ガンダム Gのレコンギスタ リベラシオン (かはす)
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邂逅
邂逅(1)


 

「海賊だってのか!」

 

 鳴り響く警告音(アラート)をかき消すように、グレイグ・ドットは怒鳴った。スクリーンの前で慌ただしくコン・パネを叩いている管制官の元へ向かうため床を蹴る。体はふわりと浮き、減速することなく一直線にシートまで飛んだ。

 

「観測係はそう言ってます! モビルスーツが、ドクロ頭をしているとか……!」

 

 シートごと振り向かせた管制官はひどく慌てた表情をしていて、それがよけいグレイグの癇に障った。

 

「ふざけやがって……」

「映像出します!」

 

 コン・パネに外部カメラの映像が映し出される。ミノフスキー粒子の干渉で粗くなった画像でも、見覚えないモビルスーツが三機、編隊を組んでクラウン(こちら)に向かっているのがわかる。グレイグは先頭の一機に目をやった。

 モビルスーツは確かにドクロのような顔をしていた。ホッケーマスクのようでもある。宇宙空間で目立つ黄色いボディは流線型で、レクテンやアメリア軍のグリモアとも異なるシルエットをしていた。グレイグは正体不明の機体がキャピタル・タワーに接近してくる理由というものを考え、ひとつの可能性を思いついた。

 

「おい! お前の仲間か!」

 

 振り向き、ドアの脇に座る少女に尋ねた。赤い髪の少女は反抗的な目を向けるだけで、答えようとはしない。身動き一つ取らないのは後ろ手に縛られているからだ。

 

「答えろ! お前を連れ戻しに来たんじゃないのか!」

「……ならここが真っ先に狙われるかもね」

 

 少女がぼそりとつぶやく。

 

「モビルスーツを出したほうがいいんじゃない?」

 

 不敵に笑う少女の頬をひっぱたきたい衝動に駆られたが、直後に入室してきた制服姿を見て踏みとどまった。

 

「どういう状況です? キャプテン」

「ドナ大尉! 海賊だ、さっさと迎撃に出ろ!」

 

 八つ当たりの意味も含めていつも以上に大きな声を出し、グレイグはドナ・サン・ゼッダに指示を出した。軍人らしいベリーショートの金髪が特徴的な女性だ。

 ドナは少女のシートに手を添えながらコン・パネをのぞき込み、状況を把握する。早く行け、というグレイグの命令には返答として敬礼をした彼女だが、そのまますぐ退出することはせずにかたわらの少女に話しかける。

 

「大丈夫よ。あなたはわたしたちが守る」

 

 シートから這うように動き、いま少女の肩を撫でた手は、子をあやす母親のように優しいものだった。少女の強張った肩も抵抗することなく身をゆだねている。

 ほんの少し、少女の肩が震えた気がした。

 

「やられないよう祈っていてね、自分のためにも」

 

 少女は何も言わず、首を縦に振っただけだった。

 

***

 

「レクテン三機、出ます!」

 

 管制官の報告のあと、クラウンが揺れた。最下部の無蓋クラウンからモビルスーツが離脱したのだ。足下から上ってきたモニター顔のモビルスーツ【レクテン】は、三機ともビームライフルとシールドを構えて海賊のマシーンに突進していった。

 バーニアの噴射が光の筋となって伸びていく。

 海賊機も加速をかけ、レクテンと衝突するまでに接近した先頭の一機がライフルを振り下ろす。

 正しい使い方ではない。だが銃身だけで数百キロになるその質量は、スピードも伴って圧倒的なハンマーに変貌する。とっさにレクテンはシールドを構えるが、銃身は吸い込まれるようにめりこむ。シールドは火花を上げながらひしゃげ、レクテンもそれを放棄せざるをえなかった。

 

「ングッ……!」

 

 コックピットに座るドナは呻いた。耳をつんざくほどの金属が擦れ会う音と、脳をわしづかみされて前後に揺さぶられたような衝撃は胃液を逆流させ、口の中に酸っぱいものが広がるのが分かった。

 相手は正規軍ではない。戦い方からそう感じたドナは、敵がどう動くか予測つかないことが怖いと感じた。

 

「キャピタル・タワーを破壊することはやってはいけないのだから、ビームライフルを撃つとは思えない……が、海賊にタブーはあるのか!?」

 

 そうひとりごちるだけだ。それでもケーブルを傷つけるようなことがあってはならないために、まずはキャピタル・タワーから距離を置かないといけない。フットレバーを踏み込む。上方向にレクテンを加速させた。

 

「距離を取れば戦えるか!」

 

 下になった海賊マシーンにビームライフルを連射する。キャピタル・タワーを背にすればビームが当たることはないために、有利な状況である。緑色の光線は槍のように直線上に伸びていったが、それが海賊機に当たることはなかった。

 敵も味方も動いている。まぐれ当たりは期待できない。

 海賊のマシーンは体勢を立て直し、バックパックから短いグリップを抜き出した。棒状のビームを発振させたそれは一般的なビームサーベルではなく、作業用のビームトーチだ。キャピタル・テリトリィでも破断・溶接作業に使われるものである。

 ドナもコンソール上の武器スロットルから「サーベル」の項目を選択する。レクテンはそのコマンドに従ってビームサーベルを抜き、発振させる。

 複雑な動作が必要になるモビルスーツの操縦は、ある程度プログラミング化されている。瞬間的な判断を迫られるパイロットにとって、操作でもたつく一瞬のスキが命取りになることがあるためだ。誤動作による事故を防ぐ意味でもこの時代(リギルドセンチュリー)のモビルスーツは特にオートメーション化が進んでいた。

 もちろんマニュアル操作がないわけではない。あらゆる状況を想定し、その都度必要な対策が取られるようでなければ、機械仕掛けのものは怖い。

 トーチを振りかぶりながら加速をかけてくる海賊機。ドナは自機の胸元でサーベルを構え、敵の斬撃に対抗する。

 ビーム同士――その周囲に発生しているミノフスキー・フィールド――が干渉し合い、プラズマを発生させながら揺らぎあってお互いを打ち消した。まばゆいスパークの向こうで敵機の胴体がガラ空きになったのが見え、ドナは右のコントロール・レバーのトリガーを引いた。レクテンの右手から放たれたビームが敵の左肩をかすめた。だがそれで敵の勢いが殺がれることはない。敵機はこちらに突撃してきて、視界いっぱいにドクロ頭が広がる。

 

「グッ……!」

 

 気押されて対応が遅れた。距離を取ろうとする前に敵の間合いに入ってしまった。ビームトーチの真っ赤な光が、明らかな殺意を伴ったウェーブとなってレクテンの左腕を切り落とす。

 コックピット全体を揺さぶられているような衝撃がドナを襲う。意識しなければ胃袋の中のものが出てきそうな感覚が気持ち悪い。喉までこみあげてきた不快感を無理矢理呑み込み、目だけは敵機からそらすまいと開け続けた。

 

「……この……黄色いドクロがぁー!」

 

 残った右腕に構えているビームライフルを、眼前にある敵機の頭に突き刺す。銃身はホッケーマスクを凹ませ、変形したライフルは爆発した。体勢を崩した敵機から距離を取るためにフットレバーを踏み込み、再度機体を上昇させる。真下になった海賊マシーンはこちらを追うことなく、味方と合流するために後退した。

 先ほどよりは控えめな衝撃がコックピットを揺さぶる。機体になにかがぶつかったようだ。なにごとか思う前に「隊長!」と叫ぶ接触回線が入った。

 右後ろに別のレクテンが映っている。部下のひとり、アレクセイ伍長の機体であった。

 

「ご無事ですか」

「ああ……問題はない。……取り付かれてしまったか……」

 

 クラウンを見つめる。真ん中のクラウンはコンテナなどを積んだ貨物クラウンになっている。今そこには、先ほどまで戦闘していたのとは別の海賊機が取り付いていた。こうなってはもはや手出しが出来ない。キャピタル・タワーに傷をつけることは絶対的なタブーであった。

 

「フォトン・バッテリーを渡せば、これ以上の攻撃はしないとの通信が入っています」

「なめられたもの……」

 

 ドナ達モビルスーツ隊は静観するしかない。余計な動きは海賊を刺激することになり、今はクラウンを人質に取られているも同然だからだ。

 

「あいつら……どこのもんでしょうね」

 

 アレクセイが口を開く。

 

「アメリアじゃないわね。ゴンドワン……でもなさそう。あれ、作業用を改造したものよ。ほんとの海賊かしら」

「やめてくださいよ。あんなん増えたら、やってられませんぜ」

「あ……待って」

 

 運転席から光が放たれた。ミノフスキー粒子により通信が途絶された状況では有用な光信号だ。「上空から接近するものあり」という内容が、光の点滅により示された。

 

「上……!?」

 

 アレクセイが戸惑いながらつぶやく。ドナもケーブルの先を見上げた。

 なにかが降りてくるのが見えた。

 

***

 

「今度はなんだってんだ!」

 

 運転室で観測した限り、それがモビルスーツであることは確かであった。だがそのフォルムは明らかに海賊機と異なっている。当然レクテンでもない。次第に大きくなってくるその外観はあからさまに洗練されていた。

 一見すると冗談にすら思える、モビルスーツ大ほどの翼。それがスラスターの機能を有しているらしいことがわかれば、今度は頭部に目線が移った。鬼のそれを想起させる二本角に、あからさまに人間を模した一対の眼。記号めいた特徴を堂々と誇示しているようなそのモビルスーツは、グレイグにある単語を想定させた。

 

「G系か……!?」

 

 薔薇の設計図に記された機体の中でも、さらに高性能なモビルスーツのカテゴリーをそう呼ぶことは知っていた。キャピタル・アーミィも以前、G系の機種を鹵獲したことがあり、それをもとに開発された試作機のテスト記録を読んだことがあるためだ。

 接近してくる機体はまさにそのカテゴリーだと感じた。だが今の彼にしてみれば、その機体がなんであるかはどうでもよかった。現状の問題はそれが敵であるのか味方であるのかということで、後者である可能性は限りなく低いことだった。

 G系は運転席をのぞき込むように降りてきた。人の目をそのまま模したようなツイン・アイが鈍い光を放つ。グレイグも管制官も、少女ですらもその冷たい光にすくんだ。その目は何かを探しているように、クラウンの中をじっと見つめ続けていた。

 誰も動けなかった。その機体が並のモビルスーツではないと推定されることから、迂闊な行動はクラウンを危険に晒すだけだと皆が判断していた。

 どれくらいの時間それが続いていたのか、グレイグにはわからない。だがG系は結局何もせず、すっとクラウンから離れていった。

 G系は天使か悪魔のような翼を大きく開きながら、吸い込まれるようにまっすぐ眼下の地球へ降りていった。

 スラスターの青白い帯だけが、クラウンの真下に伸びていった。



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邂逅(2)

 

 ノォト・リムは憤っていた。世間が休日のなか、そんなことは関係なしに仕事をするつもりで出勤してきたのだから、それが今になって取り消されるのは面白くない。キャンセルを言い渡された理由を問いただすため、事務所の最奥にある執務室に向かった。鉄筋コンクリートで出来た建屋はあちらこちらにヒビが入り、廊下中に黴臭さを漂わせている。

 

「どういうことです!」

 

 まだ十代らしい張りのある声は、ドアを開ける音よりも強く部屋中に響いた。ずっしりと革張りのソファに沈んでいるアダムスはぎょっとした顔を見せたものの、咥えた葉巻を落とすことはしなかった。

 三十代で独立して以来、創業二十数年。一代で食料品からフォトンバッテリーまで幅広く取り扱う運送会社「バラクーダ運輸」を築き上げた男は、でっぷりとソファに埋もれたままの姿勢で、入室してきたノォトをただ観察している。

 短髪茶色のいがぐり頭があどけなさを演出しているような少年ノォトは、つかつかとアダムスの前まで歩み寄って葉巻を奪った。消し方がわからないこともあって灰皿に押しつける。

 さすがにアダムスは身を乗り出し、ノォトを睨みつけた。

 

「ニュース見てないのかよ。貨物クラウンが海賊に襲われて、今日運ぶ予定だったフォトンバッテリーをごっそり獲られちまった。お前の仕事はないよ」

「それじゃ困るんです。給金もらえないと、今月の家賃が……」

 

 ノォトも負けじと鋭い目つきで見下ろす。だがその顔は困惑の色を隠しきれてはいられなかった。アダムスは目をそらし、深いため息をひとつ吐いた。

 

「仕事はまたある。たまの休みを貰えたと思ってゆっくりしてりゃいいだろ」

「待機してます。急な仕事が入るかもしれないでしょ」

「週末だぜ? 世間一般の連中と同じように、祭でも行ってこいよ。さあ、もういいだろ。お前とちがっておれは忙しいんだ」

 

 ほんとうに邪魔者扱いしていることが、追い払おうと大きく振られた手の動きからも見て取れる。それ以上話すことはないとでも言うように、アダムスは書類に目を落とした。もはや取り付く島もないと落胆したノォトは黙って頭だけ下げ、執務室を後にした。

 

「どうだった?」 

 

 二ヶ月前に新しく雇われたばかりの受付嬢を口説いていたイブラヒムが、頬杖をついた恰好のまま、顔だけ動かして尋ねてきた。声色と表情がにやにやしているのはいつものことだ。残念な結果と残念な同僚にがっかりしながら、ノォトはため息をついて返事の代わりとした。

 

「残念だったな」

 

 言葉とは裏腹にさほどがっかりした様子もない。ノォトにしてみても予想通り過ぎる反応で、特段驚くこともなかった。この男にしてみれば、ありがたい特別休暇が増えたというだけのことなのだ。

 イブラヒムは年齢だけで言うならノォトの倍は生きているのだが、入社した時期が近いこともあってほとんど対等の関係だった。女とギャンブル、モビルスーツが好きな独身貴族の中年は、ともすれば自分より精神年齢が若いのではないかとノォトは思っていた。

 

「……おれは帰るよ。じゃあな」

 

 イブラヒムの方を見ずにそう言って、ノォトは自分のボディバッグを担いだ。

 嫌そうな顔を取り繕おうともしない女の子が助け船を求める視線を向けていたが、それを無視してノォトは事務所を出た。

 イブラヒムは何も言わなかった。

 表まで出て、ゴウという音に振り向く。雨風に曝され続け、あちこちに錆が見え出している「バラクダ運送」の看板の向こうに、キャピタル・タワーのケーブルを昇るクラウンの編成が見えた。空は腹も立たないくらい清々しい晴天だった。

 

***

 

 キャピタル・タワーを備える世界の中心、キャピタル・テリトリィ。この町も今日は週末祭の準備で朝から賑やかしい。その名の通り週末に慰労の意味を込めて開かれる祭りは、この町の観光名物でもある。人々は昨日までの激務を忘れるため、明日からの日常を頑張るために狂乱の宴を繰り広げる。そのための飾り付けや屋台の設置などがそこかしこで行われている。

 そんな喧噪とは関係なく、ノォトはひとり町をぶらついていた。

 キャピタル・タワーの中継ポイントであるスペースコロニー、ナット。全百四十四個あるナットの、地球側から数えて六十五番目となる「ベルガモ」生まれのノォトにとって、地球に住む人たちというのはどこかコンプレックスを抱く存在だった。同じキャピタル・テリトリィとは言っても生まれ故郷はもっと生活に疲れた空気が漂っていて、この町のように活気などはない。ずっとナット育ちだったノォトは、自分の体にあの町のくすんだ空気が染みついてしまっているような気がして、ここでは自分が不純物のように感じられた。

 普通なら学校に通っている年頃であったが、金銭的な理由で進学は諦めざるを得なかった。それでも地球で見つけた今の仕事は割が良く、実家からの支援もなしにどうにか働けている。初めは子どもだからと馬鹿にされたり苛められたりもしたが、三年も働けば職場にも打ち解けられるし、自分の業務に対してそれなりに誇りを持てるようになっていた。それにボロアパートとはいえ自分の給料だけで借りられ続けているのだから、どうにか生活できているという実感がある。

 昼も夜もなく働く人間にとって、日々の営みなどは感じる余裕もない。そんなノォトだから、週末祭にはさしたる興味はなかった。

 なにか時間をつぶす場所を探しているときだった。

 

「離して!」

 

 極彩色の民族衣装に身を包んだ若い女性が、チンピラらしき痩せぎすの男に腕を掴まれている。相棒らしきもう一人の太った男はなにも手を出さず、昼間だというのに酒を飲みながらにやにやと成り行きを見つめていた。周りの人間は無関係、無関心を装いながら、目だけ動かして野次馬根性を滲ませている。誰も関わろうとはしない。

 どこにでもある光景。それがノォトの感想だった。故郷で何度も同じような場面に出くわしてきた。そんなときどうすれば良いのかも十分に教わってきた。

 他人のことを気にする余裕などないのだ。みな、自分の事で精一杯なのだ。

 女性と目が合った。すぐに痩せぎすの体に遮られ、見えなくなった。

 ノォトは地面を蹴った。

 

「ァガッ!」

 

 痩せぎすが鼻血を噴きながら吹っ飛ぶ。体勢を崩した女性はよろけ、ノォトは殴ったのと反対の手で腰を支えた。

 人肌の生ぬるさと、衣装のジャラジャラした飾りが放つひんやりした感覚の両方が腕から全身に伝わった。

 

「あ……あり……がとう」

「てめえ!」

 

 太った男がにやにや顔をやめてノォトに殴りかかる。女性の腰を離し、追っ払いながらノォトは男に向かっていく。向こうが拳を振り下ろす前に、股間へ前蹴りを食らわせた。

 蛙が潰れたような声を上げ、男は股間を押さえながらその場にうずくまる。丸まった背中はうめき声を漏らしている。さすがに息の乱れたノォトは女性のほうを振り向くと、「早く行けよ!」と叫んだ。女は動転しながらも頭を下げ、その場から走り去っていった。

 桃色のポニーテールが左右に触れながら小さくなっていくのを、数秒の間見つめていた。ノォトは心の中、ひそかに安堵した。

 

「お前……関係ねえだろ……!」

 

 うめき声といっしょに、やせぎすが声を絞り出して言った。

 

「他人にそんなことしたって……何の得もねえだろ……!」

 

 太った方も体勢を変えないまま、ぜえぜえ息を吐きながらつぶやく。ダンゴムシがそのまま大きくなったらこんなものかもしれない、とノォトは不意に思った。

 

「関係ねえよ。ねえけど、目が合っちゃったんだ。なら助けるしかないだろ」

「カッコいいね……けど、そんな強がり言ってらんないでしょ。そんな余裕、いまになくなっちゃうよ……」

「……みんな自分のことで精一杯だものな。だけど、一人じゃ生きられねえんだ。助け合わなきゃ生きてけないんだから、あんたらもヘンなことすんなよ」

 

 ふたりはそれ以上なにも言わなかった。ために、ノォトもそれ以上言葉を続けようとはしなかった。

 伸びていたチンピラどもはその後、体力が回復するのを待って警察が来る前にそそくさとその場から逃げていった。

 ノォトは野次馬どもの視線から逃れたくて少し離れた路地まで歩き、一息つきながら女性のことを思い出していた。より正確に言うなら、彼女の「目」を。

 宝石のようだった。放たれた光を自身の中で反射させ、輝きとして放つオパールのような。透き通るように真っ青な目は一瞬でノォトの脳裏に強く焼き付き、今なお離れなかった。

 ふと、オパールなんて何で知っているのかと我ながら驚いた。昔雑誌で見たことがあるんだったかと思い出して、なんでそんなものを見たことがあるのかと訝しんだ。

 しばらく考えた後で同僚に見せられたせいだと気付いたとき、

 

「よう、ノォト」

 

 まさにその同僚、イブラヒムが声をかけてきた。

 独りでいるところを見るまでもなく、ナンパには失敗したのだろう。

 

「さみしいなあ。ひとりでお茶してるなんて」

「そんなヤツに声かける、あんたこそさみしいだろ」

「言えてる」

 

 皮肉を言ったつもりだが、イブラヒムはへらへらした表情を崩さない。いつも通りの態度に見えたが、気のせいかすこし肩を落としているような気がする。彼の様子にいつもと違うなにかを感じた。

 

「突発で仕事だとよ。良かったな」

「いつ」

「今から」

「今!?」

 

 突発にしても急すぎる。運ぶ予定だったフォトンバッテリーは無いはずなのに。

 いつのまにかイブラヒムの顔から表情が消えていた。

 

「軍からの依頼でな。急遽運んでほしいブツがあるんだとよ。そんで空いてるのがおれたちだから、それに当てられたってわけさ。そういうわけで、戻るぞ」

「なんだよ……今更。それにブツって、中身は」

「秘密らしい。まあ物騒なもんじゃねえだろ。ほら、急げよ」

 

 踵を返したイブラヒムから数歩遅れて、ノォトも歩き始めた。なにかもやもやしたものを抱えながらも、脳内にはまた彼女の「目」がフラッシュバックしていた。

 

 



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邂逅(3)

 

 近年創設されたばかりのキャピタル・アーミィは、まだ若い組織であるためにキャピタル・ガードの施設を接収して使用していることが多い。テリトリィ都市部東にある技術開発研究所もそのひとつで、いまは軍用モビルスーツの整備ドックとして使われていた。

 ドナは第三研究室に向かっていた。ガード時代からの古い友人に会うためだ。研究所をアーミィに牛耳られてもなお、独自に入手した「ヘルメスの薔薇の設計図」の研究に専念している“変わり者”の老人。モビルスーツの整備・点検を口実にし、ヒマさえあれば愚痴を言いに来たりおかしな研究成果を見せてもらったりする、ドナにとって貴重な気の置けない友人であった。

 

「ドク、研究は進んでる?」

 

 いつからか、ドナは彼を本名ではなくドクと呼ぶようになった。「Dr.(ドクター)カラッツォでは呼びにくい」という理由からだ。今では彼自身そのあだ名を気に入っていた。

 白衣を着た老人は机に突っ伏し何かしらの作業をしていたようで、はじめは背中しか見えなかった。だがドナが声を掛けると彼の手は止まり、しょぼくれた体は声のした方へと振り向いた。

 

「おお……ドナか。アーミィに設備のほとんどを抑えられちまっては、ライブラリを漁るくらいしかできんわい」

「ごめんなさいね。今はわたしたち(アーミィ)もゴタゴタしちゃってるから」

 

 口では毒づきながらも友人の来訪に喜んでいるようで、ドクはすぐさま作業を中断し、立ち上がると彼女のためにコーヒーを淹れた。ドナはいつもの指定席、彼の机の右隣に座った。

 

「海賊とやりあったらしいな。お疲れさん」

「ありがと」

 

 受け取ったマグに注がれた真っ黒いコーヒーは、かぐわしい香りを湯気とともに立ち上らせていた。ひとくち飲む。しっかりとした苦みが、熱とともに口の中に広がっていった。酸味の抑えられたテイストは後味がすっきりしていて心地よい。

 あいかわらずドクのコーヒーは旨い。来訪理由のひとつはこの味だった。

 

「それよりお前さん、見たんだってな? G系のモビルスーツ」

 

 愛用のマグカップを手に座っていたドクが、身を乗り出しながら聞いてきた。その目は好奇心できらきらしている。興味を隠しきれていない、というより隠す気のないその素振りも、友人であるから不快感はなかった。

 

「相変わらず情報が早いのね」

「ヒマだからな。そういうのを調べる時間はいくらでもある」

「“らしい”ってだけよ。あんな機体、見たことなかった」

 

 クラウンに謎のモビルスーツが取り付いたとき、ドナは眺めるだけしか出来なかった。レクテンのカメラ越しにずっと観察していたその機体は、後でデータベースを確認しても全く正体不明の機種だった。

 

「G-セルフとかいったか。あれとも違ったのか」

 

 先日キャピタル・アーミィが鹵獲した、これまた所属不明のモビルスーツの名前である。今はアメリアに奪取され、追撃部隊が行方を追っている。

 

「そのタイプなら資料で見たけど、あれはもっとこう……凶暴なイメージ。攻撃的っていうのかしら。あまり友人にはなれなさそうなタイプね」

「恋人ならなれそうなのか?」

「勘弁してよ」

 

 苦笑しながらコーヒーをすする。思い返してみても、あのモビルスーツは不気味だった。見るからに戦闘用らしいシルエットをしておきながら、危害を加えるでも、こちらの援護をするでもなく。ただクラウンの中を観察していた。なにかを探しているような。

――なにを?

 身震いしたくなるような気分になりながらも、考えても仕方の無いことと割り切るしかないと思えた。

 

「まあ、モビルスーツの見た目で性能が決まるわけじゃないでしょうし。……それこそ、あの試作機がいい例じゃない」

「【クアッジ】のことか」

「G系に『似せて』設計されたなんて、それこそ見かけ倒しってことじゃないの」

「あれは元々戦闘用じゃないんだよ。今の我々がそうしているように、G系と呼ばれるカテゴライズの技術を検証するために設計されたモックアップだ」

 

 そう言いながら、ドクは後ろにある自分のコンピュータから一枚の画像ファイルを呼び出した。モニターに広がるそれは、モビルスーツの設計図――「ヘルメスの薔薇の設計図」そのものであった。

 技術革新がタブーとされている現在の地球圏において、その存在自体が「タブー破り」と言える出自不明の極秘資料。中身はモビルスーツや戦艦などの設計図であり、どの国の技術レベルをも凌駕するテクノロジーで構成されていた。キャピタル・テリトリィを含むそれぞれの国家は独自ルートで設計図を入手し、軍備の増強を図っている。世界の軍事バランスは驚異的なスピードで変化していた。

 モニター上には型式番号や機体名らしき文字列、そしてモビルスーツの全身図が記されている。

 ウサギの耳を思わせる頭頂から後ろに伸びた一対のアンテナに、ヒトの目を想起させるツインアイ。ドナは自身が遭遇したG系に酷似した特徴をしていると感じた。それよりもいくぶんか柔らかい印象を受けるのは、頭が大きくて等身が低いせいもあるのだろう。

 より細かい機体のディティールを観察する。機体の各所に穴のようなものが見受けられた。それらはすべてハードポイントで、状況に応じて様々なオプションを装備できるらしい。その代償ではないだろうが、バルカンやビームサーベルなど固定武装のたぐいは一切無いことが見て取れる。

 カットシーよりもレクテンに近い印象を抱いた。

 

「でも、作るだけ作ってタンスの肥やしってのも勿体ないわね」

 

 クアッジが駐機されているハンガーを見上げながら、ドナが言った。せっかくだからとドクに案内され、久しぶりに彼の「自信作」を眺めることにしたのだ。傷一つない真っ白い機体は、箱にしまわれた人形のように静かに格納庫内でたたずんでいた。

 

「いざという時、ここの防衛に使えるだろ。整備だって続けているんだ」

「あら意外。傷つけたくないんじゃないかと思ったのに」

「わしゃ研究者だ。作った後のことにたいした興味は無い。……まあ、せっかく産まれた子なんだ。日の目を見ることなく解体されちまうのはかわいそうではあるな」

 

 誰に言うともなく、ドクが呟く。

 

「……そういや、例の『荷物』。移送されることが決まったらしいな」

「荷物?」

「ほら、お前さんがキャピタル・タワーで降ろした……」

 

 ああ、と思い至って、初めて聞く情報に驚いた。

 

「どこに!?」

 

 思わずドクに詰め寄る。脳天を金槌で殴られたようなショックが身体を突き動かした。いま聞いた言葉をどう処理したらいいかわからず、彼に当たる形になってしまったことを密かに後悔した。

 いきなり耳元で大声を出され、ドクは飛び退いた。

 

「こ、郊外にある第十三補給基地らしい。あんな辺境なら人目につくこともないだろうから、隔離できるということだろうて」

「……私のレクテン、出せる?」

「無理だ! 外装を全部外しちまってる、戻すのに四十八時間はかかる!」

 

 うろたえるドクを見て、臍を噬む。情報がこんなところに伝わっているということは、それはもう「古い」情報である可能性が限りなく高いと言うことだ。おそらくもう移送されているか準備は済んでいると考えて良いだろう。どうにかならないかと思案し、祈るように天を仰ぎ見た。

 その視界に入ったものに脳が刺激されたのか、閃きが浮かんだ。

 

「……ドク。お願いがあるんだけど」

 

***

 

 事務所に戻ったノォトとイブラヒムを待っていたのは、社長の予想だにしない歓迎だった。

 

「いよお、よく戻ったお二人さん。ま、座れや」

 

 応接間のソファに座りながら、今まで見たことのないくらいにこにことした笑みを浮かべて対面のソファに手招きするアダムスは、不気味ですらあった。

 奥のロッカールームでは掃除をしているらしく、がたがた物を動かす音でやかましい。

 あらかじめ事情を聞いているらしいイブラヒムは迷わず腰を降ろし、ノォトもおそるおそる隣に腰掛けた。革張りのソファはすこし硬かった。

 

「……それで、急な仕事ってなんなんです。急ぎなんですか」

 

 ノォトが尋ねる。怒りと戸惑いの混じった声は低い。

 

「なんだよ、待望の仕事じゃねえか。もっと喜んでくれてもいいだろ」

「そりゃそうですけど、あまりに急じゃないですか」

「まあノォト。社長の話を聞こうぜ」

 

 イブラヒムにたしなめられて、前のめりになっていたノォトは体勢を戻した。アダムスは咳払いをひとつしたあと、膝を叩いて口を開いた。

 

「……軍の依頼でな。ある荷物を補給基地まで運んでほしいとのことだ。それも至急、今日の夜までに」

「ずいぶん急ですね」

「このところアメリアとの戦争も頻発しているからな。前線に近い基地では物資が足りてないということらしい」

 

 キャピタル・テリトリィの隣国、アメリア。強大な軍事力と経済力を誇る大国とテリトリィとは、このところフォトン・バッテリーの権益をめぐって戦争状態にあった。軍に卸す物資の輸送はこのところの主な仕事で、それ自体は特別な仕事でもないはずだった。だが気になる点はあった。

 

「で、荷物って何なんです? いい加減教えてくださいよ」

 

 足を組みながらイブラヒムが問いかける。ノォトも同じ気持ちだった。いつもならフォトンバッテリーだとか、弾薬や推進剤・“空気と水の玉”などの品目が言い渡されるはずなのだが、それがない。秘密にする理由があるということか。表には出せないようなものである可能性を考え、アダムスの返事を待った。

 

「それがな。おれも知らんのだ」

 

 あけらかんと答えるさまに拍子抜けした。どういうことです、と問い詰める前にアダムスが続ける。

 

「いや、担当者は『ただの補給物資です』の一点張りでな。中身についてはなにも教えてくれなんだ。というか、『聞くな』って威圧感がすごくてな……」

 

 軍人に睨まれた時のことを思い出しているのだろうか、アダムスは苦笑しながらも心底参っている様子だった。なにも聞かされていないというのは本当なのだろう。すこしだけ社長に同情した。

 

「まあ、急なぶん謝礼は弾むとのことだ。支度が済み次第、エフラグで出てくれ」

「……わかりました」

 

 ふたりは事務所を出て格納庫に向かう。経年劣化の激しい【キャリー988】が一機、整備・点検を終えた状態で駐機されていた。

 宇宙世紀、モビルスーツの航続距離を伸ばすために開発された航空機があった。平たい甲板にモビルスーツを載せ、「足」代わりとなる支援機。かつてはSFS(サブフライトシステム)と呼ばれていたそれは、この時代ではエフラグと呼ばれていた。

 勢力を問わず主に軍で使われているエフラグだが、輸送用として民間でも使用されている。キャリー988もそのひとつで、エフラグとしてはロートルだが燃費や整備のしやすさなど信頼性は高かった。

 モビルスーツを載せることも可能なボディに、今はキャピタル・アーミィのマークが入ったコンテナが一基積まれている。

 運転席に乗り込んだイブラヒムは各種点検を済ませ、エンジンを始動させる。キャリーは爆発的なエンジン音を響かせるとともに機体を激しく震わせた。いつまで経ってもこの振動には慣れない。隣に座るノォトはそう思いながらマップデータを確認した。平たいボディが浮かんだことが、尻が浮いたような感覚からわかる。

 イブラヒムがグリップを傾けるとともにエフラグが発進する。薄暗い格納庫から出ると、頭上から陽の光が降り注いだ。刺すような陽光がノォトには眩しかった。

 

「社長、これどうします?」

 

 事務所の奥からぬっと出てきた受付嬢がアダムスに問いかける。その手には二人分のネームプレートが握られていた。それぞれ「ノォト」「イブラヒム」と記されている。

 

「ああ……もういらん。ぜんぶ捨てとけ」

 

 受付嬢は頭を下げ、奥に引っ込んだ。

 

 



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邂逅(4)

 

「ン!? アメリアはモビルアーマーなんて造ってんのかよ。ノォト、これ見てみろよ」

 

 エフラグはいま、テリトリィの北西へ向かって高度三百メートルで飛んでいる。飛行中は自動操縦(オートパイロット)のためにやることと言ったら管制のチェックしかない。退屈なこの時間をもっぱらゴシップ雑誌で潰すのがイブラヒム。居眠りするのがノォトだった。だから話しかけられて睡眠を邪魔されるのはノォトも嫌なのだが、付き合ってやらないとヒマも紛れないだろうという理解もあった。

 

「あっちはずっと戦争やってたんだから、新兵器ぐらい造るだろ」

 

 払いのけながらも雑誌を押しつけてくるイブラヒムの根気に負け、ノォトは雑誌を受け取る。隠し撮りによる独自スクープが売りなゴシップ雑誌の見開きページが目に飛び込んでくる。そこにはモビルスーツの二倍はあろうかという緑色の大型兵器が戦闘中、人型に変形しているさまを連続写真で掲載していた。

 

「こりゃアーミィは勝てねえな。技術力がちがうぜ」

「そうなったら、おれら廃業だな」

 

 アメリアはエネルギーの供給自由化を訴え続けている。現状キャピタル・タワーから運ばれてくるフォトン・バッテリーに頼らざるを得ない世界各国は、制限されたエネルギーのやりくりに四苦八苦している。その状況を打破するため、アメリアはキャピタル・テリトリィに対し政治経済・戦争など多面的にアプローチを仕掛けている。

 もしアメリアが今次戦争に勝利し、エネルギーの自由供給化が果たされれば、ノォトたちフォトン・バッテリー運輸業の需要は減るだろう。景気が悪くなったときに切り捨てられるのはいつも末端、下っ端の人間だ。

 

「アーミィに頑張ってもらうしかねえなあ。あーあ、参るぜ」

 

 コン・パネに足を上げながらイブラヒムがため息とも嘆きともつかない声を上げる。彼はもう満足したのか、そこで会話を切り上げた。ノォトは雑誌をイブラヒムの方へ戻した。

 退屈な時間というものは長い。眠たくなってきたノォトはイブラヒムに遠慮して欠伸をかみ殺した。さすがに涙までは隠せないものだから、こっそりとぬぐった。

 気付けば日も傾き初め、眼前には宵の闇が足音を忍ばせて迫りつつあった。

 

「しかし、週末の夜に仕事なんてな。これが終わったら、久々に実家に顔でも出そうかなあ」

「なんだ急に。……あ、そうか。あんたの実家って北のほうだったな」

「こんな時でもないと帰る気になれねえからな。ノォトは帰らないんかよ? お前が帰省するって話も、そういえば聞いたことねえな」

「まあ。ベルガモに戻っても……会いたいやつもいないしな」

 

 家族とはいつからか疎遠になってしまった。決まった休みのない今の仕事に就いてからは帰省する時間もろくに取れず、ちょっとした連絡も億劫になってしまえば向こうから何か言ってくることなくなる。ノォトにとって、実家とは「毎月わずかに仕送りする先」でしかなかった。友人もみなコロニーを離れ、より都会の街で暮らすようになっていれば戻る意味もない。そう思いながら、脳裏にひとりの影が浮かび上がった。

 

「あいつ、どうしてるのかな」

「あいつって?」

「ん……いや、幼なじみなんだけど。男子にいつもちょっかい出されて、泣くから余計にからかわれてさ。そのくせにおれにはつっかかってくる変なヤツなんだよ」

 

 小学生のころ、物を隠されたり、やたら目立つ赤い髪を引っ張られたりして毎日のように泣かされていた姿を思い出す。子どもながらに慰めてやろうと近づいても逆に追い払われ、それが気に食わなくてよくつっかかったものだ。

 

「なんだそれ、もしかしておん……」

 

 突然機体が揺れる。

 

「ウオッ!?」

 

 爆発音のあと、なにかに機体を掴まれて思い切り揺さぶられているような振動が二人を襲った。固定されていない備品が宙を舞い、ノォトたちの身体も床や天井に叩きつけられる。

 

「なんだ! 爆発!?」

 

 コン・パネを操作し、機体の状況を確認する。

 キャリーの全体図がCGグラフィックで映し出される。右の翼が赤く染まっていた。異常を知らせるサインだ。そのまま画面をカメラ映像に切り替える。機体各所の様子をリアルタイムで映す映像群のなかに、黒煙を噴く翼の様子があった。

 

「右翼……穴が開いてる!」

 

 黒煙の発生源をよく観察すると、直径一メートルほどの焦げた穴がぽっかり顔を覗かせていた。そこだけ型抜き機でくりぬかれたような綺麗な円は、「物が当たった」という感じともすこし違う気がした。

 

「ビーム射撃……!?」

「傾くぞォー!」

 

 コントロールをマニュアルに切り替え、操縦桿を握りながらイブラヒムが叫ぶ。ガタガタと揺れながらエフラグは前のめりに傾いていった。  

 コンパネには船体の異常を知らせる表示が次々と浮かび上がる。姿勢制御機能が破損したらしい。なにかの攻撃であることはほぼ間違いなかった。

 キャリーはコントロールを失い、みるみる高度をおとしつつある。姿勢を回復させようとスラスターを作動させてみるが、動かない。回線がショートしているようだ。

 

「ダメだ、落ちる!」

「身体を丸めろ!」

 

 刹那、足下から凄まじい衝撃。耳をつんざく地響きのような音。

 底部の装甲はぐちゃぐちゃにひしゃげ、破片や吹っ飛ばされた部品が弾丸のように辺りを飛び交う。内臓をわしづかみにされたまま思い切り振り回されているような感覚と、破片によって身体を打ち抜かれているような痛みが同時に襲いかかってくる。

 

「な……んだよ……これ……」

 

 口の中に鉄の味が充満してくるのが気持ち悪いと思いながら、ノォトの意識はそこで途切れた。

 

***

 

「威嚇で当てるバカがいるか!」

 

 マゴスが直撃させたことに、レジィナ・メルゥは憤慨した。コックピット内に舌打ちが響く。

 

「も、申し訳ありません。ですが、目標は沈黙しまし……」

「目当てのモノまでやっちまってたらどうすんだ! もっと慎重にやんな!」

 

 震えた声で謝罪を繰り返す部下の今にも泣きそうな顔をこれ以上見たくなくて、通信を切った。背中にいやな汗が流れた気がして気持ちが悪い。

 眼下に見下ろすエフラグは、黒煙を噴き上げながら地面にうずもれていた。ビームが直撃した翼は先端が折れ曲がり無惨というしかない。民間の輸送機を撃墜してしまった事は明らかな失態だったが、やってしまったことは仕方ない。今はとにかく目的のものを回収し、キャピタル・アーミィが駆けつける前に離脱するだけだ。 

 とにかく接触してみるしかない。レジィナはフットレバーを踏み込んで、自分のモビルスーツをエフラグから離脱させた。

 レジィナの駆る【モンテーロ】はアメリアのエース用モビルスーツである。青いボディと両肩のシールドウイングが特徴的な機種だが、彼女の真っ赤な機体にはシールドウイングが左肩にしかない。それは過去の戦闘で破損し、スペアがなくなったために蓋をしているだけだからだ。裏面に格納されている連結式のジャベリンも使えなくなったため、間に合わせの装備として右腕に大型の展開式ブレードを持たせている。普段は折り曲げている刃を展開させることで一振りの実体剣となる武器は翼の代わりにもなり、原型機に劣らない空戦能力を有していた。

 モンテーロは両腕を広げ、獲物を捕らえた鷲さながらキャリーまで滑降していく。

 

「潰れてんじゃないよ……!」

 

 淡い期待を呟きながら、レジィナは尻が発汗しているのに気付いた。

 

***

 

 夢を見ていた。あの日のこと。

 お父さんが誰かと言い合っている声が聞こえる。

 あの人が行ってしまう――。

 

 椅子から転げ落ちた衝撃で目を覚ました。ひんやりとした床面に顔を打ち付けた後、両腕が自由になっていることに気がついた。身体を縛り付けていた縄が断ち切れている。転んだはずみで、だろうか。少女はゆっくりと上体を起こしながら、いま自分の置かれている状況を冷静に理解しようと努めた。

 墜落したのだろうか。辺りの物は散乱し、あれだけやかましかったエンジン音も聞こえない。窓のない室内は薄暗い。カバーが外れて剥き出しになった蛍光灯が、頼りなさげに点滅を繰り返している。

 手探りでたどり着いた壁に耳を当てる。壁の向こうからは機械と機械の擦れ合うような音が聞こえた。それと同時にガタガタと室内が揺れる。なにか大型のものが近づいていると推測した。

 手足の感覚がようやく戻ってきた。少女は立ち上がり、息を大きく吐いた。空っぽになった肺が欲するままに空気を吸い込む。ちょっと煙たいけれど、身体を醒まさせるぶんには問題ない。

 ここから逃げないと。少女は散乱した破片を掻き分けて、外に繋がっているはずの扉をこじ開けた。

 わずかに開いた隙間から光が差し込まれ、少女の輪郭を照らした。

 

***

 

 モンテーロはキャリアの荷台に降り立った。コックピットハッチを開けてコンテナの状態を視認したレジィナは、ヘコミひとつ見受けられないことにとりあえず安心した。中がミキサーにかけられたようなぐちゃぐちゃになってなければいいと案じながら、コンテナに左腕を伸ばす。

 

「このまま回収はできないが……」

 

 モンテーロがコンテナに触れようとした時、アラートがこだました。

 刹那、背中から揺さぶられるような衝撃。何かが爆発したのか。思わず身体が前のめりになる。

 

「撃たれた!?」

 

 手元のコンソールで機体の状況を呼び出す。バックパックに被弾したらしい。ビーム兵器による遠方からの狙撃だった。

 地球上では、距離があれば大気によりビームは減衰する。それでもビーム兵器というものは貫通力、指向性の面で優れているものだから、モビルスーツ戦においては必要不可欠なものになっている。

 全天モニターの左端に小さな粒ほどのエフラグが移っていた。コンピュータ補正のかかったその外観は不自然なほどはっきりと表示されている。ダベーと呼ばれる双胴型の機体は、キャピタル・アーミィが使用するものだ。

 

「カットシー……レクテンか!」

 

 エフラグの上に人型が見える。徐々に大きくなる機影は、作業用として広く使われているモビルスーツだった。丸っこい外見が特徴的で戦闘用としては似つかわしくないが、兵器としてあなどれない性能を持つ機種だ。

 ダベーに載った二機のレクテンと、その隣にもう一機、シングル・エフラグに載った機体が見えた。カットシーともレクテンとも違う、よりスマートなフォルムの、ツイン・アイのモビルスーツ。

 

「G-セルフ!?」

 

 マゴスが叫ぶ。

 

「だけど、G系は海賊部隊が奪い返したはずだろ!」

「ニセモノだ、あんなんっ!」

 

 部下達の声で混乱する通信にノイズが混じりだした。そうかと思えばたちまち途絶され、もう耳障りなノイズしか流れなくなった。

 ミノフスキー粒子が撒かれたのだ。

 

 



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邂逅(5)

「遅かったか……!?」

 

 クアッジのコックピットの中、ドナは舌打ちをした。

 ドクから「荷物」が運ばれるという情報を聞いたドナは、すぐさま後を追うことにした。部隊に招集をかけて出撃準備に入るも自分の機体がオーバーホールに入っていたために、ドクに了解を得てクアッジを引っ張り出してきたのだった。

 クアッジは正確にはG系ではない。設計図の段階で意図的にG系を真似た「もどき」の機体なのだ。性能もカットシーに毛が生えた程度のものでしかない。それでもドクには愛着があったようで、使う機会もないのにせっせとメンテナンスを続けていた。おかげで調子はかなり良い。

 モンテーロが出ているとは予想外だったが、この機体なら引けを取らない。善戦できそうだと期待して、すぐその考えを否定した。

 目的はあくまで救助だ。確保したら速やかに離脱。撃破する必要はないのだし、返り討ちに合うまで戦闘を続ける必要も無い。冷静にそう言い聞かせ、ドナは迫りつつあるジャハナムに照準を合わせた。

 ダベーの撒いたミノフスキー粒子によりレーダーは使えない。モビルスーツ戦では自分の目だけが頼りだ。一瞬の間に狙いを定め、ドナは操縦桿のトリガーを引いた。

 

***

 

「マゴス! 下がれ!」

 

 そう叫んだ瞬間には、マゴスのジャハナムはビームライフルの直撃を喰らっていた。

 アメリア軍の主力モビルスーツ【ジャハナム】は汎用性の高い機種で、堅牢な装甲と機動性のバランスに優れたタイプである。“顔”にある赤地に白の十字型アイセンサーはアメリア製モビルスーツの特徴でもあった。

 マゴス機は内側から膨らむように爆発し、辺りには焼けるような空気と蒸発したイオンの臭いが舞い散った。

 レジィナはハッチを閉め、その場から退避した。

 

「この野郎ォー!」

 

 外部スピーカー越しにトラッドの怒りを孕んだ声が響く。その気迫を乗せたジャハナムの挙動は早かった。機体に加速をかけてダベーから離脱したレクテンへ肉薄し、プラズマ・アックスを振り下ろす。アックスはレクテンの右腕を見事に切り落とした。すぐさま追い打ちをかけようとしていたが、反撃で蹴っ飛ばされたジャハナムは下がらざるを得なかった。

 部下の様子を観察している間にG系が接近していることに気付く。右手にライフルを、左手にシールドを構えたまま接近してくる敵機の動きがレジィナの癇に障った。

 

「お手本通りにやろうなんてさぁっ!」

 

 ブレードを展開させて振り抜く。高周波を纏った刃はスピードに乗って、シールドを一閃した。まるで紙で出来ていたかのように、シールドはあっという間に二つに裂けた。すんでのところで相手は踏みとどまったようで本体には届かなかった。それでも体勢を崩した敵機はもたついて見える。G系はビームライフルを撃ってくるが、当たらない。

 

「まぐれで当たるか!……ぐぁっ!?」

 

 突然、右から何かが衝突してきた。モニターにはレクテンが映り、こちらにタックルしている。コンソールに備えられたエア・バッグが作動し、レジィナを包んで衝撃を吸収する。その圧迫感も苛立ちを吸収してはくれず、むしろ火に油を注いだ。

 

「邪魔だ!」

 

 ブレードを敵機の背中に突き刺す。激しい火花が散ったあとで、レクテンは手足をだらんとぶら下げた。オイルが血のように噴き出した。

 

***

 

「ロジャーが……」

 

 レクテンに気を取られていたモンテーロから距離を置きながら、ドナは部下の死にショックを受けていた。通信は遮断されているから断末魔を聞かずに済んだのは助かったが、それだけに実感が後から沸いてくるのが辛かった。教え子が先に戦死するということは自分が傷つくより心が痛むものだと知った。だが後を追うわけにはいかない。ドナは体勢を立て直して反撃に出ようとした。半分になったシールドを投げ捨ててから周囲を見渡し、状況を確認する。

 全天モニターの隅で何かが動くのが見えた。コンテナから、人が這い出ている。それがどういうことなのか即座に理解し、コンテナの前まで摺り足で移動した。

 

「脱出したの……あの娘……」

 

 モビルスーツの背中に隠したその人影にだけ見えるように、後ろに回した左手で左を指し示す。ダベーが着陸しているポイントだ。少女が意味を読み取ってくれることを祈り、敵に気付かれないことも祈った。信仰は薄いドナだが、人々が神に縋る気持ちがなんとなく分かった。

 スコード。生まれて初めて唱えた言葉は、不思議な語感をしていると思った。

 

***

 

 突然視界いっぱいに広がった真っ白いモビルスーツの挙動は、しかし感覚としては親しみを抱いた。暴力的な印象しかないモビルスーツがあたしを守ってくれている。あそこへ行けと示している。

 少女は信じるしか無かった。そこに行って、またキャピタル・アーミィに捕まるのだとしても、ここで死ぬよりマシだ。アメリアの捕虜になるより遙かにマシだ。死んでしまっては何にもならない。なら、信じられるものを信じてみよう。あの大きな人差し指を信じてみよう。

 少女は走り出した。夜の闇に紛れながら、駐機しているエフラグまで一直線に。

 

「こっちだ!」

 

 エフラグのハッチからパイロットスーツの男が手招きしている。少女はゼイゼイ息を切らしながらそこまで走りきり、男の手をつかむ。ぐいと引っ張られる乱暴な感じも、生死のかかったこの状況では気にしていられなかった。そのまま転がるように入り込む。

 バタンとハッチの閉じられる音を背中で聞いて、少女はようやく一息ついた。

 

「無事か、嬢ちゃん」

 

 手を引いてくれた男が顔をのぞき込んできた。滴る汗を手で拭いながら、「大丈夫ですけど……あたしは嬢ちゃんじゃありません」と息も絶え絶えに言った。口答えされたのが想定外だったのか男は口をへの字に曲げる。少女は大きく深呼吸をしたあと続けた。

 

「あたしはシエラ。シエラ・ザート。ありがとうございます、と言うよりご苦労様です」

「あん?」

「任務成功。ターゲットの回収、完了できたじゃないですか」

 

 シエラと名乗った少女は不敵に笑ってみせた。男の苦々しい表情がたまらなかった。

***

 

「……ン……」

 

 ノォトは目を覚ました。うつぶせになっている身体を起こそうと動かしたとたん、全身満遍なく痛みが走った。途切れていた記憶をつなぎ合わせ、今の状態を推測する。

 思い出したように隣を見やると、イブラヒムが――イブラヒムだったものが――伸びていた。全身にガラス片やプラスチックの破片が突き刺さり、至る所から血が染み出している。よく見れば自分も似たような状態で、息をしているかどうかの違いだけだ。それぞれの運命を分けたのは偶然でしかない。

 嗚咽しそうになったが、それよりも先に涙が出た。そのひやりとした感覚に我を取り戻し、ノォトは状況を整理しようと努めた。

 あちこち割れているスクリーンを見やる。赤いモビルスーツが見えた。確かアメリア軍のモビルスーツだったはずだ。あいつに堕とされたのだろうか。

 あいつにイブラヒムは殺されたのだろうか。

 その向こうにキャピタル・アーミィのエフラグが見える。エンジンを噴かし離陸しようとしている。

 とっさに、守らなければならない気がした。なぜ。そんなことはいい。どうやって。コイツを使おう。

 足下にある非常用ロッカーを開け、その中から取り出したバックパックを背負ったノォトは、コン・パネを叩く。ほのかにバックライトが点き、画面が明るくなりだした。

 

「まだ……生きてるな」

 

 イブラヒムの死体をどかす。まだ生温かい肉体は重たかった。ノォトは操縦席に座り、スターターに火を入れる。

 ノォトの呼びかけに答えるかのように、エフラグは全身を震わせた。

 

***

 

「彼女の収容、完了したようです」

 

 クアッジの肩に手を置いた機体は、リャンのレクテンだ。人間であれば失礼な行為に当たるかもしれないが、ミノフスキー粒子によって電波の遮断されたモビルスーツ戦において、重要な通信手段である接触回線を利用するためには当然の動作だった。

 

「よし……離脱するぞ!」

 

 返事を聞かずにバーニアを噴かし、敵と正対したままその場から退いた。

 モンテーロが左手にライフルを構えて追ってくる。こちらも下がりながら牽制の意味でライフルを連射する。当たりはしないものの、元々当てようともしていなかった。エネルギーの残りが少ないことを示すアラートが鳴り始めるが、無視した。

 

「……長、……えで……!」

 

 接触回線が切れたためにほとんどノイズでかき消されたリャンの通信のあと、別の警報が響く。接近警報。見上げると、ジャハナムがアックスを振りかぶって目の前に落下してこようとしていた。

 

「グッ……!」

 

 振り下ろされたアックスを、ビームライフルで受け止める。あっという間にライフルは両断され、手元からこぼれ落ちるとともに爆発していった。爆煙が広がる中、そのままのポーズで着地したジャハナムの背中がガラ空きになっているのを見逃さなかった。すぐさま右手に装備した籠手に内蔵されているビームサーベルをオンにする。淡いピンク色の刃が出現する。それをジャハナムに突き刺した。金属のジュッと灼ける音と、開いた接触回線越しに敵の「ゲエッ」という声が聞こえた。ジャハナムはそれきり動かなかった。

 

***

 

「トラッド!」

 

 聞こえないとわかっていながら、レジィナは目の前で戦死した部下の名を叫ばずにいられなかった。こんな作戦でふたりも部下を失うなど。にじみ出す悔しいという感情は、しかし後回しにしなくてはと妙に冷めた思考で引っ込んだ。

 今はとにかく、あいつをやる――。

 眼前でねじの切れた人形のように転がっているジャハナムをジャンプで乗り越えて、モンテーロはブレードを前に突き出したながら敵機に突っ込んだ。

 

「隊長機を倒せば……!」

 

***

 

 やられる!?

 視界がスロウになった。徐々に迫り来るモンテーロの、突き出された刃だけが目に入った。

 蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなかった。敵の気迫に気押されていると理解したときには、その刃が自分を貫くのだろうという事実を冷静に受け止めていた。ダベーは脱出しただろうか、機体を壊してドクに怒られるだろうか――今になって他のことが脳裏に浮かび続ける。一瞬が永遠にも感じられた。

 そこに何かが進入してきたことに気付いたのは、それがモンテーロに激突してからだった。

 

***

 

「うわあああっ……!!」

 

 何だ!?

 なにかが突っ込んできた。なにが? エフラグだった。アーミィのではない。

 あの民間会社の輸送機だった。

 

「まだ動けたのか……!? なんで、民間機が突っ込む……! がっ!」

 

 

 ものすごい衝撃が襲ってくる。目を開けることもかなわないほどの揺れが身体を前後左右に振り回す。警告音と金属がこなごなにひしゃげる破壊音がないまぜになって不協和音を奏でる。全天モニターが割れ、破片がコックピットを舞った。かろうじて開けた目でなにが起こったのかを確かめる。機体はモンテーロの脇腹に直撃したようで、モニターの半分以上がブラックアウトした。

 ぐしゃぐしゃになったエフラグから何かが脱出した。グライダーに見えた。

 バランスを崩しよろけて倒れそうになったモンテーロの上げた手に、何かがぶつかった。それと同時に接触回線が開く。

 

「隊長! 掴まってください!」

 

 味方のエフラグ、フライスコップだった。レジィナは機体の下部にあるグリップにつかまる。モンテーロごとフライスコップは上昇し、レジィナはその場から撤退した。

 

***

 

「なに……!?」

 

 突然のことに理解が追いつかなかった。スローモーションになった映像は既にリアルタイムに切り替わっている。輸送機がモンテーロに突っ込んだ。敵は撤退した。輸送機からなにかが出た。グライダーだ。ドナは目の前で起きた事柄を整理し、そのグライダーを回収しなければならないと思った。

 グライダーは闇に紛れながら上空を旋回している。フットレバーを踏み込み機体をジャンプさせ、それに接近する。舞う風に煽られながら滑空するグライダーをクアッジの両手で包み込んだ。グライダーの翼は折れ、それを動かしていた少年が尻餅をついた。

 少年。まだそう呼ぶにふさわしい男の子が、クアッジの手の中にいた。

 

「こんな子が……」

 

 こんな子がエフラグを動かし、アメリア軍を追い払った。理解に苦しむことだとしても今は事実を受け止めるしかない。ドナはただ、少年を見つめていた。

 

***

 

 暗闇ではわからなかったが、ダベーの運転室内に収容した少年は重傷を負っていた。部下に命じて応急処置を施させ簡易ベッドに横たわらせる。傷は多いが意識はしっかりしていて、話をすることは出来そうだった。

 

「ありがとう。きみのおかげで命拾いしました」

 

 笑顔を作ってそう言うと、少年は「いや」と言い淀むだけだった。

 

「あなた、あの輸送機のパイロットだったの?」

「まあ……そんなとこです。キャピタル・アーミィの依頼で荷物を運んでたとこで……アメリアに撃たれて堕とされました」

 

 そこまで言って、目の前にいる人物がそのアーミィなのだと気付いたのか、少年が顔をしかめた。ドナは慌てて「ごめんなさい」と詫びた。

 

「依頼したのはアーミィの上層部ね。わたしたちはあなた達の護衛をするつもりで出撃したんだけど、一足遅かったみたい」

「イブラヒムが……同僚が、殺されたんです」

「申し訳ありません」

 

 心から謝るつもりで頭を下げた。少年はなにも言わず、顔を背けた。

 イブラヒムという人のことは知らない。自分も部下を失った。そうも言いたかったが、それはこちらの話だ。彼にとってそのイブラヒムという人は、大切な同僚だったのだろう。「あなたは無事でよかった」などと言うわけにもいかない。

 今はただ、乗り越えるしかないのだ。他人は死に、自分が生き残ったという事実を。 

「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。わたしはドナ・サン・ゼッダ大尉。あなたは?」

「……ノォト。ノォト・リム」

 

 そっぽを向いたまま少年――ノォトが答える。

 

「ありがとう、ノォト。とりあえず今はゆっくり休んで」

 

 かすかな沈黙のあと、小さな声で「はい」と返事があった。それきり何も言わず、眠ってしまったようだった。

 微笑したあとでドナはベッドから離れ、運転室の隅っこに座る少女のもとへ歩み寄った。

 

「シエラ。無事でよかった……!」

 

 少女を抱きしめる。突然のことに彼女も驚いていたが、その腕がドナの背中で結ばれていることに気がつき安堵した。

 堰を切ったかのようにシエラは泣き出した。幼子をあやすようにドナは彼女を包み込み、背中をぽんぽんと叩く。ドナもつられて涙が出そうになったが、部下の手前なんとかこらえた。

 抱擁をそっと解き、シエラと向かい合う。涙と鼻水でぐちょぐちょになった顔を傍にあったタオルでぬぐっていたら、自分でやると言わんばかりに奪われた。綺麗になった顔を見せて、シエラが口を開いた。

 

「ありがとう……ドナ。これからどうなるの?」

「大丈夫よ。あなたを幽閉させはしないし、アーミィに利用もさせない。すぐに解放してあげるわ」

「解放……? そいつ、なんなんです」

 

 ぜんぶ聞いていたのかノォトが口を挟んできた。いつの間にかこちらを向いている。

「彼女はね、とある疑惑でアーミィに捕らえられていたの。口を割らない彼女を幽閉するため、あなたは軍の依頼で彼女を移送させられていたってわけ。その様子だと、荷物の中身は知らなかったみたいね」

「社長でさえ聞かされてなかった。そいつがいったい何をしたんですか」

 

 ドナは戸惑った。何も知らない彼を巻き込んで良いのか。知らせない方が彼のためになるのではないか。彼女を余計な危険に巻き込むことにもつながらないか。

 数秒の間にいろいろな考えを巡らせていた。だが答えを出す前に横槍が入った。

 

「あたしは『トワサンガ』の事を知っている。アーミィもアメリアも、その情報を聞き出すためにあたしを狙っているのよ」

 

 シエラが自白するように答える。ドナは彼女を叱責しようと振り向いたが、その前にノォトが口を開いた。

 

「トワサンガから来たってのか」

「そうよ。あたしはトワサンガ人」

「やめなさい、ふたりとも」

 

 なだめるように注意したが、特に効果はないように思えた。

 背後でなぜか、鼻で笑うような音が聞こえた。

 

「うそつけ。お前、ベルガモ生まれだろう。シエラ・ザート」

 

 シエラは何も答えない。

 静まりかえった室内に空調の音だけが響いていた。

 

 

 

 

――第二話「大富豪ロマーニ」に続く 



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大富豪ロマーニ
大富豪ロマーニ(1)


   1

 

 陽光差す月曜日の朝。キャピタル・タワーは慌ただしい。約八万キロメートルの長さを誇るケーブルの、その宇宙側終点であるスコード教の聖地【ザンクト・ポルト】にてフォトン・バッテリーを受けとるために、もうまもなく上りクラウンの編成が出発するところであった。

 リギルド・センチュリーにおいて、全ての機械の動力源に用いられるフォトン・バッテリー。地球で製造することが出来ず、分解しようとすれば爆発する。不可欠であり不可侵であるその技術はスコード教により宇宙からもたらされ、その唯一の供給源であるキャピタル・タワーを有するキャピタル・テリトリィから全世界へ配給される。

 それ故にテリトリィはこの世界の中枢を担う国家であり、その権威は絶対的なものであった。キャピタル・タワー運行局のさじ加減ひとつで各国の配給量は増減すると言っても過言ではなく、必然的に他の国は少なからぬ反発を抱く。そう言った反発は武力による行動に移されるものだから、それを抑えるためのキャピタル・ガードであった。

 あくまで自衛のための組織であるガードに対して、より積極的な軍隊であるアーミィが設立されたのはつい最近のことである。「戦争を続ける他国の争いからテリトリィを守るため」組織されたというのが表向きの理由だが、その実は「宇宙からの脅威に対抗するため」という噂もまことしやかにある。

 宇宙を観測することはタブーとされてきたために、ザンクト・ポルト以遠の宇宙状勢についてはほぼ明らかにされていない。フォトン・バッテリーがどこで誰によって作られているのか、実のところ知っている者はほとんどいない。それを疑問に思わずにいられているのは、フォトン・バッテリーとは「宇宙からの恩恵」であるというスコード教の教えがあり、それがこの世界の常識だからだ。

 

「おはようございます、キャプテン」

 

 最上部クラウンの運転室に入るなり、グレイグはタワー運行局員の女に挨拶された。感情の読み取れない冷たい声音が癇に障る。低い声で「おはよう」とだけ返すと、バインダーに挟まった受取品リストを渡された。出発前に確認しておく事柄なのだが、グレイグにとって受取品の個数や品目などは興味もなく、ただ礼儀として目を通すふりをしただけに過ぎない。

 

「確認した。準備が済み次第発進する」

「時間厳守でお願いします。定刻通りが運行局のモットーですので」

 

 生真面目なとげとげしい声色で釘を刺してくる女はやはり気にくわなかった。バインダーを返しながら相手の顔を横目で見る。悪くない顔立ちをしていると思ったが、それだけにこのまま言われっぱなしなのは癪だった。

 

「では時間通りに出るために、君にはこのまま乗っていてもらおうか」

「申し訳ありませんが、次の予定がありますので。デートならば他の方をお誘い下さい」

 

 小娘が。それがグレイグの正直な感想だった。

 局員は運転室を去り、グレイグはキャプテン・シートに腰を降ろした。眼前ではコン・パネに向かいながら各種計器の点検・確認を続ける管制員たちの淡々とした作業が繰り広げられている。

 グレイグはその中の一人に声を掛けた。

 

「デレク。上空の天気は?」

「雲が多めですが、風はないですね。問題はありません」

「あと何分で出発準備が整う、モーリス」

「ちょっと待ってください。……乗客、全員乗り込みました」

「管制センター! 信号をくれ」

 

 あわただしく動く全員の様子を見渡す。週明けではあるが、みなきびきびと動いている。いつも通りに仕事が出来そうだと密かに安堵した。

 

「キャプテン。アンダーナットはパスしていいから、第1ナットに急行してくれ」

 

 高圧的な態度で、アーミィの軍服を着た男がずかずかと入室してきた。トカゲのような顔をした男はグレイグの隣まで来ると、腰に手を当て仁王立ちになった。自分の意見は絶対であり、至極当然にまかり通るものと思っているらしい。

 

「このクラウンは予定通り、例外なく全てのナットに停まる予定である」

「アーミィは宇宙に展開しつつあるのだ。優先してもらおう。これは軍の命令だ」

 

 それがどうした。内心毒づきながら、殴りかかりたい衝動に駆られた。

 

「命令というなら、運行局を通してもらおう。われわれは軍人じゃない。あんたらにでかい顔をされる筋合いはない」

「今は戦争だよ、キャプテン」

「分かってるんだろうな。その戦争ってやつは、おれ達の運ぶフォトン・バッテリーがなきゃ全く出来ないんだってことを」

 

 軍人の男はもう何も言わず、鼻をフンと鳴らすとわざとらしく足音を立てて運転室から出て行った。

 ふう、と息を吐く。啖呵を切ってはみたものの、いざ言ってしまって後悔しなかったわけではない。今後どうなるのかという不安を思えばこれで良かったのかと戸惑う。 視線に気付く。見渡せばみなが手を止めてこちらを見ていた。今のやりとりをずっと見ていたのだろう。彼らは一様に、安堵したような誇らしいような清々しい顔をしていた。

 グレイグは痛感した。キャプテンである自分の後ろには、こんなにも多くの人がいるのだと。彼らのためにも部外者にでかい面をさせる訳にはいかないと思った。

 喉が渇いた。からからになった口内を潤したいのと気恥ずかしさから、グレイグは席を立った。

 

「すぐ戻る」

 

 誰の返事を聞くでもなく運転室の扉をくぐる。

 通路に出ると、どこからか話し声が聞こえた。階下らしい。のぞき込むと、二、三人のクルーが立ち話をしていた。

 

「……そうなんですよ。こわい男達に絡まれちゃって」

 

 そこにいたのはいずれも若い男女で、声をひそめることもなくわいわいと話している。

 

「大変だったねえ。どうしたの」

「助けてくれた人がいたんですよ。知らない人なんですけど、いきなり男に近寄ったかと思うとそいつの顔面を殴って。男が手を離した隙にあたしは逃げられたんです」

「見ず知らずの人が助けてくれたんだ?」

「見たことない男の子でした。あたしと同い年くらいの」

 

 盗み聞きするつもりはなかったが、こうも大声で会話されていてはいやでも聞いてしまう。グレイグは階段を滑り降りて彼女らの元まで歩み寄ると、声を張り上げて「おい!」と怒鳴った。

 

「出発前だぞ。おしゃべりをしている暇があるのか! それぞれやることは済んでいるんだろうな」

 

 ものすごい剣幕に驚いたのか、職員らはみな飛び上がり頭を下げると各々の持ち場に駆けていった。

 誰も居なくなって、グレイグは「呑気なものだな」と呟きながら微笑を漏らした。若い奴らはたるんでいると思いながらも、軍人や運行局の女よりよっぽど可愛げがあると思えた。帽子のずれを直しながら、グレイグはベンダーに向かった。

 

***

 

 階段を駆け下りながら、やっぱりあのキャプテンは苦手だと思った。いつも誰かに怒鳴り散らして威張るだけしかしない。同じ男でも昨日の「彼」とはぜんぜん違うと心の中で毒づきながら、レティシア・カステリオーネは三両目のクラウンまで降りた。

 レティシアはスコード教の信者である。スコード教とはキャピタル・タワーそのものをご神体と崇める、リギルドセンチュリーにおいて最も広く布教されている宗教である。信者は天からの恵みを享受し、科学技術の発展を「タブー」とする教えを広めるだけでなくフォトン・バッテリーの管理全般を担う、まさに世界を支える一大勢力であった。

 「彼」に結局お礼を言いそびれてしまったと、レティシアは後悔していた。チンピラに絡まれたところを助けてもらっていながら何も言わず去ってしまった。すこし時間を置いて戻ってみてももう彼はどこかへ行ってしまっていて、名前すら聞いていないのだからなにも手がかりはない。諦めるしかないとその場を後にした。もう二度と会うことはないだろうと思いながら、彼と目が合った瞬間を思い返していた。

 腕をつかまれもがいていた時、ほんの一瞬。こちらを見つめる少年に気がついた。 彼の目は、他の野次馬達とは違っていた。そこには好奇心や嫌悪感などではなく、使命感のようなものが映っているように感じられた。いま助ける。その真っ直ぐな目がそう言っているように見えた。

 誰だったのだろう。もう一度会いたいと考え、すこしだけ胸が締め付けられるような気がした。恋かと思ったが、そんなものじゃないと言い聞かせた。

 

「レッティ。どうしたの」

 

 コンテナ室に入ると、同僚に声を掛けられた。全速力で走ってきたこちらの様子に驚いたようだ。

 レティシアは乱れた息を整えながら答えた。

 

「いや……キャプテンにしかられちゃって。逃げるようにここまで走って来ちゃった」

「そんなんじゃ着くまでに疲れちゃうよ。こないだ海賊に奪われたせいで、今度のバッテリー運搬量は倍なんだから」

 

 忘れかけていた事実を言い渡され、レティシアはげんなりした。このところ頻発している海賊の襲撃。そのためにフォトン・バッテリーは奪われ続け、その結果一度に運搬する量が増えているのだ。

 

「ご、ごめん。もうちょっとしたら落ち着くから」

 

 必死になってあやまるレティシアを、同僚は笑ってなだめた。

 

「大丈夫だよ。しかし、最近は仕事量が増えちゃって困るよね。近頃じゃ不良品も多いってウワサだし」

「不良品?」

「あれ、知らない? なんでも、配給されたフォトン・バッテリーの一部にね。容量が極端に少ないものやゼロのもの、中には何もしていないのに爆発しちゃうものまであるらしいよ。なんとか秘密にしているらしいんだけど、あまり多いと信用問題に関わるからね。そうしたら、あたしたちクビかも」

「ええ……こわいね」

「それに加えて海賊騒ぎだもん。仕事ばっか増えてやなかんじ」

 

 そう言うと同僚は満足したのか、おしゃべりを切り上げてその場を離れた。

 

「不良品に、海賊か……」

 

 独り、レティシアは呟いた。

 鐘が鳴った。出発を知らせる鐘だ。

 クラウンに軽い振動が走る。数秒して、ほのかに頭からGがのしかかる感覚がした。 

 クラウンが上昇をし始めたのだと理解した。

 



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大富豪ロマーニ(2)

 

「幼なじみなの? シエラと君が?」

 

 昼食を運んできたついでにドナは尋ねてみた。簡易ベッドに横たわったままのノォトは首だけこちらに向けて「はい」と答えた。レトルト食品の乗ったプレートをベッドの傍らに置く。カチャンと音を立ててしまった。

 二機のエフラグは地を這うように低空飛行しているために機体の揺れは少ない。ドナが手を貸そうとする前に、腕を支点に使ってノォトは身体を起こした。

 

「ベルガモってナットの生まれなんです、おれもあいつも。同級生で家も近所でした。子どものころ、あいつ泣き虫で……」

 

 ドナの脳裏に、先ほどの光景がフラッシュバックした。

 突然フルネームを呼ばれたシエラは、いささか面食らったような顔をしていた。戸惑う彼女は答えを求める目線をよこしたが、それより早くノォトが言葉を続けた。

 

「おれのこと覚えてるか? ノォト・リム。幼なじみの」

「……ノォト……」と口の中で唱えるように呟いたシエラは、しかし次の瞬間むっとした。

 

「あんたが誰でも関係ない。あたしはトワサンガの……」

「子どもの頃、お前泣いてばっかでさ。なだめようとしたらこっちに噛みついてきやがって。とんだとばっちりだよ」

「うるさい! もう泣き虫じゃないわよ!」

 

 そういうとシエラは肩をとがらせて踵を返した。

 

「シエラ!」

 

 ドナが静止するも聞かず、シエラは運転室から出て行ってしまった。バタン、とハッチを閉める音が響く。

 

「いいんですか隊長。外行っちゃいましたぜ」

 

 運転席に座っていたパイロット、ガバジが肩をすくめて言う。シエラの手を取った男だ。ドナは苦い顔をしながらため息をつくしかなかった。

 

「まあ、落ちることはないでしょうし……落ち着いたら戻ってくるでしょ。それよりどうなの。連絡はついた?」

「ダメですね。向こうも色々忙しいみたいで……これからどうするんです」

「そうね……」

 

 僻地に幽閉される予定だったシエラを回収し、本部に戻って正規の手続きを経て解放する計画だったのだが、なにぶんこちらは独断行動だ。とりあえず彼女の確保を優先したために、この後のことはノープランだった。本部に戻ろうとも思ったが、下手な人間に取り次がれればまた彼女は尋問される。彼女は「無関係」の人間であるとわかった以上、もう巻き込みたくないという思いが強くなっていた。かといってこのまま逃避行を続けるわけにも行かない。なにより補給をしなければエフラグだって動かなくなる。話のわかる人間の対応を待っていてはらちが明かない。

 

「あの、聞きたかったんですけど」

 

 どうしたものかと悩んでいると、ノォトが口を開いた。

 ドナは多少面倒に思いながらも彼のほうを振り向く。すっかり身を起こしていたノォトが、プレートには手を付けずこちらを見つめていた。

 

「あいつ……シエラに何があったんですか。なんであいつがトワサンガ人で、アーミィに捕まって、アメリア軍に狙われたんです」

「君には関係ない……とは言えないか。……でもそれを聞けば、もう君は今までの生活を送れなくなるかもしれない。それでも?」

「このままじゃ納得できません。よくわからないまま殺されたんじゃ、イブラヒムも悔しいはずです。おれだって……」

 

 なにかを決意したような彼の目はまっすぐこちらを見つめている。真実を知ろうとしている目だ、ドナはそう感じた。その目から逃げてはいけないと思い、ドナは頷いてことの顛末を語るために口を開いた。

 

 

 第六十五番ナット・ベルガモの警察からキャピタル・アーミィ本部に「トワサンガ人が隠れている」と通報があったのは一週間前のことだった。

 スコード教の教えでは、月にあるというフォトン・バッテリーをもたらす聖地トワサンガ。その正体が超技術を持った国家であるというのはまことしやかな噂であった。「ヘルメスの薔薇の設計図」や、先日キャピタル・アーミィが捕獲したG-セルフなどはすべてトワサンガから流れてきたものであると推測されれば、その技術が脅威となりうることは明らかで、それに備えるための情報は喉から手が出るほど欲するものであり独占したいものであった。

 情報を受けたアーミィは調査部隊を派遣することに決め、その隊長がドナであった。

 彼女は現地に赴き、地元警察が捕らえていたシエラを引き渡される。

 第一印象は「疑わしい」だった。目の前にいる少女はまだ幼い。こんな子が、トワサンガから流れてきたというのか。疑問に思いながらも少女を尋問した。

 

「シエラと言ったわね。あなたは本当にトワサンガから来たの?」

「……ええ。トワサンガから脱出して、漂流していたところをここの人に助けられたの。だけど密告されちゃって。逃げようとしたんだけど捕まっちゃった」

 

 彼女は意外なほどあけらかんと答えた。あまりにすらすら出てくる模範解答が逆に不自然だった。少女はいかにも困ったような顔を作って見せている。

 

「信じられる話ではないわね」

「だけど、事実よ。あたしがトワサンガからの流れ者だってことは。IDも何もないし、こんなウソをつくメリットもないじゃない」

 

 警察官から彼女の調書を受け取る。確かに彼女は身分を証明する物を何も持っておらず、確認を取ることも出来なかったということだった。少なくとも、そのときは。

 ドナは質問を変えた。

 

「……トワサンガについて教えて。月にあるというその国は、地球侵攻を計画しているの」

「そうらしいけど詳しくは知らないわ」

「あのG-セルフってのとそのパイロットは知り合い?」

「……」

 

 あれだけ饒舌だった少女が、いざトワサンガの情報となると口を閉ざす。話さないというより話せないように思えた。

 彼女は知らないのではないか。そう直感したドナは、彼女を解放したくなった。

 

「あなた、誰かをかばっているの」

「……ちがう」

「誰かの身代わりになるつもりなら止めなさい」

「そうだとしても、それを話すつもりはありません」

「あなたはこれから地球に移送され、おそらくまた尋問を受ける。それに耐えるほどの守る価値ある男なの? 利用されているんじゃないの」

「利用なんかありえない。あの人は……」

 

 かかった。お互い同時にそのことに気づき、シエラはしまったという顔をした。今は想像するしかないが彼女は誰かをかばっている。少なからず想っているだろう“男”を。

 

「……あたし、どうなるんです」

 

 少女が不安そうに呟く。観念したように肩を落とす姿は年相応の幼さを表しているように見えた。

 この子、守ってあげないと。

 ドナは立ち上がると少女の小さくなった肩に手を置いた。

 

「だいじょうぶ。あなたは、あたしが守る」

 

 

 海賊の襲撃をかわしながら地球に降りると、シエラはアーミィ本部でさらなる尋問を受けた。当然そこでもトワサンガについてのめぼしい情報は得られず、彼女の素性についても詳細はわからないまま。結局本部は彼女を幽閉することにし、僻地である第十三補給基地へ移送することが決定した。それはドナの預かり知らぬところで急遽決まったことであった。

 

「そこで軍は、彼女を利用することにしたの。『トワサンガ人』の情報をわざと流すことでアメリア軍の気を引き、本隊の動きを悟られないようにした。よくある陽動作戦ね。だけどそのために部隊を割くほどの余力は無い。それで民間会社を買収し、詳細は何も伝えずに彼女を運ばせることにした。アメリアはまんまと引っかかり、彼女を運んでいた業者――つまり君たちの輸送機は襲われた。最初から仕組まれていたのよ。君たちが攻撃されることは」

「……見捨てられたってことか」

 

 ノォトが吐き捨てるように呟く。

 

「落ち着いたらいちおう連絡は試みるけど、たぶん……」

「いや、いいです。生きてるって知られたら、下手すりゃどうなるかわからないし」

 

 話を聞いた以上、社長とアーミィはグルだ。ノォトとしてもドナに迷惑はかけたくなかった。それでも聞いておきたいことはあった。

 

「だけどアーミィが仕組んだ作戦なら、それを妨害したってかたちになりますよね。命令違反とか、いいんですか」

 

 ドナはしばし無言になったあとで、それに答えた。

 

「……ま、ここまで来たら話してもいいか」

「え?」

「あたしの部隊ね、所属は確かにキャピタル・アーミィなんだけど。それだけじゃないの。キャピタル・ガードに調査部があるんだけど、あたしたちはそのトップから命令を受けて秘密裏に行動しているの。おかげである程度の独自行動なら黙認されているわけ」

「命令ってなんです」

「『フォトン・バッテリーの不良品の出所を調査せよ』ってのよ」 

 

***

 

 風が吹き抜ける。

 低空を飛行するエフラグの甲板は揺れもなく、抜けるような快晴は目に眩しい。シエラは空高く舞う鳥を眺めていた。

 ダベーの甲板にはクアッジが、立て膝をつくような姿勢で駐機している。シエラが見上げるとそこにはちょうど頭があり、ゴーグルをしているような顔に、キャピタル・タワーで見た「G系」とかいうモビルスーツの顔が重なった。

 クラウンの中をのぞき込むように観察していたあのマシン。何を探していたのだろうと考えて、ひとつの答えが浮かんだ。

 彼を探していたのではないか。 

 

「ルイード……」

 

 呟きながら、目頭が熱くなった。こみ上げる感情が抑え切れずに目尻からあふれ出す。頬を伝う涙をぬぐおうともせず流れるままにすると、この想いがそのまま身体から抜けていくような気がする。

 彼はいまどこに居るのだろうか。何かから逃げるように目の前に現れ、何かをするためにどこかへ消えてしまった。彼を追ってキャピタル・アーミィが現れ、身代わりになった自分を追ってアメリア軍も襲ってきた。あの人はいったい何者なんだろう。「トワサンガ生まれ」であること以外何も話してはくれなかったが、それは自分を巻き込まないという優しさだったのだろうか。

 

「……でも、あたしは無関係ではいられないのよ」

 

 味方など誰もいなかったあの人を助けたいと思った。

 かつて泣き虫だった自分がそうされたように、誰かの味方になりたい。力になりたいのだ。そのためにわたしは強くなり、もう泣き虫じゃなくなった。シエラにはそういう自負があった。

 だから、もう昔の自分ではないのだ。過去の自分と決別したのだから、ノォトなどは邪魔でしかない。

 あの男、ルイードを探しに行こう。彼の力になるために。答えを知るために。

 シエラは決意すると、運転室に戻るためにハッチへ向かった。

 上空では鳥たちが舞い続けている。

 

***

 

「ドナ。あたし、宇宙へ上がりたい」

 

 戻ってくるなりそう言い放ったシエラに戸惑いながら、ドナはその言葉に応えるにはどうすればいいかと悩んでいた。

 

「キャピタル・タワーまで戻って。お願いドナ」

「駄目よ。わかってるでしょう。あなたのIDは抹消されていて、タワーを利用することは出来ない。なにより捕まる危険もある。了承できないわ」

「でも他に方法もないでしょ。また捕虜として連行してくれれば……」

「キャピタル・タワーで昇っても、そこからどうやって宇宙へ行くつもりだよ。宇宙船なんてないだろう」

 

 ノォトが口を挟む。

 

「あんたは関係ないじゃない」

「関係ないことないだろう。そっちがそのつもりでも、こっちはお前を知ってるんだから」

「待って。船ね……」

「アテがあるの?」

「心当たりがね。ちょっと連絡してみるわ」

 

 そう言うと、ドナはコ・パイシートに座りどこかへ通信を送った。

 

 



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大富豪ロマーニ(3)

 

 キャピタル・タワーは地球の赤道上、旧世紀で南米と呼ばれ今は【エルライド大陸】と呼ばれている大陸の上部に建っていた。その八万キロメートルにも及ぶ長大なケーブルは、遠くから見ると一本の棒さながら地球に刺さっているように思えた。

 宇宙で星は瞬かないのだと知った。ただの光としてそこにありつづける点は、黒い布に広がり続けるまだら模様のようだ。いま足下にある青い星も、離れてみればあんな点のひとつに過ぎないのであろうか。ならば自分という人間は、宇宙にとって微生物――いやむしろ、細胞のひとつよりも小さい存在なのだろう。

 ああ、宇宙は大きいな。アルマ・デッラはそんなことを思いながら静止軌道上を漂っていた。ノーマルスーツの腰には合成ゴムで出来た紐がくくりつけられ、往環船から離れてしまわないように結ばれている。

 

「ぼーっとするな。引っ張られるぞ」

 

 上司の声で我に返った。フェリコ・ポスが紐をつかみながら接触回線でこちらに注意していた。気付けばだいぶ流されている。慌ててロープをたぐり、身体を往環船の甲板に戻した。

 

「すみません」

「来るぞ、準備しろ」

 

 フェリコが言い終わる前に、なにかが上から降りてきた。

 はじめは鎧を着た人間に見えた。モビルスーツであると気付いたのはそれが甲板に降り立ち、胴体中央のコックピットが開いてからだった。宇宙は真空であるため遮るものが何もなく、物体は距離に関係なくはっきり見える。遠近感を狂わせると聞いてはいたが、いざ体験すると混乱しそうだった。

 モビルスーツはホッケーマスクのような顔をしていた。それが先日キャピタル・タワーを襲った海賊の機体であることをアルマは知らない。

 甲板に降り立ったノーマルスーツは見たことのないデザインをしていた。

 

「いつもご苦労様です」

 

 見た目とは違って親しげな口調と差し伸べられた手に拍子抜けした。戸惑うアルマを尻目にフェリコが手を握る。その様子は長年の友人関係を想起させた。

 

「ロマーニ商会にはいつもお世話になってます」

「こちらこそ、そちらの提供してくださる『あれ』に助けられています」

「これ、積み荷のリストです」

 

 そう言うと男は左手に持っていたリストを渡す。フェリコが一瞥している間にアルマもそれをのぞき込む。

 ずらっと羅列された項目の中に、「フォトン・バッテリー 一カートン」と記されていた。

 

「……確認しました。こちらの積み荷をそちらの船に積み替えましょう」

「ああ、それはこちらでやります。そのために【ロド・ゴッゾ】を持ってきたんですから」

 

 男はそう答えながら、甲板を蹴ってモビルスーツのコックピットに戻る。男が中に入るとハッチの閉じられたロド・ゴッゾとかいうモビルスーツは動き出し、往環船の格納庫に向かった。おそらく積み荷――モビルスーツの残骸などジャンク品を運ぶためだろう。

 

「さ、われわれは戻るぞ」

「あの。……何者なんです、あいつら」

「おれたちの大事な『お得意様』だよ」

 

 海賊のモビルスーツが、コンテナを抱えて格納庫から出た。

 

***

 

 アメリア軍の航空輸送機、通称【アウル】は、その名の通り大きく丸い胴体をしている。ミノフスキー・フライト輸送機としては大型で、一般的なモビルスーツなら対面式で六機は収容できるスペースがある。

 輸送機はアメリアのブルク前線基地から発進し、いまはアメリアとキャピタル・テリトリィの国境付近を飛んでいた。ドナ達のダベーを追っているところである。

 格納庫にレジィナのモンテーロが着艦したのはつい半日前のことだ。エフラグに掴まりどうにか戻ってきた機体は右腹部から腰にかけて損傷が激しく、今も整備班がつきっきりで修理に取りかかっている。

 片腹を破られて死んでいるように立ち尽くす愛機を、同じくらい傷だらけのレジィナはただ見つめていた。ガラス片などによる切創は重傷でないものの身体を動かすたび全身に痛みが走る。だが痛むのは身体ではなく、その内側だった。

 

「マゴス……トラッド」

 

 モンテーロの隣にぽっかりと開いたスペースを見る。出撃前はそこに部下ふたりの機体があった。二機のジャハナムの前で、どちらの腕が優れているかよく言い合っていたふたりの姿を思い出す。もう見ることは出来ない光景。

 部下を失ってしまった。死なせてしまった。なのに自分はのうのうと生きている。理不尽とはこういうものかと胸が苦しかった。何度味わっても慣れない痛みは、作戦に失敗したことよりも心に重くのしかかる。

 

「派手にやられたなあ、レジィナ中尉」

 

 感傷に浸る我が身を茶化されたように思えた。腹が立つのをこらえて声のした方を振り向く。

 ジーダック・ムルズが立っていた。ブリッジから降りてきて、こちらの様子でも見に来たか。慰めてやろう、などと思うわけはないだろうが。

 

「……大尉」

「部下を失い、機体も壊し、『トワサンガの女』も捕らえられず。大陸間戦争のエースも腕が落ちたな」

 

 こうも真正面から言われると、嫌味も屈辱的に感じる。なにかあると同じような嫌味を言ってくるこの男を、常々いつか殺してやろうと思っているが堪えている。まがりなりにも同じ基地に所属する上官なのだから、逆らうわけにはいかなかった。

 

「申し訳ありません。油断がなかったとは言いません」

「はじめからこちらに任せてくれれば良かったのだよ。部下の訓練にはちょうどいいと思ったのだろうが……こうなってしまえばな」

「失態です。処分は受ける覚悟です」

「貴様を更迭したところでターゲットは捕まえられん。まあ見ていろ。戦争のやり方を教えてやる」

 

 下品に高笑いをしながら、ジーダックは艦橋に戻っていく。やはりレジィナはこの男が嫌いだった。自分の方が格上なのだと強調してくる、器の小さい男。何かと突っかかってくるのは自分が女だからだろうかと考えて、なんと馬鹿馬鹿しいのかと笑った。

 男のプライドとやらを見せてもらおう。レジィナは笑みをこぼしたが、それが冷ややかなものであることに自分でも驚いた。

 

***

 

「ダベーの動きは?」

 

 ブリッジに入るなり通信席に座るオペレーターに声を掛ける。オペレーターはつまらなそうな顔を見せて返事とした。

 

「変わりありません。ずっと低空飛行で本部に向かってますね」

「このままテリトリィに戻られても面倒だが……攻撃できるポイントはないか」

「距離的に、仕掛ければ間違いなく増援が来ますね。一撃離脱が出来るなら……」

「だが敵には新型がいるんだろう? 未知数ではあるな」

 

 オペレーターをねぎらってその場を離れる。ジーダックはそのまま機長の隣まで歩き、肘掛けに腕を置いた。

 

「どうする、大尉」

 

 機長が尋ねる。

 

「監視は続けてくれ。チャンスができ次第、部下を連れて出る」

「わかった。レジィナは待たないんだな」

「ヤツは挽回しようとするだろう。それでは足手まといになるだけだ」

 

 わかったようなわからないような顔をしている機長の顔を見て、こいつも無能かと思った。部下に恵まれない隊長は大変だと嘆くジーダックにうぬぼれる癖が時々あることは、みなが周知の事実だった。

 

「キャプテン、ダべーから発した通信を傍受しました」

 

 通信オペレーターがいきなり声を張り上げる。停滞していた空気が一気に引き締まるような感覚を抱きながら、機長はつとめて平静な声で指示を出した。

 

「続けろ」

「……ロマーニ商会とコンタクトを取ってます!」

「ロマーニだと……」

 

 ロマーニ商会。キャピタル・テリトリィの北部に本社を構え、世界中で重機の買い取りや販売を主な生業としている企業だが、近頃は戦争で破壊されたモビルスーツの買い付けや部品の提供を行っている。民間から各国の軍まで幅広く相手にしている多国籍企業だが、裏では独自開発のモビルスーツや、さらには宇宙往還船を所有しているという噂もある。一代でジャンク屋から大手企業にまで成長させた取締役のマエネン・ロマーニは、若くして大富豪となったやり手の実業家であった。

 

「補給を受けるつもりかもしれん。いや、宇宙に上がるのか…・・!?」

 

 ロマーニは基本的にどこの軍に肩入れすることもないが、それが自らの利益になると判断したことには出資を惜しまない人間でもある。アーミィがなんらかの取引を持ちかければ、彼らに協力することは充分に考えられた。

 

「ロマーニの屋敷に向かうぞ」

 

 ジーダックがきっぱりと言い切る。眼光するどい彼の表情は険しい。頭の中で策を練っているのだろう。機長は彼に従うだけだった。

 

「よし、回頭だ。本機はこれよりロマーニ邸に向かう」

 

 命令に続いて機体が大きく揺れる。急速転換した輸送機は加速をかけ、ロマーニ邸のあるテリトリィ北部へ向かった。

 

 



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大富豪ロマーニ(4)

 

 甲高い電子音で目を覚ました。横になっているうち、いつの間にか寝てしまっていたらしい。二、三回まばたきをしてぼやけていた視界がクリアになると、窓の外が真っ暗であることに気付いた。今はもう真夜中のようで、照明を抑えた薄暗い運転席にはドナだけが座っている。ノォトは目を細めて彼女の後ろ姿を見た。

 

「……はい、では……」

 

 声をひそめて交信しているらしい彼女をよく観察しようと身体を起こす。衣擦れの気配に気付いたのかドナが振り向いた。

 皆を休ませてずっと起きていたのだろう。目の下にくまが出来ている。ぼんやりとしたコン・パネの灯りに浮かび上がる顔は、しかし疲れた表情は見せていない。こちらを見てすこし驚いた後、穏やかな明るい笑みを作っていた。

 

「起こしちゃったかな」

「いえ、そんな」

「……ごめんなさいね。君を巻き込んでしまって」

 

 そう言って頭を下げる姿はほんとうに申し訳なさそうだった。ノォトは慌てて「や、やめてください」と言ってそれを止めさせようとした。

 

「ドナさん……ドナ大尉が謝ることじゃないですから」

 

 言い慣れない「大尉」という言葉は、まるで現実感無く口から放たれた。

 

「それに、もうおれは無関係じゃないです」

「でもシエラは君のこと……あくまで知らないと言い張っているのよ」

「わかってます。だけどあいつ、独りでなにかやろうとしてるじゃないですか。そういうのほっとけないって言うか……知っちゃった以上、危ない目にあわれても嫌なんですよ。こっちの夢見がわるくなる」

 

 我ながらやけに饒舌だと感じたのは、照れ隠しからなのだろうかと思った。恋とかそういう感情から来るものではないはずだと自分に言い聞かせてみる。それは当たらずとも遠からずだ、という答えが脳裏に浮かんだ。

  

「……好きなんだ」

「そうじゃないですよ」

 

 ノォトは苦笑した。

 どぎまぎしているとでも勘違いしてくれたのか、ドナの表情はいっそう穏やかな笑みになった。ほんの一日程度の付き合いでしかないが、この人は自分やシエラの味方でいてくれる。そう信じさせてくれるような心地よい雰囲気を身に纏っていた。殺された同僚の死を悼んでくれた。自分はこの人のために何が出来るだろうか。シエラのために何が。ノォトはひとり思いを巡らせた。

 

「どこに向かうんですか」

「ロマーニ商会って聞いたことあるかしら」

「そりゃまあ。……そこに?」

「あそこの代表とはちょっと顔なじみでね」

 

 いたずらっぽくほほえむドナは何かを含んだような口調で答えた。ロマーニといえば名の知れた大手企業だ。ノォトも仕事上何度か関わったことがあるが、さすがに代表者を見たことはない。どういう人なんだろう、この人。わずかに疑問が浮かんだが、それ以上語らないドナを追求することはしなかった。今は詮索されたくないのだろうとひとり納得し、ベッドから抜け出した。

 久しぶりに使った全身の筋肉が緊張しているかのように張っている気がした。調子を確かめるように歩き、ドナの隣に立つ。

 

「代わりますよ」

「大丈夫なの?」

「もう痛みは治まってきましたし、リハビリしないと。寝てくださいよ」

 

 ありがとう、と言ってドナは隣のシートに移り、背もたれを傾けて横になった。ノォトはさっきまでドナが座っていたシートに座る。お尻がほのかに暖かいと感じた。しばらくするとかすかな寝息が聞こえてきた。無防備に眠る姿はとても軍人に見えない。もう何も音を発さなくなった運転室内で、ノォトは計器類の推移を眺めていた。

 

***

 

 キャピタル・テリトリィの国境付近にある小さな町、デルム。その郊外にある高台にロマーニ邸はそびえ立っていた。付近の廃墟にあった大型ドームにエフラグを隠し、ドナ達は屋敷の大きな門まで向かった。

 さすが世界有数の富豪ロマーニは、その住まいも豪華絢爛そのものだった。門をくぐってまず目に飛び込んできたのは広い庭と、その真ん中にある噴水だった。人魚の石像を真ん中に置き、その周りを水の塔が囲む。さらさらとした水の音は絶え間なく、よく見ればその水は色がついていた。中から光を当て照らしているようで、いくつもの色に変化しながら流れ続けていた。

 噴水のある広場を通り過ぎると、立派な屋敷の玄関に着く。外観は中世期のルネサンス様式で構成されていて、真っ白い外壁といくつもの円柱が左右対称に規則正しく配置されていた。

 荘厳な扉の前に老人が立っていた。クラシックな屋敷にふさわしいタキシードを着こなした老人は、ノォト達を見るなりうやうやしく頭を下げた。

 

「ようこそみなさま。旦那さまがお待ちしております、どうぞこちらへ」

 

 人に仕えることが喜びとでも言うような腰の低さで手招きする老人に案内され、一行は奥へ通された。

 木製で観音開きのドアは重厚な音を立てて開く。鏡のように磨かれた床を歩けば跳ね返ってくる抜けるような音が気持ちいい。窓から差し込む光すら屋敷を彩る装飾になっていた。生まれて初めて見る高さの天井にノォトは圧倒された。人の住む空間で、これほど広い場所が存在していたのか。見たこともない大きさのシャンデリアがぶら下がっているのにそれすら小さく見える。本物の豪邸に、ノォトは呑まれそうになった。

 執事に続いて応接間に入る。たちまち「よう、よく来たな」と声を掛けられた。やはりとてつもなく広い部屋の真ん中に置かれたテーブルを挟むようにソファが設置されていて、奥側のソファに腰掛けている男がその声の主だとわかった。

 事務所にあったものよりも格段に高級なソファに大股開きで座る男は、豪邸の持ち主には似つかわしくない若さだった。年齢を聞いたことはないが三十代だろうドナと二人で並べば、案外お似合いのカップルに映るのではないかと思わせる優男で、とても大企業の社長には見えない。

 

「マエネン・ロマーニだ。ようこそ、歓迎するよ」

 

 ロマーニは立ち上がって一同に頭を下げ、手を伸ばす。その手を握ったドナは「お久しぶりです、ロマーニさん」と礼を告げた。ノォトやシエラたちもみな頭を下げる。

 

「とりあえず、まずは汗を流せ。おまえらクサいぞ」

 

 言われて、全員ものすごい臭いを放っていることを思い出した。年中暑いキャピタル・テリトリィでまる一日シャワーも浴びていないのだから、それはすさまじい汗をかいている。ボディシートなどで身体を拭いてもべたべたした肌が気持ち悪いのも確かだった。

 

「お風呂の用意が出来ております。どうぞこちらへ」

 

 ずっと扉の前に立っていた執事がさらに奥へと招く。

 しばし歩く。屋敷の最奥までたどり着いて扉をくぐると、そこには大浴場があった

リギルド・センチュリーにおいて、羞恥心などは現代における一般的なものとはすこし感覚が異なっていて、入浴施設においては混浴がスタンダードなものであった。だから男女がお互いの裸を必要以上に意識することはなく、余計な気をつかわずに入るのが当たり前のことであった。

 みな、久々の湯浴みに嬉々としている。女性陣などはとくに顕著で、これまで溜まっていた疲れを吹っ飛ばしたような笑顔を咲かせている。

 しかしとんでもなく広い大浴場は、ノォトにとっては居心地が悪かった。普段はシャワーで済ませてしまうものだから「湯につかる」という感覚が慣れたものではない。だから湯に入ってもすみっこに小さくなっているだけで、湯船の真ん中にすっと泳いでいったリャンなどが内心うらやましくも思えた。

 

 それでも風呂から上がり身体を拭くとさっぱりしたという気分になる。

 大浴場を出て右に曲がったところにある部屋にバルコニーがあった。ノォトは風に当たろうと外に出る。冷たくはない風でも、ほてった身体を冷ますのには充分だ。

 太陽はまだ真上にある。青空が一面に広がっていた。ここからではキャピタル・タワーも見えない。

 バルコニーには先客がいた。シエラだった。ノォトは内心しまったと思いながらも後には退けず、すこし距離を開けて隣に並んだ。

 彼女はまだノォトには気付いていないようで、濡れた髪を拭くこともせずぼうっと空を見上げている。その目ははるか遠くを見ているようで、どこかうつろだった。

 

「……髪、渇かさないとカゼ引くぞ」

「うん」

 

 不意打ちのつもりでかけた言葉に意外な反応を返されて、逆に不意を突かれた。こちらが呆気にとられている間に彼女が口を開く。

 

「なんで関わろうとするの」

「なんでって、そりゃ」

「余計なお世話は昔から、かしらね」

「ほっとけないだろ。幼なじみが狙われてるなんて知っちゃったら」

「命を落とすことになるかもしれないのよ」

「お前がそうなったらいやだよ」

 

 本心を話したつもりだった。口にしてしまえばなんと単純な言葉だろうと思ったが、それがいま言えるいちばんの気持ちであることは間違いなかった。

 シエラが急に黙り込んだものだからよけい気まずくなった。まだ湿っている髪をタオルで削るように拭きながら、なんとなくシエラから目をそらす。

 

「ノォト」

「え?」

「あたしもいやなのよ。あたしのせいであんたが死ぬのも、あの人が傷つくのも」

「あの人って……?」

「トワサンガから来た人。うちで匿っていたけど、警察に通報されて捕まりそうになったからあたしが逃がしたの。身代わりになってね」

「……それで自称していたのか。『トワサンガの生まれ』なんて、ちょっと調べればすぐ分かるウソだろうに」

「そうするしかなかったの。あたしに出来ることなんて、それくらいでしかないから」

 

 彼女がそこまで言う“あの人”とはいったいどんな人物なのだろう。本当にトワサンガなる場所から来たのだろうか、何の目的で、どうやってベルガモまで来たのか。

 

「宇宙に上がって、そいつを探すのか」

「うん。彼が無事でいるか知りたいし、力になりたい。余計なお世話かもしれないけど……」

「なら、おれと一緒だな」

 

 シエラがはっとしたような顔を向けてくるから、ノォトは歯を見せて笑った。さすがに彼女もつられて口元をほころばせ、あきれたように鼻を鳴らす。先ほどから距離を詰めたわけではないのに、なんだか彼女の体温を感じた気がした。

 

「……あの……」

 

 とつぜん後ろから声をかけられてノォトは飛び上がった。あわてて振り向くと、目線のやや下にちいさな少女が立っていた。

 少女はおどおどした様子でこちらを見上げている。よく見れば身なりはかなり整っていて、いかにもこのお屋敷の御令嬢、といった趣だった。

 

「……お兄ちゃんたち、お父さんのお客さま?」

「そうよ。ロマーニさん……お父さんにお願いしたいことがあってきたの」

 

 ノォトが発言する前にシエラが屈んで答えた。小さな女の子はロマーニの娘らしい。なるほど目元がそっくりだとノォトは思った。

 

「仕事の話?」少女はとたんに興味をなくしたような、つまらない様子になってしまった。おそらく今までも、仕事の話をしに訪問する人間をたくさん見てきたのだろう。

 

「そうじゃないわ。あたしがね、お父さんの持ってる船に乗せてほしいって。それで宇宙に行かなきゃならないの」

「キャピタル・タワーじゃ駄目なの?」

「このお姉ちゃん、悪い子だからこっそり行かないと捕まっちゃうんだ」

 

 ノォトも少女と同じ目線になって言った。

 

「ミッコウするのね」

「そう、密航。それで今からお父さんに頼みに行くんだよ」

 

 シエラが睨んでいるような気がしたが、気にしない振りをした。ノォトの説明に納得した表情を見せた少女だが、その前になにやらもじもじした様子だ。

 

「お願いがあるの」

「なあに?」

「ちょっとだけでいいから、一緒に遊んで」

 

 改めて見てみれば少女の腕の中には大きなボールが抱えられている。

 そのボールはまだ新品のようにきれいで、使い込まれた様子はない。金持ちだから、という理由からではないのだろう。それを使って遊ぶ相手がいなかったのだと推測できて、その少女の願いを聞いてもいいのではないかという気持ちになった。

 

「うん、いいよ。あたしはシエラ。こっちはノォト。あなたは?」

「ラビ。こっち来て、シエラ!」

 

 ラビはシエラの手を引っ張りバルコニーから飛び出していった。急いでノォトも後を追う。

 広い庭で三人はボールを投げ合った。誰かがボールを受け取り、ほかの相手に投げる。単純な遊びだったが、ラビは心から楽しんでいる様子だった。自然とこちらの顔もほころぶ。

 

「楽しい? ラビ」

「うん! こういう事するの初めてだから」

「お父さんとか執事に遊んでもらわないのか」

 

 その言葉にラビの表情が曇った。ノォトは内心しまったと思いつつ、投げようとしたボールを胸元に抱えた。

 

「……お父さん、忙しいから。家に帰ってくるのもたまにだし」

「じゃあ普段は執事と……ふたり暮らしか」

「お母さんが亡くなってからはね。……でも、寂しくはないよ。今はお姉ちゃんたちとも遊んでるし」

 

 少女が作った笑顔はどこかぎこちなかった。

 

***

 

「それで。あの娘を上げるのにウチの船を使いたいってことか」

 

 さっぱりしたドナは、応接間に戻りロマーニに礼を告げたあとで本題に入った。大体の事情を説明し、彼の船にシエラを乗せてほしいと頼んだところだ。

 

「頼めますか」

「かまわないが、タダでとはいかないな。こちらにメリットが無いのはよくない」

 

 商売人である以上、見返りが必要か。どんな条件を出されるか想像をめぐらせるが、その答えが出る前に彼の口が開いた。

 

「……そうだな。アレをくれ。ダベーに載せてきたあのモビルスーツ」

「クアッジを、ですか?」

 

 予想外の要求に驚いたが、ロマーニの趣味を思い出し納得した。

 モビルスーツ・コレクター。彼はその点でも有名だった。新機種から前世紀のクラシックなモビルスーツまで、古今東西あらゆるモビルスーツを収集し展示しているというモビルスーツマニア。そんな男だから、見たことのないモビルスーツなどは喉から手が出るほど欲しいものかもしれない。

 

「あんな機種は見たことがない。“薔薇の設計図”がらみじゃないのか。だからあの機体と、その設計図をまとめて売ってくれ。それが条件だ」

「払い下げという形を取らせていただけるなら、要望には答えられましょう。では……」

 

 とつぜん、地面が激しく揺れた。地震かと思ったが揺れは一瞬で、そのあとに続いたのはスピーカーから流れる大音量だった。

 

「聞こえているな、マエネン・ロマーニ!」

 

 窓の外を見ると、屋敷の前にアメリアのジャハナムとエフラグの一個中隊が並んでいた。「角付き」の指揮官機らしいジャハナムのコックピットは開いていて、そこからジーダックが身を乗り出していた。

 

「『トワサンガの娘』をこちらに引き渡して貰おう。要求が受け入れられなければ屋敷を破壊する」

 

 ジーダックは不敵な笑みでそう言い、ロマーニの返答を待っていた。

 

 

 



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大富豪ロマーニ(5)

 

 フライスコップの運転席で、トライバ・ボゥイは息を呑んでいた。

 ロマーニは隊長の呼びかけに答えるだろうか。返答が「ノー」だった場合、屋敷を攻撃しなくてはならない。敵国であっても民間人を攻撃するなど軍人のやることとは思えなかった。

 

「かくまう理由なんてないだろ……さっさと引き出せよ」

 

 ひとり呟く。接触回線は常時オープンが原則だから、エフラグの上に乗っているジャハナムには聞かれたかもしれないが気にしなかった。初陣がこんな任務なんて。トライバは神にすがりたくなるような気分になりながら手を合わせ、目をつむった。

 

「……スコード……」

 

 願いをあざ笑うかのように、屋敷は沈黙していた。

 

***

 

「どうした! 何も言わないということは敵対と見なすぞ!」

 

 ハウリングしながら響き渡る声が不快だった。両手で耳をふさぎながら。ドナはロマーニに視線を送った。彼は頭の中で考えをめぐらせているのだろう。耳をふさぐこともせず窓の外を睨んでいる。

 

「ロマーニさん……!」

 

 すがるような声を出してしまったと、内心反省した。しかしシエラを引き渡すわけにはいかない。さりとて彼に迷惑はかけられない。切羽詰まる状況は、異様に長く感じられた。

 沈黙を断ったのは、ロマーニの合図だった。

 右手を水平に上げて執事になにかを目配せしている。彼もそれを即座に理解し、応接間を飛び出すとどこかへ消えてしまった。

 

「……大丈夫だ。アメリア(あいつら)の好きなようにはさせん。前から気にくわなかったんだ。代金踏み倒すし……」

 

 ぼやく姿がなんだかおかしくてドナはつい噴き出してしまった。張り詰めていた糸をぷつんと裁ち切られたようで、たちまち力が抜けていった。

 

「まあ見てな。ただのモビルスーツマニアじゃないって教えてやる」

 

 そう言ってにやりと笑うロマーニは悪そうな顔をしていた。さすがに本人には言えないので、密かにそう思った。

 

 しばしして、再び地面が揺れた。さっきより大きく感じた。それが屋敷のそばから出ていると気付いたとき、何かがアメリアの部隊に突っ込んでいくのが見えた。

 

***

 

「モビルスーツ!?」

 

 屋敷の傍には二つほど大きなドーム状の建物が並んでいる。ひとつはモビルスーツのコレクション・ルームとして使われていて、一般人にも公開されている博物館のような施設であった。もうひとつのドームは普段立ち入り禁止となっていて、その全貌はあまり知られていない。

 いま、その閉鎖されているはずのドームから飛び出してきたのは二機のモビルスーツであった。一機はカットシー、もう一機はグリモアに見えたが、トライバはその姿にぎょっとした。

 

「なんだ、あの派手な装飾は……!」

 

 二機ともに全身ごちゃごちゃと突起物や装甲板、重火器を搭載したモビルスーツはおよそ実用的とは思えない見かけをしていた。言うまでもなくロマーニの個人的な趣味なのだろう。役割としては施設の警護用なのだろうが、にわか仕込みの改造が性能アップにつながっているとも思えなかった。

 カットシーが迫る。原型機の最大の特徴でもある大型の背部ウイングは取り除かれ、右側に大型のキャノン砲、左にはレクテンで使われているビッグアームを装備した機体はバランス調整もロクに行っていないのだろう。やや右に傾きながら突進してくる。

「迎撃します!」

 

 上に乗っているジャハナムの男が怒鳴り、直後にエフラグが揺さぶられた。モビルスーツが離脱したのだろうと理解するより先に眼前に緑の機体が降りてきて、視界を遮った。

 突っ込んできたカットシーはジャハナムによってその動きを止められた。シールドでぶん殴られた敵機は吹っ飛ばされ、すさまじい砂埃を上げて地面に倒れた。

 

「来るぞ!」

 

 誰かの発した通信を聞くまでもなく、ドームからはさらに数機のモビルスーツが出ていた。全機にやはり趣味の悪い装飾が施されている。

 

「全機、戦闘態勢に入れ! 思い知らせてやるぞ!」

 

 隊長の号令のあと、通信にジャミングが入った。ミノフスキー粒子を撒いたのだとわかり、トライバは着陸していた機体を動かした。他のエフラグもそれぞれ上昇し、ジャハナム援護にまわった。

 

「こうなっちゃうのか……」

 

 苦虫を噛むような表情をしているのだろうと自嘲しながらトライバは呟いた。

 

***

 

 裏庭で遊んでいたノォトたちは、事情を察してとりあえず屋敷の中に戻った。大音量で「トワサンガの女を探している」と言われればシエラを隠さないわけにはいかない。不安そうにこちらを見上げるラビをせめて落ち着かせようと、やさしく頭をなでた。触れてみると想像以上に小さい頭だと感じた。

 

「また、あたしのせいで……」

 

 いつになく弱気なシエラの声はか細い。うつむく姿は昔を思い出させた。

 

「気に病んだって仕方ないだろ。今はとにかく避難しないと。……ラビ、隠れられそうないい部屋はないか」

「あ……二階の突き当たりに物置き部屋があって、そこなら安全だと思う」

「案内して!」

 

 ノォトの手からするりと抜け出したラビは先頭に躍り出て、ふたりを先導した。とんでもない大豪邸なだけあって、階段までたどりつくのも一苦労だ。長い廊下を走る途中でも何度かの揺れがあった。外では戦闘が激しくなっているのだろう。また、戦闘か。

 

「そんなに戦争が好きかよ……!」

 

 毒づきながらも、逃げ回るだけの自分がなんなのだろうと思った。彼女の力になりたいといいながら、この体たらく。もう身体の痛みはどこかに消えていた。アドレナリンが麻酔のように全身をめぐり麻痺させているのかもしれない。

 もう一回エフラグで突っ込むか? 冗談のようなことを考えながら、しかしもっと良い案が浮かんだ。すくなくとも今はそう思っていた。これも麻痺しているせいかもしれない。

 

「ノォト、どこいくの!? そっちは……!」

「おとなしく隠れてろよ!」

 

 言いながら、ひとり右に曲がる。外に繋がるはずの道に向かったのは間違えたわけではなく、そっちなら目的のものがあるはずだと感じたからだった。

 

***

 

「ここも危ない。避難しよう」

 

 落ち着いて言いのけたロマーニは、この状況を切り抜けられると本気で思っているようだった。窓から見た限りモビルスーツは装備過多で過剰装飾、パイロットは実戦など経験しているわけもない、ただ動かせるだけの素人に毛が生えた程度だろう。

 

「わたしたちも出ます」

「クアッジは駄目だ。アレにキズをつけたくはない」

「そんなことを……!」

 

 言っている場合か、と言いかけたところで爆発音が響いた。窓の外が真っ赤に染まり、警護用のグリモアがゴムマリのようにバウンドした。中のパイロットが這いずるように脱出するのが見えた。

 

「わがモビルスーツ部隊に任せておけばいい! さあ、早く!」

「……リャンは出します」

 

 返事を聞くこともせず、傍らにいたリャンに目配せする。うなずいたリャンは部屋を飛び出していった。レクテン一機でも援護にはなる。

 ここまできて、なにもできない自分を呪った。

 

***

 

 やはりモビルスーツは素人集団だった。ミノフスキー粒子下では接近戦が戦いの基本となるが、やつらはあくまで重火器を使おうとする。そうなればこちらのジャハナムは懐にとびこみ切り込むだけだ。あっという間にごてごてしたモビルスーツはほとんど地面に伏している。無駄な抵抗だと思え、それが余計にトライバを虚しくさせた。

 

「いわんこっちゃない……」

 

 ほっとしたのは自分が引き金を引かずに済んだということだった。人殺しをせずに済んだという安堵は一瞬の気の緩みを生み、敵の動きを見逃す結果になってしまった。

 火線が味方機を貫いた。打ち抜かれたジャハナムは沈黙し、その場に崩れ落ちた。

 レクテンがいつの間にか出ていた。動きが他の機体と全然違う。

 

「アーミィが出てきた!?」

 

 トライバは機体を降下させ、レクテンに対し銃撃を行う。当たるとは思っていない。牽制の意味で撃ったが、レクテンはジャンプしてそれを回避した。そのまま敵は「角付き」のジャハナム――隊長機に向かった。

 

***

 

 リャンは最初から「角付き」に狙いを定めていた。戦力差を覆せるとも思っていないのだから、まず指揮官機を潰す。それで撤退してくれればよし、そうでなくとも足並みは乱れるはずだ。フットペダルを踏み込み、ブーストをかけて一気に近づいた。

 

「仕留めるっ!」

 

 右手に持たせていたビームサーベルを発振させ、「角付き」めがけて振りかぶる。敵はシールドで受け止めたあと距離を取った。追従しようとするが、後ろから飛来してきたビームの光に踏みとどまった。

 

「ビーム!? どこから……」

 

 背後を映すカメラ画像を呼び出す。二つあるドームの内、「博物館」のほうからモビルスーツが出てくるのが見えた。何という機種なのかは知らない。おそらく前世紀(宇宙世紀)のモビルスーツ、そのレプリカだろう。その機体がビームライフルを構えながらまっすぐ歩いてくる。

 誰が乗っているのか。ドナ隊長かもしれない。密かにそう思いながら、隣に並んだレクテンの肩に手を置く。接触回線が開き、リャンは「隊長ですか!」と叫んだ。

 しかし返ってきたのは「違いますよ!」という絶叫にも似たノォトの声だった。

 

 



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大富豪ロマーニ(6)

 

 シエラ達と別れたあと、ノォトは「博物館」に向かった。モビルスーツ・コレクターで有名なロマーニのことだから、何かしら動かせるモビルスーツがあると踏んでの行動だった。道筋を頭でなぞりながらひた走る。身体の痛みはまったく感じなかった。

 ドームに入ると想像以上の光景に圧倒された。見たことのないモビルスーツが所狭しと並んでいる。どれも新品のように磨かれていて展示品そのもののようだから、すべて動かないものではないのかとにわかに不安になった。

 入り口からいちばん近くに立っている機体を見上げる。かたわらの看板には「ガルバルディ」と書かれていた。機種名だろう。オーソドックスな人型のフォルムは操縦しやすそうだと判断し、そばにあった移動式タラップを使ってコックピットまで昇る。

 人間でいう胸部、その左側にハッチはあった。脇にあるボタンがその開閉スイッチになっているようで、おそるおそる押してみた。確かな手応えのあと静かにハッチは開いた。電源は通っているらしい。ノォトは中をのぞき込んだ。

 まだなにものも光を放たないコックピット内は真っ暗で、ノォトの背後から射し込む外の明かりがうっすらと全体を浮かび上がらせるだけだ。ハッチの淵を手がかりに中へ潜り込み、シートに座る。手探りでなぞるコンソール周りも当時を再現しているらしく古めかしい。マニアにはたまらないのだろうと思うが、いざ使うとなれば面倒でしかなかった。手当たり次第に突起物を押す。どうにか起動ボタンを引き当てたようで目の前のコン・パネが立ち上がる。そこに浮かんだ表示を見てぎょっとする。

 

「レクテンそのままじゃないのか……!?」

 

 機体の全身図がCGで映し出されている。それは明らかにレクテンのもので、おそらくシステムはそのまま使っているのだろうと推測できた。画面上に現れる機能や数値は大してアテにならないと判断し、無視することにした。

 コックピット内に明かりがともり、この中が球体をしていることにいまさら気付いた。いくつかの壁面がカメラ映像を映し出す。頭部からの視点だとわかったが、真ん中だけぽっかりと開いている。ハッチを閉じるボタンを探し当てて操作し、ひとつながりの映像が完成した。

 フットペダルをゆっくり踏み込む。機体が微かに上下し、映像が前に進む。一歩、歩いたらしいと分かった。動かすだけならどうにか出来るかもしれない。

 これなら戦える。根拠のない自信は自惚れに変わり、ノォトを錯覚させた。

 マニュアルを呼び出す。基本的な動作はどんなモビルスーツも一緒だと思えた。その場で一通りの操縦方法を確認したあと、近くにあったビームライフルを手に持たせドームから出た。

 操縦桿を握る手が汗ばんでいることには気付かなかった。

 

***

 

 クラシックなモビルスーツが加勢に来たのも驚いたが、それに乗っているのがあの少年だということはもっと驚いた。リャンは接触回線が繋がったままのノォトに向かって「なんでお前、それに乗っているんだ!」と怒鳴った。

 

「なんでって……援護ですよ!」

「シロートに出来るのか!」

「引き金を引くだけなら出来ます!」

 

 そう言いながらがむしゃらにライフルを撃つ姿は危なげで、見ているこっちが冷や汗をかきそうだった。まず彼を落ち着かせることが先決だと判断し、リャンは自機をクラシックなモビルの前に割り込ませた。同時に後ろ手で銃身をつかみ、動きを封じる。

 

「でたらめにやっても意味はない! やるなら狙いを定めるんだ」

 

 しばし沈黙が続いた後、息を切らしながらノォトが呟くように言った。

 

「……すみません……わかりました」

「ふたりであの『角付き』をやる。牽制してくれればいい、出来るな?」

「やります」

 

 きっぱりと言い切った返答にもう大丈夫と安心し、リャンはノォトから離れた。「角付き」に突撃しながら、ノォトの乗っているクラシック・モビルスーツはなんという名前なのだろうとふと思った。

 

 向こうも素人が乗っていると気付いたのだろう。ノォトのモビルスーツに狙いを定め突進してくる。

 リャンはスラスターを拭かしながらその前に立ちふさがり、ビームサーベルで斬り上げる。「角付き」はジャンプして回避するが、その頭上をビームがかすめる。ノォトの援護射撃は思ったより精度がいい。それにレプリカといえどいっぱしのモビルスーツ、その武器も本物のようだ。

 そんなものを個人で所有しているロマーニとはなんなのかという疑問はとりあえず保留にして、リャンは眼前に舞い戻ってきたジャハナムの頭部にサーベルを押し当てる。ゴツンという音のあとでトリガーを引く。ゼロ距離で発振されたビームはジャハナムの頭部を融かし、金属の蒸発する音を響かせた。

 崩れるように「角付き」は倒れ、視界から消えた。真下になったその巨体から、ノーマルスーツが飛び出した。ジャハナムやレクテンとの対比で小人のように見えるその姿は、しかしリャンに違和感を抱かせた。ほどなくしてその理由に気付く。

 

「あの男じゃ……ない!?」

 

 バイザーを上げた顔面蒼白の男は若く、スピーカーでやかましくがなり立てていたあの男とはまったくの別人であった。

 やられた――。そう思ったとき、ロマーニ邸の二階、西の窓側で爆発が起きた。

 

***

 

 突然のことに頭が真っ白になりながらも、とにかく少女を守らなくてはならないという思考だけは働いた。シエラはかばうようにラビを抱きしめ、背中で爆風と瓦礫を受け止めた。熱と痛みが交互に襲ってくる。つらくて目も開けられない。苦痛に悶えながら、腕の中の少女だけは放すまいと必死に抱き続けた。 

 やがて爆発の勢いはおさまり、シエラは目を開けて周りを見渡した。あたり一面に煙が舞い、壁があった場所にはぽっかりと空洞が開いている。腕の中のラビを見やる。けがや火傷のあとはどこにも見られず、ひとまず無事のようだ。すこしきつく抱きしめすぎたようで、けほけほと咳をしている。とっさに腕をほどく。

 

「ごめん、だいじょうぶ?」

「うん……ありがとう、お姉ちゃん」

 

 ほっとしたのもつかの間、人の気配を察した。シエラは振り向き壁を見る。

 男が立っていた。

 

「運がいい。ちょうどここにいたとはな」

 

 にたにたと笑う男が口を開けると、ねばりついた糸を引いて気持ち悪かった。先ほどのスピーカーで怒鳴っていた声だとわかると、シエラは身構えた。

 どうすればいい。一瞬のうちにあれこれ考えをめぐらせていると、思考がとつぜん中断した。

 たちまち全身から力が抜け糸の切れた人形のように崩れ落ちる。視界がぼんやりとかすみだし、目の前にいるラビの顔すらよく見えなくなる。

 

「にげ……て」

 

 どうにか絞り出した声は自分でもうまく聞き取れない。ラビはおろおろしているだけだ。足音が近づいてくる。男は――シエラを通り過ぎ、ラビの腕をつかんだ。

 

「来てもらうぞ、おとなしくしろよ。暴れられて落ちたらたまらんからな」

 

 必死に抵抗するラビも大人相手ではどうしようもない。男はラビを抱きかかえるとそのまま壁の穴から外へ飛び出した。彼が背中に装備していた推進装置(ランドムーバー)から伸びる白煙を目で追いながら、シエラは少しでも身体を動かそうとした。

 ちがう。その子は関係ない――。そんな言葉を最後に浮かべ、シエラの意識は途絶えた。

 

*** 

 

 少女はもう抵抗をやめ、されるがままにしている。思ったより利口そうだと思いつつ、ジーダックはドーム状の建物まで飛んだ。「博物館」を通り過ぎ、もうひとつのドームに近づいたところでその外壁にまだ残っていた手榴弾を投げる。爆発が穴を開け、その中に入る。目当てのものを見つけ、その前に降り立つ。

 

「ついでだ。こいつをもらおう」

 

 立ち尽くしていたクアッジのコックピットを開け中に乗り込む。基本的なシステムはユニバーサルスタンダードであるようで、難なく起動することが出来た。

 補助シートを引っ張り出し、そこに少女を座らせる。

 

「おとなしく座っていろよ」

「……」

 

 少女はなにも答えない。

 ジーダックは機体を前進させ、ドームを突き破るように思い切りジャンプした。クアッジは飛び出し、加速をつけた機体は一気に戦闘地帯まで飛ぶ。

 悪くない性能のようだ。にやりと笑ったジーダックはすこし興奮していた。

 

***

 

「じゃあ、こいつは囮ってことですか?」

「わざわざスピーカーでがなり立てたのも、姿をさらしたのもおれたちの目を引きつけるためだろう。おれたちが「角付き」に気を取られている間に、単身で潜入しシエラを狙う。さっきの爆発もそういうことだ」

 

 横たわるジャハナムを囲んでノォトとリャンはそう話していた。乗っていたパイロットはその場から離れ、味方に回収されていた。

 してやられたと思った。気付いたときにはもう敵の術中で、おそらくシエラに接触されてしまったと感じた。

 二度目に起こった爆発の後、空を飛ぶ人影が見えた。あの男だろうと推測できたが、その脇になにかを抱えていた気がするために下手な手出しはできなかった。

 

「ヤツはドームに入っていった。エフラグでも奪うつもりだ」

「人質を取られて何もできないなんて……!?」

 

 ノォトは接近する機影に気がつく。ドームから出てきた機体はクアッジだった。

 

「ヤツめ、モビルスーツを……!」

「止めます!」

「やめろ!」

 

 ノォトは突進してくる機体に接触しようとした。動きを止めるくらいはできるかとガルバルディの両手を広げて待ち構えたが、クアッジはその手を払い突き飛ばす。ふたりの間をかきわけてクアッジはアメリア軍に合流し、エフラグに載せられた機体はそのまま戦場から離脱していった。他の機体も順次撤退し、あとには死体さながらの警護モビルスーツの山と、立ち尽くす二機のモビルスーツだけが残された。

 

***

 

「……ラビが?」

 

 屋敷に戻ったノォトは、応接間で横になっているシエラからそう告げられたとき、驚きを隠せなかった。言葉を発した彼女自身もその事実を受け入れるのがつらいようで、その表情は暗かった。

 敵の狙いはシエラのはずだ。なんで無関係な少女をさらっていったのかと訝しんだ。

 

「間違えた、ってことかしら」

 

 シエラの腕に巻かれた包帯を取り替えながらドナが言う。彼女もまた沈んでいる。

 

「……どちらにせよ、このままにはしておけないわ」

「そうだ! 娘は取り返してもらうぞ、絶対にだ! それができないようなら宇宙になぞ連れて行けん!」

 

 ひとり鼻息の荒いロマーニが、ものすごい形相で全員をにらみつける。はじめに感じた優男といった雰囲気はすっかり剥がれ落ち、今にも誰かの首でも絞めそうな剣幕だ。

 ノォトは悔やんでいた。自分がふたりと離れなければこんなことにはならなかったのではないか。自分に力があると思い込んだ末の身勝手な行動。すべてが裏目に出てしまったと痛感し、落ち込むだけだった。

 

「おい、お前」

 

 とつぜん声を掛けられたものだから、ノォトは反応が遅れた。顔を上げるとロマーニが鬼のような形相をこちらに向けている。

 

「わたしのモビルスーツを勝手に動かしておいて、娘もあのモビルスーツも奪われおって。……許さんぞ」

「すみませんでした。ラビだけでも必ず……」

「お前に約束できるのか! ただの若造のくせに」

「……」

 

 それ以上反論することができなかった。

 もう何も考えたくはないという気分を抱いたまま、ノォトは黙って応接室をあとにした。行く当てはなかったが、とにかくその場から逃げたかった。

 廊下に出てすこし歩くと裏庭が目に入った。ラビと三人でボール遊びをした陽光射し込む庭は、それが幻だったかのように薄暗くさみしげな空間でしかなかった。

 

 

 

 

――第三話「スタート・アップ」に続く



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