R.I.P. (石井一才)
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第一部 Riders
第一話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(1)


 

 巨大なバンの中で十二人の男が揺られている。彼らは一言も発することなく、ただ金属のぶつかり合う耳障りな音と、夜風が車体を打つ音だけがしている。

 

 その中の一人、伊祭隼人(いさいはやと)は自らの手に収められているドイツ製短機関銃のチャージングハンドルを素早く前後させて、その動作が正常であることを確認した。

 

 隼人と同じ、セラミックプレートを仕込んだインターセプターボディアーマー、CQBホルスター、ダンプポーチ、コンバットブーツなどを着込んだ黒尽くめの男たちも同様に自らの装備を確認していく。そのヘルメットにはただRIDERとだけ白文字で抜かれていた。

 怪人(ウルズ)相手ではこんな装備は気休めにもならない。むしろ、彼らの()()()()()にとっては邪魔だ。それでも、これらの着装を義務付けられているのは、怪人(ウルズ)ではない一般犯罪者には有効であるし、()()()()()を使用するまでの生存率を上げるためだった。

 

 

 RIDERの隊長である園崎がタブレットを片手に作戦内容を読み上げ、全員に確認する。彼らの仕事には大きく分けて二種類あった。じっくりと準備期間をとって多数の凶暴な相手を殲滅するか、ろくに説明を受ける時間すらなく気の触れたたった一人を鎮圧するか。

 

 今回は両方だった。つまり、ろくに準備の時間もなく、多数の凶暴な相手を殲滅する。

 

「現場は北東港の倉庫街だ。そのうちの一つが大規模なShock-ARの製造工場になっていた。恐らく多数の怪人(ウルズ)が中に潜伏しているだろう。理想は変態する前に不意打ちして、人間態のまま確保することだ」

 隼人は手を上げた。

「正確な人数は?」

「出ていない。だが、重度の中毒者(ジャンキー)は間違いなく存在する。恐らく、複数体はな」

 

 バンが到着したのは封鎖線の内側だった。誰かが乱暴に開いたバックドアから隼人たちはタラップを踏んで次々と降りて、目標の近くにある別の倉庫に向かう。

 

 倉庫の中には既に、警視庁組織犯罪部五課と厚生省の麻薬取締官の合同捜査班が待っていた。民間の運輸業者の倉庫だが、今は捜査協力の名のもとに突入本部として使われている。昨日までは監視本部だったのだろう。

 倉庫の一角にホワイトボードが持ち込まれ、そこには目標の倉庫の外観や、望遠で隠し撮られた出入りする男たちの写真が貼られている。

 目標の倉庫は、見た目には他の倉庫となんら変わりはない。だが、この中で津波のようにShock-ARが製造されているのだ。騒音を訝しんだ付近の利用者の通報と、麻取の内偵で判明したらしい。

 

 合同捜査班の捜査官による詳細なブリーフィングを終えたあと、園崎は隊員たちに宣言した。

「三班に分ける」

 アルファ、ブラボー、チャーリー。アルファは正面から突入し、ブラボーは製造者らの逃亡を防ぐため裏口を固める。チャーリーは今いる倉庫屋上から対物ライフルで援護射撃。園崎は隊員たちに次々と指示を出し、彼らをその三班に割り振っていった。

 

 隼人はアルファだった。怪人(ウルズ)と直面する可能性がもっとも高い。正義と天国に一番近い役割。

 

「各自、着装しろ」

 

 園崎の言葉をきっかけに、隊員たちは深く息を吐き、呼吸を整える。隼人も同じく、自らの精神を集中させる。

 

 隼人は右腰に備え付けられたバックルから、ゆっくりと無言でイグニッションキーを引き出す。結わえ付けられたスリングが伸び切って、キーは隼人の胸の前で止まった。そこに左腕を近づける。その手首に巻きついているブレスのような装置が、エクスドライバ(XD)。彼らRIDERの本当の装備だ。

 

 ふっと息を吐いて、キーをXDに差し込む。

 

 キーを認証し、XDが起動する。このキーは個体毎に異なるので、別の隊員のキーを奪ったとしてもXDは起動しない。そもそもスリングが切られた時点で、スリングを通してキーに流れる微弱電流も切断され、その起動装置としての効力は失われる。

 起動したXDは超々低濃度のエルトシチニン溶液――つまり広義のShock-ARを隼人の手首の静脈に注入する。これこそが、XDの使用に精神集中を要する最大の理由である。超々低濃度とはいえ、Shock-ARを摂取するのだ。不安定な精神ではバッドトリップを招き、最悪の場合怪人(ウルズ)化ということも理論上はあり得る。

 

 また無言で着装することにも意味はある。分用意な発言が作戦行動に不必要なトリップ感をもたらす可能性は既に知られている。

 

 XDが流し込んだエルトシチニンは静脈血管を通って、心臓へ、そして全身へと浸透していく。

 ほぼ同時に、指の先から順に骨を叩き折られたような激痛が走り始めた。それに伴って、隼人の身体が幾何装甲(G.A.)に覆われていく。Shock-ARによる人体の変態作用をXDがコントロールし、隼人の身体を兵士としての身体に変貌せしめたのだ。

 鋼色の幾何装甲(G.A.)は隼人の全身を締め付けるように装着されている。Shock-ARの変態作用を利用しているため、もはやそれは鎧というよりかは肉体と不可分の隼人の一部である。

 着装の激痛も過ぎ去り、隼人は動作を確認するためぎっと自分の右手を握りしめた。

 幾何装甲(G.A.)の原材はおそらく超硬合金と思われているが、超硬合金にはあり得ない異常な曲げ強さを誇る。何度も右手を握っては開き、異常がないことを確認する。

 

 周りを見ると、既に他の隊員たちも幾何装甲の着装を終えていた。

 その風貌は隼人とまったく変わらないが、蜥蜴のようなヘルメットだけは隊員毎に異なるペインティングが施されている。ある隊員が趣味で始めたもので、彼らのヘルメットも彼が塗ったものだ。本来は何らかの規定違反なのだが、個人識別に寄与するということで園崎からは黙認されている。隼人のヘルメットは初期装甲(デフォルト)のままだった。

 

「全員着装を終えたな。作戦行動を開始する。散開しろ」

 

 隊員たちはそれぞれの班に別れて行動を開始する。隼人もアルファの班長に従って、突入本部から出撃した。

 

 男たちは短機関銃を構えたまま、訓練された動きで夜風のように静かに目標の倉庫に近づく。

 

 倉庫正面までたどり着くと、隊員の一人が短機関銃を下ろし、両手をシャッターに突き立てた。幾何装甲(G.A.)の指先はずぶずぶと鋼鉄のシャッターに沈みこみ、まるで障子紙のようにシャッターを縦に引き裂いた。

 

 その裂け目から、隼人を含むA班は素早く突入する。

 

 倉庫内には巨大なベルトコンベアが走り、至る所で白衣の人間たちが作業をするライン工場の体をなしていた。Shock-ARの製造に特有の雨後のような湿った匂いを、強化された嗅覚が感知する。

「RIDERだ! 全員、膝をついて両手を上げろ!」

 天井に向けて何発か威嚇射撃すると、男たちは観念したようにうなだれ、次々に両手を上げて膝をついた。

 

 隼人たちは分散し、十数人ほどいる男たちの背後に回り込んで、フレックス・カフで両親指を縛り上げ、床に転がしていく。

 

「案外あっけなかったですね」

 隊員の一人が、班長にそう言った瞬間、冷たい倉庫内に男の咆哮が響いた。

 白衣を着た男の一人が、叫びながら立ち上がり、フレックス・カフを引きちぎる。

 

「しまった、遅かった! 変態するぞ!」

 

 白衣の男の容貌が徐々に変貌する。筋肉が盛り上がり、頭部が肥大化する。白衣と中に着ていたシャツが引き裂かれ、化物じみた男の身体があらわになる。

 そして現れたのは蟹とゴリラの間の子のような奇妙な生き物だった。人間ではあり得ないほど全身の筋肉が巨大化し、両腕は蟹の鋏のようになっている。

 

「クソ!」

 

 そばにいた隊員が咄嗟に短機関銃の引き金を引くが、ただの弾丸など蟹の化物はまったく意に介していなかった。真っ直ぐに隊員に近づき、その巨大な指節でその腹を挟み切った。幾何装甲(G.A.)はあっさりと破壊され、上半身と下半身が血を吹き出しながら、離れ離れになる。

 蟹の化物はその上半身を器用につまみ上げ、アマゾンの怪鳥のような鳴き声を上げた。

 

 怪人(ウルズ)

 

 常人では戦うどころか、生き延びることすら不可能の理外の化物。

 

「水沢!」

 

 班長は短機関銃を投げ捨ると、腿のホルスターから高周波短刀を抜いて、蟹の怪人(ウルズ)に飛びかかる。横薙ぎに襲いかかるその大鋏を避けて、高周波短刀を怪人(ウルズ)の胸に突き立てた。怪人(ウルズ)は悲鳴を上げてのけぞる。班長はくるりと身を翻し、後ろ蹴りでその踵を短刀の柄に叩き込む。刃は更に深く怪人(ウルズ)の身体に沈み込み、その心臓を貫いた。

 血液の混じった泡を吹き出しながら、蟹の怪人(ウルズ)は倒れ込んだ。

 

 安堵は一瞬だった。倉庫内で次々と叫び声が上がる。隊員たちの注意が逸れた隙に、まだ拘束されていない男たちがShock-ARを注入し、変態したのだ。

 

 隊員たちは怪人(ウルズ)を殲滅するべく、即座に散開する。

 

 隼人も手近にいた怪人(ウルズ)に向けて走り出した。既に変態を終え、豹と人の混じったような姿になっている。

 隼人は短機関銃を連射しながら、駆け寄る。走りざまの銃撃など普通は当たらないが、幾何装甲(G.A.)の並外れた腕力をもってすれば、反動を押さえながら走ることなど容易い。

 顔面に集中して弾丸を叩き込み、相手の視界を遮る。マガジンが切れたところで、短機関銃を投げ捨てると、怪人(ウルズ)の腹に拳を打ち込んだ。呻き声を上げながら怪人(ウルズ)は反撃の腕を振り上げるが、その爪が隼人の身体を引き裂く前に、怪人(ウルズ)の顔面を掴み上げ、床に叩きつけた。

 コンクリートの床が沈み込み、放射状にひび割れる。隼人は素早く腰のホルスターからサイドウェポンのイタリア製自動拳銃を抜き、怪人(ウルズ)の口に突っ込む。

 

 そして弾丸をありったけ、満装填十六発の九ミリ弾をその脳髄に撃ち込んだ。

 

 いくら怪人(ウルズ)が通常弾の効かない強靭な身体を持っていたとしても、それは外側だけの話で、身体の内側に関しては人体と変わらない。内側から破壊された怪人(ウルズ)の頭部はもはや元の形状もわからないほどぐちゃぐちゃになっている。そこから流れ出る赤い血と白い脳漿の混じった液体が、沈み込んだ床に水たまりを作っていた。

 

 息をつき見上げると、他の隊員たちも既に怪人(ウルズ)を鎮圧していた。

 

 

 死者一名、逮捕者十三名の戦闘はこうして幕を閉じた。

 

 

 このカウントに怪人(ウルズ)は含まれていない。

 

 

 怪人(ウルズ)は人ではない。

 

 

 

 

 近未来、日本は深刻な薬物汚染の危機に晒されていた。

 

 薬物の名はShock-Accelerator。エルトシチニン系のケミカルドラッグだ。通常は使い切りのカプセル型注射器に封入された形で流通され、静脈注射による使用が一般的である。Shock-ARの主な特徴は、使用した際の多幸感、幻覚作用、強力な中毒性。だが、既存の薬物と一線を画す、その最も危険で最大の特徴は使用者の肉体を変貌せしめる異常な変態作用にあった。

 

 Shock-ARによって変態した人間は化物じみた容貌と、その容貌に相応しい並外れた身体能力を持ち、怪人(ウルズ)と呼称される。

 

 警視庁は怪人(ウルズ)対策法の下に、XDを使用する対怪人(ウルズ)特殊暴圧部隊RIDERを組織し、その殲滅に当てた。当時、アンダーグラウンドでShock-ARを使用することを“ライドする”、Shock-ARの使用者を“ライダー”と呼んでいたことから、公的部隊の名称をRIDERとすることで隠語撲滅の目的があったと見られている。

 

 そして怪人(ウルズ)対策法が制定され、RIDERが設立されてから四年が経った。未だにShock-ARは暴力団やマフィア、ストリートギャング、更に個人によって製造、流通が続けられている。

 

 日本は未だ、Shock-ARの危機に晒されている。

 

 



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第二話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(2)

 

 殲滅は終了した。だが、水沢の遺体を運び出すのは後だ。

 

 倉庫内を掃討し、残りの製造者がいないか確認しなければいけない。XDを停止し、合同捜査班を中に入れるのは、倉庫内の安全を確保してからだ。

 

 隼人たちは幾何装甲(G.A.)を着装したまま分散し、倉庫内を確認していく。隼人は扉の一つを開き、部屋の中に入る。

 

 そこは製造したShock-ARのカプセル型注射器の置き場のようで、二十個ほどの空の注射器が収められた木製の枠が、天井に届くほどうず高く積み上げられていた。

 隼人はそれを蹴りつけ、破壊する。中には誰も隠れてはいなかった。

 だが、代わりに奇妙なものを見つけた。

 奥に置かれた木箱が衝撃で割れ、ベルトのようなものがはみ出している。

 木箱を引き裂いて、ベルトを取り出す。

 

 バックル部に装置のようなものが取り付けられている。どうやら、ここにカプセルをはめることで、Shock-ARを体内に注射することができるらしい。見たこともなければ、聞いたこともないデバイスだ。恐らく試作品だろう。もしかしたらXDと似たようなものを作ろうとしたのかもしれない。

 

 隼人はそれを取り上げ、しばらく眺めた。それから他の隊員が見ていないことを確認すると、カーテンをずらして窓を開けて、そのベルトを隣の倉庫の屋上に向かって思い切り投げた。

 

 幾何装甲(G.A.)によって強化された腕力で、ベルトは軽々と宙を舞う。Shock-ARに含まれるエルトシチニンによって鋭敏になった聴覚が、ベルトが無事に屋上に着地した音を聞きつけた。

 

 

 

 

 他に隠れている者はいなかった。

 

 隼人たちは水沢の上半身と下半身を一つの遺体袋に入れて、倉庫の外へと運び出した。

 連絡を受けて到着していたトラックに水沢を載せ、ようやく隼人たちRIDERの仕事は完了した。少なくとも、今日のところは。

 明日になれば今作戦の報告書を作成しなくてはならないし、RIDERから死者を出したとなれば、衆議院の薬物汚染対策委員会が作戦内容が適切であったかを判断する審議会を開く可能性もある。そうすればまた資料作りだ。

 

 だが、少なくとも今日の仕事はこれで終わりだった。

 

 隼人らは警視庁術科センターに戻り、XDを返却し、装備を外して私服に着替える。

 

 それからのち、出撃毎の医療部によるエルトシチニンの血中濃度検査を受ける。怪人(ウルズ)対策法により、体内のエルトシチニン濃度が一定以上になった隊員は怪人(ウルズ)化を避けるため、XDの使用に一年の空白(ブランク)を挟むことが義務付けられている。個人差はあるものの、出撃回数が決まっているようなものだ。隼人は年内にあと五回は出撃できるだろう。

 

 待機警戒班を残して、ようやく生命の危機が去ったことに気づきながら他の者は帰宅を始める。

 

 

 だが、隼人は先程の倉庫街にトンボ返りした。

 

 太陽が昇り始めた早朝の北東港の一部には既に所轄の警察によって封鎖線が張られていた。数人集まった野次馬を制服警官が追い払おうとしている。隼人はバイクを翻し、目当ての倉庫を求めて港を流す。

 探していた倉庫は運良く封鎖線の外側にあった。隼人はバイクを降り、シャッター脇の扉から倉庫の中に不法侵入する。

 

 屋上の真ん中に、それはあった。

 

 ベルト型の注入器。所在なさげに屋上に転がっている。

 

 拾い上げてみると、大した傷もなく、壊れた様子も見受けられない。

 

 隼人はベルトをメッセンジャーバッグにしまうと、港を後にした。

 

 

 

 七畳一間のアパートに帰り、シャワーを浴びてから、ベルトを取り出す。

 

 部屋の真ん中にあるテーブルに置き、あぐらを掻いてそれを見下ろす。

 

 ベルトはまるで拘束具のように金属で出来ていて、バックル部にはShock-AR注入用と思われる可動装置がついている。しばらくいじってみると、バックルが開き金属製の空洞部が飛び出した。と、同時に反対側の端から小さなレバーが立ち上がる。恐らく、これを倒すことでShock-ARの注入を開始するのだ。

 

 飛び出た空洞部には円筒形の穴が一つ空いていて、一般的なShock-ARカプセルを挿入できるようになっている。別に製造業者の組合があるわけでもないのに、ほとんどのShock-ARのカプセル型注射器は規格が統一されている。

 

 隼人は溜め息をつき、ベルトをテーブルの上に戻した。

 自分はこんなものを拾ってどうするつもりだったのか。麻薬取締法が改正されて以来、Shock-AR自体はもちろん、空の注入器の所持でさえ違法だ。恐らく、このベルトも注入器と見なされる。

 

 こんなものを隠し持っているのが見つかればどうなるか。

 

 隼人の脳裏に架空の新聞記事の見出しが踊る。『RIDER隊員が注入器所持で逮捕』『Shock-AR汚染は司法内部にも』そしてスポーツ紙には隼人が一度も会ったことのない薬物仲間のインタビューが載るに違いない。

 

 警察官になることが子供の頃からの夢だった。そのために身体を鍛え、武道や格闘技を習い、間違った正義は行いたくないと思って求められる以上の法律の勉強さえした。その結果がほとんど殺し屋のような特殊部隊の隊員だが、それでも警察官には間違いはない。

 

 そういった隼人の人生のほとんど全てを、このたった一本のベルトは容易く破壊できるのだ。

 

 だが、

 

 隼人は部屋の壁を見上げる。

 

 その壁紙は巨大な都内の地図だ。線で描かれた街の至る所に、写真とメモ書きが貼ってある。その内容は、中毒者(ジャンキー)たちの溜まり場、()()()売人(プッシャー)の販売ルート、そして出現した怪人(ウルズ)たちの情報だ。恐らく組織犯罪部五課と同等か、わずかに上回る情報精度だろう。

 だが、そこに元締めや製造工場の情報はない。隼人の求める者ではないからだ。

 

 隼人が探しているのはたった一つ。

 

 蜘蛛の怪人(ウルズ)に変態するShock-AR中毒者。

 

 隼人の親友を殺した怪人(ウルズ)だ。

 

 

 母衣優一とは大学で出会った。隼人は法学部、優一は薬学部だった。サークルで出会い、すぐに優一の彼女を加えて三人で遊ぶようになった。より優れた警察官になるために二十四時間の全てを捧げていた隼人にとって、それは数少ない気晴らしで、ほとんど唯一といっていい幸福な時期だった。

 

 今でも昨日のことのように当時を思い出せる。優一が髪を切ったとき、ほとんど坊主のような短髪になり、そのことを笑ったら、怒って三日間大学に来なかった。部屋を訪ねて、優一の彼女に仲介に立ってもらって謝った。

 

 優一は自転車に乗れなかった。学校帰りには隼人はいつも自転車を押して、優一と一緒に近くのラーメン屋まで歩いていった。一度、なぜ自転車に乗らないのか、と訊かれた。そのとき隼人は何と返したらいいのかわからなかった。そんなことを考えたこともなかったからだ。

 答えに窮している隼人を見て、優一は笑った。

 

 お前のそういうところがいいところだ。

 

 

 事件は三年生のときに起こった。

 

 Shock-ARによる汚染問題が表面化し、メディアにも取り上げられた頃だった。都内でも年に何体か怪人(ウルズ)が出現し、だが、それでもまだ自分だけは安全なのだと人々が思い込んでいた頃。

 

 そのとき、怪人(ウルズ)が大学構内に現れた。

 

 最初、その男はふらふらと奇声を上げながら、構内に侵入してきた。不審者と見て取った警備員が近づき、取り押さえようとしたが、狂人特有の膂力で弾き飛ばされていた。

 優一が眉をひそめ、この場を離れよう、と言ったとき、優一の彼女が悲鳴を上げた。

 

 男の肉体がめきめきと異音を立て、化物じみた姿へと変貌を始めていた。肉体が破裂し、身体の中から全く新しい生き物が脱皮してきたかのように、男は二足歩行する蜘蛛のような怪人(ウルズ)に変態した。

 

 真っ直ぐにこちらに向かってくる怪人(ウルズ)

 

 そのとき隼人の身体は動かなかった。

 

 鍛えた肉体でぶつかれば押し止めることもできたかもしれない。黒帯を持っていた柔道の腰払いで地面に叩きつけることもできたかもしれない。

 

 だが、隼人の身体は一切動かなかった。

 

 怪人(ウルズ)の手が優一の彼女に伸びたとき、初めて隼人は「あ」と漏らした。

 

 だが、身体は動かなかった。

 

 怪人(ウルズ)の手が優一の彼女に触れようかというとき、その腕を優一が掴んだ。

 蜘蛛の怪人(ウルズ)は苛立たしげに唸り声を上げると、優一の手を掴み返し、握り潰した。優一の悲鳴は聞こえなかった。既に怪人(ウルズ)によって首を絞められ、気管が塞がれていた。優一の首の骨は怪人(ウルズ)の握力に耐えられなかった。あまりにも軽い音が響いて、優一の身体から力が抜けた。空気の抜けたゴム人形のように優一は捨てられた。

 

 怪人(ウルズ)がゆっくりと振り返り、隼人を見る。

 

 黄色い複眼の全てが隼人を捉える。その複眼に映る無数の自分を、隼人は見る。

 

 そのとき、発砲音が響いた。銃弾が\怪人《ウルズ》の身体に当たって火花が散った。

 

 通報で駆けつけた制服警官が発砲したのだ。怪人(ウルズ)は奇声を上げ、殺戮の対象を隼人たちから、その警官に移した。\怪人《ウルズ》は走り出し、その隙に隼人は優一の彼女の手を引き、その場から逃げ出した。

 

 それが、隼人がようやく起こした行動だった。

 

 

 あのとき自分は何もできなかった。

 

 警察官を目指すと言いながら、指一本動かせなかった。

 

 普通の薬剤師を目指していた普通の大学生の優一の方が、怪人(ウルズ)に立ち向かい、そして死んだ。

 

 それから隼人は優一以外にもわずかながらにいた友達との付き合いを全て絶ち、本当に全ての時間を警察官になるために捧げた。その苛烈さはまるで罰のようだったが、隼人が受ける罰としてはあまりに軽すぎた。

 

 

 あのとき死ぬべきは隼人だった。

 

 




全然仮面ライダー出てきませんね。申し訳ないです。
もうちょっと我慢してください。もうすぐ出てきます。
我慢すればするほど、出たときにきもちいいのです。


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第三話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(3)

 

 夜になり、隼人はパーカーのフードを目深にかぶり、伊達眼鏡をかけ、黒いマスクを着けると、売人(プッシャー)の巡回しているルートの一つ、歌舞伎町の裏通りに向かった。

 カラオケや居酒屋、無料案内所、風俗店のネオンが毒々しく光っている。発情する蛍のように、街全体が点滅し、輝いている。

 

 今までどれだけ探し回っても、蜘蛛の怪人(ウルズ)の噂を聞くことはできなかった。Shock-ARの中毒性は覚醒剤をも上回るし、使用すれば怪人(ウルズ)への変態の可能性もある。というのに、蜘蛛の怪人(ウルズ)の話はまるで聞かない。RIDERが蜘蛛の怪人(ウルズ)を駆除した記録はないが、もしかしたら、反社会組織の抗争に巻き込まれて既に死亡しているという可能性もある。

 

 それならば、死んだということを確認しなければならない。

 

 黒塗りのバンがゆっくりと裏通りを走り、こちらに近づいてくる。

 隼人はそれに向けて手を上げる。

 

 独自に捜査を始めて一年、隼人は初めて売人(プッシャー)の車を止めた。

 

「なんか用か?」

 助手席の窓が下がり、顔に入れ墨を入れた男が気だるげに尋ねる。

「ゲキが欲しい」

 

 ゲキ、とはShock-ARの隠語だ。()()を縮めてゲキ。古典的で単純だが、伝わりやすい。

 

「何の話だよ」

 入れ墨は困惑した風を装って吐き捨てる。だが、それが演技であることは明らかだ。

「俺をおまわりだと思ってるのか」

「違うのか?」

 

 警察官が犯罪者を見抜けるように、犯罪者も警察官を見抜ける。おとり捜査に従事するような刑事は特別な訓練を受け、それは一定の効果を上げているようだが、隼人の自己流の方法ではやはり無駄だったようだ。

 

 隼人は自らの左手を掲げた。その小指は数ヶ月前、怪人(ウルズ)相手の戦闘で吹き飛んだ。が、もちろん相手はそんなことは知らない。

 

「元、だよ」

 

 小指のない左手を見て、少なくとも現在は警察官ではないと確信したのか、入れ墨の顔から緊張感が抜ける。

 

「乗れよ」

 

 同乗者によって、バンのスライドドアが開かれる。身を硬くした隼人を男は急かした。

 

「Shock-ARなんて持ち歩いてるわけねえだろ。特別な場所があんだよ。俺たちが貰うのはそこまでの送料だ」

 

 隼人は意を決し、バンに乗り込む。

 ほどなくしてバンは発車した。

 

 車中にいるのは運転手を含めて三人の男。運転席と助手席と、隼人の隣に一人座っている。彼らは全員無言で、軽薄そうだった助手席の入れ墨男すら一言も発さない。聞こえるのは獣の鳴き声のようなエンジン音だけだ。窓は黒いスモークガラスで覆われ、どこを走っているのかはわからない。

 

 一体どこに連れて行かれるというのか。こいつらがShock-ARの在処を知っているというのも嘘かもしれない。どこか人気のないところに攫われて、半殺しの目に遭うかもしれない。

 

 だが、もうじたばたしても、どうしようもない。

 

 隼人はパーカーの下で腰に巻きつけておいたベルト型注入器をぐっと握りしめた。

 

 

 

 時間の感覚も狂い、一体どれほどの時間バンで揺られていたのか見当もつかない。十分か一時間か、二時間か。まるで永遠のような時間を暗闇で過ごした後、バンが停車した。

 

 停まったのは、郊外の廃病院前だった。住宅地からも少し離れているようで、都内のはずなのにまるで田舎のように薄暗かった。点在する街灯も、飛び飛びに割られて蛍光灯を盗まれているせいで、用をなさない。

「ここか? 廃墟に見えるが」

「そこが素人の浅はかさ。ついてきな」

 助手席の入れ墨は人差し指をくいくいと曲げ、廃病院に向かって歩き出した。バンは男と隼人を置いて出発する。中心部に戻り、また新たな買い手を求めて繁華街を流すのだろう。仕事熱心なことだ。

 

 腐ったフェンスをくぐり抜け、雑草だらけの元駐車場を歩き、病院の建物前まで来たところで、入れ墨が隼人に手を差し出した。

 その手をじっと見つめる隼人に対して、入れ墨は苛立たしげに声を荒げた。

「察しわりいな。金だよ、金。ここまでの案内代」

 入れ墨は顔を歪めて催促する。隼人はジーンズの尻ポケットからマネークリップで挟んだ札束を取り出す。普段はもちろん財布を使っているが、保険証や、免許証などの身分が割れそうなものを携帯するわけにはいかない。

 

「いくらだ」

 

 隼人の手の中にある虎の子の札束をちらっと入れ墨は見た。

 

「ええーと……五十」

「ぼるなよ。タクシー代だけで五万か?」

「くそっ。三十でいい」

 隼人はマネークリップから一万円札を三枚取り出し、入れ墨の手に握らせた。

 

 入れ墨は地面を蹴るようにして歩きながら、病院へと近づく。

 玄関は、元はガラスの自動扉があったのだろうが、既に叩き割られており、代わりにプレハブ材が打ち付けられている。

 

 入れ墨はその木の板をがんがんと拳の背で殴った。

 

 プレハブ材の一部、ちょうど人間の目の高さほどにある部分がぎこちなく開き、濁った両目が隙間から覗く。

「ホッパーキング」

「クロスファイア」と入れ墨は答えた。

 

 目抜き扉が閉められ、プレハブ材が苦しそうにスライドし始める。一人分通れそうな隙間ができると、男は隼人に手招きしてからそこにくぐり込んだ。隼人もそれに続く。

 

 中ではスキー帽をかぶった男がパイプ椅子に座っていた。その脇が拳銃で膨らんでいることを隼人は見て取る。

 

「ご新規様だ。元おまわりだってよ」

 

 隼人は入れ墨男の首の後ろを掴んで引き寄せた。

 

「余計なことを言うな」

「おー。怖い怖い」

 おどけたように入れ墨は肩をすくめた。そんなやり取りを一切無視して、スキー帽が顎をしゃくる。入れ墨と隼人はその指示に従って、薄暗い病院を奥へと進んだ。

 

 病院内は埃っぽく、薄暗い。ここに大勢の人間がやって来て治療を受けていたなど、悪い冗談のように思える。

 

 しばらく進むと、エントランスの中央に地下へと続く階段が現れる。無機質で角ばった病院の内装の中で、その階段だけは酷く乱雑だった。まるで地獄で罪人に作らせたようだ。

 

「この先にShock-ARがある。お望みならどんなドラッグでも」

「どうも」

 隼人は気の入っていない感謝を述べると、躊躇なく足を踏み出し、階段を降り始めた。

 

 背後で入れ墨が口笛を吹くのが聞こえた。

「ふつうの奴は、ちょっとはビビるけどな」

 隼人はそれを無視して、階段を降り続けた。

 

 階段は土竜の掘ったように曲がりくねっていて、先など一切見えない。

 

 やがて薄紫色の光が差し込んだかと思うと、隼人の視界に巨大なホールが飛び込んできた。

 

 紫の光と乱暴なクラブミュージックに満ちたホールにはラリっていると思われる男女がまばらに立っている。更にその向こうには人だかりができて、金網で閉じられた巨大なリングのようなものを囲んで歓声を上げている。格闘技のショーでもやっているのだろうか。

 

 ホール全体に焦げた匂いが満ちていて、天井に滞留するマリファナの煙を見るまでもなく、ここがドラッグを取引し、使用するための場であることがわかる。こんな廃病院を買い取って、地下まで改造するような資金力があるのはマフィアか暴力団しかあり得ない。ということは、()()()も相当あるはずだ。

 

 ホールの人間と思われる黒服の男が近づき、隼人に向かって一礼した。

「ようこそ、ピノキオ様」

「ピノキオ?」

「ここでは名前は問われません。皆、ピノキオ様です」

「ここは鯨の腹の中ということか」

「もちろん、ピノキオ様同士で名乗られるのは構いません。そうでなければ、用をなしませんからね……私共が提供するのはアルコールだけです」

 

 場を貸し与えているだけ、という形態らしい。どうやら更にここでShock-ARの売人を探さなければならないらしい。

 

「ご注文は?」

「……ギネスを瓶で」

 

 黒服の男は再び一礼し、どこかへ消えていった。

 

 この二年間の私的な捜査の中で、恐らく最も薬物汚染の現場に近づいた瞬間だ。情報をかき集められるだけ集めたい。

 

 隼人はとりあえず手近にいた男女に声をかけた。

「何をキメてるんだ。ゲキか?」

「あああん?」と振り向いた男はヴェポライザーをつまんでいた。聞かなくてもわかった。大麻だ。

「いや、いい。それ誰から買った?」

「あそこにいる売人(プッシャー)だよ。ヘソだか、ゴマだか言う変な名前の奴」

「それはもうヘソのゴマじゃん」

 同じくヴェポライザーを咥えていた女の方がげらげらと笑い出す。その笑いは男の方にも伝染し、二人は腹を抱えて床を転がった。

 

「蜘蛛の姿をした怪人(ウルズ)の噂を聞いたことがあるか?」

 隼人の質問ももはや耳に届いていない。二人は無限に連なるトリップの波に飲まれて、笑い続けている。

 

 やはりラリってる奴ではなく、売人(プッシャー)に尋ねるべきだ。

 

 そこで黒服の男が戻ってきて、うやうやしく隼人にギネスの瓶を渡した。マスクをずらし、既に栓の空いたそれをとりあえず口に運ぶ。独特の苦味が隼人の喉に絡みついた。

 

「蜘蛛の怪人(ウルズ)を探してんの?」

 

 少年のような声がして、隼人は顔を隠すマスクを戻してから振り向いた。

 

 そこにいたのは長身痩躯の銀髪の青年だった。まるで高校生のようにも見える幼い顔立ちで、吹けば飛ぶような線の細い身体をしている。

 

「知ってるのか?」

「俺はラブ。金さえ貰えれば何でも売ってやれるよ。武器だろうが、情報だろうが、Shock-ARだろうがね」

「そんなことは訊いてない。蜘蛛の怪人(ウルズ)について知ってるのか、って訊いてるんだ」

 ラブと名乗った青年は屈託のない笑みを浮かべると、右手を差し出し、親指と人差し指をこすり合わせた。幼く見えるが、やけに古典的なジェスチュアを知っている。

 隼人はマネークリップから一万円札を一枚抜き出すと、ラブに手渡した。今夜はとんだ散財だ。

 

「何も知らない、ってことを知ってるよ」

 満足げに一万円札をポケットに突っ込みながら、事も無げにラブは言った。

 隼人は正面にいるこの青年を殴りつけないよう我慢せねばならなかった。

 

「……ちなみにShock-ARはいくらする」

「グラムで十、かな。今の相場は」

「やけに安いな」

「馬鹿言わないでよ、おっさん。一万じゃないよ、十万円だよ」

 覚醒剤のおよそ四倍。一瞬目眩がした。相場が高くなれば、使用者の数が抑制されると思うのは間違いだ。Shock-ARは高い中毒性を誇る。中毒者はShock-ARを買う金を手に入れるためなら、盗みだろうが人殺しだろうがなんだってするし、怪人(ウルズ)に変態すればそれらの犯罪行為はいとも簡単に行えるのだ。元締めが価格を吊り上げるのは当然と言えた。

 

「一つ寄越せ」

 

 隼人は唸るように言うと、マネークリップから再び金を抜き出す。今度は一万円札を二十枚。だが、ラブが札束を取ろうとした瞬間、ぱっと上げてそれを避けた。

 

「今度は本当にあるんだろうな」

「あるあるって。ほら」

 ラブは自分のコートを開いて見せる。その内ポケットにはShock-ARのカプセルがいくつも入っていた。

 

 隼人は金を渡し、ラブからShock-ARのカプセルを一つ受け取った。

 

 これでいつでもベルトを使うことができる。蜘蛛の怪人(ウルズ)と戦う手段は整った。後は見つけるだけだ。

 

 そのままカプセルをポケットにしまった隼人を見て、のぞき込むようにラブは顔を突き出した。

 

「あれ? ここで使わないの? ここなら変態しても大丈夫だよ」

 

 ほら、とラブが指し示した先は、ホールの奥にある金網リングだ。観衆の隙間をよく見ると、リングの中では異形の化物が組み合っている。

 

「あそこの中なら、怪人(ウルズ)になっても文句は言われない。希望者がいれば、怪人(ウルズ)同士でも戦えるよ。Shock-ARのトリップは、やっぱりあの姿で暴れ回ってこそだもんね。もちろん死人も出るけど、それはここの人が処理してくれるし」

 

「設備が整ってるんだな、ここは」

 皮肉のつもりで言った隼人の言葉を、ラブは額面通りに受け取り、ほくほくとした笑顔を浮かべた。

「そうでしょ。俺も二ヶ月前からここに来てるんだけどね。一番居心地いいよ」

 まるで自分のおもちゃを自慢する子供だ。

 

「ねえ今Shock-AR使わないんなら、他のは要らない? エスもクサもあるよ。それともLSDとかの方がいい? 冒険したいってんなら、ロシアの新しい安い奴とか……」

「要らん」

 隼人は手を振るが、ラブはまるで親戚の子供のようにまとわりついてくる。

「ええー、もったいないよ。こんなとこまで来たのに。他の売人(プッシャー)もいるから大きな声じゃ言えないけどさ、結構良心的な値段でやってるんだよ俺」

 

 どうも何か買うまで離れる気はなさそうだ。厄介な売人(プッシャー)に声をかけてしまったものだ。大麻でも一つまみ買えば追っ払えるかもしれないと思ったが、そうすると今度は隼人が吸うまで一緒にいるかもしれない。それは流石にまずい。

 

 そのとき、クラブミュージックにまぎれて、背後で男の大きな声が聞こえた。

 

「頼むよ。売ってくれよ!」

 

 ラブを近づけないようにしながら、後ろを振り向く。ぼろぼろの服を着た中年の男が一人の売人(プッシャー)の足にしがみついていた。

「あんたが金持ってないのなんて皆知ってんだよ、おっさん。離せ!」

「金ならなんとかする。銀行だって……」

 言い終えるのを待たず、売人(プッシャー)は中年の顎を蹴り飛ばした。

「俺にこんなことをして……スパイディが黙ってないぞ……」

 痛みにあえぎながら呟く中年の後頭部に売人(プッシャー)は唾を吐きかけた。

「御託はいいから金を持ってこい。こっちはボランティアじゃねえんだよ」

 売人(プッシャー)怪人(ウルズ)同士の殺し合いを観戦しに、リングの方へと歩き去っていった。

 

「たまにいるんだよね。ああいう周りがなんも見えていない中毒者(ジャンキー)が。そのうち出禁になるよ」

 馴れ馴れしげに肩を叩こうとしてきたラブの手を避け、隼人はその中年に近づいた。しゃがみ込み、中年を起こしてやる。

 

「あんた……」

「お前、今スパイディと言ったな。蜘蛛の怪人(ウルズ)について何か知ってるのか?」

「蜘蛛の……? あ、ああ、そうだ! 俺の友達だ!」

 

 中年は落ち窪んだ眼窩の中で異様に瞳を光らせながら、何度も何度も頷いた。

 

「スパイディを探してるのか? スパイディのいるところまで連れて行ってやるよ! 代わりに、代わりにヤクを何でもいいからくれ!」

 

 隼人はポケットからさっき買ったばかりのShock-ARを取り出すと、少し迷った後、ポケットにしまった。

 

「なんで!」

「おい、ラブ」

「あいあい。なんでしょう、ご主人様」

「こいつにシャブを三グラムほど渡してやれ」

 隼人はマネークリップから適当に金を抜き出すと、ラブに渡した。

「もったいない。ドブに捨てるようなもんだと思うけどね」

 ぶつくさ言いながら、ラブはポケットから覚醒剤が熱密封されたビニールの小袋を取り出し、中年の男に向かって投げた。

 

「ゲキを、Shock-ARをくれよ!」

「今お前に怪人(ウルズ)に変態されたら、たまらんからな。そのスパイディって奴のいるところまで連れて行ったら、渡してやる」

「本当だな! 嘘をついてないな!」

 

 異様な熱意で何度も念押ししたあと、中年の男は立ち上がり、ラブから貰った覚醒剤の小袋を破ると、粉薬のように飲み下した。

 

「あーあ。もったいな」

「クソアイスを飲んだらちょっとしゃっきりした。ついてきな……えーと、あんた名前は」

 

 少し考えた後、隼人は答えた。

 

「ピノキオだ」

「なら、嘘をつけば鼻が伸びるはずだな」

 

 中年はにやりと笑う。たるんだ頬の皮膚が醜い皺を作る。

 

 手招きする中年に付き従って、隼人はホールを後にした。

 

 階段に足をかけたとき、背後からラブの声が聞こえた気がした。

 

「またいつでも来なよ。待ってるからさー」

 

 




まだ変身しないのか!いい加減にしろ!
ご安心ください。次回、ついに変身します。


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第四話 今、剣を抜け、お前の名前は正義(4)

 

 

 階段を上り、病院を出ようとしたところでスキー帽に、迎えを呼ぶか、と尋ねられたが中年はそれを断った。

 

「スパイディは近くで待ってる。俺がヤクを持ってくるのをスパイディは待ってるんだ」

 そう言うと中年は地面を蹴りつけ、ジャンプするように歩き出した。隼人もそれを大股で歩いて追いかける。

 

 

 夜の空気の匂いは僅かな自己嫌悪と自身の力の拡大感をもたらす。隼人はポケットの中でShock-ARのカプセルを握りしめた。ところどころに屹立する無事な街灯には幾種もの蛾がまとわりつき、そのうちの何匹かは自らが求めた光によって羽を焼かれ落下していく。

 

 十分ほど歩くと、住宅地らしき場所に入ってきた。田舎特有の巨大な敷地と、それを塞ぐブロック塀がぐねぐねとした道路に沿って建てられている。時刻は既に夜半過ぎ。立ち並ぶ家々に灯りはなかった。

 

 中年は小道を入ると更に進む。舗装されていない道を抜けると、巨大な工場《こうば》とそれに併設された一軒家が現れた。

 

 工場は既に使用されておらず廃材が外壁に立てかけられている。敷地には腰の高さほどの雑草が生い茂り、家の方にも住人はいないようで玄関に蜘蛛の巣が張っている。

 

「ここにそのスパイディがいるのか」

「ああ……ああそうだ! あの工場の中で待ってる」

「お前から中に入れ」

 

 隼人は顎で工場の方を示した。中年はえっぐ、と一つげっぷをすると、先程までの軽々しい足取りとは打って変わってゆっくりと工場に向けて近づいた。隼人はその後ろを一定の距離を保ってついていく。

 

 中年は工場の扉を開く。半ば腐っていた扉の蝶番が外れ、草薮の中へ倒れ込む。

 

 月明かりすら届かない工場の中は塗りつぶしたような暗闇だった。そこを隼人が覗き込もうとした瞬間、中年は闇の中へと素早く飛び込んだ。

「おい!」

 隼人は思わず駆け出す。同時に脇に吊るしておいた伸縮式の特殊警棒を抜いて、思い切り振り出す。四一四〇カスタムスチールの二六インチだ。怪人《ウルズ》相手でも怯ませる程度の効果はある。

 

 

 だが工場は漆黒に満ちていた。目をつむっているのと変わらない暗さの中で、隼人は自分の目が慣れるのを待ちながら耳を澄ませた。XDを装備していればどんな些細な音でも聞き逃さないし、夜目になるのも早い。だが、今は生身だった。

 

 そのとき背後から何者かに組み付かれる。汗のすえた臭い、埃が鼻をつく。隼人は無理矢理振り返り、腰にしがみついているその背中に警棒の柄を叩きつけた。唸り声が上がり、襲撃者の正体が中年であることを確信する。

 

 スパイディなどいなかったのだ。

 

 揉み合いになりながらも、中年の手が隼人のジーンズのポケットに伸びる。

 隼人は警棒でその腕を殴りつけたが、距離が近すぎる上に体勢が不安定で威力が出ない。中年はそのままShock-ARのカプセルを奪い取ると、隼人を突き飛ばした。

 

 ようやく闇に慣れてきた目で、クリスマスプレゼントを貰った子供のようにカプセルを両手で握りしめる中年の男を睨みつける。

「騙しやがったな。ヤク中が」

「報酬を先に貰っただけだ! 今から会わせてやるよスパイディに!」

 言うが否や、中年はシャツの袖をめくり上げ、注射痕だらけの右腕の肌を露出させると、その静脈にShock-ARカプセルを突き刺した。中年がボタンを押すと、内部のインジェクターが空気の漏れたような音を立ててピストンし、Shock-ARを中年の体内に注入した。

 

 中年は笑い声と泣き声と怒声の混ざったような咆哮を上げた。事実そうなのだ。このドラッグは使用者の全感情を綯交ぜにしたままで、極限まで最大化させる。

 

 中年は空になったカプセルを握り潰す。割れたプラスチックの破片が黒く汚れた手の平に食い込み、血が流れ落ちる。

 

 中年の身体がみるみるうちに変態していく。まるで空気入れで膨らまされるカートゥーンキャラクタのように中年の身体は肥大化していく。シャツのボタンやズボンのジッパーが弾け飛び、やがて衣服そのものが裂け落ちる。

 

 細く密集した体毛が生え始めたその身体は黄と黒の入り交じった色へと変わっていく。

 

 そして頭部すらも変態していく。粘土で作られた人形のように、中年の顔面は崩れ去り、代わりに緑色の複眼や、毛の生えた触肢や鋏角が現れる。

 

 そして現れたのは、隼人が追い求めてきた相手だった。

 

 

 蜘蛛の怪人(ウルズ)

 

 母衣優一の仇。

 

 

 隼人は叫び声を上げると、変態を終える直前のスパイディ《傍点》の脳天に警棒を振り下ろした。岩を叩いたような激震が隼人の手に走る。よろめいたスパイディの頭に続けて何度も何度も警棒を振り下ろす。そこに特殊部隊員としての技術はなかった。そこにいたのは七年前の、まだ警察官を目指していた頃の伊祭隼人だった。

 

 だがその暴力も止まる。完全に変態を終えたスパイディが六本ある腕のうち、一本の手で隼人の警棒を掴んだのだ。そしてもう一つの手が隼人の腕を握り、いとも簡単に吊り上げる。隼人の身体が宙に浮く。

 

「スパイディは痛かったってよ。すごい怒ってる」

 そう言うと怪人(ウルズ)は警棒を投げ捨て、サンドバッグのように隼人の身体を五つの拳で殴り始めた。受け身もとれぬまま、隼人は台風に揉まれるぼろ布のように、その暴力の嵐に蹂躙されるしかない。無軌道に殴りつけられ、全身に痛みが走る。

 

 興奮したスパイディは隼人の身体を投げ捨てた。コンクリートの工場の床に叩きつけられる痛みは感じなかった。既に隼人が感じることのできる苦痛の限界量を振り切っていた。

 

 激痛を訴える脳が真暗闇の工場の中に白い火花を見せる。点滅する視野の中で、こちらに近づいてくる蜘蛛の化物。隼人はなんとか立ち上がると、物陰に向かって走り出した。

 

「隠れんぼは苦手だが、ゲキをくれたお礼に付き合うよ」

 

 走る最中に何かに足を引っかけた。それは運良く何かのスイッチだったらしく、工場の設備が動き出しモーター音がわめき出す。これでShock-ARによって鋭敏化した奴の聴覚をいくらかは誤魔化せる。

 

 隼人は息を潜めて溶接機材の後ろに隠れる。機材に背をつけて座り込む。あまりの激痛に叫び出したいが、今は呻き声一つ漏らしてはならない。なんとかあのスパイディに気づかれないように、ここを抜け出さなくてはならない。

 

 そう考えた自分を、隼人は殴った。

 

 もう一度逃げ出そうとした自分を、力の入らない拳で殴った。

 

 隼人は隙間からスパイディを確認する。スパイディはふらふらと歩きながら、物陰を覗いては笑い声を上げる。

 奴は怪人(ウルズ)になること自体が目的となってしまった重度の中毒者(ジャンキー)だ。Shock-ARも普通の薬物同様で、使用すればするほど耐性がつき、より多くの量を摂取することができる。今は一本のShock-ARしか使用していないため、普通の怪人(ウルズ)と変わらないが、これ以上奴がShock-ARを手に入れれば、XDを着装したRIDERが複数人かかっても倒せるか怪しい相手となる。そんな奴をこのまま野に放つことはできない。

 

 だが、と隼人は自分の腰を見下ろす。そこには空のベルトが巻きついている。

 

 武器を持たない今の自分では奴の格好の餌食になるだけだ。

 

 そのとき、何者かが隼人の肩を叩いた。

 

 隼人は半ば無意識にその手を掴み、親指を捻り上げる。

「ちょ、ちょいちょい。ギブギブギブ」

 その手の主はラブと名乗った先刻の売人(プッシャー)だった。小声で悲鳴を上げると、隼人の腕をタップしている。

 

 そのとき、自分の顔を隠すものが何もないことに気づいた。マスクは落ち、パーカーのフードはスパイディに殴られたときに破れている。

 

 咄嗟にラブから顔をそむけ、囁き声で怒鳴る。

「こんなところで何をしてる」

「いやあ、あんまり怪しすぎたのにほいほいついていくからさ。尾行しちゃった」

 

 その言葉を聞きながら周囲を見回すと、近くに溶接用のマスクが一つ転がっていた。工場の若い人間が使っていたのか、髑髏を象った洒落た意匠だ。隼人の趣味ではないが、選り好みはしていられない。それを素早く拾い上げ、頭に被る。奇跡的にぴったりだった。

 

 ようやく人心地がつき、ラブに向き直る。

 

「何? 今さら顔を隠すような間柄じゃないじゃん。水臭いなあ」

 隼人はポケットからマネークリップで挟んだ札束を取り出すと、ラブの目の前に叩きつけた。

「これでありったけのShock-ARを寄越せ」

 ラブは素早く札束を拾うと、一枚ずつめくり抜け目なく検分した。

「払いっぷりいいねえ。その男気に免じて、ちょっとサービスしよう」

 そう言ってコートに手を突っ込み、乱雑に掴んだShock-ARのカプセルを隼人に手渡す。その数、五本。隼人は四本をジーンズのポケットにしまい、残りの一本を握りしめた。

 

 再び隙間からスパイディの位置を確認する。奴はまるで見当違いの方を探し回っていた。

 

 立ち上がりかけた隼人の服の裾をラブが引っ張った。

 

「待って。あんた初めて(バージン)だよね」

「それがどうした。何か問題あるのか」

 気勢を削がれた苛立ち混じりで隼人は答える。

 

「もしかして素で使う気? 映画も音楽もセックスもなし? そんなの勿体ないよ」

「俺はトビたいわけじゃない」

「ああ、わかったわかった。変態したいんでしょ。でも、それなら余計何か要るって。素寒貧で怪人(ウルズ)に変態できるのなんて玄人だけだよ」

 

 ラブの言うことは正しい。このベルトは変態作用を統御するXDと違い、ただの注入器に過ぎない。強烈なトリップをせねば、変態はできない。

 

 隼人は立ち上がった。

 

「やるなら楽しまないと」

 

 そう言うとラブは闇の向こうへと消えていった。

 

 隼人は一歩ずつスパイディへと近づく。

 

 これまで隼人たちの立てる物音を隠していた機材が急に動作を停止する。暗闇が吸い取ってしまったかのようにモーター音が掻き消える。

 

 隼人の足音に気づき、スパイディが振り向いた。

 

 その瞬間、工場中に強烈な光が満ちる。突如として、照明のスイッチが入れられたのだ。工場の入口の方を見ると、ピースサインを作ったラブの右手が物陰から突き出されていた。

 

「隠れんぼはもういいのか?」

 スパイディの触肢がくねくねとうごめく。蛍光灯の光に複眼がきらめく。怪人《ウルズ》と化した奴の表情はうかがい知れないが、声音で楽しんでいるのがわかる。

 

「ああ。充分だ」

 

 隼人はプラスチックのカプセルを手の平の中で握る。

 

 そのとき隼人の脳内に蘇ったのは、XDを着装するための研修会で講習をする研究部員の姿だ。

『作戦に不必要なトリップ感を避けるためにも、着装時の精神集中は欠かしてはなりません。最も重要なのは無言であることです。出撃時に散見される全員での声がけも禁止です。たった一言でもいけません。その単純な一言が、もし着装者にとって特別な意味を持つ言葉だったとしたら? 麻薬服用時における強力で単純な一言は、時として自己暗示的効果をも伴って、苛烈なトリップを引き起こすのです。その先に何が待っているかは、皆さんは既に御存知のはずでしょう』

 

 怪人(ウルズ)への変態。

 

 だが、今の隼人が望んでいるのはそれだ。

 

 隼人はベルトのスイッチを押す。同時に空洞部がベルトから飛び出す。

 

 そこにShock-ARのカプセルを挿入する。

 

 強力で単純な一言。

 

 早く押せとばかりにベルトからレバーが立ち上がる。

 

 今の自分を根本から変貌させてしまうような一言。

 

 あのとき逃げ出した自分ではなく、目の前にいるこいつを殺すことのできる存在へと変えるたった一言。

 

 そのとき心中に一つの言葉が浮かぶ。ただ隼人はそれを叫ぶだけでよかった。

 

 

「変身!」

 

 

 殴るようにしてレバーを叩く。ベルトから針が飛び出し、隼人の鼠径部の静脈に突き刺さる。そしてShock-ARがその針を通って注入された。

 

 Shock-AR内に含まれるエルトシチニンは静脈を通って心臓に流れ込み、そしてそこから動脈を通して全身へと送り込まれる。

 

 戦場の声が聞こえた。遥かな怒号。舞い散る銃声。そして剣と天秤を抱え、目隠しをした正義の女神が顕現する。

 

 全身を駆け巡るShock-ARと共に自らの身体が砕けて、溶けて、揮発して、全く新しいものになっていくのを感じる。

 

 そこにXDを着装するときに感じるような全身をばらばらにされたような痛みはなかった。ただ新しい自分の誕生に打ち震える喜びだけがあった。天使が祝福の喇叭を吹き鳴らす。暖かな神の手が頭を撫でる。この瞬間を待ち望んでいた母が、父が、世界の全てが歓喜の歓声を上げる。

 

 

 そうして、伊祭隼人は消え去った。

 

 





ついに変身! 長かった!


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