ワカメのペルソナ5 (ぽけぽっけ)
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第1話

 

 外が暗くなって来た。

 

 読んでいた本を閉じて、立ち上がって大きく伸びをする。目がしばしばするし、そろそろ寝ようかな。カーテンを閉めて部屋を出ようとすると、ちょうどドアがノックされた。

 

「慎二、今日から居候する子が来たぞ。挨拶しに行けよ」

「……えぇー? 僕さあ、モブに興味は無いんだけど」

「訳分かんねぇこと言ってないで、さっさと行ってこいよ」

 

 僕の邪魔をするか爺ぃめ。口煩さに眉をひそめてドアを開けた。

 似合わない白い帽子を被ってる爺さん――佐倉惣次郎を尻目に、純喫茶ルブランへと向かう。こんな入り組んだ場所に来る客、やっぱいないって。ルブランに着き、中に入るとコーヒーの匂いが漂う。相変わらず寂れた店だ。

 

 店の中をぐるっと覗くが、誰もいない、ってことは二階だろうか。靴の音を鳴らしつつ階段を登ると、ベッドに腰掛けてこちらを見ている少女がいた。こいつか?

 

「お前が居候? 女かよ……」

 

 予想と違うことにため息が出た。……おい、そんなにビクビクするなよ、僕が脅してるみたいじゃないか。

 ま、初対面の人にあったくらいでキョドる奴なんかたかが知れてるな。そう僕は体を縮こませる彼女を見下した。

 

「で? 名前は?」

「……岸波白野、です」

「ふーん、やっぱモブっぽい名前だ、な……。――うん? 聞き間違えだな、すまん、もう一回言ってくれるか?」

「えっ、と、岸波白野ですが」

 

 ……あれれー? おかしいぞー? どうしてこんなところにいるのかなー?

 何が何だかわかんないや僕。

 

 信じたくないけど彼女の顔をよくみると、とてもクラスで3番目とは思えない顔立ちをしていらっしゃった。あ、これマジだわ。マジの主人公だよどうなってんのここ月じゃねぇんだぞ!?

 

「あ、あの、すごい顔してますけど何かあったんですか……?」

「なんでもないです岸波様」

「岸波様!?」

 

 驚きたいのはこっちですよ。何が何やらわからず、状況が全然把握できてない。だが僕がやらなければいけないことはわかった。

 

「舐めた口きいて申し訳ありませんでした」

「えっ、あの、とりあえず頭を上げてください!」

「いやもうマジすいませんした。小指だけで勘弁してください」

「あなたは私をなんだと思ってるの!?」

 

 ヤクザよりも敵にまわしたくない人です。

 

 その後、土下座してドン引きされた事を代償に許してもらい、事なきを得た。

 よし、取り敢えずこれで敵対は避けれただろう。後は関わり合いを持たずひっそりと雑草のようにすごせば

 

「で、なんで私のこと知ってたの?」

 

 無理でした。

 

「……ゲームで似た名前の奴が居たんだよ。外見もそっくりだったからびっくりしただけだ」

 

 岸波は訝しげな様子だが、そうとしか言いようがない。本当、一回戦でワカメをぶっ倒した方によく似ていらっしゃる。

 立て続けに質問されそうだったのでさっさと退散する。ま、一年しかいないそうだし、その間ルブランに近づかなければ問題ないだろう。

 

 そう思っていた。

 

 

 

 

「あ、お邪魔してます」

「帰れ」

 

 次の日、奴はそこにいた。僕の部屋でくつろぐんじゃない、パソコン触るな、エロ本探すな。

 

「やっぱり男の子の部屋に来たらそういうの探したくなるよね!」

「ウキウキするな帰れ」

 

 どこかなー、と僕の言葉を完全に無視する岸波。いらついて叩きだそうとするが、のらりくらりとかわされてしまう。お前どこでそんな俊敏さを身につけた、とか、ほぼ初対面の人に対して遠慮がなさすぎだろ、とか、色々言いたいことがあったが、ことごとくスルーされた。

 

「まぁまぁ、取り敢えずそこに座りなよ」

「自分の部屋みたいに椅子を勧めるんじゃない!」

 

 何様だこいつは!

 

「はぁ……、で、何の用だ。生憎僕は忙しいんだ、早く本題に入れよ」

「惣次郎さんは『慎二はいつも暇してるから存分に扱き使えよ』って言ってたけど」

「あの糞爺め」

 

 爺さんとは今度話し合いが必要らしい。わざと名前も教えてなかったのに……。

 というか何の用か早く教えろよ。

 

「――理由がなくちゃ、来ちゃいけないの?」

「マジで帰れよ」

 

 冗談はこの辺にしておいて、と岸波は一つ咳払いをして、

 

「私、記憶喪失なんだ」

 

 冗談のような話を、始めた。

 

「高校以前の事、何にも覚えてないの。気づいたら私は高校一年で、岸波白野だった」

「……ふーん。それで?」

「昨日会った時、私のこと知ってるみたいだったから。もしかしたら、知り合いだったかもしれない。友達だったかもしれない」

「…………」

「だから、勘違いかもしれないけど。覚えていなくてごめんなさい」

 

 ……なんというか、律儀な奴だ。謝るためだけに来るとか、僕にはとても理解できそうにないな。

 

「安心しろよ、岸波。僕は人生でこんな変な女は出会ったことがないから。ホントにゲームのキャラと重ねただけだ」

「そっか。よかった、というべきなのかな?あと私は変じゃないから」

「お前さあ、どの口で言ってんの?」

 

 今までの行動に鑑みてから言えよ。

 

 しかし、ここでも記憶喪失か。なんというか、岸波はつくづく記憶と縁がないらしい。もう個性の一つと思った方がいいのかもしれないな。

 

「はぁ……、気はすんだだろ?ならさっさと帰れよ」

「――それはどうかな?」

「なんなんだよこいつマイペースすぎるだろ……」

 

 どこかのカードゲームで聞いたようなセリフを吐きつつ居座る岸波。こんだけ邪険にしてんのになんでグイグイくるんだよ。四回目だぞ帰れって言ったの。

 その後、岸波は散々こちらに絡んで帰って行った。満足そうな顔だったのがムカついた。塩まけ塩。

 

「オイ慎二! 玄関で何やってんだ!」

 

 爺さんにこってり絞られた。解せない。

 

 

 

 

 それから岸波はかなりの頻度で遊びに来るようになった。パソコンを使わせてー、だとか、いっしょにゲームやろーぜ、だとか。僕はいつお前の遊び相手になったんだ。

 

「ねぇ慎二、慎二はなんでワカメなの?」

「喧嘩なら買うぞ?」

 

 すっごいごわごわ、と呟き頭を撫でてくる岸波。その手を叩き落として、最近癖になってしまったため息をつく。

 

 僕の部屋にいつの間にか持ち運ばれていたちゃぶ台と座布団。ちゃぶ台の上にはお茶菓子が常備されており、岸波はそこで漫画を読みつつくつろいでいる。もう部屋の半分くらいは岸波用になっているかもしれない。

 

「自分の部屋でゆっくりしろよ……」

「だってこっちの方が漫画とかゲームとかあるし、慎二で遊べるし」

「僕で遊ぶんじゃない」

「知らなかった? 弟は姉の玩具なんだよ?」

「僕がいつお前の弟になった!?」

 

 だって年下だし、なんてことを言って岸波は笑う。

 ものすごく強引な理屈だが、悲しいことに岸波の意味不明さには慣れてしまった。こいつに遠慮という言葉はない。

 

「お前は学校に行ってるんだからそっちで楽しめよ。僕を巻き込むな」

「え、だって私避けられてるし」

「お前が!?」

 

 この容姿良し、魂イケメンでコミュ力がうざいくらいある奴を避けるとかどんな学校だよ怖えよ!

 

「あれ、言ってなかったっけ?」

「何をだよ?」

「私、前歴があって保護観察されてるの」

 

 軽い雰囲気で衝撃の事実を語る岸波。えっと、うん、いや、え? と混乱する僕を置いて話は進む。

 

「それが学校に広まってて、話しかけてくれる人とかいないんだよね。それどころか……まぁ、陰口たたかれたりとか、するから。学校の裏サイトとかすごいことになってるみたい」

 

 いやー参ったねーと笑顔で言う岸波だが、その顔はどこか痛々しげなものだった。

 

「……爺さんめ、わざと言わなかったな」

 

 岸波が保護観察中なんて僕は爺さんから一言も聞いていない。恐らく、僕に言ったらそれをネタに遠ざけるとでも思ったのだろう。実際やってたと思うし。

 

 だが、岸波の人となりを知った今は、その前歴とやらも怪しく思える。こいつが何か犯罪をするところを全くイメージできないし、多分冤罪に近いものだろうな。本人が悪くないことで責めるとか超ダサい。結果として知らなくて正解だったか……。

 

「……チッ、黙って漫画読んでろ」

「……慎二がデレた!」

「うるさい」

 

 照れるな照れるな、とニヤニヤしている岸波の頭に拳を一つ。暴力反対? いいえこれは躾です。

 

「ありがとね」

 

 そう言った岸波は、とても綺麗な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 岸波が帰った後。

 

「ま、気に入らないしね」

 

 学校の裏サイトを開き、キーボードを叩いた。

 

 



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第2話

 

「犯人は、ワカメ。お前だ!」

「意味がわからないし僕はワカメじゃない」

 

 岸波は部屋に入ってくるなり、探偵みたいな事を言って僕を指差す。ついにおかしくなったのだろうか。頭が。

 僕は気が触れてしまった岸波を、憐憫を込めて見た。

 

「その目はすっごいムカつくからやめて」

「じゃあ説明をしろよ」

 

 仕方ないなぁ、とスマホを取り出す岸波。とん、とんと指で操作した後、スマホの画面を僕に見せる。それは学校の裏サイトであり、バグっているのか、ほとんどの文字が文字化けしていた。

 

「最近、ずっとこんな感じで使えないんだって」

「へぇー」

「で、これが始まったのは、私が慎二に弱音を吐いた、次の日らしいんだ」

「ほー」

「心あたり、あるよね?」

 

 あるわけないだろ、と答えてそっぽを向く。だが岸波は僕の言葉を信じていないようで、ニヤニヤとこっちを見る。……なんかこいつ笑ってばっかだな。人生楽しそうな奴だ。

 

「いやー、慎二デレッデレだね! ツンはどうしたの?」

「だから僕は何もやってない。証拠もないだろ」

「だってそのパソコン超すごそうだし」

「それだけかよ……。って頭撫でるな顔を寄せるな」

 

 よーし慎二はいい子だねー、よしゃよしゃよしゃ。

 

「犬じゃねぇよ!」

「いいツッコミだ……!!」

 

 岸波は生き生きしている。ダメだ、味をしめてやがる。

 

 ハッキングした際、証拠は残してないはずだから、本当に誰がやったかは分からないはずである。なのに岸波は僕によるものだと確信を持っているようだ。

 いやまぁ、確かに話を聞いた直後にやったのはまずかったかもしれないが、なぜここまで僕だと断定できる?

 

 なんでそんなに僕を信用できるんだ。

 

「相変わらず訳分からん奴だ……」

 

 ま、別に気にするほどのことじゃないか。僕は首を振って理解を諦めた。

 

「で? 僕をからかいにきただけか?」

 

 そう問うと、岸波は背筋を伸ばして姿勢を正し、視線をわずかにそらして。

 

「いや、その。お世話になったわけだし、お礼にお姉さんがデートしてあげよっかなって」

 

 そう言って、顔をわずかに赤くした。

 

「……は?」

 

 こいつは、正気だろうか。……えっ、と、何を言っていいか、わからん。

 

「な、なんか言ってよ」

「ぶっちゃけ外見は良いけど中身がやばすぎるんでお断りしま」

「来るよね?」

「ハイ」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 埋浜。年間3000万人以上が訪れるデスティニーランドで有名ではあるが、元々は東京湾岸の漁師町だったそうな。魚が美味しいらしいんだが、今回はデスティニーランドしか回る時間はないな。

 

「ランドだ!」

「せやな」

 

 慎二ですが岸波のテンションがおかしいです。

 

「せっかく東京に来たんだし、一度は遊びに来たかったんだ!」

「僕、カチューシャとかはしないからな」

「うさぎの耳買ってあげる」

「やめて」

 

 僕の言葉に即座に反応した岸波はお店に直行。見事にお揃いのバニーのカチューシャを買ってきたのだった。藪蛇さんこんにちは。

 

 別に、嫌だったらつけなければ良いだろう、と思うかもしれない。しかしよく考えてみてほしい。岸波がカチューシャをつけさせようとして、僕が抵抗している姿は、傍から見てどう思われるだろうか。

 

 そう、カップルである。

 

 周りから暖かい目で見られたり、リア充爆発しろと言われるのはごめんだ。イチャイチャしてると見られないために、僕は素直にカチューシャを被った。……まだ手遅れではないんだ、そう信じていたいんだ。

 

 そんな駆け引きはさておき。

 遊園地という場所に来たならば、僕は岸波に言っておかなければならない事がある。

 

「ああ、僕、絶叫系は乗らないから。勘違いするなよ?別に怖いってわけじゃない、気持ち悪くなるから嫌ってだけだ」

「それはフリかな?」

「ちげーよ!!」

 

 断じてフリじゃないし怖くない!

 ただちょっと乗り物酔いをするだけだ!

 

「なら乗っても問題ないよね!」

「他にも乗るもんあるだろ!なんでわざわざそれにする必要が……、引っ張んな!」

 

 やめろ、おい、本当にやめろ!

 その先は、地獄だぞ――

 

 

 

 

「キャーー!」

「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 

 

 最悪である。

 

「いやー、楽しいね! もう一回乗る?」

「お前は僕を殺す気か……?」

 

 冗談だよ、と笑う岸波。何がそんなに楽しいのか僕にはさっぱりわからないが、彼女はここに来てからずっとご機嫌である。というか僕へのお礼って話ではなかったのか。なんで僕の希望に沿わないことばっかりやるんだ。やめろ岸波、あーんじゃない、そもそも間接キスだろ、そういうの気にしろお前本当に女か。

 

 まぁ、しかし。岸波の猛攻を躱す必要があるが、デスティニーランドでの時間自体は楽しめている。一度も来たことがなかったし。女と一緒に遊ぶのも、それどころか友達と出かけることも初めてだ。……あれ、何かおかしい気が……。

 

「どうしたの?」

「いや、別に」

『見てください、ティラノサウルスがF-4戦闘機を食べていますねー』

「どういう状況だそれは」

 

 今はジャングルを船で進む、みたいなアトラクションに乗っているわけだが、世界観がよく分からない。恐竜がどうやって戦闘機を仕留めたんだ、つーか食うな。

 

「肉食ならぬ鉄食……新しいね」

「新しいで済ませて良いのか?」

『おっと、どうやらティラノサウルスがこちらに目標を定めたようですねー』

「おいガイド、嘘でも良いからもうちょっと緊張感を出せ」

 

 ガイドは鼻で笑った。

 

「よし、一発殴らせろ」

『おお、どうやらこちらの男性がティラノサウルスを足止めしてくれるようですねー!』

「そっちじゃなくてお前のことだよ!」

『使えないなワカメ』

「ワカメっていうなぁっ」

 

 どいつもこいつも人の髪をなんだと思ってるんだ。天パなんだから仕方ないだろ……。つーかこのガイドよくクビにならないな。

 その後もガイドに罵倒され。

 

『ご乗車ありがとうございましたー』

「また来ますね」

「二度と来るか!」

 

 散々である。ここのアトラクションこんなんばっかだな。

 

 

 

 

 いくつかのアトラクションに乗った。どのアトラクションも一筋縄ではいかない物ばかりだった。さすがデスティニーランドといったところか、他の遊園地と一味も二味も違う。良い意味で……なんだろうか。

 

「もう、いい、つかれた。どっかで休むぞ」

「はーい」

 

 ちょうどパレードも始まるしね、と岸波は近くのベンチに座った。手にはポップコーンとコーラが。映画でも見るんだろうか。

 ちなみに僕の手は岸波が買ったおみやげの袋で埋まっております。悲しいね。

 

「いや、私が持つよ?」

「いいんだ、岸波。これは男の意地なんだ」

 

 女子に持たせてはならない。

 

 荷物を置いて岸波の隣に座る。パレードを見るための人がちらほらいるが、今日は元々そんなに人がいなかったため、ここからでも十分見れるな。

 

「ねぇ……」

「なんだ?」

 

 岸波の顔を見ると、何か迷っているような表情だった。

 

「本当にどうした?」

「……ううん、なんでもない」

「ふーん」

 

 ……ま、言いたくなったら言うだろ。

 

 そして、パレードが始まる。

 ネズミっぽいマスコットキャラや踊り子衣装の女、コサックダンスをしている男。それらがメルヘンな乗り物と共にライトアップされ、明るいメロディの中、行進している。

 空には、それを彩るように花火が上がっていた。

 

「岸波」

「どうしたの?」

「今日は楽しかった。ありがとう」

 

 僕がそう礼を言うと、彼女は目を丸くして。

 

「……ごめん、もう一回言ってくれる?」

「誰が言うか。おい、録音するのをやめろ」

「だって慎二が素直になってるなんてありえないもん!」

「こいつ……」

 

 僕をなんだと思ってやがる。もう二度と岸波に礼を言ってやるもんか。

 

「あはは、冗談だよ。ちょっと照れくさくなっちゃって、茶化しちゃった。――どういたしまして」

「……ふん」

 

 そんなこと言ったって僕の決意は揺るがないぞ。三日は言ってやらないからな。……揺らいでなんかない。

 

 僕の固い決意を余所に、煌びやかなパレードは進んでいった。

 

 



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第3話

 

 季節は巡り、夏になった。岸波も試験が終わり、夏休みに入ったようで、午前中は僕の部屋でゴロゴロしている。午後もたまにゴロゴロしている。今もゴロゴロしてるし、もはや僕の部屋といっていいのかわからないが、その辺はもう諦めてしまった。

 

 世間では心の怪盗団、と言うのが流行っている。曰く、悪い人を改心させる、とのこと。名前は確か、ザ・ファントムだったっけ。

 

 というかこれ、岸波関わってるよな。こういった変わった出来事には大体関わっていると思っていい。何たって主人公様だからな。ここでただ宿題やったり漫画読んだりしているだけではないはず。最近は友達と遊んだりしてるらしいし、その時にでも活動しているんだろう。

 

 岸波が怪盗団の一員だとしたら、

 

「コードネームはザビエルかね」

「!?」

 

 怪盗団VS何かで聖杯戦争でもしているのだろうか。前行ったランドも名前がデスティニーだったし、なんか関係あるのかね。まぁ、なんにせよ、やっぱ岸波はヤバいやつだ。

 

「ね、ねぇ、今の、どういう意味?」

「いや、岸波がザビエルっぽいなと思っただけだ」

「ホントどういう意味!?」

 

 フランシスコ……ザビ……!?

 

「ザビ子さんちわっす! お疲れ様です! 調子どっすか?」

「そのチンピラ風なんなの!? あとザビ子って言うな! 私にはジョーカーってカッコいい呼び名があるの!」

「へー」

「あっ」

 

 ジョーカー、ジョーカー、か。友達にジョーカーって呼ばれてるって……何というか、恥ずかしくないのだろうか。

 ま、怪盗団でのコードネームってことだろうがな。というかボロを出すな。僕が困るだろ。

 

「なんか、似合わないな。由来はなんなんだ?」

「えっ、なんか、こう、切札的な?」

「ババ抜きのジョーカーとかそういう意味じゃなくて?」

「いい加減にしないと怒るよ!」

 

 フシャー、と猫のように怒る岸波。パソコンから岸波へと向き直った僕は、痛む頭を抑えて問いかける。

 

「じゃあ真面目に聞くが。岸波は怪盗団なのか?」

「そ、そんなわけないよ。全然ちがうよ。……ホントだよ?」

「お前隠す気あんの?」

 

 隠してなんかないしっ、と岸波は視線を泳がせて動揺する。どう見ても図星だとしか思えない。こいつ、大丈夫だろうか。そのうちポロっと正体バラして捕まったりしないよな。

 

 最近話題の怪盗団。今はメジエドと呼ばれるハッカー集団に宣戦布告されているみたいだ。学生でハッカーに勝てるかというと、まぁ、無理だろうな。

 

 …………。

 

「そういえば、岸波。この辺で良い腕のハッカーがいるって知ってるか?」

「ホント!? ……あ、いや、怪盗団とか全然関係なくて、個人的な興味としてね?」

「お前ワザとやってるだろ」

 

 流石に露骨すぎる。そう思って問いかけたが、岸波は相変わらずうろたえていた。マジか。本気でその反応してんのかよ。可愛いでは済まされないんだからな。

 

 もう諦めろ、分かってるから。そう言うと、岸波はぐぬぬと唸り、話の続きを促してきた。

 

「この近くに間桐って家がある。割とでかいから見つけやすいだろ。その家に住んでる間桐双葉という女が、天才ハッカーのはずだ」

「……なんでそんなこと知ってるの?」

「あそこは色々悪い噂が立っていてな。興味本位でハッキングしてみたことがある。そして二秒で逆ハックされた」

「えぇー……」

 

 割と自信があったからちょっと泣きそうだった。

 

「でも、悪い噂か……。どんなのなの?」

「色々あるが、よく聞くのは、間桐の娘さんは虐待されている、というものだな」

「……そう」

 

 スッと目を細め、呟く。静かになった岸波は、他に情報はないのか聞いてきたが、詳しくは僕も知らない。興味を持って調べたのが大分昔なので、もうほとんどを忘れていた。

 

「せいぜい頑張れよ、怪盗団さん」

「……また、助けられちゃったね」

「僕はお前を助けた覚えはないが?」

「あはは……慎二ってほんっとに、見事なまでにツンデレだよね。見てて飽きないわー」

「うるさい」

 

 僕の返答を聞いた岸波は、相変わらずだなあと笑いつつ。

 しっかりと礼を言って部屋から去って行った。

 

 

 

 

「で、慎二。お前、岸波ちゃんとどこまでいったんだ?」

「……この前の事か? 遊園地って言っただろ」

 

 夕食後に佐倉惣次郎から変な質問がきた。普段外出なんかしないし、心配をかけないように場所は教えておいたはずだが。そもそも大分前だし。

 ……伝えた時の爺さんのにやけた面を思い出して少し殴りたくなった。

 

「……そうじゃなくてよ。キスとかしたのか?」

「ぶっ!? ガッ、ゴホッゴホッ!」

 

 爺さん何言ってやがんだ!

 そんな、お前、あいつと僕がキスとか……。キスとか……!!

 

「しねーよこえーよ! ぶっ殺されるよ!」

「お前……。もう尻に敷かれてるのか」

「なんで発想が付き合ってる前提」

 

 慎二も大変だな、と僕と岸波の関係を確信している爺さん。爺さんは女関係の話になると生き生きするが、今回は僕の事だからか、いつもの倍は楽しそうだ。まあ確かに、これまで女の影どころか友達すらいなかったのだから、期待してしまうのは仕方ないのかもしれない。だが許さん。

 

 そもそも何でそんな話になるのだ。確かに僕は岸波しか親しい人がいないし、暇な時は大体一緒にいるし、二人でデスティニーランドにも出かけた。……そりゃそんな話になるな。解決した。

 

 だからと言って納得できるかは別だが。

 

「それにあいつには、大切なものがもうあるはずだろ。僕に構うよりも、やるべきことが、深めなければならない絆があるはずなんだ」

「……どういうことだ?」

 

 爺さんは額のシワを深めて僕を見る。何を知っているのか、問うているのだろう。その目には岸波への心配が強くこもっていて、この短期間で爺さんと仲良くなっていることに驚いた。ゴロゴロしてるだけかと思ったが、やるべきことはしっかりやっているんだな。

 

「持ち前の正義感の強さが仇となり、傷害の罪を着せられ、保護観察処分となってしまった岸波。地元の高校を退学になり、高校2年生の春に東京の秀尽学園に転校することに。しかしそこで、不可思議な出来事に巻き込まれてしまう。仲間との絆を深めつつ、彼女は真実を求めて困難に立ち向かう──、なんてどうだ?」

「……ゲームの話か?」

「そう、ゲームの話さ」

 

 そう言って笑うが、爺さんは険しい表情を崩さない。

 

「だけど、間違いではない。彼女の前には、試練が待ち受けていて、今もそれに立ち向かっているんだろうな。何たって、主人公なんだから」

「現実はゲームなんかじゃねぇぞ」

「いいや、ゲームだ」

 

 少なくとも、僕にとっては。

 

「お前のそれは、逃げているだけだ。事実から、人の好意から、目を背けているだけだ。いい加減、現実と向き合え。目を合わせろ。……じゃなきゃ、あいつにも、岸波ちゃんにも失礼だ」

 

 怒気がこもっている言葉を聞いて、可笑しくなった。そんなこと、僕はとっくの昔に知っている。僕がどれだけ──かなんて、ずっと前にわかってたことなんだ。

 

「あの日、諦めるって決めたんだ。ずっと後悔して、逃げ続けることになるって分かってて、それを選んだんだ」

 

 だから。

 

「僕は、変わらない」

 

 ずっと、ずっと。

 今までも、これからも。

 

 そんな僕の宣言に、爺さんはそっと目を伏せて。

 

「……俺にゃ、あの時、何が起こったのか分かんねえ。何でそんな想いに至ったのか皆目見当もつかねぇよ。だけどな、慎二。お前が変わりたくなくっても、それでも俺は、お前に変わって欲しいんだ」

 

 それでも、お前に──幸せになって欲しいんだ。

 

 そう言い残して。爺さんは、自分の部屋へ戻っていった。

 

 

 

 

 爺さんの背中を見届けて、しばらく。部屋に戻った僕は、いつもパソコンを置いている机の前に座る。一番下の引き出し。そこにはナンバー式のロックをかけていて、もう触るつもりさえなかったんだが。

 

「やっぱ関わるべきじゃなかった、か」

 

 鍵を開ける。

 開かずの引き出しに入っていたのは、一世代前のスマホと、黒縁メガネ。

 

 あー、もう。

 

「どうしようもねえなぁ」

 

 情けなさに声が潤んだ。

 

 



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第4話

 

 メジエドのXデー。その日に、怪盗団は――またも、勝利を手にしたようだった。

 

 メジエドのホームページには、日本人のプロフィールとともに怪盗団のマークが表示された。ハッキングしたということだろう。……逆ハックの悪夢が脳裏によぎる。間桐双葉、か。とんでもない奴を味方に引き入れたものだ。

 

 岸波を見てると、ホント退屈しないね。こっちに来て半年も経ってないのにどれだけ色々やらかしてるんだか。というか見なくても退屈できない。めっちゃ絡んでくる。むしろ鬱陶しいまでいく。もうやめてほしい。

 

 ちなみに間桐家はどうなったかというと、岸波に情報を与えた三日後に間桐家のジジイが改心したらしい。一仕事した岸波は、Xデーになるまでのんびりとくつろいでいた。僕の部屋で。

 いっそ家を出て一人暮らしをするかと検討したが、爺さんと岸波の反対が激しく、計画は頓挫した。

 

 ……返す返すも一人暮らしは惜しかったな。だが、家を出るには目に光の無い岸波が怖すぎた……!

 

「なんであんなに好かれてるんだろうな……」

 

 流石に、分かる。岸波は、僕に並々ならぬ好意を持っている。それが家族に対する親愛か、男女間の恋愛の物かは分からないが。……分からないが!

 

 ただ、本当に、なぜあんなに好感度があるのかが謎だ。何にも心当たりがない。理由の分からない好意は……怖い。あいつの思考が理解できない。あいつは、なにが、目的で。

 

「はぁ……。ま、嬉しいことは嬉しいんだけども」

 

 我ながら贅沢な悩みだと思うし、その好意に応えることは絶対にないから、考えても無駄なんだけれど。

 

 リンドウを置いて、独り言をぽつぽつと言う。

 

「ホント、岸波には振り回されっぱなしで、散々だけど。最近は楽しいよ」

 

 あいつが来てから、心が動くことが増えた。岸波との時間を心地よく感じる自分がいた。さすが月の新王ってところか。人心収攬はお手の物らしい。

 滞在が一年で良かった。それ以上は、全部打ち明けてしまいそうだから。

 

「打ち明けたって、岸波は笑って受け入れるだろうけどな」

 

 それがヒーローってものだろう。いや、性別的にはヒロインなんだろうが、人外レベルの精神力とか、無駄に男らしい所とかを知っている身としては、ちょっとヒロインとは言いたくない。

 

「それこそどうでもいいな……。……愚痴も聞いてもらったし、そろそろ帰るわ。じゃあ、またな」

 

 洗った石を撫でて、踵を返す。

 夏の暑さに吹き抜ける風が、髪を撫でた。

 

 

 

 

「ただいま」

「おかえり。ご飯にする? お風呂にする? それとも」

「爺さーん、今日の飯はなんだー?」

「カレーだよ」

「またかよ。うまいからいいけど」

 

 無視された……、と玄関の前で蹲る岸波。エプロン姿とかあざといんだよ。どこでそんな知識を覚えたんだ。

 

「つーか、どけ。邪魔だ」

「惣治郎さーん、慎二がいじめるー!」

「岸波ちゃんいじめるたーどういう事だ慎二ィ!」

「なんでキレてんだよ」

 

 リビングに入ったら一瞬で爺さんが激怒した。理不尽極まりない。

 

 最近、爺さんは岸波に甘い。娘を溺愛している父親のような過保護っぷりだ。結構な頻度でルブランの手伝いをしたり、ご飯を作っていたので、絆されたのだろうか。……いや、よく考えてみると、爺さんは男に厳しく女に優しい人だった。つまり今の対応が自然だという事だろう。色ボケ爺め。

 

「爺さん、手を出すなよ。僕は岸波が母親とか嫌だぞ」

「人聞きが悪いことを言うんじゃねえ! せいぜい養子にするくらいだ!」

「姉弟も嫌だよ!?」

「家族がふえるよ! やったね慎二!」

「やめろ……本当にやめろ」

 

 岸波が本気なら実現されそうなのが怖い。

 

 家族が増える恐怖に震えながらもカレーをいただくことにする。パクパクと口に入れて、うん、相変わらず……いや、いつも以上に美味い。……もしかして。

 

「今日のカレー、作ったのはどっちだ?」

「私だけど」

 

 えっ、ルブランのカレーより美味いんだけど。

 驚愕の眼差しで岸波を見ると、渾身のドヤ顔であった。うざい。美味いやろ? 褒めてええんやで? と語りかけてくるその顔に、右ストレートをぶち込みたい。

 

「悔しそうな顔をしている慎二くん。お味はどうだった?」

「…………」

「ねぇねぇ味は? あーじーはー?」

「……うま、かった、です」

「慎二の顔に屈辱しかねぇ」

 

 岸波は気分良くハミングしつつカレーを食べるという微妙に難しい事を為していた。なんだろう、この敗北感。

 

「ちょっと前まで普通のカレーだったのに……。畜生、文句の付け所がない」

「やっぱ若い子は成長が早いもんだ。半年で抜かれるとはなぁ」

「教えて貰えば?」

「そうだな、ぜひご教授願わなけりゃな」

 

 爺さんと二人で美味しさに唸っていると、岸波はだんだんと顔を赤くし始める。

 

「器量好しで気立ても良く、おまけに料理も上手。こりゃあ男が放っておかねぇよ」

「人気旅館の女将とかこんな感じするよな」

「あー! ねぇ、また事故だって! ほら! テレビみよ!」

 

 誉め殺された岸波は強引に話題を変えた。

 仕方なくテレビを見ると、近頃話題の精神暴走事故のことが流れていた。地下鉄、バスの運転手が突如廃人になるっていうのは人ごとじゃない。巻き込まれることもあるかもしれないが、警察が捕まえられてないなら、どうしようもない。運が悪かったと諦めるだけだ。

 

「まだ犯人が捕まってないのか。やだねぇ、おちおち出かけることもできねぇよ」

「惣治郎さんは誰が犯人だと思います?」

「さあな。こんだけのことを起こす奴が何も目的を持ってないとは思えないが、その目的も分からないしな。見当もつかないよ」

 

 無難な回答を返している。爺さんは興味なさそうだ。

 

「なるほど……。慎二は?」

「こういうのは案外近くに犯人がいるもんなんだよ」

「慎二、それ私が貸した本のセリフだよね」

「いるもんなんだよ」

 

 顔をキリッと引き締めていると、岸波は呆れた目で見てくる。僕がふざけていると思っているようだ。失敬な。割と真面目だ。

 

 ニュースが終わる頃には食事も終わり、皿を洗い始める。夏の水は温く、腹が満たされたこともあって眠気を誘う。

 

 先ほどのニュースでも、怪盗団の話題が出ていた。ここのところTVもネットも怪盗団でもちきりだ。改心させるのは本当だった、怪盗団かっこいい、次の相手は誰だ。そんな声ばっかりで聞き飽きた。

 誰もが怪盗団を信じている。何かを成し遂げることに期待している。

 

 その方が面白いから。

 

 民衆は話題に飢えている。だからこそ新しい話題には食いついて、好き勝手に言い募るのだ。

 無論、そんなことに興味の無い人もいる。爺さんなんかそうだ。あの人は自分をしっかり持っていて、自分で見て知って物事を判断できる、大人だ。

 この世界にはそんな大人が少なすぎる。

 

「何か考え事?」

 

 ぼんやり考えていると岸波から声をかけられた。小首を傾け、心配そうにこちらを見ている。そんなに変な顔でもしていただろうか。

 

「ちょっと、世界のことについてな……」

「……思春期だねぇ」

「右腕が疼くぜ」

「皿洗いってそんなに大変だっけ」

 

 冗談はさておき。

 

「メジエドを倒して、修学旅行やらで気を抜いてるところだろうが。油断するなよ」

「どういうこと?」

「怪盗おねがいチャンネル。あれ工作されてるぞ」

「……うそ」

 

 昨日、怪盗おねがいチャンネルのアンケートを見たが、オクムラフーズを改心させろという声が大半だった。少し気になって調べてみたら、工作の跡を発見できた。

 

「ターゲットを誘導されてるってことだ。ま、精々気をつけるんだな」

「分かった。ホントに助かる、ありがとう」

 

 岸波がスマホを取り出して、指を動かす。ラインか何かで仲間と連絡を取っているのだろう。

 

 ……しかし。怪盗おねがいチャンネルの雰囲気、あんまり好きじゃないんだよな。助けてという声ばっかりで、他力本願すぎやしないかと思ってしまう。

 

 自分でなんとかするか、諦めればいいのにな。

 



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第5話

 

『奥村社長が記者会見中に意識不明になり、病院へ搬送されました。警察では近年話題となっている怪盗団の仕業と見て調査を進めています――』

 

 奥村社長の改心が失敗した。そのニュースは衝撃を伴って日本中に広がった。今まで改心だけをさせていた怪盗団が、危害を加えたということに、世間は驚き、怒りの矛先を向けた。

 

『怪盗団って結局犯罪者じゃん』『早く自首しろよ』『今まで正義とか言ってヤツwww』『こういう奴らが日本を悪くするんだよ』

 

 怪盗団のHPも炎上して、世間の評価は地に落ちた。今まで応援していた人も掌を返した。今までの功績も全てなかったかのように。盛者必衰の理をあらわすとは言うが、あまりにも綺麗な凋落だ。十中八九、誰かに嵌められたのだろう。

 

 岸波は普段通りだった。表面上は。

 時折覗かせる暗い表情は、失敗を悔いているのに他ならないだろう。危害を加えてしまったっていうのも落ち込んでる理由の一つか。本当に岸波が原因かどうかは怪しいがね。

 

 ま、そのうち立ち上がるだろう。鋼のハートだし。

 

「おい、お前」

 

 自分の部屋で考えていると、ニャーと声が聞こえたので振り向く。黒猫が此方を見ていた。そういえば岸波がネコを飼っていたっけか。動物は好きじゃ無いからあんまり意識してなかった。名前は確かモル……モル……。

 

「モルヒネ?」

「ちっがう! モルガナだモルガナ! 名前くらい知っとけ!」

 

 猫がすっごい鳴いて抗議している。違ったか。

 しかし、モルなんとかはなんで僕の部屋にいるのだろうか。岸波が遊びに来るときはルブランに置いてきているらしく、これが初対面だし、あれ、マジでなんでここにきてるんだ?

 

「お前がジョーカーに情報を与えていた男だな。……すまなかった。お前が忠告してくれたにも関わらず、ワガハイ達は失敗してしまった。そしてありがとう。お前のおかげで、春の親父を殺されずに済んだ。シャドウを傷つけられたが、時間をかければ眼を覚ますだろう。聞こえてないだろうが、感謝する」

 

 ……なんかすげぇニャーニャー言ってる。

 

「その上で頼むのも虫が良い話だと思うが、どうか助けてくれないか。ジョーカーが落ち込んでいるんだ。あいつはワガハイ達の柱。立ち直ってくれないと、怪盗団は始まらない。ジョーカーを慰めてやってくれ。……本当はワガハイ達がやらなければならないのは分かってる。でも、今は、ワガハイ達も、慰めれるほど、余裕がない……」

 

 超悲しげに鳴いてる……なんだこいつ……。

 

 岸波の部屋に返そうと考えるが、ルブランは営業してるし、持っていけないな。鞄に詰め込むのも、おとなしくしているはずがないし。

スマートフォンを起動し、岸波に連絡を入れる。しばらくして、迎えに行くからそれまで預かってて、と返信が来た。

 

「そら、岸波を呼んどいたぞ。それまでおとなしくしとけよ」

 

 猫は返事をするように一つ鳴いて、床に寝っ転がった。

 

 不思議なやつだ。初対面なのに警戒心が無いし、話が通じているっぽい。心の怪盗団なんてやっているやつの飼い猫だ。多少特殊であってもおかしく無い。それどころか怪盗団のメンバーかもしれない。あるいはサーヴァントだろうか。猫の鯖なんていたっけか。

 

 つらつら考えていると、ドアがノックされた。

 

「ごめんね、来たよー」

「……ノックするとかお前偽物か?」

「いやいや」

 

 苦笑しながら岸波が入ってくる。迷惑かけたねーと声をかけながらモルガナを無造作にバックに突っ込んだ。おいおい。猫は猫で文句言えよ。なぜ指定席のように顔を出していらっしゃるのでしょうか。

 

「じゃーね」

「待て」

 

 用が済んでさっさと帰ろうとする岸波を呼び止め、頭をかく。

 

「一度しかやらないからな」

「?」

 

 首を傾ける岸波を尻目に、僕は。

 机の引き出しの中にある。

 

 ――黒縁メガネをかけた。

 

「…………」

 

 静寂の時が流れる。岸波は凍りついたように固まっていた。

 さらに時が流れる。岸波は凍りついたように固まっていた。

 そして時が流れる。岸波は凍りついたように固まっていた。

 

 その顔には赤い液体が滴り落ちて……。

 

「……とりあえず鼻血拭けよ」

「…………」

「なんだよこいつ、怖いよ、ホントなんなんだよこいつ……」

 

 僕の言葉が全く耳に入っていないのか、ひたすらに僕の顔を見る岸波。流石に床を汚されると困るので、ティッシュを鼻の下に当てる。勢いが増した。止まれよ。

 

 食い入るように僕のメガネを見る。というかこの人、まばたきしてない。メガネの効果がありすぎてやばい。

 本気で恐ろしくなって来たのでメガネを外した。瞬間、ブバッと鼻血を出して岸波が倒れた。……え?

 

「き、岸波ぃ!? どうしたお前!?」

「セカンドに続いてサードインパクト……か。私の人生、幸せだったな……」

「ぜんぜん意味がわからねぇぞジョーカー!?」

 

 目を閉じて、穏やかな顔で意味不明な供述をする岸波に、鞄から出てきた猫がツッコミするように鳴いた。猫がツッコまざるを得ない事態を初めて見た。

 

「取り敢えず鼻血を止めないと……。いや、まて、もういっそこのまま葬った方が世のため人のため、僕のためなのでは……?」

「こいつも錯乱してる!? 気持ちは分かるが落ち着け!」

 

 猫の声に正気に戻り、取り敢えず鼻にティッシュを詰める。穏やかな顔をしながら鼻のティッシュを真っ赤に染めるその姿は、花の女子高生とはとても思えなかった。

 

「だめだ、止まらない。トリアージは黒。ここまでか……」

「諦めるのが早い!! 私怨混ざってるだろその判断! おいジョーカー、このままくたばって良いのか? こいつのメガネ姿がもう見れないんだぞ!」

 

「!!!!!!」

 

 猫の鳴き声を聞いた瞬間、岸波は目を見開いた。

 

「―――終わらない。

 ここは違う。これは違う。

 ここはまだ、結末ではないと思う。

 呆れてしまう。結局のところ、この心はソレだけはできないらしい。

 何故なら―――

 何故なら。たとえ心が折れていても、(メガネ)はまだ、この手の内に」

 

「キモい」

「ジョーカー……」

 

 僕らの引きつった顔を他所に。

 こうして岸波は立ち直ったのだった――。

 

 

 

 

 

 ルブランの屋根裏。岸波白野はベッドに座りながら、膝上のモルガナを撫でていた。

 

「しっかしジョーカー、お前結構愉快な奴だったんだな」

「だって、いきなりメガネが来ると思わなかったし……」

「メガネってなんなんだろうな。……まて、妙に双葉に甘いのは、まさか」

「そういった一面があることも否定できない」

「マジかこいつ」

 

 即答しやがった、とモルガナは慄いた。

 モルガナのジョーカーに対するイメージは、無口だが正義感が強く、その情熱でチームのメンバーを引っ張るリーダー。真面目なだけではなく、時折飛び出すジョークで空気を和ませる、完璧超人だった。

 

 それがどうだ。鼻血を出しながらメガネを見るその姿は変態。とてもお近づきになろうとは思わない。むしろ積極的に避けていかざるを得ないものだ。

 

 こんな岸波を見たことがあるのは、怪盗団の中にいるかどうか。団で一番一緒にいるであろうモルガナでさえ、ここまではっちゃけている岸波を初めて見た。

 

 しかし、慎二は岸波の反応に、慣れた様子で対応していた。アレに慣れているのだろう。

 それは、それだけ岸波が慎二に心を許しているということで。

 

「あいつはジョーカーの恋人なのか?」

「……そうだったら良いなー」

「片思いなのか」

「残念ながらね」

 

 岸波が男を落とせていないという事実にモルガナは驚く。男女問わずモテている岸波が片想い。モルガナにはとてもじゃないが想像出来ない。

 

「そんなにガードが固いのか?」

「というより……うーん」

 

 岸波はおでこに指を当て、慎二を想う。

 

「慎二は本来はチョロいと思うの。……訂正、本来は女の子に笑顔を向けられただけで、『あれ、こいつ僕のこと好きなんじゃね?』って考えちゃうような、普通の男の子だと思うの」

「あんまり意味変わってないよなそれ」

 

 モルガナのジト目に、冷や汗を浮かべながら岸波は続ける。

 

「だけど、何処かで感情にブレーキが掛かっているというか……。なにか障害物があって、本来のルートを通っていないような。そんな歪な感じがする」

「ブレーキ、障害物、そして歪な感じか。……おい、まさか」

「うん、パレスを持ってる」

 

 強く歪んだ心を持つものの歪んだ認知が具現化した異世界の迷宮、パレス。今まで怪盗団はその中のオタカラを奪い、改心させてきた。

 

 そして慎二にも、そのパレスがある。

 

「改心させるか?」

「慎二は悪いことをしているわけじゃないし、本人から助けてと言われた訳じゃない。だから、しない方がいい。そう、それは分かってるんだけど……」

 

 岸波は頭に手を当て、顔を歪める。

 

「慎二はいつも苦しいの」

「苦しい?」

「笑うのが苦しい、話すのが苦しい、……生きるのが苦しい。きっと、自分の事が嫌いなんだ。そうなる出来事があったんだと思う。だから、何をやっても苦しい、辛い」

「自分が、嫌い……」

「だから、私は慎二に自分の事が好きになって欲しくて、でも、慎二に嫌われたくなくて、ずっとずっと踏み込めなくて。だから、パレスに行って、慎二にバレないように慎二の事を知りたいって思ってしまう。……最低だよ」

 

 岸波は自嘲し、項垂れる。

 落ち込む岸波を見て、モルガナは。

 

「……ジョーカー、なんで相談しなかった」

 

 ――激怒していた。

 

「今までジョーカーが悩みを持っていたなんて思いもしなかった。あぁ――腹が立つ。隠していたジョーカーに、気づけないワガハイに。

ワガハイ達は怪盗団だ。仲間だ。……そのはずだ。

それなのに、ワガハイはジョーカーが助けを求める姿をほとんど見た事がない。

ワガハイ達はそんなに頼りないか? 悩みが打ち明けられない程に? 相談相手にすらならないのか?

 

 それのどこが仲間なんだ」

 

 モルガナは怒る。頼らない岸波に。頼りない自分に。

 

「ジョーカーはワガハイ達をいつも助けてくれた。だから、ワガハイ達もジョーカーを助けたいんだ。互いに助け合うのが怪盗団なんだ」

 

 モルガナが自分の為に怒ってくれているのを見て、岸波は視界を滲ませる。

 

「ワガハイ達は仲間だ! そうだろ!!」

「っ、うん……!」

「なら、ジョーカー、お前がワガハイに、ワガハイ達に言う言葉は一つだ! 言ってみろ!!」

 

 

 

 

「たす、けて。たすけて、かいとうだんっ……!」

 

「おう! 任せろ!」

 

 

 

 

 こうして怪盗団は動き出す。

 岸波白野の涙を止めるために。

 シンジ・パレス、攻略開始―――。

 



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第6話

 

 ――12月1日。

 巨悪を打ち倒した。

 怪盗団は危機を脱した。

 

 因縁にけりをつけられた。

 全てが円満に、とはいかなかったが。

 これでようやく余裕ができた。

 

 怪盗団が万全な状態で集まれる時が、やっと訪れたのである。

 

「待たせて悪かったな……」

 

 暗然としたモルガナの言葉に、岸波は気にしていないと首を振る。

 

 慎二を攻略する事にはなったが、あの時の怪盗団に余裕は無く。腰を据えて攻略できるようになるまで、慎二のパレス攻略は延期となっていた。

 二兎を追って一兎も得られなかったら洒落にならない。巨悪も慎二も、そんなに甘くは無いだろう。

 

 精神暴走事件を片付け、一息ついた後。怪盗団は岸波の依頼に応えるために、ルブランへと集合していた。

 

「やっとお前を助けられる時が来たな! 約束通り、力を貸すぜ!」

 

 坂本竜司は燃えていた。怪盗団の事も、陸上部の事も、岸波にお世話になりっぱなしだ。作戦とはいえ岸波が捕まらざるを得なかった時も、自分の無力さを噛みしめる事しかできなかった。もう、返せない程の恩をもらっている。

 だからこそ、先程岸波が助けを求めていると聞いた時、内容すら聞かずに了承したのだ。

 

 そしてそれは他のメンバーも同じだ。

 

「ホント、なんでもっと早く話してくれなかったの!? 私と白野の仲じゃん、水くさいよ!」

「杏殿、それはワガハイがまだ言うべきではないと判断したからだ。実際今まで余裕は無かったであろう?」

「ぐぬぅ……このぉ!」

「あっ、杏殿、尻尾はらめぇ!!」

 

 高巻杏はもやもやしたこの思いをモルガナの尻尾にぶつける。

 モルガナは若干気持ち良さそうだ。

 

「でも気持ちはわかるわよ、杏。あれだけ私達の事に首突っ込んで助けておいて、自分は抱え込むなんて……」

「本当だ、まったく。俺達を恩知らずにするつもりか?」

「そうだそうだー! 怪盗団はイチレンタクショーだぞ! わたしを頼れー!」

 

 杏に同意した新島真を皮切りに、喜多川祐介、間桐双葉からもクレームが出る。ものすごく不満そうである。

 あれ、これは私が謝らなければならない感じだろうか。岸波は焦って周囲を見渡すが、味方は誰もいない。どころか。

 

「なんでお父様を救ってくれた方が困ってるのに、黙ってたの?」

 

 とんでもなく怒っていらっしゃる方がいた。

 

 奥村春の父親である奥村邦和は、怪盗団に改心された際、精神暴走事件の犯人によって廃人化されそうになった。それを防ぐことができたのは、今回のターゲットである佐倉慎二の忠告のおかげである。そのことを知った春はお礼をしたいと思いつつも、今まで会う機会がなかった。

 

 ようやくお礼を言えると思ったら。その人はずっと苦しんでいて。

 同じく春が恩を感じている岸波も、その事をずっと気にしてて。

 それを言わずに、黙っていた?

 

「ふふ……」

 

 分かってる。本当は岸波の思いを察して、助けてあげるべきだったって。

 察せなかった自分が悪いんだって。

 

 でも、それはそれとしてむかつくよね。

 

「ふふふ……」

「申し訳ありませんでした」

 

 暗い笑みを浮かべる春に岸波は即座に頭を下げた。ちょっと生命の危機を感じた。

 

「ま、まあよぉ。やっと頼ってくれたんだし、いいじゃねえか。全力で助けてやろうぜ!」

「それは、そうね」

「これでやーっと対等だよね!」

 

 竜司の言葉に、怪盗団は頷く。

 

 皆、一様に岸波を救いたがっていた。岸波はそれだけの行動をしていて、それだけの絆を結んでいた。4月に秀尽学園に来た時とは違う。たとえどれほどの苦難があろうとも、超えられるであろう頼もしい仲間が岸波にはいた。

 

 溢れ出る感情を抑えるように、岸波は胸に手を当てる。

 

「本当にありがとう。どうか、助けてください」

 

 怪盗団の返事は、決まっていた。

 

 

 

「ではこれより。佐倉慎二のパレス攻略会議を開始する!」

 

 モルガナの声とともに、岸波が以前に撮影した慎二の写真を見せつつ、語り始めた。

 

「ターゲットは佐倉慎二。容姿は黒髪のくせっ毛に黒目の日本人。16歳だけど、高校には行ってない。代わりに投資とかでお金を稼いでいるみたい。惣治郎さんの養子だけど、経緯とかは不明だね」

「うーむ。なかなか親近感を感じる奴だな!」

 

 同じく学校に行っていなかった双葉が同類を見つけた顔をする。

 

「性格は、捻くれてる。ツンデレを拗らせちゃった人。面倒くさいし腹が立つ言い方しかしないのに、正論しか言わない。でも慣れるといじりがいのあるワカメかな」

「は、白野? ちょっと私怨が混ざってない?」

「愛だよ、愛」

「そ、そう……」

 

 だんだんエンジンがかかってきた岸波をみて、真は引き気味だ。

 

「白野の話じゃ、その慎二って人は私達の事を知ってて、助言をしてくれたんだよね? 良い人なんじゃないの?」

「まぁ、良い人かどうかは会って判断してほしいんだけど……。実際に会わせてあげたいんだけど、慎二、すっごい嫌がって逃げるんだよね」

「ワガハイでさえ歓迎されてなかったからな……。マスターとジョーカー以外に会っている様子はないし、筋金入りの人間嫌いだと思うぞ」

 

 少なくともモルガナが監視している中で、他の人間とコミュニケーションをとってはいなかった。持っているスマートフォンにはラインのアプリさえ入っていなかったので、周りの人間とつながりが薄いのは間違いないだろう。

 

「今から無理やり捕まえてこようかなー」

「おい、そこは笑顔で言うことじゃないだろう。助けたいと言っている割に扱いが雑じゃないか?」

「まさか。愛だよ、愛」

「そ、そうか」

 

 愛っていえば許されると思ってないだろうか、と祐介は思った。

 

「うーん、会えるならお礼を言いたかったんだけどな。残念。……って、そうじゃなくて、パレスの話だよね。イセカイナビはどこに反応したの?」

 

 春が話を元に戻すと、岸波は困ったように頬をかく。

 

「……どこでも?」

「うん?」

 

 困惑する春に、実際に見せたほうが早いよね、と岸波はスマホを取り出しイセカイナビを起動する。

 

「名前は佐倉慎二。場所は、この世界」

『ヒットしました』

「――えっ?」

 

 春は固まった。

 あまりにも、突飛な答えだった。

 

 パレスは強く歪んだ心を持つ者の歪んだ認知が具現化した異世界の迷宮である。ある者は学校を自分の城と認知し、ある者はあばら家を美術館と認知していた。

 そして今までのターゲットの共通しているのは、一定の範囲内を自分の物と認識して、パレスを生んでいる、ということだ。

 

 しかし、今回はそうではない。ターゲットは世界の全てに対して歪んだ認知を持っている。「悪者ではない」という点では双葉のパレスに近いと考えていたが、スケールが違いすぎる。

 

「……つまり、その人には世界の全てが別の物に見えているって事?」

 

 スマートフォンに入力された『この世界』という文字を見て、春は呆然と呟く。

 

「何だよそれ、まるで違う世界に住んでるみてーじゃねぇか!」

「そう、ね。……ええ、比喩ではなく、本当にその通りなのかも知れないわ」

 

 竜司の動揺して出した言葉を、真は意味深に肯定した。

 戸惑うメンバーに、気になることがあるの、と告げる。真は自分のスマートフォンのイセカイナビを新しく起動させた。

 

「ナビ、佐倉慎二。場所は世界」

『候補が見つかりません』

「はぁっ!? なんでだよ、さっきは当たってたじゃねーか!」

 

 慌てて竜司が真のスマートフォンを覗き込むが、やはり場所に入力はされていなかった。

 

「どういうことなの?」

「私が気になっていたのは、キーワードに『この』という連体詞がなぜ入っているのかという事よ。今までそんな事なかったでしょう? だから何か意味があると思ったの」

「なるほど。だがそれと、違う世界に住んでいる事と何の関係があるんだ?」

「想像の域を出ないけど。『この』ってわざわざつけている意味っていうのは、本当に『この世界』だけが別のものに見えるってことじゃないかしら。佐倉慎二は他の世界がある事を知っている。例えば――パレスとか」

 

 真の見解は、佐倉慎二がパレスの存在を知っており、それ故にこの現実世界が別の物に見えているのではないか、というものだった。

 

「でも、それって無理矢理すぎじゃね? 『この』ってついてただけでそこまで言い切れないと思うぞ」

「ええ、双葉の言うことは正しいわ。私も自分で言っておいてあまり信じられないもの。――でもね」

 

 私達にとってはただの推測だけど、付き合いの長い白野なら、心当たりがあるんじゃないかしら。

 

 真の問の答えは、白野の表情が物語っていた。

 

「…………」

「あ、なさそうね」

 

 見事なきょとん顔だった。

 

「自慢じゃないけど私、慎二のこと全然知らないよ!」

「本当に何の自慢になってねーよ!」

「だから、これから知りに行くんだ」

 

 何度も慎二と話をした。けど、どうしても慎二の深いところには、踏み込ませてくれなかった。

 だけどパレスは心象風景。歪んだ人の心を表す世界。その世界に入れば、慎二を知って、助けになることができるかもしれない。

 

「だが、パレスに入るには『何処を』『何と認知してるか』が必要だ。佐倉慎二はこの世界を何だと考えているか、分かるのか?」

「それも大丈夫。惣治郎さんが教えてくれたんだ」

 

 白野が、慎二のパレスに入ると事前に惣治郎に伝えた際、惣治郎はパレスに入るためのキーワードを教えてくれた。怒られることを覚悟していた白野は、「慎二を頼む」と頭を下げる惣治郎を見て、慎二のパレス攻略をより強く決意していた。

 

「なら、パレスに入っちゃわない? ここで相談してても答えはわかんないでしょ」

「そうだな、杏殿。では、最終確認だ。ターゲットは佐倉慎二、目的はターゲットの情報を得ること。場合によっては改心させることになるだろう。みんな、準備はいいか?」

 

 モルガナの確認に、全員が頷く。

 

「『佐倉慎二』は、『この世界』が――『ゲーム』に見えている」

『ヒットしました。ナビゲーションを開始します』

 

 



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第7話

 

 ナビが正常に作動し、景色が歪んでいく。ぐるぐると渦巻く世界が徐々に形を変えていき――見慣れた世界へと戻ってきた。

 

「……あれ、変わってなくね?」

 

 先ほどと変わらないレトロな喫茶店の中で、竜司は戸惑いの声を上げた。

 周りを見渡していた春も同意して頷く。

 

「ここってパレスの中なんだよね? 私達の姿も変わってるし。それにしてはおかしい様子がないけど」

「『この世界』が丸ごとパレスになっているはずだから、変化がないとおかしいわね……。とりあえず、外に出てみましょう」

 

 真の言葉に従い、外に出てみた怪盗団だが、やはり景色に変化は見当たらない。道路が続き、リサイクルショップも、業務用のスーパーもあり、草が生えている位置さえ一緒である。いつもの四軒茶屋にしか見えなかった。

 

「うーん分からん。シャドウの反応すらないぞ、ここ。どうすんだ?」

「モルガナ、オタカラの匂いはわかる?」

「ああ、はっきり分かる。佐倉慎二の家からだ」

 

 モルガナが指した先は、とてもパレスがあるとは思えないごく一般的な家であった。怪盗団はこの状況に疑問を覚えながらも、足を進めるしかない。一行は数分と立たず佐倉慎二の家へたどり着いた。

 

「白野ちゃん、何か変化はない?」

「特に何もない、かなぁ。今鍵を開けるね」

 

 白野は首をひねりながら徐に佐倉家の鍵を取り出し、ドアを開けようとした。

 

 鍵が入らない。

 

「……まあ、そんなに簡単じゃないか」

『そんなの当然だろ?』

 

 聞き覚えのない声に一斉に振り向く。

 

『やっぱり馬鹿だなぁ、岸波は』

 

 くつくつと小馬鹿にしたように笑う、紫髪の男がそこにいた。

 天然パーマで、目は髪と同じ紫色。年は怪盗団と同じくらいだろうか。服は特徴的な焦げ茶色のラインが入った詰襟型の制服を身に着けている。上着は着脱のしやすいファスナー開閉仕様で、首元まできっちりと閉めていた。

 

 突然背後に現れた男に、怪盗団は戦闘態勢をとる。

 

「白野ちゃん、この人が佐倉慎二さん?」

「違う。似てるけど、慎二は黒髪だし、こんな制服を着ているところ見たことない」

 

 春の問いに岸波は否定を返す。この男は、佐倉慎二の認知上の人物ということだろう。しかし、あまりにも似ている。顔も雰囲気も、どこか佐倉慎二と被る。パレスで出会った未知なる男の存在に、岸波は動揺を隠せなかった。

 その様子が面白いのか、にやけながら男は話す。

 

『ばれるか。まあ仕方ないかな。佐倉慎二なんかとは住んでるステージが違いすぎるからねぇ』

「慎二を馬鹿にしないで」

 

 岸波は男を睨み、険悪な雰囲気が漂う。何者なのかは分からないが、少なくとも味方ではないようだった。

 

『おお、怖い怖い。……あぁ、名乗るのが遅れたね。僕はマトウシンジ。覚えなくていいよ、僕も君たちのことなんてすぐ忘れちゃうからサ』

「マ、トウ!?」

 

 男を警戒していた()()双葉が目を見開く。

 

『ああ、そういえば君も間桐だったね。気にしなくていいよ、ただの偶然だ。……いや、必然なのかな? まあいいか』

 

 どうでもよさそうに双葉を眺めると、再び見下すような笑みを浮かべる。

 怪盗団との空気が張り詰める中、シンジはポケットから何かを取り出した。

 

「っ、それ、家の鍵じゃん!」

『これが欲しいんだろう?』

「……それを渡してくれないか」

『嫌だね。渡さないことが正しいのサ』

 

 どういう意味だ。そう問う祐介にシンジは答えない。

 シンジは怪盗団を見渡し、大きく手を広げる。

 

『ゲームをしようじゃないか。僕と怪盗団。どちらが正しいのか、決めよう』

 

 シンジの言葉が終わった瞬間に、世界は色を失った。

 

「……え」

 

 誰かの小さく漏らした声が、音の無い空に響く。

 

 現実と全く変わらなかった世界が、一瞬でモノクロに塗りつぶされていた。町の騒めきも、コンクリートの匂いも、風の感触も、すべて消え、残ったのは町の形だけ。黒い住宅に白い空。白くぼやけた輪郭がなければ、まともに歩けないであろう。まるで初期のコンピューターゲームのような世界へと変貌していた。

 

『ルールは簡単さ。君らにはこの世界で「色がついたもの」を探してほしい。見つけられれば怪盗団の勝ち、見つけられずにこの世界から出てしまったら僕の勝ち。ほら、君らの頭でも理解できるだろう?』

「……この世界は、いったい何なの」

『ははん、生徒会長とあろうものが分からないのかい? 佐倉慎二の見る世界に決まってるじゃないか』

 

 この味気ない世界が、佐倉慎二が見ている全て。

 真は思う。なら、こんなパレスを持つ彼の「歪んだ欲望」って、なんなの?

 

『君らが勝ったらこの鍵を渡そう。でも、もし僕が勝ったら――二度とこのパレスには入れなくなる』

「はぁっ!?」

『ゲームにペナルティがあるのは当たり前だろ』

 

 さあ、ゲームスタートだ。そう呟いたシンジは家の扉に背を預ける。

 

『ここではナビを使えば現実世界にいつでも帰れる。リタイアしたい時はそうするといい。じゃ、さっさと探しに行けよ』

「待って、まだあなたにはまだ聞きたいことが、」

『そんな余裕、無いよ』

 

 春の言葉を遮ったシンジ。その真意は、すぐに知れた。

 

 猛烈な嫌な予感とともに、鎖の擦れるような音が聞こえ始める。その音は怪盗団にとって、無視できない存在を思い至らせた。

 

「おい、まさかこれ」

「……間違いない、刈り取るものだこれ。慎二ってやつはなんてもんを心に飼ってんの!? みんな、いのちをだいじにだ! 逃げるぞ!」

 

 双葉の言葉を聞き、モルガナは即座に車に変身する。怪盗団が慌てて逃げていくのを、シンジは楽しそうに見送った。

 

 



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第8話

 

 刈り取るもの。メメントスに稀に出現する、非常に強力なシャドウだ。銃撃属性の攻撃、状態異常無効、多彩な魔法攻撃スキル、即死系のスキルと厄介な要素がてんこ盛りである。

 

 そんな相手とはいえ、数多の修羅場を乗り越え、力をつけた今の怪盗団ならば、十分に対処できるはずだ。だから当初の予定では、戦いやすい場所に誘い出し、撃破するつもりであった。

 

「いやいやいや! これ無茶苦茶だろ! なんで刈り取るものが複数居るんだよ!?」

 

 四方八方から聞こえる鎖の音に、モルガナは悲鳴を上げた。

 

「どういうパレスなんだここは!?」

「ジャンルが違う! ダンジョンゲーじゃなくてホラゲーだろこれ!」

「『マハラギダイン』! 『マハラギダイン』! ついてこないでよぉ!?」

「『チャージ』からの『ゴッドハンド』ッ! ……いや普通少しはひるむだろーがぁ!」

 

 黒い世界で音を頼りに逃げ回る。追いつかれそうになったらペルソナで誤魔化してまた逃げる。

 

 単独でさえ苦戦する相手に、囲まれてしまっては打つ手がない。怪盗団はパニックになりつつ街の中をひた走っていた。

 

 運転席に座る真は、宛もなく彷徨う現状に歯噛みする。

 

「色がついたもの……。ダメ、見当たらない」

「オイ前! 刈り取るものいるぞ!」

「っ!」

 

 双葉の声を聞き、慌てて真がハンドルを切る。

 辛うじて避けて、そして、頭が真っ白になった。

 

 その先にも刈り取るものがいた。

 

「まっ、ず――」

「――ミラディ! モルちゃんを投げ飛ばして!」

「え、ちょ、おおおおぉぉぉぉ!?」

 

 春のペルソナは、見掛けに依らない怪力でモルガナカーを持ち上げ、上にぶん投げる。

 モルガナの悲鳴とともに車は刈り取るものの上を抜けていった。

 

「おおおおおうぐっ」

「ナイスだよ春!」

「なんとかなって良かった。ごめんねモルちゃん」

「お、おう」

 

 モルガナは仕方ないとはいえ、自身を投げるのに一遍の迷いも持っていなかった春がちょっと怖かった。

 

 怪盗団はそのまま路地を駆け抜け、彼らを振り切る。しばらくして、近くにシャドウがいない事を確認すると、ひとまず安堵の息を吐いた。

 

「とりあえず危機は脱したか」

 

 祐介が窓枠に寄りかかり、怠そうにつぶやく。

 

「とはいえ、このままじゃいずれ追い込まれちゃうね……」

「ジョーカー、色がついたものに何か心当たりは無いのか?」

「……ちょっと考えさせて」

 

 モルガナの言葉に白野は思考を巡らせる。

 心当たりはある。身近な人だ。だけど、もう少し考えなければならない気がした。

 

 他のメンバーも考えてみるが、あまりにも慎二についての情報が足りない。そもそも慎二の事を知ろうとしてこのパレスに入ったのであり、それも儘ならない現状は完全に想定外だった。 

 

 情報収集がまともに出来ていない今、できることと言えば推論を重ねる事だけだ。 

 

「……うーん、わかんね。そもそもなんでこのパレスは色がついてないんだ?」

 

 竜司が根本的な疑問を口にする。

 

「レトロゲームが好きなんじゃないのか?」

「やってる所見たことないね」

「色覚障害でもないよね?」

「うーん、聞いたことないなぁ」

「そっかー。……分かんない!」

 

 杏は降参するかの如く両手を挙げた。

 それを見た真が、白野に確認するように口を開く。

 

「もっと単純な話なんでしょう? パレスは心象風景。それが色あせているってことは」

「うん。慎二にとってこの世界はつまらないって事だと思うよ」

 

 こんなに大きな世界で、そのほとんどに色がついていないなんて。慎二にとって、現実で価値があるものなんてわずかにしかないのだろう。

 そのわずかに入ってればいいなと、白野はふと思った。

 

 逸れた思考を元に戻して、考えてみるも。答えは出ない。

 ならば、今できることをやるしかない。

 

「『色がついているもの』の『もの』は、人って意味の『者』。惣治郎さんの事だと思う」

 

 それしか心当たりがなかった。慎二が惣治郎の事を価値がないと思っているなんて、考えられない。もし色がついている事の意味が白野たちの推測通りなら、惣治郎に色がついていない事はあり得なかった。

 

「それはつまり、認知存在のマスターがこの世界のどこかにいるってことか?」

「うん」

 

 なら、話は簡単じゃねえかとモルガナは皆の顔を見渡した。

 

「やっと目的が決まったな。まずマスターを探すぞ!」

 

 怪盗団全員が、一斉に頷く。

 

「じゃあ、まずどうしましょうか。……探索といえば双葉だけど」

「ふっふっふ。任せておけ! ゲームの世界をハッキングするなんてお茶の子さいさいだぜ!」

「なら最初からやればよかったんじゃね?」

「シッ! 竜司、余計な事は言わないの!」

「そこ、聞こえてるからな!」

 

 双葉は虚空に浮かぶキーボードに指を躍らせる。方針が決まり、迷いがなくなった双葉はその能力をいかんなく発揮させる。やがて、宙に浮かぶウィンドウの一つが一際大きくなった。皆がそれに注目すると、周辺の地図が映し出され、怪盗団の現在地である印と目的地であろう赤い点が示されていた。

 

 双葉は胸を張り、得意げに言った。

 

「この赤い点がそうじろうの場所だ。目的地までのナビは任せろ!」

「さっすが双葉! やるぅ!」

 

 杏が手を叩いて褒めると、双葉は照れたように笑った。

 

 霧の立ち込めた迷路を歩くように、パレスを彷徨っていた彼女たちは、やっと一歩進んだことに安堵する。張りつめた気持ちに、余裕が少し生まれて。

 

 地面に擦れる鎖の音に、できた余裕は一気に吹き飛んだ。

 

「おい、刈り取るものが来たぞ!」

「またあの鬼ごっこが始まるんだね……」

「皆、何処かに捕まって。飛ばすわ。双葉、ナビゲートお願い」

「おう、任せとけぃ!」

 

 双葉の頼もしい返事を聞いて、真はアクセルを踏み込んだ。

 

 再び始まった逃走劇。先程までとは違い、着々と目的地へと近づいていく。

 双葉のナビゲートを元に、刈り取るものに囲まれないように立ち回り、どうしても遭遇してしまうのであれば、必ず単独の者を相手取る。時間をかければ囲まれてしまうため、これまでのパレスで余っていたアイテムを存分に使い、短期決戦を仕掛けていく。

 

 いくつかの戦闘を終え、脱力した竜司は車に乗り込み、ため息を吐く。

 

「マジでこのパレス、殺意高すぎだろ……」

 

 頷く一同。

 

「今は何とかなってるけど、この調子で戦ってたらアイテムが尽きちゃうよ」

「双葉、目的地には近づいているのか?」

「もーちょっとだ! あと1キロ!」

「オーケー。前にシャドウが居るけど―――突っ切るわ!」

 

 双葉の言葉に、真はモルガナカーを加速させる。風を切り、エンジンを吹かせ、道を抜けていく。刈り取るものの間を抜け、視界が広がると、草の色は生え、空は色を取り戻していった。

 

 車を追いかけていた刈り取るものは、色鮮やかな空間に怪盗団が入ったのを見て、動きを止めた。

 その様子を見た春は、胸に手を当て安堵する。

 

「諦めて、くれたみたいだね」

 

 東京にしては緑が多い丘の上で、モルガナカーを止めた。

 元の姿に戻ったモルガナが、周りを見渡す。

 

「ここに、マスターがいる……のか」

 

 怪盗団がたどり着いたその場所は。

 

 ぽつんと佇む、古ぼけた教会だった。

 



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第9話

 

 色づいているのに、白黒の世界よりも物悲しい場所だった。

 

 白い教会はあまり使われていないようで、壁に蔓が巻き付き、塗装がところどころ剥がれている。緑の中にあるというのにあまり目立たないのは、時が経ちすぎているせいだろうか。まるで最初からあったかのように、景色に溶け込んでいた。

 

 教会の横には共同墓地があり、墓石が並んでいる。白野は導かれるように一つの墓へと向かう。その墓は洗ったばかりらしく、汚れが奇麗に落とされている。美しい青のリンドウが、風に沿うように揺らめいていた。

 

「この花……」

 

 白野には覚えがある。八月の、メジエドを倒した後の日だ。慎二が珍しく外出して、その時に持っていた気がする。

 

 お盆を過ぎていたから、墓参りだとは思っていなかった。人が少なくなったのを見計らっていたのかもしれない。相変わらずの人間嫌いに白野は少し笑い、墓に書かれた名前を読み上げる。 

 

「一色若葉、さん」

「この名前は」

「うん。たまに惣治郎さんが呟いてたね」

 

 白野もモルガナも、何度か聞いた覚えはあった。訊ねても、顔にしわを寄せて、苦く目を伏せるだけだった。

 

「誰なんだろう……」

「――若葉は、慎二の母親だ」

 

 声に目を向ける。いつの間にか教会の扉が開いていた。音もなく教会から出てきたのは、探していた人物――佐倉惣治郎だった。

 

 白いハットを取り、教会の壁に体を預けた惣治郎は、こちらを見据える。

 

「認知存在のマスターか」

「……本当に喋るんだな。猫じゃなかったのかオマエ」

 

 真剣な顔を崩し、思わずといったように惣治郎は呟く。

 

「猫じゃねーよっ!」

「猫じゃない?」

「猫だろ」

「猫じゃん」

「猫だな」

「猫ね」

「猫!」

「猫ちゃんだよ」

「そこまで言わなくてもいいんじゃねぇの!?」

 

 メンバー全員の総攻撃にモルガナは泣いた。

 

「ま、それはともかく。とりあえず教会に入れよ。追いまわされて疲れただろうし。慎二の事が聞きたいんだろ?」 

 

 惣治郎に促され、教会の中に入る。少し足取りが覚束ないのは、安全な場所にきて、疲労が一気に襲ってきたからだろう。各々が近くの椅子に、倒れるように腰を下ろした。

 

 ぐったりした面々の前に立った惣治郎は、様子を見るように見渡して尋ねる。

 

「こりゃあ相当疲れてるな。後で話したほうが良いか?」

 

 そうですね、と白野は気を緩ませて笑う。

 

「ここじゃあコーヒーは出してやれないが……。ゆっくり休んでいけ。休み終わったら教えてやるよ」

 

 穏やかに響く惣治郎の言葉に、各々はようやく肩の力を抜いた。

 

 

 

 充分に休憩を取った後。白野は皆が精気を取り戻したのを確認して、惣治郎に向き直った。

 

 惣治郎は、祭壇の前に立ち、瞼に皺を寄せて閉じている。祈りの中に、断ち切れない想いが込められているかのようで。白野はしばし、声をかけるのを躊躇する。

 

 躊躇いつつも、呼びかける。

 

「惣治郎さん。慎二の事、聞かせてください」

「……いいぜ」

 

 振り向いて、目を開ける。惣治郎の目は、今まで見たことが無いくらい、弱く淡い。

 

 痛みをこらえるように、顔を歪めて語りだす。

 

「俺が慎二に初めて会ったのは、俺が官僚だったころ。あいつの母親である若葉の監視に赴いた時だ」

 

 当時の惣治郎は指示の意図が全く分からなかった。首をひねって若葉の元へと訪れた。

 

「当時若葉は……認知訶学、だったか。詳しくは知らねぇが、人の認知の世界の研究をしていたらしい。おそらく、岸波ちゃん達の言う『パレス』ってやつの研究だったんだろうな」

 

 だからこそ惣治郎は派遣された。黒幕にとってその研究内容は、許容できないものだったのだ。

 何も知らない惣治郎は、若葉と仲を深めていく。

 

「良い女でな、俺も夢中になったもんだ。だから、若葉が慎二を連れていた時には、結構なショックを受けた。ま、その時には離婚してシングルマザーだったようだがな」

 

 若葉が連れていた子供は、初めて会う惣治郎に戸惑いつつも、頭を下げて挨拶をした。

 

「あの頃の慎二は、大人しい良い子だったよ。口数は少ねぇが、挨拶とお礼は必ず言って、ニッコリ笑う。……今とは似ても似つかないだろ?」

 

 白野は慎二の態度を思い返して、深く頷いた。礼儀正しい慎二なんて想像ができない。

 

「何でアイツがあんな、鼻につくような野郎に変わっちまったのか。そのきっかけは」

 

「若葉の事故だった」

 

 慎二がまだ中学生だった頃の話だ。

 

 当時の慎二は、穏やかな人柄だが正義感が強く、曲がった事は許せない質だった。中学でもその性質は発揮され、クラス内でいじめが起きた際に、積極的に周りを巻き込んで解決まで持っていったこともある。そんな彼には、いつも人が集まっていた。

 

 充実していた。幸せだった。

 

 だから、その事故は慎二にとって初めての挫折であったのかもしれない。

 

「若葉は慎二と外出した時、急に車道に飛び出したらしい。他の目撃者の証言から、それは自殺と判断された。直前の健康診断では問題はなく、遺書も見つかっていたからな。誰もがそれを信じた。……ただ一人、慎二を除いて」

 

 慎二は母親が車に撥ねられたのを目の前にしてから、救急隊員が来るまでぼんやりと立っていたらしい。

 

 その後の事情聴取でも、何も語らなかった。母親の死に泣くこともなく、理不尽に怒りを抱くこともなく、ぼぅと虚空を見つめ続ける。警察は事故のショックで話せなくなったと判断したようだが、惣治郎はそうは思えない。慎二がこれほど無気力になったのは、別の理由があるように思えてならなかった。

 

「だが、俺には聞けなかった。若葉は事故の少し前、俺に自分の死を予期しているような事を言っていてな。それを信じられなかった俺が、若葉を守ってやれなかった俺が。どの面下げて問いただすっていうんだ?」

 

 だから惣治郎は何も言わず、深く頭を下げた。

 

 でも、慎二は。謝罪する惣治郎を見て、固く閉ざしていた口を開き、言ったのだ。

 

『違うよ。殺したのは、僕だ』

 

 そう吐き捨てた慎二の瞳は、暗く澱んでいて。顔には諦観が張り付いていた。

 

「確かに若葉の遺書には、慎二の育児が研究を進めるうえで負担になっている、なんてことが書かれていた。警察も育児ノイローゼが自殺の原因だと言っていたが、ンなわけがねぇ。若葉は会うたびに、慎二がどれだけ良い子かを惚気のように語ってたんだ。あまり世話が出来なくて申し訳ないとも。若葉が、あんな遺書書くわけがねぇんだよ」

 

 だけど、そう言っても、慎二は頑なに言うのだ。殺したのは、僕だって。

 

「それから慎二は、親戚中をたらい回しにされてな。見てられなかったからよ、養子として引き取った。慎二は部屋に引きこもって外に出ねぇ。俺はそれを、見ている事しかできなかった。……その時に何かやれていたら、な」

 

 慎二の部屋の前に、作った食事を置いていくだけの日々。

 

 そんなある日、惣治郎が慎二の部屋に行くと、扉が開いていた。いつの間にか慎二が家にいない。焦って探しに行こうとしたら、素知らぬ顔で帰ってきて。惣治郎の前で、生活費だと分厚い封筒を差し出してきたのだ。

 

「こんなもんどうしたんだって聞いたらよ。似合わねぇ、皮肉気な顔で言うんだよ」

 

『株だよ、株。ま、僕が本気を出したらこんなもんさ』

 

 世話になってるからね、なんて言う慎二の顔には、以前の暗さは微塵も見えず。

 惣治郎は悟った。俺はこいつを助けられなかったんだと。

 

「それから慎二は、偶に外に出るようになった。俺にもよく話しかけてくれてよ。前よりずいぶん捻くれた性格になったが、笑うことも増えた」

 

 良い変化だ。傷ついた心を、時間が癒してくれたのだろう。

 ……なんて。

 惣治郎には思えない。

 

「慎二は立ち直ったわけじゃねぇ。演じているだけだ、誰かを。自分の心を、分厚い仮面で覆い隠しているだけなんだよ」

 

 惣治郎は、もう慎二の心に触れることはできないのだ。

 

 惣治郎は願う。いつか誰かが、慎二を本当の意味で救ってくれるのを。

 何もしなかった自分を、憎みながら。

 

「……これで俺が知っていることは全てだ」

 

 沈黙が教会を包む。

 話し終え、深く息を吐いた惣治郎は、怪盗団に言う。

 

「教会の裏の、共同墓地から少し離れた場所に、墓がある。現実にはない、この世界にしかない墓がな。そこに刻まれた名前は―――」

 

 ―――『一色慎二』。

 



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第10話

 

 佐倉惣治郎は、白野たち、怪盗団の寂寂たる様子を見て、きまりが悪そうに目元を掻く。

 

「……わりぃな。本当は、大人の俺が救うべきなのに。お前らに、無責任に託してよ」

 

 力があるからって、救うべき責任なんて存在しねぇのにな、と惣治郎は言った。

 

 認知上の存在とは思えないほど、怪盗団を気遣っていた。惣治郎は、どれだけ自分が辛くても、悲しくても、人を思い遣れる大人なのだと、慎二に認知されていた。

 

 惣治郎をこんなにも暖かい存在だと認知できるのなら、慎二はきっと、悪い人じゃない。だけど、この場所以外の彼の世界は味気ない。何が慎二を変えてしまったのだろうか。答えはまだ見つからない。 

 

 何も分かっていない白野だけど。慎二が苦しんでいるのを見過ごすなんてできない。絶対に救って見せる。そんな事、とっくの昔に決心していたことだった。

 

 だからこそ、まるで無理強いをしているかのような惣治郎の言葉に、黙っていることはできなかったし。何もできなかったなんて、認知上の存在だと分かっていても、言ってほしくなかった。

 

「無責任なんかじゃないよ、惣治郎さん」

 

 沈鬱な表情のマスターに、白野は首を横に振って訴える。

 

「だって、惣治郎さんは慎二が苦しんでいる時に、傍にいてあげたんでしょう? ……寄り添ってくれる人がいるだけで、救われることだってあるんだ」

 

 居場所が無いっていうのは、辛いよ。吐き出すように白野は言う。

 

「ずっと、どうやったら助けられるか考えてたんでしょう。何も出来なくとも、味方でいてあげたんでしょう。それは決して、無駄なんかじゃない」

 

 白野の確信に満ちた言葉に、惣治郎はかすかに笑った。

 

「そうか。……そうだといいなぁ」

 

 願うような言葉だった。

 

 惣治郎は緩やかに目を閉じる。想いを再び胸にしまい込んでから、目を開けた。

 

「ま、その言葉は現実に戻った時に言ってくれよ。慎二がどうなるにしろな。……無理はするなよ。お前らが欠けたんじゃ、意味がないからな」

 

 普段の調子に戻ったように、惣治郎は言った。

 

 そろそろ行けよ、やることがあるんだろう。しっしっと手を振る惣治郎に、怪盗団は小さく笑い、意識を切り替えていく。日常から戦場へ。パレスに入った時よりも、固く研ぎ澄ましていく。それは慎二の為であり、惣治郎の為でもあるが故に。

 

「……分かりました。ありがとうございました、惣治郎さん」

 

 感じた想いを噛みしめるように、白野は言葉を紡ぐ。

 

 それに続けて、各々が惣治郎に礼を言っていく。現実でもパレスでも、惣治郎にはお世話になりっぱなしだ。この恩を少しでも返すためにも、怪盗団は歩き出す。

 

 今までのような、世直しの為ではないけれど。ただ、大切な人に、幸せになって欲しいから。止まるわけには、いかない。

 

「絶対に、救ってあげるから。覚悟してよね、慎二」

 

 彼らの瞳は、決意の炎で燃えていた。

 

 

 

 教会を出た怪盗団は、慎二の墓へと向かった。

 若葉の墓と同じく、リンドウが供えられている。周囲の雑草は刈り取られており、丁寧に手入れされていた。風が木々を揺らす小さな音だけがしている。その中で少しの間、怪盗団は手を合わせた。

 

 教会の前まで戻ると、モルガナカーに乗り込み、来た道を引き返す。もう鎖の音は聞こえない。景色に色が戻り、いつもの東京の街並みが彼らを出迎えた。

 

 マトウシンジとのゲームは終わったのだろうか。警戒を続けつつ、静かに街を走るモルガナカーの中で、白野は口を開いた。

 

「……惣治郎さんの話、気になる所があったよね」

 

 真はハンドルを回しながら頷き、答える。

 

「そうね。色々とあったけれど、まずは一色若葉さんの事故の事かしら」

 

 自殺と処理された事件。惣治郎と、おそらく慎二だけが、奥に潜む何かに気づいていたのであろう。パレスの研究者が自殺したなんて、怪盗団の心当たりは一つしかない。

 祐介は自分の考えに鬱屈し、重くつぶやく。

 

「精神暴走事件の被害者の線が濃厚か」

「パレスの研究なんて、奴等にとっては都合が悪いなんてレベルじゃない。早急に始末したかっただろうな」

「……クソッ」

 

 痛ましい推論を聞いて、竜司はやるせなさを吐き出す。

 事件の黒幕を倒したとしても、これまでの被害者が助かるわけではない。それがどういう事なのか、突きつけられた気分だった。

 

「慎二くんの、反応も気になるよね。『殺したのは僕だ』って、どういう意味なんだろう」

 

 眉尻を下げた杏が、顔を伏せて呟く。

 

 自分が育児ノイローゼの原因だからという意味では無かったと、惣治郎は感じていたようだった。

 それが正しいならば、なぜ自分が母を殺したと思うのだろう。慎二が自責の念に至るまでの道筋が、全く見えてこなかった。

 

「母親がパレスの研究者だったなら、その子供もパレスを知っててもおかしくない。精神暴走事件についても、ある程度把握していての言葉だと思うのだけれど。殺されたと分かったなら、復讐しようとするのが普通じゃないのかしら」

「でも、慎二はそうしなかった。無気力になって、わたしみたいに自分の中に閉じこもった。なんでだ? そういう性格だったのか? …………ウム、分からん」

 

 双葉は思考に行き詰って、背もたれに体を預けた。

 

 話し合いが停滞する。人が何を思っているのかを知るのは、こんなにも難しいことだっただろうか。パレスに入り、人の欲望を直に見てきた怪盗団にとって、久しく感じていない感覚だった。

 

「……うーん。そうそう分かるわけがないよね。でも……。もし、私が」

 

 慎二の立場だったら、どう思うだろうか。

 春はふと、そんな風に、慎二の過去を思い浮かべる。

 

 そして、あまりにも鮮明に。

 慎二の思いが想像できて、驚いた。

 

 だって、本当に他人事ではなかったかもしれないのだ。

 

 もし、春達が父親を改心させた時、犯人によって父親のシャドウが殺されていたら。春も、慎二と同じ思いを抱いていたかもしれない。

 慎二の思いが分からなかったのは、春が幸福だという証拠だった。

 

 自身が如何に恵まれていたのか気付いた春は、ゆっくりと、大きく息を吐く。

 

 怪盗団のみんなの助けがあって、慎二の助言があって、春の父親は命を取り留めた。

 一人では、救えなかった。

 

 なら、慎二は。

 

「春? どうしたの?」

 

 様子のおかしい春に、杏が声をかける。何でもないよと言って、皆に向き直って告げた。

 

「もしかしたら、慎二くんは、立ち向かってたんじゃないかな」

 

 飛躍した、想像でしかない話だけど。

 もし、春が慎二と同じ立場にあって、母親を守れる力があったとしたら。きっと戦っていたと思うのだ。

 

「そして、守れなかったら。自分のせいだって言ってもおかしくない。……自分の無力感に押し潰されて、どうしようもなくなっちゃうと思うの」

 

 春だって、そうなっていたかも知れない。

 それでも慎二と決定的に違うのは、一人じゃなかったことだ。

  

 春には怪盗団という仲間がいた。例え父親が守れなかったとしても、立ち直れていたかもしれない。

 しかし、先程の話では、慎二に味方する人は惣治郎以外いなかった。惣治郎はパレスに入れない。慎二は一人で戦っていたのだろう。

 

 中学生が一人で犯人に立ち向かい、負けて、母親を失って。その事実を知るものは、自分しかいない。親戚たちは、若葉が慎二のせいで死んだと思い、煙たがる。

 唯一の味方である惣治郎に頼ることもできず。海の底に沈むかのように、もがき苦しみ、世界の色が褪せていったのではないだろうか。

 

「……報われない話ね」

 

 首を横に振って、真が小さくそう言った。

 

「……もし、春の推論が正しかったら。かつて慎二はペルソナ使いで、ワガハイたちと同じように人の心に侵入できたってことか。だが、母親を守れなかったことがきっかけで、ペルソナ能力を喪失し、代わりにパレスが生まれた」

 

 ペルソナ使いは、自分を御せている状態の為パレスを持ちようが無いと、かつてモルガナは言った。ペルソナ使いが自分を御せている、という点は今では疑問が残るが、大筋は間違っていないように思える。

 なぜペルソナや異世界ナビの力を持っているのかは分からない。だが、慎二の様子を説明するとしたら、一番しっくりくる話だった。

 

「このままで、終わらせちゃいけない。慎二くんは一人じゃないってことを、伝えてあげなきゃね」

 

 春は奥歯をかんで、前を見据える。

 

 慎二には白野がいるのだ。春達だって、慎二の過去を知って助けたいと思っている。

 もう一人では無いんだと、気付いてほしいな。

 

 意気込む春を見て、白野は頷く。

 

「……そうだね。でもさ、春」

「うん? どうしたの?」

 

 振り向いた春に、そんな気は無いと思うからごめんだけど、と断りを入れ。

 白野ははっきりと言った。

 

「慎二の隣は私のだから。そこは間違えないでね?」

「ハ、ハイ」

 

 白野さんって、独占欲強いんですね。

 リーダーの新たな一面を見た怪盗団だった。

 



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第11話

 

 パレスの中の東京は、人混みにあふれている。

 

 敵を警戒していた怪盗団だが、道中にシャドウの気配は無い。辺りは日が暮れ、赤く染まっている。景色も相まって、本当にパレスの中なのか分からなくなりそうだ。

 

 やがて四軒茶屋の近くまで来ると、車を停めた。モルガナカーから降り、佐倉慎二の家へ足を進める。

 人の喧騒が、遠く聞こえる。夕方の路地裏は、世界から切り取られたように静かだ。

 

 辿り着いた佐倉家の塀には、紫髪の男が目を閉じて寄りかかっていた。

 

「マトウシンジ。ゲームは私達の勝ちね」

『…………』

 

 真が呼びかけるが、シンジは動かず、答えない。

 竜司は熱り立って声を荒げる。

 

「テメェ、無視してんじゃねぇよ!」

『…………』

「このヤロウ……っ?」

 

 あまりの反応の無さに、胸ぐらを掴もうとした竜司の手が止まる。

 聞こえていないはずがないのに、返事は無く、身じろぎすらしない。竜司は首をかしげて、耳を澄ます。

 

 すぅすぅ、と規則正しい息が聞こえた。

 

「寝てるぅ!?」

『うおっ』

 

 近くで叫んだ竜司の声に、シンジは体を跳ね上げた。

 

 目を覚ましたシンジは周りを見渡し、怪盗団の姿を見ると顔を歪める。

 

『うるさいなぁ! 良い夢見てたのに覚めちゃったじゃないか!』

「いやいやいや、俺たちが必死こいてパレス彷徨ってたのに、寝てんじゃねーよぉ!!」

 

 嫌がるシンジを揺さぶりながら、竜司は道中の苦労を思い出す。きつすぎだろ。

 

 涙ぐむ竜司を見て、シンジは少し気が晴れる。竜二の手を払いのけると、怪盗団に向き直った。

 

『……あぁ、その様子だと鬼ごっこは楽しんでもらえたみたいだね』

「難易度調整、明らかにミスってた! クソゲーもいいところだったからな!」

『そうかい、それは良かったよ』

 

 双葉の文句を聞いて愉快そうに笑い、なんにせよ、と続ける。

 

『どうやらゲームは僕の負けみたいだね』

 

 ゲームを仕掛けてきたとは思えない程に、淡白な反応だった。

 

 あっさりと敗北を認めたシンジは、訝しげな怪盗団を意にも介さず、鍵を無造作に投げ渡す。

 反射的に受け取った白野の手には、家の鍵とは別に、小さな鍵が収まっていた。

 

『オタカラは引き出しに入っているよ。それはその鍵さ』

「……なんのつもり?」

『別に、何の意図もないよ』

 

 ただ要らなかったからと、シンジは言うけれど。納得できるはずも無かった。

 

「では、なぜゲームをしたんだ?」

 

 シンジは祐介を一瞥する。塀に深く寄りかかり、億劫そうに答えた。

 

『僕が知りたいのは、あいつとお前ら、どちらが正しいのかだよ。普段の勝負事は絶対に勝つ気でやるけれども、このゲームに限ってはどうでもいいのサ』

 

 正しさ、と春が小さく繰り返す。

 

「……あなたは、慎二くんを改心させるべきじゃ無いと思ってるってこと?」

 

 悪人ではなく、怪盗団の協力者と言える人物を改心させる事は、良いことなのか。そういう意味だと春は受け取ったのだけど。

 

『救われたくない奴をわざわざ苦労して救う必要も無いだろう?』

 

 思っても見ない言葉に、息をのんだ。それはまるで、慎二が自ら進んで苦難の中にいるかのようだった。

 

 白野が思わず問いかける。

 

「……慎二は、救われたく無いの?」

 

 何を当たり前な事を、とシンジは鼻で笑う。

 

『佐倉慎二はさ。自分しかできないと思い上がって、勝手に突っ走った、大馬鹿なんだよ。そんなやつ、見限られても仕方ないと思わない?』

 

 それが自分だったら尚更ね。

 

 その時、白野は気づいた。シンジの瞳に浮かぶ感情は、蔑みではなく、憐愍であることに。

 

『全てを自分の責任だと思い込んでいるから、自分が幸せになることが許せないのさ』

 

 自分のせいで不幸になった人がいるのならば、自分は苦しみ続けるべきなのだろう。そう決めて、他者との関わりを絶った。

 

 シンジはそんな佐倉慎二を馬鹿だとは思うけれど、嫌いなわけでは無かった。

 

 だからシンジは、慎二の感情を否定しない。

 救われたくないなら、放っておけば良い。

 

 けれど。

 

『……はっ、そうか。おまえには関係なかったか』

 

 白野のまっすぐな視線を受けて、シンジは力を抜いた。

 

 無駄な事を考えていた、自分に呆れる。正解がどちらかなんて、見当外れも甚だしい。

 

 だって、そうだろう。

 彼女らのペルソナは、叛逆の意思の化身。

 

『佐倉慎二がどんな思いを抱いていたところで、関係なく、容赦なく救い上げる。そんな奴だよな、おまえは』

 

 別に、正しくなくてもいい。

 望まれていなくたって構わない。

 

 心の奥底から聞こえる、叫びに従って。

 

「進み続けるだけ。……もしかして、どこかで、会ったことある?」

『さてね』

 

 白野の問いにシンジは軽く微笑んだ。

 

『そうだな……僕もおまえを見習って、ワガママに行動するとするか』

 

 寒い冬の日にするような、大きな息を吐いて。

 白野の瞳に、胸の中に確かに残っている、友の姿を重ねながら。

 シンジは結末を見届けることを決めた。

 

 相好を崩したシンジを見て、白野は緊張を解く。そして、わざとらしく頬を膨らませて。

 

「言われてるよ、竜司」

「……え、いや話の流れぇ! どう考えても白野の事だろーが!」

「この流れでサラッと人になすりつけるの凄すぎでしょ」

 

 一瞬で空気を切り替えた白野に、杏は思わず唸る。

 

「竜司はワガママじゃないよ。ただちょっとだけ猪突猛進というか。短気なだけで、やる時はやる子なんだから!」

「春。それ全然フォローになってないわよ」

「ま、日頃の行いってヤツだな」

「うっせー猫!」

「猫じゃねーしぃ!? どう足掻いても人間だしぃ!?」

『くだらないこと言ってないでさっさと行けよぉ!』

 

 感傷に浸っていたシンジはキレた。

 

 

 

 シンジに貰った鍵を使い、家へと入る。

 外と同じで変化は見当たらないが、確かに感じるオタカラの匂いに、モルガナの目つきが鋭くなる。

 

 廊下を歩き、白野は慣れた手付きで慎二の部屋に入る。

 シックな色調の整理された部屋に、ちゃぶ台と座布団が置いてある。部屋の主のセンスとは思えず、双葉は恐る恐る白野に問う。

 

「白野、部屋を浸食してね?」

「寛ぎやすいでしょ」

「……そうだな!」

 

 あまりにも堂々とした態度に、双葉は思考を放棄した。

 モルガナは部屋を見渡して言う。

 

「妙だな。この部屋に実体化前のオタカラがあると思ったんだが。あんなもやもやが机の中に入ってるのか?」

「ま、とりあえず開けてみれば良いんじゃね?」

 

 竜司の言葉に、白野は頷く。真剣な表情だが、手がわきわきと動いていた。

 隠し切れていない欲望に真は視線をそらした。

 

「……今更だけど、民家に侵入して物を漁ってるって、状況だけ聞くととんでもないわね」

「怪盗か、これは? 空き巣の間違いではないか?」

 

 彼らの疑問を置き去りに、そのまま机の鍵を開けようとして――気づく。 

 

「嘘、でしょ」

「……白野?」

 

 違和感は、あった。

 

 現実と変わらない世界。

 認知存在の佐倉惣治郎という協力者。

 教会に着いてから、一向に現れないシャドウ。

 

 怪盗団にとって、あまりにも都合が良い話だった。

 パレスはそう甘くないと知っていた彼らならば、疑問を持つことができたはずなのに。

 考えることを止めてしまっていた。

 

 白野は、早く気付くべきだったのだ。

 マトウシンジが安々と怪盗団を通した、その意味に。

 

 

 

「―――いや机の鍵、ナンバー式じゃん!!」

 

 

 

 魂からの叫びだった。

 

「えっ。ちょ、ウソ! 開かないじゃん!?」

「……鍵穴が、何処にもない……っ」

「じゃあこの鍵なんなんだよ!?」

 

 なんなんだろうね。

 

「鍵はフェイクだったっていうの? 何の為にこんな事を……?」

「ただの嫌がらせじゃね?」

「あれだけ恰好をつけていたのにか!?」

 

 驚愕の真実に、歴戦の怪盗団といえど動揺を隠しきれなかった。

 そんな中、春は引き出しを無表情で見つめ。

 

「……もう、机を壊しちゃおう?」

「春さん!?」

 

 抑揚のない言葉に竜司は一歩下がった。

 

「は、春、ちょっと落ち着いて」

「でも、一番手っ取り早いと思わない?」

「確かにそうだが、それはもう絶対に怪盗ではないぞ」

「私たち怪盗はナメられたら終わりなんだよ。やり返さないと」

「何処の不良!?」

 

 春の暴走が止まらない。

 

 このままでは春が闘争本能に飲まれ、破壊の限りを尽くしてしまう。杏は咄嗟に振り返り、モルガナに声をかけた。この中で一番怪盗に矜持を持っている彼ならば、何とかしてくれるはずだ。

 

「モルガナ! 何とか言ってあげて!」

「うーむ。……許可する」

「なんで!?」

 

 裏切られた。

 

「どうしたんだモルガナ! 猫猫言われ過ぎて壊れたのか!」

「ちげーよ! だってしょうがないだろ。ナンバーの手がかりなんて何もねぇんだぞ? この広いパレスを一から探索し直すよりは、壊した方が早いだろうが」

 

 パレスにも、認知存在の話にも、手がかりは無かったように思う。何の情報もないままに探し物をするには、慎二のパレスは広すぎた。

 

「いや、でも、白野に何か心当たりがあるかもしれないし!」

「……ごめん、無いわ」

「じゃあせめて、この部屋の中だけでも探そ! ねっ!」

 

 無かったら諦めるから、と必死に訴える杏。

 確かに、慎二がどこかに鍵の番号をメモしていてもおかしくはない。

 怪盗団は本棚やクローゼット等を一通り探して。

 

「無いね」

「…………壊そっか」

 

 杏は肩を落とした。希望なんて無かった。

 

 皆の表情が死んでいる中、モルガナは空虚な笑みを浮かべる。

 

「もはや手段は一つだな。やるしかないか」

「まさかここまで来て力技とはな……」

「じゃあ行くよ。ペルソナ!」

「春、ペルソナ使うのはさすがにやりすぎでしょ!?」

「畜生、絶対許さないからな、マトウシンジ―――!」

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

『…………あっ』

 

 



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第12話

 

 怪盗団が強盗団に変わった後。

 

 引き出しの中身を確認すると、そこには一世代前のスマートフォンと、黒縁メガネが無造作に入っていた。

 

「あれ、これだけ?」

 

 春が首を傾げて机の中を覗き込むが、他にめぼしい物は見当たらない。

 

 皆が肩透かしを食らい、疑問符を浮かべる中、モルガナは目をまんまるにしてスマートフォンを手に取る。

 

「どうしたの、モナ?」

「これ、オタカラだ」

「……ハァ!?」 

 

 なんでもない、誰でも持っているスマートフォンが、慎二のオタカラだった。

 杏は首をひねってぼやく。

 

「……オタカラって、こんなありふれたものじゃないよね? 今までも王冠や金塊とかだったし」

「オタカラは、パレスの主の欲望の源だ。佐倉慎二にとって、このスマートフォンが歪んだ欲望のきっかけだったんだろう」

 

 モルガナはスマートフォンの画面を杏に見せる。

 鮮やかな空と海が映る背景の中に、見覚えのあるアプリが目についた。

 

「イセカイナビ……」

「春の推測が真実味を帯びてきたな」

 

 慎二がパレスに入る力を持っていたのなら、ペルソナに目覚めていてもおかしくはない。

 

「でも、予告状を出してないのになんでオタカラがあるの?」

 

 普通のオタカラは実体が無く、靄のように空中を漂っている。実体化させるためには、パレスの主に現実世界で「狙われている」と認識させる事が必要となる。

 

 最初からオタカラが実体化していたケースは見たことが無い。考えられる可能性としては。

 

「慎二は予告状を出すまでもなく、常にオタカラが狙われていると感じていた?」

 

 慎二は分かっていたのだろうか。

 白野が慎二のパレスに入って、改心させるだろうと。

 

「自分にパレスがあることを把握していて、白野が怪盗団だと分かっていたなら、おかしくはないのかしら?」

 

 そう呟くも、真は腑に落ちない。どうにも違和感が拭い去れなかった。

 何かを見落としているかのような感覚。このままオタカラを盗んだとして、慎二は救われるのだろうか。

 

 言いようのない引っ掛かりを晴らすきっかけになったのは、白野だった。

 

「マトウシンジとのゲームの時にも、感じたんだけど……。どこか、誘導されているような気がする」

「誘導?」

 

 どういうことだと募る視線に、白野は曖昧な考えを徐々にまとめていく。

 

「……そもそも人を拒絶している慎二が、オタカラを盗めるパレスを持っている事がおかしいんだ。今までのパレスだってオタカラを守るためにシャドウが配置されたり、先に行けなくなっていたりしていたよね」

 

 カモシダパレスでは礼拝堂で天の刑罰官が襲ってきた。マダラメパレスは中央庭園で足止めをくらい、現実で干渉する必要があった。

 

「それが慎二のパレスでは、マトウシンジのゲーム以外でシャドウが出てこないし、現実の慎二に何かする必要もない。本人のシャドウは出て来てもいないし。オタカラを守る気が、まるで無い」

 

 それどころか、怪盗団をサポートしていたようにも思える。教会では佐倉惣治郎が過去を教えてくれた。マトウシンジのゲームも、行くべき場所を示していた。

 

 慎二のパレスは白野達を拒絶していない。怪盗団の存在を知っているのなら、むしろ改心されないように妨害してくると思うのだが。

 

「要するに、簡単すぎるってことかな」

「簡単?」

「刈り取るものに追い掛け回されるのが簡単……?」

 

 そこには異議を申し立てたい。

 

「でも、わたしも引っかかってた。あまりに都合が良すぎて、本当にこれでいいのかって感じだもんな。ゲームだったら、この流れでオタカラを盗んだらバッドエンドだ」

「そして、ここはゲームの認知世界……。なるほど、警戒せざるを得ないな」

 

 祐介は双葉の言葉に目を細める。

 

 そもそもの目的として、怪盗団のパレスに入った目的は佐倉慎二を知る事だ。オタカラを盗む事ではない。ならば考えるべきことは別のこと。

 

 なぜオタカラを盗むように誘導しているのか。

 

「実はオタカラを盗まれたい、とか? 改心されたがっているのかな」

「でもよ、双葉の時とは全然違わね?」

「そうだな。わたしは自分を変えたくて、現実で怪盗団に頼んだ。自分だけでは変えられないほど、思いつめていたから」

「だけど今回は逆。現実では拒絶されていたのに、パレスの中ではオタカラを盗まれることを望んでいる」

 

 表面上は嫌がっていても、本心では改心を望んでいるということ。捻くれたツンデレということなのだろうか。

 

 しばしの思考の後、祐介は口を開く。

 

「モルガナ。仮にこのオタカラを盗んだとしたら、パレスは消えるだろう?」

「あぁ。オタカラはパレスの核だからな」

「それは本当に良い事なのだろうか。どうにも俺は、このパレスが本人に悪影響を及ぼすとは思えない」

 

 確かに慎二の世界の認知は正常の様に思える。

 刈り取る者を除いて、だが。

 

「……改心は、欲望の根源を盗み、歪んだ欲望を消し去ることで起こる。悪人たちが罪を償おうとするのは、歪んだ欲望を取り除かれたことによって良心の呵責に耐えられなくなることが原因だ。つまり、パレスは罪の意識から心を守る鎧でもある」

 

 モルガナの言葉に杏は青ざめる。

 

 では、このパレスが無くなったのなら。

 慎二はどうなるのだろうか。

 

「あんまりいい想像ができないんだけど……」

「そうね。パレスに自己防衛本能という役割もあるならば、安易にそれを無くすことは出来ないわ」

 

 仮に慎二が何かに耐えられなくて、このパレスを作ったとすると、ここが無くなってしまえば、慎二は潰れてしまう。

 

 このオタカラは盗んではならない。

 その結論に春は混乱する。

 

「それを踏まえると、慎二君がオタカラを盗むように誘導しているのは、現実逃避をしたくない。罪の意識と向き合いたいって思っている? その罪っていうのは、母親を守れなかったことなのかな」

「まだ断定はできないな。だが、佐倉慎二が目を背けたくなるような『何か』がある可能性は高い。それを知る前に改心すると、マズい気がするぜ」

 

 慎二はパレスを作り、『何か』から心を守っている。

 そして、その『何か』を知る術が見つからない事が問題だった。

 

 皆が深刻な表情で押し黙る中、ううむ、と竜司がオタカラを見る。

 

「正直、あんまり良く分からないんだけどよ。とりあえずもう少しスマホとメガネを調べてみねーか? 何かあるかもしれないだろ?」

「スマホの方はいじってみたけど、特に目ぼしい物はなかったぞ。イセカイナビも反応しない」

「じゃ、そっちのメガネは? かけてみるとかさ」

 

 竜司の提案を聞いた瞬間、白野の手には黒縁メガネが握られていた。

 

「私がかけるね」

「え、いや、ん? 今何が起きた?」

「速すぎて見えなかったんだけど」

 

 おそろしく速い動き、怪盗団ですら見逃しちゃうね。

 

 白野は周囲の反応を気にすることなくメガネをかける。

 

「……エレベーター?」

 

 白野の目には、場違いなエレベーターの扉が映っていた。

 

 



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第13話

 

 きっかけはもうほとんど覚えていない。

 

 多分、身近な誰かが精神暴走事件に巻き込まれたのだと思う。昔の僕は正義感が強く、間違ったことは許せない質だったから、がむしゃらに首を突っ込んで行ったんじゃないかな。

 

 そして運が悪い事に、僕はパレスの存在にたどり着き。理不尽に対抗する力を得てしまった。

 

 ペルソナ。心に秘めたもう一人の自分。反逆の意思が仮面となって現れ、超常的な力を行使する事ができる。

 そんなモノを手に入れてしまったから。選ばれたんだと思ってしまったから。もう止まれなくなってしまった。

 

 精神暴走事件の真相を追った。

 裏にいる黒幕を改心させた。

 世界を救った。

 

 ―――だけど、身近な人は誰一人救えなかった。

 

 脳裏に刻み込まれている。

 母さんが死んで。父さんが死んで。佐倉惣治郎が死んで。モルガナが死んで。坂本竜司が、高巻杏が、喜多川祐介が、新島真が、佐倉双葉が、奥村春が死んで。カロリーヌがジュスティーヌが新島冴が岩井宗久が武見妙が東郷一二三が吉田寅之助が川上貞代が御船千早が三島由輝が織田信也が大宅一子が。

 

 ほとんどの者が死亡し。死ななかった者も、須らく不幸になった。

 結局僕が守ったのは世界だけで。

 本当に大事な者は何も掴めなかった。

 

 それでも世界は回っていく。

 世界を救った怪盗団という存在も人々の頭から徐々に薄れていき、やがて都市伝説程度になっていった。

 

 僕が残したものは、もう何も無かった。

 

 死にたかった。大切な人々を犠牲にして生き残った僕が楽になるなんて、許されるはずがないけれど。暗い砂漠を彷徨うように、生きていくしかなくて。

 

 ……今思えば、その時に死ぬべきだった。

 見つけてしまったんだ。僕に希望を持たせる、呪いを。

 

 聖杯戦争。

 

 それは七人の魔術師が、願いを叶える聖杯を手に入れるために殺し合う儀式。

 

 僕は何彼と非日常に縁があるようで、唐突にその参加権を得てしまった。

 そんな希望を持たされたら、また歩き出すしかないだろ?

 

 聖杯戦争は何故か、非常に都合が良く進んでいった。かつての戦いの経験も活かし、順当に勝利していって、なんと誰の犠牲も出さずに聖杯を手に入れる事ができたんだ。

 

 手にした聖杯に、僕は願った。

 

「やり直させてくれ」と。

 

 世界が流転した。

 

 

 

 

 気がつくと、自分の部屋にいた。

 懐かしい、ルブランに行く前の部屋。

 

 日付を確認すると、どうやら僕は中学生の頃に戻ったらしい。両親の顔を見に行こうとして、転びかけてしまった。幾文か小さくなった体の感覚に戸惑う。自分の体じゃないみたいだ。

 

 おそるおそる部屋を出て、食卓で食事を取っている母さんと父さんがいて、涙が出てしまった。

 

 これで、やり直せる。

 皆を救える。

 今度こそ、幸せにしてみせる。

 

 

 

 その誓いを、何度口にしただろうか。

 

 

 

 千を超えたあたりから、数えるのは辞めた。

 心が折れるから。

 

 どれだけ鍛えても無駄だった。

 仲間を増やしても、絆をより深めても、他の者に助けを求めても。

 

 僕の大切な人は、尽く不幸になる。

 死んでいく。殺されていく。

 僕だけを遺して。

 

 そうして僕はやり直す。

 聖杯は僕に何度でもやり直させてくれた。

 その事実だけが心の支えだった。

 

 やがて僕は繰り返す事に慣れて。大切な人を見捨て、情報収集をするようになる。

 何度やり直しても無理なんだ。なら次に皆を救えるように、今を捨てても構わないだろう。そんなゲーム感覚の、唾棄すべき考えだ。

 

 救うための心当たりはあった。魔術の存在。

 ペルソナの力で足りないのなら、魔術の力も合わせれば、救えるのではないか。

 試す価値はあると思った。

 

 ではどうすれば魔術を使えるようになるか。

 魔術師を探し出し、恩を売れば、魔術を教えてもらえるかもしれない。そして恩を売る機会は、――よく、知っている。

 

 僕は聖杯戦争で殺されかけていた人を助け、魔術の教えを乞うた。

 

 そうして魔術を磨いて、皆を救おうとして失敗して、また魔術を磨く。それを繰り返す。

 

 確か、その頃に岸波白野と会ったんだったか。

 

 たまたま存在を知った、究極の演算装置。

 名を、ムーンセル・オートマトン。

 

 それを使えば、皆が幸せになれる道が分かるのではないか。そう思って、月の聖杯戦争に参加した。

 結果は、ご都合主義のハッピーエンドだったな。ムーンセルですら、彼らを救う手立ては見つけられなかったけど。

 

 どれほど魔術を研磨しても、徒労に終わった。

 幾度繰り返しても守れない。

 

 それでも、まだだ。

 まだ諦めるには早すぎる。

 

 きっと、救う方法はあるはずなんだ―――

 

 

 

 

「おはよう、慎二」

 

 

 

 

 ―――だれ、だ?

 

 

 

 

 違う。

 ここは僕の家の筈だ。

 繰り返しの初めはいつも、食卓で両親が食事を取っていたはず。

 

 その筈なのに。

 なんで、一色若葉がここにいるんだ?

 

「……どうしたの? 顔色が悪いわよ」

 

 体調が悪いなら言いなさい、と心配してくる彼女に。

 震えながら問い掛ける。

 

「……少し。馬鹿な事聞いていい?」

「いいわよ? なにかしら」

 

「僕の名前、なんだっけ」

 

 若葉さんは信じられない、といった様子で立ち上がり。

 こちらに近づき、僕の額に手を当てる。

 

「熱は、なさそうね。体に違和感は?」

「……無いよ」

「そう。念の為、今日は休みなさい。自覚できてないだけかも知れないわ」

 

 こちらを慮る若葉さんは、当たり前の様に告げる。

 

「貴方の名前は一色慎二。私の大事な、自慢の息子よ」

 

 それは、間違いなく僕では無かった。

 

 

 

 僕がやっていたのは、やり直しではなく。

 違う世界へと渡ることだった。

 

 平行世界の僕の人格を塗り潰し、擬似的にやり直しを可能にする。

 なんて非道で、悪辣で、邪悪。

 

 数多の僕を犠牲にして得られた物は、更に多くの死と不幸だ。平行世界の僕のままだったら、救えたかも知れない未来。それを、僕が壊した。

 

 

 

 何がしたかったんだ、僕は。

 

 

 

 大きなブレーキ音でふと気づく。

 閑静な住宅街に似つかわしくない悲鳴が聞こえる。

 

 目の前には、赤く染まった若葉さんが倒れている。

 

 そうだ、僕が急に反応しなくなったから、心配した若葉さんが病院に連れていこうとして。

 突然、彼女が車道に飛び出して……。

 

「あ」

 

 また救えなかったのか。

 

「ああ」

 

 違う、また僕が。

 

「あああ」

 

 殺したのか。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁああぁアあァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ―――――」

 

 数多の世界に不幸を撒き散らす寄生虫。

 それが、かつて雨宮蓮と呼ばれていた者の正体だった。

 

 

 

 

 

 

 場違いなエレベーターの起動音が、牢屋に鳴り響く。

 

 鉄格子越しに見えるエレベーターの光が点滅し、ここに降りてくることを示していた。

 

 どうやら岸波達は帰ってくれなかったようだ。オタカラに満足してくれたら、僕も楽になれたのに。

 ……死に逃げるほど、楽な事は無い。

 

 強烈な自殺衝動に、唇を噛みしめる。痛みと鉄の味にほんの少し落ち着いた。

 ここじゃ誤魔化しようがないから、苦しくて、良いね。

 

 ベルベットルームに似たこの場所は、僕の過ちの始まりだ。決して罪を忘れる事の無いように、僕が幸せにならない為だけに存在するパレス。

 

 そう、それだけなんだから。

 君達が来る必要なんて、無いんだけどな。

 

 エレベーターの扉が開き、こちらへ歩いてくる一団を睥睨する。

 

 ま、せっかくこんな場所まで来たんだ。

 挨拶くらいはしてやろう。

 

「やぁ、心の怪盗団。僕の気持ち悪いポエムはどうだった?」

 

「……雨宮、蓮」

 

 岸波白野は赤く腫らした目で、僕を見据えた。

 



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第14話

 

 じゃらじゃらと手足の鎖が音を鳴らす。

 

 寝床から立ち上がって、牢屋の前に立つ懐かしい顔ぶれを眺める。一様に暗い表情を浮かべる彼等に、思わず頭をかいた。

 

「……あまり気にしなくていい。一人の男が分をわきまえずに出しゃばって、取り返しのつかない失敗をした。そんなの、よくある話だ」

「そんなわけ……っ、ねぇだろ!」

 

 竜司が振り絞るように叫ぶ。

 

「俺達のために何度も何度も繰り返して、戦い続けた! 理解者もいねぇ、たった一人で! 苦しみ続けて、救おうとしてくれた! それを、よくある話で済ませていい訳ねぇよ!」

 

 真っ直ぐな言葉に苦笑が漏れる。

 相変わらず素直で、実直な男だ。

 

 竜司の言葉に、そうだよ、と杏が手を固く握る。

 

「そんな事、普通できないよ。私だったら、すぐに心が折れてる。それでも諦めずに奔走してくれたのは、それだけ怪盗団の事を大切に想ってくれたってことでしょ?」

 

 なのに、こんなの、あんまりだよ。

 

 杏の目が涙で潤むのを、ぼんやりと眺める。

 彼女にとって僕は他人だ。今初めて会った男ってだけ。

 それなのに、これ程まで感情移入してくれるのは、それだけ彼女が純粋だということだろう。

 

 こんなに良い人達を、僕は幾度も殺してきたんだ。

 

「同情してくれるのは嬉しいけど、僕は被害者じゃないよ。加害者だ」

「情状酌量の余地は多分にあるし、何よりも、貴方が殺したわけじゃないでしょう!」

 

 僕の言葉に真が間髪入れずに否定する。

 

「雨宮君はやり直しが平行世界への移動だと知らなかった。仲間が亡くなってしまったのも、貴方の所為だとは限らないわ!」

「そうかな」

 

 庇ってくれるのは嬉しいけど、物事には限度がある。

 

「やり直しの絡繰に気付く機会は幾らでもあったと思うよ。それこそ、数え切れない位に繰り返してたんだから」

「っ……」

「自覚の無い方がタチが悪い」

 

 それに、と続ける。

 

「岸波なら救えたんだ」

 

 僕がどれほど願っても。求めても。掴めなかった未来を、岸波は一度で手繰り寄せた。

 

 それが全てだ。

 どれほどの過程があろうと、結果が伴わなければ意味がない。人の命が関わるならば、尚更に。

 

 そもそもの話、やり直す必要なんてなかった。聖杯への願いを、皆を生き返らせて、幸せにしてくれと頼んでいれば。……いや、こんなものに頼ったこと自体が間違いだったのだろう。

 

 聖杯がろくでもない物だなんて知っていた。それなのに、縋ってしまった。

 僕の弱さが大切な人を不幸にした。

 それは間違いなく僕の罪だ。

 

「君達は心の怪盗団だろう。悪人の心を盗んで改心させる。理不尽を許さず罪を償わせる。そんな信念を持った君達なら、僕のような悪人に対してすることは一つだろう?」

 

 さあ、改心してくれよ。

 

「オタカラを奪ってパレスを消失させろ。……ああ、もちろん僕は現実の自分の元に帰るから、安心して欲しい。廃人になって自殺なんてしたら、君達に迷惑をかけてしまう。それは僕の本意じゃない」

 

 誰にも見つからない場所で、静かに逝くよ。

 

 一色慎二の体を奪っておいて、その命を粗末に扱うのは気が引けるけれど。自分を乗っ取った奴が生きている方が、許せないだろう。

 

 爺さんは……一色慎二がいなくなれば、悲しむと思うが。岸波達が支えてくれるだろう。心配はいらない。

 

 もう、生きる理由は無くなった。

 僕がいないほうが良いと分かったから。

 やっと楽になってもいいって、思えるんだ。

 

 終わらせてくれ。頼むよ。

 

「雨宮蓮。君がパレスを作ってまで生きていた理由は、まさか、マスターのためだったのか? 死んだらマスターが悲しむから。それだけで?」

「…………」

「そんなに傷ついて、ボロボロになっても。他の人を想いやれるのか。いや、想ってしまうのか。……悲しい男だ」

 

 祐介が擦り切れた僕を見て、辛そうに眼を背ける。

 そういう顔を見たくなかったから、来てほしくなかったんだけどな。

 

 嗚咽を漏らしながら仲間の言葉を聞いていた双葉が、震える声を出す。

 

「嫌、だ。オタカラを、盗むなんて。終わらせるなんて、できないよぉ……!」

 

 俯く双葉の頭を撫でて、春は奥歯を噛みしめる。

 

「どうにもならないの? 私達は、雨宮君を改心させるために来たんじゃない。救うために、来たのに……」

「僕に生きていてほしいなら何もせずに帰ればいい。パレスが残っていれば、僕はずっと目を背けていくだろうからね」

 

 僕の言葉に、春は首を横に振る。

 

「このパレスがある限り、貴方の苦しみは無くならない。心の奥底で、自分を呪いながら生きていくっていうの? それじゃあ幸せになれないよ!」

「……はは」

 

 僕が幸せになる?

 生きる価値の無い、生きているだけで惨禍をもたらした、雨宮蓮が?

 

 笑わせるな。

 

「とーっても憎くて、憎い憎い僕が幸せになるなんて、許すわけねぇだろ」

 

 手のひらを見る。

 何も掴めなかった、細い手。その手には見えないだけで、幾千幾万と浴びた血液がこびり付いている。

 

 赤黒く、血腥い僕が、救いの手を取ったら。

 君達まで汚れてしまう。

 

 岸波を、怪盗団を、巻き込むつもりなんてない。

 この罪は―――僕だけの物だ。

 

「オマエは心が強過ぎるんだな」

 

 モルガナは腑に落ちた様に呟く。

 

「人は辛い現実に出会すと、目を背け、忘れる。これは別に悪いことじゃねぇ。人間が生きていく為に必要な機能だ」

 

 人は、全ての困難に立ち向かえる訳ではない。

 それだけの精神を持っていない。

 だからこそ逃避し、自分を守る。

 

「だがオマエは、罪と向き合い続けている。自分をずっと許さずに、心に傷を作りながら生きていける。誰にも話さず、たった一人で耐えてしまえるほどに、強過ぎるんだよ」

 

 それが悲運だったんだ、とモルガナは語った。

 

 可笑しくて、小さく笑う。

 心が強いのはどっちだよ。不屈の意思は岸波の専売特許だろう。

 

 今も、救ってほしくない僕を。

 絶対に諦めないと見つめ続ける岸波の方が、遥かに強靭だよ。

 

 ああ――鬱陶しい。

 

「君達の選択肢は二つ。オタカラを盗むか、このまま帰るか。どちらかしか無いんだよ」

「できればオタカラを盗んでほしいかな、楽になるし。僕が死に逃げることを許せないなら、何もせず帰るといい」

「……諦めてくれ。僕を救う方法なんてないよ。だって僕には、」

 

 死ぬ理由は腐る程あっても。

 

「生きる理由なんて、ないんだから」

 

 

 

「―――嘘だ」

 

 

 

 透き通った声が響いた。

 岸波が柔らかく笑う。

 

「貴方は嘘をついている」

 

 確信を持ったその瞳は、宝石の様に輝いている。

 

 意味が分からなかった。

 僕は嘘をついてない。それなのに。

 なんで彼女はあんなにも、艶やかに笑うのか。

 

 乾いた口を、じわりと動かす。

 

「あぁ。確かに生きる理由があったね。一色慎二の体で死ぬ事への抵抗。それとも爺さんの事かな。でも、それは」

「いいや。それだけじゃないはずだ」

 

 僕の言葉を遮り。

 岸波は胸に手を当てて。

 

「蓮は、なんで私達を助けたの?」

 

 そう問いかけてきた。

 

「怪盗団を助けることを諦めた。自分が関わると不幸になるからって、逃げたんでしょ。それなら一切を拒絶するべきだ。なんで助言をするなんて、中途半端な関わり方をしたの?」

「……先の事を知っていたら、教えたくもなるだろう。気まぐれだ」

「千回繰り返しても大切な人のために動き続ける人が、気まぐれ程度でブレるわけないと思うけどなー」

 

 岸波は呆れたように呟き。

 大きく息を吸い、言い募る。

 

「なんで私達をパレスから問答無用で叩き出そうとしないの? 説得なんてするよりも、その方が楽でしょう」

 

「なんで私と仲良くしてくれたの? 自分が不幸の原因だと思うなら、関わらない方が良いよね」

 

「なんで何回も繰り返して怪盗団を助けようとしたの? 辛いなんてものじゃない道のりを、ボロボロになっても、まだ歩いて。なんでそんなに頑張れたの?」

 

 その答えを。

 岸波は僕に突きつける。

 

 

 

「―――寂しいからでしょ。

 仲間と一緒に生きたかったからでしょ。

 

 一人は、嫌だ。

 

 それだけなんじゃないのか!!!」

 

 

 

 強い意志の込められた目は、鮮烈で。眩しくて。

 思わず、後退る。

 

 慄いた僕に、寄り添うように、受け入れるように。

 岸波は真っ直ぐ手を伸ばす。

 

「それなら、私がずっと傍にいる!

 加害者? 巻き込みたくない? 知るもんか!

 

 私達は正義の味方なんかじゃない。

 怪盗だ。世の中の理不尽に反逆する、ただのはぐれ者だ!

 

 世界の全てが雨宮蓮を否定しようと。貴方自身が貴方を殺そうとしても。

 

 私が何度でも肯定してやる。貴方の命を守ってやる!」

 

 言葉に、呑まれる。

 

「―――例え貴方にとって、雨宮蓮が無価値でも。

 岸波白野にとって、貴方は。

 数なんかじゃ表せないくらいの、価値があるんだから!」

 

 溢れんばかりの熱を叩きつけられて。

 唇を、強く噛みしめる。

 

「…………なんで、そこまで」

「あなたが私に優しくしてくれたから。それだけだよ」

 

 美しく、艷やかに歌われた岸波の想いに。

 

 僕の心は、揺れた。

 揺れてしまった。

 

「はっ」

 

 認識が甘かった自分に失笑する。

 

 どこまで馬鹿なんだ僕は。

 岸波白野は全てを救えるヒーローだぞ。

 

 僕如きの言葉で止められるわけがない。

 過去も罪も想いも、全部吹き飛ばして救ってくる。

 傍迷惑な救世主。

 

 どうやら君がいると、僕は幸せになってしまうようだ。

 

「あぁ、僕が間違っていたよ」

 

 重い手足をゆっくりと鉄格子に押し付ける。

 

「僕は自分を信じていない。皆の事を諦めた僕が、意思を貫き通せるはずがない。岸波に希望なんて与えられたら、きっと、生きるのが楽しくなってしまうんだろうな」

 

 今の言葉ですら揺れたんだ。

 ずっと傍にいられたら、いずれ心から笑ってしまうだろう。

 

 そんなの、

 

「そんなの――許せない。なに人を殺しておいて幸せになってんだ! ふっざけんなぁ!!!」

 

 激情と共に叫ぶ。

 

 それは―――許せない。

 僕の幸せを許せない。

 君の存在を、許しておけない。

 

「岸波白野。お前を叩き潰す。僕を救うなんて二度と思えなくなる様に、念入りに可愛がってやるよ」

 

 鉄格子を押し開けて、仮面を被る。

 睨めつける僕を前に、岸波は悠然と髪をかきあげる。

 

「そんなに想ってくれるなんて。嬉しいな」

「はは。―――僕、君が大嫌いだ」

「そう? ―――私は、貴方が大好きだよ」

 

 紡がれる愛の言葉に、僕は顔を歪ませて。

 微笑みつつ構える岸波と、同時に仮面を引き剥がす。

 

 互いに引けない想いの為に。

 

「「ペルソナァ!」」

 

 戦いが、始まった。

 



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第15話

 

 細く鋭く、息を吐く。

 

 開戦と同時に怪盗服を纏った僕の前で、怪盗団が武器を持ち、構える。

 

「アーチャー! 手を貸して!」

『任せろ、マスター』

 

 岸波の背後に、赤い外套を纏った浅黒い肌の男が現れた。

 アーチャーと呼ばれた銀髪の男は険しい表情を浮かべ、油断無く僕を見下ろしている。

 それは明らかにペルソナではなく、人間であった。

 

 ペルソナとして、サーヴァントを呼べる能力。

 なるほど、それが岸波の特異性か。

 確かに強力だ。

 

 だとしても、僕のやることは変わらない。

 

「奪え」

 

 牢獄が広がる。壁が遠ざかる。

 一瞬で天井が見えなくなる程に、空間が空いていき。

 

 それを埋め尽くす様に黒い巨体が顕現する。

 

「サタナエル」

「……は? で、か……」

 

 怪盗団が呆然と悪魔を見上げた。

 

 反逆の意志の化身。

 神を滅ぼした悪魔の王。

 世界しか救えなかった、自身の持つ中で最強のペルソナ。

 

 出し惜しみはしない。できる相手じゃない。

 油断も慢心もいらない。一撃で潰してやる。

 

「メギドラオン」

 

 怪盗団の中心に光が収束していく。

 呆けていた彼らが動き出す頃には間に合わない。

 

「やっ、べ……!」

「皆、私の後ろに! アーチャー!」

『いきなり出す攻撃じゃないだろう、この規模は!』

 

 先にペルソナを出していた岸波は、庇うように皆の前に出る。津波のように開放されたエネルギー。それにアーチャーは応じた。

 

熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 

 右手を前に突き出し、短い詠唱を唱える。アーチャーの手の先に展開された七枚の花弁が、サタナエルの魔法と衝突した。

 

 光と光がせめぎ合う最中。僕はペルソナを目晦ましとして怪盗団の裏に回り込む。

 

 彼らの強みは連携だ。人数を活かし、幅広い属性の攻撃で敵の弱点を突く。攻撃で相手が怯んだ隙をつき、総攻撃を仕掛ける。この流れを非常にスムーズに行える事が恐ろしい。

 だからこそ、体勢を整えられていない今の内に、一人ずつ倒す。

 

 アーチャーの赤く輝く盾は花弁の六枚と引き換えに、岸波達を守り抜いた。僕は時をかわさずに魔術を起動する。

 

「ガンド」

 

 銃の形をした手の指先から赤黒い光を撃つ。長い年月を経て研磨された魔術。弾丸のごとく放たれる呪い。対人を制することに適したその力は、狙い通りに着弾する。

 

「う、ぐ!?」

「双葉!」

 

 双葉が膝をつく。

 

 ガンドは一工程で相手を行動不能にできるルーン魔術。双葉を封じる事で情報支援を絶ち、相手を冷静にさせない。落ち着かせない。

 

 魔術と同時に吶喊する僕に対処を追いつかせない。

 

「後ろから雨宮君が!」

「けど、あのペルソナは無視できねぇよ!」

「ペルソナはアーチャーで何とかするから、皆は蓮をお願い!」

 

 僕とペルソナに挟まれ、浮き足立っている最中、僕は近接戦闘の間合いに入る。

 

 ペルソナチェンジ――ヨシツネ

 

「キャプテン・キッド! ゴッドハンドォ!」

「っ、駄目、竜司っ!」

 

 即座に竜司が仕掛けるも、一手遅い。

 

 黒い巨体が消え、僕の傍に緋色の鎧具足を身につけた長髪の美青年が現れる。太刀と脇差の二刀を手に持つ彼は、自然体で滑らかに構える。

 

 渾身の力で放たれた拳。迫るキッドの一撃を左手で逸らして勢いづかせ、体制を崩した所にヨシツネは刀を振るう。

 

 祐介の刀が差し込まれた。

 

 祐介が間に割り込み、刀と刀を交える。ペルソナを出す暇が無いなら、自らで仲間をカバーする、瞬時の判断。ヨシツネの刀はそのまま振り下ろされ、彼は吹き飛ばされた。

 

 床に打ち付けられる前に、杏が受け止めて事なきを得る。

 

「別のペルソナ!? 白野と同じく、複数のペルソナを持ってるっ!」

「チャージ」

「くっ、ヨハンナ! マハラクカジャ!」

「八艘跳び」

 

 真が防御の補助魔法で対応する。それでも物理最強のペルソナは、それを容易く超えていく。

 

 神速の踏み込みで懐に入り、両の刀を振り抜く。咄嗟に身を固めた怪盗団を、一度で態勢を崩し、二度で武器を弾き。無防備となった身体へと息もつかせぬ五連撃を刻み込んだ。

 

 強烈な斬撃を受けた彼らは膝をつく。

 これで動きが止まる。

 特に双葉はまともに動けないだろう(T E C H N I C A L)

 

 攻め手を緩めるな。足を止めるな。常に先を取らねば彼らの連携を、絆を、崩せない。

 

「させっかぁ!!」

 

 モルガナの怒声と共に、ペルソナであるゾロが僕に向かってきた。負傷を物ともしない姿に、さすがだなと、言葉にはせず称賛する。

 

 距離を縮めながら、ペルソナを入れ替える。

 

「大盤振る舞いだ、ゾロ! マハガルダイン!」

 

 主の前に立つゾロは手に溜めた風の渦を刃に纏わせ、レイピアを振った。放たれた斬撃は風を纏い、暴風となって迫り来る。

 

 僕はそれを避けることなく受けた。

 風を裂いて、前へ出る(B L O C K)

 

「無傷!? 読まれ、」

「真理の雷」

 

 隻眼の紫肌の男性が槍を地面についた直後、モルガナに雷撃が刻まれた。意識を無くし、力無く倒れるのを確認する。

 さらに前へ(1MORE)

 

 目的は、岸波。

 既にサーヴァントを入れ替えた彼女の隣には、狐の尻尾を持つ妖艶な女性―――キャスターが、吟ずる様に詠唱を読み上げている。それは許さない。

 

 宝具を止めるために、ホルスターから取り出した銃を向ける。

 

「ここは通さないよ」

 

 庇う様に立ち塞がった春を見て、目を細めた。

 この先に行かせないという強い意志。足を引きずりながらも、時間を稼ごうとする彼女が眩しくて。それでも、止まるわけにはいかない。

 

 目を背けるように仮面を引き剥がす(ペルソナチェンジ)

 

「ワンショットキル」

 

 春が僕を指差す。ミラディの狙い澄ました一撃が、長髪の牙を持った魔物の急所に突き刺さり。

 銃撃反射により同じ軌跡を辿って跳ね返される。

 

 虚を突かれた上での強烈な一撃に、ミラディと春がぐらりと揺れる。それでも倒れない、それでも譲らない。意地でも踏み留まる。

 

 抗う春の震える足に向けて、僕は銃の引き金を引いた。

 

 春が目を閉じる。

 

『豊葦原瑞穂国八尋の輪をかけ、ひゃっ!?』

「……え?」

 

 弾丸は春の足の間を通り抜け、床を跳ねてキャスターの鏡を弾き飛ばす。

 詠唱が止まったのを確認し、呆然とする春の意識を刈り取った。

 

 崩れ落ちる彼女を横たえて、ペルソナチェンジ。

 

 新たに現れたペルソナは、金髪の可憐な少女だ。

 幼く笑う少女――アリスを見て、キャスターが後退る。

 

『こ、れは……なんと底知れぬ呪力っ! ご主人様、これは如何に才色兼備なタマモちゃんでもちょーっと本気で対処しないとまずいっていうかぁ……』

『あのねー。死んでくれる?』

『このガキんちょ、ノータイムで全体即死撃ってきました!? セイバーさんかアーチャーさんなら倒されてますよ! ああもう、皆さんの回復が追い付きません! 宝具が通っていれば……!』

『はやくしんでよ』

『ぐぬぬ……コイツ、絶対泣かす……!』

 

 アリスに対処できるのはキャスターしかいないらしい。これならば、しばらく岸波のサーヴァントを封じられる。

 

 怪盗ステッキを構えた僕は、間隙を縫う様に岸波へ迫る。脱力からの重力を利用した吶喊。地面からの反発を全て推進力に変え、空気を裂く様な疾走。動きのロスを極限まで無くした一突き。

 

 岸波は冷静に対応する。

 

 腰からパリングダガーを抜いて、突きを下から上へ擦り上げる。肩を狙った一撃を逸らすも、衝撃は流し切れない。体勢を崩しながらも後ろへ飛んで、間合いを切る。

 その瞬時の判断に舌を巻きつつも、追撃のガンドを放つ。

 

 空間ごと燃やし尽くすような炎が視界を遮った。

 

「忘れてもらっちゃ、困るっての!」

 

 ダメージから立ち直った杏のアギダインが、ガンドを消し飛ばす。岸波の援護と同時に目くらましを行い、鞭で絡め取ろうと振るわれる。

 

 その動きを見切って(サードアイ)、掴み取った。

 

「はっ?」

「杏!」

 

 魔術で強化された腕力で、思い切り鞭を引く。弾かれたように此方へ飛ばされる杏を、バイク型のペルソナ―――ヨハンナに乗った真が掻っ攫う。

 カバーは完璧、だけど。

 

 鞭を手放し、離れる彼女達に向けて銃弾を二発。

 バイクのタイヤを打ち抜いた。

 

「嘘っ!?」

「キャァァァアアア!?」

 

 バランスを崩し、杏と真はバイクから投げ出される。地面を転がる二人にガンドを撃ち込み、意識を喪失させた。

 人数は減らせたが、時間を稼がれたな。

 

 視線を岸波に戻そうとして。

 

「キャプテン・キッドォ! マハタルカジャ!」

 

 竜司が力を底上げしながら、祐介と共に距離を詰めてくる。迎撃せんとする僕のガンドを時にすり抜けて、時にスキルで消しながら迫る。

 

 岸波に注意を向けさせないつもりだろう。キャスターに岸波が加わればアリスを倒せる。そうすれば全員を回復して立て直せる。時間は、あまり無いか。

 

 眼前に迫り来る彼らに対し、ステッキを向ける。

 

 竜司と祐介は同時に仕掛けてきた。小さく体を動かすと、竜司の拳は空を切り、祐介の刀は僕の眼前を掠める。間髪入れずステッキを薙ぐが、彼らは互いを蹴り合って飛び退いた。

 

 入れ替わる様に二体のペルソナが前に出る。

 自身の攻撃は陽動、その後が本命か。良い連携だと思わず笑みが溢れる。

 

「蹴散らせ、ゴエモン! ――ブレイブザッパー」

「ぶっこめ、キッド! ――電光石火」

 

 ゴエモンが放つ渾身の一撃に合わせて、キッドが疾風の如く駆け抜ける。

 自らの身を削るのも厭わない、最大火力と最高速度。空間を圧し殺すような重厚な連撃。

 吹き荒れる斬撃と打撃の嵐に、僕は躊躇なく身を躍らせた。 

 

 右に一歩。左の頬に、拳が掠める。

 前に二歩。頭を下げて、蹴りを躱す。

 横に一薙ぎ。太刀筋を読みきり、斬撃を流して。

 

 前に三歩で、掻い潜る―――!

 

「なっ――」

 

 祐介の鳩尾に拳を突き立てる。

 崩れ落ちる祐介を残して、弾かれるように竜司へと跳びながら中段蹴り。

 

「く、そっ……」

 

 ロッドで受け止められると同時、反対の足で上段の前蹴り。顎を揺らして意識を奪った。

 着地して、悠々と岸波に目を向ける。

 

 激しい戦闘音が響く。

 猛攻のやりとりの末、アリスが此方に吹き飛ばされて来るのを、僕は受け止めた。

 

『よっしゃあ! どうじゃワレィ! 私とご主人様にかかればお茶の子さいさいですよ、ってあれ? ぜ、全滅してるぅー!? み、皆さんの回復を……』

「させると思う?」

『ですよねー』

 

 銃をチラつかせて回復を牽制。

 キャスターは冷や汗をかきながら、ひきつった笑みを浮かべる。

 

『ごめんね、お兄ちゃん』

「いや。良く持たせてくれた。ありがとう」

 

 アリスを労って、ペルソナを変える。

 仮面を引き剥がし、顕現せしは最強のペルソナ。

 

「っ、……皆」

 

 岸波はサタナエルの姿に目を細め、仲間を見て唇を噛み締める。

 仲間は倒れ、僕は無傷。状況は詰みに近い。

 

 それでも岸波は、理不尽に抗う。困難に立ち向かう。逆境でもなにくそと這い上がる。

 

 それでこそ、だ。

 感慨に耽る僕の前で、岸波はサーヴァントを喚び出す。

 

「アーチャー」

『なるほど、絶体絶命か。いつも通りだな、マスター』

「……へぇ」

 

 キャスターが()()()()アーチャーが現れる。

 

 複数のサーヴァントを同時に扱えるのか。

 今まで三味線を引いていた? 何らかの条件か、デメリットがあるから使っていなかった?

 

 もしくは。

 今、この瞬間に。出来るようになった(覚醒した)か。

 

「セイバー」

『やっと余の出番か。待ちくたびれたぞ?』

 

 さらに現れたのは赤い舞台衣装に身を包んだ少女。

 セイバーは優雅に真紅の剣を抜く。

 

 仮に、この短い間にサーヴァントを同時運用できるようになったとしたら、悠長にしてはいられないか。

 

「……私達はボロボロで、相手は私達よりも、ずっとずっと強くて。それでも――諦めるわけには、いかないんだ!」

『うむ! より強い願いが生き残るのではない。より美しい願いが生き残るのだ。なればこそ、ただ強いだけのあやつではなく。愛しい者を救済し、愛を贈らんとするそなたに、勝利の女神は微笑むのだ!』

 

 力強く地を踏みしめて、吠える岸波に。

 サタナエルと共に、銃口を向ける。

 

「なら、これに耐えてみなよ」

 

 かつて神を穿ったその力。

 世界しか奪えなかった銃弾。

 僕の持つ、最大の切り札。

 

 その身に刻め。

 

 

 

『大罪の徹甲弾』

 

 

 

 引き金を引いた。

 

 轟音が大地を揺らし、衝撃が空間を削り取る。

 世界そのものが悲鳴を上げているような錯覚を覚えるほどの、破壊の権化。

 放たれた弾丸は空気を貫き、光の軌跡を描いて標的へ向かう。

 

 岸波は息を大きく吸って、大地を踏みしめた。

 

「――さぁ、乗り切るよ!」

『あげていくぞ、奏者よ! 皇帝特権!』

『トレース・オン――熾天覆う七つの円環』

『私の主戦力をお見せしましょう。呪層界・怨天祝奉からのォ、呪層・黒天洞!』

 

 岸波の前に、幾つもの術式が重なり、組み合わさって。

 彼女の心の様な、何人も打ち砕けぬ壁となる。

 

「『『『おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉおお!!!!!』』』」

 

 途方も無い力に後ろに足が下がる。

 身を守る盾に亀裂が走る。

 それでも。

 

 それでも―――砕けない。

 

「……嘘だろ」

 

 爆発と共に、白い煙に飲まれる。

 轟々と鳴り響く中、視界が晴れて。

 

 激しく息を切らしながらも、岸波はそこに立っていた。

 

「これを、止めるかよ」

 

 サーヴァント達も疲労困憊な様子だが、目立った傷はない。

 あの威力を宝具無しで凌ぎ切るか。

 

 やっぱりお前は凄いな、白野。

 

「いくよ――反撃開始だ!」

『うむ、ここからは余の独壇場である!』

 

 力強く、走り出す彼女達に。

 再び銃を向ける。

 

 それじゃあ、二発目といこうか。

 

「再装填、完了。ファイア」

『大罪の徹甲弾』

 

「―――は?」

 

 銃声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 音が、死んでいる。

 僕はコートに付いた粉塵を払い、緩やかに歩みを進めた。

 

 岸波も、竜司達も、ペルソナも、サーヴァントも。

 誰一人として動くものはいない。

 命に別状はないけどね。

 

 それにしても驚いた。

 岸波は僕の切り札を無傷で凌ぎ切るし。竜司達も、ペルソナが覚醒してないと思えない強さだった。

 まともに連携されていたら、もっと手こずっただろう。

 

 ほう、と安堵の溜息をつく。

 彼女の率いる怪盗団ならば、この先もきっと乗り越えられる。

 そう信じられる強さ……いや、絆だった。

 

 先のセイバーの言葉を借りるなら。

 強いだけの僕ではなく、美しい絆を持った岸波ならば、きっと全てを救えるはずだ。

 

 得るものが無い戦いだと思ってたけど。

 怪盗団の未来に確信を持てたのは、良かったかな。

 

 心配してくれてありがとう。

 僕の為に泣いてくれてありがとう。

 その気持ちだけで、悪人にはもったいない位だ。

 

 僕には、願う資格すらないのかもしれないけど。

 この世界では幸せになってくれよ、怪盗団。

 ……それじゃあな。

 

 僕は岸波の傍らに落ちている、スマートフォンに手を伸ばした。

 

 

 

『ライダー』

『あいよ!』

 

 

 

 背後からの銃声に飛び退いた。

 

 銃弾を避けて、後ろを振り返る。

 

 銃を向けているのは、顔に大きな傷を持つ、赤いコートを着た美女。その隣には、僕に似た紫髪の少年が佇んでいる。

 

 見覚えのある顔に、目を細めた。

 

「間桐シンジ。……どういうつもり?」

『ハッ、分からないのかい? 僕はアイツ側につくってコトだよ』

 

 シンジは両手を広げ、嘲笑う。

 

 パレスの認知存在まで味方につけたのか。どんな求心力だよ。これは流石に予想外だ。

 しかも、太陽を落とした女――ライダーまでいる。

 

 フランシス・ドレイク。

 あらゆる不可能を不可能のまま可能に変えてしまう、なんて訳の分からないスキルを持った女海賊。

 

 ジャイアント・キリングを当然のように行う。

 一筋縄では行かない、厄介が過ぎる。

 

 警戒する僕を、シンジは見下す。

 

『ま、それよりも。僕だけを気にしてていいのかい? アイツらは蛇なんかより遥かにしつこいぜ?』

「……いや、まさか」

 

 否定の言葉が出かけた時。

 

 

 

『これぞ、九重……天照らす―――』

 

 

 

 あってはならない、声がした。

 振り向くが、遅い。

 

『―――水天日光天照、八野鎮石ィ!』

 

 苦しい胸を抑え、肺を絞り切るように叫んだキャスターの、手にある鏡から。

 

 虹色の雫が滴り落ちた。

 



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第16話

 

 紅い波紋が広がる。

 それを追う様に床に亀裂が走り、魔力が吹き出し、荒れ狂う。

 

 鏡の神宝が宙を舞い、魂と生命力を溢れんばかりに満たしていく。常世の理を遮断する鳥居を展開し、魔力が無限に生み出される。

 

「これは……」

「……助かったわ、白野」

 

 一人、また一人と怪盗団が立ち上がる。

 

 味方の回復と補給を同時に行う宝具。

 通常の聖杯戦争では真価を発揮できない鏡は、今この場に置いて、その力を存分に奮っていた。

 

「理不尽な宝具だな」

『貴方に言われたくないんですが!?』

 

 キャスターが心外極まりないと叫んだ。

 

 抗議の声を聞き流し、再びサタナエルを召喚する。

 

 優れた戦術眼を持つ岸波に加えて、分析が得意な双葉が戦線に復帰したならば、下手なペルソナでは容易く攻略されるだろう。

 

 サタナエルは全属性に耐性を持っているペルソナ。物理にも魔法にも強く、多属性を扱う怪盗団に対して有効だ。

 弱点がないペルソナは他にもいるが、耐性が無い属性を看破されれば、そこを起点に崩されるかもしれない。サタナエル以外はあまり長く出さない方が良いか。

 

 次の手を考えていると、シンジが体勢を立て直した怪盗団に声をかける。

 

『さて、お前ら。まだ戦えるよな?』

「当っ然! あたし達はまだやれるわ!」

「そうね。ここで倒れる訳にはいかないもの」

 

 サタナエルに鋭い視線を向けながら、杏と真が力強く頷く。

 シンジは怪盗団を見渡して、凛然と言い放った。

 

『君達があまりにも不甲斐ないからサ、手伝ってあげるよ。大サービスだぜ? 僕とライダーがいたら、君達の出番が無くなっちゃうと思うけど。ま、そこは必要経費として―――』

「味方してくれるのは嬉しいけど、鍵の件は後で話そうね」

『…………』

「おぅコラ黙ってんじゃねェよ」

「春さん!?」

 

 春の言語機能が崩壊していた。

 

「春がスケバンキャラになってる!? 最近はゲームですら滅多に見ないのにっ」

「落ち着け春、流石に今は駄目だ!」

「フ、フフ、フフフフフ」

「やばいぞこれ、相当怒ってる! 間桐シンジ、今すぐ謝らないと協力どころじゃねえぞッ」

『……………………』

「なんでそこで意地を貼る!?」

 

 ……なんだよこの緊張感の無さは。

 

 一気に弛緩した空気が流れる。戦闘中とは思えない、朗らかで、どこか懐かしい雰囲気に眉を潜めた。

 

 虚勢や空元気って訳では無いな。要らない力が抜けて、自然な姿になっている。

 これが怪盗団のいつも通りの雰囲気なのだろう。良い意味で余裕が生まれている。

 

 彼らが緩んだ隙を突きたいところだったが、キャスターの宝具が発動した瞬間から、アーチャーが弓の標準を此方に合わせていた。迂闊に動けない。

 

 これは、―――流れを持っていかれたか。

 

 キャスターがいる限り、消耗戦では勝ち目が薄い。

 力押しで強引に勝負を決めてしまいたかったが、ライダーの参戦によりサタナエルが打倒される可能性が生まれたため、良い手段では無いだろう。

 

 どうするか。一手でひっくり返された状況に、思わずため息をつく。

 全滅からの復活ってだけでも面倒なのに。

 

 僕の手札を把握して。

 いつもの調子を取り戻し。

 勝利に必要なピースを揃えてきた。

 

 ここまで来ると、単に運が良いってだけでは説明がつかない。

 訪れたチャンスを、決して逃さず掴み取る力。諦めの悪さ。並外れた反逆の意志が、怪盗団の強さの根底か。

 

「ヒートライザ」

 

 全能力強化のスキルを唱える。

 手を静かに握り、強化される感覚を馴染ませる。

 

 集中しろ。研ぎ澄ませ。

 息を深く吐いて、戦闘に潜るように没入する。

 

 ここが、正念場だ。

 

「プロレスはこの辺にしとこっか。―――来るよ」

 

 強化された脚が、地を蹴った。

 アーチャーが剣を投影する。進路上に射られる剣を大きく避けつつ、仮面に手を置く。

 

 岸波が即座に反応し、指示を飛ばした。

 

「すぐに集合して魔法攻撃準備。メギドラオンが来るッ、相殺するよ!」 

 

 岸波が言い切る前に怪盗団は動いた。各自が移動しながらスキルを準備し、魔力が濃度を増していく。

 強大な悪魔に匹敵するエネルギーが収束して形を成す、その前に。無情にも、破壊をもたらす白い波は放たれた。

 

「間に合わないッ」

『―――世話が焼けるなぁ。行くよ、ライダー!』

『あれが神を打倒した悪魔の王かい。いいねぇ、相手にとって不足は無いよ!』

 

 ライダーが背後に砲台を召喚し、連射する。砲弾の雨はわずかに波を押し留め、飲まれる。それで十分だった。

 

 怪盗団のペルソナがぶっ放す、踊る、威を示す、蹴散らす、駆ける、干渉する、惑わす。一斉に放たれたスキルはメギドラオンとぶつかり合い、せめぎ合って、彼らを守る。干渉し合う魔法は互いに譲ることなく消滅した。

 

 距離をつめる。僕が攻撃可能な間合いまで走る。飛来する剣を弾き、岸波に銃を向け。

 セイバーの横薙ぎがそれを阻んだ。

 

『貴様の相手は余だ』

 

 セイバーが剣を振るうと、火炎を纏った斬撃が飛ぶ。剣を避けても炎と衝撃波は避けきれない。ステッキで受け止めれば一瞬で焼き切れる程の熱量。空間が揺らぎ、炎が肌を焦がしていく。

 

 絶え間ない剣戟が続く。銃の距離まで離そうにも、潤沢な魔力から繰り出されるアーチャーの剣がその隙を与えてくれない。

 

 サタナエルはライダーと怪盗団に抑えられている。埒が明かない。

 攻めに転じようとステッキを強く振る。その瞬間、岸波の目が鋭く光った。

 

「半歩下がって。―――そこ」

 

 完全に、読み切られていた。

 セイバーは薄皮一枚で突きを躱し、僕の右肩を穿つ。灼熱の痛みが腕を走り、思わず舌打った。

 

「サタナエル!」

「―――薙ぎ払いだ。物理・銃撃スキル持ちは用意してっ。竜司の右斜め上に、3秒後に発動するよッ」

「あいさー!」

 

 巨体の腕が薙ぎ払われる。単純な質量の暴力。仕切り直しを謀ったこの一撃は、岸波の読みと怪盗団の対応により弾かれる。

 

『焦ったね? こいつを食らいなぁ!』

 

 ライダーの召喚したカルバリン砲が火を噴き、サタナエルの体勢を崩す( C R I T I C A L )

 その機を逃さず、怪盗団は魔法の嵐を放った。

 

 セイバーの流麗な剣技が僕にペルソナチェンジを許さず、直撃を受ける。大したダメージでは無いが、確実に消耗していく。

 迫る剣を上に弾き、左手を傷口に当てる。光る文字が肩に刻まれ、徐々に傷が治っていった。

 

 アーチャーが眉をひそめる。

 

『ルーン魔術か。ペルソナといい魔術といい、あまりにも手札が多いな。マスター、キャスターの宝具が切れる前に決着をつけるべきだ』

「……うん。アーチャー、宝具開放をお願い」

『了解した。―――体は剣でできている』

 

 詠唱が紡がれる。キャスターの生み出す魔力がアーチャーに注がれ、凄まじい勢いで消費されていく。肌が粟立つような悪寒に、駆け出そうとして。

 

「右」

『させぬ』

 

 鋭い剣線に足が止まる。岸波の目が僕を捕らえて離さない。

 止められない詠唱。読まれる動き。何をしても無駄であるような感覚。遅効性の毒のように、徐々に手の打ちようが無くなっていく。

 

 人の動きをここまで読み切れるものなのか。未来を見ていると言われても信じてしまえる程に、正確無比な予測は、まともに攻めさせてもらえない。

 

 サタナエルもライダーと怪盗団に抑えられている。どうしようもない、か。

 

『その体は、きっと剣でできていた』

 

 詠唱が完成する。

 宝具が展開し、景色が一変した。

 

 

 

無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)

 

 

 

 ―――そこは無数の剣が大地に突き立つ荒野だった。

 

 燃え盛る炎と浮かぶ歯車が世界を鈍く彩る。

 生命の気配を感じられないこの場所は、戦いを刻み続けた心が創り出した戦場だった。

 

 感触の違う地面を足で叩き、参ったと言わんばかりに笑う。

 

「サーヴァントの同時運用に、未来視レベルの先読み、挙句の果てに宝具の連続使用? ……反則も良い所だ」

「あなた相手に、なりふり構っていられる余裕なんて無いよ」

 

 岸波も笑い、手をこちらに向ける。

 

「勝つよ」

『ああ。―――無限の剣製、貴様に受け切れるか?』

 

 アーチャーの言葉と共に、僕の周りに無数の剣が展開される。隙間なく埋まる空間を見て、体の力が抜けた。

 

 どうやら、覚悟が足りないのは僕の方だったらしい。何もかも捨てて戦わなければ、敵わない。

 

「使いたく、なかったなぁ」

 

 剣が僕に発射される。間近に迫る凶器を前に、冷めた思考で懐に手を入れ、魔術による身体強化を行った。

 

 音速を、超える。

 

「―――ッツ!? アーチャー上ッ」

『なっ!?』

 

 銃弾の雨をアーチャーが弾く。

 しかし彼らの視線の先に僕の姿は無く。

 

 その手は既に、キャスターの胸を貫いていた。

 

『……貴方、本当に人間ですか?』

「残念、シャドウだ」

『そうでした……ごほっ、紙耐久な自分を恨みます……』

 

 そう言って、キャスターは光の粒子となって消えた。

 

『なんだ―――今の動きは!? 魔術で強化したのは分かる、だが個人の魔力でこれほどの出力が出るはずがない!』

 

 驚愕を隠し切れないアーチャーを横目に、シンジが舌打ちをする。

 

『聖杯だ。あいつ、聖杯を魔力リソースにして、身体強化に全振りしてるんだよ』

 

 シンジの言葉に岸波は目を見開いた。

 

 そう、やったことは単純。聖杯の膨大な魔力を使って身体強化を行っただけだ。ただその次元が桁違いなだけ。自身の崩壊を厭わずに魔力を注ぎ込めば、この程度の速度は出せる。

 

 忌々しい聖杯に頼ることになるのは忸怩たる思いがあった。

 そんなちっぽけなプライドを抱えて勝てる相手では無かった。

 

 言葉にできない負の感情を息と共に吐き出す。

 魔術の負荷で垂れる血を拭い、ステッキを右手に握りしめた。

 

「白野、私たちも加勢をッ」

「君たちは参加させない。メギドラオン―――」

「ふっふー、そう何度も通用しな……っ、みんな、防御して!」

「―――追加でマハエイガオン」

 

 駆け出そうとする真を強引に押し込める。

 切迫した双葉の声。重なるように更なるスキルを唱えた。

 

 聖杯を使うならば、魔力消費を考える必要がない。ただスキルを連打する。単純だからこそ、無視できない脅威となる。それがサタナエルであれば、尚更に突破は難しい。

 

 絶え間ない波状攻撃で怪盗団とライダーを封じ込め、アーチャーへと走る。

 全方位から襲い来る剣を武器で弾き、銃で逸らし、前をこじ開けて進む。

 

 動きを読まれても構わない。対応される前に動けばいい。対応を見てから動けばいい。

 誰にもとらえられない速度で動く。先読みで対応されたならば、それに合わせてカウンターを行う。強化された反射神経と思考速度は、その馬鹿げた行為を可能とした。

 

 激しさを増す剣光を掠めながら回避して、

 

『壊れた幻想』

 

 爆発する剣に吹き飛ばされる。

 込み上げてきた血を吐くが、足は止めない。理解など後で良い。

 体の崩壊を厭わずに接近する。

 

『赤原猟っ、間に合わんか!』

 

 アーチャーが弓と矢を消し、両手に双剣を投影する。

 剣の雨を縫って突き出した一撃は、二振りの短剣に容易く受け止められた。

 

 右手で鍔迫り合ったまま、左手で銃を抜き、アーチャーに銃口を押し付ける。

 

『ぐっ―――』

「セイバー!」

『任せよ! 花散る天幕(ロサ・イクトゥス)

 

 セイバーの剣が舞う。

 深紅の刃から噴き出る炎を推進力に、美しい軌跡を描く。僕を仕留めるためというよりは、機先を制するための技。避けられることを前提に、アーチャーを助けようとする一撃を。

 

 ステッキを手放し、右手を犠牲にして止める。

 

『こやつ、余の剣を避けもせぬか―――!?』

 

 アーチャーの心臓を、零距離で打ち抜いた。

 

『がはっ……』

 

 血を吐いたアーチャーは、膝から崩れ落ちる。それをきっかけにして、剣の世界が崩壊していく。

 その最中、硝煙の匂いが残る銃をセイバーに向けた。

 

 セイバーが避けようとするが、僕は右腕に力をこめて剣を離さない。

 

『抜けぬ……! 仕方あるまい!』

 

 絶対に逃がさない。

 

 剣を手放し横に飛ぶセイバー。それを左腕だけで後を追い、銃身が砕ける程の魔力を込めて、弾丸を放つ。

 破裂音が響く。強烈な反動に壊れた銃から、閃光が走り―――セイバーの胸を貫いた。

 

『……すまぬ、奏者よ。期待に、応えられなかった……』

 

 景色が見慣れた牢獄に戻ると共に、サーヴァント達も消えていく。

 

「そん、な」

 

 愕然と立ち尽くす岸波から目をそらし、癒しのルーンを体に刻んだ。

 

「聖杯を使い、右手と銃を犠牲にして、ようやくか」

 

 まぁ、死ななかっただけマシか。

 

 この戦闘中に完治はできないだろう。僕の拙い術式では聖杯の魔力に耐えきれない。単純に体を強化するのとは訳が違う、精々が失血死を防ぐ程度だ。

 シャドウが失血死するのかは、知らないけれど。どちらにせよ僕自身が戦闘を行うのは難しくなった。

 

 重たい体を引きずって、サタナエルを見上げる。

 

「でも、今度こそ。これで終わりだ」

 

 怪盗団とライダーは未だに終わらないスキルの連撃を凌いでいる。時に躱し、時に耐え、時に相殺して耐え忍ぶ。それだけでも驚異的な粘りであるのに、間隙を縫って反撃をしているのは本当に驚いた。

 

 サタナエルを倒すには火力が足りてないのが救いだが、彼らが敵に回るとこれほどまでに厄介だとは。おかげでサーヴァントと戦うのにペルソナが使えない、なんてハードモードを強いられる羽目になった。

 

 無茶ぶりにも程がある。

 

「ペルソナチェンジ、ヴィシュヌ。チャージ」

「―――攻撃が緩んだっ。体勢を立て直すよ!」

 

 ペルソナを変えた瞬間、怪盗団は削られた体力を回復していく。

 

 冷めた思考でペルソナをサタナエルに戻し、壊れた銃をゆっくりと持ち上げる。

 聖杯の魔力を全て詰め込んで、極限まで威力を高めて。

 

 終わりの撃鉄を起こす。

 

「後は頼んだ、サタナエル」

 

「―――駄目ッ! 逃げてぇええええええ!!」

 

 岸波の叫びが牢獄に響き渡った。

 

『大罪の徹甲弾』

 

 衝撃波が体を打付ける。

 

 三度目の銃弾、されどその威力は先程と比較にならない。

 螺旋回転する銃弾が空間を切り裂いていく。

 

 シンジが咄嗟に声を張り上げた。

 

『打ち勝てッ! ライダァアア!』

『無茶いうねぇ、シンジ! だが―――燃えるじゃないのさ! ここが命の張りどころ、野郎共、気合い入れなッ!』

 

黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)

 

 無数の船が宙に浮かぶ。

 フランシス・ドレイクが生前に指揮していた船団が展開され、一斉砲撃がサタナエルへ集中する。

 

 暴風雨のような砲撃、圧倒的な火力。されど、大罪の込められた銃弾には届かない。

 

 わずかに拮抗し、少しずつ押し負けて―――

 

 

 

「今のままじゃ、足りねぇ」

 

 

 

 モルガナが呟く。

 

「ワガハイたちの力では、あの銃弾は砕けない。ただ強力だからってだけじゃない。あれには奴の諦観が、憤怒が、憎悪が、絶望が、込められているからだ。雨宮蓮が途方もない時間、積み上げてきた激情が、『大罪の徹甲弾』の正体。生半可な意思じゃ、あれを打ち破ることはできないぜ」

 

「……だけどよ」

 

 竜司が地を踏みしめて、吠えた。

 

「それが諦める理由には、ならねぇよな」

 

 竜司の瞳が黄金色に光る。

 その心に呼応するように、ペルソナが白く輝いていく。

 

「ぶっ壊すのは得意だろ、キャプテン・キッド―――いや、セイテンタイセイ!」

 

 ペルソナの姿が変わる。より力強く、より洗練された姿に。竜司の意志に応えるように。

 

 反逆の意思は、繋がっていく。

 

「……そうだよね。ここで立ち止まるのは、違う。だって私達は白野の助けになるために、この場所にいるんだ。―――なら、今助けられなきゃいつ助けられるっていうの!? そうでしょ、ヘカーテ!」

 

 杏はサタナエルを睨みつけ、叫ぶ。

 

「諦観は、美しくない。ましてや『誰かのため』に命を懸け続けた雨宮蓮(キミ)の心が絶望で終わっていいはずがない。少なくとも俺は、お前のような人に希望を与えるために筆を取るんだ。―――光を描こう、カムスサノヲ」

 

 祐介が目を細め、ゆるりと笑った。

 

「膝を屈するわけにはいかない。……鈴井さんや金城の時、私ひとりじゃ何もできなかった。あんな思いは、もうたくさん。だからこそ私は、皆と一緒にどんな困難も乗り越える。乗り越えなくちゃいけないの。だから―――応えて、アナト!」

 

 真は力強く立ち上がる。

 

「自分を責める気持ちは、わたしも分かる。罪悪感に押し潰されて、自分が嫌いになっていくんだ。だからみんなが手を差し伸べてくれた時、ほんとーにうれしかった! わたしに似たあなたにも、この気持ちを分けてあげたい。そう思ったから、最後まであがき続けるんだ! ―――プロメテウス!」 

 

 双葉は胸に手を当て、目を見開く。

 

「お父様の命を救ってもらった恩を返す。他の誰でもない、私自身がそう決めたの。ここで諦めたら、その誓いが嘘になっちゃう。あの日の自分を裏切りたくはないわ。何よりも―――白野と惣治郎さんに約束したから。行くよ、アスタルテ」

 

 春は手を握りしめ、前に一歩踏み出した。

 

「皆、頼りになるぜ。―――雨宮蓮。お前の罪、ワガハイ達が頂いていく!」

 

 皆の覚悟を聞き、モルガナは拳を突き上げて。

 傍らに立つ進化したペルソナに、命じた。

 

 

 

「悪魔の王を退治しろ、メリクリウス!」

 

 

 

 言葉とともに、メリクリウスは飛び出した。

 他のペルソナも後に続いて、銃弾に真正面からぶつかっていく。一人加わるごとに銃弾は遅くなり、拮抗していく。

 

 皆必死で、死ぬ気で、全力で。

 命を燃やす彼らを見て、岸波の瞳が潤む。

 

「みん、な。……やっちゃえ、怪盗団―――!」

 

 涙を流す岸波の声援が、彼らの背中を押して。

 怪盗団のペルソナとライダーの宝具が、大罪の徹甲弾に罅を入れていった。

 

 血を流しすぎてぼんやりとする僕の視界を、少しずつ光が満たしていく。

 

 鉄の軋む音が聞こえる。銃弾の破片が皮膚を掠める。

 

 僕の心が、負ける。

 

「……ちくしょう」

 

 銃弾は砕け散り、サタナエルが光に包まれて―――

 

 

 

 

 ―――ああ。悔しいなぁ……

 

 



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最終話

 

 牢獄の天井は、暗い闇に覆われていた。

 石畳の冷たさを背中で味わいながら、ひとりごちる。

 

「負けた、のか」

 

 思考が現実に追いつくと、体の力が抜けていく。

 

 勝てなかった。それは、僕の歩いてきた永い道のりが、その程度でしかなかったってことだ。

 

 幾度も経験した敗北だ。自分が弱いってことは、分かっていたつもりだった。それでも、この敗北は堪える。

 

 僕が弱くて、何も守れなかったからこそ、この戦いは勝たなきゃいけなかったのに。

 

 自分に失望して大きなため息を吐くと、胸元から割れた音が聞こえた。

 懐に手を伸ばすと、杯の欠片が出てくる。

 

 聖杯が、割れていた。

 

「本当に、終わりなんだな」

『―――いいや、始まりだよ』

 

 掛けられた声の方に目を向けると、間桐シンジとライダーが僕を見下ろしていた。

 

『なんだ、その杯壊れちまったのかい? 祝杯の器代わりにいただこうかと思ってたんだけどねぇ』

「勘弁してくれ。というか何でここにいるんだよ」

『今まで散々僕の下手な物真似をしてくれたんだ。使用料を取り立てに来たのサ』

「……お前の仮面を被るんじゃなかった」

 

 懐かしい友人の言い草に頬が引きつる。

 相も変わらずめんどくさいというか、素直じゃない奴だ。

 

 恨めし気な目でシンジを見ていると、皮肉な笑みを浮かべて顎で促される。

 観念して体を起こす。僕の前に怪盗団が並んで、此方を見据えていた。

 

「まさかサタナエルを真っ向勝負で打ち破るなんてね。本当に、恐れ入ったよ」

 

 力のない笑みがこぼれる。

 僕の脱力した様子を見て、モルガナが意外そうに問いかけてきた。

 

「ずいぶん素直に負けを認めるんだな」

「僕の全てをかけた一撃が君達の想いに打ち破られるのを、目の当たりにしたんだ。もう抵抗する気も起きないよ」

 

 体も動かないし、と赤く染まった右腕を見てぼやく。

 

「勝てると思ったんだけどな。ずっと鍛えてきたし。まだ何か、足りなかったのかな」

「いや、足りなくないでしょ。むしろ理不尽もいいところだったからね!」

 

 いきり立つ杏を宥めて、春は優しい顔で微笑む。

 

「足りないんじゃない。色んな物を抱え込みすぎたんだよ。強い人だって、何もかもを一人でできるわけじゃない。全部を守れるわけじゃないわ」

「仲間がいたかどうか。それだけだ」

「……そっか」

 

 怪盗団に一人で挑んだ時点で、勝負はついていた、のか。

 

「集団リンチされたんだ、そりゃ勝てないよな」

「言い方ぁ! いや、事実だけど人聞きが悪すぎんだろ!」

 

 一人で九人と戦ったんだ。これぐらいの恨み言は許してほしい。

 

 疲れたようにぼやく僕に、真は苦笑して。

 

「けれど、もうあなたは独りじゃないわ。私たちがいるもの」

「そうだぞー! 頼まれたって離れてやらないからな!」

 

 真に、双葉に、皆に笑顔を向けられて、泣きたくなってきた。

 

 ずっとずっと、夢に見てきた光景。

 そうか。そうだったな。

 僕は、こんな景色が見たくて、戦い続けてきたんだった。

 

 涙が込み上げて、咄嗟に目を伏せる。

 足音が近づいて、動かない右手を優しく握られた。

 

 顔を上げると、岸波が僕の手を胸に当てていて。

 

「私の希望(せかい)をあなたに分けてあげる。だから、あなたの(せかい)を私に分けて?」

 

 こぼれるような笑みを前に、僕は悟った。

 

 ―――どうやら僕は、幸せになるしかないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月19日。

 まだ肌寒い春の日。僕は自室で暖かい茶を啜っていた。

 

 ―――心の怪盗団は統制の神を討ち滅ぼした。

 誰一人欠けることなく、世界を救ってみせたのだ。

 

 噂によれば、黄金の鎧を身にまとった青年が豪快に笑いながら、神を一方的に叩きのめしていたらしい。いったいどこの英雄王なんだ。見当もつかない。

 

 事件後も、救世主であるはずの白野が警察に出頭したり、釈放のために数多くの人が動いたりと、騒動には事欠かない。

 

 そんな話題の中心人物である白野はというと。

 

「あ゛ぁ゛ー。あったまるぅ……」

「おっさんみたいな声出すなよ」

 

 僕の部屋でのんべんだらりとくつろいでいた。

 

「いいよ、ここには蓮しかいないんだし」

「僕がいるから問題なんだよ。白野は自分が美少女だって自覚を持つべきだと思う」

「…………。こんな姿見られたら、もうお嫁に行けない。だから蓮を嫁にもらうね」

「照れ隠しでとち狂ったことを言うな」

「照れてないっ」

 

 褒められることに耐性が無さ過ぎる。

 頬を赤く染める白野がちょっと心配になっていると、彼女は大げさにため息をつく。

 

「ふてぶてしくなっちゃって。あの頃のいじりがいのあるワカメはどこに行っちゃったの?」

「知るか。お前が僕を変えたんだろ。責任取れよ」

「取るッ!!!」

「力強い」

 

 白野が敢然と立ちあがるのを見て、僕は思わず後退った。

 ちょっと男らしすぎると思うんですけど。

 

「というか明日、地元に帰るんだろ。準備や別れの挨拶は済んだのか?」

「当然。準備はもう終わっているし、別れの挨拶は午前中にしてきました。あとは蓮とイチャつくだけです」

 

 いや、そんな予定聞いてない。

 しばらく会えなくなるから、寂しいのだろうか。

 

 構ってほしそうにこちらを見てくる白野の姿に、僕は一つ頷く。

 

「よし。それじゃ、何か欲しいものあるか? 買ってやるよ」

「本当!? そ、そうだなぁー」

 

 白野は顎に手を当てて、うんうんと唸る。

 悩んだのち、白野がスッと人差し指を立てた。

 

「蓮の眼鏡が欲しい」

「えっ。……いやまあ、伊達だから構わないけど」

 

 眼鏡を手渡すと、白野は大事そうにカバンの中にしまった。

 ものすごい笑顔なのが怖い。

 

「ありがとう。でも、これだと蓮が困るよね。だから新しい眼鏡を私が買ってあげる!」

「伊達って言ってるだろ」

「どうせなら杏達と一緒に行こっか」

「あれ、聞こえてないのかな?」

 

 白野はスマホを取り出し、意気揚々と連絡を取り始めた。

 

 最近は竜司達がかなりの頻度で白野と僕に会いに来て、遊びに連れていかれる。

 

 何故かパレスの記憶が残っている僕は、彼等を無下に扱えず、抵抗を早々に諦めた。爺さんもノリノリで送り出すから、この件に関して味方は一人もいない。

 

 ……爺さんにも、迷惑をかけた。パレスが攻略された後、僕と顔を合わせただけで、何が起きたのか分かったらしい。涙ぐんで、何度も頷いていた。

 

 事情を説明し、謝罪と謝意を伝えたが、何も変わらずに接してくれている。もう頭が上がらないな。

 

 ぼうと考え事をしていると、連絡を終えた白野が、思い出したように言った。

 

「蓮はさ、四月から高校に行くんだったよね。何かやりたい事でもできたの?」

「ああ。……医者になりたいんだ」

 

 初耳、と白野が呟き、理由を聞いてくる。

 

 特別な理由があるわけではない。

 ただ、罪を犯してきた分、今度こそ人を救いたいなと思っただけだ。

 それに―――

 

「白野の記憶喪失も、僕が治してやるよ」

 

 僕の言葉に白野は目を丸くして、頬を緩めた。

 

「それなら、私は看護師になってあなたを助けるわ」

「へぇ、嬉しいね。精々扱き使ってやるよ」

「私があなたを?」

「お前今助けるって言ったよな!」

 

 逆に苦労させられそうなんだが!

 

「それと、協力してくれそうな医者に心当たりがあるから、声をかけてみるね」

「武見さんか。それは素直にありがたいな」

「……手を出したら、分かってるよね?」

「はい」

 

 そんなつもりは無いから、目にハイライトを入れてください。

 

 じとーと僕を見る白野に、頬が引きつる。

 何とも言えない空気が流れる。なんとなくおかしくなって、互いに吹きだした。

 

 皆がいて、夢を語って、笑いあって。

 そんな世界に僕が存在しても良いのかと、今でも思うけど。

 

 白野の幸せそうな顔を見て、なんかどうでもよくなった。

 

「あ、連絡が返ってきた。皆オッケーだって!」

「了解。行きますか」

 

 椅子から立ち上がり、バッグを持つ。

 

 この先に何があるのかは分からない。モルガナ曰く、白野も僕も“持ってる”らしいから、平坦な道のりではなさそうだ。

 それでも白野達がいるのなら、歩いていけるだろう。

 

 僕はもう、希望を貰ったのだから。

 

 大きく伸びをして、部屋を出ようとすると。

 

「蓮!」

「なんだ、白野―――」

 

 振り返ると、視界いっぱいに白野がいて。

 

 少しずつ、距離が縮まる。

 

 

 

 ―――唇の感触は、甘酸っぱいレモンの味がした。

 

 

 



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