繋想(けいそう) (彩加)
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1話

11年後、ヒカルは7冠を達成した。26才という若さで達成した偉業は囲碁界のみならず大きくメディアに取り上げられた。

その後過労が祟り数日間の入院をした時、色々な人がお見舞いに来てくれた。ほぼ囲碁関係者だった中、あかりが来てくれたのは素直に嬉しかったのを覚えている。

その翌年、一度全てのタイトルで防衛を果たしたものの疲れを取りきれなかったのが原因か次々とタイトルを奪われる。

悔しさを胸に、ひたむきに上を目指すヒカルをあかりは心配そうに見ていたのだった。

 

 

さらに4年後。ヒカル30才。現4冠。

森下9段の研究会にいつもと変わらず出席するヒカル。

まだ始まるには時間があるが、既に検討は始まっている様子。

数人が考え混んでいる中、和谷がヒカルに気付く。

スマホを見せ、

 

「よ! 進藤。お前ならこれ分かるだろ?」

 

と画面をヒョイと見せてきた。

画面には途中になってる対局に対し、次の一手を応えよと書かれていた。

しばらく考え込んで、ヒカルが11-8と言うと和谷はニカッと笑みを浮かべて入力する。

ログインボタンを押し、ワクワクしているとドサッと倒れ込んだのはヒカルで周りはギョッとする。

 

「おい、進藤! 大丈夫か?!」

 

と駆け寄る和谷と冴木。

寝息を立てているヒカルを確認してホッと一安心し、なんて人騒がせなやつだと愚痴る。

 

「こ、これって…」

 

と別の人間が口にした目線の先には、和谷が駆け寄る前に放った畳の上のスマホが実行中に切り替わっている画面だった。

 

「…ということは…」

 

と全員が静まり返りヒカルを見る。

 

「そういう事だろうな」と溜め息混じりに冴木が言い「見た目寝てるだけだから端で寝かせておこう。和谷、手伝え」

 

はい! と和谷はこたえ冴木と和谷で部屋の片隅にヒカルを移動させる

 

──意識のない人間ってこんなに重いのか

 

と頭側にいた和谷が思いながら移動し終えると、

 

「佐…為…」

 

とヒカルが涙を流し寝言を言うのを聞いた。

凍りつく和谷。

 

「こいつ、今saiって言ったぞ」

 

涙を流している事よりもその名前に反応し、部屋にいた全員も凍りついた。

 

「マジでsaiに会えるのか? 俺もダウンロードしよう」

 

と次々とスマホを出して【sai】と書かれたアプリをダウンロードし始める。

 

 

 

「おー、全員そろっとるか」

 

と言いながら森下が部屋に入ってくる。

 

「…進藤は来とらんのか?」

 

と言うと一斉に部屋の隅を見る。

 

「寝とるのか?」

「いや、寝てるというか…」

 

と和谷が実行中のスマホを見せながらはっきりしない態度と困惑し続ける周りを見て

 

「まぁ、良い。始めようか」

 

と森下は答える。

この20年弱の付き合いの中、ヒカルがずっと何かに取り付かれたように上を目指しているのを知っている。いつ倒れてもおかしくないと内心心配していたが、どうやら倒れた訳ではないと知り安心した。

と同時に、たまには寝かせてそっとしておこうと思った。

 

研究会が始まって3時間くらい経った頃だろうか。

検討中、良い次の一手はないものだろうかと全員が考え込んでいると

 

「…あかり……結婚」

 

とヒカルが言った。

 

「お…女の名前…言ったぞ、こいつ」

 

とヒカルが放ったその名前に絶望と驚きが部屋中を駆け巡る。

今までそんな浮いた話を一度もしたことがなかった上、異常とも言える程高みを目指して頑張るヒカルを見てきた和谷にとってヒカルは一生独身なんだと勝手に思っていたから、まさかヒカルから女性の名前、しかも名字でなく、下の名前が出ることに動揺を隠せなかった。

検討中にも関わらず、ヒカルに本当は彼女がいたのかどうかという話題に切り替わってしまった。

珍し過ぎる状況にため息を付く森下。

そのままお開きにしようかと口をあけようとしたとき、ヒカルが目を覚ました。

 

 

「……」

 

無言のまま起き上がりまっすぐ見つめる。

無言のまま周りもヒカルを見ている。

数分経っただろうか、ヒカルは無言のまま起き上がり、碁盤の前に腰を下ろす。

検討中の碁石を片付け、おもむろに打っていく。

静けさの中、碁石を打つ音だけが響いていた。

 

「s…saiだ。この打ち筋はsaiだ!」

 

と口火を切ったのは和谷だった。

 

「相手は誰だ?! saiが負けてる??」

 

騒然とする周りをよそにヒカルはどんどん石を並べていく。

並べ終わるとヒカルは

 

「この棋譜は土産代わりだってさ…saiと碁の神様の対局」

 

と言うとあまりの名局・美しさに皆一同に碁盤を見つめる。

見つめたまま言葉が見つからない状態が続いたが少しすると大興奮して騒々しいほどの検討が始まる。

 

「和谷、オレに付き合え」

 

と言って1人テンションの低いヒカルは和谷を連れて部屋を出る。着いたのは携帯ショップだった。

和谷と同じスマホを買い、アプリまでダウンロードして貰って、使い方を和谷に聞いた。

 

 

 

 

和谷に見せられた対局は見覚えがあった。

しばらく考えて思い出したのは、中学囲碁大会で、ヒカルが塔矢にぼろ負けした一戦だ。

 

───だとすると、この対局は佐為が長考していたのをオレが勝手に打ち始める所だ。

「11-8」

 

とだけ答えた。

 

───こんな問題、問題にすらなってないじゃないか

 

と詰め碁でもない大昔の棋譜にヒカルは疑問を持つ。

和谷が11-8と入力し、ログインボタンを押した瞬間、一瞬体が浮き上がったような感覚になった。と同時に目の前が眩しくなり思わず目をつむる。

目を開けると、そこは大きな門だけがある何もない世界だった。門の前で立ちすくむヒカル。

すると、ゆっくりと門が開き人影が見えたので近寄っていく。

烏帽子と綺麗な長髪、端整な顔立ち。

そこには佐為がいた。

 

「 佐…為… 」

 

思わず涙がこぼれ落ちる。言葉にならない言葉を発しながら佐為に向かって駆け寄って肩に腕を回し抱き付いた。

 

「ヒカル。やっと会えましたね」

 

と佐為が言いながら、自分と変わらぬ背丈になったヒカルを佐為も同じように腰に手を回し抱きしめた。

10数分経って、ようやくヒカルが落ちつくのを見計らい、佐為は

 

「大きくなりましたね。奥に行きましょう」

 

と微笑み奥へ誘導する。

門の中に入ると、青々とした草木に色とりどりな花、雲一つない真っ青な空が広がる不思議な世界。

足元には光ってるような綺麗な砂が一本道に続いている。

最初こそ周りの景色に見とれヒカルもキョロキョロと辺りを見渡していたが、すぐに慣れた後は思い出したように勝手にいなくなった事を怒り、扇子を渡してくれた事にお礼を言い、本因坊のタイトルはずいぶん前に取った、今は4冠…など佐為がいなくなってからの事を全てヒカルは一方的に話し続けた。

 

「毎年秀策の墓前で話してる内容と一緒ですね」

 

と佐為は少しウンザリした様子で、けれど突然消えて寂しい思いをさせてしまった罪悪感からヒカルの話を一から聞いたのだった。



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2話

「佐為はオレと離れてからどうしてたの?」

 

ふと、疑問に思った事を口にするヒカル。

 

「私はずっと碁の神様と打ってましたよ。全然勝てないのですが、神の一手に近付くのを感じています。この上ない幸せ者です、私は」

 

と佐為は本当に幸せそうな笑みを浮かべて答える。

 

──そっか。幸せで良かった…

 

とあの時の離れる直前を思い出しながら、今は幸せそうな佐為を見て安心する。

 

「ヒカル、着きましたよ」

 

と佐為は現れた大きな扉に手をかけて開ける。

とそこは、打って変わって景色の全くない真っ白な世界だった。雲の上を歩いているような感覚で進んでいくと、遠くから碁石を打つ音が聞こえてくる。

 

「誰かが打ってんのか?」

 

とヒカルはワクワクして音のする方へ走っていった。

大人と子供が対局していたので、まじまじと対局内容を覗き込む。

ヒカルは子供はすぐに自分と同じくらいの棋力を持っていると感じた。大人はsaiより強いんじゃ…と少ししりごむ。

少し遅れて佐為もヒカルの横に座る。

 

「子供の姿の方(ほう)は虎次郎、大人の姿の方(かた)は神様ですよ」

 

と佐為が対局に影響を与えないよう小声でヒカルに紹介すると、ビックリしてヒカルは佐為の後ろに隠れてしまった。

 

「虎次郎って、150年前の秀策? ……と、神様?! そんなに偉い人、もっと早く言えよ」

 

とヒカルが文句を言う。

 

「……そう言えばお前に触れるんだな」

 

と呟くと、頬や腕などあちこち触り始める。

ひとしきり触り終えると佐為の胸にヒカルは飛び込んだ。

 

「……最後の……お前が消えた時のあの一局の続きを打ちたい」

 

と涙を浮かべたヒカルが持ちかける。

 

「えぇ、もちろん」

 

と佐為は笑顔で答えた。

するとどこからともなく碁盤と碁笥が出て来たので佐為と対面に向かい合う。

グスリと涙を拭き取り、碁笥から石を取り出しヒカルが打つと、佐為は次の一手を打つ。

 

「お前と打つのに2人分打たないのは何か変だな」

 

なんてヒカルがはにかみながら言うと

 

「そうですね。私もヒカルと打つのに自分が打つのは違和感があります」

 

と佐為も笑って答える。

そんな一言二言の会話をして、ヒカルがあの対局の最後の石を打つ。

 

「ここからだな」

 

とヒカル。

 

「では、いざ!」

 

と佐為が言うと、止まっていた時間が戻ったように、白と黒の石が次々と打たれて碁盤の中の世界が息を吹き返したように華やかになっていく。

待ちきれなかったように早々と打たれたその対局はわずか30分程度で終わってしまった。

 

「はぁ~、半目負けかぁ!!」

 

とヒカルは大きくため息を付く。

 

「でもお前に追いついてたんだな」

 

と笑顔ではにかむと

 

「だいぶ強くなりましたね、ヒカル」

 

と佐為も感心しながら笑顔を返す。

 

「終わったかい?」

 

と虎次郎を連れて神様が自分達の碁盤の前に座る。

 

「はい、神様。ずっと心残りでありました一局を最後まで打つ事が出来ました。ありがとうございました」

 

と佐為が答える。

 

「いやいや、私の力ではない。全部恋愛の神のおかげだ。礼はそっちに言ってくれ」

 

と苦笑いをしながら神様が答える。

 

「そうでしたね」

 

と同じく苦笑いしながら佐為は言うと、ヒカルを見て

 

「ヒカル。あのアプリは恋愛の神様が作って下さったものですよ。あかりちゃんがこの15年間、ずっとあなたが幸せになることを祈っていたのです。」

「あかりが?」

 

ヒカルは思わず出てきた名前にビックリする。もう何年もまともに会話をしていないように思う。

 

「あかりちゃんはいつもヒカルの部屋の明かりが夜中まで付いてるのを見てたのですよ。通勤途中にあるお地蔵様にはあなたの健康と夢が叶う事をお祈りしていたのです。熱心に祈り続けるあかりちゃんに恋愛の神様が心を痛めて叶えてあげたのです。ヒカルが私に会えるように……」

 

少しうつむき加減に佐為は言う。

 

「で? あかりは?」

 

と少し不穏な気持ちになりながらヒカルは質問した。

 

「元気なのですが……」

 

と佐為はけげんそうな顔。

 

「元気ならなんでそんな顔するんだよ!?」

 

とため息混じりにヒカルは答える。

 

「それはですねぇ──」

 

とさらに佐為が濁していると

 

「交換条件を提示されたのでね。」

 

と神様が言った。

 

「交換条件?? ……交換条件デスカ?」

 

と慌てて敬語にしたものの、神様はクスクス笑って

 

「タメ口を言われたのは君が初めてだな。なんて心地良いのだろう。まるで本当の友のような感覚だ。今後もタメ口で話しなさい」

 

隣で佐為は頭を抱えていたが神様のその言葉に胸を撫で下ろした。

 

「……で、交換条件って?」

 

とさっそくタメ語で聞くヒカル。

 

「何しろ恋愛の神様との交換条件だからね。色々あって……」

 

と少し歯切れの悪い物言いにヒカルは、

 

「だからその交換条件ってなに?!」

 

と大声でもう一度聞く。

神様は一つ深呼吸したあと、

 

「あかりちゃんと結婚すること。そして2人の間に子供をもうけることだ」

「なんだ、そんな事か。分かった」

 

とヒカルはあっさり笑顔で承諾した。

あっけらかんとしているヒカルに神様と佐為は本当に分かったのか一抹の不安が過ぎる。

 

「最後、このアプリは週2回まで、現世時間で1回3時間しか使えない。その時間を越えると本当に死んでしまうから注意せよ。また、交換条件が達成出来なかった場合はアプリそのものも使えなくなるから気をつけたまえ。次回以降は下にある隠しボタンを押せばここに来れる。IDとパスワードはこれだ」

「分かった! 約束する」

 

とヒカルはIDとパスワードが書かれた紙を神様から受け取り、真剣な眼差しで答えた。

 

「さて、もう少しヒカル君が現世に戻るのに時間があるな。佐為、一局打とうか」

 

と神様が佐為に対局を持ちかける。

 

「ヒカル君。この一局は現世への土産だ。目が覚めたら棋譜を皆に見せて上げなさい」

「うん!」

 

とヒカルは元気に笑顔で答えた。



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3話

対局が終わって

 

「ちょうど時間だね」

 

と神様が言い、ヒカルのおでこに指をチョンと押し当てると、一瞬で棋院の一室、天井に視界が切り替わった。

上半身を起こし、

 

──あかりと結婚。子ども。アプリは週2まで1回3時間。あ、携帯買わないと出来ねーじゃん。後で和谷につきあって貰うか。後、棋譜並べか……

 

と一通り思い出してから碁盤の前に移動し、先程の神様とsaiの対局を並べた。

 

 

周りが興奮して検討を始めると和谷を連れ出し携帯ショップに行く。

 

「和谷、オレもそのアプリが使える携帯が欲しい。どれ?」

 

とヒカルが聞くと

 

「進藤……」

 

和谷は突拍子もないヒカルの発言と行動に頭を抱える。

 

いつもの事か──と思い直し、

 

「オレと同じ機種で良いよな? 操作方法教えやすいし」

「うん。それで良い。さっきのアプリも入れといて」

 

と二つ返事でOKをし、ダウンロードまで任せる。

 

「~~~」

 

言葉にならない言葉で抵抗を試みるが和谷は諦めて言うとおりにする。

 

「和谷、サンキュー」

 

とヒカルは礼を言い店を出る。

 

「進藤、研究会もどんねぇのか?」

 

と和谷の問いに対し反対方向に足の向くヒカルは

 

「うん。オレ、これから行かなきゃ行けないとこ出来た」

 

と答え、和谷と別れる。

 

 

 

自宅近くの公園。夕日が落ち始めている。

 

──ここで佐為に石の掴み方習って出来なかったんだよな。懐かしい思い出だ。

 

1人で思い出し笑いをしていると、

 

「……ヒカル??」

 

と聞き覚えのある声がした。

ヒカルは声のする方を向く。

 

「あかり……」

 

少しタイミングの良すぎるあかりの登場に、

 

──恋愛の神様の計らいってやつか?

 

と思いながらヒカルは切り出した。

 

「会社帰りか? ……お前のお陰で夢が1つ叶ったよ。サンキューな」

 

とヒカルが笑って言うとあかりは顔を赤くして「えっ?」と目を丸くする。

 

「あかり、結婚しよう」

 

とヒカルはお構いなしにプロポーズした。

夕陽があかりの頬を照らし、より赤く染め上げる。頭が真っ白になる。

 

「……は? ヒカル、なに言ってんの? 頭打った?」

 

突然過ぎるプロポーズにあかりは驚き、思考が追いつかない。

 

「ご、ごめん。急すぎたかな、ハハ。付き合おう! ……か」

 

予想してた反応と違いヒカルは慌てふためく。

 

──こいつ、本当にオレの事好きなんだよな??

 

とヒカルが思いながら取り繕っていると、あかりはその反応に笑いが込み上げた。

ひとしきり笑い終わると

 

「結婚……良いよ」

 

と一言あかりはプロポーズをOKした。

 

 

 

【sai】のアプリが本物のsaiに会えると分かり一気に棋士達の間に広がる。

数日後に開かれた塔矢門下の研究会の際には芦原がアキラにスマホを見せる。

 

「アキラ、知ってる? 進藤君がこのアプリでsaiに会ったらしいんだよ。この問題、君なら分かるだろう? 見てみてよ」

 

見せられた碁の並びには見覚えがあった。

 

──進藤に初めて会った時のものだ。

 

「8-5」

 

うつむき、声を絞るようにして答えを言う。

 

「えー?!それは良い手じゃないよ?」

 

と笑ったアシワラは言われた一手を気軽に入力した。

アキラが倒れる。



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4話

──ここは……

 

何もない空間に大きな扉。

扉が開くと、その人影に目線を移す。

烏帽子をかぶった端正な顔立ちをした男性。

 

「ようこそいらっしゃいました。塔矢アキラ」

「え? 僕を知っているのですか?」

 

と驚くアキラ。

 

「えぇ。もちろん知っていますよ。あなたが疑問に思っていた事の答え合わせを致しましょう。さあ、奥へどうぞ」

 

と指を奥へ差しながら笑顔を見せる。

色とりどりの草花を抜け、何もない場所へ行くと

 

「まずは一局打ちましょうか」

 

と対局を持ちかけられる。

この人が誰なのか全く分からない。

会った事もないのに自分の事を知る人物に緊張を隠せないアキラ。

 

「打てば全て分かりますよ」

 

と見透かされたように笑顔で言われてたので黒石を持ち一手目を打つ。

10手も打てばだいたい分かる。

 

──saiだ! もう一人の進藤では…なかった?

 

「お分かりになったようですね。私がsaiです。藤原佐為と申します。17年前のあの対局はヒカルを通して私が対局しておりました。あの頃はずいぶんと困らせてしまいましたね…」

 

苦笑いしながら佐為が言うと

 

「進藤が対局を休んでいた時期があったのは何故だろうか?」

 

とアキラは質問する。

 

「私が突然消えたからですよ」

 

アキラは混乱する。

 

「私は幽霊として2年あまり、ヒカルのそばにいたのです。そして突然ヒカルの前から居なくなった。」

「……なぜボクをここに呼んだのですか?」

 

整理の着かない頭で無理やり納得し、次の質問をぶつける。

 

「碁の神様が『囲碁』をしたかったのと、あなたがお父様とのお別れをきちんとできるようにです」

「?」

 

言葉が飲み込めないアキラ。

佐為が遠くを指差し、

 

「今あそこで打ってるのは神様と塔矢行洋、あなたのお父上です。あなたはアプリでここに来ましたが、お父様はアプリをお使いになっていません」

「え?!」

 

行洋に向けていた視線を佐為に向ける。楽しそうに碁を打つ父親に声を掛けようとしたが、思わず言葉を飲み込んでしまった。

 

「それはつまりーーー」

 

と恐る恐るアキラが聞く。目を伏せ目がちにして佐為は答える。

 

「死期が近いと言うことです」

 

心臓の音が大きく早く聞こえる。汗が額を伝う。

 

「………」

 

言葉を完全に失うアキラ。

しかし、最近寝てる時間も多くなった。ここで碁を打ってたのかと考えると納得も行く。ここにはsaiだけでなく神様との対局も叶うのだから、父がこっち側に長居する理由も分かる。

静かに見守る佐為。

 

──ふぅ。

 

大きく深呼吸を1つしたアキラは父親の方を見つめた後、佐為の目を見て、

 

「納得しました。教えて下さってありがとうございます」

 

と深々と頭を下げた。

ホッとする佐為。笑顔に変わり、

 

「神様は『囲碁』もご所望です。アプリは週2回、一回3時間まで利用出来ます。コレが次回以降のIDとパスワード。後1時間程時間がありますし神様と打って行きますか?」

 

とパスワードの書かれた紙をアキラに渡しながら質問する。

 

「囲碁なら今お父さんと打ってるんじゃ?」

「囲碁は単に碁(いし)を囲むという意味であると同時に、複数人で碁盤を囲む事も『囲碁』と言うのですよ。神様はずっと1人でしたので後者の『囲碁』を望んでおられるのです」

 

と云うと佐為は神様と行洋のいる方へ足を進める。

アキラもそういうことならと納得し佐為の後に続く。

 

「神様、行洋殿! アキラが来ましたよ」

 

と佐為が声を掛ける。

 

「アキラもここに来たのか。ここは天国だな」

 

とアキラを見て冗談に聞こえない冗談を行洋は言う。

 

「はい。ボクも一局打ちたいと思いまして来てしまいました」

 

とアキラが答える。

 

「私はペア碁をしたことがない。私とアキラ、佐為と行洋でペア碁をしても良いか?」

「それは喜んで」

 

と神様の提案に即答する行洋。

 

「アキラの残り時間が1時間ほどですので早碁に致しましょう」

 

と佐為が言うと対局時計がどこからともなく出てきて、時計をセットする。

 

「さて、それでは行きますよ!」

 

と佐為が第1手を打ち始める。



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5話

アキラが目を覚ます。

 

「アキラ! 目が覚めたかい?」

 

と芦原が心配そうにアキラを覗き込む。

 

「3時間も起きないから心配したよ」

 

とやや涙目になる芦原にアキラは答える。

 

「ご心配おかけしてすみません。無事saiに会えましたよ」

「それで? 対局はしたのか?」

 

といつの間に来たのか緒方が横から質問をする。

 

「はい。碁の神様とペア碁もしました」

 

と棋譜を並べ始める。

どれどれと研究会に出席している者がこぞって碁盤を見つめる。

お~っ! と感嘆が聞こえる横で全然意図が分からねーと悲鳴も上がり色々な声が聞こえる。

少し笑い出してしまうアキラ。

 

ーー神様は、きっとこんな『囲碁』を望んでいるのだろうか

 

黄昏時の赤く染まる空と夕日を見つめ、アキラは感慨にふけるのであった。

 

 

 

アプリ起動が同時になると、天界で鉢合わせる事もあった。アキラが行くと、ヒカルが虎次郎と打っていた場面に出くわした。そこでもう一度詳しくヒカルから佐為のこと、虎次郎のこと、そしてアプリに関する約束事も聞き、アキラはようやく事の成り行きを理解する事ができた。

 

 

たまにヒカルとアキラは囲碁サロンでも打っているためヒカルがポロッとアキラに口を滑らせる。

 

「そう言えばこの前あっちで緒方先生に会って大変だったんだよ!」

ーー緒方さんもアプリでsaiとの対局が叶ったのか

 

アキラ同様saiに執着の強かった緒方もsaiとの対局が叶ったと聞き、アキラもホッとする。

 

「十段になった後のイベントでオレと打った時の対局が問題だったらしくてさぁ。かなり酔ってたから記憶が曖昧で困惑したらしいんだよ。佐為に何であの一局なんだ?! って食ってかかってたのが面白かった」

 

と得意気に話すヒカルに、黙って聞きながら

 

ーーこれは胸にしまっておこう

 

と緒方を可哀想に思うアキラであった。

 

 

 

 

数ヶ月後、ヒカルとあかりは無事入籍した。元々親同士が知っている仲だったので、始めこそ驚いたもののすぐに意気投合しすんなり話がまとまった。

ヒカルの意向で入籍だけ済ませ、先に部屋を借りる。色々家具を揃えるのもあかり任せにしてケンカも絶えなかったが、すぐに忘れてくれる性格が有り難い。

何だかんだと自分好みにできるので、あかりもそれほど強くヒカルの協力を求めなかった。

棋院や森下九段の研究会仲間など、出入りしている所には順に報告を済ませ、そのたびに驚かれて色々質問責めに会って疲弊した。特に院生仲間の研究会に顔を出すため和谷の家に行った時は夜まで質問が続きぐったりだった。

さすがに囲碁サロンに報告した時はアキラが全く驚かなかったので、周りも釣られて大きな騒ぎにならずサラッと終わったので助かった。

 

 

ーー後は子どもが生まれれば恋愛の神様との約束は達成だな

 

ヒカルはそんな事を思いながら、多忙の日々を送る。

恥ずかしくて決して口には出せないがsaiとの再会や神様との対局を叶えてくれたあかりには心から感謝しているヒカル。

と同時に、この幸せがずっと続くよう守っていきたいと決意するのであった。

 

 

          ●○1部完○●




最後までお読みいただきありがとうございました。この後、転生する話が出てきますので苦手な方はここで終わって下さい。


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6話

結婚後しばらく忙しくてあっちの世界に行けなかったが週1回程度なら【sai】アプリで佐為と神様に会いに行けるようになった頃、子供を授かることができた。

やっぱり精神の安定は重要みたいだ。

焦ってる時は全部が空回ってるようで苦しかったが、少し心に余裕を作るとかえって全部が上手く行く。

途中あかりの体調が悪くなった時はヒヤリとし、周りにせっつかれて色々と馴れない家事をこなしたときは心底母親の偉大さと有り難みを感じた。

胎動を感じることができるくらいに大きく育ってきてからは、新たな生命の誕生に歓喜したと同時に、こんな自分が父親としてちゃんと接する事ができるのか不安が募ったのを覚えている。

 

 

アプリであっちの世界に行った時、その事を打ち明けると神様には誰しも通る事だと慰められたが、佐為は唖然としていた。

 

「なんで何も言わないんだよ?!」

 

とヒカルは魂が抜けたような状態の佐為に対して顔を赤くして怒る。

 

「あの小さかったヒカルが……今でも子供のヒカルが父親になるなんて信じられない、、、」

 

と心の声をだだ漏れで話す。

 

「俺はもう31才の大人だ!!」

 

とさらに顔を赤くして佐為に訴える。

神様はそんな2人のやりとりを笑って見ていた。

 

「ヒカル!! そんな事より一局打ちましょう」

 

と佐為が対局を持ち掛ける。

 

「そんな事だとぉ?! 俺は目一杯悩んでるんだから佐為も少しは励ませよ。オレの周り独身ばっかで相談できねぇんだって」

 

と噛み合わない会話が続いていく。

笑って聞いていた神様がふと真面目な顔になる。

 

「ヒカル君、君には恋愛の神の加護もある。気楽に構えなさい。ヒカル君の子供は虎次郎の生まれ変わりだから気負う必要もない」

「…え? 虎次郎の生まれ変わり?」

ーーーそう言えば虎次郎の姿がどこにも見当たらない。

 

驚いてキョロキョロと見渡し虎次郎を探すもやっぱりいない。

 

「160年前、虎次郎は佐為の為に存在し、その人生を佐為に捧げた。その人生に決して後悔はしていないが、自分の碁を打てなかったのはやはり寂しさが残る……今回の人生は虎次郎自身の為に存在する。そして、ヒカル君の為に存在する」

 

神様はヒカルの目をジッと見つめる。そんな神様の視線にヒカルは唾を飲み込んだ。

 

「……俺の……為?」

「そうだ。少し急ぎすぎていないか?」

「そんな事ないと思うけど…」

 

と言いかけたが、神様の視線が痛く突き刺さり言葉を引っ込める。

 

ーーそんな事ないと思うけど、急ぎすぎてるのか? 俺。確かに佐為とはずっと会ってたいとは思ってるけど……

 

等と思っているヒカルに神様は続ける。

 

「ヒカル君、君は上ばっかり見てるだろう? 下との戦いも必要だろうて。160年私と打ってきた虎次郎の実力、とくと見るが良い。下との戦いを楽しんでみせよ」

 

と少し寂しさが垣間見える笑顔で神様は言う。

 

ーーそっか。虎次郎がこっちに来るってことは神様の相手が減るって事だ。

 

一瞬の寂しさを見逃さなかったヒカル。

 

「分かった!」

 

ヒカルは目一杯の笑顔で一言だけ答えた。

きっと神様は自分がこの世界に早く来ないようにしたいんだと悟る。

 

ーー遠い過去と遠い未来を繋ぐために俺は虎次郎をちゃんと育てなきゃ!

 

育児に対して大きな決意と意気込むヒカルであったが、出産後の不眠不休には挫折したのであった。母親となったあかりの強さに感服する。



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7話

生まれ変わりならと「虎次郎」と名付けようとしたヒカルだったが、猛烈な反対をあかり始め自分の親にまで受けた。すったもんだの末決まった名前は「秀輝(ひでき)」。

囲碁界のトップを背負う運命にあるだろう虎次郎が父親(ヒカル)の為でなく虎次郎自身の為に生き、今度こそ輝く人生を送れるよう希望を込めてーー

 

 

 

数ヶ月ぶりにアプリを使って佐為に会いに行く。

 

「あれ? ……塔矢先生」

 

行洋と神様が対局していた。

 

「進藤くん。久しぶり」

 

ヒカルの言葉に行洋が顔を上げて挨拶をする。

 

「お久しぶりです。塔矢先生も来てたんですね」

 

ほぼ中国と日本を行き来する行洋とヒカルはほとんど会う事はなかった。

ヒカルは碁盤に近寄りながら挨拶をすると、パチッと神様が次の一手を打ち行洋は腕を組み直し盤面を見つめ直す。

ヒカルはキョロキョロと辺りを見回しながら探していると

 

「ヒカル君、佐為ならいないよ」

 

と神様が一言。

 

「……いない? なんで?」

ーー佐為に限って碁以外やりたい事なんてないだろう?

 

と首を傾げるヒカル。

ハッとし、あの時と同じように急にいなくなったからか胸が締め付けられる。大きな不安と喪失感が再びヒカルを襲った。

 

「進藤君? 大丈夫かね?」

「え? ……だ、大丈夫です!」

 

無意識に涙を流し身体を震わせていたヒカルに行洋は少し面食らい心配する。

ゴシゴシと流れる涙を拭き取り平然を装う。

やれやれと神様は碁盤にあった体の向きをヒカルに変える。

 

「安心せよ、現世に生まれ変わっただけだから」

「現世に?」

「虎次郎だけでは囲碁界は盛り上がらん。等しく才の長けた者が2人必要なのだよ」

 

言ってる意味がよく分からない。

 

「ヒカル君とアキラ君みたいな関係がいつの代でも必要なんだよ」

 

と分かっていないヒカルをケラケラと笑いながら神様が言う。

 

「俺と塔矢みたいな関係か……」

 

アキラが居なければヒカルが囲碁をやることはなかった。アキラが居なければこの世界で生きていこうと思わなかった。アキラが居なければ……神の一手には到底たどり着けない。

 

ーーなるほど。俺と塔矢みたいな関係か。大事だな。

 

と妙に納得するヒカル。

 

「進藤君、私と一局打とうか」

 

ヒカルの表情が戻り一安心する行洋が対局を申し込む。内心行洋はヒカルとの対局を望んでいたが、引退後にそれが叶う事はなかった。

ならばこのチャンス、逃がすまいと思い、思わず口に出していた。

 

「え? 塔矢先生が打ってくれるの?」

 

ヒカルの表情が一段と明るくなる。行洋との対局はヒカルも望んでいた。

願ってもない対局に心が躍る。

 

「神様、この対局は私の負けです。次は進藤君と打ってもよろしいかな?」

 

と行洋が神様に念を押す。

 

「もちろん。3時間の互い先……真剣勝負をしてはいかがか?」

 

と神様はニヤリとする。

 

「3時間?! そんな時間ねぇよ! 俺は後2時間ちょっとしかないし、塔矢先生はもっと短いだろう?」

 

ヒカルが焦る。

 

「何も今、全部打ち切る必要はないだろう。タイトル戦みたいに何日も掛けて打てば良い。……やりたくないのか?」

 

と神様はヒカルを薄目で見る。ヒカルが対局を望んでいることは神様も知っている。佐為がいなくなった世界にヒカルが今後も来続けてくれるには行洋との対局はとても良い口実だった。一気に2人を失った神様にとってこの世界はかなり寂しい。行洋が来る頻度は少しずつ増えているものの1人の時間もあり、少しでも楽しい時間が続くようヒカルを引き留めたかったんだろう。

 

「……それで打ちたい」

 

2日以上かけて打てばよいと聞いてヒカルの心は一気に傾いた。いつもここに来ると早碁が多かったから3時間の互い先なんて打った事がなかった。

 

「帰る時間になったら私が教えよう。遠慮なく碁に集中するが良い」

「うん! ありがと、神様」

 

盤面に向かうと周りが見えなくなるヒカルに神様が配慮する。

 

「始めようか」

 

と行洋が最初の一手を打ち始める。



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8話

17-4

4-3

3-16

15-3

リズミカルに打たれていく。

盤面全体で広がっていた石はすぐに右下から左下、左中央へと戦いが広がっていく。

13-15黒

11-13白

13-13黒

13-12白

12-14黒

行洋が打ち白石を取った所でヒカルが考え込む。

100手を少し越えた頃で時間が来てしまった。

 

「ヒカル君、時間だ」

「え? もうそんな時間?!」

 

神様は驚くヒカルの肩をポンと触りヒカルを現世に戻した。

 

「ここまで白の14目ほど優勢だね。このまま負けるつもりはないのだろう? 続きが楽しみだ」

「えぇ。とても楽しい碁になりますよ」

 

ヒカルが帰った後、神様と行洋は笑顔で話す。

 

「私もそろそろ戻ります」

「それが良い」

 

神様は行洋に笑顔を向ける。

誰もいなくなった無音の世界に神様がただ1人たたずむ。賑わいを待つ碁盤と共にーー

 

 

 

「だーっ!! あっと言う間に時間かよー」

 

戻ってきたヒカルは自分の部屋にいた。

 

「何騒いでるの? そろそろご飯にするからキリが良くなったらこっち来て」

「分かった」

 

台所で食事の支度をしていたあかりが声を掛ける。

 

ーー今は14目ほど俺が優勢……でも塔矢先生なら必ず逆転してくるはず。気を引き締めて臨まないと!!

 

食事を食べに部屋を出る。

 

「お! 秀輝、大人しくしてたか?」

 

ヒカルが秀輝に声を掛けると、秀輝は視線を移し微笑み返す。

 

「あかり。俺見てるから先に食べちまえよ」

「え? ヒカル良いの?」

 

首も据わっていない赤ん坊を抱き上げるのは怖さがあるが、単に横にいて見てるだけなら自分にも出来る。

 

「うん。あかりが食べてる間くらいは面倒みるよ」

 

いつも碁のことばかりで気遣ってやれない分たまには家族サービスが必要だろう。

 

ーーあんまりあかりを放ってばかりなのも恋愛の神様からバチが当たりそうだしな

 

と不謹慎な理由は心の中に閉まっておいて…。

 

 

 

2~3回アプリを起動したが行洋には会えず、その間はたまたま会った緒方や神様と打ったのだった。

行洋との再会は結局2週間後になってしまった。

待ちわびたこの日。ヒカルから打ち始める

14-11白

3-6黒

4-5白

7-5黒

と続きが打たれていく。

112手目、12-16を黒が打つとコウが出来上がる。

 

ーーくそっ、まだ2目俺が優勢とは言えかなり苦しい

 

ヒカルの額に汗が伝う。

 

ーー逆転を許すもんか!

 

行洋が仕掛けるも何とか踏みとどまろうとするヒカル。

形勢が逆転するかと思われた時、終局を迎えた。

 

「白の1目半勝ち……勝てた」

 

ヒカルはフゥッと肩を撫で下ろす。

 

「進藤君、君との対局は途中全く気が抜けなかったよ。結局負けてしまったが、実に面白かった。けれど君とは初めての対局だね。新初段シリーズのあれはやっぱりsaiだ」

「え?!」

 

思わぬ発言にヒカルは絶句する。まさかこんな所で言い当てられるとは思ってなかった。

 

「saiから何も聞いてはいないが、あれは君ではないことだけは分かる。あの時、リスクを侵してまで何故saiに打たせた?」

 

行洋は興味本位の質問だったが、ヒカルには嫌な汗が頬を伝う。

 

「あ、あれは……その……」

「まぁ、良い」

 

しどろもどろになるヒカルを見て神様が首を横に振る。

それを見た行洋は深く追求するのを止めた。きっとあれは神様の意向も含まれた触れてはならない部分なのだろうと悟った。



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9話

行洋との対局後検討する間もなく時間が来てしまいヒカルと行洋は現世に戻る。次も同じように対局する事を約束して……。

 

「やったぜ! あの塔矢先生に勝てた!!」

 

と帰ってきても興奮覚めやらぬヒカル。佐為のことなどこの2週間完全に忘れていた。

 

 

 

翌日は和谷の家での研究会だった。

昨日勝ったからか気分良く出掛けるヒカル。

 

「行ってくる」

「その研究会って塔矢くんも来るの?」

 

靴を履いている所であかりに質問される。

 

「塔矢は来ねぇよ。なんで?」

 

ヒカルは足早に答えて聞き返す。

 

「……ううん。何となく聞いただけ」

「何だよ、それ。じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

 

よく分からない事を聞いてくるなと思いながらも大して気にも止めずに家を出た。

 

 

和谷家の研究会は伊角と本田も来る。数名の院生もいるのでそれなりに賑やかだ。

和谷が始めた研究会だったが、今ではヒカルの研究会と言っても良い。数名の院生は間違いなくヒカルとの指導碁目当てだ。

なにせ一度は7冠達成、現4冠棋士のヒカルが研究会に来ているとあっては皆ヒカルと打ちたいと思うのは仕方ない事だった。和谷自身ヒカルと打つことで強くなっていってることを実感しておりかなり満足もしている。

 

 

【sai】アプリが一時期広まったものの、問題が解けずそのままアンインストールする人が殆どの中、和谷は今もたまにアプリを開く。

問題が常に変わり、よくよく考えると一流棋士に対する指導碁になっている。

始めこそ全く分からなかったものの、ヒカルとの研究会を通して徐々に分かるようになってきている。

今日の研究会ではこのアプリの問題をみんなで考えようと思っていた。

院生2人と本田が入ってきたので、碁盤を広げさっそくアプリを起動。

出てきた盤面を見ながら石を打っていく。

 

「次の一手をみんなで考えようぜ」

 

と和谷は本田と院生2人に話しかける。

 

「……全然分かんねぇな」

「あぁ」

 

本田と和谷が話す。

 

「そんな、プロのお二人が分からなかったら僕達じゃ到底分からないですよ!」

 

院生はお手上げ状態だ。

 

「う~ん、進藤を待つか」

「そうだな。それまで10秒碁でもするか?」

 

早々に諦める4人。

少し時間が経った頃、ヒカルが和谷家に到着した。

 

「こんちはー」

 

ヒカルが挨拶しながらドアを開ける。

 

「おぉ! 進藤来たか。早くこっち来いよ」

 

と和谷が部屋の奥から顔を出してヒカルを手招きする。

靴を脱いで、碁盤のある部屋に行くと、何やら石を並べ始めていた。

 

「検討でもするのか?」

 

とヒカルが聞くと

 

「また問題があってさ。進藤ならどう答えるかと思って」

 

と和谷が言いながら最後まで並べ終える。

 

「次の一手は?」

 

と和谷がヒカルを見ながら聞くと

 

「次の一手も何も、これはこの前俺が神様に打ってもらった指導碁じゃん。和谷、何でこの対局知ってるんだ?」

 

と不思議そうな顔をしたヒカルが答える。

見る見るうちに和谷の顔色が変わっていく。

隣にいた本田と院生2人はそんな和谷を見て凍ってしまった。



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10話

「これ、神様の指導碁なの?」

 

引きつった顔の和谷が盤上を指差しながら震えた声で言う。

 

「うん」

 

ヒカルはこくりと顔を縦に振る。

 

「じ、じゃあ、この問題は? これは俺も解いた問題だぜ?」

 

と碁盤の上の石をどけて別の棋譜を並べる。

 

「あぁ、それは俺と緒方先生が早碁した時のだ。和谷すげぇな。何で知ってんだよ」

 

行洋との対局の続きが打てず、たまたま会った緒方と打った早碁。

ヒカルはあっちの世界の棋譜が和谷からどんどん出てくる事に楽しくなってしまい、表情が明るくなっていく。

対して和谷はどんどん表情が暗くなっていくのだった。

 

「……」

 

和谷は完全に沈黙してしまう。

 

ーーこれが早碁? 俺、答え出すのに何時間もかかったのに

 

心が挫ける和谷だった。

隣にいる本田と院生2人は完全に置いてけぼりで言葉が飲み込めない。

 

「お邪魔しまーす」

 

と言いながら伊角が部屋に入ってきた。

 

「……どうしたんだ?」

 

笑顔のヒカルと凍った顔の和谷。そんな2人を見守る本田を見て、一体どんな状況なのか飲み込めず、伊角は本田に話しかけた。

 

「この棋譜がアプリに出てきたものらしいんだが進藤と緒方先生のものらしいんだ」

「へぇー、すごい! 良く考えられて打たれてるじゃないか」

「……早碁らしいんだ」

 

少し言うかためらったが本田は伊角にそう言うと

 

「え? これが早碁?」

 

と伊角まで凍ってしまった。

 

 

色々よく分からない事が多いがヒカルが打ったらしい棋譜の数々。

さっきの問題とやらも一流棋士が打った棋譜には違いない。

伊角が来て少し平静さを取り戻す本田。

 

「和谷! その棋譜……どのアプリだ? その問題を解いていけばトップ棋士になれるんだろう? 教えてくれ!」

 

本田が和谷に詰め寄る。

 

「これは【sai】っていうアプリだよ」

 

本田からの質問に我に返る和谷。

 

「アプリか、よし!」

 

早速スマホを取り出し検索。ダウンロードをした。そんな本田を見て伊角もダウンロードするのだった。

それから1週間も経たないうちにまた【sai】アプリが棋士の間に広まったのは言うまでもない。

 

 

 

アキラの耳にもアプリの話が入ってくるのは直ぐのことだった。

囲碁サロンに来た芦原は真っ先にアキラを見つけて足早に進み、棋譜並べをしていたアキラの席に座った。携帯を胸ポケットから取り出し、

 

「アキラ、知ってる? このアプリの問題、進藤君が打った棋譜が問題になってるらしいんだよ」

 

芦原がアキラに問題画面を見せながら得意気に見せてくる。

アキラはその画面を見て少し考え込む。

 

「……その問題は進藤でなく、僕が打って頂いた神様の指導碁ですよ」

 

少し恥ずかしそうな顔をしながらアキラは答える。

 

「えぇ? そうなの? じゃあ、これも?」

 

と芦原は別の問題を開いて再度アキラに見せる。

 

「それはこの前お父さんが進藤と打ってた対局だと思います」

 

アキラはあっちの世界に行った際、対局途中になっていた碁盤を見て神様に誰との対局なのか質問したのを思い出す。

 

「うひゃー、それは凄い対局だな」

 

驚く芦原にアキラは苦笑いするしかなかった。

 

 

「こんちはー」

 

ヒカルが囲碁サロンを訪れる。

 

「あら、いらっしゃい。アキラ君ならいつもの奥の席よ」

 

と受付の市河がヒカルをアキラの場所に案内する。

 

「ありがと」

 

とヒカルは一言お礼を言いアキラのいる方へ歩いていった。



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11話

「塔矢、久しぶり! あ、芦原さんもお久しぶりです」

 

後ろ姿で気付かなかった芦原に対して、ヒカルはペコッと一礼する。

 

「進藤君、いらっしゃい。この対局は君と塔矢先生のものなんだって?」

 

と開いていたアプリの問題をヒカルにも見せる。

 

「はい。この前塔矢先生と2日掛けて打った碁です」

 

慣れない敬語にしどろもどろになるヒカル。

緊張を隠せないでいるヒカルを見てアキラはクスリと笑う。

 

「塔矢、てめぇ! 笑うなよ!」

 

とアキラを一喝するヒカル。

行洋や緒方とはそれなりに会って対局も会話もそこそこするため本当なら緊張する相手なのだろうがヒカルは何とも思わなかった。対して芦原とは手合い日に数度対局する事はあったが会話する機会は今まで殆どなく、かえってヒカルにとっては緊張する相手だったらしい。

周りの大人に対しても、碁の神様に対してもタメ口のヒカルが、アキラの“友達”である芦原に敬語とは何とも滑稽で、思わず笑ってしまったのだった。

 

「ごめん、つい」

「つい、じゃねーっての!」

 

いつものヒカルに戻る。

そんなやり取りを見て芦原は本当に楽しそうな顔をするアキラを微笑ましく思うのだった。

 

「進藤君、ゆっくりしていきなよ」

 

と言って芦原は席を立ち、別の客のところへと行ってしまった。

 

 

ヒカルは空いた席に腰掛ける。

 

「で? 今日は何しに?」

 

アキラは対局しに来た訳ではないと察してヒカルに質問する。

 

「えっと……佐為がいなくなってて……」

 

うつむき加減に話すヒカルの声と体は少し震えていた。色々と足らないヒカルの言葉にアキラは直ぐに反応し

 

「7ヶ月ほど前に現世に生まれ変わったよ」

 

アキラは答える。

 

「7ヶ月? そんな前……俺、またサヨナラも言えなくて、あいつの話なんにも聞いてなくて……塔矢……は何か聞いて……る……か?」

 

涙を浮かべ今にもこぼれそうなのを必死にこらえるヒカル。

人前にも関わらず取り乱すヒカルを見て少し驚いたアキラだったが、プロ1年目にも佐為が居なくなった時に手合をサボるくらいだったからこれだけ取り乱してもおかしくないと思い直し、

 

「佐為なら今、僕の子供として妻のお腹にいる」

「お……お前の子供?……は? いつ結婚したんだよ」

 

心が落ち着くどころか混乱していくヒカル。

 

「すまない。佐為が生まれてから君を驚かそうと思って黙っていたのだが……そんなに取り乱すとは思っていなかった」

 

アキラはヒカルの取り乱し方を目の当たりにし、佐為についてだけは逐一ヒカルに伝えておくべきだったと少し後悔した。

 

「生まれて直ぐは難しいだろうが、会えるようになったら僕から連絡しよう。佐為としての記憶があるかは分からないが、進藤がそれで良ければ」

 

アキラに言われてハッとするヒカル。

 

ーー記憶がない……そうか、生まれ変わりだもんな。当然か。でも、佐為の……佐為の生まれ変わり、、、

「……あ、会いたい」

 

ヒカルは少し考えたが、生まれ変わりだとしても佐為という存在を確かめたかった気持ちが大きく、声を震わせながら答えた。



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12話

半年が経った頃、アキラからヒカルに連絡が入る。

 

ーーついに佐為に会える!

 

とヒカルは心が躍るのを感じた。

お互いの日程を合わせ、2週間後の日曜に決まった。

もう待ちきれないほど嬉しさが汲み上げてくるが、あまりのテンションの高さにあかりに少し不審な目で見られ、つい平静を装った。

 

「2週間後の日曜に、塔矢の家に行ってくる」

「……それ、私も行って良い?」

 

ヒカルはあかりに予定を告げると、予想しなかった反応が返って来たため驚く。

 

「お前まで来たら塔矢迷惑だろ?」

「だってまだ秀輝を会わせてないから、私も久美子に会わせたい」

「誰だよ? そいつ」

「誰って葉瀬中囲碁部に連れてきた私の友達よ! 塔矢君の奥さんになったじゃない」

「……え?」

 

ヒカルは止まった。

確かに塔矢からは結婚した話とその奥さんが妊娠中だという話は聞いたが、まさか相手があかりの友達とは思わなかった。

ならば仕方ない。

 

「分かった。塔矢に聞いてみる」

 

とヒカルはアキラに再度連絡をするも結果はあっさり即OKだった。

少し肩を落とすヒカルだったが、女同士で話してくれてるなら逆に都合が良いとも思い直し、当日が楽しみになった。

 

 

 

 

 

当日昼過ぎ、進藤家揃って塔矢家を訪れる。塔矢家はヒカルが日中韓ジュニア北斗杯の合宿の時に行ったきりだったが、道はさほど変わっていなかったため迷う事なく着くことが出来た。

 

「いらっしゃい。どうぞ上がって下さい」

 

家から出て来たのはアキラだった。

 

「今日はお世話になります。ヒカル! 手土産! 渡して」

 

あかりはアキラに挨拶をし玄関にお邪魔すると、ヒカルが持っている手土産を渡すように促す。

 

「あ、あぁ、そうか。はい、これ」

 

ヒカルはひょいと手土産をアキラに渡す。

一瞬アキラはヒカルからの常識的な行動にハッと驚いたが、さすがに奥さんの意向だろうと納得する。

 

「あかり、久しぶり! ゆっくりしてって」

 

奥からパタパタと赤ん坊を抱えた久美子が近付いてくる。

 

「まずは女性達からどうぞ。僕達は一局打ってから行くよ」

 

久しぶりの女友達の再会は何とも騒がしい。このままきっと幾分の間話し始めるだろう。そして男にとっては話の終わりが見えない苦痛の時間……。

やっと佐為に会えたのに、ずっと久美子の腕の中では込み入った話も出来ないし、ずっと女性陣の話を横で聞いているだけと言うのも何か癪だ。

早々にアキラはヒカルの肩をつかみ、普段塔矢門下で研究会に使っている部屋へと誘導する。

ヒカルも佐為に触れるのは当分無理と思い、アキラに賛同して付いて行った。

 

 

棋譜並べをしていたのか碁盤に石が並べられている。

 

「これ、初めて塔矢と会ったときの棋譜だ」

 

2目差の指導碁。ぼそっとヒカルはつぶやく。小さな声だったが、アキラには十分届く大きさ。

 

「覚えているのか? 今日君が来る事になってたからつい並べたくなったんだ。アプリで佐為に会うために使われた問題でもあったしね」

「お前の問題コレだったのか。オレの時は塔矢との中学囲碁大会の一局だったよ」

「懐かしいな」

 

と2人で笑い合う。

碁盤を囲んで2人が座り、碁盤の石を片付ける。

アキラが一手目をパチンと音を立てて打つと、ヒカルも負けじと大きな音を立てて二手目を打つ。

小一時間ほど打つと、

 

「そろそろ良いかな。ちょっと見てくる」

 

とアキラが席を立ち、あかりと久美子の様子を見に行く。



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13話

「お待たせ」

 

と言って佐為の生まれ変わりである子供を抱えてアキラが戻ってきた。

 

「抱いてみるかい? 首は据わってるよ」

 

そのままヒカルの隣に座り込むとアキラは赤ん坊をヒカルの方に向かせながらも自分の膝の上に座らせた。

ヒカルはピンク色のベビー服を来た赤ん坊を見て少し困惑する。

 

「佐為の……生まれ変わり……」

 

女の子への生まれ変わり。この子が佐為の生まれ変わりなんだと言われなければ、決してヒカル自身分からなかっただろう。

それでもまた佐為に会うことが出来たという実感を少し持てたのは、その赤ん坊がヒカルを見て笑顔になり、抱っこしてと言わんばかりに両手をヒカルに向けてきたからだ。

 

「佐……為……」

 

こちらに向ける笑顔と小さな手を見てヒカルの目にうっすら涙が浮かぶ。

その姿にアキラも心を打たれる。

 

「どうぞ」

 

とアキラは赤ん坊をヒカルの膝に乗せた。

ヒカルは、渡された赤ん坊を支えようと腕を回す。少し高い体温を手から感じると、虎次郎の生まれ変わりである秀輝を抱いた時とはまた違った妙な感覚を覚えた。

 

 

「……ひあゆ(ヒカル)?」

「え? こいつ、もうしゃべんの?」

 

ヒカルが驚く横でアキラはもっと驚いた顔をしている。

 

「………」

 

言葉が出ないアキラ。

 

「ひあゆ!うひまひょう(ヒカル!打ちましょう)」

 

と佐為はお構いなしにヒカルの胸にしがみつく。

声帯が未発達な3ヶ月の赤ん坊では上手く話せる訳がなく、ヒカル達には伝わらない。

 

「驚いた。どうやら、君に触れている間だけ佐為としての記憶が蘇るようだ」

 

アキラは平静を取り戻し、冷静に事の成り行きを分析する。

 

「は? オレに分かるように説明しろよ! 塔矢」

 

理解できないヒカルはアキラにキレ気味に質問する。

 

「君に説明しても無駄だろう」

 

とアキラは混乱するヒカルから佐為を離し、

 

「話してごらん?」

 

とアキラは佐為に話しかけるが反応はない。

次にもう一度ヒカルに渡してから

 

「何がしたいの?」

 

とアキラが問うと

 

「ひお!ひあゆとうひあい!(囲碁!ヒカルと打ちたい!)」

 

と佐為は答える。

何か訴えていることは分かるが、さすがに聞き取りは難しい。

ようやくヒカルにも目の前にいる赤ん坊が佐為自身だと分かる。

 

「佐為……なのか? 佐為なんだな! 会いたかった!!」

 

ヒカルは佐為を抱きしめた。

佐為もそんなヒカルを見て、自分に会うのを本当に心から待っていてくれたんだと思い、小さな腕を目一杯広げてヒカルを抱きしめ返した。

暫し再会を喜んだ後、佐為の視界にヒカルの扇子が目に入る。

言葉では伝わらないと思った佐為はヒカルの足元に置いてあった扇子を掴み、碁盤を差す。

 

「打ちたいのか?」

 

ヒカルが佐為に聞くと佐為は満面の笑みでこくんと頷いた。

 

「ようし! じゃ、勝負だ!」

 

とヒカルは碁盤に並べられた碁石を片付けると、一手目を打つ。

佐為はその低すぎる視界からヒカルから離れないように碁盤をのぞき込もうとするが上手く見えない。まだハイハイすら出来ない身体で思うように動いてくれない事にイライラが募っていく。

話せない(伝わらない)・見えない・扇子も届かないの3拍子に碁を続けられずやむなく対局は断念した。頬を膨らせご機嫌斜めな佐為に対し、ヒカルはそんな佐為を笑い飛ばす。アキラは喧嘩が始まりそうな雰囲気を察知し、サッと詰碁集を開いて問題を出すと、2人はどっちが先に解くか競い始めた。

 

「ヒカル、そろそろ秀輝のご飯の時間が来るから帰るよ」

 

あかりが呼びに来た。

まだ1時間ほどしか経っていないため物足りないヒカル。

しかし、秀輝のご飯なら致し方ない。

その辺は少し大人になったようで、素直に応じる。

佐為も察して少し寂しい顔でヒカルを見やるとアキラに腕を伸ばした。

アキラは佐為を抱き上げる。

 

「立てるようになったらまた呼ぶよ。今度こそ対局しよう」

 

アキラはヒカルに次の約束を交わす。

 

「おう!」

 

哀愁が漂っていたヒカルから笑みがこぼれる。

 

「約束だぞ」

 

とヒカルはアキラに念を押して、短い時間ながら佐為に再会出来たことを喜んで、塔矢家を後にした。



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14話

あれから生後8ヶ月になった佐為はつかまり立ちするようになったとアキラから連絡があり、日程を調整して会うことにした。

しかし、ヒカルもアキラもトップ棋士の為対局数がかなり多く、なかなか日程が合わなかった。

だんだん日が経つに連れ、ヒカルのアキラを見る目が鋭くなっていく。

いつになったら佐為に会えるんだと無言で訴えるその目は遠くからでも分かる。

数人に「喧嘩でもしてるのか?」と聞かれた2人だが「してない」とだけ答えるのでますます周りは不思議がる。

アキラは遂に根負けし、棋院に行った際に2人のスケジュールを合わせて貰えるよう頼んだのだった。その甲斐あって、調整後は比較的定期的に会えるようになった。

佐為が1才になる頃にやっと会えた為、歩けるようにもなってたし、話せるようにもなっていた。

 

 

 

 

塔矢家に着くと今回は久美子が出迎えてくれた。

腕の中には佐為が眠っている。

 

「進藤君、いらっしゃい。また咲似に会いに来てくれたんだってね」

 

久美子が笑顔でヒカルに話しかける。

 

「さ……い……?」

 

この子供が佐為の生まれ変わりであるから合ってはいるが、何故久美子が佐為の事を知っているのか疑問に思う。

 

「あれ? アキラさん、最初に来たときに言わなかったの? もう何度も来てるのに…」

 

久美子がやれやれと苦笑いする。

 

「この子の名前は『咲似』。花が咲くの咲くに、似るって書いて『さい』って言うのよ。よろしくね」

「あ、あぁ。『咲似』ちゃんね。よろしく」

 

ヒカルはびっくりしつつも、漢字違いかと納得する。

 

「はい! 今回も咲似の面倒見てくれるんでしょ?」

 

と久美子は満面の笑みで咲似をヒカルに渡す。

ヒカルが来る度に、面倒を見るからとアキラが咲似を抱きかかえて行くので、さすがに久美子も直接ヒカルに渡した。

眠っていた咲似が目を覚ます。

 

「私は今からあかりに会いに行くから後はよろしくね」

 

と久美子はそのまま外出してしまった。

 

「佐為、お前の母ちゃん、出てったぞ」

「そうですね」

 

とはっきり話せるようになった佐為とヒカルは呆気に取られる。

まぁ、いない方が気兼ねなく碁を打てるから良いかと思い、玄関で靴を脱いでアキラのいる部屋に向かった。

 

 

「塔矢!」

 

とヒカルはアキラに声を掛ける。

 

「来たか。……咲似も一緒なんだね。久美子はもう出掛けた?」

「うん。佐為を俺に渡した足でそのまま出てった」

 

アキラからの質問にヒカルが答える。

ヒカルに触れている間は佐為だから、1才とは思えない程とても大人しい。

だから男2人でも安心して面倒を見てられる。

 

「そういや、子供の名前、咲似って言うんだな。俺びっくりしたよ」

 

とヒカルが笑いながら言うと、アキラはキョトンとする。

 

「……言ってなかったっけ?」

「言ってねぇよ!」

 

1年越しに子供の名前を知るとか普通有り得ないだろ。

恥かいちゃったよ、俺。

 

「でも、違和感ないだろう? 女の子の名前としても可愛いしね」

 

とアキラは気にせずヒカルに笑顔を向ける。

 

「俺としては佐為は男だから違和感ありまくりだけどな」

 

とヒカルはアキラを牽制するも、キラキラと笑顔でいるアキラに、

 

「君が呼び間違える心配もないしね」

 

と言われるとぐぅの音も出なくなってしまった。

 

「そろそろ打ちましょうよ! ヒカル」

 

と佐為がヒカルに向かって話しかける。

 

「そうだな」

 

とヒカルは言うと碁盤の前に座り直す。

立てるようになった佐為はヒカルの膝の上に立ち、碁盤全体を見渡す。

ヒカルが一手目に17-4に打つと佐為は16-17とはっきりとした口調で話し、ヒカルはそこに白石を置く。

まだ扇子も碁石も全体に届かないし、ヒカルから離れては佐為でなくなるため今度は言葉で指示していく。

2人分の碁石を並べるのはそれなりに疲れるが、佐為といられる幸せは大きかった。

一度佐為の分はアキラに打って貰った事があるが、対極に座っているので置く場所が反対になり上手く行かなかった。

ヒカルと佐為の対局が始まるとアキラはお茶の用意をしに台所へ行き、完全に傍観者だ。

対局が終わると検討し、佐為とアキラ、また佐為とヒカルの順に対局と検討を繰り返す。

たまにヒカルとアキラの対局もやるが、囲碁サロンでも打てるので、この場では基本的に対局しない。

 

 

 

「ただいま」

 

と久美子が玄関を開けて声を掛ける。

パッと時計を見ると21時を回っており、

 

「やべ。あかり、怒ってるかも」

 

ヒカルは急いで碁石を片付ける。

 

「進藤君、そろそろ帰らないとあかりが……」

「分かってる。またな、佐為・塔矢」

 

部屋に入ってきた久美子の言葉を遮りながら佐為をアキラに渡し、玄関に向かう。

バタバタと帰っていくヒカルを横目に見ながらアキラは落ち着きがないなぁと思いつつも、定期的に佐為に会えるからか精神的には落ち着いていることに安心していた。



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15話

相変わらず多忙な日々を送るヒカルだったが、定期的に佐為とも会えて、囲碁サロンでアキラと活発な意見交換を交わし、和谷家での研究会でも楽しい時間を過ごす。

家に帰ればあかりが笑顔で出迎えてくれて、3才になる秀輝も囲碁にのめり込み、本当に充実した日々である。

年が明けてタイトル戦が始まる頃には更に多忙を極めるが心身ともに安定しているヒカルにとっては何でもなく、タイトル防衛を果たし更に5冠への挑戦権を得たのだった。

 

 

ある日塔矢と対局の約束をしていたので囲碁サロンに行くと、そこにいた多くの客にタイトル挑戦権を得たヒカルに対して祝福と期待の言葉が送られた。

普段大勢に囲まれる事のないヒカルは戸惑いながらアキラがいる奥の部屋を目指す。

 

 

「あ、緒方先生」

「よう、進藤。絶好調じゃないか」

 

アキラと対局中の緒方は、ヒカルの言葉に反応する。

あれだけ隣で騒がれていたからヒカルが来たのはすぐに分かったのに、なぜアキラが助けに来ないと不満を覚えたが、緒方がいたのでは仕方ないとヒカルは納得する。

 

「神様が最近お前が全然来ないと嘆いているぞ。お前も忙しいだろうがたまには向こうにも行ってやれ」

「うん、分かった」

 

ヒカルは緒方の言葉に相づちを打つ。

虎次郎も佐為も居なくなって、神様だけになった神様の世界。1人では囲碁は打てない。どんなに寂しいだろうとヒカルは思い、神様の所にも定期的に行ってあげようと思うのだった。

 

その日の夜、囲碁サロンを早めに切り上げて帰宅したヒカルはアプリを起動して神様に会いに行く。

 

 

「神様! ごめん。久しぶり」

「ヒカル君か。来てくれたんだね」

 

パタパタと神様に駆け寄りながらヒカルは軽く挨拶をする。

神様もヒカルの元気そうな姿に一安心し笑顔で挨拶を返す。

周りに誰もいない。時の流れが永遠にあるこの世界で、ただ独りを過ごし続けるかと思うとヒカルは少し寂しさを感じると同時に、神様がなんだか小さく見えた。そして、自分の周りの賑やかさに幸福を感じざるを得なかった。

 

「神様はどうして虎次郎と佐為を送り出したの?」

 

ヒカルは疑問を口にする。1人くらい残しておいた方が寂しくないはず。

 

「どうして送り出したかって? ……どうしてだろうねぇ」

 

神様は苦笑いしながら答えるが、答えになっていない。

 

「すぐに分かるよ」

 

と言うとヒカルの肩にポンと手を乗せ碁盤を指差して打とうと誘う。

ヒカルはこれ以上話してもきっと自分には分からないだろうと思い、神様の指導碁を受け始める。

 

 

「ヒカル君は私が寂しいと思ってるかね?」

 

打ち始めて少しすると、神様はふとヒカルに聞く。

 

「う、うん」

 

ヒカルは図星だっただけにバツの悪い顔をする。

 

「私は寂しくなんかないよ。今は恋愛の神のおかげで君が会いに来てくれるだろう。完全な独りじゃないからね」

 

神様は笑いながらヒカルにそう言うと、ヒカルはなるほどと納得する。

ここにはヒカル以外にも行洋、アキラ、緒方の4人が制限があるとはいえ遊びに来ることが出来る。

完全な独りではなかった。

 

「じゃ何とか定期的に来れるように時間作るよ。そしたら神様も寂しくないもんな」

 

とヒカルは笑顔で神様と約束する。

 

 

指導碁が終わって碁石を碁笥に戻す。

 

「進藤!」

 

声のする方にヒカルが視線を向けるとアキラだった。

 

「お前も来たのか。俺、もう時間だから戻るよ。塔矢、後よろしくな」

 

ヒカルはアキラにそう言うと戻っていった。

 

 

 

戻るとあかりと秀輝が横で寝ていた。

あかりと秀輝の頭を優しく撫でる。

 

「俺、幸せ者だな」

「私も幸せ者よ」

 

ボソッと小声で言ったつもりだったが、あかりが目を覚ましこちらを見つめている。

 

「!」

「フフ、遅くなったけどご飯食べる?」

 

まさか聞かれてたとは思わなかったので急に恥ずかしくなって顔が赤くなるヒカル。

照れてるヒカルを微笑ましく思うあかりだったが、からかう事はしなかった。

ヒカルはバレてないと思っているようだが、【sai】というアプリで意識がどこかに飛んでいる事は久美子を通して知っている。

アキラがアプリを使っている時に起こそうとして、全く意識が無かったのを久美子が勘違いし、救急車を呼ぼうとしたことがあった。

幸い、呼ぶ前にアキラの意識は戻ってきたため大事にはならなかったが、後日同じ事がないようにと、アキラからアプリの説明を受けていた。詳しい事は久美子も教えて貰えなかったらしいが、取りあえずアプリ起動中は寝ているのと変わらないと言うことだけは分かった。そして、saiというアプリ名と咲似に何らかの繋がりがあるのだろうと久美子と話している。

 

 

帰宅後すぐ、ヒカルは食事もしないうちにアプリを起動してしまい話しかける間もなかった為あかりは仕方なく秀輝と食事を済ませお風呂に入る。

秀輝が寝入ったのを確認し、自分も寝ようとしたときにヒカルが目を覚ましたようだ。

 

「そういや、腹減ったな」

 

お腹を押さえてヒカルがそう言ったので、あかりは起き上がって冷蔵庫に入れていた夕飯の残りを温め直す。

 

 

何でもない日常の1コマ。

神様は寂しくないって言ってたけど、きっとただのやせ我慢だろう。

この何でもない日常が急に変わったら、分かってても戸惑うはずだ。

ヒカルは神様の計らいに感謝しつつも、改めて定期的に神様に会いに行こうと決心するのだった。



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16話

週1ペースで神様の世界に足を運んでいるとちょくちょく来ているらしい緒方や行洋に会う頻度が多くなった気がする。

それでもばったり会うのは月に1回くらいだったので、ヒカルは特に何も気に留めてはいなかった。

 

 

ある日、神様の世界に行くと行洋とアキラがいた。

終局間近だったのでそのまま碁盤を見ているとアキラの勝利で対局が終わった。

そのまま神様も入って検討していると、アキラに時間が来て抜ける。

せっかく来たのだからと今度はヒカルと行洋が対局することになった。

 

 

 

序盤は互角、穏やかに進んでいく。

中盤になってようやく行洋が仕掛けるとヒカルは負けじと抵抗していく。

ヒカルにとっては我慢が続いていた碁だったが、行洋の一手にヒカルが反応し隙をつく。

上手く反撃されそうになりながらもヒカルがそこから土台を作って地を広げる。

左上の攻防戦に移るとさらに戦いは荒れていき、石の取り合いに発展した。

若干ヒカルが不利になるも会心の一手が行洋を黙らせる。

ヒカルが優勢に傾くと、行洋は両手を組み考え込む。

しばらくして行洋が打った一手は何でもない手でヒカルはこれに何の意図があるのかと疑問に思う。

色々考えた結果、下辺を全て奪い取るつもりかと分かり、牽制の一手を打つ。

行洋はヒカルの読みの深さに感嘆する。

先程の会心の一手も佐為と打ってるような感覚になる。

行洋は1年以上佐為と打ててないのを寂しく思っていたが、ヒカルとの対局はまさに佐為との対局に匹敵する素晴らしい対局だと思った。

神様との対局は指導碁で、それはそれで楽しいものだが、同程度の棋力を持つ者同士の対局はさらに楽しいものだ。

自分がいかに半目優勢に立つかをギリギリの所で考え込む時間はまさに至福と言っても過言ではない。

己の限界を超える事の出来る瞬間、神の一手に近付く瞬間を実感できる。

佐為との対局はまさに神の一手に近付く実感を得ていたが、ヒカルとの対局でも感じる事が出来るのは、やはりヒカルの打ち筋に佐為を感じるからだろうか。

 

 

ヒカルの牽制の一手に対して行洋が臆せず戦いを真っ向から挑んでいく。

半目が黒と白を行き来している中、下辺は行洋に軍配が上がった。

残るは中央と右上。お互い一歩も譲らないまま戦いが続いていく。

小寄せに入る手前、ヒカルの勝ちが不動となると行洋は投了した。

 

 

「また負けてしまったね。進藤君、強くなった。まるで佐為のような打ち筋だったよ」

 

と行洋がヒカルを誉める。

佐為のようだと誉められて、ヒカルは嬉しく思う。

ヒカルは今まで佐為と一緒に打ち、神の一手を目指そうと決心し突き進んできた。

佐為が居なくなって自分の碁の中に佐為を見つけた時、佐為は自分の中で生き続けているんだと思った。

それから15年が経って、佐為が生まれ変わって再会することになるのだから人生分からないものだが、少なくとも佐為がいた証は自分だけが知っている。今はアキラや緒方、行洋も佐為の存在を知っているし、棋譜としてはネット碁を打った時のものが出回っているため和谷達もsaiの存在を知っている。しかし、佐為の碁はヒカルだけに受け継がれている。

 

 

「進藤君、また打とう。楽しかった」

 

行洋はヒカルにそう言うと、

 

「そろそろ時間だ。帰りなさい」

 

と帰宅を促す。

 

「ホントだ! 危ない危ない。じゃあ、また来るよ! 神様、さよなら」

 

ヒカルは神様に挨拶すると足早に帰っていく。



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17話

「ヒカル! 大変よ」

 

戻った早々にあかりが走り寄って来る。

 

「どうした?」

 

ただ事ではない雰囲気のあかりにヒカルは不安感を煽られる。

 

「棋院から電話があって…塔矢先生が…」

「え? 塔矢先生が……? 何!」

 

つい先程まで行洋と対局していたヒカルにとって行洋の名前が挙がるのは意外だった。

あかりの肩を掴み、あかりに詰め寄るヒカル。

 

「塔矢先生が……亡くなられたって」

「……! え? ……な……んで」

 

ヒカルから力が抜けていく。

今さっき対局していた相手が、亡くなった?? あんなに元気だったのに?

 

 

あかりが何か言っているが、ヒカルにはもう聞こえない。

頭が真っ白になりその場に座り込むヒカル。

 

ーー俺が行く前に塔矢がいた。俺とも打ったから時間オーバーしたって事か? でも、それなら神様が途中で止めるはずだろ? 何で? どうして?

 

頭の中がぐちゃぐちゃで心が追いつかない。

 

「塔矢先生……ごめん。俺が、俺と打ったから…」

 

涙がポロポロと溢れてくる。

止めようと思っても止まらない。

ついさっきまでの嬉しさとは対照的に自責の念に駆られるヒカル。

横にいたあかりはそんなヒカルに声を掛けられずにいる。

少ししてあかりはヒカルの前に座り込み、優しく抱き締める。

ヒカルはあかりを見るも涙が邪魔でまともに見えない。

そのままあかりを抱きしめ返して泣き叫ぶ。

しばらくすると、ヒカルは泣き疲れて眠ってしまった。

 

 

ふと目が覚めると夜になっていた。

ヒカルは目を腫らしたまま部屋を出ると喪服が用意されている。

否応なしに塔矢先生が亡くなったのだと思い知らされる。

立ちすくんでいると、秀輝をあやしていたあかりが気付き近寄ってくる。

 

「落ち着いた? ……最後のご挨拶はちゃんと行ける?」

 

心配そうに覗き込むあかり。ナーバスになっているヒカルに通夜というストレートな言葉は危ない気がする。

 

「……うん」

 

小さく頷くヒカル。

力無く喪服に着替えて、無言のまま玄関に向かう。

フラフラとした足取りで心非ずなヒカル。

あかりも秀輝を抱えヒカルの後を付いていく。

どこに行くかも分かっていないヒカルの腕を掴み、通夜の会場に誘導していく。

 

何とか通夜会場に着く。

ヒカルの腫れた目に遠目から行洋の写真が写り込むとまた涙が溢れ出す。

必死に堪えながら最期のお別れをする。

 

「塔矢先生……ごめん。塔矢先生……俺のせいで……俺の……」

 

立ち止まったまま動けなくなってしまった。ヒカルは必死に堪えていた涙だったが溢れ出してしまった。

隣にいるあかりはそれを心配そうに静かに見守る。

 

 

「進藤!」

 

遠くから近寄ってきたのは緒方とアキラだった。

あかりがその声に振り向く。

あかりが会釈すると、緒方とアキラも会釈を返す。

ヒカルは行洋の写真を見つめたまま動かない。

一目見て様子がおかしいと気づいた緒方とアキラは、

 

「別室に連れて行きましょう」

 

とあかりに断りを入れてヒカルを半ば無理矢理2人がかりで連れて行く。

 

「奥様ですね。事情はこちらで把握しておりますので、ご安心下さい」

 

緒方は不安そうにしているあかりに声を掛ける。

 

「ちょっとタイミングが悪かっただけですので」

 

とアキラもあかりに気丈に振る舞う。

 

 

「あ、あかり!」

 

奥の部屋から久美子があかりを見つけると声を掛ける。あかりは振り返ると、

 

「久美子!」

「進藤君は緒方さん達に任せておけば大丈夫よ。こっちに来て」

「え、えぇ」

 

父親を亡くしたばかりなのにヒカルを気遣うアキラを見て心配するあかりだったが、久美子がそう言うならきっと大丈夫なのかな、と思い直し久美子に付いていく。

 

 

 

「進藤! 大丈夫か?」

 

緒方がヒカルを部屋の隅に座らせる。

アキラはお茶持ってきますとその場を離れていく。

 

「お、俺……が塔矢……先生と、打って……たか……ら……こん……な」

 

ヒカルは頭を抱え自分を攻め続ける。

 

「……」

 

緒方は今は何を言ってもダメだと思い、何も言わずにヒカルの頭を撫でてまずは落ち着かせる。

 

 

少し落ち着いてきたのを見計って緒方がヒカルに話しかける。

 

「進藤。いいか、よく聞け。塔矢先生はあっちの世界へアプリを使っていない」

「……」

 

ヒカルが緒方に視線を向ける。

緒方はヒカルが自分の話を聞くくらいの落ち着きを取り戻したのを確認して続ける。

 

「アプリを使っている俺達は週2回、3時間の制限があるが、アプリを使っていない塔矢先生に時間の制限はなかったんだ」

「……」

 

ヒカルは行洋がアプリを使っていない事を初めて知る。

まだ飲み込めていないままのヒカルに対して緒方はさらに続けた。

 

「塔矢先生が亡くなったのと、お前との対局は無関係だ。お前のせいじゃない」

「……俺の……せいじゃない?」

「あぁ、お前のせいじゃない」

 

緒方がヒカルの質問に正確に答える。

ヒカルは自分のせいで行洋が亡くなったとしたら、この先行洋自身とアキラにどうやって償っていけば良いのかと不安と罪悪感で目の前が真っ暗になっていたが、スーッと胸につかえていたものが取れたような感覚になる。

 

「塔矢先生が亡くなった事は悲しいが、お前のせいじゃないから安心しろ」

 

緒方はもう一度ヒカルの頭を撫でて念押しをする。

 

 

「あれ? もう終わったんですか? かなり早かったですね」

 

アキラがお茶を3人分持ってきた。

ヒカルの表情が少し明るく変わっているのを見て安心するアキラ。

 

「また3日後にあっちに行こうと思ってるんだ。お父さんに会いに」

 

アキラは笑顔でヒカルに言う。

ヒカルはアキラの笑顔を見て本当に自分のせいではなかったと実感する。

良かったとホッとする一方で、やっぱり行洋が亡くなったのは悲しいと思うのであった。

 

「俺も一緒に塔矢先生に会いに行く。3日後だな」

 

ヒカルは腫れ上がった目をしていたので変な笑顔になったがアキラにはちゃんと通じたようだ。

 

 

 

行きとは別人のように落ち着きを取り戻したヒカルを見て、あかりは呆気に取られたが、

 

「ほら、言った通りでしょ?」

 

と久美子に言われると、そうねと頷くしかなかった。

緒方とアキラの2人に感謝し、何度もお礼を言って帰宅する。



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18話

翌日の葬式も無事終わり、終始落ち着きを取り戻していたヒカル。

ホッと一安心したあかりは緒方とアキラに心から感謝する。

あんな状態だったヒカルをどうやったらここまで変えられるのか不思議に思うが、女には分からない男同士の友情みたいなものがあるのだろうか、とか色々考えを巡らせる。

今はまだ忙しいだろう塔矢家を気遣い何も出来ないが、落ち着いた頃、きちんとお礼をしに行こうと思うあかりだった。

 

 

 

通夜から3日後、約束通りヒカルはアプリで神様の世界に行く。

アキラと緒方もいる。碁盤を囲んで話し込んでいるようだ。

 

「こんちは」

 

輪の中へ入ろうと、神様と行洋を含めた4人に挨拶をするヒカル。3日前に大きく動揺して迷惑をかけたため少しバツの悪さを感じ小声になる。

 

「こんにちは、進藤君」

 

行洋がヒカルの顔を見て声を掛ける。

 

「さっきアキラと緒方くんから聞いたよ。悪いことをしたね」

「い、いえ……」

 

言葉が出ないヒカルはもじもじとする。

 

「進藤、いつもより大人しいじゃないか」

 

緒方がニヤリと笑いながらちょっかいを掛ける。

 

「緒方先生、あの時は……ありがとうございました」

「気にするな」

 

ちょっかいを掛けられたにも関わらずヒカルが素直に礼を述べたため緒方は真面目に軽くあしらい、何でもないことを強調する。

 

「そろそろ時間だね。また2人に会えるのを待ってるよ」

 

神様が時間を告げる。

 

「もうそんな時間ですか。……お父さん、お母さんに伝えるのは本当に一言だけで良かったのですか?」

「あぁ。宜しく頼む」

 

アキラと行洋の会話。恐らく今一番悲しみにくれているのは行洋の妻明子だろう。

アキラが3日という極めて早い段階で来たのは、明子の言葉を伝えるためと、行洋の言葉を持ち帰るためだったようだ。

アキラと緒方は立ち上がり、次の約束を交わし帰っていく。

 

 

「進藤君、こちらへ来なさい」

 

2人が居なくなると、少し遠巻きに見ていたヒカルを近くに来るように指示する行洋。

 

「改めて、悪いことをしたね」

 

行洋がヒカルの目を見てもう一度謝罪する。

 

「……」

 

ヒカルは何も言えず、頭を横に振るのが精一杯だった。

もう行洋とはここでしか会えないのかと思うと辛いし、国際戦での活躍も見れない。それに、きっと行洋の方が何倍も辛いだろうに、そんな素振りを全く見せない行洋の姿を見ると何ともやり切れなくなる。

 

 

辛そうな顔を見せるヒカルを見て行洋は少し考え込んでから遠くを見つめ口を開く。

 

「進藤君。私は自分の人生に後悔などしていない。明子やアキラを残して来たことは確かに申し訳なさがあるが、己の人生に悔いはない。死んでからもずっと碁の神様と対局が出来るのは嬉しいし、アプリとやらで緒方くんとアキラにはこれからも会えるから寂しさを感じていない。明子にもアキラを通して言葉を伝えることができる。そして、君も定期的に会いに来てくれるだろう?」

「会いに来ます! もちろん、先生に会いに来るけど……もっと先生の碁が見たかった!」

 

ヒカルは行洋に向かって叫ぶ。

行洋はにっこり笑う。

 

「私は死んだが、私の碁は生きているよ。棋譜として残っているものもあるが、緒方くんやアキラを始めとする門下生には私の打ち方や考え方が息づいている。私の想いは託し終わっている」

「……」

 

ヒカルは自分の碁の中に佐為がいるのを思い出す。

 

「私は緒方くんやアキラが私の碁と共に神の一手を目指して打ってくれると思ったから安心してこちらへ来た。 君は佐為と一緒に神の一手を目指して打っているだろう。佐為の碁はちゃんと君として生きているよ」

「碁を通して想いを繋げていく……ということだね」

 

横でずっと聞いていた神様が付け足す。

 

「想いを繋げる……」

 

この言葉がヒカルの心に残る。

佐為と一緒に高みを目指すのではなく、自分の碁……いや、佐為の碁を繋げる。

そんな風に考えた事なかった。

けれど、佐為が居なくなった後、自分の碁の中に佐為が居たのを見つけたときはすごく嬉しかった。

佐為は、俺が居なくなったとき同じように悲しむだろうか?

俺の碁を見つけたら救われるだろうか?

 

ーー俺は佐為の碁も繋げていきたい…

そう決心するヒカルであった。



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19話

時間が来て、戻ってきたアキラ。

目を覚ますと、母・明子と妻・久美子が笑顔で出迎える。

 

「アキラさん、お帰りなさい」

「ただいま」

 

明子の挨拶にアキラは答える。

 

「お父さん、何か言ってたかしら」

 

すぐに泣きそうな顔に変わる明子が質問する。

一番に聞きたい言葉。

 

「『愛してる』って」

「……そう。ありがとう、アキラさん。最期の言葉をちゃんと聞けて、嬉しいわ」

 

遂に涙が頬を伝う。それでもこの涙はきっと嬉し涙だろうと思うアキラだった。

 

 

 

あの日ーー行洋が亡くなる日。

進藤が来たのを確認して自分が戻ると、久美子が青い顔をしながら行洋の危篤を知らせに来た。

急いで病院に駆けつけると、そこには母・明子が憔悴した状態だった。

聞けば、最近の行洋は特に寝ていることが多くなり、起きてこれば元気なものの、近くに居ながら遠くにいるような何とも言えない感覚に襲われていたらしい。

アキラがアプリで神様の世界に行けばいつも行洋がいたから、明子の言うことには直ぐにピンと来るものがあった。

佐為から死期が近いことも聞いていたから、アキラ自身は覚悟が出来ていた。

しかし、行洋は明子には何も告げていなかったのだろう……。

いよいよ、病院スタッフから呼ばれて病室に入ると幾つもの管に繋がれた行洋が見える。

心拍計が弱々しくピ…ピ…と音を立てる。

行洋の顔が明子に向くと、明子はベッド横に走り寄る。

 

「明……子……」

 

意識が戻ってきた行洋は明子を呼ぶ。

 

「何ですか? 私はここにいますよ」

 

固く手を握り締め、顔を行洋に近付ける。

 

「あぃ……」

 

何か伝えようとしたが、力尽きる行洋。

人工呼吸器が声を曇らせて、聞き取れなかった明子はその場で泣き崩れたのだった。

 

 

悲しみにくれる暇もなく、葬式の手配やら棋院への連絡やらで目まぐるしく過ぎていく。

喪主となった明子は通夜・葬式は気丈に振る舞うのであった。

一段落着いた実家の一室、仏壇に飾った行洋の写真を見て、明子はアキラに気付いて居ないのか、

 

「あなた……最期に何て言ったの? 何を伝えたかったの?」

 

と涙を流して話しかけていた。

アキラはその姿にいたたまれなくなる。

 

「今から聞いてくるよ」

 

アプリについては明子や久美子には内緒だが、あまりに辛そうな明子にアキラはそう言ってスマホを取り出す。

 

「アキラさん?!」

 

明子は驚いて振り返る。

スマホの【sai】アプリを起動して意識が飛ぶ。

 

「アキラさん!」

 

混乱する明子。オロオロとする明子に、

 

「お義母さん?」

 

久美子がタイミング良く顔を覗かせる。

 

「大丈夫ですよ」

 

アプリの起動中画面を確認して久美子は明子を落ち着かせる。

いつもは寝室で起動させるアプリをこんな所で使うアキラに少し疑問を持って明子に話を聞く。

 

「……そうだったんですね。じゃあ、あのアプリはお義父さんにも会えるものなんですね」

 

久美子は笑うと、明子も落ち着きを取り戻していく。

 

「安心して下さい。3時間程で戻ってきますから」

 

と、どっしりと構えた久美子の言葉に明子は安心感を覚える。

 

 

3時間後、本当に目を覚ましたアキラを見て明子はホッとする。

と同時に気になっていた行洋の最期の言葉を質問すると、『愛してる』と返されたその一言に今まで行洋と歩いた人生が次々と思い出されて幸せの涙が溢れるのだった。

 

 

「棋院に行ってくるよ」

 

アキラは電話連絡しか入れていなかった棋院にも報告しようと立ち上がる。

 

「行ってらっしゃい」

 

と久美子が笑顔で見送る。

理解のある久美子をアキラは有り難く思いながら棋院に向かうのだった。

 

 

 

棋院に着いて事務所の階にエレベーターが止まるとヒカルの声が聞こえた。

 

「進藤?」

 

遠くからでも響く声。何やら揉めているのだろうか? と心配で早足で事務所に入る。

 

「だから何でダメ何だよ!」

「進藤君、君一度倒れてるじゃないか! これ以上無理したら体に障るだろう!」

「無理しないからやらせてよ」

「だからやること自体、無理をするんだって」

 

ヒカルと事務員のやりとり。

 

「どうしたんですか?」

 

アキラは横で心配そうに見守っていた別の事務員に話しかける。

 

「進藤君が院生師範をやりたいって言い出して……」

「院生師範?」

「4~5年前に一度過労で倒れてるから棋院としてはやらせたくないみたいなんだけど…」

 

事務員はハァとため息をつきながら2人のやり取りを見守っている。

 

「なぜ進藤は院生師範をやろうと?」

 

アキラは進藤の真意を読み取ろうとするも

 

「さぁ。いきなり来て『院生師範やらせろ』って言い出して、あれだから」

 

との事務員にアキラも言葉を失う。

 

「そうですか……。ありがとうございます」

 

取りあえずお礼を言って、行洋の死で棋院にも迷惑を掛けたため謝罪と報告を済ませる。

終わった後もまだヒカルと事務員のやり取りは続いていた。

アキラはハァと大きくため息を付いて、ヒカルに近寄る。

 

「進藤!」

「! 塔矢…」

 

ヒカルがアキラの声に気付き、横を向く。

 

「院生師範になりたいんだって?」

「そう。でも許してくれなくて!」

 

アキラはヒカルに内容を再確認する。ほっぺを膨らませてへの字に口を尖らせ怒りを表現するヒカル。

 

「君は何故院生師範になりたいんだ?」

「……碁を、繋げたいんだ。塔矢先生みたいに」

「お父さんみたいに? お父さんは院生には何もしてなかったよ」

「塔矢先生は自分の碁を、お前や緒方先生に託したって言ったんだ。だから俺も……佐為の碁を色んな人に繋げたいって想ったんだ」

ーーお父さんがそんなことを進藤に…

 

アキラは暫し思いを巡らす。

 

 

「本人がやりたいと言っているんだ。やらせましょう」

 

後ろから緒方が歩きながらやってきた。

 

「緒方先生?!」

 

事務員は驚いて

 

「でも一度倒れてるのでこれ以上負担を掛けるのは…」

「5冠を3冠くらいに引きずり下ろしてやれば出来るだろう」

 

反論しようとする事務員に、緒方が畳み掛ける。

アキラを見ながら言った『引きずり下ろす』の言葉にアキラは苦笑いするしかなかった。

自分のやりたい事をやらせてくれようとする緒方に一瞬顔が明るくなったヒカルだったが、引きずり下ろすと言われてすぐにムッとする。

 

「体調が優れないようなら直ぐに辞めさせれば良いですよ。こいつがやると言った以上やるまで引き下がりませんし、私がこいつの面倒を見ます。少しで良いのでやらせて貰えませんか?」

 

緒方が事務員に優しい言葉で再度お願いする。

 

「……分かりました。篠田先生と話して、月1くらいなら何とか」

「本当? やったぁ!! ……イテッ」

「ありがとうございます」

 

緒方が礼儀のなってないヒカルの頭をコツッと殴り、事務員に向かって礼を言う。

 

「進藤、出るぞ」

 

と緒方はヒカルを事務所から連れ出す。

事務員達はこの騒動がやっと終わったのを安堵しつつも、またヒカルがやらかしてくれたと溜め息を大きく付くのだった。



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20話

アキラとヒカルを車に乗せて緒方は車を走らせた。

 

「最期しか聞いてないが、結局何をするつもりなんだ?」

 

緒方は後部座席にいる2人にミラーを通して見つつ質問する。

 

「緒方さん、進藤が何するか知らずにお願いしたんですか?」

 

呆れるアキラ。

 

「塔矢先生がやっていた事を進藤もやりたいんだろ?」

「違いますよ。進藤がやりたいのは院生師範です」

 

アキラが答える。

 

「院生師範? ……ほぅ。進藤はなぜ院生師範をやろうと思ったんだ?」

 

アキラと同じ事を緒方も質問する。

 

「塔矢先生が、自分の碁を緒方先生や塔矢に託したから悔いはないって言ったんだ」

 

ヒカルは窓の外を見ながら遠い目をして答える。

 

「それで佐為の碁を自分も広めたいと思った、と」

 

ヒカルは自分の想っていた事を言い当てたことに驚きつつも賛同するかは分からない緒方に不安な顔を向けた。

 

「……ダメ…かな?」

 

バックミラーを通してヒカルの表情が見える緒方と、後ろ姿しか見えずより不安な表情が広がっていくヒカル。

その2人を傍観するアキラは緒方が何て言うのか固唾を飲んで待つ。

 

「素晴らしいじゃないか」

 

緒方がヒカルの行動に賛成の意を唱える。

 

「本当?」

 

ヒカルの顔がパッと明るくなる。

行洋が亡くなってから無性にヒカルに優しくなったと感じるアキラ。

 

「緒方さん、進藤に甘いですよ。只でさえ忙しいのに、さらに院生師範だなんて」

「甘くないさ。進藤が進む道は大変だぞ? それに、本当に危なくなったら俺も辞めさせる」

 

緒方がアキラに反論すると同時にヒカルを見ながら無理はさせないと牽制する。

 

「うん! 絶対無理しない。緒方先生、サンキュ」

 

ヒカルが満面の笑みを浮かべると、アキラはどちらにしろ辞めないだろうヒカルの行動を諦めた。

 

 

ヒカルを自宅前まで送り下ろした後、アキラの家へと車を走らせる。

 

「緒方さんのアプリの条件って進藤絡みですか?」

「何だ、急に」

 

緒方は突飛な質問に驚く。

 

「アプリの継続には条件があるでしょう? 進藤は虎次郎の生まれ変わりを育てること。僕は佐為。緒方さんにもあるはずだけど……」

「確かに進藤絡みだが、進藤だけではないな。お前と進藤の2人の面倒を見ることだ。……それがどうかしたのか?」

 

緒方は隠す意味もないことだと思いアキラの質問に答える。

 

「僕も?」

「あぁ。お前は塔矢先生が亡くなった時動揺もなく、普段から大人な対応でいつも手が掛からないし、実質進藤しか面倒見てないけどな」

 

ハハと笑う緒方。褒められて少し嬉しい気もするが、進藤と同レベルだと神様に思われていたと思うと複雑なアキラだった。

 

 

 

院生師範になると言い出した2週間後、本当に日曜日の院生研修にヒカルは出席した。

しばらくは篠田先生と2人でやるようだ。

イベントの指導碁でも定評のあるヒカルは院生師範としても申し分ない分かりやすさで院生達には好評だ。

棋院としては身体を壊さないか心配だったが、後輩の育成に積極的なヒカルの姿勢は胸を打つものがある。

その内、和谷や本田、伊角も院生研修の手伝いと称して、ヒカルの院生師範日に参加し、指導する合間をぬっては院生と一緒にヒカルの話を聞くようになった。

 

「進藤君を中心にまた囲碁界が変わっていきますね」

「天野さん。……そうですね。囲碁に対して何か大きな覚悟をし切羽詰まった目を見ていると、危なっかしくて心配ですが何か大事なことを逆に学ばされているような気がします」

 

篠田はふと通りかかった天野に声を掛けられてヒカルがいる研修部屋を見ながら答える。

 

「……この前、進藤君に何で始めたの? って聞いたんですよ」

 

篠田が天野を見て笑って話す。

 

「進藤君は何て言ったんですか?」

 

天野がペンを片手にメモを取ろうとする。

 

「遠い過去と遠い未来を繋げるためだと言ってました」

「……碁打ちなら皆そうでしょう」

 

天野はペンを握っていた指先から力が抜ける。

 

「そうですね。けれど想いの繋げ方は人それぞれですから」

 

と篠田は天野に笑いながら言うと、そうかと天野は思い直してメモを取るのだった。

 



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21話

『進藤5冠院生師範に! 遠い未来に繋げる想いとは?』

 

囲碁雑誌に載ったヒカルの特集記事のページ。

院生研修風景の写真にヒカルが指導する姿が写っている。

 

「頑張ってるみたいだな」

 

珍しく囲碁雑誌を見ていたアキラを後ろから緒方が覗き込んで声を掛ける。

 

「緒方さん」

 

アキラが緒方の方を振り向くと、

 

「未来に繋げる想いとは……か」

 

緒方が雑誌の一文を声に出して読む。

 

「後継者育てに夢中ですよ。家では秀輝君を鍛えてるみたいですしね」

「あいつの子供も災難だな」

 

ハハと苦笑いする緒方にアキラは続ける。

 

「虎次郎の生まれ変わりですからね、進藤の碁に佐為の一片を見て、それはもう楽しそうに学んでるそうです」

「ほう。それは今から楽しみだな」

「えぇ。僕も咲似に教えていますが、どんどん成長して楽しいですよ」

 

アキラがそう付け加えると緒方は今後の囲碁界を背負う2人の成長がますます楽しみになる。

 

「俺も久しぶりに佐為と打ちたいものだな……」

 

生まれ変わってからは佐為と全く打てない事に淋しさを感じつつも叶わない願いを口にする緒方。

 

「打てますよ。今度進藤が家に来るときに緒方さんも呼びましょうか?」

 

笑顔でアキラが誘う。

 

「打てる? 俺は子供の咲似じゃなくて、大人の佐為と打ちたいんだぞ?」

 

勘違いしてるのかと思ってアキラに確認を取る緒方。

 

「何故か進藤に触れてる間だけ、佐為に戻るんですよ」

 

勘違いしていないと説明するアキラに、驚く緒方。

 

「マジか……俺も誘え」

 

平静を装うも隠しきれない緒方に、くすくすと笑って「分かりました」と進藤が次に来る日を確認するアキラ。

 

「再来週の日曜日に来ますね」

「分かった。その日は俺も行く」

 

緒方は佐為と打てると思うと嬉しくなった。

 

 

 

「こんちはー」

 

ヒカルが塔矢家を訪れる。

 

「いらっしゃい、進藤君。はい! 咲似よろしくね」

「え? あ、はい! わっ、…っぶねぇ」

 

久美子が待ち伏せのように、ヒカルが来るのを見計らって咲似をヒカルに渡し、進藤家に向かう。

もう恒例になっているパターンだが、大きくなって咲似も3才。抱っこは出来るが不意打ちに渡されると慌てて、落としそうになる。

 

「ヒカル! いらっしゃい」

 

咲似から佐為に変わって挨拶をする。

 

「おう! 打とうぜ」

 

佐為に軽く挨拶をして、慣れたように塔矢家の玄関を上がる。

 

 

「よう、進藤」

「緒方先生?!」

 

緒方が来ることを知らされていなかったヒカルは不意打ちの来訪に驚く。

 

「進藤。佐為と打ちたがっていたから緒方さんなら大丈夫だと思って僕が教えたんだ」

「そうなんだ……分かった」

 

アキラが教えたのなら大丈夫なのだろう。それにヒカル自身、行洋の通夜の時や院生師範の時に助けて貰ったので強く言い返せない。

 

「じゃあ、まずは緒方先生と佐為の対局からだな」

 

ヒカルはそう言って碁盤の前に座って佐為を膝の上に座らせると、黒石を1つ碁盤の上に置いた。

緒方がそれを見て、対局に座り白石を握った。

 

「俺が黒か」

 

緒方がそう言って、碁笥を交換すると、緒方と佐為の対局が始まった。

緒方が1手目を打つと、佐為が2手目を口頭で伝え、ヒカルが打つ。

 

 

 

「そう言えば進藤、この前特集組まれてたね」

 

アキラがヒカルに囲碁雑誌の事を言う。

 

「あぁ、あれか。和谷に聞いたよ」

「聞いたって……取材されたんだろう?」

 

アキラは他人事のように答えるヒカルにさらに質問する。

 

「うーん……取材というか、院生師範してたら話しかけてきて適当に答えてたらああなった」

「……」

 

言葉を失うアキラ。

しかし、『未来に繋げる想いとは』の問いに聞いていた回答は確かになかったのを思い出し、なる程と思いつつもアキラは呆れた。

 

「……無理はするなよ」

 

どこか無理をしてでも目標を達成しようとするヒカルの姿を危ぶむアキラ。

70才前半という若さで亡くなった行洋の後を追うようにヒカルも若くして亡くなるのではとアキラは心配する。

そんなアキラを知ってか知らずかヒカルは「うん」とだけ返事した。

 

 

しばらくして、緒方が投了する。

 

「佐為、お前の碁を広げたくて院生師範始めたんだぞ」

「ヒカルが……師範?」

 

先程の雑誌の続きを緒方がニヤニヤしながら蒸し返すと佐為が不思議がる。

 

「ヒカルはまだまだ子供ですよ。何を教えるんですか?」

「俺はもう35才の大人だ!! 碁を教えるの! 碁を!!」

 

ヒカルは膝の上に乗ってる佐為に大人げもなく怒る。

 

「進藤の指導碁は定評があって、院生にも好評ですよ。篠田先生も褒めてましたし」

「篠田先生が?」

 

アキラがヒカルの碁を褒めていた篠田先生の名前を口にすると怒っていたヒカルの機嫌も直る。

 

「あの雑誌タイトルも篠田先生の言葉らしいね」

「『未来に繋げる想い』がか?」

 

緒方が雑誌のあの一文を口にする。

 

「院生師範を始めた理由に『遠い過去と遠い未来を繋ぐため』と話した進藤に一度は当たり前とバッサリ切ろうとした記者に対して篠田先生が『その繋げ方は人それぞれだ』と言ったのを受けてあのタイトルになったそうですよ」

 

アキラが本人の前で聞いた話を披露する。

 

「モノは言いようだな」

 

と緒方は吐き捨てる。

 

「ヒカルは何で私の碁を広めようと想ったのですか?」

 

佐為がヒカルを見上げて聞く。

 

「塔矢や緒方先生は塔矢先生が亡くなっても自分の碁の中に塔矢先生を感じる事ができるだろ? 俺もお前が居なくなった時、自分の碁の中にお前がいたのを見つけて嬉しかったんだ。だから俺が死んだ時、俺の碁がそこら中にあって、俺を感じる事ができたらお前は寂しくなくなるだろうと想って」

「……お前、それ恥ずかしくないのか?」

 

真面目に語りかけるヒカルを緒方が茶化す。

 

「良いだろ?! 別に」

 

ヒカルは顔を赤くする。

 

「ヒカルは優しいのですね」

 

佐為がヒカルに笑顔を向ける。

自分の為に院生師範になったのだと知り胸が熱くなる。

 

「俺が死ぬとき、この扇子をお前と虎次郎に託すよ。それまでに色んな人に俺の碁を伝えておくから」

 

ヒカルが扇子を手に満面の笑みを浮かべる。

佐為が居なくなって夢で貰った佐為の扇子。ヒカル自身が購入したものだけど、佐為と共に神の一手を極めると決意した扇子でもある。

その扇子を譲るということは、またヒカルと共に己も神の一手を目指して頑張れということ。

 

「ヒカル……私は神の一手を極めます!」

「佐為、俺もだ!打とうぜ」

 

佐為とヒカルは碁盤に向かい対局を始める。

緒方はそんな2人のやり取りを静かに聞いていた。

 

 

「繋想の果てに人は生きた証を遺すのだろうか」

 

 

アキラの耳にいつまでも緒方の言葉が残るーーー

 

 

           ●○第2部完○●

 




本編終了です。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

初めての投稿作品に、自分の語彙力のなさ・文章力のなさ・表現力のなさを痛感しイライラしながらも最後まで楽しく書かせて頂きました。
自分の思い描いたシーンを少しでも共有出来たら嬉しく思います。


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●○番外編○●
22話


11才という最年少記録でプロ入りを果たした後も驚異のスピードで2段に昇格、もう間もなくタイトルリーグ戦に参戦かと期待され、囲碁の才能を遺憾なく発揮する咲似14才中2。

塔矢門下の研究会は緒方さんとお父さん(アキラ)が中心となって開かれ、とても勉強になる。

しかし、私には月に1回ほどしか会えない進藤ヒカルおじさんの方が好きだ。

進藤おじさんの碁はとても懐かしい感じがする。

打って貰った指導碁はとても優しく、指摘は的確。

おじさんに触れると強制的に意識が後ろに追いやられてもう1人の私が嬉しそうに碁をやり、進藤おじさんにそれはもう親しげに話しかける。

それを進藤おじさんも嬉しそうに相手をしているのを見ると何だか私はこの上ない孤独感を味わう。

だから、思春期の恥ずかしさも相まって私は進藤おじさんを避けるようになっていった。

 

 

繰り広げられる碁盤の戦場はとても美しく、私もこんな風に打ってみたいと思う。

 

『あなたにも打てますよ』

 

もう1人の私が私に語りかける。

そうだと良いなぁと笑顔が溢れる。

時折進藤おじさんが私を見つめるのを私は知っている。

けれど、その視線の先は私であって私でない。

 

 

誕生日プレゼントにとスマホを買って貰い、お父さんから【sai】というアプリをダウンロードして貰う。

自分の名前と同じアプリ名に嬉しく思い起動しようとタッチする。

 

「何でだろう……私、このアプリのログインIDを知ってる……」

 

思い浮かんだIDとパスワードを入力すると、フワッと体が浮かんだような感覚に襲われる。

恐怖が身を包み目をつぶる。隣にいた人に思わず掴まった。

 

「咲似ちゃん、もう目を開けて大丈夫ですよ」

 

隣にいた人の腕を掴んだまま目を開けて見上げると、そこには烏帽子を被った狩衣姿の長い黒髪の美形男子がいた。

 

「ご、ごめんなさい! 私ったらつい……」

 

咲似は慌てて腕を離す。

 

「さい!」

 

アキラもアプリを起動したようだ。こちらに寄ってきて声を掛ける。

 

「アキラ……久しぶりですね」

「お父さんを知ってるの?」

「えぇ、もちろん」

 

佐為がアキラを呼ぶのを聞いて確認すると、笑顔で答える。

 

「進藤にも連絡したから間もなく来るだろう」

 

アキラが佐為に向かって話す。

 

「進藤おじさんも?」

 

咲似が不思議そうな顔をする。

 

「このアプリは元々進藤がこの佐為って人に会うために作られたものなんだ」

 

アキラが咲似に説明すると、

 

「この人も『さい』って言うんだ」

 

と咲似は目をキラキラと輝かせた。

 

「神様にもご挨拶を……」

 

と佐為は辺りを見回し、神様を探す。

見つけるとその方向に歩いていく。

少し離れて咲似とアキラもその後を付いていく。

 

「神様、大変ご無沙汰しております」

「佐為か、おぉ! いらっしゃい。また会えて嬉しいよ」

「行洋殿も、お久しぶりでございます」

 

佐為は対局中の行洋にも挨拶を交わす。

 

「お祖父ちゃん!!」

 

咲似は行洋を見つけると走り寄る。

 

「咲似、大きくなったね」

「うん! 私もずいぶん強くなったんだよ」

 

佐為への挨拶もできないまま咲似が来たため頭を撫でる。嬉しそうに報告する咲似と行洋の姿に佐為は微笑む。

 

 

「悪ぃ、遅くなった」

 

と30分遅れでヒカルがやってきた。

 

「ヒカル! 会いたかった!」

 

ヒカルを見つけると、今度は佐為がヒカルに抱きついた。

 

「佐為! 俺も会いたかった……」

 

とヒカルも涙を浮かべて佐為を抱きしめ返す。

 

「佐為さんは、進藤おじさんの家族なのね」

 

親子程に年の離れた2人とそのやり取りを見て、そう言う咲似に対して

 

「違うけど……まぁ、違わないか」

 

とヒカルと佐為はお互いの顔を見合わせる。正確な家族ではないが、家族ほどに深い絆で結ばれているのは確かだ。この際ややこしくなるので、否定はしなかった。

 

 

「あかりのやつ、本当疑り深くて嫌んなるよ」

 

ヒカルはハァと大きくため息を付いてその場に座り込む。

 

「あかりちゃんが、どうかしたのですか?」

 

佐為がヒカルの言葉に耳を傾ける。

 

「あいつ、俺が咲似を好きなんじゃないかって疑ってるみたいでよ。見た目中学生相手にそんな気持ちになるかよ……そもそも佐為は男だし」

「確かに君の咲似を見る目は切なくて恋心を抱いてるようだったね」

 

悪態を付くヒカルにアキラが追い討ちをかける。

 

「なっ! 塔矢までそんなこと言うなよ。大変なんだぜ」

 

ヒカルは大きくため息を付く。

理由を知っているアキラにとっては滑稽で笑えるが、確かに事情を知らない人から見たらそう見えるかもしれない。

 

「咲似も知ってるよ! 進藤おじさんの私を見る目は私じゃない、もう1人の私だって」

「本人が分かってるのに、なんであかりが分かんねぇんだよ!」

 

ヒカルは頭をぐしゃぐしゃにして抱え込む。

 

「それで? あかりちゃんとはどうしたんですか?」

「取りあえず放っぽってこっち来た。3時間なんてあっという間だろ? せっかく佐為に会えるのにあかりに潰されてたまるか」

「帰ったら修羅場ですね……」

 

佐為は思わず口を塞ぐ。他の人は開いた口が塞がらない。

 

「せっかく会えたんだから、打とうぜ! 佐為」

 

そんな周りを無視してヒカルは佐為に対局を申し込む。

 

「良いんですか? あかりちゃん……怒ってますよ。今すぐ帰ってちゃんと説明した方が……」

「良いの! あいつの事は帰ったら考える!」

 

ーー今考えるべきじゃ……

 

と一同総つっこみを頭の中で入れるが誰も口に出来なかった。

 

 

佐為との対局を終えて、皆で検討を始める。30分ほどで神様が終わりを告げた。 

ヒカル以外の3人が戻っていく。

ヒカルも3人に合わせて帰ろうとするも、帰ったらすぐに修羅場なのだろうと神様が引き留め説明の仕方を考えさせる。

結局30分じゃ良い説明は思い付かず、そのまま帰ることになった。

 

「大丈夫だろうか……」

 

と心配する神様を横に、行洋はヒカルらしいと笑っていた。

 

 

 

帰ってくるとあかりは怒ったままだった。

 

「ちょっと、ヒカル! 何で話の途中でアプリを起動させるのよ!」

 

開口一番に責められいきなりピンチになるヒカル。

 

「塔矢から電話あったじゃん」

「それで?」

「それで、、、佐為に会えるって聞いて……」

「咲似ちゃんに会えるアプリなの?!」

 

確かに佐為の生まれ変わりなので、もれなく咲似にも会うことになる。

 

「そうなんだけど、そっちの咲似じゃなくて……」

「咲似ちゃんにそっちもこっちもないじゃない!」

「~~~」

 

もどかしい状態が続く。

せめて名前が違ったらもう少し違った状況にできたかもしれない。

 

「だから咲似の中にいる男の佐為だって」

 

と言ってやりたいが一度も説明した事がない上、佐為を見たことがないあかりにとっては説明しても理解されないだろう。

どうやって説明しよう……と考えている時だった。

 

プルルルル…プルルルル…

 

あかりの携帯着信が鳴る。

 

「で……電話だよ」

「……その場を動かないで!」

 

キッとヒカルを睨み付け電話に出るあかり。

 

「久美子! どうしたの? ……うん……うん。……それで?………うん…」

 

電話の相手は久美子のようだ。

塔矢が上手く説明してくれたのかな? とヒカルは電話に聞き耳を立てる。

少し長めの話を聞き終わり、電話を切るあかり。

 

「咲似ちゃん……ヒカルの家族とも言える親友の生まれ変わりだったんだって?」

「へ? そ、そう」

 

あかりの態度が一変する。ヒカルはその変わりように戸惑うも、言ってる事は正確に伝わってるようだ。

 

「アプリでその人に会いに行ってたのね」

 

あかりの目にうっすら涙が浮かぶ。

 

「私、誤解してたみたい。ヒカル、早く言ってくれれば良かったのに」

 

そう言うと、あかりは部屋を出て行き、秀輝の様子を見に行く。

 

「……なんだったんだ」

 

ヒカルは急に理解された状況の理解に苦しみ、アキラに電話する。

 

「咲似から直接事情を説明したんだよ」

 

と笑顔で答えるアキラ。

 

「きっと君じゃ誤解は解けないと思って。咲似も協力してくれたんだ」

「なんだよ! それなら早く言えよ。焦ったじゃねーか」

「悪かった。成功するかも咲似が協力するかも分からなかったから」

 

とアキラは苦笑いする。

 

「でもサンキュー。お陰で助かったよ。咲似にも礼言っといて」

 

電話越しに礼を述べるヒカル。

今回はどう対処すべきか困っていたから本当に助かった。しかも説明しにくい部分を伝えて貰えたので、今後も差し支えなくアプリを使える。

 

「定期的に僕の家で会っているが、これからはその時にアプリを起動しよう。その方が咲似の意識もあっちに行くから勉強の妨げにならないし、君も佐為に会えるだろう?」

「おぅ! そうだな」

 

ヒカルは笑顔で即答した。

咲似が大きくなって触れる事ができなくても佐為に会えるという事は、今後咲似に恋人や伴侶がいてもアプリを通して佐為に会えるということ。

ヒカルは再開できた喜びに笑顔が弾ける。

 

また改めて、佐為と共にこの道を歩んでいこう。

扇子に込めた決意と共にーー

 



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23話

あかり視点です。
ヤマもオチもない日常の1コマ。ヒカルがちょっとだけアタフタする程度です。

それでも宜しければどうぞお付き合い下さい。


ピピピ……

いつもの朝。アラームが鳴る。

 

あかりは朝ご飯を作るためにまだ眠い身体を無理やり起こして顔を洗いに行く。

冬になろうとする11月。冷たい水が針のように刺さり、痛い。

それでも目が覚めるのは有り難い。

寒い日はいつまでも布団に入ってヌクヌクと温まっていたい。

けれど、お腹も空いてくるから何か食べたい。

 

ヒカルの今日の予定は和谷君家に午後から顔出し。きっと起きてくるのはもう少し遅くなるわね。

けれど、たまに不意に早く起きてくることもあるから少し早いけど3人分作ってしまおうと思う。

冷蔵庫を開けて、卵と野菜、ソーセージを取り出す。

元々私はパン派だったけど、ヒカルがご飯派だったので、いつの間にかご飯派に変わってしまった。

ご飯も味噌汁も前日に少し多めに作っておけば翌朝は温めるだけ。別の野菜を少し足せば「昨日の残りぃ?」なんて悪態をつかれなくて済む。

フライパンで玉子焼と野菜炒めを作る。

最初こそ慣れない料理に苦戦したけど、さすがに1日3食を作り続ければ何とかなる。

子供が産まれてからは本当に時間との戦いだったから、料理も効率的に作れるようになってきた。

秀輝も少し手が離れたので、時間に少しだけ余裕ができて、自分の時間も取れるようになってきた。

タイトル戦などが近づくとさすがにヒカルも緊張するのかピリピリした雰囲気が私にまで伝わってくる。

そんな時に決まってヒカルが言う。

 

「あかり、オレと打たねぇか……? お前と打てばこのピリピリとした感情が落ち着きそうだ」

 

最近は、秀輝とも良く打ってるから私と打ってくれる時間は本当に少なくなった。それでも、一番緊張がピークになるのか前日の夜は私と打ちたがる。

ヒカルの心の重荷を少しでも軽くできてるのかな、と私にとっては小さな、だけど大事な幸せな時間。

 

「はよー」

 

ヒカルが寝室から戸を開けて起きてきた。

 

「おはよう。ちょうどご飯できたところよ。一緒に食べる?」

「おぅ。……秀輝は?」

「まだ寝てる」

「そっか」

 

まだ眠いのか目をこするヒカル。

足が洗面所に向かったので、先に顔を洗いに行くようだ。

あかりはヒカルと一緒に食べようと2人分の食器とコップをテーブルに並べる。

 

「良い匂いだな」

 

戻ってきたヒカルが席に着きながら言うと、あかりは少し照れる。

男の人は全然褒めない。

ヒカルも例外じゃない。文句9割・賞賛1割。

だから、褒めてくれたときは本当に貴重。

まだ匂いしか褒められてないけど…。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

手を合わせて挨拶。

箸を手に取って食べ始める。

 

ヒカルの右手側には扇子が置いてある。

現代なら当然スマホだと思うが、ヒカルはいつも不携帯。家に置きっぱなしも日常茶飯事。

お陰で色々連絡が取りたくてもなかなかリアルタイムで連絡を取るのが難しい。

だから、最も早い連絡手段はヒカルのスケジュール把握。どこにいるかが分かればだいたい一緒にいる人間も分かる。

数人の連絡先を私も交換してるので、ヒカルに掛けるより悲しいかな、早かったりする。

棋院もそれを分かっているのか、ヒカルよりも私のスマホに掛けてくる。

きっと今もスマホは寝室のままなのだろう。

 

「ヒカル、その扇子。大事に持ってるよね」

「うん。これは大事なものだからな」

 

あかりが扇子の話題を振るとヒカルは扇子に視線を移す。

扇子を触る手は優しく、だけど力強さを感じる。

 

「これは、あいつへの決意だから」

「あいつ?」

 

決意は、きっと囲碁関係だろう。

7冠を達成したり、倒れるまで頑張る姿を見てれば分かる。

そんなヒカル自身を支えていきたいと思ったから。

 

「うん、あいつ」

 

苦笑いで誤魔化そうとするヒカル。あかりはピンと来た。

 

「親友さんね! 咲似ちゃんが言ってた……」

「あ、うん…」

 

ビンゴって顔に書いてある。ヒカルの顔が少し赤くなった。

 

「そっか。その親友さんが居なくなったから親友さんの分まで頑張ろうと決めたんだね」

「……」

「そんな困った顔しなくて良いよ。私はいつでもヒカルの味方なんだから」

 

ヒカルは言い当てられて恥ずかしそうな顔をする。

あかりはそれをみて優しく微笑んだ。

あかりにとってヒカルは、何も知らされなかった頃より、少しだけ分かる今の方が愛おしく感じる。

 

小学生の時からヒカルの事を好きだったから、囲碁にのめり込んでいくヒカルを見て、囲碁に没頭する時期もあったし、嫉妬してた時期もあった。

けれど、今の話を聞けば家族同然の親友がいなくなれば当然の行動か。

その親友さんに嫉妬しちゃうけど、きっとヒカルの親友さんは単なる友情とか家族とかでは語れない関係なんだろう。

ヒカルの人生を変えた人なのだから。

私は、そんなヒカルを見続けてとても危なっかしく思っていた。

ヒカルがその人の後を追わなくて本当に良かった。

その親友さんもヒカルの事を大事に思ってたのね。だから、この扇子を渡したのかな?

私の後を追わないで。私の夢を追って、って。

 

「その親友さんに感謝だわ」

「え? なんで?」

 

ヒカルはキョトンとした顔になる。

あかりは笑って答えた。

 

「今、こうしていられるのはその人のお陰な気がするから」

「佐為のお陰?」

「そう、咲似ちゃんのお陰。だって、ヒカルが笑うのも泣くのもきっとその親友さん絡みでしょ? 今、院生師範をやってるヒカルは心から生き生きとしてるのが分かる。悔しいけど、私には出来ない。だけど、そんなヒカルを支えていけるのは私だけだと思ってるよ!」

「な……何を朝から恥ずかしい台詞言ってんだよ」

 

ヒカルは顔を真っ赤にして照れる。味噌汁を口に運び具をかけ込む。

そんなヒカルをあかりは見つめた。

 

「照れなくて良いのに」

「て、照れてねぇ!」

 

フフフとあかりが笑うと、ヒカルはあかりから少し視線を外して食事に集中する。

 

「ごちそうさん」

 

ヒカルは恥ずかしさに耐えれなかったのか残りの食事を急いで食べ終えると扇子を持って碁盤のある自室に入って行ってしまった。

 

「はいはい。昼ご飯が出来たら呼ぶね」

「おう!」

 

声だけは聞こえてたみたい。ドア越しに返事が聞こえた。

あかりはまたフフッと笑う。

何も知らなかった少し前より今の方がヒカルが傍にいる気がする。

ヒカルの気持ちが分かってきたからかな?

 

「味は褒めて貰えなかったな……」

 

褒めて貰えなかった事に少し寂しさを感じつつも、ヒカルが少しずつ自分のことを話してくれる事が増えたのは素直に嬉しい。

 

ーーまた話してくれるかな…

 

あかりは食べ終えた食器を片付けながら小さな幸せを噛みしめた。

 



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24話

広島弁が全く分からず間違いだらけだったらすみません。
ご指摘下されば修正したいと思いますので教えて頂けると嬉しいです。

ヒカルの中で広島はある意味悲しい思い出なので、何とか楽しい思い出に変えたくて描きました。
無理やりな展開で強引な内容ですが、皆様の大きな懐と温かい眼で読んでいただけるとありがたいです。



「いらっしゃい」

 

ヒカルが碁会所の扉を開けるとマスターらしき人物が挨拶をする。

 

「……進藤ヒカルプロじゃないか!」

 

一歩中に入ると、客の1人がヒカルに気付く。

 

「と、塔矢アキラプロもだ!」

 

後ろに付いて入ってきたアキラにも気付き、客が対局途中にも関わらず集まってくる。

 

「打つのかい?」

「何で、こんな所に来なさった?」

「何でこんな所に連れてきたんだ? 進藤」

 

マスターが質問し、客の1人が発した質問にアキラがさらに質問を畳み掛ける。

 

「いっぺんに言われても困るよ」

 

ヒカルは困った顔をする。集まった客たちを見渡し誰かを探しているようだ。

 

「久しぶりじゃのう、進藤プロ」

「あ! いた。良かった!」

 

ヒカルは周平の声のする方に視線を向けて笑顔を見せる。

 

「塔矢達も打つか?」

「そうだね。見てるだけもつまらないし打つよ」

「おじさん、4人分ね」

 

ヒカルはアキラも打つと返事を貰って、4人分のお金を渡す。

 

 

ヒカル、あかり、秀輝、アキラ、久美子、咲似の6人は広島に来ていた。

いつの日か佐為と一緒に因島に来ようと思って30年が経った。

なかなか予定が合わなかったが遂に念願叶ってヒカルが連れてきたのだった。

 

予定は2泊3日。思ったより早く着いたのでホテルに荷物を置いて出掛ける。

あかりと久美子は観光や買い物に出掛けた為、ヒカルは3人を連れて昔入った碁会所にやってきた。

 

ーーあの時は佐為を探しに来たけど、今日は佐為も一緒だし、思い切り楽しむぞ!

 

ヒカルはワクワクしながら周平が座る場所に向かっていく。

 

「彼は進藤と知り合いなんですか?」

 

アキラがマスターに声を掛ける。

 

「周平か? 昔、進藤プロが秀策巡りで広島に来たときに連れの男が打った後、進藤プロも打ったんじゃ。周平はアマNo.1じゃ」

「アマNo.1……。その時はどちらが勝ったんですか?」

「進藤プロじゃよ。早碁でな。すごかったわい」

 

マスターは視線を天井に向けて思い出すように話す。

30年も前の事を思い出せるとはよっぽど印象深かったのだろう。

その時の高揚感まで思い出しているようだ。

アキラはマスターと話しているため、秀輝と咲似は場所を変えて碁会所の客と打ち始める。

 

しばらくして客の1人がアキラに指導碁をお願いするとアキラは快諾し、席を移る。

アキラの周りにもあっという間に人だかりができてしまった。

 

 

「お願いします」

「お願いします」

 

ヒカルと周平が頭を下げ対局が始まる。

ヒカルは白石。周平が一手目を打つ。

 

「進藤くん、わしの手紙読んで、わざわざ来てくれたんか?」

「わざわざじゃないけど、手紙読んで来ようと思ったのは合ってるよ。アマの大会で東京来たときも棋院に寄ってくれてたらしいじゃん」

「そうじゃ。なのに進藤くん、いつもおらん。……その上院生師範じゃろ?」

「ハハハ。あの手紙、果たし状みたいに怒り大爆発だったもんな」

「結果的に対局が叶ったけぇ。わしは満足じゃ」

 

周平は今までの不平不満を口をへの字にして漏らしていたが、待ち望んだヒカルとの対局をやっと叶えられ嬉しそうに話す。

ヒカルは打ちながら周平との会話も楽しむ。

今のヒカルにとっては周平との対局は指導碁に近い。

 

「5冠棋士がこんな所で油売ってて良いのか?」

「今日はプライベートだから良いの!」

 

周りにいたギャラリーからの質問にヒカルが答える。

 

「プライベートでも、有名人じゃろ」

「有名人じゃないよ。普通に電車で来たし」

「……」

 

ヒカルは思った事を口に出す。

周りに居る人は言葉を失ってしまった。

 

「きっと子供っぽいから気を使ったんじゃな」

「何だよ、それ」

 

客の1人が結論づけるとヒカルは口を尖らせ不満を募らせる。

 

「周平との対局なのに喋りながらでえぇんか?」

「大丈夫だよ、これくらい」

「なんじゃと?!」

 

ヒカルの返答に周平は頭に来る。

今や5冠のトップ棋士に勝てるとは思ってないがここまでコケにされて黙ってるような人間ではない。

 

「その言葉…で、後悔させたるゎ!」

「うん!」

「こ、こいつ……!」

 

周平の宣戦布告に、笑顔で答えるヒカル。

周平はさらに顔を赤くして怒りを露わにする。

厳しい一手を打つも軽々とヒカルにかわされてしまった。

それならと、左下に新手を打つ。

さすがにヒカルもその一手にどんな意図が組まれているのかと手が止まる。

ニヤッと笑みを浮かべる周平。

少し考えて受けた一手は全然関係ないと思われる左上辺だった。

 

ーー少しも気に掛けてないだと?!

 

周平はさらに怒りを露わにして新手の場所を攻めていく。

ヒカルはまたも軽やかにかわしていきつつ、左上辺にも手を入れていく。

 

「な!?」

 

周平はヒカルが打った意図を理解する。

 

ーー左下に入れた自分の手は、上辺からの挟み撃ちで死んでしまう!?

「ま、負けてたまるかぁ!」

 

周平は諦めずに、さらに攻め込んでいく。

ヒカルは終始笑顔のままそれ以上殺さないように気をつけながらもノータイムのまま守っていく。

 

「凄いな」

「さすがプロじゃな」

 

と周りが感心仕切っていると、

 

「負けました」

 

周平が投了する。

 

「もう手も足も出ぇへんゎ。手抜いたまま終局したらどついたろ思ったが進藤くんの実力を間近で見られて良かった」

「鬼の形相だったからビビったよ」

 

ヒカルは苦笑いするも、周りの客たちは大笑いだ。

周平は只でさえ強面なので怒った顔は本当に怖い。自分を睨みつけてきた周平の顔を見てしまったが最後、多少の実力を見せないと納得してもらえないと思い投了に追い込んでしまった。

もう少し長引かせて楽しもうと思っていたのが台無しだ。

 

「じゃ、次は指導碁をお願いしても良いか?」

「あ、ズルいぞ! わしもじゃ!」

 

側にいた客の数人が指導碁の取り合いをする。

 

「やりたい奴まとめて座れよ。まだ時間あるし相手するよ」

「良いのか?!」

 

嬉しそうに座る客達の言葉と対照的に「生意気な……」と苦い顔をする周平。

けれど、本当にやれるだけの実力があるから面白くないが何も言えずにいた。

 

「よし! じゃあ、始めるぞ。お願いします」

「お願いします」

 

10人ほどもいる指導碁が始まる。

全く時間を掛けずにどんどんと白黒模様が出来上がっていく。

その模様はとても美しい。

 

 

「しゃーねぇ。帰りはわしの車で送ってってやる」

 

周平は鮮やかに指導碁を打っていくヒカルを見ていて感心してしまった。

きっと院生師範もこんな感じなのだろうか?

夕日が当たっているせいか、ヒカルが一段と眩しく見えた。

 

 

 

日が沈む頃指導碁も終わり、キリが良かったのでそこで帰る。周平がホテルまで4人を送る。

 

翌日は予定通り秀策巡りをした。

虎次郎と佐為が170年前にいた場所。

4人並んで海も眺めた。

 

「やっと来れた。良かったよ!」

「……それはもう1人の私と見た後に言ってください! 進藤おじさん!」

 

ヒカルが30年越しの願いを叶えた事を口にしたが、咲似がヒカルを見て突っ込む。

笑顔を見せる咲似がそっとヒカルの腕を掴んだ。

少し驚くヒカルだったが、佐為に代わって辺りを見渡し佐為が最高の笑顔でヒカルに言った。

 

「ヒカル! 連れてきてくれたんですね。ありがとう」

 

佐為の言葉を聞いて、ヒカルは心底来て良かったと思ったのだった。

 



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25話

お久しぶりです。
バレンタインの話は書けず、ホワイトデーも書けなかったので後日話を書いてみました。

笑って貰えたら嬉しいです。


アキラはヒカルに対して冷やかな目を向けている。

そして、あかりに憐れみの目。

アキラは心底、本当に心底思った。

 

「君がどうして結婚出来たのか不思議だよ」

「何でだよ。バレンタインのお返しがないくらいで大げさじゃん」

 

ヒカルはアキラの言葉に口をへの字にして反論する。

すでに3月14日が過ぎたある日曜日。

いつものパターンで進藤家が塔矢家にお邪魔したのだが、今日は昼御飯を皆で食べようと台所に久美子とあかりが準備をしている最中だ。

 

咲似がもうすぐできると囲碁部屋へ呼びに来た時、アキラが一番に服と髪飾りを誉める。

 

「着替えたの? 似合ってるね」

「へへっ! ありがと。お父さん」

 

咲似はパッと笑顔に溢れてヒカルの方にも顔を向けて誉め言葉を待つ。

 

「何かいつもと違うのか?」

 

ヒカルはマジマジと咲似の顔を見て考える。

 

「ヒカルおじさん、ひどい! お父さんからこの服と髪飾りをホワイトデーに買って貰ったの!」

 

普通ならチョコのお返しはクッキーや飴を用意するのだろうが、ショッピングに行った時に物欲しそうに見ていたのが印象的だったので、アキラは洋服とそれに合いそうな髪飾りを買ってあげていた。

今日はそのお披露目。

 

咲似は怒りながらもお気に入りの服と髪飾りをくるりと回ってヒカルに見せる。

 

「オレ、分かんねぇよ。それより飯だろ? 行こうぜ」

 

ヒカルは咲似のオシャレを見ても反応なし。笑顔で台所を指差し足を廊下に向ける。

 

「ヒカルのばかぁ───っ!」

 

ショックで大粒の涙を流し始めた咲似は佐為に入れ替わる。

佐為はヒカルの耳元に近寄って大声でヒカルを責めた。

 

「佐為! 何だよ。オレが触れなくても出てこれんじゃねーか」

「違います! 咲似ちゃんがショックで奥に引っ込んじゃっただけです!」

「何だよ、それ。オレが悪いみたいじゃねーか」

「ヒカルが悪いんですよ! お気に入りの服とプレゼントの髪飾りですよ。いつもより高くて可愛いでしょ? 謝って下さい」

「いつもより高いなんてオレ、知らねぇよ。いつも高い服着てんじゃねーか。変わってるなんて分かんねぇよ」

「ヒカルは女心が分からなすぎです! 髪飾りはいつもしてないんだから髪飾りぐらい誉めれるでしょ」

「髪飾りぐらいってお前も分かってねぇーじゃねぇーか!」

「口答えばっかり上手くなってどうするんですか! 良いですね! 咲似ちゃんに謝るんですよ」

 

廊下に出た所で二人のケンカが続いている。

ヒカルと佐為の口論をアキラは止めようとオロオロしていた。

しかし、止める間もなくそのまま佐為は咲似に入れ替わる。

 

「あ、おい! ……咲似か。か、か、か……」

「か?」

 

咲似はまだ涙目になっている。

ヒカルをじっと見つめて言葉を待っている。

 

ヒカルが佐為に言われたように伝えようとするが、普段あかりにも言ったことのない言葉を言うには、あまりにも恥ずかし過ぎる。

顔を真っ赤に染めて耳まで赤くなり、下を向いて廊下を見つめながらやっと咲似に聞こえる程度の小さな声で伝える。

 

「か、可愛いよ」

「ありがとう」

 

咲似は笑顔に変わってお礼を言う。

告白でもしたかのようなヒカルの態度。

 

 

「何やってるの? 冷めちゃうから早く食べに来て」

 

咲似が呼びに行ったのに帰ってこないので、あかりがさらに呼びに来たのだった。

 

「ヒカル、熱でもあるの? 顔赤いよ」

「何でもない! さっ、飯だ飯。行こうぜ」

 

あかりに目を合わせないように庭を見ながら廊下を歩くヒカル。

 

「?」

 

意味不明なヒカルの態度にあかりはキョトンとする。

 

「私の服と髪飾りを誉めてくれたの」

「ああ。それで恥ずかしがってるのね」

 

咲似が説明するとあかりは納得した。

 

「誉め言葉なんて言わないし、プレゼントなんて絶対しないから。慣れない事してどんな態度すれば良いのか分からなくなってるのね」

「プレゼントしない? ホワイトデーは?」

 

アキラが質問する。

 

「チョコは毎年あげるけどお返しは一度もないわ」

「え……」

 

あかりが当然のように答えるが、アキラと咲似はドン引きだ。

咲似は言葉を失ってしまった。

アキラがヒカルに言う。

 

「君がどうして結婚出来たのか不思議だよ」

「何でだよ。バレンタインのお返しがないくらいで大げさじゃん」

 

本当にあかりは女神様か何かなのだろうか。

アキラと咲似はあかりを心から尊敬した。

 



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26話

「いらっしゃい、あかり」

「お邪魔します」

 

久美子があかりを出迎える。

今日は平日の月曜日。

 

いつもはヒカルもいるが今日はいない。あかりだけがお茶をしに来たのだった。

 

陽が高い昼下がり。

 

「こんにちは」

「咲似ちゃん! 今日は学校休みなの?」

 

咲似が顔を出してあかりに挨拶をする。

祝日でもない月曜日。普通なら学校に行ってる時間なのであかりは疑問を口にした。

 

「うん。社会見学があったからその振替なの」

「そうだったの」

 

咲似が説明してあかりは納得する。

 

「こんな所で立ち話もなんだし、入って」

 

久美子はあかりを玄関の中に入るように促す。

あかりが靴を脱ぎ、慣れた足で台所横の居間に向かう。

 

「ヒカルおじさんってプレゼントとかないんでしょ? どうして結婚したの?」

 

咲似はこの前の話が気になり唐突に質問した。

 

「え? どうしてって言われても……」

「惚れた弱味よ」

 

あかりが頬を少し赤らめて口ごもっていると、久美子が当然とでも言いたそうにさらっと答える。

 

「く、久美子~」

「そうなんだ。私もそんな恋愛したいなぁ」

 

あかりがさらに顔を赤らめて困りながら話を止めようとしているが、咲似は妙に納得してしまった。

 

「さ。座って」

「ありがとう」

 

廊下を通り居間に着くと、久美子はあかりを椅子に誘導する。

足はそのまま台所に向かい、冷蔵庫を開けてお茶を取り出す。

咲似も慣れたもので、人数分のコップを出したので、久美子はそのコップにお茶を注いだ。

 

「進藤くんも口にはしたことないけど、あかりの事ちゃんと好きなのよ。本人知らないけど、1週間くらい心の声が聞こえてた事があるの」

「心の声が聞こえた?」

 

久美子と咲似も座り話が始まる。

あかりにとっては恥ずかしいので別の話が良かったが久美子が続けてしまったので、諦めて話をすることにした。

 

「ヒカルが死にかけた時にね。不思議な力が働いたの」

 

 

 

 

 

まだ咲似が生まれる前。佐為が碁の神様の側にお仕えしてた頃。

ヒカルと結婚はしたものの、ヒカルは碁のアプリとやらに夢中で、あかりは少し不満を抱いていた。

 

「またか……」

 

ヒカルの部屋を掃除しようとドアを開けると、ヒカルがベッドに横たわっている。

 

初めての時は、起こそうと声をかけたり体を揺らしたりしたが、意識がないように感じて大騒ぎした。久美子から少し聞いていたので救急車までは呼ばなかったが、その後起きたヒカルがその騒ぎの大きさに驚いて慌てて怒りながら説明されたのを覚えている。

それからは見てる分には寝てるだけだし、時間の制限もあるらしく3時間くらいで帰ってくる。

たまに寝言で笑ってたり悔しがってたりしてるので、それなりに楽しいようだ。

 

「幸せそうな顔しちゃって! フフ」

 

あかりはヒカルの寝顔を見ながら微笑ましく思いながら窓のある方へと足を進める。

カーテンと窓を開けると、涼しい風が頬をなで、結ってない髪が優しく揺れる。

陽の光が部屋の中に差し込むと眩しさから目を細めた。

 

ヒカルも眩しいかもとベッドに近寄ると、少し顔色が悪いのに気付く。

 

「ヒカル? 大丈夫?」

 

ペチペチとヒカルの頬を軽く叩く。

少し汗の量も多い。

側に置いてある携帯画面は実行中に切り替わっているのが見える。

 

「ちょっとヒカル! 本当に大丈夫?」

 

肩を少し強めに押し体を揺らす。

反応はない。

 

「ねぇ、ヒカル! ヒカルってば! 起きて!」

 

いつもの寝てるだけとは違って血の気が失せていくようで顔色が青白くなっていく。

3時間がタイムリミットと聞いているがどれくらい前からやり始めたのかは分からない。

 

「もしかして3時間経ってるとか言わないよね?!」

 

あかりは肩だけでなく、もう片方の手を腕に置きもう一度大きく揺らす。

 

「ねぇ! ヒカルってば……お願いだから……起きて!」

 

声をかけている間もヒカルの顔は血の気が引いて触れた手の体温は少しずつ下がっていくのが分かる。

 

あかりは不安に飲み込まれそうになり小さく体を震わせ、目から大粒の涙をこぼし始めた。

 

「ヒカ……お願い……目……開けて」

 

涙が邪魔をしてヒカルが良く見えない。

泣いて声がうまく出てこなくなる。

 

 

急に部屋が明るくなった。

 

「! な、何?」

 

あかりは驚いて涙を拭くと、そこには綺麗な女性がいた。

軽いウェーブがかかっている長髪の黒髪。

着物姿でとても品の良さを感じる。

良く見れば、彼女自信が淡く光っている。

 

動揺するあかりをよそに女性はにっこり笑ってあかりへと手を伸ばす。

あかりは思わず身構えて目をつむった。

女性はお構いなしにあかりの体へと手をうずめた。

 

一体化したからか、あかりはこの女性が恋愛の神様だと分かった。

探しているのは『徳』であることも分かる。

 

あかりは恐怖を感じなくなり、目を開ける。あかりの体から小さな光る球体を取り出すと神様はヒカルの体にそれを入れた。

すると、ヒカルの顔は血色が戻り体温も上がっていくのをあかりは感じた。

 

「あ、ありがとうございました」

 

あかりは笑って女性にお礼を言うと、女性も笑い返して姿が消えていった。

 

部屋の明かりが元に戻るとあかりはヒカルを見守る。

 

「ヒカル……。戻ってきて! 目を覚まして。ヒカル!」

 

ヒカルの手を両手でぎゅっと握りしめ祈るように叫ぶ。

 

「なんだよ! 互角の対局で調子良かったのに!」

 

ヒカルが急にしゃべり出したので、あかりはビクッと体を一瞬動かしヒカルを見る。

 

「ヒカル……」

 

あかりはヒカルが戻ってきた事に安堵し、涙が流れた。

 

「あ、あかり? 何で泣くんだよ!」

「良かった……ヒカル!」

 

あかりがワンワンとわめきながらヒカルに抱きついた。

ヒカルは最初困ったが、あかりのこの尋常でない大泣きと動揺を見て、表側を向いている携帯画面に目を移すと時計は3時間を過ぎたところで、やっと状況を飲み込む。

ヒカルはあかりを抱きしめ返した。

 

「悪かったよ」

『時間、過ぎてたのか。かなり心配かけちゃったみたいだな』

 

ヒカルがあかりに謝罪する。

 

「心配どころじゃないわよ! 本当に血の気も失せて、冷たくなっていくんだもん」

 

あかりはヒカルがどんな状況にあったのかを泣きながら説明する。

 

「ほんと、悪かったよ」

『神様と夢中で対局してて時間過ぎたなんてとても言えねぇなぁ』

「あきれた! 大変だったのに碁してたなんて! 恋愛の神様が助けてくれなかったら今頃本当にヒカル、死んじゃってたかもしれないのよ!」

 

あかりは怒りをあらわにする。

3時間を過ぎたら死ぬと言うのは聞いている。

 

『そっか。あれ、方便じゃなくて本当だったんだな。恋愛の神様が助けてくれたのか。強制的に戻されたけど、本当なら死んでたんだよな。どうやって戻ってきたんだろ?』

「私の徳をヒカルに移したら戻ってきたよ」

「とく?」

「そう。良い事があるのは普段の行いが良いからだって言うでしょ?」

『じゃ、あかりが受けるはずだったラッキーをオレが貰っちゃったのか』

 

ヒカルは顔を曇らせる。

死ぬはずだった自分を生き返らせる程の善行の積み重ねを代償として貰い受ける。

それはかなりの代償が必要だと誰かに言われるまでもなく分かる。

 

「そんな風に言わないで。私でもヒカルを助ける力があるんだって知って嬉しいのよ。同時に過去の自分に感謝するわ」

「!」

 

ヒカルはあかりの言葉に胸が痛む。

同時にあかりに心配はかけまいと心に決め、ぎゅっと強くあかりを抱き締めた。

 

『ありがとう、あかり。もう心配かけない。戻ってこれたのはあかりのお陰だ。だからこれからの人生はあかりに貰ったものだと思って精一杯愛していこう』

 

あかりは顔を真っ赤にしてうつむく。

 

「私も精一杯愛していきます……」

「え? 何で思ったこと分かる……ん……だよ」

『徳のせいか』

 

ヒカルも恥ずかしくなって顔が真っ赤になり耳まで赤らめる。

全部あかりに筒抜けだったのかと思うと、余計恥ずかしく、あかりを見れなくなってしまった。

 

その後も少しの間、家の中でも会うとこの時の事が思い出されて二人とも赤面し、よそよそしかった。

 

離れても1週間ほどは心の声が聞こえてたみたいで、棋院で話した事も全部あかりに筒抜けだった。

普段面と向かって言葉を発せず素っ気ない態度の多いヒカルの気持ちを計りかねてたあかりにとって、ヒカルの気持ちを知るのは有り難かったようで、思ってた以上に自分を好いてたことが分かりあかりは嬉しかった。

 

 

 

 

 

「あかりさんが良い人なのはまたヒカルおじさんを助けられるように徳を積んでるって訳ね」

「そうなるわね」

 

咲似はあきれたように言うと、あかりは少し困ったように同意する。

 

「同時に進藤くんのダメさ加減が分かるでしょ?」

 

久美子が咲似に笑いながら付け加える。

 

「うん、お母さんが“惚れた弱味”って言ったの、良く分かったよ」

「ハハハ……」

 

咲似が遠い目をしてため息混じりに言うとあかりは苦笑するしかなかった。

 

 



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