閃の軌跡~翡翠の幻影~ (迷えるウリボー)
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序章 軌跡の分岐
1話 過去の幻影


 見渡せば、そこには鮮やかな花があった。

 室内、しかし広々としたその場所は、多くの人がいる。先ほどまで、行われていたその式典は、これまで日々に別れを告げ、人々と再会を誓い、自分の道を行くための扉だ。

 屋外へ出ると、やはりたくさんの人がいる。青年、女性と言えるような希望に満ちた若者たち。そして、それとともに少しばかり幼さの残る少年少女たち。そして、優しい瞳を携えた老若男女の大人たち。

 自分もその一人だった。彼ら若者と同じような服を着て、若者と同じように喋り、笑い、時に泣き、そして離れる。

 見知った場所を名残惜しげに歩く。見知った一団の下へ歩く。

 心に蘇る、数々の想い出。悪友と走った階段。親友と腰を下ろしたベンチ。いけ好かない奴らと睨み合った裏道。大切な人と歩いた坂道。

 昼寝をしては、誰かに怒られ、たたき起こされる。夕日にうつつを抜かしては、自分や誰かの青春に想いを馳せ、揺さぶられる。闇夜に紛れて忍び込み遊んでは、誰かと笑い、そして肝を冷やし続けた。

 かけがえのない人々と、数えきれない景色を映した建物。

 その建物に背を向ける。振り返れば、見えるのはかけがえのない人々。

 彼らが、自分に声をかける。

 シオン、またな。と。

 アクルクス、貴様との日々はとても有意義だった。と。

 アクルクス、これからは、たまにでも真面目な姿を見せろ。と。

 シオンさん、それではまた会いましょう。と。

 多くの人が自分に声をかけて来る。自分もまた、彼らに声をかける。

 お前こそまたな、楽しかったよ。と、晴れやかな笑顔で。

 お前も故郷に戻って、腑抜けるんじゃないぞ。と、不敵な笑みで。

 お世話になったけど、そのお願いは聞けないかも。と、少しだけ涙を浮かべながら。

 ……ああ、またな。と、寂寥を少し滲ませた口元を緩ませて。

 そこには、彼らがいたのだ。そして、彼女がいたのだ。

 その瞳には、自分が写る。褪せた黒髪を整髪もせずに流した、少しばかり野生児じみた顔つき。それでも年相応に落ち着かせた雰囲気と瞳は、実は赤の他人に本性を悟らせないための隠れ蓑だったりする。体躯はそれなりに鍛えたつもりだが、服を着こめば細く見える。最近になって伸びなくなった身長は1.8アージュ。

 そんな、男性としては平均よりやや上の身長。女性として平均の身長を持つ彼女からすれば、やはり見上げるのは当然だった。

 どうして彼女がこの場にいるのか。それは当たり前だ。彼女もまた、自分と同じように今日の主役である。そして、自分の一団にだって顔を持つほどの社交性。

 それは友人としての挨拶だった。だから、彼女はこの場に来たのだ。普段と変わらない、優しい笑みで。

 それはいつの日かの、出来事。もう遠い、それでも淡く思い出せる、青春の一幕。

 そう、これは昔のこと。過去を映した夢だった。

 夢だった。だから、視野以外の景色が不鮮明だった。場所と場所の位置関係がめちゃくちゃだった。時系列や行動の順番が、史実と比べておかしかった。

 現実ではあるが現実ではない。夢という、あやふやな現象として片づけられる意識。そうと判ると、自覚すると覚醒は早かった。

「……んぁ」

 視界とぼんやりとした思考という、二つの概念で構成された世界が消える。代わりに入ってくるのは、幾らか不快な感覚情報だった。

 毛布の下の素足から感じる寒さ。使い古した敷布団と木製寝台の柔らかさと臭い。寝ぼけ、寝違えた首の痛み。今、自分は布団に突っ伏しているのだという感触。カーテン越しに伝わる朝日と、時間を告げる腹の音。思わず飲み込んだ唾の味。

 何より、一番勘弁願いたい鼓膜の震え。

「おーい、朝だぞ! 起きろアクルクス!!」

 それは同僚の、この上なく快活なご挨拶だった。

「んん……まだ寝る……」

「おい、アクルクス! もう時間だって、着替えないと飯も食えないし朝礼にも遅れる……あーもう! この不真面目寝坊助め!」

 こうして、俺の――シオン・アクルクスの一日は始まるのだ。

 

 

 

 

 

The Legend of Heroes

SENNOKISEKI

If Storys…

 

-Phantom of jade-

 

 

 

 

 

「相変わらず、あいつの声はよく通るな……」

 何度も何度もたたき起こされては寝るを繰り返し、ようやく意識を本格的に覚醒させた。同僚に起こされる前、自分は夢を見ていたはずなのだが、それももう、今となっては内容も何もわからなかった。

 ぼんやりと頭を掻き、欠伸をしながら洗面台へと向かう。冷水を顔にかけると、たちまち背中が震えてくる。春を待つこの季節は、未だ暖かいとは言えないのだ。

 顔を洗うついでに寝癖を控えめに整える。目の前の鏡を見ると、相変わらずやる気のない――というより朝の生気のない自分の顔が見える。褪せた黒髪は少年だったころよりもいくらか伸びた。着替え途中、裸の上半身は申し分ない程度に鍛えられている。白い肌が背伸びして日に焼けたくらいの褐色だが、これでも帝都の子女から見れば活発的な風貌に見えるに違いない。八月、有休を使って友人と行くつもりの海都オルディスでは、絶対にうら若き乙女たちを砂浜で射止めるのだと今から息巻いているくらいなのだ。

 特徴のない、黒の瞳。何の感傷もなく見つめてから、青年は着替える。機能重視のニッカポッカの白ズボンに、特徴もない黒のブーツ。そして、これは逆に特徴的な青の服。傍には鉄兜もあるが、今はまだ被らない。

 おもむろに時計を見る。導力仕掛けの長身と短針は、六時三十分を指していた。

「やべっ」

 急いで自室を出る。自分と同じ立場の同僚がいるはずの宿舎、その廊下は、既に閑散としていた。

 しかし廊下を歩き、二階、一階と降りる頃にはいつもの喧噪が聴こえてくる。

 宿舎の玄関前にある食堂は、朝食のこの時間は当然騒がしい。

「やあ、アンタかい」

 席に座る前に、配膳された食事を受け取る。声をかけてきたのは、馴染み顔となった食堂の婦人。肝っ玉母さんともいえる、皆の胃袋の管理人だ。

「おはよう、おばさん。今日の飯も美味そうだね」

「そうかい、数少ない感想だからね、ありがたく受け取っておくよ」

 席に座る。今度は、同僚たちに声をかける。

「よっ」

「お、シオンか。おはようさん」

「いい朝だな、アクルクス」

 大人であっても子供であっても、人間であることは変わらない。食堂という大勢が集まる場所となれば、必然人々は幾つかのグループに判れるけれど、今日も今日とてその様相は変わらない。

「なあ、最近変わったニュースはないか?」

「さあな。別段面白いこともない。いよいよ三月が始まったくらいだ」

「そうか。じゃあ面白い情報とかは?」

「それもないよ、アクルクス。むしろ君が何かないのか教えてくれ」

 七耀歴千二百四年、三月一日。何の変哲もない一日の始まりである。

 無理やりに口角を引き上げて、暇つぶしの材料を会話の中に投下してみる。

「ふーん、じゃあもうすぐ四月だしな。これから入隊してくる後輩君たちのことでも予想しようぜ」

「どうだろうな、今年は。平民出身はどうでもいいとして、貴族様で入隊する奴なんていたか?」

「さあな。アルバレア次男坊のユーシス様は、今年士官学校への入学が決まっているっていうし。他の伯爵家以下の事情も判らねえよ」

 ゼムリア大陸西部に君臨する巨大軍事国家、エレボニア帝国。それが、シオンたちの祖国の名前である。

 南に封建性の国であるリベール王国。帝国と関わりのあるクロスベル州を挟んで、東には君主の存在しないカルバード共和国。北にはかつて大公が治めていたが国としての体裁を亡くした、旧大公国のノーサンブリア自治州。それぞれの歴史と彩を持つ国々だが、そうした中にある帝国の特徴は、貴族制度が残っているということだろう。

 貴族。帝国の身分制度において平民の上に立ち、その特権を持って領地運営や指揮を握る人間たち。

 ここは帝国東部、クロイツェン州の一角にあるオーロックス砦という名を冠する軍事拠点の一つだった。

 しかし、この拠点を利用しているのは帝国軍ではない。クロイツェン領邦軍という組織である。

 貴族の筆頭である、アルバレア公爵家が運営し、領地であるクロイツェン州防衛のために働く私兵。それがクロイツェン領邦軍であり、シオンたちが勤める職場でもあった。

 そんな職場にいる自分たち平民にとって、同じ場所で働く貴族様というものは、行儀が悪いが酒の肴にするにはぴったりの存在だった。

 下っ端の兵として働くのは当然平民だ。そして公爵家の御子息などはそもそも軍を指揮する立場にある。そしてそれ以下の伯爵・子爵・男爵の嫡子たちも家督を継ぐのが使命なので、貴族が擁する軍とは言え平民の集まるこんな所にいやしない。基本的にここにいる平民でない人間は、名のないような男爵家の人間か、子爵・伯爵家の次男坊以下だったりする。ようは、世の跡取りレースから一歩外れた存在だ。

 だから彼らは機嫌が悪く徒党を組む。大抵は、平民を小馬鹿にしつつ、利用しようとしたり、時によろしくない騒動に発展したり。人間年をとっても、どんな環境でも馬鹿馬鹿しい争いはあるものだ。

「あ、一つ思い出したことがあるぞ。アクルクス」

 そう言ったのは同僚の一人だった。眼鏡をかけた静かな男、しかし自分より体躯が大きいので、シオンは密かに毎日敗北感を味わっているのだが。

「なんだ? アクト」

「最近、上層部が慌ただしいみたいなんだ。ここ最近のアハツェンの発注増加もあるし、近々大きな発表があるかもしれないな」

 アクトは素行も真面目で、上司からの信頼も厚い。その意味で、彼の耳に入る情報は信憑性が高かった。

「うへぇ、戦争勃発とか言わないよな? せめて戦車内でお泊り大会程度にしておこうぜ」

「いやシオン……そりゃ日曜学校の遠足にしちゃ物騒だし、シオンらの催しにしちゃ馬鹿らしいだろ」

 そう突っ込んでくれたのは、平々凡々な平民の同僚リュカ。

「まあ、そろそろ新しい赴任先もわかるだろう? この見るものもない砦で一年間頑張ってきたんだ。次の場所がバリアハートになることを期待しておこう」

 赴任先と聞いて、少しくらいは自分のやる気が起き出したことを自覚する。

 そうだ。四月になれば、またこの閉鎖的な環境から脱することができるかもしれないのだ。

 クロイツェン領邦軍は、幾つかの場所に別れ陣を敷いている。ここオーロックス砦に勤める者、バリアハート市内に勤める者、アルバレア公爵の城館に勤める者、交易町ケルディックのような領地内の町村の詰め所に勤める者などだ。

 その配属先は一応希望できるが、基本的には身分や能力、素行などが主な因子となって決定する。優秀であったり貴族の者であったりするとバリアハート市内やアルバレア城館に配属されることが多く、逆に新人であったり不真面目な者は地方に駆り出される。

 オーロックス砦はその中間、というのが領邦軍に勤める噂好きたちの結論だった。真面目な者もいる程度に厳しく、そして不真面目な者の尻を叩くための場所、という噂だ。

 今年の四月で領邦軍勤め四年目となるシオンは、過去三年のうち後ろ二年をオーロックス砦で過ごしてきた。非番の日はバリアハート市内に繰り出すこともできるが、基本的に砦の食堂や宿舎の自室で同僚と駄弁ることの多い日々だった。

 できればケルディックなんかへ赴いて気ままにライ麦のビールでも煽りたいなと、そんなことを考える。

「あーあ。こいつ(シオン)、また酒のこと考えてるぞ。みろ、このだらしのない顔。今日の訓練生き残れるか?」

「問題はないだろう。アクルクスの能力はこの一年で大体つかめた。むしろ俺たちの平和のために、女神の下へ旅立ってくれると助かるんだが」

 同僚二人の容赦のない口撃にも反応せず、来るかもわからない桃源郷に想いを馳せた。

 領邦軍は、組織分類で言えば『私兵』であり帝国の正規軍とは違うが、それでも日々の業務はさほど変わらない。違いといえば支給される食事が美味しかったり、常識が貴族よりなため危機感や訓練の質が微妙に異なったり、そもそも想定された敵が違う事だったりする。有事のために訓練に明け暮れること、担当の場所を哨戒し異物に備えることは帝国正規軍や他国の軍隊と変わらない。

 だからこの後のスケジュールも、日々のものと変わらなかった。朝食を食べればその後点呼があり、午前の訓練と哨戒、午後の訓練と哨戒、たまに座学で時事の出来事に気を配り世間の流れを掴むことなどが仕事なのだが。

 今日は、そのいつもの流れとは異なっていた。

「シオン・アクルクス准尉」

 食堂が、にわかに静まり返る。誰もかれもが手を止めて、一つの方向を見た。

 宿舎の入り口は食堂から見える場所にある。居酒屋のごとく、疲れを見せて椅子に座ればすぐさま食事にありつける。

 だから食堂のどこからも、その場所は見える。入り口には、オーロックス砦における領邦軍隊長が立っていた。

「シオン・アクルクス准尉。いないのか?」

 一瞬何を言っているのか判らなかったのだが、瞬時に隣に座っていたアクトが自分を叩いた。反射的に立ち上がり、踵を鳴らして敬礼。少しばかり上擦った声で答える。

「はっ。シオン・アクルクスです」

「なんだ、いるではないか。返事が遅いとはどういう了見だ?」

「も、申し訳ありません」

「ふん、まあいい」

 少しばかり不機嫌そうな声。子供嫌いが泥んこまみれの子どもを見るような眼だ。返事に遅れたことがそんなに気に障ったのだろうか。確かに軍人としては注意されて然るべき対応だったが、早朝の食堂に隊長が現れるなど、予想外もいいとこだ。

 隊長は、なおも機嫌の悪そうな相貌をして続ける。

「食事中悪いがな、連絡がある。朝礼点呼後、司令室まで来るように」

「はっ。了解しました」

 それだけだった。他に何を言うでもなく、隊長は早々と出ていく。

 バタンと、扉が閉まる音。それから五秒ほどの沈黙を経て、食堂内の視線が自分へ向けられた。訝しげに見る貴族兵や見世物を見るような平民兵、そして面白がるような同僚たちの目線。

 それらを一つ一つ丁寧に侮蔑してやって、ようやく食堂に先ほどまでの喧騒が戻って来る。

「……巻き込まれたみたいだな。面倒事に」

 できれば面倒事は眺める側でいたい。そんな意志を乗せて、何となしにアクトとリュカを見る。

 返ってきた表情は、空気を読むのが下手な人間でも察することができる表情をしていた。

 『諦めろ』と……。

 

 

――――

 

 

 オーロックス砦は、峡谷地帯にある巨大な中世の城塞だ。その為内部構造としては現代の要塞に見て取れるような、狭い通路やこじんまりとした部屋の造りではない。

 司令室はとても広く、隅には応接用のテーブルや椅子なども兼ね備えている。

 そんな場所に、貴族でもなく、優れた功績を持つ訳でもない自分が、オーロックス砦を統括している隊長に呼び出される。なんとも言えない緊張感だった。

 司令室の奥、豪奢な執務机には多種多様な資料に羽筆。革張りの椅子に座るのは、中肉中背に卑しい眼光が目立つ髭の男。クロイツェン領邦軍オーロックス大隊長官ジェイク・ガルシア。彼は執務机に両肘を当て、両手を顎の下で組み合わせていた。その姿勢はシオンが入る前も、入った後も、そしてシオンが彼の正面に立ち敬礼をしても変わらない。目線はただ一つ、肘の近くに乱雑に撒かれた資料に向かっている。

 その紙に、何年前だったか導力カメラで撮られた自分の写真が貼られてあることに気づく。つまりはシオンの経歴書、あるいは調査書というわけだ。

「シオン・アクルクス准尉、二十四歳。クロイツェン州ケルディック出身の平民。トールズ士官学院を卒業し、二十一歳の頃にクロイツェン領邦軍へ入隊を果たす」

「随分と、重要でもない昔の資料を引っ張っていますね」

「私が集めたわけではないがな」

 点呼も終えれば、そろそろシオンの調子も戻って来る。少しの予想外で動揺するのではなく、状況を面白がる遊び人のような青年がそこにいた。

「例の士官学院の出身を経ての領邦軍入りか。なるほど、大した経歴もないのにその年で准尉を名乗れるというわけだ」

「身に余る階級なのは百も承知です。しかしその階級だと胸を張れるよう、日々精進を続けていますよ」

「随分と口が回るな。公爵家の加護を受けるだけの農家の平民が?」

「お褒めに預かり光栄至極」

「ふん……」

 未だ一兵卒を見る目は変わっていない。やるせないような大きなため息を吐き出してから、隊長は続けた。

「貴様に問う。我ら領邦軍の存在意義は?」

「クロイツェン領邦軍においては、アルバレア公爵家が運営し、その意向に沿いながら領地であるクロイツェン州の治安維持を主任務とする組織であります」

「では、我らの運営母体であるアルバレア公爵家とは?」

「アルバレア公爵家。所謂『四大名門』と称される貴族派の代表格であり、我々領邦軍兵士・平民にとってはやはり領地という財産を提供されるお方です」

 帝国に存在する貴族の中でも、特に位や財力の高い家がある。それが四大名門だ。アルバレア公爵家以外にあと三つの家が存在し、それぞれが領邦軍を組織している。

 しかし、一体なんの質問だ。いつまでたっても要領を得ない会話に、シオンは居心地が悪くなる。自分の生活態度が目の前の隊長には気に入らないのは百も承知だ。それは何カ月も前から判り切っている。今更独りでに呼び出す理由は何なんだ。

「では、そのような組織にいながら貴様の目指すものとは?」

「目指すも何も……私が勤めるのは今しがた唱えた領邦軍の理想を体現させるためですが」

「どうだかな……」

 まるでテロリストが唱える信念を馬鹿にするような仕草だ。そんな存在になり果てた覚えはないのだが、隊長にとって自分は同列だとでも言うのだろうか。

 再び、隊長は視線を資料に戻す。

「シオン・アクルクス准尉。トールズ卒業生という肩書きに恥じぬ優秀さで領邦軍へ入隊する。座学は科目毎にムラがあるものの総じて合格ライン。実技においては剣と銃の扱い、どちらも大隊の中で上位を誇る」

「……」

「しかしその勤務態度は難を示す。領邦軍の理念たる公爵の意に沿わず、どちらかといえば守られるだけの民草に重きを置いた発言が目立つ……」

 それが資料に書かれたシオンの評価なのか、それともジェイク隊長の印象なのか。どちらにしても気持ちのいい言い方ではなかった。

「そんな貴様に今日の伝令を下すこと、吐くような気持ち悪さだ」

「はあ……」

「どこまで察しがついているか判らんが、これは配属通知となる」

 今朝も同僚たちと噂していた件のものだ。確かに、そろそろ一兵卒でも誰がどこに転属されるのかを把握する頃ではあるが。

「本来なら、貴様のような不真面目な輩は万年この砦で過ごしてもらうはずだった……だが貴様の新たな配属先が決まった。通例では三月半ばに砦の兵士全員に通達するが、貴様は例外とし今この場で行う」

「例外……?」

 しかし、やはり面倒ごとに巻き込まれたという事実は変わらないみたいだ。でなければ、こんな所に呼び出されるはずがない。

「どこに配属されると思うか?」

「……わざわざ隊長殿から伝令されるのですから、砦に連勤ということはないでしょう。バリアハート市内やアルバレア城館に私のような輩が配属されるとも思いませんし。個人的な希望では、ケルディックあたりですが」

「残念ながら、貴様の勤務先はそのどれでもない。他の町村への配属でもない。

 貴様には、三月をもってクロイツェン領邦軍から外れてもらう」

「え」

 なんてことだ、まさかの辞令宣言とは。

 実はそれほど悔しくないけれど、さすがに体裁が悪い。少しばかり反論をしないと。

「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり辞めろというのは……詳しい理由を説明してもらわないと納得がいきません」

「本当の辞令であれば、どんなに楽であったことだろうな」

「そうですよ、本当の辞令なんて俺に来るはずが……はい?」

 ちょっと待て。会話の流れがどこかおかしい。

「改めて通達する、シオン・アクルクス准尉。貴様には本日をもってクロイツェン領邦軍を出向してもらい……」

 そして、目の前の大隊長は告げた。

 これがシオン・アクルクスの、波乱に満ちた日々の始まりになるのだった。

「『領邦軍・四州連合機動部隊』……通称SUTAFE(ステイフ)への配属を命ずる!!」

 

 

 










皆さん初めまして、はたまた別作品でお世話になっております。
羽田空港です。

始まりました、閃の軌跡~翡翠の幻影~
こちらは心の軌跡と比較し不定期更新の予定ですが、どうかよろしくお願いします。


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2話 帝都西郊へ

 

 

 七耀歴千二百四年、三月三日。正午。

 クロイツェン領邦軍に所属()()()()シオン・アクルクス准尉は、椅子に腰かけ流れる外の景色を訝しげに眺めていた。

 といっても、別に外の景色はおかしなところ何もない。春に近づいた大穀倉地帯は金色に輝き、僅かに窓から吹く風は清々しい気持ちにさせてくれる。

 何より近年になって急速に発達した列車の中なら、せめて気分だけは旅行気分になれるかと思っていたのだが。

 導力鉄道車内、それが現在シオンがいる場所だった。

 鉄道網は帝国全土に敷かれている。帝国の中心たる帝都ヘイムダルから、各州都市、地方都市、果てはカルバード共和国まで繋がる、現代における西ゼムリアの経済の要でもある。

「あーあ、どうなってんだか全く……」

 様々な動物が活動的になるこの時間帯では人間も例に漏れず、列車の中は老若男女様々な人がいる。しかしシオンのように一人でぼーっとしている人は珍しく、シオンは微妙な気持ちになる。

 といっても、別に旅行目的でこうして列車を使っているわけではない。だから二人以上で和気あいあいと過ごしている家族や恋人たちの様子など、本来は羨ましくもなんともないはずなのだが、唇を甘く噛んでしまうのはどうしてだろうか

 発端は、先日のジェイク大隊長からの通達が原因だった。シオンが聞いたこともない組織の名を出した隊長は、一つの封筒をぶっきらぼうに青年に渡して言ったのだ。

『貴様には、二日後にこの場所へ向かってもらう。服は私服で構わんとのことだ』

『はぁ……って、そもそもSUTAFEってなんですかっ? 四州連合機動部隊って、お言葉ですが自分には理解しかねま』

『質問は受け付けん。ああ、当日の移動は軍務として許可されている。心配はするな。以上だ』

『ちょ、ちょっと隊長!?』

 先日のジェイク大隊長との会話はこれだけだった。ただ唐突に謎の部署への配属を命じられたのみだった。

「この場所もなあ、クロイツェン州ってわけでもないのによ……」

 当然ながら雑に渡され、部屋を追い出された時点で封筒の中身は確認している。その内容は次の事を指示していた。

『三月三日、十三時より領邦軍・四州連合機動部隊、通称SUTAFE の設立に関する説明会集会を執り行う。関係者においては、(これ)への参加を命ずる。近郊都市リーブスまで来られたし』

 この内容の他、現地についてからの集合場所も載っている。

 書類の正当性を証明する印は、アルバレア公爵家のものだった。

 字面を見ただけでは場所すらわからなかったのでアクトに聞いてみると、物知りな彼は期待通りの説明をしてくれた。

 リーブスとは帝都西郊に存在する風光明媚な地方都市のことだ。西側というので帝国西部ラマール州なのかと疑ったが、どうやら違うらしい。元は男爵位の帝国貴族が治めていた場所なのだが、その男爵が没落した後は暫定的に皇帝家の直轄領扱いとなっていたのだとか。

 そもそもの話、何故クロイツェン領邦軍の人間であるシオンが、この場所へ招かれるのか判らない。そもそも、歓迎されるのかも怪しいけれど。

 そして皇帝家の領地に行くことについて、アルバレア公爵家の印が捺されている理由も判らない。

 果たして自分は本当にクビという扱いなのか。シオンには、列車が帝都に到着しても考えがまとまらなかった。

 列車はオーロックス砦からバリアハートへ向かい、クロイツェン本線を用いてケルディック経由で帝都ヘイムダルへと辿り着く。そこでリーブスへ向かうための路線へ乗り替えるのだが、ここへ来てようやく、シオンの顔に数日ぶりの笑顔が浮かんだ。

「ようシオン! 久しぶりだなぁ!」

 急に声をかけられて両肩が跳ねる。しかし耳に辿り着いた声から想起されたのは自分を馬鹿にする隊長殿より親しみやすく、アクトやリュカという同じ部隊の同僚よりも気の置けない友人だった。

「ケイルス! 元気そうだな、この野郎め!」

 その存在を認識するなり乱暴に肩を組み、酒場から上機嫌で帰宅する親父たちのように和やかになる。

 優等生のように揃えられた黒の髪、しかし少年のようなはつらつさが見える茶色の瞳。シオンより五リジュほど背丈の低いこの青年の名は、ケイルス・ラグバレッジ。共に二年の青春を過ごし、同時期に領邦軍へと入隊した友人だ。

「どうだよ、ケイルス。ケルディックは?」

「んああ、言われた通り、ライ麦ビールが最高だったぞ」

「俺は詰所の隊長殿について聞いているんだよ!」

「ん? まあ、相変わらずだよ。税が増えて調子ものり始めてるし」

「そうか……」

 残念だったのは、入隊二年目から二人の配属先が別れてしまったことだ。以来時々二人で会っては様々なものに対する愚痴を語り合うのが通例となってしまっている。

 それはそうと気になることが一つ。タイミングよくケイルスが口を開く。

「それでシオン、何だってこの路線の前で会うんだ?」

「そりゃ、大方お前と同じ理由じゃないのか」

「あ、やっぱり貰ったのか。件の謎文書」

 席に座ってから、示し合わせたかのように互いの封筒を渡す。封筒の宛先がシオン・アクルクスかケイルス・ラグバレッジかの違いだけで、文書の中身は全く同じものだったのだ。

 つまりケイルスはシオンと同じく、四州連合機動部隊なる組織へ配属されるために集められたということだ。

 上司からの通達、つまりケルディック部隊の隊長からの連絡も似たようなものだったらしい。殆ど核心部分の説明を省いたものたったとか。

 説明を受ける際に違うこともあった。オーロックス砦でこの封筒を受け取ったのがシオン一人であるのに対し、ケルディック部隊ではケイルスを含め五人ほどの人間が頭を抱えることになったらしい。

「それと、こっちのジェイク隊長殿みたいにぶっきらぼうではなかっただろうな。偉そうなのは変わらないだろうけど」

「ははは、上司に嫌われることに関してシオンの右に出る同期はいないだろうからな」

「ほっとけ」

 久しぶりに出会う友人ともなれば、何を考えずとも言葉は産まれてくる。今回の経緯の考察含め、昔話含め、二人はリーブスに到着するまで絶えず口を開き声を上げ続けた。

 列車は一時間もせずに目的地へ辿り着いた。

 西郊都市リーブス。男爵家の領地であった街だが、思いの外広い街だ。見ていて飽きることのない風情ある街並み。帝国北部にある温泉郷ユミルや、クロイツェン州の南に存在する湖畔街レグラムと比べると色落ちするかもしれないが、観光でなく別荘を建てたりするならこちらのほうがピッタリかもしれない。

 件の男爵家が没落した理由は判らないが、その後も皇帝家が直轄しているだけあって安定したコミュニティが作られているのだろう。

「んで? 俺たちの集合場所は?」

「んー、そう遠くないな。ってか、ここから見えるあれじゃないのか?」

 シオンは街の奥、とある一点を指差した。やたらと大きな鉄製の建物が林の向こうに見え隠れしている。

「って、お前はいいかもしれないけれど俺には見えないんだよ!」

「あ、そうだな。そりゃ背が低くてお子様なケイルス君には見えないか」

 気の抜けるような小競り合いをしながら尚も歩く。三十分ほど余裕を持った到着だったが、この後に起こるであろう波乱の説明会を考えると思考の整理をしておきたかったのだ。早めに建物に入って、待っておいてやろうと考える。

 街から少しばかり離れた郊外に、その施設は存在していた。

 その建物はお世辞にも生活感に溢れているとは言えなかった。それは新築のような真新しさがあり、同時に軍人が守る関所のように無機質であったからだ。

「シオン、これ……」

「ああ。明らかに俺たち(軍人)向けの施設だよな」

 趣は正に関所、クロイツェン州にある双竜橋そのものだ。百アージュ弱四辺か、その敷地の中にあるのは二辺を占めるL字型の建物。高さは三階建てに屋上もある。シオンたちが歩いてきた入り口と、そこから見た左側に建物はない。

 そして敷地の中心部には演習場のような空間。ここには、最も目を引く四機の軍用飛行艇があった。

「ラインフォルト社製、けど新型の一代前の機体だ。なんだってこれがこんな所にあるんだよ?」

 意外と機械オタクなケイルスが呟く。

「しかも随分と使い古されてる奴みたいだ」

 近づいてみたその機体は、雨風に晒されたような裂傷や油の臭いが感じられた。明らかにどこかで使われている機体だ。やはり、いまいち自分の置かれている状況が理解できない。

 二人して黙考していると、突然声をかけられた。

「貴様ら……領邦軍の者か?」

 人一倍厳かな声。飛行艇の向こう、建物の入口からだった。

 軍服、しかしクロイツェン領邦軍の青色ではない。緑、しかし白や青を混ぜ込んだ『翡翠』と呼んだ方が正しいか。外套として纏えるデザインは素人目に見ても位の高い位置にいる人間であることが判る。

 顔は強面に尽きる。髪は金髪だが、まるでかの有名な『赤毛のクレイグ』のようだ。

 予想外の重鎮ぶりな人間の出現で、私服にもかかわらず青年二人は即座に敬礼せざるを得なかった。

「はっ。クロイツェン領邦軍オーロックス砦所属、第二分隊のシオン・アクルクスであります」

「同じくクロイツェン領邦軍ケルディック部隊所属、第一小隊のケイルス・ラグバレッジです」

 軍服の男性は、その手に資料の束を持っている。それを脈絡もなく捲り、少々思案をした後に言ってきた。

「ふむ……ならば、早く中へと入れ。物見遊山でなくあくまで軍務としてきた自覚があるのならばな」

「はっ!」

 それ以上何かを言われてしまうのも怖くて、青年二人は早々に建物の中へと進んだ。人の気配を求めて建物の中を散策する。男性の姿が完全に見えなくなってからケイルスが聞いてきた。

「今の、どこの軍服だよ? 国外か?」

「|俺たち≪クロイツェン≫は青だし、ノルティアは黄、ラマールは白だったはずだ。サザーラントは……何色だったかな?」

「正規軍も紫やら灰色やらだしなあ」

 やはり腑に落ちない。ここは、一体何のための施設だ?

 答えを得ることのないまま、目的地であろう場所に辿り着いた。

 そこは中々の広さがある講堂で、百人以上は余裕で収容できそうだ。その数に見合うだけの長机と椅子も用意されており、正面と思える場所には超大型の黒板。ご丁寧に、上下に稼働するタイプのものだ。

 その講堂に入る時に扉を開けたものだから、既に中にいた数十人の人間が一斉にこちらを向いてきた。

「うっ」

「これはまあ、何とも……」

 敵意とか好奇心とか、そんな居たたまれない視線ではない。これはどちらかといえば自分たちと同じもの――心配げな表情。それが余計にこちらの不安を煽って来る。

「ま、取り敢えず座ろうぜ」

 シオンは辺りを見回す。こんな時によくあるような、席を指定する一覧表はないらしい。まだ沢山人がいるというわけでもなさそうなので、取り敢えず目立たぬよう前後中間の端に座っておいた。

 数分後、辺りのざわめきに耐えられなくなったケイルスが聞いてくる。

「なあ、これってなんの集会なんだ?」

「さあな……ただ、ここにいる俺ら以外の奴らのことは何となく察しがついたけどな」

「ほ、本当か?」

「ああ」

 オーロックス砦にて例の通達を受けたのは自分一人、そしてケルディック部隊ではケイルス含め五人。数にばらつきはあるが、クロイツェン領邦軍の各配属先から数人ずつ人間を集めたって、これほどの人数にはならないはずだ。自分たち二人がこの講堂へ入った後も人数は増えており、もう六十人は超えた。

 それと、配属されるらしい部隊の名前。これを考えると――

「お、ラグバレッジ!!」

 思考が逸れた。顔を見上げると、友人の名を呼んだらしい何人かの青年たち。意外なことに、別部隊にいた時の同僚もいた。

 ケイルスが楽しげに声を上げた。どうやら彼らがケルディック部隊の同僚たちらしい。

 久しぶりの再会、ケイルスにとっては数少ない知り合いとの再会でもある。シオンは、少しばかりの安心感に身を寄せることになった。

 彼らの後にも何人か人の出入りがあり、人間の数はとうとう九十人を超えた。ここまで来ると、統率のない人間たちのざわめきは激しくなる。人間多数になると不思議と強気になるもので、ここまで来ると誰もが知り合いとの談話に花を咲かせていた。

 シオンは席に座りつつも向きを変えた。一人ごちてため息を着くようにして、さり気なく辺り一帯を眺めてみる。

 男性が殆どだが、僅かに女性もいた。歳は全体としては若いものが多いか。ほぼ全員が二十代のようだ。私服で構わないという通達が幸いしたか、これもわずかだが貴族がいるようだ。

 今度は本当にため息を着く。

(ここまで来ると予想も正解か。本格的に面倒だなあ)

 向きを正して正面を向く。ちょうど視界の端から、新しい人間が入ってくるのも見て取れた。

(ほーら今来たのも確実に貴族の坊ちゃんよ。ご丁寧に舎弟を連れてるし――ておいおい)

 その貴族の坊ちゃんが、一目散へこちらに近づいてくる。案の定、自分の周囲で騒いでいるケイルスの同僚に向かって言い放った。

「そこをどくがいい。矮小な平民たちよ」

 気障。それが一息でわかる声だ。しかしそれに反して流したような金髪と赤い瞳、端正な顔つきと高い身長は、その鼻に着く喋り方を相乗させるような貴公子ぶり。豪奢な服装も遅れて貴族だということを知られてくる。

「聞こえなかったのか? 平民よ」

 二回目の呼びかけで、ケイルスと同僚たちもそれが自分たちに向かれていることに気づいた。何人かが怖気づく中、同僚の一人が苦しくも反論する。

「な、何を言っているんだ? 残りの席はまだ空いているんだ、そこに座ればいいだろう」

 彼の言う通り、一人一人ではあるが疎らに席は残っている。

 しかし目の前の貴族様とその取り巻き四名はそれが気に入らないらしい。しかしどうして自分たちのグループに干渉したのか。つくづく今日は運のない日なのだと、シオンは表情を変えずに嘆息する。

「さすがに雑多な声が目立ったのでな。貴様らが個々と散った方がこの会のためとなるだろう」

 気づけば、辺りは静寂と密やかな声に包まれていた。それは明らかに目の前の青年が原因だ。彼の存在に同僚たちと同じように畏怖する者と、畏怖しつつも対岸の火事を見るような様子の者たち。

 自分たちのグループがそれなりに騒がしかったことは判っているが、少しばかり貴族様の言い方も鼻についた。こんな誰がいるのか何をするのか判らない場所で喧嘩をするのも面倒だ。

 見かねたシオンが、立ち上がって両者の間に入った。

「はいはいお二人さん、そこまで」

 落ち着いた声で、それでも大きく。控えめな手振り、それでも挙動は大袈裟に。同僚をかばう形となったシオンは、金髪の青年と正面から対峙した。

「ふむ、それは私に言っているのか? 平民よ」

 特に怒っているわけではないらしく、眉間にしわがあるわけでもない。二十代後半、自分よりもいくらか年上か。

 シオンは返す。

「どちらかといえばお互いにね。俺たちがうるさかったのは確かだし、ここは譲るよ。けど、アンタも焚きつけてほしくないんだけどな」

 あくまで平和的な語り掛けだが、それでも平民から対等な扱いを受けるというのは少なからず意外なことなのだろう。青年はわずかに目を見開く。

 加えて、少しばかり追い打ちをかけてみる。

「そもそもこんななりだけど、別に平民だとは言ってないのに決めつけられるのも困るな」

「貴様のような者が社交界にいれば、すぐさま笑い話の種となるだろう。見破られる嘘はつかぬというのが、賢い生き方だな」

 これは失敗したか。貴族は社交界で一通りの関係を築いているのだから、シオンなんていう貴族などいないのはすぐに判る。

「ははは、御忠告はありがたく受け取っておくよ。いこうか、皆」

 ケルディックの同僚たちに声をかけた。彼らはまばらな動きで席を立ち、そしてシオンも自分の荷物を席から引き取る。

 最後に、シオンは右手を差し出した。

「俺はシオン・アクルクス。アンタは?」

 これまた、貴族に対する平民の所業ではないのだろう。辺りが再びざわついた。居心地が良いような悪いような感覚を覚えつつ、青年の返答を待つ。

 青年は同じく右手を差し出しかけて――そしてシオンの手を弾いた。大した感傷もなくシオンがいた席に座り、静かに口を開く。

「エラルド・ローレンスだ。覚えておいてもらおうか、アクルクス」

 三度目のざわつきは、一際大きなものとなった。

 

 

――――

 

 

 結局シオンとケイルス、ケルディック部隊の人間たちは、バラバラの席へと座って会を迎えることになった。

「へ、あの貴族坊ちゃんめ、平民を舐めてるから痛い目に合うってんだ」

「いや、お前何も反論してないだろ」

 結局ケルディック部隊の同僚たちとはばらけてしまったのだが、幸いにもケイルスとは隣同士となることができている。その親友は何もしていないのだが、あまり貴族に対して畏怖を感じないていないのはシオンと同じなので、特別に馬鹿にしてはやらないでやることにした。

 それはそうと、たまたま隣にいた数少ない女性に、エラルド・ローレンスについて聞いてみた。この場にいる面子が一つの組織になるならまず男たちの注目の的になるであろう彼女は、自分たちと話していいのか気にはしていたらしい。それでも親切に答えてくれた。

 エラルド・ローレンス。帝国西部オルディス、ローレンス伯爵家の嫡男だ。ラマール領邦軍に所属しており、周囲の人間の中でリーダー的立ち位置に居座っているのだという。

 伯爵家ということは、帝国の中でもそれなりに高い地位にいるということだ。なるほどさっきの態度も頷ける。

 ちなみに何故彼の存在を知っているのか聞いてみると、彼女は困惑して答える。『自分の出身がラマール地方の出身だから判る』のだと。

 やはり、ここにいるのはクロイツェン領邦軍の人間だけではない。それを改めて実感したシオンだった。

(クロイツェンにラマール。この分だとノルティアにサザーラントの人間もいるんだろうな)

その後大きな騒ぎもなく、講堂内は静寂を保ってその人物たちを迎えることとなった。

 やはりというか、やって来たのは先ほど建物の外であった壮年の男性であった。加えて二人、同じ翡翠の軍服を来た男性が立っている。

 ざわめきはより大きくなり、そしてすぐに静まり返る。

「ふむ……諸君、よく来てくれた。この度領邦軍・四州連合機動部隊の副司令を勤めることとなったグレイ・アレイストだ」

 改めてみると、彼らはどこかで見たことのあるような気もした。しかしグレイを以外の二人は顔の特徴がなくて、覚えられる気もしないが。

「薄々感じている者もいるだろうが、改めてここに集めたその全容を伝える」

 グレイ以外の二人が、大きな黒板に向かい字を書き始めるそれはグレイの説明そのものでもあり、そして彼の説明を補足するものでもあった。

 書かれた文字はTerritorium army・States Union Task Force。そしてSUTAFE。

「これが、今後諸君らが所属する組織の名だ。ここには、帝国に存在する四つの領邦軍。我々も含め、各州二十五人の兵士が集まっている」

 やはり予想した通り、ここにいるのは各州に所属していた領邦軍兵士だったのだ。

「諸君らは、これまで各州の『四大名門』の貴族が運営する領邦軍に勤めていた。各名門の意向に沿いつつ、領地の安全を守り来るべき時に備え己を鍛えていただろう」

 少しばかり、グレイの声に熱が帯びる。

「しかし昨今、鉄血宰相の政策により帝国全土に鉄道網が敷かれている。誠に遺憾なことに、鉄道を利用したTMPなる組織も台頭しているのだからな」

 辺りから息を呑む音が聞こえる。

「そこで、諸君らの出番となる」

 いよいよ、自分たちがこの場に集められた理由が語られるのだ。

「諸君らはこれより各州の垣根を超え、一つの中隊として機能し――」

グレイが両手を掲げた。それが絶対の正義であるかのように。

「四機の飛空艇を駆使して、帝国全土を股にかけて帝国正規軍に対抗・領邦軍の補佐を行うのだ!」

 

 

 







サザーラント領邦軍の皆さん。
緑の服だったら被っちゃってごめんなさい。


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3話 四州連合機動部隊

 

 

 帝国には現在、二つの派閥がある。

 一つは貴族派。自分が属する組織母体をあえて悪く言うのなら、四大名門が筆頭となり自分たちの領地と共に財力を執拗に守ろうとする伝統的な保守勢力。

 そしてもう一つは革新派だ。鉄血宰相という正規軍出身の政治家を筆頭に、多くの平民が集まり中央集権体制を作ろうとする文字通りの革新的な勢力。

 両者は俗称ながらも確固たる対立を続け、それぞれ帝国正規軍と各州領邦軍が軍事力となって水面下での争いを続けている。

 そんななか、帝国各地に点在する帝国正規軍を翻弄し各州の領邦軍と連携するための組織として編成されたのが、シオンたちが属することとなったSUTAFEだった。

 シオンたち百人の各州領邦軍兵士は、まずグレイ副指令から明かされたSUTAFEの概要に目を見張った。このSUTAFEという各領邦軍の協力は、来る革新派との全面対決の時に一歩近づいたかのようだった。

 この日は説明だけで終わった。しかし兵士たちの身分は既にSUTAFEへ移行されており、ここからの一ヶ月はSUTAFEの宿舎となる説明した建物へ物資を移動するための期間だったのだ。

 シオンはオーロックス砦へと戻り、部隊長へは反抗心から大した報告をせずに、代わりに同期たちには愚痴の意味合いも含めて盛大な報告会を行った。

 ケルディックの両親へ手紙を送ったり、宿舎にある荷物の整理をしたり、配属先が変わるにあたっての事務仕事を行ったり。

 必要な手続きを行うことで、一か月の時はあっという間に過ぎていった。

 そして四月一日。SUTAFEの実働一日目。シオンたちSUTAFEの兵士は、帝都西郊リーブスの街へ再び訪れていた。

 既に荷物は新しい宿舎へ届けている。同時期に百人もの人間の荷物が鉄道網を利用した配送屋に預けられたのだから、彼らはたんまりと貴族様から流れた金に顔をだらしなくしていることだろう。

「よ、シオン」

「おはよう、ケイルス」

 時刻は朝の九時。前回とは違い、随分と早い時間帯での集合となった。

 場所は例の演習場。ここからならL字型の宿舎の二つの出入口どちらにも近い。説明会を開いた講堂や更衣室や訓練室、そして兵士たちの部屋がある宿舎のどちらにも行けるのだ。

「何だか皆、慣れないって顔してるよなあ」

「そりゃそうだ。今まで来ていた軍服とは違う色なんだから。誰もかれもが困惑してるだろうさ」

 シオンとケイルス含め、その場にいる全員が翡翠の軍服を着ている。デザインは各領邦軍のそれと同じだが、鮮やかな色合いは不思議と気分を優雅にさせた。

 今日は実働一日目ということで、これからの軍務の説明があるはずだ。だがやはり気持ちを切り替えるためか、最初に集会があるらしかった。

 その集会のため、前回とは違い指定された場所へ向かおうとする。

 その時、誰かと肩がぶつかった。

「っとと、悪い――」

「フン、また貴様か」

 その声を聞き、シオンは少しばかりげんなりとした。ぶつかってしまったのが先日一触即発となったエラルド・ローレンス伯爵家嫡男だったからだ。

「はあ、ぶつかったのが可愛い女の子だったら運命を感じるんだけど……」

 シオンはわざとらしく盛大に嘆く。

「それがアンタじゃ、喧嘩に発展しそうな未来しか見えないから困るよ」

「ならその通りになるのが望みか?」

 そう言って仁王立つエラルドは、随分と翡翠の軍服が様になっていた。身長も自分より高く、威圧感がある。精悍な顔つきも相まって、優雅な貴族というよりは正規軍の軍人のような印象を受ける。

 だからか、取っつきやすいのはとシオンは納得した。貴族に対して畏怖がなく気の抜けた接し方が常とはいえ、こうまで軽いやり取りを続けられるのはそれが原因だからだろう。

「いや、それは止めておくよ。腕っぷしには多少自信はある。けどローレンスが相手じゃ立場的にも部が悪そうだ」

 エラルドの取り巻きから「様を付けろ様を!」などと音が聞こえてくるが、 そこは無視だ。

 尚もエラルドは仏頂面を崩さなかった。

「貴様は、クロイツェン領邦軍の平民だったか。その腑抜けた言動がアルバレア公爵の名を汚しているという事を、学ばせてやろう」

「そちらはカイエン公爵家のラマール領邦軍だったね。貴族の義務(ノブレス・オブリエージュ)……平民として見させてもらうよ」

 見渡せば、いつの間にかの人だかり。また不要な注目を浴びてしまったらしい。エラルドは悠然と自分の指定位置に向かった。ついでに取り巻きはやたらとこちらを睨んでいた。

 やれやれと恐縮してから、遅れて自分の指定位置へと足を運ばせた。

 今度は前回の無秩序な説明会と違い、各人指定された配置できれいに整列している。横十列の各列十人。きれいな正方形の配置を取った人間たちは、みな一様に背筋を伸ばして一つの方向へ目を向ける。(見るものから見れば)色々と問題行動のあるシオンだが、この場では大人しく不動を貫いた。

 グレイ副司令はよくある設立の挨拶を手短に済ませた。士気を上げるための演説もそこそこに、次は長い時間をかけてこの場にいる百人全員の名前を読み上げた。そして、各々がどのような班編成となるかを告げる。

 SUTAFE の規模は、百人の中隊だ。それを二十五人の四小隊、さらに五人の二十班へと分ける。班の編成は各州で統一するのではなく、四つの州の兵士を混成させるのだとか。

 指揮系統は、グレイ副司令からの伝達が各小隊長へと伝えれ、さらに各班長へと伝達される。極めて単純なものだ。

 そうして、順々に名が呼ばれて言った。各々の所属する小隊と、そして班が明かされる。小隊長と班長も、同時にこの場で発表された。

「ケイルス・ラグバレッジ。第二小隊、第八班への配属とする」

 知っている名の中では、最初にケイルスが呼ばれた。しかし現状、特別喜びようもない。この集団は互いに七割以上が実質初の顔合わせだし、残る三割弱の同郷も分断される班編成になるのだから。

「エラルド・ローレンス。第二小隊、第六班への所属、並びに班長の任を命ずる」

 やたらと衝突の多いエラルドはケイルスと同じ小隊だ。しかも班長。シオンの隣でグレイ副司令の声を聞いていたケイルスは、随分げんなりとした顔になった。

 そういえば説明会の際に言っていたが、班長となった者はいずれ出向元の領邦軍に戻った時には一階級昇進することが決定しているらしい。それで組織全体の指揮を上げるつもりなのか、はたまたそれだけの苦労を背負い込む活動を行うのか。どちらも気にせずのんびりしたいと、シオンは嘆息した。

 同時に考える。知らない人たちの班編成なんぞ知ったことかと、ぼんやり思考を宙へ飛ばした。

 そんな折、タイミングも悪くシオンの名前が呼ばれる。

「シオン・アクルクス。第二小隊、第八班への所属、並びに班長の任を命ずる」

「うへぇ」

 思わず吐いた息を周りに聞かれないようにするのは苦労した。

 ケイルスと同じ班。同郷は分かれやすいことを考えれば幸運だが、班長となったことと第二小隊となってしまったのは不運だ。

 エラルドとは同じ小隊の班長同士。顔を合わせる機会も多いだろう。

(前途多難だな……)

 四月始め、暑くも寒くもない。それでも何とも言えない疲労感をシオンは感じてしまうのだった。

 全員の名が呼ばれた。次は先日の講堂で各々顔を合わせ、昼よりSUTAFEとしての業務開始だ。

 隣のケイルスに声をかけ、シオンはため息を吐きながら移動した。

 顔を合わせたSUTAFEの同期たちは、意外にも尊大な態度をとる人間はいなかった。自己紹介をしながら、シオンは班単位での行動ならのんびりやれると安心した。

 シオン・アクルクス。クロイツェン領邦軍の出、軍属は今年で四年目。第八班のリーダーとなる。

 ケイルス・ラグバレッジ。クロイツェン領邦軍の出身、軍属四年目。シオンとは同期で親友。

 フェイ・ロレンド。ノルティア領邦軍の出身、軍属三年目。眼鏡つり目の知的な印象だが、ノルティア州を治めるログナー侯爵家の令嬢と親しいと抜かす独特な雰囲気の男。

 サハド・ツェイズ。サザーラント領邦軍の出身、軍属九年目。先輩後輩問わず同僚の殆どがのみ仲間だと自慢する、豪快な男性。

 レイナ・ローアン。ラマール領邦軍出身、軍属四年目。先日エラルドについて教えてくれた、軍人とは縁遠そうなポニーテールの女性。

 この五人のが第八班だ。簡単な自己紹介の後、さっそくSUTAFEとしての班業務が各小隊に課せられた。

 

 

――――

 

 そこからの数週間は、新たな環境になれるために精神力を浪費した日々となった。軍人としての訓練、各州領邦軍との連携、組織内での規律の意識。新たな環境である以上、今までと同じ業務でもそれを行う理由は大きく異なってくる。

 SUTAFEの業務、そして規定を大まかに言ってしまうと、以下のようなものになる。

 ①、SUTAFEは各々が所属していた州にとどまらず、飛空艇を持ちいて各州に自由に赴いて独自の調査や領邦軍の補佐を行える。

 ②、その職務は特別な時を除き、訓練や各州の補佐など各々の裁量・指示に任される。

 ③、各小隊はそれぞれ四州を担当。担当された州の領邦軍と連絡をとり時事の収集を図る。各々がその州の益となるよう領邦軍と連携する。

 ④、各小隊が担当する州は定期的に入れ替わる。

 ⑤、SUTAFE の基本的な戦力は百人の歩兵と四機の飛空艇である。

 ⑥、組織分類としては領邦軍に属さず、あくまで領邦軍と協力関係にある組織である。しかしその権力行使は領邦軍と同等である。

 これが最初に暗記しろと命じられた、最低限行動していくために必要な知識だった。まるで五つ目の領邦軍できたようなものだが、こうも露骨だといっそ笑えてくる。

 領邦軍との連携などほざいてはいるが、四大名門の上層部が狙っているのは帝国正規軍への牽制だろう。典型的な上司に翻弄される部下の図だ。余り目立たず事務作業をひっそりこなしたいと思った。

 その野望の通り、数週間の間は大人しく生活することができた。先のエラルドとの邂逅で色々とやらかしてしまったが、誰も彼も目の前の環境慣れに苦戦している状況だ。少しずつ、記憶もぼやけてくるだろう。

 そうして時間は過ぎていく。日々の業務に追われるなか、自分のなかに拭いきれない違和感が産まれたことに気づいた。

(この組織を作った理由は理解した。けど、それを提唱したのは誰なんだ? そもそも説明役がグレイ副司令だけで司令がいないのも引っ掛かる……)

 規定と主旨だけでは説明しきれない()()がある。それを確かめるまで、のんびりとした生活はできそうになかった。

 日々の業務から自分の琴線に触れる出来事が起きたのは、四月二十三日になってのことだった。

「大市の揉め事に対する調査?」

「そう。昼間、ミーティングで俺の同期が挙げてただろう?」

 朝食時である。八班の班員が集まるのを待てず、忙しくパンを咀嚼していたところ、相席していたケイルスが一つの話題を投じたのだ。

 ことが起こったのは、日に二度は必ず、そして非常時に応じて適宜行われる各州領邦軍からの情報開示の時だ。

 どこかしらの州で領邦軍を補佐すべき任務があるのか、あるいはそれを要請されたか、はたまた独自で動くべき何かしらが生じたか。いずれにせよ、そういった不特定の時事を報告すべき時間に、クロイツェン州の担当となったケイルスの同僚が言っていた。

 交易町ケルディックにて、アルバレア公爵家から下された増税により町民との軋轢が生じている、とのことだ。

「ふーん……」

「シオン、お前もそうだろうけどクロイツェンの人間は皆この話で持ちきりさ」

 他の州からもちらほらと情報開示がなされているが、これと言って気になるものはなかった。サザーラントの紡績町で不可解な事故が生じたとか、ラマール軍からの訓練要請が来たとかなら聞いたが、所詮は他州の話だ。二人としては、やはりケルディックの話が気になる。

「よう、おはようさん二人とも!」

「何の話をしているんですか?」

 やってきたのはサハドとレイナの二人だった。フェイはまだ来ないらしい。後で遅刻だと煽ってやろうとほくそ笑みつつ、ケルディックの件を伝える。二人はその立場に違わず、公平な意見と年長者としての意見を出してくれた。

「確かに、気になる話ではありますね。それにお二人はクロイツェンの出身ですし……」

「気になるっていやあパルム紡績町の事故も気になるが、あちらはもう第一小隊が動いているからな」

 そう、紡績町は既にサザーラント領邦軍の要請があり、自分たち以外の兵士たちが移動し始めているのだ。たしか、今朝出発したとかなんとか言っていたか。

 だが紡績町が『事故』である一方、ケルディックでの出来事はたかが『揉め事』だ。クロイツェン出身の者でなければ気にすることもない、小さな事象だった。

 SUTAFEの規則では、それこそ要請が来なければ無理に行く必要はない。そもそも揉め事程度なら、ケルディックに詰めている領邦軍だけで解決できるだろう。本来、自分たちの出る幕はない。

 けれど、やはり地元民の性かそれとも偶然か、シオンは妙な不安を覚えた。

 大人しく日々を過ごしたいとは考えているが、やはり気になるのはSUTAFEなんていう組織ができてしまった帝国の状勢だ。この組織を利用するくらいでなければ、自分はそれこそ上層部の思惑に振り回されるだけに日々を費やしてしまいそうな気がする。

 もう一度考える。自分たちの出る幕はない。そもそも、領邦軍の兵士たちはこと程度のことに関係しようなどと正義の味方は気取らない。そもそも要請を受けていないのだから、発足数週間の組織内では突飛な行動として目に映るに違いない。

 だが、逆に要請がなくとも赴くことは、報告さえ行えば決して許可されない訳ではない。

「ケイルス……たしかこのSUTAFEって、班単位での独自調査もある程度一任されてるよな」

「あ、ああ。確かにグレイ副司令もそんなことを言っていたけど」

 食事を終え、シオンは口に手を当て視線を落とす。質問に肯定したケイルスの声に、さらに考え込んでいるようだった。

 その様子に、サハドは楽しそうに顔を歪める。

「おっと……漸く我らが班長殿も班長らしく指揮を執る気になったらしい」

「よして下さいよ、サハドさん。こっちは貴方に役を譲って隠居したいんですから」

「ふふっ。でもシオンさん、何だかんだで私たちをフォローしてくれますよね」

「レイナも何言ってんのさ。俺は楽をしたいだけだ」

 何やら盛り上がってくる。そんな折、第八班最後の一人がやって来た。

「おはよーございます……って皆さん、なんかあったの?」

 眠気を噛み締めながら席に座るフェイ。彼の目には、自分たちは朝から妙に張り切っている集団に見えたらしい。

 フェイの質問には、真っ先にケイルスが返した。

「んにゃ、シオン班長がやる気になったって話をしただけさ」

「やる気?」

 未だ気だるげに、フェイは聞いてくる。シオンは頷きながら、それでも否定するところは否定した。

「ああ。ま、やる気になったんじゃなくて。気になっただけだけど」

 そして、班員全員に告げた。このメンバーでの、初めての任務となる行動を。

「行くぞ。ケルディックへ」

 

 

 

 



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4話 交易町ケルディック

 

 

 西郊都市リーブスから列車に乗る。帝都で一度列車を降り、必要な物資を手にしてから路線を変える。大陸横断鉄道で懐かしいとある駅を通りすぎると、数十分後には馴染みのある穀倉地帯と田園風景が見えてくる。

「わぁ……すごい綺麗ですね」

 車内、窓際に座るレイナは物珍しげに声を洩らした。一方対面するサハドは楽しみで仕方ないと言うように喉を鳴らす。

「ケルディック……ライ麦を使った地ビールが旨いんだよなぁ」

「お、サハドさんもイケる口ですか?」

「そりゃもう、休日前のビールは俺たちの癒しだからな。シオンもそうだろう?」

「ええ、そりゃもう」

 男二人のだらしのない顔には、ケイルスも同調した。

 最後、どちらかと言えば静かに佇む事の多いフェイが突っ込んでくる。

「それで? そろそろ話をまとめようよ。町の増税に関する揉め事を調べるのは判った。でも、班長とケイルス以外はクロイツェンの事なんてさっぱりなんだから」

「ああ、そうだな」

「なら、俺とシオンで順々に説明していくぞー」

 確かに、基本的に自分の守る州の事しか知らない人間たちだ。これからはどこかへ赴く時、班の誰かしらが説明をすることになるのだろう。

 気を取り直して、これから調査を行う前の現地講義を行っていく。

 交易町ケルディック。広大な穀倉地帯の中心に位置する、各種交易が盛んな町だ。大陸横断鉄道の中継駅もあり、西はラマール州の海都オルディス、東は大国カルバード共和国までの様々な商品が毎週の大市に並ぶ。

 地理としては、アルバレア公爵家が治めるクロイツェン州の北方に位置する。北には帝国随一を誇る森――ヴェスティア大森林があり、その一部を人が入れるよう整備されたルナリア自然公園は観光地としても有名だ。

 特産は野菜と地ビール。シオンたち親父臭い人間が求めてやまない田舎料理の王道。

 と、ここまでは典型的な基礎知識。ケイルスが余談を挟む。

「それと、コイツ――シオンの実家がある」

 隣に座る班長の肩を叩くと、他州の三人がわぁっと反応した。

「そうか、久々の里帰りか。是非両親に会ってくるといい」

「楽しみですね、シオンさんの御両親」

「サボらない程度にしてくださいよー」

 サハド、レイナ、フェイ、三者三様の反応に目線を宙へ泳がせた。コホンッと息を吐いて、会話の軌道修正を図る。

「程々にしとくさ。大事なのは調査だからな」

 シオンの実家はケルディックの農家だった。物心がついた頃から畑で育ち、大市で走り回り、多くの商人を見て見聞を広めた。そして仕官学院を経て、軍人としての道を志した。

 今頃両親は自分のするべき仕事をあくせくとこなしているだろう。両親の仕事を手伝うという選択肢もあったので、畑仕事の忙しさを思えば少しばかり申し訳なさも感じる。

 そのケルディックでの、増税による揉め事。

 しかしシオンがケルディックの調査を決行したのは、別に地元への感傷が働いた訳ではない。

「こんな片田舎の揉め事への介入なんて、相当上手くやらにゃ副司令の雷が落ちちまう」

 SUTAFE。その建前は四州の連携。その存在意義は各州領邦軍の補佐。その真意は、革新派が擁する正規軍の牽制。これを成し得なければ、貴族派主義に凝り固まった上司や同僚の集中放火を浴びるに違いない。

「でも、せっかくどこぞのヒーローみたいにある程度自由な行動ができる場所に流れ着いたんだ。できる限りやりたいように動きたい。皆、俺の我儘に付き合ってくれるか?」

 少しばかり申し訳なさげな口調。同僚であり、立場上部下でもある四人は、大した間を置かずに答えた。

「初仕事が班長の地元! 景気付けにはうってつけじゃないか、張り切るとしよう」

「シオンさんの姿勢は素晴らしいと思います。是非、ご一緒させて下さい」

「厳しすぎなければ、班長の指示に従うよー」

「俺はお前の親友だろ? こんな程度の我儘慣れっこさ。楽しむとしようぜ」

 思った以上にすんなりとした返答に、シオンの口角も自然とつり上がる。

 SUTAFE第二小隊、第八班。初めての調査が幕を上げた。

 

 

――――

 

 

 とにもかくにも、町に到着して最初に赴くのは連携を図るべき領邦軍の詰所でなくてはならない。そして義務ではないだろうが、期を見て町長――ケルディックでは大市の元締めも担っているオットー氏の元へ向かうべきだろう。突然見たこともない軍服を纏った人間に町をうろつかれては、双方たまったものではない。事前に連絡を通したとはいえ、一般的な常識としては当然の配慮だ。

 しかしながら領邦軍の問題児、シオン・アルクルス。そんな魂胆で行動を起こそうとはしなかった。

「久しぶりぃ、マゴットおばさん!!」

「おやぁ、シオンじゃないか!」

 何はともあれ行かなくてはならない場所がある。そう言って青年が四人を案内したのは、あろうことか居酒屋である。これにはさすがの班員たちも呆れるしかない。

「妙な服だけど、随分様になってるじゃないか。しばらく見ないうちに逞しくなったねぇ」

「そう言ってくれると嬉しいよ。おばさん、それよりも景気付けに一杯ビールを――」

「なーに言ってるんだこの自堕落班長がぁ!」

 軍人以前に大人としての品性が危ぶまれる青年に、親友による鉄拳制裁が下る。脳天を貫いた衝撃に、シオンは真昼の居酒屋に星空を見た。

 そのままふらつくシオンを背後からサハドがキャッチ。両手をレイナとフェイが拘束。幸か不幸か、班結成数週間での見事な連携はシオンの腹にケイルスの二撃目を与えることになった。

「ごふぅぉ!」

「ごめんごめん、マゴットさん。俺たち仕事でケルディックに来てさあ」

 事を為したケイルスが何ともないようにマゴットに言う。彼女も彼女であっさりと目の前の光景を受け入れた。

「おや、あんたはケイルスじゃないか。そういやシオンと同僚だって言っていたねえ」

「ああ。一日か、二日かな。少しだけ、またお世話になるよ」

 シオンはケルディック出身として。そしてケイルスは居酒屋の常連としてマゴットと顔見知りだった。マゴットは良識ある人間なので、シオンが引きずられても自業自得として何も言わずに受け入れている。

「ほら、まず行くところは領邦軍詰め所だ。行くぞ馬鹿班長!」

「うー、俺の地ビール……」

「せめて今日の夜までとっとけ!」

 二人を知らないものは少し顔を引きつらせて。知る者は呆れ笑いを浮べながら、五人が外へ出るのを見届けた。

 そして数分後、ようやく回復したシオンを先頭に五人は詰め所の前までやってきている。

「まだ腹が痛い……隊長の前で吐いたらどうするんだよ……」

「自業自得だ、とっとと歩け」

 確かに自業自得だが、そうとは認めたくないのがシオンの性だった。隙を見計らって飲みに行ってやるなど、そんな野望を人知れず抱く。

 もっとも、どのみちマゴットがシオン相手に勤務中に酒を出すことは絶対にないのだが。

 気を取り直し、五人は詰め所前の兵士に声をかける。今回は、約一ヶ月前までこの場所に勤めていたケイルスが前に出た。

「お久しぶりです、先輩。SUTAFE第二小隊第八班です」

「ん……? ケイルスじゃないか、びっくりしたぞ」

「へへ。隊長へのアポ、お願いできますか?」

「ああ、ちょっと待ってろよ」

 ただの一般人が唐突に入るわけでもなし、加えて一人は元々勤めていた場と来ている。部隊長への面会の時間はものの数分でやって来た。

  そろそろ本格的に調子を戻したシオンを先頭にして、一同は執務室へ行く。

「失礼します。シオン・アクルクス、以下五名、参りました」

「入りたまえ」

 ケルディックの部隊長は、シオンとケイルスが入隊する前から変わっていない。ケイルスはケルディック部隊に勤め始めてからの上司であるし、そしてカイトは地元の部隊長という関係性上、この部隊長の人となりをよく知っていた。

「ふむ、ラグバレッジではないか。久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです。部隊長」

「私としてはお前を含め、落ちこぼれの顔を見ることがなくなってほっとしているがな」

「ぐ」

 そう、実に貴族寄りな考えを持ち、下の者を見下しやすいという性格だ。

「部隊長殿。今回はこちら側の提案に許可を下さり、ありがとうございます」

 シオンが、表面上は礼儀を正して言う。

 上司というものは少なからず高圧的な存在だが、領邦軍に至ってはそれが顕著に表れている。自らが組織ながら、シオンはこういった人物があまり好きではなかった。

「ああ、そちらのことは聞いている。増税による町人の不満を諌めること、それに協力したいとのことだったな」

「はい」

 シオンは班員たちには増税による町民の様子の調査と伝えていたが、先方であるケルディック部隊にはあくまで領邦軍の援助である、ということを伝えてある。その方がSUTAFEにも部隊長にもいい心象を与えられると考えたからだ。

「だが、他にやるべきことはないのか? 増税に文句を垂れる町民の処理など、我ら領邦軍が行う問題でもあるまい。暇を持て余しているのかね?」

 シオンは後ろに控える三人が、息を漏らすのを感じ取った。ケイルスは音こそ出さなかったがやれやれと呆れた表情を浮かべているのだろうなと、付き合いの長さ故に自然と予想している。

 苦笑が含まれた、ぶっきらぼうな物言いだ。

「私はケルディックの出身でして。同じ地元の者から説明した方が町民が納得するのも早いと考え、部隊の援助を願い出た次第です」

「なるほど、それならば感心するが……アクルクスといったな、君もクロイツェン領邦軍の出か」

「はい」

「業務と称しての里帰りか。こちらが職務に励んでいる中、随分と羽振りがよさそうなものだ」

「……」

 親に顔を見せる気がないと言えば嘘になるが、こう正面切って馬鹿にされるのはいい気がしなかった。

 そんなSUTAFE五人の様子に気付いているのかいないのか、部隊長は筆を滑らせながら小言を続けてくる。

 しかし他州出身の三人の印象は、ケイルスに向かって放たれた言葉によって最悪になる。

「まったく、上層部もどうして急によくも判らん組織を作ったのか。まあ、お前のような厄介者をまとめて引き取ってくれたことにはどこの部隊も感謝しているがな」

「……ハハハ、全くその通りですネ」

 もはや反論することさえ無駄、というようなケイルスの返事だった。

 シオンは、あくまで冷静さを装って訪ねる。

「では、我々はこれより業務を開始するので失礼します」

「ああ、判った。とにかく面倒事は起こしてくれるなよ。ただでさえ忙しいのに、余所者が多いときている」

「余所者?」

「無駄骨を折らせるほどそちらのような暇はないのでな」

 雑に手を払われるような動作で、部隊長との会話は終わった。

 

 

――――

 

 

 ケルディックは大市が有名だ。シオンとケイルスが三人に説明したように、大市には野菜、穀物、香辛料に調味料といった豊富な種類の食料、革や糸といった服の材料、さらには種々の調度品など沢山の品が並んでいる。

 SUTAFEの五人は手頃な軽食を各々手にしていた。早めの昼食である。

「にしても……クロイツェンの隊長殿っていうのは、あんな風にいけ好かない奴らばかりなのか?」

 年長者であるサハドが、聞いてきた。ケイルスがため息をつきながら返す。

「……残念ながら。そりゃ、全員が全員って訳じゃないですけど」

「サザーラント領邦軍は気質も穏やかだって知り合いから聞いてますよ。そこと比べると、まあ質も落ちますよね」

 シオンが苦笑する。言うまでもなく、五人は部隊長の物言いに不満を覚えていた。確かにほぼ全員が余所者ではあるのだが、正式な許可を得てきている他の組織の人間に対する物言いではない。ましてやケイルスを指して厄介者と言ったのだ。

 当のケイルスは自分が部隊長からどう思われているのかを知っているので苦笑するだけだが、他州から来た三人は違う受け取り方をする。自分の同僚をコケにされたも等しい。憤慨もするだろう。

 シオンが言うように、別の州であれば風潮も変わってくる。今言ったようにサザーラントは穏やか、ノルティアは豪傑、ラマールは聡明な傾向があると聞いている。それと比べるとロイツェンの印象は笑えるぐらい低い。

「明らかに歓迎されてないよね、僕たち。面倒だなあ」

 フェイがぶっきらぼうに呟いた。声こそ出さないがレイナも同じ気持ちらしい。

 自分たちは歓迎されていない。同じ領邦軍という括りなのに邪魔者扱い。

「ま、あれこれ言っても仕方ない。さっそく調査を始めるかい、班長殿?」

「ええ。始めましょう。元々俺の我儘だし、やることだけやって、一日二日ぐらいでちゃっちゃとリーブスに戻りましょう」

 領邦軍への言い訳は、あくまでもめ事を諌めること。そして本音は、揉め事の真相を調べること。どちらにしても、体よく動くには人への聞き込みが不可欠だった。

 詰め所で書類を見ることもできるが、部隊長や性格の悪い兵士の噂の的にもなりたくないので、一先ずは外へ出ることにする

 五人はまず、町の外で農業に営む人々への聴取を始めた。街道には魔獣もいるうえ、他州の三人は道に迷って調査が滞ってしまうとの判断だ。

 班長でありケルディック出身のシオンを先頭に魔獣を蹴散らしながら進む。領邦軍の兵士は主にアサルトライフル、剣、銃剣から武器を選択し、そして全員に単発式拳銃と旧式の戦術オーブメントが支給される。ケイルスは銃剣を、サハドは剣を、フェイとレイナはアサルトライフルを得物としていた。そして今回、シオンは剣を見繕ってきている。

 出会ってまだ一ヶ月もたっていない五人は、仲間としての連携はまだぎこちない。しかし数年から十年近くの領邦軍勤めの経験を活かした兵士としての連携を試みた。

 そもそも兵士は白兵戦を得意としない。この中でそれが得意なのはシオンだけだった。シオンに次ぐのはサハド、その次点がケイルスだが、あくまで平均的な兵士としての力に過ぎない。あくまで軍属であることを忘れず、五人は慎重に街道を探索する。

 町の外で気になったのはルナリア自然公園の管理人が変わったということぐらいで、大した成果は得られず。次は町へ戻り、各々町民への聞き込みを開始する。

 元々ケルディックに勤めていたケイルスがフェイと組み、社交性も高いサハドがレイナと組んだ。そして知り合いも多いシオンは単独で行動することになり、この三チーム編成別れ、夕方ごろに落ち合うことを決めた。

 シオンはまず実家へ顔を出した。数ヶ月も会っていない両親との再会は自然と笑みをこぼれさせ、半ば無理やりに休憩させられる。ケイルス達には悪いが、少しの間ハーブティーを楽しむこととなる。

 その後も各所へ顔をだし、時折すれ違う班員とは簡単な意見交換、クロイツェンの同僚には微妙な目線を送る。一通りの調査を終えるころには夕方になってしまっていた。

「……ああ、つっかれたなー」

 階段の上から夕焼けに染まる大市を眺めつつ、一人ごちる。

 元から揉め事がある、ということは把握しているが、実際に聞いてみることでさらに具体性が増してきた。

 曰く、アルバレア公爵家は通達により、二カ月ほど前より大市の売上税の増税を宣布した。

 曰く、それはここ最近の増税傾向から飛びぬけて高いものになっているため、オットー元締めはアルバレア公爵家へ陳情に何度も言っている。しかし陳情は全く相手にされず門前払い。

 曰く、最近は領邦軍兵士からも圧力を受けている。大市でのトラブル、それに対しての不干渉を貫いている。

(部隊長の余計な真似をするなってのはそういうことか)

 商人にとって売り上げ税が上がるというのは収入に直結する問題だ。商人同士の緊迫感も生まれるし、軋轢も増える。そうなれば影響は商人だけでなく農家にも、客にも及ぶことになる。町民の不満は尤もだ。

 もちろんケルディックがクロイツェン州に属している以上税に関するいざこざは免れない。領地を管理する者に利を納めるのは当然のこと。……とはいえ、幾らなんでもこの情況は人道的ではない。

「困ったなあ。ちょっくら町のトラブルが増えたから、それを解明してオットー元締めにトラブルの予防策を提案しようとでも思ってたんだけど」

 揉め事の実情は、一兵士が介入するにはあまりに大事だった。なんせ、町長と領主が話し合う、という段階まで来ていたのだから。その話し合いが全く行われていないとはいえ、今更自分たちがどうこうできるような問題ではない。

(かといって俺たちが小さな揉め事に対処できるのは滞在中だけ。仮にSUTAFEを常駐させようとしても、グレイ副司令とクロイツェンの上層部がそれを突っぱねるだろうしな)

 自分が小言をつついてささやかな復讐をすることもできるが、それでは付き合ってくれた同僚に申し訳が立たない。同僚たちが集めた情報次第ではあるが、早晩シオンは途方に暮れることとなった。

「……はぁ」

 自分が属する組織の馬鹿さ加減が身に染みる。確かに、定義上自分たちが仕えるのはあくまで領主に過ぎない。とはいえ町民・領民をないがしろにしていいはずがない。いいのなら、何のためにケルディック部隊などというものがあるのだ。

「ぼやいても仕方がないな。もう夕方だし、なけなしの可能性に賭けて改善案を募るか」

 それを元締めと、無駄だろうが部隊長にも進言して帰る。意気消沈したものだから、帰るのは明日でもいいだろう。

 まだ同僚たちは帰ってこない。ケイルスとフェイはともかく、サハドとレイナは慣れない場所での調査に手間取っているだろう。そちらの手伝いをするべきか。

「取り敢えず、せっかくだし何か食ってからでもいいかもな」

 大市には馴染み深い知り合いもいる。その一人に、愚痴がてら会いに行こう。

 その知り合いの場所は知っている。ケルディックに馴染んだ商人だから、場所も決まって固定されているのだ。

「やっす、ライモンさん。久しぶりに冷やかしに来ましたよ……てあれ?」

 馴染み顔なのはライモンという名の商人だ。彼には娘もいて、適度な年の差もあって子供の頃は可愛がっていたものだ。最もその少女は父親に似てどんどん強かな性格に変っていったので、今では可愛げなど微塵もない商人娘へと変貌しているが。

 ともあれ、店先に立っていたのは商人の親父ではなかった。立っていたのは青年――というより自立前の多感そうな少年。黒髪に整えられた顔立ち、優しそうな風貌。

(いや、どちらかというと覇気の無さそうな風貌?)

「いらっしゃいませ! 今は夕方のセールをやっていますよ」

「あ、ああごめんよ。ここって、ライモンさんの?」

「はい。ここはライモンさんのお店です。少し事情があって、彼は席を外していますが」

「そうか……」

 もしやライモンの連れ子か隠し子かと考えたが、どうもそういうわけではないらしい。ただの少年でないと感じさせたのは、彼が身に纏っている紅い服。

 その服に、シオンは既視感を覚えた。

「もしかして……君はトールズ仕官学院の生徒なのか?」

 制服と呼ぶべき整えられた模様と布地は、色こそ違うが自分が学生だった頃のトールズのそれとよく似ている。何より肩口には校章である有角の獅子紋。間違えるはずがない。

「はい。実習で少しの間、ケルディックに滞在しているんです」

「へぇー……珍しいことをするもんだ」

「え?」

「いやいや、なんでもない。実習、頑張りな」

 彼の表情は、どことなく自分を観察しているように見える。自分が彼の服装から身分を予想したように、彼もまた自分の翡翠の軍服を珍しがっているのだろう。ケルディックではクロイツェンの青服の兵士を見かけるだろうから、珍しさもなおさらだ。

 だがまあ、SUTAFEのことはあまり口にしない方が良い。シオンは早めに買い物を済ませることにした。

「とにかく、リンゴでももらおうかな。何かを腹に入れておきたい気分なんだ」

「判りました。リンゴは一つ――」

 一先ずシオンは、後輩との出会いを楽しむ。

 早春のケルディック。日の入りの時間は近かった。

 

 

 



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5話 混濁の予兆

 

 

 手短に買い物を済ませ、思いもよらなかった後輩の出現に喜んだシオンは少しばかり機嫌を良くして集合場所へ向かった。

 少しばかり調査も手間取ったのか、集まったのは夕陽も完全に落ちそうな頃合い。同僚たちは手に持つリンゴを頬張るシオンを少しばかりじっとりと見続けたが、律儀に人数分買って来られて渡されたので何も言わないことにしておいた。

 夕食を適当に食べながらの情報交換。シオンはマゴットの元で地ビールを仰ぐことを切に願ったが、意外に真面目なケイルスとフェイの非難によって普通の軽食店で食べることになる。と言っても、ケルディックだけあって十分にうまい店なのだが。

 集まった情報は、シオンが把握していることとそれほど変わりなかった。全員がアルバレア公爵家の無茶な増税の結果揉め事が生じているということは理解しており、また状況を改善するための策も無さそうだということは理解できていた。

 食事を食べ終えた五人は見事に意気消沈する。

「まったく、どこの領邦軍も力を持ちすぎたせいで苦労するもんだな」

 そんなことを言ったのは、年長者のサハド。この会話により、一同の話題は増税から領邦軍のことについてに移る。

 領邦軍というのは、大貴族の私兵である。金持ちが継続して雇うような傭兵を大規模にして組織化させたものに過ぎない。あくまで忠誠を誓うのは大貴族にのみ。他の存在はついででしかない。

 つまるところ、帝国の中に複数の国があるようなものなのだ。しかも皇帝が治め、名目上とはいえ民主化された政治ではない。一人の領主が領地を動かす、独裁の政治。大袈裟な物言いかもしれないけれど、そう過言してもおかしくはなかった。

「はい、本当に。この後詰め所で寝なきゃいけないのが腹立たしいです」

 そしてそのような状況なら、現在のこのケルディックの領邦軍の態度も理解がいく。

 主に弓引く民を救うはずがない。それが常識的に善か悪かは別として。

「マゴットさんとか良い人がたくさんいるから何だかんだ二年間やってこれたけど、本当はいつも嫌だったんだ。上司の偉そうな態度がさ」

 ケイルスは盛大にため息を着いた。昔はここまで露骨ではなかったが、それでも昼間の部隊長の嫌味や領主先行の価値観にあおられ続けてきたのだ。思った以上に体が悲鳴を上げているらしい。

「だとしたら、そもそも何でアルバレア公爵家はここまでの増税をしたの?」

 フェイが前提を理解したうえでそもそもの原因であった増税の話題に踏み込む。

「確かに……どの四大名門でも、財政が危ういという話は聞いたことがありませんし」

 あれやこれやと議論は進む。しばらく黙っていたシオンが、唐突に口を開いた。

「領邦軍の戦力増強のため。これが理由だろうさ。革新派に対抗するために」

 それぞれ予想を立てる中での一言に一同が静まり返る。答えを予想できていたらしいサハドが、他を差し置いて付け加えた。

「恐らくそうだろうな。フェイに、レイナもなんとなくは判っているだろう。クロイツェンほどではないとはいえ、俺たちの州でも少しずつ増税が進んでいるのを」

領邦軍は、貴族派という四大名門が中心の一派の戦力ということが言える。なら、それに対する勢力は? 答えは簡単、革新派が擁する正規軍だ。

 ここ最近は戦車の発注増加などもある。上同士のくだらない対立のせいで、領民に理不尽な弊害が起きているのだ。

「自分が勤める組織ながら、つくづくため息が出るな。元々、家族を養うために入隊したとはいえ」

 正規でないとはいえ、一応は軍人であるあえに収入は悪くない。サハドはそう言った経済面の理由で入隊したとのことだが、『守るため』でないとはいえ納得したくはなかった。

「でもこの五人で良かったですよ。自分と似た価値観の人たちが集まってよかった」

 シオンが明るい声で言った。まだ一ヶ月もたっていないが、お互いの性格をなんとなくでも掴めてきた今日この頃だ。凝り固まった貴族主義の思考が身につき、罪悪感も薄まりやすい領邦軍の中で、今日の自分の愚痴に同調する人間がこんなにも集まるというのは奇跡に近かった。SUTAFEに派遣されてから色々と疲れる毎日だが、そこだけは良かったと心から思える。

「ははは、そうだな。シオンはいつも上司や先輩と喧嘩してばっかだったから」

「うるせぇよ」

 少しばかり喧嘩腰となる親友たちを、サハドは優しく諌める。

「確かに、そこも班長殿に賛成だ。今までで一番過ごしやすいからな。この班に集められて、正解だった」

 新たな話題を投じたのはレイナ。

「そう考えると、……私たちってどうして集められたんでしょうね」

 すなわち、SUTAFE設立における人選の基準である。この三週間誰もが一度は考えた、けれど判らずじまいになっていたこと。その予想は自然と盛り上がった。

「性別は?」

「フェイさん、私がいます……」

「なら経験年数は?」

「重鎮こそ少ないが、三年から十年程度と幅広いぞ。俺を見てみろ、フェイ」

「平民だけかと思ったらそうでもないし」

「お前と初日からいがみ合ってたローレンスは伯爵家だしな。至近距離から見てて面白かった」

 どれをとっても、いまいち納得がいかない。楽しい会話ではあるが、結局は平行線だ。

「……士官学校の出身、て訳じゃないもんな」

 シオンのぼそぼそとした呟きも、残念ながら不正解だ。シオンとケイルスは名門トールズの卒業生だが、残る三人は士官学校を卒業したことがない。

「あ、そういえばシオン」

「どうした? ケイルス」

「昼間、面白い子たちを見つけたんだよ。たぶんトールズの学生だ」

 ケイルスからの報告で、昼間大市で喧嘩沙汰一歩前まで発展した商人がいたことは知っていた。申請し、許可された店のスペースが重なってしまったとのことだった。この件に一同は違和感を覚え、翌朝にでも詳しい経緯を聞いておこうとの方針を決めたのだが、どうやらその場を収めたのが紅い制服を身に纏った学生だったらしい。

「あれ、間違いなくトールズだよ。珍しいところに後輩がいた、って思ってさ」

「あれ? 大市のアルバイトをしてたんじゃないのか?」

「いや、それがどうやら面白いカリキュラムらしくてさ。色々雑用を請け負ってたみたいだ」

「……便利屋?」

「かもな。卒業してもう三年、いろいろ変わってるんだろうさ」

 その学生たちの中には、夕方みた黒髪の少年も含まれているのだろう。

 三人にトールズのことを説明したり、学生たちの話題を続けたり。ため息も多く出たが、少しは楽しく一日を終えられた。

 そして一同はケルディックの詰め所に戻り、いそいそと寝所に向かい意識を閉ざした。慣れない簡易的なベッドのせいか、夜が明けてもなかなか眠気は取れなかった。

 五人は話し合いの最中、今日はなるべく早めに帰ろうという意志を固めていた。自分たちが介入してもあまり効果が期待できない以上、留まり続ける理由もない。何も出来ないのは心苦しいので、シオンが考えたように大した期待もできない対策案を作成して元締めたちに提出することにした。

 問題が起こったのは、早朝、八時頃になってのことだった。

 朝食ぐらいは風見鳥亭で食べようとしたのだが、その前に五人で散歩をしていたところで大市から喧騒を感じ取る。嫌な予感がして様子を見に行ってみると、そこには屋台の骨組みから破壊されている店と、その正面で一触即発の様子の二人の商人だった。

「いい加減にしろ! もう怒ったぞ!」

「それはこちらの台詞だ! どうせ君がやったんだろう!?」

 ケイルスが言っていた、昨日店のスペースが重なって喧嘩沙汰になった二人だ。もっとも、今回はそれ以上に怒気をにじませているが。

「そこの二人! 一度落ち着け!」

 シオンが怒鳴り、先頭にして五人が割って入った。見慣れた青い軍服でない突然の乱入者に、大市の人々は驚いた。

 喧嘩腰の二人、若者の方がシオンたちを見て呆気にとられる。

「な、なんだあんたらは!?」

「俺たちは領邦軍の兵士だ。こんな成りだがな」

「ともかく、事件になったら多方面に被害が出るだろう。一旦は落ち着いてくれ」

 ケイルスが場を諌めようと試みる。ようやく、騒ぎも落ち着いてきた。

 視界の端に昨日話題になった紅い制服を捉えたが、今は非常事態だ。声をかける暇はない。

「ふぅ。まずは事情を――」

「君は、もしかしてシオン君ではないかね?」

 商人二人に話を聞こうとした矢先、近くにたたずむ老人から声をかけられる。帽子の奥に隠れていて気付かなかったが、シオンにとって見知った顔である。

「オットー元締め!? お久しぶりです!」

 帽子と整えられたスーツは、好々爺な雰囲気に誠実な印象を与える。この御人がケルディックのまとめ役であるオットー元締めだ。どうやら、この騒ぎを抑えるために駆け付けたらしい。

「久しぶりじゃのお。どうやら仕事で来てくれたようじゃが……」

「はい。色々話したいことはありますけど……それは後でにしておきましょう」

 そんなことを話す町長と班長を余所に、同僚たちがその場を諌めている。

「ふん、昨日は何もしなかった癖に、今日に限ってずけずけとくるのかね」

「生憎、領邦軍と言っても正規の組織から外れていてね。ともかく、落ちきましょうや」

 増税によって気を張り詰めているせいもあるが、頭に血が上っているせいか中々言葉まではとなしくなってくれない。

 そのせいか、ようやく調査を始めようとしたところで、邪魔が入った。

「ともかく、様子を見る限りどう見てもこれは『事件』だろう。まずは事情聴取を――」

「おい貴様ら、何をしている!!」

 正真正銘クロイツェン州の領邦軍のお出ましだった。

 小隊長の紋を付けた兵士が、数人の一般兵をつれてやって来る。無駄に周囲を威圧しつつ、ずけずけと中心に入り込む。

 シオンは一度同僚たちを下がらせた。

「貴様ら……SUTAFEの輩だったか」

「はい。第二小隊第八班班長、シオン・アクルクスです」

「貴様らの職務は別のものだと聞いているが、何故この場にいる」

「偶然ですが、騒ぎを聞きましたので。一触即発の状況ですし、場を鎮圧するために前に出た次第です」

「ふん……」

 小隊長は苛つきを隠さずに当たりを見回した。

「状況は理解した。とっととこの場から去れ」

「な……お言葉ですが小隊長」

「口答えをするな、余所者が」

「しかし」

「黙っていろ!」

 暴力的な言葉に、レイナは既に目を伏せている。フェイは横に反らし、ぐっと口をつぐんでいる。

 どうしてこうも苛ついているのかは判らないが、仮にも上の立場の人間に無理にたてつく訳にも行かなかった。シオンの指示の元、五人はその場を離れる。

 シオンたちが開いた空間に、紅い制服を身に纏った少年少女が入り込んだ。実習とやらでこの地に来ている彼らが何故前に立つのか。その真相は判らなかったが、できれば文句を言ってやれと念を送りながら立ち去った。

 五人は、大市を後にしても歩き続ける。そうしながらも、不満は正に垂れ流し状態だった。

「なんだ、相変わらずバカか小隊長殿め!」

「さすがに、酷いです……」

「あの人、自分が雰囲気を悪くしてるって気づいてないんじゃないの?」

 ケイルス、レイナ、フェイが思ったままに口にし続ける。全く持って同調する残り二人だったが、これはまずいとこらえて話し合う。

「……班長殿、次に行く場所は?」

「揉め事の予防策を練るって昨日言いましたけど、それは止めにしましょう。まずは詰め所に行きます」

「ふむ。どうせ厄介者扱いされるだけだと思うぞ?」

「それは百も承知ですけど、俺たちがあの場にいたのはまだあの小隊長たちだけしか知らない。部隊長もまだ俺たちが余計なことらしいあの事件に介入したとは知らない。今のうちに目に物見せてやりましょう」

 あの大市での状況は、器物破損と物品の盗難、明らかに事件と呼べるものだ。そして商人二人は明かにお互いを罵倒し合っていた。一方が罵倒し他方が言い返すのではなく、()()()()()()恨んでいる、という風だった。あんな不自然な状況なら、細かい事情聴取と現場検証は必須だ。

 なのにあの小隊長は自分たちを調査の頭数から跳ね除けた。彼らの性格上面倒事には首を突っ込みたくないはずなのに。SUTAFEの意義は領邦軍の補佐であり、厄介事を押し付けることができる者たちのはずなのに。それは、自分たちを事件の調査から除外したい理由があったということだ。

 どこか、後ろめたいものがある気がしてならない。そもそもあの物言いが頭にきた。

 どんな形であれ、自分たちはあの事件の調査から外されたのだ。本来は彼ら小隊長たちには媚を売っておくのが正しいのだろうが、それはこの腹立たしさを解消できてからでいい。SUTAFEの本分、規定上()()()()()()()()()()()()()()ということを利用して、この事件の真相に迫ってやる。

 そこからの行動は早かった。行動指針を四人に説明し、一目散に詰め所へ向かう。シオン指揮の下、詰め所の内部にある書類を片っ端からあさる。

 レイナとフェイを大市に残して二人には大市の小隊長の同行を探ってもらった。彼らは思ったよりも早くその場から去ったらしく、早々にシオンたちは切り上げて当事者たちへの聴取に向かう。

 その途中、大市の手前でシオンたちは足を止めた。紅い制服の少年少女たちと目が合ったからだ。

「……君たちは」

「……あなた方は」

 黒髪の少年を先頭に、少女二人と少年一人が連れ立っている。彼らは浮かない顔をしていた。

「トールズの学生だね。ご苦労様」

 特に少女二人がこちらを睨んできてる。大方、ぞんざいな扱いをしていた領邦軍に対して怒りを受けているのだろう。それはこちらも同じなのだが、彼女らからしてみれば自分たちは領邦軍に見えても仕方がない。

 シオンは苦笑いを浮べながら言った

「ははは、そんなに睨まないでくれよ。二人とも顔も可愛いんだから、花のような笑顔を浮べなきゃ損だぜ?」

「な、何を言い出すのよ……」

 金髪の少女は、一瞬顔を赤らめたが即座に呆れる。

「いくら末席だとはいえ、我らを愚弄しているのか?」

 対して青髪の少女は棘のある物言いだ。言葉遣いからして貴族らしい。

「班長、なに女の子をナンパしてるのさ」

「ははは、悪い悪い」

 後ろからの同僚の非難に苦笑して頭を掻きつつ、一応はしおらしい対応をしてみる。

 あんな奴らの代わりなど勤めたくはなかったが、年若い彼らに一応身内である小隊長たちの恥を見せたままというのも、それはそれでいい気分ではなかった。

「……上司たちが、悪いことをしたね。すまない」

「ということは、あなた方はやはり領邦軍の?」

 黒髪の少年が聞いてくる

「ああ。ただ俺たちは領邦軍だけど、さっきの隊長たちとは少し枠組みが違ってね」

 服装が違う時点で単純な同じ組織ではないことは判っているだろうが、自分たちの口から説明するのは昨日に続き止めておく。代わりに、代表としての自己紹介をした。

「シオン・アクルクス、一応准尉だ。よかったら覚えておいてくれ」

「自分はリィン・シュバルツァー。トールズ仕官学院七組の者です」

 七組と聞いておや、と思う。ここ最近でトールズの生徒数は減少傾向にあったはずで、それでも自分が在籍していた時は一学年六クラスだったと記憶しているが。

「それにしても君たち、もしかしてさっきの事件を調べるつもりなのか?」

「……はい」

「えっと……さっきの兵士さんたちは調査をしない、ということだったので」

 リィンの肯定に続き橙髪の少年がおどおどとしながら答えてくる。仕官学校に似合わないような風貌だが、髪の色にシオンはどこか既視感を覚えた。

 それにしても、やはり領邦軍はこの事件への不干渉を貫くようだ。昨日の調査と今日の言動からなんとなくそれは理解できたが、軍人の風上にもおけないような態度に、八班の面々は一層腹を立てる。

「そっか……」

 尚更、好き勝手にやってやろうとほくそ笑む。

 そして、凡そ領邦軍に所属する人間としては初めてするであろう行動を試みる。

「だったら、情報交換をしないか?」

 

 

――――

 

 

 貴族派主義に凝り固まり、堅苦しい上下関係を取りやすい領邦軍としては異例の対応である『学生との共同戦線』を張ったシオン一同。場所を変え、彼ら学生が大市で集めた情報を受け取り、そして彼らの奮闘を応援して別れる。

 彼らからの情報を基に改めて調査を行い、幾つかの確信を得てから五人は集まり、物憂げな雰囲気を醸し出していた。

「で? どうなの班長?」

 フェイが今日一番のぶっきらぼうな態度で聞いて来たので、こちらも投げやりに答えた。

「十中八九領邦軍が黒だろ。あの子たちはまだ確証がなくて動けない風だったけど……すぐにでも気づくだろうさ」

 学生たちから聞いたのは、現場の状況だった。

 発見者が事件に気づいたのは早朝、大市の準備をしていた時とのことだ。つまり早朝には既に店も壊されており、犯行は深夜に行われたことになる。

 被害者は商人であるハインツとマルコ。前者は帝都からやって来て装飾品を売っており、後者はここケルディックで食料品を売っている。この二人は昨日から既に場所取りの件で喧嘩をしており、両者は互いに互いを犯人だと疑っていた。

 だが、リィンたち学生が事情聴取をした限りでは、両者ともにアリバイがあった。互いが自分の店を逆恨みに壊したのだと言っていたが、その線は限りなく低い。

 だが、シオンたちを跳ねのけた小隊長は不干渉を貫いただけでなく、ろくに調査もしないくせに『同じタイミングで互いが互いの店を壊した』という暴論を持って、強制的に逮捕しようとしたのだ。

 どう考えても理不尽な領邦軍の行動に、学生だけでなく自分たちも呆れ果てたものだ。

 ここまでの経緯を踏まえて、五人は全員一致でこの事件の犯人を領邦軍だと仮定することにした。

「そもそも昨日まで不干渉を貫いた領邦軍が今日になって急に介入してくるってのがおかしいんだよ」

 ケイルスはそう言って俯いた。ケイルスからしてみれば、ケルディック部隊の上司と同僚は曲がりなりにも同じ釜の飯を食らった仲だ。言い切れない罪悪感があるのだろう。

 アリバイがある以上商人たちが犯人という可能性は限りなく低いのだが、現実として事件は起きている。ならば犯人は誰なのか、この事件を起こして得をする、あるいは得をしそうな人物は誰なのか。

 それは考えるまでもなく領邦軍だ。増税に対する陳情を煩わしく思った領邦軍が犯行を計画した。それが一番納得がいく。

 問題の盗まれた物品だが、町人が犯人、あるいは町人を犯人に仕立てたい奴ならば町に物品があるだろうが、隠せるような場所は粗方探してみた。

 駅にも訪れてみたが、鉄道で逃げた形跡もなかった。それなら、可能性としては街道の可能性が高い。

「だとすれば、どこに証拠となる物品が……」

 レイナが呟いた。

 領邦軍が犯人だというのは五人の中で確定しているが、それを彼らに突き付けたところでどうにかできることではなかった。必要なのは、彼らの度肝を抜かすための一手。

 そのための盗品や実働部隊の手がかりは、この事件の関係者に最も精通しているシオンが見つけ出した。

「ルナリア自然公園だ」

 帝国有数の規模を誇る森林、ヴェスティア大森林の一区画を観光用に整備した自然公園。そういった経緯から、他州の三人も名前だけは知っていた。そしてシオンとケイルスは、何度か訪れたことがある場所でもある。

 盗品の保管場所をそこだと決めた理由は二つある。一つは領邦軍のお偉い方の性格上、自分の手を汚さずとも盗品や犯人を自分の管理下に置きたいと考えているだろうということ。

「それと、自然公園の管理人がジョンソンさん──俺が知る馴染みの人じゃなくなっていた。証拠とまでは言えないけど、俺たちが行動する理由には十分だろう」

「ならシオン、この件をさっきの学生たちにも伝えるか? 証拠はないが」

「いや、止めておこう」

 学生たちは、これから先程の小隊長殿に直接面会を願い出ると言っていた。領邦軍の行動がおかしいからその真意を探ろうと考えているのだろうが、大した度胸だ。

「学生に協力しているとこを隊長たちに見られるのはまずい。それよりも、彼らが解決するように、俺たちが邪魔者から守ればいい」

「万一、隊長たちが学生たちを捕まえようとしたら?」

「その時は……全力で守る。そのための保険にも、考えがある」

 全力で守る。その言葉に反論をする者はいなかった。

 思った以上に黒くなっていた領邦軍。その愚行を止めるため、SUTAFEが動き出そうとしていた。

 

 



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6話 共に戦う

 夕暮れとまでは言わないが、太陽がだんだんと地平線に近づいてくる。遠くに見える穀倉地帯のこの輝きから、巷では黄金街道と呼ばれているらしいのだが、今のシオンたちにはその景色を楽しむ余裕はなかった。

「それにしても、このままだと領邦軍に弓引くことになるけど、良いのかみんな!?」

 周囲の魔獣を注意して避けつつ、小走りで戦闘を行くシオン。所々途切れた声に、ケイルスが陽気な表情を浮かべて答えた。

「弓引くっていっても、この程度だったら子供の悪戯みたいなもんだ。悪戯万歳だぜ!」

 飛び跳ねたケイルスの頭に手を置き、豪快にサハドが笑う。それに対して、フェイは幾らか

「はは、いざとなったらSUTAFEでも屈指の年長であるオレが便宜を計ってやるさ」

「どちらにしたって面倒事だよ……ルーレでのんびりと姫様の手伝いしたかった」

「でも、何だかんだ反対しないですよね。フェイさんも」

 ぼやいた最年少兵士に微笑ましい突っ込みが放たれたが、それに対して当の本人はぶつぶつと口を動かすだけだった。

 ともかく、これから自分たちが起こす行動に異を唱える者はいない。それが奇跡的であることを理解して、感謝しつつシオンは再度行先を確認する。

「この調子なら、すぐにでもルナリア自然公園につくな。保険もかけたことだし、早めに向かって学生君たちに追いつこう」

 ケルディックでの話し合いの通り、シオンたち五人は領邦軍の小隊長殿たちと、今回の事件の実行部隊であろう誰かに目に物を見せてやるために行動している。シオンの土地勘が功を奏し、捜索場所は自然公園に限られた。

 街道を出る前に青年は四人を待たせ、オットー元締めの元へ向かった。元々知り合いでもあったので、アポイントなしでも時間をとってもらうのは容易い。オットー元締めから見れば少年の頃から見ていた昔馴染みであるし、シオンからしてみればようやく酒の席を共にできるようになった町長だ。色々話したいこともあるのだが、一先ず最低限のことだけを伝えておいた。

 自分の今の所属、何故この場にいるのか、そして事件の調査結果。自分たちがルナリア自然公園に向かうこと。そして、『保険』と称するもう一つの提言。

 これを手短に伝えた青年は、後々語り合うことを約束して別れた。

 ルナリア自然公園の入り口へとつくと、昨日の様子とは異なっていることに気づく。随分と偉そうな偽(疑惑)管理人がいないし、何より施錠されていた鉄格子の門が開いている。

「ふーん、こんな時に限って誰もいないってのはますます怪しい」

「おい、シオン」

「なんだケイルス?」

「これ、見ろよ」

 風に揺れて軋む門、その下には小指よりも小さい金属片二つと南京錠の欠片。誰かが開場するためにロックしていた金属棒を斬ったのだろう。

「でも、すごい切れ味だよなあシオン。一体誰が……」

「学生の仕業だろう、たぶん」

 学生は四人。そのうちの一人、黒髪の少年は珍しい形の剣を持っていたが、恐らくそれによる技術だろう。対して青髪の少女は主張が激しすぎるくらいの大剣を持っていたが、あれはむしろ粉砕するという言葉の方が正しいだろう。世の中には、自分が知らない武術体系なんて沢山あるはずだ。

「帝国じゃあアルゼイド流とヴァンダール流が有名だけどな。特に共和国なんかじゃ色々な流派があるらしいし」

「確かに……もともとトールズには色んな学生がいたしなあ」

 いずれにしても、学生が危険や一般常識を冒してまで門の内側へ入ったということは、彼ら学生でもそうする必要があると判断した『何か』がある。それだけは確かだ。

 門を慎重に開けた。後ろを振り返り、四人を見る。誰も緊張と、決意を瞳に携えていた。

「SUTAFE八班、これよりルナリア自然公園の捜索を開始する。中には魔獣もいるみたいだ、慎重に進もう」

 各々の掛け声を合図に、一同は自然公園内部へ侵入した。

 元々自然公園はヴェスティア大森林の一部を観光用にしたものだ。内部には道があるだけではなく、所々に像や石碑も見受けられる。四人に聞いてみると、各地の帝国森林や遺跡の内部にも似たようなものがあるらしい。数百年前の精霊信仰の名残らしく、時が時なら帝国の歴史を肌で感じることができただろう。

 時折襲ってくる魔獣を蹴散らしながら、一同は奥へ進む。それほど時間をかけずに、五人はその場所へ辿り着くことができた。

「いた……!」

「待て、ケイルス」

 シオンがケイルスの首元を掴んで止める。奥の広場には、数時間前に情報交換を行った学生たちと、公園の用務員たち四人が戦っていた。学生たちはそれぞれの得物を持ち、偽者だったらしい用務員たちは導力銃を持っている。そしてその八人の奥には、大量の木箱。ここから見えるだけでも、中身はマルコとハインツの商品だというのが判る。

「班長殿、こりゃビンゴらしいな」

「ええ。一先ず、様子を見守りましょう」

「えー、何で?」

 フェイが聞いてくる。サハドと違ってシオンの意見に納得がいっていないらしい。

「この事件、首謀者は十中八九領邦軍(俺たち側)だろう。完全な第三者が実行犯を捕まえてくれた方が無駄な横槍が入らなくていいからな。ここは堪えて静観しよう」

 戦闘の様子を慎重に見守る。トールズ仕官学院はここ数十年は名門高等学校という色が強くなっているが、文字通り軍人養成学校だ。さすがに素人が集まったような偽用務員に負けない程度の実力を持っているらしい。

「……むしろ、あの女の子僕より強くない?」

 フェイが戦慄した。女性らしい細身のシルエットだが、その体には想像もできない程鍛えているのが理解できる。身の丈ほどもある大剣を振るいつつも、敵の動くスピードにも負けていない。

「それに、あの黒髪の男子もだ。たぶん南京錠を斬ったのもあれだろう」

 青髪の少女と対となる前衛は黒髪の少年だった。力というよりは身のこなし、鋭利な一閃を敵に浴びせる、また別のタイプの前衛。

「さすがにシオン程……とまではいかないが、それでも学生であれとは末恐ろしいな」

 ケイルスが言った。そこはシオンも同感だが、それ以上に気になることもある。黒髪と青髪、そして橙髪と金髪の学生はそれぞれ互いに一本の光るラインが見えている。いかなる導力器によるものか、そしてその二人は傍目からでも判る連携をしている。

(トールズの、七組っていったよな。一体どんなクラスなんだか……)

 その戦闘は、それほど苦せずに終わったようだった。金髪と橙髪の生徒はそれほど戦闘慣れしているようには見えなかったが、威力の高い魔法や援護をしていた。

 特に助け船はいらなかったようで杞憂に終わる。偽用務員は既に得物を奪われるか、あるいは学生に得物を向けられて追い詰められている状況だ。

 いずれにせよ、彼らが盗難事件の実行犯であったことに間違いはないだろう。シオンたちが彼らから離れているため詳しくは聞こえないが、学生たちが尋問をしているらしい。

「さ、みんな行こう。そろそろ大人の出番だ――」

 その時。笛の音が響いた。

 遠目に見える学生たちのみならず、SUTAFEメンバーも突然の異音に辺りを見回した。

 次に聞こえたのは、獣の咆哮。そして感じたのは、大きな振動。

 現れたのは、四つ脚で大地を駆ける巨大なヒヒ。二つ脚で立つと、全長は三アージュを優に超えた存在が、学生たち四人の前に立ちはだかった。

「自然公園のヌシか……!」

「まずいぞ、あの魔獣かなり興奮してやがる! 学生たちがまずいぞ!」

 サハドとケイルスの狼狽えた声が後ろから聞こえる。突然の手配級魔獣の出現に、この場の誰もが驚き、度肝を抜かれている。

 学生たちの実力が弱くないのは今の戦闘を見て理解できたが、あの魔獣が相手ではどうにも分が悪そうだった。それに、倒れ腰を抜かしている実行犯を見捨てるわけにはいかない。

 それは、自分でも驚くほど唐突に発せられた。

「ケイルス、サハドさん、レイナは実行犯の身柄と安全を確保! フェイは商品を確保してくれ!」

 それだけ言って、自分の剣を構えて走る。

 学生たちと巨大ヒヒ――グルノージャとの距離はわずか数アージュ。それだけの距離では避難をさせることもできない。なら、彼らにはそのままグルノージャを任せるしかない。

「判った! シオンは!?」

 後ろから、声が飛んでくる。シオンは今までになく強い声で叫んだ。

「俺は学生たちの支援に回る! 行くぞ!」

 目の端で同僚たちが動くのを見届けてから、自分も行動する。四人に対峙するグルノージャの死角から、剣を力の限り振りかぶった。

「おらよ! こっちだヒヒ野郎!」

 腹部への一撃は厚い毛皮に挟まれ敵わなかったが、それでも注意を学生たちから逸らすことには成功する。追撃してくる拳を何とか避けて、学生たちと少し離れた場所に躍り出た。

「貴方は……!?」

「今朝の軍人さんっ?」

 少年二人がシオンの登場に驚きつつ、眼を向けてくる。

「よう、よく実行犯を捕まえてくれた。最後の一仕事だ、気張るぞ」

 少しばかりすまして見せた声に男子二人が迎えてくれる一方、そうでない者もいる。女子二人は自分が領邦軍ということで警戒しているらしい。

「それより、この実行犯たちは貴方たちの差し金ですか!?」

「発言によっては、あまり歓迎したくはないものだが」

 その発言は、同じく領邦軍を疑っている人間として理解はできる。だが、気に入らないものもあった。

「今は領邦軍だの学生だの言っている場合か! とにかくこいつを撃退するぞ!」

 腹の底からの怒鳴り声は、少なからず少女たちに活を入れることができたらしい。

 大人げないようにも感じたが、彼女たちも軍人の卵だ。差別は出来ない。

「立場と上司は利用しろ。先輩からのアドバイスだ」

 四人は少しばかり戸惑いを隠せずにいたが、それでも覚悟は決めたらしい。若者が持つ輝いた瞳を携えて、目の前の強大な魔獣と向かい合う。

「――判りました! トールズ仕官学院、特科クラス七組! シオン准尉と協力し魔獣を撃退する!」

 橙髪の男子が後ろに下がる。穏やかそうな性格もそうだが、彼が手にしているのは汎用型魔導杖だ。最近武器商人業界で開発が進められているものだが、基本的に支援を行う人間が扱いやすいようにできている。

 金髪女子は、導力機構を兼ね備えた弓を使用している。こちらも後衛向きだ。随分とバランスが良いパーティーとなっているらしい。

 グルノージャの拳の一振りを避けつつ、再び袈裟掛けに振るう。空いたところを黒髪――リィンの剣が閃いた。領邦軍兵士に支給されるそれより質がいいらしい細身の剣は、確かな傷をグルノージャに負わせた。

 さらに懐へ。その動作のためにリィンに声をかけようとしたところで、逆に慌てた少年の声に遮られる。

「准尉、止まってください!」

「なに――うぉ!?」

 自分の後ろから、火を纏った弓が飛んできた。ほんの少しだけ熱気を感じ、驚いた頃にはグルノージャの額に弓が突き刺さる。

 驚きつつ、後ろを振り向く。案の定、少し戸惑ったような金髪少女から放たれたものだ。

 さすがに申し訳ないと思ったらしく、頭をぺこりと下げてくる。これがケイルスなら拳をお見舞いするが、可愛い女子なので許すことにする。

 それよりも気になったのが、やはりリィンと彼女の間には金色のラインが見て取れたことだ。

「そのライン……意思疎通ができるのか?」

「ええ。ARCUS(アークス)による戦術リンクです」

 ARCUS。聞いたことがある。帝国屈指の技術メーカー、ラインフォルト社が開発したといわれる最新型戦術オーブメントだ。それが一般に出回ったということは聞いていないので、恐らく試作品に違いない。

 なぜ学生がそれを所持しているのかが気になったが、一先ずは後回しだ。シオンは言った。

「なら……俺はフォローに回る。できる限り君たちの漏れを防ぐから、前衛二人は遠慮なく戦ってくれ」

 学生に似合わない高度な連携をしている理由が理解できた。その輪に自分が入れない以上、余計な行動はむしろ逆効果だ。

「了解です。でしたら」

「彼女のフォローか?」

 目線を向けたのは青髪の少女。

「ええ。彼女……ラウラの突破力は俺たちの中でも群を抜いています。正面から攻撃を当てられれば……」

「あるいは楽勝、か。了解、頼むぜ後輩君たち」

「え?」

 最後のことに対する疑問符だった。それに対する返答を待たずして声を張り上げる。

「えーと……ラウラ! 俺たちが全力で留めるから、その隙に全力の一撃を叩き込め!」

「承知!」

 一旦青髪――ラウラが後ろへ下がった。代わりに後衛の二人が前に来る。

「では准尉、俺たちは時間稼ぎを」

「ああ」

 グルノージャが、戦くような叫びを響かせた。年若い少年少女にはきつい振動だ。事実、後衛二人は思わず身をかがめてしまっている。

 そこに迫るグルノージャ。シオンとリィンが割って入った。それぞれ横と縦に閃く。

 太刀筋を見てシオンは感嘆した。どんな流派なのかは知らないが、リィンは確かな強さを持っている。

「こりゃ……負けられないな!!」

 再びシオンの一撃。離れざまに予備装備の導力銃での追撃。軍属四年目として学生たちに後れを取るわけにはいかない。

 背後から直径一アージュ程の水塊が、遅れて石槍が飛んできた。後衛二人の魔法だろう、今回は配慮してくれたらしく、グルノージャの足元にシオンとリィンから離れた軌道を経て衝突する。

 グルノージャにとっても意識外の攻撃だったらしく膝が折れる。その期を見て懐に潜りこんだリィンだが、後ろから巨大な腕が迫る。

「まだまだだな、リィン後輩!」

 それをシオンが剣と体を使って止めた。強い衝撃が脳を揺らすが、歯を食いしばって耐える。

「っ、すみません!」

「いいて……ことよっ」

「みんな、ラウラが行くよ!」

 大人しめな少年の声。目の端が、ラウラの大剣に波状の光が収束しているのを捉えた。

「我が渾身の一撃……喰らうがよい」

 左右の腕を、少年と青年が引き付ける。その間、無防備な腹部に向かってラウラが跳躍した。

 防御も反撃も躊躇しない、大振りな一撃。それがこの場での、シオンが考える()()の突破口の一つだった。

「――光刃乱舞!!」

 魔獣が浮いた。巨体故吹き飛ぶことはないが、それでも大きなダメージであることには変わりなかった。

「よし!」

「やった――」

「いや、まだだ!」

 前衛二人、学生剣士の安堵をシオンが遮った。

「高揚してる……! まだ気を抜くな!」

 見ただけでわかる。後ろにのけ反った後、グルノージャは身も凍りつくような雄叫びを繰り返している。地団太は地を揺らし、傷だらけでも生命力の衰えは見えない。ラウラの一撃は強力だった、けれどまだだ。魔獣は死んでいない。

 まずい。暴れる魔獣の前には、一撃を放ち疲労が目に見えるラウラ。

 瞬間的にシオンは魔法を駆動させる。リィンが叫び、少女の元へ駆ける。

「ラウラー!」

 アーツ駆動。リィンに薄い黒の光が纏われる。時間操作の魔法が彼の時間を隔絶させ、ラウラの避難を助ける。

 魔法発動の後、ラウラに代わりシオンが正面に立つ。

 陣形が崩れた。前衛は自分一人。後衛二人は自分と高度な連携はできないだろう。

 それでも、逆転の手があるとすれば……。

「リィン! お前がやれ!」

 黒の髪、その奥に隠れる紫の瞳が驚きに揺れる。それはシオンが一人でグルノージャに立ち向かったからではない。勝つための襷を、最後に軍人が自分に渡したことだった。

 何度目かの拳がシオンが剣に衝突、大きく弾かれたが後退はしない。

「何を言っているんですか!?」

「俺は達人ほど強くないが、悪知恵は働く。その勘が、まだ奥の手を残していると言ってる!」

 シオンがグルノージャの拳に打ち据えられた。それでも、まだ軍人は引かない。

 軍人はあくまで一歩兵としての戦闘能力しか養わない。大隊の中でもシオンは上位の実力を持っていたが、所詮は井の中の蛙だ。

 それよりも、学生ながら何かしらの流派を修めている少年の方が白兵戦としての大きな力を兼ね備えているだろう。

「トールズの……有角の獅子紋の魂を見せてみろ!」

「っ!」

 立場も役職も関係ない。ただ目の前の困難を乗り越える。そのために体を張り、そして未来ある若者を叱咤する。

「……焔よ――我が剣に集え」

 意を決したリィンの剣に独りでに生まれる大きな焔。舞い散る熱気が大気を焦がし、紅い閃きが虚空を切り裂く。

 シオンは打ち合わせをしたかのような完璧なタイミングで後退した。その前を疾風のごとく、少年はグルノージャの前へ。

 横に一閃。返す剣を翻して袈裟掛けに二閃。

 脇を締めつつ、両手に持つ炎の大剣を掲げる。

「ハァァアア――!」

 最後に突進。脳天を貫く劫火の三閃がグルノージャを切り裂いた。

 その身を燃やすグルノージャは、雄叫びを残して制止する。

 静まり返る森の中、自然公園のヌシが倒れた。

 

 

 

 

 






次回、序章最終話です。


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7話 氷の乙女と

 大きな魔獣を倒すと、残るのは静寂だけ。疲労困憊の学生たちは、それぞれの得物を杖代りにして膝を折った。

「ハァ、ハァ……私たち、勝ったの?」

「ああ、どうやらそのようだ……」

 それぞれ少年少女たちは、思い思いに激闘を讃え合っている。若者らしい、疲労を活力に変える快活な笑みだ。自分もそんな時代があったと思うが、同じぐらい学院で暴れまわったのは随分と前のこと。その時を思い出して懐かしさを噛み締める。

「さて……こっから先は大人の仕事だ」

 ふぅっと息を吐く。若者の一団から離れ、もう一つの集団へ。

 少しばかりきっちりとした口調で、シオンが問う。

「フェイ、盗品は?」

「できる限り避難させましたよー。僕が管理してからの物品損傷はありません」

「ケイルス、実行犯の様子は?」

「オーケー、学生たちが拘束した四人、全員縄で縛った。抵抗もなしだ」

「了解」

 グルノージャの巨体相手に振り回してしまったものだから、安物の剣はもう刃こぼれを起こしている。少しぐらい出費がかさんでも、自分で剣を見繕った方が良いかもしれない。

 それはさて置き。

「お前ら……何者だ」

 ボロボロの剣を振り、偽用務員の首筋に当てる。彼らの風貌からしても、容赦をするつもりはなかった。

「お、おい! 話が違うじゃねえか! 何で俺たちを拘束するんだ」

「話が違う? 何のことかは知らないが、確かなのは大市の商品の窃盗及び器物破損容疑で連行するってことだ」

「あ、あんたらも領邦軍なら、あいつのことを知ってんだろう!? だったら助けてくれよ!」

「あいつ……それも締め上げるから、名前特徴風貌含めいろいろ尋問する必要があるってことだな」

「ぅぅ……」

 偽用務員たちは呻く。

 そもそも盗品がこの場にある以上彼ら偽用務員がこの事件に関与したことは確定的であり、そこを疑う余地はなかった。必要なのは二つ。一つは、『あいつ』なる人物のこの事件への関係。

「それと認めたくはないが、完全にこいつらと領邦軍が仲良しこよしって件についてだな。はぁ……泣けてくる」

 シオンの嘆きには、SUTAFE一同同意せずにはいられない。偽用務員が自分たちに助けを求めるのが最大の証拠だ。

 領邦軍は、今回の事件の首謀者。増税に反対する町民の声を潰そうなんて言うバカげた理由のため。

「まあ、ここまで決定的にやったんだ。あとは然るべき機関までこいつらを運べば、領邦軍もぐうの音も出ないだろうさ」

 そう強がって見せて自分を鼓舞する。自分たちと学生は、自分たちが正しいと思うものを貫いてここまでやって来た。その余韻に浸るためでもあるし、同時に最後の仕事を終えるまで気を抜かないための気合を入れるためでもある。

 シオンは、最大限空の女神(エイドス)もびっくりな加虐的な笑みを浮かべて犯人たちに迫る。

「さぁーて……あとは晒し首だ」

「シオンさん、ちょっと怖いです」

「レイナちゃん、突っ込まない方が身のためだよ。学生の時から変わってないし」

 ともあれ、最大の難所は去った。あとは犯人たちを公の場所に連れていくだけ。

「そのための通報なんかは、彼ら(学生たち)にやってもらうとして――」

「待った、班長。事はそう簡単には行かないらしい」

 しかし年長のサハドがシオンの口撃を止めた。悪魔崇拝でもするかの様な笑みにも何も言わなかったのに。

 良い知らせではないのは確か。振り返ったシオンは、その原因を見て、今度は真面目に嫌そうな顔をする。

「お出ましかよ」

「お前たち、何をしている!」

 鋭い笛の音と共にやって来る集団。自分たちSUTAFEと同じデザインなのに、色の違いだけでこんなにも嫌悪感に苛まれるのは皮肉なものだ。

 今朝、大市での騒動を強引に収束させた、この事件の首謀者(疑い)。

 睨み合った小隊長とその部下たち十人ほどがこちらにやって来る。手に持つのは銃剣。こんな所までやって来るのだから当たり前だが、この場においては嫌な印象しか受けない。

「班長、どうする?」

「まずは説明しましょう。連中もこんな決定的な状況なら……」

 言い切る前に、希望的観測も絶望に変わる。それは兵士たちに取り込まれたのが実行犯ではなかったからだ。

「何故、彼らではなく我らを取り囲む?」

「弁えろ、と言っているのだ。学生風情が現場を掻きまわしおって」

 小隊長が冷徹な声で言う。ラウラの怒気に満ちた表情にも、数の暴力で通じない。

「完全にグルじゃないか……」

 橙髪の少年がいった。全くもってその通りだった、反吐が出るほどに。

「なんの話だね」

 小隊長が、さらに前へ出る。

「確かに盗品もあるようだが、彼らがやった証拠はないだろう。むしろ状況を鑑みれば……君たちが犯人であるとも言えないかね?」

「ひ、酷い……」

 兵士たちには聞こえない程度の声量。レイナの呟き。

「先ほども言ったな。弁えろ、と。ここはアルバレア公爵家の治めるクロイツェン州だということを判らないのか?」

 それはこの場において、まかり通るのは倫理と人道ではないことを表している。

 どこまで行っても、是とされるのは階段の上で平民を見下ろす貴族だということ。

「――るな」

 ここへきて、シオンが下を向く。それに気づいたのはケイルスのみ。親友の様子の変化に、ケイルスだけが肝を冷やす。

「貴様らもだ」

 SUTAFEの同僚さえ気づかない変化に、小隊長が気づくはずがない。愚かしいくらい厳しいその言動は、学生からSUTAFEメンバーに向けられる。

「部隊長が告げていたはずだ、無用な手出しはするなと。全く揃いも揃って恥を晒して……」

 呆れるような声。一通り愚痴に聞こえない愚痴を漏らしてから、離れている班長に声をかける。

「……まあいい、貴様が班長だったな。とっとと全員を引き渡せ」

 全員。それは実行犯の四人であり、学生の四人。そして同時に、自分たちSUTAFEにこの場を引き渡せというメッセージでもある。

「何を言っているんだ」

 シオンは下を向いたまま、それでもその場の全員に聞こえる疑問を発した。無論、小隊長にも聞こえる声量で。

「なに?」

「現状、今朝の事件の調査結果。色々総合的に重ねてみても、そこで座ってやがる奴らが犯人なのは明確な事実だ。犯人扱いする人間を間違えていると言っている」

「口を慎め、たかが中隊規模の班長風情が。同じ領邦軍のよしみとして特別に見逃してやる、と言っているのだ」

 シオンは堂々たる所作で小隊長の前に立つ。その道中、止めようとするケイルスも心配な表情のリィンも、慌てふためく兵士も押しのけた。

 対峙するのは、青と翡翠。

「貴様の態度はアルバレア公爵の耳に届くぞ。SUTAFEだったか……この場を見逃すのであればお前たちの行動を不問にしてやらないこともないが?」

「――っ」

 それはある種の取引。自分たちの、何より学生たちの頑張りを無にする甘い囁き。

 シオンの感情は、この瞬間振りきれかける。

 彼ら《学生》が犯人の可能性があるだと? この期に及んでどうしてそんな妄言を並べられる。

 ふざけるな。この数ヶ月で最大級の怒号を並べようとして。

「ふざけ」

「その必要はありません」

 後ろから通った、落ち着いた涼やかな声に遮られた。

「ふん。何事、だ……あ」

 小隊長の侮蔑したような鼻鳴らし。そして後ろを振り返り、動揺。

 小隊長が動揺した理由が判った。それは、この場に現れた新たな存在が、誰もが度肝を抜くような者たちだったからだ。

 整えられた灰色の軍服に、大きなアサルトライフル。一糸乱れぬ整えられた所作。

「あの制服――TMPだ!」

 橙髪の少年が言った。

 TMP。Train Military Police。鉄道憲兵隊。

 紫の軍服を纏う帝国正規軍に所属し、しかし灰の軍服を纏う組織きっての精鋭たち。その名の通り、鉄道網を駆使し各地の治安を維持する部隊だ。

「落ち着いてください。この場は我々、鉄道憲兵隊が預かります」

 何人ものTMP、その中心から来るのは一人の女性だった。薄青の髪をシュシュで纏め、後ろに流した妙齢の美女。それは冷ややかな視線というべきか、それとも。

「ア、氷の乙女(アイス・メイデン)……」

 狼狽える領邦軍兵士たち。それはクロイツェンに限らず、SUTAFEの人間も同様だ。

 その二つ名は彼女の功績を称えたものであり、また畏怖と皮肉を込めたものでもあった。

 彼女が現れてから、誰もがまさに薄氷の中に閉じ込められる様に静まり返る。

 彼女はシオンと小隊長の前に立つ。そして、こちらを見てきた。

「貴方も、どうか落ち着いてください。一人の軍人……()()()()()()()()()?」

 その声にハッとする。彼女は、余裕のある含み笑いをこちらに向けていた。

 揺さぶりかけた怒りが、氷の乙女の一声で冷えていく。いや、どちらかといえば溶かされたと言うべきか。

 少なくとも、こんな小隊長たち相手に激情を駆られるほど子供でいたくはなかった。

「はぁ。そっちはどこまでも正規軍……()()()()()()()()

 だから、一先ずは余裕の笑みを浮かべることにした。最後の最後くらい、学生たちにカッコいいところを見せなくては。

「な、貴様ら何をにやけているっ。この地は我らクロイツェン州領邦軍の管轄地……正規軍にも、貴様ら余所者(SUTAFE)にも介入される謂れはない!」

「お言葉ですが、ケルディックは鉄道網の中継点でもあります。そこで起きた事件については我々にも捜査権が発生する……その事はご存知ですね」

 彼女の一声に、小隊長は反論できない。今だと言わんばかりに、精一杯の作り笑い、営業トークで応戦する。

「それに、学生たちを犯人扱いするのも無理がありますよー。元々状況から見て、あの学生さんたちがやったとは考えられないって言ったじゃないですかー」

「き、貴様……言うに事欠いて!」

 一歩前へ。こんなオヤジの顔など近づけたくなかったが、これも演技だ。仕方ない。

「落ち着いてください、小隊長殿。どの道、この場じゃ貴方の負けです。TMPを動かすことはできない」

「……」

 二人の若者に追い詰められ、小隊長は唸る。そろそろ潮時だった。

「……撤収! ケルディックまで帰投する」

 慌てた様子で部下たちが号令。一番緊張を生んだ因子である。彼らが消えたことで、場は少しばかり和らぐ。

 領邦軍が完全に撤退したところで、女性将校はこちらにも少しばかり涼やかな声色で言ってくる。

「それで、貴方がたは撤退しないのですか?」

 さっきの含み笑いとは違う、探りを入れるような感覚。妙な展開だなあと笑いつつ、SUTAFEの規定を暗に伝える。

「いや、俺たちは引かないよ? 彼らはあくまでクロイツェンの領邦軍……俺たちとは違う枠組みだから、あの小隊長の命令が俺たちに適用されるわけじゃない」

「なるほど。それが貴方たちの『強み』というわけですか」

「いんや、どちらかというとパイプ作りってとこだけど」

「ふふ……」

「ははは……」

 やがて、二人して笑いあってしまう。一転して行われた部下たちへの指示は、ほぼ同時に響いた。

「SUTAFE八班、実行犯三人をTMPに渡して、一人はそのまま拘束する。それと学生さん、こっちに来てくれないか」

「これより残る三人の実行犯を拘束後、ケルディックへ帰投します。……ええ、実行犯の一人は彼らに任せます」

 あっけにとられる学生たちを尻目に、大人たちはテキパキと行動していく。TMP、SUTAFEどちらの兵士も周辺の状況確認や、隊長あるいは班長の二人への報告だ。

 学生たちからしてみれば、それは少し奇妙な光景だった。自らを領邦軍の一員と名乗った軽い性格の青年と、冷ややかな印象の正規軍将校が互いを遠ざけることなく話し合っているからだ。

 部下たち同志は突然の実行犯の処遇に驚いているようだが、それでも特に諍いもなく共同作業をしている。

 いそいそと近づいてきた学生たちに、女性将校が優しく微笑んだ。

「トールズ仕官学院、特科クラス七組の皆さんですね。調書を取りたいので、少々お付き合い願えますか?」

「は、はい」

「へぇ、君たち()()クラスなんてとこの所属なのか」

 珍しい言葉が聴こえたものだから、シオンが噛みついた。さらに詳しく聞いてみると、今年から新設された特別なカリキュラムを組んでいるクラスらしい。制服の色も違うようで、通りで紅色の制服を知らなかったわけだ。緑と白の制服しか知らないのだから。

 学生たちからしてみれば、この状況の方が奇妙なものだ。今まで色々と頑張って事件の謎を追って来たのに、最後の最後に大人たちが自分たちを置いてけぼりにしているのだから。

 だからか、リィンは一つ、気になったことを尋ねる。

「シオン准尉、お二人は面識があるんですか?」

 対立するはずの組織の二人が、冷静に話し合っていることについてだ。

「ああ。そりゃな。言ったろ、『頼むぜ後輩君たち』って」

 学生四人が驚いた表情になる。それは先ほどの戦闘の時にリィンのみに向けられた言葉だが、戦闘後の興奮も落ち着いた今なら簡単に判る。

 女性将校がクスッと笑い、シオンが答えようとする。

「そう、俺たちは――」

「おーい!」

 突然、七組とシオンと、女性将校ではないものの声。しかしそれは新たにこの場に現れたのではなくて、元からこの場にいた者。実行犯の拘束と準備を済ませたケイルスだった。

 親友は近づいてくると、満面の笑みで喋りかけたのだ。女性将校に。

「クレアちゃんだよな!? うわー、本当に久しぶりだなあ! 元気してた!?」

 まさかの親しみすぎる言葉遣いである。ケイルスとシオン、女性将校を除いたその場の全員が凍り付く。

「ケイルスお前……場所を考えろよ、場所を」

「『クレアちゃん』って、ケイルスさん。もう学生ではないですし、それにお互い軍属ですから」

 苦笑と微笑みが混じる、けれど怒りや不信感のない親しみある会話だった。それは、シオンも女性将校も変わらずだ。

 彼女はシオンに向き直る。

「改めて、ケイルスさんもシオンさんもお久しぶりです。卒業以来ですね」

「はぁ……そうだな、リーヴェルト」

 シオンは疲れたように頭を掻いた。この場から逃げたいというような表情で、ケイルスにより遮られた学生たちとの答え合わせに戻る。

「俺たち三人、トールズでは同級生だったんだよ」

「ええ!?」

「トールズの卒業生!?」

 橙髪の少年、金髪の少女が大声を上げる。思いがけない先輩たちの登場だ、声を出さずとも口をあんぐりと開けたのはリィンとラウラも同様だった。

「改めて……帝国正規軍鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルト大尉です。よろしくお願いしますね、七組の皆さん、そしてSUTAFEの皆さん」

 将校――クレアは、灰色の制服に似合わない美しい笑みを浮かべる。その名を聞き届けたリィンたちは、さらに絵に大きな声を上げるのだった。

 

 

――――

 

 

 SUTAFE、TMP、学生たちはケルディックへと戻った。TMP以外の人間たちは、朝から調査と移動の連続である。疲労は目に見えており、もう夕暮れとなっては達成感というより疲労というべきだろう。

 まずはオットー元締めの元へと向かい、盗品が無事であったことと実行犯を拘束することができたことを伝える。ちょうど被害にあったハインツとマルコも居合わせており、最終的に和解をすることができた。

 その後は、TMPを主体とする事情聴取に時間を割かれることになる。こうして正規軍が関わった以上、事件の道程を最後まで報告する義務があった。

 少し離れた場所で、TMP隊員がSUTAFE兵士と学生たちに調書を取っている。兵士と隊員は少し気まずい空気が流れているが、元々性格のいい同僚たちだ。いざこざはなく順調に作業が進んでいた。

 夕暮れの中でそんな奇妙な光景を眺めながら、先に調書を終えたシオンとケイルスは、クレアと三人で向かい合っている。

「それにしても、シオンさんだったんですね。オットー元締めに通報の催促をした領邦軍兵士というのは」

「ああ。俺たちも所属はあくまで領邦軍だからな。あのままだと結局小隊長たちの暴挙で終わっていただろうし」

 ルナリア自然公園に向かう前に言っていた『保険』、それはオットー元締めへ正規軍への通報を促すものだった。いくらSUTAFEメンバーが純粋な領邦軍の枠組みから外れているとはいえ、逆上した小隊長たちがそのルールに則って実行犯を渡すとは限らないと考えていたのだ。事実、あの場で小隊長は学生を取り囲むなんて言う暴挙に出た。

 そして幸いというべきか、その保険は意味を果たした。

「オットー元締めは『知り合いの領邦軍兵士』と言っていましたので。その時点で噂の新設された組織だと考えました。さすがにそれがシオンさんだとは考えもしませんでしたが」

「それは俺も一緒だよ。まさかクレアちゃんとTMPが来るとは思わなかったからな」

 未だちゃん付けを止めないケイルス。恐らく金輪際直らないだろう。シオンは呆れ果て、クレアは変わらず苦笑している。

 それはともかく、と先に呟いてからクレアが言った。

「SUTAFE、四州連合機動部隊。そのような組織が領邦軍で新設されたというのは聞いていました」

「ははは、少しばかりうざったいでしょ? 明らかにTMPを牽制する目的に作られた組織だろうしな」

 と、ケイルス。

「ええ……少しは。こう昔馴染みでもないと集まって喋ることなんてできないですからね」

 元々貴族派と革新派は対立してるのだ。貴族派からしてみればTMPが自分の領地を我が物顔で歩かれるのも納得がいかないだろうが、それに対抗して独自に動けるSUTAFEが設立されたのは火に油を注ぐ行動でしかない。たまたまシオンの行動がTMPと同じ方向に向いていただけで、別のSUTAFE兵士だったらTMPとの間で険悪な状態になっていたに違いない。

 それにこうしてトールズの卒業生という間でもなければ、一班長と一隊長が会話をするなんてできるはずもない。

「にしても、シオンにクレアちゃん。実行犯の扱いはあれでいいのか? どういうもんだかさっぱりなんだが」

「いいんだよ」

「いいんですよ」

「……君ら、本当に息ぴったりだよね」

 全く同じタイミングで発せられた同じ意見に、ケイルスははぁっと息を吐いた。

 シオンが自分で言ったように、正規軍の存在は『保険』だった。その結果現れたTMPに実行犯を明け渡すのは、SUTAFE八班全員が納得をしていた。

 なのに、SUTAFEが一人だけ実行犯の処遇を引き受けたのは、シオンが考える限り最善のバランス取りであったのだ。すなわち、貴族派と革新派のバランス取りだ。

「一つはこのまま調査に協力することで、TMPを介した情報収集ができる。二つ目にはTMPに負けっぱなしでなく、一人の処遇をもぎ取ったっていう領邦軍上層部からのお墨付きができるだろう」

「兵士同士が険悪になり、一触即発というのはこちらとしても避けたいものですから」

 最終的にSUTAFE側の実行犯は貴族派を介して無罪放免に終わってしまうかもしれないが、ある意味では最善の策でもあった。

「そっかー。にしてもあの状況でそんな口裏を合わせるなんてな。さすがは――」

「クレア大尉。SUTAFE、学生たちの調書を終了しました」

 ケイルスが納得して会話を続けようとしたが、どうやら時間のようだ。

「ご苦労様です、ドミニク少尉」

 関係者がぞろぞろと集って来る。のどかな町に人間がごった返すのも、あまり気持ちのいいものではなかった。当初の目的と比べて随分と違う結果となってしまったが、できる限りの情報収集もできた。そろそろ、帰る頃合いだった。

「それじゃあな。七組……後輩とも色々喋れて楽しかったよ」

「はい、シオン准尉も……ありがとうございました」

「数々の無礼……申し訳ない。感謝する」

 リィンが神妙な面持ちで感謝を述べる一方、ラウラは今までの態度を軟化させた。学生たちにはSUTAFEという新たな組織であるというのを、ケルディックに帰る途中で説明してある。特性的に領邦軍であるのは変わらないが、それでも一枚岩でないということは理解してくれたらしい。自分たちの印象を守ることは出来たようだ。

「……リーヴェルトも、お疲れさん」

「ええ、シオンさんも。協力、ありがとうございました」

「じゃあな、クレアちゃん!」

「ええ、ケイルスさんも」

 最後まで直らなかった呼び方に、クレアは最後まで笑うのみだ。

 SUTAFE八班は、街道へと向かう。予め連絡していたSUTAFEが寄越した飛行艇が来たのだ。これに乗り、実行犯一人を含めてリーブスへと帰る運びとなる。

 駅出てきた赤髪の女性がこちらへ向かってくるような気がしたが、立ち止まるのは止めておいた。

 少しばかり目立つ自分たちをうっとおしく感じるが、すぐに考えるのを止める。飛行艇から出てきた他班の同僚たちに礼を告げ、八班の面々は飛行艇へと乗り込んだ。形だけの簡単な手続きを済ませ、飛行艇は空へ舞った。

 班長として、飛行艇の中でも他班の同僚たちと会話を続ける。それは適当に流しつつ、青年はこの二日間の出来事を考える。

(はぁー。今までの三年間と比べて、一気に色々起こりすぎだろ)

 SUTAFEの設立によって行われた、出会った他州の人間たちとの調査。そこで出会った珍しい学生たち。懐かしさを感じるかつての旧友との再会。

 感じたのは予感だった。今回貴族派の戦力である領邦軍が犯した、犯罪とならない厄介な罪。何より、これがあったのだから学生と彼女との邂逅を果たしたのだろう。何より、貴族派と革新派の争いがあるから自分はSUTAFEなんて組織に配属されることになったのだ。

 感じた予感は、背筋を凍らせるものだった。意の異なる為政者同士が、お互い引かずに向かう終着駅など、一つしかない。

 ここから帰れば、まだまだ仕事が残っている。SUTAFE上司への報告と、領邦軍の正当性を立てるための思ってもない賛美を唱えなければいけないのだから。あまり賛同できない考えを褒め称えなければいけないのだから。

「はぁー。やるしかないか」

 少しでも、行く先が良いものであるように。少しでも、自分が放蕩して人生を生きれるように。

 その二つの目標が相反するんだと突っ込める人間は、今は誰もいなかった。

 油や裂傷を携えた歴史と風格を持つ飛行艇が、夜の帝国を駆けて行った。

 

 

 

 





どうも、羽田空港です。翡翠の幻影、序章の投稿が終了しました。
ここまでのように、『翡翠』は『心』より特に不定期で、一気に投稿する時もありますし、時々ふらっと投稿する時もありますので、長くお付き合いいただけるとありがたいです。
また文字数ページ数としては『心』より小さい規模となる予定です。


次章のタイトルは、『帝国の火種』、次話は『水面下の攻防』。
閃シリーズの始まりの事件、ケルディックでの騒動を起点に、帝国に存在する導火線の火は一気に加速していく。微妙な立場と心境となるシオンの同行に注目です。


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1章 帝国の火種
8話 水面下の攻防


「帝都憲兵隊、帝都の城壁沿いに陣を配置。同時に第一機甲師団がトリスタ東の街道に防衛線を配置。以上の様子を索敵班が確認した」

 同僚とは言うが、露骨に自分を嫌う貴族兵の取り巻きどもが、これでもかと言うぐらい睨みつけてくる。その様子を見て辟易しながら模擬地形版の中、帝都とトリスタの周囲に浮かび上がった敵影を見つめる。

「……はぁ」

 七耀歴千二百四年、八月。帝国政府がマキアス・レーグニッツ帝都知事子息捕縛の罪をヘルムート・アルバレア公爵にかけ、その首を取るために始まったエレボニア帝国内戦。帝東戦役。

 そんな煽り文句で始まった馬鹿馬鹿しい戦争の状況を眺め、クロイツェン領邦軍総参謀シオン・アクルクスは、一手を命じた。

「オーロックス砦の陣を二分、それぞれ双龍橋方面とトリスタ方面へ割り当てる。陣は縦陣、よろしく頼む」

「了解」

 シオンの命令については、ケイルスが答えた。ニヤリとこちらに不敵な笑みを浮かべると、睨みつける同僚と共に部屋を出ていった。

「はぁ……」

 もう一度、シオンはため息を吐いた。別にお前に笑われても楽しくとも何ともねーよそもそも何でお前が笑うんだよ苦労してるのは俺なんだぞ、なんて罵詈雑言を心の中で浴びせてから、再び自分が指揮を執るその時を待つ。

(なーんでこんなことになってんのかな)

 急に一軍の将を担ったと思ったら、目の前に立ちふさがるのは大陸最大規模の軍隊だ。面倒なことこの上ない。

 シオンはその原因を思い出す。先ほど憎々し気に感じたせいで、思い出されたのは原因の前の親友との会話からになった。まあ、そもそもその会話も中々めんどくさい会話だったのだが。

 

 

――――

 

 

「シオン、お前何でクレアちゃんを『リーヴェルト』呼びなんだよ?」

「……ああ?」

「昔みたいに、『クレア』でいいじゃんか」

「ああ……」

 七耀歴千二百四年、六月上旬。リーブス郊外に存在するSUTAFEの詰め所。夕方までの行軍訓練を続けてくたくたになった体に鞭うち、兵士たちは夜の各州からの定時連絡報告のために会議室へ訪れていた。

「別に、細かいことを気にしなくていいだろう。クレアでもリーヴェルトでも」

「細かいことを気にしないから、クレアでいいんじゃないか。何を言ってるんだ」

 同僚たちを待つ傍ら、シオンは隣に座るケイルスの声を聞く。過去のことに首を突っ込まれたようにも感じて、親友だからこそシオンはぶっきらぼうに返す。

 クレア・リーヴェルト。一ヶ月ほど前にケルディックの地で数年ぶりの再会を果たし、昔と変わらずに言葉を交えた帝国正規軍、鉄道憲兵隊大尉。シオンとケイルスと同じトールズ士官学院を卒業した同級生だ。

 ケイルスが――ちゃんづけではあるが――クレア呼びであるのと同様に、シオンもかつて彼女を名前で呼んでいた。いつ頃から性呼びになったのか、今では思い出すのも億劫だ。

 変わらずを貫く様子のシオンに、ケイルスはため息を吐く。

「はぁー、お兄ちゃんは悲しいよ……」

「悲しくて結構。ほら、始まるぞ」

 扉の向こうから、遅れてきた同僚たちやSUTAFE上層部が幾人か、やって来る。そこには同じ八班の人間たちもいて、彼らは二人の近くの席に腰を下ろした。

「よ、班長」

「ケイルスさんも、お疲れ様です」

「お疲れ様です、サハドさん」

「レイナちゃんも、頑張ってたねえ今日の訓練」

 サハドが豪快に、レイナがにこやかに。遅れてフェイが欠伸混じりにやって来る。

「―ふぁ。班長たちもよくこんなに早く来れますね」

「お前が遅すぎるんだよ、フェイ。班長命令だ、五分前行動を心掛けな」

「はーい」

 フェイたちが最後だった。出席者が集まった会議室は扉が閉められ、進行役の合図のもと今日も変わらず情報報告が行われる。開示された情報について意見を出し合い、今後の対策を考えるなり不干渉を貫くなり方針を決める。

 SUTAFEに配属になって二カ月もたつと、いい加減この風変わりな職務にも慣れてくる。通常の領邦軍であれば精々同じ部隊内での朝ミーティングを行う程度なのに、各州への迅速な手助けが必要なこの部隊は日に何度かこの大仰な部屋で報告会を行う。面倒なことこの上ない。

 しかしシオンにとって各州での事細かな情報は欲しいものであり、突発的に変化する国内の情勢や予兆をみきわめるにはうってつけな機会でもあった。早く帰りたいと、もっと聞きたい。二つの正反対な欲求がせめぎ合った結果、シオンの表情は妙にとってつけたような無表情になっている。それは地味に、同じ班の仲間や最近少しずつ言葉を交わすようになってきた他班の同僚にとっては笑い話の種となっていた。

 しかし、今日の報告会は平穏なものとはならなかった。何を隠そう、笑い話の種の人間が盛大に机を叩いて立ち上がったのだから。

 あまりに唐突過ぎて、隣に座るケイルスも思わず耳を塞いだ。シオンは部屋中の人間の注目を一手に引き受けることとなったが、それでもすぐに座り直すことはしなかった。

「どうした、シオン・アクルクス。すぐに席に着け。進行の邪魔だ」

 上司である議長の言葉にも、シオンはためらわず言葉をかぶせた。

「いいえ座りません。今のクロイツェン州からの報告、もう一度伺いたいっ」

 議長はため息をつき、自分に楯突く問題児の言葉に従った。

「何度言っても同じことだがな。……おい、言ってやれ」

「は、はい」

 返事をしたのは、今日のクロイツェン州との連絡役だった。彼の言葉によるものだ、シオンが机を叩きつけたのは。

「去る五月二十九日。カール・レーグニッツ帝都知事の息子、マキアス・レーグニッツの身柄をバリアハート付きの領邦軍兵士が拘束しましたが、同日夕方五時頃、ルーファス・アルバレア様のご意向により身柄が開放されたとのことです」

 一語一句、先ほどの報告と変わらなかった。

 シオンは、報告した連絡役に問い続ける。彼はラマール州出身の兵士だった。

「あんた、その事の詳細をクロイツェンから聞かなかったのか?」

「え、ええ」

「ふざけるな! 革新派の重鎮の親族を理由も判らずに拘束したんだぞ!? どうして詳細を調べずにはいそうですかと終わることができる!?」

 カール・レーグニッツ帝都知事。それは帝国の中心たる帝都ヘイムダルを統括する、初の平民出身の知事の名だ。革新派の代表である彼の鉄血宰相の盟友とも称された、清廉潔白だが油断のならない存在。その息子を拘束するなど、革新派に喧嘩を売る行為に他ならない。

 シオンは怒鳴りつけたが、この場の多くの人間は理解を得ていなかったようだ。それは知識や常識がないというより、立場ゆえの認識の違いによるものだったりする。

「シオン・アクルクス。たかがその程度の出来事に、何故会議進行を妨げるほどの邪魔をする?」

 議長が、今度こそ苛立ちを隠さずに聞いてきた。上司からの圧力にシオンは屈さず、異を申し立て続ける。普段の彼の飄々とした態度は、事の大きさに打ちのめされて完全になりを潜めていた。

「当たり前です! 万が一帝都知事の息子を理由もなしに拘束したとすれば、逆にアルバレア公爵家の威信を揺らがしかねない愚行だ! 革新派の牙を出させないためにも、早急に事実確認と他州への周知連携を執るべきでしょう!」

「そもそも、クロイツェン領邦軍より伝えられた情報が以下の報告に違いなのだ。帝都知事の息子が犯罪を犯したが、ルーファス様の寛大な温情により事なきを得た。他に何がある」

 そんな都合のいい話があるか、馬鹿野郎。

「だからその事実確認をすべきだと――」

「いい加減に口を閉じたらどうだ、アクルクス」

 できる限り冷静に、それでも苛烈な言葉で自分の意見を解こうとした青年に、重苦しい声が乗りかかった。

 シオンの斜め後ろ、数席分の距離が開いたその場所にいたのは、SUTAFE所属以来なんどか火花を散らしていた貴族だ。

「……ローレンス」

 エラルド・ローレンス伯爵家嫡男は、議長よりも圧のある瞳をシオンに向けている。シオンの言葉が止まったのをいいことに、捲し立てる。

「重要なのはヘルムート公爵閣下の為された判断ではない。その事態に対し我々がどのような決断を下すかだ。議長をはじめ、貴様以外のほとんどの人間はこの件について不干渉を決めた。それがSUTAFEの意向だ」

「……判ってないようだから言うぞ。だからその必要性を説こうと――」

「そんなに推理ごっこがしたいのであれば、休日に一人でも行えばいいだけの話だ。どれほど奇声を上げようと、SUTAFEの方針は変わらん」

「っ……」

 沈黙がその場を支配する。誰も何も言わず、ついには議長がわざとらしく咳ばらいをし、再会を促す。シオンは何も言い返すことができず、ただ周囲から流れるどうでもいい他州の情報に耳を傾けるだけだった。

 やがて会議を終えると、人々は疎らに会議室を去っていく。議長は面倒くさいようで我関せずを決め込み、今日のクロイツェン州の連絡役も気まずそうに会議室を後にした。

 後に残るのは、先程の問答の続きを見たい野次馬と、当人たちと、その取り巻きや同僚くらいである。

「無様だな、アクルクス」

 エラルドが近づいてくる。

「聞けばケルディックでの任務も、勝手な個人の思想で動いただけのものだったとか。組織の中において勝手を貫く、腫瘍らしい行動だ」

 シオンも立ちあがった。エラルドの正面に立つ。互いの傍には取り巻きとケイルスやフェイがつき、それぞれを睨み合う。

 普段仕事場に立つ大人であれば滅多にとらない行動だが、各州から寄せ集められたこのSUTAFEでは統制も取れ切っておらず、若者らしいいざこざが起きることも稀にあった。

「ローレンス、あんたはこのままでいいのかよ」

「なに?」

「ここ数ヶ月であんたの力量はそれなりに把握したつもりだ。あんたが貴族派主義に傾倒しただけの馬鹿じゃないってことくらいはな」

「……」

「あんただって事の重大さは判っているだろう。もう一度言う、このままでいいのか」

 場合によっては貴族派全体まで影響が及ぶ、それだけの爆弾だ。解体もせずに放置しておくなど、普通の精神ではできやしない。シオンはそう思う。

「その問いに答えるつもりはない。それよりも、『貴族派主義』などとこの四大領邦軍の集まる場所で大きく言えたものだ。それとも、頭がただの猿並なのか」

 珍しく、シオンの脳髄から袋が破れる音がした。数年前、学生だった頃に封印した威勢のよさが戻ってくる。

「上等だ。やんのか?」

「その猿並の頭を解剖したくはあるな。付き合おうではないか、ちょうどいい対局(ゲーム)がある」

 言うと、エラルドは踵を返して会議室の扉へ歩く。

「付いてこい、シオン・アクルクス。貴様と同班の者も何人か連れてな」

 

 

――――

 

 

 そんなわけで、シオンは勤務後就寝までの時間を使いエラルドと対局を行っていた。十数分程前、頭に血が上ってしまった自分を恨みつつ、もうやるしかないと腹をくくって盤上の戦局を睨みつける。

 行うのは帝国内の地形を模した兵棋演習だ。ある一定の条件下を設定し、二者が別の部屋に別れ架空の戦場で戦力を指揮し戦うもの。ゲームマスターがその結果を記録し、互いへ戦力さに応じた結果や明らかになった敵戦力のみを伝え、目的を達成するために知恵を絞る。作戦本部などで良く行われる演習だ。

 シオンが驚いたのは、こんな本格的な帝国の地形盤SUTAFEに用意されていたことなのだが、どうやら少し前にエラルドがラマール領邦軍から受注したものらしい。

 シオンはエラルドとの会話を思い出す。

『ルールは単純。貴様がクロイツェン領邦軍総参謀、私が帝国正規軍総参謀となり、己の軍隊を用いて互いの首を取ることだ。互いの首を取る、つまりヘイムダルもしくはバリアハートを占領すればそちらの勝利となる』

 時期は七耀歴千二百四年、八月。先ほどの喧嘩の発端となった帝都知事の息子の拘束、それに端を発したと仮定した未来で生じた、帝都の帝国正規軍とクロイツェン領邦軍による『帝東戦役』。現実では通常起こり得るはずもないなんとも皮肉たっぷりなこの戦いを持って、雌雄を決しようとエラルドは言うのだ。

『開戦時の戦力は今の互いの戦力を弁え、互いに明示する。未知の国との戦いであれば未開示で行うこともあるが、これは同じ国内の内紛だからな』

 なるほど考えられた対局だ。互いに互いの初期戦力を熟知はしてはいるが、果たしてそれが安直なわけではない。用意されたブロックは歩兵(人型)機甲師団(戦車型)空挺師団(飛空艇型)など多種にわたり、それを細かに分裂できるため実際の戦場のように多様に配置することができる。ゲームマスターは地形、季節、戦力など多彩な因子を見て対戦相手の選択を表し、結果を決定する。

 ちなみにゲームマスターはエラルドの取り巻き一人とケイルスが勤めている。さらには互いの部屋に取り巻き一人とフェイが監視するように見ているため、野次馬が余計なことを言わない限りは極めて公平に大戦が成される。

『ほら。確かにこちら(領邦軍)の戦力を記録したぜ』

『受け取ろう。ただし……隠し札については話が別だ』

『隠し札?』

『エレボニア帝国は大陸西部最大規模の国家だ。既存の戦力以外にもまだまだ予算・兵力・資金力――主に資金力を持っているだろうことは明白だ。我々一兵卒が把握していないものがあることはな。だからこその隠し札。その兵力は、互いに知らぬものとして戦場に投入することができる』

 なるほど、そのためか。盤上に戦場以外の場所を載せるのは。つまりさらなる奇襲の一手としても隠れた戦力を投入できる。

『へえ。了解したよ。ちなみにどうして俺が正規軍側じゃないんだ?』

『……答える義理などないな』

 その言葉を最後に、両者は部屋を分かれた。数分の待機時間を持って、対局は始まったのだ。

 十数分、盤の中では数日分の対局の結果、状況は五分と五分となっている。シオン側――クロイツェン領邦軍はケルディックを起点として帝都へと至るトリスタ方面の街道に防衛線を引き、さらにはケルディック東に存在する双龍橋という正規軍拠点側にも陣を敷いた。一先ず帝都からやって来るであろう第一機甲師団と双龍橋からの戦力を迎撃している。こちらから存在が見えるのは、索敵により判明した第一機甲師団の動向だけ。内戦が始まって数日、今はまだ互いの出方を伺っているような状況だ。

 ――だが、そう単純な足し算引き算の考えだけというわけではないだろう。なにせこのゲームにはありとあらゆる因子が加えられる。単なる遊戯盤の遊びでは終われない。

 ――何のために、エラルドはわざわざこの内戦のストーリーすら決めたのか。

 それはすなわち、内戦の開始時期やストーリーすら因子になるということだ。

 まず、内戦開始時期は現実の今より二カ月ほど後。今の帝国の情勢を考える。この帝国東部で重要なのは東部国境線、クロスベル州を挟んだカルバード共和国との政争だ。元々両国はクロスベル州を我が物にせんとするために何度も争ってきた過去を持つ。そのため東部国境線には正規軍の陣が敷かれるようになり、ついには『ガレリア要塞』という巨大な要塞が発展するにまで至った。そこに現在駐屯している第五機甲師団は本来共和国方面を警戒していたのだが……

 だが近年、その緊張は南の小国、リベール王国が提唱した帝国・共和国・王国の三国による『不戦条約』によって緩和されている。故に、数年前よりバリアハート方面に回せる戦力が全てではないにせよ増えているということだ。単純に考えてシオン側が不利に働く状況だ。

 次に、内戦勃発までのストーリー。シオンからすれば、開戦理由はアルバレア公爵が帝都知事の息子を拘束したという愚行によるものだ。基本的に貴族派が革新派と戦うのであれば、他の四大名門の協力も取り付けたいものだが、こんな愚かな理由で開いた戦局に加わるとは思えなかった。特にサザーランド州のハイアームズ侯爵は穏健派だし、ノルティア州のログナー侯爵は義理人情に厚い。とても正当な理由なしに協力を取り付けるとは思えない。これも、シオンに不利に働く状況だ。

(ふぅ……)

 だが、そう悪いことばかりではない。他の領邦軍の協力は取り付けることができなくとも、仮に正規軍が他州の拠点から集結するならその隙を他州領邦軍が狙うだろう。自分たちの利のために。

 ――この戦いにおいて注意すべきは、侵攻方向後方の双龍橋方面。それに注意しながら帝都を制圧する必要がある。

「全く……仮想とはいえ、俺が帝都を制圧する日が来るなんてなぁ」

 ぼやきつつ、ケイルスと取り巻きその一にクロイツェン領邦軍の戦況を伝えていく。表情を隠し切れない取り巻きが憎々しげにこちらを睨んでいるあたり、少なくとも互角以上の戦局は維持できているのだろう。

「正規軍側、戦線を維持したまま一個中隊の戦車の破壊に成功。正規軍が穀倉地帯中域まで前進したぞ」

「了解。合わせてトリスタ方面防衛線も後退。双龍橋の一個大隊をケルディック経由でバリアハートへ戻してくれ」

 ケイルスの報告にシオンが答える。

 内戦開始から一ヶ月ほど。クロイツェン領邦軍は双龍橋を占拠することに成功したが、代わりにトリスタ―ケルディックの戦線は少しずつ後退している状況だ。戦線以外の各方面からの奇襲も警戒しているが、今のところそれが実現した様子はない。互いの戦力はじりじりと削られ、残存していると思われる戦力も同程度。

(さて……開戦から一ヶ月。互いに動くとしたら今だ)

 エラルドだってこちらの、自分(シオン)の戦略的思考が馬鹿ではないことは判っているはずだ。先ほどの戦況因子を見極め、互角の戦力を用いて五分五分の戦いを演じることも理解しているはずだ。

(戦況を変えるのは……エラルド自身が言っていた『隠し札』)

 互いの陣営に存在する『財力』を駆使して用意される未確認の戦力。互角の状況を打破するとしたら、それ以外にはない。

 推測する必要があるのは、向こうの隠し札の正体。そして自分の隠し札の使い方。

 現状、主な戦線は常に帝都東のトリスタ―ケルディック間で開かれてきた。互いに占領目標である帝都・バリアハートには届いておらず、表向き戦線を破り一方の街を占拠したならほぼ勝利が確定するといっていい。小規模な側方からの奇襲にも対応できているし、正規軍側の優位手である双龍橋方面はこちらの采配によって既に潰している。

(正規軍側の隠し札……今回の内戦……四大名門も他国の増援も頼めず……投入できるのは正規軍内の戦力)

(けれど貴族派の領内では下手な動きをすれば感づかれる……ノルド高原の第三機甲師団? いや、それも駄目だ。共和国軍に牽制される)

 一度のさらなる対局を経て、エラルドが奇襲より戦線を推し広げていることが気になった。たまの奇襲はあったのだがあくまで小規模。どうにも『主戦場は防衛線』なのが気になる。奇襲の可能性を意識させつつ隠し札として防衛線に戦力を投入――と意識させて、やはり本命は側方からの奇襲に思えてくる。

(そうか……正規軍側の隠し札はTMPだ)

 鉄道憲兵隊( TMP )。帝国各地の鉄道を基盤として行動する正規軍組織。彼らの実力なら隠密的にバリアハート市のアルバレア城館を占拠することも不可能ではない、かもしれない。

 そしてTMPが動くなら、都市や街は占領対象でなく保護対象になるはずだ。それに歩兵ゆえにケルディックを防衛線が解除されない状態で保護する意味もないだろうし、TMPの効果的な投入はバリアハートに限られる。

(一応RF社経由で新たな戦車を補給する可能性もあるけど、それよりもTMPのほうが効果的な奇襲になる。意識するのはそちらだな……なら)

 黙考の後、幾つかの戦況変化を受けてシオンは一つの指揮を下した。

「先ほど収集した双龍橋方面の戦力を中心に歩兵小隊を大規模に編成。補給物資を潤沢に用意して、穀倉地帯の南を西へ移動。出発より五日後を目安に、アノール河を上流し電撃的に帝都守備隊を制圧する。あくまで歩兵部隊の制圧だ。戦車部隊までは相手にしなくていい」

 元々歩兵部隊に帝都を占領する能力があるはずがない。あくまで効果的な奇襲で正規軍を動揺させるのが目的だ。無事歩兵部隊を捕虜後は、トリスタ防衛線の解除と引き換えに解放する。そうして前線を押し広げ、最終的には第一機甲師団を無力化する。

 元々が圧倒的にこちらが不利な内戦だ。どうにか互角まで持ち込めれば御の字だろう。

 できることは尽くした。後は奇襲に警戒しつつ、五日後を見極める。

 一日目、前線で戦闘があったものの防衛線は保った。

 二日目、変化はなかった。嫌なくらい静かに。

 変化があったのは三日目だった。

「明朝、謎の戦闘部隊が中隊規模の戦力を持ってケルディックを襲撃した」

「……はぁ!?」

 対局開始して初めて声を荒げた。伝えたケイルスも、苦々しい顔をしていた。

 理解ができない。今このタイミングでケルディックを襲撃だと?

「……防衛線の五割を、戦闘部隊への対処・拘束へ割り当てろ。戦闘部隊の戦力も分析してくれ」

 返答の後、ゲームマスター二人はエラルドの部屋へ向かっていく。壁の向こうのエラルドがムカつく笑みを浮かべている気がした。

 ゲームマスターが待ってくるまでの時間が珍しく長く感じる。次にゲームマスターが自分に伝えてくるのは、ケルディック防衛線の結果と戦闘部隊の戦力だ。野次馬の同僚たちの困惑が伝わってくる。

 数分後に来たケイルスは、少しばかり悲しげな顔をしていた。

「……ケルディック防衛の結果は……失敗した」

「なんだと? 戦闘部隊はそんなに一騎当千だったのか」

「戦闘部隊の詳細を伝えるぞ」

「ああ」

「戦力は……帝国政府に雇われた猟兵団、『北の猟兵』」

「はぁ!?」

 二度目の叫び声。あまりに予想外の事態だ。

 猟兵団とは、ミラを対価に様々な依頼を引き受ける部隊の総称だ。並の傭兵部隊よりも高い練度を誇り、依頼の内容は犯罪性の有無を問わない。一般の人間には死神と同義の存在。さらに『北の猟兵』は元軍人が多く存在高ランクに位置する猟兵団。

「戦闘の結果、北の猟兵はケルディックで補給を行った。……ケルディックは死傷者も出た計算だ」

「っ……」

 最悪の結果だ。ケルディック防衛に回した戦力は殺しを辞さない猟兵団に殲滅されてしまったし、ケルディックも占領された。しかも前線に集中していた戦力は前後を挟まれ孤立した。

 そこからの結果は誰の眼から見ても明らかだった。双龍橋方面の部隊もガレリア要塞方面とケルディックの北の猟兵により奪還され、トリスタ―バリアハート間の戦力も投降せざるおえなくなった。しかも、戦車などは鹵獲された形で。

 後方の戦力がいなければアノール河からの奇襲も意味を持たず、残るはバリアハートの戦力のみ。

 全ての戦局は覆されてしまった。ケルディックの占拠と言うありえない方法によって。

「……内戦開始より四十二日。帝国正規軍がバリアハートを占拠。帝東戦役、勝者は帝国正規軍だ。」

 ケイルスが静かに次げる。劣勢ながらも勝利を確信していたのが一転、シオンは敗軍の将となってしまった。

「無様な結果だな。シオン・アクルクス」

 拳を握り締めていると、エラルドがこちらへ近づいてきた。出会った時から変わらない威圧的な表情は、今はこの上なく怒りを覚えてくる。

「おいローレンス。どうしてケルディックに『猟兵』を投入した。帝国内での内戦に外部の猟兵を投入したのは何故だ」

「それが最も効率的だからだ。言っただろう、『隠し札』は兵力だけに限らないと。その資金を用いて効果的な

戦力を効果的な舞台に投入した。結果が全てを物語っているだろう」

 猟兵は戦闘のプロだ。資金を使うなら妙な部分に頼るよりは現実的だが。

「だからと言って殺しを厭わない猟兵を町村に投入するだと? 馬鹿げている」

「勝利条件はバリアハートの占領。そのために、障害となる防衛線を排除した。ただそれだけのことだ」

「っ!」

 非常すぎる言葉に、シオンの体が反応した。周囲の人間の制止も聞かず、右手でエラルドの胸倉をつかみにかかる。

「……訂正しろ」

「空想とはいえ故郷を蹂躙されたことが憎いか?」

「仮に敵の領地だとしても、同じ人間が住む土地だ。ましてや同じ帝国の住人だ」

 殴り合い一歩手前の状態になっても、エラルドの冷徹な表情は変わらない。

「そもそも貴様がもっと利用できるものを利用していれば、この戦況も変化していたはずだ」

「利用できるものだと? これ以上どこに戦力が――」

「例えばラマール領邦軍。開戦の理由が理由な以上サザーランド・ノルティアは不可能だろうが、ラマール領邦軍はアルバレア公爵以上の貴族派筆頭、カイエン公爵の軍だ。アルバレア公爵に恩を売る目的で、妙な理由をつけ参戦要請を受け入れる可能性があった」

「っ……」

「例えばリーブス。リーブスは皇族の直轄地だが、そこにあるこのSUTAFEは四大名門共有の資本。協力はラマール領邦軍よりも確実だっただろう」

 言い返すことができない。冷静になれば、確かにその選択もできないわけではなかった。愚かな開戦を理由に、我が身を守るために妥協してしまったとも言える。

「そして例えば……俺と同じように猟兵団を使役する、などだろうな」

 可能性に行き着くことすらなかった選択肢。だが最後のそれだけは、認めたくなかった。

「だが貴様は、どの選択も取らなかった」

「……」

「猟兵団は貴族派も革新派も使役する可能性はある。否定はすまい?」

「否定は……できない」

「今回の帝都知事の息子の拘束も、似たようなものだ。表向きの清廉さは違えど、中身の愚行はどちらの派閥も行いうる」

「だから……なんだというんだ」

 煮え切らないシオンの言葉にエラルドの眼が燃え盛った。

「貴様にそれが出来ないのは……貴様が貴族派にいながら平民の利を考える半端者だからだっ!」

 声を荒げると同時、エラルドは右手でシオンの胸倉を掴み返そうとする。左から殺気を感じたシオンが反射的に左手を上げると自然両者の手が弾き合うことになる。

 転瞬エラルドが胸元にかかるシオンの右手を左手で掴み、それをひねり上げた。その回転に合わせ体を捻じると、隙を見逃さないエラルドが足払い。シオンは転び体勢を崩しかける。

 しかしシオンも足払いに逆らわず飛び、背面から落ちるぎりぎりで足を組み替え背負い投げに近い姿勢となった。

「うぉ!?」

「ぐぅ!?」

 結果、背負い投げに逆らったエラルドも重心を崩され、二人してうつ伏せで地に倒れ込むことになる。

 少し荒くなった息を整え、顔を上げながらムカつく貴族様を睨みつける。

「ローレンス、てめぇ……」

「ふん、思考だけでなく体術まで同じとは……反吐が出る」

 エラルドはそれ以上目を合わせることもせず、わずかに面倒くさそうな表情を顕わにして立ちあがった。

「貴様がどちらにもなり切れん半端者であるかぎり、戦場に出ても価値のない的にすぎん。そのことを肝に銘じておくことだな」

 人ごみをかき分け、勝手についてくる取り巻きを従えて、伯爵家嫡男は静かにその場を去っていく。

 シオンはその様子を見届けてから、胡坐をかいてばつが悪そうにため息を吐いた。数秒絶たずにケイルスが両手を打ち鳴らし、野次馬たちの注目を集める。

「はい、取り敢えず見世物は終了だ、皆お疲れ様。明日に備えて宿舎に戻ろうぜ」

 のろのろと、同僚たちは去っていく。やがて残るのは八班の同僚たちだけ。

「お疲れさん、班長。見てて中々楽しめたぜ」

「ははは、サハドさん。見守ってくれてありがとうございました」

 近づいてきたレイナが、水の入ったコップを持ってきてくれる。

「シオンさん、お疲れ様でした。この地形盤は私とサハドさんで片づけておくので、ゆっくり休んでくださいね」

「ごめんね、レイナ。恩に着るよ」

 遅れてフェイがやって来た。

「班長もすごいね。あのローレンス相手に喧嘩売るなんて。すごいよホント、すごい」

「フェイ、お前絶対思ってないだろ」

 水を喉に流し込みながら、一同は解散となった。

 静かになった演習室で、ケイルスだけが残り、同じように胡坐をかいて座る。

「珍しくきれてたな。まあバリアハートで罪もない帝都知事の息子さんを拘束したってんだから、分からなくはないけど」

「あぁ……久々に頭が沸騰しちまった。ストレスかな……」

「ま、お前の心境じゃそうなるのも判るよ。サハドさんとか俺みたいな単なる食い扶持じゃなくて、目的があって入隊したお前ならな」

 言われて、シオンは口を紡ぐ。ああもエラルド言われたままなのが、気に入らなくて仕方がなかった。反論のしようがないのが余計にそう思える。

「のんびりやるしかないんじゃね? できることを、少しずつさ。少なくとも、八班のみんなは理解者になってくれるよ」

「ああ、そうだなぁ……」

「そゆこと。じゃ、先に宿舎に戻ってるぜ」

 ケイルスが去っていく。

「……」

 その後少しばかり静かに胡坐をかいたまま沈黙を続けたが、自分の考えをどれだけ反芻してみても、良い案などというものは浮かんでこない。

 今まで多少なりとも自分の革新派よりの考えを馬鹿にされてきたが、それでも殆ど激昂なんてせずにのらりくらりと生きていた。しかし初めて『中途半端』という言葉を使われたのもそうだが、エラルドに言われたというのが想像以上に腹が立つ。

「仕方ない」

 今は親友の言葉を借りて、のんびりとやれることをやろう。

 一先ず無理やりに気を引き締めて、自分の頬を叩いて立ち上がった。

 だが宿舎に入ったところで、またも自分に割り当てられた部屋に入る前に、心をかき乱されることになった。

「げ……」

 その原因は、個人に当てられたポスト。目の端に見た自分用のそれには、一つの封筒が入っていた。

「マジかよ……」

 公共機関などではなく、個人から来たもの。律儀に『シオン・アクルクス様』と書いてあり、帝都ヘイムダルの長く細かい住所が記されている。

 そして住所の隣には……

『クレア・リーヴェルト』

 あくまでも個人名。ある意味エラルド以上に心をかき乱す存在だった。

 

 

 



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9話 氷面下の接触

閃の軌跡Ⅳ、EDまで(2回)到達しました。
色々な感想があるけれど、一言だけ。

最高。




 

 紅の帝都ヘイムダル。西ゼムリア屈指の規模を誇るこの都市は地理的にも経済的にも、文字通り帝国の中心に存在しており、四大名門が治める四都市だけでなくクロスベル州、果てはカルバード共和国にさて繋がる鉄道がある。

 それだけでない。飛行船を使えば周辺諸国どこにだって行ける。各国との文化交流を担う場所と言っても過言ではない。

 市内は導力トラムや導力車が飽きることなく走っており、家族連れや通勤、観光の人々が賑わう。

 ブティック『ル・サージュ』を始め多くの系列店の本店、または商社の本社が軒をつらね、また帝国情報誌の代名詞『帝国時報』があるのもここヘイムダル。

 まだまだ説明に飽きるには早い。帝都歌劇場、博物館、霊園、各国大使館、歴史ある七耀教会の大聖堂、各分野における学術院や女学院等々……。

 なにより帝国を統べる皇族アルノール家が住まう居城、バルフレイム宮が、帝国中興の祖を敬うドライケルス広場とヴァンクール大通りより眺めることができる。

「来たのは久しぶりだよなぁドライケルス広場……というか帝都ヘイムダル」

 クロイツェン州交易町ケルディック出身、現在はSUTAFEに所属するシオン・アクルクスは、帝都について二時間も経ってからそんな言葉を呟いた。

 シオンの休日の過ごし方と言えば、オーロックス砦に所属している時は宿舎でだらけるかバリアハートにくり出すことが多かった。SUTAFEに入隊した今日までの二ヶ月は、同じく宿舎でだらけるかリーブスのカフェや宿酒場でケイルスたちと過ごすことが多かったのだ。新生活に慣れない今ではまだリーブスの外に出る余裕がなかった。

 総じて学生時代は兎も角領邦軍に入隊してからヘイムダルに行くことは殆どなかった。こうしてゆっくり市内を散策するのは学生の時だけだった。

 シオンはここに来るまでに用意した紅茶をすすりながらドライケルス広場の片隅に突っ立っている。広場の中央には、二百五十年前の帝国における内戦『獅子戦役』を調停したドライケルス・ライゼ・アルノールの像。泥沼の内戦の結果を光へと導いた偉大な皇帝は、どんな気持ちで、死してなお今の帝国の姿を見つめているのか。

(中興の祖が今の帝国を見たら、俺と同じ風に嘆いてくれると嬉しいんだけど……)

 そんな、叶いもしない幻想に想いを馳せてから、人知れず頭を振る。

(いや、嘆いてから皆をまとめて格好よく解決するんだろうなぁ)

 一通りぼーっとしてから懐中時計を取り出した。

「時間だ。行こう」

 待ち合わせ時間まで、ヴァンクール大通りで時間を潰してきた。もう一人で行くところはない。

 今日の目的地は、帝都における歓楽街、その中でも端にある人気も少ない通りだった。住宅街と遊び場が混ざり合う中心にあって、酒も若者向けの食事も提供できる落ち着いた雰囲気のバー。外観は大きな看板もなく目立たない。店内も一軒家の個人店ほど小さくはないが大手企業のそれと比べてこじんまりとした内装。それにも関わらず行列にならないのは料理が不人気だとか店員が不愛想だとかそんなわけではなく、ここを利用する者たちが「無用に大勢の人間に場を荒らされたくない」という意志があるかららしい。

 店内に入ると、心地よいドアベルの音が店内をと耳を打った。休日だが昼間。六月は他の都市に旅行に出る人が多く、店内はそれほど賑わってはいなかった。

「いらっしゃいませー。何名様ですか?」

 同い年ぐらいの朗らかな娘がぱたぱたと靴を鳴らして駆けてきた。シオンはそれに答えつつ、店内を見回す。

「待ち合わせてるんだけど……あ、いたよ」

 今日帝都へ来る原因となった人物を見つけた。その彼女は、二ヶ月と少し前に再会した時とはまた違う出で立ちをしている。しかし特徴的なアイスブルーの長髪は変わらず周囲と意識を隔絶させるので、見つけやすいことこの上なかった。

 給仕の娘に一言声をかけ、シオンは彼女の元へと歩いた。彼女の視界に入るまでの五秒、どんな言葉をかけるか迷ったのだが、結局は無難に落ち着く。初心な少女ならともかく、目の前の人物を空の女神(エイドス)を引き合いにしてナンパできるような豪胆さはない。

「よ。お疲れさん、リーヴェルト」

「シオンさん」

 帝国正規軍所属、鉄道憲兵隊大尉。氷の乙女(アイスメイデン)と、革新派からは羨望され貴族派からは疎まれる薄氷の女性将校が、今は柔らかな笑みをたたえてシオンの目の前にたたずんでいる。

「悪いな、待たせたか?」

「いえ。呼び出したのも、早く着きすぎたのも私ですから」

 テーブルは二人用、木製だが僅かに漆が塗られている。座るなり帳簿風のメニュー表をちらりと眺めて、シオンはクレアに向き直った。

「俺はがっつりアルコールのつもりだけど。どうする」

「私はレッド・シャリネをロックで。たまの休日ですからね」

「了解」

 クレアは静かに微笑んだ。シオンは短く返した。続けて先ほどの給侍の娘を呼び、まずは飲み物だけでも注文する。

「レッド・シャリネをグラス、ロックで二つ」

「かしこまりましたー」

 給仕の様子をぼんやりと見つつ、出された水のコップを煽る。

 なんとなく、シオンは言った。

「にしても、鉄道憲兵隊の大尉殿がよく休暇なんてとれたな? 結構都合よく」

「ここは法治国家ですよ、シオンさん」

「へいへい」

 娘が離れてから、今度はメニューをじっくりと品定め。昼時なので腹も空かせているのだが、一人で馬鹿みたいに食べるわけにもいかない。

 そのため視界の端にクレアを留めると彼女は、やんわりとした笑みを浮かべていた。

「ん? なんだよ」

 落ち着いた状況で面と向かい合うのも久々で、その上理由も判らず笑われると少し調子を狂わされる。

「いえ。トールズの頃は『ケルディックの地ビールが美味い』とばかり言ってましたよね?」

「ああ。ケルディック産まれだしな」

「ですから、てっきりビールを頼むのかと」

「こんな場所で男女二人だ。空気を読んでワインにするだろう」

「ふふっ」

 あの頃は教室で地ビールの美味さを熱弁し、感想を述べては教官に追いかけられたものだ。その騒動はクラスでも有名だったはずで、クレアが思い出すのもおかしくはない。

「ケイルスと二人で教官から逃げ切ったなぁ。懐かし」

「ええ、本当に。お二人とも変わらないようで、安心しました」

 お互い学生時代を思い出せば、自然と笑みが浮かんでくる。自分も青春を謳歌していたし、クレアもまた級友との時間を楽しんでいた。

「そういや、ルーナとは今でも連絡とってるのか? アイツも帝都だっただろう」

「はい。お互い会う暇もないですから、今は手紙のみになりますが」

「確か……実家の喫茶店を継いだんだったか」

「いえ、そのために修行中だそうで。今はオルディスにいるとか」

「はー、貴族様様の海都でか」

「シオンさんは、ケイルスさん以外とは?」

「全員とは会えてない。一部の奴とは会ったけど、他はお前と似たようなもんだよ。俺もクロイツェン勤務だったし。会ったりしてるのは……例えばレオとか」

「レオさん……彼の進路は希望通りに?」

「ああ、ラインフォルト社の開発部。入職一ヶ月で連絡が来たよ。『機械じゃなくて女性と触れあいたい』ってな」

 シオンの言葉に、今度は手を当ててクレアは笑う。少しばかり恥ずかしくなったところで、注文したワインがやってきた。

 一度言葉を飲み込んで、両者はグラスを控えめに掲げた。

「それじゃ、何でもないただの休日だが──」

「記念日でも祭日でもないですが──」

『乾杯』

 カコン、と心地よい音が響く。二人は緋の帝都で、紅い酒を口に運んだ。

 カイトは酒のみらしくやや大口で、クレアは軍人とは無縁の整えられた所作で。

 一口飲んだところですぐに酔いが回るものではないが、酒というのは雰囲気も変える。自然、二人の言葉は少し軽くなっていくものだ。

「なんだか、感慨深いですね」

「うん?」

「学生時代は、こんな風にお酒を飲むなんて予想もしていなかったですから」

 シオンは溜息をついた。

「お前なぁ……俺は別に飲むことになるだろうって思ってたけどな」

 クレアが静かに目を瞑る。

「……」

「それがまぁ、こうして卒業後四年目、だ。ずいぶん長い道のりだったじゃないか」

 今度は、目を開く。続けてグラスへ再び口をつける。

「色々ありましたから」

「色々ねぇ」

 カイトもまた、グラスを煽った。すでにワインは半分ほどなくなっている。

 色々あった、それは学生時代にも卒業後にも言えることだ。

 名門トールズ仕官学院。そこでのシオンは軍人の卵というには遠いような態度であったし、そのために色々な騒ぎを起こしたりもした。そしてクレアとも知り合った。

 そして、二人は正規軍と領邦軍にそれぞれ入隊した。軍隊というものは得てして激務なものだし、クレアに至っては大尉にまで昇進している。

 だがシオンはケイルスとは何度か話してもいたし、他の同窓とも会えた。彼女自身が言うように軍人にも当然非番はある。会おうと思えば会えないわけでは決してない。

 むしろ、会わなかった理由は別にあるのだろうが。

 おもむろにクレアは給仕を呼んだ。メニューを眺めつつ、給仕が来るまでにぼそりと一言。

「さあ、お腹も空きましたし料理を頼みましょう」

(おい逃げたな)

 ぼんやり目の前の青髪を眺めつつ、シオンは頬杖をついた。

「食事はどうしますか?」

「いいよ、適当につまめるものを頼もうぜ」

「はい」

 クレアは目についたものをいくつか頼む。ついでに他の酒類も注文した。

 給仕の娘が再び離れる。パタンとメニューを閉じ、クレアは先ほどまで生じていた微妙な空気を振り払うかのように話題を変えた。

「それにしても、学生の頃から変わらないですね、シオンさん」

「なにが?」

「服装とかですよ。懐かしいです」

 今日は非番。翡翠の軍服ではなく私服だ。薄茶チノパンに薄青のシャツ、シンプル極まりない恰好。シオンを知るクレアが言う通り、学生の頃からその傾向は変わっていなかった。

「そういうお前は、大人びたと思うよ」

 今のクレアの恰好は、彼女を軍属程度の認識でしか知らない人間からすれば珍しいことこの上ない恰好だ。ライディングブーツにショートジャケット、そしてタイトスカート。今の時期からすれば少し厚手の服装だが、それでも動きやすそうでスタイリッシュなイメージも与える。

「ふふ、ありがとうございます」

「ところで」

 急に、シオンが話を遮る。

「そろそろ話を聞かせてもらおうか? どうして急に呼び出したのかを」

 料理を待つ傍ら、シオンはようやく本題に映る。

 自分がここに来たのは、つい先日クレアから直接の手紙によるものだ。彼女からこんな風に呼び出されたのは初めてで、トールズの同窓である以上懐かしさや嬉しさ、その他複雑な感情が出るのも無理はない。

 だが、もう二人は軍属だ。それも表面上はともかく、水面下では敵対する組織の。

 そして自分と違い既に多くの部下を持つ彼女は、上層部も知りえる情報を持っているはずだ。

 それだけでない、世間が《氷の乙女》と称する彼女の評判は。

 だから、問いたださなければならない。クレア・リーヴェルトが自分を呼び出した意味を。

 強い言葉で聞き返したシオンに、クレアは意味ありげな微笑を湛える。

「そうやって、情勢を見極める眼も昔から変わらない。さすがです、シオンさん」

「茶化すなよ、導力演算器並みの頭脳を持つ女が」

「……シオンさんは、今の帝国のことを、どう考えていますか?」

 流すことなく、薄紅の瞳がシオンに突き付けられる。それは紛れもなく、本心の問いかけ。

「……またずいぶんな問いかけだな、リーヴェルト大尉」

 現在の帝国をどう思うか。シオンにとっては、そんな問いかけへの答えは数年前から当に決まっている。

「使い古されたボロボロの飛行船だ。それも、爆発寸前の」

 黄金の軍馬を掲げ、強大な軍事力を持って周辺諸国に常に緊張を強いてきたエレボニア帝国。皇帝を仰ぎ、しかし現代では珍しく貴族制度が残っており、四大名門を中心とした貴族が国政の片翼を担う巨大帝国。それがエレボニア帝国だ。

 だが、その評価は十年ほど前から変わってきている。片翼を担う貴族派に対抗する新興勢力、革新派によって。

 当たり前ながら、両者はともに異なる思想を持つ。既得権益を守ろうとする貴族派に、中央集権化を進めようとする革新派。両者はともに互いの利益や権力を奪い取ろうとする敵勢力であり、その上領邦軍に正規軍という軍隊を控えさせている。

 今この時も、貴族派と革新派はいがみ合っているのだ。

 シオンは言った。

「俺が領邦軍に入った理由、卒業前にも話しただろう」

「『貴族派という存在の実情を確かめるため』。そう言っていましたね」

「ああ」

 ケルディックの農家に生まれたシオンは、多感な子供時代を農地や大市と共に過ごしてきた。そこには常に、領邦軍兵士や税を徴収する貴族、アルバレア家の影があった。 

 帝都に住む市民の多くは革新派に好意的で、反面貴族派を目の敵にする人間が多い。対して貴族の領地に住む領民たちは貴族派の息のかかった人間などと、帝都市民は考えていることが多いのだろう。

 だが、実態は違う。特にシオンは、その風潮に真っ向から立ち向かう人間だった。

 『自分たちが守ってやっている領地だから』という免罪符を掲げて、好き勝手に、粗暴に振舞う輩を多く見てきた。親の農地を継ぐことを視野に入れて、ケルディックの実情や貴族のことを知れば知るほど、その腐敗した様子が浮き彫りになった。

 もちろん領邦軍や貴族派のすべてが悪辣なわけではない。当時子供であったシオンでさえ、中には心根の穏やかな兵士や高貴な貴族がいることも一応は判っていた。

 けれどそれでも、鼻についてしまうのだ。多くの腐った部分に。

 だからシオンは、ケルディックの平和に不安を覚えて商人以外の教養を身に着けることを決意した。そのためにトールズ仕官学院の門戸を叩いた。卒業後の進路は少し迷ったが、それでも実情を知るために領邦軍に入隊したのだ。

 だから、先ほどのクレアの問に答えるのは簡単だった。

「貴族派という腐った派閥によって錆びついた、一歩間違えれば爆発しちまう飛行船。それが今の帝国だよ」

 そして、そんな問いをかけてくるクレアは革新派に属する正規軍の、さらにエリート中のエリート。鉄道憲兵隊の大尉だ。自然、その心境も判っては来る。

「なるほど、SUTAFEを知るために俺を呼び出したのか」

 敵対する組織が最近新たに発足させ、既に帝国各地で活動が確認できるSUTAFE。その動向はどう考えても貴族派と革新派の抗争を激化させる着火剤のようなものだ。鉄道憲兵隊と同じく。

 貴族派の動向を抑えなければならない。シオンとケイルスはトールズ時代の自らの理解者。あまり旧友を山車に使いたくはないが、それでもSUTAFEなんていう組織を作った以上、それを外から内から知らなければならない。だからクレアは、今日この機会を設けたのだ。

「……すみません、利用するようなことをしてしまって」

「……いや、別にそれを気にしちゃいない。お前のことだ、別に利用することだけが理由でここに来たわけじゃないだろう」

 貴族派から《氷の乙女》と揶揄される女性だが、別に目的のために他のすべてを捨てられるというような冷血な女、というわけではない。学生時代の彼女を知るシオンからすればなおさら、彼女の性格が氷とは無縁のものだというのも知っている。

「はい。ただ聞くだけで終わるつもりはありませんでした」

 クレアもまた、領邦軍に属するシオンが典型的な貴族派ではないことは知っている。それは先の理由の通りだ。むしろ心根としては、貴族派を否定する人間ともいえるのかもしれない。

「貴方が貴族派の人間でないことは知っている。だからこそ、私は『協力』とまではいかなくとも『共同』をと。……そう、思ったんです」

「ふむ……」

「この間のケルディックの一件。そこでの貴方の行動を見ても、悪い話ではないと考えました」

 ケルディックでのシオンの行動は、無知な者から見ればただ貴族派の立場を危うくさせかねない愚行だった。そして博のある者から見れば、貴族派と革新派の間を取り持つ英断をしたともいえる。

 クレアは、右手を差し出した。敬礼をするための右手であり、軍用拳銃を握るための右手だ。

「貴方が現状の帝国を憂いているのなら、是非この手を握り返してください」

 貴族派に属しながら、貴族派に疑問を持つ旧知の人間。それはクレアにとって、利用価値があるというより共に隣に立ってほしい考えるような心境でもあった。それ故の今日の行動だった。

 得体の知れないSUTAFEという組織。その中で班長として動いていたシオンには、多くとはいかなくともある程度の行動の自由が利く。SUTAFEの動きを抑制することも不可能ではない。

 だが、シオンはその誘いに乗りはしなかった。

「その手を握り返す前に、俺は聞かなきゃならないことがある」

 シオンは考える。確かに自分は貴族派に属しながら貴族派に疑問を持つ。だからと言って革新派に諸手を挙げてついていくとは、一言も言っていない。

「お前、あの鉄血宰相に本当についていくのか?」

「……」

 鉄血宰相。現エレボニア帝国政府代表であり、「国の発展は血と鉄によってなされるべし」と公言して憚らない宰相だ。軍部出身でもあり、盟友カール・レーグニッツ鄭都知事や多くの正規軍将校を味方につけ、中央集権化を推し進める革新派のトップ。

 それだけならただ単に革新派のトップともいえるのだが、シオンはそれだけでない危ういものを鉄血宰相に見ている。

 鉄血宰相が現在の地位、初の平民出身の宰相という肩書を持つに至ったのは十二年前。千百九十二年の百日戦役。

 百日戦役とは、当時勃発した南の小国リベール王国との戦争だ。帝国軍が宣戦布告の報を王国政府に送ったほぼ直後に国境沿いのハーケン門に攻撃を加えるという、当時出来得る最もグレーな諜報戦の末に戦端を開き、瞬く間にリベールの王都と主要塞を除くすべての地方を制圧した約百日間の戦争。

 しかし帝国軍は、当時実用化されていなかった飛空艇を用いた反抗作戦によってリベール王国に趨勢を巻き返された。この二種の近代戦法や帝国に灸をすえた当時のリベール王国大佐カシウス・ブライトは、授業でも出たのでよく覚えている。

 結果として、戦役はいくつかの中立組織を交え、両国の講和によって幕を閉じたのだが。

 シオンが気にかけているのは、その百日戦役の直後にギリアス・オズボーンが宰相に就任したこと。そしてもともと燻っていた革新派の前組織が鉄血宰相就任によってその火を一気に燃え上がらせたこと。

「別に貴族様方の肩をもつって訳じゃねえ。でも、宰相は異常だ。はっきり言って」

 シオンは気持ちの上では反貴族派とすらいえる。だがそのシオンですら、鉄血宰相を支持しようとは思えない。

 百日戦役と鉄血宰相。その関係を明言されたことはない。それでも想像はしてしまう。何か、恐ろしい陰謀が巡っているのではないかと。

「さっきお前は聞いたよな。今の帝国をどう考えるかって」

「はい」

「そして俺はこう答えた。爆発寸前の飛行船だって」

「……はい」

「部品を錆びつかせたのが貴族派なら、そこに無理に油を注して無茶な運転をしてるのは鉄血宰相だ」

「それは」

「貴族派とか、革新派とか、そんなことはどうでもいいい。とにかくどっちも、今の帝国を訳の分からない場所に連れて行こうとしてるんだよ」

 革新派が過激な法令を打ち出せば、貴族派は反発する。その結果、国境沿いでもない内地のクロイツェン領邦軍に大量の最新戦車(アハツェン)が配備されるという状況まで至っている。

 その果てにあるのは、互いの権益を守るための内戦という二文字。

「結局、在学中にはお前がトールズを志望した理由も教えてもらえなかったよな」

 シオンは言った。

「TMPに入ったのも、大尉にまで昇進するのもお前の能力を考えれば不思議でも何でもないよ。でも『鉄血の狗』と、そう揶揄されるほど鉄血宰相の駒として働くのはなんでか判らないんだ、俺には」

「……」

 クレア・リーヴェルトはギリアス・オズボーンが目をかける鉄血の子供たち(アイアンブリード)と呼ばれる腹心の一人なのだ。だが、彼女の学生時代を知るシオンにはその真意が判らない。

 シオンは返答を待つ。

「……」

 先のケルディックでも、今日この場でも穏やかの表情を保っていたクレアの顔が、少しの焦りに歪んでいるようにも見えた。

「宰相閣下は……とても、優しい方です」

 その絞り出すような声を聞いて、シオンは驚く。

 そんな彼女の声は、ほとんど聞いたことがなかった。

「私には、閣下への恩義がある。様々なものを……いや、私の力を捧げなければいけないんです」

 様々なものを、捨ててでも。その言葉を飲み込んだのは、迷いなのか彼女の優しさなのか。

「同時に、私は正規軍に属している。帝国政府の意向に従うのが、軍属たる私の務めです」

「軍属としても、個人としても、付いていくと?」

「はい……っ」

 様々な迷いや葛藤があっても、固い決意は変わらない。彼女のことをよく知るシオンはそれを悟る。

 軍人としての判断力があり、人を思いやることのできる彼女の決意を変えることはできないのだ。

 シオンは溜息をついて、それでも微妙な笑顔を作った。

「判ったよ。お前にも、お前なりの考えがあるってことは」

「シオンさん」

「学生時代のよしみだ。悪いようにはしないでやる」

 少なくとも、シオンが危険視する鉄血宰相のことをクレア自身が理解している。鉄血についていくのかという問い、その答えも理由も受け取ることができた。

 別に自分は人を支配できるわけではないと、シオンは考える。そんな自分ができることはせいぜい自分の目的のために、帝国が極端な選択をしないために奔走するだけだ。

「久しぶりに、リーヴェルトと話すことができたわけだしな」

「ふふ……」

 ほんの少しぶりに、クレアが笑った。不意に出たそれに、思わずシオンは言葉に詰まる。そのせいか、すかさず飛んできた彼女の問いかけに、シオンは思わず頷いてしまった。

「それでしたら、今度の夏至祭……是非協力をいただけませんか?」

「……ああ」

 自分は貴族派、目の前の将校は革新派。信念を掲げて、完全な信奉でない疑問や葛藤を持ちながらそれぞれの組織に属している。

 それでも有角の獅子紋を継ぐ者として、ただ時代に流されるだけではない。二大派閥の典型的な行動でない、そのどちらも融和できるような道を探りたい。

 だからこそ。世の礎たるために、自分は革新派であるクレアの依頼を受け取るのだ。

「ったく、せっかくオルディスに行くために取っておいた有休を使うんだ。少しは感謝しろよ?」

 緊迫した空気も、不意打ちに対する忘我も通り越して、青年はやっとシオン・アクルクスらしい不敵な笑みを思い出す。

 氷の乙女もまた、クレア・リーヴェルトらしい、柔らかな微笑を浮かべるのだった。

「ええ。ありがとうございます」

 

 






前書きにあるように、閃の軌跡Ⅳクリアしたので帰ってきました。
またぼちぼち、亀更新で当作品や別作品を投稿していこうと思いますので、よろしくお願いします。

気が向いたら(閃Ⅲの時は放心して書かなかったけど)閃Ⅳの感想を活動報告に上げようかなあ……


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10話 緋の帝都へ

 

 

 七耀暦千二百四年、七月上旬。帝都西郊リーブスに存在する宿酒場バーニーズ。

 夜の酒場の丸テーブルの一つにSUTAFE八班の面々が集まっている。

「ほえ……帝都の夏至祭に行くだって?」

 店主とその娘が作る料理に舌鼓を打ちつつ、不意に明かされた親友の予定にケイルスは首をかしげた。

「ああ。今度、有休を使ってな。少し急な話だったから取るのには苦労したよ」

 シオンは少しばかり疲れた口調で呟く。同じ八班メンバーであるサハド、レイナ、フェイもまたケイルスと同じように、突然の報告に不思議そうな顔つきになる。

 六月初めにエラルドとの兵棋対決、その二週間ほど後にクレアとの接触があった。そこから二週間、シオンは氷の乙女との約束を果たすべく自らの勤務調整を行っていた。

『帝都の夏至祭にて活動が活発化されると予想される、反乱分子の摘発に協力してほしいんです』

 クレアはそう言っていた。

 エレボニア帝国に存在する夏至祭。それは帝国各地で主に六月に行われる精霊信仰などを基にした祭事だ。正確な起源などはややぼやけているものの、いずれも地方ごとの風習に則り風光明媚な雰囲気が楽しめる。しかし帝都の夏至祭のみ、二百五十年前の帝国最大の内紛である《獅子戦役》の終結の祝賀を兼ねて一月遅れの七月に開催されている。

 今年の夏至祭は七月二十六日からの数日間。そこにおける謎の反政府勢力の抑止に協力する。それをクレアは求めていた。

 シオンの一通りの説明を聞き終えた年長者サハドは、むしろ話の内容よりもシオンの動向に注目する。

「ははぁ。この前の休暇珍しく班長が朝からいないと思ったら、帝都に行っていたとはなぁ。しかもあの氷の乙女との密会と来たもんだ」

 シオンはばつが悪そうに料理を口にした。

「別に、トールズの同級生だったってだけですよ。大したことじゃない」

「でも、その割に俺は何も呼ばれなかったけど」

「ケイルス、お前は忘れられてたんだろ」

「ふざけるなシオン、お前クレアちゃんに呼び出されたからってなぁ!」

 そのケイルスの道化のような怒り具合に、唯一女性であるレイナや怠け癖のあるフェイも笑わずにはいられなかった。

 SUTAFE発足から三か月。新天地リーブスでの勤務にもなれた八班のメンバーは、こうして休暇時に宿酒場で集まることが多くなりつつあった。貴族派である四つの領邦軍から集められたSUTAFEメンバーの中で、幸運にも頭の柔らかい人間がそろった八班は、念長者のサハドと調子のいいケイルスを筆頭に、馬鹿騒ぎの好きなシオンと意外にもそれに楽し気に聞き入るレイナ、さして興味もなく受け入れるフェイと笑い話に花を咲かせることが多かった。

 もちろん、真面目な話をするときもある。決して多くはないがシオン班長を中心に日々の業務の反省をすることも、四州を中心とした領邦の時事に注目することも少ないがある。

 だからシオンがこうして真面目に話をすることは決しておかしくはなかったのだが、それでも急に休暇を貰って革新派の将校と行動を共にする予定を入れたというのは不思議なことこの上なかった八班メンバーたちだ。

 レイナが穏やかに口を開いた。

「まあ、私たちは先に確認したとおり、極端な右派でも左派にもならないことを努力していますから、クレア大尉に協力することを頭ごなしに否定するわけではありませんが……」

 フェイがぶっきらぼうに引き継ぐ。

「それでも、もう少しぐらい理由は教えてくれてもいいんじゃない? 一応、信頼できる同僚だと思うけど。少なくとも、隊長たちやローレンスとは違ってね」

 ケイルスが加えた。

「ま、あとは独断専行していることについてもな。俺たち八班が協力できることはなかったのか……ってサハドさん別にクレアちゃんに会えないのが悔しいわけはないですからねぇ!」

 ケイルスの泣き言はさておき、シオンは改めてクレアとの会話の内容を仲間たちに伝えていく。

 夏至祭で協力する。その約束を取り付けた後にも、シオンはクレアとの情報交換にいそしんだ。

 四月のケルディックでの出来事。クレアにシオンたち、そしてトールズの少年少女にも邂逅した大市屋台の破壊事件。それ以外にもここ数年の政府にたてつくような妙な事件の数々。

 その事件は、どれも平民や革新派の人間に被害を被るようなことばかりで、素人でも少し考えればとある可能性に行きつく。つまり、革新派を嫌う者たちが起こしている行動だということに。

 クレアが属する鉄道憲兵隊とも距離の近い組織に、帝国軍情報局というものがある。帝国政府直属の組織であり、国内外あらゆる組織の情報統合を行い工作をする組織だ。

 その情報局がこれまでの符号を基にした判断。それは、革新派──特に鉄血宰相を謀殺しようとする怪しげな連中がいるということ。そしてその者たちが公に動く可能性が高いのが、この七月の夏至祭だということだった。

 シオンはその怪しげな連中のことについて、嫌な情報を付け加える。

「で、ここからが俺が皆……というかSUTAFEを巻き込みたくない理由なんだけど。革新派を嫌う過激な暴力集団、貴族のお偉方の目にはどう映るよ?」

 班長の話を聞く四人は沈黙した。サハドとレイナはシオンが話している最中から、こういう話で勘づくのが遅いケイルスとフェイもさほど時間をかけずに気まずげな顔つきになっていく。

 答え合わせをしたのはケイルス。

「体のいい対革新派の戦闘部隊ってとこか。しかもどれだけ過激なことをしても、表向きは貴族派に罪が行くことはない……」

 少しばかり悲し気にレイナが言う。

「貴族派の筆頭、カイエン公爵が統括するラマール州では、過去にも猟兵が代理戦争をしていた、ということもありました。供給するものが金銭から兵装の類に変わるだけなら、十分あり得ることだと」

「そうか、レイナはラマール領邦軍からの出向だったな」

 サハドは納得した。彼が属していたサザーラント領邦軍の当代統括者であるハイアームズ侯爵は、四大名門の中でも特に清廉な人物なので、最近のサハドにとってはなじみのない感覚なのだろう。上の人間がそのような悪事に手を染めることは。

 あまり信じたくないことだ、自分たちの領邦軍の統括者の悪事は。

 そしてその信じたくない予想が現実となっていてもおかしくないのが、現在の帝国だ。

「この予想が真実だとして。当然四大名門の手足たる領邦軍は微妙な立場になる。各領邦軍から出向しているSUTAFEもだ。そんな状況でこの八班が騒ぎを起こしてみろ、四月の大市での事件以上に面倒な雰囲気になること安請け合いだ」

 シオンが配慮した、大市での事件の犯人の処遇。あれのおかげで多少は大目に見られたが、下っ端の同僚はともかく上層部やエラルドなどの典型的な貴族派からは、早くも八班は異端児として見られつつある。問題児まで悪化していないのは幸いだが。

「その点、俺がただ単に名無しの一般人として動くだけならまだやりやすい。そもそもが、リーヴェルトの非公式な依頼っていう遊撃的な立ち位置だからな」

 加えて言えば、夏至祭の数日間は四州では通常業務の日だ。現実的にも八班全員が有休をとるのは困難だった。

 一通りの説明を終え、一応は納得してもらえたらしかった。貴族派と革新派に対して、同じ価値観をもつ者同士。暗躍する者たちに対して自分が立ち向かえないのが釈然としないが、領邦軍はほとんどその立場を発揮できない帝都圏での要請なのだから。

 観念したのか、ケイルスはシオンのグラスに酒を注ぐ。

「まあいいや。代わりに、事が終わった暁にはちゃんと報告をしろよ?」

「……ま、考えとくよ」

 エラルドとの対決の時と同じく、どこか優し気に見送ってくれる親友の言葉に、シオンは頬を掻いて答えた。

 一先ず、今後の行動指針は報告し終えたのだ。後は和やかに、食事をとって、世間話に花を咲かせるのみ。

 リーブスは帝都近郊だけあってそれなりの人口がある。またSUTAFEの詰め所がリーブス近郊に建てられてからは、この宿酒場にはSUTAFE兵士が訪れることも多かったのだが、偶然にも今はシオンたちのほかに数人の住民しかいない。それ故に気兼ねなく愚痴なども漏らすことができていて、公平な店主とその娘は何も言わずに接客を続けている。

 そんななか、世間話や時事のニュースなども話し終えたサハドは、再び下世話な話を繰り出してきた。

「で、話を戻すが、本当に大尉さんとは何もなかったのかい?」

「戻さないでくださいよ、サハドさんも好きですね……」

「それでも、気になるじゃないか。口は軽くても行動はお堅い班長殿が入れ込む大尉さんと、一体どんな関係だったのか」

 その顔は調子のいい父親のごとくにやけた顔つき。

「や、別に何でもないですけどぉ」

 シオンはどもる。その様子はシオンとの付き合いが短い三人にとっては興味をそそられる様子なのだが、そもそもいつもそれなりに抜け目ないシオンは自分がクレアの話になると慌てていることに気づいてなかった。

 そこでケイルスが一言言った。

 完全に唐突な言葉だった。

「入れ込むのも仕方ないですよ。こいつとクレアちゃん、学生の時は恋人関係だったし」

 即座にシオンはケイルスの鳩尾に拳を叩き込んだ。動きにくい椅子の上では考えられない、達人のような身のこなしだった。

 声も出ずに倒れるケイルスを視界の端にとらえ、シオンはサハド、レイナ、フェイの三人をちらりと見た。

「……」

 三人とも沈黙していた。

「……」

 そして、次の瞬間。

『うぉぉおおええええ!?』

 その日、リーブスにいた人間は魂が震えるような絶叫を聞いたという。

 

 

 

 

────

 

 

 

 

 そして、時間は流れる。七耀暦千二百四年、七月二十五日、夜。

「あー……疲れた」

 リーブス駅で乗り込んだ夜の導力列車、人気のない車内でシオンは、ため息をつきながら大仰に席に座りこんだ。

 本日の訓練をを普段の半分の労力で乗り切り、訓練後の雑務を普段の二倍の速度で終え、ついでに八班の面子にもいくつかの業務を頼むというハードスケジュールだ。なかなか疲れるものがあってしかりだった。

「けどまあ、これからの数日間はさらに疲れるんだよなぁ」

 シオンを乗せた列車は大陸横断鉄道。しかし降りるのはクロスベル州でなければ共和国方面でもなく、目と鼻の先の帝都だ。

 その原因は言うまでもなく、クレア・リーヴェルトの要請によるもの。

 だがそれも、好都合だった。革新派と貴族派、両派閥による闘争の行きつく先を見届けるには。

 シオンは気持ちを切り替え、列車の中から見える夜の草原を見る。リーブスから帝都までは三十分弱。考え事をするには少しばかり物足りないので、気疲れをとる程度で十分だろう。

 やがて三十分が経つと列車は緩やかに止まった。シオンは数日分の簡易な旅装とミラなどを詰めた鞄を持ち、帝都中央駅へ降り立つ。ちなみに武装は護身用の拳銃一つだ。許可もない一般人が人ごみの中で剣を携えるのはやりづらいため、銃だけで我慢した。

 合流場所に指定されたのは帝都駅前広場なので、迷うことはない。学生時代は何度か帝都に繰り出したこともある。

 そして駅前広場に出る。時間帯は夜だが、しかし場所は帝国どころかゼムリア大陸でも最大級の人口を擁する帝都で、さらに人が集まる夏至祭の前日。それなりに人は多かった。

「失礼ですが、シオン・アクルクス殿でお間違いないでしょうか」

「ん?」

 目立たぬよう広場の端で待っていると、正面から声をかけられた。

 聞こえた精悍な声に違わぬ男性は、優し気な風貌のくせしてかなり鍛えられた体つきで、灰色の軍服を纏っている。その時点でTMP隊員だとわかり、自分の名を呼んだことからも誰の差し金できたかは容易に理解できた。

「ああ、そうだ。そういうアンタは?」

「失礼……鉄道憲兵隊所属、エンゲルス中尉であります。リーヴェルト大尉の命により、アクルクス殿の案内役として参りました」

 見本的な敬礼と共に、互いの関係性を考えるとずいぶんと和やかな態度。シオンはいたずら心が働いて、悪魔のような笑みを浮かべながら言い放った。

「へぇ、そりゃどうも。シオン・アクルクスだ。アンタらの商売敵、SUTAFE八班リーダーだ。よろしく頼むよ」

「存じております。しかしこの一件に関しては協力者同士……どうか部下の前では、言葉を選んでいただけると」

 シオンは手をひらひらと振る。試すような態度で悪かったと、降参の意思伝達。

「こりゃ失礼。……いや、領邦軍のお偉方とは違って冷静なんだな。立場がどうあれ、いい付き合いができそうだ。よろしくお願いするよ」

 二人は互いに右手を差し出した。そして握手を交わす。

「ええ、こちらこそ。それでは、ご案内させていただきます」

 そう言って、エンゲルス中尉は歩き始めた。

「ここから移動するのか。……つっても帝都中央駅がそもそもTMPの本拠地だったな」

「ええ。作戦会議室までご案内させていただきますので。先客もいますが、それほど遅れはしないでしょう」

「先客?」

 建物の中に入ると、そこにはエンゲルス中尉と同じく灰色の軍服を着た隊員がちらほらといる。彼らは職務に忠実な様子だが、さすがに私服の男がいきなり中尉と歩いているのは珍しいのか多少は視線をぶつけられる。

 狭い通路や、途中にすれ違う傍から見ても優秀な隊員たち。それらの様子を記憶しつつ、さほど時間をかけずに目的の場所までやってきた。

「こちらになります」

 目の前には作戦会議室の扉。中から雑多な足音や椅子を引く音が聞こえてくる。どうやら中にいるのはクレアだけでなく、他にも何人か会議に参加する『先客』がいるようだった。

「ああ、案内ありがとう。中尉はこれで?」

「ええ、私はあくまで案内役にすぎませんので」

「そっかー。同じ下っ端、気が向いたら飲みにでも行こうぜ」

「ははは、考えておきます。……では」

 エンゲルス中尉が離れる。近くには誰もいないので、会議室の向こうの人間たちを除き、シオン一人となった。

「……ま、行くか」

 少しばかり頬を掻き、一泊深呼吸を入れてから扉をノック、返事を待たずに煩雑に開けた。

 扉を開いた瞬間、感じたとおりの少なくない人数からの視線。シオンの視界に入ったのは、()()()()である水色の髪の女性と、そしてどこかで見たピング髪の女性。

「……お?」

 妙齢の女性二人はホワイトボードの前に経っており、シオンの存在を確認した後こちらに声をかけてくる。

「あら」

「来てくれましたか、シオンさん」

 会議室の中に入り、ああ、と相槌を打とうとして、二人以外の若者が席に着いていることに気が付いた。

 その夏使用の白シャツという制服には見覚えしかない、何しろ母校のそれと全く同じなのだ。

 さらに、若者九人の中には記憶に新しい四人がいるのも気づいて、驚いた。

「あれ、君たち……」

「貴方は、ケルディックの……」

「シオン准尉ですか!?」

 金髪美少女アリサが勘づき、そして黒髪のリーダー格であるリィン少年が驚く。ラウラにエリオットも同様だ。

 逆に、見覚えのない少年少女もいた。背恰好が対照的な二人の少女に褐色肌の偉丈夫、緑の髪の理知的な眼鏡少年に金髪の美少年──

「んん?」

 シオンは訝し気に、目に留まった金髪美少年を見る。

「なんだ?」

「いや、君……どこかで出会ったことない?」

「は?」

 沈黙。いや、自分はこの少年を知っている気がするのだが。しかも、色々嫌な予感がするのはなんでだ。

 少しばかり顎に手を当て沈黙するが、すぐに後ろに控えているクレアが咳払いをしてきた。シオンは気を取り直し、言う。

「いや、失礼……まずは自己紹介しとこう。もう知っている人もいるだろうが、シオン・アクルクス、領邦軍・四州連合機動部隊に所属している」

 どの道、クレアがここにリィンたち七組を読んでいるということは、彼らも道程は違えど自分と同じ立場なのだろう。なら、どうせ後で話し合う機会はある。

「君たちのことは、後で聞かせてくれ。トールズ仕官学院、特科クラスの後輩君たち」

 そういって、変わらず金髪の美少年に謎の圧迫感を感じながらも、シオンは手ごろな壁際に置かれた椅子を出して座った。

 その様子に、シオンを知る四人は驚きつつも受け入れており、知らない五人は私服姿の自称軍人に物珍しさを覚えながらも、それでも他の人の様子から一先ずは女性将校の話を聞くべきだと、視線を直す。

「予定した全員が集まりましたね」

 全員の素性を知るクレアは唐突に生じた帝国由来の主従関係故の態度と、頭で気づいてないのに体が反応しているシオンの様子に妙な懐かしさを覚えて、そして少しだけ溜息をついてから語りだした。

「ではこれより、夏至祭初日における対テロリストを想定した哨戒・遊撃活動の要請につて、ご説明させていただきます」

 その言葉に、最初に緑髪の少年が驚いた。

「テ、テロリスト!?」

 その様子にシオンはおや何も聞かされてないのかと感じたが、考えてみればまだまだ学生だということも思い出した。

 クレアは続ける。

「ええ、そういった名前で呼称せざるを得ないでしょう。ですが目的も、所属メンバーも、規模と背景すらも不明……名称すら確定していない組織です」

 そこから話されたのは、先日クレアがシオンに説明したものと概ね同じであり、学生を対象としてもう少しかみ砕いて説明したものだった。

 実際は情報局の推論からもう少し目的等の予想は立っているのだろうが、今は秘匿性も考えて不明、不明、不明の連続らしい。しかし少なからず判明しているものから、クレアは鉄道憲兵隊大尉として要請する。リィンたち特科クラス七組の二班──どうやらA班、B班の二班に分かれているらしい──、そしてシオンに、夏至祭の目まぐるしさ故に鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊でカバーしきれない穴を埋める遊軍としての役割を。

 途中、シオンとしては助かる情報をリィンたちが漏らすこともあった。

「ノルド高原において紛争を引き起こそうとしたあの男ですね」

「そなたたちがノルドの地で出くわしたという男か」

 言葉の端々から察するに、リィンと数名が帝国北東にある共和国との係争地ノルド高原に赴き、テロリストという判断に値する所業を起こした男と遭遇したようだ。国外での時事の詳細はSUTAFEでは得られにくいので、『共和国と一触即発となった六月の件にテロリストが存在している』ということを知れるのは助かるが、シオンは察しながら誇らしいような呆れるような心地になる。

(軍人でもない学生に何首を突っ込ませてんだよ……そういう馬鹿は嫌いじゃないけど)

 トールズのカリキュラムはただでさえ忙しい、在学中に旅行で行けるわけないだろうから、この間のケルディックと同じく独自のカリキュラムで動いているのだろうが、これは今度世話になったヴァンダイク学院長にも挨拶せねばならないようだ。

 ともかく、件のテロリストが動く可能性が高いのが、明日の夏至祭初日。テロリストという存在についてさも当然のように語る銀髪の少女にも驚いた。さらに、クレアの隣に立つピンク髪の女性の素性にも。

(はー、かの紫電(エクレール)がこんなとこにいるとは)

 サラ・バレスタイン。支える籠手の紋章を掲げて、護衛や魔獣対峙など様々な依頼を請け負う民間団体、遊撃士協会。その帝国支部に所属し名を馳せていた女性だ。若くして協会トップクラスの称号を得て、その洗練された独自の戦闘力を駆使して帝国を駆け回った。帝国の武について精通しているわけではないが、割と有名なので名前と彼女の名と通り名は知っていた。

 だが、遊撃士という存在自体が一年ほど前から聞かなくなったので、今この場にいたから何がある、というわけでもないが。どちらかと言えば彼女がネチネチとクレアに恨み言を言うのを見て、学生の前で大人げないことすんなよとシオンは嘆息する。

 サラが発言したとおり、今帝国の遊撃士の活動は完全な下火な状態。そんな便利屋が活動していない以上、その代わりを誰かが担うのは半ば必然だったわけで。

「七組A班、テロリスト対策に協力させていただきます」

「同じくB班、協力したいと思います」

 リィンとアリサが──それぞれの班のリーダーらしい──順当に言った。テロリストという言葉にも同時ない、頼もしい少年少女たちだ。ケルディックとノルド高原の他にも、それなりの修羅場をくぐっているのだろう。

「ありがとうございます、皆さん」

 クレアは目を瞑り、そしてシオンを見据えてきた。

 何かを言う前に先に口を開く。

「俺は前に話した通りだよ。一人だけだが、どうぞこき使ってくれ」

「……判りました。協力、感謝します」

 今更協力することに迷いはない。この一見に首を突っ込むことで、貴族派と革新派の諍いという予感に何かの答えを得ることができるのなら。

「では早速、担当していただく巡回ルートについての説明を──」

 クレアの言葉に耳を傾ける。

 その傍ら、シオンはいつの間にかリーブスを出たころの疲労感が消し飛んでいることに気づく。

 一言で語れないことがあったとはいえ学生時代を共に過ごした同期と、そして後輩たちの精力的な活動を見られて、自分も若さを刺激されたのだろう。

 唐突に反芻される、親友の言葉。

『シオン、お前何でクレアちゃんをリーヴェルト呼びなんだよ?』

 一度は付き合ったことのある相手。思い出すのも億劫な気まずいこともあったのだが、あの頃の自分は今の現実的な考え以外に、希望的な若者らしい気力もあった。

 今も昔も、自分の行動指針は変わっていない。それでも、今はたまたまSUTAFEに異動したことで能動的に動けるようになったが、一時期は領邦軍の空気になじんでいたのも事実だった。そのまま二大派閥の闘争が行きつくとこまで行きついた時に、自分がどんな行動をとれるか判らない程度には。

 いつも世の中を変えるのは、馬鹿者とそして若者だ。堅実的な人間から見れば馬鹿者だと言われる自信はあるが、若者と言われる生気は少々減ってしまったようにも感じる。

(……戻すか、『クレア呼び』に)

 彼女の性格を考えれば、別段呼び方を変えて不機嫌になるということもないだろう。

 ならまず、自分を少しだけ変えてみよう。ささやかな自分の目的のために、世を変えるような予感を持つ少年少女(リィンたち)の横に並ぶために。

(また何かをしたくて戻すわけじゃないからな、ケイルス)

 心の中で親友に向かって毒を吐く。それが言い訳だと認めるのには、もう少し時間がかかりそうだった。

 

 

 







サクサク進んでいきます


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11話 帝国の未来を憂う者

 

 帝都中央駅前の小広場。さすがに一部の物好きを除いては我が家に帰している頃合い、導力灯の明かりだけが頼りの薄闇の時間。

 シオン・アクルクス、クレア・リーヴェルト、そしてトールズ仕官学院特科クラス七組の面々は、帝都夏至祭における応援要請の説明を終えて鉄道憲兵隊の詰め所を辞した所だった。

「特科クラス七組か……随分と前途有望な子たちが集まってるみたいだな」

 シオンは隣を歩くクレアに、自分たちの目の前で親しげに言葉を交わす学生たちを見やる。

「ええ。そもそもの経歴も癖がある子たちばかりですが、それ以上にこの実習での経験や仲間とのぶつかり合いが大きいのだと思います」

「帝国全土を股にかけての特別実習……頼もしい反面、大人としては後追う後輩に問題を先送るのは苦しいと思わないか?」

「……否定はしません」

 学生たちや今は七組の専任教官となっているサラ・バレスタインから聞いた。特科クラス七組とは最新型戦術オーブメントであるARCUSの試験運用と、月に一度帝国各地に赴いて課題を受けつつ現地の生の情報を知る特別実習、この二つを目的としたクラスであるらしい。

 四月のケルディックの一件に先ほど聞いたノルド高原の件も、そして今日帝都にいることも、全て特別実習に起因することのようだ。

 また普段のシオンならば面白がるのだが、難儀なことにクラスの人選に平民貴族の基準は取り払われているとのこと。クレアが言った『経歴に癖がある』とは平民貴族の違いとは別の括りも含みそうだが、それでも彼らには同情を禁じ得ない。

「そういえば、シオンさんが気にかけていたレーグニッツ帝都知事の御子息もいますね」

「まじかよ……謝っとこ」

 このクラスにいることで得る経験には、良くも悪くも大人たちのただならぬ意図があるのだろう。それでも『世の礎たれ』という学院創立者の言葉を信じるなら、彼らには大人たちの勝手な思惑など気にせずに自らの糧としてほしい。

 恋に、部活に、友情に。甘酸っぱい青春を謳歌してほしい。

「さて……大人は大人で、しっかりしなきゃな」

 シオンは軽く頬を叩いた。思考を内から外へ変えると、夏とはいえほんの少し冷える帝都の夜。

 シオンはクレアを見る。

「明日の朝、もう一回作戦本部に顔をだす。バレスタイン教官もいるだろうから、そこで最終確認でいいな?」

「はい。改めてよろしくお願いしますね、シオンさん」

「ああ、そんじゃあな……()()()

「――」

 呆けたような女性将校の顔が見えた気がするが、それよりも先に自分が彼女に背を向けた。

 何アージュか先でこちらを見ている学生たちまで歩き始めて、滑らかな声をかけられる。

「ふふっ。おやすみなさい、シオンさん」

「……おう」

 ブーツが翻る足音。カツッカツッと、やがてそれは小さくなる。聞こえなくなると同時、自分も学生たちの目の前までやって来た。

「やあ。突然の乱入だったけど、歓迎してくれてありがとね」

「いえ。お久しぶりです、シオン准尉」

 こちらの声に反応したのは、まず五人だった。声を返してくれたのは黒髪の剣士リィン、橙髪の優し気なエリオット少年、凛とした佇まいの青髪の少女ラウラ。そして銀髪の幼げな少女に、緑の髪の理知的な眼鏡男子。確か、今日の会議ではA班だった。

 学院規定の入学可能年齢さえ下回っていそうな銀髪の少女もいるあたり、ますますこのクラスのある種の異常性を再認識できる。最もこんな状況でも平然と猫のような目をこすっているあたり、彼女の器も計り知れないが。

「お兄さん、ずいぶんクレア大尉と仲良さそうだったけど」

 シオンののどが詰まる。何かと言い訳をする前に、流れるようにラウラが割り込んだ。

「確かトールズの同窓生と仰っていましたね」

「あ、ああ。だから別にどうってわけでもないが。えっと、君は……」

 すかさずエリオット少年が。

「でも、シオン准尉は領邦軍の人なのに、よくクレア大尉に協力ができますよね」

 そうすると、こちらが説明をする暇もなく眼鏡少年が。

「確かに……SUTAFEでしたか。TMPに対抗するように、帝国の各地で動いていると言われていますが」

「ああ、そういえばパルムでもいたね。緑の軍服の領邦軍兵士が」

「僕とラウラはセントアークでも見かけたよ」

 若者らしく仲睦まじい様子で、帝国各地の情報を語る。まだまださわり程度の内容だが、それでも特科クラスでの日々が彼らを成長させているのだろうか。

「明日は一緒に哨戒をするとも限らないけど、改めてよろしく頼むよ。名前を聞いてもいいかな」

 その言葉は、当然ながら銀髪少女と眼鏡少年へ向けている。二人は順当に答えた。

「フィー・クラウゼル。フィーでいいよ」

「マキアス・レーグニッツです。よろしく、お願いします」

 フィーはどこかけだるげに。対して、マキアスはやや固い声だった。その理由も彼の姓を聞けば納得だ。

「そうか。君がレーグニッツ帝都知事の」

「え?」

「俺はクロイツェン領邦軍の出身なんだ。五月末の件はSUTAFE経由で聞いている」

 エラルドとの喧嘩の原因となった、マキアス・レーグニッツのバリアハートでの拘束事件。どのような理由があれ現時点で政争とは無関係な少年に手をかけるなど、あってはならないことだ。たまたま帝国のクロイツェン州だったから何事もなく終わっているが、本来は司法の争いに発展する可能性すらある愚行。

「許してくれとは言わない。ただ、身内の愚行を謝らせてくれ」

 少年に向かい、頭を下げた。身勝手な行為だとわかっていても、そうせずにはいられなかった。

 対するマキアスは、怒りだけでない、意志が込められた声で返してくれる。

「……僕は正直、貴族というものを許すことができないでいました」

 シオンは顔を上げて、マキアスを見る。

「けれど、今は違う。貴族の中にもいい人もいる。答えをすぐに出せる訳じゃないけれど……後悔のしない選択ができれば、と思います」

 普通であれば怒りを通り越して恨みを覚えても不思議ではない経験をしたのに、そもそも貴族を目の敵にしてもおかしくはない立場なのに、それでも前を向こうとしている。マキアスからすれば、シオンという人間は貴族派の軍人なのに。

 そしてそんな彼を見る仲間たちは、頼もし気な表情だ。

「……そうか。そう言ってもらえると、先輩としても頼もしいよ」

 これも彼らがわずか四か月にも関わらず特科クラスにいることで手に入れることができた財産なのだろうか。自分もトールズで一部の貴族生徒と友好を交わすことはできたが、それまでには喧嘩にクラス単位での戦争騒動に、部活対抗戦……などなど、仕官学院にあるまじき抗争を起こしたものだ。そうして二年生の半ばごろに、やっと仲間である自覚ができたというもので。

 なお、抗争はシオンとケイルスが焚き付け、楽しむだけ楽しんでから逃げだすということもしていたし、その様子を同じクラスだったクレア含む平民女子生徒に見つかり灸を据えられたこともあった。

 気を取り直し、シオンは残るB班の少年少女にも名前を聞いて回った。やはりケルディックで顔を合わせた金髪の少女アリサは別にして、例のノルド高原からの留学生だというガイウス、クラスの委員長を務めるという才女エマ。やはり一癖も二癖もある人選のようだ。

 そして最後、鉄道憲兵隊の作戦会議室で多少問答をした金髪の美少年に名前を問うたところで、それは起こる。

「それで、君の名前は?」

「ユーシス・アルバレアだ」

 シオン、沈黙。その真相を気づいたエリオットやマキアスが「あっ」と声を上げる。

 シオンは、無表情で続けた。

「……うん、ごめん、風が吹いて聞こえなかった。もう一回いいかな?」

 金髪美少年は、めんどくさそうにもう一度。

「……ユーシス・アルバレア」

「すまない、どうかもう一度」

 とうとう苛ついた表情を隠さない美少年は、自らの身分を一語一句漏らさずにご丁寧に述べようとする。

「……クロイツェン州領主アルバレア家の──」

「うわぁー! なんでユーシス様がいるんです!?」

 即座に姿勢を正し、気安い関係を作ろうと保っていた距離を遠ざけた。直立不動となり、自分が私服でいることすら忘れてクロイツェン領邦軍シオン・准尉としての礼を正す。

 対して、アルバレア家次男坊は平然とした様子だ。

「フン……今は実習中の一生徒だ。それに貴様が今所属しているSUTAFEは、クロイツェン領邦軍の括りから外れているのだろう」

「……いや、でもですね」

「そもそも、貴様自身が後顧の憂いを断つために一般人として振る舞っているのだろう」

「まあ、そうですけど……」

「ならばその様に振る舞えばいい。それとも、先ほどレーグニッツに真摯な態度を見せたにも関わらず、やはり領邦軍兵士は柔軟な態度ができないというのか?」

 風当たりが強いが、しかし芯の通った言葉にシオンは目を丸くした。

 妾の子。それがアルバレア家におけるユーシス次男坊の立場だ。クロイツェン領邦軍全員というわけではないが、上層部や一部の兵士であれば知っている事実。現アルバレア家当主ヘルムート・アルバレアの息子への態度は、帝国の社交界で注目を集める嫡男ルーファスと比べてユーシスに風当たりが強いことも聞いている。

  だからこそ、今まで写真でしか見たことのない少年のことをひねくれた性格ではないのかと予想していたが、どうやらその考えは改めたほうがいいらしい。

「判りました、判った。よろしく頼む、ユーシス」

「……フン」

 そのぶっきらぼうな態度にも冷や汗をかくが、この少年が父親たちに自分のことを洩らすというのもしないように思えた。

 それよりも、今のユーシスの発言により小言を放つマキアスを見て戦慄する。

(帝都知事の息子と四大名門の御曹司がいるとか……うわぁ、この組み合わせ考えた人、相当な変態だぞ)

  この時、同じ帝都圏で『変態』と罵られて喜ぶリュート弾きがくしゃみをして妹にたしなめられたのだが、それはまた別の話。

「ま、それじゃあ明日に備えてちゃっちゃか休みましょう」

 そう、纏まりなく世間話を続けていた一同の尻を叩いたのは、サラ・バレスタイン教官だった。

「明日はよろしくお願いするわね? シオン・アクルクスさん」

 後輩たちとの談笑を終え、シオンは身を整える。この数歳年上の達人もなかなか話せる人物ではない。なんせ、一兵卒の自分など十人が束になっても勝てない実力者なのだ。そして遊撃士としてのランクが、彼女の守備範囲が戦闘分野一辺倒では終わらないことを示している。

「ああ、よろしくお願いしますよ、紫電のバレスタイン教官。貴方の学生さんに随分と嫌な思いをさせた領邦軍兵士で悪いですけどね」

「そうと思うのならお仲間やお偉方に釘を刺して頂戴な」

「うーん、善処しましょう」

「ま、個人的にはあっちの女性将校にもっと嫌味を言いたいから大丈夫よ」

 あくまで余裕を崩さず、紫電はクレアが去った詰め所に目を向けた。そういえば、帝国遊撃士の勢いが止まったのにも色々と陰謀劇があったと囁かれているが。

 いずれにせよ、サラはクレアのことをあまりよく思っていないらしい。

「まったく、都合よく利用してくれちゃって。お仲間の情報局みたいに陰気に動いてくれればこっちも叩きがいがあるってのに」

「あのー、バレスタイン教官? 後輩の教育に悪いのでどうかその辺に……」

 彼女の生徒たちを見れば、気にしない者もいれば「またか」と呆れた表情の者もいた。その瞬間シオンは彼女の扱い方を察する。

(要所はともかく、普段はまったく尊敬できない人だこれ)

 紫電もとい!可哀想な年上のお姉さんの苦言は続く。

「それになによ、《氷の乙女》とか。どうせ男性経験もないんじゃないの?」

 それは……彼女のことを知らない領邦軍兵士からも聞かれる野次だ。

「あー、うん、そうだな……」

 あまり多くを語るのも恥ずかしい気がしたので相槌のみの返答。しかしそれは悪手だったようで。

「なによその返事」

「え、あー、まぁ……」

 濁していると、生徒たちの中から助け船が

「サラよりもクレア大尉が経験豊富なの知ってて気まずいんじゃない?」

 銀髪猫目なフィーの言葉。さらにユーシス次男坊の追撃。

「経験がないなどと、教官殿が言えるかも怪しいものだな」

 おいおいこの坊っちゃん意外と面白いぞ、などと思うがそれよりも。

「あ、アンタたちねぇ! 学院に帰ったらしこたま訓練させるわよ!?」

 既に頼れるお姉さん像は崩壊している。フィーたちの言葉でなんとなくその理由を察したが、こういう時経験のない若者は恐らく容赦ない。同じ大人として、フォローを入れるべきだと思った。

「えーっと、バレスタイン教官。今度飲みに行きましょう」

「アンタが言うなっ!」

 どうやら、もう遅いらしかった。

 

 

 

────

 

 

 

 その日、シオンは帝都にある手ごろな値段のホテルに泊まりこんだ。夏至祭開催の前日であり、帝都入りを決めたのも比較的最近であることから条件のいい宿泊施設は軒並み予約済みだったが、元々観光目的できたわけでもないのでそこは我慢する。

 そして、夏至祭一日目はやってきた。

 早朝に宿を後にし、一通りの荷物をもって鉄道憲兵隊の本部へ。既に隊員たちに自分の顔は知られているらしく、全員が歓迎してくれるわけではなかったが、それでもクレア率いる舞台らしく無用な騒ぎは起こさないという様子が見て取れた。

 作戦会議室には、クレアやバレスタイン教官、さらに補佐役らしいエンゲルス中尉の姿もいた。七組の学生たちの姿はなく、彼らはすでに市街で東西に分かれ哨戒をしているようだ。

 今日の作戦の最終確認を行い、サラとクレアの間に微妙な空気が流れているが、それはエンゲルス中尉と男二人で諫めた。

「それじゃ、TMP(鉄道憲兵隊)HMP(帝都憲兵隊)が情報局の推測を基に重要視した場所と皇族が訪れる場所を、七組が東西の穴をカバーする。対して俺は観光客に紛れて皇族のルートと、さらに七組をカバーする。これでいいな?」

 シオンは自分の純粋な戦闘力はさほど高くないと自覚している。軍の武将やバレスタイン教官のような達人には遠く及ぶはずもない。一兵卒の中ではそれなりに実力もあるし隊の中で兵装の扱いに長けるという自負はあるが、裏を返せばそれは器用貧乏ということで特別並外れた能力があるわけでもない。例えば、ケルディックで共に戦ったラウラには面と向かった戦闘では恐らく勝てないし、リィンには今は今はともかく近いうちに勝てなくなるだろう。

 そんな大した実力のない人間が一人いたところで、本来は作戦や戦況に響くはずもない。なにせ、この戦いはいつもと変わらない日常を望む大規模な兵隊と、何かぶっ飛んだ手柄が欲しい暴力主義者の攻防戦だ。比較すれば目的も人数も手段も勝利条件も何もかもが違う。加えて、こちらを作戦参謀は導力演算器並みの頭脳を持つという氷の乙女。自分というイレギュラーを使うには理由が少ないようにも見える。

 だがまだ見ぬテロリストはずいぶんな切れ者がいるようで、クレアや情報局もやや後手に回っているらしい。そのための漏れを防ぐために当てられたのがトールズの特科クラス七組で、その若者に対してバレスタイン教官の親心やクレアの配慮が回ったのがシオンだ。

 シオンの確認に対し、バレスタイン教官が同意した。

「ええ……あの子たち、何かと騒動に縁があるから。私は今回、連絡役として迂闊に動けないし、何かあったら助けてほしいのよ」

 騒動に縁があるとは、実際に特別実習に向かうたびに何か面倒ごとにぶち当たってなおかつ突っ込むのだという。ケルディックでは言わずもがなで、バリアハートはマキアス少年の騒動があり、ノルドでは昨日伝えられた謎の男との遭遇。さらにパルムでは導力車の事故に合いセントアークでの貴族同士の何某かの邂逅を目撃し、ブリオニア島では唐突なサバイバルに挑む羽目になったとか。

 シオンは思った。どこぞの物語の主人公だと。

 今までは騒動は必然にしても遭遇は偶発的なものだった。しかし今回は、詳細はぼやけていながらも大枠はテロリストと判明しており、どんな危険か判らないという程度には危険なのが判る。ならば未来ある学生たち、適度に旅をさせながらも保険はかけておくことに越したことはない。

 よってシオンの役目は仮にテロリストの襲撃が起こってしまうと仮定したとき、騒動前には鉄道憲兵隊とも学生たちとも違う一般人の場所から軍人の観点で各地を周ること、そして騒動後には七組に合流して彼らに万一がないように努めること。七組という枠組みを踏み荒らしているようで多少気後れもするが、そこは割り切る。自分にとっても、こんな形で革新派の事情に首を突っ込めるのは渡りに船だ。

「はい。なのでシオンさんにはできる限り迅速にフォローに回れるよう、哨戒する場所を東西中央付近んに限定しています」

「へいへい。学生と大人とはいえ、ずいぶんと俺一人の負担も重いような気もするが」

「シオンさんなら大丈夫ですよね?」

「あー……」

「大丈夫、ですよね?」

「……へい」

 無言の圧力。将校の背後には氷というか、絶対零度が見える美しい微笑に、シオンの背筋が凍る。シオンばかりでなく、普段は彼女に文句を垂れる側のバレスタイン教官もだ。

 最終確認を終えて、出口まではバレスタイン教官が同伴してくれる。作戦会議室の扉を閉めて通路を歩く傍ら、女性教官がどこか疲れた顔になる。

「なに、あれ? 将校さん、知り合い相手だとあんなに前衛的な態度になるの?」

「知り合いというか、俺たちトールズの同窓生相手に、というか」

 貴族生徒と騒動を起こすたびに最後にはクレアに止められてケイルスや男子生徒ともども正座させられ女子生徒に処刑させられたのは今ではいい思い出だが。

「はぁー、やっぱり《トールズ》はそうなのねぇ、良くも悪くも」

 ケルディックの時は少しばかり丁寧さが目立つ態度だったが、その抑制も今日は外れていた。自分が彼女の呼び方を昔のように戻したからなのだろうか。

「ま、いいわ。ともかく、可愛い教え子たちをよろしく頼むわ」

「ええ。俺としても可愛い後輩です。できる限り頑張りますよ」

 なおシオンの連絡手段としては、クレアから先ほどARCUS──七組も使う最新型戦術オーブメントを受け取った。

 そしてシオンは、一人帝都の街並みへ溶け込む。身なりは軽装な一般人のそれ、しかし懐には拳銃一丁。万一問われれば怪しいが、クレアとも話はつけてあるし問題はないだろう。

 途中七組たちと連絡を取る。初めての者は他人行儀の者も多いが、ケルディックであった四人や猫目少女などは割合話しやすく、率先して状況を伝えてもくれた。

 ゼムリア大陸でも最大の国力を誇る帝国の、さらに中心の帝都の夏至祭。七耀教会の総本山でもあるアルテリア法国など、宗教的な権威の場所などを除けば、誇張でもなく正真正銘最大級の祭りだろう。

 その人並みは多く、もとからある商店の他にも屋台などが通りに連ねる。それらを一通り堪能しつつ、哨戒を続ける。地の利を生かした情報収集は本隊や、既に二日間も実習をしている七組には勝てないだろう。これは、どちらかと言えば自分のための情報収集だ。

 情報は、というよりも言葉はそれを放つ者の立場で受け取り方も変わる。貴族派の手足である領邦軍に名を連ねていれば、どうしたって情報は貴族寄りのものや革新派憎しの印象がついた情報となっていしまう。意識して感想でなく事実のみを抜き取ろうと努力はしているつもりだが、無意識の浸食はどうしても避けられない。だからこそ──逆に革新派寄りの言葉は多いが──いつもと違う立場から放たれる情報というのはシオンにとってもありがたかった。

 ヴァンクール大通りを中心に、東西の一部を周る。情報収集は進む。先日帝都に向かった時クレアにはああ言い放ったが、少なくとも帝都民にとって革新派と鉄血宰相の政策というのは素敵なものに映るようで人気だというのも頷ける。シオンにとっては、その行きつく先が軍拡であることに溜息をつかずにはいられなかったが。

 正午。哨戒中であるために手ごろな屋台で軽食を摘まみ、小休止を挟んだところで再び動き出す。七組は特に目立った事件などはないが、ところどころに違和感を感じた噂話が聞けているという。さらには手配魔獣討伐のために探索した帝都地下道から警備中のマーテル公園に誤って侵入してしまい、むしろそれが警備する近衛兵の助けになるというささやかな功績をあげていた。

 さらに時間は過ぎていく。

「なるほど……一先ず、君たちは今ドライケルス広場にいるんだな?」

『はい。シオン准尉は今……』

「俺もそこから近い。まあタイミングが合えば会おうじゃないか、リィン後輩」

 ARCUSでの連絡は便利なもので、当然通信網を構築している範囲であれば大抵は通信が届く。半刻おきに連絡をしている。

「そうそう、君たちの話を聞いて俺のほうも注目してみたけど。確かにここ数日で姿をくらました人がいるみたいだ」

『そうですか……シオン准尉の哨戒範囲でも』

 お互いの進捗を確認。先ほどB班リーダーのアリサ嬢にも連絡を入れたが、あちらは哨戒範囲が観光客向けの場所だけに、住民が失踪したというような噂はほとんど聞けなかったらしい。

「繰り返すけど、戦闘行為が予想される場合には俺を呼べな。実習中じゃ各々の判断で動いてるらしいけど、今回は君たちの教官命令だ」

『はい。……あの、一つ伺いたいことがあるのですが』

「ん?」

『俺たち七組は、領邦軍の行動に関して一つの予想……のようなものを立てているんです』

「ああ、それは?」

『ケルディックで領邦軍に敵対した行動をとったシオン准尉が、こうしてクレア大尉に協力している意味……』

 リィンたち七組との邂逅の場所は、ケルディックだ。そこでシオンは、領邦軍の愚行を止めるべく動いていた。そしてその姿勢は、一見してシオンを領邦軍の兵士として見る者には衝撃的に映るだろう。数回の接触を経てシオンの表面上の性格を知り、さらに特別実習を経て見聞を広めたことで、その可能性に行きついたのだろう。

「ははは……いい推理だ。と言っても、俺も正解は判らないけどな」

 シオンは、先日SUTAFE八班にも話した推論を語る。

「確信はない。そんな噂も聞いたことがない。だが革新派にたてつくテロリスト……貴族派にとっては都合のいい存在だとは思わないか?」

『……はい』

 苦々しく答えるリィン。若者には少し信じたくはない現実か。いや、七組であればそんなものにも負けはしないとは思うが。

「俺が今回この作戦に参加したのは、あくまでクレアとのよしみがあったからだ。けど、君たちと同じその推論に達したのも確かだ」

『判りました。俺たちのほうでも、その可能性を頭に入れつつ哨戒にあたります』

「今は、頑張るとしようぜ。甘い理想が現実だと願いながら」

『……はいっ』

 シオンとリィンは、通信を切る。前途有望な後輩との奇妙な談議を語ったのち、再び哨戒を始めた。

 そして、午後三時。ドライケルス広場にほど近い、ヴァンクール大通り。

 帝都北西、サンクト地区のヘイムダル大聖堂の大鐘が響き渡り──

(……何だ?)

 重苦しい、地響きのような振動。感じるそれが激しくなるにつれて、一般人ではなく作戦中のシオンにとっては最悪の可能性となって予想される。

「……まさか!」

 瞬間、ヴァンクール大通りの至る場所にあるマンホールから水があふれだし、間欠泉のような飛沫をあげて蓋を上空に吹き飛ばした。

 テロが、始まる。

 

 

 



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12話 帝国の解放を求む者

 

 七耀暦千二百四年、七月二十六日、午後三時。ヘイムダル大聖堂の大鐘がなる。

 それと同時に体に振動を与える地響きは、帝都民や観光客に様々な反応を起こさせた。

 単なる地震と考える観光客。地震など帝都ではそうそう起きないと、帝都庁などの催し物だと興奮を強める帝都市民。子どもなどは強く感じるそれに恐怖を感じる。

 だが、ヴァンクール大通りにおいて一人だけ。迅速に、その真実を確信する者がいた。

「……まさか!」

 言うが早いか、答え合わせのように大通りの至る場所にあるマンホールから、間欠泉のように水があふれだした。

 蓋が高く高く上空へと舞い、そして地へ落ちる。運悪く近くの導力車のフロントガラスに直撃、さらに導力機関部へめり込んで鈍い破壊音。

 いよいよもって、その場の人たちも状況を理解し始めたらしい。

 シオンは、とうとう走り出す。

(来やがったな……テロリスト!)

 慌て始めた人々の流れは、その場から逃げるように小道へと流れていく。対して、当てがあるシオンはその流れに逆らうように前へ、前へ。

 避難誘導を行う手も考えたが、それよりもなさなければならない使命があった。恐らく、七組もこの混乱に惑わされずにその場所へ向かっているはず。

 突如、けたたましく通信音がシオンの懐から流れる。走りながらARCUSを取り出し、通話ボタンを開けば、つい十分ほど前にも話し合った少年だった。

『シオン准尉!』

「細かい説明は一切いらない! A班とB班のどちらへ、そしてどこへ行けばいい!?」

 リィンの返答を待つ。元々七組も作戦会議に参加していたのだ、ある程度の可能性は察知できているはず。

 そもそもの敵はテロリスト、彼らが求めるのは往々にして情報誌の一面を飾るような大げさすぎるもの。それを目にする市民の感情を操作することが目的だ。

 そして彼らは革新派を敵として認識している。ならば、市民に抱かせたい感情は革新派の支持が失墜するような出来事。そして代表人物の抹殺。

 それができるうってつけの場所が、今日この時、帝都にはあった。

『マーテル公園!』

「だな!」

 革新派の二番手であるカール・レーグニッツ帝都知事がおり、さらには帝国の至宝であり、革新派が守らなければならないアルフィン皇女殿下がいるのだ。公園内部、クリスタルガーデンに。

 通信を切り、急ぎ向かう。その間に作戦本部への通信も行うが、もう一方の候補地である大聖堂と競馬場は、既にB班が向かっていることやあらかじめ憲兵隊が控えていることもあり、極端な混乱はしていないようだった。

 逆にマーテル公園などは近衛兵──領邦軍から選出される皇族守護の部隊──が控えてるだけあり、憲兵隊との横の連携がうまくいっていないらしい。その点から見ても、A班に助太刀するのが適切に思えた。

 そして、マーテル公園に辿り着く。既に喧騒は極まっていており、逃げ惑う人々、ワニ型の魔獣に向かう近衛兵たちが散見できる。

 目についた一角、魔獣が兵士でなく一般市民を襲おうとしている。呼吸を再開する前に手足が動いた。瞬間的に導力銃を構えて発砲、運よくワニの魔獣の眼球に直撃した。

 悶絶する魔獣との距離を一息に詰め、体を捻りあげて思いっきり腹部を蹴り上げた。

「ぅおらっ!」

 それなりの一撃。しかし自分はたかだか一兵卒だ。達人の武術家ほどうまくはない。魔獣を絶命させるには至らない。

 反撃してきた鋭利な鱗持ちの尻尾を避け、かばった市民に向け言い放つ。

「早く逃げるんだ!」

 彼らが逃げるのを見届け、ようやく余裕をもって魔獣に対峙。そこでようやく、混乱から持ち直したらしい近衛兵が近づいてきた。

「何をやっている、貴様も早く離れろ!」

 それは自分に向けられたもの。不意にきた言葉に、瞬間的に頭が沸騰した。

「おい、何を間抜けなことを言っているんだ!?」

「なっ……」

「この状況を半ば許しているのはお前たち近衛兵だろうが! 使えないプライドなんか捨てて利用すべきものを使えよ!」

 こちらだって同じ領邦軍の出身だ。言えることは言ってしまわなければ気が済まない。

 それでも一喝した兵士と共に魔獣を倒す。装備の貧弱さゆえか、少し時間がかかった。

 それでもまだ兵士たちの喧騒が止まないマーテル公園。見渡すと、クリスタルガーデンに入っていく兵士や、負傷しているために集まりつつ周囲の警戒を続ける兵士がいる。

 シオンは結局、一緒に敵を倒した兵士に聞き出した。

「おい、あんた。ここに学生は来なかったか? 紅い制服を着た学生だ」

「あ、ああ……確かにいたぞ。どうしてかクリスタルガーデンに向かったが」

 一緒に共闘した兵士も負傷している。領邦軍の精鋭を集めた近衛兵とはいえ、しばらく都市部で護衛を中心にしていたためか、魔獣相手にはうまく立ち回れなかったらしい。同じ身の上とはいえ、まだ問題児などが多いSUTAFEのほうが生きることには貪欲になれそうだ。

 その信条のままにシオンは兵士から銃剣を奪い取る。

「あ、ちょっと!」

「悪いな、ちょっと借りるぜ!」

 そのまま、シオンはマーテル公園を突き進む。色々近衛兵に問われると面倒なので、絶妙に声がかけられないように遠回りをした。

 その時、先ほどテロリストが狼煙を上げた下水道の暴発にも勝る地響きが起きる。

 震源は、恐らく地下。

「……嫌な予感」

 冷や汗をかきながら、そのままガーデン内部に入る。

 内部もまた騒然としているが、魔獣はいなかった。しかしどう見たって注目を集めるのは、市民の憩いの場であるはずのガーデンの一角。草花があるはずのそこは地盤諸共崩れ去っていて、虚空が広がっているのだ。

 そして、その近くには兵士──今度は憲兵隊に守られた二人の男がいる。

 片膝をついて、それでも落ち着き払っているスーツの男性。その傍には、白い制服を着た学生──トールズの貴族生徒だ。

「レーグニッツ帝都知事!!」

 シオンは二人に近づいた。応急処置は済ませているらしい。スーツ姿に眼鏡をかけた優し気な男性は、焦ることなく状況を把握しようと努めている。

「君は?」

「通りすがりの一般人……といっても、信じてはくれませんよね」

 片膝のままだが、領邦軍兵士が普段城館に対して行う敬礼を帝都知事に対しても行った。

「自分は領邦軍独立機動部隊所属、シオン・アクルクスであります。鉄道憲兵隊所属、リーヴェルト大尉の要請により遊軍として協力しています」

「……小耳には挟んでいる、大尉が七組諸君以外に、直接協力を取り付けている人物がいると。君のことで間違いないようだな」

「どうか、自分のことは公に明かさないよう願いたいですが」

「ああ、配慮しよう」

 立場や志に関係なく、状況を己の目的のために利用できる人間は嫌いじゃない。それが清廉潔白で、しかもリスクを省みずに多少のグレーを認めるのならばなおさらだ。

「それで知事閣下。自分はどこへ向かえば?」

「それは君次第だが、状況はできる限り伝えよう」

 元々、このクリスタルガーデンでは園遊会が開かれており、レーグニッツ帝都知事の他にもアルフィン・ライゼ・アルノール皇女殿下が出席していたのだ。

 そしてテロは発生した。一目見て明らかなように、地盤沈下はテロを企てた襲撃者によるもの。魔獣の大群もまたそこから現れたらしい。

 そしてアルフィン殿下は侍女と共にテロリストたちに攫われた。最悪の中の最善としては、テロリストたちは皇女殿下たちの気を失わせただけで、その御体に傷をつけていないところか。

「十分最悪だけどな……」

「もう一つ。君と同じ立場の七組諸君だが、既にテロリストたちを追って地下へ潜入している」

 まあ、そうだよなとシオンは嘆息した。先に向かっていたはずの彼らがここにいないことと、四月のケルディック事件を考えれば簡単に想像がつく。

「ったく、どうして若者が無茶をしなくちゃならないんだか……」

 そう一人呟いて、銃と銃剣の様子を確かめる。

「自分は学生たちの援護に向かいます。後で来るリーヴェルト大尉たちに、現状を報告していただけると助かります」

 レーグニッツ帝都知事にそう告げ、シオンは一人瓦礫が群がる地下空洞へと向かう。

 地下空洞は単なる岩盤の隙間ではなく、れっきとした帝都地下道の一区画だった。クリスタルガーデンから漏れる陽の光を除いては、よくある地下道と変わらない程度の暗闇の具合だ。

 一本道であるのも助かった。元々地下道は現在の帝都の前身――歴史の授業で習う暗黒龍が支配する前の姿に近いものなのだが、この規模から察するにここは何か祭儀を行うための場所だと推測できる。

「自国のことながら、まだまだ謎は多いよな。エレボニア帝国は」

 今から約五十年前にC・エプスタインという人物が中心となり起こした導力革命。それは前時代的だった生活水準を現在まで跳ね上げた出来事だが、そもそもその理は少なくとも七耀暦以前から存在しているはずなのだ。古代遺物(アーティファクト)と呼ばれるものには現在の機構とは異なるが、それでも同じ導力という概念が扱われていたのだから。

 そんな数百年前には不可思議極まりなかった謎も、この五十年で少しずつ、ほんの少しづつでも進んでいる。

 帝国には、まだまだ謎がある。吸血鬼伝説、巨大な騎士の伝承、劫火に包まれる魔人、そして精霊信仰。

 それらが解き明かされる時が、いつか来るのだろうか。

「まあいい、今は目の前のことに集中だ」

 シオンは進む。進むほどに地上の光は薄くなり、そして大音声と地響きが大きくなる。

 少しばかり不安が残る。今回協力体制を敷くにあたり、七組の大まかな紹介は受けている。A班のリィン、ラウラ、そして意外なことにフィー。この三人は学生としては並々ならない実力を持っていることは知っているが、たかが三人。そしてどちらかといえば戦闘は得意でないというエリオットとマキアスの計五人。その五人が立ち向かう相手が起こしているこの轟音とも思しき地響き。戦っているのがこの間の魔獣グルノージャなど比較にならないほどの存在であるのは明らかだった。どう考えても人間ではない。

 襲ってきたのはあくまでテロリストのはずだが、戦っているのは魔獣の類。それはテロリストが逃げているか、あるいは余裕で学生たちの勇士を観察している可能性があることも示唆できる。

 そして辿り着いた場所は、シオンにとっても少し予想外な光景が広がっていた。

 声を出しかけて、慌ててその息を呑む。

 そこは地下の墓所ともいえる空間。しかし大聖堂のような大広間。巨大すぎる天井を支える柱の一つに身を隠し、シオンは潜入工作員さながらの挙動で喧騒の中心を確認した。

 目立つのは魔獣だった。しかし全長七アージュに届くかというほどの高さに、人間の百倍は優に超えそうな巨体を思わせるシルエット。龍、とそう形容するのが相応しいその存在の骸──骨格体、龍の亡骸と戦っていた。

(なんだよ……あれは!?)

 そんな超上の存在に立ち向かう人間はやはり五人で、リィンを筆頭としたトールズの七組A班。彼らは汗を滴らせ、あるいは女子は自分がスカートをはいていることなどまったく気にもしない勇ましい動きを繰り広げている。

 立ち向かう骸骨龍は圧倒的な畏怖をシオンにまで届けるが、それでももっと誓い場所にいる筈の学生たちは負けていなかった。自分にできることを少しづつこなしながら、誰もが心を重ねてただ一つの目的のために骸骨龍と剣戟を続けている。

 助けはいるか。当然自分が助力したほうが有利に事は進む。しかし、それはすぐにはできない。シオンとは違う場所で、彼ら七組の激闘を観察している人間を見つけたから。

(あいつら……テロリストか!)

 自分と比べ、比較的堂々としている眼鏡の男に、そして二人のメットを見に着けた戦闘員。その二人は、それぞれ昏睡している様子の少女を抱きかかえている。

 アルフィン殿下とお付きの侍女だ。腸が煮えくり返るが、辛うじてシオンは理性を保った。

 落ち着け。うまくいけば、リィンたちを陽動にして自分が彼らの隙をつける。

 シオンは轟音が響き続ける地下墓所を慎重に移動した。柱の物陰や瓦礫に身を隠しつつ。時には骸骨龍が生み出した土煙に紛れて。どうやら骸骨龍が敵と認識しているのはリィンたち五人だけのようで、自分に攻撃が向かないのは僥倖だった。

 戦闘中という時間を考えれば十分に長い時間をかけて、シオンはテロリストたちまで十アージュといった距離まで詰める。

 その時、戦闘の音は止んだ。巨大な骨と骨が絡み合って乾いた爆音と共に崩れる音。それはリィンたちの勝利を告げる(とき)の声。

「ば、馬鹿な!?」

 狼狽えるテロリストたち。骸骨龍に蹂躙される少年少女を想像していたのだろう、逃げることがやつらにとっての最善であるはずなのに動かず、手をこまねいているのみ。

 大きな疲労をものともせず、リィンが確かな声で号令をかける。その声を行動の起爆剤にしたのは二人の少女。導力を思わせる固い青線で結ばれたラウラとフィーは、互いの眼をちらりと見ただけで走り出した。

 ラウラはその身の丈もある大剣で骸骨龍の頭部を根本から吹き飛ばした。ルナリア自然公園で見たときよりも破壊力が上がっている。

 無惨に飛ぶ頭蓋は一直線にテロリストたちの近くの壁に激突。驚いたテロリストたちのその隙を、フィーが双銃剣の全弾掃射で打ち砕いた。彼女もまた、その幼げな容姿からはかけ離れた戦闘技術を駆使している。

 完全に崩れた陣形の中を、リィンが突っ込む。狙いは眼鏡の男が強く握りしめているもの。

(あれはっ)

 シオンの疑問を置き去りにして放たれた太刀は、寸分の狂いなく鈍色に輝く笛を両断した。落ちた笛から紫色の濃い気が走馬灯のようにあふれでて、そして消える。

 瞬間的に、骸骨龍を操っているものだと理解できた。

「ぐぅ……降魔の笛が!?」

 男の慌てようを見ても、形勢が逆転したのは明らかだ。未だアルフィン殿下と侍女は敵中にいる、だがそれは敵の逃げ足を鈍らせることに他ならない。

「同志G! どうすれば……!?」

 メットの戦闘員はそれほど修羅場を経験していないらしい、学生たちに負けかけている状況に平静を保てていない。

 対して、烈火のごとき怒りを相貌に宿した眼鏡の男。

「かくなるうえは、恐れながら玉体に傷をつけてでも!」

 男が、マチェットを取り出して切っ先をアルフィン殿下に向けた。

 シオン、そして七組問わず。誰もが帝国で最悪の蛮行に怒りを滲ませる。

 男が叫んだ。

「既に死は覚悟の身……だが、今回の作戦だけは屍すら残すわけにはいかん!」

 最悪を避けるために動けない七組。もはや何をしでかすか判らない男。状況に流されるしかないメットとうら若き少女二人。

 唯一、自分はその場の誰にも存在を悟られていない。

(今しかない!)

 危険すぎる状況、けれど千載一遇のチャンス。今殿下の御身を救えずして、帝国臣民は名乗れない。

 精一杯の隠行を保ちながら、シオンは殿下と男の間に割り込んだ。

 驚く男たち。反射的にマチェットがシオンに迫る。

 肩先一リジュを引き裂かれた代償に、シオンは男を力の限り突き飛ばした。

「ぐぅ!?」

 苦悶の声と同時、リィンとラウラがさらに詰め、太刀の峰と大剣の平でメット二人を牽制、大きく引き剥がす。

 殿下と侍女を取り返す事に成功した。

「よくやった!」

 快哉を上げるシオンに、学生たちは口々に漏らす。

「驚きました……けど、ご助力感謝します!」

「ちょっとは合図が欲しかったけど。ARCUSもないし」

「まったくです! 心臓が止まるかと思いましたよ!?」

 リィン、フィー、マキアス。ことがことだけに怒りの反応も理解できるが、今回は後回しだ。

「終わりよければなんとやらってな。自分を誉めていいぞ、これは帝国史に残り得る救出劇だ」

「き、貴様ァ……!」

 狼狽える男にとっても、自分の存在は予想外だったはずだ。七組とは因縁があるらしいが、自分のことなど知れる訳がない。

 自分一人が警備に加勢して何が変わるかも判らなかったが、蓋をあければクレアの戦略勝ちだ。

「シオン・アクルクス、て言っても一兵卒のことなんて知らないだろうし、知る必要もない」

「っ……」

「問題は、今からお前の身柄を拘束するってことだ」

 そして、アルフィン殿下救出の一歩先も叶うかもしれない。

「行くぞフィー!」

「ラジャ!」

 残る四人に殿下と侍女の護衛を任せ、フィーと共に男へ迫る。メットの戦闘員はたとえ拘束しても大した情報は得られないだろう、選択肢はリーダーと思しき眼鏡の男一択だ。

 それほど腕に覚えがないなら、自分と戦闘慣れした少女の特攻を防げるわけがない。そう思ってのこの行動は、このままいけば成功間違いなしだった。

 テロリストに対する自分がそうであるように、誰も感知できない存在がいなければ。

「フフ、このあたりが潮時でしょうね」

 一直線に駆けていた少女の横を、曲線の閃きが踊った。驚く間もなくフィーが双銃剣を十字にして防ぐも、目論見は外れ眼鏡の男から大きく遠ざかる。

 さらに、自分が持つ銃剣を優に上回る威力の弾丸が完全に彼女の勢いを削いだ。

「な、フィー!?」

「シオン、後ろ!」

 フィーの呼び方など気にもしていられない。言われたとおりに後ろを振り向くと、眼前にあったのは巨大な刃。

 咄嗟に自分の得物でもない銃剣の腹で受け止める。

 下手をすれば得物ごと切り裂かれない重い一撃。その向こうには、黒ずくめの外套に赤黒く光る仮面。その向こうは自分の苦悶の表情が見えるのみ。

「ぐぅぉ……」

 なんだ。こいつはいったい何者だ。

 そんな感想を抱き、しかしそれ以上に到底勝てない実力差があることを直感した。シオンは剣を弾きながら後退せざるを得ない。結果として眼鏡の男の拘束という、せっかくのチャンスを見逃す羽目になる。

 リィンをはじめ七組は驚きのあまり口を閉じられないままだ。

 かたや、乱入者たちは余裕の表情。

「すばしっこい子猫ちゃんね。フフ、あたし好みだわ」と、フィーにその剣で襲い掛かった隻眼の女。

「さすがはシルフィード……いい反応だぜ」と、ガトリング砲を持った筋骨隆々の大男。

 そして、黒ずくめの男もまた。

「貴兄もまた、一筋縄ではいかない面白い存在のようだ」

「っ……」

 新たな三人の刺客は、強者であると簡単に判る。一度は奪い返した優位を再び明け渡してしまうほどの。

「テ、テロリストの仲間……」

 おそらく最も戦闘が不得手なエリオットが呻いた。状況は改善したというのに、、むしろ納得がいかないという声色の眼鏡の男。

「やれやれ、今回は任せてもらうと言っていたはずだが。だが、正直助かったぞ」

 そういう眼鏡の男に、乱入者たちは口々に助けに来た、などと声をかけた。到底理解はしたくはないが、あちらにも仲間意識というものがあるようだ。

「同志C、まさか君まで来るとは。私の立てた今回の作戦、それほど頼りなく見えたか?」

「いや、ほぼ完璧に見えた。しかし作戦というものは常に不確定の要素が入り込む。そこの彼らのようにな。しかし本作戦の目的はすでに達している。このうえ、仲間の命を無駄に散らせるつもりはない」

 同志Cと呼ばれた仮面の男は、悠然と控えている。

「七組諸君、そしてシオン・アクルクス殿。皇族を手にかけんとした愚行は詫びよう。ここは互いに無駄な争いをせずに引くのが最善だと思うが……異存はないかな?」

 男の言うとおり、戦力差を考えてもこちらに勝ち目はない。それは七組も判ってはいるだろう。少なくとも皇族の安全は確保しかけているのだから、相手の提案に乗るのも悪くはない。

 だが。

『あるに決まっているだろう』

 リィン、シオンが怒りを露ほども隠さずに前へ出る。

 皇族、加えて帝国の至宝とも言われる殿下を攫い、さらには薬で眠らせたことは、帝国人としても人としても許せるはずがない。

 学生たちは、恐怖を超えて悪を叩こうとしている。ケルディックの実習でも思ったことだが、戦闘力以上に心意気において粒ぞろいの才能を持っている。

 シオンもそれに同調する。学生の身を考えるにしても、こればかりはさずがに見逃すわけにはいかないのだ。

 仮面の男が、学生と一兵卒の愚行を笑いもせずに前に出た。

「ならば、ここは私が出るのが筋だろうな」

 つまり、大局には影響を及ぼさない蛇足の戦い。その余裕ぶりにも怒りを禁じえないが、シオンは上等だと一歩を踏み出す。

 リィンはエリオットとマキアスに少女二人の護衛を任せる。そしてリィン含めた前衛組が、シオンの隣へ。

 だが、予想外の言葉が響く。

「申し訳ないが……アクルクス殿には、申し訳ないが、遠慮してもらうのがいいだろう」

「なに……? 四対一になるのをビビっているのか?」

「フフ……それでもかまわないが、本心では判っているのではないかね? 領邦軍・四州連合機動部隊の班長殿」

 シオンは驚いた。今、この男は確かに自分の所属を言い当てた。たかだか一兵卒の自分の所属を。

「……それはどういう」

「学生たちはいいだろう。どの立場にも縛られぬ身だ。その怒りのままに刃を向けるのは当然だろう」

「立場ってんなら、こっちは一帝国臣民だ。お前に刃を向けるのは当然だと思うが」

「フフ……本当にそう思うかな? 貴族派と革新派の天秤を取り持とうとする行動に反さないと?」

「……チッ」

 悔しいが、こいつの言葉は無視できない。自分の周囲を取り巻く今までの流れを鑑みると、そうしてもリーヴスで八班の面々に伝えた最悪の予想の現実味を考えてしまう。

「シオン准尉……」

「悪い、俺は協力できそうにない……」

 改めて苦々しさをかみしめる。若者と比べた自分の、なんて立場の危ういことかを。

「フフ、ただの余興だ。そう落ち込むものでもないだろう」

 そうして今。テロリストには、リィン、ラウラ、フィーの三人が対峙する。

「TMPが来るまでの一時までだ。戦えぬ准尉殿の分まで、その怒りをぶつけてみることだな」

 皇族が攫われたままという最悪は回避できたが、それでも大勢を変えるには至らなかったシオンの加勢。それでも、まだ激動は終わらない。

「我が名はC。それだけ覚えておくがいい。仕官学院七組の力──見せてもらおうか!」

 帝都の地下墓所で、因縁の対決が幕を上げた。








ちょいと単調ですが、物語は進む。


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13話 帝国の支配を望む者

 

 学生三人とCと名乗る男の戦闘は、ほとんど時間を要さなかった。

「ハハ、さすがはC」

「私たちのリーダーを務めてるだけはあるわね」

 幹部らしき隻眼の女と筋骨隆々の男が呟くと同時、フィーの双銃剣の片割れがシオンの足元に乾いた音を鳴らして転がった。

 シオンはエリオットとマキアスと共に戦況を見守った。そして、リィンたちの敗北までも見届けた。

「並みの使い手じゃないぞ……《C》」

 加勢できなかった歯がゆさをこらえ、シオンは戦いを分析し続けた。達人ほどの実力が自分にないことは自覚しているが、けれど目の前で繰り広げられる戦闘の中身を理解できないわけではない。

 リィン、ラウラ、フィー。いずれも達人といえるわけではないがただの学生とひとくくりにはできない実力を持っている。自分は正面からの戦いにおいてまず勝てないし、並みの兵士の実力など既に上回っている。それにARCUSを軸にした連携術を持つ彼らは、それだけで並みの正体を上回る実力を持っている。それこそ、帝国で名のしれるような実力者でない限り三人を相手取ることなどできないのだ。

 ならば、自分の目に広がる光景はどういうことか。少年少女がそれぞれ膝をつき、仮面の男――Cだけが悠然と得物である双刃剣を構え続けているこの光景は。

「紛れもない、《達人》だってのかよ」

 シオンの呟きを、リィンの叫びがかき消した。

「お前は……お前たちはいったい!?」

 動けない少年少女の目の前を歩いて、動けない青年の目の前を通り過ぎて。Cは、彼の仲間の下へ近づいた。

「帝国解放戦線──本日よりそう名乗らせてもらおう」

 振り向いたCが、そしてテロリストたちが、笑う。笑顔でなく、意志を携えた笑いだ。

「静かなる怒りの焔をたたえ、度し難き独裁者に鉄槌を下す……まあ、そういった集団だ」

「そこまでです!」

 畏怖を抑えられないシオンの体を打ったのは、よく知る女性の声。

「クレアか……」

 十人ほどのTMPを引き連れたクレア大尉、そしてバレスタイン教官。

「どうやら潮時のようだな」

 人質だったアルフィン殿下と侍女はこちら側、さすがに軍の精鋭がこれだけ集まればテロリストたちも逃げるしかないはずだが。

「それでは諸君──また会おう」

 そう言ったCは、手元にある筒を取り出す。

 軍人と、そしてフィーとサラが気付いた。

「スタングレネードだっ!」

 それが音もなくCの手から離れ、地に落ちたと同時、爆音。閃光。

 それが収まるころには、既にテロリストは見えなくなっている。

 驚く間もなく、地響きが発生する。これは恐らく、テロリストが追走を防ぐために用意した爆弾の類だ。墓所らしきこの場が瓦礫で

 捕まえたい気持ちはもちろんある。だが、まずは自分たちの身の安全を確保しなければならない段階に来た。

「崩れるわ、早くこっちへ!」

 囃すバレスタイン教官の声を耳にしつつ、一同は退避する。リィンがアルフィン殿下を、ラウラが侍女を抱えた。

 走ること数十秒。まだ帝都地下道ではあるものの、ようやく揺れのない安全域までやってきた。

「はぁ……はぁ……ずいぶんと疲れたな」

 シオンがぼやいた。SUTAFEに入ってからというものの、ずいぶん神経が摩耗することが多いように感じる。

「けど、そちらさんにとっては予想通りだったのか? 殿下が攫われることも含めて」

 シオンは疲れた顔を隠さずにクレアへ向けた。クレアは、落ち着き払った顔に少しの感情を滲ませて返す。

「さすがにそれはこちらを侮辱していると思いますが。まあ、逃げられる可能性があるのは情報局も分析していました」

「なら当然、逃げた後も対策してるってか……その網にかかる確率は?」

「……難しいでしょう。帝都地下は道の区画が多すぎますから。ある程度で捜索を切り上げて、市内の治安回復に専念する他なさそうです」

「はぁ……そうか」

 溜息をつく。けど、少なくとも誰も深い傷を追わなかったことには女神に感謝だ。その功を収めた学生たちは労わなくてはならない。

 学生たちを見ると、バレスタイン教官が既に彼らに言葉を交わしている。こちらから何かを伝える必要もなさそうだ。よく見れば、ちょうど少女二人も目覚めている。

「ただの睡眠薬なのが不幸中の幸いだったか……」

「シオンさん……」

「ん?」

 見れば、クレアは瞳を少し揺らしている。

「その傷、大丈夫ですか?」

「ああ……」

 眼鏡の男を攻撃したときにできた傷だ。確かに激痛はあったが、魔法があれば治せる程度のものだったし何よりも状況が状況だけに無視していたものだ。

「それよりも、お前はTMPの指揮官だろ。まずはそっちに集中しろよ」

「ええ……そうですね」

 一か月前に帝都で詰問した時のような珍しい──といっても再会したこと自体が久しぶりだが──弱弱しい表情だった。

 だが、彼女も精鋭部隊の指揮官だ。すぐさま表情を改めると、隊員たちに向かって指揮を飛ばす。

 TMP、そしてトールズ七組は各々動いている。その様子を見つつ、シオンは嘆息した。

 中途半端だった。革新派につくでもなく、未熟な正義に向かって突き進むわけでもなく、どこにも動けない自分が。

 帝国解放戦線──()()()()()()()に怒りの鉄槌を下す彼らが()()()()()()()()()。だからこそテロリストのリーダーはあんな態度を自分にとったのだと、そう直感できた。

 だから自分の行動が自分に、八班に、SUTAFEに波及してしまう可能性を恐れて動けなかった。たかが部隊長とはわけが違う。大貴族の公爵たちに狙われたら、今はひとたまりもないから。

 そんな自分を歯がゆく思う。

「帝国解放戦線か」

 シオンは顔を上に向けてつく。そこには、暗いレンガの天井があるだけだった。

「いよいよもって、きな臭くなってきやがったな……」

 

 

────

 

 

 こうして……夏至祭初日の動乱は収束した。皇族が狙われるという一大事件や夏至祭の最中の事件ということで大きな混乱を招いたが、鉄道憲兵隊の主導によって無事に収束した。

 一時攫われたアルフィン殿下も大事には至らず、彼女をはじめとした後続の要望もあり、二日目以降の夏至祭も変わらずに行われた。テロリストが再び事を荒立てるということもなく、また手傷を負いながらも陣頭指揮を執ったレーグニッツ帝都知事の働きがあれば、夏至祭最終日も滞りなく終了するだろう。

 シオンは二日目の終了を見届けてからリーブスへと戻った。既に有休も終わり、翌日には再びSUTAFEでの軍務に明け暮れる。休みとは言えないような過激な夏至祭だったが、クレアとの約束でもあったのでそれは仕方ないだろう。

 アルフィン殿下救出という栄誉をあげた七組A班だが、じつは彼らだけでなくB班もセドリック皇太子やオリヴァルト皇子殿下の避難誘導に貢献していた。一気に帝国の英雄となった彼らは明日バルフレイム宮に呼ばれるらしい。そこにはレーグニッツ帝都知事の他、鉄血宰相ギリアス・オズボーンもいる筈だが……。

「ぁふ……ねむい」

 シオンにとって有休明けの勤務日。不真面目青年はその眠気を隠すことなく盛大に欠伸をかむ。

「どうした、シオン。帰りが遅かったとはいえ、ずいぶんと寝不足じゃんか」

「ああ……ケイルス。おはようさん」

 朝の会議の時間帯。班長であるシオンを筆頭に、八班はその後に続いている。

「夏至祭のテロリスト騒動は伝聞でだけ聞いたが、ずいぶん濃い時間みたいだったじゃないか、班長殿」

「はい、サハドさん。見りゃ判るでしょうに、この顔を見れば」

「うん、ずいぶんと酷い顔だけど。班長、ちゃんと顔洗ってきた?」

「洗ったさ。それに、その言葉はそのままお返しするぞフェイ」

「そういえば、例の学生さんたちも活躍したみたいですね。シオンさんもお会いしたんですか?」

「ああ。それはまた夜にでもみんなに話すよ。レイナ」

 今日の八班はいつにも増して口数が多い。エラルドをはじめ、取り巻きや周囲の典型的な貴族派信望者はいい顔をしないが、SUTAFEが発足して四か月。そろそろお互いどうでもよくなりつつあった。

 会議は続く。各領邦のことではないが、帝国を騒がせた夏至祭の事件は当然議題に上がった。近衛兵由来の情報を基に事件の経過と顛末、そしてテロリストたちの情報が述べられていく。

 昨日の今日だ。まだシオンはこのことを八班の面々に話していない。だから恐らく、SUTAFE一般兵の中ではシオンが最も確信に近づいているだろう。あるいは頭の切れるエラルドなども予感はしているのかもしれないが。

 テロリストは、貴族派にとっては体のいい戦闘部隊に他ならない。だから領邦軍の人間がテロリストを嫌悪するのはできる限り避けたほうが言い訳で。

 会議の進行役を務めていた副長が、わざとらしくせき込む。

「以上が夏至祭の事件の顛末だが……今日はそれとは別で重要な案件がある」

(そらきた。適当に忙しくさせてテロリストのことなんて頭の隅に追いやるつもりだぞ)

 しばらくは無駄に忙しい日々が続くのだろう。一先ずシオンとしては八班の面々に夏至祭の顛末を伝えることと、あまり自分からは動けないだろうが、テロリストたちへの対策などもしておきたいところだ。表立って革新派を狙えるようになった貴族派が次にどんな手を打つかも考えておきたい。

 と、そこまで考えたシオンの思考は副長の言葉で遮られる。

「ラマール領邦軍から緊急の要請だ。対象はSUTAFEの全隊員。優先度の低い要請は切り上げていいから、二小隊ずつ順々に、定期的にジュノー海上要塞で演習を行ってもらう」

 兵士たちはにわかにざわついた。今までも時々戦闘訓練の要請はあったが、精々が二から三班単位での小規模な要請だった。中隊の半数が一度に移動する要請などなかった。

(それ以上に、エラルドの野郎と一緒だってのが堪えるな……不安だ)

 これまでエラルドと同行することもなかった。喧嘩騒ぎもリーブス内での騒動だけだったから、特に上層部にもシオンの行動は目立たなかったはずだ。だが、この先はそう悠長にも言っていられないらしい。

(それに……)

 シオンは考える。

 今までSUTAFEは曲がりなりにも当初の目的である四大領邦軍の補佐と、狡猾な真意である鉄道憲兵隊の牽制を果たしてきた。つまり全体としては領邦軍や貴族派の使いとして、裏方に回っていたということだ。

 しかし、この要請の対象はSUTAFE全体。たかだか百人の中隊規模とはいえ、まるで自分たちが主役ないし四大領邦軍と肩を張るような配置にも見える。

 そしてシオンが気になるのは、タイミング。今までSUTAFEと()()()裏で暗躍していた帝国解放戦線が、急に表舞台で名乗りを上げたこのタイミングでの要請という意味。

 シオンとしては、どうしても勘ぐってしまう。

 嫌な予感しかしないのだ。

 

 

────

 

 

 そして、夏至祭の騒動から一週間後。

 ジュノー海上要塞は、帝国西部、ラマール州のさらに西の海岸線沿いにある四大領邦軍でも最大規模の要塞だ。近代的な改修を行った巨大な城塞。ラマール州の州都オルディスにも近く、数年分の物資を詰め込み数万人の兵士が籠城でき、ガレリア要塞など近代に作られた要塞を除いては間違いなく正規軍・領邦軍問わず最大最強最堅牢の軍事施設。

 そのジュノー海上要塞の頂上に、SUTAFE所有の軍事飛行艇四隻が着陸した。SUTAFEの行動は十中八九帝国情報局や鉄道憲兵隊も警戒している。五十人もの兵士が一斉に鉄道を使うのは得策ではないという判断だ。

(つっても、それだけのために四隻とも時間と第一予定地を変えて向かったのはずいぶん手がかかってるとは思うが)

 時刻は朝の十時。天気は女神の気まぐれか、シオンの気分に反して晴天。夏の焼けつくような陽光を、シオンは嫌そうに手で遮って即席の帽子とした。

 ある意味よそ者でもある自分たちSUTAFEの兵士たちは、順々に飛行艇から降りていく。その様子を特に動揺もなさそうに待っているのは、十人ほどの白い制服のラマール領邦軍兵士たち。

「今年から新たに新設された、近衛兵とは違う領邦軍の精鋭たちか……」

 そんな中、若々しくも勇猛な男性の声が響く。八班の面々の中では、特にサハドが目を見開いた。

「ふむ、中々に不可思議な組織のようだ」

 その声の主はラマール州兵とは、またSUTAFE兵の翡翠の平服とも違う青緑の軍服。さらには、帝国では珍しい褐色の肌。

「サザーラント領邦軍を統括している。ウォレス・バルディアスだ。今日の演習に際し、案内役として同行させていただこう」

 感じる違和感は、もはやシオンのものだけではなくなっていた。

 なぜ、ラマール領邦軍の最大拠点にサザーラント領邦軍の将軍がいる? なぜ、このタイミングで?

 シオンは既に八班の面々に夏至祭での真相を伝えていた。その八班を筆頭に不信を感じる者、未だ違和感で止まっているもの、そして何かに気づき笑みを浮かべる者。

 SUTAFE隊員たちはウォレス将軍とラマール州兵に導かれ、要塞の中を進む。目指す場所は吹き抜けの第一階層演習場だと伝えられた。

 進みながら、シオンは数アージュ先斜め前を歩く兵士を見た。

(エラルド……笑っている?)

 後ろを歩くシオンに表情は見えず、僅かに動く口角のみ。それは笑みにも見えるかもしれないが、貴族といえど正規軍人並みに厳格な彼のイメージとはかけ離れすぎて想像がつかない。

 戦闘を歩くウォレス将軍が不意に口を開いた。

「はじめに言っておくが……今日は皆にとって驚愕の一日になるだろう。軍人としての……覚悟を見させてほしい。どこの州の兵士であろうとな」

 ウォレス将軍は勇壮な槍術の使い手としても名高く、帝国でも十本指に届きうる実力の持ち主だ。言葉のひとつにも、重みがのしかかる。

 楽しそうな、緊張しているような、それでいて諭すような声。ますます持って、この演習の意図が読めない。

 やがて、長い長い要塞内の移動は終えた。リーブスの詰め所よりもなお広い要塞内の演習場。SUTAFE隊員は班別、五人十列の形をもって整列する。

 ラマール州兵たち招待した側は演習場の一辺、大扉の向こうへと消える。ただ一人、ウォレス将軍を除いて。

「さて……改めて、歓迎させていただこう。SUTAFEの諸君。中にはサザーラント州兵、俺の元部下もいるだろうが、久闊を叙するのはまたの機会とさせていただこう」

 ウォレス将軍は正面へと躍り出る。

「どうやら夏至祭で勇猛を貫いた者もいるらしいが……それはまあ、不問としておく」

「んぇ」

 妙な声が出た。何で知ってるんだ。

 シオンは班長として列の先頭にいる。たまたまウォレス将軍と目があった気がして、瞬間的に顔ごと下を向けてしまった。

 ウォレス将軍の表情はシオンには見えない。説明はそのまま続く。

「まだ自分たちが何故この場へ招待されたのか、判らない者もいるだろう。だが俺がこの場にいること、それが一つの答えでもあるだろうな」

 ウォレス将軍は歩き続ける。早々にシオンには興味を失くしたようで、説明を再開した。

「最近、我々が敵対する革新派の影響力が高まっているのは周知の事実だろう。貴族派上層部……つまり四大名門のお歴々は当然我々を指揮しその台頭を抑えてきた」

 建前もきれいごともなく、真正面から革新派と敵対していると言った。歯に衣着せぬ堂々とした物言いだ。貴族派に属する領邦軍、穏やかな気質のサザーラント兵とはいうが、将軍だけあって肝が据わっている。

「単刀直入に言おう。貴族派は近々、機を見計らったうえで革新派に武力制圧を仕掛けるつもりでいる」

 ざわめきが浸透した。五十人という、集会の規模としては小さいそれだが、今の一言はただの驚きではない。

 驚愕でもない。震えだ。貴族派を肯定する者も否定する者も、ついにこの時が来てしまったことに対する感情だ。それは口渇感と心臓の拍動となってSUTAFE隊員に襲い掛かる。

「その意図は、使われる身である我々の感知するところではない。その真相に頭を使うのは各々の好きにするといいが……ここで覚悟してほしいのは、その武力衝突における諸君らの役割だ」

 来るべき時の、自分たちの役割。そんなものは判り切っている。

 仕える存在が国でなく貴族なだけで、結局自分たちもまた軍人なのだ。正義か悪かは関係ない。自分たちが後世に正義として伝えられるために、どちらの悪となるかを選択するしかないのだ。

 それは、多かれ少なかれこの場のどの兵も判っている。否定などできない。それはウォレス将軍も理解しているだろう。

「今の貴族派と革新派の戦力は、見解にもよるが概ね五分と五分。天地がひっくり返っても、正面衝突ではどちらかの圧勝はあり得ない」

 その事実も、よほど考えのない者でない限りは判っている。だからこそ、勝つために貴族派は数々の謀略を尽くしてきたのだ。クロイツェン州では内地にも関わらず新型戦車の発注が増加し増税が行われ、SUTAFEが設立されたのだ。四州連合機動部隊が。

 そして、何よりも夏至祭の動乱が起きたかもしれないのだ。

 だが、それでも革新派は、ギリアス・オズボーンは鋼のように強い。貴族派のどんな謀略も、まるで遊戯盤の駒をとるかのように当然のように斬り返してきたのだ。

 並大抵の一手では革新派には勝てない。だからこそ、貴族派も並大抵でない一手を打ち出さなければならなくなったのだ。

 では、その一手とは何なのか。そう、SUTAFE隊員たちは、シオンは考え始める。

 数秒の沈黙。その後、力強い声をウォレス将軍は発した。

「その戦力を……遊戯盤の駒を強めるため、お歴々は一つの答えを用意した」

 音が聞こえた。SUTAFE隊員全員の鼓膜と、全身の骨に響く音。

「紹介しよう。ラインフォルト社の第五開発部が開発した、戦場と軍人を変える革新的な兵器」

 それは、足音。地響きのような足音。

「鋼鉄で造られた、大いなる巨人」

 それが、一歩一歩を踏みしめて、ウォレス将軍の背後に、SUTAFE隊員の正面に移動する。

「我々貴族派を再び帝国の土台に立たせる、現代の騎士」

 鉄血宰相の鋼の意志に負けない鋼の体躯。無骨な関節の数々に、手にはブレードと銃という装備。仮面のような無機質な頭部。

 シオンは息を飲み込んだ。その嚥下の瞬間の喉と喉の接触でさえ、一歩踏みしめるための轟音が不快感を生んだ。

機甲兵(パンツァーゾルダ)。それが、君たちが乗り込む兵器の名だ」

 シオンは悟る。後戻りができないことを。

 そして、進み始めた道が自分の理想からかけ離れていることも。

 吹き抜けの回廊。十時という時刻だから、まだ太陽は要塞の中に多くの影を作る。

 たまたまか、それとも動揺しているシオンを操縦者が注目したからなのか。

 薄闇の要塞の中。光を浴びる機甲兵が、瞳のない相貌をシオンに向けていた。

 

 

 







機甲兵登場

次回、第14話「鋼鉄の騎士」


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2章 揺れる信念
14話 鋼鉄の騎士






今回、機甲兵を描写するにあたり他作品の『虹の軌跡Ⅱ Prism of 《ARCUS》』より設定をお借りしています。
許可をくださったテッチー様に感謝の意を申し上げます。







 

 

 薄暗闇の空間。少しだけ精彩を欠いた景色の映像と信号と情報の羅列が、シオンの前面に無機質に映る。

 前方には、三機の戦車。ラインフォルト社が開発し、現在は帝国正規軍にも領邦軍にも配備されている最新機、アハツェンだ。

 場所はジュノー海上要塞の内部演習場。近代の趣が張り付けられた城塞都市は、四方も上下もすべてがコンクリートの壁と地面だ。ゼムリア大陸西端にあるはずのこの場所だが、まったくもって優雅な青空は見えやしない。

 三機のアハツェンは、まだ眼前の景色の遠くにいた。しかしゆっくりと前進を進めており、時間もかからずにに至近距離になるのは明らか。実際情報の羅列も、戦車があと一分五秒で十アージュの距離まで近づくことを計算してくれている。

 そのアハツェンの主砲が、ゆっくりとこちらに向き始めていた。

『シオン、突撃するぞ。いいか?』

 通信機からケイルスの声が聞こえた。

「ああ──」

 ケイルスと、そして声を出さないがフェイもそれぞれ左右に分かれて自分の後方に控えている。

 そう、自分は司令塔。そして、作戦は目の前で攻撃態勢に入っている三台の戦車を無力化すること。

「ケイルス、フェイ、前進開始!」

『イエス・サー!』

『イエス・サー』

 気合満々のケイルスとやる気のないフェイ、二人の声が重なる。

 直後、映像の両端から、ケイルスとフェイ──いや、人型を模した鋼鉄の騎士が戦車に向かって滑るように接近した。

 全長七アージュはあろうかという人型兵器──機甲兵。

「大破までしなくていい! 攪乱を目的に!」

 機甲兵、ケイルス機が大樹と思うほどのブレードを振りかざす。戦車一台が急ストップから後退、外したブレードは訓練用の樹脂製とはいえ轟音を要塞内に響かせる。続けざま主砲をケイルス機に向け発砲。ケイルス機は辛くもそれを避け、訓練用ペイント弾が背後の壁に汚れを四散させた。

 反対に、フェイ機は接近しすぎず一定の距離を保って、機甲兵用アサルトライフルで容赦なく戦車を被弾させ、キャタピラにもペイントを塗りつぶしていく。

 訓練規定により、戦車は走行不良扱い。そして対側の戦車も、ブレードの攻撃に阻まれその進撃を止めている。

 シオンは自分の手元、そして足元に意識を伸ばした。そこには、導力車や戦車よりも複雑な操縦機器の数々。両側二対のフットペダル、目の前のコントロールパネル、そして前に突き出した手に沿うように作られた五つのボタン付きスティックレバー。

 滲む汗に気づかず、映像が映る画面の文字『Driven wheel』を確認。フットペダルを踏み倒した。

「シュピーゲル、前進開始する!」

 シオンが──シオンが操る機甲兵である隊長機が、足部の車輪を唸らせながら前進。前方中央の戦車に向かう。

 戦車もまた負けはしないと、機関銃を掃射。実戦であれば恐怖を伴う弾丸が雨あられとなって振りかぶらせる。

 左手のスティックレバーを内側へ倒す。左上肢の大盾を構える。

 機関銃が盾へ被弾。オートバランサー起動。失速に加え右足のみ前に出したことで転倒は免れる。

「フェイは後退しつつ掃射で援護」

『はい』

 声掛けと同時、シオンは忙しく踏み倒していたフットペダルを足の甲で引き上げた。『Driven wheel』のさらに下、『Vertical movement』が『Lateral movement』へ切り替わる。

「ケイルスはそのまま、横移動しつつ戦車に睨みを利かせろ」

『了解、隊長』

 再度フットペダルを踏む。シオン機が、フェイが一秒前までいたその場所に向きを変えないまま横移動を果たした。

 前進から向きを変えないまま急激な横移動。戦車にはまず不可能な機動性。

 移動しながら、ブレードで中央の戦車を叩く。さらに、フェイが走行不能にした戦車の正面に来たところで、もう一度右足フットペダル横のペダルを押し込む。『Driven wheel』から『Nomal』へ切り替わり、自動的に『Lateral movement』が消失。

 画面越しに見える主砲の予測線が自身へ向けられる前に、シオン機は大きく足を振り上げて戦車を踏みしめる。主砲筒の転回を物理的に止める。

 その間、ケイルス機が端の一台を威嚇。フェイ機が中央の機動性を先ほどと同様に奪うが、被弾。今度は大きい。

『ドラッケン右肩に被弾。武装負荷相当、情報漏洩防止のため後退します』

「了解、安全にな」

 同時、シオンが操る機甲兵がブレードを戦車の頭部に突き立てた。この戦車も戦闘不能だ。

 残るは、ケイルス機が相手取る一台のみ。

「挟撃を行う。行くぞケイルス!」

『おう!』

 戦車に向かい、両側から接近する二体の鋼鉄の騎士。

 最後の戦車が大破扱いになるのに、十秒もかからなかった。

 

 

────

 

 

 機甲兵から降りたシオン、ケイルス、フェイの三人は、次の訓練を行う兵士と二、三言葉を交わしてから待機用のタープテントへ移動した。

「お疲れさん、三人とも」

「お疲れ様です。いい訓練でした」

 待機場所に戻ると、別班のメンバーと先に訓練を経験していたサハドとレイナが労いの言葉をかけてきた。三人は順々にそれに応えて、パイプ椅子に座りつつ休憩を始める。

「ケイルスさん、ようやく操作に慣れてきた感じですね?」

「フェイには負けるさ。クロイツェンの部隊にいた時も戦車とか装甲車の扱いはうまくなかったから……そういえば、扱いもなれたもんだよな?」

「一時期、鉄鉱山でバイトしてたことがあって。知り合いに重機の扱いを叩き込まれたことがあるので」

 ケイルスとフェイは、各々感想を言い合っている。普段は態度に癖のあるフェイだが、意外な操縦センスを発揮していて八班のなかでもシオンに次いで高評価を得ていた。

 逆に機械音痴なのがケイルス。比較的戦闘速度が遅かった先の訓練では楽しげに操縦しているた、基本的にもたついていることが多い。

 別班の訓練が開始された。再び轟く音を感じつつ、シオンは観戦していた二人とも小会議を試みる。

「それにしてもすごいねえ、機甲兵ってのは。未だに操縦の感触が残ってる」

「シオンさんの隊長機(シュピーゲル)は、通常機(ドラッケン)とは違う兵装もあると聞きましたが?」

 サハドは操縦していたであろう己の両の掌を見ながら閉じ、開きを繰り返す。レイナは機甲兵三機のなかの一機を話題に出した。

 それほど操縦が得意ではない、というのがレイナとサハド。しかしあくまで従来の戦車との差異に戸惑っているだけで、隊のなかでは中盤程度の実力だ。

 シオンはレイナの質問に返した。

「ああ。銃やブレードの類じゃなくて、導力を使用した防御システムだな。こればかりは模擬訓練もできそうにないから、使用は禁止されているけど」

 その後も、機甲兵について、操縦技術に関しての話し合いと観戦は続く。

 現在は九月も下旬。夏真っ盛りという陽光も鳴りを潜め、落ち着いた秋空になりつつある季節。

 八月に初めてその存在を領邦軍内部で公開された機甲兵。そこからSUTAFEは、機甲兵の操縦士としての訓練を続けている。いずれ始まる帝国内戦において、この鋼鉄の騎士で革新派という()()を洗い流すために。

 機甲兵。恐らく間もなく始まる内戦を皮切りに、時代を変えることになる新兵器。全長七アージュはあろうかという、鋼鉄の騎士。

 ゼムリア大陸には七耀暦という暦が用いられている。かつて栄華を誇ったと言われる古代ゼムリア文明が終焉を迎えた大崩壊を一年。そこから現在千二百四年までつづく歴史の中で、人は戦いを続けその力を進化させてきた。肉体から打撃武器へ、剣へ。歩兵としての戦略が進み、やがて銃火器が出現する。

 約五十年前、導力革命が興ると兵器の進化はさらに加速した。七耀石から抽出され半永久的に使用可能というある種無限のエネルギーを秘めた導力器は、銃火器はもとより飛行船をはじめとする様々な技術に用いられ、日常生活へ侵食し、そして多くの強国は導力器を用いた兵器の開発にしのぎを削っていった。

 蒸気機関や内燃機関に取って代わった導力機関を用い、並外れた機動性を武器に歩兵を蹂躙した戦車や装甲車。

 十二年前、リベール王国軍を発端として帝国の戦車・歩兵部隊を圧倒した飛空艇。

 そして帝国における導力技術の権威、G・シュミットが完成させたというこの機甲兵は──また戦場を変える。先の飛空艇が奇襲により帝国軍を圧倒したとはいえ、未だ大陸において最強の名を欲しいままにする帝国の戦車を蹂躙するだろう。

 機甲兵は、戦車を狩るためにできている。

 全長七アージュという高さは、戦車の中の兵士でさえ畏怖させる。人を模し、人に近い機動性から繰り出される巨木のような斬撃や打撃は地形を破壊する。そして、側部に着いたランドローラーによる機動性は戦車のそれを優に上回る。

 現に、模擬戦とはいえ機甲兵は戦車との訓練において高い確率で勝利をたたき出している。実際に内戦が始まり正規軍が対抗戦術を編み出せばまた拮抗もするだろうが、そもそも優位な手札を持っているという絶対性は揺らがない。

 今も、また扱いの慣れない機甲兵なのに戦車部隊に対して負けていない。

 そんな他班の模擬戦を眺め、シオンは考える。

(俺は……どうすればいい?)

 貴族派は、今まで新興勢力の革新派に負け続きだった。それが、機甲兵という存在の出現により状況が変わった。勝てる可能性が見込めるようになったのだ。多くの力と知略に長けた将兵が軒を連ねる正規軍から。

 だが、正規軍とて……鉄血宰相とて馬鹿ではない。必ず対抗してくる。仮に負けるとしても、簡単には終わらない。それは、近く始まる内戦が泥沼の様相を呈する可能性を示している。

 戦争では数日なんて簡単には終わらない。百日戦役のような期間など珍しくもない。そして、内戦であれば脅かされるのは帝国の大地。外国との国境線ではない。それぞれの都市が戦場となり、さらに城壁もない田舎の町村は、場合によっては戦火に簡単にさらされる。

貴族派(こちら)から仕掛けるなら、まず主戦場は帝都近郊。トリスタやリーブスも入るだろう。そしてトリスタと隣接する町は──ケルディック)

 故郷が危険にさらされるかもしれない。自分が属する軍隊の一手によって。

 止められるのか? 貴族派を? 無理だ。自分の権益を守るしか能のない四大名門の筆頭たちを、自分一人で止められるわけがない。例え八班を巻き込んでも同じだ、

 なら革新派に寝返るか? 内戦の兆候や機甲兵の情報をリークして? それなら貴族派の愚行は多少変わるかもしれない。けれどそれでも、追い詰められた貴族たちが何をやるか判ったものではない。

 内戦に至る流れは止められない。そもそも自分が入隊するずっと前から、両者の戦いは激化していたのに。行きつくところまで行きついたこの状況を変えるなんて、相応の立場にいたとしてもできるかどうか怪しすぎる。

「訓練、止めー!」

 唐突に声が響いて、シオンははっと訓練場を見渡した。SUTAFEの機甲兵訓練の監督をしているラマール州の将官だ。集合の命令を出している。

 最後に機甲兵を操縦していた兵士たちが、慣れてきた感のある操縦技術で機甲兵を隅へ。その間、兵士たちは整列する。

 一先ずの心配事を思考の隅へ追いやり、シオンは将官に注目した。

「諸君らの訓練を見させてもらった。個々人に技術の差はあるが、いずれも機甲兵の操縦には慣れてきたようだな。いい具合だ」

 SUTAFEは既存の軍隊と比べ後方勤務に回ることが多い。普段の業務をこなす四大領邦軍より蓑に隠れて特異な訓練業務を行いやすい。その甲斐あってか、四大領邦軍ち比べ集中的に実力を伸ばすことができていた。

「ここにいる全員が機甲兵を操縦することになるとは限らない。諸君らSUTAFEの性質が領邦軍の補佐である以上、操縦士にも歩兵にもなり得るからな。いずれにせよ、このまま精進を続けてほしい。誇りある我ら同胞のために」

 同胞のために。シオンには空虚に聞こえてくる。

 その後、将官は次の訓練の説明に移る。今までは所謂基礎編というか、機甲兵を操る基本行動と、内戦で多く遭遇するであろう対戦車を想定しての訓練が多かった。班分けも凡そが気心の知れたメンバーとの共闘だ。

 だが今日は、別の内容の訓練を行うらしい。

「あまり考えたくはないが……内戦の終盤となれば機甲兵が奪われる可能性もあるだろう。機甲兵はパスコードによるシステムロック機能を有しているので、革新派が使えるということはまずないだろうが……万一に備え機甲兵同士の戦闘を想定した訓練を行ってもらう」

 それは、機甲兵を操って機甲兵と戦うということ。

「あくまで緊急時の訓練だ。かける時間もあまりない、よって今日は成績優秀者を代表として集団戦を行ってもらう」

 将官が選んだ成績上位者を対象とし、二人一組で戦うエキストラマッチ。順当に選ばれる

 そして選ばれた人選に、シオンは絶句する。

「エラルド・ローレンス、シオン・アクルクス。お前たちがチームを組め」

「……げぇ」

「……フン」

 嫌な予感しかしなかった。最早一周回って運がいいのかもしれない。

 八班のメンバーが気まずげにシオンを見守る中、シオンとエラルド、そして二人の対戦相手となった計四名の代表者が機甲兵に乗り込む。今回は全員が通常機であるドラッケンだ。

 操縦席の中の赤いランプを押し込み、緑色になってハッチが閉じる。導力エンジンを起動させるレバーを順に押し上げていく。操縦席に光がつき、モニターも起動。ディスプレイに機体情報が移ると同時、この段階では早すぎる導力通信のアラームが鳴る。

 シオンは、起動シークエンスの前に、嫌そうに通話スイッチを切り替える。通信機から聞きたくもない声が聞こえてきた。

『聞こえるか、アクルクス』

「なんだ、ローレンス嫡男」

『フン、いつもの態度は崩れていないようだな』

 訓練場の地形データ、天候、気質を設定する。次に友軍指定と敵機指定。姿勢制御はオートに。

「だからなんだ?」

『最低限の会話をとる度量だけはあるらしいと、安心したところだ』

「へ、それはこっちの台詞だ」

 視界モードの切り替え。今は暗視もサーモグラフィーも必要ない。

「はっきり言ってやる、俺はお前が嫌いだ。お前もだろう。だから、こんな訓練とっとと終わらせるぞ」

『まさか貴様と意見が合うとはな』

 兵装選択。現状のドラッケンはブレードとアサルトライフルが主武装だ。エラルドがブレードを選択したのを見て、シオンはアサルトライフルを選択する。

『腑抜けた連携をとったら、直ちにその根性を叩きなおしてやる』

「それもこっちの台詞だ」

 アイドリングモードを解除。自身の操縦に合わせ、ドラッケンが動き出す。

『貴様は機動力を持って威嚇しろ。俺が剣で仕留める』

「仕事は平民に任せないでちゃんとやれよ、お坊ちゃん」

 敵対する機甲兵を見据える。彼ら二人もSUTAFEの中では上位の機甲兵操縦者だ。班は違うが、四月からの生活で話もするようになった。今回の訓練においても、ある意味同程度の実力者として八班とは別に相談を持ち掛け合ったりしている。

 それでも、勝てない相手ではない。シオンはもとより、エラルドは隊の中でトップの実力を持つのだ。気に入らないことに。自分の器用貧乏の性質が合わされば、着実に勝つことは不可能でないはずだ。

 気に入らないことは沢山ある。貴族派は賛成できない。エラルドは嫌いだ。それでも、何とか自分はこの道でできることを探らなければ。

「シオン・アクルクス。戦闘を開始する!」

 シオン機が、そしてエラルド機が。それぞれ動き始める。

 SUTAFEの中で、初めての対機甲兵戦。その火蓋が切って落とされた。



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15話 黄金の羅刹

 

 

 機甲兵が機甲兵と戦い、正面からの戦いを想定した訓練。その戦いには五分の時間を要した。

 結果はシオンとエラルドの大敗だった。相手の機甲兵を小破程度の損傷しか与えられなかった。

 当の二人のみならず、対戦相手も、観戦していたSUTAFEの面々も、将官たちでさえ呆気に取られていた。この結果は予想できなかったのだ。

 一人はエラルド・ローレンスで、名実ともにSUTAFEの中でトップの実力を持っていた。単純な技術に機甲兵の特性の理解、人型兵器を用いた戦闘における一瞬の判断力。どれもがトップクラスの能力を持つ。

 片や、シオン・アクルクス。操縦技術は並みの兵士と遜色ないものの、やはり現状では機甲兵という兵器の特徴を掴んだ運用ができる数少ない兵士の一人。加えて機甲兵や戦車という状況を組み合わせた戦術展開は光るものがあり、その戦略性を持ってSUTAFEにおける機甲兵操縦者の中でトップクラスの実力を持っている。

 その二人が組んだペアが、もちろん実力の近い成績上位者とはいえ格下の二人に大敗するとはいったい誰が予想できたか。

 いや。八班の面々は、多少なりとも予想はしていた。

「あちゃー……」とサハドが頭を掻く。

「シオンさん……」と心配げなレイナ。

 フェイは無表情を貫くが、それでもいつもと違い眉をひそめる。

 そしてシオンの親友であるケイルスは、「やっぱりか……」とため息をついた。

 全員ではないが、シオンとエラルドの関係性は多くの人間が知っている。六月に二人が繰り広げた兵棋演習、これは今でもSUTAFEの話題の語り草になっている。

 それでも野次馬程度の人間は、シオンの激昂は一時のものだろうと考えているだろう。あの二人が毛嫌い程度でなく、心底互いの存在を嫌がっているということを知るのは、彼らとよく接している数人だけだ。

 文と武の多くの分野で頭角を現す二人は、いざ訓練となればしっかりと己の役目を果たすという可能性もあった。が、結果は御覧の通り散々だ。ケイルスの嫌な予想が当たってしまった形となる。

 重々しく告げられた審判の合図で、機甲兵四機は所定の場所へ戻る。ハッチが開いて四人が降りてくる。地上に降り付いた操縦者は次の操縦者と打ち合わせをする手筈なのだが、シオンとエラルドは兵士に目もくれずお互いへと大股で近づいていく。

 SUTAFEの隊員たちは既視感を覚える。

 まずい、ラマール州の将官がいる前で前の喧嘩騒ぎを繰り広げる気か。

 シオンとエラルドは、互いに互いの軍服の胸倉を掴んだ。今にも戦争勃発の様相だ。

「細かいことをごちゃごちゃと言う気はねえぞ」

「当然だ。答えははっきりしている」

 大方、戦闘をしながら通信機で喧嘩でもしてたのか。それなら勝敗はともかく一応は戦闘の形になっていたので十分に恐ろしい技術だと思うが。

 だが、いずれにせよ喧嘩は良くない。間違いなくラマール州に悪評が広がってしまう。現に、異変に気づいたラマールの兵士たちも集まってきている。

 止めなければ。そう思ってケイルスが八班の面々に合図をしたとき。

「そこの者たち。いったい何をしている」

 凛として力強い。胃の奥が締め付けられるような美しい声が、訓練場に響き渡った。

 突然の声には、多くの者が次にしようとしていた行動を止めざるをえなかった。

 事態を収拾しようと動いていた兵士は止まり、野次馬をしていた者たちは振り返る。

 シオンもまた、エラルドの胸倉から手を離さざるをえなかった。その声に肺腑を震わせられただけでなく、上官相手でも堂々とした(というより偉そうな)立ち振る舞いを崩さないエラルドが、初めて焦ったようにシオンの胸倉から手を離したから。

 自然、野次馬になっていた兵士たちが二つに分かれ道を作る。その中心にいたシオンとエラルドは、一応は対峙を止めて自分の身なりを整えて、開いた視界に立つ者を見る。

 その人物を見てシオンは絶句し、エラルドは気まずげに直立を続ける。

「勝負の行く末は見届けた。ローレンス、そして……アクルクスか。貴様らの敗北ということはな」

 女性。シルバーブロンドの長髪は女性的な艶やかさを思わせるが、纏う覇気は男女問わず戦くような力強いもの。

 薄紫の美しく鋭い眼光と、そして同じ紫が生える白地の兵服。しかし、豪奢な装飾は一兵士などではない。明らかに統括者と言えるもの。

 ラマール領邦軍総司令、オーレリア・ルグィン。

 オーレリア将軍は続けた。

「それで……いったい何をしようとしている?」

 その一歩一歩が、ただの人間では諍えないような空気を作り出す。

 近づいてきた将軍に、もはやSUTAFEの兵士たちは整列をするしかできなくなる。

 静寂を破ったのはエラルドだった。

「お久しぶりでございます、ルグィン伯爵閣下」

 そういえば、ルグィンは伯爵家。そしてローレンスも伯爵家だったはずだ。同じラマール州、面識があったのか。

「フフ、其方も壮健そうで何よりだな。しかし、ここはあくまで領邦軍。それ相応の姿勢を取らせてもらおうか?」

「……はっ」

 比較的大人しくエラルドは一歩下がった。

 オーレリア将軍は一瞬の笑みを浮かべ、しかしそれを冷徹なものに変えるどころか、一層面白いものを見るような眼でシオンを見た。

「悪いが、貴様のことは今しがた名を知ったばかりでな」

「はっ。シオン・アクルクス。クロイツェン領邦軍より出向。SUTAFEでは第二小隊、八班の班長を任されています」

 直立し、かつてクロイツェン州で隊長たち相手にそうしたように。身分を明かす。

「……」

 対するオーレリア将軍は、何も言ってこない。ただ、シオンとそしてシオンを見る兵士たちを見続ける。

(これは……きついな)

 クロイツェン州の隊長や将軍などとは別次元だ。もちろん実力のある将軍もいたが、あくまで立場ある者としての作られた威圧感が強かっただけ。シオンにとってはたいして恐怖感を煽られるような存在ではなかった。

 けど、目の前の女性将校は違う。立場なんてものを抜きにして、純粋にその武術だけで世界を蹂躙できそうな力を感じる。本気では向かってはいけないと、己の中の本能が呼び掛けている。

「先の訓練は見させてもらった。ラマール領邦軍の統括者として、それなりにSUTAFEのことは把握しているつもりだ。と言っても、個人の名までは知らぬが」

 オーレリア将軍は、悠然と構え続ける。

「結果は結果だ。お前たち二人に勝利したあの二人を褒めて然るべきだろう。しかしお前たちには納得する、しない以前の問題があるらしいな。言ってみるがいい」

「それは……」

 どもるシオンだが、一秒も待たずにエラルドが言い放った。

「自分とアクルクスの連携に欠陥があります」

 旧知の仲らしいオーレリア将軍とエラルドだが、ここにいる以上兵士としての態度は貫くということか。嫌いな奴だが、公私混同はしない態度に余計腹が立つ。

「ほう?」

「SUTAFE設立以来、自分とアクルクスは度々衝突を起こしてきました。今回、彼ら二人に負けたのは連携に欠陥があるからです。別の編成であれば、支障なく任務をこなせるかと」

 遠まわしかと思いきや、比較的直球でシオンが嫌いであることをオーレリア将軍に告げたエラルド。

「貴様も同様の意見か? アクルクス」

「……はい」

「なんだ、気が合うではないか」

 シオンとエラルドが、二人して顔をしかめる。断じて気が合うなんて思いたくない。

「正直で結構なことだが、作戦には常に不確実な要素が入り込む。戦況が変わった結果、別班の貴様ら二人が共に戦わなければならない可能性も零ではあるまい?」

 まったくもって将軍の言う通りだった。

「それは理解しつつも、あくまで納得はできないと?」

 変わらず畏怖の感情はこみ上げてくるが、もうこの武人を前に中途半端な嘘などできそうになかった。シオンは正直に頷く。エラルドも同様だ。

 恐らく、領邦軍兵士としては貴族でもある上官に半ば逆らうような態度をとる人間はこれが初めてだろう。

 そんな二人を前に、オーレリア将軍は今日一番の笑みを浮かべる。

 そして告げた。

「面白い。ローレンス、アクルクス。少々付き合うがいい」

 

 

────

 

 

『おい、アクルクス』

 本日三度目の機甲兵の中。先ほどと同じように、起動シークエンスを踏む。そんな中、聞きたくもない声が通信機から聞こえる。

「何だ、ローレンス」

『もはやかける言葉はない。勝手にやらせてもらうぞ』

「ちっ、どうぞご勝手に」

 再び組まされたエラルドとの編成。納得できないのはどちらも同じだった。

 先ほどの戦い、何度も言うように原因は連携不足だった。お互い嫌い成りに協力し合う気はあったのだ。だが見事なまでに打つ手打つ手が噛み合わず、いつの間にか意思疎通は喧嘩へと成り下がり、最後には終始無言で戦うことになった。連携をとる相手に対し勝てるわけがない。

 互いが互いを嫌っていることは判っている。シオンは典型的な貴族派……とも言えないエラルドをどこか気に入らず、エラルドは『貴族派にいながら平民の利を考える半端者』だからシオンを好きになれない。

 ある意味正直者同士の二人なので、少しの衝突を除けば互いに避けることでいい結果が期待できるとは思っていたが、その少しの衝突が原因でこんな大騒ぎになるとは。

 これから行われるのは模擬戦の再開で、引き続きシオンとエラルドが班を組む。その提案をしたオーレリア将軍は、『事情は判っている。貴様ら二人は連携を取らなくてもよい。相手は一人だからな』と変わらず笑みを浮かべていたが。

 その真意は読めないが、堅苦しい上官より優しい采配と堅苦しいより恐ろしい気迫なので断ることはできなかった。

 なんにせよ、別に負けるからと言って咎められるわけでもない。嫌な連携を強要されるわけでもない。要はたまたま敵の敵がいるようなものだ。利用すればいい。

「とは言ってもな……」

 一応は体裁を保つために通信を繋げたままぼやいた。

 エラルドとは違う原因で、今シオンは嘆いている。

「なんで天下のオーレリア将軍と戦わなきゃならないんだよ……!?」

 シオンとエラルドの正面に構えるのはシュピーゲルだが、色が通常の者と違う、黄金色。

 《黄金の羅刹》オーレリア・ルグィンの愛容機、金色のシュピーゲル。手に持つのはやはり通常のブレードとは違う、彼女自身の得物を模した深紅の両手剣。

「それを肩口に片手で構えるとか……どうなってんだ」

 覇気を用いて戦う生身とは違う。あくまで機械の体でどうやって構えているのだ。

「なんにせよ……やるしかない、か」

 あの将軍、領邦軍における倫理は平気で破るくせに自分の命令には絶対従わせるという恐怖政治を敷いている。そもそも上官の命令は絶対なので倫理にかなっていると言えばそうなのだが。

 戦うしかない。この模擬戦のくせに命の危険を感じる将軍を相手に。

 導力エンジンが駆動をはじめ、ドラッケンの全身に導力が伝わる。演習場の中心に構える三機の機甲兵が、重々しく得物を構える。ちなみに今回はシオンもエラルドと同じくブレード使用だ。

『フフフ……準備は整ったようだな』

 集音マイクからオーレリア将軍の声が聞こえてきた。恐らくは発声用マイクから喋っているのだろう。ずいぶんと楽しそうだ。

 ええい、もうどうにでもなれ。

「シオン・アクルクス、発進する!」

『エラルド・ローレンス……発進!』

『オーレリア・ルグィン……参る!』

 三者の声が重なり、轟音が戦場を揺らし始めた。

 初めにエラルド機が即座に剣を突きの形に構えて突進、ランドローラーを駆使しての速攻だ。

『いきやよし!』

 同じくランドローラーを使用し、横移動で避けるオーレリア機。避けながらエラルド機に斬撃を放つ。

 巧みな操縦で回旋、今度はシオン機に向き直ったオーレリア機が速攻。しかし突きではなく。

「飛んだ──!?」

 突然、身をかがめると膝関節を伸展させて跳躍した。規格外すぎる動きに度肝を抜かしつつ、シオンは忙しく操縦桿とペダルを動かす。

 直観が告げた。

(回避は間に合わない! 防御も蹂躙される! なら──)

 移動をランドローラーに切り替え。ブレーキペダルとアクセルペダルを同時に踏み込む。導力エンジンがバーストを起こす。

 上空から迫る黄金の機体。迫力は列車砲の砲弾を迎え撃つに等しい恐怖感。

「突っ切るしかねえだろぉ!」

 ブレーキペダル解放。足元から火花が散り、塞き止められていた回転力が機甲兵の踵部で爆発した。

『面白い!』

 シオン機の頭上でオーレリアの笑い声が響く。撃音を響かせて直進するシオン機は、オートバランサーで身をかがめたことも幸いし、辛うじて跳躍するオーレリア機の真下を通り抜け、大上段からの振り下ろしを回避。

 しかし、あの黄金の羅刹が簡単に回避を許すわけがない。だからこそ、シオンはスティックレバーを操って剣士の納刀のように腰に携えた。

 背後から地割れのごとき振動。マップモニターを見るとオーレリア機がいるのが判るが、それだけではどんな挙動をしているのか判らない。

 一秒の間もなく、続けざまに衝撃がシオン機に襲い掛かる。ディスプレイを確認、背後からの斬撃だ。狙い通り腰より後ろに突き出たブレードの切っ先で体幹への直撃は防げたが、そもそもどうしてあれだけの着地の後に即座に百八十度真逆の位置にいる自分に斬撃を浴びせる機動力が生み出せるのだ。

「見れない……どんな動きしてんだっ!」

 そのまま演習場の端まで逃げる。初めて左右の回転数を変えて回旋、向き直る。

 そこでは、初撃を外したエラルド機が再びオーレリア機に近づいていた。

『はぁああ!』

 通信機と集音マイク、双方から重なるエラルドの咆哮。ローラー駆動から一転、力強く踏み出した一歩と共に袈裟懸けの一閃。

 負けじとオーレリア機の振り上げ。両者の剣が激突し、演習場に突風が生まれる。

『やるな、ローレンス!』

『ぐぅう……!』

 機甲兵のまま鍔迫り合いを続ける両者。

 機甲兵同士での戦闘は、対戦車戦よりも一層格闘戦の様相に近づく。しかし、基本的に生身と比べて全身の関節の可動域は狭く、格闘戦といっても一定の想像を超えることはまずない。

 だがその迫力は生身とは段違いだ。同じ目線で見つめる自分でさえ、畏怖の感情を抑えきれない。

 とは言え、オーレリア機がローレンスの奮闘に集中しているこの状況。利用しない手はない。

 恐れを捨てろ。勝てるかどうかなんて知らない。

「行くしかない……!」

 フットペダルを全力で踏み込む。火花の轍を地面に引きながら一直線にオーレリア機へ。

 が、次の操作をする直前になって誤算が生じた。

『甘い! 甘すぎる!』

 シオンが絶好の距離まで近づこうとしたまさにその時、オーレリアの勇ましい声と共に弾かれたローレンス機の大剣。手放すことはなかった、それでも大剣に引っ張られローレンスは大きく大勢を後ろへ傾げさせた。オートバランサーが働き、大きく脚を踏み込む。

 その一応の仲間の危機を気にする間もない、目の前で体勢をこちらに向けたのはは帝国トップクラスの武人だ。

「それが、どうした!」

 気合いの咆哮と共に、ローラー駆動から歩行モードへ。同時に前足となっていた左下肢を振り上げる。ギギ、と右足が過剰な負荷に悲鳴を上げるのも気にしない。

 誰が機甲兵の武器が兵装だけだと言った。蹴りだって立派な攻撃だ。

『ほう……!』

 漏れ出るオーレリア将軍の声。蹴りの姿勢のままシオン機はオーレリア機に衝突し、大量の鉄骨が崩れるような大音響を響かせる。

 衝撃が強すぎて、シオンはコックピット内でシートベルトに内臓を締め付けられた。頭も座席の後ろの機械にあたって痛みを訴える。

 が、捨て身覚悟の攻撃でも、オーレリア機は倒れない。

「まじかよ……!?」

『フフ……久々に面白い人材を見るけられたものだ』

 先ほどのオーレリア機の姿勢は直立に近かった。とてもこちらの蹴りと体当たりに耐えられるような状況ではなかったはずだ。

 機体の細かな導力伝達を調整して、一部に大きなエネルギーを生み出すことで一見してあり得ない挙動を可能にしているのか。そういえば先ほどのローレンスの剣を弾くときの挙動も、どう考えても普通の操縦ではできない。

 だが、そんなことよりも。

「重い……!」

 操縦桿を必死で前へ倒しているのに、万力のような力で押し返してくる。それはそのまま、取っ組み合いをしているオーレリア機との出力の差が出ているのだ。完全に力負けしている。

 全体重を預けて左手で押し込み、辛うじて右手の操作で大剣を手から離した。機甲兵も両手を使わなければ立ち向かえない。

 マッピングシステムに点灯されている一つの点が、すなわちローレンス機が再び攻撃体勢を取り、オーレリア機へ突っ込む。これはまるで、シオン機ごと葬り去るような挙動。

 この瞬間だけは、怒りよりも称賛が勝った。オーレリア将軍に犠牲を払わずに勝つなど、少なくとも今の二人では不可能だ。

 だが、それすらも遅かった。

『なかなか楽しめたぞ。ローレンス、アクルクス』

 押し合いながらも半身となるオーレリア機。空いた右手で大剣を振るい、再び迫るローレンスの大剣の柄を切り裂いた。大剣が大きく宙を舞う。

 左手でシオン機の腕を掴む。まずいと思う暇もなく。

『余興も終わりだ』

 オーレリア機のランドローラーが唸りを上げた。しかも横に。姿勢を崩されているローレンス機にむしろ近づき。

『はああ!!』

 掛け声とともに、オーレリアはあらゆる導力を駆使してシオン機を引きずる。シオンは必至で抵抗するが、ほとんど意味をなさない。

 そのままシオン機は、ローレンス機に向かって無造作に投げられた。もはや完全に転倒し、何とか防御に徹しようとしていたローレンス機になだれ込む。

「くそ!」

 一応は転倒姿勢からの復帰を指導されたが、そもそも戦闘中に転倒した機甲兵は瀕死と同義だ。この時点で、シオンの敗北が決定する。思ったより悔しいと感じる自分に驚きつつ、その憤りを隠さずにコックピットのシートを叩く。

 静寂に包まれた訓練場。ローレンス機も胸に深紅の大剣を突き付けられていた。これは実戦であれば重要機関を破壊される──言うまでもなく死と同義。

『機甲兵は、四肢を破壊するより転倒刺せるほうが容易だ。皆も覚えておくがいい』

 静かに告げるオーレリア将軍。

 シオンたちは、二度目の黒星を噛み締めることとなった。

 

 

────

 

 

 ジュノー海上要塞の司令室は、地上階から天守へと至る途中に存在している。

「アクルクス、其方はクロイツェンからの出向だったな。どうだ、このオーロックス砦の司令室とは違うか?」

「……趣は同じですが、広さは段違いかと。将軍はオーロックス砦に寄ったことはないのですか?」

 オーレリア将軍に招待された、というより連行された司令室に入る。

 言葉を交わしながら、将軍は迷うことなく調度品が備えられている場所へ歩く。

「領邦軍上層部の会合でならな。ふふ、他愛のない会話だ。流すがよい」

「はい」

「軍人の上下関係など、今は忘れるがよい。茶を入れてやろう。座れ」

「はぁ」

 むしろ命令に逆らったほうが死にそうな気がしてならないが。

 機甲兵の操縦訓練は今も続いている。だが最初に二連戦を繰り広げたシオンとエラルドは休憩することになり、しかもシオン一人は天下のオーレリア将軍に直々にこの部屋に連れてこられた。

 天衣無縫とも言える将軍は、なおも自然体で自ら紅茶の用意をしている。これ以上従わないのも怖いので、シオンは大人しく来客用のソファーに腰かけた。

「まあ其方としては、酒の類のほうが喜ぶかもしれんがな」

「な、なぜそれを?」

「顔を見ればわかる」

 なぜだ。

「とは言え、私と酒の席を共にできる者などそうはいないが」

「ラマール領邦軍司令にして伯爵家当主でもある貴女に、釣り合う男などそうはいないでしょうから」

「いや、そうではない。大抵の者は途中で意識を失うからな」

 だからなぜだ。なんで物騒な話題しかない。

 用意された紅茶入りのカップを、シオンは心なしか震える手で持つ。それを一口飲むころ、オーレリア将軍も対面の席へ座る。

「先ほども言ったが、中々に楽しませてもらったぞ。機甲兵は多くの者にとって新兵器。私とまともにやり合えるのも、まだウォレスぐらいしかいないからな」

「恐縮です。……と言っても、五分も経たずに完全敗北となりましたが」

「仕方あるまい。せいぜい精進するがよかろう」

「ええ、こちらも学習させていただきます」

 オーレリア将軍との一戦は、シオンにとって学べるものが多かった。機甲兵の操作方法には、まだまだ工夫を凝らすことができる。オーレリア機の起動には教えられた操作以外に、導力の出力の誘導や集中による膂力、それを駆使した生身の体術の模倣。戦闘の最後に転倒させられたのは、あくまで単純な殴る蹴るしかできない今のシオンではまずできない挙動だった。

 自分の可能性を黙考していると、オーレリア将軍は言った。

「さて、本題に移ろう」

 その声には、面白いものを見ると同時に、試すような凄みも感じる。

 オーレリア将軍は核心をついた。わざわざ一兵卒であるシオンを呼び出した理由だ。

「連携不足に本来、どちらが悪いなどと子供の問答はしない。だが其方には、少々心当たりがあるようだな」

「……判りますか」

「判るとも。私を誰だと思っている」

「……」

「ここは二人だ。語りたいことを正直に話すがよい」

 それは言うまでもなく、エラルドとの連携の不備を言っている。

 わざわざ一兵卒のシオンに連携の大切さを説くために読んだのか。型にはまらない将軍だ。

(どうする……?)

 相手は貴族派が要する領邦軍のトップ。性格には合わなそうだが、シオンの素行を上層部に話して拘束することもできる人物だ。

 だが、この場でやり過ごすこともできなさそうだ。それだけ、有無を言わせない迫力がこの将軍にはある。

「ではお聞きします……」

 覚悟を決めた。圧は怖いが、それでも決して殺されるわけではないだろうと落ち着いた。

 その空気を感じ取ったのか、オーレリア将軍は笑う。意外な才能のある者がいるものだなと。

 シオンは発した。決意と、少しの震えと共に。

「貴女は……疑問に思わないのですか、この状況に」

 

 







次回、怖いお方との対談


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16話 衝突の意志

 

「貴女は……疑問に思わないのですか、この状況に」

 ジュノー海上要塞、司令室。シオンが向き合うのはただ一人、ラマール領邦軍総司令オーレリア・ルグィン。

 意を決して放たれた問いに、しかしオーレリア将軍は間髪を入れずに答えた。

「貴族派の愚行(ぐこう)にか」

「……っ」

「ならばこちらからも問おう。そなたは必然だとは思わないのか? 貴族派がなそうとしている内戦が、どうあがこうが遅かれ早かれ始まってしまうことに」

 機甲兵訓練の際に露呈してしまった、シオンのエラルドとの連携の不和。そこから始まった対談で、オーレリア将軍は正直に話せと言った。

 だから、正直に問うた。使われる存在とは言え、四大名門にも一石を投じられる影響力を持つ武人に、その大義を。

 だが、オーレリア将軍自らが貴族派の行動を愚行と呼ぶとは。

「必然だと……思いたくはありません」

「それは少なくとも、私の問いに是として答えているな」

「必然だから仕方ないと……そう考えるのですか」

「自惚れるな。そなただけが停滞から抜け出しているとでも? 自らの意志で誇りを持って行動している人間は山ほどいるぞ」

「そんな……誇りなんて」

「まずはそなたの考えを、決意を言って見せろ。それからだ」

「……内戦を防ぎたい。この無理して油を注しているボロボロの飛行船という帝国を、何とかしてでも安全な場所へ。それが、俺の決意です」

「それは決意ではない。(すが)るような望みだ。子供の駄々か?」

「……っ」

 言葉の一つ一つに、獣の咆哮のような圧を感じる。

 無意識に本筋から逸らそうとしていたシオンは、とうとう自分の素をさらけ出す。

「俺は、貴族派の()()を許せない。内戦なんて、多くの命が危険にさらされる」

 堂々と、正面から貴族派を非難する言葉。オーレリア将軍と同じ言葉を使うことで、初めて彼女と同じ盤上に立てる。

 少しだけ、オーレリア将軍の圧が和らいだ気がした。

「つまりそなたは、革新派を、かの鉄血宰相を支持すると?」

「貴族派を否定することが、革新派を肯定することに繋がるわけではありません。ですが、これはあまりに……」

 両者の軋轢は年々増している。原因を片方に押し付けることはできない。しかし今この時、多くの血が流れる内戦を画策しているのは間違いなく貴族派だ。

「あまりに、早計で愚かとしか言えない。中央集権とは形こそ違っても、民を守るのが貴族ではないのですか!?」

 言葉を重ねるたびに、怒りにも似た感情が湧いてくる。

 自分は貴族派を擁護しない。革新派も擁護しない。どちらも、帝国をどこに連れていくのか判らないから。

 貴族の領地に生まれた自分は、貴族という存在を知りたくて領邦軍に入隊した。権力の下で帝国の実情を知り、二大派閥のどちらも選べない。だから、この力のない、拙い自分であってもできる何かをしたかった。

 けれど、世界は力のない自分を待ってくれない。気がつけば、内戦の足音はもうすぐそこだ。

 結局何もできなかった。そんな悔しさも滲み出る。

 オーレリア将軍は、シオンの分を弁えない言葉にも表情を変えない。先ほどの『上下関係など気にしない』という言葉が生きているのか、それとも単純にシオンの言葉に返そうとしているのか。

 沈黙の後、一口紅茶をすすってから口を開いた。

貴族の義務(ノブレス・オブリエージュ)。そなたの言う通りだろうな。今の四大名門を筆頭にした各地の大貴族。彼らの中で、それができる家は少ない」

「……」

「それが大儀だと、そう思うものはそういないだろう。領邦軍には平民出身の兵も多い。そして、私もこれが正義などとは決して思わん」

「なら、なんで」

「貴族派の愚行に賛同しないことが、愚行に協力しないというわけではない」

 それは、先ほどのシオンの言い回しを借りたものだ。否定が必ずしも肯定ではないということ。

「しかし、貴族派の将として動く理由はある」

「……貴女の目的は?」

「私には、目的がある。武勲を立てる」

 その言葉にオーレリア将軍らしいと思うと同時に、全身に針が刺さるような感覚が襲い、鳥肌が立つ。

「貴女ほどの人が、今更何を言うんですか……」

「そなたはそれほど武に興味はないか。私が越えねばならぬものは多いぞ? 《光の剣匠》に《雷神》という二人の師。《隻眼》、《紅毛》という革新派の猛者たち。身内であれば、《黒旋風》も一度決着をつけたくはある」

 実際オーレリア将軍が()()()()()()()()()()のは最初の二人だけだろうが、それでも帝国には多くの実力者がいる。

「だが、それだけではない私の目的は」

「……っ」

 覇気。

「リアンヌ・サンドロットを──槍の聖女を超える」

 二百五十年前、獅子戦役という帝国最大の内紛。それを調停した獅子心皇帝ドライケルスに協力した、槍騎術を操る恐るべき武人として知られる伝説の人物だ。帝国人なら誰だって知っている。

「槍の聖女を超えるって……」

 かの聖女は元から辺境でその端麗な容姿と実力で有名だったが、事実上伝説となったのはやはり獅子戦役の逸話があってこそだ。それは、つまり。

「これから始まる内戦で、聖女以上の戦火をあげること」

「勇猛ぞろいの革新派を相手にな。先ほど言っただろう。越えなければならぬものは多いと」

 常人には到底理解できないその決意。シオンは重ねて問い続ける。

「そのために、この内戦を利用すると。貴族派に利用されると?」

「そうだ」

「貴女ほどの力がありながら、駒であることに甘んじると?」

「そうだ」

「将軍である貴女が……?」

「そうだ。私はそなたが言うところの()なのだよ。事この帝国の盤上においてはな」

 使われる身であると、将軍は言った。武の世界において帝国最強の座を狙えるほどの覇者が。

「私は悦んで駒となろう。武人として、至高の頂を踏めるのであればな」

 閉口せざるを得ない。自分とは、考え方も、優先順位も、立っている次元も、すべてが違いすぎる。

「そなたは私を、鉄血宰相や四大名門と同じような《盤上の指し手》として扱いたいらしいな。確かに私には現状を変える力はあるかもしれない。たがそれは誰かの下で、剣として仕えてこそできることだ」

 驚きを隠せないシオン。

「そなたの考えを否定する気は毛頭ない。誰かの力を望むのなら、精々そなたと同調できる指し手を探すといい」

「貴族派内部には、いないのですか。その誰かも判らない《指し手》殿は……」

「そうだろうな。少なくとも現状では」

 別にオーレリア将軍を味方にするという意図はなかったが、面と向かって否定されるとくるものがある。

 幸いにも革新派の手先として囚われるということはなさそうだが……そう考えたところで、シオンはここに連れてこられたそもそもの理由を思い出した。

「オーレリア将軍」

「なんだ」

「そもそも、自分とローレンスの連携の不出来の原因について話すことではなかったのですか?」

「なんだ、そなたは無駄話は好かぬのか?」

「い、いえ。そういうわけでは」

「まあいい。そなたの本音はある程度引き出せたことだし、核心に移ろうか」

 シオンは口の渇きを潤そうとティーカップに手を伸ばす。しかし飲み過ぎたのか、いつの間にか紅茶はなくなっていた。

「先程もいったが、連携そのものに何を言うつもりもない。が、ローレンスとの連携を鈍らせている貴様の姿勢だけは、正さねばならぬ」

 そうして、オーレリア将軍は告げた。偶然か必然か、シオン自身が必要だと理解していてもできなかった問答を。

「貴様は決めなくてはならない。このまま貴族派に残るのか、それとも革新派に寝返るかをな」

「……貴女は、私の考えを否定していないのに、ですか?」

「一個人の考えだ。職務としてはともかく、どちらがいいなどと決めるつもりはない。寝返るなら好きにするがいい。もちろん行動まで裏切ろうものなら領邦軍の将として全力で狩らせてもらうがな」

 淀みのない、はっきりとした行動原理。思想よりもむしろ己の立場において従順な役割。

「ローレンスが貴様に対し怒りを禁じ得ない真の理由は、貴様がいつまでもどちらにつかない行動をとっているからだ」

 喉がつまる。

『貴様にそれが出来ないのは……貴様が貴族派にいながら平民の利を考える半端者だからだっ!』

 かつて兵棋演習でエラルドに言われた言葉だ。

「そんなに……半端者に見えますか」

「見えるな。少なくとも、既に革新派に寝返っているならもっとうまく立ち回っているだろう」

 自分は貴族派に属している。しかしこの内戦には賛同できず、かといって付いていくには不安の残る革新派にも傾倒しているわけではない。

 実力のない自分には、誰かを導くこともできない。

「中途半端な姿勢が、多くの人を巻き込んで、誰にとっても不利益を生む……」

「そうだ」

 信念を砕かれる音が、聞こえた気がした。

「内戦が始まっても、貴様はもう己の立場に従って戦うしかない。今の姿勢のままでは前と後ろから撃たれることになるぞ」

 それはシオンのみならず、シオンとともに戦う人々の行く末も案じたものだ。

 深く考える必要はなく、オーレリア将軍が重ねた言葉が全てだった。決意を持って貴族派に属すると決めたこの道は、裏を返せばどちらも選べないということ。

 両派閥が本気でなかったからこそ浸れていたシオンの道は、とうとう分岐点を迎えている。

「さて、そろそろ演習場に戻るとしようか」

「……はい」

 満足したのか、目的を果たしたのか。

 オーレリア将軍は普段と変わらず、シオンは苦々しく席を立つ。

 この会話の結果、シオンがどちらの道を選ぶのかは判らない。だが、シオンの行動を追い詰める契機となる。

 扉を開いた直後。オーレリア将軍が静かに、けれど力強く呟いた。

「たとえ思想に反していたとしても、貴様自らが混じり気のない《悪》にならなければ、貴様の信ずる《正義》は貴様自身を貫いてはくれまい」

 それきり物言わぬ将となったオーレリア・ルグィンの最後の言葉が、鮮烈にシオンの中で衝突を続けていた。

 日々は流れていく。

 それからもSUTAFEは、機甲兵訓練を続けていった。内戦のリミットが近づくほど、本格的に各領邦軍への機甲兵の配備は進んでいき、いつしかジュノー海上要塞以外の場所でも訓練は行われるようになった。

 シオンは焦る。どう動けばいいかも悩めず、けれど帝国は、大陸は混迷の様相を呈し始めていた。

 既に八月には帝国東端のクロスベル州が、宗主国である帝国と共和国を差し置いて、大陸諸国に『クロスベルの国家独立』を宣言していたのだ。クロスベル州を《属州》として扱う二国は当然これを認めず、しかし自治州の人間もクロスベル市長主導の下独立の声をあげだし、至るところから爆弾の導火線がちらつき始めている。

 クレアをはじめとした多くの旧友たちとは、連絡を取ることができなかった。どんな顔をしてあって、どんな声で話せばいいのか判らなかった。

 九月下旬には、ノルティア州の鋼都ルーレでテロリスト《帝国解放戦線》が鉄鉱山を占拠するという事件が発生。鉄道憲兵隊やトールズの七組の活躍もあって戦線は壊滅に追いやられたとのことだが、嬉しさは毛ほども感じなかった。その報道の数日後に、《貴族派と志をともにするよき協力者》という存在として、見覚えのある面々が領邦軍に紹介されることとなったから。

 十月初めには、さらなる好戦の風潮が帝国を包み込む。度々話題に出ていた金で動く猟兵団の中も高位の団が、クロスベルで襲撃事件を起こしたのだ。その猟兵団《赤い星座》は八月の通商会議で帝国政府と契約していたが「既に関与はしていない」と否認しており、それがクロスベルのさらなる帝国からの独立の風潮を高めていく。

 その襲撃事件の後日。貴族派が仕掛けるXデイが領邦軍兵士にも明かされることになった。秘密裏に、密やかに、しかし確実に。クロスベルが独立のため、独自の力と兵器を持って帝国と共和国に反抗する《運命の日》、その後必ず起こる鉄血宰相によるクロスベル侵攻のための演説の日。その日を、()()()()()宰相の粛清と貴族派の統治の始まりの日とする、と。

 何故、クロスベルの動向が判るのか。それも、帝国解放戦線とは別の《よき協力者》のおかげだという。クロスベルでも、恐らく多くの者が好まない凄惨な独立劇が始まる。帝国革新派にとって好まないその状況を推し進める何者かと繋がっている貴族派。シオンは、何かを考えることを放棄しそうになった。

 十月二十三日。シオンは事あるごとに空を見上げる。母校トールズ仕官学院で、学院祭が開かれる日だから。たった二度の邂逅、けれど強烈な意志や未来を感じさせた若者たち。少しでも、青春を謳歌してくれればいい。全てが壊れてしまうその前に。

 十月二十四日、昼。世界の密度が変わった。霊的なものなど感じ取れもしないシオンだが、それは判っていた。SUTAFEの司令部、貴族派の情報網、帝国時報の報道、外国の報道組織。全ての組織の導力通信が大陸中を飛び交い、一つの凶報を告げていた。すなわち、帝国・共和国の侵攻を跳ね除けたクロスベルによる《独立》という信じられない真実。

 大陸の双璧を成す二大国への軍事的な勝利。当事国である帝国民は考えもしなかったクロスベルからの反撃を恐れ、クロスベルと共和国が手を組んだという事実を知る者からすればあり得ない不安に駆られる。

 帝国は、大陸は、激動の時代を迎える。

 

 

────

 

 

 夢を見た。

 学院生だった頃の夢だ。

 自分の故郷に不安を覚えて、でもこの道を歩けばきっと輝ける明日が待っていると信じていた日々。

 人並みに不安はあったが、士官候補生としての忙しい日々はあっという間に自分を馴染ませて、着実に自分を成長させていった。

 ケルディックの大市で育っただけあって社交性はそれなりにあったし、多くの人の多くの価値観に触れることができた。

 ケイルスを筆頭に馬鹿騒ぎをする友人もできて、青春はさらに彩りを増していった。

 多くの知識を吸収し、見聞を広めつつ、年頃の青春も謳歌する。

 肝試し、部活動の対抗戦、貴族生徒との抗争、屋上での即興の演劇、などなど。

 真面目なものなら、教室を借りての勉強会、帝都まで行っての憲兵隊見学、学院の敷地を利用した市内戦の模擬演習、などなど。

 そんなやんちゃな青春を楽しんでいた時、クレアと出会った。

 入学した一年目、クレアとは別のクラスだった。

 当時シオンは、貴族生徒からの嫌味嫌がらせには多少は目を瞑るが度を越されると相手を口車に乗せて、自分の勝てる戦いに持ち込んで勝負を挑んでいた。

 一年目の夏の頃、ケイルスと共に無駄に偉そうな貴族生徒に灸を据えようとした作戦を立てていたのだが、その過激さを見かねた同級の女子生徒が連れてきたのがクレアだった。

 今でこそ氷の乙女などと言われているクレアだが、当時は士官学院生だとは思えないような物静かな少女だったことを覚えている。

 だが、友人から一通りの事情を聴いたらしい少女クレアは、優しいが少し素っ気なかったのを覚えている。

 とはいえ別にコミュニケーションに問題があるわけでもなく、友人の願いに応じて平然と自分たちに忠告をしてきた。

 その時はクレアのことをただの美人優等生だとしか考えていなかったシオンだが、その時に見事に貴族生徒の横暴も沈静化しつつ冷徹な作戦でこちらにも灸を据えられたのを機に、後に呼ばれる氷の乙女の原型を知ったものだ。

 それを機に、クレアに興味を持ったシオンは度々彼女と話しかけるようになった。

 それからも度々騒動にクレアを巻き込むことになり、暴走するシオンをクレアが制御するようになった。

 青春の、彩りが深まる。

 そして……。

 

 

────

 

 

 目を覚ます。広がった光景は、いつもとは違っていた。故郷ケルディックの家の中でも、トールズの第二学生寮でも、オーロックス砦でも、リーブスの下宿先のいずれでもない。

 というより、今は朝の時間帯でもない。

「いつの間にか、寝てたのか」

 どうして、そんな半端な時間にも関わらず夢を見るほど眠りについていたのかは判らない。目の前に広がるのは、最近になって慣れてきた機甲兵のコックピットだ。暗いコックピットでの待機命令。最低限の導力源だけをつけていたせいか、寝心地は悪いのに意識がなくなるのだけは早かったらしい。

 起動している集音マイクからは、ずさんな振動だけが時折伝わってくる。

 ケイルスも、サハドも、レイナも、フェイも。頼りになる八班の仲間は、今この場にはいない。

 だが、代わりに大勢の人間はいた。SUTAFEも四大領邦軍も関係ない、大勢の領邦軍兵士も、同様に、機甲兵のコックピットの中で。

 通信機から司令室の応答要請のアラームが鳴る。恐らく、自分と同じように全機甲兵の通信機から同じ音が流れているだろう。

『当艦はラマール州、グレイボーン連峰を通過。現在、帝都圏北部の森林区域上空へ侵入。帝都上空への到着まで、十分の予定。各自、引き続き待機せよ』

 日付は七耀暦千二百四年、十月三十日。

 時間にして、午前十一時五十六分。

 場所は、()()()()・旗艦《パンタグリュエル》内の機甲兵収容庫。

 各四大領邦軍やSUTAF単体ではない。打倒革新派を掲げた貴族が連合を作り、その旗艦として造られた、全長二百五十アージュを超える世界一巨大な飛行船。多数の飛空艇や機甲兵も収容できるほどの巨大さを誇っている。

 今日。

 貴族連合は。

 鉄血宰相ギリアス・オズボーンを殺し。

 帝都と皇族住まうバルフレイム宮を占領し。

 そして、革新派に引導を渡す。

 作戦は、帝都と共にいくつかの革新派の軍事施設を強襲することから始まる。

 作戦にあたり、シオンは帝都及び近郊の施設を占領するパンタグリュエル本隊の機甲兵部隊に引き抜かれた。八班をはじめとしたSUTAFの面々も、その能力に応じて各部隊に散り散りとなっている。

 クロスベル侵攻に向けた演説中の鉄血宰相を、地上に潜伏している帝国解放戦線のリーダーが狙撃し、暗殺する。その一発の銃声を合図に、パンタグリュエルから機甲兵が降下し、帝都を占領する。

 そのために、今日この場所に、自分はいる。

 賛同しきれない行為をなすために、今日この場所に、自分はいる。

「……」

 過去の風景だった夢を思い出す。

 もはや戻れない、過去の幻影。

 多くの軌跡を分岐させてしまったかもしれない、青春の選択肢。

 そして、氷の乙女との出会い。

「もっと、二人で楽しいことをしよう……」

 クレアには自分から交際を申し込んだ。

 その時の様子は正直、あまり覚えてはいない。

 ただ、ちょっとした安心感に浸れていたのを覚えている。

 あれから卒業までの日々は、楽しくて、暖かった。

 そして、月日がたつごとに少しずつ寂しくなっていった。

 自分の領邦軍入隊は、大切な人との別離を意味していたから。

 入隊してしばらくして、貴族派の闇の深さに気づいた。自分如きが変えられるわけではなく、かといって気づいた以上簡単に抜け出せるわけでもない。

 だから、できることをしようとした。あの場所にいながら、少しでも悪あがきをしてやろうと。

 だけど、その信念は砕かれた。

『私は悦んで駒となろう。武人として、至高の頂を踏めるのであればな』

『たとえ思想に反していたとしても、貴様自らが混じり気のない《悪》にならなければ、貴様の信ずる《正義》は貴様自身を貫いてはくれまい』

 自分の行動は、多少の結果を変えていたかもしれない。だが、大きな力を持つ者に否定をされた。

 どちらになるのか、選ぶしかないのだと。

「……」

 そうして今、自分はこの場所にいる。

 革新派に引導を渡すために。

『帝都上空到着まで、およそ五分。現在、鉄血宰相が演説を行っている。皆の者、覚悟せよ』

 意識が浮上してから二度目の通信。そこかしこから、機甲兵の駆動音が唸りを上げ始める。

 シオンも、同様に起動シークエンスを踏む。

「喜んで……駒になってやる」

 自分の目的のために。一先ずは貴族派の忠実な駒に。

「いつか、ボロボロの飛行船を直すために。その道を見つける、ために、だ」

 震える声で、新たな決意を言葉にする。

「革新派と、戦う」

 クレアとも。

「正義を貫くために、悪に、な、る」

 震える手で、機甲兵のアイドリングモードを解除した。

 十二時八分。司令室の連絡役の声が張りあがる。

『帝都上空に到着』

 十二時九分。

『鉄血宰相への狙撃、成功!』

 十二時十分。

『帝都制圧作戦、開始! 時代を切り開く英雄たちよ、(ほま)れを示すぞ!!』

 降下ハッチが次々と開き、ワイヤーに繋がれた機甲兵ドラッケンが、隊長機シュピーゲルを筆頭に地上へ降下していく。

「……シオン・アクルクス」

 自分の名前を呟く。

 シオンもまたドラッケンを操って、ハッチから地上へ降下する。

 みるみるうちに近づく地上では、帝都市民が蜘蛛の子のように散らばっていて、遠くには帝都守備隊である第一機甲師団の戦車アハツェンが走行しているのが見えた。

 軋む胸元。浅くなる呼吸。狭まる視界。

 一度だけ、シオンは自分の胸倉を鷲掴む。

 戦え、戦え。

 迷いを振り払って、いや迷いから逃げて。ただその言葉だけを胸に流し込む。

「さあ、行くぞ……」

 決意と共に、シオンのドラッケンにそれなりの振動が襲い掛かる。同時に画面に広がる、緋い街並み。

 混迷に揺れる帝都のレンガ道に、鋼鉄の騎士が降り立った。






次回、17話

両価の内戦


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17話 両価の内戦

 人口八十万人を擁する緋色の都市、帝都ヘイムダル。

 面積も人口相応。ゼムリア大陸最大級の名を欲しいままにするその都市は、しかし帝国千年の伝統の色も強く、クロスベルに存在するようなビルディングは少ない。

 そんな、地に広がりを見せ高度を捨てた都市は、全長七アージュを超える鋼鉄の騎士をミニチュアの模型を眺めるように拍子抜けさせた。

 今、シオン・アクルクスが操る機甲兵ドラッケンが、滑るような軌道の果てに死角から戦車をブレードで叩き斬る。訓練の果て、精密な操縦技術を得たシオンは器用に砲身のみに切っ先を当てた。

 砲身は半ばで折れ曲がり、車体は衝撃で地震が襲いかかるように揺れる。

『いいぞ、そのまま切り裂け!』

「……っ!」

 味方の意気揚々とした号令にしかめっ面を浮かべ、シオンはオートバランサーの起動閾値を下げた。

 相手は黄金の羅刹ではない。こちらも防御策をとらなければあっという間に転倒してしまう。

 そのまま脚を稼働範囲の限界まで上げ、勢いのまま戦車の砲塔を横なぎに蹴り飛ばした。

 大きく横に傾く戦車。

「もう、一発!」

 さらに押し出すと、戦車はあっという間に横転する。これでもう戦闘不能だ。

『斬るなり刺すなりすれば楽だっただろうに……まあいい』

 指示通り大破させなかったらか味方がやや刺々しい。が、そんなことはどうでもいい。

 シオンは画面に映し出されたマップを見渡した。現在値はヴァンクール大通り。後方には班を組んだ二機の機甲兵。周囲百アージュには敵機は映し出されていない。

 帝都で戦闘が開始してから、つまり鉄血宰相が狙撃されてから、およそ十分の時間が経過している。

 それはつまり、貴族連合が内戦の狼煙をあげてからの時間。

「……くそっ」

 苛つく頭を後頭部のシートにぶつける。反動で腰が少し浮き、シートベルトが軋む。

 今は、やるべき事をやるだけだ。

 通信機に向け、味方に向け声を張り上げた。

「周囲に敵機はいない。ここで宣言をしてもいいんじゃないか?」

『そうだな、どうせ歩兵はこの機甲兵を見てもなにもできやしないだろう』

 三機は円形に陣を組んで周囲を警戒する。

 シオン機ともう一機が剣を構える傍ら、三機目の操縦者は外部スピーカーから威圧感のある警告を告げた。

『帝都市民よ、聞くがいい。我らは貴族連合、国家の逆賊たる革新派を誅する貴族の剣である! ここに巣くう第一機甲師団を払う間、諸君は家屋内及び安全帯に避難すべし。屋外にいる者の安全は保証できない』

 さすがに帝都市民まで無下な扱いはできない。あくまで狙いは第一機甲師団を退かせて帝都を占領することだ。

 と、その時。マッピングの外、シオン機の前方二百アージュに、狭路を横切る戦車が一つ。

「アハツェンを六時方向に一体発見した。今から倒してくる」

『一体ならこっちも一機で十分だな。精々しくじるなよ、SUTAFE兵さんよ』

「了解」

 他機の索敵には引っ掛からなかったようだ。少々小馬鹿にするよな物言いに口を曲げつつ、シオンはフットペダルを押し込んで戦車の後を追い始めた。

 他の二機の操縦者はラマール領邦軍から引き抜かれたパンタグリュエル本隊の面々だ。実力はトップレベルではないらしいが、それでもシオンやエラルドに引けをとらない。

 機甲兵による強襲は、帝都の第一機甲師団を容易く圧倒していた。鉄血宰相を討ったという衝撃はあるだろうが、それ以上にこの鋼鉄の騎士の力によってあっという間に陣形を崩しているのが大きい。

 貴族連合が帝都を占領するのは時間の問題だった。

「ん?」

 戦車はこちらから逃げているらしく、まだ彼我の距離はまだ百アージュ程はある。その最中、進行方向からシオンの知るどの機甲兵とも違う、蒼色の騎士が見えてくる。

「あれが……事前通達のあった、『オルディーネ』」

 その蒼色の騎士は、一見して信じられないことに直立位のまま宙に浮かんでいた。機体と同じ蒼色の奔流が背部のスラスターから星屑のように溢れており、職人の意匠がこされたような精巧で美しい機体は、比喩の意味合いもある『鋼鉄の騎士』以上に、本物の騎士人形と言える。

 ──蒼の騎神、オルディーネ。帝国解放戦線リーダー、クロウ・アームブラストただ一人が操ることができるという機体。いかなる仕様によるものか、機甲兵とは違い完全に搭乗者の動きをトレースでき、現状のように空中飛翔もでき、導力のようなエネルギー波を用いて攻防力を上乗せできるという、常識では考えられないそれはカイエン公爵を通じて紹介された。貴族連合が誇り、機甲兵部隊の頂点に立つ英雄《蒼の騎士》なのだと。

「巨大な騎士の伝承……その通りだとしたら、笑うしかできないが」

 いったい、貴族派はいつから不気味な存在と通じていたのだ。いつからテロリストのリーダーを崇められるほど堕ちてしまったのか。

 オルディーネはしばらくその場に留まっていたが、やがて体を翻すと高度を上げて、体を腹臥位に倒して飛翔体勢を取る。そのまま東の方向へ飛び去って行った。

 オルディーネの操縦者たるクロウ・アームブラストは、鉄血宰相を狙撃したのちはオルディーネを駆ってトリスタに向かう予定だったはずだ。適材適所というより感情の部分は大きいらしいが。

「あんな屋上で何やってたんだ? まあいい」

 戦車とも近づいてきている。そろそろ臨戦態勢をとらなければ。

 十字路を右に曲がった場所に戦車はいる。先ほどとは違い他の領邦軍兵士もいないし、適当に戦闘不能に追い込んで逃げさせればいい。命までは奪いたくない。

 そう思って、機甲兵を操って十字路へ踏み込む。

 そこにいたのは一台の戦車と、紫色の正規軍兵士が一人、灰色のTMP兵士が一人。

 戦車の外に出ている兵士は機甲兵を見て露骨にたじろいでいる。

 スピーカー越しに警告を重ねる。

「問答はしない。死ぬのが嫌なら離れてろ!」

 直後シオンは操縦桿を操作してブレードを構えた。慌てて歩兵が銃器を打ち込んでいるが、機甲兵の体には通じない。

 慌てても逃げないあたり、さすが帝都を守る機甲師団と最精鋭のTMPだ。しかし、その勇敢さが今はもどかしい。

 戦車も後退しつつ、砲身が転回している。この圧倒的に不利な状況でも理由があるのか、諦めていないらしい。

「ふざけんなっ、こっちがどれだけ苦心してると……」

 ここまで抵抗されたら、こちらも危害を加えなければならない。

 大げさに機甲兵の脚をあげて、時間をかけて戦車近くの地面を揺らす。兵士たちが蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 その時、近くの建物の扉が勢いよく開かれる。現れたのは、TMPの軍服を着る水色の髪の女性士官。

 彼女が勢いよく叫ぶ。

『皆さん、現状戦車では太刀打ちできません! とにかく帝都から逃れてください!』

 心臓が、ドクンと跳ねた。

 誰よりも、一番顔を合わせたくない相手だった。

『クレア大尉! それでは、貴女は……!』

 兵士の一人が叫んでいる。

 理解した。TMP隊長であるクレアを逃そうとしていたのか、この戦車の操縦者は。

 鉄血宰相が死に、それだけでも正規軍の中には士気が下がる部隊もあるだろう。だが、名のある将や統率者はそれだけで終わるはずがない。必ず反攻してくる。

 正規軍兵士には判っているのだ、ここでクレアを失うことの意味を。そして、貴族派がクレアを逃がすはずがないということも。

 クレアは表情に困惑が見えるものの、出会い頭の機甲兵にはまるで動じていない。

 むしろ、動じていたのはシオンの側だった。

 クレアが不審に視線を動かす。絶好のチャンスであるはずのシオンの機甲兵は、しかし剣を構えるだけの姿勢で止まっている。

 このままレバーを押し込み、氷の乙女を始末する。それが貴族連合の一兵であるシオンのすべきことのはずだ。

 だが、動けなかった。その一押しができない。

 シオンは頭を力任せに掻いた。そのまま外部スピーカーを切る。腕のレバー、足のペダルをあらんかぎりがむしゃらに動かした。

「クソ野郎がぁあ!!」

 転倒しかけるほど体幹を傾けて、機甲兵が戦車を踏み抜き、操縦席でない車体後方へブレードを突き刺した。

 衝撃で戦車がわずかに浮く。その間、爆発する激情はシオンの脳天から四肢へ溢れだす。

 シオンは激情に任せ、けれど精密な指先でコントロールパネルを動かす。

 左手の導力を遮断。ブレードを持つ右手を動かないよう固定。両脚をオート操作に。

 そして、体幹を大きく前へ傾げさせる。今度は敢えて転倒してしまう程に。

 クレアが他の兵士に向けて叫んだ。

『逃げて!!』

 オートバランサー発動。転倒を防ぐために機甲兵は自動的に脚を踏み出した。体動に合わせ右手も動く。固定した右手はブレードが突き刺した戦車ごと動かす。

 いかに機甲兵と言えど、戦車ごと体を動かすのは通常困難。だが上肢の導力伝達を効率化した今、機甲兵は恐ろしいほどの力を発揮した。

 戦車は先程より静かに横転した。

「……はぁ、はぁ」

 無茶な動作のせいで、過剰な負荷がかかったことを報せるアラームが鳴っている。

 シオンは正面モニターを見る。視界に兵士やクレアはいないようだが、それ以上に静寂が続いていることに気がついた。

 恐らく、戦車を横転させている間に路地裏へ逃げたか。マップモニターには小さな熱源が遠ざかっているのも確認できる。

 戦車から命からがらといった様子で兵士が出てくるが、彼らを追うこともできない。突き刺したブレードは簡単に抜けないし、現状機甲兵で深追いするほどの価値もない。

 戦車は行動不能に追いやり、必要以上に帝都市街も破壊しなかった。及第点ではあるはずだ。

 今もなり続けるアラームに嫌気がさし、シオンはブレードを手放しつつ機甲兵を操作して直立姿勢に戻ろうとする。

 緩慢な手つきでコントロールパネルを動かす。静寂の中でゆっくりと姿勢を戻す機甲兵。

 その時、鳴りやんだアラームを続けるように通信機が鳴り響く。

 三秒沈黙を保ってから、シオンはようやく回線を繋げた。モニターに映る相手は先程連携をとっていた味方二人ではない。

『こちらドライケルス広場より、先鋒隊隊長機や。アンタ、味方と距離が離れてるけど大丈夫か?』

 特徴的な訛りのある、軽い青年の声。今日の作戦にあたりシュピーゲルに搭乗し機甲兵部隊の隊長を引き受けるようになった、とある筋から連れてこられた男。

「こちらSUTAFE隊員アクルクス。戦車を一台仕留めましたが、操縦者と歩兵ははとらえ損ねました」

『ええよええよ、路地裏に逃げ込まれたらしゃーない。それよか、操縦者は怪我させずに戦車だけ仕留めるとかずいぶん器用なことやるんやなぁ』

「いえ、兵士を捕縛できなかったのは自分の責任です」

『はは、そのほうが後で狩りがいがあると思っときゃいい。重要人物がいたなら、話は別やけど』

 隊長機の男は、領邦軍の指揮官と比べ無駄に怒るでもなく淡々と用を告げてくる。

『ま、ええわ。そんな小器用くんに頼みたいんやけど、ちょいと俺の指揮から別れてトリスタ方面隊と合流してくれんか』

「えっと、そちらに向かうことなく直接ですか?」

『直接でええ。むこうの学生と教官が派手に抵抗したみたいでなあ、予想より制圧に手間取ってるらしいんや。聞いたけど、アンタらSUTAFEってそういう急な動きに対応する役目なんやろ?』

「ええ。そういった補助や援護は自分たちの役割ですが」

『ほな、頼むでー。帝都は順調に制圧してるし、問題なくやっとるからな』

 通信が切れる。

 シオンは苦心してブレードを引き抜いた後、帝都の東の街道へ出た。

 帝都の喧騒から離れて自然豊かな街道へ出ると、機甲兵のローラー走行の振動だけが響いている。ちらほらと魔獣は見えるがこの鋼鉄の騎士に突撃してくるわけではない。軍人はどちらの派閥でも各要衝にいるし、一般人は先ほどまでの演説を導力ラジオで聞いていただろうから、まず街道に人などいない。

 一応モニターで周囲の様子は確認しているが、事実上警戒する必要もない。

「……」

 街道を真っ直ぐ進む傍ら、シオンは先ほどの戦車との会戦を思い出す。

 クレアを目の前にした時、彼女の近くの地面をブレードで叩きつけて気絶させるつもりだった。彼女を生きたまま捕縛するのは困難だが、貴族連合のためにはそうするのが理想だった。

 けれど、できなかった。容赦なく捕縛すべきという自分と、見逃せと訴えかけてくる自分。その両者が衝突した結果、半端な結果を生み出すことになった。

 クレアはさすがに操縦者が自分だとは思っていないだろうが、それでも違和感は感じているに違いない。

「……くそ」

 再三思い出すオーレリア将軍からの忠告だが、シオンは悔しさを噛み締めることしかできなかった。結局どちらも選べていない。

 これから向かうのは己の母校。いったい、どんな顔をして乗り込めばいい。

 

 

────

 

 

 街道を出て三十分ほどで、懐かしい近郊都市の街並みが見えてくる。

「久しぶりだな……トリスタ」

 獅子戦役の英雄、獅子心皇帝ドライケルスが創設したと言われるトールズ士官学院を擁する街、近郊都市トリスタ。

 大陸横断鉄道の中継駅でもあり、学生が住まう都市として小規模ながらも雑貨、書店、ブティック、喫茶店、宿酒場など施設の種類は豊富だ。導力技術は日進月歩だがシオンが過ごしていた四年前とはそれほど大きく町の情景は変わらないだろう。常に若者の活気であふれているのが近郊都市トリスタの姿だったはずだ。

 だが今、その賑わいは消えうせている。

 シオンは町の出入り口、街道の端に機甲兵を止める。機甲兵の導力を落とし、コックピットから降りる。

 地に脚をつける。今まで衝撃に揺られ続けていたからか、足が浮遊感につつまれてふらついた。一応の体裁を整えてから、こちらに近寄ってきた兵士に敬礼した。

 部隊長の命令できたことを告げると、そもそも先方から依頼されたことなのですんなり了承される。

「町の者と学院関係者は学院敷地内だ。だが学院生徒が多数逃亡している。多くの兵士が捕縛に出払っているから、学院で関係者の軟禁を手伝ってくれ」

 こちらも了解し、おぼつかない足取りでトリスタへ入る。

 馴染みがあるはずの町は今、街道の出入り口を鋼鉄の騎士に見下ろされ、何十人もの貴族連合兵が闊歩している。不自然な静寂だ。

 老若男女問わず、町の人間が学院から出てきている。もちろん兵士がついているが、今の状況では自分の家に帰れるだけましなように思えた。

 町民の中には、シオンと顔見知りの者もいる。彼らとあまり目を合わせたくなくて、シオンは足早に坂の上の学院へと向かう。

 乾いた風だけが鳴る町に、貴族連合兵のブーツの足音だけが雑に響いている。

 坂の上を歩くと、途中で学院生の宿舎が二つある。それぞれ貴族生徒と平民生徒が分かれて暮らしている。その分かれ道の十字路で、トールズ制圧に回されたSUTAFE他班の同僚を見つけた。彼にこちらの経過を聞く。

 鉄血宰相への狙撃と時を同じくして、トリスタへも機甲兵部隊が突入した。トリスタの東西の街道からそれぞれ挟撃を行うといった形だ。

 だが帝都制圧の面々が貴族連合兵が中心だったのに対し、こちらは最初に突入したのが帝国解放戦線のメンバーだった。世間では壊滅したと報じられ、領邦軍にのみ秘密裏に真実を告げられたテロリストたちは、因縁があるらしいトールズ士官学院への襲撃の一番槍を買って出たのだ。

 帝都圏のトリスタと、革新派の子息や重鎮も在籍しているトールズ士官学院は帝都や正規軍の各拠点に次いで制圧の対象になる。

 だがさすがは名門トールズと言うべきか、教官人が片方の街道に出て抵抗を始めた。驚くべきこどに、彼らは十人足らずの生身で二体の機甲兵を足止めして見せたらしい。達人の力量というのは当然シオンも知っているが、機甲兵を操る身としては現実離れした彼らの力に震えを止められなかった。

 そして、反対側の機甲兵には、特科クラス七組の面々が抵抗してきたのだという。

 淡々と事実だけを告げてくる同僚に、シオンは訪ねた。

「それで、七組はどうなったんだ」

「一機には勝ちやがった。だが隊長機には負けた」

 当然だ。隊長機には、どうあがいたって真正面からは勝てるはずがない。

 そして全員が拘束されかけたところを、突如として飛来した《灰色の騎士人形》が撃退したのだという。

「……は?」

「そう言うなよ、俺だって驚いているんだ」

 恐らくはクロウ・アームブラストが駆るオルディーネと同等の機体。七組の一人がそれを操ったらしい。

 現実離れした話だが、紛れもない現実として蒼の騎神は存在している。

 やがて撤退を促した灰色の騎士人形は、遅れてやってきた蒼の騎神と対決し。

「蒼の騎士が勝った。灰色の騎士人形は逃亡、そして学生たちも奇跡的に姿を散らした」

「……そうか」

 音になり切らない相槌だった。

 七組の中には貴族生徒もいるが、帝都での様子を見る限り大人しく親の言いなりになるようには見えなかった。というより、七組の《主体的に考え、行動する》という姿勢そのものが、そもそも大人しく貴族派のお縄に着くようには思えない。

 きっと、七組以外の脱出した学院生たちも同様なのだろう。革新派と貴族派のどちらが悪いというわけではなく、内戦という行為そのものに納得ができず、例え迷いがあったとしても一筋の可能性を信じて、苦難の道を選んだ。《世の礎たれ》という学院の理念がそのまま息づいているかのようだ。

 若者であるが故の、突っ走りがちな行動。でもそれは、大切な信念でもある。

「どうした? アクルクス」

「……何でもない」

 自分はもう、選んでしまった。こちら側の道を。迷いと共に。

 ここにいたら、自分がまだ向こう見ずな学生だったら。自分は学院の仲間たちと共に戦ったのだろうか。現状に納得できず、世の礎たるために諍ったのだろうか。

 判らない。今はもう、誰もいない。全ては終わった後だ。

 

 

────

 

 

 卒業して以降、初めて踏み込む学院の敷地。

 懐かしい匂いが静寂にかき消される。

「左にはグラウンド。右には図書館。……変わらないな」

 SUTAFEの同僚と別れ、シオンは本館の正面玄関を入る。

 扉を閉じてすぐ、受付の机が暴力的に叩かれて音が鳴り、予想外だったシオンは体をびくつかせた。

「くそっ!」

 突然の男の悪態に一度心臓が跳ねるも、すぐに落ち着かせる。待機させている兵士たちを引き連れて、トリスタ方面制圧隊の隊長が、己の身分を示す防止に手を当ててわなわなと震えていた。

「猪口才なヴァンダイクめ! どこまでもコケにしてくれおって……!」

 隊長は、顔を赤くして沸騰している様子だ。それよりも、馴染みある人の名前が出てきてそちらに気を取られる。

 憤慨している隊長に話すのも気が引けたので、シオンは後列の兵士に話を聞いた。

 学院内へ残った生徒や教官陣は既に制圧しているらしい。もう抵抗している者はいないらしく、貴族生徒や平民生徒など、それぞれ残った生徒は名簿を見比べながら取るべき対処を取っている。革新派の子息であれば交渉材料に使わされるし、大貴族の子息は一先ず貴族学生寮に《保護》されている。

 教官陣は比較的従順だったそうだ。逃亡した教官も複数名いたそうだが、残った者は生徒の身の安全のために積極的に投降しているのだという。

「だというのに……ヴァンダイクめぇぇ……!」

 が、従順なふりしてやたら隊長の頭を沸騰させている者が一人。

 ヴァンダイク学院長。文字通り学院のトップであり、帝国正規軍の名誉元帥でもある。

 シオンが学院に在籍していたころから学院長だった人物。一見して人当たりのいい好々爺だが、経歴からしてそんなどこにでもいるような爺でないのは明らかだ。

 学院長からの人となりを知っているシオンとしては、今の状況で貴族派の隊長を沸騰させるのはおかしくないと考える。

 大方、大人しく従っているような態度をとっているが容赦なく主導権を握っているのだろう。生徒や町人の安全を最優先にしつつ、貴族連合が動きにくいように煙に巻いているに近いない。

 やるなあ学院長、と後ろで笑いつつ、しかしどうするかと考える。貴族派に属する自分としては、追い詰められた貴族派の隊長というのはどんな馬鹿をしでかすか判らないというのを知っているから。

 少し気は引けたが、埒が明かないと思いシオンは手をあげた。

「あの」

「なんだ、貴様は!」

 威圧的な隊長だが、オーレリア将軍と比べると子猫のような可愛らしさだった。怖がらず、進言を続けた。

「自分は帝都制圧隊より援軍に来ました、シオン・アクルクスです」

 SUTAFEを名乗るのは話が止まりそうだったので止めておいた。

「既に報告は受け取っている! 無駄口などいいからさっさと動け!」

「いえ、自分はトールズの卒業生なので。現在の学院長ヴァンダイクとも面識がありますし、自分が話をしたほうが良いのではと思い、具申したのですが」

「なに……」

 シオンの話に声を潜めた隊長は、投げやりな態度だ。

「ふん、やってみるがいい。愚か者同士、仲良く話ができるといいな」

「……ええ」

 多数の兵士が見守る中、ぽっと出の自分は特に干渉もなく歩いた。

 二年間通い続けた学院だ。学院長がどこにいるかなど、聞かなくても判る。

 本館へ入って右の通路へ、曲がり角を行った先にある学院長室だ。

 扉を手の甲で二回叩く。

 扉の奥から、優し気な老人の声が聞こえた。

『入りたまえ』

 言われたとおり、学院長室へ入る。表彰状や旗、応接のための椅子などもある部屋の奥、豪奢ではなく年季の入った机の奥には、筋骨隆々とした体躯を持つ白髪の好々爺。

 彼は、椅子を回転させて後ろを向いていた。

「隊長の遣いの者かね。悪いが、茶を出すことくらいしか──」

「お久しぶりです、ヴァンダイク学院長」

 声を遮って、シオンは今日初めて喜びの感情を顕わにした。

 好々爺は、少し戸惑った挙動でこちらへ振り返る。

「君は……」

「覚えていませんか? 学院長」

「覚えているとも。久しぶりだね、シオン君」

 ヴァンダイクは学院長であり、学院生徒のことを差別も優劣もつけずよく見ている。それにシオンは学院の問題児だった。忘れる筈がない。

 シオンも、問題児とは言われるが目的をもって学院へ入学した。革新派の重鎮であるヴァンダイクにも、自分から話を聞きに行く機会もあった。その度に堅苦しい教頭殿に「気安く学院長室に来るんじゃない」と叱られていたが。

 だから、ヴァンダイクはシオンの考えも、素性もよく判っていた。シオン独自の考えがあって、領邦軍に入隊したということも。

「三年ぶり、ですね。学院長は……変わらなくて安心しました。大方、さっきの隊長ものらりくらりと交わしたんでしょうけど」

「ほっほっほ。爺には大層なことは判らんのでな」

「またまた……」

 シオンは笑みを浮かべた。この人は変わらない。ここ最近の沈んだ日々の中では、それが唯一の幸のように思えてくる。

「君は見違えたようだね。体つきも逞しくなった。きっとその実力も、学院の頃とは比較にならんほど成長しているのだろう」

「まあ、一応は軍隊で鍛えましたからね」

 話したいことはたくさんある。

 けれど状況に変わりはない。

 シオンは顔を引き締めた。

「申し訳ありません学院長。俺は今、貴族連合の一員です」

「判っている。君は君の信念のためにここに来たのだろうからな」

「今日からトリスタ及びトールズ士官学院は、貴族連合の管轄になります。どうかご理解をいただければ」

「仕方あるまい。どうか、町民たちを刺激せぬようにお願いしたい」

「貴族連合の兵士たちが一定数駐留します」

「認めよう。あくまで、他の者と同様の扱いにはなるが」

「……隊長は、学院長にどんな要求を?」

 元教え子とは言え、あまりの二つ返事ぶりにシオンは呆れる。

「今の君と同じ要求だ」

「なのに跳ね返してたんですか……絶対悪ふざけでしょ」

「はっはっは、学院とトリスタをああも蹂躙されれば、このくらいしないと溜飲が下がらんだろう」

「とか言いつつ、本心では隊長を沸騰させて逃亡した生徒たちが逃げやすくしてたんでしょうに。とんだ好々爺ですよ」

 仮にも帝国正規軍の名誉元帥、ただで転ぶほど優しくはないということだ。

 こちらも、私人としても軍人としても危ない橋は渡りたくない。

「できるだけ配慮するようにします。それで、納得してくれますか?」

「君はそう言うと思ったから要求を飲んだのだよ。今なお学院の理念を体現している君だからね」

「え」

 思いもしなかった学院長の言葉に、シオンは怖気づいた。

「お、俺は世の礎なんて……体現できてないですよ」

「できているとも。君は君自身の信念のの果てにここにいるのだから」

 自分の選択を、シオンは悩んでいた。今でさえ、本当にこれでいいのかと問い続けている。

 旧知の中の、それも尊敬する人に会うこと。トリスタ制圧のために引き受けたが、諸手をあげて臨んだわけではない。自身のことを言われるのは、きっと多少なりとも責められるのだろうと、シオンは考えていた。

「別れる前に。再会した教え子にこの言葉だけは送らせてほしい」

 だが今、革新派の重鎮であり、有角の獅子を掲げる母校の長は、純粋に喜びという感情をシオンに向けている。

「内戦の行為や、正当性。そして君自身の正義。それを決めるのはいつだって君自身だ。とやかく言うつもりはない」

「……」

「今はただ、君が元気でいてくれて嬉しい。私が言いたいのはそれだけだ」

「はい……」

 シオンは部屋を出た。

 手短に部隊長に報告して、意外に褒められたのも気にせず。

 人目を避けて、学院本館の屋上へ向かった。

 在籍していたころからよく通っていた、大好きな屋上。

 空は青い。だが、冬の空。夕暮れが近づいてきている。

 手ごろな柵に両手を預け、シオンは眼下の風景を眺めた。

 人の少ない、トリスタの町。遠くに見える機甲兵。

「元気でいてくれて嬉しい……多くの人を傷つけて」

 大切な人を裏切って、自分さえも裏切った、後悔だらけのこの道で。

 尊敬する人に言われた。元気でいてくれて嬉しいと。

 後悔と、怒りと、悲しさと、喜びが溢れ出す。

 もう、今抱える自分の感情が何なのか判らなかった。

「ちくしょうっ……」

 天を仰ぐ。流れるものは、どれだけ溢れても濁った空を綺麗にしてくれない。

 気持ちが、泥沼に飲み込まれていく。

「俺は……どうすればいいんだ」

 七耀暦一二百四年十月三十日。

 後に『十月戦役』と呼ばれる、泥沼の内戦が始まった。

 

 







ぐちゃぐちゃな心境の中で、内戦の狼煙が上がる。
次回、第三章「灰色の戦記」
第十八話「十一月の空」です。


ps 活動報告に最近のお悩みを報告。特に作者の方など、お暇だったら読んでいただけると嬉しいでござる。


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3章 灰色の戦記
18話 十一月の空


 

 

 

 

 

 

 ゼムリア大陸西部、エレボニア帝国において、国内を二分する最大規模の内戦が始まった。

 第一勢力は貴族派。古き伝統をいただく帝国において健在な勢力。

 第二勢力は革新派。鉄血宰相を筆頭とした平民や正規軍からなり、貴族派を打倒せんと急成長を遂げた新興勢力。

 地方分権と中央集権。相容れぬ両者は十二年前から勢力争いを激化させ、そしてついにはただ一発の弾丸が帝国の運命を変えることになった。

 七耀暦一二百四年十月三十日。東のクロスベル独立国を端に発した、鉄血宰相ギリアス・オズボーンの帝都での演説。そのタイミングに合わせ、()()()()()()()()()()()()蒼の騎士が針の穴を通すような綿密な作戦、いや執念をもって鉄血宰相を狙撃した。

 混乱に陥った帝都市民や帝国正規軍、いや演説を聞いていた帝国全土の人々。その混乱を利用し、貴族派は秘密裏に建造された巨大戦艦《パンタグリュエル》と、同じく秘密裏に量産された人型兵器《機甲兵》をもって帝都や貴族派の息のかかっていない要衝を電撃的に占領していった。

 元々が、革新派が擁する帝国正規軍は大陸最大規模と言われる莫大な物量を誇る軍隊。そして、それに規模は劣るものの最新兵器をもって誉れを求める領邦軍。当初の帝都や、近郊都市の占領以降、正規軍は劣勢を強いられるものの圧倒はされず、戦線は膠着状態と化していた。

 戦争開始、その初日の過激さは鳴りを潜め、今は各地域の戦線での小規模な争いが続いている状態だ。

 領邦軍には、機甲兵という新兵器以外にも戦力があった。それは一兵卒には判らない《協力者》とも言える一騎当千の武人たちや、戦いを職務とする猟兵団。そして領邦軍に属するが、半年ほど前に新設された《領邦軍・四州連合機動部隊》、通称SUTAFE。

 単純な勢力争いの二分だけでない。様々な思惑が渦巻く帝国内。泥沼の内戦は、さらに混沌した様相を見せ始めていった。

 そして、内戦開始より約一か月後。

 十一月三一日。帝国東部クロイツェン州の要衝、双竜橋。

 双竜橋は川を横断する巨大な吊り橋が、列車用と導力車用二種存在している。さらに川は北から二手に分かれるため、双竜橋はその名の通り東と西に二つの橋がかかっているのだ。二つの橋の中腹には、要塞ともいえる砦がある。司令室などの設備もある。本来は正規軍の拠点なのだが、内戦開始以降は貴族連合が占領し拠点としていた。

 要塞の端の訓練場では汎用型《ドラッケン》と隊長機《シュピーゲル》、二種の機甲兵が訓練を続けていた。

 それなりの広さの敷地だ。動き回る戦闘訓練でもないため、六機ほどの機甲兵が忙しく指示された動作を反復している。

 帝国領邦軍、四州連合機動部隊が一人、SUTAFE八班班長シオン・アクルクスは今、シュピーゲルの動きを停止させ休憩用のタープまで歩いていく。

「お疲れさん、アクルクス」

 その途中、双竜橋に配属されるにあたって同じ小隊となった同僚が声をかけてきた。

「ああ、お疲れさん」

「どうした、元気がないな。連日の実践と訓練でへたったか?」

 元々交易町ケルディックで商人を見ながら育った彼は社交性に長けている。トールズ士官学院に入学して軍事に限らない様々な領域の知識も吸収している。内戦以降SUTAFE兵士はもっぱら領邦軍の各部隊に生じた穴を埋める形で配属されることとなり、八班の面々も各地へばらけて職務に当たっている。

 シオンは持ち前の社交性で、すぐさま同僚たちと打ち解けていた。

 ただ、青年はこればかりは言葉を続けるのに苦労したのであった。

「ああ、いや、別に」

 同僚は、その理由を考えて笑う。

「そうか。お前さん、無駄な殺生は嫌いだからな。この間のガレリア要塞への侵攻作戦、まだ根に持っているのか?」

「……別に」

 ぶっきらぼうに否定するが、同僚の言うことは正解だった。

 双竜橋の周辺は、西にケルディック、南にバリアハート、東にガレリア要塞という位置関係にある。前者二ヶ所は共にアルバレア公爵、つまり貴族連合の統治下にある。そしてガレリア要塞はクロスベル独立国の大量破壊兵器によって廃墟と化しているが、現在はその跡地に正規軍の第四機甲師団が陣を展開し拠点としていた。

 先日双竜橋に詰めている貴族連合により行われたのは、その第四機甲師団への侵攻作戦だった。

 シオンも隊長機(シュピーゲル)を駆って班をまとめ、小隊の一員として作戦に参加した。シオンの能力も合間って自分の隊の機体を大破させることなく作戦を遂行できたのだが、彼の脳裏には苦い記憶が映る。

 第四機甲師団とは帝国五本指にも入る猛将《赤毛のクレイグ》ことオーラフ・クレイグ中将が指揮する、正規軍最強とも謳われる師団だ。その評価は決して薄氷の上のものでない。実際に彼らは他の機甲師団から地理的に孤立した窮地の中でも堪え忍んでいる。さらに内戦開始からの一ヶ月で《対機甲兵戦術》を編み出し、蹂躙され防戦一方だった戦線を少しずつ押し返してきているのだ。

 故に、ここ数日の作戦は両陣営どちらにも苛烈なものとなってきている。少なからず死傷者も出始めており、この内戦が改めて誉れを得るものでなく、ただの殺し合いに過ぎない現実をまざまざと見せつけてきた。

 だが、少なくとも貴族連合側の現場指揮者はどこか楽観的だった。第四機甲師団が孤立してみるみる物資が不足しているのに対し、貴族連合は双竜橋南のバリアハートから潤沢な補給を得られている。そうした背景もあり侵攻作戦は電撃戦でなく小規模な小競り合いが続いて入るが、個人でなく組織としての効率が重視される以上、多少の負傷が考慮されないのは当然のことだった。

 作戦として、シオンは大反対をしているわけではない。貴族連合そのものに感じる欺瞞、それをシオンは少なくとも表面上押し殺してこの一ヶ月を過ごすことができている。

 それでも文句を垂れてしまうのは、指揮官の態度に対してだ。

 休憩用タープの下で姿勢を休め、シオンは毒づいた。

「相手は帝国最強の師団だ。精神力、練度、団結力……どれをとっても貴族連合を上回る。油断なんて到底できない」

 今の戦況を見て、露骨に勝利を疑わない兵士もいる。ああいった人間から負傷する可能性が高いことを、シオンはよく知っていた。

 そんなシオンに対し、同僚は()()を見上げ、答える。

「けど、俺たちにはこの機甲兵がある。だからこそ、ここ数年で徐々に力を高めてきた革新派を、もう一度突き放すことができたんだろう」

 二人が見上げる鉄の巨人は、冬の太陽を受けて鈍色の輝きをみせた。

「機甲兵はあくまで戦線の一要素だ。神格化はできないだろう?」

「逆に、第四にこの戦線を覆す要素があるってのか? それこそ教えてもらいたいね」

「……」

 この同僚は現在の態度が冷ややかな目に写られやすいシオンにとって、双竜橋で見つけた数少ない、文句を垂れても気にしない人間だった。だがその彼ですら、基本的にこの状況を楽観視していることに変わりはない。

 シオンはもう一度考える。貴族連合側、双竜橋の指揮官は物量にものを言わせて大筋の戦略を変更していない。

 だが、相手は第四。それも窮地に立たされた餓えた獣だ。なにをするかわかったものではない。

 例えば、彼らがガレリア要塞を放棄して捨て身にかかるか、あるいは別の戦線に移ったら? 地理的に山々がある以上移動が困難でもだ。ガレリア要塞はもはや廃墟の上、その後方には絶対的な力を持つも無言を貫くクロスベル独立国。第四そのものを壊滅させる以外、貴族連合にこの作戦のメリットはない。

 例えば、各地に紛れている師団や鉄道憲兵隊が双竜橋を強襲したら? 機甲兵を除けば貴族連合は今までと変わらない通常の軍隊だ。内部から白兵戦に持ち込まれたら、この戦線は磐石とは言えない。

 あるいは、貴族連合と同じように、第四機甲師団に第三の()()()が現れたら?

 机上の空論ではない。リーヴスのSUTAFE本部で憎たらしいエラルドと兵棋演習をしていた頃が懐かしい。あの戦線は今、別の形で現実になっている。

 安心、絶対。そんなものはあり得ない。だからこそ、シオンは本部の考えを知りたかった。この状況を作っている者たちの思惑を。

 指揮官のさらに上、貴族連合本隊と主宰は何を考えているのか。

「おお、相変わらずやっとんな~」

 シオンの思索を振り払ったのは、軽すぎる男の声だった。振り返ると、貴族連合兵士でない、二人の屈強な男が近づいてきた。

 一人は引き締まった筋肉だが一見痩せて見えて飄々とした態度、細目にサングラスをかけた男。

 もう一人は、浅黒い肌に異常とも言えるほど隆々とした筋骨が主張された、ドレットヘアーの大男。こちらもまたサングラスをかけているが、その奥の瞳はぎらついている。

 金によってどんな依頼も請け負う、戦いを日常とする者たち。それは猟兵団と呼ばれている。

 彼ら二人は、《西風の旅団》と呼ばれる大陸有数の猟兵団から、内戦にあたり貴族連合本隊が雇った猟兵だった。

 痩せた側の男は、《罠使い》の異名で呼ばれるゼノ。

 対する大男はレオニダス。《破壊獣》の異名を持つという。

 隣にいた同僚が、少しめんどくさそうな態度をとる。

「……ご苦労様なことだ。今日は何をしに来た?」

 そう言うと、先も言葉を発した痩せた側の男──ゼノがいった。

「今日は機甲兵訓練の指南役としてきてんねん。でも、そう気にせんと」

 レオニダスが続く。彼の声は殊更に低く、地から這い出るようなものだった。

「応用操縦はともかく、基本操縦は多くの兵士がこなせている。今の我々は、そう多くを伝える必要もあるまい」

 彼ら二人は単身での戦闘力において、一兵卒とはかけ離れている。シオンのような兵士が十人二十人と集まったところで、真正面からではゼノあるいはレオニダスの一人を打ち倒すことも叶わないだろう。実際に彼らような猛者と対峙したことはないが、シオンはそう思っている。

 そんな彼らは要人の護衛や一騎当千の戦力として内戦に参加しているが、戦闘のプロフェッショナルであるため機甲兵操縦の指南役としての立場も持っていた。シオンは内戦開始以前に出会うことはなかったが、内戦開始以降も度々各拠点の訓練や作戦に参加しているため、こうして今邂逅を果たしている。

 同僚を初め多くの兵士が二人を気にくわないのは、規律を重視しない行動指針故だろう。実際指導はともかく作戦中自由に動くことが多く、連携なんてできた試しはない。

「ほーん、そっちのアンタも納得しないん?」

 今もなお、自由人そのものだ。ゼノはたまたま見かけたシオンと同僚に狙いを定めたのか、遊び道具として使ってやろうという魂胆が見え隠れしている。

 なら、とシオンは口火を切ることにした。正直規律を破る二人を見て溜飲が下がる思いもあるのだが。

「なら言うが、ガレリア要塞侵攻作戦が始まって一ヶ月が経とうとしてる。第四はもう互角に戦っているんだ、応用操縦も各兵に伝達した方がいいんじゃないか?」

 貴族連合本隊に雇われているという特性上、彼らは現場指揮官の命令に絶対服従という訳ではない。単純な指揮系統でないからこその、シオンの畏まらない言葉遣いだった。

「お、アンタ判っとーやん。でもムリムリ、並の兵士に応用操縦を教えたとこで混乱するだけや」

 レオニダスが続ける。

「その身にそぐわない力はむしろ戦況を混乱させる。それが判らないのか?」

 破壊獣の言葉はそれだけで心臓を掴まれるような恐怖を覚えるが、シオンは止まらない。

「判らないのは上層部の意向だ。リスクはあるが、攻撃の戦術を増やすべきだろう」

「ほう……?」

「帝都を電撃占領して鉄血宰相を討って、貴族連合は盛大に狼煙をあげた。そのくせに、後の戦略はどうにも()()()だ。

 ノルド高原の第三機甲師団相手にも、通信妨害はしてもその後は攻めあぐねていると聞いている。ここガレリア要塞だって兵糧攻め。威風堂々と先手を切ったなら、あんたらみたいな外部組織でも頼って対機甲兵戦術が組まれる前にとっととケリをつければよかっただろ?」

 俺はそんな自己犠牲なんてごめんだけどな、そう思いながら、シオンは息を大きく吸い込んだ。マシンガンのごとく捲し立てたせいで軽い酸欠になってしまった。

 そう、どうにも貴族連合本隊の意向がちぐはぐなのが気にかかっている。四大名門の派閥争いや各領邦軍の手柄争いで内輪揉めがあるのかとも思ったが、それにしたって電撃的に事を進めた方が英雄視はされるはずだ。少なくとも、まだ貴族連合は優位を保っているのだから。

 作戦としての保守傾向は、多くの陣地を抱えて守る対象が増えた攻撃側が、次に取る手として正当ではある。だがそれはあくまで個々の戦線おけるミクロな視点だ。

 マクロな視点、全体の戦況や貴族連合が勝利した後の統治。それに帝国全体の疲弊を考えるなら、最初の時点で勝利しておくべきだった。

 当然正規軍もやられてばかりではないのでこちらの計算外も往々にして起こるだろう。

 だからどうしても気になってしまう。貴族連合を束ねる総主宰や、指揮をとる総参謀の意向というものを。

 二人もそう思わないかと、暗に疑問を呈した言葉に対して、ゼノは興味深いようにこちらを見てくる。

「ほうほう。アンタ、面白いところに気づくやん。名前、なんていうの?」

 完全に興味を持たれた。悲しいかな、同僚はいつの間にか逃げていてこの場にいない。

「シオン・アクルクス、SUTAFE所属だ。というか罠使い、あんたに関しては帝都制圧の時に一緒の隊だっただろう」

 と、シオンはささやかな悪態をついた。自分がトールズに向かうよう指揮したのが、他ならぬゼノだったのだ。こんな珍しい訛りはそうそういないので忘れない。

 言われたゼノは細目を丸くしてシオンを見る。そして盛大に驚いた。

「ああ! アンタあの時の真面目君やんか! どーりで聞き覚えのある声やと思ったわー!」

「ふむ、貴様がゼノが言っていた兵士か」

 ところがレオニダスの予想外の言葉に戦慄した。

 え、何? なんで俺この化け物たちに噂されてんの? と背中に冷たいものが走る。

「益々もって、面白いところに気づくなーと思うわ」

「なら……先程の返答とともに、こちらからも聞かせてもらおうか」

「え?」

「アンタが今ここにいる理由や」

 急に、先ほどまでの飄々とした雰囲気が失せた。

 殺気ではないため動けなくなる、なんてことはないが、彼らが自分を気にかける理由がわからなさすぎて、シオンは混乱する。

「なんだよもったいぶって……あんたらなら戦況を変えるのも余裕だろ?」

 それはシオンの戦況に対する認識、本気で勝つなら化け物じみた力を持つ協力者や機甲兵の大部隊を用いるべきだった、ということの再確認。

 だが。レオニダスとゼノが次々に答える。

「その問いには、否と答えさせてもらおう」

「そりゃま、俺らと比較したら、アンタの実力は弱すぎて話にならん。でもな」

 戸惑うシオン。

「戦場で必要なのはなにも実力だけではない。生きる意志、何かをなそうとする原動力が必要だ」

 猟兵。常に命の危険がつきまとう日常に身をおく彼らだからこそ、その言葉に重みが増してくる。

 そして、ゼノはシオンに決定的な真実を突きつける。

「アンタにはその原動力がない。帝都制圧の時も、今もそうや。『憎むべき敵』として正規軍を倒そうという意志も、仕事として役割を果たそうという分別もない」

「……」

「なあアンタ、何のためにここにいるんや?」

 さすがは一流、と言うべきか。

 シオンも自覚している心の迷いを、ほんの少し対面しただけで見抜かれてしまった。

 そしてゼノは、いつかの黄金の羅刹と同じようなことを言う。

「そのままやと、いつか板挟みになって動けなくなるで? そういうのが近くにいるほうが、俺らにとっちゃ困るんよ」

「他の兵士たちが楽観的だと感じるのは同感だ。だが士気は高い。貴様よりは扱いやすいというものだ」

 ゼノは体を反らせて伸びをする。息を吐いて、膝を屈めてあり得ない高さを跳躍する。停止している機甲兵のハッチに手をかけ、搭乗した。

 その様子を見ながらレオニダスはシオンに背を向け、憮然とした態度て言う

「先程の質問。確かに我々も貴族連合の戦略に合点がいかないこともある。

 だが我々は猟兵だ。雇い主の意向のまま動く。無駄な詮索はしないものだ」

 そうして、レオニダスもまた遠ざかっていった。二人は指南役も飽きてきたのか、久しぶりに機甲兵という玩具で遊ぶようだ。

 シオンは解放され、そしてどっと疲れが襲ってくる。

「結局、訳がわかんねぇよ……」

 そのシオンの呟きは、誰にも聞かれることはなかった。

 

 

────

 

 

 ゼノ、そしてレオニダス。西風の旅団という猟兵団の化け物二人にひどく精神力を持っていかれた翌日。

 双竜橋に詰める兵士の中シオンは再びガレリア要塞侵攻作戦の参加者として選ばれた。

 シオンを擁する小隊規模の攻撃部隊は、機甲兵部隊を中心に歩兵と戦車が混成された編成となっている。

 守備隊に後方の守りを任せ、彼らはガレリア間道を踏破していく。機甲兵を操る兵士を中心に、隊はやはり楽観的な雰囲気で、ガレリア要塞跡地へ向かう速度も速い。

 ちなみにゼノとレオニダスも作戦についてきたが、「三者面談だ」「授業参観や」などと訳のわからぬ事を言って岩山の隙間に消えていった。消えた方角的に第四機甲師団を遊撃する場所だと思えなくもなかったのと、そもそも攻撃隊長も彼らを頭数に入れていなかったので放置しておく。

 太陽が赤く染まる前に、何度目かの要塞跡地は見えてきた。

 東に面するクロスベル州、そしてカルバード共和国を見据えたガレリア要塞。帝国を守護する鉄壁の要塞だったはずだが、今は無残に廃墟と化している。

「……いつ来ても驚かされるな、この風景は」

 シュピーゲルのコックピット内部で、モニター越しに見える光景にシオンは寒気を覚えた。

 ガレリア要塞だったものは、ただ単に列車砲のような巨大な兵器で破壊されたわけではない。どのような兵器化は噂の域を出ないが、ともかく超常的な()によって球状にきれいさっぱりくりぬかれているのだ。瓦礫もあるが、それはここ最近の第四機甲師団との戦闘の余波が原因だ。元々は本当に時が止まったかのような風景で、断面も顕わになっている異様な光景だった。そして、その奥には薄青の膜につつまれた、クロスベル独立国。

 今、ここに第四機甲師団はいない彼らはガレリア要塞正面からさらに北に言った先の演習場に拠点を作っている。

 隊は、そこに行くこととなる。普段なら後ろを警戒しつつも勇猛と突き進むのだが、今日は違う出来事があった。

『報告します。要塞奥のほうから導力反応と、熱源を感知しました』

 それはシオンの指揮下にある兵士からの報告だった。シオンも言われた場所に照準を合わせ索敵を行う。詳細までは判らないが、確かに人間のいる反応だ。

『ふむ……ならば、第三・第四班。その場へと迎え』

 隊長が命じる。シオンは第四班長。断ることは許されなかった。

『指揮は……そうだな。第三班長に一任する』

『了解』

 様子見程度だ。シオンを含めた計六体の機甲兵が隊から離れ、目的の場所へ移動する。

 フットペダルとスティックレバーを動かしながら、シオンは考える。

(なんだろう、嫌な予感がする)

 根拠も何もない予感。いや、予感はあった。不安といってもいい。

 盤石な貴族連合の牙城を崩す、正規軍の戦略。いや、貴族連合が予想できない万一の可能性。

(……最善を尽くすのみだ)

 揺れる信念を掲げ、シオン・アクルクスは再び内戦の大地を踏みしめた。

 

 








次回、19話「幾重の邂逅」


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