負が片付いてからだ。女の尊厳を傷つけた男がどうなるのか、学んでおいて損はないだろう。

 

(さて、どうやって料理してやろうかねぃ)

 

 心中で舌なめずりをしながら、咏はサイコロのボタンを押す。出親は咏だ。牌がせり上がり、さて牌を――と手を伸ばしたところで、咏は自分の手に不意に熱が篭ったように感じた。

 

 牌を起こすのをやめ、手を見下ろす。

 

 こういう感覚は、良くある。引ける、引く、と強く思った時、意志は牌に伝わるものだ。他人にはほとんど理解されないが、念ずれば通ずるというのは咏にとっては当然の理だった。調子が良ければ、欲しい牌を引き寄せることだってできる。

 

 IH会場を焦土にしたと後に語られる個人戦は、その力が猛威を振るった結果だった。

 

 無論、その能力は出し入れすることができる。勝手に出てきて欲しい時に使えないのでは能力と呼べないし、能力に振り回され麻雀を打たされているのだとしたら、そんなプレイヤーは格好悪すぎる。そんな無様は咏のプライドが許さなかった。能力とは、制御できて当たり前のものなのだ。

 

 だが、今咏の手には熱が篭っている。欲しい牌を引き寄せる時の、あの感覚が手に宿っていた。何もしていないのに好調の波がきた。その不可解な現象の原因を、咏は一瞬で看破した。

 

(こいつか……)

 

 目を細めて、京太郎を見る。自分に好調を呼び寄せることのできる咏は、ある程度までなら他人の運を視ることができる。その感性で視ると、京太郎の周囲は歪んでいた。運がないどころか、マイナスである。元々運が細いのだろう。卓に座った京太郎の姿は咏には実に小さく見えたが、ただでさえ細い運が、周囲に思い切り拡散されていた。

 

 咏に集まってきたのは、京太郎が自身の運をマイナスに落としてまで放出した運である。それが元々の強運と相まって、咏に好調の波をもたらしていた。望んでやった訳でないのだろう。制御できていない、いや、制御できない類のものなのか。

 

 咏が麻雀に関する絶対的な強運を持って生まれたように、京太郎にはおそらく絶対的な不運が付きまとっている。咏の優れた感性が相手とは言え他人に見えるほどなのだから、それはもはや呪いの類。これを祓うとなれば、もはや霧島仙境の巫女にでも頼るしかない。

 

 意を決して牌を開ける。どうなっているのかは視るまでもなかったが――

 

 ①⑧⑨東東東南南西西北北發 北 ドラ『五』

 

 溜息をついて、咏は①を切り出した。京太郎以外は、麻雀部の後輩を使っている。特に何もするなと言い含めておいたから、普通に打ってくれるだろう。京太郎にも咏にもアシストをしない。つまり、京太郎が振り込まないように先に振り込むということも、期待できない。

 

 ⑧⑨東東東南南西西北北北發 南 ドラ『五』

 

 ⑧を切る。運を集めることは得意だが、放出することなど考えたこともない。このままでは良くないことになるだろう。そう思いながらも、咏は自分の好調を止めることはできなかった。

 

 ⑨東東東南南南西西北北北發 西 ドラ『五』

 

 ⑨を切る。大四喜字一色四暗刻、發の単騎待ち。ダブル役満はないからトリプルだが、それは振り込む人間には何の慰めにもならないだろう。ギャラリーからざわめきが起こる。咏の手は多くの人間に視られていた。流石三尋木、と賞賛する声も聞こえる。

 

 いつもならば気分良く聞ける賞賛の声が、逆に咏を憂鬱にした。自分に更に運気が寄って来るのを感じたからだ。自分に運が寄るということは、京太郎が運を更に放出するということでもある。

 

 プラスの運気が赤く見えるとするなら、マイナスの運気は黒々としている。京太郎の周囲はもはや、真っ黒だった。最高の幸運と最低の不運。それがぶつかった時、どうなるかは考えるまでもない。直撃の方が点差は広がるのだ。複合役満がアリならば、団体ルールの点棒でも一撃でふっとばすことができるこの火力。何も知らない小学生を葬るには、十分過ぎた。

 

 京太郎が、無警戒に發を切る。まだ四順目だ。誰も京太郎の判断を責めはしないだろう。彼は正しい行いをした。

 

 だが、それが勝利に必ずしもつながらないのが、麻雀というものである。

 

「ロン」

 

 勝者の義務として、咏はその声を発した。アガって、こんなに重苦しい気分になったのは生まれて初めてだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東一局四順目、無警戒にきった發がトリプル役満に刺さった。大四喜字一色四暗刻の發単騎待ち。勿論、即死だ。二万五千点持ちの三万点返しのルールである。箱下のアリナシはきめていなかったが、ここで勝負を切ったとしても、誰も文句は言わないだろう。

 

 パタリ、と牌を伏せる。トリプル役満が出たとは思えないほどの沈黙が、辺りを覆っていた。アガった少女も気まずそうに視線を逸らしている。勝者の彼女に気を使わせている。そう思うと、京太郎の心は逆に晴れていった。今まで倦んでいたのが嘘のように、牌を見つめることができた。

 

「ありがとうございました! それから、ごめんなさい!」

 

 素直に頭を下げる。ついでに小学生に間違えてしまったことも、謝罪した。頭を下げた京太郎を、少女は目を丸くして見つめていた。礼を言われることが解らない、そんな顔である。

 

 その顔を見て、京太郎はヤるなら今だ、と直感した。

 

「ところで高校生のお姉さん、俺に麻雀を教えてくれませんか!」

 

 勢いに任せて、少女に詰め寄る。少女は京太郎の瞳を見つめ返すと、やがて小さくこくり、と頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わっかんねー、わっかんねー、なんで私が小学生の小僧とお茶してるのかわっかんねー」

 

 ぶつぶつ言いながらも、咏は湯のみに優雅に口をつける。もっとざっくばらんに、と思っていても身体に染み付いた作法というのは消えないものだ。三尋木は神奈川の名家で、金持ちだ。その縁で咏は幼い頃から色々な場所に顔を出している。高校近くのこの茶屋も、咏が幼い頃から贔屓にしている場所だった。

 

 馴染みの店主が京太郎を連れてきた咏を見て、眼を丸くして微笑んでいたのを思い出す。

 

『あの三尋木の咏さんが殿方と逢引するようになりましたか、いや、時が流れるのは早いものですな』

 

 無論、本気で小学生を連れ込んだとは思っていないだろう。見た目が小学生であっても、中身が高校生であることを主人は良く知っている。その上でからかってきたのだから、腹が立つのだ。大人というのは全く、いつまでも子供を子供扱いする。彼らから視れば確かに子供だろうが、それでも腹が立つものは立つのだ。

 

 咏の後を大人しくついてきた京太郎は、出されたお茶を普通に飲んでいた。一杯1000円はすると聞いたら、この小僧は一体どんな顔をするのだろう。詮無いことを考えながら、咏は鞄から扇子を取り出し、ぱたぱたと自分を扇いだ。

 

「でさ、京太郎。お前、私に麻雀教えてほしいって?」

「そうですししょ-。俺に麻雀を教えてください」

 

 湯のみを置いた京太郎は、真剣な目で咏を見つめてきた。その目に、頭のネジが吹っ飛んだ人間特有の危うさを感じる。それがますます、咏の良心を刺激した。ネジが吹っ飛んだことに原因があるとしたら、それは間違いなく先ほどのトリプル役満だろう。京太郎のこの状態には、咏にも責任があるのだった。

 

 別に、麻雀を教えることも吝かではない。プロは多かれ少なかれ後進の面倒を見ている。いずれプロになる自分も、その予行演習をしておいて損はないだろう。

 

 問題は、生徒の資質だった。

 

 はっきり言って、京太郎には才能がない。あそこまで強力な不運が、今日たまたまであるはずがなかった。絶対的に、この少年は引きが弱いのだ。麻雀はある程度は技術で強くなることができるが、それは絶対的な運量差を埋めるほどのものではない。この少年が技術を極めたとしても、そこそこの強運を持っただけの素人に敗れるだろう。麻雀を続ければ、辛酸を舐め続けることになる。先達として、それは心苦しい。

 

 咏の中の良心はここで京太郎を諭し、麻雀を諦めさせるべきだと言っていた。話してみれば、この少年は意外と頭が回る。例えば将棋とか囲碁とか、運の要素が限りなく少ない、論理と知性で勝負できるゲームの方が京太郎には向いているはずだ。

 

 だが、咏は諭すことを良しとしなかった。やりたいと言っている人間を突き放すことは、咏の流儀に反していた。気持ちがあれば、何でもできるなんて言うことはできない。全国大会で優勝した咏は、それこそ血の滲むような努力をしてきた高校生達を圧倒的な火力で蹂躙してきた。努力だけではどうにもならないことがあるのだ。咏は持っている側で、京太郎は持っていない側。それは動かしようのない事実であるが、だからこそ、そこで諦めるようなことはしてほしくなかった。

 

 持って生まれた人間が、持っていない人間にそれを望むのは酷だというのは十分に理解している。

 

 だから、咏は祈るような気持ちで、言葉を紡いだ。

 

 

「これから残酷なことを言うけど、最後まで黙って聞くんだ」

 

「いいか、京太郎。お前には才能がない。それは私が保証する。お前が麻雀を続けても、引けるはずのところで引けねーし、勝てるはずのところで勝てない。お前より技術の劣る素人が、あっさりとお前を踏み越えていくはずだ。そいつらはきっと、勝てないお前をバカにする。悔しい思いをするはずだ。泣くことだってあるだろう。麻雀に真摯に打ち込むということは、お前にとってそういうことだ」

 

「いいか、京太郎。私に麻雀を教わって、これからも麻雀を続けていくということはそういう理不尽と向き合っていくってことだ。ここで麻雀と縁を切っても、誰もお前を責めたりしないし、私がそんなことはさせない。ここで諦めることは、お前にとっては逃げじゃない」

 

「それでも……それでも麻雀を続けたいって言うなら、私は途中で投げ出すことを許さないぞ。私の前で諦めるチャンスは一度だけだ。それは今、この時にしかない。ここから先で諦めたら、私はお前を絶対に許さない。心の底からお前に失望し、軽蔑する。私に麻雀を教わるってことは、麻雀と一緒に生きるってことだ」

 

「それが解ったなら、選べ。須賀京太郎、お前はどうしたい?」

「麻雀がしたい!」

 

 それは、清々しいまでにまっすぐな答えだった。肩に入っていた力が一気に抜ける。

 

「全く、バカだねぃ、京太郎は……」

 

 だがそんなバカだからこそ、才能がなくても教えてやる気になったのだ。教えると決めた以上、最後まで面倒は見なくては。

 

「まず三つ、お前に言っておくことがある。お前が強くなるためには、必要なことだ」

 

 師匠らしいことをしよう。そう思った時、それはすらすらと咏の口から出てきた。ぴっと指を、一本立てる。

 

「一つ目。私が良いって言うまでポンチーカンはするな。お前はどうせツモれないしアガれないから。突き放されても追いつく足がないんだし、まずは振らない、負けない麻雀を覚えろ」

 

 うっ、と京太郎は答えにつまった。麻雀を制限されるのは、気分が良くないに違いない。それでも反抗しなかったのは見上げた弟子根性である。京太郎の行儀の良さに気分を良くしながら、咏は二本目の指を立てた。

 

「二つ目。技術を極めろ。少しでも勝てるようになるために、それは絶対に必要だ。読みを鋭くして感性を磨け。牌だけじゃなくて人間を見ろ。お前が勝つためには、ヒキ以外のところで勝負するしかねーぞ」

 

 こくこくと、京太郎は頷く。そんな京太郎の口元に、咏はそっと扇子の先を当てた。

 

「三つ目。私をししょーなんて呼ぶな。私は三尋木咏。お前には特別に、名前で呼ぶことを許してやるよ」

「わかりました。咏さん」

 

 呼ばれてみると、悪くはなかった。背筋に走る感覚にゾクゾクとしながら、咏は初めてできた弟子を、見下ろす。

 

「なら、私の弟子。お前を強くしてやるなんて約束はしてやれねーけど、お前が諦めない限り、私はお前の師匠だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今度こそ、部室に本気の沈黙が下りた。

 

 話を聞いた面々は、どういう反応をしたものか心底迷っているようだった。

 

 だから、この話をするのは嫌なのだ。嘘は何一つ言っていないのに、他人からすると物凄い作り話の臭いがする。しかもそれが作り話だとしたら、相当に痛い。高校生にもなって、と気の毒な顔を特に女子にされるのが、京太郎は嫌だった。

 

「……それほんとなの?」

「ほんとです。嘘は言ってません」

「さっきみたいに写真とかないんか?」

 

 まこの問いに京太郎は沈黙で応えた。小学生の時は小学生と同じくらいという事実を認めたがらず、また京太郎の方が大きくなってからは、今度は身長差を気にするようになり、咏はとにかく並んで写真を取ることを嫌がった。だから咏と一緒の写真は大体いつも同じ構図である。携帯で写真を撮った時もプリクラを撮らされた時も、咏はいつも京太郎に抱っこされていた。それなら身長差も何もないというのは咏の弁であるが、腕にすっぽり収まるくらいに小さいのだから、差というのは嫌でも感じられる。何より十歳近く年上の女性を抱っこするのは、京太郎にも恥ずかしいのだ。そんな写真を残しておくなと他人は言うだろうが、残していないとあの師匠は拗ねるのだから仕方がない。

 

「ここは信じましょう。これから一緒にやっていこうって同級生を、ただの痛い人にはしたくありません」

「原村……」

「和でいいですよ。穏乃や憧の友達なら、私にとっても友達ですから」

「私のことも優希でいいじょ」

「解ったよ和、タコス」

「人の話を聞けーっ!」

 

 猛然と突っかかってくる優希を、京太郎は軽い調子でいなす。ちびっ子に何かと縁のある生活を送ってきたから、このサイズの対応には慣れたものだ。

 

「それにしても凄いわね。プロと面識があるなんて。あの三尋木プロが、須賀くんの頼みならって聞いてくれるのかしら」

「そんなに凄いもんじゃありませんよ、ただの弟子ですからね。前に大沼プロに会いたいって言った時は一週間くらい後に会わせてくれましたけど、はやりんに会いたいって言ったら思い切り蹴飛ばされて二週間くらい口をきいてもらえませんでした」

「それは須賀くんが悪いわね」

「おんしが悪いの」

「須賀くん最低です」

「バカ犬だじぇ!」

「いや、だって大沼プロがOKならはやりんもOKだと思いませんか?」

 

 当然の疑問に、女子全員はこれだから男は……という顔をした。そうなると唯一の男子は立場がない。釈然としない気持ちで、京太郎は点棒箱をぱたりと閉じた。振ってこそいないが、ツモられ続け現在東四で15000点。トップは優希ことタコスで40000点で独走。それを23000点の和と、22000点の久が追っている形だ。凄まじいまでの勢いを優希から感じる。東場に風が吹くような特性でも持っているのだろうか。だとしたら都合の良い能力である。

 

 南場に反動でも来てくれれば良いのだが、と祈りながらカラコロとサイコロが回るのを眺めていると、

 

「さて、じゃあ次に行きましょうか。次はどこに引っ越したの?」

「まだ続けるんですか?」

「だって面白いもの。一年二年でここまでなら、高校入学まで一体どんなできごとがあったのか、すっごく気になるわ」

「まぁ、楽しめてもらえてるなら良いんですが……」

 

 男の話を聞いて、そんなに盛り上がれるものだろうか。納得しかねるものの、話せというのならば、新参者は話すしかない。

 

 小学校三年。横浜を離れた京太郎は、岩手に引っ越していた。

 

 



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4 小学校三年 岩手にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩手に引っ越した京太郎は、いつものように教室を探した。

 

 自分だけで通えて、できれば月謝などの金がかからず、参加人数が多いのが望ましい。指導のためにプロやセミプロがいてくれると尚良いのだが、それをどこの教室にも求めるのは高望みというものだろう。

 

 まずは、自分で通える範囲……ということで、教室を探し始めた京太郎は、現在の環境に愕然とした。

 

 教室が、京太郎が歩いて通える範囲にはなかったのである。一番近くで電車で三駅。決して通えない距離ではなかったが、週に何度か通うことを考えると自分の小遣いで電車代を賄うのは不可能だったし、電車代を出してもらうのも気が引けた。条件が厳しいことはあったものの、これは今までの東京や神奈川ではなかったことである。

 

 どこの土地でも一定の環境が約束されている訳ではないのだと、アニメ以外で初めて実感した京太郎だった。

 

 ならば自分の学校で麻雀を打てる人間を探そう。そう思い立ってはみたものの、その成果は芳しくない。

 

 京太郎の通う小学校の男子は、この時皆スポーツに夢中だった。野球かサッカーかとにかく外で遊べるものが人気で、そうでない男子は皆ムシキングに夢中だった。放課後の時間を麻雀に費やしてくれる同級生は、京太郎が探した範囲では一人もいなかったのである。

 

 時期が悪かったというのもある。京太郎がこの地を去ってから二年後、遅まきながらこの小学校の男子にも麻雀ブームが来るのだが、それは既に京太郎には関係のない話だった。

 

 とにかく京太郎は麻雀がしたかった。

 

 もはや男子、同級生に拘ってはいられない。京太郎は学校全体を対象に、同好の士を探し直した。学年、性別に拘らなければ一卓くらいは立つはずと、希望を捨てずに探した。その結果、ついに二つ年上の女子のグループが麻雀のサークルを作ろうとしていると、先生に紹介してもらうことができた。

 

 女子か……と思わずにはいられなかった。横浜での生活で女性との接触は一生分持った気がしていた京太郎だ。この地ではできることなら男子と仲良くしたかったのだが、背に腹は代えられない。女子だけど大丈夫か、と京太郎の心配を察してくれた先生に、是非紹介してくださいとお願いし、今日がその日である。

 

「須賀くんはいますか?」

 

 教室まで京太郎を向かえに来たのは、その女子だった。話では二つ上の五年生……のはずだが、少女はとても小さかった。高校生にしては小さかった咏と比べても、大分小さい。京太郎と同じ三年生女子だとしてもやっぱり小さい。これで五年生なら間違いなく背の順では一番前だろう。腰に手をあてるあのポーズを、京太郎は生まれてこの方一度もやったことがなかった。

 

「須賀は俺です」

 

 同級生の視線が集まるのが恥ずかしかった京太郎は、急いでその女子のところに駆け寄った。小さい少女が京太郎を見上げる。その顔がむっとしたものになった。男子とは言え二つ年下の三年生に身長で負けたのが悔しいのだろう。口には出さなかったが、その顔は咏で見慣れていたからよく理解できた。

 

「こっち。ついてきて」

 

 小さな少女は京太郎を促して歩き始める。後ろを歩いていると、少女の白い項が見えた。日本人形のようなおかっぱの髪から、何だかこけしのように見えた。

 

 校舎を横切り、校庭に出て、その隅に。目指した場所は古いが、造りはしっかりした建物だった。

 

「目に付く場所じゃないとダメって言われたんだよね」

 

 こけし少女の言うところでは、麻雀の面白さに目覚めた彼女が女子だけでサークルを作ろうとしたらしい。しかし、同級生の中から二人同好の士を見つけたのは良いが、そこで打ち止めだった。上級生、下級生を探しても、上手くいかない。ルールを知っている女子は多かったが、放課後ほとんど毎日学校に残ってまでやりたいという女子は、ほとんどいなかったのだ。

 

 やる気のある女子は、京太郎も断念した教室まで電車で通っているという。そういう女子は逆に、放課後に時間を作るほど暇がなかった。

 

「どうして学校でやろうと思ったんですか?」

「最初は通うつもりだったんだけど、お前は小さいからダメだって反対された!」

 

 小さい身体を精一杯に使って、こけし少女は怒りを表現している。反対したのはご両親だろうが、それも無理からぬことだろう、と京太郎も思った。咏は見た目は小学生でも中身はきちんと高校生だった。こけし少女は普通に中身も小学生。小学生が小さいのは当たり前だが、それだけに余計小ささが際立って見える。

 

 例えばこのこけし少女が京太郎の姉だとしたら、京太郎だって心配になる。中身はしっかりしているのかもしれないが、何だがこう、心配になる小ささなのだ。

 

「それじゃ……ようこそ!」

 

 ドアを開けるこけし少女に促されて室内に入る。

 

 教室のような部屋だが、机はまったくない。中央に雀卓がある。古いがありあわせの代用品ではなく、きちんとした雀卓だ。流石に全自動ではないが、小学校の有志のサークルにそれは高望みが過ぎるだろう。誰かの私物なのか、牌も使い込まれたものだ。

 

 卓を囲むようにして、二人の少女が椅子に座っている。

 

 正面に座ってる白い髪の少女は、全身の力を抜いて卓に突っ伏していた。全身からけだるいオーラが漂っている、咏が見たら蹴飛ばしそうな少女だ。

 

 もう一人はこざっぱりとした印象の少女。赤みがかった髪をお団子にしている。こけし少女をこけしのようなと思った京太郎だが、こっちのお団子少女も中々和風である。これを言ったら本人は絶対に喜ばないだろうけれども、何となくおばあちゃんのような雰囲気を感じた。

 

「私が鹿倉胡桃で、そっちのお団子が臼沢塞。それから、そっちのぐでーっとしてるのが小瀬川白望。一応、全員五年生だから須賀くんよりも年上だね」

「始めまして須賀京太郎です。後、年上ならくんとかつけなくて大丈夫ですよ」

「じゃあ京太郎だね。私達も名前で良いよ。シロのことは私達はみんなシロって呼んでるから、京太郎もそう呼ぶと良いかな!」

 

 良いという許可を他人が出しても良いのだろうか。京太郎はそっと白望――シロを見たが、彼女は卓に突っ伏したまま視線をゆっくりあげただけで、特に何も言わなかった。それを許可と解釈した京太郎は、一応の礼儀として頭を下げると、胡桃のために椅子を引き、自分も空いている席に座る。

 

 しばらくできないと思っていただけに、卓を前にしたこの光景は感無量だった。牌の感触、卓を挟んで交錯する視線。全ての感覚が素晴らしい。

 

「じゃあ、自己紹介も済んだしとりあえず打ってみようか」

「よろしくお願いします」

「……よろ」

「お願いします!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎がサークルに顔を出すようになって一週間。全員が最初は『男子なんて……』と多かれ少なかれ思っていた。それでもと妥協したのは、とにかく学校で麻雀がしたかったからだ。環境だけは整えることができたのに、面子が足りなくて打てないというのでは悲しすぎるだろう。

 

 その妥協の結果勧誘された京太郎であるが、塞の予想以上に上手くやっていた。

 

 一番京太郎に懐いているのは胡桃である。

 

 彼女は小さい。同級生の中では当然最小で、下級生の中に混じっても彼女の小ささは悪い意味で目立つ。その小ささが原因で下級生の男子にからかわれたこともあった。男子は多少年上でも、女子のことを下に見る。それが胡桃のコンプレックスを余計に刺激したのだ。学年という明確に序列が定められた学校において、彼女は受け取れて当然のはずの下級生からの敬意というものを、感じたことがなかった。

 

 それを京太郎は完璧にやってのけたのである。身長のことをからかわないのは当然として、小さな胡桃にきちんと、年上の女性にするように接した。ただそれだけのことに、胡桃は大いに喜び、京太郎に対してお姉さん風を吹かせるようになった。ともすれば我侭に見える振る舞いにも、京太郎は笑顔で対応している。小学生とは思えない如才のなさだった。今まで相当年上の女性を相手に経験を積んだのだろう。そうでなければ小学生の男子に、ここまでのことができるはずがない。

 

 塞は確かに彼よりも二つ年上のはずだが、彼ほど上手に振舞えるという自信が持てなかった。

 

 これならさぞかしモテるだろうと、近所に住む年下の友達に聞いてみたところ意外なことにそうでもないらしい。曰く、大人っぽく見えすぎて嫌なのだという。それでも嫌われている訳ではないが、その好意というのは同級生に対するそれではなく、先生に対するものに近かった。誰もが京太郎に敬意を払うが、同時に距離も取られている。それはそれで孤独なのだろうな、と塞は思った。

 

 めんどくさがりのシロも、そんな孤独な京太郎を気に入っていた。

 

 お世話のさせがいのある奴、というのがシロの京太郎評である。京太郎は誰よりも早くサークル室にやってきては、部屋を掃除したり牌や点棒を磨いたりする。無論、塞たちがやれといった訳ではない。彼が自発的にやりだしたことである。胡桃は京太郎を褒めるばかりで、シロは綺麗な部屋を満喫しているだけ。申し訳ないという気持ちになっているのは塞だけのようだった。何もそこまで、と遠まわしに京太郎に言っても、彼は当然のことをしているだけですと平然と答えた。

 

 彼に躾をした年上というのは、どれだけ厳しかったのだろうか、と思わずにはいられなかった。

 

 そんな部屋が快適だから、放っておけばいつまでもぐでーっとしているシロも平日は毎日サークル室にさっさと顔を出すようになった。めんどくさがりを知っている塞としては不気味で仕方がないが、卓割れする可能性が減ったと無理やり良い方に考えることにした。

 

 今日も、京太郎が綺麗にしてくれた牌で、麻雀を打つ。

 

 基本四人しかいないから、他人の麻雀を後ろで見ることはできないが、一緒に打ってみるに京太郎の技術――牌効率とかそういった、座って学べるものについては、サークルの中でも抜きんでていた。塞もそれなりに勉強していたつもりだったが、この点に関しては京太郎から教わることすらあるくらいだ。年下が年上に教えるというのも、年上の身からすればある種、屈辱的な状況であるが、そういう場面でも京太郎は嫌味なところを少しも見せなかった。

 

 京太郎の講義を、胡桃は熱心に、シロはダルいダルい言いながらも、きちんと聞いている。おかげで随分、技術も向上したと思う。シロはちゃんと牌を切る時に考えるようになったし、胡桃の麻雀にも大分切れ味がましてきた。京太郎に出会う前よりも、確かに強くなっている。

 

 ただ、強くなると実感すればするほど、京太郎の異質さが塞には見えてくるようだった。他の二人が全く気にしないから、自分で勝手に調べてみた。サークルにおける京太郎のトップ率は、あれだけの技術を持っているにも関わらず一割前後。考えるまでもなくこれは驚異的な低さである。最初は接待麻雀をしてるのかと疑ったものだが、技術の高い京太郎は、振込みが極端に少ない。絞るべき牌は絞り、引くべきところでは引いている。それだけの勝負強さがあって、尚負けるのは、それ以上に自分を含めた他の三人がツモるからだった。

 

 三人がツモるから、京太郎はアガることができない。削られる一方なのだから、勝てないはずだ。おかしなくらいツモれることに、胡桃とシロは単純に喜んでいる。ツモれるから次をやりたくなるし、勝てるから嬉しい。そんな状態が、京太郎と一緒に打ってる限り続くのだ。明日も明後日もその次も、一緒にやりたいと思うに決まっている。

 

 どういう理屈か知らないが、京太郎は一緒に打つ人間を幸運にする力があるようである。そんなオカルトはありえないと言う人間もいるだろう。だが、理屈ではなく感性で塞は理解していた。気合を込めて他人を見つめると、ツモらせないようにできることが、決して他人には理解も共感も得られない能力であるのと同じように、京太郎にはそういう天運が備わっている。ただ、それだけのことだ。

 

 それだけならば、塞も京太郎を特別視したりはしない。塞が京太郎に特別な気持ちを持っているのは、これだけ理不尽な理由で負け続けるにも関わらず、京太郎が麻雀を打ち続けているということだ。麻雀をするのが楽しくて仕方がないという顔を、京太郎はいつもしている。

 

 勝てるから楽しい、楽しいから続ける。それが当たり前の理屈だ。負けるから悔しい、悔しいから辞めたい。それも当然の理屈である。

 

 悔しいと思わない訳ではないらしい。ラスを引く京太郎はすごく辛そうな顔をしている。それでも次の半荘が始まると、完全に気持ちを切り替えて今の状況を見つめているのだ。その直向さが、塞には酷く眩しく見えた。麻雀を心の底から愛しているのである。

 

 ただ、それだけに悲しくも思う。これだけ愛している麻雀が、彼に全く振り向いてくれない。とにかく京太郎はツモれなかった。技術でそれを覆すこともできない。突出した技術を持ってる巧者でも、そこそこの幸運を手にした人間に負ける。麻雀とはそういうもので、そして京太郎には他人に幸運を振りまく才能があった。

 

 どれだけオカルトを信じない人間でも、これだけ勝てなければ理解しているだろう。自分には何か、理不尽な理由があって麻雀で勝てないのだと。それを理由に逃げるのが、普通で、当然のことだ。麻雀以外にも楽しいことはいくらでもあるのだ。

 

 それでもなお、京太郎は麻雀を打ち続けている。

 

「京太郎はどうして麻雀するの?」

 

 その直向さに耐えられなくなって、塞はある時京太郎に尋ねた。その日はたまたま、胡桃もシロも遅れていた。サークル室には二人きり。チャンスは今しかないと、意を決して問うた塞に、京太郎は一瞬ぽかんとした表情を浮かべると、躊躇いなく答えた。

 

「好きだからです」

「でも、麻雀は多分、京太郎のこと嫌いだと思う」

 

 無神経なことを言ったと、後悔する塞を前に、京太郎は視線を彷徨わせて言葉を探していた。十秒ほどもそうしていただろうか。答えがまとまった様子の京太郎は、照れくさそうに答えた。

 

「嫌いって言われたからってすぐに嫌いになるようじゃ、多分ほんとの好きじゃないと思います。だからそれくらい、俺は麻雀が好きなんです」

 

 屈託なく笑う京太郎を見て、万感の思いを込めて塞は大きく溜息を吐いた。

 

 きっと、この時、臼沢塞は恋に落ちたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな感じで、岩手ではずっと学校で麻雀してました」

「女の子ばっかりの面子で? 須賀くんも結構なタラシね」

「そんなんじゃないですよ。基本二人になったりすることはありませんでしたしね。何故か三人乗せてリヤカーひかされたこともありました」

「何なのそれは……」

 

 南ラス。京太郎の話が区切られたところで、久はテンパイした。現在32000点で、トップの和は36000点。案の定優希は失速したため、事実上一騎打ちとなった。ツモで削られ続け、京太郎はヤキトリのラス。失速した優希よりも点数が低い。

 

 二三四123456⑥⑦⑧⑨ ツモ① ドラ『5』

 

 実は既にテンパっていた。点数は十分だが役がなく出アガリができない。ツモれば当然逆転できるが、アガれば良いだけのトップ目の和と比べると不利な状況であるのは否めないだろう。リーチをかけるべき状況だが、それでもリーチをかけなかったのはこういう牌を待っていたからだ。

 

「リーチ!」

 

 ⑥を切ってのリーチである。①の単騎待ち。河には一枚もないが、久の河には4順前に切った④他、下目のピンズが散っている。迷彩として十分とは言えないものの、初見の京太郎が相手ならばこれで十分だろう。後ろで見ていたまこが、はぁ、と溜息を吐くのが聞こえた。和は河を見てからこちらに視線を送ってくる。和は自分が悪待ちを好むことを知っている。これは何かあると、河を見て感じたのだろう。怪しいと思われたら、固い打ち手である和からは出てこないだろうが、元より、和から出てくることは期待していなかった。

 

 自力でツモる自信はもちろんあるが、それより何より京太郎から出てくることに期待していた。

 

 京太郎のツモ番。ツモってきた牌を見て、京太郎は顔を顰めた。

 

「くさい牌でも引いたのかしら」

「多分、当たりっすね」

 

 苦笑しながら京太郎は今ツモった牌と、手牌の中から一枚を抜き、一番端に伏せておいた。そうして、手牌から現物を抜き出し、切る。どりゃー、と声を挙げながら優希が押してくるが、残念ながら当たりではない。

 

 ツモ番。久は山に手を伸ばす。盲牌し、それが当たりであることを確信すると指で弾く。コイントスのように宙に舞う牌を掴むと、全員に見せ付けるようにして卓に叩きつけた。

 

「リーチ一発ツモドラドラ。2000、4000で逆転ね」

 

 その宣言を受けて、和は静かに牌を伏せた。一発ツモに優希が無邪気に歓声をあげる。一番振ってほしかった京太郎は、ツモった①を見て眼を丸くしていた。

 

「部長、引きが強いッすね・・・…」

「まぁね。私、こういう悪待ちだと良くツモれるの。ところで須賀くん、思わせぶりに伏せた牌は、何だったのかしら」

 

 京太郎は恥ずかしそうに視線を逸らしながら、伏せた牌を表にする。伏せられていた牌は、どちらも①だった。おー、と和も含めた全員から歓声があがる。

 

「……どうして解ったのか、教えてもらっても良いかしら」

「部長の顔に書いてありましたよ」

「や、そういう冗談じゃなくて」

「本当ですって。いや、①待ちって書いてあった訳じゃないですけどね。部長、ツモってやるぞーって感じは勿論ありましたけど、それ以上に振ってほしいなーって顔してましたよ。だからまずひっかけリーチの悪い待ちだと思いました。そうなると、この――」

 

 久の河の④を、京太郎は指で示す。

 

「④が凄い臭いです。そしたら案の定、一発で①を引いたので、あぁこれは掴まされたなと思って現物を切ることにしました」

「随分自分の感性に自信があるのね」

 

 顔色から待ちの傾向を読み取れたとしよう。そこから④が臭いと思うのも解らなくはない。

 

 だが、そこには論理的な根拠は何もなかった。そう思ったという、ただそれだけの理由でラス目が欲を捨てて回ることができるものだろうか。

 

「自分の確信と心中できないなら、お前には麻雀をやる資格はないって、咏さんに良く言われました」

 

 ハハハ、と京太郎は笑う。久はふーん、と無感動な声でそれを聞き流した。

 

 何というか、悔しい。

 

 一発でツモれたのだから、客観的に見れば自分の勝ちだろうが、初見の相手に当たり牌を止められたというのは、確かに久の矜持を傷つけていた。京太郎が根拠にした『顔に出ていた』というのも、自分がアガりにがっついているように思えて良くない。それを年下の男子から言われたというのも、癪に障った。

 

 だが同時に、京太郎がこの場にいる誰も持っていない感性を持っているのだということは解った。論理ではなく感性から導き出した答えと心中できるというのは、中々ないことである。勿論、たまたま上手くいったことをもっともらしく言っている可能性も否定できない。この半荘一度も振らなかったことも事実であるが、彼の師匠たる三尋木咏のように解りやすい破壊力でもない限り、麻雀の実力を1半荘で推し量るのは難しい。

 

「まこ、変わってもらえる?」

「ええよ。わしも、打ってみたいと思っとった」

「今度は後ろで見せてもらいたいんだけど、良いかしら」

「あまり面白いもんじゃないですよ。俺、勝てませんからね」

「勝てる麻雀じゃないと面白くないというのは、偏見よ須賀くん」

 

 そりゃあ、タダのヘボならば椅子を蹴飛ばしたくもなるだろうが、上手い人間が必ずしも勝つ訳ではないのが麻雀というものだ。自分の待ちを看破した京太郎が、たまたま上手く行っただけのヘボであってほしくない、という期待を込めながら、久は椅子を引き寄せて京太郎の後ろに座った。

 

 それで自然と、場変えをしないまま次の半荘が行われることになった。

 

 出親はまこである。からころとサイコロが回り、牌がせり出す音を聞きながら、耳が寂しくなった久は何となくという風を装って、切り出した。

 

「で、次はどこに引っ越したの」

「岩手は十月に引っ越して、その次に広島に行ってそこはまぁ普通に教室に行って……四年は四月から鹿児島に行きました」

「普通に教室に行く以上のことがあったのね?」

「何か面白さのハードルを上げられた気がすげーしますけど……まぁ、普通でないことは確かっすね」

 

 

「部長、本物の巫女さんって見たことあります?」

 

 

 



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5 小学校四年 鹿児島にて

 霧島神境。

 

 鹿児島で最も大きな神社を含む一帯の通称である。正式な地名ではないが、地元の人間は元より、多くの人間が通称の方でその場所を呼んでいる。

 

 京太郎もその一人だった。長い石段を登り、咏に渡された彼女の祖母が書いた紹介状を受付の巫女に見せると、京太郎は神社奥のエリアに通された。巫女に先導されながら歩くこと十分。何故かどういう場所を歩いたのか全く記憶に残っていないが、気付いたら広い和室に京太郎は正座していた。

 

 ここで、人を待つように言われたのである。ここまで案内してくれた巫女が淹れてくれたお茶は、何だか美味しい。

 

「若菜さんからの紹介というからどのような方かと思えば、こんなに可愛らしいお客様とは……」

 

 部屋に現れたのは老齢の巫女だった。長い黒髪を頭頂部で結ったその髪型は京太郎の記憶が確かならば『ポニーテール』と言ったはずだが、この女性を前に横文字を当てはめるのは何か違う気がした。ならば何と言えば良いのだろう。白髪の一本も見えない黒髪を眺めている内に巫女は部屋を横切り、京太郎の前に腰を降ろした。

 

「申し遅れました。私は滝見千恵と申します。霧島神境の巫女の末席に名を連ねるものです」

 

 口調が異常なまでに丁寧である。子供を相手に丁寧に接する大人というのは京太郎も何人か見てきたがそういう大人は大抵、それを演じている雰囲気がある。悪い言い方をすれば、子供から見たらバカにされているように思えるのだ。

 

 だが千恵からはそれを感じない。おそらく普段から誰にでもこういう物言いなのだろう。年上の人間に敬語を使われるというのは初めての経験だった。京太郎の姿勢が、自然と畏まったものになる。

 

 挨拶を忘れていたことを思い出して、京太郎は慌てて頭を下げた。

 

「三尋木若菜さんの紹介で参りました、須賀京太郎です」

 

 それは咏によって用意された口上である。名乗る時にはそう言えと、口を酸っぱくして言われたのだ。

 

 ちなみに若菜というのは咏の祖母の名前だ。横浜に住んでいた時、京太郎は三尋木邸に何度か招待されたことがある。若菜と出会ったのはその時だ。

 

 小柄な咏とは似つかない正統派の和風美人で、いつも落ち着いた色の着物を着ていた。その若菜の前では、破天荒を絵に描いたような咏も借りてきた猫のように大人しくなる。初めてそれを見た時はそのギャップが可笑しくて、初めて会う若菜の前で京太郎は腹を抱えて大笑いした。

 

 これにキレたのが咏である。借りてきた猫であったことも忘れて、笑う京太郎を扇子でばしばしと叩く。それでも京太郎は笑うのを止めない。だから咏は顔を真っ赤にして京太郎に組み付いた。流石にこれには京太郎も抵抗し、二人はもつれて床を転がる羽目になる。

 

 小学生と本気で喧嘩する孫を見ても、若菜は静かに笑うばかりだった。とにかく、上品で優雅な女性というのが京太郎の若菜に対する印象だった。

 

「若菜さんとは、昔からの友達なのですよ。須賀さんと同じくらいの年齢からの付き合いですね。昔は同じ殿方を好きになって、取っ組み合いの喧嘩だってしたんですから」

 

 懐かしい話です、と千恵はさらりと言葉を結ぶ。自分から頼みに来たのにその話の方が気になってしまう京太郎だったが、突っ込んで良いものか迷っている内に、千恵は話を先に進めた。

 

「事情は理解しています。早速、拝見しましょう。須賀さん、こちらによっていただいてよろしいですか?」

 

 畳の上で足を滑らせると、千恵の手にそっと両頬を挟まれ、目を覗き込まれる。自分の内側をも見透かされるような感覚に、京太郎の背が震えた。

 

「気になるでしょうから、解ったことをお教えしておきましょうか。まず須賀さんの『それ』は日常生活には影響を及ぼさないようです。そうでなければ、須賀さんはとっくに死んでいます。おそらく勝負事にのみ作用するのでしょう。ですがそれだけに、強力であると言えます。自分が底なし沼に沈んでいくように感じたことがあるのではありませんか? それはある意味では正しいことでしょう。須賀さんの運気は相手によって増減します。相手が強ければ強いほど、運を持っていれば持っているほど、須賀さんの運気は相対的に下がっていくのです」

「つまり、強い人と戦った場合、いくらやっても勝てないと?」

「運が味方になることはないでしょうね。おそらく、敵にしかならないはずです」

 

 千恵の言葉を聞けば聞くほど、京太郎は憂鬱になっていった。自分の能力について希望的な観測を持っていた訳ではないが、解りきっていたことをプロの言葉で再確認することは、やはり気分の良いことではなかった。

 

 意気消沈している京太郎を見て、しかし千恵は静かに微笑んだ。

 

「ですが、改善できないことはありません」

「本当ですか!?」

「相対的に増減する運気を調整することは、結論から申し上げれば可能です。用途の絞られた強い力ではありますが、私に言わせればただ強いだけの力ですからね。ただ忘れないでほしいのは、あくまで調整するだけということです。それは持って生まれた須賀さんの性質です。消滅させたり、ましてや反転させることは須賀さんに悪影響を与える可能性が大きい」

「ではどうすれば……」

「ですから、調整です。力を鈍化させ、振れ幅を小さくする。それを極限まで行えば、須賀さん本人にも観測できなくなることでしょう。消失した、ように感じるということですね。もっとも、それは簡単なことではありません。時間はかかりますし、須賀さんにも協力してもらわなければなりません。それでもよろしいですか?」

「構いません。麻雀の可能性が広がるなら、やれることはやらせていただきます」

「良い返事です。では、処置する人間を紹介しましょうか。初美、春、入ってきなさい」

 

 千恵の呼びかけに、部屋の襖がすっと開く。

 

「失礼します」

 

 そこにいたのは二人の巫女だった。少女と言っても良いだろう。両方とも小柄で、京太郎よりも小さく見える。

 

「お初にお目にかかります。薄墨初美と申します」

「滝見春です」

「この二人が須賀さんの処置を担当します。まだ未熟ではありますが、二人とも神境の巫女。必ずや須賀さんのお力になってくれることでしょう」

 

 では、と千恵は立ち上がった。本当にこの二人に任せるようである。このまま千恵が面倒を見てくれると思っていた京太郎は腰を浮かそうとしたが、肩に軽く触れただけの千恵の指で押し戻されてしまった。そのままひっくり返りそうになるのを、何とか堪える。

 

 何をされたのだろう、と目を白黒させる京太郎に、千恵は微笑むだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは」

 

 とだけ残して、千恵は去っていった。

 

 残されたのは京太郎と、二人の巫女だけである。男一人に、女は二人。劣勢だ。普通の男子ならば慌てもしただろうが、女子ばかりの環境には岩手で耐性ができていた。塞たち三人にしばらく囲まれていたことを思えば、初対面の巫女二人と相対することなど、京太郎にとってはどうということはなかった。

 

「よろしくお願いします」

 

 まずは、という気持ちで京太郎は頭を下げた。釈然としないところは多々あるが、京太郎の命運はこの二人に託されたのである。これから浮上するも、そのままでいるのも二人次第なのだ。礼を尽くして尽くしすぎることはあるまい。

 

「こちらこそ」

 

 と京太郎に間髪いれずに応じたのは春だ。人形のような風貌をした春は膝を滑らせ、京太郎の傍に寄る。整った風貌が、京太郎の顔に近くに来る。美少女の接近にどきどきする京太郎だが、春の方には特に緊張している様子はなかった。与えられた問題をただ眺めている。無感動にも程がある視線が、じっと京太郎の瞳を見つめていた。

 

「……確かに、歪んだ運気を持っている。苦労した?」

「ええ。麻雀に勝てなくて困っています」

「麻雀ですかー。私達も、実は結構やるんですよー」

 

 春に比べて、初美の口調は随分と軽い。その軽さも気になる京太郎だったが、それ以上に気になったのはその内容だった。巫女でも麻雀をやる。当たり前といえば当たり前の話だったが、京太郎にとっては驚きだった。

 

「巫女さんでも麻雀をするんですか?」

「運のやり取りを頻繁に行いますからね。気を操る修行に、もってこいなのですよ」

 

 ふふん、と初美が胸をそらす。態度がイチイチ偉そうだ。それに今気付いたという訳ではないが、丈が異常に短い巫女服も気になっていた。制服を改造する学生というのは中学校や高校にいるらしいが、巫女さんの世界にも改造巫女服というのは存在するらしかった。

 

 袴は短いし、上は上で丈が合っていない。咏が見たら蹴飛ばしそうな、斬新な着こなしである。

 

 その咏から着物の着方を無駄に指導された京太郎にも、初美の着こなしは『なっていない』と映ったが、丈があっていないことでちらちらと見える初美の胸元が、別な意味で京太郎の心をかき乱していた。普段は水泳をやっているらしく、水着の後に日焼けした白い肌が、目に毒である。

 

 京太郎はまだ小学生であるが、近しい年齢の少女の肌に興奮を覚えないほど枯れてもいなかった。ちらちらと初美の肌が見える度に京太郎は視線を春に向けた。緩い着こなしの初美に対して、春はきっちりと巫女装束を着こなしている。ただそれだけのことに、京太郎は安堵を覚えた。

 

 それにしても、と京太郎は考えた。

 

 初美はこの服装を狙ってやっているのだろうか。態とだとしたら、狙いは明白だ。この場にいる唯一の男性である京太郎をからかうこと。目的はそれしか考えられない。だとしたら随分と悪趣味な話で、初美の格好を咎めなかった千恵もグルということになる。そうなると自分の運気をどうにかしてくれるという話も怪しくなってきて、ひいては咏が自分を担いだということになる。

 

 尊敬する自分の師匠を疑うことを、京太郎はしなかった。速攻でその案を却下すると、残ったのはこの格好が初美にとっての平常運転という可能性である。それはそれで恐ろしい推測だった。千恵が咎めなかったことも、また違う意味を持ってくる。初美の感性がおかしくなく、また初美の格好もおかしいものでないとしたら、この神境には他にも、初美のような格好をした巫女が存在することになる。

 

 それはそれで天国なのだろうが女所帯でタダでさえ肩身が狭いのに、そこからさらに女性の奇行に悩まされるとなったら京太郎の胃にも流石に穴が開く。女所帯でも過ごせるようになったが、居心地の良さを心の底から感じている訳ではないのだ。良い部分があることは認めざるを得ないが、それと匹敵するくらいのストレスもまた存在するのである。他に初美のような格好をした巫女がいたら、逃げよう。そう心に決めて、京太郎は初美と向き合うことにした。

 

「薄墨さん、麻雀強いんですか?」

「私達の年代の中では、最強の一角ですねー。姫様と霞ちゃんの次くらいにですが。あ、はるるも強いんですよ。地味で面白みはありませんけど、堅実な麻雀をします」

 

 地味で面白みもない、という初美の評価にも春は特に文句を言うことはなかった。その評価を受け入れている春に、京太郎は共感を覚えた。高い火力で他人を圧倒する咏の麻雀には憧れるが、京太郎が目指すところはその逆の『地味で堅実』だった。運に頼ることができない以上それは当然の帰結だったが、咏を始め人気のあるプロはアガリに華を持っていることが多く、それに憧れる少年少女もそれを目指す傾向が強い。

 

 『地味で堅実』というのは特に少年少女たちの中ではマイノリティだ。それを受け入れることのできる感性を持った少女は、特に少ない。

 

 感動している京太郎を他所に、初美は慣れた手つきで畳の上に札を並べた。幾何学的な模様の入った赤い札が八枚、黒い札が二枚である。

 

「私と勝負ですよ。赤い札を引けば、京太郎の勝ちです」

「赤い方で良いんですか?」

「その方が解りやすいですからね」

「……わかりました」

 

 と、京太郎が承諾し、札に目を向けた瞬間、麻雀をしている時に感じる底なし沼に引きずり込まれるような感覚が、京太郎を襲った。軽い畏怖を込めて初美を見る。咏ほどではないが、初美も相当な勝負運を持っていた。これは勝てないな、と直感しながら札に手を伸ばし、捲る。表になった札は、やはり黒だった。

 

「京太郎は勝負運が相対的に弱くなるんですね。勘ですけど、大事な勝負になればなるほど、大きな勝負になればなるほど、運が弱くなるんじゃないかと思います。ほんと、日常生活に影響がなくて良かったですねー。あったら今ごろ死んでますよー」

 

 なむなむ、と初美は手を合わせる。それに京太郎ははぁ、と答えるしかなかった。そうでなければ死んでいたと言われても、小学生の身にはあまりピンとこない。

 

「じゃあ今度ははるると一緒にやってみてください」

「一緒って――」

 

 京太郎が問うのと同時に、春がその背中に張り付いた。京太郎はとっさに振り払おうとするが、春は少女らしからぬ力でしがみつき、離されないよう京太郎の身体の前でがっちりと指を組み、印を結ぶ。

 

 春の体温、息遣いを肌で感じて慌てふためく京太郎には目もくれず、初美は札を集めると今度は色の割合を変えてみせた。赤が五枚、黒が五枚の均等な枚数である。

 

「勝負ですよー」

 

 初美が視線で引け、と促してくる。対等な条件である。先ほどの運量差を考えたら勝てるはずもないのだが、あれだけ感じていた初美との差を、今の京太郎は感じることができなかった。今なら勝てる。生まれて初めて、京太郎はそう感じていた。

 

 震える手を伸ばして札を捲る。京太郎の捲った札は――赤だった。

 

 勝った――自分の手で引き寄せた久しぶりの勝利に、興奮で震える京太郎を前に、初美は冷めた目で宣言した。

 

「私の勝ちですねー」

「どうして!?」

「ルールの確認は基本中の基本ですよー。今度も赤が勝ちなんて、私は一言も言ってませんからねー」

 

 ぐ、と京太郎は言葉に詰まった。黒が勝ちとも一言も言っていないはずだが、ルールの確認もしなかった京太郎にそれを追求する権利はなかった。

 

 打つ人間、土地によって役、ルールが違うことが多い麻雀において、ルール、レート、祝儀の確認はゲームの開始前に必ずしなければならないことだ。特に初めて会う人間とは念入りに――と、咏に何度も指導された。

 

『じゃないと、すーぐ流血沙汰になるからねぃ』

 

 からからと笑う咏は自分をビビらせるためにわざと大げさに言っているのだと心のどこかで思っていた京太郎だったが、たった今一瞬で頭に血が上ったばかりの自分を振り返ってみて、咏の言葉が真実であったと心の底から理解した。

 

「普段であれば京太郎も気付いたでしょうけどね。初めての感覚に舞い上がっちゃったんでしょう。それくらいに、いつもと違ったでしょう? これで、どうにかなると解ってくれたと思います。私達も真剣にやりますから、京太郎も安心してください」

「でも麻雀を打つ時、滝見さんがずっと俺にくっつくんですか?」

 

 男子としては重要な問題である。春は美少女だ、くっつかれて嬉しくない訳ではないが、流石にそれでは集中できない。何より、少女を背負って麻雀をするなど絵面として痛すぎる。

 

「症状を出さないためには、はるるくらい他人の気を抑えるのに長けた巫女が、張り付いていないとダメってことですねー」

「他に方法はないんですか?」

「京太郎は『耳なし芳一』って昔話をしってますかー?」

 

 それだけで、他の方法がロクでもないものだということを京太郎は理解できた。全身にお経を書いて麻雀をするなら、まだ巫女さんを背負ってやった方がマシと言えなくもない。

 

「あぁそれから神境の中では私やはるるのことは名前で呼んでください。何ならあだ名で呼んでも構いませんよ」

「それは遠慮させていただきます」

 

 流石に恥ずかしい。丁重に断る京太郎に、初美はぶー、と頬を膨らませる。

 

「でも、どうして?」

「薄墨も滝見もそんなにある苗字じゃないはずなんですけどね、神境の中に親戚一同集まってますから、薄墨だけでも50人はいるのですよ。だから外の神社で薄墨さんと指名しても、私を呼ぶことはできませんからね。注意してください」

「わかりました。初美さん」

「よくできました、はなまるをあげますよ。どうやら私のことは年上と、ちゃんと気付いていたようですね」

 

 ふふん、と嬉しそうに胸をそらす初美を前に、京太郎は心中でそっと安堵の溜息を漏らした。年齢のことは全く気にしていなかった。確実に同級生と判断できない場合はさんづけにしておくのが、賢く生きる秘訣である。だから初美の気付いた、という表現は完全に勘違いであるのだが、それは指摘しないでおくことにした。

 

 くい、と京太郎の袖がひっぱられる。春がじっとこちらを見ていた。名前を呼べ。そういうことだろう。

 

「春さん」

 

 と試しに呼んでみるが、春は首を横に振った。初美がにやにやと、ロクでもない顔で笑っている。

 

「はるるって呼んでほしいみたいですねー」

「かんべんしてくださいよ」

 

 京太郎は正直な気持ちを吐露したが、春の指にはさらに力が篭る。何が彼女をそこまで突き動かしているのか知らないが、その目には不退転の決意が見えた。こういう目をした女性は、本当に折れないと京太郎は経験として知っている。

 

 はるる。

 

 口にすればたったの三文字であるが、それを口にするのに、京太郎は今まで生きてきた中で一番精神力を消費した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなオカルトありえません」

 

 京太郎の話が終わって、和が開口一番に全否定した。デジタルチックに淡々と牌をツモって切る和に、京太郎は苦笑を浮かべる。この手の話を信じたがらない人間は、オカルト旋風吹き荒れる麻雀界にも多く、特に和のようなデジタル打ちはその傾向が強い。透華のように折り合いをつけている場合もあるが、彼女の場合はレアケースと言っても良いだろう。透華の場合、デジタル打ちはただの手段であって主義そのものではないからだ。

 

「私は信じるじょ。その方がかっこいいしな!」

 

 わはは、と優希は笑いながら牌を切る。チンチクリンなだけあって、感性が少年寄りなようだった。存在の是非よりもかっこいいか悪いかに拘るのは、結構重要なことだ。モチベーションは集中力にも強く影響する。運に全く期待せず、読みに全てをかける京太郎にとって、信じることは大きな力だ。

 

「それで改善はされた訳?」

「前よりはマシになりましたね」

 

 鹿児島にいた一年と、愛媛にいた一年で京太郎の症状は大分改善された。運がそれほどでもない人間が相手ならば、巫女がはりついていなくてもフラットな状態で打てるようになったが、強力な打ち手が相手だと相対的に運が下降するのは今でも変わらず続いている。

 

 それでも以前に比べれば大分マシになったのだが、例えば東場の優希などが相手だと、技術だけではどうしようもないほどの差ができてしまう。勝てないのは相変わらずだった。

 

「それでも麻雀続けられるんだから、須賀くんは本当に麻雀が好きなのね」

「下手の横好きって奴かもしれませんけどね」

 

 苦笑しながら京太郎はオタ風の『北』を止め、上家の和に合わせて①を切った。五順目、下家のまこに染め手の気配を感じる。まだ一回も鳴いてはいないが、鳴きたい、という気配をひしひしと感じる。京太郎の手の進みはあまり良くなかった。この状態で、相手の手を進める牌を切るのは愚策である。手はさらに遅れるが、相手の手を進めてしまうよりはずっとマシだ。

 

「……五年生の時に、奈良にいたんでしたね」

 

 卓から目を逸らさずに、和が言う。興味なさそうに言っているが、京太郎には和の耳がダンボのようになっているように見えた。少しだけ話した時の食いつきっぷりから見るに、穏乃や憧と仲が良かったのだろう。それだけ仲が良い人間なら、二人から話を聞いていても良さそうなものだが……京太郎は記憶を振り返ってみる。穏乃からは聞いたことがあるような気がするが、憧からは欠片も聞いた記憶がない。

 

 今年清澄に入学すると確かに憧には話した。入学式の前に電話したから、それは間違いがない。

 

 そして、友達であるならば和が清澄に入学したことも把握しているだろう。三連覇のかかった照か、全中王者の和か。今高校麻雀界で最も注目されているのは、その二人である。実際に本人と顔をあわせるまで和と穏乃たちの繋がりを京太郎は知らなかった。ここまでくると憧が意図的に情報を流さなかったように思えてならないが、それは考えすぎだろうと京太郎は判断した。言葉に若干とげとげしいところはあるものの、あれで憧は友達思いの良い娘である。そんなことをするはずがない。

 

「だな。プロとかセミプロが先生役になってくれた教室にいたのは、その頃だけだな」

 

 良い教室だった、と京太郎は振り返る。

 

 同年代に穏乃と憧がいて、一つ上に玄がいた。切磋琢磨する仲間にも恵まれ、指導者役のレジェンドはとても優秀だった。今まで通った教室の中で、阿知賀の教室が最高だったと断言できる。女子ばかりではあったが、良い思い出だった。

 

 

 和からの期待の視線を感じながら、奈良での出来事を思い出す。

 

 初めて教室に行った日、最も印象に残っているのはその日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6 小学校五年 奈良にて

 奈良で麻雀が強い高校と言えば晩成高校である。

 

 全国大会への出場を逃したのは過去35年で一度だけ。それ以外の年は県下で無双を誇っている強豪校だ。

 

 それでも、である。多くの人には34年分の勝利の歴史よりも、たった一度の敗北の時の方が鮮烈に記憶に残るのだった。

 

 その時晩成高校に勝利したのは、それまで無名だった阿知賀女子。優勝に導いたのは赤土晴絵、通称『阿知賀のレジェンド』。

 

 その赤土晴絵、今は阿知賀女子を卒業して大学生になっているという。どういう訳か大学麻雀からは離れているらしいが、そのレジェンドが母校阿知賀女子で小中学生向けの麻雀教室を開いていると京太郎は小耳に挟んだ。

 

 是非とも行ってみたいものである。

 

 京太郎は即決したが、問題は場所だった。教室が開かれるのは阿知賀女子。名前からも分かる通り女子高である。麻雀教室は別に男子禁制ではないらしいが、開催場所から女子限定の雰囲気を感じざるを得ない。聞けば参加メンバーも全員女子であるという。そういう下地があれば、男子が招かれるということはないだろう。主宰のレジェンドも女子しかいないところに、態々男子を呼ぼうとは考えないはずだ。そういうところに一人で足を運ぶのも、気が引ける。

 

 ならば、誰か既に参加している女子に紹介してもらうしかない。京太郎は頑張って、同じ小学校の中からその教室に通っている女子を調べ、その日のうちに見つけた女子が――

 

「高鴨、俺をレジェンドの教室に連れて行ってくれ」

「いーよー。じゃあ、明日の放課後ね」

 

 穏乃はにっこりと笑って、一発OKを出した。緊張していた自分がバカみたいだった。

 

 ともあれこれで目標は達成したも同然だ。麻雀の強い人の教室に参加できるというワクワク感を胸に、早めに床につこうとした京太郎の携帯電話が震えた。

 

 嫌な予感がする。自分の直感を何よりも信じる京太郎にとって、悪い予感というのは予知も同然だった。

 

 ちょっとだけ暗い気持ちで携帯電話を見ると、そこには予想通りの名前があった。メールの内容は意訳するとこうである。

 

『明日時間が取れました。そっちに行くから遊んでください』

 

 予定がある、と断りのメールを入れるのは容易い。本当に予定があるのだから、嘘ではない。

 

 通常、予定があると切り返せばそれは『貴方に時間を割くことはできない』と答えるのと同義であるが、人間誰しもが普通の対応をしてくれる訳ではない。メールの相手は京太郎の知り合いの中ではまさに、普通でない人間の筆頭格だった。そっちに行くと書いてある以上、彼女は京太郎の予定に関係なく奈良まで来るだろう。その時構わなかったとなれば、後で何をされるか分かったものではない。

 

 メールが来た時点で、京太郎の運命は決定していた。どうやって同級生に紹介しよう。そう考えながら、返信のメールを打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高鴨穏乃は美少女である。

 

 屈託のない笑顔がかわいい。表裏のない素直さがかわいい。野山を走り回る奔放さも、またかわいい。

 

 サルとか野生児とか、他の男子の挙げる全ての要素が京太郎には魅力的に思えた。

 

 自分の感性には自信がある……つもりだったが、一度同級生にその話をしたら『お前大丈夫か』的な顔をされてしまった。どうやら同級生は本当に穏乃をおサルさんと思っているらしい。お前らこそ大丈夫かと問い詰めたい京太郎だったが、やめておいた。健全な男子としては特定の女子とカップルとして囃し立てられても困るのである。

 

「こんにちは京太郎」

「こんにちは。今日はよろしく」

 

 小学校の前で待ち合わせた穏乃は、京太郎の顔を見てにっこりと微笑んだ。それから、視線を京太郎の背後につつーっと移動させる。

 

「そっちの娘は?」

「ああ、こいつは――」

「はじめまして、須賀響です。京太郎くんとは遠縁の親戚になります」

 

 と、行儀よく頭を下げる。あげた顔に漂うどことない気品に、穏乃が一歩後退った。穏乃の周囲にはあまり見ない、礼儀正しさを持った少女だった。

 

 髪は染物ではない綺麗な赤みかかった茶髪。前髪は左半分がばっさりと切りそろえられており、左は額部分が空いている。後ろに流した髪はポニーテールにされていた。頭は京太郎よりも僅かに下にある。肌の白さは、普段は屋内にいることを思わせる。ポニーテールにされた髪からみえる、白いうなじが眩しい。

 

「えーっと、この娘も連れて行けば良いの?」

 

 紹介されたのは名前だけだが、自分よりも年下と判断したらしい、少女――響を視線で示しながら、穏乃が問うてくる。京太郎は無言で頷いた。響はそんなやり取りをにこにこ笑いながら見守っている。

 

 京太郎一人と思っていた穏乃は釈然としないようだったが、元々教室はオープンなものである。今更一人増えようが穏乃が気にすることではないし、響は京太郎と違って女子だから尚更気にすることはない。

 

 第一、ぐだぐだ悩むのは穏乃の流儀ではなかったのだろう。考えていたのは数秒。その後にはいつもの笑顔で、響の手をとった。響も無邪気な笑顔で穏乃の手を取る。見た目は微笑ましい小学生女性二人であるが、響の本性を知っている京太郎は和む気分になれず人知れず溜息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室は本当に女子高の中にあった。足を踏み入れる時にこそ緊張したが、入ってしまえば一瞬。ずんずん歩く穏乃に先導される形で学校の中を行き、一つの教室の前で立ち止まる。洒落た印象の、麻雀部という看板があった。

 

「この学校、麻雀部はないのか?」

「部員不足でなくなっちゃったんだってー」

 

 レジェンドが全国大会に出たのもそんなに昔のことではない。それを思うと酷い栄枯盛衰だが、穏乃に気にした様子はなかった。

 

 こんにちはー、と勢い良くドアを開けて教室に入っていく穏乃。その後をついていく響。京太郎は最後尾だ。

 

「しずちゃんだー!」

 

 と、早速穏乃が低学年の女子に飛びつかれている。わははーと喜んで振り回している辺り、いつものことなのだろう。女子ばかりの空間でも野生児なことに男子として安堵の溜息を漏らす京太郎に、今度は女子達の視線が集まる。

 

 男子、と認識した段階で教室内に微妙な雰囲気が漂った。あまり歓迎されてないというのは、言葉にされなくても分かった。はっきりと拒絶されなかっただけマシなのだろう。女子の中に男子が一人なのだから当然のこと、と改めて思い直し、五年生というここに集まった中では比較的年上であることに感謝しながら、目当ての人間を探す。

 

「シズ、久しぶりじゃないか」

 

 目当ての人間はすぐに見つかった。この場における唯一の大人であるから、とにかく目立つ。髪の色は赤く、前髪は何というか特殊な形をしている。一見すると溌剌としているように見えるが、京太郎には何故だか影があるように感じられた。

 

「晴絵さん、今日は新しい子を連れてきたよ!」

 

 二人! とブイサインをするシズの頭を撫でながら、晴絵は視線を京太郎に向ける。

 

「男子とは珍しいね……教室始まって以来かな。居心地は悪いと思うけど楽しんでいきなよ。私は赤土晴絵。君は?」

「須賀京太郎と言います。今日はよろしくお願いします」

「うん。礼儀正しい奴は好きだよ私。で、そっちの娘は――」

 

 晴絵の視線が響に向き―ー不自然に固まる。晴絵は響を頭の先からつま先まで確認し、最後に視線をあわせた。響は悪戯そうに微笑んで、口元に人差し指を立てる。その仕草で、ピンときたようだった。驚きの声を直前で押し込め、晴絵はぎこちない笑みを浮かべる。

 

「はじめまして、須賀響です。京太郎くんともども、今日はよろしくお願いします」

「うん、はじめまして。こっちこそよろしく須賀さん」

 

 疲れた様子で、晴絵は教室を見回した。オーラスを迎えている卓が一つある。卓はほとんど埋まっていて、順番待ちをしている子供は少ない。どうやらすぐに打てそうだった。

 

「ちょうど空きそうだからすぐに入れるな。新人さんに譲るってことで、二人の須賀は――」

「いえ、私は最初、京太郎くんの麻雀を見せてもらいます」

 

 遠慮する響に、晴絵は出鼻を挫かれる。じゃあ、と教室内を見回し、最初に目をつけたのが――

 

「アコ! それからクロ。こっちで打ってくれないか」

 

 小学生の指導、というよりも面倒を見ていた二人の女子に白羽の矢が立つ。

 

 呼ばれてやってきた二人は、どちらも美少女だった。内、背の低い方には見覚えがある。穏乃のクラスメートで親友と噂の、新子憧だった。気さくな性格と少々活発ながらも女の子らしい可愛らしさに、穏乃と違ってまともな意味で男子に人気があるが、憧を有名たらしめているのはそんな外面によるものだけではない。

 

 京太郎がよう、と片手をあげると憧も手を挙げて答える。そんな憧に向けて京太郎が一歩踏み込むと、憧は反射的に二歩退いた。それを見て京太郎が一歩下がると、小さく安堵の溜息を漏らす。

 

 見ての通り、男子が苦手らしい。自分から近づく分には構わないのだが、男子から近づかれると距離を取る。それなりに仲良くやれている男子は多数いるが、手を握れるくらいまで近づいた男子というのは、皆無である。その手の届かなさが良い、というのが男子一同の共通見解である。

 

 その見解には京太郎も同意であるが、そんなマゾ的な良さを感じられて何故穏乃をかわいいと思えないのか、理解に苦しむ。自分の感性と同級生達の好みとの乖離に悩みながら、京太郎は穏乃を見る。何も知らない穏乃は相変わらず幸せそうに笑っていた。

 

 もう一人は、これまた美少女だった。長いロングの黒髪という絶滅危惧種で、スタイルも小学生にしては良い。立ち姿にはどことなく品を感じる。着物とか着ていると似合うかもしれない。身長も結構あるからおそらく六年生だろう。小学生の集まりでは一番のお姉さんということになるが、整った顔に浮かぶ柔らかな笑みは、穏乃とはまた違った親しみ易さを感じさせた。

 

「アコは知ってるな。そっちの黒髪のが松実玄。一応ここでは最上級生で、リーグトップでもある」

「よろしくなのです」

 

 笑顔で握手を求める玄の手を、握り返す。男子だからと言って、特に思うところはないらしい。憧は顔見知りということで、近づいてもこなかった。周囲の女子達は相変わらず、遠巻きにこちらを眺めている。外様っぷりに、そろそろ息が苦しくなってきた。

 

「赤土さんは入らないんですか?」

「私もそっちの須賀と一緒に、麻雀を見させてもらうよ。教室なんだから、先生っぽいことしないとな」

 

 晴絵がにやりと笑うと、ちょうど卓が空いた。ぞろぞろと卓を離れる下級生と入れ替わるように、卓の周囲に集まる。一番最初に辿りついた玄が牌の中から四枚を取り、裏返す。どうぞ? と玄が視線で促すと、穏乃が最初に手を伸ばした。

 

「どりゃ!」

 

 引いたのは『南』だった。続いて憧が牌をめくる。『北』である。続いて京太郎が引く。『西』だ。

 

「私が出親だね!」

 

 笑顔で『東』をめくる。玄が選んだのは彼女に一番近い席だった。玄が着席すると引いた牌に従って、残りの三人も着席する。穏乃が上家で、憧が下家である。ギャラリーとして、京太郎の後ろには響と晴絵が陣取った。他の女子は思い思いに、他の三人の席に散っている。

 

「ギャラリーの数ではもう負けてるね」

「仕方ないだろここにきたのは初めてなんだから」

「でも大丈夫。京太郎くんには私がいるよ」

「あんまり嬉しくないのはどうしてだろう……」

 

 世の不条理を嘆きながら、玄がボタンを押すのを何となく眺める。穏乃に頼み込んでまで参加した教室。その最初の半荘が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おかしい……)

 

 そう思ったのは東四局が終了して、南場に入ろうとした時だった。

 

 点棒状況は穏乃が35000でトップ。二位が憧で29000。京太郎は19000で三位。対面の玄が17000でラスとなっている。地味な上がりが続いてさらっと東場が流れた感じであるが、その中で京太郎は違和感を覚えていた。

 

 ドラも赤も一枚も見えない。

 

 河にはもちろん、手を開けた穏乃や憧の手の中にも一枚もなかった。勿論、京太郎の手の中にもない。ならば何処にあるのか。今まで全ての局で山の深いところにあったのでなければ、あがらなかった自分以外の誰かの手にガメられていたと考えるのが自然である。

 

(この人か)

 

 玄の手にドラと赤が集まっているのだと、京太郎は当たりをつけた。

 

 ガン牌やすり替えでなければ、そういう能力ということになる。自分にドラと赤を集める――というよりも、他人にドラと赤をツモらせない能力。こうして対面に座っていると、対面の玄は凄まじく太い運を持っているのが良く解る。流石に一番強い神様を降ろした時の小蒔や絶好調時の咏には及ばないが、玄は京太郎が今まで出会った中でも五指に入るほどの強運の持ち主だった。

 

 だが、点棒状況はご覧の通りである。おそらく他人にドラをツモらせないことに、勝負運の大部分が割かれているのだろう。ドラを持ってくる以外のヒキは大したことはなかった。

 

 それでも油断はできない。ドラとアカが全部集まるのだとしたら、玄の打点は凄まじいことになる。半荘で一回しかアガれないとしても、全て集めきった状態でアガれば最低でも倍満、他に役が絡めば数え役満すら簡単に狙うことができるのだ。それを誰かに直撃させれば、それだけでゲーム終了も狙える。玄がリーグトップというのも頷けた。相手が小学生なら、この高火力だけで勝つことも容易いだろう。

 

 眺める分には実にエキサイティングな麻雀だ。京太郎もテレビでこの能力を見たら、手に汗を握って応援していたかもしれないが、相手にすると厄介なことこの上なかった。

 

 

 南一局。玄に初めて動きがあった。

 

「リーチなのです!」

 

 自信満々にリーチ棒を出し、玄はむふー、と鼻息を漏らした。ツモる気満々の玄に呼応するように穏乃がおりゃーと力強く牌を切るが、それは玄の現物だった。小さく溜息をつきながら、京太郎がツモる。生牌。それも、玄に当たりが濃厚な油っこい牌だ。

 

「失礼」

 

 と断ってから、玄の捨て牌を見るふりをして思考する。

 

 自分の運が絶不調なのを感じる。このまま何もしなければ、おそらく一発で玄はツモあがるだろう。するとこの手を手なりで進めることに意味はない。とりあえず一発ツモを阻止しなければ、高火力の親のツモ。勝負がほとんど決まってしまう。

 

 ツモをズラすしかない。玄に振らずに、憧か穏乃が鳴けるような牌を切る。今が危ない時というのは感じ取ったのか、憧が視線を送ってきた。鳴ける牌ならば鳴く、そんな心の声が聞こえたような気がした。

 

 玄の現物で、憧が鳴けそうな牌。わずかに思考して、京太郎は⑨を切った。

 

「チー」

 

 阿吽の呼吸で憧がチーをする。一発を食い流した。狙いが成功して、京太郎の目にも炎が灯る。

 

(そう簡単にばんざいはしないぞ!)

 

「あ、ツモなのです!」

 

 努力空しくあっさりと玄は⑤をツモあがった。

 

「リーヅモドラ4赤3、裏は……ないのです!」

 

 それでも親倍8000オール。勝負を決するツモだった。失礼、と断りを入れて本来玄が一発で引くはずだった牌をめくる。赤⑤だった。何もしなかったら、一発に赤がついて三倍満だったということだ。そう考えると邪魔チーしたことにも価値はあったのだろうが……結局ツモられている辺りに、京太郎は麻雀の難しさを感じていた。

 

「さぁ、これからです!」

 

 勢いに乗った玄は、もう止まりそうもない。彼我の運量がさらに引き離されていくのを、京太郎は肌で感じた。これはもう勝てないだろうなぁ、と思いながら配牌を見る。

五シャンテン。見事なまでにバラバラだ。

 

 乾いた笑いを浮かべながら、それでも京太郎は勝つために牌を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、京太郎くんにしては頑張ったんじゃない?」

 

 卓に突っ伏した京太郎の点棒入れには2000点も残っていなかった。あれから玄は三本棒を積み、四本場で穏乃が親倍を振り込みゲーム終了。10万点を越える点棒をかき集めた上での圧倒的な勝利だった。響のどこか投げやりな言葉も、京太郎の心には響かない。ここまで圧倒的だと悔しさすら沸かないのだ。

 

 麻雀が楽しく勝つことが嬉しい。そういう内面を純粋に外に出せる人間は、得てして人に好かれるものである。それが美少女であるなら言うことはない。圧倒的勝利を引き寄せた玄に、教室の子供達が群がっていた。そんな子供達を、玄は得意気な顔で構っている。明らかに調子に乗っているその顔にも、愛嬌があった。

 

「じゃあ次は私がやろうかな」

「すっかり冷やしちまったけど、大丈夫か?」

「……誰にもの言ってんのかわっかんねー」

 

 けらけら、と響は笑いながら着席する。対面の玄は……立たなかった。空き待ちをしている子供達の期待の視線に背中を押されたからだ。憧と穏乃もそのままである。教室の誰もが、彼女らの中の強者である三人と、新たにやってきた子供の対局を望んでいたのだ。

 

「んーっと……このメンバーでやるの?」

 

 穏乃の問いに晴絵はしばらく逡巡し、首を縦に振った。『まぁ、良い経験だろうさ』という呟きは、隣の京太郎にしか聞こえなかった。

 

「さて、じゃーはじめるっかねー」

 

 バッグをサイドテーブルに置き、響は髪を解く。集中するために髪を結ぶ女子は多いが、響はその逆だった。ポニーテールにされていた髪が解け、明るい茶色の髪が広がる。すっと、響の目が細められた。それで、彼女の気持ちが切り替わる。雰囲気の変わった響の顔を見て、あ! と憧が声をあげた。『須賀響』の正体に気付いたのだ。真っ先に気付いた聡い少女にむけて、響はにやり、と底意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

 

 そして、バッグから彼女のトレードマークとも言える扇子を取り出し、ばさりと広げる。

 

 誰もが響を注視していた。IH、特に女子の部は全国で中継され、ここ奈良でも当然見ることができる。毎度毎度怪物級のプレイヤーが出てくる訳でもないが、ここ十年は大豊作だったと言えるだろう。赤土晴絵も敗北を喫した小鍛治健夜は別格として、それに次ぐプレイヤーとして絶対的な強者を挙げろと言われたら、ほとんどの人間が彼女の名前を挙げるだろう。

 

 一昨年の団体戦優勝チームの先鋒にして、個人戦優勝者。卓上を焦土にする火力で持ってIHを蹂躙した、小鍛治健夜に次ぐ若手プロのNO2。

 

「まぁ、今更言うまでもないと思うけど、一応自己紹介しとくかね。はじめまして、三尋木咏だよ。京太郎の付き合いで今日だけの参加だけど、よろしく頼むねぃ」

 

 決して小学生を相手に真面目に卓に座って良いようなレベルの選手ではなかった。日本でもトッププロの咏が、小学生を前に獰猛に笑っている。今の咏の雰囲気を前に、手加減をしてくれるかもと期待を抱くのは不可能だった。表情といい仕草といい、皆殺しにする気がひしひしと感じられる。横で見ている京太郎ですらそれを感じるのだから、同卓している三人の恐怖はいかばかりか。怖いものがなさそうに見える穏乃ですら、笑顔の咏を前に引き気味である。

 

「あーそれから小娘ども、始める前に一つだけ釘をさしておくことがある」

 

 ぐるり、と卓に座った少女三人を見回した咏は、やがて憧に視線を止めた。

 

「この中なら、お嬢ちゃん一人かな」

 

 視線を向けられた憧は椅子から立とうとするが、先に動いた咏に扇子の先で肩を押さえられる。大した力ではなかったはずだが、タイミングが良かった。椅子に座らされる憧に、咏はそっと顔を寄せた。

 

「京太郎が欲しいなら、もっと麻雀の腕を磨くんだね。最低でも私に土をつけられるようでないと、手放してなんかやらないからね」

 

 この発言は憧以外の誰の耳にも届くことはなかった。顔を青くさせ、次いで顔を真っ赤にする憧を見て、何かロクでもないことを言ったんだなと察する程度である。毒舌で有名な咏ならばそれくらいのことは言うだろうと、誰もが考えていた。褒められたことではないが、それくらいは『三尋木咏』にとっては予定調和である。流石に憧が泣き出すようなことでもあれば晴絵が止めたのだろうが、憧は気丈にも咏を睨むと椅子から立ち上がる。

 

「良い顔だ。女はそうでなくっちゃねぃ」

 

 自分を見下ろす憧の姿を見て、咏は嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です」

 

 窓の傍で涼みながら外を見ていた咏に、晴絵は声をかけた。

 

 年齢では晴絵の方が上であるが、選手としての格は咏の方が大分上である。何より二人にはプロとアマという絶対的な壁があった。敬語で接するのも晴絵からすれば当然のことだったのだが、当の咏は『なんだそりゃ』とからから笑う。

 

「別にふつーでいいさ。私の方が年下だし。ま、そうしたいってなら止めないけどさ。そうした方が楽じゃね?」

「そっちが良いなら、私は良いけど……」

 

 相手が良いと言っているのに、自分一人で抵抗するのもバカらしい。何より、咏の人を食ったような態度に若干イラっときた。確かに咏はトッププロで人気もあるが、率直過ぎる物言いは酷く好みが分かれることでも有名だった。晴絵もどちらかと言えば、あまり好きな方ではない。

 

「京太郎に聞いてからあんたのことは少し調べたよ。凄いじゃないか。あのすこやんに一矢報いることができたのは、多分あんた一人だけだぜ?」

「それで力尽きてちゃ世話ないよ。あれからしばらく、牌を見るのも嫌になったからね」

「あれだけボコボコにされりゃそうだろうねぃ。私もやったことあるけどさ、すこやん手加減とかまるでしねーもん」

 

 やったことがある、というのは嘘ではないだろう。何かのタイトルマッチで対局しているところを、晴絵も見たことがあった。結果は思い出すまでもなく健夜の勝ちであるが、負けた咏にはあの日の自分のような、堪えた様子がまるでない。世間一般の基準で言えば、咏も十分にバケモノの部類に入る。それ故のタフさもあるのだろが、主因は彼女本人の精神性に寄るのだろう。それなりに色々な麻雀打ちを見てきた晴絵だが咏ほどつかみ所のない人間は、『牌のおねえさん』として有名なあの人くらいしか知らない。

 

「プロになる気はないのかい?」

「私じゃ無理だろ。声とかまるでかかってないし」

「トライアウトでも受けてみたらどうだい? あんたならそこそこのチームでも受かると思うけどね。何ならいくつかチームを紹介してやっても良いぜ?」

「そこまで気を使ってもらう理由はないよ。それに今はまだ、自分と麻雀を見つめなおしてたいんだ」

「阿知賀のレジェンドは中二病か……ま、別に良いさ。本来私には関係ないことだ。かわいい弟子が世話になるみたいだから、そのついでに言っただけだし」

「その弟子ってのは本当なのか?」

「本当だよ。私の初めてで、唯一の弟子だ。全くと言って良いほど勝てないけどね。そこがかわいくもある」

 

 咏の視線の先には、教室の子供達に囲まれている京太郎がいた。女子ばかりのこの教室に、京太郎は既に馴染んでいた。今は教室の中でも幼い部類に入る面々に請われて指導をしている。それは本来は最年長者である玄の役目だったが、晴絵から聞いても京太郎の説明は実にわかりやすく、また、聞き手が子供であることを意識してか論調にも気を使っていた。二つも下の人間に仕事を奪われては玄も立つ瀬がないが、彼女はそんなことを気にもせず『ふむふむなるほど』と熱心に京太郎の講義を聞いていた。

 

「京太郎の麻雀を見てどう思った?」

「効率重視のデジタル派かと思えば、場況にも目を配ってるし何より人を見てる。高校生だってここまで気が回る奴はいないだろう。小学生でここまでできたら、その内牌が透けて見えるようになるんじゃないか」

「かもね。でも、それ以上に奴には運がないんだ。だから見えるもの全部を分析して打てるようにって色々教えたんだけど、どれも不運を覆すには至ってない。神境にやってから大分マシにはなったんだけどね。それでもヒキの弱さは相変わらずさ」

「凄い奴ではあるけど、あまり『三尋木咏』の弟子っぽくはないね」

「あんまり言わないでやってくれよ。あいつが一番、気にしてるみたいだからさ」

 

 小学生を大人気なくも麻雀で叩きのめした人間の台詞とは思えなかった。弟子のことは本当に大事にしているようである。

 

 しかし、その大事にしているという弟子の存在を晴絵は聞いたことがなかった。三尋木咏はトッププロである。その咏に弟子がいるとなれば、誰も放っておかないとは思うのだが。

 

「そりゃあ、本当に師弟関係だと思ってるのが私と京太郎の二人だけだからだろうさ。高校にいた時は、部の仲間も一緒に教えたもんだけどさ、あいつらも皆、私が麻雀を教えてやった子供と思ってただけで、本当の弟子とは思ってないはずだよ」

「あんた達はそれで良いのか?」

「他人がどう思ってたって別にいーだろ。私はあいつの師匠で、あいつは私の弟子だ。それをお互い忘れなければ、後は何だって良いのさ」

 

 すらすらと言葉が出てくる咏を、晴絵は内心で凄い女だと思っていた。人に物を教える人間としての心構えが、自分よりも遥かにできているように思えたのだ。小学生を相手にしているのは同じなのに、咏は京太郎を勝てないまでも確実に強くしていた。理論を噛み砕いて子供相手に説明できるということは、自身がその理論を深く理解しているということでもある。子供にはよくあることだが、彼ら彼女らは打つことを優先して座学をおざなりにする。

 

 教室に通っている人間の中で、打つことよりも理論を学ぶことを優先しているのは、憧くらいのものだ。その憧ですら、理論の理解度では京太郎には遠く及ばないだろう。

 

「人生二週目って言われても、私は信じるな、あの子」

「二週目か! 上手いこと言うね、阿知賀のレジェンド!」

 

 けらけらと笑ってから、咏は笑いを引っ込めると、真剣な顔で晴絵に向き直った。

 

「麻雀は弱いけどさ、それでも私にとっては大事な弟子なんだ。強くしてくれなんて言わないからさ、あいつの面倒を見てやってくれよ」

「……私にどれだけできるか解らないけど、頼まれた」

 

 仮にも教師役を自分から始めたのだ。ついてきてくれる子供の面倒を見るのは教師の役目で、成長は教師の喜びである。幸い教室には特殊な才能を持つ玄がおり、独特の感性を持った穏乃がおり、理論に重きを置く憧がいる。京太郎にも良い刺激になるだろう。

 

「女ばっかりの所に男一人ってのは針の筵じゃないか?」

「三年前は私達が皆で教えたし、一昨年は女三人男一人でずーっと麻雀してたらしいし、去年は神境に放り込んで無事に出てきたんだから大丈夫だろ」

「大丈夫過ぎるのも困るんだけどねぇ……」

 

 教師としては親御さんから預かっている大事な子供達に、何かあっても困る訳だ。真面目そうな見た目を見るに自発的に間違いを起こすようなタイプには見えないが、晴絵には京太郎よりもむしろ、生徒達の方が心配だった。ギバードたちに熱心に麻雀を教えてる京太郎を、憧がぽーっと眺めている。あれは明らかに恋する乙女の顔だった。

 

 京太郎がやってきた時の反応を見るに、今日までは顔と名前を知っているくらいの関係だったはずだ。京太郎が良い男なのか、それとも憧が惚れっぽいだけなのか。晴絵にはわからなかった。

 

「師匠としてああいうのはどうなんだ」

「別にー? あいつがどんな恋愛しようと自由だろ。ま、麻雀弱い奴だったら私が叩き潰してやるけど」

 

 咏流の冗談なのかと思って晴絵は笑おうとしたが、憧を真剣に見つめる咏の横顔を見て考えを改めた。叩き潰すのは、どうも本気のようだ。

 

「京太郎は一生独りかもな」

「そしたら私が養ってやるさ。何たって師匠だからな」

 

 扇子を広げて、咏は笑った。今度は晴絵にも、それが冗談ではないことが最初から理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……三尋木プロはどこにでも出てくるのね」

「あの人実家が金持ちですし、自分で賞金沢山稼いでますからね」

 

 言われてあぁ、と久は納得した。

 

 京太郎が五年生だった当時から今まで、日本の女子プロ賞金ランキングで咏がトップ5から陥落したことはない。加えて実家が金持ちというなら、咏が金に困るということはないだろう。それに麻雀プロは普通の勤め人よりも時間を作りやすい。今をときめくトッププロが小学生の男子を追い掛け回しているというのも恥ずかしい話であるが、本人達が良いなら、別に良いのだろう。京太郎からは咏に対する尊敬の念がひしひしと感じられた。

 

 

 京太郎の後ろに座った久は、その手つき、打ち筋を牌譜を取りながら観察していた。

 

 手つきが非常に滑らかだ。全中王者である和よりも、牌をツモり河に切る動作がスムーズである。日常的に牌に触れ続けている証拠だ。

 

 視線は常に手牌ではなく周囲を見ている。特に注視しているのは河ではなく相手だ。視線の動き、牌の扱いを常に追っている京太郎の視線は動き続けていた。

 

 打ちまわしは実に利に適っている。牌効率に基づいた切り出しは和よりは若干遅いものの、それでも十二分に早い。これに人間観察による分析が加わった京太郎の麻雀はまさに『防御の麻雀』だった。とにかく固い打ち手である京太郎は、リーチに振らず、ヤミテンにも振らず、しかしツモれず、相手にツモられ続けた。

 

 自分で言っているだけあって、ヒキが圧倒的に弱い。牌効率に基づいたうち回しをしていても、裏目を引く確率が非常に高いのだ。牌に愛された子というのは良く聞く話であるが、京太郎はその逆で、今日出会ったばかりの久をして麻雀に嫌われていると確信を持たせるほどだった。

 

 ゲームが終了する。トップはまこで、ラスは優希だった。京太郎は一度もアガれなかったが、優希がそれ以上に点棒を吐き出した。東場で荒稼ぎするのに、南場に入ると集中が解け振込みが多くなる。思考力の持続が今後の課題だろうか。才能はあるのに、勿体無い後輩である。

 

 そんな優希をどこか優しい眼差しで見つめる京太郎の成績は、ラス、三位の逆連対。打ち筋には目を瞠るところがあるものの、点棒的には良いところがまるでなかった。正しい打ちまわしをしているのに勝てないのだから悔しいだろうに、京太郎は妙に晴れやかな顔で牌を見つめていた。

 

「……次はどのメンバーでやりますか?」

「そうね。次は私が入ろうかしら。まこ、変わってもらえる?」

「先輩二人が続けて抜け番か……我ながら、優しい先輩たちじゃの」

「自分で言ってたら世話ないじぇ!」

 

 わはは、と笑う優希の頭を小突くまこにバインダーを渡し、牌の中から東西南北の四枚を取り出す。今度は場決めからだ。全員が裏になった牌に手を伸ばしたところで、一斉に捲る。

 

「私が出親だな」

 

 東を引いたのは優希だった。南を引いた久は優希の右隣に座る。京太郎は久の下家に座った。防御の麻雀をする京太郎に対し、牌をケアするには絶好の位置であるが……

 

「そう言えば須賀くんは、ポンチーしないのね」

「まだ咏さんに許されてませんからね。それに俺の運で鳴き麻雀なんてしたら、手牌が危険牌で埋まっちまいますって」

「悲しい現実よね、それ」

 

 からころと回るサイコロの音を聞きながら、久は意識を切り替えた。今度は観察しながら打ってみよう。これだけ運のない、しかし技術のある人間がどんな麻雀をするのか。須賀京太郎という人間に、久は強い興味を抱いていた。

 

「で、六年の時に住んでた場所の話ですよね」

「自分から話したくなった?」

「結構場が持つんだということを、今更ながら理解しました」

 

 そんな面白い話でもないでしょうけど、と言い訳するように付け加えて、京太郎は話を切り出した。

 

 

 

 

 小学校六年。京太郎は愛媛に引っ越していた。

 

 

 




気付いたら咏さん無双してました。反省してます。
穏乃らと本格的に絡むのは中学生になってから、宥姉さんも出てきてからになるかも……と思いましたが中学時代はみんな疎遠なんですよね。
誰とどうやって絡むのが良いのでしょうか。今からおきます。


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7 小学校六年 愛媛にて

 

 

 

 戒能良子は考えた。

 

 自分の人生これで良いのかと。

 

 順風満帆な人生ではあると思う。代々神職をする家系に生まれた。霧島神境の滝見本家から嫁いできた母からは、巫女の力を受け継いだ。当代の姫を守護し、補佐する役目を担う『六女仙』は代々霧島の巫女から選ばれるが、外様の巫女にも関わらず良子は候補に上った。

 

 ここ半世紀ではただ一人の快挙であるという。

 

 結局、当代の姫が良子の3つ下ということもあり、より年齢の近い中から六女仙は選ばれることとなりその話は流れてしまったが、候補になったという事実が良子の才能ある巫女という評判を確固たるものとした。

 

 その才能に恥じない努力は続けてきたと自負している。巫女としての力は高まり、依然として六女仙にも引けを取らない力を維持しているが、巫女として一生を終えることがほとんど確定している彼女らと違い、良子はまだ将来のことを決めていなかった。

 

 好きで続けている麻雀でプロになれるか、それが指針の一つにはなるだろう。巫女と同じで才能があると言われてはいるが、まだ明確な結果は残せていなかった。

 

 中学の時の最高成績は個人戦で全国4位。好成績だとは自分でも思うが、結局全国制覇をすることはできなかった。大分上の世代の小鍛治健夜や、少し上の三尋木咏に比べれば見劣りする成績である。女子プロは圧倒的な実力を持つその二人によって牽引されていた。新人はしばらくあの二人と比較され続けることだろう。

 

 神境でバケモノを見慣れている良子にも、あの二人は正真正銘のバケモノに見えた。自分を凡才とは間違っても思わないが、このまま真面目に修行を続けても彼女ら二人に勝てるビジョンがまるで見えないのだ。

 

 だからと言って麻雀をやめたりはしないが……目の前の壁が高すぎるというのも、乗り越える側としては考え物なのだ。

 

 ふぅ、と良子の口から大きな溜息が漏れた。将来のことを考えていたら、何だか疲れた。何というか、癒しが欲しい。

 

「……どこかに金髪で気配りができて私よりも年下で得意料理が肉じゃがな美少年が落ちてないかな」

 

 それははっきりと良子の本心だったが、冗談と解釈した友人たちはまた妄言を言ってると呆れ果てた。その態度に、良子はカチンときた。

 

「じゃあなんだい。お前たちは美少年にときめかないのかい」

「ときめくけど、戒能は属性盛りすぎ。いまどき漫画でもそんなパーフェクト美少年出てこないって」

「事実は小説よりも奇なりと言うじゃないか。漫画に出てこないなら、きっと現実に現れる前振りに違いないよ」

 

 良子の物言いに、旧友達は揃って溜息をついた。良子とて、何も本気で信じている訳ではない。そうでも言わないとやっていられない現実があったからだ。

 

 神代本家を中心とする神境系の巫女の一族は、女系一族として有名である。加えて何故か女が生まれる確率が高く、一族の血を引いた男は非常に少ない。よって外部から婿を取ることが多いのだが、婿として入れば弱い立場になるとわかっていて来てくれる男はあまり多くない。結果、親戚同士で見合い結婚なり恋愛結婚をする訳だが、女ばかりの一族では男の数は限られている。

 

 故に、結婚しないまま一生を終える巫女も少なくない。神境の外の巫女である良子は、神境の巫女たちほど境遇は悪くないが、巫女という不思議パワーを持っていることは中学でも何故か広く知られており、高校でもまた同様だった。周囲には同性ばかりで、今まで誰とも付き合ったことはない。

 

 それと中学生的な気性が重なり、こういう彼氏が欲しいという話をすることが多くなった。高校に進学しつるむようになった友達は皆、良子と同じように今まで一度も恋人がいなかった面々ばかりである。皆好みが違っていることもあり、五人集まっても誰一人として共感できる好みを持っている仲間はいなかったが、バラバラな趣味の少女達の中にあってはおそらく、良子の趣味が一番異彩を放っていた。

 

 勿論、冗談ではない。掛け値なし、純度100%の超本気である。

 

「それにしても、何でショタ?」

「だって、かわいいじゃないか。尽くしてくれる年下の美少年なんて、放っておけないにもほどがある」

「年上の方がいいと思うけどね。甘えられそうだし」

「年下にだってきっと甘えられるよ。そうだな、包容力というのも付け加えておこう。私も多分、甘えたくなる時があるはずだ」

「何かどんどん良子の中の理想がパーフェクト超人になっていくね」

「理想なんだから良いだろう? ふふふ、そんな少年が現れたら、私は一体どうなってしまうんだろう――」

 

 まぁそんなことはあるまいが、と内心で自嘲しながら視線を向けたその先に、その少年はいた。

 

 燻った色のその髪を金色と表現するのは難しいかもしれないが、良子の目にはその髪ははっきりと輝いて見えた。二枚目というには聊か物足りないが、十分に整っている部類に入る顔立ち。身長は自分よりも頭半分は低い。童顔っぷりからおそらく小学生だろうことは解るが、少年らしさの中に男性の影も見え隠れしていた。

 

 友達一同も、その少年に気付く。彼女らは目をぱちくりさせて少年を見ると、次いで良子を見た。彼女らが心配していたのは良子が襲いかかったりしないかということだったが、良子の頭の中にはただ呆然とする以外の選択肢などなかった。良子は呼吸することも忘れて、ただ少年を見つめていた。

 

「須賀京太郎と言います。滝見千恵さんの紹介で参りました。話は伝わっていると聞いてますが……ご存知ですか?」

 

 声音は低く、そして掠れている。最近声変わりしたばかりなのだろう。低い自分の声に、慣れていない様子だ。子供に似合わない敬語も、板についていた。親の教育が良かったのか、それとも敬語を使う環境に慣れているのか、子供がよくやる余所行きの敬語のような違和感はない。子供にしては物凄く大人びている。中学生、いや、高校生だって彼のように振舞える男子はそういないだろう。頼りがいはありそうだ。弱音を吐いても受け止めてくれそうな包容力が感じられた。

 

「……得意料理は?」

 

 良子の質問に、少年――京太郎は怪訝な顔をした。

 

 だが、別に聞かれて困るようなことではないと判断したのだろう。んー、としばらく考えてから京太郎が口にした答えは、

 

「肉じゃがですかね。岩手にいた時、先輩から教わったんですが」

「結婚してく――」

 

 本気の告白は、友人の激しい突っ込みによって阻まれた。小学生の男子を前に取っ組み合いを始める良子に、京太郎はそっと溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女性の部屋には何度か入ったことがある京太郎だったが、記憶の中にあるそれらと比較しても、良子の部屋は明らかに地味だった。

 

 八畳の和室である。中央には正方形のテーブルがある。確認した訳ではないが、これはおそらく裏返すと緑色のラシャが張ってあるアレだろう。奥には押入があり、部屋の隅には文机があった。その上には教科書や麻雀の教本が並んでいる。スペースの割りには本が多いように思えた。文机の上に乗り切らなかった本は、横のカラーボックスの中に納まっていた。その中でも一際京太郎の目を引いたのが――

 

「英語話せるんですか?」

 

 ――カラーボックスの一角を占める英会話のテキストだった。それが学校の教科書ではないと小学生の京太郎にも判断できたのは、それらだけが他の本に比べて明らかに読み込まれてボロくなっていたからである。教科書や麻雀の教本も、ここまで擦り切れてはいない。どれだけ読み込んでいるのかが解るというものだ。

 

「まだ日常会話ができる程度だけどね」

「それでもかっこいいじゃないですか。でも、どうして?」

「プロになったら海外に行くこともあるだろう。その時、意思疎通ができなくて悔しい思いをするなんて嫌だからね。だからルールとレートの確認ができる程度の英語力は身につけておこうと思ったのさ」

 

 答える良子の顔には笑みが浮かんでいる。『かっこいい』と言われたことが、素直に嬉しいようだ。

 

「須賀くんも覚えてみるかい? 今は活かし所は少ないと思うけど高校生くらいになれば留学生も増えてくるよ?」

「あー、それは何か面白そうですね」

 

 海外と言われても、生まれてこの方国外に出たことのない京太郎にはピンとこなかったが、留学生とコミュニケーションが取れるというのは、面白いと思った。この国でさえ地方によって麻雀に対する考え方が違う。国が違えばもっと変わるだろう。そういう話を聞くのが京太郎の楽しみだった。英語を覚えるのは大変だろうが、それが麻雀のためになるというなら、やらない理由はなかった。

 

「この辺りに住んでいるなら、教えてあげるよ。というか、一緒にやろう」

「よろしくお願いします」

「さて、君の性質の話だったね。千恵婆様の話では大分改善したようだけど、鹿児島を離れてからその後はどうだい?」

「落ち着いています。太い運を持った人が相手だと相変わらずですが、普通の人を相手にする分にはそうでもなくなりました」

 

 言葉だけを見れば『勝てるようになった』とも取れるが、京太郎のトップ率はようやく一割を超えた辺り。鹿児島を訪れる以前に比べれば勝てるようにはなったが、一般の基準から言えば、まだまだだった。技術が向上し相対弱運も抑えられるようになったが、なくなった訳ではないし元々細い運が改善された訳でもない。問題は山積していた。

 

「日常生活を送るには問題はないんだよね。勝負運だけが弱くなるのか……麻雀以外でも同じ感じで運が細くなるのかい?」

「色々試してみましたが、ほとんど全滅でした」

「君はよほどギャンブルの神様に嫌われているんだね。前世でよほど酷い目にあったと見える。でも、それをどうにかしようという精神は気に入った。そしてそれをどうにかするのが私達のような巫女だ。大船に乗ったように、とは言えないけど春と同じくらいに仕事はすると約束しよう」

 

 胸を張る良子の姿は、本当に頼もしく見えた。ほんの少し前、ショタがどうしたとか言いながら同級生と取っ組み合いをしていた人間と同一人物とは思えない。

 

「ところで、須賀くん。春のことはあだ名で呼んでいるそうだね」

「どこでそれを!?」

「鹿児島の皆が言っていたよ。君は姫様や六女仙の皆と仲が良いけど、特に春は君をあだ名で呼ばせているってね」

 

 からかいの笑みを浮かべる良子に、京太郎はそっと溜息をついた。

 

 呼び合う、ではなく呼ばせる仲なのは、春の方は『京太郎』と普通に呼ぶからだ。不公平な気はしたが、確固たる自分のペースを持っている春に羞恥プレイは効きそうにない。珍妙なあだ名を思いつかれたら事だし、自分で自分のあだ名を考えるなど論外だ。それに春から言い出すのは元より、自分からあだ名で呼べと言い出すのは痛すぎる。女ばかりの神境でそんな噂が広まったら、初美辺りから何を言われるか解ったものではない。

 

 それから、良子の言葉には誤解があった。確かにあの七人と仲が良かったのは事実だが、全員と同じように仲良くしていた訳ではない。無条件に甘やかしてくる小蒔や、基本的に甘い巴、何を考えてるのか良く解らない春に、懐いてくれた年下組は良い。問題は残りの年上二人、初美と霞である。

 

 初美は出会ってから二年経っても身長が全く変わらないちびっ子であるが、年上というポジションを活かして非常にお姉さん風を吹かせてくる。六女仙の巫女は大昔に当代の姫の護衛も兼ねていた慣例から何かしら武術を齧っており、初美はそれを最大限に活かして京太郎に接してきた。春と一緒に身体を見てくれたため、接する機会も多かったことも一因だろう。鹿児島にいる間に一通りの関節技をかけられた自信がある。

 

 霞は初美と同じ年というのが信じられないほどに大人びていた。物腰も穏やかで胸も大きく見た目だけで言えば京太郎の理想を体現したような女性だったのだが……優しくなかった訳ではないが、厳しい人というのが京太郎のイメージだった。何事にも妥協を許さず、春の治療の一環で巫女の修行に付き合った時は、できるようになるまで何度でもやらされた。麻雀のためと割り切っていた京太郎でもその厳しさにはくじけそうになったが、きちんと最後まで遣り通した時はよく頑張りましたね、とちゃんと褒めてくれる。 男が抱く『お姉さん』というもののイメージの、良い面も悪い面も両方持った、京太郎にとっては頭のアガらない年上の第二位が霞だった。

 

「霞と初美は昔から弟が欲しいと言っていたからね。君みたいな友達ができて嬉しかったんだろう」

「俺も一人っ子ですから、姉ができたみたいで楽しくはありました」

 

 辛い思いもしたが、それを補って余りあるほどの良い思い出があった。流石に九州は遠く、毎年足を運ぶという訳にはいかなかったが、今でも連絡は取り続けていた。電子機器がイマイチ苦手な小蒔に配慮してか七人全員に紙の手紙を出しているが――これも霞の指示だ――携帯電話を持っている年下組と春にはそれとは別にメールでやりとりしている。配慮するならメールのやりとりもNGな気がするが、それとこれとは別らしい。女というのはよくわからないと思う京太郎だった。

 

「春たちとも麻雀を?」

「神境に足を運んだ時は、毎回やりました」

「なら、姫様や霞とも打ったんだね。君のような性質を持っていたら、苦労しただろう」

「特に姫様はキツかったですね。気絶するかと思いました」

 

 運が良い相手と相対した時ほど、相対的に京太郎の運は弱くなる。一番強い神を降ろした時の小蒔の勝負運はまさに人外のもので、運を放出しすぎた京太郎は眩暈の中で麻雀を打った。当たり前のように負け、勝負が終わると同時に意識を失ったが、世の中上には上がいるのだと身体で学ぶことができたのは良い経験と言えるだろう。

 

「なら、私とも一局やってもらおうかな」

 

 良子は部屋の隅から牌のセットを持ってくると、テーブルの板をひっくり返す。お馴染みの緑色のラシャの上に牌がぶちまけられる。理牌すると、良子は流れるような手つきで牌を四山積み上げた。京太郎が良子の正面に座った時には既にサイコロが振られ、山に切れ目が入れられていた。起家マークは良子の方にある。あちらが親で、京太郎が子だ。

 

「ノーレート、アリアリ、役満の重複、ダブル役満アリ。ローカル役は……まぁ、全部アリで良いかな。出てから考えよう」

「良子さん、麻雀強いんですか?」

「姫様よりもと問われたら答えは否だけど、春よりと聞かれたら是かな。これでも中学では全国大会に出たんだよ。君は知らないだろうけど」

「すいません、勉強不足で」

 

 咏の指示でプロや高校生の牌譜を研究するようになったが、中学生まではノーマークだった。全国へ出場したというのなら相当な実力者だろう。それを知らないというのは、麻雀好きを自認する京太郎にとって恥ずかしいことだった。

 

 そんな京太郎を、良子は笑って許した。

 

「別に、これから知ってくれれば良いよ。それからこれは君の性質を知るためのものだから、気楽にやってくれて良いよ」

「お気遣いありがとうございます」

 

 負けても気にするな、という年上らしい配慮に感謝しながら、京太郎は配牌を開ける。

 

 その瞬間、いつもの感覚が京太郎を襲った。強運を持った相手に特有の現象。それが良子を相手にも起こったのである。

 

 確かに春よりもずっと太い運を持っている。自分で言っていた通り流石に神様を降ろした時の小蒔や霞ほどではないが、運量だけならば初美と良い勝負をするだろう。六女仙と良い勝負ができるという時点で、相当な運量である。これで実力が伴えば、そりゃあ全国でも良いところにいけるだろう。

 

 こんな実力者とやって大丈夫だろうかと、今更ながらに緊張してくる。

 

 恥ずかしい麻雀は打てない。気楽にやっても良いという言葉に感謝しつつも、京太郎は全神経を研ぎ澄ませた。せめて恥ずかしい麻雀は打つまいと、京太郎は第一打を切り出した。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ツモ。2000、4000で終了じゃな」

 

 オーラス。まこのツモで半荘は終了した。結果、まこが一位、和が二位、京太郎が三位で優希がラスとなった。

 

 今回もラスと覚悟していた京太郎には、優希のラスが意外だった。前半は凄まじいまでに強運を引き寄せるのに、南場までそれが続かないばかりか、東場が終わった途端に集中力まで切れるのである。捨牌を見て解るくらいのボンミスを連発したり、見え見えのテンパイにも突っ込む。減らさなくても良い点棒を減らした結果、ヒキの弱い京太郎よりも点棒を減らしたのだった。

 

 東場で吹くだけに、これは非常に勿体無い。南場でオリ打ちに徹するだけで勝率はかなりの物になるだろう。今回の放銃だって、オリを意識していたら防げていた程度のものだ。

 

 そんな優希に、京太郎は大いに感性を刺激されていた。今まで出会った才能ある打ち手は、自分の特性を把握しそれを活かすように打ちまわしていた。優希も東場で吹くという自分の特性を理解してはいるのだろうが、そこに全てを費やしすぎて南場まで配慮ができていない。東風戦ならば良いだろうが、競技麻雀の多くは東南戦だ。東風で吹く優希は典型的な先行逃げ切りタイプである。これで勝ちきるには吹いている東場の内に誰かを飛ばすか、前半のリードを最後まで守りきるしかない。

 

 負けて悔しそうにしている優希を見て、鍛え甲斐のある逸材だと思った。自分の特性を活かしきれていない打ち手と出会ったのは、生まれて初めてである。

 

「須賀、お前バイトとかしとるか?」

「いえ、特にそんなことはありませんが」

「なら放課後うちでバイトせんか? お前には打ち子の才能がある。うちの雀荘はノーレートじゃけ負け分の心配はせんでもええし、お前ならすぐにおっさん達のアイドルになれると思うんじゃが」

「ここまで心に響かない誘い文句ってのも凄いですね。いや、評価してくれるのは嬉しいんですが」

 

 数をこなすことのできる雀荘は、修行の環境としては申し分ない。さらにノーレートで、知り合いの紹介というなら財布にも優しい。嬉しい誘いだったが、今ここで飛びつく訳にはいかなかった。部の面々は咲の言う『怖い人』ではなさそうな以上、咲の入部は決定的だ。雀荘でバイトするようになったらその面倒を見ることができなくなる。せめて一人でも大丈夫と確信が持てるまでは、傍を離れる訳にはいかなかった。

 

「そうか……まぁ、気が向いたら、いつでも言い」

「ありがとうございます」

 

 まこの誘いを丁寧に断ってから京太郎は背もたれに背を預けて、大きく溜息をついた。

 

 部員の実力は大雑把にではあるが、把握した。優希に若干危うさを感じるものの、全員実力は申し分ない。これに咲が加われば十分に全国は狙えるだろう。問題はおそらく決勝で戦うことになるであろう衣たちであるが、戦うまでに時間はまだ十分にある。全員で強くなれば、衣たちにだって勝てるはずだ。

 

「それじゃあ、次は牌を引いて打つ人を決めましょうか」

 

 久が卓上の手を伸ばし東西南北と白を一枚ずつ引く。それを裏返して、シャッフルした。白を引いた人間が抜ける、というのはすぐにわかった。同時に抜けるのが自分であることも経験から予測する。

 

「場決めするだけなのに、随分楽しそうですね、部長」

「今までは誰が抜けるかを決める必要すらなかったもの。部員が増えて嬉しいの。これからも仲良くしてね須賀くん。あと、友達がいたらよろしく」

「入るかどうか迷ってる奴がいますので、背中押してそのうちつれてきますよ」

「助かるわ。ほんと、今年は幸先が良いわね。去年の今頃なんて、私とまこの二人だけだったのに」

 

 牌に手を伸ばす久は嬉しそうだ。ついでまこ、和、優希が手を伸ばす。京太郎に用意されたのは、最後に残された一枚だった。

 

「それじゃあいくわよ。せーの!」

 

 一斉に牌を捲る。風牌を引いた四人に見せ付けるように、京太郎は自分で引いた白の牌をひらひらと振って見せた。

 

「俺が抜け番ですね。勉強させていただきます」

「誰の後ろにいても良いわよ」

「それなら――」

 

 久の許可を得た京太郎は、先ほどまで久の使っていた椅子を和と久の間に移動させた。まこの麻雀にも正直惹かれるものがあったが、全中覇者の和とトリッキーなうち回しをする久の麻雀に、酷く興味を惹かれたのだ。

 

「三尋木プロと戒能プロに師事してた人に見られるのも、緊張するわね」

「あの二人が凄いだけで、俺なんて大したことはありませんよ」

「そんなことないと思うけど。読みの鋭さだけなら、全国でも通用するんじゃない?」

「今の言葉だけで答えが出てますよ。読みだけ鋭くても麻雀は勝てません」

 

 自嘲気味の言葉を、軽い口調で口にする。勝てないことを気にしても、引きずりはしない。読みが鋭いことを褒めてもらえたと、好意的に解釈する。勝てない、ヒキが弱いのは事実である。それを気にしていたところで強くはなれない。自分だけの武器、自分だけの長所、それを活かすことで京太郎の勝率はじわじわと上がり続けている。このまま続ければいつか、という希望は、自分の不運を確信している京太郎でも、まだ捨ててはいなかった。こんな自分に協力してくれた人たちに報いるためにも、いつか胸を張れる勝利を掴み取りたい。

 

「私の麻雀を見ても面白くないと思いますよ?」

「そう言うなら目一杯勉強させてもらうな。楽しみにしてるぞ、全中チャンプ」

「もう……」

 

 呆れた顔で卓に視線を戻す和の手先を見逃さないように、椅子の位置を調整する。久が和の上家というのも、見所の一つだった。デジタル派の和に久がどういううち回しをするのか。今後、和のようなタイプを相手にする時のために参考にしておきたい。どういううち回しをするかを見るということは、いずれ戦う時にどう対処するのかを考えることでもある。自分でも聊か姑息だと思うが、勝率を少しでもあげるためには必要なことだった。

 

 僅かな動きも見逃さないように、意識を集中する。京太郎の視界には、『麻雀』しかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もしもし、京ちゃん?』

『咲か。今大丈夫か?』

『うん、大丈夫だよ。それよりお疲れ様。麻雀部、私のために行って来てくれて』

『俺の趣味みたいなもんだから、気にすんな。部の人たちは良い人っぽかったぞ。一年も二人いたし、お前もやりやすいと思う』

『良かったぁ。私も、明日行ってみようと思うんだけど、京ちゃんも一緒に行ってくれる?』

『当たり前だろ。お前一人にしたら、できる友達もできなそうだしな』

『私そこまで子供じゃないよぉ……』

『どうかな。明日は放課後に、お前の教室まで迎えに行くから、勝手に外に出て迷子になるなよ』

『うん。ごめんね。いつもありがとう京ちゃん』

『気にするなよ。じゃあ、今日はもう遅いから切るな。おやすみ、咲』

『おやすみ、京ちゃん』

 

 

 

 

 




電話をきった後に大好きとかぼそっと言って恥ずかしくなってベッドの上をごろごろ転がって、ベッドから落ちる咲さんとかいますが無害です。


そんなこんなで小学生回想編終了になります。
次回から中学生回想編となります。長野のヒロインを中心に動きますが、夏休みなど長期休みの時には今までのヒロインとか登場しますのでご期待ください。


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ボツ1 幼稚園 南大阪にて

死蔵しておくのも勿体無いと思ったのでアップすることにしました。
本編の時系列とは違う世界線のお話としてお楽しみください。


1、

 

 お前は馴染まない人間だな、と父親には良く言われる。

 

 物心ついた時から大阪にいるが、訛りのない標準語を話すのは同級生の中では京太郎だけだった。趣味は麻雀。世では麻雀が大流行しているが、小学校に上がる前から麻雀をしている人間は、実のところ非常に少ない。京太郎くらいの世代だと身体を動かすことの方が人気があり、男子も女子も外で遊ぶことに熱中する。

 

 同級生が外で元気に遊ぶ中、一人幼年向けの教本を読む京太郎は、彼一人だけならば周囲から浮いていただろう。この時の京太郎の最大の幸運は、同好の士に恵まれたことだった。

 

「京太郎! 今日はうちにくるんやってな。おかんから聞いたで」

 

 さらに幸運なことは、その同好の士が同年代の中では大層な人気者であることだった。

 

 特徴的な愛嬌のある目元に、人の目を引く赤い髪。自分のペースでぐいぐい押してくる、妙に距離の近いこの少女の名前は愛宕洋榎。京太郎から見れば二つ上のお姉さんであるが、年の差を感じさせない幼馴染でもあった。物心ついた時からのお隣さんであり、家族ぐるみの付き合いをしている。兄弟のいない京太郎にとってはまさに姉のような存在だった。

 

「行くよ。母さんが雅枝さんによろしくだって」

「そか。じゃあ夕飯もうちでやな」

「うん。よろしくお願いします」

 

 教本を持ったままぺこりと頭を下げると、洋榎は鷹揚に笑って見せた。たまに姉の属性を発揮して無理難題を押し付けてくることもあるが、基本、下手に出ている分には優しい姉である。周囲から浮き気味の京太郎がいじめられていないのは、ガキ大将的立場の洋榎の子分と目されているのが大きかった。趣味麻雀と公言する、幼稚園児にしては異質な趣味を持つ洋榎だが、一番好きなものが麻雀なだけで身体を動かすことも苦手ではない。

 

 一度外に出れば、たちまち男子全てを平らげてしまう。それぐらいのスペックが洋榎にはあった。そんなだから先生もヒロちゃんはお外に出て……と進めてくるのだが、自分の気が向かない限りは、洋榎は屋内に居座り京太郎と一緒に教本を読み、あーでもないこーでもないと麻雀議論に花を咲かせるのが常だった。

 

「おねえちゃん、おねえちゃん」

 

 姉弟のやり取りをしてる二人に、とことこと、少女が寄ってくる。青みががった銀色の髪に、赤いフレームの眼鏡。美少女に十分カテゴライズされる容姿であるが、全身に漂う野暮ったさが、その印象を大きく崩していた。

 

 洋榎の妹の絹恵だ。京太郎にとってはもう一人の姉貴分である。先ほどまでサッカーをしていたのだろう。絹恵の服は泥で汚れている。見た目に反して外で遊ぶのが好きなのだ。トロそうな見た目なのに運動神経も悪くない。運動神経が全てという幼稚園カーストにおいて、男子のボールでもバシバシセーブする絹恵は一種のヒーローだった。

 

 そんな絹恵も、スポーツを一度離れると見た目通りのトロそうな印象に戻る。ボールを追っている時はあれだけキリリとしているのに、と京太郎は不思議でならなかった。大好きな姉の近くに寄ってきた絹恵は何をするでもなくえへへ、と幸せそうに笑っている。その頬に泥がついているのを発見した京太郎は、黙ってハンカチで拭ってやった。

 

「うー、京太郎、いたいー」

「女の子が顔に泥とかつけっぱなしだとダメなんだぞ、って雅枝さんが言ってた」

 

 少女達の母親の受け売りであるが、少女が汚れたままというのは京太郎自身も我慢のならないことだった。絹恵の顔についた泥を全部拭い終わると、よし、と頷いてハンカチをしまう。

 

「痛かったけど、ありがとなー京太郎」

「どういたしまして。絹ねーちゃん、俺、今日は絹ねーちゃんちに行くよ」

「あーそうやったなぁ。せやったら今日は皆で、麻雀できるんやな」

 

 楽しみやぁ、と絹恵は笑う。放っておくといつまでもそこでニコニコしていそうなので、右手を京太郎が、左手を洋榎が取り絹恵を引きずっていく。先生さようならーと挨拶をして、幼稚園の外へ。いつもはバスで帰るが今日は車だ。京太郎の母は今日は用事でいないので、洋榎たちの母が迎えに来ることになっている。愛宕家は共働きなので普段は須賀家に姉妹が遊びにきていることの方が多いのだが、今日はいつもの逆だった。

 

 時間の取れた雅枝が日頃の恩返しとばかりに京太郎の面倒も見ると名乗り出てくれたのだ。それに乗っかる形で京太郎の母は出かけることにしたようで、泊まりで家を空けている。父親も出張にいっているから、今日は愛宕家にお泊りなのだ。絹恵がいつも以上にゆるゆるなのも、その辺りに原因がある。

 

「三人とも、早く車に乗り」

 

 雅枝に促され、三人は車に乗り込んだ。姉である絹恵が乗り、その次が京太郎。洋榎が最後だ。

 

 後部座席で京太郎が挟まれる形になる。バスに乗る時も三人並んで座れる時は大体この形だ。二人席しか取れない時は、洋榎が譲って絹恵が隣になる。そうでないと絹恵が泣くからだ。

 

 いつも通りの席順で座ると、車が発進する。隣に座った絹恵が当たり前のように手を握ってきた。京太郎は黙って、その手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 雅枝が家にいるときは、洋榎、絹恵と一緒に麻雀をするのがいつものパターンだった。手前みそながら、雅枝は別格としても、二つ年上の洋榎、一つ上の絹恵よりも技術的なことは良く知っている……気がしないでもない。

 

 だが、勝てなかった。愛宕家で麻雀をする時はいつもラスが京太郎の指定席だった。それでも腐らないのが、京太郎最大の長所だろう。負けても負けてもめげずに前向きに麻雀をやりたがる京太郎を、愛宕家の全員が気に入っていた。

 

 年齢にそぐわないその精神性で京太郎が出した結論は自分は『ヒキ』が絶対的に弱いということだった。普通であれば一笑に付されて終わりだろう。負けた理由の最たるものとして運を挙げるなど、男のすることではない。

 

 しかし、俺は運が悪いから勝てないのかとストレートに問う京太郎に、雅枝は笑いながらその通りやと答えた。

 

 実は慰めてほしかった京太郎は地味に傷ついた。それを目敏く感じ取った絹恵が雅枝に抗議の視線を向けるが、雅枝は何処吹く風だった。

 

「せやかて、京太郎のヒキが弱いんは事実やからな。絹かて解っとるやろ? 優しいから言わんかっただけで」

 

 うっ、と絹恵は言葉につまり、京太郎の顔を見ては泣きそうになる。心優しい姉貴分の頭を、京太郎はよしよしと撫でた。

 

「それはそうと京太郎、負けて悔しいか?」

「くやしい」

「麻雀、勝てるようになりたいか?」

「かちたい」

 

 まっすぐ、雅枝の目を見て答える。正真正銘、偽らざる京太郎の気持ちだった。そんな京太郎を見て、雅枝は嬉しそうに微笑む。

 

「ええなぁ、ええなぁ、男の子やなぁ。こういう熱血がやりたかったんや」

 

 もう一人作ろうかなぁ、と子供達に聞こえないように雅枝は呟いた……つもりだったようだが、京太郎の耳にはしっかりと届いていた。洋榎の弟ならさぞかし騒々しくなるのだろうと、一人っ子だが末っ子の京太郎はまだ見ぬ愛宕弟に心をときめかせたが、独り言は聞き流すのが男のマナーと、雅枝の言葉を聴かなかったことにする。

 

「そういうことなら仕方ない。男子に指導するんは初めてやけど、特別に私が京太郎を鍛えたる」

「ありがとうございます、ししょー」

「最初に言っとくが京太郎。お前が自分で気付いたように、お前には才能がない。ヒキを才能というなら、やけどな。ヒロのヒキと比べたらそやなぁ……京太郎十人分くらいの運が必要やな」

「ウチは京太郎十人分かぁ……」

 

 強そうやなぁ、と洋榎は素直に喜んでいる。絹恵は何故か羨ましそうで、うちは、うちは? と頻りに雅枝に問うているが、雅枝は邪魔そうに絹恵の頭を押しやるだけで答えない。大事な話を邪魔するなとばかりに絹恵を抱えこみ、

 

「せやかて、ヒキが弱いから勝てんようじゃ、麻雀はおもろない。京太郎が勝つには、この差をどうにかして埋めんとあかん。そのためには京太郎、どうしたらええと思う?」

「腕を磨く?」

「それは当たり前のことや。スポーツやっとって、身体鍛える答えるんとあまりかわらんで」

「ならおかん、京太郎をラッキーボーイにしたらどや?」

「それができたら苦労せんなぁ。そんな方法があるんやったら私が知りたいくらいや。なぁヒロ、私はどうしたらラッキーガールになれるんやろな」

 

 ガール? とうっかり口にしてしまったのは、洋榎でも京太郎でもなく、この場で一番純粋な絹恵だった。そんな絹恵に雅枝はにっこりと微笑むと、その頭に拳骨を落とした。

 

「……いたい」

「京太郎が黙っとったのに女の子の絹がそんなことやあかんで。さぁ、次は絹の番や。京太郎が強くなるには、どうしたらええと思う?」

「京太郎は今のままでええもん。うちが勝てんようになったら、お姉さん失格やもん」

 

 現時点では何一つ負けているところがないという物言いに、理不尽を覚える京太郎だった。雅枝はそんな絹恵を『女の子やなぁ……』と満足そうに眺めている。

 

「勉強は続けるとして、や。京太郎がヒロに勝つにはそれ以外の部分を伸ばすしかない。ヒロや絹にはなくて、京太郎にはある。そんな強さが必要なんや」

 

 そんな都合の良いものがあるのか、と子供達の視線が雅枝に集まる。

 

「ところで京太郎、今日の絹と昨日の絹、どこが違うか解るか?」

「めがねの色がちょっと違う」

「気付いとったん!?」

 

 迷わず答える京太郎に、絹恵はひゃー、と小さく可愛らしい悲鳴をあげる。

 

「ちなみに絹がいくつメガネ持っとるかわかるか?」

「俺が見たことがあるのは3つ。今日の、昨日の、と四日前の」

「ヒロは昨日と何か違うか?」

「違わない。けど、一昨日とは違う。リボンの色と、髪型がちょっと違う」

 

 洋榎はオシャレに拘る性質ではないが、それはあくまで絹恵に比べてという話だ。洋榎とて女の子である。男の京太郎からすればそんなことを? と思うような些細なことにこだわり続けていたりする。大きな変化はないが、髪をポニーテールにしているリボンは、洋榎の数少ないオシャレポイントのようでその日の気分で色を変えているらしい。

 

 朝からテンションが高ければ少し明るい色。どうにも乗り気になれない時はもっと明るい色と変わる。つまりより明るい色のリボンをしている時の洋榎は要注意なのだ……ということを、理不尽にプロレス技をかけられた経験から、京太郎は学んでいた。

 

 京太郎の指摘に、雅枝は満足そうに微笑んだ。

 

「京太郎。お前は凄く目が良え。それを磨けば、必ず武器になる。牌なんか見んでええ。ポンチーするな、人を見るんや」

「それで俺はかてますか?」

「勝てるようにするんが、京太郎の腕の見せ所や。色々なことが解るようになれば、打つ手は無限に広がる。ヒキの差も、もしかしたら埋まるかもしれんで?」

「わかりました」

「せやかて、勉強もサボったらあかん。その力を活かすには、地力が必要やからな。あせらずじっくり強くなり。そしたら京太郎も、ヒロや絹に勝てるかもな」

「雅枝さんにも勝てるようになりますか」

「私に勝つつもりやったら、死ぬ気で頑張らんとな!」

 

 冗談めかして雅枝は言うが、目だけは笑っていなかった。簡単に負けるつもりはないと全身で言っている。あまりの迫力に、娘二人は身を寄せ合って震えていたが、京太郎は血が沸き立つのを感じていた。そうでなくては、面白くない。

 

 『人を見る』

 

 生まれて初めて、それを意識して、京太郎はサイを振るボタンに手を伸ばした。世界が変わった。そんな気がした。

 

 

 



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中学生編
8 中学生一年(入学前) 鶴賀編


 

 

 マイホームを買った。

 

 父親の言葉に京太郎は耳を疑った。『買う』ではなく『買った』である。当たり前だが京太郎はそんな話は一度も聞いていない。どうして何も相談してくれなかったんだ、と抗議する京太郎に両親は『お前の意見を聞いてもしょうがない』と答えた。

 

 両親は既に長野に家を買うと決めていた。二人の出身が長野だったからだ。京太郎も何度か足を運んでいるが、そこに定住することになるとは考えてもいなかった。定住するなら何となく怜のいる大阪だと思っていた京太郎は肩透かしを食らったような気分で、それを受け入れた。

 

 近所に挨拶周りをしたり、良子とその同級生にさよならパーティを開いてもらったりしながら愛媛を後にした京太郎は、翌日には長野に着いた。

 

 年末年始には両親の実家に顔を出していたから、久しぶりという気はしない。どちらかの祖父母と一緒に住む訳ではなく、そしてどちらの実家にも近くない場所に家を買ったという。何でそんなに訳の解らない場所に? と問うたら、父親は苦笑しながら『両方の家から同じくらいの距離に家を建てた』と答えた。

 

 父方も母方も仲が悪かった記憶はないが、そういう配慮は必要なものらしい。京太郎としてはどちらかに近い方が楽でよかったのだが、既に建ててしまった家はどうにもならなかった。どちらの祖父母の家にもそこそこ遠い代わりに、これから行く予定の中学校とおそらく行くことになるだろう公立の高校には結構近かった。一年に一度か二度しかいかないそちらよりも、毎日通うことになる学校。どちらが大事かは考えるまでもなかった。通学を楽にしてくれた両親には感謝である。

 

 引越しの荷物を運び込みひと段落ついたところで、須賀一家は祖父母の家に顔を出すことにした。転勤ばかりだった父が漸く落ち着いたということで、特に県北に住んでいる母方の祖父母が喜んでくれた。テンションが上がりすぎて、日帰りするつもりだった父が引き止められてしまった。

 

 予定外の泊まりである。お泊りセットを用意していなかった京太郎は途方に暮れたが、昔の父親の服があるということで説得されてしまった。荷物の整理はもう済んでいたし、特にやることがあった訳ではない。たまにはこういうのも良いだろうと、京太郎は割り当てられた部屋で携帯を脇において一人教本を読み始めた。

 

 それから、三十分もしただろうか。

 

 本を読みながら怜や憧のメールに返信していた京太郎の部屋を、誰かが小さくノックした。京太郎は教本から視線をあげずに『どうぞー』と答える。

 

 部屋に入ってきたのは一つ年上の従姉だった。母親の兄の娘である彼女は、自分と同じ燻った色の金髪をしている。あまり綺麗な色ではないと自分ではあまり好いていなかったが、性別が変わると印象まで変わるのだろうか、可愛らしい顔立ちをしている従姉にはその色は似合っていると思ったし、彼女の髪なら綺麗だと思えた。

 

 教本を閉じ、従姉――妹尾佳織に向き直る。佳織は京太郎から僅かに距離をとると、座布団に腰を降ろした。

 

「京太郎くん、明日の朝には帰っちゃうんだよね」

「そういう予定だな」

「もう少し延期にならない?」

「俺は別にかまわないけど、どうしてだ?」

「あのね、明日友達と一緒に幽霊を探しに行くんだけど、一緒についてきてほしくて」

「幽霊か。別にいいぞ。おもしろそうだし」

「……え、なんで疑わないの?」

 

 何も聞かずに引き受けたのがよほど意外だったのか、佳織は身を乗り出して詰め寄ってくる。関係ないことだが、一般的に女性の方が第二次性徴は早いとされている。その恩恵を正しく受けた佳織は一部が非常に女性的になっており、間近に寄られた京太郎は視線を自然に逸らすのに苦労した。

 

「幽霊だろ? 別にいいじゃないか探しにいっても」

「本当にいると思ってる?」

「思ってる。『幽霊は』見たことはないけどな」

 

 疑いなど微塵も感じさせない静かな声音で、京太郎は答える。

 

 不思議パワーで人を吹っ飛ばす巫女がいるのだから、幽霊くらいいても良いだろう。というか、巫女に降りる神様を肯定して、その辺を漂う幽霊を否定する理由がない。

 

 だが、それは京太郎の個人的で特殊な事情だった。普通の人間は普通じゃない巫女と交流などしないし、本物の神様にも縁がない。その一人であるらしい佳織は、物分りが良すぎる京太郎に不審な目を向けてきたが、付き合ってくれるという返答を重視したのか、疑問は口にしなかった。

 

「おじさんたちには、私の方から言っておくから」

「そうか。ありがとう」

 

 話はそれで終わりと判断した京太郎は、再び教本に視線を落とした。今日の一冊は南浦プロの『南場は南場の風が吹く』である。南場に吹くということが前提になっている氏独特の理論は、都合の良い能力を持たない京太郎にとってはトンデモ理論も良い所だったが、特殊な能力を持つ人間の特殊な視点というのはそういう人間に対抗するために、大いに参考になった。全国で千冊も売れていないというドマイナーな本であるが、どうしても読みたいということで咏に手配してもらったのだ。サイン入りの貴重な一品である。

 

「京太郎くんは麻雀するの?」

「する。スゲー好き」

「私も始めてみようかな」

「部活に顔出して見るのが良いと思うぞ。女子なら歓迎されるだろ。最初は先生とかきちんとした人に教わるのが良いって、俺の先生も――」

 

 言葉をさえぎるようにして、佳織は思い切り京太郎の顔に座布団を投げつけた。

 

「おやすみ! また明日ね!」

 

 足音も高く、佳織は部屋を出て行った。佳織が何故怒ったのか京太郎には理解できなかったが、女性とは癇癪を起こすものだと経験として理解していた京太郎は、すぐに気にするのをやめて読書に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ワハハ、お前が佳織の従弟かー」

 

 佳織に連れられた先にいた友達は、何というかとても個性的な少女だった。佳織よりも一つ上。ということは、京太郎よりも二歳年上の中二であるはずだが、身長は京太郎よりも頭半分は低い。身体つきもほっそりとしており、少年のような、という形容がぴったりの少女だった。女の子として紹介されなければ、京太郎も少年と思っていただろう。

 

「はじめまして、須賀京太郎です」

「蒲原智美だ。よろしくなー」

「よろしくお願いします」

「さて、幽霊を探すって話だったなー。実はこの辺でよく幽霊が目撃されるって話だ」

「よくってのはどれくらいの頻度なんですか?」

「ほとんど毎日だなー。色々聞き込みして回ったけど、目撃者は老若男女色々だ。時間は昼の方が多いなー」

「幽霊なのにですか?」

「朝型の幽霊なんだろ」

 

 当たり前のように言われると、そういうもののような気がしてくる。だが一応ということで、本職の春にメールを出しておく。『幽霊は昼間に出るのか』

 

 智美たちの後ろを歩いていると、すぐに返信がきた。『でないこともない』

 

 どっちつかずな返答である。とりあえず、幽霊などいないと否定されることはなかっただけマシなのだろう。ありがとう、と簡潔に返答して視線を前に向ける。

 

 人通りの少ない並木道だ。歩いているのは京太郎たち三人と、向かいから歩いてくる同じ年くらいの少女くらいである。天気の良い春先だ。もう少し人通りはあってもよさそうなものだが、微妙に不自然なこの静けさは幽霊の噂と何か関係があるのだろうか。

 

「智美さん、幽霊って特徴とかあるんですか?」

「黒髪のおかっぱ頭って意見が多いなー」

「へー、黒髪のおかっぱ」

 

 ちょうど、前から歩いてくる少女がそんな髪型をしていた。肩口で切りそろえられた黒髪は、古風ですらあった。神境の中では良く見た髪形であるが、世間一般ではあまり流行らない髪形だろう。まして中学生、高校生の女子ともなれば尚更だ。

 

 だがそんな古風な髪形も、その少女には良く似合っていた。年齢は自分と同じくらいだろうか。目鼻だちのはっきりとした、男なら振り返らずにはいられないような美少女である。

 

「あんな感じですか?」

 

 と、京太郎は少女に視線を向けて、智美に尋ねた。智美と佳織はその視線を追って―ー首を傾げる。

 

「どんな感じだ?」

「……いや、あの娘ですよ。正面から歩いてくる」

 

 二人は怪訝な顔をして振り返る。智美の顔にさえ京太郎の言葉が『理解できない』と顔に書いてあった。見間違いか、と視線を上げれば美少女は確かにそこにいた。からかいにしては、演技が入りすぎているように思う。智美の性格は良く知らないが、今日あったばかりの人間を捕まえてここまでやる人間には思えない。二人には本当に少女が見えていないのだ、と京太郎は結論づけた。

 

「すいません、冗談です」

「……お前センスないなー」

 

 と、智美にばっさりやられながらも、京太郎は視線を少女から外さずにいた。自分の話題で盛り上がっていることなど知らない様子で、少女はスタスタと道を歩いている。黒髪のおかっぱで、少女。智美のざっくりとした情報と合致する。昼間から出ていて、探し始めたら早速遭遇するという幸運には目をつぶるとして、とにかく目の前に現れてくれたというのは、京太郎にとって僥倖だった。

 

 しかし、同時に困ったことがある。幻覚でないとしたら、この三人の中であの少女が見えているのは自分だけということだ。見えるようにする手段があるのかもしれないが、やはり本職でない京太郎にそんなことは解らない。幽霊を見つけたという話をしても、先ほどのように冗談として処理されたらそれまでなのだ。

 

 元々佳織に付き合って始めた企画であるから、見つからないというのならそれで構わなかったが、それらしいものが目の前にいるというのに、それを看過することはできない。ともあれ『アレ』が何であるのか、それを確かめるのが先決だった。

 

「とりあえず、別れて聞き込みでもしてみませんか? 今まで智美さん一人でやってた聞き込みを、三人でやるんです」

「悪くない案だなー。私はそれで構わないけど、佳織は一人で聞きこみとかできるかー?」

「それくらいできるよ!」

「怖がりの佳織がそういうなら決まりだな。時計合わせろー。今から二十分後にここに集合だ」

 

 かいさーん、と智美は気の抜ける声で指示を飛ばす。見た目は緩いが、方針を決めた後の行動の早さを目を瞠るものがあった。案外、リーダーに向いているのかもしれない。人は見かけに寄らないんだな、と智美の意外な長所に感心しながら、さっきの少女を追おうと踵を返した京太郎の服の裾を誰かが掴む。

 

 予想できたことではあるが、それにしても予想通りの展開に京太郎はそっと溜息をついた。

 

「一緒に行くか、佳織さん」

 

 京太郎の提案に、佳織はこくこくと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冗談じゃなかったの!?」

「冗談言う理由がないだろ」

「智美ちゃん相手にウケを狙ったのかもって思ってた」

「あの人本当に笑わせられたら面白いだろうな」

 

 智美に対して幽霊でウケを取れると佳織が考えていることの方が気になったが、ともかく今は『幽霊』のことだ。『幽霊』とすれ違ったのは一本道である。京太郎たちとは逆の方角から来たのだから、京太郎たちがやってきた方にしか行きようがない。『幽霊』が本当に幽霊だったとして、人間の常識がどこまで通じるかは未知数であるが、差しあたっては人間の常識で考えるしかなかった。

 

「この道をまっすぐ俺達と逆の方から歩いてきた訳だから」

 

 道は二つに分かれている。この辺りで京太郎たちは待ち合わせし、並木道を歩いたのである。右に行くと佳織の家があり、左に行くと智美の家がある。両方とも歩いて五分もかからない。

 

「どっちかに曲がるしかない訳だ。どっちに行ったと思う?」

「こっち」

 

 佳織が指したのは左だった。

 

「どうしてだ?」

「だって幽霊が自分の家の方に歩いていったとか思いたくないし……」

 

 もっともな理由だった。しかし、それを否定する理由もないし、他に説得力のある案を京太郎は思いつかなかった。

 

「じゃあ、佳織さんの案で行こうか。ちょっと早めに歩こう」

 

 すたすた。早歩きで行く京太郎に、佳織は何とか着いてくる。運動が得意そうではない見た目の通り、既に息もあがり気味だった。

 

「一応聞いておくけどさ、幽霊見つけてどうするつもりなんだ? 友達にでもなるのか?」

「智美ちゃんが面白そうって言ったから、私も一緒に探そうと思っただけ」

「見つかった後については知らないってことか……智美さんはどうするつもりだったのかな」

「智美ちゃんなら、幽霊とでも友達になれるんじゃないかな」

「否定できないのが面白いな」

 

 あの人ならば何が相手でも物怖じしないだろう。話さえ通じれば幽霊とだって友達になれるかもしれない。中学生にもなって幽霊を探そうと本気になれる行動力にも目を瞠るものがあった。観測できなかったとは言え、実際幽霊に遭遇もしたのだから、運も良いのかもしれない。

 

「それにしても京太郎くんも――」

 

 先に行こうとした佳織の襟を掴んで、わき道に寄せる。抱き寄せるような形になったので、佳織は腕の中で慌てていたが、そんな佳織に京太郎は喋らないように、と指示を出すと道の先を視線で示した。

 

「いた、さっきの『幽霊』だ」

 

 距離にして大体20M。後姿だが、服装も髪型も一緒だから間違いはないだろう。佳織はメガネの奥で目を凝らすが――

 

「見えないよ」

「俺にしか見えないってのはどうしてなんだろうな」

「ねえ、本当に私をからかったりしてない?」

「してない」

 

 そう答えてはみたものの、あの『幽霊』は佳織には見えないのだから、それを証明するのも難しい。やはり捕まえるしかない。決意を固めた京太郎は、佳織をその場に残すと、『幽霊』にそろそろと近寄った。一歩、二歩と足音を立てないように距離を詰めていく。対して『幽霊』からはちゃんと足音が聞こえた。近くで見てみても、人間にしか見えない。

 

「なぁ、ちょっといいか?」

 

 意を決して京太郎は『幽霊』に声をかけた。反応はない。『幽霊』なのだから当然かと思い直し、今度は強めに声をかけた。

 

「すいませーんっ!!」

 

 それでようやく『幽霊』は振り向いた。酷く鬱陶しそうな顔をしている。自分が声をかけられたとは考えていないようだったが、声の主である京太郎がすぐ近くにいたことで、漸く自分が声をかけられたと思い至ったようだった。

 

 きょとん、と物凄く不思議そうな顔をして、自分を指差す。何を言ってるんだ……と思いながら京太郎が頷くと『幽霊』は京太郎の前で手をひらひらと振った。

 

「…………私が見えるんすか?」

「らしい。あっちの従姉は見えないとか言ってたけど」

「ほんとに、ほんとっすか?」

「一回見失ったのを、こうして見つけたんだ。多分、本当だとは思う」

「そうっすか……」

 

 『幽霊』は京太郎と佳織を見比べて、小さく手を打った。

 

「それじゃあ、あっちの従姉さんは邪魔っすね。ちょっと私と一緒に来てもらうっすよ」

 

 言うが早いか『幽霊』は京太郎の腕を掴んで引き寄せると、そのまま抱きついた。突然の行動に京太郎は慌てふためくが、それ以上に慌てた人間がいた。

 

「消えた!?」

 

 離れてみていた佳織である。佳織は駆け寄ってくると、抱き合う京太郎と『幽霊』には気付かずに、そのまま通り過ぎていった。

 

「これで君も幽霊の仲間入りっすね」

「まさか死んでないよな俺」

「それは安心するっすよ。ついでに言えば私も幽霊ではないっす。私は東横桃子。今度中学生になるっす」

「須賀京太郎。奇遇だな。俺も今度中学生になる」

「同級生だったっすか……何か運命的っすね」

 

 儚げに微笑んだ桃子は、そっと京太郎から離れた。自分の身体をあちこち眺める。佳織に見失われた状態が今も続いてはいないかと、気が気ではなかったのだ。

 

 そんな京太郎を見て、桃子はくすくすと小さく笑う。

 

「大丈夫っすよ。さっきのは私がくっついたから巻き込まれただけっす。今の京さんは普通に見えるはずっすよ」

「はずってのが怖いな。突然消えたこと、どうやって説明しよう」

「幽霊と友達になったって正直に言えば良いんじゃないっすかね」

「証拠を見せろって言われたらどうするんだ……」

 

 何しろ、桃子は佳織には見えないのだ。佳織からしたら京太郎がいきなり幽霊の話をしたと思ったら、突然消えたようにしか見えないだろう。まさしく現代の神隠しである。早く佳織を捕まえないと、行方不明扱いで警察のお世話になりかねない。そのためにも証拠は必要だった。

 

「あ、じゃあ一緒に写真でも取るっすか? 携帯、写真取れるっすよね?」

「そりゃあ取れるが……幽霊なのに写真に写れるのか?」

「私は機械とは仲が良いんっすよ」

「現代の幽霊は融通がきくんだな……」

「ほらほら、もっとこっちに来るっすよ」

 

 不必要なまでにくっついてきた桃子はついでとばかりに、京太郎の首に腕を回した。傍からみたら恋人にでも見えるだろう。普通、女子はここまで男子に接触しないだろうが、桃子は何だか嬉しそうだった。美少女にくっつかれて悪い気はしないが、先ほどまで幽霊と思っていた少女と思うと、縁起でもない気はする。勝負運の悪さは自他共に認めるところだ。良いことがあると、直後に何か不幸でも起こるのではないかと気が気ではなくなるのだった。

 

「いくぞ。東横はこのままで良いか」

「あ、私のことはモモで良いっすよ。友達ができたらそう呼んでほしいって決めてたっす」

「そうか。じゃあ今度こそいくぞ、モモ」

「OKっすよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時の写真を眺めながら、当時を思い出す。

 

 あの写真を撮って連絡先の交換をした後大急ぎで佳織をおいかけ、パニックになっていた彼女に写真を見せて説得した。写真だけを見ればただ彼女といちゃついているだけにしか見えないが、モモの特徴が智美の聞いていた噂と合致したため、どうにか佳織は信じてくれた。

 

 その後、真面目に聞きこみをしてたらしい智美にも写真を見せ、何故か京太郎にしか見えなかったこと、佳織の前で消えたことまで含めて話した。智美はワハハーと笑いながら、しかし京太郎の荒唐無稽な話を信じてくれ、京太郎の写真で幽霊は見つかった、ということにして今日の目的は達成したと、解散を宣言した。

 

 見つかったことでどうでも良くなったのか、それから佳織や智美から幽霊の話題が出ることはなかったが、京太郎とモモの関係はそれからも続いた。住むところは離れていたが、連絡は頻繁に取り合ったし、時間ができた時にはモモの方から会いにきたこともあった。同じ学校だった咲や照とは比べるべくもないが、中学時代に知り合った友達の仲では、相当に仲の良い部類に入る。

 

「どうしたの、モモちゃんの写真とか見て」

「……あいつ鶴賀に入ったとか言ってたからな。今頃どうしてるかと思って」

 

 携帯を閉じ、ポケットに突っ込む。

 

 あれで麻雀の得意なモモだが、立地の関係から選んだ高校は麻雀部があるんだかないんだか良く解らない鶴賀だった。モモが入学してから佳織に聞いたところによれば、智美が部長となって発足したばかりだという。

 

 とりあえず部が存在していたことに安堵する京太郎だったが、麻雀部を取り巻く環境は芳しいものではなかった。部員が智美と佳織を含めて四人しかいないらしい。部として存続はできるが、これでは団体戦に出られないということで目下部員を探しているところだと言う。モモに入ったらどうだ、と勧めてはみたが、あまり乗り気ではないようだった。

 

『京さんみたいに私を見つけられる人がいたら、入っても良いっすよ』

 

 というのがモモの弁だ。入る気はないと言っているように思えるが、モモのステルスはおそらく体質によって発現している。春や良子のように本職の巫女や、あるいは衣や透華のように強い異能の力を持っていれば見えないこともないかもしれないが、そういう特殊な人間が偶々モモと同じ学校にいる可能性は極めて低い。

 

 もったいないと思わないでもないが、何をやるかというのは本人の自由だ。京太郎とて、お前は麻雀は向いていないからやめた方が良い、という類のことは何度言われたかしれない。乗り気でないモモの気持ちも、解らないではなかった。

 

「言われるままに連れてきたけど、お前、本当に大丈夫か?」

 

 麻雀の実力は申し分ないが、咲は見た目の通りに人見知りをする性格である。中学でも結局部活には入らずに京太郎とばかり過ごしていたし、友達と言える人間は片手で数えられるほどしかいない。先ほど名前の挙がったモモなどが、その代表だ。

 

 そんな咲が、全国で照と戦うという目標を持ち、麻雀部に入るという。保護者を自認している京太郎にとっては大きな進歩だったが、同時に心配でもあった。上手くやっていけるかどうか、友達はできるか。気分はまるで父親である。昨日話してみた感じ皆悪い人間ではないが、咲と合うかどうかはやはり本人が話してみないと解らない。

 

 仲良くやっていけるかは、まだ未知数なのだ。その確認の意味で京太郎は訪ねたのだが、咲は小動物のような円らな瞳に確かな決意を持って、頷いてみせた。

 

「大丈夫。お姉ちゃんと戦うためだもん。私、頑張るよ」

 

 心配ではあったが、京太郎はそれ以上何も言わなかった。黙って咲の頭をぽんぽんと撫でると、麻雀部のドアに手をかける。

 

 

 

「それじゃ……ようこそ、お姫様」

「……京ちゃん、それ恥ずかしくない?」

「こういう時はノリなんだよ。照さんだったら真顔でよきにはからえとか言うぞ」

「お姉ちゃんはちょっと不思議さんだから、私とは違うの!」

「くそ、お前がそんなこと言うから俺まで恥ずかしくなってきた。いいから入れ、入れ」

「押さないでよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




京ちゃんだけモモを見えた理由については後々明らかになります。


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9 中学生一年 宮永照出会い編

かつてないほどの執筆スピードでお送りしております。
その反動か次回更新は間が空くと思いますのでご容赦ください。


 

1、

 

 実のところ麻雀部に入ることに、京太郎はあまり乗り気ではなかった。

 

 京太郎がしたいのはあくまで麻雀の腕を磨くことであって、部活ではない。一年ともなれば雑用をしたりもするだろう。それが部として必要なのは解るが、そういうことに時間を取られるくらいならば、勉強がしたかった。

 

 だから麻雀部には顔を出さず、いつものように通える範囲の教室に通うつもりだったのだが、たった一人の存在が京太郎の足を麻雀部の部室に向かわせた。

 

 宮永照。

 

 二年で去年のインターミドルを制した最強の中学生である。その照がこの学校にいるということを、京太郎は入学してから初めて知った。情報収集というのはしておくものだな、と痛感したものである。部活に興味はないが、宮永照には興味があった。全国制覇を成し遂げた人間を近くで見る機会など、中々あるものではないからだ。

 

 タイミングの良いことに、今日から全ての部活が仮入部の期間に入っている。京太郎の他にも、どこかそわそわした様子の新一年生が連れ立って廊下を歩いていた。

 

 麻雀部は宮永照の影響か、盛況だった。仮入部の一年生がざっと見ただけでも五十人はいる。これでは捌く方も大変だろう。事実、対応に追われているらしい二年生は既に慌てふためいていた。何とか部室の中に入ることができた京太郎は、ぐるりと辺りを見回す。

 

 ホワイトボードの進行予定表には『三年生と対局』と書かれていた。

 

 三年生が誰を示すのかは、言うまでもない。これで相手が照でなければ暴動が起きる。集まった一年は皆、それを目当てにしているのだ。

 

 大多数の一年は照と麻雀を打ちたいと思っているのだろうが、京太郎はその逆だった。照の麻雀を後ろで見る。それがここまで足を運んだ目的だ。インターミドルのチャンプとなれば探せば牌譜くらいは手に入るだろうが、実際に見るのとデータを見るのとでは感じられるものが大きく違う。情報は鮮度が高いほど良い。実際に牌を握っているところを見れば、その息遣い、意図までが感じられる。強者のそういう情報をこそ、京太郎は欲しかったのだ。

 

「はい、こんにちはー」

 

 現れたのは赤毛の少女だった。その少女が登場すると、一年生が大きく沸く。

 

 察するに、あれが宮永照なのだろう。暗い赤色の髪をした照は、集まった一年をぐるりと見回す。

 

「今日は仮入部期間ということで、私の対局者を募集します。私対一年三人です。25000点持ちの30000点返し。ウマはワンツー。このルールで三人の合計が私を上回れば、一年生の勝ちです。もし私に勝てたらそれなりに豪華な賞品を用意してますので、皆さん頑張ってくださいね」

 

 おー、と沸く一年生とは逆に、京太郎ははぁーと溜息を漏らした。

 

 一対三と聞くといかに全中チャンプ相手とは言え有利なように聞こえるが、実際はそうではなかった。一年三人の得点は合計されるのである。これだと照を三位以下に落とさないと彼女を上回ることは難しい。三人がきっちりとチームを組めるならば別であるが、今日あったばかりの連中にそんなことは不可能だろう。

 

 この場における正解は、照がルールを開示した時に全員でブーイングでもすることだったのだろうが、このルールが照に有利とこの時点で気付いている一年が自分一人らしいことに、京太郎は眩暈を覚えた。

 

 チャンプと打てるのが嬉しいのは良く解る。京太郎も、目の前にいるのがはやりんだったら同じ気持ちになっていただろう。

 

 だが、状況を正確に把握するのが麻雀打ちとしての第一歩だ。不利なルールを押し付けられているというのに、それに気付きもしないというのは格好悪すぎる。

 

 声を上げようと思った京太郎だが、その寸前で思い直した。自分が格好悪い連中の一味と思われるのは癪だったが、それで目立ってしまうのは避けたかった。他の連中と違って京太郎は照と打つのが目的ではない。照の後ろで眺めるためには、むしろこの状況は好都合だった。

 

 他の連中は前へ、前へ出ようとしている。身体だけでなく気持ちまでが照に向かっているのが見えるようだった。こんな中では自分など目立ちはしないだろう。京太郎はそっと安堵の溜息を漏らし、照から視線を外した――

 

「じゃあ、打ちたい人、挙手!」

 

 それがいけなかったのだろう。照の声に一斉に動き出す一年に、京太郎はただ一人動くのが遅れた。一人だけ違う行動をしているというのは、恐ろしく目立つ。それが密集した人間の中であれば尚更だ。

 

 一人だけ手をあげていなかった京太郎は、正面から見ていた照にははっきりと見えた。

 

 照の視線がこちらを向いているのに気付いた時初めて、京太郎は自分の失敗を悟る。

 

「それではそこの金髪の男子、私の対面に座ってください」

 

 羨望の視線が京太郎に集中する。辞退することも考えたが、それを許してくれそうな空気ではなかった。観念した京太郎は照の対面に腰を下ろした。残りの面子は照が適当に指名する。二人とも女子だった。男子は京太郎一人。対局者三人誰一人として見覚えのある人間はいない。凄まじいまでのアウェー感だった。

 

「それでは、よろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

 

 自動卓から牌がせり上がる。牌を開けると馴染みの感覚が京太郎を襲った。

 

(あぁ、こりゃ勝てないな……)

 

 相対的な運量差を感じた京太郎は、正攻法ではどうやっても照に勝てないことを早くも悟った。持っている運が絶対的に違う。それに自分の放出した分の運を食った照は、まさに規格外のバケモノとなっていた。インターミドルで優勝したというのも頷ける。運の太さだけで言えば咏にも匹敵する、正真正銘の天才だ。

 

 背筋がぞくぞくする。それをどうにかしようと試行錯誤するのが、楽しいのだ。相手を見て簡単に諦めるようなら、とっくに麻雀などやめている。できる限りのことをし、そこから得られるだけの物を得る。京太郎の麻雀はその繰り返しなのだ。

 

 照だけでなく、脇の二人も観察する。運は一般人の範疇に納まるレベル。良くも悪くも普通だった。照が同卓しているからか、どちらも緊張して動きが鈍い。

 

 その二人に比べて照の動作は滑らかだった。ツモって、手牌に乗せ、切り出す。その動作を何万、何十万と繰り返してきた人間の動きである。とにかく無駄のないその動きは惚れ惚れするほどだったが、京太郎はそれを見て『機械のようだ』と感じた。

 

 照から情熱は感じられない。今は先ほどの営業スマイルとは打って変わった、無表情である。相手が一年だから退屈なのかと思ったが、そういう感じでもなかった。部の仲間からは不審な気配は感じられない。おそらくは、これが照の平常運転なのだろう。

 

 いつもこうなら、麻雀など楽しくないのではないか。心から麻雀を愛している京太郎には理解できない感覚だったが、勝利者には勝利者にしかわからない苦悩があるというのは察することができた。

 

 勝負とは競う相手がいるから面白いのだ。勝ちが確定しているゲームなど、面白いはずもない。それで適当に力を抜けるならば良いが、照はそんな器用なことができるタイプには見えなかった。この麻雀も全力で挑んでくるのだろう。どんな叩き潰され方をするのかを考えると武者震いが止まらない。

 

 対面の照が牌を切る。切り出しに僅かに力が篭った。それまで一定だった動作に乱れが生じた。手牌にあった時ではなく、河に出てきた時にそれは生じた。おそらくテンパイ。リーチをかけないのは手代わりを待っているのか、それとも他に理由があるのか。

 

 待ちはおそらく ②-⑤。だが値段はそれほど高くはないだろう。精々5200かその程度だ。まだ六順目であることを考えると早いテンパイスピードであるが、それだけだ。

 

 そして上家が⑤を切った。終わった、と京太郎は手牌を手前に倒したが照からロンの声はかからなかった。ツモらない京太郎に、周囲の視線が集中する。京太郎は慌てて牌をツモり、切った。

 

(外れた?)

 

 僅かに動揺した京太郎は照の河を見て分析をし直すが、今までの動きから見るに、②-⑤というのはそれなりに根拠のある読みだった。外れるにしてもカスりもしないということはないはずである。少なくとも筒子の下目であることは間違いはない。

 

 照は上家の⑤に身じろぎもしなかった。注意を払っていなかったと言っても良い。手代わりを待っているならば見逃すということはありえるが、アガるつもりがなくてもアガり牌が出てくれば人間、それなりに態度に出るものである。

 

 特にダマでいる時はその傾向が強い。それが全く感じられなかったということは、アガる気がないということなのだろう。

 

 その理由が想像できない。自分に有利な条件をつけたことと言い、何か照なりの思惑があるのだろうか。

 

「ロン。タンピンドラ1、3900」

 

 そうこう考えている内に、照に見逃してもらった上家が下家に振り込んだ。

 

 照の言った条件を達成するならば、こうして振る役を決めて照が得点を稼ぐよりも先にそいつを飛ばすのが最も簡単な方法である。打ち合わせもしなくて良い。最初に誰かに振り込んだ人間が、自動的に振り役になる。後はテンパイしていることがわかれば、その人間に振るだけだ。手牌全てが当たり牌ということは中々ないが、逆に手牌の中に当たり牌が一枚もないということも中々ない。わざと振り込むのはそれほど難しいことではないのだ。

 

 また、照が一度も上がらず、下家だけがあがって上家をとばすのでも良い。出親が上家のため、着順の関係で同点でも京太郎の方が上になる。三位に落とすことができれば、例えこちらからラスが出たとしても獲得点数の合計で照の上に立てる。彼女の言った条件を達成できるのだ。

 

 いずれも机上の空論であるが、やってできないことではない。そういう方法も存在すると両脇が気付いていれば乗ってやることも吝かではなかったのだが、点棒のやり取りをする以外のことは、二人の間には何もなかった。宮永照との麻雀を、普通に楽しんでいるだけである。

 

 京太郎は頭を抱えた。誰も条件を追わないのなら、出された意味がない。やってみろと言われたらそれに挑むのが醍醐味だろうに、脇の二人はそれをしようともしない。ふつふつと怒りが沸くが、自分があの立場だったらと置き換えて見たら幾分冷静になれた。そこに座っているのが照ではなくはやりんだったら、自分も考えることすら放棄しているかもしれない。

 

 目の前にいるのははやりんではなく、宮永照だ。美少女ではあるが女性的に色々残念な彼女を見ると、心は段々と冷えていった。

 

 大きく、溜息を吐く。

 

(下家にいるのが憧だったら……)

 

 と思わずにはいられなかった。鳴きのセンスに優れる憧は鳴くべき時というのを理屈よりも先に直感で理解する。こんな特殊な状況であっても、憧ならばきっと対応してくれるだろう。トップを取り合う普通の麻雀ならば強敵であるが、共に戦う仲間としてこれほど心強い存在はなかった。

 

 憧ならどうするだろう。そんなことを考えながら二局目の手牌に触れた時、京太郎は背後に言い知れない気配を感じた。

 

 それは神境の中で霞と初美に散々嗾けられた『よくわからないモノ』の気配に似ていた。京太郎は咄嗟に椅子から腰を浮かしかけたが、肘掛を掴んでその寸前で止めた。相手に弱みを見せてはならない。あらゆるゲームの鉄則だ。

 

 冷静に、冷静に。心の中で念じながら、周囲を観察する。錯覚という可能性はとりあえず排除するとしても、『これ』の元凶となるような存在は照しか考えられない。同時に一局目の静観はこのためか、と直感した。

 

 運に目に見えた上下はない。これなら個人はもちろん場にも影響はない。あったとしてもそれは急激に作用するものではなく、段々と効果を発揮するものだ。

 

 当座効果がないのであれば、それは今気にするべきことではない。まだ起こっていない危機の対抗策を考えるよりも、今目の前にあるものを観察する方が京太郎にとっては大事だった。

 

 京太郎を見つめる照の目には、僅かに驚きの色があった。その視線には覚えがある。相対弱運のことを知られた時、麻雀のことを深く理解している人間ほど、今の照のような顔をするのだ。初めて出会った時の咏は東一局の手を開けた時にカラクリを理解したと言っていた。照ほどの運があれば、相対弱運の恩恵をすぐに実感できたことだろう。

 

 照の視線の意味を考えれば、先ほどの嫌な感じの効果も見えてくる。能力の性質を見破るとか、そういうタイプの力なのだ。照ほどに運が太く、全中チャンプになるほどの技術があり、加えてそんな能力があれば鬼に金棒だ。

 

 咏の焦土戦術のように解ったところでどうしようもない能力もあるが、玄の『ドラゴンロード』のようにメリットとデメリットがはっきりとしている能力もある。それは選手にとっての生命線だ。東一局でそれを見抜かれることは、致命傷に違いない。もし照がおしゃべりであれば、後の選手生活にも影響する。

 

 多くの能力を持った選手が照のこの能力を忌避するだろうが、京太郎には全くもって関係がなかった。

 

 この能力を恐れるのは、あくまで『プラス』の能力を持った人間だけだ。『マイナス』の能力しか持たない京太郎には、見られて困るものなど存在しない。

 

「ロン。1000点」

 

 これからどうしたものかと考えている内に、照が平和のみをアガった。上家から照に点棒が移動し、照が点棒ケースをパタリと閉める。

 

 その瞬間、じわりと運が動いた。照の運が明らかに良くなったのである。

 

 雑な打ち方をすると運が逃げる。信心のない人間でも、麻雀においてはそういうジンクスを信じるもので、それは概ね正しい。麻雀をしている時に運が上下することなど良くある話だ。

 

 運が動くには必ず理由が存在する。

 

 それなのに今、確かに照に運が寄った。

 

 彼女のしたことと言えば平和をアガったことだけだ。アガってリズムを作る選手もいるが、それにしたって1000点のアガり一つで僅かとは言え、ここまで運は動かない。理不尽、という思いが京太郎の中にわき上がった。

 

「ロン。2000点」

 

 京太郎の思いを他所に、今度は下家が照に振り込んだ。点棒のやり取りが済むと、また照に運が寄った。先ほどよりも明らかに大きい。

 

 東4局、照の親。

 

 もしかしたら、と京太郎は思った。

 

 照はアガる度に運が良くなるとでも言うのだろうか。加えてその度に打点が高くなるのだとしたら、京太郎にはもう対処のしようがなかった。

 

 運が上がれば上がるほど、照の手は重く、相対的に早くなっていく。割り込むならば打点の低いうちにしなければならないが、照ほどの運と技術がある相手に、そのどちらも備わっていない人間が対抗するのは至難の業だ。特に軽い手を必要としない序盤は、照の手も早い。

 

 コンビ打ちができなければ、普通の人間が照の能力に対抗するのは不可能だ。

 

 憧がいれば。自分の意を汲んでくれる仲間がいれば、せめて一矢報いることはできたかもしれない。自分の無力を悔やみながら、京太郎はこの東ラスがオーラスになることを悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 結局、照に12000オールをツモられたところで、両脇が箱を割った。順位だけを見れば二位であるが、全く嬉しくない。ありがとうございましたー、と力なく言う二人に合わせて挨拶をし、立ち上がる。ポケットから携帯電話を取り出し、メールを打つ。相手は憧だ。

 

『さっき、宮永照と麻雀した』

 

 返信はすぐにあった。あちらも放課後。阿知賀に進学しなかった憧は、その学校の麻雀部に入ったと本人から聞いた。今は部活の時間のはずだが、メールの速度を見るに暇なようだ。

 

『うそ!? 飛んだ?』

 

 憧の中でも須賀京太郎の負けは確定していたようだ。勝った? と聞かれるのも嫌味であるが、負けて慰めてほしい気分だった京太郎としては、せめて『どうだった?』と聞いてほしかったところである。

 

『ギリギリ残った』

『良かったじゃない。色々勉強になったでしょ?』

『まぁな。得るものはあった』

 

 そうでなければやってられない。ただ負けた事実を受け入れるだけでは、それはただの苦行である。

 

『その話、聞きたいな。今晩話せる?』

『大丈夫だ。じゃあ、今日の夜に』

『良かった。楽しみにしてるね。ところで、チャンプは強かった?』

『強かった。ずっと隣にいるのが憧だったらって考えたよ』

 

 メールに不自然な間が空く。それまですぐに返ってきたメールが突然返ってこなくなった。これで終わりなのだろうか。諦めて携帯電話をポケットに仕舞おうとしたところで、メールが来た。

 

『ばかっ!!』

 

 怒られた。ご丁寧に『あっかんべー』した憧の写真が添付されている。両手が写っているから、友達にでも撮らせたのだろう。訳のわからない手間のかけ方をする、と思いながら、九時には絶対電話に出られることを伝えて、メールを打ち切った。

 

 一週目の京太郎たちの対局が照圧勝の内に終わり、部員達が次の対局者を選出している。先ほどの対局が照の指名で行われたため、今度は公平を期してくじ引きで決めるようだ。一度対局した京太郎には、それに参加する権利はない。今度こそ、照の麻雀を後ろで見れる。早いうちに場所を確保しようと、まだ椅子に座ったままだった照の後ろにそっと移動し――

 

「必ず来るように」

 

 京太郎にしか聞き取れないくらいの囁き声。それが照の声だと気付いたのは、彼女が自然な動作で手を動かし、京太郎のポケットに何かを差し込んだ後だった。

 

 何が起こったのかすぐに理解できなかった京太郎を他所に、照は明後日の方向を向いて知らん顔だ。ポケットに入っていたのは、紙片である。手帳を切り取ったらしいその紙には、綺麗な字で『裏門』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

 仮入部のイベントが終わって。部に残って話を聞こうとする一年生を他所に、京太郎はこっそりと部室を後にし、照に指定された裏門に向かった。裏門と名前がついてはいるが、正門と反対の位置にあるというだけで、そこにも結構な人通りがある。自転車で、あるいは徒歩で帰宅する生徒を見ながら京太郎は一人ぼーっと照を待っていた。

 

「待った?」

 

 そう声をかけられたのは、生徒の影もまばらになった頃だった。制服姿で無表情に立つ照に、『今来たところだ』と定番の答えを返そうとした京太郎は一瞬だけ考えを巡らせ、それをやめた。

 

「……それなりに。よく一人で来れましたね。一年生に囲まれてたんじゃないですか?」

「撒いてきた。放課後まで付き合う義理はない」

「そりゃあそうだ」

 

 営業スマイルの欠片もない照が先立って歩き出す。京太郎はそれに、二歩遅れてついていく。

 

「家はこっち?」

「そうです。途中までは一緒みたいですね」

「良かった。話す時間がなかったら、どうしようかと思った」

 

 美少女の先輩と下校する。男子が考え付く限り、最高のシチュエーションであるが、今の照からロマンスを感じることは不可能だった。営業スマイルをしていた時とは別人である。今の照は、全くの無表情だった。

 

「俺から聞いても良いですか?」

「構わない。呼び出したのは私だから、まずはそっちから」

「助かります。今日はどうして、あんな条件を?」

 

 照が強者というのは誰もが知っていることだ。照とのエキシビジョンであるなら、彼女以外の人間に有利なルールを組まないと意味がない。にも関わらず今日のルールは照に有利に設定されていた。一年全員が照と打つことに目が眩んでいて気付いていなかったが、そうでなければ企画は破綻していただろう。部を発展させようと組まれた企画とは思えなかった京太郎は、その意図が知りたかった。

 

「一年生が私に勝つなら手を組まないと無理。だから合理的に手を組めるように条件を設定する必要があった」

「それなら誰か一人でも宮永先輩を上回れば良いってすれば良かったんじゃありませんか?」

 

 京太郎以外の二人が普通に麻雀を始めてあっさりと飛ばされた原因は、照に目が眩んでいたこと。それから、照の提示したルールを理解していなかったことが挙げられる。

それだけ明確なルールであれば、急造の一年生トリオでも照に対抗することはできただろう。

 

「勝つためにどうするのかを考えるのは、とても大事。得点の合計だと条件が緩すぎる。だからちょっと複雑にした。でも、これは少し考えれば解ること。達成できないのは別に良い。実行しない、理解できないというのは一年生の怠慢」

「それはそれで厳しくないですかね」

「でも貴方は理解したし実行した。部長はそういう新人が欲しいらしい」

「宮永先輩みたいな有名人と打ったら、誰でも緊張すると思いますよ」

 

 別に今日会ったばかりの同級生をフォローする義理もなかったが、チャンスは一度、みたいな照の物言いが気に食わなかった京太郎は、一度だけ、と心中で断りを入れてフォローした。

 

「そう? ありがとう!」

 

 振り返った照は、惚れ惚れするくらいの営業スマイルだった。部室に足を運んだばかりの頃なら騙されていたかもしれないが、無表情な照を見た直後だと、笑顔が白々しく見えてならない。見た目は美少女なだけに、わざとらしさが際立って見えるのである。

 

「私からも聞きたいことがある」

 

 正面に視線を戻した照の声音は、平坦なものに戻っていた。

 

「照魔鏡で貴方の素養を見た。相対的に運が弱くなる貴方は、実力に劣る相手にも確実に負け越す。それでも貴方は真摯に麻雀に向き合ってたし、私にも勝とうとした。そんなに麻雀が好き?」

「大好きです。多分、これから先もずっと」

「そう……それはとても幸せなこと。その気持ちは大事にしてほしい」

「宮永先輩は麻雀好きじゃないんですか?」

「他の物より向いてるからやってるだけ。他に得意なことができたら、多分やってないと思う」

 

 努力して強くなろうとしている人間を激怒させかねない物言いだったが、それがチャンプの言葉だと思うと腑に落ちた。勝ち続ける人間は普通とは違う精神構造をしていると聞くが、照はその典型なのかもしれない。

 

「俺はできれば続けてほしいですね」

「どうして?」

「宮永先輩は麻雀に勝てる人です。勝てる奴は強いし、強い奴はかっこいいんです。中学生最強の宮永先輩は、だから日本で一番かっこいい中学生なんです。かっこいい人が麻雀やめるなんて、俺はしてほしくないです」

「随分勝手な話だね」

「でも、『日本で一番かっこいい』まではただの事実ですよ」

 

 強い人間がいるからこそ、弱い人間はこうありたいと目標を持てるのだ。照は間違いなく強者であり、純粋に尊敬するに値する人物である。そんな人が麻雀をやめるなんて考えたくもない。勝手な願望ではあるが、それが京太郎の本音だった。

 

「部には入らないことを勧める。貴方は多分、一人で修行した方が強くなれる」

「教室に入れないものかと探してるところなんですが、どこか良いところ知りませんか?」

「中学生を対象にした教室は難しいと思う」

 

 照はあっさりと首を横に振った。

 

 確かに、小学生を対象にした教室は多いが、中学生まで受け入れてくれるところは少ない。厳密には受けいれてはくれるが、所属するのがほとんど小学生であるため実入りが少ないというのが現状である。

 

 というのも、中学生ともなれば学校に麻雀部があるところがほとんどであり、強豪校は指導者も対戦相手にも事欠かない。月謝を払って教室に通うよりもよほどタメになる環境であり、部に所属することで学生選手権にも出ることができるようになる。本気で麻雀をやりたい人間は中学の内から強豪校を目指すし、そこにいけなかった人間も真面目に部活動に取り組むようになる。教室に中学生が少ないのも頷けた。

 

 勿論皆無ではないが、中学生をまともに相手にしている教室となると、東京などもっと人口の多いところまで出なければならないだろう。長野は決して麻雀が盛んな土地ではないのだ。

 

「困ったことがあったら遠慮なく頼ってくると良い。ここで知り合ったのも何かの縁。できる限りの協力はする」

「すいません。何だか」

「別に構わない。強くなろうとする後輩に手を貸すのは、先輩として当然のこと」

 

 まさに至れりつくせりだった。ここまで気に入られるようなことをした覚えはないのだが、先を歩く照の背中は、どうにも機嫌が良さそうに見えた。

 

 しかし、手を貸してくれるというのを断る理由はない。まして照は全中チャンプ。現在日本で最強の中学生だ。

 

「俺、須賀京太郎と言います。遅れましたが、よろしくお願いします」

「宮永照。麻雀、強くなれると良いね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4、

 

「そんな訳で新入部員をつれてきました」

「み、宮永咲です。よろしくお願いします!」

 

 テンパリ気味の咲の挨拶を、部員達は暖かい拍手で迎えた。

 

「昨日の今日で良く捕まえてきたわね」

「元から入るつもりだったらしいんで。だから昨日は俺が偵察にきました」

「保護者のメガネに適ったっちゅうわけじゃな。高校生にもなって過保護じゃのー」

「こいつ、見た目の通り鈍くさいんで……」

 

 京太郎のはっきりとした物言いに、咲はバシバシと背中を叩いてくる。いつも通りのやり取りに、京太郎は頬をひっぱることで報復した。むにー、と伸びる咲の頬は、いつひっぱっても面白い。

 

「ところで、宮永っていうとあの宮永照さんの妹さん?」

「あー……言われてみたら昨日みた写真にいた気がするじょ。京太郎の横にいた女子だな!」

 

 写真? と首を傾げる咲に、携帯を操作して写真を見せる。みるみる内に、咲の顔が真っ赤になった。

 

「これ見せたの?」

「話の流れで仕方なく」

「もうやだ……」

 

 一応、やる気を見せていたはずの咲がしおしおと萎んでいく。このままでは一人で帰りそうな気配を感じた京太郎は、咲の腋の下に手を回して持ち上げ、椅子の一つに無理やり座らせた。一人が卓についたら、それは『麻雀をやろう』という意思表示に他ならない。近い位置に陣取っていた面々が椅子取りゲームの要領で卓に着く。出遅れたのは和だった。

 

 むー、とかわいくむくれてみせた和はすたすたと歩いて、京太郎の隣に立った。居心地悪そうにする咲の肩を、そっと押さえる。知らない人間に後ろに立たれて気分が良くないのだ。大丈夫、と肩を軽く叩くと、目に見えて咲は身体の力を抜いた。すっと、咲の雰囲気が研ぎ澄まされていく。意識が切り変わった証拠だ。

 

 怯えた小動物だった咲の雰囲気が変わったことに気付いた久が、にやりと口の端を挙げて笑う。これは拾い物だ、と直感したのだろう。

 

「参考までに聞いておきたいんだけど、こっちの宮永さん、須賀くんが今まで打った中で何番目くらいに強いのかしら」

「咏さんと良子さんも入れてですか?」

「流石にその二人は省いてもいいわよ」

「そりゃそうですよねー」

 

 ははは、と京太郎は軽く笑って、正直に答えた。

 

「最強の一角に数えても良いと思います。少なくとも、五指よりも外に出ることはありません」

 

 照や衣、小蒔など甲乙つけがたい面々はいるが、既にインターハイで確かな実績を残している彼女らと比べても、咲の腕は遜色ないものだ。京太郎がはっきりと言い切ったことで、久の笑みが益々深くなる。

 

「楽しみね。それじゃ、はじめましょうか」

 

 久の宣言で、サイコロがからころと回りだす。出親は優希だ。やってやるじぇ、と意気込む彼女を他所に、咲は振り返り京太郎に尋ねた。

 

「京ちゃん、どれくらい?」

「全力全開で行け。これからは誰相手にも手加減とかしなくて良い」

「うん、わかった。頑張ってみるね」

 

 咲の視線が卓に向けられる。

 

 これが後に本人には甚だ不評な『魔王』という二つ名で呼ばれることになる、宮永咲の高校デビュー戦だった。

 

 

 



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10 中学生一年 宮永咲出会い編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1、

 

 教室探しは早々に諦めた。通える範囲にある教室は、やはり中学生おことわりの雰囲気を強く持っていたからだ。中学生もいるにはいたが、彼らは麻雀をやるためというよりは、小学生の面倒を見るために存在していた。それをどうこう言うつもりはないが、京太郎の目的には合致しなかったのだ。

 

 今までの常套手段だった教室がないとなると、放課後の時間がまるごと余ることになった。教本を読むのでも良いが、それをずーっと続けるとなると流石に退屈だ。

 

 何かないものかと考えながら、あれやこれやと試している内に時間は流れ、どうにか『これ』と京太郎が決めた時には、照と出会ってから一ヶ月の時間が流れていた。

 

「これ」

「いつもありがとうございます」

 

 待ち合わせた放課後。やってきた照は、開口一番にファイルを手渡してきた。

 

 部に保管されている牌譜である。

 

 本当は部外者に見せて良いものではないらしいが照は『私が良いと言ってるんだから良い』と強権を発動して持ってきてくれたのだ。

 

 主に照本人が参加した半荘の牌譜である。照はインターミドルのチャンプだ。公式戦のものであれば牌譜を手に入れることはそれほど難しいことではないが、部内のリーグ戦となればそうは行かない。貴重な体験をしていると実感しながら見せてもらった牌譜は、その全てが東南戦であるにも関わらず、東場――より具体的に言えば東場の照の親で終了していた。

 

 数は少ないが、照が東パツの親であればそこで試合は終了する。牌譜を見るに手加減するということはしないようだ。

 

 照の所属する部であるから、彼女に引っ張られた部員の実力はそれほど低いものではないはずだが、京太郎たちの中学は特に名門校という訳ではない普通の公立の中学である。

 

 照のワンマンチームという外の評判通り、照とそれ以外の部員には相当な実力差があるようだった。

 

 照と戦う度に痛い目を見る部員には同情しないでもないが、部員でない京太郎の目的は牌譜だけだった。食い入るように読み込んだ照の牌譜には、彼女の思考が見て取れた。どういう根拠でこの牌を切るのか、照の考え方が良く理解できる。

 

 並外れた才能を持った人間は、よくよく努力していないと思われがちである。京太郎も最初から照くらいの才能を自覚していたら、今ほど麻雀に真剣に打ち込んではいなかったかもしれない。

 

 だが、照は違った。そのうち回しからはきちんと勉強をしたことが窺い知れるし、当たり牌を掴んだ時は回すこともしている。回しても引けるという自信があるからこその行動だろうが、圧倒的な実力の裏に隠れた繊細なうち回しに、京太郎は驚きを隠せなかった。

 

 どうして、と質問を投げかけても照からは即座に返答が帰ってくる。考えて牌を切っている証拠だ。同じ質問を同級生にしても、具体的に答えられないことがしばしばある。それに比べると雲泥の差だった。

 

 圧倒的な才能もさることながら、基本的な能力が全て高水準でまとまっている。話せば話すほど、宮永照という人間の、プレイヤーとしての完成度を知る京太郎だった。

 

「中卒でもプロができるんじゃありませんか?」

 

 それは照の実力を知った人間として当然の疑問だった。若すぎるというのはネックだろうが、今の照でも十分にプロの世界で結果を出せるように思えたのだ。咏やテレビでしか見たことのない小鍛治健夜に勝てるか、と言われると首を捻らざるを得ないが、そういうトッププロを除けば、照の実力はプロと比べても見劣りしないように思えた。

 

 興奮気味の京太郎の言葉は、彼にすれば最大限の賛辞を込めたものだったが、照はその言葉に苦笑しながら首を横に振った。

 

「どうしてですか?」

「高校生活をしてみたい。できれば、大学生活も」

「プロでやってみたいとか、思わなかったりします?」

「私で通用するならいつかはやってみたいけど、それは別に今すぐじゃなくても良い。高校生や大学生っていうのはその時しかできないんだから、それを経験してからプロになっても、遅くはないと思う」

「そんなものでしょうか……」

 

 あまり学校生活に執着したことのない京太郎であるが、照が言うならそういうものなのか、と思えた。京太郎はまだ中学生になったばかり。この前までランドセルを背負っていた年齢だ。将来を考えるにはまだ早い年齢であると本人でも思っているが、二つしか違わないはずの照はきちんと将来を見据えていた。

 

 立ち位置が違うと、考え方まで変わるものなのかと、京太郎は感心する。咏と初めて出会った時彼女は高校生だったが、今の照と比べて二つ上だった彼女は、今の照よりもずっと好き放題生きていたような気がした。照が特別大人っぽいのか、咏が年の割りに子供っぽかったのか。京太郎はその両方であると思ったが、尊敬する師匠の名誉のため、口にはしないと心に決めた。

 

「勉強は捗ってる?」

「はい。最近は照さんから貸してもらった牌譜を読み込んだり、後はネット麻雀をしてます」

 

 教室に通うことを諦めた京太郎は、ネットの世界に活路を見出した。世界に繋がる世界だけあって、無料でできるネット麻雀には結構な猛者もいる。プロも身分を隠して参加しているという噂もあるほどだ。

 

 電子の世界であれば相対弱運も鳴りを潜めるかと思ったが、そんなことはなかった。画面ごしの勝負でも、自分から運が抜けていくのがはっきりと感じられた。ただ、どのプレイヤーにどれだけ運が吸われているのかを認識することができなかった。これは、顔を見ないで対戦している影響だろう。もしかしたら、相手には運がいかず、自分から運が出て行っているだけなのかもしれない。

 

 それを検証する術はなかったが、対面して行う麻雀よりも運の下降が少ないことは、データによって証明することができた。対面しての麻雀のトップ率は一割を漸く越えたくらいであるが、ネット麻雀のトップ率は、二割に迫る勢いである。

 

 これまでの戦績を考えると、これは驚異的なことだった。今までよりも勝てるから、何だか楽しい。顔を見ない、牌を使わない麻雀はちょっと、と最初は思っていた京太郎も、ネット麻雀の魅力にはまりつつあった。何より、自宅の部屋で一人でもできるというのが、手軽で良い。

 

 ちなみにハンドルネームは『ランペルージ』とした。本名でプレイするのはいかがなものかと、適当な言葉をネット上で探していた時、最初に目に留まったのがこれだったのだ。

 

「私はあんまりやったことないけど……楽しい?」

「経験は多く積めると思います。ただ、たまには人を相手にしないと勘が鈍りそうなので、どこか人と打てるところを探そうと思ってます」

「それなら、子供でも入れる雀荘をいくつか知ってるから、紹介する。お金もそんなにかからないから、通いやすいと思う」

「何から何までありがとうございます」

「気にしなくて良い。私が好きでやってることだから」

 

 それきり、二人の間に沈黙が下りた。

 

 照が部活を終えるのを待ってからの、二人きりの下校である。週に一回くらいは、照はこうして時間を作ってくれる。その時に牌譜のやりとりと、それについての疑問を照に聞く、というのがいつものパターンだった。京太郎の疑問に照は真剣に答えてくれた。

 

 他にも、自分の能力について、ここまで話して良いのかというところまで、照は話してくれた。対戦する学校の人間からすれば、喉から手が出るほど欲しい情報だろう。京太郎がうっかりその話を彼女らに漏らしたら、それだけで照は苦戦を強いられることになる。

 

 そんなことはないと信頼してくれているのか、それとも、対策されたところで問題はないと自信を持っているのか。いずれにしても、照を裏切る訳にはいかないと気持ちを新たにする京太郎だった。

 

「照さん、どうしました?」

 

 日が落ちた、薄暗い帰り道。先を行く照の足取りは軽く、背中だけを見ても機嫌が良さそうに見えたのだ。ん? と振り向いた照は、薄い笑顔を浮かべていた。無表情が常の照であるから、笑顔を浮かべているというだけで、機嫌が良いのが解る。

 

 何か良いことでもあったのか。京太郎の質問にはそういう意味が込められていたのだが、照はそれをきっぱりと無視すると、空を見上げた。

 

 

「京太郎。今日は月が綺麗だね」

 

 

 言われて京太郎は黙って空を見上げた。満月を過ぎた月は段々と欠けてきており、そろそろ半月になろうか、という微妙な形をしていた。加えて晴天という訳ではない。雲に隠れたり隠れなかったりとはっきりしない月の姿は、京太郎にはそれほど美しくは見えなかった。

 

「……すいません。俺にはよく分かりません」

 

 同調するべきかかなり迷った京太郎だったが、思ったとおりのことを口にすることにした。それで照の機嫌が悪くなったらどうしようと、戦々恐々としていた京太郎だったが、彼の物言いに照はおかしそうに笑うだけで、特に機嫌を悪くした様子はなかった。

 

「ほんとに、どうかしたんですか?」

「なんでもない」

 

 むしろ更に機嫌を良くした様子で、京太郎の隣に並ぶ。

 

 その日、照の機嫌はずっと良いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 その翌日である。

 

 朝のホームルームで担任から、これから席替えをするという発表があった。

 

 クラスメートはほとんどが沸き立ったが、京太郎はそんな彼らを無感動に眺めていた。

 

 京太郎からすると、何処に座るかというのはそれほど大事ではない。強いてあげるならば内職のしやすい後ろの方の席が良いという希望はあったが、それも絶対ではなかった。どこでも良いというのが正直な思いである。

 

 だからクラスメートほど、席替えという言葉に熱狂することはできなかった。

 

 クラスに意中の女子でもいれば別なのだろう。美人を見慣れている京太郎の目から見ても、中々可愛いと思える女子はちらほらいたが、美人を見慣れているが故に、その程度では興奮することができなかった。おかしな具合に達観した自分に軽く嫌気が差したが、そんな京太郎を他所に、席替えのくじ引きは進められていく。

 

 義務的にくじを引いて、その番号の席に荷物を纏めて移動する。

 

 京太郎の消極的な願いが通じたのか、京太郎の席は窓際一列目の一番後ろとなった。絶好の位置に内心でガッツポーズしながら荷物を置くと、その隣の番号を引いた女子がやってきた。女子男子と交互に列が組まれるため、隣は必ず女子になるのである。

 

 その女子は京太郎を見ると、小さく頭を下げた。

 

 いつも教室の隅で本を読んでいる、率直な言い方をすれば暗い雰囲気の女子だった。クラスでもどこかのグループに属している訳ではなく、部活に入っているという話も聞かない。おそらくではあるが、友達もいないだろう。一人でいるのを好んでいるというよりは、結果として一人になってしまったかわいそうな感じの女子である。

 

 京太郎もこの女子と話した記憶はない。雰囲気暗めでも中々美少女であることから記憶に残ってはいたが、自分から踏み込んでこない人間を相手にするほど博愛主義でも暇な訳でもない京太郎は、女子の顔を見て名前を覚えていないことに気付いた。

 

 何という名前だったろう。女子の顔を横目で見ながら、何となく誰かに似ているような気がした。元々彼女が座っていた席を考える。最初は男子も女子も出席番号順に並んでいた教室で、彼女は窓際の席に座っていた。

 

 五十音で言うと後ろの方である。少なくとも須賀よりは大分後ろだ。他の名前を覚えているクラスメートの配置から、ま行のどれかであることまでは察せられた。

 

 そこまで推理しても、思い出せない。自分はここまで薄情な人間だったかと頭を抱えながら、さらに考えた。

 

 誰かに似ているという印象。それが誰なのか解れば、答えはすぐに出るかもしれない。

 

 ホームルームを進行する担任を見るその女子は、ただ他人を見ているというだけなのに、不安そうな顔をしていた。小動物的な雰囲気である。初美のようにちょろちょろと動き回るタイプでも、春のようにちょこちょこと後ろをついてくるタイプでもなく、部屋の隅でかたかた震えているのが似合いそうな小動物だ。

 

 顔立ちは、美少女に分類しても差し支えない程度には整っていた。おっかなびっくりな雰囲気を許容できるなら、かなりの高レベルと言っても良い。もっと女慣れしている人間なら『磨けば光る』とでも表現したのだろうが、こういう消極的なタイプと付き合った経験のない京太郎には、その一歩下がった雰囲気はマイナスに思えた。

 

 ふいに、その女子と目があった。

 

 そして、そのふっと風に流れた前髪を見て、京太郎は直感的にその女子の名前を思い出した。

 

 宮永だ。下の名前は、確か咲。

 

 苗字がわかれば、誰に似てると思ったのか、答えが出るのはすぐだった。

 

 おそらく、この女子は照の妹だ。解って見てみると、似ている部分も色々と見えてくる。顔立ちもさることながら、女性的に残念な体型をしているところもそっくりだった。

 

 単純な見た目の話をするならば、京太郎の好みからは大きく離れている。性格的なところも、自分から踏み込んでこない人間を相手にした経験の少ない京太郎は、あまり咲に良い印象を持っていなかったが、照の妹というならば話は別だった。

 

 厳密に言うならばまだ照の妹と決まった訳ではないが、ここまで顔立ちが似ていて、苗字が宮永ならばハズレということはないだろう。

 

 そう結論付けた京太郎は、ホームルームが終わるのを待って、椅子を近づけた。

 

 いきなり近づいてきた男子に咲は肩を震わせて距離を取ったが、京太郎はそんな態度を気にもせずに言った。

 

「俺、須賀京太郎。これからよろしくな」

 

 何の気なしに差し出した京太郎の手を、咲は数秒ぼーっと眺めていたが、それをしないと手は引っ込められないと悟ったのか、おずおずと自分も手を差し出し、握手を交わした。

 

 これが、宮永咲との出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

「ポン」

 

 東一局。最初に動いたのは咲だった。

 

 久の第三打のオタ風を一鳴き。腰の軽い動きに、隣の和が眉を顰めた。

 

 早速の咲の動きに同卓した三人に緊張が走るのが見えたが、後ろから見ている京太郎たちには、染め手にもトイトイにもまだまだ遠いことが良く解った。

 

 和にはおそらく、意味のない鳴きに見えたのだろう。とりあえず鳴く、という打ち手もいるにはいるが、それは合理的ではないと嫌う人間も大勢いた。和は後者の方なのだろう。公式戦の牌譜や昨日の打ちまわしを見る限り、和は完全なデジタル派である。感性に頼った動きを嫌っていても、不思議ではなかった。

 

 咲を知っている人間として 京太郎はこれが意味のない鳴きではないと知っているのだが、それを今解説するのも風情がないように思えた。麻雀を語るなら、結果を出した上で語らないと説得力がない。咲ならばそれができると確信していた京太郎は、不満そうな和をスルーした。決して、その憮然とした横顔が魅力的に見えたからではない。

 

 

 東一局目、八順目 ドラ『五』

 

 南家 宮永咲 

 

 二三四五④⑤⑥⑦24  西西西(ポン) ツモ『二』

 

 四筒か七筒を切ってのテンパイであるが、まだ始まったばかりなことを考えると索子を払って筒子の伸びに期待しても良い。隣の和だったらノータイムで索子に手を伸ばすのだろうが、咲は逆にノータイムで⑦を払った。

 

デジタル的にはわざわざ狭い方に取る理由がない。和の不満そうな雰囲気がますます強くなっていく。そんな和を気にもせずに咲はいつも通りに打ち回し、その二順後、当たり前のように西を引いた。

 

「カン」

 

 それを加カン。リンシャン牌に手を伸ばした咲は、特にモーパイもせずに牌をそっと置いた。

 

「ツモ」

 

 明らかにそこにアガリ牌があることを確信していたうち回しである。あまりに自然な不自然な動作に、京太郎以外の全員がぽかんとするが、咲の役の申告が終わり、点棒を払う段になると全員が色めきだった。

 

「何かすごいアガリを見た気がするじょ!」

「嶺上開花とか久しぶりに見たな」

 

 興奮する二人と対照的に、久と和は咲のアガリ形と場を食い入るように見つめていた。オタ風を一鳴きした理由と、加カンに踏み切ったこと。その二つに合理的な理由がないか、それを探しているのだ。決定的な根拠があるのだとしたら、それを見落としていることになる。

 

 今まさに戦っている久は、当然勝利のために。和は麻雀における知的好奇心から真剣にそれを探したが、一鳴きと嶺上開花に関連性は見えても、最初の一鳴きに理由を見出すことはできなかった。

 

 というより、カンでアガれるという確信でもない限り、アガリを狭めるオタ風一鳴きを敢行する理由がない。それがカン材になり、かつ、嶺上牌が自分のアガり牌であると確信が持てなければ、一連の行動にも説明がつかない。

 

 その不自然なプレイングを、咲は当たり前のようにこなして見せた。咲にとってはこれが自然なのだ。不可解な現象を使いこなす打ち手が、全国には大勢いる。牌に愛された子供、魔物など様々な呼び方があるが、咲の姉である照はその筆頭だ。

 

 その妹がそうではない理由はどこにもない。拾い物どころか当代きっての化け物と相対していることを自覚した久は、表情を引き締めた。今までだって手を抜いていた訳ではないのだろうが、明らかに雰囲気が変わる。

 

 久の変化に気付いたまこも、舐めてかかると、不味いと気を引き締めた。唯一変わっていないのは優希だったが、彼女には東場で吹くという特性がある。咲の感性でもってそれを打破できるかは微妙なところだった。

 

 京太郎の目から見ても、この三人は相当な打ち手である。いかに咲でも楽に勝てる訳ではないと、ギャラリーの癖に楽観してはいなかったが、当の咲は東パツでアガったことに気を良くしたのか、満面の笑みを浮かべて振り返った。「褒めて!」と顔に書いてある。

 

 京太郎は苦笑を浮かべながら、えらいえらい、と咲の頭を撫でた。

 

 それで気合を入れ直した咲は、卓に向き直った。

 

 

 東二局。次は咲の親番である……。




思いの他早く完成してしまったので投稿します。
もう一作と話数が揃ったので、多分これからは交互の更新になります。


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11 中学生一年 宮永家姉妹喧嘩導入編

1、

 

 話してみると宮永咲という少女は、やっぱり見た目通りの性格をしていた。

 

 とにかく人見知りをするのだ。男である自分が話しかけ、反応が返ってきたのは奇跡のようなものだろう。女子とすらあまり話しているところを見かけないのだから、その奇跡っぷりが伺える。いじめられている訳ではないようだが、誰もが皆、咲との距離を掴みかねていた。

 

 クラスメイトの期待の視線から、自分が咲の友達第一号であると察した京太郎は、何が何でもこのポジションを逃すまいと、距離を取ろう取ろうとする咲にぐいぐい近づいていった。

 

 しばらくするとこの男は諦めが悪いと察した咲が折れ、自分から話をするようになった。学校ではほぼ唯一の話し相手ということで、そうなってしまうと咲も結構饒舌だった。休み時間などは主に京太郎が聞き役になって、色々な話をした。

 

 当然、話題は照のことになる。

 

 お姉ちゃんはね、というのが咲の口癖のようなものだった。よほど姉のことが好きで、尊敬しているのだろう。話の端々からそんな感情がにじみ出ていた。少し前から世話になっているという話をすると、自分のことのように咲は喜んだ。お姉ちゃんは凄い人でしょうと、座った目で同意を求めてくる咲に京太郎は黙って同意した。

 

 姉のことになると、咲は少し怖い。文学少女な面が成りを潜めて、麻雀をしている時の照のような雰囲気になるのだ。

 

 姉妹なのだな、と思う瞬間だった。麻雀の実力が血統に左右されるとは思いたくないが、あの照の妹なのだから、麻雀が強くても不思議ではない。

 

「一緒に麻雀しないか?」

 

 と、京太郎が誘うのも自然なことだったが、その提案に咲は表情を曇らせた。とんとん拍子で話が進むと思っていた京太郎は、咲の反応の鈍さに首を傾げる。

 

「私、あまり麻雀好きじゃないの」

「そりゃまたどうして」

「それが原因でお姉ちゃんと喧嘩したから」

「喧嘩ねぇ……」

 

 麻雀をしている時の照はインターミドル覇者と言われても納得の雰囲気であるが、普段の不思議さんの入った照を見ていると喧嘩と言われてもそれほど深刻なものに思えない。咲の顔は深刻そのものであるが、本人達にはとってはそうでも客観的に見たらくだらないことが原因ということも考えられる。

 

 これもそうなのだろうと決めてかかりそうになるが、原因が麻雀となるとそうも言っていられない。麻雀が絡んだ時の照は、まるで魔王だ。それで何か、照の逆鱗に触れたのなら、根が深いというのも頷けた。

 

「仲直りしたいと思わないのか?」

「思うに決まってるでしょ!? でも、お姉ちゃん口も利いてくれないし、目も合わせてくれないし、来年は県外の学校に行っちゃうかもしれないし……」

 

 最後の言葉は、京太郎にとっても人事ではなかった。照ほど強ければ全国の強豪校から引く手数多だろう。長野にも風越や龍門渕などの強豪校はあるが、より強い学校は全国にいくらでもある。照がそれを選ばないという保証はなかった。妹の咲と口も利かないような状態なら、咲から離れるために遠くの学校を選ぶ可能性が高いように思えた。

 

 咲が照を好きなのはもはや確認するまでもないが、照の方がどう思っているのか京太郎には解らなかった。照から話を聞けていたら早かったのだが、照から家族についての話を聞いた記憶はない。他人である自分にまで意図して妹の影を掴ませなかったのだとしたら、喧嘩というのも随分と根が深い話になる。

 

 いずれにしても、照が県外に出てしまうと修復は難しくなるだろう。やるなら進路が決定する前にやるしかない。インターミドルの予選がもう少しで始まる。それを邪魔しないためには、今すぐにでも動かなければならなかった。

 

「宮永、もし照さんと麻雀セッティングできたら、やるか?」

「やりたいけど……できるの?」

「やる。それから、ついでに仲直りもしておこう。できれば照さんに麻雀で勝ってほしいんだが……」

 

 無理なら別に良い、くらいの気持ちでの質問だったが、京太郎の問いに咲は全く躊躇いなく頷いた。

 

「解った。仲直りできるなら、お姉ちゃんに勝つよ」

「随分簡単に言うな、お前」

 

 インターミドル覇者に簡単に勝てるなら、誰も苦労はしない。咲の虚勢かと思ったが、その視線に戸惑いはなかった。本気で勝てると信じているのだ。

 

 何となく、二人が喧嘩した原因が見えてきたような気がした。麻雀をさせれば、咲が勝てばと思っていたのだが、そこまで話は単純ではないのかもしれない。

 

 とにかく、全ては照と話をしてからだった。今日は照の都合が悪く、会うのは明日になっている。それまでに、打てる手は全て打っておかなければならない。もし照が本当に仲直りをしたくなければ話はそこで終わってしまうが、少しでも目があるならば、照が取りうる行動全てに対処しておく必要がある。

 

「ところで照さんって何が好きなんだ?」

「んー……おかし?」

 

 正攻法で行くしかないな、と京太郎は心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「ところで照さん。俺、照さんの妹と同じクラスなんですけど――」

「私に妹はいない」

 

 食い気味の照の言葉に、話の前提を崩されてしまった京太郎はん? と首を傾げた。田中や鈴木ならばともかく、宮永というのはそんなにある名字ではない。加えて、咲と照の顔は他人と思えないほどに良く似ていたし、咲は照のことをお姉ちゃんと呼んでいた。実は親戚のお姉ちゃんという今更な可能性もないではないが、照の声音は咲との関係性そのものを否定しているようだった。

 

 その強い拒絶が京太郎には酷く不自然に感じられた。何かを隠している。そんな雰囲気である。

 

「親戚がこの学校に通ってるということは?」

「ない」

「そうですか。じゃあ、俺のクラスの宮永は」

「全く関係ないただの宮永」

「そうですか、よく解りました」

 

 取り付く島がないとはこのことだ。普通に攻めても照は本当のことを言わないと、京太郎は確信を持った。

 

 だから、攻め方を少し変えてみる。

 

「まぁその全く関係ない宮永の話なんですど、そいつ宮永マキって――」

「咲」

 

 とっさに、照の口から突いて出た言葉は、京太郎の望んでいたものだった。まさかこんなに早くボロを出すと思っていなかった京太郎は、にやにやとした顔で照を見る。

 

 照は顔を明後日の方向に向け、視線を合わせようともしなかった。照の耳は悔しさと恥ずかしさで真っ赤に染まっていた。

 

「照さん」

「……」

 

 京太郎の呼びかけに、照は観念したように溜息を吐いた。

 

「宮永咲は私の妹」

「話が早くて助かります。喧嘩してるんですか?」

「それは京太郎には関係のないこと」

 

 前進したが、やはり取り付く島もない。照の態度は頑なで、簡単には切り崩せそうになかった。普通ならばこれで諦めていただろうが、一月ほどの付き合いが照の内面にあるものをいくらか京太郎に悟らせていた。

 

 喧嘩をしているのは事実だろうが、咲のことを語る照の声音に、憎しみはそれほど感じられなかった。不器用で屈折したプラスの感情が見て取れる。修復不可能なほどの深刻な喧嘩ではないはずだ。

 

 そしてそれは咲の方も同様である。嫌われていることを自覚しつつも、咲は関係を修復することを望んでいた。お互いに修復する意思があるなら、まだやりようはある。姉妹の橋渡しなど経験のないことだが、一人っ子として生まれ、年上の女性に面倒を見られて育った身としては、お互いを大切に思える血の繋がった姉妹が、仲違いしているというのは耐えられることではなかった。

 

「最近宮永と話をするんですけどね、あいつお姉ちゃんの話ばっかりするんですよ。お姉ちゃんのことが自慢なんだって、俺に話してくれました」

 

 自慢のお姉ちゃんはまだ視線を逸らしたままである。興味がないという風を装っているが、耳が留守になっていないことは雰囲気で解った。他所行きでない時の照は顔にこそ出ないが、態度には良く内面が出る。隠し事のできないまっすぐな性格なのだ。これは、咲とも同様である。

 

「照さんも見れば解ります。宮永のことは別に嫌いじゃないんでしょう。俺としては仲良くしてほしいんですが……どうでしょう、俺も含めて麻雀でもしませんか?」

 

 断る、と即座に返されると思っていたが、照は京太郎の提案に押し黙ってしまった。随分な食いつきに、逆に驚いてしまう。思っていた以上に照の食いつきが良いのだ。これは簡単に話がまとまるかと、淡い期待を抱いた矢先のことだ。

 

「私に良いことがない」

「姉妹仲を取り持った、ということじゃダメですか?」

「さっきも言った。これは私達の問題で京太郎には関係がない。咲の頼みを聞いて京太郎が提案してそれを私が受ける。咲にも、咲に貸しを作れる京太郎にも良いことはあるけど、私にはない。だから受ける理由がない」

「つまり何か良いことがあれば受けるってことですか?」

「良いことの内容による」

 

 言うだけ言って照は聞く体勢に入った。思っていた以上に食いつきが良い。条件を出されることも予想通りで、想定していたよりも大分緩い条件と言えたが、具体的な要求をされないというのもそれはそれで困る。

 

 照がじーっとこちらを見つめている。その視線にそこはかとない期待を感じた京太郎は、結局気の利いたものは何も思い浮かばず、用意していたものの内一番の正攻法で攻めることにした。

 

「照さんが勝ったら、俺の手作りで良ければケーキをご馳走しますよ。一週間に1ホールを一月――」

「やる」

「いや、もう少し考えてから決めた方が――」

「やる。必ずやる。そして勝つ」

 

 いつにない強い決意を照から感じた。食いしん坊キャラだとは思っていなかっただけに、京太郎も若干引き気味である。

 

 いずれにせよ、一番の難題だった勝負を受けてもらうということは解決することができた。これなら仲直りも簡単にできるのでは、と思った京太郎は、

 

「宮永と仲直りするなら期間を三ヶ月に延長しますがどうですか?」

 

 冗談のつもりで言った提案に、照は押し黙った。真剣に悩んでいる様子だ。咲の話を聞いた時にはそれなりに深刻に思えた喧嘩の原因が、ケーキで揺らいでいる。

 

 もしかしてどうしようもなくくだらない理由で喧嘩しているのではないか。そう考えると、態々仲直りのセッティングを言い出したことが急にバカらしくなってしまう京太郎だった。

 

 しかし、素人手作りのケーキでここまで悩んでくれるというのは、個人的に嬉しいことだった。趣味と言えるほどではないが、料理は今まで年上の女性とつるむことが多かった故に自然に身についた特技である。たまに作るくらいなので自分ではそれほどではないと思っているが、お菓子などの甘いものはそんなレベルであっても大抵女性受けは良かった。今までと比べても、照の反応は格段に良い。

 

 やはり食いしん坊キャラなのかと、インターミドル覇者という言葉から作られていたイメージが、がらがらと崩れ落ちていくのを感じる京太郎だった。

 

「……これは、私達の問題」

 

 結局はプライドが勝ったようだった。物凄い葛藤をしたという照の顔を見て、勝負の結果に関わらずケーキはごちそうしようと思う京太郎だった。

 

「それじゃあ、ルールを決めましょうか」

「面子には必ず京太郎と咲が入ること。それだけ守ってくれれば、ルールも残りの面子もそっちが決めてくれて良い」

「場所はどうします?」

「うちに全自動卓がある。住所は咲に聞いて。日程と面子が決まったら連絡すること。その日は必ず予定を空ける」

「何か、色々とすいません」

「謝るくらいなら、最初からこんなことはしないで。でも、機会を作ってくれたことには感謝してる。私たちだけなら、多分一生このままだった」

「照さん……」

「だからこそ手は抜かない。後一人が誰でも、全力で相手をして私が勝つ。咲にもそう伝えてほしい」

 

 いつもの分かれ道に差し掛かるよりも先に、また明日と言い残して照は足早に行ってしまう。『さよなら』でなくて良かった、と思いながら京太郎は最後の一人を誰にするか考えた。

 

 勝つだけで良いなら咏に頼むべきなのだろう。京太郎の知人の中では彼女が一番麻雀が強い。何しろプロであるからそれも当然と言えたが、中学生の勝負にプロを出すのはいかにも大人気ないと京太郎でも思った。小学生を全力で叩き潰す咏のことだ。頼めば喜んで照を吹っ飛ばしてくれるだろうが、それでは余計に話が拗れてしまう。

 

 誘うにしても中学生であるのが最低条件だろう。照が三年生で良かったと思いながら脳裏で『麻雀の強い中学生』と検索をかけて、最初に思いついたのは小蒔だった。我ながら良い人選だと思ったが、彼女は遠く鹿児島にいる。

 

 それでも人の良い彼女ならば引き受けてくれてくれるだろうが、その時は霞や初美に一連のことが知られることになるだろう。『そんなこと』に神代本家の姫様を担ぎ出したとなれば、霞に何をされるか解ったものではない。姉妹関係の修復は大事だが、その代償に霞に色々されるのは嫌だった。小蒔に頼るのはNGである。

 

 同様に憧や玄に頼むのも気が引ける。住んでいる場所が遠いというのは、中学生にとっては大きなネックだった。可能な限り近くに住んでいて麻雀が強く、急な頼みも引き受けてくれる仲の良い相手。

 

 そこまで条件を絞ると、流石に一人しか残らなかった。携帯電話を取り出して、コールする。

 

 ワンコールで出たその少女に、京太郎は開口一番に言った。

 

「モモ、麻雀しないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 親番になっても咲の勢いは留まらなかった。既に積み棒は三本。東パツのアガリを含めて四連続のアガリ。内、三回は嶺上開花でアガっていた。どれだけ勘の鈍い人間でも、これで咲が特別なのだということは理解できるだろう。

 

 楽観的に物を考えそうな優希すら、今では真剣な表情で卓に向かっている。東場で吹く彼女ですら咲のアガリを上回ることはできていない。顔を見るに手は入っているのだろうが、それを潰す形で咲が動くのだ。

 

「ポン」

 

 優希の③を咲がポンする。その次のツモ。

 

 

 東2局 親咲 三本場 ドラ9

 

 

 ①①赤⑤⑥666778 ツモ9 ポン③③③ ドラ9

 

 

 咲は7を切った。気になった優希の手を覗くと、

 

 

 四五六七④⑤⑥456789

 

 

 9を予定通りにツモっていたらドラ頭、高め三色の三面張だった。優希の運ならば高めをツモっていただろう。咲のリードで始まったこの半荘に一石を投じるには十分な手である。

 

 それを咲は潰した。意図的にやったのではない。超攻撃的な咲の麻雀において、防御というのはあまり重要ではない。京太郎と照が教えたのは最低限の読みだけで、それ以外は全て攻撃の幅を広げることに専念させた。

 

 守りに入るくらいなら、より稼ぐ。理想は自分だけがアガり続け、他人をさっさと飛ばすこと。コンセプトとしては照と同様であるが、咲の打点は最初から高い。一つ一つの攻撃の重さは、照以上だ。飛ばすことだけを見れば有利ではあるものの、その反面、照ほどテンパイスピードは早くない。

 

 アガり切るには技術が必要だ。これは照にあって咲にはないものである。理論を教え込もうとはしたが、咲の頭の出来はそれほど良いものではなかった。いずれは理解するだろうが、それでは時間がかかる。

 そこで目をつけたのが、鳴き麻雀だった。

 

 他人の捨牌を含めて考えれば、手の構築はより深い物になる。刻子に関する感性は、誰よりも鋭い咲である。配牌を見てどの牌が最終的に刻子になるかを本能的に理解している咲は、同様にその対子をポンした時、それがやがてカンできるかも察することができた。

 

 加えて、嶺上牌の信頼度である。プレイヤーとして座っている時、咲の嶺上牌の的中率は何と100%。ガン牌しているとしか思えないほどの的中率で、そこに何があるのかを看破するのである。

 

 嶺上開花に対する絶対の信頼が、咲の麻雀の根幹だった。それ故に、手作りも通常の効率を無視して、嶺上開花でアガれる形、そしてそれに繋がる形での手作りを前提にする。

 

 極めて特殊なうち回しは、見ている他人の心を波立たせる。特にデジタル打ちは咲の打ちまわしは肌に合わないだろう。和は京太郎の隣で咲の打ちまわしを見守っていたが、自分では絶対にやらないことの連続に、気分が悪そうにしている。

 

「別に他の人のを見てても構わないんだぞ」

 

 小声で言った京太郎に、和は静かに首を横に振った。

 

「自分と違う考えで打つ人には、中々巡り合えるものではありませんから。これも勉強だと思って、最後まで見ます」

「デジタル打ちには理解できないうち回しだろう」

「これを教えたのは須賀くんなんですか?」

「これ以上はないってくらい咲に合ったうち回しだろう。防御は追々ってやってる内に、後回しになっちまったけど……」

 

 ある程度理論によって動く照とは逆に、咲は感性で打ち回す。手を読むということはほとんどできないが、その代わり研ぎ澄まされた感性で相手の手を理解する。その牌が危険、というのは何となく解るらしい。

 

 だが、それはあくまでも何となくだ。加えていつも警告してくれる訳ではなく、集中が上手く行っていないと危険牌でもぶっ通すことがある。アガりが重なって調子に乗ると、そうなる傾向が強い。ポンした③は、やがてカンするつもりなのだろう。嶺上牌は④か⑦のはずだが……

 

 京太郎は久を見た。咲の動きを注視する彼女は、虎視眈々と何かを狙っているように思える。京太郎が咲の席に座っていたら、間違いなく回すことを選んでいただろう。捨て牌、雰囲気、牌の切り方。諸々の情報を加味すると、久は既にテンパっている可能性が高い。

 

 咲は③をツモった。案の定、咲はノータイムで加カンし、王牌に手を――

 

「ロン」

 

 伸ばせなかった。してやったり、という顔で久が牌を倒す。

 

「チャンカン、三色、アカ、ドラドラ。ハネ満の三本場、12900ね」

 

 しかも、高い。咲が呆然と久のアガり形を見つめている。自分が当たられたというのが信じられないのだろう。つま先で椅子を軽く突付くと、咲は慌てた様子で点棒を差し出した。

 

「ありがと。でもチャンカンなんて久しぶりにアガったわ。狙ってできたのなんて、初めてよ」

「狙ってたんですか?」

「悪い待ちが得意だって言ったでしょ? アガれると思ったら本当にアガれちゃったからびっくりしちゃった」

 

 びっくりというのもポーズというのは、京太郎にも解った。アガれるという確信が久にはあったのだろう。咲が嶺上開花を得意とし、信頼するのと同じくらいに久は自分の悪待ちに絶対の信頼を置いている。そういう特性を持った人間がアガれると思った時は、本当にアガる時だ。咲に油断があったにしろ、それを形にするところに久の技術の高さと、運の良さが見える。

 

「先行逃げ切りで終わられたらどうしようと思ってたけど、これでまだ勝負になりそうね。貴女のお姉さんのおかげで中学生の時からず~っと『宮永世代』と呼ばれ続けた三年生の力、見せてあげるわ」

 

 その啖呵に、京太郎は目を細めて久を見た。久の言葉は、照と会ったことがあるという風に聞こえる。これだけ腕があれば、団体戦はともかく個人でインターミドルに出ていてもおかしくはない。他所から引っ越してきた訳ではなく、長野出身というのは昨日聞いた。インターミドルに出ているとしたら長野代表として出ていることになる。

 

 照がインターミドル二連覇を決めた三年前、当然のように照はトップで全国出場を決めた。咲と一緒に応援に行ったからその時のことは良く覚えている。高校生と一緒で、個人の代表枠は全部で三つ。トップが照、二位が現風越女子のキャプテンであり、去年の長野予選で透華と戦った美穂子。そして三位が――

 

「思い出したみたいね。私も昨日、家に帰ってから思い出したわ。宮永さんと一緒にいた金髪の中学生は須賀くんだったわね」

「部長は何というかこう……落ち着きましたね」

 

 記憶にある上埜久は良く言えばワイルド。悪く言えば不良然とした風貌をしていた。間違っても生徒会長などをやりたがる雰囲気には見えなかったのだが、今京太郎の目の前にいる久はにこにこと楽しそうに笑っている。顔が同じだから同一人物だとは思うが、双子の姉と言われたら信じてしまうかもしれない。

 

「私も色々あったのよ。さ、続きをしましょ。楽に勝たせたりはしないから、そのつもりでいてね」

 

 不敵に笑う久からは、今が楽しくて仕方がないという内面が見えた。この場にいる中で、最も麻雀を楽しんでいるのは、久だろう。その笑みに咲が気圧されたように身体を震わせる。

 

 気も漫ろなのが見ていて解る。これは荒れた場になるな、と直感した京太郎は深く溜息をついた。

 

 

 

 




モモに電話をかける京ちゃん何て奴だと思ってしまいましたが、それについては次回モモが文句を言ってくれることでしょう。


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12 中学生一年 宮永家姉妹喧嘩爆裂乱闘編

1、

 

「よぉモモ! 良く来てくれ……た……」

 

 待ち合わせの場所に現れたモモを見た京太郎は、絶句した。

 

 何というか、美人過ぎるのである。

 

 モモと知り合ったのは中学に入る前。つまりまだ知り合って二ヶ月しか経っていない。それよりも前はお互いにランドセルを背負っていた。つまりは小学生だった訳だが、今のモモを見て二ヶ月前まで小学生だったと思う人間はいないだろう。

 

 一目で余所行きと解る服は、男の京太郎の目から見ても気合が入っており、今日のイベントにかける意気込みを嫌というほど感じさせた。髪型こそいつものままだが、薄く化粧までしている始末である。

 

 身長は京太郎から見て頭半分ほど低いが、出るところは出ているモモである。同級生だと知っている京太郎ですら、もしかしたら二つか三つは年上なのでは、と錯覚するほどモモは大人びていた。

 

「待ったっすか?」

「いや、待ってない。俺も今来たところだけど……どうした?」

「似合わないっすか?」

 

 くるり、とその場で一回転して見せるモモ。ふわりと舞うスカートと女の子な匂いにくらりとするが、男のプライドとしてそれを顔には出さないようにしながら――それでも頬が熱くなるのは止められなかったが――モモを褒める言葉を探した京太郎は、気の利いた言葉の浮かばない自分に辟易としながら、

 

「似合ってるよ」

 

 思っていることそのままを口にした。

 

 それを聞いたモモは、花が咲いたように微笑んだ。

 

 ぼーっと、その笑顔に見とれてしまった京太郎は、頭を振った。見とれている場合ではない。今日の目的は麻雀だ。そのことはモモにも伝えてある。それなのにどうしてここまでめかし込んで来たのかさっぱりだが、とにかくやるぞという意気込みだけは理解できた。

 

 突然誘った麻雀であるが、やる気でいてくれるならばこれ以上はない。ステルスというレアな特性まで含めて、モモの麻雀の実力は京太郎も認めるところである。やる気ならば、今日はこれ以上ないほどの戦力になってくれることだろう。

 

 

「友達の家は近いんすか?」

 

 道を行きながら、モモが問うてくる。

 

「そんなに遠くないはずだけど、行くのは初めてなんだ。近くで待ち合わせをして、一緒に行くことになってる」

「京さんの友達なら、きっと麻雀大好きっすね」

「どうだろうな、あまり好きじゃないみたいなことは言ってたが。いたいた。宮永!」

 

 待ち合わせ場所では、咲がしょんぼりと佇んでいた。気落ちしているのが離れていても解る。そもそも今日の麻雀は咲が主導で始めたことではなく、いわば京太郎のおせっかいだ。咲の姿を見て今更余計なことをしただろうかと考えるが、ここで止めますとは言ったらケーキに目の眩んだ照にぼこぼこにされる。

 

 ここまで来たら、もう後には引けない。嫌な気持ちを吹き飛ばすように京太郎が名前を呼ぶと、顔を向けた咲はその場で首を傾げた。京太郎ではなく、京太郎の隣の空間を、目を細めて凝視している。見えてはいないが、何かいるとは感じているのだろう。流石に照の妹だけあって、感性が鋭い。

 

 少なくともモモの周囲にはあまりない反応だ。自分が見えるかもしれない相手。これは喜んでいるだろうと隣に立つモモを見れば、モモは自分がいる方を凝視している咲を見て、憮然としていた。

 

「……友達って女の子だったんすか?」

「そうだよ。言ってなかったか?」

 

 京太郎は当たり前のようにそう口にしたが、モモは京太郎に聞こえないほどの小さな声で『これはないっす……』と呟いていた。

 

 気合十分だと思っていたモモがいきなり気落ちしたのを見て京太郎は混乱するが、モモは顔を上げるとその場でくるりと回り、足を大きく踏み鳴らした。空気が震える音に驚いた咲は一歩後退り、そうして『突然現れた』モモにさらに驚いて足を滑らせた。最初からモモが見える京太郎には馬鹿馬鹿しい光景であるが、モモが見えない人間の反応としてはこれが普通である。自ら姿を晒そうとしたモモに疑問は残るものの、まずは転んだ咲を助け起こすことだ。

 

「大丈夫か宮永」

「うぅ……須賀くん、ありがとう」

 

 お尻を摩りながら起き上がった咲は、改めてモモと対面した。

 

 並んで見ると、その容姿の違いが際立って見える。

 

 目鼻立ちのはっきりとしたモモは年齢による幼さはあるものの今でも十分に美少女であり、その顔立ちは美人の系統である。かわいい、という感じではない。

 

 対して咲は派手さではモモに劣るが顔立ちは十分に整っている。身体の小ささや雰囲気も相まって、かわいいと表現するのが妥当だろう。目立たなくとも美少女には違いないが、決して美人の系統ではない。

 

 美少女二人と並んでいるというこの状況は男として喜ぶべきことなのだろうが、軽く火花を散らしている二人の間に挟まれるのは居心地が悪い。二人を知っているのは京太郎一人だ。紹介でもするべきかと悩んでいる内に、モモが一歩前に出た。その気迫に、咲が一歩後退る。

 

「東横桃子、中学一年っす。京さんからはモモと呼ばれてるっすよ」

「宮永咲です。よろしくお願いします」

 

 ふむ、と咲の名前を心中で繰り返したモモは、首を傾げた。『友人の姉』を自分達で協力して麻雀で倒す。モモにはそういう風に説明してあった。宮永というのはよくある名字ではない。長野県の女子中学生で麻雀をしていて連想する宮永は、おそらくただ一人だ。

 

「宮永っていうのはもしかして、あの宮永っすか? 宮永照? インターミドルチャンプの?」

「こいつはその妹だ」

 

 モモは深い深い溜息をついた。そして、京太郎を可哀想なものを見る眼で見つめる。

 

「勝てる訳ないじゃないっすか。相手を選んで勝負を挑んだ方が良いっすよ」

「男にゃ引けない時があるんだよ」

「まぁ、京さんの頼みだからやれるだけのことはやるっすけど、こっちの妹さんは大丈夫なんすか?」

 

 口調には軽い敵意が見える。それを明確に感じ取った咲は、はっきりと不満の色を浮かべた。人の顔色を伺う性質の咲が、感情を露にすることは珍しい。雲行きが怪しくなったことを察した京太郎がフォローに入るよりも先に、咲は一歩歩み出た。モモの目を正面から見据えて、答える。

 

「お姉ちゃんは、私が何とかします。邪魔だけはしないでください」

 

 普段の咲を知っているものならば目を疑う、明確で明朗な答えである。口答えされると思っていなかったモモは目を丸くしていたが、威勢の良いその言葉に破顔した。

 

「なら、大丈夫っすね。期待してるっすよ、妹さん」

 

 軽い口調のモモに、今度は咲が目を丸くした。敵意を向けられると思っていたのに、これでは肩肘を張っていた自分がバカみたいである。にこにことするモモに、行き場のなくした怒りを霧散させた咲は、うー、としばらく唸った末に、

 

「同級生なら、私のことは咲で良いよ」

「私のことはモモと呼ぶと良いっす」

「うん……モモちゃん?」

 

 そう呼ばれたモモは、しばらくの沈黙の後に興奮した様子で京太郎に詰め寄った。

 

「ヤバイっすよ京さん! 何か知らないっすけど今凄いきゅんときたっすよ!」

 

 息のかかる距離で小声で吼えるモモは、興奮の絶頂にあった。ステルスのせいで友達のいなかったモモである。モモちゃんと呼ばれることも、今までなかったのだろう。友達、と呼ぶにはまだまだ距離が遠いが、咲も決して友達の多い方ではない。これで二人が仲良くなってくれれば、と思うのは共通の友人として当然のことだった。

 

「私も咲ちゃんとか呼んだ方が良いんすかね」

「咲で良いって言ってるのに宮永って呼んだらそれは『友達になるのも嫌です』って宣言だと思われるかもな」

「……友達道は奥が深いっす。私一人だったら照れて宮永とか呼んでたかもしれないっすよ」

 

 京太郎の言葉を受けたモモは、意を決して咲の名前を呼んだ。

 

「……咲ちゃん?」

「うん。なにかな、モモちゃん」

 

 名前を呼び、名前を呼ばれたモモは両手で顔を覆って天を仰いだ。顔は耳まで真っ赤になっている。恥ずかしさで死にそうなのだ。女子ならこれくらいのやり取りは普通だと思うが、その普通がモモには今までなかった。京太郎も友人ではあるが、男性であり咲のような女友達のような役割はできない。生まれて初めてできた女友達に感動するモモを微笑ましく眺めながら、京太郎は咲を促した。

 

「照さんの準備はできてるか?」

「朝から気合が入ってるよ。もう背中に炎が見えるくらい。インターミドルの日だってあんなに燃えてなかったのに、須賀くんお姉ちゃんに何言ったの?」

「色々と生意気なことを言ったかもしれない」

 

 神妙な顔で顔を逸らすと、咲は勝手に納得してあぁ、と小さく言葉を漏らした。男の子的な発言で先輩である照に喧嘩を売った、とでも解釈したのだろう。実際はかなり下手に出た上にケーキで釣ったのであるが、それは言わないでおいた。

 

 今日のイベントには姉妹の仲直りという側面もある。姉妹喧嘩の原因が何か京太郎は知らないが、照がケーキで釣られているというのは咲にとって面白くない事実に違いない。照から漏れる可能性は大いにあるが、少なくとも自分からは絶対に漏らさないと、京太郎は心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 宮永家は普通の一軒家だった。

 

 インターミドル覇者である照の家というから、もっと豪邸を想像していた京太郎は微妙に肩透かしを食らう。ただいまー、と家に入る咲に続いて、モモと一緒に宮永家の中へ。玄関に靴は二つ。今咲が脱いだ分と、照の靴である。日曜日の昼間だ。両親が居ても良い時間帯であるが、どうやら両方とも留守のようだった。

 

「お母さんは仕事。お父さんは用事で出かけてるの」

 

 咲の言葉に、京太郎は安堵の溜息を漏らした。姉妹喧嘩の仲裁と目的だけを見れば聞こえは良いが、妹の方の同級生である男子が家にあがってとなると、親御さん的には話が変わってくる。前から仲が良いというならまだマシだろうが、照とは中学に上がってから出会ったばかりで、当然宮永夫妻と京太郎に面識はない。靴を脱いで宮永家の床を踏むと、まるで自分が間男のような気がしてくる。

 

 その横で、モモは平然と靴を脱ぎ咲の後についていく。人生初の女友達を得たモモに、怖い物はなかった。そのモモについていく形で、京太郎はリビングに入った。噂の全自動卓はその中央にあった。普通の居間に全自動卓というのも中々にシュールな光景であるが、足の部分に積もっている埃を見るに最近までここにあった訳ではないのだろう。埃を被るほど家族で卓を囲んではいないのだ。四人家族で姉妹の仲が悪かったら面子が集まらないのだから当然である。

 

 卓を囲む椅子の一つに、照は腰を下ろしていた。じっと文庫本に視線を落とすその姿だけを見れば、文学少女のようにも見える。京太郎たちがやってきたことに気付いた照は文庫本を閉じると、卓上を示した。伏せられた牌が4つある。場決め牌だ。

 

 京太郎はモモと咲を見た。京太郎自身、席順に注文はない。自分とモモの間に照が入られると面白くない、という程度である。京太郎自身の強さは言うに及ばず、モモはステルス込みであれば確かに強者であるが、照に通用するかは疑問だった。今日の勝利はまだ麻雀を打っているところを見たことがない、咲の実力頼みだった。

 

 勿論勝負であるから勝つつもりでやるが、勝てる見込みは薄いと勝負を挑んだ京太郎自身も思っていた。勝負は仲直りの切欠として提案したに過ぎない。今まで会話することも少なかった姉妹が、これを機に少しずつでも話してくれるようになれば、この勝負を設定したことにも意味はあった。咲は別に照を嫌っている訳ではないし、意固地になっている照も、別に嫌いではないようだ。切欠さえあれば解決する。そんなに難しい問題ではないと、京太郎には思えた。

 

「じゃあ私から行くっす。ああ、私は京さんと咲ちゃんの友達で東横桃子っすよ。よろしくお願いするっす」

 

 モモが真っ先に手を伸ばし、牌を選ぶ。二番目は咲だった。咲は照の視線を気にしながら、牌を引く。京太郎は三番目だ。適当に残った片方の内、一枚を手元に引き寄せる。照が最後に残った牌を引いた所で、全員が一斉に牌を捲った。

 

「私はここで良い」

 

 東を引いた照は椅子に背中を預けた。照を基点に、残りの面々が着席する。南を引いた咲が照の下家。西を引いた京太郎が照の対面で、北を引いたモモが京太郎の下家である。モモとの間に照に入られるという事態は脱した。咲の上家に照というのは良くないと言えば良くないが、アガリ続けるスタイルの照に、牌を絞るという選択肢は存在しない。咲のスタイルにも因るが、この席順は咲にとってはあまり脅威ではないはずだ。

 

 咲は卓上に視線を落とし、集中している。この勝負に一番気合が入っているのはおそらく咲だった、咲を見つめるモモの目には、力が篭っていた。元々やる気がなかった訳ではなかったが、咲と友達になってからは俄然やる気となっている。ステルスが十分に機能すれば照にも一矢報いることはできるだろうが、それで照が押し切られる光景も、京太郎には想像できなかった。

 

「ルールの確認をしたい」

「東南戦の『一回』勝負。アリアリで赤はなし。役満の複合あり。25000点持ちの30000点返しで、箱下もあり。トップが一番偉いってことでお願いします」

「わかった。忘れないように」

 

 唐突な照の念押しは咲やモモには不可解だったが、京太郎にはそれがケーキのことだとすぐに理解できた。忘れてないと頷くと、照は卓に視線を落とす。

 

 牌がせりあがった。勝負が始まると同時に、いつもの感覚が襲ってくる。

 

 軽い眩暈を覚えながら、京太郎は運の散り具合を感じ取った。

 

 照は相変わらず運が太い。元々の運もさることながら、今日は特にコンディションが良いようだ。賞品のケーキがそれだけ照を高揚させているということなのだろう。仲直りのために立ち上げた企画であるが、照が勝ってしまうと余計に話が拗れてしまう気がしないでもない。

 

 そこで咲に頑張ってもらわないといけない訳だが、照に比べてテンションが低い割に運は悪くなかった。流石照の妹。照に勝つと豪語しただけのことはある。運だけで言えば照と比べても遜色はない。むしろ、咲の方が強いくらいだった。技量のほどは知らないが、運だけならば間違いなく咲は全国クラスである。

 

 その二人に比べると、モモの運量は二つくらい格が落ちた。それでも十分強い部類に入るが、やはり超一流の運を持つ二人と比べると霞んで見える。技量も捨てたものではないが、その技量についても中学トップクラスの照がいる。研鑽に費やした時間は、当然照の方が多いだろう。モモに勝てる要素があるとすれば、ステルスによる奇襲戦法であるが……

 

 モモがすっと、目を細めた。

 

 瞬間、モモの存在感が限りなく薄くなる。ステルスが発動した、というのは何となく解った。

 

 何となくであるのは京太郎はモモが消えているというのを実感することができないからだ。卓上において、京太郎は運を他のプレイヤーに放出する。自分から放出された運の行く先を、放出した本人が見失うということは決してない。まして、ステルスは本当に消えている訳ではない。人々の認識から外れることで見えないという事実を作り上げているだけである。はっきりとした運のやりとりがモモとの間に成立している以上、京太郎がモモを見失うことはありえないのだ。

 

 だが、疑問も残る。それは京太郎が『卓上で』モモを見失わないことの説明にはなっても、普段からモモを見失わない説明にはならない。

 

 麻雀と関係なく過ごしていても、モモが京太郎の認識から外れたことは一度もなかった。その理由をモモに聞いてみたことはあるが、彼女はふふ、と笑うだけで一向に答えようとはしない。埒が明かないと思った京太郎はその道の専門家に聞いてみることにした。

 

『君は変わった友達を作るのが得意なんだろうね……』

 

 電話で京太郎の説明を受けた良子は、受話器の向こうで大きな溜息をついた。

 

『生まれつき制御のできない隠行を発動し続けているとはね。牌を巻き込むとなると、相当に高度な術のようだ。それを生まれつきとなると大したものだけど、問題はそれが通用しない京太郎のことだ』

『俺にも隠れたオカルトの才能があるとかありませんか?』

『相対弱運を才能というのなら、君は相当な天才だよ。でも前にも言ったけど、君に見鬼の才能はない。となると、これは君だけの問題ではなく、かくれんぼの彼女にも原因があるね。君はあらゆる勝負で不利になる。つまり彼女との間で常に勝負が成立していると考えるのが、一番簡単な答えじゃないかな』

『勝負ですか?』

『隠れている自分が見つかったら、その時は自分の勝ちと言い聞かせているんじゃないかな。自分の特性で負け続ける君には、かくれんぼの彼女がいつでも見えるという訳だ』

『そんなに都合良く行くものですかね』

『世の中そんなものだよ。でも、一応女である私としては、もう少し情緒のある表現を使いたいものだね』

 

 一度言葉を切った良子は、笑みを含んだ声でこう答えた。

 

『君と彼女は出会うべくして出会った。かくれんぼの彼女は、ただ君に見つけてほしかったのさ』

 

 恥ずかしい物言いもあったものだが、京太郎はその言葉で追求することをやめた。見えないモモが見えるのならば、そこに理由など必要ない。見えなくなったら、その時考えれば良いのだ。

 

 

 東一局。

 

 

 配牌は悪い。強運の持ち主が三人もいるのだから当然だ。一応アガリは目指すが、ここは手堅く打つのが得策だろう。おそらく十順以内に、咲かモモがアガる。初対面のモモがいるから、照は様子見をするはずだ。

 

「リーチ」

 

 六順目、モモが牌を曲げた。照も咲もそれを認識している様子はない。現に照は危険牌をノータイムで通した。咲も同様である。確かにモモのことが見えていないのだ。モモが得意そうな視線を送ってくる。そんなモモに苦笑を返しながら、京太郎は手の中からモモの現物を切った。

 

 モモのツモ。一発ではなかった。悔しそうな顔をしながら、切り出した牌は一筒である。

 

「ロン」

 

 静かに響いたのは、照の声だった。何事もなかったかのように牌を倒す。平和のみ、1000点。ただそれだけの手であるが、モモにとってはそれだけでは済まなかった。

 

 ステルスが通用しないというのは、モモにとって人生二度目の経験である。怪物でも見るような眼で照を見るモモに、照は淡々と宣言した。

 

「今日の私は生まれてから今までで、一番強い。誰であろうと――」

 

 

 

 

 

「――叩き潰す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

 予想の通り、咲の麻雀は守りに入った。精神的に打たれ強くない咲は予想外のことがあると守りに入るのである。普通であれば直すべきところであるが、感性の鋭い咲が守りに入ると、よほどの試合巧者でない限り打ち込むことはなくなる。一撃を喰らわせるために運を蓄えていると思えば、それも悪いことでもない。

 

 咲が守勢に入ったことで、場はより混沌としだした。打ち回しの上手さで言えば、やはり久に分が有るようだ。勢いのある優希を、久が技術で凌いでいるといった流れ展開である。まこもまた、守勢に回ると強いようだ。久の切り出した牌を鳴くことで、二人は共同して優希の勢いを殺していた。

 

「部長と染谷先輩なら、良いコンビ麻雀が打てると思わないか?」

 

 隣の和に耳打ちしたら、和ははっきりと迷惑そうな顔をした。美人にそういう顔をされると、中々に迫力がある。

 

 そして、美人はどんな顔をしていても美人だった。

 

 京太郎が少しの間だけ和の顔に見とれていると、和は卓に視線を戻した。視線は咲の手牌と場を、メモを取る間も惜しいとでも言うかのように忙しく動き回っている。咲を観察対象と認めたのだろう。デジタル派の和にとって、咲の打ちまわしは理外にある。今後相対する可能性のある相手として、その思考を理解しておくのは決して悪いことではなかった。

 

 和が卓上に夢中になると、話し相手がいなくなる。別に沈黙は嫌いではないが、討論しながら観戦するのも、見る麻雀の醍醐味である。隣にいるのが美人なら尚申し分ないが、和は討論よりも考察の方が好みのようだ。

 

 それも当然かもしれない。咲のような特殊な麻雀をする打ち手を後ろで見る機会など中々ない。和の主戦場はネット麻雀であると聞く。強い相手はどんな場でも強いのだろうが、京太郎の相対弱運がネットで効き難くなるように、他のオカルトも同様に効き難くなる。良子や巴など、そこそこ機械に強い本職の方々には確認済みだ。そういう場では、デジタルに徹することのできる和や透華のようなタイプが、トータルで見ると圧倒的に強い。

 

 デジタルの敵たる咲は、淡々と打ちまわしている。その咲の視線もまた、卓上を、さらには他のプレイヤーを観察していた。

 

 南場に入る。

 

 東場で猛威を振るった優希の勢いはいきなりなりを潜め、さらにはその集中力も切れ始める。

 

「ロン!」

「しまった!」

 

 優希が久に振り込んだのを切欠に、流れが一気に傾き始めた。まこも奮戦するが、一度振った優希はどんどん判断が甘くなっていく。

 

 そして、思考の緩んだプレイヤーは、久の良いカモだった。まるで狙い済ましたかのように優希の牌を狙い打ち、局を進めて行く久。

 

 気付けば久の点棒は五万点を越えていた。咲は一度久に振り込んでからノー和了。ほとんど久の独壇場である。

 

「さ、オーラスよ」

 

 得意そうな久の顔。勝利を半ば確信している笑みである。これで油断してくれれば良いが、抜け目のない彼女がそんなヘマをするとも思えない。油断なく卓を見る久に隙は見当たらなかった。

 

 まして久は悪手、変則待ちを好んで用いる。そういう人間は、そういった他人の意図には抜群に鋭い。振込みを期待するのは無駄だろう。直撃で逆転できないとなれば、後はもう自力でツモアガリするしかない。点差は31800点。久も咲も親ではないから、ツモで逆転するには三倍満以上をツモるしかない。

 

 咲は嶺上開花とは抜群に相性が良いが、カンドラとはそうでもない。役を積み重ねることに期待が持てない以上、狙うのはもはや役満しかなかった。

 

 オーラス。咲が手牌を開ける。

 

 一一四六七③③⑧⑨1256 6 ドラ①

 

 悪くはないが決して良くはない。ドラもなく染め手も遠い。ここから役満三倍満を狙うのは普通の人間ならば至難の技だが、咲は普通ではなかった。

 

 第一打は七。いきなり両面を崩すうち回しに、和が短く溜息を漏らす。点差を考えると高目を狙うのは当然。国士が見えない以上、強引にでも染め手に走るか、他の役満を狙うしかない。トイツが3つあるこの状態から一番近い役満は四暗刻であるが、縦に寄せきるその手も、通常ならばほど遠い。しかし、

 

 

 一一四六③③⑧⑨12566 ⑨  

    ↓

 

 一一四③③⑧⑨⑨12566 一

   ↓

 

 一一一③③⑧⑨⑨12566 ⑨

 

 

 捨て牌は⑧。三順で暗刻が2つできた。驚異的な引きであるが、咲はここまでならば造作もない。引きあがるまでこの局が続けば、咲は狙い通り四暗刻をツモアガるだろう。

 

「ポン」

 

 優希の捨て牌に、久が喰い付いた。態々危険を冒してまで前に出てきたのは、アガって終わらせるというプライドからか。その顔にはアガってやるという気持ちが溢れている。気持ちだけでアガれるならば苦労はないが、今は優希が振り、久がアガるという流れが出来上がっている。喰ったのも優希の捨て牌からだ。加えて、久の手も早そうに見える。咲が四暗刻をアガり切るのに、最低でも後三順。それ以上に久の手が早ければ、咲にはもうどうしようもない。

 

 トップである久は自分でアガっても良いし、最悪この局が流れてくれれば良い。親がノーテンであれば、久のトップでこの半荘は終了。三倍満以上をアガらせなければ、それで久の勝ちだ。条件としては異常に緩いが、振り込まず、ただ待てばかなりの確率で勝利が転がってきたのに、それでも尚動いたのは良くない予感を感じたからだろう。何もしなければ負ける。そういう悪い直感は、得てして当たるものだ。

 

 次順。咲のツモは6。手牌は、

 

 一一一③③⑨⑨⑨15666

 

 このようになった。選択ミスなし。全てが縦に寄る脅威のツモである。引きもさることながら、咲の集中力も極限まで高まっていた。感性が研ぎ澄まされているからこそ、選択ミスも起こらないのだ。今の咲にはどの牌がやがて暗刻になり、どの牌でアガれるのかが理解できる。

 

 最短でのアガりまで、後二順。

 

「チー」

 

 そこでさらに久が動いた。これで2副露。流石にもうテンパイだろう。待ちが良さそうにも見えないが、悪い待ちでアガりを引き寄せるのは久の十八番だ。

 

 だがその次順。咲がツモったのは③

 

 一一一③③③⑨⑨⑨1666

 

 最終形はこうなった。四暗刻単騎待ち。久だけでなく、他の二人から出ても逆転だが、咲には嶺上開花という強みがある。カンの材料は4つ。内、③が既に枯れているから残りは三種類。その内一つをツモることができれば、嶺上牌の1を引いて咲の勝ちだ。

 

 状況と咲の捨て牌から既に高い手をテンパったことは、まこも優希も理解した。この邪魔はするまいと店仕舞いをし、手堅い打ちまわしに変えてしまう。優希が守りに入ったことで、久の目が一つ消えた。優希の振込みを期待していた久は、現物を切った優希に眉根を寄せ――

 

 自分のツモった牌を見た瞬間、ツモったばかりの牌を伏せた。

 

 大きく溜息を吐き、額に手を当てる。当たり牌を引いたのだ。久の手はクイタンの気配が濃厚だ。1でアガることはできない。

 

 その手が四暗刻とまでは予想していないだろうが、咲から久への直撃ならば手の高さは倍満で済む。何よりこのタイミングで臭い牌を引くこと自体、自分の劣勢を象徴しているようなものだ。普通ならばこれを抱え現物を切り回すことを考えるだろうが、迂回していては咲にアガられる。久は1を抱えたままアガり切るしかない。久はじっと河を見つめ、まこに目配せをした。一瞬、視線が交錯する。

 

 軽い溜息をついて、久は伏せた牌を手の中に仕舞い二を打った。これに、

 

「ポン」

 

 まこが喰いつく。

 

 通しをしたかのような絶妙なタイミングの鳴きごろの牌であるが、動作に不自然なところはなかった。同じ条件であるならば、誰がどう打とうが自由である。新入部員の第一戦だからと言って華を持たせたりしない先輩二人に、京太郎は妙な安心を覚えた。

 

 まこの鳴きによって咲のツモ番が飛ばされ、再び久の手番。ツモって来た牌を見て、久はにやりと笑った。その笑みを見て、咲はあっ、と小さく声をあげた。後ろで見ていた京太郎は一足先に肩の力を抜いていく。

 

「……やられたな」

 

 その声に応えるように、久は手牌から四枚の4を倒した。

 

「カン」

 

 よどみない手つきで手を伸ばし、嶺上牌をツモり――

 

「ツモ。嶺上開花のみ。これで終了ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4、

 

「チャンカンで打ち取られたのはしょうがないとしても、その後に集中力を切らしたのは良くなかったな」

「チャンカンなんて久しぶりだったんだもん」

「動揺するなとは言わないが、それでカメになるのは良くないぞ。もっと心を大らかにだな」

「技術を教えるのは得意でも、メンタルの強化には向いてないみたいね須賀くんは」

 

 勝者の余裕で久が笑う。悔しいが事実その通りなので、何も言えない。悩みのほとんどが解消された咲は、気持ちがブレるようになった。良く笑うようになった代わりに、よく泣く。子供のようになった、とさえ言って良い。京太郎が白糸台や龍門渕の誘いを蹴り、咲と同じ清澄を選んだのも、そういう咲を放っておくことができなかったからだ。技術を教えることはできた。モモや淡という咲の才能を肯定してくれる異能を持った友人にも恵まれ、実際、咲の戦術の幅は広がった。間違いなく前よりは強くなった。

 

 だがそれは、脆い強さだ。京太郎は技術を教えることはできても、それを克服させることができなかった。どうして良いのか解らなかったのだ。現時点での技術と才能で大抵の相手は何とかなってしまったことにも原因はあるが、強くしきれなかった理由を咲本人の才能のせいとするのは、京太郎のプライドが許せなかった。

 

 ここで勝ち切るようにできなかったのは、自分の責任である。打った訳ではないのに、打ち負かされたような気持ちで、京太郎は力を抜いたばかりの肩を落とした。

 

「でも、私が勝てたのは偶然よ。十回打てば宮永さんが勝ち越すでしょうしね」

 

 謙遜するように久は笑うが、自信家である彼女がそう思っているのは事実のようだった。

 

 待ちの切り替えが容易な悪待ちだったからこそ、咲の四暗刻単騎待ちを回避し、嶺上開花でアガることができた訳だが、それが咲の待ちと被ったのは偶然で、嶺上開花を引いたのも偶然だ。嶺上開花という相手の領分で勝てたのは、出来過ぎである。自分の流儀を信じることはあっても、降って沸いた幸運をまたと信じる人間は、麻雀で勝つことはできないのだ。

 

 気持ち悪いくらいに切り替えが早い。自信家なのに、認めるべきところは認める。久のこの打たれ強い精神は、咲にはないものだった。

 

 幼い時とは言え照を相手に勝ち続け、プラマイゼロを続けられるほどの実力が咲にはあった。照と仲直りし、モモや淡という友達ができるまで麻雀を封印してはいたが、咲にとって麻雀とは自分の思い通りに行くもので、そして勝って当たり前のものだった。自分の思い通りに行かず、負けるなどということは咲の想定の外のことである。

 

 中学一年のあの日、再び照に勝った時の咲ならば、今日のこの勝負も勝つことができただろう。あの日の咲は勝利に対する執着があった。強い思いに牌が応え、当たり前のように勝利を引き寄せたのである。

 

 その勝利と引き換えに、咲は色々な物を失った。勝利への執着も、ブレない精神も、勝つために必要なものをあの日あの場所に置いてきた。その代わりに優しい友人と変わってはいるが心の清い姉。それから少々の技術を得ることができた。咲には元より天賦の才がある。大抵の人間には負けないが、真面目に技術を研鑽し、さらに才能を持つ人間には苦戦するようになってしまった。宮永咲は正しく化け物であるが、それは人間でも倒せるレベルの化け物だった。

 

 充実し、逆に実力を伸ばした照とは反対の現象が咲に起きていた。それに反発しなければ麻雀打ちとしての飛躍はないが、今の咲はどうにも気持ちが定まらない。インターハイ予選が始まるまでに気持ちを切り替えてくれれば良いのだが。

 

 全国に出場できるのは一校だけ。予選で早々に負けはしまいが、透華率いる龍門渕に勝てるかと言われれば微妙なところだった。あの五人は『お互いのために』ということで怖いほどに気持ちが一つになっている。元々才能があり、技術を研鑽し、それでいて勝ちに執着してもいる彼女らを打ち負かすのは至難だ。

 

 才能という点で、咲が衣に劣っているとは思わない。現時点でも、全国で五指に入るという自身の評価に偽りはないが、咲には今この時という気持ちがない。このままでは決勝で戦った時、間違いなく負けるだろう。友人として、師匠の一人として、咲にはもっと強い気持ちを持ってもらいたいのだが、イマイチ上手くいかないのだった。

 

 難しい顔をしている京太郎を前に、咲は小首を傾げた。

 

 勝利への執着。それを教えるのにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書いていたら話が長くなりました。申し訳ありません。

そして咲さん負けました。なんでこんなことに……

次回は姉妹喧嘩終結編です。現代パートはお休みとなります。
現代パートと過去パートは分けた方が良いかもしれませんね。






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13 中学生一年 宮永家姉妹喧嘩解決編

1、

 

「ツモ。1400オール」

「ロン。3900の5800、二本場で6400」

「ツモ。2900オール」

 

 照の独断場はその後も続いた。モモなどは鳴きを入れてツモをズラすなどの小技を使ったが、それでも照は自分でツモり、点棒を積み上げていた。振り込まないように打ち回しているものの、全ての局でそれを避けることはできなかった。

 

 モモも注意深く打ってはいるが、最初の平和のみに続いて二度目の打ち込みをしている。ステルスが効かないこともあって、既に精神的に参り始めていた。

 

 良くない兆候である。技術と運量で上回る照を相手に気持ちでまで負けてしまったら勝てるものも勝てなくなる。どうにかしたいとは思うものの、何も打つ手がないまま京太郎は照が積み棒を増やすのを黙ってみているしかなかった。

 

 幸運があるとすれば、咲である。

 

 運量以外は実力が全く解らないままの同卓だったが、打ちまわしは非常に丁寧で打ち込みもない。テンパイも察知しているようで、モモが二度目に振り込んだ際も回避していた。運以外の実力も高いようである。嬉しい誤算であるが、それでも照の連勝を即座に止めるには至っていない。

 

 だが、勝負を諦めている風ではなかった。咲の目はきちんと卓上に落とされており、照の手をしっかりと観察しているのが見えた。照以外は眼中にない風である。これなら自分達は大人しくしていた方が良いだろうと、視線を送ってもこちらを見向きもしない咲を見て、京太郎は思った。

 

 東一局 四本場。

 

 咲の空気が変わった。ここが勝負所と定めたようである。その空気を察知した京太郎が顔を上げると、照もまた、咲に視線をやっていたが、またすぐに卓上に視線を戻した。

 

 この局、すぐに勝負がつくなと京太郎も直感する。

 

 魔物クラスの対決に巻き込まれては敵わない。配牌こそ悪くなかったが、この局は見だと決め、京太郎は固く打ちまわすことを決めた。一巡目、二順目と、全く前に出ない京太郎の捨牌に意思を感じたモモも、それに同調する。

 

 勝負が動いたのは5順目だった。

 

「カン」

 

 照の捨牌を、咲が明カンする。決めでは、大明カンは責任払いである。そのルールから狙ってそれをやりたがる人間は多いが、実際には滅多に決まるものではない。咲もその口かと一瞬幻滅した京太郎だったが、カンの声が上がった段階で照はパタリと牌を伏せた。

 

 まるでツモられることを確信しているような動作を訝しがる間もなく、咲は澱みのない動作で山に手を伸ばし――

 

「ツモ」

 

 アガリを引き寄せた。嶺上開花のみ。4本場で2200点と点数としては少ないが、照の連荘を止めることができたのは大きい。無言で点棒を支払う照に、無言でそれを受け取る咲。その間、視線は交錯しない。

 

「仲悪いんすね、やっぱり」

 

 あまりの余所余所しさに、モモが顔を寄せて耳打ちしてくる。姉や兄と仲が悪いという同級生も結構いる。彼らに比べるとこれくらいならと思わないでもないが、実際に目にするとどちらとも友人であるだけに心が痛む。

 

 どうにかして仲直りをさせたい。そう思って企画したこの麻雀だが、照は咲を見ていないし咲は何だか気後れしている。ケーキをかけたのは間違いだったかと、賞品の選定を後悔し始めていた京太郎の前に出てきたのは、やはり照だった。

 

 東二局、三局、四局と綺麗に安手で、しかし段々と点数は上げて流していく。咲もその間奮闘していたようだが、先ほどのように嶺上開花で割り込むことはできなかった。

 

 打ってみて肌で実感する。照の麻雀はやはりアガり続ける麻雀だ。爆発力こそ少ないが、持続力は驚くほどに高い。麻雀は四人で打つゲームである。いかに自分の運が良くても他のプレイヤーの運の方が良ければ、アガれないゲームだ。

 

 アガり続けるのはそれだけ難しいことなのに、照の運はそれを可能としていた。それだけ照の運と技術が優れているということでもある。同程度の運量である咲が同じ卓にいても、その冴えは変わらなかった。

 

 更に、アガり続けることで照の運も増している。京太郎は自分の能力でそれを敏感に感じ取っていた。咲にアガられたことで運にも若干かげりが見えたが、更に三度のアガりでその運は持ち直しつつあった。

 

 南場。照の親番である。現在照の持ち点は約53000点。コールド勝ちのルールがある雀荘ではあと1アガりで終わりが見える点数だ。箱下の設定をしなかったから、誰かが飛んだところでゲームは続くが、インターミドルを制した選手を前にここから逆転しようという強靭な精神を持てる中学生は中々いない。

 

 モモは既に諦めモードに入っている。悪い言い方をすれば数合わせで呼んだ彼女に、最後まで闘志を燃やせというのも無理な話である。京太郎とてまだ諦めてはいなかったが、照を相手に自分の能力と運でどうにかできると思えるほど、楽天的ではなかった。

 

 現実問題として、京太郎自身が勝つのは難しい。頼みの綱は咲である。嶺上開花という特殊な方法で照の連荘に割り込みをかけるなど、並の人間にはできない。それが特性なのだろうと思うものの、嶺上開花は照に割り込みをかけた一回だけで、後は鳴りを潜めていた。

 

 連発できるような特性ではないのか、それとも単純に照の勢いが凄まじいのか。勝てる可能性があるとしたら咲だけであるが、次の嶺上開花もそれのみだとすると、既に点棒が積まれ過ぎていて、逆転は不可能になる。

 

 もっとも、大明カンの直撃からの責任払いは青天井と並んで麻雀漫画における逆転劇の定番でもある。ラス親である咲が照に役満を直撃させれば、積み棒なしで96000点差まで逆転できる。箱下アリのこのルールならば逆転の目は最後まで残されているが、照を相手にはそれも望みが薄い。

 

 気持ちが牌に乗るということがある。頭の中がケーキ一色になっている照には、雑念が混じる余地がない。麻雀という競技の面から見れば不純な動機であるが、ブレない気持ちというのはそれだけで強い。照の打ち回しには、彼女の何としても勝つという気持ちが十二分に乗っていた。

 

 一方の咲も、この勝負にかける意気込みは伝わってくるが、照ほどの強さを感じない。姉妹仲を何とかしたいという咲の気持ちに嘘はないのだろう。それは京太郎にも解るのだが、それだけでは照の麻雀を打ち崩すには至っていなかった。

 

「京太郎。リクエストがある」

 

 どうやって打開したものか。考えていた京太郎に、照が不意に声をかけた。点棒は既に五万点を越えている。照くらいの実力者ならば、既に安全圏にも片足を突っ込んだ状態だ。そこに京太郎は気持ちの緩みを感じた。ここから油断してくれれば、という淡い期待を込めて話を繋ぐ。

 

「承りましょう。何か要望が?」

「今京太郎が作り方を知らなくても、覚えて作ってくれる?」

「それが希望ならやりますが……あまりデキには期待しないでくださいよ? あくまで俺は素人ですからね」

「何の話っすか?」

 

 先の見えない話に、モモが乗ってくる。咲も頭の上にハテナを浮かべていた。照と個人的に賭けをしているとは、二人には伝えていない。どう伝えたものかと頭を悩ませる京太郎が答えを出すよりも先に、照が口を開いた。

 

「この勝負に勝てば、京太郎がケーキを作ってくれることになっている」

「へー、京さんお菓子とか作れたんすね」

 

 モモは照の話に食いついた。甘い物が嫌いな女子はいないと、本格的に料理を学ぶ切欠を作ってくれた塞の顔が思い浮かぶ。彼女に教わったのは日本の家庭料理がほとんどで洋風なお菓子などはむしろ専門外だったが、初めて一緒にケーキを作った時のことは京太郎にとって大事な思い出だった。塞と二人で作ったケーキを、シロや胡桃と一緒に四人で食べたことは、今でも忘れない。

 

 モモも反応を見る限り、食いつきは悪くない。元より照に限定した話でもない。全員に纏めてご馳走するのも悪くはないかと、軽く考えていた矢先、空気が凍った。

 

「須賀くん、お姉ちゃんとそういう約束をしてたの?」

 

 声の主は咲である。俯いていて表情は見えないが声は冷えており、殺気すら感じられた。この悪寒は荒い気性の神を降ろした時の小蒔に匹敵する。これは地雷を踏んだと京太郎でも理解したが、顔をあげた咲の視線は一切の物言いを遮る迫力があった。

 

「南場だね」

 

 それを開始の合図として、照がボタンを押した。からころとサイコロが回る音を背景に、運が凄い勢いで咲に傾いていた。急激な不運に見舞われた京太郎が眩暈を覚えるほどに、咲の運が上昇していく。それはこの時点で既に三回アガり続けリズムに乗っていた照をあっさりと上回り、さらに上昇している。運が全てではないと言っても、ここまでとなると手が付けられない。

 

 照に対抗できるのが咲しかいなかったように、こんな状態の咲に対抗できるのもまた、照しかいなかった。咲に運が傾いたのは、照も実感できたことだろう。ここまでの偏りならば、運をやり取りするような能力を持っていなくても、怪物クラスの感性を持っている照ならば感じ取れるはずだ。

 

 照は見たこともないような真剣な表情で牌を見つめている。切り出しが遅い。これまでの照ならば配牌で長考などしなかった。それだけ牌勢が落ちているのだろう。リズムを掴んでいたはずなのに、後手に回る。照の麻雀人生でそんなことが今まであっただろうか。咏を除けば照は京太郎が知る限り、一番強い。そんな照が苦戦するなど思いもしなかった。

 

 咲が簡単に照に勝てると言ったのはこういうことだったのかと実感する。二人の勝負を邪魔してはならないと、京太郎は普段以上に神経を尖らせて打ちまわした。

 

「リーチ」

 

 六順目。均衡を破ったのは照だった。宣言をし、リーチ棒を出す。この危険な状況で、リーチをかけることがどれだけ危険か解らない照ではない。本当ならば照だってリーチなどかけたくないのだろうが、照には守らなければならない法則がある。他人のドラをツモらせない玄は、ドラを手放すとドラに見放されるようになった。照もリズムを崩すと、同じように冷えるのだろう。この勝負だけで終われば良いが玄のペナルティもその後数ゲーム続いた。

 

 打撃力の低い照は、ここでリズムを崩すと逆転が不可能になる。振り込むリスクを冒してでも前に出なければ、咲にアガられた時逆転が不可能になる。邪魔をされたら最初からだ。この局が流れたら残りは三局。しかもラス親は咲である。ここが勝負所と思い定めた照の目には、闘志が宿っていた。

 

 反面、咲の目は氷のように冷たい。淡々とツモっては牌を切る咲には、今も運が流れこみ続けていた。

 

 十二順目。ツモった牌を見た照の表情が凍った。リーチをかけている照はそれがアガり牌でなければツモ切るしかない。自分の捨て牌に視線を落とした照に、咲は薄い微笑みを浮かべた。

 

「どうしたの? お姉ちゃん?」

 

 重く、深く息を吐いて、照はその牌を切った。

 

「ロン」

 

 

 ⑦⑧⑨南南南北白白白中中中 ロン北 ドラ西

 

 

「混一色、チャンタ、ダブ南、白、中、三暗刻。三倍満、24000」

 

 淡々と点数を深刻する。倍満の直撃だ。一アガリでの逆転に呆然としている照を他所に咲は立ち上がり、照の横に立った。

 

「私、やっぱり悪くない」

 

 呟くような言葉から始まった咲の言葉は、次第に熱を帯びていく。

 

「負けたらお年玉持って行かれた! 勝ったらお姉ちゃんには怒られた! 勝ちも負けもしなくなったら、今度は無視された! だから麻雀から離れてたのに、何もしなくなった私はケーキ以下!? じゃあ、私はどうすれば良かったの!? それでもお姉ちゃんは私が悪いって言うの!? 私は、絶対、悪くないっ!!」

 

 そこまで言った咲は、声をあげて泣き出した。周りに人がいることも忘れても、本気の号泣である。中学生にもなれば泣くことも少なくなる。まして他人が泣くところを見る機会などないだろう。できたばかりの友人の号泣に、モモは引いていた。どうするっすか? と救援の視線を求めてくるが、京太郎にはもうどうしようもなかった。

 

 これを助けられるとしたら、一人しかいない。京太郎とモモは藁にもすがる思いで照を見たが、この場に集まった人間の中で照が一番慌てていた。号泣する妹を前におろおろしている照は、とてもインターミドルの覇者には見えなかった。中学三年という年齢から見ても、幼く見える。初めて見る素の照にこんな状況にも関わらず京太郎は噴出してしまったが、今は何より咲のことだ。

 

 両手を差し出し咲を示すと、照はうーと唸りながら咲の横に腰を下ろした。そのまま数秒。照は咲にかけるべき言葉を探していたが、やがて観念したのか大きく溜息をついた。微かに、照が微笑む。

 

 それは宮永照という麻雀打ちではなく、一人の姉の顔だった。自分には妹などいないと言う人間には決してできない、お姉ちゃんの顔だった。

 

「ごめんね、咲。私が悪いお姉ちゃんだったね」

 

 照の素直な謝罪に、咲は顔をあげた。それが一番聞きたかった言葉だったのだろう。咲は照の胸に飛び込んで、声をあげて泣いた。元より、心の底では相手を嫌っていなかった姉妹である。切欠さえあれば、また仲良くなれるだろう。しばらくはぎくしゃくするだろうが、それも時間が解決してくれるはずだ。

 

 うんうん、と一人で頷いてそっと席を外そうとしたモモの袖を、京太郎は掴んだ。モモが『空気読め』という胡乱な目を向けてくる。京太郎もそうしたいのは山々だったがどうしても席を外せない事情が京太郎にはあった。

 

 それを伝えたかった京太郎は、咲が泣き止むまで辛抱強くまった。その間ずっとモモは二人にしてやるっすと視線を送ってきたが、それも京太郎は無視した。

 

 咲が泣き止んだのは、それから五分もした後だった。涙を拭いて立ち上がった咲は、椅子に座ったままの京太郎とモモを見て、ここがどこだったのかを思い出して赤面した。照もどこかつき物の落ちた顔で、京太郎を見つめている。仲の良い姉妹に戻った二人を見て、京太郎は微笑みを浮かべた。

 

「さ、まだ南二局です。麻雀しましょう」

 

 京太郎としては当たり前の主張だった。どんな理由があれ、途中で勝負を打ち切るなど京太郎にはありえない。これから面白くなるところなのに、姉妹が仲直りでめでたしめでたしでは、納得できない。

 

 目が点になった三人の視線を受けても、京太郎は動じなかった。むしろ、早くしろと宮永姉妹をせかすほどである。

 

「……京太郎は本当に、麻雀が好きなんだね」

「こいつは俺のことそんなに好きじゃないみたいですけどね。だからこそ、振り向かせてみたいと思うんです。宮永も、勝手に勝った気分になるんじゃないぞ。まだ俺の親もあるし、三局も残ってるんだからな」

 

 それが強がりであることは、言っている京太郎が一番解っていた。咲や照に勝てる要素はない。負ける要素が積み上げられた京太郎は、ゲームとしての麻雀には酷く不向きである。それでも勝ちを諦めず、腐らずに麻雀を続けていられるのは麻雀が好きだからだ。勝てないから、自分に才能がないからと牌を握るのをやめるのならば、京太郎はとっくの昔に麻雀をやめている。

 

 目の前の男が麻雀バカだと認識した咲は、泣きはらした顔に苦笑を浮かべた。

 

「じゃあ、私が勝ったら京ちゃんは何かしてくれる?」

 

 咲の言葉に首を傾げたのは、モモだけだった。彼女だけははっきりと、今起きた事実に気付いていたが、他の全員は何もなかったものとして話を進める。

 

「照さんと一緒にケーキじゃだめか?」

「それはダメ。私の取り分が減る」

「お姉ちゃんがこう言ってるし……そうだね、何か考えておくよ」

「もう勝った気でいるな? 今に見てろよ、咲」

「受けて立つよ、京ちゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「昨日の牌譜ですか?」

 

 麻雀部の部室で一人、パソコンとにらめっこしている京太郎の後ろから声をかけたのは和だった。

 

 いつの間に近づいてきたのか、和は京太郎の背中越しにモニタを見つめていた。触れそうな距離にある和の胸を見ないようにしながら、椅子から立ち上がる。集中しすぎて目が疲れていた。この辺りで一呼吸入れるのも、悪くはないだろう。

 

「和は何飲む?」

「紅茶でお願いします」

「そうか。コーヒーアリアリとか言うと思った」

「染谷先輩じゃないんですから」

 

 苦笑する和に、紅茶を入れる。仮眠用のベッドやらビーチパラソルやらが常備されている部室には、快適な時間を過ごすためのアイテムが沢山あった。その中には当然、お茶を用意するための道具もある。京太郎は自分にアリアリのホットコーヒー、和には紅茶を入れてパソコンデスクに戻る。

 

「ありがとうございます」

 

 紅茶を受け取った和は適当な椅子に腰掛けた。ふー、と紅茶を冷ますその仕草が一々可愛らしい。美人というのは得なんだな、と今更なことを実感しながら、京太郎はモニタに意識を戻した。童顔巨乳の同級生も大事だが、今は昨日の牌譜のことだ。

 

 あれからさらに三戦行い、咲はその全てに参加した。結果2111と初戦以外はトップという素晴らしい成績を残していた。当たり前の様に勝つ咲に優希などは惜しみのない賛辞を送り、まこや久も頼もしい後輩が来たと素直に喜んでいた。

 

 自分の麻雀で褒められる経験の薄かった咲は、普通に褒められたことが嬉しかったようで、帰ってからも興奮した様子で電話をかけてきた。

 

 あの咲が、と思うとこうなってくれたことは素直に嬉しい。友人としては、昨日の結果は最良のものであるが、麻雀打ちとしては違った。

 

 原因は、やはり初戦である。集中を切らさなければ、というよりも勝ちに執着していれば昨日の成績は四連勝で終わっていたはずだ。勝利への執着をどうやって生み出すか。京太郎を悩ませていたのは、そこだった。

 

「宮永さんのことですか?」

「ああ。あいつにもっと闘争心を持って欲しいんだけどな。これが中々上手くいかないんだ」

「十分に強いと思いますけどね」

「気持ちがぶれなければもっと強いんだ。このままだと成績が残せないまま高校生活が終わりそうで不安なんだよ」

 

 長野には一つ上の学年に衣たちがいる。京太郎の知る限り、県内で咲の才能に匹敵するとしたら、あの五人か美穂子くらいのものだが、勝ちへの執着がないと、彼女らに勝つことは無理とは言わないまでも、かなり難しくなってくる。特に衣には勝てるビジョンが全く見えない。あれだけの才能を持ちながら、衣には勝ちたいという気持ちがある。勝負は水物。やってみるまで結果はわからないが、たった一つの団体出場枠をかけた大事な試合であれば、間違いなく気持ちの強い衣が勝つだろう。

 

 県大会のスケジュールを調べてみたら、決勝戦のその日は満月である。最高のパフォーマンスを発揮する衣が相手では、今の咲ではいかんともし難い。

 

 ならば衣たちが卒業するのを待てば良いのか。逃げの発想であるが、成績を残したいだけならば無理に急ぐ必要もない。後の世代に実力者がいないとも限らないが、衣以上がそこらにいるはずもない。二年の時間があれば咲のメンタルも強化できるかもしれない。咲には経験値が圧倒的に不足している。時間があれば、それもある程度は解決できるだろう。

 

 だが、全国にまで目を広げれば強敵は他にもいる。何よりあの淡が咲と同学年だ。照を追う形で白糸台に入学した淡は、早速頭角を現しているという。麻雀以外では残念な感性を持った淡も、麻雀に関しては闘争心の塊である。相手を下に見る悪癖はあるが、負けるのが大嫌いな淡は基本、勝利に拘る。

 

 今のまま研鑽を積み続けたら、白糸台という恵まれた環境にいる分淡の方が成長度は高いだろう。この大事な時期に積める経験の差が大きいことは選手にとってはさらに大きな差となる。地元に残り清澄に進学したことを京太郎も後悔してはいないが、もっと他に方法はなかったものかと今更ながら考える始末だ。

 

 逃げの発想に偏ってしまった。

 

 ともあれ、今勝てないようではこの先はない。衣に勝てないからと今の勝負を見送れば、この先ずっと衣に勝てなくなるだろう。気持ちの上で下に立ってしまうと、それを覆すのは難しくなる。こいつさえいなければと思いながら、連敗するのがオチだ。咲にはそういう風になってほしくない。

 

「まるでコーチかお父さんですね」

「俺が引っ張り込んだようなもんだからな。あいつにはちゃんとした成績を残してやりたいんだ」

 

 メンタルの強化は急務だが、簡単にできるならばこんなに苦労はしてない。今までだって試さないではなかったのだが、それらは全て失敗に終わっていた。

 

 頭を悩ませる京太郎だが、方法がないではなかった。

 

 だがそれは相当な荒療治であり、他人の手を借りる必要がある他力本願な手だった。宮永咲という人間を麻雀に引っ張り込んだ責任として、できることならば自分一人で解決したい問題だったが、県大会の予選までそんなに時間がある訳ではない。時間は有限。手を打つならば早い方が良いに決まっている。

 

 和を前に覚悟を決めた京太郎は、ポケットから携帯電話を取り出した。視線で和に確認を取る。和はカップに口をつけながら、どうぞ、と返した。

 

 登録から呼び出して、待つことしばし。

 

『こちら、衣さまのお電話です』

「おひさしぶりです、ハギヨシさん。須賀京太郎です」

『お久しぶりです、京太郎さま』

「衣姉さんをお願いできますか?」

『かしこまりました。少々お待ちください』

 

 姉さん? と和が頭の上にはてなを浮かべる。邪魔してくると思わなかったが、電話の内容を聞かれるのも気恥ずかしかったので、京太郎はベランダに移った。春先とは言え、まだ風は冷たい。軽く身震いして、手すりによりかかると、電話に待ち望んだ相手が出た。

 

『京太郎か!?』

「電話では久しぶりだな、衣姉さん。元気にしてたか?」 

『うむ。衣はいつも元気だぞ!』

「それは良かった。で、久しぶりついでに頼みがあるんだけど、聞いてもらえるか」

『何でも言うと良い。弟のわがままを受け入れるのも、姉の務めだからな』

「そう言ってもらえると助かる」

 

 この台詞を誰かに言うのも二度目だな、と思いながら京太郎は苦笑した。

 

「実は叩きのめして欲しい奴がいるんだ。予定はそっちに合わせるから、時間とってもらえないか?」

 

 




現代編はこれで一区切りとなります。
中学回想編のモンブチ編が終わるまでお休みとなりますので、しばらく間が空くことになりますごめんなさい。

短編という形では入るかもしれないので、その時はよろしくお願いします。

なお、ころたんと京ちゃんに血縁関係はありません。


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14 中学生一年 キャプテン出会い編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1、

 

 京太郎の生活圏に『何でも』揃う店というのは少ない。普段の買い物ならば近所の店でも事足りるのだが、少しレア度が上がると都市部まで遠出をしなければならなかった。

 

 面倒と思わないでもないが、理由を考えれば楽しみも出てくる。照に作るケーキの材料。それを少し凝ってみようと思ったのだ。自分で思いついたことだから照たちには内緒にしていたのだが、どういう訳か照には看破された。麻雀における勘のよさが、現実にも出てきたのかもしれない。

 

 一緒についていきたいと言ってきた照であるが、京太郎にも作る側の意地がある。サプライズ的にケーキを出して驚く顔が見たかった。その気持ちが勝った京太郎は、照からこんなケーキを作ってくれという要望がない限り、どんなケーキを作るのかは秘密にすることにした。

 

 しょんぼりする照を見るのは断腸の思いだったが、こればかりは仕方がない。その代わりちゃんと美味しいケーキを作ると約束した京太郎は、今日も一人で電車に乗っていた。

 

 着いたのはショッピングモールである。休日ということもあって人、人、人で混雑していた。他に行くところはないのか、と若干うんざりしながらも、食品コーナーを目指す。

 

 そこには近所のスーパーにはない物が沢山揃っていた。カラフルな見た目と、鼻を楽しませる匂い。どれもこれも使ってみたくなるが、何かわからないようなものは使うことはできない。料理はあくまで趣味の範疇を出るものではない。京太郎も自分の腕くらいは自覚していた。

 

 自分でも使えそうなものを、それでも真剣に吟味して、二十分ほどで材料を選び終わる。

 

 それでこの日の目的は終わってしまった。そうなると、ここまで時間をかけて電車で来たもの勿体無い。中学に入って以来麻雀教室に通わず、主にネットで麻雀を打っている京太郎は、今までに比べると自由に使える時間が増えていた。

 

 だからと言って暇になった訳ではないが、降って沸いたように時間ができると途方に暮れるのである。

 

「本屋にでも行くか……」

 

 麻雀論はネットでも見ることができるが、情報の正確さ、量では書籍に軍配があがる。咏や良子の紹介で色々なものを読んできたが、久しぶりに自分で探してみるのも良いかもしれない。

 

 

『――イベント、参加できるのは残り、あと二名です!』

 

 

 本屋を目指して歩く京太郎の耳に、そんな声が飛び込んできた。

 

 見ればイベントスペースには大勢の人が集まっていた。中央に五十人くらいの人がいて、それを取り巻くように観客がいる。ステージには進行役のお姉さんがおり、その横にはビニール製の巨大な一筒が置かれていた。

 

 何故一筒? という疑問は残るものの、これが麻雀関連のイベントであることは疑いようがなかった。麻雀という言葉に、京太郎の好奇心が首を擡げる。幸いにして、時間もできたばかりだ。ステージ上で対局となれば勝ち目はないが、当日に会場で人を集めるようなイベントで、そこまで時間のかかるものをするはずもない。

 

 知識での勝負ならば、自分にも勝機はある。呼び込み係の人に参加したい旨を伝えると、ナンバープレートとバインダー、それから解答用紙を渡された。

 

 早い話がクイズ企画であるという。詳しい説明は司会のお姉さんが説明してくれるということだ。

 

 会場の中央。用意されたパイプ椅子に腰を下ろした京太郎は、解答用紙に目を落とした。記入する場所は二箇所しかない。待ちとその理由である。用紙は三枚あるが、そのどれもが同じものだった。

 

 映像か何かを見て、プレイヤーの待ちを推測する。そういうゲームなのだろう。俄然、勝てそうな気がしてくる。理由を書くスペースがあるのも良い。これならばマグレ当たりと答えが被っても、こちらが不利になることはない。

 

 勝つべくして勝てる。こういう条件で麻雀ができること自体、珍しいことである。ワクワクしながら説明を待っていると、残りの一席が埋まりイベントが始まった。

 

『はーい! みなさんこんにちはーっ!!』

 

 こんにちはー! と、会場前方から元気な合いの手があがる。前の方にいるのは小学生らしい。まとまった数とチームワークの良さから、同じ教室のメンバーなのかもと推測できる。自分にもあんな時代があったなぁ、と過去を振り返るも、現実を見ればあの小学生たちと同じ土俵で勝負するのだという事実が京太郎の肩にのしかかった。

 

 全力を出して勝利をもぎ取るのは大人気ないだろうか。こっそりと手を抜くのがデキる中学生のスタイルなのかと葛藤するも、解答する権利でもある解答用紙を持つ人間の中には、普通に高校生や大人もいた。彼らは真剣にステージを見ているから、手を抜く様子がないのは見て取れる。

 

 手を抜く必要は、おそらくないだろう。ちびっこ達には申し訳ないが、京太郎だってたまには勝ちたいのだ。

 

『それではこちらの映像をどうぞ!』

 

 司会のお姉さんがモニタを示すと、そこに対局の風景が映し出される。まずは、と映し出される対局者。どれもプロだった。解説も入っているから何かの大会の記録映像なのだろうが、通常のテレビ放送と違いカメラが固定だった。

 

 手前のプレイヤーの手は見えるが、それ以外の三人の手は見ることができない。普通はカメラが切り替わり、全員の手が見えるのだが、今回はそれがなかった。

 

 しかし、解説は全員の手が見える前提で進められている。手違いだろうかと司会のお姉さんを見れば、彼女を含めた運営側の全員が落ち着いた様子で映像を眺めていた。これが間違いということはなさそうである。

 

 何か意図があると感じた京太郎は、いつも以上に集中して映像を見ることにした。

 

 観戦映像としては不親切でも、普段打つ麻雀と同じと考えればそれほど不都合もない。普通、相手の手は見えないものだ。

 

 東一局。カメラに背中の映っているプレイヤーを基準として、対面にいるプレイヤーが3900をアガった。

 

 東二局。その次も、対面のプレイヤーである。平和、ドラ1の2000点。高めに振り変わるのを待っていたところを、思わずロンしてしまったという風である。手を開いた瞬間、観客からあーという声が漏れた。手代わりを待つのも、その間に当たり牌が出るのも、それで思わず倒してしまうのもよくあることである。

 

 プロとしてそれはどうなのかと思わないでもないが、ゲームはそのまま進んだ。

 

 東三局目。特に何事もないまま映像が進むが、七順目。対面のプレイヤーがツモを手牌に入れたところで映像が止まった。

 

『さて! ここで今回の問題です! こちらのプロはこれからリーチをすることで三順後に満貫の手をツモります! その待ちは何でしょうか! 一番の解答用紙に記入してください! ヒント! 高め安めはありません! 出アガリでも倒した時点で満貫です! ちなみに裏ドラは乗りませんでした! 制限時間は五分です!』

 

 司会のお姉さんの声に、ちびっこ達からはむずかしいーと率直な意見が出るが、時間は待ってはくれない。あーでもないこーでもないと周囲と相談するちびっこ達を微笑ましく眺めながら、京太郎はさらさらと解答用紙に答えを記入する。

 

『しゅーりょーでーす!』

 

 解答の理由の記入が必要な問題で、五分というのは非常に短い。まだやりたいと主張するちびっこの主張をやんわり無視して、スタッフの人たちが解答用紙の回収を始める。

 

『さて、今解答用紙の集計が行われていますのでしばらくお待ちください! でも、この時点で正解が出る訳――』

 

 ないですよね、と続けようとしたお姉さんに、解答用紙が突き出された。言葉を失うお姉さんの目が、解答用紙に落ちる。しばしの沈黙のあと、

 

『正解者がでました!』

 

 というお姉さんの発表に、会場が沸いた。正解を半ば確信していた京太郎は、自分の番号が呼ばれるのを、明るい気持ちで待つ。

 

『番号を呼ばれた方はステージの方までお越しください。99番!』

 

 椅子の下に荷物を置いて立ち上がる。正解したのはどんな人間か。期待の視線が一斉に京太郎に向き、そしてそれが予想よりも大分若いことに驚いた。

 

 その驚愕の視線が、気持ちいい。生まれてこの方、ほとんど受けていない視線だ。決してヘボなつもりはないが、持って生まれた運のせいか観衆の下に視線を浴びることはなかった。

 

 こういうものは咏やはやりんのようなスター選手の特権である。凡人の自分が受けても良いものかと思わないでもないが、とにもかくにも、視線を浴びるのは気持ちが良かった。

 

『続いて、もう一人。100番!』

 

 そのコールは京太郎にとって予想外のものだった。慌てて100番に該当する人間を探す。

 

 目当ての人間は真後ろにいた。残り後二人で、京太郎が99番だったのだから、その次にきた人間が100番なのは道理である。背後にいたのにまるで気付かなかった自分を恥ずかしく思いながら、改めてその女性を観察する。

 

 一言で言うなら美人だ。薄い茶色の髪はおかっぱにされており、肩口でばっさりと切りそろえられている。髪型だけならばモモに近いが、持っている雰囲気は同級生には見えなかった。

 

 片目を閉じたその美人は買い物袋を持ったまま、あたふたとしている。呼ばれたから立ったのは良いが、ステージまで行くのは気が引けているようだ。

 

 その顔をじっと見た京太郎の脳裏に、ふいに閃くものがあった。

 

 この女性は、見たことがある。照が参加したインターミドル。長野県の個人戦で二位になり、全国へのキップを手にした選手だ。名前は確か福路美穂子。表彰台に並んだ三人のうち、照だけおっぱいが残念だったのが印象的だったから良く覚えている。

 

 最も目を引くのはその仕草だ。美穂子はいつも片目を閉じている。視覚が制限されることは、人間にとってとてつもないハンデになるが、県大会でも彼女はほとんどのゲームで片目を閉じて戦っていた。目を開いたのは照ともう一人、表彰台に上った選手と戦った時だけである。

 

 照の力量は傑出していたが、美穂子ともう一人の実力も頭一つ抜けていた。目を開くことが彼女が本気になる合図だとしたら、本気になるに値するプレイヤーが二人以外にいなかったということでもある。

 

 公式戦で縛りプレイを敢行するその精神力に心引かれるものはあったが、今はそれを詮索する時ではない。自分一人と思っていたところにもう一人登場というのは肩透かしも良いところだ。

 

 しかし、京太郎も男だ。自分一人で受けるはずの栄誉を邪魔されたのだとしても、これだけ美人さんであるなら話は別だった。

 

 男の義務として道を譲る。美穂子は戸惑いながらもその誘いに乗り、先に立って歩き始めた。美穂子の後について歩いていく京太郎。会場に集まった面々から、二人に拍手が送られた。

 

「正解者のお二方、名前を伺っても?」

「ふ、福路美穂子です」

「須賀京太郎です」

「早速ですが、どうして解ったのか解説していただいてもよろしいでしょうか」

 

 別に異論はないが、問題はどうやって解説するかだ。京太郎は美穂子を知っているが、美穂子の方は知らないだろう。当然、打ち合わせなどしていないから協力して解説というのもグダグダになる可能性がある。集まった人に理解してもらうならば、解説するのは一人の方が良い。

 

 どちらがやる? という確認の意味を込めて京太郎は美穂子を見たが、美穂子は小さく首を横に振って京太郎を縋るような視線で見た。

 

 それ一つで、京太郎の心は決まった。麻雀に関することなら、大抵の苦労は厭わない京太郎である。それが今日は美人さんの役にも立てるという。ここまで大勢の人間に解説するのは始めてだったが、対価に比べてばこの緊張も悪いものではなかった。

 

「では俺が」

 

 お姉さんからマイクを受け取り、前に出る。答えを記入した時には絶対と言えるほどの確信はなかったが、正解という保証を貰った以上、安心して解説することができた。

 

「まず大前提として。司会のお姉さんが『三順後に満貫をツモる』と言いました。これにより翻数はリーチツモを含めて5以下とすることができます。まず役満と清一色が消えました。三順後なので一発はありません。見たところ赤も入っていないようなのでそれも外します」

 

 ヒントは映像だけであるが、そこから解ることは多い。司会のお姉さんの言葉もヒントになった。何より、このルールで値段を知ることができたのは大きい。これがなかったら京太郎も、手牌の推測はできなかっただろう。

 

「続いて理牌の癖ですが、競技麻雀のなので牌を揃えてやってくれてます。対面のプロはこっちから見て右から萬子、筒子、索子、字牌と並べていました。おそらく今回も同じでしょう」

 

 まくし立てるような京太郎の説明に会場は静まり返っていた。

 

 反応は渋い。話している側としては、リアクションがあった方がやりやすい。同じような解説は奈良にいた時にもやったが、その時は穏乃やギバードなど優秀な聞き手が多くいた。彼女らは本当に、人を気持ちよく話させる天才である。おー! という歓声やキラキラした目の輝きは、話し手にとって何よりも必要なものだった。

 

「リーチの宣言牌の五筒が一番右から出てきたので、今回も同じ様に牌を並べているなら、萬子は一枚もないことになります。ドラは二萬なのでドラもありません。ここから萬子の混一色、一通、それから筒子の一通と三色二つも消えます」

 

 一つ一つ可能性を潰していく。ガン牌を疑われるほどの読みも、実際には小さなことの積み重ねなのだ。役を次々に削っていくと、消去法で手牌が見えてくる。萬子が消えて、役がいくつか消えた。正解にたどり着くのも、もうすぐだ。

 

「それから三順目、手出しの西が左から三番目から出てきました。これにより左二つが字牌であることが推測されます。それ以降、この近辺に牌は入れていないので、高確率でこれが雀頭です。これで純チャンが消えました。全自動卓の表示から今が東三局、対面が南家なのがわかります。役牌として使えるのは東、南、と三元牌ですが、東と南は場に二枚切れていて、順番通りに並べているなら三元牌が役牌という形で入る余地はありません。これで役牌とタンヤオが消えました。さて。リーツモの二役を含めて満貫ということは、他に2から3役必要になります。役を絞ると今の条件で可能なのは、平和一通、筒子の混一色、索子の混一色、チャンタ、二盃口の6つです」

 

 これで、手牌の形がある程度決まった。後はここから、さらに絞りこむだけである。観客は誰も横槍をいれずに、黙って京太郎の言葉を聞いていた。視線を横に向けると、美穂子まで真剣に話を聞いてくれている。全国大会に出るようなプレイヤーに後ろに立たれているだけで、実はかなり緊張している。話しながら、何か間違ったところはないかと、気が気ではなかった。ここまで得意気に話して、後で美穂子に間違いを指摘されたら、男としてしばらく立ち直ることができない。

 

 京太郎は、大きく息を吐いて気を引き締めた。ここまできたら、後はもう少しである。

 

「リーチ宣言牌の五筒ですが、赤でもないド真ん中の牌がリーチをかけるまで孤立していたとは考え難いです。最低でも一つは筒子の面子、ないし塔子があると考えられます。これで混一色が消えました。また九筒が四枚、一索と九索が三枚ずつ見えており、西はカメラ前のプレイヤーが暗刻なので、チャンタも消えます」

 

「四順目。右から四枚目から手出しで九筒が出ました。それからリーチまでここよりも右に動きはありません。最終形での筒子は一面子で確定し、よって二盃口もありません」

 

「これで、役は平和一通に絞り込むことができました。頭は北、一通は索子。残りは筒子です。出アガリでも満貫なので一通は既に完成しているとみて良いでしょう。五筒回りでの待ちということで、待ちは④-⑦としました。リーチツモ平和一通で、2000、4000です」

 

 まくし立てるような説明が終わると、会場は静寂に包まれた。反応が薄い。正解というのは主催者から保証を貰っているから、見当違いのことを言っているはずはないのだが、ここまで何もないと不安になってくる。

 

 ぱちぱち、という最初の拍手は、京太郎の後ろから聞こえた。一緒にステージに上がった美穂子が満面の笑顔で手を叩いている。それを皮切りに、観客からも拍手が沸き始め、最終的に会場は大拍手に包まれた。

 

 これだけ大勢の人に、麻雀で褒められた。それは京太郎にとって、生まれて初めてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「年下だったの!?」

 

 イベント終了後、二人で賞品を貰った後、お礼をしたいからと美穂子に誘われて入った喫茶店である。お互いにコーヒーを注文した席で自己紹介をすると、まず美穂子が驚きの声を挙げた。

 

「よくそういう反応をされます」

 

 コーヒーを啜る京太郎は、しかし悪戯に成功した子供のような微笑を浮かべていた。年上の美人さんにこういう反応をされるのも、悪い気分ではない。対して美穂子は京太郎が気分を害したと思ったのか、慌てて頭を下げる。京太郎は良いんですよ、と軽い調子で返し美穂子にコーヒーを勧めた。

 

「須賀くんは、すごいわね。私より2つも年下なのに、あれだけの時間で正解を出すなんて」

「それを言うなら福路さんもでしょう」

 

 強い奴が偉くて凄いという単純な図式が通用するのが、麻雀打ちの世界である。そこに年齢は関係ないし、性別も関係ない。同じ結果を出した、ただそのことだけを見るならば、京太郎と美穂子の価値は同等である。

 

 そう考えると自分のことが誇らしく思えるが、プレイヤーとしての実力は美穂子の方が圧倒的に勝っている。自分には逆立ちしてもインターミドルに出場することはできないだろう。照に負けたとは言え、美穂子の実力も相当なものだ。その腕を、京太郎は純粋に尊敬する。

 

「県予選の会場でも思いましたけど、凄い読みですよね。振込みとかほとんどしませんでしたし」

「それだけが得意技みたいなものだから……え、須賀くんも会場にいたの?」

「先輩の応援で。宮永照って言うんですけど……」

 

 知ってますよね、とは聞かなかった。インターミドルを二年連続で制した最強の女子中学生の名前を、美穂子が知らないはずもない。

 

 美穂子は記憶を探るように両目を閉じると、やがて感嘆の溜息を吐いた。

 

「そういえば、宮永さんと一緒にいるのを見た気がするわ。一緒にいたのは妹さん?」

「茶髪のちっこい奴のことを言ってるなら、そうです」

 

 会場にはモモも一緒にいたが、それは言わないでも良いだろう。ステルスを遺憾なく発揮していたモモは、京太郎以外のほとんどの人間に認識されなかった。照もあの時の大会以来常時捕捉することはできなくなり、モモが気付いてもらえるような行動をしないと、いつでも見失うようになっている。

 

 一緒にいる身内だけにでも、どうにかして常に見えるようにならないものかと京太郎も咲も頭を悩ませていたが、良い案は浮かんでいなかった。

 

「妹さんも麻雀は強いの?」

「強いですね。照さんにも勝てるくらいです。中学の麻雀部には入るつもりがないみたいですから、知らないと思いますが」

「宮永さんに勝てるって、凄いわね」

 

 両手を胸の前で合わせ、美穂子は驚きの表情を浮かべる。宮永照は全国的にも有名であるが、妹の咲の存在は知られていない。それは京太郎たちの母校でも同様だ。最近まで仲違いしていたのだから当然と言えば当然だが、あの宮永照の妹で麻雀をしていないというのが、咲のマイナーさに拍車をかけていた。実際に打てば強いのだが、目立つことがあまり好きではない咲は、京太郎がけしかけないと麻雀をやりたがらない。

 

 咲には咲の苦悩があるのは、見て取れる。京太郎だって自分の姉が宮永照だったら、人前で打つことにしり込みをしていただろう。姉として選手として、今の咲は照を純粋に尊敬し好いていたが、それとこれとは話が別だった。

 

「須賀くんは、麻雀部に?」

「いえ。俺も入ってません。読みには自信があるんですが、本職の巫女さんに太鼓判押されるくらい、引きが弱いので。今は主にネット麻雀で腕を磨いています」

「そう。いつか解決できると良いわね」

「できない訳ではないみたいなんですけどね。巫女さんが背中に張り付いていないといけないらしいので、実戦には使えません」

 

 冗談だと思ったのか、美穂子は小さく噴出した。無論冗談ではないのだが、これを信じさせるには巫女さんが本職であること、そして巫女さんを背中に張り付かせた自分を見せなければならない。前者を信じさせることは難しく、後者はできれば人前でやりたくないので、実質的に美穂子を納得させるのは不可能だった。

 

「福路さんはネット麻雀とかしないんですか?」

「私、機械とは相性が悪くて……」

 

 美穂子の苦笑には説得力があった。おっとりした話し方と言い、家庭的な雰囲気と言い、機械をバリバリ使いこなすタイプには見えない。得意な友達に『どうやって使うの?』と聞くのが似合いそうなタイプだった。この辺りは、咲にも通じるものを感じる。女性としての完成度は圧倒的に美穂子の方が高く見えるが、本質的なところでは色々とポンコツなのだ。

 

「携帯電話とかも持ってたりしませんか?」

「持ってはいたんだけど、二台とも壊してしまって。だから連絡を取るのが大変なの」

 

 確かに今の時代に持っていないのは不便だろう。全国に行くくらいの実力者であればそういうやり取りも多いに違いない。友達は多そうには見えないが、これだけの短いやり取りからも面倒見の良い性格が見て取れる。連絡の取りにくい先輩のことを、後輩もやきもきしたに違いない。

 

「須賀くんはネットで麻雀をしてるのよね? 普段は牌を持ったりはしないの?」

「中学に入るまでは教室に通っていたんですが。中学に入ってからは自分の時間が取れなくなるかもと思って辞めました。実際に打つには面子を集め難いんですよね」

 

 できることなら強い人と打ちたい訳だが、そういう人は大抵部活に所属している。部員でない京太郎には彼らと打つ機会はほとんどないし、そもそも照以外の麻雀部員とは接点がない。照は良くしてくれているがそれは個人的なもので、麻雀部は一切関係がない。あれ以来ケーキを持って行ったりと何度も宮永家には足を運んでいるが、姉妹以外の家族がいたことはないので、面子が集まらないのだ。

 

 せめてモモがもっと近くに住んでいればと思うが、ないものねだりをしても始まらない。三麻を打って感覚が鈍るのも上手くないし、宮永家に遊びに行く時には麻雀をしないというのが、慣例となっていた。

 

 京太郎の話を聞いた美穂子は目を両目を閉じると、懐から取り出した手帳にさらさらと何かを書くと、ページを破って差し出した。

 

「これは、私の家の電話番号よ。何か困ったことがあったら、いつでも連絡をしてね?」

「……これはまたどうして?」

「麻雀好きの後輩の面倒を見るのは、先輩として当然のことだわ。部にも入っていないみたいだし、何か助けになりたいと思ったの」

 

 こちらを見つめる瞳に、嘘の色はない。おそらく美穂子は本心からそう思っているのだろう。

 

 メモを見つめながら、京太郎は考える。

 

 美人の先輩の連絡先をゲットできたことは男として嬉しいことだが、いくら何でも早すぎる気がする。京太郎の方は顔を見たことがあるとは言え、美穂子からすればほとんど初対面のはずだしかも京太郎は男で、美穂子は女性。それが美穂子の方から自宅の電話番号を渡してきているのである。

 

 交友関係の八割以上が女性で占められている京太郎だが、ここまで話がスムーズに転がったことは数えるほどしかない。

 

 男として少しは警戒を促すべきなのだろうが、目の前にぶら下げられた餌は美味しそうだった。美穂子が美人であるという邪な動機もあるが、実力者と知己になれるというのは京太郎にとって非常に魅力的な提案だった。加えて読みの深さ、正確さを武器に戦う美穂子は実力に天と地ほどの開きがあるとは言え、京太郎と似たタイプの打ち手である。その打ち筋には大いに参考になるだろう。

 

「もしかして迷惑だったかしら?」

「いえ。お気遣いありがとうございます」

 

 京太郎が素直にメモを受け取ると、美穂子はぱっと花が咲いたように微笑んだ。それだけで、何だか良いことをしたような気分になる。男ってのは単純だなぁ、と思いながら京太郎はコーヒーを飲み干した。見れば、美穂子のカップも空になっている。

 

「そろそろ出ますか」

「そう? もう少しお話していたかったけど、しょうがないわね。買い物の帰りみたいだけど、もしかしてお夕飯のお買い物?」

「近いうちにケーキを作ることになってまして、その材料の買出しです。家の近くにはあまり揃ってないんで、今日は遠出してきました」

「須賀くんもお料理をするの?」

 

 美穂子の目がまた輝く。麻雀の話をしている時も生き生きとしていたが、今はそれ以上だった。家庭的、という読みは外れていなかったようである。これ以上話を引き伸ばすのも、と思っていた京太郎だったが、降って沸いた好機を大事にすることにした。

 

 実は……と話を切り出しながら、コーヒーのお代わりを注文する。美穂子はにこにこと微笑みながら、麻雀と全く関係ない話を聞いてくれた。

 

 

 




小学生編の出会いとか鶴賀編と比べるとパンチが弱い気がする……
出会いの切欠をイベントにしたのがいけなかったのか単純に私の腕が悪いせいなのか。

学校が違う、学年が違う、おそらく携帯持ってなくてネットもできないということで連絡手段が限られているので出番は他のヒロインに比べて少なくなるので、出番の確保が実は一番難しいキャラかもしれませんが、ここで出番終了というのもあまりに寂しいので、どこかで使いどころを探します。

検証はしたつもりですが何分私の仕事なので、前半の絞りこみには穴があると考えられます。
おかしくね? と思った時はどこかでやんわりと指摘してくださると大変助かります。

次回。テルーの進学先決定編を挟み、二年生編になります。
ようやく怜の出番! りゅーかもいます。


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15 中学生一年 宮永照進学先決定編

青春ラブコメの方が絶不調なので筆休めに書き始めたこちらが普通に書きあがってしまいました……
あっちを待っている方ごめんなさい。年内にはアップできると思います。がんばります。
ちなみにこれで一年生編は終了です。

次回が千里山入学式になり、その後がモンブチ編になります。
モンブチ編はしばらく続きます。ころたんイェイ!


「開いてるから入って」

 

 夏のある日。照に呼び出された京太郎は宮永家を訪れていた。インターホンを鳴らすと、照の淡々とした声が京太郎を迎える。鍵は既に開いていた。車庫に車は一台もないから、今日もご両親はいないのだろう。宮永家にはもう両手で数え切れないほど訪れたが、京太郎はまだ一度もご両親とは顔を合わせていなかった。いい加減挨拶くらいはしたいのだが、平日でも休日でも、父親母親どちらも家にいないのだから仕方がない。

 

 今はご両親よりも、友人である姉妹のことだ。勝手知ったる宮永家である。階段を上り照の部屋の前に立つと、ドアをノックする。『どうぞ』という照の声が聞こえると、京太郎はドアを開けた。

 

「にゃー」

「わ、わん!」

 

 ドアの向こうには、猫と犬がいた。無言でドアを閉める。ゆっくりと、深呼吸。夢である可能性、なし。部屋を間違えている可能性、なし。これは現実だ。それを踏まえた上で、京太郎はもう一度ドアをあけた。

 

「照にゃんこですにゃ」

「さ、さ……咲わんこ……」

 

 そこにはやはり、犬と猫がいた。正確には猫耳をつけた照と、犬耳をつけた咲である。平然としている照と対照的に、咲は耳まで真っ赤になっていた。どうしてこうなったのかは知らないが、二人の態度からどちらがやろうと言い出したのかは京太郎にも察することができた。

 

 心配なのは、咲の感情が爆発しないかどうかだった。羞恥心と戦っている咲は、もう泣き出す寸前である。

 

「似合いますね、それ」

 

 どうしてという疑問はさておいて、それぞれの髪の色と合わせた耳と尻尾は確かに似合っていた。とりあえず褒めたことで、咲の感情の波も幾分穏やかになった。はー、と咲が長い溜息を漏らすと、照が這ったまま身体を寄せてくる。顔を近づけて見てみると、ネコミミはカチューシャであることが解った。ふりふり動く尻尾はスカートの中から伸びている。根元を探そうとする視線の動きを、京太郎は慌てて止めた。

 

 男としてその尻尾がどうなっているのか非常に気になったが、今はそれどころではなかった。這ったまま近寄ってきたせいで、夏場で薄着になっている照は目のやり場に困るアングルになっている。

 

 不自然でない程度にゆっくりと視線を逸らしながら、京太郎は小さく咳払いする。咲が噴出すのが、後ろに聞こえた。

 

「どうしてこんな状況に?」

「京太郎には普段お世話になっているから、そのお礼」

「それは嬉しいですが……」

 

 それは京太郎がやりたくてやったことで、お礼が欲しくてやったのではない。

 

 本当ならば辞退するべきなのだろうが、『お礼』が既に形になっているのならば断るのも失礼に当たる。京太郎はひっそりとこのお礼を受け入れることにしたが、それにしても、猫耳と犬耳という男性的なチョイスが解せない。

 

 確かに似合っていて可愛いが、これを麻雀以外はぽんこつな中学生の女子二人が発想したとは考え難い。誰か入れ知恵をした人間がいるか、この二人のどちらかが良くない天啓でも得たのか。

 

「咲が教えてくれた。男子はこういうのを喜ぶらしい」

 

 京太郎の疑問に応える形で、照はあっさりと妹を売った。これに慌てたのは咲である。ぶんぶん首を振りながら、しがみついてくる咲の感情は、また決壊の一歩手前に戻った。

 

「で、でも! 耳と尻尾をつけようって言い出したのも、あいんつばいんでこれを買ってきたのもお姉ちゃんだよ!」

「咲、人のせいにするのは良くない」

「京ちゃんっ!」

 

 照の突き放すような物言いに、ついに咲が泣き出した。よしよしと泣く同級生の少女の頭を撫でながら、照を見る。諸悪の根源とも言える照は、尻尾をふりふりしながら猫っぽい仕草で遊んでいた。

 

 妹が好きなのは疑いようがないが、たまにこういう突き放した物言いをする。宮永照は本当に自由な人である。

 

 

「進学する学校をそろそろ決めたい」

 

 咲を何とか宥めてクッションに腰を降ろした京太郎の前に、資料がどさどさと積み上げられる。一番上の一つをつまみあげてみれば、それは千里山高校の入学案内だった。

怜がここを目指すと言っていたな、と思いながら次の資料を見ると、奈良の晩成。その次が東東京の臨海。その次も、さらにその次も、どこも麻雀で有名な高校ばかりだった。北は北海道から南は鹿児島まで、京太郎でも知っているような強豪校の資料が無造作に積み上げられている。

 

 ここまで揃うと流石に壮観だったが、照本人がこれらを取り寄せたとは考え難い。

 

「これが全部、特待生の申し出をしてきたってことですか?」

 

 京太郎の呆れた物言いに、照はこくりと頷いた。

 

「進学先に対して、何か希望とかないんですか?」

「ない」

「近いところが良いとかも?」

「高校の三年間くらいは、麻雀に打ち込んでみたい」

 

 それ以外に希望はない、ということである。ここまで無頓着だと、例えばここで鹿児島に行くべきと言ってもそのままそこに進学を決めてしまいそうである。京太郎個人の希望としては、照には近くに残って欲しい。手前勝手な希望ではあるが、せっかくできた友人が遠くに行くのは寂しいのである。

 

 それに照の腕ならば、どこの学校でも成績を残せるだろう。自分に選択が委ねられるのならば、何も遠いところを選ぶ必要はない。長野にだって強豪校はある。有名なところでは風越か、龍門渕だ。どちらもここからは少し遠いが通えないこともないし、龍門渕には寮もある。

 

 資料の山を崩すと、幸いなことにそのどちらも資料はあった。迷うふりをしてその二校をそっと抜き出しておく。頃合を見て切りだそうと心に決めて、それを誤魔化すように残りの資料を手に取った。

 

「条件で考えても良いんじゃありませんか?」

「それはもうやった。そこにあるのは全部、同じ条件を出してきてる」

 

 これ、と照が差し出してきたのは、奇しくも龍門渕からの書面だった。曰く、学費全額免除。入寮の場合は、寮費も全額免除。申請すれば生活費まで一部を支給してくれるという。流石にレギュラーの約束まではされていなかったが、入学前の選手に約束できるものとしてはおよそ最高のものだった。

 

 資料の数は50を越えている。これら全てがこの待遇だとしたら、判断に迷うのも頷ける話である。何処に行っても同じなら、誰が決めても同じだ。

 

「資料を送っただけじゃなくて、誰かが挨拶に来た高校って覚えてますか?」

「覚えてる」

 

 照が資料をより分けると、資料の山は半分に減った。それでもまだ二十を越える学校が残っているが、その中に風越も龍門渕も残っていることが、京太郎を安堵させた。長野にある高校でこれだけの条件を出し、関係者が挨拶に来ていないなど考えられないことではあったが、事実として資料が残ったことは京太郎を更に安心させた。

 

 この中から選ぶということなら、風越か龍門渕を勧めても違和感はないだろう。離れたくないという内心を暴露しなくても済む。

 

 龍門渕を勧めるつもりで、その資料をそっと手に取る。その時、京太郎の目に偶々山の上に来ていた高校の資料が目に留まった。

 

 白糸台高校。

 

 記憶が確かならば西東京の強豪校である。臨海の一強である東東京と違い、西東京は今戦国時代の真っ只中である。ここ十年、同じ高校が連覇したということはない。白糸台も強豪ではあるが、圧倒的な成果を出すには至っていなかった。西東京においては、いくつかある強豪校の一つという位置づけである。

 

 京太郎も白糸台のことはよく知らない。それでも京太郎の目を引いたのは、資料の表紙に載っていた制服が真っ白いワンピースだったからだ。高校指定の制服として珍しいそれは、京太郎の興味を大いに刺激した。

 

 この制服を照が着たところを想像してみる。照の赤毛とすらっとした体型に、この白い制服は似合うと思った。

 

 固まっていた京太郎の手から、資料が取り上げられる。白い制服が表紙になったその資料を、照は大事そうに胸に抱きしめた。

 

「ここにする」

「まだ俺は何も言ってませんが」

「その顔を見れば、十分」

 

 全て解っている、という顔で照は言う。その顔を見て、京太郎は龍門渕を推すことを諦めた。姉としてはともかく、人間としての宮永照が思いのほか頑固であることを、京太郎はよく知っていた。彼女が行くと決めたのならば、それで決定である。

 

 何より、照が本当にこの制服を着ているところを京太郎も見てみたかった。寂しいからという理由で引き止めることは、やはりするべきではないし格好悪い。敬愛する人が麻雀に打ち込みたいというのなら、それを応援するのが後輩のあるべき姿だろう。

 

 制服が似合うかもという、男子の欲望全開の要望を聞いてくれただけ、照には感謝である。

 

「京太郎は、高校はどこにするの?」

「多分、清澄になるんじゃないかと思いますが」

 

 照と違って部で成績を残せない京太郎は、それこそどこに行っても同じだ。麻雀部はないよりはあった方が良いが、どうせ参加しないのだからどちらでも良い。調べたところあるらしいが、この時勢には珍しく小規模な活動しかしていないという。

 

「私も一緒に行っても良い?」

「別に俺に断る必要はないだろ。まぁ、お前一人にすると心配だからついてきた方が良いかもだけど」

「そうだね。ありがとう京ちゃん」

 

 反発すると予想していたが、咲はお礼まで言って京太郎の言葉を肯定した。

 

 照と姉妹麻雀をするまではただのクラスメートだったはずが、随分距離が近くなってきたように思う。最近では気付けば後ろをちょこちょこ付いてくるようになっていた。まるで子犬である。麻雀に対する確執も、照に対する複雑な感情も払拭されたが、その分情緒が不安定になってきた。

 

 とにかく、よく泣く。クラスではもはや、京太郎と咲はワンセットと考えられているようで、よく冷やかしも受けた。それに咲が反発すれば距離も置けるのだが、目立つのが苦手な咲なのに、からかわれながらも京太郎の傍を離れようとしない。

 

 それも悪くないと思うが、いつまでもこうではいられないだろう。あれだけ強い麻雀も、照と和解したことで興味が極端に失せていた。できれば麻雀に取り組んでほしいのに、咲は全く麻雀の話題を出さない。咲が切り出してくるのは、姉である照の話題か、自分のこと、それから京太郎についての質問くらいだった。

 

「私が活躍すれば、二人分くらいは推薦枠を確保できるかもしれない」

「そこまで無理をしてもらう必要はないですよ。お気遣いは嬉しいですが」

 

 照ならばインターハイ三連覇くらいは成し遂げられるだろう。それくらいの実績があれば、部内でも多少の無理はできるに違いない。推薦枠二つというのは、生徒が強引に発動できる権利として実に微妙なラインだったが、咲には照の妹というブランドと、確かな実力がある。部の関係者も文句は言わないだろうが、須賀京太郎には部に貢献できるだけの要素がほとんどない。

 

 分析などで同級生に負けるつもりはなかったが、そういう仕事は何も高校生がやらなくても良い。海千山千のコーチ陣と勝負になった時、流石に勝てる自信はない。コーチでもできる仕事しかできない、選手としてはポンコツの、しかも男子を、強豪白糸台が受け入れてくれるとは考えにくい。それでも照の推薦ということなら首を縦に振るかもしれないが、照の七光りで入部したという重圧は、想像を絶するものがあるだろう。

 

 照には恩義があるし尊敬もしているが、そのために針の筵に座っても良いかと言われると、すぐには答えを出せなかった。否定気味の返答に、照は残念そうな顔をする。早速申し訳ない気持ちになるが、京太郎にも譲れないものがあった。

 

 

 重くなった雰囲気を吹き飛ばすように、白糸台の資料が勢いよく京太郎の胸に押し付けられる。

 

「制服が届いたら、一番最初に京太郎に見せてあげる」

「ありがとうございます」

「それから必ず、インターハイを三連覇する。部も優勝させる。咲と京太郎が、誰にも胸を張って自慢できるような姉と先輩に必ずなる」

「照さんならできますよ。後今の時点でも、照さんは俺の自慢ですよ」

「私も、自慢のお姉ちゃんだよ」

「ありがとう二人とも」

 

 照が腕を広げて、二人を抱きしめた。くすぐったそうに身じろぎをする咲だが、京太郎は照の腕の中で動くこともできなかった。

 

 恥ずかしいが、照の腕の力は思いのほか強かった。観念して、照の抱擁に身を委ねる。それからしばらく、照の抱擁は続いた。

 

 

 



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16 中学生二年 千里山入学式編

 

1,

 

 自分で決めたことであるが、その決定を竜華は早くも後悔し始めていた。

 

 清水谷竜華は今日から千里山女子に通うことになる。今日がその入学式だ。千里山女子は北大阪における麻雀の名門であり、八年連続で全国大会に出場している。これに近い記録を有しているのは全国でもそれほど多くない。強豪と呼ばれる高校でも、大抵は勝ったり負けたりを繰り返している。近年において十年近い記録を有しているのは大阪の千里山女子と姫松。それから東京の臨海と奈良の晩成くらいのものだ。その内、全国でシード権を確保しているのは、晩成を除いた三校だけである。ブレない強さを十年にわたり維持し続けている。千里山女子は本物の強豪だ。

 

 その強豪に通う、今日が一日目である。両親は車で送ってくれると言ってくれたが、電車通学になれておきたいとその申し出を断って電車に乗ることにした。最初はわくわくしていたが、そのわくわくが続いていたのは、乗る電車を間違えたと気付く時までだった。

 

 大慌てで電車を乗り換え、千里山女子の最寄り駅についた時には、もうギリギリの時間だった。運動の得意でない身体を酷使して、ひた走る。その無理がいけなかったのだろう。最後の階段を急ぎ足で下りる段になって、竜華は足を滑らせた。階段を踏み外した時には全てが遅い。何か掴めるものは。無意識に伸びた竜華の手に、掴めるものはない。

 

 大怪我を覚悟した竜華の腕を、その時、誰かが掴んだ。投げ出された竜華の身体が、空中でぴたりと止まる。生きている。怪我もしていない。恐る恐る目を開くと、そこには青年の顔があった。

 

「……貴女は十分美人さんでスリムだとは思いますけど、大丈夫なら立ってくれると嬉しいです」

 

 はっと、竜華は気付いた。青年の腕は階段の手すりを掴んでおり、もう片方の手は竜華の腕を掴んでいた。不安定な体勢で踏ん張っていられるのは流石男の子と思うが、突っ張った腕はぷるぷると震えている。慌てて竜華が自分の足で立つと、青年は大きく安堵の溜息を漏らした。

 

 そこまできて漸く、竜華は青年の姿を落ち着いて観察する。

 

 おそらく一つか二つは年上だろうこの青年の顔立ちを、かっこいいとするかどうかは個人の好みによって分かれるところだろうが、竜華はこの青年の顔を良いなと思った。どきどきする胸を押さえながら、竜華は青年に向き直る。

 

「危ないところ、ありがとうございました」

「いえ。怪我がなくて良かった」

 

 青年の口から出てきたのは、綺麗な標準語のイントネーションだった。現実には久しく聞いていなかった発音が、耳に少しくすぐったい。

 

「その制服、千里山のですよね?」

「はい。今日、入学式なんです」

「そうでしたね。実は俺も行くところなんですよ。幼馴染が今日、入学するんです」

「そうなんですか」

 

 と答えながら、竜華は顔がにやけるのを抑えるのに必死になっていた。たまたま一人で乗った電車で、同じ千里山に行こうとする青年に助けられた。なんて偶然、なんて運命的なことだろう。

 

「でも、入学式なら急がないといけませんね。俺はまだ余裕がありますけど、一年生なら急いだ方が良いのでは?」

 

 そうだった。時計を見ればギリギリだった時間がさらにタイトなものになっていた。名残惜しいが、行かなければならない。

 

「本当に、ありがとうございました!」

 

 大きく礼をして、走り出す。ちらっと後ろを見ると、青年は微笑みながら、小さく手を振ってくれていた。

 

 

 

 もしこの時、竜華がもう少し落ち着いていたら、燻った色の金髪から須賀京太郎という名前を連想できていただろう。幼馴染の怜は、いつも二言目には幼馴染のきょーたろーの話をする。竜華だって何度聞かされたか知れない。会ったことはないが、竜華も京太郎の写真を何度も見たことがあるし、怜から人となりは聞いていた。

 

 大好きな怜の心を占めるその存在は、正直鬱陶しいと思っていた。会ったら文句の一つでも言ってやろうと常日頃から思っていた相手が、須賀京太郎だった。

 

 しかし、偶然と運命に酔っていた竜華は優しい青年についてそれ以上考えることを放棄していた。これが数時間の後、京太郎に対する竜華のキャラの方向性を決定づけることになってしまうのだが、急ぎながらも幸せ一杯な竜華は、まだそのことを知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2,

 

「そんでなー、今朝の人はなー」

「竜華、その話もう三回目やで」

「えー、聞いてな怜。私にもようやく春が来そうなんやから」

「でも、名前も聞かへんかったんやろ?」

「ここに来る言うてたもん。私なら会える!」

 

 無駄に自信を漲らせている親友に、怜はそっと溜息を吐いた。朝からずっと、一目ぼれしたとこの調子なのだ。正直、鬱陶しいことこの上ないが、普段は自分が『ああ』なため、邪険にすることもできない。

 

 とは言え、親友に春が来たというのは、寂しくもあるが、喜ばしいことでもある。散々聞かされたその時の状況を鑑みる限り、なるほど、男性に免疫のない竜華ならば一目ぼれしても可笑しくはない。

 

 心配なのは、それが悪い男で竜華が騙されやしないかということだ。竜華の話が確かなら、その男は今日この千里山に来るらしい。再会できれば話は早いが、美しい思い出のまま終わらせた方が、と思わないでもない。

 

 のろけ続ける竜華の話を聞き流しながら、幼馴染の京太郎のことを考える。

 

 今日が入学式だということは、電話やメールでしつこく伝えてある。彼の性格ならば、長野と大阪の距離を飛び越えて会いにきてくれるだろう。来るという連絡はないが、両親がそわそわしていたので間違いない。サプライズということで、自分にだけ知らされていないのだと怜は確信を持っていた。

 

 女子高であるから当然だが、この学校の出入りは監視が厳しい。入学式であっても、それは同じだ。誰の血縁でもない京太郎は、父兄では通らないから一緒に入ってくれる人間が必要になる。サプライズならば誰にも話さずこっそりやった方が都合が良いのに、両親にだけ話が通っていたのはそのせいだろう。

 

 入学式は既に終わった。そろそろ京太郎が現れても良い頃合だが、校舎の中ではそうもいかない。いるとしたら、正門の辺りだろう。遠目に見るに、父兄の姿がちらほらとある。

 

 早く探しに行きたいが、同じクラスになった竜華の話が終わる気配を見せない。やっぱり同じクラスになったセーラにも、既に飽きが見え始めていた。

 

 そろそろデコピンでもして、強引に話を打ち切ろうか。

 

 怜が本気でそう考えて指の素振りをし始めた頃、竜華が急に窓に駆け寄って身を乗り出した。

 

「おった!」

「なんや、今朝の兄ちゃんか? 人違いやないの?」

「私が間違えるはずがない! ほら、あれや! あの正門のとこ!」

「ん~?」

 

 竜華の示す方に、セーラが目を凝らす。この中で一番視力が良いのは、セーラだ。竜華の言う通り青年の姿を見つけたセーラは眉を細め、ついで首を傾げた。そのまま訝しげな視線を、竜華ではなく怜に向ける。

 

 その意味が解らない怜は首を傾げる。セーラは黙って懐からハンドサイズの双眼鏡を取り出し、怜に差し出した。

 

 双眼鏡でもって、正門を見る。竜華の示した先には、確かに青年の姿があった。

 

 そこには京太郎がいた。周囲に青年らしい年齢の男性は、京太郎しかいない。

 

 黙って竜華に双眼鏡を渡すと、竜華は『あの人や!』と大騒ぎである。何の因果か知らないが、今朝の人は京太郎のことで間違いがないようだ。

 

 さて、と怜はまたも考える。

 

 竜華は一体、どういうつもりなのだろうか。

 

 須賀京太郎という名前は竜華も知っているはずだ。京太郎の話は一日に一回は必ずしている。写真を見せたことも何度もあるから、顔を知らないということもない。

 

 しかし、竜華とセーラは実際に京太郎に会ったことはない。写真は一番新しいもので、もう一年以上前のものである。この年頃の男の子は凄まじい勢いで身長が伸び、京太郎もその例に漏れなかった。声変わりした後に初めて会った時の驚きは、今でも忘れない。

 

 それにしても、あの燻った色の金髪を見れば連想できそうなものだが、竜華はまだ気付いていないようである。

 

 他人が好きと公言している人間に、後から懸想するのは女子的にはルール違反だ。怜やセーラはそういうものを全く気にしないが、竜華はそういうものを特に気にするタイプだった。今は気付いていないから有頂天でいられているが、正門にいるのが須賀京太郎だと知ったら死ぬほど落ち込んでしまうだろう。

 

 それはそれで悪い気もする。先着順でこういうものの勝敗が決まるのなら、怜はとっくに京太郎をゲットできているはずだ。今日から京太郎を好きになったからと言って、怜にはそれを排除する権利はない。

 

 まして相手は親友の竜華だ。同じ人を好きになれたことは、むしろ喜ばしくさえある。

 

 ならば怜の取るべき行動は一つだった。竜華を仲間に引き込む。これしかない。

 

 怜の前で公言したことはないが、京太郎はおっぱい星人だ。デビューした時からはやりんが大好きな辺り、童顔であると更にストライクなようである。病弱なりに美容にも気を使ってきた怜であるが、胸に関してはそこまで育たなかった。その点、竜華は実に京太郎好みの容姿をしている。大きな胸もむっちりしたふとももも、京太郎が夢中になるのが想像できるくらいだ。

 

 想像してムカムカしてきた。

 

 しかし、ライバルならばこれ程の強敵もないが、味方になるならこれほど心強いものはない。竜華であればはんぶんこでも、最悪、京太郎が竜華を選んでも納得ができる。何しろ竜華は親友なのだから。

 

「なぁ、竜華。あの人といちゃいちゃしたいか?」

 

 怜の提案に、京太郎が京太郎と気付いているセーラが、ぎょっとした顔をする。対して竜華は怜の提案を額面通りに受け取った。顔を真っ赤にし、頬に手を当てながらくねくねする竜華は、女子として浮かれ捲くっていた。

 

「えー、流石にそれは早すぎやないかなー。最初はもっと清いお付き合いから」

「そか。じゃ、ウチがそれをセッティングしたるから、今から正門までいこか」

「怜! 持つべきものは友達や!」

 

 竜華が感極まった様子で、抱きついてくる。竜華の頭を撫でながら、怜は遠くを眺めていた。

 

(この感謝、いつまで続くんやろなぁ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

 長野から大阪への旅を終えた京太郎は、その足で園城寺邸に……向かうことはできなかった。今日来ることは怜には秘密になっている。あちらとの接触は極力控えなければならないのだ。

 

 千里山には父兄の誰かと一緒でないと入れないから、怜のご両親とはどこかで合流する必要がある。集合場所は現地。お父さんかお母さんのどちらかがこっそり離れて一緒に入ってくれるというが、さて、上手く行くものだろうか。

 

 不安な時間を過ごした京太郎だったが、警備の人に咎められたりすることもなく、入学式に参加することができた。怜の姿を見ることはできなかったが、これで怜も高校生かと思うと、二つも年下の身ではあるが感慨深い。ご両親と一緒にいるとバレる可能性があるからと、一人離れて座っていた京太郎は父兄の中でかなり浮いていたが、幼馴染の入学式に参加することができた満足感で一杯だった京太郎は、それも気にならなかった。

 

 入学式が終わる。

 

 退場する新一年生に気付かれないように、こっそりと体育館を後にした京太郎は、正門前に移動した。ここにも父兄が沢山いた。一年生は教室でオリエンテーションのはずだから、まだ時間はあるだろう。途中の自販機で買ってきたコーヒーを飲みながら、しかし考えていたのは怜のことではなく、今朝出会った美少女のことだった。

 

 少女、と表現するには語弊がある。新一年生ということは怜と同級生で、京太郎よりも二つ年上である。事実、霞に勝るとも劣らないおっぱいは見事なもので、露骨に視線を向けないように苦労したほどだ。

 

 ころころと変わる表情も、女性的な身体つきも、京太郎の好みに大分合致していた。

 

 あんな彼女ができたらなぁ、とコーヒーの缶を弄びながら考える。

 

 女性との出会いには恵まれている。好意も……それが男女のものかどうかは別にして、得られていると思う。中学生にもなると、男女別でつるむことが多くなる環境の中で、京太郎の友人の男女比率は女性に大きく傾いていた。この年代の、というよりも男性として、この比率はかなり稀有な部類であることは自覚している。

 

 しかしそれでも、京太郎に『彼女』ができたことは一度もない。中学二年生ともなると大人の階段を上る同級生も出てくる。昨日まで同じステージにいた面々が、ある日を境に上から目線になるのは、気が長いと評判の京太郎でも、色々と思うところがあった。

 

 そろそろ彼女が欲しい。男子中学生須賀京太郎の、切なる願いである。

 

 恋人のいる友人に『恋人とは』とそれとなく聞いてみたことがあるが、大抵のことは既に京太郎は経験済みだった。ならばちゅーやそれ以上のことをすれば……と考えて、首を横に振る。エロは重要だが、それが目的ではない。京太郎は彼女が欲しいのだ。いちゃいちゃしたいのだ。

 

 それは京太郎にとって大分切実な願いだったが、友人の自慢する恋人としての行為に、好奇心がかきたてられることはなかった。何故なら『手料理』も『手作りのプレゼント』も『手を繋ぐ』ことも、その他諸々、既にやったしやってもらった。人生経験が豊富なことをこんなに恨めしく思ったことはない。いちゃいちゃしたいのに、過去が勝手にハードルを上げてくるのだ。

 

 もはやどうしようもないと、大きく深く息を吐く。

 

 既に四月。長野より南にある大阪とは言え、まだ空気は肌寒い。住んでいたとは言え、腰を落ち着けていたのは十年近く前のことだ。慣れない土地で一人というのは、何となく寂しい。早く怜の顔を見たいと思っていた矢先、視界の隅で急ぎ足の人影が見えた。

 

 紛れもなく怜である。傍には女性が二人。セーラー服の上に学ランを羽織った変り種と、もう一人は遠めでもスタイルが良いと解る美少女だった――というか、今朝駅であった女性だった。

 

 三人は一緒にこちらを目指してる。たまたま一緒になったという風ではない。怜の距離の取り方から、三人が友達であるのは京太郎にも解った。

 

 朝たまたま助けた女性が、幼馴染と知り合いという。これが運命的でなくて何というのか。

 

(でも、紹介してくれって言ったら、怜は怒るよな……)

 

 ご両親の話を聞く限りでは物分りの良い非常に手のかからない娘らしいのだが、京太郎の前では途端に自己主張が激しくなる。お姉さん風を吹かせたがる癖に年上扱いをすると『壁がある』と怒ったり、呼び捨てにしないと口を利いてくれなくなる。

 

 年上だけれども、距離の近い存在。京太郎の友人の中でも、一番距離感が特殊なのが怜だった。

 

 顔がはっきりと見えるくらいの距離になって、怜は走るスピードを上げた。身体の弱い怜にはもう、それは全力疾走である。一緒に走っている二人が不安そうな顔をしているが、そんなもの怜はお構いなしだった。

 

 いつものだな、と悟った京太郎は、そのために身構える。

 

「京太郎!」

 

 勢い良く地面を踏み切り、怜が飛び込んできた。女子高生の全力の体当たりであるが、元が軽いからそれほどの威力はない。二三歩後退しただけで、勢いを殺すと、怜を落とさないように力一杯、けれども身体の弱い怜を壊さないように、優しく抱きしめる。

 

 昔から怜はくっつき魔だった。暇さえあれば抱っこをせがんだり、自分から抱きついてきたりしていた。昔は恥ずかしがって外ではしなかったが、最近ではその羞恥心もなくなったらしい。普通は逆だと思うのだが、ともかく人前でも堂々とできるようになった怜に、もう怖いものはなかった。

 

 んー、と猫撫で声を上げながらぐりぐり顔を押し付けてくる怜の頭を撫でながら京太郎は周囲を見回した。怜が出てくる少し前から、父兄に混じって生徒達の姿も見えるようになっていた。正門前に一人で立つ男子の姿は、その時点でも目立っていたが、その胸に新入生が飛び込んでいったとなると、それはさらに衆目を集めた。

 

 その中に嫌悪の色がないのは救いだろう。はしたないと排除されることになれば、怜にも迷惑がかかる。その代わり、周囲に満ちているのは好奇の色だった。特に新入生と、父兄のお母さんの目は爛々と輝いている。どの世代も、ゴシップが大好きなのだ。

 

 動物園のパンダみたいな扱いは勘弁して欲しいと思うものの、怜はまだ満足しておらず離してくれそうにない。怜にバレないようにこっそりと溜息をついた京太郎は、その視線を怜の連れに向けた。

 

 学ランの彼女は、京太郎と視線を合わせるとニカっと微笑んだ。格好の通り、野球少年のような朗らかな笑みである。美少年な美少女が友達にいると怜から聞いたことがある。おそらくこの人が、江口セーラだろう。強豪千里山に特待生として入学した、大阪でも屈指の実力を持つ女子高生雀士である。

 

 続いて、もう一人。今朝駅で出会った巨乳美少女だ。

 

 今朝は気付かなかったが、こちらは写真で見たことがある気がする。怜が一番の親友として紹介してくれた、清水谷竜華だろう。その竜華は顔を真っ赤にしながら怜と、京太郎のことを見つめていた。

 

 親友がいきなり男の胸に飛び込んだら、それも当然な気もする。怜のことだから、須賀京太郎のことは面白おかしく友達に伝えているはずだ。存在を全く知られていないということはないはずだが、この反応を見るに、手放しで歓迎されているとは言い難い。

 

 人間、第一印象が肝心だ。美人さんと仲良くなる機会を、ふいにしたくはない。良く言ってもらわないと、と幼馴染を見下ろせば、一頻りぐりぐりして満足したらしいつぶらな瞳と目があった。

 

「あまり驚いてないな。これでもサプライズのつもりだったんだけど」

「お父さんとお母さんは、嘘つけない良い人やからなぁ。口は割らんでも、態度で解るわ」

「演技指導まではできないからなぁ、俺でも」

 

 隠し通せるとは思っていなかったが、サプライズが空振りに終わったことは残念だった。怜を降ろすと、二人も駆け寄ってきた。紹介しろと促すと、怜は勿体ぶって咳払いを一つ。

 

「まず、こっちが江口セーラや。男の子みたいなカッコしてるけど、一応女の子やで」

「よろしくなー」

 

 差し出された手を握り返す。女の子らしい小さな手だが、手にはしっかりと麻雀タコの後があった、麻雀に打ち込んでいる人間の手である。実に京太郎の好みの感触だった。

 

「で、こっちが清水谷竜華や。巨乳でむっちりふとももの美人さんやで」

「女の人の紹介でそれはどうかと思うが……」

 

 苦言を言いながらも、その通りだなと京太郎は思った。今朝は落ち着いて見る時間がなかったが、こうして改めて見てみると色々と、迫力がある。怜も決して小さい方ではないが、竜華と並ぶと大人と子供くらいの差があった。

 

「須賀京太郎です。今朝ぶりですね」

 

 紳士的に、紳士的に、と意識しながら手を差し出す。竜華は、手を見ているだけだった。あまりにもな無反応に怜とセーラが首を傾げる。

 

「清水谷さん?」

「近寄らんといて!」

 

 思い切り突き飛ばされた京太郎は、呆然と竜華を見返す。対する竜華は自分のやった行動に慌てているのか、真っ赤な顔でパニックになっていた。

 

「ちょっとごめんなー」

 

 怜は何食わぬ顔で、竜華をつれてフェードアウトしていく。

 

「……俺、何かしたんでしょうか」

「何もしとらんから、こうなったとも言えるなぁ」

「俺、須賀京太郎と言います、はじめまして」

「江口セーラや、よろしく!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4、

 

「りゅーか、りゅーか、打ち合わせと違わへん?」

「私には無理やー」

 

 京太郎が見えなくなると、竜華は途端に泣き付いてきた。無理からぬことではあるが、妥協はできなかった。ここで引いたら仲間に引き込もうと思った決意が無駄になる。

 

「私の幼馴染パワーで切り開いて、りゅーかのおっぱいで落とす。何も難しいことはあらへんよ」

「難しくないけど、間違ってる! もっと普通で健全なんはないのん?」

「ないなぁ。というか、方法選んでる余裕はそろそろなくなってきてるねんで」

「……どういうこと?」

「りゅーか、アレがモテんと思うか?」

 

 怜にとってそれは当然の危惧だったが、竜華にとってはそうではないようだった。今気付いたといった風で、アレのいる方を見る竜華。そこでは京太郎がセーラと談笑していた。京太郎の話がツボに入ったのか、セーラが京太郎の背中をバシバシと叩いている。既に大分打ち解けた様子だった。初対面のセーラであれなのだ。長い時間を共にした女の子がどういう状態になるのか、想像に難くない。

 

 青い顔をする竜華に、怜は訳知り顔で頷いた。

 

「わかったやろ。ウチらにはもう時間がないんや」

「高校を大阪にしてもらうとかできへんの?」

「それはウチも考えたんやけどな。もう長野の清澄高校ってとこに決めてるらしいで……なんや、面倒見なきゃいかん同級生がおるとかおらんとか」

「……まずはその同級生をどうにかせんといかんとちがう?」

 

 竜華の目がきらりと輝く。乗ってきた、と確信を持った怜だったが、その声音は冷静さに満ちていた。今日ステージに登った竜華が考えるようなことは、怜もとっくに考えているのだ。

 

「相手は遠い長野で、ここは大阪や。そもそも会う機会の少ないウチらは、こういう時にポイント稼いでおかんといかんのや。そこでりゅーかのおっぱいパワーが必要になる訳やけど……一肌脱がん?」

「せやかて恥ずかしいもんは恥ずかしいもん……」

 

 ついには涙まで浮かべ始めた竜華に、怜はそっと溜息を吐いた。確かに竜華にばかり負担を強いるのは間違っている。おっぱい作戦は効果抜群だと思うのだが、竜華がコレでは再考せざるを得ないだろう。怜は腕を組んで考えを巡らせ、

 

「膝枕作戦で行くか?」

「そういうえっちいことから離れてやー」

「せやかて、あれくらいの年頃の男の子はおっぱいかお尻で落とすしかないと思うんやけどな。それともりゅーか、何か他にええ方法があるか?」

「て、手をつないだり、デートしたり?」

「それくらいならウチがもうやったで。それから多分、他の女の子でもやってると思う。リードするには、ここらで一歩先に出るしかないんやけど……」

 

 怜はそこで口ごもった。リードするしかないのだが、長い年月をかけて構築したキャラクターは、簡単に打ち破れるものではない。須賀京太郎から見た園城寺怜も、園城寺怜から見た須賀京太郎も、容易に変われるものではない。おまけに京太郎の方からは、変わる意欲が感じられないときている。

 

 何か切欠が必要なのだ。そのために、竜華はうってつけである。一緒にやろうという提案は決して竜華のためではない。怜自身のためにこそ必要なのだった。

 

「京太郎のこと、気に入ったんやろ?」

「……うん」

「手ぇ繋いだり、いちゃいちゃしたりしたいやろ?」

「…………してみたい」

「なら、ウチと一緒にがんばろか。ウチは別に、りゅーかを蔑ろにしたりせーへんし、最後にりゅーかが選ばれたって、恨んだりせんから」

「せやかて怜、子供の頃から好きやったんやろ? 私が混ざってええの?」

「ええよ。ウチは京太郎のこと、好きで好きで仕方ないけど、それと同じくらいきょうたろーには幸せになってもらいたいもん」

「怜ぃ!」

 

 感極まった竜華が抱きついてくる。その頭を撫でながら、怜は遠目に京太郎の姿を見た。

 

 先ほどの言葉に嘘はない。彼女になりたいが、行動するには遅すぎた気もする。あの時死んでいたはずの命が、ここまで永らえることができた。それで十分に幸せだったし、京太郎も自分を好いてくれた。それは自信を持って言える。

 

 だからこれからするのは、『欲張り』の行動だ。親友だって巻き込む、自分のことを優先する。それで京太郎を幸せにできると信じているからこそだ。

 

「それじゃ、行こうか。りゅーかが無理なら仕方ない。ゆっくりでも良いから、京太郎に近づいていこな」

 

 怜の慈愛に満ちた物言いに、竜華はこくりと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




怜が迷走してる気がしますが完成しました。
ちなみに怜はりゅーかの参戦を許容できますが、他のヒロインに負けるのは我慢がならないタイプです。
特に他の大阪人に対しては敵意をむき出しにすることでしょう。
その辺りは全国編で姫松が出てきたらということで。

次回、モンブチ編ですころたんイェイ。


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17 中学生二年 モンブチーズ導入編

1、

 

 

「京太郎。次の日曜日に時間作れるか?」

 

 藪から棒な父の問いに、京太郎は脳内で予定を確認した。モモとの約束はその次の日曜だし、照たちとの約束はその前の土曜日である。日曜日にはこれといった予定はない。

 

「別に暇だから良いけど、何の用だ?」

「俺の仕事につきあってくれ」

 

 父の顔は真剣だった。冗談で言っているのではないと理解した京太郎は、居住まいを正した。父親が仕事の話をすること自体が珍しく、手伝ってくれなどと言うのは勿論京太郎にとって初めてのことだった。

 

「実は今会社で、大きなプロジェクトが動いている。その一環で次の日曜、大事な取引先の女社長に会いに行くことになってる。でだ。その女社長の娘さんが、麻雀に打ち込んでるらしくてな。話の流れでうちの息子もですと言ったら、連れてきてくれと言われてな……」

 

 父の渋面から、どうにか話を修正しようとしたのは見て取れた。大人の世界に首を突っ込むのはできれば遠慮したかったが、麻雀ができるというのなら話は別だった。相手が誰でどういう状況だろうと、麻雀そのものに罪はない。

 

 それに不本意ではあるが、相手を気持ちよく勝たせることについて、京太郎には絶対の自信があった。京太郎と対戦した相手はツモれないはずのところがツモれ、アガれないはずのところでアガれるようになる。父親の仕事の麻雀が絡むのだとしても、不味いことにはならないはずだ。

 

「それから京太郎。何かの間違いでこのプロジェクトが流れたら、お前の小遣いは少なくなるからそのつもりでいてくれ」

「それは流石に横暴じゃないか」

「俺もそう思うが仕方がないのだ。この仕事が流れたら、俺は今の会社にいられなくなる……」

 

 大人ってのは大変なのだな、と思う京太郎だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 社長の家というからざっくりと、金持ちハウスを想像していた京太郎だったが、実際にそこには家などなかった。

 

 家ではなく屋敷である。自分の背丈の倍はあるだろう門を前に、父親と共に呆然とする。仕事用のスーツを着込んだ父親とは対象的に、京太郎はラフな格好だった。制服でも着ようかとかと一応聞いたのだが、お前までかしこまる必要はないと言われたのだ。

 

 だが、門を見ただけで京太郎は自分の判断を少しだけ後悔した。この門の向こう側に、カジュアルな服を着た人間がいるとは思えない。

「須賀様ですね、お待ちしておりました」

 

 須賀親子を出迎えたのはメイドだった。おっぱいが残念なこと以外は、一分の隙もないメイド姿である。人の良さそうな笑顔にぼーっとしている親子を他所に、メイドは二人を先導して歩き出す。門から屋敷までは、距離があった。金持ちパワーに感心しながら歩いている京太郎の前に、今度は長身の男性が現れた。

 

 執事だった。一分の隙もない執事だった。黒い髪に上等なスーツ。穏やかな物腰は上品さを感じさせつつも、見るものを安心させた。同じ男に『こういう男になりたい』と思わせるだけの力が、その立ち姿にはあった。

 

「お父上はそちらの歩について本館の方へお進みください。ご子息はこちらに」

 

 ぎくしゃくした動きでメイドさんについていく父の背中を見送った京太郎は、完璧執事の後ろについて歩き出した。門を入ってしばらく……そう、しばらくである。しばらく歩き続けても、目的地が見えないのだ。金持ちの凄さを実感していたと思っていた京太郎だが、まだまだ甘かったと痛感する。金持ちというのは庶民の想像の、遥か上を行くのだと、頭ではなく心で理解した。

 

 執事は余計なことは全く話さないが、沈黙は全く苦にならなかった。御用があればいつでも、と背中が語っている。心地よい沈黙とはこういうことを言うのだろう。何もしていなくても、傍にいる人間に安心感を与えているのである。これがプロの仕事かと、京太郎は感心した。

 

「あちらになります」

 

 歩いて五分もしただろう。開けた場所で執事は足を止めた。道の先には東屋があり、そこに何人か女性がいるのが見て取れた。

 

「それでは、私はこれで失礼します」

「貴方は一緒にいないんですか?」

「傍に控えておりますので。御用がありましたら、何なりと」

「わかりまし――」

 

 振り返ると執事の姿はそこにはなかった。

 

 帰ったのか、と思えば何となく気配は感じる。本当に傍に控えているのだろう。その傍がどこかは良く解らないが、気にしないことにした。小学生の時には様々なオカルトに直面した。今更パーフェクト執事が現れたところで、驚いたりはしないのである。

 

 さて、と京太郎は歩みを進める。 

 

 東屋には四人の少女がいた。

 

 中央にはテーブルがあり、それに座っているのが白いワンピースを着たいかにも『お嬢様』な少女である。綺麗な金髪と優雅な居住まいから、この少女が女社長の娘であることがわかった。その背後には、これまた解りやすいメイドの格好をした小柄な少女がいる。黒いセミロングの髪を頭頂部でひっつめた、子供っぽい雰囲気の少女である。目元にある星のタトゥーシールが印象的だ。

 

 お嬢様の対面に座っているのは、銀髪の背の高い少女だ。最初は少年かと思ったが、椅子から投げ出されたすらりと長い足には、黒ストにスカート。雰囲気が男らしいだけで、装いは一応女性である。セーラなどは男の格好をしているだけで少女と疑う余地はないが、こちらは見ようによっては本当に男性に見えかねない鋭い雰囲気があった。さぞかし女性にモテるのだろうとは思うが、けだるげにハンバーガーを食べるその仕草が、色々なものをぶち壊しにしていた。

 

 残りの一人は、物静かな雰囲気の少女だった。咲や照などはたまに自分のことを『文学少女』と表現することがあるが、あの二人よりもこの少女の方がその表現には嵌っているような気がした。地味な服装、やぼったい髪型、もっさりした露出の少ないかっちりとした服装、極めつめはメガネである。無言でノートパソコンに視線を落とし、静かに、しかし高速にタイプをする姿は優秀な秘書を思わせる。地味ではあるがデキる人に違いない。

 

「はじめまして、須賀京太郎です。本日はお招きに預かりまして」

 

 型どおりの挨拶の途中で、京太郎はお嬢様が机上から全く視線を上げないことに気付いた。少女の視線の先にはチェス盤がある。誰かと勝負をしている風ではないから、詰めチェスだろう。それにしても駒の数が多い。手数の多い難しい問題に挑戦しているのは、想像に難くなかった。

 

「取り込み中ですか?」

「ああ。こいつ、これが解けるまで動かないってきかねーんだ。あぁ、俺は井上純だ。よろしくな」

「ごめんね、せっかく来てもらったのに。あと、ボクは国広一だよ。よろしくね」

「沢村智紀。よろしく」

 

 メイドを含めた三人が自己紹介をしても、お嬢様は顔をあげない。鬼気迫る横顔は魅力的ではあったが、無視されているようで気分が良くない。せめて耳に入ればと、心持大きな声で、この場で一番質問に答えてくれそうな純に問う。

 

「随分熱心に取り組まれていますが、どのくらい?」

「三十分くらいかな。先に智紀が解いちまったもんだから、意地になってんだよ」

「ボクたちの誰にもヒントを出すなって言われちゃってね。といっても、ボクと純くんはチェスなんて解らないんだけどね」

「そうですか……」

 

 小さく呟いて、京太郎は盤面に視線を落とした。

 

「じゃあ、俺がヒントを出す分には何も問題はない訳ですね?」

「言ってくれますわね」

 

 お嬢様の声に少し険が混じる。立ち上がった彼女の顔は京太郎よりも大分下にあったが、こちらを睨み上げる目には異様に力が篭っていた。

 

(流石お嬢様……)

 

 と、京太郎は内心で静かに喝采を送った。こうでなくては、と思いながら直立不動の姿勢でお嬢様の言葉を待つ。こういうタイプには、とにかく逆らわないのが生きるコツである。

 

「貴方、チェスができますの?」

「たしなみ程度には」

「結構。それではお手並み拝見と行きましょうか」

「俺が解いても良いんですか?」

「構いませんわ。もう解けましたもの」

 

 嘘だな、と京太郎は直感する。取り組んでいた難題が解けたような顔には見えない。どうにかして打ち切りにしたかったが、自分から言い出すのは心苦しいと思っていたところに、思わぬ客が現れたから、それに乗っかりましたという風である。

 

 指摘するのは流石に無粋だろう。女性に恥をかかせないのも、男の役目である。解りました、と短く答えた京太郎はお嬢様の示した盤に視線を落とす。

 

 そうして、迷いなく駒に手を伸ばした。白の駒が、黒の駒を追い詰めていく。駒を動かす音が、都合13回。それで、白の軍団の包囲は完成した。それまで五秒とかかっていない。唖然とするお嬢様に、何でもないように京太郎は言った。

 

「十三手でチェックメイトでしたね」

「……貴方、チェスはできますの?」

「たしなみ程度には。麻雀に打ち込んでいる、片手間のようなものですけどね」

 

 同じ問いの繰り返しに、京太郎の顔に苦笑が浮かぶ。かけている時間は麻雀の方が圧倒的に長いが、出した成果はその逆だった。運が絡まない、理詰めのゲームの方が向いていることは、京太郎自身が良く理解している。

 

「なら、麻雀の腕も期待できますわね!」

 

 幸か不幸か、お嬢様は事実と全く逆の解釈をした。優雅な仕草で椅子を立つと、手を差し出してくる。

 

「私は龍門渕透華と申します。よろしくお願いいたしますわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

 流石に屋外では麻雀はできないと、移動している最中。話のネタに困った透華たちは、京太郎のことを根堀り葉掘り聞いてきた。話して困るようなことはない。引越しばかりだった京太郎の生い立ちに、透華たちの反応は良かった。特に一は父親が売れないマジシャンという職業柄、それに付き合って全国を飛び回ったことがあるらしく、親の仕事に振り回される子供という思わぬ共通項に、共感を覚えてくれたようだった。

 

「……それにしても、相対弱運ですか。随分変わった力を持ってますのね」

「自分で言っておいて何ですけど、疑わないんですか?」

「私たちも似たような環境におりますからね。今更それくらいで、驚いたりはしませんわ」

 

 鹿児島で神境に通った際、その経緯を話す段になって、京太郎は自分の性質についても披露した。普通はこんな話はしない。牌に愛された人間が暴れまくる女子麻雀界が認知されている世の中でも、公然とオカルトを受け入れるということは少ない。なのに透華はもとより、一や純、智紀までもが京太郎の話を当たり前のように受け入れた。話したことはこれが初めてではないが、あまりないことである。

 

「京太郎。いえ、失礼。京太郎と呼んでもよろしいかしら?」

「構いませんよ。俺の方が年下みたいですからね」

「結構。それでは、京太郎。貴方、そんな能力を持っていたら、麻雀には勝てないのではなくて?」

「ええ。さっぱり勝てません。ネット麻雀でもR1500に届かないくらいですからね」

 

 ははは、と笑い話といった風に京太郎は流すつもりだったが、それを聞いた透華たちはお通夜ムードになった。暗い雰囲気に京太郎が戸惑っていると、純に肩を叩かれる。

 

「それでも麻雀続けられるってことは、お前、麻雀好きなんだな……」

「ええ。大好きです」

 

 女性の前で好きという単語を口にするのは中々に抵抗があったが、事実なので仕方がない。相手が誰でここが何処であっても、須賀京太郎が麻雀好きであることに変わりはない。

 

「勝てないのもアガれないのも、俺にとってはいつものことです。どれだけ理不尽だろうと、それも麻雀ですからね。その程度で腐るなら、もうとっくに麻雀やめてますよ。なので、誰が相手でも喜んで勝負を受けます。ただ――」

 

 言葉を切った京太郎に、全員の視線が集中する。タイプは違うが、皆美人だ。美人の視線を集めていることに少しだけ気を良くしながら、京太郎は言葉を続けた。

 

「点棒を投げて渡したり、一々プレイングについて批判してくるような人とは、あまり同卓したくありませんね」

「その点は心配ありませんわ! 私達の衣は、とっても良い娘ですもの!」

 

 透華は誇らしげに胸を逸らしたが、京太郎は『良い子』という表現にひっかかりを覚えた。無論、それは好評価であるが、相手を聊か下に見た表現である。ここに集まった四人は同年代なのだから、最後の一人もそうであると思っていた。その予想は今も揺らいでいないが、最後の一人については何か秘密がありそうだ。

 

「ただねぇ、ちょっと強すぎるんだよね。それで麻雀が嫌になることもあるかもしれない訳さ」

「だがそこまで言うなら大丈夫だよな。これで負けたくらいでガタガタ抜かしたら、かっこ悪いにも程がある」

 

 カカカ、と笑う純に合わせて京太郎も笑う。

 

 そうこうしている内に、五人は目的地に到着した。小屋というには大きい、まさに離れである。外観は如何にも優美であるが、その扉はまるで牢屋だった。少女の細腕では出入りも不便に違いない。事実、透華はその扉を見て一瞬、沈痛な面持ちになった。この境遇を正しいと思っていないが、さりとて解決する方法も見出せないという苦悩が見て取れる。その顔を見て、京太郎は心根の優しい人だと思った。仲間のために心を砕ける人間に、悪い奴はいない。

 

「代わりましょう」

 

 力仕事は男の役目だ。先頭に立っていた透華と場所を代わり、重いドアを一気に開ける。

 

 そこは一切が少女趣味の部屋だった。所狭しと並んだぬいぐるみはきちんと手入れされており、ベッド含めた全ての調度がきちんとメンテナンスされている。持ち主の性格というよりも、世話をしている人間の性格が出ている部屋だった。それだけ部屋の主は、大切にされていることでもある。

 

 その部屋の真ん中に、全自動卓があった。これまたきちんと整備された最新の機種である。その椅子の一つに腰掛けていた少女が、顔を上げた。

 

 お人形のような少女である。腰より長く伸びた金色の髪はさらさらで、真っ赤な色をしたウサ耳バンドが良く映えている。薄手のキャミソール一枚という聊か寒そうで露出過多な格好であるが、少女の可愛らしさの前にはそんなもの、どうでも良いことだった。

 

 少女の青い目が、京太郎を見ている。深い色をしたその瞳を前に、京太郎は自然と膝をついて目線を合わせていた。

 

「はじめまして、須賀京太郎といいます。今日はよろしくお願いします」

「衣は、天江衣だ。よろしく頼むぞ。きょうたろー」

 

 うむ、と鷹揚に頷く衣に、京太郎は笑みを返す。立ち上がって振り向くと、驚いた顔をした透華と目があった。何故、とは聞かない。透華の企みは全て、理解していたからだ。訳知り顔でいる京太郎の肩を、純が掴んで引きずっていく。衣に聞こえないよう、顔を付き合わせた四人は、ひそひそと言ってくる。

 

「貴方、そういう趣味がありますの!? 可愛らしい子供が好きとか!?」

「女性的な身体つきをしている方が好みの健全な男子ですよ」

「ならあれはないだろ。あいつは何というか……どうみたってティーンじゃないだろ」

 

 衣に気付かれないよう、肩越しにこっそりと盗み見る。椅子に座って足をぷらぷらさせている衣はなるほど、ティーンには見えない。小学生でも中学年か、下手をしたら新一年生と思われてもおかしくない容姿をしている。

 

 四人が衣の年齢について言及しなかったのは、見た目通りと解釈することを狙ってのものだろう。誰もが通った道を、新入りにも通ってもらおうという、物事の先輩特有のいやらしさが、四人からは感じられた。京太郎はその目論見を外してしまった訳だが、四人に怒りはない。純粋に、どうして見抜けたのか疑問に思っているだけだった。

 

「皆さんとつるんでるのに小学生ってのは考え難いですからね。それに身体は小さいですが、何というか貫禄が……」

「衣を指して貫禄とか言ってるよこの子……」

「ちょっと独特の感性の持ち主」

 

 皆の視線に、京太郎は少し危機感を覚えた。単純な感心と警戒の色が綺麗に半々になっているような気がする。『そういう趣味でもありますの!?』という透華の言葉は、全員の意思の代弁だったのだろう。京太郎が視線を向けると、一は僅かに距離を取った。この中で衣に一番近い容姿をしているのは一である。そういう前提に立てば警戒は無理からぬことであるが、女性にそういう対応をされると傷つくものである。

 

 打ちひしがれた内心を顔に出さないようにしていたつもりだったが、やはり顔に出ていたようだった。顔を背けると、一は慌てて駆け寄ってきた。

 

「その……ごめんね?」

「いえ、それも当然のことです。汚名はここで返上していきますので、安心してください」

「ふむ。ところできょうたろー。お前は麻雀をしにきたと聞く。面子はどうするのだ?」

「京太郎は入るとして後は衣と……残りの二人はどうしますの?」

「私は見てる。京太郎がどういう麻雀をするのか興味がある」

「ボクも遠慮しておくよ。純くんもとーかも、凄く打ちたそうな顔してるしね」

「なんだよ悪いな国広くん」

「いいってことだよ純くん」

「それなら遠慮なく行きますわ!」

 

 衣が既に座っているところに、三人が集まる。卓を操作して東西南北の牌を選びそれを伏せてシャッフルする。

 

「それでは、京太郎からどうぞ」

 

 透華に促され、京太郎は四枚の中から一枚選んで手元に寄せた。続いて衣が引き、透華が引き、純が最後だ。

 

「じゃ、いくぞー。せーの!」

 

 一斉にめくる。京太郎が引いたのは北だ。透華が南、純が西で――

 

「衣が出親だな!」

 

 ここ! と衣が自分の前に東の牌を置く。衣を中心に席が決まった。京太郎から向かって右に衣、左に純、対面の透華である。

 

「ルールは競技ルールでよろしいかしら?」

「競技ルールって言ってもいろいろあるだろ。細かい決めとかしておかねーと不味いんじゃねーの?」

「25000点持ちの30000点返し。赤三枚入り。發なしでも緑一色成立……役満の重複はどうします?」

「重複アリで良いのではなくて? というか、競技ルールと言ったのに巷の雀荘みたいなルールになってますわ……」

「その方が盛り上がって良いだろ。一発も裏もない麻雀じゃ、盛り上がりも何もねーって」

「衣もそう思う!」

 

 一発と裏については麻雀に打ち込んでいるものでも意見が分かれるのだが、純と衣は肯定派のようだった。対して透華は若干渋い顔をしているところを見るに、所謂競技ルールの方が好みのようであるが、提案した京太郎を含めて三人が賛成しているこの状況では、反対もし難いだろう。不承不承という形で、透華は頷く。

 

「……では、そのルールでOKでしてよ?」

「うむ。でははじめようか。衣の親だ! サイコロをふるぞ!」

 

 衣の小さな指がボタンに触れる。からころとサイコロが回る音に合わせて、京太郎の運はいつものように他のプレイヤーに――

 

 眩暈を覚えた京太郎は、とっさに卓に手を突いた。急激に運が失われたことが、身体にまで影響している。こんなことは初めてだった。咲と照を両方一度に相手にしたあの対局でもここまではなかった。あの二人にモモを合わせたあの対局よりも、さらに運が吸われていることになる。

 

(予想はしてたがここまでとは……)

 

 純の運は霧島の巫女さんたちと比べても遜色のないものだ。流石に神を降ろした小蒔ほどではないが、それに次する力を持つ霞と同じくらいの運の強さを感じる。『本物』の巫女である霞たちは、運をやり取りする術を知っている。霞の運は巫女パワーも含めてのものだ。元々の太い運に加えてオカルトパワーで若干増幅されているその運に、純の運は匹敵していた。特殊な訓練や血を引いている訳ではない一般人にしては、相当強い運と言えるだろう。

 

 問題は衣と、そして透華だ。

 

 単純な運量だけでも咲や照に匹敵するが、衣からはさらに運の流れにおかしなものを感じた。細かな性質は良く解らないがざっくりと解釈するなら『相手を不運にする』類のものである。京太郎の相対弱運とは逆の性質――あえて名前をつけるならば、相対強運とも呼ぶべきものだ。

 

 それにしても衣や透華が持つ運の太さに比べればオマケみたいなものだ。運がとても強いという、そのただ一つの要素だけで、他人に勝負を諦めさせるだけの格差を感じる。人一倍運の流れに敏感な京太郎であるから感じられるというものでもない。おそらくそこそこに感性が鋭ければ、この異質さは感じ取ることができるだろう。対局するまでもなく、この三人は牌に選ばれた人間であるのが解った。

 

「京太郎……これはお前の力か?」

 

 運の隔たりに愕然としている京太郎に、小さな手を握ったり開いたりしながら衣が声をあげた。透華は降って沸いた感覚をどう処理して良いのか解らないのか、卓に視線を落として何かを堪えている。外野の一が心配そうに、透華に寄っていくのが見えた。対して純は興奮冷めやらぬといった顔だ。早く麻雀を打ちたくて仕方がないという、溢れんばかりのやる気を感じる。

 

 全員が全員とも、相対弱運の力を感じ取っていた。この力は運が強い人間ほど強く影響を受ける。これだけの運があれば、よほど体調が悪くない限り、自身の運の変化を感じ取ることができるだろう。

 

「衣の身体に力が満ちていくのが解るぞ? 逆にお前の気は目に見えるほどに細くなっていく。これでは勝負になるまい」

「お気になさらず。運が良い人間が必ずしも勝てる訳じゃないのが、麻雀ってものでしょう? こういう差をひっくり返してこそ、勝利の喜びも大きいってもんです」

「……最初に謝っとくわ。悪い。俺はお前のことまだ侮ってた。お前はすげーよ。ここまで差を感じて、まだそういうことが言えるんだからな」

「俺の麻雀人生、こういうことの連続でしたからね」

 

 衣ほどではないにしても、才能に溢れる人間とは何度も対局してきた。今でも連絡を取り合っている全国の友人は皆、京太郎よりも太い運を持ち、中には特殊な能力を持っている人間もいる。玄のドラゴンロードなどが良い例だが、単純な火力でごりごり押してくる咏のようなタイプもいる。能力を持っている人間が一概に強いという訳ではないが、強者というのは常に圧倒的だった。

 

 総合力では確実に、持っていない人間の上を行く。それが牌に選ばれるということだ。

 

 だが、それで麻雀を諦めるという理由にはならない。運に見放されていたとしても、麻雀に勝つことがある。持って生まれた能力だけで全てが決まる訳ではないのが、麻雀の良い所で、面白いところだ。下手糞に負けるのが許せないと麻雀を嫌う人間がいるが、京太郎にすればとんでもない。素人が玄人の背中を刺せることこそが、麻雀の醍醐味なのだ。確かに勝ち目は薄いが、それだけにやり甲斐はある。強くなっている実感を得ることができる。いつか選ばれた人間と並び立つことができると信じて、勉強し続ける。

 

 須賀京太郎は、それが何より楽しかった。

 

「ふむ。諦めぬというのなら、それもまたよし。衣と半荘打ってまだそう言っていられたら、お前のことを認めよう」

 

 

 

 

 

「好いているだけでどうにかなるのか、ならないのか。存分に試すと良いぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ころたんイェイ。

これからしばらくモンブチのターンが続きます。
ころたんルートになるかと思いきや、既に書き始めている次話ではともきーがポイント稼いでるという不思議。

悪友ポジションのイケメン以外は順当にポイントを稼ぐことでしょう。
もしかしたら歩さんにもターンがあるかもないかも。


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18 中学生二年 モンブチーズ激闘編

 

 

 

 

 着座したその瞬間に他プレイヤーの運の太さが解る京太郎は、同時に彼我の実力差を感覚的に把握し、他プレイヤーを分類する。現状の力量でも頑張れば勝てるかもしれない相手か、それとも奇跡でも起こらない限り勝てない相手か。その二種類である。

 

 どちらも勝つために手を尽くすことに違いはないが、勝てない方の相手にはより集中して取り組んでいる。勝つべき手段が見えないということは、それを見出すことができれば一歩も二歩も前に進めるということだ。強者との麻雀は成す術なく一方的にやられることも多いが、得る物も多い。

 

 京太郎の目から見て、この三人は敬意を持つに値する相手だった。緩手は即座に敗北に繋がる。いつも以上に集中して打ちまわす京太郎の手は、いつも以上に進みが悪かった。底なし沼に際限なく沈んでいくいつもの感覚の他に不快感がある。見えない大きな手に身体を押さえつけられているような、そんな感覚である。

 

 その力の出先は衣だった。鼻歌を歌いながら打ちまわす衣の姿だけを見るとそんな強運の持ち主には見えないが、京太郎には運のやり取りについて、幼少の頃からの経験があった。見かけではもう騙されない。高校生を小学生に間違い、東一局でトリプル役満を振り込んだ時の経験が、今この時、京太郎を確かに強くしていた。

 

 東一局八順目。

 

 『五』を切った純を見て、京太郎は彼女のテンパイを確信した。衣が発している体を押さえつけるような力は、察するにテンパイスピードを鈍らせるタイプのものだ。現に京太郎には強力に作用しているが、しかし純はきっちりとテンパイしている。相手によって影響力が違うのだ。こういう力がオカルトによって成されるのならば、オカルトによって破られるのも道理である。京太郎にはできないことが、純にはできる。それは単純な力量差を示していた。

 

 不利を嘆かず、好調を羨まず。京太郎はただ事実だけを認識し、純の捨て牌を分析する。『五』でテンパイであるが、筋引っ掛けということはなさそうだ。索子の上目の待ちの順子系と判断する。理牌と切り出しの位置から、ドラの『①』はない。おそらく、高くても3900くらいだ。

 

 それほど高い点数ではないが、態と振り込むこともない。振込み回避と手を進める、その両方を達成できる『八』を切ろうとしたところで、京太郎は手を止めた。

 

 純に通るからと言って、他のプレイヤーにも通るとは限らない。下家の衣を見れば、テンパイの気配が濃厚だった。しかも間の悪いことに純には安全であるはずの『八』がかなり当たり臭い。

 

 切ろうとしてた『八』を諦めて、京太郎は頭にしていた西を切った。手を回すことになるが、打ち込むよりはずっとマシだ――と考える暇もあればこそ。

 

「ツモ! ジュンチャン、三色、ドラドラ。8000オールだ!」

 

 待ちは本当に間『八』だった。読みが当たったことに安堵しながら牌を伏せると、背後から小さな拍手が聞こえた。

 

「良く止めた。どういう読み?」

「天江さんの顔にテンパイしてるって書いてありましたからね。何故『八』かということですが、まずは捨て牌から。次に純さんの『五』に天江さんがしめた! って顔をしましたので。それでほとんど確信しました」

 

 麻雀が強くてもポーカーフェイスが苦手な人間もいる。クロやシズなどが良い例だ。逆に照やシロなど表情からは読み難い人間も少ないがいた。京太郎としては、表情がコロコロ変わる方が読み易く、人間的にも好みだった。今卓についているメンバーは察するに、全員が顔に出るタイプである。

 

 京太郎の言葉を聴いて、智紀は薄く笑みを浮かべた。

 

「打っている時、人まで見て打つ人間は少ない。貴方は見るからに運が細いけど、打ちまわしは冴えている」

「見ていても面白くないと思いますよ?」

「とんでもない。私はこういう麻雀が見たかった」

 

 智紀が顔を寄せてくる。女性らしい良い匂いがした。地味な外見であまり目立たないが智紀は結構なおもちだ。この場に玄がいたら狂喜乱舞していただろう。宥ほどではないものの、美女美少女との出会いに溢れた京太郎の人生の中でも、五指に入る見事さだった。じっと見たいが、これだけ近くでは少し視線を動かしただけでその行き先がバレてしまう。

 

 女所帯の中で卑猥なネタで男を下げることがどういうことか、想像できない京太郎ではない。おもちは名残惜しいが、顔ごとそむけて何でもない風を装う。

 

 苦しい動きなのは自分でも解っていた。自分で解るぐらいのことだから、智紀にはバレバレだったのだろう。笑みを深くした智紀はさらに身体を寄せてくる。智紀は明らかにこの状況を面白がっていた。さりげなく距離を取ろうとすると、自然に智紀もついてくる。それをじゃれていると思ったのだろう。衣が肩を怒らせて立ち上がった。

 

「ともき。対局中の助言はルール違反だぞ!」

「大丈夫、問題ない。彼の健闘を称えていただけ」

「珍しい。お前が興味を持つなんて、そいつは相当な打ち手か?」

「打ちまわしだけなら、私と並ぶかも」

 

 声音から京太郎にはそれが智紀の冗談だと解った。穏やかな性格をしていても、智紀も麻雀打ちだ。目を見れば、まだ負けないという意思がありありと感じられる。そういう負けん気が京太郎は嫌いではなかったが、言葉だけを受け取った衣と純は、それを本気と受け取った。弛緩していた空気が鋭い物に変化するのが、京太郎にも解った。

 

「ともきがそこまで言うのなら、相当な打ち手なのだろう。期待させてもらうぞ、須賀きょうたろー」

 

 本人は邪悪に笑ったつもりなのだろう。口の端を上げるだけの笑みが、確かに品がないと言えなくもなかったが、生来の可愛らしい顔立ちが、その邪悪さを台無しにしていた。これも『美人は得だ』という事例の一つだろう。

 

「こういう時は、『かわいいは正義』というべき」

「勉強になります。智紀さんは物知りですね」

 

 衣からの圧力は増していたが、冗談を言い合うくらいの余裕はあった。伊達に最強の雀士の一人の弟子をしている訳ではないし、怪物たちの相手をしてきた訳ではないのだ。逆境の中で戦うことなどいつものこと。見えないプレッシャーが増したくらい、どうということはない。

 

 東一局、一本場。衣の親が続行される。

 

 牌が上がってくると、運の流れに変化が起こった。僅かではあるが衣に流れが傾いている。アガったことで、運を引き寄せたのだろう。

 

 八順目。動いたのは衣だった。

 

「リーチ!」

 

 牌を横に曲げられた瞬間、京太郎は直感した。これは一発でツモられる。

 

 衣にツモ番を回してはいけない。純と視線が交錯する。このままではツモられると、彼女も感じたらしい。

 

 そうして純が切った牌は、京太郎にとって鳴きごろの牌だった。こちらの手を読んだ見事なアシスト、協力プレーである。純の読みとこの場で危険牌を切れる胆力に舌を巻きながら、京太郎はそれをスルーした。純が肩をこけさせるのが解ったが、須賀京太郎は鳴けないのだから仕方がない。昔、咏に言われた禁止令は、まだ解かれていないのだ。

 

 だがアシストする気があるなら話は早い。自分を犠牲にできるのだから、他人の犠牲には乗っかってくれるだろう。こちらがアシストすれば、純はそれを受け入れてくれるはずである。

 

 小考して、京太郎は『④』を切った。衣のリーチには無筋の、ド真ん中の脂っこい牌である。普通に見ればただの暴牌であるが、京太郎の目から見ればこれくらいはまだ安全だった。『素直な良い子』と評されるだけあって、衣の表情からは色々なことが読み取れる。きっちりした性格なのか、理牌も丁寧だった。

 

 テンパイをしているのか、値段はどのくらいか。そして、何で待っているのか、視線は卓上を動き、手牌と行き来する。それら全ては情報だ。良い子はこれらを総合した結果――つまりは手牌の中身が、顔と態度に出る。衣はその良い子の典型だった。強力な運で流れと点棒を持っていっているが、もし相手に降りる選択肢が存在するゲームだったら、ここまで一方的な強さは発揮できなかっただろう。相手が途中で降りることを許されない麻雀というゲームだからこそ、衣の運は相手を沈める方向に作用するのだ。

 

 

「ポン!」

 

 

 京太郎の切った牌を、純がポンする。ツモを飛ばされた衣は、目に見えてムっとした顔をした。顔に出る、という読みがますます補強される。改心のアシストをスルーされた純の機嫌は下降気味だったが、京太郎のアシストによってチャラになった。やるなお前、という視線に得意気な笑みを返し、ツモる。衣の一発ツモは『5』だった。

 

 それは京太郎の読みの本命だった。案の定、一発でツモっている。恐ろしいツモ力だが、何はともあれ一発は防ぐことができた。次に衣に行くのは透華のツモである。流石にこれでツモられるということはないと思いたいが、ここまでの運がツモ筋をズラしただけでどうにかなるとは考え難い。既にリーチをかけられている以上、早急に対処をする必要がある。

 

 衣以外の相手に打ち込むべきだ。衣に親ッパネをまたツモられれば、6100点のマイナスになる上、更に衣の親番が続く。衣くらいの打ち手に普通のルールで六万点を越えられると、挽回が難しくなる。他の二人はアガれば良いだろうが、京太郎はツモることに期待ができない。一度減った点数は、よほどのことがない限りそのままだ。衣だけでなく、透華や純がゴリゴリツモあがれば、最悪最初の親番よりも先に点棒が尽きる。

 

 これほどの実力者を相手に、初見で勝てるなどとは思っていないが、それではいくら何でも格好悪い。ギャラリーを背負っていることでもあるし、無様な麻雀は見せられない。打ち込む。京太郎の中で方針は決定した。6100以下ならば、進行料としてはまずまずの値段だ。捨て牌から、純の手の高さを推察する。高くはない――態と打ち込むのは好きではないが、背に腹は代えられない。

 

(当たれ!)

 

 という思いを込めて切った、京太郎の牌は、

 

「ロン。タンヤオドラ赤、3900の4200」

 

 無事、純に刺さった。注文通りの進行に、京太郎は済ました顔で点棒を支払う。横目で悔しそうな顔をしている衣を見ながら、京太郎は別のことを考えていた。京太郎にアガりを邪魔されたことで、衣の運の上昇は止まった。それでも一般人が及びもつかないところで留まっている運は油断ならないが、問題は純である。衣に傾いていた流れが、今度は差込によってアガった純に傾いていた。それは純本人も自覚しているだろう。これからの主役は自分だという自信が、純の全身から満ち溢れていた。

 

 運そのものは衣よりもまだ低い位置にあるが、運の総量よりも登り調子であることが怖い。次の局、警戒すべきは純だろう。先ほど協力して衣を打ち負かした相手が、すぐに敵に回った。前局の友が、今局の敵。麻雀では良くある話である。

 

(でも前局の敵が、今局の友ってこともある訳だ)

 

 敵が一人と定まれば、残りの三人は手を組むことができる。全員が純のような思考をしてくれれば、一人を抑えることも難しいことではない。期待を込めて残りの二人を見る。素直な良い子の衣は、そういう協力プレイに向いていそうになかった。そもそも彼女は一人でも強い。協力というのは単独では勝てない人間がすることで、強者にはそれが必要なかった。純真な衣は、自分の強さを疑っていない。彼女のアシストは期待できないだろう。

 

 となると、残りは一人しかいないが、透華に援軍は頼めない。今局の透華は親である。調子づいた純を抑えるのに力を借り、透華が調子に乗ったら本末転倒だ。

 

 今局は大人しくしていることに決め、京太郎は更に意識を集中させた。

 

「ツモ。4000オール」

 

 結局、東二局を最初に制したのは一番厄介な相手だった。京太郎は小さく溜息を吐き、点棒を支払う。この透華のアガリによって純の登り運は寸断されたが、今度は透華が運を持ってきた。しかも純より勢いが強い。これなら最初から純に振り込んでおいた方が良かったと後悔しながら、純に視線を送る。交錯は一瞬。それだけで意思疎通は完了した。

 

 順番を考えるならば今度は純がトス役になるのが筋であるが、この面子でそんなに温いことは言っていられない。相対弱運のことを把握しているならば、誰がアガるべきというのは理解しているだろう。純が自力でツモることを祈りながら、東ニ局、一本場である。

 

 透華の切り出しが早い。どれだけデジタルを追求した猛者でも、悩む時は悩むものだ。それなのに透華には一切の遅滞がない。良い手が入ったのだ。それも早くアガれる手ではなく、打点の高い手である。それが悩む必要がないくらいにまっすぐ進んでいる。アガりレースとなればアガれない京太郎には更に分が悪い。純を見る。まだテンパイはしていないようだ。衣を見ればこちらは表情が軽やかであるが、それでもリャンシャンテンくらいだろう。アガれるようになるまで、最低でも二順はかかるということである。

 

 透華より早くテンパってくれれば――と思いながら しかし願いはあっさりと裏切られた。

 

「リーチ」

 

 あぁ、と京太郎は思わず声を漏らした。明らかに調子付いている。一発かは解らないがいずれツモるだろう。どうして自分の周りに来るのはこういうツモ力の強い奴ばかりなんだと嘆きながら、それでもこの状況をどうにかするために考えをめぐらせる。

 

 純はテンパっていない。衣もまだイーシャンテンだ。差込はできないが、手を進めさせることができる。例えば『4』を切れば衣が鳴き彼女はテンパイするだろうが、『4』は透華のド本命である。親である透華への差込が、この局で最もしてはいけないことだ。京太郎の手牌にある中で、衣か純のアシストになりそうな牌は『⑤』である。確実に鳴けるかは解らない。その上、『⑤』を切ればこの手は死ぬ。純にアシストするということは、自分でのアガりを諦めるということでもあった。

 

 自分がやるよりも、他人が向かった方が早いし被害が少ない。それは理解しているのだが、落ち着いた気持ちで振込みを決断する時はどうにも気分が滅入る。しかしやらねば透華にツモられ、さらに勝利が遠のく。自分でアガる道筋が見えない以上、より被害を少なく打ちまわすのは、麻雀打ちとして当然のことだった。

 

「ポン!」

 

 期待していた声が、純から挙がった。『⑤』を鳴いた純は、透華に危険な『3』を通す。『4』に次いでの危険牌だが、透華からロンの声は挙がらなかった。これで純はテンパイ。後は当たり牌を読んで打ち込むだけだが……鳴いて形になった純の手が、京太郎の目にも鮮明になってきた。満貫くらいはありそうな高い手である。安手ならば差し込んでも良いが高いとなるとそうもいかない。透華にツモられた方が収支が安くなるなら、そもそも打ち込む意味がないのだ。連荘される危険を加味すれば、最終的な収支は安くなるかもしれないが……やはりすぐには決断できなかった。

 

 全員に通る西を通す。次いで衣のツモ番。衣は軽やかに『2』を切ったが――

 

「ロン! タンヤオドラ赤赤。一本場で8300」

 

 それが純に当たりだった。衣は自分が振り込んだという事実が、信じられないという様子だ。

 

「純には衣の支配が効いていないのか?」

「そうみたいだな。今の俺は京太郎のおかげで絶好調だぜ?」

 

 ハハハ、と豪快に笑う純には、確かに運気が満ちている。運量では衣の方が多いが、技量は純の方が上なのだろう。京太郎の差込を理解して打ちまわせる辺り、鳴いて流れを調整するという打ち方なのかもしれない。他人の助けが前提となる今の京太郎の打ちまわしには、大きな助けとなる。一緒に打っていてここまで頼もしいと感じたのは、憧以来だった。自分がトップを取るために、振り込んだり他人のアシストをしたり、と考えられる人間は少ない。

 

 東三局。

 

 その頼もしい純の親である。衣からアガった純には大きな流れが来つつある。連荘を阻止しなければならないが、衣に協力は望めないし透華は先ほどから反応が鈍い。麻雀にはしっかりと集中できているようだが、東屋での騒々しさが鳴りを潜めていた。

 

 〇〇をする時には性格が変わるという人間は結構いる。咲など普段は見事なまでに小動物だが、制限なしに麻雀をしている時は驚くほどに攻撃的になる。逆に麻雀をする時は喋らない人間というのもいた。かつて通っていた麻雀教室に大勢いた手合いである。より麻雀を強くなりたいというストイックなタイプに多い傾向だが、京太郎はあまりそういう手合いが好きではなかった。ぴりぴりした空気、というのがどうにも馴染まないのである。

 

 京太郎自身、麻雀に真摯に打ち込んでいる。それは自分一人で完結するもので、他人に強要するものではない。そういう人間と一緒に打っていても面白くないのは、京太郎自身が解っていた。麻雀は四人でするもの。こいつとは打ちたくないと思われ、誰も打ってくれなくなると、そもそもゲームが成立しないのだ。

 

 宮永姉妹にお節介を焼いた後では空しい主張であるが、そういう価値観に寄って見ると、透華の態度は境界線上にある。静かに打つだけならばまだ良い。機械のように麻雀を打つ人間はプロの中にだっている。問題はそうでなかった時だ。雰囲気から察するにどうも『それだけ』には見えない。

 

 同じ綺麗な金髪から、衣と血の繋がった親戚であると推察できる。その衣が場を『支配』しているのに、透華に何もオカルトがないとは考え難かった。敵を侮るのも危険だが、過大に評価するのも同じくらいに危険だ。

 

 オカルトがあるかもと想定して打つのは無駄に手を狭める危険な行為である。オカルトを持たない強者の方が、世間には多いからだ。普段であれば自分を戒め普通に打つことに専念しただろうが、今日この日に限って言えば確信を持って言えた。俯き、淡々と麻雀を打つ透華からは、冷え冷えとして空気を感じる。これで何も起こらないとしたら、詐欺だろう。

 

 それに、麻雀を愛する人間として、そういうオカルトを持った打ち手を生で見たいという気持ちもあった。普通に強い人間ならばそこかしこにいるが、オカルトを持った人間はレアなのだ。そういうプレイヤーとの対戦は、良い経験になる。オカルトがあるならばさっさと出して欲しいというのが、京太郎の偽らざる気持ちだった。透華は冷え冷えとした空気を発するだけで、爆発はしていない。

 

 スロースターターなだけならばまだ良い。兆候だけ見せて開花しないというのは勘弁してほしいところだった。

 

「ロン。3900の5800」

「またか!」

 

 考えながら打ちまわしている内に、また衣が打ち込んだ。先ほど振り込んだことが影響しているのか、打ち筋が雑になっている。オカルト力は強く実際に点棒を稼げてはいるが、捨て牌を見るにやはり技量はそうでもなく、いかにも麻雀を打たされているといった風であるが、それは衣本人の責任ではない。技術を真剣に学ばなくても勝てるのならば、大抵の人間は努力を放棄する。そうでなくとも、真剣に努力をしたりはしなくなる。

 

 衣ほどの才能があるのならば尚更だ。天賦の才能に恵まれても尚研鑽を怠らない、照や神境の巫女さんたちがレアなのだ。

 

 普段であれば衣が一人で勝つのだろう。

 

 しかし、相対弱運で底上げされた運が、その力関係をあっさりと覆した。テンパイスピードに制限をかける衣の支配も強力になったのだろうが、純の運はそれを上回った。加えて彼女には衣にはない柔軟さと技術がある。それでも運量は衣の方が勝っていたが、支配を突破するだけの運があれば、後は対抗できる。純にはそれだけの技術があった。単純な技術の勝負になると、オカルト重視の衣は後手に回らざるを得ない。純の手を読んだとしても、純はさらにその裏をかいてくるだろう。衣が純を上回るには彼女よりも先にテンパイし、ツモるか打ち取るより他はない。

 

「ロン。5200の7700、一本場で8000」

 

 また、衣が振り込んだ。東パツで親倍を上がった衣だが、二度の直撃を経て点差はひっくり返った。

 

 

  衣 22900

 透華 29000

  純 39300

京太郎  8800

 

 

 現在の状況はこうである。三度のアガりで純がトップに立った。加えてまだ純の親は続く。このまま独走を続けそうな勢いすらあったが、それで黙っている衣でもない。

 

「今度こそツモだ! 3000、6000の三本場で 3300、6300!」

「親っかぶりかよ畜生……」

 

 渋々と点棒を払う純に、衣が得意そうな顔を向ける。これでまた衣がトップとなった。凄まじい乱打戦。打ち込んだ以外はほとんど参加できず、点棒は東3が終了した段階で5500点しかなかった。下手な打ち回しをすると、南場を待たずに勝負が終わる。それでは如何にも格好悪い。加えて今日は珍しくギャラリーを背負っている。下手な麻雀を打つ訳にはいかないのだ。

 

 東四局。

 

 京太郎の親。配牌は四シャンテン。誰が見ても良くないと解る。周囲には運が良い人間ばかり。各局点を獲得できるのは一人だけという麻雀の性質上、一人だけ運が弱いというのは凄まじいハンデだ。それを何とかできないものか。それを考えることが京太郎の麻雀と言っても良かった。明確な答えはいまだに見つかっていないが、マイナスの能力を持っているからこそ、解ったことがいくつかある。

 

 麻雀は、運の転換点がそこかしこにある。例えばツモを変えるだけでもそれなりの効果があるし、普段はオカルトなど全く信じていない人間でも、チョンボをしたプレイヤーから運が逃げるという理屈は、何故か信じるものである。

 

 そして、運が弱い人間が全くアガれない訳ではない。物凄く細くなっているだけで、アガりのための道筋は残っているのだ。相対的に弱くなる性質上、自分よりも運で劣る人間と戦ったことがない京太郎であるが、それでも生涯の麻雀成績においてトップ率が一割を切らないことがその理屈を辛うじて証明していた。

 

 つまり、この能力を背負ったまま勝つためには、実力を高めることはもちろん、運量の差を可能な限り少なくすることが求められる。そのためには相手を調子付かせてはならない。流れに乗らせてはならない。したい麻雀をさせず、相手にプレッシャーをかける。それがおそらく、京太郎がするべき麻雀だ。

 

 咏に教えを請うようになって約六年。ようやく将来取るべき方向性が見えてきた。そのためには鳴き麻雀を極める必要があるが、いまだに咏からは鳴いて良いという許しは出ていない。まだまだ門前で学ぶことがあるということなのだろう。窮屈に感じないでもないが、制限がかかっている方がゲームというのは面白いものだと、無理矢理前向きに解釈する。

 

 いずれにしても、できないものを強請っても仕方がない。四シャンテンでも五シャンテンでも、麻雀は続き、誰かが勝ち、誰かが負けるのだ。

 

「リーチ!」

「リーチだ!」

 

 六順目。図らずも同順に、純と衣がリーチをかけた。両者ともに運の下降は見えず、流局は期待できない。このまま放っておけば、どちらがツモるにしても5順以内という所だろう。アシストがしたいがそろそろ点棒が厳しく、アシストに応じてくれそうな純はリーチをかけている。この運量、このタイミングでリーチのみということはあるまい。

 

 つまり、リーチ者に刺さったらアウトだ。安全と思われる牌のめぼしはついているから、やりすごすだけならばどうにかなるが、間の悪いことに京太郎は親。ハネ満以上をツモられたら、その時点でゲーム終了である。せめて振込みあってくれ、と祈りながら打ちまわしていると、

 

「ツモ。1300、2600」

 

 意外なところからアガりの声があがった。

 

 全員の視線が、透華に集まる。顔を上げた透華の瞳の奥に、京太郎は氷原を見た。

 

 

 その瞬間、透華の気配は反転した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい……東場一回回しただけであっちになったのか? いくら何でも早すぎだろ」

「きょうたろのおかげで衣も純も感性が研ぎ澄まされている。透華の内なる力を刺激するのは、それで十分だったということだろう」

「だが、目覚めるのがちょいと遅すぎたな。これから下手にツモれば京太郎が飛ぶぜ?」

「それから先はどうするのだ? こうなれば衣たちも不利は免れんぞ。現にきょうたろの力も今は感じられない――」

 

 そこまで言って、衣は一つの事実に気付いた。

 

 京太郎の力が感じられない。自身の運を放出してまで他人に幸運を齎していた人間の力が、いきなり消えたのだ。それが意味することを理解した衣は、恐る恐る京太郎を見た。

 

 今日できたばかりの友人は、ぼーっと自分の手を見つめていた。今の感覚が信じられないと、自分の身体を確かめ、周囲を見回し、衣を、純を、最後に透華を見つめる。

 

「これは、透華さんの力ですか?」

「国広くんは『冷たいとーか』とか呼んでるな。どういう力があるのかは、まぁ、体験した通りだ。こうなるとこいつはつえーぞ? 俺も、衣も、国広くんや智紀だって苦戦する」

「ええ。でも、今の俺なら良い勝負ができそうです」

 

 自信に満ち溢れた物言いに違和感を覚えた純が、京太郎を見た。まるで主人公のような顔をした彼は、卓上の全員を見渡し、言った。

 

「どうも、今日の俺は人生で一番ついてるみたいです。今日勝てなかったら、いつ勝つんだってくらいにね」

 

 

 

 

「だから、この半荘。俺が勝ちます。ハンデなしで打たせてもらって何も成果がないんじゃ、師匠に笑われますので」

 

 

 

 




次回、モンブチーズ激闘完結編にご期待ください。


以降の予定
・モンブチーズ 衣ハウスお泊り編。
・モンブチーズ 皆で夏祭り編。
・現代編 清澄VSモンブチーズ
・須賀京太郎、西へ(前編)


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19 中学生二年 モンブチーズ激闘終幕編

 流れ、というものがある。

 

 運という目に見えないものを提議する際に使われる概念だ。誰が最初に言い出したのかは定かではないが、そう言い出した人間は運の性質について、深い理解を持っていたのだろう。今は麻雀などのゲームだけでなく、色々な場所で使われている言葉だ。

 

 その流れには『強さ』と『向き』がある。

 

 強さについては言うまでもない。勢いがある方がより強力に作用し、なければそれなりに作用する。

 

 向きにはプラスとマイナスがある。プラスがその人間にとっての良い結果、マイナスが悪い結果を齎すように作用する。

 

 強力な麻雀打ちの中にはオカルト染みた力を持つ人間がいる。アプローチの仕方こそ違うが、それらは流れに干渉し、自分に都合の良い結果を生み出すという点においては共通の性質を持っていた。

 

 国広一が『冷たいとーか』と呼ぶ透華の能力は、そういった流れの変化の一切を無効にする。透華がその能力を発揮した時、場はまるで凪いだ海のように静かになる。透華の能力が『治水』と呼ばれる所以である。

 

 この能力を突破する手段は少ない。

 

 一つ、単純な幸運でもって突破する方法。これは単純に、運が良ければ突破することができるというものであるが、運の良い人間が一同に集まった場合、その運は競合することになる。麻雀というゲームにおける透華の運は、平均を遥かに上回った一流のものだ。これを突破となるとプロの中でも更に一流を連れてくるしかない。調子の良い時を選ばず、あくまで素の運量ということであればかの小鍛治健夜をはじめとする、女子のトッププロだけが力技でもって『治水』を破れるだろう。

 

 一つ。より強力なオカルトで駆逐する方法がある。『治水』よりも強い作用を持つ能力ならば、その支配を突破することができるだろう。オカルトはより強いオカルトによって駆逐される。それはどんな競技でも共通の原理原則だ。京太郎が過去に出会った中では、玄のドラゴンロードのみが『治水の影響を受けずに作用する』という条件に該当していたが、それでも『治水』を吹き飛ばすには至らない。

 

 さて、龍門渕透華の『治水』は流れを支配し、場を穏やかにする。その結果、他のプレイヤーの運は細くなり、また能力によって運を下げられたことで、降り運になる。そのマイナスの勢いは、出発点が高ければ高いほど大きい。運の良い人間ほど、より影響を受けることになるのだ。その運を上向きにするには、相当な時間がかかることだろう。半荘という単位で時間が区切られる麻雀において、それは圧倒的なリードになる。

 

 当然のこととして、『治水』をしかける透華はそのマイナスの影響を受けることは少ない。無傷とはいかないが、それも他人の運が急降下することに比べたら誤差のようなものだ。

 

 他人の運を下げ、自分はそのままで戦うことができる。加えて自らデジタルを名乗る透華の技量は、中学生にしては突出していた。オカルトとデジタルの正しい意味での融合した姿。その究極進化の一例が、この『冷たいとーか』だった。

 

 だが、この『治水』には一つ、融通の効かないところがある。取捨選択ができないという点だ。常にマイナスの能力を背負って戦う不幸な麻雀打ちがいたとしたら、そのマイナス能力までも取り去ってしまうのだ。仮に

 

   衣  100

  透華   80

   純   70

 京太郎    5

 

 何の影響も受けていない時の四人の運をこれくらいと仮定する。普通の人間の運は10だ。卓についた時点で相対弱運が発動。京太郎は相手の強さに応じて、自身の運をマイナスに下げてまで運を放出する。透華が反転する直前で運量は、

 

   衣  200

  透華  160

   純  150

 京太郎 -255

 

 ざっくりとした解釈で最低、これくらいの開きがあった。ここから、能力による補正が透華の力によって一方的に遮断され、さらにベースとなる運量まで『治水』のオカルトで押さえ込まれた。『治水』が仕掛けられた時、四人の運量は、

 

   衣   10

  透華  100

   純   10

 京太郎   10

 

 このような形となっていた。透華の運も下がっていたが衣たちほどではなく、また『治水』を仕掛けた本人である透華は、降り運についても強い耐性を持っていた。仮に同じだけの降り運を背負うことになっても、衣や純よりも早く復帰できる。ハンデからより早く復帰できなければ、能力をしかける意味がないからだ。持ち主を勝たせるために存在する能力は正しく、透華を勝たせるために機能していたと言えるだろう。

 

 しかし京太郎は――常にハンデを背負い、それでも諦めずに麻雀を打っていた京太郎だけは『治水』の恩恵をその主である透華よりも受けていた。常にマイナスだった運がプラスに転じ、衣が感じている降り運の倍の勢いがある登り運までついたのだ――

 

 細かい講釈が続いたが、これら全てのことは今すぐ忘れても良い。

 

 これまでの全ては、ただ一言に集約される。

 

 

 須賀京太郎は今、良い流れの中にいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ツモ。2000、4000」

 

 当然のように、ツモれる。

 

 だが、まだまだだった。流れに乗り切った照のように、神を降ろした小蒔のように、高い手を張ることができない。どこまでツけば、彼女らのようにアガれるようになるのだろうか。もっと高く、もっと強く。理性も何もかも捨てて、京太郎はより高みを目指す。

 

 南一局。

 

 衣の親を軽く蹴った京太郎は、さらに勢いづいていた。『治水』によって整えられたはずの流れが、京太郎一人に集まっている。堪えて堪えて堪え続けて、それでも麻雀を諦めなかった男が、初めて引き寄せたツキである。生半可なことでは止まらない。

 

 このままでは独走される。基本、一人で好き勝手に打つ衣ですら、南場の親を軽く流されたことで危機感を持った。衣と純が目配せをする。元より心の通った間柄。通しなどなくとも、意思の疎通はできるのだった。流れを寸断され、透華に頭を押さえつけられている二人が京太郎に勝つには、手を組むより他はない。

 

 衣は生まれて初めて勝つためにどうするかを考え、それを実行していた。何かを成そうとしている衣を、京太郎以外の皆は暖かく見守っている。衣が自分で前に進もうとしている。この事実一つだけでも、今日の催しには価値があった。友人としては衣の勝ちで終わって欲しいところではある。ここに集った仲間は皆、衣のことが大好きなのだから。

 

 だが、麻雀打ちとしての希望は別だ。誰であっても無粋な横槍など入れてほしくはない。この混沌とした半荘を制するのが誰なのか、純粋に楽しみだった。

 

「ポン!」

 

 衣が切った牌を純が鳴いた。京太郎がアガったことで、『治水』の力にも綻びが見え始めていた。自然の流れに人のオカルトで干渉するのが『治水』である。流れを人為的に操作する。それができる透華は確かに天才であり、牌に愛されていると言える。

 

 しかし『治水』の力を超えた激流を御するのは、如何に龍門渕透華でも容易ではなかった。時間をかければいずれ制御することはできるだろう。流れを操作するということに関して『治水』の力は他の追随を許さない。龍門渕透華には確かに、その力を持つに相応しい才能があった。

 

 透華に不幸が、あるいは幸福があったとすれば、その力が龍門渕の血統に宿っていたことだ。その力は断じて透華の魂に刻まれたものではない。持って生まれた能力はしかし、龍門渕透華という少女の心根とは全くと言って良いほどかみ合わなかった。

 

 デジタルを標榜する透華は、その実、勝負事については恐ろしいまでに負けず嫌いだった。自分の美学に反する勝利を、彼女は受け入れることはできない。血統に宿る力に頼って、年下の男性の台頭を許した。それは透華のプライドを甚く傷つけていた。

 

 氷の世界の奥深くに押し込められた透華の心が、雄たけびを挙げている。「このままでは私が目立てませんわ!」と。その感情が氷の壁を破り、外に出ることができれば『治水』は消えて、再び須賀京太郎は沼の奥底に沈む。凄まじい流れに乗った京太郎に勝つとすれば、それしかない。

 

 あるいは、彼が致命的なミスをするか。自らが生み出した氷の壁をガスガスと蹴飛ばしながら、透華は息を潜めてそのチャンスを待っていた。

 

「ツモ。2000、4000」

 

 南二局。

 

 京太郎がまた、軽く満貫をツモった。

 

 衣の援護も空しく、純がアガることもできない。透華が親っかぶりをし、場が平たくなろうとしている。

 

 流れが京太郎に傾いた。それはもう、誰の目にも明らかだった。透華の凍てついた視線が、衣、純と交錯する。オカルトを発動しているにも関わらず、二度もアガられた。

ここまで来たら素の運が優れていることなど意味がない。次に満貫をアガられると逆転され、京太郎がトップになる。ラス親でのアガり止めはアリのルールだ。最悪テンパイでも良いというのは、打ち手に安心感を与えることになる。

 

 せめて頭は押さえつけておきたい。それは京太郎以外の打ち手の共通見解だった。何か弱点はないか、捨て牌から打ちまわしから、透華たちは京太郎のことを探るが、見つからない。智紀が褒めるだけあって、非常に理に適った打ち回しをしている。技術において、京太郎は既に一流と言って良いだろう。同年代限定ならば、全国屈指と言っても通用するかもしれない。

 

 それは透華も、純も、衣でさえも認めるところだ。優れた打ち手にはそれなりの敬意を払う。麻雀打ちとして当然のことだ。年下、しかも男子ということであった侮りの気持ちは、この時綺麗さっぱり消えていた。抱いているのは、どうやってこの男を引き摺り下ろすかという、強敵を前にした時の高揚感だけである。

 

 何か、弱点を。

 

 最後の勝負のために調子を整えながら京太郎を観察し続けていた三人は、同時に同じことを閃いた。

 

 逆転を可能にするほどの、明確な弱点。それが京太郎の顔に出ていたのだ。

 

 付け込む隙が見えれば、後はそれに向けて備えるだけ。欲しい時に欲しい手を入れる。それを当たり前のようにこなしてきた三人の打ち手は、オーラスのために南三局を捨てた。

 

 

 

 

「ツモ。2000、4000」

 

 京太郎がまた、満貫をツモる。微差ではあるが、これで京太郎がトップに立った。

 

 そして、オーラスである。

 

 京太郎の配牌は3シャンテンだった。早くはないが、タンピン三色が見える好配牌である。相対弱運が透華にキャンセルされてから、配牌はずっとこんな感じだ。負ける気がしないというのは、こういう時のことを言うのだろう。第一ツモ、第二ツモと手が進み三順目で早くもイーシャンテン。何を切るかを考える必要もない。手はまっすぐ進み、そして高くなっていった。

 

 七順目。京太郎の手牌。

 

 

 二三四五五六②③④23488 ドラ8

 

 

 二か五を切ればテンパイ。五切りで高め三色の三面張。リーチをかければ安めでも満貫である。流れに乗ったこの半荘を締めくくるのに、相応しい手だ。京太郎は大多数の打ち手がそうするように、五に手をかけた。リーチは必要ない。何でもアガればトップが転がり込むこの状況で、手を狭くする必要はない。

 

 ここでアガれば、この面子を相手にトップなのだ。勝つ。そういう気持ちで手牌から五を抜き――そこで京太郎は動きを止めた。冷水を頭から被ったように、気持ちと思考が冷えていく。脳裏に浮かんだのは咏の顔だった。麻雀の何たるかを教えてくれた先生が、言っているような気がした。

 

『ここでそいつを切るのが、お前の麻雀なのかい?』

 

 切れる訳がない。自分の手ばかりを見て、周囲を見ていなかった。熱が去った京太郎の視界には、場が良く見えた。『五』は対面の透華と衣に危険だ。手の進み具合ばかりを気にしていたせいで、細かいニュアンスをまるで把握できていない。いつもの半分以下の情報で、さらに純の手を分析する。ソーズの上目、おそらくドラの『8』が当たりだろう。頭を外して回すのは不可能だ。となれば、既に完成している面子を外すより、他はない。

 

 三人とも間違いなく張っている。それは手を予想するまでもなく、表情と雰囲気で解った。ここで手を崩せば、三人のうちの誰かにアガりを持っていかれる。この状況でリーチをかけないということは、三人ともそれでトップを取るのに十分ということだ。元よりトップの京太郎とラスの純の間で5000点も離れていない平たい場である。彼女らの運、技術であれば透華の支配下でも手を作ることは不可能ではないだろう。

 

 押し通せば当たる可能性が高い。降りたり回せば間違いなく捲くられる。ならば当たる可能性を解った上で、押し通すのが麻雀打ちとして正しい道なのではないか。

 

 否、と京太郎は小さく首を横に振る。

 

 須賀京太郎は男だ。男には張り通さなければならない意地がある。

 

 だが須賀京太郎は、男である前に麻雀打ちだ。麻雀打ちには貫き通さなければならない矜持がある。今まで積み重ねてきた技術がある。その技術を磨くために協力してくれた人たちの期待がある。今日の自分は昨日の自分よりも強いという実感がある。明日の自分は今日の自分より強いという希望がある。

 

 それら全てが、麻雀打ちとしての須賀京太郎だ。

 

 自分を構成する全ての要素が『曲げてはならない』と言っている。

 

 ここで曲げたら、今まで培ってきたものを裏切ることになる。一度でも裏切れば、その事実がこれからずっと頭の隅に残り続ける。自分の読みを信頼できなくなったら、自分の感性に疑いを持ったら、明日に希望を持てなくなったら、須賀京太郎はもう麻雀を楽しむことができなくなる。麻雀が好きだと胸を張れなくなる。

 

 それだけは、絶対に嫌だった。明日も麻雀を好きでいられるため、胸を張って生きるため、須賀京太郎がとるべき手段は、やはり一つだった。

 

 方針は決めた。ならば後はそれを貫き通すだけである。

 

「お待たせしました」

 

 面子を崩して、テンパイを外す。回すことになるが、希望は捨ててはいない。これは、勝つための打ちまわしだと信じることができる。自分で考え、自分で決断した。この行動に後悔はない。

 

 須賀京太郎はするべきことをしなかった。ならば、負けても仕方がない。それは麻雀打ちとしての不始末だ。その報いを受けるのもまた、勝負に参加したプレイヤーの義務であり、権利である。どんなものであれ、勝負の結果は素直に受け入れる。咏に技術よりも先に教え込まれた、麻雀打ちの心構えだ。

 

「ツモ」

 

 静かに、透華が声をあげる。ツモったのは『五』。透華のトップで終了である。

 

 自分の敗北を告げるその声を聞いて、京太郎は力を抜いて背もたれに身体を預けた。負けたが、やはり後悔はない。

 

「ありがとうございました」

 

 居住まいを正し、頭を下げる。麻雀が楽しいと、これからも胸を張っていけそうな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時の京太郎の横顔は、衣の心に深く刻み込まれた。

 

 京太郎の顔には慢心が見えた。調子に乗って暴牌をする。それを確信していたからこそ、それを待つ作戦を取ったのだ。それは透華も純も同じだ。卓についていた全員が、京太郎がそうすると読んだのだ。

 

 しかし、京太郎は直前でそれを回避した。手にしていたのはおそらく『五』だろう。それは透華の当たり牌であり、同時に衣の当たり牌でもあった。それを振って終了という流れを、京太郎は自分の読みを信じることで回避したのだ。

 

 千載一遇のチャンスに乗り、一度はトップを取ったのに負けてしまった。

 

 手を尽くしたが及ばず、透華に届かなかったというのに、それでも京太郎は満足そうに笑っていた。あれだけ麻雀に執着し、麻雀と一緒に生きている男だ。負けたことが悔しくないはずがない。それなのに、京太郎は今この時が楽しくて仕方がないといった風に笑っていた。

 

 その顔を見て、衣は亡くなった母のことを思い出していた。

 

 幼い時分に、聞いたことがある。

 

『母上は、父上の何処を好きになったのですか?』

 

 子供らしい他愛のない衣の問いに、母は目を丸くした。普段から小難しいことを質問してばかりだったが、色恋のことを聞いたのはその日が初めてだったからだ。

 

 母は聡明な人で衣の憧れだった。知らないことはないのではないかというほどに、いつも衣の疑問に答えてくれた。母の膝に乗って本を読んでもらうのが、衣は大好きだった。

 

 だが聡明で理知的な母は、相応に恥じらいを持った人だった。子供に自分の色恋の話をすることは彼女の羞恥心を大いに刺激したようで、どんな疑問にもきちんと答えてくれる聡明さも、その時ばかりは鳴りを潜めていた。

 

 恥ずかしいのだな、と悟って身を引く度量が衣にあれば、話はそこで終わっていただろう。今ならそうしたという確信があるが、その時の衣はまだ幼かった。歯切れの悪い母の態度に納得しない幼い衣はその時、どうしてもと詰め寄った。

 

 自分の子が梃子でも動かないと悟ると、母は観念した。

 

『本に視線を落としている時。真剣な眼差しとか、静かに微笑んでいる時とか、本を読みきった時の満足気な表情が、堪らなく可愛かったからです』

 

 その時衣は、父が母よりも年下であることを初めて知った。龍門渕の女は、年下の男を捕まえるのが上手いのだ、と母は少女のように可愛らしい笑顔で教えてくれた。

 

『母上は、父上を可愛いと思ったから祝言を挙げたのですか?』

『真剣に物事に打ち込んでいる殿方の顔は、女には輝いて見えるのですよ。衣も年頃になれば解ります』

 

 長らくただの言葉だったものが、この時初めて腑に落ちた。なるほど、確かに真剣に物事に打ち込んでいる、京太郎の横顔は堪らなくかっこ良い。

 

 胸の奥に熱を感じる。

 

 母があの時、どういう気持ちで思いを口にしたのか、今初めて理解できた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よく止めた」

「格好悪い麻雀をお見せして、申し訳ありません」

 

 それは京太郎の本心だった。今まで積み重ねてきたものをきちんと理解し、いつものように打ちまわせていたら勝てていた勝負だった。勝てる勝負をふいにしたのは、一重に京太郎の慢心故である。最後に自分を取り戻したことで自分の麻雀を貫き通すことはできたが、負けは負けだ。智紀の言葉にも、京太郎は恥じ入るばかりだった。

 

 そんな京太郎に、智紀は首を横に振る。

 

「勝ちに目が眩んで何も考えずに牌を切るのが凡人。当たるかもしれないと自分を納得させて、それから当たってまぁまぁ。勝ちたい、前に出たいという気持ちを呑み込んで、それでも勝つために手を回すことができるのは、強者の証拠。今の打ちまわしは、誇っても良いと思う」

「何だ、ファインプレーでもあったのか?」

 

 純が卓上で身を乗り出し、京太郎の手牌を倒す。手出しツモ切りを覚えていれば、最後にどういう形だったのか推察することができる。京太郎の最後の牌姿を想像した純は、智紀とは異なり、眉根を寄せた。

 

「これなら『五』ぶっ通した方が良くねえか? 勝負所で通せねえと、先々手が冷えるぜ」

「それは純だからすること。私や京太郎はしない」

 

 智紀の声音に込められた否定的な意味合いを、純は敏感に察知する。純と智紀の間で火花が散った。闘争の気配を感じ取った二者が、議論に加わる。

 

「これが当たりだって確信があるんでしょ? 僕なら降りるかな」

「衣なら攻めるぞ!」

 

 加勢した二人で更に意見が割れた。衣とゆかいな仲間達の内訳は降りる2、攻める2で同数だ。最後の意見を求めて、京太郎を含めた全員は透華に視線を向けた。静かになりすぎた呼吸を態と荒くするという微妙に意味の解らないことをやっていた透華は、視線の気配を感じゆっくりと目を開いた。冷え冷えとした空気はもうない。東屋でチェスに一喜一憂していた、龍門渕透華がそこにいた。

 

「京太郎は『五』が当たりという確信がありましたのね?」

「間違いなく当たると思いました」

「なら降りるべきですわ。自分の読みと心中できなくて、何がデジタルですか」

 

 別にデジタルと言った覚えないが、ともかく透華は降りる派だった。これでゆかいな仲間達内でも3対2。京太郎を含めると4対2でダブルスコアだ。自分が支持されたようで気分が良くなる京太郎だったが、少数派となった方は面白くない。特に衣はむ~っとかわいく頬を膨らませて拗ねていた。京太郎は単純にかわいいな、と思って見ていたが、ゆかいな仲間達はそうは思わなかったらしい。

 

「衣、子供ではないのですからそんな顔をするのはおよしなさい」

「子供ではないぞ、衣だぞ! それに衣はお姉さんだ!」

「そうなんですか?」

 

 一番衣から離れていた純に小声で問う。衣たちは全員同じ学年と解釈していたのだが、間違っていたのか。京太郎の問いを受けた純は、苦笑を浮かべながら答える。

 

「あいつが一番生まれが早いってだけだよ。俺達皆、三年だ」

「それでお姉さんと言えるのも凄いですね……」

 

 言っているのが見た目が一番幼い衣というのも、話の珍妙さに拍車をかけている。見る人間によっては実に微笑ましい光景だったが、当人達にとっては切実な問題であるらしい。

 

 衣はへそを曲げ、透華と一は衣の機嫌を取ることに躍起になっている。

 

「俺、何とかできると思います」

「本当かよ。ああなった衣は面倒くせーぞ」

「大丈夫……だと思います。この中でこの方法が実行できるのも、俺だけみたいですからね」

 

 確信を持って、衣に歩み寄る。京太郎が近づいてきたことに気付いた衣たちは、言い争いを中断した。透華が振り返ったのをチャンスと見た衣が、二人から距離を取る。この距離ならば、と衣に見えないように透華と一を手招きする。

 

「天江さんのこと、俺に任せてくれないでしょうか」

「何か妙案がありますの?」

「俺にしかできない必殺技があります」

「衣を殺されちゃっても困るんだけどね……その顔は、結構自信あり?」

「一応は。そんな訳で、どうでしょうか、龍門渕さん」

「……もはや矢尽き刃折れました。自信もあるようですし、ここは京太郎に任せてみるのも良いでしょう。殿方がそこまで言ったのですから、手並みに期待していますわよ?」

「お任せください」

 

 自信たっぷりに宣言すると、透華たちから離れ衣に近寄る。女性としても小柄な衣と、男性として大柄な部類に入る京太郎。既に成長期が来た純よりは小さいが、それでも衣からすれば見上げるほどに大きい。まだ何も言っていないが、本能的に恐怖を感じたのだろう。二歩、三歩と後退る衣を怖がらせないように、京太郎は努めて、にこやかに微笑んだ。

 

「衣姉さん。お願いがあります」

 

 ぴくり、と衣の身体が震えた。これが京太郎の必殺技である。『姉さん』の部分に一番気持ちを込めるのがポイントだ。この場で唯一の年下、身体の大きな男が自分を持ち上げているという事実に、喜びを感じないはずがない。加えて衣は自分が姉であるということに拘っているようだった。小さな身体がコンプレックスにもなっているのだろう。妹待遇が不満な訳ではないが、妹であり続けるのは我慢がならない。そういう難しい感情を持っているのだと推測する。

 

 それらを一気に解決することができるのが、このお姉さん攻撃だ。自尊心をくすぐり、この場を丸く収め、さらに今後も仲良くすることができる。誰もが得をする最高の解決策だ。京太郎を恐る恐る見上げる衣は、にやけるのを堪えるのに必死な様だった。効果はバツグン、と確信する。自分の狙いが上手く行ったことを悟った京太郎は、大笑いしかけている純を衣から見えないように隠すと、言葉を続けた。

 

「俺は今日ここに来たばかりで、右も左もよく解りません。この上、姉さんたちにケンカをされてしまったら、心細くて仕方ありません。俺を助けると思ってどうか、お願いできませんか?」

「……衣がお姉さんということは、お前は弟だな?」

「そうなりますね。不出来な弟で恐縮ですが」

「……弟の頼みならば仕方ないな! 姉を立てるデキた弟を持って衣は幸せだ!」

 

 にぱー、と幸せそのものと言った顔で、衣は微笑む。へそを曲げていたのも忘れた衣は、軽い足取りで透華に歩み寄る。弟ができたぞ! と嬉しそうに宣言する衣を、透華は複雑な表情で見守っていた。衣が機嫌を直してくれたことは嬉しいが、自分以外がそれを達成したことに思うところがあるのだろう。遅まきながら出過ぎた真似をしたかと少し後悔する京太郎だったが、嬉しそうに駆けてくる衣を見て、そんなことはどうでも良くなった。

 

(この人が喜んでくれたなら良いか……)

 

「きょうたろー。きょうたろー!」

「何ですか? 衣姉さん」

「もっと気楽で良いぞ! 純やとーかがするように、衣に接するのだ」

「ありがとう、衣姉さん」

 

 姉さんという単語を噛み締めるように、衣はにゅふー、と笑う。子供そのものの笑顔は、見ている人間を幸せにする。複雑な表情をしていた透華も、いつの間にか笑っていた。衣が良いなら、それで良い。それはこの場に集まった人間全員の、共通の思いである。

 

「中々やりますわね、京太郎」

「出すぎたことをして申し訳ありません」

「むしろ感謝したいくらいですわ。それに、衣が認めたのなら、貴方は私達の身内も同然。何でしたら、これからは私達全員を姉と思ってくださって結構ですのよ!」

「ずるいぞとーか! きょうたろーは衣の弟だ!」

 

 エキサイトする透華に、衣が反論する。先ほどは宥める透華という構図だったが、ここは透華も譲れない。衣という妹はいるが、透華も一人っ娘だ。弟や妹が欲しいと考えたことは、一度や二度ではない。それが姉を立てるデキた弟であるならば、尚更だった。

 

 より素晴らしい姉とはどういうものか、という当初とは全くズレた討論を開始する二人を他所に、京太郎はそっと溜息をついた。サイドテーブルには暖かいお茶が用意されている。いつのまに、と周囲を見ると、一がウィンクをして小さく一礼した。

 

「いきなりモテモテだね、京太郎。あぁ、京太郎って呼び捨てにしても大丈夫? やなら何かあだ名でも考えるけど」

「あだ名はちょっと。普通に京太郎って呼んでOKですよ」

「了解。じゃあ、僕のことも一で良いよ。よろしくね?」

「はい。よろしくお願いします。一さん」

 

 お茶に口をつけながら、卓に視線を落とす。点棒を示す数字が、勝負が僅差であったことを示していた。僅差であっても負けは負け。不始末はあったが、後悔はない。悔しいが、それも明日の糧になると思えば、悪くはなかった。今よりもっと強くなれると思うからこそ、麻雀を続けられるのである。

 

「なぁ、京太郎。まさか一半荘で終わりってことはないよな?」

「父親の仕事でついてきたもので、どれくらい時間があるのか良く解りませんが、連絡が来ないということはまだ大丈夫なのでしょう」

 

 これだけの打ち手の打つ機会など中々あるものではない。もう一戦、というのはむしろ京太郎の方から言うべき言葉だった。ギャラリーをしていた一も智紀も入る気満々である。問題は誰が抜けるかだ。衣と透華の言い合いはまだ続いている。その二人を見た智紀と一の間で、誰が抜けるべきかという答えは瞬時に出た。

 

「それじゃあ、私と一が入る」

「場所変えからだね」

 

 一が表のまま東西南北の牌を集める。四枚の牌を全員の目に留まるように示すと、その上で手を一振り。牌に触れた様子はない。

 

 だが、その一瞬の後には、牌は全て裏返しになっていた。間近で見ていた京太郎にも、どうやったのかは理解できない。魔法でも見たような気持ちで一を見ると、彼女は小さな胸を逸らして、得意そうに笑っていた。

 

「いいね。京太郎は最高の観客になれるよ」

「……今のどうやったんです? 手品ですか?」

「こんなの手品の内に入らないよ」

「これくらいで驚いてたら、一と一緒に麻雀はできない」

「もちろんイカサマなんてケチな真似はしないぜ? そういうことはしなくても相手を惑わす方法はあるって、国広君と一緒にいると勉強になるからな」

「持ち上げないでよ、二人とも……僕はただの見習いだよ? 京太郎が本職みたいなのを期待したらどうするのさ」

「でも、私は嘘は言ってない。それに京太郎はもう、期待してる。このキラキラした瞳を裏切ることが、一にはできる?」

 

 一はそっと京太郎を見た。つぶらな一の視線を、京太郎は黙って受け止めていたが、一は僅かに頬を染めると、小さく溜息をついた。

 

「……解った。期待を良い意味で裏切るのが、マジシャンってものだしね。僕もその端くれだ。京太郎の期待には精一杯応えさせてもらうよ」

「催促したみたいで、すいません」

「そういうことは、そのキラキラした瞳を引っ込めてから言うんだね」

 

 軽い嫌味であるが、満更でもないのは顔を見れば解る。一も大概、顔に出やすい体質のようだ。内心が解っているから、智紀も純も嬉しそうな顔をしている。ここに集まった面々は、皆、お互いのことが好きなのだろう。サイコロがころころ回る音に、透華も衣も自分達が置いていかれたことを知る。

 

「お待ちなさい! 私達を無視するとはどういう了見ですの!?」

「そうだそうだ! 衣も混ぜろ!」

「でももう半荘は始まっちまった。この回くらいは、ギャラリーでもしててくれよ」

「うぬぬ……」

 

 小さな肩をいからせて衣は唸っていたが、京太郎の方を見ると『閃いた!』と顔を綻ばせた。

 

「では、衣はここで見るぞ!」

 

 ぴょん、と衣が飛び乗ったのは、京太郎の膝の上だった。何となく予想していたのだろう、卓に着いていた面々はご満悦の衣を見ても何も文句は言わなかった。衣が膝の上についたことで、透華は一人である。誰の後ろに立つのか散々悩んだ挙句、透華は京太郎の後ろを選んだ。

 

「そこで良いんですか?」

「一たちの麻雀は、見る機会がありましたもの。初見の京太郎の麻雀を見て勉強するのが、賢いやり方というものですわ!」

「俺の麻雀を見ても、参考にならないと思いますよ?」

「何を見るかではなく、見た人間が何を感じたのかで、何を得られるのかが決まるのです。京太郎は私が、何も感じられないような平凡な人間に見えますの?」

「まさか。透華さんに失望されないよう、真剣にやります」

「その意気ですわ!」

 

 透華と衣の声援を受けて、東一局が始まる。牌をツモって、切る。その作業を六順も繰り返した時、膝の上の衣が恐る恐る聞いてくる。ひょこひょこ揺れる赤いウサ耳が、妙にくすぐったい。

 

「きょうたろー、お前はいつもこんな風に麻雀を打っているのか?」

「ああ。さっきが特殊だっただけで、いつもこんなもんだよ」

「……お前は凄いのだな」

「姉さんの方が凄いだろ。俺はまだまだ、麻雀弱いからな」

「自分の弱さを認めることができるのは、強くなる最初の一歩だ。それに今は衣がついているのだから、安心して麻雀を打つと良いぞ」

「そうだな。姉さんがいると、何だか勝てそうな気がする」

「その意気だ!」

 

 気炎を上げる衣の頭を撫でながら、京太郎は彼我の距離を感じ取っていた。相対弱運は正常に発動している。底なし沼に沈んでいくような慣れ親しんだ感覚が、戻っていた。一も智紀も、一流の運を持っている。いつものように、京太郎は自分の運をマイナスにしてまで、運を放出していた。

 

 いつもの、勝ち目の薄い麻雀である。勝てるかも、と本気で信じることができた先ほどの麻雀が遠い過去の物のように思えた。

 

 それでも、希望は捨てない。勝ちに近づいたことで、得るものはあった。最後の最後で自分を見失わないことができた。指針を得たばかりで、自分に恥ずかしい麻雀は打てない。何があっても腐らず、希望を捨てず、前に進むために麻雀を打つ。いつもとすることは変わらない。

 

 それに何より、ギャラリーの特等席には、できたばかりの姉が座っている。少し小さいが、美少女には違いない。男としてかっこいいところを見せたいと思うのは当然のことだった。相手は強敵だが、やれないことはない。自分にできることを、全力でやる。

 

 それが須賀京太郎の麻雀だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、龍門渕の屋敷から戻って。何となく咏の声が聞きたくなった京太郎は、電話をかけた。

 

 

「咏さんですか? 京太郎です。今大丈夫ですか?」

『べつにかまわねーよ。どうした京太郎』

「今日、麻雀をしたんですよ。父親についてお金持ちの屋敷にいったんですけどね?」

『長野で金持ちっていうと、あれか、龍門渕だな。あそこの娘とその親戚はすげーオカルトだって聞くぜ、知らんけど』

「まさにその二人と麻雀をしました。残りの一人は女の人なのに凄いイケメンでしたが」

『なんだそりゃ。むしろそっちの方に興味が沸いたね。後で写真でも送ってくれよ、そのイケメン』

「咏さんの頼みとあれば。それで、麻雀なんですが……」

『負けたんだろ?』

「やっぱり解ります?」

『勝ったなら、もっと嬉しそうにするだろ、流石にお前でもさ。そのオカルト二人が話に聞く腕前だとすりゃあ、まだお前にゃ荷が重い相手だしな』

「惜しいところまで行ったんですよ。オカルトの相性が良くて、相対弱運が消えたんです。オーラスまでは、俺がトップでした」

『……油断したな?』

「その通りです。申し訳ありませんでした」

『ま、あれが消えたんなら舞い上がっても仕方がない。まだわけーんだし、気にすんな』

「お気遣いありがとうございます。今日の負けは、良い経験になりました」

『お前も全く、麻雀バカだねぃ』

「どうも、死なないと治らないようです」

『だろうねぃ』

 

 くつくつと、咏が電話の向こうで笑う。扇子を閉じたり開いたりする音が、近くに聞こえる。機嫌が良い時の、咏の癖だ。

 

『なぁ、京太郎。麻雀、楽しかったか?』

「ええとっても。今日の麻雀は、生まれてからこれまでで、一ニを争うくらいに、楽しかったです」

『そうかそうか。負けて得るものがあって、さらに楽しいとなりゃあ、今日麻雀を打ったことにも意味はあったな。良かったじゃないか。お前は今日また、強くなったぜ?』

「これも咏さんの日頃の指導のおかげです」

『今更褒めたって何も出ないぜ? まぁ、どうしてもって言うんなら今度神奈川の家にでも来な。お婆様も、お前に会いたがってるからさ』

「はい。時期を見てうかがわせていただきます」

『ん。じゃあ、そろそろ行くぜ。これからプロ連中と雀荘で打つんだ』

「すいません。つき合わせてしまって。誰と打つかは知りませんが、勝ってくださいね」

『はっはっは。誰に物言ってんのかわっかんねー。今日の私は機嫌が良いからな。アラフォー三人になんて負けねーよ』

 

 じゃあ切るぜー、と咏が電話を切る。携帯電話を見ながら、京太郎は考えた。

 

 咏が対戦するくらいなのだから、相手はプロなのだろうと推察できる。女子の中でもトップ集団に属する咏に勝てる人間は少ないが、負けない、という表現をする以上、相手は咏と同等かそれ以上の実力、加えて年上であることが推察できる。男子で年上となると、相手はもう大沼プロや南浦プロくらいしか候補がいない。彼らはもう60過ぎた渋みのある男性である。アラフォーという表現は如何にもキツい。

 

 故に相手は女子であると予想するが『咏より同等以上』更に『年上』という条件に合致するプロで、咏を卓を囲めるほどの格となると、京太郎の脳裏に浮かぶのはちょうど三人しかいなかった。

 

「まさかはやりんと一緒にいたのか……」

 

 だったら教えてくれれば良いのに、と京太郎は心中で愚痴るが、咏がそれを言うはずもないということも解っていた。昔から咏ははやりんに対する態度が厳しいのだ。

 

 弟子として咏の応援をせずにはいられないが、相手が本当にあの三人であれば如何に咏でも簡単に勝つことは難しいだろう。

 

 相手はかつて世界ランキング二位まで上り詰めた、京太郎が心の底から尊敬する咏をして『人間じゃない』と言わしめた怪物である。

 

 

 怒りの電話がかかってこないことを祈りながら、京太郎は床に就いた。今日は良い麻雀をすることができた。きっと良い夢が見られるだろう。

 

 

 

 

 




この後咏さんは美味しくやられてしまいました☆
二年前だから今ほどアラフォってた訳ではないと思いますが、電話はしっかりと聞かれていたのでしょうがないですね。

次回衣ハウスお泊り編となります。ご期待ください。


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20 中学生二年 衣ハウスお泊り編

「いけませんわ衣! 貴女たちはまだ中学生でしてよ!」

「年齢など関係あるものか。衣はもっときょーたろと仲良くなりたいのだ」

 

 休日、龍門渕の屋敷を訪れた時には、既に言い争いは始まっていた。

 

 衣ハウスに近い東屋である。そこにはいつもの五人に加えてメイドの歩がいた。

 

 仲は悪くないようだが歩が透華たちと一緒にいることは、意外と少ない。使用人としての立場を守っているというのが、歩本人の言い分である。一人だけ一年というのも、気が引ける要因なのかもしれない。

 

 歩も透華たちのことは大切に思っているようだが、一歩引いた態度を変えるつもりはないようだった。

 

 その代わりという訳ではないのだろうが。学年が同じで外から来た京太郎には、歩は少しだけ気安い感じだった。京太郎が姿を見せると透華たちにバレないように、こっそりと手を振ってくれる。バレていないつもりのようだったが、純や一はしっかりと気付いていた。京太郎も一応、こっそりと手を振り返しながら、純に視線を向ける。

 

 

「からかわないでくださいよ」

「金の草鞋を履いても探せとかいうけどな、同級生でも見つけておいた方が良いぞ? これは俺の経験からのアドバイスだ」

「純さん、モテそうですからね……女の子に」

「実際モテる。龍門渕高校の『お姉さまにしたい女子生徒』NO1」

「ははは。どうだ京太郎驚いたか」

「ちなみに『お兄様と呼びたい女子生徒』NO1でもある」

「ははは。すごいね純くん」

 

 一にからかわれると、純は目に見えて拗ねてしまった。女子にモテるという認識は良くて男性っぽく見られるというのは嫌だというのは、京太郎には解らない感性である。女性に持ち上げられるという点ではどちらも一緒なのだが、そこは純にとって譲れない一線であるらしい。

 

「俺は純さんのことかっこいいと思いますよ」

「そうだろうよ。だから俺よりもでっかくなってからそういうこと言ってくれると嬉しいね」

 

 純の物言いに、京太郎は苦笑を浮かべた。成長期が終わった純の身長は183cm。女子としては当然高い部類に入るが、男子に置き換えても十分に高い。男性の身長の平均は純よりも10cmも低いのだ。最近成長期が来た京太郎は身長がぐんぐん伸びているが、それでも、純より大きくなれるかは自信がない。純もそれほど期待はしていないのだろう。ふん、と拗ねた様子でそっぽを向いてしまった。

 

「……ところで、衣姉さんと透華さんはどうしたんです? 揉めるなんて珍し……くはありませんが、両方ともここまでエキサイトすることは珍しいんじゃありませんか?」

「そうだね。基本、透華の方が折れるしね。でも今日は透華が折れなくてさ。ちょっと話が長引いてるところ」

「大変ですね」

「何言ってるんだい。これには君も関わってるんだよ?」

「俺がですか?」

 

 歩の淹れてくれた紅茶を飲みながら、首を傾げた。来たばかりなので、事情が良く呑みこめない。

 

「実はね、衣が京太郎を部屋に泊めたいって言い出したんだ」

 

 あぁ、と京太郎は声を漏らした。

 

 それならば透華が反対するのも頷ける。衣に認められ、京太郎も透華の身内となったが、それとこれとは話が別である。衣は女性で、京太郎は男性。何か間違いがあったらと考えるのは、女性として友人として当然のことだ。京太郎自身、そういうことはしないと思ってはいるが、絶対にしないと言い切れるか、と言われると流石に自信が持てなかった。何しろ衣は美少女である。

 

「俺が行って断るのが良いんでしょうか?」

「君は衣の頼みを断るって言うのかい?」

「それも俺の本意ではありませんが、でも――」

「じゃあ受けるっていうのも角が立つのは解るよ。両方とも立てるのは、この場合不可能だからね。だから、自分の心に正直になるのが良いと思うな」

「俺のやりたいようにやれってことですか?」

「そう。やっぱり人間、それが一番よ」

「背中を押してくれるのは俺としては助かりますが、良いんですか?」

 

 執事の心構えの一つとして、ハギヨシが言っていた。執事は、主の意思を組むのが第一であると。メイドも同様だろう。一は透華付のメイドであり、透華からの信頼も厚い。お泊り反対という透華の意思を優先するのが、メイドとしてのあるべき姿と思うのだが、一は薄く笑みすら浮かべて京太郎の背中を押してきた。どうみてもお泊り推進派の衣に肩入れしている風である。

 

「良いんじゃないかな。僕は透華のメイドだけど、衣の友達でもあるしね。衣がやりたいって言うなら、やらせてあげたいんだ」

「随分自由ですね……」

「誤解しないでほしいんだけど、透華が衣に不自由を強いている訳でも、京太郎を信用してない訳でもないからね? 基本的には、透華だって衣のやりたいことには賛成するよ。でもほら、君は男の子だから、透華にも複雑な気持ちがあるんじゃないかな?」

「気持ちは良く解ります」

 

 逆の立場であれば、京太郎だって同じように言うだろう。透華が今衣に反対しているのは、衣のことを大事に思えばこそだ。

 

 しかし、熱くなっている二人には、お互いを思う心とは遠いところにいた。自分達だけでは決着がつかないと判断したのだろう。第三者の助力を得ようとし視線をこちらに向けたところで、二人は初めて須賀京太郎の存在に気付いたようだった。片手をあげて挨拶すると、衣がぱたぱたと駆け寄ってくる。先を越された形になった透華は、その場で苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「久しいな、きょーたろ!」

「衣姉さんも元気そうで何よりだ」

「うむ、衣は元気だぞ! ところできょーたろ。姉としてお前に話がある。来週末に予定はあるか?」

「……いや、暇だけど?」

 

 話の流れから何を聞かれるのかは解っていたが、京太郎は即答することを避けた。もじもじしている衣は大変可愛らしかったが、その後ろで全身を使って『断りなさい!』とジェスチャーをしている透華が色々な意味でぶち壊しにしている。

 

 衣にも透華にも凄く世話になっている。どちらの要望も聞いてあげたいのは山々だが、この場合、どちらか一人の要望しか聞くことはできない。どちらか一人となれば、京太郎が選ぶのは決まっていた。須賀京太郎は、天江衣の弟なのだから。

 

「良ければ、その、衣の部屋に泊まりにこないか?」

「構わないぞ。俺で良ければ喜んで」

「本当か!」

「ああ。俺は衣姉さんには嘘は吐かない」

「そうか、来てくれるか! そうと解れば早速準備せねば……行くぞ、ハギヨシ!」

 

 満面の笑みを浮かべた衣が、ハギヨシを伴い東屋を離れる。部屋まで戻る途中、衣は何度も振り返って手を振ってきた。京太郎もそれに、笑顔で手を振り返す。

 

 やがて衣の姿が見えなくなると、京太郎は大きく息を吐き、肩を落とした。背後には雪女の気配がある。

 

「同じ立場だったら、誰だってこうすると思いますよ?」

「私達は女、貴方は殿方。同じ状況でも立場は違いましてよ?」

「間違いが起こる前提で話すのは、衣にも京太郎にも失礼」

「起こらないように万全を期すのが賢い生き方というものですわ!」

 

 言葉を重ねるごとに、透華はエキサイトしていく。衣の頼みにOKを出したのは京太郎自身であるが、透華が衣の身を案じているのが解るだけに、反論もし難い。智紀もそれが解っているから、攻めあぐねているようだ。熱くなった人間を説得するのは難しい。メイドと雇い主の娘という関係もあるのに、躊躇わずに援護に回ってくれた智紀に、京太郎は視線で感謝を伝える。智紀は薄く微笑むと、静かにウィンクをしてみせた。

 

 意外な仕草であるが、大人っぽい容姿の智紀がやると、それは随分と様になっていた。男として当然の本能に従って見とれていると、爪先が踏みつけられた。爪先を踏み抜かんばかりの全力全開の一撃である。

 

 踏みつけた足の主は、小さく可愛らしい舌を『べー』と出していた。デレデレするのは、確かに良くない。気持ちを落ち着けるために、紅茶を一口飲む。程よく温くなった紅茶が、京太郎の気持ちを落ち着けていく。

 

「でもさ、衣のあの顔を見たら今更ダメとは言えないよね。とーかにもボクにもきっと誰にも」

「いっそのこと透華ママに力を借りるのはどうだ? あの人の言うことなら衣だって聞くだろ」

「無理ですわ。お母様のことですから、どんな手を使ってでも男は繋ぎとめて置きなさいとか言うに決まってますわ……」

「肉食系だもんね、透華ママ……」

 

 京太郎以外の全員が溜息を吐く。京太郎が知っている透華ママの情報は、龍門渕の女社長ということだけ。忙しい人らしくまだ会ったことはないが、屋敷の誰からも畏敬の念を持たれる凄い人だと聞いている。容姿は透華に似ているらしいが、存在感が段違いなのだとか。

 

 京太郎からすれば、透華もかなり存在感があるのだが……それ以上となると、ちょっと想像もできない。いずれ会う機会はあるだろうが、できれば会わない方が良いような気もする。透華以上で肉食系という話を聞いた後では、悪い未来しか想像できない。

 

「衣ハウスに京太郎が泊まるのは、確定みたいだな?」

 

 確認するように純が言うと、透華は大きな溜息をついて肩を落とした。何をもってしてもその決定は覆らないということを悟ったのである。

 

「京太郎、貴方は衣の身体に欲情しまして?」

「どう答えても俺の立場が悪くなるような気がしてなりませんが、一応NOと答えましょう」

「貴方の紳士力を信じましょう。私も、貴方がお泊りすることに賛成しますわ」

「ありがとうございます。透華さん」

「言っておきますけれど、私も別に貴方が憎くて言っていた訳ではありませんからね? 一も智紀も純も、誰も反対しないようでしたから仕方なくやっていたことですのよ?」

「透華さんが衣姉さんのことが好きで、優しい人だってのは良く解ってます」

「解っているのなら良いですわ!」

 

 直球の好意に、透華は弱い。褒められれば調子に乗り、感謝されれば照れる。悪く言えば単純だが、良く言えば純粋なのだ。京太郎は透華のそういう、まっすぐな心根が好きだった。

 

「それで、これから何をします?」

 

 皆で遊ぶということで来たのに、衣は部屋に引っ込んでしまった。泊まるにしても、それは来週の話。今すぐ用意する必要はないのだが、逸る気持ちが抑えられなかったのだろう。実に衣らしい行動であるが、頭数が減るのはよろしくない上に、この屋敷で雀卓があるのは衣の部屋と透華の部屋しかない。この東屋は衣の部屋に近い位置にあり、屋敷からは遠い。

 

 麻雀だけをするならば透華の部屋まで行けば良いが、それだと衣が引き返してきた時に一人にすることになってしまう。場所を変えるのは、できれば避けたいところだ。

 

「京太郎、貴方はチェスができたのでしたわね?」

「まぁ、たしなみ程度には……」

「歩」

「はい、お嬢様」

 

 透華が指を打ち鳴らすと、傍らに控えていた歩がチェス盤を持ってくる。透華の専属メイドは一であるが、彼女は今友人としてこの場にいるので、今のお世話は歩の仕事である。歩を見た一が複雑そうな顔をしているが、それには気づかないことにする。

 

「この間は貴方に花を持たせましたが、今日はそうはいきませんことよ!」

 

『勝負ですわ!』と、透華の鼻息は荒い。やらずに収まる気配はなかった。助けを求めようにも、一と歩はそもそもが透華の味方。面白ければ良いという方針の純は、もう観戦する気でいた。唯一味方になってくれそうな智紀は京太郎の瞳をじっと見つめていた。『助けてください』と視線を送ると、彼女はにこりと笑って首を横に振った。孤立無援である。

 

「わかりました。お互いハンデなしってことでOKですよね」

「手加減なんてしたら承知しませんことよ!」

 

 では、と歩が使用人の仕事として駒を並べていく。白黒全て並べ終わったところで、両方のキングを一が取り上げた。最初は白が右、黒が左にあったはずだが、一の手がめまぐるしく動くと、たちまち解らなくなった。一の手がとまったところで、透華が声をあげる。

 

「選びなさい」

「それじゃあ、右を」

 

 一が右手を開くと、そこには黒い駒があった。つまりは京太郎の後攻である。不正があったとは思えないが、透華大好きの一のやることなので完全に否定することはできない。チェスは先行が有利とされているのだ。一を見ると、彼女はいたずらっぽくウィンクをして見せた。事実は一さまのみぞ知る、である。

 

「私が先行ですわね! 負けませんわよ!」

「お手やわらかにお願いします」

 

 そんな言葉と共に始まったチェスの戦績は一勝一敗一分となった。三戦全勝するつもりだった透華はその結果が甚く不満だったようだが、全て負けると思っていた京太郎はその結果に満足していた。麻雀に固執している京太郎がリアルで何かに勝つのは、それだけ珍しいことだったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お泊りの日はすぐに訪れた。

 

 泊まりの用意をして龍門渕家を訪れた京太郎は、歩の案内ですぐに衣ハウスに通された。相変わらず重厚な扉が開くと、満面の笑みを浮かべた衣がいた。

 

「よくきたな!」

 

 さあさあ、と衣は京太郎の背中を押す。しばらくぶりに入った衣ハウスの中は相変わらずファンシーな世界だったが、準備をしただけあって片付いているように見えた。そこかしこに、この場所を綺麗にしようといった意図が見える。それが衣の努力と思うと心がほっこりとしたが、ためしに見た窓のサッシにはまるで埃が積もっていなかった。床も調度品も全てである。プロの仕事というのは疑いようがなかった。無論、衣がそれだけ頑張ったという可能性はなくもないが、あの小さな身体と細い指でここまでできるとは考えにくい。

 

 そこにあったのは、普段から衣のお世話をしている人間の愛情だった。おそらくハギヨシだろうと思った京太郎は、素直に彼を尊敬した。

 

「今日は歩ともここでお別れだ! 今日は京太郎と二人で過ごすからな」

「かしこまりました。何かありましたら――」

「衣ーっ!!」

 

 歩の言葉をさえぎるようにして、透華の声が響き渡る。遠くに走ってくる透華の姿が見えた。遠めに見ても血相を変えているのが解る。その後ろは純たちの姿もあった。

 

「む、もう感づいたのか。歩、早く閉めるのだ!」

「かしこまりました。それでは――衣様をよろしくね、京太郎くん」

 

 衣に別れの挨拶を済ませ、京太郎の耳元で囁いた歩は、メイド服のスカートを翻らせて部屋の外に出ると、スカートの端をつまんで一礼をした。ぎぎー、と扉が閉まっていき、外の風景が見えなくなる。扉が閉ざされると、そこはもう衣の世界だった。防音機能も備わっているこの家に、外の音は全く聞こえない。

 

「透華さんが遠くに見えたけど、良かったのか?」

「今日はきょーたろと二人で過ごすと決めたからな。一緒に過ごそうとするから、一計を案じたのだ。ハギヨシは全く良い仕事をするな!」

 

 わはは、と笑う衣を他所に、京太郎は頭を抱える。出し抜かれた形になる透華は今頃、部屋の外で怒り狂っているだろう。鍵は衣本人と歩、それから当然透華も持っている。内側から鍵をかけることもできるが、外から入れないようにすることは安全上できるはずもない。鍵を持つ透華ならば、今の時点でも衣ハウスに入ることはできるが、その主である衣が入ってくるなと言っているのだから、透華の側には大義名分がない。衣と京太郎、両方が外にいる間が引き延ばす最後のチャンスだったのだ。

 

 透華のおかーさん力は半端ではない。衣がかわいくて心配で仕方がない彼女に後で何を言われるか考えると気分が滅入った。早速、マナーモードにしていた携帯に着信が入る。こっそりと画面を見ると『龍門渕透華』とあった。ため息をついて、京太郎はそっと電源を落とした。小言を言われるなら、できるだけ後の方が良い。何も、これから楽しい時間を過ごそうというのに、気分を盛り下げる必要はない。

 

「きょーたろ、まずは本を読んでくれるか?」

 

 衣が差し出してきたのは『1/2回死んだねこ』という名前の絵本だった。京太郎も幼い時分に読んだ記憶がある。その時一緒に読んだ相手は怜だった。あの頃の怜もこの話が好きで、良くせがまれて読んだものである。

 

 京太郎が椅子に座ると、衣は当たり前のように膝の上に乗って来る。ウサギの耳のような赤いヘアバンドをくすぐったく思いながら、絵本を開く。装丁は一緒だったが、手に感じる重さは大分違う。あの時はこの本を大きく思ったものだが、今は腕の中の衣と同じくらいに小さく見えた。

 

 衣がわくわくした瞳で、見上げてくる。子供を持った父親というのはこんな気分なんだろうか、と思いながら、あの時と同じ本を、あの頃とは違う気持ちで、開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから衣の要望に答えるままに絵本を読んでいると、すぐに夕食の時間になった。

 

 その時になって初めて、京太郎はポケットの中にメモが入っていたことに気づいた。差出人はハギヨシだった。今日は一度も彼と顔を合わせていないはずだが、それは気にしないことにした。

 

 ハギヨシのことよりも、メモの内容である。そのメモには『くれぐれも衣一人で料理はさせないように』という内容が、執事らしい丁寧な言葉と流麗な字で記されていた。最後にはハギヨシのサインもあるから間違いはないだろう。あの人は萩原というのか、と今更の事実に驚きつつも、不器用な仕草でエプロンをつけようとしている衣に近づく。

 

「姉さん、俺も一緒に料理がしたい」

「きょーたろはお客様だぞ? 今日は衣がもてなしてやるから、そこで待っているのだ」

「そうだけどさ。実は俺一人っ子で、今まで兄弟がいたことがないんだ。姉弟一緒に料理とか、そういうのが夢だったんだよ。弟の顔を立てると思って、頼めないかな?」

「きょーたろは衣と一緒に料理がしたいのか?」

「したい。すごくしたい」

「そうか……ならばしょうがないな!」

「良いのか?」

「良いに決まっている! 弟の我侭を聞くのは、姉の勤めだからな!」

 

 これを使えと、衣が差し出してきたエプロンはハギヨシが用意したものだった。彼がいる時は彼が使っていたというが、京太郎が身に着けてみると、その寸法は京太郎の身体にぴったりだった。他人が使った気配はなく、手触りも新品に近い。元より、いくら洗ったものとは言え、あのパーフェクト執事が自分の着たものを客人に出すとは考えにくい。衣が同じものと勘違いしているだけで、これはハギヨシが用意した新品なのだ。

 

 こうなると予想して最初から手を回していたのだろう。怖いくらいに、気の回る人である。

 

 料理は滞りなく進んだ。真剣に練習したのか、危なっかしい動きは多々あったが、衣の手順は実に的確だった。指導した人間が良かったのもあるのだろうが、衣本人の器用さも中々である。ジャガイモの皮をピラーではなく包丁で剥き切ったのを見た時には、軽い感動を覚えたほどだ。

 

 初めての共同作業で作ったのは、カレーである。二人で食べるには多かったが、余った分は透華たちに振舞うという。お下がりと見ると気分も盛り下がるというものだが、衣の手料理となれば透華たちはきっと喜んでくれるだろう。できたても美味しいが、カレーは寝かせた方がもっと美味しいのである。

 

「風呂だ!」

 

 食事の後片付けが済んだら、風呂だった。

 

 ほらほら、と衣が背中を押してくる。衣ハウスのバスルームは龍門渕本体の大浴場に比べると、当然のことながら小さい。それでも衣一人で住んでいる衣ハウスに設置するには、大きすぎる浴場が設えられていた。透華たち五人で入ってもまだ余裕だろう。小さな衣一人には、十分過ぎるほどの大きさだ。

 

 さぞや掃除も大変だろうとバスルームを見渡せば、これまた隅から隅までぴっかぴかである。これも素人仕事ではないな、と感心しながら、京太郎は何気なく衣に問うた。

 

「ここの掃除は普段は誰が?」

「あゆむがやってくれるのだ。たまにドジなところもあるが、ゆうしゅうなメイドだぞ」

 

 ほー、と京太郎は感嘆の溜息を漏らす。デキる人だとは思っていたが、ここまで優秀とは思っていなかったのだ。腕が確かなのは掃除の行き届いた風呂場を見れば、素人の京太郎にも良く解る。優秀なメイド少女に、京太郎は興味が沸いた。

 

「衣姉さん、歩さんってどんな人なんだ?」

「――きょーたろはあゆむに興味があるのか?」

「なくはないな。可愛い人だし、あまり話したことがないから、知りたいなぁと」

 

 京太郎の声は段々と小さくなっていく。男が女性のことを聞くのだ。そこに疚しい気持ちがないとは口が裂けても言えない。

 

 そして女性は男のそういう感情に敏感であるとも聞く。類まれなオカルトの才能を持っている衣も、その例に漏れなかった。不機嫌というほどではないが、ぷーっと頬を膨らませた衣の機嫌は、明らかに下降していたが、ここで怒るのは大人気ないと衣なりに判断したのだろう。京太郎の質問には、律儀に答えてくれた。

 

「年はきょーたろと同じだったはずだ。龍門渕の屋敷で働くようになって、一年くらいか」

「本当に同級生だったんだな。学校は龍門渕の?」

「うむ。衣たちの後輩になるな」

「なら――」

「歩の話はもう良いだろう!」

 

 衣が答えてくれたことで調子に乗っていた京太郎を、衣の声が遮る。これ以上は許さないと、鉄の決意が見て取れた。

 

「きょーたろにはもっと他に聞くべきことがあるだろう! 衣の弟として」

「――姉さんのこと、色々聞きたいな」

「うむ。今晩は沢山話そう!」

 

 さて、と衣がぱぱっと服を脱ぎ、裸になると手馴れない手つきで髪をアップにし、タオルで巻いた。

 

 その時になって京太郎はようやく、眼前で何が起こっているのかを理解した。

 

「姉さん、一体何を?」

「京太郎はおかしなことを言うな。風呂に入るのだから服は脱ぐに決まっているだろう? 京太郎も早く脱ぐのだ」

 

 何一つおかしなところはないという衣の口調に、京太郎は内心で頭を抱えた。今更男女の恥じらいがどうのと説いたところで、納得してくれそうな空気ではない。弟として下手に出るにも限度がある。入らないと抵抗するのは簡単だが、それでは衣が激しい癇癪を起こすことは目に見えていた。

 

 須賀京太郎の選択肢は『一緒にお風呂』以外になかった。

 

「わかった。俺もぱぱっと着替えるから、先に入っていてくれるか?」

「わかった。早くくるのだぞ!」

 

 ぱたぱたと足音を立ててバスルームに入る衣の背中を見送ってから、京太郎はもたもたと服を脱ぎ始めた。

 

 年上の金髪美少女と一緒にお風呂。言葉にすると心ときめくのに、実際に直面してみると気苦労の方が先に立っている。罪悪感と表現するのが一番近いだろう。何も知らない子供に遠まわしに卑猥なことを強要しているようで、気分も良くない。

 

 嫌な訳ではない。衣と仲良くなりたいのは本心だし、衣がそう思ってくれているのも素直に嬉しい。何より衣は美少女だ。美少女と一緒の時間を過ごせて、嬉しくない男はいない。いないのだが――夢にまでみたシチュエーションなのに、何かが違うと思う京太郎だった。

 

「遅かったな!」

 

 衣は湯船に入らず待っていた。風呂場には湯気があったが、それは衣の身体全てを隠すには至っていない。タオルは頭に巻いてあるもののみ。衣の身体を隠すものは何もなかった。

 

(この気持ちを何と表現したら良いんだろう……)

 

 罪悪感と羞恥心とほんの少しの劣情が入り混じった情動を、京太郎ははっきりと持て余していた。どうしようと京太郎が悩んでいるうちに衣はどんどん話を進めていく。

 

「京太郎、座るのだ。衣がしてやるぞ!」

(ここだけを透華さんに聞かれたら、俺は殺されるかもなー)

 

 そう考えていることを知られたらやはり怒鳴られそうなことを考えながら、衣に指示された通りに移動し、椅子に座る。座ると流石に京太郎の頭の方が下になる。衣に見下ろされているという、奇妙な光景だ。さて、と京太郎は衣がお湯をかけてくれるのを待つ。

 

 ……中々来ない。どうかしたのだろうか、と肩越しに振り返ってみると、衣は目一杯に背伸びして、京太郎を見下ろしていた。

 

「京太郎の頭はこうなっているのだなー」

 

 うむ、と一人で納得した衣は、予告なしに洗面器のお湯をぶっかけた。濡れ鼠になった京太郎が、濡れた前髪の間から見上げると、衣はけらけらと笑う。

 

「男前になったな、京太郎。それでは衣が頭を洗ってやるぞ」

 

 頭にシャンプーの泡が立つ。自宅では使ったことのない、繊細な香りが鼻に届いた。衣が使うバスルームにあるのだから、当然、衣のものなのだろう。女性と同じものを使っていると思うと途端に気恥ずかしくなってしまったが、『別に初めてのことではない』と湯だりそうな頭を強引に元に戻す。大阪にいた時は一ヶ月に一度は怜の家に泊まりにいっていたのだ。十年前に通った道だと思えば、何とかやり過ごせそうな気がした。今の衣と当時の怜で、体型も何だか似ていることであるし――

 

 衣の身体を見ないようにしながら、バスルームの中を見渡す。シャワーの近くにはボトルが5つと5つに別れて、合計十個並んでいた。

 

 京太郎は何となく一番近くにあったボトルを手に取ってみた。薄いブルーの、どちらかといえば可愛らしいデザインのボトルである。

 

「それは一の物だな。ここには皆のものが全ておいてるのだぞ!」

 

 衣の声を背中に聞きながら、ボトルをそっと元あったところに戻す。一がこの場にいる訳ではないのに、とてつもなく気恥ずかしいのはどうしてなのか。一がここに来た時このボトルを使っているのだと想像することが、どうしようもなく変態的行為のように思える。

 

 わしゃわしゃ。衣の細く小さな指が、髪の間に滑り込んでくる。力が弱く正直物足りないが、とにかく優しくやろうという心遣いと、機嫌の良さが見て取れた。衣の鼻歌を間近で聴いているだけで、今日は来て良かったと心の底から思えた。ばしゃり。相変わらず、お湯をかける時だけは豪快である。二度目の、ばしゃり。髪を触ってみると泡は落ちていた。

 

「次は背中を流してやろう!」

 

 ボディソープをスポンジにつけ、無駄にわしゃわしゃ。そういう小さな行動が一々楽しそうだった。人と触れ合うことを純粋に楽しむことができる。透華が良い子と評するのも頷けた。

 

「うんしょ、うんしょ」

 

 やはり力は弱いが、衣にやってもらっていると思うと、そんなことはどうでも良かった。気持ちよさに目を細めていると、またばしゃり。洗面器で豪快にお湯をかけるのが、衣は好きなようだ。

 

「終わったぞ京太郎。本当は前もやってやりたいのだが、それだけはダメだとあゆむに言われてしまったのだ」

 

 衣はしゅんとしているが、京太郎は内心で歩に感謝していた。これで保護者までイケイケだったら、京太郎は今晩、大人の階段を登らされていたかもしれない。

 

「では、衣は一人で洗うから京太郎は先に湯船で待っていてくれ」

 

 当然のように、衣は言う。別にやりたかった訳ではないが、洗いっこするものだと思っていた京太郎に、衣の発言は寝耳に水だった。

 

「俺が洗おうか?」

 

 という言葉は、無意識の内に出たものだった。自分が何を言ったのかを京太郎が理解した時には、もう遅い。待ってましたと、喜色満面の笑みを浮かべた衣が、電光石火の速さで食いついてくる。

 

「本当だな!? 頼んだぞ!」

 

 衣は素早く京太郎の前に移動すると、髪をアップにしていたタオルを解き、椅子に腰掛けた。金糸のような髪が、さらさらと流れる。

 

 京太郎が女性の髪に触れるのは、これが初めてではない。最初はやはり怜だった。場所も同じバスルーム。当時は性別など意識せずに、今よりもっと緊張せずに接することができた。他には鹿児島では霞の、岩手では塞の髪に触ったことがある。

 

 誰の髪も美しかったが、衣の髪はそれ以上だった。男である京太郎の目から見ても、良く手入れをされているのが解る。

 

「姉さんの髪は、普段は誰が?」

「あゆむがやってくれるぞ」

(どんだけスーパーメイドなんだ歩さん)

 

 人は見かけによらないのだな、と京太郎の中で歩の評価が凄い勢いで上がっていく。

 

 おっかなびっくりの髪を洗う作業は、自分の頭を洗うよりも大分神経を使った。疲れを癒すために入った風呂で疲れをためた京太郎は、衣と一緒に湯船に漬かると、きっちり100数えてから風呂場を出た。

 

 寝巻きに着替えるのを手伝い、とりあえず髪をアップにまとめて、寝室に戻る。

 

 ベッドに飛び乗る衣に続いて、ドライヤーを持ってベッドに座ると、サイドテーブルにメモがあるのがわかった。位置的に、衣よりも先に京太郎が見つけられるようになっている。こっそり見ろという、メモを書いた人間の配慮だろう。それに従い、衣に見つからないようにこっそり見たメモには、女の子らしい丸い文字で、衣の髪の乾かし方が書いてあった。

 

 手紙の末尾には『ご武運をお祈りしています』の言葉と共に、歩のサインがあった。これだけ綺麗な髪だと、どうやって良いのかも解らない。自分と一緒では絶対に駄目だということは解るがそれだけだった京太郎に、歩のメモは天の助けだった。

 

 歩のメモに従い、慎重に、けれどすばやく衣の髪を乾かして櫛を入れる。丁寧に髪を梳くと、衣は気持ちよさそうな声を漏らした。

 

 手入れが終わると、衣はぱたりと倒れこんだ。至福そのものといった表情は、もう夢の世界に片足を突っ込んでいるのを伺わせる。離れようとした京太郎の服の裾を、弱々しい力で、衣が掴んだ。

 

「こんばんは、いっしょにはなすと、やくそくしたぞきょーたろ」

「寝るまで一緒にいるよ」

「だめだ。いっしょにふとんにはいれ。これは、あねとしてのめーれーだぞ」

 

 京太郎は苦笑を浮かべる。命令ならば仕方がない。衣を揺らさないようそっと布団に入ると、衣が寝返りを打つようにした身体をこちらに向けた。寝ぼけ眼の衣の顔がすぐ近くにある。何かを話そうと、口がわずかに開いたが、そこから漏れるのはあふぅ、という溜息だった。既に相当眠気が勝っているようだった。無理をしないで、と衣の頭をそっと撫でると、衣は身体を寄せてきた。

 

 体温が、とても高い。まるで湯たんぽだな、と抱きしめると衣も腕を回してきた。本人としてはぎゅっと力の限り抱きついているのだろうが、眠気に負けつつある衣の力は微々たるものだった。

 

「きょーたろ……」

「俺はここにいるぞ姉さん」

「うむ。はなれるな。きょうは……ころもが………」

 

 言葉は寝息に変わった。すーすーと静かに寝息を立てる衣の身体を優しく抱きながら、京太郎も目を瞑った。

 

 

 

 

 

 




 この後寝ぼけた衣に首筋をアマガミされてベロチューされたり、夜中に目覚めて衣の姿にドキドキした結果いたずらしようとしたり、朝方京ちゃんの京ちゃんが京ちゃんしているのを衣に見られるイベントがあったかもしれませんが、全年齢版なので省略されました。
心の中で『ころたんイェイ』と百万回唱えると、見えるようになるかもしれません。

次回は夏祭り編です。はじめちゃんとともきーとあゆむさんのターン。


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21 中学生二年 モンブチーズ夏祭り編

 

1、

 

 協力して宿題を七月のうちに片付けてしまった一たちは、夏休み、かなり暇を持て余していた。

 

 時間があり過ぎるのも困りものである。

 

 ではこういう時こそ、と新たに仲間に加わった京太郎を連れまわしてどこかに行こうと思ったら、彼は学校の仲間や昔の友達に捕まって時間を取れないという。京太郎の人となりしか知らなかった一は、その交友関係の広さに驚いた。

 

 あれは女だな、と訳知り顔で頷く純の言葉を聞き流しながら、ではいつならば、と京太郎のスケジュールを抑えたのが八月の頭。学校の仲間と夏祭りに行く、という話を聞いて、では自分たちもと予定を決めた。

 

 二度も祭に行くのはつまらないのでは、と予定を決めてから気にした一だったが、京太郎は笑いながら予定を受け入れた。楽しみにしてる、と言われては、気合を入れない訳にはいかない。

 

 クローゼットの奥から浴衣を引っ張り出して、当日まで入念に着こなしのチェックをする。透華のメイドになってから一通り服飾の勉強はしたおかげで着付けくらいはできたが、それと着こなすことができるかはまた別の話である。同じ浴衣ビギナーの智紀と歩も捕まえて当日まで、少女三人は鏡の前で過ごすことになった。

 

 その甲斐あって、当日には満足の行く着こなしをすることができるようになった。鏡の前で三人並んで、悪くないんじゃないかと自画自賛もしてみる。まぁ、一人だけやけにおっぱいが大盛りな人間がいるが、緩急の差があった方が殿方も楽しめて良いだろうと強引に自分を納得させる。

 

 同じく胸部に自信のないメイド仲間の歩と励ましあいながら、一たちは夏祭りの会場に向かった。

 

 京太郎の地元まで行くと衣は言ったのだが、京太郎の方がそちらに合わせると言ってきかなかった。近い方が早く着くのも道理である。五時に集まる約束で、一たちが鳥居の前に着いたのは四時半だった。

 

「流石に早く着すぎたんじゃね?」

 

 ハギヨシの運転した車から降り、伸びをしながら純が言う。そんな彼女も浴衣姿である。普段は男性的な装いをするもスカートがあるおかげで性別は間違われないで済んでいたが、地味な色合いの浴衣を着ている今は、もうただの美少年にしか見えなかった。周りに女が五人もいるから良いが、純一人であれば暇な女が周囲に群がっていたことだろう。

 

 嫉妬の視線を集めるという初めての経験にゾクゾクしながら、一はぴょんぴょんと飛び跳ねて、約束の鳥居を見る。

 

 ちらりと、燻った金色が見えた。間違えるはずもない、京太郎だ。

 

「何か、もう京太郎のやついるみたいだよ」

「殊勝な心がけですわね。さあ行きますわよ! まずは私の美しさをアピールですわ!」

「お待ちください透華お嬢様」

 

 勢い込んで走り出そうとした透華を引き止めたのは、ハギヨシだった。よほど問題がない限り、彼は主である透華や衣の行動に干渉したりはしない。そのハギヨシが行動の流れを切ってまで透華を呼び止めるのは珍しいことだった。透華も、呼び止められたことがよほど意外だったのか、不思議そうな顔でハギヨシを見つめ返す。

 

 透華の視線を受け、ハギヨシは恭しく一礼した。

 

「お恐れながら。京太郎様のお召し物について、一言申し上げたく」

「京太郎の浴衣がどうかしたのか?」

「あー、そういやあいつも浴衣だな。俺の目にはすげー古くさく見えるけど」

「実は名品とか?」

「その通りでございます」

 

 冗談のつもりで言った一の言葉は、ハギヨシによって肯定された。全員の視線が京太郎の方に向く。龍門渕の執事であるハギヨシが言うのだから本当に名品なのだろうが、京太郎と名品というのはあまり結びつくものではなかった。

 

「それで、あれはどういう物ですの?」

「京都の老舗の仕事で、オーダーメイド品のようです。古く見えるのは、それだけ前に発注したということなのでしょう。何方かの品を譲り受けたようですが、そうですね、今の価値で言うと200万円ほどでしょうか」

「……あいつの家、そんな金持ちだったのか?」

「本人は中流家庭と言ってる」

 

 断言したのは智紀である。この中で一番京太郎と交流を持っているのは、智紀だった。その智紀が言うのだから間違いはないだろうと、皆は納得する。

 

 だが本人の認識と世間の認識が一致しないことも往々にしてある。普通の中流家庭はカピバラを二匹も飼育したりはしないだろう。誰でも飼える犬や猫と違って、カピバラなどは飼育にお金とスペースと手間のかかる、お金持ち向けのペットだ。

 

 あくまで中流家庭の範囲であるが、その中では金持ち、ということなのだろう。

 

 それでもあまり、京太郎はあまり服飾にお金をかけるタイプには見えない。そうであるなら、私服で龍門渕の屋敷に来た時に誰かが気づいていたはずだ。あの浴衣は一張羅、という解釈の方がまだ自然である気がする。先祖伝来の浴衣ということなら、金額が高すぎることについても、説明はついた。

 

「私の聞き及んだところに寄りますと、京太郎様は神奈川の三尋木家や、鹿児島の神代家と交流があるとか」

「小学生の頃は転校ばかりだったと聞きますから、全国に知り合いがいるのは不思議ではありませんが……」

「鹿児島の神代というと、霧島神境の巫女か? それならば浴衣くらいは転がっていそうだな」

「神奈川の三尋木って、三尋木プロの実家だよね確か」

 

 どちらも由緒ある名家であり、早い話が金持ちだ。そんな家と交流があるならば、浴衣の一つや二つを貰っていても不思議ではない。

 

 不思議ではないが、値の張る品を相手に贈るということには、金持ちだろうと庶民だろうとそれなりの意味がある。その解りやすい理由の一つが囲い込みだ。この人物はうちの家とこれだけ親しいので、手を出さないでください、と周囲に認識させるためのものである。浴衣を贈ったのがどちらの家か、あるいは別の家なのか知らないが、贈った人間は京太郎の将来について、それなりに真剣なようだった。

 

 それをズルいとは思わない。同じ立場ならば一だって同じようにしただろう。

 

 だが理屈と感情は別だ。顔を合わせたことなど一度もないが、あの浴衣を贈った人物に一は酷くムカついていた。

 

「きょーたろがどこの誰と仲良くしていようと、どうでも良いではないか! 今は衣たちと遊ぶのだ!」

「そうですわね。ハギヨシ、忠告感謝いたしますわ!」

 

 おりゃー、と突撃していく衣に透華が追走する。金髪美少女が走る姿は、非常に目立つ。周囲の視線を集めるが、二人はそんなものは気にしなかった。衣は自分が良ければ他人の認識など気にならないし、透華はそもそも目立つのが好きだ。一長一短の性質であるが、こういう時は役に立つ。

 

 元気な仲間二人の背中を追いながら、一たちはゆっくりと京太郎たちの元に歩いていった。

 

 

「ハギヨシ!」

「なんでございましょう。衣様」

「きょーたろの容姿や雰囲気が優れていることを褒めてやりたいのだが、俗世ではこういう時何と言えば良いのだ?」

「イケている、等が相応しいかと存じますが、普通にかっこいいで問題ないのではないかと」

「ではそのようにしよう。きょーたろ、今日もかっこいいな!」

「ありがとう。姉さんもかわいいぞ」

「そうか! 衣はかわいいか!!」

 

 ふふー、と衣は嬉しそうに笑う。異性に容姿を褒められるなど、初めての経験だろう。少女らしく微笑む衣は、同性の一の目から見ても非常にかわいらしかった。

 

「私たちには、何か言うことはないのかしら?」

「透華さんも、勿論綺麗ですよ。和装をするとは思いませんでした。今日は浴衣なんですね?」

「祭ならば、浴衣でしょう? 洋服の方が好みですが、私だって雰囲気くらいは読むのでしてよ?」

「そのお陰で、俺は眼福です。ありがとうございます」

 

 両手を合わせて頭を下げる京太郎に、透華はご満悦だった。頭のキレる透華だが、煽てられると弱い。衣に比べて社交界に顔を出す機会は多く、男性と接する機会もある透華だったが、仲間内にハギヨシ以外の男性がいたことは過去に一度もない。親しい男性からの言葉というのは、やはり違うのだろう。

 

 透華と衣が喜んでいる間に、智紀と歩はこっそりと位置を移動していた。京太郎の視線が動いた時、自然に自分が目に入るような位置取りである。少女らしい努力に涙が出そうになるが、その努力の甲斐あって京太郎の視線は二人に向いた。

 

 二人とも、この日のために選びに選んだ浴衣に、着こなしである。完璧であるとは三人揃っての結論であるが、京太郎の目線から見てもそうだとは限らない。本音ではどうだ、と聞きたいのだろうが、智紀も歩も京太郎を前にして言葉を待つばかりだった。自分から聞くのは、それなりに勇気のいることなのだ。

 

 そんな二人の心情を知ってか知らずか、京太郎は無難にそつなく二人を褒めていく。綺麗、かわいいという方向性の違う評価を貰って、二人も嬉しそうだった。

 

 その後は、男性陣もとい、純とハギヨシである。二人並んで立っていると何処のイケメンパラダイスかという程の異世界であるが、そんな二人にも京太郎は物怖じしなかった。男性と女性では感じるものが違うのかもしれない。少なくとも一自身、一人であの二人に声をかけるのは無理だった。

 

 京太郎の視線が、一に向く。評価をされていないのは、一ただ一人だった。別に評価は必須ではないが、他の全員にしたのだから一人だけ仲間外れということはないはずだ。京太郎はそういう気配りのできる人間だし、何より一はその評価を楽しみにしていた。

 

 一生懸命悩んで選んだ浴衣に、髪型。舞台ようではない薄い化粧までしている。ここまで少女らしく振舞おうと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。京太郎が言葉を発するまでの数秒間が、一には永遠にも感じられた。どきどきという自分の心臓の音だけが聞こえる中、京太郎はふむ、と小さく声を漏らし、

 

「一さんも、綺麗ですよ。今日は一段と大人っぽいですね」

 

 そつのない物言いである。褒められたのは嬉しいが、感情が篭ってないように聞こえなくもない。それが一にはちょっとだけ気に食わなかったが、他の面々にも同じだったのだから、これはこれで良いのだろう。

 

 溜飲を下げて、言葉をかみ締める。かわいい、とカテゴライズしなかったことに、京太郎の配慮を感じた。客観的に見れば歩と自分は同じカテゴリーだろうが、歩と評価を分けたのは相手によって言葉を選んでいるからだろう。かわいいと言われて喜ぶか、綺麗と言われた方が嬉しいかは人に寄る。歩は前者で、自分は後者と判断された。

 

 大人らしい、という評価もそこから来る。思っていた以上に人間を見ている弟分に、一は内心で感嘆の溜息を漏らした。中学生でここまで配慮ができるなら、大人になったらどうなるのか。彼の女性関係について一はほとんど知らないが、少なくとも、女泣かせな人間になるのは間違いはない。

 

「さあ、きょーたろ。今日は沢山遊ぶぞ!」

 

 京太郎の手を引いて、衣が歩きだす。透華がその後、歩がさらにその後に続く。それ以外の三人が間を空けてその後に続き、最後尾がハギヨシだ。浴衣を着ている彼もお祭モードであるが、執事であることに代わりはない。主とその友人を一歩はなれて見守っている彼は、浴衣を着ていても執事だった。

 

「国広くん、乙女の顔してるぞ」

「そういう純くんは殿方の顔だね。女の子から熱い視線を浴びてるみたいでうらやましいよ」

 

 一の冗談にも純は肩を竦めるばかりだった。普段はもう少し乗っかってくるのに、今は手ごたえがない。強がりだというのを見抜かれているのだろう。熱くなったほっぺをぐにぐにと揉む。自在に表情を操るのはマジシャンの基本である。読まれたくない感情を素人に読まれるようでは、問題外だ。

 

「そんなに緩い顔してた?」

「幸せの絶頂。まさに女の子という顔をしてた」

 

 そういう智紀はいつもと同じ澄まし顔だった。僅かに頬が紅潮してはいるが、祭の雰囲気に当てられていると言えば、それで通じるくらいのものである。それでも同じ女から見れば、智紀が浮かれているのが解るだろう。

 

 つまり、まさに女の子の顔をしていた自分は、これ以上ということだ。意識すると、更に顔が熱くなる。

 

「……僕、おかしくなったのかな」

「かもな。でも、それで良いんじゃねえの? 俺たちにそういうことがなかっただけで、あるのが普通なんだと思うし」

「私も同感。こんなに早く来るとは思ってなかったけど」

「決め付けるのは止してもらえるかな? 二人とも」

「何を言ってるんだろうな、国広くんは」

「そんな顔をしてたら、何を言っても無駄」

 

 ぐりぐり、と二人が頭を撫でてくる。上背のある二人が相手だと、背の低い一はされるがままだ。せっかく綺麗にセットした髪が乱れると、少し乱暴に二人の手を振り払う。

 

 少し先には、衣に腕を引かれる京太郎の姿があった。すぐ近くには、透華もいる。髪の色が似ている三人は、並んでいると様になった。上背のある京太郎が長男で、透華と衣はその妹といったところだろうか。

 

 間に入るのを躊躇うくらいに、絵として完成されていた。歩は三人から少し距離を開けている。間に入るのを躊躇っているその気持ちは、一にも良く解った。衣はここにいる全員にとって特別である。それを邪魔したくないという気持ちもあるのは違いないが、それとは別にあの三人が何やら『特別』というのは、あの三人を見た多くの人間が思うことだろう。

 

 自分の中の熱を追い出すように、一は大きく溜息を吐いた。

 

 髪の色が似ているというただそれだけのことなのに、随分と大仰なことである。今日は皆で楽しむために集まった。衣は確かに大切であるが、彼女一人を優先して誰かが楽しめないのでは本末転倒だ。そんなことは衣自身も望んでいないし、勿論、一も望んではいない。

 

 一は駆け出し、歩の隣に並んだ。そのまま手を引いて、京太郎の近くに並ぶ。

 

 後ろで純が口笛を吹くのが聞こえたが、気にしないことにした。

 

 せっかくおめかししたのだ。今日くらい、まっすぐな国広一(ぼく)でいても、罰は当たらないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

 やたらとめかしこんだかわいい綺麗イケメン軍団と合流した後、石段を登って境内に向かう。この辺りでは比較的大きなイベントなのだろう。先週、宮永姉妹とモモと行った祭よりも、出店の数は多かった。

 

 衣などは目を輝かせて喜んでいるが、これより更に大きい祭を見たことのある京太郎は、落ち着いていた。霧島神境の夏祭はこの数倍の規模がある。メインの催しものはそれはそれは固い内容だが、足を運ぶ多くの人間は祭の雰囲気を楽しむために来ていた。出店はにぎやかだし、足を運ぶ人も多い。

 

 それでいて下品にならないのは一重に神境の持つ雰囲気に寄るところが大きいのだろうが、京太郎はこういう雑然とした祭の方が好みだった。逆に衣などは、ああいう荘厳な雰囲気を好みそうな気もする。好みというのは人それぞれだ。機会があれば、一緒に足を運んでみるのも良いかもしれない。

 

「ともきがいないぞ」

 

 衣の声で、全員が辺りを見回した。確かに智紀の姿がない。まさかはぐれたのか、と思い背伸びをして遠くを見ると、20メートルくらい離れたところに、智紀はいた。

 

 しかし、一人ではない。どうみても紳士ではない男が三人、智紀の周囲にいた。

 

「ナンパ男に捕まってるみたいだな」

 

 身長の高い純が正確に分析した智紀の状況を聞いた透華が、何も言わずに歩き出した。それを慌てて止めたのは、一と歩だった。

 

「何故止めますの!?」

「透華が行くのはややこしくなるから、絶対ナシだよ」

「どうする? 俺が行ってきても良いが……」

 

 純の物言いに気負いはない。任せると言えば本当に彼女は一人でも行くだろう。相手は三人。荒事になれば純でも対応は難しいだろうが、周囲に人は大勢いる。悪質なナンパを振り払うのは難しくても、喧嘩には発展しない。純の落ち着きにはそういう見通しも含まれていた。

 

 もっとも、仮に喧嘩に発展したとしても、純ならば何とかするだろう。見た目以上に平和主義者である純だが、見た目の通り喧嘩はそれなりに強い。

 

 その純は、我先にと足を踏み出さずに京太郎を見ていた。

 

 理由は簡単である。性別による役割の問題だ。

 

 男女の集団で、女性が一人荒事に巻き込まれた。それを解決するのは誰にでもできるが、そこでは果たすべき役割がある。男女平等が標榜されるようになって久しいが、世間には依然として男らしく、女らしくという物の見方がある。

 

 殊更そういうものには拘らない純であるが、拘る人間がいるということは理解していたし、拘る人間への配慮をすることもできた。

 

 つまりは、京太郎への配慮である。男である自分がいるのに、女を荒事に向かわせるのは男が下がる。そう思う男性は、決して少なくはないだろう。これで京太郎が同級生であれば、純も迷わずに京太郎にその役を譲ったに違いないが、この場で京太郎は一番幼く、この集団に所属するようになって日も浅い。

 

 純の物言いには、その辺りの遠慮もあった。アレならば自分で行くという意思が、既に踏み出そうとした足からは感じられる。ここで断ったとしても、誰も自分を責めたりはしないということは解ったが、だからこそ、京太郎は決意をした。

 

「いいえ、俺が行って来ます」

 

 男が身体を張らなければならないという決め付けなどないが、智紀が困っているのならば助けたい。その役割を自分でできるのならば、これ以上はなかった。

 

 やる、と宣言した京太郎に、純は笑みを返す。その答えを待っていた。そういう顔だ。

 

「よし行ってこい。ヤバそうになったら、俺かヨッシーが何とかするから」

「ありがとうございます。ハギヨシさんも、姉さんたちをよろしくお願いします」

「ご武運をお祈りしていますよ」

 

 執事は穏やかに微笑んでいた。てっきり止めるかと思ったが、そんな気配は微塵もない。大人としてそれはどうなのだと思わないでもないが、彼がここをあけると透華や衣に何かあった場合、対処できない。考えるまでもなく、この場で最も頼りになるのはハギヨシだ。智紀が大事でないと言う訳ではないが、この場で一番守るべきは誰かと問えば、今まさに問題に直面している智紀すら衣であると答えるだろう。

 

 背中に衣や透華の激励を受けて、歩みを進める。智紀や男たちの顔がはっきりと見える距離まで近づいたところで、京太郎は声をかけた。

 

「すいませんね。そいつ、俺のツレなんですよ」

 

 先手必勝。声にはガラの悪さをしっかりと込めた。智紀を囲んでいるのは三人。いずれもガラの悪そうな男性である。装いからは金の匂いがしない。おそらくは高校生、それも地元の人間だろう。立ち姿には隙がある。拳も綺麗なことから、武芸の経験はないものと判断する。

 

 三人全員の視線が、京太郎に移った、その隙を突いて智紀は駆け出し、京太郎の影に隠れてしまう。どういう声のかけ方をしたのか知らないが、これで完全に脈がないことは証明された。これ以上何かをしても恥の上塗りにしかならない。

 

 それを理解してくれれば良いが、素直に引いてくれるかは微妙だった。理屈と面子は全く別の問題である。そういう話をされると、京太郎一人ではもうどうにもならない。

 

 相手は三人と人数も少なくない。霧島神境で巫女さんたちに鍛えられた京太郎には、そこそこに荒事の心得があった。喧嘩慣れしていない素人が相手ならばそれなりに対応できる自信があるが、年上の男性が三人となれば無傷で切り抜けるのは難しい。

 

 さっさとどこかに行ってくれ。

 

 そう祈りながら見つめあっていたのは、数秒。

 

 男たちは舌打ちをすると、人ごみの中に消えていった。

 

 もう安全だ。それを理解するまでに、たっぷり十秒は費やした。深く、溜息を吐く。こんなに緊張したのは久しぶりだ。

 

「……ありがとう。助かった」

「ご無事なようで何よりです。姉さんたちも心配してますよ。早く行って、元気なところを見せてあげてください」

 

 智紀を促し、歩き出した京太郎は、その直後に動きを止めた。智紀の手が浴衣を掴んでいる。その肩は、少しではあるが震えていた。

 

「衣たちのところに着くまでで良い。手、繋いでもらえる?」

「俺でよければ、喜んで」

 

 身長は智紀の方が少し低い。京太郎の視点からは、智紀の横顔がよく見えた。アップにされた髪、そこに見える真っ白なうなじと汗が艶かしい。

 

「ところで、私は京太郎のツレ?」

「すいません。勢いでそう言ってしまいました」

「別に構わない。連れなのは事実だから」

 

 でも、と智紀は言葉を続ける。

 

「別な意味で連れだったとしても、私は構わない。そのくらいに、さっきの京太郎はかっこ良かった」

「褒めてくれるのは嬉しいですが、何も出ませんよ?」

「これで十分」

 

 智紀は繋がれた手を持ち上げる。眼鏡を通して視線が交錯する。

 

 静かに微笑む智紀に、京太郎は思わず見とれた。いつも物静かな智紀が見せる少女の様な笑みは、それだけ京太郎には魅力的に見えたのだ。

 

「――はい、ツレの時間はおしまい」

 

 魔法が解けるように、智紀は京太郎から離れる。手の温もりを名残惜しいと思う時間もそこそこに、智紀は衣たちに囲まれた。行き場を失った言葉は、溜息となって京太郎の口から漏れる。

 

 一人、というのが、何だか妙に寂しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、

 

「あ」

 

 歩が挙げた声に、全員が足を止めた。最後尾のハギヨシの前、全員から一歩引いた位置を歩いていた歩が、足を気にしている。鼻緒が切れていた。歩は自分の足元を気にしていたが、顔を上げると、京太郎を見つめて言った。

 

「鼻緒が切れちゃったみたいなんだけど、直せる?」

 

 歩の問いを受けて京太郎は、何も答えずに彼女の前に跪いた。歩の視線を受けたハギヨシが、残りの全員を先導する。使用人のトラブルに、主たちの時間を取らせる訳にはいかない。執事として、ハギヨシの行動は妥当な判断だった。

 

 透華たちが先に行ったのを見届けると、歩は片足を差し出し、転ばないように京太郎の肩に手を置いた。

 

 通りの真ん中でそうする二人は明らかに通行の邪魔になっていたが、彼ら二人が年若いこと、男女のカップルであること、跪いているのが男性で、少女の方はと言えば嬉しそうに頬を染めていること。それら全てを見た通行人は、若い二人を微笑ましく思いながら、横を通り過ぎていく。

 

 下を向いている京太郎は気づかなかったが、歩は視線を集める自分たちを大いに自覚しており、自分たちが彼ら彼女らにどう思われているのかも、良く理解していた。

 

 頬が朱に染まっているのは、目立っていることが恥ずかしいということもあるが、京太郎とそういう風に見られていることを自覚しているためでもあった。衣や智紀を差し置いて、自分がそう見られていることに対する優越感もあった。

 

 年の割りにはしっかりしていて、仕事もできる。歩は同級生の少女に比べれば高い社会的な評価を得ていたが、憎からず思っている少年とこうしていることに幸福を覚えるくらいには、内面は十分に年頃の少女然としていた。

 

「よし、できた」

 

 時間にして、一分少々だろう。鼻緒はしっかりと修復された。足の具合を確かめるように、歩のつま先が地を軽く叩く。それで問題がないことが解ると、京太郎は安堵の溜息を漏らした。

 

「前に一度教わったきりだったから、少し不安だったんだよな」

「ごめんね、京太郎くん」

「これくらい何てことはないよ」

「あの、そうじゃなくて……」

「実は鼻緒を結べるのに、俺にやらせてることか?」

「……知ってた?」

「知らない。でも、龍門渕のメイドならそれくらいできると思ってはいた。衣姉さんや透華さんの鼻緒が切れた時、メイドが何もできないんじゃかっこ悪いだろ?」

「ごめんね、京太郎くん」

「だから、何ともないって言っただろ」

 

 どんな人間でも、誰かに傍にいてほしいとか、誰かに頼りたいと思うことはある。歩の場合、それが今だったというだけの話だ。元より、何でもできるけれどどこか抜けているこの同級生の力になりたいと、京太郎は常日頃から思っていた。普段、歩がどれくらい働いているのかを思えば、鼻緒を結ぶくらい、どうということはない。

 

 鼻緒を結び、立ち上がる。智紀よりも小さい歩の頭は、かなり下の位置にあった。正に見上げる形になった歩は少しだけ苦しそうにしながらも、はにかみながら笑って見せた。

 

「智紀さんは手をつないだんだから、私は腕を組んでもらえる?」

「鼻緒、具合が良くないか?」

「そういうことにしておいてもらえると助かるかな」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4、

 

 歩と追いついた先では、皆が盛り上がっていた。全員で射的をやるようである。自分よりも大きな銃を持って目を輝かせている衣を、純が持ち上げていた。衣は銃よりも小さければ、台よりも小さい。純の配慮は当然と言えたが、それは衣の嫌いな子供扱いになるのではないか。小さな衣の怒りが爆発するのではと京太郎は身構えたが、衣は普通にはしゃぐばかりだった。見た目相応にはしゃぐ衣の姿は、京太郎の心を凪いだ海のように穏やかにさせた。

 

「そういう目をしてると、ロリコンとか言われるよ?」

 

 一の指摘に、京太郎は思わず背筋を伸ばした。そんな京太郎を見て、一はくすくすと笑う。

 

「どうかこのことは内密に願います」

「それは京太郎の心がけ次第かな?」

 

 射的の銃を持ったまま、一は両腕を上げた。肩越しの視線で何が言いたいのかを理解した京太郎は、一の脇の下に手を差し入れ彼女を持ち上げた。一も小さいが、衣ほどではない。台の上に身を乗り出すだけならば一人でも可能だが、隣には純にお世話をされている衣がいる。一の行動は、それに対抗してのもののように思えた。

 

「む、一が衣の相手か?」

「そういうことだね。負けないよ、衣」

「返り討ちにしてやるぞ!」

 

 言って衣は狙いを定めて引き金を引くが、弾は見当違いの方向に飛んでいった。自分の出した結果に満足がいかない衣は頬を膨らませて唸るが、それも当然という気もする。そんな衣をフォローするために、純はあれこれと、機嫌を損ねないように気をつけながらアドバイスをしていた。

 

 手足の長い純は、こういう競技が得意なように見える。

 

「さて、それじゃあ僕もやろうかな」

 

 ちょいちょい、と『耳を貸せ』という仕草に、京太郎は一の口元にまで顔を寄せる。

 

「上から二段目、右から五番目のぬいぐるみ。あれを衣に落とさせるよ」

「そんなことできるんですか?」

「僕と純くんはこういうの得意だからね。それに京太郎が手伝ってくれるなら、楽勝だよ」

「俺は何をすれば?」

「僕はそれなりに手先が器用なつもりだけど、見ての通り身体が小さくてね。不安定な状況だと仕事に支障が出るかもしれないから、しっかりと支えててもらえるかな」

「それは構いませんが……」

 

 一の言葉に、京太郎は逡巡する。

 

 一を含め、龍門渕の一行は皆美少女。ハギヨシは目の覚めるようなイケメンだ。純に抱っこされた衣は既に衆目を集めている。一も既に抱っこされているような状態だが、身体を支えるならば更に密着することになる。京太郎の言葉には、それでも良いのかという確認が込められていた。

 

「衆人環視の中でベストの仕事をするのが、マジシャンってものだよ。それとも僕みたいなぺったんこじゃ物足りない?」

 

 女はズルい、と思った瞬間だった。これで一の頼みを断れなくなったし、イエスと言えばぺったんこでもOKという言質をとられる。見れば、一は嬉しそうに笑っている。からかわれているのは間違いない。

 

「解りました。俺も覚悟を決めます」

「素直な良い子は僕も好きだよ」

 

 にこりと笑う一に、京太郎は覆いかぶさった。密着すると、さらに一の小ささが際立つ。衣を抱き枕にした経験のある京太郎だったが、衣の小ささとはまた違う感じがした。

 

 覆いかぶさったのだから、当然、一の顔はすぐ横にある。年上の、小さな少女の顔が近くにあることに、流石に京太郎もどきどきするが、一の表情は真剣そのものだった。目標になっているぬいぐるみの観察をしながら、隣ではしゃぐ衣の観察も忘れていない。衣の意識が逸れたと思うや、引き金を引く。

 

 ぱちん。気の抜けた音がして、コルクの弾が発射される。弾は狙い違わずぬいぐるみに当たり、その身体を僅かに後退させた。落ちない景品ではないことが、これでついでに証明される。一は小さく息を漏らし、玉を装填してレバーを引く、他の景品を探しているかのように銃口を彷徨わせながら、衣の意識がそれたと見ると、銃口をぬいぐるみに向け、引き金を引く。

 

 その一連の行動に迷いが全くない。目標に弾を命中させる腕も去ることながら、衣に気づかれずにこれを行っているのがまた凄まじい。衣の気を逸らすことに協力している純の動きもあってこそであるが、何をおいても他人の気の緩みを見抜く一の感性だった。

 

 ぱちん、ぱちん、ぱちん。

 

 衣に気づかれないように、無駄のない動きで弾を撃ち続ける。足りなくなった弾は、アパム智紀が自然と補充していた。コルク弾は一皿400円。それを三皿も使った頃、ぬいぐるみが台の上でぐらつき始めた。後一発、二発で落ちる。その確信を持った一は、純に視線で合図を送った。

 

「衣、あれにしろ、あれ!」

「む!」

 

 純に誘導された衣の目には、ぐらぐらと揺れるぬいぐるみの姿があった。これを落とさない手はない。衣はしっかりと狙いを定め、銃の引き金を引く。小さな身体に銃は不釣合いだったが、今まで散々撃ちまくっていたこと、京太郎と同じように純が身体を支えていたことで、その弾は狙い違わずぬいぐるみに向かい、命中。

 

 結果、台の上からぬいぐるみは落ちた。

 

「やったぞ!」

 

 純の腕の中で喜ぶ衣に、龍門渕の面々だけでなく周囲のお客も拍手を贈る。他人からの賛辞に、ぬいぐるみを抱えた衣もご満悦だった。その笑顔を見てそっと微笑んだ一は自分の仕事は終わったとばかりに銃を置いた。

 

「もう良いんですか?」

「僕の目的は達したからね。京太郎もありがとう。おかげで助かったよ」

「なら、残りの弾は俺が貰っても良いですか?」

「どうぞどうぞ。僕も京太郎のかっこいいところ見てみたいな」

「あまり期待しないでくださいよ」

 

 一を解放し、銃を持つ。一が持つと大きい銃も、京太郎が持つと相応に小さく見えた。銃口にコルク弾を詰め、狙いを定める。手足が長い分、距離も近く狙いやすい。一が残した弾丸は一発のみ。衣が目的を達成した今、ここに留まる可能性は低い。

 

 つまり、これが最後のチャンスだった。射的で一にかっこいいところを見せる、最後のチャンスである。そう思うと、京太郎の神経も研ぎ澄まされた。

 

 引き金を引く。

 

 へろへろと飛んだ弾は、狙い違わず目標に当たり、それを落とした。

 

「――上手いじゃないか」

「マグレですよ」

 

 笑うも、一の賛辞は素直に嬉しかった。落とした景品は、星を象ったアクセサリー。京太郎の目から見ても安物だが、まさか男がつける訳にもいかない。

 

「よければ」

「良いの?」

「俺がつけているところを見たいというなら、つけますが……」

 

 服で隠せるペンダントとかならばともかく、イヤリングを男がつけるのは罰ゲーム以外の何ものでもない。同じつけるにしても、無骨な男よりは一のような美少女がつける方が良い。

 

「見てみたくはあるけど、気持ちだけ貰っておくよ。それじゃあ、つけてもらえる?」

 

 一は左の耳を差し出した。パッケージを外した京太郎は、一の耳に触れ、そっとイヤリングをつける。

 

 自分の耳のアクセサリーを一は見ることはできないが、それを指ではじくと満面の笑みを浮かべてくれた。どうやら気に入ってくれたらしいと解った京太郎は、安堵の溜息を漏らす。

 

「一つ聞きたいんだけど、近くに月のアクセサリーもあったよね。どうして星にしたの?」

「一さんになら、こっちの方が似合うと思って」

 

 今日はつけていないが、いつもは目の下に星タトゥーシールをつけている。一と言えば星というのが、京太郎のイメージだった。何を落とすか探していた時、月のアクセサリーも目に入っていたが、一に贈るのだからと星を選んだのである。

 

「そっか。僕のために星を選んでくれたんだね」

「安物な上、俺の金で取ったものではないので恐縮ですが」

「それでも嬉しいよ。ありがとう、京太郎」

「次に行くぞ、京太郎!」

 

 ぬいぐるみを抱えた衣が、飛びついてくる。自分で取れたことがよほど嬉しかったのだろう。射的を始める前よりも大分テンションが高くなった衣は、京太郎の身体に勝手によじ登り、肩の上に落ち着いた。落ちやしないかと京太郎を含め、全員がはらはらしたが、肩の上に腰を落ち着けた衣はいつもとは視点の違う眺めに、歓声を上げていた。

 

 ちら、と一に視線を向けると、一は苦笑を浮かべてひらひらと手を振った。

 

 

 

 

 




次回、現代編に戻ります。
現代編を分割するか、今までの通り一緒に投稿するかは考え中です。


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22 中学生二年 一度目のインターハイ

ヤバいくらいに青春ラブコメの話が進みません。
今月新刊が出るので、それで進めばよいのですがどうなることか。


 インターハイ。全国の高校生の頂点を決める大会である。競技によって会場は異なるが、麻雀はここ十数年東京で開催されていた。長野が地元の京太郎としてはできればもう少し近いところで開催してほしいものだったが、会場変更を促した結果、もっと遠いところに変更されたら元も子もない。適度に近く、適度に遠い東京で開催されるのはまだマシな方なのだ。

 

 ともかく、その会場である。照の試合に合わせて上京した京太郎は、咲と共に会場を訪れていた。全国大会決勝ともなれば、世間の耳目を集める。しかも今大会からは去年、一昨年とインターミドルを連覇した宮永照が参戦するため、注目度は高かった。インターハイ三連覇が冗談抜きで囁かれる久しぶりのホープの登場に、麻雀界は沸いていたが、京太郎たちがロビーに入った時、会場は思っていた以上に閑散としていた。

 

 西東京代表白糸台高校。照のデビュー戦は、今日の第一試合に設定されている。試合時間の差し迫った今、会場まで足を運ぶ人間でこの辺りをうろうろしている人間は、京太郎たちのように、その選手に会おうとしている人間くらいしかいない。

 

 ほとんどの人間は対局観戦のため、観戦室に移動しているのだろう。照の試合をモニタリングしている部屋は、この会場で一番広い部屋があてがわれているはずだが、席は満席。立ち見も出ているはずである。

 

 同じモニタで観戦するならばテレビでも良いのでは、と素人は思うのだろうが、流石に会場に設えられた観戦室となると、設備が違う。対局中の全員の手を同時に見られるようになっているし、対局者の表情を見逃さないよう、きちんとカメラも配置されている。一画面しかない家庭のテレビとは、迫力と情報量が違った。

 

 だからこそ、会場の席は競争率も高い。観戦のためにチケットなどは必要なく、早い者勝ちで席が決まる。照のデビュー戦のように、競争率の高い試合となると、出遅れたら立ち見は確定だ。隣の咲を見る。鈍くさい見た目相応に体力のないこの少女に立ち見を強いるのは心苦しいが、東京まで出てきて席を取っていてくれるような友人に心当たりはなかった。これも経験と、最悪の場合は肩くらいは貸してやろうと京太郎が心に決めた時、咲が顔をあげる。

 

「あ、お姉ちゃんだ」

 

 駆ける咲に合わせてベンチから立ち上がり、照の方を遠目に見る。いつか約束の通り、一番最初に見せてくれた白いワンピースの白糸台の制服は、照の赤毛に良く映えていた。似合うだろうなという自分の直感が間違っていなかったことに、京太郎は満足を覚える。もう何度も見た姿のはずだが、何度みても飽きない。

 

 ぽんこつでもお菓子大好きでも、やはり照は美人だった。

 

 その美人の隣に、今日はもう一人美人がいる。

 

 170の半ばに達した京太郎とそれほど変わらない身長は、女性にしてはかなりの長身だ。長い黒髪に、すらっとした長い手足。男よりも女に人気の出そうな、綺麗な女性である。照とは別の意味で目立つその女性に、京太郎の目は釘付けになっていた。女性の方も京太郎を見ていた。凝視されるのはこそばゆいが、それが美人であるなら悪いものでもない。

 

 女性からの視線のくすぐったさに耐えながら、照の横に立つ。直接会うのは、長野を出て以来。四ヶ月ぶりに再会した照は、長野を出た時よりも少しだけ大人びて見えた。

 

「久しぶり、京太郎」

「照さんもお変わりないようで。それと改めまして、インターハイ出場、おめでとうございます」

「約束、果たせそうだよ」

 

 嬉しそうに、照が微笑む。約束とは、白糸台に進学する前に宣言した『インターハイ個人、団体で三連覇』というものである。達成できればもちろん前人未到の大記録だ。三尋木咏も、小鍛治健夜も達成していない大記録の更新も、照ならばできそうな気がした。

 

 じっと見詰め合う二人の横で、咳払いが一つ。その主は、黒髪の女性だった。その女性は実に落ち着きのない様子で視線を彷徨わせていた。一刻も早くここを立ち去りたい、という内心が見えるようである。トイレかな、くらい気を利かせるのが男のあるべき姿だろう。京太郎も普段であればさりげなく気を回していたのだが、今回に限っては、その気遣いを全くしないことにした。

 

 黒髪の女性となるべく視線を合わせないようにしながら、ゆっくりと動いて距離を取る。ちょうど咲を盾にするような位置取りだった。普段は隠れる立場の自分が矢面に立っていることに気づいた咲が、京太郎に視線を向ける。普段ならば、咲の後ろに立つようなことは絶対にしない。不審に思うよりも先に心配そうにこちらを見つめる少女に、京太郎は肩に軽く手を置くことで応えた。

 

 それが合図と決めていた訳ではないが『黙っててくれ』という意図は、正確に咲に伝わった。後で説明してね、と振り返って苦笑する咲に感謝の念を送りつつ、京太郎は照が紹介してくれるのを待った。

 

 妹と京太郎、二人の視線が女性を向いているのに気づいた照は、遅まきながら女性の紹介を始める。

 

「この人が、弘世菫。私の同級生で友達で、寮のルームメイト。菫、この娘が咲。私の妹。こっちが京太郎。私の――後輩で良い?」

「OKです」

 

 京太郎は先輩を立てる後輩の礼儀として、菫に軽く頭を下げた。菫は落ち着きを取り戻した――風を装っている。何事もなくやり過ごすと腹を決めたのだろう。傍から見れば随分と不自然な態度に見えたが、これが初対面である咲は菫の不自然さに全く気づいておらず、照はそもそも他人の態度を気にしない。

 

 京太郎一人が気づかなければ、何事もなく終われる。そう判断した菫の態度は実に無害で大人しいものだった。京太郎はそれにあえて乗り、親しげな笑みを浮かべて、手を差し出した。

 

「『はじめまして』須賀京太郎です」

「照から話は聞いてるよ。私の前の宮永係だったそうだな」

「白糸台でもその名前が?」

 

 菫の手を握り返しながら、京太郎は苦笑を浮かべる。

 

 麻雀部に所属したことは一度もないが、京太郎は照のお世話係として周囲に認識されていた。インターミドルの大会にも部とは別のルートで行ったのに、気づけば麻雀部の身内として扱われ、会場でも照のお世話をしていた。常に誰かが張り付いていないと、照は勝手に迷子になるのだ。京太郎がいない時は女子部員が交代で面倒を見ていたが、京太郎がいるならば、と押し付けられた形である。

 

 照と一緒にいる時は大抵そういう役回りであり、咲も一緒にいる時は手間も倍になる。いつものことだと思えば苦にはならなかったが、二つも年下の男子に世話をされて果たして照の女としてのプライドは大丈夫なのかと心配になった回数は、両手の指では数え切れない。何度もそれとなく、自分はどこかに消えた方がと照に伝えてみたが、お前の居場所はここだとばかりに、照はその手の話にだけは取り合うことがなかった。

 

 結局、照がインターミドルを連覇し部活を引退するまで、京太郎は公的に照のお世話を続けた。『宮永係』という名前がついたのは、その頃の話である。

 

 自分が言い出したのではなく、自然発生したはずのその名前を、同じ中学の出身者ではない人間が口にするのは、酷く新鮮に感じた。同時に、目の前の人も自分と同じことをしているのだと思うと、言いようのない親近感が湧いた。同じ苦労を共有している。それだけで、人間は仲良くなれるものだ。

 

「ああ。不本意なことにな。私がその役を先輩からおおせつかった。こんなポンコツでも、うちのエースだからな」

「私はポンコツじゃない。京太郎の前で私のイメージを崩すのはやめてほしい」

 

 キリリとした表情で照が言う。インターミドルチャンプという肩書きと、宮永照という名前。この時、この場面だけを見れば照をぽんこつと思う人間はいないだろう。言い方は悪いが、照は外面を取り繕うのがとても上手い。ぽんこつ姉妹の妹の方である咲も照の言葉に同調するが、二人のぽんこつっぷりを知っている京太郎と菫は、顔を見合わせた。知らぬは本人ばかりなりである。

 

「私と同じことを彼がしていたのなら、ここで何を言ったところで、イメージに変化はないから安心しろ」

「京太郎と一緒にお風呂に入ったことはない」

「それを聞いて安心したよ。全て同じと言われたら流石に、私もお前との付き合いを考えなければならないところだった」

「でも、髪を乾かしてもらったことはある」

「……付き合いよりも先に色々と考えることができたようだな。まぁ、今は良い」

 

 菫が京太郎に視線を向ける。何か後ろめたいことがあると、顔に書いてあった。彼女が何を気にしているのか知っていた京太郎は、笑みを深くする。このまましばらく放っておいても面白いが、後でバレた時の報復が怖い。次に何かあったら、その時は正直に言おうと心に決めて、菫の言葉を待つ。

 

「ところで……須賀と言ったか。不躾なことを聞いて申し訳ないんだが、前にどこかで私と会ったことはないか?」

 

 その質問に、京太郎は思わず噴出しそうになった。聞かずにはいられなかったのだろう。思わず口を突いて出たという感じの声音に、直後、菫はしまったという顔をするが、吐いた言葉はもう取り消すことはできない。やり過ごすつもりならば、どれだけ不安に思っても、口にするべきではなかった。それが原因で記憶が掘り起こされるということだって、十分に考えられるのだから。

 

 もっとも、菫に問われるまでもなく京太郎は色々と思い出している。どれだけ警戒しようともはや無駄ではあるのだが、どうせ暴露するならいきなりが良い。自分は全てを知っているということを悟らせないように気をつけながら、京太郎は菫の顔をじっと見つめる。

 

 そうして顔をゆっくりと横に振ると、菫は目に見えて安堵した。

 

「そうか。それならば良い。おかしなことを聞いたな、忘れてくれ」

「別に良いさ。気にするなよ、リンちゃん」

 

 口にした瞬間、菫の時が止まった。

 

 いきなり砕けた口調になった京太郎に、宮永姉妹が不思議そうな顔をする。今までの人生で、年上の女性と接することが多かった京太郎は、上下の関係を無視することはない。年上、先輩にはきちんとした態度で接し、言葉使いも丁寧である。少なくとも二人は、年上の人間にタメ口で話すところを、見たことがなかった。

 

 にこにこと笑う京太郎と対照的に、菫は笑顔を引きつらせていた。弘世菫を『リンちゃん』と呼んだ人間は、過去に一人しかいない。須賀京太郎という名前には、覚えがあった。燻った金色の髪に、このあだ名。間違いであってほしいと願っていたそれは、儚く散った。

 

「覚えててくれて嬉しいよ。元気だったみたいだな。白糸台に入ったとは知らなかったけど」

「…………」

「実は前に照さんから名前は聞いてたんだ。でも、それだけじゃピンとこなくてさ。今の今まで忘れてたんだけど、顔を見て思い出したよ。変わらないな、昔と」

「…………あぁ、お前も変わらないな。そういう不躾なところが特に」

「菫、京太郎と知り合い?」

「昔、一度だけ会ったことがある。たまたま遠出をした時に知り合ってな、こいつに誘われて、当時こいつの通っていた教室まで一緒に行ったんだ」

「一度しか会ったことのない人を覚えてたんですか?」

 

 咲が目を丸くしている。確かに、忘れていても不思議ではないが、特別な思い出があれば別だろう。例えばその日、めそめそと公園で泣いていたとかだ。それはな、と京太郎が全てを話そうとすると、すぐさま菫から横槍が入った。顔の前に翳された腕を手を追って顔を見ると、黒髪の美少女はまるで夜叉の形相をしていた。

 

 それを話せば、お前の命はない。無言ではあるが、表情が全てを物語っていた。誰にも触れられたくないことはある。菫にとって『公園で泣いていた』という事実が、それに当たるのだろう。別に恥ずかしいことではないと思うが、羞恥の感覚は人それぞれである。嫌がることを、率先してやろうとも思わない。不思議そうに首を傾げる咲は、答えを待っていた。正直に答える訳にもいかない。何か当たり障りのない答えはないものかと考えをめぐらせた京太郎は、真っ先に目に付いた菫の容姿を理由にすることにした。

 

「昔からリンちゃん、この髪型だったからな。綺麗でまっすぐな黒髪って実はすげーレアだろ? 俺は見てすぐにわかったよ。あぁ、あの時の女の子だって」

「私も、お前のその髪の色は忘れようもない。私の記憶にある限りで、麻雀をやっている人間でそんな髪をしていたのは、お前だけだったからな」

「お互い目立つ特徴持っててよかったな」

「そういうことなら、髪を切っておけば良かったと少し後悔しているよ」

「なんだよ勿体ない。似合ってるのに」

「この髪を維持するのがどれだけ手間なのか、男のお前には解らんだろう?」

 

 会話をしたのとはあの時の一度だけ。正直、これまで出会ったことも忘れていたくらい、菫のことは忘却の彼方にあった。それなのに、言葉は次から次へと出てくる。まるで十年来の友人にするように、菫との間には気安い空気があった。記憶が確かならば、菫の方が二歳年上のはずである。この見た目で、あの性格だ。年下からタメ口を利かれるような人間ではないだろう。普通ならば、舐めた口を利いた瞬間に、厳しい叱責が飛んでくる。そんな雰囲気をしている。

 

 だが、タメ口を利かれている菫の方にも、それを咎めるような様子はなかった。この関係、この空気が当然であると、菫も思ってくれているのならば、嬉しい。今までの時間を取り戻すように言葉のやり取りは続いた。会話をしているだけで楽しいと思ったのは、久しぶりのことである。できることなら、いつまでもこうしていたいと思った京太郎を現実に引き戻したのは、ぽんこつ姉妹の妹の方だった。

 

 袖を強く引っ張られて初めて、京太郎は今ここがインターハイの会場であることを思い出した。参加するのは自分ではなく、照だ。激励にきたはずの人間を放って、会話に夢中になっていたのである。何とも恥ずかしい。慌てて照に頭を下げると、照は静かな声で『別に気にしなくても良い』と答えた。

 

 言葉とは裏腹に、明らかに気にしている様子である。拗ねてしまった、というのは誰の目にも明らかだった。菫の顔にも『不味いことになった』と書いてある。

 

 照と菫は部活の同期であるが、今の時点での立場は大きく違う。特待生で入学してレギュラーを勝ち取り、一年生でありながらインターハイ制覇を囁かれている照の重要度は、間違いなく部の中で一番高い。麻雀という競技はメンタルが結果に大きく左右する。照ほどの実力者ならば多少気持ちがブレても早々に負けることはないだろうが、それも程度に寄る。

 

 このことが原因で照があっさり負けようものなら、一緒についていた菫にも責任問題が及ぶだろう。部から追放などということにはなるまいが、特待生という立場のある照よりも難しい立場になるのは想像に難くない。

 

 何とかしろ、と菫が視線を送ってくる。こういう時、手綱が握れてこその宮永係だとは思うが、菫はまだ照と一緒になって三ヶ月である。寮では一緒の部屋だと言うが、それでも照を自由に動かすとはいかないのだろう。かく言う京太郎も、照の全てを知っているという訳ではないが、付き合っていた期間が長い分、その扱いも心得ていた。

 

「あー、照さん。忘れてました。これ俺が作ったクッキーなんですけど、試合の合間にでも食べてください」

 

 カバンから、長野で作ってきたクッキーを取り出す。本当はケーキとかの方が良いのだが、インターハイは長丁場だ。日持ちする物の方が良いだろうと、クッキーにしておいたのだ。全部で八種類。一日一袋として、八日は持つ計算である。

 

 照の目が、きらきらと輝きだした。拗ねていたことは忘れてくれたようだった。袋全てを渡すと、早速一つ目を開けようとする。照の機嫌が直ったことに安堵した菫は、早速その頭にチョップを落とした。おかしを邪魔された照はギロリと菫を睨むが、菫はそ知らぬ顔で手首をとんとんと叩く。

 

「そろそろ時間だ、後にしろ」

 

 照がそっと京太郎を見上げる。おかしが妹の次に好きな照は、捨てられた子猫のような目をしていた。どうにかしてやりたい気持ちがどうしようもなく湧き上がってくるが、白糸台のスケジュールに干渉するような権限は、京太郎にはない。今の京太郎にできることは何もなかった。

 

「今日作ったのはこれで全部ですけど、インターハイ優勝したら、ちゃんとお祝いをしますから」

「……ちゃんと私と咲のリクエストは聞いてもらう」

「もちろんですよ。俺は照さんの優勝を疑ってませんから、色々と準備して待ってます」

 

 インターハイが終われば、寮生活をしている麻雀部員にも帰省が許される。強豪と言えども、全く夏休みがない訳ではない。麻雀のような室内競技であるなら尚更で、更に全国優勝の立役者ともなれば、多少の休暇を取った所で文句は言われないだろう。

 

「それじゃあ、私は行く」

「観戦室で見てますから。頑張ってくださいね」

「お姉ちゃん、がんばって!」

 

 咲の声援を受けながら、照と菫は控え室に戻っていった。途中何度も違う方向に行きかける照の腕を引っ張る菫を見て、変わってないんだな、と安心する。

 

 照と菫が見えなくなると、急に咲がソワソワしだした。観戦室に向かおうとした矢先のことである。照が離れたことで気が緩んだのだろう。照と同じだけの付き合いがある咲が何をしたいのかは、京太郎にも良く解っていた。

 

「トイレならそこだぞ」

「京ちゃんのばか!」

 

 ばしばし背中を叩いてから、咲はトイレに駆けて行く。直球を投げてダメならどうすれば良かったのか、と逆に聞きたかったが、それを素直に口にすると、今度はデリカシーがないと言われそうな気もする。

 

 自問しながら、京太郎は近くにあったベンチに腰掛けた。ポケットからパンフレットを取り出す。見取り図を見ながら確認するのは、医務室などの救護用の施設の場所だった。観戦室は人で一杯だ。そういうものになれていない咲が気分を悪くした時困らないように、確認しておく必要がある。

 

 その時は一刻を争うかもしれない。迷わずにいけるように地図とにらめっこしていると、耳に慣れた声が聞こえた。

 

「久しぶりだね、京太郎」

 

 機械を通さずに直接聞くのは、随分と久しぶりである。懐かしい声に顔を挙げると、そこには予想通りの顔があった。整った顔立ちなのに、銀色の髪は二つに縛られていて、少々子供っぽく見える。それでもミスマッチに見えないのは、それだけ彼女が美人だからだろう。

 

「良子さん。ああ、お久しぶりです」

「本当に久しぶりだ。君が愛媛を出てからだから、直接会うのは二年ぶりだね」

 

 にこりと微笑む良子に、京太郎の胸も熱くなる。ベンチから立ち上がると、良子の頭は京太郎の目線よりも少し下にあった。

 

 二年前。京太郎は小学六年生で、良子は高校一年。今の照と同じ年だった良子は、当時の京太郎には随分と大人に見えた。その良子が自分よりも小さくなっているという事実に、京太郎は軽い衝撃を覚える。良子も決して小さい方ではないが、成長期に差し掛かった男子の京太郎よりは、やはり小さい。

 

 男女の性別差に驚いたのは良子も同じだったようで、京太郎を見上げるという初めての経験をした彼女は、苦笑とも何とも言えない笑みを浮かべていた。

 

「あの時の少年を、私はもう見上げてるよ。時間が経つのは早いものだね、本当に」

「全く。あれで止まったらどうしようかと思いましたけど、どうにか伸びてくれてます」

「物寂しくはあるけど、頼もしくもある。私としてはもう少し伸びてくれると嬉しいね。世の中には理想の身長差というものがあるらしいから」

 

 悪戯っぽく良子が笑う。誰から見たどういう理想なのかは言及しないで置くことにした。愛媛の思い出と共に、霧島神境で霞や初美に色々された時のことが京太郎の脳裏に蘇る。こういう顔をしている霧島の巫女に質問をして、ロクなことになった例がない。

 

 沈黙を貫く京太郎に、良子は軽く嘆息した。乗ってこないことを確信した良子は、中空に視線を彷徨わせながら、話題を探す。

 

「確か京太郎は宮永照の応援に来たんだよね?」

「そうです。妹と一緒に来ました」

「できれば私を応援して欲しかったところではあるけど、中学の先輩なら仕方ないな」

 

 照と同じ中学だったことは、良子にも伝えてある。インターミドルを連覇した時から、既に照は注目の的だった。後から調べてみたら、良子の高校も照に特待推薦の申し出を出していたという。選択如何によっては、チームメイトになっていた可能性もあったのだ。照一人でも全国優勝は磐石なのに、ここに良子が加われば鬼に金棒である。

 

 話題性が先行して今年のインターハイは照一色であるが、良子は良子でプロの注目を集めていた。何しろ良子は今年で卒業だ。プロに行くのか、行くとしてどこのチームに行くのか、行く先を気にする面々の話題は尽きない。予想はほとんど地元愛媛のチームであるが、霧島系の巫女であることから九州のチームに行くのではという見方もある。いずれにしても、プロに行く公算が高いというのが各機関の見立てだった。

 

 ふと、京太郎は良子が照をどう見ているのか気になった。良子はスカウトが注目する筆頭株である。二年間十分に経験を積み、全国の舞台も経験してきた。照ともきっと良い勝負をするだろう。照と良子が出るということで、出場選手のデータを集めてみたが、飛びぬけた実力を持っている照に匹敵しうると思えたのは、良子一人だった。

 

「良子さんから見て、照さんはどうです?」

「強いね。私を含めて今年参加してる女子の中では一番じゃないかな。とても一年とは思えないよ」

「良子さんでもダメですか?」

「それは宮永照を近くで見た君の方が解るんじゃないかな」

 

 意地悪く微笑む良子に、京太郎は押し黙る。照と良子。どちらも京太郎から見れば手の届かない位置にいる強者であるが、どちらが強いかと問われれば、照の方が強いと答えざるを得ない。

 

 言葉にしたほど明確な差がある訳ではないが、運の質と言い打ち回しと言い、照には非の打ち所がない。

 

 難点があるとすれば一度流れが途切れると打点がリスタートされるところであるが、今までの経験上、その頃にはもう取り返しのつかない程に点棒を積み上げているから、それ程問題でもない。

 

 そして照のスタイルは実力に開きがある場合にこそ、真価を発揮する。獲得点数の勝負である個人予選では、照を阻む者はいないだろう。打ち倒すとすれば決勝であるが、照に対抗する最有力である良子が戦う前からこれなのだから、他の選手がどう考えているのか想像に難くない。

 

 仮にも世話になった良子が相手である。自分でした質問だったが、京太郎は急に申し訳なくなった。

 

「何というか、すいません……」

「京太郎が謝ることじゃないよ。ちなみに、私も負けるつもりで打ったりしないから。やる以上は、勝つつもりでやるさ。一度くらいは、全国の頂点に立ってみたいからね」

 

 良子の微笑みにはどこか力がない。実力は確かであるが、良子はタイトルには恵まれていなかった。一年の時からレギュラーで、IHへの出場はこれで三度目。個人戦での代表は一度も逃したことはなく、去年は決勝卓にも座ったが、僅差で破れ二位となった。

 

 今年は三年。この夏がIHで戦う最後のチャンスである。今年を含めて三度チャンスがある照と違いがあるとすれば、そこだ。

 

 しかしながら、照は最初から三度優勝するつもりでいる。気持ちの強さでは、おそらく良子にも負けていないだろう。

 

 ならば実力で雌雄を決するより他はないが、当の良子が照を既に格上と認めている。勝つことを諦めていないとは言え、精神的な格付けが済んでいる状況では展望は厳しい。

 

「じゃあ私はそろそろ行くよ」

「もうですか?」

「さっきからトイレの出入り口の影で、こちらを伺っている女の子の視線が気になってね」

 

 良子の身体越しにそちらを見れば、確かに出入り口の影から咲の宮永ホーンが見え隠れしていた。知らない人間がいて、出るに出られないのだろう。堂々としていれば良いのにと思うが、性格は早々変わるものではない。

 

「あれが宮永照の妹かい?」

「はい。咲って言います。麻雀も強いですよ」

「姉妹揃ってか……これは、私が卒業した後も荒れそうだね」

 

 それじゃあ、と軽く手を振りながら良子は去っていく。入れ替わるように、トイレからこそこそと戻ってきた咲は、小さくなっていく良子の背中を見ながら、問いかけた。

 

「京ちゃんの彼女?」

「愛媛にいた時の先輩だよ。近所に住んでた人で、麻雀を教えてもらってたんだ」

 

 ふーん、と咲は小さく頷いた。明らかに納得していない様子であるが、京太郎には他に説明の仕様がなかった。

 

 確かに戒能邸に泊まりに行ったことは何度もあるし、彼女のチームメイトも含めて遊んでもらったこともある。二人で出かけたのも一度や二度ではないが、そのくらいは咲とだってしているし、照ともしている。別段、口にする程のことでもないだろうと判断した京太郎は、まだ良子の去った方を見ている咲の手を取って歩き出した。照の試合はもうすぐである。席は埋まっているだろうが、もたもたしていると立ち見すら危うくなる。

 

「行くぞ。ここまで来て外で見るのは、照さんにも悪いからな」

「ねえ京ちゃん。お姉ちゃん、優勝できると思う?」

 

 不安そうに問う咲に、京太郎は答えた。

 

「当然だろ。照さんに勝てる高校生なんているもんか」

 

 良子を心配したすぐ後に、これである。何とも後輩甲斐のない言葉であるが、照に優勝してほしいという気持ちは本物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、何で弘世さんがリンちゃんなの?」

「リンドウみたいに見えるからって俺がつけたんだ」

「…………」

「そんな顔するな。昔はかっこいいと思ったんだよ」

 

 



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23 中学生二年 須賀京太郎、西へ 導入編

元々ほとんどかけていたので久しぶりのスピード更新でした。
あぁそれにしてもリッカがドロップしない。


 

 

 

 久しぶりに連対率四割を超え、気分良くネット麻雀を終えた時、携帯電話が鳴った。憧か怜かと思ってディスプレイを見ると、そこには松実玄という名前があった。

 

 メールでのやり取りは頻繁にするが、電話というのは珍しい。声を聞くのは何年ぶりだろうか。考えながら電話に出ると、懐かしい声が耳に届いた。

 

『京太郎くんの電話……で、あってるかな』

「はい、須賀です。玄さん、お久しぶりです」

『良かった。電話かけるの久しぶりで緊張しちゃった。京太郎くん、今時間大丈夫?」

「ええ。ちょうどネット麻雀にも区切りがついたところでしたから、大丈夫ですよ」

『なら良かった。それで早速なんだけど京太郎君、来週一週間、うちでバイトしない?』

「松実館でですか?」

『そうなんだ。仲居さんの一人がちょっと出られなくなっちゃって……もちろん、バイト代は出すし、部屋はうちをタダで使ってくれて構わないし、ご飯もこっちで用意するつもりだけど……どう?』

 

 心配そうな玄の声を聞きながら、カレンダーを確認する。IHを制覇した照も咲やモモと一緒に遊んで東京に戻っていった。龍門渕の面々とは今週遊んでいる。夏休みの前半は女の子と遊ぶことだけに費やした気がするが、その反動か来週以降には予定がさっぱりなかった。

 

 バイトを率先してしようと思ったことはない。小遣いに不自由していないというのもあるが、それをするなら麻雀の勉強に費やしたいというのが京太郎の考えだった。何もなければ教本を読み、ネット麻雀をするのが日々の過ごし方であるが、麻雀大好きの京太郎でもたまには他のことをしてみようという気になることもある。何より他ならぬ玄の頼みだ。奈良にいた時は世話になったし、自分で力になれるのならば力になってあげたい。

 

 それに、転校して以来奈良には行っていない。久しぶりに玄や憧たち、麻雀教室の仲間の顔も見てみたかった。一応両親に相談する必要はあるが、まず反対はしないだろう。玄の家のことは二人とも知っているし、人手が足りなくて困っていると言えば問題ないはずだ。滞在費がかからないのならば、尚更である。

 

「良いですよ。一週間お世話になります」

『ほんと? ありがとー!! お料理はすっごいの用意するから期待しててね!!」

「それは楽しみですね。期待させていただきます」

『あと、お姉ちゃんもいるから一緒に麻雀も打てると思うよ。面子は……うん、当日までに誰か見つけておくから心配しないでね」

「そっちも期待してます」

『それじゃ、本当にありがとう! 詳しい話は、またメールで連絡するから!』

 

 何度も礼を言って、玄は電話を切った。玄の脳がとろけそうな声が、今も耳に残っている。そこまで感謝をされると身体がこそばゆい。受けて良かったと、久しぶりに善行をして気分が良くなった京太郎は、そのまま風呂場へ行こうと腰を上げる。

 

 狙い済ましたように携帯電話が着信を知らせたのは、その直後だった。

 

 何か連絡でも忘れたのだろうか、とディスプレイを見ると、そこにあったのは玄の名前ではなかった。

 

 石戸霞。

 

 思わず、ディスプレイを見つめたまま、固まってしまう。

 

 京太郎の十三年の人生の中で、頭の上がらない女性というのが何人かいる。石戸霞というのはその内の一人だ。いっそ居留守を使おうかとも思ったが、霧島の巫女は総じて勘が鋭い。居留守を使ったと確信をもたれたら、例え証拠がなくとも色々と反撃をしてくるだろう。不可思議な力を扱うことに長じた人たちである。地味に不幸になる呪いなどをしかけられたら、たまったものではない。

 

 霞の連絡手段は急ぎでない限りは手紙である。それが直接電話をかけてくるのだから、それなりに緊急の要件なのだろう。深呼吸して、気持ちを落ち着ける。玄と同じで声を聞くのは久しぶりだが、軽い気持ちで電話に出たさっきと異なり、京太郎の手は緊張で震えていた。取って食われる訳ではない。と自分に言い聞かせて、電話に出る。

 

「もしもし、京太郎です」

『霞です。出るのが遅いから、居留守でも使おうとしてるのかと思ったわ』

 

 くすくす、と笑う声が聞こえる。冗談のような声音であるが、霞が態々口に出したということは、それを疑いかけていたということでもある。居留守を使わなかったのは正解だった。背中に流れる冷や汗を意識しながら、京太郎は先を促した。

 

「ちょっと立て込んでまして、申し訳ありません。それで霞さん、電話で一体どういうご用件で?」

『……京太郎、私は悲しいわ。鹿児島にいた時私のことを何て呼んでいたのか、もう忘れてしまったの?』

「失礼しました。霞姉さん」

『よろしい。貴方のことだから沢山女性の友達がいると思うのだけど、私のことも忘れないでくれると嬉しいわ』

 

 霞の言葉がちくちくと刺さる。これが針のような小さいものならば良いが、霞の場合は槍の穂先で加減して突かれているような可能性がある。対応を誤ると一思いにグサリ、ということが容易に想像できて怖い。

 

『改めて用件だけど、京太郎、一週間くらい霧島まで来れない? 貴方が東京で良子さんに会ったと聞いて、春ちゃんが少し寂しがってるようなの』

「春がですか?」

 

 マイペースな同級生の顔を脳裏に思い浮かべる。春には悪いが、あまり寂しい思いをするようなタイプには見えなかった。年が同じ、相対弱運の治療を担当してくれたこともあって、春は霧島で一番仲良くしていた。今でも連絡を頻繁に取り合っており、良子と東京で会ったことも、メールで連絡した。霞がそれを知っているのは、春から伝わったからだろう。

 

 伝えた晩に、春とは久しぶりに電話で話したが、その時には特に変わった様子もなかった。勿論、霧島に来てと言われてはいない。霞の『春が寂しがっているから』という話には、少し違和感を覚える。

 

 だが、京太郎も女性の心情にそれ程精通している訳でもない。春にとっては霞は幼馴染の一人である。過ごした時間の長い霞と異性である自分の見立てならば、霞の方が信頼できるだろう。

 

 京太郎はまたカレンダーを見た。机の上からマジックを取り出して来週一週間に『奈良・阿知賀』と印をつける。この予定を短くすることはできないから、一週間の時間を取るとしたらさらにその次の週ということになる。

 

「実は来週予定が埋まってまして。その次の週なら一週間行けると思いますが……」

『できればすぐに来て欲しかったけど、予定があるなら仕方ないわね。その予定で、春ちゃんには伝えておきます』

「解りました。すいません、お手数おかけして」

『良いのよ。私も、そろそろ京太郎の顔を見たいと思っていたから』

 

 電話越しとは言え、耳元で囁かれる霞の声に思わずどきりとする。年上の女性に揉まれた経験から、普通であればここでお世辞の一つも出てくるのだが、霞の声でどきどきしていた京太郎はその反応が遅れた。時間にして数秒、沈黙が流れる。

 

『……俺もです、くらいは言ってくれると嬉しいわね』

「すいません。意外な攻撃にちょっとどきどきして……」

『私が京太郎に会いたいと思うのはおかしいかしら』

「そんなことは……」

 

 十分におかしいと思ったが、それは口には出せなかった。鹿児島にいた時、一番お姉さん風を吹かせていたのが霞である。優しい人ではあるが同時に厳しい人でもある霞は、弟に対する報復には決して手を抜かない。初美は機嫌を悪くしても関節技をかけてくる程度だが、霞のそれは有形無形のプレッシャーが半端ない。

 

『まぁ、今日はこれくらいで許してあげる。一週間後には鹿児島に来てくれるんだもの。お話はその時にね』

「お手柔らかにお願いしますね」

『それは京太郎次第かしら』

 

 くすくすと霞は笑いながら、霞は電話を切った。楽しくて仕方がないといったその雰囲気に、変わらないな、と京太郎は思った。転校して以来、という訳ではないが、京太郎も霞に会うのが楽しみになってきた。他の巫女にも会えるだろう。男の子のようにちんちくりんだった湧や、兄様兄様と慕ってくれた明星は元気だろうか。

 

 予定で埋まったカレンダーを見ながら、京太郎ははたと気づいた。

 

「……しかし女の子と遊んでるだけで夏休みが終るな」

 

 男としてどうなのかと思うが、そんな年もあるさー、と気持ちを切り替えて、京太郎はパソコンに向かった。これから毎年そうなることを、この時の京太郎はまだ知らなかった。

 

 

 



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24 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編①

 松実宥にとって『男の子』というのは恐怖の対象だった。

 

 特殊な体質をしている宥は、目立つ格好をしていることもあり、とにかく同級生にちょっかいをかけられていた。玄が助けてくれなかったら、家から一歩も出れなくなっていただろう。それくらいに、一時期の宥は年の近い異性が怖かった。

 

 小学校も高学年を過ぎ、中学生になると、宥は中高一貫の阿知賀女子に入学する。必然的に男子との接触は少なくなりかつての恐怖も鳴りを潜めたが、それでも道を行けばかつての同級生と顔を合わせることもある。

 

 最初はそれでも怯えたものだ。またからかわれるかもしれない。そう思っただけで宥の身体は固くなったが、宥が中学生になったのと同じように相手もまた中学生になっていた。彼らは宥に気づきはするものの、それだけで声をかけてくることもなかった。玄に負担をかけたくなかった宥は、自分に興味を失った同級生に心の底から安堵した。

 

 松実宥にとって『男の子』というのは恐怖の対象だった。

 

 しかし、そんな宥の周囲にいた少年たちの中で一人だけ空気を読まず、『女の子と仲良くなる』という行為が目的ではなく手段――を更に通り越してもはや習慣となっていた少年がいた。

 

 名前は須賀京太郎という。

 

 男の子は自分をいじめるもの、という認識の宥の前で、京太郎は実に紳士的に振舞った。へんてこな格好をしていてもからかったりせず、マフラーを隠したりもしなければ、囲んで小突いてきたりもしない京太郎は、宥の目には特別に映った。

 

 一年で転校してしまったその少年との交流は、今でも細々と続いている。宥にとって、京太郎は唯一の男友達と言っても良い。そんな彼が転校するという話を聞いた時、宥は真剣に告白しようか悩んだ。もう会えなくなるかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになったが、二つ下の友達の憧も京太郎を好いているのは明らかだった。

 

 京太郎のことは好きだが、憧のことも大事だった。結局、他人と争うことに慣れていなかった宥は、憧と険悪になるくらいなら、と勝手に身を引いた。

 

 それが、三年前のことである。

 

 結局、京太郎は誰にも告白されることなく転校し、憧も京太郎の彼女にはなっていない。聞いた話では、今も京太郎には彼女ができていないという。

 

 今彼女になれば、人生初の彼女だ。

 

 さて、と松実宥は考えた。友達への義理立てというのは、果たしていつまで続ければ良いのだろうか。

 人が良いと良く言われる宥であるが、流石に我慢にも限界というものがある。お姉ちゃんでも欲しいものは欲しいし、やりたいことはやりたいのだ。

 

 初恋の少年、須賀京太郎がまた奈良に来るという。

 

 少しだけ、積極的になってみよう。玄がはしゃぎながらバイトの話を持ってきてくれた時、宥は心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロープウェイから降りた京太郎は、荷物を道に降ろして一息吐いた。長野から電車を乗り継いで数時間。出発したのは朝方だったが、太陽はもう西に沈もうとしている。麻雀に限らず、全ての競技の資本は体力である。京太郎も体力にはそこそこ自信がある方だったが、長野から奈良への長旅は流石に疲れた。

 

 凝った身体をゴキゴキと慣らしながら、周囲を見回す。このロープウェイを使うのも、随分と久しぶりだ。ぐねぐねと曲がりくねった山道を真っ直ぐ横切るこのロープウェイは、地元の人の足として知られているが、自家用車を持っている人間はその限りではなく、そこそこの本数があるバスも通っている。これを好んで使うのはこの辺を訪れた観光客か、景色でも見ようかと優雅な気分に浸りたい地元民くらいのものだ、

 

 京太郎は地元民でも観光客でもなかったが、久しぶりということもありバスでもタクシーでもなくこのロープウェイを選択した。夕焼けに染まる三年ぶりの景色は実に綺麗だったが、自分以外にほとんど人が見えないことは、少し寂しく感じた。

 

 何となく人を探そうと彷徨わせた視線が、停留所備え付けの時計を見つける。

 

 松実館には今日中に着けば良いと言われており、この時間までに来いとは言われていない。急ぐ必要はないが、手には大荷物。これを抱えてうろうろするのも、それはそれで疲れそうだ。バイトをしにきた訳だから、金には余裕がないでもない。タクシーを使ったとしても誰も文句は言うまいが、男の子としてのプライドが京太郎に待ったをかけた。

 

 これからバイトをしにいく場所にタクシーで行くのは、何だか格好悪い気がしたのだ。夏の空の下、荷物を引いて歩くのは想像するだけでも気分が滅入る話だったが……節約になり、更に見得が張れると思えば、この日差しも乗り切れる気がした。

 

 とは言え、一人歩きはキツい。せめてジュースでも、とガラガラ荷物を引きながら、停留所を出る。さて自販機は……と視線を彷徨わせた先で、見覚えのある姿を見つけた。

 

 ピンク色のカーディガンに赤色のマフラー。真夏にあっては正気を疑うコーディネイトは罰ゲームでも何でもなく、彼女の普段着である。見ているだけで汗をかきそうな格好であるが、彼女本人の人柄を知っていると、それも趣と思える気がした。

 

「宥さん!」

 

 少し大きめに声をかけると、宥が顔を上げた。ぱたぱたと、笑顔を浮かべて走ってくる。近くまで来ると、やはりその小ささが目についた。宥は玄の姉で、京太郎よりも二つ年上である。小学五年、奈良にいた時宥の身長は京太郎よりも少し上のところにあったが、今は遠めに見ても大分下にあるように見える。おそらくあの頃とほとんど変わっていないのだろう。はぁはぁ、と少しだけ荒い息を吐く宥は、咲と同じくらいの身長に見えた。

 

 女性としては決して大きくはないが、出るべきところはしっかりと出ている。女性らしい身体つきは、咲とは全く違うもので、全体的に柔らかそうである。これは玄が喜ぶだろうな、と品のないことを考えた京太郎は、すぐに自分を戒めた。会って早々いやらしいことを考えるものではない。せっかく再会したのに、エロくなったと思われるのは、とてつもなく格好悪い。

 

 恐る恐る宥の顔を見る。泣きそうな顔になっていたら謝り倒そうと心に決めた京太郎だったが、宥は視線を向けられて恥ずかしそうに俯くだけだった。昔から良くあった反応である。不躾な視線に恥ずかしがっているとか、そういう雰囲気ではない。とりあえず、いきなり泣き出されるような事態にはならなそうだった。これからは視線の動きには気をつけようと、京太郎はひっそりと気を引き締める。

 

「久しぶり、京太郎くん。バイト引き受けてくれてありがとう」

「俺の方こそ。泊まる場所を提供してくれて感謝します。こういう機会でもないと、遠くには行きにくくて……」

 

 中学生であるから時間にはそれほど困らないが、旅費についてはどうしようもない。お年玉貯金があるから今すぐどうこうということはないが、気軽に奈良だ岩手だ鹿児島だという訳にはいかないのだった。今回、奈良阿知賀の旅費については流石に須賀家が出しているが、旅館に泊まらせてくれる上に食費滞在費がタダというのは京太郎にとって願ってもないことだった。加えて昔なじみの顔も見れるというのなら、バイトくらい喜んでする。

 

 がらがらと、荷物を引きながら宥と歩く。旅館までは歩いて十分ほどの距離である。宥との再会で心はときめいたが、夏の日差しは手加減をしてくれない。とりあえず目に付いた自販機に、千円札を投入する。自分の分の冷たいお茶を買ってから、宥のために暖かい紅茶を購入。正気の沙汰とは思えないチョイスであるが、宥は夏でもこんな調子である。銘柄が好みか自信はなかったが、以前、松実旅館の外で会った時、この銘柄を飲んでいたと記憶している。少なくとも飲めないほど嫌いということはないはずだ。

 

「再会の印が、こんな安物で恐縮ですが。どうぞ」

「ありがとう、京太郎くん」

 

 にっこりと、笑みを浮かべて宥は紅茶を受け取る。缶を渡す時に触れた宥の手は、風邪をひいた時のように暖かかった。寒がりの宥は平熱が高いのである。

 

「京太郎くん、今身長はどれくらい?」

「この間計ったら、175でした」

「おっきいねー。流石男の子。もしかしてまだ伸びるのかな?」

「どうでしょう。保健の先生はまだ行けると言ってましたけど……」

 

 既に平均は突破しているから、渇望しているというほどではない。実際、女子の知り合いのほとんどは京太郎よりも小さく、今は宥を見下ろしている。教室にいた時はちょうどギバードの頭が、これくらいの距離にあった。暇さえあれば飛びついてくる元気の良い少女だったが、今も変わらず元気にしているだろうか。

 

「頼もしいね。私はもう成長が止まっちゃったみたいだから、ちょっと羨ましいかな」

「あまり大きくても良いことはないと聞きますよ。知り合いに一人俺よりもデカい女の人がいますけど、合う服がないってボヤいてました」

「そんな大きい人がいるの?」

「今の俺が少し見上げるくらいですから、女性としてはかなり大きいですね」

「すごいね。そんなに大きい人には、私会ったことないかも」

「凄いですよ。俺がたかいたかいされるくらいですから」

 

 衣のような美少女がやられるのならば絵にもなろうが、中学生男子が持ち上げられるのは絵的にキツい。何より男が女に力負けしているのは色々な意味で格好悪いと言える。腕相撲をしても勝ったり負けたりで、男っぽい要素で勝てている所がほとんどない状態である。

 

 きっと女性受けでも純には負けている。麻雀でも勝てないし、料理も純の方が上手い。もしかして勝てるところは何もないのだろうか。考えていたら大分憂鬱になってきた。そんなブルーになっている京太郎を他所に、宥は足を速めて少しだけ前に出た。後ろ足でとてとて歩きながら、そっと京太郎を見上げる。年上美少女の上目使いに、京太郎はたまらず視線を逸らす。早速戒めを破りそうになったからだ。男性と接することになれていないのだろう。宥の仕草の一つ一つには、無邪気な破壊力があった。

 

「京太郎くん、大きいのにね。たかいたかいとかできる人がいるんだね」

「何というか、色々な意味で男らしい人ですからね。腕力も結構ありますから、それくらいはできても驚きません」

「それじゃあ、例えばの話なんだけど…………京太郎くん、私のこと持ち上げられる?」

 

 上目使いはそのままに、宥が聞いてくる。

 

 可能か不可能かであれば、可能である。ふっくらした見た目の宥であるが身長は咲と同程度であるから、体重もそれに近いと判断できる。色々とおもちな分を含めても、持ち上げられないということはないはずだ。

 

 だがぺったんこの咲を持ち上げるのと宥を持ち上げるのでは意味が大分違う。たかいたかいをするということは脇の下に手を挟むということだ。ぺったんこな咲にそうすることに抵抗はないが、宥に同じようにするのは危険である。手元が狂えば触ってしまう可能性があるし、何よりここは外。少ないとは言え人通りもある。

 

 そんな中で宥を『たかいたかい』したらどうなるか。恐ろしく目立つのは間違いない。

 

 それに宥は松実館のお嬢さんとして、顔と名前が売れている。客商売をやっている家のお嬢さんを、悪い意味で目立たせるのはいかがなものか――常識的なことを考えつつも、京太郎の目はついつい宥の胸に向いていた。

 

 勿論、自発的には触らない。それはもう犯罪だ。

 

 しかし、アクシデントであれば、許される許されないは別として不可抗力だ。そこに浪漫を感じなければ男ではない。本音を言えば触ってみたいが、それを口にするのは躊躇われた。オープンにそういうことを言えたら、と宥から視線をそらして京太郎は思ったが、もしそういう性格であれば京太郎の人生はまた大きく変わっていただろう。

 

 悪く言えばチキンな判断こそが、女性ばかりの環境で京太郎を生きながらえさせてきたのだ。

 

 得てして、上手い話ほど目の前を通り過ぎていくものである。こんなところでセクハラまがいのことをされて、良い気分のする女性などいるはずもない。はぁ、と小さく溜息をつく。一周して『そんな甘い話がある訳がない』と悟った京太郎は、実に清い気持ちで『できますよ』と答えた。

 

 それで、ふーん、と流して終わり。少なくとも京太郎はそう考えていたが、その場で足を止めた宥は、顔を真っ赤にして予想と反する行動をした。

 

「それじゃあ……やってもらいたいな」

 

 沈黙が流れる。宥の言葉が信じられなかった京太郎は、顔を見返した。その瞳は見えない。耳まで真っ赤にした宥は、顔を伏せていた。雰囲気的に聞きかえすことはできないが、宥の態度からイエスと言われたのだと理解する。

 

(訳が解らない……)

 

 俺にこんなラッキーが舞い降りても良いのだろうかと、京太郎は本気で自問した。性質の悪いドッキリなのではと宥にバレないようにこっそりと周囲を見回したが、そこにはカメラも看板を持ったシズの姿もなかった。

 

 覚悟を決めた宥が、軽く両腕を広げた。ここに腕を差し込めと言っているのは、言葉がなくても明らかである。顔を真っ赤にした宥の行動に、京太郎も覚悟を決めた。

 

 そっと、でも胸には触れないように、でも何かの間違いで触れたら良いなと邪な感情を抱きながら手を差し込み、宥を持ち上げる。宥は想像していたよりも大分軽く、温かかった。厚着をしているせいで手触りこそごわごわとしているが、伝わる感触は女性特有の柔らかいものだった。

 

 腕を目一杯伸ばして宥を持ち上げると、その後ろに夕日が見えた。流れ落ちる宥の髪と、手から伝わる体温。聞こえる鼓動はどちらのものだろうか。上と下で見詰め合っていたのは数秒。周囲の視線が恥ずかしくなってきた京太郎は、宥をそっと地面に下ろした。

 

 宥は京太郎から視線を逸らし、乱れていない服の乱れを直している。持ち上げた時よりも更に真っ赤になった顔から、湯気が出そうだった。

 

 やって良かった。それは男として間違いない。

 

 しかし離れて物事を見てみれば、誰が得をしたのが良く解らない行為だった。人の目は今は散っている。これで目立ち続けていたら宥は顔を真っ赤にし過ぎて倒れていたことだろう。勢いで物をやるものではないな、と今更なことを感じながら京太郎は宥を促し、松実館に向かって歩き出した。

 

 松実館の上のお嬢さんがロープウェイの駅の近くで人目も憚らずにいちゃついていた、という噂が広まるのは、この翌日のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日目の夜は特に何事もなく終了し、二日目の朝である。

 

 旅館の朝は早い。バイトであってもそれは変わらず、京太郎は朝の五時半に起こされた。身づくろいもそこそこに、先輩方に教わりながら仕事を始める。まずは風呂場の清掃である。こんな時間に? と思ったが、朝風呂を開放している松実館では、深夜にやらないのであればこの時間しかないらしい。

 

 ともかく時間との勝負である。

 

 デッキブラシで床を磨き、脱衣所を清掃する。それを一通り済ませたら今度は調理場に連れていかれた。風呂掃除の時に何気なくピーラーなしで野菜の皮を剥けると口にしたせいである。百個以上の芋の皮を剥き終わると、ようやく『早朝の』仕事が終わった。

 

 下ごしらえが済んでしまえば、料理に関しては素人である京太郎の出る幕はない。料理を作るのも運ぶのも、別の人間の仕事である。一足早く部屋に戻った京太郎は、調理場でもらったまかないを食べながら一息入れる。

 

 玄は中学生でありながら、仲居さんに混じって働いていた。和服を着てせっせと動き回る姿は、とても一つだけ上には見えないほどに凛々しく見えた。

 

 玄の凛々しさを反芻しているうちに、休憩も終わる。朝食が終わると今度は、使われた食器の洗浄だ。食洗機はあるが、細かな所は人の手でやらないといけない。京太郎と、調理場の中でも若い面々で食器を片付けている内に、他の面々が休憩に出る。戻ってきた調理場の面々は、朝に比べると非常にゆっくりとしたペースで昼食の準備を始めた。

 

 昼食まで旅館で取ろうとする人間は少ないためだ。昼食の準備が一区切りつく頃には、食器も一通り片付いていた。一緒に働いた若い面々と一息入れようとしたところで、今度は仲居さんたちに引っ張りだされる。朝方チェックアウトされた部屋の掃除の手伝いである。

 

「ようやく一緒に仕事だね!」

 

 玄ともう一人の仲居さんのヘルプにつき、テキパキと部屋の掃除をする二人の指示で、物を動かしたり運んだりと、とにかく右に左に動かされる。

 

 その後に、昼食である。朝方ひっそりと一人で取った食事とは違って、女性ばかりの中での昼食だ。仲居さんたちに質問攻めにされながらも、美味い賄いに舌鼓を打ち、午後の仕事に。昼のチェックインでお客様を入れる部屋の最終チェックである。午後も玄のチームと一緒の仕事である。

 

 仲居さんと一緒に働く時はこのチームだね! と玄の一言でチーム割が決定されたという。人見知りをするような性格ではないが、年の離れた仲居さんと仕事をするよりは、玄の方が安心できた。仲居さんたちも悪い人ではないのだが、ゴシップ大好きの彼女らは『本命はどっちのお嬢さんなんだ』と聞きたがるのである。

 

 それを笑って聞き流せるならば良いのだが、隣で玄が聞き耳を立てている状況では、上手い答えも返し難い。そういう時何と答えたものか考えながら仕事をしていると、次は夕食の仕込みである。またまた芋、にんじんなど、とにかく野菜の皮剥きだ。数百の芋とにんじんとの格闘が佳境に入ると、そこからは調理場も仲居さんたちも戦争だ。

 

 旅館の一日の中で最も忙しい時間がくると、調理場の中も途端に慌しくなる。目の回るような速度で動き回る面々を他所に、下拵えが終わり、戦力外を言い渡された京太郎はこっそりと休憩を取る。

 

 皆が働いている時に、自分だけ休憩を取って良いものかと良心の呵責に苛まれる京太郎だったが、事実、いても邪魔なのだから仕方がない。その代わりとばかりに、夕食の波が過ぎると山のような洗物が待っていた。明日の朝食の下ごしらえを始める一軍メンバーを横目に見ながら、朝よりも量がある洗物を片付けていく。

 

 それから翌朝の仕込みの準備を手伝い、調理場の掃除をしてようやく一日の仕事が終わる。

 

 疲れた。その一言に尽きる。比較的軽い仕事を任されていたはずだが、大人は毎日これをやっているのだ。旅館の仕事は大変なのだな、と思いながら疲れた身体を引きずって戻り、部屋の戸を開けると――

 

「おかえりなさい」

 

 和装を着こなした宥が、三つ指をついて出迎えてくれた。巨乳美人が自分の帰りを待っていてくれている。男の夢を具現化したようなその光景に、京太郎は本気で自分が具現化系の念能力に目覚めたのではと疑ったが、空きっ腹に訴えかける美味しそうな匂いが、これが現実なのだと理解させた。

 

 宥の案内でテーブルにつく。テーブルの上には、いつの間に用意したんだというくらい豪勢な食事が並んでいた。記憶が確かならば、一番良い部屋と同じグレードの食事である。緊急時のヘルプとは言え、間違ってもバイトが食べるようなものではない。

 

「お父さんが『これは感謝の気持ちだ』って。板さんたちも、京太郎くんならって喜んで用意してくれたよ。一生懸命お仕事してたみたいだから、気づかなかったみたいだけど」

 

 考えていたことが顔に出ていたらしく、先回りして反論を潰してくる宥に、京太郎はあっさりと白旗をあげた。申し訳ないと思う気持ち以上に、空腹には勝てなかったのだ。目の前に並ぶ食事はどれも、この世のものとは思えないくらいに美味そうに見えた。

 

「いただきます」

「うん。めしあがれ」

 

 恐る恐る箸をつけた京太郎は、まず最初に味噌汁を啜った。

 

 目を大きく見開く。自分が味の解る人間だと思ったことはないが、味噌汁一つが異常に美味い。お椀を持ったまま固まる京太郎を見て、宥はおかしそうに笑った。その声で正気に戻った京太郎は、食事を再開する。こんなに美味いものを、冷ましてしまっては勿体無い。

 

 それからは無言である。宥のようなおもち美少女が近くにいるのをすっかりと忘れて、京太郎はただ只管に食事を続けた。自分のことが目に入らないように食事を続ける京太郎を、宥はにこにこと眺めている。他人がこの光景を見れば、二人はそういう関係なのだろうと誤解しただろう。

 

 それは宥にとっては望むところではあったが、幸か不幸かこの部屋には京太郎と宥の二人しかいなかった。

 

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。すごいね、流石男の子。おひつも空になっちゃった」

 

 宥の淹れてくれたお茶に口を突けながら、腹を摩る。満腹過ぎると集中力が切れるため、普段は八分目くらいでセーブするのだが、今日はこれ以上は入らないくらいに食べた。それだけ料理が美味しかったのである。

 

「お仕事はどうだった?」

「大変でした。ついていくだけでもやっとです」

 

 そう答える京太郎の仕事がどうにか形になったのは、周囲の人々がフォローしてくれたからだ。手伝いにきたのに逆に迷惑をかけているようで、申し訳なくなる。

 

「お父さんも皆も、京太郎くんはよくやってくれたって言ってたよ。初めてなんだから多少できなくても仕方ないし、それも承知で呼んだんだから、そこまで気にすることはないと思うな」

 

 優しい宥の言葉に思わず頷きそうになるのを、ぐっと堪える。これで何も気にしないようなら、タダのアホだ。それに宥は優しい人ではあるが、甘い人ではない。にこにこと微笑む宥に、京太郎は『いいえ』と小さく首を横に振った。

 

「だからこそ、もっとがんばります。ここで胡坐をかくようになったら、それこそ迷惑かけっぱなしですからね」

「……うん、やっぱり男の子だね、京太郎くんは」

「子供っぽいですか?」

「頼りになるってことだよ」

 

 笑う宥に、京太郎は少しだけ居心地の悪さを感じた。お姉さんには勝てないと思う瞬間である。

 

「ところで宥さんは、昼間は何を?」

「私は事務仕事と、ボイラーの勉強をしてるの」

「ボイラー……ですか?」

 

 思わず聞き返す京太郎である。

 

 ボイラーというと、風呂のお湯を温めるアレである。一般家庭にもあるが、旅館のものは家庭のそれとは比べ物にならないくらいに大きい。そして業務の性質上、火を落とすことができないために、燃料代が凄いことになると聞いたことがある。当然、その管理や保守のためにも人員は必要となるが、それを宥が行うというのもイメージができない。

 

 ほんわかした雰囲気の宥がツナギを着てスパナを持っている姿を想像するが、ギャップによるときめきはあるものの、正直にいってあまり似合っているとは思えなかった。そういう仕事をしている人を馬鹿にするつもりはないが、大旦那の長女である宥が態々やる仕事とも思えなかった。

 

「私はお客様の前に出れないから、自分にできる仕事をしないとね。ボイラー室ならあったかいし、手先は不器用でもないから良いかなって」

「仲居さんみたいな仕事に、憧れたりはしないんですか?」

「そういうのは玄ちゃんの方が向いてるから。マフラー着たまま接客は、できないでしょ?」

 

 見慣れた京太郎だから宥の厚着にも違和感を覚えないが、初めて見た人間は目を丸くするだろう。確かに接客業に向いている性質とは言えないが、宥の人柄を知っているだけに悔しくも思う。これほど他人を癒せる優しい笑顔ができる人を、京太郎は他に知らない。

 

「そういう顔をしてくれるだけで、私は満足だよ。解ってくれる人がいるだけで、私には心強いんだから」

 

 他人を癒す笑顔を浮かべた宥が、急須を持ち上げる。京太郎は黙って、空になった湯のみを差し出した。こぽこぽ。楽しそうにお茶を淹れる宥を見ながら、しみじみ思った。この人に世話をされて喜ばない男は、絶対にいない。着物の上にマフラーという珍妙な格好でも、これも味だと納得すると思う。全く世の中アホばっかりだな、と思いながらも、そうであるからこそ今この瞬間、宥を独占できているのだと思うと、否定するにもしきれない。

 

 京太郎は別に博愛主義者ではない。どういう事情であれ、美少女が今自分のためだけに何かをしてくれるという事実が、たまらなく嬉しかったのだ。

 

「どうぞ、京太郎くん」

 

 差し出される湯のみを受け取りつつ、京太郎はテーブルの隅から、もう一つ湯のみを取り出した。宥からそっと急須を取り上げ、

 

「ご返杯です」

 

 京太郎からのお茶を、宥は最初目を丸くして見つめていたが、やがて湯のみをそっと取り上げ口をつける。

 

「美味しい。ありがとう、京太郎くん」

 

 お礼を言われた。ただそれだけで、もっと嬉しくなる。慣れない仕事で疲れた身体が、この一瞬で癒された気がした。

 

 

 



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25 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編②

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 松実館にやってきて、三日目。

 

 宥と一緒の食事で疲れを吹き飛ばした京太郎は、初日以上の熱意を持って仕事に取り組んだ。一日仕事を経験したこともあり、明らかにミスは減り、他人へのフォローもできるようになった。それでも駆け出し、初心者の域を出ることはなかったが、中学生という年齢、バイト二日目ということを考えれば上々のものだったろう。

 

 猫の手も借りたいと思って手配したバイトが意外と使えることに松実館の従業員は舌を巻き、重宝しつつも厳しく接することになった。そのおかげで仕事は増えた訳だが、自分の働きぶりが認められたような気がして、京太郎は嬉しかった。程よい疲れを持って部屋に戻ると、この日も宥が待っていてくれた。

 

 食事の豪勢さは昨日に比べるとグレードダウンしていたが、宥が配膳してくれることに比べれば、些細なことだった。相変わらず美味しい食事に舌鼓を打ち、宥の淹れてくれたお茶を飲みながら一息入れる。

 

「京太郎くん、そろそろお風呂に入ったら?」

 

 時計を見た宥が、ぽつりと呟く。臨時のバイトであるが、従業員側である京太郎は客用の大浴場を使うことはできない。昨日使ったのも、従業員用の小浴場だ。小とついてはいるが、須賀家のものよりも大分大きく、旅館だけあって温泉である。宥と一緒の食事の後に入るととても気持ちが良く、昨日などは湯船に漬かりながら寝落ちしたほどだった。

 

 これで宥が背中でも流してくれたら最高なのだが、と宥の身体に無遠慮な視線を向けるのを、寸前で堪える。流石にそこまでは高望みだろう。宥のような美少女が一緒に食事をしてくれるだけでも十分なのだ。これ以上望んだら、罰が当たる。

 

「そうですね。そうさせてもらいます」

「いってらっしゃい。片付けは私がしておくから、ゆっくりね」

 

 にこにこと微笑む宥に見送られ、小浴場に向かう。昨日はこの間に、宥が布団を用意してくれていた。部屋に戻った時にはもういなかったが、他人が用意してくれた布団で眠るなど初めてのことだった。それを用意したのが宥となれば、感動も一入である。布団は柔らかく良い匂いがして久しぶりに快眠できた。今晩もそれを味わえると、京太郎の心も躍った。

 

 途中、すれ違った仲居さんたちに挨拶しながら、小浴場の扉を開く。

 

 向けられる視線が、何やら下世話な感じににやにやとしていた気がするのだが、気のせいだろう。女性はたまに、男から見て訳の解らないことをするものだ。手早く着替えて、小浴場の扉を開ける。

 

 温泉特有の空気が、胸に心地良い。

 

 座椅子に座り、頭から湯を被る。もう一度、ざばり。熱めの湯が、肌に気持ちが良い。

 

 さて、と持ってきたアカスリに手を伸ばしたところで、京太郎はがらり、と戸の動く音を聞いた。

 

 小浴場の入り口には、使用中の札を下げてある。京太郎がここを利用することは全ての従業員が知っており、それが下げられている時は、京太郎がいると解るようになっているのだ。松実館に従業員は多くいるが、松実家以外は全員が通いである。一応、という形で小浴場は用意されているが、ここを利用する人間は京太郎が思った以上に少ない。

 

 気持ち良いのに何で、と調理場で問うたが、松実館に勤めて長い彼らは笑いながら『だからこそ』と答えた。ここで湯船に浸って疲れを癒すと、家に帰るのすら億劫になるというのである。京太郎が違和感なく使えるのは、旅館に泊まっているからだ。

 

 そんな人気はあるが使う人間の少ない小浴場に、人である。誰だか知らないが札は間違いなく下げたから、件の人物はそれを押してまで入ってきたということだ。何か緊急の用事だろうか。自分が入っているのを知った上で入ってくるなど、京太郎にはそれくらいしか思いつかなかった。

 

 座椅子から僅かに腰を浮かせて、振り返る。擦りガラスの向こうに映ったのは女性のシルエット。直感で、京太郎はそれが玄であると判断した。何か連絡を持ってくるなら、付き合いのある宥か玄がやるのが都合が良い。宥は今部屋で片付けをしているはずだから、態々来るとしたら玄としか考えられなかった。

 

「玄さん、どうしました?」

 

 先手を打って声をかけると、脱衣所で『わっ』と驚く声がした。

 

「……良く気づいたね。こっそり来たつもりだったんだけど」

「音はしましたからね。それから影で、玄さんじゃないかと思いました」

「流石京太郎くん。入る前に悟られるとは思わなかったよ」

 

 ん? と京太郎がその言葉の違和感を鮮明にするよりも先に、小浴場の戸が開いた。

 

 ぺたぺたと足音を立てながら、玄が入ってくる。仲居用の着物に襷がけをし、腕と裾を捲くった玄の目的は明らかだったが、あまりのことに処理落ちした京太郎の脳は、理解を拒否していた。

 

 フリーズし、対応が遅れる間に、玄はにこりと笑って話を進める。

 

「お背中流しにきましたー」

 

 遅まきながら、仲居さんがにやにや笑っていたことの理由に思い至る。

 

 年若い少年に、選択肢など存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり背中広いねー」

 

 ごしごしと、暢気に背中を擦る玄の声を聞きながら、京太郎は一言も発せずに俯いていた。

 

 バスタオルとか実は全裸とか水着とか、いやらしい格好をしている訳ではない。肌色の面積こそ増えているが、着ているものは同じなのだからほとんど誤差のようなものだろう。それでも視線を向けることができないのは、知った仲の美少女が背中を流しにきてくれているという事実が、中学生男子の京太郎にはあまりに刺激的だったからだ。

 

(おかしい。衣姉さんの時はここまでではなかったのに……)

 

 一つ年上、美少女という点で、衣と玄は同じカテゴリーに分類されるはずなのに、興奮度合いは段違いだった。やはりおもちの差だろうか……衣の前では絶対に口にできないことであるが、事実なのだから仕方がない。

 

「はい、流すよー」

 

 適度に温かいお湯が、背中の泡を流していく。背中を流すといっていたが、肩や腕なども丁寧に洗ってくれた。流石に前は、と遠慮したが、京太郎が抵抗しなければ普通に玄は手を出していただろう。部屋にこっそり所蔵している卑猥な本のような展開にはなるまいが、美少女が近くにいるという環境は良くもあるが、あまり精神によろしくはない。

 

「ありがとうございました」

「いいってことだよ。お姉ちゃんはご飯のお世話してるんだし、私もこれくらいはね。あ、明日もしてあげようか?」

「それは遠慮します。毎日玄さんに頼ったら、転がり落ちるようにダメな男になりそうで」

「そうなったらお世話してあげるよー」

 

 明らかに冗談と解る口調で言う玄に、京太郎は見えないように苦笑した。誰にでもこの調子なら、勘違いする男子も出てくるだろう。玄が通うのが女子高で良かったと思う。共学だったらお嬢様という背景もあって、男が放っておかなかっただろう。

 

「ところでさ、京太郎くん。前から聞いてみたいことがあったんだけど――」

 

 心中で身の心配をされていることを知らずに、玄は暢気な口調で言葉を続ける。振り向くと色々なことで大変になりそうだと思った京太郎は、ちょっとやそっとでは振り向かないことを、心に決めた。

 

「――京太郎くんは、麻雀好きだよね?」

「はい。すげー好きです」

「私たちが考えるには少し早いかもしれないんだけど、京太郎くん、将来はどうするのかなって」

「将来ですか……」

 

 久しぶりに聞いた言葉である。小学生の頃には、将来の夢は何か、という話を学校でしたこともあるが、皆が漠然と答えるに合わせて、京太郎も漠然と答えていた気がする。何と書いたのかは、覚えていない。少なくとも麻雀プロになりたいと書いたことは、言ったことは一度もないはずだ。

 

 その頃よりは大分マシな実力になったと自負しているが、それでもプロへの道は遠い。

今の京太郎にとっては正しく、麻雀プロというのは夢である。

 

 だが、麻雀を離れてみると、将来というものがとんと浮かばない。十年後でも二十年後でも麻雀をやっている自信はあるが、将来の展望と言えばそれくらいだった。麻雀をしている、と答えようと思ったが、玄が聞いているのはそういうことではないのは、京太郎にも解っていた。

 

 沈黙する京太郎を見て、玄はくすりと笑う。

 

「聞いておいて何だけど、私も良くは解らないんだ。旅館を継いでるかもしれないし、別の道を見つけてるかもしれないし、何か本当にやりたいことが見つかって、それをやってるかもしれない。京太郎くんは麻雀と一緒に生きていくんだと思うけど、でもそれは、麻雀で食べていくってことと同じじゃないよね?」

 

 段々、話が難しくなってきた。話に着いていけなくなりつつあった京太郎は、早速誓いを破って肩越しに振り返る。腰にタオルを巻いただけの年下の後輩の視線を受けた玄は、困ったように微笑んだ。玄も年頃の女性である。実は意外に男らしい身体をしていた京太郎にどきどきしており、京太郎以上に目のやり場に困っていたのだが、男である京太郎はその機微に気づくことはなかった。高鳴る胸の鼓動を意識しないようにしながら、玄は言葉を続ける。

 

「競技プロって道もあるし、レッスンプロ――赤土先生みたいに、人に教えるプロやアマチュアだってあるし、そういう記事を書く人だって、麻雀に関わってると思うよ。でも、麻雀を仕事にしなくても、麻雀と一緒に生きていくことはできるよね? 別のお仕事をしながら、麻雀をしてる人だって沢山いるよ」

 

 確かに、アマチュアでも強い人は沢山いる。教室にはそういう人も教えにきてくれていたことがあった。勿論、プロとして活躍している人に比べれば実力で劣るものの、彼らは総じて麻雀を楽しんで打っていて、また、他人に教えるのも上手かったように思う。

 

「麻雀に縛られて、それしか見えないのは京太郎くんにとっても損だと思うんだ。麻雀がいけないって言ってる訳じゃないよ? でも、他の道もあるってことを、知っておいてほしいなぁ、とお姉さんは思うのです」

「玄さんは、俺にどんな仕事が向いてると思いますか?」

「旅館の旦那さんとか、向いてると思うよ。仲居さんや板場の人にも評判が良いし」

 

 ふむ、とただ頷く京太郎を他所に、玄の顔は段々と赤くなっていく。風呂場が暑いから、というだけの理由ではない。京太郎にとっては向いている仕事を薦められただけであるが、実家が旅館である玄にとっては違う意味を持っていた。理性はここで止めておけと言っていたが、滑り出した口は止まることはなかった。

 

「私は京太郎くんが一緒に働いてくれたら……うん、凄く嬉しいかな」

 

 理性と戦っていた羞恥心が、この時漸く勝利を掴んだ。難しい話に混乱している京太郎を他所に、我に返った玄は、自分が何を言ったのかをきちんと、正確に理解した。

 

「はい。お姉さんの話はおしまい!」

 

 慌てて京太郎から距離を取った玄は、手近にあった桶を掴み、京太郎に中身をぶちまけた。桶一杯の湯を頭から被った京太郎の視界がふさがっている内に、玄は小浴場から出て行く。いきなり出て行ってしまった玄の行動の意味が理解できなかった京太郎は、髪の湯を払いながら首を傾げる。ほとんど玄が喋っていたから、何か不必要なことを言ったとは思えない。せっかくいつもはしない話をしていた所だ。できることならもっと話がしたかったし、聞いてほしいことも今更ながらに出てきたのだが、玄の気配は遠くなっていくばかりだった。

 

「まぁ、いいか」

 

 将来のことは、難しい。色々考えてはみたが、今すぐ結論が出ることでもなかった。蛇口から冷水を出した京太郎は、それを勢い良く頭から被った。ぶるり、と震えると思考がクリアになっていく。疲れてはいるが、頭は冴えていた。麻雀の勉強をするには最適なコンディションである。

 

 今日は何の教本を読もうか。麻雀のことを考えている京太郎の頭から、将来のことはすっかり抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎の部屋を片付け終わった宥は、伸びをしながら一息ついた。京太郎はまだ風呂にいるが、その間に布団の準備もしておかなければ。普段のぽややんとしてる雰囲気と異なり、着物を着て、仲居のように働いている宥は実にきびきびと動いていた。

 

(まるで新婚さん……)

 

 当たり前と言えば当たり前のことに思い至った宥は一人でもだえる。男のために甲斐甲斐しく働く宥は、新婚さんに見えなくもない。甘酸っぱい想像に前後不覚になった宥は足をもつれさせ、これから敷く予定の布団にダイブする。きちんとメンテナンスされている布団には誰の匂いもしなかったが、これからここに京太郎が寝るのだと思うと、宥も少しおかしな気分になった。

 

 ここに自分の匂いをつけても良いのでは。邪な考えが宥の頭をよぎるが、旅館の娘としてのプライドがそれを押し留めた。慌てて起き上がり、身体の熱を追い出すように、大きく溜息をつく。この部屋にいたら、もっと邪なことを考えそうだ。片付けも終わったことだし、さっさと帰ろう。てきぱきと布団の準備をし、荷物をまとめて部屋を出て行こうとしたところで、宥は誰かの足音を聞いた。

 

(玄ちゃん?)

 

 急ぎ足のそれは、間違いなく妹の足音だった。

 

 そも、旅館で働く仲居さんは身体を揺らさずに歩くため、足音はほとんど立てない。この時間、この辺りを通る可能性がある人間で、足音を立てるのは玄だけだ。仲居さんとして働いている以上玄もそういう訓練はしており、普段は足音を立てずに歩くのだが、今はぱたぱたとしっかりと足音を立てていた。よほど急いでいるか、慌てているのだろう。いずれにしても、お客様の目に留まる可能性がある場所で、足音を立てているところが父に見つかったら大目玉である。

 

 やんわりと注意しようと部屋から顔を出すと、玄は早歩きしていた勢いそのままに、宥の胸に飛び込んできた。まさか抱きつかれると思っていなかった宥はバランスを崩した。堪えようと二歩、三歩と後ろに下がり、先ほど煩悩と共にダイブした布団に、今度は妹と一緒にダイブする。三人で……という邪な妄想が宥の頭がよぎるが、今は遠い未来のことよりも近くの妹だ。

 

「どうしたの? 玄ちゃん」

「聞いてよ、お姉ちゃん!私予定の通りに京太郎くんのお世話にいったんだけど……」

「あぁ、お背中を流すって言ってたね」

 

 昨日仲居さんにアドバイスを貰ったと、得意そうに話していた今朝の妹の姿を思い出す。

 

 玄が京太郎を弟のように思っていたのは知っている。姉しかいない玄は、弟が欲しいと言っていたことがあった。

 

 女性に優しく紳士的で、年上に気を使うことができる。少しデキが良すぎる気もするが、弟として京太郎は理想の存在だろう。

 

 だが、背中を流しに行くというのは玄の冗談だと思っていた。自分と違い玄には行動力があるが、そこまでとは宥も思っていなかったのだ。抱きしめる玄の温かさを見るに、本当に行ったのは間違いない。裸にバスタオル? と宥の手に言い知れない力が篭ったが、玄の着物には襷がけの跡があった。こっそり視線を下に向ければ、裾に濡れた後もある。最悪の事態は回避できたと見て良い。

 

 とは言え、入浴中にいきなり異性が入ってきたのだ。京太郎は女の子に慣れている節があるが、流石に緊張しただろう。

 

 そして、緊張したのは玄も同じはずである。腕の中の玄は、心臓の音が聞こえるくらいにドキドキしていた。羨ましい、とはっきりと思う宥だったが、京太郎の裸を直視して平静でいられる自信はなかった。勢いこんで小浴場に行っても、逆上せ上がって倒れてしまうのがオチである。

 

 お世話にいったのにそれでは本末転倒だ。京太郎に介抱されるというシチュエーションは魅力的ではあるが、どうせならお世話をして、そしてありがとうと言われてみたい。今は甘えたいよりも、甘えられたいだ。お姉ちゃんなのだから、当然の欲求である。

 

「それで、どうしたの玄ちゃん」

「あのね。話の流れで、前から言いたいことを言ってみたんだ。将来のこと。京太郎くん、麻雀以外にも目を向けた方が良いんじゃないっかなって」

 

 玄の言葉に、宥は小さく頷く。

 

 京太郎が麻雀を大好きなのは彼を知る誰もが知っていたが、同時に、今のままでは競技プロにはなれないだろうことは、宥にも解った。麻雀という競技に対する理解は、あの年代では全国でも屈指だろう。もし運の介在しない麻雀などがあるとしたら、それこそ京太郎が全国の頂点に立ってもおかしくはない。

 

 しかし、実際の麻雀は運が介在する余地が多いにあった。京太郎はそういう麻雀では無類のハンデを背負っている。理解が深くても、運が細くては勝てるものも勝てない。それがより、京太郎を麻雀に引き込んでいるのだろうが……見ている人間は時折、不憫に思うことがある。あんなに麻雀を愛している人間が勝ちに見放されているのだ。他にもっと向いていることがあるんじゃないか、と思うのは当然の帰結である。

 

 もっとも、それを京太郎に口には出来なかった。宥も玄も、京太郎が麻雀を愛していることは良く解っている。自分が今、本当に好きでいるものを諦めろと、どうして言えるだろうか。宥たちにできることは精々、麻雀を諦めずに妥協できる道をやんわりと提案することくらいだ。

 

「それで、玄ちゃんは何て言ったの?」

「…………」

「玄ちゃん?」

「……………………旅館の旦那さん」

 

 恥ずかしさで、玄は俯いてしまう。一風呂浴びている所に旅館の娘が押しかけてきて、背中を流している途中に、旅館の旦那とかどうだろうと薦めてきた。これが意味するところは、年頃の女の子でなくても解るだろう。玄のような美少女が、そういう健気なアピールをしたのだから、普通の男の子ならばころっと落ちてしまいそうである。

 

 真っ赤になって沈黙する玄を他所に、宥は考えた。

 

 京太郎が義弟になるというのも、悪くはない。何しろ義弟だ。甘やかして優しくされて、したいことは沢山ある。桃色な妄想をしながらも、しかし宥は冷静だった。

 

 それくらいでどうにかなるなら、今頃とっくに誰かが勝負を決めていただろう。奈良にいた三年前の段階で京太郎はフリーだった。それから何度か転校し長野に定住。その間に女の子と知り合う機会は何度もあっただろう。既に知り合った女の子と会う機会だってあったはずだ。自分がそうなのだから、他にも同じ気持ちを持った女の子がいてもおかしくはない。特に長野には一年以上腰を落ち着けていて、これからも住む可能性が高い。

 

 京太郎も中学二年生。そろそろ彼女が欲しいと思ってもおかしくはない。それなのに、まだ彼女が一度もできていないという事実は、京太郎の守備力が異常に高いことを意味していた。普通は逆なんじゃないかと思わないでもないが、それを嘆いても始まらない。

 

 解っていることは、京太郎を好いている女の子が自分を含めて複数いることであり、そして今まで一度もその思いが成就していないということ。

 

 悪く解釈すれば、これからも届く見通しが低いということである。ライバルが沢山いる以上、勝率が下がるのは必然だ。おまけに地理的な問題もある。長野にいる女の子は良いが、自分たちは奈良にいる。遠距離というのはそれだけで、大きなハンデだろう。

 

 なら、諦める? 自分に問いかけても答えはNOだった。

 

 これを良い方に解釈すれば、まだ誰にでもチャンスがあるということだ。人生初彼女の座をゲットできるということだ。

 

 何より、自分たちが良いなと思ったのは、麻雀の女神に振り向いてもらえなくても、何度も何度もアプローチを続ける男の子である。多少勝率が低いくらいで諦めたら、あまりに恥ずかしくて、彼の前に立てなくなってしまう。

 

「玄ちゃん。よくやった、だよ」

「お姉ちゃん……」

「京太郎くんが、旦那さんになってくれたら良いね」

「…………何か、私も仲間に引き込まれてない?」

「? そのつもりで言ったんじゃないの?」

「違うよ! や、違わないけど……その、お姉ちゃんも憧ちゃんも好き好き言ってるのに、私が踏み込むのもどうかと思うし、京太郎くんのことはずっと弟みたいに思ってたって言うか、これからも多分そうなんじゃないかなって」

「つまり、好きなんだね?」

「一言で纏めるとそうなんだけど……多分、お姉ちゃんとか憧ちゃんの好きとは違うんじゃないかな。私の仲間は多分、シズちゃんとか桜子ちゃんだよ」

「玄ちゃん」

「なにかな、お姉ちゃん」

「仲間になって、くれるよね?」

「…………了解ですのだ」

 

 妹の了解が気持ちよく得られたところで、宥はふっと肩の力を抜いた。男の子はおっぱいが大好きであると聞くから、玄が仲間になってくれると非常に心強い。自分でなく玄が選ばれるようなことがあっても、その時京太郎は義弟になり、自分は晴れてお姉ちゃんになる。

 

 自分がいて、玄がいて、京太郎がいて、そこにさらに家族が増える。

 

 それはとても幸せなことだと、宥は思った。

 

 




おかしい、クロチャー編のはずだったのに宥ねえの出番が留まるところをしらない……
そして次回は(多分)灼ちゃんのパートです。




 


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26 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編③

あらたその出番を書いたと思ったらアコチャーが出てきました。
残りの二人は次話の登場になりますごめんなさい。


 松実館バイト、四日目。

 

 今日も前日、前々日と同じかと思われたバイト内容だが、朝から様相が違っていた。もっと長く不在になると思われていた仲居さん他、数名のスタッフが職場復帰したのである。元々休みの人間もいるためフルメンバーとはいかないが、これで松実館の戦力はかなり回復した。

 

 松実館にとっては嬉しい誤算であり、京太郎にとってもそれは同じだった。仕事内容は比較的軽い物に変更され、朝は早起きしなくても良くなったし、力仕事も幾分か減った。本職の仲居さんが増えたことで、ついでに言えば玄の仕事も減っている。二人して苦笑を浮かべて顔を見合わせたのは、昼のことだった。

 

 揃ってきっちりと昼時の休憩を取ることが出来た二人は、賄いを持って廊下を歩きながら会話していた。

 

「午後にも少し、時間ができた?」

「ええ。忙しく働いてたのが嘘みたいですよ。板場で休んでたのは一人だけみたいですけど、その人が復帰するだけで全員の仕事のスピードが違うんですから、驚きました」

 

 京太郎の言葉に、玄がうんうんと頷く。板場で欠けていたのは、板場の中でも古参の従業員で、職歴は松実父よりも長い。彼の復帰で板場の雰囲気は引き締まり完全復活となった訳だが、そうなると京太郎には居場所がなくなってしまう。人手はあるに越したことはないが、人手が足りていない場所は他にもあるということで、板場を自由契約になった京太郎は主に外の仕事を担当することになった。

 

 ところがこちらも古参の仲居さんが復帰。昨日までに比べると居場所は少なくなっていた。仲居さんたちにからかわれながら、仕事を手伝ったものの、忙しさは昨日に比べれば段違いである。

 

「実はお父さんにはもう許可はもらってるんだけど、京太郎くん。私たちと一緒に外回りに行ってもらえないかな?」

「松実さんが行けと言ってるなら行きますが……外回りって何ですか?」

「買出しと、挨拶周りかな。まぁ、買出しはついでみたいなものだから、挨拶周りがメインなんだけど」

「良いですよ。俺も、居場所がなくて肩身が狭い思いをしてたところです。玄さんのためなら、熊野までだって行きますよ」

「シズちゃんじゃないんだから……」

 

 と、玄は笑みを浮かべる。シズなら行けると半ば信じている風であるが、ここから熊野まではかなり距離がある。中学生の女の子の足で行ける距離ではない。

 

 だが、穏乃を知る人間は、そのママさんさえも『穏乃なら……』と思っている節があった。京太郎も半ば信じかけていたが、思考を無理やり現実に引き戻す。小学生の頃はおさるさんと言われていた穏乃だが、あれから三年も経った。流石に身長も伸びて大人しく、女の子らしくなっているだろう。大人しい穏乃というのもあまり想像はできないが、京太郎も小学生の時とは幾分違っている。

 

 人間、時間が経てば変わるものだ。あの頃の穏乃が見れないと思うと寂しいものがあったが、それはそれで仕方がないことだ。

 

「熊野までは行かないけど、結構歩くよ。大丈夫?」

「構いませんよ。これでも男ですから、是非こき使ってください。荷物もちでも何でもしますから」

「良かった。じゃあ、午後は三人でおでかけだね」

「三人?」

「うん。私と、京太郎くんと、お姉ちゃん!」

 

 三人でデートだね、と玄は笑う。出掛けるだけでこれだけ喜んでくれるなら、喜んで荷物持ちをしようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長く家が続くと面倒な柵(しがらみ)が出てくるものである。

 

 特に松実館は客商売であるため、地元の人々との付き合いを大事にしていた。食材や備品を仕入れている商店から、隣近所の家々まで、挨拶に行かなければならない場所は数多い。

 

 基本、そういう仕事は当主がやるものであるが、忙しい場合は家族がそれを代行することもある。松実家は母が鬼籍に入っているため、特に仲居修行を始めている玄にお鉢が回ってくることが多い。挨拶される側も、松実館の忙しさ、そして玄の孝行っぷりを理解しているから、まだ中学生の娘がやってきても嫌な顔一つしない。

 

 むしろ中年のおじさんがやってくるよりも華やかで良いと評判なくらいだった。

 

 行く先々で歓迎され『これを食べて』と挨拶周りに来たのに荷物が増えている。少女二人であれば渡す側も遠慮しただろうが、明らかに荷物持ちの男が一緒と解れば遠慮はしない。昼食の後に外に出て、約三時間。十件を超える家々に挨拶周りを終えた頃には、京太郎の腕には荷物が溢れていた。

 

「ごめんね、京太郎くん」

「いえいえ。こういうのは男の仕事ですから」

 

 申し訳なさそうな宥に、京太郎は笑顔で答える。実際、両手は塞がっているが、重さはそれほどでもない、これくらいで男を見せられるのならば安いものだ。

 

「京太郎くんが頑張ってくれたおかげで、後三件だね。高鴨屋と新子神社と鷺森レーン――」

「シズと憧の家ですね。神社にも挨拶周りに行くんですか?」

「松実家は新子さんちの氏子だから」

 

 初めて聞く情報に、京太郎はほー、と溜息を漏らした。

 

 地元の有力者がその土地の神社と関わっているという話は、霧島で良く聞いた。春と初美に治療されている間にも、どこそこの金持ちさんがやってきてどうしたこうした、という難しい話を、他の巫女さん達がしていたのを聞いたことがあった。松実家が新子の氏子であっても不思議ではないが、どちらも友人の家、というのは新鮮な感じである。

 

「それなら、憧にも挨拶したいですね。電話やメールは良くするんですが、会うのは久しぶりだ」

「それなんだけど。憧ちゃんは中学校の合宿で今いないんだって」

「合宿って、麻雀部のですか?」

「三年生が引退して憧ちゃんたちが一番上になったから、ちょっと気合を入れて……って言ってたよ。今日帰ってくる予定だけど、何時に帰ってくるかはちょっと解らないって」

「そうですか……」

 

 久しぶりに会えるかと思ったのだが、肩透かしを食らった気分である。

 

 それでも、昔の友達が今も熱心に麻雀に取り組んでいるらしいという話は、京太郎にとって嬉しい話だった。

 

「でも、明日には会えるはずだから、今のうちに話を通しておいた方が良いよ。憧ちゃんも呼んで、皆で麻雀しよう?」

 

 玄の提案に頷き、他愛のない話をしながら道を行けば、目の前には新子神社の石段があった。

 

 小学生の時の思い出が蘇る。シズと憧と、良くこの石段を登ったものだ。郷愁に浸りながら石段を登り、境内につく。良く手入れされているのが解る清潔な境内では、巫女さんが一人竹箒を持って掃除をしていた。

 

 赤毛の巫女さんは京太郎たちを見つけると、笑みを浮かべる。憧の姉の望である。

 

「玄ちゃん、宥ちゃん、お久しぶり」

「今日は父の名代で参りました。神主様はご在宅でしょうか?」

「ご丁寧にどうも。父は母屋の方にいるわ」

「ありがとございます。それじゃあ、私達はちょっと行ってくるね?」

 

 ぱたぱたと母屋へ駆けて行く二人を見送って、京太郎は一息吐いて荷物を地面に置いた。生ものも混じっているが、袋に入っているし衛生上は問題ない。

 

「少年、何か飲む?」

「すいません、いただきます」

 

 お構いなく、と言うべきところなのかもしれないが、夏の日差しはやはりキツかった。汗を拭きながら、日の当たらない木陰に移動すると、望が麦茶を持ってきてくれた。元々、近くに用意してあったのだろう。水滴のついたグラスは少々ぬるく感じたが、汗をかいた身体には十分過ぎるほど心地良かった。

 

「君、松実館に婿入りするの?」

「……なんですって?」

「噂になってるよ。松実のお嬢さんが、お婿さんを連れて挨拶回りに出てるって」

「俺はただのバイトで、荷物持ちですよ」

 

 ははは、と京太郎は笑う。女性が噂好きなのは良く知っている。二人は目立つから、余計にそういう噂が立ったのだろうと気にしなかったが、その笑みを見た望は逆に、困ったように微笑んだ。

 

 夫人が鬼籍に入り、子が娘二人しかいない松実館は、家を続かせるには婿を取るしかない。加えて、挨拶回りというのは本来家の代表がするもので、今回は宥たちが代わりに行っている。つまりは家の用事なのだ。バイトだからと京太郎は笑うが、それに同道しているということは、『この男は身内である』と公言しているとも取れる。

 

 噂がゴシップにしてはかなりの確度として広まったのは、そういう推察もあってのことだ。

 

 もっとも、京太郎本人にその気がないことは望にも解る。彼の言う通りにただのゴシップ、勘違いということであるが、宥や玄の態度を見るに、ゴシップは当たらずとも遠からずだと思った。根拠はないが、かなりの確信を持って言える。

 

「……あのお嬢さんたちは、外堀から埋める気だな?」

「何か言いました?」

「ううん、こっちの話。それより君、すっごく見覚えがある気がするんだけど、どこの生まれ? この辺じゃないよね? 訛りが全くないし」

「ここに住んでたのは一年だけですね。晴絵さんの麻雀教室にも通ってました」

「え? もしかして、京太郎くん?」

 

 悪戯が成功した子供のような顔で、京太郎は頷いた。奈良にいた時に、望には会ったことがある。初めて会うような対応から、望がこちらの素性に気づいていないことに、京太郎は気づいていた。

須賀京太郎と思いもしなかったというのは、驚いた顔を見ればよく解る。

 

「はー……流石男の子。三年? 会ってないだけなのに、こんなに大きくなるものね」

「幸いなことに。お久しぶりです、望さん」

「久しぶり。憧やシズと一緒に走り回ってた男の子が、松実館に婿入りするとは思わなかった」

「バイトなのは本当ですよ。人手が足りなくなったとかで、玄さんから電話がありました」

「新子神社で人手が足りなくなっても手伝ってくれる?」

「長期休みで手が空いてたら喜んで」

 

 実際、部活に所属していない京太郎は暇を持て余していると言っても良い。誰かと約束がない限り予定は埋まらないが、奈良と長野は遠い。長期休みでもない限り、気軽には来れないのだ。

 

「憧は合宿と聞きましたが」

「中学のね。来年こそは全国に行くんだって頑張ってるのよ」

「阿太峯に行ったんですよね。てっきり阿知賀に行くもんだと思ってたんですけど」

 

 これは憧に限らず、晴絵の下で麻雀を学んでいたメンバー全員に思っていたことだ。ギバード他チビたちにいたるまで、クラブの面々は皆晴絵を慕っていた。経済的な事情がない限りは、彼女が伝説を成した阿知賀に進学するというのは自然な成り行きである。実際玄とシズはその口だ。

 

 京太郎の言を聞いて、望は『君が言うかー』と口にする。

 

「私や晴絵の世代が勧誘に不熱心だったせいで阿知賀は中学高校両方とも、麻雀が盛んじゃないの。それならまだ阿太峯の方がって思ったんでしょ。そこで良い成績を残して、晩成にって考えてるらしいわ」

「高校も阿知賀じゃないんですね」

「奈良なら晩成だからねー。全国出場を逃したのは晴絵がいた一回だけだし、常勝不敗よ」

 

 その割には、望の声音には不満そうな色がある。その一回、全国に行ったメンバーの一人としては、麻雀をしている妹が当時ライバルだった晩成に行くのが気に食わないのだろう。気持ちは解るが、麻雀を競技として行う場合、環境というのは非常に重要となる。部員の確保すら危うい阿知賀では、不安を覚えるのは当然だろう。成績を出そうとするなら尚更だ。最悪、一人でも全国に行くことはできるが、一人では団体には出られない。機会が多い方が良いのは当然である。

 

「京太郎くんから、阿知賀にしろって言ってくれない? 京太郎くんの言うことなら、憧も聞くと思うんだけどな」

「でも部員が……麻雀やりたいなら、人が多い方が良いでしょう?」

 

 確かにレジェンド世代には負けたが、その他でずっと全国に行っている晩成は奈良で麻雀を学ぶのに最適の環境である。麻雀を学びたいのなら、その選択に間違いはない。それに部員がいないということは指導者がいないということでもある。その有無、そして良し悪しで練習内容に雲泥の差が出ることは、京太郎自身が体験していた。

 

 麻雀を学びたいという憧を、環境として劣っている場所に置くのは、同じ麻雀を愛する者として気が引けた。

 

 京太郎が乗ってこないと理解した望は、んー、と呻きながら頭をかく。説得するにはその材料が必要だ。麻雀に関することで、京太郎も憧も納得しそうなもの。そんな都合の良いものが早々あるはずもないが、二人と望を比して一つだけ断然有利なものが幾つかあった。

 

 新子望は成人していて、そして阿知賀のレジェンド赤土晴絵とは無二の親友である。こと、晴絵個人とのコネクションについては、この時点では全国一と言えた。

 

「晴絵が実業団にいるのは知ってるよね」

「知ってます。九州のチームですよね」

「その親会社、実は地味ーに経営がヤバイみたいなの」

「マジですか?」

「マジマジ。実業団をなくすのは本決まりみたい。後はそれがいつになるのかってことなんだけど……」

 

 そこで望は言葉を切る。恩人が職を失うのだから喜ぶのは褒められたことではないが、一度フリーになるということは京太郎にとって光明だった。

 

「なら、晴絵さんが阿知賀に戻ってくるってことも」

「ないではないわね。少なくとも、憧たちが一年になる頃には戻ってるはずよ。ちなみにあいつ、大学で教職も取ってるの。地元では超のつく有名人だし何しろ母校だし、本人がやりたいって言えば、就職するのは何も問題ないと思うわ」

 

 望の言葉に、京太郎は沈黙する。

 

 麻雀を学ぶには環境が重要だと言った。伝統と実績がある晩成は確かに最高の環境だが、晴絵は一人でそれを覆せる可能性がある。

 

 まずは、八年前の実績。当時の興奮を忘れられない地元の人間は、彼女が監督として舞い戻ってきたら確実に応援してくれるだろう。雰囲気というのは、勝負をする上で非常に重要である。味方が多いという安心感は、コンディションにとてつもなく影響する。

 

 加えて、本人の実力だ。一時期牌を握っていなかったとは言え、かの『グランドマスター』に大物手を直撃させたのは、公式記録に残っている限り晴絵だけである。咏も晴絵が教室で子供達に教えていた頃から、その実力を認めていた。練習相手としてこれほどの相手はいない。

 

 晩成もコーチOGともに充実しているだろうが、晴絵に匹敵するレベルとなると数えるほどしかいないはずで、そしてその人物らは常駐できていないはずだ。

 

 晴絵一人。彼女がいるだけで、阿知賀の環境はかなり向上する。元々いる玄に宥、それからシズに憧が加われば四人。後一人面子を集めれば、団体戦にも出ることができる。

 

 阿知賀のレジェンド再び。麻雀を愛する人間として、これほど心躍ることはない。

 

「憧のこと、説得してくれる?」

「一応やってはみますが、俺の言うことで聞きますかね」

「それは今試してみれば良いんじゃない?」

 

 ほら、と望の指の示す方に視線を向けると……果たして、そこには渦中の人物がいた。

 

 当時とあまり共通点はないが、京太郎にはそれが憧であるのだと一目で解った。勝気な瞳は相変わらずで、当時に比べて随分と背が伸びた。小学生だったのだから当然だが、子供っぽかった雰囲気も、随分と洗練されている。よほどお洒落に気を使っているのだろう。咲や照に比べると、髪や眉の形などが随分と今風に見えた。

 

 思わず、声を失う。色々と思うところはあったが、一言でまとめるなら、新子憧は随分と綺麗になった。

 

 合宿用の荷物が詰まっているらしいカバンをその場に落とした憧は、呆然と、京太郎を見つめている。その瞳には理解の色があった。望のように、誰か解らないということはないらしい。

 

「久しぶりだな、憧。元気にしてたか?」

 

 先に復帰した京太郎は、普通に声をかけることにした。メールや電話でのやり取りは毎日のようにしていたが、直接顔を合わせるのはこれが久しぶりである。写真のやり取りなども当然ない。奈良を出て以降、最後に憧の姿を見たのは中学に入学した直後、本人から送られてきたあっかんべーの写真でのことである。

 

 それと比べても、随分と雰囲気が変わってるように見えた。玄と宥に容姿の上であまり変化がなかったからか、凄い衝撃である。

 

 その衝撃をどうやって伝えたものか。京太郎が悩んでいる内に、憧が動いた。荷物を抱えた憧は凄い速度で京太郎の隣を走りぬけると、望の腕を無理やり取って、母屋へと駆けて行った。

 

 後には男の京太郎が残されるばかりである。

 

 しばらく呆然と、消えた憧を見送った京太郎は、一息ついて木陰に腰を下ろした。

 

 女性が男に理解できない行動をするのは、珍しいことではない。気にしたら負けだと推測を諦めて、麦茶に口をつけた。

 

 玄と宥はまだ戻ってこない。しばらく木陰で優雅に休憩するのも、悪いことではないだろう。

 

 ちち、と小さく鳥の声が聞こえた。男が神社の境内に一人。これ以上、静かな環境もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お、お、お姉ちゃん! あれ京太郎よね! どうしたの!? 何で奈良にいるの!?」

「落ち着きなさい妹よ。あんまり大声出すと、外の京太郎くんに聞こえるよ?」

 

 そうだった! と憧は呼吸を整える。三年会っていなかった片思いの相手が突然現れたのだから、気も動転する。心臓はまだどきどきしていた。数秒前は合宿の疲れで朦朧としていた意識はしっかりと覚醒していた。

 

 憧がまず行ったのは自分の格好のチェックだった。中学の制服。髪は合宿所を出る前にしっかりと整えてきた。初瀬にはからかわれたが、これも女の嗜みと憧は手を抜かなかった。今は自分のその行動を褒めてやりたい。

 

 コンパクトを取り出して顔を確認する。自分で疲れを自覚していただけあって、顔色が若干悪く目も少し充血しているが、不健康に見える程ではない。同級生の男子は女の子のこういう微細な変化に激しく鈍いが、京太郎はたまに鋭い。看破される可能性は十分にある。

 

 心配してくれたらとても嬉しいが、疲れているところを見せるのは女の子として気が引ける。三年ぶりに顔を合わせる、片思いの相手だ。できることなら、全力の自分だけを見ていてもらいたい。それにしても――

 

(かっこよくなってた……)

 

 見上げるほどに大きな身長。身体つきもほど良く筋肉がついて男らしくなっていた。電話で何度も声を聞いたが、実際に聞くと耳に残る。顔を見ながら名前を呼ばれた時は、涙が出そうなほどに嬉しくなった。

 

 京太郎の声を顔を思い出して喜んでいる妹を見て、望は深々と溜息を漏らした。

 

「そういう生き方疲れるわよー。常に全力とか、途中でガス欠になるに決まってるんだから」

「私はそういう恋をしてるんだから良いの! それより――」

「身づくろいしてる間、京太郎くんを引き止めておけって言うんでしょ? まぁやってみるけど……松実さんちの予定もある訳だから、約束はできないわよ」

「家の外回り?」

「ご挨拶ね。今はお父さんと話してる」

「そう。ならお昼食べてから外に出たはずだから……」

 

 この日差しである。京太郎がお供にいるとは言え、それ程身体の強い訳ではない宥を長時間つれ回すとは思えない。この時刻に新子神社にいるということは、行っても後二、三件というところだろう。玄たちが回っていて、新子神社にこの時間ということは……

 

「高鴨屋にはまだ行ってないわね。残りはどこだと思う?」

「鷺森レーンじゃない? あそこのお婆さん、松実さんちと付き合い長いから」

「ほんと? そこの子と会ったことないんだけど」

「確か憧の一つ上だったはずよ。灼ちゃん。阿知賀中等部に通ってた……かな?」

「……かわいい?」

「小さい娘よ。シズちゃんと同じくらいだと思うけど……なに? 会ったこともない女の子に嫉妬?」

 

 図星を突かれて、憧は押し黙る。京太郎と別れてからこっち、女の子力は磨いてきたつもりだが、強敵は奈良にも色々いる。京太郎とは性別の壁を感じさせずに仲が良かったシズや、松実姉妹はその筆頭だ。麻雀クラブで一緒だったチビたちも油断ができない。そんな中でも、憧の目から見ても実に女性らしい身体つきをしている松実姉妹には強い脅威を感じざるを得ない。

 

「そう言えば、何で玄たちと一緒にいるの? バイト?」

「らしいわね。四日前から松実館に泊まってるって」

「そんなに……」

 

 それだけ時間があれば、玄たちと何かあってもおかしくはない。京太郎にも玄たちにも、色々と話は聞かなければならないだろう。家の挨拶回りならば割ってはいる余地はないが、この後シズの家に行くならば同道を申し出ても不自然はない。

 

「早く着替えてきなさい。できるだけかわいい服にするのよ」

「とーぜん! こういう時のために、日々努力してたんだから!」

 

 玄も宥も強敵だが、勝負もせずに敗退するような柔な女ではないつもりだ。せっかく顔を合わせたのだから、全力で自分を見てもらいに行く。そのための努力、そのための三年だ。

 

 望への言葉もそこそこに、荷物を持って部屋に飛び込む。手早く制服を脱ぎながら、クローゼットから服を取り出して行く。準備に時間はかけられない。短い時間で女の子として戦闘力の高い玄たちよりもかわいくならなければいけないのだから、無理難題に近い。

 

 全身が映る姿見の前にたって、自分の身体を見つめる。余分な贅肉はないが、その分、必要な肉もない。プロポーションには自信があるものの、ボリューム不足は否めなかった。京太郎が巨乳好きなのは教室では桜子ですら知っていたこと。特に玄や宥が相手では『一部』を比較される可能性は大いにある。

 

 大きくなるよう、日々運動にも余念がない憧だが、未だに成果には結びついていなかった。姉を見るに、そこまで絶望しなくても良いはずだが、大きくなるならそれでその兆候くらいは見せてほしいものだ。女の勝負は総合力と自分を奮い立たせるも、玄たちボリューム満点な少女を見ては、気持ちも萎えてくる。

 

 愚痴ばかりも言っていられない。

 

 手持ちのカードが弱いからと降りるようなら、そもそも勝負を吹っかけたりはしていない。ライバルが多く、そして強力なのは最初から解っていたことだ。ブラシで髪を整えながら、憧は瞳を閉じて気持ちを静めていく。

 

 目を開いた時、新子憧は少女から女の顔になっていた。

 

 これから始まるのは、女の戦いだ。 

 

 

 

 

 



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27 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編④

「あら、京太郎くん」

「覚えててくれましたか」

 

 高鴨屋を訪ねると、店先には穏乃の母――綾乃がいた。男子一人に女子三人という大所帯に彼女は目を丸くしたが、その中に京太郎がいるのを見ると顔を綻ばせた。一目で解ってくれたことが、妙に嬉しい。差し出された手を握り返すと、綾乃は感慨深そうな顔をして、大きな手ね、と微笑んだ。

 

「見れば解るわよ。本当に大きくなって。うちのシズは小さいままなのに」

「一応、俺は男ですからね。女の子ならまぁ、小さい分には構わないんじゃないかと」

 

 一部の女子にはぶっ飛ばされそうであるが、それが京太郎の意見である。

 

 男はそうでない可能性の方が高いが、女の子は小さい分にはかわいいと解釈される余地がある。背の高い純をどうこう言うつもりは身の安全のためにも勿論ないが、どちらがよりかわいいかと言えば大抵の人間は小さい方と答えるだろう。

 

 京太郎の感想に、どちらかと言えば小さめな女性陣から安堵の溜息が漏れる。小さい方が良いと思われたようだが、それについては、曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁す。

 

 それはあくまで身長の話。一部の身体的特徴について、須賀京太郎が真逆の主張を持っていることは、教室に通っていた面々及び、宥は知っていることである。

 

 それも今更の話であるが、蒸し返されるのも面白くはない。

 

 このまま続けると余計なボロを出しそうだと判断した京太郎は、視線で玄と宥を促した。家の用事を思い出した二人は、綾乃の案内で、高鴨屋の奥に消えていく。奥にいるのは和菓子職人でもある穏乃の父親だ。松実父の古い友人で、和菓子職人として優れた腕を持っていると聞いている。奈良にいた時は良く、和菓子を食べさせてもらった。その味は小学生の時の、大事な思い出の一つだ。

 

「憧ちゃんも、久しぶりね」

「ご無沙汰してます」

「んー、女の子らしくなって……穏乃は本当に、本当に……」

 

 はぁ、という綾乃の溜息は深い。憧は複雑な表情を浮かべて、京太郎を見た。中学が別になったことで、穏乃とは最近、疎遠になっていると道中で聞いた。言われて見れば、最近は電話でもメールでも穏乃の話を聞いていないような気がする。中学も変われば、疎遠になるのも仕方ないこととは言え、あのシズと憧が離れているという事実は、中々にショックなことだった。

 

「シズのことですから、今も元気なんでしょう?」

「それは親として嬉しいんだけどねぇ……女の子なんだからもう少しかわいらしいことしてほしいのに、あの子ったらいつまでも子供のままで。服なんて制服とジャージしか持ってないのよ」

「普段着がジャージってことですか?」

 

 思わず聞き返した京太郎に、綾乃は頷く。深刻なその様子に憧は溜息を吐き、京太郎は思わず視線を逸らした。

 

 普通、成長すれば多かれ少なかれ服飾には気を使うもので、京太郎もその例に漏れない。と言っても、モモに言わせればそれは『やらないよりはマシ』というレベルで、憧やモモを基準に服装に気を使っているというのなら、なるほど、確かに自分は『やらないよりはマシ』だと京太郎は納得する。

 

 察するに、シズは自分の仲間であるらしい。服飾に関してどういう主義主張を持っているかは置いておくとして、ジャージが普段着というのは小学生の時から変わっていないということだ。男子ならばともかく、女子でそれは中々珍しい。綾乃が色々と考えてしまうのも頷ける。京太郎だって立場が同じなら、同じように思うだろう。

 

「ところで、今日はシズはどこに?」

「身体を動かしたいから外に行くって言ってたけど、珍しく財布を探してたから、どこか一人で遊びに行ったのかも」

「ゲームセンターとか?」

「あの子そういうのに興味がないから、スポーツとかできるところじゃないかしら」

「お金がかかって手ぶらでOKで、シズの興味を引きそうな場所と言えば……」

「鷺森レーン?」

「……だとしたら良い偶然かもな。これから行く先で会えるかも。シズが出たのはどれくらい前ですか?」

「お昼食べて少し昼寝してからだから、一時間くらいかしら」

 

 ふう、と綾乃は小さく溜息をついた。食う寝る遊ぶは、確かに女の子らしくはない。だがシズらしいとは思った。

 

「これから、宥さんたちと鷺森レーンまで行くので、行き会えるかもしれませんね」

「そう? じゃあ、京太郎くんからも言っておいて。スカートはいて、大人しくしなさいって」

「スカートが苦手な女子もいるんじゃないですかね。男としても無理強いは良くないと思うんですが」

「京太郎君、君を男の子代表として質問するけど、女の子に着せるとしたらスカートとジャージ、どっちが良い?」

「その二択はずるくないですか?」

 

 苦笑する京太郎に、綾乃は頼むわよ、と念を押す。昔馴染みとは言え男子に頼むのだから、綾乃もかなり切実なのだ。

 

「ちょっと、ちょっと」

 

 ジャージ少女にどうやってスカートを履かせようか考えていた京太郎の袖を、憧が引っ張る。なんだ、と憧を見ると、彼女は恥ずかしそうに俯き、しきりに自分のスカートを気にしていた。聊か、丈が短い気がしないでもない。話題に出た後だから、自然と京太郎の目は憧の真っ白な足に向いていた。夏の日差しに、その白さは眩しいくらいである。

 

 その足を凝視していたのは、数瞬だ。わざとらしくならいように細心の注意を払いながら――傍から見ていた綾乃にはバレバレだったが――京太郎は、憧の足から視線を逸らした。

 

「ジャージより、スカートの方が良い?」

「じゃあ、憧。スカート履いてるお前にジャージ履けって頼む俺とか、どうだよ」

「……変態なんじゃないかって思う」

「だろ? 俺の感性は多分正しいと思うよ」

 

 ははは、と京太郎は笑うに、憧は安堵の溜息を漏らした。

 

 明確にスカートが良いと口にした訳ではないが、どっちが良いと思っているかは伝わっただろう。巨乳が好きなのと同様に、憧との間に今さら隠すことでもないが、男だって恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 

「ジャージの件はともかく、シズに会ったら遊んであげて? あの娘、京太郎くんには結構懐いてたから」

「雇い主に了解が取れたらってことで」

「あぁ、松実館でバイトしてるのね。長野から奈良まで来てくれるなんて良い子ね……うちも手が必要になったら頼んでも良いかしら?」

 

 大人気だな俺、内心で自画自賛しながら『いつでもお声がけください』と返事をする。長野在住の中学生男子相手である。社交辞令なのは解っていたが、人から――それも大人の女性から頼られるのは嬉しいものだ。

 

「あぁ、すいません。お土産を買いたいんですけど、何がオススメですか?」

「誰に贈るかにも寄るけど、ご両親? それともクラスメイト?」

「松実館のバイトが終わったら、鹿児島まで行かなきゃならないんですよ。手ぶらで行くのも何ですから、何か見繕ってほしいんですが……」

「鹿児島? まさか霧島じゃないでしょうね」

「鋭いな、憧。流石神社の娘さん」

 

 京太郎の言葉に、憧は目に見えて不機嫌になる。

 

 霧島神境と言えば国内でも有数の巫女の修行地であり、神代家を筆頭とする派閥の総本山である。力ある巫女を多数排出する、日本でも有数のオカルトが蔓延する土地としてその筋には有名であるが、同時に『男に飢えた巫女の集まり』と陰口を叩かれてもいた。

 

 流石にそれは誹謗中傷の類ではあるものの、未婚の女性が多くいつでも男性との出会いを探しているというのは地元では公然の秘密である。それについて個人的に思うところは何もないが、女としては何となく――いや、はっきりと霧島の巫女たちは敵だった。京太郎と出会ったのが彼女らの方が先だというのもあるかもしれない。

 

 できることなら、霧島などには行ってほしくないが、京太郎の体質の面倒を見ているのは霧島の巫女であるという。麻雀にかける京太郎の意思が並大抵の物ではないことを、一年京太郎の隣にいた憧は良く知っている。彼の助けになるのなら、それを止める理由は憧にはない。

 

 それでも、それでもだ。好きな相手が遠い場所にいる女の所に行くことは、やはり悔しく、寂しかった。

 

 表情から複雑な内心を察してくれることを祈って、憧は京太郎の視界に入るように何度か移動したが、それは無駄な努力に終わった。京太郎は綾乃の案内でお土産を物色している。意識は既に霧島に向いているのだ。

 

 それを思うと憧は無性に腹が立ったが、同時に憧の脳裏に閃くものがあった。

 

(もしかして、巫女服好き?)

 

 それは天啓のごとき閃きだった。巨乳麻雀はやりん以外で、京太郎がどういう女の趣味を持っているのか、憧でも良く解っていなかった。解っている要素の内麻雀以外の要素はどうしようもない。女を磨いては来た憧だが、実の所攻め手を欠いていた。巫女服が好きというのなら、攻めようはある。何しろ実家は神社であり、自分用の巫女服も既に誂えてある。

 

 思わぬ収穫に憧の頬も緩むが、明晰な頭は同時に問題も見つけてしまった。京太郎の前で巫女服を着る理由がない。巫女として働いている望も、神社の外では巫女服を着ない。家の用事で外に出る時も着替えてから出て行くのだ。新子神社にとって巫女服というのは、境内で作業する時、もしくは地鎮祭など神主巫女としての仕事が必要な時に着る仕事着で、その他の用途には用いない。管理をしているのは母親だから、外で着るとなれば理由を問われるだろう。

 

 神主と違い巫女になるのに資格はいらない。憧が着てはいけないという事情はないが、外に着ていくとなると父にも母にもそして姉にも事情を聞かれることだろう。その時、好いた男が巫女服好きっぽいから、気を引くために着てきます、とは言えそうにない。

 

 だが、諦めるには惜しい。せっかく見つけた攻め手なのだ。できればこれを活かしたいと思うのが乙女というものである。

 

 どうやって巫女服を着るか。内心で葛藤している憧は小さく『くねくね』と動きながら呻き声を挙げていた。傍から見ると女子として随分と間抜けな姿であり、京太郎の土産物選びに付き合っていた綾乃は、娘の親友の奇行をばっちりと目撃していたが、綾乃も女性である。微妙に緩んだ表情から、色恋の難題にぶち当たっていることには察しが着いていた。そっとしておくのが女の嗜みというものである。

 

 憧の葛藤は、京太郎が土産物を選び終わり、宥たちが戻ってくるまで続いた。京太郎の声で正気に戻った憧は、反射的に拳を突き出し、それが元でプチ惨事になったが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボウリングって久しぶりだね」

「私も。身体を動かすことはちょっと苦手で」

 

 恥ずかしそうに言う宥に、京太郎は微笑を返した。確かに宥は運動ができそうなタイプではない。宥はそれを恥じ入っているようだが、京太郎にはそれを魅力的と思うことができた。同じスポーツチームに所属しているでもなし。多少鈍くさい程度ならば、それをマイナスに思う男はいないだろう。宥のような美少女ならば尚更だ。

 

「シズでもボウリングなんてするのね。今でも野山を走り回ってると思ってたわ」

「身体を動かすことなら何でも好きなんだろ。球技が得意とは知らなかったが……」

 

 単純に身体を動かすことが好きだと思っていた。スポーツ全般は得意なのだろうが、道具を使うスポーツが得意というイメージはない。それでも、頭を使う麻雀が得意な辺り、全てが全てという訳ではないらしい。

 

 要するに本人が今、何を好んでいるかということだ。さしずめ、ボウリングをやりたくなったからここにきた。シズが考えているのは、そんなところだろう。より単純に、人生を楽しむ。シズは何より、人生を楽しんで生きるのが上手い。

 

「家の用事で来たのに、遊ぼうなんて話になってすいません」

「いいよ。ここが最後だし、ちょっとくらい時間を使ってもお父さんは何も言わないと思うよ」

「そう言ってもらえると助かります。さて、では行きましょうか。宥さん、玄さん、お先にどうぞ」

 

 姉妹の先を促し、ボウリング場に入る。夏休みということもあり、そこそこな人の入りだった。決して新しい施設ではないが、手入れをされているのが良く解った。受付には、人の良さそうな老婦人が座っている。この人が、鷺森のお婆さんなのだろう。宥と玄が挨拶に向かうと、彼女はにこやかに出迎えた。

 

 周囲にはいないタイプである。興味がないではなかったが、松実の家の用事に首を突っ込む訳にもいかない。老婦人と松実姉妹三人してこちらを見ていたが、気づかない振りをして周囲を見回す。

 

 さて、穏乃はどこだろう。

 

「よーっしゃー!!」

 

 憧と二人で施設内を見回していると、そんな声が聞こえた。間違いなく穏乃の声だ。憧と顔を見合わせて、苦笑を浮かべる。お互い、穏乃と会わなくなって久しいが、その声だけで今も変わっていないのが解った。それはとても、心強いことだった。

 

「最初に再会する役は譲ってあげるわ」

「そりゃありがたいけど、第一の親友は憧だろ? 良いのか?」

「私よりは京太郎の方が離れてる時間は長かったでしょ? 男としては嬉しいんじゃない? シズならハグくらいはしてくれるかもよ?」

「想像するに、ハグって感じじゃなさそうだな……」

 

 シズならば飛びつく、という表現が正しいだろう。教室の中では一番元気が良かった。数年ぶりの再会となれば、それくらいしてもおかしくはない。

 

 声のした、奥の方をみる。見覚えのあるジャージを来た少女が、これまた小柄な少女に向かってはしゃいでいた。相手の方に見覚えはないが、あれが鷺森灼だろう。玄と同じ年齢のはずだが、想像していたよりも随分と小さい。

 

 小さいと言えば、である。遠目だが、穏乃はその灼と同じか僅かに小さく見える。というか、小学生の時から全く成長していないように見えた。憧が美少女からスーパー美少女にランクアップしたのを見た後だけに、これは衝撃である。小学生の時から美少女には違いなかったが、全く変わっていないというのは、予想外だった。

 

 呆然としている京太郎の腹を、憧が肘で突く。あの頃のままの穏乃に、あっけに取られてしまった。聊か残念ではあるが、変わっていないなら別にそれで良い。咳払いを一つ。気持ちを切り替えて、穏乃の方に歩いていく。

 

 普通に話しても声が届くくらいの距離になって、穏乃がこちらに目を向けてきた。ぱちくり、と大きな目が瞬く。

 

「久しぶりだな」

「京太郎!」

 

 挨拶もそこそこに、レーンを飛び出した穏乃は京太郎に飛びついた。力の限り抱きしめてくる穏乃を、京太郎も抱きしめ返す。こうして触れ合うのは別れの挨拶をした時以来だが、お日様のような匂いは相変わらずだった。ぽんぽん。背中を叩く。自分の身体が大きくなったからだろう。穏乃の身体は、小学生の時よりも小さくなっているような気がした。

 

(本当に、全く成長してないな……)

 

 触れ合うことで少しは役得があるかもと淡い期待を持っていたが、それも見事に裏切られてしまった。小学生の時よりも柔らかな感触のような気もするが、誤差のようなものである。内心の落胆を顔に出さないよう、笑顔を浮かべて穏乃を持ち上げる。数日前、宥にした『たかいたかい』だ。

 

 腕をぱっと離し、落ちてきた穏乃を抱きとめる。もう一度、今までで一番強く腕を回して、穏乃を抱きしめた。

 

「本当に京太郎だ! 久しぶり。何で奈良にいるの?」

「松実館でバイトしてたんだよ。今日は玄さんたちと外回りでここに来た」

「じゃあ、わたしんちにも寄ってきたんだね。今日は暇? それだったら一緒に――」

「レーンの外では靴を脱いで」

 

 捲くし立てる穏乃を押し切って、灼が割り込んでくる。穏乃の腕を取って近くの椅子に座らせ、靴の底を雑巾で拭いていた。レーンは土足厳禁である。京太郎は苦笑を浮かべて、三歩下がった。穏乃に引きずられていたら、土足のまま踏み込んでいた。

 

 穏乃の靴を拭き終わると、灼が顔を挙げた。近くで見ると、やはり小さい。日本人形のようなおかっぱ頭に、釣り目気味の目。身長が伴えば美人と評されたのだろうが、どれだけ強気そうな雰囲気を持っていても、身長が小さいとそれを活かしきれない。京太郎にはこの年上の少女が、とてもかわいく見えた。

 

「はじめまして、須賀京太郎です。今日は宥さんたちについてここに来ました」

「鷺森灼。ここの従業員。君が噂のバイト? 松実館に婿入りするって聞いたけど」

「京太郎結婚するの!?」

「中学生が結婚できるかよ。ただの噂だ、噂」

「なーんだ。宥さんか玄さんと結婚したら、ずっとこっちにいると思ったのに、残念」

「人の人生勝手に決めるんじゃないの」

「……もしかして憧?」

「それ以外の誰に見えるってのよ」

 

 シズの言葉に、憧は腕を組み、不機嫌そうに答えた。美少女がそういう仕草をすると、様になっているだけに怖い。京太郎は思わず身震いしたが、シズはそんな雰囲気にも全く物怖じをせず、憧をじ~っと見つめていた。

 

 自分の成長を毎日見ていた憧にとっては自分が新子憧であるというのは不思議でも何でもないことだろうが、しばらく会っていない人間には、小学生の憧と今の憧を結びつけるのは難しい。それくらいに、憧は美少女になっていた。面影はあるが、にわかには信じられない。野生の勘を持っているシズでも、それは同じだろう。

 

 シズは顔を近づけて憧を眺め回し、ついで匂いをかいだ。犬のような仕草に憧が心底嫌そうな顔をするものの、自分の流儀で人物確認をしたシズは、ぱっと顔を輝かせた。

 

「憧!」

「あんたは犬か何かなの……」

 

 抱きついてくるシズを適当にあやしながら、それでも憧は苦笑を浮かべていた。性格は大分異なるが、不思議と憧とシズは馬が合っていた。長年かけて培った友情というのは、そう簡単に薄れるものではない。シズの背中に回した憧の手は、優しげだった。

 

「俺を含めて四人、1、2ゲーム遊んでいきたいんですが……」

「受付はおばあちゃんがやってるからそっちで、靴はそこ。サイズは自分で選んで。ボウルはここに。グローブ使うなら、お父さんが使ってたのがあるから貸すけど……経験者?」

「前に何度か」

「ハイスコアは?」

「173……だったかな」

「……数回でそれなら大分筋が良い」

 

 灼の声音が、それで随分柔らかになった。ボウリング場の関係者だけあって、ボウリングが好きらしい。ボウルを持ち、感触を確かめる彼女の背中には密かに闘志が燃えているように見えた。

 

この背中には見覚えがある。透華をうっかりチェスで負かしてしまった時、彼女はいつもこういう背中を見せるのだ。

 

 そういう時の透華は、勝つまでやめない。突然現れた見知らぬ男が、自分の得意な物でそれなりの結果を出したと言っている。負けず嫌いな性格なら、勝負を挑んで当然の流れだ。それで勝てるなら非常に良い気分になれるだろう。だが負けたら……

 

 そこまで想像して、京太郎は灼を見下ろした。身体は小さいが、気は強そうに見える。小さい知り合いには実はそれなりに心当たりがあるが、そのほとんどが多少のことではへこたれない、芯の強い女性である。衣しかり胡桃しかり。これから行く予定の鹿児島にも、小さくて気が強くてスナック感覚で関節技をかけてきて、ついでに不思議パワーで人を吹っ飛ばす泳ぐのが得意な巫女さんがいる。彼女も多分に、気が強く負けず嫌いだ。うっかり将棋で負かした時など、容赦なく将棋盤を放り投げてくるくらいだ。

 

 その点、憧と戯れるのに忙しいシズは大分大らかである。小さいのに素晴らしいことだが、灼の感性はシズよりもおちびの巫女様に近い気がする。うかつに勝つのは危険だ。どうあっても、灼には気持ちよく勝ってもらう必要がある。

 

 相手のコンディションが抜群で全くミスをしないなら良いが、人間、いつでもベストな結果を出せる訳ではない。グランドマスターだって、たまにはミスをする。運悪く、それが今この時に出ないとも限らない。

 

 そして、京太郎は自分の勝負における運の悪さを良く知っていた。こういう時に限って、自分の望まない結果が降ってくるのだ。偉大なるはっちゃん様の分析によれば、相対弱運とこういう勝負に関連はないらしいが、もはやジンクスと京太郎は割り切っていた。

 

 どうしようもないならば、諦めるより他はない。せめて不真面目と思われないよう、全力で取り組むだけだ。

 

「京太郎、ボウリング得意なの?」

 

 受付のため、入り口まで戻る京太郎に憧がついてくる。シズも着いてこようとしたが、ゲームの途中なので灼に止められてしまった。

 

「下手糞ではないと思う。でも人に教えるほどじゃないな」

「そう。そこまでだったら教えてもらおうと思ったんだけど、残念」

「鷺森さんは教えるの上手だと思うぞ。後はシズとか」

「シズが人に教えられると思う?」

 

 憧の問いに、京太郎は苦笑を浮かべた。感性で動くシズは、特に身体を動かすことについては人に教えるのが下手である。理屈ではなく本能で動いているのだろう。頭で理解できてはいるがそれだけで、言葉にできないのだ。

 

「まぁ、やる以上私も全力でやるわよ。チームでも組んで競争でもする?」

「それは玄さんたちと要相談だな。腕が離れてたら、個人戦じゃどうしようもないし」

「あー……宥ねえ、あんまり運動得意そうじゃなさそうだもんねー」

 

 憧の視線の先には、老婦人とにこやかに話す松実姉妹がいる。視線に気づき、にこやかに手を振ってくる二人に、京太郎も手を振り返す。灼とシズも含めて、一緒にゲームをするのは全部で六人。女性が五人に男は京太郎一人。両手どころか両足を使っても花が余る計算になる。

 

 周囲の男性の視線が地味に痛い。京太郎がいなければ彼らも存分に美少女たちに声をかけていたのだろうが、男一人いるだけでその願望は叶わない。その内一人はこのボウリング場の娘さん、二人は老舗旅館の娘さんということで、一部には顔が売れている。灼と問題を起こしたらここにはいられないし、地元の有名人である宥と玄との間に何かあれば、今後の生活にも関わってきかねない。

 

 行きずりの旅人ならば全く気にしないことでも、地元の人間ならば気にせざるを得ない。有名人に声をかけるのは、色々と複雑な事情があるのだ。

 

「シズちゃん、元気にしてた?」

「相変わらずでしたよ。今は向こうで鷺森さんと一緒にボウリングしてました」

「それじゃあ、シズちゃんも上手いんだね。私下手だから、どうしよう……」

「鷺森さんは経験者みたいだから、きちんと教えてくれると思いますよ」

 

 何事も、きちんと指導のできる人間から教わった方が良いに決まっている。ただやったことがあるだけの京太郎と違って、灼は真面目にボウリングを学んだはずだ。だから大丈夫、と断言すると、宥はぷいと視線を逸らした。微妙に頬が膨れている。『怒っている』とアピールしているのは明らかだったが、そのあまりの可愛らしさに思わず京太郎は噴出してしまった。

 

 とは言え、怒っているとアピールをされている以上、それがいくらかわいくても放っておく訳にはいかない。どうしたものかと考える京太郎に、隣の憧が深々と溜息を吐いた。

 

「その鷺森さんも身体がいくつもある訳じゃないんだから、誰か一人に教えてもバチは当たらないんじゃない?」

「さっきも言ったけど、俺素人だぞ?」

「別に教室に参加してる訳じゃないんだから良いの。皆で楽しくできればそれでOK。でしょ?」

 

 憧の言葉に、京太郎は頷いた。

 

 先ほど口にした言葉をもう撤回することになるが、憧の方が正論を言っているように思えた。

 

 素人だけどそれでも良ければ、と言うと宥はぱぁっと顔を輝かせた。足取り軽く靴を選び、灼と一緒にボールを選び始める宥を眺める京太郎の横に、今度は玄が立っていた。何が楽しいのか、にこにこと微笑んでいる玄に、京太郎は問う。

 

「楽しそうですね、玄さん」

「お姉ちゃんが楽しそうだもん。それに憧ちゃんがいてシズちゃんもいて灼ちゃんもいて京太郎くんまでいるんだから、楽しくないはずないよ」

 

 そうして、今度は京太郎の方が視線を逸らした。嬉しいことを言ってくれるものである。照れた京太郎の顔を覗き込むようにした憧が、にやにやと笑みを浮かべている。

 

 その額を小突いて、京太郎も靴とボールを選んでいく。その間、嬉しそうに顔が緩んでいたことを知っているのは、その顔を見ていた憧と玄だけである。

 

 奈良に戻ってきた。そんな気がしていた。

 

 

 

 




この後めちゃくちゃボウリングをしました。
次回麻雀回。面子はおそらく京ちゃん、アコチャー、シズ、クロチャー。
そして阿知賀編最終回かも。ご期待ください。


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28 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編⑤

 

 

「あの……何かすいません、鷺森さん」

「何を謝る必要があるの?」

 

 隣を歩く灼からは、にべもない言葉が返ってくる。小さな肩を怒らせていた。感情を持て余しているのは、京太郎にも解った。

 

 だからこそ謝ろうとしている訳だが、確かに灼の言う通り謝る理由はない。平等な条件で勝負をした。そこで誰も不正はしていないし、勝負は両者の合意の下に行われた。

負けたからと言って、勝負が終わった後にがたがた言うのは恥ずかしい上に格好悪い行為である。

 

 灼も、勝負の結果に納得はしているのだろう。

 

 しかし、理屈と感情は別である。負けたという事実をすんなりと受け入れることは、とても難しい。その競技を愛しているなら尚更だ。麻雀に置き換えて見れば、灼の悔しさとやり場のない感情は京太郎にも良く解った。ここで灼に謝っても意味はない。それも解っているのだが、やはり謝らずにはいられなかったのだ

 

 不機嫌な灼の横顔に、京太郎の口からまた謝罪の言葉が出そうになるが、それは寸前で飲み込んだ。直接言われた訳ではないが、言うなと言われたに等しい。相手が言って欲しいのでなければ、いくら真摯に謝罪の言葉を口にしても意味がないどころか、火に油を注ぐ結果になってしまう。

 

 だから京太郎はこっそりと、溜息を吐いた。

 

 先程のボウリングは、灼の敗北という形で幕を閉じた。

 

 都合2ゲーム。まず最初の1ゲームは、灼がありえないくらいに不調だった。逆に京太郎は絶好調。最高スコアを更新する結果を出し、六人の中でトップに立った。その時点で灼の目に炎が灯り、辛うじて残っていた遊びの雰囲気は消滅した。

 

 全力で行くという灼に京太郎は、今度は自身の絶好調が去ることを切に願った。珍しく天に願いが通じたのか、京太郎は普通の調子を取り戻し、平凡なスコアを積み上げていくことになった。これで安心、と気を抜いたのもつかの間、京太郎の元を去ったボウリングの神は、今度は穏乃へと舞い降りたのである。

 

 元々運動が得意な穏乃だ。そこに絶好調の波が押し寄せたら、もう怖いものはない。調子を取り戻した灼も健闘したが、最後は僅差で穏乃に敗れてしまった。経験者がそうでない人間に敗れたのである。これほどショックなことはない。

 

「君は良く、気を回しすぎだって言われるんじゃない?」

「たまに。いや、アレはできすぎたマグレだったと俺も思うんですが」

「これは負け惜しみじゃなく、私もそう思う。君が勝ったのはたまたま。現に2ゲーム目は、私が勝った訳だし」

 

 穏乃には負けたけど……と悔しそうに口にする。今度は灼が息を吐く番だった。身体の熱を追い出すように、深く深く息を吐く。

 

「大人気ない態度をした。ごめんね。初めて会った人にする態度じゃなかった」

「気にしてませんよ。俺も、麻雀で負けた時は嫌な気分になりますから」

「須賀京太郎のことは穏乃から聞いたよ。麻雀が大好きで、負けても負けてもずっと麻雀をやってたとか」

「それしか取り柄がありませんので」

 

 ははは、と笑う京太郎に、灼は微笑みを返した。

 

「熱を上げられるものがあるのは、良いことだと思う。悔しいと思えるのは、それだけ麻雀が好きな証拠」

「単に負けることが嫌いなだけかもしれませんよ?」

「そうは思わない。そういう人は、心の狭さが顔に出る。お客さんの中にもそういう人は結構いるから、良く解るよ。君は負けをきちんと受け入れられる人。その感性は、大事にした方が良い」

「ありがとうございます」

「……ちょっと良いこと言ったかも。これでさっきまでのことは忘れてくれる?」

「忘れなきゃいけないようなこと、ありましたっけ?」

「灼で良いよ。よろしく須賀くん」

「なら京太郎と呼んでください。こちらこそ、今日はよろしくお願いします」

 

 借りている部屋の前に立つと、京太郎はマットを一度床に置いた。倉庫に保管されていた麻雀用のマットである。部屋にもテーブルはあるが、流石に裏返すと緑のラシャがあるおなじみのアレではない。麻雀をするには牌とマットがどうしても必要だった。

 

 灼にドアを開けてもらって、中に入る。

 

 中には残りの四人が揃っていた。穏乃は興味深そうに部屋を見回しており、憧は腕を組み考えこんでいる。

 

「何を難しい顔してんだ?」

「京太郎、こんなに良い部屋に泊まってたの?」

「松実さんの好意でな。充実した阿知賀ライフを過ごさせてもらったよ」

「でしょうねぇ……」

 

 憧は含みを持たせた物言いで、松実姉妹を見た。憧の視線に、二人は視線を逸らす。何か疚しいことがある、というようなことが顔に書いてあったが、憧も二人も何も口にしなかった。お互いがお互いの言いたいことを理解したのだろう。緊張は一瞬。それでどちらも、視線を外した。

 

「それで誰が入るかだけど、どうする?」

「私やりたい!」

 

 真っ先に手を上げたのは穏乃だった。他には誰も挙手していない。穏乃のあまりの勢いに出鼻を挫かれた形である。ともかくこれで一人は確定。残りは三人……

 

「京太郎くんはお客様だし、全部入ってても良いんじゃないかな?」

 

 提案したのは宥である。京太郎としては願ったり叶ったりの提案であるが、それで良いのか、と周囲を見回す。五人以上のメンバーで集まって麻雀をやる時、大体はローテーションを組んでメンバーを変える。二位抜け、三位抜け、ルールによって誰が抜けるか様々であるが、成績に関わらず一人がずっと入り続けるというのはそうあることではない。嬉しいことは嬉しいが、それは相手に悪い。

 

 助けを求める意味で視線を送ると、憧は力強く頷いた。以心伝心。何も言わずとも自分の意思を汲み取ってくれた幼馴染に、京太郎は心の中で感謝した。

 

「それじゃ、宥ねえの意見に賛成の人ー」

 

 憧の問いに、京太郎を除いた全員が手を上げた。その中には当然、憧も入っている。おいおい、という言葉が思わず口を突いて出たが、憧は得意そうに微笑むばかりである。

 

「麻雀できるって言うのに、あまり嬉しそうじゃないわね?」

「だって、皆に悪いだろう。こういう時は交代でやるのが普通だろ?」

「これは私達のためでもあるのよ。普段長野にいる京太郎と打つ機会なんて、そうある訳じゃないんだから」

「だから私達を助けると思って、ね?」

 

 玄からはお願いのポーズ。女性からのお願いに、男は弱いものである。それが美少女からのものなら尚更だ。元より、麻雀を数多く打てるのならば、京太郎に異論はない。まだまだ心苦しい思いはあったが、京太郎はこれを受け入れることにした。

 

「じゃ、後はジャンケンでもして決めましょうか。勝ち二人が入って、負け二人が抜けるってことで。いくわよ? じゃーんけーん」

 

 ぽん。

 

 少女四人の手は、一回のジャンケンで綺麗に二つに分かれた。宥と灼がパー、玄と憧がグーである。つまり、宥と灼が勝ちだ。

 

「宥ねえと灼さんが入るってことで。交代は、京太郎以外の下位二人ってことでよろしくね」

 

 てきぱきと場を仕切る憧に、京太郎は感嘆の溜息を漏らす。前からしっかりした奴ではあったが、ここまでデキる奴だったろうか。顔を見ていなかったのはお互い様だが、少し見ない間に随分大人になった気がする。一緒の小学校に通っていた時は、かわいいなりに少年のようなところもあったのに、今は随分と女の子していた。少し短めのスカートから伸びる真っ白な足が、屋内でも眩しい。

 

 自分の鼻の下が伸びそうなことを自覚した京太郎は、視線を穏乃に向けた。畳の上に正座してわくわくしているジャージ姿の幼馴染は、昔よりも小さいように見えた。自分の身体が大きくなったことを加味すると、全く成長していないようにすら見えた。天真爛漫。それでも穏乃が美少女には違いない。昔抱いていたかわいいな、という思いは今も全く薄れていなかったが、全く変わっていないというのは予想外だった。改めて眺めてみると、本当にそう思う。

 

 じっと見つめられていることに気づいたのか、穏乃は小さく首を傾げた。意識せずにそういう仕草ができるのが、穏乃の穏乃たる所以だろう。他の人間がやるとわざとらしいと思える仕草も、穏乃がやると随分自然だ。確かに美少女なのだ。それだけに、今も小学生しているのがとても惜しい。

 

「場決めだよー」

 

 宥が選んだ四枚の牌を参加する全員が手に取り、一斉に捲る。結果、出親は宥で、そこから時計回りに灼、京太郎、穏乃となる。

 

 牌を摘み、西家の席に腰を下ろす。宮永家にも衣ハウスにも龍門渕の屋敷にも全自動の卓があり、家ではもっぱらネット麻雀である。手で牌をかき混ぜる感触も音も、随分と久しぶりだった。

 

 かちゃかちゃと牌を積みながら思うのは、一の鮮やかな手並みだった。誰にも内緒だよ、と念を押された上で披露された一の技の数々は、京太郎には衝撃だった。適当に積んだようにしか見えない山はきっちり元禄に積まれており、サイコロはどんな風に振っても1のゾロ目が出る。極めつきはツバメ返し。近くで見ていたのに自然すぎて、摩り替えたタイミングが解らなかった。

 

 全自動卓が一般にも流通し始めたのはバブル華やかなりし九十年代、その前半。それまでは全ての麻雀は手積みで行われていた。無論、その時代からオカルトの使い手はいたらしいが、そういう驚異的な運を持つ人間を相手に対抗する一つの手段として、こういったイカサマは使われていたと聞く。今ではやっていることがバレれば一発で出禁ものであるが、一部のイカサマは技術芸術と持て囃されていた、そういう時代だったのだ。

 

 それで勝って嬉しいのかと、当時の麻雀打ちに問いたかったが、場所が変わればルールも変わる。クイタンがありなのと同じくらいの感覚で、一部のイカサマがアリだったのだろうと思えば、腹も立たなかった。それに、一の小さな手が芸術的な積み込みやすり替えをしている様は、見ていて面白かった。すごい、かっこいい、と手放しで褒めると一は嬉しそうに笑ってくれた。

 

 その笑顔を思いながら配牌を捲ると、相対弱運が発動した。周囲に拡散する運は、なるほど、かつて麻雀教室で感じた時よりも大きくなっている。年齢を重ねたことで、宥も穏乃も運が太くなったのだろう。興奮を伴う虚脱感に京太郎は笑みを深くする。あぁ、これこそが麻雀だ。

 

 配牌を捲る。さてどれほど悪い手がと思えば……実はそうでもなかった。これには京太郎も、その手の悪さを知っている憧と玄も少し驚いた。京太郎の手牌はこうである。

 

 2223448東南西白白發 ドラ三

 

 混一色が見える、というよりも索子の混一色しか見えない勝負手だった。東一局からこの手が来たのなら、今日は良い日になるかもと良い気分になれること請け合いであるが、須賀京太郎が麻雀をする時に限って、そんなことはありえない。相対弱運は問題なく発動している。にもかかわらずこのような勝負手が入ってきたということは、他人にはこれと同等か、あるいはそれ以上の手が入っているということに他ならない。

 

 ちらと、宥に視線を送る。ドラゴンロードたる玄ほどではないが、宥も特殊な牌の寄り方をする。彼女があったかい色と認識している赤を含んだ牌が寄り易くなるというものだ。易くなるだけでそれしか引かない訳ではないので、玄ほど解りやすい脅威とはなりえないが、京太郎の手牌はその寄り方がいつもより極端になっていることを想像させるには十分だった。何しろあったかい牌が一つもないのである。

 

 教室にいた憧たち程ではないが、宥とも麻雀を打ったことはある。面子を変えて何度も打ったが、ここまで極端な減少は起こらなかった。彼女一人の能力が強化されているだけでは、説明がつかない現象だ。

 

 次いで、京太郎は穏乃を見た。やるぞー、と顔に書いてあるかわいいお猿さんな幼馴染の能力は……実のところあまり良く解っていない。少なくとも、穏乃と打った時に何か特別な影響を受けていると感じたことは一度もなかった。一年一緒に打ったが、解ったことは何某かの能力があるということだけだった。

 

 今この瞬間も、穏乃から何か影響を受けているという気はしない。それに穏乃と宥と一緒に麻雀を打ったことは何度かある。この現象に穏乃も絡んでいないとは言えないが、一番の原因とまではいかないだろう。

 

 ならば、残りの原因は灼である。索子と字牌が京太郎の手に寄っているということは、灼の手には筒子が寄っているのだろう。赤い牌までゲットできているかは解らないが、元より他人にツモらせない度合いについて、宥の能力は玄に及ばない。相対弱運がなくても、自分の運が細いことは京太郎は良く理解している。灼くらいに太い運があれば、宥の優先を抜けて赤い牌を持ってきていても可笑しくはない。

 

 そうなると、この三人の中で最も危険なのは灼だ。赤い牌は主に萬子に偏っているが、筒子にも索子にも存在している。傾向として、より赤い牌の方が手に入り易いようであるが、能力の対象となる牌が多いということはそれだけ、力が分散することを意味する。何もない人間から見ると遥かに有用でも、能力の力強さを比較する場合において、宥の能力は今一つ心細い。

 

 反面、筒子が寄りやすいらしい灼の能力は、強力な運に支えられた時、相当な攻撃力を持つことになる。全て筒子であれば、鳴いても満貫。ドラや他の役が絡めば、軽く倍満を狙えるようになるだろう。玄がドラで行っている手順を、清一色という役で補っている訳である。一色で作れば良い手だ。これから引く牌にも偏りがあれば、手も速く進むだろう。高くて速い。麻雀における究極形である。

 

 遅くとも12順以内には勝負が着く。問題はその着き方だ。

 

 二人のツモり方に偏りがあり、自分に有利な牌を引き続ける傾向にあるならば、不利な牌――相手の当たり牌を掴む可能性も低い。すなわち、誰かがアガる時はツモアガりになる可能性が高い。出親は宥だ。もし東パツで大きな手をアガられることになれば、ここで勝負の流れが決することになるかもしれない。

 

 出来れば最初は、さっくり安めの手でアガってほしい。そう念じつつ、京太郎は最初から絞り気味に打ち回していく。

 

 3順目。それまで三連続で字牌では、手が進むはずもない。他の三人は全て手出し。手が進んでいる証拠だ。宥の河は、切られている牌も全て萬子以外のあったかい牌になっている。彼女の手は萬子の染め手と見て良いだろう。

 

 5順目。灼の一番右側から北が出る。その代わりにそこに入った牌の向きを、灼は変えなかった。理牌こそしているが、上下の向きを揃える動作は驚くほどに少ない。実はきちんと上下が決まっていると聞くが、一目で上下の解る萬子と比べて、筒子と索子はそうではない。この順目まで手の中に字牌を残しておいた理由は不明だが、そろそろ手が一色に染まっていても可笑しくない頃合だ。

 

 対面の宥も決して安くはないだろう。自分の手は高目は見えるが進まず、二人には追いつけそうもない。頼みの綱は穏乃であるが、彼女は決して折れない強い心を持っている割に、考えていること、思っていることが顔に出やすい。例え河やそれ以外の情報が全くなくとも、手がどの程度進んでいるかは顔を見れば解った。

 

 その観察眼で穏乃を見る。イーシャンテン。どんなに悪くてもリャンシャンテンだろう。わくわくしたその顔からは、それなりの手の高さがうかがえる。大興奮という様子ではないから、良くてもマンガン止まりに違いない。顔でここまで情報が読める人間というのも珍しいが、今回ばかりは頼りになる。

 

 安手と確信が持てるならば差し込むのも吝かではないが、まだそこまでは読めなかった。

 

 既に運量の差に開きがある。それが逆転することは決してないが、差を詰める努力は必要である。麻雀は運の転換点が多いゲームだ。一つのミスから不調になることはあるし、また逆もある。ツイている時こそ、その度合いは顕著なのだ。

 

 そして、6順目である。

 

「リーチ!」

 

 元気な掛け声と共に、穏乃がリーチ棒を出す。自分の優勢を疑っていなかったらしい残りの二人の顔に、僅かに緊張が走った。東一局で先制のリーチ。棒を出した人間は幸先の良さを感じているだろうが、発声を聞く人間はその逆だ。陰鬱な気分になる者、闘志を漲らせる者、反応は様々で、そこには性格が出る。

 

 京太郎はそこで一歩足を止め、様子を見るタイプだ。無理に押したりはせず、打ちまわしていくのがスタイルである。過去に打った限りでは、宥もその傾向がある。良い意味で慎重というのが、京太郎の印象だ。特定の牌が寄り易いという非常にアガりに有利な特性を持っている割りに、場も良く見ている。今もじっと穏乃の河を見つめ、何が当たりか絞り込んでいるところだ。

 

 そんな宥を気にもせず、灼は手出しで牌を切った。三索である。リーチ者の現物がないことも良くある順目であるが、それでも無スジの油っこい牌を切るには勇気がいった。慎重な宥と比べて、灼はいくらか豪胆である。勝負手が入っているのだから、押す。どちらが正しいということはない。運が悪ければ慎重でも振るし、運が良ければ豪胆でも当たらない。麻雀とはそういうものだ。

 

 7順目。

 

 穏乃がぺしりと残念そうに牌を切る。一発はなかったが、相対弱運で運が強化されているこの状況ならば、遠からずツモるだろう。傍観者の京太郎としては、リーチ合戦になってくれるのが一番ありがたい。出来れば灼当たりが牌を曲げてくれると良いのだが――

 

「リーチ!」

 

 その祈りが天に通じたのか、灼は満を持してリーチを宣言した。宣言牌はまたも穏乃に危険な牌であるが、ロンの声は聞こえない。二軒のリーチを受けて、宥が小さく溜息を吐いたのが見えた。そうして、右三番目から中を切り出す。宥は一番右に字牌を集めるタイプで、白發中と順番通りに揃える。三番目から出てきたのなら、中は暗刻のはずだ。宥は降りた。これで灼と穏乃の一騎打ちだ。

 

 状況は拮抗しているように見えるが、勢いは二度も危険牌を通した灼にあるように見える。そも、灼の手は筒子の一色手である可能性が非常に高い。これは一発もあるか――内心でひやひやしている京太郎の視線を受けながら穏乃は牌をツモり、

 

「うぇー……」

「ロン」

 

 灼が手を倒す。

 

 

 ①②②③③⑥⑥⑥⑦⑦⑧⑧⑨ ロン④ ドラ三

 

 

「リーチ、一発、チンイツ、平和……ウラウラ。三倍満。24000」

 

 おー、とギャラリーをしていた玄と憧から歓声が挙がる。

 

「でも、数え役満じゃなくて良かった。0点ならまだ続行できるし……」

「ごめんね、穏乃ちゃん」

 

 ろん、と宥は静かに手を倒した。

 

 

 一二三四五六七八九赤⑤⑥中中 ロン④ ドラ三

 

 

「イッツー、赤ドラ。8000だね」

 

 ぱたり、と穏乃は力なく卓に突っ伏した。

 

「暗刻の中を切って降りたんだと思ってました」

「京太郎くんなら、私を見てくれてると思ったからちょっと残念そうな顔をしてみたんだ。成功してたみたいだね」

 

 嬉しそうに、宥は笑う。逆に京太郎は苦笑を浮かべた。観察していたことを逆手に取られるのは、初めてのことだった。

 

 倒された宥の手を観察する。手牌から見て、それまでは赤五筒の単騎で待っていたのだろう。イッツー、中、赤1でマンガン。値段は変わらないが、一手で混一色に変わる。ここでリーチをかける人間はいない。

 

 残りは綺麗に萬子なのに、赤五筒だけ孤立している。配牌、もしくはもっと速い段階から手に入っていたなら、宥ならば赤五筒をさっさと切り出していたはずだ。穏乃のリーチを受けて二連続で危険な牌を引いたとか、そんなところだろう。狙ってやった訳では決してないだろうが、灼に危険な牌を手に抱えて回し、かつマンガンを上がったというのは、とにかくかっこいい。

 

 豪快な灼のアガリと、華麗な宥のアガリにギャラリーの二人からもぱちぱちと拍手が送られる。

 

「で、これはなに」

 

 そんな中、納得がいかないといった顔をしているのが灼だった。東パツで三倍満と満貫のダブロンでトビ終了。何ともあっけない幕切れであるが、麻雀にはそういうこともある。負けた側が不満を漏らすならば解るが、あがった勝者が不満を言い出したら卓が立ち行かなくなる。勝つ上に文句を言う人間と、誰が一緒に打ちたいと思うだろうか。余計なトラブルをさけるためにも、勝ったら大人しくするというのが仲良く麻雀を続けるコツである。

 

 だが、それは何の疑問もなく麻雀が進行すればの話。灼くらいに素の運が太ければ、相対弱運による恩恵を実感することが出来ただろう。運を吸われる京太郎には虚脱感が伴うが、運を与えられる側は高揚感を得るらしい。咏などは負ける気がしなくなるというが、灼はどうだったのだろうか。

 

「あー、俺にもそういうオカルトがありまして、何というか、相対的に運が弱くなる力とでも言うんでしょうか。つまり、強い人間はより強くなり、弱い人間はそれなりに強くなるっていうものらしいです」

「……強いっていうのは、運が強いってこと? 技術的にってことじゃなくて?」

「調べてくれた人たちが言うには、そういうことらしいです」

 

 能力については、霧島に通っていた時に大体そういうものだという結論が出ていた。始めた時は漠然とそういうものだと思っていただけのこの力も、春たちの協力もあって、大分理解が深まった。使いこなしているとはお世辞にも言えないが、どういう相手に何が起こるのか。ハンデを背負って戦うのだ。理解できているのといないのとでは、メンタルに大きな違いが出る。

 

「……それで良く麻雀続けられるね」

「好きですからね。灼さんも、面白い牌の寄り方をするみたいですね。寄り易いのは筒子ですか?」

「そんなことまで……や、これを見たら解るか」

 

 灼の視線は、倒した手牌に向いた。手牌は筒子一色である。何かオカルトがあるならば、そういう能力と考えるのは自然だろう。

 

「正確には、集まり易い上に、変則待ちになることが多いんだけど、今日のこれは凄い素直だった。これも京太郎のおかげかな。三倍満だし」

「運が良くなるが、どういう作用するかは人それぞれみたいなんですよね。寄り具合が強化されたのは間違いないと思うんですが……あと、三倍満は普通に偶然だと思います。いくら寄り易いと言っても、毎回そうなることは多分ないです」

「だよね。流石に話が上手いと思った」

「それじゃ、メンバー入れ替えてやりましょうか。京太郎以外の下位二人が抜けるってことで、宥ねえとシズが交代ね」

「りょーかい」

 

 卓から出た二人は、当たり前のように、それまで玄と憧がいた場所に腰を下ろす。つまり、京太郎の両隣だ。ギャラリーがいることに別に抵抗はないが、見られていると思うと背筋がぞくぞくする。穏乃の距離が近いのはいつものことだが、今回は宥の距離まで近い気がした。平熱の高い宥の、熱っぽい呼吸の音が聞こえる程である。

 

「普通に座っちゃったけど、場所はこのままでも良い? OKの人!」

 

 三人全員が、一斉に手をあげる。

 

「OK。それじゃあこのままね」

 

 憧が座ったのは、京太郎の上家だった。共に強敵に対抗するのに、憧ほど頼もしいパートナーはいない。その能力を存分に発揮してもらうのならば、上家よりも下家が良かったのだが、座ってしまったものは仕方がない。こちらの意図を察してくれるだけで、同卓する憧は実に頼もしい。

 

 その頼もしい憧が、視線を向けてくる。麻雀をする時、憧はいつも真剣な表情をしていたが、今この時の表情はその種類が違っているように見えた。

 

 真剣ではあるが、方向性が違う。何か別に、気になることがあるのだろう。不意に二人きりになった時、何度か見たことのある顔だった。

 

「ところで京太郎。聞いた話じゃ、当代の神代の姫様は美人だって話だけど、どうなの?」

 

 憧の問いに、小蒔の顔を思い浮かべる。一つ年上で、きちんとお姉さんのできる人ではあるが、男である京太郎の目には神代小蒔というのは『かわいい』人だった。決して美人という感じではない。

 

「俺の一つ年上だけど、何と言うかかわいい人だよ。面倒見は良いし、俺も大分お世話になった。でもちょっと天然入ってて、ドジなところはあるな。後、良く寝る」

「写真とかある?」

 

 憧の問いに、緊張の色が少し混じった。思わず顔を見ると、憧はふい、と視線を逸らす。その仕草で京太郎は、憧の目的が最初からこれだったのだと理解した。小さく苦笑を浮かべながら携帯電話を操作して、保存してあった写真を呼び出す。

 

 京太郎と小蒔、それから六女仙の八人で撮った集合写真である。引越す引っ越さないという話をしていた時期だから、まだ愛媛に住んでいた頃だったと思う。中央には京太郎と、その隣に小蒔。その逆側に霞が立ち、後は中央から序列の高い順に並んでいく。旧家である神代の一族はこういう立ち位置を気にするものらしく、六女仙の中では序列の低い明星や湧はいつも外の方に立っている。

 

 それを不憫に思わないでもないが、入学式などの慶事には中央に立つこともあるし、そもそも中央に立ちたいのならば序列が上の人間を入れずに撮れば良いのだ。そんな訳でそれぞれ個別に撮った写真などもあるにはあるが、表示したのは集合写真である。どういう写真を見せろとまでリクエストされた訳ではないから、見せる必要はないだろう。

 

 それぞれが写真を覗きこむ。まず絶句したのは玄だった。

 

「京太郎くん、この、すごいおもちの人は?」

「石戸霞さんです。このグループのお姉さんみたいな人で、実際に一番年上ですよ。宥さんと同級生です」

「ほほう……」

「玄ちゃん、ちょっとそっちに座っててもらえるかな」

 

 ぐいぐいと身を乗り出してくる玄を、宥がやんわりと制する。押し問答をしている姉妹を他所に、憧は静かに写真を観察していた。

 

「どうかしたか?」

 

 その静かさが気になった京太郎は、憧に問うた。自分の今後にとってあまりよろしくないことになりそうな気がしたからだが、そういう悪い予感は得てして当たるものである。しばらくして、意を決したらしい憧はポーチからデジタルカメラを取り出して、言った。

 

「私達も、こういう写真を撮ろうか」

「……今からか?」

「これで私達が最新版でしょ? 阿知賀が一歩リード!」

 

 どういう勝負なのか解らなかった。しかし、写真を撮ろうという憧の案は速やかに可決され、迅速に準備がされていった。卓は隅に移動され、玄はひとっ走りしてデジカメ用の三脚を取ってくる。

 

「私も参加するの?」

「よろしく、灼さん。人数は多い方が破壊力高いから。京太郎は真ん中、私はこっちで、宥ねえはそっち。できるだけやらしー感じで引っ付いてて? 玄は……どうしよう、背中から抱きついてみる?」

「それはちょっと……」

 

 結局、京太郎が中央に立ち、右手に憧、左手に宥。背の小さい穏乃と灼が前に座り、玄は宥の更に隣に立つことになった。玄の微妙な距離感が気になる構図であるが、しっかりと腕を取ってくる憧と宥に、京太郎の内心はそれどころではなかった。

 

 だらだらと背中に汗をかいているのを感じる。正直に言えば興奮していた。美少女二人がこんなに近くにいるのだから当たり前だが、憧も宥も平静ではないらしい。特に宥は倒れるんじゃないかというくらい顔が真っ赤になっていたが、決して腕を放そうとはしなかった。その柔らかくも力強い感触に、不退転の決意を感じる。

 

 自分の意見を差し挟む余地はなさそうだった。タイマーの設定を憧が行い、そのスイッチは一番すばしっこい穏乃が押すことになった。ダッシュで戻るという役割に、穏乃は既に大興奮である。

 

「で、この最新版の写真を俺はどうしたら良いんだ?」

「さっきの写真に写ってたおっぱいの人が必ず、前の一週間は何処にいたのかって質問をするはずだから、その時にこの写真を見せてやりなさい」

「俺の身の安全は考えてないんだな……」

 

 良家の子女のたしなみということで合気道をかじっている霞は、関節技をしかけることに何も躊躇いがない。責められる理由は何一つないが、すぐに来てほしかったところを一週間先延ばしにした理由がこの写真だということになったら、確かに良い顔はしないだろう。向こうから切り出されなかったら、身の安全のためにも自分からは絶対にこの写真の存在を公表したりはしない。

 

 しかし、憧は必ずと言っている。滞在するのは大体同じ一週間。その間色々と会話はするだろうから、先週何してた? という話題も出るだろう。そう問われたら、京太郎に嘘を吐くという選択肢はない。腕を極められると解っていても、真実を話して写真を見せることになるだろう。役得も色々あるが、痛いのだ。Mの気のない京太郎には別に、進んで関節技をかけられる趣味はない。

 

「撮るよー」

 

 穏乃が、掛け声と共にダッシュしてくる。臨戦態勢に入ったカメラを前に、全員に緊張が走った。腕にこめる力を強くする憧と宥に、京太郎はせめて笑顔くらいは浮かべようと、笑みを作った。

 

 連続して女性と予定を詰めるとこういうことになるんだな、と悟った中二の夏だった。

 

 




これで阿知賀編は一応の最終回となります。
次回から永水編。迎えに来るのは誰になるのか。


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29 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編0話

回想で自然に導入できそうになくなったので、前日話という形で挿入することになりました。短いです。


 霧島神境では、多くの巫女が寝起きしている。

 

 石戸霞もその一人だが、六女仙である彼女は、他の巫女とは少々立場が違った。

 

 神境に詰めている巫女は通常、専用の居住区画に部屋を持っている。年齢、立場によって個室か相部屋かは変わるが、普通はその区画で寝起きし勤めに出るが、役職を持っている巫女はその役目に相応の場所を用意される。

 

 例えば姫君の補佐をする六女仙は当然、姫君の傍で過ごさなければならない。神代本家の姫である小蒔は本家で寝起きしているため、六女仙も全員、本家に間借りをしている。

 

 現在小蒔が使っているのは本家の離れで、そこには小蒔のものも含めて部屋が七つある。小蒔の母もその母も、姫と呼ばれていた頃にはその代の六女仙と共にここで寝起きしていたという、実に歴史のある建物だ。

 

 その古びた部屋の一つ。石戸霞に割り当てられた個室には今晩、来客があった。

 

 六女仙次席であり、霞にとっては幼馴染でもある薄墨初美である。

 

 高校のジャージ姿でくつろいでいる初美は、霞が敷いた布団の上でごろごろしながら先日図書館から借りてきたらしい本を眺めていた。タイトルから察するに、水泳の教本である。身体こそ小さいが初美は運動神経は抜群だ。特に泳ぎは得意なようで、修行がない時には近くの浜まで熱心に泳ぎに行っている。趣味水泳と言っても良いだろう。

 

 そんな幼馴染の姿を微笑ましく眺めながら、霞は筆を止めた。和綴じの日記をぱたりと閉じて、肩の力を抜く。背の低い文机の上、その隅には古ぼけた写真立てが置かれている。その写真をぼんやりと眺めながら、霞は言った。

 

「はっちゃん」

「なんですかー?」

「最近、京太郎分が不足してきたと思わない?」

 

 その内容に、初美はぱたぱたと動かしていた足を止めた。

 

 普段の石戸霞という少女を知っている人間が聞いたら、その言葉の内容に彼女の正気を疑ったことだろう。石戸霞と言えば今代の六女仙の筆頭。姫君である小蒔を補佐するべき立場にあり、自他共に厳しい。まさに巫女の中の巫女という存在だった。

 

 それほど親しくない人間には、冗談を言うこともない。社交的ではあるが、どこか事務的でもある。誰に聞いても優しそうな人と答えるだろうが、同時にどことなく怖い人という印象を持たれるその少女の口から、悪意を込めずに男の名前が出てくるなど、誰が想像するだろうか。

 

 その言葉を聞くのは、霞とは最も付き合いの長い初美である。悪石島出身の巫女であり、六女仙の次席。霞が不在の時には残りの六女仙を統率する立場にあるその巫女は、本気とも冗談ともつかない霞の言葉に、しかし、真剣に対応した。

 

「そうですねー。私もちょうど、そろそろじゃないかなーと思っていたのですよー」

 

 間延びしているが、どこか飢餓感を覚える声が追従する。京太郎分という言葉に突っ込みはない。霞と初美の間で、その言葉は普通のものなのである。

 

「呼び出しますか? でもでも、私達の方から呼び出したら男の子の京太郎はきっと、調子に乗ってしまうのですよ」

「それはよろしくないわね……」

 

 ふんふむ、と霞は指を顎に当て考える。会いたいと思っているのは事実であり、ここに何ら恥じ入るところはないが、これを公言するのは女として憚られた。

 

 しかし、呼び出すには理由が必要である。相対弱運のメンテナンスはそれほど頻繁に必要な訳ではない。京太郎自身の理解が深まった今、何か深刻な事態でも起きない限りは、態々霧島まで足を運ぶ必要はない。

 

 小学生の時、京太郎が何度も神境まで足を運んだのは、彼が近くに住んでいたからだ。彼は今長野に住んでいる。彼我の距離は、会う頻度を下げる大きな理由になる。

 

 京太郎がこちらに来る費用を持つのは簡単だ。三尋木から紹介された以上彼は神境のお客様であり、それをおもてなしするのは巫女として当然と言える。建前としてはこれで十分だが、女の側におんぶに抱っこでは、男の京太郎は良い気分はしないだろう。

 

 ならば京太郎が自分で払うのが筋というものであるが、身銭を切るにしろ両親を頼るにしろ、長野鹿児島間の往復料金は中学生の身分としては決して安いものではない。今夏に呼ぶということは、しばらく呼べないということでもある。それはそれで……認めるのは癪であるが、少々寂しい。

 

 だが、今寂しいことに変わりはない。ならば今呼ぶ、ということで問題はないだろう。普段は自分を律する霞であるが、一部の欲望には忠実だった。幸い、隣には同じく京太郎分が不足している同士がいる。口裏くらいならば合わせてくれるだろうし、京太郎に会いたいと思っていない巫女は、六女仙の中にはいない。呼ぶことそのものについて文句をつける人間はいないはずだ。

 

 呼んで、滞在さえしてくれれば、後はどうとでもなる。彼はまだ中学生。世間的には大人ではないし法的に責任を取れるような立場でもないが、責任を感じるだけの感性は持ち合わせている。

 

 そろそろ勝負を決めても良い頃合だ。

 

 この霧島の地にいても、京太郎の周囲には女の影が見え隠れしている。自分たちと同様に、一年を近くで過ごした良子からして既に、京太郎に少なくない熱を上げているのだ。今京太郎の周囲で、より長い時間を過ごしている相手がいれば、踏み込んでくる可能性は高い。

 

 

「はるるが寂しがってるってことにしましょうか」

「そうね。嘘は吐いてないし、春ちゃんなら京太郎も悪い気分はしないでしょう」

 

 自分達が会いたいと思っていることを隠すために、二人はあっさりと後輩の巫女を売ることにした。

 

「とりあえず、半々ってことでどうかしら」

「了解なのですよー」

 

 携帯電話を取り出しながら、初美と高く掲げた手を打ち合わせる。ハイタッチ。巫女らしくない仕草であるが、これで同盟成立である。

 

 同盟の相手として、初美は心強かった。六女仙では自分に次いで席次が高く、付き合いも長い。公式の立場はともかく、修行の期間もほとんど一緒で年齢も変わらないから、プライベートの場で上下はない。何より『緩急』がつけられる。中国の故事にもあった。ずっとこてこてでは流石に男も飽きるらしい。お互いに持っていないものを補う。それが真の意味でのパートナーである。

 

 住所録から、京太郎を呼び出す。自分から、それも電話をかけるのはしばらくぶりだ。すっかり声変わりをした京太郎の声は男性の物になっており、それを耳元で聞くのは……はしたないことではあるが、ぞくぞくする。

 

 同じ趣味を持った初美が身体を寄せ、携帯電話にびたりを耳を当てていた。日焼けした小麦色の頬に、鮮やかな朱が差している。

 

 心臓がどきどきしていた。相手が電話を取るのを、今か今かと待つその姿は、誰にも『大人』と言われる霞を年相応の少女にしていた。

 

『もしもし、京太郎です』

「霞です。出るのが遅いから、居留守でも使おうとしてるのかと思ったわ」

 

 自然と、憎まれ口が出てくる。隣では初美がくすくすと忍び笑いを漏らしていた。懐かしいやりとりに、興奮してくる。

 

 京太郎が、霧島に来るのだ。

 

 それが今から、待ち遠しくて仕方がない。



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30 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編①

後編、導入部です。
いつもより短いですごめんなさい。


「やぁ、すまんね兄ちゃん」

「いえいえ。良いってことですよ」

 

 思い出詰まった阿知賀を出発し、飛行機電車を乗り継いで霧島にやってきてすぐ。神境からの迎えが来ているらしい出口に向かう途中で、京太郎は荷物を前に難儀しているご老人を見つけた。京太郎自身も荷物を持っていたが、汚れ物は阿知賀を出る前に宅急便で発送済み。荷物は決して軽くはないが、重くもない。

 

 若者の礼儀として持ちましょうか、と提案したのがついさっきのこと。荷物を抱えて階段を降り、向かう先が同じということで流れで荷物を持ち続けている間、京太郎はご老人と他愛のない話に興じた。それこそ祖父と孫ほども年の離れている二人だったが、年の行ったご老人を相手に京太郎は物怖じしなかったし、今時珍しい礼儀の正しい京太郎のことをご老人も気に入っていたのだ。

 

「霧島神境まで行くっちゅうことだったが、参拝かね?」

「いえ。色々と事情がありまして、一週間ほど滞在することになるかと」

「……神境の中にかね? 近くに宿を取るんじゃなく?」

「ええ。良くしてくれる人がおりまして」

 

 流石に神境の姫君である小蒔と旧知である、とは言わなかった。いつでも泊まりにきてくださいと言ってくれる小蒔だが、色々と立場のある人でもある。知り合いだ、友達だと触れ回るのは簡単だが、地元では京太郎の思っている以上に小蒔を始めとした神境の巫女たちは有名人である。おかしな噂が立つことは避けておいた方が良いだろうと微妙にボカして伝えた訳だが、京太郎の話を聞いたご老人は、難しい顔をしていた。言うべきことは決まっているが、どう言うべきか迷っている風である。

 

「……私には弟がおってな」

 

 切り出された話は、何の脈絡もないように思えたが、京太郎は黙ってその話を聞いた。

 

「若いころはそれはそれは悪童で、親兄弟を殴り人様にも迷惑をかけ、警察の世話になることも度々。これは将来どんな人間になるのかと家族一同心配しとってな。それがある日、良い女を見つけたとか言いよる。聞けばそいつは、霧島の巫女だとか」

「はぁ……」

 

 どうにも話の流れが見えないが、ご老人の顔は真剣そのものだった。荷物を降ろし、姿勢を正してご老人の言葉に耳を傾ける。

 

「悪たれが付き合えるお人じゃないとは言ったんだが、諦めきれんかったらしい弟は霧島まで行ってくると週末に出掛け……週が開けて家に戻ってきた時にはもう、頭を丸めとった。それまで教科書を開こうともせんかった人間が、神主になるとまで言いよる。神境で何かあったのは明らかだったが、私は薄ら寒くて聞けんかったよ」

 

 神境は怖いところだ、と拝むようにして言うご老人に京太郎はそっと苦笑を浮かべた。優しいが厳しい霞などを前にすると、一年通った京太郎をしても、そのように思うのだ。あまり関わりのない人間が怖いと思ったとしても、不思議ではない。

 

「まぁ、私ら家族としてはそれで良かったのかもしれん。悪たれが神主になり、今じゃ所帯を持って孫に囲まれて平和に暮らしとるんだからな。だが、男としてこうも思うわけだ。年若い内から人生決め打ちしても、良いものかと。ところでお前さん、今いくつだね?」

「13です」

「そうか……神境に行くというのだから知っとると思うが、あそこの巫女は良い女が多い。この辺りに住んどる男なら、一度は憧れるもんだが、同時に恐ろしさも知るのよ。神境の巫女は一度食いついたら死んでも離れない、神境に足を踏み入れた男は、そこから出てくることはない、とかな。まぁほとんどは迷信だが、事実、気づいたら婿入りしていたという話は、枚挙に暇がない。お前さんはまだ若い。もう少し遊んでおっても、罰は当たらんと思うよ」

「肝に銘じておきます」

「だが、情が深く良い女というのは事実だ。これと決めたのなら、その女と添い遂げるのも良い。所帯を持って家族を守ってこそ、男ってもんだからな」

「差し支えなければ、奥さんについてお聞きしてもよろしいですか?」

「巫女だが、それがどうかしたかね?」

 

 にやり、とご老人は笑った。得意気なご老人に、京太郎は思わず天を仰いだ。縁を司る神様に巫女と添い遂げろと言われたような気がしたのだ。

 

 タクシーに乗る、というご老人と一緒にターミナルを出る。長野より南にある鹿児島の日差しは、強い。温い空気と日の光に流れる汗をぬぐっていると、ご老人が京太郎の袖を引いた。

 

 ご老人の示す先を見ると、そこには巫女がいた。

 

 夏の日差しの中、巫女の衣装はとても目立つ。それを一分の隙もなく着こなした巫女が一人、車の前で待っていた。高い教育を受けてきた人間は、姿勢からして違うという。ぴしっと、それでいて品を感じさせる立ち姿は、少女が真の意味で巫女なのだと悟らせるに十分だった。

 

 その少女は明らかに、誰かを待っている。邪魔者は去るよ、という老人に別れを告げ、荷物を抱えて巫女の元に歩く。京太郎に気づいた少女が、笑みを浮かべた。時流に反する真っ黒な長い髪が、夏の日差しと巫女の衣装の白に映えている。年齢は京太郎の一つ下。数ヶ月前まで小学生だった彼女の身体はしかし、そうとは思えないほどに豊満だった。

 

 彼女の従姉である霞も相当なものだったが、彼女もその血統を正しく受け継いでいるようだった。これは玄が見たら狂喜乱舞するだろうな、と今は遠い阿知賀にいる友人のことを思いながら、京太郎は少女の前に立った。

 

 久しぶりに会う京太郎を前に、少女は静かに頭を下げた。

 

「お久しぶりでございます、須賀京太郎様。専従である薄墨初美、滝見春の名代として参りました、石戸明星と申します。道中、不自由なことなどございましたら、何なりとお申し付けください」

 

 淀みなく出てくる言葉に舌を巻くと同時に、京太郎は笑顔を浮かべた。少女――明星は昔、こういう口上を苦手としていた。噛まずに最後まで言えたことは、京太郎の記憶にある限り一度もない。それが今では、立ち姿、礼も合わさって実に様になっている。身体だけでなく、中身も立派に成長したのだ。

 

「須賀京太郎です。これからしばらくお世話になります」

「それでは、中へどうぞ」

 

 明星の案内で、車の中に。昔、霧島にいた時にも乗ったことがある、客人送迎用の車である。声をかけてくれた運転手は、当時の同じ人だった。お久しぶり、と声をかけてくれた彼に返事をすると車は静かに発進する。

 

 窓の外を流れる懐かしい風景に目を細めていると、京太郎の袖がまたしても引かれた。見れば、明星が期待に満ちた眼差しで、京太郎のことを見つめていた。何を求めているのか。神境の年下組は何故だかとても解りやすい。ぽんぽん、と明星の頭に手を載せる。昔から指の通りやすい、手触りの良い綺麗な髪だったが、それは今も変わっていなかった。

 

「ただいま、明星」

「兄さま!」

 

 感極まった声をあげて、明星は抱きついてくる。兄さま兄さまと引っ付いてきた昔と何ら変わるところはなかったが、昔以上に明星の身体は色々と柔らかくなっていた。時に、京太郎よりも大分明星の方が身長が低く、車の椅子に座っていてもそれは変わることはない。抱きつかれても明星の顔は、京太郎から見て見下ろす位置にある訳だが、そうすると育った胸部が良く見えた。明星の小さめな顔を比して、胸の大きさが際立っている。

 

 それなのに昔のように身体を押し付けてくるのだから、京太郎の理性もたまったものではない。昔も今も、弟妹のいない京太郎にとって明星と湧は妹のようなもの。友達の中でも、例えば穏乃などは性別の壁を感じさせず遠慮なくくっついてくるが、彼女の場合は色々と平坦であったので、思わぬ柔らかさにどきどきすることはあっても、ここまでではなかった。今の明星は存在そのものが男の理性を粉々にする凶器となっている。このままでいるのは非常に危険だ。

 

「もう子供って年でもないんだから、程ほどにな」

「お外ならそうします。今は車の中ですから……」

 

 男性としての切なる願いに、明星は聞く耳を持たなかった。嬉しそうににこにこ。腕を抱く力はさらに強くなった気がする。

 

「明星」

「はい。兄さまの明星はここにおりますよ」

 

 言い回しが、昔よりも更にストレートになってきた気がする。婉曲にこちらを突いてくる霞とは対象的だった。六女仙の中では立場が下な明星は、神境の中での集まりでは、輪の隅にいることが多い。序列を大事にするあちらでは、年上の巫女がいる時には好きにできないのだ。故に、一人で外に出ている今は、最大のチャンスなのだろう。

 

「そう言えば、湧はどうした? 迎えなら一緒に来るもんだと思ってたんだけど」

「湧ちゃんは神境で春さんや初美さんのお手伝いをしています。ジャンケンで明星が勝ちましたから! あ、帰りは湧ちゃんが一緒に車に乗りますから、優しくしてあげてくださいね」

 

 そういう約束なんです、と明星。あっさりと自分の時間が切り売りされている事実に、神境にやってきたのだな、と実感する。神境の女性は男性を立てる立場を崩さないが、根本的なところでは女性上位の考え方をしている。それでも男を立ててくれるだけ、世のほとんどのかかあ天下の男性たちよりはマシなのかもしれないが、そんな巫女が集団で集まると男の立場はどんどん弱くなってくる。

 

 神境の巫女の結束が固いのは有名な話であるが、同時に、神境に関係する男性達の結束も固いのである。そうでもしないと気持ちが萎えてしまうのだ。それくらいに、女社会で生きていくというのは辛いものなのである。

 

 京太郎が神境における男性の立場について、明日はわが身かも、と苦い思いを馳せていると、明星が顔を寄せてきた。京太郎の匂いを嗅ごうとするかのように、鼻をすんすんと鳴らしている。押し付けられる柔らかさが尋常ではない。流石に引き剥がそうと腕に力をこめると、明星はあっさりと離れた。

 

「兄さま、昨日まではどちらに?」

 

 えー、と内心で京太郎は声をあげた。その質問をしてくるのは霞ではなかったのか、と憧に抗議の声をあげるも、明星に問われたという事実はもう、どうにもならない。奈良にいた、と当たり障りのない返答をすると、明星はますます首を傾げる。

 

「お山に入られました?」

「ハイキングをしたか? って質問ではないよな?」

「はい。お山に入って修行でもされたのかと」

「精神修養が必要だな、とは常々思ってるけど、本格的な修行をしたことはないな。それで、どうしてまた」

「兄さまの身体から、静謐な気配がします。以前に一度お会いした、高名な修験者の方と同じような気配です。ですからそうなのかな、と思ったのですけど、お山に入られたりはしていないのですか?」

「全然ない。普通に旅館でバイトしてたよ」

「そうですか……ごめんなさい。明星の勘違いのようです」

 

 納得がいかない、と言った様子ではあったが、明星はそれで質問を切り上げた。石を投げれば巫女に当たる神境と違って、普通は巫女や修験者と早々接点があるものではない。本人が知らないと言うのだから、勘違いということなのだろう。

 

 明星はそう結論付けたが、神境に限らず巫女の勘というのは鋭い。これが霞ならば勘違いでは済ませず、そう感じるに至った別の理由を探し、そして真相に行き着いていただろう。

 

 修験者のような気配という辺りで京太郎の脳裏にはジャージ姿の穏乃が思い浮かんでいた。流石に本家本職とまではいかなくとも吉野の野山を自分の庭のように駆ける穏乃ならば、そういう気配をしていてもおかしくはない。

 

 そして、時を置いても感じ取れるほどその気配が京太郎の身体に残っていたということは、それ相応に接触を持っていたということに他ならない。疚しいことがあった訳では決してないが、自分では感知できないところで、他の女性と仲良くしていたと気取られることは、あまり心臓によろしいことではなかった。

 

 できることなら神境に着く前にその気配を綺麗さっぱり落としたいところではあったが、風呂に入り服も着替えて阿知賀から霧島までやってきたのに、その気配は残っていた。素人の京太郎が車の中で一人どうしたところで、落ちるものではないだろう。

 

 やってきて早々、雲行きが怪しくなってきた。にこにこと、腕を取り幸せそうにしている明星を見ながら、京太郎はそっと溜息を吐いた。 

 

  



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31 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編②

 

 

 霧島神境。

 

 神代を本家とする巫女一族の総本山であり、日本でも有数の神道系組織の本部がある霊地である。政財界にも太いパイプを持ち、21世紀となった今でも無視できない勢力を誇っているその組織も、一般大衆に見せる顔は普通の神社とあまり変わるところがない。

 

 長い石段を登って到着した神社には、まだ夏休み中ということもあって多くの人がいた。巫女服を着ている明星に先導された京太郎は、観光客の視線を集めに集めていた。多くの人の視線に晒されることに、京太郎は慣れていない。無遠慮に注がれるそれに居心地の悪さを感じながら、明星の先導に従い歩いていく。

 

 視線をやり過ごしていると、周囲の視線は自然と京太郎ではなく先を歩く明星に向けられるようになった。それも、当然である。誰とも知らない少年よりも、物腰穏やかな美少女巨乳巫女の方がレアだろう。自分よりも遥かに興味本位の視線を浴びながら、しかし明星は澄ました顔で歩みを進める。この程度の視線は、彼女にとって慣れっこなのだろう。自分よりも大分小さな背中が、頼もしく見えた瞬間だった。

 

 明星の背中を見つめながら境内を抜けると、神境は様相を変えてくる。

 

 関係者のみが入ることを許されるエリアに観光客の姿はない。先ほどまでの場所と距離はそれほど離れていないのに、見えない何かで隔絶されているような気さえした。静か過ぎる環境に違和感を覚えた京太郎が耳を押さえると、明星がくすくすと小さく笑う。

 

「慣れない方は、皆そうされるんですよ」

「これでもしばらく通ってたんだけどな」

「あまりお顔を出されないからです。兄さまならいつでも歓迎しますから、来たくなったらいつでも明星に仰ってくださいね」

「流石に理由もなく来るのは駄目だろう」

 

 メンテナンスをやめる訳にはいかないが、ここを訪れた時と比べて大分オカルトに対する理解も深まった。今ではこの能力とも上手く付き合っていけるんじゃないかと、そんな気さえしている。

 

 それに、それなりに成長した京太郎は神境を訪れることに、少なくない抵抗を覚えるようになった。

 

 本来、この手のメンテナンスはタダであるはずがない。では本来はどの程度の金額が支払われることになるのか。それとなく聞いてみたことがあるが、神境の誰も教えてはくれなかったし、咏も知らない、気にするなの一点張りだった。支払いが発生しているとしたら、当然、中学生の須賀京太郎一人では支払いきれない額だというのは、察しがついた。

 

 三尋木家――より具体的には咏に請求が行っている可能性は大いにある。この世で一番世話になっている大事な人だ。自分の知らないところで迷惑をかけるにはいかないと思うが、咏が気にするなと言っている以上、それは彼女からの厚意であり、弟子としては無下にできるものではない。

 

 神境にいる春や初美のことは大事に思っているし、顔を出せるならば出したいが、メンテナンスという建前を掲げる以上、金のことは意識の隅について回る。友人を訪ねるように軽い気持ちで足を踏み入れるのには、やはり抵抗があった。今この場所も、本来ならば京太郎は入ることはおろか見ることもできない場所なのだ。

 

「そんな悲しいことを仰らないでください」

 

 京太郎の心情を察したのか、明星は苦笑を浮かべながら向き直った。頭一つ下に、明星の顔がある。そこからそっと手を伸ばすと、明星はそっと京太郎の頬に手を触れた。夏の日差しの下、白く暖かな手が触れている。髪に近い、薄い茶色の明星の瞳が京太郎を見つめていた。

 

「明星は兄さまに会いたいですし、それは姫様や他の皆も一緒のはずです。大切な人が顔を合わせるのに、堅苦しい建前が必要でしょうか」

 

 じっとこちらを見つめる明星の瞳には、一切の曇りがない。それは心底の本心を語っていると思わせるには十分だった。年下の少女からの言葉に、一人難しいことを考えていた京太郎は急に恥ずかしくなった。会いたいから会う。それで良いのだと言う妹分に、苦笑を浮かべる。

 

「……諭すのが上手くなったな。凄く巫女さんらしい」

「明星もいつまでも子供ではありません。それに、大好きな兄さまが明星に意地悪を言うんですもの。抵抗するのは妹として当然のことです」

「悪かった。これからもここには来るよ」

 

 解ってくれれば良いのです、と明星は名残惜しそうに手を離し、歩みを進めた。静かな並木道を歩きながら、京太郎は周囲の風景に目を向ける。怖いくらいに、初めてここを訪れた時と何も変わらない。もしかしてここは時間が止まっているのでは、と詮無い想像をしてみる。もちろん、そんなオカルトがありえるはずもないが、もしかしたらと思わせる力がここにはあった。

 

 オカルトが存在することを京太郎は身を持って知っているし、人間を超える超常的な存在が在ることも知っていた。目の前を歩く明星はその超常存在を降ろすことのできる家系の一人である。実際に神を降ろしているところを見たことはないが、彼女は姉貴分の霞に何か良くないことが起こった時の補欠だ。巫女としての力量は3つも上の霞には及ぶべくもないが、分家同士のパワーバランスも考えて選出される六女仙に筆頭を務める霞に加えて、更に石戸から一人選ばれたのは、一重に明星の努力と才能に寄る。明星も将来を約束された、優秀な巫女なのだ。

 

「今日は、姫様と霞姉さまは奥においでです。今日中にお会いできるとは思いますが、少し遅くなると思います。それまでは客間で、ゆっくりとお寛ぎください。お食事は、私達の中の誰かが持っていきますから」

「何から何まで済まないな」

「神境にとって兄さまは大切なお客様ですから、これは当然です。本当は明星がずっとお世話したいんですけど、そこは色々と話し合いがあったので、ずっとではないです。でも、明星が遊びにいった時は、かわいがってくださいね?」

「お手柔らかにな」

 

 苦笑と共に並木道を抜けると、開けた場所に出る。一般エリアと関係者エリアと、その間にある通路。それを明確に分けるその場所に、見知った巫女が二人いた。こちらに気づいた片方が、笑顔で手を振ってくる。それに手を振り返すが、もう一人の巫女には反応がない。つんと澄ました顔で微動だにしない巫女を見て、京太郎はそっと横の明星に耳打ちした。

 

「湧はどうしたんだ? 俺何かしたかな」

「湧ちゃんはですね。おしとやかな女性になりたいと一念発起したんですよ」

「少年漫画みたいな間違った実践をしてるなあいつ」

 

 要するに、みだりに感情を表に出したりしないのが、湧の考えるおしとやかな女性像ということなのだろう。それはそれで間違ってはいないと思うが、湧の実践の仕方だとそうじゃない女性はおしとやかではない、という風に取られかねない。例えば霞などは厳しいがいかにも霧島の巫女っぽくおしとやかで女性らしい。その霞は別に笑わない訳でも、ノリが悪い訳でもない。手を振るべき、笑顔を振るべき時ならばそうするだろう。

 

 あまり顔を合わせない京太郎ですら不自然に見えるのだから、六女仙を統括する立場の霞ならば、修正を入れてもおかしくはない。まだ中学生とは言え、湧は神境の将来を担う六女仙の一人。おかしな態度を取っていたら、神境の名前に、引いては小蒔の名前に傷がつくことになる。

 

 

 だが、湧は今も自分なりのおしとやかを実践している。誰も矯正した様子はない。馴染みとは言え、須賀京太郎は外部の人間である。間違った態度であるなら、その目に触れさせるのは良くないことである。

 

 まさかこの実践をいきなり始めたということはないだろう。それなりに準備期間があったはずだ。小蒔も他の皆も、知らないはずはなく、現に明星は湧の実践を知っていた。

 

 どうして放置しているのだろう。考えて、京太郎は旧友の巫女達の意図を理解した。要するに、自分に矯正させようというのだ。いつも一緒にいて付き合いは長いが、巫女さんたちは女性である。おしとやかは同性よりは異性の目を意識してのものだ。それならば、男である自分が言った方が、効果は高いに違いない。

 

「霞姉さんも人が悪いな」

「びっくりです。霞姉さまの仕業だってすぐ解ったんですね」

「修正しない、って方針を決めるとしたら霞姉さんしかいないからな。それにしても、すぐに言ってあげれば良いのに」

「そういう気持ちを持つのは大事なんですよ。湧ちゃんは今まで、ずっと男の子みたいでしたから。それがようやく、という時に水を差したくないみたいなんです」

「俺が言ったら余計にこじれないか?」

「兄さまが言ってくれたら、きちんと言うことを聞くと思いますよ。湧ちゃんも兄さまのこと大好きですから」

「だと良いんだけどな」

 

 昔は明星と一緒に兄さま兄さまとくっついてきてくれた湧が、おしとやかに振舞おうとしている。それは別に良いのだ。いつまでも少年っぽくはいられないだろうし、神境の環境がそれを許さないのも解るが、京太郎としてはそこに一抹の寂しさを感じるのだ。神境にあって気安い感じの湧は、京太郎にとって付き合い易い人間の一人だった。かわいかった湧が遠くに行ってしまったと思うと、やはり寂しい。

 

「京太郎」

「ご無沙汰してます、巴さん」

 

 巴が笑顔を浮かべて近づいてくる。巫女の衣装なのは明星や湧と変わりがないが、高い位置で結われた落ち着いた色の赤毛とフレームのない眼鏡が印象的だ。六女仙の中では霞、初美と同級で、最年長の一人である。京太郎も神境に通っていた頃は、色々な面で世話になった。特殊な立場である小蒔を除けば、神境で縁を持った女性の内、一番優しくしてくれたのがこの巴である。

 

「大きくなったね。これからもっと大きくなるのかな。頼もしい」

「幸い、まだ伸びそうです。巴さんは、お変わりないようで安心しました」

「美人になりましたね、くらい言っても良くない?」

「それは今更言うまでもないことですので」

「お世辞も言うようになって……長野では女の子泣かせてるのかな?」

「だと少しは自慢にもなるんですけど、今のところ女性とお付き合いをしたことはありません」

「京太郎が言うなら、そういうことにしておこうかな」

「お久しぶりです。京太郎さん」

 

 ぺこり、と巴の話が終わるのを待って、湧が頭を下げる。湧も立場のある巫女である。普段からかしこまった口調を、同年代の少女に比べれば使い慣れているはずだが、京太郎に対する言葉にはやはり固さが見てとれた。特に、京太郎さんという呼称には強い違和感がある。明星など、京太郎の背中に隠れて忍び笑いを漏らしていた。巴も苦笑を浮かべている。おしとやかになろうとした努力の成果が今の状態なのだとしたら、なるほど、まだ結果を出すには至っていないようだった。

 

 ちら、と視線を巴に向けると、巴が小さく京太郎に手を差し出した。委細は任せる、ということである。

 

 それを見て京太郎は考えた。おしとやかになろうという努力は買うが、自分の意思を優先させてもらえるのなら、女の子は自分らしく、自然に振舞っている方が好ましい。昔は男の子らしかった少女が年月を重ねて女の子らしくなる、というのも王道ではあるのだが、今すぐに変わる必要はない。それに呼ばれてみて解った。湧に京太郎さんと他人行儀に呼ばれるのは、やはり寂しい。

 

「おしとやかになろうとしてるんだって? 明星から聞いたぞ」

「はい。昔はにいさ――京太郎さんに色々とご迷惑をおかけしましたが、これからは女の子らしく振舞うことにきめました」

「そうか……昔みたいに、明星とつるんで色々遊ぼうかと思ってたんけど、おしとやかになるなら仕方ないな。明星、時間が取れるなら二人で遊ぶか」

「兄さまのお誘いなら喜んで!」

「ずるっ――」

 

 一瞬で本音が出掛けたが、湧は寸での所で飲み込んだ。すぐにボロを出すかと思っていたのに、意外に粘る。ぐぬぬ、と悔しそうな顔をしている湧を見て、京太郎は明星に目配せした。背中に隠れていた明星はぱっと京太郎の前に出て、これみよがしに腕を取る。素晴らしいおもちの感触が伝わるが、今は湧のことだ。

 

「特に何をするって決めてる訳じゃないけど、一週間滞在するんだから何かできるだろう。色々と積もる話もあるし」

「そうですね。おしとやかな湧ちゃんは、殿方の部屋になんてはしたなくて入れないでしょうから、明星と二人でお話しましょう」

「……」

 

 湧は目の端に涙を溜めていたが、それでもまだ我慢していた。その涙ぐましい努力に、巴は必死に笑い出すのを堪えている。後一押し。そう感じた京太郎は、更にダメ押しをすることにした。

 

「残念だな。湧と明星と三人で話すの、楽しみにしてたんだけど」

「兄さま。湧ちゃんはおしとやかになると決めたのです。ここはその意思を尊重してあげましょう」

「そうだな。俺は昔の元気な湧の方が好きなんだけど、本人が決めたならしょうがない――」

「兄さまのばかーっ!!」

 

 とうとう堪えきれなくなった湧が、叫びと共に一歩踏み込む。何千、何万と打ち込みを繰り返した身体は、例え無意識でも適切な動作を覚えていた。からかいすぎたと思った時には、既に順突きは放たれる直前だった。痛いのは好きではないが、からかい過ぎたのも、妹分を泣かせたのも事実である。ここで拳の一つも食らうのが兄貴分の役目だろうと、拳を受ける覚悟を決める――が、湧の拳は京太郎の身体に当たる直前で、巴の手に受け止められていた。

 

「おしとやかに、でしょ?」

 

 巴は笑顔であるが、拳を受け止められた湧は青い顔をしていた。巫女も縦社会である。若輩の湧にとって、三つも年上の巴は何かと怖い存在なのだ。拳を引っ込め、慌てる湧に、見かねた京太郎は助け舟を出した。拳を打ち込むことになったのが自分のせいなら、巴に怒られようとしているのも、自分のせいである。

 

「いや巴さん。俺がからかいすぎました。拳が出るのも仕方ないです」

「そ、そうだよ! 兄さまのことだから霞さんみたいなキャラが好きだと思って努力したのに、昔の方が良いってどういうこと!? こういうの、ギャップ萌えとか言うんじゃないの!?」

「最初からギャップを狙ってる時点で色々と無理があるだろ。そういうのは時間をかけて変わるもので、いきなり変わろうとするもんじゃないと俺は思うんだけど、どうだろう」

「言ったでしょ、湧ちゃん。兄さまはいつもの湧ちゃんの方が好みだって」

「おっぱいもおしとやかもある明星に、私の気持ちは解らないよ!!」

 

 うー、と唸る湧は、酷く興奮している。いつも一緒にいるのが明星なら、同級生として色々と思う所はあるだろう。性格も振る舞いも身体つきも、男の京太郎の目から見てあざと過ぎるほどに女の子らしい。中学一年の段階でこれなのだから、成人する頃にはとんでもない色気を持つことになるのだろう。兄貴分としては、それを間違った方向に使うんじゃないかと今から心配であるが、京太郎の心配を他所に明星は澄ました顔で湧の背中を撫でていた。明星の落ち着いた声音に、湧も落ち着きを取り戻していく。

 

 成り行きを見守り、途中で手を出しかけた巴は、無難な所に着地したのを見てそっと溜息を漏らした。

 

「結局、おしとやかはやめるってことで良いのかな?」

「だって兄さまに受けないなら意味ないし……」

「やってみようかな、って思うことは無駄じゃないと思うぞ。時間をかけてやれば、そのうち本当におしとやかにもなるだろうさ」

「でも兄さまは、元気な方が良いんでしょ?」

「湧ちゃん。兄さまは女の子の性格がどうでも、それで選り好みしたりはしない紳士ですよ」

 

 そこまでは言ってないが、明星の言葉は確信に満ちていた。それには、多分に願望も含まれているのだろう。湧のような元気な人間が好みということになったら、その真逆の性質を持つ明星ははっきりと対象外になってしまう。

 

 紳士と言われて悪い気はしないが、好みを強制されているようで微妙な気分である。実際、何も考えずに脊椎反射でどういう女性が好みか考えた場合、明星と湧ならば明星の方が好みであるが、少しでも理性が混じると、自分でも驚くほどに差がなくなる。要するにそれは見た目の好みということで、それ以上に踏み込むならもっと、別の要素が必要ということなのだろう。意外に紳士だったな俺……と苦笑しつつ、京太郎は巴に向き直る。

 

「湧のことは、穏便にお願いできますか?」

「怒られるとかはないと思うよ? 湧が一人で言い出したことだから。まぁ、霞さんやはっちゃんには軽く嫌味を言われると思うけどーっと、京太郎。ここに来る前にどこにいた?」

「……明星にも聞かれましたけど、修行をしたかってことですか?」

「うん。修験者みたいな気配がするね。京太郎自身がそういう気配なんじゃなくて、そういう気配をした人が近くにいた感じ。昨日、どこから移動してきたのか知らないけど、鹿児島まで来てまだ残ってるんだから、相当力が強い人みたいだね。どんな人?」

「野山を走り回るのが趣味の、和菓子屋さんの一人娘ですよ」

「女の子? と言うか、和菓子屋さん? 修行とかしてないの?」

「そのはずです」

「へぇ、それは凄い。姫様とか霞さんとかとは、別の意味で天才だね。少し会ってみたいかも」

「それで、巴さん。このことなんですが……」

「姫様たちには内緒にってことだね。別に構わないよ。ちょっとじっとしててもらえる?」

 

 あまりに軽いノリだったので、京太郎も反応が遅れた。巴の言葉が『穏乃の気配をどうにかしてくれる』という意味なのだと理解すると、慌てて姿勢を正した。それを見て、巴は小さく何かを唱えると、京太郎の両肩を強めに一度叩いた。

 

 何か、変わったという気はしないが、巴がそうしたのを見て明星が声を挙げて近くに寄ってくる。そしてまた犬のように鼻を鳴らしているが、少ししつこいその様子に、京太郎は本当に明星が感じたと言った気配が消えたのだと理解した。

 

「消せるようなものだったんですね」

「お祓いは一応、私の専門だからね。はるるでもできると思うけど、あまり良い顔はしなかったかも。最初に相談してくれたのが私で良かった」

「本当に感謝します、巴さん」

「良いってことだよ。でも、取捨選択して消すなんて器用なことは流石にできなかったから、他の気配もまとめて消しちゃった。だから明星と、それからついでに湧、お願いできる?」

 

 いきなり水を向けられた二人は、やはり巴の言ったことが理解できなかったらしい。揃って自分を見返してくる二人に、巴は苦笑を浮かべて京太郎を差し、ごー、と指示を出した。

 

 ここまで来ると、二人も迷わない。子犬のように全力で飛びついてくる妹分二人を、京太郎は何とか受け止めた。軽い女子と言っても、二人分が、全力である。危うくバランスを崩しかけたが、京太郎も男である。ここで無様を見せたら男が廃ると、気合で踏みとどまって見せた。

 

 ふぅ、と小さく息を吐くと、巴が拍手をしているのが見えた。立っている位置が、微妙にズレている。京太郎がバランスを崩した時に、手を伸ばせば届くくらいの位置だった。湧の順突きを止めた時と言い、動きに無駄がないように見える。

 

 巫女が武道をやっているというのは、珍しいことではない。旧家のお嬢様でもある彼女らは、淑女のたしなみとして護身術程度の武術を学んでいることが多いと聞く。小蒔も六女仙の皆も合気道をやっているとは聞いた。加えて湧は空手もやっていると聞いているが、京太郎が知っている情報はそれだけで、誰が、どの程度まで学んでいるかは気にしたこともなかった。

 

 武道や運動をやっている人間は、手にそれが出るものである。空手をやっている湧の手は、女の子にしてはごつごつとしている。巴の手もそうなのだろうかと意識して見てみようと視線を動かすと、それに合わせたように、巴は手を後ろに隠した。

 

 眼鏡の奥の瞳と、視線が交錯する。

 

 追求しないで、と言いたげな巴の視線に、京太郎はあっさりと追及を諦めた。興味が湧いたから見てみようと思っただけの話だ。実は巴が古今無双の武術の使い手だと明るみになったとしても、自身の態度が変わる訳でもない。京太郎にとって狩宿巴というのは、優しいお姉ちゃんだ。それは今更どんな要素が加わった所で、変わるものでもない。

 

 京太郎が追求を諦めたと知ると、巴はそっと溜息を漏らした。はにかむような、微かな笑みが、年上なのに可愛らしい。

 

「ありがと。それじゃ、色々纏まったところで、皆で行こうか。はっちゃんとはるるが、客間で首をながーくして待ってるよ」

 

 

 




最後まで湧をボクっ娘にしようか迷いましたが、私になりました。
はじめちゃんかわいい。
出てくるだけな上まだ全員出てない進行の遅さですが、気長にお楽しみいただけると幸いです。


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32 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編③

 霧島神境にも居住区画というものがある。

 

 まず神代本家。神境の中に本邸を持っているのは本家だけである。神代姓を名乗り神境に勤めている人間のほとんどがここで暮らしている。

 

 その他には、分家の分邸があった。本邸は石戸ならば屋久島、滝見ならば喜界島といった風に離島にあることが多く、本来なら彼女らはそこから通うということになるのだろうが、流石に島から通うのに霧島は距離があり過ぎた。

 

 島から出てきた分家の人間が滞在するための分邸は、そんな事情で神代本家の周囲に設けられていた。神境にいる間、分家の人間は大抵そこに宿泊する。六女仙である霞たちは神代本家の離れに寝泊りしているが、これは数少ない例外だった。

 

 その他、研修に来た外の巫女が泊まるための建物がそれらの外周に設置されているが、これは本当に宿泊のための施設であり、分邸に比べるとその質は大きく落ちる。それでも巫女が暮らすだけあって清潔だった。研修に来たことを考えればそれも、妥当な境遇と言えるだろう。

 

 さて、では巫女ではない外部の人間が来た時はどうするのか。勿論、そのための施設も存在するが、これの数はとても少ない。基本的に神境は関係者以外立ち入り禁止であり、巫女や神職以外の人間が立ち入ることは歓迎されない。京太郎のように長期のメンテナンスが必要な顧客でも、通いか、そうでなければ神境の外に宿を取るのが普通である。

 

 ではどういうケースの場合、外部の人間が宿泊することが許されるのかという話であるが、それが神境のある種の風聞を広める要因となっていた。つまるところ、将来を考えている異性であれば、歓迎はされないまでも目を瞑るという暗黙の了解が神境にはある。施設の数が少ないのは、男を相手にするのを身内の集まる場所でやりたがらない巫女が多いからだった。とは言え、少ないながらも施設そのものが残っているということは、少ないなりに需要があるということでもある。

 

 基本的に、それらの施設は普段は使われておらず、修行中の年若い巫女がせっせと掃除をしに立ち入るだけだ。普段は静かなもので、ただひがな一日、日向ぼっこでもしながら過ごすには、とても良い環境であると言えた。

 

 京太郎が泊められるのも、本来ならばそこのはずであるが、彼が案内されたのは居住区画外周部にある来客用施設ではなく、その内側。分家の分邸が集まる区画だった。土地の人間ならばそこが滝見の分邸で、割り当てられたのがその離れということが見て取れることだろう。外周ではなく内側に引き込んだことで、その家の本気具合が見えるのである。

 

 これはやってきた人間よりも、内部の人間に知らしめる要素が大きい。うちは本気だぞ、ということを知らしめることで他の家の出方を見るのである。それで離れていくならそれで良い。自分一人で事を進めれば良い話だし、それでもなお残っているならば、その時はその時だ。色々と話をまとめて、将来に備えなければならない。

 

 京太郎が神境に泊まるのは、これが初めてのことではない。前にも何度か宿泊したことがあり、その時もこの滝見分邸の離れを使わせてもらっていた。京太郎本人はただの来客用の部屋と認識している。彼がここに泊められている理由を知るのは、本当に内側に引き込まれたその時だろう。分家分邸の区画にあるため、春たちが寝泊りしている神代本家からもそれほど遠くなく、いつでも遊びにこれる距離となっている。

 

 そんな馴染みの建物の前に、京太郎たちは立っていた。

 

 巴の先導で両脇には明星と湧がいる。二人はしっかりと京太郎の腕を取っており、離そうとしなかった。京太郎も一人っ子で男である。かわいい妹分が慕ってくれるのは非常に嬉しいが、柔らかい身体を押し付けられることには抵抗がないではなかった。妹分フィルターがかかっているため恥ずかしさはそれ程でもないが、喜び一色だろう妹二人に比べると、京太郎の表情は随分とぎこちない。

 

 できれば、二人にはそういう細かな機微を斟酌して欲しいのだが、兄さま兄さま言う彼女らにはそんなことを気にする気はないようだった。助けを求めて巴に視線を向けても、取り合ってもくれない。役得なんだから黙って歩いてね、と視線で優しく言われてしまっては、男の京太郎にはもう、どうすることもできなかった。

 

「ただいまー、京太郎連れてきたよー」

 

 巴を先頭に、懐かしい家に入る。内装もほとんど変わっていない。神境で過ごした日々を思い起こしながら、居間へと歩く。

 

 麻雀をやったり一緒に遊んだり、最も思い出の詰まった部屋に、思い出の中と寸分変わらない小さな巫女と、相応に成長したかわいい巫女の二人がいた。

 

「久しぶりだな、はるる」

「うん……久しぶり、京太郎」

 

 万感の思いの篭った春の声に、京太郎の胸にも温かいものが蘇る。色々と話したいことはあるがそれは後の楽しみとして、急だとは思ったが、カバンの中からあるものを取り出した。

 

「はるるならこれだろうということで、奈良の和菓子屋さんで見つけてきた。特製黒糖まんじゅう」

「!!」

 

 ずばっと、思い出の中とは比べ物にならない速度で動き、手を伸ばす春の手から黒糖まんじゅうの箱を遠ざける。手を上に伸ばすと、小柄な春はまんじゅうに手が届かない。それでも諦め切れない春はぴょんぴょんと飛び跳ねるが、それも無駄な努力だった。そんな春を見て、京太郎は口の端をあげて邪悪に笑う。

 

「もちろんタダでやるとは言ってない。そうだな、かわいくおねだりしてもらおうか。審査員はこちらの湧先生と明星先生だ」

 

 おみやげ一つに条件をつけるというのも人間の腐った話であるが、それを見ている誰も京太郎の行いを止めなかった。明星も湧も初美も、良識派の巴も、春の行動をわくわくしながら見守っている。助けはいくら待っても来ないことは、春にも解っていた。

 

 だが自発的に『かわいい』行動をするのは人間としてかなりハードルが高く、特に春のようなあまり活発な性格でない少女には無理難題も良いところだった。春の目には既に涙がたまっているが、京太郎は取り合わなかった。

 

 時間にして数秒。意を決した春が、視線をあげる。

 

「……………………ちょう、だい?」

 

 小さく首を傾げ、上目遣い。蚊の鳴くような声であるが、春の声を聞くべくしんとなっていた部屋に、それは驚くほどに響いた。自分の声と行動に春は顔を真っ赤にし、その場に蹲って顔を伏せる。そんな春を生暖かい目で見つめながら、京太郎は隣の明星と湧に問うた。

 

「判定は?」

「春さん、かわいいです!」

「かわいい!」

 

 無駄にかわいいを連呼し抱きつく妹分二人。ここまで来たら後はノリだ。大きなおもちと小さなおもちに挟まれて呻く春の前に、京太郎はそっと黒糖まんじゅうの箱を置いた。明星と湧に抱きしめられたまま春は箱に手を伸ばすが、ぎりぎり届かない。

 

「別に取ったりしないから、後で食べろって。それはもうはるるのものだから」

「こ、ここまで恥ずかしい思いをしたんだから、せめて手元に置いておきたい……」

「そんなこと言うなよ、かわいいぞはるる」

 

 ぐっ、と小さく呻いて春の手はぱたり、と床に落ちた。恥ずかしさに負けた春を明星と湧が部屋の隅に引きずっていく。

 

 続いて京太郎が向き直るのは、初美だ。危険な感じの巫女服の着こなしは相変わらずである。緩い襟元から見える肌には、水着の日焼けの跡がくっきりと出ていた。そのはっとするような白さと、小麦色の肌の対比が眩しい。京太郎自身、ふくよかでおもちな女性の方が好みだと認識していたが、そういう好みとは真逆の初美でもやはり、ちらちらと襟元から見える肌は、視線をひきつけるのだった。気にするなというのは、無理な相談である。

 

「改めまして、ご無沙汰してます初美さん。春と一緒に部屋の準備をしてくれたそうで」

「気にすることはないのですよー。一応私も、京太郎の担当ですからね」

 

 確かに直接メンテナンスをするのは春であるが、初美も一応補佐として仕事をしている。最初に紹介された通りだ。初美の専門は元からある流れを調整し、気を呼び込んだり、その強弱を調整したりすること――香港などが本場の風水師というのが近いだろうか――ともかく、春のようなお祓いや人間の気を調整するのは初美の専門ではないのだが、流石に六女仙次席と言うべきか、その習熟度は別として、大体のことはそれなりにこなすことができる。

 

 霞や初美だってお祓いはできるし、春や巴だって気の呼び込みはできるのだ。それとは別に、各々の家が得意としていることを専門としているに過ぎない。それ故に全ての技能を高いレベルで実践できる巫女は、実に少なく、初美たちの年代では戒能良子ただ一人とされている。滝見の縁者とは言え、神境の巫女が受けた仕事を外様の巫女に引き継ぐことができたのも、一重にその能力の高さに寄る所が大きい。

 

「姫様と霞ちゃんは、もうしばらく時間がかかります。それまでははっちゃん達が、京太郎のお相手をすることになっているんですが――」

 

 そこで、初美は言葉を止める。広めの部屋に、男と女。しかしその比率は男が一人に、巫女ばかりの女が五人。誂えたように部屋の中央に置かれた正方形のテーブルの下には、緑色のラシャが引かれているのだろう。前に泊まりに来た時にも見たことがある。部屋の隅にはひっそりと麻雀牌が置かれていた。このメンバーで、この部屋ですることとなったら、麻雀の他にない。

 

「麻雀をしたい」

 

 言い出したのは春だった。恥ずかしがりから復活した春の目には、小さく炎が燃えていた。京太郎を見つめる目には、強い意志が感じられる。これは、報復を考えている目だった。

 

「トップがラスに命令権の賭け麻雀を提案する」

「でもでも、はっちゃん含めて女の子ばかりですよー。京太郎がトップを取って、えろえろな展開になったらどうするんですかー?」

「命令権を求める以上、リスクを負うのは仕方がない」

「それもそうですねー」

 

 ふんふむ、と初美が頷く。春の物言いにも初美の態度にも、予め決められていたかのような硬さがあった。根回しは組織の基本であり、霧島は世間よりもずっと、そういう要素が強い環境である。巫女も女性で、彼女らは自然に多数派を作ろうとする生き物だ。今この瞬間の春による提案は思いつきだろうが、初美の同調は予定されたものだろう。白々しいやり取りに京太郎が呆れていると、初美がばっと手を挙げた。

 

「賭け麻雀に賛成の人、お手上げですよー!」

 

 手を挙げたのは、初美本人と春、明星の三人。それを見て、湧がおずおずと京太郎の方を気にしながら手を挙げる。賛成は四人。過半数を持って確定とするならば、『賭け麻雀』をすることはこれで確定だった。

 

「巴さんは良いんですか?」

「私が挙げなくても、賛成多数になりそうだったしねぇ……京太郎はどっちかと言えば、そういうのあまり好きじゃないでしょ?」

「それはそうですが……」

 

 京太郎がやりたいのはあくまで麻雀であって、そこに卓外の事情を持ち込むことは好みではない。とは言え、どういう風に麻雀を打つのかは人それぞれである。他人の考えを否定してまで、自分の主張を通そうという気はなかった。

 

 巴は京太郎の主張に合わせてくれた形であるが、他の巫女四人が賛成している中、一人だけ手を挙げなかったというのは、それなりに角の立つ行動である。そこまでして自分の味方をしてくれたことを嬉しくは思うが、逆に申し訳ない気持ちにもなった。巴は昔から、小さなことで味方になってくれた。変わらないな、と思いつつ、京太郎は気を引き締める。

 

 初美が提案し、他の三人が乗った。やると言った以上、それで決定である。決まったことについては、異論はない。どういう事情があっても麻雀は麻雀だ。全力を尽くして臨むだけである。

 

「それじゃ、京太郎にやる気も出てきたところで、面子を決めましょう。実はここにはっちゃん特製のクジがありますので、お好きなものをお引きくださいですよー」

 

 初美が用意したクジというのが、また怪しい。ここに霞がいたらコンビ打ちすら疑っただろうが、それができる程に意思疎通ができるのは初美と霞のコンビだけだ。しばらく見ない間に他の面々もその技能を修得している、という展開は勘弁してほしいが、さて――

 

「この四人ですねー」

 

 東西南北の書かれたクジを引いたのは京太郎の他には、初美と巴、それと湧の四人だった。湧は麻雀における細かい機微が理解できそうにないし、巴は何だかんだでこちらの味方をしてくれる。イカサマがなさそうな面子に、京太郎は内心で安堵しつつ、卓に着いた。

 

 出親が巴で、湧、初美、京太郎と続く。オーラスに初美が北家というのは、最悪の配置だ。

 

「それでは、よろしくお願いします」

 

 頭を下げると同時に、待ってましたとばかりに春が京太郎の背中に引っ付く。麻雀で面子に組み込まれない時の、春の定位置はそこだった。京太郎の身体の前に腕を回して、指を組む。小さく祝詞を唱える春の声を聞きながら、京太郎は身体の具合を確かめる。

 

 相対弱運は発動していない。背中の春が、きっちりと抑えてくれている。肌で運の流れを感じ取れないことに違和感があるが、元よりこれが普通なのだと、改めて気を引き締めた京太郎の後頭部に、春が思い切り頭突きをする。

 

 ごち、という鈍い音がした。何だ、と視線を向けると春は不満そうな顔をしている。どうして平然としてるの? 春が聞きたいのは、そういうことだろう。

 

 もちろん、京太郎だってどきどきしていない訳ではない、春は美少女で、霞ほどではないがおもちもある。中学生としては十分巨乳の部類に入るだろう。鼓動の音が聞こえるくらいに引っ付かれて嬉しくない訳ではないが、それ以前に相手は『滝見春』である。一年という短い間とは言え色々なことを一緒にやり、色々なことを話した同年代の『友達』だ。身体を押し付けられたことも、数え切れないくらいにある。

 

 今でも毎回どきどきするが、慌てる程ではない。役得だなぁ、くらいに感じる程度だ。今ではむしろ、春の方がどきどきしているくらいである。春としては『ずるい』と思うのも仕方がないことだった。

 

 今回も、春は京太郎が挙動不審になるくらいは期待していたのだろう。背中の春は頭をぶつけたりして絶えず抗議の行動をしているが、今は麻雀中だ。集中している京太郎は春の抗議にも動じず、視界の隅で揺れる春のくるくるを指で弄るだけだった。

 

 とにもかくにも、麻雀である。

 

 初見の相手は一人もいない。この面子で麻雀をしたことも何度かある。お互いがお互いの手を知り尽くしていると言っても良いだろう。年月が経ち技術は向上しているだろうが、本人の持つ性質までは大きく変化していないはずだ。

 

 小蒔と六女仙に限った話ではなく、霧島の巫女さんたちは皆、小綺麗な麻雀を打つ。

 

 修行の一環で麻雀をすることもあるといつか初美が言っていたが、まさに彼女らは修行のつもりで打っているのだ。それ故に手を抜いたりなど絶対にしないが、同時に勝利にもそこまで執着しない。正しい手順を踏むという過程をこそ大事にしている巫女さんたちは、無理に手を進めようとはしないし、先行されたら基本的に降り気味に打つ。

 

 つまりそれは、先行することさえできれば、大きなハンデを得られるということだった。巫女さんたちを相手にする時は、棒攻めが最も効果的な攻撃方法だと京太郎が結論付けたのは、小学生の頃だ。

 

 と言っても、京太郎の運では先行することそのものが難しいが、今は春のバックアップがある。相対弱運がなければ、いつもよりは大分マシな麻雀が打てるだろう。身体の軽い京太郎はアガりも軽く――

 

「ロン。2000点です」

「一番アガリが京太郎ですかー」

 

 初美から、平和ドラ1をアガった。幸先の良いスタートだが、でき過ぎとも言える。何より初美からアガったというのが、よろしくない。点棒を支払った時、初美の目がギラリと輝くのが見えた。

 

 小綺麗な麻雀を打つというのは、あくまで精神的にフラットな状態での話である。薄墨初美という少女は須賀京太郎に相対する限り、非常に攻撃的だった。たかが2000点とは言え直撃を食らった事実は、彼女の姉魂を大いに刺激していた。目にもの見せてやるのですよー、という心の声が聞こえてくる程である。

 

 お手柔らかに、と念じながら東二局。初美は南家だ。要所は彼女が北家の局であるが、初美としてはこの辺りでアガって弾みをつけておきたいところだろう。北家の時に本手が入る可能性が高いのだから、それ以外の局は軽めに仕上げてくるのは想像に難くない。事実、

 

「チーですよ!」

 

 三順目。初美は湧の四索を両面で鳴いた。晒した牌には、赤もドラもない。早くこの局を流したいという初美の考えが、見て取れた。軽い手ならば、初美のアガりというのも悪いことではない。この局は親である湧に少々不穏な気配があった。大物、とまでは行かないが、比較的高い手が見えているのが雰囲気で解る。手の軽さが見えるのは初美だけで、京太郎の手はアガりに遠い。

 

 ならば、絞り気味に打つ。

 

 湧の目がせわしなく、卓の上の行き来している。鳴きたい牌があるのだ。風牌。おそらくはダブ東。京太郎の手には、それが一枚あった。これを出さなければ、湧の手は大きく遅れる。元より前には出づらい手だ。京太郎はこの手牌と心中することを決めた。

 

 フリテン牌だって鳴かせない。それくらいの強い気持ちで河に目を配りながら打ちまわしていると、

 

「ツモ!」

 

 八順目。初美がタンヤオのみでアガる。支払いは300点。笑ってしまうくらいの小さなリードではあるが、まだトップだ。それをこの面子を相手にやっているのだと思うと、気分も良い。

 

 しかし、問題はここからだ。

 

 初美の親だが、次の局に賭けている初美はさっと流してくるだろう。安手の気配を出せば振り込んでくれるはずだが、鳴けない京太郎は手を加速させることができない。都合よく速くて軽い手が来てくれれば良いが、開いた手はどうにも遠い。相対弱運が消えて運が上向いているとは言え、素の運量において巫女さんズとはかなりの差がある。配牌ならば、こんなものだろう。

 

 自分の手が期待できないのなら、巴か湧に頑張ってもらうより他はない。絞り気味に打ちまわしながら、他の二人を観察する。行動に内面が出やすい湧は、打ちまわしのリズムから手の進行具合がわかりやすい。先ほどの高そうな手が見えていた時は、牌を切る指にも力がこもっていて、表情も明るかった。今はと言えば、普通の表情に普通のリズムである。高くもなく速くもなく、と言ったところか。初美の親をさっさと流したい現状には、そぐわないようである。

 

 対して巴は、真の意味でポーカーフェイスが得意で、動作からは進行状況が読みにくいが、

 

「チー」

 

 思い切りが良く、巫女さんズの中では一番デジタルな打ちまわしをする。親の初美がアガらせたがっているこの状況で、前に出ない手はない。初美が引き気味で京太郎と湧が遅いとなれば、後はもう巴の独断場だった。

 

「ツモ、タンヤオドラドラ。1000、2000」

 

 巴がツモアガリ、京太郎がトップから転落する。微差ではあるが、これで巴がトップであるが、初美が北家の時に親となった現在の危機的状況に比べれば、どうということはない。

 

 北家を引き、初美の気配と表情が凶悪なものになっていく。子供っぽい顔をしているだけに口の端を上げてにやりと笑う顔は、おさげをひっぱってやりたいくらいに小憎らしいものになっていた。

 

 初美の特性については、京太郎も研究した。

 

 簡単に言えば北家の時、『東と北を晒すことで、残りの風牌を引き込む』というものである。

 

 配牌を見てみると、かなりの確率で北と東がトイツになっており、遅くとも3順目までには他家から出たら鳴ける状態になる。これほど解りやすい特徴だ。ならば牌をガメれば手はできない……と思うと、初美に四枚全てが寄るようになり、どうあっても晒せるような状況になる。

 

 確定的な対策は、北、東が来るようならばそれを抱え込むことだが、そうでない場合はとにかく早アガリをして、初美の手が整う前に場を流してしまうことである。初美は一人だ。特性を理解している残りの三人が結託すれば、場を流すことはそんなに難しいことではない。通しなどを使わなくても、手が早い人間というのは意外と解りやすいものだ。

 

 しかし、である。

 

 それは逆に言えば、三人の中に一人でも初美に協力的な人間がいれば、初美の手はびっくりする程容易く完成するということでもある。今回の卓外ルールは『トップの人間がラスに命令することができる』権利である。良い目を見るのがトップ一人とは一言も名言されていない。例えば手を組んだ十曽某も一緒に良い目を見るべしですよー、とトップが言えば、その通りに叶えられるのだ。

 

 巴はそんな甘言に引っかかったりしないだろうが、間の悪いことにそういう甘言に超弱い人間が一人、同卓していた。予想できたことではあるが、当たり前のように東を切った湧を見て、京太郎は深々と溜息を吐いた。

 

「ポン!」

 

 初美がそれに食いつく。相対弱運は今はないが、初美に運が偏るのが見えた気がした。一応努力はしてみるが、一人があちらに流れた以上、初美の手を止めることはできない。ずーるーいー! と首を絞める明星をものともせず、湧は据わった目つきで麻雀を打ち続けている。明らかに賞品に目が眩んだ湧は、もうそれしか見えていないようだった。

 

 結局、その局で初美はあっさりと小喜和をアガった。親っかぷりをした京太郎は、そのまま押し切られてラスになった。釈然としないものを感じないでもないが、これも麻雀である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり京太郎椅子は座り心地が良いのですよー」

 

 トップを取った初美が出した条件は、京太郎が椅子になることだった。身長が伸びた京太郎と小学生の時からそのままの初美では危険なくらいに身長差があったが、大きい方が椅子になるとなればその身長差も丁度良いものだった。深く腰掛けてくる初美の腰に腕を回しながら京太郎は落ち着かなさを感じていた。

 

 小さく細いだけあって肉付きの薄い初美であるが、それでも年頃の女の子であることに変わりはない。春に抱きつかれてもそれ程感じなかった居心地の悪さを、京太郎は全身に感じていた。危険なのは初美だけではない。背中には春の代わりに湧がひっついている。湧の要望は初美と同じく抱っこだが、自分がされるのではなく自分ですることを希望した。

 

 背中にひっついて京太郎分を堪能している湧は至福そのものといった顔であるが、そこを自分の居場所だと思っている春は当然面白くない。一塊になっている京太郎たちを見ながら、お土産の黒糖饅頭を大事に少しずつやけ食いしている。さらにその横では明星も恨みがましい目で湧を眺めていた。

 

 ずるいずるいと連呼してはいるが、湧の代わりに明星が入っていたとしても、あっさりと初美に付いていただろうから、同情はできなかった。

 

「罰ゲーム時間長すぎませんか?」

「時間は区切ってませんからねー。このまま霞ちゃんたちがやってくるまで続行して、見せ付けてあげましょう」

「何て恐ろしいことを……」

 

 温厚そうに見えて結構キレ易い霞にこんなものを見せ付けたら、精神的なプレッシャーが半端ではなくなる。それは何としても回避したい京太郎の内心を察した初美が、腕の中で振り返る。その幼い顔には悪い笑みが浮かんでいた。本当に、こういう顔をしている時の初美はロクでもない。

 

「京太郎の態度次第では、やめてあげてもいーですよー」

「それはもはや脅迫なのでは、と思わないでもないんですが」

「それならそれで別に良いですけどねー。あー、巫女さんをはべらせていちゃいちゃしてるのを見たら、霞ちゃんは何て言うんでしょうかー」

 

 わざとらしいその口調に、流石に京太郎もかちんと来た。ちょうど引っ張りやすそうな位置で、初美のおさげが揺れている。このおさげを引っ張って泣かせてやろうか……そんな衝動が京太郎を襲うが、理性がそれを推し留めた。初美を泣かせたら少しはすっとするだろうが、その事実は霞に対して『巫女さんをはべらせていちゃいちゃ』よりも相当に具合が悪かった。見た目の印象は親子ほどに離れているが、霞と初美は大の仲良しなのだ。親友が泣かされたとなれば、霞は喜んで報復してくるだろう。

 

「……どうかお許しくださいはっちゃん様」

「ふふふー、よきにはからえなのですよー」

 

 下手に出た京太郎に、初美はご満悦だった。下げられた京太郎の頭をよしよしと撫でると、京太郎椅子からぴょんと飛び降りる。そしてトリップしている湧を引き剥がすと、明星の横にぺいと放り投げた。一人で良い思いをした湧に飛びついた明星は湧が夢心地なのを良いことにあっさりと組み伏せ、腕を極めてしまう。

 

 夢見心地から一転した湧は女の子らしくない悲鳴を上げたが、いくら運動能力に優れていると言っても、こんな状態からは容易に逆転はできない。ばたばた暴れる二人を横目に見ながら、黒糖饅頭を抱えた春がすとん、と京太郎の前に腰を降ろした。

 

 春は何も言わない。無言で京太郎をじーっと見つめている。表情の乏しい春であるが、京太郎には彼女が不貞腐れているのが良く解った。自分の前で他の巫女を贔屓したのが気に食わないのだろう。それでも黒糖を手放さないのが、いかにも春らしい。

 

 京太郎は無言で、春を自分の膝の上に降ろした。無造作に頭をぐりぐりとやると、途端に春も大人しくなる。機嫌の戻った春から差し出されてくる黒糖饅頭をあーんされていると、腕を極められていた湧がそれに気づいて声を挙げた。

 

「明星、兄さまと春さんがいちゃついてる!」

 

 事実に気づいた年下組の行動は早かった。一瞬で極めた腕を放した明星は湧を助け起こし、その反動で持って二人して京太郎に思い切り飛びつく。とっさに避けようとした京太郎だが、膝に居座る春が邪魔して身動きが取れない。とっさの仲間への援護は巫女ならではである。二人の巫女に飛びつかれた京太郎は、春と一緒にごろごろと転がった。そんな京太郎を見て、初美は手を叩いて大笑いしている。

 

 巫女さんの山から抜け出そうともがくが、転がったことで京太郎の位置は一番下になってしまった。京太郎の上には春が乗っており、その上に湧と明星が乗っている。一人一人は重くなくても、三人となればかなりの重量だ。力を込めて動いてみても京太郎を放すまいと三人が結託して押さえにかかっていては如何ともし難い。

 

 そんな中、音もなく襖が開いた。

 

 ここにやってくる人間は、二人しかいない。兄さま兄さまと騒いでいた二人も、黙ってひっついていた春もぴたりと動きを止めた。

 

 襖を開けた巫女――六女仙筆頭たる石戸霞は、久しぶりに会う弟分と、それに圧し掛かって遊んでいる従妹を含めた後輩達を眺めて、にこりと微笑んだ。そこだけを切り取ってみれば、天女のような微笑と思っただろう。現に、霧島の外ではこの笑顔に騙される男性が実に多い。

 

 しかし、霞と付き合いの長い面々は、笑顔の時ほど霞は怖いということを知っていた。素早い動きで並んで正座する四人を前に、霞は一層魅力的な笑顔を見せた。

 

「それで、これはどういうことかしら?」

 

 誰がどう説明したものか。一瞬で答えを出せる人間は、その場にいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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33 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編④

「つまり、全員合意の上で賭け麻雀をしていたと?」

「はい、その通りです霞姉さん」

「そしてその要求に応えてはっちゃんの椅子になって、湧ちゃんに抱きつかれていた」

「はい、その通りです霞姉さん」

「その後春ちゃんにあ~んしていたら、明星と湧ちゃんに押しかけられて、現在に至る」

「はい、その通りです霞姉さん」

 

 最後の事実確認を終えると、霞は深々と溜息をついた。それを京太郎は、頭上に聞いている。霞はうつぶせになった京太郎の背中に当たり前のように腰掛けていた。厚い袴を挟んでも柔らかいお尻の感触が背中にあって気が気ではないが、京太郎の事情などこの姉様は関知しない。お仕置きすると決めたら、この人は絶対にお仕置きをする。それから京太郎が逃れられたことは、今まで一度もない。

 

 ちなみに他の面々は、京太郎たちの周囲に車座になり、正座している。彼女らにも、霞に口答えをする気配は全くなかった。六女仙の筆頭であり、最年長ポジションの霞のことを皆敬愛しているが、同時に恐れてもいるのだ。それは同年代の初美や巴であっても変わらない。

 

「楽しくやることは大切だけど、もうちょっと節度を持って行動するようにしなさい。本当、小蒔ちゃんが来る前で良かったわ……」

「教育に良くないということですか?」

「自分がいない時に楽しそうなことをしてたと知ったら、小蒔ちゃんがかわいそうでしょう?」

 

 もっともな言い分であるが、さっきまで小蒔と一緒に行動していた霞も、そのかわいそうな中に含まれているのだろう。こういうことをするなら自分も混ぜろと、遠まわしに言っているのだ。お姉さんぶるのに、案外に寂しがりである。

 

「ところで小蒔さんはどちらに?」

「一度本邸の方に戻ったわ。ほら、いつまでも寝てないの?」

 

 さっきまで上に座っていたとは思えないほど、冷静な言葉である。色々と思うところはあったが、霞様の言葉は絶対だ。黙って立ち上がりズボンの埃を払っていると、霞が当たり前のように近づいて服の乱れを直してくれた。

 

 以前から霞は、こういう古式ゆかしい女性らしい仕草を自然にできる人だった。

 

 感性が今よりずっと子供だった頃にも間近で見る霞の顔にどきどきしたものだが、思春期まっさかりの今、そのどきどきっぷりはかつての比ではなかった。霧島にいた頃よりもずっと、霞は大人っぽい顔立ちになったが、それ以上に目を引くのはおもちの大きさである。自分よりも一つ年下の明星がああなのだから予想はできていたが、霞のそれは京太郎の予想を遥かに超えていた。

 

 よく大きなおもちをメロンと例えることがあるが、霞のおもちは京太郎が見たことのあるどのメロンよりも大きい気がする。

 

 女性は自分のおもちに向けられる視線に敏感で、男のそれにばっちり気づいているとも聞くが、整った顔立ちよりも存在感のあるおもちに目をやるなというのは無理な相談だった。自然に下がってしまう視線を慌てて戻すと、間の悪いことに霞と目があった。反射的に背筋を伸ばす京太郎だったが、霞は曖昧に笑うだけで何も言わないし、してこない。

 

 毎回必ず、という訳ではないが、霞は自分のおもちに向けられる視線についてはびっくりする程に寛容である。霧島にいる時も含めて、あまり怒られた記憶がない。男性としての礼儀に厳しい霞にしては、珍しい態度である。

 

 他のダメなこととどういう違いがあるのか解らないが、本人が許してくれるなら……と以前無遠慮に視線を向けるようになったら、流石にその時は不思議な巫女パワーで吹っ飛ばされた後に投げ飛ばされ、怒られた。勿論正座である。節度が大切、ということなのだろう。

 

 おもちについて哲学的に考えていると、廊下の方からばたばたという足音が聞えてきた。小蒔にしては、急いだ足音である。余談ではあるが、小蒔は何もないところでも転んだりする。運動神経は壊滅的だ。そんなに急いで転んだりしないかと心配になった京太郎は、小蒔を迎えに行こうと動きかけたが、そんな京太郎を霞が手で制した。

 

「ここで待ってなさい。その方が小蒔ちゃんも喜ぶから」

「……そうなんですか?」

「そうなのよ。全く、こういう時は気が利かないんだから。それじゃあ彼女もできないわよ?」

 

 その言葉は、京太郎の胸にグサリと刺さった。同級生の中にはそれこそ、既に大人の階段を登った人間もいるというのに、京太郎は清いままだった。姉の心無い言葉に落ち込んでいると、それを見た明星がつつ、と寄ってくる。これはチャンス、と目を輝かせた明星は、京太郎の手をそっと取った。

 

「彼女ができなくても大丈夫ですよ、兄さま。その時は明星がお嫁に行きますから」

「……明星は優しいなぁ。その時はよろしく頼むぞ」

「はい!」

「湧ちゃん、やっちゃいなさい」

「わかりました!」

 

 一人で抜け駆けをした明星に、湧が飛びつく。あっという間に引き倒された明星は、抵抗空しく部屋の隅へと引きずられていく。同じ石戸の一族だからだろうか。霞の対応は何故か、明星にだけはちょっとだけ厳しい。

 

 妹分たちのキャットファイトを横目に見ていると、襖の前で足音が止まる。

 

 一秒、二秒。中々小蒔は入ってこない。立ったまま寝ているのでは、とまたも心配になる京太郎だったが、霞はすまし顔だ。落ち着いて待て、という姉貴分に、京太郎は大人しく従うことにした。あぁ、それにしても心配だ。

 

 そんな京太郎の心配を他所に、静かに襖が開いた。

 

 巫女の衣装を着た小蒔は、確かに綺麗になっていた。全体的な印象はあまり変わっていない。これは霞と一緒だ。髪型もどこか子供っぽく見えるおさげのままであるが、おもちは順当に成長しているようだった。霞や明星よりは小さいが、春よりは大きい。急いで歩いてきたせいか、そのおもちが小蒔の呼吸に合わせて上下していた。男として実に眼福な光景である。

 

 できることならいつまでも見ていたい光景であるが、そろそろ怖い人たちの視線が怖い。京太郎は姿勢を正し、小蒔に頭を下げた。客分であっても小蒔は霧島の姫である。

 

「ご無沙汰してます。小蒔さん。お綺麗になりましたね」

「こちらこそご無沙汰です。それからお世辞を言っても、何も出ませんからね?」

「いえいえ。本当のことですよ」

 

 実際に美人である小蒔にとって、この手の言葉は言われ慣れているのだろうが、どうやら小蒔も満更ではないようだった。普通に照れてくれるのならば、本心を打ち明けた甲斐のあるものだ。照れた様子のまま、小蒔が身体を寄せてくる。良い匂いに京太郎の身体も強張るが、ここで反射的に身を離したらやはり、霞に酷い目に合わされる。別に小蒔の近くにいたくない訳ではないのだ。ただ、男子としての本能で身体が動こうとしただけである。それを自制できた自分を、褒めてやりたい気分だった。

 

「京太郎は随分と背が伸びましたね。霧島にいた頃は、霞ちゃんよりも小さかったのに」

「一応、俺も男ですからね」

 

 んー、と背伸びして頭を撫でようとする小蒔に合わせて膝をかがめると、ちょうど顔の近くに小蒔のおもちがやってくる。近くで見るとますます魅力的であるが、ここでこれを凝視してしまうと、やはり後の報復が怖い。京太郎は断腸の思いで視線を逸らした。

 

 頭を撫でて満足した小蒔は、笑顔のままに手を合わせた。居並ぶ六女仙を見回して、

 

「今日は、京太郎の歓迎会をします。実はこの日のために、皆で準備をしていたんですよ?」

「何もそこまで……」

「遠いところから来てくれたお友達なんですから、これも当然のことです。私達がやりたくてやっているんですから、京太郎は気にしなくても良いですよ」

「……小蒔さんがそう仰るなら」

「会場は、私達の部屋よ。準備のための準備をしてくるから、京太郎は小蒔ちゃんの相手をしていなさい。粗相のないようにね。小蒔ちゃん、京太郎をよろしく」

「わかりました!」

 

 姫様と持ち上げられることが、実はあまり好きではない小蒔は、自分でできることは基本、自分でやりたがる。霞たちもそれは知っているから、基本的には小蒔の好きなようにさせていた。それに当てはめて考えると、霞たちが準備をしているのに小蒔が残る、というのは普段の小蒔であれば抵抗する場面である。

 

 小蒔がここに残ることには、理由があった。それは自分の主義を曲げるに足るもので、小蒔の楽しみの一つでもあった。

 

 霞たちが部屋を出て行ったから一分、二分。しばらくは戻ってこないことを確信した小蒔は、わくわくした様子で振り返った。

 

「京太郎、霞ちゃんたちはいませんよ?」

 

 さぁ! と詰め寄る小蒔に、京太郎は苦笑を漏らした。

 

 これは須賀京太郎と神代小蒔だけの秘密である――と小蒔は思っているのだが、隠し事が苦手な彼女の秘密は、実際には多くの人間が知るところだった。勿論霞たち六女仙も知っているが、知らないふりをしてくれているのである。理由は簡単だ。秘密になっていると思っているからこそ、小蒔もより楽しめているのである。その楽しみを邪魔するのは忍びない、というのが霞の言い分であるが、単にこそこそしている小蒔を見るのが楽しいのだ、と京太郎は思っていた。

 

 事実、目の前のわくわくこそこそした小蒔は、一つ年上なのにも関わらずとても可愛らしい。その可愛い小蒔の要望に応えるべく、京太郎は勿体ぶって咳払いをすると、

 

「小蒔姉さん」

 

 と、小さく呼んだ。その瞬間、小蒔は小さく呻いて身悶えた。一つの家庭に2、3人の姉妹がいることが珍しくない霧島にあって、神代本家の小蒔のご両親には、小蒔以外に子供がいない。年下の巫女は沢山いるが皆小蒔を敬いこそすれ、姉と呼んでくれる者はいなかったのだ。勿論、六女仙を始め、皆良くしてはくれるのだが、姉妹のいない小蒔は姉扱いに飢えていたのだった。

 

 そこで、京太郎である。外部の人間である京太郎は神境の慣習に縛られない。年上の人間であれば、本人の要望さえあれば姉と呼んでくれる弟分は、小蒔が長年待ち望んだものだった。

 

 しかし、外部の人間であっても神境の中でその慣習を無視することはできない、と純粋な小蒔は考えた。人目があるところで姉と呼ばせては、京太郎に迷惑がかかる。そう思った小蒔は、自分の欲望をこっそりと叶えることにした。弟分と二人きりの時にだけ、姉と呼ばれること。それが神境の姫君である小蒔の、ささやかな楽しみである。

 

 久しぶりの感動を堪能した小蒔は、京太郎に座るように要求した。小蒔の前に正座すると、小蒔は据わった目つきで詰め寄ってくる。

 

「さあさあ京太郎、小蒔お姉ちゃんにしてほしいことはありませんか!?」

 

 いつもより更に気合が入っている気がする。よほどストレスが溜まっていたのだろうか、と心配になるが、それよりもまずは小蒔の機嫌を損ねないことである。小蒔のような美少女にしてほしいことなどいくらでも思いつくが、男子中学生が欲望のまま思いついたことを、そのまま口にすることは流石に憚られた。

 

 それ以外で、となると急には思いつかない。しかし、小蒔は目をきらきらとさせて目の前にいる。お姉ちゃん風を吹かせたくて仕方がないのだ。ちなみにこのノリの時に間違っても姫様と呼んではいけない。呼んだが最後、小蒔は頬を膨らませて拗ねてしばらく口を利いてくれなくなる。

 

 進退窮まった京太郎は、逆に問うてみることにした。

 

「小蒔姉さんは、俺と何がしたいですか?」

「それは……そう、お姉ちゃんらしいことです!」

「俺は男ですし、小蒔姉さんと一緒で一人っ子だから、お姉ちゃんらしいこと、と言っても良く解りません。だから、小蒔姉さんがしたいことを言ってくれると、俺としても助かるんですが……」

 

 京太郎の言葉に、小蒔は押し黙ってしまった。一人っ子の京太郎に思いつかないのなら、同様に一人っ子の小蒔にも思いつかないのは道理である。このままでは誰かが呼びにくるまでずっと考えていそうだ、と察した京太郎は苦笑を浮かべながら助け舟を出すことにした。本当、このお姉ちゃんはかわいい。

 

「身近なお姉さんっぽい人を参考にすれば良いんじゃないでしょうか」

「それなら霞ちゃんです! 霞ちゃんは良く、私に膝枕をしてくれるんですよ」

 

 それは知っていた。昔から羨ましいなぁ、と思いながら眺めていたので、良く覚えている。昼寝が趣味の小蒔は六女仙の膝や肩を良く借りる。一番その役目をしているのが、霞だ。

 

 何はともあれ、この流れは京太郎にとって好都合だった。何しろ小蒔が霞の代わりをしてくれるのである。美少女の膝枕は男にとってロマンなのだ。それがおもちの美少女ならば言うことはない。流石に霞よりは小さいが、それは比較対象が霞だからであって標準から比べれば小蒔も十分に巨乳の部類に入る。

 

 どきどきする内心を悟られないようにしながら小蒔の言葉を待っていると、小蒔は勢い良く京太郎の膝の上に頭を落とした。

 

 京太郎は思わず、目を瞬かせる。

 

 自分の膝の上に、小蒔の頭が乗っている。膝枕をしているのは小蒔ではなく、自分だ。何かの間違いではないのか。小蒔の顔を覗き込んでみると、小蒔は至福の表情でごろごろと喉を鳴らしていた。どうやら間違いではないらしい。

 

 お姉ちゃんっぽいことをしたいという流れでどうして膝枕をされることになるのか。男であり弟分である京太郎には理解できなかったが、気持ち良さそうにしている小蒔の顔を見たら、そんなことはどうでも良くなってしまった。膝枕をされることに比べるとアレだが、これはこれで役得である。

 

「姫様、兄さま、準備ができました――」

 

 すぐに寝息を立て始めた小蒔の顔を眺めて、しばらく。妙に長い準備時間の終了を告げにきた湧に向かって、京太郎は静かに人差し指を立てる。小蒔の眠りを妨げてはいけない。神境では暗黙のルールである。状況を察した湧は、苦笑を浮かべると指で『十分待つ』とサインを出して、部屋を出て行った。

 

 後に残るのは、静かな小蒔の寝息だけである。

 

 

 

 

 



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34 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑤

※原作『咲-saki-』は女子高生が麻雀をするマンガです。


 薄暗い道を歩きながら、湧は何度目になるか知れない溜息を吐いた。

 

 少し先を幼馴染で同じ六女仙の明星が歩いている。自分と一緒で薄い夜着姿だが、初恋の人である京太郎をして『男の子みたい』と評されたぺったんこなボディと違い、明星の身体には十分過ぎるほどの凹凸があった。同級生なのにズルいと思う。

 

 今日も二人で一緒に京太郎のところに押しかける予定だ。古風な表現で言うところの『夜這い』である。初体験が三人で、ということに抵抗はあったものの、霧島においてはそれほど珍しいことではない。何よりも男性をゲットすることが優先なのだ。数は多いに越したことはない。

 

 湧を憂鬱にさせているのは、相棒の明星のことである。中学生離れした明星が今晩の主役になるのだと思うと、同じ女として胸が痛い。男の人は胸やお尻が大好きで、京太郎は特に胸が好きであることを、湧も明星も知っていた。はんぶんこと言ってこそいるが、明星は自分の有利を疑っていない。

 

 嫌な考えになってきた。黒い感情を追い出すように、気息を整える。

 

 明星との同盟を受け入れた段階で、明星に対して文句を言うのは筋違いだ。共に戦い、霞たちに勝たなければならない以上、必要なのはチームワークである。元より、ライバルチームだって巨乳とぺったんこのコンビなのだ。メンバー構成としては、何も問題はない。

 

 相手は強力だからこそ、年下の自分達は早めに行動する必要がある。

 

 今夜決めちゃいましょうと言い出した明星に乗っかったのは、湧もそれなりに危機感を持っていたからだが、見た目に反して乙女であることを自認する湧は、手をつないだり待ち合わせしてデートしたりちゅーしたりしてから、こういうことをするべきだと思っていた。即物的な考え方をする明星とは対照的である。世間一般では多数派に属するだろう『手順を踏むべき』という考え方も、残念ながら神境では少数派だった。

 

 手を出せるのならば、さっさと出しておくべきというのが、神境の巫女の基本的な考え方だ。顔も解らないライバルはきっといて、それらは京太郎の近くにもいる。明星が焦る気持ちも理解できた。

 

 そんな攻撃的な幼馴染の背中を見ながら、湧はどうしても失敗した時のことを考えてしまう自分の弱さを反芻していた。これから一戦交えるというのに、気分がどんどん沈んでいく。もう少し延期はできないものか、と適当な理由を考えていた湧は――唐突に、背中から地面に倒れこんだ。

 

 考えるよりも先に、本能に従って身体が動いたのである。何故、と湧が考えたその直後、明星が吹っ飛ばされた。

 

(攻撃された!?)

 

 神境の中では考えられないことだが、明星が吹っ飛ばされたのは少なくとも事実である。湧は即座に跳ね起き、周囲を警戒した。

 

 人の気配はない。目に見える範囲に、不自然なものは見えなかった。

 

 気のせいか、と浮かぶ考えを即座に否定する。明星が吹っ飛ばされたのは紛れも無い事実だ。

 

 攻撃される理由は一つしか思い浮かばない。この先には京太郎がいる。そしてここは神境だ。男に飢えた巫女が多数集まる場所で、世間的には湧もその一人である。巫女が激突する理由は、家々の権力争いでなければ男を置いて他にはない。

 

 そして相手が誰かは、考えるまでもなかった。

 

 六女仙の邪魔をするのは、六女仙である。攻撃的な邪魔が入った段階で、湧は自分の不利をはっきりと悟った。六女仙の中で、湧と明星は最年少だ。年長の霞たちとは三歳も年が離れている。この年代で、修行した時間にそれだけ差があるのは致命的だ。湧も明星も同級生の中では五指に入る力を持っているが、霞たちと比べるとどうしても見劣りする。

 

 本来ならばこうなる前に勝負を決めるべきだったのだ。女の戦いならばまだしも、実力行使があったら勝てるはずがない。

 

 倒れた明星に外傷はない。彼女らが直接的な攻撃手段に及ぶとは思っていなかったが、幼馴染が無事なことに湧は安堵の溜息を漏らした。今なら明星を連れて逃げても、追ってはこないだろう。京太郎を目前にして離れると後で明星は文句を言いそうだが、ここに留まっても良いことは何もない。とにかく逃げるが勝ちである。

 

 受身も取れずに倒れる明星を、地面に激突する前に回収する。そのまま明星を抱きかかえた湧は、直感に従って大きく仰け反った。一瞬の後、湧の顔があった場所を見えない何かが高速で通り過ぎていく。

 

 風切り音がほとんど聞こえない。霊力を纏った小さく細いものが、高速で動いている。おそらく糸か、そのくらいの細い何かだ。種が割れれば相手の特定は容易い。妨害してくるならば霞初美のグループかと思ったが、こういうトラップを得意とし、好んで用いるのは春と巴である。

 

 コンビを組んだという話は聞かない。おそらくどちらかの単独だろう。相手が一人、というのは好ましい情報だったが、明星が気絶してしまった今、湧も一人だ。数が同じなら、相手が有利。年下の巫女は、徒党を組むか小細工を弄しないと、先輩の巫女には勝てないのだ。それに一応修めただけの湧と違って、あの二人は霊的な場を構築することを家業としている。専門的な知識の量は、湧とは比較にならない。こちらをハメるためのトラップなど、昼寝をしながらでも構築できる。相手の陣地で戦うのは、とにかく不利だ。逃げるが勝ち、という持論を補強した湧は、逃げ足を大いに早め――足の裏で、ぷつりと何かを踏み切った。

 

 絶賛周囲を警戒中の湧の感性が、自分の周囲に何かが大量に沸いたのを理解させた。

 

 その瞬間、湧は逃げることを諦めた。次に明星と組む時は、普通にデートに誘おうと心に誓いながら、湧は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひっそりと静まり返った神境の夜道を、春は一人歩いていた。着ているのは巫女服ではなく、真っ白な薄手の夜着一枚である。夏の鹿児島とは言え肌寒いくらいであるが、これを勝負服と決めた春の歩みに迷いはなかった。

 

 春は今晩、全てを決めるつもりでいる。

 

 小蒔と六女仙、都合七人で作った夕食は京太郎にも好評で久しぶりに凄く楽しい夕食になった。満腹になった京太郎は旅の疲れもあって今頃ぐっすりと眠っていることだろう。普段ならば春も眠っている頃合であるが、今日は違った。

 

 料理にはこっそりと、精のつくものを混ぜておいた。疲れていても、色々と元気にはなるはずだ。若いうちにそういう物は必要ないという考えの巫女もいるが、何事も勢いというのは大事だという巫女もいる。恋愛ごとにおいて、春は後者の支持者だった。

 

 春は勿論初めてで、話に聞く限り京太郎も初めてだ。気まずいことも、失敗することもあるだろう。そういう場面を切り抜けるのに、勢いはどうしても必要だった。

 

 滋養強壮の補助を受けた上でこちらから迫れば、京太郎も受け入れてくれる。霞や小蒔ほどではないが、春のおもちは十分に大きい。小学生の段階で成長が止まったらどうしようと焦り、入念に豊胸効果のあるとされるマッサージを試した成果か、同級生の平均を大幅に超えた今でも、おもちはすくすくと成長を続けている。

 

 自身の持つ戦力に満足しながら薄い笑みを浮かべていた春は、静かに足を止めた。

 

 京太郎がいる離れは、この道を行った先にある。見通しの良い一本道だ。何の変哲もない通り慣れた道であるが、巫女としての春の感性がここは危険だと告げていた。虫の知らせというのは神境の外でも良くあることだが、巫女の、とりわけ霧島の巫女の嫌な予感というのは良く当たる。

 

 何かある。おそらく何かトラップが仕掛けられているのだろう。ここは巫女の集まる地。それくらいの技術を持った巫女は沢山いるが、男を争うこの環境にあって六女仙に対抗することのできる人間は、六女仙しかいない。仕掛けられたのはトラップ。ならば相手は巴しか考えられない。

 

 京太郎に関して、巴は穏健派だ。夕食の時も夜這いには反対という姿勢をやんわりとではあるが示していた。精の付く料理を作ることこそ邪魔しなかったが、京太郎の同意なく、無理矢理行くことには反対なのだろう。その主張を通した結果がこのトラップと考えると、おそらく巴は単独だ。

 

 京太郎の元に行くにはこのトラップを解除するなり破壊するしかないが、この手の技術に関して巴は先輩だ。時間をかければ対応できるだろうが、安全を重視して作業をすると夜が明けてしまう。京太郎と一戦交える準備しかしていないから、こういう霊的なトラップに対応するための道具も持ってきていない。文字通り身一つだ。時間をかけすぎてしまうと、それこそ巴の思うツボだ。

 

「やっぱり、何かあるのね……」

 

 どうしたものかと途方にくれる春の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。邪魔してくるならこの人と、心の中で思っていた人物だが、今や共に強大な敵と戦う仲間となってしまった声である。

 

 背後の茂みの中から出てきたのは、霞と初美。春と同じく薄い夜着姿で、特に霞の方は同性の春から見ても危険な色香を放っていた。意識的に帯を緩めにしているのだろう。零れそうになっているメロンのようなおもちには、決して小さくはない春でもふつふつと怒りが沸いた。

 

 声をかけるまで出てこなかったことには、突っ込まない。霞も初美も優秀な巫女だ。直感で何かトラップが仕掛けられていることまで理解したのだろうが、それがどんなものなのかまでは解らないはずだ。

 

 普通、こういうことは早い者勝ちである。後から来た人間に掻っ攫われる危険を冒しても、草むらの中に隠れていたのは、あわよくば後続の人間がトラップにひっかかり、その内容が明るみになることを期待してのことだろう。

 

 それを卑怯だとは思わない。春も霞と同じ立場にいたら、同じことをしたはずだ。

 

「何か手がかりは?」

「湧ちゃんと明星がなす術もなくやられたみたい。私達が来た時にはもう気を失って倒れていたわ」

 

 霞の視線を追った先には、彼女らが出てきた茂みがあった。その中に目を向けると、やはり薄い夜着の姿の湧と明星が倒れていた。見たところ外傷はない。服の汚れも倒れた時にできたものだけだ。物理的に強い衝撃を受けた、という可能性は考えなくても良さそうである。ここだけを見れば手がかりはないに等しいが……

 

 二人に歩み寄った春は、湧の服に複数の糸が付着しているのを見つけた。摘み上げて観察してみて、春はトラップの正体を正確に看破した。

 

「これは糸を使った結界の一種」

「結界ですかー」

「そう。道に糸を沢山撒いておいて、それを踏んだ人間のその周囲にある糸が踏んだ人に当たって、それを吹き飛ばす仕組み」

 

 糸に人を吹き飛ばすだけの力は、普通はかけられない。糸には霊力が込められており、それが明星たちを吹き飛ばしたのだ。糸もただの糸ではない。巫女が霊力を込めて自分の髪を縒った特注品である。大体、この手の糸は霊力の親和性を考えて自分の髪を使う。明るいところであれば髪の色などで使った人間を特定することも可能だが、この場合は、それも必要がない。

 

 六女仙の中でこの手の術を使いたがるのは、自分を除けば巴しかいないからだ。

 

「巴ちゃんね?」

「普通は警戒するだけだけど、実際に二人を吹き飛ばしたのなら近くにいるはず。踏んだことを確認してから、自分で動かしているはず。多分、京太郎の近くにいる」

「お姫様と一緒ですかー」

「ただ、この結界そのものに、防御の機能はない。霊力をぶつければ普通に吹き飛ばすことが可能なはず」

「それができれば良いんだけど……」

 

 霞の視線が初美に向く。

 

「この離れに限らず、分家分邸のほとんどは薄墨が設計したものです。普通よりも簡単に結界が張れるようになってる……というのは今更説明するまでもないかもしれませんが、残念なことに巴の設置した結界は、離れの結界の内側にあるのですよ」

 

 外からの攻撃に対して、結界は勝手に発動する。攻撃された、という事実に巫女は敏感だ。一撃でそれを打ち抜けるならば良いが、そうでなければ神境中の巫女が飛び起きるだろう。男関係のことについて大抵のことには寛容になってくれる環境であるが、深夜にたたき起こされたとなっては、無視することはできない。

 

 京太郎という美味しい果実を前にして、お説教コースは確定だ。

 

 そうなると、巴が設置した方の結界をどうにかするしかない。

 

 結界を設置するために使用した糸は、巫女が各々ストックしているものである。その性質上、それほど多くの数を持つことができない。同時に、何かあった時のためにストック全てを放出することもできない。一緒に糸を作った時に確認した巴のストックの量から鑑みて、

 

「10メートルもないと思う」

「それなら行けるわね。はっちゃん?」

「おまかせあれ、なのですよー」

 

 10メートルという数字にも、初美の声に気負いは見えない。ちなみに現在の走り幅跳びの世界記録は、男子で8メートル96センチ。女性でしかも身長の低い初美では到底達成できる記録ではないが、霊力で身体を強化した状態であれば、10メートルというのは十分に飛び越えられる距離である。

 

 助走のための距離も十分だ。

 

 問題はあのトラップを超えた先にさらにトラップが無いかということだが、この結界は設置するにもそれなりに時間がかかる。元よりここは滝見の離れであるから、狩宿の巴がこそこそと作業するのは問題なのだ。計画そのものは以前からしていたとしても、設置したのは今晩のはずだ。

 

 故に、他にトラップを作っている時間はないと、春は見た。

 

「補助はいるかしら」

「一人で十分なのですよ!」

 

 夜着に草履という決して走り易い格好ではなかったが、初美の動きには衣装の不利など感じられなかった。気息を整えると、初美の霊力は活性化し――

 

 そして、駆ける。

 

 アスリートも裸足で逃げ出すような速度で地を駆けた初美は、トラップの直前で踏み切り、10メートルの距離を易々と飛び越えていく。初美の足音はそのまま、遠くなっていった。後はしばらく待って、結界を踏み越えて行けば良いだけだ。

 

 いくら巴でも初美の相手をしながら、迎撃用の結界を動かすことはできない。初美に合流することができれば、3対1だ。できれば腕っ節の強い湧がいてほしいところだったが、彼女は今夢の中だ。仮に復活したとしても、すぐに巴と戦うようなコンディションまでは回復しないだろう。

 

 合流までの時間を待ちながら、春は考える。

 

 これぐらいの距離ならば、初美や湧は飛び越えることができる。当然、それは巴も知っていることだ。

 

 設置に時間をかけられない以上、他のトラップが同時に仕掛けられている可能性は低い。あれを飛び越えることができれば、後の障害は巴一人である。初美一人ならば巴は強敵だが、そこに二人が合流できれば、勝敗の行方は解らなくなる。他家の敷地にトラップまで仕掛けたのに、それではあまりにも危険が大きい。麻雀でも堅実に打ちまわす巴がそんなギャンブルをするとは、春にはどうしても思えなかった。

 

 何か別の手があるのかと考えてみる。

 

 一番手っ取り早いのは、他に協力者を作るということだ。一人協力者がいるだけで、設置と制御の問題を一度に解決することができるが、小蒔は既に就寝中で、湧と明星は既にリタイア。春たちは三人で今、徒党を組んでいる。声をかけられる人間はもういない。他の世代に声をかけるのは、本末転倒だ。六女仙の一人から招かれたとなれば、他の世代からの参戦に歯止めがきかなくなる。結果的にゲットできる可能性と、ゲットした時の取り分が減る可能性が増すことを考えれば、例え切羽詰っていても、その選択肢は選ばない。

 

 援軍の可能性は、ないに等しい。それは解っているのだが、春の中から嫌な予感は消えなかった。

 

「春ちゃんも心配性ね。はっちゃんなら大丈夫よ」

 

 春の心配を他所に、霞は安堵の表情で初美の去った方向を見つめている。

 

 しかし、相手は巴だ。初美の行動が上手くいったとしても、これから三人で巴と対決しなければならない。霞に緊張が見られないのは、彼女が巴と同級生で、公的には立場が上だからだ。年下で、後輩の春はそうはいかない。余裕のない春には、霞の態度が油断に思えて仕方がなかった。

 

 初美が跳んでから、既にそれなりの時間が経過している。巴があちらにいるならば、そろそろ接触しても良いはずだ。

 

「準備をしましょうか。協力して通路の糸を吹き飛ばします。その後は走って、はっちゃんに合流の後、巴ちゃんと対決。そういう手順でよいわね?」

 

 手順の確認、という建前の取り分の確認が行われる。この二人と組むことになってしまった時点で、春の取り分は大きく目減りした。既に二人は同盟を組んでいるだろうから、きっちり三等分とはならない。良いところ、4:4:2くらいのはずで、それが春の気分を盛り下げるのだった。

 

 本当ならば一人占めできていたはずだったのだ。それを考えると取り分が五分の一になったことは痛いが、締め出されるよりはずっと良いと無理矢理良い方に考えることにした。

 

 さて、と春も意識を切り替え、離れに視線を向けた矢先、霞の周囲に何か、影が見えたような気がした。春に比べ、霞の反応は早かった。影から距離を取るために跳び退るが、影の動きは霞の動きよりも更に早かった。跳び退った霞の更に後ろに回っていたその影は、目にも留まらぬ速さで霞のうなじを軽く叩く。それだけで霞は気を失った。

 

 地面に倒れないよう、優しく霞を抱きとめるその影の名前を、春は良く知っていた。

 

「巴さん……」

「こんばんは、はるる。良い夜だね」

 

 いつもの調子で、巴は笑みを浮かべるが、格好はいつもの巫女の衣装とは違っていた。

 

 襷がけされ、露になった白い腕には手甲。腰には刀が下げられている。それは儀礼用のものではなく、実用一点張りの真剣だ。神境からの支給品ではなく巴の私物である。気分を出すためだけに持ち出されたのではないことは、刀を下げたその立ち姿が異様に様になっていることからも伺えた。あまりの巴の本気具合に、春は一歩退いた。

 

 

 狩宿巴は、退魔師である。

 

 

 それは霧島の巫女の数ある役職の一つであり、小蒔や霞の神降ろしに並んで特殊な才能を必要とする役職である。同年代の中でも数が少なく、六女仙の中では巴一人。現在の十代の中では、巴も含めても十人に満たないほどの少数精鋭だ。

 

 その役割は、地位の高さと実力によって異なるが、全員に共通しているのは巫女の修行に加えて武術の鍛錬をしていること。古くは妖怪とも戦っていたという退魔師の腕は、そこらの腕自慢など問題にならない。

 

 いわんや、年端も行かない巫女をや、だ。

 

 結界設置の技術も然ることながら、実力において巴を危険視していたのは、一重にこの腕っ節の強さによる。実力行使となったら、本当に、巴に勝てる巫女は神境中を探しても、ほとんどいない。ある意味、霞以上に敵に回してはいけない人間なのだ。

 

 霞が打ち倒され、現在、春は一人で巴と相対している。初美を含めて三人で戦う想定をしていたのだ。一人で向き合った時点で、春の負けは確定的である。巴は、ギャンブル性の高い賭けをしない。初美がいて、三人で戦ったとしても巴ならば勝ちを拾える可能性があったが、それだとまだ、万が一のことがある。初美が離れるまで、出てくるのを待っていたのだ。湧は倒れ、その次に腕の立つ初美が姿を消した。春と霞の二人が相手であれば、巴に負けはない。 

 

「でも、それなら早く京太郎の所に行った方が良い。初美さんが京太郎を食べちゃった後では、全てが遅い」

 

 春の言葉に、巴が片眉をあげる。

 

 迎撃するはずの巴がこちらにいるということは、初美は今、フリーになっている。あちらにいない時点で、どこにいるかは察しがつくことだろう。同時に、時間があまりないことも理解する。霞と同盟を組んでいる初美であるが、全ての状況において義理立てしている訳ではない。チャンスとなれば、自分一人で突撃する可能性は高い。

 

 巴の目的が京太郎の守護となれば、今一番危険なのは、京太郎の近くにいるはずの初美だった。言葉の通り、食べられてしまった後では、全てが遅いのだ。春の言葉は、巴の危機感を刺激するためのものだったが、巴は春の言葉を受けても、余裕の態度を崩さなかった。

 

「あー、それは大丈夫じゃないかな。あっちには頼もしい助っ人がいるから」

「助っ人? ……まさかっ!」

「うん、そのまさかの人だよ」

 

 巴の言葉に、春が一歩下がる。巴はその場を動かない。多少の距離が離れても、一瞬で踏み込めるという自信がそうさせるのだ。

 

「一応確認するけど、今日はこのまま黙って帰るってことはない? そうしてくれると、私も心を痛めないで済むんだけど」

「そうはいかない。京太郎を手に入れるチャンスを、見過ごす訳にはいかない」

「そう言うと思った。そういう京太郎大好きなところ、私も好きだよ。でも――」

 

 巴の姿が消える。わき目も振らずに春は駆け出すが、巴の声が走る春の耳元で聞こえた。

 

 

「――大好き具合では、私もそれなりなんだ。悪いけど、夜這いは認められないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侵入者を全員撃退し、離れに戻ってきた巴が最初に見たのは、簀巻きにされた初美の姿だった。特別な訓練を受けていない中では、初美も腕が立つ方なのだが、今回は相手が悪かったと言うより他はない。

 

「そっちも片付いたようだね」

 

 京太郎が寝ている部屋の前、制服姿で正座しているのは、巴の協力者である戒能良子だった。部活の引継ぎも終了し、プロになることも確定したことで、滝見の本家に挨拶に来たのだ。

 

 外様とは言え、春の従姉で滝見の一族である。本来ならば彼女がやってきたという事実を、一族である春が知らないのはおかしい。そこから話が漏れることを警戒した巴は、良子に一計を案じてもらった。

 

 良子は滝見の本邸に行かず、神境にやってきたその足でこの離れまで来たのだ。神境の中にも警備の巫女はいるが、それは神代の本家や、分家の本邸の周囲に集中している。年頃の男子の客人とは言え、離れの方までは警備の目も届き難い。良子の立場であれば、誰にも知られずにこの離れにやってくることは、それほど難しいことではなかった。狩宿の巴と異なり、一応良子は滝見の一族であるから角も立ち難い。

 

 とは言え、巴と共謀したとは言え、外様の巫女が六女仙を叩きのめしたという事実は、良子の立場を危うくするものである。本来ならば叱責の可能性もあることだが、ここは霧島神境だ。男を引っ張りこむことについては、大抵のことが許される。それにバラバラに行動していたとは言え、六女仙が五人もいて、二人の巫女に遅れを取ったのだ。体面のためにも、話はそこまで大きくはならない。

 

「ところで、良子さんはどうして私の味方になってくれたんですか?」

「幸い、私は来年から社会人だ。不自由はそれなりに増えるだろうけど、学生とは違った時間の使い方ができて、少しは金持ちになる。今勝負が決まるのは、あまり都合が良くないのさ」

 

 それが六女仙最年長の霞より二つ年上の良子の強みだ。巫女になることが決定的な霧島の面々と異なり、良子は麻雀のプロになれるくらいの実力と自由がある。巫女が麻雀をしているというよりは、麻雀打ちが巫女をしていると言ったほうが近い。良子はその立場を、大いに活用していた。愛媛から離れられなかったこれまでよりも、京太郎と接する時間は、増えるかもしれない。

 

「私としては巴がこちらにいる方が不思議だよ。話をもらった時には驚いた。巴一人でやってれば、負ける可能性はあるけど京太郎を独り占めできてたかもしれないのに」

「それは私も考えたんですけど……」

 

 自分から押しかけるのは、巴の好みではない。京太郎には多少強引に迫った方が効果があるのは自覚しているものの、やはりもっと甘酸っぱいことから始めてみたいのだ。

 

「乙女だね。霞にも聞かせてやりたいよ」

「いざとなったら、私も解りませんけどね。良子さんこそ、強引に行くのは趣味ではないんですか? 愛媛では、自室に京太郎を何度も連れ込んだと聞きますけど」

「毎回、欲望との戦いだったよ。楽しかったのは間違いなかったけど、あれはあれで辛い面もあったね。本当、あの頃の京太郎はかわいかった」

「あ、それだと今の京太郎がかわいくないみたいじゃないですか。今だって十分かわいいですよ? と言うか、今の京太郎が一番かわいいです」

「私としてはかっこよくなってほしいんだけどね……まぁ他ならぬ巴の言うことだ。信じてあげたいところだけど、最新の京太郎については実物を見てみないと何とも言えないね。と言う訳で、これから二人で京太郎の寝顔でも観察しないかい? 霞たちを撃退したんだ。今夜はもう襲撃はないだろう」

 

 襲撃の可能性があったのはそもそも霞達だけだ。自分以外の六女仙を全員撃退した時点で、京太郎の安全は保証されたようなものであるが、それとこれとは話が別だった。

 お姉ちゃんとしては、邪な目的に京太郎を巻き込んでほしくない。それも巴の本心だったが、巫女にも退魔師にも、そして年頃の女の子にも欲はあった。

 

「良子さんがそう言うなら……」

 

 結局、巴は良子の提案に乗ることにした。ズルいと自分でも思うが、ここまで良いお姉ちゃんでいたのだから、少しくらいは悪いお姉さんになっても良いだろう。霧島には沢山神様がいらっしゃる。一柱くらいは、女の子の欲の味方をしてくれる神様だっていらっしゃるはずだ。

 

「じゃ、行こうか。実は京太郎に話を聞いてから試してみたかった術があったんだ」

 

 薄闇の中、良子は手早く印を刻み、小さく手を合わせる。

 

 すると、良子の姿が薄れていく……ように見えた。実際には消えても薄くなってもいない。姿も見えるが、そこにいないように『思える』のである。本職の巫女である巴の目をしても、少し気を抜くと見えなくなってしまいそうだ。

 

「どうしたんですか、こんな術」

「京太郎が生まれつきこういう体質の女の子と知り合ったみたいでね。どういうものだと相談された時から、自分で研究して開発したんだ。おもしろいだろう? こうして――」

 

 声を顰めた良子が巴の手を取ると、良子を覆っていたものがじんわりと巴にも移ったのが感じられた。適用範囲を拡大した、というよりは最初からそういう術だったように思える。触れた人間も巻き込む隠行とは、何と悪戯向きの術だろう。

 

 一から開発したのではなく、元からあった隠行の術を改良したものだろうが、一人で開発し完成させてしまう辺り、良子の才能の高さが伺えた。これで巫女が本職ではなく麻雀プロというのだから、今代の六女仙の一人としては、恐れ入るばかりである。

 

「手をつなぐとその人まで消える。本物よりは強力になったのかな? 私は本人に会ったことはないから比較できないけれど」

「でも、この力を持ってるのは女の子なんですよね?」

「京太郎の反応を見る限り、美少女そうだね。頼めば写真くらいは見せてくれるかもしれないよ?」

「別に良いです。絶世の美少女だったら凹んじゃいますから」

「巴は十分美人だと思うけどねぇ……」

(それは貴女が美人だから言えるんです)

 

 呆れたように言う良子に、巴は内心で毒づいた。六女仙の中では従妹の春を差し置いて、何故か巴が一番波長が合った。それなりに交流があり、年が離れていても大事な友人だと思っているが、独特の間合いと相手に踏み込む時の思い切りの良さは、苦手に思うこともあった。

 

 ともあれ、今は京太郎のことである。良子と手をつなぎ、京太郎の部屋に入る。部屋の中央に敷かれた布団の上で、京太郎は静かに寝息を立てていた。初めて会った頃よりは随分と男らしい顔付きになったが、まだ幼さも残っている。たまらなくかわいい寝顔に、背筋がぞくぞくとした。身震いする巴に、良子は底意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「寝顔を見るだけで良いのかい?」

「ここで襲ったら霞さんたちと同じですからね。私はもっと、清いお付き合いがしたいんです」

「それで他の誰かに出し抜かれても?」

「……それはお尻に火がついてから考えます」

 

 記憶から消えないように、しっかりと京太郎の寝顔を焼き付け、ついでにその頬の感触を思う存分に楽しんでから部屋を出て行く。縁側に座り、身体の熱を追い出すようにそっと溜息を吐いた。

 

 長い片思いである。何かとがっつく皆に反して、お姉ちゃんとして振舞うようになって、随分経ったような気がする。

 

 狩宿巴は退魔師である。

 

 六女仙の中でその役目を負えるのは巴一人。バックアップである霞、霊的な守護を担う春たちに並んで、巴は小蒔の物的な守護を担っている。狩宿の巫女の中でも巴の霊力は特別高いものではなかったが、その扱うスピードだけは同年代の中でも群を抜いていた。

 

 それは古くは妖怪とも戦ったという退魔師には必須の技能であり、幼い時分にその才能を見出された巴は、巫女の修行に加えて退魔師の修行も行うことになった。人間以上の存在と戦うための修行である。それが生易しいものであるはずはなかった。辛い、痛い、と何度逃げ出そうと思ったかしれない。

 

 京太郎がやってきた頃は巴の人生の中で一番鬱々としていた時期だった。春と初美が顧客を請け負ったというから、試しに見てみようと思って行った先で、屈託無く笑い、真剣な表情で麻雀に打ち込む年下の少年の横顔に、巴は心惹かれた。

 

 一人っ子だという彼のお姉ちゃんとして振舞うようになってから、心にも余裕ができた。弟に、無様な姿は見せられない。あの人はかっこいい、綺麗だと思われるようになりたい。そう思った時、何かが開けた気がした。

 

 今でも修行は辛く厳しいが、何とかやっていけている。初恋が、狩宿巴を強くした。例えこの先、京太郎と結ばれることがなかったとしても、この気持ちは消えないだろう。

 

 かわいらしい笑顔も、真剣な横顔も、あの日よりも更に魅力的になっていた。久しぶりに見た麻雀に打ち込む時の横顔は、たまらなくかっこよかった。

 

 この思いだけで、辛い修行にも耐えていけるだろう。狩宿巴は、確かにお姉ちゃんだった。

 

「今日はこれからどうする?」

「ここで一泊、というのも魅力的ですけど、それだと京太郎が慌てちゃいますから一旦戻りましょう」

「まぁ、そうなるだろうね。ところで君以外の六女仙が全員気を失って倒れている訳だけど、彼女らを家まで送り届けるのは、もしかして私達の役目なのかな?」

 

 当たり前と言えば当たり前の良子の疑問に、巴は押し黙った。

 

 ここは京太郎の宿泊場所で、放置する訳にはいかない。仮にも同僚で、大切な友達だ。季節は夏とは言え、屋外に放置するのは気が引ける。送り届けるより他はないだろうが、五人というのは多すぎる。

 

「報酬は京太郎の寝顔一つか」

「なんだ。それで大分おつりが来るじゃありませんか。さぁ、二人で手分けして頑張りましょう」

「君も大概、京太郎のことが好きだね……」

「当然じゃありませんか。私は、お姉ちゃんですからね」

 

 姉とは自分以上に、弟の幸せを祈るものだ。少なくとも狩宿巴はそうだったし、そうありたいとも思っている。がっつき気味の一同の中で、一歩引いた目線でいられるのはその気持ちのおかげだ。

 

 友達と喧嘩することになったが、京太郎の安全を守ることはできた。おまけに寝顔を見て、頬を突くことができたのだ。

 

 お姉ちゃん的には、今日は良い日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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35 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑥

「やぁ姫様お久しぶり。今日からしばらくお世話になるよ」

「良子さん! お久しぶりです!」

 

 軽い挨拶に感激している小蒔を横目に見ながら、京太郎は周囲を見回した。

 

 今日は京太郎の泊まっている離れで一緒に食事を取ることになっていたのだが、その席に何故か良子がいた。昨日の夜、京太郎が布団に入ったくらいの時間に神境に到着したという。

 

 小蒔も良子の来訪を喜んでいるようで、話に花を咲かせていたが、その周囲の空気は京太郎の目から見てもおかしかった。

 

 霞と初美の機嫌が良くない。視線でしきりに良子と……それから多分、巴を気にしている。対して巴は全く気にしていない。普通に食事を進める中、京太郎のお茶がなくなるとさり気なく配膳をしてくれる。今日も優しいお姉さん色が全開だったが、いつもならば口を挟んでくるはずの明星や湧も大人しい。

 

 昨晩何かあったのだろうか。しかし、眠る前にはいつもと変わらなかった。何かあったとしたら寝入った後のことになるが、そんな深夜に巫女さんたちが集まって喧嘩をする理由もない。

 

 そういう日もあるだろう、と京太郎は深く気にしないことにした。

 

「今日は終日修行になります」

 

 小蒔が京太郎を前にそう宣言する。京太郎は横目で良子を見た。彼女は巫女であるが、神境に常駐している訳ではない。今回の来訪もプロになることが決まったと滝見の家に報告するためのもので、修行のために来たのではない。京太郎の視線は、小蒔らと一緒に修行するのか、という意味のものだったが、良子は黙って首を横に振った。

 

「私は特にすることはないから、今日は京太郎と一緒に行動することにするよ」

「良子さんも含めて許可は取っておきましたので、今日は好きなところに顔を出して結構です」

「さしあたって今日の予定だけど、私は明星と湧の体術訓練の監督をするよ」

「私ははるると一緒に神楽舞のお稽古ですよー」

「私は小蒔ちゃんと一緒に――瞑想のようなもの、というのが一番伝わりやすいかしら? とにかく、そういう静かな修行をします」

 

 見事なまでにバラバラだが、一人ずつとならなかっただけマシなのだろう。どこに顔を出しても良いと小蒔は言うが、それは実質『全部のところに顔を出せ』と言われたに等しい。どこに行ってどこに行かなかったとなれば角が立つ。女社会における男の立場は、今も昔も低いのだ。一箇所でそこそこ時間をとっても、全部で三箇所ならば一日かければ余裕で回ることができるだろう。

 

「それで、どこから回る?」

 

 良子の提案を、巫女さんたちはそれぞれの眼差しで見つめていた。

 

 明星と湧はまっすぐな期待。春と初美はそれに比べれば控えめだが、こっちに来るよね、という強い意志は感じられた。小蒔と巴はそんな少女らを眺めてにこにこしている。最終的に顔を出してくれるなら、順番などどうでも良いと気づいているのだ。京太郎から見て一番表情が読めなかったのは霞だが、姉ポジションの霞ならば順番に拘ったりはしないだろう。

 

「それなら――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君は嫌いなものを先に食べるタイプ、という解釈で良いのかな」

「明星が拗ねるんで、内密にお願いしますね」

 

 否定はしませんが、と京太郎は続ける。

 

 他の二つは見てるだけでも終わりそうだが、この一件だけは参加が強制されそうな気がしたのだ。指導しているのが巴なら参加させられる可能性は五分五分といったところだが、ノリの良い明星と体育会系のノリな湧では、それなら兄様も……という流れになる可能性が高い。

 

 それなら最初に痛い目にあっておこうと思ったのは、京太郎の性格に寄る。不安に思うことを最後に残すということは、集中力を乱す要因にもなる。集中力の低下は麻雀において手牌読みの精度に影響し、ただでさえ低い勝率がさらに低下することになる。

 

「嫌なら断っても良いんじゃないかな? 巴も無理強いしたりはしないと思うよ」

「だと良かったんですがね」

 

 女性からの誘いを断るという選択肢は、そもそも京太郎の中になかった。誘いというのは、受けるものというのが京太郎の中では常識であり、今では女性からの提案を断ることそのものに、抵抗を覚えるようにすらなっている。

 

 神境に通っていた時では初美や霞の無理難題をこなしていた京太郎だが、流石に全てを受けていたら身が持たない。処世術として、そもそも提案をされないような状況に誘導する技術も、年を経るごとに備わってきていたが、回避できない状況というのも時にはあった。

 

 今回のこれは、その中の一つと言って良いだろう。

 

 準備がある、という巴たちに遅れること十分少々。離れから良子と二人で移動した京太郎は、体術修行のための施設の前に立っていた。一般人でも立ち入れるエリアと、巫女たちの居住区の中間にある修行エリアの中でも、外周部に位置するそこは京太郎が思い描く『道場』そのものの建物だった。ちなみにここは柔道や合気道など、主に畳の上でやる武道専用の建物であり、剣道や長刀のための建物はまた別にある。

 

 何とも豪勢な話であるが、ただ豪勢なだけで終わらないのは、これらの施設は一つではないということだ。数ある『道場』の中の一つと言えば、普段からどれだけ修行してるんだと考えるのは自然なことである。しかも今は夏休み。朝から晩まで修行というのも珍しいことではない。文武両道は神境の巫女さんたちが掲げるスローガンの一つである。どれだけ華奢に見える巫女さんでも、何某かの武術をかじっており、その辺で管を巻いている不良少年よりはよほど強いというのだから、地元で巫女さんたちが恐れられるのも頷ける。

 

「良子さんも、柔道とか合気道とかやったんですか?」

「知ってると思うけど、母が滝見の出身でね。近所の子供に合気道を教えたりしてるものだから、そのついでに教わったりもしたよ。ここでは中学くらいまでかな。毎年夏には泊り込みで色々な修行をしたよ。高校に上がってからは縁遠くなったけど、今思うと懐かしいね」

「その……強かったりしたんですか?」

「巫女っぽい技術には幸い才能があったみたいなんだけど、こっちは人並みさ。日頃の恨みとばかりに、霞や初美にはよく投げ飛ばされたものだよ」

 

 家の力が重要であるのと同時に、巫女としての力も神境では重要視される。良子は外様であるが巫女としての能力は高く、当代の六女仙最年長である霞たちよりも二つ年上である。良子も、霞たちも色々と思うところがあるのだろう。本人達の性格とは別のところで色々な柵があるのは、歴史のある環境ならではと言えた。

 

「俺の代わりに投げ飛ばされてくれとは言いませんから、安心してください」

「当然だね。ここでそう言ったら、私が巴の代わりに投げ飛ばしていたよ」

 

 お互いに軽口を交わしながら『道場』の中に入る。畳敷きの『道場』の中央には、三人の巫女がいた。いや、正確には一人と二人である。中央に立つ巴に対し、明星と湧が協力して挑むという構図だ。

 

 普通ならば人数が多い方が勝つ。格闘技でも麻雀でもそれは変わらないが、そこに圧倒的な実力差が絡むと話は別だ。この分野において、ド素人である京太郎の目から見ても、巴は実力者である。明星も湧も決して弱い訳ではないのだろうが、今回は相手が悪かった。

 

 拳だったり蹴りであったり、湧は切れ間のない攻撃を巴に浴びせているが、巴はそれを避け、あるいは捌き、一つも直撃をもらっていない。おまけにそうしながら、湧の攻撃について逐一アドバイスを入れているのである。当たる気配がまるでないのだから、攻めている湧には耳の痛い話だろう。体力こそまだまだ余裕があるようだが、湧の顔には焦りとは別の、ある種の絶望感が浮かんでいた。勝てる訳のない相手に、それでも挑まなければいけない時、人はこういう顔をするのだ。

 

 そんな二人から少し離れて、明星がタイミングを伺っている。湧から見て巴の向こう側……つまり、巴の後ろを取っていた。邪悪に微笑むその顔からは、奇襲してやろうという意図が透けて見えている。既に半分くらいは勝ったつもりでいるようだが、タッグを組んだくらいで実力者に勝てるくらいだったら苦労はしない。明星と湧のタッグは並みのタッグよりも息は合っているだろうが、巴に勝っているところがあるとすればそれくらいのものだ。

 

 湧の息が切れたそのタイミングを狙って、巴が一歩無造作に踏み込む。

 

 そして湧の腕を取ったと思うと、そのまま野菜でも引っこ抜くように簡単に湧を放り投げた。目の覚めるような速度の、一本背負いである。

 

 あれ? という呆然とした声は、明星のものか湧のものか。湧はいつの間にか自分が宙を舞っていることに戸惑い、明星はと言えば自分に向かって飛んでくる親友をどうするのか判断に迷った。即座に判断していれば、どうにか立て直すこともできただろう。

 

 しかし、湧は明星に助言するのが遅れ、逃げることもできた明星が考え込んでしまったことで、そのタイミングを放棄した。

 

 その結果、二人は激突し、仲良く床に崩れ落ちた。自分の仕事に満足した巴は二人に怪我がないことを確認すると、振り返る。珍しく得意気なその表情に、京太郎と良子は惜しみのない拍手を贈った。

 

「いや、強いですね、巴さん」

「指導する立場なんだからこれくらいはね。何なら京太郎もやってみる? 痛くないように手加減はしてあげるよ?」

 

 巴からの問いに、京太郎は言葉に詰まった。鹿児島に住んでいた際、長期滞在の時は京太郎もこういう訓練に付き合わされたことがあるが、格闘技について習ったのはそれと学校でやった柔道くらいのもの。真面目に訓練をしている巴や湧は言うに及ばず、あまり運動が得意そうには見えない明星にも遅れを取ることだろう。

 

 見栄を張りたい年頃の男の子としては遠慮したいところではあるが、巴たちとはそんなに顔を合わせる訳でもない。できることなら要望に応えてあげたいというのが、本音だった。

 

「良ければ是非」

「危険です兄様!」

 

 立ち上がった京太郎に、復活した明星と湧が声を挙げる。二人は既に京太郎の側に移動していた。声援を背後に受ける京太郎に相対する巴は、位置取り的には敵役である。

 

 しかし、巴は後輩の態度にも嫌な顔一つしなかった。今の状況が楽しくて仕方が無いという表情をしている巴に、不思議に思った京太郎は問うてみた。

 

「何か嬉しそうですね、巴さん」

「そう見える? うん、自分では良く解らないけど、そうかもしれないね。久しぶりに京太郎に会えて、嬉しいからかな」

「不義理な弟分で申し訳ありません」

「いいのいいの。こうして元気な顔を見せてくれたんだから、巴お姉さんはそれだけで満足だよ」

 

 にこー、と微笑む巴から、京太郎は思わず目を逸らした。小蒔ほどではないが直球を容赦なく放り投げてくることの多い巴は、たまにこういう恥ずかしいことを平気で言うのだ。京太郎が視線を逸らした傍で、巴がぞくりと背筋を振るわせていた。『かわいいなぁ、もう……』という彼女の呟きを理解したのは、唇の動きを注視していた良子だけだった。

 

 着替えを手伝うという明星を押しのけ、道場付属の更衣室で胴着に着替えた京太郎は、道場の中央で巴と対峙した。

 

「好きに打ってきて良いよ。五秒私に組み付いてられたら、ご褒美に明星のおっぱい触っても良いから」

「頑張ってください兄様っ!!」

 

 自分のおもちが勝手に賞品にされたというのに、明星の応援にも力が篭っている。合法的に触ってもらえるというのは、どうやら明星にとってはご褒美であるらしい。対して、明星の隣にいた湧は自分のすとーんとしたおもちを見て暗い顔になっていた。女の価値はスタイルで決まる訳では決して無いが、いつも隣にいるのがおもちの明星ではそれも、納得し難いだろう。

 

 誰かフォローをしてくれないものかと思うが、明星の他にこの場にいるのは、それなりのおもちの巴と、すごいおもちの良子だけだった。そもそも、湧とおもちについて同盟を組めるのは、六女仙の中では初美しかおらず、彼女は今舞踊の稽古で離れた場所にいる。味方がいないことは、誰よりも湧が理解していた。

 

 どんよりした顔の妹分を見て、流石に京太郎も心が痛んだ。

 

「……確認ですけど、触れってことではないですよね?」

「私は霞さんやはっちゃんとは違うよー。触って良いって許可を出しただけ。京太郎が触りたいなら私のでも良いけど……どうする?」

 

 眼鏡の奥からのこちらを値踏みするような視線に、京太郎の視線は思わず巴の胸に吸い寄せられる。誘導されていると解っていても見てしまったのは、男のサガだ。

 

「……あまり弟分をからかわないでください」

「ごめんごめん。京太郎があんまりにもかわいいからついね。でも、さっきの五秒ルールは本気だよ。明星や私についても一緒。何なら湧でも良いけど、それは本人の許可を取ってからね」

 

 巴の言葉に釣られて湧を見るが、彼女は顔を真っ赤にして視線を逸らしてしまった。抱きつくなどのスキンシップは抵抗無くこなすのに、と思わないでもないが、いくら気心の知れた仲とは言え、異性相手におもちを差し出すのは流石に抵抗があるのだろう。これについてはオープン過ぎる明星が心配なくらいだった。

 

「本当に俺が五秒組み付いてられたらどうするんですか……」

「男の子なんだなー、ってときめいちゃうかもね。でも私も経験者としてそれなりにしか手加減はしないから安心して。たかが、五秒。されど、五秒。私相手に五秒は、短くないよ?」

 

 ゆらりと立つ巴に、素人ながらに京太郎は戦慄を覚えた。何てことはない。眼前にいるのはポニーテールで眼鏡の美少女巫女のはずなのに、近づくことにすら抵抗があった。後退しそうになる身体に、内心で活を入れる。ここで後退しては男ではない。何より、女の子を前に怖がったという事実を、当の本人に知られたくはなかった。勝てないのは百も承知だ。そういう相手に挑むことは、麻雀で慣れている。誰が相手だとしても、いつものように挑むだけだ。

 

 負けてもそれが糧になる。勝ったらそれで、凄い嬉しい。麻雀でも他の勝負でも、気の持ちようは一緒だ。

 

 恐怖が消える。自然と構えた京太郎に、巴は嬉しそうに笑った。

 

「さすが、男の子」

 

 その微笑を糧に、京太郎は思い切り踏み込んだ。襟を取ろうと腕を伸ばすが、何気なく振るわれた巴の両腕に、勢い良く腕を跳ね上げられる。体勢を崩した京太郎に、巴は容赦がない。一歩踏み込むと、すれ違い様に足を引っ掛ける。これも、大した力は込められていない。足を払うというよりも、ただ足を動かしただけという速度にも関わらず、京太郎の足は綺麗に払われた。天井を見上げている自分に驚きながらも、受身を取る。背中に衝撃。息が詰まるが、それは僅かだ。

 

 即座に跳ね起きて、巴から距離を取る。その頃には、既に巴の顔は目の前にあった。襟を取られた。そう思った次の瞬間には、床に転がされていた。

 

 立ち上がりながら、京太郎は内心で舌を巻いていた。

 

 実力差があると頭で理解しているのと、身体で理解するのとでは雲泥の差がある。巴よりも重いはずの自分が、軽々と投げ飛ばされたという事実を身体で実感したことで、京太郎は自分で思っていた以上に、巴が強いという事実を実感した。これでは確かに、五秒は長い。組み付いた次の瞬間に投げ飛ばされるのでは、カウントの意味すらないかもしれない。

 

 勝利の見えない戦いに、しかし京太郎は気持ちを奮い立たせた。そういう勝負に活路を見出すことこそ、勝負の醍醐味だ。

 

(決して明星のおもちに目がくらんだ訳ではないからな!)

 

 内心で言い訳しつつ、巴に向かって突進する。京太郎が取った選択肢は、タックルだった。そもそも技術には圧倒的に負けているのだから、自分の勝っているところで勝負するより他はない。男である京太郎が、女である巴に勝っているのは体格、腕力、そして体重である。

 

 全力ダッシュからの渾身の力をこめたタックルならば、如何に巴の技術が優れていても、押し倒すくらいはできるはずだが、問題はタックルをすんなり受けてくれるかだ。タックルに膝をあわせられて昏倒する格闘家というのを、何かで見たことがある。そういう試合では、タックルをする人間が最も警戒すべきは対応して放たれる膝であるというが、明らかに本気ではない様子の巴はそこまでしてこないという確信が、京太郎にはあった。同様に足を払ったり、避けたりもしないはずである。

 

 まるで横綱相撲やプロレスだが、自分より大きく重い男性が突進してくるのに、それでも平然としていられるのは十分に対応できるだけの技術があるからだ。ならばその余裕をぶっ壊す! 渾身の力を込めて京太郎はタックルをする――が、予想に反して巴はびくともしなかった。まるで足に根が生えているかのように、動かない。何故? 目を白黒させている京太郎の耳に、残念でしたー、という巴の楽しそうな声が響く。京太郎の腕は巴の腰にしっかりと回されている。これを五秒離さなければ京太郎の勝ちだが、巴が僅かに体を動かすと、がっちりロックしていたはずの腕はするりと抜け、瞬きの後には京太郎の足は払われ、転ばされていた。

 

「まだやる?」

 

 天井と、巴の顔が見える。赤みがかったポニーテールの髪が、さらさらと流れていた。転がされたまま、京太郎は両手をあげた。

 

「降参します」

「お疲れ様。筋は悪くなかったと思うよ」

「ありがとうございます。それなら、一矢報いたかったものですが」

「女は殿方を立ててこそ、っていうのが神境の巫女の流儀ではあるけど、この分野でそれはできないかな。私と湧は、これが専門の一つだし」

「おみそれしました」

 

 巴に頭を下げて立ち上がると、応援していた明星と湧がすっとんできた。特に明星は、京太郎の身体をぺたぺたと弄り回している。一つ下の妹分であるが、十分に育ったおもちが近くで揺れるのは、気が落ち着かなかった。

 

「どうした明星?」

「お怪我でもされていないか、心配で。巴さんのことですから大丈夫だとは思いますけれど、万が一ということもありますから」

「明星。転がされたくらいで大げさじゃない?」

「兄さまの兄さまに万が一があっては困るじゃありませんか!」

「はいアウトー。湧、やっちゃって良いよ」

 

 巴の号令で、湧が明星に飛び掛る。もはや毎度の光景であるが、押し倒された明星は女の子が挙げてはいけないような悲鳴をあげて、湧と一緒に床をごろごろと転がっていく。キャットファイトする年下二人を眺めながら、京太郎はそっと溜息を吐いた。明け透けなのも、時には考えものである。

 

「終日って言ってましたけど、午後もずっと組み手をしてるんですか?」

「午後は長刀とか竹刀とかかな。もっと時間がある時には弓とか馬とか使うけど」

「……何でもできるんですね、巫女って言うのは」

「とりあえずってことで、一通りやらされるだけだよ。普通、続けるのは何か一つだからね。全部それなりって巫女さんは、少ないんじゃないかな」

「ちなみに巴はその数少ない一人だよ。京太郎も何かやりたくなったら巴に教わると良い」

 

 すげー、と単純な感想が京太郎の口から漏れた。年下の男性からの惜しみない賞賛の視線に、巴は満更ではない。やるにしても、鹿児島と長野である。実際に本格的に指導を受ける機会は少ないだろうが、やるとなったら巴に教わろうと、京太郎は心に決めた。

 

「さて、もう少しやったらお昼にしようか。明星と湧にはまだまだびしばし行くから、最後まで見学して行くと良いよ」

「それでは」

 

 良子と揃って道場の隅まで移動する間に、巴は組み合っていた明星と湧の襟首を掴んで中央まで引きずっていく。

 

「さあ、休憩はこれくらいにして再開しようか。京太郎の前で良い格好したいでしょう? 特に明星」

「巴さん相手に良い格好できる訳ないじゃないですか……」

「強敵相手に打ちひしがれてる女の子を見ると、男の子はときめいたりするんじゃないかな?」

「見ていてください兄さま!」

 

 急にやる気を出した明星に、巴と湧は揃って溜息を漏らした。ここまで動機が不純であると、いっそ清々しい。諦めずに巴に挑んではちぎっては投げされる光景を思い浮かべたが、巴が二人に課したのは歩法の訓練だった。道場の端から端まで決まった歩き方で往復し続ける実に地味な基本練習である。これでは良い格好も打ちひしがれるもないと、明星は微妙に不満そうだったが、文句は口に出さずに黙々と道場を往復する様は、芸を仕込まれている犬を思わせた。これはこれでかわいいと思う。

 

「……もしかして私達は、歩法の訓練を眺めているだけかな」

「流石にそれだと京太郎が退屈でしょうから、良子さんもどうですか?」

「それは組手ってことかな? 私じゃ巴の足元にも及ばないと思うんだけどね、もしかして自分が良い格好をしたいとか思ってないかい?」

「そんなことは……私はただ、良子さんと親睦を深めたいな、と思ってるだけで……」

 

 良子の追及に、巴の視線は僅かに外に流れた。当たらずとも遠からずと言った所だろう。お姉さん然とした巴が、こういう主張をするのも珍しい。直接打ちのめされた訳だし、今のままでも十分にかっこいいと思ってはいるのだが、ここでダメ押しと考える辺り、巴も随分と思い切りが良い。明星と湧は基礎練習をしているから、その企みも良子が乗ってくれるかどうかにかかっている。

 

 指導ができるくらいに実力がある巴に対して、良子は自分でそれほど得意ではないということを言っていた。霞や初美に投げ飛ばされていたというのだから、それ以上の巴相手では、やはり投げ飛ばされることになるだろう。良子は巴と仲良しだと聞いているから酷いことにはなるまいが、それでもこれから投げ飛ばされるであろう良子のことが、心配と言えば心配だった。

 

「いずれにせよ、断るって選択肢はないね。私だって巫女の端くれ。お客様を退屈させては大変だ。ところで……さっきは京太郎と賭けをしてたみたいだけど、その内容は継続ということで良いのかな?」

「賛成です!」

 

 道場を行ったり来たりしながらも、しっかりと良子の言葉に反応した明星の頭を湧が叩いた。

 

「選択肢をあげても良いんじゃありませんか? それにそれだと、良子さんに良いことがありませんよ?」

「ではこうしよう。私がもし巴に勝ったら京太郎には後ろから抱きしめてもらおう。九十年代に流行ったそうだよ。あすなろ抱きと言うらしいね。出会った時は私よりも小さかったから無理だったけれど、今の身長差ならちょうど良さそうだ」

 

 捉えどころのない性格の良子は、たまに本気とも冗談ともつかないことを言う。冗談ですよね、と期待と困惑の混ざった視線を向けると、良子は小さく首を傾げてウィンクをしてみせた。男性力の低い京太郎には、それがどういう意味なのか解らない。もしかして誘われてる? と舞い上がれたらどんなに良いだろう。仮にそうであったとしても、この場で舞い上がれば針の筵だろうから、素直に喜ぶことはできないのだが。

 

「……これは、私も少し頑張った方が良さそうですね」

 

 巴が微笑んだ。やったのはそれだけだが、それだけで、先ほどよりも本気で行くのだと京太郎には理解できた。良子が申告の通りの腕前だとしたら勝てるはずもないが、何か勝てる算段でもあるのだろうか。

 

「ないよ。おそらく巴には勝てないだろう」

「じゃあ、何でこんなことを?」

「これから麻雀のプロになろうという人間が分の悪い賭けをするのもどうかと思うけど、なに、ローリスクでハイリターンが得られるんだ。ここで行かない手はないよ」

 

 ふふふ、と良子は機嫌が良さそうに笑う。これから多少の痛い目を見るということを考えている風には見えない。だからと言って、自分が勝つことを疑っていないようにも見えなかった。自覚している通り、かなりの確率で良子は負けるだろう。その未来を受け入れ、条件をつけて楽しんでいるのだ。

 

「これはね、京太郎。君を見て学んだことだよ。負ければ確かに悔しいけど、だからこそ、勝った時の喜びも大きい。物事に真剣に打ち込むということは、だって、そういうことだろう?」

「良子さんって、時々大胆ですよね?」

「なに、初美や春ほどじゃないさ。それじゃ、そろそろ始めようか。私も少しは良い目を見たいな。お手柔らかにお願いするよ」

「お姉さんの一人として、弟分の身の安全は守らせてもらいましょう?」

 

 一瞬、二人の間に火花が散った。目の錯覚だと思うことにしたが、音まで聞こえた気がするのは気のせいだろうか。身の安全を考えるならば外に出てひなたぼっこでもしたい気分だったが、賞品として指定されてしまった以上、ここを離れる訳にもいかない。

 

 せめて穏便に話がまとまりますように。正座して、先輩二人の戦いを観戦しながら、京太郎は心中で祈った。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「巴も手を抜いてくれても良かったと思わないかい?」

 

 小蒔と霞以外の揃った昼食の後、今度は長刀をやるという巴たちと別れて、初美たちの神楽舞の練習を見に移動している途中である。同道しているのは良子だけだ。京太郎の一緒に行こうという提案に、初美たちは首を横に振った。現地集合の方が、ロマンがあるらしいのだが、その辺りの機微は京太郎には解らなかった。しばらく離れで時間を潰して、初美たちに遅れて出発して歩いている途中、良子が不意に愚痴を漏らした。

 

「そういうことに私情は挟まないんじゃないですかね。麻雀でも、巴さんは情打ちとかしませんから」

「アプローチのやり方を間違えたのかな……一緒に抱きしめられようと言ったら、巴は乗ってきたと思うかい?」

「それを俺に聞かれても……」

 

 そういう、欲望に目が眩むのは年下組の役割で、巴が乗ってきそうには思えなかった。たまに冗談は言うしからかってもくるが、そこまでの悪乗りはしないという印象があった。絡まれることに疲れた時の、ほとんど唯一の癒しが巴なのだ。ここで巴まで悪乗りしてくるようになったら、神境に安息の地はなくなってしまう。

 

「京太郎は、巴だけ妙に神聖視してる節があるね。巴にだってどろりとした所はあると思うんだけど、どうだろう」

「あまり想像できません。良子さんは、巴さんとは仲良いですよね。そういう話とか、するんですか?」

「そりゃあ女同士だからね。殿方禁止のガールズトークもするさ。興味があるというのなら聞かせても良いよ? 巴と一緒に京太郎の目の前で、京太郎がいないかのようにガールズトークしようじゃないか」

「どんな羞恥プレイですかそれは……」

 

 そんなからかわれるだけからかわれて、得る物のなさそうなイベントに参加するのはご免だ。良子なりの冗談だと解釈した京太郎は、その提案を一蹴する。素気無い対応の京太郎に、良子は肩を竦めて見せた。割と本気だった、と言っても、京太郎は信じてはくれないだろう。

 

 何気ない世間話をしながら道を行く。

 

 午前中にお邪魔した道場は修業エリアの中でも比較的内側になるが、神楽舞の練習のための施設は、比較的外周――一般客でも立ち入れるエリアに近い場所にあった。以前に何度か見たことがある。祭の際に、一般人に舞を披露する舞台と、ほとんど同じつくりだ。違いは華美な装飾があるかないかということくらいである。ほとんど全方位から舞を見れるような作りのその舞台の上で、初美と春は各々、神楽舞の稽古をしていた。

 

 その監督をしているのは、初老の女性である。女性にしては背の高い、背筋のしっかりと伸びた姿勢の綺麗なその女性は、京太郎も見知った人物だった。

 

「お久しぶりです。千恵さん」

「京太郎ですか。長野から、良く来ましたね」

 

 切れ長の目を細めて、千恵は微笑んだ。ともすれば強面に見えるその顔には、今は柔和な笑みが浮かんでいる。京太郎の前ではこういう、優しいお婆さんというイメージの千恵であるが、孫である春に言わせるとそれは余所行きの顔であるらしい。巫女さん絡みのことになると、それはそれは厳しい人なのだそうだ。

 

「背も伸びましたね。顔付きも随分と精悍になりました。それでは女性が放っておかないでしょう。そろそろ恋人の一人もできたのでは?」

「いや、今も昔も麻雀が恋人です」

「そうですか。貴方の周囲の女性は、男を見る目がありませんね」

「あのお婆様、貴女の孫がここにいるのですが……」

 

 京太郎しかいないように振舞う千恵に、良子が申し訳なさそうに声をあげた。そんな良子を、ちらりと千恵が見やる。特に睨んでいるという訳ではないのに、一瞬で迫力が増した千恵に、なるほど、春の言っていたことは嘘じゃないんだな、と京太郎は理解した。

 

「……久しぶりに会うはずの祖母に顔を見せるよりも先に、殿方の部屋にしけこむような不良孫など、私は知りません」

「しけこむなんてお婆様。疚しいことは決して」

「それはそれでどうかと思うのですがね。まぁ、その辺りは若い人たちに任せましょう。私が貴女の立場でも、同じ判断をするでしょうから」

 

 厳しい気配が霧散する。ほっと息を吐く良子に、千恵は穏やかに微笑んだ。

 

「久しぶりです。プロになることが決まったそうですね。念願が叶ったようで何よりです」

「ありがとうございます」

「今まで修練をしていなかった、などと言うつもりはありませんが、今までよりもずっと厳しい環境になることでしょう。今更私に言われるまでもないと思いますが、精進を怠ってはいけませんよ?」

「肝に銘じておきます、お婆様」

「結構。ところで、良子は『三尋木咏』という人物を知っていますね?」

「勿論知っていますが……」

 

 良子がちらりと京太郎を見る。咏との間に師弟関係にあることを知っている人間はそんなに多い訳ではないが、良子はその数少ない人間の一人だった。プロになったら挨拶に行かないとね、と愛媛で冗談のように語り合っていたのが二年前のこと。それが現実になりつつあることには感慨深いものがあった。

 

 千恵についてだが、鹿児島にいた時、咏のことは春に話したことがある。祖母である千恵も、春から話を聞いているだろう。彼女の言葉は、良子もそれを知っているのか、という確認も込められていたのだが、それはさておき――

 

「知っているのなら、話は早いですね。単刀直入に聞きますが、三尋木咏に勝てますか?」

 

 直球過ぎる千恵の質問に、良子は押し黙った。良子もこれからプロになろうという人間なのだから弱いはずはないが、咏は高卒でプロになって以来ずっと、トッププロで在り続けている。獲得賞金ランキングで5位よりも下になったことはないし、あらゆるタイトル戦で常連となっている咏を捕まえて、弱いという人間はいないだろう。

 

 きちんとした勝負ができるという人間でもかなり絞られ、トータルで勝つ可能性があるとなれば、それこそ小鍛治健夜や瑞原はやりなど、同じくトッププロ中のトッププロを連れてくるしかない。当然、まだプロにもなっていない良子では力不足であることは否めない。

 

 それは良子自身が良く解っているはずである。如何にトッププロ相手でも勝てないと口にするのは口惜しいことではあるだろうが、良子は毅然とそれを口にした。

 

「勝負は水物です。何度やっても一度も勝てないとは申し上げませんが、実力で言えばあちらの方が大分上だと思います」

 

 良子の正直な物言いに、千恵は声のトーンを落とした。明らかにブルーになっている様子の千恵に、京太郎が問いかける。

 

「あの、咏さんがどうかしたんですか?」

「京太郎は若菜さんには会ったことがあるのでしたね?」

「神奈川にいた時に。それ以降も、神奈川に遊びに行った時は、何度か」

「三尋木の家は、昔から神境と交流がありましてね。私と若菜さんも、所謂幼馴染の関係です。知ってのとおり今も交流は続いていますが、良子がプロになろうとしているという話を聞いたのでしょう。先日若菜さんから電話がありましてね……」

 

 京太郎には、千恵が怒りを堪えているように見えた。既にプロである孫と、プロになろうとしている友人の孫。対外的に見て、どちらの立場が上かというのは明白だ。遠慮のない関係であるようだし、何か煽るようなことを言われたのだろう。それで良子が勝てるか、という質問に繋がったのだと考えれば納得である。

 

 そして、良子本人から『おそらく勝てない』と言われて、どう感じたのか。実際に雌雄を決することになった時に、どういう電話がかかってくるのか。まだ若い京太郎にも想像に難くはなかった。

 

 それにしても、と京太郎は思う。落ち着いた老婦人という印象の千恵の激情家っぷりが京太郎には意外だった。そんな京太郎の内心を見抜いたのか、良子がこっそりと耳打ちしてくる。

 

「うちのお婆様はね、あれで若い頃は結構奔放だったんだよ。長い永水の歴史の中でお婆様だけじゃないかな。教師に隠れて準備をして謝恩会でバンド演奏なんてしたのは」

「昔の話ですよ……あまり吹聴しないでください」

 

 珍しく照れた様子で千恵が言うが、どうにも満更でもなさそうだった。巫女がバンド演奏というのは京太郎にも全くイメージのわかないことであるが、とても落ち着いて見える千恵が楽器を持ってステージに立っていたとは、孫である良子の口から聞いても信じられない。

 

「ほら、良子がそういうことを言うから京太郎の目が輝いているではありませんか。京太郎くらいの年齢の殿方は、バンド演奏というものに特別な感情を持っていると聞きますよ?」

「そうなのかい? それは勿体無いことをしたね。それなら私も何か、楽器をやっておくんだったかな」

「いえ、そんなことは。俺は麻雀一筋です」

「良かった。それなら私にも教えられる」

 

 にっこり微笑んで良子が身体を寄せようとすると、その間に強引に春が割って入った。そのまま京太郎の腕を取り、背後から抱きついてくる。肩越しに良子に向ける視線には、僅かに敵意が見えているような気がした。年下の従妹の視線に、良子はあっさりと白旗を揚げる。

 

「すまないね春。今は、君達のターンだ」

 

 良子の言葉に満足した春は、京太郎の背中から降りると、今度は正面に回った。初美と同じ装いであるが、女性として恵まれた身体つきをしている春が着ると、衣装の印象も違った。健康的に見えた初美と違い、春の場合はどこか扇情的に見える。京太郎の視線が自分に吸い寄せられていることに気づいた春は、満足そうに微笑む。

 

 対して初美は不満そうだ。そんな二人の巫女を見て、千恵はふふ、と上品に笑う。

 

「二人とも、京太郎に見せるために今日は随分と熱心に練習をしていたのですよ? せっかくですから、見て行きなさい。初美も春も、この年代の中では踊りの腕も達者ですから」

 

 言って、舞台の隅に移動させられる。座布団に良子と並んで座ると、初美と春が舞台の中央に移動した。左手に扇子、右手に巫女鈴を持った二人はそれまでは緊張した様子だったが、定位置に着くと一切の表情が消えた。

 

 合図もなく、舞が始まる。特に示し合わせた様子はないが、舞台の中央を中心に春と初美は対称的に動いている。まるで鏡合わせのような動きに京太郎は目を剥いた。身長体型こそ異なるが、その動きには寸分の狂いもないように見える。同年代の中で舞踊が達者という千恵の言葉に、嘘はないのだと今更ながらに思い知った。

 

 巫女鈴の音と、舞った際の衣擦れの音。舞台に聞えるのはその音くらいで、足運びは本当に静かだった。この日のために練習したという二人の舞に、京太郎は食い入るように見入っていた。真剣な京太郎の様子を、良子は苦笑を浮かべながら見下ろしている。

 

 目をつけた少年が他の女に目を奪われているのは女としては面白いことではないが、力ある巫女の舞には人を惹きつけて止まない魅力がある。舞っているのが同年代の少女というのも、京太郎の目を惹きつける一因となっていた。加えて春と初美は同年代の中では、トップクラスの腕を持っている。そんな二人がそれこそ、眼前の京太郎のためだけに舞っているのだ。

 

 元来、舞というのは神様に奉納されるべきもの。神に仕える巫女が、その舞を人に捧げるというのも言語道断な話であるが、長く霧島の巫女を見守ってきた神様たちだ。それが男のためとなれば、許してくださるだろう。

 

 

「どうでしたかー?」

 

 シャン――という巫女鈴の音と共に、春と初美の瞳に色が戻る。舞うための巫女から薄墨初美と滝見春に戻った二人に、京太郎は惜しみのない拍手を捧げた。

 

「凄かったです。上手く言えませんけど、その……綺麗でした、二人とも」

 

 やったですよー!! と喝采をあげた初美は、隣の春とハイタッチを交わす。咄嗟に出た行動だったのだろう。いえーいと一頻り騒いだ後に、巫女二人は指導役の千恵の存在に思い至った。素早い動きで眼前に整列する年若い巫女二人に千恵は苦笑を浮かべるが、その顔に怒気はなかった。

 

「お客様である京太郎の前です。今日は大目にみましょう。ですがあまり、はしたない真似はしないように」

『かしこまりました』

 

 行儀良く頭を下げる春と初美に、良子は笑みを堪えている。先ほどまで、人を魅了して止まない舞を踊っていたとは思えない程に恐縮している二人に、京太郎も自然と笑みを浮かべた。

 

「あー、京太郎が笑ってるのですよー!」

「それは良くない」

 

 目ざとく京太郎の笑みを見つけた初美が、頭を下げたのもそこそこに、突撃してくる。春もそれに追従していた。距離はまだある。ここは華麗に回避――と動きかけた京太郎の身体が、がくっと落ちた。

 

 座布団に正座していたせいで足が痺れている。そうこうしている間にも初美と春は迫っていたが、まだ動けない。正座になれているらしい良子は、いつの間にか安全な場所まで退避していた。

 

『ズルいですよ……』

 

 視線で訴えるが、良子は視線を逸らした。そういうのは男の役目と態度で示す良子に、京太郎は覚悟を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目にあった」

「自業自得……と言うのは流石にかわいそうかな。でも、ここは神境だ。巫女さんに優しくしておいて損はないよ」

「それは良子さんにもってことですか?」

「もしも今まで優しくしたことがないというのなら、是非して欲しいね。今まででも十分過ぎる程だけど、これ以上があるなら見てみたい」

「これからも精進します」

 

 そうしてくれ、と嬉しそうに微笑む良子から視線を逸らしながら、京太郎は足を進めた。

 

 初美たちがいたのは修行エリアの、どちらかと言えば外周に位置する場所だったが、これから行くのは中心部に位置する施設だった。巫女の中でも高位の人間しか足を踏み入れることができない場所だという。良子は外様の巫女とは言え、優秀な巫女だ。彼女が足を踏み入れる分には何も問題はないのだろうが、巫女ではないどころか女性でもない自分が足を踏み入れて良いのかと、京太郎が思うのは当然のことだった。

 

 ここには超常的な存在が確かにいる。格式なども気になることであるが、そういう連中の目にとまって祟られたりはしないものか。京太郎が気にしているのはそこだった。

 

「格式ばってはいるけど、これから行く場所は一度に使える人間が少ないからね。高位の巫女に使用を限定することで、スケジュールの調整を楽にしてるんだよ」

「つまりそれは俺が入っても大丈夫ってことですか?」

「大事はないかってことならイエスだね。何も起こらないかという質問ならノーだけど」

「……俺、部屋に戻って寝てても良いですか?」

「私はそれでも構わないけどね? 昼寝を所望ということなら、添い寝くらいしようじゃないか。ただ、他の五人のところには顔を出したのに、姫様と霞には会わずに戻ったとなったら、姫様はともかく霞は怒るんじゃないかな」

 

 それは困るだろう、と言う良子に京太郎は大きく溜息を吐いた。それは本当によろしくない。霞だけをスルーするのでも大事なのに、そこに小蒔まで加わったら霞の怒りは何倍にもなる。それは何としても避けなければならない。

 

 それに打ちひしがれた小蒔を見るのも、罪悪感が半端ではない。他の二つの所に足を運んだ時点で、小蒔たちの所にも行くのは確定なのだ。多少不幸が起こるからと言って、スルーはできない。

 

「ここだね。私が先導するから、後をついてくるように」

 

 良子が足を止めたのは、如何にも何か出そうな装いの洞窟だった。入り口には注連縄があり、周囲は踏み均されて人が出入りしている気配がある。草むしりもされていることから、定期的に人がやってきていることは解る。解るのだが……麻雀を始めた時からオカルトに触れ、良子を始め巫女さんに鍛えてもらった京太郎の感性は、ここには確かに『何かがある』と訴えかけていた。

 

「本当に、俺が入っても大丈夫ですか?」

「京太郎も心配性だね。大丈夫だよ。ただ、私の後ろを離れないように。道に迷ったら、ここから出られる保証はないよ」

 

 差し出された良子の手を、京太郎は恐る恐る握り返した。

 

 中学生になった男が年上の女性に手を引かれるというのも格好悪いが、背に腹は変えられない。

 

 洞窟で道に迷ったらそこは異世界だった、というのも中学生には大好物な話であるものの、実際に体験する可能性が高いとなるとやはり躊躇するものである。異世界にも超能力にも興味がないではないが、一般に『人間じゃない』と言われるくらいの力量を持った知り合いが、京太郎には多くいた。そんな彼女らのことを理解するのに精一杯なのだから、異世界も超能力も多分、手に余るものなのだ。

 

 おっかなびっくりな京太郎を、良子は生暖かい目で眺めていた。奥の奥であればいざ知らず、瞑想のための場所に行くまでの通路にはそこまでのオカルトはない。薄暗い洞窟とは言え一本道だから、道なりに歩いていけば絶対に迷わないのだが、少し脅かしてみたら予想以上に怯えてしまったことは、良子にとっては大きな収穫だった。

 

 心霊詐欺にかけているようで聊か気分は良くないものの、僅かに怯え、そしてそれを外に出さないように健気に振舞っている京太郎の顔は、巴ではないがとてもかわいく見えた。いつの間にか、身長では逆転され、男らしくなってしまった京太郎に、年下っぽさを感じた瞬間である。

 

 そんな風にときめいている良子の心中など知らず、京太郎は慎重な足取りで洞窟を歩いた。薄暗いが一定間隔に松明があり、それに火が灯されている。先にここに来た二人が、火をつけていったのだろう。おかげで足元には困らないが、洞窟に松明の照明というのがそれらしさを大いに演出していた。

 

 大掛かりな脅かしは今のところ何もないものの、雰囲気だけで一流のお化け屋敷に匹敵する。怖がりな咲ならば、一歩足を踏み入れただけで回れ右するだろう。かく言う京太郎も雰囲気に飲まれつつあったが、自分の手を引く良子の感触が京太郎の意識をしっかりと現実に縛り付けていた。4つも年下であっても、男の子である。年上のお姉さんを前に無様な格好を見せたくないと思うだけの見栄はあるのだ。

 

「ついたよ。ここがその修行場だ」

 

 薄暗い道を十分ほど歩いた先、二人は開けた場所に着いた。

 

 綺麗とは言えないものの、真円に近いその場所の中央に、巫女の衣装の少女二人が向かい合わせで正座している。春たちの所には監督役として千恵がいたが、ここには二人以外に姿は見えなかった。微動だにしない二人に不安になる京太郎だったが、良子は実に軽い足取りで近寄っていく。手を引かれたままの京太郎も、それに続いた。

 

 近くに寄ってみると、小蒔と霞の状態が異常であることが見て取れた。

 

 一言で言うならば、魂が抜けているように見える。姿勢も正しく正座しているのだが、開かれた目には何というか、精気がない。目を開けたまま気絶していると言われても、今ならば信じられるだろう。姿勢はそのままということに違和感は残るが、ここが霧島であることを考えると、大したことではないように思える。

 

「京太郎は、こういう瞑想をしてる巫女を見るのは初めてかな?」

「はい。何だかその……独特な雰囲気ですね」

「慣れない人間には多少は不気味に見えるだろうね。ちなみに京太郎、この状態なら姫様にも霞にも何を言っても聞えないよ。日ごろの不満をぶちまけてみたらどうだい?」

「そんなこと言っても騙されませんよ。俺だって学習するんですから」

「本当だよ。ほら、見てごらん」

 

 霞の耳元で良子が指を何度か打ち鳴らすが、霞には全く反応がなかった。全く聞えていないように見えるその態度に、京太郎は恐る恐る霞の顔を覗き込んだ。改めて見ると、やはり綺麗な人だ。美人は三日で飽きると言うが、霞のこの顔は見ていても飽きないと思う。いつ見てもにこにこと微笑んでいる霞の、心ここにあらず、といった表情も新鮮だった。

 

 ともあれ、霞に反応がないのは良く解った。日頃の不満というが――

 

「そうですね。もう少し優しくしてほしいとは思いますけど、それは別に良いかなって」

「前から君にはドMの気質があると思っていたけど……霞みたいなタイプに尻に敷かれるのが好みなのかい?」

「そこまでは。でも、今更すっごく優しくなられても戸惑うというか、やっぱり霞姉さんはああじゃないと落ち着かないと思います」

「これが調教の成果という奴か……」

 

 呆れた様子の良子に、京太郎は続けた。

 

「それに、二つ年上だから厳しく見えることもあるだけで、もし俺が年上か、せめて同じ年だったら、凄く可愛く見えると思うんですよね」

「……これはまた不思議な意見が出てたね。霞を見た男性で『かわいい』と言っているのは、初めて聞いたよ」

「年下の俺の前でも拗ねることとかありますし、初美さんと仲が良いのを見るに、気質は結構似てると思うんです。役割と身体つきからそう見えるだけで、中身は結構可愛いんじゃないかと」

 

 言って、もしこれを霞が聞いていたらと考えるとぞっとしたが、霞は相変わらず無反応だ。聞いているなら今頃京太郎は関節を極められて謝らされていただろう。それがないということは霞はこれを聞いていないということだが……霞を評してかわいいとか、随分と思い切ったことを言ったものである。本人を前にしては絶対に言えないはずのことを、本人を前にして言ってるのだ。特殊なこの環境に、今更ながらどきどきしてくる。

 

「やってみるもんだね。京太郎の普段は聞けない意見を聞くことができて良かったよ」

「言っておきますけど、霞さんに告げ口とかしないでくださいね?」

「勿論だとも。霞と京太郎だったら、私は京太郎の味方をするさ」

 

 小さく微笑んで、良子は手を大きく広げ、打ち鳴らした。洞窟に、拍手と音が響く。

 

 すると、霞の瞳に色が戻った。目を瞬かせ、すぐ目の前に京太郎がいるのを見ると、にこりと微笑む。実に魅力的な笑顔だったが、京太郎にはそれが攻撃的なものだということが、良く解った。

 

「意識のない女性の顔を覗き込むことは、紳士的なことかしら?」

「いいえ、違います。申し訳ありません」

「まぁ、良子さんもいたのなら如何わしいことはしていないのでしょうけど、男の子ならもう少し節度ある行動をしなさい。いいわね?」

「はい、霞姉さん」

「よろしい。さ、小蒔ちゃん起きて? もう瞑想は終わりよ」

 

 霞に肩を揺さぶられ、小蒔はうっすらと目を開き――すとん、と寝落ちした。良く眠る小蒔は、決して寝起きも良くない。これをやったのが京太郎であれば、霞も容赦なく腕の一つも極めたのだろうが、彼女の眼前にいるのは神境の姫君であり、霞が仕える人だ。根気良く、それでも静かに小蒔の肩を揺すること、五回。漸く意識のはっきりしてきた小蒔は、寝ぼけ眼で周囲を見回す。

 

 京太郎と視線が合ったのは、その時だ。

 

 唐突に意識が覚醒した小蒔は驚きのあまりその場でひっくり返ると、ごちんと鈍い音がした。痛いです~と呻く小蒔を背景に、霞が笑顔を向けてくる。先ほどよりも攻撃力の増した笑顔に京太郎は姿勢を正し、小蒔の元に飛んでいく。

 

「大丈夫ですか? 小蒔さん」

「うぅ……京太郎に見苦しいところを見せてしまいました」

「俺の方こそ、すいません。もう少し穏やかに登場できれば良かったんですが」

 

 小蒔の手を引いて立ち上がらせると、地面に打ち付けた後頭部をみやる。瘤にでもなっていたら大事だ。良く手入れされた髪になるべく触らないようにしながら、小蒔の頭を観察する。

 

「大丈夫みたいですね。まだ痛みますか?」

「へっちゃらです!」

「それは良かった。さて、これから夕食の準備をするそうで、瞑想に区切りがついているようだったら呼んできて欲しいと、初美さんが言ってたんですが……」

「今日の修行は、これで終了ね。京太郎、悪いけれど小蒔ちゃんをエスコートしてもらえるかしら?」

「それは構いませんが……霞姉さんはどうするんです?」

「ほんの少しだけ、指導をするという約束をしたんだよ。長い話ではないけど、京太郎まで付き合う必要はないからね。姫様もお疲れのようだから、二人で先に帰っていると良い」

 

 京太郎が問うたのは霞だったが、答えたのは良子だった。霞が答えないことに不自然さを覚えないではない。そも、霞に話があるということを良子から聞いてはいなかった。どうにも取ってつけたような展開のような気もするが、目下の問題は小蒔だ。霞から直々にエスコートを頼まれたのだ。何かとそそっかしい小蒔に、何かあってはいけない。

 

「わかりました。お二人とも、お気をつけて」

「霞ちゃん。先に戻りますね?」

「小蒔ちゃんも気をつけて。京太郎をよろしくね?」

 

 まかせてください! と拳を握る小蒔にほっこりとしつつも、転んではいけないと小蒔の手を握る。年上の女性にすることではないが、何もない所でも転ぶ小蒔に、足元の不安定な洞窟を歩かせるのも危ない。手を握ってきた京太郎に小蒔は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに握り返してきた。一つ年上のお姉さんのはずなのに、そのいじらしさがたまらなくかわいい。

 

 それでは、と二人に挨拶をして、来た道を歩いていく。しんと静まり返った洞窟に、二人分の呼吸の音が響く。

 

 その道程の半分も来たくらいだろうか。それまで黙って腕を引かれていた小蒔が急に足を止めた。振り返ると、小蒔は暗がりでも解る程、頬を真っ赤に染めて俯いていた。その様子にどきどきしながらも、小蒔の言葉を待っていると、

 

「その、お願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」

「俺で叶えられることなら、何なりと」

「実はですね、京太郎が来る前に巴ちゃんから借りたマンガに、その……男性が、女性を抱っこするシーンがあったんです。それで、その、京太郎にはそれをしてもらえたらと」

 

 上目使いの小蒔に、しかし、京太郎はすぐに『お安い御用です』と答えることはできなかった。お姉さんぶりたい小蒔は、お願いをしてくることは少ない。基本的にはいつも、京太郎のお願いを聞いてくれるスタンスである。色々と恩義のある身である。小蒔からのお願いならば叶えてあげたいというのが本音だが、抱っこというのは対応に困るお願いだった。

 

 弟分としては叶えてあげたい、男性としてはやってみたい。

 

 だが、須賀京太郎としては足踏みをしている。後から霞が追いついてきた時、小蒔を抱っこしている自分を見たら、小蒔の前では微笑みつつも、霞は鬼と化すだろう。かわいい人と言ったばかりであるが、霧島の巫女さんの中では霞が一番怖い。

 

 逡巡している京太郎に、小蒔は不安そうな表情を浮かべる。

 

「だめですか? お姫様抱っこ」

「……そのまま歩いても良いのなら。揺れると思いますけど、大丈夫ですか?」

「お願いを聞いてくれるなら、これ以上はありません!」

 

 一転、笑顔になった小蒔が、腕を広げる。大きなおもちに触れないようにしながらも脇と膝の下に手を入れ、そっと持ち上げる。想像していた以上の軽さに驚きながら、歩みを進める。これくらいならば、休憩を入れなくても、洞窟の外くらいまでは歩けるはずだ。人の目があるかもしれない外に出れば、流石に小蒔も自分から降りてくれるだろう。

 

「姫様扱いって嫌に思うこともありますけど、たまにはお姫様も良いものですね」

 

 腕の中で嬉しそうに微笑む小蒔を見ていたら、人の目とかこれから怒られるかもとか、そんなことはどうでも良くなってしまった。

 

(かわいいってズルいよな……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かわいいんだってさ……」

 

 京太郎たちが見えなくなってから、良子がぽつりと呟く。無論、その場に残った霞を意識してのものだったが、当の霞からの反応はない。ちらりと横目で見れば、頬を押さえて蹲っていた。髪の隙間から見える耳は真っ赤になっている。恥ずかしいのだろう。無理もない。彼女の性格を考えたら、さっきは良くボロを出さずに耐えられたと思う。

 

 京太郎には聞こえていないと言ったが、実はあの段階で霞は周囲の音を聞ける状況にあった。瞑想にも色々と種類がある。今回霞がやっていたのは、身体から意識を切り離しつつも、意識はその場に残るという――一言で説明するなら、幽体離脱をしてその場に留まっているというのが近いだろう。

 

 一目で霞の状態を看破した良子は、京太郎に仕掛けた訳だ。霞の意識が大慌てしているのが見えるようだったが、自分の興味を優先することにした。霞本人を前にして、京太郎が彼女のことをどう思っているのか。聞ける機会は早々ない。

 

 これで小蒔も霞と同じような瞑想をしていたのであれば、流石に良子も遠慮したろうが、案の定というか何というか、小蒔はしっかり意識を失って忘我の彼方を彷徨っていた。これはこれで高度な技術ではあるものの、自分で意識を復帰するタイミングを調節できないため、誰かが一緒にいる必要があるというデメリットもあるのだが、それはさておき。

 

 興味半分で京太郎に言わせて見たが、それは予想以上に効果があった。あの石戸霞が、顔を真っ赤にして蹲っている光景など、そう見れるものではない。

 

「京太郎が年下で、君が姉ポジションで良かったね。これで京太郎の言う通り本当に同級生だったら、明日から乙女になるより他はなかったよ」

 

 からかってみると、うー、とだけかわいく唸る。相当にダメージがあったのだろう。いつも弄るだけの弟分が、自分のことをそんな風に思っていたなんて……と、霞の中で羞恥心と乙女心が戦っているのだ。恥ずかしいと思う反面、嬉しく思っているに違いない。姉として接する以上、霞のような性格だと『かわいい』という感想を年下の異性から抱かれる可能性は、ゼロに近い。

 

 霞の生来の立場を考えるとそれも無理からぬことではあるが、その点、京太郎はよく霞を見ていた。何気にこの少女には、かわいいところがあるのである。流石に、幼少期から女子の中で過ごした訳ではないと思うと同時に、中学生でこれではと心配になることもある。

 

 京太郎と知り合ったのは霞よりも遅く、彼が小学校六年の時だったが、後発組の良子であっても京太郎の交友関係を全て把握している訳では勿論ない。解っているのは全国に仲の良い少女が沢山いるということだけだ。

 

 今でも連絡を取っているのがどれだけいるのか知らないが、明確に好意を持っているという、それなりに厳しい条件で絞込みをかけても、両手の指では足りないくらいはいるだろう、と当たりを着けていた。そもそも霧島にいるだけで片手の指では足りないのだから、当然である。

 

「今日から、どんな顔をして接すれば良いんでしょうか」

「さっきは無事にできてたじゃないか。あんな風にすれば良いと思うよ」

「でも、京太郎の顔を見るのが何だか恥ずかしくて……」

 

 蚊の鳴くような声で呟き俯く霞に、同性の良子ですら心にときめきを覚えた。こういう姿をたまに見せてやるだけで、京太郎などころっと落ちてしまいそうな気がするのだが、女心と姉ポジションは難しいものである。京太郎狙いである良子の立場からすると願ったり叶ったりではあるのだが、良子にとってはライバルであると同時にかわいい後輩でもある。成す術もなくリタイアというのは、いかにも可哀想だ。

 

「難しく考える必要はないんじゃないかな。そうだね。今日霞は、京太郎に褒めてもらった。これは良いことをしてもらったってことだ。その分君は、京太郎に良いことをしてあげれば良い。してもらったから、してあげる。割り切って考えてみれば、顔も見易くなるんじゃないかい?」

「それはそれで、その……雑ではありませんか?」

「いきなり京太郎の前で乙女になるよりはずっと良いだろ? それとも、皆の前で『霞姉さんかわいい』と言われる方が良いのかい?」

 

 からかってやると、また霞は顔を伏せてしまった。かわいいなぁ、と心中で思いながら、霞が復活するのを待つ。

 

「良子さんの案を採用することにします」

「それが良いよ。思う存分、京太郎に優しくしたり、甘えてやると良い」

「でも、私一人がそれをしたら、その、目立ってしまいませんか?」

「皆京太郎にべったりだから、それほどでもないと思うけどね。ちなみにどういうことをするつもりなんだい?」

「…………」

 

 純粋な良子の疑問に、霞は押し黙ってしまう。彼女の辞書には、優しくするは別にして、甘えるという言葉はないのかもしれない。そも、男子に対するお返しに『甘える』があるというのも可笑しな話であるのだが、そこに霞に気づいている様子はなかった。復活したように見えて、まだ内心で慌てているのだろう。普段お姉さんぶっている霞が年下の男性にどうやって甘えれば良いのか真剣に考えている。傍から見ているだけでも面白い光景だ。

 

 今晩、布団の中で冷静になった瞬間、自分の言動、行動に悶え転がること請け合いであるが、今はそれを指摘しないことにした。お姉さんポジションが、甘えていけないという道理はない。そもそも今までが、距離を置きすぎていたのだ。霞だって良い目を見たって良いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ムダに長くなりましたごめんなさい。
次回お風呂回です。


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36 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑦

 

 

 

 

 

 

 

 数にすればたった三つであるが、広い神境の中を移動するのは中々に疲れることだった。心地良い疲労を感じながら部屋で一休みしていると、三々五々、夕食の材料を持った小蒔たちが集まってくる。美少女が集まって自分のために夕食を作ってくれている。自分はもしかして人生の絶頂にいるのではと考えた京太郎だったが、すぐに首を振ってそれを否定した。

 

 須賀京太郎。まだ十三歳である。ここで人生の絶頂を迎えたら、長い人生、後は転がり落ちていくだけだ。彼女もできないまま、下り坂に入るのはまっぴらご免である。まだまだ、もっと良いことがある。そう信じながら小蒔たちの用意してくれた夕食を食べていると、巫女さんたちの中に狩人の気配を発している人間がいることに気づいた。

 

 何でもない風を装いながらも、明星は明らかに何かを狙っている。ちらちらと時計を気にしている彼女の仕草から、京太郎はすぐさまその狙いが何なのかを看破した。

 

「……明星。俺が入ってる時に風呂に入ってきたら、しばらく口をきかないからな」

「そんな、兄さまっ!!」

 

 どうしてそんな仕打ちを、という真剣な表情で詰め寄ってくる明星の頭に、京太郎は軽く拳骨を落とすが、それでも明星はめげない。痛がるふりをしつつ抱きつこうとする明星の襟首を、湧が抜群のタイミングで引っつかみ引きずっていく。京太郎はそれを溜息を吐きながら見送るが、先の言葉は何も明星にばかり向けたものではなかった。

 

 そういうアクシデントを故意に起こすことを好む人間は、この中には意外と多い。

 

 鹿児島にいた当時は京太郎は小学四年生。一つ年下の明星と湧は三年生だった訳だが、長いこと望んでいた兄ができた二人は、泊まりの時は常に一緒にいたがった。当然、風呂にも一緒に入ったことがある。若い男女と言っても小学生だ。一緒に風呂に入ることにも、それほど抵抗があった訳ではない。ちょうどその前の年には、ダルがって何でもやらせたがるちょっとおもちの年上女子のお世話をしていたばかりだったから、京太郎にとっては一つ年下の少女の裸など何のそのだったのだ。

 

 しかし今はそうはいかない。中学生になった明星は見事なまでのおもちに成長したし、そもそも京太郎本人がそれまでよりもずっと多感な年頃になった。隣に裸の明星がいたら、いかに妹分のような彼女であっても間違いが起こってしまうかもしれない。自制心にはそれなりに自信のある京太郎だったが、美少女のおもちを前に自制できる自信はなかった。

 

 明星も、京太郎の押せば倒れるかもしれない自制心の弱さを察していたのだろう。止めなければ本当に風呂場に乱入してきたに違いないが、京太郎本人から入るな、と言われればそれに従わざるを得なかった。オカルト吹き荒れる神境も人間のコミュニティである。一番年下である明星の立場は、それ程強くないのだ。

 

 自分の目論見が崩れた明星は不満そうではあったが、それも自分と一緒にいたいと思ってくれていればこそだ。せめて今日くらいは優しくしてあげようと思った京太郎は、何かしてほしいことはないかと、明星に問うた。

 

 明星ははじめ、何を言われたのか理解できない様子だったが、しばらくして自分に幸運が舞い降りてきたのだと知った。彼女は顔をぱっと輝かせて京太郎に身体を寄せると、『あーん』と言いながら口を小さく開けた。何を要求しているのかは一目瞭然である。そろそろ巴か霞のゴーサインが出るころか。そう思って待ってみたが、誰も何も言わない。自分の出番だと思っていた湧は一人、肩をこけさせていた。

 

 巴も霞もまだ慌てる時間ではない、とばかりに静かにお茶を飲んでいる。これでは明星の独壇場である。

 

 ずっと口を開けされているのもかわいそうだ。誰も何も言わないのなら、と京太郎は自分のおかずの皿から卵焼きを取って、明星に食べさせた。

 

「兄さま私幸せです」

「そうかそれは良かった。そういう訳だから、風呂に突撃してこないようにな」

「兄さまの仰せの通りにします」

 

 ご機嫌な明星の笑顔を見ながら、これで静かな夜が過ごせる、と京太郎はそっと胸を撫で下ろした。

 

 それが勘違いだったと知るのは、今晩のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎の泊まる離れの風呂には、素晴らしいことに温泉が引かれていた。これは神境の中では珍しいことではない。基本的に神境内部の全ての入浴施設には、温泉が引かれている。何も彼の使っている離れだけが特別なのではなかった。

 

 しかしそれも、使う人間にはあまり関係のないことである。

 

 一人の温泉を満喫しようと、京太郎は鼻歌交じりに脱衣所で服を脱いだ。風呂の時間に明星たちに突撃されることだけが気がかりだったが、今日の夕食の時にきちりと釘を刺すことができた。流石に公然と入ってくるなと言っておけば、無茶はしてこないはずだ。

 

 神境で一番怖いのは、何も準備ができていないうちに相手の術中に嵌ることだった。それを考えると京太郎の行動は遅いくらいだったのだが、相手が行動を起こすよりも先に言葉にできたのだから、セーフと言えばセーフなのかもしれない。

 

 カラカラと、風呂場の戸を開ける。無人で広い風呂場の何とすばらしいことだろうか。一人感動しつつ熱めのお湯を頭からざぶり。あ”ーと非常におっさんくさい声を挙げながら、髪についた水滴を払い、肩まで一気に湯に浸かる。

 

 熱い。熱いのだが……それ以上に気持ち良い。松実館でも思ったことだが、温泉というだけでこうも違うものなのだろうか。温泉哲学に耽る京太郎の耳に、しかし、小さな声が届いた。

 

「神境の温泉は一味違う。多分、神様の力と関係があると思う」

「そりゃあ霊験灼かそうだな――って」

 

 聞えるはずのない声を聞いて、京太郎はすぐさま振り向き――そしてそれ以上の速度で、振り返って見たものから顔を逸らした。振り返った先には同級生の巫女――春がいた。風呂場である当然の理屈として、彼女は何も身につけてはいなかった。温泉を引いている風呂の透明度はそれほど高くはなかったが、京太郎の目には湯気の中でも湯の中の肌色が見えてしまった。

 

「入ってくるなって言っただろ!?」

「私は待っていただけ。入ってきたのは京太郎の方」

 

 屁理屈を、と反論しかけた京太郎だが、口を開く直前でそれを押し込めた。言葉に不足があったのは、春の言うとおり事実である。言葉には従うという意思が一応とは言え向こうにはあったのだから、もっと具体的な言葉を使うべきだったのだ。

 

 息を吐き、気持ちを落ち着ける。

 

 春がここにいる理由は理解できた。しかし、言葉に不足があったのが事実でも、おもちで裸の美少女と一緒に入浴をする理由は――本音を言えばとてつもなく名残惜しいのだが――なかった。さっさと湯船から出ようとした京太郎の手を春がしっかりと掴む。振り向かずとも、絶対に逃がさないという彼女の強い意志が感じられた。

 

 同級生の巫女の強い自己主張に、京太郎は逃げることを諦めた。京太郎が肩まで湯に浸かるのを見て、春は安堵の溜息を漏らす。

 

「春一人か?」

「はるる。るが一つ足りない」

「はるる、一人か?」

「……私一人じゃ、不満?」

「いや、むしろ一人で助かってるけどそうじゃなくて。そういう一休さんみたいなことを思いついたのが、はるる一人とは思えないんだけど」

「良子姉さんとは話をつけてきた。たまには春が良い目を見ても良いだろうって」

 

 頼りになる年上のひとりが既に向こう側に着いていたことに、京太郎は落胆の溜息を漏らした。

 

「それに、私達にとって危険なのは深夜になってから。これくらいの時間なら、まだ大丈夫」

「なんだよ。神境には何か出るのか?」

 

 巫女でも神職でもない京太郎には、神様とか悪霊とかに出てこられるともうどうしようもない。京太郎が僅かとはいえ怯えているのが解ったのだろう。すす……と春が、湯船の中で身体を寄せてくる。

 

 小学生の時でもそれなりにあったおもちが、今はメロンのようになっている。押し付けられた訳ではないが、大きな裸のおもちがすぐそこにある気配に、京太郎の胸は高鳴った。

 

「ここは神様のおわす土地。悪いモノは入って来れない。でも、神様の中には悪戯好きの神様もいらっしゃるから。でも――」

 

 背中で春が『むー』とかわいく唸るのが聞えた。おもちの気配が近寄り、春の体温までもが身近で感じられるようになるとその息遣いまでが京太郎の耳元で聞えるようになった。総じて、いつも京太郎の近くにいることが多い春であるが、今晩は更に近い。

 

「思ったより慌ててない。もしかして、最近こういうことがあった?」

 

 流石に巫女さんである。妙なところで鋭い。春の追求に、京太郎は慌てず騒がず無言で首を横に振った。

 

 その直感はまさかの大当たりであるが、先週奈良で旅館の娘さんに背中を流してもらったことや、その前の週に一つ年上の金髪幼女と一緒に湯船に浸かったことは言わない方が良いのだろう。

 

 対抗心の強い春のことだ。正直に言えば同じことをしたがるに決まっている。ちゃんと服を着ていた玄相手でさえ、あんなにもどきどきしたのだ。全裸の春に同じことをされたら、意識を保っていられる自信がなかった。

 

「本当?」

「本当。キョウタロウウソツカナイ」

「その言葉はとても嘘臭い。ちゃんと私の目を見て答えて」

 

 ぐい、と思いも寄らない力で、振り向かされる。すぐそこには、春の上気した顔と、髪と同じ色の瞳が見えた。じっと、嘘は許さないと見つめてくる春から、京太郎は目を逸らすことができなかった。

 

「どうだ?」

「嘘は言ってないと思う」

「そうだろう、そうだろう」

「でも、そう思うだけ。私の京太郎に対する疑いは消えた訳じゃない」

「じゃあ、どうしたら俺を許してくれる?」

「ちゅー」

 

 躊躇いなく、そして間髪入れずにされた春の提案に、京太郎の目は点になった。春も流石に恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤になっていた。

 

「ほっぺにちゅーで許してあげる」

「いや、言ってることが解らなかった訳じゃない」

 

 京太郎の顔は春に掴まれたままだ。おそらく自分の顔も真っ赤になっているだろうことを自覚しながら、京太郎は内心で溜息を吐くと、春の頬をつんつんと突いた。癖になりそうな程、春の頬は柔らかい。このまま延々と頬を突いていても楽しそうではあるが、はるる様にへそを曲げられるのは、もっと困る。

 

 何しろここは風呂場で、若い男女二人が全裸で向かい合っているのだ。状況は特に京太郎にとって優しくなかった。この状況で春に襲われたら、京太郎には抵抗する手段がない。どれだけ荒唐無稽なものでも、それが叶えられるものである限り、京太郎はそれを叶えるしかないのである。

 

「……じゃあ、するぞー」

「ん」

 

 何も着ていない首から下を見ないようにしながら、春の頬に唇を――触れさせる前に、がっちりと春の顔を固定する。抗議の視線を送ってくる春を、京太郎ははっきりと無視した。頬に唇が触れる直前で、顔の向きを変えることが表情から読めたのだ。

 

「いや、頬だからな。女子がちゅーを安売りするな」

「京太郎の初ちゅーを買えるなら、それでイーブン……」

 

 春の声が、段々と小さくなっていく。その眼前には、気まずそうに目を逸らした京太郎。春の巫女としての直感は、またも正しく働いた。

 

「ソレハドコノドイツダ」

「小さい時の話だよ。あれを初ちゅーとカウントするのは勘弁してもらいたい」

 

 まだ大阪に住んでいた頃の話だ。当時、何だかませていた怜に色々とさせられたことがある。ちゅーもその一つだった。もっとも、頻繁にそういうことをしていた訳ではない。特にちゅーについては、一度されてから恥ずかしくなって、とにかく逃げ回ったものだった。今思うと、凄いことをしていたものだと思う。

 

「口?」

「まぁ、口だな……」

 

 ぐぎぎ、と春の首に力が篭るのを、京太郎は全力で阻止する。あのちゅーは幼い時分、怜にいきなりされたから成立したのだ。中学生にもなって、冷静に、春を相手にするのは色々と不可能だ。

 

「て言うか、頬にするんだって普通は恥ずかしいんだぞ。口はハードル高すぎるだろ」

「大丈夫。私と京太郎の二人だけの秘密」

「そういう問題じゃないってのは解ってるだろ?」

 

 京太郎の諭すような声音に、春の抵抗がぴたりと止まった。巫女として直感の鋭い春であるが、旧来の友人である京太郎のことは良く観察している。その声音に僅かに苛立ちが混じったことから、これ以上粘ったら本当に怒らせてしまうことを敏感に察したのだ。

 

 春とて、京太郎を怒らせるのは本意ではない。ここで話が流れたら、頬にちゅーをさせるのもご破算になる。せっかく良子の協力を得てできたチャンスなのだ。乙女としては、何としても物にしたい。

 

「わかった。でも頬にはちゅーしてもらう」

「わかった、わかった」

 

 覚悟が決まると、京太郎の行動は早かった。春の気が変わらない内にと、そっと彼女の頬に唇で触れる。中学生がするにしても軽い、本当に触れるだけのものだったが、それでも京太郎にとっては心臓は張り裂けそうになるほどどきどきすることだったし、春にとってもそれは同じだった。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。さて、お前がここにいるなら俺は一度出るぞ。出たら、声をかけてくれ」

「一緒に入らない?」

「はるると一緒だと長湯になりそうだからな。どうせ話をするなら、あがってからゆっくりの方が良いだろ?」

「じゃあ、そうする」

 

 春から離れ、湯船から上がろうとしたところで、京太郎は動きをとめた。春の視線が背中に張り付いているのを感じたのだ。肩越しに振り返ってみると、春は気まずそうに視線を逸らした。

 

「できれば後ろでも向いててくれるとありがたいな。尻をじっと見られるのは、男の俺でも抵抗がある」

「良子姉さんから京太郎のお尻は引き締まってて魅力的だって聞いたから」

 

 ぼそぼそとではあるものの、正直に理由を告白したのは春の美徳の一つと言えるのだろう。

 

 その行動に報いるように、京太郎はにこやかに微笑むと、洗面器一杯に掬った湯を、春にぶっかけた。




お風呂回ははるる一人でした。
次回、永水編最終回です。


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37 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑧

「ツモ。2000オールでラストね」

 

 宣言の通り、霞の逃げ切りトップで半荘は終わった。集中の糸を自分で切った京太郎は大きく息を吐いて、全身の力を抜く。永水の巫女達を相手に三連戦。他の三人は交代したが、京太郎はずっと参加している。集中を切らさずに卓を見続け、思考を続けるのは自分で思っている以上に体力を使う。

 

 春がついていてくれたこともあり、運の激しい上下を肌で感じることこそなかったが、そうでなければもっと速く集中力が途切れていたことだろう。密度の濃い麻雀をやった後特有の重い疲れを味わう京太郎の肩を、良子が突いた。

 

「読みが前よりも速く鋭くなってるね。場も良く見えてるようだ」

「でも春に手伝ってもらったのにトップが取れませんでした」

「いやいや、この面子相手に二着三回取れるなら十分さ。今日は日が悪かったということにしておこう」

 

 良子はそう言って京太郎を励ましたが、春を背負ってまで戦い、それでも一度もトップが取れないというのは京太郎にとってはやはり悔しいことだった。背中にひっついたままの春のくるくるを弄びながら、河に視線を落とす。

 

 三半荘目のオーラス。北家でラスだった初美が一発逆転を狙って東と北を暗カン。後はツモるだけという段階になってトップでラス親の霞がホンイツドラ1で場を流し、試合は終了した。必殺技を軽く流された初美はこれ見よがしにぶーたれているが、トップを守りきった霞は嬉しそうな一方、珍しく目が冴えて全く神様を降ろさなかった小蒔は低空飛行を続け、特に活躍もしないまま三着に終わっていた。

 

「京太郎が霞をひーきしたのですよー」

 

 初美の静かな怒りの矛先は京太郎に向いた。贔屓とは言いがかりも甚だしい、とは微妙に言い難い勝負内容である。何しろ西家だった京太郎が北家である初美のツモ番を飛ばすように、霞に必要な牌を二度も鳴かせた。あくまでトップを狙うのであれば絶対に切らなかった牌である。京太郎の腕と読みを知っている初美からすれば、彼が霞にアシストをしたのは明らかだったのだ。

 

「やっぱりアレですかー、おもちなんですかー? 私のようなぺったんこには生きてる価値がないとかそういうことですかー?」

「初美さんにアガられたら俺二着から三着に落ちますし、着順を落とすくらいなら、トップに逃げ切ってもらったほうが……」

「言い訳なんて聞きたくないのですよ!!」

 

 うがー、と吼えた初美は京太郎の背中に張り付いていた春をぽいと投げ捨て、それが当然とばかりに彼の膝に腰を降ろした。自分の場所を奪われた春は初美に飛び掛って抵抗したが、そのたびに投げ飛ばされ畳の上をごろごろと転がった。初美の霧島神境の小さなジャイアンの異名は伊達ではない。

 

 そんなジャイアンに対抗するには自分一人ではどうにもならないと悟った春は周囲に視線で助けを求めたが、三半荘中ずっと京太郎の背中に張り付き、彼を独り占めしていた彼女に味方する人間は一人もいなかった。小蒔ですらすーすーと下手な口笛を吹く真似などしながら、春から視線を逸らしているくらいである。味方はいないと悟った春は、がっくりと肩を落とした。

 

「そうそう、小耳に挟んだことがあるのだけど、聞いても良いかしら」

「何でしょう、霞姉さん」

「先週、奈良にある貴方の知人の旅館でアルバイトをしたそうだけど、どんなことをしたの?」

 

 京太郎はきたな、と思うと同時に遠く奈良にいる憧の読みの鋭さに戦慄した。誰か聞いてくるだろうと思っていたが、霞が聞いてくるとは彼女らのことを知っている京太郎でも、確信が持てなかった。それを憧は集合写真を見ただけで見抜いたのだ。恐るべきは、その洞察力である。

 

 憧には下手に隠し事はしないと心に決めつつ、宥にたかいたかいをしたことや、玄に背中を流してもらったことはきっちりと省きながら、霞たちにバイトの内容を説明した。

 

 この日に何をした、あの日にアレをした、とやったことをただ報告するだけのものだったが、京太郎が驚いたのは、プロになることが決まった良子でさえ、京太郎の話を熱心に聞いてくれたことだった。バイトの話がここまで受けるとは、と巫女さんたちの食いつきっぷりに驚いている京太郎に、良子が苦笑を浮かべながら、その原因を教えてくれる。

 

「皆実家が神職だからね。よほどの事情がないと、外でバイトということにはならないんじゃないかな」

「良子さんもバイトしたことはないんですか?」

「これから研修で雀荘に行かされるらしいんだけど、それが人生で最初のアルバイトだよ」

「あー、いいですよね。雀荘のアルバイト」

「旅館の手伝いだって、相当だろう? 私は泊まったことはないけど、地元では有名な旅館だそうじゃないか」

「そうみたいですね。大浴場はとても広かったですし、料理も美味しかったです」

「それは羨ましいことだね。あと、これも聞いた話なんだけどその旅館、看板娘のお嬢さん二人がとても可愛らしいそうじゃないか。京太郎、知り合いだろう? 愛媛にいた時、松実という名前を君から何度か聞いた記憶がある」

 

 逃げようと思った訳でも、ましてや逃げられると思い上がっていた訳でもないが、反射的に動こうとした京太郎の身体は、いつの間にか背後に回っていた巴によって、その動きを封じられた。肩に手を置かれているだけなのに、全く力が入らないのは一体どういう訳なのだろうか。特に疚しいことをした訳ではないのに、冷や汗がだらだらと出ている。浮気がバレた時のお父さんというのはきっと、こういう気持ちなのだろうと思った。

 

「写真とか持っているのかしら」

 

 疑問の形を借りた『つべこべ言わずにさっさと出せ』という霞様のご命令に、京太郎は大人しくスマホを操作して、卓の上に置いた。

 

 巫女少女たちは身を乗り出してスマホを覗き込み……そして、良子以外の全員が憧に視線を奪われた。

 

 美女美少女が揃っていて、総じて女子力の高い巫女さん達であるが、全体的に古風であるというのは、自他共に認めるところである。それがアピールポイントになるかは男の趣味嗜好に寄るだろうが、ともかく、そんな巫女さんたちにとって所謂今風の、垢抜けた女の子というのは相性の悪いものだった。巫女さんたちの目に、今風な少女であるところの憧はきらきらと輝いて見えたのである。

 

「何というか……思っていた以上に仲が良さそうだね」

「俺の隣にいるこいつと、手前のジャージの奴が同級生で、麻雀教室にも一緒に通ってました。それ以外は皆年上です」

「ああ、じゃあこの娘が前に言ってたかわいいお猿さんかい? 流石に失礼じゃないかな、こんなにかわいい娘を捕まえて猿だなんて」

「言ってたのは俺じゃなくてクラスの奴らですって」

「この、市松人形のような方は?」

「鷺森灼さんって言って、ボウリング場の娘さんです。この人はすいません、この写真を撮った日に会ったんで、良く解りません。あ、でも小蒔さんと同じ三年生ですよ?」

「看板娘って言うのはどの二人ですかー?」

「この二人ですね。俺の隣にいるのが松実宥さん。高校一年で初美さんの同級生です。その宥さんの隣にいるのが松実玄さん。この人も三年生です。二人とも、とても麻雀が強いですよ」

「ねえ、和菓子屋さんの娘って言うのはどの娘?」

 

 巴が身を乗り出して問うてくる。修験者の話をした時その場にいた、明星と湧も気になっているようだった。

 

「手前のジャージの奴がそうです。山の中を遊び場に育ったそうで、熊野まで走っていったとかって話もあるくらいで」

「…………ここ、確か吉野山だよね?」

 

 鹿児島生まれの鹿児島育ちの巴であるが、全国の霊山の地理には明るい。吉野から熊野まで、しかも山間部を少女の足で踏破するなど霧島の巫女でも数える程しか達成できない難事である。無論のこと、巴は達成できる人であるが、巫女の基準で難事であることを和菓子屋さんの娘さんが達成できるとは考え難い。

 

 京太郎の言葉から判断するにそれがジャージの少女にまつわる冗談の類というのは解ったが、それでも奈良から鹿児島まで移動した京太郎に気配の残滓があるくらいの強力な気である。それくらいやっても不思議ではない、というのが巴の考えだった。

 

 それから全員が思い思いの質問をし、京太郎がそれに答えるというやりとりが続いたが、その途中突然小蒔が立ち上がり、腕を振り上げていった。

 

「私たちも、こういう写真を撮りましょう!」

 

 小蒔の提案に逆らう人間は一人もいなかった。一番近くにいた湧が京太郎のスマホを取り上げると、部屋の棚の中からスマホ用の三脚を取り出す。何でそんなものが、と疑問に思う京太郎を他所に、意外にハイテクに強かったらしい湧がスマホを操作し、あっという間に写真撮影のできる環境が整った。

 

「京太郎はこっちに」

 

 霞に招かれ、京太郎は一同の中央に座らされる。その左隣に小蒔、右隣には霞が立ち中央から序列の高い順番に並んでいく。神境で写真を撮る時の基本だが、外様の巫女である良子は当たり前のように一番外に立った。明星や湧よりも更に外である。それで良いのかと視線で良子に問えば、彼女は小さく肩を竦めてウィンクをして見せた。

 

 気にしている素振りは全く見えない。これが大人の余裕なのだと思うと、いつにも増して良子のことがかっこよく思えた。

 

「これで私達が最新版ね」

 

 隣に座った霞がそっと京太郎に耳打ちする。年上である霞が憧と同じ発想をしたことに京太郎は苦笑を漏らした。笑われた、と感じた霞は目を細めたと思うと、そのまま京太郎の腕を抱きしめた。霞の凶悪で極上なおもちの感触に京太郎の呼吸が止まるが、殿方の事情に巫女さんたちは構いはしない。霞がそうしたのを見て、小蒔も京太郎の腕を取った。純粋な小蒔には霞のような『京太郎を困らせよう』という意図はない。単に姉貴分で親友である霞が、かわいい弟にそうしていたから真似をした、ただそれだけのことだった。

 

 上の二人がそうしたことで、残りの少女たちもそれに続いた。思い思いの姿勢で京太郎に飛びついて、できる限り顔を寄せる。そこにはもう序列など存在しなかったが、ここにいる人間が皆、仲良しだというのは写真を見た全員に伝わるだろう。

 

 この後、白糸台に抜かれるまで学校単位では長らく最新版となる永水女子一同との写真は、長野に帰宅後、狙い済ましたような憧のメールで、阿知賀のメンバーに拡散されることになるのだが、それはまた別の話である。




長くかかりましたが、これで西へ編終了となります。
次回プロ編です。咏さんとはやりんとアラフォーさんが登場します。
その後、特に書くことが思いつかなければ中三編。
これまた長くなりそうな二度目のインターハイ編です。ハミレスにいきます。留学生組に会うかもしれません。


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38 中学生二年 三強激突編①

 三尋木咏というのは須賀京太郎にとって、唯一の麻雀の師匠である。

 

 この世で最も敬愛し、誰よりも尊敬している彼女から、先日試合の『チケット』が、『暇ならば応援に来い』というメッセージを添えて郵送されてきた。九大タイトル戦に次ぐ権威ある大会、その決勝戦である。幸い、本当に暇だった京太郎はその『チケット』を持って、会場のある東京まで旅立った。都内で一泊し、大会当日。

 

 まだ早朝と呼べる時間にも関わらず、会場は熱気に包まれていた。トッププロによる半荘十回戦。そのポイントの多寡によって今日、優勝が決まる。下馬評では咏が一歩リードとされているが、その相手はいずれもトッププロである。咏と言えども油断をすれば足元を掬われることもある。弟子として師匠に勝ってほしいのは当然であるが、一人の麻雀ファンとしては手に汗握る熱い戦いを見てみたいとも思うのだ。

 

 師匠不孝者かもなと、苦笑を浮かべながら京太郎は人の波を縫って、会場の隅へと歩いていく。観戦のためのモニタルームから離れた場所。関係者以外立ち入り禁止とされるエリアの直前には、初老の警備員が立っていた。その目が、京太郎に留まる。

 

 彼の仕事は、関係者以外をそこから先に通さないことだ。関係者とは参加する選手と、通行証を持ったスタッフである。務めて長い彼は選手の顔は全員知っていたし、京太郎の首にはスタッフであることを示す通行証はかかっていない。その身長こそ高いものの、服装、顔立ちから京太郎が未成年であることは明らかだった。警備員は当然の職務として、京太郎を呼び止める。固い表情を浮かべた彼に、京太郎は懐から取り出した『チケット』を見せた。

 

 それを見た瞬間、初老の警備員の顔に驚きが走った。京太郎が取り出した『チケット』はプロであれば必ず持っていなければならないもの――日本麻雀協会が発行した、京太郎の師匠である咏のライセンスカードだった。

 

 このライセンスカードはプロとしての身分を保証する意味合いも当然あるが、プロがプロとして公認大会に参加するためのパスとしても使用される。誰もが知っているプロだとしても、このカードを忘れた人間は大会に参加することはできない……という取り決めになっているが、実際にはそうではない。公認大会には必ず協会の人間がいて、彼らには臨時のライセンスカードを発行するための権限が与えられている。カードの持参を忘れたとしても彼らにお願いすれば臨時のカードを発行してくれ、その大会には参加することができる訳だが、カードの不携帯が本人の過失であった場合には協会の仕事をロハで引き受けるなどのペナルティが発生する。

 

 成績や獲得賞金に影響するものではないので決して重大なペナルティとは言えないが、問題はそれで回される仕事が本人の意思では全く選べないことだ。それ故に、思いもよらない事故が発生し、老若男女問わず仕事を受けたプロの心に、決して浅くない傷を残すこともしばしばあった。『小鍛治健夜牌のお姉さん事件』や『野依理沙テレビ麻雀教室で放送事故未遂』などはファンの記憶にも新しく、何でこの人がこの仕事を……という時は、大抵ライセンス忘れが原因というのがファンの間の通説である。

 

 そんなこともあって、麻雀プロは駆け出しだってライセンスカードを軽々しく他人に預けたりなどしない。翻って、他人のライセンスカードを預かっているということは、それだけそのプロに信頼されているという証明でもあった。応援に来いという咏の誘いに、京太郎が強いメッセージ性を感じたのはそのためである。

 

 警備員はその職務上、ライセンスカードを確認することが多々ある。彼は中学生の少年が出した、トッププロのライセンスカードを目を白黒させて眺めたが、それが本物であることをはすぐに解った。それが盗まれたものという可能性は否定できないが、今日は大会当日である。如何にプロの中でも自由な感性をしていることで有名な咏でも、手元になければ今の時間には気づいていないとおかしい。

 

 信じられない思いではあるが、このライセンスカードは本人から、某かの手段でこの少年の手に渡ったのだ。警備員は姿勢を正し、京太郎に問う。

 

「失礼ですが、名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「須賀京太郎です」

「あぁ、君がそうなのか。三尋木プロから話は聞いているよ。通って良し」

「ありがとうございます」

 

 すんなり通ることができて一安心だったが、話が通っていたにしては警備員の反応は少しおかしい気がした。ライセンスを大事に内ポケットにしまった京太郎は、興味深そうに自分を眺めている警備員の男性に、逆に問うてみる。

 

「うた……三尋木プロから話を聞いたと仰いましたが、三尋木プロは何と?」

「自分の大事な人間が『チケット』を持ってくるから、その人物を上客として扱って控え室に通すようにと。まさかチケットが、ライセンスカードだとは思わなかったけどね……」

 

 警備員の男性は苦笑を浮かべている。誤解を招くような咏の物言いは、きっと態とだろう。ここで取り乱してはあの人の思う壺だ。京太郎が深呼吸をして気持ちを落ち着けていると、訳アリと察してくれた初老の警備員は優しく京太郎の肩を叩いた。

 

「この仕事をしているとね、見なかったことにしておいた方が良いものを見ることも間々あるんだ。口が軽い人間にはできない仕事でもある。君達の関係を詮索したりしないし、他言もしないから安心してくれ。三尋木プロの控え室は、突き当たりの右側だよ」

 

 初老の警備員の人の良い笑みに頭を下げ、京太郎は関係者以外立ち入り禁止とされるエリアに足を踏み入れた。

 

 熱気に包まれていたロビー付近とは異なり、選手控え室を含むこのエリアは実に静かだった。空気もどこかぴりぴりとしているそこでは、明らかに未成年である京太郎の風貌はすれ違う人間の目をどうしようもなく引いた。ここでも呼び止められたらどうしようと戦々恐々としていたものの、すれ違う人間は皆不思議そうな顔をするだけで、京太郎に声をかけたりはしなかった。

 

 ここに入るまでには警備員がいるところを通るしかなく、そのチェックをパスしたということは即ち関係者であるということだが、納得していても全く気にならない訳ではない。不躾に向けられる視線に居心地の悪さ感じながらも廊下を行き、『三尋木咏』とプレートの付いた控え室の前に立つ。

 

 少しだけ緊張しながらノックをすると、中から間延びした声が聞こえた。

 

「入って良いぜ~」

 

 咏の声に、京太郎はドアの前で首を傾げた。まだノックをしただけで、名前を告げてはいない。そんな軽い対応で大丈夫なのかトッププロ、と不安になりながら、京太郎はドアを開ける。椅子に座って足をぷらぷらとさせていた咏は、弟子の姿を見るとにやりと笑った。自信に満ち溢れた不敵な笑みに、今日の咏が絶好調であることを知った京太郎は、思わず顔を綻ばせた。

 

「おっす。久しぶりだねぃ、京太郎」

「お久しぶりです。本日はお招きいただき、ありがとうございます。早速ですけど、相手も確認しないのは無用心ですよ?」

「私はお前の師匠だぜ? 弟子のノックくらい、聞きゃ解るさ」

 

 からからと笑う咏の言葉は冗談半分という気もするが、咏ならば解ってくれそうな気もする。これを追求するのは無粋な気がした。解ると言ってくれたことそのものが、京太郎にとってはとてつもなく嬉しいことだった。

 

「それよりもさ。ほれ。来たんならさっさとやってくれよ」

「そうなるんじゃないかと思ってましたけど、俺がやらなきゃダメですか?」

「師匠の世話は本来弟子の仕事だぜ? お前、私の弟子だろ?」

「解りました。腕を挙げてください」

 

 明らかに面白がっている咏を前に、京太郎はそっと溜息を吐いた。

 

 椅子から降りた咏は、京太郎に背を向けて腕を挙げる。

 

 京太郎は咏の脇の下から手を入れ、慣れた手つきで帯を解いた。自分一人ではまず着物など着ない京太郎だが、ほとんどを着物で過ごす咏の手ほどきで、小学生の時には着物の着付けができるようになっていた。練習相手は主に咏だったので、自分で着るよりも他人に着せる方が上手いくらいである。

 

 覚えたての頃には咏と同じくらいだった身長も大分大きくなり、今は咏の頭を下に見ている。跪いて咏の世話をしていると視線の高さが同じになり、出会った頃に戻ったような気分になった。紬を脱ぎ、襦袢一枚になった咏の背中はあの頃とほとんど変わらず、とても小さい。この身体のどこからあの火力が出るのかと物思いに耽る京太郎を、咏が肩越しに振り返った。

 

「いつものはそこな」

 

 咏が視線で示した先にあった風呂敷を開けると、中には見覚えのある赤い着物があった。重要なタイトル戦などで咏がよく着ている、ここぞという時のための勝負服だ。着せられる咏の方も慣れたもので、京太郎の動きの邪魔にならないように逐一腕を動かしたり身体の向きを変えたりしている。男女逆ではあるが、ここだけを見ると夫の世話をしている昭和の妻という風だ。

 

「そう言えばお前さ、お婆様の友達の孫と知り合いなんだってな」

「良子さんのことですね。咏さんは会ったことあるんですか?」

「ねーけど知ってるぜ。今年の高卒見込みのプロの中じゃ一番手だろ」

「そうですか、そうですか」

 

 やはり良子は、咏が認めるほどの実力者なのである。良子が褒められたことに嬉しくなっていると、咏は振り向きもせずに後ろ足で京太郎を蹴飛ばした。狙ったように腹部に直撃した蹴りに京太郎の呼吸も止まるが、咏はそんな京太郎を肩越しに見下ろしながら、それが当然の扱いだ、と不機嫌そうに嘆息した。

 

「師匠の前で他の女に浮気してんじゃねーっての」

「すいませんでした。以後気をつけます」

「解れば良いさ」

 

 ふん、と咏は小さく頷いた。初めて見る反応に、着付けを続けながらも京太郎は内心で首を傾げていた。京太郎の交友関係はそのほとんどが女性であり、今も交流を持っている者も沢山いる。師弟関係である咏にはよく彼女らの話をしたが、これまでに咏がこういう反応を見せたことは一度もなかった。良子の話も確かにした記憶があり、その時は間違いなく普通に聞いてくれていた。今とその時で何が違うのだろう。

 

「はい、できましたよ」

 

 疑問に思うが、一人では答えは出せそうになかった。疑問の追及は後ですることにした京太郎は最後に帯締めを結ぶと、咏から離れた。着物の袖を摘んだ咏は、その場でくるりと一回転。上品な匂いがふわりと舞い上がった。

 

「悪くないね。もしかして練習でもしたのかい?」

「こうなりそうな気がしたもので。浴衣を引っ張り出して練習してきました」

「殊勝な心がけだねぃ。付き人としてならこのまま、私のところで使えるぜ?」

 

 どうだい、と軽く問うてくる咏に、京太郎は苦笑を浮かべながら首を横に振った。

 

「ありがたい話なんですが、俺まだ中学生なんで……」

「それもそうだな。ま、こんな時勢だ。高校くらいは出といた方が良いだろうしな。食うに困ったら遠慮なく私のとこに来い。お前一人の面倒くらいなら見てやるから」

「なるべく、咏さんのお世話にならないように頑張ります」

 

 咏の冗談に、京太郎も冗談めかして答えると、彼女は草履を突っかけ、ぱたぱたと歩き出した。一人で部屋を出て行こうとする咏に、京太郎が問いかける。

 

「どこか行くんですか?」

「ちょいとヤボ用を片付けてくるよ。ここにあるもんは好きに飲み食いしても良いから、大人しく待ってな」

「ちょ、誰か咏さんを訪ねてきたら、俺はどうすれば」

「決勝戦直前のプロに好んで会おうなんて人間いねーって。知らんけど」

「このカードどうするんですか?」

「適当にその辺においといてくれ」

 

 ひらひらと手を振りながら、咏は控え室を出て行った。一人取り残され、手持ち無沙汰になった京太郎は咏の脱いだ紬を綺麗に畳んで風呂敷に仕舞うと、椅子に座って一息吐いた。

 

 咏がいないとびっくりするくらいにすることがない。好きに飲み食いをして良いと言われたが、別に空腹ではない。それ以前に咏のために用意されたものに手をつけるのも、弟子としては気が引けた。途方にくれた京太郎の目が、テーブルの上の二つの湯のみに触れる。鈍い赤色をした左側の湯のみは咏が高校時代から使っているお気に入りものだが、その隣、深い藍色をした湯のみは京太郎が神奈川に住んでいた頃、三尋木の家に遊びに行った時に使っていたものだった。

 

 持ち出したという話は、咏から聞いたことはない。本来であれば今も神奈川の三尋木家にあるはずのものだが、ここにあるということは咏が態々取りに行ってくれたのだろう。まだ高校生と小学生だった時分、一緒に使っていた湯のみがまた並んでいる。師匠の心憎い気遣いに嬉しくなった京太郎は考えを変えた。この湯のみでお茶をするのも悪くないと思ったのだ。慣れた手つきで茶葉を急須に入れ、懐かしい思いに浸りながら味わって飲もうと、葉が蒸れるのを待っている間に、控え室のドアがノックされた。

 

 京太郎の動きがぴたりと止まる。

 

 訪ねてくる人などいないのではなかったか。息を殺してドアの方を伺うが、ノックに声は続かなかった。ドアの向こうにいるのが男性か女性かも解らないが、少なくとも咏ではないのは確かだった。戻ってくるには早すぎるし、悪戯をするにしても、こういうことは咏の好みではない。弟子を驚かせるためには小学生のコスプレもできる彼女はもっと、直接的で意外性のある悪戯をする。

 

 人の気配は変わらず、ドアの前から動かない。弟子としては師匠の代わりに対応するのが筋という気がしないでもないが、ドアの向こうにいる彼、もしくは彼女の目的は咏であり、京太郎ではない。咏がここにいないのは間違いないのだから、居留守を使った所で責められはしないだろう。

 

 息を殺して、時間が過ぎるのを待つ。気配はしばらくドアの前にいたが、やがてこつこつとヒールの音がドアから離れていった。危機は去った。安堵の溜息を漏らし、急須を持ち上げたところで、いきなりドアが開く。

 

「残念でしたー! 居留守を使おうなんて咏ちゃんの考えは、はやりにはお見通しだよ!」

 

 得意げな笑みを浮かべて、控え室に入ってきたその女性は室内に咏がおらず、それどころか見ず知らずの少年しかいないのを見て、目をぱちくりとさせた。

 

 その女性が誰か、京太郎は良く知っていた。

 

 大きなおもちに可愛らしい顔立ち。高い知性に国内トップクラスの麻雀の腕。京太郎が女性の外面に求めるほとんどすべてを持ったその女性は、京太郎の目をまっすぐ見つめながら、可愛らしく小首を傾げた。

 

「君はだあれ? はやりにこっそり教えてくれる?」

 

 

 

 

 

 



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39 中学生二年 三強激突編②

 史上最強の雀士は誰かという問いに、議論は必要ない。

 

 この国に生まれ育ったならば、老若男女誰もが小鍛治健夜の名前を挙げるだろう。世界ランキング二位まで上り詰めた、国内無敗の『全冠(グランドマスター)』の実力は二部リーグの地元チームに籍を移し、一線を退いた今となっても陰りは見えない。

 

 では、彼女が一線を退いたことで空いたポストに最も近い女子プロは誰かという問いには、きっと人によって答えが分かれる。

 

 だが、議論を進めていけばおよそ二人の人間に候補が絞られることだろう。

 

 一人は三尋木咏。高卒でプロになった年に新人王を獲得。その後、Aリーグに在籍を続け、小鍛治健夜が一線を退いたことで空位になった、九大タイトルの一つも獲得している。圧倒的な火力でもって卓上を制圧する様は圧巻で、その独特の容姿からコアなファンも多い。

 

 もう一人は瑞原はやり。一言で言うならば、彼女の仕事はアイドル雀士である。

 

 アイドル雀士というのは読んで字の如く、アイドル活動もする雀士のことである。容姿の優れた女子プロのグラビアが雑誌に載ることなど珍しいものではないが、アイドル雀士はよりその比重が大きい。雀士がアイドルをやっているのではなく、アイドルが雀士もやっていると表現するのが、現実には近いだろう。

 

 ただの雀士とは別の能力を要求されるアイドル雀士の業界は競争が激しく、その数は業界全体でも優に200を超える。そんな中、アイドル系の仕事だけで食べていける人間は一割に満たず、雀士としての能力も高い人間はさらにその半分にも満たない。

 

 瑞原はやりはその中でも更にレアな、雀士としてもアイドルとしても高い能力を持った本物のアイドル雀士だ。

 

 そんなはやりの仕事は多岐にわたる。牌のお姉さんとして参加する教育番組を含めて、週に三本のレギュラーを持ち、取材を受けない週はない。その上、最低でも年間2000半荘というプロの平均もきっちりこなし、チーム戦にも個人のタイトル戦にも可能な限り顔を出しており、その上ライブもすれば歌って踊る。

 

 控えめに表現しても彼女のスケジュールは殺人的であるが、はやりは大学を卒業してからずっとこのスケジュールを文句の一つも言わずにこなしている。可愛らしい見た目に反して、タフな女性なのだ。以前、ポスト瑞原を狙った彼女の後輩が、その座を奪うべく事務所に頼んで同様のシフトを組んだことがある。同じくらいの密度で仕事を組み、同じくらいの頻度で大会に出場したのだが、二ヶ月でシフトが乱れ始め、四ヶ月で成績が急激に落ち、半年で過労で倒れ病院に担ぎ込まれた。アイドル雀士というのもタフでないとできない仕事なのである。

 

 その点、小学生の頃から芸能活動をしてきた彼女は、筋金入りのアイドルだった。その上リーグ戦では結果を出し、九大タイトルの一つも保持している。現在の国内ランキングは四位で、芸能活動を理由としなければ日本代表にも選ばれていたことだろうとも言われている。

 

 アイドル雀士としての究極。『旋風(ワールウィンド)』の瑞原はやり。三尋木咏を除けば、須賀京太郎が最も憧れる雀士である。

 

 そんな憧れの人を前に、須賀京太郎は全ての動きを停止していた。彼の顔を間近に見ながら、はやりは京太郎を観察する。

 

 驕りでも何でもなく、日々の努力の結果としてはやりは自分が容姿に恵まれていることを自覚していた。こういう距離まで近づくと、大抵の男性は下心丸出しの顔をする。特に、眼前の少年くらいの年齢だと顕著にそういう反応が出るのだが、彼の表情はびっくりするほど動かなかった。

 

 本当に具合でも悪いのだろうか。からかいから本気の心配にはやりの気持ちがシフトし始めた時、京太郎の目から一筋の涙が零れた。

 

「はや!?」

 

 これに驚いたのははやりである。まさか本当に具合が悪いのか。少年の前でおろおろするはやりを他所に、京太郎はついに嗚咽を挙げ始めた。

 

「どうしたの? 本当に具合が悪いの?」

「ち、違います。俺、本当にはやりんのファンで……」

 

 予想とは違う答えに、はやりは目を瞬かせた。ファンというのは別に良いし、それで泣くのもまぁ理解できる。問題はそのファンが咏の控え室にいたことだった。ここにいる以上咏の関係者なのだろうが、良くて高校生のこの少年は、どうにも咏の親戚には見えなかった。スタッフでも選手でも不審者でもない人間がここにいる理由。考えてみると、卑猥な妄想しか浮かんでこない。

 

 それに良く見ると可愛らしい。不細工では絶対にないけれどハンサムと言うにはちょっと微妙という絶妙な顔立ちの少年が、目の前でめそめそと泣いている事実に年齢=彼氏いない暦のはやりは胸のときめきを覚えていた。今日はたまたまこの近くで仕事があり、長年の友人である咏が決勝まで残ったというので激励にきたのだが、こんな拾い物をするとは驚きだ。おまけに自分のファンだという。これは恋愛の神様のお導きに違いない。

 

「君、名前は? 年は?」

「須賀京太郎です。13歳の中二です」

「そっかー、13歳かー……」

 

 若いなぁと思うよりも先に、眼前の少年が自分よりも一回りも下という事実に気づいたはやりは愕然とした。彼をもって若いとするなら、相対的に自分はそうではないということになる。まだまだ若くかわいいつもりでも、時は無常にも流れていくのだ。仕事は楽しいしやりがいもある。結婚や引退はまだ早いと思うのだが、島根にいた時の同級生はもう半分以上が結婚して子供までいる。彼ら彼女らは純真無垢な瞳ではやりんはやりんと慕ってくれるが、そろそろ同窓会で独身ですと触れ回るのもキツい年齢になってきたのだ。

 

 瑞原はやり26歳。そろそろ独り身が寂しい年頃である。

 

「ねえ京太郎くん。君は咏ちゃんとはどういう関係?」

 

 世間話のつもりで問いかけたのだが、京太郎は俯いたまま口を閉ざした。お金持ちのトッププロの控え室に、未成年の少年が一人。おまけに質問に対してこの反応だ。状況証拠だけを積み重ねると、疚しいことがありますと言っているようにしか見えない。適当な嘘を吐く、という発想がないのだろう。美点か欠点かは難しいところだが、少なくともこの少年は、咏に対してとても誠実であることが解った。しかし、

 

(そういう反応すると咏ちゃんが困ると思うんだけどなぁ……)

 

 合法ロリの友人が若い燕を囲うというのもないとは言えないが、関係について口を開かないのならば、今解る情報から推察する必要がある。

 

 嘘を吐いているのでなければ彼の姓は須賀であり、三尋木の関係者ではない。口調には不思議な訛りがあった。標準語に近いイントネーションであるが、言葉の端々に微妙な高低を感じる。生まれた時から今まで、同じところに住んでいた訳ではなさそうだ。

 

 次に手を見る。麻雀タコのできた手は、毎日牌に触れている証拠だ。実力までは解らないが、咏と麻雀で繋がっている可能性が高まった。年齢差。はやりから見て3つ年下の咏は今年度で23歳。京太郎とは九歳差で、これは小学校でも行き会わない年齢差だ。一緒の期間同じ教室に通っていたという線は無視しても良さそうである。

 

 控え室にどうやって入ったか。

 

 ここに来るまでには警備員の前を通らなければならない。彼らは非常に職務に忠実で、関係のない人間は通すことはない。会場スタッフ以外に合法的に通過できるのは、協会の関係者かライセンスカードを持ったプロ雀士のみ。

 

 他には警備員に直接話を通す方法があるが、それには彼らを納得させるための要素が必要だ。プロの裁量で際限なく人を通すことになったら、モラルも何もあったものではない。どこかで制限をする必要があるのは当然で、警備員の前を突破するにはそれを曲げさせる強力な何かが必要になる。

 

 控え室にいる、ということは彼を招いたのは咏本人だろう。この業界においてトッププロの一人である咏の発言力は、本人が思っている以上に強いが、その権限をもってしても、どんな人間でもフリーパスとするにはまだ一歩足りない。後一押しである。自分が咏の立場だとしたら何を持たせるか……はやりの視線が、テーブルに動いた。そこには咏のライセンスカードがある。プロならば携帯していて当然のものを、あろうことか彼女は控え室に置いていった。

 

 つまりこの少年は、それだけ信頼に足るということである。咏の好感度はかなり高いと見た。自分と同じで浮いた話の全くない咏に、これだけ信頼されている男性。恋人だったら楽しいが、それならば誰かが雰囲気で察しているだろう。現状解る情報と、女の勘、それから京太郎の雰囲気から察するに――

 

「もしかして、咏ちゃんのお弟子さんかな?」

 

 何故それを!? と顔に出した正直者の少年のことが、はやりは好きになりかけていた。かわいい。マジかわいい。こんな子が弟子だったら、毎日きっと楽しいだろう。こんな面白い子を囲っていたのに教えてくれなかったなんて、これは咏には色々とお話を聞かせてもらわないといけない。

 

「ところで咏ちゃんは――」

「戻ったぜー、京太郎」

 

 話の途中、背後のドアが勢い良く開いて、咏が入ってくる。うきうき気分で戻ってた彼女の目に映ったのは、べそをかいた愛する弟子と、その弟子に最も会わせたくなかった同業者。しかもその距離は無駄に近い。邪推するなという方が無理な状況に、咏の感情は一瞬で沸点を突破した。

 

「てめぇ、人の弟子に何してんだ」

「何も。話しかけたら感激して泣いちゃったの。はやりのファンなんだって、かわいいよねー、京太郎くん」

 

 怒りのあまり絶句した咏の身体はワナワナと震えていた。京太郎が見たことがないくらいに、激怒している。悲鳴をあげて後退ろうとする京太郎を、咏の視線が捉えた。その奥にめらめらと燃える炎が見えた気がした。

 

「お前もお前だ京太郎! 私の控え室ででれでれしやがって。締まりがないのはこの口か!」

 

 おらー、と雄たけびを上げた咏が、京太郎の頬をぐいぐいと引っ張る。大人と子供のような身長差がある二人であるが、力関係は決定的だった。咏のやることにも京太郎はなすがままである。そんな二人の『じゃれあい』を、はやりは楽しそうに眺めていた。

 

「この子かわいいよねー。私にも貸してくれない?」

「バカ言ってんじゃねーっての。こいつは私の弟子だぜ?」

「じゃ、京太郎くんに聞いてみようかな。ねぇ、京太郎くん。私の弟子にもなってみない?」

 

 憧れのアイドルが夢のようなことを言っている。思わず泣いてしまうくらい、好きな人なのだ。その提案に京太郎はまた泣きそうになったが、その問いについては一瞬も逡巡しなかった。

 

「俺の師匠は咏さんだけです」

 

 京太郎としては本心をただありのままに言っただけだったが、彼以外の二人にとってその言葉は意外なものだった。二人はぽかんとした表情で京太郎を見たが、やがてどちらが勝者でどちらが敗者なのかを理解すると、咏は会心の笑みを浮かべ、はやりは信じられないといった風に愕然とした。

 

「聞いたかい、はやりん! いや、流石私の弟子だねぃ。師匠を立てるべき時を心得てる。まぁあれだ、ご愁傷様?」

「なんで? どうして? 咏ちゃんから離れてって訳じゃないよ? それでもだめ?」

「大変、大変勿体無い話なんですが……」

 

 教えてもらうことそのものは問題ない。これまでだって多くの人に世話になったし、教えてもらった。

 

 しかし弟子となると話は別だ。今も昔もこれからも、須賀京太郎の師匠は三尋木咏ただ一人であり、それ以外はない。憧れの人の申し出を拒絶するのは断腸の思いではあったが、これは京太郎が心の底から通したいと思っている筋である。

 

「…………男の子に振られるのって初めてだけど、こんなに心が痛いものなんだね。告白とか、したこともなかったけど」

「なんか、すいません」

「ううん、悪いのはそんな風に調教した咏ちゃんだから、京太郎くんは悪くないよ」

「負け犬が何か言ってるねぃ、知らんけど」

 

 煽りに煽る咏に、笑顔を続けるはやりにも苛立ちが見えるようになった。女の中で暮らしてきた京太郎は、女の怒気には敏感だ。はやりの表情からそろそろヤバいことを察するが、具体的な行動に移す間に、テンションをアゲた咏が勝手に地雷を踏み抜いた。

 

「――こうやって売れ残って、アラフォーになっていくのかねぃ」

「まだアラサーでもないよ! いくらお友達の咏ちゃんでも言って良いことと悪いことがあるんだからね! それに咏ちゃんだって後7年したら絶対30になるんだから!!」

「元はと言えば、お前が私の弟子に粉かけたのが原因だろ? 私のせいにすんな!」

「男の子独り占めなんてズルいよ! はやりだってたまには小学生より大きい男の子と、下心のない会話がしたいの!」

「そっちが下心丸出しじゃねーか!」

 

 弟子として若輩として、喧嘩の内容が外に漏れないよう、ドアがきちんと閉まっていることを確認する。かなりの声量で激論を交わしているが、この部屋の防音は大丈夫だろうか。

 

 当事者の一人として喧嘩を止めるべきなのだろうが、こういう時に手を出すとロクなことにならないと京太郎は経験で知っていた。自分に飛び火するだけならまだ良いが、大抵の場合は余計にエスカレートするのである。怒りの炎が静まるのを、京太郎はただ静かに待ち続けた。

 

 しかし、事態は京太郎が思ってもいなかった方向に転がる。

 

「こうなったら麻雀で勝負だよ!」

「おーし、受けてたってやるぜ」

 

 麻雀勝負を提案するはやりもはやりだが、それを受ける咏も咏だった。決着を付けずには収まらないという風の二人に、京太郎は慌てて駆け寄った。

 

「咏さん、後一時間と少しで決勝戦が始まるんですが……」

 

 その決勝戦というのは昼休憩を挟んで半荘を十回の長丁場だ。相手もそんじょそこらのへっぽこではなく、いずれも実力者たちばかり。そんな大事な戦いを前に、これまた実力の拮抗したはやりと全力で戦うことを、弟子としては勧める訳にはいかないのだが、京太郎の声のトーンには本気で止めようという勢いはなかった。

 

 ここにいるのは三尋木咏と、瑞原はやりである。トッププロが自分の前で、麻雀勝負をしようとしているのだ。これを見なければ、麻雀ファンではない。大会がどうしたとかアイドルがどうしたとか、そんなことは既に京太郎の中から消え去っていた。元より京太郎は、咏の性格を良く知っている。一度火がついた彼女が、弟子の諫言一つで止まるはずもない。

 

「なら、さっさと決めないといけないねぃ。東風戦で良いかい?」

「いいよー、今日こそ咏ちゃんを返り討ちにしてあげるから」

「ははは、アイドル雀士になんかにゃ負けないぜ?」

 

 麻雀打ちの控え室ということもあって、ここには最新型の全自動卓が用意されている。軽く触ってみたが、きちんと整備されている上に清掃まで行き届いていた。今さっき磨いたかのように、牌はぴっかぴかだ。これで道具に不足はなくなったが、後一つ。トッププロが決着を付けるために決定的に足りない物があることに、京太郎は気づいた。

 

「俺を入れても三人しかいないんですが、三麻をするんですか?」

「いやー、流石にそれは味気なくね?」

 

 京太郎も同意見だが、完全に個人的な勝負に呼ぶことのできる人間は限られている。それにここは関係者以外立ち入り禁止のエリアだ。大事な決勝戦を前にこれから麻雀勝負をするからと言って、手を貸してくれる人間は少ないだろう。最悪三麻という手もないではないが、きっちりとした決着を望むのであれば、やはり四人揃える必要がある。

 

「京太郎、ドアを開けて来い。最初にここを通りかかった奴を捕まえて、卓に着かせよう」

「ここの部屋突き当たりですよね? それに関係者巻き込んで大丈夫ですか?」

「お前が思ってる以上に、この業界は麻雀バカばっかりなんだぜ。トラブルを麻雀で解決するから、その卓に着いてくれって言やぁ、喜んで座るさ」

「そんな大人の事情は知りたくなかった……」

 

 楽天的な咏をしてバカばっかりというのは、不安になる新情報であるがともあれ、確保さえすれば卓が立つというのならば、主役ではない京太郎には何も異論はない。今優先すべきはこの好カードを問題なく成立させることだった。須賀京太郎。彼も立派な、麻雀バカの一人である。

 

 そんなバカ三人の熱意が麻雀の神に通じたのか、程なくして三人の耳に足音が聞えてきた。気分はまるで狩人である。足音が近くなってくると、三人は顔を見合わせた。3、2、1――

 

『確保ーっ!!』

 

 一斉に控え室から飛び出し、相手の顔も確認せずに引っ張り込み、しっかりと扉を閉める。

 

「わ! なに!? 人攫い!?」

 

 成す術もなく巻き込まれた幸薄い人が何か言っているが、ともかくこれで面子が集まった。後は勝負を始めるだけである。悪事が成功したことに三人はそっと胸を撫で下ろしていると、何も事情も知らされていないその人物が顔を挙げ――その顔を見た三人は揃って絶句した。

 

「咏ちゃんにはやりちゃん? どうしたの? 何があったの?」

 

 確かに見た目の印象はそこはかとなく幸が薄い。ともかく目立つ咏やはやりと並ぶとその地味さが更に際立つ顔立ちであるが、この人の顔を知らない麻雀打ちなど一人もいない。

 

 名前は小鍛治健夜。

 

 二つ名は『全冠(グランドマスター)』。元世界ランキング二位にして、国内無敗。史上最強の呼び声高い正真正銘の怪物がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 




本作ではアラサーを27歳以上33以下として処理しています。
26歳のはやりんはギリギリ対象外です。


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40 中学生二年 三強激突編③

「あ~、びっくりした。もう、こういう悪戯やめてよね」

 

 史上最高の雀士は、妙に所帯じみた仕草で服の埃を払って立ち上がった。グランドマスターは思っていたよりも小さく、京太郎の目から見て頭半分ほど小さい。

 

「それで、どうしてこんなことしたの? はやりちゃんは別の場所でお仕事だった気がするけど」

 

 健夜の視線に、咏とはやりは押し黙った。はやりは健夜と同級生でインターハイでも戦った仲であるが、高卒でプロになった健夜の方がデビューは四年ほど早く先輩である。咏も高卒プロであるが、健夜やはやりよりも3つ年下で後輩だ。

 

 この場で最も立場が上の健夜であるが、年齢とかそういうものは彼女に対する敬意にはあまり関係がない。それ程までに、彼女の戦歴は比類のないものだった。どんなプロでも、小鍛治健夜に対しては敬意を払う。咏もはやりも麻雀プロの中では一目置かれる存在であるが、健夜は別格だ。何より京太郎のことについては、関わってほしくはない。一瞬の視線の交錯で、咏とはやりの心は一つになった。何とかやり過ごそう。だがそのために二人が行動するよりも早く、京太郎が口を開いた。

 

「すいません、何か麻雀で白黒つけるってことになって、誰でも良いからって面子を探してたんです」

 

 その言葉に、咏とはやりは天を仰いだ。二人のその仕草に、京太郎はすぐに自分が失敗をしたのだと悟る。ばつの悪い顔をする京太郎を他所に、健夜の視線が咏とはやりに向く。

 

 咏は今日、この会場で行われる大会の決勝戦に出る。試合前のプロは普通、神経質になるものだ。集中力を高めるために、一人になりたいという人間もいる。会場スタッフは元より、参加しないプロは当然、参加するプロに配慮をするものだ。それはプロとしての礼儀である。試合の前に調整をする人間もいるが『白黒つける』という表現は穏やかではなかった。スパーのようなものとはとても思えないが、仮にそうであったとしてもトッププロの一角であるはやりがその相手に相応しいとは思えない。

 

 咏が口の動きで『バカヤロー』と伝えてくる。自分が原因で師匠と憧れの人が史上最強の雀士に怒られそうになっているこの状況に、京太郎の心も痛んだ。何かフォローできないかと必死に頭を働かせるが、この年齢にしては頭の回転が早い京太郎が上手い方法を考え付くよりも早く、はやりは決断を下した。牌のお姉さんを襲名しているはやりは、教育者の端くれである。年端も行かない子供の前で、その子供を巻き込んで嘘を吐いて誤魔化そうとしたのだ。自分を恥じたはやりは、素直に咏と健夜に頭を下げた。

 

「ごめんね、咏ちゃん。はやりも少しムキになっちゃって……」

 

 友人の素直で殊勝な態度に、健夜もうんうんと満足そうに頷いていたが、謝罪を受けたはずの咏は僅かに渋面を作った。はやりの謝罪は本心からのものだろうが、両者同意のことで片方だけがつるし上げを食らうのは、咏の考えでは収支が合わない。

 

 ムカつくことも多々あるが、はやりも根は良い奴なのだ。忙しい合間を縫って態々激励に来てもらったという負い目もある。健夜に対し二人でごめんなさいをするのは当然のことだ。この借りは今すぐにでも返さなければならない。はやりの謝罪は自分を庇うためのものだということは理解していたが、言わずにはいられなかったのだ。

 

「いや、私の方こそすまなかったねぃ。態々来てもらったのにこんなことになっちまって。久しぶりにこいつの顔を見たせいかな。ガラにもなくはしゃいじまった」

「そう言えば、この子誰? 二人の親戚じゃないよね?」

「そいつは須賀京太郎って言ってねぃ。私の弟子さ」

「弟子!?」

 

 咏の言葉に健夜は目を剥いて驚きの声を挙げた。球団ならぬ雀団にプロが所属するようになって以来、この業界で師弟関係というのは珍しいものになった。そんなものを結ばなくても先輩は後輩の面倒を見るし、チームにはコーチもいる。だがそれも、お互いがプロであるという前提あってのものだ。現役のプロがアマチュアを弟子にするなど、少なくとも健夜は耳にしたことがない。

 

「いつから?」

「六年前かねぃ。私は高二でこいつは小学生だったよ。うちの高校が地元の子供向けに教室みたいなもんを開放してさ。そこでトリプル役満を直撃させた縁で今も面倒を見てるんだけどねぃ」

 

 健夜とはやりは顔を見合わせた。二人が思ったことは、一つである。

 

『小学生に?』

「こいつが当たり牌を出したんだからしかたねーだろ?」

 

 そうは言いつつも、咏はそれが苦しい言い訳であることを理解していた。しょうがないというのは、あくまでもやった側の言い分である。麻雀バカで特殊な精神構造をしている京太郎だから弟子にしてくれという流れになったが、ごく普通の小学生が相手ならば大泣きして麻雀を嫌いになっていてもおかしくはない。もっとも、京太郎であるからこそあのトリプル役満も出たのだがそれはともかく、インターハイ個人戦を制した当時最強の女子高生が小学生にトリプル役満直撃である。誰がどう見ても、オーバーキルだ。

 

「とにかくそんなこんなで、たまにはこいつに良い思いをさせてやろうと思って呼んだのさ。ここなら、大スクリーンもあるし邪魔も入らないしねぃ」

 

 プロの控え室には、観戦用の大スクリーンも常備されている。これから戦うプロには必要ないが、マネージャーなど選手の関係者が控え室に残る場合に使用する。観戦室にあるスクリーンよりは流石に小ぶりだが、少人数で観戦することを考えれば贅沢すぎる環境と言えるだろう。

 

「大事にしてるんだね」

「まぁね。私からすりゃあ初めてで、たった一人の弟子だからねぃ」

 

 心温まる言葉であるが、咏の目は温かいどころではなく熱すぎる程だった。はやりを見る彼女の目には『手を出したらタダじゃおかない』という威嚇の念が込められていた。普通の雀士ならばすぐにでも逃げ出す威圧感が込められていたが、はやりもトップ雀士の一人でありアイドル雀士の世界を生き抜いた豪の者である。その精神力は並ではなかった。咏の視線にも、びくともしない。

 

 全く効いた様子のないはやりに、咏は早々に視線を逸らした。元より一睨みでどうにかなるような相手ならば、そもそもこんな状況にはなっていない。はやりとは時間をかけてゆっくりお話する必要がある。そのためにも、今はこの状況を乗り越えることだ。

 

「そんな訳で、弟子に師匠は強いんだぜってとこを見せたくなったのさ。はやりんを華麗にぶっとばせたらそりゃあ、弟子も惚れ直すってもんだろ?」

「それはそうだと思うけど……」

 

 プロとしての倫理を持ち出すならば健夜もここでイエスと言えないのだが、人情としての話ならば頷ける。健夜に弟子はいないしいたこともないが、誰かにかっこつけたいという欲は誰しもが持っているものだ。魔物とか人外とかよく言われる健夜であるが、心根は別に鬼ではない。あの咏が弟子のためにと言っているのだ。力になってあげたいと思うのが、人情である。

 

 健夜の表情から大分こちらに傾いてきたことを悟った咏は、横目で京太郎を見た。このまま卓を囲めることになるかもしれないが、最後の一人が健夜だった場合、勝負が成立しない可能性がとてつもなく高いことを、咏と京太郎は理解していた。運が放出できる許容量を超えた場合、過去の例から鑑みるにその場で気絶することになるだろう。小鍛治健夜、三尋木咏、瑞原はやりと一緒に卓を囲めるのである。雀士ならば一度は夢見る光景であるが、京太郎の体質はその勝負を楽しむことを許してくれそうになかった。

 

 勝負が成立しないのならば、意味はないのではないか。京太郎はそんな風に考えていたが、咏は別のことを考えていた。京太郎の存在を知られてしまった以上、もう隠すものはない。使えるものは使えるだけ使って、京太郎の糧にする。幸い、はやりも健夜もトッププロである。咏一人では思いつかない指導方法を考えてくれる可能性は大いに合った。無論のこと、須賀京太郎の唯一の師匠であるという自負がある咏にとって、他の人間の手を借りることに思うところがない訳ではない。

 

 しかし、師匠は弟子のことを最優先に考えるべきだ。京太郎が一歩でも前に進めるのならば、そのために手を尽くすのは当然のことである。子供の頃からはやりに憧れていたことは咏もよく知っている。容姿に優れ、微笑みを振りまくことができ、おもちもあって麻雀も強い。京太郎からすればまさに理想の存在であるが、そのはやりを前に彼は一瞬の躊躇いもなく師匠は三尋木咏一人であると言ってくれた。

 

 嬉しいことを言ってくれた弟子に、何か報いてやりたくなったのだ。この先この二人が障害になったとしても、その時はその時だ。師匠パワーで焼きつくしてやれば、何も問題はない。

 

「そんなわけでさ、面子が一人足りないんだ。私を助けると思って健夜さん、この四人で卓を囲んでもらえないかい? なに、時間は絶対に取らせないからさ」

 

 改めての咏の提案に、健夜は腕を組んで唸り声を挙げた。ここまで言われたら、手伝ってあげたい気もする。後進を導くのは先達の役目であるし、このお弟子さんはまだ中学生だと言う。せっかくこっそりとこんな所まで来たのだ。良い思い出があった方が、楽しいというものだ。

 

 ファンサービスもプロの仕事である。咏がお願いをし、はやりを見れば彼女も乗り気には違いない。

 

 そして、事の成り行きをきらきらした瞳で見守っていた京太郎を見て、健夜は自分の主張を曲げることにした。あの咏が目をかけている弟子の腕がどれ程のものなのか、気にならないと言えば嘘になる。そもそも麻雀に触れるのが遅かった健夜などの例外はあるが、基本的に後にインターハイで大暴れするような選手は小学生、中学生の時から頭角を現しているものだ。小学生の時から咏の教えを受けている中学生ならば、雀士としてはある程度完成していると言っても良い。咏の弟子がどの程度の腕なのか、プロ雀士の一人として、健夜は大いに興味があった。

 

「じゃ、咏ちゃんもはやりちゃんも忙しそうだし、ぱぱっとやっちゃおうか? 東風戦で良いんだよね?」

 

 アマチュアが一人入っていても、残り三人はプロである。やると決まれば進行は早い。あっという間に席順は決まった。京太郎から見て、正面に健夜、上家に咏、下家にははやりである。麻雀ファンならば夢に見るような光景だ。こんな機会を作ってくれた咏に感謝しつつも、夢の時間はこの辺で終わることを、京太郎は誰よりも理解していた。サイコロが回り、健夜に出親が決まった段階で、京太郎は凄まじい息苦しさを覚えるようになった。

 

 咏とはやりは当然だが、それ以上に健夜に急速に運を吸われていく。最強の神を降ろした時の小蒔と比べても、圧倒的に強い。咏とはやりを足してもまだ足りない、とてつもない豪運だ。咏は事情を知っているが、健夜とはやりはそうではない。トッププロともなれば、運気の流れを感じ取ることができる。修羅場だって何度も潜った彼女らは自分の運がかつてない程に高まっていることに驚き、そしてすぐにその原因である京太郎に驚きの視線を向けた。

 

 流石に鋭い。仕込んでおいた悪戯が成功した時のような心地良さを抱きながら、京太郎は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 配牌を開けるよりも先に、京太郎は意識を失った。相対弱運を初めて味わう健夜とはやりはいきなりの展開に絶句していたが、健夜の参戦からこの展開を予見していた咏は、訳知り顔である。

 

「こういう奴なんだよ。レアな体質だろ?」

「……初めて見たよ。これなに? 自分の運を削って、他人に分けてるの?」

「分けてるって言うか、撒き散らしてるって感じかねぃ。上手くできてるもんで、運を撒き散らしすぎて命に関わるような展開になると、気を失うのさ。こんな風にね」

「一定の運を分けてる訳じゃないよね? もしかして相手によって分ける運量が違ったりする?」

「さっすがはやりん。インテリは話が早くて助かるよ」

 

 からから、と笑った咏は口を覆うようにして扇子を広げる。

 

「私達は『相対弱運』って呼んでる。色々検証しては見たが、概要は読んで字のごとく相手の運量に応じて相対的に京太郎自身の運が変動するってもんだ。運が太い奴には強く、運が細い奴には弱く。そして運がすげー太い奴には――」

 

 咏の手が伸び、健夜の手を開けた。

 

 

 東東南南西西北北白白發發中 中

 

 

「――すげー強くって寸法だね。いや、高校生の時の私はトリプル役満直撃だったけど、手ができるまでに三順かかった。でも健夜さんクラスになると、こうなるんだねぃ」

 

 知らんけど、とおどけた雰囲気で咏は話を結んだが、京太郎の能力と史上最強の雀士の運が合体するとここまで凶悪になるのかと内心では戦慄していた。健夜が京太郎とコンビを組み、出親を引いたらその瞬間にゲームが終わる。麻雀というゲームの存続のためにも、咏は京太郎と健夜を絶対に組ませないことを心に決めた。

 

「この能力ってオンオフはできないのかな」

「運が作用するゲームをする時は、常にオンだねぃ。試してはみたが任意にオフにはできないみたいだ。麻雀が一番強く効果がでるけど、他のゲームでも似たようなことになった。賭け事全般に弱いんだね。前世でよっぽど痛い目を見たんだろ」

「これで麻雀を続けられるって、凄い精神力だね……」

「本当に麻雀が好きなんだよ。私の知ってる限りじゃ、こいつが一番だね」

 

 大体のプロは麻雀を愛しているが、それはその本人が才能に恵まれ高い能力を持ちそのゲームに勝てるという要因があるからだ。そうではない、というプロも大勢いるだろうが、決して無視できる要因ではない。勝てないゲームに情熱を注ぎ続けることは、容易なことではない。勝ち続けた人間だからこそ、プロたちは良く知っている。そういう人間たちを叩き潰した結果、プロはプロになった。特に健夜は、自分に負けた人間が牌を置く様を何度も見てきた。

 

 圧倒的な力を持った人間を前に、多少の自信などあってないようなものだ。勝てないということが、負け続けるということがどういうことなのか。勝負に真摯に打ち込む人間こそ、それを良く知っている。麻雀を愛しているのならば、精神的なダメージも半端なものではない。京太郎は咏も認める愛情の深さを持って臨む麻雀に、ハンデを背負って立ち向かっている。心が折れていないのは、はっきり言って異常だ。

 

「ここまで心が強い子、久しぶりに見たよ。これも咏ちゃんの指導の成果?」

「いや、こいつは最初からこうだったよ。私が教えられたのは技術だけさ。それにしても物覚えは良すぎるくらいなんだが……」

 

 文句のような言葉を言いながら、咏はカバンの中からファイルを取り出す。大会で優勝した後、食事でもしながら京太郎に指導をするために家から持ってきたものだ。自分以外に使う人間のいないはずのものを、咏は躊躇いなく健夜に渡した。

 

「これ……大事なものなんじゃないの?」

「自分の師匠は三尋木咏だけとまで言ってくれたんだ。これで何もしなかったら女が廃るってもんだろ?」

 

 男が最大限の信頼を示したのだ。ならば女が示すのは、度量の広さである。指導する相手として、この二人は申し分ない。特に防御に優れたはやりは、京太郎とタイプが近い。憧れの人を近くに置く機会を増やすのは不安ではあるが、本人を前に申し出を拒否できたのだ。多少迫られたくらいで気持ちを傾けたりはしないだろう。ぐらついた時はその時だ。背中の一つも蹴飛ばしてやれば、正気に戻るだろう。

 

「私、本人に断られたばかりでちょっと傷ついてるんだけどなぁ」

「それくらいでへそ曲げるような心の狭い人間じゃないだろ? 頼むよ、牌のお姉さん」

 

 恨みがましく言ってみても、咏はへらへら笑って取り合わない。先程の京太郎の言葉が自信に繋がっているのだ。ちょっとやそっとの揺さぶりで、この自信は揺るぎそうにないとはやりは直感した。こういう状態になった女性というのはとても強い。

 

「解ったよ。他でもない咏ちゃんの頼みだもんね」

「よろしく。まぁ、師匠は私だけだけど」

 

 咏の挑発にはやりの額にも青筋が浮かんだ。正直ちくしょうと思ったが、それを口にはしなかった。京太郎が咏だけだと言った直後に、突っかかったのではただの負け犬である。彼はまだ中学生だ。時間はまだたっぷりあるのだから、まだ慌てるような時間ではない。

 

 ふふふ、と火花を散らして見詰め合う友人二人に、健夜はこっそりと溜息を吐いた。こういう経験がないからだろう。修羅場の雰囲気というのは苦手なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はやりん!!」

 

 意識が戻るのとほとんど同時に京太郎は飛び起きた。覚醒した意識で最初に考えたのは、何よりもはやりのことだった。昔からの憧れの人である。せっかく出会えたのだ。少しは交流を深めたいと思うのは、男として当然のことだった。

 

 しかし、憧れの人は部屋の中にはいなかった。この世で最も敬愛する師匠も同様である。京太郎以外に部屋の中にいたのは、一人だけだった。

 

「あ、気がついた? 良かった」

 

 京太郎が横になっていたソファの近くで、健夜は暢気にお茶を啜っていた。史上最強の雀士、『全冠(グランドマスター)』の小鍛治健夜である。凄まじい実力を持っているにしては、雰囲気が普通過ぎる。強い雀士には多かれ少なかれ強者の雰囲気があるものだが、眼前の健夜にはそれがほとんど感じられなかった。

 

「咏さんとはやりさんは?」

「咏ちゃんは決勝戦。次に戻ってくるのは二半荘後だね。はやりちゃんはお仕事に行ったよ。京太郎くんによろしくだって」

 

 はいこれ、と健夜が差し出したのは一枚の名刺だった。かわいらしい字体で瑞原はやりと書かれた紙の裏には、これまたかわいらしい丸文字で電話番号とアドレスが書いてあった。

 

「表のが仕事用、裏のがプライベート用。表のにかけないようにね? マネージャーさんしか出ないから」

「こっちに電話した人はがっかりするでしょうね……」

 

 アイドルが出てくれると思って喜んで電話したら、事務的なマネージャーが出るのだ。そのショックは計り知れない。その点、こちらの電話番号は話を聞く限り本物だ。そんな都合の良いことが自分にあって良いのだろうか。緊張している京太郎を他所に、健夜も名刺を差し出してくる。

 

「そうすると、京太郎くんはラッキーだね。はい。はやりちゃんの後だと渡し難いけど、これは私の」

「――いいんですか?」

「咏ちゃんにお願いされたからね。本当、京太郎くんは咏ちゃんに気に入られてるよ」

 

 健夜は苦笑を浮かべてスクリーンに向き直った。既にセッティングは済んでいる。画面の表示を見れば、1半荘目。咏の大量リードでオーラスである。これだけのリードがあれば咏ならば負けることはないだろう。咏以外の面子には既に諦めの雰囲気すら漂っていた。京太郎の目から見ても、今日の咏は圧倒的である。

 

「幸先が良いですね」

「相手の三人には悪いけど、この面子なら咏ちゃんが勝つんじゃないかな。調子が悪かったり気も漫ろっていうならアレだけど、京太郎くんがいるからかな、咏ちゃん絶好調だよ」

 

 それは京太郎にも解った。咏は気持ちが牌に乗るタイプだ。気持ちが凪のように落ち着いている時よりも、気持ちが高ぶっていたり機嫌が良い時の方が牌は集まり打点が高くなる。それにより気持ちが更に高ぶり、更に火力が増すのだ。こうなるともう手がつけられない。咏はその状態の、一歩手前にいるように見えた。もはや誰にも止めることはできない。

 

 残りまだ9半荘もある。これが消化試合になるとしたら、残りの面子には気の毒だった。

 

「それから、京太郎君が気絶してる間に咏ちゃんからこれを預かったよ」

 

 健夜が掲げたファイルには、京太郎も見覚えがあった。咏が指導の時に使っているファイルで、そこには京太郎の牌譜が保存されているはずである。師匠である咏は、京太郎が使っているネット麻雀のアカウントに自由にアクセスできるようにパスワードを教えてある。自由に牌譜や成績を閲覧できるようにするためだ。指導をする時はその牌譜をプリントアウトしたものを使っている。ノートパソコンでもあれば済む話だが、こういう時の咏はアナログ派なのだ。

 

「咏ちゃんから京太郎くんの指導について意見を求められたの。その時一緒にこれを預かったよ。これを見た範囲で良ければ助言もできるけど、聞いてくれる?」

「是非お願いします」

 

 史上最強の雀士の助言である。聞かない訳にはいかない。咏の試合は二半荘目が始まっていたが、既に無双が始まっていた。弟子としては見ておくべきなのだろうが、ほとんど勝ちが決まってる咏の試合よりも、今は健夜の指導である。後でバレたら怒られそうではあるが、自分で指導の助言を頼んだのならば蹴りを入れるくらいで許してくれるはずである。

 

 一言も聞き漏らすまいと居住まいを正した京太郎の前に、健夜はファイルに視線を落とした。

 

「じゃあ言うけど……基礎はばっちりだね。状況把握とか場の読みとかは、高校生のトップクラスと比べても遜色ないと思う。中学生で継続的にここまでできるなら、十分じゃないかな」

 

 プロである健夜の目から見ても、京太郎の対応は卒がなさ過ぎる。中学生という年齢を考えれば破格の能力と言えるだろうが、それでも勝利には繋がっていないのだから不憫というより他はない。

 

 しかし、負けないという一点においてはかなりの物を持っている。オカルトが通じ難いネット麻雀でもトップ率は二割に届こうかというくらいだが、ラス率は驚くほど少なく5%にも満たない。その脅威のラス率の少なさは放銃の少なさに依る。放銃するのは20半荘に一回。異常なまでの防御率の高さである。

 

 火力でゴリゴリ削るタイプの咏の弟子というよりは、はやりの弟子と言われた方がまだしっくりくる。師匠である咏はよりそのことを自覚していただろう。彼女ははやりと戦ったことがあり、更に自分が京太郎とは違うタイプであると良く知っている。更に、京太郎は誰に聞かれても好みの女性は瑞原はやりだと答えていたという。愛する弟子からはやりの方が良いと言われてしまったら、それはそれはショックを受けたことだろう。咏が京太郎をはやりに会わせたくなかったのも頷ける。

 

 だが京太郎は憧れの人を前にして、彼女ではなく師匠の咏を選んだ。それが咏の自信に繋がったのだろう。今ではこうして健夜まで、師匠の真似事をしている。自分にそんな機会が訪れると思ったこともなかった健夜は、この新鮮な感覚に少しだけ胸を躍らせていた。後進を導けるというのは、悪いものではない。

 

 京太郎のやり方はこぎれいに纏まっているが、若さ故かまだ見えていないものもある。普通は中学生にそこまで求めないものだが、事実としてこれだけのことができる人間ならば話は別だ。既に基礎は備わっているものとして、プロの後輩にするような指導を健夜は行った。牌譜から見える問題点を一つずつ取り上げ、懇切丁寧に説明していく。

 

 史上最強の雀士である健夜が、真面目に理論を語っていることに京太郎は驚いていた。

 

 プロなのだから理論は修めていて当然のものであるが、圧倒的な豪運を前に理論が齎す利点というのはほとんど誤差のようなものだ。麻雀というのは運が大きく作用するゲームである。その運の要素を埋めるために、多くの雀士は理論を学んで実践していく訳だが、運の高さが常に発揮されるのであれば理論は疎かになっていくものだ。衣が実力の高さの割りに、麻雀の理屈についてはさっぱりなのはそういう面も大きい。

 

 この世で最も理論が必要ない人間と言えるが、健夜は京太郎が話したことがある人間の中で、最も理論に精通していた。

 

「そんなところかな。何か質問はある?」

「これから俺は何をしたら良いんでしょうか」

「このまま勉強を続けるのが良いと思うよ。オカルトについては、専門外だから良く解らないけど治る見込みはないんだよね?」

「専門家の話では、これでも相当弱くなってるらしいんですが……」

 

 霧島でオカルトの修行をするならばいずれはコントロールをできるようになるかもとは言われているが、それには十年単位で時間がかかるとも言われている。そこまで時間はかけられないし、修行をしてやっぱりダメでしたでは話にならない。小蒔たちが強く勧めてこないのは、その可能性が高いからだろう。それならば、オカルトの修行に時間を割くよりも、能力と上手く付き合っていくほうが建設的というものだ。

 

「そう。オカルトの面倒を見てくれる人がいるなら、今後もその人に見てもらうのが良いと思う。私も一人心当たりがあるから、機会があれば紹介するよ」

「プロにもそういう人がいるんですか?」

「ううん、プロじゃないよ。私の先生」

「……小鍛治プロにも先生が?」

「私だって生まれた時からプロだった訳じゃないよ。京太郎くんたちと違って、麻雀に触れたのは遅かったけど、色々と指導してくれた人はいたよ。熊倉先生はその一人」

「どんな人なんですか? その、熊倉先生」

「優しい人だよ。ちゃんと私のことを見てくれて、色々と教えてくれた。私がまだ麻雀を続けてられるのは、その人のおかげかな」

 

 先生のことを語る健夜の目は、非常に穏やかなものだった。プロにあっても師弟関係というのは特別なものなのだ。あの健夜の先生ならばもう少し有名になっていても良さそうなものだが、京太郎は今までそんな存在を聞いたことはなかった。きっと、知る人ぞ知る人なのだろう。後で咏にでも聞いてみよう。

 

「後はそうだね。京太郎くんの場合ツモることに期待はできないから相手の余り牌を狙い撃つことになると思うんだけど、知り合いにそういうのが得意な人がいたら、コツとか教わっておくと良いかも」

 

 そんな都合の良い技術を持った人間が……と笑おうとした京太郎だが、脳裏に一人昔なじみの顔が浮かんだ。プロを除けば狙い撃つという技術に最も長けているのは彼女であり、幸いなことに知らない仲ではない。おまけに共通の友人は、そのルームメイトだ。その昔なじみ――リンちゃんこと弘世菫は、今でも連絡を取っている非常に仲の良い友人だが、狙い撃ちは彼女の麻雀の正に肝である。

 

 教えてくれと言って素直に教えてくれるとは思えなかった。菫の交友関係を全て知っている訳ではないが、おそらく彼女の男性の知り合いの中では、一番――とは言えなくとも、仲の良い方だと思う。それでも、解らない。菫は姉御肌で男前な性格をしているが、麻雀という勝負の世界に生きている人間だ。狙い撃つならばその仕組みは生命線と言っても良い。仲が良いからと教えてくれるか、と京太郎は考えたが京太郎のその反応を見て健夜は逆に脈アリと判断した。

 

「いるみたいだね。その人は男子? 女子?」

「女子です。二つ年上で、西東京の白糸台に通ってる――」

「白糸台なら弘世菫さんかな? 宮永照さんのルームメイトで、SSSでおなじみの」

「SSS? というのは初めて聞きましたが、二つ名ですか?」

「麻雀記者の人が言ってたよ。白糸台のシャープシューターの略だって」

 

 あー、と京太郎の口から思わず声が漏れた。元の二つ名でも少しアレなのに、アルファベット三文字は相当に痛い。菫の性格では到底受け入れられるものではないだろ

う。これは次に会った時にからかい倒してやらねば、と京太郎は決意を固めた。

 

「……前から思ってましたけど、二つ名ってどうやって決まるんでしょうね」

「皆が勝手に色々言い出して、一番通りの良いものが最終的に残る感じかな。最近は一つだけになる人が多いけど、昔は三つも四つも二つ名を持ってるプロが大勢いたみたいだよ」

「ちなみにグランドマスターというのはいつ決まったんです?」

「九冠達成した時だったかな。それまでは皆好き勝手に呼んでたのに、あの日から突然皆してグランドマスターって言うようになったんだよ。ほんと困っちゃったよ。私がグランドマスターなんて柄に見える?」

 

 見える、とは言えなかった。麻雀の成績こそ華々しいが、麻雀をしていない時の彼女ははっきり言うと地味で華がない。先ほどまで一緒にいたはやりや咏とは真逆の存在である。成績に比べると、健夜の露出はとても少ない。その華のなさも起因しているのだろうが、健夜にそれを気にしている素振りはない。こういう立場が肌にあっているのだろう。淡々と資料を見下ろす健夜の顔は、麻雀をしている時よりも活き活きしているように見えた。

 

「京太郎くんも、おかしな二つ名とか付けられたら私の気持ちが解ると思うよ」

「いやぁ、俺の腕ではそんな機会はないんじゃないかと」

「解らないよ? 高校生の時から二つ名を持ってる人だっているからね。京太郎くんのオカルトは特徴的だから、誰かつけてくれるかも」

「派手な二つ名とか付けられたら、SSSさんにからかわれそうで今から憂鬱です」

「良かったね。二つ名を付けられる苦労が解るよ」

 

 ふふふ、と楽しそうに笑う健夜の背後、スクリーンの中で咏が倍満を直撃させて一人を飛ばした。二半荘目が終了。この時点で五万点以上のリードである。これからインターバルで一度ここに戻ってくるだろう。

 

 祝杯が必要だ。浮かれて戻ってくるだろう咏のために、京太郎はお茶の準備を始めた。

 

 

 

 

 



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41 中学生三年 小瀬川さんちと旅行編

1、

 

「シロ、旅行に行くわよ」

「ダルい」

 

 愛する娘に会心の提案を三文字で拒否されたことに、希望は苦笑を浮かべた。

 

 それにしても便利な言葉だ。もはや白望の口癖と化している単語であるが、これ一つで『自分はその提案にとても乗り気ではない』ということと、『その提案には全くもって賛成できません』という意図の二つを込めることができる。

 

 もっとも、希望は母親としての直感で娘がそこまで深く物を考えていないことを看破していた。少しでも気が向かなければ、脊椎反射でダルいと返している気さえする。家族旅行を少しも検討に値しないと言われているようで少し悲しいが、そこはお腹を痛めて産み育て、その成長を見守ってきた母親である。ダルダル言う白望を一瞬でやる気にさせる『魔法の言葉』を、希望は口にした。

 

「晶ちゃんと旅行なんだけど、京太郎くんも一緒よ。白望が来るならだけど」

 

 須賀京太郎。白望を一発でヤル気にさせる魔法の言葉だ。案の定、ベッドでダルダルしていた白望は、その名前を聞くやむくりと起き上がった。世間一般の基準で言えば大分緩慢な動きであるが、白望にしては大分素早い。何しろベッドでごろごろしている時に起き上がったのだ。それだけで、この『魔法の言葉』がどれくらい特別なのか伺える。

 

「京太郎、来るの?」

「白望が来るならね。行く?」

「…………行く」

 

 あっさりと前言を翻した愛する娘に、希望は満面の笑みを浮かべた。白望は本物の面倒臭がりだが、情が薄い訳でも物に執着しない訳でもない。小学生の時から始めた麻雀は高校生になった今も続けている。面子が三人しか集まらないにも関わらずだ。友達は決して多い方ではないが、親友と呼べる人間が二人もいる。単純に新しく物を始めたり新しい関係を築くのが面倒くさいだけかもしれないが、それはさておき。

 

 ダルいが口癖の白望はとにかく、できる限り物事を他人にやらせようとする。

 

 しかし誰にも彼にも押し付ける訳ではない。物を頼む相手には白望なりの拘りがあった。彼女が物を頼むのは信頼している人間だけで、そうでない人間には見向きもしない。更に身体に触れさせてまで何かさせるのは、その中でも相当に信頼している人間に限る。それは希望の知る限り家族以外では三人しかおらず、男性でそこまでの域に達しているのは京太郎ただ一人である。トイレ以外の頼みごとはほとんど頼んだことがあるだろうこの幼馴染の少年に、希望は一縷の望みをかけていた。

 

 母親としては、実に喜ばしいことだ。こんな面倒臭がりの娘が唯一懐いている男性である。これを逃したら、白望には一生男ができないかもしれない。一人娘の将来を憂う母親は、このチャンスをモノにしようと真剣だった。

 

「行き先は晶ちゃんと相談して決めるから、決まったら連絡するわね。あ、胡桃ちゃんや塞ちゃんには内緒にしておくのよ?」

「解ってる」

 

 躊躇いなく同意した白望に、希望は苦笑を浮かべた。あの二人は本当に良い子たちだが、『これ』についてはライバルである。知らせるにしても後からで良いだろう。

 

 白望ももう高校生。色々経験しておいても良い年頃だ。問題があるとすれば白望の二つ下という年齢であるが、互いの両親がOKを出していれば問題はないだろう。最悪籍を入れるのは後からでも良い。

 

 とにかく、白望を彼とくっつけるためには、何だかんだでモテる彼に相手ができる前に勝負を決めなければならない。今時最初の恋人とそのままゴールインなんて珍しいにも程があるが、彼くらい義理堅ければその可能性は十分にある。勝負をかけるならば、早い方が良いに決まっている。

 

 白望も自分の娘だけあって、素材は悪くない。話に聞いた京太郎の好みに白望は合致している。積極的に攻めることができれば、白望の実力ならば一日でも京太郎を落とせるのだが、一番大事な積極性が白望にはなかった。白望が京太郎を好いているのは間違いがないが、その攻め手はびっくりする程に緩い。最初は塞や胡桃に遠慮しているのかと思ったが、そうではない。これはこれで、白望の本気なのだ。

 

 くっつけようと努力している母親からすれば、見ていて実に歯痒い。背中を蹴飛ばしてやりたい思いに駆られたことは一度や二度ではないが、下手に炊きつけておかしなことになっては、もっと困る。幸いなことに、白望はこちらのお膳立てまで嫌う性質ではない。セッティングした場所に放り込めば、白望なりの積極性で京太郎に迫ることだろう。

 

 何か特別なことがあってくれれば良い。そう思って久しいが、京太郎との間に何か起こったという話はとんと聞かない。せめて彼が岩手に残ってくれていたらこうはならなかったのだろうが、その時はその時で塞や胡桃と修羅場っていたのだろうから、痛し痒しである。

 

 京太郎は今時珍しいくらい義理堅そうな少年だ。一度たらしこんでしまえばこっちのものである。この旅行で勝負が決まるよう、母親として全力でバックアップするつもりだったが、果たして上手くいくだろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、

 

「それじゃあ、シングル4部屋じゃなくてツイン2部屋だけど良い?」

 

 特に何も考えず、京太郎は母の提案に頷いた。

 

 二家族合同の家族旅行である。その割に母と子だけで父がいないということに世の不条理を感じずにはいられないが、それは元々母二人の旅行に子二人が無理矢理付き合わされたからだ。京太郎ももう中学三年生である。母親と旅行をして喜ぶ年でもないが、地方の美味しい料理が食べられると聞かされてはいても立ってもいられなかった。好きな物は麻雀と言って憚らない京太郎だが、美味しい物にもそれなりに魅力を感じるのである。

 

 その旅行だが、提案された時は母と二人で、というようなことを言っていた気がするのだが、旅行当日現地についた京太郎の前にいたのは小瀬川さんちの母娘だった。岩手に住んでいるはずの彼女らは『元々』一緒に旅行をする予定だったという。図られたと気づいたのは、この時だった。

 

 白望の母の希望は、京太郎の母である晶ととても仲が良い。何度も引越し、漸く長野に落ち着いた晶が、今も絶えず交流を持っているのが希望である。

 

 そしてこの二人は、ことあるごとに自分の子供たちをくっつけようとするのだ。それで白望が嫌悪感の一つも示してくれれば、話は簡単に流れるのだろうが、ダルいが口癖の彼女は母の行為に流されるままである。無気力を絵に描いたような白望であるが、昔から美少女ではあった。そんな美少女とお近づきになれる機会に、男としてときめかない訳ではなかったが、それが親の掌の上、というのは子供として面白くない。

 

 それで白望との関係に溝が生まれたりはしないが、どうにも、母親達の前で白望と仲良くすることには抵抗がある京太郎だった。

 

 しかし、それも京太郎個人の内面の問題で、特に白望には関係のないことだった。

 

 京太郎が一緒にいる時、白望は全てのことに手を抜いてしまう。特に今日は酷いように見えた。手を引かなければその場から一歩も動かないとでも言うように、今日はずっと京太郎の手を握っていた。その名前の通り真っ白な手に強く手を握られたことにどきどきしっぱなしである。母親達とは離れて歩いていたから、初々しいカップルとでも思われたのだろう。行く先々で向けられる生暖かい視線に耐えるのは、中学三年の男子には中々の苦行だった。

 

 飛行機で現地に移動し、美味しい物を食べ、観光地を巡るという初日の行程を終えてホテルについた時、京太郎はくたくたになっていた。二人並んでチェックインを済ませる母親二人の背中を見ながらベンチに崩れ落ちる京太郎の隣に、白望はちょこんと腰掛けている。距離が近い。京太郎よりも更に力を抜いた白望は、背もたれではなく京太郎の肩に頭を預けてきた。白望のふわふわの髪から、少女らしい良い匂いがした。疲れた身体にこれは毒である。

 

 もしかして解ってやっているのではないかと白望を見れば、彼女は何処を見ているのかわからない瞳でぼーっとしていた。要するに、いつも通りの表情である。旅先のホテルで若い男女が二人。もう少し年齢が高ければそういうことだと思われても仕方がないが、幸か不幸か誰が見ても初々しいと思える程度には、京太郎も白望も子供に見えた。それだけに、二人を見た人間にこれからのことを想像させて止まないのだが、歩き疲れていた京太郎はそんなことを気にもできなかった。

 

 明らかに気を抜いている京太郎を見て、母親二人はにやりと笑ったのだが、それにも気づかない。それでも何か不穏な気配を感じた。そんな気がした京太郎は視線を上げたが、その時には母親二人は普通の表情に戻っていた。

 

「二部屋チェックインしたわ。旅行の間はこの部屋割りだけど、別に構わないわよね?」

「了解」

 

 惰性で返事をしてはいけないと京太郎が思い知ったのは、二つ並んだ部屋の片方に母親二人が並んだ時だった。保護者が二人ともそちらに並ぶのだから当然、子供二人はもう一つの部屋の前に並ぶことになる。ハメられたと思った京太郎はまず白望を見たが、彼女はいつも通り落ち着いており、取り乱した様子はない。この部屋割りにも納得しているのだろう。白望が落ち着いているのはいつものことだが、その微細な表情の変化から京太郎は、彼女が事前にこの部屋割りを聞かされていたということを読み取っていた。

 

 流石にこれは抗議すべきだ。そう判断した京太郎が視線を戻した時には既に、晶は隣の部屋に消えていた。残った希望はにやにやと品のない笑みを浮かべ、京太郎に歩み寄ってくる。その表情からナニを言われるのか察しはついていた京太郎は、実に不景気な面で希望に歩み寄った。希望は京太郎の手にそっと鍵を握りこませると、耳に顔を寄せた。

 

 そのままシロに聞こえないように、耳元に顔を寄せる。

 

「親の私が言うのも何だけど、うちのシロ、結構優良物件だと思うのよね。顔もスタイルも良いし、やればできる子だし。子供の面倒をみれるか心配ではあるけど、責任感のある子だし、子供が生まれれば変わると思うのよ」

「どうして俺にそんな話を?」

「……もらってくれるなら、何しても良いから」

 

 じゃーねー、と希望は晶に続いて部屋に入り、扉を閉じた。後には呆然とした京太郎と、ぼーっとしたシロが残される。何をしても良いというのは、そのままの意味なのだろう。未成年二人を相手にそれで良いのかと思わないでもないが、母親が娘を前に言ったのだから、本当に言葉の通りなのだろう。

 

 何をしても良いという言葉の後である。シロを見る視線に邪な気持ちが入るのも、仕方がないと言えば仕方のないことだった。大きなおもちも全体的に柔らかそうな身体も、整った顔立ちにぼーっとした表情も全てが性的な意味で魅力的に思えた。

 

「何か俺達二人で一部屋みたいなんですが……」

「そうみたいだね。早く部屋に入ろう。立ったままはダルいから」

「いいんですか?」

「泊まりの時はいつもそうなんだから変わらないよ。京太郎の部屋か私の部屋だったのが、ホテルに変わっただけ」

 

 シロの声はいつものように落ち着いていた。

 

 母親同士が仲良しなこともあって、岩手から引っ越した後も互いの家を行き来したことはある。白望の家に泊まったこともあるし、逆に白望が泊まりにきたこともある。大体一年に一回くらいの頻度で、毎回一泊二日くらいの日程である。長野の家にも、もう二回は泊まりにきている。その時は互いの部屋に寝泊りするのが慣例で、シロが言っているのはそれと変わらないということだ。

 

 確かに母親が隣の部屋にいるのだからむしろ、お互いの部屋に泊まった時よりも距離は近いと言えるが、『ホテルの部屋に二人きり』というのが、京太郎には問題なのだ。白望はもう高校生だ。家族ぐるみで相手の家に泊まるのと、若い男女が一つの部屋に泊まることの違いが解らないはずもない。

 

「シロさんは良いんですか?」

 

 後から考えて、これを男の方から聞くのも最低の行為だと思ったが、口から出た言葉はなかったことにはできない。それに何も聞かずにいると、なし崩し的に全てを受け入れることになる。お互いがこれからどういうことが起こる可能性があるのか、その認識を共有することが大事なのだが、

 

「別に。京太郎なら良いよ。ダルくなさそうだし」

 

 シロはいつも通りの調子であっさりとOKを出した。母親の何をしても良いという言葉に、娘が同意した形である。見ているものは同じでも、思っていることには大きな隔たりがある。そんな彼女をどうやって説得したものだろう。頭一つは下にあるシロの顔を、京太郎は見る。

 

 ぼーっとしていることは多いが、それでも美人と他人に思わせるのだから、女性としての美しさは相当なものだ。スタイルは、希望が言っていた通り本当に素晴らしいものだ。自発的には全く運動をしないのに、その身体に余分な肉はほとんどない。それでいて、出るべきところはしっかり出ているシロの身体を見て、京太郎は思わず唾を飲み込んだ。

 

 きっとシロは昔と変わらない振る舞いを続けるのだろう。それはそれで嬉しくもあるが、男としては困るのだ。妹分である明星や同級生である春に迫られるのとは、全く違う。年上のシロが『そういうこと』を言い出したら、京太郎には断れる自信が全くなかった。

 

 救いがあるとすればシロが自発的に言い出す可能性が低いということくらいか。つまり京太郎が理性を保つことができれば、今回も何事もなく話は終わるのだが、京太郎にとってはそれが一番の問題だった。美少女と狭い部屋に二人きりである。何かあるかもと期待してしまうのが男だし、してみたいという気持ちはどうしたって消すことはできない。

 

 ノロノロと動くシロに続いて、京太郎も悶々とした気持ちで部屋に入った。これでベッドが一つとかであれば、母親たちに対して本気でストを起こしていただろうが、幸いなことにベッドは二つあった。ベッドを前に、更に悶々とする京太郎を他所に、白望はさっさと部屋を横切ってベッドにうつぶせになった。

 

「靴ぐらい脱ぎましょうよ……」

 

 声をかけても、シロは動きもしなかった。

 

 省エネモードに入ったシロは今度は仰向けになると、黙って足を京太郎に差し出した。その意図を察した京太郎は大きく溜息を吐くと、白望の足元に跪く。今日、白望が履いているのは履くのに難儀しそうなブーツである。洗練されたデザインではあるが、こんなダルい履物、白望一人では絶対に選ばないだろう。服装にも、希望の意図が見て取れる。白望以上に、あちらが本気なのだろう。何をしても良いという彼女の言葉に重みが増してくる。

 

 名前の通り、心配になるほどに白い白望の足と、スカートの中を見ないようにしながら、ブーツを脱がす。煩悩と戦いながら思い出したのは、胡桃のことだった。小さくてかわいい先輩はいつも『京太郎が一緒にいると、シロがダルがって何もしなくなる』とお世話をしようとする京太郎と白望の間に割って入ってきた。

 

 胡桃は現在身長130cm。流石にもう無理だろうと本人も思っているらしいが、習慣で毎日牛乳を飲み続けているという。小学生の時とほとんど変わっていないと言われても、ちゃんと身長が伸びた京太郎には微妙にぴんと来ないが、初美よりも小さく、衣よりも少し大きい程度と考えると、やはりとてもとても小さい。

 

「今日はどうします?」

「このまま寝る。ダルい」

「せめてシャワーくらい浴びた方が良いですよ。どっちが先に入りますか?」

「京太郎が先で良いよ。その方が手間がないし?」

「そうですか? 解りました。先にいただきますね」

 

 荷物から着替えを取り出し、シャワーに向かう間も、白望はベッドでごろごろしていた。女性と違い、男のシャワーはカラスの行水である。ぱっとシャワーを浴び終えた京太郎が部屋に戻ると、白望は全く同じ格好でベッドに寝転がっていた。

 

「シロさん、シャワー空きましたよ?」

「そ。それじゃあ、よろしく」

 

 はい、と差し出されたシロの手を握ってベッドから立ち上がらせると、彼女は京太郎の手を握ったままバスルームに向かおうとした。とっさに踏ん張って抵抗すると、シロのガラス球のような目が向けられた。

 

「何?」

「いや、何じゃなくて……俺がついていって何をするんですか」

「私のお世話。小学生の時はやってくれた」

「シロさん、今は高校生でしょう? 俺ももう中学生ですから無理です」

「岩手にいた頃膨らみ始めたおっぱいをガン見してた京太郎が、仏心で触らせてあげた私に対してそういうことを言うんだ……」

「それを今持ち出すのはズルいですよ!」

 

 触らせてあげたというか、気がついたら手を掴まれていたというのが正しいのだが。確かに夢のような感触だったが、それはその後、しばらく丁寧なお世話を続けるということで手打ちになったはずだった。当然、手打ちになったところまで含めて二人だけの秘密である。塞や胡桃にばれたら口も利いてもらえなくなってしまう程の酷いネタだが、白望に脅しに使うようなつもりはないようだった。

 

 それが殺し文句のつもりだったのだろう。それでも要求を呑まない京太郎に、白望は小さく嘆息した。それから目を細めて、じっと京太郎の目を見る。ついでにふんふん、と首元に顔を寄せて匂いをかぎ始めた。シャワーを浴びた直後である。何か匂いが残っているとも思えないが、白望の勘はこの時、物理法則を飛び越えた。

 

「――私の勘が、京太郎が最近、私と同じくらいの女子のお風呂の世話をしたといってるんだけど、どう?」

「そんな話ある訳ないじゃないですか……」

 

 一瞬の躊躇いもなく京太郎は否定したが、実はそんな訳大いにあった。

 

 一週間程前、衣に誘われて衣ハウスにお泊りしたのだ。一緒に食事を作り一緒に遊び、一緒に風呂に入って一緒のベッドで寝た。言葉にすればどこのラブラブカップルかという話だが、衣相手であるから煩悩はほとんどない。問題があるとすれば今回のお泊りには衣以外にもう一人、彼女の世話をするメイドさんが一緒だったのだが……それはまた別の話である。

 

 とにもかくにも、衣と白望では同じお世話でも意味合いが違う。白望はきっと何があっても気にしないだろうが、欲望のままに揉みに揉みあげたら、白望の顔も見れなくなってしまう。嘘を吐くのは心苦しいが、それをバラしたところで京太郎の立場が悪くなるだけで良いことはない。シロはそれでも疑っていたが、やがて諦めたのか、着替えの浴衣を持って立ち上がった。

 

「とりあえず、その言葉を信じるよ。出たらお世話よろしく」

 

 そうして、白望はのろのろとした足取りでシャワーに向かった。どうあってもお世話をさせたいらしい。シロが変わっていないことに嬉しくなりつつも、さてどうしたものかと京太郎は考えた。

 

 男の本能に従って答えるならば、是非お世話をしたい。シロは色々と柔らかそうだしおもちだし美人だし、良いことずくめだ。

 

 しかしここで男の欲望に正直になると、今後の人生の方向性は大きく決まってしまうことになる。性格的に白望自身は縛ってきたりはしないだろうが、希望は逃がしてはくれないだろうし、希望が逃がさないならば晶もそれに同調するに違いない。ここでおもちに負けると、京太郎に逃げ場はなかった。

 

「あがったよ」

 

 白望の声に恐る恐る振り返ると、予想に反して白望はきちんとホテルの浴衣を着ていた。最悪、裸かバスタオル一枚かと思っていたのだが、ある意味拍子抜けである。浴衣の白望は部屋を横切り、京太郎の横に背を向けて座った。うなじの白さに見とれていた京太郎だが、その行動の意味は解った。

 

 洗面所からドライヤーを持ち出し、櫛は白望のポーチの中から取り出す。ドライヤーを当てながら、白望の髪に触れた。男に髪を触れられても、白望はされるがままだった。部屋にはしばらくドライヤーと、白望の小さく漏らす声だけが響く。

 

「シロさんの髪はふわふわで良いですね」

「京太郎も気遣いができるようになったんだね。こういう髪はふわふわじゃなくてもじゃもじゃって言うんだよ」

 

 白望の声音には拗ねたような響きがあった。自分の容姿について、あまり頓着しない白望にとっては、珍しい反応である。白望も髪型とか女の子らしいことに拘るようになったのか、とまるで母親のような心地で髪を梳いていると、白望の口から出てきたのは、いつもの言葉だった。

 

「もじゃもじゃだと、ダルいし」

「――塞さんとか胡桃さんみたいな髪の方が良かったですか?」

 

 日本人然とした容貌のあの二人は、髪の色はともかくとして見事な直毛をしている。あれはあれで髪の手入れは大変だろうが、白望の言うもじゃもじゃとは対極にある髪だった。試しにああいう髪になった白望を想像してみるが、似合うには似合うが、違和感の方が先に立ってしまう。白望はやはり、このふわふわの髪があってこそだ。

 

「はい、終わりましたよ」

「ありがとう」

 

 白望はぽてりとベッドに倒れた。歩き回ってダルさが極限まで達しているのだろう。いつも以上に動きが少なくなっている。京太郎はまだ目が冴えていたが、白望が寝るならばもう床に入ろうと思った。照明を消し、ベッドに入る。明日は何を食べるんだろう。心地良い疲れと食欲に浸ることでうとうとしだした京太郎は、布団に入ってきた気配で一瞬で意識を覚醒させた。

 

「何をしてるんですか?」

「寒い」

「いや、それは俺もそうですけど、何で俺のベッドにもぐりこんでいるんでしょうか」

「母さんが、そう言った。私も京太郎もダルくない、win-winの関係だって」

 

 会話の間にも、京太郎は白望を引き剥がそうと努力を続けていたが、ダルくなくなるためには全力を尽くす白望の力は、思いのほか強かった。

 

「こっちを向きなさい」

 

 観念して身体ごと振り向くと、すぐそこに白望のガラス球のような目があった。息がかかるくらいの距離では、実際に息はかかるのだということを実感する。白望からは何だか不思議な良い匂いがした。頬がほんのりと染まっているのは、風呂あがりだからだろう。白い肌との対比が、非常に艶かしい。

 

「京太郎、ゴツくなり過ぎ」

「そんなこと仰られましても……」

「抱き心地が良くないよ。昔はあんなに私と相性が良かったのに」

「胡桃さんとか塞さんとかどうですか?」

「胡桃は小さすぎだし、私がする側。塞は良いかもしれないけど抱きついたら多分投げ飛ばされる」

 

 その後も身体をぐりぐりと押し付けては、腕も足も巻きつけ抱き枕のようにひっつく白望に、京太郎は形だけの抵抗をすることを諦めた。これはこれで役得だが、手を出したらどうなるかを考えたら、生き地獄も良いところである。タダで良い思いはできないのだと悟った瞬間だった。

 

「後ろ向いて」

 

 色々と試行錯誤をした結果、白望は後ろから抱きつくということで落ち着いた。耳元で白望の吐息がはっきりと聞こえ、背中にはおもちの感触がはっきりと伝わっている。ヤバすぎる感触に我を忘れそうになる京太郎を他所に、白望は小さくあくびを漏らした。

 

「それじゃあ、おやすみ。あぁ、別にしたいことはして良いから」

 

 言って、白望はすぐに寝息を立て始めた。

 

 白望の眠りは深いので、ちょっとやそっとのことでは起きない。これは小学生の時、塞たちと一緒に実験済みである。何をしても良いという白望の言葉に、京太郎の腕は反射的に動いたが、白望の腕は京太郎の腕の上から正面に回されているため、稼動域は狭くなっている。これでは腿を触るのが精々で、背中まで手を回すことができない!

 

 身体の向きを変えれば良いのだが、それでは流石に踏みとどまれなくなる。もうゴールしても良いんじゃないかな、という青い欲望と戦いながら、結局、おもちの感触による興奮は収まらず、京太郎は悶々とした夜を一人で過ごしたのだった。

 

 

 



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42 中学生三年 二度目のインターハイ編①

業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 自分はもしかして世界で一番強いのではないか。

 

 いわゆる天才と、幼い頃から周囲に持ち上げられる人間が一度はかかる思考的な病気である。ハオもその例に漏れず、少なからず自分の才能を認識していた。

 

 実際、麻将という競技において、同年代の中でハオに追随できる者はいなかった。それならばと、ルールの異なる麻雀の大会である仁川の国際大会に出場したが、結果は銀メダルである。

 

 この時、金メダルを獲得することができなかったことが、ハオの人生で最初の躓きとなった。

 

 少なくとも最強ではなかったことを思い知ったハオは、見聞を広めるために本格的に麻雀にも手を伸ばしたが、これが思うように勝てない。役が少ない、ゲーム数が少ないなどの違いはあるが根本的には同じものである。麻将で勝てるのならば麻雀でも、と思っていたハオはそこでもまた打ちのめされ、それが麻雀にのめり込む切っ掛けになった。

 

 元より、世界では麻将に比べてシンプルで試合の時間の短い日本式の麻雀の方がスタンダードである。ハオも十五歳だ。そろそろ将来のことを考えても良い時期である。麻雀と麻将のどちらを続けるのか。そもそもどの程度本気で続けるのか。

 

 悩み続けるハオの元に、日本からドイツ人がやってきた。

 

 日本の強豪校で監督をしているらしい、アレクサンドラ=ヴィントハイムという女である。彼女の学校は留学生を積極的に集めており、その関係で自分にも白羽の矢が立ったという。学費、生活費は『成績が優秀である限り』全て学校が持ってくれるという考えられる限りおよそ最高の待遇に、ハオ本人よりも先に両親が折れた。

 

 まだ明確な返事はしていないが、両親も学校もハオが留学するものということで話を進めている。

 

 そして、夏。

 

 日本の高校生たちによる全国大会の会場に、ハオは足を運んでいた。臨海が出場するから時間が取れるようならば見に来て欲しいと、アレクサンドラから招待があったのだ。

 

 海を渡り、ハオは初めて日本の地を踏んだ。

 

 アジアというざっくりとした括りでは香港と日本は仲間であるが、やはりハオの地元とは色々なものが違った。前乗りした初日はホテルにつくなり泥のように眠り、大会三日目。シード出場校である臨海の第一試合の日、早起きしたハオは時間に余裕を持って会場入りし――そこで道に迷った。

 

 日本語の勉強はしたが、辛うじて日常会話ができる程度で、読み書きはまだ得意ではない。日本人ならば案内板を見れば事足りるようなのだが、ハオはそれすらも一苦労だった。ならば英語で、と道行く人に話しかけてみても、ほとんどの人間は『I can't speak English』と足早に立ち去ってしまう。

 

 じゃあ、お前が今使ったのは何語なんだと、何度広東語で悪態を吐いたか知れない。いらいらしながら無駄に会場をうろうろしていると、ハオの背中に日本語でも英語でもない言語で言葉がかけられた。

 

 声のした方に視線を向けたハオは、絶句した。

 

 ひらひらとした服に真っ白な日傘。儚げな顔立ちに金色の髪。これで犬でも連れて海辺を歩いていたらお話に出てくるような良家のお嬢様で通るのだろうが、ここは日本で、屋内で、インターハイの会場だった。この国では日本人でないと人の目を集めるというのに、眼前の少女は金髪で日傘である。周囲の人間は漏れなく彼女を見ており、近くにいるハオまで巻き込まれ、悪目立ちしていた。

 

 何事もなければハオも係わり合いにならない手合いだが、日傘金髪は明らかに自分に向けて話しかけている。無視しても、この手合いはしつこいというのが世の定番である。彼女が何語で話しているのかも解らなかったが、金髪ならば通じるだろうという楽観で、ハオはとりあえず英語で切り替えしてみた。

 

『何かお困りですか?』

『――――』

 

 日傘金髪は相変わらず、何語か解らない言語で切り替えしてくるが、その表情にハオは理解の色を見た。明らかに英語を理解している。ハオは今度は幾分強い語調で問い返した。

 

『私はあまり気の長い方ではありません。悪ふざけがしたいなら、他を当たってください』

『これは失礼しました。私と同じ『おのぼりさん』を見つけたので、つい嬉しくなって』

『……西洋人はアジア人の区別がつかないと聞いたことがありますが?』

『こんなナリですが、私は母がそのアジアの人間なので、なんとなく区別がつくんです』

 

 言われて見ればという程度であるが、日傘金髪の容貌には東洋人的な雰囲気しがあるような気がしたが、彼女の容貌の中で最も目立つのは金髪だ。その姿を見てアジア人の血が入っていると感じる人間はほとんどいないだろう。

 

『それで、『おのぼりさん』の貴女がどうして私に声を? まさか本当に悪ふざけがしたかっただけですか?』

『実は迷子なんです、私。英語が通じて日本語が読めるお仲間を探していたんですけど、貴女は違ったようですね』

『現実は厳しいですね……』

 

 隣に言葉の通じる人間がいるというのは心強いことであるが、水に水を注ぎ足しても水にしかならず、問題の解決にはならない。

 

 こうなったらプライドも何もかも捨てて、アレクサンドラに連絡を取ろうか。ハオが本気でそう考え始めた時、二人の前を一人の青年が横切った。その青年が燻った色の金髪をしていたのを見た瞬間、ハオは声を挙げていた。

 

「すいません!」

 

 周囲に人は多かったが、その青年は自分が呼ばれたということに気づいてくれた。振り返った青年はハオを見て、そして隣に屋内なのに日傘を差した金髪少女がいるのを見て、困ったように微笑んだ。日本人特有のアルカイックスマイルである。これはまた『I can't speak English』か、とハオが諦めかけたその時、

 

『お困りですか? 俺で良ければ力になりますが』

 

 青年の口から出てきたのは、決して流暢とは言えないものの、中々堂に入った英語だった。これにはハオたちからも驚きの声が漏れる。

 

『どうかしましたか?』

『いえ、正直日本人を侮っていました。日本人は六年英語を学んでも、会話もできないと聞いていたもので』

『まぁ、普通はそうかもしれませんね。俺は麻雀を教えてくれた人が海外でレートやルールを誤魔化されたりしないために、って教えてくれたんで』

『良い先生をお持ちのようで羨ましいです』

『ありがとうございます。それで、何にお困りで?』

『恥ずかしながら道に迷ってしまいまして。良ければ臨海女子の試合を観戦できる場所を、教えてくれないでしょうか』

『それなら案内できますよ』

『……ご迷惑では?』

『全く。麻雀を見に来たんなら、俺の仲間も同然です。気にしないでください』

 

 こんな人間もいるものだ。海外で現地の人に良くしてもらった、という話は香港でも枚挙に暇がないが、自分がそれに巡り合って見ると感動も一入である。これなら留学しても、上手くやっていけるのではないか。年頃の少女なりに海外での生活に不安のあったハオだが、青年を見ているとそういう不安も薄れていく。

 

『失礼ですけど、海外から?』

『はい。私は香港から来ました。名前は――』

「私は雀明華です。フランスから来ました」

 

 ハオの言葉に割り込んだ日傘金髪は流暢な『日本語』で自己紹介をし、手を差し出す。青年は色々なことに面食らっていたようだが、すぐに笑みを浮かべると日傘金髪改め明華の手を握り返した。

 

「よろしくお願いします。俺は、須賀京太郎です。日本語、お上手ですね」

「来年から日本に留学する予定なんです。それで頑張って勉強しました」

「ああ、それで臨海の試合なんですね。ヴァントゥールが日本に来るとなったら、女子は大変だ」

「あら嬉しい。私のことを知ってるんですか?」

「歌う雀士というのは、中々珍しかったもので……」

 

 すいません、と恥ずかしそうに言う京太郎に明華はにこりと笑った。彼女が笑顔になるのと対照的に、ハオは気分が暗くなっていく。当て馬に使われたようで、とても気分が良くない。放っておくといつまでも二人で会話していそうだ。意を決したハオは、二人の間に強引に割って入った。

 

 目を丸くする京太郎に恥ずかしくなるハオだが、明華はくすくすと笑っていた。彼女の掌の上で踊らされているようで大変気分が良くないが、まだ自己紹介もしていないことも思い出し、気を取り直す。

 

『郝慧宇です。どうぞよろしく』

『よ、よろしくお願いします……』

 

 言葉に力を込めすぎたのか、京太郎は若干引いていた。これも全て明華のせいだ。

 

『この部屋になります。まだ時間は早めなので、席には座れると思いますよ』

「ご丁寧にありがとうございます。あぁ、よろしければ連絡先を教えてくださいませんか? 何分、まだこの国に不慣れなものですから、困ることもあるかもしれませんし……」

「そういうことなら」

 

 京太郎は懐からメモ帳を取り出すと、さらさらと連絡先を書いて明華に渡した。

 

『貴方は見ていかれないんですか?』

『地元の先輩たちが今日試合なんです。実はそちらの控え室の方に呼ばれてまして』

「では、特等席ですね。楽しんでらしてください。ご友人が勝たれますよう」

「ありがとうございます。お二人も楽しんでください」

 

 それでは、と京太郎は笑みを浮かべて去っていく。彼の姿が見えなくなると、明華は日傘を畳んで観覧室の中に入っていく。人は沢山いたが、まだ席はぽつぽつと空いていた。二人並んで座れる席もある。どうぞ、と席を勧める明華に従い、ハオは椅子に腰を下ろした。澄ました顔で隣に座る明華を、力を込めて睨んでみる。

 

『日本語、上手じゃありませんか? もしかして案内板もきちんと読めるのでは?』

『一人でもここまで来れるくらいには。でも、そういうことにしておいた方が、貴女とお友達になれる気がしたもので、つい』

『その割には最後まで嘘を吐き通しませんでしたね?』

『だって、異国の地で年若い男性に声をかけられたんですもの。良い所を見せたいと思うのが、女というものでしょう? それに良く言うではありませんか、友情よりも愛情と』

『流石フランス人ですね……』

 

 悪びれもなく言う明華に、ハオは溜息を吐いた。友情よりも愛情を優先した結果、彼女はただ案内しただけの京太郎の連絡先をゲットした。振り返ってみれば実に洗練された仕草である。普段からそういうことをやりなれているのだろうと思うと、生まれてこの方恋人ができたことがない身には、少々辛い。

 

『その番号、本物でしょうか?』

 

 早速、京太郎からもらった番号を登録してる明華を横目で見ながら問いかける。俯き、スマホを操作している姿は、同性であるハオが見てもはっとするほど美しい。

 

『誠実そうな人でしたから、嘘は吐かないかと思いますよ。先輩の応援と言っていましたから高めに見ても二年生。でも、身長は高いのにかわいい顔立ちをしてましたから、私よりも一つか二つは下ですね。私の勘は一つ下の中学三年生と言ってますが』

『私と同じ年とは、驚きました』

『再会した時、話すネタができたじゃありませんか。留学はもう決めたのでしょう? 日本人の恋人を作るというのも、良い経験になると思いますよ?』

『……自由な考えができて羨ましいです』

『良く言われます。改めて……私は雀明華。フランスから来ました。あちらでは『風神(ヴァントゥール)』なんて呼ばれていますが、どうぞ明華と呼んでください』

『郝慧宇です。呼び方はお好きなように』

 

 差し出された明華の手を握り返す。白魚のような真っ白な手には、麻雀タコができていた。洋の東西の違い、ルールの違いはあっても麻雀を打つ人間の手は変わらない。こんな性格であるが、この人はこの人で真摯に麻雀に打ち込んでいるのだ。そう思うと、明華のことも好きになれるような気がした。

 

 何でもないことを話しながら、ハオはカバンからメモ帳を取り出した。リアルタイムで牌譜をとって、分析に使うのである。公式戦は高校生のものであっても、公式サイトに牌譜がアップされるが、それでも即日にはアップされない。これだけ技術が進歩しても、打ち筋の分析は手で稼ぐのが基本である。

 

 見れば、隣の明華もカバンからタブレットを取り出していた。

 

 洋の東西。雀士の考えることは、皆同じである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明華は金髪ということで話を進めております。
次回はいくのん編です。


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43 中学生三年 二度目のインターハイ編②

業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 姫松高校麻雀部副監督兼ヘッドコーチ。それが今の赤阪郁乃の肩書である。

 

 かつてはプロの世界で名を知らしめた郁乃であるが、現在は母校に戻って後輩の現役女子高生に指導をしている。高校時代の郁乃が現在の自分を見たら、例え姿形がそっくりだったとしても、同一人物とは信じないに違いない。それ程までに、他人に尽くすということは郁乃の元来の性格からは外れている。自分でも意識しているその性質にも関わらず、それでも郁乃がこの仕事を引き受けたのは、現在監督をしている一美から要請があったからだ。

 

 監督に就任するにあたって、コーチを統括する人間が別に必要になる。自分以外に誰がと考えた一美は、迷わず郁乃を推薦した。プロの世界に未練がなかった訳ではないが、大恩ある先輩の頼みならばと郁乃はその要請を引き受けることにした。

 

 これからは後輩の女子高生の指導か、と思っていたのもつかの間、元々プロであったという事実が、郁乃にコーチ以外の仕事もさせていた。

 

 伝統ある名門校であるが、卒業生の全てがプロや実業団の道に進む訳ではない。麻雀に打ち込むのは高校までと牌を置く人間もいれば、逆に何でも良いから麻雀に関わる仕事がしたいと希望する人間もいる。そういう希望を叶えるために、郁乃の元プロという肩書はある意味最適なものだった。

 

 現役時代は広く活躍していたこともあって、郁乃の顔は名門校の平均的なコーチと比べて格段に広い。現役選手はもちろんのこと、業界関係者にも多くの知り合いがいる。これ以上となると、郁乃と同様に元プロの肩書を持っている人間を連れてくるしかない。今現在高校麻雀界に籍を置いている中では、千里山の監督である愛宕雅枝か、臨海の監督であるアレクサンドラ・ヴィントハイムくらいのものだろう。

 

 とは言え、コネがあるというのも良いことばかりではない。インターハイという大事な時期に、他の学校のリサーチも放り出してなに切る問題を作っているのは、コネが生み出した弊害のためだった。

 

 一美や郁乃から見て数代上の先輩で、今は麻雀雑誌の編集部にいる女性からの頼みである。作家が一人行方不明となり、誌面に穴が開いたというのだ。今はインターハイの取材で編集部のほとんどが出払っており、方々手を尽くしたが代わりの作家も捕まらない。ページ下の簡単なものならばそれこそ編集部員でも作ることができるが、今回穴が開いたのは詳しい解説付きの、数ぺージプチ抜き企画である。

 

 困った先輩が泣きついてきたのが、母校の麻雀部でコーチをしている元プロだったという訳だ。本音を言えばこのクソ忙しい時期に、そんな面倒臭い仕事など引き受けたくなかったのだが、かつて同じ麻雀部に所属していたのだから、この時期に母校がどれくらい忙しいかという事情は、向こうも十分に知っている。それでも尚頼んできたということは、本当に他に方法がなかったのだろう。

 

 これも母校のため、後輩のため、引いては一美のためだ。とは言え、現在の仕事も疎かにはできない。姫松はシードだから今日は試合がないから良かったものの、対戦する三校は今日決まる。今日の夜には収集したデータを使って検討会が始まるだろう。原稿はそれまでに完成させて、先方に提出しなければならない。

 

 この時間を捻出するために、一美が自らスケジュールの調整をしてくれた甲斐もあって、依頼された原稿は会心のデキとなった。

 

 牌譜を一から創作しろというのであれば、流石に無理難題とキレていたかもしれないが、自分の体験を下にして良いという要望なので、作成する身としてはまだ楽な方である。今回原稿に起こしたのは、さる大会の決勝戦。他家を狙い撃ちにして合法ロリを捲り、優勝を決めた局のものだ。

 

 何切る問題は基本的に前に出ることを前提にしている。この局は無理だからもう諦めよう、では問題にならないからだが、この問題では手順として正解の選択をすれば、確実に上家か下家に振り込むようにできている。現実には降りるという選択肢もあるが、十半荘戦の南四局で総合得点も僅差。ここで引いたら優勝はかなり遠のくという状況設定が、その選択を実質的に不可能なものにしていた。

 

 問題としてはかなり悪質な部類に入るだろうが、そういう企画なのだから問題はない。こういう原稿を書く、という概要をすでに先方に説明してあるが、ゴーサインも貰っていた。毎回それでは読者が逃げるがたまに突っ込む程度ならば問題ないという認識らしい。

 

 原稿を手にしながら、考える。この問題を前に、後輩の部員たちはどういう選択をするのだろう。場況を見て、振り込みの気配を感じ取れないようでは見込みはない。誰にどの牌が危険というのを自覚した上で、どう行動するのがリスクが少ないか。そこまで考えて最善手を模索できるのは、今の姫松では愛宕姉妹の面白い方と、末原恭子くらいのものだろう。

 

 一美に指定された刻限までは、まだもう少しある。優雅にコーヒーでも飲んでから、と考え事をしながら歩いていた郁乃は、対面から歩いてきた男性に正面からぶつかった。溜らず尻餅をつき、抱えていた原稿が辺りに散乱する。反射的に出そうになった舌打ちを堪え、顔をあげると、

 

「すいません、俺の不注意で」

 

 そこにいたのは少年だった。燻った色の金髪に、そこそこの身長。高校生というには幼い顔立ちをしているから、ぎりぎり中学生といったところだろう。考え事をしながら歩いていたのは自分の方なのに、少年は自分の方から頭を下げた。中学生にしては、随分と紳士的な対応である。

 

「お怪我は?」

「あ~、大丈夫や。心配してくれてありがとな~」

 

 ひらひらと手を振り、床に散らばった原稿と資料をかき集める。数えてみると一枚、それも問題文に使う場況を示した図が見当たらなかった。牌譜用の記号を使った簡単なものだが、記憶を掘り起こして漸く捨牌まで完璧に再現したものである。なくしたとなると書き直すのにとても時間がかかるものだ。慌てて周囲を見渡すと、探し物はぶつかった少年の手の中にあった。図に視線を落とす凄まじく真剣な表情に思わずどきりとしながらも、麻雀打ちとしての興味から郁乃は少年に問うてみた。

 

「それ、君やったらどう攻める?」

「そうですね、俺だったら降ります」

 

 少年は問題の意図をあっさりと回避してみせる。これには、郁乃のプライドが刺激された。

 

「――理由を聞いてもええかな?」

 

 郁乃の声色には僅かに力が篭っていた。顔こそいつもの通り笑顔であるが、雰囲気はまるで笑っていない。普段指導を受けている姫松の生徒であれば、この雰囲気になった瞬間に悲鳴を挙げていただろうが、図に真剣に目を落とす少年は郁乃の顔を見てもいなかった。

 

 郁乃の問いに、図に目を落としながら、少年は言葉を続ける。

 

「まず上家ですが、何としてもトップを取りたいこの状況で、リーチをしていません。捨牌から手ができていないということはなさそうですから、積み棒を含めてトップの下家を捲くれる手が既にできているんでしょう。そう考えると、この捨牌もプレイヤーに『振り込め!』って訴えかけているように見えます。おそらく高めを目指して真っ直ぐ行くと、上家に振り込むんじゃないかと」

「で、トップ目でラス親の下家ですが、捨牌を見るに真ん中の脂っこい牌で待ってる可能性が高い――というか、クイタンとかの安い手で流すだけだったら、とっくにアガってたと思うんですが、どうして態々手を遅くしてるのかはすいません、考えたんですが説明がつきませんでした」

 

 そこまで解ったらエスパーである。この時、郁乃は休み時間の全てを費やしてちくちくと対面の合法ロリを煽っていたのだ。この時点で彼女のストレスは極限まで高まっていたことだろう。いつもの合法ロリであればさっと鳴いて、あるいは彼女らしい高く派手な手が入って優勝を決めていたのだろうが、特定の一人に向いた苛立ちが、手を遅らせ、判断を僅かに鈍らせていたのだ。

 

「ともあれ、高めを放棄して裏ドラか一発にかける形で真っ直ぐ手を伸ばすと、今度はこっちの下家に振り込むんじゃないかと思います。見逃される可能性もなきにしもあらずですが、それで勝利確定なら、流石にアガるでしょう。ただ、何となくですけど、このまま放っておくと次かその次くらいに下家がツモりそうな気がするんですよね。これにはさっぱり根拠がないんですが、俺の場合、悪い予感だけはかなりの確率で当たるんで、とにもかくにも回すことにすると思います。いや、こうなった時点でもう詰みですね」

 

 ははは、と笑う少年に、郁乃は沈黙で返した。偶然にしてもできすぎの読みである。何切る問題の解答としては不適格かもしれないが、あくまで回避するというケースの読みとして、少年の答えは満点に近いものだった。実戦の緊張感の中にないというハンデこそあるがそれでも、紙面からそれだけの読みができたことは元プロで現教育者の郁乃の目から見ても、賞賛に値する。

 

「君、何で女子やないん?」

「や、そんなことを言われましても……」

 

 分析だけで実戦は弱い可能性があるが、これだけできるのであれば腕のあるなしはもう関係ない。インターハイなどのリアルタイムの情報が状況を左右するような大会では、対戦校の分析をする人間はいくらいても足りないくらいである。問題を解いた分析が常にできるのであれば、今すぐバイト代を払ってでも雇いたいくらいだ。

 

「申し遅れたけど、ウチはこういうもんや」

 

 差し出した名刺には『姫松高校麻雀部副監督兼ヘッドコーチ』と、郁乃の名前と現在の肩書きが書かれている。想像もしていなかった肩書きに驚きの表情を浮かべる少年に、郁乃は畳み掛けるようにして言葉を続けた。

 

「発売前やから答えは教えられんのやけど、協力してくれたお礼に雑誌を送らせてもらうわ。それで悪いんやけど、君の住所教えてくれへん?」

「良いですよ。長野県――」

 

 全く疑いもせずに住所をぺらぺらと喋る少年に、郁乃は逆に不安になった。この時勢にこの危機管理意識で大丈夫なのだろうか。純朴なのも結構やけど、もう少し人を疑うことを覚えた方がええでーと内心で思いながらも、口にはしない。かつて麻雀プロの世界で数々の悪名を欲しいままにした麻雀打ちは、大体において自分の都合を優先させるのである。

 

「――須賀京太郎です」

「ありがとな~。君は中学生? 長野やったら龍門渕の応援かな」

「後は白糸台ですね。宮永照さんが、俺の中学の先輩で」

「せやったら毎日応援か~、大変やな~」

 

 白糸台はAブロックのシード、長野代表の龍門渕はBブロックの一回戦から。インターハイはAブロックBブロックと交互に、それも終日会場を使って試合がおこなわれるため、両方のブロックに応援する相手がおり、その両方が勝ち残っていると団体決勝まで会場に通い詰めることになる。

 

 また、宮永照は当然個人戦にもエントリーしており、こちらも優勝候補の筆頭である。下手をすると開会式から閉会式まで会場に足を運び続けることにもなりかねない。出場者でも関係者でもない人間で、そこまでする人間は稀だろう。滞在費だってバカにならないはずだが、郁乃の言葉を聞いて少年は恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「それは全然。麻雀好きなんで」

「ええ返事やな。これも何かの縁やし、姫松のことも気が向いたら応援してなぁ~?」

 

 にこにこ微笑む郁乃に、京太郎は苦笑を浮かべる。龍門渕が順当に駒を進めたら、姫松とは二回戦から当たることになる。一回戦突破を予定調和としているなら、龍門渕が姫松と戦うことは確定的だ。それを十分に理解した上で郁乃は京太郎にそれを言ったのだが、彼もまた、姫松がどこのシードかをしっかりと理解しているようだった。情報収集もきちんとしている。本当に、悪くない。

 

「それじゃあ、俺はこれで失礼しますね。そろそろ控室に戻らないと」

「ウチも行くわ。母校のためにも、しっかりリサーチせんとな~」

「ご健闘を祈ってます」

 

 ぺこり、と頭を下げて京太郎は足早に去っていく。その背中をにこにこと眺めていた郁乃は、京太郎の姿が見えなくなると同時にポケットからスマホを取り出した。ぽちぽちと素早く打ったメールの内容はこうである。

 

『一美さんへ。面白い男の子を見つけました。麻雀そのものが強いかは解りませんが、有能そうです』

 

 ポケットにスマホをしまい、さてリサーチに向かおうとした矢先、メールの着信。画面を見ると一美からで、内容はこうだ。

 

『それは良かったですね。名刺はちゃんと渡しましたか? 仔細は郁乃に任せます。なるべく逃がさないように』

 

 敬愛する先輩が自分と同じ考えであることに、郁乃はかつての二つ名に相応しい邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと」

 

 郁乃と別れた京太郎は、名刺を見ながらスマホを取り出した。業界関係者からコンタクトがあったら、必ず連絡するようにと咏から念を押されていたからだ。

 

 しかし、と京太郎は考える。名門校とは言え高校のスタッフを、『業界関係者』としても良いのだろうか。悩みつつも、とりあえず郁乃と出会った経緯と彼女の肩書きを添えて、咏にメールを送信。移動しようとした矢先、スマホに着信があった。

 

「咏さん、どうかしましたか?」

『今すぐそいつから離れろ!』

「もう離れてますよ。どうしたんですか?」

『こっちのセリフだ! 何でお前が『女狐』と一緒にいるんだよ!』

 

 名刺の名前を見ても思い当たることはなかったが、咏の口からその二つ名を聞いて思い出した。『女狐』という二つ名は、咏の口から何度も聞いたことがある。麻雀打ちとしては大層相性が悪い相手らしく、咏からその名を聞く時は大抵、愚痴か恨み言がセットになっていた。日本代表で九大タイトルの一つを保持している咏にそこまで言われる時点でかなりの力量であることが伺えるが、咏ががみがみ言っていたからか、不思議と京太郎がその『女狐』のことをリサーチしようと思ったことはなかった。『女狐』という二つ名は覚えていたのに、顔と名前を記憶していなかったのはそのためだ。

 

「あ、じゃあ黙テンで張ってたラス親は、もしかして咏さんだったんですか?」

『よりによってその話をしたのか!! あー、くそ、じゃあついでだから聞くか。あの女が問題文に起こしてたなら最終局で、私の上家の手が開いてたと思うが、お前だったらその時点で何を切ったよ』

「頭を切って回しますね。上家と下家に振りそうだったんで、勝負はしません」

 

 振らない可能性があるのならば、振るのを覚悟で勝負をかけるという選択肢もあったのだろうが、京太郎は自分の読みに絶対に近い自信をもって打ちまわす。感性が当たると判断したなら、実際にどうであれそれはもう当たりなのだ。当たったらそこで試合終了である。ならば、例えツモられそうという悪い予感がしていても、ツモられず、また自分に良い手が転がり込む方に賭けることが、勝つための唯一の手段である。

 

 京太郎にとっては当然の選択であるその言葉に、咏は電話の向こうで快哉を上げた。

 

『だよな!? そうなんだよ、あの時上家がお前と同じ判断をしてたら、私がツモって優勝を決めてたんだ。それだってのに、くそ、あの『女狐』……』

 

 咏の声音には悔しさが滲んでいた。電話の向こうで扇子を握り締め、ぐぬぬと唸っている姿が見えるようである。

 

 麻雀打ちとしてその悔しさは解らないでもない。たらればを考えるのは人間の常だが、あの局はクイタンでさっさと流すのが正解のように思えた。

 

 弟子として、それを指摘するかどうか迷った京太郎だったが、結局は口にしないことにした。彼女は三尋木咏であり、自分の師匠である。麻雀に関する彼女の行動には、きっと何か深い理由があるに違いないと、京太郎は心の底から信じていた。

 

 ちなみに、不意に京太郎が沈黙したことで、咏は彼が何を思っているのかを電話の向こうで察していた。咏も、あの時はさっさと流すのが正解だったと後になって感じていたが、あの時は郁乃に対する怒りで頭に血が上っており、彼女を凹ませることしか頭になかったのだ。

 

 理性をなくすと手痛い目に合うという、良い見本である。その日の敗北は咏の心にしっかりと刻まれ、同時に、元々かなり相性が悪かった郁乃との関係をさらに決定的なものにしていた。結局、郁乃が手早く引退を決め、母校の姫松に戻るまで個人で戦うことは一度もなかったが、よもやこんな形で『再会』するとは思っても見なかった。

 

「で、この名刺どうしましょう」

『破って捨てておけ、って言いたいところだけどさ、何がお前の将来にプラスになるかわかんねーんだから、まぁ、良いんじゃねーの? 取っておけば…………知らんけど』

 

 きっと咏は電話の向こうで、不機嫌な顔をして拗ねているのだろう。幼い容姿の彼女がそういうことをすると、年下の京太郎の目から見ても非常にかわいらしい。かわいいものが好きなはやり辺りが喜びそうな光景が電話の向こうでは広がっているのだろうが、何より、師匠の機嫌が悪くなることを、弟子の京太郎は望まないのである。

 

「咏さん、インターハイの解説の仕事でこっちに来てますよね?」

『まぁな。私の解説は毎年聞きたくなるほど評判良いとは思えねーけど』

「そんなことありませんって。咏さんの解説、俺は好きですよ」

『じゃあ、はやりんの解説とどっちが、ってのは師匠の情けだ、聞かないでおいてやるよ。で、私のかわいい弟子は、師匠の予定なんて聞いてどうするつもりなんだい?』

「インターハイ中は、俺もお守りの予定が詰まってて手が離せないんですが、長野に戻ったら時間が取れます。それでどうでしょう。指導の時間など作っていただけると嬉しいんですが……」

 

 年齢差、立場の差があるからこういう言い方になっているが、同年代的な言葉に変換すると『一緒に遊ばないか』となる。学生でしかも夏休みである京太郎は、予定を入れない限り暇だが、麻雀のプロである咏はそうではない。インターハイに合わせて大会日程が組まれているので時間は取れるが、長野までとなると数少ない休みを完全に潰すことになる。それを埋め合わせに、となると、もうどちらが得をしているのか解らないが、弟子の提案に咏はあっさりと溜飲を下げた。

 

『仕方ない弟子だねぃ、お前は。だがまぁ、弟子の頼みじゃ仕方ない。今日はお前の言葉に乗せられてやるとしよう』

「ありがとうございます」

『お前も『色々な』応援で忙しいだろうから、詳しい話はインターハイが終わってからだな。軽く捻ってやるから覚悟しておけよ?』

「楽しみにしてます。咏さんも、お仕事がんばってください」

 

 

 

 




次回、白糸台編かモンブチ編です。


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44 中学生三年 二度目のインターハイ編③

業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 照の激励と差し入れのために白糸台の控え室を訪ねた京太郎は、その扉が見えるよりも大分手前で、白糸台の制服を着た女子二人に呼び止められた。

 

 控室の近くということから、彼女らが麻雀部員だということは京太郎にも推測できた。刺すような視線を送ってきていることから、警備のような役目を負っていることも、何となく理解できる。同時に、自分が歓迎されていないことも肌で感じていた。

 

 女子部ならばこんなものかもしれない、と京太郎は胸中で嘆息する。私生活では残念でぽんこつな照だが、外面がしっかりしている故に校内外にファンが多く、主に女子のファンからは照の周囲に男の気配があることを歓迎しない声が多いと菫から聞いていた。

 

 眼前で通せんぼをしている二人は、おそらくそういう強硬派の人たちなのだろう。不審者でも見るような目つきが、中学生男子の心には痛かった。その目には、是が非でもここを通さないという意思がこれでもかという程に感じられる。

 

 その気持ちは理解できなくもない。

 

 何しろ今はインターハイの真っ最中だ。前年度の優勝校である白糸台は照が入学する前も強豪校の一つではあったが、全国優勝をしたのは、照が入学しての一度が初めてだった。インターハイ連覇というのは過去に例がない訳ではないが、そうあることでもない。これに、今後十年の浮沈がかかっているとばかりに、インターハイ連覇にかけ白糸台と麻雀部の意気込みは、半端ではなかった。

 

 麻雀誌にグラビアが乗るなど、アイドル扱いをされている向きも照にはある。男の影がちらついては、スキャンダルにもなるだろう。故にあまり近寄ってほしくないという学校と部の言い分は解るのだが、京太郎にも譲れない事情があった。

 

 ここを通してもらわないと照におかしを渡せないのだ。おかしは咲以外で、照の一番の原動力である。おかしを食べないと力が出ない……ということはないだろうが、モチベーションが大きく低下することは間違いなかった。咲が風邪をこじらせてここにいない以上、これを届けるのは京太郎の最大の使命だった。

 

「宮永照さんの後輩で須賀京太郎といいます。差し入れを持ってきたので、通していただけませんか?」

「試合前には誰も通すな、と監督から言われております。お引取りください」

 

 取り付く島もないとは、このことである。

 

 こんなことなら事前に連絡をしておけばよかったと後悔しながら、京太郎はスマホから『リンちゃん』を呼び出した。待つこと6コール。電話に出た菫は、声だけでも解るほど焦燥感に満ちていた。

 

『京太郎か? 照がイライラしてるぞ。さっさと来てくれ。今どこにいる?』

「控え室の手前の廊下にいる。関係者以外立ち入り禁止とかで、入れないんだけど」

『すぐに行く。そこを動くな』

 

 スマホを仕舞い、まだ睨んでいる女子二人に背を向けて待つことしばらく。廊下の奥から菫が小走りでやってきた。真っ白なワンピースの制服に、長く黒い髪が良く映えている。京太郎には刺すような視線を送っていた女子二人は、奥からやってきた菫に慌てて直立不動の姿勢をとった。お疲れ様です! と最敬礼する後輩二人に、菫はぱたぱたと手を振った。

 

「連絡が行き届いていなくてすまない。こいつは大丈夫だ。監督にも許可をもらってあるから、入れてやってくれ」

「弘世先輩……でも、男子ですよ?」

「そうだな。実は女子であったりすると、話が楽にまとまるようなんだが、そんなことはないよな?」

「ねーよ」

 

 真顔で冗談を言う菫に、京太郎は軽口で答える。二人の間ではいつものやり取りだったが、女子二人には違ったらしい。

 

 照の後輩であれば最高でも自分達と同級生、その多くの場合が年下だ。そんな男子が菫と気安く口をきいているのが、彼女らにとっては面白くなかった。いきなり殺気だった女子二人に腰が引ける京太郎だったが、彼女らは睨むだけで二人のやり取りには口を出してこなかった。

 

 文化部とは言え、学年、役職、実力による上下関係は絶対だ。

 

 部内チーム戦では宮永照を擁するチーム虎姫がぶっちぎりのトップである。三年が引退し、今の二年が部内の最高学年になると、必然的に次の部長は虎姫の中から選出されることになる。照は対外的な態度は完璧すぎる程に完璧であるが、部を纏めるのに向いているかと言われればそうではない。監督もできれば照に任せたかったらしいが、向いていないことは誰の目にも明らかだった。

 

 何より、部長というのは色々と煩雑な仕事が増えてくる。宮永照には麻雀と広報活動に専念してもらいたいというのが、学校の正直なところだった。ならば、と照の補欠で白羽の矢が立ったのが、部内で照を最も上手く御することのできる人間、弘世菫だった。監督のお墨付きと照の推薦という強力な後押しで次期部長が内定している菫は、まだ引退していない三年生と、実力において頂点に立つ照を除けば、部内で最も権力を持った部員だった。

 

 そんな菫が大丈夫というのだから、平の一年生部員はどれだけ内心で納得していなくてもそれに従うより他はない。殺気立つ二人の後輩と、腰が引けている親友を交互に見た菫は、溜らず苦笑を浮かべた。

 

「二人とも、そんな顔をするな。こいつはこう見えて白糸台の恩人だぞ? こいつが白糸台を勧めなければ、照は間違いなく違う高校に行っていただろうからな」

 

 菫の衝撃の告白に、女子二人は目を見開いた。反対に、何だか恥ずかしくなった京太郎は視線を明後日の方向に向ける。

 

 本当は長野の高校、風越か龍門渕を推すつもりだった。白糸台を勧めることになったのは、パンフレットの表紙に載っていた白いワンピースの制服を着ている照を、見てみたいと思ったからだ。自分の煩悩のせいで大事な先輩である照が遠くに行ってしまったのだと思うとやるせないが、自分の行動が決め手になったことは、菫の言った通り事実である。

 

 菫の言葉に京太郎が全く反論しないことで、女子二人は彼女の言葉が真実だと悟った。

 

 それからの行動は早い。二人は京太郎に向かい、菫にしたように姿勢を正すと、深々と丁寧に頭を下げた。

 

『知らぬこととは言え、大変失礼いたしました』

 

 素早い変わり身である。後輩への教育が行き届いていると言えば聞こえは良いが、実際にそうされてみると恐怖すら感じる。菫に対してこれでは、照に対してはもっとアレなのだろう。そんな環境に置かれたら京太郎は三日で逃げ出す自信があったが、その点照は肝が太い。不満があれば口にするタイプでもあるし、意見を吸い上げてくれる菫もいる。菫とは頻繁に連絡を取っている京太郎だが、彼女から照が不満に思っているという話は聞いたことはなかった。

 

「ちなみにこいつは、私の前の宮永係だ。照をコントロールすることに関してはおそらく、世界で一番の腕を持っているぞ」

 

 菫の言葉に、二人はより深く頭を下げる。まるで黄門様の印籠を見た悪代官のようである。良くみれば二人とも、かたかたと震えていた。照をコントロールできるということは、白糸台の部内の勢力図に関与できるということでもあった。中学生の男子に大それたことができるはずもないが、『かもしれない』というのはそれなりに恐怖を生み出すものである。

 

 菫を見れば、そんな後輩を面白がっているようで、腹を抱えて小さく笑っていた。やめてやれよ……と無言で口を動かすと、菫は小さく咳払いを一つ。次期部長の顔になって、二人に楽にするようにと言った。

 

「こいつには今日、照の大好物の手作りお菓子を持ってきてもらった。これがないとあいつは機嫌が悪くなるからな……ちゃんと大会最終日までの分は持ってきただろうな?」

「その辺抜かりはないよ」

「それは何よりだ。とにかく、こいつは連れて行く。引き続きよろしく頼む」

『了解です!』

 

 直立不動の女子二人に見送られ、菫と共に京太郎は廊下を歩く。ちらりと振り返ると、どっと全身の力を抜いている女子二人が見えた。流石に今のやりとりはプレッシャーだったらしい。

 

「……高校の部活ってのは皆こうなのか? 随分物々しいんだな」

「宮永照を神格化してる輩が多くてな。後輩たちの間ではいつの間にか、あれが普通になっていた。止めろとも言い難かったから、無理矢理良い方に考えることにしている。周囲を生徒でガードすれば、照がぽんこつとバレる可能性も低くなるだろうしな」

「別にバレても良いと思うけどな、ぽんこつ」

 

 かわいいし、と本音を漏らすと、菫はこれ以上ないというくらいに渋面を作った。普段から苦労している人間、特有の顔である。

 

「そう思えるのは世界でもお前くらいだ。あいつの外面の良さは知っているつもりだが、私はあいつが如才なくインタビューに答えている時でさえ、いつボロを出すのかと気が気じゃない」

「咲も一緒だったらリンちゃん、倒れるんじゃないか?」

「私は次席の宮永係だからな。NO.1はお前で間違いない。代わりたければいつでも代わってやるから、気軽に声をかけてくれ」

「そういうなよ。嫌いじゃないだろ、宮永係」

 

 菫は顔を背け、まぁな、と小さく答えた。何だかんだで菫も、照のことが好きなのだ。高校に入ってからの付き合いであるが、照からも菫が大事な友達であることは良く聞いてる。同時に、こういうところが口うるさいという愚痴も良く聞くが、それも愛情の裏返しだろう。

 

「さて、ではついてこい。三年の先輩は監督と出払っているから、今の内だ」

「そりゃあ、俺には都合が良いけど、どうしたんだ?」

「照ほどの実力者になれば、多少の無理は通るんだ。精神統一だとかコンセントレーションを高めるだとか、もっともらしい理由をつければ大抵は上手く行くようになっているぞ」

「どっちも照さんのイメージには合わないんだけど」

「それは私も同感だが、使える物は使っておかないとな。その特権のおかげで、お前は照と旧交を温めることができる訳だ。懐かしいだろう顔も一つあるから、一緒に激励でもしてやってくれ」

 

 菫の言葉に、京太郎は今年白糸台に入学したという昔馴染みの顔を思い出していた。菫が厳しいとほぼ連日愚痴を漏らす彼女だが、そのシゴキの甲斐あってか、三年卒業後のレギュラーに内定しつつあるらしい。かつては同じ教室に通っていた間柄だが、直接顔を見るのは二年前に釣りに誘ってもらって以来である。

 

 旧友との久しぶり対面に心を躍らせる京太郎の前で、菫は控室のドアを開けた。

 

 広い控室は、龍門渕のものと同じである。広々とした部屋の中には、見覚えのある赤毛の少女がいた。

 

「京太郎!」

「今年も応援に来ました。これ、クッキーです」

「いつもありがとう」

 

 京太郎の渡した紙袋を、照は大事そうに受け取った。一日分ずつ小分けにした袋を一つ取り出し、早速口に運んでいる。ぽりぽりと餌を食べるハムスターのような姿を見ていると、二つも年上の先輩で、現在最強の女子高生とは思えなかった。咲に比べれば随分と大人びた顔立ちをしているが、こうして見ると姉妹だな、と感じるくらい面差しが良く似ている。

 

「須賀!」

「誠子さん、お久しぶりです」

 

 おかしを食べる照をほんわかした気持ちで眺めていると、昔馴染みが駆け寄ってきた。短く刈り込んだ髪は相変わらずで、制服も照や菫のようなワンピ―スではなく、上は白いセーラーに下はスパッツと、まるで運動部員のような恰好だった。これだけを見れば麻雀部とは思わないだろうが、付き合いの長い京太郎は誠子のこういう恰好を見慣れていた。釣りに行った時も、そう言えばこんな恰好をしていた気がする。

 

 気安い口調で昔話に花を咲かせる二人を、照はおかしを食べる手は止めないまま小さく首を傾げ、疑問を口にした。

 

「誠子は京太郎と知り合いなの?」

「小学生の時に教室が一緒でした」

 

 照からの質問に、何も考えずに真実を答えた京太郎は誠子が一瞬強張った顔をしたのを見て、しまったと思った。二人は視線だけで、菫を見る。菫が一日だけあの教室にやってきたこと、それ自体は秘密にすることでも何でもないが、あの日菫が誠子に負けて半べそをかいて逃げ帰ってしまったことは、三人の間で――特に京太郎と誠子の間ではトップシークレットだった。

 

 自分より年上の人間がおらず、実力的に劣る人間ばかりが相手だった中学三年の一年と、自分よりも年上の人間しかおらず、実力で勝る人間に囲まれた高校一年の一年では、どちらがよりタメになるかは言うまでもない。当時は拮抗していた菫と誠子の実力も、この一年で大きく差が開いてしまった。

 

 何より菫は次期部長であり、誠子にとっては虎姫の先輩でもある。かつて勝ったことがあります、ということを吹聴しても誠子にとって良いことは何一つないのだった。

 

「……菫と京太郎は、同じ教室とか言ってなかった?」

「それは違う教室のことですよ」

 

 照の指摘に、京太郎はとっさに嘘をついた。

 

 京太郎が東京にいた時通っていた教室は誠子のいた一つだけなので、詳しく調べれば解ってしまうことではあるのだが、小学生くらいまでは複数の教室に通うということは良くある話で、その辺りは照の方が良く知っている。クッキーをもぐもぐしながら照はじっと京太郎の顔を覗き込んだが、やがて興味をなくしたのか、おかしに専念し始めた。色気よりも食い気を優先した照に、京太郎を始め三人はそっと溜息を吐いた。

 

 菫があの教室に来たのは一日だけだ。顔を覚えている人間さえほとんどいないだろうし、仮にいたとしても白糸台の弘世菫と繋げるのは難しい。菫のあの敗北については、京太郎と誠子が口を噤んでいれば永久に闇に葬られる。誠子ももちろんそれをネタに菫を強請ろうとは思っていないし、菫もそれを恩義に感じて手心を加えたりはしない。かつての対戦相手が同じチームというのも奇妙な縁であるが、誠子が虎姫の候補に上り詰めたのは単純に、彼女の実力に寄るものである。

 

「亦野は知ってるようだから紹介は省こう。こっちが渋谷だ」

 

 菫に促されて前に出てきたのは、いかにも内向的に見える少女だった。

 

 清潔ではあるが洒落っけの少ない髪に眼鏡。俯きがちな視線に、やや猫背な立ち姿。これで三つ編みおさげだったらパーフェクトだ。麻雀牌を握っているよりは、図書委員でもやっているのが似合いそうな風貌である。もちろん、おもちなところも含めて。

 

「はじめまして、須賀京太郎です」

「渋谷尭深です」

 

 眼鏡の奥のたれ目が、京太郎を見つめている。見てて癒される目だな、と京太郎が感心していると、尭深は不意に腕を差し出した。親指だけを立てた、いわゆるサムズアップの形である。その仕草をする意味が解らなかった京太郎は菫に視線を向けたが、彼女も意味が解らなかったのか僅かに驚いた顔で首を横に振った。誠子も同様である。

 

 つまり尭深は、普段一緒に部活をしている人間すら意味の取れない行動を、初対面であるはずの京太郎に向けてしているのである。菫たちの反応を見るに、普段から奇矯な行動をするタイプではないのだろう。そうでなければ菫が、驚いたりするはずがない。

 

 この仕草には一体どういう意味がと考えてみたが、やはり京太郎にはその意味が解らなかった。観念してどういう意味ですか? と視線で問うてみるが、尭深からの返答は腕をその形のまま、もう一度突き出すことだった。お前もやれ、という地味に強い意志を感じる。何故? という疑問は残るが、付き合うだけなら大した手間でもない。京太郎が腕を伸ばして親指を立てると、尭深は満足したように小さく微笑み、腕を引っ込めた。

 

「渋谷、お前何がしたかったんだ?」

 

 菫の問いは照以外の全員の疑問を代弁したものだったが、尭深の返答はそっけなく。

 

「いえ。大したことではありません。お時間を取らせました」

 

 用事は済んだとばかりに奥に引っ込んで、お茶を淹れはじめる。高そうな湯呑を見るに、おそらく自分用だろう。完全に自分に興味を失ったらしいおもちでメガネの美人に心中でがっかりしていると、とりあえずおかしに満足したのか照がつつ、と寄ってくる。

 

 その頬にクッキーのくずがついているのを見つけた京太郎は、無言でポケットからハンカチを取り出すと、それを丁寧に払い落とした。照はされるがままである。年頃の少女が、というのも勿論だが、照はメディアにも露出している最強の女子高生雀士である。その宮永照が実はぽんこつ、というのは白糸台の麻雀部員ならば誰もが知っていることではあるが、お世話させる人間には地味に煩い照が、男子にされるがままというのは白糸台の部員には驚くべきことだった。

 

 その代表である誠子は、京太郎と照のやりとりを見て、はー、と感嘆の溜息を洩らしていた。

 

「弘世先輩の前の宮永係ってのは本当だったんだな」

「菫には悪いけど、京太郎はとっても優秀。おかしも作ってくれるし」

「私だって作れない訳じゃないんだってことは、よく覚えておくようにな」

「それは解ってる。菫のおかしも美味しいし。でも、一番私好みのおかしを作ってくれるのは、やっぱり京太郎。ねえ、京太郎。咲と一緒に沢山稼いで一生面倒見るから、私のために一生おかしを作ってください」

「もったいないお話ですが……」

 

 美少女からのプロポーズとも取れる言葉に、京太郎は一瞬も考えずにお断りの言葉を口にした。照なりの冗談、と理解していたからである。若干、気分を悪くするかと不安ではあったが、京太郎の言葉を受けた照は『残念』とだけ言って、京太郎に背を向けて再びおかしに戻った。

 

 その時、微妙にふくれっ面をしていた照を見ることができたのは、現在の宮永係である菫だけだった。世界一の宮永係でも、解らないことはあるのである。

 

 

 

 

 



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45 中学生三年 二度目のインターハイ編④

ころたん編よりも先に書きあがったので、すこやん編を先に投稿します。


業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 インターハイに参加するのは現役の高校生であるからして、当然参加選手のほとんどはアマ選手となる。そんな彼ら彼女らの解説に駆り出されるのは、現役のトッププロたちだ。地方予選は主にその土地出身のプロが解説を務め、本選ではその中でも特に人気のあるプロが駆り出されることになる。

 

 連続して呼ばれると人気者の証などと言われることもある解説だが、ここ三年以上連続で本選においてこの仕事を請け負っているプロは小鍛冶健夜、瑞原はやり、三尋木咏の三人である。いずれも人気、実力共に申し分ないプロであるが、解説の内容にもまた個性があった。

 

 例えばはやりは教育番組を担当しているアイドルということもあり、初心者向けの解りやすい解説に努めている。子供受けは良いのだがその分、競技者などの経験者にはいまいち物足りないと、あまり評判が良くない。

 

 逆に三尋木咏は自己流の解釈を導入したり、思ったことをそのまま口にしたりとはやりと真逆の路線を行っているが、それがとても解りにくいと子供にあまり評判が良くない。真面目にやればきちんとした解説もできるのだが、人を煙に巻くような物言いは見る人間を選んでしまう。これで咏が持っている要素の内何か一つでもかけていたら連続で呼ばれるということはなかっただろうが、良くも悪くも個性的な解説はある種の人気を集めていた。

 

 小鍛冶健夜の解説は、ちょうどその中間と言える。他の二人に比べて華はないものの、地味で適切な解説は幅広い層に人気が高く、特に彼女が二部リーグに移動し時間の余裕ができてからは関東のアマ大会を中心に解説の仕事も増えるようになっていた。インターハイの解説も、もはや定番である。

 

 そんな健夜が近くに来ているならば、挨拶をしに行った方が良いのではないかと思った京太郎だったが、相手は元世界ランキング二位のトッププロである。連絡先を交換した程度の仲とは言え、果たして軽々しく会いに行っても良いものだろうか。判断に困った京太郎は電話で師匠の咏にお伺いを立てた。

 

「そりゃあ、行けば喜ぶとは思うけどねぃ……」

「やっぱり止めておいた方が良いんでしょうか」

 

 いつでもどこでもどんな時でも頼りになる師匠の反応は、京太郎の予想の通りに芳しくはなかった。別に呼ばれている訳でもないのだし、何かと忙しいだろうプロの時間を取るのも不味いのかもしれない。京太郎が心配していたのはそういう真っ当なことだったのだが、咏が気にしていたのは全く別のことだった。

 

 本番前とは言え、控室というのは皆油断するものであり、特に健夜はその落差が激しいことで仲間の女子プロに知られていた。京太郎の前ではまだ猫を被っている彼女の見栄を粉々に打ち砕くような真似をするのは、流石に友人として忍びないと思った咏だったが、京太郎が挨拶に行けば彼女も喜んでくれるだろう。同級生のはやりが下心なく男の子と話がしたいというくらいなのだ。年下の男性と麻雀談義ができるとなれば、あの健夜だって喜ばないはずがない。 

 

 何より、かわいい弟子である京太郎の頼みだ。叶えてあげたいと思うのが師匠というものである。京太郎の好みを体現したようなはやりの時は力の限り抵抗したものだが、健夜相手ならば間違ってもそんな感情を抱くことはないだろう。安心した咏は、非常に軽い気持ちでゴーサインを出した。

 

「行っとけ、行っとけ。上の方には私が話を通しておくよ。名前を言って、すこやんと約束があるって言えば通れるようにしておくぜ」

「ありがとうございます!」

「良いってことさね。その代わり、私の時にもちゃんと挨拶に来いよ?」

「もちろんです。差し入れ持って、伺わせていただきます」

「約束だからな。楽しみにしてるぜ?」

 

 咏とも約束を取り付けた京太郎は電話を切り、少しだけ時間を潰してからプロの控室がある区画に向かった。いつかのプロの大会のように、そこに続く道にはしっかりと警備員が立っており、京太郎が近づくと油断のない視線を向けて来たが、

 

「小鍛冶プロと約束があります、須賀京太郎といいます」

 

 自己紹介をし、要件を告げると強面の警備員は相好を崩した。

 

「あー君か。三尋木プロから話は聞いてるよ。小鍛冶プロの控室は102だ」

「ありがとうございます」

 

 咏の権力が絶大なのか、そもそも警備が緩いのか判断のつきかねるところである。逆にこんなに簡単に通れてしまって良いのだろうかと不安になる京太郎だったが、これで問題なく挨拶できるのだから、気にすることでもない。

 

 警備員のおじさんが教えてくれた控室の前に立ち、ノックをする。すると、

 

『どーぞー』

 

 という、やけに間延びした声が返ってきた。その声に、京太郎は思わずネームプレートを確認したが、そこには間違いなく小鍛冶健夜の名前があった。彼女の控室の中からどうぞというのだから、普通に考えれば先の声の主は健夜のはずなのだが、京太郎の脳裏にある健夜の姿と先ほどの間延びした声は一致しなかった。

 

 もしかして自分は、見てはいけないものを見ようとしているのではないか。女性に関する嫌な予感は、それなりに当たる京太郎である。考えれば考えるほど疑念は深くなっていくが、してしまったノックを取り消すことはできなかった。

 

 覚悟を決めて、そっと京太郎がドアを開けるとそこには、

 

「こーこちゃん、おかえりー」

 

 ジャージ姿でだらけながら、畳の上でごろごろしている健夜の姿があった。あまりと言えばあまりの光景に、京太郎は絶句してしまう。

 

 物心ついてから現在に至るまで、男子よりも女子と遊んできた京太郎にとって、女性というものは程度の差はあっても基本的にはいつも着飾っているもので、男の前では決して油断をしない生き物だった。間違っても、男の前でジャージ姿で寝ころんで、ごろごろしたりはしないのである。

 

 女性観としては聊か偏ったものだと言わざるを得ないが、一概に京太郎のせいとも言えない事情が彼の人生にはあった。京太郎の周囲にいる少女らは概ね彼への好感度が高く、少しでもかわいく見てもらいたいと思ってその通り行動していた。女性としての油断など入り込む余地のなかった環境が、京太郎の偏った女性観を形成するに至っていた訳だ。

 

 そんな周囲の少女たちの努力もあり、幸か不幸か、京太郎にはこの年になるまで『女子でも人が見ていないところでは油断することがあるのだ』という当たり前の認識が欠落していた。そんな幻想をぶっ壊したのが史上最強の雀士その人であると、一体誰が予想できるだろうか。多感なこの時期に少年が受けたダメージは計り知れなかった。

 

「こーこちゃん?」

 

 いつまで経っても反応のない相方を不審に思い顔を挙げた健夜は、そこで言葉を失っている少年の顔を見て、同じく言葉を失った。ここは何が何でもごまかさないといけない場面だったが、おせんべいを食べながらジャージ姿というのは動かしようのない事実だった。これはもう、時間を巻き戻すか見た人間の記憶を消すしかない。

 

 そしていくら全冠(グランドマスター)と言えど、時間を思い通りにすることはできなかった。

 

 これはもう、そこの地球儀でもって記憶を消すしか――追い詰められた健夜の思考は大分危ない方向に傾き、その手は傍らにあった地球儀にそろそろと伸びていく。このまま何もなければ大惨事の流血沙汰になっていたかもしれなかった、その時、

 

「おーっす、すこやん! 戻ったよ――」

 

 救いの神が颯爽と控室に現れた。今まで京太郎が出会った中で、一二を争うくらいに垢抜けたその女性は、ジャージ姿の健夜とそれを見て絶句している京太郎を交互に眺めて、にやりと笑った。

 

「邪魔者はどっかに行くよ。若い二人でお幸せに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もー、すこやん。元気出してよー。もうすぐ本番だよー?」

 

 回れ右して部屋を出て行こうとした恒子は、必死な様子の健夜に引き留められた。彼女としてはいつも通り気を抜いた健夜よりも、茫然としている少年の方が気になっていたのだが、彼は恒子と二三言会話をするとふらふらとした足取りで部屋を出て行ってしまった。

 

 少年が出て行ってしまうと、健夜は恒子と会話もすることもなく部屋の隅に移動し、後ろを向いて体育座りを始めてしまった。誰とも会話をしたくない、という解りやすいポーズをする健夜に、恒子は慰めるよりも先に笑いがこみ上げてきたが、本番の時間は刻一刻と迫っている。どうにかして健夜のテンションを切り替えるのが、今の恒子の役目だった。

 

 そのためには、先の少年の分析が必要になる。

 

 そも、健夜の部屋にスタッフでもない異性がいることが、恒子には意外だった。健夜の周囲に男の話など全く聞いたことはない。結婚とか恋愛に全く興味がないのか、とすら思っていたのだが、この落ち込みっぷりを見るにそうではなかったらしい。自分の恰好が幼気な少年の心を傷つけてしまったという事実は、少なからず健夜の心にもダメージを与えていた。 その原因となったジャージから着替える気力もない辺りこれは結構深刻であると判断した恒子は、彼女にしては神妙な顔を作って、健夜の隣に腰を下ろした。

 

 華やかな学生時代を送り厳しい就職戦争を勝ち抜き、民放キー局のアナウンサーという花形職業を数千倍の倍率を乗り越えてもぎ取った恒子は、ここまでショックを受けるくらいなら、最初からおしゃれしておけば良いのに、と当然のように思っていた。気を抜いて良い場所と相手をきっちり分けて選んでいる恒子は、健夜のような失敗を全くと言って良いほどしない。

 

 その分、別のところで怒られたり大目玉を食らったりもするのだが、今ではそういうトラブルも楽しめるようにさえなっていた。新人イビリに定評のある年配アナウンサーの地獄のようなシゴキを受けても、一人けろっとしていた恒子は既に同期だけでなく局中の注目を集めるようになっている。一年目でインターハイの実況という大役を任されたのも、明るく豪快なキャラクターもさることながら、その豪胆な精神性を評価されたことが大きかった。

 

 ちょっとやそっとのことではへこたれないと自負している恒子は、落ち込む健夜を前に努めて優しい声を作った。

 

「さっきの子さ、良い子だよね。態々挨拶に来てくれるなんて」

「そうだよね。ジャージで寝ころんでた私は、ダメな大人だよね」

「そうだね。ジャージはないよすこやん。もう少しおしゃれしなって」

「少しは慰めてよ!」

 

 と吠える健夜に、ついつい本音が出てしまった恒子は、態とらしく咳払いを一つ。それで仕切りなおそうとしたが、眼前の健夜がダサいジャージ姿なのを見て、思わず吹き出してしまう。年下の、明らかにリア充コースの女性に笑われた健夜は更に傷つき、本番前であることも忘れて猛然と恒子に襲い掛かったが、嗜み程度に護身術を学んでいた恒子は健夜の攻撃をひらりと避けると背後に回りこみ、健夜と一緒に座布団の上に倒れこんだ。ぐえ、とさっぱりかわいくない声をあげる健夜を、ぎゅー、と抱きしめる。

 

「まぁ、今日が不運だったと諦めて、次からすこやんの大人の魅力で挽回すればいーじゃん」

「……本当にそう思ってる?」

「全然。やっぱり男の子の前でジャージはダメだって。しかもダサい奴」

 

 うぅ……と力なく呻いた健夜が、恒子の腕の中でがっくりと全身の力を抜いた。ダサいジャージはそのままである。どうせ落ち込むなら着替えてからにしなよ、と思う恒子だったが、健夜は慰めないと動いてくれそうにない。めんどくさいなぁ、と思いながらもそんな健夜がかわいいと思った。自分も大概、おかしな趣味をしていると自覚しつつ、恒子は用意していた文言を口にした。

 

「……しょうがないから、さっきの子は私がフォローしておくよ。でも本当、ちゃんと挽回しないとただのジャージ女で終わっちゃうから気をつけてね?」

「ちょっと待って。いつの間に京太郎くんの連絡先を聞いたの?」

「えー? ついさっきに決まってんじゃん。おかしなすこやん」

「……今日初めてあった男の子に、特に理由もなく連絡先とか聞けたりするものなの?」

「明らかにアレな人はお断りだけどねー。それに交換じゃなくて聞いただけだよ。私のは教えてないから」

 

 アナウンサーという準芸能人な立場である以上、連絡先を知らせる人間は選ばないといけない、と今も受けている新人研修の際に嫌というほどに先輩から言われた。同期の中には高収入のスポーツ選手と結婚するためにアナウンサーになったと豪語する人間もいるが、別の確固たる目的があってアナウンサーになった恒子はそれを律儀に守っていた。

 

 男性のメールアドレスなど仕事関係以外では0である。恒子の素早い行動に純粋に尊敬の視線を送っていた健夜は、常々思っていた疑問を思い出した。

 

「……こーこちゃんはさ、京太郎くんって彼女いると思う?」

「すこやん、流石に若すぎるんじゃないかな。一回り下ってちょっとどうかと思う」

「そういうことじゃなくて! その、普通の男の子ってあそこまでショックを受けるものなのかなって思って……」

「さっきの子を普通とは言わないと思うけどなぁ……」

 

 高校大学と広い交友関係を維持し、今も繋がりを切らしていない恒子は、色々な種類の人間を見てきた。中でも大学時代にはかなりの変わり種も色々見てきた自負があるが、そういう人間の荒波の中で鍛えた人物眼で見る限り、先ほどの少年は所謂『普通』にはカテゴライズされないと思った。

 

「ある意味純粋培養だったのかもね。女慣れはしてそうだったのに、女の子のキレーな部分しか見てこなかった奇跡の存在と、こーこさんは見るよ」

「それってどういうこと?」

「普通に暮らしてたら他人の目って少なからず意識するでしょ? 異性の視線なら尚更ね。でも、男でも女でも長い時間一緒にいると、どこかでだらけたりするものなんだよ。家で何をしようと自由だと私は思うけど、家でジャージみたいなものが外でも出たりするものなの。でも、さっきの子の周りにいた女の子は、そういう隙を見せなかったってことで、つまり、あの子の周りは基本的に、あの子のことを好き好き言ってる女の子で固められてるってことね」

「そんなにモテモテなら彼女いるんじゃない?」

「一度でも彼女ができたことがあるなら、あそこまでショックは受けないよ。それにあんなにショックを受けるくらい純粋なら、彼女がいたら一人ですこやんには会いに来ないと思う。まったく、今時珍しい好青年だね。ちょっと重い気もするけど、すこやんが気に入るのも解るよ」

「私のお気に入りというか、咏ちゃんとはやりちゃんのお気に入りというか……」

「んー、それは私が聞いても良い話? いやほら、私ってばうっかりぽろっと話しちゃうタイプだから、大事な話なら黙ってた方が良いんじゃないかなーって思ってさ」

「……こーこちゃん、そういう気遣いできたんだね」

「失礼だなすこやん!」

 

 ぷんすこと、まるで野依プロの真似でもしているかのように怒って見せるが、不思議と彼女のようなタイプがやると愛嬌があった。健夜の数少ない友人の中では、はやりが一番タイプが近いだろうか。アイドルとアナウンサーを比べるものでもないが、はやりと比べても華やかさで見劣りしない辺り、やはりアナウンサーになるだけのことはあるなと思った。

 

 こんな押しの強いタイプでやっていけるのかと不安になった健夜だったが、後に彼女は『人生における運命の出会い』の一つとして、この日の出来事を挙げている。かの全冠(グランドマスター)が誰憚ることなく親友と呼ぶ福与恒子とのコンビは、この初顔合わせの日から、出産を機に恒子がアナウンサーを引退するまで、実に十年もの間、インターハイ名物として親しまれるようになるのだが、ダサいジャージ姿の健夜はまだ、それを知らない。

 

  

 

 

 

 



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46 中学生三年 二度目のインターハイ編⑤

業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 日々応援しているチームの変わる京太郎だが、今日この日は、龍門渕の面々と一緒に行動していた。

 

 空いた時間を使っての東京観光である。これが名門校ならばやれ検討だ、やれ対策だと中々遊びには出られないだろうが、この龍門渕ご一行は気楽なものだった。

 

 もちろん、透華たちも頂点を目指していない訳ではないが、彼女らにとっての麻雀は手段であって目的ではない。名門としての気負いとかそういうものはほとんどないと言っても良く、ある意味、インターハイに出場した学校の中で、最も気負いのない面々と言えた。

 

 それにしても、と京太郎は思う。

 

 先頭をちょろちょろ歩いている衣は、周囲を興味深そうに眺めていた。お嬢様であれば東京など何度来ていても良さそうなものであるが、ご両親が健在であった頃ならばいざ知らず、今の衣ハウスに住むようになってからは、衣は相当な出不精であると聞いている。仲良し六人組とは言え、早々衣を引っ張り出して旅行には行けないだろう。全員で外に出るというのは、衣にとってはそれだけで楽しいのかもしれない。

 

 そんな衣を、お母さんの表情で眺めている透華が衣の後に続き、その隣を一が歩いている。何をするでもなく、ぶらぶらとその後に純が続き、更にその後を歩いているのが、京太郎と智紀である。純ですら、東京という雰囲気にどこかふわふわしているというのに、智紀の態度はどっしりとしたものである。もう何度も来てますといった頼もしさに、思わず京太郎は問うてみた。

 

「智紀さんは、東京に来たことあるんですか?」

「薄い本を買いに何度か」

「あぁ、秋葉原とかそっちですね」

 

 興味がないではなかったが、自身の興味が概ね三次元で解決していた京太郎は、二次元の都たる秋葉原には行ったことがなかった。あの街には十八歳未満お断りのエロいアイテムがごろごろしていると聞いている。そういう物も買ったことがあるのだろうか。男として興味は尽きなかった。

 

 盗み見るようにして、智紀を見る。

 

 智紀は全体的に控えめな龍門渕の中では唯一のおもちと言って良い。意外と着痩せする歩という例外はあるが、今は良いだろう。ともあれ智紀は服装とかに気を遣えば、十分、十八歳以上に見える。身長の高い純と並んで歩いていればもう完璧だが、逆に衣や一と並んで歩いているとその幼い印象に引きずられ、年齢相応に見えるようになる。

 

 悪く言えばどっちつかずという印象であるが、どちらの雰囲気も楽しめるのだから、京太郎から見ればそれは長所だった。背伸びしてどこかに遊びに行くなら、智紀とだな、と心に決めた京太郎に、今度は逆に智紀が問うてきた。

 

「京太郎は東京に住んでたことがあるって言ってたけど」

「住んでましたけど、俺が住んでたのは西の方で都心にはあまり縁がありませんでした。それでも長野の今住んでるところよりは都会でしたけど、この辺とは比べ物になりませんね。都心にも行ってみたいなとは思うんですが、中々機会がなくて」

「私が行くところでも良ければ、いつでも案内してあげるけど――」

「俺はドカ盛りの店とか行ってみてーな。全く調べて来なかったから、どこに何があるのかも解んねーけど」

 

 話を聞いていたらしい純が、歩みを寄せて会話に入ってくる。会話を邪魔された智紀はメガネの奥から純を睨みやるが、龍門渕の不動の先鋒はそんな視線もどこ吹く風である。

 

「それは来年でも良いでしょう。どうせ来年も、私たちが代表になるんですから」

 

 透華の言葉には、自信が満ち溢れていた。それもそのはずである。

 

 まず龍門渕麻雀部の実情であるが、現状、在籍しているのは透華たちしかいない。これは衣を含めた一年生五人で殴り込みをかけた結果、全部員をこてんぱんに蹴散らした結果であり、元いた部員は透華たちに追い出される形で部から離れている。

 

 無論のこと、透華たちの強硬な行いに抗議する生徒もいないではなかった。彼女らは人数を集めて顧問と教師陣に抗議に行ったのだが、では普段団体戦のメンバーをどうやって決めているんだ、という話をされると言い返せなくなってしまった。

 

 元より、龍門渕高校は高校女子麻雀においては強豪校であり、建前上は対外的な結果を求めて活動している。部に貢献したとか、三年生だから優遇してあげようとか、人情的に優先してあげたい事柄は日々あるだろうが、そういうことをしていたら勝てるものも勝てなくなるのは道理である。

 

 これは麻雀部に限らず、順位が決定つけられる全ての競技に共通する原則である。

 

 すなわち、強い奴が偉い。

 

 元々透華たちが君臨するまでの麻雀部も、直前までの成績を元に機械的に代表を選出していた。本番にはこいつの方が強いから、等の理由でその基準を無視することもたまにはあるが、圧倒的な実力差があればそれも考慮されない。唯一懸念があるとすれば、透華たちでは九人野球ならぬ五人麻雀をせざるを得ないところであるが、それは突き詰めて言えば、透華たち以外の部員は彼女らの中から欠員がでない限りは団体戦には出場する目が皆無ということである。

 

 それくらいに、透華たちと他の部員たちの実力差は歴然だった。

 

 透華たちの行いが急なことであることは否めないが、彼女らの方が圧倒的に強いというのは厳然たる事実である。まだ一介の高校生である彼女らに、実力で劣る人間が勝る人間よりも優先的に大会に参加しても良い理由、というのをでっちあげることは不可能だった。

 

 結果、透華たち以外のほとんどの面々は、新たに同好会を立ち上げてそこで活動することになった。彼女らにはいつでも麻雀部に挑む権利が与えられており、もし勝つことができれば、代表は譲るという約束までしている。一つの部として存在していたものが、一つの部と一つの同好会に分かれてしまったのだから、龍門渕としては大事件と言っても良いのかもしれないが、見方を変えれば、普段の部活が形を変えただけとも言える。

 

 透華たちが代表になったことは素直に嬉しいが、追い出されてしまった人間のことを考えると、いつも打ち負かされる側の京太郎としては心も痛む。

 

 この胸の燻りを誰に相談したものかと、京太郎は敬愛する師匠とその友人のプロたちに事のあらましを伝えてみたのだが、彼女らは一瞬も考えることなく、一様に、口を揃えるように透華たちを支持した。

 

『強い奴が偉いってのが当然だろ? それ以外の方法で代表決めるなら、普段から部内リーグ戦とかで序列を決める必要とかねーんだし』

 

 咏の言葉は確信に満ちていた。強い奴が偉いというのは、実力主義のプロの世界では当然とも言える理屈である。

 

『若い可能性の目が摘まれることにだけは、先達として心が痛まないでもないけどねぃ。でもそいつらは同好会作ってまでまだ麻雀やってるんだろ? ほとんどの奴は、お嬢さんたちのことを認めてるんじゃねーかな。牌を置く奴もいたんだろうけど、多少負けたくらいでいずれ立ち上がってやるって意思まで失うような奴は、そもそも競技には向いてねーって』

「……仰る通りです」

『まぁまだ中学生なら思うところもあるだろ。悩める若人を導いてやるのが、師匠の役目でもある。大歓迎はしねーけど、たまになら相談に乗ってやるけどな? 私が捕まらないからって、はやりんとかルーキーの銀髪巨乳とかを頼るんじゃねーぞ。お前の師匠は私だってこと、忘れるなよ』

 

 咏から刺された釘に、京太郎は電話越しに苦笑を返した。なぜなら既に、咏の懸念の通りの事態になっていたからである。

 

 須賀京太郎の師匠は三尋木咏であるから、相談しようと思ったのは当然一番最初だったが、連絡が着いたのは咏が一番最後だったのだ。これで質問した相手の意見が割れていたら、京太郎も困っていただろう。

 

 最終的に師匠である咏の意見に従うことは間違いないが、はやりや良子の反対側に回ることに抵抗があるのも事実だった。全員の意見が一致したのは、不幸中の幸いと言える。

 

 そんなプロにも支持される激闘を繰り広げた透華たちは、五人は全員が一年生で、補欠なしの全員麻雀という漫画のような光景は、県内の耳目を集めた。長野では風越黄金時代が久しく続いていたこともある。一年生が相手をばたばたなぎ倒していく様は、傍から見ている分には大層気分が良いのだろうが、倒される側に知り合いがいる人間としては、手放しに喜ぶ訳にもいかなかった。

 

 透華たちが全国出場を決めたことは、自分のことのように嬉しかったが、その陰で美穂子が負けてしまったのだと思うと心が痛かった。

 

 美穂子は団体戦では風越の先鋒として出場し純を相手に一歩も引かない戦いを演じたものの最終的に風越は龍門渕に大差をつけられて敗北してしまった。大敗したことが尾を引いたのか風越の面々は透華たちが参加しなかった個人戦でも結果を残せず、風越から全国に行くのは美穂子だけという結果となった。これから部を引き継ぐことになるだろう美穂子のプレッシャーは計り知れない。

 

 誰かが勝ったその陰で、誰かが負けるのは勝負事の道理である。全員で手を取り合い、良かったねとは中々言えないものだ。

 

「ところで、京太郎。進学の件は本当に良いんですの?」

 

 長野で今日も麻雀の練習に精を出しているだろう美穂子のことを思い、ブルーになっていた京太郎に対して透華が発したその言葉に、純はまたか、という顔をした。

 

 龍門渕高校は私立の学校であり、優秀な学生を方々から集めている。試験をパスするなどした優秀な学生は特待生として様々な特典を持って入学することができ、衣を始め麻雀部の五人は全員、麻雀関係の特待生として入学した。透華は京太郎が龍門渕に入学するものとして、衣たちと同等の待遇を用意したのだ。学費は一切免除。必要ならば寮費も負担するという破格の待遇である。

 

 それが透華なりの気の使い方というのは解った。何も柵がなければ京太郎も二つ返事でうなずいたのだろうが、最終的に彼は首を横に振った。

 

 一番の理由は、咲のことだ。

 

 麻雀から遠ざかっていた彼女を、再び引き込んだことに京太郎は強く責任を感じていた。事情を話せば透華のことだ、咲も一緒に面倒を見ると言ってくれるに決まっているが、既に完成された五人の中に咲を放り込むのは咲の数少ない友人の一人として、気が引けた。次いで麻雀の実力である。現時点で、透華たちと比べても遜色ない。実力でメンバーを決めるのであれば、この五人の内誰かが補欠に回ることになるだろう。

 

 そうなったとしても、透華たちは誰一人文句を言わないだろうが、透華たちよりも咲がそれを気にしてしまうに違いない。

 

 それに、透華たちは一つ上の学年だ。

 

 一足先に卒業する彼女らの後には、彼女らがロートルと呼んだ部員たちの時代がやってくる。咲が実力で彼女らに勝っていたとしても、数に勝つことはできない。それでも龍門渕の代表にはなれるだろうが、居心地の悪い部活になることは目に見えていた。

 

 翻って言えば、それは京太郎自身にも当てはまる。京太郎は咲とは異なり、他人を黙らせるような対外的な実力を持っていない。自分が陰口を叩かれるだけならばまだ我慢できるが、それで透華たちにまで迷惑がかかっては目も当てられない。

 

 透華の気持ちは本当に嬉しいが……という話はもう何度もしたのだが、未だに透華は納得してくれていない。最初は透華の味方をしていた衣や純も、今では京太郎の味方をする程である。

 

 何度目か知れない透華の言葉に、今日立ち上がったのはいつも通りの順ではなく先頭を歩いていた衣だった。

 

「透華、その話はもう済んだことだ。きょーたろをあまり、困らせるものではないぞ」

「ですけど衣。京太郎が他の学校に行くことに、貴女は納得できまして?」

「それは……衣だってきょーたろが同じ学校に来ないことは寂しいが、きょーたろはきょーたろで衣たちのことも考えた上で結論を出したのだ。立てるべき時に殿方を立てるのが、良い女というものだと母上も言っておられたしな」

「衣がそこまで言うのなら……」

 

 明らかに納得していない様子で、透華は引き下がる。それだけ心を砕いてくれるのは男としても弟分としても嬉しいのだが、何度も断らなければならない側面を考えるとそろそろ勘弁してほしいとも思う。透華以外が味方についてくれているのが救いであり、特に衣が味方になってくれているのが大きかった。衣まで向こうにいたら、流石に京太郎でも押し切られていただろう。

 

 普段はどちらかと言えば我儘を通すタイプなのだが、こういう時には味方をしてくれる。自分で言っているだけあって、姉であろうとしてくれているのだ。弟が困っている時には基本的に、それを助けるように行動してくれる。京太郎から見て、透華たちは全員姉貴分であるが、その中でも一番姉であろうとしてくれているのは、一番身体の小さい衣だった。

 

 衣の言葉で、透華が引いた。それで京太郎の進路に関する話は片付いたが、代わりに空気は重くなってしまった。これについては、衣ではどうしようもない。次に何を話したら良いか解らない、という顔をした衣に助け船を出したのは、

 

「そろそろお昼だけど、どうする?」

 

 智紀だった。明らかにほっとした表情をする衣と透華に、智紀は優しく苦笑を浮かべながらタブレットを操作する。近隣の店をリストアップしているのだ。高校生と中学生だけでも入ることができて、それなりの味の店である。ちらっと覗き込んでみれば、高校生が行くにはお高めの店ばかりであるが、透華と衣がいるのであればこれが普通である。以前に二人のお供をした時も、連れて行ってもらったのは少しお高い感じの店だった。

 

「智紀、少し待て。衣に行きたい店があるのだ」

「あら珍しいですわね。衣がレストランのリクエストをするなんて。それで、どこのお店ですの?」

「ハミレスだ!」

 

 衣の舌足らずな言葉に、その場にいた全員の理解が遅れた。お金持ちのお嬢様である所の衣が、ファミレスに行きたいと言っているのだ。実に高校生らしい提案ではあるが、金銭的には恵まれている層が行く店としては、リーズナブルに過ぎる感がある。根が庶民の京太郎はその方が安心できて良いが、逆に根がセレブな透華は少しだけ不満そうな顔をしていた。

 

 少しで済んでいるのは、彼女を始め、龍門渕のメンバー全員が衣の意思を優先して動くからだ。個々人がどう思うおうと、衣がハミレスと行ったら、ハミレスで決まりである。

 

 しかし、透華の言う通りに衣が食事の行き先で意見を言うのは珍しい。良い子であるところの衣は好き嫌いなどはないが、食に関する執着は薄い。良い物を食べているから舌こそ肥えているものの、何を出されても喜んで食べてくれる。彼女にとっては何を食べるかよりも、誰が作ったか、そして誰と食べるかが重要なのだ。

 

 衣にとって友人というのは、ここにいるだけで全員である。共に食事することが決まっていて、それでもなお場所を指定するということは、ハミレスに特別な思い入れがあるということである。

 

「姉さん、理由を聞いても?」

「笑わないで聞いてくれるか?」

「俺が姉さんのことを笑うと思うか?」

「……そうだったな。お前はそういう弟だ」

 

「以前、父上と母上と東京に来た時、一緒にハミレスに入ったのだ。そこで食べたエビフライの味が、忘れられなくてな。一人になって、一人ではなくなって久しく経つが、東京に来たのならば、食してみたくなったのだ」

 

 予想してはいたが、衣の口から言われると想像していた以上に重い。衣の両親が他界していることは、京太郎も聞いている。その思い出となれば、思い入れも強いだろう。ならば彼女の弟としてすべきことは、その意を汲んで楽しませてあげることである。

 

 京太郎はちらと、透華たちに目くばせをした。衣を楽しませるという一点について、皆の心は一つである。言葉にしなくても、何をしたいかは伝わった。

 

「それで、その……衣はハミレスに行きたいのだが、もし他に行きたいところがあれば、きょーたろの好きなところで良いぞ?」

「いーや、皆まで言うな姉さん。もうあれだ、好きなだけエビフライを食べようぜ! そうだ、疲れてないか? 姉さんさえ良ければ肩車でも何でもするぞ!」

「本当か!? きょーたろ!!」

 

 自分の提案が却下される不安から一転、衣はぱっと目を輝かせた。小さな姉に飛びつかれた京太郎は、彼女を抱え上げるとその肩に乗せる。不安になるくらいに軽い衣はいつもよりもずっと高くなった視線に、大歓声を挙げた。興奮してはしゃいだ衣に頭をばしばしと叩かれながら、京太郎は智紀に目くばせをする。

 

 彼女の役割は数秒前と同じだ。ここから歩いて行ける距離にあり、エビフライがあるハミレス。検索し、その結果を見た智紀は指を顎に当てて僅かに思案すると、手を開いて掲げて見せた。

 

「――歩いて五分だってさ。ならこのまま肩車でも行けるな姉さん」

「うむ。よろしく頼むぞきょーたろ!」

 

 ぱしぱしと頭を叩いてくる衣に気を良くした京太郎は、わざと足を速めてみたりその場で回ってみたりとハミレスまでの五分の道程で、衣を楽しませるために色々なことをした。それに衣は大いに喜び、衣が喜んでくれるから京太郎も更に調子に乗ったのだが、京太郎が何かする度にはらはらしていた透華からダメ出しを貰った辺りで、一行はハミレスに到着した。

 

 智紀の検索でたどり着いたハミレスは、長野にもあるごく普通のハミレスだった。昼時を少し過ぎてはいたが、夏休みということもあり人の入りは上々である。幸いなことに禁煙席には空きがあった。待たされるのでは、という不安もあったが、一先ずは安心である。

 

「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」

「六名です。禁煙席でお願いします」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 

 案内されたテーブルでの席順は、この六人の場合は大体自然に決まる。上座に衣、その左右に透華と一。京太郎は下座の中央で、その左右に智紀と純が座る。ここに歩がいると色々と話がややこしくなるのだが、それはまた別の話である。

 

 ともかく、頭の中がエビフライ一色になっている衣は、きらきらした瞳でメニューを眺めていた。最初から何を頼むか決まっている衣はそのままきらきらとさせて置き、衣の喜びに水を差さないよう、京太郎達はさっさとメニューを決めた。注文を取りにやってきたお姉さんにエビフライ他、注文をしていく所で、衣の揺れるリボンを見ながらあることを思いついた京太郎は、お姉さんにそれをこっそりと伝える。

 

 最初は面食らっていたお姉さんも、視線で衣を示すとまぁ、と小さく声を挙げて納得してくれた。

 

 待つこと、しばし。

 

「おまたせしました、エビフライプレートでございます」

 

 お姉さんの言葉に目を輝かせた衣は、自分の前に配膳されたプレートを見て目を点にした。メニューでは沢山かけられていたタルタルが、実際には全く、これっぽっちもかかっていなかったのである。流石にこれは全くもって想像の外であったらしく、涙どころか言葉も出ない衣は、目を点にしたまま周囲に視線で『これはどういうことだ?』と問いかけた。

 

 それに応えたのは、京太郎の不敵な笑みである。

 

「姉さん。それは俺が姉さんのために、エビフライをタルタルまみれにするためさ!」

 

 吠える京太郎の手には、店員さんにお願いして持ってきてもらったタルタルがあった。小鉢にこんもりと盛られたそれは、衣一人使うには多すぎる程である。これで専用となれば大盤振る舞いも良いところで、弟の意図を遅まきながら悟った衣は、これ以上ないというくらいぱっと顔を輝かせた。

 

「良くやってくれたぞ、きょーたろ! お前はやはりデキる弟だな!」

「はっはっは。そんなに褒めたってタルタルしか出ないぜ? さあ姉さん。冷めないうちにさっさと食べよう。俺がどばどばタルタルをかけるから、姉さんは好きなタイミングで止めてくれ」

「了解だ!」

 

 テーブルに身を乗り出し、遠慮なくどばどばとタルタルをかける京太郎を、衣は楽しそうに眺めている。それは透華の基準で言えば決してエレガントなものではなかったのだが、透華たちを始め、周囲にいた他の客たちも、京太郎と衣のやりとりを微笑ましく眺めていた。

 

 結局、エビフライが見えなくなるくらいにタルタルをかけた衣は、それを美味しそうに食べ始める。かわいいは正義を体現したこの少女を中心に、食べる前から幸福で腹が満たされていた透華たちは、言葉を交わすことなく決意していた。

 

 この笑顔を見るために、来年も必ず全国に来ようと。

 

 

 

 

 

 




次回、ガイトとダヴァンとラーメンと。
次々回(予定)巫女軍団襲来


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47 中学生三年 二度目のインターハイ編⑥

業務連絡っぽいものです。

今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。

共通ルールは

・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。


 インターハイ団体戦決勝が今年も白糸台の優勝で決まり、個人戦が始まるまでの休暇日。

 

 夏風邪を引いた咲が全快したという知らせを、京太郎が受けたのが昨日のこと。父親に連れられて長野から上京してくる咲と合流するために、京太郎は一人、ホテルを出た。

 

 本来であれば照もここに合流しているはずだったのだが、個人戦は明日から開催される。当たり前のように外出し、その日は夜まで帰らないつもりだった照を、菫を始めほとんどの部員が拘束し、ホテルに缶詰めにしているらしい。明日は本選ではなく予選である。菫たちもまさか照が予選で負けるとは思ってもいないだろうが、何が起こるが解らないのが勝負ごとというものであり、周囲には他校の生徒やマスコミの目もある。

 

 迷子の常習犯である照をうろうろさせることは、色々な意味で不味いのだった。妹をこよなく愛している照は、咲を迎えに行けないことを純粋に悔しがっていたが、京太郎が直接ホテルに赴き、必ず一度はここまで連れてくると約束したことでどうにか機嫌を直してくれた。その一部始終を見守っていた白糸台の部員たちは、照の機嫌を直してみせた先代宮永係の手腕に戦慄し、須賀京太郎の名前は無駄に白糸台に響き渡ることになるのだが、それはまた別の話である。

 

 ホテルを出た所で京太郎は時計を見た。時刻は一時を回っている。宮永姉妹のそれぞれと連絡を取り合っていたことで、昼食のタイミングを逃してしまった。咲と合流する前に何か腹に入れておこう。鞄の中からグルメガイドを取り出した京太郎は、せっかく一人なのだからと女性の連れがいては食べられないようなものを食べることに決めた。

 

 ぱらぱらと雑誌をめくり、最初に目に留まったのは油ぎっとりのコテコテのラーメンだった。この手の食べ物は総じて女性には受けが悪く、女性の知り合いが多い京太郎でも、これを喜んで一緒に食べてくれそうなのは純くらいしか心当たりがない。もう少し肉を付けた方が良いんじゃと、たまに不安になる咲ですら、やれ体重だカロリーだと気にするのだ。女というのは解らないものである。

 

 この際だから大盛にして、ギョーザと半チャーハンもつけてやろう。この世でもっとも幸せな考察をしていた京太郎の耳に、ふと、耳慣れない言語が飛び込んできた。今しがたすれ違ったばかりの、女性二人である。英語で会話をするその二人が気になった京太郎は、肩越しに二人を観察する。

 

 その片割れ、背の高い方には見覚えがあった。団体戦準決勝。透華たちが破れた試合で、副将戦で透華と戦った臨海女子の選手である。アメリカからの留学生で、名前は確かメガン・ダヴァン。ひやしとーかを引き出す程の打ち手であり、同時に透華が強敵であると見抜くや、実力に劣る相手をあっさりと飛ばして大将戦に回さずに勝負を決めた選手である。

 

 我を失った挙句、その間に自分以外が飛ばされて勝負が終わっていたのである。元に戻った透華は控室で奇声を挙げて大暴れしたが、おそらく初見だろう透華の能力と実力を前に、それだけ臨機応変な対応ができたのだから、彼女も相当な実力者である。

 

 そのダヴァンと並んで歩いているのだから、連れの女性も臨海の生徒なのだろうが、こちらは外国人ではなく純然とした日本人の風貌である。女性としては決して小さくはない身長なのだろうが、隣のダヴァンが純に匹敵するくらいの長身のため並んで歩いているとかなり小さく見える。

 

 それでもそのダヴァンと比べて見劣りしないと京太郎が感じたのは、身長の差を覆す程の存在感がその少女にあったからだ。切れ長の目に、そこそこのおもち。今は洋服だが、着物とか来ていたらきっと似合うだろう。第一印象で京太郎がその少女に抱いたイメージは『姉御』である。任侠映画に出るには若すぎるが、後二十年もしたら凄まじい存在感を放っていることだろうことは、想像に難くない。

 

 そんな少女を見て京太郎は、以前、霧島神境に剣術を教えに来ていた女性が似たような雰囲気だったことを思い出していた。ジゲンリューとやらの使い手で、全国でも名の知れた使い手であるという。そんな人に雰囲気が似ているのだから、この少女が何か、武術の達人で合っても驚くには値しない。

 

『で、いい加減に目的の場所は解ったのか』

 

 そんな姉御少女の声音は、苛立ちに満ちていた。母国語でないはずの英語で、話しかけられている訳でもない京太郎にもその怒気が伝わるのである。直接話しかけられているダヴァンはたまったものではないだろうなと見れば、

 

『それがどうにも……』

 

 困ったように後ろ手に頭をかくダヴァンには、それほど悪びれた様子はなかった。緩んだ声音に一瞬、額に青筋を浮かべた姉御少女だったが、大きく深呼吸をしてその怒りを収めた。頭痛を堪えるようにこめかみを抑える仕草が、妙に様になっている辺り、ダヴァンは普段からこの調子なのだろう。いらいらしながらもまだ付き合っている辺り、印象の通り面倒見が良い人なのかもしれない。流石姉御、と内心で喝采を送る京太郎を他所に、姉御少女は言葉を続けた。

 

『コテコテラーメンのオススメの店がアリマスと私を連れ出したのはお前だろう。それなのにたどり着けもしないとはどういう了見だ』

『すいません。雑誌で見たラーメンの写真は、とても美味しそうだったのですが……』

『…………その店の名前は?』

『覚えていません』

『住所を控えていたりは?』

『忘れました』

『店の外観くらいは覚えているのだろうな』

『美味しそうなラーメンだったな、としか……』

 

 ないない尽くしのダヴァンの言葉に、姉御少女はついに匙を投げた。

 

『……帰るぞ。ここで粘っても時間の無駄だ』

『そんなゴムタイな!』

『ご無体も何もあるか。辿り着けるかすら解らん場所を目指して延々歩くのも疲れた。美味い蕎麦屋を紹介してやるから、今日はそれで我慢してくれ』

『ジャパニーズオソバは捨てがたいですが、それでも、ああそれでも、私の胃袋はラーメンを欲しているのです!』

 

 ダヴァンのオーバーなリアクションに、またも姉御少女は青筋を浮かべたが、しかし今度は怒りが先ほどよりも持続している。爆発寸前といった少女の姿に、京太郎は助け船を出すことに決めた。ぽんこつ気味な相方に振り回される姉御少女が、どうにも他人のような気がしなかったのだ。

 

『お困りですか?』

 

 英語で会話をしていのだから、それに合わせた。京太郎からすれば当然の配慮だったが、二人にとっては意外なことだった。まさか東京の往来で英語で話しかけられると思っていなかった二人は会話を止め、怪訝そうな顔で京太郎を見返してくる。そんな二人に、京太郎は持っていた雑誌の、折り目を付けたページを見せた。

 

『お話を聞くとはなしに聞いてしまったんですが、そのラーメン屋というのはもしかしてこれだったりしますか?』

『ああ、これです!! この店ですよサトハ!』

『そうか、良かったな』

 

 雑誌を抱えて歓声を上げるダヴァンを横目に見ながら、姉御少女は改めて京太郎に視線を向けた。無遠慮な視線に、京太郎は身を固くする。

 

「日本語……解るよな?」

「ええ。日本生まれの日本育ちです。生まれは大阪ですが、育ちは全国って感じで」

「転校続きだったってことか。私は生まれも育ちもここだから、少し羨ましくはあるな」

 

 姉御はふぅ、と息を吐いた。その仕草は照の面倒を見る菫に通ずるものがあった。こういうことがあったのは、一度や二度ではないのだろう。普段から苦労しているというのが、その仕草からは滲み出ていた。雑誌を手に喜ぶダヴァンはなるほど、悪い人ではないのだろうが、一緒にいると苦労するタイプというのは、京太郎には一目で解った。

 

 姉御少女の方も、京太郎の雰囲気から自分に通ずるものを感じ取っていた。ダヴァンに向けていたものとは違う、柔和な笑みを浮かべる。

 

「私は辻垣内智葉。臨海女子の二年だ。こっちは留学生のメガン・ダヴァン。私と同じで二年だ」

『気軽にメグと呼んでも良いですよ、ラーメンの同志よ』

『須賀京太郎です。中学の三年で、長野から来ました』

『遠くはないが、近くもないな。この時期に来たということは、インターハイの観戦が目的だったりするのか?』

『ええ。地元の先輩が何人か出てるので、その応援に』

『ナガノというと、リューモンブチの応援ですか?』

『それが一つですね。後、宮永照さんが中学の先輩なので、その妹と一緒に応援に来ました』

 

 宮永照の名前に、智葉が沈黙する。彼女の所属する臨海女子は団体決勝で、照の所属する白糸台に敗れたばかりである。応援に来たと公言したばかりの龍門渕も、準決勝で彼女らと対戦した。智葉たちにとって京太郎は、通りすがりの一言で済ませるには随分と運命めいた相手だった。親切にしてくれた。だからお礼をいって、それで別れる。本来ならばそれだけで済むはずの関係だったものが、京太郎の一言で路線変更を余儀なくされた。

 

 少なくとも、京太郎のその言葉に、智葉もダヴァンも大いに興味を刺激されていた。ちら、と視線を交わした二人は、それだけで今後の方針を決める。

 

『ここで知り合ったのも何かの縁だし、このクソ暑いなかまだまだ歩かされたろう未来を変えてくれた礼がしたい。昼飯がまだなら奢ってやるが、どうだ?』

『そこまでしていただく訳には……』

 

 と断りを入れるつもりだった京太郎は、そこで智葉の目を見た。彼女は別に、何も口にしてはいない。ただ、その視線には『まさか断るはずはないな?』という強い意志が感じられた。相手が自分の意思に従うことに、慣れている風である。こういう強気な意思が目に宿っている人間に逆らうとロクなことにならないことは、霞相手に嫌という程思い知っている。

 

『ごちそうになります』

 

 気が付いたら、その言葉が京太郎の口を突いて出ていた。女性の要望は基本的に聞いてしまう性質に加え、強い女性には逆らってはいけないという本能による判断が上乗せされた形だ。

 

 京太郎が自分の思い通りの返事をしたことに智葉は満足そうに頷くと、メグの手から雑誌を取り上げた。また道に迷っては叶わない。先導は自分がすると歩き出した智葉は、京太郎の顔を見てにやりと口の端を上げて笑った。

 

「良い返事だ。幸い、歩いて五分もかからんようだ。後は待たされないことを祈ろうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し飯時を外していたこともあり、ラーメン屋にはすぐに入ることができた。智葉とメグと一緒に、空いているテーブル席に座る。決めていた通りに味噌ラーメン大盛、ギョーザに半チャーハン。手早く注文していると、智葉が苦笑しているのが見えた。

 

「流石に、男子だな? 私もそれなりに食う方だが、そこまでは食えん」

「いやー、中々こういう所に入れなくてつい……」

「ほう? 男子でそこまで気にすることもないだろうから、普段から女子とでもつるんでいるんだろう。男子はお前だけと見たが、どうだ?」

「凄いですね、その通りです」

「中学生にもなると、遊び人以外は同性とつるむもんだと思うが、中にはお前みたいな例外もいるんだな」

「遊び人かもしれませんよ?」

「家業が家業なんでな。浮ついた人間とそうでない奴の区別はある程度は着く。お前はそれなりに実直で、少なくとも遊んではいないと判断した」

 

 智葉の『家業』という言葉に、重みを感じる。やはり見た目通りの『家業』なのだろうか。聞いてみたい気もするが、想像の通りだった場合あまり良いことはない。智葉の態度は京太郎の男子としての好奇心を大いに刺激したが、京太郎はその疑問を飲み込んだ。そんな京太郎を見て、智葉は内心の葛藤を理解する。

 

 智葉がこういう思わせぶりな態度を見せた時、多くの人間が二つの反応を示す。大いに興味を刺激されて質問をしてくるか、関わることをきっぱりと諦めて距離を置くか。京太郎は興味を覚えたが一切の質問をしなかった。それでいて、距離は全く置こうとせずに変わらず眼前に座っている。智葉の周囲には中々なかった反応だった。

 

 ちなみにメグは会って当日に剛速球を投げてきた。『ジャパニーズ・トラディッショナル・ギャングのプリンセスということですか?』間違いではないが正解でもない。あまりにもあけすけに聞くものだから、反論するよりも先に大笑いをしてしまった。自分の生まれのことで、あそこまで笑ったのは智葉の人生で初めてのことである。

 

『――それじゃあ、智葉さんは個人戦に?』

『ああ。個人戦には留学生は出れないからな。日本人だけの枠争いなら、代表を勝ち取るのも楽なものだよ』

 

 智葉は軽い調子で言うが、言葉ほど楽ではないことは京太郎にも解った。アレクサンドラ・ヴィントハイムが監督を務め、留学生を重用することで知られる臨海女子だが、日本人の部員も決して少なくはない。団体に出るという点でハンデを負うことを除けば、世界クラスの海外留学生と切磋琢磨できることは、日本人の選手にとっても決して悪いものではないからだ。

 

 事実、留学生が参加できない個人戦の成績一つをとっても、臨海女子の成績は決して悪いものではない。そんな全国屈指の環境の中、多くの三年生を押しのけ二年生で代表枠を勝ち取った智葉は、同年代の中では傑出した実力を持っているのだろう。当たり前のように彼女は言うが、強豪校でレギュラーを勝ち取るというのがどういうことなのか、方々から話を聞く京太郎は良く知っていた。

 

『そう言えば、来年度の留学生ってもう決まってたりするんですか?』

『おいおい。部外者のお前にそんな大事なことを教えると思うのか?』

『ですよねー。ところでこれは、臨海の事情とは全く関係ないただの世間話と思って聞いてほしいんですが、智葉さん、ヨーロッパの『風神(ヴァントゥール)』って知ってますか?』

『やかましく歌いながら麻雀する奴だろう? 一つ下だが、世界ランカーだからな。直接顔を合わせたことはないが、知ってはいる』

『その人と会場で会いました。臨海女子に留学を考えているそうですよ?』

 

 京太郎の言葉に、智葉だけでなくダヴァンもラーメンを食べる動きを止めた。まさか全く関係ない学校の男子から、来年の留学生に関する有力な情報を聞けるとは、思ってもみなかった。二年以下の部員にとって、来年からの留学生の話は他人事ではない。それが本当であるなら、喉から手が出るほどといかないまでも、是非知っておきたい情報だった。

 

 あくまで飯時の世間話として進める京太郎を他所に、智葉の目がすっと細められた。

 

『本当か?』

『はい。本人から直接聞いたので、そこで嘘を吐かれたのでなければ。あぁ、香港出身らしい連れの方が一緒にいましたが、その人もどうも、留学を考えているようです』

『メグ、何か聞いてるか?』

 

 実力が同程度であっても、留学生と日本人では入ってくる情報の種類が違う。麻雀の実力であれば簡単に負けるつもりはないが、立場の違いは如何ともしがたい。智葉は自分で考えるよりも先に、留学生にして団体レギュラーのメグに問うた。

 

『先月ヨーロッパに出張に行ったのは、その『風神』を口説き落とすためだという話ですよ。『風神』もかなり乗り気だったらしいですが、会場まで足を運んだのなら決まりですね』

『態々日本まで来たなら、そっちの監督と会ってそうなもんですが、『風神』さんとは行き会わなかったんですか?』

『うちにとっては誰を引っ張ってくるかというのはそれなりに重要な案件だからな。できるだけ秘密にしておきたいことなんだろう』

 

 有名人となればそれだけ対策も取られやすい。それをねじ伏せてこそ、という考えの人間がファンの中には大勢いるが、執拗なマークを飛び越えて結果を出せる人間など一握りである。対策はされないに越したことはない。

 

 だが、それは臨海側の事情である。最初からプロとして考えているのであれば、結果を出すことは元より顔と名前を売ることも大事だ。既に世界クラスである『風神』は世界的な知名度こそ高いが、日本における知名度は『知る人ぞ知る』というレベルだ。これから売り出しを、と考えている人間には日本はうってつけの環境であるから、留学の話を受けたのも、将来のことを考えてのことだろう。

 

 その上で、既に契約が本格的なところまで進んでいるのであれば明華にも太い釘が刺されたはずだが、彼女は喜々として事情を教えてくれた。臨海はそんなことで大丈夫なのだろうかと不安に思う京太郎だったが、智葉たちにそれ程の危機感はない。彼女らは生徒であって、管理する側ではないからだ。

 

『来年の団体枠の一つは、『風神』で決まりですね』

『そうか。留学生は大変だな』

『サトハ、他人事だと思って……』

『留学生というそれだけで団体枠を押さえているんだ。激しい競争をするのも、良いもんだろうよ』

 

 ふふ、と得意そうに笑った智葉は、改めて京太郎を見た。

 

『一応断っておくが、これから聞くことはなかったことにしろ?』

『心得てますよ?』

『結構だ。監督に直接話を聞いた訳ではないが、今の時期は大体来年度の留学生候補が出揃っているものだ。メグが聞いたらしい、『風神』はその筆頭だろう。私が聞いたのはグルジアから一人。学校側の本命は、こんな所だろうな』

『香港の方はどうですか?』

『調べれば解るかも、という程度だな。先の二人に比べれば知名度は落ちると思う。おそらく中国式の麻雀で鳴らした選手なんだと思うが、少なくとも私は知らんな』

 

 現在はルールがシンプルで、試合時間が比較的短い日本式がスタンダードである。人口が多いだけあって、中國麻雀を嗜む人口は多く、そこから世界的な選手も生まれているが、日本ではそういう選手の情報はあまり入ってこないものだ。同じ東洋人では絵的に代わり映えしないという、臨海側の事情もある。東洋人の留学生というのはあまり重要視されていないと、ファンの間では評判になっている。

 

『後はそうだな……来年からレギュレーションが変わって団体戦の先鋒は日本人でないといけなくなるらしい。これはまだ本決まりではないらしいんだが、近年はずっとうちは五人+補欠も留学生という布陣だったからな。無理もないだろう』

『順当に行けばサトハで決まりでしょう。二年以下で貴女に勝てる人はいませんからね』

『私もそう思うが、何か実績が欲しいと思っていたところだ。京太郎には悪いが、ここで宮永照を血祭に挙げて、来年に向けて弾みをつけるのも悪くはないな』

 

 くく、と智葉が邪悪に笑う。京太郎にとって、最強の女子高生とは宮永照その人である。智葉がどの程度の実力なのか知らないが、二年で臨海の個人戦代表ということは、相当な実力者であることに違いはない。照を血祭というのも、それなりに自信があることが解る。これで決勝まで残り、照と戦うとしたら奇矯な縁であるが、それにはまずどちらも試合で勝つことだ。

 

 個人戦は明日からである。照以外に注目する選手は、実のところ関東にはそれ程いないのだが、今年は辻垣内智葉という楽しみができた。

 

『それなりに楽しかったよ。気が向いたら連絡でもしろ。麻雀に関することなら。それなりに力になれると思う』

 

 いつの間にか、全員がラーメンを食べ終わっていた。メグに至っては話しながら二杯も丼を空にしている。幸せそうに腹を摩っている姿を見ると、とても透華と戦えるほどの強者には見えないが、龍門渕の大将は強そうに見えない見た目筆頭の衣である。彼女と比べれば上背のあるメグは、正統派の強者と言えた。

 

 支払いは伝票を持った智葉が払った。奢りなのに大盛でギョーザ半チャーハンというのは、やり過ぎたかと思ったが、支払いをする智葉にそんなことを気にした素振りはなかった。店を出ると、智葉は無言でメグに手を差し出す。

 

『お前に奢るとは言ってないぞ』

『解ってますよ……』

 

 メグから代金を回収すると、智葉は京太郎に向き直り腕を差し出した。握手かと思ったが、違う。親指を立てた所謂サムズアップの形に、京太郎の目は点になった。白糸台の控室でも同じ仕草を見た。まさかここでもと誰が想像するだろう。

 

「それ、流行ってるんですか?」

 

 京太郎の問いに、智葉は無言で腕を突き出した。親指は立てられたままだ。尭深よりも強い、『お前もやれ』という意思表示に、京太郎は渋々と言った風でそれに従った。京太郎が突き出した指を見て、智葉は満足そうにほほ笑む。

 

「それじゃあな。宮永照の友達のお前には悪いが、今年は私が勝たせてもらう。今から祝いの言葉でも、考えておくんだな」

「期待しないで待ってますよ。今年も、優勝するのは照さんですから」

 




インターハイ編もそろそろ打ち止め。
上京した姫様編くらしかぱっと思いつかないので、それが終わったらあわあわ編に入るかもしれません。


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48 中学生三年 二度目のインターハイ編⑦

 転校を繰り返してきた京太郎には、全国に知り合いがいる。その中で、今も連絡を取り続けているのがほとんど女子というのは流石に特殊と認識しているが、それはさておき。一時期、電話やメールを受けた段階で、画面を見なくてもそれが誰か解るようにと、地域ごと、個人ごとに着メロを分けるという遊びをした。

 

 今はそんなことはしていないが、変更することに違和感を覚えた女性は設定がそのままになっていることもある。

 

 鹿児島、霧島神境の石戸霞はその一人で、更に地域ではなく個人で設定されている内の一人だった。耳に入った段階で覚悟が決まるようにと設定したのに、それが耳に聞こえた段階でびくついてしまうのだから、意味がないような気がしないでもない。

 

 耳に残るおどろおどろしいテーマに、思わず背筋が伸びる。その電話がホテルの外では常に一緒に行動している咲が、たまたまお手洗いにたった瞬間にかかってきたとなれば、本気で巫女さん印の使い魔で監視でもされているんじゃ、と疑うのも無理からぬことではあった。

 

「おはよう、京太郎」

 

 恐る恐る電話に出ると、耳には聞きなれた姉貴分の声がする。穏やかな声音の中にも、隠しきれない剛田武的感性(ジャイアニズム)を感じる姉貴分に、京太郎は身体の緊張を良く解してから、挨拶をした。

 

「おはようございます。霞姉さん」

「突然で申し訳ないんだけど、小蒔ちゃんに電話してもらえる?」

 

 電話をかけて電話をしろというのもおかしな話だが、その理由に京太郎はすぐに思い至った。もうすぐ個人戦予選が始まる時間だ。小蒔第一である霞からすれば、直前に励ましの電話を要求するのは当然と言えた。

 

「解りました。すいません、お手を煩わせたみたいで」

「貴方にも付き合いがあることは、私も理解してます。でも、それで過去の付き合いをないがしろにするのは、どうかと思うわ。もう少しで良いから、小蒔ちゃんのことを構ってあげてね?」

「すいません、気を付けます」

 

 小蒔には電話もメールもしたが、京太郎は素直に謝った。試合前で不安になっている時こそそういうことは必要と霞は判断したのだろう。一人になって集中する時間が欲しいタイプもおり、照や菫などはそのタイプだが小蒔は違うらしい。

 

 ついでに言えば、咲と一緒で手が離せなくなると最初から解っていた京太郎は、個人予選に出場する知人にはあらかじめ励ましのメールないし電話をしていた。

 

 と言っても、照以外に出場する者は少なく、長野からは美穂子と大阪千里山のセーラと永水の小蒔、先日知り合った智葉くらいのものである。団体の決勝で白糸台に負けて準優勝で終わった臨海女子の智葉には、『宮永派のお前が準優勝で終わった学校の私に何の用だ?』と軽く嫌味を言われてしまったが、それはそれだ。

 

 負けた後に相手チームの関係者から電話がきたら、嫌味の一つも言ってみたくなるのは当然のことだろう。そんな智葉も個人戦では宮永に勝つと燃えていた。留学生ばかりのチームで団体戦に出られるかどうか。その指標の一つになるのだから、力も入るというものだ。

 

 智葉の実力は知らないが、団体メンバーであるメグが認めるのだから、相当な実力者なのだろう。実際、臨海の日本人の中では最強というのだから、照に勝つと意気込むのもあながち自信過剰とは言えない。

 

 麻雀に青春を賭けるというのは、こういうことを言うのだろう。掴みどころのない照も、麻雀に真剣に打ち込んでいる。逆に、麻雀を修行の一環として考えている小蒔たちは、照たちとは違った捉え方をしていた。あちらも確かに真剣に取り組んでいるのだろうが、そこにおける勝ち負けというのは小蒔たちにとっては単なる結果に過ぎない。それに一喜一憂はするだろうが、それだけだ。例えば同じ負け方をしても、智葉と小蒔ではその捉え方が大きく違う。

 

 小蒔たちのことは好きだし尊敬もしているが、自分とは微妙に距離のあるスタンスには、京太郎にも思うところがあった。どういう取り組み方をするかも勿論、個人の自由で京太郎が口を挟むことでもないが、やっぱりなぁ、と割り切れないのが、若さだった。

 

 そんなもやもやを引っ込めて、小蒔の番号を呼び出す。コールがあったのは三回。万事のんびりしている小蒔にしては素早い反応だ。

 

「もしもし?」

「ああ、小蒔姉さん。そろそろ予選だから、迷惑かもしれないけど応援の電話を――」

「そんなことありません! 京太郎の声を聴けて、小蒔お姉ちゃんには百人力です!」

 

 のんびりした小蒔には珍しく、声には力が籠っていた。これはもしかするともしかするかもしれない。小蒔は地力こそ全国区の選手の中では標準以下であるが、いざという時の爆発力は凄まじいものがあった。身をもって体験した京太郎は昔から小蒔のことを知っているが、ほとんどの選手はそうではない。一部の情報通が、あの霧島神境の、と話題にしているくらいだ。

 

 これでコンスタントに神様を降ろすことができれば、照にも勝てるか、と京太郎でも思えるのだが、いつでも呼べる訳ではない上、好きな神様を呼べる訳でもないため、能力として強力な代わりに、自由度はとても少ない。

 

 うおー、と電話の向こうで燃えている小蒔を聞くに、励ましの電話は成功したようだ。安心し、しかしどうやってこの電話を切ればよいのか迷っていると、電話口の別の人物が出た。

 

「京太郎? ごめんね、忙しいのに」

「巴さん。すいません、そっちまで行けそうになくて」

「地元の先輩なら、そっちを応援しないとね。まぁ、一緒に東京観光とかできたら嬉しくはあったんだけど」

「今度、必ず何か埋め合わせをしますから、霞姉さんにも伝えておいてもらえますか?」

「普段からそういう風に言ってるんでしょ? ダメだよ、自分を安売りしたら。霧島の巫女にそんなこと言ったら、明日から神主だよ?」

 

 それは鹿児島にいた頃、地元の人から良く聞いたブラックジョークである。冗談のはずなのに冗談に聞こえないのは、霧島の巫女に捕まった男性は、大抵は逃げることができずに神主かそれに類する職業になってしまうからだ。巫女さんから聞いたのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 

「あ、そうそう京太郎。小包で送ったお守り、ちゃんと持ってきてる?」

「ええ、胸ポケットに」

 

 先日、巴からもらった小包には手作りらしいお守りと一緒に、東京に来る時は手放さないように、と手紙が入っていた。お守りを携帯する習慣はないが、こういう時くらい神様のお力にすがるのも悪いことではないだろう。人事を尽くしたのも京太郎ではないし、霧島の神様であれば小蒔を贔屓しそうなものだが、捨てる神あれば拾う神ありだ。何事もしないよりはマシと、京太郎は巴からもらったお守りに『照が優勝できますように』と願掛けをした。

 

 その通りに勝ってくれれば良いのだが、そんな事情を知らない巴は京太郎の言葉に安堵の溜息を洩らした。

 

「良かった。これ、霧島のおまじないなんだけど、枕の下にお守りを入れると、寝つきが良くなるの。今晩試してみて?」

「? 解りました。やってみます」

 

 急に小声になった巴に些か不審なものを覚えたものの、疑問を口にするには至らなかった。そのまま軽い世間話をして電話を切り、咲と合流して会場に入る。照におかしを渡して咲分も補給させれば準備は完了だ。年上の部員たちに盛大に見送られ、応援席に移ると照の応援に入る。

 

 画面越しであるからいくら応援しても声は届かないのだが、それは気分の問題だ。おかしを手にした照に勝てる女子高生などそういるとも思えないが、お守り同様、多分やっておいて損はない。相手よりも自分のために応援するような心地で、京太郎と咲は観戦室で照のうち回しに熱狂した。

 

 その熱狂冷めやらぬ内に、予選は滞りなく終了する。

 

 予選一位は大方の予想の通り照で、二位が何と智葉だった。思わぬ好成績にお祝いの電話をした京太郎だったが、一位突破をするつもりだったらしい智葉の機嫌は大層悪く、十分少々愚痴に付き合わされてしまったが、明日以降は目にモノ見せてやると頼もしい言葉を聞くことができた。それでも勝つのは照さんですよ、という言葉をぐっとこらえることができたのは、それだけ大人になったということなのだろう。

 

 その二人に三箇牧の荒川さんとやらが続き、四位が南大阪は姫松高校――メールで郁乃が『うちの強い子』と言っていた愛宕洋榎となっている。五位が小蒔でセーラ二つ順位を開けて七位、美穂子はその一つ下の八位と蓋を開けてみれば予選に出場した知り合い全員が、予選通過していた。照の応援に来ているのだとしても、誰か一人でも予選落ちしていたら暗い気分になっていただけに、全員通過という結果は京太郎にとってありがたいものだった。

 

 咲は姉が予選通過したことを大いに喜び、京太郎の手を引いて白糸台の控室に直行する。菫から照が迷子になったと救援依頼のメールが来たのは、ちょうどその頃だった。激励にきたついでに捜索部隊に参加した京太郎は白糸台の誰よりも先に照を発見し、またも彼女らから感謝されることになった。

 

 当代の宮永係である菫からは、お前は照レーダーでも持ってるんじゃないかと勘繰られもしたが、京太郎からすれば何となく分かったとしか言いようがなかった。悪びれなく合流した照に菫が雷を落とす一幕もあったが、とにもかくにも、予選トップ通過である。

 

 明日以降の個人戦でもこれが続くことを祈りながら、京太郎は咲と共にホテルに戻り、早めに床に着いたところで巴の言葉を思い出した。寝つきが良くなるのなら、それに越したことはない。手作りのお守りを枕の下にそっと仕込み、京太郎は今度こそ眠りに着いた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――はずなのだが、何とも言えない違和感で目を覚ました。

 

 はっきりしない意識のまま身体を起こすと、そこには見覚えのある風景が広がっている。秋の穏やかな風が吹くそこには、美しい紅葉が広がっていた。この季節はここにいるだけで楽しいと、巫女さんたちが口を揃えて自慢していた、霧島神境の森の風景である。

 

 京太郎は離れの縁側に腰掛けていた。霧島に泊まる時に、いつも使ってたあの離れである。霧島にいる時にここにいることに違和感はないが、そもそも京太郎は東京のホテルで床に着いたはずで、その辺りの記憶ははっきりとしていた。巫女さんが絡むならば何でもありだが、離れた場所にいる人間を瞬間移動させることができるとは、聞いたことがない。

 

 それでも、できたところで驚きはしないが、それができるのだったら京太郎は、もっと巫女さんたちと顔を合わせていただろう。違和感に首を捻っていると、背後から声が聞こえた。

 

「こんばんは。こんにちはかな? どっちだろ」

 

 喜色に満ちた声音に振り向くと、そこにいたのは巫女の衣装の巴だった。ここが本当に霧島ならば当然の人選とも言えるが、同級生の春や姉貴分の霞や初美よりも先に巴が現れるのは、やはり違和感を覚えなくもない。考えがまとまらない京太郎を他所に、巴は手を伸ばして京太郎の頬に触れた。

 

「――接続完了。うん、久しぶりに試してみたけど、良い感じだね」

 

 その言葉でこの不思議な現象が巴の仕業であることを、京太郎は理解した。

 

「あのお守りですか?」

「その通り。普段からこんなことできる訳じゃないよ? 二人とも東京にいて、京太郎が私が用意した触媒を持ってるからできることなの。あのお守り、一つを一組に分けた特別製で、私の枕の下のはもう一つ同じ物があるの」

「どうしてそんな回りくどいことを?」

「こうでもしないと、独り占めできないしね……鹿児島だと中々私の番は回ってこないし、京太郎の方が友達と一緒なら尚更ね。ずっと鹿児島にいてくれたらなぁって思うよ、私は今でも」

 

 縁側の隣に、巴が座る。霧島神境で、巴と二人きりだ。あそこでは常に誰か一緒にいた気がするが、巴と二人きりということはほとんどなかった気がする。美人のお姉さんが一緒にいたいと言ってくれているのだ。男としてこんなに気分の良いことはないが、そうなると懸念が一つ持ち上がる。

 

 巴ができるということは、他の巫女さんにもできる可能性がある。そして、小蒔の応援で東京にやってきているのは物的守護担当の巴だけではない。

 

「霞さんと姫様も同じ物を用意はできないと思うよ。姫様も霞さんもこういう術はそんなに得意じゃないし、同年代の中ではそこそこ得意な私が準備しても、触媒一組作るのに一年かかったから」

 

 だから、安心という訳にはいかない。巫女さん力に関して京太郎は専門外だ。プロである巴が大丈夫というのだから大丈夫と思うのだが筋なのだろうが、相手も同様に巫女さんであり、京太郎が頭の上がらない女性のナンバー2に君臨する霞が相手だと、全くもって油断はできなかった。

 

 自分の言葉にも全く安心していない京太郎に、巴は気持ちは解るよと苦笑を浮かべた。

 

「できることがあるなら、しそうではあるよね霞さんも。それに、鹿児島以外にも、私たちみたいに考えてる娘は一杯いそうだし。でも、どれくらい? とは聞けないね。これでも臆病なんだ、私」

 

 すっと細められた巴の目が、京太郎を捉える。浮気を疑われている夫というのはきっと、こういう心境なのだろう。男というのは大概に、美人に凄まれると言葉が出ない生き物だ。きょどりだした京太郎に、巴は微笑みを浮かべると、正面から京太郎の身体を抱きしめた。

 

「だから、今の私はしたいことをするよ。私一人、京太郎も一人。うん、一人占めだね?」

「何か、今日の巴さんは巴さんらしくないですね」

「私だって、たまにはしたいことをするよ? でも、これが夢だからっていうのもあるかな。私でも半々くらいの確率だけど、京太郎の方はほぼ間違いなく、ここでのことを憶えていられないと思うから」

「相手が忘れるようなことのために、一年も準備したんですか?」

「そんなことってのは酷いなぁ……私にとって、京太郎にはそれだけの価値があるんだよ」

 

 そっと、目を閉じた巴の顔が迫ってくる。京太郎が考えたのは、自分を抱きしめる巴の身体が柔らかいことと、巴はやっぱり美人なのだな、ということだけだった。夢の中というのが影響しているのか、微妙に考えがまとまらない。ここでこうするのは良くないことのような気もするが、巴がしたいならさせてあげたい気もする。

 

 そしてそれが、巴の望むところだった。どうせここは人の夢の中。文字の通り儚く消えるものであれば、恥はかき捨て。したいことはするべきだと巴は開き直っていた。現実では絶対にできないことをしよう。そのために一年もかけて準備をしたのだ。時間は有限。まずはちゅーからと気合を入れたその矢先、巴は背後に悪寒を感じた。

 

 それと同時に、巴の身体は反射的に動いていた。振り向き、指先に霊力を込め、振りぬく。長年の訓練のたまもの、流れるようなその動作はこの年齢としては100点満点に近い物だったが、ここは夢の中。現実とは環境が異なる上、反撃が来ると身構えていれば、防げることもある。

 

 巴の会心の一撃は、あっさりと防がれた。腕を振りぬいた巴と、その腕を受け止めた霞。接触した状態で交錯した視線には、火花が散っていた。

 

「……一応聞いておきますが、どうやってここに?」

「巴ちゃんが準備をしてるのは知ってたから、それに便乗させてもらったの。あれだけうきうきしてたら、小蒔ちゃん以外は気付くわよ?」

 

 ぬかった、と巴は心中で後悔した。この手の術で何が難しいかと言えば、夢を繋ぐための触媒を準備することと実際に夢を繋ぐことである。誰かが夢を繋いだ後ならば、それに相乗りすることは六女仙に選ばれるくらいの巫女ならば造作もない。霞の専門は小蒔と同じ『神降ろし』であるが、通り一遍の術は習得している。夢に相乗りするくらい訳はないだろう。

 

「そんなにうきうきしてました?」

「してたわ。それはもう、恋する乙女ってくらいに」

「へぇ、それはいつもの霞さんと同じくらいってことですか?」

「何を言ってるのか解らないわね。それより、せっかく一緒になったんだから私も同席させてもらっても良いかしら?」

 

 確認の体を取ってこそいたが、それは実質的な強制だった。今や全員の夢が繋がっているとは言え、所詮は夢である。この術を構築した巴ならば今すぐにでも霞を叩きだすことも可能ではあるが、巴と霞は非常に近い場所で寝泊まりをしている。一足先に目覚めた霞が、その報復として巴までたたき起こすことは想像に難くない。

 

 全てを台無しにされたくなかったら、私にも良い思いをさせなさいと霞は言っているのだ。こうなってしまった以上その提案を受け入れるしかないのだが、タダで引き受けることは、納得しがたかった。何しろこの一晩のためだけに一年も準備を費やしたのである。それに何の協力もしなかった霞にタダで相乗りをさせるのは、とても悔しい。

 

「勿論、お礼はするわ。まだ何も決めていないけれど、それは追々二人で決めていきましょう」

 

 言質は取った。悪くはない落としどころだろう。一人で楽しむのが二人になったのは正直痛いが、背に腹は代えられない。夢の中とは言え、京太郎相手に好き放題できるチャンスなのだ。京太郎は普段は長野にいる。触媒を準備できて、かつ接近できるような絶好の機会は、これを逃したらいつになるか解ったものではない。

 

 霞の提案を飲もうとしたその瞬間、巴の脳裏に懸念が思い浮かんだ。

 

「ん、ちょっと待ってください。霞さんがここにいるってことは、姫様は今一人ってことですか?」

「小蒔ちゃんの寝入りの深さは巴ちゃんも知っているでしょう?」

 

 それを聞いた巴の血の気が引いた。巫女としての技術力について、実のところ小蒔はそれほど高くはないのだが、資質は六女仙の誰と比べても――それどころか、歴代の神代の巫女全ての比較しても五指に入る程の資質を持っている。技術がそれに及ばなかったとしても、九柱も神を降ろすことのできる膨大な霊力を使って、力技で介入することなど造作もないことだ。

 

 術そのものの構築に専念するあまり、巴は外部からの攻撃に対して何の備えもしていない。霞がすんなり介入してきたのが良い例だ。こんな状況で小蒔に力技で介入されたら、巴にはなす術がない。しかもここは夢の中。小蒔の膨大な霊力の前には、巴など風の前の塵に同じである。

 

 加えて、小蒔は夢とは相性が良い。巴たちは三人とも別の部屋で寝ているが、お守りを触媒に離れた京太郎の夢を繋いだことを考えたら、そんな距離はないに等しい。巫女というのは一般人が思いもしないことをやってのけるものだが、神代の長い歴史の中でも有数の、九柱の神を降ろすことのできる小蒔は当代では筆頭だ。

 

 じわりと、悪寒が形になっていく。それは巫女である巴と霞は当然として、ただ人である京太郎もそれを感じ取っていた。巴と霞の後ろに、すさまじい存在感を持った小蒔が立っていた。いつも日の光のような微笑みを浮かべている顔は能面のようになっており、見る者を例外なく跪かせる程の神々しさを身にまとっていた。

 

 神が降りている。それを理解できたのは巴と霞だけだった。巴は一応、戦う素振りを見せていたが、自分も神を降ろすことができる霞は、それが如何に無謀なことかを良く知っていた。軽く両手を挙げ、あっさりと降参した霞に、巴は猛然と抗議の声を挙げた。

 

「ちょっと霞さん、諦めないでくださいよ! ここで諦めたら一年分の苦労が――」

「残念だけど、また一年苦労してちょうだい」

「ちょ、姫様、今すぐ起きて――」

 

 巴の必死の抵抗も空しく、小蒔は無造作に腕を振りぬいた。瞬間、不可視の力が飛んで巴と霞を消し飛ばす。見たままを受け入れるのならば、巴と霞にとってはまさに大惨事なのだが、巴が説明した通りにここは夢の中。多少不思議パワーで消し飛ばされたところで、朝がくれば普通に目覚めるだろう。

 

 イレギュラーが起こった時にどうなるのか。そんな説明を受けた覚えはないが、何故だか京太郎はそれに確信を持っていた。それを不思議だとは思わない。何故ならこれは、夢なのだから。

 

 京太郎の隣には、小蒔が座っている。神々しい雰囲気は消え去り、いつものぽやーっとした小蒔に戻っていた。夢の中なのに寝ぼけ眼の小蒔は、隣に京太郎が座っていることに気づくと、ぱちりと目を開いた。

 

「京太郎!」

「はい、京太郎ですよ。小蒔姉さん」

「ああ、本当に京太郎です!」

 

 感極まった小蒔は、思う存分京太郎を抱きしめた。豊かなおもちの感触に思わず頬が緩むが、間近に迫った小蒔は興奮した様子でまくしたてた。

 

「予選突破できましたよ! これも京太郎が電話で励ましてくれたおかげです!」

「見てましたよ。流石小蒔姉さん、かっこよかったですよ」

「当然です! 私はお姉ちゃんですから!」

 

 むふー、と得意そうに息を漏らす小蒔に、京太郎は内心でかわいいなぁ、と思った。それから、小蒔は嬉しそうに、今日の予選でどう打ったということを話した。照の応援をしながらも、小蒔のこともモニタでみていた京太郎は、小蒔の言うことは全て理解していたが、今初めて聞いたという風に黙って耳を傾けた。

 

 小蒔は嬉しそうにほほ笑んでいる。朝起きたらこれを忘れてしまうことを、京太郎は寂しいと思った。




一方、姫様にやられてしまった二人は即座に跳ね起き、悔しさのあまり蒲団の上をごろごろ転がりました。


忘れてることがなければ、これで全国編は終わりで次回からあわあわ編になります。


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49 中学生三年 SMT編① 淡、現る

アルファベット三文字は『Successor of Miyanaga Teru』の略です。
テル・ミヤナガだと何となく嫌だったのでこの順番となります。文法? として合ってるかは解りません。雰囲気でつけました。



 色々あった夏も過ぎて二学期。部活に所属していた生徒も引退し、そろそろ受験勉強に本腰を入れようかという時期に差し掛かった頃。第一志望である清澄がA判定である京太郎は、他の生徒よりも幾分余裕を持って日々を過ごしていた。

 

 あまりに手持ち無沙汰だったので、放課後の教室、何となく咲の宮永ホーンを引っ張ってからかっていると、教室に男子生徒が飛び込んできた。

 

「大変だ、須賀!」

 

 彼は麻雀部の部長だった男だ。最後の夏の大会も終わって部長を二年生に譲った後、受験勉強をする傍ら後輩の指導を行っている。去年までは龍門渕を第一志望としていたのだが、透華たちが他の部員を叩きだした一件で他の学校へと志望を変えたとか何とか。

 

「何だどうした」

「麻雀部に道場破りだ。とにかく来てくれ」

「道場破りって……」

 

 京太郎は呆れた様子で呟いた。将棋や囲碁やオセロなどの文化部では巷の腕自慢が突撃してくるのは稀に良くあることだ。麻雀は今の時代では最も人気のある文化系種目であり、特に照が在籍していた間は彼女の知名度もあって、そういう輩が後を断たなかったのだが、照が卒業してからはそれも少なくなった。

 

 清澄中の麻雀部は、良くも悪くも照のワンマンチームだった。彼女に引きずられる形で他の部員たちの実力も上がっていたが、インターミドルを二連覇したチームも、照の卒業で全国から遠ざかっている。それでも長野県において有数の強豪校には違いないが、照がいた頃に比べると道場破りからは魅力がなくなってしまった。

 

 それが、今の時期に道場破りである。インターミドルもインターハイも終わり、学生が関わる麻雀のイベントはコクマに照準が移りつつある。これは公式戦の成績が大きな判断基準となるため、地区代表はそれ以前に公式戦にデビューする必要があるものだ。

 

 そのため、道場破りのシーズンは夏休みに入る前が定番となっている。もしかしたらインターミドル、インターハイに参加できるかもしれない、という甘い目論見の元に挑み、そのほとんどが儚く散っていく。毎日真面目に部活に打ち込んでいる人間に、そうでない人間が練習量で勝てるはずもない。道場破りは敗れるというのが世間の定番でもあるのだが、部長氏の態度を見るにそうではないらしい。

 

「麻雀部以外で、麻雀部のレギュラーに勝てる奴なんていたか? その道場破り誰だ?」

「実は、大星淡なんだ」

「大星って、あの大星か……」

 

 さもありなん、と京太郎は溜息を吐いた。

 

 大星淡というのは、京太郎の学年の有名人である。男子が行う女子には秘密の――と、男子だけが思っている女子の人気投票で、毎度上位にはくるがトップにはなれない女子生徒だ。おもちが残念なことを除けば京太郎の目から見ても見た目は文句なしなのだが、彼女にするにはちょっと……と多くの男子に思われている残念美少女である。

 

 理由は色々ある。この大星淡、とにかく騒々しく、ウザくて偉そうなのだ。そんな性格であれば女子からも嫌われそうなものだが、どういう訳が女子には愛されているらしく、基本的にはいつも友人に囲まれている。悪い男子に騙されないか心配なのだろう。京太郎も淡が妹であったら同じ心配をしたに違いない。

 

「でもさ、大星が麻雀得意って話聞いたことないぞ。実はどっかの教室に行ってたとか?」

「いや、それが一週間前に麻雀を覚えたらしい。それで腕試しのためにウチに突撃してきた訳なんだが……」

 

 それが思いのほか強かった、という訳だ。

 

 麻雀という競技の性質上、素人がプロに勝つということはある。極端な話、最初に親番を引いて天和をアガり続ける人間がいたら、例え小鍛冶健夜であっても勝てるはずもない。囲碁や将棋に比べれば、比較的勝ちを拾いやすい種目と言えるだろう。

 

 しかし、単独で道場破りにやってきた以上、淡は一人で三人の部員を相手にしたはずである。数というのは力だ。回数をこなしていけばそれは更に顕著になるはずだが、話ぶりからするに淡はその全てで勝ったようだ。連続でトップ。これも、麻雀ならば良くある話だが、道場破りをしたその日にというのなら、話は別だ。

 

 世の中結果が全てである。それが完全に運によるものだったとしても、突然挑んできた素人に、麻雀部員が負けましたという事実は残ってしまうのだ。今後の活動にも影響が出かねないこの事態に、何とかしようと元部長氏は走ってきた訳だ。

 

「事情は解った。でも、どうして俺なんだ?」

「いや、宮永先輩からの言いつけなんだ。困った時には須賀を頼れって……」

 

 それが当然と言った風の元部長氏に、隣にいた咲が噴出した。照の言いつけでは、無視する訳にもいかない。

 

「解ったよ。ともかく一度部室まで行こう」

「良かった。宮永さんも、一緒についてきてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また私の勝ちだね!」

 

 部室に入ると、部員たちを前に一人の女生徒が大見得を切っていた。京太郎の位置からは後姿しか見えないが、小憎らしい顔をしているのが目に見えるようだった。相手をしていた部員は雀卓に突っ伏している。点棒リーダーを見るに、淡は十万点近い点棒を稼いだようだ。文句なしの大トップである。

 

「先輩!」

「遅くなった。須賀を連れて来たよ」

「……須賀?」

 

 女生徒が振り向く。緩くウェーブのかかった髪は燻った色の金髪をしている。これが染めたのではなく天然であるというのだから、似た色の髪をしている京太郎はこれだけで親近感を覚えた。少し釣り気味の目には好奇心が爛々と輝いており、彼女の雰囲気と相まって猫を連想させた。

 

「須賀ってあれだよね? 隣のクラスの。なんだっけ、清澄中の珍獣使いって噂の」

「……なんだそれ?」

「宮永先輩がいたころからのお前のあだ名だよ。知らなかったのか?」

 

 知らないし聞いたこともなかった。自分がそう呼ばれていたことよりも、照が珍獣扱いされていることの方が問題だと思ったが、隣の咲がそのネーミングセンスに腹を抱えているのを見て冷静になった。このぽんこつは、自分も珍獣扱いされていることに気づいていないようである。

 

「クラスの皆が、淡は須賀と仲良くできるかもって良く勧めてくるんだよねー。なんでだろ」

「さぁな。とりあえずお友達から始めてみるか?」

「私に勝てたらね! 今日の淡ちゃんはぜっこーちょーだから、誰が相手でも叩きのめしちゃうよ! 相手は須賀? それともそっちの……そっちの…………誰だっけ」

「俺のクラスメートの宮永咲だ。卒業した、宮永照先輩の妹だよ」

「それじゃ、麻雀強い?」

「…………いや、そうでもないかな」

 

 咲と視線を交わすことなく、京太郎はそう言った。照に妹がいるというのは、同じ中学であれば周知の事実であるが、同じくらいに麻雀が強いというのは秘密にされていた。

 

 これは照の指示である。高校でデビューを考えているのなら、何も中学の内から情報を拡散する必要はない。

公式戦の記録が全くないのに、インターハイチャンプと同じくらい打てるというのは強力な武器だ。情報は可能な限り隠しておくように、という指針の元、今日も咲の腕は秘密にされている。

 

 咲の腕を知っているのは咲の家族と、京太郎にモモ。後は照が信頼をしている面々くらいである。

 

「そうなんだ。つまんないの。それじゃあ、須賀が、私の相手?」

「いや、俺は分析専門でさ。大星の相手は務まらないと思う」

「えー、じゃあこれで終わり? これで私がさいきょーってこと? なんだ、麻雀って簡単なんだね。つまんない」

 

 あ、と言葉を漏らしたのは咲である。それから、照がいた時に麻雀部に在籍していた二年と三年の生徒たち。彼ら彼女らは須賀京太郎という人間を良く知っていた。宮永照から絶大な信頼を勝ち得ていた唯一の男子生徒であり、部員の誰からも頼られていた宮永係であり、部員の誰よりも麻雀に精通し、そして、照を含めた誰よりも麻雀をこよなく愛している男であると。

 

 無論、人の意見はそれぞれだ。麻雀に興味のない人間もいるだろう。才能に恵まれた人間が一方的に勝ってしまったとなれば、つまらないというのも理解できる。こういう競技は共に切磋琢磨できる人間がいてこそだ。淡の気持ちも理解できなくもないのだが、この日は何故か淡の言動が癪に障った。

 

 京太郎の内面には、この大星淡という少女に麻雀とは何たるかと教えなければならないという使命感が燃えていた。内心で燻る怒りに似た感情を強引に理性で抑え込みながら、京太郎は努めて笑みを浮かべた。

 

 人間の最も攻撃的な表情は笑みであるという。京太郎の笑顔を見慣れた咲は、その笑顔の下に怒りが隠されていることに気づいて彼から距離を取ったが、京太郎のことをただの珍獣使いと思っている淡はそれに気づくはずもない。

 

「大星、少し待ってくれ」

 

 待てをかけておかないとどこかに行ってしまいそうだった淡に一声かけて、京太郎はスマホを操作する。彼女に麻雀とは何たるかを教えるために、最も最適な三人に声をかけるためだ。

 

「ああ、もしもし。京太郎です。ご無沙汰してます。実は折り入ってお願いが……はい、ちょっと麻雀で叩きのめしてほしい奴がいまして……」

 

 相手の立場を考えると無理難題も良い所であるが、弟子の頼みに電話の向こうで師匠は二つ返事でOKした。須賀京太郎というのは手のかからない弟子であり、何か物を頼んだことはほとんどない。合法ロリの師匠はそれが嬉しくて仕方がなかったのだ。

 

「残りの面子ですが、はい。できれば俺と卓を囲んだお二人に……オーバーキル? はい、それはもうそうなんですが、とにかく叩きのめしてほしいので」

 

 無理難題な上に物騒な話だったが、師匠はむしろそれが気に入ったらしく残りの面子についても二つ返事でOKでした。二部リーグに移った(かた)はともかく、もう一人は彼女の知り合いの中でもトップクラスに忙しいはずである。そう簡単にスケジュールの都合など付くはずもないのだが、全く確認した様子もないのに師匠は次の日曜日と指定してきた。

 

 ならばそれに従うのが弟子というものである。お礼を言って電話を切ると、改めて京太郎は淡に向き直った。

 

「大星。次の日曜、俺と二人で東京に行こう」

 

 突然の京太郎の物言いに、淡はぽかんと口をあけ間抜け面をした。『え? …………え?』と明らかに理解が追いついていない様子の淡の前にスマホを出すと、現代人の条件反射として淡もスマホを取り出した。そのまま流れで押し切って連絡先を交換すると、

 

「集合時間は後で知らせる。金の心配はしなくて良い。ああ、昼飯は向こうで食おうぜ。ちょっと行ってみたい洋食屋があったんだ」

「ちょ、ちょっと待ってよ須賀! なにこれ……どういうこと?」

「いや、一緒に東京に行こうぜって、ただそれだけの話。そこでお前には俺が知る中で麻雀の強い人上から三人と戦ってもらう」

「そんなの勝手に決めないでよ! 私のつごーだってある訳だし、東京だし、男子と二人って初めてだし…………」

 

 ごにょごにょと、最初は威勢が良かったのに尻すぼみになっていく。淡に打ち負かされた麻雀部員たちも、何だこのかわいい生き物と事の成り行きを見守っていた。唯一不機嫌なのは、話に加われない内に勝手に話を進められた形の咲だけである。

 

「嫌か? どうしても嫌だって言うなら、俺も断りの電話を入れないでもないが……」

「や、嫌ではないんだけどさ、いきなり過ぎない?」

「過ぎない。俺に挑戦状を叩きつけたお前が悪い」

 

 言い切られてしまうと、淡はもう言い返せなかった。ほとんど話したこともないような男子と二人で東京に行ってやる理由など彼女には欠片もなかったのだが、京太郎にとってこれがとても重要な話なのだということは彼の顔を見れば解った。

 

「…………解った。行くよ、一緒に」

「そうか。それは良かった。とにかく、覚悟しておけよ! 必ず後悔させてやるからな!」

 

 行くぞ咲、と京太郎は咲の腕を掴んで部室を出て行った。後に残された淡は、胸で燻る感情を持て余して地団駄を踏んだ。

 




出身中学の名前をとりあえず清澄中にしました。



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50 中学生三年 SMT編② 淡、戦う

「あー、おいしかった!」

 

 オムライスを綺麗に平らげた淡はご満悦だった。京太郎が前から行ってみたいと思っていた洋食屋でのことである。昼食時の日曜日ということもあって混んでいたが、中学生のカップルを周囲の人々は生暖かい目で見守っていた。髪の色から兄妹にも見えなくもないが、お互いに名字で呼んでいるからそうではないのが分かる。

 

 雑誌などに紹介されるだけあって、値段設定は少々お高めだ。中学生がランチをするには正直、少しばかり敷居が高い店だったが、京太郎には特に気にした様子はない。淡の分も旅費を持つのは正直痛い出費だったが、それは欠片も顔には出さなかった。

 

 男が女性を誘ったのである。特に申し合わせがない限りは、出費は全て男が持つのが筋というものだ。そもそも、大して話したこともない男の誘いに乗ってくれただけ、感謝すべきだろう。

 

「それにしても、歯磨きまでするって小学生みたいだな」

「私も普段は別にしないんだけどさ? 須賀と遊びに行くって話したら、お母さんが『ちゃんと歯磨きしなさい』って歯ブラシセット渡された!」

「余所に行くからじゃないか?」

「かもね。後、これお母さんから。須賀と一緒にご飯の後に食べなさいって」

 

 淡がポケットから取り出したのは、何の変哲もないミント味の飴である。大星母の意図が解らない京太郎だったが食後に飴というのも不自然なものではない。飴を受け取り、からころと口の中で転がしながら淡を見ると、彼女が転がしているのはレモン味だった。実は歓迎されていないのだろうか。会ったことのない大星母に申し訳ない気持ちになりながらも、淡を連れた京太郎は目的地を目指した。

 

 京太郎が師匠から指定されたのは、都心にあるとある雀荘である。麻雀好きの学生が気楽に遊べるように、都心には結構な数の雀荘が存在しているが、そういう雀荘とは明らかに一線を画している高級な店だ。看板を見た淡はその高級感に腰が引けていた。どう見ても子供だけで入るような店ではないし、こういう店に入るには自分たちの服装はカジュアル過ぎる気がしたのだ。

 

「ねえ須賀、こういう所って、ピアノの発表会みたいな服着ないといけないんじゃないの?」

「流石にそこまでじゃないんじゃないか。服をどうしろって言われてないし」

 

 ここまで来て服装で追い返されてしまったら、同級生の女子と東京までオムライスを食べに来ただけで終わってしまう。オムライスは美味しかったのでその点については後悔はないが、あの三人を集めて何もしないというのは麻雀好きとしては勿体なさ過ぎる。

 

 まごついている淡の手を引いて、店に入る。受付に立っていた初老の男性は、明らかに未成年な手を繋いだカップルがやってきたことに、目を丸くしていたが、

 

「三尋木咏さんの名前で予約が入ってると思うんですが、須賀京太郎です。取次お願いできますでしょうか」

 

 咏の名前が出たことに更に驚いた。確かに咏に後から『須賀京太郎という男性』が一人か二人ともなって来店するとは聞いていたが、それが未成年とは聞いていなかった。二人は、店の雰囲気にはっきりと浮いていたが、まだ日は高い。それに、これは日本を代表するトッププロの紹介だ。未成年とはいえ、それならば問題はない。

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 内線電話で確認して、しばし。今度はきちんと受付としての表情に戻った男性は、自ら京太郎の案内に立った。案内されたのはその店で最も高級な部屋である。時間が時間であれば酒も食べ物も出す部屋で、セットも巷の雀荘のように時間単位ではなく一晩、一日単位で借りる。

 

 店の内装の通り、借りるには高級な金額が必要になる。プロでもあまりこういう場所は使わない。使うのは麻雀好きのお金持ちだが、美味しい物を飲み食いができる以外に、大きなメリットが一つあった。秘密厳守。ここで起こったことは外に漏れることはない。

 

 例えばプロ三人がよってたかって中学生の少女を麻雀で袋叩きにするようなことがあっても、店はおそらく何も言わないだろう。部屋の扉を開けると、初老の男性は一礼して去っていく。

 

 まだ緊張した様子の淡に一度頷き、京太郎は扉を開けた。

 

 広い部屋の中央に、最新の全自動雀卓が一つ。向かって手前の席だけが空いており、他の三つの席は埋まっていた。

 

「ほら、やっぱり女だったじゃねーか」

 

 向かって右側、小柄な体には大きく見える椅子に座った着物姿の女性は、京太郎の師匠である三尋木咏だ。椅子の上で足をぱたぱたやりながら、扇子を広げて残りの面々に得意げに振る舞っている。

 

「えー、はやり的にはちょっと減点かな。女の子を連れて女の子に会いにくるなんて、感心しないぞ!」

 

 左側。相変わらず世界一かわいいのは、瑞原はやりである。京太郎が視線を向けると、彼女はにっこりと微笑んでくれた。憧れの女性の笑顔に思わず頬が緩みそうになる京太郎だったが、最大限の理性で押しとどめた。咏の鋭い視線が、身を貫いたからだ。

 

 京太郎がはやりの大ファンであることは、咏も知っている。彼女は弟子の趣味に口を出す程狭量な師匠ではないが、弟子が目の前でライバルにでれでれするのを受け入れられるほど、寛容な女性ではなかった。京太郎の反応と咏の態度は、はやりにも伝わる。京太郎の前で、はやりは咏に一瞬だけ勝ち誇った表情を浮かべてみせた。

 

 離れて見ていた京太郎には、咏に青筋が浮かぶのがはっきりと見えた。はやりと二人きりであったらこの時点で飛びかかっていただろうが、弟子の前では大人ぶりたいのが師匠というものである。弟子の視線があることを意識していた咏は努めて大人であろうとした。

 

 無理やり怒りを押し込めている咏を他所に、正面の席に座った最後の女性に視線を向ける。史上最強の日本人雀士。小鍛冶健夜がそこにいた。

 

「お久しぶり、京太郎くん。その子が、連絡の子?」

「ええ、その通りです。今日はお三方に、こいつを叩きのめしてほしくて」

「まぁ、私のらくしょーだけどね!」

 

 緊張している自分を隠そうとしているのだろう。必要以上に強がった淡が前に出て、三人を前に大見得を切る。

 

 仮にも、麻雀をやっている人間ならば、この三人の顔を知らないということはないのだが、麻雀を始めてまだ一週間程度の淡は、それまで全く麻雀というものに興味を持ったことがなく、最も有名な女子プロ三人と言っても過言ではない彼女らの顔を、全く知らなかった。

 

 日本を代表するプロ三人は、無知な中学生の蛮勇に苦笑を浮かべる。その中で、こういう向こう見ずな若者が嫌いではない咏は、いつもの掴みどころのない笑みを浮かべながら、淡に問うた。

 

「で、その心は?」

 

 咏の言葉に、淡は首を傾げて京太郎に視線を向ける。京太郎は、何で淡がこちらを向いたのか理解できない。助けを求めるように咏を見るが、咏は肩を竦めるだけだ。淡は淡で、自分が見てやっているのに、京太郎が他の女を見ているのが気に食わない。こっちを見ろと地団駄を踏んだ淡は、京太郎の顔を掴むと、その眼を覗き込んで言った。

 

「今の、どーゆー意味!?」

「…………ああ、そういうことか。『理由を教えろ、この小娘』ってとこかな」

「小娘ってなにさ! 私の方がおっきいじゃん!」

 

 正直過ぎる淡の言葉に、はやりと健夜は吹き出した。確かに咏は小さい。プロとして登録されている女性雀士の中でも、身長の低さではトップを独走している。合法ロリとその筋には大変人気で、普段であれば咏も中学生にからかわれた所で気にもしないのだが、長年の友人であるはやりと健夜がいる場所で、愛する弟子の目の前で小さいと言われたことは、地味に長い彼女の堪忍袋の緒をぶった切った。

 

「おーし、小娘そこに座れ。京太郎の頼みでもかわいそうだから半殺しくらいで勘弁してやるつもりだったが、九割くらいは殺してやるから覚悟しな」

「咏ちゃん大人げないよ。もう少し大人になろうよ」

「私は小さいらしいからな! 大人気(おとなげ)なんてもんは、今さっき捨てちまったよ! 知らんけど!」

 

 ぷりぷり怒っている咏は、既に手が付けられない状態になっている。それでも健夜は何とかしようとしていたが、咏の怒りが収まる様子はない。それを他所に、今度はこの時点では一番大人だったはやりが、淡に問うた。

 

「えと、淡ちゃんだったかな。らくしょーな理由をまだ聞いてないんだけど、教えてもらって良い?」

「いいよ! なんたって、私が一番若くてかわいいからね!」

 

 くるーり一回転して、軽くポーズまで決めている。様になったその態度を見て、こいつは本物のアホの子なんだなと理解した。蛮勇もここまでくると見事なものだが、そう思えるのは京太郎が傍観者だからである。相対的にばばあであると言われたに等しいはやりと健夜は、淡の物言いに大人であることをあっさりと放棄した。

 

「咏ちゃん、はやりも協力したくなってきたよ。これは全力全開でお話ししないといけない流れだよね?」

「私もそうしようかな。来年高校生になるなら、ちょっとくらいは世間の厳しさを知るのも必要なことだよね」

 

 やる気に火がついた三人を見て京太郎は寒気を感じた。卓に着いていないのにも関わらず、運を吸われているような気がする。本気の本気になったプロ三人に、流石に同級生として淡の未来が心配になった京太郎だったが、そんな彼の心情など知る由もない淡は、得意気な表情をしたまま最後の席に着いた。

 

 卓を前に、四人が揃ったのならばやることは一つである。言おうとしていたことを全て諦めた京太郎は、サポート役に徹することにした。

 

「それじゃあ、ルールの確認をします。アリアリの東南戦。25000点持ちの30000点返し。ノーレートでウマはワンツー。ダブロン、トリロンあり。四人リーチ続行。箱を割っても続行。發がなくても緑一色成立。スーカンツはカン成立時点で成立――」

 

 細かいルールを列挙していくが、明らかに淡は聞いていない。一週間前にルールを覚えて、麻雀部で腕試しをしたのなら、アリアリくらいでしか麻雀をやったことはないはずだ。やたらポンチーをしたがる性格だったら、こっそりナシナシのルールにされたら一発でチョンボだったが、麻雀部を襲撃した時の牌譜を見るに淡は面前派だ。

 

 初心者の傾向は主に二つ。ひたすら鳴いて役牌かタンヤオかトイトイを付けるか、とにかく鳴かずにリーチしてツモるかだ。淡の麻雀は後者であるので、よほど初心者を殺すルールでもない限りは、チョンボを受けることはないだろう。

 

 他に牌譜から解る傾向として、基本的に他人の手がとてつもなく遅くなっている。淡が座っていた局は例外なく5シャンテン。手が来ない時なんてものは良くあることだが、それが三人全員、ずっと続くということは中々あることではない。

 

 淡が意図的に引き起こしているとしたら、なるほど、確かに強力なオカルトと言えるだろう。これを突破するだけのオカルトか絶対的な運量を持たない限り、元々運が太い淡に対してハンデを背負うことになる。彼女が初心者であることを考慮に入れても、それはかなり大きなハンデだ。同級生相手ではそれこそ、全国までコマを進めても大抵の人間は相手にならないに違いない。

 

 勝ち続けたという事実が、淡に自信を与えていた。自分が勝つということを疑っていない淡は、三人を前にしても余裕の表情を崩していない。対して、咏たちは怖いくらいに落ち着いて見えた。怒り心頭でありつつも、相手を観察するその顔はプロの顔である。

 

 サイコロが回り、出親が淡に決まる。その瞬間、淡は力を解放した。癖のある淡の髪がゆらりと動くと、卓を力が包みこむ。間近で見るのは初めてだが、確かにこれは強い力だ。中学生の放ったそれに、プロ三人は僅かに眉根を寄せたが、それだけだった。咏に視線を向けると、小さく片目をつぶってウィンクされる。

 

 問題ない、ということなのだろう。麻雀における運の太さにおいて、この三人は常人とは比べ物にならない。淡から押し付けられたハンデなど、何の問題もないという風に振る舞う三人にプロの凄みを感じる京太郎だった。

 

 配牌を開けた淡は、理牌もせずに、点棒箱からリーチ棒を取り出した。

 

「リーチ!」

 

 一番端の牌を掴んで、河で横に曲げる。開幕、一発目からのダブリーである。短気な街のおじさんであれば牌をぶん投げたくなるような光景だが、5シャンテン縛りと同様、これが淡のオカルトである。ハンデを背負わされた上に棒攻め。救いがあるとすれば、

 

 ニ三四六六六678⑥⑧西西 ドラ9

 

 ダブリーのみで、この時点では手が安いということだろう。だが淡は特定の場所でカン材をツモってカンをして、その後にツモるか出アガる。しかもカン裏ドラが必ず乗るので、値段は最低でもハネ満になる。ドラがそれ以上乗るならばさらに手がつけられないことになるのだが、能力としてはおそらくこれくらいで打ち止めだ。

 

 淡は出親だ。ここから誰にもアガられず、淡だけがツモってゲーム終了。そういう半荘も牌譜にはあったが、相手はこの三人だ。淡々とツモって切る彼女らに、危機感は見られない。観察していると、何度かアガれるタイミングはあったはずだったが、三人が三人とも手を回すことを選んでいた。

 

 不穏な空気だ。ぶちのめしてくれと頼んだのは自分だが、これは想像を遥かに超えている。淡の精神は大丈夫だろうか。今さらながらに不安になるが、サイコロは回った。始まった勝負を途中で打ち切ることはできない。

 

「カン!」

 

 条件を満たした淡がカンをする。ここから数順以内に淡はアガるのだろう、普通であれば。

 

『リーチ』

 

 淡のカンを受けて、三人が同順にリーチをかける。たった一人を狙い撃ちしようという気配が、卓についていない京太郎にもひしひしと感じられた。

 

 同卓している淡は、それ以上に悪寒を感じているだろう。アガらなければやられるのは目に見えていた。とにかく淡は、アガるしか道はない。

 

 だが、その直後にツモってきた牌は九筒だった。無論のこと、淡のアガり牌ではない。リーチをかけている淡はアガり牌でなければそれを切らなければならないが、非凡な感性をしている淡は、この牌を切ってはいけないと肌で感じ取っていた。

 

「どうしたんだい、小娘。アガりじゃないなら、さっさと切ればいいんじゃね?」

 

 咏の煽りに、ぐぬぬ、と呻いた淡は力なく牌を切った。その牌に、

 

『『『ロン』』』

 

 三人の声が、当たり前のように重なる。

 

「まずは私からだな」

 

 ①②③③④⑤⑦⑦⑧⑧⑨北北 ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発平和混一色イーペーコー赤1。倍満だな、16000」

「咏ちゃんてば優しいね。はやりはこれだよ!」

 

 一ニ三七八九11789⑦⑧ ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発平和純チャン三色表1ウラウラ。三倍満だね。24000」

「さて、それじゃあ本命行ってみようか」

 

 ぱたり、と健夜の手が倒される。

 

 444⑨白白白發發發中中中 ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発大三元四暗刻。役満の重複ありのルールだから、64000だね」

 

 大打撃が三回続いた。流石に淡の目も点になっている。三人合計で104000点。普段の麻雀であれば四回も飛んでいる出費だが、アホの子の淡は気持ちの切り替えも早かった。

 

「次! 次に行こう!」

 

 予想していた淡の主張に、京太郎は淡の肩をそっと叩いた。ルールの確認は、しつこいくらいにしろ。咏に麻雀を教わり始めた頃に学んだ事柄である。

 

 初めてからルールの認識の差に気づいても、後にはトラブルが残るだけだ。仲間内ならば、金や物が絡むこともあるだろう。金の切れ目が縁の切れ目である。注意すれば回避できるトラブルならば、回避するに越したことはない。

 

「大星。今回のルールは、箱下続行アリだから、このままだ」

「そうそう。なぁに。たかが10万点くらい、あんたが本当に天才なら取り戻せるさ。知らんけど」

「麻雀は、最後まで逆転を諦めちゃいけないんだぞ☆」

「後七局もあるし、最後の親番もあるからね。希望は捨てちゃいけないよ」

 

 欠片も勝たせるつもりもない大人たちが、淡を見ながら微笑んでいる。楽天的に、自分の勝利を疑わなかった淡は、この時初めて、恐怖で身震いした。

 

 



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51 中学生三年 SMT編③ 淡、泣く

 箱下アリの対局とは言え、麻雀にも現実的に考えてできることとできないことというのがある。戦っているのは日本を代表するプロの雀士、そのトップ3と言っても過言ではない。彼女らを相手に十万点の差がついてしまった。これは役満を二度ツモあがってもまだトップに立てない数字である。

 

 何が起こるのが解らないのが麻雀とは言え、ここで奇跡を期待するような人間は圧倒的な少数派。現に、楽天的に見える淡も、既に勝利を諦めたような悲壮感が、背中からも見えていた。

 

 実を言えば、これ以降会話もしてくれなくなることを京太郎は覚悟していた。麻雀とはこういうものだ、ということを理解してもらうためとは言え、これではオーバーキルも良いところである。ここまでやる必要はないと咏ですら、暗に言っていたくらいなのだ。やり過ぎなのは、京太郎も十分に理解しているつもりだが、やらずにはいられなかった。

 

 さて、どんな罵詈雑言を浴びせられるか。途中で投げ出しても、今回ばかりは何も文句は言わないつもりだった。淡の顔をちらりと見ると、彼女はべそをかいていた。勝気な少女にとって、人前で泣くというのは耐えがたい屈辱だろう。本当ならば今すぐにでも逃げ出したいに違いないが、淡はべそをかきながらも卓を立とうとしなかった。

 

 これには、咏たちも驚いている。勝ち続けてきた結果、今の立場にいる彼女らは自分たちが負かした人間を嫌というほど見てきた。その中には二度と麻雀はしないと決めて牌を置いた人間もいる。京太郎の知る限りでは、阿知賀のレジェンドなどが、近い状態まで追い込まれた。

 

 それ程までに、圧倒的な実力差というのは心を打ちのめすものであるが、淡はダメージを受けても途中で投げ出すことはしなかった。これはと思い観察しながらも、プロたちは手を緩めるようなことはしない。

 

 直撃しか狙わないという暗黙の了解と共に、容赦なく淡を攻め立てていく。最低が倍満という直撃の嵐に淡の点数はどんどん減っていく。その度に淡の顔色は悪くなっていくが、それでも歯を食いしばって耐え、そして考えていた。

 

 ここを乗り切るためには、どうしたら良いのか。淡は麻雀を憶えて一週間。素人以前の状態である。役も全て覚えた訳ではない。知らないルールもいくつかある。一人で雀荘に行ったら、右も左も解らなくなるだろう。おそらく点数計算もできない彼女が、何をすれば良いのか、自分で考え、そして行動していた。

 

 二つのオカルトのうち、まずダブリーをすることをやめた。自分がツモるよりも先に、相手に直撃を取られると悟ったからだ。棒攻めという言葉があるくらいだ。本来、リーチで相手を縛り、ごりごり削っていく攻め方はそんなに悪い物ではないのだが、ダブリー故に待ちが悪い上に、相手はプロ三人。理牌の癖などから待ちを一点で読まれ、振り込みなどは期待できない。

 

 ならば手が制限されるだけ、リーチをかけるのは無駄と淡は判断した。その上で、とにかく手を早く進めようと考えたのだが、これが中々上手くいかない。

 

 元の運と技術が違い過ぎる上に、既に大量の失点をしていて運は下降線をたどっている。これをどうにかするのが本来技術であるべきなのだが、淡にはそれが致命的にかけていた。試行錯誤しても、上手くいかない。その度に、点数はどんどん減っていく。

 

 もうここで止めても良いんじゃないか。何度も心は折れそうになったが、その度に歯を食いしばって耐えた。卓に集中して、情報を集める。何かないか。何も使えないのか。

 

 そうして、一つの結論に達した。

 

「チー」

 

 生まれて初めての鳴きである。はやりが切った牌を、淡は手弁当で鳴く。面前一辺倒だった淡の変化に、はやりの眉が僅かに動いた。とにかくアガりに向かう。点数結果など知ったことではない。そういう割り切りをされると、プロ側の優位は圧倒的に小さくなる。

 

 何しろ、積み上げた点棒の意味が全くなくなってしまうのだ。そうなると、どれだけ大量の点棒を奪っても意味はなくなる。精神的な圧迫感も、それなりに小さくなってしまうだろう。

 

 つまりは第一段階が終了、ということである。とことん凹ましてくれ、というのが京太郎からの依頼であれば、プロたち三人はその通りに行動するだけだ。はやりを始め、他の二人も同時に高火力から速度重視に切り替えたのである。

 

 そしてこういう時にこそ、地力の差が出てくる。プロの誇りにかけて、彼女らは通しなどは使っていないのだが、符丁など決めなくてもそれとなくサインを送る方法というのがある。プロというのは本来、相手になるべく情報を送らないように打ちまわすものである。表情一つ、視線一つ。大事なタイトルのかかった試合で、小さなそれらが命取りになることだってありえる。

 

 プロはまず、観察力が違う。プロの視点からすれば無遠慮な打ち回しをするだけで、他の二人は勝手に情報を吸い上げて、振り込まないように打ち回し、そして必要な牌を放出していく。実質的に、サインが出ていないだけで手を組んでいるに等しいのだが、唯一糾弾できる立場にある淡は、自分の手と河を見ることに忙しく、対戦相手にまでは目を配っていない。

 

 それではやられ放題である。このクラスの強者ががっちり手を組んだ時、素人というのは本当に何もできなくなる。プロ三人がギアを上げ、遠慮なく鳴き始めた所で淡はツモをする回数が激減した。最悪な時は、一度ツモって不要牌を切った、それで直撃を取られたりもする始末である。

 

 麻雀を始めたばかりの中学生の心が、がりがりと削られていく音が京太郎の耳にも聞こえる。ここで投げ出しても誰も責めたりはしない。むしろ、この三人を相手にここまで粘ったことは、麻雀をやっている人間ならば称賛こそすれ、責めたりはしない。

 

 淡も本心ではそうしたい。今すぐにでも投げ出したいが、それはプライドが許さなかった。適当な気持ちで始めた麻雀である。元々、そこまで思い入れはないし、今も別に好きではない。

 

 でも、自分の意思で始めたものを途中で投げ出すことは、絶対にできなかった。頭は決して良くなく、周囲にもアホの子と思われている淡だが、それでもプライドはあった。

 

「……ツモ」

 

 淡が最後のセリフを言った時、積棒の合計は200を余裕で越えていた。長い溜息は誰のものだったか。がっくりと肩を落とした淡に続いて、プロたち三人も力を抜いた。

 

「これで終了かな。途中から計算が怪しくなってたんだけど……京太郎くん、大体で良いんだけど誰がトップ?」

「健夜さんが大体70万点でトップです。後は咏さんとはやりさんが両方とも40万点くらいで――」

「くらいってなんだよ! 私の方が上ならはっきり言えって」

「京太郎くん、はやりの方が上だよね?」

「すいません、本当に申し訳ないんですが、その辺はどうもはっきりしなくって」

 

 途中、淡の打ち回しに夢中になり過ぎて、点数のやりとりを全く把握していない局がいくつかあるのだ。それ以外の点数を比較すると、咏とはやりの獲得点数は咏が僅かに300点上回っているだけ。勝負の行方は京太郎には解らない。本当のことだ嘘ではない。

 

「咏ちゃん、京太郎くんは優しいね。本当ははやりが勝ってるのに、咏ちゃんを思いやってうやむやにしてくれてるよ?」

「あんたの大ファンだから言えねーだけだって。知らんけど」

 

 結果がうやむやならば喧嘩はしないと思っていたら、そうでもなかった。うやむやな部分を各々が都合の良いように解釈し、そこから新たな火種が生まれている。お互い、相手よりも上でないと気が済まないのだろう。年齢は3つも離れているが、プロの世界ではあまり関係がない。実力が拮抗していれば、その時点でもうライバルなのだ。咏とはやりの縁は、小学生の頃から続いていると聞いている。昔からお互いを知っているだけに、他のプロよりも思うところがあるのだろう。

 

 この人たちが喧嘩を始めたら、京太郎が関わると余計に話がこじれることになる。思う存分喧嘩をさせようと心に決めた京太郎は、淡に向き直った。トッププロ三人を相手に、何とか半荘をやりきった少女はしばらく卓を眺めてぼーっとしていたが、京太郎が傍らに立っているのに気づくと、それまで目じりにためていた涙を溢れさせた。

 

 これはヤバイ、と京太郎が直感し、声を挙げるよりも先に、淡は決壊した。

 

「――須賀のバカーっ!! もっと優しくしてくれてもいーじゃん!!!」

 

 あわー、と全力で号泣する淡を前に、京太郎は久しぶりに同級生の女子を相手に狼狽えていた。伸びた鼻をへし折られてがっつりへこむ、くらいには考えていたが、ここまで泣くとは思っていなかった。とかく男は女の涙には弱いものである。それがここまで力強く泣いているのだから、女性に囲まれて生きてきた京太郎でも、どうして良いのかも解らなくなっている。

 

 たまらず、助けを求めるために師匠たちを見れば――

 

「あ、この間お友達から聞いたんだけど、北千住に美味しいモツ煮のお店があるんだって。京太郎くんは日帰りみたいだから、この後三人で行かない?」

「いいねー、モツ煮」

「女子会ってやつだね」

 

 既に全て勝負は終わったとばかりに、この後の話をしていた。心は既に麻雀からモツ煮と酒に移っている大人たち三人を前に、京太郎は切実に吠える。

 

「ちょっと待ってください。できたら助けてほしいなと思うんですが!」

「男と女が同じ部屋にいて女の方が泣いてたら、そこまでにどんな理由があったとしても悪いのは男の方だぜ? そもそも自分でここまで連れてきたんだ。最後まで面倒見るのが男ってもんだろ?」

 

 突き放すような物言いだったが、咏は京太郎と淡を交互に眺めた。どういう対応をするのか、興味があるのだろう。見れば健夜もはやりも、こちらに視線を向けている。観戦気分で、完全に他人事だ。頼んだのは確かに京太郎自身だが、咏たちが片棒を担いだのも事実である。

 

 友達のほとんどが女性という稀有な環境で育った京太郎だが、未だに女心というのは良く解らない。普段から気を付けているだけに、ここまで号泣する女性に相対したのは数える程しかないから不安なのだ。あわあわ泣き続ける淡を前に、あー、とかうー、とか意味のない言葉を発しながらも、どうにか淡を泣き止ませることができないか、考える。

 

「その、なんだ。楽しかったか? 麻雀」

 

 れーてん! とはやりが合いの手を入れる。淡が今大変複雑な気分であることは、泣いているのを見れば解る。確かにぼこぼこにされた直後に聞く言葉でもないが、他に聞くことも思いつかなかったのだ。

 

「たのしーわけ、ないじゃん……」

「まぁそうだよな。でも、途中で色々考えただろ? どうやればアガれるのかとか、そういうの。ダブリー止めたのは良い判断だったと思うし、点数を気にしないで早アガリに徹したのも良かったと思う」

「だって、他に早く終わらせる方法なかったし」

「途中でもうやだって言ったって良かっただろ? でも、大星はそれをしなかった。言い訳もできないくらいはっきりと負けたのに、それでも勝負を投げ出さなかったのは、凄いと思う」

「ほんとに?」

 

 泣き顔の淡に、ようやく喜色が浮かぶ。その顔を見て、こいつは褒められて伸びるタイプだな、と京太郎は直感した。既に中学での公式戦に出る機会はないだろうが、高校生としてのデビューはもう少し先だ。中学時代に全く実績がないということは、情報を隠す上でとても都合が良い。

 

 中学生でいられる時間はもう半年しかないが、まだ半年とも言える。淡くらいのオカルト持ちならば、今からちゃんと鍛えるという前提ではあるが、どこの学校でも引く手数多だろう。例えば、照の入学した白糸台であったとしても――

 

「俺が面倒みるからさ。もっと練習してみないか? 練習相手は用意するし、高校でも麻雀やりたかったら、凄い場所を用意できると思うぞ?」

「宮永テルーのところに、私でも行ける?」

「あの人たちは知らなかったのに、照さんのことは知ってるんだな……」

「私たちの学校の有名人だもん。で、あの人たち誰? 凄い強かったけど、テルーより強い?」

「日本で麻雀の強い人上から三人だよ。照さんよりもすごく強い」

「うそっ!!」

 

 ようやく気付いた淡に、咏たちはひらひらと手を振って見せる。現在、日本のトップ3である三人は、若者の育成には余念がない。今日は京太郎に唆されて叩きのめしたが、本来であればもっと段階を踏む。持っているオカルトは攻撃的で、判断力も悪くない。おまけに最後まで勝負を投げ出さなかったガッツは、勝負師として見どころがあった。

 

 今もきゃいきゃい騒ぎ出す淡に、快くサインなど書いてやっている。これくらいの実力を持つようになると、少しくらいアホで反骨心がある方がかわいいものだ。

 

「それで、麻雀の練習とかやるか?」

「やるっ!!」

「皆が皆、大星みたいに話が早いと助かるんだけどな……」

 

 とは言え、ちゃんと練習してくれるのならば京太郎としては言うことはない。京太郎にとって、麻雀の才能を持った人間が埋もれてしまうのは、大きな機会の損失である。競技者であると同時に、京太郎は観戦者だ。単純に凄い能力を持った人間が麻雀をしてくれるのだ。少なくない身銭を切って、東京まで出た甲斐もあったというものである。

 

 



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52 中学生三年 四人の大親友編①

 放課後の教室。夏までに部活に打ち込んでいた生徒たちも、そろそろ本格的に受験モードである。教室が放課後の喧噪に包まれていたのも今は昔。塾や図書室に散っていく同級生たちの後姿を、咲はどこか寂しそうに眺めていた。咲は特に彼ら彼女らと親しい訳ではなかったが、今までと違うというのはそれだけで咲を寂しくさせた。

 

 咲のように、決して友達が多いとはいえない人間でもそう思うのである。交友関係の広い人間ならばその寂しさも一入だろう。そう思った咲は、自分の席で手作り感溢れる教本に目を落とす京太郎に視線を向けた。

 

 この学校に限って言えば、社交的な性格に反してそれ程友人は多くない。興味の大部分が麻雀に向いている彼は暇さえあれば教本を読むか、ネット麻雀に興じている。話しかけられれば勿論笑顔で切り返すが、そうでなければ自分から話しかけることはほとんどない。

 

 これだけを見れば寂しい男子に思えなくもないが、中学校に入るまで全国を飛び回っていた彼は全国に友人が沢山いる。それも、聞いた話では女子ばかりだ。頼めば一緒に撮った写真くらいは見せてくれるのだが、三枚も四枚も出てくるに至り、咲は問いかけるのを止めた。

 

 写真に写っているのが誰も京太郎と距離が近く、また美少女が多かったからだ。自分が地味な女に分類されることを自覚している咲は、そういう写真に敵対心を持ちこそすれ、知識欲が刺激されたりはしない。いかに憎からず思っている男性のこととは言え、何でも知っていたいと思う訳ではないのである。

 

 複雑な感情を抱えたまま、咲は京太郎の横顔を見た。

 

 真剣な表情で物事に取り組む男性の横顔が女を恋に落とすのなら、須賀京太郎の横顔は全ての女性を恋に落とすくらいに魅力的――というのは、流石に惚れた弱みだろうけれども、いつも笑みを浮かべている印象の京太郎が真剣な表情で教本に視線を落とす姿は、普段の彼を知っていればいるほど、強烈な印象を残す。

 

 わりと意地悪で、でもいつも優しくしてくれる京太郎と話すのも好きな咲だったが、こういう顔をした京太郎の横に黙って座っているのもまた好きだった。京太郎の背中を背もたれにして、お気に入りの本を読む時の何と至福なことだろう。

 

 もっとも、姉がまだ長野にいた時は一つしかないその背中を争って無駄に喧嘩をしたものだが、共通の友人であるモモが離れた場所に住んでいることもあり、照が東京に引っ越してからは京太郎の背中の独占状態が続いていた。

 

 場所は概ね、咲の部屋。男の子を部屋に入れることに緊張したのも今は昔。部屋に呼んで特に何をする訳でもないが、全自動卓を前に試行錯誤をする京太郎を見るのも、また楽しい。

 

 しかし、不満もある。それは京太郎のある癖についてだ。嫌だという訳ではないのだが、不満と言えば不満という咲としても表現に困るものだ。

 

 京太郎の肩越しに教本を覗き込もうとすると、当たり前のように伸びてきた京太郎の手が、咲の髪を軽く引っ張った。それ以上、何をする訳でもない。教本を読んでいる時は恐ろしく集中しているから、引っ張られた側が抗議の声をあげないと、ずっとこのままだ。無意識に、ずっと髪をいじり続けるのである。

 

 困ったことに完全に無意識の行動である。これは誰を相手にしても出る癖で、自分以外には照やモモも同じ目に合っている。髪は女の命とも言う。いくら憎からず思っている男の子相手とは言え、無遠慮に髪に触られることはあまり気持ちの良いことではないが、そも、どうしてこんな珍妙な癖ができたのか考えると、別の感情も湧き上がっている。

 

 京太郎が過ごしてきた今までの場所で、麻雀をしている時に触れられるような距離に、誰かの髪があるのが当たり前の環境だったことがあったのだろう。癖にまでなるのだから、その『女の子』も京太郎のことを憎からず思っているに違いない。オカルトのメンテナンスを担当しているらしい鹿児島の巫女さんが怪しいと思っている咲だったが、それの確認はしたことがなかった。

 

確認をしたところでどうなるものでもないし、仮に真実がどうであったとしてもそれが自分にとって都合の良い物でないことは十分に理解していたからだ。鹿児島の巫女さんはどうせ巨乳だろうし。

 

「あー!! 京太郎がサキーいじめてる!!」

 

 京太郎の横顔を見ながら咲が自分の感情と戦っていると、教室にやってきた淡が大声をあげた。流石に耳についたのか、京太郎は教本から視線を上げた。

 

 教室に残っていた生徒の視線を集めるがそれだけで、他の生徒たちはあっさりと興味を失った。珍獣三号が突撃してくるのも、教室で大騒ぎするのもいつものことで、目新しいものではない。

 

 歩みを進めた淡は京太郎から咲をひっぺがし、抱きかかえた。

 

「女の子の髪を引っ張るなんて最低だよ!」

「あー、すまん。またやってたのか。悪いな咲」

「別に良いけど……まぁ、ほどほどにね?」

「サキー、痛くない?」

「痛くないよ。ただ触られてるだけだし」

「…………気持ち良かったりする?」

「それはないかな」

 

 精神的な充足感はあるが、それで気持ち良いと思えるほど宮永咲は変態ではない。いかがわしい小説に出てくるような、髪や身体を撫でるだけで女性を虜にするようなテクニックなど、現実には存在しないのである。読書家である咲は夢とロマンを大事にしているが、それを発揮するべき時というのも同時に理解している。全てにおいて夢とロマンを前面に押し出すのは、夢想家とかロマンチストを通り越してただのアホだ。

 

「だよねー。ちょっと、安心した。気持ちよく髪を梳かしてくれるなら、京太郎にやってもらおうと思ったんだけどな。京太郎、女の子の髪とか梳かしたことある?」

 

 ふふん、と得意げに淡は笑っている。色々と話をして、京太郎の過去をある程度知っている咲やモモならば絶対にしない質問だったが、京太郎歴の浅い淡はその限りではなかった。咲が話題を逸らす暇もあればこそ、

 

「ないこともないな。何事もめんどくさがる先輩がいて、その人のことはよくお世話してたよ。小学校三年生の時だ」

「え…………でもでも、大昔の話でしょ? 最近はそういうことしてないよね?」

「毎年一回は必ず会うからな。一番最近会ったのは先月だ」

 

 荷物を片づけながら、何でもない風に答える京太郎に、淡は目に見えて落胆した。ふわふわと、淡の感情を表すように舞っていた髪も、彼女の感情が下降するに従ってしんなりとしていく。

 

 これ程、欲求が素直に態度に出る人間も珍しい。別に気持ち良くはないと自分で言ったばかりだが、ここまでしょんぼりされてしまうと、咲の中に眠った姉心が大いに刺激された。

 

「それだけ長いこと面倒みてるなら、それなりに良い腕をしてるんじゃない?」

「そうか? やったことの礼は言われたことあるけど、それだけだな。上手いな凄いぞとか褒められたことはそんなにないと思う」

 

 じっと京太郎の顔を見るが、それが本当かどうかは読み取れない。褒められたとしても、京太郎の性格だったらここでは言わないだろう。女性に囲まれて育った京太郎は変に教育が行き届いていて、麻雀に関すること以外、女性に対して自己主張や自慢話をしたがらない。

 

 だが、実際髪をいじっている時の手際を見るに、全く見込みがないということはないだろう。お世話をさせている人だって、全く見る目がなければいかに京太郎相手でも触らせたりはしないはずだ。一年に一度くらいとは言え何年も継続してやらせているのだから、それだけの価値はあるはずである。

 

「その人、髪は長い?」

「長いのはダルいって言って伸ばしたがらないな。短くはないけど」

「じゃあ、長い人の髪のお世話は『あまり』してないんだね。それなら淡ちゃんで練習しておくと、いざという時役に立つと思うよ」

 

 サキー! と淡から視線で感謝の念が贈られてくる。そんなに髪を梳いてもらいたかったのなら直接言えば良いのに、と思う。普段は思ったことをそのまま口にするようなタイプなのに、京太郎が関わると微妙に奥手になってしまうのだから不思議である。

 

「まぁ、咲がそこまで言うなら」

 

 釈然としない気持ちを抱えた様子のまま、京太郎は淡に後ろを向けと促す。淡はぱっと顔を輝かせると自分の櫛を押し付けて大人しく椅子に座った。京太郎は咲が想像していたよりも優しい手つきで淡の髪を取り、櫛を入れていく。

 

 多少癖があるだけで直毛の咲からすると、羨ましいくらいにふわふわな淡の髪である。普段髪を梳かしなれていない男性には、櫛を動かすだけでも注意が必要なはずなのだが、京太郎の手つきには危なげがない。よほど髪を梳かしなれているのだろうか。

 

 練習のためという建前を用意はしたが、京太郎の手つきは明らかに長い髪を梳かしたことがあるものである。髪を梳いてもらっている淡はあわあわとご満悦だ。漫画のようにその手際だけで女を落とすようなことはないようだが、これはこれで気持ちよさそうではある。

 

 もっとも、手際よりも誰にやってもらっているかの方が、淡には重要なのだろう。京太郎の手つきがよほど悪いものだったとしても、ぷりぷり怒りはしても、結局は笑顔で許してしまう淡の姿が目に見えるようだった。

 

「ほら、これで大丈夫か?」

「うん! ありがとー、京太郎!」

 

 ここで終わるのならば、ただの微笑ましい兄妹の営みにも見えただろう。珍獣とマイスターという関係が広まっているから、同じ学校で誤解するものは少ないが、髪が燻った金色と似ていることから街を歩いていると兄妹に見えると専らの評判である。

 

 その妹の方がにこにことしながら、爆弾を投げ落とした。

 

「今日の夜と、明日の朝もお願いね?」

 

 淡の発言に、流石に教室の中から音が消えた。言葉の意味を理解すれば、京太郎と淡が今晩同じ場所にいるだろうことは想像に難くない。男女が同じ場所で一夜を共にするとなれば『すること』は一つである。その想像は中学生の男女の好奇心を大いに掻き立てたが、それに水を差したのは、当事者の一人である京太郎の一言だった。

 

「俺は飯を作ったら帰るぞ」

「うそっ!?」

「当たり前だろ。女子三人のお泊り会に、男一人で参加できるか」

 

 男の欲望全開で判断すれば、参加したいな、という気持ちがないとは言えないものの、常識的に判断をするのならば参加を見送るのは当然のことと言えた。

 

 そも、今日宮永邸でお泊り会が企画されたのは、咲の父である界が仕事で週末家を空けることになったからである。ならば親睦を深めるためにと咲が提案し、普段あまり一緒に遊べないモモと遊び、そして淡を彼女に紹介するために企画したものだ。

 

 友人関係を考えるならば、そこに京太郎が参加してもおかしくはないのだろうが、そこはやはり男女の性別の壁がある。夕食まで一緒にするだけでも、ある意味では破格の扱いと言えるだろう。

 

「ほんとだよ、淡ちゃん。私もモモちゃんも一応誘ったんだけどね……」

「美少女三人と一緒にお泊りだよ? どうして断るの?」

 

 しかし、常識的な判断をしたはずなのに、特に淡は不満そうだ。常識という言葉から縁遠い所にいるからだろう。欲望に忠実である淡は距離感も近く、学校でもよく京太郎にひっついている。珍獣とマイスターが戯れているとクラスメイトは気にもしていないが、自分で美少女というだけあって、淡は美少女である。

 

 人気投票でイマイチ結果が振るわなかったのも、騒々しいという内面に影響されていたからだ。見た目だけならば十分にこの学校で一番を取れただろうし、京太郎もその分析に不満はない。強いてあげるならば若干おもち不足なことが気になるが、中学生という年齢を考えるならば十分な戦力を淡は持っている。

 

 これについては、すでに巨乳の域に達している春や、今年全国制覇を成した原村某が異常なのだ。ぐいぐいと腕を引きながらひっついてくる淡の、決して小さくはないおもちの感触に京太郎の自制心もぐらぐらと揺れるが、女性グループの中で鍛えられた理性が勝利した。

 

「そういうもんなんだよ。その代り、夕飯はお前の好きなもの作ってやるから、機嫌なおせ」

「ほんと!? じゃあ、オムライスが良い! 東京で食べたみたいな、ふわふわのお願いね!!」

「あーわかったわかった」

 

 はしゃぐ淡の中では既に、京太郎<オムライスになっているのだろう。色気より食い気というのも実に淡らしい。すっかり機嫌を直した淡を呆れた様子で眺めながら、京太郎は教本を鞄にしまう。今日はこれから一緒に夕食の材料を買いに行き、駅でモモと合流して宮永家に向かう予定である。

 

「きょーたろー! サキー! 早くいこーっ!!」

 

 お泊りセットを持った淡は、既に頭の中がオムライスになっていた。単純すぎる友達にお互い苦笑を浮かべた京太郎と咲は、ぶんぶん手を振る淡に従って歩き出した。

 

 



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53 中学生三年 四人の大親友編②

 

 

 

 

 

 

 淡をモモに引き合わせるに当たって、唯一にして最大の懸念は二人が仲良くなれるかどうかだった。そんじょそこらのぼっちなど相手にもならない究極のぼっちであったモモは、友達が少ないどころか、友達付き合いの経験すら薄い。スマホのメモリに登録されている人数も、家族のみという有様だ。

 

 中学にあがって漸く、数少ない登録の中に京太郎と宮永姉妹が追加されるに至ったが、それ以前の経験不足が災いしてか、どうにも交友関係が狭い範囲で完結してしまう節があった。

 

 咲と友達になることでもっと積極的に他人と関わるようになってくれればと思ったのだが、一人親友ができたことでもうこれでいいっす……と更に内向きになってしまったモモは、相変わらず人付き合いの経験値というものが不足していた。

 

 そんなモモに、淡である。淡の自己主張の強さはとにかく個性的な女性を多く見てきた京太郎から見ても折り紙付きで、影が限りなくゼロに近いモモとの相性はどうなのだろうと、考える度に相性悪かったらどうしようと不安に思っていた京太郎だったが、咲の家で顔を合わせるなり、淡はモモの手を取って笑みを浮かべた。

 

「モモだよね! よろしく!!」

 

 咲から親友だと聞いていた淡は、ならば自分も親友であると最初から大きく踏み込んでいった。友達付き合いがないということはつまり、悪い言い方をすればころっと落ちやすいということでもある。人懐っこい笑みを浮かべた淡に手を握られたモモは、その瞬間にちょろっと落ちてしまい、二人の親友が三人の親友となって現在に至るという訳だった。

 

 今は宮永家の居間で、三人で話に華を咲かせている。そんな三人の声をBGMに聴きながら京太郎は夕食の準備を進めていた。メニューは淡のリクエストの通り、オムライス(グリンピース抜き)だ。照がいた時からたまに料理を作っていた宮永家の台所は、既に勝手知ったる場所である。

 

 慣れた手つきで調理具の用意をしながら、京太郎は次第に料理に没頭していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎が台所に入り夕食の準備を始めると、後は女子の時間である。元々社交的ではない咲とモモだけだと、いかに親友同士とは言え会話が弾まないこともあるのだが、今日は淡という話をしていない時の方が少ないくらい喋る女子がいたため、親友同士の会話もかつてないくらいに弾んでいた。

 

 淡が主に好んだのは、今日初めて会うモモの話だった。ステルスの性質についての説明は京太郎が事前にしていたが実際に『それ』を目にすると、淡も目を丸くした。

 

 何しろ、今まで目の前にいたはずなのに気づいたら消えているのだ。モモ本人が他人に気づかれるための行動を取っていない場合、ステルスがきちんと機能していれば、例え目の前にいても見失うことが多々ある。見失ってしまったモモを不安そうに探す淡に、少しだけ心が痛んだモモが姿を現すと、淡は『閃いた!』という顔でモモの手を握った。

 

「一緒にいる時は、こうしてれば大丈夫でしょ? これで私もモモを見失わないね!」

 

 その時のモモの表情を何と表現すれば良いのか、比較的豊富な語彙を持っていると自負している咲も、その表現に迷ってしまった。きっと淡が男だったら、モモはここで恋に落ちてしまっただろう。京太郎に出会った時もその日の内に好きになってしまったというから、本当に惚れっぽい体質なのかもしれない。

 

 女の子同士とは言え、一緒にいる時常に手を繋いだままというのもどうかと思うのだが、モモと淡の二人が納得しているなら問題はなかった。

 

「ところでさ、サキー」

 

 どうにも百合百合しくなってきた雰囲気を打ち払うように、淡が声を挙げた。二人のやり取りにいつの間にか夢中になっていた咲は、その声で現実に引き戻される。

 

「な、なにかな?」

「サキーってさ、京太郎のこと京ちゃんって呼ぶよね。私も呼んでも良い?」

「別に私に許可を取る必要はないと思うんだけど……」

 

 と言うが、自分以外が『京ちゃん』と呼んでいるところを想像すると、もやもやとした気分になるのは否めない。大親友である淡やモモであったとしても、それは変わらなかった。咲の消極的な反応を、自分に都合よく許可する、という返答だと解釈した淡は立ち上がると、

 

「じゃあ、ちょっと呼んでくるね!」

 

 言うが早いが、京太郎の元へ走って行った。その背をぼんやりと見送りながらジュースに口を付ける咲に、モモが声をかける。

 

「良いんすか?」

「反対する理由ないもん。呼び方に文句をつけるような女だって、京ちゃんに思われたくないし……」

「そういうところもかわいいって思ってくれると思うんすけどね、京さんなら」

「モモちゃんも、実は京ちゃんって呼んでみたいんでしょ?」

「……………………ちょっとだけ、ちょっとだけっすよ? 本当にちょっとだけ、呼んでみたいと思ったことはあるっす」

 

 頬を染めながら小さな声で告白する親友に、咲は苦笑を漏らした。今なら淡やモモが『京ちゃん』と呼んでも、何だか許せるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボウルに入れた卵をかき混ぜていた京太郎は、背後に猫のような気配を感じた。足音の大きさから、振り向かなくても淡だとすぐに解った。咲もモモも控えめな歩き方をするので、二人との区別はつきやすいのだ。

 

「どうした、淡」

「あわっ!」

 

 気づかれるとは思ってなかったのだろう。手が届くくらいまで近寄っていた淡は、声をあげて驚いた。

 

「……こっそり近づいたのに、どうして解ったの?」

「あれでこっそりしてたつもりだったのか、お前……」

 

 バレたのならば、話は早いと淡が近寄ってくる。あわよくばつまみ食いをしようという魂胆だったのだが、まだ食べられるようなものは何一つできあがっていない。残念そうに溜息を吐く淡に、京太郎は問うた。

 

「で、何か用か」

「ん? えーっとね? サキーとモモと話してたら、京太郎の呼び方の話になったんだ。サキーもやってることだし、その親友の淡ちゃんも挑戦してみようと思ったんだよね。聞いてくれる?」

「おう、良いぞ」

「ありがと、京ちゃん」

 

 呼び方というのはそれか、と京太郎は小さく安堵の溜息を漏らした。てっきり恥ずかしい呼び名で呼ぶのはこっちで、淡が耐えるものだと思っていた京太郎は、料理の手を止めないまま、横目で淡を見る。

 

 京ちゃんと呼んで、そこから何かあるのかと続きを待っていたが、淡は一度呼んでから微動だにしない。どうかしたのだろうか。十秒待つ、三十秒待つ。それでも淡は動かない。下準備も全て済、さてフライパンに火を入れようかというところで、淡は無言で京太郎に背中を向けた。

 

 淡にしては薄いリアクションだったが、今はオムライスだ。妙な行動のことは、食事の時にでも聞けば良いと、京太郎は再び料理に意識を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わーっ!! あわーーっ!!!」

 

 戻ってきた淡は全力でクッションに頭を突っ込むと、声にならない叫び声をあげて、床をごろごろと転がった。

 

「やばい、これやばいよ! 今まで生きてきた中で一番恥ずかしいよこれ! 京ちゃんとか呼んじゃった! 呼んじゃったし!!」

 

 あわーと右に転がっては、あわーと左に戻ってくる。ころころごろごろと転がり、最終的にはモモの膝にぶつかって止まる。膝枕するようにぐりぐりと押し付けられる淡の頭を、どうして良いのか分からなかったモモは、助けを求めるように咲の顔を見たが、咲は咲で淡が呼び方一つで何故ここまで大騒ぎするのか理解できないでいた。

 

 呼び方一つ、ここまで恥ずかしがるようなものだろうか。京ちゃんと呼ぶことに、特に深い意味がある訳ではない。咲は親しい人間を呼ぶ時にちゃんを付ける。男の子でちゃんと呼ぶのは親戚の男の子を除けば京太郎が初めてだったが、そこに女子との明確な区別がある訳ではない。

 

 事実、モモも淡もモモちゃんであるし、淡ちゃんだ。高校にあがって別に友達ができれば、その子のこともきっとちゃんをつけて呼ぶだろう。咲にとっては別に大したことではないのだが、淡にとっては違うらしい。

 

「うぅ……実はサキーって大人の女だったんだね。こんなに恥ずかしいこと平気でやっちゃうなんて……」

「そんなに恥ずかしいっすかね、これ」

「恥ずかしいよ! 大人の階段だよ! モモもやってみれば解るから! ほら、次はモモの番!」

 

 淡に背中を押される形で、モモが台所に向かっていく。呼んでみたいと言っていたモモだ。この状況は渡りに船だろう。京太郎の元に向かう足取りも、どこか軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度はモモか」

「足音で分かるんすか?」

「ここに三人しかいないからな」

 

 友達皆が大集合していたら、流石に個々の区別をつける自信はない。振り向かずに足音だけで区別がついたのは、その前提でならば三人の区別がつくからだ。足音が大きければ淡。控えめな足音で耳に馴染んでいる方が咲でそうでないのがモモだ。

 

「それで、モモは何の用だ? 淡は何だかよく解らないまま戻っちまったけど」

「淡ちゃんが言ったと思うんすけど、呼び方の話になったんすよね。私が知ってる中では咲ちゃんだけ、京さんのこと違う呼び方してるって」

「あぁ、そう言えばそうだな……」

 

 基本的に同級生か年上との付き合いが多かったため、名前で呼び捨てにされることが一番多かった。親戚を除けば、京太郎のことを京ちゃんと一度でも呼んだことがあるのは、ギバードを中心とした麻雀教室の年下組くらいである。同級生に限って言えば、咲が初めてだ。

 

「今まではどう呼ばれてたんすか?」

「京太郎って呼び捨てにされることが多いな。基本、どこにいる時も俺より年上の人がグループにいたし」

「ということは、同級生の娘も京太郎って呼び捨てにしてたってことっすか?」

「それが多いな」

 

 振り返ってみると、同級生の友達よりも年上の友達の方が多いというのはかなりレアな環境と言えるだろう。しかもそのほとんどが女性に偏っているのだから、我ながら奇妙な人生を歩んできたものである。

 

 京太郎の交友関係の中では数少ない同級生の友達であるところのモモは、今の話を聞いてむっとした表情を浮かべていた。男の過去にどんな女がいようと許してやるのが良い女というものだが、仲良し度において自分たちが一番ではなさそうだ、という見通しは恋する乙女にとってあまり気分の良いものではなかった。

 

 それで一瞬で決心が固まってしまったモモは、勢いでそれを口にした。

 

「じゃあ、京ちゃんって呼ばれるのはレアなんっすね?」

 

 確認という体で、あだ名を口にする。淡の言っていたことは、大げさだ。半ばそう確信していたモモだったが、自分の身に起こった劇的な変化に気づくと、京太郎の反応を待たずに、踵を返した。今日はいきなり目の前から消えられることの多い日だな、と軽い気持ちで考えながら、京太郎はまたも調理に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やばいっす! やばいっすよこれ!!」

 

 リビングまで戻ってきたモモは、勢いよく淡に飛びついた。ぎゅっと抱きしめてごろごろと転がっても、身体の熱は下がらない。羞恥心で真っ赤になった顔は熱を持ち、心臓は今もばくばくと言っている。あだ名を口にしただけなのに、何という破壊力だろう。今まで生きてきた中で一番恥ずかしいという淡の言葉にも、今なら頷くことができた。これはマジでヤバい。

 

「そうだよね? これ恥ずかしいよね?」

「間違いないっす。咲ちゃんは大人の女だったっすよ」

 

 二人して大盛り上がりをする親友を他所に、咲の気分はガンガン盛り下がっていく。これでは自分一人が変態のようで、複雑な気分だ。逆に、あだ名一つでここまで盛り上がることのできる二人が、咲からすればとても羨ましい。

 

「どうしてサキーは普通に京ちゃんって呼べるの?」

「どうしてって……気が付いたらそう呼んでたよ。私も最初は須賀くんって呼んでたし」

「そう言えばそうだったっすね。でも、私と会ったその日には、もう京ちゃんって呼んでた気がするっすけど」

「宮永テルーと麻雀やったんだっけ? じゃあ、サキーはその日に恋に落ちたんだね」

「そういう言い方されるとちょっと恥ずかしいかな……」

「私たちの恥ずかしさに比べたらどうってことないよ! それじゃあ、最後はサキーの番だよ。大人の女として、私たちにお手本見せてくれる?」

「……それは、京ちゃんって呼ぶためだけに、台所まで行って来いってことかな」

「そうだよ! 私とモモはこっそり後からついていくから、がんばってね!」

 

 期待に満ちた親友二人の視線に、実行しない訳にはいかない状況になったことを、咲は理解した。別に今さら京ちゃんと呼ぶことに抵抗がある訳ではないが、そのためだけに台所まで行くのはバカップルみたいで恥ずかしい。着いてくると言っているのだから、こっそりと誤魔化すこともできない。

 

(ああ、こういうのを羞恥プレイって言うんだね……)

 

 モノの本で読んだことがある知識を身をもって実感した咲は、ひっそりとした足取りで、お供二人を引き連れて台所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後は咲か」

「うん。何か騒がしくてごめんね」

 

 どうにか逃げ出そうと、トイレに駆け込もうとして失敗し、押し込まれるようにして台所までやってきた咲ははにかんだ笑みを浮かべる。その後ろでは、こっそり隠れているつもりのモモと淡が目を光らせていた。当然、二人の視線には京太郎も気づいている。仲良しそうで実によろしいと、モモに淡を引き合わせることができたことに内心で満足しながら、今思いついた、というように京太郎は言葉を続けた。

 

「良いところに来た。ちょっと味を見てくれないか? ほら、say aah」

 

 スプーンに盛られたチキンライスに、咲は黙って口を小さく開けた。あー! と言ったのは、咲ではなく後ろで見ていた二人である。

 

「大声出すなよ。ほら、つまみ食いしたいならこっち来い」

 

 憎からず思っている男性に『色気よりも食い気』と判断されたことに地味に傷ついた乙女二人だったが、美味しそうな香りのするチキンライスには勝てなかった。打ちひしがれた様子で歩いていくと、チキンライスを盛られたスプーンを渡される。あーん、ではない。

 

 この差は一体何なんだろう。美味しいチキンライスを味わいながら、咲を見る二人の視線には、少なくない羨望が混じっていた。



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54 中学生三年 四人の大親友編③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 淡リクエストのオムライスを作った後、京太郎は当たり前のように帰宅の準備を始めた。元よりその約束であるし、そもそも女子中学生のお泊り会に男子中学生が好んで参加する道理もない。本能に従った発言をするならば興味がないと言えば嘘になるが、それはそれだ。女性だけの時間を尊重するのも、女の集団で長生きするためのコツの一つである。

 

 もっとも、女性の方が残ってほしいと思っているケースも、京太郎本人が知らないだけで結構あった。昔からそういう配慮をしていたものだから、そういう配慮を気にしないタイプ――同級生で言えば、例えばシズなどには、物分かりの良すぎるところは必然、付き合いが悪いと映ることもあった。

 

 その時々に所属していた集団にとっては、そういう『男女の配慮を飛び越えて男性を誘うことができる』ある意味強靭な神経を持った人物は稀有な存在で、一緒にお泊りができるかどうかは一重に、その働きにかかっていた。阿知賀でシズが背負っていたものは計り知れないのだが、気心の知れたシズの力を持ってしても、京太郎が首を縦に振ることはとても少なかった。

 

 今の長野で言えば、シズの背負っていた役割は淡のものである。淡は猫なで声の見本のような声で京太郎に甘い言葉を囁き続けた。『一緒に泊まろうよー』『四人の方が楽しいよー』とかなり粘ったのだが、京太郎はそれでも落ちない。むしろ、横で聞いてたモモの方に効いている始末である。淡が頑張っている間、彼女はほとんどヤバイっすとしかいってなかった気もする。

 

 結局、淡の奮闘も空しく京太郎は普通に帰宅してしまった。なにさ! と最初は淡も荒れていたが、皆でお風呂という時間になると機嫌も直った。熱しやすいが冷めやすいのが淡の短所であり、長所でもある。

 

 さて、あくまで一般家庭である宮永家の湯船は三人が余裕を持って一緒につかることができるほど広くはない。入れなくもないが、そうなると肩をくっつけて抱き合わないと無理である。二人が湯船で一人が洗い場という状態を強要されるにも関わらず、あくまで三人で入ることになったのは、その方が楽しそうと淡が強く主張し、モモが消極的にではあるがそれに同意したからだ。

 

 人生初のモテ期到来っす……とモモは密かに喜んでいたが、咲はまったく別のことが気になっていた。

 

 モモも淡も、何というかおもちがおもちなのである。二人とも巨乳と表現できるほどに大きい訳ではないのだが、中学生にしては大きいよね、と同性に問えば、ほとんどの女子が同意してくれるくらいには大きい。

 

 二人の胸を見てから自分の胸を見下ろすと、侘しさしか感じない咲である。咲の場合は『ある』というのはどういうことかと哲学的な問いに向き合わなければならない。言い訳をするならば決して『ない』訳ではないのだがおもちな人たちから見ればそれこそ誤差のようなものだろう。色々試してはいるのだが効果は全くない。

 

 最強の女子高生の称号を欲しいままにし、今では雑誌のグラビアなどに載る姉も、決して大きいほうではない。あくまで標準の域を出ていないにも関わらず、優越感に満ちた表情で胸を見下ろされた時には流石にお互いのホーンを引っ張り合う程の大喧嘩に発展したものだが、モモと淡にホーンはない。

 

 それどころか同級生の友達にこの苛立ちをぶつけてしまったら、もういい訳ができなくなってしまう。おもちがおもちでないことに腹を立てて親友とトラブったなど、格好悪いにも程があった。

 

 かくして、持つ者と持たざる者の胸囲の格差社会を思い知ったお風呂タイムを過ぎれば、後はガールズトーク満載のぱじゃまパーティである。これにはモモだけでなく咲も緊張していた。そも、友達が二人以上参加してお泊りをしたことなど、生まれて初めてのことである。

 

 ちなみに、モモは何度かお泊りに来たことがある。照がいた時にも来たことがあるから、三人でのお泊りというのは経験しているが、咲とモモの立場からすれば照はゲストのようなもので、ノーカンである。今日はきちんとメンバーとしてカウントされる淡がいる。緊張するのも尤もだった。

 

 その淡は、こういうイベントになれているのか着換えも場所取りも思いのままである。最初は咲のベッドに三人で寝ようと企画したのだが、無理やり寝ようとして三人で転げ落ちてからは、床に布団を敷く方向に変更された。三人で川の字になって眠る。照がいた時のお泊り会と同じパターンだ。

 

「モモ、上手だね」

「ありがとうっす。淡ちゃんの髪はふわふわで羨ましいっすね」

「そう? ありがとー」

 

 にへーと笑う淡の表情は、至福とはまさにこれなりとばかりに緩みまくっていた。三人の中で唯一、髪が長い淡のお世話を、淡たっての希望でモモがやっていた。京太郎がいれば京太郎がやっていたのだろうが、それはそれだ。

 

 モモの淡の髪を梳く手つきは優しく、眼差しはお母さんのそれである。淡は咲ですら心配になるくらい良い意味でアホの娘だが、そのアホの娘っぷりに母性本能を刺激されたのだろう。淡もモモの手つきにされるがままになっている。ここだけを見れば、実に微笑ましい光景なのだが、ここでも咲の視線は二人の胸元に注がれる。

 

 格差社会という言葉の意味を噛みしめ、何だか直視するのが憂鬱になってきた咲は、京太郎にこっそりとメールを送った。

 

『モモちゃんと淡ちゃんが二人でいちゃいちゃしてる』

『それはなんだ。お前が仲間はずれにされてるってことか?』

『そういう訳じゃないよ。ただちょっと、今は二人の世界に入ってるだけというか……』

『仲間はずれにされてるんじゃないなら良かった。喧嘩するなよー』

 

 気を回してくれるのに、絶妙にズレている。元より、胸部の格差社会の繊細な事情など、男性には解らない話である。はやりん大好きなおっぱい星人ならば猶更だ。

 

「サキー! そろそろ寝よー!」

 

 憂鬱になっている咲の感情を知ってか知らずか、モモに髪を梳いてもらった淡が飛びついてくる。スキンシップ過剰な淡のおもちの感触にますます憂鬱になりながらも、淡の笑顔を見ていたら、そんなことはどうでも良くなっていた。人を楽しい気持ちにさせる笑顔とでも言えば良いのか。一緒にいて気苦労もあるが、楽しくもある。

 

 事前の打ち合わせの通り、モモを真ん中にして川の字になる。左から咲、モモ、淡の順番だ。これも淡がモモを見失わないように手を繋ぐための位置取りであり、逆の手は咲が握ることになっている。モモにとっては人生最初のモテ期であるが、両手を握られたままというのは、とても寝にくい。今夜は眠れそうにないっす……という感慨を女子相手に抱くことになるのは、果たして幸せなのか。

 

「本当、京太郎も一緒だったら良かったのに。そしたら四人で川の字になれたし」

「四本じゃ川の字にはならないよ、淡ちゃん」

「ちなみに四人で寝たら、京さんは何処に寝るんすか?」

「んー」

 

 淡は考える。普段の彼女であれば、一人じめ! というのが当然の帰結であるのだが、ここにいるのは大親友二人だ。皆で平等にと考えてみるが、男は一人で女は三人だ。当然だが、京太郎の腕は二本しかないので一人余ることになるが――

 

「私が右でモモが左。サキーが……上?」

「一人だけエロエロっすね。流石は大人の女っす」

「流石にそれは恥ずかしいよ……」

 

 勢いに任せて京太郎に抱き着いたことがあるが、それだって後から死ぬほど恥ずかしくなるのだ。素面で、それも大親友二人に見られながら京太郎に乗るなんて、その場でショック死してしまうかもしれない。

 

「でもさ、私たちよりも女の子が多いとこにもいたんでしょ? そういう時はどうしてたのかな」

「さぁ、そこまでは――」

「えー? サキーでも聞いたことないの?」

「できれば聞きたくないって言うか……淡ちゃんは聞きたい?」

 

 一つで済めば良いのだが、それで済まないのが京太郎の女性遍歴である。一つ聞くだけでも複雑な気持ちになるのに、今までの全てを白状されたらその場で押し倒してしまうかもしれない。

 

 これには、多くの女子が同意してくれるものだと咲は思っていた。現に、同じ内向的女子グループであるところのモモは、前に同じ質問を咲がした時、当たり前のように同意してくれた。友達が少ないせいか、普通はそういうものだという決めつけがあったのかもしれない。

 

 それだけに、淡が興奮気味の声で言ったことは、完全に咲の予想外のものだった。

 

「知りたい! だって、その人たちが私たちよりも凄いことしてたらくやしーじゃん!」

 

 友達のことを、心の底から尊敬できたのはこの時が生まれて初めてのことだった。興奮気味にあーでもないこーでもないとまくし立てる淡の言葉を聞きながら、咲はモモと視線を合わせた。モモも同じことを考えていたのだろう。新しくできた親友の、あまりにまっすぐな言葉に、多感な女子中学生二人は、女子としてこのままで良いのかという気持ちになった。

 

 淡ほどの積極性があればどれだけ楽に話が運んだだろうかと思わずにはいられないが、淡と京太郎を見ていてもそういうことになりそうだという危機感はない。距離が近ければ全てが解決する訳ではないのだ。とかく、恋愛というのは難しい。

 

「淡ちゃんも京さんのことが大好きっすね」

「うん。京太郎のこと、大好き!」

 

 まっすぐな淡の言葉に、咲は小さく溜息を漏らした。好きだ、大好きだと素直に口にできれば、本当に隣に立つことができるようになったのだろうか。考えたことは何度もあるが、実行には移していない。

 

 きっと全国にいる他の女の子もそうなのだろう。成功すれば良い。でも、もし失敗したら…………恋する乙女が考えるのは、そういうことだ。

 

「淡ちゃんは、京さんに告白とかするんすか?」

「しないよ? いつかしてもらうし。私は京太郎のこと好きだけど、やっぱり好きって告白してもらいたいからね! だから、私のことを沢山見てもらって、沢山好きになってもらうんだ。ねぇ、宮永テルーのことやっつけたら、京太郎は私のこと褒めてくれるかな?」

 

 そのテルーの妹としては、苦笑を浮かべるより他はない。淡のことは勿論大好きだし大切だが、姉のことも同じくらいに大切なのだ。

 

「そのテルー、結構強いよ? 前は私と同じくらいだったけど、高校に上がって更に強くなったみたいだし」

「環境が違うっすからね。何しろ東京っすから」

「私も来年からその東京に行くよ? それでもっともっと強くならないと。テルーが卒業するまでに勝てないし」

 

 淡の言葉には迷いがない。宮永照を憧れ、目標とする女子高生、女子中学生は数多いだろうが、最初から倒すつもりで、しかも同じ高校に入学する人間は少ないだろう。しかも淡は、かなり本気でそれを言っている。良くも悪くも自信家なのだ。自分ならばできる、という明るい未来を信じて疑わずに行動している。

 

 それはとてつもない行動力を生む。躓いてしまっても、立ち直るのも早い。調子に乗りやすいという欠点こそあるが、それすらも成長のバネに変えてしまっている。およそ成長性という点では最高のものを持っていると言っても良いだろう。 照の在学中に彼女を打ち負かせるかは少し疑問だが、もしかしたらという思いを妹である咲に抱かせるには十分なほどに、淡は輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




この後、さらに社会格差は深刻なものとなるのでした。
次回、年末編前編。テルーとリンちゃんがきます。


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55 中学生三年 精密射撃の極意編①

 

 

 

 

 

 

 弘世菫というのは、何かと特殊な女性の友達が多い京太郎をしても、中々特殊な距離感の友達である。

 

 京太郎から見て年齢は二つ年上。同級生以外には敬語が基本の京太郎だが、菫とはタメ口で話す。年上の女性に囲まれて育った京太郎にとって、これはかなり珍しいことだ。菫の方も京太郎からのタメ口を気にした様子はない。上級生をして少し近寄りがたいと評される彼女にしては極めて珍しく、京太郎とは気安く話す。

 

 菫が同級生未満でそうし、それを許しているのは京太郎だけだ。京太郎の方も、菫以外では年上で敬語を使わないのは幼馴染である怜と、色々な意味で例外の衣だけである。一番付き合いの長い怜と比べると、菫と過ごした時間は少ない。再会してからは距離が離れているし、そもそもそれ以前も、交流があったのは『リンちゃん』と菫を名付けたあの日だけだ。

 

 今も使っている『リンちゃん』は、京太郎が幼い頃に勢いで付けたあだ名である。その名前で今も呼び続けているのだから、考えてみれば中々失礼な話ではあるが、菫は今もそのあだ名を受け入れてくれている。少なくとも、京太郎がそう呼んで怒ったことは、再会してからは一度もない。

 

 では誰が呼んでもそうなのかと言えば、そういうことでもない。以前、誠子がふざけて呼んだ時には一瞬で雷を落とし、彼女に小一時間説教をしたと聞いている。

 

 菫にとって自分が特別と思うと悪い気はしないが、誠子がリンちゃんと呼ぼうと思ったのは自分が原因と考えると京太郎の心も痛んだ。酷い目にあった……と電話をしてきた誠子に、後で一緒に海釣りにでも行く約束をして相殺してもらったのも、今となっては懐かしい思い出である。

 

 その特別な関係であるところの菫が、照の帰省に合わせて宮永家に泊まりにくる。寮でも同室で、照とは大の仲良しである菫だが、長野まで足を運ぶのは今回が初めてのことだった。照は菫と一緒に初詣にも行くつもりだったが、それは菫に断られてしまったらしい。

 

 結構なお金持ちである弘世家は、正月には親戚一同が集まるという。来年は高校最後の年で、白糸台でのインターハイ三連覇がかかっていることは親戚全員が知っている。会の主役の一人である菫が参加しない訳にはいかず、むしろ照も連れてこいという親戚の攻撃をかわすので精いっぱいだったらしい。宮永家からしてみれば、菫は家族四人で過ごすことのできる時間を作ってくれた、影の功労者だ。

 

 その功労者に迷子にならないように監督されて里帰りする照を、京太郎たちは駅の入り口で待っていた。照が菫の家に一晩泊まってきたので、宮永母に一日遅れての帰省である。

 

 妹である咲に同行しているのは京太郎とモモの二人。本当はここに淡も加わるはずだったのだが、彼女は前々から企画されていた家族旅行に出かけており、戻ってくるのは菫が東京に戻った後である。テルーの友達に会えないことを残念がっていたのも一瞬のこと。どうせ来年には会えるんだからと、あっけらかんとした顔で旅行に出かけてしまった。

 

 その代わりと言っては何だが、年末年始は皆で一緒に初詣に行くことになっている。本当は大星家も家族皆で初詣に行く習慣らしいのだが、謎の京太郎推しをしてくる大星母の鶴の一声により、淡はこちら側で参加の運びとなった。同級生四人の中では引率者役と思われているのか、大星母からは直々に、うちの娘をどうぞよろしくという電話までもらってしまった。意味が解らない。

 

 駅の改札口。咲は先ほどからそわそわとしている。そこまでじゃないんだからね、と常日頃から口答えをしているが、大のお姉ちゃん子であることはその行動からも良く見て取れる。照れ隠しなのは、京太郎他咲の関係者全員が知っていた。咲がどれだけ姉を愛しているのか一番理解していないのは、当の咲なのだ。

 

「お姉ちゃん!」

 

 案の定、照の姿を最初に見つけたのも咲だった。小さな身体で、ぴょんぴょんと跳ねて大きく手を振っている。普段の引っ込み思案から比べると、随分と大胆な行動だ。後で思い返したら真っ赤になってあうあう言いだすのは間違いないが、それは言わぬが花だ。

 

 京太郎たちの視線の向こうでは、照が咲の行動に羞恥を感じながらも手を振り返している。照も照で、妹が大好きなのだ。そして気質も咲と良く似ている。咲と違ってカメラの前では営業スマイルのできる照だが、それは不特定多数に向けるという覚悟が出来ているからだ。

 

 その隣には、リンちゃんこと菫がいる。照も十分に人目を引く美少女だが、菫は美人と表現する方が適切だった。染物の気配の一切ない真っ黒な髪を腰まで伸ばし、立ち姿もしゃんとしている。良家のお嬢様というのは歩き方まで教育されるものなのか。神境の姫君である小蒔も、また自由奔放を絵に描いたような咏も、きちんとするべきところではきちんとできる。菫もまた、同じタイプなのだろう。

 

「……やっぱり、凄い美人さんっすね」

 

 照と菫に手を振る京太郎の隣で、モモが茫然と呟いた。京太郎と出会ってからオシャレに更に気を遣うようになったモモは、自分の容姿が世の平均以上であることを自覚している。その視点から見れば親友である咲も淡も、咲の姉である照も十分美少女だが、菫はその三人の誰とも違う系統の『美人』だった。

 

 菫が美人であるという事実を、モモは京太郎から聞かされて知っていた。彼曰く、年上の異性の友達。男女間の恋愛感情なしに京太郎は菫のことを美人だと褒めていた。女のモモの目から見ても、その評価は正当であると言わざるを得ない。全国大会を二連覇した白糸台の現部長。宮永照の相棒として知られる彼女は、高校麻雀界では有名人である。

 

 照の実力と知名度に隠れてしまいがちではあるが、他人のあぶれた牌を狙い撃つ技術は高校生の中でも突出しており、ついた二つ名は『白糸台のシャープシューター』。もっとも、菫本人はその二つ名を気に入っていない。横文字なのがいけ好かないというのが、その理由だ。

 

「ああ。かっこいい人だよな、リンちゃん」

 

 そのかっこいい人を、世界で唯一『リンちゃん』などとかわいく呼べる人間はこともなげにそう言った。その距離感が羨ましいモモは、微妙な表情を更に微妙にする。現時点で、須賀京太郎と友人として最も距離が近しい異性は、京太郎の表情がはっきりと見えるくらいの距離まで近づくと、笑みを浮かべた。

 

「久しぶりだな、京太郎。また身長が伸びたか?」

「まだまだ伸びるよ。もっと上からリンちゃんを見下ろすこともあるかもな」

「世の男の半分は私より小さい。並んで歩くことに抵抗を覚えるよりはずっと良いよ。これからもどんどん、身長を伸ばしてくれ」

 

 言って、菫は腕を広げると軽く京太郎を抱きしめた。京太郎も、菫の背に腕を回してぎゅっと抱きしめる。男女のそれではないただの『ハグ』だが、自分の周囲でそれを見たことのないモモは、男女が目の前で抱き合っていることに目を丸くしていた。その片方が、自分が思いを寄せている男性なのだから驚きも一入である。

 

 モモは驚いているが、京太郎にとって菫との距離感ではこれくらいが普通だった。長野で言えば純ともこれくらいはやる。性別を感じさせない相手ならば、異性であってもスキンシップは容易である。菫との、特殊な距離感を実感する瞬間でもあった。

 

「さて、そちらは初めてだったな。弘世菫だ。こいつとは……何だ、昔からの友人ということになるのかな」

「それで良いんじゃないか。付き合いそのものは、結構短いけど」

「そう考えると不思議な縁もあったものだな……」

 

 感慨深げに呟く二人に、モモは驚きの声を挙げる。いつも見える京太郎と一緒だから気づくのが遅れたが、

 

「私のこと、見えるんすか?」

「気を抜くと見失いそうになるが、一応な。京太郎からは君の特徴と、照の妹さんと挟んで立つとは聞いていたからとりあえず見つけることはできた。見つけられないことで君に不快な思いをさせるかもしれないが、どうか許してほしい」

「そんなことはないっす! 見つけてくれて嬉しいっすよ」

「そう言ってもらえると助かるよ。改めてよろしく、東横さん。これで結構困ったところのある奴だが、京太郎のことをよろしく頼む」

 

 ふっ、と薄く笑みを浮かべる菫に、モモは危うく気持ちを持っていかれそうになった。女性に対しては初めての感情である。もしかしてこういうタイプに弱いっすかね……と内心のどきどきを誤魔化すようにしながら、モモは視線を逸らす。

 

 その間、咲との再会を一通り楽しんだ照は、次の目標を京太郎に定めていた。

 

「京太郎」

「照さんも、お久しぶりです」

 

 挨拶もそこそこに、照は大きく両手を広げた。私の胸に飛び込んでおいで、というサインなのは理解できる。咲の姉だけあっておもちは残念ではあるがそれはさておき。大方菫がやっているのを見て真似したくなったのだろう。気心の知れた人間ばかりの場合、自分の欲望に正直になるのが照の特徴だ。

 

 照の行為に、京太郎が浮かべたのは苦笑だった。照はお世話になった先輩である。その要望には最大限答えてあげたいのだが、ここは駅の出入り口で人の出入りが激しい。おまけに照は地元の有名人だ。今はまだ誰にも気づかれていないようだが、いつ人目を集めるか解らない。

 

 それに流石に、羞恥心というものがある。菫にはできて照にはできないというのもおかしな話だが、それはともかく。無言で照に歩み寄った京太郎は、彼女の希望とは裏腹に広げられた腕をそっと降ろさせた。

 

 バラ色の未来を疑っていなかった照は、自分の要望が叶えられなかったことに頬を膨らませ、かわいくむくれてみせた。高校生にしては、子供っぽい仕草である。宮永先輩ギャップ萌え! とか喜ぶ白糸台の後輩が見たら、鼻血でも出すのではないだろうか。

 

 照のかわいさに幸福感に包まれていた京太郎の代わりに、先に動いたのは今の宮永係だった。人の悪い笑みを浮かべた菫が、照の肩にそっと手を乗せる。抱きしめた人間と抱きしめてもらえなかった人間。その差は歴然だった。

 

 菫のことを親友と言ってはばからない照だが、今ばかりは敵である。むくれた表情のままきっと菫をにらみつける照だったが、むくれたままでは迫力もない。それで余計笑みを深くする菫に、照はついに実力行使に出た。拳を握ってぽかぽかやり始める照に、菫はついに声をあげて笑いだした。

 

「ははは。あぁ、照。残念だが、今回は空振りみたいだな」

「菫ばっかりずるい。私も京太郎と親睦を深めたい」

「私とお前ではキャラが違うということだろう。良かったじゃないか。意識はされているぞ?」

「それなら許す」

 

 菫の言葉に、照は即座に機嫌を直した。京太郎ではこうはいかない。同性ならではの切り口と鮮やかさに、京太郎から思わず感嘆の溜息が漏れる。照は既にむくれていたことなど忘れ、咲とモモと話に花を咲かせていた。その様は最強の女子校生の肩書など忘れたかのようである。

 

 すれ違う人々も、そろそろ照があの『宮永照』であることに気付き始めていたが、幸いなことに彼ら彼女らは良識的な人ばかりだった。照が家族、友達と仲良さそうにしているのを見ると、微笑みを浮かべて通り過ぎていく。

 

 そんな様子を、菫は満足そうに眺めていた。小言も言う。行動も制限する。照からすれば小姑のような鬱陶しさを感じることもあるが、二人は間違いなく親友だった。

 

「ところでさ、リンちゃん」

「今のトーンで何を聞きたいのか直感できたぞ。予め断っておくが、それは私のせいじゃない」

「…………すげーな。リンちゃん、エスパーかよ」

「今の照を見てお前から言われるとしたら、一つしかないだろうからな。繰り返すが、それは、私のせいじゃないぞ」

「それでもあえて言わせてもらうけどさ。照さん、長野にいた時よりもポンコツになってないか?」

「私のせいじゃないと言っただろう!」

 

 照に聞こえないような小声で、菫は吠えた。その声は非常に切実で、聞く者の心を締め付ける。宮永係を経験したことのある人間ならば、菫の感じたことに強く共感できるだろう。京太郎も菫の気持ちが痛いほど理解できた。

 

「私が何度『宮永照におかしを与えるな』と言っても、皆が面白がって照を餌付けするんだ。もそもそおかしを食べる照が、たまらなくかわいいんだとさ!」

「気持ちは解るよ。おかしを食べてる時の照さん、幸せそうだもんな」

「それは私も同意見だ。だがそれにしても節度というものがあるだろう。授業で体育がある高校生の内は良いだろうが、今からある程度節制させるようにしないと高校を卒業したら転がり落ちるように太っていきそうでな……」

 

 そんな先のことまで考えていたのか、と京太郎は密かに感心した京太郎は、菫の深い深いため息をBGMに照を見る。

 

 メディアに注目されるのは最強の女子高生という肩書があるからこそだが、今のメディアは実力以外にも売り込める要素があれば着目する。今の女子プロはドル売りできるならドル売りをするというアイドル路線を進んでいた。はやりのような『ザ・アイドル』路線とまではいかなくとも、グラビアを飾ったりモデルのようなことをしたり、女子プロが招待されるイベントの数は、男子プロの比ではない。

 

 数いる女子校生雀士の中でも外面が完璧な照はメディア映えしており、今の高校生の中では広島の佐々野いちごと並んで、雑誌グラビアのツートップを張っている。インターハイなどが近づけば各学校が前に出るようになるのだが、常にメディアに出ている照は、女子校生雀士の中では群を抜いた人気を誇っていると言って良い。恐るべきは、成績では照に遥かに劣るのに、同じくらいの露出がある広島の佐々野いちごである。

 

「照さん、そんなに太る体質じゃなさそうだけどな」

「男は本当に軽々しくそういうことを言うんだ。女がどれだけ見た目に気を使っているか、知らないだろう?」

 

 頭の天辺からつま先まで、一分の隙もない菫が言うと説得力が違った。美容だの体重だの、生まれてこの方自発的に気を使ったことのない京太郎は、菫にあっさりと白旗を挙げる。

 

「悪かったよ。精進する」

「頑張れよ。まぁそんな訳で、我が白糸台では色々と苦労しているんだ。本当に、何でお前が白糸台にいないのかと常々思ってるよ。お前がいれば照も言うことを聞いてくれて、私の仕事も随分と楽になるはずなんだが」

「その代わり、凄い選手を紹介しただろ? 麻雀歴は浅いけど、このまま練習を続ければ照さんの穴はほどほどに埋められると思う」

「それについては、監督もコーチも後援会も感謝していたよ。白糸台の関係者は、お前に足を向けて眠れないな。

私も照が抜けた後のことが心配で仕方がなかったんだが、お前がそこまで推してくれるなら問題ないだろう。白糸台の将来は明るいな。流石にあの照よりもポンコツということはないだろう――おい、ちょっと待て京太郎。どうしてここで目を逸らすんだ」

 

 それは気の毒過ぎて菫のことを見れないからだ。照とは方向性が違うが、淡も十分にポンコツである。しかも淡が白糸台に加入するのは照が卒業する前の話で、その時はまだ菫は部長として現役だ。加えて言うならばチーム虎姫に加入することも決まっているので、色々な意味で菫の後輩となる。既に宮永係をやっている菫の苦労は量りしれない。

 

「いや、俺の口からはとても……」

「お前、まさか、嘘だと言え。まさか本当に照よりもポンコツだと言うのか?」

「照さんよりは、とは言えないな。違う方向性で、同じくらいってとこだと思う」

「……………………高校生活最後の年が、楽しい一年になりそうで何よりだよ」

「リンちゃんが喜んでくれて俺も嬉しいよ」

「あぁ。言いたいことは山ほどあるが、気持ちを切り替えて考えていくとしようか。話題も変えよう。電話で私に教えを請いたいと言っていたが、どういうことだ? 私がお前に教えられることなど、そうないと思うが」

「あぁ。シャープシュートを教えてほしいんだ」

 

 京太郎の言葉に、菫はふむ、と小さく頷いて腕を組んだ。菫にとってみれば必殺技であるシャープシュートだが門外不出という訳ではない。相手は気心の知れた京太郎である。教えるのは吝かではないが、

 

「まず最初に断っておくが、誰もがコツを教わって実行できるようになる訳ではないことを念頭に置いてくれ。その上で話を進めるが、お前くらいの読みと技術があればある程度までは『シャープシュート』は実行可能だと思う。これから口頭でも伝えるが、後で書面にしたものを送付するから参考にしてくれ」

「悪いな。リンちゃんの必殺技なのに」

「それほど大層なものでもない。私のは他の選手よりも精度が少しばかり高いだけだ。似たようなことはトッププロならば造作もなくやってみせるだろう」

「高校生の中で狙い撃ちって言ったら、真っ先にリンちゃんの名前が出てきたぞ。小鍛冶プロから」

 

 かつて世界二位になった人から、しかも真っ先に名前が出ているということは、少なくともプロの世界において一定の評価を得ていることを意味する。健夜の目から見た場合、他者から狙い撃つという菫の技術は、どれだけ低く見たとしても女子校生の中で三指には入るということだ。

 

 照が高校に上がってから女子高生の情報もこつこつ収集するようにしている。防御ならば愛宕洋榎。速攻ならば末原恭子と、確固たる売りがあるプレイヤーは何人もいるが、今年インターハイに出場した中で狙い撃つ技術に限定するならば、菫の技術は間違いなく随一と目している。照れくさいので言葉にはしないが。

 

「褒めてくれるのは嬉しいが、お前今さらっと凄い名前を口にしたな。いや、お前の場合師匠が師匠だからな。プロとコネがあっても不思議ではないか」

「メアドも交換したぞ。たまに咏さんとかも含めてチャットで話すし」

「羨ましいには違いないが、いまいち関わり合いにはなりたくない催しだな」

「タメにはなるよ」

 

 いつも微妙にギスギスした空気になるけど、とは本人たちの名誉のために口にしない。オカルトがあまり介在しないネット麻雀で戦い、四人で行う感想戦は京太郎にとって大いに参考になるものだ。何より、咏もはやりも健夜も、タイプが異なるというのが心強い。

 

 プロの土台として共通の知識視点はあるが、最終的に頼みとする感性は大きく異なっている。トッププロの、それも視点の違う意見を3つも同時に聞けるあの時間は、京太郎にとって至福と言えた。

 

「そりゃあそうだろう。大金を積んででも参加したいという人間は大勢いるだろうさ」

「リンちゃんはそうじゃないってことか?」

「プロというのはどうにも違う気がするんだ。大学に行けばそこでも麻雀は続けるんだろうが、プロになってまで続けるかと言われれば、違う気もする」

「プロになれる実力があったとしてもか?」

「それは、それだけの実力を得てから考えるとしよう。私も、照に比べればまだまだだ」

 

 菫は力なく笑って見せる。照との相対評価にならざるを得ない点で、菫の自己評価は不当に低い。宮永照を間近に見てきたことは決して無駄ではなく、菫の技術を大いに向上させた。入学したばかりの頃は宮永照の腰巾着と陰口を叩かれたものだが、今もそんな陰口を叩く人間は白糸台の中には一人もいない。

 

 誰もが認める弘世菫の実力を、最も信じていないのが当の菫というのは皮肉な話である。最強の女子高生の隣に立つのも楽な話ではないのだ。

 

 

 

 

 




年末前半、第一話です。
次回、宮永さんちで卓を囲み、シャープシュートの講習会となります。


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56 中学生三年 精密射撃の極意編②

 

 

 

 

 

 

 シャープシュートの講義は、宮永邸に場所を移して行われた。菫の荷ほどきもそこそこに卓に着いたのは、京太郎、咲、モモに照の四人。菫は京太郎の後ろに立ってシャープシュートの指導役ということになっているのだが、普段ならばそのまま京太郎と麻雀談義に華を咲かせる菫の視線は、モモに向けられていた。男前な美人さんの視線を受けて、モモは頬を朱に染める。視線に照れたというのも勿論あるが、自らの恰好が奇異なものであることを多分に自覚していたからだ。

 

 京太郎はモモをいつでも認識することができるが、それ以外の人間は麻雀中、モモを見失う。ただ麻雀をするだけならば、それも技術の一つと誰も気にしないのだが、ステルスが邪魔になるとモモが判断した時は自発的に他人に認識されるような装いをするのである。

 

 今のモモの頭にはカチューシャが乗っている。頭頂部に近い部分からは二つバネが伸びており、その先には星が付いている。ゴテゴテした装飾で無駄にキラキラしたそれは例えば写真屋さんで、おめかしした幼少の少女が妖精さんを気取る時のマジックアイテムなのだが、後三か月少々で高校生になろうという中三の女子が付けるのはとても痛い代物である。

 

 京太郎たちはもう慣れたので気にもしないが、初見である菫はそれに目を奪われた。

 

 ここが白糸台の部室であれば注意もしたろうが、ここは宮永邸である。モモの性質について理解していた菫は、このふざけたカチューシャがそれに関するものだと当たりを付けて気にしないことにした。視線を受けたのに全くのスルーというのは、恥ずかしい思いをしているモモを更に恥ずかしくさせたのだが、モモが羞恥に震える頃には菫は京太郎と麻雀談義に華を咲かせていた。

 

 その距離は年頃の男女と思えない程に近い。邪見にされた訳ではないものの、おざなりにされている気がして、長野勢の女子たちは気分がよろしくない。これでいちゃいちゃしていたら強い抗議も辞さない覚悟だったが、京太郎と菫の間に男女の甘酸っぱさはまるでなかった。

 

 男女間の友情は果たして成立するのか。悠久にして幻想。青春における永遠のテーマの一つであるが、京太郎と菫の間に限って言えば、確かにそれは存在していた。友達としてなら、と乙女たちは不承不承自分を納得させる。

 

「さて、これからシャープシュートについて講義をする訳だが……今さら言うまでもないことだが、お前の『相対弱運』はどうするんだ? この面子で無双されたら牌を狙うも何もないんだが」

「それは完全じゃないけど解決したよ。今日はいない淡が、方法を考えてくれたんだ」

 

 自分の大きな欠点が一部解決されたことを、京太郎は喜々として語る。

 

 それは最初に淡と四人で麻雀を打った時の話。『相対弱運』の効果により元々太い運が更に太くなった淡は、強制的に幸運が舞い込んだむずがゆさにあわあわ悶えた。持前の能力が強運によって強化された淡の無双っぷりは凄まじく、咲と比べても遜色がない。ツモで京太郎を三度も削り殺した挙句、最後には『麻雀って楽しいね!』とのたまう始末である。

 

 そりゃあそれだけ勝てれば楽しかろうと呆れながらも、淡の笑顔を見ていたらどんなバカな発言も許してしまえそうな気がした。この愛嬌はもはや才能である。

 

 五半荘が終了した後。この能力のせいで練習がやりにくいと京太郎は愚痴を漏らした。『相対弱運』の説明を聞き、一度その能力を味わった淡は、何でこんな簡単なことも解らないんだという口調でこう言った。

 

『点棒を使わなければ良いんじゃないの?』

 

 淡の言葉に、京太郎たち三人の目は点になった。まさかそんなことで、と思ったがまだ一度も試したことのないことである。物は試しと、同じメンバーで点棒をなくして打ってみた。

 

 すると、どうだろう。完全ではないが移動する運の量が激減したのである。こんな簡単なことで……とは思ったが、事実として能力が減退したのだから仕方がない。ずっと付き合ってきた能力が、こんな簡単なことで軽減されている。実戦にはまず使えない方法だが、これなら練習は格段にやりやすくなる。

 

「お前すげーな!」

 

 と京太郎は嬉しさのあまり淡を強く抱きしめた。親友たちの前で、親友たちも恋する片思いの相手に抱きしめられた。その事実を認識するよりも早く、あわっと驚いた淡は反射的に京太郎の顎にヘッドバットを決めてしまった。綺麗にカウンターを決められた京太郎は一瞬で意識を刈り取られ、その場にぶっ倒れる。

 

 それ以降は麻雀どころではなくなってしまったのだが、とにもかくにも京太郎はこの日、長年自分を苦しめてきた『相対弱運』の攻略法を見つけることに成功したのである。

 

 要するに、勝負の要素を少なくすることが必要だったのだ。麻雀における順位は点棒の多寡と席順で決まる。

 

 ここから点棒が消えれば、少なくとも順位の概念は存在しなくなる。アガった奴が偉くて強いという明確な勝敗こそ残るものの、それは点棒と違って積みあがることはない。

 

 今まで多くの人間が京太郎の『相対弱運』について検証してきた。師匠の咏は言うに及ばず、それに次いで時間を割いてきたのはメンテナンスを担当している霧島神境の巫女さんたちだ。練習の時だけとは言え、原始的な方法で能力を抑えることに成功してしまった。勿論京太郎は狂喜乱舞したが、その後の一つの問題に思い至った。他ならぬ巫女さんたちの存在である。

 

 真面目にオカルトを学んでいる彼女らは、偽物がはびこる中に存在する本物のオカルティストだ。霊的な事象の解決は彼女らの代々続く家業であり、昔からの仲良しである京太郎の『相対弱運』を解決することは小蒔とその六女仙たちにとっては最優先事項である。

 

 それが自分たちではなく素人の、しかも最近麻雀を始めたばかりの同級生『女子』によって減衰の方法が見つけられてしまった。本職の人間として、また京太郎を憎からず思っている少女としてこれが面白いはずがない。

 

 量らずも自分の友達が巫女さんたちの面子を潰してしまったことに京太郎は心を痛めた。霞や初美に陰に日向に『いじめられる』と直感した京太郎はいっそこのまま隠しておこうかとも思ったが、事実を知られただけでもアレなのに、それを隠していたとバレたら姉貴分二人の可愛がりはさらに酷いものになるのは間違いない。

 

 どっちにしても地獄であるなら、せめて軽い方が良い。観念した京太郎は発見したその日の内に小蒔たちに連絡を入れた。普通に喜んでくれたのが地味に怖い。

 

 来年は春が永水に進学し、姫と六女仙の四人で団体戦にエントリーできるようになる。鹿児島には藤原利仙など無視できない強者もいるが、団体戦でならば鹿児島代表は永水で確定だろう。淡の入学する白糸台も西東京ではダントツの一強だ。打倒宮永照に燃える高校も数多く照の打ち筋も研究されているが、その程度でどうにかなるようだったら既に土がついている。

 

 個人団体合わせて現状最も照を苦戦させたのは、彼女が一年の時のIH個人戦決勝。当時高校三年生、現在はプロとなり新人王を獲得した戒能良子を交えた対局だ。彼女は京太郎のメンテナンスを担当している滝見春の従姉である。どうも長野の友達は、鹿児島の友達と相性が悪い気がしてならない。

 

 いずれ淡も巫女さんたちと顔を合わせることになる。その時、淡がどんな目に合うのか合わないのか。友達として今から心配でならなかった……

 

「麻雀を知らなかったのが良かったのかもな」

「うちでもそんな勘の良さを発揮してくれることを祈るよ。さて、話を戻そう。とりあえず気づいたことを全て口に出しながら打ってもらって良いか?」

「相当五月蠅くなると思うけど大丈夫か?」

「構わんだろう。異論のある者は?」

 

 同卓している三人の少女は、揃って首を横に振った。異論はない、ということである。思っていることを喋りながらというのは初めての経験だが、同卓している者に異論がなく、菫がやれというのならやるしかない。

 

 京太郎はすっと目を細めて、卓上とそれを囲むプレイヤーに意識を集中させた。

 

「……咲、配牌の時点でアンコが一つある。萬子の下。多分三萬か四萬。照さん。手が横に広がってる。これは結構早いな。手なりで進めても六順くらいでアガりそうだ。モモ。これも手が早そうだ。左端に役牌の対子がある。三元牌。完全に勘だけど多分中」

 

 京太郎の言葉に、少女たちは無言で返した。多分、と前置きしたものも含めて彼の予測は完全に当たっていたからだ。そもそも、情報の積み重ねに加えて対戦相手を観察することで読みの鋭さを増していく京太郎は、対戦回数が多くなれば多くなるほど、その相手に対する読みが正確になっていく。

 

 一年以上京太郎と一緒に打っているこの三人は、細かな癖まで大体把握されていた。雰囲気だけでテンパイしているかどうかが解ると京太郎は冗談のように言っていたが、配牌だけでこれだけ読むのを見るに、本当に本当なのかもしれないと、少女たちは僅かに戦慄した。

 

 これで『相対弱運』というハンデが消えたらどうなるのだろう。麻雀打ちとして期待を抱かずにはいられなかったが、今はハンデよりも彼の能力向上だ。京太郎の声を耳に聞きながら、三人は目の前の勝負に集中する。

 

「モモ。やっぱり手が軽いな。鳴く牌を探してる。役牌のみで逃げる可能性が高くなってきた」

「照さん。手が進んだ。ヤバイ、かなりヤバイ」

「咲。アンコ二つ目。こっちは間違いなく八索。鳴きを狙ってるな。今リャンシャンテン」

 

 口に出している以上、京太郎の予測はプレイヤー全員の共有財産である。照と咲はモモの役牌を絞ろうと動いていたし、咲とモモは手なりで進む照を何とか追い越そうとあがいていた。それでも、地力の高さは如何ともしがたい。中学生二人が部活に所属せず、同級生の男子といちゃこらしていた間、宮永照は一人東京で全国区の猛者たちと麻雀にあけくれていたのである。宮永照の甘酸っぱくない汗と涙の高校生活は長野ではなく西東京にあるのだ。

 

 結局、咲とモモでは妨害しきることはできなかった。京太郎の予言の通り、六巡目で照がさくっと平和ドラ1をツモアガったのである。京太郎は読みを口に出していただけで、結局何もすることはできなかった。

 

「これはSSSでも狙う間がなかったんじゃないか?」

「SSSと呼ぶな。まぁ速さというのはどういう局面でも有効ということだな。これに勝る攻め方を、私は他に知らない。だが今の照にも狙える可能性が高い牌があった。どれのことだか解るか?」

「それを切ってテンパイって牌だろ?」

「その通りだ」

 

 有効牌を引き入れて、不要牌を切る。麻雀はこれを繰り返して手を作り、アガりを目指すゲームである。河に捨てる牌というのはプレイヤーにとっていらない牌な訳だが、そのいらない牌の中にも明確な優先順位がある。

 

 配牌の時点で、例えば三種類ある字牌から何を切るか。一応手順というものは存在するが、誰もがそれに従う訳ではない。牌効率を知らない人間だったり、自分なりのジンクスを持っていたり、そこには少なからずランダムな要素が存在するが、有効牌を引き入れイーシャンテンからテンパイに変化する時、そこから切る牌はド素人だろうと小鍛冶健夜(グランドマスター)だろうとかなり限定される。

 

 シャープシュートというのはつまるところ、そういう牌を狙い撃つ技術である。無論、イーシャンテンからテンパイに移行する時限定でなく、相手の手を読み切ることができれば、どんな局面であろうと狙い撃つが、一番狙いやすいのは間違いなくそこだった。

 

 誰でも同じ判断をするということは、それまでに準備が整いさえすれば小鍛冶健夜にも有効ということである。最強の女子高生の呼び声高い照の横に立っていても、それでも劣等感で潰されなかったのは、弘世菫という少女が自分の技術に確固たる自信を持っていたからだ。

 

 およそ相手の手牌を読み、さらに狙い撃つという技術に関して、同年代以下で自分に追いつける人間はいないと菫は固く信じていた。

 

「何をツモるかは運の要素の方が大きいが、そこから何を切るかは技術の要素がほとんどだ。正直へたくそを相手にする時の方が疲れるんだが、全国区に的を絞っていくならそこまででもない。技術の要素で勝負ができるなら、お前の独壇場だろう?」

「でもさ、結局……」

「あぁ、お前がシャープシュートを常に撃つようになるのは不可能だな」

 

 京太郎に、少なくない落胆の色が広がる。元々そこまで期待していた訳ではないが、僅かに見えた光明が断たれてしまったことが精神的に堪えたのだ。そんな京太郎に、モモや咲は同情の視線を向け、照はじっと菫を見返してきた。寮で同室であり、この中で最も菫と時間を共有してきた照は、この話に続きがあることを察していた。

 

「……だが、目がない訳じゃない。お前のツモ運でも、お前くらいの読みがあれば二十回に一回はこれを再現することができるだろう。そしてそれだけの時間があれば、対戦相手はお前の読みが鋭いことを理解するはずだ。こいつは常にこちらの牌を狙っている。相手にそう思わせることがシャープシュートの神髄だと私は考えている」

 

 京太郎が顔を上げた。菫の記憶にある限り、最も麻雀に対して貪欲なのが須賀京太郎という男である。僅かにでもシャープシュートに手が届くというのならば、それを手にしない理由はない。どれだけ進むかは重要ではないのだ。京太郎にとっては最も重要なのは、どれだけ小さな一歩でも、ちゃんと前に進むということだ。

 

「狙い撃つことそのものも勿論重要だ。麻雀で優先されるべきはまずアガること。それ以外は二の次だ。だが上を目指すならば、それ以外こそ重要になる。アガるため、それに繋げるために何をするかということだが、私はこの技術に沿って一つの結論に達した。それは相手に楽な麻雀をさせないことだ」

 

 技術の持つ副次効果の話である。シャープシュートそのものは狙い撃つだけのものだが、菫はそれを心理的な作用として利用した。読みの鋭さ、それを元にしたシャープシュートという攻撃手段。それに加えて心理的な駆け引きが、菫の白糸台での立場を不動のものとした。宮永照の腰巾着などと呼ぶ人間は部内にもういない。菫は実力でもって、今の地位に立っているのである。

 

「この手は見透かされているんじゃないか。リーチをかけるのはまずいか。そもそもこの牌は当たりかもしれない。そういう数々のプレッシャーが相手の思考を鈍らせ、手を遅らせる。疑心暗鬼になりでもしたらもうカモだな。後は悠々と手を進めて、ツモアガってやれば良い」

「俺にツモアガりはできそうにないけどな……」

 

 だが、自分の行動によって相手にプレッシャーをかけるとは考えたことがなかった。京太郎の読みは捨て牌や理牌のクセは勿論のこと、相手の表情やリズムなどから的を絞る。相手の心理についてまでは、そこまで考えを回したことはなかった。

 

 弱気になった人間がどう動くか。行動を予測して先回りすることができれば、自分のツモ運でもあるいはシャープシュートの達成率を上げられるかもしれない。

 

 自分の技術が上がるかもしれない。その可能性を掴んだ京太郎の目はギラギラと輝き、凄まじい速度で思考を重ねる。

 

 やってみたいことは湯水のように溢れていた。今は麻雀がしたくてたまらない!

 

 しかし、興奮する京太郎の肩を菫がそっと叩いた。シャープシュートについては一日の長がある菫は、京太郎が何を考えているのか、手に取るように解った。

 

「気持ちは解るが冷静になれ。気持ちが逸っていては読める物も読めなくなるぞ」

「悪い。しばらくリンちゃんの麻雀見てても良いか?」

「ああ、大いに参考にしてくれ。今回はこのために、長野に来たようなものだからな」

 

 かっこつけているという自覚はあるのだろう。口の端をあげてニヒルに笑った菫に、京太郎は男らしさを見た。ひょっとしてこの人は生まれる性別を間違っているのではなかろうか。そう思うと背中までかっこよく思えて仕方がない。こんな人がいつも隣にいたら、照のぽんこつ化に拍車がかかるのもわかる気がした。

 

「今さらだけど、悪いなリンちゃん。長野まで来てもらって」

「逆の立場だったとしても、お前は私のためにそうしただろう? 気に病むことはないよ」

「それでもさ。ありがとう、リンちゃん」

「友達だろう? 気にするな」

 

 振り返りもせずに菫は言った。照れている様子はない。菫にとっては本当に、これは何でもないことなのだ。こんな風になりたい。心の底からそう思ったのは久しぶりのことだった。

 

 




リンちゃんの男前化が留まることを知らない……
相手の弱気を狙い撃つ技術については他の追随を許さない部長がいる清澄に進学したことは、運命だったのかもしれません。
ちなみに拙作ではいくのんもそれが得意。あかん姫松優勝してまう……

次回あわっと大晦日年越し編。大親友四人にテルーを加えていちゃこらし、その次が怜覚醒編となります。


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57 中学生三年 新年の宣言編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2013年大晦日。受験勉強に追い込みをかける高校生も、とりあえずは勉強しなくても許される日。京太郎は宮永姉妹とモモと一緒に大星家の前に立っていた。淡のかねてからの提案で、年越しの初詣に行くためである。代表してインターホンを押すことしばし。全く応答がないことを訝しんでいると、いきなりドアが開いた。

 

「お待たせ!」

 

 ドアから飛び出した淡は、京太郎の前でくるーり一回転。ポーズを取ってぴたりとかっこよく止まろうとして、あっさりとバランスを崩した。淡が無駄にかっこつけようとするのも、それで失敗するのもいつものことだ。溜息を吐きながら腕を伸ばして支えてやると、淡はすこしはにかんだ様子で礼を言った。

 

「そんなに慌てて……」

 

 淡に次いで大星家から出てきたのは、彼女の母である。淡がもう少し上品になって年月を重ねたらこんな女性になるのだろうか。緩くウェーブのかかった燻った色の金髪も、彼女からの遺伝である。流石に姉妹というのは言い過ぎだが、一目見て親子と解るくらいに面差しが似ていた。

 

 故に、同級生に実は兄妹だという冗談が真に受けられる程度に容姿に共通項がある京太郎が大星親子と並ぶと、家族に見えた。中々様になったスリーショットに、京太郎のことを憎からず思っている少女三人はむっとしている。大星母は、そんな少女らをちらと見た。

 

 自分の娘だけあって淡は見た目だけなら文句なしの美少女である。それに反比例するように中身が残念な訳であるが、それも愛嬌と受け取ってくれる男性も少なからず存在するだろう。現に京太郎は間違いなくその口である。残念な娘を良いな、と思ってくれる少年を逃がしてはならないと、大星母はあの手この手を使っていた。

 

 そんな大星母にとって、娘の友人たちはライバルでもある。容姿が十人並というのであれば気にもしなかっただろうが、こうして改めて見ると美少女揃いである。中でも大星母の目を惹いたのは、宮永照だった。

 

 優れた技能を持った女子校生が容姿にまで恵まれているという例は少ない。それ故に、二物を与えられた美少女雀士は世間から注目される訳だが、インターハイを個人と団体で二度制した宮永照は近年稀に見る才媛である。ファッションモデルの真似事もすれば、真面目な専門誌で何度も特集が組まれることもある。

 

 地元の有名人の一人であり、将来日本を代表する麻雀選手になるだろうことは、現時点で疑いがない。これで巨乳なら手がつけられなかっただろうが、流石に天は三物四物与えなかった。スレンダーなモデル体型ではあるが、巨乳ではない。この点だけならば、現時点でも淡の勝ちである。

 

 安心できるところもあるが、憂慮すべき点の方が多いのが難点だ。高校からは東京に行くのだし、中学最後の思い出とか適当なことを言って押し倒すくらいのことはすれば良いのに……と大星母は思っていたが、おかしなところで純情な娘はこういう所で攻勢に出ることができないでいた。

 

 そういう落差が良いと思う男子もいるだろうが、長野だけでこれだけ女子が周囲にいるのを見るに、全国にはこの五倍の数は恋する乙女がいると見て間違いないだろう。悠長にしている時間はない。今日も色々炊きつけては見たが、淡の反応は芳しくなかった。愛情も大事だが、今は友情と思っている節がある。

 

 歯痒いがそれも青春だろう。後悔して後で大泣きするかもしれないが、それも良い経験だ。戦う前から負けた時のことを考える弱気な思考を振り払う。うちの娘は美少女なのだ。とりあえず前向きに考えることにして、大星母は京太郎に向き直った。

 

「うちの娘をよろしくね、須賀くん。色々な意味で」

「お預かりします」

 

 京太郎はきちんと頭を下げる。並んで立つと淡の兄たちよりも兄妹に見えるのに、淡と違って対応が紳士的だ。聞いた話では女性に囲まれた環境で育ったというが、生まれてこの方ずっとそうなら、こういう風になったというのも頷ける。

 

 時間があれば、淡を入れずにゆっくりとお茶でもして話をしてみたいのだが、流石に娘なしで娘の友人と顔を突き合わせる訳にもいかない。まして、京太郎は大星家の男どもの受けが非常に悪い。出てくるなと念を押したから出てこないが、今もドアの向こうでは京太郎に対する男どもの怨念が渦巻いていることだろう。憎しみだけで人を殺せるならば、京太郎はとっくに死んでいる。

 

 男一人女四人で楽しそうに話しながら歩いて行く娘の背中を見送っていると、その娘が女三人で手を繋いで歩いているのが見えた。どうしてそこで男の手を取らないのだろう。もうちょっと積極的になれば良いのに、と小さく溜息を吐きながら、大星母は家に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的の神社は、大星家から歩いて十分程のところにあった。

 

 この辺りに住んでいる人間で初詣に行こうという者は、大抵この神社に行く。霧島神境とは比べるべくもないが新子神社よりは大きい。そんな地方の少し大きめの神社である。

 

 現代人らしくぱぱっとお祈りを済ませ、今は散策の最中である。人ごみを見れば知った顔もいた。ちょうど視線があったのは、クラスメートの男子である。彼は京太郎を見つけると親し気に笑みを浮かべ、次いで彼の周囲に美少女が四人もいるのを発見し、『けっ』としかめっ面を浮かべて離れて行った。

 

 彼らは男子五人で寂しく初詣に来た。京太郎とは色々な意味で住む世界が違うのである。

 

 京太郎が同級生の男子に振られ黄昏ていることなど知る由もなく、少女たちは新年の夜を楽しんでいた。四人は思い思いの恰好で着飾っている。放っておくと少年のような恰好をすることもある咲も、今日はおしゃれさんだ。全員で振袖を着るかという案も出たらしいのだが、それは却下されたと後になって聞いた。モモと咲が振袖を持っていないから、というのがその理由である。

 

 淡は元から振袖を持っていたらしいが、咲が持っていないのに照だけ持っているというのは、おかしな話である。宮永さんちは姉妹を分け隔てなく扱っている。一時期喧嘩をしていたが、基本お姉ちゃん子である咲が照の真似をしないはずもない。

 

 その理由を聞いてみると、照は困ったような顔でそれを話してくれた。

 

 照の振袖は、菫の祖母に貰ったものであるらしい。去年の年末のことである。インターハイの団体と個人を制覇した照を、菫は自分の友人として実家に連れていき、祖母に紹介した。何より孫を愛しているらしい弘世の刀自は孫の友人の活躍にも大層喜び、それなら何か贈り物をと、自分のお古で悪いが……と、昔使っていたという振袖を照に譲った。

 

 ぱっと思いだせる和装をした記憶は七五三の時くらいであるが、弘世の刀自が持ち出してきた振袖は、照の目には高級品に見えた。嫌な予感がした照は菫を見たが、親友は力なく首を横に振るばかりである。断るという選択肢はない。悪いと思いながらも、照はそれを素直に受け取った。

 

 その後、早速着てみてくれと弘世の刀自にせがまれて、菫と一緒に小さなファッションショーを開き、写真を撮られまくられたらしい。取材慣れしている照だが、耳目を集めるのが好きな訳では決してない。どちらか自分で選べるのだとしたら、咲の姉らしく静かな環境を選ぶのだが、取材はできるだけ受けるべしというのが部の方針であり、人の好意は無下にしないというのが宮永家の方針である。

 

 ちなみに、照の予感の通り貰った振袖は高級品だった。それに慌てたのは、宮永家の両親である。お返しをした方が良いのかとか、するならそれはどの程度の物が良いのかとか、ああでもないこうでもないと話しあいが続いたらしいが、それに照は全く関わろうとしなかった。

 

 振袖は気に入ったから宝物にした。個人的にお礼の手紙も送った。照にとってはそれで完結した話である。

 

「京太郎は振袖の方が良かった?」

「今の恰好も素敵ですよ」

 

 呼吸をするように口から出る京太郎のお世辞に、照は満更でもない様子である。

 

 和装は和装で好ましいが、洋服には洋服で趣がある。女に優劣を付ける男はクソ野郎であると幼い頃から教えられて育ってきた京太郎は、女性の服装に関しては割と自由な思想を持っていた。自分と並んで歩いている女の子たちが、着飾ってはしゃいでいる。須賀京太郎という男はそれだけで満足なのだ。

 

 神社を見ると思いだすのは霧島神境だ。鹿児島に住んでいたのは約一年だが、その印象は強い。小蒔や六女仙の皆の神楽舞はイベントの名物らしく、美しい巫女の神楽舞を見るためだけに遠方から足を運ぶ人間もいる程だ。実際、舞などには興味のない京太郎でも見とれる程、本職の巫女さんの神楽舞は美しい。

 

 そういう大規模であったり歴史の長いイベントに比べると、普通の神社の初詣というのはどこか物足りない。出店が出ていて、そこでお祈りをするだけ。クラスメートや友達と連れだって深夜に大手を振って行動できるというのが、イベントと言えばイベントだろう。

 

 今年も小蒔や皆は踊っているのだろうか。落ち着いたらメールでもしてみようと考えながら連れの少女らを見ると、雅な物思いに耽っていた京太郎と異なり既に出店に夢中だった。

 

 彼女らからすれば、初詣が物足りないということはないらしい。淡はあれが良いこれが良いと好き放題買いまくり、照はお菓子で両手が一杯だ。咲とモモはそれを苦笑しながら眺めている。この二人は特に何も買っておらず、祭の雰囲気だけ楽しんでいる風である。

 

「京太郎は、何も買わないの?」

「俺は特に良いかな」

 

 そもそも夕飯は食べてきたので、特に腹も減っていない。もしゃもしゃと次から次へと食べる淡や照を見ているだけで、腹など空かなくなる。照も淡もとにかく美味しそうに物を食べていた。この間まで一緒にいた菫が部員が勝手にお菓子を与えて困ると愚痴を言っていたが、部員らの気持ちも解る気がした。小動物のようにもそもそお菓子を食べる照は、二つも年上ではあるがとにかくかわいい。淡もまた同様だ。これだけにこにこ物を食べるなら、作る人間も作り甲斐があるというものだ。

 

「淡、ソースが着いてるぞ」

「ほんと? 取ってー」

 

 まったく、と毒づきながらも、京太郎はハンカチを取り出して淡の頬を拭ってやる。その間もたこ焼きを食べ続けようとした淡の頭に、京太郎は躊躇いなくチョップを落とした。良い所に入ったのか、涙目で見上げてくる淡に溜息一つ。

 

「お前、来年高校生なんだぞ。食べるならもう少し綺麗に食べろ」

「その時は京太郎が、拭いてくれるから良いもん」

「俺は白糸台までお前の世話をしにいくのか……」

「いいねそれ。淡ちゃんが有名になって一杯お金稼いだら、京太郎をお世話係として雇ってあげる!」

「そういうことは一杯お金稼いでから言ってくれ」

「だって、早めに言っておかないと、テルーとサキーに持ってかれそうだし」

 

 ねー、という淡の視線の先には、もそもそ綿あめを食べる照と、べたべたになったその頬を甲斐甲斐しく世話をしている咲の姿があった。淡の言葉に、京太郎は首を傾げる。既にプロからも注目されている照は良いとして、咲もというのは解せない。

 

 宮永照に妹がいる、という噂くらいはあるだろうが公式戦に出たことのない咲の知名度は低い。デビューすれば活躍するに違いないが、これ程気の早い話もない。疑問を込めて咲を見ると、彼女は頬を少し朱に染めて視線を逸らした。照はいまだに綿あめに夢中である。

 

「京太郎、ちょっと甘酒買ってきてくれない?」

 

 唐突に、甘酒の出店を指して淡が言う。どの出店も混雑しているが、甘酒の出店は特に混雑していた。並ぶにはタイミングが悪いが、京太郎も何か温かい物を飲みたいと思っていた所だ。甘酒飲みたい奴、と適当に点呼を取ると、わたあめな照も含めて全員の手が上がった。

 

「了解。それじゃあ五人分買ってくる。迷子にならないようにしっかり頼むぞ、モモ」

「任されたっすよ!」

 

 宮永姉妹は二人とも迷子の常習犯だし、淡はとにかく落ち着きがない。この四人の中で頼れるのはモモしかいなかった。甘酒の列に並ぶ前にちらりと照を見る。年長者なのに子供扱いされたことにふくれっ面になっているかと思えば、やはりと言うか何というかまだ綿あめに夢中だった。

 

 この状態で良く甘酒アンケートが聞けたものだ、と思いながら京太郎は財布を取り出し残金を確認した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……淡ちゃん、京さん抜きで何か話があったんすか?」

「さっきの話じゃないけど、今の内にはっきりさせておこうと思ってさー」

 

 

「この四人は皆、京太郎が大好きってことで良いんだよね?」

 

 

 淡の言葉に、照のお菓子を食べる動きさえ止まる。咲とモモは頬を染めて視線を逸らし、照は淡をじっと見返していた。同級生の咲とモモとは何度もこの話をしたことはあったが、年末に帰省した照とはほとんど初対面である。淡の言葉は主に照に向けてのものだった。

 

 照の側からすると、淡の言葉にバカ正直に答える必要はないのだが、ここで否定しても意味がない。幸いにして京太郎は甘酒の列に並んでいる。咲たちの友達でもあるし、来年からはチームメイトだ。正直に答えても構わない。そう判断した照は、小さく頷いた。その答えに満足した淡は、笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

「良かった。それでさ。テルーとサキーって仲間だよね。こう、同盟っていうの?」

 

 これには、宮永姉妹の動きが完全に停止した。

 

 口に出して同盟をしようと言った訳ではないが、他に持っていかれるくらいなら共同戦線を張ろうというのは、姉妹の間では暗黙の了解だった。自然発生的に割と最初の頃から成立していた同盟だが、モモはともかく淡にはしばらくは隠し通せると思っていた。

 

 淡の口調は確信に満ちている。証拠はないだろうが、絶対にそうだと信じている風だ。隠しても状況は悪い方に転がるが、公にしてもそれはそれで悪い方に転がる。

 

 何故なら血縁者という要素を持っているのは、この中では宮永姉妹だけだからだ。血のつながった姉妹であるから、最悪京太郎が自分ではなく相方とくっつくことになっても、義兄となるし義弟となる。身内になってしまえば後はこっちのものだ。とにもかくにもまずは引っ張り込むこと。

 

 それはモモたちにはない宮永姉妹のアドバンテージだが、それを公にして淡は何を言いたいのだろうか。三人の視線を一身に集めた淡は、気分よく軽くポーズを決めて宣言する。

 

「だから、私はモモと組むことにしたから!」

 

 いきなり名前を出されたモモは、ぽかんと口を開けて固まってしまう。事前に相談があったのならばまだしも淡のこの発言は完全に彼女の独断である。

 

「…………淡ちゃん、どういうことっすか?」

「何とかランドとなんとかランスがなんとかランドと戦うのに何とかランスになったってお父さんが言ってた。私とモモはそんなやつ!」

「なんとかばっかりで解らないっすよ……」

 

 もしかして『Auld Alliance(オールドアライアンス)』のことっすかね……と気づきはしたが、モモは黙っておいた。フランスを表現するのに何とかランスとなってしまうあわいい友達に、それが正解かどうかを確認する手段はない。

 

 とりあえず、咲と照のように同盟を組みたいのだ、ということは理解できた。一人で戦っている所に二人がかりでいることを正直ズルいとは思うが、糾弾することはできない。自分だって、咲と同じ立場だったら同じようなことを考えただろう。

 

 それにあの同盟には戦力の面では有利となるが、最終的な利益が最大値の半分になることが半ば確定している。自分以外を仲間に引っ張り込むというのは、そういうことだ。その点京太郎を一人占めしたいモモは、同盟を組めるものではない。最終的に目指すところは淡も同じだったはずなのだが。疑問に思ったモモはそれを問うてみた。

 

「でも淡ちゃん、私は同盟を組んでも淡ちゃんにできることがないっすよ?」

 

 宮永姉妹が同盟を受け入れることができたのは、どちらがゲットしても最終的には京太郎が身内になるからだ。モモと淡の組み合わせでは同様の効果を得ることはできず、同じような同盟は成立しえない。そもそも、好きな人を半分こで妥協できるようなそんな恋愛はしたくない。同盟相手が大親友の淡であってもだ。

 

「知ってるよ? 私も半分こはやだし」

「それでどうして同盟になるんすかね」

「だからさー、こう、誰かが京太郎とくっつくのは最後の最後な訳じゃん? だからそれまでは、一緒に仲良くなるってことも、できるかなーって思うんだ。もちろん、モモが良い思いしたから私にもって言うんじゃなくて、上手く言えないんだけどさー」

 

 そろそろ知恵熱を起こしそうな雰囲気である。元来、淡は考えることが得意ではない。モモとの同盟はそれがベストだと感性で判断したから口にしたのだ。それで大目玉を食ったこともあるが、そこに至るまではとても楽しかったのだから、後悔はない。

 

 何より今回は大親友が一緒なのである。共に恋愛を楽しめるのなら、淡にとってもこれ以上のことはなかった。

 

「とにかく! サキーとテルーは二人でずっこいから! 私も誰か仲間が欲しいの! モモ! 仲間になって!」

 

 論理的ではない必死さに、モモは笑みを浮かべた。いかにも淡らしい。最終的なゴール直前までの共闘。淡はそれでも良いと言っている。信頼と見るべきか何も考えていないと見るべきか。判断に困るところだったが、モモはこの淡らしさを信じることにした。

 

「良いっすよ。淡ちゃんと同盟を組むっす」

「決まりだね! 負けないからねサキーにテルー!!」

 

 モモを抱きしめた淡が、得意げに宮永姉妹を見る。京太郎の言葉を借りるなら、頭にチョップを食らわせたい小憎らしい笑みだったが、姉妹の視線は淡の顔ではなく胸部に向けられていた。二人の胸は中学生にしても発達している。これでまだ成長中というのだから、高校生、そして大人になった頃にはどれ程になるのか想像もできない。

 

 宮永姉妹は自分の胸元を見た。決して平坦な訳ではないのだが、淡やモモと比べると誤差のようなものである。彼我の戦力差は圧倒的だ。同盟が消極的でなければ、結成された時点で勝負が決していたかもしれない。

 

 淡は白糸台に行く。モモは鶴賀に進学する。京太郎と一緒の学校に行くのは咲だけで、それが有利な点には違いないが、咲の同盟相手である照も淡と同様に白糸台に通っている。同盟を組んだ利点を活かせる人間は、事実として京太郎の周囲からいなくなってしまう。

 

 境遇だけを見れば、咲の独壇場である。京太郎との高校生活は三年間続く。その間ライバルが現れないという保証はないが、既に仲良しというアドバンテージがある。これを活かすことができれば高校の内に勝負を決めることも夢ではない……と思いたいところだが、そのためには今までとは違うことをする必要がある。

 

 中学三年をかけても、大した進展はなかったのだ。同じ気持ちのままでいたら、それこそ、中学と同じ三年間を高校でも過ごすことになりかねない。今年――もう去年だが、インターミドルを制覇した原村某のような、京太郎の好みが具現化したような存在が同級生にいたら、アドバンテージなど一気に霧散する。同盟を組んでいても、状況は暗い。

 

「戻ったぞー。なんだ、どうした? 妙な雰囲気だけど」

「別に何も? 女の子同士の話しあいをしてただけだよ。あ、甘酒ありがとう。お金払うねー」

 

 一番切り替えの早い淡が、京太郎からぱぱっと甘酒を受け取る。一ついくらかは解っていたので、全員が小銭と引き換えに、京太郎から甘酒を受け取る。京太郎が離れる前と変わったのは、淡がモモと同盟を組んだということだけで、具体的に何か違いが生まれた訳ではない。

 

 そのはずなのだが、気の持ちよう、認識一つが違うだけで、四人の空気はしっかりと変わった。例えば距離感、例えば物の見え方。好きだと思っている京太郎を見る視線にさえ、違う意味が込められた気がした。

 

 つつ、と淡が京太郎の右側に移動する。それに呼応するように、モモが左側に移動していた。

 

「それじゃ、もう少しお店を見てから帰ろっか」

「そうっすね。私ももう少し、お店を見たいっす」

 

 言うが早いか、淡は京太郎の右腕を取り、モモは左腕を取った。早速の同盟権行使である。共に戦う仲間ができた。ただそれだけの事実が、淡とモモを少しだけ積極的にしていた。宮永姉妹は完全に出遅れた形である。今まで五人だった集団が、たったの一瞬で三人と二人になってしまった。

 

 いきなり腕を取られた京太郎は目を白黒させているが、淡たちは彼のことなどお構いなしにぐいぐい腕をひっぱり、先へ歩いて行く。ついでにぐいぐいと胸も押し付けられていたが、状況に混乱している京太郎はそれを堪能する余裕はない。

 

 そんな三人の背中を、宮永姉妹は並んで歩きながら眺めていた。友達である。親友である。その事実に変わりはないが、大星淡と東横桃子という二人の名前に、宮永姉妹にとって別の意味を持つことになった。

 

 強敵、宿敵、つまるところの……恋敵(ライバル)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おもちアライアンスはこうして結成されましたとさ。

次回から怜覚醒編です。


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58 中学生三年 大阪で生まれた女たち編①

 園城寺怜が倒れたと一報が入ったのは、土曜日の午前中だった。特に約束もなく家で教本片手にネット麻雀をしていた京太郎は、怜の父親からその一報を聞いてすぐさま準備を整え、部屋のへそくりを全てかき集めると電車に飛び乗った。

 

 長野から大阪は決して近い距離ではない。電車の中でイライラしながら貧乏ゆすりをし、やっと大阪に着いた京太郎は全速力でタクシーに飛び乗り、怜の病院に向かった。幼い頃からのかかりつけの医者がいる病院で、京太郎も何度か見舞いに訪れたことがある。

 

 受け付けで怜の状況を聞き、走る。病院の廊下である。全速力で走る京太郎を咎める声もあったが、幼馴染が危ないんです! と叫んで通り過ぎる。それでも後で怒られるかもしれないが、今はそれどころではない。走って走って走って、やっと怜の病室の前にたどりつく。

 

 ノックもせず、勢いよく病室のドアを開き――

 

『あ』

 

 と、声を漏らしたのは誰だったのだろう。病室の中には二人の少女がいた。一人は清水谷竜華。怜の親友でありメールや電話にその名前が出てこない日はない。今も千里山で同じ部活に所属している。二年の頭くらいから一軍レギュラーが定位置になり、三年が引退してからは部長も務めるようになった。大阪の女子選手の中では姫松の末原恭子、愛宕洋榎に次いで、京太郎が注目している選手でもある。

 

 もう一人は、幼馴染の園城寺怜だ。病弱を絵に描いた、という程ではないが、長期短期の入院を幼い頃から繰り返してきた怜は身体が弱く、運動もそれ程得意ではないことから身体は細く、肌も白い。それで胸はそれなりにあるのだから世の中解らないものである。

 

 さて何故いきなり胸のことなど考えているかと言えば、それは目の前で見えそうになっていたからだ。上半身裸になった怜が、竜華に白い背中を向けている。竜華の手には濡れタオルがある。京太郎もよくやらされた。汗をかいたからと身体を拭いてもらっていたのだろう。

 

 それも大阪に住んでいた頃の話。二人の男女の年齢がまだ一桁だったころのことである。少女怜は十代も半ばを超え、少年京太郎もその半ばを過ぎようとしている。大人から見ればまだまだ子供であるが、子供の言い分としてはそうでもない。精神的にも身体的にも成長期にある。そんな難しい時期の京太郎にとって、いくら幼馴染とは言え美少女の半裸姿というのは刺激が強すぎた。

 

 慌てて視線を逸らし、ドアの向こうに逃げようとするがそれを止めたのは怜である。

 

「待ちや、京太郎。何処に行くん?」

「いや、お前……ドアの向こうに」

「せっかく長野から飛んできてくれたんやから、廊下に立たせとくんも何やろ。こっちきて座り。椅子なんて沢山余っとるから」

 

 ほらほらーと、怜の口調は軽い。園城寺家は裕福であり、怜の病室も当然個室である。退路が断たれると、部屋の中には怜と京太郎、それからタオルを持ったまま硬直している竜華の三人だけになる。

 

「りゅーか、手が止まっとるで」

「いやいやいやいや! 乙女としてこれはあかんて! なんでそんなに落ち着いとるん!?」

「せやかて。京太郎にはもっと恥ずかしい姿を見られたこともあるしなぁ。背中見られるくらい今さらや。ちなみに私も、京太郎の恥ずかしい姿を見たことがあるで? どないや、りゅーか」

 

 どないやと聞かれても答えに窮する竜華である。どう答えても乙女力は下がる気がするし、何より憎からず思っている男の子の前だ。異性の前で良い恰好をしたいと思うのは、性別が変わっても変わることはない。怜の問いにぐぬぬと唸った竜華は、結局着替えを見られた女子が行う、テンプレートな対応をした。

 

「出てけーっ!!!」

 

 竜華の言葉に、京太郎は病室を叩きだされた。出るタイミングをうかがっていただけに、実のところ竜華のこの行動は京太郎にとってありがたかった。付き合いが長いだけあって、怜は京太郎の弱みを熟知している。京太郎自身が恥ずかしがり、やりたくないと思っていることでも怜の幼馴染パワーで強引に押し切られることもある。

 

 あのまま病室に残されていたら、竜華がいるにも関わらず体を拭かされていた可能性が高い。そういう羞恥プレイも好んで行う。何気にドSな幼馴染なのだ。

 

「なんや、見覚えあるけど見ん顔がおるな……」

 

 手持無沙汰で病室の前でぼーっとしていると、横から声をかけられた。銀色の髪に眼鏡。京太郎の年齢からすると妙齢の美女とでも表現するのが、当たり障りがないだろう。年齢を問うのに非常にデリケートな年代と京太郎は見た。

 

 直感から入って、思考に至る。このおもちな女性に、京太郎は見覚えがあった。雑誌の特集などでよくインタビューに答えている。千里山の監督の愛宕雅枝だ、つまりは怜や竜華の実質的な上司に当たる人である。当然、顔を知っているだけで会ったことも話したこともないのだが、向こうの方は少し事情が異なるらしい。

 

「おー、京太郎やないか」

 

 その影からひょっこり現れたのは、ラフな恰好の上に学ランを羽織った、女子高生にあるまじき恰好をした少女だった。怜と竜華の親友である、江口セーラである。大阪の女子高生雀士の中では、南大阪の愛宕洋榎と並んで、プロでの活躍が嘱望されている選手だ。見た目通りの付き合い易い性格で、たまにメールや電話をする程度であるが交流は続いている。怜が倒れたのだからなる程、同じ部活の彼女もやってくるのは当然と言えば当然である。

 

 ちらと、雅枝を見る。そう言えば、その愛宕洋榎はこの女性の娘だった。いつもにこにこしている、最近やたらと肩書が安定しない姫松の関係者さんによれば、その妹さんも麻雀が達者で、来年は安定したレギュラーも狙える位置にいるとか何とか。愛宕さんちは所謂、麻雀一家という訳である。麻雀をやるには、実に羨ましい環境だ。

 

「セーラさん、お久しぶりです」

「怜の見舞いか? でもお前、長野に住んでるんやろ。怜が倒れたのは午前やけど、長野からすっ飛んできたんか?」

「はい。いてもたってもいられなくて……」

「そりゃあ、怜も幼馴染冥利に尽きるってもんやなぁ。で、何で廊下で突っ立っとるん?」

「今清水谷さんが怜のお世話をしてるところで。男は出ていけと叩きだされました」

「あー、まぁ、そりゃあしょうがないな。がんばれ男子」

 

 ははは、と笑いながらセーラはばしばしと背中を叩いてくる。女子にあるまじき距離感の近さに、京太郎も思わず苦笑を浮かべる。

 

「セーラは知り合いやったな。この少年と」

「はい。入学式の時からの付き合いです」

「ほー。ま、その縁は大事にせなあかんで。さて、私も自己紹介しとこか。愛宕雅枝、千里山の監督や。お前のことは怜から聞いとるで。よろしゅうな」

「須賀京太郎です。聞いてる話が良い話だと良いんですが……」

「聞かん方がええでー、と忠告しとこかな」

 

 一体どんな話をしてるんだろうと気にはなったが、聞かないことにした。忠告に従ったというのも勿論あるが、あの怜が部活の仲間にしているくらいである。きっとロクな話ではないだろう。知り合ったばかりの人間の前で羞恥プレイに励むようなド変態な趣味は、京太郎にはないのである。

 

「うちも自己紹介してえーか?」

 

 声を挙げたのは雅枝に目元がそっくりな少女だった。一瞬、娘姉妹の妹の方かと思ったが、それはないなと思いなおした。これも姫松のとある関係者に聞いた話であるが、妹さんは母親に似て結構なおもちらしい。眼前の少女はぺったんこだ。よく似た他人というのでなければ、親戚ということだろう。ぺったんこだし。

 

「船久保浩子や。園城寺先輩らの一個下や。そんなに顔合わせることはないやろうけども、よろしゅうな」

「あぁ、怜から聞いてます。一言で言うとデータキャラってことで、凄く助かってるとか」

「集めたデータが役立っとるんなら何よりやな、ホンマはそれで自分の成績を上げたいんやけども……」

 

 はぁ、と浩子は大きく溜息を吐いた。所謂データキャラがバックスに回ることになるというのは、世の宿命とも言える。ただこの浩子さんは、レギュラー組のバックアップもしつつ、きちんとレギュラーの座をゲットしたデキるデータキャラであると怜も褒めていた。

 

 データの収集は誰でもできるが、それを使えるレベルにまで分析するには技術とセンスがいる。浩子はその両方持ち、さらに自分の麻雀に活かすことに成功した実力者だ。セーラや竜華ほど解りやすく結果を残せてはいないだろうが、京太郎自身が目指すところに近いのは、むしろ浩子の方である。

 

 とは言え、公式戦では全く結果の残せていない、会ったばかりの中学生が、名門校のレギュラーメンバーを励ますというのもおかしな話である。浩子には当たり障りのない励ましの言葉を送り、改めて雅枝に向き直る。

 

「それで、その……怜が倒れた理由っていうのは」

「須賀は怜からオカルトのことは聞いとるか?」

「一応は。実際に打っているところを見たことはありませんが、何でも一巡先が見えるようになったとか……」

 

 普通ならば冗談で済ませるところだろうが、京太郎にとって麻雀におけるオカルトというのは確かに存在するものであるので、ただオカルトというだけで否定することはできない。それでも怜の体調を心配する気持ちから何かの間違いでは、という希望を捨てきれなかったが、めきめきと伸びた成績がそれを否定した。

 

 牌譜も取り寄せて確認したが、次順に来る牌が解っているとしか思えない打ち回しが随所に見られた。牌効率を無視した打ち回しをする時は確実に有効牌を引き入れるし、何よりリーチをかける時はほぼ確実に一発でツモる。

 

 喜ぶべきことではあるのだろう。怜が努力していたこと、そしてそれが実を結んでいなかったことも良く知っている。オカルトに目覚めたことが原因とは言え、成績が上がったのだ。幼馴染としては喜んであげるべきことなのは解っているが、同時に怜の身体にかかる負担が気にかかっていた。

 

 オカルトというのはその全てのケースにおいて、血統などの持って生まれた才能によって発現する。それを技術で何とかするのが、霧島神境の巫女さんたちの手法なのだが、それはそれで高い霊力という絶対的な才能が必要となり、その霊力も大体の場合遺伝によって基本量が決まるため、一般家庭に突然霊力が高い人間が生まれることは稀である。

 

 咲や淡などは麻雀においては高い能力を発揮するが、日常生活で幸運だったり、他のゲームでも無双する訳ではない。万事に強運を発揮する衣や、他のゲームや日常生活にも影響が出る京太郎やモモのオカルトは、本職から見るとレアなのだ。

 

 希少性で判断すると、怜のオカルトもレアの側である。色々なもので検証した結果、ぐるりと回るもの全てに応用できるらしい。競馬など一周の時間が長すぎると負担が大きくなり、ルーレットなど短過ぎると意味がないなど使いどころは微妙なのだが、こと麻雀においては『そのために生まれた能力なのでは』と思うほどにしっくりくるという。

 

 この能力。怜は臨死体験によって発現したと解釈していたが、それは元々眠っていた力が臨死体験を切っ掛けにして目覚めただけの話である。外からやってきたのではなく、内なる場所から目覚めたのだ。

 

 これに当てはめて考えると、怜の身体というのは最初から、一巡先を見る能力に最適化された状態になっているはずである。仮に同じ能力を京太郎が使ったとしたら、アッと言う間に脳がパンクするだろう。京太郎は思考のスタミナとか呼んでいるが、身体の弱さに反比例して、怜は元々この能力が優れていた。

 

 常時一巡先が見える視覚を処理できるスペックを、全て思考に費やしていたのだから、そりゃあ持続力もあるだろうと今になって納得する。

 

 だが、いかに能力に最適化された身体であると言っても、本質的に怜の身体は弱く肉体的な体力は少ない。最適化されていると言ってもあくまで相対的な話であり、元の体力の少なさをカバーできるものではない。一応オンオフはできるらしいが、最近は麻雀をやっている時は常時発動しているという。

 

 事実として、今日も怜は病院に担ぎ込まれた。入院はいつものことだが、救急車が出てくるというのは穏やかではない。オカルトに目覚めたばかりで本人も手探り状態というのもあるのだろうが、こういうことが続くのならば自重してほしいとも思う。

 

 しかし、今まで三軍で燻っていたことを考えると、やっと努力が実った今の状況を手放させるのは忍びない。京太郎の中でも方針はまだ決まっていなかった。

 

 もうええでー、という竜華の言葉に導かれて病室に戻ると、怜はきちんと着換えてベッドに腰掛けていた。竜華と比べると顔色も悪く見えるが、想像していたよりは大分調子が良さそうである。休日の部活中に倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれた。京太郎が最後に聞いた情報はそれであるから、もっと悪い状況を想像していたのだ。

 

「皆が騒ぎ過ぎた……っちゅーのは、自分勝手かなぁ。ま、私にとってはいつものことや。心配してくれてありがとな京太郎」

「元気そうで何よりだよ。それで、倒れた原因っていうのは……」

「二巡先見えるかなー思ってやってみたら、これが思いの他ヤバくってなぁ」

 

 軽い口調で怜は言うが、それだけ能力が身体に負担がかかる証明ということでもある。怜のためにどうするべきか。ついさっきまで方針の決まっていなかった京太郎だが、怜のこの言葉で自分の言うべきことを決めた。

 

「なぁ、とりあえずお前の体調が落ち着くまで、様子を見ながら力を使うようにしないか?」

 

 それは千里山の関係者全員が思っていたことでもあるし、竜華などは実際に口にしたことでもあったが、怜はその言葉に従わなかった。同様に、怜の両親も同じようなことを言ったのだが、これにも怜は考えを改めない。身体を労わるようにする。そのために須賀京太郎というのは最後の手段だった。

 

 これで耳を傾けてくれなければ、怜は誰の言うことも聞かないだろう。果たして怜の反応は。京太郎を含めた全員が固唾を飲んで見守る中、京太郎の言葉に俯いた怜は、絞り出すような声で言った。

 

「なんでや……」

 

「なんで京太郎までそんなこと言うんや! ずっとずっとずっと、負けてた私がやっと勝てるようになったんやで? 私がどんな気持ちで三軍にいたか、知らん訳やないやろ!?」

「もちろん知ってる。努力が実を結ばないことの辛さだけは、誰よりも解るつもりだ。でも俺は、お前の成績よりもお前の身体の方が大事だ。せめてもう少し落ち着くまで……」

「嫌や。絶対に使うのは止めん」

「怜……」

「それに、そんなこと言うたかて京太郎もこういう力が羨ましいんやろ? 京太郎の力やと、どうやったって勝てんもんな――」

「怜!」

 

 流石に言い過ぎだ。怜を諌めようと踏み出した竜華は、最初の一歩で足を止めた。京太郎に暴言を放った、怜の表情である。体調が悪く、元々良くなかった顔色は京太郎の顔を見て真っ青になっていた。

 

「私は、そんなつもりじゃ……」

「私はただ、京太郎に『怜は凄いな』って褒めてほしかっただけや。もう嫌や……京太郎のこと泣かすくらいやったら、こんな力いらん……」

「泣いてないよ。だから、『こんな』なんて言うな」

「嘘や。私の目は誤魔化せんで。絶対泣いとる間違いない」

 

 感情が高ぶった怜は、それだけでふらふらと身体を揺らす。それを京太郎は当たり前のように腕で支えた。腕の中でなきじゃくる怜の頭を、優しい手つきで撫でる。最近はご無沙汰だったが、大阪にいた頃は感情が高ぶるといきなり泣き出すことがあった。

 

 普段はお姉さんぶるのに、こういう時だけ甘えたがるのである。懐かしい思い出に目を細めながら、ここぞとばかりに京太郎は言葉を続けた。

 

「お前、少し疲れてるんだよ。俺は明日もいるから、少し早いけどもう寝たらどうだ?」

「そうする。京太郎…………その、ごめんな?」

「気にしてないよ」

「そか。それなら、良かったなぁ」

 

 怜を安心させるように微笑むと、怜はすぐに寝息を立て始めた。本当に疲れていたのだろう。寝顔は実に穏やかである。根本的な問題は解決していないが、これで取り付く島くらいはできただろう。怜の寝顔を見て安心した京太郎は踵を返すと、足早に部屋を出ていく。

 

「少し風に当たってきます」

「ちょ――」

 

 待て、と言おうとした竜華の肩を、雅枝が掴む。抗議の視線を向ける竜華だが、眼鏡の奥の雅枝の瞳には有無を言わせぬ迫力があった。

 

「好きにし。ええ男っぷりやったで」

 

 雅枝の言葉に、京太郎は答えない。彼が病室を出ていくと、女子高生たちの視線は雅枝に集まった。三つの疑問の視線に雅枝は深々と溜息を吐く。本当に、こんな簡単なことも見抜けなかったのか。

 

「男が女の前で泣けるかいな。どれだけぐさりと来る言葉を吐かれても、ぐっと我慢するのが男ってもんや」

「京太郎の奴、ほんまに泣いとったんですか?」

 

 セーラの目には、全くそうは見えなかった。本当にそうであるなら、女子高生組の中では怜だけがそれを見抜いていたことになる。我慢している内心をその本人に言い当てられてしまったのだから、そりゃあ京太郎も否定するしかないだろう。流石幼馴染、と素直に褒めたいところであるが、怜の感性を褒めてしまうと相対的に自分が鈍感ということになる。女の機微に微妙な気分になっていると、面々の中で最も女力の高い雅枝が言った。

 

「泣いてへん、ってことにしたるのがええ女ってもんやで。せやから、泣きはらした顔で帰ってきても、それに触れたらあかんからな」

 

 男の見栄というのは大変なんだな、とセーラは素直に思った。この中では一番男性的な感性をしている彼女だが中身はそれなりに乙女をしている。趣味嗜好が男性よりなだけで、決して中身が男性な訳ではない。そのセーラをして、京太郎の男としての見栄というのはイマイチ理解しがたいものだったが、要はプライドの問題なんだなと納得することにした。

 

 簡単に割り切れるセーラはそれで済んだが、竜華は一人どんよりと落ち込んでいた。当たりのキツい怜の友達と思われている上に、ここで更に気の回せない女と思われるのは凄く嫌だ。千里山の入学式以来何も手が打てないまま、竜華は三年生になろうとしている。高校生でいられるのは後一年。プロになるにしても大学に進学するにしても、今までとはガラりと環境が変わってしまう。

 

 そうなる前に関係を修復――というのはおかしいかもしれない。元に戻すような正常な関係を構築したことなど、今まで一度もなかったからだ。望んでいるのは、正常な関係を始めること。今日のこれはまたとないチャンスなのだ。何しろ普段は遠くにいる京太郎が目の前にいるのだから。

 

 しかし、問題もある。大親友である怜はすやすや幸せそうな顔で眠っていて、起こせそうもない。明日も来るというから今晩は大阪に泊まっていくのだろうが、病院から出ていかれてしまうと竜華には引き留める理由がない。まさか自分の家に泊まりませんかと提案する訳にもいかない。泊まる先は本命がビジネスホテル、次点が怜の家というところだろう。清水谷家という選択肢が最初から存在しない以上、今日何かするためには、彼が病院を出るまでの間に提案しなければならない。

 

 考えを巡らせるが、良い案は全く浮かんでこない。そもそも、悪い状況を改善したいからこそ案を捻り出そうとしている訳だが、悪い現状で打てる有効な手立てというのも、中々存在しないものである。これが百戦錬磨の恋愛マスターであれば十も二十も打つ手があるのだろうが、竜華はこの年になるまで一度も恋愛をしたことがない。一人で妙案を出せというのも、無茶な話である。

 

「戻りました」

「お帰り。さて、そろそろ園城寺の親御さんも戻ってくる頃や。後は家族水入らずってことで、私らはそろそろ退散した方がええんやないかな」

 

 提案の形をしているが、実質的な帰るぞ、という号令である。千里山の麻雀部員三人は、監督の号令に反射的に肯定の返事を返し、京太郎もそれに従った。

 

 日は沈もうとしている。久しぶりの大阪の土地だが、今日はもう怜の顔を見れないとなれば他にすることもない。中学生一人ではチェックインも手間取るので、既にホテルは長野の母親に手配してもらっている。後はそこに移動するだけ。そのつもりでいた京太郎に、雅枝が声をかけた。

 

「須賀。今日はこれからホテルか?」

「はい。こっちに来る時は大抵は怜の家なんですが、今日は押しかける訳にもいかないので……」

「そか。つまりはこれからまだ時間はあるってことやな」

「そうなりますね」

「それなら、これからちょっと顔貸してもらえるか?」

「構いませんけど。一体何を?」

「この面子が集まって、他にすることもあらへんやろ」

 

 にぃ、と雅枝は口の端を釣り上げて獰猛に笑った。かつてプロで鳴らし、引退しては関西でも有数の麻雀部の監督を務める才媛である。今でこそ指導と管理に多くの時間を割いているが、本質的な部分は何一つ変わってはいない。目の前に妙なオカルトを持つ打ち手がいるのである。これで打たないという手はない。

 

「園城寺から力については少しだけやけど聞いとる。前から見てみたい思ってたんや。千里山女子のレギュラー三人に監督一人。悪い話やないと思うんやけど、どないや?」

「幼馴染が大変な時に何をって普通なら言うべきなのかもしれませんが……」

 

 

「……麻雀ならしょうがないですね。怜も許してくれるでしょう。解りました。というか、是非お願いします」

 




当初のタイトルは怜覚醒編だったのですが、思いのほか他の面々の出番が増えたのでタイトル変更しました。なお怜の出番はまだあります。


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59 中学生三年 大阪で生まれた女たち編②

 

 

 

 

 

 

 近代日本における麻雀の歴史というのは、世間の麻雀に対するイメージとの戦いの歴史である。戦前戦中戦後と、麻雀というのはタバコをふかしたおっさんがお金をかけながら怪しく遊ぶもので、当時はそれが主流でもあった。競技としての麻雀を普及しようと、当時のプロたちはそれこそ色々な努力をしたが、中々上手くいかなかったのである。

 

 それでも麻雀をメジャーにしようとプロたちは頑張った。彼らの地道な活動は功を奏し、競技人口はこつこつ増えていったのだが、将棋や囲碁など既に市民権を得ている卓上競技と比べると大きく溝を開けられている。このままずっとマイナーで終わるのか……そうブルーになっていたプロたちのところに、80年代の初頭くらいから風が吹き始める。

 

 世のアイドルブームに乗っかってドル売りをすれば、もっと麻雀を普及することができるのではないか?

 

 最初は協会の偉い人がただ思いつきで言ったアイデアだったし、反対意見も多かった。しかし、これがやってみると凄まじい勢いで注目が集まるようになった。華やかな女性たちは麻雀という競技のイメージ向上に大きく貢献し、教育番組として『牌のおねえさん』の枠を確保してからは、子供にも受けるようになった。

 

 この頃から麻雀ブームに火がつき始める。後に競技麻雀の世界でワールドスタンダードとなる『日本式』のルールも整備されたことから、中学、高校で麻雀部が増え始めた。小学生以下を対象とした教室もあちこちに作られるようになり、子供への間口も拡がった。おっさんばかりだった雀荘は若者や女性でも気軽に入れる場所になり、業界全体も盛り上がることになる。

 

 今では業界のイメージアップという意味も薄れ、純粋にドル売りとしての面が強くなったが、牌のお姉さん枠を始め、今でもアイドル雀士の役割は大きい。若手の雀士よりも年配の雀士の方が、アイドル雀士に敬意を払う傾向があるのは一重に、真面目な人たちが三十年かけてほとんど変わらなかったものを、アイドルたちが2、3年で覆してしまったのを間近で見ていたからである。

 

 アイドル雀士とは、麻雀のイメージを変えた存在である。

 

 今も昔も、ちびっこと青少年の夢と羨望と諸々の劣情を集める彼女らは、良くも悪くも業界の顔だ。

 

 しかし、誰もが望んでアイドル雀士をしている訳ではない。競争の激しい業界であるが、中には望まずアイドル雀士になるというケースも、あるにはあるのだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雅枝主導で京太郎たちが連れ込まれたのは、怜の病院にほど近い雀荘だった。先人たちの努力で雀荘は若者でも入り易い場所になったが、中学高校、あるいは大学で麻雀に打ちこむ人間は実のところあまり雀荘には足を運ばない。部活として麻雀をやっている人間は、部室の雀卓を利用できるからだ。

 

 二軍、三軍ともなれば部活中に牌を握る時間も、レギュラーに比べれば少なくなるが、それでも打てないということはないし、部活外に打ちたいとなれば、そこは麻雀部員である。四人も集まれば誰かの家には全自動の卓があったし、なくても牌くらいは全員が持っている。

 

 タダで打つ環境と面子には困らないのだから、態々金を払ってまで卓を借りに行く必要はない。最近はドリンクバーなど諸々のサービスも充実している雀荘も多いが、それらと学割を考慮に入れても、普段使いにするには地味に痛い出費なのである。

 

 そんな訳で、雀荘を利用する人間は若いと言っても成人以降となるため、高校生の、それも名門校の麻雀部の客というのは非常に稀なのだ。

 

 雅枝を先頭に足を踏み入れた時、受付にいた店員はまず雅枝の顔を見て驚き、次いで千里山の制服を着た女子が三人も後に続いていることに驚いた。北大阪で千里山の制服を知らない人間はいない。そこを率いている雅枝の顔は、制服よりも知られていた。

 

 年配の店員は雅枝の顔を見て相好を崩し、

 

「なんや、ブルーやないか。久しぶりやな」

「久しいなおっちゃん。でも、教え子の前でその名で呼ぶなや。ぶっ飛ばすで」

「そかそか。セットで打つんか? 奥の個室でええんかな」

「せやな。未成年ばっかで長居はできんのやけど、お願いできるか?」

「ブルーの頼みならお安い御用や。用意してくるから、ちょいと待ってんか」

 

 にこにこしながら、マスターは個室のセッティングをしにいく。残された面々――雅枝以外の中高生たちは一様に雅枝に視線を注いだ。『ブルー』という雅枝を指すらしい単語が、気になったからである。

 

「あの、監督。ブルーって……」

「セーラ。次にウチの前でその話したら、毎日スカート強制やからな」

 

 んな理不尽な! とセーラは思ったが、口にもできなかった。口調こそ軽いが、雅枝の目はマジだったからだ。この目をしている人間は、自分で口にしたことは必ず実行する。それを心で理解したセーラは無言でこくこくと頷いた。厳密に言えばそれは特待生に関する契約違反であるのだが、既に試合でスカートを強制されているセーラは、普段もスカートにされてはかなわないと素直に従った。

 

 暗い顔で黙ってしまったセーラを他所に、京太郎は浩子を見た。面差しのよく似た彼女は、雅枝の姪である。ブルーについて何か知っているか。京太郎が視線でそう問うと、浩子は雅枝を気にするように小さく頷いた。それに、京太郎も頷き返す。彼自身、雅枝がブルーと呼ばれる原因については、『ある人』から聞いてよく知っていた。

 

 雅枝は今でこそ千里山の監督をしているが、元々プロとして名を馳せていた人物である。大阪出身の雀士として地元に愛され、後に小鍛冶健夜が全てを保持することになる九大タイトルを二つ獲得したことがある。咏もはやりもまだ一つということからも、彼女の実力が伺いしれるだろう。

 

 引退してからは地元に戻り、北大阪は千里山女子で監督を務めることになる。同時期、姫松には雅枝の妹である船久保監督がいた。同じくOGである善野女史に監督業が引き継がれるまで、姉妹で大阪代表の二校を引っ張っていたというのだから、この一族の麻雀強者っぷりが解るというものである。

 

 姉妹で合わせて20回以上、指導する高校を全国へと導いた華々しい経歴から、若い世代には監督になってからの方が知られているのだが、プロでの活躍をリアルタイムで見ていた世代には当時のことの方が鮮烈に印象に残っている。

 

 雅枝がプロになったのは高校を卒業してすぐの、今から約20年前のこと。バブル崩壊と共に急速に不景気へと突入していた、90年代の初頭である。アイドル雀士たちが麻雀業界を日の当たる場所に引っ張り上げたのも既に昔。麻雀は大人から子供まで愛される競技として知名度を得ていたが、今日まで続くドル売りがなくなっていた訳ではなかった。不景気のあおりを受けていたこともあり、麻雀業界も闇雲に何かしなくてはと模索していた時期だったのである。

 

 誰が最初に言いだしたのか知れないが、『新人女性雀士で、アイドルユニットを作ってみよう』というふざけた案が採用されてしまったのだ。

 

 その中に、その年の新人で最も容姿に優れていた雅枝が不幸にもセンターとして選ばれてしまったのである。無論、アイドルなんて冗談ではないと雅枝は猛反発したが、新人としては破格の報酬が用意されたこと、最長二年という期間限定であること、ソロではなくユニットで活動することとし、参加するのであれば残りのメンバーの指名権も与えるという条件が加わるに至り、雅枝は渋々OKした。

 

 どうせ恥をかくならば他の連中も巻き込んでやれ。雅枝が選んだのは去年まで全国で切磋琢磨したライバルたちである。まさかアイドル活動をやらされるとは夢にも思っていなかった彼女らと雅枝の間で取っ組み合いの大喧嘩が起こったりもしたのだが、それ以外は特に何事もなく、アイドルユニットはスタートした。

 

 ブルーというのは、当時雅枝が着ていた衣装が青いことからついた愛称である。本当はもっと長い横文字の名前だったのだが、その方が通っぽいということで、当時のファンは色だけで呼んでいた。それが現在まで続いている形である。

 

 雅枝にとってはただの痛い思い出だが、ファンの間では必ずしもそうではない。地元大阪では同年代以上の面々の記憶にはばっちりと残っており、今でもこうしてからかわれる。

 

 本人としては触れられたくない過去であるが、口にしている人間も悪気がある訳でないことは理解していた。

 

 嫌々始めたこととは言え、雅枝も当時は若かった。大勢の人間の前でスポットライトを浴びることに快感を覚えなかった訳ではない。今思えば顔から火が出るくらいに恥ずかしいことだが、それなりに快感を覚えてからは今では考えられないくらいに笑顔を振り撒き、力の限り歌って踊ったものである。

 

 そんな雅枝の内心こそ知らなかったが、自分が生まれる前の雅枝の活動について、京太郎は彼女から見てアイドル雀士の後輩であるところのはやりから聞いて、よく知っていた。アイドルとしての質こそはやりの方が圧倒的に高かったが、アイドル活動をしつつ麻雀の成績も超一流だった雅枝は、最高のアイドル雀士と評されるはやりをしても、尊敬の対象だったのである。

 

 ついでに言えば、京太郎の部屋には雅枝たちが最後に出したアルバムが存在する。自分で買ったものではない。アイドル雀士についてはやりからレクチャーを受けた時、彼女が恩師と崇める『まふふ』のCDと一緒に貰ったのだ。若々しい雅枝がひらひらした衣装をきて、とびきりの笑顔を浮かべているジャケットは、雅枝と知り合ってしまった今となっては、直視するのが憚られるものだった。

 

 今の雅枝は監督らしく実に落ち着いた物腰である。若気の至りという言葉もある通り、雅枝にとってはまさに忘れたい過去なのだろう。怖いものみたさでアルバムを持っていると告白してみようかと思った京太郎だったが、セーラへのプレッシャーのかけ方は半端ではない。 黙っていることにしよう。京太郎は固く心に決めて、口を閉ざした。

 

 手持ち無沙汰になった京太郎は、雀荘を見回した。客層は年配の男性中心で、女性は一人もいない。マスターが教室を経営していたりすると、雀荘そのものがピリピリしていることもあるのだが、ここの雀荘は和気藹々とした雰囲気だった。その客の内の一人が、小さく手招きしている。まさか自分に? と確認の意味を込めて京太郎は自分を指差したが、客のおっちゃんは大きく頷いて、京太郎を手招きした。

 

 これは行っても良いのだろうか。雅枝に視線を向ける京太郎だったが、

 

「まぁ、取って食われたりはせーへんやろ。話してくるくらいやったら好きにし」

 

 とのことだった。別に大阪のおっちゃんと話すことはないのだが、呼ばれたからには行かない訳にもいかない。雅枝たちと別れ近づいていくと、おっちゃんは人好きのする笑みを浮かべて問うてきた。

 

「あんちゃん、どっから来たん?」

「長野からです。幼馴染が倒れたって連絡が入ってお見舞いに」

「そりゃあ大変やな。大事なかったんか?」

「おかげさまで。昔から病弱な奴なんですが、命に別状はないそうです」

「そか。それにしても、あんまり関東者って感じはせんな。生まれはどこなん?」

「今は長野に住んでますが、生まれは大阪です。生まれた時から小学校に入るまでは千里山の近くに住んでました」

 

 京太郎の言葉に、おっちゃんの周囲のおっちゃんたちからもおー、という声が挙がった。厳密には長野は関東ではないのだが、大阪から見たら似たようなものだろう。大阪と東京どちらに近いかという話ならば、間違いなく東京であるのだから。

 

「それで、俺に何か御用でしょうか」

「んー? いや、あんちゃん、ブルーの親戚には見えんしな。どういう関係なのかと心配になって声かけたんよ」

 

 なるほど、と京太郎は頷いた。今は大きな大会の時期ではないが、千里山女子はここ十年、連続して北大阪の代表を獲得している名門校である。つまらないスキャンダルでその経歴に傷がついては、と気にしているのだろう。特にセーラや竜華などは既にプロからも注目されている。これから選手として売りだそうとしているのであれば、確かに周囲に男の影があるのは具合が悪い。

 

 この時勢である。女子高生に恋人や男友達の一人や二人いたところで不思議ではないのだろうが、イメージ上、いない方が良いというのは京太郎にも理解できた。はやりんが男と並んで歩いていたら、ファンとして良い気はしないものである。

 

 それが地元の贔屓チームの選手というのなら、気にもなるだろう。あくまで笑い話として済ませようとしているおっちゃんの雰囲気はやわらかいものだったが、それでも、不用意なことをしたらただじゃおかないという意図は察せられた。世間話をしつつも、滅多なことはするなとはっきりとプレッシャーをかけてきている。

 

 心配性なことではあるが、それだけ竜華たちが地元で期待され、愛されているということでもある。京太郎は話に相槌を打ちながら、おっちゃんたちの心配するようなことはするまいと心に誓った。

 

「……で、それはそれとしてや、あんちゃん。どの娘が好みなんや?」

「いや、男の影がって話じゃなかったんですかね」

「それはそれとして言うたやろ? おっちゃんにこっそり教えてんか」

 

 気付けば京太郎の周囲には、おっちゃんたちが群がっていた。バカ話をする男ども特有の気配に雅枝たちは京太郎を無視して準備のできた個室へと向かってしまう。すぐにでもその後を追いたかったのだが、おっちゃんたちは逃がしてくれない。どうしたものかと途方に暮れる京太郎に、おっちゃんの一人が言った。

 

「顔見ただけで解ったで。あんちゃん、ぼいん好きやろ」

「大好きです」

 

 反射的に、本音を答えてしまう。雅枝たちの方を、怖くてみることができない。望み通りの答えを得ることができてご満悦なおっちゃんと、無理矢理な感じでハイタッチをする。周囲のおっちゃんたちからも、強引に握手を求められた。皆ぼいんが大好きなのだ。

 

「千里山で言うとりゅーかちゃんか? 今年の千里山はぼいんとしては妙に不作やかんな……」

「ブルーの下の娘さんがええ乳しとるって話やで。来年はレギュラーに定着するかもって噂や」

 

 巻き込まれた京太郎を余所に、おっちゃんたちは全国のボインについて語り始める。その中には知った名前も結構いた。長野では美穂子や智紀が注目株であるらしい。友人をそういう目で見られていることに思うところがないではないが、見事なおもちをしているのだから仕方ないと思う。本人には絶対に聞かせられない話であるが。

 

 そうして、一通りぼいんを語りつくしたおっちゃんたちの視線が京太郎に向いた。オススメのぼいんを言え、と言っているのは視線だけで解った。ここにいるのが、男だけならば構わない。よくあるバカ話で済むのだが、個室の方から雅枝たちがこちらに視線を向けている。雀荘の喧噪があれば声も届かないのだろうが、今は全ての客が手を止め、京太郎の言葉に耳を傾けていた。

 

 どういう羞恥プレイだと思うが、ここは大阪だ。土地柄、相応しい振る舞いが求められる。何も言わないで逃げられそうにはない。おっちゃんたちは既に粗方全国のボインを挙げていた。それに追従するのでも別に良いのだろうが、あまり良い顔はされないだろう。基本を押さえるのはそれこそ基本であるが、ここは自分らしさを出す場面だ。

 

 皆が知っていて、先ほど話題に出ていなかった人間。時間にして五秒。脳裏で検討に検討を重ねた京太郎は、心の中で謝罪しつつも、名前を挙げた。

 

「鹿児島、永水の神代小蒔選手とかどうでしょうか」

『あー!!』

 

 おっちゃんたちは皆、手を叩いて喝采を挙げた。おっちゃんたちの言うボインには違いないが、小蒔は本人の雰囲気と家柄も相まって取材を受ける機会も少なく、メディアに露出する機会そのものが少ない。加えて去年、霧島神境の巫女で永水麻雀部に籍を置いていたのは小蒔だけだ。霞がいれば京太郎の答えも変わり、小蒔もおっちゃんたちの印象に強く残っていたのだろうが、霞が籍を置くようになったのはIHが終わってからの話である。前述のこともあり、小蒔はおっちゃんたちの思考からも抜け落ちていたのだ。

 

 よう言った、という励ましをバシバシ背中に受けつつ、京太郎は雅枝たちの待つ個室に入った。大きく息を吐き、気持ちを切り替える。

 

「で、どういうルールで麻雀を?」

 

 全てをなかったことにして麻雀を始めようとしたが、京太郎を出迎えたのは女子一同のしらけ切った視線である。どのぼいんが良いかという最低な話をしてきたばかりだ。女子からそういう視線も向けられるのも当然なのだが、男にも付き合いというものがあるのだ。あそこでお茶を濁すという選択肢がありえなかった以上、京太郎個人としてはあれは許されてしかるべきものだったのだが、男としての言い分を、京太郎は全て飲み込み――

 

「すいません。調子に乗りました」

 

 素直に頭を下げた。いい訳をすると思っていた雅枝は、京太郎の後ろ頭を見ながら溜息を吐く。どうすればすんなりと許してもらえるのか。そのために必要な言葉とタイミングを、この少年はよく知っている。よほど女に囲まれて過ごしてきたのだろう。普通のこの年代の少年ならば、下ネタ全開で話した後に、女子の集団の中に戻ってはこれまい。

 

 元より本気で怒っていた訳ではないセーラたちは、早速毒気を抜かれている。許したってやー、という教え子たちの視線に、雅枝はいつの間にか梯子を外されていることに気づいた。怒っている、というポーズをしているのは既に自分だけになっていた。孤立無援では怒るのも難しい。元より、男のバカ話である。一々本気で怒っていては女が廃るというものだ。

 

「ま、年を考えたら仕方ないかもしれんけどな。もう少し場所を選ばなあかんで」

「気を付けます」

「そうしぃ……あー、ちなみに須賀。ブルーの件は知っとるようやけども、お前も口にしたらスカートやからな」

「いや、俺がスカートって誰得ですか」

「怜あたりは喜ぶんちゃうかな。まぁ、ウチはやる言うたら必ずやるからな。新しい扉を大阪で開きとうなかったら、口は閉じといた方が身のためやで」

「了解です……」

「さて、切り替えていこか。13年のIH公式ルールの東南戦。面子はうち、須賀、セーラに竜華や。浩子はデータ取りや。須賀の後ろに立たせたるから、思う存分データ取ったり」

「おばちゃんっ!」

「おばちゃんやのーて監督や」

 

 感激した様子の浩子をうんざりと眺めながら、雅枝は東南西北の四枚を集め、裏返しにする。指名された四人がそれぞれ牌に手を伸ばし、一斉にひっくり返した。

 

「うちが出親やな」

 

 東を引いた雅枝が席を選び、各々引いた牌に従って着席する。京太郎が引いたのは西で雅枝の正面。上家が竜華で、下家がセーラ。背後には鼻息を荒くした浩子が、メモ帳片手にスタンバっている。

 

 怜は千里山の信頼できる仲間に、大雑把ではあるが『相対弱運』のことを話したという。部員全員が知っている訳ではないのだろうが、少なくともここにいる四人は知っているのだろう。何しろ部を代表して怜の見舞いに来るくらいだ。倒れた怜を心配する気持ちは本物だろうし、怜ならばそういう人間を信用するはずである。

 

「麻雀になると良いんですが……」

「ウチらじゃ力不足か?」

「いえ、むしろ力があり過ぎることを心配しています」

 

 からころとサイコロが周って出親が決まり、手牌がせりあがってくる。そうすると、いつものように『相対弱運』が発動した。がくり、と京太郎の身体から力が抜ける。想像していたよりも三人の運は強かったが、集中力が乱れる程ではない。これくらいならばいつものこと、と京太郎は意識を卓上に戻した。

 

 竜華とセーラは、やはり運が太い。単純な運量で言えば、近いところでは咲や淡に匹敵する。雅枝はやはり元プロというべきか、運量では頭一つくらい抜けていた。感じるプレッシャーは、咏やはやりと同等かそれ以上だ。

 

 その雅枝に比べれば、セーラと竜華のプレッシャーはどこか可愛らしい。それでも京太郎からすれば強敵には違いないが、プレッシャー一つで人の意識を刈り取るような化け物(グランドマスター)を知っていると、これくらいだと可愛く見える。

 

「監督! 監督! これうちに一人欲しい! どうにかならんか!?」

 

 歓声を上げているのはセーラである。少年のような恰好をした美少女が、ヒーローに出会った少年のように目をキラキラと輝かせておねだりしている。ねだられた所の雅枝は、指を唇に当て視線を落として思考していた。バカなことを言うなや、という気配ではない。セーラの言葉を強豪千里山の監督として、検討している風である。

 

 はしゃぐセーラと思考する雅枝を他所に、急激に上昇した自分の運を持て余した竜華は、自分の身体を抱えて俯いていた。普通に生きていれば、急激に運が上昇する機会はそうない。まして全国の猛者を相手に戦う実力者だ。オカルトを持っていてもいなくても、そういう不確かなものを感じ取る感性は持ち合わせていた。

 

 その分、急激な運気の上昇を肌で感じ取ってしまったのである。そのむず痒さは竜華が今まで経験したことのないものだった。

 

 どうでも良いことだが、竜華くらいのおもちで腕を組まれると、おもちが強調されて非常にアレなことになる。男としては大変眼福でよろしいのだが、普段からこうなのだとすると不愉快な視線を浴びたりしないものか心配である。

 

「須賀……」

「なんでしょうか」

「…………中学卒業したら千里山にこんか? 各種保険完備、社宅でマンション。月30は出すけども」

「もったいないお話しですが、30は出し過ぎじゃありませんか? 月給30万円ってことですよね?」

 

 良い大学を出て誰でも知ってるような大手企業に就職したらしい親戚のおじさんの初任給が、それくらいだったと聞いている。中卒の小僧に出すには多すぎるというものであるが、雅枝の見解は違うらしい。

 

「それでも少ないと思うけどな。金持ちの臨海女子やったら50は出すと思うで」

「高校の部活で何に使うんですか? このオカルト」

「これほど調整向きの能力もない思うけどな。普通は運なんてよく解らんもんのピークを大事な試合に持ってくるのに試行錯誤する訳やけど、須賀一人おればその必要がなくなる。試合前に須賀と打つだけで最高のコンディションや。よほどの大ポカせん限り、一度高まった運はすぐには下がらんからな。それに何より、他人の運気に干渉するなんて、そうあるもんやないで。普段から何度も打っとれば、それだけで運量が底上げされるかもしれんし、メリット挙げればキリないわ」

 

 監督らしい視点に、京太郎は小さく息を吐いた。打ち子向きであると言われたことはあるが、部活に所属すればそういうことができるのか、と感心する。

 

「ま、今の時勢に中卒にさすのも悪いしな。男子一生の仕事や。返事はすぐやなくてもええし、高校出てからでもええ。うちが監督な限りは、最低、今いった条件で面倒みたる。そないなことより、今は麻雀や。怜からデキる奴って聞いとるからな。期待してるで、その打ち回しに」

 

 眼鏡ごしに、雅枝が視線を向けてくる。それだけで、運が吸い取られた気がした。相手にするに申し分ない。自分では及びも付かない強敵が目の前にいる。その事実に心躍った京太郎は、震える指で山に手を伸ばした。

 

 

 

 




会話の流れで自然に高校生限定、という縛りがついていたので、のどっちは候補に入りませんでした。彼女のことはおっちゃんたちも知っています。

次回、ようやく麻雀します。


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60 中学生三年 大阪で生まれた女たち編③

 

 

 

 

 

 千里山に京太郎が混じって行われた麻雀は、全くもって京太郎の予想の通りの展開になった。竜華もセーラも大阪で五指に入る選手であるが、それは女子高生の中ではという話。その相手をする雅枝も学生時代は竜華たちと同じポジションにいた上、その後はプロで活躍し、さらにその後は監督に転身し、常勝千里山を作り上げた立役者となった。

 

 一言で言えば年期が違う。二人にとっては師匠と言える雅枝が相手なのだ。これが結託して二人がかりの普通の麻雀であればまだ目もあっただろうが、一人一人でとなれば力不足は否めない上、今回のこれは普通の麻雀ではない。素の運量で最も勝る雅枝は相対弱運によって上昇した運を遺憾なく発揮した。

 

 竜華もセーラも力の限り対抗したがやはり実力差を埋めることはできず、結局セーラが雅枝にハネ満を振りこんでトビ終了となった。

 

 ちなみに京太郎は振らずツモらずの三着である。こういう乱打戦の場合アガれない京太郎でも棚ボタで二着三着を拾うことは大いにある。今日は残りの一人である竜華がそれなりにアガっていたので、その分の差が出て三着となっていた。

 

「後ろから見とってどないや、浩子」

「かなり筋はええんやないですか。判断は的確で迷いがありませんし、何より速いです。これだけ見れば千里山でも中の下くらいには余裕で入れると思いますけど……」

 

 そうなのだ。須賀京太郎の麻雀にはここから誰が評価しても『だけれども』という言葉が続く。

 

「びっくりするくらいにヒキが弱いですわ。五回に三回は裏目を引いとる感じです。これだけ効率通りに打てとるのに、それを全く活かせてないというか……」

「一言で言うてみぃ」

「技術の無駄使いってとこですかね」

 

 はっきりとした物言いに、京太郎は逆に感心してしまう。

 

 裏目を引く確率についてだが、それは同卓する人間の性質にも関係がある。今回の三人は全員運が太く、『相対弱運』を持つ京太郎は、その影響を大きく受けている。五回に三回も裏目を引くのは、京太郎の麻雀人生の中でも中々不調な部類に入る。普段は精々、有効牌をさっぱり引けないくらいだ。

 

「ところで須賀、何で一回も鳴かんかったんや? ポンチーしたら良かったタイミングが何回かあったやろ?」

「俺の師匠にポンチーカンはするなって言われてまして……」

「それを守っとるんか、律儀なやっちゃな。それ言われてどれくらいや?」

「小二の時に師匠に会って以来ですから……大体七年ってとこですかね?」

「…………お前、その間一回もポンチーカンしとらんのか? リアルでもネットでも?」

「そうですね。でも意外と楽しいですよ。鳴くとしたらこうやってみたいって案が、どんどん溜っていきますし」

「そりゃあ七年鳴かんかったらそうやろうけども……」

 

 浩子には考えられない縛りである。それを律儀に守る弟子も弟子なら、それを解除しない師匠も師匠だと思ったが、その縛りこそが京太郎の読みの精度を高めているのだとすると、その指導法にも一考の価値があるように思えた。

 

 浩子の視線が雅枝に向く。千里山でどうや? と意図を込めた視線だったが、姪の意図を正確にくみ取った千里山の監督は、特に考えもせずに首を横に振った。

 

 面前主義を持つ打ち手は、プロの中にも相当数いる。雅枝もどちらかと言えばその主義に傾倒している方ではあるが、面前主義の人間でもよほどそれに傾倒している打ち手でもない限り全く鳴かないという訳ではないし、鳴く打ち手を否定するものでもない。

 

 京太郎の言葉を聞くに、彼の師匠は京太郎の判断力を高めるためにそういう縛りを設けただけのように思える。

 

 つまりは最終的に、彼に鳴くことを許可することになるはずだ。その間に培われた経験はなるほど、普通に打たせるよりも濃密なものになるだろうが、京太郎ほど長期に打ち方に制限を設けることは、雅枝の立場では実質的に不可能である。

 

 多数の生徒を預かる身として、雅枝には生徒の将来まで考えた指導をする義務がある訳だが、同時に千里山の監督としての立場も忘れることはできない。結果を出せるチームを作ることは雅枝の命題だったし、高校時代の成績は教え子の将来にも直結する問題である。

 

 才能のあるなしに関わらず、できうる限り三年の間に何らかの結果を出してやらねばならないのだ。今の教えが全ての教え子に向いているとは思わないし、当然、全ての教え子の努力が身を結ぶ訳ではないが、京太郎のように長期間行動を縛ることは三年の間に結果を出すという点から考えると、好ましいものではない。三年も意に沿わない打ち方をさせて置いて、結果が出ませんでしたでは済まないのだ。

 

 京太郎のハンデに加えて、師匠との間に強い信頼関係があるからこそ成立しているのである。誰が誰にでも行えるような指導方法ではない。

 

「さて。せやったら、次は誰が抜ける?」

 

 雅枝の言葉に、セーラは無言で椅子にしがみついた。オレは梃子でも動かんで! という強い意思を感じる。そこまで運気が上昇する感覚が気に入ったのだろうか。素直で実直そうな人柄は、京太郎の友達の中で言えばシズにも通じるものがある。おまけに少年のようなこの容姿だ。先輩からは可愛がられ、後輩からは好かれている。千里山の部活風景を見た訳ではないが、セーラはそういう扱いをされているような気がしてならない。

 

 セーラがそういう強硬な態度に出たことで、枠が一つ減ってしまった。雅枝が監督としての強権を発動させれば流石にセーラも退くだろうが、こんなことで生徒との間にしこりを残すのも面倒な話である。後ろから見た場合と、同卓した場合のデータを取らせたいため、浩子はできるだけ長いこと同卓させなければならないし、何よりここにいるのは全員未成年である。

 

 感想戦をするとなると、実際に打てるのは後一、二回。なるべく生徒に打たせるのも監督としての務めだな、と雅枝が自分が抜けることを提案しようとした矢先のこと、

 

「私が抜けます」

 

 竜華が自分から手を挙げた。ええんか、と雅枝が確認するよりも早く、竜華は席を立ち、鞄の中をごそごそし始める。あっさりと抜けたことに疑問を感じないではなかったが、レアスキルの生データを取れる機会は早々あるものではない。じゅるりと舌なめずりをし、悪い顔になった浩子は竜華が座っていた席に、そのまま腰を下ろした。

 

「よろしく頼むわ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 そんな二人のやりとりを余所に、竜華は京太郎の後ろにそそくさと移動した。怜に教えてもらったアイデアを実行し、京太郎と仲良くなるチャンスである。竜華は本人としてはさりげないつもりで――傍から見れば随分とわざとらしく咳払いをし、

 

「須賀くん、ゾーンって聞いたことあるか?」

「スポーツ選手とかがたまに言ってる奴ですよね。凄い調子が良い時にボールや選手が止まって見えるとか、そういう奴」

「今からその入り方を教えたる」

 

 えぇーと、京太郎の口から思わず漏れたのは、仕方のないことではあるのだろう。教えて何とかなるような入り方があるのなら、誰も苦労はしないし、その現象が特別語られたりもしない。勿論、本当に入れるのならば喉から手が出るほど習得したいスキルではあるのだが、そんなに上手い話があるものだろうか。

 

 助けを求めるように京太郎はセーラを見た。メロンソーダを飲みながら事の成り行きを見守っていたセーラは、京太郎の視線を受けてこくりと頷いた。

 

「竜華の言ってることはほんまやで。いつでもどこでもって訳やないけど、ゾーン行くで! って思うと入れんでも格段に集中力が上がっとる……らしいんや」

「らしいってなんですからしいって」

「なんや言われても俺は竜華と違うからな。そういう難しい話は好かんのや」

 

 頬を膨らませ、ちゅごー、とメロンソーダを飲む様は、二つも年上とは思えない程愛らしい。一緒に過ごした時間はそれ程でもないが、小柄で麻雀の強いこの先輩のことを京太郎は大分好きになっていた。

 

「まぁ、確実に入れる訳やないいうんは、今セーラに言われてもうたけどな。でも、集中力を増す方法、その一つを教える言うなら、悪い気はせーへんやろ?」

「そうですね。それは俺も色々試しました」

 

 実際に、一緒に麻雀を打った人間にはその集中力を褒められることは良くある。自分でも、他の同年代の人間と比べて集中出来ている方だと思うが、こういうことに終わりはない。より集中する方法があるというのなら、それを模索するのは当然のことだ。

 

 からころとサイコロの鳴る音を聞きながら、京太郎は肩口に竜華の存在を意識していた。まさに吐息のかかる距離である。普段であれば男子中学生らしくどきどきもしていたのだろうが、今は対局の最中である。おもちの美少女であっても、心の片隅にただの事実として残る程度だ。今の京太郎にとって、麻雀こそが全てである。

 

「ええか。集中するいうんは足し算やなくて引き算や。集中できない要素を全部斬り捨てて行けば、最終的に残るんは無我の境地いう訳や。こういう時はこうするってのを決めておくとええって話やで? そういうのをなんちゅーんやったかな……」

「ルーティン、やありませんか?」

「そう、それや。普段からそういう行動を心がけておくとええで。習慣が心を散らさず、集中させてくれるらしいからな」

 

 相対弱運の放出を経て、対局が始まる。運は相変わらず雅枝に偏っている。前回の反省を経て奮起しているセーラも、気持ちが入っているのか先の対局よりも運が上昇しているが、それでも雅枝との差を埋めるには至っていなかった。

 

「それから今度は逆のことを言うけど、集中する言うんは、引き算やなくて足し算や。これをすると集中できるいうんを一つでも見つけておくと、ええ感じになるって話やで」

 

 ええ感じ、というのも何やら無責任な話であるが、解らない話ではない。例えばシロは集中するには何より『リラックスできる環境』が必要であると言っていた。いつでもどこでも自然体であることに関して、シロの右に出る者は中々いないだろう。京太郎が同じことを試しても全くと言って良いほど上手くいかなかった。

 

 シロにはシロの、京太郎には京太郎の集中できる方法というのがあるということなのだろう。それを見つけることで更に集中力が高まる、というのが竜華の主張らしいが、つまりはゾーンに入れる竜華には、集中力を高める特定の方法があるということだろうか?

 

 京太郎が期待の視線を向けると、竜華は困ったような笑みを浮かべる。

 

「期待させてもうて悪いんやけど、私にそういうのはないで」

「特に何をしないでも、ゾーンに入れるってことですか?」

「普段から結構集中できるように環境を整えたりはしてるけど、これっちゅうのはないな」

「監督としてこういう言葉を使うのも嫌なんやけど、竜華のそれは才能や。同じ方法を千里山の二軍上位以上は全員試してみたんやけど、竜華以外一人も成功せんかったわ。集中力を高める良い練習にはなったけど、それだけやな」

「俺もやってみたいんやけどな、そのゾーン」

「あまりええもんでもないで。結構疲れるからな」

 

 例えにボールが止まって見えると持ち出される程の集中力である。それを発揮して身体に負担がかからない訳がない。咏に弟子入りしてからそれこそ、思考の体力を付けるようトレーニングを重ねてきた京太郎だが、極限状態の集中力を長時間維持する自信はない。

 

 ゾーンに入った竜華の視界は、どんなものなのだろうか。想像は尽きないが、未来が見える怜と言い羨ましくなるくらいの、頭の強さ(・・)である。

 

 ぞくり、と京太郎の背筋が震える。恐る恐る竜華を見ると、その雰囲気が一変していた。例えば淡などは、オカルトを発揮しようとするとどういう訳か髪が揺れたりするのだが、竜華にそういった見た目の上での変化はない。

 

 ただ、その目である。卓上に視線を向ける竜華の目には、言いしれない力が宿っているように思えた。狂人は目を見れば解るという主張を聞いたことがあるが、竜華のそれも、良い意味でそれに通ずるものがあった。雰囲気と言いその目と言い、今の竜華は明らかに普通ではない。

 

「って、言ってる傍から入ってるやん!」

「ん~? あれ、せやな、入っとるな?」

 

 不思議やなぁと、目力のある目で不思議そうに首を傾げる様は、女性に配慮するのが得意な京太郎をしても少しだけ不気味に思えたが、思ったことはそれだけだ。年頃の男子として後で反芻するのは間違いないが、それは後でのこと。今は麻雀に集中である。

 

 そしてゾーンに入っている竜華は京太郎の体調が良く解った。体温や心音まで感じ取れる今の竜華は、相手がどの程度興奮しているかが、手に取るように解る。

 

 その感覚によれば、京太郎は軽度の興奮状態にあった。興奮していない訳ではないが、これくらいならば日常生活でも十分にありうるレベルである。少なくとも、異性に近寄られてどきどきというレベルではない。

 

 その事実は竜華の乙女心を甚く傷つけていた。

 

 好む好まないに関わらず、幼い頃から美少女としてもてはやされてきた竜華である。自分の容姿が十人並でないことは自覚していたし、自分の容姿が京太郎の好みに合致していることはパーフェクト幼馴染を自認する怜に保証されている。

 

 竜華の予定では指導にかこつけてどきどきしてもらって、お姉さんっぷりをアピールするつもりだったのだが、京太郎は竜華の方をちらりと見ただけで、牌に視線を戻してしまった。照れて視線を逸らした訳でないことは心音が証明している。

 

 須賀京太郎という少年にとっては、好みの異性よりも麻雀の方が大事なのだ。女としてかちんとくるが、その横顔を見ていると、たかがその程度許せる気がした。

 

 怜は好きな京太郎の顔として、麻雀をやっている時の真剣な横顔を第一に挙げる。何だかんだで京太郎が麻雀を打つところを見るのは今回が初めてだったが確かに、三枚目寄りの京太郎が真剣な顔で卓に視線を落とす様は、竜華の乙女心を大いに擽った。

 

 ゾーンに入っているせいで、普段よりもはっきりと京太郎の顔を見ることができる。鋭敏になった感覚が伝えてくるのは、彼のではなく自分の心音だ。竜華の心臓は、五月蠅いくらいにどきどきと鳴っている。

 

 京太郎と仲良くなる計画にあたり、怜から与えられた指示は思う存分そのおっぱいを押し付けたれというものだったが、恋心よりも羞恥心が勝ってしまった竜華にそれを実行することはできなかった。

 

 次に京太郎に会えるのは、いつになるか解らない。それをよく解っていた竜華には確かにやるぞ、という気はあったのだが、実際に京太郎を前にすると乙女の気合は霧散してしまった。体を近づけるだけでも竜華にとっては精一杯のアピールだったのだが、麻雀を前にした京太郎に動揺はない。

 

 その事実に竜華は地味に打ちひしがれていたが、それで発奮できるようであればそもそもこんなことにはなっていない。それでも集中力についての指導をあれやこれや続けられたのは、千里山の部長として、また怜の親友としての責任感である。

 

 その竜華をして、京太郎の集中力は見事の一言に尽きた。ゾーンとまではいかないものの、自分以外の千里山の誰よりも卓上に集中できている。それでいて、竜華の呼びかけには逐一答えることができるのだ。見るとはなしに全体を見る。どこかの漫画で言っていた言葉らしいが、京太郎の視野は竜華が思っていた以上に広い。

 

 河や相手の手順を見ることはもちろんだが、さりげなく対戦相手の表情や仕草まで観察しているようである。顔に出やすいセーラはやり易い相手だろうが、部内でも表情が読みにくい浩子と監督だけあってポーカーフェイスが得意な雅枝は、京太郎も苦戦するはずである。

 

 竜華の希望的観測込みの指導を受けつつ、京太郎は対戦相手を観察する。竜華と浩子が入れ変わったことで、卓上の運の総量は幾分下がったが、データ寄りの打ち回しをするとは言え、浩子にもそれを結果に繋げられるだけの実力と太い運がある。流石に愛宕の血統だと思ったが、それ以上に雅枝の技量と運が輝いていた。

 

 前局、ハネ満を撃ちこんだセーラはそれを警戒した打ち回しをしていたが、それが逆に良くなかったのだろう。シズや淡と同様、明らかに気持ちが牌に乗るタイプであるセーラのその高まった警戒心は、この面子の中では比較的老獪な打ち手である雅枝にすれば、まさにカモだった。

 

 警戒心の更に上を行った形で、今度は倍満を撃ちこんでしまう。ロンと言われ値段を聞いた瞬間、セーラは卓に突っ伏してしまった。彼女にも名門千里山のエースとしてのプライドがあった。年が少し離れている上に男子であるが、京太郎はセーラにとって友人だ。

 

 久しぶりに顔を見た友人の前で、良い恰好をしたかったのだが、その野望は監督の手によって粉々に打ち砕かれてしまった。極悪人やーと強く思ったが、口には出さない。常勝名門校の監督だけあって、雅枝は怒ると結構怖いのだ。

 

「もう少し気合入れや、女子校生ども。他校の男子の前で活躍する機会なんて、そうそうあるもんでもないでー」

「せやったらもう少し手加減してくれません? 俺、大抵の女子校生には負けん自信ありますけど、流石に元プロの監督は相手が悪いですわ……」

「私が内気で引っ込み思案で美少女な女子校生だった頃は、誰が相手だろうがガンガン行ったもんやけどな……」

 

 内気で引込み思案な美少女は誰が相手でもガンガン行ったりはしないと思うのだが。おそらく内気でも引っ込み思案でもない美少女だったのだろうと京太郎が内心で納得していると、この場では唯一の親戚であるところの浩子が雅枝の話を補足した。

 

「おばちゃんの内気で引込み思案っぷりは近所でも有名だったそうで、5000円の小遣い突っこんだクレーンゲームで欲しいぬいぐるみ取れんことにキレて、筐体をガンガン蹴飛ばしていた程やったと、うちのおかんから聞いております」

「浩子、それは言わん約束……」

「ちなみに、そこに颯爽と現れ100円で目当てのぬいぐるみを取ってプレゼントしてくれたんが、私の伯父さんです」

 

 浩子の言葉に、竜華とセーラが驚きの表情を浮かべる。筐体を蹴飛ばすまでは雅枝には悪いがなるほど、らしいかなと思っていたが、そんな昔の少女漫画みたいな出会いをした少年と恋に落ちて後に結婚までしていたとは夢にも思わなかったのだ。

 

 雅枝としてはすぐにでも話題の切り替えをしたかったのだが、周囲の反応を見るに多少は自分の思い出話をしてやらないと収まりそうにない。大阪人として場の空気は理解しているつもりだったが、教え子の前で自分の旦那とのなれ初めを話すのは、想像していた以上に恥ずかしいものだった。

 

 竜華もセーラも聞かねば話が進まないと思っていたが、相手はあの監督である。どうやって切り出したものか考えている内に、時間ばかりが過ぎていく。この場で一番話を聞きやすいのは親戚であるところの浩子だったが、彼女は一人冷静に、京太郎の出方を伺っていた。

 

 怜があれだけ入れ込んでいる男がどの程度動けるのか見てみたい、という好奇心から来る行動だったが、浩子から意味ありげな視線を受け取った京太郎は、それだけで自分の役割を理解した。部外者だからこそ、聞きやすいことというのもあるだろう。正直京太郎も、雅枝と旦那さんのなれ初めは気にならない訳ではない。

 

「旦那さんのどこが気に入ったんです?」

「まぁ、その、なんや……そういう気の回せるところかな。いてほしい時に傍にいてくれるいうか、声が聞きたい時には電話かけてきてくれるところいうか」

「そのぬいぐるみは今も後生大事におばちゃんの部屋に飾られてまして――」

「お前はそろそろ黙っとき」

「了解ですわ」

 

 くくく、という浩子の低い笑い声と共に、場の空気も切り替わる。軽くではあるが、話はしてやった。それで義理も立つだろうと、雅枝は強引に話を締めくくった。

 

「私の話はもうええやろ。それより感想戦や。千里山のやり方でやるけど、須賀もちゃんとついてきてや?」

 

 感想戦にそう違いがあると思えないが、名門校のそれを体験できるならば是非もない。千里山のような部活動で使うことも想定している雀荘は、個室に選手の手元を追えるようなカメラが設置されている。メカに強いらしい浩子がそれらをモニタに繋ぎ、一人一人の手を順を追いながら検討していく。

 

 意外だったのはセーラである。見た目とキャラから座学が苦手かと思っていたのだが、雅枝の少し意地悪な問いかけにも淀みなく答える様は、流石に千里山のエースと言えた。

 

「なんや須賀、間抜け面しよってからに」

「セーラが理屈っぽいことに驚いてんねやろ。あんま賢そうには見えんからな」

「なんやと生意気やぞ年下のくせに!」

「見掛け倒しなよりはずっと素晴らしいと思いますよ。それに意外性があって良いと思います」

「……………………せやったら許したる」

(なんだこのかわいい生き物……)

 

 口にしたらそれこそセーラは怒るのだろうが、そう思わずにはいられなかった。

 

 吠えて立ち上がったと思ったら、すとんと椅子に腰を下ろす。怒っていたはずなのに、今はもう満更でもないという表情をしている。気分屋ではあるが、気持ちの良い落差である。

 

 きっと、この人と一緒にいたら楽しいだろうなと考えていると、セーラのコップが空になったのに京太郎は気づいた。

 

「セーラさん、取ってきますよ。何が良いですか?」

「すまんな。メロンソーダ頼むわ」

「了解です。皆さんは?」

「三人全員ウーロン茶で頼むわ」

 

 かしこまりました! と五人分のコップを持って京太郎は小走りで駆けていく。その背中を見送り、店主のおっちゃんと気さくに会話しているのを見届けてから、セーラは機嫌良さそうに声を挙げた。

 

「あいつ、ええ奴やな!」

「せやなー、ええ子やなー」

「……どないした竜華。何か雰囲気暗いで」

「別にー。私は普段からこんな女やー」

 

 セーラから視線を逸らした竜華は、小さくむくれて見せる。鋭敏な感覚は、京太郎のセーラに対する好意を明確に感じ取っていた。セーラに悪意はないのだろう。表裏のない彼女はそれ故に波長の合わない人間も出てくるが、一度気持ちがかみ合ってしまうと、ぐいぐい踏み込んでくる。

 

 竜華にとっても怜にとってもセーラは大事な友達であるが、友達とは言え、片思いの相手の気持ちが独占されるのを見るのは、恋する乙女としては面白くない。

 

(こんなはずやなかったんやけどなぁ……)

 

 はぁ、と小さく溜息を吐くと、京太郎が戻ってくる。セーラの前にメロンソーダ、雅枝と浩子の前にウーロン茶、自分の席にコーラを置き、竜華に渡されたのは、

 

「ホットコーヒー?」

「砂糖一つにミルク二つですよね? 何でしたら、ウーロン茶も用意してますんでそっちと交換しますが」

「いや、ちょうど飲みたい思ってたからええねんけど、どうして私のコーヒーの好みを……」

「怜から聞いてます。それに、集中すると頭が疲れるって聞きますから、甘くてあったかい飲み物が良いかなと」

「須賀くん……」

 

 むくれていたことも忘れてきゅんとする竜華に、今度は雅枝が小さく溜息を漏らした。竜華は部長だけあって責任感も合って視野も広く、麻雀も達者で将来性も期待できるのだが、麻雀以外の所で思い詰めるところがあり、気分屋のセーラ以上に、沈んだ時の沈みっぷりが凄まじい。

 

 今はまだ制御できているし、破綻する兆候も見えないが、高校生というのは多感な時期である。ふとした拍子に調子を思い切り崩すのではないか。長年千里山の監督を務めた雅枝をして、非の打ちどころがないと評される竜華のほとんど唯一の欠点だった。

 

(ええ男でも見つけてくれたらええんやけどなぁ……)

 

 ちらと京太郎に視線を向ける。こいつが大阪におったらなぁ。これから何度も思うことになる願望の、それが最初の一回だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 業界の関係者から声をかけられたら、逐一報告するべし。師匠である咏の教えに従い、母に手配してもらったホテルにチェックインした京太郎は、部屋でベッドに腰を下ろすとすぐに咏に電話をかけた。夜分に大丈夫かと思ったが、咏からすると業界関係者の話は『緊急』の部類に入るらしい。

 

 京太郎でさえスケジュールを把握しているようなタイトル戦の決勝前でもない限りは、いつでも電話してきてOKと本人の許しを貰っている。

 

 電話に出た咏に成り行きを説明すると、咏は呆れた様子で雅枝の提示した金額を口にした。

 

「30なぁ……」

「やっぱり高過ぎますよね」

「アホ。安過ぎる。横浜ならその10倍の300は出すぜ? 最低でもな」

「なんの話~?」

 

 電話の向こうからはやりの声が聞こえた。鬱陶しそうに電話を遠ざけた咏だが、話が話である。弟子の将来に関する話に関わらせたい相手ではなかったが、業界関係者の一例を挙げるに、はやりは適切な相手と言えた。やたら乗り気のはやりに状況を説明すると、彼女は明るい声音で言った。

 

「それなら大宮は、はやりが責任もって500は出させるよ!」

「どんどん吊り上っていく金額に、中学生としては恐怖を覚えるしかないんですが……」

「言っておくけど、はやりが言ってるのは最低でもって金額だからね。はやりたちはお金を出す立場じゃないし、これが上の人達が話し合って決めたって金額なら、もっと出ると思うよ」

「これはオカルトだけでの査定だからな。お前の能力込みなら、もっと引っ張れると思うぜ」

 

 そこまで評価してくれるのは有難いが、学生の内は評価と金額は直結しないものである。凄い評価をされているというのは理解できるが、自分が手にしたこともない金額を提示されても実感が湧かないというのが現状だ。

 

「それから大先輩のフォローをしとくけど、千里山は30しか出さないんじゃなくて出せないんだからな? 大先輩の評価は多分、あたしらとそう変わんねーはずだ」

「ご安心ください。それは俺も承知してます」

「上出来だ。あ、すこやんみっけ。なぁすこやん、京太郎チームに引き込めるとしたら幾ら出す?」

「うち二部のチームだよ……横浜と大宮は?」

「うちは300」

「はやりは500かな」

「つくばだと三桁は無理かな……」

「じゃあすこやん個人で雇ってみようぜ。それならどうだい?」

 

 うーん、と電話の向こうで健夜が悩む声が聞こえる。かつて世界二位まで上り詰めた女性だ。しかも実家住まいで倹約家――咏の言葉を借りれば『無趣味で金の使い道がない』――なので、相当ため込んでいるという噂である。個人資産は相当な額になっているはずだが、果たしてグランドマスターがどういう提案をしてくるのか。京太郎も好奇心で気になっていたが、

 

「…………京太郎くん、六本木ヒルズとか住んでみたかったりする?」

 

 咏とはやりが絶句しているのが電話越しでも解った。悩んだ末の苦心の提示、という風であるが、物に執着しないらしい健夜らしく、それも身銭を切って、という風ではない。自分の手持ちの中で、それが他人にとって一番価値がありそうだから提示したのだろう。有名な億ションも、健夜にとってはただそれだけの価値しかないのだ。

 

「あ、でも六本木からだとつくばに通い難いかな。必要ならつくばにマンションとか建てるけど」

「あー、まぁ、その、あれだ……相手が高校なら、報酬を理由に就職先を決めたりするなってことだな。プロの団体ならもっと出すってことは、これで理解できただろ」

「はい、重々理解できました……」

「まぁ大先輩もそこまで本腰入れてる訳じゃねーみたいだし、今回はスルーで良いだろ」

「そうします。夜分にありがとうございました」

「京太郎くん、またねー」



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61 中学生三年 大阪で生まれた女たち編④

 完璧な幼馴染とは即ち、園城寺怜(わたし)のことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔から病弱であった怜は、幼少の頃から床に臥せることが多かった。入院を必要とするそれなりに深刻なものから、自宅で休むという比較的軽いものまで、月に一度くらいの頻度で学校、幼稚園を休んでいた。京太郎もその度に……は行けなかったのだが、怜が心細いとかわいそうだからと、できるだけ時間を作ってはお見舞いに行くようにしていた。

 

 思えばそれが、京太郎が家事全般、特に女子力の高いことに目覚める切っ掛けだった。怜のために料理を覚え、看病の方法を勉強もした。その甲斐あってか、高校入学を前にして京太郎の女子力は並の女性では太刀打できないものとなっていた。

 

 女子よりも女子力高いってどうなのさ……と方々から小言を言われたりもする。女子である以上、男子より女子力が低いと、立つ瀬がないのだ。京太郎本人は自分の女子力をあくまで『女子の標準よりも少し高いくらい』の全くもって大したことないものだと本気で思っているから、周囲の女子とは微妙に話がかみ合わない。

 

 実際、料理を得意としている友人――和食の得意な塞やお菓子作り全般が得意なはやり、コックとして既に腕を振るっている純などと比べると料理の腕は見劣りするから、というのがその理由である。

 

 確かに彼女らは京太郎よりも腕が良い。レパートリーに困った時など、京太郎が頭を下げて教えを請いに行くくらいだが、ある種それが専門と呼べるような面々と比べないと見劣りしない辺り、京太郎の認識の不正確さが伺える。

 

 京太郎の周囲にいる女子はそれがたまに腹立たしくもあるのだが、同時にその恩恵も受けているので正面から文句を言うこともできない。たまにお菓子を作ってきてくれるし、料理に自信がある者は一緒に料理を作ることもできる。女子力という言葉の通り、男女平等が叫ばれる昨今になっても、それらは基本、男子ではなく女子に帰属するという認識である。女子からすれば、合法的に京太郎を誘う口実にもなるのだ。

 

 料理を作ってほしいというお願いも、一緒に作ろうというお誘いも、京太郎は今まで何度受けたかしれない。

 

 だがその女子力高い京太郎も、最初から料理が得意だった訳ではない。料理ができると人に言えるようになったのは小学校の高学年になってからのことで、阿知賀にいたくらいから漸く、他人にも振る舞うようになった。

 

 故に付き合いの長い人間ほど、その恩恵を受けた割合が低いということになる。自分が一番ではないという事実は少々忌々しくはあるが、それで怒るようならば幼馴染など名乗ることはできない。

 

 嫁だろうと彼女だろうと、折り合いが悪ければいつでも頭に『元』が付くようになる。『元』が付けば距離を置くこともあるだろうが、これからどういう風に状況が変わろうとも幼馴染に『元』が付くことは絶対にない。故に幼馴染は永遠で最強である、というのが怜の持論である。

 

 ではその最強の幼馴染が何をしているのかと言えば、ただ何をするでもなく京太郎にひっついてるだけだった。前からくっついてみたり後ろからくっついてみたり臭いをかいでみたり、女子としてそれはどうかと思う行動もあったが、京太郎は怜の好きにさせていた。

 

 気心の知れた幼馴染と言っても、相手は年頃の美少女である。京太郎も最初の方こそどきどきしていたが、息遣いや体温から『これが怜だ』ということを認識すると、段々と緊張も薄れ、麻雀の教本に視線を落とすようになった。

 

 長野から大阪まで見舞いに来たのである。他にすることがあるだろうと普通ならば考えるのだろうが、京太郎の時間の潰し方は大抵、これなのだ。久しぶりに顔を合わせた幼馴染が、自分ではなく本を見ている。普通の恋する乙女であれば小言の一つも言いたくなるものだが、京太郎の周囲の女性の例に漏れず、怜も京太郎が麻雀をやっている時の真剣な横顔を見るのが堪らなく好きだった。

 

 この横顔を、今は一人占めである。きっと京太郎が朝一で来るからと両親やら看護婦さんやら、人払いをしておいた甲斐があったというものだ。

 

 そうしてしばらく髪をいじられながら京太郎を堪能していた怜だったが、一時間が経ち二時間が経つと流石に飽きがやってきた。自己主張をしようと決めた怜は京太郎の顔をがっちりと掴み、強引に自分の方を向かせ、額を重ねた。視線を逸らすこともできない距離で、京太郎の目を見ながら怜は満面の笑みを浮かべる。

 

「遊んだってやー京太郎」

「……昔みたいに麻雀でもするか?」

「怜ちゃんかて、いつまでも子供と違うんやで? こんな美少女捕まえてるんや。もっと他にすることあるやろー」

「あるやろー、って言ってもな……」

 

 ストを起こした怜に、京太郎は嘆息し教本を閉じた。二人で時間を潰す方法にはいくつか心当たりがあったが、ここは病院で怜は病人である。深刻な事態は過ぎたと言っても、身体に負担をかけるようなことはできないし、本音を言えば、こうして長いこと起きさせているのも不安なのである。

 

 病院側でもそれは同じだろうが、顔馴染みの特権か彼らは怜の意思を優先して京太郎に面会を許してくれている。この顔合わせは彼らの信頼の上に成り立っているのだ。ここで怜に何かあっては、その信頼を裏切ることになる。遊ぶと言っても、やはりそう無茶なことはできない。

 

「まぁ、京太郎は四人でお楽しみやったみたいやからな。寝てる私を放っておいて」

「いやほら、お前が寝てるのは予定調和って言うか、あの面子に誘われたら俺としては断れないというか」

 

 怜にじと目で見られながら、京太郎は後ろ頭をかいた。寝てる怜を放っておいて、と言われるのも釈然としないが、事実かと言われたらそうである。始末が悪いのは、怜も解ってやっているということだ。京太郎が困っているのを見て、楽しんでいる風である。

 

 責めるような口調ではあるが、本心からのものではない。からかい9、怒り1という所だろう。本気で怒っている訳ではないことは解るのだが、京太郎が感じる限り怒りもゼロではない。だからこそ怜に対する後ろめたさも完全にはなくならないのだった。

 

「せやから今日は、私のためにいちゃコラせなあかんのや」

「いちゃコラって具体的にはどうするんだよ」

「普通に抱き枕にでもなっとき。私も、もうすぐ寝るから」

「まぁそれくらいなら……」

 

 役得でもあるし、とは言わない。気心の知れた幼馴染とは言え、調子に乗られると鬱陶しいのだ。何をしろと言われるよりは、ただくっつかれている方が楽でもある。それに誰か来れば、流石の怜と言えども離れるだろう。

 

 昨日の今日である。竜華の性格ならばお見舞いには来てくれるだろうし、竜華が行くなら他の面々もついてくるだろう。抱き枕になるのは、それまでの辛抱だ。そう考えると、怜にもいつもより更に優しくなれるような気がした。

 

「何か食べるか?」

「あれや、りんご剥いてくれんか?」

「お安い御用だ」

 

 怜を引き離すことができなかったので、怜を背負って病室を横切り、果物のカゴの中からリンゴを二個取り出す。一応臭いをかいで痛んでいないことを確認すると、サイドテーブルの果物ナイフを取って、しゅるしゅると皮をむいていく。

 

 その手つきに淀みはない。途切れることなく床に落ちていくリンゴの皮を、怜はほうほう、と頷きながら眺めている。そうこうしている内に、皮をむき終わったリンゴを丁寧に切り分け、お皿に乗せて楊枝も刺す。お皿を差し出すと、怜はうむ、と偉そうに頷いて見せた。

 

「腕は鈍っとらんみたいやな」

「家事くらいは毎日するからな」

 

 毎日やっていれば、腕が上がることはあっても鈍ることはない。京太郎からすれば、料理が苦手とか家事が苦手とかいうのは信じられないのだが、世にはそういう女子が少なからずいるという。クラスの女子にあわいいと評判のアホの子淡でも、それなりに家事ができるし、料理が全くできない訳ではない。できない、と主張する女子は少なくとも、家事に関して淡以下ということになる。意外に凄いな淡、と心中で地味に感動しつつ、京太郎は脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

 

『次はうさぎさんで食べたいなぁ』

 

 怜のセリフを予期していた京太郎の言葉は、怜のそれと重なった。顔を見合わせて二人して笑う。付き合いが長いと、こういうこともあるのだ。うさぎさんはリンゴの皮むきの定番である。怜に言われてもう少し凝った飾り切りも習得している京太郎だったが、怜の一番のお気に入りはうさぎさんで、こういう時には必ず頼むことを京太郎は憶えていた。

 

 うさぎさんにしたリンゴを更に並べると、怜はそれをじっと眺めてからリンゴをほおばる。これで二人でリンゴ二個分である。病弱なだけあって、怜は腹の容量がそれ程大きくはない。健康な状態でもそれであるから、病み上がりではそろそろ限界だろう。これで結構良い所のお嬢さんであるから、出されたものは基本的に食べてしまうのだ。怜の体調を考えるなら、食べ物を提供する方が加減したり、助け船を出す必要がある。

 

「そろそろ寝たらどうだ?」

「抱き枕、忘れてへんやろな」

「俺は良いけどさ……その、怜の方こそ大丈夫なのか? 誰か来た時に困ったりしないか?」

「京太郎が大丈夫なら、私は何も気にせんよ」

 

 にこー、と怜は笑う。本心からの言葉だろう。こういう時、男よりも女の方が肝が据わっているものだ。怜に少しでも躊躇があればそれに乗っかるつもりだったのだが、その気配は微塵もない。怜の笑顔を見て、京太郎は全ての感情を飲みこんで、抱き枕になることに決めた。

 

 最初に、ベッドに怜が潜りこむ。一度、頭から布団を被って、枕元からひょっこり顔を出す。視線が合うと、怜は目を細めて笑う。それから、布団を少しだけまくりあげて、ちょいちょいと手招きをした。抱き枕になると既に決めているのである。ここまでは予定調和のはずだが、どうしてだろう死ぬ程恥ずかしい。

 

 これはちょっと早まったのではと遅まきながら気づいた京太郎だったが、期待に満ちた怜の瞳を裏切ることはできなかった。のそのそとベッドに近づくと、怜の腕が伸び、京太郎をベッドに引きずり込む。

 

 倒れ込むようにしてベッドに入ると、すぐに怜の腕が回された。首元で、怜のあぁ、という小さい声が聞こえる。今が至福、というその声音と共に、怜の匂いが届いた。普通はこういう時、もう少し恥じらうものだと思うのだが、怜は今の自分のことなど気にしないとばかりに、身体を押し付けてくる。

 

 役得ではあるが、やはり羞恥心の方が強い。顔が真っ赤になっているのが、鏡を見なくても良く解る。ここを誰かに見られたら、とも思った京太郎だが、今ここで見られるのが一番ダメージが少ないようにも思う。ここで誰かくれば、怜の機嫌は急降下するだろうが、抱き枕にならないでは済む。

 

 流石に誰かいる前では、抱き枕続行とはいかないだろう。千里山のメンバーであれば、その可能性は更に高まる。来るならさっさと来てほしいと思った京太郎だったが、こういう自分の期待が絡む勝負事は、いつも必ず裏切られることを、京太郎自身が良く解っていた。勝負事に壊滅的に弱いというのは、霧島の神々のお墨付きである。

 

 羞恥心と戦っている内に、怜はあっさりと眠りに落ちていた。間近に怜の寝顔がある。出会ったのは十年以上も前の話。あの頃から怜は間違いなく美少女だったが、その美しさにはより磨きがかかっていた。

 

健やかに過ごしてくれれば、というのが京太郎の願いである。昔に比べれば健康になった方ではあるが、最近目覚めたオカルトが怜の時計の針を昔に戻してしまうような気がしてならない。

 

 使うなといったし、いらないとも言ったが、必要に迫られれば怜は使うだろう。先天的、後天的に関わらずオカルトは制限をかけて使わないほうが、身体に不具合を起こすとは霧島の巫女さんの弁である。

 

 真に理想であるのは制御する方法を学ぶことであるが、それには資質が必要だし、誰もが本職の巫女さんのように力の習得に時間をかけられる訳ではない。酷くならないようにし、自分の一部として付き合いを学ぶというのが一番賢い生き方だ。

 

 身体に負担をかけると解っていても力を使う。怜のその気持ちが、京太郎には痛い程理解できた。怜がやるというのならば応援してあげたいのだが……幼馴染としては複雑である。

 

 怜の目が覚めたら、もう一度くらい言って聞かせてみようと思う。怜は三年生。次の夏が最後の全国大会で、初めて掴んだ一軍のレギュラーだ。これで力が入らない訳がない。焼石に水だということは解っていたが、それでも怜の身を案じずにはいられない。逆の立場であったとしても、怜は自分に同じことを言っただろうと確信が持てる。

 

 怜が幼馴染で良かった。そう思った京太郎にも、眠気が襲ってきた。強く抱いたら折れてしまいそうな細い身体にそっと力を籠めると、京太郎も静かに眠りに落ちた。




リアルで色々あり投稿が遅れました。申し訳ありません。
気持ちの切り替えって大事ですね……アロマでもやってみようか。


さて、これで大阪編は終了となります。

次が五人揃った宮守編、その次がどうにか形になりそうな有珠山編。
その後に一話は二話中学卒業編をやって、ようやく現代編に入ります。


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62 中学生三年 六人の麻雀部編①

 人間は環境に適応する生き物だと聞いたことがある。どんな過酷な環境でも、慣れ親しめばそれが普通になるのだと。岩手にいたのは約一年。この寒い冬も経験したはずのものなのだが、今感じている寒さはあの時感じたものよりもかなり寒いように思えた。

 

 これくらい普通だよ、と小さな先輩は言いそうである。長いこと岩手で暮らしていたらそうなのかもしれないが、基本関東よりも西で過ごしてきた京太郎にとって、岩手の冬はやはり寒いのである。冬の寒さに身震いしながら、一泊二日の荷物を抱え駅に着いた京太郎は迎えの人の姿を探した。

 

 ここが宮守女子の最寄り駅である。普段、電車通学の学生が使う駅でもあるから、学校までは歩きでも行けるはずなのだが、白望たちは迎えを寄越すと言ってくれた。顧問の先生、優しいおばあちゃんと、昔馴染みの評判は良い女性だが、その名前を聞いて京太郎は驚いたものである。

 

 駅のロータリーである。視線を上げるとその先に、品の良い老婦人がいた。あぁ、と思わず京太郎から溜息が漏れる。想像していた通りの人だ。佇まいからして既に、強者の雰囲気である。霧島神境で、年嵩の巫女さんを見た時に感じた凄みが、眼前の老婦人からも感じられた。あれは間違いなく、逆らってはいけない類の人だ。

 

 京太郎の視線に気づいた老婦人は、それで微かに笑みを浮かべた。若い時には、モテただろうことを思わせる穏やかな笑みに、京太郎は寒さも緊張も忘れて、頭を下げる。

 

「須賀京太郎です。お迎え、ありがとうございます」

「熊倉トシだ。遠い所よく来たね」

 

 軽く握手を交わし、トシに促されて車に乗る。彼女の運転で、行きは宮守女子まで向かうことになっていたのだ。今日の集まりが終わってからのことは何も聞いていない。宿泊先のお嬢さんが、ダルがって何も説明してくれなかったのである。

 

「私のことは聞いてるみたいだね」

 

 車を運転しながら、視線も外さずにトシが言う。トシが宮守にやってきたのは三学期に入ってからのことだ。よく話はするし相談にも乗ってくれる頼りになる人、というのが白望たちの評価である。来歴については興味がないのか、人となりについての情報は全くと言って良い程上がってこない。

 

 京太郎が知っているトシの情報は主に、健夜と晴絵から仕入れたものだ。協会の上層部にも食い込んでいて、凄まじく顔が広く、麻雀業界におけるオカルト分野の第一人者、ということである。あの二人の先生というだけでタダ者ではない気はしていたが、それらの要素に加えて実際に会ってみると、タダ者じゃなさが良く解った。

 

「はい。健夜さんと、晴絵さんから」

「あぁ……私が今迄面倒見た中でも、とびっきりの二人だね。妙な縁もあったもんだ」

 

 トシは昔を懐かしむように微かな笑みを浮かべ、京太郎に視線を向けた。何でも見透かしそうな深い視線に、思わず背筋がぞくぞくとする。

 

「健夜はあれで、なんだかんだ人生楽しめるタイプだからね。やさぐれようが婚期を逃そうが一人でも生きていけるだろうから知ったこっちゃなかったんだけど、晴絵はねぇ……気丈に見えて打たれ弱いところがある。私が誘ったチームはあの娘に大した機会もやれずに勝手に潰れちまったし、会社を離れるって言うから心配してたんだけど、あんたの顔を見るに、大丈夫なんだろう?」

「はい。阿知賀女子の顧問に就任するって話です。十年前を再現するんだって、意気込んでましたよ」

「そう言えば、教職を取ってあるって言ってたね。あの娘が教師か。長いこと自分の痛みと向き合ってきた子だ。きっと、良い先生になるだろうさ」

 

 晴絵は素の運量が中々太い上に、相手を見た分析に重きを置くタイプである。その分析力はとても鋭く、時間さえかければどんな僅かな癖でも看破するだろう精度を誇っている。京太郎自身、幼い頃から磨いてきた観察力にはそれなりの自信があったが、まだまだ晴絵には敵わないという認識である。

 

 その分析力に鋭い晴絵が監督をし、昔の教え子を集めて、かつて自分が所属した部を率いるのである。地元は大盛り上がりになるだろう。奈良の常勝校である晩成高校はこの事実を知れば気が気ではないのだろうが、戦略的な事情もあり、阿知賀のレジェンド復帰は直前まで伏せておく予定らしい。

 

 当座の目標は全国制覇、直近のIHに向けて活動を本格化――ということだろうが、晴絵の実力を知っている面々は更にその次のステップにも目を向けるに違いない。

 

「熊倉さんも最終的にはその先にって考えですか?」

「あんたは、あの子にプロになってほしいのかい?」

「強い人の麻雀は、見てて面白いですからね。赤土先生は、俺が会ったことのある中で十指に入る強さです。色々な強敵と戦ってる所を見てみたい、というのが麻雀好きの本音です」

「晴絵を捕まえて十指とは贅沢な話だねぇ。流石、あの三尋木が取った弟子なだけはある」

「…………もしかして、知らないことはなかったりします?」

「婆は何でも知ってるのさ。伊達に長く生きてないよ」

 

 ほほほ、と上品に笑うトシに、京太郎は背中に汗が流れるのを感じた。

 

 そう言えば、トシの人となりを軽く聞き、最後に彼女を一言で表現するなら、と二人に聞いてみた。京太郎としては何気ない、軽い質問のつもりだったのだが、国内無敗の全冠(グランドマスター)も阿知賀のレジェンドも、恩師についてはただ一言。苦笑をしながら、全く同じ答えを返した。

 

 曰く、妖怪みたいな人。

 

 会ってみてしみじみと実感した。なるほど、確かにこの人は妖怪である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エイスリンがニュージーランドから岩手宮守に引っ越してきて、しばらくになる。こちらでできた友人はあまりに何もない地元に、エイスリンが飽きたりしないか頻りに気にしてくれたものだが、何もなさではエイスリンの地元も似たり寄ったりであったので、あまり気にはならなかった。

 

 カタコトではあるが日本語が話せたのも大きかったのだろう。これにホワイトボードでイラストまで描けばコミュニケーションには不自由しない。不安がなかったと言えば嘘になる日本での生活に慣れ始めた頃、エイスリンにも新しい友人ができた。

 

 名前を小瀬川白望という。クラスで前の席に座っている美少女で、いつもダルダルしているのが玉に瑕だ。ある日、家に帰ろうとしていたエイスリンが白望を見ると、いつものダルダルと違って見えた。何となくお腹が空いているんだなと察したエイスリンは、持っていたパンを差し出すと、白望は何の躊躇いもなくそれを受け取った。

 

 もそもそとパンを食べきった白望は、ガラス玉のような瞳をエイスリンに向ける。

 

「エイスリンさんだっけ? この後暇?」

 

 デートのお誘いにしては地味な誘い文句だったが、シンプルでダルダルしていたそのお誘いが気に入ったエイスリンは白望の誘いを受けることにした。何もないこの辺で何処に連れていってくれるのだろうと楽しみにしていたエイスリンが連れていかれたのは、麻雀部の部室である。

 

 麻雀という競技について、エイスリンはあまり知らない。ニュージーランドでも一応人気はあるのだが、エイスリンの周囲ではあまり流行っていなかったために、今まで牌に触れる機会がなかったのだ。部室を訪れ、白望を含めて三人しかいないという現状を説明されるに、これがデートのお誘いではなく部活の勧誘の類であったことを理解する。少し残念に思ったが、それでも、教室でも体育の授業でもずっとダルダルしている白望が、何かに打ちこんでいるという事実に、エイスリンは興味が湧いた。

 

 何か部活に入りなさいと、親に勧められていたエイスリンは、ちょうど良い機会だとそのまま入部することにした。幸い素質に恵まれて居たらしく、麻雀の腕はぐんぐんと伸びていった。対戦相手はいつも同じメンバーだったが、顧問のトシはとても強く、後に豊音が加わってからは公式戦にも団体で出られるようになった。補欠のいない弱小チームであるが、出られるかそうでないかは大きな違いである。

 

 夢は大きく全国制覇。大きな目標を掲げた冬のある日、公式戦の要綱を確認していたエイスリンに、何でもないことのように部長の塞が答えた。

 

「うちはエイちゃんたちも含めて部員は六人だよ」

 

 ?? とエイスリンと豊音は揃って首を傾げる。自分たちを含めて、この部室では五人しか部員を見たことがない。顧問のトシを含めれば六人だが、彼女を部員と表現するのは違和感がある。どういうことかしら、と首を傾げていると、種明かし! と胡桃が薄い胸を張って教えてくれた。

 

 元々、胡桃塞白望の三人で小学校の頃から麻雀サークルを結成していたのだという。メンバーは小学校中学校を通して全く増えなかったのだが、結成当時にはもう一人メンバーがいて、その人物は今も名誉部員としてカウントされているのだという。

 

「そんな二人のために、そのもう一人のメンバーを紹介する機会を設けました! 今度の土日にこっちに来ることになってるから、部室で紹介するね! 団体メンバーが五人揃ったって知らせたら、喜んでくれたんだよ!」

 

 小さい身体の割りにお姉さんぶろうとする胡桃にしては珍しく、見た目相応にはしゃいでいる。それ程、もう一人のメンバーに会うのが楽しみなのだろう。見れば白望も塞も嬉しそうだ。一体どんな人なのだろう。聞いても全く教えてくれないから想像するしかないエイスリンだったが、あの三人があれほど懐いているのだから良い人に違いない。まだ見ぬメンバーを心待ちにしながら平日を過ごして、土曜日。期待に胸を膨らませたエイスリンの前にトシが連れてきたのは

 

「初めまして、須賀京太郎です」

 

 何と男子だった。実はメンバーは他にいる、という気合いの入ったジャパニーズ・トラディッショナル・ジョークなのかと胡桃たちをみれば、悪戯大成功! とハイタッチを交わしている。どうやら彼が六人目で間違いはないらしい。

 

 脳内の混乱を鎮めるように、一端深呼吸する。驚いたが、男性が最後のメンバーなのは別に問題はない。別にエイスリンは男嫌いという訳ではないし、胡桃も塞も一度も、六人目は女性と嘘を吐いた訳ではない。唯一、男性なのに女子高の敷地に足を踏み入れていることに懸念があるが、顧問のトシがおり部外者を引き入れる段階で性別についての問題はクリアしているのだろう。

 

 ならばエイスリンが気にすることはない。胡桃たちの友達なら、自分の友達である。男子だけど仲良くしようと、自己紹介のために前に出たエイスリンを、胡桃が遮る。彼女の顔にはまだいたずらっ子の笑みが浮かんでいた。六人目が男子であるというのもエイスリンにとっては十分にサプライズだったが、それはまだ終わらないらしい。

 

「京太郎はね、珍しい動物を飼ってるんだよ。写真持ってるよね、見せてあげて」

 

 胡桃の突然の提案に、京太郎は首を傾げている。自己紹介さえしてない相手に見せるものでもない気がしたが、彼にとって年上の女性のお願いというのは、命令に等しい。黙ってスマホを操作して、ペットの写真を呼び出す。

 

「うわー、ちょーかわいいよー」

 

 隣では豊音が目を輝かせている。そういう貴女の方がちょーかわいいわよと思いつつも、エイスリンもスマホに視線を落とした。画面にはのんきな面構えをした大型のげっ歯類がいた。のんびり寝そべっている一匹の上に、もう一匹がのしかかっているという、二匹の力関係が見える構図だった。

 

 確かカピバラという名前で、飼育にはそれなりにお金がかかると聞いている。それを二匹も飼っているのだから眼前の京太郎はそれなりにお金持ちなのだろう。男性の外的要素がエイスリンも気にならないではなかったが、それ以上に視界の隅で笑みを浮かべている胡桃と塞が気になって仕方がない。

 

 サプライズはまだ終わっていないのだが、スマホにも京太郎にも怪しい気配はない。ここから何がサプライズなのだろうと悩んでいるエイスリンを他所に、カピバラ二匹のかわいさに負けた豊音はさっさと自己紹介を済ませ、京太郎を親睦を深めている。

 

「ねぇ、この子たち何て名前なの? 男の子? 女の子?」

「二人とも女の子ですよ。上のやんちゃなのがウタサンで、下ののんびりしたのがエイスリンです」

 

 えー、という豊音の声に、エイスリンはようやくサプライズの肝がこれだと理解した。一転、気まずそうな顔をしている豊音に、胡桃たちはこちらの様子を伺っている。別に悪意は感じられない。驚いた? という無邪気さが感じられる視線を受けて、エイスリンは京太郎の前に立った。

 

『エイスリンっていうのはね、私のママが大好きな女優さんの名前なの』

 

 自らの名前の由来を説明するエイスリンが使っているのは、しかし、日本語ではなく英語である。それも意識してニュージーランド訛りを強くした、早口のものだ。

 

『ママが、こんな素敵な女性になってねってつけてくれた名前なのよ? それなのによくもげっ歯類に同じ名前をつけてくれたわね! まぁ、この子もかわいいし、貴方も背が高くて少し好みの顔立ちをしてるから許してあげるけど、シロたちの友達だからってあまり調子に乗らないことね!』

 

 言いたいことを全て英語で言いきった後、『ワタシ、エイスリン。ヨロシク!』とカタコトの日本語で締める。その際、にっこりほほ笑むことも忘れない。日本に来てから、少なくとも同級生の中では、エイスリンの英語を理解できた者はいない。宮守全体でも、英語で会話できるのは麻雀部の顧問であるトシの他、英語教師くらいのものである。

 

 当然、京太郎に通じるはずもない、ということでエイスリンは英語を使った。話した中には京太郎に対する文句も入っていたが、英語が理解できないのではそれを口にする意味がない。完全な自己満足であるが、エイスリンはそれでも良かった。色々と思うところはあるが、塞たちの友達であれば自分の友達である。できることなら仲良くしたいし、ちょっとムカついたという事実を後に引きずるのも嫌だった。

 

 この感情はここで水に流す。そのつもりでエイスリンはまくし立てたのだが、京太郎から帰ってきたのは予想通りの困惑と、予想外の言葉だった。

 

『それは申し訳ありません。うちもこいつの名前を決めたのは母なんですよ。俺が決めたのはもう一匹のウタサンの方で……』

 

 エイスリンにも十分に通じる英語が、つらつらと京太郎の口から紡がれるに至り、エイスリンの混乱は頂点に達した。その間も、京太郎はカピバラについて何か話していたが、エイスリンの耳には届いていない。エイスリン・ウィッシュアートとて、年頃の女の子である。同年代の男性に『好みの顔立ちをしてる』なんて口にして平然としていられる程、男性とのお付き合いがあった訳でもない。

 

 しばらく英語で話しかけていたが、真っ赤になったまま反応がないのを見ると、京太郎は助けを求めるように白望たちを見た。昔馴染みの少女たちは、そろってお前に任せるという仕草をした。任せると言われても困る。京太郎の経験上、こういう状態の少女と絡むとロクなことがないのだが、自分がやらないと話が進みそうにない。仕方なく、というのを顔に出さないようにしながら、京太郎はエイスリンに向き直った。

 

『その……何か、すいません』

『…………いいの、気にしないで。私も忘れることにするから、貴方も忘れてくれると嬉しいわ』

 

 とりあえず謝った京太郎に、気を取りなおしたエイスリンは、自分で解決策を提示する。気にしないで、という言葉そのものが、今現在、エイスリンが凄く気にしているという証明でもあった。好みの顔をしてる、という言い回しが相当に恥ずかしかったのだろう。

 

 気持ちは分からないでもない。かわいい、とか美人というのは女性を褒める常套句であるので京太郎も良く使うが、自分の好み、という表現はあまり使った記憶がなかった。単純に気恥ずかしいのである。その辺は程度の差こそあれ、男が女に言うのも女が男に言うのも大して変わらないだろうと思う。経験上、女から男に言う方が抵抗がないように思えなくもないが、それも自分が男であるが故の贔屓目かもしれない。

 

『改めて自己紹介を。俺は須賀京太郎です。皆は京太郎と呼ぶので、貴女も名前で呼んでくれると助かります』

『エイスリン・ウィッシュアートよ。エイちゃん、って胡桃は呼んだりするけど、普通に呼んでね』

『それでは、エイスリンさんと』

『よろしい。それで、貴方はキョウチャロ?』

「京太郎です。きょ、う、た、ろ、う」

「キョ、ウ、チャ、ロー」

 

 一音ずつ区切って言っているのに、正しく発音できていない。この名前と付き合って結構長いのだが、キョウチャローと呼ばれるのは初めての経験である。微妙なおかしさに苦笑を浮かべていると、異国の言葉の発音に悪戦苦闘していたエイスリンは、バカにされていると勘違いした。一瞬で沸点を突破させたエイスリンは、自分のスケッチブックでバシバシと京太郎を叩き始める。

 

『もう! 私をバカにして! 私をからかう貴方なんてかわいい名前で十分だわ! 今日から貴方はキョウチャロー! 略してチャロよ!!』

 

 かわいいなぁこの人、と思いながら苦笑を浮かべた京太郎はスケッチブック攻撃を受け入れている。突然京太郎をどつきだしたエイスリンに、豊音などは目を丸くしているが、他の四人は落ち着いたものである。

 

「ねえ京太郎。何かエイちゃんが凄い興奮してるみたいだけど、何だって?」

「俺のことをチャロと呼ぶそうです」

「チャロ? いいね-、何だかかわいくて」

「俺のことをかわいい名前で呼びたいそうです」

「そうなの? エイちゃんに気に入られたんだね」

 

 自分を見て背伸びをする胡桃に、京太郎は何も言わずに膝を突く。京太郎が何も言わなくても自分の思い通りに動いてくれたことに満足した胡桃は、少し背伸びをして京太郎の頭をよしよしと撫でる。小さい胡桃がお姉さんぶれる数少ない瞬間である。

 

「さて」

 

 それまで教え子たちとその友人の戯れを黙ってみていたトシだったが、一区切りついたところで手を叩いた。

 

「岩手まで旧交を温めにきた訳じゃないんだろう?」

「それも大事な目的の1つではありますが、そうですね。麻雀ですね」

 

 エイスリンたちの実力の程は知れないが、白望たちをして十分に全国を狙えると言わしめる布陣に、京太郎も期待していた。麻雀を始めたばかりらしいエイスリンには若干不安を覚えなくもないものの、それでもなおその評価なのだから、類稀なセンスないしオカルトがあるのだろうと推察できる。実際、ツモ力の強い白望と勝負になるのなら大したものだ。

 

 強い人間と麻雀ができる機会を逃す手はない。ならば麻雀だ。京太郎は四つある椅子の1つに手をかけた。一応長野から岩手までやってきたゲストであるし、この場で一番年下でもある。まさか最初は見てろと言われまいという予想と、言われたら嫌だな、という若干の不安を込めて皆を見やったが、全員、京太郎が参加することに否やはなかった。

 

 残りの席は3つである。その内二つは、エイスリンと豊音で問題ないだろう。京太郎には2人の能力を体感してもらい、二人には京太郎の能力を体感してもらう。ドッキリがあったが、元々これはそういう集まりなのだ。

 

 問題は他の部分である。宮守女子麻雀部の部室に集まったは良いが、今日この部室を使うことのできる時間は少ない。普通の中学生である京太郎は平日休んでまで岩手に足を延ばすことができなかったため、土日の連休を利用しての訪問である。

 

 当然、前ノリもできなかったため、早朝早起きして新幹線やら在来線やらを乗り継ぎ、ようやくたどり着いた岩手県であるが、雪深いこの地方は学生のために施設を開放している時間も、実のところそんなに長くはない。昨今の事情を鑑みれば、顧問が同伴していても、日が沈むくらいには帰れと言われることだろう。

 

 部員五人。補欠もいないような零細麻雀部であるから、学校から目を付けられるような真似はできないのだ。ならば明日に、とすれば良いかもしれないが、やはり中学生である京太郎は月曜には学校があるため、明日中には長野の実家まで戻らなければならない。宮守女子の部室で麻雀を打つ機会は今しかなく、時間的に1、2回が良いところである。

 

「私は見てるよ」

 

 一抜けしたのはトシである。流石に年の功だ。打つ機会を生徒に譲るというのはおかしなことではない。それでじゃあ私も、と二人続けば何も問題はなかったのだが、京太郎の幼馴染であるところの三人は、断固として譲らないとばかりに視線を交わした後に拳を振り上げ――

 

「勝った!!」

 

 壮絶なじゃんけんの末に胡桃が勝利した。いそいそと椅子に座りきこきこと自分用に椅子を調整している胡桃と、恨めしい顔つきをした白望と塞の対比が悩ましい。三人とも久しぶりに会う京太郎と麻雀することが楽しみで楽しくて仕方がないのだ。

 

 京太郎の後ろには既にトシが立っている。健夜と晴絵が先生と呼ぶ人だ。恥ずかしい麻雀は打てないと、気を引き締める。対面に胡桃、上家が豊音、下家にエイスリンという配置である。

 

 からころとサイコロが周り、牌がせり上がってくる。顔を合わせてやる麻雀では久しぶりの、初見の相手との麻雀である。じわり、と運が吸い取られていく。気を失いそうになる喪失感に、しかし京太郎の精神は高揚していった。

 

 




次回麻雀編。
部室でのやりとりのあれこれをやって、お泊り編で終了。宮守編は全三話の予定です。

その次が有珠山編の予定です。


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63 中学生三年 六人の麻雀部編②

 

 

 エイスリンと豊音を交えた半荘、その東場は思っていた以上にすぐに終わってしまった。アガりの回数は10回。その内9回はエイスリンのアガりである。十回目、最後のアガりは連荘を阻止しようと動いた胡桃のアガりだ。

 

 色々検証してみたいと思った京太郎の意を汲んだかのように、トシの提案で小休止が入る。卓に入っていない面々で分担して取っていた牌譜を見てエイスリンの手順を分析した京太郎は、一目で彼女の異常に早いアガりがオカルトに依るものであると理解した。

 

 麻雀を始めたのは岩手に来てからだと聞いているが、エイスリンの打ち回しは京太郎の目から見ても非常に特殊である。アガりに至る過程が不規則なのに、結果としてその全てで最短距離を行っている。選手の行動の主な指針となるのは牌効率などの理論や、他選手を観察して入る情報などであるが、そのどちらでも説明できないようなことを、エイスリンは平然とやってのけている。

 

 一度、二度であればそういうこともあるだろう。適当にやったことが結果として最善の結果を生むというのは麻雀ではよくあることだが、エイスリンのアガりは連続して九回。しかもその全てで一環して、筋の通らない打ち回しを続けているのだ。オカルトを飼いつつも理論に沿って打ちまわす京太郎にとってこの打ち回しは異質そのものだったが、エイスリンはこの混沌さの中に正しさを見出しているのだろう。

 

 普通の教室であれば矯正されかねない打ち回しであるが、オカルトに理解のあるトシが指導者であったことも幸いしている。自分の適正にあった正しい指導。オカルトを持っていても開花しない選手もいるだろう中、エイスリンは幸運にも、良い指導者に巡り合うことができた。

 

 だがこのオカルト、場に対する支配力はあまり高くない。独特の視点はおそらくエイスリン自身にしか作用しないもので、分類上では怜の未来視と同系統のもの……と思われる。現状では、最速形でテンパイすることに特化しているようであるが、それだけに打点は低い。

 

 加えて胡桃が意図して邪魔できたように、支配力がほとんどないせいで途中で介入されることもある。照の積み重ねに介入するのは咲でさえ骨が折れたし、雅枝経由で入手した怜の分析結果によれば、彼女の予知は今のところ一回も外れたことがないらしい。

 

 能力そのものに照や怜ほどの確実性がないのか、エイスリン自身の能力が不足していて活かしきれていないのか、可能性は色々と考えられるが現状解っている範囲であくまでオカルト勝負で行くのであれば。邪魔が入るまでにどれだけ稼げるかが勝負になる。

 

 個人で戦うには、オカルトを前提にした戦略的な視点が必要になってくるだろう。アガるだけならば強いオカルトであるが、点数の多寡を競う勝負では、一回の打点が低いだけにアガり続ける必要がある。

 

 どれだけ強力なオカルトであったとしても、誰が何をしても確実に決まる超強力なものでもない限り、試行回数を重ねれば重ねるだけ、失敗を呼び込む可能性は高まる。失敗を受け入れ、それまでにどれだけ点棒を積み上げるかに重きを置いているようだが、この能力を防御にも使えるようになったら面白いと、京太郎は思った。

 

 ここには純粋にエイスリンの経験不足が出ているようだが、方針一つを既にここまで実行できているのなら、トシの指導力もエイスリンの技術も本物だろう。後は対外試合を積み重ねれば、感性も磨かれてくるはずだ。

 

 半面、打点を気にしなくても良い状況であるなら、このオカルトは別の活かし方が見えてくる。例えば団体戦。中継ぎとしてこれ以上の能力はないに違いない。

 

 団体戦で一番解りやすい勝ち方は五人全員がバカみたいに点数を稼ぐことだが、そうもいかないのが麻雀である。

 

 エイスリンくらい高確率でアガりを拾っていけるのであれば、自分の前の選手が稼いだ点を比較的安全に守ることができる。既に点数を稼げる選手がいるのであれば、団体のメンバーとしてこれほど頼もしい選手はいない。

 

 休憩中、そんな風に思っていたことを口にしたら、エイスリンは無言になってしまった。麻雀で、褒められることに慣れていないらしい。そう思った京太郎は、微妙に胡乱な目つきでトシを見る。これだけ貴重な才能を見て一度も褒めなかったのかと少し非難を込めて見やるが、トシは小さく肩を竦めてみせた。

 

「婆に褒められるよりは、年の近い男に褒められた方が嬉しいんだろうさ。見た目以上に初心だよ、その娘は」

 

 他に言いようもあるだろうに、この上なく正直に物を言うトシに、エイスリンは雀卓の上で頭を抱えてしまった。何だこのちょーかわいい生き物と思う京太郎だが、ここでじっと視線を向けているとスケッチブックが飛んできかねない。エイスリンに気づかれないように静かに観察することしばし、ようやく羞恥心と折り合いをつけたエイスリンが復帰し、休憩が終わった。

 

 最初からそういう取り決めだったのか、南場は前半のエイスリン無双とは打って変わって、豊音大活躍の場だった。まずは赤口から、とトシが言い出した時は何事かと思ったが、エイスリン以上に特殊なうち回しを、しかも六種類連続で見せられた京太郎は、対局中にも関わらず流石に唖然とした。

 

 家系としてオカルトを追及し、技術としてそれを修める霧島神境の巫女さんたちのようなケースは別にするとして、普通はどういうオカルトが良いかと選択する余地は個人にはない。本人の持つ才能の中でオカルトに足るものだけが開花し、日の目を見ているのだろうというのが良子の推測である。

 

 最も高い才能に肉付けがされ、それが日の目を見るというのであれば、外に出てくるオカルトは一つか、多くても二つというのが普通である。多才な人間は極めて少ないというのは道理であり、事実、シロも塞も胡桃も、これだと思える能力は一つしかない。エイスリンもこれは同様だが、豊音はこれをぶっちぎって六つの能力を持っている。

 

 六曜になぞらえているというが、ここまで象徴的なものも珍しい。咏に師事するようになって京太郎も色々なオカルトに触れたが、一人でここまでの数のオカルトを使いこなしている人間は、職業巫女である良子たちを除けば豊音が初めてである。

 

 流石にいつでもどこでもどんなタイミングでも使えるという訳ではないらしい。友引はそもそも裸単騎で待つ必要があり、その過程で四回牌を晒さなければならないと地味に条件が厳しい。先負は追っかけリーチで一発目、相手に当たり牌を引かせることができるという非常に強力な効果を持つが、相手のリーチが前提となるしそれまでにこちらもおっかけられる形にしなければならない。

 

 カンできる形でさえあればいつでもどこでも、という咲のオカルトに比べると六種類あるとは言え、その全てがそれなりに条件が厳しい。

 

 しかし、数は力だと言われてしまうと京太郎も納得せざるを得なかった。条件が厳しいというのはそこに到達するまでの話で、それは腕や運でカバーすれば良い。一緒に卓を囲んでみるに豊音の運は間違いなく太いし、腕も悪いものではない。

 

 これに六種類のオカルトが加われば、相当な難物になるだろう。加えて今年から麻雀部に加入する豊音やエイスリンは勿論、これまで麻雀部員だったシロたちも含めて一度も公式戦には出ていないために、公的にはほとんど記録が残っていないはずだ。

 

 これだけオカルト持ちが揃った五人を初見で相手にしなければならない岩手県の麻雀部員たちには同情を禁じ得ないが、監督するトシからすればこれ以上の条件はないだろう。オーダーを考えるのも楽しいに違いない。

 

「参考にしたいんだけどさ、あんたなら宮守のオーダーどう組む?」

「そうですね……先鋒はシロさん、大将が豊音さん。これは固いでしょう」

「理由を聞いても良いかい?」

「先鋒も大将も大きく点数を稼がないといけませんからね。五人の中で得点力というのならこの二人です。後はどちらをどちらということですが、真っすぐ解りやすい効果のシロさんに対して、豊音さんは状況を見て能力を選べる強みがあります。相手を突き放す場合でも追う場合でも、プレッシャーをかけられる方が良い。これで最後となったら相手も後がありませんから、破壊力が同程度なら手段は多い方が良いと思います」

「それで豊音が大将ってことか……他の三人はどうするね」

「三人とも安定感がありますが、シロさんはきっと稼いでいるでしょうから、二番手はエイスリンさんが良いと思います。全員が大きく稼げるなら言うことはありませんが、五人のチーム戦なら、2~4番手の役割は前に出るよりも固く守ることだと思います。驚異的な速度で面前テンパイできるエイスリンさんなら、最強の中継ぎになれるでしょう。後はどっちでも良い、というと怒られそうですが、塞さんの位置は対戦校の状況を見て決めたいですね。岩手県内にはこれは、ってオカルト持ちはいないんでしたっけ?」

「今のところはね」

「それなら中堅を塞さん、副将を胡桃さんで良いかと思います。シロさんが稼いで、エイスリンさんと塞さんで繋いで、胡桃さんで直撃をとって、豊音さんでシャットアウト。これですね」

「岩手県内って聞いたってことは、全国だと違うのかい?」

「調べた範囲だと福岡の新道寺がヤバいですね。どうも副将と大将がどういう訳か繋がってるみたいなんですよね。連動してるオカルトとでも言えば良いんでしょうか。副将も稼ぐんですがこっちがトス役で、大将がそれに連動した形でアガるというか……ともあれ、副将の行動が起因になってるみたいですから、塞さんの能力ならこれを防げるかもしれません」

「相手のオーダーを見て、全国ではオーダーを変えてみようってことか」

 

 トシが顎に手をあてて、ふむと小さく頷く。

 

 現行のルールでは、大会が始まってからはオーダーを変えることはできない。例外は、レギュラー五人の内にアクシデントがあった場合にそれを補欠と入れ替えることだが、一度補欠と入れ替えた場合、ひっこめたレギュラーがアクシデントから回復しても、レギュラーに戻すことはできないためあまり用いられることはない。そもそも、補欠のいない宮守にはあまり関係のないルールである。

 

 ただ、地方大会は予選という扱いであるが、予選と本戦で同じオーダーでなければいけないというルールはない。そのポジションに慣れさせるために変えてこない高校がほとんどであるが、例が少ないというだけでオーダー変更そのものはルール違反ではないのだ。

 

 他の高校が変更する可能性が少ないというのであれば、特定の状況に対応できる塞のようなタイプを何処に配置するかで、宮守の総合力は大きく変わってくる。副将に厄介な能力を持っている選手がいるのであれば、それにぶつけるということも可能だということだ。

 

「あまり受け身になるのもどうかと思いますが、それくらいの自由度はあっても良いかと思います。ただ、今までの傾向を見るに、解りやすいオカルトを持った人はあまり中継ぎには使われない傾向にありますから、中堅か副将かの二択であれば、副将で良いんじゃないかと思います」

「新道寺のことは私も知ってるよ。厄介な能力だが、塞と胡桃にだけオーダー変更の負担をかけるのもかわいそうだ。後で状況を見るくらいなら、最初から塞が副将ってことで問題ないだろう」

「それ以外は?」

「私の考えと大差ないね。今日あった二人のことも含めて、それだけ考えられるなら上出来だ」

「なら後は、このオーダーがハマることを祈るだけですね」

「全くだね。しかし、中学生の男子のくせに随分女子高生に詳しいじゃないか」

 

 からかうようなトシの声音に、女子高生たちの視線が集中する。邪な気持ちで情報収集したんじゃあるまいな、という内面がひしひしと感じられる視線に、京太郎は凄まじい居心地の悪さを覚えた。白望たち三人からこういうからかいというか疑いを向けられるのは慣れたものだが、今日あったばかりのエイスリンと、明らかに純真無垢なかわいい生き物である豊音にそういう視線を向けられると、心にぐさりと来てしまう。

 

「……俺も来年は高校生ですからね。麻雀部に入る予定なんで、少しは情報収集しようかなと」

「そうかい? そりゃあ良いことだけど。あまりウチの情報を喋ったりしないでおくれよ」

「それは安心してください。何があっても絶対に漏らさないので」

 

 にこにこ微笑みながらそう言う京太郎に、トシはじっと視線を向けた。あわよくば、京太郎から情報を仕入れるつもりだったのだが、彼の目には年齢にそぐわない強靭な意志力が見て取れる。流石にあの変わり者の三尋木咏の弟子なだけのことはある。これを落とすのは並大抵のことではないな、と悟ったトシは、あっさりと情報収集を諦めた。

 

 トシの情報網で確認できるだけでも、この少年は鹿児島の永水、北大阪の千里山、長野の龍門渕に西東京の白糸台など、全国でも名の知れた高校と接触している。未確認の情報だが、来年度の臨海の留学生や、先頃監督に昇格した姫松の赤阪郁乃とも、どういう訳か接触しているという話だ。

 

 それら全てが事実で、更に深い確度で情報を得ているのであれば、彼の知っている情報はそれこそ金に換えることのできない程の価値があるものだ。顧問として監督としてその情報に興味は尽きないが、それで生徒たちの不興を買っても面白くない。昔馴染みの白望たちは怖いくらいに京太郎に懐いていたし、今日会ったばかりのはずのエイスリンや豊音とも、すぐに打ち解けてしまった。

 

 元々『宮守麻雀部は六人』というのは白望たち三人が強く主張していたことである。正直、女子高生特有の夢見がちな物言いだと侮っていたトシだったが、実際京太郎をこの部室に放り込んでみても全く違和感がないことに、トシは少なからず驚いた。

 

 女子の中に男子が一人入れば少なからず浮くものだが、多少の違和感はあるものの、京太郎は見事に打ち解けている。これはこれで得難い才能だろう。咏が手放さない訳だな、とトシは納得した。

 

 ああでもないこうでもない、と感想戦が終わった後、長く息を吐き立ち上がった京太郎だが、

 

「京太郎」

 

 胡桃の声に振り向くと彼女は既に駆け出し、そして踏み切った後だった。京太郎の方にではない。京太郎の身体の向きと垂直になるように駆け出し、踏み切ったのは京太郎の右手前。受け身も何もあったものではない。力を抜いて背中を下に落ちていく胡桃の下に、京太郎は慌てて腕を差し込んだ。

 

 京太郎の腕に、胡桃の軽すぎる重みがかかる。大きな安堵の溜息を漏らす京太郎とは対象的に、胡桃はご満悦である。いわゆるお姫様抱っこをされたまま、手を伸ばした胡桃はいいこいいこ、と京太郎の頭を撫でる。

 

「よく動けたね。えらいえらい」

「心臓に悪いからやめてくださいよ……」

「でも、小学生の頃から受け止めそこなったことないよね? えらい!」

 

 受け止め損ねてしまったら怪我をするかもしれないのだが、誰に何度注意されても胡桃はこれを止めようとしなかった。今よりは体重が軽かった小学生の時分にはシロも塞もこれをやっていたのだが、当時とそれほど変わらない体重なのは今や胡桃だけである。自分の専売特許になったことを理解した胡桃は、前にもましてこの行為にチャレンジするようになってしまった。

 

「昔より安定してる気がするね」

「そりゃあ、俺も成長しましたからね」

 

 俺は、と言わないところが胡桃と付き合うコツである。京太郎の小さな配慮を目ざとく感じ取った胡桃は、腕の中でにっこり微笑む。おかっぱの髪と小さな身体も相まって、さながらかわいい座敷童といった風だったが、中学生男子の腕の中に、女子高生一人を預け続けて黙っていられるほど、宮守麻雀部に所属する一部の女子の心は広くないのだった。

 

 そのまま京太郎分を堪能しようとしていた胡桃を塞が回収する。わきの下に腕を差し込まれ、当てつけのように高い高いをされると、先ほどまでの上機嫌は何処へやら、胡桃は顔を真っ赤にして怒り出した。基本的に、子ども扱いされると一瞬で沸点を突破する胡桃である。

 

「ちょっと、塞やめてよ!」

「一人良い目をみたんだから、少しくらい我慢しなさいっての」

 

 まったく、と塞が溜息を吐いて胡桃を下ろすと、その隙を伺っていた白望が京太郎にのしかかっていた。全身の力を抜いたダルダルモードである。もう一歩も動かないといった様子の白望に、幼馴染の女子二人が抗議の声をあげた。

 

「シロ、こんなところでダルがらないの!」

「京太郎もシロのこと甘やかしすぎ! たまにはびしっと言わないと、シロが動かなくなっちゃうんだから!」

「いや、流石にそこまでは……」

 

 ないとは言いきれないのが怖いところである。塞が背中に張り付いた白望をひっぺがそうとするが、ダルがっている割に全力で京太郎にしがみついている白望は、中々離れない。ダルくないことをするためならば、いくらでも全力になるのである。普段からこれくらい熱意があれば、とひっそり溜息を吐くトシを他所に、白望は幼馴染二人にひっぺがされた。

 

「…………ダルい」

「少しそこでだるがってなさい。次はエイちゃんどう?」

『きょ、今日知り合ったばかりの男の子に、身体を触られるのは抵抗があるわ。チャロがどうしてもって泣いて頼むなら、やらせてあげなくもないけど!』

「エイちゃんなんだって?」

「いきなりはちょっと……的なことを言ってます」

「まずはお友達からってことだね。トヨネはどう?」

「興味はあるけど、でもほら、私こんなにおっきいし、きっと京太郎くんでも重いよー」

 

 悲しそうに微笑む豊音を見て、京太郎の行動は決まった。誰が何と言おうと、豊音をお姫様抱っこしなければならない。そのためには十分な準備が必要だ。さりげなく、京太郎は豊音の観察を始める。

 

 京太郎の現在の身長は180cm。成人男性の平均身長と比べても大分高いが、豊音はその京太郎が見上げるくらいに大きく、2メートル弱と推察できる。体重=(身長-100)×0.9として、豊音の推定体重は90キロ。細身だからもう少し軽いのではと一瞬思った京太郎だったが、彼の感性は豊音がおもちだということを見抜いていた。90キロ前後ということで、間違いはないだろう。

 

 さて、これが90キロの重りであるとすると、流石に京太郎も音を挙げていただろうが、相手は意識のある人間である。抱っこされるという意識のある人間はこちらが持ちやすいように動いてくれるため、腕にかかる体重は実際の体重よりも軽く感じる、というのが京太郎の経験則である。

 

 その経験を持ってしても、豊音をすんなりと持ち上げることができるかは微妙な線だった。ともすれば重いと顔に出してしまうかもしれない。心の中に湧いた弱音を、京太郎は意識して振り払った。

 

 幼い頃から教えられてきた。女性には優しく接するべし。女性を泣かせるような男は最低のクソ野郎だ。子供に教えることとしてはどうかと思うが、共感する部分は沢山ある。女性の泣き顔なんて見たくはない。豊音くらいの美少女ならば、笑っている方がかわいいに決まっている。

 

 ここで自分がへたれてしまうと、それだけで豊音は悲しむのだ。ならば何でもやってみせる。俺に不可能はないくらいの強い気持ちで、京太郎は言った。

 

「大丈夫ですよ。こう見えてそれなりに力持ちなんで、スリムな豊音さんくらいなら持ち上げられます」

「ほんと? 私、本当に重いよー?」

「問題ありませんよ」

 

 身構えていたおかげか、それ程重くは感じられなかった。確かに軽くはないのだが、持ち上げるのに苦労する程ではない。余裕が出ると、京太郎にも遊び心が出てくる。腕に抱えたままくるくる回りだすと、豊音はわーわーとはしゃぎだした。

 

「凄いよー! 感動だよー!!」

「豊音さん、軽いじゃないですか。これくらいなら何も問題ないので、いつでも言ってくださいね」

「京太郎くん、ありがとー! 私ちょー幸せだよー」

 

 軽く涙まで浮かべながら、豊音はにこにこしている。ここまで笑ってくれるならやった甲斐もあったな、と京太郎もほっこりした気持ちで豊音を降ろした。一仕事終えた京太郎に、今度は塞がそっと寄ってくる。

 

「京太郎、エイちゃんにもやってあげて」

「さっき断られたばっかりなんですが……」

「それはさっきの話。トヨネがやってもらったおかげで、エイちゃん一人仲間外れだよ。ほら、エイちゃん何だか黄昏てるし」

 

 塞の視線を追ってみれば、エイスリンはこちらに背を向けてスケッチブックに何か描こうとしては止めてを繰り返している。何か強く訴えかけたいことがあるのは見て取れるが、それを羞恥心が邪魔しているようだ。あれが抱っこして、というアプローチなのだとしたら豊音に続いてかわいい生き物この上ないが、既にエイスリンからは泣いて頼むならという条件を出されている。

 

 できるものならそうしたいが、いきなり泣けというのは京太郎にもハードルが高い。どうしたものかと困っていると、お母さん然とした優しい笑みを浮かべた塞が、大丈夫だよ、と京太郎を励ます。

 

「正直に、俺が抱っこしたいから抱っこさせてくださいって言えば大丈夫だよ」

「男子が女子に言う言葉としては全然大丈夫じゃない気がするんですが、それは大丈夫なんでしょうか」

「気にしない。エイちゃんも良い子だから、許してくれるよ。それとも京太郎はエイちゃん抱っこしたくないの?」

「したいです」

「じゃあ何も問題ないね。ほら、行った行った!」

 

 どうして宮守の人達は方向性が違うだけで皆押しが強いんだろう、と思いつつ、真っ赤になってうんうん唸っているエイスリンに京太郎は近づいた。エイスリンさん、と呼びかけるとエイスリンはスケッチブックを落として驚き、

 

『な、何かしら!? 私は今ちょっと忙しいのだけど!!』

『さっきの話なんですが、泣くのはちょっとハードル高いんで勘弁してもらえませんか?』

『…………どういうこと?』

『抱っこさせてください』

 

 大人しく頭を下げる。真摯な物の頼み方であると、ここだけを切り取ってみれば人は言うだろうが、言っていることは最低に近い。今日会ったばかりの金髪美少女に、貴女を抱っこしたいから抱っこさせてくださいと素面で言う中学生男子が、果たしてどれくらいいるだろうか。下げた頭で床を見つつ、エイスリンの返事を待ちながら京太郎は考えていた。

 

 仲間外れは可哀想だという塞の言葉も分からないではないが、会ったばかりの男子に抱っこされるのも、というエイスリンの言葉もそれはそれで本心だろう。7割くらいの確率でスケッチブックの角でぶっ叩かれるんじゃないかと京太郎は分析している。残りの三割は大人しく抱っこされるという希望的観測だ。

 

 塞に告白した通り、欲望に正直になるのであれば抱っこしたい。既に豊音も抱っこしている京太郎に怖いものはなかった。それでも角はやだなぁと思いながら待つこと、一分近く。

 

『……………………しょうがないわね』

『マジですか?』

『なに!? 不満なの!?』

『滅相もございません』

 

 自分で納得して決めたと言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだろう。スケッチブックを胸に抱いたエイスリンは、耳まで真っ赤になっている。そういう態度を見ると悪戯心がむくむくと湧き上がってくる京太郎だったが、それなりに長い付き合いである塞は、京太郎のそれを見逃さなかった。すかさず、その後ろ頭にチョップを入れる。

 

「真面目にやること。いい?」

「了解です」

 

 表情を無理やり引き締めて、かちこちになっているエイスリンのひざ下に手を入れ、一気に持ち上げる。重めの豊音の後だと、エイスリンも軽く感じる。

 

『どうですか?』

『わ、悪くないんじゃないかしらっ?』

『それは良かった』

 

 豊音にしたようにくるくる回ると、びくりと震えたエイスリンが首に腕を回してくる。女の子な香りにどきどきしているのを顔に出さないよう、細心の注意を払ってくるくるするのを続けていると、正気に戻ったエイスリンと視線が交錯する。

 

 お姫様抱っこされ、しかも自分から少年の首に腕を回したのである。年頃の少女の羞恥心を刺激するには十分過ぎた。先ほどよりも真っ赤になったエイスリンは手に持っていたスケッチブックでバシバシ京太郎の頭を叩きだす。痛いです! と抗議をしてもうーうー唸るばかりで聞いてくれない。

 

 その様に、胡桃と塞は大受けである。笑う二人とおろおろする豊音。白望は相変わらずダルダルとしている。一番落ち着いている白望に助けてくださいと視線を送ると、白望は小さく首を傾げてきた後に、意味深な視線を向けてきた。

 

 ガラス玉のような白望の目に、一瞬、強い意思の力が見えたのを京太郎は見逃さなかった。何でそんな目をするんだろう。金髪美少女をお姫様抱っこしながら、その美少女にバシバシぶっ叩かれている京太郎は思い至らなかったのだが、岩手にやってきた時の宿泊先について、今の今まで例外があったことはない。

 

 一人で来ようが家族で来ようが、宿泊先は必ず小瀬川さんのお宅である。いつもは希望さんの夕食を皆で楽しみ、それなりのトラブルに見舞われて眠りに就くのだが、この時点で当事者家族の中で京太郎だけが知らない情報が一つあった。

 

 小瀬川夫妻は昨日から出かけており、帰宅するのは明日の夜になる。意味深な視線というのはつまりはそういうことだったのだが、この時の京太郎はまだ、それを知る由もなかった…………

 

 

 

 

 

 



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64 中学生三年 六人の麻雀部編③

 

 

 長野に腰を落ち着けるまでの間に出会った中で、親戚以外で最も付き合いが長いのは誰かと言われれば、それは最初の幼馴染である園城寺怜であるのだが、では最も顔を合わせているのは誰かという問いには、小瀬川白望と答えなければならない。

 

 白望は決して積極的に友達付き合いをする方ではないし電話もメールもそれ程ではないのだが、母親同士がとても仲良しで出会った頃からずっと家族ぐるみの付き合いを続けている。長期の休みの時には必ずどちらかの家族がどちらかの家に一泊か二泊程度の日程で泊まりに行く。

 

 京太郎が岩手に行く時は塞や胡桃も遊びにきてくれるのだが、岩手から京太郎の家に来る時にはその限りではない。出会った時期は変わらないのに、白望の名前だけ挙がって塞や胡桃の名前が出ないのはこのためである。

 

 しかも親同士は子供同士をくっつけたいと思っているらしく、いつかの小旅行のようにあの手この手を使って京太郎と白望を二人きりにしてきた。今日も小瀬川家に泊まるのだが、シロの手を引いて向かうまでの道のりでさえ嫌な予感が止まらなかった。

 

 道の先に待っているのは決して悪いことではないはずなのだが、ロクでもないことになりそうな微妙な予感がひしひしとするのだ。

 

 良い予感とも悪い予感ともつかない感覚であるが、シロと一緒にいると大抵こういう奇妙なことに見舞われる。それでも最終的な収支が+に落ち着く辺り、シロの持つ歪んだ幸運の恩恵を受けているのかと思わないでもない。

 

 自分の家に向かう道のりだというのに、シロは京太郎が手を引かないと足を動かそうともしなかった。何がここまで彼女を堕落させたのだろう。シロと顔を合わせる度に京太郎が考えることであるが、昔馴染みの二人は京太郎がそれを口にすると決まって『京太郎のせいだよ』と言うのである。自分はただお世話をしているだけなのに解せない話である。

 

「あら京太郎くん、久しぶり。ついに白望ちゃんをお嫁さんにする決心がついたのかしら?」

「お久しぶりです。いやぁ。まだ中学生なんで気が早いですよ」

 

 ははは、と適当に笑顔を浮かべてやり過ごすが、近所のおばちゃんの姿が見えなくなってから京太郎は小さく溜息を吐いた。仕込みのようなタイミングでおばちゃんが現れるのは何故だろう。小瀬川家の周辺では既に掘が埋まりきっているのだろうか。やはりとっても微妙な予感がする。

 

 小瀬川家に行かずにホテルにでも泊まるかと考えるが、小瀬川家に泊まることを前提に行動しているため咲たちに買うおみやげ分くらいしか財布に余分な金は入っていない。仮に余分な金があったとしても、泊まるのが小瀬川家からホテルに変わるだけで白望が後をついてくることに変わりはない。家に泊まるか二人でホテルに泊まるか。どちらが退路を塞がれている感じがするかは、考えるまでもないだろう。

 

 何より小瀬川家に顔を出さなかったら、母親が文句を言ってくるに違いない。どれだけ気が進まなくても、泊まるのは小瀬川家以外にありえないのだった。

 

 微妙に陰鬱な気分で小瀬川家の前に立つと、京太郎はあることに気づいた。照明がついておらず、人の気配がまるでしないのである。どう見ても無人だ。白望を見ると、彼女はガラス玉のように澄んだ目を向けて当たり前のように言った。

 

「母さんと父さんは今朝長野に行った。聞いてない?」

「全く。そうですか。それじゃあ今日は二人だけなんですね」

「そうなるね。ダルいけど夕飯の準備くらいは私がするよ。京太郎はお客様だからゆっくりしてて」

「流石にそれは……材料が買ってあるなら一緒に作りませんか?」

「……実はそう言ってくれるのを待ってたよ。一緒に作ろう。その方がダルくないし」

 

 入ってと、白望に促されて小瀬川家に入る。色々考える所はあるが、馴染みのある家だ。外でうろうろするよりは気が休まると息を吐いて気を抜いていると、背後で三度音が聞こえる。

 

 がちゃり。がちゃり。がちり。

 

 二つあるカギを両方ともかけ、その上ご丁寧にチェーンまでかけていた。防犯意識のしっかりとしたことである。やりすぎのような気がしないでもないが、年頃の女性が一人と考えたらこんなものだろう。荷物をリビングに置き、早速台所に。勝手知ったる小瀬川家である。冷蔵庫の中にある材料を確認した京太郎は思ったことをそのまま口にした。

 

「どうみてもカレーを作れと言われているように見えるんですが」

「母さん。京太郎の作ったカレーが食べたいんだって」

 

 それでこんなに材料があるのか、と京太郎は納得した。白望と二人分にしては明らかに多かったのだ。これを全て使う前提でカレーを作るとなると、それなりに手間が増える。そもそもカレーであるし、京太郎からすれば二人前だろうが四人前だろうが大して手間は変わらないのだが、白望もそうだとは限らない。

 

 視線で確認すると、白望はノロノロとカレー作りの準備を始めていた。京太郎は私服だが、部活で学校に行っていた白望は制服である。制服の上にエプロンを着る白望を見て、そこはかとない幸せな気分になりつつ、京太郎も来客用のエプロンを付け、準備を始める。

 

 料理の定番であるカレーだが、同時に奥深い料理でもある。ご家庭によって具が大きく異なることから、カレー一つで論争が起きることもしばしばだ。幸いなことに須賀家と小瀬川家のカレーは具がほとんど一緒である。何しろ岩手に住んでいた時、京太郎が作ったカレーがその後の小瀬川家のカレーのベースになっているからだ。

 

 その後細かなバージョンアップはあったかもしれないが、冷蔵庫の中の材料を見るにそこまで大きな変化はないと確信できる。そもそも、希望がカレーを作ってくれと頼んできたのだから、今さらカレーの具やら味やらで受けを取れないということはないだろう。

 

 白望とカレーを作るのも今回が初めてではない。岩手にいた頃から母親同士は仲が良かったため、夕食はよく一緒になった。最初に一緒に作った料理もカレーだった気がする。その時から、役割分担は今も変わっていない。白望は極力動かなくてもすむ野菜の皮むきなどを担当し、京太郎はそれ以外だ。

 

 自分の分担する作業が終わったと判断したら、白望は椅子を持ってきて京太郎を眺めながらぼーっとする。何もしないなら食卓まで離れれば良いのにと思うのだが、料理をする京太郎の背中を眺めるのが面白いとのことで、これは小学生の時からの白望の習慣でもあった。

 

 女性に背中を眺められるのは男として気恥ずかしい。できればやめてほしいというのが京太郎の本音だったが、男だって例えば、制服の上にエプロンをつけて俯きながら野菜の皮むきをする二つ年上のダルダル言う女性の、真っ白い項にどきどきしたりするのだ。背中をぼーっと眺められる程度なら、むしろお釣りがくるくらいである。

 

 そんな白望に見守られて作ったカレーは、近年作った中でも最高の出来栄えだった。これなら希望も満足してくれるだろう。当然、白望にも好評だった。淡のように美味しい美味しいとにこにこしながら食べてくれる訳ではないが、もそもそ無言で食事をするのは白望の場合美味しいと思っている証拠である。

 

 小動物のような白望を眺めながらの夕食を終えて、食後のコーヒーで一息を入れると、京太郎と白望の間に沈黙が降りた。この後の予定は決まっている。二人の間で特にこれをしようという取り決めはないから、風呂に入って寝るだけだ。

 

 風呂に入って寝るだけである。意識してしまうと、京太郎の背中からだらだらと冷や汗が流れ始める。

 

 テーブルに頬杖をつきながら、白望はじっと京太郎を見つめていた。何をしよう、何をしろとは絶対に言わないのだろう。京太郎がどういう反応をするのか待ちつつ、その後の行動を無言で指定しているように見える。ダルがる白望は基本的に欲望に忠実で、してほしいことがあれば口にするタイプであるが、だからこそこういう無言のプレッシャーをかけてくる時、その本気度が伺える。

 

 お風呂の世話をしなさいと、ガラス玉のような瞳は言っている。それを拒否することは勿論できる。京太郎がNOと言えば、白望は普通に受け入れてくれるだろう。その後に尾を引かないことも確信が持てる。

 

 しかし、京太郎が女性の願い事を拒否することに精神的に抵抗があることを、彼にお願いすることの多い白望は良く理解していた。言葉にして直接お願いするのも勿論効果があるのだが、自分が何を望んでいるのかを理解させた上で、自由意思に委ねるという形を取る方が遥かに効果があるのである。

 

 無論のこと、それでも確実にお願いが叶えられるということはない。白望の経験ではこの方法を使う時の成功率は精々五割。京太郎に対するものとしてはありえないくらいに低い数値であるが、そもそもこの方法を取る時は京太郎にとっても無理難題をふっかける時であるため、五割でも高い方だと思っている。

 

 岩手にいた頃は恥ずかしがりながらもやってくれたお風呂のお世話も、小学校高学年くらいから渋るようになった。白望が高校生になってからはまだ一度しか成功していない。

 

 胸やら尻やら項やらに熱心に視線を注いでいることに、白望ははっきりと気づいていた。特に胸がお気に召しているようで、その辺りの趣味は昔から変わっていないようである。わざと大きく動いて身体の向きを変えてやると面白いように視線が吸い付いてくるのだ。

 

 ちなみにこれは部室にいる時から出ていた。付き合いの浅いエイスリンと豊音は気づいていないようだったが、塞や胡桃は当然のように気づいており、むしろ京太郎の視線を誘導して遊んでいたくらいである。塞の場合は腰から尻にかけてのラインが。胡桃は足がお気に入りらしい。特に胡桃は自分が京太郎の容姿の好みから外れていることを自覚しているため、自分にも視線を引けるポイントがあるのだと知ってからは積極的にそうしている。

 

「ダルいけど背中くらいは流してあげても良いよ」

「…………」

「何なら膝の上に座ってあげるけど」

「……………………」

 

 京太郎の苦悶する顔を見て、後二押しくらいで落ちるなと白望は確信したが、一気呵成に攻めるべきここで手持ちのカードが全て尽きてしまった。

 

 ここで最終手段を使えば落とせるのだが、最終手段はあくまで最終手段であるために使うことはできない。小学生の頃の京太郎ならばここで落ちていただろうが、元から自制心の高かった彼ももうすぐ高校生だ。弟分の精神的な成長に嬉しいような悔しいようなである。

 

 名残惜しくはあるが、自分を十分に意識している京太郎を見れただけで白望は満足していた。そういう所があるから勝てないのだと母親にはよく言われるが、性分なのだから仕方がない。

 

「このくらいで許してあげる」

「いいんですか?」

「そういうこと聞いちゃう? 私は別に背中流して膝に座っても全然構わないんだけど」

「普通でお願いします」

「よろしい。じゃあ京太郎から先に入ってきて良いよ」

「シロさんよりも先に行く訳には……」

「前にも言ったけど、私が先に入ったら誰が私のお世話をするの?」

 

 貴女のお世話をしてから入りますよ、と答えようとした京太郎だったが、お世話をされてから間を開けずに寝室に行きたいというのが白望の本音なのだろうと察する。一人で先に寝室に行った所で京太郎は責めたりはしないのだが、妙に連帯感が強いのが岩手の幼馴染三人の特徴である。連帯感が強いはずの白望も平然と一人で抜け駆けしたりもするがそれはそれだ。

 

 悶々としながらも勝手知ったる小瀬川さんちの風呂場に入る。そういえばおもちがテーブルに乗っていたなと考えると色々と角が勃ちそうで困る。煩悩退散と頭から冷水をかぶり――流石に身体が冷えてきたので、もう一度お湯をかぶってから風呂場を出る。

 

 風呂場に入った時と同じように、白望はリビングでぼーっとしていた。どきどきしている様子は表面上はないが、付き合いの長い京太郎は白望が白望なりに緊張しているのだということが見てとれた。これは何かあるな、とその態度から察した京太郎はそれを態度には出さないようにしながら、白望に声をかける。

 

「空きましたよ」

「うん。ところでお世話はなし?」

「なしです」

「ダルい…………」

 

 ぽてぽて足音を立てながらそれでも未練があるのか、ゆっくりと風呂場に向かっていく。これでしばらくは時間を稼げる。気持ちを落ち着かせようと冷たい水で洗い物をしていると、その間に白望が戻ってくる。お風呂中はともかくその後のお世話くらいはしても良いだろう。エプロンで手を吹きながら台所から出ていった京太郎は、白望のある意味予想外の恰好を見て目を丸くする。

 

「……最近は普段からそれなんですか?」

「知らなかった?」

「言われないと知りようがありませんからね」

 

 白望が着ているのはワイシャツ一枚である。下には何もはいていない――ように京太郎の目には見えるが実際には何か着ているのだろう。いくら白望相手でもそんなに男に都合の良い展開があるはずがない。真っ白い足も薄着で強調されたおもちも京太郎にとって良い目の保養になったが、目下の問題はそこではなかった。

 

「…………それ、俺の着てたやつですよね」

 

 ぱっと見てワイシャツの区別がつくほど京太郎も色々なワイシャツを着たことがある訳ではないのだが、今白望が着ているワイシャツの着古した感じはどこか見覚えがあった。確信を持たずに問うてみると、白望はあっさりと白状する。

 

「おばさんに欲しいって言ったら送ってくれたよ」

「俺の知らないところでそんなことが……」

 

 あの母親ズならそういう取引もやりそうな気がするが、それにしてはやり取りが一方通行であることが気にはなった。別に白望の下着だの服だのが欲しい訳では決してないし、仮に特殊な用途のために欲しいと心の片隅で思っていたとしても、何かの間違いでそれらの実物が送られてきたら、京太郎もいよいよ覚悟を固めないといけなくなってしまう。

 

「今はこれくらいでちょうど良いけど、もう少し大きくなってくれた方が良いかな。私もほら、まだもう少し成長するかもしれないし」

 

 どこが、とは言わない。その代わりに白望は京太郎に向かって僅かに斜に構えた。正面から見ても見事なおもちであるが、角度を付けるとより強調されて見えるのである。本能的に視線を吸い寄せられた京太郎だが、すぐにはっとなって視線を逸らした。もうだめだおしまいだ。凄まじいまでのおもち(ぢから)に全く逆らうことができない。

 

 顔をあげると白望のガラス玉のような目とばっちり視線があった。ダメな弟を見守る姉のような視線にいたたまれない気持ちになる。

 

「別に見るくらいなら良いのに。減るもんじゃないし」

「いや、その……申し出はありがたいんですが……」

 

 これで飛びつくのは恰好悪いという自覚は流石に京太郎にもあった。白望は本当に減るものではないと思っているのだろう。小学生の頃、京太郎にお世話を押し付けるために自分でおもちを触らせた前科のある白望である。今さらガン見したところで怒ったりはしないだろうが、ここで目先の利益を優先することは後々の全てを失うことにもなりかねない。

 

 目の前にぶら下がるエサがどれだけ美味しそうに見えても、踏み込んだ時点で退路が塞がれると解っている道に踏み込むのはとても勇気がいるものだ。白望に文句がある訳では決してないのだが、ある種人生を決め打ちするような行いは、まだまだしたくはないというのが京太郎の本音である。

 

「終わった?」

 

 悶々としている間に、風呂上りのお世話が終わっていた。何をどうしたのか全く覚えていないが、きちんと髪も乾いているので、手順に間違いがあった訳ではないのだろう。白望の満足そうな顔を見てもそれは解る。

 

「片づけは終わってる?」

「一通りは」

「そう。それじゃ、行こうか」

 

 ここに来るまでは手を引かれないと動かなかったのに、今は白望が先導していることにおかしさを感じる。お世話されっぱなしではあるが、白望は京太郎から見て二つも年上のお姉さんである。たまに見せるこういうお姉さんらしいところに惚れ直しそうになるが、白望の背中を見ながら思いなおす。

 

 こういう単純なことだと塞や胡桃に怒られそうだ。別に甘やかしているつもりはないのだが、あの二人の感覚ではこれでも許容範囲ギリギリに甘いらしい。

 

「入って」

「おじゃまします」

 

 同年代の中学生男子に比べると、女子の部屋に入ったことのある回数がとても多い京太郎である。物心ついてから今まで色々な女子の部屋を見たが、その中でも白望の部屋は地味でシンプルだ。とにかく物が少ない。理由を聞くとその方がダルくないからというが、さもありなんと京太郎は思った。管理する手間がそも、白望にとってはダルいのだろう。心が満ち足りていれば物は必要ないなどと哲学的な理由で実践している訳ではあるまいが、らしいと言えばらしい気もする。

 

 寝るためのベッドと勉強、書き物をするための机。本棚には学校で使う教科書と麻雀の教科書のみだ。部屋の隅にあるクローゼットには白望の趣味で選んだ服が入っている。希望から聞いた話であるが、あまり服も持ちたがらないらしいが、決してお洒落に興味がない訳ではないらしいのだ。

 

 白望の言い訳を信じるならば量よりも質で勝負しているらしいが、態々服屋まで足を運ぶのがダルいのだろうというのが、京太郎の見解である。

 

 珍しく手を引かれて白望の部屋に入った京太郎は、足をひっかけられベッドに放り投げられた。白望の匂いがすることにどきどきしている内に、白望が覆いかぶさってくる。電気はついていない。暗闇の中、真正面に見える白望の真っ白い肌と髪の色が目についた。白い肌は朱に染まっている気もする。

 

 何も言えずにいる京太郎に気を良くした白望は、無言で顔を寄せてきた。京太郎の首元に顔を押し付け、小さく音を立てて臭いを嗅いでいく。鼻息がくすぐったい。同じシャンプーやらボディソープを使ったはずなのに、白望からは明らかに自分と違う香りが漂ってきた。

 

 京太郎はこういうのを『女の子の香り』と勝手に思うようにしている。例え何があっても全てを許してしまいそうになる感覚に、京太郎は理性を総動員して抵抗した。ダルダルいう白望が無理難題を押しつけてくるのはこういう時だ。計算づくでやっているのではないのが救いだが、麻雀が強いだけあって勝負所というのを白望は良く理解している。

 

「私もね、そろそろ危ないんじゃないかなっていうのは解る訳だよ」

 

 首筋に顔を埋めたまま、白望が正面から抱き着いてくる。癖のある白い髪が京太郎の鼻を擽った。俯いている白望の顔は見えないが、耳と僅かに見える首元は真っ赤に染まっている。無感動無関心に見えても、何も感じない訳ではない。感情の振れ幅が小さく、それを外に出そうとしないだけで、白望だって年相応に恥ずかしがりもすれば躊躇したりもする。それでも今現在、行動に移しているのは自分で口にしたように危機感を覚えているためだ。

 

 白望が手を後ろに回し、服の上から下着を脱ぐ。もぞもぞと動いてそれが足元に落ちると、京太郎の胸に当たる感触にも変化が起こった。頭が沸騰しそうな程に熱い。視線を下に向けたくて仕方がなくなるが、それも怖くてできない。白望の荒い息遣いを耳元に感じる。いつか旅行に行った時のように、これから寝ようという気配はなかった。本気なのだなと理解しても、京太郎の手は行き場を失っていた。

 

 反射的に背中を抱きしめようと伸ばした手は、背中に回される直前で固まっている。裸ワイシャツの背中を撫でれば、少し前まで自分で着ていた服とは思えないくらいに気持ち良いのだろうが、眼前に起こっていることは既に京太郎の脳の許容限界を超えていた。

 

 女性の中で生きてきただけあって経験値は決して低いものではないが、その付き合いはあくまで健全という言葉の範疇に収まっている。

 

 こういうこと(・・・・・・)が今まで全くなかったとは言わない。むしろそういうことばかりの人生だったと表現しても嘘ではないのだが、だからといってここまで直接的な事態に紳士的に対応できるかと言われると結果はご覧の有様だ。須賀京太郎だって、人並みに欲望がある。理性と欲望が大喧嘩をする頭で白望を見れば、確かにそれは美味しそうだった。

 

 二つ年上の美少女が、裸ワイシャツで抱き着いてきているのである。

 

 唇の近くを白望の舌が這う。濡れた口元と暗がりの中に舌の赤が妙に映える。誘うように僅かに突きだされる舌から視線を下に下げると、興奮で赤らんだ白望の肌と深い谷間が見える。

 

 その辺りで、京太郎はぶつりという音を確かに聞いた。もうこのまま欲望に身を任せて生きていこう。そう思った瞬間、京太郎の視界は真っ赤に染まっていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我が娘よ。初体験はどうだった?』

『血がドバドバ出た』

『ちょっと、大丈夫? 体調悪かったりしない?』

『私は平気。ドバドバ出たのは京太郎の方だし』

『…………あんた達、私の認識と性別が逆だったりする?』

『それはついさっき何度も確認したから大丈夫。それより京太郎どうしよう? とりあえず鼻にティッシュ詰め込んで膝枕してるんだけど、それで大丈夫かな』

『良いんじゃない? 京太郎くんのメンタルは大ダメージかもしれないけど、今隣で晶ちゃんがお腹抱えて笑ってるから問題ないわ』

 

 

 

 

 

 




これで宮守編終了です。エイちゃんぬいぐるみをチャロと名付ける短編を挟んで有珠山編となります。ユキメインで一話。その後ネリー来日編を挟んで現代編の予定です。


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65 中学生三年 有珠山高校麻雀部編

 

 

 

 

「申し訳ありません。次の日曜には予定があります」

 

 有珠山高校卓上遊戯部。放課後、次の休みに何をしようかと切り出した爽の言葉に、由暉子がそう返した。

 

 これは珍しいことである。

 

 有珠山高校の部室にいるが由暉子は高校生ではない。試験には合格したので順当に行けば来年度からこの高校に通うことになるため後輩には違いないが、年度の変わっていない現時点で彼女はまだ中学生だ。

 

 中学生の身で高校に顔を出していることからも解るように、由暉子はとっても友達が少ない。ここに集った人間以外にいないのではと爽たちに不安を抱かせるくらいに、友達の気配というのが全くと言って良いほど感じられなかった。その分自分たちが良き友達であれば良いと思うものの、この部で来年一年であるのは由暉子一人だけ。次の年には爽と誓子が卒業し、その次には揺杏と成香が卒業する。

 

 つまり新入部員が来なければ、いずれ由暉子が一人になってしまうのだ。 最低限、由暉子以外の新入部員を一人二人確保しておきたいところだが、既に部員四人になっている事実を鑑みるに、相当気合を入れないと厳しいというのが部長である誓子の見立てである。そもそもまだ見ぬ新しい部員とユキが上手くやっていけるという保証もないのだから前途は思っている以上に多難であるのだが、それはさておき。

 

「ユキちゃん、どこか出かけるんですか?」

「長野から友達が来るんです。小学生の頃の友達なんですけど」

「ユキは長野に住んでたのか?」

 

 大事な友達ではあるが、由暉子との付き合いはまだ浅いために知らないこともある。爽たちは全員、由暉子は生まれた時から北海道に住んでいたのだと勝手に思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 

「いえ、小学生の頃、少しだけ東京に住んでいたことがあります。その時の同級生です」

「ってことは中三か……なんでまた北海道に?」

「中学の卒業旅行で北海道を一人旅で横断するんだそうですよ。その途中にこの辺りまで来るので、どうせなら会おうということになりました」

「金持ちなんだなーその同級生」

 

 中学生が一人で卒業旅行というのも大分ぶっ飛んだ話であるが、それに北海道横断を選ぶというのも珍しいように思う。自分でお金を貯めたにしろ親に出してもらうにしろ、中学生という身の上ではそれなりの金額が飛んでいくはずで、どういう手段にしろ北海道を横断するのであれば、金に加えてかなりの時間を食うことになる。

 

 その内一日を割いて由暉子と遊ぶのだから、その友達からのユキの好感度は決して低くないように思えた。ぼっちだと思っていたせいかちゃんと遊ぶ友達がいることに、爽などはほっこりとした気持ちになる。

 

「これはあれかな、私たちからもご挨拶とかした方が良いのかな」

「いらないんじゃない? まさか爽、押しかけるつもり?」

「いやー、邪魔するつもりはないけどさ、何というか、気になるじゃん?」

 

 なぁ? と爽は部員の顔を見回す。久しぶりに再会する友達二人の時間を邪魔するべきではないというのが模範解答であると解っていても、それはそれとして気になるものは気になるのである。揺杏も誓子も成香も由暉子の友達が一体どんな人間なのかとても気になっていたのだ。

 

「先輩たちも一緒に来ますか? それなら確認しておきますけど」

「ないない、それはない。私はユキとの時間を邪魔したいんじゃなくて、どんな女の子なのか見ておきたいだけ――」

「男の子ですよ? 名前は須賀京太郎くんといいます」

 

 沈黙が流れたのは一瞬。爆発したのは、

 

「ダメだ! 絶対ダメ!」

 

 案の定爽だった。にこやかなムードから一転、由暉子を説得するためにテーブルを飛び越えた爽を見て、誓子は溜息を吐く。後輩がかわいいのは解るが、少し過保護過ぎやしないだろうか。同じ考えの人間を探すために部室を見まわすと成香と視線が合う。彼女は同意してくれるようだが、揺杏は姿勢からして爽よりの考えのようだった。由暉子以外の部員の考えが、綺麗に二つに分かれた恰好になる。

 

「中学生の男子なんて獣に決まってるだろ! 久しぶりに再会した同級生がこんなロリ顔巨乳になってたら、どんな聖人だってビースト・モードにチェンジするはずだ!」

 

 一応、教会の娘としては聖人がビースト・モードというのは微妙に看過できない発言ではあるのだがそれはそれとして、中学生の男子に今の由暉子を引き合わせるのが危険、という爽の主張には大いに同意できるところがある。

 

 頭より大きいのではないかという胸は女性の目から見ても凶器であり、その凶器をぶら下げているのは身長140センチにも満たないロリ顔美少女である。来年高校生になる年齢なので、特殊な需要満載の麻雀プロ三尋木咏のように合法でもない。去年インターミドルを制した原村某も十分凶器だったが、女子としては標準的な身長である彼女に対してユキは更に低身長というのも加わっている。

 

 バストサイズに大きな差がなければ、身長が低い分由暉子の方が見た目には大きく見えるはずだ。原村某に思うところがある訳ではないが、程度に差があるだけで誓子も身内贔屓はするのである。

 

「でも、アイドルだからってボーイフレンドの一人もいないってのはあざとすぎない? 例のアイドルの人気投票でもスキャンダルのあったアイドルが一位になったばかりでしょ?」

「途中からできるのと最初からいるんじゃ全然違うだろ! デビュー前から男がいるなんて絶対にダメだ!」

「別に須賀くんとお付き合いをしてる訳じゃありませんよ?」

「長野から北海道まで来て女子と二人で遊ぶなんてユキに気があるに決まってる!」

「別に私に会いに北海道までくる訳では……」

 

 由暉子は爽の勢いに引き気味であるが、では相手の男子に全くそんな気がないかと聞かれると判断に困る所ではある。昔馴染みとは言え、小学校以来全く会っていないらしい女子に、旅行のついでとは言え男子の方から会おうというのは下心があるように思えなくもない。由暉子は全く警戒していないようだが、彼女は元からそういうタイプだ。人の悪意に無頓着というか、自分の容姿にまるで拘りがないというか、これまで悪い男にひっかかっていなかったことが奇跡のように思える。

 

 そう考えるとアイドル云々は別にして、爽が男子を警戒するのも解らないことではない。爽にとっても誓子にとっても、由暉子は大事な後輩である。悪い男にひっかかって身の破滅なんてことにはなってほしくないのだ。

 

「ユキはその須賀くんとお付き合いをしてる訳じゃないのね?」

「そうです」

「須賀くんに交際を申し込まれたらどうする?」

「多分、受けると思います」

 

 ほらー! とエキサイトする爽を見もせずに、誓子は軽く手を挙げて指を一本立てる。『黙りなさい』という無言の主張に爽はスイッチが落ちたように沈黙した。自己主張の機会こそ多い爽だが部内の力関係ではまだ誓子の方が上なのである。部室で話が切りだされた以上部の問題と言えなくもない。乗りかかった船だと誓子は最後まで面倒を見ることにした。

 

「長野と北海道なのに?」

「それは須賀くんも承知で申し込んでくるんでしょうから、私の方には拒む理由はありません」

「一応確認だけど、交際する相手は誰でも良いって訳じゃなくて、須賀くんだからOKしたのよね?」

「そうですね」

「須賀くん以外に交際を申し込まれて、OKしても良いと思える男子はいる?」

「いないです」

 

 淡々とした受け答えであるものの、どうにも由暉子の感触が悪くない。これだと本当に須賀くんとやらがビーストモードだった時に頂かれてしまいかねないと誓子は判断した。確かに中学生男子から見て由暉子はとても美味しそうに見えるのだろうが、かわいい後輩を早々毒牙にかけさせる訳にはいかない。

 

「爽、トランシーバーとかあったわよね?」

「部室のどっかにはあると思うけど……ユキをストーキングでもするのか?」

「見守りって言って。私もちょっと不安になってきたから」

「須賀くんなら大丈夫だと思いますけど……」

 

 苦言は言うが反対はしない。由暉子にとってはどちらでも良いのだろう。年頃の女子にあるまじき積極性のなさに誓子はますます不安を募らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、こうして女子高生四人で女子中学生をストーキングしてる訳だけども」

「見守りよ」

 

 訂正してから、待ち合わせ場所にいる由暉子を見る。爽たちのコーディネイトで初めて花開いたように、私服の由暉子というのもそれはそれは地味だったのだが、主に揺杏の活躍によってそれも解決されていた。流石に麻雀大会用のアイドルコーデ程派手ではないものの、これまでの由暉子では考えられないくらいのカラフルで華やかな見た目に仕上がっているのだが、それが逆に誓子を不安にさせている。

 

「男の子と会うなら、もう少し地味でも良かったんじゃない? ビーストモードは困るんでしょう?」

「そうだけどさ、久しぶりに再会するんだから驚かせてみたいじゃん? ほら、ユキが美少女なのは間違いないんだしさ」

 

 揺杏の主張にも、一理はある。これからアイドルとして売り出そうというのだ。どういう形であれ侮られるというのは、揺杏Pとしてはその沽券に関わるのだろう。まして由暉子の見た目的に中学生男子というのはメインターゲットである。これで箸にも棒にもひっかからないという反応をされては――そんなことは万が一にもないだろうが――ということを揺杏は気にしているのだ。

 

 無論、揺杏とて由暉子の見た目と自分のコーデには絶対の自信があったが、それはそれとして、色気は全くないのだとしても、年頃の少女が年頃の少年と出かけるのだからおしゃれはさせてあげたいし、その手助けが出来るのならば全力を出す。由暉子をビーストから守りたいという感情も当然あるため、この場で一番葛藤していたのは縫製担当の揺杏だった。

 

 それ以外の三人も心配していない訳ではないが、いざ当日になってみると物見遊山な気分である。こんな昼間から狼藉を働くとも思えないし、いざ危なくなったらカムイさんたちにご登場願えば良い。ずっと北海道にいるのならばまだしも、行きずりの人間相手ならばそれ程怖いものではない。私達のアイドルを誑かす者には鉄槌をと、軽く重めな気持ちで見守りをしていた四人の前に、ようやく男性が現れた。

 

「あれが須賀くん?」

「違うだろ。何かユキも困ってる感じだし」

「そうね。ユキ。助けが欲しいようだったらすぐに行くからいつでも言って」

 

 トランシーバーでそう伝えると、由暉子は帽子に触れた。了解というサインである。落ち着いた見た目以上に心には余裕があるようだが、この場合我慢強いことはあまり助けにならない。走って追いつけるだろう距離で待機しているものの、何かあってからでは遅いのだ。由暉子からの救援求むのサインが出なくても、自分たちで危ないと判断したら駆けつけるつもりで見守っていると、また新たに男性が現れた。

 

 絡んでいる茶髪よりも更に身長が高い。180は超えているだろう。髪の色は由暉子から聞いていた通り燻ぶった金色であるから、おそらくあれが須賀くんなのだろうと誓子たちにも察しがついた。

 

 待ち合わせ時間の10分前に来ている訳だから由暉子のボーイフレンドとしては合格であるが、当の由暉子は既にトラブルに巻き込まれているので間に合っているかと言われれば微妙な所だ。

 

 時間以外にも問題がある。由暉子と須賀くんは十年近い付き合いがある訳だが、お互いに最近の姿を知らないでいる。須賀くんの方は解り易い特徴があるために由暉子の方は彼がそうだと理解できるだろうが、由暉子の方は小学校の時とはかけ離れた容姿をしている上に、彼女一人では到達しえないコーデをしている。

 

 十年ぶりの再会であれば、彼女がそうだと誰かに言われなければ気付かない可能性がある。当初の予定では由暉子の方から須賀くんに声をかけてサプライズということだったのだが、茶髪が邪魔をしていて須賀くんの方に声をかけることはできないでいる。

 

 そも、明らかに質の悪いナンパ男に、好んで割って入ることのできる人間がどれだけいるだろうか。それが正しいと解っていても、実行できる人間は少ない。だからこそ、善行が素晴らしいものとして貴ばれる訳だが、善行をしないからと言って悪辣な人間と責めることもできない。

 

 彼女が真屋由暉子であるとしっかりと理解しているならばまだしも、関係のない他人ではそうもいくまい。やはりカムイ様たちにお出まし願うべきか。誓子が直接的な手段で介入を決断しようとした矢先、須賀くんの方が先に動いた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近くまで京太郎が来ていたことは、由暉子はとっくに気づいていた。愛嬌のある面差しは変わっていないし、彼はとても目立つ髪をしている。あの燻ぶった色をした金髪は見間違えるはずもない。約束の時間の十分も前なのに小走りでやってくる所も変わっていなかった。

 

 すぐにでも駆け出したい気持ちに駆られるが、知らない男性が邪魔をしていてその場を動くことができなかった。はっきり言って彼はとても邪魔なのだが、どういう言葉をかければ諦めてどいてくれるのか。ユキの言葉の引き出しには、こういう時の対処方が全くと言って良いほど入っていなかった。

 

 自分一人であれば途方に暮れていただろうが、今イヤホンの向こうには頼りになる先輩たちがいる。視線を向ければ助言の一つもくれるだろう。時間をかけて彼がどこかに行ってしまっても不味い。せっかくの久しぶりに顔を合わせる機会を不意にしたくない。

 

 イヤホンの向こうで言い合いをしている先輩たちに明確に助けを求めようとした矢先、しかし、彼は由暉子の思惑を超えてやってきた。

 

「ごめん、ユキ。待たせたな」

 

 あの頃のあだ名で自分を呼んでくれた声は、昔よりもずっと低くなっていた。それでも彼の声だと解ったのはその声音に優しさを感じたから……というのは、長年の友人としてのひいき目だろうか。あの頃と変わらない愛嬌のある笑顔を浮かべた彼は、散々自分に絡んできた男性を軽くどかして、由暉子の手を取って歩き出した。

 

 無視された形になる男性は声を挙げようとしたが――不自然に硬直してその場から動けなくなった。誰かが何かやったのだと察した由暉子は爽たちの方に視線を向ける。サイドポニーにした先輩が、小さくウィンクをして手を振っている。何も言わなくても助けてくれたのだ。

 

 良い先輩だ、と心中で感謝しながら、由暉子は京太郎に疑問をぶつけた。

 

「どうして私だって解ったんですか? 自分では結構変わったと思ってるんですけど」

「確かに変わったと思うけど、ユキはユキだろ。見れば解るよ」

 

 こともなげに京太郎は言うが、両親でさえ最初は由暉子の変化に戸惑ったのだ。十年近く会っていなかった友人が何も事情を知らずに理解できるとは、由暉子本人も全く思っていなかった。だからこそサプライズになるだろうと爽たちも考えていたのだが、その思惑をあっさりと京太郎は超えてきた。

 

 これがときめくということなのでしょうか、と内心の変化に戸惑っているユキを他所に、京太郎は苦笑を浮かべて肩越しに振り返った。京太郎の視線を受けて、女性が四人物影にさっと隠れる。怪しいことこの上ないが、まさか誰の関係者でもないということもあるまい。おそらく関係者だろうと当たりを付けた京太郎は、由暉子に問うた。

 

「ところで、俺たちの後ろを女子高生らしき四人がついてきてるみたいなんだけど、ひょっとしてユキの知り合いか?」

『ユキ、イヤホンを須賀くんに渡してもらえる?』

 

 誓子の指示を受けた由暉子はイヤホンを外し、京太郎に渡す。今まで自分の耳に入っていた物を他人に渡すことに、このロリ顔巨乳の美少女は抵抗がないのだろうか。全てを疑うような人間性が問題なのは誰でも解るが、全てに置いて受け身というのも問題である。これは友達先輩は苦労するだろうなと心中で苦笑しながら、京太郎はイヤホンを付けた。

 

『初めまして。二人の時間をお邪魔して申し訳ないんだけど、とりあえず私達も一緒して構わない?』

「どうぞどうぞ。寒空の下、女性に追いかけっこを強要するのもアレなんで遠慮せずに」

 

 京太郎の感覚では長野も十分寒いのだが、流石に北海道はその比ではない。既に三月。『暦の上では春』という大昔の建前がまかり通る時期とは言え、寒いものは寒いのである。それは北海道民であっても同様だろう。思い思いのおしゃれをした少女四人は、そそくさと京太郎たちの前まで移動した。

 

「はじめまして。桧森誓子です。さっきは私達の後輩を助けてくれてありがとう」

「須賀京太郎です。いや、もっと早く来てたら絡まれなくても済んだ訳ですから、男としては遅刻ですね」

「かっこいいこと言うねー。あぁ、私は岩舘揺杏。ユキの服は私が作ったんだぜ?」

「なるほど。どうりでユキの趣味っぽくないと思いました」

 

 由暉子の趣味は昔から男の京太郎の目から見ても地味だったが、今の服はとても女の子らしい。誰か別の人間の選択だとは思っていたが、一から作っているとは思わなかった。京太郎の言葉に、揺杏はほほぅ、と目を細める。

 

「なんだよー。須賀くんだって自分で服選んでる訳じゃないだろ?」

 

 揺杏の言葉に、今度は京太郎が小さく唸った。京太郎の余所行きの服は大抵、女友達が選んだものなのだがそれを指摘されるとは思っても見なかったのだ。しかもそれが初対面の女性であるだけに、決まりも悪い。

 

「……そんなに分かりやすいものですか?」

「そうでもないかな。事実似合ってはいるんだけど、どうも似合う服じゃなくて着せたい服を選んだような感じなんだよね。で、その趣味が女寄りというか……まぁ須賀くんもこの服気に入ってるみたいだし、私が口を挟むようなことではないけどさ。大事にしなよ、その娘」

 

 バンバンと肩を叩く揺杏に、京太郎は早速一目置いていた。どのジャンルでも目の肥えた人というのはいるものだと実感すると共に、見る人間が見れば女性に選んでもらった服だということがバレるということに、聊か戦慄もする。実際、今日着ている服は桃子が選んだものであり、彼女の趣味を反映して若干暗い色合いとなっていた。

 

「本内成香です。よろしくお願いします」

 

 集団唯一の小動物系の少女である。既に高校生ということは間違いなく京太郎よりも年上であるはずなのだが、身長は女子であることを差し引いても小さい。それでも由暉子よりは大きいのだが、身長相応の体つきをしているために余計に小さく見えた。

 

「ユキちゃんにも紳士的に対応してくれて安心しました」

 

 彼女が言うのは先ほどの救助行為だけではなく、由暉子に無遠慮な視線をあまり(・・・)向けない事も指していた。それ程由暉子は男性の下卑た視線を集めることが多いのだが、京太郎にはそれがあまり感じられない。だからこの人は信用できるというのが成香の判断だったのだが、実際は表面に出ていないだけで京太郎も内心穏やかではなかった。

 

『俺の幼なじみがロリ顔巨乳になってる!』

 

 というのが京太郎の第一の感想である。容姿が洗練された由暉子を一目で理解したことはそれとは関係なく、あくまで京太郎の長年培った女性への観察眼に寄る所が大きいが、それと劣情を切り離して物を考えることができるかはまた別の問題だった。

 

 これだけおもちが大きいと視線をやらないだけでも一苦労だ。自分と同級生、久しぶりの再会という要素が辛うじて京太郎を紳士に押しとどめていた。少し前に、実は仲良しだったらしいはやりと良子がグラビア撮影の合間に自撮りした写真を送ってきてくれなかったら、今の由暉子を相手にするのは危なかったかもしれない。

 

「獅子原爽だ。よろしく」

「こちらこそ」

「ところで、須賀くんは何かオカルトっぽいモノを持ってたりするのかな? 何というか、良いんだか悪いんだか微妙に判断のつかないものを強く感じるんだけど」

「奇遇ですね。俺もどういう訳か、獅子原さんの後ろに良いんだか悪いんだか解らないものを沢山(・・)感じるんですが……」

 

 勝負運に関するオカルトなので日常生活にそれほど関わるものではないが、日常生活にすら関わるオカルトを相手にすると、京太郎にもその気配くらいは感じ取ることができる。神様を降ろしている時の小蒔しかり、満月の時の衣しかりだが、爽からは――正確には爽の周辺にいるように感じられるものからは、二人の姉貴分に近い物を感じる。

 

 ふと、背後に良くない気配を感じた京太郎は、爽と握手をしたまま振り返った。そのまま視線を左から右に動かす。気配がそう動いた様に感じたからだ。見えない何かがそこにいることに、京太郎はその時点で確信が持てた。状況から察するに眼前の爽の仕込みであるようだが、視線でそれを問うと年上らしい少女は白い歯を見せてにかっと笑う。

 

「誓子、こいつ本物だぞ!」

「からかわないの……さて。そんな訳でというのはアレなんだけど、私達も一緒に遊んでもらって良いかしら?」

「ユキが良いなら良いですよ」

「問題ありません」

 

 この娘は本当に受け身だなと軽い苦笑を浮かべた。由暉子と二人で特に何をするでもなく時間を過ごすつもりだったが、そこに彼女の友達が四人増えてしまった。予定外も良い所だが、多数の女性によって予定が変わることなど、京太郎にとってはよくあることである。

 

 




次回ネリー来日編です。


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66 中学生三年 臨海女子 ネリー来日編①

 

 

 

 

 

 臨海女子学園。

 

 高校麻雀において全国レベルの強豪校として知られる、東東京の名門校である。麻雀に限らず留学生を多用することで知られており、在学生の実に一割強が留学生の学校だ。一割そこそこと聞くと少ないと思うかもしれないが、30人のクラスに最低3人の外国人がいるという状況が全学年全クラスに適用されると考えると、如何に留学生の割合が多いのか理解できる。

 

 石を投げれば留学生に当たりそうな環境の中、麻雀部は更に留学生の割合が多いことで内外に知られていた。五人のレギュラー全員を留学生で固める方針は主に外部から批判を受けまくっており、ついに来年度から『先鋒は日本国籍を持つ学生に限る』というルールが追加されてしまったが、それでも監督であるアレクサンドラ・ヴィントハイムは『先鋒だけで良かったじゃない』と前向きだ。

 

 海外から選手を呼び込む時ももちろんだが、海外リーグへ送り込む時の仲介役も担っている彼女は日本の麻雀界でも存在感がある。指導者としての評判は並の一流程度だがその分超一流の『目利き』として知られており、スカウティングの手腕は全世界でもトップクラスと言われている。

 

 彼女が集めたワールドワイドな臨海の選手は批判こそあるものの見る者を飽きさせず、興行として日本の麻雀界に大きく貢献していた。基本一年で全ての選手が入れ替わるが、アメリカからの留学生メガン・ダヴァンが去年に続き続投するため、レギュラーの新顔は三人となっている。

 

 留学生たちの実力が伯仲している場合、IH予選の直前までレギュラーは不確定になることが多いのだが、今年はまだ年度が変わってもいないのに5人のレギュラーは確定の見通しである。続投するメガン・ダヴァン。『風神(ヴァントゥール)』雀明華。麻将で鳴らした郝慧宇。そしてレギュレーション変更により先鋒となる辻垣内智葉――

 

 最後の一人を紹介したい。そんな話を持ちかけられたのが三月も終わりを迎えた頃のこと。二つ返事で長野から東京へと足を運んだ京太郎は現在、臨海女子の正門前で一人佇んでいた。女子高の前で男子が一人というのも、男子としては怪しい状況に思えるが、正門にいる警備員のおじさんたちからは温かい視線を向けられている。

 

『バブルの時に比べたら歩いて来てるだけ君はかわいいものだよ……』

 

 バブルの時は酷かったらしい。歩いて来てるのも車を持てる年齢でないためで、持っていたら車で来たかもしれないが、現住所が長野であることを考えると東京まで車で来たりはしない気もする。高校を卒業したらどうなるかは解らないものの、それも三年は後のことだ。しばらくは東京まで電車の見通しである。おじさんたちには嫌われずに済むだろう。

 

 時計を見る。待ち合わせは午後一時のはずだが、既に五分過ぎていた。待ち合わせは相手の指定した場所。しかも待ち合わせの相手は敷地内にある学生寮に住んでいるため、家の前で待っているようなものである。それで既に五分遅刻しているのだから、何かあったのかと不安になるのも仕方のないことではあった。

 

 連絡を取ってみようかとスマホを取りだしてみるものの、指を動かそうとして寸前で止める。さっさと来いと催促しているように思われはしまいか。遅刻されているのだから催促しても許されるとは思わないでもないが、女性相手にそれは抵抗がある。長年の教育で女性は敬うものという考えが染みついている京太郎だ。悪友気質の淡やシズであればその限りではないが、知り合って間もないと言える彼女らに催促するのは抵抗があった。

 

 まぁ、相手を待つのもまた楽しだ。壁に寄りかかり、教本でも読もうかと鞄から文庫本を取りだそうとした矢先遠くに聞き覚えのある声が聞こえた。まだ距離があるのに、言いあい――厳密には聞こえてきているのは一人の声なので言い合いという程ではないのかもしれないが、それが広東語訛りの英語だったことで、京太郎は待ち人が来たことを理解した。

 

 とことこ移動して、警備員のおじさんたちに挨拶する。遠くから走ってくるのはやはり待ち人たちだった。知らない顔が一人いるが、その少女がもう一人の留学生なのだろう。聞いた話では同級生らしいが、シズと同じくらいに小柄でおもちも小さい。やはりユキは特殊だったんだな……とすこしおもちの美少女と、中々おもちのフランス美少女を見る。

 

『すいません京太郎。遅れました!』

「いやいや。あー」『俺も今来たところだから気にするなよ』

 

 実際には30分も待っていたがおくびにもださない。待ちぼうけを食ったことが明るみになったところで誰も得をしないからだ。それを素直に信じられる性格であれば苦労はしなかったのだろうが、中々の時間待っていたことは京太郎や警備員のおじさんたちの態度を見れば明らかだった。

 

 待ち合わせの時間に遅れることを尊ぶ国は世界中探しても存在しない。極めて常識的な感性をしていると自認している少女――香港からの特待生、郝慧宇は顔を真っ赤にして恥じ入った。

 

《これなら後五分は寝れたかもしれませんねー》

 

 くぁ、と小さく欠伸をしながらフランス語でぼやく遅刻の原因(チームメイト)――フランスからの特待生、雀明華の後ろ頭を叩く。それでもまだ寝ぼけ眼の明華の腕を引きながら、慧宇は大きく大きく溜息を吐いた。

 

『積もる話と行きたい所ですが、場所を変えましょう。近くに良い店がある……らしいのですが場所は明華しか知りません。まずは明華を話ができるようにしてもらえませんか? 簡単な話さえ、申し訳ありませんがそれからです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行き先を唯一知っている明華が寝ぼけているという危機的状況だったものの、寝坊助も五分手を引いて歩いたら正気を取り戻した。正気を取り戻した明華が当たり前のように腕を組んでくるというハプニングはあったが、それは鋼の意思でスルーする。

 

 思っていた以上に京太郎の反応が薄いことは明華にとっては大いに不満だったが、近くで顔を見ていると冷静を装っているだけで内心では慌てているのが見て取れた。それを見なかったことにしてあげるのも、女の仕事である。自分は彼の理性を崩すに足る魅力があるのだと確信が持てた明華は、これについてはそれ以上何も言わなかった。

 

「世界ランキングに入った時に、交流を広げる機会が沢山ありまして。ここもその一つなんです」

 

 明華が案内したのはハイソな感じの麻雀店だった。いかに名門校の臨海女子と言えど未成年が足を踏み入れるには躊躇いを憶える程度に高級感が漂っている。何かと金持ちの知り合いが多い京太郎だが、精々中の上の家庭出身である。何も知らなければ躊躇いを覚えたかもしれないが、生憎このハイソな店には見覚えがあった。

 

 淡を懲らしめるために咏にセッティングを頼んだ時に使った店である。自分一人で来るような店ではないからよく記憶に残っていた。

 

「お待ちしておりました。雀明華様。臨海女子の皆さまも」

「お久しぶりです」

 

 店長の挨拶に、明華は笑顔で答える。店長は順番に明華の連れに視線を向けた。最初が慧宇、次がロリで最後が京太郎だったが、京太郎を見た店長の眉がわずかに上がった。顔を憶えられている。それを見て取った京太郎は少しだけ苦笑を浮かべた。

 

 それで店長は事情を察してくれた。客側の細かな事情に首を突っ込まないのは客商売の基本である。京太郎は心中で店長に感謝しながら、明華の先導に従って歩き出した。使用する部屋もあの時と同じなのは、一体何の因果だろうか。

 

「ここなら人目がありませんから、好き放題できますね」

「あまり羽目を外されても困りますが、会えて嬉しいですよ」

 

 臨海女子の正門前であった時には寝ぼけ眼だったが、今の明華ははっきりとした物言いである。フランス人らしく魅力的に微笑んで、明華は京太郎に向けて両腕を広げた。何をしてほしいのかは解るが……それを実行するには観客が多すぎる気もする。完全に二人きりであったとしても何か別の言い訳を探していただろう。要するにチキンなのだ。春や桃子にはそれで文句を言われたこともある。

 

 こういう時の対処方は、自分の羞恥心を曲げない程度に付き合うことだ。明華の性格を考えると何かあるまで一歩も後には引かないことは想像に難くない。重ねて言うが観客もいる。笑って済ませてくれそうな明華本人よりもそちら二人がエキサイトする方が、京太郎にとってはよほど不味い。

 

 おもち少女とのハグに『やったぜ!』と興奮気味の内心を顔に出さないようにしながらも、明華の要望に応えて彼女を抱きしめた。おもちの感触から必死に意識を逸らしていると、左、そして右に軽い口づけの感触があった。

 

「挨拶ですよ」

 

 悪戯っぽく、明華が笑っている。差し出された頬に、京太郎は諦めて軽く口づけをした。左、右と続けると最後に明華は京太郎をぎゅっと抱きしめて解放した。スカートを翻しながらその場で回る。機嫌が良さそうな明華と対象的に慧宇は聊かご機嫌斜めである。真面目そうな彼女は明華の感性とは相いれない所があるらしい。それでも仲が悪いという訳ではない。明華からも慧宇からもお互いの話は聞く。人種国籍の違いはあっても同じ学校で同じことに打ち込む者同士、信頼はしてるし好いてもいる。

 

 ただ、それは相手の全てを肯定できるということではない。明華の奔放な所を好ましく思うこともあるが、それと同じくらい鬱陶しく思うこともある。それが慧宇の顔にははっきりと出ていた。どうやって宥めたものかと考えていると、口を開いたのはご機嫌の明華である。

 

「ハグとかどうですか?」

「しませんよ!」

 

 まったく……とぼやいた慧宇はこほん、と咳払い。努めてにこやかに微笑んで京太郎に手を差し出した。

 

「改めて、お久しぶりです。直接お会いするのは、IH以来ですね」

「流石に国境をまたぐとな……あんまり離れてたって気はしないけど」

 

 全国に友人のいる京太郎はその辺の女子よりもよほどコミュニケーションツールに精通している。デジタルからアナログまで何でもござれだ。明華や慧宇は特に顔を見ながら会話することを好んだため、主にビデオチャットで交流していた。個々で話したこともあるし、三人で一度に話したこともある。離れてた気がしないというのは、何だかんだで顔を合わせていたためだ。

 

「おかげで広東語もフランス語もそれなりに上達したぜ?」

【実は私は貴方のことを愛していますよ? それこそ、そのために日本人になっても良いくらいに】

「…………もう少しゆっくり喋ってくれるとありがたいな」

「まだまだなようですね」

 

 苦笑を浮かべた慧宇は、京太郎に最後の一人を示した。臨海女子の正門前で顔を合わせて以来、一言も喋っていないエキゾチックロリは京太郎の前に来ても表情を動かさないでいる。不機嫌と無関心の中間のような表情だ、少なくとも好意を持たれているような感じはしなかった。

 

 それでもこの場に留まったままなのは、そうしなければならない事情があるからだろう。自分に全く関係ない力が作用してると考えるよりは、共通の知人が絡んでいるという方が筋は通る。共通の知人として候補に上がるのは四人で、その内二人はこの場にいる。残りの二人はどうしても外せない用事があるとかで今日は来れていないが、眼前のエキゾチックロリのことをよろしくと言っていた。

 

 ひざをつき、少女と目線を合わせる。アズライトのような濃い青色の瞳が、京太郎をまっすぐ見返してきた。自分の強さを全く疑っていない不遜な雰囲気はいかにも臨海の留学生という気はする。明華もハオもこの年で異国の地を踏もうという考えができるだけあって自分に強い自信を持っているように見えるが、このロリはその雰囲気がとびっきり強い。

 

 一人の麻雀好きとして、京太郎はこのロリのことが好きになりかけていた。このロリはきっと面白い麻雀をするのだろうし、強いのだろう。見た目から雰囲気から、それが良く解る。

 

『俺は須賀京太郎。名前を聞いても?』

『ネリー・ヴィルサラーゼ。ネリーで良いよ。ヴィルサラーゼは長いでしょ?』

『よろしくネリー。俺のことも京太郎って呼んでくれ』

「オッケー、京太郎。サトハもメグもミョンファもハオも、皆お前のことをネリーに勧めるから会うことにしたんだよね。だから少なからず期待してるんだけど……がっかりさせないでよ? もしハシにもボーにも引っかからないような人間だったら、へそでお茶でも沸かせてもらうからね」

 

 



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67 中学生三年 臨海女子 ネリー来日編②

 

 

 

 

 

 

 

「京太郎ってさ、どのくらい強いの?」

「弱いよ」

「んー?」

 

 程度を聞いたつもりだったのに、それさえ返ってこないことにネリーは目をぱちくりとさせる。

 

 臨海女子のレギュラー、それも留学生組ともなれば同年代では世界にも名前が知られている選手だ。当然その実力は高く、明華などは高校生にして既に世界ランカーである。その辺の高校生とは訳が違うのだ。冗談でも誇張でもなく並のプロより強いのが自分たちだ。

 

 これから戦おうというそんな人間を相手に、京太郎ははっきり『自分は弱い』と言ってみせた。日本人はケンソンというものをするらしいが、そういうものとは違う気がする。日本流の込み入った冗談なのだろうか。これだから異文化交流というのは難しいと、ネリーは困った顔で明華を見た。

 

 本当に弱いなら会話をする時間も惜しいのだが、智葉たちが揃って推す人間に何もないはずがない。弱いというのはそれはそれで事実なのだろうが、それだけでは絶対にないはずだ。

 

「確かに弱いですね。でも、上手い人ですよ」

「明華より?」

「流石に私の方が上手いですけど、少なくとも私と普通にお話ができるくらいに上手いですよ」

「へぇ~、それは上手いね」

 

 麻雀の合間に歌ったり屋内でも日傘を差したり、挙句の果てにはその日傘でメリー・ポピンズの真似をして空を飛んだりとネリーが出会った麻雀打ちの中でもとびきりおかしな人間が雀明華という少女だが、感性一辺倒な見た目と雰囲気に反して、その根幹にあるのは手堅い理論打ちである。

 

 明華の故郷であるソフィア・アンティポリスはフランスを代表するテクノポリスだ。女手一つで彼女を育てた雀博士は麻雀の戦術論の研究者としてその筋では有名である。明華も幼い頃から強い打ち手と接する機会が多く、母の仕事場である研究室を遊び場に育った。

 

 麻雀に限らず某かの競技で特待生を取れるくらい打ち込んでいる学生は学業にまで時間を割けないことが多いのだが、明華は学業においても優秀である。歌唱力も評価されており国内外の音大からも声がかかるなど、多芸さでは臨海女子の中の歴史でもトップクラスである。

 

 これで麻雀世界ランカーなのだから神様というのは不公平だとネリーは本気で思う。生まれてこの方神様など信じたことはないが、もし存在するのであれば物凄い性悪でケチくさいのだろうと確信が持てた。

 

 そんなヴィルサラーゼ式神様論はともかくとして、雀明華は感覚派だと思って襲い掛かってきた部員を明華は理詰めで何度も返り討ちにしている。同じレベルで話ができるのは部内でも慧宇と智葉くらいのもので、感覚派であるネリーなどはついていくのがやっとだ。

 

 そんな明華とお話できるのだから、少なくとも理屈の面ではそれなりに優秀なのは間違いない。麻雀が上手いと明華が表現したのはそういうことだが、理論がしっかりしている人間は普通はそれ相応に実力が伴うものだ。ネリーたちと比べて弱いのは仕方ないとしても、それでもハシにもボーにもひっかからないということは本来ならば(・・・・・)ありえない。

 

 つまりは明華に追随するくらいの理論を持っていても、それを跳ね返す程のハンデが京太郎にはあるということだ。人前でオカルトと表現する時は大抵はその打ち手にプラスになるものだが、中にはマイナスにしかならないオカルトを持つ人間もいるとネリーは知っている。

 

 そういうオカルトはあまり広まらない。自分の恥部を公開したがる人間はおらず、そういう研究をしたがる学者も少ないからである。利益が少ないあるいは不利益をもたらすからこそ、そのオカルトはマイナスと判断される。それを突き詰めてもやはり利益は少ないというのが彼らの言い分であるが、ネリーの考えは少し違った。

 

 能力の価値は方向性ではなく強弱で判断するべきだ。本人にデメリットの強いオカルトでも強いなら使い道もあるだろう。京太郎のオカルトはまさにその分野であると思うのだが、果たしてそれは自分の役に立ってくれるものだろうか。明華が京太郎の能力について保証してくれたおかげで、俄然興味が湧いてきた。

 

「場決めは?」

「京太郎からどうぞ」

 

 にこにこ微笑む明華に促された京太郎は東を引いた。それから年若い順番に牌を引いていき、明華が最後に牌を引く。結果、京太郎、慧宇、ネリー、明華の順番で座ることになった。京太郎の燻った金髪を正面に見ながら、一人身長が低いネリーは椅子をキコキコと調整し始める。

 

 部室で打つ時には専用の椅子を決めて打っているので調整の必要もないが、外で打つ時にはそうはいかない。特にこういう高級そうな所はあまり年若い人間が来ることを想定していないため、普通よりも更に椅子が高めになっている気がする……というのは身長が低い人間の僻みだろうか。

 

「話には聞きましたけど、楽しみですね」

「気にいってもらえると良いんですが」

 

 京太郎のオカルトを知っているはずの明華も、どこかうきうきした様子だ。見学にきたIHの会場で、京太郎とは偶然出会ったと聞いている。直接顔を合わせるのはこれが二回目だと言うが、それにしては距離が近くないだろうか。流石フランス人と何となく明華を横目に見ながら、椅子の調整が終わったネリーは椅子に浅く座った。

 

 さて、と身構えるとサイコロがからころと回りだしたその瞬間、ネリーはそれを意識した。今日のために登り調子に調整しておいた運が、急速に高まっていく。自分の運気を感じ取れるだけあって、ネリーは他の麻雀打ちよりも遥かに、運気の変化に敏感な体質である。

 

 そのこそばゆい感覚に反射的に椅子から立ち上がろうとして――地面に足がつかないくらいに椅子が高くなっていることに遅まきながら気づいた。きゃ、と椅子の上でバランスを崩したネリ-は小さく悲鳴を挙げる。まるで女の子のような振る舞いに自分で驚きながら、それでも傾いた椅子は床に倒れていく。痛みを覚悟していたネリーだったが、少し待ってもその痛みは訪れない。

 

「大丈夫か?」

 

 恐る恐る目を開けると、自分の席から飛び出してきた京太郎がネリーと椅子を支えていた。小さな自分を見下ろすように、近くに燻った色の金髪と焦げ茶色の瞳がある。その瞳を見て、ようやくネリーは智葉たちが強く京太郎を勧めてきた理由を理解できた。万感の思いを込めて大きな溜息を吐き、息を吸う。

 

「京太郎!」

 

 そしてその息と一緒に言葉を吐きだした時、ネリーはそれを行動に移していた。椅子を蹴飛ばして京太郎の首にしがみつき。自分の匂いを擦りつけるように身体を寄せる。あらあらと微笑む明華と溜息を吐いている慧宇。予想していた展開だが、いざ目の前にして見ると中々イラっとくるものだ。明華も顔こそ笑顔であるが、その手には妙に力が籠っている。

 

「欲しいものはなに!? したいことはなに!? 何でも言って!! ネリーが全部叶えてあげるから!!」

「大盤振る舞いは嬉しいがとりあえず落ち着いて椅子に座れ」

「落ち着いてられないよ! 気が付いたら売り切れなんてネリーのプライドが許さないからね! ネリーのできることなら何でもするから、今すぐネリーの物になって!!」

 

 ぐいぐい迫ってくるロリに京太郎はドン引いていた。美少女に言い寄られて良い気分のしない男などいないが、物には限度があるのだ。 淡を始め押しの強い少女には何人も心当たりがある京太郎でもこれは極め付けである。イエスと言うまで離れないとばかりにぎゅーっとしがみついてくるネリーを何とか引きはがそうとしながら、助けを求めて周囲を見た。

 

「事前に話してあったんじゃ……」

「サトハとメグとも相談して、ネリーにはちょっと思わせぶりにしようと。ネリーのオカルトと京太郎はとても相性が良さそうでしたから」

 

 それでこの惨状では目も当てられないが、事前に正確に伝えていたとしてもこうなるのが早くなっただけで問題は解決しなかった気もする。最悪異国生まれのロリさんが長野まで突撃してきたことを考えると、明華たちの判断はベストと言える。

 

「で、どうかな? 返事は? もちろんイエスだと思うけど」

「俺もネリーと同級生で高校生になるところだから人生の決め打ちはできない」

「ネリーのものになる以上にバラ色の人生ってそうないと思うけど……」

「そこまで自分に自信を持てるってのは尊敬に値するな本当に」

「ありがと。あ、もしかしてネリーみたいなのは好みじゃない? 別にネリーの隣に立っててくれるならいくらでも浮気してくれて良いけど」

「それはそれで怖いな……」

 

 夕飯のメニューを聞いて何でも良いと言われるのと同じである。人間というのは行動の制限が少ないと自分の内面に沿った行動をするものだ。女性の中で育っただけあって女性には紳士的に接するように躾けられている京太郎は自由にして良いと言われた時こそ、その女性の視線を意識してしまって思うように振る舞えなくなる。

 

 そういう条件を受け入れたとしても、結果的にネリーだけを見ることになるだろう。何をしても良いと言えば聞こえは良いが、精神的にはネリーだけのものになるのと同じことなのだ。

 

「むー、明華。京太郎の反応悪いよ? ネリー、結構良い条件出してると思うんだけどな」

「ネリーの性格を考えると破格の条件ですけど、京太郎も言った通りこの年で人生決め打ちさせるのは良くないですよ? 今日会ったばかりの異性に結婚を前提にお付き合いしてくださいと言われてるのと同じですから」

「結婚してくれって言ってる訳じゃないよ? ネリーのものになってって言ってるだけよ?」

「なお悪い、と思うのは文化の違いという奴なのでしょうか……」

 

 人種的には京太郎に最も近い慧宇が首を傾げるが、京太郎も同意見だった。嬉しくない訳ではないがこの年で将来のことまで誓わされるのはネリーの見た目がロリロリしいことを除いてもとにかく重い。慎重に考えてと言いつつも、できれば考えを改めてほしいというのが正直なところである。

 

「一応言っておくけど、ネリーちゃんと初めてだよ?」

「…………なぁ慧宇。何で俺は今日あったばっかりの奴の男性経験を聞かされてるんだ?」

「私に聞かれても……」

「ねえ明華。男ってのはどこの国のどんな奴でも初めてをありがたがるって故郷で聞いたんだけど違うの?」

「選り好みしない男性だと解って良かったじゃありませんか。ネリーの未来は明るいですよ」

「だよね!」

 

 いえー、とネリーは飛び跳ねて明華とハイタッチを交わす。発言がぶっ飛んでいるネリーもネリーだが、それに一々付き合っている明華も何だか怪しかった。何か企んでいる気配をひしひしと感じるものの、京太郎にそれを問い詰めることはできそうにない。年上の女性というのはそれだけで、京太郎にとっては強キャラなのだ。

 

「それでネリーは京太郎からはどう見えた?」

「運の質ってことか? あくまで俺が感じられることだけど、その時々で運量ってのは増減するもんで、今日勝ってたからって明日も勝てるって訳じゃない。ただ、どれだけ運を持てるかってのはほぼ生まれ持った個人差みたいなものがあって、そういうのを才能って言うんだと俺は思うんだが……」

「ネリーは、どう見えた?」

 

 前置きはどうでも良いらしい。身を乗り出して聞いているネリーの瞳は爛々と輝いていた。

 

「今日の三人の中で明華さんを100とすると、ネリーは130くらいだな。運量で言えば頭半分くらい抜けてるぞ。それに何というか、運の流れが整然としてる感じだ。大量に流れることに慣れてる運というか……少なくとも自分の運の流れは自覚できるだろ。今日も登り調子になるように調整してきたんじゃないか?」

「いいね、いいね! 何の説明もしてないのにそこまで理解してくれるなんて嬉しいよ! やっぱりこれは運命とかそういうのだね!!」

「まぁその辺の話は追々しようぜ。とにもかくにも麻雀だ。俺の出親なのにまだ一個も牌を切ってないんだもんな――」

「ロン」

「…………なんだって?」

「だから、ロンだよ。京太郎がこれから切る牌で当たるよ」

「牌を実際に切る前の発声ってチョンボになるんですか?」

「京太郎が切る牌が何かに寄るのでは? もちろんそれでアガれなければチョンボです」

 

 競技ルールでどうなっているかはともかく、この時点ではチョンボとして処理はしないということである。実際の競技でどういう処理がされるのか気にならないではないが、京太郎はネリーの自信たっぷりの振舞いの方が気になっていた。判断を自分に委ねるというのであれば、勿論続行だ。

 

「自信ありそうだな。もしハズれだったらどうする?」

「罰符を払って京太郎のことはとりあえず諦めるよ。とりあえずだけどね。でも、これで本当に当たりだったらネリーのこと少しは考えてくれる?」

「少しなら喜んで。俺も麻雀強い奴は大好きだからな」

 

 やった! と喜ぶネリーを後目に、京太郎は自分の手牌に視線を落とす。

 

 

 二三六④⑤⑧⑨356南西北 ツモ五 ドラ⑥ 

 

 

 三人に運を吸い取られているにしては悪くない配牌であるが、それがここでネリーに当たるという前提のものだとすると面白くない。東1一本場。京太郎の出親である。普通に考えるのであれば切るのは北だが、既にネリーにロンを宣言されている。それは当たれる形になっているということであり、東パツに倒すだけの価値がある値段ということだ。

 

 ハウスルールだと人和はないが、昔咏にトリプル役満を直撃させられたことを考慮すると一撃で点棒空にする値段であってもおかしくはない。危険を回避するのであれば順当な所を切らずに手を回すことも十分選択肢に入るのだが、判断材料はネリーの運だけだ。何で待っているかは見当もつかない。

 

 普段一緒にいる咲ならば顔を見ただけである程度の判断はできるものの、感情が顔に出やすそうなタイプとは言えネリ-とは今日が初対面だ。待ちを絞り込むのは少々厳しい。かと言って手を崩して回すというのも負けた気がして嫌だった。

 

 深々としたため息を吐いた京太郎は、時間にして数秒の思考の後、順当に北を切り出した。

 

「うん、やっぱりこれは運命だね!」

 

 

 四四四③③③⑥⑥⑥444北 ロン北

 

 

「ロン、四暗刻。ダブルはないからシングルだね。32000」

 

 北の単騎待ち。ルールによってはダブル役満になるが、ハウスルールではただの役満として処理される。どのみち持ち点25000点で箱下ナシのルールであるから飛んでしまうことに変わりはないが、それでもダブルでなくて良かったと安堵している自分に京太郎は苦笑を浮かべる。

 

 加えて京太郎の欲しい牌ばかり暗刻で固められている。何かの間違いでロンを回避できたとしても、自身の不運を考慮すれば手が進む可能性はゼロに近かっただろう。

 

「ああ、運命かもな」

「でしょ? そんな訳だから少しはネリーのことも考えてね? 絶対に損はさせないからさ!」

「そうだな。よく考えてみるよ。俺も高校生になるしなー」

 

 お互いに高校進学を控えている身であるが、早目に将来のことを考えて損をすることはない。こうして自分の腕一本で留学までしているネリーたちは、自分などよりもよほど将来のことを考えていると言える。彼女らほど自分の腕に自信がある訳ではないが、留学というのも選択肢の一つかもしれない。

 

 自分の研鑽のために見たこともない土地に行く、というのはそれで心が躍るものだ。漠然とした不安もあるが、考えてみると結構楽しい。麻雀のために異国の地を踏むのはどういう気分か。麻雀中の世間話として悪いものでもない。

 

 そうしていざ話を聞いてみようと京太郎が口を開きかけた時、明華が自分の唇に指を当てた。それに従い静まりかえる室内。すると外にヒールのこつこつという足音が聞こえた。京太郎にはこれが従業員のものでないことしか解らなかったが、心当たりがあったらしいネリーたちはその足音を聞いて顔に緊張を走らせた。

 

 やがてノックもなしに部屋に入ってきたのは、涼やかな風貌の白人女性だった。

 

 スレンダーなモデル体型とでも言えば良いのだろうか。その風貌と相まって会話をしなくてもデキる女と相手に感じさせる女性だった。日本の麻雀界では最も有名な外国人と言えるだろう。かつて欧州でプロとして活躍し、今は臨海女子の監督として知られるその女性は自分の生徒と京太郎を順繰りに見て、口の端を上げて小さく笑った。

 

「うちの子と仲良くなってくれたようで何より。ところで少年。臨海女子に就職しない?」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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68 中学生三年 臨海女子 ネリー来日編③

 

 

『さてまずは少し冒険してみようかな。少年。私のことどれくらい知ってる?』

 

 日本語で話しかけてくれたのに、女性の言葉はもう英語に切り替わっていた。思えばこの場にいる日本人は自分だけだなと気づいた京太郎は、軽い苦笑を浮かべつつも英語で応じる。

 

『貴女はアレクサンドラ・ヴィントハイム。元ドイツ代表でハイデルベルク大学出身。十代の頃から世界大会に出場し国内外のタイトルを総なめ。大学卒業後にプロに転向。初年度から年間MVPを獲得すると九年連続で年間MVP獲得を続け、惜しまれつつも引退。その後は日本に活動の拠点を移し、臨海女子の監督となって現在に至る……こんなところでいかがでしょうか』

『ちなみに世界ランキング最高何位だったか解る?』

『プロ最終年の15位が最高だったと思います』

 

 京太郎の言葉に、アレクサンドラは嬉しそうに頷いた。京太郎の年代では自分の現役時代をリアルタイムで見たことがあるはずもない。調べればすぐに解るような情報ばかりだが、世代でない人間がここまでなのだからきちんと調べたのだと理解できる。日本に来て以来あまり学生たちに褒められたことのなかった彼女は京太郎の言葉に聊か興奮気味に捲し立てた。

 

「見なさい私の教え子たち。これが後進のあるべき姿ってものよ」

「後輩に過去の実績を誇るなんて痛々しいにもほどがありますよ」

「そんな情報覚えててもお金にならないし……」

「世界ランカーだったんですね。今初めて知りました」

 

 興奮する監督に対して教え子たちの反応は冷たい。急激に降下した明華たちの機嫌に京太郎は目を丸くするが興奮しつつも理性的な部分を残していたアレクサンドラにはその原因が良く解った。憎からず思っている少年が突然現れた二回り上の女と仲良くしているのを見れば機嫌の一つも悪くなるというものだ。

 

 そんな教え子たちを見て、アレクサンドラは考えた。三人ともこれから日本で売りだそうという大事な時期だ。臨海女子の監督としては男に現を抜かす暇などあるのかと釘を刺しておくべき場面かもしれないが、個人競技である麻雀にはメンタルが強く影響する。

 

 持って生まれたセンスと技術力が売りの慧宇はまだマシな方だが、ネリーと明華は大分感性に寄った打ち方をするためその日の体調なりテンションなりに強く影響を受ける。夢中になっている男がいるということは、一概に悪いことでもないのだ。無論のこと悪影響を及ぼす可能性も無きにしもあらずだが、節度を守った交流を続ける分には問題ないだろうとアレクサンドラは判断した。

 

 アレクサンドラも四十を過ぎて未婚の身だ。特に日本では強い女子プロは結婚できないというジンクスがまことしやかに囁かれている。臨海女子のレギュラーは智葉以外外国人で占められているものの、そのジンクスを国外輸出してしまうことは国際交流を旨としている臨海女子としてよろしくない。

 

 事実として、臨海女子のOGの未婚率は国際的な平均と比べても高かった。教え子が女としての幸せを勝ち取ってくれるならば監督としてこれ以上はないのだが、どうも三人の矢印はこの一人の少年に向いている気配である。

 

 普通ならば修羅場を想像して交流を控えろとでも言うべき場面だが、彼ならば如才なく問題を解決してくれるだろうという根拠のない確信がアレクサンドラにはあったし、それに彼の重要度を考えれば多少のスキャンダルくらいには上も目を瞑るだろうという確信もあった。麻雀業界において、特に臨海女子のような名門にとって須賀京太郎というのはかなりの重要人物なのだ。

 

「教え子たちは相変わらず冷たいから話を元に戻そうか。京太郎って呼び捨てても?」

「どうぞ遠慮なく」

「ありがと。私のことはサンディとでも呼んでよ」

「よろしくお願いします、サンディ」

「話の早い男って好きよ。さて京太郎、臨海女子に就職しない?」

「俺まだ高校生になるところなんですが……」

「将来のことを考えるのに早すぎるってことはないよ」

 

 何度目になるか知れないその言葉に、京太郎はひっそりと溜息を吐いた。大人は皆こう言うのだ。京太郎の周囲では咏がその筆頭である。咏の実家は神奈川でも知られた名家であり資産家だ。そんな家に生まれた咏が麻雀に打ち込み、高卒でプロになるというのは数奇な人生と言えるのだろう。

 

 数奇な人生を歩む咏が、京太郎には口を酸っぱくして言う。よく考えて生きろ。言われた通りに考えてはいるものの、実感の伴わないことはどうにも考えがまとまらない。麻雀をやっていたいという明確な願望はあるが、それを踏まえた将来像を描こうとすると途端にぼやけてしまうのだ。子供にとって将来のことというのはそれだけ難題である。かつて子供だったはずなのに、どうして大人にはそれが解らないのだろうと、理解に苦しむ京太郎である。

 

「それにこの手の勧誘ははじめてじゃないでしょ? 少なくともロードスターズは結構本気みたいだけど」

「監督、ロードスターズて横浜のプロチームのこと?」

「そうだよ。少年の師匠の在籍チームだからね。たとえ男子でも弟子の獲得に本気を出すのは当たり前と言えば当たり前……と、もしかして話してないの?」

「あまり触れ回るようなことでもないと思ったので……」

「まぁそれも当然と言えば当然か。話しても良いかな?」

「構いませんよ。親しい人に隠しておくようなことでもないので」

「君の基準も良く解らないね……ま、京太郎が良いなら良いかな。聞きなさい教え子たち。何を隠そう、この少年のお師匠様はかの有名な『合法ロリ(リーガル・ロリータ)』よ」

【嘘でしょ!?】

《どうして教えてくれなかったんですか!?》

〈こんな凄いことを黙ってたなんてオシオキですね〉

 

 早口の母国語で何やらまくし立てながらに詰め寄ってくる美少女三人の対応に四苦八苦しながらも、自分の師匠の人気について京太郎は久しぶりに疑問を持った。

 

 麻雀界において、誰にどの程度の人気があるかという明確な指標はない。人気投票が企画されることもあるが、公式なものは精々五年に一度といったところだ。収入が一つの指標と言えるが、強いプロが必ずしも人気者という訳でもない。

 

 そんな中、ファンの間で指標の一つとされているのがプロ麻雀せんべいカードである。レアリティが低いからと言って不人気とは限らないが、レアリティが高いプロは間違いなく人気者、少なくとも旬の人である。その指標となるカードで、咏はデビューして以来最高レアの常連である。ファンの年齢層に若干性別と年齢の偏りはあるもののその実力も本物だ。

 

 では海外人気はどうなのか、ということは弟子なのに気にしたこともなかった。世界戦で咏が戦う所は何度も見たこともあるが、それは日本の局が行う日本向けの中継である。海外の反応が入りこむ余地はほとんどない。なので明華たちの反応は弟子の京太郎をしてもとても意外だった。

 

「日本の現役プロの中では君のお師匠様の海外人気はぶっちぎりだよ」

「知らなかった……」

「国内の活動を優先してるみたいだからね。海外に出てくるのは国別対抗戦くらいかな。それでまたレアリティが上がったりする訳だ。特徴的な見た目、整った容姿、圧倒的なツモ力、個性的なトーク力に育ちの良さ。着物でいることが多いのも海外アピールになるかな。これで小鍛冶健夜くらいの麻雀力があったら、当時の彼女の10倍くらいは稼いでたんじゃないかな」

「まさかそこまでは……」

 

 ないとは言いきれないのが今の麻雀業界の怖い所である。健夜は実力こそ高かったが、どこか幸の薄い見た目と壊滅的なトーク力のなさからメディアへの露出やCMの起用などはほとんどなかった。IHの解説として定着しつつあるのは一重に、健夜と組ませるために生まれてきたのではという相性を発揮する恒子がいたからこそだ。

 

 逆に咏はその辺りに如才がない。そこに健夜クラスの力が加わったら、それこそとんでもない金額を稼ぎ出していたことだろうが……どれだけ稼いでもあの飄々とした雰囲気は変わらないだろうなと思うと京太郎の顔にも笑みが浮かんだ。

 

「将来的にはロードスターズに就職するつもりだったりするの?」

「予定は白紙ですね。好きにしろと咏さんにも言われてるので、しばらく真面目に考えてみようと思います。ここ最近、そういう話を何度か伺ったりもするので」

 

 咏に恩返しをしたいという気持ちも確かにある。そういう意味では他の組織に比べればロードスターズはまだ現実味のある就職先候補と言えるだろうが、逆に自分だけでなく師匠である咏の人生も縛ってしまう結果にもなりかねないことは京太郎も理解していた。

 

 ロードスターズと咏が不仲という話は聞いたことはない。元々地元のチームであるしフロントとの仲も良好と聞いているが、未来の話は誰にも解らないものだ。某かの理由で出ていきたいとなった時、弟子が籍を置いていては重しになることもあるだろう。それならばまだ咏個人に雇われる方が彼女の迷惑にはならないが、そこまで師匠におんぶに抱っこというのも気が引けた。

 

「正直出遅れた感じはヒシヒシと感じるのよ。三尋木咏に弟子がいるって話は結構前からあったんだけどね。私が君の顔と名前が一致したのはつい最近のことなのよ」

「前っていうといつぐらいからでしょうか」

「切っ掛けはプロになったばっかりの頃よ。プロになって最初のサインはもうあげる人間が決まってるんだってフロントに言ったんだって? おそらく君の部屋にあると思うんだけど、どう?」

 

 中々良い読みだな、と京太郎は思った。確かにそのサインは京太郎の部屋にあり……同様に、良子からもらったものも並んで飾ってある。ついでに言えばはやりんからもらったサイン入りポスターもあり、健夜からもらったサイン色紙もある。ちょっとした宝物庫であるのだが、いくらアレクサンドラでもそこまでは知るまい。

 

「そこからそれとなく情報収集が始まった訳だけど、名前が解った頃には君引っ越しててさ。人を雇って未成年を追い回すのもどうかと思って情報収集するだけに留めてたんだけど、ここ最近俄かに具体化してきてね」

 

 アレクサンドラの言う『ここ最近』をこの一年と限定しても、京太郎には覚えがあり過ぎた。何が原因かを考えるとどれも怪しく思えてくる。別に隠れていた訳ではないのでどうでも良いと言えばそうなのだが、悪目立ちするのも考え物だ。それこそ会う人間全てにうちに就職しないかと勧誘されるのは、とても鬱陶しい。

 

「明華やハオと会ったIHの会場で姫松の赤阪監督――まぁ当時は監督じゃなかった訳だけど、ともかくあの『女狐』に会ったでしょう? それからここ最近、岩手で妖怪婆さんに会ったとか。姫松はともかく、妖怪婆さんの方はラッキーだったよ。あの人しばらく見ないと思ったら岩手にいたんだもの。全員初見の強キャラ集団とか、名門殺しにも程があるっての」

 

 ははは、と笑うアレクサンドラに、京太郎も適当に同調した。宮守でのトシの打ちまわしを見るに、世界ランキング一桁に手をかけた人間から見ても『妖怪』という評価なのは頷ける。強いのは勿論だがそれ以上に圧倒的に上手い。老獪な打ち回しというのはああいうのを言うのだろうと後ろで見ているだけなのに感動した程だ。

 

「それから先月雅枝に会ったね?」

「雅枝さんから聞きました?」

「いえ? でも想像はできた。大阪方面で君の目撃情報があった前後に、珍しく上機嫌な雅枝から連絡があったものだから。臨海なら月50は出すとか言われたんじゃない? まぁ、当たらずとも遠からずって所だけど」

「監督、京太郎雇うのに50は安いよ、もう少し出せない?」

「女子校がこれと言って実績のない未成年の男子を雇うとなると、初年度はそれくらいが限界なのよ。初年度からそれ以上ってことになると、私が個人で雇うことになるけど、それだと君らが納得しないでしょ?」

「未成年の男子を監督の海外出張に連れまわすってことですか?」

「私が雇うんだから当然だね」

「横暴です!」

 

 留学生三人の強い抗議もアレクサンドラにはどこ吹く風だ。そも部内の力関係でいかに来季の主力選手と言えども監督に勝てるはずもない。聞こえなーいというジェスチャーをするアレクサンドラにますますヒートアップする留学生たちを他所に、京太郎はひっそり席を立つとじっくり時間をかけて全員分のコーヒーを淹れて戻ってきた。

 

「あら、気が利く」

「どうぞ。雀荘らしく全部アリアリですけど」

「ネリーはタダなら味には拘らないよ」

「喜んでいただきます」

「ちょうど喉が渇いていたところでした」

 

 話はまだ途中だったようだが、コーヒーブレイクでやる気も霧散してしまったようである。落ち着いた様子の留学生たちにやれやれとひっそり肩をすくめると、アレクサンドラが小さくウィンクをする。デキる女というのは小さな仕草まで様になるのだなと感心しつつ、自分で淹れたコーヒーを啜った京太郎は疑問に思っていたことを口にした。

 

「それにしても大阪で俺の目撃情報ってどうやって集めたんですか?」

「名門校は、というか特に私は情報で商売してるようなものだからね。ただ情報を集めるためだけに結構な金額を費やしているのよ。大阪は人が多いだけあってまだガードの割には千里山も姫松も情報が集まりやすいんだけど、鹿児島の永水とか信じられないくらいに固いのよね」

 

 君は知らない? と声をかけられるものだと思っていた京太郎は、その言葉に何も続かなかったことに少しだけ拍子抜けした。いかな女傑でも何でも知っている訳ではないのだなと心中で考えていると、アレクサンドラとばっちり視線があった。内心を見透かすようなその目に京太郎が身体をこわばらせると、アレクサンドラはしてやったりという笑みを浮かべた。

 

「なに? 永水のこと知ってるの?」

「それはその……ノーコメントってことで」

 

 知っていると答えているようなものだったが、アレクサンドラはそれ以上聞いてこない。臨海女子としては、対抗馬となる有力校の情報は喉から手が出る程欲しいはずだ。

 

 特に永水である。元々情報が集まらない上に、去年耳目を集めた小蒔は個人戦での出場だ。その後にまだ入学していなかった春を除いた三人が入部。去年のIH後に本格的に活動を始め、今春には全国ランキングで四位の姫松を抜きそうな勢いだった。夏までの公式戦で稼いだポイントの累計でシードが決まるためにまだ予断を許さない状況であるが最後のシード枠をどちらが取るにせよ、永水が注目株であることに変わりはない。

 

 その永水の情報を京太郎はおそらく、全国の誰よりも深い確度で持っている。小蒔が降ろせる神様は全て見たことがあるし、春や巴の癖も把握しているし、初美や霞のオカルトがどういう仕組みなのかも理解している。

 

 無論のこと口が裂けてもそれを漏らすことはない。義理人情として当然のことだがそれ以上に、永水に不利益になることを行ったら、霞や初美に何をされるか解ったものではないからだ。姉貴分の恐ろしさは骨身にしみている。この恐怖感がある限り、自分はきっと情報を漏らすことはないと思うと京太郎も心の底から安心できた。

 

「口の堅い男って好きよ」

「ありがとうございます。サンディは雅枝さんと付き合い長いんですか?」

「お互い十代の頃からね。十五歳以下の世界大会で戦ったのが初めてだったかな。英語の次に覚えたのが日本語よ? あの子と話すために覚えたんだから」

「監督ー、そういえば雅枝って誰?」

「北大阪の千里山の今の監督よ。元プロで九大タイトルを二つ保持してたことがあるわ。姫松に愛宕洋榎っているでしょ? あの娘のお母さんでもある」

「ああ、あの赤くて騒々しい人ですね」

「それ本人の前で言っちゃだめよ? ああ見えて結構繊細なんだから」

 

 流石に名門校に所属するだけあって有名選手となれば顔と名前が一致するようだ。京太郎も怜の見舞いから長野に戻った時に雅枝の娘がいるということで詳しく調べた経緯がある。おっちゃんたちから下の娘さんがええ乳してるという情報を教わっていたこともあるのだが、それは今のところ関係がない。

 

 確かに上の娘である愛宕洋榎は赤くて騒々しい人柄のようだが、その見た目と性格に反して麻雀は極めて繊細な打ち回しをする。攻撃的な防御型とでも言えば良いのだろうが。自分の読みに絶対の自信を持つが故に当たりと判断した牌は何があっても出さず、手牌を再構築して最終的には敵を討ち取る。全国的に見ても放銃率の極めて低い選手だ。地力が高くシンプルに強い、大阪の主だった選手を調べた京太郎をして二番目に評価の高い選手だ。

 

「家族ぐるみの付き合いっぽいですね」

「付き合い長いからね。結婚式の友人代表は大阪の友達を差し置いて私だったのが自慢ね。ドル売りされてた頃のあの子のコスプレして、爆笑をさらってやったわ」

 

 顔を真っ赤にして羞恥心に耐える当時の雅枝の姿が思い浮かぶようである。教え子が話題に出すだけでも眉を顰めるのに結婚式でコスプレまでしたのだ。あのノリを考えたら激怒してもおかしくはないが、それでも今まで関係が続いているのなら、それくらいしても許される深い仲なのだろう。

 

「それじゃあ、若人に証明してあげよう」

 

 言って、アレクサンドラは懐からスマホを取り出すとスピーカーホンにした。コール音を待つこと数回……

 

『なんやガンダム。こんな時間に珍し――』

 

 言葉が終わるよりも早く、アレクサンドラはスマホに向かって歌い始めた。雅枝がドル売りされていた頃の曲で雅枝がソロの曲だ。おそらく結婚式で歌ったと思われるその曲に、雅枝は無言で電話を切った。つれない対応にアレクサンドラはしかし深い笑みを浮かべる。もはや悪人という様相のアレクサンドラは、京太郎に小さく指招きをする。

 

 悪事に巻き込まれるのは勘弁してほしかったが、ここで乗らない訳にもいかない。差し出された京太郎のスマホを同じくスピーカーホンにし、雅枝の番号を入力して待つことしばし、

 

『すまんな京太郎。今ちょっと機嫌が悪い――』

 

 またも歌い始めたアレクサンドラ。電話の向こうで空気が凍り付くのが京太郎にも解った。あかん、監督がキレたー! という遠い声はセーラのものだろうか。遠く大阪の千里山の今日の惨状を思うといたたまれない気持ちになったが、ひとまず眼前の惨状を前に身構える。

 

 案の定、スマホから聞こえてきたのは怒鳴り声だ。

 

『ええ加減にせえよこのクソドイツ――』

 

 今度はアレクサンドラの方から電話を切った。控えめに表現しても激怒していた様子の雅枝にドン引いている未成年四人を他所に、アレクサンドラはご満悦だった。

 

「いやー、相変わらずからかうと面白いわあの子。ああ、ちゃんと謝っておくから心配しないで」

「……中々スリリングな友人関係ですね」

「言葉を選んでくれてありがとう。でもね、あの子怒った顔が一番かわいいのよ」

 

 そこまで言うなら見てみたい気もするが、見る機会は一生ないだろうなと京太郎は思った。未成年たちを置いてきぼりにして一頻り笑ったアレクサンドラは椅子を引き寄せると急に表情を引き締めた。

 

「さて京太郎に臨海女子に来てもらう時の条件だけど。金額はさっきの通り。これでも京太郎の年齢を考えれば安くはない訳だけど、ロードスターズなら一桁上の金額を出すだろうし、お金持ちの個人が本気を出したら金額の面では太刀打ちできないからね。ここは臨海ならではの条件を出すとしましょう」

 

 

 

「枠を一つ……いや、二つ君にあげよう」

 

 その言葉の意味が京太郎には解らなかったが、留学生たちには意味が通ったらしく驚きの声が挙がった。

 

「麻雀部が持っている臨海女子全体の特待生枠の内、監督である私の裁量でもって二つを君にあげる。最低限の実力さえ備えていれば、そこから先は100%君の主観で決めてくれて構わない。それが最低保証。更に君に野心があってより責任のある仕事をしたいというのであれば、私が責任を持って君を一人前にする。力が備われば私の椅子をあげても良い。理事会からは後継者を作れって、せっつかれてた所だしね。大変だけどやりがいのある仕事だってことは、私が保証するわ。興味本位で言ってる訳じゃないから、どうか真剣に考えて頂戴」

 

 差し出された名刺を、京太郎は呆然と受け取った。雅枝に同じ話をされた時よりも遥かに具体的な提案に、京太郎の心もぐらついていた。このまま首を縦に振っても良いのではないかという気さえ起っていた京太郎に、アレクサンドラは苦笑を浮かべ首を横に振る。

 

「こういうことに勢いで返事しちゃダメよ。ゆっくり時間をかけて、それから返事をしてくれて構わないから。ああ、仮に高校を中退しても受け入れてあげるから、その辺りは心配しないでね?」

「ネリーがいる内に来てよ?」

 

 ネリーの明るい声も、どこか遠くに聞こえる。この名刺という紙切れ一枚に自分の将来がのっているのかと思うと、とてつもなく重く感じた。

 

「家に持ち帰ってお師匠様にも相談して、ゆっくり考えなさい。若いんだから時間はたっぷりあるでしょう。さて難しい話はこれで終わりにしましょう。私も時間を作って来たから、面子に入れてくれない? ネリー、ちょっとそこどいてよ」

「何でネリーが!?」

「京太郎の膝は座り心地良さそうよ。特等席で京太郎の麻雀見てみたくない?」

「監督愛してる!」

 

 言うが早いか椅子を飛び降りた勢いでそのまま飛びついてきたネリーに、椅子ごとひっくり返りそうになる京太郎である。小さい身体を何とか受け止めると、ネリーは京太郎の苦労など知らずに座り心地の良い場所を探し始めた。美少女らしい良い匂いにどきどきしている京太郎を他所に、慧宇と明華の刺すような視線がアレクサンドラに向けられる。

 

 余計なことしやがって……と恨みのこもった視線を気にもせず、全自動卓のセッティングを済ませたアレクサンドラは早速サイコロを操作した――その瞬間、急激に運気を吸い取られた京太郎は意識を失いかけた。

 

 相対的に急激に運気の上昇したアレクサンドラは、関係者が目の色を変えて確保したがる京太郎のオカルトを実感し、目を細める。

 

「うん、大人として最低だけどさっき言った条件は全部忘れてもらえるかな京太郎。十分積み上げたつもりだったけど全然足りなかった。やりたいこと、欲しいものは何でも言いなさい。君が臨海女子に来てくれるなら、私が叶えられる範囲で、全部叶えてあげるから」

 

 

 

 

 

 

 




ネリー来日編なのに気がついたらサンディ編になってた不思議。
これで予定していた過去編は全て終了しました。特に思いつくものがなければ次回から現代編になります。


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現代編
現代編01 清澄VS龍門渕 初戦その1


 龍門渕の屋敷を前に、京太郎以外の清澄の面々は絶句していた。

 

 庶民の反応としては当然のものである。二年前の自分もこうだったなぁと仲間の反応を懐かしく思いながら、京太郎は呼び鈴を鳴らした。

 

 反応はない。豪邸の前にぽつんと六人。咲たちが不安になるのが気配で解ったが、向こうに今日、この時間に来ることは伝えてある。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 しばらく待つと、門が開き中からメイドが出てきた。『メイドだじぇ……』と思わず声を漏らす優希を、和がこっそりとたしなめている。そのまま過ぎる反応であるが、普通、庶民はメイドなどに縁のない生活を送る。メイド喫茶というものがしばらく前に流行ったが、接する機会となればそんなものだろう。

 

 以前は京太郎もひらひらした制服とご主人様というワードにときめきを覚えたものだが、本物のメイドを前にした今では、ほとんどの興味は失せてしまった。

 

 それくらいに、本物とそうでない物の違いは圧倒的である。

 

 その本物のメイドであるところの歩は、余所行きの笑顔を浮かべると、スカートを摘んで一礼をした。自分たちと同年代に見える少女が行う完璧な所作に、清澄の面々から感嘆の声が漏れた。

 

「ご用意はできております。皆さん。どうぞこちらに」

 

 先に立って歩き出す歩に、久を先頭について行く。非常に、ギクシャクとした動きで、誰も何も話さない。あまりに退屈になった京太郎は、歩くスピードを上げ、歩の隣に並んだ。歩は視線だけを京太郎に向けると、にこりと微笑んだ。余所行きの笑みではない、気安い間柄の人間にだけ見せる本当の笑顔である。

 

「久しぶりだね。元気だった?」

「一応な。そっちも元気そうで何よりだ」

「ありがとう。それにしても、原村さんって美人だね」

 

 何を唐突に、と歩に視線を向ければ、歩は相変わらずにこにこと笑っていた。その笑顔の奥に殺気が見えるような気がするのは気のせいだろうか。地味な印象こそ否めないが、歩も十分に美少女である。それでも、和と歩の間には大きな隔たりがあった。

 

 どこが、と明確に指摘しないのは紳士の嗜みだ。温厚な性格をしている歩でも、それを口にした瞬間拳が飛んできかねない。

 

「何か。悪いな」

「何を謝ってるのかな。京太郎くんがおっぱい大好きなのは、智紀さんを見て知ってたから、私は別に、何にも怒ってないよ?」

 

 口調は穏やか、顔は笑顔。それなのに、雰囲気は不機嫌そのものだった。歩のつむじを眺めながら、女というのは器用なんだなと思った。言い訳が次から次へと思い浮かんだが、口にはできない。下手に言い繕うと、自分の立場を悪くするだけだと感じたからだ。

 

「歩は十分かわいいと思うぞ」

「ありがとう。おっぱいが大きくなったら、知らせてあげるね」

 

 べー、と小さく舌を出した歩は、表情を切り替えてメイドの顔に戻った。これ以上は取り合わないという友人の意思表示に、京太郎は小さく溜息を吐いた。

 

 気分を切り替えて、周りを見る。小声で話していたから誰にも聞かれてはいないだろうと思っていたが、世の中そんなに甘くなかった。振り向いた先には、実に嫌らしい笑みを浮かべた学生議会長様がいた。

 

 何を言いたいかは、顔を見ただけで解る。他の面々はと見れば、いまだにぎくしゃくぎくしゃく。屋敷の空気に呑まれていて、こちらの会話にまで払う注意はなさそうだった。

 

「黙っててくださいね」

 

 小声で言うと、久は更に笑みを深くした。『どうしようかな~』と、心の声が聞こえてきそうである。

 

「埋め合わせは必ずしますから」

 

 久は右手で輪を作り、ぱちりとウィンクする。練習しないと上手くできないらしいが、久のそれは実に様になっていた。鏡を見て練習する久というのも、想像できない。最初からできた、という方が久には相応しい気もする。

 

 暗い気持ちで龍門渕の屋敷を行き、ある部屋の前に立つ。

 

 京太郎も通されたことがある。屋敷にいくつもある応接室の一つで、前にきた時はここでプロジェクターを置き衣が見たいと言った映画を見た気がする。そんな部屋であるから、麻雀をやるには十分過ぎる広さがある。

 

「ようこそ、清澄の皆さん」

 

 案内されたのは応接室である。広い応接室の中央には見慣れた全自動卓が置かれていた。間違いなく透華の部屋にあったものである。京太郎が屋敷を訪ねた時、麻雀をするのは透華の部屋か衣の部屋であるから、この部屋に全自動卓があることに違和感があった。

 

「清澄高校麻雀部部長、竹井久です。今日はお招きいただいて、ありがとうございます」

「気にしなくても結構ですわ。衣と京太郎たっての願いですもの」

 

 何となく、『京太郎』という名前を強調されたような気がするのは、気のせいではないだろう。透華の視線はしっかりと、京太郎の方を向いていた。代表として一歩前に出ている久以外の全員の視線が京太郎に集まる。『どういうことなんだ』という心の声が聞こえてきそうな力の篭った視線が、胃に痛い。

 

 別に悪いことをしている訳ではないのに、そこはかとない後ろめたさを感じる。思えば、色々なグループに所属していた京太郎だが、違うグループが同じ場所に集まったのは、これが初めてだった。

 

 ちくちくと肌が痛むような感覚がするだけで、各々喧嘩腰でないのが救いと言えば救いであるが、二組だけでこれならば全てのグループが一同に会したらどうなるのか。

 

 想像するのも恐ろしいが、清澄、あるいは龍門渕が全国に駒を進めた場合、かなりの高確率で『そういうこと』になるのは目に見えていた。去年は何とかやり過ごすことができたが、今年もそうはいかないだろう。

 

 鹿児島の永水は小蒔を筆頭に、レギュラー全員が全て巫女で固められた歴代最強の布陣である。長いこと部員が三人だった宮守は、ついに五人のレギュラーが揃った。二月に会って来たが、実力は申し分ない。元々、最近の岩手はそれほど強豪がいないから、今の宮守ならば全国出場も夢ではない。千里山はエース怜の体調が不安ではあるものの、中堅にセーラ、大将の竜華と隙のない布陣である。懸念があるとすれば一年のレギュラーであるが、飛びさえしなければ他のメンバーがフォローしてくれるだろう。何しろ強豪千里山である。選手の層は全国でも厚い方だ。

 

 白糸台には淡が入学した。攻撃型の淡は照の推薦もあり、虎姫に加入。部内でも無視できない存在感を発揮しているらしい。色々と無神経なところはあるが、その辺りは部長の菫が何とかしてくれるだろう。強豪校ではあるが、特殊な方法でレギュラーを選出している白糸台は、実力さえあればある程度の我侭が通る環境である。淡にとってこれほど適した環境はないだろう。

 

 阿知賀ではシズたちが麻雀部を再結成した。部員は五人。ギリギリの人数であるが、顧問にはレジェンドが就任したという。奈良の王者晩成を崩せるかは未知数であるが、十年前にはそれを成し遂げることができた。シズたちにそれができないということは、ないはずだ。

 

 その全てが、全国に出場する可能性が非常に高い。彼女らが全員全国まできたら、果たして須賀京太郎はどうすれば良いのか。

 

 その内一つが清澄ならば、清澄を応援すればそれで良い。心情はどうあれ、今須賀京太郎が所属しているのが清澄であることは誰でも解る事実だが、もし清澄が全国出場を逃した場合は……そこで、京太郎は考えるのをやめた。何も、今から気を重くする必要はない。その時はその時と、力の限り応援することにして、未来の自分に問題を丸投げした。

 

「今日は卓を一つご用意させていただきました。お互いの高校から二人を出し、残りは採譜と観戦という形にしようと思うのですが、よろしいですこと?」

「構いません。ただ、採譜に慣れていない子もいるので、そちらのお手を煩わせてしまうことになるかも」

 

 ちら、と久が振り返る。探るように一同を見ると、咲と優希が耐えかねて目を逸らした。本格的に麻雀の指導を受けたことのない咲は単純に今までやったことがなく、優希はやり方は知っているものの、記述間違いをする上に手が遅い。

 

 京太郎を含めた六人のうち二人が参加するから、余るのは四人。もしその四人の中に咲と優希が含まれた場合、採譜をするのが自動的に残りの二人ということになる。

 

 対して、龍門渕はメイドの歩を含めて『5人』である。衣以外はきちんと採譜ができるはずだが、その衣の姿が部屋の中に見えない。

 

 対戦相手の情報を全く仕入れない一年生ズは絶対的エースの不在と、そして頭数が足りないことを全く気にしていないが、ある程度情報を集めていた久とまこは、部屋を不思議そうに見回している。『天江衣』の姿が見えないことに、気づいたようだ。

 

「申し訳ありません。衣は今、少々席を外しております。間もなく来るはずですから、先に始めてしまいましょう」

 

 それには突っ込むな、といった強い口調で透華が言う。後で来るというなら、こちらから突っ込む理由もない。最初に誰が参加するのか。後腐れないようにじゃんけんで決める中、京太郎は龍門渕の面々を見た。

 

 衣がいない理由を視線で問うと、智紀が苦笑を浮かべて肩をすくめた。何か良くないことがあった訳ではないのだろう。寝坊とか、そういうかわいい理由である可能性が高い。男である京太郎ならば、そのまま飛んでくれば良いが女の子である衣はそうはいかない。今頃は衣ハウスで、大忙しで準備をしているのだろう。

 

「では、早速打ちましょうか。お互いに二人ずつ出して、その後感想戦ということでどうかしら?」

「構いませんわ」

 

 軽く、透華と久の間で火花が散った。ここから情報戦は既に始まっている。こちらのカードを晒すのは、既に決まったようなもの。後はどれだけ相手の情報を集めることができるかだ。

 

 龍門渕麻雀部の歴史はそれなりに長い。近年まで風越の黄金期が来ていたせいでその後塵を拝していたが、県下には名門校として名前が通っている。麻雀を真剣にやろうとおもったら風越か龍門渕に行く、というのが長野県での常識だ。

 

 龍門渕も本来ならば風越に順ずるほどに部員がいたのだが、彼ら彼女らは皆透華たちが勝負を挑んで叩き出してしまった。麻雀部のレギュラーが実力で決まる以上、全国クラスの実力を持った人間が五人いれば、それだけで他の部員が入り込む余地はない。

 ならば個人戦でと思っても、透華たちで五人の枠が埋まってしまうことは明らかであり――衣が個人戦に出たがらないということを知っているほど、透華たちと親しい部員はいないらしい――仮に出ることができたとしても、五人と一人で完結している透華たちと連れ立って歩くことのできる人間は、部員の中にはいなかった。

 

 結局、麻雀部は開店休業状態。書類上の所属者は透華たち以外にもいるが、それは追い出した時に在籍していた生徒がまだ退部届けを出していないだけ。龍門渕では複数の部に所属することが認められているので、追い出された部員のほとんどは違う部に所属している。

 

 今の龍門渕麻雀部と言えば透華たちで全員だ。

 

 そして、彼女らは基本的に衣の意思に従って動くために、公式戦に参加した記録がとても少ない。精々が去年の全国大会とその予選くらいのもので、研究するにも牌譜の絶対数が少ない。

 

 後ろで採譜をする機会など、風越ならば喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 

 情報の少なさでは清澄も負けてはいない。高校に入ってから公式戦に出たことのある人間はまだ一人もおらず、名前が売れているのは和だけ。マークされないという意味では、これほどの環境はない。

 

 勝つことだけを考えるのであれば、透華たちにも情報を与えるべきではないのだろうが、肝心の咲が今のままでは透華たちには勝てないというのが京太郎の見立てである。

 

 ならば今のうちに強敵と戦っておいて、後の糧にするしかない。胸を借りる相手として、透華たちは申し分ない。これで咲が目覚めることがなければ……また来年に期待するしかない。照が卒業してしまうことで、咲もモチベーションは更に下がるだろうが、親友の淡が残っていればどうにかなるだろう。

 

「なんだ、京太郎がこっちの採譜か?」

「ええ。俺は女子ではないので、参加しない時は仕事優先です」

 

 咲と久が今回は見物に回り、京太郎と和が採譜を行うことになっている。歩は給仕に専念するので、龍門渕から採譜に参加するのは透華と一だ。

 

「京太郎に麻雀を見られるのも久しぶり」

「そうですね、智紀さん。今日は勉強させてもらいます」

「犬よ、他校のおねーさんに粗相するんじゃないじょ?」

 

 わかってるよ、といつもの軽口で応えようとした京太郎の前に、智紀が手をかざした。あ、と小さく声を漏らしたのは純だったろうか。智紀が対面に座った優希に向き直る。

 

 京太郎から見えるのは智紀の背中だけだが、その背中から智紀の激情が見えた気がした。視線を正面から受け止めることになった優希が、椅子ごと後ろに下がる。顔立ちの整った智紀だけに、凄まれると言い知れない迫力があるのだ。物事に拘らない性質の智紀だが、それだけに怒ると怖いのだ。

 

「智紀さん」

「……解ってる」

 

 何で怒ったのかは理解できた。優希は悪くない以上、それをフォローするのは京太郎の役目である。声をかけると、智紀はすぐに冷静さを取り戻した。一度深呼吸をすると振り返り、京太郎に笑みを浮かべる。メガネの奥には、いつもの智紀の笑顔が見えた。

 

「大丈夫。何ともない」

「……すいません。そこのタコスとはいつも、そういう風にやってるんです」

「私の方こそ大人気なかった。迷惑かけてごめんね?」

 

 京太郎に小さく頭を下げ、智紀は正面を向く。優希への謝罪の言葉はなかった。何事もなかったように振舞う智紀に、困った優希が視線を向けてくる。京太郎は黙って首を横に振った。対局前の短い時間でフォローすることはできない。この蟠りを解くには時間が必要だ。

 

 からころと、サイコロが回る。出親は優希だ。

 

「貴女は私の大事な友達を犬と呼んだ」

 

 牌を取っていく過程で、智紀がぽつりと声を漏らす。底冷えのする声に、優希がびくりと身体を震わせる。運が重要な要素を占めるこのゲームで気持ちが風下に立ってしまうと、プレイングに大きな影響を及ぼす。気分屋である優希は特にその影響を受けやすい。萎縮してしまうと、本当に手に影響が出てくるのだ。縮こまった優希の姿を見て、課題はメンタルの強化だな、と確信する。

 

「それが普通なら別に良い。でも、この半荘だけは別。貴女は叩き潰す」

 

 珍しくやる気を出した智紀の宣言で、その半荘は始まった。

 

 所要時間は20分。宣言通りに無双した智紀が優希を飛ばし、半荘は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……燃え尽きたじょ。おねーさん、ごめんなさいだじょ」

 

 真っ白になった優希を見下ろしながら、智紀はメガネを得意げに持ち上げている。優希の視点から見れば大惨事であるが、智紀を知る人間からするとここまで智紀が吹いたことに驚かされるところだ。データ派である智紀はそのせいか、流れに乗るということはめったにない。元々の運が太いせいか、それでも困ることはないが、運が太く、また流れに乗りやすいタイプとは相性が悪いのだった。

 

 本来であれば東場で吹く優希は智紀にとって相性の悪い相手だが、気持ちで風下に立たされた優希は、同時に牌の集まりも悪くなっていた。そこに、珍しい智紀の絶好調である。データの智紀に上り運となれば、もはや敵はいなかった。純もまこも抵抗はしたが、一度流れに乗った実力者を止めることのできる手段はあまりない。結果、智紀の独走を許す形となり、ラスが優希の指定席になったことで、残りの二人は二位を争うこととなった。

 

 結果は500点差でまこが勝利。龍門渕によるワンツーだけは防ぐことができた。面目を保ったまこは、椅子に背を預けて大きく息を吐いた。個々の実力は置いておくとしても、相手はチームとして遥かに格上。たかが練習試合とは言え、県大会で勝ち進んでいけばいずれ戦うことになる相手だ。優希が負けてしまったのが悪い例であるが、麻雀に限らず相手がいるゲームではメンタルが結果に大きな影響を齎す。

 

 ここで苦手意識を持つのは、得策ではない。最低でも、自分たちはやれる。負けても次は勝てると思って屋敷を出なければ、ここにきた意味はない。

 

 そうして、感想戦が始まった。

 

 この時、どうしてそういう判断をしたのか。各々が疑問に思ったところを、ホワイトボードを使って検討していく。司会進行は透華が行っている。普段から龍門渕の面々を引っ張っているだけあって、その仕切りも堂に入っていた。

 

 疑問として持ち上がったのは、純の打ちまわしである。提案したのは和。流れが見える、という純のスタイルは龍門渕の面々と京太郎にとっては既に馴染みのものであるが、初見の人間には奇異に映る。デジタル一筋ならば、尚更だ。

 

 和の質問を受けて純は少し考えるそぶりを見せたが、それだけであっという間に匙を投げた。純にとって流れというのは見えるもの、感じ取れるものであって、他人に言葉で説明できるようなものではない。同じような能力を持っているならば話は早いが、そうでない人間にはいくら説明しても本当には理解できないだろう。プロもトップクラスになれば、流れを肌で感じ取れるようになるというが、まだ高校生である和にそれを自覚せよというのも無理な話である。

 

「経験から来る勘……みたいなもので良いんじゃないですかね」

 

 京太郎は、適当に助け舟を出した。納得できそうな答えを選んだつもりだが、和はどうにも納得していないようだった。論理的に納得できる答えが欲しいと顔に書いてある。

 

 言葉で説明できるならそうしたいが、これを技術として処理できるとしても、その説明には専門家に登場してもらわなければならない。京太郎の知り合いで言えば良子など霧島神境の巫女たちがそれに当たる。彼女らならばこの不可思議な力、流れについても説明できるはずだが、それと和が納得してくれるかは話が別だ。オカルトの説明に巫女が登場するという如何にもな雰囲気が、和に馴染むとは思えない。

 

「さあ、次は私たちかしら?」

 

 名乗りを上げたのは透華。龍門渕からは一が続いている。去年のオーダーの通り、今度は中堅と副将が参加するつもりなのだろう。衣がいないからそうならざるを得ないという事情もあるが、オーダー順ということであれば、大将の衣がいないことにも、一応の言い訳になる。智紀が無双したせいで思いの他早く半荘が終わってしまったが、さらにもう半荘となれば時間稼ぎとしては十分だろう。

 

「和。次は私たちの番よ」

「はい、部長」

 

 清澄からは久と和が出る。実績という点では清澄一の和の登場に、龍門渕の面々が色めき立つ。中でも透華の反応は際立っていた。頭のホーンがぴんととがっているのは、激しく興味をひかれているという証である。

 

 だが、京太郎にはそこまで透華が興味を持つ理由がわからなかった。現段階の実力で言えば、透華の方が大分上だ。インターミドルを優勝したという和の経歴こそ華々しいものの、県大会を制し全国大会でも活躍した龍門渕の面々の活躍は、長野の麻雀ファンの記憶に新しい。目立っているのがどちらかと言えば和かもしれないが、麻雀という競技に関することで、和が勝っていることと言えばそれくらいのものだ。

 

 透華は相変わらず和に熱視線を送っている。その隙をついて、京太郎は近くにいた一に耳打ちした。

 

「透華さんはどうして和を目の敵にしてるんです?」

「どっちが本当のアイドルかはっきりさせたいんだってさ」

「透華さん、いつからアイドルを目指すようになったんですか?」

「目立ちたがりだからねぇ、透華は。色々調べてみたけど、今年の注目は去年全国にいった僕らよりも原村和に集まってるみたいだからね。それが堪らなく悔しいんじゃないかな」

「麻雀とは関係ない部分なのに……」

 

 麻雀打ちとして思うところはあるが、透華の性格を考えると無理からぬ気もする。実力で勝っているのだから、尚更、和の方が注目されるのが気に食わないのだろう。

 

「透華も気持ちが乗りやすいタイプだからね。このパワーを麻雀に変えてくれるなら、今日も良い勝負をしてくれるんじゃないかな」

「俺としては願ったり叶ったりです。強敵とぶつかった方が、和も良い経験になるでしょう」

「……すっかり清澄の一員だね、京太郎」

「今でも一さんたちのことは、掛け替えのない友人だと思ってますよ」

「嬉しいけど、いまいち嬉しくないな。友達としては百点だけど、男の子としては配慮にかける。でも僕は心の優しい友達だから、ぎりぎり及第点をあげるよ。これからも精進するんだね」

「今度、時間が取れたら遊びに行きますよ」

「純くんとは二人で出かけたりしてるんだろ? たまには僕らの誰かを誘っても、罰は当たらないと思うよ」

「はじめ!」

 

 エキサイトした透華の言葉に、一が駆けて行く。最後に一は肩越しに振り返り、口を動かした。

 

『わすれないで』

 

 休日の予定を空けないと許さないという、年上の女性からのありがたいお言葉だった。これは必ず、近い内に予定を空けなければならない。インターハイ予選も近く、麻雀部も決して暇ではないのだが、女性の言葉は絶対だ。脳内の予定帳をめくっていると、右隣に智紀が腰を下ろす。左がまこ、対面が純という席順だ。選手は有利不利が生まれないよう、同じ高校が並んで座らない関係で、採譜係も同様の配置になる。

 

「どうだった?」

「勉強になりました。清澄の皆も、勉強になったと思います」

「それなら良かった。ところで――」

 

「まさか一だけということはないよね?」

 

 拒否することを許さないといった智紀の声音に、京太郎は色々なものを諦めた。歩もしっかりと京太郎の方を向いており、視線を向けられると小さく手を振った。二人と歩の間には結構な距離がある。話が聞こえたというよりは、最初から三人で話をまとめてあったという風だ。

 

 それなら四人で出かけるのが手っ取り早い、思ったことをそのまま口にすることはしなかった。どう考えても、その言動は地雷を踏み抜くものだ。この所清澄の面々とばかりいたのも事実だ。顔を見たい、話をしたいと思っていたところでもある。予定を組むのに、否やはない。一人組むならば、二人も三人も一緒である。

 

 智紀と歩にOKのサインを出し、卓に集中する。

 

 透華と和という、全国でも指折りのデジタル派に、試合巧者の久。その三人に比べると、一は客観的な、解り易いアピールポイントが少ない。

 

 だが、京太郎から見て、この四人の中で最も学ぶべきものが多いのは実は一である。

 

 まず一は自分のペースを作り、それを崩さないことに長けている。

 

 ツモり、それを手牌の上に置き、切るべき牌を切り、河へ捨てる。この一連の流れに、一は全く無駄がない。一定のリズムを保ち続けるということは、メンタルにも大きく影響する。切るのが遅い人間にイライラし、打牌に影響が出るなど、麻雀をやっていれば良くある話だ。

 

 そんな中、一はどんな状況でも自分のペースを崩すことはない。自分らしくを貫くことができるのである。

 

 逆に、相手のペースを崩すのも一は上手い。呼吸の隙を突き、相手のペースを乱す技術が抜群に上手いのだ。

 

 早めに切っている訳でも、遅延行為をしている訳でもない。傍から見れば普通に切っているようにしか見えないのに、一の下家の挙動が一瞬遅れる場面を、全国でも何度も見た。

 

 他のプレイヤーも、多分に漏れずリズムに乗って麻雀をしている。呼吸を乱されることでプレイングに影響が出れば、その分、一は有利になる。小さなことかもしれないが、その積み重ねが最終的に大きな違いを齎すのだ。

 

 小手先の技術、と馬鹿にすることはできない。太い運と十分な技量があるからこそ、一の技術は生きるのだ。アピールポイントが少ないなどとんでもない。龍門渕のレギュラーとして恥じないだけの実力を、一は持っている。

 

 和と透華であるが、京太郎の見立てでは、透華の方に分があるように思える。頭の良さという点では大した差はないだろうが、高校生として全国の舞台を経験しているという差は大きく、また年上ということはそれだけ余分に研鑽を積んでいるということでもある。

 

 何より、透華には思考の柔軟さがあった。その時々で主義主張を変えることのできる柔軟さは、和にはないものである。デジタルだけでなく、いざとなったら龍門渕の血統に宿った力……一の言葉を借りるなら『つめたいとーか』となり、今までとは全く違った打ち方ができるというのも、本人の意思とは別のところで気持ちの余裕に繋がっている。

 

 本人はあの力を嫌っているが、去年は全国の準決勝で臨海のラーメンさんを追い込む寸前まで持っていった。結局不発に終わったが、それはラーメンさんが目標を飛ぶ寸前の相手に切り替えて、他の学校を飛ばしたからである。そのまま打ち合っていたら、とは京太郎だけでなく龍門渕の全員が思ったことだろう。

 

 あの日、準決勝で負けていたことを一番悔やんでいたのは透華だ。透華が飛んだりした訳ではないが、自分の順番で準決勝そのものが終わり、衣まで回すことができなかった。自分がもっと強ければ、力を発揮するにしても、もっと早く開放していれば。あれから力との付き合い方も、随分考えたらしい。意見を求められたことも、一度や二度ではない。

 

 結局、任意に引き出すことは今の透華でもできてはいないが、同時に、デジタルだけで勝ちきることも捨ててはいない。デジタルだけで相手を制することができれば良いが、透華ほどの実力を持ってしても、それは容易いことではない。良い悪いは別にして、力というのは勝つために必要なのである。

 

 それに対する和は、デジタルの完成度で透華に一歩劣っているように思える。決して質が悪い訳ではないのだが、完成しているとはいい難い。

 

 県内では三指に入る実力だろうが、全国まで目を向ければ和くらいの打ち手は沢山いる。デジタルだけで打ちまわすならば、更にレベルアップをしなければならない。

 

 それに和については気になることもあった。清澄で打っている時もそうだが、どうも彼女の思考にモヤがかかっている気がしてならない。本気で打っているのは間違いないが、全力では打てていない感じである。

 

 咲も、なぜか靴下を脱ぐと強くなる。和にも、そういう『これがあればリラックスできる』という環境ないし、アイテムが必要なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝ちましたわ!」

 

 激戦の末、トップは透華が勝ち取った。久は善戦したが二位に終わり、透華に頭を押さえつけられる形になった和は三位である。良いところのなかった一は始終大人しくしていたが、その間ずっと、視線は和と久を観察していた。打ちまわしに見る癖がないかチェックしていたのだろう。京太郎たちが情報を集めているように、一もまた情報を集めているのだ。

 

 そうして全員がホワイトボードの周りに集まり、二度目の感想戦が始まる。デジタル二人が参加していたため、進行も早い。和も透華も遠慮なく疑問をぶつけ合い、お互いがそれに答えを出していく。小気味良いやり取りをする二人に、他の全員が置いていかれている形だ。二位に食いついた久にも質問をしてしかるべきなのだが、和も透華もお互いしか見ていない。

 

 自分と同じタイプと出会えたことが嬉しいのだ。性格の全く違う二人であるが、麻雀論を交わすのにこれほど適した相手はいない。何しろ同じタイプの打ち手だ。和からすると、今まで出会ったことがないタイプなだけに新鮮に違いない。友達になれると良いな、と思いながら歩の淹れてくれた紅茶を飲んでいると、応接間の扉が少し開いているのが見えた。

 

 その隙間から綺麗な金色の髪と赤い兎耳のヘアバンドが見え隠れしている。

 

 誰もがホワイトボードに集中していたから、衣の登場に気づいたのは京太郎一人だった。そーっと部屋を覗き込んできた衣と、真っ先に目が合う。ちょいちょいと手招きをすると、衣はぱぁっと目を輝かせた。

 

「きょーたろ!」

 

 部屋を突っ切り、そのまま京太郎の胸に飛び込んでくる。突然部屋に現れた金髪ロリに、全員の視線が集中した。それが龍門渕の大将天江衣だというのは、清澄の面々にも解った。

 

 衣は京太郎の胸を心行くまで堪能した後、清澄の面々に向き直った。優希も大分小さいが、衣はそれよりも更に小さい。普通にしていれば小学生にしか見えない衣に、しかし、皆が言いようのないプレッシャーを感じていた。ここに集まった人間の中で、最も完成された麻雀打ちであるところの衣は、清澄の面々を見回して獰猛に笑った。

 

 

「天江衣だ。きょーたろが世話になっているな。今日は良い麻雀をしよう!」

 

 

 

 

 

 

 

 



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現代編02 清澄VS龍門渕 初戦その2

 

 練習対局三半荘目。清澄側の代表はまだ参加していなかった京太郎と咲。龍門渕側は衣と、ジャンケンで代表に決まった透華である。

 

「二連戦ですけど大丈夫ですか?」

「問題ありませんわ!」

 

 その背中には炎が燃えていた。衣が他者を相手にするという場面で下手な打ち回しはできないという気合が見える。二半荘連続でというのが気にならないでもなかったが、そもそも団体戦では一人が普通に二半荘を受け持つのだから、回数はあまり問題にならないだろう。そも、智紀を勧誘するのに六徹した透華に、ダブルヘッダーがどうしたなど今更な話だった。

 

 席順は、二校しかいないことを考慮して順々に配置される。最初の親だけ、牌を引いて決めるのだ。伏せた状態の四枚の牌を一がシャッフルし、全員を促す。四人が自分の牌を決め、一斉に裏返すと――

 

「衣が出親だな!」

 

 東を引いた衣の席が出親となった。衣、京太郎、透華、咲の順番で親が回り、咲がラス親である。

 

 さて、と全員が麻雀打ちの顔になり、サイが転がる。清澄では久しく味わっていなかった、そのまま気絶するのでは、というほどの感覚が京太郎を襲った。この場に集まった人間の中で――いや、全国でも屈指の運量の女子高生三人が相手である。今が昼間で、月も欠けているから衣は本調子ではないが、素運の太さは相変わらずだった。しばらく見ない間に、気配が研ぎ澄まされたように感じる。

 

 運量だけを見れば、衣が一番である。月が欠けていて昼間であっても、透華と咲を抑えてトップに立てるのは流石としか言い様がない。それに次ぐのは咲だった。衣には頭一つ置いて行かれているが、特化した運を持っていると考えると、その差はそれほどでもない。そこから僅かに離されて透華である。運量で言えば最下位――既にマイナスになっている須賀京太郎は、もはや比べるべくもない――である透華だが、麻雀の力量ではここに集まった全員の中でも一二を争う。それは、多少の運量差ならば埋められるだけの実力だ。咲との差も、ほとんどないと言っても良いだろうが、熱くなりやすいのが透華の欠点でもある。

 

 全国を目指すに当たって、そのメンタルの制御が鍵だと京太郎は思っていたが……困ったことに、透華は気持ちが牌に乗りやすいタイプでもあった。テンションが高く、調子に乗っている時の方が、牌の引きは抜群に良いのだ。

 

 こういう話をすれば和などはSOAと一言で切り捨てるのだろうが、事実なのだから仕方がない。ひやしとーかと言い、デジタルを好む性格といい、持った資質とやりたいことが噛み合わない実に特徴的な打ち手である。

 

 そんなちぐはぐな透華でも、龍門渕の血統の力を受け継いでいることに変わりはない。鋭い気配を放つ二人を前に、咲も負けてはいなかった。太く、そして屈折した運を持った咲は、早くも六順目――

 

「ツモ、嶺上開花、ドラ2」

 

 さっくりと、1300、2600をツモ上がった。食い仕掛けからの早いアガりに、龍門渕の面々は息を呑んだ。

 

「まるでアガるのが当然といった顔でアガりますのね。流石宮永照の妹といったところかしら」

「お姉ちゃんと会ったことがあるんですか?」

「対局はできませんでしたけどね。会場で見たあの対局は、今も目に焼きついてますわ……」

 

 照と白糸台が二連覇を決めたあの日。準決勝で敗退した透華たちも会場に残り、団体決勝の対局を見た。副将までは接戦だった戦いも、大将、宮永照が出てきたことで風向きが変わってしまった。次元の違う強さというのは、ああいうのを言うのだろう。全国大会決勝。それも団体戦の大将を務めるような選手が、弱いはずはない。京太郎の目から見ても、彼女らは皆優秀な打ち手だったが、暴風を纏ってアガり続ける照の前には、ただ優秀なだけでは立ちふさがることもできなかった。

 

 どこの学校も飛ばなかったのは、最後の意地だったのだろう。点数を削れるだけ削り、決勝卓を廃墟とした後に、白糸台の優勝は決まった。

 

 その戦いっぷりは誰の眼にも鮮烈に焼きついた。透華たちも、今現在全国トップの椅子に座る宮永照を、倒すべき敵として認識している。打ちまわしの研究もかなり深いところまでやっていると聞いているが、京太郎に情報をリークせよと言ってこないのは、彼女らなりの礼儀なのだろう。

 

 尤も、照は有名なだけあって牌譜も相当な数が出回っている。研究材料には事欠かないだろうし、須賀京太郎個人で持っている情報などたかが知れている。

 

 お菓子が大好きでリスのように頬を膨らませて食べることは流石に他校の生徒は知らないだろうが、それが攻略の糸口になるとは思えない。麻雀をしている時、インタビューを受けている時の照の余所行きの顔は完璧だし、本当はそうなんだと言っても、誰も信じはすまい。

 

 風物詩になりつつある白糸台ロードも、最初は照が迷子にならないようにとの配慮から始まった。控え室から対局室に行くまでに迷子になり、危うく遅刻しそうになった照を見てキレた菫が、苦肉の策として考え出したのだ。賛否両論ある風習だが、宮永照は凄いのだというイメージを根付かせるには、一役かった演出だった。白糸台の生徒は照のポンコツっぷりを知っているため、照が迷子にならないためなら……と進んでその役を買って出ているという。

 

 絶対王者として君臨する照は、高校生の目標だ。その妹であるならば、相手にとって不足はない。前情報がほとんどなくとも、今の嶺上開花で大体は理解しただろう。透華の目から探るような色が消える。ここから先は、ただ叩き潰すだけである。

 

「ツモ、2000、4000ですわ!」

 

 やる気になった透華のキレは一味違った。咲のアガリの肝が嶺上開花にあると見るや、順目の早い段階で仕掛け、速攻でアガりに来る。

 

 手作りを基本とする全ての打ち手に言えることだが、早めに処理をされると対処の仕様がない。咲はまだどこからでも仕掛けていけるタイプではあるが、アガりの基点、そのほとんど全てがカン材にあるため、それが揃わない段階では対処が難しいのである。

 

 経験を積めばそれを技術でカバーできるのだろうが、公式戦に参加せず、部活にも参加していなかった咲はそれが圧倒的に不足していた。中学三年の時こそ淡という好敵手が近くにいたが、モモか照がいる時にしか卓は立てられなかったため、麻雀からは遠ざかっていたと言っても良い。

 

 それでここまで戦えるのだから、咲の才能も相当なものだ。大きなアガりを引き寄せた透華に流れが傾きつつあったが、運量にはまだ大きな差はない。

 

 そこから先は、透華と咲が交互にアガる展開となった。早めにアガることを念頭に置いた二人の打ちまわしに、そもそも運が細い京太郎は振らないことしかできなかった。

 

 問題は、不気味なほどに沈黙している衣だ。

 

 これまでアガらず振らずが続いている。咲と透華しかアガっていないのだから当然だが、やる気がないのかと言えばそうでもない。打ちまわしはきちんとしていたし、咲にも透華にも甘い牌は打っていない。良く集中できているのだろう。運量にもかげりは見えず、南二局を終え、南三局に入る段階になっても、まだトップは射程範囲内である。

 

 そも、衣は一回のアガりが大きい。30000点くらいまでならば、ワンチャンスで逆転が可能だ。油断していると痛い目を見るのは、相手である。

 

 京太郎は咲を横目で見た。調子は良い。良く集中できていて、透華のアガりにも食らいついていた。プラマイ0をやろうとする悪い癖も出てはいない。きちんと勝ちに向かっている。それは麻雀打ちとして当然の姿勢であるが、ただそれだけではいかにも物足りない。

 

 宮永照を打ち負かした実力が、こんなものであるはずがない。今でも決して手は抜いていないのだろうが、絶対に全力ではない。勝利に執着しておらず、大抵の相手には全力を出さなくても勝てる咲は、このように打つのが普通になってしまったのだ。

 

 それをどうにかしたくて、この対局を仕組んだ。衣ならば、咲を打ち負かすことができると信じてのことだ。南二局までを費やし、咲の観察をしていた衣が、ふっと溜息を漏らした。

 

 それははっきりと失望の色を感じさせた。衣の青い瞳が、咲を見据える。その視線に込められた感情を敏感に感じ取った咲は、思わず背筋を震わせた。今初めて気づいたといった風に、衣を見やる。お人形さんのように愛らしい少女は、宮永咲を見てにこりと笑った。

 

「お前は強いな、宮永咲。流石に、あの宮永照の妹なだけのことはある」

 

 可愛らしい見た目に反して毒舌の衣は、他人を酷評することはあっても手放しで褒めることは少ない。京太郎がやってきて麻雀に真摯に打ち込むようになり、大分改善されはしたが、根本的な所は相変わらずだった。

 

 そんな衣の思わぬ賞賛に、透華が軽く眉を顰める。衣の意図が解らない故の行動だったが、衣と咲の両方を知る京太郎には、衣が何を言いたいのか良く理解できていた。

 

 そしてそれが、衣に咲を頼んだ理由でもある。衣は正しく、京太郎の意思を汲み取っていた。笑顔のまま、衣は言葉を続ける。

 

「だが、お前は強いだけだ。お前からは麻雀に対する執着が感じられん。それは衣の仲間は皆持っているもので、清澄の他の面々からも感じるものだ。特にきょーたろからは強く感じるそれが、お前からは全くと言って良いほど感じられんのだ。それは何故だろうな?」

 

 衣の問いに、咲が背筋を震わせた。自分でも思い当たる節があるのだ。清澄の面々も、話の雲行きが怪しくなってきたことに気づく。大人しそうに見えて中々喧嘩っぱやい和が止めに入ろうとするが、久に止められていた。麻雀に対する気持ちをどうにかしない限り、咲はこの先に進めない。それを京太郎以外で理解していたのは、清澄の中では久だけだった。

 

 望外の協力に感謝しつつ、咲と衣のやり取りに視線を戻す。人に強い言葉をかけられ慣れていない咲は、既に完全に腰が引けていた。

 

「きっと、お前は麻雀を本当に好いてはいないのだろう。別にそれが悪いという訳ではない。本当に好いていなかったところで、強い執着を持ち、良い結果を出す打ち手など多くいる。衣もどちらかと言えばそうだろう」

 

 ちら、と衣が京太郎に視線を向ける。以前よりは大分麻雀に対して前向きに取り組むようになったが、衣にとってはまだまだ麻雀はコミュニケーションの手段の一つに過ぎない。例えば仲間の四人が麻雀をやめたら、衣は躊躇いなく麻雀をやめるだろう。そこが京太郎他、麻雀を愛する人間との違いである。

 

 しかし同時に、衣は自分が特別であるということを良く認識していた。絶対的に運量の違う衣は、本当の意味で世の凡人と同じ土俵では麻雀をしていない。衣の何倍も麻雀を愛し、真摯に努力する打ち手がいても、衣の才能はそれを容易く凌駕する。麻雀に打ち込むようになってからこっち、衣はそういうジレンマに苛まれるようになった。自分との明確な差を自覚するにつれ、相手に対して申し訳ないと思うようになってしまったのだ。

 

 それを成長と、透華は喜びもした。京太郎もそういう気持ちの変化は嬉しく思っている。良くも悪くも子供のようだった衣が、人を思いやるようになったのだ。これほど嬉しいことはないと思う反面、情動の変化はまた、衣に別の面を生み出していた。

 

 その別の面を出した衣が、笑みの種類を変えていく。より攻撃的になった衣の気配に、咲は椅子ごと退いた。普通でない感性を持った咲には、衣の威圧感が形になって見えるのだ。自分を敵視している衣の気配は、咲にとってまさしく『魔物』である。

 

「誰がどう打とうとそれは自由だ。衣にそれを強制する権利などない。だがお前は衣が知る限り、最も麻雀を愛する男の隣に立っている。強いだけのお前がそこにいることに、衣は我慢がならない。だから衣は、お前を叩き潰してやることにした。残り二局、精々逃げ切ってみるが良い」

 

 衣の気配がはっきりと変わる。気持ちが切り替わったことで、場の空気まで変わった。全員の運が上昇したことで、なし崩しに無視されていた支配が、力を取り戻したのだ。ここから先、聴牌をするのも容易ではなくなる。衣の支配を上回らなければ、例え衣がアガらなかったとしても、支出は免れない。

 

 敵意を向けられた咲は、完全に及び腰になっている。衣とは今日が初対面だ。態度が気に入らないのだとしても、初対面の人間にここまで敵視される理由が咲には解らない。

 

 それこそが衣に敵視される理由でもあるのだが……それは咲ではなく、龍門渕の事情だ。衣が本気になったことで、透華が肩の力を抜く。ここから衣の支配を破るのは、骨の折れる作業だ。麻雀で手を抜くのは透華の流儀ではないが、今日の目的は宮永咲を衣が叩き潰すことである。龍門渕の面々は、歩やハギヨシまで含めて、それを理解していた。

 

 衣がやる気になったのなら、それに水を差すこともない。

 

 それに、龍門渕透華は今、須賀京太郎が龍門渕を選ばなかった最大の理由を目の前にしていた。この女がいなければ、と思ったのは透華だけではない。純も、一も、智紀も、歩も、皆が同じ思いだった。

 

 無論、京太郎のことを大事に思っている彼女らはそれを口にしたりはしない、京太郎が悩んだ末に決めたこと。それを尊重したいという思いがあるのもまた、事実だからだ。

 

 しかし、黒い感情と無縁でいることはできない。尊重するべき、納得するべきと思っていても、楽しみにしていた学園生活が宮永咲というただ一人のせいで台無しになったのは事実である。その元凶が目の前にいて、かつ、合法的に叩き潰すことのできる環境が整っている。制裁のハンマーを振るうのは、麻雀においては最も強い衣だ。やっておしまいなさい、という気持ちを顔に出さないようにしているのが、京太郎にも解った。

 

 咲にとっては完全にアウェーの空気である。元来人見知りをする咲に、この空気は辛いに違いない。助けを求めるように咲は京太郎に視線を向けるが、元よりこの状況を望んだのは京太郎である。手はない、と首を横に振ると、咲はいよいよ顔を青くした。

 

 南三局。透華の親番である。

 

 衣の支配が発揮されたこの局、京太郎の配牌は最悪だった。淡と違って配牌にまで干渉する力はないはずだが、不運を押し付けられた影響が配牌にまで出ているのだろう。こうなると元の運が細い京太郎にはどうしようもない。鳴いて流れを変えるという純のような戦法ができれば良いが、咏から解禁されていないため、それもできない。

 

 自分のことは、まぁ良い。問題は咲である。顔を見れば浮かない表情をしていた。あまり良い配牌ではないのだろう。普通ならばそれでも十分に脅威であるが、咲は元々の運が普通ではない。イーシャンテンくらいまでならばこんな状況でもたどり着けることだろう。

 

 そして、その中にカン材があれば、その先にも進むことができる。衣が場を支配しても、嶺上牌はまだ咲の方に寄っているはずである。イーシャンテンになってから一回。それで聴牌して、さらに一回。強引な力技であるが、宮永咲ならばそれも可能だ。

 

 衣の圧力をひしひしと身体に感じながら、局は進んでいく。

 

 八順目。咲の顔に光が差した。これでアガれる。そんな希望を持った顔である。準備が整ったのだ。それを察した京太郎は、衣に視線を送った。下手を打つと、このまま咲に押し切られる。場を支配し、本気を出した状況を咲の得意技でいなされたとなれば、次の局で衣のアガる目は少なくなる。

 

 ここが勝負所というのは、衣にも解っていた。大丈夫なのか、という京太郎の視線での問いに、衣は力強く頷いて見せた。勝つ算段があるということなのだろう。自信に満ちた表情は実に頼もしいが、少し離れてみればウサ耳をつけたお子様である。これだけ圧倒的な雰囲気を纏ってみても、かわいらしいという印象は少しも揺るがない。美少女というのは得なのだなと詮無いことを考えつつ、これは、と思った牌を切る。

 

「カンっ!」

 

 案の定、咲はそれに飛びついた。カンドラが捲られ、嶺上牌が咲の手の内に入る。手出し――つまりは手が進んだということだ。表情に出やすい咲は、そこから手の進行状況も読みやすい。咲の手は間違いなくテンパっている。おまけに待ちも悪くはない。最低でも両面……カンした牌が『四』だったこと、切り出した牌の出てきた場所から見るに、その周辺が怪しい。

 

 河と自分の手牌も鑑みると、待ちは3-6と言ったところだろう。カンドラが乗っていればいくらでもバケる手であるが、カンドラは残念なことに『白』である。咲の手に字牌が残っていないことは、確信が持てた。値段はそれほど高くはない。

 

 だが、もう親番のない衣には、値段と同時にアガられることそのものに問題がある。そろそろアガっておかないと咲ならばアガってしまう。こうなったら差し込めるものならやるつもりで、衣の手を推理し――あぁ、と思わず京太郎の口から声が漏れた。衣の意図を理解したのだ。

 

 ちらり、と衣が視線を向けてくる。悪戯を思いついた、まさに子供のような表情の義姉に、京太郎は苦笑を浮かべる。目当ての牌があれば差し込んでも構わなかったが、残念なことに京太郎の手牌にはない。透華を見る。彼女も衣の意図は理解しているだろう。透華ほどの読みがあれば、衣の欲しい牌も解るはず。期待を込めて見やると、透華は不敵に笑って見せた。堂々と、もったいぶった動作で河に切り出された牌は、京太郎が予想した、衣の欲しい牌である。

 

「カン」

 

 透華の牌に、衣は食いついた。手牌から三枚を晒し、透華が河に捨てた牌を持って行く。

 

 そして淀みのない落ち着いた動作で、嶺上牌に手を伸ばす。咲の口から、小さく声が漏れた。嶺上牌に関することであれば咲は鋭すぎる感性を持っている。それが衣のアガり牌だと、感性で理解したのだろう。咲の視線を吸い寄せるように、大きな動作で牌を引き寄せた衣は、淡々と宣言した。

 

「ツモ。嶺上開花、役牌、ドラ7、赤赤。三倍満。6000、12000だ」

「責任払いですから、私から24000ですわよ」

「む、そういうものなのか。悪いな透華」

「いいえ。勝負は時の運。謝る必要はなくってよ」

 

 和気藹々と会話する二人を尻目に、咲は呆然と卓上を見ていた。自分のお株を奪われた挙句、それでアガられてしまった。其の事実は咲の気持ちに大きく影を落とすことになる。衣の支配を断ち切り、流れを完全に自分のものとするには、この局しかなかったのだ。咲がここであの牌を自分で引き寄せてアガっていれば、この半荘を制したのは咲で間違いなかっただろう。

 

 だが実際には、衣がアガった。今のアガりで、運が急速に衣に傾くのが京太郎には解った。脇からの出アガリであるが、三倍満である。小場で回っていた場に、この一撃は決定的だった。勝負手をアガり、トップに立った。咲にまだ親は残っているが、流れに乗った衣をどうにかするのに、今の咲は役者不足だった。

 

 残り一局。風下にたった咲が挽回するには、十分な時間とはいえなかった。

 

 結局、南四局は衣の海底ツモで幕を閉じた。終わってみれば衣がダントツである。

 

 嶺上開花で流れを変えられたのは、誰の目にも明らかだった。衣の力を見せ付けられた清澄のお通夜ムードは半端ではなく、特に自分のお株を奪われた咲は意気消沈していた。自分の勝利を確認した衣は、点棒ケースをぱたりと閉じると、咲に視線を向けた。

 

「こんなものか」

 

 仲間をこき下ろす発言に、観客をしていた優希の顔に緊張が走った。付き合いは短いが、このタコスが見た目通りの直情径行で、人情に厚いのは京太郎も良く解っている。咲を思っての変化を京太郎は嬉しく思ったが、それは今日の目的には合わないものだ。

 

「姉さん、その辺で……」

 

 間に入って来ないように、早めに助け舟を出す。今日の目的は咲に闘志を植えつけることであって、龍門渕と清澄を不仲にすることではない。話ができるだけ当事者だけで完結するように誘導するのは、両方と仲良しである京太郎の仕事のようなものだった。

 

 企画を説明してある龍門渕は、当然それに乗ってくれると思っていた京太郎だったが、割って入ってきた自分を見る衣の視線に、違和感を覚えた。意図に応じる、というものではない。少し意地悪をしてやろうという、年上特有のものだった。

 

「お前のために京太郎が特待推薦を蹴ったと思うと、姉として心苦しいな」

「……特待推薦?」

 

 声を挙げたのは久だったが、清澄全員が京太郎を見ていた。あまり周囲に聞かせたいものはないので、誰にも言っていない……ような気もする。できれば黙っていてほしかったのだが、推薦を蹴ったのは事実だし、それで衣たちに寂しい思いをさせてしまったのも事実だ。何より口から出た言葉は、もう取り消しようがない。

 

「ええ。龍門渕から特待推薦の話が来てました。そんな実績はないからと断りましたが」

「私が掛け合ったのは事実ですけれど、それだけで特待推薦を出すほどおじい様も甘くはありませんわ。勝ち取ることができたのは、貴方が有能であればこそでしてよ」

「その節はお世話になりました」

 

 断った身としては、透華の献身が心苦しくもあるが、事実として龍門渕ではなく清澄を選んだのだから、京太郎には言い訳のしようがない。

 

 その、清澄を選んだ理由。宮永咲が京太郎を見ていた。お前がいるから清澄にした、とは咲には一言も言っていないが、親しい人間にはそうと見抜かれることが多かった。白糸台の推薦を持ってきてくれた照にも、通学距離の関係で鶴賀を選んだモモにも、自分の代わりに照の推薦を受け取る形で白糸台に進学した淡にもだ。気づいていないのはおそらく、京太郎の周辺では咲本人だけである。現に咲は『思いもしなかった』という顔をしていた。

 

 間の抜けた咲の顔に、京太郎は思わず苦笑する。いつものノリで頬を突いてやりたくなる衝動を、何とか抑えた。公開する予定だった情報ではないが、バレてしまったものは仕方がない。後は、なるようになれだ。

 

「そのお前がこの体たらくだ。自分が得意とするところの技を盗まれる。それは良い。全国まで行けばそういう打ち手もいるだろうし、プロでもできる奴はごまんといる。だが、衣がこれをできたのは、お前が手を抜いていたからだ。お前がきちんとした気持ちをもって衣に相対していれば、こうも容易く勝てはしなかっただろうな」

 

 その言葉からは、手を抜いていなかったとしても自分は負けないという、強い自負が感じられた。真剣に麻雀に打ち込むようになった衣に、気持ちの上での隙は少なくなってきている。それだけに、今の咲の定まっていない態度にムカつきを覚えるのだろう。気持ちは解らないでもない。程度の差こそあれ、それは京太郎も感じているものだった。

 

 強い奴が全力全開の実力を発揮せずに、燻っている。それは同じ麻雀打ちとして我慢のならないものだった。咲の力はこんなものではないのだ。本当の宮永咲の力を知っている人間の一人として、京太郎は咲が全力を出せるようになることを、強く望んでいた。

 

「そういうお前が、京太郎の隣にいるのは、やはり衣には我慢がならない。どうだ、京太郎。今からでも遅くはないぞ。龍門渕に来ないか? 衣たちが全国まで連れて行ってやるぞ」

 

 衣も興が乗っているのだろう。話が段々と咲個人から集団へと広がってくる。全国へ行くのはどちらか、という話になると、外野に徹していた久たちも黙っている訳にはいかなくなる。

 

 このまま一触即発、というのでは具合が悪い。咲の覚醒はいまだ果たせていないが、このままでは別の良くない結果が起こるかもしれない。

 

 察した京太郎が『もうその辺で』と勝手に話をまとめようとした矢先のこと。

 

 唐突に、咲の気配が変わった。

 

 照とモモと咲とで、四人で対局したあの日には及ばないものの、それに近い気配がびりびりと伝わってくる。衣を止めようとしていた和も、動きを止めていた。オカルトを頑なに否定する和ですら、今の咲には何かあると理解したのだ。

 

 衣が口の端をあげて、にたりと笑う。望んだ敵は、今目の前にあるのだ。抜きん出た力を持った衣は常に、対等に戦える相手に飢えていた。強敵の登場を、喜ばない道理はない。

 

「京ちゃんは、渡さないよ」

「……お前の言葉には色々と言いたいことはあるが、ともあれ良い気迫だ。これならきっと、楽しめるな」

「何なら今ここで決着をつける? 私はそれでも構わないよ」

 

 一触即発の空気に、しかし衣は首を横に振った。

 

 これに安堵の溜息を漏らしたのは透華である。ここで衣が満足しきってしまうと、今後のモチベーションに大きく影響する。流石に団体戦に出ないとは言うまいが、県大会連覇のために、衣の存在は必要不可欠だ。龍門渕の麻雀部は正しく衣のために集まった面々であるが、そのためだけに行動している訳ではなかった。麻雀には各々思いいれがあり、皆それなりに麻雀のことを愛していた。

 

 更に透華には別の思惑もある。

 

 それは、インターミドル覇者の和を現実に見て、より強い思いとなったのだろう。衆人環視の中で和を下し、大いに目立つ。どちらが真のアイドルであるのか。そんなことを考えているに違いない。

 

 男であるからか、京太郎には透華の考えが不毛なことのように思えた。

 

 方向性は大分異なるが、どちらも美人かわいいには違いない。アイドルとしての需要もまた然りだ。それで良いじゃないかと思うのだが、多数決で決めるとなれば、和の方に軍配が上がるだろうことは、何となく透華にも解っているのだろう。京太郎もどちらかにしか投票ができないのであれば、心の中で透華に謝りつつも和に入れると思う。

 

 きっと、透華はそういう男の思考が許せないのだ。頂点に立とうという透華の欲は並々ならないものがある。そのために努力し結果を出してきた透華は、それはそれですばらしい。容姿を維持するのにも手間がかかるのだということは、メイドの一や歩からも良く聞いている。

 

(女ってのは大変なんだな……)

 

 最終的にそういう感想しか沸かないのは、やはり男だからなのだろう。本当の意味で女性を理解する日は、まだ遠そうだった。

 

 そんな、透華とはまた違う魅力を持った衣は、卓に視線を向けた。

 

 綺麗に理牌され、裏返った牌が144。裏返されて上がって来る。

 

「決着とお前は言うが、先の勝負は衣の勝ちだった。負けたお前が衣に挑むのならば、それなりのものを見せてもらわなければ困る。そうだな……この中から『東』を引いてもらおうか。三回引いて、その内1枚でも『東』ならば、お前の挑戦を受けよう」

 

 咲は牌に視線を向けた。144枚の中から4枚しかない東を引くのは、決して簡単なことではない。これを勝負とするならかなり分の悪い勝負と言える。無理難題に近いその提案に、咲は沈黙で応えた。あまりの言い草に怒っているのではない、真剣に卓上を見つめる咲が既に勝負を受けていることは、誰の目にも明らかだった。

 

 咲が無造作に卓上に手を伸ばす。

 

 選んだのは京太郎の手牌として競りあがってきた牌の、左から二番目。静かに裏返した牌は、何と『東』だった。その快挙に清澄からだけでなく、龍門渕からも歓声が挙がるが、咲の動きはそれで止まらなかった。二度、三度、山に手を伸ばし、牌を引く。衣から提示された回数は全部で三回。その全てを使い切り、咲が選んだ残り二枚の牌は二枚とも『東』だった。

 

 平然と、そして憮然とした表情で無理難題を成し遂げた咲は、衣を見下ろしていた。好敵手の宣戦布告に、衣は笑みを深くする。

 

「再び見えるのを楽しみにしているぞ、みやながさき」

 

 衣も山に手を伸ばし、一つの牌を選ぶ。

 

 都合、四枚目の選択はまたしても『東』だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これで良かったか?』

「少し肝を冷やしたけどな、上々だよ。ありがとう姉さん。それと、悪役をやらせてごめんな」

『構わん。好敵手が得られるのは、衣にとっても良いことだ。それより姉は、弟の清澄での立場が心配だ。衣たちと引き合わせたことで、いじめられたりはしていないか?』

「少し小言を言われたけど、そのくらいだよ。心配してくれてありがとう」

 

 和や優希などは衣の尊大な態度が気に障ったようだが、咲本人が気にしていないどころか衣を認め闘志を燃やしていることで、それを口にすることはなかった。不満はまだ二人の中で燻っているだろうから、フォローは必要だろう。少し難しいだけで良い子でかわいい人だ、というのは時間をかければ解ることである。和にも優希にも、衣の友達になってほしいというのが、京太郎の希望だ。

 

 逆に久とまこの上級生コンビには、咲を覚醒させることとなった今回のことは、好意的に受け止められていた。

 

 むしろ、汚れ役を押し付けてしまってすまないと謝られたくらいだ。咲の気持ちをどうにかしなければならないとは二人も常々思っていたらしい。

 

『そうか。きょーたろの役に立てたのならば、衣は満足だ』

「咲をどう思った?」

『きょーたろが推すだけあって強いな。受けた感じは、宮永照や神代小蒔にも匹敵するだろう』

「あの二人とは姉さんは戦わなかったんだよな?」

『うむ。巡り合わせが悪かったのだな。個人戦に出ていればまた違ったのだろうが……』

 

 その口調からは、今年も個人戦に出るつもりがないのだということが窺い知れた。出る出ないは衣の自由であるが、勿体無いような気もする。出てほしい、というのが京太郎の偽らざる気持ちだったが、それを無理強いすることはできなかった。京太郎が出てほしいと強く頼めば、きっと衣は出てくれる。それが解っているだけに、余計に頼みにくい。

 

 衣以外の四人は出るというし、まだ来年もある。一年あれば気が変わることもあるだろう。衣の個人戦については、気長に行くのが良いのかもしれない。

 

『ここから先はきょーたろの仕事だ。せっかくの好敵手だからな。更に磨きをかけておいてくれると、衣はとても嬉しい』

「姉さんの期待に応えられるように頑張るよ』

『ではな、きょーたろ。名残惜しいが今日はさよならだ』

「またな、姉さん。今日は本当にありがとう」

 

 

 

 

 



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現代編03 清澄麻雀部改造計画①

「……………………」

「どうした優希?」

「何だか何年も一言も発していなかった気がするじょ」

「悪い。ドリル難しかったか? 何だったらもう少し簡単なのを用意するが」

「それは大丈夫だじょ。タコスまで作ってもらったんだからな。これくらいクリアしないと申し訳ないじぇ」

 

 黙々とドリルをこなしていく優希を見ながら、京太郎は彼女の評価を改めていた。

 

 対局中には余計なことに思考のリソースを取られないようにするべきだ。点数計算などはその『余計なこと』の筆頭である。自分の手がいくらになるのか。またどの程度の手をツモったり直撃すれば逆転することができるのか。長く麻雀に親しんでいれば誰でもある程度まではスムーズにできるのだが、優希の場合は計算そのものが苦手であったため、特に逆転にどれくらいの手が必要なのかの判断に時間がかかってしまうのだった。

 

 相手がコンピュータならばまだしも、人間、それも競技麻雀の場ではそれは問題だ。ルールブックには持ち時間に関する明確な規定はないものの、各駅停車では遅延行為とみなされかねないし、そもそも長考は頭のエネルギーを余分に使う。

 

 優希の計算に対する苦手意識をなくすのは急務だった。ドリルをやらせようというのはその解決のために京太郎と久が一緒に決めたことである。

 

 しかし高校一年の今になってから算数ドリルだ。どれだけ効果が見込めるか未知数であるし選手に座学が好まれないことを京太郎は経験として知っている。優希のような落ち着きのないタイプは特に座学を忌避するイメージだったのだがこのタコス、物覚えは全く良くなく文句も多いが、与えられた課題を途中で投げ出すようなことはしなかった。

 

 見た目に反して根性があるし、仲間思いで義理堅い。京太郎からすれば実に友達がいのある少女だ。タコスが大好きだというから作ってきたら、目を輝かせて喜んでくれたのも評価が上がった原因の一つである。一歩一歩遅くとも着実に前進する優希を見るのが、京太郎は楽しみになっていた。

 

 にこにこしながら珍獣四号(優希)の監督をしている京太郎を、二号()は複雑な思いで見つめていた。衣との対戦を経てある程度完成を見た咲は、他のメンバーのフォローが仕事だった。具体的には和とまこの経験値である。特にネット麻雀が主戦場であった和は、リアルでの強敵との対戦回数が不足していたからだ。

 

 インターミドルを制覇したという華々しい実績こそあるものの、部員数に恵まれていた訳ではない和の中学では対戦数はそれほど確保できなかったし、そもそも和と対等に打てる人間が同級生以下にはいなかった。ネットと同じようにリアルでも打つことができればというのが彼女の目指す所で、今はそれを部内で補っている形だ。

 

 理想を言えば対戦相手を変えて行うのがベストなのだが、団体戦出場ぎりぎりのメンバーしかいない清澄麻雀部ではそれも無理からぬことだった。実績がなく予算も組めない現状では県内県外の学校と練習試合を組むのも難儀する有様である。

 

 経験値を欲しているという点ではまこも一緒だ。実家が雀荘ということもありリアルでの対戦数こそ部内で圧倒的なものを誇っているが、まこはオカルトの性質上、特殊な人間と戦う程に強くなる。和とは逆に量よりも質を求めているような状況だ。

 

 咲も久も特殊な打ち回しをするタイプであるが、そういう相手との対戦を数多くこなすことが急務であると言える。とは言え、これは単純に回数をこなせば良い和と比べても更にハードルが高い。特殊な打ち手というのは数が少ないからこそ特殊なのであり、近隣では条件に合致する相手にさえ難儀する有様だ。龍門渕が県大会を前に練習試合を組んでくれたのは、まこの立場からすれば奇跡と言っても良いものだ。

 

 龍門渕との対戦を経てまこの麻雀は一段階上にパワーアップしたが、であるからこそ、自分の力不足を痛感していた。ならばせめてそれを回数で補うしかない。今年入部した一年は四人が四人とも特殊な打ち手である。そこから吸収できるだけ吸収してやると、部員の中ではある意味、一番気持ちが高まっているのがまこだった。

 

 部長である久からすれば、理想的な精神状態と言えるだろう。特に長期的な視点に立って選手の成長を考えることができる京太郎が入部したことが、久にとって僥倖だった。部長としての役割の一部を京太郎が肩代わりすることによって、久は気持ち的にも大分余裕ができていた。

 

 今は主に優希の面倒をみてもらっているが、久の目から見て優希は目覚ましい進歩を遂げていた。自分でやっていたらここまでにはならなかったという確信が持てる程だ。優希は元から人懐っこい性格ではあったが、今ではペットか愛犬かというくらい京太郎に懐いている。異性でないとできないことはあるのだなと痛感する毎日だ。

 

 中学時代は、宮永照をおかしで餌付けした『珍獣マイスター』として名が知れていたらしいが、珍獣(タコス)の有様を見るとその手腕に唸らざるを得ない。彼ならば自分が引退した後も、珍獣揃いの一年生を引っ張って行ってくれるだろうと久も内心で安堵していた。

 

 これなら自分が引退しても部は大丈夫だろう。女子が四人になるというのは不安であるが、今年活躍すれば部員の問題は何とかなる……かもしれない。

 

 ともあれ、来年のことよりも今年のことだ。久と京太郎。清澄麻雀部のブレイン二人が顔を突き合わせて考えた結果、とにかく今の清澄に一番必要なことは――

 

 

 

 

「バイト……ですか?」

「そうよ。まこの実家が雀荘なのは知ってるでしょ? そこで打ち子をしてほしいの」

 

 久も含めた全員の育成方針を検討した結果、早急にテコ入れをしようとなったのが和だった。他のメンバーはゴールを模索している最中だが、和はネット麻雀を打っている時は最高の状態であるという明確なゴールが見えている。地力は既に保証されているのだから、それを発揮できるようになるだけで良い。

 

 当日のコンディションを最高な状態にするというのも本来は中々難しい話だが、京太郎が見る限り和は対局中の精神的な揺らぎが現時点でも驚く程少ない。このまま経験を重ねていけば十分にネットでの力を発揮できるようになるだろうと見ている。

 

 そのためには回数が必要な訳だが、男子の京太郎を含めて部員六人の麻雀部ではそれも限界があった。何しろこの内二人に予定が入ってしまうと面子が固定され、三人に予定が入ると卓さえ立たなくなる。これから県大会に向けてという時期に、特に回数が必要な和にとってそういう事態は避けたいという久の発案だった。

 

 もっとも、この案は打ち子を和が受け入れてくれるかというのが一番の問題だった。家庭環境を考えれば親の許可も得ないといけないだろう。和本人は部で打つので十分だと思っていたようだが、久と京太郎の説得によりまず本人が折れた。後は親の許可、と京太郎と久が不安に思っていると、これは和があっさりと獲得してきた。部活動の一環で先輩の実家ですということで押し通したらしい。

 

「ないと思うけど、雀荘でおっさんとトラブルになったらどうするつもりだ?」

「父から言われました。その時は『私の両親は検事と弁護士です。最高裁まで戦う覚悟はありますか? 私はあります』とでも言ってやれと」

「火に油を注ぐことになりそうだけどまぁ、そういう気持ちでいるなら大丈夫だろう」

 

 澄ました様子の和は、内心で興奮しているようにも見えた。人生初のバイトならば無理もない。その初バイトが雀荘の打ち子というのも中々ないことだとは思うが、何でもそつなくこなしそうな和なら大丈夫だろうと京太郎もそれ程気にしてはいなかった。

 

 まこの実家に向かう道のりである。和一人じゃ不安だから須賀くんも行ってきてという久の指示で、和がシフトに入る時は一緒に入ることになったのだ。場の空気を知るために和に先立って昨日からバイトを開始した京太郎の感じる所によれば、お客さんは皆行儀が良く、初見の京太郎にも良くしてくれた。

 

 女子麻雀が競技麻雀の主流ということもあって、巷の雀荘には女性も多いのだが、まこの実家は男性の方が多くまた年齢層も高めだった。おじさんとおじいさんが主流で若者はあまり顔を見せない。

 

 それで大丈夫かと思わないでもないが、普通はおっさんじいさんの方が金を持ってるものだとまこのお父さんは笑っていた。昨日だけで小遣いをやろうとおじいさんたちに声をかけられまくった京太郎である。納得するより他はない。

 

「それに、何かあったら京太郎くんが守ってくれますよね?」

「当然だろ。女の子を守るのは男の義務だからな」

 

 京太郎の物言いに、和は小さく溜息を吐いた。

 

 かっこつけで言っているなら和も素直に笑うことができたのだが、京太郎はこれを本気で言っているらしい。短い付き合いではあるが、どうも彼には女性を立てすぎる所がある。どういう環境で暮らしてきたらこうなるのだろうと同級生である京太郎の過去を思うと心が痛んだが、和も年頃の少女である。同級生の男性に持ち上げられてそれ程悪い気はしなかった。

 

(これじゃあ、宮永さんがああなのもうなずけますね……)

 

 少々方向音痴なところはあるが、宮永咲という少女は何もできないという訳ではない。ところが京太郎が絡むと途端に精神的な急ブレーキがかかるようなのだ。

 

 早い話がぽんこつである。

 

 そのぽんこつを生み出したのがこの京太郎(ダメ女製造機)だ。お世辞一つを言うのも如才がない。食堂に行く時も先に立ってドアを開けてくれたり、席が隣になった時には椅子を引いたりしてくれる。加えて麻雀に対する見識は部内でも一番だ。長いこと真面目に勉強したのだろうと解るその知識は、他人に無頓着な和でさえ一角の敬意を払う程だ。

 

 こんな男性が三年間隣にいたらそりゃあああもなるだろうとしみじみ思う。自作らしい京太郎の弁当のあまりの彩りの華やかさとおいしさに愕然としたのは昨日のこと。女子が五人もいて一番女子力の高いのが男性の京太郎というのも何とも悔しい話だった。

 

『それはあれだね。その少年は和のことが好きなんだよ』

 

 久しぶりに電話で話した母は、同級生の少年のことを聞くや開口一番にそう言った。真面目一辺倒な父に比べて突飛な所のある母はたまに娘の和でもついていけないくらい話を飛躍させることがある。

 

『どこをどう聞くとそう思うんですか?』

『親の贔屓目込で言うと、同級生に和がいて恋をしない少年はいないと思うよ。それにそういう付きまとい方をするのは恋をしてる少年特有のものだね』

 

 恵くんもそうだったし、と電話の向こうでにへらと笑ったのが解った。母はことあるごとに父の方が言い寄ってきたと言うのだが、今の入れ込みっぷりを見るに母の方が言い寄ったというのが真実だろうと和は思っている。大体にしてあんな寡黙で何を考えているのか解らない父が女性に言い寄るなど想像もつかない。

 

 およそ共通項のない両親であるがそれでも深い絆で繋がっているらしい。和が母と電話をするのは久しぶりのことだが、両親は三日と開けずに電話で声を聴いているそうだ。仲睦まじくて良いことだと思うが、娘としてはたまに鬱陶しくも思う。世間的にはああいうのをバカップルと言うのだろう。共通項のなさそうな両親が一体どういう経緯で夫婦になったのか。興味がないと言えばウソになるが、聞くと砂糖を吐き続けることにもなりそうなので怖くて聞いたことがない。

 

『私も気になるから、機会があったら家まで連れてきてよ』

『京太郎君を家にあげるんですか?』

『本人があがりたいって言うならそれでも良いと思うよ。そうじゃなくても、よっぽどご近所さんじゃなければ車で送ってくって建前が使えるしね。ちょっと恵くんに面接してもらわないと』

 

 何だか話が大きくなってきた。別に和は京太郎とお付き合いをしている訳ではない。ただの同じ部に所属する同級生だ。夜道を送った帰りにその同級生の父親から面接されるというのは、心の広そうな京太郎をしても苦行ではあるまいか。

 

 友人としては、ここで全力で阻止するべきなのだろう。自分が京太郎の立場であるとして、友人の親に面接をされるなど気分が良いこととは思わない。男女の性別の差こそあれ、この感性はそう隔たりのあるものではないと確信が持てた。そうなったとしても京太郎は笑って許してくれそうな所が、和に一層の罪悪感を齎す。

 

 だがそれでも、和の口から否定の言葉は出てこなかった。『彼は自分に恋をしている』という母の冗談が心に残っていたからだ。まさかそんな、と思う気持ちが大半であるものの、もしかしたらという気持ちを捨てきれない。仮にそうであったとして、咲が彼に好意を向けている現状、待っているのは面倒くさい未来でしかないのだが、気持ちを確認するくらいはという気持ちを抑えきれなかったのだ。

 

『バイトの時、家まで送ってもらいます。お父さんにはそのように伝えておいてください』

『たまにはお話してあげたら? 恵くん寂しがってたよ』

 

 父が寂しがっている様など想像することもできなかったが、母が言うのであれば本当なのだろう。思えば最近は進学の意見が対立したことなどから、それ以外のことでも所謂塩対応をしてしまったような気がする。親子仲が悪くて良いことなどあるはずもない。母の願いだ。少しくらいは優しくしても良いかもしれない。

 

「京太郎、すまん。すぐに4卓に入ってくれ」

 

 初バイトの日にバイト終了後のことを考えていた和は、いつの間にかバイト先に到着していた。するとすぐにまこがすっ飛んでくる。制服らしいやたら今風なメイド服はまこが考案したものらしく、主に男性客に好評なのだそうだ。

 

「何かありましたか?」

「何かも何も……昨日おんしと打った島さんらが、今日も京太郎が来るならいくらでも待つ言うて聞かんのじゃ」

「それは……光栄な話ですね」

 

 手馴れた様子でエプロンを付けた京太郎が控室からホールへ移動すると、わっとおじさん達の歓声が聞こえた。おそらくこれが島さんたちなのだろう。祖父ほど年齢が離れているだろう人たちに歓迎されている同級生の姿を見て、和は一抹の寂しさを覚えた。

 

「まぁ、気にすることもなかろ。人間、向き不向き言うもんがあるからな」

「私は客商売には不向きでしょうか?」

「やってもみんうちからそんなもん解らんじゃろうが。そうじゃなくて、京太郎のことじゃ。ありゃあ客商売に向いとるき、自分と比較せんでもよかろうっちゅうことじゃな」

「ああ、そういう……」

 

 和が今まで見てきた人間の中で、京太郎の人当たりの良さは群を抜いていた。客商売が天職であったとしても不思議はない。それに比べて自分が客商売に不向きな性質であるということは、和も自覚していた。同じ一年なのにと気に病むことをまこは気にしてくれていたのだろう。久と言い良く気の回る先輩たちだ。

 

「別に気にしませんよ。京太郎くんが向いていて、私は向いていないかもしれない。ただそれだけのことです。彼のことをすごいな、と思ってもそれ以外のことはありません」

「なら安心じゃ。他人を素直に褒められるいうんは和の美徳じゃな」

「褒めても何も出ませんよ」

 

 軽口を言いながら更衣室に入った和は手早く雀荘の制服に着替えた。

 

 誰にも言っていないことだがこれがバイトを引き受けることにした最大の理由である。ふりふりしたかわいい服が和の麻雀以外で継続している趣味の一つだ。

 

 着替えてフロアに出ると、主に男性客の視線を集めているのが解った。それにぞくぞくしたりはしないが、視線を意識した和は僅かではあるが不満を覚えた。肝心の京太郎の視線がほとんどなかったからである。ホールに出て来た時にちらっと見ただけで今も視線は卓上に集中している。

 

 知識が深く判断も早い京太郎だが、麻雀をしている時の集中力は全中を制覇した和でさえ目を見張るものがあった。

 

 『見るともなしに全体を見る』という表現がその昔何処かのマンガで使われたと聞いている。京太郎の意識はそんな風に卓上だけでなく、共に卓を囲んでいる対戦者にも向けられていた。和の視線は卓と手牌を行き来する程度だが、横で見ていると京太郎の視線が忙しなく動いているのが良く解る。

 

 人間と闘っているんだから人間も見ないといけないというのは京太郎の弁だ。

 

 ただ欠点もある。全方位に向けた集中力だけあって、京太郎のそれはあまり長続きしない。連続では精々四半荘が限界のようで、それ以上は休憩を挟まないといけないらしい。京太郎曰く頭のスタミナが全然足りず、ペース配分も上手くいっていないそうだが、高校生のアマチュアでこれだけ集中できるのであれば大したものだと和は思った。

 

 そしてそれだけに集中しているかと思えば、それだけではない。部活や競技会場であればそれでも良いんだろうが、ここは雀荘で相手にしているのはそこの客である。打ち子として打っている以上、完全に無愛想という訳にもいかない。ここがまこが『向いている』と評した所なのだろう。

 

 どういう状況で誰に話しかけられても笑顔で対応し、時には冗談も言って笑いを取り、しかし牌は全くおろそかになっていない。背筋はピンと伸びていて牌捌きも美しい。

 

 競技としての麻雀でこそ彼は結果を出せていないが、およそ『他人に気持ちよく麻雀をさせる』ということにおいて、彼の右に出る人間はそういないのだろう。振り返ってみれば、部活で打っている時も彼は常に気を配っていた様に思う。

 

 会話が途切れれば会話をつなぎ、卓についていない時には飲み物やお茶請けにも気を配っている。たまに作ってきてくれるお菓子はとてもおいしく、部員全員に評判が良い。優希もとても懐いており、私は京太郎に出会うために清澄に来たのだじぇ! と豪語する始末だ。学食のタコスよりも京太郎が作ってくれるタコスの方が美味しいようで早速餌付けされている。流石珍獣マイスターという評判が和のクラスにさえ届いてくる程だ。

 

 そんな気を配りながらも当たり牌だけはきっちりと止めている。ひっかけだろうがストレートな攻めをしようが常連客の当たり牌を京太郎が振ることはなかった。これでアガれるのであれば勝ち組になれるのだろうが、結局は他の人間が振るかツモるかする。京太郎のいつものパターンだ。

 

 振らないがアガれもしないため、ラスはないがトップも取れない。それでも部にいる時よりは振れ幅は小さいように思う。強い相手ほど弱くなるというのは京太郎が良く主張する『偶然』であるが、それを事実と捉えて考えるのであれば、雀荘の客たちは清澄麻雀部よりも数段実力が下ということになる。

 

 回数をこなすべしと指示を受けている自分はそれでも良いが、京太郎はそれで良いのだろうか。部室で打っていた方が彼のタメになるというのであれば、自分のためにバイトに付き合わせるのははっきり言って無駄だ。

 

 自分以上に客商売に向いていなそうな咲を連れてくるという選択肢もあったはずだが、久は京太郎が行くように指示を出したし、京太郎もそれで納得しているようだった。

 

 ならばそれで問題ないとは流石に和でも考えることはできない。面倒見の良い京太郎であれば、不本意なことでも笑顔で引き受けるはずだ。自分のために同級生に不本意なことを引き受けさせてしまったのでは。バイトの最中そればかりを気にしていた和は帰り道、京太郎にそのまま疑問をぶつけた。

 

 難しい顔をした和に話があると言われた時には実はバイト中、おもちをチラ見していたことを追及されるのではと身構えた京太郎だったが、内容を聞いて苦笑を浮かべた。

 

「師匠は『どんな場面、どんな環境、どんな相手からでも学ぶべきことは絶対にある』ってさ。環境の良し悪しは確かにあるけど、それを絶対の理由にしちゃいけないってことだな。俺はバイト楽しいし得るものも沢山あると思ってるぞ」

 

 バイト代も出るしなー、と軽い口調で続けると和はひとまずは納得したようだった。嘘だ! と追及するのは簡単だが、たった一度のバイト。本人が納得していると言っているものに反論するには、状況証拠が足りないのである。

 

「送っていってくれますか?」

 

 という和の要望に、京太郎は二つ返事で頷いた。家も遠い訳ではない。若干遠回りであるが、同級生の女の子を送るのであれば誤差の範囲だろう。中学時代は咲や淡をよく送ったものだ。

 

 隣を歩く和をちらりと見る。

 

 まず最初に浮かぶ感想はおもちがおもちということ。そして美少女だなということだ。美少女を見慣れている贅沢な環境にある京太郎である。今更おもち美少女というだけで心を強く動かされたりはしない。精々興奮はする程度であり、大興奮はしない。

 

 中学時代一緒にいて高校に進学してからも一緒にいる咲がちんちくりんであるため、和との落差が際立って見える。同じく同級生の優希もちんちくりんであるから、巨乳の和は一年の中でも取り分け目立っている。

 

 おもちがあるという一点で特に男の評価は和がぶっちぎりになるだろうとも思うが、美少女度では三人にそれ程差はないというのが京太郎の見立てだ。眼福だし幸せなことだと思う。加えて三人とも麻雀が達者なのだから言うことはない。部活に所属するというのもなんだかんだで不安だったのだが、先輩二人も優しく実力者だし、打てるバイト先まで紹介してもらった。強豪校とはまた違うのだろうが、これはこれで最高の環境だと思う。

 

 ではこれで全国を狙えるかと言われると聊か厳しいというのが京太郎の見立てである。

 

 まずもって最大の障害となるのが龍門渕だ。京太郎たちから見ると一学年上のため、三年生になる頃には卒業しているはずだが、それは現状何の慰めにもならない。五人全員が全国常連の強豪校のレギュラーと比べてもそん色ない強さであり、事実彼女らは全員一年補欠なしという環境で全国に出場し好成績を収めた。衣に至っては照を差し置いて最多獲得点数記録者である。

 

 次いで風越。ここは何より選手層が厚い。龍門渕と双璧を成す県内の強豪校であるが、龍門渕が透華たちが革命を起こして部員たちを叩きだしたため、目下県内で最大の部員数を誇る。特待生制度も充実しており、県内外の選手を集めるのにも熱心だ。

 

 数多い部員の代表だという思いは、精神的な支柱になるものだということは名門校の方々から良く聞く話である。個人としては美穂子が龍門渕の五人と比べても油断できない相手であり、それに池田華菜を始めとした二年生が続く。強いて目に見える弱点を挙げるとするなら、美穂子以外の三年生が物足りないことだろうか。今の三年生が美穂子と同等かそれに準ずるくらい強ければ、去年の龍門渕ももっと苦戦したはずなのだが……こればっかりはどうにもならない話である。

 

 チームとして脅威なのはそれくらいだが、団体の全国への出場枠は一つしかないのだ。県内に二つもあれば多すぎるくらいである。解決しなければならない問題は山積みだがさて、大会までに何とかできるのだろうか。焦燥感は募るばかりだが、興奮している自分もいる。

 

 結果がついてくるとは限らない物事に気持ちを傾けるなどいつものことだ。ならばいつもの通りに全力を尽くすのみである。幸い、部員五人は自分よりも遥かに才能に恵まれている。共に戦うことができるのは幸運なことだし何より自分の勉強になる。和が言うほど京太郎の環境は悪いものではなかった。

 

「ここです」

 

 色気もない麻雀の戦術論を話題にした帰り道はあっと言う間に終わりを迎えた。原村家の門扉を背に和は小さく頭を下げる。

 

「送ってくれてありがとうございました」

「気にするなよ。咲にも優希にもすることだからな」

「遊んでいる風に聞こえますよ?」

「遊んでないのにそう思われるのは割に合ってないな……」

 

 苦笑する京太郎はそれを冗談だと思ったようだが、同級生の中には京太郎は咲と交際していると思っている人間が結構いる。そんな面々からすれば女ばかりの部活の唯一の男性部員である京太郎は、それだけでうわついていて見えるだろう。細やかな気配りのできる反面、自分のことには微妙に無頓着だ。そういう所は単純に好ましいと思う。

 

 そういう男性を罠にかけるようで気は重いのだが、それとこれとは話が別だ。和は心を鬼にして――少なくとも本人はそのつもりで家の呼び鈴を鳴らした。それが父への合図だったからである。

 

 ぬらりと玄関から出て来たのは、背の高い男性である。男性としてはそこそこ長身であるはずの京太郎よりもわずかに上背がある。身長にそれ程差がある訳でもなく、筋肉質という訳でもないのに威圧感を覚えるのは、その表情に寄るものだろう。

 

 いまだ未成年である京太郎には理解できない感覚であるが、年頃の娘が同級生の男子を家まで連れてくる状況というのが、父親から見て愉快なものであるはずがない。早々に退散するべきだと判断した京太郎はすぐさまそのように動こうとするが、

 

「あ!」

 

 という和の、実にわざとらしい声音に出足をくじかれてしまった。何だどうしたと和を見ると、彼女はわざとらしい声音で父に語り掛ける。

 

「もう遅いですから須賀くんを送っていってあげてくれませんかお父さん」

 

 まぁびっくりするくらいの棒読みである。家まで送ったこともここで和の父が出てきたことも仕込みであることは疑い様がない。状況は全てコントロール下にあると言わんばかりの真面目な顔をしている和に対し、娘がここまで大根役者とは思っていなかったお父さんはあきれ顔だ。

 

 男性二人の視線が交錯する。小さく、口の端を上げるだけの苦笑を浮かべた同級生の父親に京太郎は微妙な親近感を覚えた。

 

 

 

 




次回原村父編。カツ丼さんは出番調整中です。


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現代編04 清澄麻雀部改造計画②

 

 

 

 少年時代を主に年上の女性に遊んでもらって過ごした京太郎にとって、そのご家族と対面する機会というのはとても多いものだった。年齢一桁の頃でも女と遊ぶなんて……と同級生の男子にはからかわれたものだが、小学校も高学年になってくると今度は相手のご家族の反応も変わってくる。

 

 年頃というには聊か若いかもしれないが、それでも女の子が男の子を家にまで連れてくるというのは特別なものであるようで、お父さんもお母さんも生暖かい目を向けてくるようになった。

 

 中には大星家の男性陣のように苦虫を1カートン噛み潰したような顔をしていることもあるが、大星家に限ってはお母さんが男性陣を京太郎の視界に入れないようにしているため、あまり歓迎されていないという事実を淡から伝え聞いているだけで、実は一度も顔を見たことがない。

 

 聞いた話によれば皆細マッチョであるらしく、剣道柔道空手合わせて十五段のお父さんを始め少し年の離れた兄三人も皆腕っぷしが自慢であるらしい。

 

 そんな大星家の男性陣を除けば、女の子の男親たちからの京太郎に対する評価は概ね好評だったのだが、世の男親からすれば、娘に近づく男性など面白いはずがないというのは十分に理解できるものだった。

 

 なので今までのことはどうあれ、初めて会う女の子の男親というのは緊張するものなのだが、原村さんちのお父さんはまた、今まで出会ったお父さんたちの中でも別格の緊張感を持っていた。

 

 日本人男性の平均身長が約170センチである中、高校一年にして京太郎の身長は180センチを超えている。女子にしても小柄な優希などと比べるとまさに大人と子供くらいの身長差があるのだが、男性にしてもそこそこ高い身長を誇る京太郎をしても、原村さんちのお父さんは少し見上げる程に大きい。

 

 この上背をして仏頂面であり、少し聞いただけだが声も中々に渋い。そんなおじさまと逃げることの許されない車の中、二人きりなのだ。同級生のお父さんというバックボーンがなくても緊張するというものだろう。何しろ会話がない。和からお父さんのことはちらほら聞いてはいたが、彼に関して知っている情報というのは、弁護士であるということ、堅物であるということ、それから麻雀をやっていることに関してあまり良い顔をしていないということだ。

 

 趣味嗜好の解らない状態で、この縛りプレイはキツ過ぎる。せめて何かとっかかりがあれば良いのだが、コミュ力の高い京太郎をしても攻め手に欠ける状態だった。このまま何も会話せずにゲーム終了というのでも別に困らないのだが、この状況が和の仕込みの可能性が高い以上、これがある種のテストであることは想像に難くない。同級生の美少女に父親から、あいつはつまらない男だと言われるのは高校生男子としてはキツいものがあった。

 

 せめて会話の一つも弾ませてから帰りたい所である。同年代にしても機転が利く京太郎の頭脳は、会話のとっかかりを探してフル回転していたのだが、そんな努力も空しく、先に会話を切り出してきたのは原村さんちのお父さんの方だった。

 

「少し話に付き合ってもらえるかね」

 

 会話の種を探していた京太郎には是非もない話である。こくこく頷くと、原村さんちのお父さんは視線を前に向けたまま語り始めた。

 

「私は昔から勉強が得意でね。中学高校と一度も他人に一番を譲ったことがなかった。そんなものだから本当に増長したいけすかない男で自分が世界で一番賢い人間だと本気で信じていたよ。だから大学にも当然主席で入学するものだと思っていたのだが、結果は次席だった。人生初めての敗北だな。新しい生活の門出ともなる入学式の日、私は自分を負かした人間がどんな奴なのか怒りと口惜しさで一杯になりながら待っていた訳だが……現れたその人物を見て、私はこの世の真理と己の本質を知った」

 

 このおっさん大丈夫かな、というのが京太郎の正直な感想だった。自分語りが好きな大人には出会ったことがあるが、そういうお仕事でもないのに宗教じみた発想をするのは危険なサインである。どうやって無難に切り抜けようかと考えている京太郎に、お父さんのスマホが差し出される。

 

 見ろということなのだろう。正直全く気は進まないが、ここで見ないという訳にもいかない。恐る恐る画面をのぞき込んだ京太郎は――この世の真理と自分の本質を悟った。

 

 同時に、目の前の男性が自分に何を言いたいのかも理解する。信号で車を止めた彼は、京太郎に視線を向けていた。この男性に出会ったのは間違いなく今日が初めてのはずだが、自分を見つめるその視線にはある種の信頼が宿っているようにみえた。それは本質が共通するものに対する、本能的な信頼である。思わず京太郎の口を突いて出た言葉は、

 

「同志!」

「恵で良い。私も若い仲間に出会えて嬉しい」

 

 差し出された手をがっちりと握り返した。久しぶりに男の友情というものを実感した瞬間である。巨乳美少女のお父さんが自分と同じ趣味というのも危ない気はしたが、それは原村さんちの問題なので気にしないことにした。

 

 何よりこの写真だ。手元のスマホで視線を落とした京太郎は、思わず唾を飲み込んだ。

 

「この写真の人は奥さんですか?」

「大学生の時の私と家内だ。四年の夏休みに時間を無理やり作って、二人で旅行に行った時の写真だな」

 

 男女二人の自撮写真である。映っているのは今よりも大分若い恵と、美人を見慣れている京太郎でも思わず息を飲む程のおもち美人だった。淡い色合いの赤毛は肩まで伸ばしてあり、童顔だがその瞳には知性の色が感じられた。何より目を引くのはそのおもちである。和のおもちも十分暴力だがこの女性はそれ以上だ。

 

 大学四年ということは21、2歳。和も六年したらこうなるのかと思うと色々熱くなる。童顔というのは和と共通している。たまに彼女に感じる凛々しさは同志の遺伝かと思っていたが、全体的な雰囲気はお母さんの方が良く似ている。

 

 この顔でこのおもちで女子大生だ。相当モテただろうことは想像に難くない。それ故にこのむっつり同志がおもちを射止めたというのはにわかには信じがたい話だった。同士はどう見ても社交的で明るいタイプではない。写真の印象を見るに、和のお母さんとは正反対のイメージだ。にも拘わらず今は夫婦なのだから、未だ彼女のできたことのない京太郎は、その手腕に男として興味が尽きない。

 

「大学に入ってから知り合ったんですよね?」

「それまで勉学にしか打ち込んでこなかったからな。彼女の気を引くために何でもやったよ。最初は家内も話の合わない野暮ったい男だと思っていたそうだが……一年過ぎたら友人になり、二年過ぎたら親友になり、三年過ぎた頃にはお互い将来を意識していた」

 

 それは何とも幸運なことである。一歩間違えばストーカーだが、話を聞くにそういう扱いをされたことはないようだ。むっつり同志が認識している程、後の奥さんの評価は悪いものではなかったのだろう。社交的であろうとなかろうと、興味がない異性に対する女性の対応はつれないものだ。

 

「その旅行に出かけた頃には、卒業したら何処に住むかを話し合ってた。できるだけ都会が良いと言った私とできるだけ田舎が良いと言った彼女で早速意見が分かれてな。行きの車ではずっとディベートをしていた」

 

 昔を語る恵の顔は、本当に楽しそうだった。今でも奥さんを心の底から愛しているのが見てとれる。自分の両親も大概バカップルであるが、年齢を重ねても愛情が色あせていないカップルというのは、年若い身からすると心温まるものだ。

 

「実はな。和には東京で暮らさないかと話を持ち掛けている」

 

 だからこそ、気持ちの暖かくなっていた所に切り出された話は、京太郎にとって寝耳に水だった。京太郎が顔を向けると、恵の視線はまっすぐ前を向いていた。その横顔は気さくな同士ではなく、既に父親の顔に戻っている。

 

「当然転校するということになるだろう。それに和は反対のようで、全国で優勝したら考えなおしてくれと言ってきた。私はとりあえずその条件を飲んでいる訳だが……」

 

 そこで恵は京太郎の方を見た。納得がいかない、という考えはきっと顔に出ているはずである。家庭の問題だ。自分が首を突っ込むべきではないと心では解っていても、それを制御できなかった。付き合いは浅いが同じ部の仲間である。そして麻雀に真摯に打ち込んでいることは良く解っている。

 

 麻雀に限らず、勝負は水物だ。努力が必ずしも実を結ぶ訳ではないということは、京太郎自身、良く理解している。和は努力している。実力も実績もある。だが、同様の努力を一年、二年余分にしている連中が相手の全国で、一年生が優勝するのはどう考えてもハードルが高い。

 

 無謀な賭けであることは和だけでなく、恵も理解しているはずだ。それでも和がその勝負に乗っているのは、それだけ恵が本気であることを理解しているからだろう。さて、どういって説得したものか。判断に迷っている京太郎に、恵は苦笑を浮かべる。

 

「君だから単刀直入に言おう。私と家内は最終的に、和の判断に任せることにしている」

 

 雲行きの怪しくなってきた話に、京太郎は困ったように眉根を寄せた。

 

「仮に全国優勝しなかったとしても、和がどうしても嫌だと言うのであればそれを尊重することにすると妻と話し合って決めている」

「でも、それを伝えておかないと」

「ああ。あの子は自分で言ったことは守るだろうからな。全国で優勝できなければ、内心はどうあれ東京に行くことを是とするだろう。それは私や家内にとっては好ましいことではあるが、本意ではない。そこで君には娘をたきつけてほしいのだ。全国優勝するならそれでよし。仮にできなかったとしても、共に戦うくらいのことを言ってやってほしいんだよ」

「……おとなしくその事情を伝えた方が良いのでは?」

 

 律儀な性格な和は、そういう約束である以上、結果が伴わなければ約束を履行しようとするだろう。それはそれで人間として美徳であると思うが、和が意に反する行動をすることを友人としては看過しにくい。自由意志に任せるというのであれば、最初からそういう話を持ち出さなければよかったと思うのだが。視線で問うた京太郎に、恵は深い溜息で応える。

 

「東京で暮らしてほしいというのも私と家内の……というよりも私の本心だからな。その芽を潰すのには抵抗があるのだよ」

「詳しく聞かせてもらって良いですか?」

「元よりそのつもりだとも。和はもう高校生。おそらくは大学に進学するだろう。進路によって進学先は変わる訳だが、世にある大学の数を考えれば長野ではない可能性は大いにあるし、私や家内が住んでいる場所ではない可能性も同様だ。そして大学を卒業すれば就職する。勤め先についても進学先と同様だな。今の時代だ。日本を出ていくことも十分に考えられる」

 

 薄々、言いたいことが理解できてきた京太郎に、恵は視線を向けた。先の京太郎の真似をするように、その眉根は困ったように僅かに寄せられている。

 

「つまりだ。娘が高校生でいる今の内が、家族三人で暮らすことのできる最後のチャンスかもしれないんだ。私はそれを棒に振りたくはない。所帯を持っていない君には解りにくいかもしれないが……」

「奥さんは何て?」

「女々しい男だと笑われもしたが、好きにしろと言ってくれたよ」

 

 恵の言葉を聞いて、京太郎が感じるのは困惑だ。こんな話を聞いては、強く反対することもできない。友人である和の問題ではあるが、同時に原村さんちの家庭の問題でもある。絶対に家族は一緒に暮らすべきとは思わないが、一緒に暮らしたいという気持ちを否定するものでもない。仲良くできるなら仲良くするべきというのが、家族に限らず人間関係に対する京太郎のスタンスである。

 

 その家族の中で主義主張がぶつかるのであれば、どちらを取るのか決めるか妥協点を探るより他はないが、今回の原村家の場合は、着地点が明確に定められている。転校するかしないか。結果はそのどちらかだ。

 

 話の持っていきかた次第では一年くらいであれば先送りすることはできそうである。その場合、和にとって有利にはなるが、恵にとっては異なる。友人としては和の味方をしたくても、恵の話を聞いた後では手放しで同意することもできない。

 

 諸々の事情を理解させた京太郎に、恵は和の味方になってくれと言っている。それなら堅物のお父さんでいてほしかったと思わないでもない。どちらにも情が沸いてしまったら、どちらの側にも立ちにくい。それでも、娘の味方になってくれと言えるこの人に、京太郎は好感を持っていた。

 

 元より和の味方をするつもりではあったが、ご両親の後押しがあるなら少なくとも、行動の上では迷うことはない。

 

「……優勝も焚き付けるのも、結構難しい課題だと思いますけど」

「若い内には買ってでも苦労しておくものだよ」

 

 ははは、という短い恵の笑い声と共に、短い道程は終わった。自分の家の前に止められた車から一礼して降りる京太郎を、恵が呼び止めた。

 

「私の連絡先だ。和のことについて協力できることがあると思う。連絡は密にとれるようにしておきたい」

「了解です。今晩のうちに俺の方からも連絡を入れます」

「任せた、というのは聊か無責任ではあるが……娘のことをよろしく頼む」

「お任せください、というのは無責任ですが、とにかく全力を尽くします」

「話の解る男で助かった。娘のことで何か困ったことがあったら遠慮なく言うと良い。いつでも力になろう」

 

 見た目と相まって頼もしい言葉である。走り去っていく車を見送りながらスマホを操作する京太郎は、他人の目から見ても浮かれているように見えた。男性の連絡先が増えたのは実に半年ぶりのこと。クラスメイトよりも先に同級生の父親の連絡先を入手するのも、自分らしいなと思った京太郎は苦笑を浮かべて門を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日の清澄麻雀部部室。卓を囲む四人の仲間を、残りの二人が分担して配譜を取るといういつもの部活をしていると、ポケットの中のスマホが震える。ちょうど和がトップを取って1半荘終了したところだ。お茶を入れると立ち上がった京太郎はスマホを確認し、

 

「和ー、今日の夕飯はカレーだってさ」

「そうですか。ありがとうございます」

 

 何でもないことのように返事をする和だったが、何でもなかったのは数秒のことだ。京太郎の言葉が頭に染み入ってくると、違和感が首を擡げた。

 

「どうして京太郎くんがうちの夕飯のメニューを?」

「さっき恵さんからメールが来てさ。知り合いからおいしいカレーを貰ったんだと」

「恵さん!?」

 

 椅子から勢いよく立ち上がった和を見て、優希が小さく溜息を吐いた。基本的には感情の起伏の少ない親友であるが、だからこそたまに爆発した時の頑固さは目を見張るものがある。どうやら同級生の少年に父親の名前を出されることは彼女の琴線に触れたようで、感想戦も放り出して京太郎の方に駆けていってしまった。

 

「ちょっと待ってください。どうして京太郎くんが父と連絡を取り合ってるんですか!?」

「送ってもらった時に意気投合してさ。いや、中々愉快で面白い人だな恵さん」

「愉快!? おもしろい!?」

「和のお父さんってそんなに面白い人なの?」

「堅物を絵に描いたようなお人だじょ……」

 

 何度かおうちに遊びにいったことあるし、顔を合わせたことも少ないが会話をしたこともある。優希の印象は言葉の通りのもので、優希としてはあまり関わり合いになりたくない怖そうな男性だった。根が明るく社交的な京太郎とは全くタイプが違う様に思えるが、それを言ったら自分と和も大分タイプが異なる。

 

 性質の違いは友情を結ぶのに大した妨げにはならないのだな、と一人で納得した優希は、エキサイトする和を見ながら京太郎の作ってくれたタコスを頬張った。

 

「おかしいですよね!? どうして私と親しくなるよりも先に父と親しくなってるんですか!?」

「いやほら、男同士の方が話しやすいこともあるというか……そうだ、今度うちの親父も一緒にとんかつ食いに行くことになったんだ」

 

 ショックを受けた和の身体がぐらりと傾く。父親が自分の想像以上に同級生と仲良しになっていたことは、和にとってかなりのショックだった。昨晩京太郎を送った後、帰宅した父に聞いた京太郎の印象は、中々感じの良い青年だったという当たり障りのないものだった。

 

 基本、人間の評価が厳しい父親であるが、流石に娘の同級生には気を遣うのかと思ったのだが、まさかその裏で食事の約束までしているとは思ってもみなかった。

 

「原村さん、しょうがないよ。京ちゃんは京ちゃんだから」

「咲ー、フォローになってないぞー」

「目立たない所で人と仲良くなるの得意技でしょ?」

「得意ってほどでもないけどな……あぁ、さっきのとんかつだけど界さんも行くってさ」

「何でそういうことするの!?」

「別にお父さんが京太郎と仲良くなるのも悪いことではないんじゃない?」

「だってお父さん、話さなくても良いことまでべらべら喋るんですよ! 私がいつまでおねしょしてたとか、お姉ちゃんとプリンを取り合って大喧嘩したこととか……」

「かわいらしくて良いじゃない」

 

 完全に他人事である久は、にやにや笑いながら一年生たちを眺めている。まこが加わるまでほとんど一人。加わってからもずっと二人だった久にとって、後輩とバカ話をするというのはそれだけで楽しいことなのだ。

 

「こ、こんなにみじめな思いをしたのは生まれて初めてです。まさか、自分よりも先に父が同級生と親睦を深めるなんて……」

「そんなにとんかつ食いたかったのか?」

「とんかつのことは忘れてください!!」

 

 ふー、と大きく息を吐いた和は優希の方をじろりと見た。まさか自分にまでお鉢が回ってくるのかと身構えた少女は、タコスと共にまこの後ろに隠れた。そこで自分の後ろを選んでくれなかったことに、地味に久が傷ついていたのだがそれはそれとして。

 

「優希。これからしばらくは京太郎くんとお昼を一緒にしましょう。一年生で親睦を深めるんです」

「親睦って何というか、そういう風に深めるものじゃないと思うんだじぇ……」

「もはや一刻の猶予もありません。親密度で父に負けたままとあっては、母にも笑われてしまいます」

 

 何とも良好な親子関係である。もう少し腰を落ち着けて話し合えば進学の問題も家族の問題も解決しそうに思えるのだが、こういうところまで含めて原村さんちの教育方針なのかもしれない。京太郎の目から見ても和は頭が良いし善良だ。少々堅物な所があるが、それも美点と思えばかわいいものである。

 

「別に良いぞ。じゃあ明日から俺たち四人で昼飯だな」

 

 京太郎の返事は軽いものである。学校一の美少女と評判の和の他にも美少女二人。加えて男性は一人となればやっかみの一つや二つは受けそうなものだが、女子主体の交流をするのは昔から慣れたものだし、ほとんど常に一緒にいるというのは、中学の時に咲で通過済みだ。

 

 その落ち着きっぷりがまた、和を苛立たせていた。

 

 普段は全く気にしていないが、少なくとも平均よりも優れた容姿をしているという自覚のある美少女にとって、自分が関わった異性が無味乾燥というのは傷つく反応である。同級生との親密度で父親に遅れを取ったことで、気持ちが荒れていたというのも、あったのかもしれない。これでは足りないと思った和は、思いついたことを考えもせず、そのまま口にした。

 

「京太郎くんのお弁当は私が作りますから!」

「……それは悪くないか?」

「問題ありません。これは私と父の戦いなんです。京太郎くんは黙って、私のお弁当を食べてくれれば良いんです」

「それならごちそうになろうかな……」

 

 流れで同意した京太郎の前で、和は小さくガッツポーズだ。そんなに恵に遅れをとったのが悔しかったのだろうか。想像したが、確かに自分の父親が咲や優希と仲良しだったら自分だって複雑な気持ちになる。娘としては自然な反応なのだろうと思い直し、皆にお茶を配る。

 

 それで話は一度終わり、感想戦に繋がり普段の麻雀部の光景に戻った。これで自分の大勝利は疑いがない。和は内心で父に対する勝利宣言をしていたのだが、翌日、お返しにと作ってもらった京太郎作の女子用弁当のあまりのおいしさに改めて女子として完敗することになった和は、後に麻雀以外に一生涯の趣味になる料理に目覚めることになるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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現代編05 清澄麻雀部改造計画③

 

 

 雀荘でのバイトを始めて一週間が過ぎた頃には、京太郎は既に十年働いてますという貫禄を持つに至っていた。業務のほとんどを一人で行えるようになり、レパートリーの一つは新メニューとして採用もされた。従業員にも来店客にも信頼され将来まで嘱望されている始末である。

 

 まこの両親もこのままうちに就職してくれないかしらと思うまでになっていた。娘が後輩を連れてくると聞いた時には頭数が増えるくらいにしか考えていなかったのだが、やってきたのは打ち子の天才といるだけでも集客になるような美少女である。

 

『この店継がない? 今ならまこも付けるけど』

 

 今時娘の将来を親が決めるのもどうかと思ったものの、それだけまこの両親に須賀京太郎という少年は有望株に見えた。これで娘が大反対しているのであれば考えもするが、やり取りを見るに満更でもなさそうである。バイトの同僚が巨乳美少女という懸念はあるものの、まこも見てくれは悪くない。ダメ元くらいの軽い気持ちのまこの両親からの言葉に、京太郎は苦笑を浮かべて返した。

 

『俺にはまこさんはもったいないですよ』

 

 定番のお世辞であるが、嫌みは感じられない。こういう言葉を普段から言いなれているのだろう。実に堂々とした所作にまこの両親の好感度は更に上がった。事あるごとに『捕まえるならああいう男にしろ』と言われ続けることになるのはまこにとっては不幸なことであるが、結婚というのはいつか考えることでもある。

 

 別に強く男性とお付き合いしたいという願望がある訳ではないが、京太郎ならまぁ悪くはないだろうと思っているのは自分だけではないはずだ。とは言えがっつく程でもない。機会があればというくらいの軽い気持ちで日々を過ごすまこの足取りは、何故か京太郎がバイトを始める前よりも少しだけ軽くなっていた。

 

 さて、そんな貫禄を持ち始めた京太郎に与えられたその日の仕事はなぜかカツ丼を作ることだった。

 

 煙草をぷかぷかふかしたおっさんたちのたまり場だった頃の雀荘の食事と言えばカップラーメンとレトルトのカレーが定番だったと聞いているが、女性でも子供でも入れるようになった現代、真面目に経営している雀荘はそんなことでは許されない……ということもない。

 

 そも、食事にばかり力を入れて、環境がおざなりになってしまっては本末転倒だ。ルーフトップでも食事は提供されるがどれも軽食の部類でありがっつりしたものを食べたい場合は、出前を取ることにしている。それなのに京太郎ががっつりカツ丼を作らされているのは、何でも先方からのリクエストであるという。

 

 カツ丼大好きな常連さんが、料理ができるバイトが入ったのならとリクエストしたのだそうな。何とも面倒なことだと思わないでもないが、料理は母親に無理やり仕込まれたバイオリン以外に、京太郎が特技と言える数少ない一つである。作れと言われたら作らざるを得ない。それが女性であるなら猶更だ。

 

 テキパキとカツ丼を作る京太郎を、どんよりとした目で眺める者もいた。同級生にしてバイトの同僚である原村和である。フロアはまこが回している。余った和は京太郎の補佐ということで厨房に回されたのだが、全くと言って良い程することがなかった。

 

 気を使った京太郎は仕事を割り振ろうとしてくれるのだが、明らかに二人でやった方が一人でやるよりも遅くなってしまうのでは、申し訳なさの方が先に立ってしまう。

 

 これが原村家ないし、須賀家の厨房で二人でクッキーでも作っているのであればいくらでも時間をかけても良いのだが、今は仕事中であり、ここは先輩の家業である。持前の責任感から手伝いを固辞した和は、何もしない訳にはいかないと、それ以外の雑事をこなした。

 

 と言っても、軽食はそれほど頼まれるものでもなく、飲み物はドリンクバーが設置されている。唯一ホットコーヒーだけがセルフではないが、これもまたがぶがぶ飲まれるものでもない。少し溜まっていた洗い物は全て終わってしまった。京太郎が使う丼も、既に十回くらいぴっかぴかに磨いている。かわいいメイド服を着てすることが、料理をする男性の後ろで座っているだけなのだ。

 

 メイドとは一体何なのだろう。年頃の女子として、少しだけ惨めな気持ちになる和だった。

 

「ほら、和」

 

 あーん、と差し出されたスプーンを咥える。とろっとろの卵はとても美味しかった。素直に口にするのは悔しかったので、どうだ? という京太郎の問いに小さく頷くだけだった。

 

「そりゃ良かった」

 

 京太郎はにっこりと笑って仕上げに取り掛かる。何というか、無邪気に笑う少年だ。たまに胸に視線を向けたりするが、他のおじさんたちのように無遠慮でもない。年頃の男性にありがちながっついた雰囲気もないし、高校生にしては紳士だなと和の評価も高いのだが、それを話した時の母の言葉は和の考えとは全く異なるものだった。

 

『それは羊の仮面をかぶってるだけだよ。男は皆狼だから。間違いないから。恵くんだって初めての時――』

『コーラで洗えば大丈夫だとかナメたことを言ったお父さんに頭突きを食らわせた話なら百回は聞きましたよ』

『私ってば謙虚だね。もう千回は聞かせたと思った』

『娘としては、あまり両親の性的な話を聞きたくはないものなんですが……』

『女を下げずにそういう話をできるのは、この世で母親だけってことは覚えておいて?』

 

 何というかつかみどころのない母である。これで真面目な顔をして普段は検事をやっているのだから、この国の法曹界は大丈夫なのかと不安にもなる。狼……と思って京太郎を見る。身長は高い。女性として標準的な背丈の和から見ると見上げる程だ。

 

 運動部に所属していたことはないらしいのだが、引き締まった体型をしており、体育の時間でも運動部の同級生に交じって活躍しているくらいだ。麻雀に対する姿勢は真剣そのものであり、二人の先輩からも、四人いる一年生の中で間違いなく一番信頼を寄せられている。

 

 そこそこ真面目な人間であるという自負のある和からすると、その判断は聊か悔しくもあるのだが、おいしい軽食なり甘味なりを出してもらうと、文句を言う気も失せるというものだった。

 

 和が難しい顔で須賀京太郎とは、という難しい問題に直面している内に、京太郎特製のカツ丼は完成していた。お店の丼にそれを盛りつけ、おぼんに乗せたのを確認する。よし、とうなずいた京太郎はそれを写メにとってどこかに送信していた。

 

「誰に送ったんですか?」

「シズと純さん」

 

 純さん、と聞くとピンとこない。しばらく考えてそれが龍門渕のイケメンさんだということに気づいた。彼の知り合いの中で食いしん坊なのがその二人ということなのだろう。清澄麻雀部の中では京太郎一人が健啖だ。食事では中々肩身の狭い思いをさせているのだと思うと、同級生としては聊か心苦しい。

 

「まこ先輩、できましたよ」

「時間ぴったりじゃな」

「この時間に作れってリクエストでしたしね。後は先方が時間通り来てくれるかですが」

「そりゃあ大丈夫じゃろう」

 

 約束の時間は午後五時。今は四時五十分だ。几帳面な人間であればそろそろ来てもおかしくはない時間だが、それは人に寄るというものだ。来てから作るのでも良かったのだが、約束の十分前にできるようにというのはまこの指示である。まこが言うならば、時間に正確な人なのだろう。平日の昼間、この時間に雀荘に来れる人間は普通の勤め人ではないのだろうが……

 

「そういえば、どんな人なんですか? 常連さんって」

「島さんたちから聞いとらんのか? ごひいきとしては有名な人だと思っちょったんじゃが……」

 

 有名な人のようである。そして、ならば本人が来るまで口を割るつもりもないようだ。気にならないではないが先輩の配慮を無下にするのも後輩としてどうなのかと思う。カツ丼もできたことだし、後は常連さんの登場を楽しみにしていよう。

 

「あら」

 

 カウベルの後、現れたのは京太郎も知る有名人だった。切れ長の目が京太郎と、メイド服を着た和を捉える。ついでまこを見たその人は、まこではなくまこのお母さんを呼び寄せた。

 

「……三角関係?」

「だったら良かったんだけど……」

 

 だろうな、と懐から洒落たキセルを取り出したその人は、漂う匂いに思い直しいそいそと懐に戻した。

 

 色の印象は黒。知り合いの女性の中では正しく攻撃的なファッションをしている。短い黒髪と言い、へそ出しと言い、皮のチョーカーと言いブレスレットと言い、自分の装いに強いこだわりを持っているのは理解できるのだが、自分の周囲にはあまりいないタイプの装いに、京太郎は内心、ちょっとだけ引いていた。

 

 しかしそれはおくびにも出さない。女性のすることはまず肯定すること、という人生哲学に則り、笑みを浮かべた京太郎はカツ丼の盆を持ち、一礼する。

 

「須賀京太郎と申します。お会いできて光栄です」

 

 一礼を受けるその人の名前は、藤田靖子。捲りの女王(リバーサル・クイーン)と呼ばれる強者であり、学生時代には咏とも鎬を削った競技プロだ。あまり咏から話を聞いたことはないが、友人であることは察せられる。ならば咏に接するように接しなければ恥をかくのは咏だ。

 

 脳裏に描くのはハギヨシである。自分は執事、相手はお嬢様と念じながら振る舞う京太郎に、靖子は目をぱちくりとさせていた。制服にエプロンという高校生のバイト然とした恰好だが、所作に隙がない。これで正装でもしていれば流行りの執事にでも見えるかもしれない。女子の制服がメイド服なのだからさもありなんだが、靖子にとって目下の目標はカツ丼だ。

 

 美味いカツ丼を作るバイトが入ったとまこが言うから、予定を繰り上げてやってきたのだ。目配せをすると、京太郎は立っていない卓に靖子を案内した。すぐにカツ丼はセッティングされる。

 

 美味そうだ。予想が裏切られることは多々あるが、直感でそう思ったものが大きく外れたことはない。少なくともはずれではないと察した靖子は、猛然とカツ丼の攻略を開始した。カツ丼を一口、また一口と食べる。それを黙ってみている京太郎。もくもくと、しかし凄い勢いでカツ丼を平らげた靖子は、お茶を啜った後、長い長い溜息を吐いた。

 

「……美味い。特別な日に食べるなら出前を取るが、毎日食うならこれだな」

「ありがとうございます」

 

 それは京太郎にとって最高の褒め言葉だ。息を吐く靖子に、いそいそとまこが二杯目のカツ丼を持ってきた。二杯、もしかしたら三杯というのがまこの予想だ。一杯でもボリュームがあるはずだが、箸の速度に衰えはない。料理を作る人間にとって、健啖な人間というのは癒しである。二杯目を平らげた靖子にお茶を入れながら、今思い出したように、弟子としての仕事を始める。

 

「ところで藤田プロ。一つお願いがあるんですが」

「カツ丼の礼だ。大抵の事は聞いてやろう」

「実は俺、麻雀の先生がいましてですね。その先生から業界関係者と顔を合わせた時は絶対に報告するようにと念を押されてまして……」

「中々俗物的な師匠だな」

 

 普通はそう思うのだろう。傍から見れば弟子が有名人に会ったら自分も! と言っているように見える。事情を知っているまこは後ろで笑っていた。常連である以上靖子は知り合いのはずだが、後輩の特殊な事情は伝えていないらしい。所謂サプライズという奴だろうか。あまり話が大きくなるのは弟子としては考え物ではあるものの、それで誰かが損をする訳でもない。大事な先輩が喜んでくれるなら、後輩としては本望だった。

 

「解った。その師匠と話をすれば良いのか?」

「はい。今の時間ならあちらも時間が取れると思うので」

 

 ぱぱ、となれた様子でスマホを操作する。連絡する頻度の高い咏相手であるから、操作も慣れたものだ。今日は大会などの日程は入っていないはずだから、まさに対局中、というのでもなければすぐに出てくれるだろう。コールで待つこと3つ。

 

「どうも。京太郎です。実はバイト先に藤田プロがですね……はい、今替わります」

「電話代わりました。私は佐久フェレッターズの――」

『靖子ちゃんだろ? 知ってるよ。おひさー』

 

 靖子は絶句する。実業団あがりの麻雀プロである靖子は普通のプロよりも顔が広い。そんな環境の中、色々な麻雀打ちを見てきた靖子が感じたことは、所謂業界人と目される連中は自分も含めて突飛な性格な者が多いということだ。

 

 そして電話の向こうにいるのはその中でもとびっきりの変わり者だ。

 

 靖子の脳裏にひらめくものがあった。この女に弟子がいるという噂は少し前から業界を駆け巡っていた。詳しい話は漏れて来ず、どうやら大分年下の男子らしいという情報しか靖子は知らなかったのだが、

 

「そうか。この子が噂の弟子か。男性とは聞いてたが高校一年とはな。一体いつから目をつけてたんだ、三尋木」

『出会いは小学生の時だぜ? あ、一応釘刺しておくけど、靖子ちゃんでもやらねーからな』

「他人の弟子を強奪するほど飢えてないさ。まぁ、こんな美味いカツ丼作れる人間だ。近くに置いておきたい気は少なからずあるが……」

 

 三尋木咏を敵に回してまですることではない、と業界関係者なら結論付けるだろう。ならば麻雀で決着をつけようというのが業界の流儀ではあるが、九大タイトルの一つを持っている咏は日本でも五指に入る実力者だ。彼女をなぎ倒せる人間は業界全体を見ても少なく、自分では力不足というのが靖子の見立てである。

 

「バイトしてる時にカツ丼を食わせてもらう程度なら良いだろ?」

『それくらいなら良いよー。ああ、京太郎に代わってもらえるかい?』

 

 軽い調子で言う咏に、靖子は苦笑を浮かべながらスマホを京太郎に返した。

 

『失礼のないようにな』

 

 平素あまり聞かない咏の真面目な声に、京太郎は思わず姿勢を正した。弟子にとって師匠の言葉は絶対である。本人を前にしても実感のわかなかった靖子であるが、そんな京太郎を見て彼らの言い分が事実であることを理解した。

 

(噂には聞いてたがまさか『あの』三尋木の弟子がこんなとはな……)

 

 変わり者の多い麻雀プロの中でも三尋木咏はかなりの変わり者で知られている。その弟子なのだからイメージは同様に変わり者というのが業界人の共通認識だった。それを悪いとは言わない。むしろ話のタネに変わり者の師弟というのを期待している向きもあった。記者などはその方が面白いと言っているくらいだ。

 

 実物を見てみると、なるほど咏の弟子はこうなるのだろうな、という考えがしっくりとくる少年だった。弟子の方に責任感があったというのも大きい。責任感のある少年が変わり者の師匠を見て育てば、しっかり者になるのも当然と言えた。

 

 だが、咏一人の教育ではここまでにはならないだろう。年齢的に考えて、咏が付きっ切りになることができたのは長くても二年。彼女は高卒プロだ。元々彼には素質があって、咏以外にも師匠に恵まれていたということなのだろう。その集大成が、三尋木咏の弟子としてここにいる。

 

 靖子は弟子の存在を噂でしか知らなかった。当然、咏本人が吹聴している訳ではないことが察せられる。実物を見てみるとあの咏のことだ。ここまでデキの良い弟子であれば、自慢して回りたかったに違いない。

 

(カツ丼も美味いしな)

 

 靖子の最も評価の高い所はそれだった。麻雀プロというのも過酷な職業である。流石に個人で雇っているのは稀だが、一部リーグのチームであれば専属の栄養士やトレーナーを雇っているのは当たり前だ。身体が資本であるのはどの業界でも同じこと。偏食で知られる靖子も、チームの栄養士には事あるごとに小言を言われている。

 

 それでも靖子が健康診断で問題なしという状態になっているのは、せめて試合の時だけでもと彼女らが食事に気を使ってくれているからに他ならない。ならば常から食事に気を使えばとも、特に高校の同級生からは言われるのだが、食生活をコントロールされるというのはそれはそれでストレスが溜まるものなのだ。

 

 カツ丼を好きな時に好きなだけ食べるというのは、藤田靖子が麻雀プロとしてやっていくのに必要不可欠な要素なのである。

 

 それを考えれば、京太郎のこのカツ丼は素晴らしいの一言に尽きる。このカツ丼を作ってもらうためだけに、彼を雇っても良いくらいだ。これで麻雀の話もできるのであれば多少高給であっても十分におつりが来る。

 

 だが靖子が京太郎の雇用を真剣に考えたのは一瞬だった。それだけ三尋木咏の弟子という肩書は重い。師匠であれば弟子の将来を考えるのは当然のこと。実力社会である麻雀業界で食わせようとするのであれば猶更だ。全く関係ない業界に行くのであればいざ知らず、麻雀業界に属する人間が彼を引っ張ろうとすれば大なり小なり咏は間に立つことになるだろう。

 

 それは本人が望む望まないに関わらずのことである。

 

 そしてタイトルホルダーの一人である咏の名前は、麻雀業界で無視できるものではない。現役の麻雀プロの中でも海外人気は突出しており、実家は神奈川の名家だ。友人の一人としては咏がそこまで一人の人間に固執する様というのも想像できないが、喧嘩になる可能性があることを考えると、やはり二の足を踏む人間も多い。

 

 逆に京太郎の立場に立って考えればこれほど心強いつながりもない。ある程度の自由は制限されるだろうが、咏と少しでもつながりを持ちたいと考える人間ならば、彼の指名を拒否する理由はない。こと麻雀業界に限ってならば、彼の将来は半ば約束されたようなものである。

 

 無論、それまで咏が権勢を保っているという条件は不可欠であるが、あの三尋木咏が失墜するという未来も想像しにくい。宮永照を筆頭に最近の女子高生は粒ぞろいである。プロとして今すぐにでも通用する人間は多々見られるが、そのプロの中でも咏の実力はトップクラスだ。粒が真に宝石となるまでにはまだ時間がかかる。

 

 それでも咏やはやりなど、トップクラスの牙城を崩すことができるかは未知数であるが……それも麻雀の面白い所だ。プロの一人としてだけでなく、一人の麻雀を愛する者として業界の行く末は楽しみだ。

 

「ま、未来のことは未来のこととしてだ。今日はプロとして後輩の頼みを聞くためにきた」

「和たちの特訓ってことですよね?」

「お前も含まれてるぞ? 正確には清澄麻雀部の強化だからな」

「俺は個人戦にしか出ないんですが……」

「だからって手を抜いて良い理由にはならん。三尋木の弟子なら猶更だ。無様な麻雀打って師匠の顔に泥を塗りたくはないだろう?」

 

 配慮には感謝しなければならない場面だった。久にとっての悲願は団体戦で全国優勝することだ。つまり女子の団体戦に参加することのできない京太郎はその枠の中には含まれていない。京太郎自身も、咲たち女子が優先ということで納得もしている。咲や優希のフォローというのもそれはそれで勉強になるし、そもそも女子優先されているだけで面子にさえ困窮している部では京太郎も卓に入ることは間々ある。

 

 それでも外から見ればないがしろにされているということもあるのだろうが、男子一人に女子五人というのは厳然たる事実である。部費も麻雀部ということで一括で支給されており、部室も一緒に使っている以上人数の多い方が優先されるのは自然なことだ。

 

 元より、女子の中で育ってきた京太郎にとって女子が優先されるのはいつものことである。全く麻雀に触れられず雑用しかやらせてもらえないのならば考えもするが、卓に入って打つ以外にも久と一緒に他校の分析をすることもしばしばだ。思っていた以上に、部での生活は京太郎にとって充実したものだった。環境に不満はないのだが、久はそれでも自分のために枠を用意してくれた。

 

 それはついでかもしれないが、京太郎にとっては嬉しいことだった。師匠がトッププロであっても、単なる麻雀好きの一人として、プロと打つ機会と言うのは得難いものだ。プロ本人も乗り気であるなら、これに乗らない手はない。遠慮したのも一瞬のこと。靖子の言葉を受けて、京太郎は気持ちを切り替えていた。

 

「それじゃあ、これから麻雀を?」

「ああ、私は入らんけどな」

 

 切り替えた気持ちが、微妙にしぼんでいく。一緒に打つものと思っていた京太郎は、視線で聞き返した。

 

「久のリクエストは徹底的に、ということだったからな。まずはお前たちの実力を後ろから見させてもらおう。そんな訳でおっさんども、場代は私が持つぞ、この二人と打ちたい奴はいるか?」

 

 一斉に手を挙げたおじさんたちの大じゃんけん大会を後目に、京太郎は思っていた以上に部長が本気で一人しかいない男子部員のことを考えてくれていることを知った。



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現代編06 清澄麻雀部改造計画④

 須賀京太郎の闘牌を見て最初に靖子が感じたのは姿勢が良いということだった。

 

 麻雀という競技の特性故か、上も下もプロもアマも、とかく競技中は背中が丸まることが多く、特にプロの団体は新人指導の際、姿勢良くということを必ず指導される程に業界全体の問題となっている。

 

 ただ染みついた習慣は中々抜けないもので、プロでも特に長考する時などは身体を前に乗り出し猫背になる姿が放送される始末だった。靖子も学生時代は姿勢が悪く、実業団に入ってからトレーナーに矯正された一人であるから、学生選手の姿勢の悪さというのは過去の自分に重なるようで良く目に入ってくるのだが、学生特有の姿勢の悪さが須賀京太郎には全く見られない。

 

 背筋をしゃんと伸ばし、卓全体、対戦者全員を見渡している。そのまま教本に乗せても良いような綺麗な打ち姿だ。顔立ちはハンサムとするには意見の分かれる所であるが、人目を惹く燻ぶった金髪と上背は目に映える。

 

 現在、男子プロの人気は低迷している。これで腕が良ければ、南浦のおっさん辺りが放っておかないだろうなと思いながら打ち筋を眺めてみる。

 

 選択に迷いがない。そして間違いもない。ツモって並べた牌の上に一旦置き、捨てるべき牌を掴んで河に捨てる。手牌もきっちり整えられている。河の捨て牌まで綺麗だ。

 

 惜しむらくは極端に運が悪い所だ。後ろで見ていて、靖子でも同じ判断をするという選択がかなりの割合で裏目を引いている。本人の引きが弱いのだろう。ここだけを見れば剛腕で相手を捻じ伏せていく咏の弟子とは思えないが、靖子には彼女の教育が隅々まで行き届いているのが感じられた。

 

 適当な性格と本人の振舞いからプレイングも適当と思われることの多い咏だが、実際にはそうではない。身長の低さからあまり目立たないが姿勢は良いし、手牌も捨牌も綺麗である。

 

 この手の技術というか振舞いはハイソな生まれの人間に強い傾向があり、上流階級出身の部員が多い部などは部全体がきっちりした打ち回しをしていることもある。麻雀の感性とは別の部分であるため、生まれついてというのは中々いない。選手として強かったとしても、それに相応しい振舞いができないようでは、プロとしてやっていくのは厳しいものだ。

 

 腕だけがあれば良いと考えていた学生の頃が、靖子にも懐かしく思える。完全に思い上がっていた学生時代の自分に会う機会があったら絶対に張り倒している自信があるが、仮に学生時代、同じ部に京太郎がいたら気後れしているようにも思う。

 

 結果が全ての競技選手としてはともかく、麻雀打ちとしてはデキが良すぎる。広い視野に深い理解。客も手を止めて京太郎の打ち回しを見ているに、打ち子として信頼もされている。おそらくだが他人に教えるのも上手いだろう。女子部であれば同年代の女が放っておくはずもないのだが……

 

 そこまで考えて、靖子は旧友の姿を思い浮かべた。

 

 きっとあの合法ロリはこの少年のことが大好きなのだろう。自慢したくてしたくて仕方がないはずだ。靖子も自分に置き換えてみれば気持ちは良く解る。女子プロは婚期を逃すというジンクスが囁かれる昨今、相手を見つけられる確率はそのジンクスが真実味を帯びる程度には低い。

 

 そんな中、女子プロにしては珍しく咏にがっついた所が少しもなかったのは、こういう原因があったからなのだ。高校一年ということは咏から見て八歳年下だ。それだけ年下の顔の悪くない少年に先生師匠と持ち上げられたら、そりゃあ舞い上がりもするだろう。大金を積んででも立場を代わりたいという女子プロはいくらでもいるはずだ。

 

 かくいう靖子もこれだけデキが良いのであれば、男であるということは抜きにしても付き人としてほしい。来歴性格容姿を伝えれば明日からでもチームのスタッフとしてねじ込むことは十分に可能だ。後は本人のやる気次第であるが……麻雀プロで高卒プロというのは珍しくないが、高校中退というのは皆無に近い。今から業界に首を突っ込ませたら、その忙しさによっては中退というのも現実味を帯びてくる。今の時世男性でそれはかわいそうだ。

 

 三尋木咏に弟子がいるという話は最近出てきた話題であるが、名前以下正確な情報が出てこないのはやはり、咏が現時点ではそれほど本気ではないということだろう。男子一生の問題だ。自分の所に来ないまでも、これを逃すのは業界人として大きな損失だ。急いてことを仕損じるくらいなら、待ちを選択するのも勝負事には必要なのだ。

 

「それで……どうでしょうか?」

 

 咏の弟子でありながら、他人にもアドバイスを求めることができる。殊勝な人間だ。咏の性格を考えると弟子が他人に教えを請うているというのは我慢のならない状況だと思う。育ちの良い彼女はきっちりと筋道は通すし義理堅く総合評価では良い奴に落ち着くが、短気な所がちらほら見られるし何より注文されたからあげ全てに勝手にレモンをかけるほど自分勝手だ。

 

 それが経緯はどうあれこれだけ立派な弟子を育てていたのだから、長い付き合いの友人としては協力してやりたい。京太郎の打ち回しを思い返し、何かアドバイスできないものかと考えを巡らせる靖子だったが、

 

「お前、中学の時部活は? 教室には通っていたか?」

「帰宅部でした。教室には通ってませんでした」

「そうか……なら、言うべきことは何もないな。お前が歩いているのは正しい道だ。道を誤らず、そのまま進め。精進を怠らなければ自ずと新しい道も拓けるだろう」

 

 相手のことを何も知らなくても言うことのできる感想は京太郎の望んでいたものではなかったようで、笑顔の奥に落胆の色が見える。そういう反応をされると靖子も心をくすぐられるのだが、男性高校生ということを考えればかなり高い水準で技術はまとまっている。今何より京太郎に必要なのは経験だ。

 

 インターハイで名を挙げるような選手は幼い頃から教室に属し、中学でも当然麻雀部に所属。大抵はインターミドルやら県大会やらで名前が知られるようになり、インターハイで本格的に開花する。無論遅咲の人間もいるが、インカレでようやく花ひらくような才能というのは極めて稀だ。

 

 大体の選手は集団の中で育ち、才能を研磨していく。同様の才能であるのならより多くの時間、相手と打った方が総じて良い結果が出るものだ。先達としては全ての志を持った選手に良い環境を用意してやるべきなのだろうが、色々な事情から恵まれた環境を手に出来ない人間もいる。

 

 清澄の麻雀部等はその最たる例だろう。女子は団体戦ぎりぎりの五人しかいないし、男子に至っては京太郎一人だ。例えばこれが風越ならば部員は100人弱。きっちり100人いるとして、同じ学校の中でも質を問わなければ相手は99人もいるし、採譜などの作業も分担することもできる。清澄ではその作業すら交代でやらざるを得ない訳で、更に言えばそれはたった一人の男子である京太郎に振られることが多いだろうことは女子の身であれば想像に難くない。普通に考えれば女子の中に男子一人というのは、男子の選手が麻雀をやるに当たっておよそ最悪の環境なのだ。

 

 六人しかいない部員。男子は自分一人。加えて中学時代教室に通わず帰宅部なら、牌に触って打つ時間が圧倒的に足りていない。今時分はネットで打つことも可能だが、京太郎がやろうとしているのは競技麻雀。四人の人間が集まり実際に牌を触って行う麻雀だ。やっていることは同じでも実感が伴うというのは感覚が異なるもので、ネット強者がリアルだとイマイチ実力を発揮できないというのは良くある話である。

 

 とにもかくにも京太郎に必要なのは経験だが、不遇な環境の現時点でここまで打てているのだ。より良い環境を探すのならばまだしも、現状を改善というのであれば靖子にはとんと思いつかない。どういう環境にあっても、正しく精進できていた証拠だろう。適当に手を入れると、その習慣まで台無しにしかねない。

 

「正直これほど正道を行く打ち回しをする人間も珍しい。特殊な感性を持っている奴やそれに指導された奴は何かしら牌効率から見て歪みが出るものなんだが、お前は三尋木に教えを請うて何やら特殊な感性を持っているのに、理論と確率を信じてそれに沿った打ち回しをしている。強いて言うならいかなる時でもその打ち回しができるようにブレないことだな。後は体力をつけろ。走り込みとか良いとは聞くな。私は死んでも御免だが」

「走り込みですか……」

 

 体力は全ての資本である。座って頭を使い続けるというのは意外と体力を使うもので、プロの団体でも体力作りは推奨されているが、画面映えの為に半ば強制される姿勢矯正と異なり、こちらは選手の自由意志に任されている部分が大きい。

 

 そして元々スポーツを嗜んでいるのでもない限り、率先して体力作りに取り組むプロは多くない。靖子もその一人であるが、他人、それも男子相手であれば言うのはタダだ。元よりあって困るものでもない。若く時間のある内ならば猶更取り組んでおくべきだ。

 

「体力は全ての資本ということだな。お前の様に対局中に気を張り続けるというのは思いのほか疲れるものだ。というか、全力で打ちまわすとしてどれくらいの間集中力を持続できる?」

「相手にも依りますが、連続してなら半荘にして四回ってとこでしょうか」

「誰が相手だとしても最低でも五回。最終的には10回くらいを目標だな。後は流し運転で打ちまわすことを覚えれば良いと思うが……それは打ち子が良い修行になるだろう。私としては高校の卒業まで、ここでのバイトを続けることを強く勧める」

 

 イエス! とまこ母が小さくガッツポーズを決めていた。ルーフトップのスタッフの中で、京太郎に強く継続したバイトを勧めていたのは彼女である。

 

「まとめるとだ。寄り道するな。よそ見をするな。油断するな。以上だ。後は三尋木に、藤田は意外とまともなことを言っていたとしっかり伝えておくように」

「伝えます」

 

 途中のアドバイスよりも、最後のお願いの方に力が籠っていたように思える。咏の交遊関係について京太郎は実の所あまり把握していない。彼女が高校生の時は同じ部のお姉さんたちにも教えを請うたものだが、それ以降は顔を合わせていないし、まだ繋がりがあるのかも良く解らない。

 

 プロの関係で咏と交流があると確信が持てるのは健夜とはやり。後は解説で良く一緒になる針生アナくらいのものだ。社交力は決して低くはないはずなのだが、あまり友達の多くない咏である。

 

「それで藤田プロ、和の方は?」

「ん……須賀に比べるとイマイチだな」

 

 むっとした表情で和が立ち上がるが、文句は出てこなかった。京太郎と比較しての評価しか口にしていない状態で反論すると、話が彼にも飛び火することに気づいたからだ。和としても、京太郎のことは評価している。彼の師匠の知己とは言え、プロから悪くない評価を貰った友人を巻き込むのは和としても避けたいことだった。

 

 しかしそれはそれとして、自分を指してイマイチとされるのは納得のいかないものである。立ち上がった和の顔を見て、靖子はぱたぱたと手を振った。プロになる前もなってからも、実力者の周囲には実力者が集まるもので、そういう連中はとかく自分に自信を持っているものであり、和のような反応をする者は特に名門校出身に多い。

 

 それだけハングリー精神旺盛ということでもあるが、それも好き好きだ。無論、靖子は気の強い人間は大好きであるし、その鼻っ柱を叩き折るのはもっと好きだ。

 

 そういう点から見ると和のようなタイプはこう、見ているだけで叩き潰してやりたくなるものだが今日は久からの依頼を受けてここにいる。おまけに旧友である咏の弟子もいる。趣味優先というのはプロのすることでもないだろう。

 

 湧きあがった闘争心を無理やり押し込めて、靖子はプロの顔で『問題』を指摘した。

 

「いや、戦闘力という点では間違いなくお前の方が上だ、全中チャンプ。だが須賀が自分の力を存分に発揮できているのに対して、お前はそうじゃない。試合に合わせてコンディションを調整するのは当然のことだが、お前の場合はそれ以前の問題だろう。私の目から見ても、お前の動きは少し固い。自分のイメージ通りに動けていないのが良く解る。こういうのは大抵の場合心的なものが原因だが、お前の性格なら気後れしてるということもあるまい。なら別の要因がある」

 

 つらつらと良く言葉が出てくるものだと京太郎が感心していると、和が神妙な面持ちで椅子に腰を下ろした。先ほどまでは反抗的だった雰囲気も、今は生徒のそれである。原村和という少女は中々の自信家で頑固者だが、麻雀という競技に対してはとても真摯なのだ。

 

「それからお前は、最高に動けている状態の自分というのを、良く知っている訳だ。それに少しでも近づき、その状態で試合を戦うことができれば、まぁ、大抵の奴には負けないだろう」

 

 卓に視線を落として、和は考えを巡らせる。知っていると言われてもぱっと出てこない。そうすれば勝てるというのであれば、是が非でもその状態にならなければならない訳だが、そこまで都合の良いものなど和の脳裏には存在しなかった。

 

 それでも少し考え続けて、やめる。一人で考えるにも限度がある。幸い、部には頼りになる仲間もいるのだ。咲と優希は控え目に言ってもぽんこつだが、その二人とは逆に京太郎と久は信用できる。三人で考えれば何か良い知恵も浮かぶだろう。

 

 納得した様子の和を見て、靖子は小さく溜息を吐いた。頑固者を納得させるのは、プロとアマの立場をもってしても精神的な重労働なのだ。

 

「コンディションの整え方は人それぞれだからな。私の場合はこれなんだが……まぁ、高校生にはオススメできん。まずはそれを見つけることだ。地力は十分にある。だが急げよ。勝負時というのは待ってくれないぞ」

 

 靖子の手にはキセルがある。昨今、禁煙の雀荘も珍しくなく、競技会場なども禁煙であることがほとんどだ。その度に喫煙スペースまで移動しているのはご苦労なことだが、咏からは年配のプロには多いと聞いている。

 

 喫煙スペースはアマの学生たちには見せられない程モクモクしているという。お前は絶対吸うなよーと咏には事あるごとに言われていた。雅な香を嗜む咏であるが、煙草の匂いは好きでないらしい。

 

「あとは打て、打ちまくれ。そして自分のやったこと、できたことを振り返る。何事も基礎、基本だ」

「プロらしい、と言えばらしい物言いじゃな」

「学生の時にこそそういう修行をするべきだろう。プロなんて、あの時もっと勉強しておけば良かったと言ってばかりの人間の集まりだ。そういう大人にならないよう、後悔のないようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「靖子はどうだった?」

「大変勉強になりました」

「それは良かった。師匠は一人で浮気はしないとか言われたらどうしようかと思ったわ」

「そこまで固くはありませんよ。師匠が一人というのは違いないですが」

 

 それでも十分に固いと思った久だったが、それは口にしないでおいた。柔軟なように見えて芯は曲がらない。悪く言えば頑固な所があるが、そのブレない姿勢は十分信頼に値するものだった。

 

 卓では一年女子三人とまこが対局を続けている。ここ数日は優先されて組まれているカードだ。特に昨日靖子に対局を見られてからの和の力の入りっぷりは凄まじい。靖子の指摘に思う所があったのだろう。

 

 阿知賀ではレジェンド教室に通っていたそうだが、本格的に麻雀に打ち込み始めたのは長野に引っ越してきてからの様子。それで中学三年の頃には全中個人戦で頂点に立ったのだから、こと才覚において和の右に出る人間はそういない。

 

 であるからこそ、プロ選手相手からとは言え明確にダメな所を指摘されるというのは和にとっては心を動かされる出来事であったようだ。何でもありませんという風を装っているが、会話や行動の端々で闘志を燃やしているのが解る。

 

 あれで負けず嫌いな所がある和だ。打ちひしがれたりせず、できることを全力に取り組めるその精神性があれば、大抵の壁は乗り越えることができるだろう。後はコンディションを整える案があればということだったのだが、それについては久に妙案があるらしい。

 

「要するに家と同じ環境で打てれば良いんでしょう? 楽勝じゃない」

「パジャマで打ってるのが普通だったりしたらどうするんですか」

「京太郎には目の保養になるかもねー」

「それは違いないですが……」

 

 大会ルールについて服装の規定は、他のスポーツと同様に存在する。と言っても野球やサッカーのように揃いの服装をしている必要はない。その学校が定める『制服』の範囲内でさえあれば、例えば全員が違う恰好をしていても許されるのだ。

 

 とは言えそれはルールの範囲内ということであって、学校で注意されるような恰好であれば当然、競技の場でも注意される。リラックスの方法がルールの範疇に収まるものであれば良いが、そうでないのなら他の手段を考える必要があるだろう。京太郎は久ほど楽天的に考えることができなかった。

 

「それでも、今と同じ格好ってことはないはずよ。ベストにできなくてもベターにできる方法はあるはずだし、今から上に行く方法があるならそれこそ、突き詰めて行けば頂点にも達すると思うの」

「部長のそういう、一歩でも先に進もうって考え好きですよ」

「京太郎が私のこと大好きなのは知ってたわ」

 

 ふふ、と悪戯っぽく笑う久から、京太郎はすっと目を逸らした。その言葉が聞こえていたのか、山を前に出そうとした咲がそれに失敗し、卓に盛大に牌をぶちまけていた。今年の競技ルールではチョンボである。こりゃあ咲でも席が冷えるなと慈愛を込めて見つめていると、恨みがましそうに振り向いた咲が、べーと舌を突き出して見せた。お前のせいだと言いたいらしい。

 

「かわいいところあるわね咲も」

「俺以外にもああやって自己主張できたら、もう少し友達もできると思うんですけどね……」

 

 やたらと攻撃的な麻雀のスタイルと異なり、麻雀が関わらない所の咲は特に人間関係において酷く消極的である。大親友である所の淡とモモがいるが、淡は向こうからぐいぐい来たからで、モモはそもそも京太郎の紹介である。自分から構築した人間関係というのは中学時代、京太郎が知る範囲では一つもない。

 

 同じ姉妹でも照などは、上っ面の交遊関係を構築維持するのはとても上手い。少なくとも普段の自分と余所行きの自分を使い分けることには抵抗はないようで、ファッションモデルもすればインタビューも受ける。その反面、奥に引っ込んだ時には基本的に自分から他人に関わるようなことはせず、真に友人と言える人間は少ない。同級生で友人として照から名前を聞いたことがあるのは、菫くらいのものだ。

 

 菫は照に、京太郎は両方にもう少し友達いても良いのではと遠まわしに交流を持つように勧めたことがあるが、二人とも『量より質だ』という趣旨の言い訳をしたのを覚えている。こういうところは姉妹だなと苦笑する京太郎である。

 

 だから麻雀部で和や優希と一緒にいるようになったのは、咲にとっても大いにプラスになるはずだ。これを機会にもう少し人に接することを覚えてほしいものだが、交友範囲が小規模なのは相変わらずだ。

 

「それはそうと、県大会のために合宿をしようと思うのよね」

「そりゃあ良いですね」

「何言ってるの? 貴方も参加するのよ」

 

 女子五人に男子一人。団体戦の最低参加人数は5人であるため、当然男子である京太郎は団体戦に参加することはできない。京太郎は個人戦のみのエントリーであるが、女子は五人とも個人団体両方ともにエントリーしている。単純に咲たち五人の方が戦う回数は多いのであって、ならば部としての時間と予算をそちらに多く割くのは当然と言える。

 

 元より京太郎に不満はない。男女比については承知の上で入部したのだし、得難い経験もさせてもらっている。この環境にあって打つ時間も捻出してもらっているのは、一重に久の配慮に依るものだ。たった一人の男子としてはこれ以上は申し訳ないという思いがあった訳だが、久は京太郎の顔を見て深々とため息を吐いた。

 

「貴方も部員でしょう?」

「でも男子ですが」

「男子である前に部員なの。参加。これは決定。解った?」

「解りました」

 

 部長様がそうせよと言うのであれば、京太郎に反論などあるはずもない。参加したいかしたくないかと言われれば参加したいのだ。させてくれるのならば否やはないのだが、返す返すも女子五人に男子一人である。この時世にこの男女比で泊りとか大丈夫なのかと不安に思っていると、

 

「共学の学校で男女別に修学旅行に行ったり、ホテルが別なんてことがあったりする?」

「部屋が別、なくらいですね。階を分けることも多いとは聞きます」

「当然部屋は別よ? それくらいの配慮は必要でしょう」

「ですが……」

 

 つまり自分が参加することで、一部屋余分に予算がかかるということでもある。参加と言われて納得はしたが、それでも不安に思うことはある。

 

 しかし、その態度が久には往生際が悪いように見えた。普段は物分かりの良い京太郎がいつまでも口答えすることに、高校進学以来、大人であろうとしてきた久は珍しく、自分よりも年下の人間に声を荒げる。

 

「もう良いから! 部長の私が決めたの! 京太郎は参加なの! 文句も言い訳もなし! 次にこの件で口答えしたら文化祭の出し物でメイド服着せてやるから、覚悟しておきなさい」

 

 ふー、と熱い息を吐く久に、京太郎は解りましたと素直に頭を下げた。今度こそ本当に解った。年上の女性からの厚意は素直に受け取っておくものだ。普段の自分を思えば随分口答えをしたものだが、それだけに久の配慮は嬉しく思えた。




合宿編をキンクリするか。そのまま県大会に行くか……


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現代編07 清澄麻雀部改造計画⑤

 

 

 

 

 合宿。部活などでどこかに泊りいつもよりも効率的に時間を使って練習をしたり何だり。寝食を共にして親睦を深めてうんたら。道義的な意味はともかくとして要するにいつもよりも沢山練習して、沢山お話をしましょうという企画である。

 

 文化部であっても運動部であっても趣旨は変わらず。ただ練習をする際に必要になるのが屋内施設か外のグラウンドかの違いがあるくらいだ。そのため運動部と文化部で馴染みのある施設に結構な隔たりがあったりするのだがそれはさておき。

 

 直近の県大会には清澄高校麻雀部の部員全員が参加する。女子五人は団体戦とその全員が個人戦に。男子は京太郎一名しかいないために個人戦のみのエントリーである。

 

 人数差を考えれば誰がどう考えても目下戦力強化するべきは女子の方だ。お泊りイベントだし女子ばっかりの所に男子一人混ざるのもアレだし……と今更小癪にも性別を楯にしてやんわりと『五人で全部の時間を使ってください』と断ろうとした京太郎は貴様一人だけサボるつもりかといういつもなら絶対に言わないだろう久の言葉によって強制的に参加させられることと相成った。

 

 元より女子の中に男子一人という環境に不満はない。咲以外とはまだ一年にも満たない付き合いであるが、女子とのお泊りイベントというのも今更のことだ。ちょっと相手が変わって人数が増えたと思えば良いのだと無理矢理自分を納得させることにした。

 

 年上の女性と付き合う時に大事なのは絶対に譲れないこと以外で口答えをしないことである。

 

「と言っても、俺の尽力なんてたかが知れてると思いますが」

「何言ってるのよ大参謀。対戦校のデータもってきてくれたんでしょう?」

「持ってきましたよ。去年の三年生が引退してから公式戦で記録に残ってる奴は大体」

 

 智紀からもらったおさがりのノートパソコンをこれまた龍門渕家からいただいた型落ちのプロジェクターにつないでデータを引っ張り出す。女子五人があまりメカに強くないためデータ分析は京太郎の仕事となっている。

 

 ノートを操作しながら懐からメガネを取り出す。ノートを貰った時、智紀から一緒にプレゼントされたものだ。普段見ない京太郎のメガネ姿に女子一同から小さな歓声が漏れた。胸の内に生まれた疑問をそのまま京太郎にぶつけることになったのは、現状部内で最もスキンシップに遠慮のない優希だ。

 

「京太郎。お前目が悪かったのか?」

「度は入ってないよ。智紀さんからもらったんだ。何だったかな……ブルーライト? とかいうのをカットするんだってさ。早い話が目に優しいメガネなのだ」

「賢く見えてかっこいいじぇ!」

「そうかー。普段は賢く見えないと言われてるようでちょっとだけぐさっときたが、何ならお前もかけてみるか? 実は予備がもう一個あるんだが」

「貸すじぇ!」

 

 予備のメガネを受け取った優希は大喜びでかけてみる。どうだじぇ? と軽くポーズまで取っている彼女は小柄な体格も相まって何をしても可愛らしい。優希にメガネという組み合わせは提案した京太郎の目から見てもはまっており、いいな! と大上段に褒められた優希は気分を良くして京太郎に飛びついた。

 

 そのままそこが定位置とばかりに京太郎を椅子にしてスクリーンに向き直る。まるで恋人のような振る舞いであるが京太郎にも優希にも気にした様子はない。彼らにとってこれくらいのスキンシップはもはや日常茶飯事なのだ。

 

 京太郎は遠慮なく優希の腰に手を回し、優希は優希で深く腰掛けている。傍から見れば仲良しのカップルだが二人に仲良しという認識はあってもカップルという認識はない。仲良しでさえあれば異性同士でもこれくらいはするというのが二人の認識である。

 

「どこと当たるか分かんないんで俺が見た限り強そうな所を中心にピックアップしました。この前戦ったモンブチは抜くと、やっぱり一番警戒しなきゃいけないのは風越ですね」

 

 知名度的にも実力的にも長野と言えば風越か龍門渕だ。透華たちが部を乗っ取って現在の状況になった龍門渕であるが、それ以前も長野県下では強豪校として知られていた。過去三十年の団体代表枠を見ても六割が風越、三割が龍門渕。それ以外は一割という有様である。

 

「去年はレギュラー五人の内三人が三年だったので、継続して参加してるのは二人と思われます。現三年でキャプテンの福路美穂子さんと、二年の池田華菜さん。部長は福路さんに覚えあるんじゃありませんか?」

「私?」

「……部長が県代表になった時、照さん以外にもう一人全国に行った人ですよ」

 

 あー、と久から声が漏れた。

 

 美穂子の反応とは真逆である。麻雀の腕もさることながら何かかっこいい人だったという、少し押せば同性でもお付き合いできるんじゃないかというくらいの高評価だったのだが久の反応は薄い。多分顔を見せないと思い出してはくれない。

 

「皆さんご存知の通り去年の県代表は我らが龍門渕です。オーダーは去年と一緒らしいので存分に対策を立てやがると良いですわ! と透華さんからありがたいお言葉を預かってます。ついで風越のオーダーですがオーソドックスですね。先鋒が稼いで三人が繋いで大将でトドメ。伝統的に中堅にエースを置く大阪姫松のような例外を抜きにして、大抵の学校はこれになります。先行逃げ切りが精神的にも楽なんでしょうね」

 

 後半に行くに従って細っていくのも困りものだが、最初に一番強い人間を置くというのは理にかなっていると思う。首尾よく稼げればそれで良く、トップに立てたのならばそれを守れば良い。先鋒に要求されるのは圧倒的な得点力であり、残りの四人に何を要求するかはチームの方針に寄る。

 

 例えば淡を加えた今年のチーム虎姫は全員が攻めるという攻撃型だ。失点しないように守りに入るくらいならもっと稼いでトドメを刺すというシンプルなチーム構成である。その分守りが疎かになりがちであるが、そこは照の攻撃力を信頼しているのだろう。全員で攻撃するというのは、各々の得手不得手を考えた結果もあるのだろうが、照の圧倒的な攻撃力ありきの方針なのだ。

 

「で、今年もおそらく福路さんが先鋒。去年も大将だった池田さんが大将でしょう。それ以外の三人ですがあちらは部員全員の総当たり戦で上から五人を機械的にレギュラーに選出するそうで、福路さんと池田さん以外はまだ混戦模様のようですね。去年の新人戦で好成績を収めた現二年の吉留さんや深堀さん辺りが怪しいんじゃないかと思いますが」

「ふーん、で、どうして機械的に選出なんて情報を知ってるのかしら? まさか風越にガールフレンドでもいるの?」

「ロマンス的な意味ではいませんがお友達ということならいますよ。話にも出した福路さんがそうです。料理が趣味とかで先週も一緒にケーキ作りました」

 

 冗談のつもりの発言がまさかの大正解を引いてしまったことで久は決まりが悪そうに沈黙する。お熱の二人から不満のオーラがぐおぐおと渦巻いているのが見えた。女の子の友達を作るのが得意なのは京太郎本人から話を聞いていて察しがついていたのだが、こうさらっと対戦校に女友達がいますという話をされてしまうと、昔話に出てくるようなプレイボーイのクソ野郎のような気がしてならない。

 

 アウトローな雰囲気を出していたら警戒のしようもあるのだろうが、京太郎のように人好きのする笑みを浮かべて近づいてきたら、免疫のない女の子は騙されてしまうのだろう。彼本人に悪意のあるなしに関わらず修羅場というものは発生するもので、先輩としてはいつか彼がそういうトラブルに巻き込まれはしないか楽し──心配なのである。

 

「で、この人が福路さんです」

 

 京太郎がスライドに出したのはカジュアルな部屋着にエプロンと、随分と家庭的な装いの女性だった。肩口で切りそろえた淡い色の髪。手元には泡だて器とボウル。先週ケーキを作ったという一コマなのだろう。真剣な表情でボウルを見下ろす横顔は美しく、その真っ白な項も相まって京太郎が思わずシャッターを切ったというのも解る一枚であるが、おー、と単純に声を漏らすまこと優希に対して咲と和は面白くなさそうな顔をしている。

 

「久さん、覚えてますか?」

「流石に顔を見たらね」

 

 ここまで美人さんで特徴的な風貌をしているなら忘れる方が難しい。自分と一緒にインターミドルの代表に選ばれただけあって強かった印象があるが、久の頭の中に残っていた情報はそれだけだった。会話くらいはしたかもしれないが、それにかけた時間は一緒にケーキを作るくらいの仲である京太郎の方が多いだろう。

 

「話を戻しますが確定レギュラー二人はどちらも名門のレギュラーを続投するだけあってその腕前は全国区です。二年の池田さんは牌に気持ちが乗るタイプとでも言いますか乗ってる時の打点の高さは凄いですね。その分乗ってない時のしんなり具合に残念な所はありますが、それでも一年の時点で風越のランキングで五位以内に入って大将なんですから責任者の期待もうかがえます。おそらく次のキャプテンは彼女でしょう」

 

 プロジェクターに公式戦と風越のサイトで公開されている分の成績が表示される。個々の試合を見ると確かにあまり安定しているとは言えないが、締める所はきっちりと締めトータルの成績ではトップ率は三割を超えている。群雄割拠の風越でこの成績なのだから、十二分に優秀と言えるだろう。

 

 惜しむらくは同級生、しかも同じ県に龍門渕の五人が存在していたことか。風越は今年でエースである美穂子が引退するが、龍門渕は大エースの衣を含めて全員が続投する。全員一年補欠なしだった龍門渕に去年負けたことを考えると、来年全員三年になった龍門渕に美穂子抜きで挑むのは厳しいようにも思う。

 

 怪物どもと同級生になってしまった不運を思うと同情を禁じ得ない京太郎だったが、今は来年よりも今年のことだ。名残惜しさと共に池田のデータを引っ込めると、今度は美穂子のデータを表示させる。

 

 先ほどの写真と恰好は同じだが今度はカメラ目線だ。ボウルと泡だて器を置きカメラを持っているらしい京太郎に何かを言っている。恥ずかしそうな表情から察するに勝手に写真を撮っていたことに抗議しているのだろうが、それがポーズだけというのは写真を見ているだけの久たちにも解った。

 

「照さん、久さんの同級生で中三の時にインターミドル出場。高校一年の時は団体と個人でインターハイ出場。去年は団体で龍門渕に負けましたが、個人ではインターハイに出場してます」

「衣さんたちはどうしたの?」

「あの人たちはインターハイに行くことが目的だから、団体で出場できた時点で個人戦には興味なくしてたんだよ。一応エントリーはしてたけど、団体優勝した時点で取り消してたぜ」

 

 それができる辺り中々自由なシステムだとは思う。強い奴が上にいくべしという建前に乗っ取るのならば衣たちが個人も蹂躙した方が良いのかもしれないが、参加についてはあくまで自由意志だ。麻雀という競技に対しては真摯でも部の活動方針としては果てしなく個人的な龍門渕の振る舞いは、他の学校にとっては願ったりかなったりの状況でもあった。

 

 美穂子のインターハイ出場は実力であるが、衣たち五人全員参加していたらその出場も危ぶまれていただろう。

 

「さて、美穂さんですが人を見る麻雀をします。理牌の癖やら打牌のリズムやらそういう情報から手牌を丸裸にするスタイルですね。分析力が何よりの武器ですが場合によっては遠慮なく差し込みもします。それでいて最終的には美味しい所をかっさらっていくんですから、お嫁さん系の美少女の割りにかなり強かです」

「彼女自慢は良いから何か弱点とかないのかしら」

「ありません。普通にすごく強いです。先行逃げ切りで押し切るのがベストじゃないかと思います。この中だったら辛うじてこのタコスが相性が良いんじゃないかと思いますが……」

 

 瞬間最大風速という点において東場の優希は他の追随を許さない。これが全て東風戦であれば彼女の独壇場だったろうが、今年の団体戦のレギュレーションでは半荘二回ずつを五人で行う。いつも部でやっている通り半分は相対的に苦手な南場である。

 

 東場で稼げてもそれをキープできないのであればリードを維持できない。中学時代の優希のデータは京太郎でもほとんど入手できなかった。分類上は弱小校だったのでしょうがないと言えばしょうがないが、風越も同様であれば一応の対策にはなる。

 

 ただ玄のドラゴンロードと異なり、東場にしか影響のない優希のオカルトは力の入れ所が素人目にも解りやすい。一半荘も観察すれば、美穂子であれば急所を容赦なく突いてくるだろう。加えて先鋒は流れを読むことに長けた純もいるのだ。優希の立ち位置は本人が思っている以上に苦しい。

 

「この私の役割は大きいな!」

「期待してるからな」

「任せるじぇ!」

 

 わはは、と笑う優希に精神的な死角はないように思える。基本安定して麻雀に打ち込む和と異なり、優希と咲は牌に気持ちが乗りやすいタイプである。この辺りのメンタルコントロールは、女子の中で生き残った男子故か、特に優希を調子に乗らせる所は大得意なように思えた。

 

 久も参謀に大をつける程度にはその手腕を信頼している。異性では立ち入りにくい所があるのと同様に、同性では到達しえない領域がある。優希だって和だって咲だって年頃の少女なのだ。男に褒められた方が嬉しい所はどうしたってある。少年が女の子の前でかっこつけたいという欲求程ではないにしても、少女とて男性にもてはやされたいという欲求は少なからずあるのだ。

 

「風越について、対策はどうするのが良いと思う?」

「下手に動かない方が良いと思います。池田さんは気持ちが乗りやすいタイプですが、名門校だけあって下地はしっかりしてます。全員美穂さんほどというのは考え過ぎですが『普通に強い』という認識で良いかと。強いて付け入る隙があるとすれば経験の浅い人ということになりますが、その辺りは実際のオーダーが決まってからですね」

「経験が浅いって言うと私たちみたいな一年生とか?」

「そういうことだな。名門校だけあって一年でも中学で活躍してたって人が多いけど高校に入ってから試合が少ないには違いないしな。ちなみに過去十年の風越のオーダーを調べたが、夏の大会で一年生からレギュラーになったのは、今三年の美穂さんと去年の池田さん。後は今コーチをやってる久保さんだけだ」

「ふうん。ところで美穂さんとか呼ぶんだね。美穂子さんなのに」

「一文字でも縮めると仲良しっぽく思えるそうだ。俺から言い出したんじゃないからな念のため」

 

 京太郎の言い訳にも咲さんはおかんむりだった。二文字の名前では縮めようがない。それは姉も一緒だったし縮めるあだ名だけが良い関係性を象徴する訳ではないものの、目の前で自分の知らない女の人との仲良しアピールをされるのはあまり面白いものではない。これは姉妹会議案件だなと心中でこっそり決意する。

 

「さて本命の龍門渕な訳だけど……」

「普通に強い風越と違って、全員がかなり特徴的な打ち回しをします。オーダー順に説明しましょうか。まず先鋒の純さんです。本人が言うには『流れを肌で感じる』そうなんですよね。誰にどの程度流れが来てるのか、場の状況から誰がアガりそうなのか判断するとか」

「そんなオカルトありえません」

「和っぽく説明するなら、対戦相手の表情やら雰囲気やら場の状況から手の進行具合とか値段を総合的に判断して、感覚で処理をしてるってことだと思うぞ」

「それなら納得しました」

「最悪勘が鋭いくらいの解釈で良いと思う」

 

 頑固な和も京太郎の言うことなら半分くらいは聞く。部長としては悲しくもあるが、話は早い方が良い。部に所属していた経験がない分対戦経験はそれほどでもないが、オカルトに接してきた時間は長いためその能力に対してどういう解釈をすれば良いのか。かみ砕いて説明するのはとても上手い。

 

 教師やらコーチやらがきっと向いているのだろう。女子高の教員にでもなったら、修羅場になって刺されそうな雰囲気である。

 

「それはそうと、龍門渕の人たちはいつもこんなファッション雑誌みたいな恰好なの?」

 

 プロジェクターには、キメにキメた純の姿があった。男性ファッション誌の表紙を飾っていそうな男衣装で表情まで気合が入っている。中学の時にモデルをやった経験があるということだが、男の京太郎の目から見ても様になっていた。単純にかっこいい。

 

 ただ、透華や衣たちにはこういう男くさい装いは受けないそうで、専らそれ以外の交友関係とつるむ時の恰好であるらしい。透華たちが捕まらない時、こういう恰好をしていくと大抵の()()()たちは遊んでくれるらしい。お兄様と呼びたい女子ナンバー1なのも頷ける話だ。

 

「ライバルに相対するんだからこれくらいキメないとですわ! とのことです」

「つまり私たちは紹介の度にファッションショーを見せられるのね」

「なぁに、ただの五人分です。衣姉さんのはオススメですよ。破壊力のあるかわいさですんで」

「京太郎が撮ったの?」

「自信作です!」

 

 何とも子供のような表情をするものだ。かわいいきれいを見慣れていそうな彼が言うのだから、本当にかわいいのだろう。あのお人形さんのような少女の写真を思うさまに撮りまくったというと中々犯罪的な響きだが、どうやら心の底から姉さん姉さんと慕っている彼はその辺の機微に無頓着のように思えた。

 

 普段は敏いのにね、と久は心中で付け加える。機嫌良さそうにノートを操作して次に呼び出したのは、オーダーの通り智紀だった。純と違って写真を撮られ慣れていないのが表情からも良く解る。これも何度もリテイクしたものだと思うと、写真を撮る際、どんなやり取りがあったのかを想像できて楽しい。

 

 ただ固い表情だと言うなかれ。ぎこちない中にも、おしゃれ慣れしていなそうな佇まいの中にも、少しでも誰かさんに良く見られたいという欲求がひしひしと見て取れた。女ならば誰しもが直感するだろう。ああこれは恋する少女の顔だと。

 

 こんな顔をしてる少女が目の前にいてこの少年は何も思わないのだろうか。年齢の割りに敏く気配りもできるのだから彼女の一人や二人いても良さそうなものだが、京太郎本人からそういう女性の気配はまるでしない。綺麗な遊びをしているという風でもない。彼本人が言うように、本当に彼女はいないのだ。

 

 沢山いるのも間違いなくただの女友達である。相手がどう思っていたとしても京太郎はきっと本気でそう思っているのだろう。やはりこの少年はこういう一部の機微に疎い。

 

「智紀さんはデータ麻雀。相手のことをリサーチして傾向を割り出し、個別に対応策を練るタイプです。なので相対的にデータのない相手や初心者とは相性が悪いですね。逆に和みたいな効率重視のタイプには無類の粘り強さを見せます」

「戦ったとしたら私は負けませんよ?」

「頼りにしてるよ」

 

 ひょいとテーブルからクッキーを持ち出す。京太郎が焼いて持って来てくれたもので、今回のミーティングのお茶請けだ。意図を察した和は、僅かに頬を染めながらあー、と口を開ける。無防備な口にクッキーを突っ込んだ京太郎は、次に一の画像を呼び出した。

 

 衣以外の三人が全員160センチ以上と女性としてはまぁまぁ高めであるため、一の小柄さは中々目立つ。身長が低いというのはそれだけで子供っぽく見られがちな要素であるが、一は小柄さからくるかわいらしさを前面に押し出しつつも、子供っぽくは見せないという絶妙なバランス感覚を持っていた。年齢よりも大分年下に見られがちな衣とはちょうど真逆の性質である。

 

「鎖とかぶら下げてたし奇抜なセンスをしてるのかと思ったけど案外普通なのね」

 

 久の率直な感想に京太郎はあいまいな笑みを返すだけだった。

 

 対外的なことを何も考えず、本人の好みを優先した場合、歩を含めたモンブチ六人の中で最も奇抜なファッションセンスをしているのが一である。今回は清澄の面々にメンバー紹介のついでに見せると伝えてあるので普通の格好をしているが、基本的に彼女の好みは布地の少ない男の京太郎をして目のやり場に非常に困る服ばかりだ。

 

 あまりに困ったので布地を増やしてくれというリクエストをした所、君が選んだ服なら着てあげようということで条件が通った。久たちは知らないことだし言うつもりもないことだが、今現在久たちが眺めている一の服はその京太郎が選んだものだった。

 

 一の好みとは真逆で肌の露出は首から上と腕だけだ。下はスカートだが薄手のタイツという徹底っぷりである。京太郎の趣味というよりは如何に肌を露出させないかに拘った結果の到達点だ。次も頼むよと言われているので、選んだ側としては好評なのだと思いたい所だ。

 

 言ったらからかわれそうなので言うつもりはない。流石に口にしなければバレることもないだろう。一なら言いふらすということもないだろうし……と安心している京太郎だったが、じっと一の服を眺めた咲は一目でこれが京太郎のセンスであると看破していた。男が思っている以上に、少女の感性というのは鋭いのである。

 

「一さんはものすごく特殊な打ち回しをします。相手の気を外すのが上手いというか……本人はマジックの技術の応用だって言ってるんですけど、何度説明されても再現できる気がしないんですよね。本人の話では他人の視線が感覚で解るそうで、視線を集めたり逆に意識の裏をかく行為を打ち回しに()()()混ぜたりするんだとのことです」

「ずっとじゃないの?」

「そうすると相手が慣れることがあるそうなんですよね。半荘くらいの時間ならたまにが良いそうですよ。勿論、そういう技術がなくても普通に強いんですが対戦相手としてはとてもやりにくい相手なんじゃないかと思います。全体に目を向けて打つタイプは相性悪くて……」

「京太郎やさっきの福路さんは相性最悪ってことね」

 

 そういうことですね、と京太郎はスライドを切り替える。

 

 映し出されるのはキメにキメた透華だ。舞踏会に行くのではというくらいのゴテゴテした格好をしてきたらどうしようかと思ったものの、当日、カメラを構えた京太郎の前に現れたのはあくまで普通の範疇に収まる範囲でゴージャスなものだった。

 

 写真の傾向としてはモデル経験のある純と同じ、やたら様になったポーズと表情である。純は仕事として写真を撮られていた訳だが、透華は日常として経験が多いとのことで、こういう時に着る服やらキメ顔やらポーズやら、色々と引き出しがあるのだそうだ。

 

「透華さんは和に近いですね。効率重視のデジタル打ち……を目指している人です」

「牌譜を見る限り相当な完成度に見えるけど?」

「何というか、かっこいいと思って本人がやりたいことと、性格的に向いていることと、能力的に向いていることの全てが全くかみ合ってない珍しい人です。大抵の相手にはデジタルだけで戦うんですが、性格的には中々攻撃的で、攻めの気が強いです。ベースにあるのはデジタルなので打撃系という程ではありませんけど、時たま鋭い一撃を見舞ってくるデジタルとでも言えば良いんでしょうか」

「能力的に向いてるっていうのはどういうの?」

「んー……」

 

 詳しく聞いた発動条件を聞くに、県大会では発動しないような気もするが

 

「相手が強ければ強い程、各々の地力で戦うような環境に恵まれるとでも言いますか……俺も一回しか見たことがないので、上手く表現できません。任意に発動できるものでもないので、そこまで警戒する必要はないかと思いますし、オーダーとしては和をぶつけることになると思いますから、そこまで心配するものでもないと思います」

「強めの隠し玉があると言われて心配するなというのは無理だと思うわ……」

「明確な対抗策がないならいつも通りやるしかないので。それに和なら大丈夫ですよ。俺が保証します」

 

 インターミドルを制覇してからこっち、この手の賞賛は慣れていたはずなのだが、面と向かって京太郎から言われるとどうにもこそばゆい。それでいて相手は気にしてない様子なのがムカムカして仕方がない。紳士的なのも結構ですがもう少しくらい挙動不審になっても良いんじゃありませんか? 母親から散々学生時代の父親の話を聞かされていた手前、手慣れた様子の京太郎のことはどうにも不満なのだった。

 

「で、最後が衣姉さんです」

 

 連続して写真がスライドされる。同じ日に撮ったものなので他の四人と同じ場所だが、衣の時だけは他の五人も悪乗りして色々と小道具を持ち出したのだ。衣ハウスから ぬいぐるみを持ってきたり、ポーズを指定してみたり、最初はうんざりした様子だった衣もやっているうちに楽しくなってきたのか、後半に行くにしたがって笑顔が自然になってきている。

 

 最後の一枚は東屋の椅子の上、ぬいぐるみを抱えて笑みを浮かべているものだ。自信作というだけあって写真の素人である久たちを唸らせるだけの破壊力があったが……見た目幼女の写真を自信満々に紹介する男子高校生というのも、落ち着いて考えてみると危ない気もする。

 

「こういう服装は天江さんの趣味なんですか? 随分とこう、少女趣味ではありますけど」

 

 衣の時代がかった口調や年齢を考えればもう少しシックな服を好みそうなものであるが、服飾や内装に関しては年齢ではなく見た目相応だ。多分にお世話係である歩の趣味も入っているので、今さらもっと落ち着いたものをと言われたら彼女が悲しんでしまうだろう。

 

「和とは波長が合うかもな。試合が終わったら交流を持ってみたら良いと思う」

「楽しみにしています」

 

 人見知りの激しい衣だが、和が相手なら文句を言うまい。むしろ透華が突っかかっていくことの方が心配なのだが、和ならば無難にやり過ごしてくれるだろう。モンブチの六人は彼女らだけで交遊関係が完結している。それはそれで結構なことではあるものの、衣とついでに一とともきーは現実の交遊関係が非常に狭い。デキる弟としては、できる限り外とも交流を持ってほしいのだ。

 

「さて。理屈っぽく説明するなら、衣姉さんを相手にすると手の進みが遅くなります。月の満ち欠けで調子が上下するそうで、満月の夜が最高潮。なお最悪なことに長野県大会女子団体決勝の日は満月です」

 

 加えて大将戦は団体戦の最後に位置付けられているため、それまでの八戦に時間がかかればかかる程、衣の調子は上がっていく。対戦相手としてはせめて当日夜が曇天であることを祈るばかりだ。月の満ち欠けに比べれば誤差であるらしいが、月がちゃんと出ている方が調子は良いらしい。屋内なのに? とからかったらかわいく怒られたので間違いない。

 

「良い情報はないの?」

「生まれてからこの方、この手の勝負で追い詰められたこともないようなので、俺の目から見てもかなり慢心気味です。つけいる隙があるとしたらそこしかないと思います」

「強敵ならいっそ対戦を避けるのはどう? 天江さんに回る前にどこかを飛ばすとか」

「決勝まで上がってくる学校がそこまで弱いと楽なんですけどね……八半荘で十万点放出というのはあまり現実的な数字じゃありません」

 

 照ならば二半荘で十万点くらいは稼ぐこともあるが、それは三校トータルの話。特定の学校から十万点をむしり取るのは、本人の技量は勿論のこと運の要素も絡んでくる。数ある撃破方法の一つとしてカウントするならばまだしも、それを基軸としてオーダーを組むのは京太郎の目から見ても攻撃的でバクチが過ぎる。

 

「腰を据えて戦う必要があるでしょう。というか本人が戦う気満々なので相手はしてください」

「気軽に言ってくれるわねこの弟くんは……」

「とりあえずこれで全部ですね。他に何か有益な情報が追加されたら改めてお知らせします」

「さ、後は練習あるのみね。一通り打ち終わったらちょっと観光でもしてごはんを食べて早めに就寝ってことになる訳だけど」

「解ってますよ。俺は別の部屋でも全く文句ありません」

 

 むしろその方が良いくらいだ。それが当然という京太郎の言葉に、久はあっさりと、しかし底意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 

 

 

 

「この人数で二部屋なんて贅沢できる訳ないでしょう。部長権限で全員同室よ。何か文句ある?」

 

 

 

 




何か文句ある? と年上の女の人に聞かれた時の京ちゃんの答え。

・めっそうもありませんごめんなさい。
・いいえ。霞姉さんの言う通りです。

ぺルソナ5をやっていたせいで遅くなりました。女性声優沢山なだけあって、咲にも結構ぺルソナ使いがいますね。

今回は総集編のような内容となりました。次回合宿後編。いちゃこらします。
その次から今度こそ県大会編です。中学の時のインターハイ編のような感じでお送りします。


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現代編08 清澄麻雀部改造計画⑥

 

 

 

 

 

 須賀京太郎は一人、夜闇の中を走っていた。合宿中ではあるが久に時間を貰ったのだ。

 

 靖子に言われてから体力作りのためのランニングは毎日やっている。元々運動は苦手ではなかったから苦にはならなかった。学校に行く前と帰ってからの三十分ずつ。合計毎日一時間は走る様にしているのだが、高い身長とジャージ姿もあって近所のおばちゃんには何部? と聞かれることもしばしばだ。運動部に入ったと思われたらしい。麻雀部ですと正直に答えると、ご婦人たちはとても意外そうな顔をする。

 

 体力作りはプロの間でも推奨されているが、靖子が死んでも嫌だと言っていた通りプロでもやっている人間は少ない。何故そこまで根付いていないのかと言えば、それはその下積み時代である学生の時分にそれをやらなかったからだ。

 

 協会の高校生部門でも体力作りは推奨こそされているが必須という訳ではない。所詮は文化部の一種であるので走らせて故障のリスクを増やすくらいなら、少しでも多く対局をしてもらった方が良いということなのだろう。

 

 実際、肉体的な体力が必ずしも思考の体力に結び付く訳ではない。現に病弱な怜などは肉体的な体力はからっきしだが、恐ろしく頭に負担のかかる未来視の能力を負担はあるにしても使いこなしている。

 

 ちなみにその未来視の能力であるが、怜本人の『何か横文字でかっちょいい名前がほしい』という要望により、二人で検討した結果『Futuristic Player』と命名された。能力名というよりは怜個人を指す名前となってしまったが、怜本人はこれを気に入っているらしく、二人の時は必ずこう呼ぶんやで、と強制される運びとなった。

 

 そんな怜を筆頭にオカルトなパワーを持っている京太郎の世界中の友人たちは大体、体力自慢という訳ではない。例外は霧島神境の巫女さんたちで運動が苦手そうな小蒔や霞さえ体力だけはある。二十四時間休まず祈祷を行えるのが、巫女として独り立ちできる最低条件だからだ。

 

 運動が得意な初美や湧は言うに及ばず、巴などは巫女服で後ろ向きで走るというハンデを背負わせてさえ、京太郎の方が先に力尽きるという化け物っぷりだ。

 

 では須賀京太郎の麻雀に体力は必要ないのか。自分に問うてみたが結論は『絶対に必要』だった。『相対弱運』というハンデを背負って戦う以上、武器は一つでも多い方が良い。体力作りを真面目にやっている人間が少ないのであれば、体力があるというのはそれだけアドバンテージにはなるだろう。それがどれだけ微々たるものであったとしても、前進には違いない。

 

 勝つためには全ての手段を取るべき。咏に師事するようになってから京太郎はずっとそのつもりで勉強してきたし、実践してきた。

 

 では何故その指針を決めた咏が、体力作りについて何も言ってこなかったのか。靖子から体力作りについて言及された時、気になって聞いてみた所、小さなお師匠様は決まりが悪そうに言った。

 

『靖子ちゃんと同じ理由だよ。走りこみなんて死んでもやらねーからな』

『俺だけで走っても良かったのに……』

『弟子だけ走らせるなんてかっこつかねーだろ?』

 

 だったら一緒に走る、という結論にはならないらしい。運動が得意というイメージは弟子である京太郎にもない。熱心に身体を動かしているよりは、部屋でごろごろしている方がイメ―ジには合うだろう。実際にはかなり勤勉でおしゃれな人で、中でも香には並々ならぬ拘りがあるのだがそれを知る人は少ない。

 

 良い香りですね、と顔を近づけたら美少女のような悲鳴を挙げた咏に思い切りビンタされたのも懐かしい思い出である。女性の匂いを嗅ぐのはダメなのだということを学んだ小学生の夏である。

 

『なら俺が咏さん担いで走りますよ』

『……………………』

 

 沈黙にも種類があることを京太郎は知っていた。電話越しでも解る。咏のこれは『良いなと思っているけれどすぐさま口に出すのはプライドが邪魔して言い出せない沈黙』だ。

 

『よろしくご検討ください!』

 

 師匠の食いつきが悪くないことを察した京太郎はここぞとばかりに押しまくる。神奈川にいた頃は一緒にお昼寝までした仲だというのに、咏がプロとなって忙しいことも相まって実際に顔を合わせる機会は少ない。顔だけはビデオチャットで週に一回は見ているものの、触れ合える機会というのは大事にしたい。

 

『…………ま、気が向いたらな』

 

 遠まわしなイエスを貰った京太郎は、咏に見えないのを良いことにガッツポーズだ。それを思い出すと走る足にも力がこもる。大事な師匠だ。落としてケガをさせるなんてことはあってはならない。心の中で雄叫びを挙げた京太郎は、夜の闇の中ダッシュした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「京太郎のどこが好きか告白しあうゲーム!」

「いえー、だじぇ!」

 

 出先でしかも夜であるから静かに盛り上がる二人に、まこが静かに追従する。そんな三人を和と咲は静かに見つめていた。

 

 同じ一年なのに優希はすっかりあちら側だ。どうにもこの小動物は年上に可愛がられるのが得意らしい。いつもの指定席である京太郎がいないため、今は久の上でいえーしている。久もいつもはまこや京太郎と一緒にいる優希を構えてご満悦だった。

 

 まこは内容に乗り気というよりは説得を諦めた気配である。部では一番の良識派なのだがどうにも久には甘い。

 

 三年生で部長で学生議会長という久のステータスは、普通に高校生活を送っていると中々逆らいにくい所があるが、まこが遠慮しているのはそういう部分ではなく久個人の気質に寄る所が大きい。単純に久のことが友人として好きなのだろう。この人のやることならと苦笑を浮かべる様は、昭和の頃にはドラマに良く出ていたと聞く、ダメ男に惚れこんだ女性のようである。

 

 そんな生き方に思う所がないではないが、原村和ははっきりと物を言う女だ。

 

 誰が相手でも自己主張を曲げないその姿勢は敵を作ることも多く、それが友人の少なさにも繋がっているがそれを後悔したことはない。嘘や虚栄心や裏切りとは無縁の生き方は和の小さな誇りでもあるのだが、

 

「あ、参加してくれたら京太郎がどう思ってるのかこっそり聞いても良いわ」

「参加します。ほら、宮永さんも早く座ってください」

 

 それも時と場合に寄るのだ。いきなり裏切った和に無理やり咲が座らされたことにより、告白しあうゲームは成立の運びとなった。

 

「見た目は結構良い線行ってると思うのよね。まず身長高いし」

「体育でも活躍しているじょ。私は見る機会はそんなにないんだが」

 

 優希は京太郎とクラスは違うが、お隣のクラスのために体育は合同である。男女別のカリキュラムであるためそれにしても運動する場所は別なのだが、同じ時間にやるだけあって。他のクラスよりは見る機会に恵まれている。

 

 運動神経は悪くなく、チームでやるスポーツの場合は大抵活躍している。流石にそれを専門にする運動部には遅れを取るようだが、高い身長と目立つ髪色も相まって、ともかく目立つのだ。女子からも黄色い声援をそれなりに浴びている……ように思う。モテ男という程ではないが。

 

「運動神経悪くないのね。麻雀やってなかったら運動部に入ってたのかしら。咲、京太郎がどんなスポーツ好きか知ってる?」

「自分でやる分にはそんなにこだわりはないみたいですよ。強いて言うなら球技が良いって言ってました。見る分には……サッカーとハンドボールだって言ってました」

「サッカーはともかく、ハンドボール?」

「お友達のフランス美人に勧められたらしいですよ」

「心中察するわ。それにしてもハンドボールは意外ね。私はルールも知らないけど」

 

 私も、と女子全員が追従する。女子相手にマイナースポーツであるとそんなものだ。サッカーだって知っているルールはキーパー以外は基本手を使ってはいけないことくらいだ。どうすればオフサイドなのかだってさっぱり解らない。

 

「実は、京太郎を紹介してくれと言われたことがあるんじゃが……」

「誰にです!?」

 

 血相を変えて食ってかかる和にまこは苦笑を浮かべる。

 

「わしの場合は同級生じゃな。なんじゃ、かわいい顔した働き者の一年が麻雀部にはおるっちゅうことでお試しでお付き合いしてみたいとか何とか」

「お試しでお付き合いだなんて!」

 

 と、和はぷんすこ怒る。和にとって交際というのは程度の差こそあれ真剣に行うもので、決して軽い気持ちで始めるものではないのだ。ではどうやって取っ掛かりを掴むのか、というのがあらゆる恋愛で最初にぶつかる問題なのだが、実はこの原村和、その解決方法に全く心当たりがない。

 

 気持ちが軽いとは言え、一応異性というものに触れあおうとしているだけ、まこの同級生の方がある意味真剣とさえ言える。恋愛観は人それぞれだ。久も別に誰それとお付き合いしてきた経験がある訳では全くないのだが、あらゆる異性を相手に京太郎のような如才のなさを求めると、死ぬまで独身でいる可能性だってある。

 

 ちなみに久はお試しに付き合いというのは肯定派である。真剣に付き合ってみてからこんなはずじゃなかったと思うのは、男の立場であれ女の立場であれ避けたい所ではあるだろう。深い付き合いをする為にはある程度は、軽い付き合いも許容するべきだ。いきなり深い付き合いを要求されるのは、男でも女でもドン引きである。

 

「ちなみに私もあるわよ。一年以外には中々好評のようね。我らが京太郎は」

「私、紹介してくれって言われたことないですけど……」

 

 おずおずと咲が手を挙げる。

 

 中学一年からの付き合いであるが、同級生からも上級生下級生からもそんなことは言われたことはない。話の端々から女の子の影が見え隠れするので、モテるだろうなという予感はひしひしと感じてはいたのだが、淡やモモの一件以外でそれを体感したことは少なくとも中学生の時はなかった。

 

 もしかして勘違いかな、と思うこともしばしばだったのだが、咲のその考えを久は笑って否定する。

 

「そりゃあ、咲には言わないでしょう。同級生からしたら、咲とお付き合いしてると思うんじゃない?」

「えっ……」

 

 まさかそんな、と思った。中学の時にしてたことと言えば、ほとんど毎日放課後を一緒に過ごしたりお互いの部屋を行き来したりお弁当を週に三回は交換したりたまに二人でデートしたり(おじゃまむし)と三人でデートしたり淡と三人で遊んだりモモも含めて四人で遊んだり、

 

「宮永さん私に喧嘩を売っているならはっきりとそう言ってくれますか?」

「ひゃ、ひゃめてよふぁらむらはん!」

 

 口をタコにされたり頬をむにむにと引っ張られたり、和の攻撃に咲が抗議の声を挙げる。何だかんだ仲良しな二人に安心する久だった。

 

「料理得意っていうのはポイント高いよな? タコスは絶品なのだじょ」

 

 現在部で最もその恩恵を受けている優希はにこにこと京太郎の長所としてそれを挙げる。和が交換しているお弁当と言い、麻雀部でたまに出てくるお茶請けと言い、京太郎の料理の腕はとても優れている。流石に素人にしてはという枕詞が付くのだが、現役の男子高校生ということを考えると、その腕は破格と言っても良いだろう。

 

 趣味の一環とは本人の談であるが、その割にはお菓子、和食、洋食、中華とレパートリーは多岐に渡る。その腕は昼食時のお弁当にも表れており、男子のお弁当は茶色いという常識を覆す彩り鮮やかなお弁当は和たちだけでなく周囲の女子にも女子力高いと一目置かれている。

 

「調理実習でも大人気でしょうね」

「もう引っ張りだこですよ……男の子に」

 

 総合して女子の方が料理ができそうというのは老若男女古今東西遍く持たれているイメージであろうが、少なくとも京太郎のクラスに限って言えばその差は大したことない。調理実習は男女混合で行われるため料理ができる人間は、平時の人間関係を全く無視して引っ張りだこになる。

 

 京太郎と咲は同じクラスだが、男子ではぶっちぎりで京太郎が、女子は僅差で咲が一番料理ができるため、戦力の集中を防ぐという意味から一緒のチームになることは少ない。思えば中学の時からそうだったような気がする。女子に男子にちやほやされながらお料理する京太郎をぐぬぬと眺めるのも、宮永咲にとってはまぁいつものことなのだ。

 

 全員の視線が和に向いた。お前の番だ、というその視線に和は考えを巡らせる。ふと和の視線が自分の大きな胸に向いた。その胸に度々向けられる京太郎の視線を思い出した和は、僅かに頬を朱に染める。

 

「……すけべですよね」

「原村さん。おっぱい大きい自慢なら後にしてもらえるかな……」

「ひゃめてくらさいみやならさん!」

 

 さっきの仕返しとばかりに和の頬をむにむにとする咲である。仲良しだなーと優希は友達として安心した。和は良い奴なのだがちょっと難しい所がある。優希はそれを苦に思わないしむしろかわいい所だと思うのだが、多くの人間はそう思わないらしく、積極的に交友関係を広げようという意思もないことから、はっきり言って和は友達が少ない。

 

 関係を維持するのにもあまり労力を割かないタイプなのだろう。奈良の友達とは京太郎と知り合うまでは連絡もほとんど取っていなかったようであるし、麻雀部に入らず優希もいなければ誰とも会話せずに生活するまで想像できた。

 

 咲と和の関係に安心しているのは久も同じである。今の一年の増員があまり見込めない以上、和たちが卒業するまでその学年は現在のメンバーが維持される公算が高い。人当たりが良いと言っても京太郎は男子であるので、女性として同じ目線で話ができるのは優希だけだった。

 

 友達の数が多いと偉いという訳では勿論ないが、話相手がたった一人というのは如何にも寂しい。どういう人間だって孤独に苛まれることがあることを、竹井久という人間は嫌というほど知っている。かわいい後輩にそんな思いはしてほしくなかったのだが、京太郎が連れてきてくれた少女は思いの他和と波長が合うようだった。会って対して時間も経っていないのに、これだけ親しく接することができれば大丈夫だろう。

 

「すけべなのが良い所なの?」

「いえ、手放しにそういう訳じゃないんですが……胸に目を向けるにしても何というか、許せる感じと言いますか……」

「それは惚れた弱みってことではなく?」

「そういうことじゃ! ない、と思います……多分」

 

 何とまぁかわいい顔をするものだと久は感心した。こういう顔を素直に見せることができれば、京太郎でもころっと落ちてしまいそうだが、へそ曲がりの和ではそうもいかないのだろう。

 

「距離感を測るのが上手いんじゃないかの。ルーフトップでもいて欲しい時にいて欲しい所にいるぞ、あの男は」

「見ても怒られないギリギリを解ってるってことかしら」

「確かにそういう表現だとすけべな感じがしますね」

「見られて嬉しいものなの?」

「見られる種類にもよりますけど、全く興味がありませんとされるよりは、見てもらえた方が良いんじゃありませんか?」

 

 誰でも良いって訳じゃありませんけど、と和は言葉を結ぶ。ただし京太郎に限るという訳だ。他の同級生の男子が同じことをしても和はおそらく同じことを言わない。上手な立ち振る舞いも一重に、そこに至るまでの信頼の積み重ねがあるからこそだ。技術だけ上手くてもその担い手に問題があれば結実しないものである。

 

「その距離感はどうやって身につけたのかしら。才能?」

「全国津々浦々で女の子に鍛えられたんだと思いますよ。長野以外の女の子とは私も接点ありませんけど」

「咲みたいなのが全国にいるってことよねそれ」

「恐ろしい話だじぇ……」

 

 麻雀の団体戦は4チームで行われる。一チームは五人だ。ルールは年度によって細かな、時に大きな変更が行われるのだがこのレギュレーションだけは第一回の時から全く変更がない。

 

 つまり自チーム以外の選手は補欠を除いて15人。これが全員京太郎の関係者だとしたら一体どんなことになってしまうのか。

 

 もっとも、そこで京太郎も一緒に顔を合わせる機会はおそらくあるまいが。団体戦の開始前、補欠を除いた選手全員が一同に会することもあるが、そこに京太郎が加わることはないだろう。何しろ彼は男子だ。

 

 そういう機会もなければそも、自分が対戦する選手以外と改めて顔を合わせる機会というのは実のところない。皆学校の行事の一環として来ているので、大会期間中はあまり自由な時間というのは少ない。

 

 終わってからそのまま夏休みというのは定番の展開ではあるものの、全国まで来る学校であればその期間も短い、もしくは存在しないということは十分にあり得る。夏の大会で引退する三年生でもなければ確実に時間を確保するとはいかないだろう。顔を合わせるのであれば学校の予定も十分に加味する必要がある訳だが、それはつまり、それを勘案する必要がないほど少ない人数であれば自由も利きやすいということである。

 

 男子を含めても六人しかいない清澄の、数少ないアドバンテージである。

 

「まぁ私たちがいたとしても遠慮なく突っ込んでくるでしょうけどね。全国の咲は」

「その言い方はちょっと……」

 

 自分の他に十五人の自分が京太郎に群がっている様を想像して、咲は苦笑を浮かべた。仲良く皆で京太郎を分けようということには絶対にならないのが想像できる。

 

 さてもう一周、と久が言葉を続けようとした所で全員が口を閉ざした。外から足音が聞こえる。京太郎がランニングとお風呂から戻ってきたのだ。

 

 ふすまを開けて戻った京太郎はほっかほかだった。浴衣の隙間から覗く肌と鎖骨に思わずときめいている和を他所に、部屋をぐるりと見まわした京太郎は頸を傾げた。女子五人が顔を突き合わせて車座になっていたからだ。

 

「何してたんです?」

「皆で咲のかわいい所を話し合ってたのよ」

 

 裏切られた! という顔で咲が久を見るが、久の態度はどこ吹く風だ。女子としては男子のどこが良いか話し合っていたのを、本人に知られる訳にはいかないのである。

 

 そんな久の態度に当然京太郎は違和感を覚えた。話していたのはそれじゃないなということには確信さえ持てていたが、それを態々自分に伏せたということは、須賀京太郎が知るべきことではないのだと久が判断したことだ。それに異論を挟むつもりはない。女性が自分で引いた線を男の方から踏み越えるのは概ね自殺行為であることを、京太郎は今までの人生から学んでいた。

 

「そうなんですか。俺も参加したかったですね」

「京太郎はある? 咲のかわいいところ」

「そうですね。こいつネタバレしようとすると凄く怒るんですよ」

「それは誰だってそうだと思いますが……」

「まぁまぁ。あれだ、オリエント急行殺人事件の容疑者全員が――」

 

 ずばっと、普段の咲からは想像もできない速度で京太郎に飛びつき、容赦なく口を塞ぐ。海外ミステリーは咲の大好きなジャンルなのだ。京太郎自身、ミステリーはあまり趣味ではないのだが、中学時代咲と仲良くなり始めの時にオススメされて有名所は一通り網羅していた。

 

 視線で絶対に口を開くなと訴えてくる咲に、京太郎はこくこくと頷いた。もちろん嘘である。そんなつもりは全くないが、心優しい咲はそれを信じて京太郎を解放する。

 

「アクロイド殺しのトリックなんですけど」

「私だってキレる時はキレるんだよ、京ちゃんっ!!」

 

 手近にあった枕を渾身の力でばしばしたたきつける咲に、京太郎は笑顔だ。対する咲は首まで真っ赤にして怒っている。男主導ではあるがまさに痴話ゲンカという様相に京太郎と咲以外の全員は砂でも吐きそうな気持になっていたのだが、京太郎劇場はもう少し続く。

 

「まぁまぁそう怒るなよ咲」

「京ちゃんが悪いんでしょ!」

「そうだな。俺が悪いな。よしよし、落ち着け落ち着け……」

 

 枕をぱっと取り上げると、背中を向けさせてすとんと座らせる。怒りの熱はまだ咲の中で燻ぶっており、真っ赤になった首には汗が滴っていた。ともすれば男の子に見える咲であるがたまに色っぽい。それでもまぁ咲だけどな、と自分を納得させぽこぽこ雑に頭を軽く叩くようにして撫でる。

 

 雑に扱われていることは咲にも解っていたが、それが逆に気持ちを落ち着けさせた。ネタバラシ未遂は京太郎が自分をからかう時の常套手段である。

 

「とまぁこんな所なんですけどどうでしょうか」

「…………ごちそうさま」

 

 意外といじめっこなのだな、と理解した久はげんなりした様子でそれだけを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




合宿編終了。
次から県大会編になります。
前の全国編のように短編の連作になるかと思いますのでご了承ください。


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現代編09 長野県大会 団体編①

県大会編の共通ルールです。

県大会編は以前の全国大会と同じように短編が連続します。
短編同士の時系列など細かい所は多めに見ていただけると助かります。

団体編は団体戦が終わるまでの時系列、個人編はそれが終わってから個人戦が終わるまでの時系列という感じです。団体戦の試合前、試合中のやりとりは団体編の最後に差し込まれる形になります。


また特に明記がない限り、公式戦の結果は原作と同様です。



 

 

 

 

 久保貴子にとってこの一年は実に悩ましいものだった。

 

 出身校である風越にコーチとして就任したのが二年前。特異なことに風越には監督というものが存在しないので、対外的には最高責任者と言っても良い立場である。

 

 実際にはOG会がかなりの権限を持っているため、単なる現場担当であるのだが良い面もある。 

 

 風越は他の部活があまり強くないため、学内において部員数においても最多の麻雀部は発言力が強く、そのOG会は学校の運営にも口を出している。今の理事長だって麻雀部のOGなのだ。このおかげで学内で余分な綱引きなどをする必要がない。学内の処理は完全にOG会に丸投げすることができ、貴子は部の仕事に専念することができた。部員の質は貴子がいた年よりも間違いなく向上していると言って良いだろう。 

 

 実際()()()()()長野県下では龍門渕と双璧と言われていた。実際には風越が六で龍門渕が三。それ以外が一という星の分け方をしており、長野県勢ではぶっちぎりの全国大会出場記録を誇る。これを超えるのは現在の最多出場記録校である奈良の晩成か、大阪の姫松と千里山くらいしかない。

 

 プロや実業団にも多くの選手を送り出しており、業界にもそれなりに太いパイプを持っている。コーチというのはその調整役も兼ねており、部員の希望に合致する就職先なり大学なりを探したり、逆に先方からの希望とマッチングさせたりと指導以外にも仕事は多い。

 

 コーチというのは名前だけで、実質的には他校における監督の立場である。伝統なのだか何だか知らないが、それを知らない他校の人間にはコーチというだけで舐められることもあるので、できることならやめてほしいというのが貴子の本音だ。

 

 自分の出身校でもあるだけに、指導にもスカウトにも手は抜けない。納得のいかない選手を試合に出したことはないし、出すと決めた選手はその時点の部で最高の五人であるという自負がある。毎年毎年、今年の選手が過去最高という訳にはいかないものの、去年の風越女子は数十年の歴史の中でも三指に入る程に仕上がっていた。

 

 そのはずだったのだが、結果は惨敗である。辛うじて実力で伍していたのは先鋒の福路美穂子と大将の池田華菜くらいのものだ。連続出場記録がかかっていた年だっただけに、負けたという事実だけを見たOG会からは相当な突き上げも予想されたのだが、試合の映像を見た彼女らから帰ってきたのは諦観だった。

 

 彼女らとて名門風越で鎬を削った身だ。麻雀で身を立てている訳ではないとは言え、ある程度は実力を測る感性が備わっている。その感性で判断するに、龍門渕の五人は揃って傑物だった。去年の風越で言えば福路美穂子が五人いてようやくと言えるレベルだったろう。

 

 池田華菜でぎりぎり。補欠を含めた他の八人は残念ながら勝負にならない。

 

 この分析結果を共有するにあたり、貴子とOG会にはお通夜のような雰囲気が流れた。去年風越に土をつけた龍門渕の五人は恐ろしいことに全員一年だったのだ。既存の部員を全て叩きだして実力で部を乗っ取った実力派。しかも部長の龍門渕透華は理事長の孫娘であり、学内の権力的にも申し分ない。

 

 そも、既存の部が残っていたとしても実力でメンバーを決する以上、代表が彼女ら五人になる運命は避けられなかっただろう。何か決定的なトラブルなり方針の転換がない限り、彼女らはあと二年部活動を続けることになる。福路美穂子が五人いてようやく勝負になるような五人が、あと二年残るのだ。

 

 それは風越の全国への出場が後二年遠ざかることを意味する。実力向上は急務と言えたが、そもそも美穂子や池田だって近年稀に見る大当たりなのだ。

 

 全ての部活動において共通することだが、才能が同程度であればその研鑽に費やした時間が長い方が基本的には強い。中学よりも高校の方が環境としては洗練されているため、一年よりも二年が、二年よりも三年が強い。部員が多い学校程この傾向が強く、運動部でも文化部でも名門の一年生レギュラーというのが話題になるのはこのためだ。

 

 一年でレギュラーというのはそれだけ実力と、何より才能が突出していることを意味する。風越の歴史の中でもここ二十年で一年でレギュラーになったのは貴子を除けば美穂子と池田の二人のみだ。貴子が卒業してから美穂子が入学するまで間が空いたことを考えると、一年レギュラーが二年続いた去年を過去最高のできと評するのも無理からぬことであり、更に言えば、今年の文堂で三年続いたとなれば、今年こそはと期待するのも解る。

 

 解るのだが……それでもなお、龍門渕は相手が悪いと貴子は思うのだった。そんな弱気に思わず顔をしかめる。戦う前から弱気でどうする。教え子が見ているのだ。弱気な指導者の言うことなど誰も信じてはくれまい。どうも周囲の風越に対する風聞に知らずに苛立っていたようである。

 

 今年こそは、などと誰に言われずとも皆思っているのだ。負けるつもりで戦う奴などいて堪るものか。今年こそは、あの化け物どもに勝ってやるのだ。見てろモンブチどもと熱のこもった息を吐く貴子の背中を部員たちはひっそりと怯えた表情で眺めていた。本人は気合を入れた引き締まった表情をしているつもりなのだが、獰猛な肉食獣のようなその面構えははっきり言ってとても怖い。

 

 触らぬコーチにたたりなしである。気合を入れるコーチと怯える部員という、全くかみ合っていない精神状態が生み出されたその横で、ほどよく平常心を保っていた美穂子は、視界の隅に知り人の姿を見つけた。

 

()()()!」

 

 突然、美穂子が声をあげた。何だどうしたと美穂子の視線の先に風越一同が目を向けると、そこには学ラン姿の男子がいた。

 

 おそらくこれが『京くん』なのだろう。ぱたぱたと走り寄っていく美穂子に、穏やかに笑いかけるその姿が美穂子が美少女なことも相まって一昔前の青春ドラマの1ページのようだった。 

 

 絵になる男女というのはこういうのを言うのだろうな、と感心している貴子を他所に、風越女子の面々には動揺が広がっていった。あれ、もしかして彼氏?

 

「お久しぶり。会場で会えるかなってちょっと期待してたのよ」

「美穂さんにそう言ってもらえると嬉しいですね」

「もう、上手いこと言って……」

 

 いちゃこら始める二人に貴子は深々と溜息を吐く。学ラン『京くん』はまだしも、ここは全国大会の予選会場。風越女子は優勝候補の一角であり、美穂子はそこのキャプテンで個人でも団体でも全国大会を経験している県内屈指の選手だ。去年個人戦に出場していない龍門渕の選手と比較しても、過去の実績においては現状、長野県下の女子高生の中で最高の物を誇っている。

 

 当然顔と名前が方々に売れている。早速視線を集めている二人にさてどうしたものかと貴子が考えを巡らせていると、ちらと『京くん』が貴子の方を見た。貴子は指で風越の控室がある方を二度差す。それだけで意図を察したらしい『京くん』は美穂子には悟られないようにゆっくりと歩きだし、自然に美穂子を促した。

 

 誘導される形で美穂子も控室の方に歩き出す。気持ち悪いくらいの手腕に貴子は内心で舌を巻いた。他人の視線が切れるということはあるまいが、入り口ホールでやるよりはこれで少しはマシになるだろう。女子高生ってのはコレだから困ると貴子が溜息を吐くと、隣を歩く池田が袖を引く。

 

「コーチ! コーチ! あれいいのかし!?」

「何がだ池田」

「だってほら……キャプテンに男が!」

「福路だって女だ。男の一人くらいいてもおかしくはないだろうよ」

 

 止めてほしかったのに貴子はそれを容認するような態度である。これでは話が違うと池田は視線で食ってかかった。言葉を繋ぐ気力がもうない故の行動だったものの、視線で訴えかける目をかけている後輩と言うのは貴子の心に地味に刺さった。

 

 これ以上問答するつもりがなかったのを、深々と溜息を吐いて翻す。

 

「いいか。うちは別に男女交際を禁止してる訳じゃない。部のルールにも書いてない。それは解るな?」

「でも、ダメって雰囲気があるし」

「そりゃあ全国目指して麻雀やるっつってんだから男にかまけてる暇はねーだろって暗黙の了解ってやつだな。何にしろ大っぴらにやるなってことだよ。実際、隠れて男作ってる奴はそれなりにいると思うが……」

 

 どうだ? という貴子の視線に何人かの部員が気まずそうに視線を逸らした。貴子が思っていたよりも数は遥かに少ない。自分の頃と比べて行儀が良くなったものだと内心で感心する。貴子の時代には大抵どの学年にも、他の部員に男を紹介するような女衒のような部員がいたものだ。

 

「でもほら、キャプテンこんなところで堂々といちゃついてるし! 見たことないくらいかわいい顔してるし!」

「実力が伴ってさえいりゃ問題ないだろうよ」

 

 他の部員に示しがつかないという問題も勿論ある。先輩がふしだらなのに、清廉潔白でいよと号令をかけても後輩が従うはずもない。ルールというのはまず目上の人間が守ってこそ全体にいきわたるものだ。美穂子はキャプテンという部員を統率する立場にあり、普段は率先して部の規則なり慣習なりを守る立場にある。池田の物言いも理解できなくはない貴子だったが、こと男関係は明記されている訳ではなくあくまで暗黙の了解だ。

 

 部則ではなく慣習に乗っ取るのであれば貴子はコーチの立場である。物言いの一つもつけられるのだが、それには貴子は消極的だった。というのも、

 

「奴は部内リーグで過去最高の勝率を誇り、去年一昨年個人で全国に出場したし、一年の時から団体メンバーでおまけに今年はキャプテンもやってる。部の雑用もほとんど請け負ってお前たちに打つ時間を作ってやってる訳だが……お前、この上男関係にまで注文つける気か?」

 

 仮に本当に彼氏であったとしても、部員の中ではおそらく一番接点があったであろう池田が今知った程に存在を隠していたのだ。異性交遊が褒められたものでないとしても、その上で過去最高の実績を個人で出し部に貢献していたのだから、男の一人や二人見逃してやるのが人情というものだろう。

 

 OG会に沙汰を持って行っても同じ結論になるのは目に見えている。あのおばさんどもは揃いも揃ってデキの良い美穂子のことが大好きなのだ。福路さんに彼氏!? どんな子なの!? と質問攻めにされる未来を想像すると、今から気分が滅入る。

 

 貴子が池田と言いあっている内に、周囲の視線が少なくなると『京くん』は足を止めた。つられて足を止めた美穂子は自分が移動していたことを初めて知る。あら? と首を傾げるが、気にしないことにしたらしい。当たり前のように『京くん』の手を引いて皆の前に立たせると、

 

「紹介します。こちら須賀京太郎くんです」

「初めまして。清澄高校一年の須賀京太郎です。久保貴子コーチ。お会いできて嬉しいです」

 

 笑顔で差し出された手を義務的に握り返す貴子の後ろで、風越の部員たちは戦慄していた。まさかの年下である。部員たちの勝手なイメージではキャプテンは男性とお付き合いするなら同級生以上、少し年上を想定していたのだ。それが二つも年下の男子を京くんとかわいく呼び美穂さんと呼ばせているのだから驚かずにはいられない。

 

 対して貴子は全く驚かない。男女の間のことなのだ。他人が想像もつかないような習慣やルールを持ち出す人間は貴子の身近にもいた。まさに貴子が池田と同じ二年だった頃、できたばかりの恋人をダーリンと呼び自分をハニーと呼ばせていると言った同級生を、渾身のギャグだと思った貴子たちは指を差して笑ったのだが、実は本気だった同級生はキレて大暴れをして取っ組み合いにまで発展した。

 

 幸い全員が鼻血を出す程度の怪我で済んだのだが、当時のコーチにガミガミ怒られたことは良く覚えている。

 

 ちなみにそのハニーは風越を卒業すると同時にダーリンと入籍して家庭に入った。この時世に珍しい専業主婦で子宝にも恵まれたが、未だにダーリンハニーは続けている。

 

 見ていて恥ずかしくなるくらいのバカップルは今も健在であるものの、お互いの呼び名は幼稚園で披露して赤っ恥をかいて以来、ご長男には不評のようだった。

 

 会う度にあれ止めさせてよと懇願されると貴子の心も動かされるのだが、言われてやめるようなら青春時代にお互い鼻血を流すハメになったりしなかったのだ。

 

 ともあれ男女間のことだ。なにが地雷なのかは外からでは中々解らないもので、コーチである貴子として最も困るのはエースで部の精神的支柱である美穂子のコンディションが崩れることだ。

 

 どの道これが高校生としては最後の戦いである。試合で無双してくれるのであれば、どれだけバカップルでいようか色ボケしていようが関係ない。バカップル色ボケして今の調子なのであれば、むしろそのままでいた方が良いまである。

 

 風越現レギュラーの中では特に池田が気持ちによって牌の寄りが極端にブレる傾向にあるが、『気持ちが引きを左右する』という現象は、程度の差はあっても万人に存在するというのが現在の麻雀界の定説である。

 

 技術を研鑽する毎日である学生たちの前ではあまり言いたくないことであるが、麻雀という競技は運の要素が占める部分があまりに大きい。気の持ちようでそれに影響が出るのであれば、指導者や監督はそれを踏まえた上で選手たちを指導し、環境を整えねばならならない。

 

 なので男の存在がプラスになっているのであれば貴子としてはあえて口に出すようなことでもないのだ。単純に素行が悪かった当時の久保貴子に比べれば、福路美穂子というのは実に真っ当な選手である。

 

「他校のしかも男子に名前が売れてるとは思えねえんだけどな」

「藤田プロから。あいつはデキる女だから仲良くしておけと」

 

 京太郎の言葉に貴子は視線を逸らした。十歳近く年下の少年の言葉に柄にもなく照れているのである。

 

 久保貴子は大上段から誉められることにはあまり慣れていないのだ。風越の歴史だけをみれば貴子は美穂子や池田を入れても五指にはいる腕前であるが、高校時代から大学中盤に至るまでは素行に問題があったため、実はOGからの受けはあまりよろしくない。

 

 厳しい指導方針には疑問の声も多くある。それでも貴子が許され、コーチとしての立場を維持できているのは現状、コーチ就任可能な人間の中で貴子が一番麻雀が上手く実績があるからだ。

 

 そして貴子が高校生だった時代の風越はとにかく対外試合を組みまくっていたため、長野県内では顔が広いことが挙げられる。 年代的には貴子の年は大豊作の年であり県内外の麻雀関係者が多いのだ。また学生時代に対戦して以来の付き合いである藤田プロとも昵懇であり、彼女の指名で県選抜の選考委員の一人にも選ばれている。

 

 加えて風越のコーチは事実上の監督であるため、現役部員のことだけでなく彼女らの進路とこれから部員になる中学生にも目を向けなければならない。流石に姫松千里山や臨海女子の裏方ほど忙しいとは思わないが、桁一つ違う予算の大阪二校と、桁二つ違う臨海とはスタッフの量で雲泥の差があった。その三校と比べれば仕事の総量は少なくとも、処理する人間の数と能力に差がある以上、一人一人の負担は相対的に増していく。

 

 スタッフの増員は常日頃から貴子も奏上しているのであるが、固定支出の増加を嫌うのはどこの組織も同じである。麻雀部のスタッフであっても雇用するのは学校であるので、いくら麻雀部が風越内部で強権を誇っていても、上限の決まっている予算以上のことはできないし、寄付を募るにも限度がある。

 

 結局人員の増加は現状見込みは立たず、貴子は忙しいままなのであるが、この忙しさを貴子は気に入っていた。見た目以上にタフなこのコーチは 見た目と性格が怖いだけで実務に関しては特に外部と、これから進学を目指す中学校の関係者たちからの評価はとても高い。

 

 しかしそれは業界に関する話で現在高校生である面々には関係のない話である。貴子にとっては頭のあがらない人間の一人である靖子がそれでも、この少年に話を通す辺りに、人物評はとかく辛い靖子の京太郎の評価の高さが伺える。

 

「福路の彼氏は――」

「コーチ、京くんはお友達ですよ?」

 

 そうなのか? と視線で問うと京太郎は当然ですと普通に頷いた。

 

 ざわり、と風越女子の面々に動揺が広がる。感性が微妙にズレている人だというのは部員たちも理解していたつもりだが、異性関係で目の前に突き付けられるとその衝撃も一入だった。

 

 美穂子の方からの多すぎるボディタッチに、ともすれば胸が当たるんじゃないかというくらいの近すぎる距離。普通の男女の友達は間違っても京くん美穂さんとか呼びあったりはしない。この上部活をしている時よりも何倍も華やいで微笑んでいるのである。まさに音に聞く思わせぶりな振る舞いの数え役満(サークル・クラッシャー)だ。これで本当にただのお友達だったら、女性の身でさえ京くんがかわいそうに思える。

 

 さぞかし男の方も舞い上がっているのかと思えば、こちらは酷く落ち着いている。美穂子の距離が近すぎるのと対象的に、京太郎の距離感は、高校生の男子が美穂子のような美少女に迫られているにしては遠すぎるくらいだった。

 

 前のめりになっている様子が恐ろしいことに全くと言って良いほどない。まるで美穂子のような美少女がそこにいるのが当然とでも言わんばかりのブルジョアジーな振る舞いに、彼氏のいない一部の部員のボルテージがじわじわと上がっていく。

 

 うちのキャプテンに何か不満でもあるのかクソが。

 

 福路美穂子というのは控えめに言っても美少女だ。下世話な話であるが風越麻雀部の中では非常に男性に好まれそうな体つきもしている。早い話胸もお尻も大きい。笑顔が素敵。真顔も素敵。料理も得意。家事全般で苦手なことはないようであるし、子供のお世話も得意だ。機械にだけは極端に弱く稀にコンセントに触手責めをされるような人だけれど、そこは愛嬌で収まる範疇だろう。

 

 性格の合う合わないはあるだろうけれども、見た目の時点では少なくとも非の打ちどころがない。どこに出しても恥ずかしくないお嫁さん系美少女だ。

 

 そんな美少女がここまで近くにいるのに、少年には慌てた様子も興奮している様子もない。これで遊び人な気配が出ているのであれば警戒もしただろう。何しろ美穂子はそういうのに非常に騙されそうなタイプである。他校の男子をぶっ飛ばしてでも守らねばならない。

 

 しかし須賀京太郎というのは愛嬌のある顔だちをしているくせに、態度はほんのり紳士的だ。隙があるのが隙がないとでも言えば良いのか。『この人ならば大丈夫』と女を安心させる雰囲気が全身から漂っている。一度そう思わせてしまうと、人間中々攻撃的に出れないものである。そもそも本人があんなにお熱なんだから……と大半の部員の熱が下がっていく中、エキサイトする池田が一人いた。

 

「華菜ちゃんはそう簡単に絆されたりはしないし!」

「華菜、この前作ったケーキなんだけど……」

「ありがとうだしキャプテン! とっても美味しくてうちのチビたちにも大好評だったし!」

「あれの作り方教えてくれたの京くんなのよ」

 

 我がことのように嬉しそうにしている美穂子と対照的に、池田は早速進退窮まってしまった。そも本人同士が納得しており見た感じ悪い人間にも見えないのであれば、貴子の言うように他人が口を挟むようなことでもないのだ。

 

 加えて実は池田家にとっても恩人となれば、『大事なキャプテンを取られたみたいで何かムカつくし!』というあまりにも子供な理由で突っかかるのは気が引けた。おまけに彼は年下なので、チビたちのお姉ちゃんである所の池田はあまり強く出れないでいた。

 

 池田華菜(お姉ちゃん)というのは年下にはとても見栄っ張りなのだ。

 

「ごめんだし。華菜ちゃんが間違ってたし……」

「いえいえ。ケーキ好評なようで何よりでした。今日は用意してないので何ですが、美穂さんには他にもレシピを伝えてあるので楽しみにしていてください」

 

 それでは、と足取りも軽やかに京太郎は去って行く。にこにこ手を振って見送る美穂子を横目に見ながら、貴子はぼんやりと京太郎のことを考えた。

 

 今日は男子の日程はないから女子の応援か観戦だろう。どこのブロックかは解らないが、名前に聞き覚えがない以上、風越とは決勝まで当たらない学校であり、学校の実績としてはそう強くはない部のはずであるのだが、そうすると靖子と知人であるというのが解せない。

 

 あの人は面倒見は良いが面倒くさがりな所がある人で、誰にでも目をかける訳ではない。頼まれれば指導はするが、それ以外のことにまで口を出すのは特に見どころのある人間だけなのだ。貴子につなぎを作っておけというのは藤田靖子というプロの人間性を考えると出血大サービスも良い所である。

 

 つまりはそれだけ見どころのある人間ということだが、あの人に目をかけられる人間が無名というのも解せない話である。

 

 彼は男子である。貴子の仕事に、風越の未来に大いに関係があるということはなさそうだが、こと麻雀に関する限り、藤田靖子の人間を見る目は信頼が置ける。繋ぎを作っておけというのは京太郎のために言っただけでなく、貴子にも向けられている。改めて、話を聞く必要があるだろう。

 

 仕事増やしやがって、と溜息も出るが、幸せそうに微笑む美穂子の顔を見ると、別の感情も湧きあがってくる。

 

「……しかし、料理の上手い男子とは中々待ちの薄い所をツモってきたな福路」

「麻雀以外でも話が合うって本当、素敵ですよね。この前一緒にケーキを作った時も、一緒に買い物にいったんですよ。何を作ろうかって話しながらお買い物するのがとても楽しくて、あっという間に時間が過ぎてしまいました」

 

 ん、と貴子が眉根を細める。胸の前で手を合わせ興奮気味に語る美穂子はここではないどこかを見ている。そのあっという間に時間が過ぎてしまった思い出を話しながら反芻しているのだろう。美穂子の声音には隠し切れない喜びと熱があった。

 

「彼のことを一つ知る度に、私のことを一つ知ってもらう度に、何だかとても幸せな気持ちになるんです。次に会った時には何を話そうって考えるだけで――」

「時間が過ぎるってのは今まさに実感してる所だ。そろそろ移動しようぜ」

 

 自分が熱に浮かされているということにさえ、その指摘で初めて気づいたのだろう。貴子他部員全員、そして衆目の目もそろそろ集めようかという段になっていることに気づいた美穂子は、先ほどまでとはまた別の意味で顔を真っ赤にして、皆の先を促した。

 

 美穂子の先導で風越の面々はぞろぞろ歩いて行く。よほど恥ずかしい思いをしたのか。美穂子は正面だけをまっすぐ向いて振り返らない。耳どころか首まで真っ赤にして俯き歩く美穂子の背中を見て、思い浮かんだことをそのまま口にするのは無粋だなと貴子は思った。

 

 どうかね諸君。振り返りたまたま視線があった未春に視線で問うと、未春は苦笑を浮かべながら人差し指を口元にあてた。

 

 ただ一人の少年と過ごした時間がどれだけ自分にとって楽しかったのか。身振り手振りを交えて本当に嬉しそうに楽しそうに語っていた美穂子の顔を見て、貴子と部員たちの思う所は完全に一つになった。

 

 その胸にある感情のことを、人間は『恋』と呼ぶ。それは言わぬが華――

 

 

 

 

 

 

 



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現代編10 長野県大会 団体編②

「京さん、捕まえったっす!」

 

 廊下を一人で移動していた京太郎の背後から、声と共に飛びつく人間があった。自分のことを『京さん』と呼ぶのは一人しかいない。振り向くとほとんど同時に、ずるりと自分の周辺で何か動いたような気がしたがあの娘の周りではよくあることだ。とりあえず無視する。

 

 振り向いた先には予想通り桃子の顔があった。首に腕を回して貼り付いている様はおんぶをせがむ子供のようである。淡にしても桃子にしても何かにつけて引っ付きたがっていたので、高校生になった今時分では少しだけ懐かしくもあった。

 

 ちなみに宮永姉妹は逆で引っ付いているモモアワをじーっとみている癖にこちらから踏み込むと距離を取る。欲望よりも羞恥の方が勝つのだろう。犬のようなモモアワに対して宮永姉妹は猫みたいだなと思っている京太郎である。

 

「今、京さんも一緒に消えてるからあまり声を出さないでほしいっす」

 

 まじで、と京太郎は近くの人に軽く手を振ってみるが、そのおじさんは気づかずにすたすたと歩いていってしまった。おーと声に出して感心する。桃子のステルスを実感するのは久しぶりのことだったのだ。

 

 どういう訳だか最初から見えていた京太郎からすると『桃子が見えない』という状況が全く理解できないのだが、咲や淡は少し離れて気を抜くと見えなくなることがあると常々言っている。だから一緒にいる時は手を繋ぐんだもんね! というのは淡の発案でそれは今も続く三人でいる時の慣習なのだがそれはさておき。

 

 問題は咲や淡が桃子を見失わないとしても他人から見ると消えてしまうことがあるという点である。幸いなことに意識的に消えないように消えないようにと気を張っていると、気づかれずに車に跳ね飛ばされるということはないそうなので京太郎が危惧する程の危険はないようだ。そうでないと桃子は今まで百度は死んでいることになる。

 

 逆に言えば、消えるように消えるようにと気を張っていれば、他人からは消えているようにみえ、その特性は他人や周囲の物も巻き込んでしまう。消えようと思ってそれが成功している時の桃子を見つけるのは、霧島神境の巫女さんたちのような本物でないと難しい。

 

 子供のいたずらにでてきそうなまさに無敵の能力であるが万能ではなく、ステルスできるのは人間だけで他の生き物には感づかれる上、カメラなどの機械まではごまかされてくれない。しかも実力者相手には消えるまでに時間がかかるという完全に人間相手の能力であるが、麻雀などの対人ゲームであるとその威力は凄まじい。

 

 実際、咲や淡や照を相手にしてさえ桃子がそれなりの勝率を誇っているのは単純にこの能力が強力であることも一因なのだが、桃子本人はステルスのおかげで勝てているという評価が大層不満なようで、大親友三人の中では一番熱心に座学に励んでいたものだ。

 

 中学時代を懐かしんでいると、京太郎の耳に桃子がわざと息を吹きかけてくる。ぶるりと震える京太郎に桃子はおかしそうに笑った。

 

「実は京さんに紹介したい人がいるっす。でも大会中に他の学校の生徒と仲良くしてると角が立つから、会うならこっそりにした方が良いってアドバイスされたから――」

「モモが態々迎えに来たって訳だな」

「そうっす。先輩は別に急ぎじゃないって言ってたっすけど、こういうことは早い方が良いと思ったっすよ」

 

 ふんすと桃子の鼻息が聞こえたが京太郎は内心で苦笑していた。角が立つと話した上で急ぎでないと言ったのなら、その人は『会うのは構わないが大会が終わってからの方が良い』と遠まわしに言っていたのだと思うのだが、桃子には伝わらなかったようである。

 

 ちゃんと話せば桃子も理解し従ったと思うが、そうしなかったのということはその人も自分と会うことには前向きであるということか。桃子の知り合いならばおそらく女性な訳で、無駄にモテているようで気分も悪くない。

 

 とは言うものの、その人が気にした通り今は大会期間中である。学校としては京太郎のいる清澄も桃子のいる鶴賀も女子は団体にエントリーしておりいわば敵対関係にある。

 

 それだけならば良いが地区大会から始まり全国大会で終わる一連の大会には『同じ種目にエントリーしている選手は、その種目の着順が正式に決定するまで公式戦以外での対局を禁止する』という規約がある。

 

 例えば個人にも団体にもエントリーしている咲と桃子は、個人戦の着順が決定するまで対局することができない訳だ。ちなみに咲も桃子も個人戦で勝ち残り、県の代表として選ばれた場合、咲と桃子の間にはこの規約は適用されなくなる。

 

 県大会の着順が決まるまでは違う団体の所属であるが、県大会を勝ち上がった時点で県代表となるため全国的には同じ所属となるからだ。

 

 選手の行動を縛ることになる規約だが難しく考えることはない。禁止されているのは対局だけなので要は対局しなければ良いだけの話である。過去を振り返ってみてもこの規約ができてから罰則を受けた選手はいないのだが、痛くない腹を探られるのも面白くないということで大事を取って大会期間中は他校の選手との接触を禁止としている学校も全国では珍しくない。

 

 特に強豪校ほどその傾向は強く、県内では風越がこの方針を採用している……というか県内では風越くらいのものであり、その風越でさえ絶対という程ではない。長野は全国的に見ると比較的緩い雰囲気なのだった。当然清澄も龍門渕も鶴賀も緩い側である。

 

「ところでその……どうっすか?」

「どうって何が」

「その…………自分としては……………………結構大きくなったと思うんすけど」

 

 蚊のなくような声に京太郎もようやく桃子が何を言いたいのかを悟った。ネット上の交流こそ切れておらず声は毎日と言って良い程聞いているが、直接顔を合わせるのはおよそ三か月ぶりである。

 

 出会った時はお互いに小学生。中学生だった間に中々おもちになった桃子であるが、背中に当たる感触は本人が言うだけあって確かに大きく感じる。少なくとも最後に見た時よりは格段に大きくなっている……気がした。

 

 世の男性たちの例に漏れず須賀京太郎という男子はおもち大好きだが、感触で判断できるほど人生経験を積んでいる訳でもないし、恵のように目視でバストサイズを正確に把握するような特殊能力がある訳でもない。

 

 彼は大学時代執念の末にその能力を習得し、よりによって当時片思いをしていた相手である和ママに最初にそれを披露し、女友達にさえ逆サバを読んで誤魔化していた正確なサイズを看破した挙句閃光のようなビンタをもらい、一か月も口をきいてもらえなかったという。

 

 男四人でとんかつを食べに行った際に披露されたその話は主に界の腹筋を崩壊させるという大惨事を引き起こした。世界が広がりそうなその能力には憧れるものの、恵ほどの執念がないせいなのか、未だにそういう天啓は降りてこない。おもちの分類するのも小さい、普通、大きい、すごく大きいの四種類くらいだ。

 

 同年代に限って言えばおもちと言えば霞を筆頭とした霧島の巫女さんたちの独壇場だったのだが京太郎自身が成長するにつれ周囲の環境も変わってきた。小学校からの関係の美少女らもおもちになる人はおもちになったりならなかったり……。

 

 更には高校に入り原村和というすごいおもちが近くに現れたと思えば、その少し前には小学校以来の再会となる真屋由暉子が大外から凄い速度で割り込んできた。実測できない以上単純な大きさでは比較しがたく、京太郎程度の目では皆すごく大きいという大雑把な分類しかできない。

 

 そういうトップ集団と比べると流石に小さいのだろうが、世間的には十分巨乳の部類に入るだろうし、何より京太郎は自身今とても嬉しかった。どうっすか? と恥ずかし気に問われた所で京太郎としては正直に答えるより他はない。

 

「大きいな。俺としてはとても嬉しいし今すごく幸せだ」

「毎日おっぱいさんのおっぱいに夢中になってるって咲ちゃんも言ってたっす。京さんはやっぱりスケベっす!!」

 

 自分で押し付けておいて何て言いぐさだと思ったが、それで離れられてしまうと寂しいので京太郎は言葉をぐっと飲みこんだ。言っていてエキサイトしていたのか恥ずかしがっている割りに桃子はぐいぐいと身体を押し付けてくる。

 

 何も知らない少女をだましているようで聊か罪悪感を覚えるが、それはおもちの感触の前には些細なことだった。

 

「それにしても幸せと言ってくれる割りには平然としてるっす」

「ははは。今更おもち一ついや二つくらいじゃ俺は慌てたり――」

「京さん前!」

 

 前とは言うが視線はずっと前を向けていた。そのはずなのに今京太郎の目の前には壁があり、彼はなす術もなく正面から激突した。背中の感触に意識を集中し過ぎていたせいで歩調もゆっくりになっていたおかげでぶつかったと言っても物理的なダメージはあまりないが、そこはかとなく心にダメージを負っていた。顔を見なくても桃子がいやらしくにやにや笑っているのが気配で解る。

 

「きょーうさんの、すけべー」

「……返す言葉もないな。どうする降りて歩くか?」

「まぁ? 今の私は? 気分が良いっすから? 京さんがどうしてもって言うならもう少し背中を借りてあげても良いっすよ!」

「是非お願いします」

「そこはちょっとくらい躊躇った感じでお願いしたかったっす……」

 

 抱き着く力が少し弱まったことを残念に思いながらも、桃子の案内でえっちらおっちら会場を歩く。学ラン男子が制服姿の美少女をおんぶする様はいくら学生大会の会場と言えども目立つはずだが、周囲の誰も京太郎たちに視線を向けもしなかった。桃子のステルスがちゃんと機能している証拠である。

 

「他の皆にはちょっと席をはずしてもらってるっすよ。かおりん先輩にはちょっと嫌そうな顔されたっすけど……」

「佳織さんのことは後でフォローしておくよ」

 

 大会期間中は時間も取り難いだろう。京太郎自身が所属する清澄が全国に行くにしても、風越、龍門渕の二校や桃子のいる鶴賀が行くにしても、長野から友達が全国に行くのならば応援に行きたい。

 

 清澄や他の二校に比べれば鶴賀の可能性は低かろうが、何が起こるか解らないのが麻雀である。そうなった場合以外、時間を取るのは幾分先のことになるだろうが、今年は盆休みに両親どちらの実家にも泊まりに行くことが決まっているので、佳織とは必然泊まりで顔を合わせることになる。フォローならばその時にすれば良いだろうと従弟の京太郎は軽く考えつつも、ゴキゲン取りに佳織の好きなお菓子でも作ろうとあれこれレシピを決め始める。

 

 ふんわりした見た目の通りに甘いものが好きだからケーキとか喜んでくれるだろう。幸い最近レシピが増えた所であるし、母方の祖父母を含めた妹尾一家相手に腕を振るうのも悪くない。

 

 案内されたのは会場の隅も隅。何のためにあるんだというくらいの小さなロビーに設えられたソファに座っていた少女は、京太郎たちの姿を認めると読んでいた教本を閉じて立ち上がった。

 

 何というか非常に存在感のある人だ。女性としては平均の範疇を出ない身長のはずなのに、見た目よりも大きく見える。男が思い描く『女性にモテそうな女性』という風であるが純とはまた毛色が異なる。京太郎の知り合いの中では菫が――おもちが微妙に残念な所まで含めて――近いだろうか。そのせいか初めて会うのに他人のような気がしない京太郎である。

 

「君が『京さん』か。鶴賀学園三年の加治木ゆみだ。よろしく」

「清澄高校一年の須賀京太郎です。モモがいつもお世話になってます」

「いやなに。私が無理に勧誘した形だからな。団体戦に出られることになって、むしろ助かっているよ」

 

 鋭い風貌なのに随分と柔らかに笑う。まだ少ししかやり取りしていないのに、京太郎はゆみのことが好きになりかけていた。

 

「俺を紹介したいとかモモが言ってたんですけど」

「ああ、モモから君は麻雀が凄く達者だと聞いた。大会中だから後にしようとも思ったんだが好奇心を抑えられなかった」

「加治木先輩、高校から麻雀始めたんすよ」

 

 桃子は無邪気に追従しているがひっそりとゆみは『自分が言い出したこと』と泥を被ってくれている。良い先輩だなぁと密かに感動しつつ、京太郎はゆみの配慮に全く気付かないふりをした。

 

「実は答えのない何切る問題を部室で見つけた」

「随分と不親切なものを見つけたもんですね」

「そう思うだろう? 麻雀雑誌の記事のコピーみたいなんだが、どういう意図か出題のページだけで解答解説の部分が欠落している。一昨日見つけてから調べている所なんだが、何分鶴賀は麻雀関係者が皆無でね。私は問題集は結構手を出したが雑誌企画はからきしで……そうこうしている内に大会期間になってしまった訳だ」

「で、俺に話が回ってきたという訳ですね」

「そういうことだ。モモから麻雀が達者という話は聞いていたし、ついでだから意見を聞いてみたいと思っていた所だったんだ」

 

 ますます大会期間中に直接会って聞く話ではない気がしてきた。これは話は早くまとめた方が良さそうだなと、ゆみからそのコピーを受け取る。白黒のそれはオーソドックスな卓全体を映した何切る問題で、手番の手配だけが開けられた状態である。

 

 一瞬も検討する間もなく京太郎の脳裏には『頭を切って回す』という解答が降りてきていた。あまりに反射的すぎる天啓に戸惑う。麻雀の女神様に嫌われている自覚のある自分にそんな天啓があるものだろうか? 

 

 女神様はツンデレやねんなー、という幼馴染の声を頭の中から追い出し、今度は理屈を持ち出して真剣に検討を始めると、京太郎の隣に立ち問題をのぞき込んでいるゆみが何気ない調子で言った。

 

「そう言えば君は蒲原とは知り合いなんだったか?」

「はい。前に佳織さんと一緒に会ったことがあります」

「そうだったな、妹尾とは従姉弟同士なんだったか……ともかくあのカマボコは手を曲げずに真っすぐ行くと言った。モタモタしている時間はなくツモって裏ドラに期待すると」

 

 カマボコという遠慮のない表現に思わず笑いそうになる。そういう遠慮のない間柄なのだろう。ゆみの言葉には親しみがあったが、それにしても上手いことを言うものだと智美に縁起の良さそうな風貌を思い出す。全体の色合いといいなるほど確かにカマボコだ。

 

「ちなみに私は高めを目指すっすよ」

「理由は?」

「私ならその方が打ちとりやすいっす」

 

 それだけ自分の能力に自信があるのだろう。それはそれで良いことなのだが、オカルト持ちは自分のオカルトを前提にして考える傾向があるため、こういう理論的な問題で思いもしない答えを出してくることがある。

 

 それはそれで攻撃的なオカルトを持っていない京太郎には得難い情報だった。理論に沿って戦う人間は理論に沿った予測が立てられるが、独自の理論なりジンクスなりを持っている打ち手はそうではない。

 

 そしてそういうオカルトを持っている人間は基本的に、関係のない人間には情報を漏らすことがない。そういう連中の対抗策は大会などで切磋琢磨する内に自然と身につくと咏などはよく言うのだが、男子部員一名で他校との練習試合も組めない京太郎の立場ではそれも難しい。

 

 清澄のしかも同年代に和や優希がやってきてくれ、衣たちとも知己を得ることができたのは京太郎にとって生涯の幸運である。

 

 そんな風に良縁に思いを馳せながら牌譜を検討して、漸くこれが過去に見たことのある牌譜だと気づいた。何ならこれが載っている雑誌も所有している。この牌譜は去年のIHの会場で郁乃に見せてもらった物の完成版、そのコピーである。

 

 本来であればこの出題ページ後に解説が数ページに渡って用意されている。冊子みたいにして保存されていなかったのを見るに、問題と解答を別に印刷して用意し、何かの手違いで問題の部分だけが部室に残されたのだろう。

 

「蒲原先輩みたいに真っすぐ行くか、私みたいに高めを目指すかの二択だと思うっすけどね」

「そうか? 俺なら頭を切って手を回すけどな」

 

 一年前に郁乃にやった解説をそのまま桃子にすると、納得がいかないのか桃子は怪訝そうな顔で首を傾げる。

 

「何切る問題っすよ。手を回して良いんすか?」

「何を切るかの問題なんだから進退は問わないだろう。戦略的撤退って奴だよ」

「……それで勝てるんすか?」

「麻雀で一番大事なことってなんだと思う?」

「アガることっす」

「そうだな。でもそれは手段の一つだ。オーラスが終わった時に他の三人よりも多く点棒を持っていることが一位になるほぼ絶対的な条件な訳で、それまでのやり取りは全部それを目指すための手段に過ぎない。極論、一度も上がらなかったとしてもトップを取れることはある訳だしな」

「でもアガるに越したことはないっすよね?」

「もちろんだ。でも俺はこの局面、アガりを目指して前に出ると振り込むと確信した。振ったらそこで試合終了だ。トップにはなれない。ここで大事なのは勝つ前に負けないことだ。回せば少なくともここで負けたりはしないだろ? どんな不利な状況でも勝つための手段は尽くすべきで、ここで前に出るのはそうじゃないと俺は思った。だから回す。それだけのことだよ」

「京さんがそこまで言うなら信じるっすけど、それが正解だとしたらこれは相当に意地悪な問題っす……」

「そこは同意だな」

 

 この手の問題はいかに前に進むか、その方法論を学ぶためのものであることが多く、降り方を問うことなどめったにない。実際、頭を切って降りるのが正しいを正解にしたこの問題には批判も寄せられたそうだが、その選択をするに至るまでの理屈の積み重ねは郁乃が書いただけあって完成度が高く、また智美や桃子が挙げた手の合理性にまで言及していることから、問題としての完成度は高く評価された……らしい。

 

 その情報はそこはかとない喜びと共に郁乃からメールで知らされ、その後咏からの怒りの電話で愚痴を二時間聞いた時に、業界人には大評判という情報ももらった。ライバルに自分が遅れを取った時の牌譜でそのライバルが高評価を得ているのなら、そりゃあ虫の居所も悪かろうと納得した京太郎は、後で一緒に遊びに行く約束をして師匠を宥めたものである。

 

「とまあ俺の意見としては攻めずに降りるって感じですかね。これの載ってる雑誌は持ってるんで良ければコピーを取ってお譲りしますが――」

「そうか、降りても良いのか!!」

 

 興奮した様子のゆみに手を取られ京太郎は目を丸くした。桃子も目を丸くしている。興奮している様子は後輩二人にぽかんとされていることに気づくこともなく力強く京太郎の手をぶんぶん振り出した。

 

「実は私も同じ意見だったんだ。ここで前に出るのは得策ではないと思ったんだが、私が手に取る範囲にある本はどれも前に出ることばかりを話す。モモや蒲原もそう言うものだから私は違う意見だとは言い難くてな……本当、目から鱗が落ちたような気分だよ」

「お役に立てたのなら嬉しいです」

「モモが勧めるだけのことはあった。状況が許すなら君から教えを請いたい所だったんだが……」

「それは流石に大会が終わってからにしましょう。一応俺らはライバル校同士なんで」

「それもそうだな。大会が終わったらよろしく頼むよ、先生」

「何だかこそばゆいですね……終わってからということは、高校を卒業しても麻雀を続けるつもりですか?」

「そのつもりだ。何故もっと早く始めなかったんだと考えないでもないが、そんなつまらないことに時間を使うくらいなら、もっと研鑽をしたいんだ」

 

 桃子は教室に通わず先生にもついたことはない割りに筋が良かった。その桃子が年上とは言え高校から麻雀を始めた人間に黙って教えを乞うているのだから、その事実だけでもゆみの実力が窺える。

 

 話してみた限り打ち回しは自分に近いように思えた。これまでも色々な人と麻雀を打ったが対戦相手本人までリアルタイムで細かく観察するような打ち手は稀で、プロな人たちを除くと菫か美穂子くらいしか周囲にはいない。

 

 清澄ではむしろ京太郎が打ち方について教える側になっている。

 

 咲はオカルトパワーで知覚できることが極端であり視野もその方面に偏っている。優希は単純に視野が狭い。和は場況こそ良く見ているが判断材料にしているのはネット麻雀と同じ程度のもの――ツモ切りか手出しか、後は精々ツモに至るまでの時間くらいのものだ。極端な話顔を卓から全くあげなくても和は麻雀が打てる。

 

 先輩二人は同級生三人に比べると打ち回しがかなり特殊だ。まこの麻雀は膨大な経験に裏打ちされたものであり、和が重んじるような牌の効率ではなく実体験に基づいた場況を出し入れして対応する。こういう状況にどうする、という返答は概ね教科書通りのものが返ってくるのだが、煮詰まった状況になればなるほど、返答が他人が聞くと理解に時間がかかる難解なものに変わっていってしまう。

 

 久は清澄の中で……というより、京太郎が出会った中でも一二を争うくらい狙い撃ちが上手いが、何度か打って確かめた所、あれは他人の弱気とその運が下降するタイミングを嗅ぎ分ける天才的な嗅覚に依存する所が大きいことが解った。

 

 後から牌譜を見ても久の打ち回しを後ろから見ていても、何故そこで待てて更に打ち取れるのか全く理解できない局面が多々あった。本人に聞いても『これで当たると思ったから』という漠然とした答えしか返ってこない。

 

 まこも久もその判断に至る『過程』は当然存在するはずなのだが、簡単にはそれを言語化できないのだ。自分でその能力を扱う分には『なんとなく』程度の理解で十分な訳で、そもそも他人に対して自分はこういう打ち回しができると細かく解説することなどそうあることではない。まこが入部してから和と優希が続くまで、久と二人しかいなかったことを考えればそれも無理からぬことである。

 

 特殊な打ち回しをするからと言って基礎が疎かになっている訳でもない。点数計算さえ怪しかった優希とは異なり、久もまこも基礎はちゃんとできている。自分と共通する部分がない訳ではないのだが、やはりここぞという時に特殊な判断が顔を出す。和以外の四人は全員、世間にある体系だった理論と自分の感性が喧嘩した場合、迷わず感性を選べる打ち手である。

 

 京太郎としてはこれはこれで相対した時の参考になるが、たまには同じ目線に立って話をしてくれる人がほしいというのが正直な所だった。普通に強い人が周囲にはいないのだ。

 

 その点、菫や美穂子はシンプルだ。打ち回しに共通するものが多々あることから、感想戦でも話が弾む。ゆみもそうなってくれると嬉しいのだが、さてどうなるものか。

 

 ゆみは連絡先を手早く交換すると、その場で京太郎たちを見送った。帰りもまた桃子をおんぶしての道程である。おもちのやり取りがあった後だから桃子も京太郎の背中に乗るのを一瞬ためらったが意を決してその背に飛びついた。腕もしっかり首に回されてちゃんとおもちであるが、背中からはこれでもかと熱が伝わってくる。やはり恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。

 

「ゆみさん良い人だったな。麻雀好きだしかっこいいし」

 

 時間があればいつまでも話していたい相手だったが、今は状況が許さない。大会日程が終われば夏休みだ。いつかのように奈良だ鹿児島だと引っ張り回されなければ、ゆみのためにいくらか時間も取れるだろう。

 

「ゆみさん進学組だよな?」

「とってもお勉強ができて内申点も高いとかで、推薦で国立合格は確実だろうって蒲原先輩が言ってたっすよ」

「うちの県の?」

「そのはずっす」

「なら卒業しても会えるな」

 

 県外の方が遥かに友達の多い京太郎は、友達に会いに行くのも一苦労だ。今の時代直接顔を合わせなくてもやり取りをする方法はいくらでもあるが、たまには会いたいと思うのが友達というものでもある。

 

「ゆみさんが良ければその内三人で遊びに行くか? 勉強会とか。鶴賀の人たちに俺が混ざるような感じでも良いし」

「最初は三人が良いっす!」

 

 思いがけない食いつきっぷりに京太郎も少し引いてしまうが、桃子にも咲や淡以外の頼れる人ができたのだと安心した。そんな桃子の頼みであるから京太郎も二つ返事で夏休み中に予定を組むことに同意する。

 

 推薦組だとしても受験生だ。本格的に予定を組むのは全国大会が終わってからになるだろうと、先の予定を楽しみにする京太郎を他所に桃子は心中で喝采を挙げていた。

 

(右手に京さん、左手に加治木先輩……私の時代が来たっすよ!!)

 

 

 

 かつて他人との交流を諦めていた少女は、自分の今に燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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現代編11 長野県大会 団体編③

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「対策会議…………ですわっ!!」

 

 透華の号令に夜間ということで控えめな音量の拍手が響く。夜の龍門渕家本邸。透華が私用で使っている部屋の一つである。私室という訳ではなくあくまで透華のものとして割り当てられている部屋であり、私室はまた別に存在する。

 

 透華が主に本邸で卓を囲む時に使う部屋であり、純などは単純に『麻雀部屋』と呼んでいた。龍門渕邸の部屋の例に漏れずだだっ広く、中央に設えられた卓の他には軽い飲食のためのカウンターとプロジェクターなどの映像機器が取り揃えられている。

 

 透華たちが集まる時、映像関係の管理は智紀の仕事であるので、今回も画像映像のセッティングは彼女が行っていた。大型モニタの前に立つ透華の指示に従いてきぱき動く同僚の背中を見ながら純が呟く。

 

「衣はどうした?」

「良い子はおねむの時間ですわ。歩も寝かしつけるまであちらにいるということです」

「仲間外れって後で怒らないかな?」

「かもしれませんわね。だからこのことは私たちの秘密ということで」

 

 人差し指を唇に当てる透華に同調して、三人も同じ仕草をする。衣のことを大事に思っているのは共通していることであるが、お互いに全く秘密のない関係でもない。特に今回のことは衣の耳にはいれない方が良いだろうというのは、ここにいない歩を含む全員の共通見解だった。

 

 衣には純粋に勝ち負けだけを楽しんでほしい。京太郎からの頼みが発端とは言え、衣は今初めて『宮永咲』という好敵手を得て燃えているのだ。そのため大分精神に斑ができており、一言で言えば大分調子に乗っている状態だ。

 

 素の能力は高いからどうあったとしても並の相手ならばなぎ倒せるはずだが、相手は京太郎一押しの選手である。練習試合の時の感触を見るに原村和を始めチームメンバーも実力者揃いで自信家の集まりである龍門渕の面々をしても『無策で挑むは難し』という判断で今日集まるに至っている。

 

 ハナから負けるつもりでいる訳ではないものの、勝つための努力はしておくに越したことはない。去年などは長野県内であれば勝って当然という雰囲気であったため、対策会議などしたこともなかったのだが……状況が変われば方針も変わる。

 

 今の清澄高校はそれだけ龍門渕の四人にとって侮り難い存在であったのだ。何よりあの須賀京太郎がいる学校なのである。色々あって所属する学校こそ違くなってしまったが、彼女らにとって京太郎というのは身内だ。

 

 誰よりも麻雀大好きな彼の前で無様を晒すのは死んでも御免だったし、何より彼を相手に手を抜いていると思われたら嫌だった。持てる力の全てを尽くして実力で勝つ。

 

 身内の学校を叩き潰すのは忍びなくもあるが勝負とはそういうものだ。

 

 それに長野の代表が京太郎の所属する清澄ではなく龍門渕ということになれば、今度こそ龍門渕(うち)の子ということで全国に連れていくことができる。勝者総取りという解りやすい構図だ。全員で泊まりの旅行などしたこともなかったし、年頃の乙女としては力も入るというものである。

 

「とは言うものの、清澄以外にマークしなければならないような所はありまして?」

「春からの公式戦のデータは全部取り寄せて検討してみたけど、強いて挙げるなら風越。他は正直大したことはない」

「風越かぁ……去年の先鋒強かったよなぁ」

「福路美穂子。今は風越のキャプテン」

 

 かたと智紀がノートパソコンを操作して、プロジェクターに美穂子のプロフィールと戦績が表示される。

 

 長野に生まれ小学五年の時から現在に至るまで個人ではずっと全国出場。中学の時も団体戦ではエースとして活躍し、特待生として風越に入学。一年の時から団体メンバーであり、去年一昨年と上級生を差し置いて個人で全国出場を果たしている。

 

 事実上高校がデビューである龍門渕の面々とは真逆の典型的な麻雀エリートの経歴だった。

 

 去年、龍門渕が大活躍し全国への出場が切れた時も、美穂子が個人で出場を決めたことで最低限の面目を果たしていた。今の風越にとってはまさに柱だろう。名門だけあって他のメンバーも粒揃いではあるのだが、美穂子一人の実力が傑出している。

 

 ワンマンチームと評価されるのは風越も嫌だろうが、純が美穂子をコテンパンにするような展開になってしまうと、残りの四人ではそれをカバーできないのは想像に難くない。

 

「この女は今年も先鋒なのか?」

「安定感では群を抜いてるし、エースを先鋒に置くというセオリー通りなら他に選択肢がない。私が監督コーチなら福路美穂子は必ず先鋒にする」

「去年大将が衣にボロ負けしてたけど、そこと変わるってことはない?」

「そのボロ負けした池田華菜が今の風越のナンバー2。成績を見るに微妙に安定してないから先鋒を任せるには不安だけど、爆発力はあるから大将向きではある。三番手以降が微妙に見劣りもしてるし、先鋒福路大将池田は去年のままだと思う」

「なら池田さんの相手は衣だから問題ないとして、問題はこの福路さんだよね。純くんとしてはどう?」

「正直あんまり相手にしたくはねーな……」

 

 そもそも透華が衣と戦うに足る相手として集めた龍門渕の面々は、およそ才能という点で同世代の中では突出している。高校麻雀で活躍しているのはそれこそ、幼い頃から麻雀をやっていましたという人間ばかりであり、風越などはその典型で特待生である福路美穂子や池田華菜はその代表だ。

 

 そういう選手に比べると龍門渕の面々は他人と卓を囲んだ経験に乏しい。それでもただ勝つだけであるならば、経験の差を覆すだけの能力が五人にはあった。経験の差が勝負の内容に直結するような場面はそうなく、才能に裏打ちされた実力だけでも龍門渕の面々は勝っている。

 

 県下では二番目の規模を誇っていた本来の龍門渕の麻雀部は誰も五人に勝てなかったし、去年の全国大会でも準決勝まで駒を進めた。

 

 もっとも、優勝するつもりでいたのにも関わらず準決勝で敗退することになったのは、自分たち以外の出場校をさっさと飛ばされて勝負を決められた、団体戦の経験の差が出たことによる。

 

 個人としては五人は問題なく強い。ただ点数を稼ぐだけであれば五人とも全国屈指の実力を持っているが、こと団体戦ということになるとただ点数を稼いでいるだけでは勝てない面もある。

 

 その点、福路美穂子はそういう麻雀が上手い。一人が五人集まっている龍門渕に対して彼女の麻雀は五人の内の一人、さらに言えば五人が担当する十半荘の内、最初の二半荘を受け持っている自覚の元で動いている。

 

 チームのために点数を稼ぐ、という目的は誰もが同じくする所であるが、そのためにどういう手段を取れるかに経験の差が出てくる。美穂子は当たり前のように好調な人間の足を止めるために他人に差し込みをしたりアシストをする訳だが、それは井上純では考えもしないことだった。

 

 基本いつもいつでも一人で三人を相手にするのに、美穂子は時折二人で、あるいは三人で一人を潰しにかかってくる。全体を見て場況をコントロールし、常に先頭に立つのではなく最終的に先頭に立っていることを目標に半荘を回していく。

 

 読みも鋭く振り込みも少ない。これでいて流れに乗るのも上手く素の運も太い。非常に健全に麻雀の神に愛されているのだろう。悪手が運を切るというジンクスと同様に、最善の積み重ねが幸運を呼び込むというのは麻雀関係者に限らず広く信じられている迷信であるが、美穂子は全力でそれを体現している。正直にいって付け入る隙がない。

 

「感覚じゃなくて理論の積み重ねで手を読むタイプらしいから、理屈から外れたタイプには苦戦しそうだね」

「ならこの中じゃ国広くんが一番だな。今さらオーダー変えられねえのがアレだけど」

「今からでも僕の打ち方真似してみる?」

「やだよ。疲れる」

 

 データを前にしては見たが結局の所解りやすい手の打ちようがない。何か付け入る隙があるのであればまだしも、美穂子について解っているのは両目を開いた時にパワーアップするということのみだ。

 

「瞬間最大風速で押し切るということであれば、片岡さんが相性良いのではなくて? 打つ手がないなら先行逃げ切りで押し切るのが良いと思いますけれど」

「一年後だったらまだしも今のあいつじゃ厳しいだろ。あいつが中学ん時から京太郎とつるんでたら解らんでもないが」

 

 透華の話題に上った片岡優希は、順当に行けば団体戦で純と当たる相手である。この間の練習試合で対戦もしたが、純の彼女に対する評価は非常に高いものだった。

 

 東場で風が必ず吹くという特性は考えるまでもなく非常に強力なものだ。東風戦であればそれこそ宮永照相手でも良い勝負をするのだろうが、残念ながら団体戦は東南戦であり、二半荘余分に戦うということはそれだけ優希に地力を要求する。

 

 そして純にとっては幸か不幸か、優希は明らかに東南戦を戦う地力に乏しかった。南場で相対的に弱くなるだけならばまだしも、思考の体力が明らかに不足していて脇も甘くなっている。京太郎がいるならばその対策も進めているだろうが、先の練習試合の段階でまだその傾向がみられていた所を見るに、努力がある程度実を結ぶのはもう少し先のことになるだろう。

 

 全国で勝つことを前提に動いているようで純の気も沸き立つのだが、今日を生き延びなければ明日という日は永遠に来ないものだ。オーダーにおける京太郎の苦心が垣間見え、純の顔にも苦笑が浮かぶ。

 

「ああいう上手い奴を相手に戦う経験に不足してるのは、俺もタコスも似たようなもんだろうしな。いくら南場で脇が甘くなるって言ってもまさか二半荘で十万点も吐きだしたりはしないだろうが……その辺りはまぁ、福路に食い荒らされないように祈るしかないな」

「よくあることだから問題ない」

 

 RTSに限らず戦略シミュレーションを手広く遊んだ智紀にとって、AIが自分にとって都合の悪い行動をしてこないように祈るのは日常茶飯事のことだった。

 

「いつの間にか清澄の対策にスライドしていましたけれど、それなら次は染谷さんの対策ということでよろしくて」

「よろしいよろしい」

 

 ぱ、と画面が切り替わり染谷まこの姿がプロジェクタに映し出される。歩を含めた六人が彼女に会ったのはこの間の練習試合の時が初めてであるが、京太郎から『すげーいい人です』という自慢を度々聞いていたので、初めて会った気はしていなかった。

 

 実際人あたりも良く、よく笑い気配りもでき、一緒にいて心地よいと思える京太郎が懐くのも解る人間で、癖のある部長とは対照的な印象を受けたものだった。

 

「牌譜を見る限り対応力に非常に優れているように思えますわね。かといってデジタル打ちとは違いますし、先の福路美穂子や京太郎のように観察力に優れているようにも思えません」

「視線は間違いなく卓から動いてなかったよ。京太郎みたいに対戦相手を観察する習慣はないみたいだね」

「じゃ何を基準に対応を決めてんだ? 勘……にしちゃあ精度が悪い気もするが」

 

 衣のように第六感で判断できる人間は、行動を牌譜に起こした時に傾向が見えるものだ。純たちは衣の牌譜を見慣れているので、紙に起こされた記号からでもある程度はその傾向を読み取ることができる。

 

 牌譜と対戦してみた感じを総合する限り、衣のような感性で打ちまわしているような気配はなかった。智紀のようなデータ麻雀というのが一番近い気もするのだが、同じく智紀と対戦経験が豊富で、かつ牌譜を見たことがある純には、それもどうも違うように思えた。

 

「多分経験。実家が雀荘らしいから、対戦回数が非常に豊富。客の腕の差もばらつきがあるし、その経験が全部引き出しから出せるなら、対応力の高さは頷ける」

「その理屈で行くと雀荘の店員最強説とか出てきそうだけど」

「経験が多いことそのものよりも、無限にある引き出しの中からほしいものをすぐに引っ張り出せるのが異常。真似できるなら真似したい」

「ともきー、何か対策ある?」

「ある。経験に基づいて戦術の幅が広がるならそこが明確な限界でもある。長野の雀荘、部員の少ない清澄だと経験値の累積は私たちが思ってるほど高くない。千里山姫松臨海の三年とかだったら手が付けられなかったと思うけど、長野の予選で今戦うならそこまで怖くない」

「来年勝てる自信はありまして?」

「それは来年の私に聞いて」

 

 高評価が続くものだと苦笑して、智紀は次のスライドを呼び出した。

 

 清澄麻雀部部長竹井久。清澄の学生議会長――所謂生徒会長であるらしい。癖のある雰囲気の通りに癖のある打ち回しをする。一も特殊な打ち回しをする方であるが竹井久はそれに匹敵するだろう。

 

 常にそうであるという訳ではないものの、竹井久はここぞという時に待ちの悪い方でテンパイを取り当然のようにツモアガるのが、過日の練習試合でも見て取れた。

 

「気になって昔の牌譜を取り寄せてみた」

「あの部長そんなに有名人なのか?」

「家庭の事情で苗字が変わってるけど、中学の時は個人で全国に出場してる。さっきの福路美穂子と宮永照とこの部長の三人が三年前の長野の代表」

「卓を囲むのが嫌になるメンバーだね……」

「あの人はいざという時の手段の一つじゃなく、これが自分の必殺技だと認識してる。悪い待ちは意表を突くためじゃなく明確に攻撃の手段」

「悪い待ち程引きが強くなるってことかね」

「常にそれだと確率が仕事してないなんてもんじゃないから、テンパイした時だけなんじゃないかな。それも毎回って訳じゃないと思うよ」

 

 智紀が牌譜に視線を落とす。その辺りは本人の証言がないと微妙に検証がしにくいのだ。少なくとも京太郎のように明確に裏目を引く確率が高い訳ではない。あくまで牌譜を見た限りではあるが、生来の引きは決して悪いものではないし普通にテンパってアガっている局面だってある。

 

 中学の時に宮永照やら福路美穂子と並んで全国に行くのだから、その時点では強者だったのだろうが、二人とは異なり竹井久は高校に進学してから一度も公式戦に顔を出していない。

 

 京太郎からは彼ら一年が入部するまでは部長と副部長の二人しかおらず、副部長が入部した時には部長が一人だったとも聞いている。清澄における部の規定がどうなっているのか智紀は知らないが、それが学校に部として認知されているのであれば対外的には何も問題はない。

 

 部員が竹井久一人であったとしても個人戦には出場できたはずだが、公式記録を引っ張り出して確認してみた限りその形跡はない。

 

 竹井久が一年だったのは智紀たちが高校生になる前の話である。その時を含めてどこかと練習試合をした形跡がないか調べてみたがこれも皆無だった。あくまで調べた範囲の話になるがここ二年の間、竹井久に公的に対外試合の記録は存在していないことになる。

 

 どれだけ活躍しようと高校に入学して環境が変われば違う競技に打ち込んでみるということもないではないが、竹井久は高校でも同じ麻雀部に所属しているにも関わらず、対外試合の記録がゼロなのだ。書類の上では少なくともやる気が全く感じられない。

 

 ところが竹井久は自分一人という部員の少なさにも関わらず麻雀部に所属し続けた。一年後染谷まこが増えて二人になってもそのままである。

 

 そうして公式戦記録が真っ白という部活としてどうなのかという状況が二年も続いた後、ようやく京太郎たち一年四人が入部して女子は団体戦の出場要件を満たすことになった。ここで竹井久は重い腰を上げる。

 

 これまで全く個人戦に出場しなかった女が、京太郎たちが入部した途端に精力的に動き出したのだ。京太郎から聞いた話では、後輩たちへの指導にも余念がないらしい。

 

 九人野球ならぬ五人麻雀だ。今年から精力的ということは、団体戦にのみ思い入れがあったのだろう。それまで部員を精力的に集めようとしなかっただろうことも含めて、ことここに至るまでには竹井久なりの葛藤があったのだろうと推察できるが、発足から対戦に至るまで特殊な事情で固まっているのは龍門渕も一緒だ。戦う上で個々人の事情は関係がない。

 

「少なくともテンパイに至るまでの過程で確率がどうこうということはない。悪い待ちをした時のヒキが異常に強いということ。悪いテンパイ形に取りたがることから、直撃を取る確率も高いということ。注意するのはとりあえずこの二点」

「テンパイ気配を感じたら、当面悪い待ちも疑ってみるってことで良いかもね」

「そういう意味では国広くんが一番相性良いかもな」

「まぁねー」

 

 ふふん、と得意そうに一が薄い胸を張る。対戦相手の視線や動作の機微に敏感な一は、その中身まではともかくとして、テンパイしているかどうかをほぼ100%の確率で看破できる。

 

 竹井久は面前の傾向が強く、悪い待ちの時でも平気でリーチをかけている。それがより自分の手を印象つけ、待っている悪い待ちを出させる傾向を強くしているのだろうが、ダマで直撃を取りに行くのもちらほら見られた。

 

 値段が同じならばハネ満ツモよりも満貫直撃の方が差が詰まるのが麻雀だ。リーチをしている時に警戒するのは当然として、ダマの時にも常に気をはっている必要があるだろう。その点、一は相手としてうってつけだった。

 

「さて、じゃあおっぱい怪獣は無視して宮永咲に行こうかな」

「待ってくださいまし!」

 

 自分の対戦相手を予告なしで飛ばされた透華は当然抗議の声を挙げるものの、一は無視して智紀を促した。智紀も一の意見に同調しているらしく、原村和のスライドをすっ飛ばして宮永咲のスライドを出すが、そこは透華も突撃思考のお嬢様である。

 

 強引に智紀のノートパソコンを奪い取ると操作して、スライドを原村和の物に戻した。

 

「もう。どうしてそういう意地悪をしますの一っ!」

「えー? だっておっぱいじゃん。いいよ別に」

 

 けっ、と舌打ちまでしている始末である。普段はくるくると表情が変わり笑顔の絶えない一にしては久しく見ていない攻撃的な表情である。何が原因なのかは彼女の言葉からも明らかだった。

 

「智紀だって中々巨乳でしてよ?」

「ともきーはいいじゃん、いざとなったら同盟組めそうだし。原村は絶対独り占めするからだめ絶対」

 

 両手で大きく×をしてまで主張してくるのを見るに本当にダメなのだろう。歩を含めた龍門渕の六人の内、透華と純を除いた四人の友人関係はほとんど身内のみで完結している。リアルに顔を合わせて一緒にどこかに行く相手というのが龍門渕の外だと皆無に近いのだ。

 

 そんな中にあって、須賀京太郎というのは一や智紀にとっては唯一とも言って良い年齢の近い男子であり、はっきり言ってしまえば懸想の相手でもある。

 

 その京太郎がこの前の練習試合の日、ゆさゆさと揺れる原村のおっぱいに一々視線を向けていたのを見れば、原村への黒い感情がぐおぐおと渦巻くというものである。おもちではない一ならば猶更だ。

 

 これで原村和が京太郎に興味がありませんという顔をしていればまだ溜飲も下がったのであるが、彼女は彼女で京太郎に中々熱のこもった視線を向けているのだから始末が悪い。

 

 智紀も京太郎の態度は決して面白いものではなかったが、一と異なりそれなりに巨乳であるという自負からか、幾分か余裕があった。それでも原村和は敵であるという認識に違いはない。一から同盟の申し出があったら喜んで引き受ける用意があった。

 

「さて、気を取り直して原村和の話に行きますわよ!」

「行きますわよはいいけどよ、別に話すことなくね?」

 

 純の言葉に全員の沈黙が続く。理由は簡単だ。原村和がどういう打ち手かというのは透華のデジタル路線進出の過程で散々議論したからだ。

 

 精度の微妙に低いデジタル打ちである。それでもインターミドルを制したのだから世の高校一年のほとんどよりは強いということになるのだが、正直清澄の五人の中では一番脅威度が低い。理屈に沿った行動をし順当にアガりを引くだけの相手ならば、明確な対策はないものの怖くはない。

 

 原村よりも前に行くというのであれば話は別であるもののこれは団体戦だ。半荘二回の戦いで何が解るでもない。オカルトによる明確な脅威が現状確認できない以上、特にこれと言って話すこともない。

 

「京太郎がついてるならデジタルの精度も上がってそうだけど……」

「上がった所でなって話だよな。100戦やってトータルって勝負ならまだしも、二回の直対じゃあっちもこっちもどうしようもねーし」

 

 仮に全ての場面で自分にとって最も都合のよい選択をし続けていたとしても、最終的にそれで勝利することができるとは限らない。確率はあくまで確率だ。結局の所何をツモってくるかというのは運による要素が強い。

 

 翻って、デジタル派は年間トータルなどの長期戦の方が強いと言われているが、それも圧倒的なツモ力やオカルトの前には如何にも頼りない。牌効率だデジタルだというのはあくまで手段の一つであり、決定打にするには聊かパンチが弱いのだ。

 

 それでも勝ち続け頂点を取ったのだから原村某の地力というのは疑いようがないのだが、事実として正しく打っているのであれば、それこそ対戦相手としては手の打ちようがない。

 

「そう言えばのどっち原村説ってどうなったの?」

「決定的な証拠、というのはありませんわね」

 

 ネット上でも特にそういった噂はなくあくまで透華の勘に基づいた節である。牌譜を見た限りの共通点もあるにはあるが、透華の言った通り決定打に乏しい。一応智紀が率先してネット上での情報収集を試みたものの本人がどこぞに現れたケースなどは皆無であり、特定のネット麻雀にしか現れない。

 

 観戦者の中には今でも運営の作ったAI説が実しやかに囁かれているが、運営の公式解答はNOである。AIだとしても正直にゲロるはずがないと、まだまだ信じていないユーザーも多数いるが、衣を除いた四人の共通見解としてAIではなく人間ということで落ち着いている。

 

 分析が進んだのはそこまでだった。打ち回しに若干の共通項が見られること、一貫したデジタル打ちであること以外に、牌譜上では原村和とのどっちに共通点が見られない。それでも透華が勘以外にものどっち原村説を捨てきれない要因は――

 

「見た目がこれですものね」

 

 プロジェクタに『のどっち』のアバターが表示される。ふりふりの真っ白な天使コスにピンク髪のツインテール。キャラメイクを限界まで使用して原村和を再現したらこうなるのではというくらいに見た目は似ている。

 

 だがこれで本人じゃねと結論つけるのは早計なのだ。この見た目のアバターを使っているユーザーだけでも智紀が確認した限りで10人はいるし、衣装違いも含めるならそれ以上。加えて『のどっち』という単語を含むユーザー名はそれを遥かに超える。

 

 そもそも本家ののどっちでさえアバターの姿は一定ではないのだ。『白い』『ふりふり』『かわいい』というのが外せない要素と見えるがコスの共通項はそれだけだ。

 

 天使ルックもネット麻雀上のタイトル戦で着用しているから代名詞のようになっているが、トータルすると羽の生えていない期間の方が長いくらいである。

 

 ならばコスの中身はと考えても、髪色のピンクもツインテールも課金要素なしで使用できる初期設定の内の一つである。女性アバターの初期髪型の中ではツインテールは人気トップ3に入ることもあり、適当に決めたらああなる確率は実の所それなりに高い。

 

「もう京太郎に聞いた方が早いんじゃない?」

「そういうネタバレは私の趣味ではありません」

 

 こちらは王者で向こうは挑戦者である。王者には王者らしい振る舞いが求められるもので、透華的にはその戦いの前に弟分相手にお願い、と手を合わせるのは主義に反するのだった。仲間が不利になることは絶対に言わないだろうが、このラインだったら京太郎は口を割るというのも確信が持てる。聞けば必ず答えは返ってくるのだ。

 

 ならば謎は謎のままという方が粋ではあるのだろう。少なくとも県大会が終わるまでは謎のままでいることに、透華は今決めた。

 

「さて、最後は宮永咲ですが……」

「担当衣だしこれも別に検討する必要ないと思うんだけど」

 

 しない理由もないのであるが、する理由も思いつかない。検討することそのものに価値があるのは間違いないものの、その結果を衣が共有することはまずない。こういう検討を衣は興が削がれると言って好まないのだ。

 

 個人戦で戦うかもしれないと考えれば一たちにとっても無駄ではないのだが、彼女らの予定としては団体戦で優勝して全国行きを決めた場合、今年も去年と同様個人戦のエントリーは取り消すつもりでいる。

 

 つまり団体で戦う予定のない自分たちが率先して咲の情報を仕入れるということは、個人戦の対策をしていることに他ならない訳で、勝気な人間の集まりとしてはイマイチ気乗りがしないのだった。

 

「なぁ宮永ってのはあの宮永なのか? 宮永照の親戚とか」

「実の妹だそうですわよ」

 

 そりゃつえー訳だなと純は大きく溜息を吐いた。去年の全国大会団体戦はブロックが反対側であったため、対戦の機会は訪れなかった。

 

 個人戦には衣を含め全員がエントリーしていなかったため、最強の女子高生宮永照とは対戦したことなどない訳であるが、世代の代表である彼女のことはそれほどアンテナを高くしなくても耳に入ってくる。牌譜なり試合の映像を見る機会も多々あったが、自信家の純や透華をして、一歳年上であることを差し引いても、自分たちの遥か上を行っていると思わせる程だった。

 

 これで元長野県民というのだから始末が悪い。高校時代は麻雀に打ち込むと決めたのであれば、長野に残っていた場合、進学先として候補に上るのは筆頭が風越で、次点が龍門渕だ。話が妙な方向に転がっていたらロートル麻雀部の中に宮永照が混じっていたかもしれないと思うと気分が滅入る。

 

「なら宮永咲についてはもし私たちが団体戦で負けたらという、物凄く実現可能性の低い未来が訪れたら検討する、ということでよろしいかしら」

『異議なし』

 

 話はこれで終了、と決めたら龍門渕メンバーの動きは早い。透華以外は現役のメイドなのだ。特に打ち合わせるでもなく自然と役割が分担され、室内の清掃まで始める。

 

「それにしても原村と言い福路と言い、京太郎の好みそうな女が目白押しだよな」

 

 会議の間、買い込んでいたハンバーガーを三個平らげた純がからかうような声音で一に言った。彼に関することで純がこういう振る舞いをするのは初めてのことではない。いらっとするのは相手の思うつぼだと解っていても、一は機嫌が急降下するのを止めることができなかった。

 

「…………純くんさ、僕に喧嘩売ってる? 正直に言ってごらん」

「いやいやいや、まさかそんなことある訳ねーだろ国広くん。あいつ麻雀以外のヒキはべらぼーに強いから、実は福路とも仲良しなんじゃね? と今思っただけだよ」

「そんな都合の良いことあるわけないよ!」

「ほんとにー?」

「ほんと! もし福路美穂子が京太郎と僕たちくらい仲良しだったら、ネコミミメイドでご奉仕してあげても良いよ」

「今時ネコミミっつーのが気に入った。それじゃあ俺はゴスロリメイドで媚びっ媚びの声出して甘えてやろう」

「そんなの誰得なのさ……」

「いつか隠し芸をやることになった時のために温めてたネタだからな。自分で言うのもなんだが破壊力あるぞ」

「どう転んでも僕だけ損してる気がする」

「京太郎は大喜びじゃねえかな。国広くんがネコミミメイドでご奉仕だし」

「京太郎相手にやるなんていってないよ!」

「カワイイ僕がネコミミメイドでご奉仕しにいってあげるのにゃー」

「やだ、ちょっとやめてよ!」

 

 既に文章を打ち終わったらしいスマホを純は高く持ち上げて妨害している。一はムキになって飛び跳ねるも、京太郎よりも身長の高い純に、小柄な一が届くはずもない。ちょっとだけ冷静になった一は意外に鋭いローキックで対抗するが、これも純に防がれる。

 

 恵まれた体格相応の運動能力をしている純に、身体を動かすこと全般で勝てるはずもない。それは一も解っていたのだが諦める訳にはいかなかった。福路美穂子のことについては多分に願望が込められている。ここで何もしないとメイドですにゃで確定なので諦める訳にはいかないのだ。

 

「全く仲良しですこと」

「プライドがかかってるんだからしょうがない」

「私、市井の流行には詳しくありませんけれど、猫の耳をつけてサーブするのがそんなに恥ずかしいことなんですの? いつものメイド服に猫耳が足されるだけじゃありませんの。衣なんて常時兎のお耳ですのよ?」

「恥ずかしさの基準は人それぞれ」

 

 そんなものですか、と透華は納得する。

 

「一の猫耳メイド、京太郎は喜ぶかしら?」

「どうせなら犬耳とかの方が良いと思う」

「京太郎は猫よりも犬派でしたかしら?」

「それは解らない。けど――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――違うデータが欲しい。猫耳メイドは私がもうやった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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現代編12 長野県大会 団体編④

 

 

 

 

 

 

 囲碁や将棋と異なり運の占める要素が大きい麻雀は、その歴史の中で興行的な見栄えの良さと競技としての公平性を常に秤にかけてきたその結果として、複数の基本ルールが存在する。

 

 タイトルごと、あるいは団体ごとにルールが異なるその状況は、麻雀という競技の絵変わりにも貢献しており、特定のルールが好きというファンは特定のタイトル戦に強烈に惹きつけられるなど、ファンの固定化先鋭化と引き換えに大きな利益を生み出してきた一方で、ある種の弊害を生み出し続けてきた。

 

 その弊害を最も受けるのは皮肉にもプロではなく、プロを目指そうとするアマの選手たちである。

 

 プロは複数のチーム、団体、タイトル戦からリーグなど戦う場所が複数あるのが当然の環境であるが、アマの『公式戦』を管理している団体は日本国内に置いては一つであり、そも小中高大と学生たちの大会と言えば概ね、夏の全国大会とそれに連なる予選を指す。

 

 この大会の諸々を決めるのがアマ公式戦を管理している団体なのであるが、団体は一つでもルールは複数ある。

 

 そして複数のルールにはそれだけの支持者がおり、常に綱引きをしているのだ。少年少女の青春の集大成とも言うべき夏の全国大会は、ルールが固定されていないのである。

 

 支持者たちの綱引きの結果、どの基本ルールで行くのかはその前年になるまで解らない。同じルールが複数年続くこともあれば一年ごとに変更されることもある。当然選手たちにはルールの向き不向きがあり、その違いで成績も大きく異なる。

 

 それで将来が決まるのだから堪ったものではないが、これが改められるような気配はまるでない。ならば幅広いルールに対応できるようにと、強豪校はどのルールが来ても良いように対策を組むのが常である。

 

 そんな今年のルールはクイタン後ヅケあり、一発裏ドラありで赤は四枚。しかし役満の重複はなしという所謂『雀荘ルール』に少し手を加えたものだ。去年は赤と一発が、一昨年は裏ドラもなかったことを考えると大盤振る舞いも良い所である。

 

 技巧やら駆け引きやら、運以外の要素に重きを置く選手には嫌われているルールであるが、プロリーグでは主流のルールであり、国際的な大会でも多く採用されている。破壊力のある麻雀が見られるとファンの間でも人気を博しており、今年の大会が例年にも増して注目を集めているのはこのルールのおかげとも言えた。

 

 清澄にとっても今年がこのルールなことは追い風と言える。一年三人二年一人三年一人で部員全員という背水の陣である清澄は、こと技術という点では全国の名門校に聊か劣るものの才能、地力という点では勝るとも劣らないと京太郎は考えている。

 

 とは言っても、全国区まで行けば技術も才能も持ち合わせている選手が当たり前のように出てくる。県大会は通過点……という表現をすると対戦相手を侮っているようで嫌なのだが、それでも一年中心で大会経験の不足している清澄は今後も技術面が課題となるだろう。

 

「さて。こうして危なげなく決勝戦当日となってしまった訳だけど……」

 

 決勝戦当日。案内された控室で清澄高校麻雀部部長、竹井久は部員一同を見渡して言った。危なげなくという言葉の通り、清澄高校は周囲の予想を裏切って一回戦からこちら、順調に駒を進めていた。

 

 二回戦に至っては中堅の久でコールド勝ちと、ブロックの中では他の追随を許さない強さと言っても良かった。前年度インターミドルチャンプの原村和がいるとは言え、彼女はまだ一年生であり、学校は無名校。しかも部員はその和を含めても団体戦エントリーぎりぎりの五人しかいない。

 

 これで他の部員に高校麻雀での実績があればまだしもだが、今年エントリーしている和以外の四人の内二人が一年生であり、他は二年が一人と部長で三年が一人。彼女ら全員が高校麻雀での実績は皆無。

 

 それどころかここ二年、個人でも団体でも公式戦での活動記録が皆無という、部の存続さえ危ぶむような活動実態となれば、個人に期待だなと周囲が判断するのも無理もなく、団体での活躍は全くと言って良い程期待されていなかったのだが、蓋を開けてみればまさかの快進撃である。

 

 これに困ったのが清澄と同じブロックの高校だ。長野は長らく風越と龍門渕の二強体制であったため、それ以外の二つのブロックは当たりとされてきた。頑張れば決勝まで行けるし、もしかしたらそれ以上も、という訳である。

 

 なのにその二強に匹敵するかもしれない強さを持ったダークホースが現れてしまった。原村だけのワンマンチームならまだ手の打ちようもあったが、他の四人も皆手練れときている。しかも原村以外にデータがほとんどないのだから始末に負えない。

 

 哀れ、清澄と同じブロックのチームは早々にお通夜ムードとなり、他の三ブロックの学校のための生贄になってしまったのである。

 

「まぁ、ここに至るまで全力には程遠かった訳だけどね」

「それも仕方ないですよ」

 

 久の軽口に京太郎は苦笑を浮かべて同意する。

 

 半荘一回勝負ともなればどんな組み合わせでも紛れが起こることはあるが、今年の団体戦は選手五人による半荘十回勝負である。

 

 麻雀に限った話ではないが、どんな競技でも試行回数が多い程あるべき姿に近づいて行くもので、より強い方が勝ち易い仕組みになっているものだ。

 

 麻雀力などという解りやすい数値がある訳でもないものの、文句なしに強い選手の数が多い方が勝つのは当然のことで、麻雀の選手については目の肥えた京太郎が見ても清澄の五人は女子高生の中では非常に強い部類に入る。

 

 リサーチのために今年の県大会の予選は全て目を通しても、清澄と同等の選手が五人揃っているのは長野全体を見回しても龍門渕くらいしかいなく、次点で風越といったくらいだ。

 

 つまりその二校以外が相手であればよほどの悪条件が重ならない限り、今年の団体ルールでは負けることはない。それくらいに清澄の実力は長野県下では突出しており、その結果が決勝戦への出場である。

 

 最初は初めての公式戦ということで少しは緊張していた咲も、一戦二戦と重ねる内に緊張も解れてきている。今は決勝直前。あの日より因縁のある相手ということで、気力も充実しているようだった。

 

 今は清澄に割り当てられた控室で最後の打ち合わせを行っている。室内には観戦用のモニターとソファが三つ。風越くらいの大所帯を想定しているのだろうが、選手のみ六人の清澄高校麻雀部には聊か広すぎる部屋だった。

 

「さて……もうすぐ試合な訳だけど京太郎。最後のおさらいをお願い」

「風越、龍門渕ともにオーダーに変更なし。龍門渕の方は一度衣姉さんが行方をくらまして危ないタイミングがあったそうですが、ハギヨシさんと純さんの活躍でことなきを得ました」

「それは大変だったわね……」

 

 野球やサッカーと異なり今年のルールでは一度補欠と入れ替えたレギュラーは大会終了まで復帰できない。大将の衣まで回った段階で彼女が不在であると、補欠の人員でそれを補充しなければならず、そうなった場合大会の規定で衣は県大会中は復帰することができないのだ。

 

「そもそもあっちって補欠いるの? この前いたのは五人だけだった気がするけど」

「歩も――セッティングとかお世話をしてくれたメイドさんいたろ? あの娘も部員だよ。俺たちの同級生」

「京太郎くんにかわいく手を振ってたメイドさんですね」

 

 和の言葉には何やらトゲがある。歩が可愛いのもかわいく手を振っていたメイドさんなのも事実だが……と、それを口にしたら戦争になることくらいは京太郎にも解った。そうだな、と曖昧な返事をしてお茶を濁すと和もそれ以上は追及してこない。平和主義者という訳では欠片もないものの、和だって好き好んで戦争をしたい訳ではないのだ。

 

「さて。今更打ち合わせするようなことは特にない訳だけど……」

 

 久が時計を見る。控室入りをしたのは試合開始の三十分前。久の言う通り大体の打ち合わせは前日に済ませ、新たに入手した情報もないために、これから思い思いのことをして過ごしてきた。試合開始が迫り、そろそろ移動の指示が放送で来るはずである。

 

 館内放送でコールされれば、優希の手番だ。

 

「私たちを代表して京太郎。優希を励ましてあげてちょうだい」

「それは構いませんが……こういうのは部長がやった方が良いのでは?」

「私がやるよりも京太郎がやった方が良いに決まってるでしょ。ほら、やったやった」

 

 久に背中を押される形で前に出された京太郎は、優希に視線を合わせるように膝をついた。その京太郎に合わせて僅かに身を屈める優希の両頬を、両手でそっと挟む。じぇ? と小さく首を傾げる優希の額に、京太郎は自分のそれを重ねた。

 

「いいか優希。お前は麻雀強い。流石はタコスに選ばれしタコスの民だ」

「じぇ!」

「だが残念なことに、俺の見立てでは純さんや美穂さんの方が強い。東南戦のルールではお前は苦戦を強いられることだろう」

「じょー……」

「でもな、それがどうしたって話だよ。強い奴が必ず勝つなら、態々卓を四人で囲む必要もないんだ。強い奴と弱い奴がやってもどっちが勝つか解らないから、麻雀は難しくて面白いんだ。弱い俺でも、お前たち相手にトップになることあるだろ? なら、俺より強いお前があの人たち相手にトップを取れない道理はない」

 

 言葉が染み入ると、その興奮を示すように優希がこつこつと額を打ち付け始める。早く試合がしたい。優希のモチベーションが確かに上がったことが理解できた京太郎は、優希を開放すると笑みを浮かべた。

 

「めいいっぱいやってこい。お前が暴れまわるのを、楽しみにしてるよ」

「おうよ! 行ってくるじぇ!」

 

 気合十分。ずんずん足音も高く控室を出ていく優希を京太郎は満足げに見送った。これで仕事は果たしただろうと久たちを振り返ると、先輩二人はひそひそと京太郎に聞こえるように内緒話をしている。

 

「京太郎はああやって女をその気にさせるのね……」

「気を付けないといかんのぉ」

「人聞きの悪いこと言わんでください……」

 

 からかわれているだけなのは解っていたため、京太郎も苦笑で済ませる。気分屋で牌に気持ちが乗りやすい優希相手には、あれくらい思い切り発破をかけるのが丁度良いのだ。言ったことも全て本心だから何一つ後ろ暗いこともない。

 

 後は先鋒戦をトップで通過してくれれば言うことはないのだが、優希にも言った通りあの二人が相手では厳しいと京太郎も考えている。

 

 しかし、勝負にならないということはないはずだ。欲を言えばもう少し時間が欲しかった所ではあるが、それを言っても仕方がない。やれることはやったのだから、後は結果が出るのを待つばかりである。

 

 こういう時、唯一選手でない立場というのは歯痒いものだが、であればこそ、自分にしかできないこともあるだろうと前向きに考えることにする。

 

 さて、と控室を見回すとモニタそっちのけで何やら髪を整えたり鏡に向かっている同級生二人の姿が見えた。

 

 

 

 

 

「――お前らにはやらないぞ」

「そういうの良くないと思うよ!」

「優希だけ贔屓はズルいですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本一有名な音痴のガキ大将のテーマを口ずさみながら廊下を歩く。気分は絶好調。今なら宮永姉が相手でも負けないのだじぇ、と機嫌良く歩く優希の姿に、先に競技場出入り口まで来ていた純が気づいた。

 

「ようタコス。今日は随分機嫌良さそうだな」

「純くん先輩こんにちはだじぇ! お察しのとーり絶好調なのだじょ。京太郎にパワーを貰ったからな!」

 

 わはは、と笑う優希に純は苦笑を返し、あいつと同じ学校だとそういう特典があるんだなと心中で呟いた。この件が智紀と一の耳に入ったらまたうるさいのだろうが、そうなるのは時間の問題だろう。いいないいなと衣も交えて大騒ぎする友人の姿を脳裏に思いながら、優希を促して競技場に入る――その寸前のことである。

 

「あら。貴方が片岡さんかしら?」

 

 背後から声をかけられた優希が振り返る。視線の先にいたのはにこにこ笑った美人さん。合宿のスライドの中で京太郎とケーキを作っていた『美穂さん』である。そういう事情で優希は彼女の顔を知っていたが、向こうはそうではない。

 

 写真の中では色違いの両目をきらきらさせていた美人さんは、どういう訳か今日は右目を閉じている。歩きにくくないのかと気にはなったが、昔の漫画では両目を閉じて気を高めるという乙女座の人がいたと聞くし、お姉さんなりの願掛けか何かなのだろうと気にしないことにして、優希は素直に頭を下げた。

 

「だじょ? 片岡優希。京太郎がいつもお世話になっております」

「ご丁寧にありがとう。私は福路美穂子よ。京くんからいつも聞いてるわ。今日はよろしくね」

「よろしくだ、じょ……」

 

 お互いに挨拶を交わしてそのままフェードアウト、のはずだったのだが、優希は短いやり取りの中に聞き捨てならない単語を聞いた、ような気がした。横を見れば純も渋い顔をしている。気がしたではなくその通りであったらしい。

 

「龍門渕の貴女は……井上さんだったかしら。貴女のことも京くんから聞いてるわ。よろしくね」

「ああ、よろしく……」

「お姉さん。京太郎のことは京くんって呼んでるのか?」

「そうよ。一緒に私のことも美穂さんって呼んでってお願いしたの。友達いないからそういうやり取りに憧れてたんだけど……もしかして子供っぽいかしら?」

「いや、いいんじゃないかと思うじぇ。仲良しなのは良いことだ」

 

 それは紛れもない優希の本心だったのだが、彼女は言葉とは別の意味で戦慄していた。隣にいた純も、奇しくも同じ気持ちである。

 

 今の京太郎にお付き合いをしている女性がいないことは知っている。実はこっそりと、という展開もないではないが、彼の性格であれば彼女ができたら皆に知らせるだろう。

 

 つまり今の彼はフリーのはずで、目の前の美少女も当然彼女ではない。はずなのだが……私がこの世でただ一人の彼女ですと言わんばかりの堂に入った彼女ムーヴに、優希も純も背中に冷や汗をかかずにはいられない。

 

(このお姉さんを咲ちゃんと和ちゃんに引き合わせたら修羅場だじょ……)

(ネコミミメイド確定の国広くんと智紀が見たら血の雨が降るなこりゃ……)

 

 彼女でもないのにこの振る舞いをしていたら京太郎を憎からず思っている少女らは喧嘩を売られていると思うだろう。本人に敵対行為をしている気配がなく、実に京太郎好みの容姿をしているので猶更始末が悪い。

 

 できることなら一生関わり合いにさせたくない所である。特に交流がないのであれば福路美穂子は三年生であるので、全員二年の龍門渕と、一年である京太郎とはそこまで深い関係になるはずもなかったのであるが、それは現時点で無関係であればの話。

 

 清澄入学以前からの付き合いであれば咲以外の麻雀部員よりも付き合いが長く、麻雀や料理などの趣味が合うという共通項があって更に年上でおもちだ。加えて美穂子本人に京太郎と関わっていくつもりが強くあるようだから、どこか遠くの場所に進学なり就職なりでもしない限り、今の関係は続くことだろう。

 

 今日以降のことを思うと気分が滅入る優希と純だったが、今は目の前の試合のことだ。無理やり気持ちを切り替えて遅れてきた鶴賀の選手と共に会場に入る。

 

 広いホールの中央に、全自動麻雀卓が一つ。プロリーグでも良くあるいかにもな演出をされたその場所に、選手全員が並んだ。

 

 卓上には場決め用の四枚の牌が伏せられている。最初に会場入りした美穂子が全員を振り返って手を差し出した。お先にどうぞ。それを舐められているとは取らなかった優希がそれに一番乗りした。

 

「出親いただくじぇ」

 

 言って、選んだ牌は宣言の通りに『東』である。小さく口笛を吹く純を他所に、さっさと席に着いた優希はキコキコと椅子の調整を始める。小柄な選手が必ずやるお馴染みの風景だ。

 

 調整に励む優希を他所に、美穂子は残った二人にも視線を向ける。自分は最後で良いらしい。強者の余裕にいらっとした純であるが、好意だけは素直に受け取ることにした。できれば美穂子の下家にはなりたくないものだがという考えが通じたのかどうか。純が引いたのは『西』だった。

 

 残っているのは『南』と『北』である。美穂子の順番は最後。ならばこの地味な女が『南』を引けば全て丸く収まる。まだ名前も覚えていなかった鶴賀の選手に念を送る――それが通じたのかどうか。鶴賀の選手――津山睦月の引いたのは『南』だった。

 

 深々と溜息を漏らす純を他所に、美穂子が最後の『北』を裏返す。優希の椅子の調整が終わるのを待った全員が、卓を挟んで視線を交わす。

 

『よろしくお願いします』

 

 長野県大会女子団体決勝戦。先鋒戦の開始である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あー、まずいなこりゃ……)

 

 からころとサイコロの回る音を聞きながら、純は心中でぼやいた。まだ牌も配られていない内から、優希に流れが極端に偏っているのをびんびんに感じていた。

 

 東場で吹くタイプというのはこの前の練習試合の時から把握していたが、今感じているのはその時の比ではない。あれからの練習で一回りも二回りも成長していたのか。それとも本人が言った通り京太郎に励まされたのが効いているのか……

 

 おそらくその両方だろうな、と当たりを付けた純はげんなりしていた。何しろこれからその絶好調の面白い生き物と二半荘も戦わないといけないのである。どうにかするつもりで控室を出てきた以上何とかしないといけないのだが、相手は自分よりも大分麻雀の上手い美穂子と大分下手くそな鶴賀の選手である。組み合わせは最悪と言っても良かった。

 

 基本、麻雀というのはトップを取りに行くゲームであるが、一位のみが全国に行けるという地方団体戦決勝戦の性質上、この試合における傾向は一際強い。

 

 今は十半荘の一半荘目。今後の九半荘でどの程度楽に打てるかを決める重要な局面である。最初に稼いでそれを守る方が楽だという考えが現在では主流のため、ほとんどの強豪校は先鋒にはエースを当てる。

 

 大将も重要な役割であるが、チーム内の序列で言うと二番目であることが多い。龍門渕は衣の性質上、消去法で彼女が大将になっているが、全国的にはそれも稀有な例である。

 

 逆にそのセオリー通りの布陣をしているのが長野の強豪校の一つである風越である。去年個人で全国に出場し、団体戦でも去年自分を苦しめた美穂子のことを、純は良く覚えていた。ノリに乗った優希も脅威であるが、この女も十二分に警戒に値する。

 

 優希と美穂子。その二人を真っ当な脅威とするなら、はっきりとしたマイナス要素になるのが鶴賀の選手だ。歩を含めた衣以外の五人で検討したが、彼女本人は全く脅威ではない。選手五人の分析をするに大将副将が本命で、残りの三人は適当に配置したのだ、というのが龍門渕の見解である。

 

 こうして対峙してみても、脅威は感じない。真っ当な人間で真っ当な選手であるが、実力という点では大きく自分たちに劣る。それが実に良くなかった。

 

 一人実力が大きく劣る人間がいる場合、そいつから如何に搾り取るかという局面になることが多い。団体戦のため自分を含めた全員が持つ点数は十万点と普段の四倍もあるが、それが二半荘で飛ぶこともあるのだということを、実際に飛ばした純は良く知っている。

 

 そしてその時よりも状況は悪くなっている。純が一人を飛ばした時は自分以外の三人が等しく大したことがなかったが、今回は鶴賀の一人だけが大きく劣っている。鶴賀を狙えるのは一人ではないのだ。

 

 麻雀は終了条件を満たした時に一番点棒を持っている人間が勝つ。鶴賀を毟ることは簡単だが、彼女が箱を割った時、勝利条件を満たしている自信が実の所純には全くない。目に見えたカモであっても凹ませ過ぎると自分の首を絞めることにもなりかねない。

 

 破壊力はあっても技術はない優希はともかく、美穂子は鶴賀の箱下が見えてきたら容赦なく狙いに行くだろう。鶴賀の狙い撃ちはそれで龍門渕の勝ちが決まるくらいまでは控えておくべきと判断する。

 

 まずはとにもかくにも東場の優希を何とかすることだ。調子づいたこのタコスを放置していては、本気で東パツで麻雀が終わりかねない。鳴ける牌は何でもないて早アガリに徹する。自分にしては何ともみみっちい麻雀をしていると思いながらも、それが先鋒である自分の仕事だと割り切り、全幅の信頼を置く自分の感性に集中する。だが、

 

「リーチだじぇ!」

 

 五順目にしてタコスは牌を曲げた。高め一発ツモ、親倍。ひりつくようなプレッシャーが嫌な未来を警告していた。何もしなければ本当にそうなることを半ば確信していた純は当然のようにその宣言牌を鳴いた。

 

「ポン!」

 

 その行為に、あら? と美穂子は首を傾げる。一発を消したいのだというのは見れば解るがこの巡目で()()()()()()()というのは釈然としない。

 

 そうしなければいけない理由があるのだ。ならば美穂子の取れる手段は二つ。純の動きに迎合するかしないか。

 

 清澄、片岡優希についてはこれまでの県予選の牌譜しか情報がなかったが、東場に極端に強いという傾向は美穂子にも読み取れた。それを踏まえた上での美穂子の判断は実際に相対しても()()()()()()()()()()()というものだった。

 

 確実に吹くと言ってもその度合いはまちまちであり、逆に相対的に南場は弱くなる。今の力量なら東場に強いと考えるよりは南場に弱いと考える方がしっくりくる。南場に何とかする前提で、東場は固く打って甘い牌は打たない。

 

 幸い、牌を絞り易い上家に着くことができた。牌譜を見る限り面前派ではあったのだが、鳴きたい時に手を入れやすいというのは好位置である。後は龍門渕を見つつ鶴賀から絞り取るだけと考えていたのだが、純の行動を見て考えが変わった。

 

(このままだとツモられるのね?)

 

 純か鶴賀に鳴かせてツモ順を回さないのがベストであるが、残念なことに既に卓上の牌に手を触れてしまっている。純の雰囲気からもっと早くに彼女の意図を察するべきだった。まだまだ修行不足ねと苦笑を浮かべながらツモ切りをした美穂子を気にもせず、

 

「ツモ!! 6000オールだじぇ!!!」

 

 優希はあっさりとツモアガった。聊か高い授業料となったが優希の脅威は理解できた。この火力で集中砲火などされた日には冗談抜きで東パツで決勝戦が終わりかねない。ひっそりと美穂子は純と即席の同盟を組むことを決意する。

 

 長い風越の歴史の中でも文句なしに随一とされる読みの鋭さは普段、ほとんど放銃をしないという防御力の高さに活かされ、また踏み込みが鋭いという攻撃力の高さにも通じている。読みが鋭いということは攻防一体なのだ。

 

 片目を閉じたまま、美穂子は集中を一段階あげた。

 

 全ての選手が勝ちに向かうという前提であれば、あらゆる競技やゲームに置いて勝つことよりも負けることの方が容易である。

 

 そして麻雀というのは四人で卓を囲み、最終的な点数の多寡によって勝敗を決めるゲームだ。野球やサッカーなどのスポーツと違って持ち点をやり取りする都合上、自分の点数を特定の相手に付け替えるということがルール上は可能である。

 

 通しまで使ってしまえば罰則もあるが、抜きんでて強い人間を相手にするために即席の共闘体制が作られることはインターハイでもよくあることだ。近年の全国大会では宮永照の連荘を終わらせるために他の三人が死に物狂いになるという光景が散見されており、強敵に皆で立ち向かうというストーリー仕立てはむしろ、観客には受けているくらいである。

 

「リーチだじぇ!」

 

 東一局一本場。七巡目で優希のリーチが入る。勢いはまだ衰えていないように見えるが、先に比べると巡目が遅い。これを誤差と見るか流れの陰りと見るか。純と美穂子は断然後者の考えだった。自分の考えと対抗策が通じ勢いに陰りが見えているのだ。後で考えれば意見も変わるだろうが、危機に直面している時に事態をポジティブに捉えることができるのはある種の才能である。

 

 

 南家の鶴賀は現物で打ちまわす。美穂子の目から見て初心者の域を出ていない選手だが、良く集中できている。集中力が続いている限り、ベタ降りするだけならば何とかなるだろう。

 

 西家の龍門渕はきわどい所を攻めてくる。テンパイ――いや、イーシャンテンか。一瞬、純が視線をこちらに向けた。頼んだぞ。そんな心の声が聞こえた気がした。

 

(京くんのお友達に頼まれたのなら…………かっこいい所見せないといけないわ)

 

 薄い笑みを浮かべて、美穂子は卓全体を見るように視線を落とす。時間にして二秒。美穂子を良く知る人間にとっては十分な長考の末に、美穂子が切り出したのは出来面子を崩しての二筒。これもリーチ者の優希には聊か危ない牌だったが、美穂子にとってはどこ吹く風だった。

 

 案の定、優希は通し。一発でツモる。その未来を疑わずに手を伸ばした彼女を遮るように、純の声が響いた。

 

「ポン!」

 

 再び純の視線が美穂子を向く。みなまで言わないでと小さく笑って、美穂子は四萬を切り出す。

 

「ロン。タンヤオドラ1。2000の一本場、2300」

 

 アガりを拾った純は深々と溜息を吐いた。たった一局に凄まじく精神力を使ってしまった。

まだ一局しか終わってないのだと思うと気分が滅入るが、東場が怖い優希の出鼻を挫くことにはとりあえず成功した。気持ちが牌に乗りやすい優希が、目に見えて打ちひしがれている。この躓きはしばらく打ち回しに響くだろう。

 

 それが東場の間中続けば言うことはない。

 

 これで少しは脅威も削げた。一人の選手の受け持ちは半荘二回。次に東場が来るまで共闘は一時延期である。差し当たって東場を注意すればよい優希と異なり、美穂子は全てにおいて危険である。トータルの脅威度は優希を凌ぐと言っても良い。

 

 それと共闘できるのだから麻雀というのも中々面白い競技だと心中でボヤきながら淡々と巡目を進める。

 

 だが優希の勢いを削いだことが影響したのか。この局は特に盛り上がりも見せないまま終局を迎えた。

 

 気落ちした様子の選手たちを眺めながら、美穂子は心中で呟く。

 

(鶴賀ノーテン)

(清澄テンパイ。一一二三四③④⑤23789)

(龍門渕テンパイ。二二六七八⑥⑧345678)

 

「ノーテン」

「テンパイ」

「テンパイ」

 

 開けられた手はまさしく美穂子の予想の通りだった。あの展開でテンパイできた優希の運は流石と言えるが、テンパイそのものが遅かったこと、ドラもない平和のみということでリーチをかけられなかったのだ。

 

 その点純の手配は打点の高さは悪くないが、こちらは正真正銘の今テンである。

 

 自分の読みが冴えに冴えていることを確認できた美穂子は、一度強く両目を閉じゆっくりと開いて行く。

 

 思えば誰かに見てほしいと強く思って麻雀を打つのは久しぶりだ。そんな気持ちが調子にも影響しているのか、今日は朝から物凄く調子が良い。万全の状態で闘牌できることなど一生に何度もないと言うが、今がまさにその時なのだと強く実感できる。

 

(違うチームだけど、私が活躍したら京くんは褒めてくれるかしら……)

 

 悪戯っぽく微笑む美穂子を見て、純は危機は去ったのではなく強力になってまだ留まり続けているのだと理解した。二半荘全てこの調子である。楽はできそうにない……

 

 

 

 

 



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現代編13 長野県大会 団体編⑤

 

 

 

 

「ただいま戻りました」

 

 控室に戻った美穂子を出迎えたのは、チームメイトの大歓声だ。キャプテンすごいしかっこいいし! と一人で盛り上がっている池田を抱えながら歩き、コーチである貴子の前に立つ。

 

 奥の椅子にふんぞり返っていた貴子の顔には池田ならばこれから人でも殺しそうと表現しそうな獰猛な笑みが浮かんでいる。口が悪く態度も刺々しい故に誤解されやすいが、麻雀への取り組みも選手の育成も真摯な人だ。コーチとしての彼女には美穂子も全幅の信頼を置いている。

 

「お疲れ。大活躍だったな」

「清澄の片岡さんの頭を上手く押さえることができました。井上さんと即席で共闘できたのが大きかったと思います」

「吉留の試合までまだ少し時間があるが――吉留には会ったか?」

「緊張している様子だったので少し言葉をかけてきました」

「なら良い。でだ。本格的な感想戦はまた今度やるとして、単刀直入に聞こう。今日お前が戦った中で来年最も警戒すべきなのはどいつだ? 私と同じ見解だったらジュースの一本も奢ってやろう」

「鶴賀の津山さんですね。レモンスカッシュで」

「可愛くねえ奴だなお前は!」

 

 ノータイムで、しかもそれが正答であると疑っていない様子の美穂子に、貴子は文句を言いつつも嬉しそうな態度で控室を出ていく。近くの自販機まで行くのだろう。そこにレモンスカッシュがあるのは美穂子も確認済である。

 

「キャプテン……鶴賀が一番危ないんですか? モンブチや清澄の方が危ないと思うし」

「現時点での実力ということならそうね。片岡さんも東場に限って言えば井上さんよりも脅威だったし」

「と言うか、特に良い所なかったですよね鶴賀」

 

 確かに、と星夏の言葉に美穂子は頷く。

 

 目立ったアガりもなく振り込みも多い。単純に得点の推移や多寡だけを見るのであれば、鶴賀に良い所はないだろう。脅威としては東場に猛威を振るった清澄の方が分かりやすく、配譜を見れば龍門渕の打ち回しが光る。

 

 だが、美穂子と貴子が言っているのはそういうことではないのだ。どう説明したものか……と考えている内に貴子が戻ってきた。小脇に全員分のジュースを抱えている。貴子が無言ですべてのジュースを美穂子に渡すと、それが当然とばかりに美穂子はレギュラー全員に配り始めた。何が良いとかならないように全員が美穂子のリクエストのレモンスカッシュである。

 

「コーチ。華菜ちゃん別に正解してないし」

「こういう時は大人しくいただきますって言っとくのがデキる後輩ってもんだぞ池田ァ!」

「いただきます!」

 

 慌ててプルタブを開ける池田に軽く溜息を吐き、貴子は自分用に買っておいたコーヒーをちびちび飲み始める。視線で美穂子に問えば、『話はまだ途中』という答えだ。どうやら解説は自分の仕事のようだと悟った貴子は、さて何と説明したものかと考えながら、

 

「技術力で言えば最低だろう。麻雀そのものの経験が浅いのは打ち筋を見ても解る。運も太いとは言えねえが……私や福路がやべえって言ってるのは、そういうところじゃねえ」

 

 見た目に反して、というと本人は気分を害するのだろうが、名門校のコーチに二十代で就任するだけあって貴子は物を教えるのが上手い。普段は荒い声の調子も教えるモードに入ると幾分穏やかに聞こえる。

 

 こうなると荒い調子でヤンキーに見える普段に反して、理知的なお姉さんに見える。普段からガミガミ言われている池田などは、ずっとこの調子なら良いのに……と思っているのだが、実際にはヤンキーの時の方が多い。

 

 常勝の風越で腕を磨き、大学リーグで揉まれ、プロとも接することの多い貴子から見れば女子高生というのはまだまだ至らない所が多く見えるのだった。

 

「収支を見てみろ。二半荘終わってウチの圧勝だが、吐き出した点数は他の三校見てもそう変わらねえ。一人技術のない奴がある奴三人に囲まれてこれだ。まぁここには色々思惑があっての結果だから一概には言えないんだが、それでも、奴の実力を考えれば大健闘って言っても良いだろう」

 

 一人実力が劣る人間がいる場合、そこから如何にムシるかの勝負になる。それは正々堂々としていないという意見もあるにはあるが、勝てる時に勝てるだけ勝っておくというのは小学生でも知っている戦術論の一つである。美穂子を始め風越のレギュラーになるような選手は十分にそれを弁えている。

 

 全国予選前のレギュラーの中に、入ったばかりの一年が放り込まれた仮定と比較してみると確かに鶴賀の津山の点数は大健闘と言えるだろう。

 

「その秘密は光らない打ち回しにある。基本しか知らねえような奴だが、それを外さないように丁寧に打ちまわしてるのが見て取れるな。失敗して振り込んでもいるが、それが最初から終わりまで一切ブレてねえ。技術と運とガッツで麻雀するとして、後から割と簡単に身に付くのが技術だ。運の強さと肝の太さってのは後ヅケじゃどうにもならんことが多いからな。その点、奴は技術こそ不味いが肝の太さでは及第以上だ。ここに技術が身についてくれば強敵とはいかないまでも難敵にはなるだろう。解りやすい強敵ってのは付け入る隙もあるが、普通に強い奴ってのはやりにくいもんだ」

 

 引きが良ければそれでもツモ力でごり押しすることもできるだろうが、常に引きが良い選手というのは中々いない。

 

 そういう外的内的要因でブレる状況を何とかするために、選手たちは日々技術を磨くのであるが、後から割りと簡単に身に付くという言葉の通り、技術だけでどうにかできる状況というのはあまり多くない。圧倒的な引きの前にはどんな技術も無意味になることが多い。

 

「ま、どうにもならない時にどうにかするために技術があって、その技術を活かすためにガッツが必要なんだ。運だけ、技術だけ、ガッツだけの奴は極論、大したことねえ。日々勉強だぞ小娘ども。サボんなよ」

 

 はい! と威勢よく答える後輩たちに貴子は目を細めて昔を懐かしむ。

 

(私がこんなことを言うようになるとはねぇ……)

 

 今貴子が言ったことは高校時代に自分などよりも遥かに厳しいコーチに毎日ガミガミ言われていたことだ。昔はあの婆いつかぶっ殺してやるとチームメイトと陰口を叩きあっていたものだが、卒業して同じ立場になってみると彼女の言っていたことは全て正しかったのだと身に染みる。

 

 今の生徒たちはかつての自分たちに比べると随分とお行儀が良く聞き分けも良い。当時のレギュラーは貴子も含めて言われた通りにしないことがかっこいいと思っていた節があったため、物を教えるのも一苦労だったろう。

 

 そんな鬼コーチも今は年齢を理由に引退し、今はOG会の代表と風越の理事を務めている。

ことあるごとにに突っ張っていた頃の貴子のエピソードを持ち出してくるためにやり難くて仕方がないが、コーチとしての振る舞いがとりあえず形になっているのは高校時代の経験と、大学時代にインターンとしてやってきた時に、彼女の仕事を近くで見ることができたからだろう。

 

 恩師と言えば彼女のことが真っ先に頭に浮かぶくらいに、指導者としての貴子にとって彼女の占める部分が大きい。

 

 コーチは今より遥かに問題児の集まりだった自分たちを指導して、全国に連れて行ってくれた。かつての自分たちより遥かに物分かりが良いはずの部員たちを前に、果たして自分はどれだけのことがしてやれるだろうか。

 

 池田と同級生の龍門渕の四人に、清澄の一年生たち。風越の歴史上、最初に全国行きを決めてから三年連続で全国を逃したことは一度もない。相手は強敵も強敵だが、それは勝てない理由にはならないのだ。

 

 やれるだけのことはやった。今の部員は最高なのだ。ならば自分のすべきことは彼女らが最大限の力を発揮し、悔いのない試合ができるようにすることだ。弱気になってはならない。弱気を見せてはならない。

 

 常勝風越のコーチは、かつて自分を導いたコーチは、どんな時も不敵に笑って自分たちを引っ張ってくれたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早めに歩いたつもりだったのだが、どうやら自分が最後であるらしいことをまこは何となく悟った。まさに会場に入る所だった風越の選手が、まこの姿を見て笑みを浮かべる。同級生の、確か吉留美春といった名前だった、と調査担当の京太郎が言っていたのを思い出した。

 

「よろしくお願いしますね」

「お手柔らかにの」

 

 試合前である。ナーバスになる選手も多い中、美春の雰囲気は柔らかい。誰が相手でも同じパフォーマンスを心がけるべきなのだろうが、どうせ一緒に打つならば人当たりの良い人間が良い。

 

 久と二人だけだった一年を超えて、今は清澄高校麻雀部もにぎやかになった。人の声の途絶えない部室など一年前は想像もできなかったのだが、贅沢になったものだと思う。

 

 適当な世間話をしながら会場に入ると、既に残りの二人は着座していた。龍門渕の沢村智紀と、鶴賀の妹尾佳織。佳織の方と面識はないが、京太郎曰く従姉であるらしい。言われてみれば燻った髪の色が良く似ている。この髪の色は母方の遺伝なのだそうだ。お父さん以外がこの髪の色である須賀家と逆に、お嫁にきたお母さん以外がこの髪の色をしているという。

 

「あぁ、そう言えば染谷さん。須賀京太郎くんっていうのはそちらの麻雀部なんですか?」

「唯一の男子部員じゃな。京太郎に会ったんか?」

「団体戦の初戦の日に。それで妙にウチのキャプテンと仲良しだったのが物凄く気になったんですけど、もしかしてお付き合いしてたりするんですか?」

 

 興味本位の質問なのだというのは、美春の気軽さを見れば解った。ははは、と軽く笑って否定するという部の先輩として当然の行動をするのが遅れたのは、美春の背中ごしの残りの二人の顔が見えてしまったからだ。

 

 視線で人間が殺せるならば、きっとこんな顔をするのだろうという、年頃の女子がしてはいけないような殺気に満ちた顔を二人はしていた。合宿の時の写真から智紀がガチ勢というのは何となく察していたが、佳織の表情からも智紀と同等のものをひしひしと感じる。

 

 従姉じゃなかったんかというのが正直な所であるが、従姉だからと言ってナニをしてはいけないということもない。そういうことは元来自由であるべきだ。きちんと節度を守って他人に迷惑をかけないのであれば、関係のない人間が口を挟むべきではないというのがまこ個人の考えではあるものの、既に咲と和がばちばちやりあっている環境を考えると、これ以上エントリーが増えるのは抵抗があった。久などはこれを楽しんでいる節があるが、この点においては考えが全く合わない。

 

「さあのお。彼女がいたことは今まで一度もないと言っとったから、それを信じるならそっちのキャプテンは彼女じゃないんじゃろうが、本人に聞くのが良いんじゃないんか?」

「京くんはお友達よーって凄くにこにこしながら言うんですよね」

 

 ん、とまこは反射的に強く咳払いをしたが、それは遅かった。聞こえてほしくなかった単語をしっかり聞き届けていたのか、美春の背中越しに二人の殺気が濃くなっているのが見えた。

 

(しかし、京くんか……)

 

 そもそも彼氏でもない男性に美穂さんと呼ばせる人間が、自分もそれに合わせていない訳がないのだ。これから風越と絡む時には注意が必要だろう。何の備えもなしに咲や和が京くん攻撃をされたら修羅場も修羅場だ。

 

「本当のところはどうなのか部員の私たちでも判断に困ってます」

「……ちなみに吉留さんはどう思っちょる?」

「本当に友達だと思います。彼氏だったら……これは勘ですけど、あんなもんじゃ済まない気がするんですよね」

「解らんでもないなぁ」

 

 京太郎の女版と思えばまことしても想像がしやすい。女慣れしているらしい京太郎は女子との距離の取り方が抜群に上手く気づけば距離を詰めている。それを全く不快に感じさせないのが恐ろしい所だ。元々友人との距離は詰めるタイプではあるのだろう。二人と二人だった一年の四人が、咲と和の衝突は度々あるものの何だかんだ仲良しでいられるのは京太郎の力が大きい。

 

 逆に美穂子はその手の距離の取り方は不得手に見える。女子高だから男子との距離の取り方が不得手なのかと思わないでもないが、まこの目にはそれだけではないように見えた。彼氏彼女でもないのにこの調子なら、咲や和は今の対戦相手のような顔をするだろう。音に聞くサークル・クラッシャーというのはああいうのを言うのじゃないかと思ったりもする。

 

 他人の恋愛だ。それこそ他人がめくじらを立てることでもない。そのはずなのだが……美穂子が京くん京くんと笑顔で呼びかけているのを想像すると、何だかむかむかしてきた。

 

 そもそも合宿の時に見た写真も写真なのだ。京太郎の家のキッチンは優希が『タコスを作ってる所がみたいのだじぇ!』と言い出した時、彼が自撮りした動画で確認している。まこの感性からすると大分今風のシステムキッチンで、写真のそれは何というか台所という感じだった。早い話が別の場所である。

 

 学校の家庭科室というのでもないし、趣味のケーキを作るのに高校生がどこか場所を借りるというのもないだろう。ケーキを作っていたどちらか二人の家と考えるのが自然だ。

 

 つまりあの野郎は、彼女でもないお嬢さんの家にやってきて美穂さん京くんとか呼びあいながら休日にケーキを作っていたということになる。あちらのご両親には何と自己紹介したか知らないが、同じ学校の同級生ならばまだしも、女子高に通っている娘が連れてきた他校の男子だ。気にするなという方が無理だろうし、本人がいくらお友達ですと紹介しても期待はしてしまうはずだ。

 

 まこにとって京太郎はかわいい後輩であるが、こうなってしまっては仕方がない。この試合が終わったら京くん案件について根掘り葉掘り問い詰めねばならない。咲も和もこういうことなら協力してくれるはずだ。久はこの大会の後に引退するが、二年の自分は後一年は彼らと過ごすことになる。不和を生むような問題はさっさと片づけるが良いに決まっているのだ。

 

 雑な理論武装をして、卓に着く。智紀も佳織も目が据わったままだ。普通にしているのは風越の美春のみ。普通の展開にはなるまいな、と苦笑したまこは、からころと回るサイコロをぼんやりと眺めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佳織にとって激しくいらっとくる出だしだったが、勝負そのものは平坦に進んだ。佳織がゆみから言われたことは二つ。守り気味に打てということと、あまり戦術を学ぶなということだった。

 

 ビギナーズラックを意図的に引き寄せるというのがその狙いである。何をバカなと普通なら思う所だが、佳織が幸運に恵まれていることは部内の全員が知る所だ。

 

 それをどうやってか活かせないものか、と考慮した結果が、初心者である期間を長くするというある意味、競技大会に対する冒涜とも言える方針だった。

 

 それは別に良いのだ。元より頭の回転には自信のない佳織の、唯一他人に長所と言える所がこの『幸運』だった。

 

 おじいちゃんから聞いた話だが、妹尾の家系は男の子ばかり生まれるという。事実、おじいちゃんもひいおじいちゃんも五人、六人兄弟だが全部男の子だ。

 

 昔も昔であれば男子ばかりが生まれる家というのはそれはそれは羨ましがられたそうだが、今はそうでもない。女の子がほしいというのは妹尾の家の宿願のようなもので、たまに生まれる女の子は大層可愛がられて育てられるという。

 

 そしてたまに生まれる女の子は非凡な才能を持って生まれてくるということだ。佳織はここ百年で生まれた三人の女の子の最後で、最初の女の子はひいひいおじいちゃんの妹。二十世紀の最初の方で生まれた彼女はそれはそれはデキる女として名を馳せ、中流の域を出なかった妹尾の家から、生まれた女の子に花の名前を付ける慣習のある名家にお嫁さんに行ったという。

 

 二番目が佳織の父の妹で京太郎の母の晶だ。どうせ男の子だろうと思って用意されていた名前をそのまま付けられた少女は、物心つくとすぐにバイオリンに興味を示したという。

 

 試しに地元の教室に連れて行った所、バイオリンに触ったその日に簡単な練習曲を引きこなした晶を自分の手に負えないと判断した先生は、音大時代の恩師に連絡を取り晶はそちらに顔を見せることになった。

 

 そしたらたまたま来日していたドイツ人のバイオリンの権威の目に留まり、彼に師事することになった。ドイツ人はそのまま晶をドイツまで連れて行こうとしたそうだが、これにおばあちゃんが激怒した。かわいい盛りの娘を外国に連れていかれてたまるかと猛然と抗議した所、世界的権威の方が折れて二月に一度遥々日本まで通うことになった。

 

 二か月に一度の教室であったが、それでも、普段の練習を怠らなかった晶のバイオリンの腕はめきめき上達し、小学校を卒業する頃には()()()()()()日本一になり、中学校を卒業する頃には()()()()()()世界一となっていた。

 

 天才少女と持て囃された晶の将来は約束されていたようなものだったが、彼女は地元の高校で後に夫になる男性と運命的な出会いをし、同じ大学に進学して卒業と同時に結婚して主婦になった。

 

 これには師匠以下、兄弟子姉弟子総出で考え直せと遥々日本まで押し寄せて説得を試みたそうなのだが、音楽家なのだから音楽で語るべしと、晶は自分で作曲した『私の愛』なる曲を披露し、一同を感動で号泣させ、海の向こうに追い返した。

 

 晴れて大好きな男性と結婚して主婦になった晶であるが、結婚式こそ両家の両親立ち合いのもとひっそりと行われたものの、新郎が就職してすぐに大阪に異動になったため、披露宴が行われたのは後に生まれた佳織と京太郎が物心ついた後だった。

 

 京太郎と一緒に晶のドレスの裾を持ったのも懐かしい思い出である。披露宴はとにかく盛況で、中でも新婦の友人代表として参加した晶の師匠とその弟子全員は、彼女の説得の際に披露された『私の愛』に対抗して、『若き二人への祝福』と題した曲を披露し、拍手喝采を浚った。

 

 基本的には主婦として過ごす晶であるが、師匠に請われて二、三年に一度くらいのペースでコンサートに参加する。本職でもないのにコンサートの顔としてデカデカとポスターに顔が載り、チケットはどこの国でも飛ぶように売れるとか。

 

 音楽家としての自分は結婚する時に過去に置いてきたということで、バイオリンを弾く時には旧姓で活動しているため、京太郎の友人関係でも晶が世界的な有名人であると知っている人間は少ないという。

 

 そんな二人と比べると、妹尾佳織の才能というのは何とも寂しく感じる。きっと前の二人で大切な何かを使い尽くしたんだねと自虐もしてみるが、その才能は誰が見ても解る特徴として

顕れた。

 

 その才能をゆみは『幸運』と呼んだ。佳織自身、自分の才能の仕組みを理解していない所があったが、佳織の話を総合して、ゆみは仮説を立てた。

 

『妹尾の運は降って湧くもの。例えば天江衣のような『強運』は、彼女が自ら引き寄せるか、自分の内から呼び覚ますものだ』

『あまり強くないんじゃありません?』

『そうでもない。あくまで人間が生み出す『強運』と違って『幸運』は天から降ってくるものだ。いざ目の前に現れた時、人間では対処が難しいだろう』

 

 佳織の『幸運』を麻雀で活かそうとした場合、多少の運や技術ではどうしようもない形で顕在するというのがゆみの仮説だ。

 

 案の定、経験者の中に交じった佳織は三人に遅れを取り始める。地道に経験を積んだ睦月と異なり、佳織はゆみの方針で極力練習からは遠ざけられていた。最低限、飛ばなければ良いと言われてはいるが、どうせなら勝ちたいし、かっこいい所を見せたい。

 

 どうにも彼は自分のことを鈍くさい頼りない女だと思っている節がある。たまにはすごいなってほめられたいのだ。

 

 そう思いながら配牌をめくる直前、目の裏がちりと痺れた。

 

 来た─―

 

 ゆみが『幸運』と名付けたオカルトには、予兆がある……ことがある。ない時もあるために起きないと断言することは困難を極めるが、予兆があった時、佳織にとって良いことが必ず起きる。少なくとも、この予兆があって肩透かしを食らったことは佳織の人生で一度もない。

 

 これはさぞかし良い配牌が来ているのかと期待を込めてめくってみると、

 

 一三四④⑤⑨78東東南西北 ドラ⑦

 

 良くも悪くもない配牌である。何を切るか考えた佳織は、少々悩んだ末に五筒を切った。解説を始め、観客も、控室で試合を観戦している選手たちも佳織の打ち回しに困惑する。勝負を投げたのか、と考えることもできたが、理外の打ち回しには理外の結果が伴うのが、女子麻雀の怖い所だ。

 

 この打ち回しに何かしら意図があるのであれば、鶴賀以外の選手たちにとって良くないことが起こる。

 

 そんな予感を当事者以外がぼんやり感じ始めた序盤を超え、中盤に差し掛かると対戦者の三人は違和感を覚え始めた。

 

 最もそれを感じていたのはまこである。河を見て直感する。字牌が明らかに少ない。捨て牌から見て風越と龍門渕には字牌はない。全て山という可能性もないではないが、河の雰囲気からして誰か一人がガメでいると考える方が自然だ。

 

 風越と龍門渕にその気配がない以上、見えない全てを鶴賀がガメているということで、それは親であるまこにとってはこの上なく嬉しくない予想だった。アガられる。何とかして妨害しなければならないが、過去の記憶から照らし合わせた予想でも、今現在の直感でも鶴賀のアガりを否定することができない。

 

 鶴賀に字牌が集中している分、自分も含めて他の三校は手が進んでいるはずなのだが、捨て牌も二段目が終わろうというのに、リーチの声はかからない。邪魔をするならもっと早い巡目に速攻でやるべきだった。自分の打ち回しのミスを悟ったまこが深々と息を吐くと、佳織のツモ、という声が卓上に響いた。

 

 

 

 

 白東東東南南南西西西北北北 ツモ白

 

 

 

 

 

 ツモ、とは言ったがそれに言葉が続かない。倒した手牌を見て硬直した佳織は明らかに困った様子で審判を振り返った。無言のまま指を五本立てて首を傾げる。

 

 役や点数の申告ミスはインターハイの競技ルールではペナルティを受けることがある。

 

 競技に参加する選手ならば点数、役の把握は当然していてしかるべきというのが運営の考えではあるが、弱小校など数合わせで選手を出している所もある都合上、これは何点? と審判に確認するのは推奨はされないがルール上は問題ない行為として黙認されている。

 

 佳織が確認を声に出さなかったのはその慣例を把握していなかったからに他ならない。自分では解らないけど、声に出したら怒られるかな……という不安が見え隠れしたその表情は、審判の男性からすると見慣れたものだった。

 

「今年のルールではいくつ役満が複合しても一つとして処理されます。どれでもお好きなものを一つ申告してください」

 

 そうでしたね、と佳織はさも思い出したという風に納得してみせる横で、まこは内心で安堵していた。国士無双十三面待ちに代表される『ダブル役満』として処理される手がアリでその複合が認められていた場合、佳織の手は字一色大四喜四暗刻単騎と指を五つ立てることになる。

 

 役満を親かぶりするだけでも痛いのにそれが五つで八万点の支出だ。佳織はたった一局で十六万点を稼ぐことになる。清澄の残りのメンバーであればそれくらいのビハインドは何とかしてくれるという思いはあるものの、まこの点棒は現在八万点を下回っている。そこで試合が終わってしまうのであれば、如何に強者と言えどもどうしようもない。

 

 競技者として卓についている以上、例え小鍛治健夜であってもルールの前には無力なのだ。

 

「それじゃあ、ツモ。四暗刻。役満です!」

 

 にこにこ顔の佳織を見て、まこは自分の前途が多難に満ちていることを感じていた

 

 

 

 



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現代編14 長野県大会 団体編⑥

 

 

 

 

 

 竹井久の心はかつてない程に凪いでいた。外面はともかく内面における感情の起伏が激しいと自認している彼女にとって、ここ数年でもっとも落ち着いていると言っても過言ではない。

 

 それは久自身が精神的に成長したとか部長としての自覚に今更目覚めたとかそういうことではなかった。全ては京太郎のおかげである。中堅戦に挑む前、気合を入れるために優希にしたようにやってくれと打診したら生意気にも断りやがったので、無理やり抱き着いてみたのだ。

 

 軽いハグなどではなく身体を押し付けるようなくらいの力強さに咲や和が『セクハラですよっ!!』と大騒ぎだ。それをのらりくらりと躱しながら横目に見た京太郎は、久と視線を合わせるのを避けるように身体ごと明後日の方向に向き直った。

 

 これで嫌そうな顔でもされたら後輩たちの好感度を下げただけの誰得な話だったが、そうではないようなので安心した。紳士ぶるのが得意な京太郎ではあるが性欲がない訳ではないのだ。自分も十分にその対象と再認識できただけやった意味はあっただろう。

 

 脈があると解ればあらゆることに気持ちが入るというものだ。彼には行儀の良いお嬢様のような女よりも手間のかかって面倒くさくて性格のねじ曲がった年上が合うに決まっている。本当に本当に年上で良かった。手間がかかって面倒くさくて性格のねじ曲がった久は深い笑みを浮かべると、卓上に気持ちを切り替えた。

 

 一半荘目、南二局。東場を回して対戦相手のおおよその力量は掴めた。

 

 国広一。京太郎からの情報がなければ気づくこともなかっただろうがなるほど、言われて見てみると独特なテンポで打ちまわしているのが見て取れる。よほど集中していないと気づかない内にリズムを乱されているということもあるかもしれない。京太郎のように目が良いとこの少女と打つのは苦労するだろう。

 

 京太郎は一緒に打っていて楽しい相手だが、この少女はその逆かもしれない。相手に楽をさせない麻雀ということであればこれ以上の打ち手は中々いないと久でも思うが……一緒に卓を囲みたいかと言われれば少し考えてしまう。

 

 良い娘ではあるんだけどね、と当たり障りのない感想で思考を結び、次の相手に移る。

 

 蒲原智美。意外なことに鶴賀の部長だ。京太郎のかわいい巨乳の従姉である妹尾佳織の幼馴染で京太郎とも知己であるらしい。本人は中学高校と競技麻雀に打ち込んだ様子はなく、そもそも鶴賀の麻雀部からして、京太郎のガールフレンドが入部して漸く団体戦規定の五人が揃ったくらいと、清澄との共通項に少しだけほっこりする。

 

 さて肝心の腕前であるが、はっきり言って大したことはない。基礎を通り一遍学んだ程度と言えば良いのだろうか。麻雀好きが高じて部活を立ち上げましたという経歴にしっくりくる、そんなレベルの腕前だ。

 

 加えて特別運が太いという訳でも技術や才能が光るという訳でもオカルトがある訳でもない。狙い撃ちにするとしたら狙いごろな相手であるが、それは残りの一人の力量に依る。

 

 文堂星夏。三年連続で生まれた名門風越の一年生レギュラー。去年の池田、一昨年の美穂子は中学麻雀でも鳴らした特待生であるが、この星夏は一般入部での昇格組である。特待生以外のレギュラーというのも珍しい話ではないが、一年生でのそれは珍しい。

 

 何しろ同級生の特待生、二年、三年の部員全員を追い抜いてのレギュラー獲得である。技術以前にその勢いは目を見張るものがある。これで技術が伴わなければ勢いだけと見ることもできるが、全国行きこそ逃したものの去年の県大会では良い所まで行っている。去年、一昨年のデータを鑑みれば特待生でもおかしくない成績だ。特待生でないのは単純にめぐり合わせが悪かっただけだろう。

 

 レギュラーを取るに足る実力と経歴がある。一年生とは言え警戒に値する実力があるというのが久の見立てだ。

 

 龍門渕、鶴賀、風越。三校の対戦相手を直接観察した上で、誰を的にかけるのか。

 

(風越一択ね)

 

 警戒心の薄い真っ当な選手というのは久からすれば狙い所である。加えて単純な彼我の点差を考えると、先鋒戦で美穂子が稼いだ分のリードをそろそろ帳消しにしておきたいのだ。

 

 ターゲットが決まると何か、自分と相手の間に繋がったのを感じる。

 

 まこと二人でいた去年にはなかった感覚。京太郎と一緒に打つようになったことが原因だろう。中学時代、京太郎と打っていた咲は特に自覚していないというから全員がそうだという訳ではないのだろうが。ここ最近の久は自分が対象に含まれている時のみ、面子に京太郎がいなくても運の流れを感じ取れることがある。

 

 対象を取ったことが形になったとでも言えば良いのだろうか。自分のやってきた打ち方に明確な枠組みが感じ取れるようになってきたことは、実は久の麻雀人生においては大きな転換点であった。

 

 一が注視してくる。何かしている、これからすることを感じ取ったのか。龍門渕が対象、あるいは清澄だけが浮上するのであれば対処の一つもしようが、久の視線の動きから狙いが風越であることが解ると見に回る判断をした。

 

 麻雀は四人でやる競技である。次鋒戦が終わり、点棒は依然風越がリードしている。トップの風越が鬱陶しいのは他の三校にとっては同じことだ。他にも被害が出るのであればともかく、風越だけが落ちるのであればそれを止める理由はない。

 

 久が警戒していたのは、それも考え方の一つと開き直られることだ。風越の点数が削られるということは、吐き出された点数が清澄に移動するということでもある。風越が凹むよりも自分以外が浮上することを良しとしない場合、積極的に妨害することも考えられた。

 

 一の判断は久にも伝わる。こういう共同歩調は嫌だという選手も少なからずいるので、協力とはいかないまでも、消極的な賛成をしてくれるのはありがたい。

 

「リーチ」

 

 カモは決まった。横やりもない。それならば、後は竹井久の独壇場だ。未来のある一年を的にかけるのは、三年として聊か心苦しくはあるのだが――これも勝負だと諦めてほしい。

 

 星夏の手がぴたりと止まった。逡巡しているのが手に見て取れる。素直に伸びた勝負手。打点も高いが後手を踏んだ。勝負に行くか迷っているのだろう。先鋒の美穂子が稼いだ点数を考えれば中堅の仕事は点数を維持して次に繋ぐこと。戦略として攻めずに守りに入るというのも間違いではない。

 

 短期的な目で見れば守るという判断をしても誰も彼女を責めないはずだ。特に今は団体戦。彼女だけの戦いではなく、また去年負けた龍門渕に勝ち、全国に行けるかどうかがかかっている試合なのだ。

 

 冒険はしない。守りに行く。それが正しい判断なのだ――だとしても、

 

(この手、この状況で下りるような打ち方はしていない! でしょ?)

 

 頼りになるキャプテン。尊敬できる先輩。共に切磋琢磨できるチームメイトに優秀なコーチに名門の看板。面識さえない目の前の少女に悪い所は何もないが、二年前の自分になかったものを全て持っている星夏に、久は言いようのない苛立ちを覚えていた。

 

 地獄単騎の一萬が切り出される。ロンと発声すると、星夏は信じられないという目を久に向けてきた。対局相手は大体そういう顔をするのだ。その顔が、やってやったという感情が、久を最高に高ぶらせる。

 

 麻雀って楽しい。手間がかかって面倒くさくて性格が捻じれているという自覚はある。こんな麻雀で良いのかと思ったこともあるにはあるのだが、きっと京太郎は褒めてくれるだろうと思うとそういう感情も霧散する。

 

 世の中に悪態を吐いていた頃とは違う。部室でたった一人燻っていた時とも違う。今の竹井久はチームとして戦っている。役目は点を稼いで守り、それを次に回すこと。勝ち方に注文を付けるのは後でも良く、後に注文さえつかないのならば何も気にすることはない。

 

 ただ思うままに麻雀を打ち、点棒を稼ぐ。何て軽やかな気持ちだろう。今が全国の切符を賭けた決勝戦であるということさえ、久は忘れていた。あの半荘が人生で最高の状態で麻雀を打てていたと後に述懐する。中堅戦、前半荘。それは竹井久の独壇場だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思っていた以上にヤバい奴。一の竹井久に対する感想である。清澄で中学時代の牌譜がそこそこの数あるのが竹井久と原村和の二人。どちらも個人戦での全国出場のため団体戦のデータに至っては和が二戦ほどで久に至っては皆無だった。

 

 

 そんな少ないデータに加えて先の練習試合の牌譜も含めた上で皆で集まって十分に検討したつもりだったのだが……実際に久と相対して見ると打ち回しと、何よりその嗅覚は並外れたものだった。

 

 狙うべき弱者と狙うべきタイミングを見定め、それに合わせて行動するのが非常に上手い。有名所では去年全国を制した白糸台の『SSS』が打ち回しとしては近いのだろうが、狙い撃つと表現される弘世菫の打ち回しと比べると、罠を仕掛けて迎え討つと表現する方が近いかもしれない。

 

 どちらも狙われる恐怖があるが射手の姿が見えている分、相手としてはまだ弘世菫の方が安心できるように思う。警戒度を上げなければならないのもさることながら、それを持続していないといけないのもこの手のタイプの難しい所だ。

 

 とは言え。視線を可視化できるほどに感じられる一にとっては、それほど難しい相手でもない。気を張ってさえいれば相手をするのはそれほど難しくはないだろう。厄介な相手には違いないがそれでも、衣や宮永妹ほど高い壁を感じる訳でもない。

 

 ともきーが相手でなくて良かった。鶴賀の部長を『弱い所に来る』と煽っている久を横目に見ながら控室に戻ろうとする一の背に、久の声がかかる。

 

「おつかれ、国広さん」

「おつかれ。調子よかったみたいだね。風越にはご愁傷さまだけど」

「日が悪かったんじゃない? 後半も行けたら行くつもりだけど、流石に対策打たれそうなのよね」

「風越のキャプテンと知り合いなんだっけ? 三年前のインターミドルで一緒に県代表だったって聞いたけど。宮永姉と一緒に」

「色々事情があってインターミドルには参加しなかったし、会話した記憶がないのよ。京太郎の話じゃ向こうは覚えてるみたいだから、私だけ損してる感じね」

 

 苦笑を浮かべる久にちょっとだけイラッとくる。京太郎を抱えてるんだからそれだけで大幅なプラスのはずなのに。宮永妹がいなければ今ごろ龍門渕の部室で京太郎と和気藹々やれていたのだと思うと、今更ながらにムカムカと来る。

 

 だがそれを顔に出したりはしない。ポーカーフェイスはマジシャンの基本であり、麻雀を打つ時の基本でもある。与える情報は少なければ少ない程良い。

 

 そう。と無味乾燥な相槌を打って去ろうとする一の背中に、久の軽い声が届く。

 

「ああ。調子の良い原因だけど京太郎かもね。控室を出る時にハグしてもらったのよ。国広さんもどう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ムカつくムカつくムカつくっっ!!! 何あの清澄の部長っ!!!」

 

 一の前半の健闘を称えるために立ち上がった龍門渕の面々は、控室のドアを閉めるや否や猛然とキレ散らかす一の姿に呆然とした。特に衣は一に飛びつこうとダッシュ――しようとした姿勢のまま硬直している。

 

 天真爛漫を絵に描いたような衣でも、流石に今の一に抱き着くのは躊躇われたのだ。

 

 それほど、一と怒りというのはイメージに合わない。そういうのは龍門渕では透華の領分である。一はいつもにこにこして、相手の感情をのらりくらりと躱し、自分の感情とも上手く付き合っていくデキる女というのが衣のイメージだったのだが、一は今衣の前で地団駄を踏んで悔しがっている。

 

 一とは透華が彼女をメイドとして雇用し始めてからの付き合いだ。本家令嬢の透華、元々衣の母に仕えていたハギヨシ、実は四代続けて龍門渕従者の家系出身である歩たち三人以外の中では一番付き合いが長いはずだが、ここまで感情を露わにする一の姿は初めて見た。

 

「それで、何にムカついてますの?」

 

 小柄な分体力もない。一通り言いたいことを言いつくし、荒い息を吐く一に透華が声をかけると、一は透華に飛びついた。

 

「聞いてよ透華。清澄の部長が酷いんだよ! 試合の前に京太郎にハグしてもらったって僕に自慢してきたんだ!」

「また豪快な嘘に騙されたもんだな国広くん。清澄部長の思うツボだぞ」

「何で嘘だって解るのさ!?」

「京太郎が自分からあの部長にハグするなんてある訳ねーだろ」

 

 純は自信たっぷりに言い切った。

 

 京太郎との付き合いは精々二年という所だが人となりの解りやすい部分は把握している。彼は女友達からの幼少の頃からの調教により、女性からの頼みは基本的に断らず、断ろうとしても凄まじい抵抗を覚える体質になっているようだが、同時に防衛本能も研ぎ澄まされたらしく相手への踏み込みに関しても何やら厳格な基準が存在した。

 

 その一つが自発的な肉体的接触を可能な限り行わないというものである。須賀京太郎というのは距離感が抜群であり、いてほしい距離にいるのが得意な男だ。手を握る、肩に手を置くくらいのことはたまにするが、それでも精神的な気安さに比べるとその回数は驚くほどに少ない。

 

 まして抱き着くなどは論外で、これは女性の方から頼んでも断られる傾向にあり、女性の方から抱き着いても、どうにかして逃げようとする。

 

 純など、殊更女性を意識させるようなタイプでなく、何度も京太郎に抱き着いたりしているが、普段の素直さから比べると非常に激しい抵抗にあったのを覚えている。女性と判断する相手には基本、この対応なのだろうというのが純の解釈で、その女性の範囲には久も含まれているというのが見解だ。

 

 京太郎が自発的にハグを行ったというのは考えにくく、精々が久の方から不意打ち気味に抱き着いたという所だろう。場合によってはそれさえ避けられている可能性がある。その辺は京太郎に聞かねば解らないことだが、これも調教の成果か、女性が関わることについては頼もしいことに口が固い。

 

 聞いても教えてはくれないだろうが、とにかく、自発的なハグは久の嘘であるというのが純の考えだ。これらの見解は龍門渕では共有しているものであり、以前にこの手の話をした時には当然一もいたのだが、あまりの怒りにその記憶がすっぽ抜けてしまったようだ。

 

 純の言葉を受けて落ち着きを取り戻した一は、そこで漸くそのことに思い当たる。

 

「…………清澄の部長もやるね」

「それだけ国広君を警戒してるってことだろ。見た目ほど気持ちよく打ってる訳じゃないと思うぞ」

「それが分かっただけでも収穫かな」

 

 身体の中の熱を吐き出すように、一は深く息を吐いた。気持ちの切り替えの早さは勝負をする上で重要なこと。熱くなりやすいことは悪いこともあるが、昂った感情が必要な時もある。要は感情をある程度コントロールできれば良いのだ。龍門渕の中ではとりわけ熱くなりやすい透華のメイドである一は、自分くらいは冷静でいられるようにしようとそういった訓練も欠かしていなかった。

 

「さて。何かアドバイスとかある? 必勝法とか編み出してくれてると助かるんだけど」

「悪待ちにいくらなんでも兆候がねえってことはねえと思うんだが、一緒に打ってみてどうだ?」

「雰囲気はどうにか感じ取れるかな。少なくともダマに振り込むってことはないと思うよ」

「テンパイが毎回悪待ちって訳じゃないから。必要以上に警戒する必要はないと思う」

「ここぞと言う時にやってくるかも、くらいで良いかな?」

「それをエサにしてくる可能性もありますから、警戒半分ってところですかしら。喰えない相手ですわね本当に……」

 

 練習試合の時が全てであれば良かったが、今日の久は明らかに以前よりも研ぎ澄まされている。全力で向かってくる相手ならば叩き潰せば良いが、点棒で劣る相手を叩き潰す勝負になってしまうと、狙い撃ちをしやすい久は強敵だ。

 

 点棒を考えると残りの半荘で久が風越を飛ばすようなことがあれば、残りの二人を待たずして勝負が決まってしまう。

 

 一年で経験が薄いとは言え名門風越のレギュラーだ。あちらのキャプテンは久と戦ったことがあるというから、軽い対策くらいは指示してくれているだろう。後半戦は前半ほど容易くはないと思いたい所だが、それ込みで久が打ちまわせるとしたら、

 

「軽めに打って流すのが良いかもね。いや、僕も素直な麻雀打ってるつもりはないけど、清澄の部長もとびっきりだね」

「頼んだぞ国広君」

「任せておいてよ。ハンバーガーでももりもり食べて、気楽に待ってて」

「話は終わったな? それでは衣たちからも一に力を分けてやろう」

「それはありがたいけど、どうやって?」

「清澄の部長はきょーたろから力を分けてもらったようだからな。衣たちも同じように一にしてやるのだ」

 

 ほらほら、と衣の号令で歩を含めた部員たちが集められる。意図を察したハギヨシがスマホを構えて移動するのを見ると、一は一目散にドアに向かって駆けだす――が、純に回り込まれてしまった。

 

 はなせーと大暴れする一を真ん中に据えると、身長の関係で後ろに純と智紀が。両脇からは歩と透華が抱き着き、正面に衣が収まる。全方向を包囲された上にカメラを向けられた一は流石に緊張するが、考えてみれば写真を撮るだけだ。どうということはないとにこやかに微笑むと、

 

「今の流行りはダブルピースらしい」

 

 と智紀に唆され、反射的に両手でピースサインをする。おかしくない? と気づいた時には既にシャッターは切られていた。ひょっとしてとても恥ずかしいポーズをさせられてしまったのでは。動きを止めて考えてしまったのが行けなかった。早速ハギヨシからスマホを受け取った智紀がスマホを操作しているのを見た時には全てが手遅れだった。

 

「ともきー、ちょっと――」

「送信」

「…………予想が当たってほしくないって一縷の望みをかけて聞くんだけど、誰に送ったの?」

「京太郎。タイトルは『かわいい僕の照れ顔ダブルピース』」

「ともきーのバカっ!!」

 

 脱兎のごとく駆けだす一を龍門渕の面々は微笑ましく見送った。緊張も良い感じに解れたようであるから、後半戦は久が相手でも良い勝負をしてくれるだろう。地力にはそこまで差がないのだ。相手の傾向が解り、精神状態も問題ないのであれば勝てない道理はない。

 

 スマホが震える。京太郎からの返信だろうと見てみると、

 

『楽しそうですね。次は俺も混ぜてください』

 

 身持ちの堅い京太郎もこういう皆でやる接触には付き合ってくれるのだ。抱き着こうとしても身構えられる智紀としては、そういう機会は活かしておきたい。

 

『えっちなご主人様だにゃー』

 

 いつかの猫耳メイドを持ち出して返信する。既読がついて数秒待っても返信がない。思い出して恥ずかしさで身もだえているのが想像できる。そういう対象として見られているのだと思うと気分も良いが、今は目の前の決勝戦だ。

 

 分析担当は自分の仕事。仲間が打つ時にはそちらを見るが、空いた時間は全て対戦相手のリサーチに使う。勝てば全国。清澄が負けるということは、京太郎を身内として連れ出せるということでもある。

 

 万全を期すのであれば個人の三枠も清澄以外で独占する必要がある。1枠は福路美穂子で埋まるだろうから後二つ。これを龍門渕で取れれば京太郎独占計画も安泰だ。全国に散らばっているだろう敵たちに、京太郎が誰のものかというのは知らしめなければならない。

 

 仮に団体個人で全滅したとしても観戦には行くだろうからあまり違いはないのかもしれないが、全国で出会う敵たちは全国出場を決めてきているだろう。胸を張って堂々と相対するためには、全国出場は望ましい。

 

 明るい未来のためにも手は抜けない。煩悩を振り払うように頭を振ると、智紀は画面に没頭した。

 

 

 



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現代編15 長野県大会 団体編⑦

 

 

 

 

 桃子にとっての麻雀はただの手慰みだった。色々あったゲームの中で一番向いていて勝てるからやっていただけで、特に好んでいたという訳ではない。幸いリアルで自分を見つけてくれる人がいなくても、ネット上ならば相手に事欠かない。

 

 教室になど通ったことはなかったがネット上での成績は悪くなく、中学に上がる前に五段に上がれたことは桃子の中では密かな自慢でもあった。

 

 今でも麻雀はただの手慰みであり手段に過ぎない。でも、大好きな彼がこれに一生を捧げているから、少しは真面目にやってみることにした。いきなり真面目になるのもちょっと恥ずかしいのでこっそりと。大親友たる二人には及ばなくても、少しでも彼に追いつけるように。彼が少しでも自分のことを見てくれるように。

 

(そんな前向きな理由で始めたはずなんすけどね……)

 

 咲は京太郎と同じ清澄に進学し、淡は京太郎の紹介で照が働きかけ特待推薦をもぎ取って白糸台に進学した。なら自分は――単純に近いからという理由で鶴賀への進学を決めた。

 

 やるにしても高校に入ってからで良いっすと、何もかもを先伸ばしにしていたのをしっかりと神様も見ていたのだろう。鶴賀に麻雀部が存在しないことを桃子が知ったのは、入学式も終わった翌日の、オリエンテーション当日のことだった。

 

 調べられることは全て調べ、やれることは全部やる。準備に勝る成果なしといった京太郎にこの事が知られたら恥ずかしくて顔も見られない。後から言って驚かせようと、麻雀部に入るつもりだと京太郎にも咲にも言わなかった過去の自分を褒めてあげたい。

 

 とは言うものの、自分を褒めているだけでは何も始まらないし変わらない。部活が存在しないのであれば、最悪自分で立ち上げるより他はない。まさか友達のいない自分が同好会の立ち上げとは……と憂鬱な気分で調べを進めると、幸いなことに同好会は存在していることが解った。規定により部活のオリエンテーションには参加させてもらえなかったらしい。

 

 準備とか下調べって大事だろ? と脳内にニヤける京太郎に惚れ直しつつ、クラスメートからそれとなく情報を集めた所、メンバーは三年と二年が二人ずつの四人。部への昇格は一年の活動実績、部室と顧問の確保、部員五人以上であるから、桃子が加入すれば部員の要件は満たすことになる。

 

 部室と顧問はどうだか知れないが、麻雀を部活でやろうというのだから流石に牌くらいはあると思いたい。できれば全自卓が欲しい所であるが、発足したばかりの同好会では高望みのような気もする。マットに手積みというのは覚悟しておいた方が良いだろう。

 

 なお同好会か正式な部かどうかは鶴賀の中での問題であって、外に出た場合は関係がない。鶴賀の外に出る時に集団を一つに絞れるのであれば、公式戦へのエントリーは可能だ。その場合鶴賀の中で同好会であっても、公式戦での記録は麻雀部となるが、些細な問題である。

 

 自分がその同好会に参加するとして、これ以上部員が増えなければ自動的にレギュラーだが、自分以外がへっぽこでは流石に頼りない。入るにしてもリサーチは大事と、入学前の失敗を繰り返さないよう、先にメンバーの腕前を見ることにした。

 

 聞けば学内のサーバを利用して麻雀ゲームを行い、ネットワーク上で勧誘活動を行っているという。いよいよ牌の実物があるかも怪しくなってきたが、桃子も京太郎たちと打つ時以外はネット麻雀が中心である。牌に触らないと、などと偉そうなことが言えるほど経験豊富でもない。

 

 何よりまずは腕前を知るべきだ。放課後の教室で同好会の部屋にログインすると、既に自分以外の席は埋まっていた。対戦相手は『かじゅ』と『かまぼこ』と『むっきー』の三人。まさかこの作りのゲームでAIなど用意しているはずもなかろうから、順当に行けばこれが現在の麻雀部――正確には同好会のメンバー全員なのだろう。相手は三人で待機している人間はいない。一人足りないような気がするが、その辺りは良い。

 

 さて、実力試しと軽く――当然勝つつもりでいた桃子は目を見張った。四月時点で結成されている同好会のメンバーである以上全員先輩なのだろうけれども、『かまぼこ』と『むっきー』は正直大したことがない。高校から麻雀を始めて少し経った。ひいき目に見てもその程度だ。だが『かじゅ』一人が群を抜いて上手い。打ち取れると思った時に振り込んでこないし、逆にそこで待つかというところで待ち桃子からも直撃を取った。

 

 二半荘を行って二回ともトップだ。ツモ力はそれ程でもないが、当たり牌を一点で読み気持ち悪いくらいに止めてくる。その読みに自信があるのか踏み込みも鋭く、結果として多くの点棒をかっさらっていった。

 

 きっと京太郎とは気が合うタイプだろう。逆に感性が先行するタイプの咲や淡とは全く話が合わないに違いない。

 

 桃子はその二人よりも理論派で、麻雀に対する考え方は京太郎に近い。と言うのも桃子の持つオカルトは相手から感知されなくなるだけで、手の組み立てには何も影響しない。直撃を取る。そこに至るまでの過程は自分の力だけで処理をしなければならないのだ。

 

 分類するなら咲も淡も自分も皆オカルトのはずなのだが、どうにも自分一人だけが余計に理論を学んでいる上に、火力も低い気がしてならない。全く神様ってのは不公平っすと愚痴りながら、対戦のログを家に持ち帰り『かじゅ』の打ち回しを分析してよりその考えを深めた。

 

 間違いなくこの『かじゅ』は自分よりも上手い。この人と一緒なら麻雀部での活動も楽しいものになるだろう。ついでに京太郎に紹介したら喜んでくれるに違いない。

 

 どちらかと言えばそちらの方に比重を置き、麻雀同好会への参加は少し先送りにしていたはずなのだが、やはりデキる人というのは行動も迅速であるらしい。最初に麻雀ゲームをやったその翌日に『かじゅ』の中の人は桃子の教室へと現れ、その結果として東横桃子は鶴賀麻雀部の団体メンバー副将として県大会に参加している。教室に現れた彼女の『私は君がほしい!』という言い回しに、一発で絆されてしまったのだ。

 

 淡の時と言い、菫の時と言い、今回のことと言い。もしかして私は惚れっぽい女なのではと思わずにはいられない。『かじゅ』改め加治木ゆみはとても優しくかっこよく素晴らしい人だったが、次に『惚れる』人がそうとも限らないのだ。ダメな人にひっかかったら転がり落ちるように自分もダメになっていく、そんな気がするのだ。来年はもう少しクールになろうと心に決める桃子である。そう、加治木先輩のように。

 

 クールキャラで振る舞いながら場決めの牌を引き、着席する。その直後、自分の上家に座った少女の――正確にはその巨乳を見て、桃子のクールキャラは早くも崩れることになった。

 

 たぷんとかたゆんとか、そんな音が聞こえてきそうな重量感のあるおもちの持ち主の名前は原村和。去年のインターミドルのチャンプであり、桃子たちの学年では県下一番の有名人である。桃子も顔だけは知っていたし、京太郎や咲と同じ清澄に通うということで危険を感じてもいた。

 

 ついでに咲からは三日に一度は京ちゃんが鼻の下を伸ばしてるんだよ! と怒りのテレホンがやってくる。一緒になって怒っては収拾がつかないと、京さんはおもち星人っすからねと流していたのだが、実物を見て咲の怒りはもっともなのだなと実感した。

 

 童顔で巨乳。身長は女子としては普通の部類で、咲や自分と同じくらいだと判断する。これで麻雀の腕が同年代最強と京太郎の好みを狙い打ちにしたような存在であるが、あくまで咲の話ではあるが京太郎に入れ込んでいる様子はなく、むしろこのおっぱいさんの方が京太郎に夢中になっている有様だという。

 

 この巨乳と知り合いだったら自分たちが知らないはずはないから、知り合ったのは清澄に入学してからのはず。ならば付き合いはまだ三か月少々と行った所のはずだが、咲のテンションを鑑みるに、京太郎とは相当仲良しのようだ。

 

 この容姿の美少女から矢印が出ていて同級生で同じ部活。なるほど、世が世ならぶっ殺すしかない存在であるが、幸い桃子はその原村和と同卓することができた。このおっぱいさんの京太郎に対するアピールポイントの一つが麻雀であるなら、それで上回れば自分のアピールになる。

 

 同じ部活故に公式大会で同卓する機会の少ない咲にはできない『原村和を公式大会でぶっとばす』機会に恵まれたと考えれば、この巨大なおもちに対するイライラも少しは晴れるというものだ。

 

(おっぱいさん個人に恨みはないっすけど……私の恋の前に消えてもらうっすよ! ここから先はステルスモモの独壇場っす!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうにも下家からの視線が痛い。そちらに目を向けると黒髪の美少女がいた。黒い綺麗な髪を肩口で揃えた、控え目な雰囲気の美少女である。

 

 写真で何度か見たことがあったし、そもそもここに向かう前にも京太郎から話があったので、この黒髪美少女が誰かは和も知っている。京太郎や咲の話に度々出てくる『モモ』さんであり、和にとってはこれが初めての邂逅だ。

 

 咲の大親友。京太郎とは共通の友人。和の目から見て同年代で一番麻雀が上手い京太郎曰く、中々麻雀が達者だと言うから油断できないが、それ以上に和の心を惹きつけるものがあった。

 

 和の視線が桃子の顔から下に移る。そこには自分ほどではないものの高校一年にしては大きな胸部があった。

 

 誰に自慢できるものではないが、実は和には母親にしか言っていない特技がある。

 

 目視さえすれば例えパッドなどで誤魔化していたとしても、正確なバストサイズを看破できるのだ。自分の胸が膨らみ始めてきたころ、バストサイズがどういう数値なのか把握したその時から可能となったこの能力は、実生活では何のプラスにもなったことがない。

 

 ひょっとして皆こういうことができるのではと母に相談した所、どういう訳か母は『流石恵くんと私の娘!!』と大層喜んでくれた。何が嬉しいのか聞いても答えてくれなかったが、とにかく母にとっては嬉しいことであったらしい。

 

 この能力でプラスになったことと言えばそれくらいだ。ともかくその能力で桃子の胸を分析してみたところ和よりも二回りは小さいと判明した。

 

 ところで、何事にも適正値というものが存在する。過ぎたるは及ばざるが如しとも言う。胸だって大きければ大きいほど良い訳ではないのだ。そりゃあ大きいに越したことはないはずだが、物には限度というものがあるはずで、自分はそろそろその限度を超えつつあるような気がしてならない。

 

 京太郎はおもち星人であるし、見た目を理由に女子を遠ざけたりするような男性ではないはずだが、できることなら好みに沿いたいというのが乙女心というものだ。

 

 その点、桃子の胸は現実的にかなり良い線を行っており、和の分析では更に成長する見込み――というよりも、まさに急成長している最中のようである。他校で良かった。同じ清澄にいたら咲よりも遥かに危険人物であり、世が世ならぶっ殺すしかない相手だ。

 

 そう言えば風越のキャプテンも京太郎の好みを具現化したような女だった。理想の女がどうとか具体的に聞いたことはムカつくので一度もないが、はやりんを世界一可愛いと常々言っているのだからあの系統の面が好みなのだろう。

 

 であるならば自分もかなり良い線を行っていると思う。エプロンでも着てにっこり微笑んでみれば京太郎も少しは鼻の下を伸ばしてくれるかと脳裏に思い描いてみるも、にっこりほほ笑む自分というのがどうにも上手く想像できない。

 

 和の苦手なことの一つが愛想よく振る舞うことだ。今までそれで困ったことはないが、好きな人の前でかわいく振る舞うことができないというのは、乙女の心を焦らせる。

 

 とりあえず笑顔は鏡の前で練習するとして、エプロンを着てする真っ当なことと言えば料理である。こちらは苦手ではないものの京太郎の特技であるため、一緒に料理をすることはあっても一方的に振る舞うということはほとんどない。

 

 むしろ和を含めた麻雀部の女子全員が、普段の部活で京太郎にスイーツを振る舞ってもらう側だった。これではいけないと常々思うものの、美味しいスイーツを前には口も堅く腰も重くなるというもの。女は大抵甘いものに弱いのである。

 

 思えば京太郎の理想の女性像であるところのはやりんもお菓子作りが得意であるらしい。容姿と言い体つきと言い中身と言い、総合すると風越のキャプテンや自分の上位互換とでも言えるはやりんであるが、では和から見てはやりんがいる限り風越のキャプテンは脅威ではないのかと言えばそういうことでもない。

 

 同系統で違う方向性とでも言えば良いのだろうか。おそらく脅威度という点でははやりんと風越のキャプテンにそれ程差はないはずなのだ。

 

 単純な見た目の好みこそ存在するが、京太郎は良い意味で女に順位を付けない。ある意味ではそれは良いことなのだが、恋する乙女にとっては最悪なことがある。容姿が確たる優劣になりえないということは、翻って言えばどのような容姿の女にも等しく目移りするということでもあった。

 

 こいつなら安心と思える相手が存在しないのである。故に過去京太郎と一緒にいた女子は自分たちで囲って外との接触を断つという選択肢を取り続けてきた……はずだし、清澄でもそれは成功している。まさか自分と優希と咲の三人で囲っていても、なお外からちょっかいをかけてくる女は存在するまい。

 

 懸念があるとすればまこや久を経由して、二年三年の女がちょっかいをかけてくることであるが、久は何だかんだで京太郎のことを男の子として気に入っているようであるし、まこも満更でもない様子である。麻雀部が今の五人でいる限り京太郎の身の安全は固いだろう。

 

(その間彼女はできないかもしれませんが、私が寂しくないようにしますので我慢してくださいね)

 

 さて。目下の問題は下家の黒髪おもち美少女だ。幸いなことに和の世間での評価は同年代での最強。海外からの留学生を考慮に入れなければ実力の上では風上に立っていたはずだが、それも約一年前のこと。

 

 京太郎によれば実力の向上には環境が大きく作用するという。中学も強豪校で高校も強豪校なライバルと、中学も高校も強豪ではなかった和を比較した場合、どちらの環境が恵まれているのかは言うまでもない。

 

 鶴賀の麻雀部は清澄と同じ、補欠なしの五人である。京太郎が一目置いているとは言え、環境としては清澄と同等かそれ以下の鶴賀の同級生に遅れを取るようでは、全国のライバルに勝てるはずもない。

 

 勝てる相手と油断して良い訳ではないが、勝たなければいけない相手なのだ。和の心にふつふつと闘志が燃える。

 

(麻雀と京太郎くんがなければ友達になれそうな人ですが……私の明るい未来の礎になってもらいますっ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の感情に色が見えるとすれば、彼女らの感情はきっと桃色なのだろうと思う。目の前の勝負に気持ちが乗るというのは良いことなのだろうが、雑念ばかりが見えるというのも先達としてはどうかと思う透華だった。まして同卓した二人もが、自分の弟分に熱を上げているとすれば猶更だ。

 

(全く京太郎のモテること……)

 

 かわいい弟分のことだ。透華も自分のことのように嬉しく思う。これで対戦相手二人の足元が疎かになっていれば言うことはなかったのだが、気持ちが乗った分感性も鋭くなっているようで付けいる隙は少ない。

 

 これが恋する乙女の力なのだろうか。一や智紀を見るにそこまで感性に違いが出るとも思えないが、眼前の二人のように感性が鋭くなるのであれば恋をしてみるのも悪くないかもしれない。

 

 その時は純以外から小言を言われそうではあるが、それはきっと自分が悪いのではなく魅力的な弟分のせいなのだろう。男が原因で女が争うのだから、その責任は男が取るものだ。

 

 本当に、想像するだけで楽しい。試合前とは思えない愉快な気持ちで対戦相手をぐるりと見渡す。

 

 同卓するのは二人が初めてだ。三人の内、原村和と鶴賀の選手が一年。風越の選手だけが二年である。龍門渕としては、風越とは去年も戦っている。印象に残っているのは去年も先鋒を務めた福路美穂子のみ。その読みの鋭さは戦慄を覚えた去年よりも更に鋭くなっていたように見えた。

 

 先鋒と同じく大将も去年と同じ選手が務めているが、これは衣が相手をするならば何も問題はないだろう。殻を破った宮永妹が脅威であるが、こればかりは試合の行方を見守るより他はない。

 

 ともあれ今は風越の選手だ。智紀の話では彼女が頭角を現してきたのは、去年の三年が引退し、キャプテンが福路美穂子に変わってからのこと。レギュラーがほぼ定位置に入ってきたのは今年に入ってからである。

 

 龍門渕のロートル部員を全員叩きだし、一年五人で団体に出た透華からすると三年がいなくなって二年でようやくレギュラーというのは遅い気もするが、世間一般ではそれが普通のことであるという。一年よりも二年、二年よりも三年が強いと考えれば、そも自分たち五人や三年二年がいるにも関わらず、一年でレギュラーになった美穂子や池田が優秀なのだ。

 

 デジタルを標榜している透華だが、流れというのは大きな視点のものであれ、小さな視点の物であれ無視できないものだと思っている。流れに乗ってレギュラーを勝ち取ったのなら、本来ならば軽く扱って良い物ではない。風越のような強豪校であるなら猶更――と京太郎ならば分析するのだろうが、透華の視点で見る限り風越の選手は全く持って脅威ではない。

 

 やはり原村和か。一がことあるごとに呪詛を飛ばす大きな胸は今日も健在である。間近で見るのは二度目だが、確かに一が呪詛をかけるだけのことはあると思う。透華の手では間違いなく手に余るし、男の京太郎の手でも持て余すだろう。

 

 物の本では男性が激しく女性を攻め立てる時に『胸を鷲掴む』そうであるが、これでは京太郎の手でも掴むのではなく持ち上げることになるかもしれない。

 

(見事なのは認めますが、過ぎたるは及ばざるがごとしですわよ?)

 

 だから龍門渕(うち)の誰かにしておきなさい、と心の中で京太郎へと念を飛ばしながら、鶴賀の選手を見る。

 

 関係の()()話であるが、京太郎は口が固い。こと対戦相手が自分の知人で固まる時、本人から許可されていない限り、彼が情報を漏らすことは絶対にない。男として人間として信用のできる相手だ。

 

 透華以外の全員も、鶴賀の副将――東横桃子が京太郎の知人であることは知っている。初見の相手だが決勝までの牌譜を見る限り中々打てる相手だとも解るし、どうやら振り込みを誘発する『何か』を持っていることが判断できる。

 

 当然、京太郎はそれを知っているのだろう。桃子が許可を出している可能性はあるし、聞けば教えてくれるかもしれない。

 

 だが透華たちはそれをしなかった。少なくともこの東横桃子に関しては聞くまでもなかったからだ。

 

 

『俺の友達にモモって奴がいて――』

『――消えるオカルトなんですけど』

『何か知り合いの巫女さんがそれを再現できるって――』

 

 

 京太郎は口が固いし義理堅いし記憶力もある方だが、未来が見える訳ではないし用心深い方ではない。話した時はまさかこんなことになるとは思っていなかっただろう。

 

 今ごろ思い出して顔を青くしているかと思うと姉貴分として心が痛まないでもないが、これも勝負と諦めてもらうより他はない。勝負の世界は非情で、姉も弟もないのものなのだ。

 

 それに京太郎が心を痛めたのならばいくらでも癒してあげる準備もできている。どの道全国には龍門渕が行くのだから京太郎を連れ回して遊びまくるのも良いかもしれない。レジャーを楽しむもよし、引きこもって夜通し遊ぶもよし。歩も入れて七人で遊べば、きっと楽しいだろう。女の知り合いがちょっかいをかけてくるだろうが、その前にかっさらってしまえば問題はないし、何なら海外まで連れ出す準備もある。

 

 先手必勝一撃必殺。そのためにはまずこの決勝戦を物にしなければならない。尋常なる勝負である。負けるつもりでやる道理はない。元より見た目からおもちから京太郎と同じ部活という境遇から、色々と憎々しく思っていた原村和が相手というのも天の配剤である。ここで華麗さの二つも三つもアピールすれば、京太郎からの尊敬を勝ち取れるだろう。

 

 

 

(衣と愉快な夏休みのため――華々しく散ってもらいますわよ!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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現代編16 長野県大会 団体編⑧

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 力を抜いて椅子に背を預ける。大きく息を吸い大きく吐くと、ようやく重たい肩の荷が降りたような気がした。

 

 長野県大会決勝大将戦。龍門渕有利のまま始まり、そのように推移した試合は最終的に清澄の逆転劇によって幕を閉じた。大立ち回りを演じた咲は終了後の一礼をすると、そのまま会場を駆けだしていった。勝利の喜びを仲間と分かち合うのは勝者の特権だ。今頃は仲間に囲まれてもみくちゃにでもされているのだろう。

 

 それに続いて龍門渕の天江衣が席を立つ。最後の最後で清澄に逆転されたのだ。さぞ口惜しさに満ちた顔をしているのかと思えば、その幼い風貌にはどこか清々しい笑みが浮かんでいた。ゆみの視線に気づいた衣は、対局中に見た獰猛な色などゆみの記憶違いであったかのように、少女らしい笑みを浮かべる。

 

「鶴賀の。麻雀を始めたばかりと聞いた。中々筋が良かったぞ」

「お褒めに預かり光栄だ。ついでと言っては何だが、後学のために練習試合でもお願いできないか? 恥ずかしながらうちは部員が少ない上に初心者が多いものでね。一つ胸を貸してくれると助かるのだが」

「衣は構わんぞ? とーかたちにも衣の方から話を通しておいてやろう」

「助かる。予定を詰めるのはそうだな……個人戦が終わってからで構わないか? どんなに遅くとも夏休み中には都合をつけられると思うが」

 

 他の競技よろしく夏の大会はスケジュールが詰まっているため、団体戦から間を空けずに個人戦の予選が開催される。人数の少ない男子は明日の朝一からの午前一杯で全国行きの三人が決定し、人数の多い女子は午後から予選が開催され、その上位通過者のみで明後日の決勝戦が行われる。

 

 通過者は男子と同じく三人だ。龍門渕は五人全員が最有力の候補と見られているが、去年に倣うのであれば、眼前の衣は個人戦にはエントリーをしていないはずである。もっとも、龍門渕が団体戦を勝利した去年とは事情が異なる。全国行の確率を上げるのであれば、最も麻雀が達者な衣も個人戦に出ると考えるのが自然であるのだが、

 

「君は明日の個人戦には出るのか?」

「出ないぞ。明日の午前は皆できょーたろの応援をし、午後はきょーたろと皆の応援をするのだ」

「失礼。そのきょーたろというのは須賀京太郎くんのことかな? 清澄の麻雀部の」

「そうだ、そのきょーたろだ。鶴賀の、知り合いなのか?」

「うちの部員経由で先日知己を得たばかりだ。麻雀が達者なようで、彼にも今度教えを請おうと思っている」

「筋が良いだけでなく人を見る目もあるな! きょーたろはデキる弟だ。姉の衣が保証しよう」

「それは良い。今から楽しみだ」

 

 表情を変えずに会話を続けるが『姉』という微妙に聞き捨てならない単語が聞こえてきた。衣の容姿は対戦中何度も観察したが、性別の違いもあるか、京太郎と容姿の上での共通点は少ない。強いて挙げるならば『金髪』という頭髪の系統であるが、京太郎が血筋の近い佳織と同様黄色に近い燻った金色であるのに対し、衣の髪は副将の龍門渕透華と同様、秋の稲穂のような淡い金色である。

 

 知れる範囲にある情報を総合する限りでは、彼らが姉弟であるという衣の言葉には疑問符が付くのだが、似てない姉弟などいくらでもいるだろうし、詳らかにできない複雑な家庭の事情というのもいくらでもある。ゆみが気にするのは二人の仲が良好であるかどうかで、衣の話を聞く限り、非常に良好ではあるようだ。

 

 元々そうだと思ってはいたが、衣ほどの選手がデキる奴だと保証してくれたのである。我ながら良い縁を結んだものだと満足したゆみは、どうせならと欲張ってみることにした。

 

「我々は女子だが、先の練習試合に須賀君も参加できないものかな」

「それは衣も望むところ。口利きするのは吝かではないが、その辺りはきょーたろの予定を聞いてからだな」

「麻雀部の予定以外に、既に予定がありそうなのか?」

「ここだけの話なのだが……」

 

 ちょいちょい手招きされたので、ゆみは衣に顔を寄せる。衣はわざとらしく辺りを見回すとゆみの耳に手を当て、

 

「きょーたろはモテモテで全国に女の影があると、一と智紀が人を呪い殺しそうな顔でよく言っている」

 

 あぁ、とゆみは小さく呟いた。

 

 京太郎は顔立ちは悪くないし気が回るし話していて楽しいし、何より愛嬌がある。会話をしたのもまだ三十分にも満たないゆみだが、もしあちらから交際を申し込まれたら、その場でフラない程度の好意はあった。

 

 過ごした時間が長ければ、また出会いが衝撃的だったならばそれだけ好意も募るだろう。桃子のような状態の女子が全国に複数いるとなれば、そりゃあ彼に懸想している女子は気が気ではないだろうし、人を呪いたくもなるに違いない。

 

 顔を離した衣に、今度はゆみが手招きする。わくわくした様子で差し出された耳に、ゆみはそっと顔を近づけ、

 

「つまり君の弟は全国を回ってデート三昧という訳か?」

「そういうことだな。一昨年は女の子と遊んでいるだけで夏が終わったと言っていたぞ。これは内緒だときょーたろには念を押されたことだから、鶴賀のも内緒にしておいてくれ」

「そこはぬかりなく。しかし、モテる男は大変だな。外に爆発しない限りは好きにすれば良いと思うが」

「遺漏なくやれているならそれもきょーたろの手腕だろう」

「姉としては弟の行動に思う所はないのかな?」

「刺された所で死にさえしなければ衣が匿うだけの話だな。何より、きょーたろがそれをしたいと思っているならば、応援してやるのが姉心というものだ。話がこじれて刺される所など想像もできないが」

「どうやら君は弟はうんと甘やかすものだと考えているようだな」

「姉だからな!!」

 

 小さい身体に大きなことだ。小さい子供が大人ぶっているようにも見えるが、滑稽さはない。自分が姉で、彼が弟だということに微塵も疑いを持っていないことが影響しているように思う。

 

 どうやら自分が知り合った少年は思っていた以上に大きな男だったようで、麻雀の興味と同様に、彼自身にも多大な興味が湧いてきた。

 

(モモの恋敵にならなければ良いが……)

 

 心中で苦笑するが、未来のことは誰にも解らない。とりあえず彼氏の候補の一人と雑な分類分けをすることにして、ゆみは席を立った。衣を促すと彼女もてて、とついてくる。気づけば池田の姿はなかった。話している内に退場したのだろう。

 

 苦しい立場だろうなとは他人事ながら思う。長野の強豪校と言えば風越というくらい、全国出場の回数は多い。対抗として龍門渕が挙げられているが、たまに勝つと表現されるくらいには勝数には差があったと記憶している。常勝の風越とは良く言ったものだ。

 

 そんな強豪の名門校で池田は一年生ながらレギュラーとなり、大将を任され龍門渕に負けたのが去年のこと。今年こそはと雪辱を考えていたのだろうが今年も全国行きは逃してしまった。しかも相手は龍門渕ではなく、ぽっと出の弱小校である。

 

 そのぽっと出に負けたというのは鶴賀も一緒だが、鶴賀は清澄と同じく弱小校で部員は五人しかおらず補欠さえいない。結果は同じ『決勝で負けた』でも、鶴賀の場合は逆に決勝まで行ったことを褒めてもらえる。結果を出したのだから部費も増やして貰えるだろうし良いことずくめだ。

 

 事実上の五人麻雀である龍門渕も境遇としては似たようなもの。あちらは勝つに越したことはないだろうが、負けた所でそこまで痛い思いはしていないはずだ。全国に駒を進めた清澄と大して痛手を負っていない龍門渕と鶴賀。名門風越だけが痛い目を見ていると思うと、共に決勝を戦った身としては忍びない。同じ敗者の身でもゆみにはかける言葉がみつからなかった。

 

 敗北の痛みは時間が解決してくれることを、今は祈るしかない。さて、と小さく伸びをして周囲を見回すと、知った少年がこちらに来るのが見えた。燻った金髪に愛嬌のある顔だち。女の子と遊んでいただけで夏休みが終わった京太郎である。

 

「きょーたろ!」

 

 目ざとく気づいた衣がすっとんでいく。こういう対応は慣れているのか、受け止める体勢を取った京太郎に衣は遠慮なく飛びついた。衣からの愛情が一方的なものであったらという危惧は京太郎の柔らかな表情を見て薄れていく。遠慮なくほおずりをしてくる衣をあやしながら、京太郎はゆみに向き直った。

 

「ゆみさん、決勝お疲れさまでした」

「ありがとう。時間が取れた時で構わないが、今日の試合について意見を聞きたいんだが構わないか?」

「もちろん。俺で良ければお付き合いしますよ。差し当たって全国が終わってからになりますが……」

「それで構わない。それと天江。姉弟仲が良いのは結構なことだが、君の尻が邪魔で須賀の顔が見えない。背中の方に回ってくれ」

 

 わかった! と軽い返事で衣は京太郎の背中に回る。彼から降りるという選択肢はないようである。身長差からおんぶではなく肩車になっているが、京太郎は軽い顔だ。

 

「清澄の方はどうだ?」

「感極まった部長が泣いちゃいましてね。皆で宥めてる所です」

「君はいなくて良いのかな?」

 

 女子ばかりの部活の中での唯一の男手である。それにあれだけ麻雀が達者ならば陰に日向に貢献もしていただろう。部員との仲も悪くないのであれば、そういう場面で姿を消すことで文句を言われないと良いのだが。

 

 心配するゆみに、京太郎は苦笑を浮かべた。

 

「男に泣き顔を見られたくはないもんでしょう。俺は男子で団体戦のメンバーでもないですしね」

「衣だったらきょーたろに慰めてほしいぞ!」

「そういう時は飛んでいくよ」

「やはりお前はデキる弟だな!」

 

 姉は嬉しい! とひっつく衣を苦笑を浮かべながら京太郎はあやしている。姉と弟というよりは兄と妹という風だ。

 

「それじゃあ、俺は龍門渕の方に行ってきます。モモ、あとはよろしく」

「まかされたっす」

 

 でるタイミングを伺っていたのだろう。いきなり現れたように見える桃子に、衣が小さく悲鳴をあげた。本人の資質によっては見えるとは聞いているが、今のところどういう状況でも自分を捕捉できる人間は京太郎以外に出会ったことがないという。

 

(本物の巫女さんとかなら見えるって京さんは言ってるんすけどねー)

 

 平素の桃子はそんな感じである。他人には見えないことが普通であると、捕捉されないことそのものにはそれほど思う所もなくなっているようで、むしろ見える人間が増えることは京太郎の価値が下がるようでやめてほしいと思っている節さえあった。

 

「蒲原たちは?」

「先輩が戻ってくるの待ってるっすよ。むっちゃん先輩だけちょっとブルーになってるっすけど」

「他になかったとは言え、津山には悪いことをしたな……」

 

 鶴賀の麻雀部でその実力を順番に並べた場合、睦月は五人の中でちょうど真ん中になる。団体戦のセオリーは強者を先鋒に置くことであるが、それはへこまされたとしても取り返せる見込みのある、ある程度選手層が厚いチーム向けの戦略である。

 

 五人しかいない鶴賀ではスタートダッシュに失敗した場合のリカバリーができないと、リスクは承知の上で後半で取り返す戦法に的を絞ることになった。副将桃子、大将ゆみはその時点で決まったようなものであるが、では誰に先鋒を任せるかということで二人に次ぐ実力ということで睦月が選ばれた。

 

 事実上他に選択肢がなかった故のオーダーであるが、なし崩し的に強者ばかりが集まる先鋒を押し付けてしまったことをゆみは気にしてもいた。おまけに彼女は残りの人員的に三年が引退した後の部長も任せることになる。

 

 これで麻雀が嫌になったりしていなければ良いがと思うが、こればかりは本人の気の持ちようによる。真面目だし向上心もある。ゆみの目から見ても良い後輩であり、良い選手だと思うのだが。

 

 押し付けてしまった自分の考えることではないな、とゆみは桃子を促して廊下を歩き始める。誠心誠意ケアはする。共に切磋琢磨してくれた睦月のことを信じる。後はなるようになれだ。

 

 睦月の話を振ってからこちら、難しい顔をしているゆみを気にした桃子は彼女にしては明るくわざとらしい声で、

 

「咲ちゃんの話ではお姉ちゃん、高校卒業したらこっちに戻ってくるらしいっすよ」

「……待て、それはここで私に話しても良い話か?」

「良いんじゃないっすかね。IH終わったら発表するって言ってたっす」

 

 それはIHが終わるまでは言うなということのような気もするがバレた所で精々プロチームが肩透かしをくらう程度だ。宮永照にとっては大した問題ではないのだろう。

 

 現段階でも個人団体で二連覇。今年も勝てば団体では前人未踏の三連覇だ。白糸台はワンマンチームでは決してないが、照が最大の功労者というのは疑いがない。高卒プロの経歴としては過去最高と言っても良く、どこのプロチームも最高の条件で彼女を迎え入れようとするだろう。

 

 桃子の情報は身構えているプロチーム全てに肩透かしを食らわせるものであるが、プロにならないというのならばともかく最終的になる予定なのであれば、話が先送りになっただけのことだ。プロチームからすれば慌てるようなことではないし、インカレのタイトルまでつくのであればその方が箔がつくとさえ言える。

 

 中には早い段階でプロになれる実力があるのならなるべきという人間もいるだろうが、プロスポーツと異なり麻雀は故障による引退というのは極めて稀である。タイトルなり将来のことを理由にされれば、大抵の大人は手を引っ込めざるを得ない。一人の少女の、ましてスターになる可能性のある少女の人生というのはそれを利用しようという人間にとっても、どうしようもなく重いものなのだ。

 

 プロチームが手を引くとなると今度は全国の大学が本格的に動き出すはずだが、夏の大会が終わる前に地元に戻ると妹に言っているくらいなのだから、通う大学も決めていてもおかしくはない。元より麻雀でこれだけ結果を出しているのだ。麻雀部があればどこの大学にでも潜り込めるだろうが。

 

「本音は京さんとしばらく離れてたから一緒にいたいってだけだと思うっすけど」

「モテてばかりで羨ましいな須賀くんは。ちなみにどこの大学希望か聞いてるか?」

「国立にするって言ってたっすよ。長野だとあそこが一番麻雀強いからって」

「上手くすれば同級生か……」

 

 図らずも自分の希望進路と重なったことに、にわかに胸がときめくゆみである。大学でも麻雀を続けるつもりであるが、インターハイで大活躍した選手が同期になるのであれば、その前で恥ずかしい麻雀を打つこともできない。

 

 入学するまでの間に、より一層の研鑽を積む必要があるだろう。受験勉強もおろそかにできない訳で。ともすれば、部活を引退する前よりも忙しくなりそうな自分の近い将来に、しかしゆみはときめきを覚えていた。

 

「それから蒲原先輩が全国大会は観戦に行こうって」

「親戚の家に泊まらせてもらえるのだったか……」

 

 勝って全国に行くつもりだった時から出ていた話である。智美の親戚が都内に住んでいるらしく、顔を見せろとうるさいのだそうだ。宿泊費浮くぞー、というのが智美の言い分だったのだが、勝った場合は流石に学校から移動費も宿泊費も出るだろうから、予備の案の一つということで事実上廃案になっていたものだが、決勝で敗北したことで事情も変わった。蒲原家の親戚殿にとっては願ったり叶ったりの状況だろう。

 

「負けたチームが観戦に予算出してもらえる訳もないっすからね。全部お小遣いで賄うのも厳しいっすから、ここは甘えておくのが吉っすよ」

 

 割り切りの上手いことであるが、ない袖は振れない。この借りは後で蒲原に直接返すことにして、ゆみは考えていたことを切り出した。

 

「夏休み中に龍門渕と練習試合を組もうと思うんだが、どう思う?」

「良いっすね。むっちゃん先輩とか喜ぶと思うっす」

「須賀くんが天江と姉弟らしいから、どうせなら清澄も一緒に誘おうと思うんだが」

 

 二校だけでも鶴賀の立場からすれば密度の濃い練習ができそうであるが、それだと全体の実力で大きく勝る龍門渕に旨味が少ない。その点清澄もいればあちらも受け入れやすくなるだろう。麻雀という競技の性質上、卓さえ確保できるのならば多少人数が増えようと大した問題ではないのだ。

 

「京さんなら二つ返事でOKって言うと思うっすよ。で、京さんが行くなら咲ちゃんたち三人は来てくれて、先輩二人もまぁ、多分来てくれるんじゃないかと思うっす」

「どうせなら全員まとめて来てほしいものだが」

「先輩二人のことはあまり知らないんすよね……おまけに部長さんは受験生だし」

「言われてみれば私もそうだったな。勢いで決め過ぎた感があるが……一度向こうの部長と話し合ってみるとしようか」

「何なら風越も誘ってみたらどうっすか?」

「確かにそれが理想ではあるな」

「京さんがあっちのキャプテンと一緒にケーキ作るくらい仲良しだって、咲ちゃんが恨み節を言ってたっす」

 

 誘うなら京太郎を使えという桃子の言外の提案には、言葉とは若干異なる桃子の恨み節が見えたような気がした。全ての学校にガールフレンドがいるのではあるまいな、と心中でゆみは苦笑する。

 

 まるでラブコメ漫画の主人公であるが、ヒロインではない所のゆみはそれを気にしなかった。何より今は風越とのコネである。桃子の恨み節が聞こえようと、それで話がスムーズに進むのであれば何でも使わせてもらおう。

 

 自分で言い出したことのはずなのにつられて御機嫌ナナメになった桃子を宥めながら、ゆみは今後の算段を立て始める。出遅れはしたがスタートは切ったのだ。ならば後は、走り続けて勝利を得るのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったぞ」

「おじゃまします」

 

 あれだけの逆転劇を食らったのだ。いくら衣とは言え少なからず凹んでいるだろうと励ますつもりで身構えていた龍門渕の面々は、その衣が京太郎の肩に乗りながらご満悦で戻ってきたことに肩透かしを食らった。

 

 どうやら励ます必要はなさそうである。難しい少女は大抵、愛する京太郎が一緒にいればどうにかなるのだ。辛気臭いことをしなくても良くなったことを察した一同の中で、最初に動き出したのは純である。

 

「おいおい、勝ったチームの奴がどうしたよ。俺たちを笑いにきたか?」

「まさか。うちの部長がちょっと俺が同席するにはアレなことになってしまったんで衣姉さんと一緒に避難してきました」

「清澄の部長、暴れ出したりでもしたの?」

「そういう訳ではないんですが……まぁ、男は一緒にいない方が良いかな、という状況になりましたもので」

 

 言い難そうな物言いの京太郎に、一は追及を諦めた。彼は気を回したつもりのようだが、おそらく、気の回し過ぎだろうということも察している。そういう時でも一緒にいてほしい、ってこともあるんだよ、と自分たちのことであれば忠告したろうが、清澄のことは清澄の事情なので黙っておく。特に部長はムカついたばかりであるし。

 

「まぁそんな訳なので長居はできないんですが少し御厄介になります」

「お茶どうぞ」

 

 衣を膝に乗せてソファに座るとすかさず歩がお茶を差し出す。今か今かとタイミングを計っていただけあって、万全のタイミングである。少し驚いた様子の京太郎が笑顔で礼を言うとすまし顔でフェードアウトするが、京太郎の視界から出ると大きくガッツポーズをしたのを京太郎と衣以外の面々は見逃していなかった。

 

「しかし何だな、すぐ戻るっつーなら長話もできないな」

「感想戦でもしますか?」

「それは後にしたらどうだ? とーか、鶴賀のが練習試合をしたいと言っていたぞ。できれば夏休み中と言っていたがどうだ?」

「願ってもないことですけれど、それは明日の個人戦の結果次第ですわね」

 

 エントリーしている選手の試合禁止は同じ県の代表には適用されないが、本戦に出場するかしないかは夏休みのスケジュールに大きく影響する。細かい予定を立てるのはお互いのためにも個人戦の結果が確定してからの方が良いだろう。

 

 その辺りの事情については鶴賀も同じはずなので、夏休み中とは言っているが返事はそれほど急いでいないことは察せられる。

 

「その練習試合清澄も混ぜてもらって良いですか?」

「それは構いませんけれど、そちらの事情は良いんですの?」

「事情?」

「おお、きょーたろでも気の回らないことがあるのだな! かわいくて良いと思うぞ、姉として!!」

 

 後ろ手に伸ばして頭を撫でてくる衣に姉さんの方がかわいいよ、と言ってやると衣はそうか! と嬉しそうに笑った。まるで本当の姉弟であるかのように振る舞う二人に、透華は頬を膨らませた。

 

「衣、京太郎は私たち全員の弟でしてよ」

「きょーたろ。とーかは衣たちが仲良しなことが羨ましいようだぞ!」

「衣!」

 

 透華に怒鳴られると衣はさっと京太郎の影に隠れた。衣相手に大声を上げることも珍しい。京太郎が視線を向けると、透華は照れ臭そうに視線を逸らした。自分の行動と言葉が年下の弟分に恥ずかしかったからである。

 

「つまりはあれだな。皆で仲良しになれれば良いってことだな」

「随分雑なまとめかただけど何か良い案でもあるの純くん」

「まぁな」

 

 ふっ、とニヒルに笑った純は京太郎を前に大きく腕を広げる。

 

「来な、京太郎。バチクソに抱いてやるぜ!」

「……まさかと思うんだけどさ、純くん。もしかしてそれかっこいいと思ってる?」

「いや、俺はちょっとだけきゅんと来ました」

「京太郎もちょっと感性おかしいよ!」

「お子様な国広くんには解んねー世界なのさ。そんな訳だから京太郎。何かの間違いで女になることがあったら俺んとこ来いよ?」

「最近そういうの流行りらしいですからね。もしもの時はお願いします」

 

 緊張した様子の京太郎が、純の腕の中に飛び込んでいく。京太郎は男子の中でも身長の高い方であるが、純はそれを上回っている。人の好みは好き好きにしても、客観的な男前度でも純の方が勝っているため、純はスカート、京太郎は学ランを着ているはずなのに、何故だか京太郎の方が女役に見える。

 

「何でしたら我が龍門渕家でメイドとして雇って差しあげましてよ。歩と京太郎の二人体制なら、衣のお世話もより盤石になることでしょう」

「楽しそうだな!」

 

 透華と衣。従姉妹同士は純と一緒に盛り上がっているが、残りの三人の少女の反応は渋い。中身が京太郎ならばガワが何でも良いという三人と、できれば男の子が良いという三人に綺麗に分れた形である。

 

「じゃ、次は透華の番だな。思い切りやってやれ」

「さあ、京太郎。バチクソに抱いてやりますわ!」

 

 腕を広げる透華に、また飛び込んで行けば良いのかと身構える京太郎だったが、京太郎の予想に反して、透華は腕を広げたまま飛び込んできた。体当たりするような勢いで突っ込んできた透華を、京太郎は慌てて受け止める。勢いを殺し切れず、ぐるーりと振り回す結果になってしまったが、透華本人は楽しそうで見ている衣も歓声をあげている。

 

 透華は決して身長が低い訳ではないのだが、長身の京太郎と比べると聊か小柄である。ただ『抱く』のであれば腕を回す場所はどこでも良かったはずだが、透華は当たり前のように首に手を回すことを選んだため、必然的に透華の顔は、息がかかるくらいまで近くにきた。得意げに微笑む透華の顔が間近に見える。

 

「……抱いてやる、なら待ちでは?」

「攻めの姿勢は私の流儀でしてよ!」

 

 なるほどこれが解釈違いという奴か、と納得して京太郎は大人しく透華の背に腕を回した。今までの人生ではスキンシップ多めの女友達も多くいたが、大抵は距離が近いとかその程度で抱き着いてくるとなると少数派だった。その上で、抱き着いてくるタイプは今の透華のようにぎゅっと強く抱き着いてくるので、男の京太郎としては役得なのである。

 

 だが難しいもので、これで鼻の下を伸ばして居たりすると、霞姉さんなどから不思議な巫女パワーでふっ飛ばされたりもする。かといってそれを抑えた仏頂面をしていると、それはそれで文句を言われるのだ。デレデレせず、かといって興味なさそうな態度はもってのほか。男の修行というのは辛く厳しいものなのだ。

 

「さて、次は一ですわね!」

「だな。国広君は感性違うみたいだから、そこはかとなく気合込めて言ってやれよ京太郎」

「……まってください。バチクソ俺が言うんですか?」

「国広君に言わすつもりだったのかよ。元々男が言うようなセリフなんだから何も問題ないだろ。将来の練習と思ってほらほら」

 

 いきなり羞恥プレイが始まってしまった。できれば回避したいが、既にバチクソをやった透華と純だけでなく、衣まで味方してワクワクしている。何事も多数決で決まる訳ではないが、龍門渕に至っては大抵、行動の方針は透華か、押しの強い純が決めている。この上衣まで加わっているのでは、これを覆すことはできない。

 

 そもそも、女性の頼みを断ることに精神的な抵抗を覚える京太郎にとって、NOという選択肢は存在しない。どんなに抵抗を覚えたとしてもやるしかないのだ。

 

 これで一が嫌そうな顔の一つもしていれば、それを言い訳にもできるのだが。視線を向けた一は胸の前で手を組んで俯いているだけだった。主張はないが、少なくとも嫌そうではない。京太郎の内心を汲んで反対はしてくれないだろう。これで決行は確定的になった。

 

 回避できないとなればもう、覚悟を決めるより他はない。意を決し、大きく息を吸った京太郎は、

 

「来な、一。バチクソに抱いてやるぜ」

 

 純を真似て、可能な限り声を作って言ってみた。誰かが笑ってくれれば即座に笑い話にできたはずだが、返ってきたのは耳に痛いくらいの沈黙だった。生きた心地のしない中、唯一、状況を打破できるはずの一に視線を向ける。

 

 胸の前で手を組み、うつむいたままの一は、足を摺るようにしてゆっくりと進み、京太郎の胸に頭を押し付けた。手は組んだまま、頭を押し付けても姿勢は変わらない。どうしたら良いのでしょうと周囲を見ても、誰もが視線を逸らすばかりで答えをくれない。

 

 これは新種のいじめなのかしらと途方に暮れていると、一がこつこつ、頭突きをしてきた。バチクソに抱けという催促だと解釈した京太郎は、一の身体の小ささに気遅れをしつつも、そっとその小さな身体に腕を回した。

 

 バチクソには程遠い、ともすれば抱擁とも言えないものだったが、一からは文句はでなかった。これはこれで良いかもな、と胸を締め付けつつも、甘い雰囲気に酔っていると、それを邪魔するかのように、スマホが震えた。

 

「久さん、どうしまし――」

『自分が清澄の子だってこと忘れてない? 遊び歩いてないでさっさと戻ってきなさいっ!!』

 

 一方的に言うだけ言って、久は電話を切ってしまった。大声だったからか内容も漏れていたようで、うつむいたままの一以外は苦笑を浮かべている。 

 

「うちの部長がお呼びのようなのでこれで失礼します」

「聞こえたよ。どうしても怒りが収まらないようだったらバチクソに抱いてやれ。それで許してくれると思う」

「火に油を注ぐようなことになるんじゃないかと思いますが……」

「笑いは取れると思うぞ? まぁ、最終手段とでも思っておけよ。平謝りするのが一番だろ」

「それがいいですね。それじゃ」

 

 と、軽い挨拶で京太郎は控室を出る。怒り声ではあったが、清澄の子と言ってくれたことが何だか嬉しい。県大会を優勝したのだという実感が、今更ながら湧いてくる。自分はそのメンバーではなかった訳だが、その優勝に少しでも貢献できたのだとすればすごく嬉しい。

 

 あの調子だと戻ったら大分小言を言われそうだけれども、それも笑顔で聞けそうな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃ、僕は用事を思い出したから帰るよ。明日は休むかも。またね――」

「逃がしません!」

「確保」

「ちょ、二人ともやめてよ。薄れる、薄れるから!」

 

 

 

 



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現代編17 長野県大会 個人戦編①

 

 

 

 

 

 

 

 10万点持ちの10半荘回しとは言え、オーソドックスなトーナメント戦で行われる団体戦に対し、個人戦の県代表は試合数を積み上げての総合点で県代表を決める。点棒のやり取りだけで勝敗が決定される団体戦に対し、個人戦は1半荘ごとに清算が行われるのだ。

 

 勿論現金ではなくポイントのやり取りである。二万五千点持ちの三万点返しでオカとワンツーのウマがつく。麻雀そのもののルールは団体戦と同じであるが、試合ごとの席順などあまり意識されない団体戦に対し、トップを取る旨味が非常にあるルールとなっている。

 

 男子女子共にこのルールは共通であるのだが、その進行に関しては若干異なり、まず女子は一日目に東風戦での試合を15回行い、その上位者が本戦に駒を進める。本戦は東南戦10回を行い、この上位三名が県の代表となる。

 

 翻って男子は試合数こそ同じだが、注目度に比して人数だけは多いため、一日目に一度足切が行われる。感覚としては予選が三回に分けられていると考えるのが良いだろう。

 

 一日目が終了すると本戦は男女ともに終日で行われる。予選は時間の関係で同時進行だったが流石に本戦まで同時進行では男子に悪いということで、通しの日程としては男子の本戦が二日目、女子の本戦が三日目というスケジュールになっている。

 

 予選の時は時間が被っているのでダメだったが、本戦は違う。一日目の予選は危なげなく突破していた京太郎を、清澄全員で応援しようと力の限り声援を送ったのであるが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「運がなかったのう……」

 

 衣を抱えて燃え尽きている京太郎に、まこは哀れみを込めて深々と溜息を漏らした。

 

 男子予選本戦最終戦。全10戦の内9戦を終え、京太郎の総合点は第三位だった。四位の選手とのポイント差は50ポイント。トップさえ取れば例え相手が大トップを取ったとしても滑り込め、2位3位でもよほど失点をしなければ相手がトップでも覆ることはない点差だ。

 

 手に汗握っていたとは言え、清澄の面々も半ば京太郎の全国出場を確信してたのだが――何が起こるか解らないのが麻雀というものである。

 

 壊滅的に流れが悪いと最初に理解したのは、運の流れを肌で感じることのできる京太郎だった。対面に座った選手が明らかに調子が良い。おそらくこの男が大トップを取ると直感する。

 

 京太郎にとって良い勘というのは錯覚であることが多いが悪い勘というのは良く当たるもので、牌をいくら絞ろうと振り込みを避けようと、とにかく対面はツモり点棒を積み重ねていく。極め付けはオーラス、京太郎の親でのダブル役満ツモだ。

 

 今回の競技ルールではシングルとして扱われるため16000点の出費で済んだが、これにより京太郎は箱を割り、ラスを引いた。最終戦の収支はマイナス50点ポイント。四位の選手は危なげなくトップを引いたため、順位は逆転。

 

 須賀京太郎高校最初の夏は、個人戦四位という形で幕を閉じた。

 

 良くも悪くも負け慣れている京太郎だが、全国の切符に指がかかっている所まで行っての敗北は堪えたようで、会場の隅で急遽開催された残念会でも、衣を抱えて隅っこの方で黄昏ている。目に見えて落ち込んでいる有様に、他の面々も声はかけにくい状況となっていた。

 

「きょーたろ。いつまでもぐずぐずしてないで元気を出すのだ。明日はとーかたちもさきたちも個人戦だろう。お前がそんなことでは皆元気が出ないぞ」

「あー、明日には元気になるよ。今はぐずぐずしたい気分なんだ慰めてくれ衣姉さん」

 

 いつになく後ろ向きな京太郎に流石に何か言ってやろうと口を開きかけた衣は、愛する弟に抱きしめられてか細い悲鳴をあげた。いつも手のかからない弟分が珍しく甘えてくれているのである。姉心を大いに擽られた衣が即座に絆され、お姉ちゃん風をびゅーびゅー吹かせることにした。

 

 ロリと戯れている男子高生というのは絵面的には犯罪であるが、事情が事情だけに他の面々は口を出すのを躊躇ってしまう。聊かふざけた調子とは言え、全力を尽くして負けて傷ついている男に、どういう言葉をかけたら良いのか考えてしまったのだ。まさかこれで心折れたりはすまいが、傷を広げるようなことになってしまっても忍びない。

 

 麻雀に真摯に京太郎が打ちこんでいることはここに集まった全員が知っていることだが、しかし、いつまでもこんな風にさせておく訳にもいかない。

 

 さてどうしたものかと悩む乙女たちの中から一人、歩み出た少女がいる。妹尾佳織。京太郎の母方の従姉であり、この場においては最も京太郎の付き合いの長い少女である。その佳織が見た目幼女を抱えて遊んでいる従弟を冷めた目で見やると、深々と溜息を吐いてぼそりと言った。

 

「……小さい子抱えていつまでもぐずぐずしてたって晶さんに言っちゃおうかなー」

「流石にぐずぐずするのはもうやめた方が良いな。衣姉さんありがとう」

「今更遅いんじゃないかなー。今の私の口は私と同じくらい軽いから何を言うか解らないなー」

「盆にそっちに行った時に何でも言うことききますから黙ってていただけると助かります」

「ほんと? 約束だから、忘れないでね!」

「もちろん。愛してますよ佳織さん」

「私もだよ京太郎くん」

 

 いえーと軽い声で京太郎とハイタッチをする佳織に桃子などは目を丸くする。鶴賀では何かと引っ込み思案であまり主張をしない佳織が、京太郎相手にはやけに強気だ。

 

 それに京太郎も自分や淡とするよりもまた違った気安さで、自分の見てない所ではこういう振る舞いをするのか、と改めて惚れ直すのである。

 

「きょーたろ。晶というのは誰だ? いじめられているのなら衣が行ってやっつけてやるぞ」

「俺の母さん」

「母君ならば仕方ないな! ちゃんと言うことを聞いて沢山孝行をするのだぞ!」

 

 よしよしと頭を撫でて、衣は龍門渕の一同の所に戻る。衣を解放した京太郎は大きく伸びをすると久に向き直った。

 

「そんな訳でぐずぐずするのは終わりにしました」

「お早いお帰りで嬉しいわ。と言っても、今からすることはそんなにないと思うけども」

 

 トーナメントの場合前日には相手が解りそのオーダーまで決まっているが、個人戦予選の対戦相手は当日試合の直前に決められる。強敵相手に対策を絞ったとしても、それは個人としてのものだ。自分以外の三人との兼ね合い、その時々の点差で方針が変わるというのは団体戦と同じものの、一人が一度に受け持つスパンが短く、かつ試合数そのものは団体戦の時よりもずっと多いため、具体的な対策というのは打ちにくい。

 

 精々が個々人の癖なり傾向なりを頭に入れておく程度であるが、それくらいであれば団体戦の前にもうやっている。たった数日で劇的に変化することもないではないが、

 

「根を詰めて対策を打つくらいなら、ぐっすり眠って英気を養うのが良いかと思います」

「奇遇ね我が大参謀。私も同じ意見よ」

 

 鷹揚に頷く久に京太郎はほっと胸を撫で下ろした。風越を除いた決勝メンバーで京太郎を核に何となく集まったという場である。既に日程を消化した京太郎と衣以外は明日の個人戦本戦に出るため、はっきり言えばライバルだ。ここでこのままフェードアウトできれば無駄にバチバチしなくても済みそうだ。

 

 自分を核にしているため言い出しにくかったが、久の言葉を起点に解散することができるだろう。下手な問題が起こる前に解散するべきだ。衣を抱えてぐずぐずしていたので気づくのが遅れたが、どういう訳かさっさと帰った方が良いとかつてない程の危機感が燻り始めた。

 

 隕石でも落ちてくるのかと空を見上げてみるが、快晴である。とりあえずこの場で物理的に吹っ飛ぶことはなさそうだと安堵しつつ、解散を提案しようとした、その直後――

 

「京くん!」

 

 耳に馴染んだ声にそちらを向けると、息を切らした美穂子の姿があった。今日は男子の試合しかないので女子高である風越の部員として用事はないはずだが、美穂子は制服姿である。

 

「美穂さん。どうしたんですか?」

「下から、京くんがいるのが見えたから、その、少しお話できたらって思って……」

 

 指を合わせてもじもじする姿は美少女を見慣れた京太郎をしても、お嫁さん系美少女と言って憚らないが、見る者全てを優しい心にする訳ではない。京くん発言からこっち、それを初めて聞く咲を始めとした、特定の思想を持つ少女たちから黒いオーラがぐおぐおと渦巻き始める。

 

 こうなることを半ば予想していた純と優希は示しを合わせてスペースの隅に移動した。俺たちはこの話に関わりありませんということを示すように、純は作る側の観点から、優希は食べる側の観点からそれぞれタコスの中身は何がベストかという建設的な意見交換を始める。

 

「試合見てたわ。おしかったわね」

「いやー、詰めの甘さが出ましたね。もっと精進しないと」

「良く打ててたと思うわ。それに、一年生で県四位っていうのも立派な成績よ。来年はきっと全国に行けるわ」

「美穂さんに言われると本当に行けそうな気がしてきますね」

「ありがとう。きっと応援に来るから頑張ってね」

 

 熟練のハンターも舌を巻く速度でオーラを絶った少女たちは、京太郎が振り向いた時には普通の状態に戻っていた。皆の変わり身の速さに衣は目を丸くし、透華などは呆れかえっていたが、それに気づいた様子もない美穂子は一歩進み出て小さく頭を下げた。

 

「ちょうどよかったわ。京くんから練習試合のお話聞きました。風越女子キャプテンの福路美穂子です。清澄と龍門渕と……鶴賀の部長さんは?」

「私だぞー」

 

 ひらひらと手を上げる智美に、身体が既にゆみの方に向いていた美穂子の動きがぴたりと止まる。少し慌てた様子で自分の方を向く美穂子を智美は気にした様子もない。

 

「えーと、うん、そう……風越は既にコーチの方に話を通しました。通常、風越は夏の大会が終わった後に新体制の合宿を行うことになっていますが、全国まで駒を進めた時は同じ場所で強化合宿をすることになってますので、既に会場そのものは押さえてあります。三校、場所に異存がなければ、こちらの会場を使うのはどうか、とコーチから」

 

 学校分、資料は三通のみ用意されていたので、学校ごとに固まって一緒に資料を見る。会場の広さは問題ない。学生には林間学校をやりそうな施設、と言えば伝わりやすいだろう。大所帯の風越が合宿で使う以上、宿泊施設としても問題ない。

 

 問題があるとすればそこまでどうやって行くかと練習試合の話が合宿になっていることであるが、

 

「送り迎えくらい、龍門渕で出しましてよ」

「いや、流石にそれは――」

「問題ありません。さて、練習試合ではなく合宿となると話が変わってきます。合宿ならば泊まりとなる訳ですが、そこは二校とも問題なくて?」

 

 話を持ってきた風越以外の二校に透華が問う。一日で済む所を足掛け二日かかる訳であるから予定を確認するのは当然のこと。特にこれから京太郎を含めて公式に全員で全国に行くことになる清澄は学校として忙しくなる。

 

 全員の視線が清澄の代表である久に集まる。一応考えるそぶりを見せるが、日帰りだろうと泊まりだろうと久としては問題はない。実質二年活動休止状態であったこと、代表五人の内三人が一年であるなど、清澄は選手としての試合経験が少ない。

 

 全国前に強い選手と本腰を入れて試合をできる場は、むしろ望む所である。久はぐるりと清澄のメンバーを見回すが、京太郎を含めて全員が肯定の意を返してくる。

 

「清澄は問題ないわ」

「鶴賀も問題ないぞー」

 

 元より了解が取れていたのか、智美の返事も迷いがない。二人の部長から同意が得られた透華は結構、と頷くと美穂子に向き直った。

 

「では今度は風越に質問です。龍門渕と清澄はこちらの京太郎の参加が絶対条件となります。女子の中に男子が混ざる訳ですが、問題なくて?」

「それは――」

 

 当たり前のように肯定しようとした美穂子は、口を開いた所で返答に詰まった。美穂子個人の意思としては勿論答えはイエスであるが、それは風越全体としての決定ではない。美穂子はあくまで部員の代表であるキャプテンである。部内のことであれば大抵のことは美穂子一人で決定をし、後付けで部員の同意を取ることで実行できるが、他校を巻き込んだ対外的なこととなると、美穂子一人の裁量では決めることができない。

 

 合宿をやるという話も、一度コーチに話を持って行き、承認を得たものだ。それも女子麻雀部三校と合同で合宿をやるという話でもぎ取ったもので、そこに男子が混じるということは普通想定されない。日帰りの練習試合であればまだしも、泊まりの合宿となれば話が変わってくる。

 

「俺が参加で問題あるなら参加しないでも問題ありませんが」

 

 企画が立ち上がった経緯は置いておくとして、今の清澄が何故合宿をやるのかと言えば、来る全国大会のために部員の実力向上を図るためだ。京太郎が個人戦で全国に行くのであればまだしもだが、全国に行くのは女子のみ五人である。京太郎の参加は合宿の意義に沿わない。

 

 麻雀を打つ機会に未練がないとは言わないが、自分の意思を通して咲たちの練習機会が奪われるのであればそれは京太郎としても本位ではない。男子と女子が競技で共に卓を囲むのは小学生までで、中学に上がってからはきっちり男女でリーグが分れており、今回の予選のように大会進行の方法まで違うこともざらにある。女子五人に男子一人で一つの麻雀部、という清澄が全国的には少数派なのだが、

 

「貴方は参加です。異論は認めません」

 

 透華の返答はにべもない。それでも反論しようとした京太郎に透華は視線を向けた。絶対に梃子でも動かないという強い意思に、京太郎はあっさりと白旗を上げた。

 

「お気遣いありがとうございます、透華さん。でも俺は昼間の練習が終わったら帰ります。それならコーチも説得しやすいでしょう?」

「それはそうなのだけど………」

 

 話を振られた美穂子は京太郎の言葉に表情を曇らせた。男性側の配慮としてはそれが当然で、それにより話がスムーズにまとまるのだから風越のキャプテンとしては諸手を挙げて歓迎すべきことだが、美穂子個人の感情としては別のものだ。

 

 返事に戸惑っている美穂子を見て、透華は溜息を吐いた。透華としては当然京太郎が泊まるものとして話を押し切るつもりだった。

 

 清澄は既に京太郎を交えて合宿をしているそうだから部としての了解は取れているし、龍門渕は問題ない。鶴賀の確認は取れていないが、今の段階で何も反論をしてこないのを見るにOKなのだろうと察する。

 

 問題がありそうなのは大所帯でしかも女子高の風越だが、それで難色を示すのであれば透華としては風越は必要ない。透華がしたかったのは京太郎を交えた麻雀お泊りイベントであり、風越提案の四校合宿というのはあくまでついでだ。麻雀の実力向上という観点からすれば風越というのは良い相手であるが、それで京太郎が参加できなくなるのであればイベントをやる意味がない。

 

 だがここで、京太郎本人が断りを入れてきた。自分は姉で京太郎は弟。姉権限で強行することは容易いが、こう言い切った時の京太郎はとても手強い。真っ先に言葉にしたことから意思も固いのだろうし、姉としては弟の言い分を尊重したくもある。

 

 お泊りイベント一つを棒に振るのは心苦しくはあるが、貸しを作ったと前向きに解釈するとしよう。透華は気持ちをさっさと切り替え、

 

「解りました。京太郎の意思を尊重します。風越の立場を考えるなら、この話の結論はここで出せるものでもないでしょう。練習試合ということなら問題ないようですし、それも含めて改めて話し合うということでいかが?」

「そうした方が良さそうですね……一度コーチに話を持ち帰ります。風越の方では話をまとめておきますので、個人戦が終わったら時間を取っていただくということでよろしいでしょうか?」

 

 美穂子の問いに、部長三人が頷く。微妙にこじれてしまった話もこれで一応まとまった。一仕事終えた美穂子は、それじゃあ、と踵を返す――と見せかけて京太郎の耳元に顔を寄せた。

 

「京くん、またねっ」

 

 囁くように、京太郎だけに聞こえる声での別れの挨拶。きょとんとする京太郎に、これまた彼だけに小さく手を振ると、ぱたぱたと足音を立てて美穂子は去って行った。何やら首まで真っ赤になっている。かわいいことをしてくれるものだとほっこりして振り返ると、

 

『あれは何っ!!』

 

 血相を変えて詰め寄ってくる咲たちに京太郎は思わずのけ反った。

 

「何もなにも……風越のキャプテンの福路美穂子さんだよ」

「そういう脊椎反射でも答えられるようなことを聞いてません! どういう関係だったらあんな甘酸っぱいことを平気でするようになるんですか!」

「……友達?」

「普通の友達は美穂さん京くんなんて呼びあったりしないよ!」

「いや、俺とお前だって京ちゃん咲だろう。呼び方くらい普通だよ普通」

「そ、そうかな……」

「絆されちゃダメっすよ咲ちゃん! さっきのは何というかこう……無駄に距離が近くて甘酸っぱく囁いてたっすよ!」

「あんな感じに淡と一緒に甘い物ねだってきたこと忘れてないぞ俺は」

 

 女性からの頼まれごとの多い人生を送ってきた京太郎だが、その中でも同級生の淡は飛び抜けて頼み上手だった。四人兄妹の末っ子として生まれ、少し年の離れた兄三人に大層可愛がられて育った淡は、少しでも難易度の高い頼みごとがあるとひっついてきて、耳元で甘い言葉を囁き続けるのだ。

 

 家では大抵それでお父さんお兄ちゃん相手に上手く行った。大星家の男どもが末娘を甘やかしているのを見るとすっとんできて怒るお母さんもいない。京太郎も男の子だから? 淡ちゃん様がかわいく迫ったら? イチコロに決まってるじゃん! の、はずだったのだが……良くも悪くも京太郎は女性からのスキンシップに慣れていたため、淡ちゃん様のお願い攻撃も効果はいまひとつだった。

 

 それならばと淡はモモに援軍を頼んで一緒に迫ってもらったのだが、それでも勝率はさっぱり上がらなかった。照れて挙動不審になるのならばともかく、苦笑されて頭をぽんぽん撫でられるのも女としてのプライドが傷つくもので、美味しいお菓子をもそもそ食べながら次は誘惑してみせるもんね! と淡は無駄に闘志を燃やしていたのである。

 

 しかし、元々そういうキャラで通している淡はともかく、男性どころか他人に甘えた経験も特にないモモには、淡に付き合ってそういうことをしているのは中々恥ずかしいもので、しかも当の本人にそれを持ち出されると背中がムズ痒くなるのだった。

 

「そ、そんなこともあったっすかね……」

「あったあった。淡がいなくなってからあんまりやらなくなったけど」

「甘酸っぱい回想は後にしてよ! なんでさっきのキャプテンさんは京太郎にだけ手を振ったりするのかな!?」

「それは――」

 

 特に美穂子だけがやっている訳ではなく、何なら龍門渕の人たちは一も含めて皆頻繁にやっているのですが、と反論するよりも早く、反論の内容を察した智紀が一の口を押えて屋上の隅に退避した。邪魔された一はもがもが激しく抗議するが、ここで話を通してじゃあそういうのやめましょうという流れになったり、ならなくてもやりにくくなってしまったら、損するのは龍門渕の子だけだ。

 

 普段は最初にそういうことに気づきそうな一も、お嫁さん系美少女の登場に頭に血が上っていて気づきもしない。屋上の隅で小さな取っ組み合いを始める二人を呆然と眺めていると、視界の隅で我関せずとひらひら手を振ってくる歩の姿が見えた。

 

 呑気に手を振り返すと、この間に落ち着いたらしい佳織が深々と息を吐き、訳知り顔で腕を組む。

 

「良く考えたらそんなに目くじら立てることでもないと思うんだよね。私は大体やったことあるし」

「京太郎くん! 貴方の従姉が私にマウント取ってくるんですがっ!!」

 

 従姉である佳織にとってはただの事実でも、最近出会った和にはそうではない。仮にマウントを取ろうという意図がなくても、和の立場では喧嘩を売られているに等しい。どうにかしろと京太郎の襟首を掴んでぶんぶんするが、女の言うことに逆らわないのと同様に、女の喧嘩にはなるべく首を突っ込まないのが京太郎の処世術である。とにかくぎりぎりまで関わらない。ここを過ぎると怒られるというラインの見極めが肝心なのだ。

 

「仲良くしろとは言わないけど喧嘩はするなー」

「従姉弟だもん、仲良しなのは普通だよねー。あ、盆にうちに来た時また一緒にお風呂でも入る? 何でも言うこと聞くって言ってくれたし、昔みたいに背中でも流してもらおうかなー」

「ほらーっ!!!」

 

 へろへろした和のパンチを受け止めつつ、佳織の冗談を受け流す。最近の和ははっきりと感情表現をするようになってきたと恵から聞いている。良くも悪くも無感動だった娘が、最近は家でも良く笑うようになったし、はっきりと怒るようになったと嬉しそうに語っていた。

 

 ブレない心というのは競技者としては理想の状態の一つだと思うが、精神が常に同じ状態というのは精神的な健康に良くないというのが京太郎の考えであり、麻雀の師匠である咏の教えだった。

 

 フラットな精神状態の方が良い結果を出せる京太郎のようなタイプも入れば、逆に感情の昂りがツモにまで影響を及ぼす咏のようなタイプもいる。要は自分の感情と折り合いを付けろということであるが、その点和は上手くできているようで全くできていなかった。

 

 ちゃんと感情表現をする様になったのは良い兆候だろう。友人の恵も喜んでいるし、これなら明日の麻雀も良い結果が出せるかもしれない。その気の緩みが良くなかったのだろう。顔を真っ赤にして怒る和に見とれていたのもあるだろう。

 

 へろへろのパンチとは言え、遮る物がなければまっすぐ進むのだ。あ、という声は誰のものだったのか。べちん。気の抜けた音が屋上に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今後の予定

個人戦用の短編が一つか二つ挟まり(一つは南浦さんで確定)、個人戦そのものはさらっと流す予定です。
その後合宿編と、一方その頃全国の他の学校では編になります。他の学校では編は複数校まとめてで、合宿編と順番が前後するか、合宿編の途中に差し込まれるかも。
ともあれ次は個人戦編になりますので、よろしくお願いします。


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現代編18 長野県大会 個人戦編②

 

 

 

 

 

 

 美穂子を相手に乙女の心が一つになってから一晩明け、女子個人戦本戦である。咲を含めやる気を出した面々であったが、蓋を開けてみればどうにも結果が伴わない。

 

 予選は東風戦であったため優希の独壇場だったが、本戦は東南戦十戦のトータルポイントの多寡で争われる。あれだけ皆がやる気になっていたのだ。さぞかし混戦模様になるかと思われたのだが、結果は中々厳しいものとなった。

 

 前半五戦が終わってのトータルポイントは京太郎の予想の通り美穂子がトップである。五戦全て一着という連帯率どころかトップ率100%の非の打ちどころのない成績だ。風越の控室に戻る途中らしい美穂子を遠目に見たが、こちらに気づいた彼女はその場でかわいくガッツポーズを決めてみせてくれた。

 

 普段は自分の成績を誇ることなどめったにしない彼女がである。後から考えればそれだけ嬉しかったのだというのは解るのだが、その時はあの美穂子がいきなりそんなことをするものだから京太郎は動きを止めてぽかんと見とれてしまった。

 

 その顔がよほど間抜けに見えたのだろう。はたと自分が何をしたのかに思い至った美穂子は顔を真っ赤にしてぱたぱたと控室の方に駆けていってしまった。後でちゃんとかわいかったですよと連絡しておこうと思う。電話口でもだえる美穂子を相手にするのが今から楽しみだ。

 

 美穂子に少し離されての二着は去年のインターミドルチャンプである原村和である。二着一回一着四回というのは平素であればトップでもおかしくない成績だ。事実和は自分がトップだと疑いもしていなかったようで、『世界はこの私を中心に回っています!』とでも言いたげなそれは見事などや顔を浮かべてのしのし歩いて束の間の我が世の春を謳歌していた所から、自分の名前の上に美穂子の名があるのを発見し愕然とした表情を浮かべるまでの落差はこれ以上はないというくらいに芸術的でもあった。

 

 時間を無駄にせずしゃきしゃき動く和がその場に五秒も固まっていたら心配にもなる。この急転直下は流石の和でもショックだったのだろうと同級生のよしみで慰めようと近づくと、和は京太郎には目もくれずに猛ダッシュで清澄の控室に戻っていった。

 

 美穂子の強さは嫌という程理解しているだろうから、直接対決があった時に点棒をむしれるように少しでも対策を立てておきたいのだろう。誰か一人はそうなるだろうと予想して控室には既に片手で摘まめる軽食と飲み物と食後のおやつを用意しておいた。一時間のインターバルで大いに役立ててもらいたいものである。

 

 その他、美穂子相手に気炎をあげていた昨日の面々の多くが前半で結果を残した。予選落ちした佳織と睦月以外の決勝メンバー13人が決勝にコマを進めた訳であるが、十位までに四位の久、五位の純、八位の透華、九位の一、十位のゆみと和を含めて六人も名を連ねたのを始め、20位までに二名以外の全員がランクインしている。

 

 トップ2との差は厳しいものがあるが椅子は全部で三つ。残り五戦もあるのだ。ポイント数から考えてもトップ20くらいまでならば、上の状況次第では十分残りの椅子も射程圏内だと京太郎は考えている。まだまだ勝負はこれからだ。

 

 いくらかトップを狙うのに問題があるとすれば20位までにランクインしなかった二人だ。一人は鶴賀の部長の蒲原智美。ゆみと接していた時間が長い分予選落ちした二人よりは強いのだろうが評価はそこで止まってしまう。特筆することが他にないのだ。決勝にコマを進めた百人の中であれば大体中の中から中の下と言った所だろう。弱くはないが強くもなく順位も52位と相応のものだ。

 

 そして智美が相応であるとするならこちらはそうではない、我らが宮永咲である。着順は32213と順位は31位。団体決勝で劇的な逆転劇を演出した選手とは思えない微妙な順位であるが、こういうことが起こるのもまた麻雀である。

 

 そもそも咲は公式戦での対戦経験が少ない。今まで部活に所属したことがなく教室に通ったこともないため回数で言えば清澄麻雀部の中でぶっちぎりの最下位である。姉である照とお母さんがとても強いとのことで強者との対戦経験こそまぁまぁであるが、実力に大きく開きのある人間を交えた上でその中でできるだけ順位を上げるという行為を咲はほとんどしたことがない。

 

 久が呼吸をするように行うカモを狙い撃ちにするという行為が、咲はとても苦手なのだ。咲の感性は概ね自分がアガることと振らないことに特化しているため、理論込みで相手の手を予想するというのはびっくりするほど苦手である。

 

 さらに±0をしていた期間が長かったためか咲の麻雀は基本的にじりじりと足をためて最後の一アガりで全てを調整する、要はスロースタートな展開になりがちだ。早い展開だろうとおかまいなく足をため最後にドカンとアガる。言葉にすると労力が少なく玄人好みの理想的な麻雀に思えるのだが、自分で足を速めるということを基本的にはしないため例えば優希みたいな前半で押し切るタイプには本来相性が悪い。

 

 そしてヘボが一方的に凹むような展開に同調するのが一足遅く、今回の三着二回もそれが原因となっている。一回目は不用意な振込から下家が飛び押し出されての三着。最後はもっと酷く、東パツで二回連続で下家が親に振込み席順の差で三着となった。

 

 それでもラスを一度も引いておらず振込もゼロ。ポイントトータルで見てもプラスというのは麻雀を五戦やった結果としては決して悪いものではないのだが、困ったことに今回のルールはトータルポイント上位三人が全国出場という獲得したポイントの多寡が物を言うルールである。

 

 トップの美穂子と二位の和の後半の不調が今のところ期待できない以上、ここから逆転するには二十人以上をごぼう抜きにして三位に収まるより他はない。残りの五戦は全部トップで行くくらいの覚悟が必要だろう。地力で行けばそれも可能なはずであるが、前半五戦を鑑みるに何が起こるかが解らないのが麻雀だ。咲にとっても、苦しい後半戦となるだろう。

 

 全くもって京太郎が望んだ通りの展開だ。経験の少なさは逆風の吹く実践で磨くのが一番である。咲は地力はあるのだから、後は何としても勝つのだという闘争心と経験を積むこと。むしろこれくらいのハンデがあった方が咲にはちょうど良い。

 

 今頃控室でどんな顔をしているのか。楽しみではあるが、京太郎には一つ野暮用がある。

 

『あの爺さん、明日孫の応援に行くらしいぜ』

『京太郎くんの大好きなあの人、明日長野だって』

『例のあの人、そっちの予選見に行くらしいよ。お孫さんの応援だってさ』

 

 咏を始め複数の筋からの情報だから間違いはない。著書も持ってきたし準備は万全だ。とは言えあちらもお孫さんの応援なのだから時間は取れない。会場を一周ぐるっと回って清澄の控室に向かう。それでも見つからなければ諦めよう。見つからないのもらしいと咏たちも笑ってくれるだろうが、見つからないかもという不安は京太郎にはなかった。

 

 勝負運のなさには自信があるが、人物運とでも言うのか人に関する運が良いという自信がある。お孫さんとやらの成績が悪ければ会うことを見合わせることも考えただろうが、それらしい珍しい名字は三位にいたのできっと大丈夫だろう。今日ここに本人がいて、自分は会いたいと思っている。なら会えるだろうと楽観的に考えて京太郎は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『後半もがんばってね! 数ちゃんなら絶対全国行けるよ!』

 

 数少ない――平易な言葉を使うならこの世でただ一人の友人からの励ましのメールを見て、南浦数絵は微苦笑を浮かべた。自分は大概に薄情な人間だと思っていたのだが、こんなメール一つで暖かな気持ちになるのだから、どうやらそうでもないらしい。

 

 長野県大会個人戦決勝。団体戦に出場しなかった数絵にとって昨日の予選が高校の公式戦最初の試合だった。東風戦という数絵を苦しめるためにあるとしか思えないルールの対局を何とか突破した今日からようやく東南戦となる。

 

 果たして自分の力がどこまで通用するのか。力試しの意味もあった今日の対局は、前半五戦を終えて総合ポイントで第三位。上位三名が全国出場であるから結果としては上出来の部類に入るだろう。

 

 出場圏に入ったことで他の選手からのマークも厳しくなる。リードを守ることを考えればトップで通過したかった所であるが、数絵の上を行った二名は県下でも有数の巧者だった。

 

 トップは去年も個人で全国出場を果たした名門風越女子の福路美穂子。去年は個人戦で全国出場。団体戦は三年連続でレギュラーを務め今年はキャプテンまでやっている才女は、前半五戦をなんと全勝で折り返している。県レベルであれば大抵の選手には負けない自信のあった数絵をして勝つビジョンがほとんど見えない相手だ。

 

 二位は去年インターミドルを制覇した原村和。数絵と同じ一年である。五戦四勝二着一回という成績で美穂子がいなければトップとなっていただろう彼女は、去年インターミドルを制した時にはあまり程度の高くないデジタル打ちをしていたように思うのだが、今年は見違えるほどに腕を上げていた。

 

 指導者が良かったのかと思えば、彼女の所属する清澄高校の麻雀部は部員五人――男子を含めても六人の弱小部。個人でも団体でもここ最近の出場記録がなくコーチはおろか監督もいないらしい。およそ部活動としては最悪の環境だ。

 

 部員同士で切磋琢磨したとでも言うのだろうか。確かに女子団体のメンバーは全員が目を見張るものがあった。六人しかいないとは言えあのクラスのメンバーが揃うのであれば練習でも相当に濃い密度となるだろう。数絵だって参加したいくらいである。

 

 その粒揃いの清澄の中でも特に数絵の目を引いたのは先鋒の片岡優希だ。自分と真逆の性質を持った彼女のオカルトは自分とは極端に相性が悪い。どうしても腰が重くなりがちな数絵からするとできれば一生相手にしたくない手合いであるのだが、それも技量が同じ程度であればの話。

 

 前半二戦目で対局した時の彼女は東場で安全圏まで逃げ切ることができず、数絵の餌食となってくれた。ノリに乗っている時に戦わなくて心底良かったと思う。調子の良い時に当たっていたら、前半三位という結果を得ることはできなかっただろう。

 

 全体的に運が向いている。一年で全国出場など甘いことはないと思っていたが、このままいけばもしかするかもしれない。

 

「調子に乗っていると足を掬われるぞ。私が言うんだから間違いない」

「それで大失敗をするのが南浦の血筋らしいですからね。おばあ様もお母さまも言ってました」

 

 その南浦の性質で苦労した面々が言うと重みがあるというものだ。数絵自身も眼前の祖父も南浦に嫁いできた女性からは耳にタコができるほど言われている。いくら家の性質と言ってもそれで足を掬われるのもバカらしい。どうせなら良い結果を出したいし全国にも行ってみたいし、何より友達の喜ぶ顔が見てみたい。

 

 ちらとスマホに視線を落とす数絵を見て、聡はうんうんと頷く。本当に色々あって自分が引き取ることになったが、通うことになった公立高校は麻雀部が部員一名で廃部寸前。個人戦の出場さえ危ぶまれたような環境に幼い頃から麻雀に打ち込む彼女を放り込む羽目になった時には、ただ一人の孫に何と言って詫びたら良いものかと頭を悩ませたものだが、部員一人の麻雀部に足しげく通うようになってからの数絵は、不器用ながらもよく笑うようになった。

 

 勝ちたいという気持ちにも厚みができれば、熱意もまた磨かれるというものだ。応援する人間がたった一人増えただけで、並み居る強豪を抑えて三位という結果が、数絵の好調を物語っている。祖父でシニアプロである聡の目から見ても、今の数絵は今までの選手生活の中でも最高の状態と言っても良かった。

 

「勝って友達に報告に行きたいもんだな」

「そうですね」

 

 中学の時は大所帯だったものだから、部活動で少人数での移動というのも初めての経験である。個人戦とは言え全国まで行くのだから、いくら弱小校の弱小部でも予算くらいは降りるだろう。部員は二人。全国ついでの小旅行というのも悪くない。

 

「今度うちにも連れてきたらどうだ? お前の友達だ。顔の一つも見ておきたいんだが」

「おばあ様からも今朝言われました。似た者夫婦ですね?」

 

 からかうように数絵が微笑むと、祖父は面白くなさそうに視線を逸らした。数絵と一緒に暮らす祖父母はどうやら昨日の夜に喧嘩をしたらしく、今朝もそれが尾を引いていた。どちらもへそを曲げて口を利かないなど頻繁になることなので気にもしていなかったが、孫としては仲裁の一つもしてあげたいところである。

 

「それはそうと喧嘩の原因はなんだったんです?」

「原因は些細なことだったんだが、奴が本のことを持ち出してきたもんでな」

 

 祖父の言う本というのは数年前に家族の反対を押し切って自費出版した本のことだ。二千冊も刷ったのに八割強がまだ祖父の部屋に積んである。出版に関しては素人の数絵から見ても、刷る桁を一つ間違えたんじゃないかと思う程の眩暈のするような在庫量だ。

 

 売れるつもりで刷ったのに八割以上残ったのだから誰がどう見ても大失敗と言えるだろう。自分の部屋に在庫を抱えることになった祖父本人もそのことは理解しているはずなのだが、大っぴらには是が非でも認めようとしないのである。

 

「三百冊しか売れなかったんですよね。そのご本」

「三百十二冊だ!」

「端数は綺麗に切り捨てた方が美しいですよおじい様」

「三桁の下二桁が端数なものかよ!」

 

 実売部数でからかってもこうして即座に修正してくる。売れなかった本なのだ。さぞかしつまらないのかと思えばそういう訳でもない。孫であるという贔屓目を抜きにしても、中々含蓄深い内容だったと思うのだが、一般大衆的にはそうではなかった。

 

 売れない本が面白くない本ということはなかろうけれども、売れていない以上その要因があると考えるのは当然のことである訳で、祖父はそれを他人のせいにしたりはしない実直な人ではあるからこうしていつまでも引きずることになるのである。

 

 そういう真っすぐな所が良いところなのよ、と祖母はこっそり耳打ちしてくれる。結婚してそろそろ四十年になろうかという夫婦であるが、仲良しなのは良いことだ。

 

 さて、と数絵は気持ちを切り替える。いつまでも祖父と談笑していたいのは山々であるが、今は大会のインターバル。応援に来てくれたシニアプロとは言え、目の前にいるのだから使うべきだ。何か身になるアドバイスでもないものか。

 

 数絵が身を乗り出した所で、ふと影がさした。顔を上げると学ランを着た背の高い少年が一人。小脇に見覚えのある本を抱えて、視線は祖父に真っすぐ向けられている。信じがたいことではあるが祖父のファンなのだろう。

 

 だが今祖父は機嫌が悪く、間に入らなければ無用なことが起こる。当然そうすべきはずだった数絵は少年の顔に一瞬見とれたせいで行動が遅れた。

 

 その間に祖父は少年に目を向ける。祖父とて長いことプロの世界で生きてきた人間だ。まして一般層にファンを広げようとプロ全体で苦心していた頃に若手だった祖父は、ファンを獲得することがどれだけ難しく、また失う時は一瞬であるということを骨身にしみて理解している。

 

 それでも、一瞬で気持ちを切り替えるというのも酷な話である。少年は数絵の方から来たので祖父は数絵よりも気づくのがさらに遅れた。機嫌の悪い顔のまま少年の方を向いた祖父の視線の先にあったのは少年の顔ではなく、

 

「南浦プロとお見受けします。よろしければ著書にサインをいただけませんか?」

 

 自分が書いて、部屋の隅に大量に売れ残りを抱えた本だった。読み込まれていることが一目で解るほどに傷んだその本の天からはいくつも付箋が見えている。強面で知られる祖父が一瞬で相好を崩すのを、数絵は生まれて初めて目撃した。

 

「おう良いぞ! サインでも何でも書いてやる!」

 

 ふてくされていたのから一転、孫の数絵でも見たことのないような笑顔を浮かべて祖父は少年から本を受け取った。あまりの変わり身の早さに、笑みを押し殺すのに苦労する。これで一か月は夕食の時はこの話題なのだろうなと考えつつ、数絵は少年の観察にシフトした。

 

 身長は高い。座ったままなので正確な所は解らないが、女性としてはまぁまぁ背が高い数絵が見上げるくらいには大きい。180を少し超えたくらいだろう。学ランが小さく見えるのは、まだまだ成長途中の証なのかもしれない。

 

 顔立ちは悪くない。二枚目かと問われると意見の分かれる所だろうが愛嬌のある顔立ちで、これが最も重要なことであるのだが、数絵からするととても好みの顔立ちだった。

 

 祖母からは常々言われている。殿方を選ぶ時は首から上にあるものを基準にしなさいと。顔――めっちゃ好み。身長――申し分ない。後は頭の中身であるが、

 

「あ、サインなんですが前の方には一度頂いているので、後ろの方にでも」

 

 少年の言い出した妙な言葉に、祖父と一緒に本を覗き込む。サインペンを受け取った祖父は普段そうしているように、本やら手帳やらの場合はできるだけ前の方にサインをしようとページを広げていたのであるが、そこには既に祖父のものと思しきサインがあった。

 

 今と同じはずのサインは、年月を経て少しかすれている。日付と、名前――サインを頼んだ少年のものだろう。須賀京太郎さんへ、と祖父の字で書かれていた。日付は今からおよそ四年前のものである。数絵は当然ぴんと来ないのであるが、サインをした当人は違った。

 

 プロとしてサインをしたことは数えきれないほどあるが、売れなかったこの本にサインを求められたケースは片手で数えられるほどしかない。その中でこの日付に合致するのは、変わり者で有名な後輩が珍しく自分から話しかけてきた上に、どこからか手に入れたらしい自分の本にサインを求めてきた時のこと。

 

 そして最近、麻雀業界に一つの噂が出回っている。いつだか自分にサインを求めた変わり者が密かに弟子を育てていたらしい。その弟子がどんな奴かと憶測が多分に混じった噂がいくつも業界に出回っている。本人が好んで触れ回る質ではないので確定情報はほぼなく、本人などの発言からおそらく年下で学生であろうというのが尤もらしく語られている。

 

 だがサインを書いた時にこの須賀京太郎ってのは誰だと聞いた覚えがある。変わり者はおもちゃを自慢する子供のような笑みを浮かべ『私の自慢の弟子さ』と答えた。その時は冗談だと思って取り合わなかったのだが、物証が目の前にあるとそれらしく思える。

 

「…………お前が、三尋木の弟子か」

「はい。その節はサインありがとうございました」

 

 それでも半分くらいは冗談のつもりで確認したのだが、少年は礼儀正しく頭を下げてきた。まさかの肯定である。とてもあの自由過ぎる三尋木咏の弟子とは思えない。誰が相手でも飄々とした変わり者がこんな弟子を育てていたとは実物を前にしても信じがたい。人は見かけによらないものだなと納得している聡を他所に、京太郎は今回のサインにも丁寧に礼を言うと踵を返した。

 

「それでは俺はこれで。会えて嬉しかったです」

「ああ。まぁ、後半戦も楽しんでいくと良い」

 

 全国のかかった大会当日に選手の孫とシニアプロの祖父が一緒にいるのだから取り込み中に決まっている。そういう配慮もあるにはあったが、選手のために何かしてやりたいと思うのは京太郎も同じことだ。狙い通りに目当ての人にも会えたのだからこれ以上の長居は無用だ。

 

 咲たちにどんなアドバイスをするか。前半の試合を思い返しながら考えをまとめる京太郎の袖を、しかし引っ張る者があった。視線を向けると何やら愕然としているお孫さんの姿があった。

 

 そのお孫さん、数絵の方も明確な意図があって行動した訳ではない。今まさに彼の袖を引いているこの手は、生まれて初めて機能した女としての勘が勝手に動かしたものだ。

 

 意図された行動ではないので、先のことは考えていない。呼び止められたのだから何か言いたいことがあるのだと察してくれた京太郎は、律儀に数絵の言葉を待っている。何か言わなければ。考えた末に数絵の口から出てきたのは、

 

「……参考までにお聞きしますが、このご本。どの辺りが参考になりました?」

「視点が違えば考え方も違う。こういうオカルトを持っている人が、どういう状況の時に何を考えてどういう結果になったのか。プロが自分のプレイングについて感想戦をしてるのは動画で結構見るけど、時間って縛りがあるのでどうしても痒い所に手が届かなかったりするんだ」

 

 すらすらと自分の言葉で思いを語ってくれる京太郎に、数絵はそっと安堵のため息を漏らしていた。嫌そうな顔の一つでもされていたら、呼び止めたことを心底後悔していただろう。自分のことを慮ってくれているのか、それとも単に麻雀バカなのか。その両方であったら嬉しく思う。女に配慮ができて麻雀バカなんて理想が服を着て歩いてるようなものじゃないか。

 

「一人が時間をかけて動画でも作ってくれれば解決する訳だけど、選手からしたらいくらファンサービスとは言ってもそこまで時間はかけられないよな? 究極的には自分が解れば良いんだから他人に解説するのは本人にとってはそこまで意味があることではないと思うんだ」

 

 少なくとも京太郎の師匠であるところの咏はファンサービスとして自分のプレイを解説することはほとんどない。出回っている動画の全てが仕事でやったもので、自分が進んでやったことは一回もないはずだ。例外は自分に教えてくれる時くらいだが、その辺りに京太郎はとてつもない優越感を覚える。

 

 逆にはやりなどはそれが仕事というのもあるが、自分の対局を例に挙げて解説をすることが全てのプロの中で一番多い。権利の関係で調整するのが簡単という事情もあるらしいが、自分が体験したことを元にしているだけに、説明上手のはやりの説明がさらに染み入るように入ってくる。牌のお姉さんとして長く仕事をやっていけているのも、この辺りに要因があるように思う。素人にも解りやすく、そうでない人間にも新たな発見がある。無料で見れる映像教材としては破格の出来だ。

 

 総合すると仕事だからやっているというプロがほとんどで、手の内を好んで語りたがる人というのは少ないのだ。その点自分のオカルトを全てつまびらかにした上で、本人の手で解説までしてくれるこの本は京太郎にとって実に得難いものだった。

 

 オカルトというのはプロにしてみれば飯の種である。秘密を明らかにするのはそれを失う可能性も秘めている。雑誌などで分析されどういうオカルトを持っている、というのはプロであれば世間に知れ渡っているようなものなのだが、本質的なメカニズムというのは他人では結局理解できないもので本人の理解と解説が不可欠である。

 

「その点、じっくり時間をかけて文字にしてくれると解説にも深みが出る。読む側も時間をかけて読めるしその時の動画とかあったりするとまた違った発見があって面白い。オカルトによるオカルトの対策論なんてめったに流通しないからな。自分以外を持ち上げるとたまに機嫌の悪くなる咏さんを拝み倒した見返りは十分にあったと思う」

「サインをいただいたばかりで悪いんですけど、そのご本貸してもらえませんか?」

「持ってるんじゃないのか?」

「はい。ですが、貴方の言う視点の違いというのを体験したくなったもので」

 

 それなら、と京太郎はサインをもらったばかりの本を差し出してくれた。その本を数絵は大事そうに抱えこみ代わりに名刺を一枚差す。名刺が作れるんだって! という友人に付き合ってゲームセンターで作成したできたばかりの一品である。

 

「この間友人と一緒に作ったもので恐縮ですが、私の連絡先です。改めて自己紹介ですが、私は南浦数絵と申します。平滝高校の一年で、貴方の同級生です」

「俺は須賀京太郎。清澄高校の一年」

「読んだら改めて感想を交換したいので、早めに連絡をくださいね?」

「おう。楽しみにしてるよ」

 

 今度こそ。来た時よりも幾分身軽になった京太郎は速足でその場を後にした。去っていく背中が見えなくなるまでひらひら手を振っていた数絵は、近くのベンチで缶コーヒーを片手ににやにやしている祖父の気配を思い出し、気持ち静かに彼の隣に腰を降ろした。

 

「てっきり存在を忘れられてるんじゃないかと思ったぞ」

「お待たせして申し訳ありませんでした、おじい様」

「いや、珍しいもんが見れたから良しとするさ。俺に似て麻雀バカなお前が男に興味を示すとはな。アレに教えてやったら喜ぶだろう」

「あまり大げさに話したりしないでくださいね」

「そんな必要もないだろう。あの南浦数絵が自分から連絡先を男に渡したとなりゃ、アレも大騒ぎってもんさ」

「おじい様!」

 

 珍しく声を荒げる数絵に、祖父は声をあげて笑った。本のことでからかった意趣返しだろうか。祖父の言う通り祖母は祖父の本のことなどそっちのけで喜ぶだろう。これで一か月は食卓でこの話題だ。羞恥で頬が染まるも不思議と悪い気はしない。

 

 腕の中の古ぼけた本を見る。彼からの連絡が今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 



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現代編19 長野県大会 個人戦編③

 

 

 

 

 

 気持ちが強ければ勝てるほど麻雀は甘いものでもない。ではどんな気持ちでいても勝てるかと言われるとやはりそこまで甘いものでもない。京太郎は予測と気持ちはまた別なのだと言う。これは負けるなと心の底から思ってもそれでもなお勝つつもりでやるのがあるべき姿だとも言っているのだが、自分にその境地はまだまだ遠いなと頭痛と戦いながら咲は思った。

 

 長野県大会女子個人戦決勝、第九回戦。前半五戦の不調を補うため、咲はかつてないほどに集中して麻雀を打った。気持ちが牌に乗ったかは分からないが、少なくとも感性は冴えわたっていたように思う。自分が沢山稼いでも、相手がそれ以上に稼いでいたら意味がない。とにかくガメつくとにかく点棒を回収する。自分はただそれだけのマシーンなのだ。

 

 オーラス。六本場。ラス親である咲はとにかくアガリ続ける。現在点棒は85000点。他家の点棒は上家が3300、対面が5900、下家が5800。役満が直撃しても逆転しないぶっちぎりのトップである。対戦相手も皆早く終わってくれと陰気な顔をしている。ならここで終わっても良いかと考えるのはただの素人だ。デキる清澄の選手ならこう考える。ハネ満ツモでマルAトップだと。

 

「リーチ」

 

 南四局六本場 親

 

 三四赤五⑧⑧⑧3455赤578 ドラ四

 

 もはや勝ちの目のなくなった試合であるが公式戦の対局は記録が残る。わざと振り込んだと思われたら今後の起用に響くので、下手に手を抜くことはできない。

 

 最低限切った牌にはこういう理由がありましたと監督コーチに説明できなければ最悪干されてしまうのだが、手牌全てが当たり牌に見える状況と言うのは競技生活にはよくあることだ。

 

 咲から見て下家の選手はまさにその状況で何を切るのか散々迷った挙句、端牌だからという理由で九索を切り出した。一発での振り込みである。対面の選手はまだ冷静で咲の当たり牌をその辺りだと正確に読んでいたが咲からロンの声はかからない。

 

 外したかな? と自分の読みに不安になりつつも現物を切る。上家もそれに続いた。続いて咲のツモは、

 

「カン」

 

 八筒をツモし暗カン。王牌に手を伸ばすのを見て、対戦相手たちは全員手牌を伏せた。

 

「ツモ。リーチツモタンヤオ嶺上開花ドラ1赤1、裏は……なし。ハネ満の6本場、6600オールです」

 

 嶺上牌は六索。下家は咲のツモの声に僅かに遅れて自分の切った牌が一発での当たり牌だということに気づいたが、声を上げることはしなかった。団体決勝で大活躍したこの一年がまだ全国行きの切符を争っていると解っていたからだ。見逃しはムカつくがここで声をあげても恥の上塗りである。苛立ちとついでに悔しさを飲み込み、下家の選手は努めて笑顔を浮かべた。

 

「ありがとうございました。最終戦、がんばってね!」

「……はい、ありがとうございます」

 

 見ず知らずの選手に話しかけられて面食らっている咲を他所に、対局相手の選手たちは頭を下げ、会場に散っていく。九回戦が終わり、次が最終戦。オーラス六本場まで引っ張ったから、おそらく自分の卓が最後だろう。

 

 同じ学校の選手が三人以上にはならないようになど最低限の配慮はあるが、最終戦に限らず個人戦の対局相手はランダムに決定される。現在の順位などは考慮されない。デジタルのサイコロを振るように、粛々と対戦相手が決められるはずなのであるが、

 

 十回戦。最後のオーダーが発表されると会場にどよめきが走った。なにかしらと、考え過ぎてぼーっとする頭で電光掲示板を見る。

 

一位 福路美穂子(風越女子)+602点

二位 原村和(清澄)    +430点

三位 南浦数絵(平滝)   +370点

四位 宮永咲(清澄)    +360点

 

 まず最初に総合順位での自分の名前を探す。現在四位。三位との差は僅か10点。着順一つで並ぶ点差だ。二十人以上もごぼう抜きしてやった。頭痛を堪えて無理を通した甲斐もあったというものである。それでは最後の対戦相手はとオーダー表を見て、会場の選手がどよめいた理由が理解できた。

 

 A卓に例のあの人と和が、D卓には自分と三位の南浦さんの名前があった。順位の近い所で随分と固まったものである。特に一位と二位の卓は会場の視線も釘付けだろう。和など闘志を燃やしているに違いない。さて、と早めに移動して椅子で少し休むかと移動を始めた咲の元に、

 

「失礼。清澄の宮永さんですか?」

 

 知らない声がかかった。早く椅子に座りたいんだけどな、という内心を隠しながら振り向くと、そこにいたのはやはり見覚えのない少女だった。

 

「はい。貴女は?」

「平滝高校の南浦数絵。次の貴女の対戦相手の一人です。向かう先は一緒ですから歩きながら話しましょう」

 

 できれば放っておいてほしいんだけどな、という内心を出さないようにしながら南浦さんとやらの隣を歩く。ポニテから覗く白い項がまぶしい中々の美少女だが学校といい容姿といい名前といい全く覚えがない。京太郎がぽろりとこぼした名前の中にも近い名前はないと思う。

 

 ならば安心かと言うとそう簡単な話でもない。ここでこのポニテ美少女が京太郎の話に度々出てくる『トキ』やら『シロサン』やら『カスミネーサン』ほどの危険度はないと判断するのは早計だろう。その辺でせつなさをまき散らすのは京太郎の得意技だ。今日初めて会った娘でもデートに誘えるんじゃない? という京太郎がいない所での部長の冗談に誰も反論できず、和と一緒に不景気な顔でにらめっこをする羽目になったのも記憶に新しい。

 

 油断しないで行こうと身構える咲を他所に、数絵は妙に親しげに話し始める。

 

「代表の席は後二つ。お互い最終戦まで目が残って良かった」

「二つ?」

「二万五千点持ちの三万点返しで箱下なし。ウマがワンツーで祝儀もありませんから、トップの最高得点が+110、ラスの最低得点が-50。その差160点が一半荘で詰められる最大の点差です。しかし現在トップと二位と差がそれ以上あるので、トップの福路さんは全国確定です」

 

 それでは仮に和が無双したとしても空回りで終了の可能性ありか。直対で勝ったとしても例のあの人の方が順位が上という結果は揺るぎないのなら、県大会でぎゃふんと言わせるのは無理そうである。

 

 とは言えどこかで自分の方が上だということはアピールしておきたい。あんな見た目も麻雀の打ち筋も京太郎相手にこうかばつぐんな人をそのままにしておいたらゴール一直線だ。高校を卒業したらプロにと考えているのであれば近くにいなくなって大助かりなのだが、京太郎から聞いた話ではどうやら大学進学という進路に揺るぎはないそうでその第一志望は地元の国立大学。模試でもA判定だそうだが、美穂さんなら推薦でも大丈夫だろうと京太郎は笑顔で太鼓判を押している。

 

 県下での有数の強豪校に入って一年からレギュラー。個人では三年連続で全国に出場し、最終年にはキャプテンまで務めたのだ。それでも成績が壊滅的なら危なかろうが模試でA判定を取れる大学であれば学校だって全力で支援してくれるだろう。推薦にしろ試験を受けるにしろ地元残留の気配が濃厚である。

 

 咲にとって何が忌々しいかと言えばこっちの方面ではおじゃま虫の姉も同じ進路を言っていることである。近い所ではうちの部長も鶴賀の部長も同じ進路を口にしている。世の中国立以外にも良い大学はあると思いますよと心の底から言いたいが、京太郎が絡まないのであれば姉のことは大好きなのだ。また一緒に暮らせるのなら嬉しいし一人暮らしをするならお泊りとかも行ってみたい。本当に自分にはもったいないくらいに良いお姉ちゃんなのだ。京太郎が絡みさえしなければだが。

 

 脳内で勝手に始まる姉の良い所探しを中断しつつ、表情を引き締めて数絵に顔を向ける。聞かれることは大体予想できているが、舐められないための手順は必要だ。

 

「それで、私に話があるんでしょ? なにかな」

「京太郎について教えてください」

 

 やっぱりな! という心の叫びをおくびにも出さないようにしつつ……はやっぱり無理だった。言葉にならない呻き声がため息と共に口から突いて出る。本当にどうしてうちの京ちゃんはこうなんだろう。

 

「…………うちの京ちゃんとはいつから?」

「先ほど知り合いまして。色々あって連絡先を交換しました。関係を深めていく努力はこれからしますが、その前にできるだけ情報収集をしておきたいんです」

 

 ポニテの毛先をいじりつつ頬を染めてかわいく視線を逸らす数絵にむかむかが止まらない。

 

 せつなさまき散らすにも限度ってものがあるんじゃないでしょうか京ちゃん。その辺歩いてても女の子引っ掛けるなら逆に沢山女の子連れまわしてた方が安全かもね! という内心を噛み殺しつつ咲はそう、と短く返事をした。

 

 何となくというか確信に近いものがあったがやっぱり恋敵だ。これが所謂番外戦術なのだとしたら相当に効果的だと思う。卓までもう少し。そこまでには話を一度区切らないといけない。この話題が頭の片隅に残ったままだと次の勝負でこのポニテ美少女に遅れを取ると咲の勘が言っていた。

 

「麻雀とはやりんが大好き。おうちにはエイスリンとウタサンって二匹のカピバラ。女子力高くてお料理お裁縫得意。男の子の十倍以上女の子のお友達がいます。モテモテです。忌々しいです」

「お付き合いしている女性は?」

「いないと思います! でもお付き合いしている男女がするようなことは卑猥なこと以外は大体やってるんじゃないかと」

「ふむ。それでは『男女の適切な距離』という言葉の意味を少し考える必要がありそうですね。お答えいただきありがとうございました。正直、はぐらかされると思っていたので意外です」

「誰と仲良くするか決めるのは京ちゃんだしね」

 

 そこに口を出す人間を好んでくれる人間は少数派だろう、というのはいくら友達付き合いに疎い咲でも察しがつく。年頃の女の子として恋敵が増えるのは好ましいことではないが、それ以上に京太郎に遠ざけられる方が怖いのだ。

 

 一方で数絵の方も咲の微妙な心情は理解していた。六人しかいない麻雀部で男子は京太郎一人きりだ。女所帯の麻雀部で同級生の女子三人が京太郎と疎遠と言うことは考えにくい。数絵の読みでは一番の仲良しは先鋒の彼女だと思っていたのだが、この豆狸といった感じの愛嬌のある少女も仲良しそうである。やはり情報収集は必要なようだ。

 

「対局前にありがとうございました」

「いえいえお構いなく。勝つのは私だからね。それ以外のことでは親切にしないと」

「またまた御冗談を勝つのは私ですよ。でも麻雀の神様も粋な計らいをしてくださいました。点差は10ポイント。私たちに限って言えば、着順が一つでも上になった方が勝ち、ということですね」

 

 相手よりも点棒が多ければ勝ち。他所の状況に左右されない実にシンプルな勝利条件である。五位以降の選手が上がってくる可能性もあるにはあるが、それは今までの条件を持ち越すことで カバーできる。何にせよとにかく点数を稼げば良いのだ。そうすれば自然と目の前の恋敵よりも上に行けるし全国にも行けて何より京太郎に褒めてもらえる。良いことずくめだ。

 

 同じ決意に燃える咲たちが卓につくと他の二名は既にそこで待っていた。そちらの二人は既に全国圏外である。圏内二人の勝負を邪魔しては悪いと最後の対局には後ろ向きだったのだが、やってきた二人のあまりの気合の入りっぷりに完全に気おくれしてしまった。

 

「席順は――」

 

 卓の上に牌が四枚伏せられているのを見て咲が問うが、二人はどうぞどうぞと手を差し出す。二人とも年上のはずだが完全に腰が引けている。檻の向こうから客に見られる猛獣とはこういう気分なのかと思いながら咲は隣の猛獣仲間を見た。数絵は薄く微笑んで肩を竦め、

 

「お好きな席にどうぞ」

「そう? それじゃあ出親で」

 

 伏せられている四枚の中から当たり前のように東を引く咲を見て、対局相手の二人はドン引くが、

 

「それなら私はラス親で」

 

 続く数絵が当然のように北を引くのを見て、僅かに残っていた戦う意思が完全に燃え尽きてしまった。戦う前からお通夜ムードの二人を他所に、隣同士に座ることになった咲と数絵は視線を交錯させる。

 

 

 

 

 

 

 

「勝つのは私だよ」

「受けて立ちます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前半一位通過で終えたと思っての肩透かしの後、必勝の思いで臨んだ後半戦。四戦が終わった段階で一着三回に二着一回。前半戦合わせて九戦合計が一着七回の二着二回。連帯率百パーセントの好成績であるのだが、電光掲示板にある和の順位は相変わらず二着のままだった。

 

 名前の横にはこれまでの順位と得点が表示されるのだが、和の上にある福路美穂子の横にはこれまでの九戦全て1の文字しかなかった。連帯率どころかトップ率100%という中々お目にかかれない数字である。前半五戦でも大概だったのだが、美穂子は後半ここまでもそれを維持していた。

 

 全自動卓が導入されるようになってから個人戦の対戦数も増えたのだが、手積みの時代を含めてさえ、全勝での全国出場は例がないという。全勝リーチでさえ30年ぶりのこと。その30年前にリーチをかけたのが奇しくも先ごろ引退した風越の先代コーチが三年キャプテンの時であるらしい、と解説が言っているのを小耳に挟んだ。

 

 奇妙な縁もあったものだとは思う。世間は全勝通過を望んでいるのだろうが、同じく奇妙な縁でセッティングがされたのだ。原村和はこれを、直接ぶちのめす機会がやってきたと考えていた。

 

 京太郎がどうにも年上好み……いや、それも正確ではない気がする。年上に弱いというか年上と過ごす自分が自然であると考えているというか。客観的にはそれを年上好みと表現するのだろうけれども、和からすると全く違う。

 

 年上じゃないと嫌! という京太郎本人の積極的な希望があるのであればともかくとして、そうでないのならば十分に矯正は可能だ。幸い自分は同じ学年同じ学校同じ部活でバイト先も同じという最強に近い環境を既に手にしている上に容姿が京太郎の好みの線であるようだし、あと二年もあれば一線を越えることも十分可能だろうと和は考えていた。

 

 だが悲しいかな。アドバンテージを積んだだけで勝てるのであれば、京太郎はとっくに『トキ』か『シロサン』か『カスミネーサン』辺りの、会話の中で一日一回は名前を聞く女のものになっていただろう。これから時間をかけられるというのはあくまで未来の話であって、これまで時間をかけてきた過去の女どもには遅れを取っているに違いないのだ。

 

 ならば好きだと思ってもらえることはできるだけ積み重ねておきたい。元々勝ちたいと思っていた麻雀に、更に勝ちたいと思える要素が加わったのは好ましいことだが、人生会心の麻雀ができたという手ごたえがあっても上がいた。世の中上手く行かないものである。

 

 悶々としながら歩いていたからか指定の卓についたのは和が最後だった。対戦カードを見る限り他の二人も三年だが、知り合いだったのだろう。和やかに話していた三人が和がやってきたのを見て立ち上がった。

 

「原村さんからどうぞ」

 

 実の所場決めの牌を引く順番に、公式の決めはない。地域によって年齢の低い方から引くとか現時点で成績の良い方から引くとかあるらしいが、長野にはそういった慣例はないのだそうだ。なので全員揃ってから引く以外に共通する決めはない。

 

 どうにも自分は最初に引いてほしいとよく思われるらしく、この十戦目も含めて全ての試合で最初に引いてくれと言われてしまった。別に順番などどうでも良いのだがお客さん扱いされているようで気分はあまり良くない。

 

 だが、最終戦に限っては話は違う。元より知り合いは多くなく顔と名前が一致する選手と言えば清澄の仲間と龍門渕と鶴賀の選手くらいだ。都合14人――うち二人は予選落ちし衣は出ていないので本戦に参加しているのは11人だが、その11人とはこの九回の戦いで行き会うことはなかった。風越の眼鏡をかけた何某さんとは打った気がするがもちろん勝った。

 

 九戦もすれば一人くらいは行き会いそうな気もするが、十戦やってその唯一が例のこの人になったのはオカルティックなものを信じないタチの和でも運命を感じずにはいられない。

 

 さてと卓に伏せられた牌を見る。裏向きになった東南西東の4枚の牌。今回のルールでは東を引いた選手が席を選び、そこを基準にして残りの三人が座る。東を引くイコール出親だ。和の個人的な好みで言えば状況を見てから対応できる親が遅めの西とか北が良いのだが、京太郎を始め自分以外の一年はどういう訳か東を引きたがる。

 

 東場に雑に強い優希はともかく京太郎は何故と本人に聞いてみたが、とにもかくにもそういうものらしい。麻雀漫画では主人公はここぞという時に東を引いて、そして勝つらしい。優希はその感性に感じ入るものがあるらしく、京太郎の発言を聞いて『だよなー』と意気投合していた。

 

 仲良しっぷりにムカついたので二人の頬を突いて怒りを伝えてみた、清澄の夕暮れである。ちなみに咲は京太郎がそう言うから同調していただけで麻雀漫画は和と同じく全くと言って良いほど嗜まないらしい。こういう趣味の乖離はお互い苦労しますねと声に出さず咲に同情する。

 

 流儀を通すか彼のジンクスを尊重するか。和は迷わず後者を選択した。何故なら例のあの人がそこで見ているから! と気合を入れて牌を引く――

 

「あ、原村さんは南ですね。それじゃあ田村さんと堀江さんどうぞ」

「いいのー? じゃあ私から……西だった」

「次は私ねー。できれば出親じゃない方が良いんだけど……北!」

「みっぽ出親かー」

「そうみたいですね」

 

 残り物の東を引いた美穂子は一番近い席を選びそこに座る。南を引いた和はその下家の席へ。早くも精神的に風下に立たされた気分だが、それ以上に技量に勝る人間の下家という最悪の並びに心中でため息を漏らす。京太郎に意地悪をする麻雀の神は、どうやら自分にも試練を与えたいらしい。

 

 対局を開始してください、というアナウンスに全員が一礼する。カラコロ回り始めるサイコロの音を聞きながら、美穂子は何でもないことのように言った。

 

「原村和さん。京くんから色々話を聞いて対局を楽しみにしていました」

「私もです。聞いた話は良い話だと嬉しいですが」

「手放しで褒めてましたよ。京くんに愛されてますね。ですから――」

 

 左右で色の違う瞳に見つめられた和の背中に怖気が走った。顔には柔和な笑みが浮かんでいる。雰囲気も穏やかで評判通りの優しい人という風であるが、和に向ける視線には競技者としての明確な敵意が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「全力でお相手します。勝つのは私です」

 

 

 

 



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現代編20 長野県大会 個人戦編④

 

 

 

 

 

 

 

 原村和というのはこの一年で最も麻雀界隈で有名になった名前である。毎年一人は生まれるはずの全中王者であるが、その知名度は現在最強の女子高生として活躍する宮永照にも匹敵している。照は二年連続の王者であり小学生の時から世代最強として知名度は抜きんでていたが、原村和はそうではない。

 

 麻雀に限らず、ほとんどの競技においてその実力はそれにかけた努力の時間と、努力の質の二乗に比例する。小学生よりも中学生が、中学生よりも高校生が強く、また途中から始めた人間がその世代で活躍することが少ないのはこのためであるが、原村和がここ最近では数少ない途中参加組であることが彼女の知名度拡大にも拍車をかけた。

 

 これに困ったのは高校の関係者である。大抵の強豪校はスカウトに力を入れており、関係者の面通しは最低でも夏の大会の前には済んでいるものだ。学校の方の都合もあるが、強豪校への進学は概ね遠方への引っ越しを伴うため、進路の決定のためにも時間を多く取りたいという保護者側の言い分もある。

 

 夏の大会の結果がスカウトの条件に加わっていることもあるのだがそれはともかく。原村和の活躍は完全にそのスカウトシーズンの後であったので、どこの強豪校も完全にノーマークだったのだ。宮永照がその時期に受け取っていた名刺の数が百に届こうかというくらいであるからその差は解るというものだろう。

 

 だからと言って諦めるという選択肢はスカウトたちにはない。原村和がインターミドルを制しそうだと解った時から準備を進めていた彼らは優勝が決まると一斉にアプローチをかけた。どの名門校も最高の待遇を約束したそうであるが、原村和の返事はどこ相手でもそっけなかったそうで、最終的に彼女は地元の公立高校に入学した。

 

 それが京太郎が進学する予定の清澄高校であると解った時には忌々し――奇妙な縁を感じたものであるが、原村和の選手としての研究は彼女の入学の可能性があると解った時点で貴子と共に入念に行った。

 

 中学生として見るならば評価は最上。話題性を考えても一年生レギュラーは固い。デジタル打ちの精度は聊か低いがリーグ戦で揉まれていけばある程度は改善されるだろう。デジタル打ち故破壊力のなさも目につくが失点も少ない。稼いだ点数を守る2から4番手ならば一年でも良い仕事をしてくれるのではないか。

 

 去年、キャプテンを引き継いだ後での分析がそれである。一年経って実際に対局をしてみて今の風越の環境に当てはめるのであればなる程、自分たちの読みはそれほど間違っていなかったと確信が持てる。

 

 デジタル打ちの精度は上がっている。破壊力はなくともアガリ率は高く失点も少ない。それでも総合得点で龍門渕や清澄の選手を抑えて二位につけているのだから、試合運びも悪くないし牌運も勝負強さもある。京太郎の指導の賜物だろう。短所は消え、長所が良く伸びている。

 

 それら全てを踏まえてなお、実際に原村和に相対した美穂子は強く思った。

 

 

 物足りない。

 

 

 麻雀を打つ上で何に重きを置くのかは選手それぞれだ。美穂子の場合は感性に基づく『読み』であり、和の場合はデジタル――牌効率に基づく『確率』である。初心者がよくやる手牌だけのものではなく、その視野は卓上全体にまで広がっている。場の全体の状況を見て確率の高い低いでどう打つかを判断している訳だが、その視野はどういう訳か卓上で綺麗に止まっている。

 

 視野を固定していると言っても良いかもしれない。俯瞰して場を見ているようだが、そこにデータとしての対戦相手は含まれていないのだろう。あくまで卓上にあるものが全て。視野を狭めることで読みの精度を上げる狙いもあるのだろうけれども、さて、対戦相手もいる競技で対戦相手に目を向けないというのはいかがなものだろうかと美穂子は思う。

 

 だが京太郎が噛んでいる以上、今の和の状態には理由があるに違いない。美穂子や貴子の考えるこうした方が良いというのは先々のことまでを考えた話である。高校生活は後二年あるのだから中長期的な育成を考えるのであれば、視野を広げる練習はできるだけ早く始めた方が良い。

 

 和が風越に来たのであればそう育成したのだろうが、清澄の京太郎はそうしなかった。視野が広がりきり、それに慣れるまでは如何にインターミドルチャンプであろうと時間がかかる。おそらくは早めに、もっと具体的に言うならばこの大会で結果を出さなければならない事情が和個人か清澄の麻雀部にあるのだろう。

 

 だがどれだけ才能があったとしても、磨かないのでは意味がない。強豪校で死ぬほど揉まれた和であれば美穂子ももう少し危機感を抱いたのだろうが、中学生時代からの延長線上、それも予想の範囲を出ないレベルの強さであれば、相手にするのに問題はない。いくら京太郎でも質を伴った頭数を用意することはできないのだなと、心中で苦笑する。

 

「テンパイ」

「テンパイ」

 

 五八索待ちの高め三色の和の待ちに対し、美穂子はその辺り牌をがっちり止めてテンパイしている。これだけ当たり牌を掴まされるのだ。和も相当に勝負強いのだろうが、残念ながら和のうち回しは美穂子や京太郎のようなタイプとは極めて相性が悪い。

 

 加えて今日の美穂子は自分でも出来過ぎと思うくらいに絶好調だ。個人戦を前に思う所があり少ない牌譜を読み込んだ。原村和の手牌はもはや、配られた瞬間にガラス張りである。

 

 対する和がうち回しに苦心しているのが美穂子にも見て取れる。デジタル打ちの理想は感情が入り込む余地もなく機械のように正確に打つことであるが、苦心が対戦相手に見えるようではまだまだだなとも思う。気持ちの強さは美穂子も敬意を持つ所ではあるけれども、それでうち回しの精度が落ちているのでは意味がない。

 

 何とかしようと理に沿わないことを行いそれで良くない結果を呼び込む。いつも通り理に沿ったうち回しをすることが遠回りでも最善の結果に繋がることを心の底から理解できるようになるのは、自分はどれだけ弱いんだと悔しさで涙した後のことなのだが……先達として、後輩にとってそういう相手であれればと思わないでもない。

 

 それで牌を置くのであればそれもまた人生であるが、再び立ち上がれるのなら、より強いうち手になって帰ってきてくれることだろう。そういう相手と戦ってみたいと思うし何より、京太郎と共に研鑽を続けるのであれば、それくらい乗り越えてもらわないと嫌だ。

 

 オーラス。一本場で続行。現時点での和との点差が二万三千点。和はハネ満の直撃か三倍満のツモか出アガり。対して美穂子は二位の和に大きく差を付けてのトップであるので、軽いアガりで良い。

 

 去年に引き続き今年も団体は負けてしまった。名門風越の名をこれ以上落とさないためにも、ここは軽く一捻りと行きたい所であるが、和の気合がそうさせているのか手が思うようにまとまらない。一年生とは言え相手は強者だ。出来過ぎな運もようやく下り坂に入ったと見るならば、そろそろ店じまいにするべきだろう。

 

「ポン」

 

 和の第一牌を鳴き、ツモをズラす。その上で美穂子は手牌の中から白を切った。

 

「ポン!」

 

 対面がそれに食いつき、和の手番が飛ばされた。和の現在の手牌は、

 

 五赤五五六七357②③⑥⑦中 ドラ3

 

 ――こうだ。先ほどのツモが中なので手は進んでいない。この状況この巡目にしてはかなりの手が入っている。まさか直撃はあるまいが、一発で裏が三枚乗れば三倍満の可能性は残り、和はこういう時にそれを引くタイプであるという予感がする。

 

(店じまいで正解ね)

 

 ひっそりと自画自賛しながら、バラバラの手牌からドラの三索を切る。和の視線が僅かに細められるのが見えた。が、

 

「ポン!」

 

 対面がまたしてもポンだ。役牌ドラ3。たかが満貫だが、和に直撃すれば二着からラスまで落ちる。勝ちたいという思いは、美穂子にだって感じ取れる。理屈ではなく感情の機微の問題なのだ。勝ちたい相手とトップラスになるという結果が脳裏をよぎってしまえば、平静でいるのは難しいだろう。

 

 その気持ちは美穂子にも解るが、自分であれば迷わず前に出る。目標はこの卓でトップになること。値段が高いと解る手で既に二回も鳴いている選手がいるのだからもたもたしている暇などあるはずない。どのみちここで他人にアガられたら試合終了なのだ。これで当たるという確信を持てる牌を引いたのであればともかく、和が勝つには被弾を覚悟で前に出るしかない。

 

 鳴かれたドラに視線を落としたのは一瞬のこと。その一瞬で迷いは振り切れたように見える。全国を制しただけのことはある。気持ちの切り替えも上手い。勝つのだという強い意思も、それを支えるだけの技術もある。一年生にしてはという前提の上のものだが、卓上、そして勝ちたい相手だけを見ているようでは、まだまだ視野が狭い。

 

 小さく、美穂子は和に笑みを向けた。忌々しそうに受け止めた和だが、直後、美穂子の意図を察すると表情が険しくなる。美穂子のツモ番だ。時間と相手は待ってなどくれない。さて、と小さく息を吐き美穂子は既にテンパっている対面の当たり牌を切り出した。

 

 当たり牌を見逃す理由はない。それでも対面は一瞬美穂子に視線を送った。非難の色も何もない。ただ良いのかと確認をするような旧友の視線に、美穂子はどうぞと笑みを返した。

 

「ロン」

 

 ならばアガろう。美穂子の差し込みを受けて対面が手を倒した。美穂子の予想の通り白ドラ3。一本場で8000点の打ち込みであるが、リードを崩すには至らない。対してラスだった対面は美穂子の打ち込みで三位に浮上。順位が入れ替わった。

 

 アガラスであれば外野から文句もつこうが、トータルトップと二位が入れ替わることもなく、かつ本人の順位が入れかわるのであればどうとでも言い逃れはできる。ギャラリーが見たいのは注目選手の無双だろうけれども、それに付き合ってやる理由は選手にはない。誰だって、負けるよりは勝つ方が良いのだから。

 

「ありがとうございました」

 

 点棒のやり取りを確認してから、美穂子は立ち上がって頭を下げる。和の反応はない。椅子に座ったまま卓をじっと眺め微動だにしていなかった。それは美穂子が今に至るまで散々見てきた光景である。勝者があれば敗者がある。競技だから当然だ。打ちひしがれている様に心が痛まないでもないが、そこで勝者から声をかけられることがより残酷なことになることも美穂子は知っている。

 

 和とは仲良しではないが知らない仲ではない。言ってあげたいことも色々あるが、それにはある程度時間を置く必要がある。

 

 後ろ髪を引かれる思いで卓を離れた美穂子だったが、対局室を出る頃にはそれも忘れていた。全勝でのトップ通過は県の高校麻雀史上初のこと。自分の実績をひけらかすようなことを福路美穂子はしない。今回の結果はあくまで全国大会への通過点であり、全勝で通過しようがギリギリで通過しようが、後の結果に関係するものでもない。

 

 むしろ、運のピークを予選に持ってきてしまったようで、選手として本戦での先行きに不安を覚えないでもない美穂子だったが、まぁそれでもたまには自分を誇り、自慢というのをしてみても良いのだろう。

 

 私もすごいでしょう? そう胸を張ったら、彼は褒めてくれるだろうか。きっと自分のことのように喜んでくれる。嬉しそうに笑う京太郎の姿を思う美穂子の足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪く思わないでやってね」

 

 俯き項垂れている自分に、対局者の一人が短く声をかけていく。最後にあがったその上家の選手の顔は見えない。握った拳に更に力がこもる。

 

 自分はやれると思っていた。京太郎と共に研鑽を積んで、インターミドルを勝った時よりもずっと強くなったと思っていた。誰が相手でも勝ってやるんだと、個人戦もトップ通過するつもりでいた。部活仲間の咲たちも含め、牌譜は穴が空く程に読み込んだ。

 

 できるだけのことはしたはずだ。油断はしていない、全力を尽くした。

 

 それでも、だがそれでも、あの女は自分を歯牙にもかけなかった。全力を尽くしてなお負けた。その事実が今更身体にのしかかってくる。全国には行ける。二位でも予選通過は予選通過だ。一年でその切符を手にしたのだから、一位でなかったとしても周りはそれを褒めてくれるだろう。京太郎だって喜んでくれるに違いない。

 

 だが、原村和は勝ちたかったのだ。誰にも負けないと強い気持ちで戦ってそして負けたのだ。拳に更に力がこもり、涙があふれてくる。声をあげなかったことが、和の最後の抵抗である。

 

 原村和はこの日、生まれて初めて悔しくて涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(簡単に勝てる相手と思ってはいませんでしたが……)

 

 対戦相手の予想を超える手ごわさに、数絵は内心で舌を巻いていた。

 

 スロースターターである数絵にとって、東南戦で最大限注意しなければならないことは、東場の間、自分が浮上する前に勝負が決してしまうことである。自分がいくら気を張って打ったとしても、自分以外のヘボが打ち込んで飛んでしまっては元も子もない。

 

 勝負を続行させるためには最悪差し込みも辞さないというスタイルは、幼い頃から祖父の背中を見てきた数絵にとって選択肢の一つであるが、数絵本来のやり方は勝負時までじっと耐え忍び一気に爆発するというものである。

 

 できればその形で南場まで持っていきたい数絵は、比較的引き気味に打ちまわしていたのであるが、対する咲はそれに乗っかる形でうち回した。

 

 対局している数絵にも、怖い程に集中しているのが良く解る。場の雰囲気は明らかに咲一人に支配されていた。残りの対局者は確か三年だったはずだが、小柄な一年生の雰囲気に既にお通夜ムードだ。

 

 気持ちが全てという気はないが、後ろ向きで勝てる程競技麻雀も甘くはない。ここでどちらかあるいは両方が崩れて、点棒が咲に流れこむことだけは避けたい展開だったものの、場を支配した咲が選んだのはある意味もっとも堅実な方法だった。

 

 現在東4局0本場。数絵の親であるが、ここまでかかった局数は15局。東パツの出親で12本も棒を積んだ咲は今のところ一回も振っていない。振らず、ツモらせず、アガり続ける。罰符でさえ一度も支払っていない咲の点数は既に55000点を超えていた。

 

 そこに無理やり救いを見出すとするならば、今回の競技ルールでは二ハン縛りがないということ。あるならばとっくに誰かが飛んでいただろう。小さいアガりとは言え、自分以外にはアガらせないという強い意思は、積み棒の数で場に影響を及ぼした。

 

 南場まで後一局であるが、東場最後の親は数絵自身である。ここで前に出れば少しは点棒を稼げるだろうが、東場は続行になる。加えて咲が一人リードしているために、数絵を含めて全員の点棒が危険水域目前まで減少している。

 

 誰かが箱を割ったらそこで試合は終了だ。南場で逆転する算段ではあるものの、今の咲の集中力では直撃を取るのは難しい。必然、他の相手から直撃を取るかツモアガリをするしかない訳であるが、まだ南場に入っていない状況で咲以外の点数を削ってしまうと、南場で咲を逆転する前に他者が飛んでしまう危険が高まる。

 

 競技選手としては非常に後ろ向きで気に食わないが、振らず、ノーテンで親を流すのが良いのだろう。こんなことなら北家にするんじゃなかったと心中でため息を吐き咲を見る。

 

 短く視線が交錯する。恐ろしく集中していた咲のそれが、ほんの一瞬解けた気がする。その僅かな笑みで相手の意図を理解してしまった数絵は、勢いで物を決めてしまった少し前の自分の判断を先ほど以上に激しく後悔した。

 

「カン」

 

 数絵の対面から咲が大明カン。この半荘だけで咲の嶺上開花は既に7回。これでまたツモかと牌を切った選手は身構えたが、咲は嶺上牌を積もるとそれを手に仕舞い、初牌の一筒を切り出した。

 

 責任払いが発生しなかったことに対面は胸を撫でおろしていたが、数絵は逆に咲の振る舞いが既に彼女の運が仕上がっていることを確信させた。()()を防ぐにはもう咲の手番に回さないこと、もっと言うのであれば次のツモで数絵がアガるしかないのであるが、数絵の手は残念ながらテンパってもいない。

 

 万事休すだ。諦めの境地でツモ切りした数絵を横目に見ながら咲はツモった牌を見もしないで宣言する。

 

「カン」

 

 ここまでくれば他の選手二人も危機感を覚えた。ひょっとしたらひょっとするのか。自分の手牌よりも他人を注視する対局者を気にもせず、咲は淡々と王牌に手を伸ばし、

 

「カン」

 

 ツモってきた牌を手牌に入れて四牌を倒す。これで三つ目。あまりの淀みのなさに普通のことにさえ錯覚してしまうが、一人でカンを三つ重ねるだけでもそうあることではない。

 

 ましてこの淀みのなさと落ち着きっぷりである。自分の行っていることは全て予定の通り。王牌に何があるかなど知っていて当然という咲の振る舞いに、今更ながら他の対局者たちの背に怖気が走る。

 

 三つ目までが当然ならば勿論、四つ目も当然なのか。四槓子はルールによって成立の条件が異なる役であるが、今回の競技ルールでは四つのカンを一人で成立させた上で最後の王牌ツモで手牌の一枚を重ねなければならない。四槓で場が流れてしまうためにチャンスは一度きり。あらゆる役満の中でも屈指の成立しにくさであるが……いまやこの卓にそれが成立しないと思っている選手はいなかった。

 

「カン」

 

 王牌からのツモを含めて手牌を四枚倒す。残った牌は一枚。最後のツモ――咲は当然のようにツモ牌を引き、役名を宣言した。

 

「ツモ。四槓子」

 

 大きく、大きく息を吐いて数絵は手牌を伏せる。咲が最後にツモった牌は対面から最初にカンをした時に河に捨てた一筒。つまり咲は元々一筒単騎の四暗刻でテンパっていたにも関わらず、対面の切った南を明槓して成立したトイトイ三槓子嶺上開花ドラ3を放棄してまでアガり牌だった一筒を一度切り、一枚のカン材を自力でツモった上で残り二枚のカン材を王牌から掘り起こし、底に眠っていた一度自分で切った一筒を引きなおして役満を上がった。

 

 他の二人は頭が混乱して一度アガリを放棄したことも理解できていないだろうが、数絵にはここまでの手段を取った理由に察しがついていた。

 

 最初の責任払いでアガっていたら数絵の対面が飛んで試合が終了していた。誰かを飛ばした上でのトップ通過なのだから三位は安泰と思いたい所であるが、射程圏内の選手が好条件に好条件を重ねたら逆転の可能性もないではない。

 

 選手として念には念を入れたかったのだろう。自力でカン材をツモって役満をアガるこの形にするのであれば、数絵が親を被り全員が箱を割って終了となる。稼げるだけ稼ぐという方針が一切ぶれることなく、その執念がマルAトップという結果に繋がった。

 

 何とも強欲なことだと思うが、これくらいの気持ちでなければ上には行けないのだろうと、数絵はむしろ清々しい気持ちでいた。選手としてこれ以上ないくらいの完敗である。

 

 ありがとうございましたと力ない声で言ってふらふらと去っていく二人を無言で見送りながら、足を投げ出し全身の力を抜いている咲を見やる。集中力を使い果たしたのだろう。抜き身の刃のように鋭かった気配は霧散し、前世紀に流行ったらしい気の抜けたパンダのような風である今の姿からは、先の実力など想像もできない。

 

「正直もっと自分はやれるものだと思っていましたが完敗でしたね」

「あるにしても、南浦さんが言うほど差はないと思うよ。こんなに集中し続けたの初めてだよ。すごくつかれた。しばらく何も考えたくない。カピーたちと戯れて京ちゃんの背中でゆっくりしたい……」

「見るからに疲れていますからね。今日は自宅でゆっくり休んでください。カピーが何かは知りませんが京太郎の背中は私が使いますので」

「それはちょっと違うんじゃないかなっ!!」

「殿方は自分に微笑む女よりも打ちひしがれて俯く女を選ぶものだとおばあ様も言っていました。今の私はまさに京太郎の背中を使うに相応しい女と言えるでしょう」

「そんなドヤ顔で言われても説得力ないよ!」

 

 疲労を押して食ってかかる咲に宥めながら、数絵は電光掲示板を見た。トップは確定。二位の原村何某はこれまでの安定感を考えれば沈むまい。最終戦前の点差であれば咲は三位に浮上した上マルAトップ――1試合で獲得できる最高点数を確保したのだから最終戦前の五位以下が同じマルAトップを取ったとしても点差は詰まることはない。

 

 つまりは今年の個人戦代表三名は、他の試合の結果を待たずして確定したということだ。その中に自分が入れなかったことに思う所がないではないが、これまで経験したどの試合よりも得るものがあったのだからお釣りが来るくらいである。

 

 咲ほどではないが自分も疲れた。京太郎の背中で休むことは魅力的ではあるものの、襟をつかんでぶんぶん振ってくるかわいらしい豆狸のような同級生が、使うことを許してくれそうにない。

 

 ならば愛情よりも友情を取ることにしよう。風邪を引いて寝込んでいる友人も、しばらくすればこの結果を知るはずだ。見舞いに行って敗北を励まされるというのも何だか違う気がするが、今は無性に友人の顔が見たい気分だった。

 

 

 

 

 

 



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現代編21 全国大会強化合宿編① new!!

 

 

 

 

 

「うちが一番のり見たいだし」

 

 四校の中で最初に到着したのはやはり風越だった。風越とは付き合いの長い施設で関係者以外とバッティングすることを防ぐため、毎年八月一杯は風越が抑えている。強豪の私立故の金の使い方である。

 

 例年は三年の引退が済み新体制が発足してからの合宿突入になるため、部員全員バスで来るのが通例だが、今回はレギュラー五人のみであるためコーチの車での参加である。

 

 三年の美穂子からすると三度目となる場所だ。これが最後と思うと感慨深いものがあるが、去年に続き今年も団体戦では全国に行くことはできなかった。自分一人とは言え全国に行くのだから、風越のキャプテンとして恥ずかしい試合をしないようにしなければと例年にも増して決意は固い。

 

 京太郎も来ることだしこの合宿で成長して全国で良い結果を残さなければ。そんな美穂子の耳に耳慣れない音が聞こえた。音のした方に視線を向けると、ちょうど施設の駐車場に車が転がるように走り込んでくるところだった。

 

 フォルクスワーゲンタイプⅡと呼ばれるクラシックカーがぎゃりぎゃりと音を立てて風越女子の面々の前を通り過ぎ、ひっくり返るのではないかというくらい後輪が持ち上がってどすんと音を立てて停車する。ひょっとして中の人は無事ではないのではと居並ぶ面々の心配を他所に、がらりと開いたドアの中からぞろぞろと鶴賀の選手たちが現れた。

 

 様相はいつものようにケロリとしている智美とそれ以外ではっきりと分かれているが、智美以外の面々も一部多少顔が青いことを除けばとりあえず無事ではあるようなので、美穂子はほっと胸を撫で下ろした。

 

「免許、お持ちだったんですね?」

「家業柄必要になるからなー。早速使う機会があって良かった。龍門渕と清澄はまだ来てないのかー?」

「もうすぐ着くってさっきラインが飛んできたっすよ」

 

 鶴賀も風越も学校部活が一緒ということで乗り合わせてきたが、京太郎の話では清澄と龍門渕は龍門渕が車を出して二校で乗り合わせてくるという。

 

 知らない仲ではないとは言え、他所の学校の人間を六人も拾ってくるというのは相当な手間であるはずだが、部長である透華はその辺りを苦労とは思わず当然のことと思ってやっている節がある。京太郎からも聞いてはいたが、美穂子の想像を超えて大分仲良しであるらしい。全員女の子なのに……と思わないでもないが、男女の間とて友情は成立するのだろう。一々目くじらを立てるのも女として美しい行いとは言えない。

 

 どういう訳か悶々とする感情に向き合っているとほどなくバスがやってきた。修学旅行などでクラス単位で乗る、あの程度の大きさのバスである。部員六人で公立の清澄が手配したとも思えないから龍門渕の仕切りなのだろうが、バスには観光バス特有のロゴとか社名が見当たらなかった。どうも個人所有のバスであるらしいことに居並んだ庶民たちが感心していると、バスは美穂子たちの前でゆっくりと止まった。

 

 ぞろぞろと降りてくる清澄龍門渕の面々に、美穂子は京太郎の姿を探す。彼は衣に肩車をして最後に降りてきた。目当ての男性を見て心が華やいだ美穂子が声をかけようとした、それよりも一瞬早く池田が動いた。

 

「京太郎!」

「華菜さん、お久しぶりです」

 

 胸に沸き立つこの感情を何と呼べば良いのだろう。自問自答する美穂子の顔を見た池田以外のレギュラーが悲鳴をあげて逃げたことにも気づかず、美穂子はしばし彫像のように動きを止めた。レギュラー三人はその場をぐるぐる回りながら誰が事態を収拾するかを押し付けあう。最終的に池田はお前の担当だろうということで白羽の矢をぶすりと刺された美春が完全に腰が引けた状態で池田に話しかけた。

 

「か、華菜ちゃん。きょ……じゃない、須賀くんと仲良しになったみたいだけど私の知らないうちに何かあったのかな?」

「一昨日買い物先でばったり会ってさー。今日チビたちにケーキ作る予定だって話したら手伝いますよって言ってくれたからうちに招待したんだ。そしたら手伝う所か丸々作ってくれたからお茶でもどうだってお茶もしたんだよ。チビたちに絡まれて大変だったよ。『お姉ちゃんがカレシ連れてきたし!』って」

 

 この娘はどうして的確に地雷を踏みぬいていけるのだろう。いつも優しいキャプテンの見たことのない表情を横目に見ながら美春はどうにかして事態を収拾できないのものかと考えを巡らせる。離れて他人のふりをしている残りのレギュラー二人はアテにならないし、コーチは面白がっているばかりで関わろうとしていない。自分がやるしかないのか。意を決した美春が口を開こうとするよりも先、地雷原でタップダンスをしていた池田が妙に得意げな顔で口を開き、

 

「笑っちゃうよな! だから私は言ってやったし『こいつはキャプテンの彼氏だぞ』って!」

「華菜っ」

 

 いきなり正答を宣った。普段通りに戻って感極まっている様子の美穂子を見て、美春を含めたレギュラーたちはほっと胸を撫でおろした。そういう振る舞いができるなら最初からやってほしいものである。

 

「いやいや華菜さん、彼氏違います。俺なんかが彼氏じゃ美穂さんかわいそうですよ」

「そ、そんなことはない、と思うわよ?」

 

 直前ににやけてしまったせいか言動まで怪しい美穂子である。それをフォローだと解釈したらしい京太郎は、年上のお嫁さん系美少女の配慮に苦笑を浮かべる。

 

「美穂さんにそう言ってもらえると嬉しいですね」

 

 もーと美穂子が照れている傍でやり取りを黙って眺めていた咲と和は『またか……』という表情を浮かべていた。本人の話を聞くに全国でせつなさを炸裂させていたことは間違いない京太郎であるが、その実績のなせる業か女の扱いが非常に上手い。自分たちを相手にしている時には実感できないことでも、こうして他人相手にしているのを見ると非常に実感できる。

 

 それで美穂子の顔を見て思うのだ。自分も多分ああいう顔をしているんだろうなと。だがそのような理解が得られたとて、他人がそういう顔をしていて気分が良いはずもない。恋する乙女は排他的で利己的なのだ。須賀京太郎は清澄の子であることを示すため、咲と和は協力して京太郎の両腕を掴むとずるずる引きずっていく。

 

「さて早速で悪いが提案がある」

 

 京太郎が清澄のグループに戻るのを待ってから貴子が話を切り出した。貴子は風越の位置から話して、ちょうど学校別に居並んだ全員を見渡して続ける。

 

「この中で全国に行くのはうちの福路と清澄の女子だけだ。実力向上を目指すという建前でこうして集まったのだから、全国に行く奴の打つ機会を増やすのは当然にしても、他ではできないような趣向を一つ取り入れてみたい。須賀」

「なんでしょうか」

「福路以外の四人で卓を立てる。お前はそのうちの誰か一人の後ろについてアドバイスをしてもらいたい」

「俺の代わりに風越の誰かが打つ……ってことで良いんでしょうか」

「一言で言うならそんな感じだな。いつもと違う視点で打つというのはうちの連中にも良い刺激になるだろう。福路からお前のことは聞いてる。風越を助けると思って受けちゃくれないか」

 

 貴子の割と真摯な視線を受けて、京太郎は久を見た。京太郎個人としては受けたいと思っているが今は清澄の一人として参加している。久がダメだと言ったら断るつもりで彼女を見たのだがその律儀な心中を看破していた久は苦笑を浮かべながら言った。

 

「好きにしなさい」

「好きにします。喜んでお受けします久保コーチ」

「助かる。それじゃあ、部屋に荷物を運び込んだら最初にそいつをやっちまおう。併せて感想戦だ。卓は既に用意してある。準備ができたらホールに集合してくれ」

 

 

 

 

 

 荷物の運び込み自体はぱぱっと……すまなかった。京太郎をそのまま泊まらせようと画策した衣が自分で用意したお泊りセットを押し付けて龍門渕の部屋に引きずりこもうとしたり、それに対抗した咲と和がエキサイトした一幕はあったが、龍門渕には夏休み中に行くことを約束してその場は収まった。

 

 龍門渕だけ得をしてると咲や和はぷりぷり怒っていたが、君ら一緒に全国行くだろと一に言われると勝った立場であるため口答えできずにやり込められてしまった。勝って行く訳ではないが龍門渕も同行はするので全国に行くと言えば行く。

 

 資金力に余裕がありまくるので夏休み全体の時間の使い方を考えると清澄よりも大分リードしている上、お泊りを取り付けたことでそのリードは更に広がっていた。そのことに咲たちが気づくとまた言い合いが再燃するので京太郎は無言を貫いた。ちゃんと気づいているらしい久の視線が背中に痛いが我慢する。

 

「それにしてもあっさり風越コーチさんの提案受けたよね京ちゃん」

「企画としては悪くないだろ。やったことはないから俺も面白そうだと思ったし」

「私も良いと思います。京太郎くんがデキる清澄の子であることを示す良い機会です」

「僕も原村に賛成かな。京太郎は龍門渕の子だけど」

 

 それは当然とばかりに宣う一に和がぎろりと視線を向けるが一の方はどこ吹く風である。仲良くしろとは言わないが喧嘩はするなというのが京太郎の望みであるものの、自分の帰属がどうなっているのかは色々な方々が譲らない問題であるので口を挟む訳にもいかない。

 

 何があっても引かないタイプのお姉さんたちが全国にはまだ数人いるのだが、これは彼女らには言わない方が良いのだろう。保身のために固く口を閉ざす決意を固めた京太郎に、姉的余裕からたまたま口を挟まなかった衣が問いかける。

 

「きょーたろ。それは何だ?」

「咏さんからもらったんだ。これみて奇声をあげる奴がいたら優しくしてやれって」

 

 師匠の咏が予告なしに行動するのはいつものことで、これもその例に漏れず昨日の夜いきなり送られてきた。届いたら連絡しろと手紙も入っていたので連絡したら、そのように言われた次第である。

 

 京太郎からすれば実用的な品ではあるのだが、興味がない人間では一見では用途さえ解らないだろう。現に衣は京太郎が抱えるそれをしげしげと眺めている。この愛らしい姉にさて、何と説明したものか。歩きながら頭を捻っていると、対局室に設定されたホールに到着した。既に風越と鶴賀の選手は全員集まっているようで、気持ち速足でホールに足を踏み入れた京太郎の耳に、

 

『あーっ!!!』

 

 と奇声が届いた。鶴賀からは睦月が、風越からは星夏がそれぞれ血相を変えてすっ飛んでくる。

 

「それ、それは! 今年の三尋木プロの限定バインダーっ!!」

「抽選で50人にしか当たらないって話なのに、手に入れたんですかっ!!」

 

 すげーとコレクター色丸出して熱い視線を送ってくる二人に京太郎は苦笑を浮かべる。二人の言った通り京太郎の持っているものは()()()プロ麻雀せんべいを五袋買うと一口応募できる懸賞の商品である。今年のシークレットレア担当の四人のプロ、小鍛治健夜、三尋木咏、瑞原はやり、戒能良子に対応した限定カラーのバインダーで、一人のプロにつき抽選で50人の当選者が出る。

 

 当選者に贈られるものには一番から五十番までの番号が振ってあり、対応するプロに渡されるバインダーの番号は00となっている――とは公式サイトにも書いてあることであるが、京太郎の持っているのはその00のバインダーである。

 

 本来は咏が持っているはずのものであるが、昔から彼女は雅なコレクションにしか興味を示さないため、この手のものは全て京太郎にくれるのである。おかげで京太郎の部屋には市販された咏のグッズが全て、しかもサイン入りで存在している。部屋のスペースは無限ではないし正直邪魔に思わないでもないのだが、言うと怖いので口が裂けても言えない。

 

「実はカード持ってきてるんだ。後でトレードとかできないかな!?」

「コレクションを見せてくれるだけでも嬉しいです!」

 

 コレクターの戦闘力はどれだけレアものを持っているかで決まると聞く。限定50冊のバインダーの価値は彼女らにとってはとても高かったようで、その目は京太郎にも解るくらいきらきらとしていた。

 

(良子さんのバインダーも持ってる……というのは黙っておこう)

 

 昔からプロ麻雀せんべいカードをそこそこ集めていたことは知っていたので、自分のバインダーができたと送ってくれたのだ。一応師匠である咏には知らせておいたのだが、先月のタイトル戦の予選で、良子が咏にボロ負けするという事態になったことには自分は関係ないのだと信じたい所である。

 

「文堂お前はさっさと卓につけ。須賀、お前は文堂の後ろで頼む。コレクション自慢で縁ができた所だ。ちょうど良いだろ?」

「そうですね。上から見せびらかしてこいと言われた甲斐がありました」

「上からか……ならしょうがねーな」

「京太郎の上って誰のことだし?」

 

 星夏に倣って卓につく美穂子以外のレギュラーを横目に、貴子が視線を向けてくる。言っても良いかという確認なのだろう。見た目ワイルドなのに律儀な人である。藤田プロが勧める訳だなと思いながら、京太郎は小さく頷いた。

 

「こいつは三尋木プロの弟子だ」

「まじでっ!?」

 

 池田を始め知らなかった面々から驚きの声が上がる。知らない人間の方が少数であり、清澄と龍門渕は全員、鶴賀も桃子と佳織は知っている。少数派かつ知らない側だったと気づいた美穂子が微妙に不満そうな顔をしていることに気づかない京太郎は、苦笑を浮かべながら卓についた星夏の後ろについた。

 

 京太郎がそうしたのを見て慌てて他の風越の面々が着席する。全員が着席するのを待って、貴子が口を開いた。

 

「それじゃあ、今回の趣旨を説明する。ルールは県大会同様今年の高校競技ルールの東南戦だ。文堂のみ須賀が後ろでアドバイスをしながら打つ。他の連中はそのアドバイスが聞こえるだろうが聞いてないつもりで打ちまわせ」

「文堂須賀と華菜ちゃんたちってことではないのかし?」

「あくまで個人戦ってことを念頭に打ちまわせ。情打ちとかもなしだ」

「わかったし!」

 

 瞬間、それまでころころ表情が変わっていた池田の目に気迫が燃える。牌に感情が乗るタイプと分析していたが、実際に相対してみると気持ちの切り替えが早くスムーズだ。流石に全国区の学校である風越の特待生で入るだけのことはある。実力は認めつつもにゃーにゃー言うかわいいマスコット――清澄で言う優希のポジションくらいのつもりでいた京太郎は改めて気を引き締めた。

 

「お互い慣れないうち回しになると思うけどよろしく」

「よろしくお願いします!」

 

 同学年なのにヤケにばかっ丁寧である。カードの件に加えて咏のことが解った以上無理からぬことではあるのだろうが、京太郎としてはできればざっくばらんに行きたい所である。関係を深めるのは今後に期待するとして、今は麻雀のことだ。

 

 場決めの結果、池田が出親。美春、星夏、深堀と続く。星夏は池田の対面だ。できればちょっかいをかけやすい池田の上家が良かったが、それも麻雀である。

 

 後ろに立って指示をしながらというのは経験がない。うち回しに口を出すということはあったが、それはあくまで打つのは別の人間だ。今回は文堂が牌を握っているだけで実質打つのは京太郎本人である。間に一人を挟んでいるせいか、運の流れがほとんど感じられない。フラットに打つ感覚というのも久しぶりだなと感動していると、親の池田から切り出しが始まった。続いて美春はツモ切り。星夏の手牌は

 

 一一三五九①⑤⑧⑨2南西白 ツモ4 ドラ②

 

 このような形である。京太郎の言葉を待たず、当たり前のように定石通り南を切ろうとした星夏に、京太郎は声をあげた。

 

「待て」

「……コーチ。まだ一度も牌を切ってないのに心が挫けそうなんですがっ!」

「成長のためだ我慢しろ文堂。須賀、なんでダメなのか説明を頼む」

「上家南家の吉留さんがドラトイツ含みの筒子混一色気配で南もトイツです。拙速気味なので一鳴きはないかもと思いますが念のためケアします。文堂、この局は引き気味に打とう」

「…………」

「みはるん安心しろし、これはワシズ牌じゃなくて普通の牌だし」

 

 牌を裏側から眺める美春に池田がフォローを入れる。続いて何故そこまでという視線が風越の四人から向けられるが、その『何故』を解説するのは難しいし、今はまだその時ではない。

 

「続けても?」

「ああ。今解ってることは全部言って良い」

「了解です。吉留さんの手も高いがこの局は池田さんに要注意だ。横に広くタンピン系、高めの三色の気配が見える。加えて手も早そうだ。池田さんに連チャンされると手がつけられなくなるから、まず池田さんの親を流すことに重点を置こう。最悪振り込むことまで覚悟しておいてくれ」

「…………」

「華菜ちゃん大丈夫だよ牌は透けてないよ」

 

 しかめっ面をして牌を後ろから眺める池田に美春がフォローを入れる。まだ一巡もしていない状況でそこまで読まれるのは選手としては不可解だろう。だが強豪校の選手ほど深く分析はされるもので、池田は長野県においては強豪校である風越のエース級選手だ。しかも一年の時からレギュラー、団体戦では大将なので牌譜にも事欠かない。

 

 加えて今のレギュラーの中では一番ポーカーフェイスが苦手ときている。正直まったく分析ができなくても態度を注意深く観察しているだけでテンパイしているかしていないかくらいは誰でも解る気がするのだが……先日妹さんたちと仲良くなり『お姉ちゃんのことよろしくだし!』と元気いっぱいに頼まれたばかりなので、清澄としてはライバルなのだがどうにかしたい所ではある。

 

 だが今は未来のことではなく対局のことだ。星夏に打ってもらいながら分かったことをその都度言葉にしていく。対局者たちは打ちにくいことこの上ないだろうが、根が素直なのか星夏は京太郎の言うことに一々頷き受け入れていた。

 

 京太郎がどう考えながら打とうとしているのか自分なりに考えながら打ちまわしているのだ。流石に一年で強豪風越のレギュラーに、特待生を抑えてなっただけのことはある。自分と同学年だからこれから二年は県内で凌ぎを削ることになる訳だが、それが今から楽しみだ。

 

「池田さんがテンパイしたぞ」

 

 六巡目。対面の池田がツモった瞬間の宣言に、その池田からじっとりとした視線が向けられる。年上からのそういう視線には弱い京太郎だが、対局中なら話は別だ。強い心で受け流していると諦めたのか、気持ち強い声で池田からリーチの声がかかった。

 

 南家の美春は残念ながら手が進まずまだリャンシャンテン。南を絞ったのが効いたのだろう。奇しくも残り二枚の南を星夏が抑える結果となった。引き気味に打つことはとりあえずクリアできた形となる。

 

「さて、怖い池田さんに相対している訳だが残念ながらこのままだと一発でツモられそうだ。三色はもう確定してて、そこにメンタンピン一発ツモ赤。プラス要素は裏ドラが乗っても三倍満には届かない所くらいだな」

「さてはお前インナミだな京太郎!」

「黙って集中しろ池田!」

「どうすれば良いんでしょうか!」

「振り込む。幸い下家の深堀さんがひっそりと平和のみをテンパってくれている。当たり牌もカブってない。深堀さんは手替わりするのを待ってた訳だけど、親がリーチかけてるならアガってくれるだろう」

「…………」

「何度確認するんだお前ら。牌は透けてねえって言ってんだろ」

 

 今度は三人全員で牌を裏側から凝視する面々に貴子が苦言を入れる。星夏は一度京太郎を振り返ったが、特に何も言わず一人で表情を引き締めると牌を切った。池田の当たり牌でなく平和でテンパっている純代に差し込める牌は、手牌の中では一枚しかないように思えたからである。

 

 京太郎も特に指示は出さなかった。それくらいなら解るだろうという信頼が背景にあってのことだったが、事実、星夏は何も言わなくても京太郎が意図していた牌を切ってくれた。普段から真面目に打ち込み勉強しているのがよく解る。

 

「……ロン」

 

 釈然としない様子の深堀からロンの声がかかった。京太郎と星夏の予想通りの牌での待ちである。同じく釈然としない様子の池田が『失礼』とマナー通りに声をかけて本来自分がツモる予定だった牌をめくる。出てきた三萬だが、

 

「にゃーっ!!!」

「うるせえぞ池田!!!」

 

 それがまさに欲しい牌だったことで奇声をあげる池田に貴子が怒鳴る。予想通りの牌だったことに京太郎はひっそりと安堵する。自信があったからこそ自信満々で言った訳だが、現実を見るまでそれは絶対ではない。自分一人だったらそれで完結した話でも、今回は他人の代わりに打つ形で指示を出した。言わば星夏を巻き込んでいたのである。

 

 これで外していたら実力で風越のレギュラーを勝ち取った彼女に不信感を持たれてしまったかもしれない。麻雀に熱意を持って取り組む人は基本的に大好きな京太郎としてはそうならなくて良かったと胸を撫でおろしていたのだが、事態は少しだけ京太郎の予想していない方向へと進んだ。

 

「すごいです!」

 

 勢いよく立ち上がった星夏が京太郎に詰め寄る。細めの目を限界まで見開いた彼女の気迫に圧の強い女性には慣れているはずの京太郎が一歩後退った。

 

「これが、こんな視点で麻雀をしていたなんて……須賀くんやキャプテンが見ているのは、こういう世界なんですね! 私は感動しました!」

「感動しただけじゃ何もついてこねえぞ文堂」

「練習します勉強します! 私はこんな麻雀を自分で打ってみたいです!」

「福路や須賀みてえな視点は一朝一夕には身につかねえぞ。下手したら一度しかない高校生活を練習だけで潰すかもしれんがそれでもやるか?」

「やります! 私は麻雀を高校でやめるつもりはありませんから!」

「良く言った」

 

 満足そうに貴子は微笑む。一年レギュラーの星夏は風越としては期待の新人だろう。美穂子はこの夏で卒業なので、新体制の中核を担うレギュラーの飛躍はコーチとしては願ったり叶ったりの展開である。ここを切り取るだけでも風越としては今回の合宿を企画した意味はあったはずだが……小さくため息を吐いて振り返ると、清澄の面々からじっとりとした視線が向けられていた。お前はどこの子なんだという心の声が聞こえてくるようである。特に一年三人の視線がきつい。 

 

「居心地悪くなったらいつでも龍門渕に来て良いからね」

 

 いつの間に近づいていたのか。耳元で囁かれる一の声にぐらっと来ていると脛に蹴りが飛んできた。明らかにムカついている顔の久に襟を掴まれて引きずられながら、京太郎の胸にあったのは安心感だった。年上らしくにこにこしている久も良いのだが、感情をはっきり表に出してくれる方が京太郎としては安心である。面倒くさいところが良いところなのだ。

 

「俺は久さんについていきますよ」

「うるさい浮気者!」

 

 

 

 

 

 



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番外編
番外編1 中学二年のバレンタイン


一日送れてしまいましたが投稿します。
沢山チョコを貰うせいでいまだに誰か忘れてるんじゃないかという気がしてなりませんが、今回は大丈夫だと思います。思いたい。
ここに書かれていなくても貰ったんだと脳内補完してくださいますと幸いです。


 

 

 

 

 

 

 その日の朝は、いつにも増してすっきりと目覚めることができた。

 

 カレンダーを見る。二月十四日。男子にとっても女子にとっても特別な日。そして男子にとって男としての名誉に関わる大事な日だ。ベッドの上で伸びをする。普通の男子ならば『一個ももらえなかったらどうしよう』と緊張でもしているのだろう。

 

 しかし幸福なことに、京太郎は今までの人生で一度もそういう不安を抱いたことはなかった。気にしているのは、ホワイトデーのお返しをどうしようかということばかりである。

 

 沢山貰うということは、沢山返さなければならないということでもある。出来合いのものを買っているとそれだけでお年玉が吹っ飛ぶことにもなりかねないので、最近は全員分纏めてお菓子を作り、それを振舞うことにしている。全員一緒だと味気がないかとも思ったが、これで全員別にすると金もかかるし時間もかかって本末転倒となる。

 

 一度友達にそういう環境であると口を滑らせた時にはタコ殴りにされかかったが、沢山貰う人間にはそれなりの苦労があるのだった。

 

 すぱっと起きて朝食の準備をする。

 

 2013年2月14日。この日は木曜日、平日である。父親は一昨日から出張に出ており、母親はそれについていった。父親のお世話という名目であるが、これを機会にいちゃつく算段だろう。結婚して随分になるが、あの二人は仲が良い。

 

 朝食を一人で済ませ、飼っているペットのカピバラに餌をやる。ゴハンだぞー、と声を挙げると彼女らは駆け寄ってきた。名前は『ウタサン』と『エイスリン』である。買ってきたのは母親だ。昔からカピバラを飼うのが夢だったらしい。

 

 きゅーきゅー言いながらご飯を食べるかわいいペットをもふもふしてから、戸締りをして家を出る。

 

 ここから合流地点までは、一人の登校だ。雪の残る道を寒さに凍えながら歩く。

 

「京ちゃん、おはよう!」

「おはよう咲」

 

 遅刻したことはないが、ここで咲を待ったという記憶もない。咲は必ずここで待っていて、京太郎はいつも迎えられていた。子犬のような童顔に、今日はもこもこした耳当てが乗っている。子供っぽい趣味であるが、顔の造りが幼い咲には良く似合っていた。

 

「はい、京ちゃん。今年もチョコレート」

「今年もありがとうな、咲」

「お姉ちゃんからも預かってるよ。京ちゃんにちゃんと渡しておいてね、って昨日何回も念を押されたんだから」

「俺から電話して御礼を言っておくよ」

「お返しは手作りお菓子が良いって」

「腕によりをかけて作ると伝えておこう」

 

 入学前の宣言通りインターハイで優勝し、最強の女子高生の名前を欲しいままにしている照は『おかしがあればそれで良い』という特殊な感性をしている人だった。毎年手作り菓子を喜んで食べてくれる人でもある。男としては何となく物足りないと思わないこともないが、美味しく食べてくれるのならばそれ以上のことはない。

 

 何より毎年チョコをくれる。お菓子大好きの照にとって、他人にお菓子をあげるというのは、最上級の親愛の証なのだ。

 

「一応紙袋持ってきたけど、いる?」

「お前俺をどんだけモテキャラにしたいんだよ。学校でそんなに貰う訳ないだろ?」

「そうだよね。京ちゃんのチョコはおうちに沢山送られてくるもんね……全国から」

「頼むから、あまり言いふらさないでくれよ?」

「そんなことしないよ。京ちゃんが凄いモテるなんて言いふらしても、私は何にも嬉しくないもん」

「お返しは奮発するから、許してくれ」

「お姉ちゃんの分もね。一緒じゃないと、私はやだよ」

「解ったよ、お姫様」

「よきにはからえー」

 

 軽口を叩きあいながら、学校につく。

 

 下駄箱を空けたらチョコが、とか、机の引き出しにはチョコが満載ということはなかった。中学校では須賀京太郎は意外な程にモテない。照が在学していた時は照が。照が卒業してからは咲が京太郎の隣にべったりであるので、女子が近づく隙がないのだ。いつも隣に女子がいるのにチョコを渡せるような肝の太い女子は中々いない。精々クラス全員に義理チョコを渡すというタイプの、顔の広い女子から貰うくらいである。

 

 そんな訳で、中学校での獲得数は義理チョコが2つという実に普通な成果だった。

 

 卒業するまで学校ではこんな風になるのだろう、と何となく思っている京太郎だったがこの翌年、隣のクラスにいる『美少女だけど騒々しく、人気投票をやれば上位だけど彼女にするのはちょっと……』という男子からの評価は微妙な中学100年生からチョコを貰うようになるのだが、それはまた別の話である。

 

 何処そこで告白されていた、というクラスメートの話を遠くに聞きながら、だらだらと授業を受け、咲と一緒に帰路に着く。

 

「それじゃあ京ちゃん、モモちゃんによろしくね?」

 

 今朝合流した場所で、咲と別れる。咲の背中が見えなくなるまで見送ってから、そこでずっと待っていたモモに向き直る。モモも、咲が消えた方を気にしていた。二人は親友であるが、今日は言葉どころか視線も交わさなかった。無視をされた、とはモモも思っていないだろう。気を使われた形になったモモは、咲が消えた方にいまだに気遣わしげな視線を向けている。

 

「咲ちゃんには悪いことをしたっすね……」

「あいつ、とっぽいくせにこういう所は気を回せるのが凄いよな」

「私のこと見えてたんすかね?」

「見えちゃいないけど、解ってはいたみたいだな」

「……今日、帰ったらお礼の電話を入れておくっすよ。そんな訳で京さん、バレンタインのチョコっすよ! 手作りっすよ!」

「毎年ありがとう。今年も味わって食べさせてもらおう」

「今年は京さんの好みを考えて甘さ控えめにしておいたっす。と言っても、京さんが自分で作るチョコよりはアレだと思うっすけど」

「女の子から貰えるってことに価値があるんだよ。味なんて気にしないぞ俺は」

「そう言ってもらえると助かるっすよ。例え京さんが貰うチョコが十個や二十個もあると知っていても……」

 

 モモの言葉がちくりと胸に刺さる。全国に『女友達』がいることは、モモも知っている。何処に誰がいる、とまで話したことはないが、会話の端々から察せられてしまったのだ。今は東京にいる照もこれを知っていた。チームメイトの菫が実は昔馴染みだと知った時には『どういうことだ』と詰め寄られもしたが、今はあの二人もルームメイトとして仲良くやっているという。

 

「それじゃあ私は行くっすよ」

「お茶くらい出すぞ」

 

 モモは県北にすんでおり、ここまで来るにもかなりの時間がかかっている。咲に無駄に連れまわされて家に着くまでに時間がかかったのは、モモがこちらに来るまでの時間を稼ぐためだった。遠くから来てくれた友人に対して『お茶くらいは』と思うのは男として当然のことであるが、モモは笑顔で首を横に振った。

 

「咲ちゃんが帰ったのに私だけお家に上がるのは、ルール違反っすからね。今日は遠慮させてもらうっす」

「そうか。それは残念」

「でも今日じゃなければ遠慮なく上がるっすよ。今回のパスは、その時に上乗せしておいてほしいっす」

「解ったよ。次に来た時には、茶菓子のグレードを上げさせてもらおう」

「咲ちゃんの分もっすからね? 期待してるっすよ!」

 

 言って、モモは手を振りながら帰っていった。何の未練もないといった背中には、京太郎の方が名残惜しさを感じてしまう程である。こんなに女々しい性格だったかと自分について考えながら、家の門を潜る直前、ポストに溜まっていた不在通知をとりあげる。

 

 荷物の個数を確認してげんなりとしながらも、今日中に届かないと意味はないのだと思いなおして、運送屋さんに電話。二十分の後には全国からの荷物が全て京太郎の手元に揃っていた。居間のテーブルに積み上げると、中々壮観である。これが全てチョコか、と思うと男として嬉しくなると同時に、想像しただけで胃がもたれてきた。

 

 さてどうしようか、と思っていた矢先、携帯電話に着信があった。ディスプレイを見ると『衣姉さん』とある。

 

「もしもし、姉さんですか?」

『京太郎! 今日はバレンタインだな!』

 

 耳元で元気印の声が聞こえる。年上の小さな姉は、今日も元気だった。

 

『衣の弟でかっこいいお前のことだから沢山貰っているとは思うが、衣たちからも用意させてもらった。本当は直接渡しに行きたかったのだが、透華の都合がつかなかったので郵送ということにさせてもらったぞ』

 

 透華の都合が悪くても衣はこれるはずだが、衣はそれをしなかった。行動するなら全員で、というのは衣たちの不文律である。自分達は一人じゃないということを、彼女らは全員が理解していて、全員がそのように行動する。友情という目に見えないものが、衣たちの間には確かにあるのだと京太郎も実感することができた。そんな彼女らに身内と思ってもらえているのは、やはり幸せなことなのだろう。

 

「さっきポストを開けたんだけどさ、中の不在表には姉さんたちの名前はなかったぞ?」

『当然だ。郵送を頼んだのは今さっきだからな。そろそろついている頃だ。ポストを見てくると良い』

 

 衣の言葉には色々とおかしなところがあった。さっき頼んだばかりのものが、今ついているはずがない。衣が住んでいる龍門渕の屋敷と須賀家の間には、距離が大分あった。お金持ち御用達の特急便があったとしても、もっと時間がかかるだろう。

 

 しかし、衣の声は確信に満ちている。願望を口にしたというのではない。訝しく思いながらリビングを出て、ポストを開ける。

 

 そこには紙袋が納まっていた。市販のチョコで言うなら、六個くらいは入りそうな大きさである。間違いなく、さっきポストを開けた時にはなかったものだ、不在表を確認している間に、誰かが届けにきたのだろう。

 

 その『誰か』が誰なのか。考えるのはやめにした。あくまで執事なあの人ならば、不可能くらいは可能にしてくれるだろう。何しろ不可能はここにある。

 

『あゆむとともきは手作りで用意したようだ。心して食すが良いぞ』

「きちんと味わって食べさせてもらうよ。皆にはよろしく伝えておいてくれ」

『わかった。ではな!』

 

 電話を切り、居間に戻る。紙袋の中には歩の分も含めて6個のチョコがある。その全てにメッセージカードが添えられていた。だから開けなくても、どれが誰のものかはすぐに解った。

 

 

『最愛の弟に! 天江衣』

『日頃の感謝を込めて 龍門渕透華』

『いつもありがとう 国広一』

『たまにはこういうのもアリだな 井上純』

『愛しの京太郎くんへ 杉乃歩より』

『私を食べて 沢村智紀』

 

 

 誰とは言わないが、一つだけ食べて良いものか判断に困るものがあった。中身は後で纏めてみようと、袋ごとテーブルの上に載せる。

 さて、と京太郎が最初に手に取ったのは、奈良からの荷物だった。

 

 差出人は連名で五人分。高鴨穏乃、新子憧、松実玄、松実宥、鷺森灼。

 

 最後まで読んで、京太郎は首を傾げる。最初の四人はすぐに顔が浮かんだ。奈良に住んでいた時に一緒につるんでいた同級生二人と、世話になった上級生の姉妹である。

 

 しかし、最後の一人が浮かばない。そもそも『灼』というのが何と読むのかも、京太郎には良く解らなかった。

 

 その一文字だけを打ち込んで、携帯で検索してみる。しゃく、やけつく、あらたか……

 

 そこまで読んで京太郎は『あぁ』と声を漏らした。

 

 思い出した。ボーリング場の女の子だ。一つ年上の小さい先輩で灼の一文字で『あらた』と読んだはずである。小学生の時から付き合いのある他の四人と違って、会話をしたのもあの日だけ。メールアドレスの交換もしていないから、連絡も取れない。

 

 そんな関係の薄い人間のために、少なからず手間をかけてくれた。何と律儀な人なのだろうと感動しながら、別の荷物を手に取る。

 

 今度は鹿児島である。

 

 これも毎年恒例で、神代の姫君である小蒔の名前を筆頭に、六女仙の名前が続いている。都合七人の連名だ。中身もチョコではあるが、何だか上品だった。

 

 上品でありつつも、手作りである。そうであるが故に個性も出ていた。

 

 小蒔はあくまでチョコレートを作ろうとしているため、良くも悪くも普通のチョコレートができあがっている。それでも姫様と持ち上げられるだけあって、あれで家事は万能なのだ。小蒔のことを知っている人間は、まず最初にその事実で驚く。

 

 霞や春の作るチョコはこちらの好みを優先してくれるので、甘さ控えめだ。日々研究もしているのだろう。こちらを飽きさせないよう、ビターチョコでありながらも味は毎回変わっている。受け取る側としては嬉しい演出だった。

 

 明星と湧は大抵合作である。今回もその例に漏れなかった。名家の子女らしく料理も学んでいるようだが、年長の五人に比べるとその腕はイマイチだった。

 

 合作にしているのも、人数を増やすことで腕をカバーしようという意図があるが、毎年そうしているだけあって今年のチョコは中々のデキだった。ラッピングもチョコの見栄えも申し分なく、一片齧ってみれば、味も中々である。来年からは別々に作ります! と可愛らしいメッセージカードも添えられていた。今から来年が楽しみである。

 

 巴は真面目そうな印象とは裏腹に、奇をてらったチョコを用意してくる。どこから調べてくるのか『これはちょっと……』と思う素材であることが多いのだが、それでも毎回美味しく仕上げてくるのは、彼女の料理の腕に寄るものだろう。小蒔たち七人の中では、おそらく巴が一番料理が上手い。

 

 初美はこちらのことなど考えずに、自分の好みを優先した甘ったるいチョコを送ってくることが多い。今年も例に漏れず、とにかく甘い。これはこれで美味しいが、一つ食べただけで胸焼けがしそうだった。これはお供が必要になるな、とコーヒーの用意をしながら、次の包みに手を伸ばす。

 

 遥々大阪からやってきたのは怜の荷物だった。毎年恒例の手作りチョコである。病弱であることに胡坐をかいて、全てを他人任せにすることを怜はよしとしない。自分でできることは自分で、というのが彼女のポリシーだ。

 

 だから一通りの家事はできるし、料理もそれなりに得意だと本人から聞いている。その腕を見る機会は、残念なことにほとんど恵まれていない。年一回のこのチョコが、怜の腕を知るほとんど唯一の機会だった。

 

 今年のチョコは……と、口に運ぶ。甘さ控えめの、上品な味だった。怜の好みはもっと甘いチョコレートであるが、これは京太郎自身の好みに合わせて、甘さを調節してある。思わず美味い……と口にすると『どやっ!』とキメ顔をする怜の顔が脳裏に浮かんだ。デコピンしたいくらいに憎らしい顔だが、悔しいことにチョコは本当に美味しい。好みはしっかりと把握されていた。恐るべきは幼馴染である。

 

 大阪からやってきた荷物は、もう一つあった。差出人は清水谷竜華とある。持ち上げてみると異様に柔らかく、そして軽い。手触りからして毛糸のようだ。期待と困惑で胸を膨らませながら梱包用紙を取ると、中から出てきたのはシックな色合いの手編みマフラーが出てきた。

 

 持ち上げて、広げて見る。大きさ的に男性が使うことを想定しているようだ。怜や竜華くらいの女性が使うには大きすぎるし、色も地味すぎる。純辺りならば好んで使いそうであるが、普通の女子はこのマフラーを使ったりはしないだろう。

 

 デザインも凝ったものだ。少なくとも、昨日今日編み物を始めた人間には編めそうにもない。齧ったことがあるから解るが、なれた人間でもこれを編むのに、一ヶ月はかかるだろう。

 

 マフラーには手紙が添えてあった。女の子らしい可愛らしい字で曰く。

 

『怜にあげるものの練習用に編みました。捨てるのも勿体無いので差し上げます。ハッピーバレンタイン』

 

 簡素にも程がある文言だった。くれるというのなら貰うが……こんな良いものをもらっても良いのだろうか、と困惑する。手作り菓子に手間がかかっていないとは言わないが、このマフラーは練習用とは言え物凄い手間がかかっていた。しかも食べればなくなるものではなく、形として残るものである。

 

 ここまでのものを貰ったからには、お返しにも気を使わなければならないだろう。特に仲良くもない人間に、ここまでの物を送ってくれるのだ。きっと根は凄く礼儀正しく、優しい人に違いない。

 

「出会いは良かったんだけどなぁ……」

 

 こんな人が彼女になってくれたら、と思ったのを思い出す。今もその気持ちは変わっていないが、邪険にされている現状に変わりはない。それでも、バレンタインに贈り物をしてくれる程度には打ち解けたのだと思うと、素直な気持ちでマフラーを巻けるような気がした。

 

 室内ではあるが早速マフラーを巻き、次の包みに。

 

 愛媛からやってきたのは、良子のものだった。高校最後のインターハイでは決勝まで無事に駒を進めたが、『新星』宮永照に阻まれ、二位に終わった。あの時はどうやって声をかけたものか迷ったものだが、そんな良子も地元のチームにスカウトされ、年が変わる前に就職が決まった。就職祝いということで遊びにきた良子にご馳走してもらったから、良く覚えている。

 

 今は引越しだ研修だと卒業を前に忙しいはずだったが、それでも、バレンタインのことを忘れていなかったことに、内心で感謝を捧げる。

 

 中身は京太郎でも名前を知っている、高級チョコだった。パッケージには日本語が一切なく、良子のセンスの良さが光っている。女子高生のうちにはあまり英会話を使う機会はなかったらしいが、プロになれば使う機会もあるだろう。海外を転戦して腕を磨きたいと言っていた、あの日の良子の夢が叶う時がすぐそこまで来ている。友人の一人として、世話になった後輩として、良子が活躍できることは素直に嬉しかった。

 

 後で激励の電話でもしようと思いながら、更に次の包みに。

 

 宮守女子一同とあった。塞たち岩手の面々である。三人は同じ女子高に入学し、麻雀部を結成したという。三人だけで団体戦には参加できないが、個人戦に参加するために特訓をしているとのことだった。

 

 包みを開けてみる。転校してからこっち、毎年連名でチョコをくれる三人だ。そろそろ他に部員が欲しいとよく連絡を貰うが、勧誘は芳しくないらしい。岩手の山間にある女子高となれば、それも無理からぬことかもしれない。京太郎が岩手にいた時も、男子も女子も違うものが流行していた。転校してから麻雀ブームが来たというが、ブームというのは往々にして一過性のものである。小学生の時から競技として麻雀に打ち込んでいるあの三人の方が、あの辺りではレアなのだろう。

 

 見た目の通りに可愛らしい胡桃のチョコに、美味しく見た目も綺麗なのだけれどどこか和風なイメージが残り、個性の出ている塞のチョコ。その二つと一緒に並んでいるのは、信じられないくらいきっちりとしたラッピングのチョコだった。包装紙は茶色の混ざった黒という、男性向けの色合いである。市販のものではない。包装紙もどこかから買ってきて、自分で包んだのだろう。

 

 手仕事というのは、その人間の器用さが出るものである。材料だけを買ってきて、最初から自分でやるとなれば、その人間のスキルが全て出ると言っても過言ではない。胡桃のものも塞のものも、上手いなりに素人がやったんだろうな、という味が出ているが、シロのものにはそれがまるでなかった。

 

 ラッピングにもチョコの造形にも全く隙がない。普段はダルダル言っているシロの実力を垣間見る瞬間である。本当はSだけどダルいからBを地で行くのが小瀬川白望という少女だった。普段からこうならと思わずにはいられないが、そうなるとすぐにガス欠になってしまうのだろう。年に一度出す本気だからこそこれくらいのものができるのだ。

 

 その本気を自分のために使ってくれていることに、京太郎は嬉しくなった。

 

 今年も美味しくいただこうと、チョコの前で手を合わせた所で、呼び鈴が鳴った。出鼻を挫かれた京太郎は、ぶつぶつ文句を言いながら玄関へ向かう。不在表は全て確認したし、来客という時間でもない。一体誰だと特に確認せずドアを開けた先にいたのは、

 

「おーっす、遊びに来てやったぜ、京太郎」

 

 この世で最も敬愛する小さな師匠だった。

 

「咏さん!? どうして長野に」

「遊びに来てやったって今言っただろ?」

 

 からからと笑う咏は和装ではなく、洋服だった。いつかはそれで小学生のふりをしていたが、今日はもう少し年上に見える。それでも二十歳を越えた大人には見えないのは、外見に合わせてキャラを作れる咏の演技力の成せる技……ということに、京太郎の立場ではしなければならない。

 

 靴を脱ぎ、スタスタと先を行く咏の小さな背中を見ながら、考える。

 

 遊びに来てくれたというのは素直に嬉しい。咏とは積もる話もあるし、聞きたいことは山ほどある。

 

 だがここは長野だ。実家は神奈川、自宅は都内にある咏がこの時間に長野にいるということは泊まりである可能性が高い。程よく田舎である須賀邸がある地域から、ホテルがある場所までは歩いて行くには時間がかかる。両親が今日帰ってくるか解らない現状では、咏を送るとも言えない。

 

 最悪、この家に泊めることになるだろう。咏とは知らない仲ではない。神奈川の実家に泊めてもらったこともあるし、泊めることそのものは別に嫌ではないが、ただの中学生である須賀京太郎と違って、咏には立場がある。売れっ子のプロ雀士が、中学生の家にお泊りというのは如何にも外聞が悪い。

 

「咏さん、今日はどうするんですか? 近くに泊まる場所でも?」

「今日はここに泊まるつもりで来たぜ? 荷物もついでに持ってきた」

「すいません。今両親がいないんで、確認が取れないんですが……」

「それは私がやっておいた。息子をよろしくって頼まれちゃったぜ?」

 

 知らんけどー、と言いながら、咏はカピバラ二匹と戯れていた。顔を合わせるのは今回が初めてのはずだが、二匹とも咏にしっかりと懐いている。特にウタサンの懐きっぷりが半端ではない。名前が同じだけあって、波長が合うのだろうか。顔を摺り寄せてくるウタサンをあやす咏の目が、テーブルの上のチョコの山に向いた。にやりと笑った咏の口の端が上がる。これは、こちらをからかう時の顔だと直感した京太郎は、思わず身構えた。

 

「そういや、今日はバレンタインだったなぁ。大漁なようで何よりだねぃ」

「おすそ分けしたいところですが、物が物なので……すいません」

「男として当然の心がけだ。一つどうです? とか言われた日にゃ、贈り主に代わって私が制裁を加えてたところだよ」

 

 からからと咏は笑う。彼女の場合、やると言ったらやる。別に武道を学んでいた訳ではない咏の攻撃力はそれほどでもないが、小さい身体を存分に使って容赦なく蹴飛ばしてくるので、覚悟と勢いが違う。はやりんの件で口を利いてもらえなくなった時の蹴りは、京太郎が今まで喰らった中でも五指に入る痛さだった。

 

「ま、そんな私からもあるんだけどね。頑張って麻雀の勉強してるかわいい弟子に、師匠からチョコのプレゼントだ」

「ありがたく頂戴します」

「お返しは別に期待してないが、実は夕飯がまだなんだよねぃ。ご両親にはよろしくされた訳だし、そっちは期待しても構わないかい?」

「構いませんよ。じゃあ、俺はこれから準備にかかりますから、咏さんはウタサンとエイスリンと一緒に遊んでてください」

「りょーかい。しっかしウタサンはかわいいね。やっぱ名前が良いんだな!」

 

 笑顔でカピーズと戯れる咏を見て、京太郎は安堵の溜息を漏らした。エイスリンの名前を決めたのは母親だが、ウタサンにしようと決めたのは京太郎だった。尊敬する師匠の名前をつけたい、と敬意を持った発想でもって命名したのだが、ペットのげっ歯類に師匠の名前をつけるのはどうなのかと思い至ったのは、ウタサンが自分の名前をしっかり覚えた後だった。

 

 そういう名前をつけたということは、カピーズが落ち着いた時に知らせてあるのだが、実は怒っているのではないかと気にしていたのだ。

 

 だが、この様子を見る限り、名前の件はそれ程でもないようだった。少なくとも即座に蹴りが飛んでくるほどではない。

 

 カピーズと戯れる咏を微笑ましく眺めながら、夕食の準備に取り掛かる。咏と一緒に一晩過ごすのは、小学生の時以来。こちらの家でというのは、神奈川の時も含めて初めてだ。差し入れとバレンタインのお返しということでお菓子を振舞ったことはあるが、食事のお世話をするのは、今回が初めてである。

 

 腕によりをかけてつくろう。そう思って準備をするのは、久しぶりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番外編2 中学二年のホワイトデー

 2013年3月14日、ホワイトデー。一月前に頑張った乙女には、それなりに重要な日。清水谷竜華は帰り道をひた走っていた。

 

 怜の話では、京太郎は律儀な男だから、バレンタインのお返しにはその日に届くように毎年贈ってくれるという。基本的には手作りのお菓子という女子力の高いお返しらしいのだが、一ヶ月前に竜華が贈ったのは市販のお菓子でも手作りのお菓子でもなく、手編みのマフラー。

 

 どういう感情が篭っているかはともかくとして、それに格別の手間がかかっていることは誰でも理解はできるだろう。律儀に対応してくれるのなら、それなりに特別な対応があるかもしれない。手作りの物を送ろうと決めた背景には、そういう打算も確かにあった。

 

 ただ、その打算はしっかりと、何を贈るか思いついた後に生まれた。自分が編んだものを身に着けてくれたら嬉しいなぁ、とマフラーを選んだのは実に乙女らしい発想だと思ったのだが、麻雀部の仲間であり、親友の一人であるセーラは竜華の行動に渋面を作った。

 

『それは……重ないか?』

 

 少年のような格好をしているセーラにとって、チョコというのは贈るものではなく貰うものだ。女子高の中にあってもそれは変わらない。むしろ中学の時よりもモテているセーラは、竜華の友達の中では最も男の子に近い感性をしていると言っても過言ではない。

 

 その男の子なセーラの発言に、休み時間もせっせと編み棒を動かしていた竜華の手も鈍った。

 

 駅で大怪我をしそうになった所を助けてくれた京太郎に一目ぼれし、同時に近寄るなと拒絶してしまったのが一年ほど前のことである。長野に住んでいる彼とは当然会うことができず、メールのやりとりも全くしていない。京太郎と最後に言葉を交わしたのは、入学式が最後だ。

 

 一度会っただけ、それも近寄るなと言われた異性から手編みのマフラーが贈られてくるのだ。男の子の側からしたら、確かに重いと思うかもしれない。自分の立場に置き換えてみたら、想像以上に気持ちが悪かった。

 

 重い子と思われたらどうしようという思いは竜華に重くのしかかったが、その時には既にマフラーはほとんど出来上がっていた。我ながら会心の仕上がりで、お蔵入りにさせるには惜しいと思わせるほどだった。このやり取りをセーラとしたのが10日のこと。14日にきっちり届くようにするならば、重い軽いで悩んでいる時間はなかった。

 

 結局、怜にあげるための練習のため、という手紙を添えて14日必着ということで発送した。14日必着と書かれた伝票を見た時の、受付の女性のにやけ面に赤面したのが一ヶ月前。思い出すだけで恥ずかしくなる行動だったが、それもこれもこの日を思えばこそだ。無論、つっけんどんな態度しか取っていない自分に、いかに京太郎が律儀とは言えお返しをくれるとは限らない。

 

 お返しがなかったらショックで寝込んでしまいそうだが、そこは怜が大丈夫だと太鼓判を押してくれた。『私の京太郎はそんなに薄情やないでー』という親友の言葉を信じ、驚異的な持続力でダッシュを維持し、家に着いた竜華はそのままポストを開けた。中身は空である。お返しなし!? とおかしなテンションになりつつ、母親が回収している可能性にすぐに思い至った竜華はそのまま家に飛び込んだ。

 

「あ、竜華? あんたに届けもんが――」

「どこや!?」

「……部屋においといたわよ」

「ありがとー!!」

 

 二階にある自分の部屋までダッシュし、飛び込むように部屋に入った竜華は、勢いを殺しきれずにそのままベッドにダイブした。偶然、竜華の右手が母親が置いたという荷物に触れる。包装紙に包まれた柔らかい感触に、竜華は覚えがあった。それはちょうど一ヶ月前。この部屋でどきどきしながら自分でマフラーを包んだ時に味わったもの。

 

 まさか、と思いながら恐る恐る包みを開ける。中から出てきたのは、淡い色の毛糸で編まれた手袋だった。色合いといい大きさといい、女性用なのは間違いがない。既製品でないのは、編み物をする竜華には良く解った。男の子の仕事だなぁ、と思わせるくらいには聊か拙い編みこみであるが、それでも、丁寧に作ろうと仕事をしたのだということは見て取れた。

 

 手袋を持ち、ほっこりした気持ちでいる竜華の目に、メッセージカードが目に入った。男の子らしい字で曰く、

 

「バレンタインデー、ありがとうございました。怜にあげる物の練習で編んだものですが、良ければ使ってください」

 

 ホワイトデーのお返しに、他の女の名前を出すことに思うことがないではないが、自分と似たような言い回しで返事を書いてくれたことが、竜華には嬉しかった。もらった手袋を抱きしめ、ぱたりとベッドに倒れこむ。

 

 自分は今、相当みっともない顔をしているのだろう。止めようと思っても、顔がにやけるのを止めることができない。やったー、と小さく呟きながらベッドを転がった竜華は、そのままの勢いで床に落ちた。中々痛いが、それでもにやけるのはとめられなかった。

 

 嬉しい。超嬉しい。

 

 きっと沢山返した内の一人なのだろうけれど、そんな自分に手作りのものを贈ってくれたことが、凄く嬉しい。幸せに震える手で、携帯電話に手を伸ばす。誰かにこの気持ちを伝えなければ、幸せすぎておかしくなってしまいそうだった。

 

 コール音を聞くこと、数秒。

 

「りゅーか? 京太郎からお返しはあったかー?」

 

 親友は何でもお見通しだった。まるでお母さんのような声音に、竜華は思いのたけをぶちまけた。

 

「怜! 私はこれで一年は余裕で戦えるで!」

「……どこに行こうとしてるん? まずは落ち着こうなー」

「せやった! あのな、京太郎くんからお返しがきたんよ」

「ほー、うちのとこには恒例の手作りお菓子と何故か手袋がきたんやけど、竜華のところはどないやったん?」

「私のとこにもきたで手袋! あー、もう今日はこれ抱いて寝ることにするわー」

「いかがわしいことに使わんといてなー」

「そんな勿体無いことせーへんよ!」

 

 そりゃあ、ちょっとはそんな考えが頭を過ぎったけれども、と竜華は心中で弁解する。

 

 明日から外で使うことを考えるととてもではないが、怜の言ういかがわしいことには使うことはできない。

 

「そうか。せやったら、次からはお揃いの手袋やな。写真でもとって京太郎に贈ろか。竜華の笑顔の写真とか、京太郎も喜ぶで」

「それは――せやったら嬉しいけど、迷惑やないかな? 京太郎くんにとって私は、幼馴染の態度の悪い友達やと思うんやけど……」

「いやいや、男の子からすると何やったかな……ツンデレ? とか言うて、多少ツンツンしてる方が需要あるらしいで。加えて竜華はおっぱいやから京太郎も嫌とは思わんはずや。もしかしたら、竜華と同じで如何わしいことに使ってしまうかもしれんで」

 

 男の子やからなー、という暢気な怜の声に、竜華は電話を持ったまま真っ赤になる。自分の写真を京太郎が持っている状況、というのも想像したこともなかったが、それをいかがわしいことに使われるというのは、もっと想像したことがなかった。

 

 これが誰とも知らない人間だったら身の毛もよだつ思いがするが、京太郎が相手であると……実に複雑な気持ちである。嬉しいという気持ちは少しだけあるが、恥ずかしいという気持ちの方が強い。でも、

 

「……せやったら、今度セーラにでも写真撮ってもらおか」

「やった。竜華も乗り気やねんな」

「別に如何わしいことに使ってほしいって訳やないで? 写真を持ってて欲しいって私のこの気持ちは、とっても純粋なんよ」

「解っとる、解っとる。そのお礼に京太郎の写真でも寄越せ言うとくから、最新の写真が手に入ったら竜華にも進呈するなー」

「頼むで!」

「でも、あまり期待はせんといてな? 男の子に自撮は中々ハードル高いらしくてな、私も何度かお願いしたんやけど、ほとんど断られてるんよ」

「それでもええよ。手に入ったら、本当によろしくな?」

「OKや。それじゃ、今日はもう切るで。さっきからおかんが呼んでるんや」

「ほんならなー」

 




この後、りゅーかはむちゃくちゃ葛藤しました。むっつりすけべな感じが似合うと思います。
何故か怜はオープンスケベになってることが多い気がしますが……
かおりんとキャップはごめんなさい。


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番外編3 初夢シリーズ 石戸霞編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の部屋で目が覚めた。ぼんやりとし頭で部屋を見まわす。霧島の部屋ではない。屋久島にある石戸本家にある部屋だ。どうしてここにいるのか。考えてみても答えはでなかった。一年に一度は里帰りする実家ではあるが、六女仙は仕える姫君、あるいは当主に合わせて生活する。霞が仕える小蒔はまだ高校生であるから、生活の基準は当然鹿児島になり、一年のほとんどを霧島で過ごす。屋久島に戻ってきた記憶はない。

 

 とは言え、一般人の基準と比べると遥かに不思議に慣れた霧島の巫女である。寝る前に霧島にいて、起きたら屋久島にいたということも、可能性は低いがありえない話ではない。慌てずゆっくりと身を起こした霞は、どうにもぼんやりとした頭のまま、部屋を出た。

 

 暖かい日差しが降り注いでいる。縁側は、何も考えずに日向ぼっこをするには良い環境である。普段は自分を律し、他人にも厳しい霞であるが、起き抜けの頭は早くも惰眠を欲していた。春の陽気に負けそうになり、重い瞼を擦りながら歩いていると、縁側の端に見知った姿を見つけた。

 

 燻った金色の髪は、霞の寝ぼけ眼にも良く映えていた。弟分の京太郎である。人生を麻雀に捧げている彼らしく、この暖かな日差しの中でも麻雀の教本を片手にお茶を飲んでいた。真剣な表情で教本に視線を落とすその横顔に、思わずどきりとする。普段は屈託なく笑うのに、麻雀が関わるようにすると途端にこういう顔をするのだ。

 

 霞としてはその顔が堪らないのだが……それを口にしたら女として敗北してしまう。昔からの親友である初美にも言ったことはない。これは霞の秘めた思いである。第一、普段からお姉さんぶっているのに、どういう顔をしてそんなことを言えば良いのか。こういう時は、兄様兄様と素直に甘えることのできる従妹の明星が羨ましく思える。

 

 六女仙の筆頭として、次期石戸家の当主として、同年代にあっては人を導く立場であることの多い霞は、昔から人に甘えるということが苦手なのである。

 

 京太郎の傍らに立った霞は、無言で彼を見下ろしている。気づいて声をかけてくれるのを待ってみたが、京太郎は教本から全く視線をあげない。恐ろしい程の集中力であるが、空いている右手は集中しているにしてはせわしなく親指と人差し指をすり合わせている。

 

 鹿児島にいる時からの、京太郎の癖である。霧島で麻雀を打つ時はほとんど例外なく文字通り春を背負って麻雀をしていた。その時からくるくるしていた春の髪は、触るのには絶妙な位置にあったらしい。最初は男性に髪を触られることに抵抗のあった春も、京太郎と気心が知れる様になって全く抵抗しなくなった。

 

 むしろ、無意識とは言え髪を触られているという事実を、他の六女仙に無言で勝ち誇る始末である。表情に乏しい春のこれでもかという程のどや顔に流石に霞もいらっと来たが、では同じ立場に収まることができるかと言われると様々な意味で無理なので口答えもできない。

 

 既に気心の知れた仲とは言え、元々京太郎は外部の人間の紹介で霧島にやってきた。自分たちの意思で継続してはいるものの、京太郎に対する行為が三尋木からの依頼の一環であることは対外的には今も変わっていない。つまるところ、外部の人間に対して真っ当な施術ができることが、京太郎にひっつく前提条件である。

 

 六女仙に選ばれるくらいである。霞も一通りの術を修めてはいるが、京太郎に施術ができるくらいの腕があるのは六女仙の中では春と巴の二人だけである。性格上、私もやりたいと巴はめったなことでは言いださないだろうから、霧島において京太郎の背中というのは春の専用だった。

 

 ぼんやりと背中を眺めてみる。この背中にひっついたら気持ちよさそうだ……と寝ぼけた思考で霞はそんなことを考えたが、いい加減ただ眺めるだけにも飽きてきた。こほん、と小さく咳払いをして、呼びかける。

 

「京太郎」

 

 名前を呼ぶと、ようやく京太郎は教本から視線を挙げたが、すぐさま教本に視線を落とした。何だお前かという軽い態度に、霞のテンションは一気に沸点を突破した。

 

「貴方はいつから私を無視できるくらいに偉くなったのかしら?」

 

 力を込めて京太郎の肩を掴む。合気道は霧島の巫女の嗜みであり、霞もそれを習得している。流石に運動神経の良い初美や、戦闘専門の巴や湧には適わないが、巫女の中では上手い方に分類される。殿方とは言え京太郎は素人だ。技を使って京太郎を仰向けにし、そのまま関節技でもかけてやるのが良いか……ふつふつとドSな妄想が湧き立つのを止めもせず、京太郎の姿勢を崩し――

 

 崩す前に、京太郎が霞の手を掴んだ。え、と思ったのも一瞬のこと。瞬時に天地が入れ替わり霞の方が床に転がる。転がされた。それを認識するよりも早く、跳ね起きようとした霞だったが、その頃には既に京太郎に身体を押さえつけられていた。

 

 両肩を押さえつけられ、足も動かせない。おかしな力のかけ方をしているのか、身じろぎもできない有様である。いつの間にこんな技を、と混乱する霞を見下ろす京太郎の顔には、優し気な笑みが浮かんでいた。父親が娘にするような表情に、霞の混乱が深まっていく。

 

「お前こそ、いつから俺に技をかけられるくらい強くなったんだ?」

 

 腕から力を抜いて身体をどけると、京太郎はぽんぽんと霞の頭を撫でて縁側に戻った。傍らに置いた教本を手に取り、再び視線を落とし始める。身を起こした霞は、その背中を茫然と見つめていた。訳が解らない。京太郎の態度も、言葉も、そしてそれらを納得しつつある自分の感性にも。

 

 何かがおかしい。それを霞が言葉にし、行動に移すよりも早く、京太郎が動いた。自分の隣を軽く叩いてみせる。ここに座れ、という京太郎の仕草に、霞の身体は考えるよりも先に動いた。そこが自分の定位置であるとばかりに素早く動き、京太郎の隣に収まると、何故だか幸福感に包まれた。横目で見ると、そこに京太郎の顔がある。それの何と幸福なことだろうか。

 

「お前が悪戯するのは昔からだから今さらだけど、お前の方が姉みたいな設定は流石に無理がないか?」

「兄様がいけないんです。霞は悪くありません」

 

 自然に口を突いて出た言葉に、霞は脳内で半狂乱になった。従妹の明星のような、媚びに媚びた声音である。それが自分の出した声とは信じたくなかったが、勝手に動いたとはいえ、それは間違いなく自分の言葉だったし、それを発したのは自分の身体だった。

 

 霞の意思を離れた霞の身体は、京太郎の腕に腕を絡め、肩に頭を載せる。一緒に本を読んでいる、と見せかけて京太郎の匂いを感じ、彼の横顔を見るのが狙いなのだ。

 

「俺、何かしたかな」

「何もしてないのが問題なんです。兄様の婚約者は霞なのに、最近は明星のことばかり構って! あんまり霞を蔑ろにするなら、霞にも考えがあるんですから!」

「じゃあ、その考えを伺おうか」

「…………に、兄様のことを無視します」

「それならその間は、明星とでも遊んでようかな。霞が相手をしてくれないって言ったら、明星も喜んで相手をしてくれるだろ」

「そんな! 兄様は霞のことはどうでも良いって言うんですか!?」

「そんな訳ないだろ」

 

 教本から視線を挙げた京太郎の指が、霞の顎にかかる。少し年上の幼馴染の、真っすぐな視線に霞の頬も熱を帯びていく。何も言えず、その視線を霞が見返していると、京太郎は苦笑を浮かべながら霞の耳元に顔を寄せた。

 

「俺が一番大事なのは、霞だよ。確かに最近、明星のことばっかり構ってたな。寂しい思いをさせてごめん」

 

 囁くような声音に、霞の全身から力が抜けた。京太郎の肩に頭を預け、婚約者と同じように耳元に囁く。

 

「解ってくだされば良いんです。霞は殿方を立てる良い女なんですから」

「俺には勿体ない女だよ」

 

 ぎゅっと抱きしめられると、霞に全身を幸福感が支配した。状況が理解できないなどありえない。今、この状況こそが正しく、霞が最も望んでいたものなのだ。

 

「それで、その、しばらく霞を構ってくれなかったお詫びを、今から頂きたいんですが……」

「このスケベ」

「心外です! 十二になった夜に部屋に押し入られたこと、霞は忘れていませんから!」

「それはかわいすぎる霞が悪い」

「そ、それなら…………その、これから霞が満足するまで可愛がってくださったら、全部まとめて許してさしあげます」

「覚悟しろよ」

 

 まだ日は高く、ここは外にも面している。声を挙げれば人目を引くこともあるだろうが、そんなことは若い二人には関係がなかった。京太郎に押し倒された霞は、これから起こることへの期待に胸を膨らませる。思い人の顔が近づく。霞はそっと目を閉じ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!! っっ!!! っっっ!!!!」

「だ、誰か来てください! 霞姉様が乱心しましぐえっ」

「明星っ! 巴さん! 巴さんっ!!」

「ちょっと何これどうしたの!? はっちゃん、急いではるる呼んできて!」

「巴、これの相手を一人でやるつもりですか!?」

「これでも退魔師だからね! 何とか持たせてみるよ!!」

「姫様はどうします?」

「邪魔だから寝かせておいて!」

 




元旦にアップしようと思うも間に合わず、放っておいたものですがお蔵入りにするのはもったいないなと思いなおしアップしました。

初夢というには大分時間が過ぎてしまいましたが、お楽しみいただけたら幸いです。


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番外編4 エイちゃんぬいぐるみを買う

 

 

 

 

「ママ! 写真撮って!」

 

 友人とのショッピングから帰ってくるなり、娘のエイスリンがリビングに飛び込んで来たのを見て、母であるソフィーは首を傾げた。家に帰って着替えもせずに、写真を撮ってとはどういうことか。

 

 とは言え反対する理由もない。エイスリンからスマホを預かり、ソファに座った彼女の前に立つ。学校では常に持ち歩いているらしいホワイトボードに殴り書きで『His name is charo!!』と書かれている。彼、というのは腕に抱かれたぬいぐるみのことなのだろう。

 

 見覚えがないから、今日のショッピングで買ってきたもののはずだ。燻った金色の体毛をしたとぼけた表情の動物は一見では何の生き物なのか分からなかったが、ぎゅっと抱きしめている辺り娘はこの謎の生き物を気に入ったのだと解る。

 

 何カットか写真を撮ってスマホを返すと、エイスリンは急いでスマホを操作してどこかにそれを送信した。一仕事やり終えた感じの彼女は、間抜けなぬいぐるみを胸に抱きしめながらソファに寝転がっている。近年見たこともないくらいに嬉しそうなその態度は、他人にこの気持ちを打ち明けたくて仕方がないと言っているように見えた。

 

 昔から顔や態度に出やすい娘だったが、ここまでというのも珍しい。よほど良いことがあったのだろうな、と気付いてはいたが、何も知りません気付いていませんと言った風にソフィーは問いかけた。

 

「機嫌が良さそうね。さっきの写真も随分と嬉しそうだったけど何かあった?」

「だってママ、ようやく生意気な後輩に仕返しできたのよ? 嬉しくない訳ないわ」

「……麻雀部に後輩はいなかった気がするけど」

「この間シロたちが友達を連れてきたって話したでしょ?」

「思い出したわ。遠くに住んでる男の子の話ね」

「そう、その男の子!」

 

 タタ、とスマホを操作してエイスリンが写真を差し出してくる。中央にいるのがその男の子なのだろう。ぬいぐるみと同じ燻った色の金髪をした、中々ハンサムな少年である。顔を見て、ソフィーは彼がエイスリンの好みの線だと直感した。同時に、髪の色とぬいぐるみの色の共通点から、彼女がどういう意図でぬいぐるみを買ってきたのかも察する。

 

「この子がね、カピバラって齧歯類を二匹飼ってるらしいんだけど、その片方の名前がエイスリンなんですって」

「不思議な縁もあったものね」

「それにね、この子キョウタローって名前なんだけど、私が上手く発音できないからって笑うのよ? だからかわいい名前をつけてあげたわ、チャロってね」

 

 ふふん、とドヤ顔のエイスリンである。この時点で、数分先の娘の痴態について予想ができたソフィーだったがそれも口にも態度にも出さない。

 

「そしたら今日、シロたちとショッピングにいった先で、この子を見つけたの! 何だか運命を感じたわ! だからチャロって名前をつけて可愛がることにしたの。おっきい方のチャロが恥ずかしがるのが目に見えるようだわ!」

 

 ふふふ、と小さく笑うエイスリンは本人的には悪い顔をしていると思っているのだろう。母親としては子供が悪ぶっているようにしか見えないが、本人が幸せそうなので放っておくことにする。昔から『黙ってさえいれば正統派美少女』と評判なせいか、たまにどうしようもなくアホになるのだ。

 

「つまり貴女は、自分でニックネームをつけた年下の男の子と、同じニックネームをつけたぬいぐるみを買ったという事実を、その男の子に写真と一緒に知らせたということね?」

「そうよ?」

「……よっぽどその男の子のことが好きなのね。浮いた話のない子だから心配してたんだけど、貴女も人並みに恋をするんだと知って安心したわ」

「な、何を言ってるのママ!」

「だってそうでしょう? 異性と同じ名前をつけたぬいぐるみを持ってますなんてアピールをするなんて、『貴方のことが大好きです』という以外にどういう解釈をすれば良いの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしようママ! もうメールは送っちゃったわ!!」

「今度からはもう少し考えて行動しなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あー! と顔を真っ赤にしてごろごろ転がるエイスリンは、それでもぬいぐるみを離さない。これは本当に大好きの線かしらと微笑ましく見守っていると、エイスリンのスマホが震える。メールの着信のようだ。もたもたした手つきでエイスリンはそれを確認し――そのまま恥ずかしさのあまりしおしおと崩れ落ちた。

 

 スマホの画面に表示されていた写真には、件の少年がとぼけた表情のカピバラと一緒に写っていた。ホワイトボードは用意できなかったのか使われているのはノートだが、そこには中々流麗な筆記体で『Her name is Aislinn!』と書かれていた。

 

 中々ユーモアのある子だなと感心したソフィーの好感度は、こうして人知れず上がったのである。

 

 




小さい方のチャロ。英語で言うとリトル・チャロ。いや、奴は確か犬だった気がしますが。元々後書きに軽く載せる程度の予定だったものなので短めでした。

次こそ有珠山編です。


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番外編5 蓮華と菫と竜胆と

 

 女子の中で過ごした京太郎にとって、コーヒーというのは甘いものだ。本人の好みがどうであれ、付き合って飲んでいる内に舌が甘いものに慣れてしまって、コーヒー=甘いものという図式が脳内に出来上がってしまっていた。たまにブラックを飲んでみても違和感を覚える始末である。

 

 どちらかと言えば苦い方が好みではあるのだがこれを飲む機会はそうないだろうな、と微妙に黄昏つつブラックのコーヒーを飲む京太郎の近くでは、スーツ姿の男性たちが右に左に走っているのが見えた。

 

 西東京。とある街のおしゃれなカフェ。そのテラス席である。男性たちは総じて身なりが良くガタイも良い。一目でセレブな人の護衛です、お世話係です、と解る彼らはしきりに無線でやりとりをしながら、周辺をくまなく見回している。

 

 どうやら人を探しているらしい。これだけの人数で探しているのだ。この周辺にいるというのもそれなりの確度の情報があってのものなのだろう。仕事とは言え快晴の日差しの中、スーツ姿で走り回るのは大変だろうなと思いつつも、京太郎は彼らを眺めるだけに留めていた。

 

 五分程もそうしていただろうか。この辺りにはもういないと判断したらしい男性たちは、これまた絵に描いたような黒塗りのリムジンに乗って一斉に引き上げていった。彼らの姿が遠ざかり、それでもしばらく待って、念のために椅子から立ち上がって右を見て、左を見て本当に彼らが消えたことを確認した京太郎は、自分のテーブルを叩いた。すると、

 

「あー、楽しかった」

 

 クロスの下から現れたのは和装の老婦人である。男性たちが先ほどまで血相を変えて探していたらしいこの老婦人は、待ち合わせの場所に早めに来てコーヒーを飲んでいた京太郎の前に現れると、有無を言わせずにクロスの下に潜り込んだ。白髪交じりのお婆ちゃんのあまりの早業に面食らった京太郎だが、女性の無軌道な振舞いにはシズで慣れている。

 

 厄介ごとの匂いはぷんぷんしていたが、年上の女性の意向に逆らうという選択肢は京太郎には存在しない。事情を聴かずとも真意を理解した京太郎は、職務に忠実な男性たちを前にしても知らぬ存ぜぬを貫き通し、老婦人を守ったのである。

 

「それにしても気の利いた坊やだこと。座っても? もしかしてデートの待ち合わせかしら」

「約束にはまだ30分もありますから大丈夫ですよ」

「ありがとう」

 

 そそと対面の椅子に座った老婦人は、京太郎が聞いたことのない銘柄の紅茶を注文した。その後には魔法の呪文のような言葉が繋がっている。それはお茶の状態に対する更なる注文らしいのだが、それがどういうものなのかそこまで紅茶に詳しくない京太郎にはさっぱりだ。

 

 複雑な注文ができる店だというのは待ち合わせの相手からの受け売りである。まさにそれが彼女がこの店を待ち合わせの場所に選び、常から贔屓にしている理由でもあり、京太郎が二小節魔法(ブラックのコーヒー)を頼んだ理由でもあった。

 

 今度ハギヨシにでも詳しく聞いておこうと心に決めつつ、男性の義務として老婦人との会話を繋ぐ。

 

「お姉さんこそ、今日はどなたかと待ち合わせですか?」

「まぁ!」

 

 老婦人は顔の前で手を合わせ、大げさに驚いて見せる。眼前の少年は一番下の孫の更に二つ年下(・・・・・・・・・・・・)で中学生だ。文字通り祖母と孫ほども年齢が離れているのに、自分を指してお姉さんと来た。どんなに贔屓目に見てもおばさんという見た目の女を捕まえて、迷わず『お姉さん』という言葉を選択した感性もさることながら、それをお世辞と感じさせない声音も素晴らしい。たちまち機嫌を良くした老婦人は、

 

「何か食べる? ここはケーキもおいしいのよ。ああ、殿方ですもの、甘いものは苦手かしら。コーヒーにも何も入れてないようだし」

「オススメなら喜んで。甘いものは大好きですよ」

 

 にっこり微笑んで、老婦人がオススメしたケーキの内の一つを躊躇いもなく注文する。元より老婦人は会計を持つつもりでいたが、少年には金を惜しんだ様子がない。この店は中々高級な店だ。そこそこに裕福な家の子供でも躊躇いなく出費を決めるにはケーキ一つと言っても中学生の身には痛い出費だ。

 

 きっと相手が払ってくれると確信に近いものがあっても、それを気にしてしまうのが子供というものである。大人が付き合いと割り切っても、金に関する問題は顔や態度に少なからず出るものなのだ。

 

 それが少年には全くと言って良い程ない。よほど女性に対して厳しい躾を受けて育ったのだろうか。感心を通り越して警戒に値する感性であるが、老婦人はそれを噯にも出さない。周囲に関係なく自分の思う様に振舞うことは老婦人の得意技だ。

 

「美味しいですね。オススメなだけあります」

「ありがとう。さて、私の話だったわね。待ち合わせ? には違いないのだけどそれは私じゃないの。孫なのよ。どうもデートらしいのよ」

 

 ぴた、と京太郎の動きが止まった。穏やかな雰囲気ではあるが、老婦人の顔だちはとても整っており、笑みを消せば怜悧な印象を与えるだろうことは察せられた。落ち着いてみてみれば、待ち合わせの相手に非常に面差しが似ている気がしてならない。

 

「私の孫なのだけどね? まるでトップスターみたいに男前なの。殿方よりも年下の女の子にモテてばっかりの孫が、一週間も前から姿見の前で服をとっかえひっかえ。よっぽど相手に褒めてほしいのね。年頃の女の子みたいな顔をしている孫を、私は久しぶりに見ました」

「…………ご挨拶が遅れまして。須賀京太郎と申します」

「弘世蓮華です。ああ、今日は私のことは気になさらないで? いないものとして振る舞ってくださいな。貴方といる時の孫がどんな顔をするのか一目見たくて、今日は来たんですから」

 

 にこにこと蓮華は人が好さそうに微笑んでいるが、反論は許さないという気配がひしひしと感じられた。上に立つ人間特有の絶対的な雰囲気に、京太郎はすぐに抵抗することを諦める。そもそも待ち合わせの場所を押さえられている時点でアウトだ。ここから目を盗んで菫に警告できた所で京太郎自身は逃げられないし、既に菫にも人がつけられている可能性がある。

 

 情報とは力だ。今度会う時にはもっと慎重に場所を決める必要があるなと思うものの、この人を相手にはどうやっても何をやってもばれそうな気がしてならなかった。

 

「それじゃあ、私は向こうに潜んでいますから。菫さんが来たらよろしくやってください」

 

 紅茶のカップを持ったままテーブルを離れた蓮華は、適当なテーブルの下にさっと潜り込んだ。手際の良さに京太郎が目を丸くしていると、お店のマスターが苦笑を浮かべながら寄ってくる。

 

「大奥様については、いつものことですので」

 

 初老の男性に驚いた様子はない。行動力のあり過ぎるお婆ちゃんもいたものだが、元気なことは良いことだ。後のことは細かく考えないことにしてケーキとコーヒーを楽しんでいると、約束の時間の十分前に菫がやってきた。

 

「京太郎!」

 

 来てしまった……と京太郎は覚悟を決めた。蓮華の言っていた通り、菫はえらくめかし込んでいる。いつもはかっこよく――と言っても、今日がかっこよくない訳ではないのだが――薄く化粧までしている今日の菫は、ことの他可愛かった。何というか、女の子している。

 

 見とれて声をかけ損ねたのがいけなかったのだろう。何だかかわいい菫は席に着かず京太郎の隣に立つと、あろうことか小さくポーズを決めた。全身から漂う褒めろ! というオーラに京太郎は思わず頭を抱える。こういう勢いに任せた行動は京太郎の周辺だとシズの領分のはずなのに、どうして今日に限っていつも真面目な菫がしてしまうのか。

 

 テンションの高さが視野を非常に狭くしているのだろう。中々目立つ動きでテーブルの下から這い出してきた自分の祖母にも気づいた様子はない。これから彼女に訪れる不幸を考えれば友人として一言二言忠告しておく場面であるが、このテンションの菫に水を差すのも気が引ける。何より、掛け値なしに、男の京太郎から見た今日の菫は、

 

「いつになく可愛いな。惚れ直したよ、リンちゃん」

「そうか!」

 

 嬉しそうに、年頃の少女のように。花が咲いたように微笑んだ菫は、美人美少女を見慣れた京太郎が見とれるほど美しく――

 

 

 

 

 そして、その顔を待ち望んでいた彼女の祖母にとっては、恰好のシャッターチャンスだった。

 

 

 

 

 

 ぱちり、というシャッター音に、菫は弾かれた様に動き、そして視線の先にいるのが自分の祖母だと知ると、彫像のように固まった。シャッターを切りまくる蓮華は、先ほどの菫以上にテンションが高い。

 

「まぁまぁまぁまぁ! 菫さん。リンちゃんだなんて、かわいい名前で呼ばれているのね。でも不可解だわ。何故菫でリンちゃんなのかしら。京太郎さん、教えてくださる?」

「初めて見た時、佇まいがリンドウのように見えたので……」

「素敵な由来ですこと! これは是非とも皆に知らせないと!」

「おばあさま、一体そこで何を……」

「若人のすなるラインというものを、婆もしてみむとてするナウ」

「やめてください!!」

「送信!!」

 

 祖母の言葉を聞いた菫は、その場に頽れた。打ちひしがれた菫の手を取り椅子に座らせ介抱していると、蓮華のスマホからラインの着信音が立て続けに響く。

 

「どれだけ言いふらしたんですか?」

「半世紀以上生きている弘世の一族で作るグループがあるの。皆孫自慢ひ孫自慢に大忙しなんだけど、ほら、菫さん、全世界からかわいい! の嵐よ。百合さんからも壮二郎さんからもほら!」

 

 菫はテーブルに突っ伏して画面を見ようともしない。完全に拗ねてしまった菫を見て満足したのか、

 

「ああ、鮫島? 用事は終わりましたから車を回してください。貴方が先ほど出て行ったカフェにいますから。首席補佐官? 奥にしまっておいたダルモアでも飲ませて待たせておきなさい」

 

 電話をしながらぱちりとウィンク。悠々と歩きながら出ていく蓮華の背中を見えなくなるまで見送ってから、京太郎は菫の隣に腰を下ろした。菫はまだうつ伏せで拗ねている。このまま泣き出すんじゃないかと不安になった京太郎は、

 

「何か飲むか? 傷心に何が効くのか知らんけど」

「親戚中に笑いものになったら嫁にもらってくれるか?」

「いや、俺の嫁になっても解決しないんじゃないかな」

「返事になってないぞ」

「SSSがSSSSSになっても良いなら是非来てくれ」

「部を引退してからならただのSSで済むな」

「どのくらい本気なんだリンちゃん」

「照を見てるとな。お前の嫁だの彼女だのは楽しそうだと思うんだよ」

「リンちゃん……」

 

 儚げに微笑む菫はこんな時でなければ時間を忘れて見とれてしまう程に美しかった。できることならいつまでも見ていたいと思う。ただ、京太郎には実は帰ったのはふりだけで、足音を殺してスマホを構えながら忍び寄ってくる蓮華の姿が見えていたし、忘れ物のふりをして堂々とテーブルの上に置かれたポーチの隙間からは録音機材らしきものが見えていた。

 

 これをネタに一年はからかわれるだろう菫のことを思うと気分も滅入るのだが、それで心がぼっきり折れるようであれば、本当にSSになってもらえば良い。菫の旦那だの彼氏だのは、誰を見なくても楽しそうだ。そう思えるくらいには、京太郎は年上の異性の友人のことが好きだった。

 

 

 




どういう訳だか唐突にかわいいおばあちゃんを書いてみたくなり勢いで書きました。
かわいいおばあちゃんって難しいですね……


SS=須賀菫
SSS=白糸台のシャープシューター
引退してからでも白糸台が取れるだけでSSSSになりそうな気がしますが。

ちなみに中三の夏。白糸台麻雀部は皆実家に帰省中。たまにはテルー抜きで遊ぼうぜとリンちゃんの方から言い出し、京ちゃん長野から新幹線に乗って遊びに来ました。

何事もなければこの後ショッピングとレジャーを楽しんで、一緒にディナーを食べた後駅で新幹線に乗る京ちゃんを見送るという遠恋のカップルのような休日を過ごす予定でした。

ちなみに百合さんと壮二郎さんというのはリンちゃんのご両親です。


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