ブリガンダインGE/小説 (ドラ麦茶)
しおりを挟む

第一部
第一話 ランス 聖王暦二一五年二月下 アルメキア王国/王都ログレス


各話の前書きに勢力図を用意しています。
地形の確認にご利用ください。
わずらわしい場合は、閲覧設定で非表示にすることもできます。

時系列バラバラでストーリーを展開させている都合上、ネタバレを避けるため時間と各国の勢力範囲は異なる場合があります。


【挿絵表示】



 城内に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 就寝の支度を終え、そろそろ眠りにつこうかという頃だった。ベッドの上で戦術指南の本を読んでいたランス王子は、顔を上げ、小さく首を傾けた。鐘は、極めて短い間隔で鳴り続けている。これは、城内の者に危険を知らせるための警鐘だ。ランスがこの鐘の音を聞くのは初めてではない。月に一度か二度、非常時を想定した演習で鳴らされる。演習がある場合は事前に告知されるものだが、今回は何も知らされていない。もちろん、一国の王子であるランスが城内警備の演習に加わる必要もないから、必ずしも知らされるとは限らない。それでも、このような遅い時間に演習を行うのならば、さすがに知らせて欲しかった。鐘は鳴り続けている。これでは眠れない。

 

 ランスはベッドを下りると、寝衣の上に厚衣を一枚羽織った。寝室の外では、ランス専属の親衛隊が四名、夜通し警備をしている。鐘の音の理由を訊き、少々音を抑えてもらうか、可能ならば演習を明日の昼間にでも延期してもらおうと考えていた。ランスは寝室の扉を開けた。

 

「――こ、これは王子」

 

 扉を開けると、警備兵が姿勢を正し、右拳を握って左胸に当てた。このアルメキア王国に古くから伝わる、忠誠を誓う構えだった。

 

「騒がしいな。こんな時間に演習があるなど、聞いていないが」ランスは、警備兵の一人に言う。

 

 警備兵は頭を下げた。「お騒がせして申し訳ございません。我々も、何も知らされておりませんでしたので、ただ今詳細を確認しております」

 

「そなたたちも聞いていないのか?」ランスは、目を丸くした。「まさか、賊でも侵入したのか?」

 

「いえ、まさか、そんなことはあり得ません。城内は、我々ランス様の親衛隊はもちろん、陛下や王妃様の護衛兵を始め、多くの近衛兵が警備に当たっております。まして今は、長らく前線で指揮を取られていたゼメキス将軍が帰国し、将軍の部隊も駐屯しております。間違っても、賊の侵入などありません」

 

「そうか……それならば良いが」

 

「演習でなければ、恐らく何かの間違いでありましょう。すぐに治まるかと思いますので、もうしばらくのご辛抱を」

 

「うむ、判った」

 

 ランスは扉を閉め、ベッドに戻った。

 

 鐘は鳴り続けている。

 

 ランスは小さくため息をつくと、再び戦術指南の本を開いた。

 

 この時。

 

 ランスはおろか、城の警備を任されている兵士ですら、この警鐘を警鐘と思わず、演習か誤報だと決めつけていた。

 

 故に、城内警備兵たちの行動は全てが後手に回り、結果、二百年に及ぶアルメキア王国の歴史は、一夜にして幕を下ろすことになる。

 

 

 

 

 

 

 アルメキア王国は、フォルセナ大陸の中原に王都を構える、大陸随一の強国である。かつてはフォルセナの盟主として君臨しており、大陸各国の同盟が無くなった現在でも、周辺国に多大な影響力を持っていた。

 

 昨年まで、北の大国・ノルガルドと長きに渡り戦闘を繰り返していたが、それは、アルメキアの王都ログレスからは遠く離れた地の出来事であり、王都内は、戦闘とは無縁の平和な日々が続いていた。

 

 ランスは、アルメキア王・ヘンギストの一人息子だ。王位継承権は最上位。現在十四歳の少年である。

 

 アルメキア王族の男子は十五歳で戦場に出るという古くからのしきたりがある。ランスは二ヶ月後の四月下に誕生日を迎えるため、恐らく一年以内には初陣を迎えるであろうと思われた。現在、それに向けての準備のため、剣の稽古や戦術の学習に余念がなかった。

 

 もっとも、ノルガルドとの戦闘も一年前に終了し、周辺各国とも良好な関係を保っていたため、新たな戦争など起こる気配は無かった。よって、ランスの初陣は、形式だけの出陣式を行うだけと見られていた。ノルガルドとの戦闘を除けば十年以上大きな戦争は起こっていない。そのノルガルドとの戦闘も、決して大きなものではなく、常に王都から遠く離れた国境の外で行われていた。王都ログレスは、十年以上の平和に慣れきっており、争い事は、遠く離れた地の出来事であると思われていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 鐘はその後も断続的に鳴り続けている。もう、半時(はんとき)近くになる。いくら演習とは言え、いいかげん何とかしてほしいものだ。ランスはもう一度ため息をついた。

 

 突然、寝室の扉が激しく叩かれた。そして、ランスが応えるよりも早く、「失礼いたします!」と、薄茶色の鎧に身を包んだ男が入って来た。

 

 ランスは、ベッドに座ったまま、戦術指南書から鎧の男に目を向けた。「どうしたゲライント、騒々しいぞ」

 

 ゲライントと呼ばれた男は肩で大きく息をしながら片膝を付き、右拳を左胸に当て、頭を下げた。「申し訳ございません、ランス王子。城内に……賊が侵入いたしました」

 

「賊……だと……?」

 

 先ほどランス自身が賊の侵入を危惧していたにもかかわらず、ゲライントの報告に耳を疑わずにはいられなかった。まさかこのログレスの城に賊が侵入するなど……。

 

「それで、状況は?」ランスは報告の続きを促した。

 

「現在城内の兵にて鎮圧にあたっております。王子は、念のため、城外へ避難を」

 

「避難? ゲライント、それはどういう意味だ? まさか、この城が落ちるとでも……」

 

「いえ! まさか! そのようなことは、決してあり得ません。あくまでも、念のためにでございます」

 

 顔を上げ、否定するゲライント。しかし、その言葉とは裏腹に、顔には焦りの色が滲み出ている。ただ事ではなさそうだ。

 

「判った。お前の言う通りにしよう」

 

 ランスはベッドから降り、寝衣まま部屋を出ようとしたが。

 

「――王子」ゲライントが止めた。「鎧を身に付け……剣を……携えてください」

 

 重苦しいゲライントの声に、ランスは息を飲んだ。

 

 ゲライントはランスの教育係であり、親衛隊の隊長も務めている男だ。かつては北の大国ノルガルドとの戦闘に参加し、数々の武功を収め、『百戦のゲライント』との呼び名で知れ渡った勇猛な騎士であったが、ランスが十二歳の誕生日を迎えた日を境に前線から退き、城内でのランス警護の任に就いた。ヘンギスト王も厚い信を寄せている男である。

 

 ゲライントの言葉に従い、金色の鎧を身に付け、小剣を二本腰に携えたランスは、薄暗い回廊を奥へと走った。城の正面口からは遠ざかり、この奥は行き止まりになっている。しかし、ランスや、ゲライントをはじめとする親衛隊の一部の者のみが知る秘密の脱出口があるのだ。

 

 回廊の両脇には、歴代のアルメキア王をかたどった石像が等間隔で並んでいる。その、奥から三番目の石像の前で、ランス達は立ち止まった。第三代アルメキア王。その台座部分には、水晶の球が埋め込まれている。

 

「王子、お願いします」

 

 ゲライントに促され、ランスは小さく頷き、水晶球に右手をかざした。しばらくかざしていると、水晶球が薄い青の光を発する。続いて、石と石をこすり合わせる音と共に、石像が左へゆっくりと動き始めた。石像の台座があった場所に、下へと続く階段が現れる。水晶球には魔法の仕掛けが施されており、ランスが手をかざすことにより、脱出口が出現するのだ。

 

「――急ぎましょう」

 

 ゲライントがランタンを取り出し、先導して階段を下りた。ランスも後に続く。ランスが階段を下りると、石像はまた元の位置に戻った。

 

 通路は狭く、明かり取りの窓さえない。ゲライントの心細いランタンの炎だけが頼りだ。

 

 階段を下まで降りると、通路はまっすぐ城の裏庭まで続いている。早足で通路を進むみ、やがて、上へと続く階段が見えてきた。階段の先には扉があり、中央に、入口と同じ水晶球が取り付けられてある。ランスが右手をかざすと、扉がゆっくりとスライドし始めた。脱出口は、裏庭の騎士の石像の下に通じている。

 

「ここまで来ればあと少しです。さあ、王子。早くこちらへ」

 

 ゲライントは裏門に向けて走り出そうとしたが。

 

「……こ……これは……」

 

 ランスは、目の前に広がる光景に愕然とし、その場から動くことができなかった。

 

 そこに、ランスが物心ついた頃から慣れ親しんだ、荘厳華麗なログレス城の姿は無かった。

 

 城は、いたるところから火の手が上がり、黒煙が夜空を覆っていた。壁が崩れ落ちている場所もある。城の中からは、剣と剣がぶつかり合う音、石壁が破壊される音、炎が燃え広がる音、自らを鼓舞するような声、怒声、笑い声、悲鳴、泣き声――様々な音が混じりあり、魔物の唸り声のように、城中に響き渡っている。これは、決して賊の侵入などではない。

 

 ――(いくさ)だ。

 

 戦場の経験がないランスも、本能的に悟った。

 

 だが。

 

 いったいどこの国が、このログレス城を攻めるというのだ?

 

 フォルセナ大陸の中央に位置するアルメキア王国は、周囲を五つの国に囲まれている。どの国とも友好な関係を保っており、戦が起こる気配など無かった。唯一、昨年まで長きに渡り戦闘を繰り返していたいた北の大国ノルガルドとも、現在は講和条約を結んでおり、お互い侵攻することはない。また、仮にどこかの国が攻めて来たとしても、王都ログレスはアルメキアの中央にあり、国境から王都に至るまでの要所には、いくつもの城塞や砦が構えられ、常に多くの兵が駐屯している。それらが占領されたり突破されたという報告は聞いていない。数多く存在する城や砦を落とさず、いきなりこの王都を攻めることなど不可能だ。

 

「ゲライント! これはどういうことだ? 一体誰が、こんなことを? 城は、本当に大丈夫なのか!? 父上や、母上は!?」

 

 ランスの問いに、ゲライントは一瞬表情を曇らせた。しかし、すぐにその表情は引き締まり、目はしっかりとランスを見据える。「事情は後で説明いたします。今は、一刻も早く避難を!」

 

「し……しかし……」

 

「王子!!」

 

 ゲライントの鬼気迫る表情に、ランスはやむなく裏門へ向かおうとしたが。

 

 二人の前に、立ちはだかる影。

 

「――見つけたぞ。ランス王子」

 

 低く、威厳のある声。ランスよりも一回り以上背の高い男だった。その身長は二メートルに近い。闇を思わせる漆黒の鎧を全身にまとっている。鎧の重量は軽く五十キロを超えるだろうが、重さを苦にした様子は無い。鎧の内側に、鍛え抜かれた鋼の肉体が想像できた。腰に長剣を携え、右手には、己の身長ほどもある巨大なクロスボウを持っていた。

 

「ゼメキス将軍!! 良かった。無事だったのか」

 

 ランスは、安堵の声を上げた。

 

 ゼメキスはアルメキアの将軍にして、軍の頂点である総帥の座に就く男だ。先のノルガルドとの戦闘においては、開戦から終戦まで常に最前線で指揮を取り、勝利に大きく貢献した。

 

 将軍がこの城に居てくれたのは幸運だった、と、ランスは思った。ゼメキスは生粋の武人であり、王都にいることはまず無い。戦闘がある時は常に最前線に立ち、戦闘が無い時は国境の警備に当たっている。今回将軍が王都を訪れたのは、先のノルガルド戦の功績を称える式典に参加するためであった。

 

 ランスは、ゼメキスの元に駆け寄ろうとした。「将軍。あなたがいてくれて良かった。一刻も早く賊を捕え、この騒動を鎮静化して――」

 

 ランスの足と、言葉が止まる。

 

 ゼメキスが、巨大なクロスボウをランスに向けた。

 

 弦は引き絞られており、矢も装填されている。トリガーを引けば、いつでも撃てる状態だ。

 

「王子! お下がりください!!」

 

 ゲライントが二人の間に割って入るのと、ゼメキスが矢を放ったのは、ほぼ同時だった。

 

「――――っ!」

 

 口の中にこもるような悲鳴と共に、膝をつくゲライント。

 

「ゲライント!!」ランスが駆け寄った。

 

 ゲライントの左肩を、ゼメキスの放った矢が貫いていた。ゲライントは金属製の鎧を身に付けている。にもかかわらず、まるで紙で作られてあるかのように、簡単に貫いたのだ。

 

「大丈夫か、ゲライント!?」

 

 声を掛けるランス。それ以上のことはできなかった。ゲライントの傷の治療をするべきなのか? だが、どうすればいいのか判らない。貫通している矢を抜くべきなのか、そのままにしておくべきなのか、それすらも判らない。傷の治療の経験など、ランスには無い。

 

 ゲライントは、ランスを心配させないよう、できるだけ落ち着いた口調で言う。「大丈夫です。急所は外れておりますゆえ」

 

 言葉とは裏腹に、ゲライントの表情は苦痛に歪んでいる。顔は見る間に青白くなり、額には玉のような汗が浮かぶ。ゼメキスの身長ほどもあるクロスボウから撃ち出される矢は、もはや槍と言っても過言ではない大きさだ。大丈夫でないことは明らかだった。だが、何もできないランス。

 

 ランスはゼメキスを睨んだ。「将軍! これはいったいなんの真似だ? なぜ我らに矢を向ける? 気でも狂ったのか!?」

 

 ランスの言葉を、ゼメキスは鼻で笑った。「フン。この期に及んで、まだ状況が飲み込めていないようだな。まあ良い。何も知らぬまま、父親の元へ送ってやろう」

 

 クロスボウに、次の矢を装填するゼメキス。

 

「父上の元に……送る……? それはどういう意味だ? 将軍!?」

 

 ゼメキスは答えない。顔に不敵な笑みを浮かべ、矢を装填している。

 

 ランスは、視線をゲライントに移した。

 

「王子……申し訳ございません……」ゲライントは、怒りと悔しさと悲しみの入り混じった声で言う。「ヘンギスト王と、王妃様は、ゼメキスの腹心・カドールの手にかかり、無念の最期を遂げられました……」

 

「な――!!」

 

 言葉を失うランス。

 

 ゲライントは言葉を継ぐ。「この騒動は、賊の侵入などではございません。武力をもって王達を討ち、国を乗っ取るクーデター……その首謀者こそ、そのゼメキスにございます!」

 

 クーデターの首謀者が、ゼメキス。

 

 だが、ゲライントの言葉は、もう、ランスの耳には届いていなかった。

 

 ――父上と、母上が、この男たちの手によって!!

 

 ランスは、怒りと憎しみと共に、腰に携えていた二本の剣を抜いた。

 

 言葉にならない咆哮と共に、憎き敵に向かって、走る。

 

 大国アルメキアの世継ぎとして生まれたランスは、三歳の頃より木剣を持たされ、アルメキア王家に代々伝わる二刀流剣術の習得に励んでいた。教育係であるゲライントや、親衛隊の兵たちから「王子は筋がいい」と、何度も褒められ、自信を持っていた。その剣に、己の憎しみの心と、父と母の無念の想いを込めて、ゼメキスに振り下ろした。ゼメキスの矢の装填はまだ終わっていない。ランスの剣は、ゼメキスの首を落とすはずだった。

 

 しかし――。

 

 金属同士がぶつかる耳障りな音と共に、火花が飛び散る。同時に、両手には、とてつもなく硬い物を叩いた感触。

 

 ランスの振り下ろした憎しみの剣は、ゼメキスの左手の剣によって受け止められていた。剣は、先ほどまで腰の鞘に収められていたはずだった。とてつもない速さだ。

 

「愚かな……貴様ごときの剣が、この俺に通用するとでも思ったのか!」

 

 ゼメキスが剣を振った。攻撃と呼べるほどのものではない。ただ、飛んでいる羽虫を払うかのように、左腕を大きく振っただけだ。たったそれだけのことで、ランスは大きく吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。硬い鎧を身に付けているとはいえ、その衝撃に、一瞬息がつまる。

 

「――くそう!」

 

 だが、すぐに立ち上がり、剣を構えた。目の前の男は、父と母を殺し、この国を乗っ取ろうとしている男だ。許すわけにはいかない。再び向かって行こうとした。しかし。

 

「お待ちください! 王子」ゲライントが、肩の傷をもいとわずランスの前に立つ。「ここは、こらえてください!」

 

「こらえる? 父上と母上を殺されたんだぞ? こらえられるものか!」

 

「お気持ちは判ります。悔しいでしょうが、ここはどうか、剣を収め、お逃げください。あやつは、今の我らが(かな)う相手ではありません」

 

 ゲライントの言う通りであった。相手は強国アルメキア国軍の総帥。しかも、後方で指揮するのではなく、常に戦場の最前線に立ち、自ら兵を率いて剣と矢を振るい、数々の武功を挙げた、生粋の武人である。実戦経験のないランスはもちろん、かつては武勇を誇ったゲライントも戦場から離れて久しく、到底、勝てる相手ではない。

 

「しかし、だからと言って、このままおめおめと逃げるなど、できるものか!」

 

「そこをこらえ、逃げるのです。戦場では、退くことも重要ですぞ」

 

「しかし……しかし……」

 

 矢の装填を終えたゼメキスが、クロスボウをランスに向けた。「愚かな。このまま逃がすと思うか」

 

 ゲライントがランスをかばって立つ。それが無意味な行為だということはすでに証明されていた。ゼメキスのクロスボウは、鎧を着た人間二人など、簡単に貫くであろう。

 

「ゼメキス……貴様、このようなクーデターなど起こして、一体、何が目的だ!?」叫ぶランス。

 

「知れたこと。我が進むは覇道。戦場こそが我が生きる道! 平和な世界など、この俺には必要ない!!」

 

 まるで演劇の舞台上で歌うかのように、ゼメキスは高らかに言った。

 

「バカな……国を乗っ取り、戦争を起こすつもりか!?」

 

 ゼメキスの言葉を信じられない気持ちで聞くランス。今は平和なフォルセナ大陸も、大きな戦争が起こったことは何度もある。しかし、それは十年以上も前であり、ランスが物心つく前の出来事だ。この男は、そんな大陸の平和を破ろうと言うのか……。

 

「フン。貴様のような、戦場を知らず平和に浮かれていた者には判るまい」ゼメキスが、クロスボウのトリガーに指を掛けた。「大陸中が戦火に包まれるのを、父親と二人、あの世で見ているがいい」

 

 ランスは、死を覚悟した。

 

 その時――。

 

 一筋の流星が、ゼメキスに襲い掛かる。

 

 流星――少なくともランスの目には、そう映った。

 

 流星の接近に気付いたゼメキスは、身体を逸らし、かわした。だが、流星はゼメキスのボウガンを捕え、弦を斬り裂いた。弦とは言っても、硬い鎧を貫くための強度を得るために、鋼鉄を編んでできたものだ。それを、簡単に斬り裂いたのだ。

 

 流星が、地面に突き刺さる。

 

 流星――いや、それは、一本の槍だった。

 

「何者だ!?」槍の飛んで来た方を見、叫ぶゼメキス。

 

 その方向から走って来る姿。銀の鎧に身を包んだ騎士だ。

 

 騎士は、腰に携えていた小太刀を抜き、ゼメキスに振り下ろす。ゼメキスは舌打ちと共に左手の剣で小太刀受け止めた。体勢は十分なはずだったが、騎士の一撃は強力だった。一歩、後退するゼメキス。その隙に、騎士は小太刀を収め、地面に刺さっていた槍を引き抜いた。その刃先を、ゼメキスに向かって突き出す。ゼメキスは剣を両手で持ち、槍を払った。返す剣で騎士を斬り捨てようとする。しかし、払ったはずの槍の刃先が、また正面から襲いかかる。剣で払うゼメキス。また槍が襲う。四度、槍と剣が交わった。ゼメキスは後方へ飛び、一旦騎士と距離を取った。騎士も間を詰めようとせず、静かに槍を構える。

 

 ――女神。

 

 その姿を見た瞬間、ランスは、自然とそんなことを考えていた。そんな場合ではないと判っているが、その美しさに、思わず目を奪われる。

 

 騎士は美しい女だった。フォルセナ大陸で女性の騎士は決して珍しくない。アルメキア軍の騎士も半数近くは女性だが、今まで会ったどんな女性騎士よりも美しい。身に付けている鎧は兜と胸当て程度だ。防護よりも動きやすさを優先した結果の軽装なのだろう。しなやかな長身だが、華奢な印象は受けない。敵を前にして槍を構えるその姿は、フォルセナの神話に登場する戦女神(ヴァルキリー)を思わせる。

 

「……女……何者だ!?」ゼメキスが忌々しげに叫んだ。

 

「失礼、そちら、アルメキア王太子・ランス様とお見受けします」女騎士はゼメキスの言葉には応えず、逆に、ランスとゲライントに向かって口を開いた。その声は、まるで小川のせせらぎのように涼やかな響きだが、目は、闇夜を斬り裂く稲妻のような鋭さで、ゼメキスを捕らえたままだ。

 

「そうだが、そなたは……?」ランスが問う。女騎士に見覚えはない。ゼメキスも、そしてゲライントも同様だ。女神のような美しさと、アルメキア軍総帥ゼメキスにも引けを取らない槍捌き。そのような騎士がアルメキアにいれば、王族であるランスはともかく、軍に属しているゼメキスやゲライントが知らないはずはない。少なくともアルメキアの騎士ではないだろう。

 

 女騎士は、口元にわずかな笑みを浮かべた。「名乗るほどの者ではありません。通りすがりの旅の騎士です」

 

「旅の……騎士……?」

 

「ここは私が引き受けますゆえ、王子は、早く脱出を」

 

 その言葉を聞いたゼメキスが嗤う。「女……この俺の前に立ちはだかるのが、どういう意味か判っているのだろうな?」

 

「さあ? どういうことかしら!!」

 

 女騎士は踏み込み、槍を突き出した。ゼメキスの剣が受け止める。槍と剣がぶつかり合う

 

 ゲライントが立ち上がった。「王子。今のうちです。早く脱出しましょう!」

 

 だが、ランスは応じない。「何度も言わすなゲライント! このまま尻尾を巻いて逃げることなどできるものか!! あの騎士と共に、ゼメキスを討つ!!」

 

「恐れながら! 今の王子では、ゼメキスを討つことはできませぬ!!」

 

 ゲライントは、言いたくないことを言う口調で、しかし、最後まではっきりと言い切った。

 

「なん……だと……?」

 

「身の程をお知りください、王子! 今の王子の剣などゼメキスの前では赤子の持つ玩具も同じ! 例えあやつが丸腰であっても、今の王子にはまだ勝ち目が無いのですぞ!!」

 

「――――」

 

 言葉を失うランス。反論することはできない。その通りだと思ったから。

 

 ゲライントはさらに言う。「――あの旅の騎士とて、かなり腕は立つようですが、それでもゼメキス相手では長くは持たないでしょう。ここは、逃げるしかありませぬ!!」

 

「し……しかし……それでも、逃げるわけにはいかない。そうだ。ここで戦っていれば、騒ぎを聞きつけ、城の兵が集まってくるはずだ! みんなで戦えば、きっとゼメキスの首を取ることができる!!」

 

「王子……それはあり得ぬのです……」ゲライントは、無念の表情で言った。

 

「あり得ぬ? 何故だ? ゲライント!!」

 

「このクーデターでは、ゼメキス指揮下の兵はもちろん、王国軍の大半の兵が、ゼメキス側に付いております。我ら側の兵は、王子の親衛隊と、陛下の近衛兵の一部のみ。それすらも、すでにほぼ全滅したと思われます」

 

「なん……だと……?」

 

「故に、ここで時間を稼いでも、駆けつけるのはゼメキスの兵のみ! 王子! どうかご理解を!!」

 

 ランスには信じられなかった。

 

 このような反乱に、兵の大半が加担したなど。

 

 このような反乱を起こす者に、我らが敗れるなど。

 

 アルメキアの王太子として生を受けた自分は、いずれ王位を継ぎ、国を治めるものだと思っていた。その素質があると思っていた。

 

 だが、実際は。

 

 自分には、反乱ひとつ抑えることはできない。父を殺され、母を殺され、国を奪われても、その敵を討つことすらできない。

 

 自分は、こんなにもちっぽけな存在だったのだ。

 

 情けなかった。みじめ過ぎて、涙も出てこない。代わりに、笑いがこみあげてくる。笑った。己の小ささを知り、笑いを止めることができない。

 

「王子……お気を確かに……今はともかく逃げるのです!」

 

 だがランスは、己の小ささを知っても、ゲライントの言葉を受け入れる気にはなれなかった。

 

「ゲライント……ならば僕は、ますます逃げるわけにはいかなくなった。父上を殺され……母上を殺され……兵を奪われ……国を奪われ……それでおめおめと逃げ出すような恥を晒すくらいなら、ここで戦って死んだ方がましだ!!」

 

「いい加減になさいませ!! 王子!!」

 

 ゲライントの拳が、ランスの頬を打った。

 

 一瞬、何が起こったのか判らなかった。頬の痛みがじわじわと広がっていくにつれ、ゲライントに殴られたのだと悟った。教育係としてのゲライントとの付き合いは二年になるが、殴られたのはこれが初めてだった。と、言うよりも、一国の王子であるランスを殴る者など、これまでいるはずもなかった。

 

 ゲライントは、これまでランスが聞いたこともないような、大きな、そして、怒りが込められた声で叫ぶ。「――このゲライント、王子を教育する者として、ここで死ぬなどという楽な道は、決して選ばせませんぞ!!」

 

「楽な道……ここで死ぬのが、楽な道だと……?」

 

「その通りです! ここで無意味に死ぬことほど楽なことはありませぬ! 生きてこの城を抜け出し、強くなって再び戻って来ることの方が、つらく困難な道なのです!! このクーデターはもう止められませぬ。アルメキアは、ゼメキスの手に落ちます!! しかし、それで終わりではありませぬ!! 王子、あなたが生き残りさえすれば、アルメキア再興の道は残されるのです。あなたが生き残りさえすれば、アルメキア再興のために兵も集まります! しかし!! あなたがここで死ねば、すべて終わりなのです!! 城を奪われることがアルメキア王国の終わりではありませぬ! あなたが死ぬことが、アルメキア王国の終わりなのです!!」

 

 ――僕が死ぬことが……アルメキアの終わり……?

 

 ランスは、炎に包まれるログレス城を見上げた。

 

 この中では、まだ、多くのアルメキア兵が戦っているはずだ。

 

 それを見捨てて逃げることが、この国のためだというのか?

 

 がきん! と、ひときわ大きな金属音。女騎士の槍が、ゼメキスの剣に大きく弾かれていた。女騎士は何とか槍を手放さず、すぐに構え直す。しかし、その槍の穂先はところどころ欠け、いつ折れてもおかしくない状態に見えた。女騎士も、肩で大きく息をし、体力の限界が近いことが窺えた。対するゼメキスは、呼吸ひとつ乱れていない。顔にはまだ余裕すら浮かんでいる。先ほどゲライントが言った通り、ゼメキスの優勢は明らかだった。

 

「――ランス様?」と、女騎士が口を開く。「そろそろ私の槍も限界ですので、逃げるか戦うか、どちらか早くお決めください」

 

「し……しかし、城内には、まだ多くの兵が、アルメキアのために……僕たちのために戦っている。彼らを見捨てて、僕だけ逃げるなど、彼らへの裏切りだ……」

 

「王子、それは違いますぞ」ゲライントが言う。「兵達は、王子がまだ城内に残っているからこそ戦っているのです。王子が脱出したことを知れば、皆脱出し、また王子の元に集うでしょう。そうすれば、もう一度戦うことができます! アルメキアの未来は、今、あなたの生死にかかっているのです。ゼメキスも、それを恐れているからこそ、王子をここで始末しようとしているのです!!」

 

 ゼメキスが、僕を恐れている――ゲライントの言葉が、ランスの胸に刺さる。こんな、国を奪われても何もできない小さな僕を、あのゼメキスが恐れているというのか?

 

 女騎士が、ゲライントの言葉を引き取るように言う。「ランス様、私は、この国がゼメキスの手に渡り、やがて国中が戦火に見舞われた時、それを止めるのはあなただと思ったからこそ助太刀したのです。しかし、あなたがここで死を選ぶような愚か者なら、私が命を賭けてまで護る価値はありません。早々に退散させてもらいますが?」

 

 ゲライントと女騎士の説得に、ランスは……。

 

 ――父上、母上、申し訳ございません。

 

 胸で、両親に詫び。

 

「ゲライント……脱出しよう」

 

 小さく、しかし、決意を込めて、そう言った。

 

「ありがとうございます、王子」

 

「だがゲライント。脱出は、お前と一緒であることが条件だ。もしお前がここに残るというのなら、僕は脱出などしない」

 

 ランスの言葉に、ゲライントはわずかなためらいを見せたが、すぐに覚悟を決めた表情になる。「……もちろんです、王子。このゲライント、王子の教育係として、この先どこまでもお供し、王子の成長を見届けさせて頂きますぞ」

 

 続いてランスは、女騎士に向かって言う。「騎士殿も、ここで命を落とすことは許しません。必ず、生きて脱出してください」

 

「もちろんです。私には、まだ成すべきことがありますので」

 

「舐めるなよ! このまま逃がすと思うのか!!」ゼメキスの闘気が、ランスの方を向いた。

 

 だが、その前に女騎士が立ちはだかる。「あなたの相手はこの私よ!」

 

 再び、剣と槍がぶつかり合う。

 

 ランスとゲライントは、戦う二人に背を向け、走った。

 

 裏門のそばの木に、二頭の馬が繋がれていた。それにまたがり、城を脱出する。

 

 しかし、少し馬を走らせたところで、ランスは手綱を引いた。馬が棹立ちになり、足を止める。

 

 ランスは振り返り、炎に包まれるログレス城を見つめる。

 

「王子! 何をされているのです! 早くこちらに!!」

 

 ゲライントが呼ぶが、ランスは、そのまま城を見つめる。

 

 その光景を、脳裏に焼き付けるように。

 

 今日の屈辱を、決して忘れないために。

 

 己の小ささを、胸に刻むように。

 

 そして。

 

 ――今日のこの屈辱を、僕は決して忘れない。僕は強くなる。そして、必ず戻って来る! それまで待っていろ! ゼメキス!!

 

 胸に、決して消えぬ強い意志の炎を燃やすために。

 

「――王子!!」

 

 ゲライントの言葉で、ランスは手綱を振るった。

 

 二人は、西へ向け、馬を飛ばした。もう、振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年二月下――。

 

 

 

 

 

 

 アルメキア王国軍総帥・ゼメキスのクーデターにより、二百年を誇るアルメキア王国の歴史は、一夜にして幕を下ろした。

 

 ゼメキスは、殺害したヘンギスト王に代わり王位に就き、『エストレガレス帝国』の樹立を宣言。自らを皇帝と名乗り、周辺各国への宣戦を布告した。

 

 

 

 長きにわたるフォルセナ大陸の平和は、この日をもって終わりを告げ。

 

 

 

 その後、四年にも及ぶ激しい戦闘の日々が、幕を開けた――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 メレアガント 聖王暦二一五年三月下 パドストー公国/カルメリー城

「父上が、アルメキアのランス王子と接見するだと!?」

 

 

 

 

 

 

 パドストー公国・カルメリー城の一室で、パドストー王子・メレアガントは、配下の兵士の言葉に、思わず怒りの声を上げた。

 

 暖かな春の日差しが降り注ぐのどかな午後のことだった。その日は特に重要な公務も無く、自室でくつろいでいたメレアガントだったが、昼を過ぎた辺りから、城内がにわかに騒がしくなり始めた。何事かと城内警備の兵に訊いたところ、父王・コールが、アルメキアのランス王子と接見するとの答えが返ってきたのである。一国の王が他国の王子と会うとなれば極めて重要な国事だが、メレアガントには何も知らされていなかった。まして、アルメキア王国は先月のクーデターによって滅び、王太子ランスは、クーデターの首謀者・ゼメキスから追われている身である。

 

「いったいどういうことだ!?」

 

 怒声を浴びた配下の兵は、震える声で答える。「は……はい! 申し訳ございません!! 我々には、それ以上の情報は入っておりません! 申し訳ございません!!」

 

 まるでこれから死刑でも宣告されるかのような表情で頭を下げる兵士。その卑小な態度にメレアガントはさらに苛立ったが、それをこの兵士にぶつけても意味は無い。一護衛兵に過ぎないこの男に詳細が伝わっているはずはないだろう。この兵士を問い詰めても無駄だ。

 

「ブルッサムはどこだ!」

 

 さらに声を荒らげるメレアガント。ブルッサムは、メレアガントの補佐を務めているパドストーの重臣である。

 

「謁見の間にいらっしゃると思われます!」

 

 ちいっ、と、舌打ちをするメレアガント。謁見の間にいるということは、ブルッサム自身は今回の件を知っていたのだろう。自分だけが蚊帳の外だったのか。

 

「くそう! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしおって!」

 

 メレアガントは腹立ちまぎれにそばにあったテーブルを蹴り上げた。上に置かれていた花瓶や燭台が派手な音をたてて床に散らばり、兵士は「ひぃ!」と、小さな悲鳴を上げた。「メ……メレアガント様、どうかご容赦を!!」

 

 なんの罪もないのにそのまま土下座でもしそうな雰囲気の兵士を放っておいて、メレアガントは部屋を飛び出し、謁見の間へ向かった。

 

 ――ランス王子め! このような時に我が国を訪れるなど、どういうつもりだ! その接見を許すなど、父上も何も考えておられる!!

 

 怒りを全身から発しながら、メレアガントは回廊を進む。城に仕える兵や従者達は、メレアガントの怒りのオーラを敏感に感じ取り、ある者は部屋に逃げ、ある者は決して目を合わさぬよう廊下の隅で頭を下げた。その姿は、さながら嵐が過ぎ去るのを家の中で震えながら待つ人々のようだった。

 

 

 

 

 

 

 旧アルメキア――現在のエストレガレス帝国の西に位置する国・パドストー。かつてはアルメキアの領土であったが、アルメキアの建国百年を機に独立。以後、百年以上に渡り、アルメキアに忠誠を誓ってきた西の大国である。

 

 メレアガントは、現パドストー王・コールの一人息子で、パドストーの王太子だ。現在二十五歳。パドストーの王族は生前退位が一般的であり、現国王コールが歴代最高齢の六十二歳であることを考えると、メレアガントはすでに王位に就いていてもおかしくはない。だが、王はいまだ退位の意思は見せていなかった。高齢にもかかわらずほぼすべての公務を一人でこなし、城内の者や国民からは『老王』という呼び名で親しまれていた。

 

 ――老王は、若君を王に相応しくないと考えている。

 

 城内はもとより、パドストー国中にそのような噂が立っているのを、メレアガントは知っていた。噂ばかりではない。王はメレアガントに王位を譲る気配はおろか、政治事に対する相談すら一切なく、全てのことを王一人、もしくは自身の側近のみで決めてしまう。今回のようなことは珍しいことではないのだ。だからこそ、メレアガントの胸の内は、父に対する不満で溢れかえっていた。

 

 

 

 

 

 

 謁見の間の扉を蹴破らんばかりに開き、中に入るメレアガント。室内の者の視線が一斉に注がれる。謁見の間は縦に長い広間だ。入口から奥まで朱色の絨毯が敷かれ、その両脇には槍を携えた護衛兵が等間隔で並んでいる。広間の奥は一段高くなっており、その中央に、きらびやかな装飾がほどこされた王座が置かれてある。そこに座る豊かな白髭を蓄えた老人こそ、メレアガントの父であり、パドストー公国の王・コールである。そして、部屋の中央には、黄金色の鎧を着た少年と、お付きの騎士と思われる男が跪いていた。アルメキア王子ランスと、親衛隊隊長のゲライントだろう。

 

「騒々しいぞ、メレアガント。何事じゃ」

 

 王座に座るコール王が、重々しい口調で言った。

 

「それはこちらの台詞です、父上」メレアガントは、大股で王座まで歩く。「このような接見を私に相談なく行うなど、一体どういうおつもりですか?」

 

「はて? わしはこの国の王であるぞ? なぜそなたに相談する必要がある?」

 

「私はいずれ父上の後を継ぎ、王となる者です」

 

「血の繋がりだけで王位を譲るつもりは、わしには無いがのう」

 

「し……しかし、父上!」

 

「もうよい、下がれ。無礼であるぞ!」

 

 一喝されるメレアガント。さらに食い下がろうとしたが。

 

「――坊ちゃま。お気持ちは判りますが、今は接見中にございます」白髪交じりの長い髪を首の後ろで結わえた初老の男に止められた。「お話はこのブルッサムめがお伺いしますので、どうぞ、こちらへ」

 

 メレアガントは、初老の男に連れられ、高座の端へ下がった。メレアガントの他にも、パドストー公国の重臣が控えている。

 

「ブルッサム――」と、メレアガントは初老の男を鋭い目で睨んだ。「貴様、今回の接見を知っていたのか?」

 

「はい。今朝、陛下より直接お聞きしました」ブルッサムは、メレアガントの視線を気にした風もなく、淡々とした口調で答えた。

 

「なぜそのことを俺に報告しない!?」

 

「陛下より、坊ちゃまにお知らせする必要は無い、と、仰せつかっておりましたので」

 

「貴様、父上と俺、どちらに仕えているのだ?」

 

「私は、陛下の命により坊ちゃまに仕えております」

 

 相変わらずのブルッサムの態度に、メレアガントは大きく舌打ちをした。

 

 ブルッサムは、古くからパドストー公国に仕える騎士の一人だ。かつては『疾風のブルッサム』という呼び名で戦場でも広く知られた存在であったが、老いを感じ、一線から身を退いた。今は本人の言葉通り、コール王の命により、メレアガントに仕えている。役職上はメレアガントの補佐官であるが、その忠誠心はメレアガントよりもコール王に向けられているのは誰の目にも明らかであった。城の者からは陰で『若君の御守り役』と言われている。ブルッサム本人も、口にこそ出さないが、内心そう思っているのだろう。その証拠に、何度注意しても、二十五歳のメレアガントのことを「坊ちゃま」と呼び続けている。

 

「愚息が失礼をいたしました、ランス王子、ゲライント殿。お詫びさせていただきますぞ」コール王は、下座に跪くランス王子達に軽く頭を下げた。

 

 大きく息を吐き出し、心を落ち着かせようとするメレアガント。父やブルッサムからの扱いは腹立たしいが、今はランス王子のことが問題だ。一体何が目的でこの国を訪れたのか。そして、父はこの者たちをどうしようというのか。

 

「それでは、堅苦しい挨拶は抜きにして……ランス王子。本日は、一体どのようなご用件で参られたのかな?」

 

 コール王の声が、客人を迎えるものから威圧するような声に変わったのを聞き、メレアガントは胸の奥で安堵の息をついた。

 

 父が自分に断わりも無くこのような席を設けたことは大いに不満であったが、これが『謁見』であることには、メレアガントは満足していた。

 

『謁見』とは、身分の低い者が身分の高い者に会うことである。ランスがアルメキアの王太子であることを考えれば、コール王がこの謁見の間で会うことは大きな間違いである。パドストー公国は、かつてはアルメキアの属国であった。現代ではその主従関係は無くなったが、それでも立場は対等、もしくは、パドストーが謙譲する立場であり、パドストー王がアルメキア王子を迎えるならば、アルメキア側を高めた会合の席を設けるべきである。それを、コール王は『謁見』とした。つまり、ランス王子を下に見ているのである。コール王は長年アルメキアに忠誠を誓うという立場を貫いて来ていたため、ランス王子に対するこの扱いは異例とも言えた。無論、アルメキアは事実上滅亡状態にあるので、もはやランスは王子ではない。メレアガントにしてみれば、この『謁見』は、極めて正当なのである。それを王自身の判断で行ったことは大きな意味があった。

 

 アルメキア王国は、もう存在しない。

 

 パドストー公国は、アルメキアの属国ではない。

 

 コール王の前に跪くランスの姿は、そのことを如実に表していた。

 

「――このたびは、流浪の身である我らをお迎え頂き、誠に有難うございます」

 

 口を開いたのはランスではなく、側近の騎士ゲライントだった。「すでにご存じのことと思いますが、我が国アルメキアは、逆賊ゼメキスに奪われてしまいました。ヘンギスト王と王妃様は討たれ、生き残った者は、我々と、わずかな兵のみ」

 

「ふむ。誠に嘆かわしいことじゃ。我らとしても、心を痛めておる」コール王は髭をさすった。「それで、ランス殿。これからどうするおつもりじゃな?」

 

 ゲライントが答える。「ゼメキスは、自らを皇帝と名乗り、エストレガレス帝国の樹立を宣言しました。我らとしましては、一刻も早くゼメキスを討ち、祖国を奪還したいと考えております」

 

「しかし、ゼメキス軍はアルメキア最大の勢力で、その上、クーデター時にはアルメキア軍の大半がゼメキス側に付いたと聞いておる。失礼ながら、今のそなた達の兵では、少々難しいのではないかね?」

 

「無論、心得ております。コール王! 無礼を承知で申し上げます!」ゲライントの声がひときわ大きくなる。「我らに、パドストーの兵をお貸しください!!」

 

 ゲライントの申し出に、広間は大きくざわめいた。高座の脇に控えていたパドストーの重臣たちは顔を見合わせ、警護の兵たちも大きく息を飲む。ただ一人、コール王だけが表情ひとつ変えず、まっすぐな視線をランスに向けていた。

 

 まず声を荒らげたのはメレアガントだった。「――何をバカなことを!! 文無しの分際で、我が国から兵を借りるだと!? ふざけるな!!」

 

「無礼は百も承知しております! コール王。どうか、我らに力を!!」

 

 ゲライントの言葉と共に、ランスと二人、深く頭を下げた。

 

 メレアガントは高座の中央まで出て行った。「王子をかくまってくれと泣きついて来たのかと思いきや、よくもそのような戯言を!! 父上!! このような者の言うことなど聞く必要はありません! 即刻出て行ってもらいましょう!!」

 

 だが、コール王はメレアガントを無視し、相変わらず表情を変えることなく言う。「兵を貸せとは豪儀な申し出じゃな。して、どの程度の兵が必要とお考えじゃ?」

 

「十万……いえ、五万をお貸し頂ければ、必ずや、ゼメキスめを討って見せます」ゲライントは力強く宣言する。

 

「五万だと!? 我が国の兵の四分の一に匹敵する数ではないか!!」メレアガントはコール王を見た。「父上! このような話に耳を傾けてはなりませんぞ! まったく……戯言を言うにも限度というものが――」

 

「メレアガント――」コール王が、怒気を抑える声で制した。「少し黙っていろ」

 

「し……しかし、父上!」

 

 メレアガントはさらに何か言おうとしたが、ブルッサムに制された。

 

 コール王は、視線をランス達に戻した。「失礼をした。だがランス殿。メレアガントの言う通り、五万の兵は簡単に貸せるものではない。何より、エストレガレスの兵はその十倍以上にもなると聞く。五万程度では、到底勝ち目はないと思うが?」

 

 ゲライントが答える。「確かに、数の上での不利は明確。しかし、アルメキアは我が母国であり、地の利はこちらにあります。少数でも、隙を突いて攻め入れば、必ずやゼメキスの首を――」

 

「わしはランス殿と話をしておるのじゃ!」怒りに満ちた声を上げるコール王。「ゲライント殿、そなたも少し黙っていてもらおうか!」

 

 コール王は温厚な性格で知られており、このような怒声を上げる姿など、メレアガントは見たことが無かった。パドストーの重臣や護衛兵も動揺している。ただ一人、ブルッサムだけが顔色一つ変えず、様子を見守っていた。

 

「……御無礼をいたしました」ゲライントは深く頭を下げた。

 

 コール王は大きく頷き、視線をランスへ移す。「ランス王子。先ほどから一言もしゃべっておらぬが、どういうおつもりかな? まさか、アルメキアの時期王は、国の行く末を左右することを、全て家臣に任せきりなのかね?」

 

「いえ……大変失礼をいたしました。お許しください、コール王」

 

 初めてランスが口を開いた。まだ大人の男としての重みをもっていないが、よく通る声だった。

 

「ふむ。して、ランス王子。そなたはどう考えておる? 五万の兵で、ゼメキスを討てるとお思いか?」

 

「難しいかと思います」

 

 ランスは、ためらうことなく言い切った。

 

 予想外の答えに、広間がまたざわつく。

 

「お……王子……それは……」

 

 ゲライントが何か言おうとしたが、ランスはそれを制した。「いいんだ、ゲライント。ここで虚勢を張っても無意味だ」

 

 コール王は髭を撫でる。「難しい、とは、何とも気概無いことよ」

 

「申し訳ありません。ですが、敵は、かつてアルメキアで最強を誇ったゼメキス軍を中心とした部隊。決してパドストーの兵力を侮るわけではありませんが、やはり数が違いますし、何より、コール王やメレアガント殿、あるいは、パドストーの将軍が率いるならまだしも、我々のような余所者が率いたところで、兵の士気は上がらないでしょう。それであのゼメキスを討つなど、難しいと言わざるを得ません」

 

 メレアガントは高らかに笑った。「――アルメキアの王子は随分と臆病者のようだ。そのような者に我が国の大切な兵を貸すわけにはいかん! 即刻出ていくがいい!! 貴様などをかくまっていては、我が国を攻める口実をゼメキスに与えるようなものだからな!」

 

 だがランスは、まっすぐにコール王を見つめて言う。「コール王。たとえ我々が出て行ったとしても、ゼメキスは必ず攻めて来るでしょう。あの者が目指すは覇道。戦場こそが生きる道と、我らの前で宣言しました。その言葉通り、あの男は、戦いが己の価値を高めると信じております。戦闘は、避けられません」

 

 ランスの視線を真っ直ぐに受けるコール王。厳しかった顔が崩れ、愉快そうな笑い声をあげた。「ほっほっほ。ここで根拠のない戦略や利己的な正義を語り始めたら、メレアガントの言う通り即刻出て行ってもらおうと思っていたが、ランス王子は物事を冷静に判断できる目を持っておるようじゃな。気に入ったぞ」

 

「父上! それは――」

 

 声を上げようとしたメレアガントを、コールは片手を上げて制した。そしてランスに向かって言葉を継ぐ。「じゃがの、それだけでは我が国の兵は動かせぬ。兵は、我が国の大切な財産じゃからな」

 

 そう言うと、コール王は髭をなで、何かを吟味するように天井を見上げた。

 

 やがて。

 

「――ふむ。これは、いい機会かもしれんな」

 

 視線を、ランスと、そしてメレアガントに移した。

 

「アルメキア王国時期王・ランス。そして、我が息子メレアガントに問う――王に最も必要なものとは何か?」

 

 突然の言葉に、ランスと、そしてメレアガントも、言葉を失う。

 

 その様子を、コール王はさも愉快そうに眺めている。「ほっほっほ。どうした? 二人とも。まさか、その歳になるまで、王になる心構えが無かったとでも言うつもりか?」

 

 いきなりの事に驚いたメレアガントだったが、すぐに父の考えを悟った。父は、俺とランスを試そうとしている、と。

 

 メレアガントは、ランスが口を開くより先に言った。「王に最も必要なもの――それは『権威』です! 権威こそが人を引き付ける! 権威無き者に人は従いませぬ! 万人を引き付け、従わせる力。それこそが、王に最も必要な物です!!」

 

「ふうむ、『権威』か……なるほどのう……」コール王はメレアガントの言葉を吟味するように何度かつぶやいた後、再びランスを見た。「では、ランス殿。そなたは、どう考える?」

 

 ランスは、しばらく考えるような、あるいは、迷うような表情をした後、静かな口調で話し始めた。「王に必要な物、それは『信頼』だと思います。どんなに力のある者でも、人々からの信頼無くしては、国を動かすことなど――」

 

 ランスは、そこで言葉に詰まる。何も言わない。広間が、沈黙に包まれた。

 

「ランス殿? どうされた?」コール王が先を促した。

 

「いえ……コール王、申し訳ありません」ランスは、深く頭を下げた。「今の私は、その問いに対する答えを、持っておりません」

 

 あまりにも予想外の言葉に、広間は再びざわついた。

 

 メレアガントが嘲笑する。「バカな!? 答えられないだと? アルメキアの王子は、随分と間抜けのようだ。こんな男が時期王などとは呆れる! 存外、ゼメキスに国を奪われて、民は幸せかもしれんぞ!!」

 

 ゲライントが立ち上がった。「メレアガント殿!! 我が(あるじ)への無礼な物言い! いかにコール王の御子息と言えど、このゲライント、許しませぬぞ!!」

 

 だが、ランスがゲライントを制した。「いいんだ、ゲライント。今の僕は、何を言われても仕方がない」

 

「し……しかし……」

 

 ランスはコール王を見る。「コール王。以前の私なら、あなたの問いに『信頼』と、お答えしたでしょう。しかし、私はあの夜、父と母を殺され、国を奪われ、憎き敵を前にしても一太刀すら浴びせることもできず、逃げ出すしかできませんでした。自分が、いかに無力な存在だったのかを思い知らされました。それまでの私は、なんの力も無いのに、自分は王になると……自分は、王にふさわしい人間だと思っていました。それは、とんでもない自惚(うぬぼ)れでした。いまの私に、王について語る資格はありません。しかし、コール王。私は、この国に逃れ、ひとつ、学んだことがあります」

 

「ふうむ、それは何じゃな?」

 

「私とゲライントが祖国を追われ、まず逃げ込んだのは、パドストーの国境近くにある小さな村でした。そこの村人は、素性も知れぬ我々を温かく迎え入れ、怪我をしたゲライントの治療をし、傷が癒えるまで、温かい寝床と、温かい食べ物を与えてくれた。彼らは、ずっと笑顔で我らの世話をしてくれました。ゲライントの傷が癒え、旅立った後も、立ち寄る先々の村や街で、人々は我らをもてなしてくれました。皆、笑顔で暮らしていました。恥ずかしながら、私はこの歳になるまでずっとログレスの王宮内で過ごし、国の外れで暮らす人々のことなど、考えたこともありませんでした。しかし、彼等は彼等で、それぞれの人生を生きている。こんな簡単なことに、私は、ようやく気付いたのです」

 

 ランスは、道中の人々の笑顔を思い出したかのか、ふっと、顔をほころばせた。

 

 しかし、表情を引き締め、続けた。「コール王。我がアルメキアにも、彼らのように笑顔で日々を送っていた人がいたはずです。ゼメキスはそれを奪った。そして、今またこの国に攻め入ろうとしている。この国の民の笑顔をも奪おうとしている! 私はそれが許せない! 私は、彼らの笑顔を護りたい! そして、アルメキアの人々にも笑顔を取り戻してほしい! コール王。兵を貸せと言ったことはお詫びします。そんな資格は、私にはありません。代わりに、この国の民の笑顔を護るため、引いては、我が国の民の笑顔を取り戻すため、どうか、その力をお貸しください!!」

 

 ランスは、深く――深く、頭を下げた。

 

 ゲライントも、それにならう。

 

 長い沈黙。

 

 メレアガントがそれを破った。「フン! なんだかんだ綺麗ごとを並べようとも、結局は兵を貸せということではないか! 父上! こやつらは、もはやペテン師も同然です!! 国から追い出すなど生ぬるい! 牢に閉じ込めてしまいましょう!!」

 

 だが、コール王は。

 

 ランスの言葉を聞き、満足げな表情で見ていた。

 

 そして、一度大きく頷くと。

 

「――ゲライント殿。貴殿は、王子に良い教育をされているようじゃ」

 

「いえ、私など、何もしておりませぬ」かしこまるゲライント。

 

「謙遜せずとも良い。誠に、我が息子の教育もお願いしたいくらいじゃ。のう? ブルッサムよ」

 

 高座の脇に控えていたブルッサムは、コール王に向かって深く頭を下げた。「お恥ずかしい限りにございます」

 

 コール王はメレアガントを見た。「どうやら我が息子には、まだまだ王たる資質が足りぬようじゃ」

 

「父上! 何を――」

 

「メレアガントよ。そなたの申したことは間違いではない。王たる者、『権威』は必要じゃ。じゃが、それだけが全てではない。ランス殿の言おうとした『信頼』も、王には必要であろう。それに――」

 

 王は、メレアガントだけでなく、ランスやゲライント、そして、この場にいる全ての者に向けて、語る。

 

「この地には、様々な王がいる。知力をもって国を統べる王。大いなる野望をもって国を統べる王。信仰によって統べる王もいれば、人柄によって統べる王もいる。ゼメキスのように武力をもって統べる王とて、歴史的に見れば、決して珍しくはない。誰が王として正しい姿なのか? 答えなど無いであろう。王に最も必要なものは何か――わしも長らく王を続けているが、まだまだ答えは見つからぬよ」

 

 コール王は髭を撫でながら笑う。コール王が王位に就いて四十年以上。パドストー歴代最高齢の王は、力強い口調で続ける。

 

「じゃが、ひとつだけ確かなことがある。それは、国とは民があってこそのもの。王が国を統べる者ならば、王は、民のために存在するもの。決して、王のために民が存在するのではない。ランス殿は、そのことがよく判っておられるようじゃ」

 

 コール王は、満足げな表情でランスを見つめた。

 

 そして、表情を引き締め、王座から立ち上がった。「皆の者、よく聞け! 今日をもってわしはパドストーの王位から退き、その全権を、このランス殿に譲るものとする!!」

 

 広間がどよめく。

 

 パドストーの重臣たちはもちろん、護衛兵、ゲライントやランスも、驚きの表情でコール王を見る。

 

 メレアガントも我が耳を疑わずにはいられない。王位を退く? ランスに譲る? 何を言っているのか判らない。

 

 メレアガントはコールの前に立った。「お……お待ちください! 父上!! このような時に(たわむ)れを言うものではありません! 皆、本気にするではありませんか。すぐに撤回してください!」

 

「これは戯れなどではない! 元よりこのパドストーは、百年前、我が祖先がアルメキア王国より譲り受けたもの。それを今、返す時が来たのじゃ!」

 

 コールは高座から降りると、ランスの前に跪いた。

 

「ランス様。これより我らはランス様の臣。我らの力、存分にお使いください」

 

 ランスは動揺を隠せない表情だ。「し……しかし、コール王。今の私に、そのような資格は――」

 

「ほっほっほ。ランス様。謙虚なのは悪いことではないが、王となる者、時には我が息子のような自惚れも必要ですぞ」

 

「――――」

 

「ランス様――」と、ゲライント。「ここは、ゼメキスを討つため、コール王のお言葉、ありがたく頂戴いたしましょう」

 

 ランスは、広間を見回した。最初は動揺していた人々も、コールが本気であることを悟り、その言葉を受け入れる表情になっている。

 

 ランスは、大きく頷いた。「判りました、コール王。しかし、条件がございます」

 

「条件とな?」

 

「はい。コール王のお言葉は大変嬉しく思いますが、やはり今の私に、王たる資格はありません。私が王になる資格を得るとすれば、それは、奪われたアルメキアの王都ログレスを、ゼメキスの手より取り戻した時だと思っております。ですから、その日が来るまでは、決して、私のことを王などと呼ばないでください」

 

「――うむ」

 

「そして、私がゼメキスを打ち倒し、祖国を取り戻した暁には、この国を、コール王にお返しします。それでよろしいでしょうか?」

 

「ふうむ。それはちと困ったのう。わしも、もうこの歳じゃ。ランス様の力を信じない訳ではないが、それでもアルメキアを奪還するのは、一年や二年では叶いますまい。それまで、この老体がもちますかのう――」

 

 コールは髭を撫でながら広間を見回し、そして、メレアガントを見た。「そうじゃ。ランス殿が祖国を奪還した際、我が息子メレアガントが王にふさわしい器となっていたならば、その時、パドストーをメレアガントに返す、それでいかがかな?」

 

 おお、と、広間がどよめいた。

 

 今の言葉は、コールがメレアガントに王位を譲る意向を示したことになる。

 

 長きに渡り王位継承については口をつぐんできたコールが、条件付きながらも、ついにメレアガントを認めた。

 

 パドストーに仕える者たちにとって、それは、非常に大きな言葉だった。

 

 しかし、メレアガントは。

 

「冗談ではありませんぞ! 父上!! そのような条件、呑めるわけがありません!」

 

 拳を握って叫ぶ。

 

「な……何を?」

 

 まさか拒否されるとは思っていなかったコールは、目を丸くする。

 

 メレアガントはランスを指さした。「その男が私の器をはかるというのならば、私もその男の器をはからねば不公平というもの!! エストレガレス帝国との(いくさ)となるというのならば、それも良いでしょう。ならば、この私自身が、ゼメキスの首を取って見せます! その時、もしランスに王たる器が無いと私が判断すれば、パドストーはもちろん、アルメキアの領地も、このメレアガントが貰い受ける!!」

 

「な……このバカ息子が! このような時に戯れを言うものではない!!」

 

「これは戯れなどではありませぬ! この条件でなければ、私は決して認めませぬぞ!!」

 

 メレアガントとコールは、奥歯をぎりぎりと噛みしめて睨み合った。

 

 緊迫した空気を破ったのは、高らかに笑うブルッサムの声だった。皆の視線がブルッサムに注がれる。

 

「――いや、失礼をしました。つい先ほど、似たようなやり取りを見たものですから。陛下も坊ちゃまも、やはり、親子でございますな」

 

 そして、ブルッサムはもう一度高らかに笑った。つられて重臣たちが笑い、ランスたちが笑い、護衛兵の顔にも笑顔が浮かんだ。

 

「コール王――」ランスがコールを見た。「私は、メレアガント殿の言う条件で構いません。私に王の資格が無く、メレアガント殿にその資格ありとなれば、私は喜んで、アルメキア王の座をお譲りします」

 

 そしてランスは、メレアガントを見た。「メレアガント殿。御助力に感謝いたします。ともに力を合わせ、ゼメキスを討ちましょう!」

 

「フン! 誰が貴様の力など借りるものか! 俺は、俺の力でゼメキスを倒して見せる!」

 

 メレアガントの態度に、コールは頭を抱えた。「……やれやれ。愚かな息子だと思っておったが、よもや、これほどまでとはのう」

 

 コールは大きくため息をつくと、「まあよい」と言って、立ち上がった。

 

 広間中を見回し、そして。

 

「――今この時より、パドストー公国はランス殿を中心とした新たな国家へと生まれ変わる! 新たなるパドストー公国の――いや、新生アルメキア王国の誕生である!!」

 

 コールの宣言に、広間は拍手と喝采に包まれた。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年三月下。

 

 

 

 

 

 

 パドストー公国・コール王は、この日をもって退位。その全権を、旧アルメキア王太子・ランスに譲った。

 

 パドストーは、新生アルメキア王国『西アルメキア』の樹立を宣言。エストレガレス帝国との徹底抗戦の構えを見せた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 カイ 聖王暦二一五年二月下 カーレオン/王都リンニイス

 ゼメキスがクーデターを起こし、国王ヘンギストが討たれた翌日――。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 ――お兄ちゃん! お兄ちゃん!! 大変大変!!

 

 遠くで、妹の騒ぐ声が聞こえる。

 

 カーレオン国王・カイは、自室のベッドで布団にくるまり、その声を聞いた。何やら慌てているようだ。それ自体は珍しいことではない。台所にゴキブリが出ただの、洗濯物が風に飛ばされただの、些細なことで妹が騒ぐのは日常茶飯事だった。

 

 だが、その日の妹の声はいつもと違っていた。声のトーンが少しだけ高いのが、カイには判った。それは、彼女が本当にあせっている時の声であり、つまり、本当に大変なことが起こったことを意味している。

 

 そして、今この時期、本当に大変なことが起こるとしたら、考えられる出来事はひとつだ。

 

 ――いよいよ始まったか。これは、面倒なことになるな。

 

 そう思いつつも、カイは布団にくるまったまま動かない。

 

「お兄ちゃんってば!!」

 

 勢いよくドアが開いて、妹のメリオットが部屋に入って来た。「――また寝てる! いま何時だと思ってるの? お城で起きてないの、もう、お兄ちゃんだけだよ?」

 

 メリオットがカーテンを開ける。陽射しが勢いよくさしこみ、部屋の中は一気に明るくなる。部屋の全てのカーテンを開けたメリオットは、続いて、カイの布団をはぎ取った。「いつまで寝てるの? 早く起きなさい!」

 

 布団を奪われたカイは、仕方なくベッドの上に上半身を起こし、大きくあくびをした。「寝てた訳じゃないよ。ただ、横になって脳を休ませていたんだ」

 

「それを寝てたって言うんでしょ? そんな言い訳したって、騙されませんからね」メリオットは両手を腰に当てた。

 

 苦笑いをするカイ。言い訳をしているつもりはない。カイにしてみれば、眠ることと脳を休めることは全く違うのだが、それを説明しても妹が理解できるとは思えない。

 

「それより、何を騒いでたんだい? アルメキアで、クーデターでも起こったのかな?」

 

 カイがそう言うと、メリオットは、ぽんっと手を叩いた。「そうなの! ゼメキスって将軍が、ログレスのお城に火を点けて! ……って、なんでお兄ちゃん、知ってるの? さっきまで寝てたのに?」

 

「簡単な推理だよ。まあ、それは後で説明するとして、みんなはどうしてる?」

 

「もうとっくに会議室に集まってるわよ。来てないのはお兄ちゃんだけ。みんな待ってるんだから、早くしないと。さあ、顔を洗って、歯を磨いて、ちゃんと着替えて、髪も整えなさい」

 

 まるで母親のように口やかましい妹に苦笑いしながら、カイはベッドから降り、洗面所へ向かう。

 

「――それにしても、ビックリだよね」メリオットはクローゼットから着替えを取り出しながら言う。「まさかあのアルメキアが、一晩で滅びちゃうなんて」

 

 その言葉に、カイは足を止め、妹を振り返った。

 

「ん? どうしたの? お兄ちゃん」メリオットは首を傾ける。

 

「ゴメン、メリオット。今、なんて言った?」

 

「何って、アルメキアが一晩で滅びるなんて、ビックリだよね、って言ったんだけど」

 

「アルメキアが滅びるって……まさか、ゼメキスのクーデターは、成功したのかい?」

 

「そうよ? 今じゃゼメキスが王様になって『エストレガレス』という国名にするって宣言してる。……って、お兄ちゃん、クーデターのことは、知ってるんじゃないの?」

 

「え……あ、いや、まあ、そうだけどね」カイは大きく咳ばらいをした。「メリオット。会議室のみんなには、すぐに行くから、って伝えておいてくれるかな?」

 

「そんなこと言って、あたしがいなくなったら、また寝るんじゃないの?」

 

「大丈夫だよ。ほら、早く」

 

 カイが促すと、メリオットは「ホントにちゃんと準備するのよ?」と何度もクギを刺し、しぶしぶといった表情で部屋を出ていった。

 

 メリオットが出て行ったのを見て、カイはベッドに横になり、目を閉じた。

 

 そのまま、じっと動かない。

 

 眠るわけではない。脳を休めるわけでもない。むしろ、今、カイの脳は、最大限に活動していた。

 

 膨大な記憶量の中から、過去十年間のアルメキアや周辺諸国の情報を引き出し、ひとつひとつ精査する。常人には数ヶ月はかかる作業であり、そもそも常人には全ての情報を完全に記憶しておくことなど不可能だが、カイはそれを、一瞬にして行う。

 

 全ての必要な情報を精査した結果、ゼメキスがクーデターを起こす可能性は九十五パーセント以上。しかし、成功する確率は限りなくゼロである、との結論となった。この計算は、この一年の間、新たな情報が入るたびに繰り返し行ってきた。何度情報を精査し、何度計算しても、小数点以下の数値が多少変動するくらいで、答えはほぼ変わらない。

 

 だが、メリオットが言うには、ゼメキスのクーデターは成功した。

 

 メリオットが得た情報が間違っている可能性は十分にある。しかし、そうでないとしたら。

 

 ――いったい、アルメキアで何が起こったんだ。

 

 どんなに脳を働かせても、答えは出てこない。

 

 バタン! と、ドアが開いた。

 

「ほら! やっぱり寝てる! もう! いい加減にしなさい!!」

 

 メリオットの怒鳴り声に、カイは考えを中断し、身体を起こした。「いや、メリオット。これは寝てたんじゃなくて、考え事をしてたんだよ」

 

「そんなウソ言ってもダメ。お兄ちゃんが支度するまで、テコでも動きませんからね!」メリオットは腕を組み、どっしりと構えた。

 

 やれやれ、と、ため息をつくカイ。考え事をしていたというのはウソではない。脳を最大限に動かすには、体中のエネルギーが必要だ。そのため、とても立ってなどいられないのである。今のわずかな時間で体重が一キロは減っているはずだ。脳を動かすというのは、本来それほどのエネルギーを消費するのだが、それを妹に説明したところで理解してもらえるとは思えなかった。

 

 ――まあいい。今は、アルメキアで何が起こったか把握することが第一だ。

 

 カイはメリオットに促されるまま、のろのろと身支度を整え始めた。

 

 

 

 

 

 

 カーレオン王国は、フォルセナ大陸の南西、パドストー公国の南に位置する国である。他国からは『魔導国家』と呼ばれるほど魔法技術が発達した国であり、王国が抱える騎士団も、半数が魔導士で編成されている。

 

 ルーンの神々が創ったとされるこのフォルセナ大陸では、大地から『マナ』と呼ばれる魔法の力が湧き出している。このマナの力を利用することで、通常より身体能力を高めたり、魔法を使ったり、時には異世界から魔物を召喚したりすることができる。人々はこのマナの力を使って暮らし、文明を発展させ、そして、戦を繰り返して来たのだ。

 

 大陸の南には肥沃な大地が広がっており、特にこのカーレオンの領地内ではマナの湧き出す量が豊富だ。故に、昔からこの国では魔法技術が栄えてきたのである。

 

 カイは、魔導国家カーレオンの国王である。見た目は物静かな二十五歳の青年だが、フォルセナで最も優れた魔術師であると噂されている。その知識は魔法だけに及ばず、政治学、経済学、戦略にも精通し、記憶力や計算力にも優れ、それでいて、それらに驕り高ぶるわけでもなく、人々からは、『カーレオンの静かなる賢王』と呼ばれていた。

 

 しかし、そんな賢王も、妹のメリオットに言わせれば、『カーレオンの三年寝太郎』であるのだが……。

 

 

 

 

 

 

 会議室にはカーレオンの主な重鎮が集まっていた。縦に長いテーブルの最も奥の席にカイが座り、その右手側にメリオット、メリオットの向かい側に騎士団長のディナダンと、政務の補佐役を務める宰相のボアルテが座っていた。

 

「――では、陛下は今回のゼメキスの反乱をあらかじめ予見していた、と」

 

 メリオットの話を聞いたボアルテは、感心した表情で言った。

 

「予見なんていうほどのものでもないけどね。事前に得られた情報を整理して、導き出した結果だよ。ほら。『狡兎(こうと)死して走狗(そうく)煮らるる』と言うだろ?」

 

「そんなこと人生で一度も言ったことないけど」当然のような口調で答えるメリオット。

 

「まあ、メリオットはそうだろうね。要するに、すばしっこいウサギを捕まえられる優秀な猟犬も、ウサギがいなくなったら用が無くなって、猟師に煮て食われる、ということさ」

 

「つまり――」騎士団長のディナダンが腕を組んだ。「北の大国ノルガルドとの戦争が終わったアルメキアにとって、ゼメキスは用済みの存在だった、ということですか?」

 

 カイは頷いた。「アルメキアの重臣にとっては、用済みと言うよりは、むしろ邪魔な存在だったんだろうね。戦で数々の武功を挙げたゼメキスが自分たちの地位を脅かすと思ったんだろう。この一年の間に、暗殺部隊を雇って差し向けた、って情報も入ってるし」

 

「それで、むざむざ殺されるくらいなら、いっそのこと国を乗っ取ってしまおうと」

 

「ゼメキスの性格からすれば、その可能性が最も高かった。でも、まさかそれが成功するとはね……」

 

 カイの予想では、ゼメキスが反乱を起こしたとしても、それに味方するのはゼメキスの側近の者だけで、兵の数は数千程度であろうと考えていた。うまく行ったとしてもせいぜい王宮に突入するまでで、その後は、王国軍に鎮圧されるはずであった。

 

 しかし、報告によると、クーデターの夜、ログレス王宮に駐屯する兵の九割以上がゼメキス側に付き、国王側に付いたのはほんのわずかであったという。ゼメキスがそこまで王宮の兵から支持されているとの情報は、カイの元には入っていなかった。

 

 騎士団長のディナダンがテーブルに肘をつき、カイを見た。「それで、そのような重要な話を家臣である我々に黙っていた静かなる賢王様としては、この先アルメキアや周辺諸国はどうなるとお考えで?」

 

 ディナダンの態度に苦笑いするカイ。「報告によると、アルメキア国王ヘンギスト様は討たれたとのことけど、王太子のランス様は城から脱出したそうだ。現在は行方不明らしいけど、恐らく、アルメキアと事実上の同盟関係にあるパドストーか我がカーレオン、距離的に考えてパドストーに保護を求めると思う。パドストーのコール王はアルメキアに忠義が厚いから、ランス様を受け入れ、もしかしたら国自体を差し出すかもね」

 

「パドストーとアルメキア……ゼメキスの言うエストレガレス帝国が、戦争になると?」

 

「うん。そして、そんな混乱を、北のノルガルドが見逃すはずがない」

 

 カイの言葉に、室内は静まり返った。

 

 北の大国ノルガルドは、一年前のアルメキアとの戦争終結後は沈黙を保っているが、その内では、若王・ヴェイナードを中心に国力の回復を図り、アルメキアとの戦闘に備えている、との情報を、カイは得ていた。ヴェイナードは先の戦争で戦死した国王ドレミディッヅに代わって即位した男で、野心家で知られている。前王時代はノルガルド軍で最も優れた将軍であり、銀髪で白銀の鎧をまとい戦場を駆け回るその姿から『白狼』と呼ばれ、周辺諸国から恐れられていた。

 

「つまり――」宰相のボアルテが不安そうな表情で言う。「エストレガレス帝国・パドストー・ノルガルドの、三つ巴の戦いになると……」

 

「いや、事はそれだけでは済まないと思う」カイは続ける。「そんな大きな戦が起これば、南のイスカリオや、東のレオニアも動かざるを得ない。恐らく、フォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦になるだろうね」

 

 ボアルテとメリオットが大きく息を飲んだ。無理もない。一年前にアルメキアとノルガルドの戦争があったとはいえ、それは国境の小競り合い程度の認識だ。大きな戦争は、もう十年以上起こっていない。まして大陸全土を巻き込む大戦となると百年以上も前の話であり、それはもう、歴史上の出来事だ。

 

 ディナダンが大きくため息をついた。「やれやれ。できればそういった賢王様の深いお考えは胸の内にとどめておかず、なるべく早く凡人である我々に教えて欲しいものですな」

 

 ディナダンの言葉に苦笑いを返すしかできないカイ。この騎士団長は、剣の腕は超一流だが、口が悪く皮肉屋なのが玉にキズだ。

 

 ディナダンは、魔導国家カーレオンには数少ない剣を扱う騎士である。『ナイトマスター』という二つ名で呼ばれ、その腕前は、自国内はもちろんフォルセナ大陸全土に響き渡っており、大陸最強と噂される剣士の一人である。口の悪さが災いしてか、王宮の者とはソリが合わず、カイが即位する前は城にいることが滅多にない男だった。しかし、カイが王に即位してからは、城にいることが多くなった。どうやらカイのことを気に入ったようなのだが、口の悪さは相変わらずである。

 

「そんなことより、これからどうするの?」メリオットが椅子から立ち上がった。「大陸中を巻き込む戦争になったら、大変じゃない。あたし、怖いよ」

 

「御心配なさいますな、姫」ディナダンも立ち上がる。「美しい姫君を護るのが騎士団の務め。わが剣に誓い、姫様の命、このディナダンが必ず護って見せます」

 

「美しい姫君だって。いや~ん」メリオットは頬を赤らめて席に座った。ディナダンは口が悪く皮肉屋だが、フェミニストを自称しており、今のようなヘタなお世辞がうまい。

 

 やれやれ、と、ため息をつき、カイは続けた。「今、私が言ったのはあくまでもこれから起こることの予想だ。まだ事は始まったばかりだから、我が国としては、あまり大きな動きを見せて他国を刺激するのは避けたい。今は情報を収集するのが最優先だ。ただし、国境付近の警備は怠らないように。ディナダン、ボアルテ。北のスクエストの護りはあまり気にしなくていいから、東のハーベリーに兵を集めておいてくれ」

 

 スクエストは王都リンニイスの北、パドストーとの国境付近に位置する城だ。パドストーとカーレオンはともにアルメキアに忠誠を誓っており、事実上同盟関係にある。北から攻め込まれる心配は、まず無いだろう。逆に、東のハーベリーはエストレガレス帝国とイスカリオの国境に位置しており、いつ攻め込まれてもおかしくない城だ。

 

「かしこまりました。では、直ちに」

 

 ディナダン達は頷き、それで、会議は終了となった。

 

 ――それにしても、解せないな。

 

 皆が会議室を出るのを見て、カイは椅子にもたれかかり、目を閉じた。

 

 いったいなぜ、ゼメキスのクーデターはこんなにもうまく行ったのか?

 

 ゼメキスはアルメキアでも最強を誇った将軍だ。武力だけでなく戦略にも優れている。もし、ゼメキス軍とログレス王宮の護衛兵がまともに戦闘をすれば、ゼメキス軍が勝った可能性は高い。

 

 しかし、一夜のクーデターとなると、話は全く違ってくる。ゼメキス配下の中にも反対する者はいるだろうから、それらを説得するのは簡単なことではない。まして、王宮を護衛する兵のほとんどを味方につけるには、事前の根回しが重要になってくる。それは武力や戦略とは全く異なる力――謀略だ。ゼメキスは、そのような裏の駆け引きに長けた男ではない。

 

 ――今回の出来事には、私が把握できていない大きな力が動いているのかもしれないな。

 

 それがどんな力であるのか、今のカイには想像もつかなかった。

 

 バタン! と、会議室のドアが開いた。

 

「ああ! やっぱり寝てる! もう! 国の一大事なのに、王様がそんなことでどうするの!!」

 

 妹ののんきな怒鳴り声に、賢王は心の中でため息をついた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 グイングライン 聖王暦二一五年二月下 ノルガルド/大都フログエル

 ゼメキスがアルメキアの王都ログレスを制圧し、エストレガレス帝国樹立の宣言をしたことは、一夜にして大陸中を駆け巡り、人々を驚かせた。そして、この一報に最も驚き、同時に、胸の内の野望を燃え上がらせたのは、昨年アルメキアとの戦争に破れた北の大国ノルガルドの王・ヴェイナードと、その側近・グイングラインであった。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 ノルガルドの首都であるフログエルは、フォルセナ大陸の最も北に位置する都市だ。夏でも高地には雪が残るこの地方は、二月の下旬ともなると、城壁ほどの高さの雪に覆われる。時に人々の生活を脅かす雪だが、いざ戦闘となった場合、降り積もった雪は天然の城壁と化し、敵の侵攻を阻む。フログエルの城は、自然の力を護りに取り入れた要塞だ。

 

 その、フログエル城の奥にある王の執務室で、軍師のグイングラインは、王・ヴェイナードの言葉を待っていた。南のアルメキアで起こったクーデターの報告をしたばかりである。アルメキア王国軍総帥ゼメキスがクーデターを起こし、国王ヘンギストを殺害。ゼメキスは『エストレガレス帝国』の樹立を宣言したのだ。この報告を聞いたヴェイナードは、「まさか、ゼメキスがな……」とつぶやき、そのまま黙ってしまったのだ。

 

 王が言葉を失うのも無理はない。ヴェイナードもグイングラインも、ゼメキスがいずれ反乱を起こすことは予想していた。しかし、それが成功する可能性はほぼゼロだと思っていたのである。反乱に成功し、ゼメキスが王になるなど、想定外の事態である。これに対し、ノルガルドはどう動くか……この決断は、ノルガルドの、そして、大陸全土の運命を左右することになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 ノルガルドは、フォルセナ大陸で最も広い国土を持つ国である。大陸の北部はほとんどがノルガルドのものであり、その面積は、フォルセナ全土の四分の一に当たる。

 

 しかし、国土が広いからと言って、国が豊かであるという訳ではない。一年の半分以上を雪に覆われるほどの寒冷地であるこの国では、食料の生産力に乏しく、特に都市部を外れた貧しい地域では慢性的な飢えに苦しんでいた。故に、常に南の肥沃な大地を欲し、長いフォルセナの歴史の中で何度も南に侵攻し、そして、敗れてきたのである。

 

 昨年のアルメキアとの戦争において国王・ドレミディッヅを討たれたノルガルドは、降伏を余儀なくされた。ドレミディッヅに代わって王になったのは、傍系のヴェイナードであった。

 

 傍系とは、王の血筋からは外れた系統の者である。ノルガルドの王位は世襲制であるが、男子のみに限られ、女子は王位に就けない。前王は男子に恵まれなかった為、ヴェイナードが即位することとなったのである。

 

 降伏したノルガルドは、アルメキアと講和条約を結ぶ運びとなった。この際ノルガルドに提示された条件は二つ。ノルガルドとアルメキアの国境付近にある要塞・ジュークス城を明け渡すことと、新国王の二親等までの親族を人質として差し出すこと、である。ジュークス城はノルガルド防衛の最重要拠点とも言える城で、ここを敵国に占領されると、南からの侵攻に極めて弱くなり、同時に、南への侵攻も極めて困難となる。また、国王の親族を人質とされ、ノルガルドはアルメキアに対する動きを封じられることになる。

 

 この条件に対し、ノルガルド国内では、講和に反対する者も多かった。主に、前王ドレミディッヅの重臣だった者たちである。この講和は事実上ノルガルドがアルメキアの属国になることを意味している。降伏を撤回し、玉砕覚悟で特攻すべし、というのである。

 

 しかし、ヴェイナードはこれら反対派の意見を押しきり、講和に応じた。

 

 これにより、ジュークス城はアルメキアの手に渡り、ヴェイナードはたった一人の肉親である姉を差し出すこととなった。

 

 ノルガルドの重臣、及び、国民は、新王のこの決断に落胆した。かつて戦場では『白狼』という二つ名で恐れられた将であったが、主君を討たれたことで怖気づき、敵に尻尾を振る駄犬に落ちぶれた――そう、噂された。

 

 しかし、軍師であり、王の親友でもあるグイングラインは気付いていた。

 

 ヴェイナードのこの決断は、一年、五年、そして、十年以上先のノルガルドを見据えた、大いなる決断である、と。

 

 

 

 

 

 

 ゼメキスがクーデターに成功したとの報告を聞き、しばらく目を閉じていたヴェイナードだったが、やがて目を開け、まっすぐにグイングラインを見た。「グイン。ゼメキスが国を盗ったことは想定外だが、これは、ノルガルドにとって好機であることに変わりはない」

 

「同意見です、陛下」

 

「一年前、()が辛酸をなめる思いで奴らとの講和に応じたのは、この日を迎えるためだ」

 

「もちろん、心得ております」

 

 アルメキアとの講和に応じ、ジュークス城と姉を差し出したヴェイナード。ノルガルドはアルメキアへの侵攻が困難になったが、それはアルメキアも同じだった。講和を結んだからには、それ以上ノルガルドを攻めることはできない。ヴェイナードはこの一年の間、優秀な人材を集め、兵を鍛え、武器と兵糧を集め、国力を高めていった。全ては、いずれ弱体化するであろうアルメキアに、再度、攻め込むために。

 

 ヴェイナード達の当初の予想では、戦争を終えたアルメキアの重臣たちはゼメキスを処分しようとし、それに抵抗するゼメキスはクーデターを企むも失敗、ゼメキスおよび彼の兵は処刑されるはずであった。アルメキアが最強の軍を失うのを機に、一気に攻め込む予定であったのだ。

 

「予定とは違うが、今アルメキアが混乱状態であることには変わりない。実際、アルメキアの兵は王都に集中し、ジュークス城の守りが手薄になったとの報告も入っている。この機を逃す手は無いであろう。今こそ、立ち上がる時だ」

 

「その通りです、陛下」

 

 グイングラインは右の拳を握って左の手のひらに包み、高く掲げて頭を下げた。ノルガルドに代々伝わる忠誠を示す仕草である。

 

「ですが、陛下」グイングラインは顔を上げた。「ひとつだけ、問題があります」

 

「なんだ?」

 

「アルメキア――エストレガレス帝国には、陛下の姉上・エスメレー様がおられます」

 

「――――」

 

 ヴェイナードは、また、口を閉ざした。

 

 講和によりアルメキアに人質として差し出されたヴェイナードの姉・エスメレーは、その後、ゼメキスの妻となった。ゼメキスのクーデターが成功し、王となった今、その国に攻め込めば、実の姉と刃を交えることも、あり得ない話ではない。

 

 ヴェイナードは目を開けた。「大丈夫だ、グイン。姉上を差し出した時から、そのことは覚悟している。予は王だ。王が、戦に私情を挟むわけにはいかぬ。もし姉上がゼメキスに味方し、我が軍の前に立ちはだかるのであれば、予は、容赦しない」

 

「……ヴェイナード」

 

 王の名を口にするグイングライン。今でこそ王と軍師の関係であるが、元々二人は幼馴染であり、親友として育った。故に、ヴェイナードが姉を想う気持ちは、グイングラインにも痛いほど判る。

 

 だが、ヴェイナード本人がそう言うのであれば、親友としても、軍師としても、これ以上言うことは無い。

 

「……判りました、陛下」グイングラインは頭を下げた。「それでは、皆を集めます」

 

「頼む」

 

 グイングラインは執務室を出て、ノルガルドの重臣や将軍に招集をかけた。

 

 数刻後、フログエルの軍議室である円卓の間に、ノルガルドの重臣たちが顔を揃えた。多くは前王ドレミディッヅ時代から王家に仕える者たちだが、ヴェイナードが即位した後登用された騎士も少なくない。

 

 円卓を囲む家臣たちをぐるりと見回したヴェイナード。皆、王の言葉を待っていた。

 

 ヴェイナードは、静かな口調で話し始めた。

 

「――すでに皆の耳にも入っていると思うが、アルメキアで大きなクーデターが起こった。かつてアルメキア軍の総帥であったゼメキスがヘンギスト王を殺害し、王位に就いた。ゼメキスは自らを皇帝と称し、エストレガレス帝国の樹立を宣言した。これは、我が国が立ち上がる絶好の機会である」

 

 王の言葉に、皆、無言で頷いた。

 

 ヴェイナードは言葉を継ぐ。静かだった口調は、やがて力を帯びてくる。「一年前の講和以降、予のことを不甲斐無いと思った者もいるであろう。諸君らには歯がゆい思いをさせた。だがそれも、真の勝利を掴むためである。機は熟した。今こそ、我らノルガルドの力を、大陸中に示す時である!」

 

 おお! と、王の言葉に真っ先に応じたのは、赤髪の若い騎士であった。「このパロミデス! たとえ火の中水の中。どこまでも陛下にお供し、必ずや、勝利を捧げて見せます!!」

 

 パロミデスは、ヴェイナードが王に即位する前の将軍時代より彼の軍に属していた騎士だ。二メートル近い長身で、戦場では力任せに大斧を振るい、敵を撃破する戦法を得意としている。

 

 パロミデスの言葉を、隣に座る同年代の騎士が笑う。「はは、陛下はお前と違い慎重なお方。むやみに火だの水だのに飛び込んだりしないのだよ」

 

「む? イヴァイン、お前!」パロミデスは隣の騎士を見て、ぎりぎりと歯を噛みしめた。

 

 イヴァインと呼ばれた男もまた、即位前よりヴェイナードの軍に属していた騎士だ。武骨なパロミデスとは対照的に華麗な剣捌きが自慢で、後先考えず突撃するパロミデスを抑えることも多い。まったく異なる性格の二人だが、戦場においてはなぜか呼吸の合った連係を見せるため、ヴェイナードからは信頼され、敵国からは恐れられる存在である。

 

「パロミデス、イヴァイン。戦場においてはパロミデスのような愚直とも言える勇気も必要であるし、イヴァインのような冷静さも必要だ。故に、そなたたちが力を合わせれば、恐れるものは無い。期待しておるぞ」

 

 ヴェイナードの言葉に、イヴァインとパロミデスは大きく声を上げ、頷いた。

 

「――フン。ようやく戦を始めるのか。随分と待たせてくれたのう。白狼王は、随分と目覚めが悪いと見える」

 

 挑発的な言葉と共に立ち上がったのは、円卓の間に集まった者の中でも最も若い女だった。まだ少女と言ってもいい年頃で、幼さの残る目を精一杯つりあげ、ヴェイナードを睨む。

 

「これはブランガーネ姫。その物言いでは、白狼ごときには手を貸してくれず、今回の戦には参加せぬおつもりで?」

 

「誰がそんなことを言った! 良い機会じゃ。そなたらに、(わらわ)の力、見せてやろうぞ」

 

「それは楽しみです、姫」

 

 たいして楽しみでもなさそうな口調のヴェイナードを、ブランガーネと呼ばれた女は忌々しげに睨みつけた。

 

 ブランガーネは前王ドレミディッヅの一人娘である。ノルガルドの王位は本来世襲制だが、女子は王位を継げぬ決まりがあり、直系のブランガーネではなく傍系のヴェイナードが即位した。そのことを不満に思っており、事あるごとにヴェイナードに立てついている。ドレミディッヅ時代からの重臣の中にはブランガーネの味方をする者も多く、ノルガルド内は、前王ドレミディッヅ派と現王ヴェイナード派に分かれ、激しく対立することもあり、グイングラインにとっても大きな悩みの種であった。

 

 ヴェイナードはもう一度円卓を囲む家臣たちを見回した。「これよりノルガルドの戦いを開始する! グイン、イヴァイン、パロミデス! 三名は兵を率いてジューク城を攻め、すみやかにこれを奪還せよ!!」

 

「――は!!」

 

 グイングライン達は右拳を握って左の手のひらで包み、頭を下げた。

 

「他の者は各自配置につき指示を待て! 向こうから攻めて来ることも考えられる! 護りを怠るでないぞ!!」

 

 他の騎士たちもグイングラインと同じように頭を下げる。

 

「ノルガルドの力、フォルセナ中に示すのだ!!」

 

 王の言葉と共に、騎士たちは、それぞれの戦地へ散っていった。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年二月下。

 

 

 

 

 

 

 エストレガレス帝国の樹立を宣言したゼメキスに対し、ノルガルドは講和を破棄し、宣戦布告。かつてノルガルド領だったジュークス城へと進軍し、翌月にはこれを制圧した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 ディナダン 聖王暦二一五年三月下 カーレオン/王都リンニイス

 カーレオン騎士団の長・ディナダンは、王の呼び出しを受け、執務室に早足で向かっていた。先ほど、北のパドストー公国に関する情報が入って来た。先月のゼメキスのクーデターにより国を追われたアルメキアの王太子ランスがパドストーに保護された。老王コールはランスに王位を譲り、パドストーは、新生アルメキア王国『西アルメキア』として、エストレガレス帝国と徹底抗戦を宣言したのである。

 

 これらは全て、カーレオン国王のカイが予想した通りであった。これからカーレオンはどう動くのか……王は相変わらず、胸の内をあまり語らない。今回呼び出しを受けたのは、恐らくパドストーに関することだろうが、はたしてどうなるか。

 

 執務室のドアをノックし、中に入る。王と、宰相のボアルテ、そして、王の妹のメリオットが、すでに集まっていた。

 

 全員が集まったのを見て、王はゆっくりと話し始めた。「みんなすでに聞いたと思うけど、アルメキアの王太子・ランス様が、パドストーの王位に就いた。パドストーは『西アルメキア』と名を改め、エストレガレス帝国と戦うそうだ」

 

 宰相のボアルテが腕を組む。「北のノルガルドも帝国に侵攻しましたし、西のレオニアやイスカリオも戦闘を始めております……すべて、陛下のおっしゃった通りになりましたな」

 

「それにしても、ビックリだよね」メリオットがあごに手を当てた。「パドストーがランス様を保護するのはともかく、王位も譲るなんて。ランス様って、まだ十四歳なんでしょ? あたしより三つも年下なのに、大丈夫なのかな?」

 

「ランス様には、戦の経験も、政務の経験も無いと聞いております」ボアルテが言った。「コール王がいかにアルメキアに忠誠を誓っているとはいえ、はやまった決断ではないかと」

 

「コール王は思慮深い方だよ。何の考えも無く、王位を譲ったのではないと思う」と、カイ。

 

「と、おっしゃいますと?」

 

「例えば、パドストーは代々アルメキアに忠誠を誓って来たけど、それはあくまでもコール王ら王族や、その重臣たちの話で、国民には、あまりピンとこないと思うんだ。『アルメキアへの忠誠心を示すためにエストレガレスと戦う』と言っても、支持は得られないかもしれない。そこでコール王は、王位をランスに譲ったんだよ?」

 

 メリオットが首を傾けた。「ランス様を王様にすると、みんなから支持されるの?」

 

「ランス様には、ゼメキスに両親を殺され、国を奪われ、その復讐をする、という、判りやすいストーリーがある。国民には、忠誠心なんて曖昧なものよりよっぽど理解されやすいと思うんだ。また、ランス様を擁立すれば、旧アルメキアの騎士たちも集まりやすい。コール王は、それを狙ったんじゃないかな?」

 

「つまり――」と、ディナダン。「ランス王子は、西アルメキアのマスコット的役割に過ぎない、と?」

 

「そういう見方もある、ということだよ。実際の所は、この目で見てみないと、何とも言えないな。ランス王子とはアルメキア時代に何度か会ったことがあるけど、もう何年も前の話だし。……と、言うことで、ボアルテ。ランス様とコール王に、会見の約束を取ってくれ。なるべく早いうちに、お目にかかりたい、と」

 

「かしこまりました」

 

 ボアルテは、さっそく準備に取り掛かるため、執務室を出た。

 

「賢王様直々に、ランス様を品定めするおつもりで?」ディナダンは探るような目を向ける。

 

「それもあるけど、まずは、同盟の確認かな。お互い戦う意思がないことを明確にしておけば、目の前の敵に集中できるからね」

 

「ふむ。なるほど」

 

「会見が決まったらすぐに出かけるから、ディナダン、一緒に来てくれるかな?」

 

「は? 私などがお供しても、会見には何の役にも立たないと思いますが?」

 

「そうよ」と、メリオットも言う「それに、いつ敵が攻めてくるかも判らないのに、大陸一の剣士様が、国を離れるわけにはいかないでしょ?」

 

「大陸一など恐れ多い。私も『ナイトマスター』などと呼ばれておりますが、そんなのは名ばかりです。大陸中を探せば、私よりも優れた剣士が、まあ、一人か二人くらいはいるかと思います」

 

「一人か二人、ねぇ」呆れ声のメリオット。

 

「この国で大陸一を名乗れるのは、メリオット姫の美しさだけでございます」

 

「まあ? ディナダンったら、正直なんだから」

 

 両手を頬に当てて喜ぶメリオットを無視して、カイは続ける。「まあ、私も一応国王だからね。賊に襲撃されないよう、ナイトマスター殿に護衛を依頼したいんだけど、ダメかな?」

 

 カイの言葉を聞きながら、ディナダンはその真意を読み取ろうと、目の動きやわずかな顔の仕草などを探る。国王とは言え、カイは大陸一と噂される魔術師だ。賊ごときの襲撃、簡単に撃退してしまうだろう。護衛が目的とは思えない。何を企んでいるのだろう? 残念ながら、そのすました表情からは何も読み取ることはできなかった。もちろん、何も考えていないはずはない。胸の内では、我々凡人には計り知れない賢王ならではの考えがあるはずだ。

 

 ディナダンは探るのをやめた。何を考えているのかよく判らない男ではあるが、この国を常に良い方向に導こうとしているのは間違いない。それに、何を考えているのか判らないからこそ面白いのだ。

 

「判りました。お供しましょう」ディナダンは答えた。「幸い、隣国のエストレガレスもイスカリオも他の国と交戦中で、今の所カーレオンに侵攻してくる気配はありません。国境の警備は、部下だけで十分です」

 

「ありがとう。よろしく頼むよ」

 

 カイは、純真な子供のような笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 一週間後、カイとディナダンはカーレオンを離れ、西アルメキアのカルメリー城へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 会見は謁見の間ではなく、国賓を迎える専用の部屋が用意されていた。それはつまり、西アルメキアとカーレオンは同列であることを意味していた。

 

「――椅子の上で踏ん反り返って陛下のことを見下していたら、その場で叩き斬ってやろうと思っていましたが、どうやらランス様は礼儀をわきまえていらっしゃるようですな」

 

 会見の間に向かう廊下で、ディナダンはいつもの口調で言った。

 

「ディナダン、頼むから、ランス様の前でそんな失礼な口を叩くんじゃないよ?」

 

「それは相手次第ですな。私はカーレオンの騎士ですので、陛下に失礼な態度があれば、遠慮なく剣を抜きます」

 

「私に失礼な口を利く男なら、いつもそばにいるんだが?」

 

「そうですか? それは気付きませんでした」

 

「……頼むよ、ホントに」

 

 カイ達が部屋に入ると、すでに西アルメキア側の人間は中で待っていた。新たに王となったランスと、アルメキア時代からの重臣ゲライント。そして、ランスに王位を譲った前王コールと、元パドストーの重臣たちである。

 

 カイはランスの前に立つと、右手を差し出した。「お久しぶりです、ランス王子」

 

「お久しぶりです、カイ王。お会いできて、うれしく思います」ランスも右手を差し出し、カイの手を握った。

 

 カイはランスの手を握りながら、じっと、ランスの瞳を見ている。

 

 はたから見れば握手を交わしているだけだろうが、ディナダンには判る。この瞬間から、カイは、ランスという人間の器をはかっている、と。

 

 しばらく、手を握り合う二人。

 

 カイの頬が緩んだ――ように見えた。

 

「わたくしも、お会いできてうれしく思います」

 

 手を離すカイ。ランスの器をどう見たか、その表情からは判らない。

 

 二人に続いてお供の者たちがあいさつを終えると、カイは、さっそく本題に入った。

 

「このたびのクーデターの件、アルメキアに忠誠を誓うカーレオンとしても、誠に残念に思います。聞くところによると、パドストーと共に挙兵し、ゼメキスを討つおつもりとか」

 

「はい。一刻も早く祖国を奪還し、この戦乱を鎮めたいと思っています」ランスは、力強い口調で答えた。

 

「カーレオンは、全面的にランス様を支援するつもりです。現在、南よりエストレガレスに進軍する準備を整えております」

 

「それは心強い。カイ王。お互い力を合わせ、逆賊ゼメキスを討ちましょう」

 

 二人が二国間の同盟を確認し、今後について話し合っている間、ディナダンは、ランスの目をじっと見つめ、ディナダンなりにランスの器をはかっていた。

 

 

 

 

 

 

 会見が終わり、カイ達は帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 カルメリー城を後にし、ひと気のない街道に出たところで、ディナダンは護衛兵の列を離れ、カイの乗る馬車の小窓を叩いた。

 

 小窓が開き、カイが顔を見せる。「どうしたんだい? ディナダン」

 

「随分と短い会見でしたが、あれで良かったのですか?」

 

「もちろんだよ。お互いの国を攻める意思が無いことは確認しあえたはずだ。当面、背後の護りは気にしなくていい。帝国とイスカリオとの戦いに集中できる」

 

「そうですか。それで――」

 

「うん?」

 

「静かなる賢王様の目に、ランス王子はどう映りましたか? 予想通り、単なる国のマスコットでしたか?」ワザと、意地悪な口調で訊いた。

 

「いや、そうじゃなかったよ」カイは、あっさりと自分の考えが間違っていたことを認めた。「まだ幼いのは確かだけど、目と言葉から、ゆるぎない決意が感じられたよ。考え方もしっかりしていたし、家臣からも信頼されている。あの歳で立派だよ。以前会った時は、世間知らずのおぼっちゃまという感じだったけど、わずか数年で、人は変わるものだね」

 

「そうですか。それは良かった」

 

「ただ、ちょっと、エストレガレス帝国への復讐に心を囚われすぎているような気がするね。あれじゃあ、北のノルガルドに、足元をすくわれかねない」

 

「ほほう」

 

「まあ、その辺はコール王や周りの者たち、あるいは、同盟国である僕たちがフォローすればいいから、あまり問題はないと思う。それよりディナダン。君は、どう思った?」

 

「はい? 賢王様とあろうお方が、私ごときに意見を求めるので?」

 

「私は頭を使うのが専門だから、君にしか判らないことがあるかもしれない」

 

「遠回しに我ら凡人のことを馬鹿にしているでしょう?」

 

「そんなつもりはないよ。ナイトマスター殿の目にランス様はどう映ったのか、ぜひとも聞きたいね」

 

「陛下と同じですよ。まだ若いが、立派な方だ。家臣もしっかりしているし、エストレガレスやノルガルドとも、十分戦って行けるでしょう。ただ……」

 

「ただ?」

 

 ディナダンは、言うべきかどうか迷ったが、やがて言葉を継いだ。「……もう何年も前の話ですが、アルメキアを訪れた時、一度だけ、ゼメキスを見たことがあります。まあ、城の廊下ですれ違った程度ですがね」

 

 不意に話が飛んだが、カイは黙って聞いている。

 

「当時のゼメキスはまだ総帥ではありませんでしたが、まるで、飢えた獣のような目をしていました。常に戦う相手を探している。戦う者がいなくなれば、戦わない者にも襲い掛かる――そんな目でした」

 

「……それで?」

 

「私は、ランス様の瞳の奥にも、あの時のゼメキスと同じ輝きを感じました。いずれは、ゼメキスと同じように、大陸制覇の野望に憑りつかれるかもしれません」

 

「…………」

 

 カイは何も言わず、顎に手を当て、何かを考えていた。

 

「もちろん、凡人の思い過ごしだと思いますがね」ディナダンは、とぼけたような口調で言った。

 

「判った。ありがとう。やはり、君に来てもらって良かった」

 

「お役にたてたなら光栄です、陛下」

 

 ディナダンが頭を下げると、カイは、ぴしゃりと小窓を閉めた。ディナダンは、護衛の隊列に戻った。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年三月下。

 

 

 

 西アルメキアのランス王と、カーレオンのカイ王が会見。同盟を結び、互いにエストレガレス帝国と戦うことを誓い合った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 ヴェイナード 聖王暦二一五年三月下 ノルガルド/大都フログエル

 フログエル城の執務室で、白狼王ヴェイナードは、山積みにされた報告書に目を通していた。先月の開戦以降、各地から次々と戦に関する報告が入っている。そのすべてに目を通すヴェイナード。戦争において情報の収集は非常に重要だ。どんなに兵を鍛え、ち密な戦略を立てようとも、事前の情報を見誤れば、それが敗北につながることになる。どんな小さな情報も見逃すわけにはいかない。

 

 ドアがノックされた。ヴェイナードは、「入れ」と、短く言った。

 

「失礼します」軍師のグイングラインが部屋に入り、頭を下げた。「新たな報告が入りました」

 

「うむ」ヴェイナードは今まで読んでいた報告書を脇に置いた。

 

「まず、ジュークス城の制圧に成功しました。敵は戦わず撤退しましたので、我が軍に被害はありません」

 

 報告と同時に書類を差し出すグイン。ヴェイナードは受け取った書類に目を通す。「……戦わず逃げ出したか……賢明な判断だな。まあ、ただ臆病なだけかもしれんが」

 

 ジュークス城はノルガルドとエストレガレス帝国の国境付近にあり、ノルガルドにとって防衛の最重要拠点だ。一年前の講和によりアルメキアに明け渡しており、今回の戦においては、まず何をおいてもこれを奪い返すことが重要であった。幸い、事前の情報通り護りは手薄で、簡単に奪還することができたようである。

 

 グインはさらに報告を続ける。「現在はイヴァインとパロミデスの部隊を中心に兵を集めております。しかし、ジュークス城南のリドニー要塞の護りは堅く、いま攻めるのは得策ではないかと」

 

 ジュークス城がノルガルドの重要拠点なら、リドニー要塞はエストレガレス帝国の重要拠点である。旧アルメキアがノルガルドからの侵攻に備えて建設したこの要塞は、アルメキア大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川中央の島にある。この島へ渡るため橋は、千の兵が通るのがやっとというほどの頼りない物であり、いざというときには簡単に落とすこともできる。リドニー要塞を攻略するためには、多くの船を準備するか、水兵隊や高空部隊等、専用の軍を編成する必要があるのだ。

 

 ヴェイナードはグイングラインを見た。「リドニー要塞攻略に必要な兵を揃えるのに、どれだけ時間がかかる?」

 

「開戦前の予想では二ヶ月ほどでありましたが、少々予定が乱れておりますので、今のところ、めどは立っておりませぬ」

 

 開戦前のヴェイナード達の予想では、ゼメキスはクーデターに失敗し、処刑されるはずであった。アルメキアは最大の軍隊を失うため、リドニー要塞攻略も容易に行えると読んでいたのである。

 

 しかし、ゼメキスのクーデターは成功し、現エストレガレス帝国の軍の弱体化はほとんど無かった。ジュークス城の攻略はうまく行ったが、元々ジューク城はノルガルドの領地であるため北からは攻めやすく、さらに、クーデターの混乱に乗じた奇襲であったため、うまく行ったのだ。リドニー要塞の攻略は、同じようにはいかないだろう。

 

「では、オークニーの方はどうなっている?」ヴェイナードはさらに訊いた。

 

 オークニーは、リドニー要塞と並ぶエストレガレスの防衛拠点のひとつだ。エストレガレス領内の西に位置し、ノルガルドからは、ジュークス城の西にあるリスティノイスという城から侵攻することになる。オークニーは平地に存在し、リドニーのような天然の要塞ではないが、ここはノルガルドと同時に西のパドストーとも国境を接しているため、常に多くの兵が駐屯し、護りを固めている。

 

「残念ながら、こちらも思わしくありません」グインは答える。「報告によると、現在オークニー城にはゼメキスの腹心・カドールを中心とする部隊が入っております。その数は十万を超え、さらに集まっているとも」

 

「十万以上か……護りに徹するにしては多すぎるな」

 

「はい。恐らく、パドストーに逃げ込んだランス王子を仕留めるためではないかと」

 

「なるほど……そうなると、ゼメキスの軍も入る可能性はあるな」

 

「はい」

 

 ゼメキスとその腹心カドール。かつてアルメキアで最強を誇った二人の将軍は、現エストレガレスでもその脅威は健在だ。エストレガレスを叩き、フォルセナ大陸制覇を目論むノルガルドとしては避けては通れぬ相手だが、今はまだその時ではない。

 

「もうひとつ、良くない報告が」グインが新しい報告書を提出した。「ランス王子を保護したパドストーのコール王は、王位をランスに譲りました。パドストーは、新生アルメキア王国『西アルメキア』の樹立を宣言しております」

 

「ふん、あの老いぼれも、歳に似合わず思い切ったことをする」

 

「さらに、西アルメキアは南のカーレオンと同盟を結びました。ともに協力して帝国と戦うことを宣言しております」

 

「賢王カイか……コール王と同じく旧アルメキアに忠誠を誓っていたから、当然の流れではあるな」

 

「はい。これで西アルメキアは背後の護りを気にしなくて良くなりました。現在は、エストレガレスとの国境付近の城キャメルフォード、そして、我が国との国境付近の城ゴルレに兵を集めております」

 

 ヴェイナードは、報告書を机に置いた。「これは、西アルメキア方面も、しばらく動きが取れそうにないな」

 

 そのまま天井を見上げるヴェイナード。パドストーとカーレオンの同盟は想定していたことであるので、今の所大きな問題ではない。やはり、問題なのはエストレガレス帝国である。ゼメキスのクーデターが成功したのは大きな誤算だった。当初の予定では、ジュークス城奪還を足掛かりにリドニー要塞、そして、オークニーへと進軍していくはずであったが、作戦を変更せざるを得ない。

 

「エストレガレスも西アルメキアも進軍が難しいとなると、残るは南東方面……レオニアか」

 

 ヴェイナードは独り言のようにつぶやいた。

 

 レオニアは、フォルセナ大陸の東、ノルガルドの南東に位置する国である。千メートル級の高地にあるこの国は、フォルセナ大陸でも特殊な政治体制の国だ。国王をはじめとする国民のほぼすべてが一つの宗教を信仰しており、神の教えに従って国を治めている。いわゆる宗教国家である。

 

 神の教えが国の根本にあるため、一般的には考えられないような政治を数々行っている。中でも最も特徴的なのが、国王を神託によって選ぶことである。

 

 神託とは、神のお告げである。レオニアでは、国王が亡くなると『セイント』と呼ばれる巫女が神の啓示を受け、それに従って次の王が決まるのだ。それがどんな人物であっても、誰にも拒否することはできない。実際、レオニアの前王は一年前に亡くなったが、そのとき神託によって選ばれたのは、それまで王宮や政治とは全く関係の無い、首都から遠く離れた小さな村に住むごく平凡な十六歳の娘だった。血筋も能力も本人の意思さえも関係なく国の行く末をゆだねる者を決めるなど、ヴェイナード達には到底理解できないことであった。

 

 レオニアは高地にあり、特に、西方面のエストレガレス側は、人が足を踏み入れることが不可能なほどの険しい山々が連なっている。そのため、国境を接するのは、北のノルガルドと、南のイスカリオの二国だ。つまり、ノルガルドがレオニアの領地を押さえれば、エストレガレスの南側から攻めることへの足掛かりになるのである。

 

 だが、当然それは容易なことではない。

 

 レオニアの歴史は古く、旧アルメキア設立以前より存在したとされている。宗教国家であるがゆえか独立の意識が高く、アルメキア全盛期においても属国になることを拒み、周辺国の中で唯一支配を受けなかった国である。当然、長い歴史の中ではアルメキアからの武力による圧力もあっただろうが、独立を守ってきたということは、それらをはねのけて来たということでもある。

 

「陛下――」グイングラインが、神妙な面持ちで言う。「レオニアは神の教えに忠実な国です。争いは好まないでしょう。こちらから手を出さなければ、向こうから攻めて来る可能性は低いと思われます。今、むやみに敵を増やすのは、避けた方がよろしいかと」

 

「そうだな。だが、悠長に構えていられないのも事実だ」

 

 この一年の間、ノルガルドは戦に備え国力を蓄えてきた。優秀な人材を集め、兵を鍛え、武器を揃えた。単純な武力においては他国に劣るものではないが、一つだけ、懸念すべきことがある。

 

 食糧である。

 

 一年の半分を雪に覆われるノルガルドでは、食糧生産力に乏しい。今回の戦に備え兵糧を蓄えてはいるが、そう長く持つものではない。このまま何もせず戦が長引けば、やがて食糧は底を突き、兵は疲弊していくだろう。ノルガルドがこの戦に勝利するためには、短期間に決着をつけるか、早々に南の肥沃な地、および、食糧を押さえる必要があるのだ。そのためには、攻められる所から攻めて行くしかない。

 

「心配するな、グイン」ヴェイナードは小さく笑った。「所詮は神にすがるしかできない国だ。しかも、女王は政治も戦争も経験の無い小娘と聞く。案外、戦などせずとも、軽く脅しをかけるだけで我らに屈服するかもしれんぞ」

 

「それならば良いのですが……」

 

「レオニアに使いを送れ。予、自らが赴くゆえ、会合の席を用意しろ、とな」

 

「かしこまりました」

 

 グインは右拳を左手のひらで包んで頭を下げると、執務室から出て行こうとした。

 

 しかし、扉を開けたところでヴェイナードを振り返った。「ひとつ、気になることが」

 

「なんだ?」

 

「レオニアとの国境付近にあるハンバー城には、現在ブランガーネ姫が駐屯しております。陛下がレオニア女王と会うことを知れば、自分も連れて行けとおっしゃるのではないかと」

 

「フン、あのじゃじゃ馬ならあり得るな」ヴェイナードは苦笑した。

 

 前王ドレミディッヅの子供でありながら、女子であるがゆえに王位を継げなかったブランガーネは、神託などによって王に選ばれたレオニア女王の事を不愉快に思っているはずだ。グインの言う通り、連れて行けとうるさく騒ぐのは目に見えていた。

 

「――まあ良い。戦いに行くわけではない。好きにさせるさ」ヴェイナードは答えた。

 

「判りました」

 

 グインはもう一度頭を下げると、執務室を出て行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 リオネッセ 聖王暦二一五年二月下 レオニア/聖都ターラ

 フォルセナ大陸の東に位置する宗教国家レオニア。千メートル級の高地にあるこの国は、冬には雪に覆われることが多い。しかし、国の中央・聖都ターラの一帯は比較的気候が穏やかで、二月の下旬ともなると、陽射しに温もりが増しはじめる。

 

 レオニア女王リオネッセは、聖都ターラの居城の屋上で、降りそそぐ陽射しを全身に浴び、大きく伸びをした。気持ちの良い朝だ。一面の暖かな日差しはやがて雪を溶かし、大地は白銀から緑の息吹へと変わるだろう。春は、もうすぐそこだ。

 

 大きく伸びをしたリオネッセだったが、女王としてあまりにもはしたないふるまいであると気が付き、慌てて周囲を見回した。普段、お城の重臣達から「いかなる時も女王の自覚を忘れないように」と、うるさく言われている。こんな姿を見られたら、また長い説教が始まるだろう。

 

 今は女王の身であるリオネッセだが、ほんの一年前までは、首都から遠く離れた小さな村で暮らす十六歳の平凡な娘だった。

 

 宗教国家であるレオニアは、フォルセナ大陸を創ったとされるルーンの神・フォルスを信仰の対象としており、国の全てを神に委ねている。ゆえに、国王を選ぶのも神のお告げに従い、選ばれた者がどんな人物であっても、誰も逆らうことはできない。一年前、前王が崩御された際、神託によって選ばれたのは、フォルス教の熱心な信者ではあるが政治や王宮とは全く無縁のリオネッセであった。女王に即位し、王宮の者から様々な教育を受けているものの、長年染みついた平民のクセはなかなか抜けない。大きく伸びをするといったはしたない行為も、ついついやってしまう。

 

「――はは。そんな慌てなくても、ここには俺しかいないよ」

 

 そう言って笑ったのは、リオネッセと同年代の若い男だった。

 

「キルーフ。良かった。他の人だったら、あたし、また怒られてたところだよ」女王も、男と同じように笑みを浮かべる。

 

 キルーフは、リオネッセがまだ普通の村娘だった頃からの幼馴染である。リオネッセが女王に即位すると同時に、キルーフもレオニアの騎士へと仕官した。今は、女王と同じく、王宮の者から教育を受けている身である。

 

「お前も大変だな」キルーフはリオネッセの隣に立った。「あくびひとつ満足にできないなんて、窮屈で仕方ないだろ?」

 

「そうだね。でも、仕方ないよ。あたし、女王様なんだから」

 

「しかし、今でも信じられないな」キルーフは、昔を懐かしむように言う。「畑と牛くらいしかいない田舎で育った俺たちが、こんな王宮で、女王と騎士をやってるなんてよ」

 

「ホントだね」

 

「お前のことだから、どうせ泣いてすぐ逃げ出すと思ってたのに、よく一年も続いたよな。驚いたぜ」

 

「それは――」

 

 キルーフのおかげだよ、という言葉を、リオネッセは飲み込んだ。

 

 代わりに、じっと、キルーフを見つめる。

 

 突然王位に就かされ、何も判らぬまま王宮に連れてこられたリオネッセにとって、キルーフは大きな心の支えだった。見知らぬ場所であっても知った顔があるだけで心強い。王宮の重臣達が、実績も何も無いキルーフを騎士として登用したのも、リオネッセを心の負担を少しでも軽くするための事だろう。

 

 みんなに支えられて、あたしはここにいる。

 

 特にキルーフ……あなたに。

 

「ん? なんだよ?」

 

 キルーフは首を傾けた。

 

「……ううん。なんでもない」

 

 リオネッセは目を逸らし、眼下に広がる街並みを見下ろした。王宮の屋上からは、聖都ターラを一望できる。

 

 暖かな風が吹き渡り、リオネッセとキルーフを包み込む。

 

 ――ありがとう、キルーフ。

 

 リオネッセは、キルーフの肩に頭を預けようとした。

 

 しかし。

 

「うえっほん」

 

 ワザとらしい咳ばらいがして、リオネッセは慌ててキルーフから離れた。

 

「……お取込み中の所、失礼しますよ」

 

 いつの間にか、二人の後ろに政務補佐官のパテルヌスが立っていた。補佐官とは言っても、リオネッセはまだまだ女王の立場に慣れていないため、レオニアの政務は実質このパテルヌスが行っている。前王の時代から王宮に仕えており、フォルス教においては最高司祭の座も兼ねている男だ。

 

「お取込み中だと判ってるなら、失礼するんじゃねぇよ」キルーフが小さな声で言った。

 

 パテルヌスはキルーフの言葉を無視し、真剣な表情でリオネッセを見た。「西のアルメキア王国で、少々やっかいな問題が起こりました。至急、広間に来て頂けますかな」

 

「やっかいな問題?」

 

 リオネッセとキルーフは顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 広間では、レオニア騎士団を束ねるアスミットが待っていた。

 

「お待ちしておりました、女王陛下」

 

「アスミットさん。西アルメキアで、何か問題が起こったとか」

 

「はい。アルメキア軍総帥のゼメキスがクーデターを起こした模様です」

 

「クーデター!?」リオネッセは、キルーフと同時に声を上げた。

 

 アスミットは大きく頷き、続ける。「はい。報告によると、ゼメキスは国王ヘンギストを討ち、自らを皇帝と称する『エストレガレス帝国』なる国を設立。フォルセナ大陸の制覇を掲げ、各国に宣戦布告する模様です」

 

「宣戦布告……戦争が起こるということですか?」

 

「その通りです」

 

 言葉を失うリオネッセ。このフォルセナ大陸では、大きな戦争はもう十年以上起こっていない。なのに、自分が女王に就任した折に、そのような事が起こるなど、夢にも思わなかった。

 

「レオニアはエストレガレスと国境を接しているとはいえ、険しい山々に阻まれ、直接攻められることは無いでしょう。しかし、これを対岸の火事と楽観するわけには行きません」

 

「レオニアも、戦渦に巻き込まれる可能性があるのでしょうか?」

 

「もちろんです。エストレガレスがこのような動きを見せた以上、北のノルガルドや、南のイスカリオも、呼応して挙兵するのは時間の問題かと思われます。両国とも、大陸制覇の野望を持つという点においては、エストレガレスとさほど変わりはありません」

 

「そんな……己の欲望のために、関係ない国の民を巻き込むなんて……」

 

「それが戦争というものですよ」

 

 アスミットは淡々とした口調で言った。彼のいつもの口調なのだが、それがかえってリオネッセの不安を高めた。

 

「……まあ、そんなに心配するなって!」

 

 重苦しい雰囲気を、キルーフの明るい声が破った。「誰が攻めて来たって、俺たちが何とかしてやるからよ!」

 

「キルーフ……でも……」

 

「お前がそんな心配そうな顔してると、国のみんなが不安になるだろ? 女王は、どんな時も堂々としてるもんだ!」

 

 アスミットが小さく笑った。「ほほう? キルーフも、たまには良いことを言う」

 

「たまにで悪かったな」

 

 キルーフはアスミットをひと睨みすると、拗ねたように、プイッと顔を背けた。

 

「キルーフの言う通りですよ」パテルヌスが言った。「我らレオニアは、アルメキアの全盛期にも自治を護ってきました。アスミットや私が率いる神官騎士団は、決して、他国の軍隊に引けを取りません。どこの国が攻めて来ようとも、すぐに蹴散らして見せますよ」

 

「しかし……神が……フォルス神が、戦いをお許しになるでしょうか?」また心配そうな表情になるリオネッセ。フォルス神は平和を愛する神であり、暴力は好まない。

 

「それに関しては、心配無用です」アスミットが言った。「フォルス教の聖典には『フォルスは戦火を消すことを認める』とあります。これは、戦を仕掛けられた場合、それを鎮めるために戦うことをお許しになるということです」

 

 宗教国家のレオニアにおいて、神の言葉をつづったとされる聖典は、法に匹敵するものである。信者である国民は、何をおいてもこれに従わなければならない。

 

 しかし、聖典は大昔に書かれた物であり、かなり抽象的であいまいな部分も多い。今、アスミットの言った、『フォルスは戦火を消すことを認める』という部分もそうだ。確かに戦争を鎮めても良いと読み取れるが、その方法については言及されていない。アスミットの言うように武力には武力をもって挑むのか、あるいは、あくまでも話し合いなど平和的な解決を図るべきなのか……解釈の仕方で、大きく異なる。最悪の場合、大陸中の戦乱を鎮めるために他国を全て滅ぼしても良い、というように、大幅に曲解することも可能ではないだろうか。もちろん、そのような考えを持つ人など、この国にはいないと信じている。しかし、戦争がはじまり、レオニアが他国から攻められ、その戦いが長引くと、過激な思想を持つものも出てくるかもしれないのだ。

 

 何が正しくて、何が正しくないのか……経験の浅いリオネッセには判らない。なぜ、あたしが女王になった途端、こんなことが起こってしまうのだろう? あたしなんかが女王で、この国は大丈夫だろうか? 判らない。

 

 ばしん、と、背中を叩かれた。キルーフだった。

 

「ほら、笑顔笑顔」

 

 いつものように、優しく笑うキルーフ。「お前が心配したって、何も変わらないよ。お前の取柄は笑顔しかないんだから、どんな時でも笑ってろって」

 

 戦争が始まるかもしれないというのに、あまりにもいつも通りな様子のキルーフに、リオネッセも、不思議と安心感が湧いてくる。

 

「……ありがとう、キルーフ」

 

 リオネッセは、笑顔で言った。「……でも、笑顔しか取り柄が無いって、ヒドくない? あたし、そんなに役立たずなの?」

 

「え? あ、いや、そういう意味じゃなくって、その……」

 

 焦って言葉に詰まるキルーフの姿がなんだかおかしくて、リオネッセは笑った。つられてキルーフも笑い、パテルヌスやアスミットも笑った。

 

 ――そうだ。キルーフの言う通りだ。

 

 女王は思う。

 

 あたしには何のとりえもないけれど、それでも女王だ。

 

 あたしが不安そうな顔をしていると、国のみんなが不安になる。

 

 何もできないなら、せめて、笑顔でいよう。

 

 それで、みんなの不安が少しでも和らぐのなら、それはきっと、大切なことだ。

 

 そう、それに。

 

 あたしには、みんながついている。

 

 キルーフも、パテルヌスさんも、アスミットさんも。神官騎士団のみんなも。

 

 みんなが、あたしを、この国を、支えてくれる。

 

 だから、どんな難局も乗り越えられる。

 

 だから、ガンバってみよう。

 

 神よ――。

 

 どうか、この国を――みんなを――お守りください

 

 女王リオネッセは、胸の前で手を組み、祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 アスミット 聖王暦二一五年三月下 レオニア/聖都ターラ

 北の大国ノルガルドの王・ヴェイナードが、女王リオネッセとの会見を望んでいる。

 

 ノルガルドの使者から書状を受け取ったアスミットは、どう対応すべきか考えていた。書状に会見を望む理由は書かれていない。しかし、現在のノルガルドの国情を考えれば、好ましいものとは思えなかった。

 

 ノルガルドは、周辺各国へ宣戦布告したエストレガレス帝国と徹底抗戦する構えを見せており、一年前の講和によって明け渡していたジュークス城を奪還したばかりだ。エストレガレスだけでなく、大陸全土の制覇を目指しているは明らかだった。もちろんそこには、このレオニアも含まれている。会見は、間違いなく今回の戦争に関することだろう。一方的に宣戦布告され、攻め込まれなかったのは幸いであるが、だからと言って、侵略の意思が無いとは限らない。女王の目の前で宣戦布告することもあり得るし、降伏を要求し、属国となることを迫ることも考えられる。

 

 レオニアの女王は王位に就いてまだ一年で、しかも即位するまでは政治や戦争などの経験も知識も無い平凡な娘だった。他国の要人との面会すら初めてなのに、相手があの白狼と呼ばれるヴェイナードでは、あまりにも荷が重いだろう。それはまさに、狼を前にした子兎だ。簡単に飲み込まれてしまう。

 

 女王とヴェイナード王を会わせるべきではない。会見は、政務補佐官のパテルヌスと自分の二人で行うべきだ――そう思うが、それはあくまでも、ヴェイナード王が好戦的な態度で臨んできた場合だ。会見は、同盟を求めるものである可能性もある。ヴェイナード王は慎重な男だ。エストレガレス帝国との戦いに集中するため、レオニアから攻められる可能性を無くしておきたいと考えても、おかしくはないだろう。もちろん、同盟をしたとしても、それは一時的なものである可能性が高い。ノルガルドが大陸制覇を目指しているのであれば、いずれは攻めてくるはずだ。しかし、たとえ一時的なものであっても、ノルガルドと同盟を結ぶのは、レオニアにとっても悪くないことだ。レオニアと国境を接しているもうひとつの国である南のイスカリオは、決して他国と同盟など結ばない。北から攻められる心配が無くなれば、当面、イスカリオとの戦闘に集中できる。

 

 女王をヴェイナード王と会見させるべきか、させない方がいいのか、それとも、そもそも会見自体拒否すべきなのか……アスミットは、己の知識や経験を全て使い、正しい選択を導き出そうとする。判断ミスは許されない。決して。

 

 アスミットは、神官騎士団の長であり、レオニア一の智将と称される男だ。完璧主義者であり、自分はもちろん他人のミスさえ許せない性格だ。あまりにも融通の利かない性格であるがゆえに、周囲からは『パーフェクトマン』と陰口をたたかれ、煙たがられている。しかし、完璧主義であるからこそ、レオニアの重臣からの信頼は厚く、女王リオネッセや政務補佐官パテルヌスからは全幅の信頼を寄せられていた。

 

 ノルガルドからの使者はアスミットの返事を待っている。会見を求める書状には『至急』と書かれており、一旦返事を保留することはできそうにない。もし保留すれば、ヴェイナード王を刺激することになりかねない。少なくとも、会見をするかしないかの返答は、すぐにでも行うべきだろう。

 

 さまざまな可能性を考えた結果、会見自体は行うべきだとの結論に達した。会見自体を拒否してヴェイナード王を怒らせるのは得策ではない。問題は、会見の場に女王を同席させるかである。同席させたところで、女王がヴェイナード王と対等に渡り合えるとは思えない。この国の政務は、事実上パテルヌスが行っているのだ。ならば、女王を出席させることに意味は無いだろう。しかし、女王が会見をしないことを今ヴェイナード王に伝えても、やはり怒らせることになりかねない。この場は一旦、会見には応じると答え、当日は、急病等適当な理由を付ければ良いだろう。ヴェイナード王は不快感を表すかもしれないが、会見さえ始まってしまえば、後は自分とパテルヌスでなんとかする――アスミットは、そう考えた。

 

 しかし、当然のことながら、それらのことを自分だけで決定することはできない。少なくとも、パテルヌスには相談すべきであろう。

 

「書状は承った。女王と相談するゆえ、別室にてしばらく待たれよ」

 

 アスミットは護衛兵に使者を別室まで案内するように命じた。

 

 アスミットは書状を持ち、城の礼拝室へと向かった。女王は今、そこで神へ祈りを捧げている時間である。

 

 礼拝室には、女王リオネッセと政務補佐官アスミット、そして――面倒なことに――新人の神官騎士で女王の幼馴染のキルーフの姿があった。

 

 キルーフは、女王と時期を同じくしてレオニアに仕官した男だ。それまで戦いの経験や王宮との繋がりも無く、本来ならばいきなり城や女王の警護を任せるべき人物ではないのだが、城や政務に不慣れな女王の心のよりどころとなるべき者は必要であろうとの判断から、特別に置いているのである。

 

 アスミットがキルーフのことを面倒だと思ったのは、キルーフは極めて感情的な人間で、騎士としての自覚に乏しいからである。国の事よりも女王のことを優先して考える。それ自体は騎士としては間違いではないのかもしれないが、残念ながらその考えは、騎士ではなく幼馴染としての感情が強い。今回のヴェイナード王との会見の件を話せば、国の行く末など考慮しない意見を言うだろう。「危険だからやめておけ」と言うか、「俺がいるから安心しろ」と言うかは判らないが、どちらにしても、そこにはなんの根拠も無いのだ。そもそも、立場上はいち護衛兵でしかないキルーフに、政務に関する発言権などありはしないのだが、それを理解するような男ではない。だからと言って、席を外せと言っても素直に聞くことはないだろうし、使者を待たせているので時間も無い。だから、面倒なのである。

 

「アスミットさん――」礼拝室の奥で祈りを捧げていたリオネッセが、アスミットに気付いた。「どうかされましたか?」

 

 女王の声に、パテルヌスとキルーフもこちらを見た。仕方がない。アスミットは女王の所へ行き、これまでのいきさつを説明した。

 

「……ノルガルド王が、あたしに会見を……」不安げな表情になる女王。彼女も、白狼王の噂は知っている。

 

 キルーフが腕を組んだ。「怪しいな……なんかのワナかもしれないぜ」

 

 心の中で舌打ちをするアスミット。キルーフの言う通り、ヴェイナード王が何らかの罠を仕掛けて来る可能性は否定できないが、それを今女王の前で言っても、より不安にさせるだけだ。案の定、女王は青ざめた顔になる。

 

「会見自体を断るのは得策ではないでしょうな」パテルヌスが、アスミットと同じ考えを言う。「私とアスミットが対応しますゆえ、女王は出席なさらずとも良いでしょう」

 

「いえ……あたし、ヴェイナード王に会います」女王が、決意と不安が入り混じった声で言った。「同盟の申し出である可能性もありますし、もしそうなら、あたしが出ないのは失礼でしょうから」

 

「……よろしいのですか?」

 

 アスミットの問いに、女王は無理に作ったような笑顔で「はい」と答えた。続いてパテルヌスを見る。パテルヌスは小さく頷いた。

 

「安心しな!」キルーフが女王に向かって言う。「向こうが何を仕掛けて来たって、俺が何とかしてやるからよ!」

 

 アスミットが予想した通り、何の根拠も無いことを言うキルーフ。時間があれば、向こうが何を仕掛けて来るつもりで、それに対してどう対応するつもりなのかを問い詰める所だ。アスミットにしてみれば、このような無思慮な言葉は無意味でしかない。

 

 もっとも、キルーフの言葉により、女王の不安そうな顔が少し和らいだことを考えれば、完全に無意味とも言い切れない。

 

 アスミットは女王に頭を下げた。「では、会見は一週間後、ダマスの城にて行う旨を伝えます」

 

 ダマスはノルガルドとの国境付近の城である。ゼメキスのクーデター以降、防衛のために兵を集めているので、何かあった時も十分対応できるはずだ。

 

 アスミットは礼拝堂を出て、ノルガルドの使者にその旨を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 一週間後、ダマス城の会議室にて、アスミット達はヴェイナード王を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 会議室には、女王リオネッセと補佐官パテルヌス、騎士団長アスミット、そして、アスミットの部下のシャーリンという女騎士が同席した。シャーリンは、神官騎士団の中でアスミットが最も信頼を寄せている騎士だ。ノルガルドとの国境に最も近い位置にある城、つまり、ノルガルドと開戦した場合、真っ先に攻められる城であるこのダマス城の警護を任せている。キルーフの姿は無い。直前まで自分も同席させろと散々騒ぎ立てたが、女王とアスミットの説得により、どうにか別室で待機させることができた。

 

 一方のノルガルド側は、白狼王ヴェイナードの他に、女王と同年代の女騎士、そして、やや年配の騎士が二人だ。アスミットは、事前に調査して得た情報から、女騎士はノルガルドの前王ドレミディッヅの娘・ブランガーネ、年配の騎士は、ドレミディッヅ時代の重臣達であると推測した。

 

 女王は胸の前で手を組み、祈りを捧げるように目を閉じた。レオニアで相手に敬意を表す時の仕草である。

 

「レオニアへようこそ、ヴェイナード王。リオネッセと申します。ノルガルドの国情は伺っております。一年前の前王の崩御は、我らも大変遺憾に思っております。我がレオニアといたしましては、このたびのエストレガレス帝国への挙兵に対し、一定の理解を示して――」

 

「堅苦しい挨拶は結構だ。予は、茶飲み話をしに来たのではない」

 

 女王の言葉を高圧的な口調で遮るヴェイナード王。本来ならば即刻会見を中止にしてもよいほどの無礼なふるまいであるが、女王は身体を強張らせ、小さな声で「申し訳ありません……」と言った。

 

「なんだ? 白狼ごときが少し吠えただけでもう泣き出すとは、レオニアの女王は、随分と臆病者のようだな」

 

 そう言って、ヴェイナード王の後ろに控えていた若い女が前に出た。

 

「場をわきまえよ、ブランガーネ姫」ヴェイナード王が女に向かって言う。「これは、予とレオニア女王との会見の場であるぞ」

 

 だが、ブランガーネは王の言葉を無視して続ける。「女王。聞けばそなた、政治や戦の経験など何も無いのに、神託などという訳の判らぬもので王に選ばれたそうだな?」

 

「は……はい……申し訳ございません」飢えた獣を前にした小動物のように震える女王。

 

「随分とふざけた国だな、レオニアというのは。素質の無い者が国を治めるとは。もっとも、素質の無い者が国を治めているという点では、我が国もたいして変わらぬがな」

 

 ブランガーネはちらりとヴェイナード王を見て、さらに続けた。

 

「そなたらも知っておろうが、我が父・ドレミディッヅは、我が国一……いや、フォルセナ一の武将であった。(わらわ)は女として産まれたが、父を尊敬し、父のような武将になりたいと思い、幼き頃から、剣や弓の技術、そして、戦術や用兵術を学んだ。戦場に出れば、誰よりも多くの武功を挙げる自信がある。無論、(まつりごと)についても学んだ。全ては父のような偉大な王になりたいがため。なのに! 我が国には女は王位を継げぬというふざけた決まりがある! 故に、白狼などが王位に就いたのだ。なぜだ!? なぜ、女であるというだけで王位を諦めねばならぬ! 女は家を護るのが役目と言うか? ふざけるな!! 妾は子を産む道具ではない!!」

 

 感情を乱し、声を荒らげるブランガーネ。その目は女王に向けられてはいるが、言葉はヴェイナード王……いや、ノルガルドという国そのものに向けられているようにも思える。

 

「女王。妾はそなたが許せぬ。王としての素質など無いそなたのような女が、何の苦労も無く王位に就き、何もせぬのに女王などと崇められているそなたがな!」

 

「――姫」と、ヴェイナード王が前に出る。「くだらぬ嫉妬は国に帰ってから伺うゆえ、この場は控えてくださいませぬか」

 

 ブランガーネが鋭い目でヴェイナード王を睨む。「くだらぬ嫉妬と申すか。まあ、そうかもしれぬ。だがな、己の望む生き方を見せつけられて、平静でいられる者などおらぬ!」

 

 ブランガーネの鋭い目が、再び女王に向けられた。「女王。白狼が何の目的でこの会見を望んだのかは知らぬが、妾はそなたの器をはかりにここに来た。先ほどのような軟弱な態度を続けるならば、即座に叩き斬ってやるからそう思え!!」

 

 ひときわ大きな声でそう言うと、ブランガーネはもう一度ヴェイナード王を睨み、後ろに下がった。

 

「……姫が失礼をした。代わって詫びさせていただく」言葉とは裏腹に、高圧的な口調は変わらないヴェイナード。

 

「……いえ……大丈夫です」女王も、言葉とは裏腹に声が震えている。

 

「それでは本題に入ろう。ふたつにひとつ、選んでいただきたい」

 

「ふたつにひとつ……?」

 

 戸惑いの表情を浮かべる女王に、ヴェイナード王は容赦なく言葉を継いだ。「ひとつ。レオニアを予に差し出し、ノルガルドの属国となるか。ふたつ。ノルガルドと戦をし、滅ぼされるか、だ」

 

「――――」

 

 ヴェイナード王の申し出に、言葉を失う女王。政務補佐官のパテルヌスも、驚きの表情を隠せない。

 

 アスミットは、表情を変えずヴェイナードを見ていた。これまでの彼らの態度から、こうなる可能性は高いとすでに判断していた。

 

「ノルガルドは随分と礼儀をわきまえぬ国と見えるな」アスミットは女王をかばうように前に出て、ヴェイナードを睨みつけた。

 

「予は女王と話をしている。誰だか知らぬが、引っ込んでいてもらおう」

 

 ヴェイナードの言葉を無視し、アスミットは女王を振り返った。「会見は終了です。後は、私とパテルヌス殿で対応しますので、女王はお下がりください」

 

「逃げるのであれば、開戦の返答と受け取りますぞ、女王」ヴェイナードが言った。

 

「まって! 待ってください」女王が再び前に出る。「ヴェイナード王。レオニアは、古くから自治を守ってきました。アルメキアの全盛期も、他国に支配されることなく営んできたのです。私たちは、争いは好みません。しかし、ノルガルドの国情は理解しているつもりです。ヴェイナード王。レオニアは、決してノルガルドを攻撃しません。約束します。ですから、どうか私たちを、そっとしておいてください」

 

 いまにも擦り切れてしまいそうな小さな声ではあるが、女王はしっかりとヴェイナード王を見据え、最後まで言い切った。

 

 だが、白狼王は女王の言葉を鼻で笑う。「予はふたつの内どちらかを選べと言ったのだ。他の解答は無い」

 

「そんな……お願いします、ヴェイナード王。どうか……お願いします」

 

 女王は、泣きそうな声と共に、深く頭を下げる。

 

「判った。では、開戦ということでよろしいか」容赦のない言葉を浴びせるヴェイナード。「手始めに、この城を貰い受けるぞ」

 

 パテルヌスが顔を真っ赤にして言う。「ふざけるな! 我が国の領地を、貴様らなどに好きにさせるものか!!」

 

 アスミットは女王を後ろに下げた。「後は我らが対応しますゆえ、女王はどうか、お下がりください」

 

「逃げられはせぬぞ、女王」ヴェイナードが不敵な笑みを浮かべた。

 

「どういう意味だ?」

 

 アスミットが眉をひそめた時。

 

 バタン! と、勢いよくドアが開いて、キルーフが入って来た。「おい、アスミット! ノルガルドの大軍が、この城に向かってきているぞ!」

 

「なに!?」

 

 慌てて会議室の窓を開けるアスミット。北の方角、城壁の数百メートル向こう側に、ノルガルドの旗を掲げた軍隊が並んでいた。こちらに向かって来る。その数、ざっと見ても五万。

 

 ――ばかな!? これほどの兵、いつの間に動かした!?

 

 アスミットは今回の会見に備え、徹底的に情報の収集と備えを行っていた。ノルガルドに密偵を忍ばせ、国境からの道中にも監視兵を配置している。ノルガルドが兵を動かせば、すぐに知らせが来るはずだ。

 

 アスミットは、ヴェイナードを睨みつけた。

 

 不敵に笑う白狼王。「ネズミどもなら、全て始末したぞ」

 

 心の中で舌打ちをするアスミット。どうやら私も、まだまだ詰めが甘かったようだ。

 

 だが、これで終わりではない。

 

 アスミットは、部下の女騎士・シャーリンを呼んだ。白狼王に聞こえぬよう、小声で話す。「シャーリン。あの程度の兵なら、任せて大丈夫だな?」

 

「もちろんです」

 

 静かだが自信に満ちた声で答えるシャーリン。現在この城には三万の兵が駐屯している。ノルガルドの兵と倍近い差があるが、国境近くであるこのダマス城の護りは堅い。二万程度の兵力差ならば、十分対応できるだろう。

 

 問題は、女王である。

 

 女王は窓の外に集うノルガルドの兵を見て、口元を押さえて絶句している。その身体は恐怖に震え、顔はみるみる血の気を失って行く。このままではまずい。

 

「女王。特別に、もう一度返答を訊こう」ヴェイナードがとどめを刺そうとしていた。「我が国の属国となるか、このまま戦をするか。さあ、どちらを選ぶ?」

 

「てめぇ……」

 

 キルーフが殺気を放つ。それに呼応するかのように、ヴェイナードの後ろに控えていた騎士も殺気を放った。

 

 肌を斬り裂かれるような空気が、部屋を包む。

 

「安心しろ、女王」ヴェイナードが、思いがけない優しい声を出した。「属国となることを選べば、この城にいる全員の命は保障しよう。予に従うなら、レオニアは予の国も同然。そなたらはノルガルドの民だ。予は、理由もなく民を虐げたりはしない」

 

「ふざけるな! てめぇなんかの好きにさせるかよ!!」キルーフが声を上げる。

 

 ヴェイナードは無視して女王を睨みつけた。「しかし、属国を拒めばそなたらは予の敵だ。予は、敵には容赦せぬぞ」

 

 アスミットは、冷静に状況を判断しようとていた。この場で戦いになったとしても、女王を護ることは可能だ。王同士の会見である故、どちらも武器は持っていない。それは、事前に厳重に確認をしている。素手でも侮れぬ相手ではあるが、こちらとて、武力で負けるつもりはない。

 

 だが、問題は、女王がヴェイナード王の問いに、どう答えるかである。

 

 形ばかりの女王にすぎないが、それでも、この国の全ての決定権は女王にある。彼女が脅しに屈し、降伏すれば、女王に仕える身としては従わぬわけにはいかないのだ。この場は一刻も早く女王を安全な場所に避難させなければ。アスミットは、キルーフに女王を避難させるよう命令しようとした。

 

 しかし、その前に。

 

「……判りました」

 

 女王が、蚊の鳴くような声を出した。まずい。降伏するつもりだ。

 

「女王! お待ちを!」

 

 アスミットが止めるよりも早く。

 

「……レオニアは、ノルガルドと戦います!!」

 

 女王の表情は一変し、その華奢な身体からは想像もつかないほどのしっかりとした声で、言い切った。

 

 その場にいる誰もが、驚きで言葉を失う。キルーフも、パテルヌスも、ヴェイナードさえも。

 

 アスミットも驚きを隠せない。あらゆる状況を想定して今回の会見に挑んだが、女王がそのような決断を下し、ヴェイナードの前ではっきりと宣言するなど、夢にも思わなかった。

 

 女王は、力強い目でヴェイナードを見て、そして、力強い口調で続ける。「ヴェイナード王。私たちは、ただ静かに暮らしていたいだけ。朝は日の出とともに目を覚まし、子供たちは陽が暮れるまで元気に遊び、大人たちは笑顔で働き、三食きちんと食事をして、夜は静かに眠る……そんなささやかな生活を、私たちは続けてきました。これからも、ずっと続けていたいのです。それ以上のことは何も望んでいません。今のささやか生活が、何にも勝る幸せだと、国民の全てが知っているからです。それを! あなたが武力で奪おうと言うのならば、私たちは戦います! 私たちのささやかな幸せを踏みにじると言うのならば、私たちは戦います!! ですが、ヴェイナード王。決して忘れないでください。私は、あなたを決して許しません。我が国を戦に巻き込んだあなたを。私たちから幸せを奪おうとするあなたを! 私は決して許しません!!」

 

 ヴェイナードは挑発するように顎を挙げた。「ほほう。女王は、命が惜しくないと見える。ならば、遠慮なくいただくとしよう」

 

 一歩前に出た。

 

 女王をかばうように立つキルーフとアスミット。

 

 だが、女王は二人を押しのけ、ヴェイナードの前に立った。

 

 女王の声は震えている。目には涙をいっぱいに溜めている。言葉とは違い、恐怖は隠せていない。

 

 しかし、それでも。

 

 震える身体を鼓舞し、涙を溜めた目で白狼を見据え。

 

「私を殺したいならそうすればいい! 私が死んでもレオニアは生き続けます! あなたの思い通りにはさせません!!」

 

 決意を込めて、言った。

 

 室内を、静寂が包む。

 

 女王の決意の言葉に、誰も声を発することができない。

 

 だが、やがて。

 

「……良い覚悟だ、女王。だが、言葉だけで国を護れぬぞ!」

 

 白狼の殺気が強くなった。さらに前に出る。いかん! アスミットとキルーフが白狼に襲い掛かろうとした。

 

 しかし。

 

「待て! ヴェイナード!!」

 

 後ろでじっとヴェイナードと女王のやり取りを聞いていたブランガーネが叫んだ。

 

 ヴェイナードの足が止まる。それを見て、アスミット達も止まった。

 

 ヴェイナードが振り返った。「……何でしょうか、姫」

 

 だが、ブランガーネはヴェイナードを無視するかのように、会議室の窓に向かって歩く。

 

 そして、窓の外の兵に向かって。

 

「全軍!! すみやかにハンバー城まで撤退せよ!!」

 

 空の彼方まで届くかのような声で命令した。

 

 常に冷静な態度で臨んでいたヴェイナードの表情が、初めて歪んだ。「姫! 何を!」

 

「あれはハンバー城に駐屯させていた妾の兵だ。妾が何を命令しようが、勝手であろう」

 

 窓の外を見るアスミット。ブランガーネの命令を受けた兵は、北へと下がっていく。本当に撤退するようである。

 

「姫……何をしたか判っているのか!?」

 

 ヴェイナードの言葉を無視し、ブランガーネは女王を見た。「リオネッセであったな。なかなか面白いものを見せてもらったぞ。白狼の脅しに屈せぬ姿、見事であった。その勇気に免じて、此度は兵を退いてやる。撤退中も、レオニアの民には決して手出しさせぬゆえ、安心せよ」

 

「ブランガーネ様……」

 

「だが、勘違いするなよ。そなたがノルガルドからの宣戦を受け入れたことに変わりは無い。このまま城を落としても構わぬのだが、妾は、このような騙し討ちのような真似は好まぬ。いずれ戦場で会えば、正々堂々戦い、妾自らそなたの首を取って見せるゆえ、覚悟しておれ」

 

「…………」

 

「帰るぞ!」

 

 護衛の騎士に言って、ブランガーネは部屋を出た。騎士たちは顔を見合わせた後、ヴェイナードの視線を避けるようにして、ブランガーネの後を追った。

 

「ふん……困った姫だ。まあよい」

 

 一人残されたヴェイナードだが、その表情にはまだ余裕があった。「姫の我がままに助けられたな、女王。此度は予も退こう」

 

 ヴェイナードは踵を返し、部屋から出ようとした。

 

 しかし、その前にキルーフが立つ。「待てよ。てめぇ、このまま黙って帰すと思ってるのか?」

 

 強烈な殺気と共にヴェイナード王を睨むが、白狼は涼しい顔だ。

 

「よせ、キルーフ」アスミットが止めた。「無駄な騒ぎは起こすな。今は、女王の安全だけを考えろ」

 

「――――」

 

 キルーフはしばらくヴェイナード王の前に立ち塞がっていたが、やがて身を引いた。

 

 ヴェイナードが扉を開けた。

 

 だが、部屋からは出ず、女王を振り返る。

 

「ひとつ、忠告をしておこう」

 

 それまで自信に満ち溢れて、常にこちらを見下していたヴェイナード王の目が変わった。闘争心に溢れる獣のような目。戦に臨む者の目。その目の奥に、わずかな陰りが混じったことに、アスミットは気付いた。その理由までは判らない。

 

 ヴェイナードは続けた。「先ほどは見事な演説を聞かせてもらった。だが女王。これだけは忘れるな。貴様らがずっと続けていたというささやかな生活を、どんなに望んでも手に入れることができぬ者たちが、このフォルセナ大陸には数多くいるのだ。貴様らの生活が当たり前にあるものだと思わぬことだな」

 

「――――」

 

「では女王。次は戦場で会おう」

 

 ヴェイナードは、靴音を響かせながら去って行った。

 

「……くああぁぁ!! 腹立つ!!」キルーフが、怒りに溢れる声を上げる。「あんにゃろう、次会った時は、絶対にぶん殴ってやる! なあ! リオネッセ」

 

 パチン、と拳を手のひらに叩きつけ、女王を見るキルーフ。

 

 だが、女王の目はキルーフではなく、ヴェイナードが去った扉に向けられたままだ。

 

「……あたしたちの生活は……当たり前ではない……」

 

 うわ言のようにつぶやく。

 

「……リオネッセ?」キルーフが、女王の顔を覗き込んだ。

 

「え? あ、ううん。なんでもない」女王は首を振った。

 

 キルーフは笑顔になった。「しっかし、さっきは驚いたぜ。まさかお前が、あんな啖呵を切るなんてよ。よっぽど腹が立ったんだな?」

 

「……えっと……あたし、なんだか夢中で……あ……」

 

 女王が膝から崩れ落ちた。

 

 床に倒れそうなところを、なんとかキルーフが支えた。「おい、大丈夫か!?」

 

「ごめんなさい……あたし……あんなこと言ったの……初めてだったから……」

 

「……村でもケンカなんかしたことなかったもんな、お前」

 

 アスミットも女王を支えた。「キルーフ。女王を寝室へ」

 

「おう」

 

 キルーフは女王を背負った。

 

「シャーリン。お前も、女王に付き添っていろ」

 

 アスミットの言葉に頷くと、シャーリンとキルーフは女王と共に部屋を出た。

 

「ほっほっほ。なんとも驚かされたのう」政務補佐官のパテルヌスが、嬉しそうに笑った。「まさか女王が、あの白狼相手に一歩も引かぬとは」

 

「全くです」アスミットも同意する。「女王の代わりに我らで対応しようと考えておりましたが、その必要はありませんでしたな。何もできず、恥ずかしい限りです」

 

「ほほう。『パーフェクトマン』のそなたにも、今日の女王は想定外であったか」

 

「はい。ですが、嬉しい誤算です。正直私は、リオネッセ様がレオニアの王で大丈夫なのか、今のフォルセナの戦乱を乗り切れるのか、不安でありました。しかし、あの様子ならば、大丈夫でしょう。もちろん、我らがしっかりと支える必要がありますが」

 

「ほっほ。これからも気が抜けぬぞい」

 

 二人はしばらく笑い合った。

 

「――しかし」パテルヌスの顔から笑顔が消える。「ノルガルドの内部は、我らの予想以上に混乱しているのかもしれぬな」

 

 アスミットも表情を引き締める。「はい。まさか、あの場でヴェイナード王の命令を無視して、ブランガーネ姫が兵を退くとは、思いませんでした」

 

 ヴェイナードの即位後、新王や軍師グイングラインを中心とした新興勢力のヴェイナード派と、前王の娘や重臣たちを中心としたドレミディッヅ派に分かれ、激しく対立しているという話は、アスミット達の耳にも入っていた。しかし、打倒エストレガレス、そして、大陸制覇の野望の元に、それなりに足並みを揃えるものと見ていた。あの様子では、対立はアスミットの予想以上に深刻で、ともすれば、致命的な内部分裂に発展する可能性もある。

 

「……どうやら、我らにも十分勝ち目がありそうじゃな」

 

 勝利を確信したかのような表情のパテルヌス。

 

「そう考えるのはまだ早計でしょうが、まあ、負けるつもりはありませぬ」

 

 アスミットも、今回の会見で確かな自信を得ていた。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年三月下。

 

 

 

 

 

 

 レオニア領ダマスにて、レオニア女王リオネッセとノルガルド王ヴェイナードが会見。ヴェイナード王は、レオニアにノルガルドの属国となることを要求するも、女王はこれを拒否。結果的に、ノルガルドの宣戦布告をレオニアが受け入れる形となった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 ブランガーネ 聖王暦二一五年三月下 ノルガルド/ハンバー城付近

 レオニア女王リオネッセとの会見を終え、ノルガルド領ハンバー城へと帰還するヴェイナード王とブランガーネの部隊。国境を超え、ノルガルド領に入ったところで、ブランガーネは隊列を離れ、先頭を進むヴェイナードの隊列まで馬を進めた。

 

「――おい、白狸(しろだぬき)

 

 ブランガーネの呼びかけに、隊列の中央で白馬に乗るヴェイナードが振り返る。「これはブランガーネ姫。白狸とは、何のことです?」

 

「フン。くだらぬ企みに妾を巻き込みおって。貴様など白狼王ではなく、白狸王で十分だ」

 

「たとえ狸でも私のことを王と認めていただけるなら大きな一歩です、姫」

 

「ふざけるな! 妾はまだそなたを王などと認めてはおらぬ! それより、レオニア女王の前で妾にあのような芝居をさせて、一体何が目的だと訊いておるのだ!!」

 

 先ほど、レオニア領のダマス城にて、ノルガルド王ヴェイナードと、レオニア王リオネッセの会見が行われた。ヴェイナードは兵五万でダマス城に迫り、レオニアに属国となることを要求したが、リオネッセはこれを強く拒否。その姿を見たブランガーネは独断で兵を退却させたが、これは、事前にヴェイナードが立てた計画を実行したにすぎなかった。

 

「すばらしい演技でしたよ、姫」ヴェイナードは、小さく笑いながら言う。「いっそ、舞台女優を目指してみては? 私の部下に、昔、舞台で歌を歌っていた者がおりますゆえ、ご紹介しましょう」

 

「愚弄する気か、貴様! 妾は武人であるぞ!!」

 

「フ……冗談ですよ。姫の名演技のおかげで、レオニアとの戦は、我らの思惑通り進みそうです」

 

「あのくだらぬ演技と戦がどう関係あると言うのだ? あれでは、我がノルガルドが一枚岩でないことを、ヤツらに教えたようなものではないか」

 

「そう思うのならば私に対する反抗心を少し抑えて頂ければ良いのですよ、姫」

 

「それはできぬ相談だな。ノルガルドは独裁国家ではない。王に意見することは認められている――そなたを王と認めているわけではないぞ」

 

「いちいちおっしゃらずとも判っておりますよ」ヴェイナードは小さくため息をついた後、続けた。「あの芝居は、種を撒いたのです」

 

「種を撒いた?」

 

「はい。レオニアという国を手に入れるための種です。今は種ですが、やがて成長し、我らに勝利を実らせることでしょう」

 

「訳の判らぬことを……まさか貴様、あの芝居で、レオニアが我らに対して油断するとでも言うのか? そんな小さなことのために、妾にくだらぬ芝居をさせたのか?」

 

「まあ、油断させるのも目的のひとつではありますが、撒いたのは、もっと大きな種です」

 

 言わずものがなという口調で話すヴェイナードだが、ブランガーネには、白狼が何を言おうとしているのか判らない。

 

「貴様とここで禅問答をするつもりはない。さっさと話せ」

 

「簡単なことですよ。姫の名演技のおかげで、レオニアの女王は、姫に対しての敵対心が和らいでいるはずです」

 

「――なに?」

 

「レオニア女王があのような大口をたたくのは正直予想外でしたが、それでも、あの者は、まだまだ戦の経験など無いただの小娘。今頃、姫とは戦いたくない、などと、甘えたことを考えているでしょう。女王の心に迷いがあれば、付け入る隙もあるというものです」

 

「フン。あやつならあり得る話だが、そのような策を講ずとも、妾の部隊は決して負けはせぬ。何にしても、くだらぬ考えだな」

 

「ですから、種なのですよ」

 

「何だと?」

 

「姫のおっしゃる通り、今はまだくだらぬ策にすぎません。しかし、やがてその種が実れば、我らは最短の時間と、最少の被害で、レオニアを手にすることができましょう」

 

「――――」

 

「もちろん、種が実るかどうかは私にもまだ判りません。もし実らなければ、その時は、姫の武力とやらに期待しております」

 

「……結局意味が判らぬが、まあ良い。貴様が何を企もうと、妾には関係ない。レオニアは、妾の力で落として見せる! ヴェイナード。そなたには、武勇のなんたるかを教えてやろう」

 

「それは楽しみです、姫。しかし、我が指示には従っていただきます。武人たる者、決められた作戦を忠実に遂行するのは、最も重要なことですからな」

 

「いちいち言われるまでも無い。命令には従う。だが、それは武人としての心構えだからだ。貴様を王とは認めた訳ではないぞ!」

 

 不敵な笑みを浮かべるヴェイナードを残し、ブランガーネは隊列を離れた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 アルスター 聖王暦二一五年二月下 イスカリオ/王都カエルセント

 聖王暦二一五年二月下。アルメキア王国軍総帥・ゼメキスがクーデターを起こし、エストレガレス帝国の樹立を宣言したことは、フォルセナ大陸に大きな衝撃を与えた。周辺各国は今後の展開を見据え、ある国は徹底抗戦の構えを見せ、ある国は隣国と同盟を結び、ある国はこれを好機とばかりに挙兵し、ある国は自国の護りを固めた。いずれも、自国と他国の状況を見極め、慎重に行動を始めていた。

 

 そんな中。

 

 大陸南方に位置する国・イスカリオでは、慎重とは程遠い、他国の者には決して理解できないであろう行動を起こそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 ゼメキスクーデターの一報を受けた政務補佐官のアルスターは、大急ぎで王の元へ向かっていた。大陸全土を揺るがしかねない大きな事件だ。少しでも対応を誤れば、イスカリオという国はすぐに滅んでしまうだろう。今この国は、ただでさえ崩壊しようとしているのに、まったく頭の痛い限りである。

 

 政務室のドアをノックし、返事も待たず中に入る。「陛下! 大変なことが起こりましたぞ!!」

 

 部屋の奥に事務机があり、そのそばに、国王の私兵であるイリアという女騎士と、自称・宮廷魔術師のキャムデンという男がいた。王の姿は無い――と、思いきや、事務机の横のベッドに横になって寝ていた。なぜ政務を行う部屋にベッドがあるのか、という疑問は、このイスカリオでは考えるだけ無駄だ。

 

「ん~? なんだ~? 昼寝中に、騒がしいぞ」

 

 イスカリオ国王・ドリストは、目をこすりながらのっそりと身を起こした。

 

「お昼寝などしている場合ではありません! アルメキアで、クーデターが発生したとのことです!」

 

 アルスターの知らせに、王は急に表情を引き締めた。キャムデンも驚きの表情だ。ただ一人、イリアだけが、表情ひとつ変えず直立している。

 

「……それで?」王が続きを促す。

 

「クーデターの主犯は、アルメキア王国軍総帥のゼメキスにございます! ゼメキスは、アルメキア軍や王宮の警備兵の大半を味方につけ、国王ヘンギストを殺害。クーデターは成功し、ゼメキスは、自らを皇帝と称し、エストレガレス帝国の樹立を宣言しております!!」

 

 王がベッドから立ち上がった。「何だと!? ゼメキスのクーデターが、成功したって言うのか!?」

 

 そのままアルスターの胸ぐらをつかみ、激しく揺さぶる。

 

「へ……陛下……苦しいです……お放し下さい……」

 

 アルスターは息をつまらせながら訴えるが、王はやめない。

 

「アルスター! その情報は、間違いないんだなぁ!? もし間違いだったら、ただではおかんぞ!!」

 

「は……はい! 間違いはございません!!」

 

 王はアルスターを投げ捨てるように放すと、悔しそうに奥歯を噛みしめた。「くそう! ゼメキスのヤツめ! とんでもないことをしてくれたぜ!」

 

 アルスターはせき込みながら立ち上がった。「陛下……これは……非常事態です……慎重に対応いたしませんと……」

 

「判ってる!! おい、キャムデン! 今すぐバイデマギスたちを呼べ!!」

 

「は! かしこまりました!!」

 

 王に命じられたキャムデンは、すぐに部屋を出て行き、しばらくして、三人の男を連れて戻ってきた。巨漢の男と、顔に道化師のようなペイントをした男と、ちょび髭のさえない男である。一見するとそうは見えないが、三人とも、イスカリオでは腕利きの騎士である。

 

「お呼びですか? お頭」

 

 まるで山賊の一味であるかのような口調で、大男が言った。

 

「さっきアルスターからとんでもない知らせがあった」王は重苦しい口調で語る。「アルメキアでゼメキスがクーデターを起こし、成功したそうだ……」

 

「……え? と、言うことは……」

 

「ああ。お前たちの思っている通りだ」王は、頭を抱えたて黙り込んだ。

 

 ごくり、と、息を飲むアルスター。事態は深刻だ。王は、腕利きの騎士を集め、これからどう行動するのだろう? 緊張が部屋を包む。

 

「……つまりな……」王が顔を上げた。「この賭けは……お前たちの勝ちだ!!」

 

 王の言葉と共に、三人の騎士は一斉に歓声を上げた。

 

 ……はい? 賭け?

 

 状況が理解できないアルスターをよそに、王はイリアに命じる。「おいイリア! 金を持って来い!!」

 

「はい、陛下」

 

 イリアは静かに返事をすると、政務室の奥から大きな宝箱を三つ持ってきた。中には大量の金貨が入っていて、三人の騎士は、おお! と、声を上げた。

 

 アルスターは、恐る恐る訊ねた。「……へ……陛下。これは何です? 賭けとは、一体何のことですか?」

 

「ああん? 賭けだよ賭け。ゼメキスがクーデターを起こし、成功するかどうか、コイツらと賭けてたんだ。くそう! ゼメキスめ! まさかクーデターを成功させるとはな!! おかげでこっちは、三千万ゴールドの大損だ!」

 

「陛下! このような時に賭け事など……三千万ですと!?」

 

「ああ? そうだ。コイツらみんな、大穴狙いでゼメキスに賭けたんだよ! 一人一千万、合計三千万の負けだ! チクショウ!!」

 

 王はさらっと言ったが、三千万ゴールドという額は、イスカリオの民の平均年収の約十倍である。

 

「陛下! そのようなお金をどこから……まさか、また造幣局の者に命令して、勝手にお金を造らせたのではありませんでしょうね?」

 

「ああん? 造らせたら、なんだ? オレ様はこの国の王だぞ? 誰になにを命令しようが、オレ様の自由だろうが?」

 

「何度も申し上げておりますが、国で一年に作るお金の量は決まっているのです! それを超えてバンバン造ると、インフレと申しまして、国の物価が上昇し――ぐえっ!!」

 

 カエルを踏み潰したような悲鳴。王のつま先が、アルスターのみぞおちに喰い込んでいた。

 

「ごちゃごちゃとうるせぇんだよ、てめぇは!! インフレだか何だか知らねぇが、このオレ様には関係ないんだよ!!」

 

 激しくせき込みながら倒れるアルスター。ああ、こんな方が王で、これから我がイスカリオは大丈夫なのだろうか……。

 

 

 

 

 

 

 イスカリオは、フォルセナ大陸の中でも最も異質な国である。国王ドリストは、自国の民からも他国の者からも『狂王』と呼ばれ、その身勝手で独善的なやり方で恐れられ、同時に呆れられていた。政治などには無関心で、毎日部下たちと遊びほうけており、今回のように王の権限を利用して独断でお金を造らせることなど、日常茶飯事である。イスカリオはいわゆる独裁国家であり、王の命令は絶対だ。逆らおうものなら、王の一言で首が飛ぶことになりかねない。政務補佐官のアルスターにとって(もっとも、国王曰く、アルスターの役職は『奴隷』であるが)、胃が痛い毎日が続いていた。

 

 独裁国家と聞くとあまり良い印象を持たないかもしれないが、王が優秀な場合は、国がうまく運ぶことが多い。王が絶対的な権力を持っているので、国の方針が決まりやすいのだ。逆に、北のノルガルドのように、王に反抗する勢力があると、国の方針が決まらず、時として迷走することもある。独裁国家は、決して悪い面ばかりではない。

 

 しかし、王が優秀でない独裁国家の未来は暗い。残念ながらこのイスカリオは後者だ。

 

 一年前、このようなことがあった。

 

 王宮の騎士が使う武具が古くなったので、会議を行い(独裁国家とは言え、会議くらいはある)、新たに剣や槍や斧などの武具を、百本ずつ補充することとなった。さっそくアルスターは計画書をまとめ、王に提出した。この国の最終的な決定権は王にあるため、どんな些細なことでも王に報告し、王自らが行わなければならないのだ。

 

 半年後、王宮に、剣や槍などが、各一万本ずつ納品された。

 

 予定を大きく上回るどころの騒ぎではない数である。慌ててアルスターが武器商人に確認すると、確かにその数で注文を受けているとのことだった。どうやら、王がゼロの数を二つほど間違えて注文したらしい。一体どうやったらゼロを二つも間違えるのかは謎だが、武器商人も半年間必死の思いで武具を生産したのだろうから、今さらキャンセルする訳にもいかない。結果、予算を大幅にオーバーし、武器庫には大量の武具が溢れることとなった。

 

 ちなみに、この時の支払いも、王が造幣局に命じて造らせたお金だ。何かあるたびに王はお金を勝手に作るので、アルスターの心配通り、イスカリオの物価はこの一年で二倍近く跳ね上がっている。

 

 また、こんなこともあった。

 

 これも一年ほど前の話ではあるが、王が突然、魔法を習いたいと言い始めたのだ。魔法とは、大地から溢れる『マナ』という特別な力を体内に蓄え、炎を燃やしたり、傷を癒したりする技術である。どちらかと言えば頭が良い人が習う技術であり、どちらかと言えば頭が良くない王が習うようなものではない。どう考えても王に魔法の才能があるとは思えなかったが、従わなければ死刑だ。そこで、自称宮廷魔術師(本来の役職はアルスターと同じく奴隷)のキャムデンが中心となって魔術師のチームが組まれ、王に魔法を教えた。しかし、予想通り王にその才能は無く、ごく簡単な魔法しか取得することができなかった。これに機嫌を悪くした王は、今後一年イスカリオで魔法を使うことを禁じる法を制定した。魔法は戦いに使われることが多いが、火をおこしたり傷を癒したりといったものは、人々の日々の生活にも浸透している。これらが禁じられ、人々は一年もの間、不自由な生活を強いられた。もちろん、この法律に文句を言おうものなら即死刑である。

 

 このように、王の身勝手で独善的なやり方から、国の未来は極めて暗く、政務補佐官兼奴隷のアルスターは、頭と胃と全身が痛い日々を送っていた。

 

 

 

 

 

 

「……それで、ゼメキスがクーデターを成功させて、どうなった?」

 

 騎士三人に賭けの負け金を払ったドリスト王は、事務机の上にどさりと腰を下ろし、腕を組んだ。

 

「……は、はい……ええと」アルスターはお腹を押さえながら立ち上がり、報告書をめくった。「アルメキア王ヘンギスト様は殺害されましたが、王太子のランス様はゼメキスの手を逃れ、城外に逃れた、とあります。現在は行方不明ですが、西へ向かったとの目撃情報もあります」

 

「西か。そうなると、パドストーに逃げ込むつもりだろうな」

 

「さすがでございます陛下! 見事な推理です!」王の言葉に、宮廷魔術師兼奴隷のキャムデンが揉み手をする。「パドストーは代々アルメキアに忠誠を誓っておりましたからな。コール王がランス王子を迎え入れれば、エストレガレスとパドストーとの全面戦争になるやもしれませぬぞ!」

 

「ふうむ。そうなると、北のノルガルドも、ここぞとばかりに挙兵するであろうな」

 

「いやはや、このキャムデン! 感服いたしました! 陛下のおっしゃる通りでございます! ノルガルドは、常に大陸南への侵攻を狙っており、現在王位に就いているヴェイナード王は、野心家で知られていますからな」

 

 満面の笑顔で王をヨイショするキャムデン。キャムデンは、事あるごとに王に媚びへつらう男だ。見え透いたお世辞ばかりだが、王もまんざらでもない様子なので、困ったものである。

 

「これは、大陸全土を巻き込んだ大きな戦争になるな」王の顔が、新しい遊びを思いついた子供のような笑顔になる。「クックック……面白いことになって来たではないか」

 

 いやな予感がするアルスター。「陛下……おもしろいこととは、どういう意味でしょうか?」

 

「大陸中の王が国を賭けて勝負するんだろ? こんなに面白いことがあるか? ん~?」

 

「陛下! 戦は賭け事ではありませんぞ!」

 

「似たようなもんだろうが! 楽しくなって来たぜ。おいアルスター! 全軍に招集をかけろ!」

 

「まさか陛下! こちらから攻め込むつもりなのですか!?」

 

「ああん? 当然だろ!! ケンカは先手必勝! 乗り遅れたら負けだ!」

 

「お待ちください! 戦争はケンカではありませぬ! 仕掛けるにしても、それなりの準備というものが必要です」

 

「たわけぇ!! 準備なんざ知るかぁ! オレ様にはこの『ルインサイス』があれば十分だぜ!!」

 

 王は、机の下から二メートル近い長さの大鎌を取り出した。ドリスト愛用の武器で、敵の首をひとつ斬り落とすごとに斬れ味を増し、さらなる獲物を求め戦場をさ迷うようになる呪われた武器、と、王が設定しているだけのただの大鎌である。もっとも、この鎌を使った戦闘において、王はメチャクチャに強く、国の騎士が束になってもかなわないから恐ろしい。これは設定ではなく、本当の事である。

 

 王は狭い部屋でぶんぶんと鎌を振り回した。「オレ様好みの時代になって来たではないかぁ。今こそ他国の三下騎士どもに、オレ様の強さ、見せつけてやるぜぇ!!」

 

「落ち着いてください! 陛下!」アルスターは首を刈られないように地べたに這いつくばる。「戦争は避けられぬかもしれませぬが、慎重に行動してください! 場合によっては、他国と同盟を結ぶことも必要です――ぐはぁ!」

 

 地面に這いつくばっているアルスターを、王が踏みつけた。「てめぇは、このオレ様に、他国の王に頭を下げて一緒に戦ってくださいとお願いしろというのか!? ああん!? 他の国など知るか! オレ様は、オレ様の力だけで、大陸全土を手に入れてやるぜ!!」

 

「その通りでございます! 陛下!!」さっそくヨイショするキャムデン。「他国の王など陛下の足元にも及びません。皆、陛下の鎌捌きを見たら、震えあがって足元にひれ伏するでしょう」

 

 本来ならばキャムデンはアルスターと一緒に王の暴走を止めなければならない立場なのだが、本人はそのことを理解していない。と、言うより、どうも王と一緒になって面白がっているフシがある。

 

「ようし! そうと決まれば、さっそく行くぜぇ!! まずは、どの国から攻めてやるか! ウデが鳴るぜぇ。なぁ! イリア」

 

「はい、陛下」

 

 ノリノリの王に対し、極めて無感情な返事を返すイリア。この人も、王を止める気はない。と、言っても、キャムデンと違い面白がっているわけではなく、極めて王の命に忠実なのだ。

 

 やはり、王の暴走を止めるのは自分しかいない! アルスターは決意と共に立ち上がる。

 

「陛下! お願いでございます! 戦をするのであれば、せめて準備を!!」

 

「ああん? 準備だと? まだそんなこと言ってるのか、貴様は!!」

 

「もちろんですとも! 陛下の強さは疑いませんが、戦争は、一人で行うものではありません。兵や兵糧を十分準備し、作戦を練り、勝てる見込みを高めてから行いましょう! 二ヶ月……いえ、一ヶ月の猶予をくだされば、このアルスター、必ず陛下に勝利を捧げるだけの準備をして見せます!!」

 

「何度も言わすんじゃねぇ! 準備なんざ、この俺様には必要ねぇ!!」

 

「その通りでございます! 陛下!!」相変わらず止める気の無いキャムデン。「作戦などというものは、弱い者の考えることでございます。陛下には、必要ございませんとも」

 

「当たり前だ! ようし。さっそく行くぜ~」

 

 ドリストは、イリアを連れて部屋を出ようとした。

 

 だが、その直前。

 

「ああ、陛下、少々お待ちを」

 

 キャムデンが、何かを思い出したように、ぽん、っと、手を叩いた。

 

「ああん? 何だぁ?」キャムデンを睨む王。

 

「出撃は結構ですが、例のアレは、どういたしましょう?」

 

「んん? アレ?」

 

「ほら。アレですよ、アレ。一年ほど前に仰ったではありませんか。ええっと……」キャムデンは懐から手帳を取り出し、パラパラとめくった。「ああ、ありました。陛下がご提案されました、『第一回天下一超人魔界統一オリンピック武闘会トーナメント』です。こちらは、来週開催の予定ですぞ?」

 

「おお! アレか! すっかり忘れていたぜ!」

 

 ずいぶんとセンスの無い大会名だが、確かに一年ほど前、陛下が言ったような気がする。いつもの気まぐれから出たことだとアルスターは思っていたが、まさか、ちゃんと準備が進んでいたとは。

 

 キャムデンは手帳を見ながら言う。「優勝賞金一千万、参加するだけで五万ゴールドの賞金がございますからな。国の内外から、ウデに自信のある者が集っております。その数は、すでに十万人を超えたとか」

 

 賞金が一千万で、参加だけで五万の賞金!? 耳を疑うアルスター。そんなに賞金を出せば当然人は集まるだろうが、よりによって十万人も!? と、いうことは、賞金総額は五十億を超えるではないか! そんなお金、一体どこから出すつもりだ。

 

 アルスターの心配をよそに、王は満足そうに頷く。「そうかそうか。十万なら、まあまあ集まった方だな。んっふっふ~。この大会は、ずっと楽しみにしてたのだ。中止にするわけにはいかんなぁ」

 

「ふむ。では、来週の『第一回天下一超人魔界統一オリンピック武闘会トーナメント』には参加されるということで」キャムデンは手帳にさらさらとメモをし、さらにページをめくった。「ええっと……再来週には、『第五百四十八回全国美味いもの大食い選手権』も開催されますが、こちらはいかがいたしましょうか?」

 

「おおっと! そうだった! それは毎年の恒例行事だからな! 中止にするわけにはいかんぞ」

 

「はい。すでに大会で使用する予定の米や麦などの食糧が、合計四万トン集まっておりますからな」

 

 四万トン!? そんなに集めて、一体誰が食べるんだ!?

 

 王も怪訝そうな表情になった。「四万トンだぁ? アホかてめぇは? 誰がそんなに食うんだよ。四百キロの間違いだろ」

 

「しかし、一年前陛下の作成した発注書には、確かに、合計四万トンとなっておりましたぞ?」

 

 キャムデンは懐から発注書の写しを取り出した。確かに、米や麦など、会わせて四万トンの注文となっており、しっかりと王のサインがある。

 

 発注書の内容を確認した王だが、なんの悪びれた様子も無い。「……んん? そうか。なら、ちょいと数を間違えたんだな」

 

 だから! どうやったら四百と四万を、その上キロとトンの単位を間違えるんだ!! それのどこがちょいとなんだ!!

 

「まあ、間違いは誰にでもありますからな。仕方ないでしょう」とキャムデン。「しかし、四万トンは少しばかり多いですな。どういたしましょう? 農家や米屋や麦屋も、この一年、生産に励み、あるいはよその国から買い付けたりして、必死に準備したんでしょうから、今さらキャンセルというワケにはいきませぬぞ?」

 

「フン。そんなモン、オレ様の知ったこっちゃねぇが……まあ、オレ様は食べ物を粗末にするヤツを許せん性質(タチ)だからな。大会の参加者全員に言っとけ! オレ様が恵んでやる食べ物を残したヤツは即刻死刑だ! 四万トンの食糧、最後の米の一粒まで感謝しながら食えとな!!」

 

 それでは誰も参加しないではないだろうか? そうなると、大量の食糧だけが余ることになる。まあ、参加者があったところで、四万トンの食糧など、一日で食べつくせるものではない。どちらにしても、また無駄な出費が。

 

「では、『第五百四十八回全国美味いもの大食い選手権』にも参加されるということで」キャムデンは手帳にメモし、さらにページをめくった。「その次の週も、さらにその次の週も、陛下が楽しみにされていたイベントが控えておりますな。これは、戦争などしている場合ではございませんぞ?」

 

「ふうむ。なら、仕方ない。おいアルスター! 出撃は一旦中止だ! だが、一ヶ月後には必ず始めるから、それまでに、てめぇの言う準備とやらをしておけ!!」

 

 お尻を蹴られ、アルスターは部屋から追い出された。

 

 お尻をさすりながら引き上げるアルスター。やれやれ。出撃を思いとどまってくれたのは良かったが、戦争など始めて、本当にこの国は大丈夫なのだろうか。思わず陛下には「一ヶ月で準備をする」などと言ってしまったが、現実的に考えて、そんな短期間で十分な準備ができるはずもない。開戦するためには、兵はもちろん、武具、食糧、魔法に使用するマナなど、準備すべき物が沢山ある。幸い、現在国内のマナは非常に豊富だ。一年前に陛下が気まぐれに発令した魔法使用禁止令があったから、この一年、国内で魔法はほとんど使用されていないのだ。魔法に必要なマナは、石油やガスといった天然資源と同じで、蓄えておくことができるものなのだ。戦争ができるだけの十分な量があるだろう。次は兵の確保だが、今から志願兵を募ったところで、大した人数になるとは思えない。来週、なんとか武闘会とやらが開催され、十万人の強者が集まっているらしいから、そこで志願兵を集めてみるか。後は、兵が使う武具と、食糧の確保……やることは沢山だ。陛下も、よくこんな状態で戦争を始めようなどと言ったものだ。本来ならば、一年前には準備を始めておかなければならないだろう。ああ。本当に、陛下の気まぐれと無計画さには呆れる。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 アデリシア 聖王暦二一五年五月上 西アルメキア/キャメルフォード

 西アルメキアとエストレガレス帝国の国境付近にある城塞都市・キャメルフォード。旧パドストー時代、交通の要所として発展してきた街だ。王都カルメリーの北東に位置し、東方面には、旧アルメキアの都市エオルジアやオークニーへと続く街道が伸びている。さらに、北方面の街道を進めばノルガルド、南方面への街道を進めばカーレオンへと通じているため、国境を行き来する商人や旅人達で常ににぎわっている街だ。

 

 だがそれは、戦争が始まるまでの話である。開戦後、同盟国カーレオン以外の国境は封鎖され、商人や旅人の足は途絶えた。街は、かつてのにぎわいを失いつつある。

 

 いや、正確には、にぎわい自体が無くなったわけではない。この街を訪れる人は、むしろ以前よりも多くなっている。ただ、集まる目的が変わっただけだ。

 

 街の中央には、都市防衛の要所である城が建てられている。その屋上で、旧パドストーの女騎士・アデリシアは、眼下に広がる街の様子をぼんやりと眺めていた。西の城門からは、大勢の兵士と、荷車を引く馬が、列をなして次々と入っていた。荷は、王都カルメリーから運ばれてきた武器や食糧などの物資だ。アデリシアは、小さくため息をついた。

 

「――どうしたの? アディ。ため息なんか付いちゃって」

 

 明るい声をかけて来たのは、アデリシアと同じく旧パドストーの騎士で修道女のエフィーリアだった。

 

「エフィー……」一瞬アデリシアは笑顔を浮かべたが、すぐにその表情を曇らせた。そして、城門に連なる兵と荷車の列を指さす。「あれさ」

 

「あれが、どうかしたの?」

 

「いや、別に大したことないんだけどさ……何と言うか、ああいうのを見てると、戦争が始まるんだなって、思って」

 

 その言葉だけで、アデリシアの気持ちを全て悟ったのだろう。エフィーリアは、「……そうね」と、優しく微笑んで、それ以上は何も言わなかった。

 

 二人は黙ったまま、しばらく城下の景色を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 アデリシアは、旧パドストーの名門貴族の娘ながら、パドストー1の槍使いと噂される騎士である。子供の頃から男勝りでお転婆な娘として育った彼女は、名家の娘として恥じないおしとやかで上品な女性に育てようとした両親の反対を押し切り、十四歳の時に、王都カルメリーの騎士訓練学校に入学した。

 

 パドストーを始め、フォルセナ大陸全土で女性の騎士は特別珍しいわけではないが、それでも、六~七割を男性が占める騎士の訓練学校において、アデリシアは、槍術や剣術において常に上位を争う優秀な成績を収めた。卒業後、パドストーの騎士団入ると、そこでも才覚を表し、二十五歳の若さにして、このキャメルフォードを防衛する部隊の隊長を命じられるまでになっていた。

 

 もっとも、それは二ヶ月前までの話である。今月から、キャメルフォードの防衛は別の部隊に代わり、アデリシアよりも上官に当たる者が都市防衛の責任者となった。

 

 と、いうのも。

 

 二ヶ月前、この国は大きく変わってしまったのだ。

 

 東のアルメキアで起こったゼメキスのクーデターにより、王太子ランスは国を追われ、このパドストーに逃げ込んだ。パドストーのコール王はランス王子を保護すると、国の全権をランス王子に譲り、ゼメキス率いるエストレガレス帝国と戦うことを決定したのである。

 

 ゼメキスがクーデターを起こす前、アルメキアとパドストーは事実上同盟状態にあり、お互い侵略される心配は無かった。国境に近い都市とは言え、護りはさほど重要ではない。ここに駐屯している兵は、国境の防衛ではなく、アルメキアが北のノルガルドに侵攻された際、すぐに援軍を送るために準備しているようなものだった。だから、パドストー騎士団においてはまだ中間管理職と言っていい立場のアデリシアが、防衛部隊の隊長を務めていたのだ。

 

 しかし、アルメキアが滅び、エストレガレス帝国との戦争が始まると、この城の持つ意味はがらりと変わってしまった。

 

 ランス王子を保護したパドストー公国は、エストレガレス帝国から真っ先に攻め込まれる可能性が高い。実際、キャメルフォードの北東に位置するエストレガレスの都市オークニーには、皇帝ゼメキスや、腹心のカドールが率いる部隊が集結しているとの情報が入っている。東に位置するエオルジアにも帝国の名のある武将が入っており、キャメルフォードは、いつ攻め込まれてもおかしくない状況だ。

 

 パドストーとしては、絶対にこのキャメルフォードを落とされるわけにはいかない。キャメルフォードの南西には、パドストーの首都・王都カルメリーがある。道中はなだらかな平地が続いており、途中、防衛拠点となるような城は一切無い。キャメルフォードを落とされることは、この国にとって、喉元に剣を突きつけられるようなものなのだ。だから、防衛部隊として、アデリシアよりも上官の部隊が派遣され、物資も大量に運び込まれているのである。

 

 

 

 

 

 

「パドストーは、どうなっちゃうのかな……」

 

 しばらく沈黙が続いた後、アデリシアはぽつりと言った。

 

 エフィーリアがアデリシアを見る。「アディ、今はパドストーじゃなく、西アルメキアよ」

 

「あ、そうだったね。なんだか、慣れなくて」

 

「……そうね。実を言うと、あたしも」エフィーリアは肩をすくめた。

 

 ランス王子がパドストーの全権を握ったことで、この国は、『西アルメキア』と名を変えた。ランス王子にしてみれば、「アルメキアは決して滅びない」という決意の表れなのかもしれないが。

 

「……なんだか、イヤなんだ」

 

 アデリシアは、本音を言った。

 

 エフィーリアは黙って聞いているので、アデリシアは言葉を継ぐ。「戦争が怖いってワケじゃないんだ。あたしはこの国を護る騎士だ。向こうが攻めて来るなら戦う。なんなら、こっちから攻めて行って、あたしの手でゼメキスの首を取ったっていい。でもそれは、あたしが生まれ育ったパドストーという国を護るためだ。あたしは、そのために騎士になったんだから」

 

「……うん」

 

「でも、もうこの国は、パドストーじゃないんだよね」

 

「…………」

 

 エフィーリアは何も言わなかった。肯定しているようでもあり、否定しているようでもある。

 

 アデリシアは続けた。「別に、ランス様やコール王を恨んでるってワケじゃない。国を奪われたランス様の気持ちは判るし、旧アルメキアに忠誠を誓っていたコール王が、ランス様に協力するのは当然のことだよ。コール王の決定なら、あたしは喜んで従う」

 

「……うん」

 

「でも、イヤなんだ。ううん。ホントにイヤってワケじゃない。でも、なんだかスッキリしないんだ。うまく言えないけど……あたしが今まで育ってきたパドストーは、もう無いんだなって考えると……」

 

「……ええ。判るわ」と言って、エフィーリアは遠くを見る「あたしだって、こんな形でここに戻って来たくはなかったもの」

 

 アデリシアとエフィーリアは、王都カルメリーの騎士訓練学校時代からの付き合いだ。騎士とは言っても、剣や槍で戦う者ばかりでなく魔法を専門に使う者もいて、訓練学校では、それら魔法の技術も教えている。修道女を目指していたエフィーリアは、治療や祝福などの魔法を学んでいた。訓練学校卒業後はカルメリー城でコール王に仕えていたが、二年前、王の許可を得て騎士団を退団。故郷の村に戻り、小さな修道院で働いていた。そこで、村人に神の教えを、子供たちに勉強を教えていたのだが、ゼメキスのクーデターに端を発した大陸の動乱を聞きつけ、騎士団に戻ったのである。

 

 二人は、また黙って兵と荷車の列を見つめる。今朝からずっと列は続いており、途切れることは無い。現在この城にはランス王子とコール王の御子息であるメレアガントの部隊が駐屯している。運び込まれている物資の中には、エストレガレスへ攻め込むための物も含まれているだろう。

 

 国のために戦う――その気持ちに迷いはない。

 

 だが、この国はもうパドストーではない。

 

 それが、アデリシアの心に迷いを生じさせていた。

 

 このような気持ちで、あたしは戦えるだろうか? 敵はあまりにも強大だ。隙を見せたら、すぐにやられる。

 

 あたしの命は、もうあたしだけのものではない。騎士団のなかではそれなりの地位を得てしまったあたしは、数千の兵の命を預かる身だ。あたしの迷いは、数千の兵の命を危険に晒すことになる。そして、兵の数で帝国に劣るこの国にとって、数千の兵の損失は大きすぎる。あたしの迷いは、回り回って、この国を脅かすことになりかねないのだ。

 

 それならば、いっそ――。

 

「エフィー。あたし――」

 

 アデリシアが言いかけた時。

 

「――あ! いたいた! おーい! アディ! エフィー!」

 

 屋上のしんみりした空気とはかけ離れた、なんとも陽気な声が響いた。二人が振り返ると。

 

「カルロータ!? あんた、なんでここにいるの?」

 

 てくてくと走って来たのは、アデリシアたちより少し年下の小柄な少女だった。カルメリーの騎士養成学校で魔術を学んでいた少女・カルロータである。

 

「なんで、って、みんなと一緒に戦うためだよ。だって、あたしも、もう騎士だもん」

 

 えっへん、と言わんばかりに胸を張るカルロータ。

 

 アデリシアも、エフィーリアも、カルロータも、養成学校で学んでいたことは異なるが、同じ寮で生活をしていたため、仲が良かった。学校が休みの日などは誰かの部屋に集まり、一日中おしゃべりをしていたものである。その時、カルロータはよく将来の夢を語ったが、「偉大な魔術師になってみんなから崇められたい」という、どうも子供っぽい夢だった。

 

「そっか。カルも、もう一人前の騎士か。大人になったもんだねぇ」しみじみと噛みしめるように言うアデリシア。

 

「みんな揃うのは何年ぶりかしら?」と、エフィーリア。「校外活動では、よくこの三人で組んで、探索に出かけたわよね」

 

 訓練学校では、年に数回、生徒たち数人でチームを組み、街の外で行う校外授業というものがある。何をやるかはそれぞれのチームで決めるが、アデリシアたちは、王都から離れた森や山に出かけ、暗い洞窟を探索したり、村人に悪さをするモンスターを退治したりといった冒険者じみたことをしていた。アデリシアの武術と、エフィーリア・カルロータの魔法は非常にバランスがとれており、多くの埋もれた宝物を見つけ、そして、モンスターを退治してきた。成績は非常に優秀で、その活躍から、三人は『カルメリーの美少女三人衆』と呼ばれていた。

 

「あれ?」と、アデリシアは微笑む。カルロータの耳に、見覚えのある青い宝石のピアスが付けられている。「そのピアス、今も付けてるんだね?」

 

「もちろんですわ」カルロータはピアスを指でピンと弾いた。「あたしの、大事な宝物ですもの」

 

 そのピアスは、課外授業の探索で見つけた物だ。街の古物商人の鑑定によると、古代の魔術師が身に付けていた魔術品だそうである。身に付けると、魔力を高める効果があるらしい。

 

「フフ。変わらないわね、カル」エフィーリアは口元に手を当ててほほ笑んだ。

 

「またこの三人で戦えるなんて、嬉しいですわ。みんなで頑張りましょう」カルロータは両手の拳を握ってぶんぶんと振った。

 

「あ……カル。それなんだけどね……」声のトーンが落ちるアデリシア。

 

「ん? どうかしましたか」カルロータは目を丸くした。

 

「実はね、あたし――」

 

 新たな人の気配がした。階段の方を見ると。

 

「――ランス様!?」

 

 現れたのは、旧アルメキアからこのパドストーに逃れてきた王太子・ランスだった。

 

 アデリシアとエフィーリアは背筋を伸ばし、右手で拳を握って左胸に当てた。旧アルメキアで忠誠を意味する仕草で、かつてアルメキアから独立したパドストーでも行われている。

 

 しかし、ランス王子はアデリシアたちには気付かず、肩を落として歩いていた。なんだか、落ち込んでいるようである。

 

「あらあら、ランス様? 暗い顔して、元気ないですね? 何かあったんですか」カルロータが、ランスの方へ歩く。

 

 それがあまりにも気安い言い方だったので、一瞬アデリシアたちには、カルロータが誰に向かって話しかけているのか判らなかった。しかし、しっかりと「ランス様」と呼んでいるし、その視線も、足も、ランスの方へ向いている。

 

「ああ。カルロータさん」ランスが顔を上げた。「いえ。別に、大したことじゃないんですが……」

 

「悩み事があるんだったら、何でも聞きますわよ? さあ。お姉さんに話してみなさい」胸を張るカルロータ。

 

 エフィーリアがものすごい勢いで走っていって、後ろからカルロータの頭を思いっきりひっぱたいた。普段はおしとやかで聖女のような女性と周囲から言われているエフィーリアだが、ときどきこういった暴力的な面が顔を出す。アデリシアはこれを「化け猫をかぶっている」と評している。

 

「いったいなー。何すんのさ」カルロータは後頭部をさすり、不服そうな目を向けた。

 

 エフィーリアはカルロータの頭を手で押さえ、無理矢理下げさせた。自分も深く頭を下げる。「申し訳ありません! ランス様! この子が、とんだ失礼な態度を!!」

 

 まるで悪戯をした子供の代わりに謝る母親のようだ。現在コール王から国の全権をゆだねられているランスは、事実上この国の王様だ。カルロータの態度にエフィーリアが焦るのも無理はない。

 

 ランスは両手を振った。「いえ。失礼だなんて、とんでもない。私は、いっこうに構いませんよ」

 

「しかし、ランス様はアルメキアの王太子にして、現在はこの国を治める方」

 

「やめてください。私は、そんな立派な人間ではありません」恥ずかしそうに笑うランス。「コール王から国を任されましたが、それは、あくまでも仮の話です。実際の私は、この国に居候させてもらっている身なので、そんなに気を使わないでください」

 

 カルロータがエフィーリアの手を払いのけた。「ほら、ランス様もこう言ってるんですから」

 

「カルロータさんは、カルメリーからここに来るまでの道中、仲良くなったんですよ。この国では、まだまだ判らないことが多いのですが、いろいろと教えてもらい、助かっています」

 

 ほらね? と、得意げな顔をするカルロータ。

 

 カルロータがランスを見た。「それで、ランス様。何をうじうじ悩んでるんです?」

 

「本当に大したことではないんですけど、さっき、ゲライントに怒られてしまいまして」

 

 ゲライントは、旧アルメキア時代からランスの教育係をしている騎士である。

 

「あらあら。怒られたくらいでそんなにしょげるなんて、ランス様もまだまだ子供ですわねぇ」

 

 お姉さんぶって笑うカルロータ。アデリシアは、エフィーリアを背後から羽交い絞めにするのに必死だった。

 

 当のランスは、カルロータの態度など気にした風もなく続ける。「怒られたことは気にしていないのですが、怒られた理由が問題なんです」

 

「と、言いますと?」

 

「はい。私は、このお城に入った後、すぐにエストレガレス帝国に攻め込むものだと思っていました。私としては、一日でも早く、祖国を奪還したいですからね。しかし、ゲライントは、まずはゴルレに向かうと言うのです」

 

 ゴルレは、このキャメルフォードの北に位置する城で、北の大国ノルガルドとの国境を護る拠点だ。

 

「そのことで、ゲライントと、ちょっとした言い合いになったんです」とランスは続けた。「ゲライントも、気持ちは私と同じだと思っていましたからね。『ゲライントは、祖国を奪還したくはないのか? 父上や母上の仇を討ちたくはないのか?』と、かなり感傷的になってしまいました。そうしたら、ゲライントはこう言ったんです。『自分たちの国の事よりも、まずはこの国のことをお考えください。ただでさえエストレガレスの宣戦布告で混乱しているのに、我々のような余所者が突然やって来て、王位に就いてしまった。この国の民、特に、パドストーに仕えていた騎士たちの胸には、大きな不安があるでしょう。そのような状態では、とても戦争などできませぬ。まず我々がすべきことは、共に戦うパドストー騎士たちに会い、彼らの不安を取り除くこと。アルメキアの奪還は、その後です』、と」

 

「――――」

 

 アデリシアとエフィーリアは、いつの間にか、静かにランスの話を聞いていた。それは、今まさに、アデリシアたちの胸の中にある不安だ。

 

 ランスはさらに続ける。「ゲライントにそう言われ、私も、その通りだと思いました。私は、自分だけの復讐心に囚われ、そんな簡単なことにも気付けなかった。将来国を治める者として、本当に、恥ずかしい限りです」

 

 ランスは、自嘲気味に笑った。

 

「――なーんだ。そんなことで落ち込んでたんですか。そんなの、気にしちゃダメですよ」

 

「――――?」

 

 首を傾けるランスと、カルロータをひっぱたこうとするエフィーリアと、それを止めるアデリシアをよそに、カルロータは続ける。「そうだ。じゃあ、ランス様には、君主様に必要な、三つの言葉をさしあげましょう」

 

「三つの言葉?」

 

「はい。『めげるな、しょげるな、落ち込むな』、です」

 

 目を丸くするランスを気にせず、カルロータは指を立てながら言う。「ひとつ『めげるな』。君主たる者、どんなに辛いことがあっても、めげてはいけません。ふたつ『しょげるな』。君主たる者、どんなことを言われても、しょげてはいけません。みっつ『落ち込むな』。君主たる者、どんな時でも落ち込まず、前を向いて進まなければなりません」

 

 アデリシアは呆れ声で言う。「カル……それ、全部おんなじじゃないか」

 

「え? 同じじゃありませんよ! 全部、大切な言葉です!」

 

 両手をぶんぶん振るカルロータ。その姿がおかしかったのか、ランスの顔に笑顔が浮かんだ。

 

「ありがとうございます、カルロータさん。『めげるな、しょげるな、落ち込むな』とても大切なことだと思います」

 

 ランスの言葉を聞いて、カルロータは「ほらね?」と言わんばかりのドヤ顔になった。

 

「カルロータさん、アデリシアさん、エフィーリアさん」ランスの表情が引き締まった。「このたびは、私のような流浪の身を迎えて頂き、感謝しております」

 

「え? あ、いや、あたしたちは、そんな――」

 

「いろいろと思うところはあるでしょうが、フォルセナ大陸は今、動乱の時代を迎えようとしています。どうか、この私に力をお貸しください。そしてこの国と、大陸全土を、正しい方向へ導きましょう」

 

「――――」

 

 アデリシアは。

 

「――もちろんです、ランス様」

 

 右の拳を左胸に当て、そう応えた。

 

 エフィーリアも、カルロータも、それにならう。

 

「――ありがとうございます」

 

 ランスは深く頭を下げ、そして、階段を下りて行った。

 

「立派な方だね、ランス様って」アデリシアは、心からそう言った。「あたし、ちょっと誤解してたかも」

 

 そうね、とエフィーリアはほほ笑んだ。

 

「それにしても――」と、エフィーリアはカルロータを睨む。「カル! あなた、ランス様になんて失礼な口を利くの!! あの方は、私たちの王様に当たる方なんですよ!?」

 

「え~? いいじゃん別に。ランス様も良いって言ってるんだし」

 

「そういう問題じゃないだろ」と、アデリシアも言う。「例え向こうが良いって言ったって、騎士たる者、君主様には礼を尽くすのが――」

 

 と、アデリシアが騎士の心得を説こうとした時。

 

「アデリシア!! アデリシアはいるか!?」

 

 屋上に怒声が響き渡る。どうやら、また誰か来たようだ。

 

 その声を聞いたエフィーリアとカルロータは、背筋ピンと伸ばし、右の拳を左胸に当てた。階段を上がってやって来たのは、コール王の息子・メレアガントだった。ランスと同じく、今日の朝からこの城に入っている。

 

 メレアガントはアデリシアの姿を見つけると、大股で向かって来る。「アデリシア! 貴様、俺の部屋の準備はどうした!!」

 

「あん? 部屋の準備?」アデリシアは腕を組み、顎を上げる。「ちゃんとしてるだろ? 一階の、一番奥だよ」

 

「ふざけるな! あれが俺の部屋だと? 小さな机と簡易ベッドがあるだけ、あれでは牢獄ではないか!! ちゃんとした部屋を用意しておくよう、事前に手紙で伝えただろう!」

 

 アデリシアは、「けっ」と吐き捨てるように笑い、そして続けた。「パパに買ってもらったふかふかの布団じゃなきゃ眠れないって言うんなら、とっとと家に帰りな! ここは戦の最前線だ。ボンボンが親の権威振りかざして威張れる場所じゃないんだよ!」

 

 エフィーリアがものすごい勢いで走って来て、背後からアデリシアの頭をひっぱたいた。

 

「申し訳ございません! メレアガント様! この()が、とんだ粗相を!!」アデリシアの頭を押さえつけ、一緒に頭を下げる。

 

 顔から湯気が出そうなほど怒っていたメレアガントだが、ふいに真顔になる「――ん? エフィーリアか? 久しぶりだな。確か、故郷の修道院で働いていると聞いたが、戻って来たのか?」

 

 エフィーリアは頭を上げた。「はい。国の一大事と聞き、少しでもお力になれればと思いまして」

 

「そうか。君がいるなら心強い。よろしく頼むぞ」

 

「はい! ありがとうございます」再び頭を下げるエフィーリア。

 

 アデリシアは頭を押さえつけるエフィーリアの手を払いのけ、メレアガントを睨む。「――なーにが、『君がいるなら心強い』だよ、気持ち悪い。そんな恥ずかしい台詞、よく言えるな」

 

 エフィーリアがまたひっぱたこうとするのを、アデリシアはサイドステップでかわした。

 

 メレアガントは「ふん」と、鼻を鳴らし、アデリシアを見た。「久しぶり会うから少しはおとなしくなっているかと思ったが、相変わらず礼儀を知らんようだな、貴様は。俺はこの国の時期王にして、今はキャメルフォード防衛部隊の隊長。貴様の主君であり上官だぞ!」

 

「はん。あたしは、親の権威を振りかざして威張るしか能の無いヤツを、主君だ上官だと崇める気はないね。礼を尽くせと言うなら、それに値する人間になりな!」

 

「口の減らぬヤツめ……まあいい。貴様との決着はまだついていないからな。いい機会だ。この戦で、俺の本当の実力を見せてやる」

 

「それは楽しみだねぇ。まあ、泣きながらパパの所に帰るのがオチだろうけどさ」

 

 アデリシアとメレアガントは奥歯を噛みしめながらしばらく睨み合っていたが、やがてメレアガントが踵を返し、階下へ下りて行った。

 

 エフィーリアが大きくため息をついた。「アディ……あなたは、メレアガント様に向かってあんな失礼の口の利き方を……カルロータのことを悪く言えないわよ?」

 

「んー? 別にいいじゃん。アイツとは、訓練学校時代から、ずっとあんな感じだったし」

 

 メレアガントもまた、同じ騎士訓練学校出身だ。アデリシアと同じく剣術や槍術を学び、互いに上位を争う程の成績だった。その頃から今のようなケンカが日常茶飯事で、訓練学校では名物風景だった。

 

 アデリシアは両手を組んで頭の後ろに回した。「アイツも、もうちょっと他人を労わる気持ちを持たなきゃ、王様なんてとても務まらないと思うけどねぇ。今回のキャメルフォード防衛部隊の隊長だって、実質、補佐官のブルッサム様がやるようなもんだろ? じゃなきゃ、誰があんなボンボンに、大事な防衛拠点の隊長を任せるもんか」

 

 エフィーリアは両手を腰に当てた。「確かに彼は、親の力を自分の権威と勘違いしたボンボンで、『君と一緒なら心強い』なんて寒いセリフを平気で言うようなイタい男で、庶民を見下すことしかできない器の小さな人間だけど、それでも、コール王の御子息には変わりないの。この国に仕える騎士なら、胸の内で唾を吐きかけても、本人の前では礼を尽くすフリをする。それが、大人の対応というものよ?」

 

 後ろで、カルロータが呆れ顔になった。「エフィー……あなたが一番失礼ですわよ?」

 

「違いない」

 

 アデリシアが笑い、続いてカルロータが笑う。不服そうな顔のエフィーリアも、二人につられて笑った。

 

 アデリシアは、両手を挙げて大きく伸びをした。「あーあ。なんかあたし、悩んでるのがバカらしくなってきたよ」

 

 首を傾けるエフィーリアに、アデリシアは続ける。「エフィー。あたし、もう迷うのはやめるよ。この国の名前は変わっちゃったけど、あたしも、エフィーも、カルも、昔と何も変わってない。そして、みんなも変わらない。この国の本質は、何も変わらないんだね。だったら、それを護るため戦うのに、何も迷う必要は無いよ」

 

「……ええ、そうね」

 

 エフィーリアは、笑顔で頷いた。

 

「……なんの話ですの?」

 

 首を傾けるカルロータに、「何でもないよ」と言って、アデリシアはさらに言う。「ようし! そうと決まれば、『カルメリーの美少女三人衆』の力、大陸中に響かせてやろうじゃないか!」

 

 うーん、と、エフィーリアが唸った。「いくらなんでも、この歳で『美少女』は、無理がないかしら? さすがに、そこは変えた方がいいかも」

 

 カルロータが同意する。「そうですわね。では、これからは大陸中に名を響かせることも考慮して……『アルメキア美女三人衆』ということで」

 

「お? いいじゃないか。じゃあ、それで行こう」アデリシアは言った。

 

「『美しい』というのは、変えないのね」呆れ気味のエフィーリア。

 

「そうですわね。そこは、どんなに時が流れても変わらないですわ」

 

 カルロータの言葉に、三人は一緒になって笑った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 ヴェイナード 聖王暦二一五年四月上 ノルガルド/大都フログエル

 フログエル城の政務室で、ノルガルド王・ヴェイナードは、各地から寄せられる報告書に目を通していた。毎日、多くの報告が寄せられるものの、その内容に大きな変化はない。それは、戦がこう着状態に入っていることを意味していた。

 

 開戦早々エストレガレス帝国からジュークス城の奪還に成功したノルガルドだったが、その後の戦局は芳しくなかった。ジュークス城の南に位置する帝国領のリドニー要塞は、大河の中州に位置する難攻不落の城だ。現在のノルガルドの兵力では、正面から攻め落とすことは極めて困難である。そして、もうひとつの帝国国境付近にあるオークニー城には、皇帝ゼメキスや腹心カドールをはじめとした大部隊が集結しているため、こちらもうかつに手が出せない。

 

 ノルガルドの西の国境は西アルメキアと接している。開戦早々に南の魔導大国カーレオンと同盟を結んだ西アルメキアは背後の護りを気にしなくていいため、戦力を、帝国との国境付近の城・キャメルフォードと、ノルガルドとの国境付近の城・ゴルレの二点に集中させている。

 

 ヴェイナード達は、現在ノルガルドと西アルメキアの兵力を、ノルガルドを一〇〇として西アルメキアは八〇であると分析している。総合的な戦力差は優位であるが、国境の四城を護る必要があるノルガルドと、二城を護るだけの西アルメキアでは、どうしてもノルガルドが不利だった。よって、西アルメキア方面にもうかつに手出しできない。

 

 残るは、東のレオニア方面だ。

 

 神託によって国王を選ぶなど、フォルセナ大陸でも特殊な国・レオニア。先日、ヴェイナードは、前王・ドレミディッヅの娘ブランガーネ姫を連れ、レオニア女王・リオネッセと会見をした。ヴェイナードはレオニアに属国となることを要求したが、女王はこれを拒否。ノルガルドとレオニアは開戦となった。

 

 ヴェイナード達は、レオニアの兵力を七〇と分析している。こちらは十分に勝ち目のある兵力差だが、レオニアは宗教国家であるため、国民全体に自守独立の気風が強く、こと他国からの侵攻に対しては軍略家も予想できない力を発揮する可能性がある。実際、フォルセナ大陸の歴史の中で、レオニアはアルメキアなどの大国からの侵略を次々と退け、独立を守ってきたのだ。決して甘く見てはいけない。

 

 そこで、先日の会見で、ヴェイナードはある『種』を撒いた。

 

 その種が実れば、ノルガルドは、最短の時間と最少の被害で、レオニア全土を手にすることができる――そういった作戦であるが、種が実るかどうかは五分五分だ。今は、見守るしかない。

 

 よって、ノルガルドは現在、兵を動かすことができない状態にあるのだ。

 

 もちろん、戦況を何もせず見ているという訳ではない。レオニアに施した策は遂行中であるし、帝国や西アルメキアに対しても、隙あらばいつでも攻め込めるよう準備を進めている。今は、好機を待つ時期なのだ。それは、ヴェイナードにも判っている。

 

 しかし、判っていても、焦る気持ちを抑えることは難しい。

 

 寒冷地であるノルガルドでは、食糧という面に憂いがある。現状、持久戦は極めて不利なのだ。この憂いを解消するためには、一刻も早く、肥沃な大地が広がる南へ侵攻する必要がある。

 

 待たなければいけない戦況と、待つことができない国情。焦りは判断を鈍らせるが、落ち着いてもいられない。どうすればいい。今、他に施せる策は無いのか。戦局がこう着してから半月。ヴェイナードは、全ての報告書に目を通し、持てる知識を尽くして新たな戦略を練ろうとしているが、有効な一手は浮かばない。

 

 ドアがノックされた。入るよう命じると、軍師のグイングラインが、右拳を左掌で握って頭を下げた。

 

「どうした? グイン。何か、他国に動きがあったか?」わずかな期待を込めて訊くヴェイナード。

 

「いえ、戦況に変化はございません」グインは答える。「在野の騎士が、陛下にお目通りを申し出ております」

 

「……ほう」ヴェイナードは腕を組む。「わざわざ俺に話を持ってくるからには、それなりの相手なのだな?」

 

「もちろんです。お会いする価値はございます」

 

「面白い。会おう」

 

 ヴェイナードは席を立った。

 

 在野の騎士とは、主君を持たす、各地を放浪したり、一般市民として生活している騎士のことである。主君を持たない理由はさまざまだ。仕えていた主君を見限った者や、いまだ仕えるべき主君に出会えぬ者、自分が騎士であることに気付かず生活している者も居る。

 

 一年前のアルメキアとの講和以降、戦力増強のため、ヴェイナード達はこうした在野の騎士を募っていた。中には現職の騎士に負けぬほどの能力を持った騎士もおり、ノルガルド軍内でそれなりの地位を与えている者もいる。当然、素性も知れぬ者を登用することに反発する者も少なくはない。主に、前王ドレミディッヅ時代から仕えていた騎士だ。昨日今日騎士になった者など信用がおけぬ、最悪、敵国の放った密偵の可能性もある、というのだ。もちろん、ヴェイナードもその危険性は承知している。しかし、このフォルセナ大陸において、自分の仕えるべき主君を求めて各国を渡り歩くのは、決して珍しいことではない。ある国では騎士として全く芽が出なかったが、別の国で名のある将になる者も少なくはないのだ。在野の騎士の登用は、どこの国も積極的に行っている。

 

 そして、ゼメキスのクーデター以降、こうした在野の騎士は大幅に増えるであろうと、ヴェイナードは見ていた。その騎士をいかに自分の陣営に囲い込むか。それも、この戦争を有利に進める重要な鍵となるはずだ。

 

 謁見の間の高座に上がるヴェイナード。脇にはノルガルドの重臣が控えている。そして、低座には、右の拳を左の掌で包んで跪く男の姿があった。ノルガルドにおいて忠誠を表す仕草だが、腕や頭の角度にわずかなぎこちなさを感じる。ノルガルド出身の者ではないだろう。服装も、寒冷地のノルガルドではあまり見られない薄手のものだ。

 

 ヴェイナードは王座に座る。面を上げよ、と言うと、男はまっすぐにヴェイナードを見据え、そして、名乗った。

 

「アルメキアより参りました、モルホルトと申します」

 

 その名を聞いて、室内は騒然となった。特に、前王ドレミディッヅ時代の重臣には、顔にあからさまな敵意を浮かべる者もいた。

 

 ヴェイナードも驚きを隠せない。だがそれは、やがて胸の高鳴りにも似た感情へと変わる。

 

 アルメキアのモルホルト――ノルガルドの軍に属している者で、その名を知らぬ者はいないだろう。旧アルメキア軍において、五本の指に入るほど名の知れた軍略家である。あのゼメキスでさえ、この男の立てた作戦に従って動いていたとも言われている。それはつまり、前王ドレミディッヅ時代、ノルガルド軍がさんざん苦汁を飲まされた相手であるとも言えた。

 

「――よく来たな、モルホルト殿」ヴェイナードはわずかに笑みを浮かべて言った。「して、エストレガレス帝国でも名高い軍師のそなたが、今日は何用で参ったのかな?」

 

 モルホルトの顔にも、ヴェイナードと同じ笑みが浮かぶ。「――御冗談を。私は、エストレガレス帝国などに仕えてはおりませぬ。私はあくまでも、アルメキアの騎士でございます」

 

「――ほう?」

 

「今日は、ノルガルド王ヴェイナード様に、我が身を使っていただきたく、お願いに参りました」

 

 モルホルトの言葉に、ノルガルドの重臣達はさらに色めきだった。散々ノルガルドを苦しめた男が、この国に仕官しようと言うのである。

 

 モルホルトは続けた。「我が母国アルメキアは、逆賊ゼメキスによって滅ぼされ、同時に、私は唯一の肉親である兄を失いました。その復讐を果たすため、どうか、我が身をこの国に置くことをお許しください」

 

「復讐を果たしたいと申すか」ヴェイナードは、モルホルトの言葉を吟味するように頷いた。「だが、それならば西アルメキアへ行けばよかろう。ランス王子を擁立したあの国には、旧アルメキアの騎士や兵が集まっておると聞くぞ」

 

「復讐は成し遂げてこそ意味を持つもの。ランス王子では、我が望みを成すことは叶いませぬ」

 

「ほほう」

 

「私もアルメキア時代は名の知れた軍略家であったと自負しております。周辺国の軍事力は、誰よりも正確に把握しておりました。それを吟味した結果、エストレガレス帝国を滅ぼすならばノルガルド以外にはない、と、判断します」

 

「なるほど。良い判断だな。だが、それならば我が国にそなたは必要ない、と判断することもできるぞ? 今の状態でも、帝国を滅ぼすことは可能ということではないか?」

 

「もちろんでございます。しかし、それには時間がかかりましょう。そして、時間の経過はこの国にとって好ましいことではありません」

 

「――――」

 

 沈黙するヴェイナード。この男は、ノルガルドの国情をよく理解している。

 

 ヴェイナードの代わりに、重臣の一人が声を上げた。「ええい! 貴様! さっきから黙って聞いておれば何様のつもりだ!! 陛下! このような者の戯言に、耳を傾けてはなりませぬぞ!!」

 

 声を上げたのはロードブルという男だった。前王ドレミディッヅがまだ若いころから仕えている騎士で、それはすなわち、戦場でモルホルトの策に苦しめられてきたということでもある。

 

 ロードブルはモルホルトに向かって積年の恨みを晴らすかのように叫ぶ。「よくもぬけぬけと我が国にやって来たものだ。貴様など、エストレガレスか西アルメキアの密偵に決まっておる! このわしの手で叩き斬って――」

 

 ロードブルは言葉を止めた。ヴェイナードが、「黙れ」と言わんばかりに片手を挙げたからだ。

 

「陛下……何を……」

 

 納得のいかぬ顔のロードブルを無視して、ヴェイナードはモルホルトに向かって言う。「そなたは我が国のことをよく理解しているようだ。さすがはアルメキア屈指の軍略家であるな」

 

「ありがたきお言葉」

 

「しかしモルホルトよ。そなたの軍略家としての才能は認めるが、だからと言って、そなたを我が国に迎え入れることが得策であるとは限らぬ。どのような事情があれ、そなたは、かつて我らの敵であったのだからな」

 

「――――」

 

「ロードブルの言う通り密偵である可能性は否定できぬし、仮にそうでなくとも、信用のおけぬ者がそばにいるというだけで、皆の士気が下がる。士気の低下は戦力の低下だ。それは、避けねばならぬ」

 

「おっしゃる通りにございます。もとより、この流浪の身が初めから信用されるとは思っておりません」

 

「ほう?」

 

「陛下や皆様の信用を頂くため、ひとつの策を持ってまいりました」

 

「策? それはなんだ」

 

 モルホルトは、ヴェイナードを真っ直ぐに見据え、そして、自信に満ちた声で言った。「私に兵五万をお貸しくだされば、オークニー城を落として御覧に入れましょう」

 

 モルホルトの言葉に、謁見の間はどよめいた。

 

 ヴェイナードも驚かずにはいられない。

 

 帝国領であるオークニー城には、現在、ゼメキスと腹心のカドールの部隊が入っている。その兵の数は十五万以上であるとの報告もあり、うかつに手が出せない城だ。そもそも城攻めは防衛側が圧倒的に有利だ。オークニー城はノルガルドと西アルメキアの二国と接している。エストレガレス内でも重要な拠点であり、通常の城よりもはるかに護りは堅い。落とすには、倍近い兵力が必要であろう。

 

 それを、三分の一の兵力で落とせると言うのだろうか? 

 

「ハッタリだ! そのようなことが、できるはずがない!!」怒声を上げたのはロードブルだ。「いや、これは罠だ! 我が国の兵を陥れる帝国の罠に決まっておる!!」

 

 ロードブル以外の重臣からも、同意する声が上がる。「そうだ!」「罠に決まっておる!」「今すぐ首をはねてしまえ!」……様々な声が混じり、室内は、嵐の中のようなどよめきに包まれる。声を上げていないのは、モルホルトと、軍師のグイングラインと、そして、ヴェイナードのみ。

 

 ヴェイナードはモルホルトの目を見る。まっすぐに視線を返すモルホルト。その目は、ハッタリを言っているようにも、罠にかけようとしているようにも見えない。しかし、相手はヴェイナードも認める軍略家である。胸の内を表情で読み取らせるほど愚か者ではないだろう。

 

 ヴェイナードは込み上げる笑いを抑える必死だった。いや、抑えきれない。たまらず、笑い声を上げる。室内が静まった。皆の視線がヴェイナードに集まる。ヴェイナードは笑い続ける。これが笑わずにいられるだろうか? このモルホルトという男は、五万でオークニー城を落とすと言ったのだ。それがハッタリであろうと罠であろうと関係ない。この男は、何を言えば俺が喜ぶかを知っているのだ。それが、たまらなくおかしかった。

 

 ヴェイナードは笑い続けた後、モルホルトを見た。「――よかろう。モルホルトよ、その話、乗ってやる」

 

 グイングラインを除く重臣が異を唱えるが、ヴェイナードは気にせずに続ける。「だがモルホルトよ。その作戦、予も付き合わせてもらうぞ。あのオークニー城を五万で落とす……そのような策があるのならば、ぜひこの目で見ておきたい」

 

「かしこまりました」モルホルトは頭を下げた。

 

「モルホルト、ひとつ忠告しておくが――」と言って、ヴェイナードはさらに続けた。「予は、まだそなたを完全に信用しているわけではない。そなたの話に乗るのは、そなたが何を企もうとも関係ないからだ。例えどんな罠を仕掛けようとも、予には通用せぬ。それだけは、肝に銘じておくがいい」

 

「――心得てございます。もとより、罠などございませぬ。私はゼメキスへの復讐を果たし、そして、ヴェイナード陛下に勝利を捧げるのみ」

 

 モルホルトは、再び右の拳を左の掌で包み、頭を下げた。

 

 その仕草は、最初と違い、ぎこちなさを感じさせないものだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 ランス 聖王暦二一五年六月上 西アルメキア/王都カルメリー

 カルメリー城の中庭にある訓練場で、ランスは一人、剣技の訓練に励んでいた。ランスの目の前には木剣用の打ち込み台がある。地面に刺した長い棹に、胴体と頭部と両手を模したパーツを取り付けただけの簡易的なものだが、ランスの想像力により、それは憎むべき敵へと姿を変える。腰に剣を携え、ランスの身長をはるかに超える巨大なクロスボウを構え、漆黒の鎧に身を包んだ巨体。父と母を殺し、母国アルメキアを奪った逆賊ゼメキス。ランスの持つ両手の木剣も真剣へと変わる。ランスは憎むべき敵に向かって走った。隙だらけの首に向けて、剣を振り下ろす。

 

 しかし。

 

 鞘に収まっていたはずの敵の剣が、閃光のごとき速さで抜かれ、ランスの二本の剣を受け止めた。信じられない速さだった。ランスの剣を、はるかに上回っている。

 

 敵は、不敵な笑みを浮かべる。

 

 ランスは一度間合いを離すと、次の攻撃へと移った。右の剣で敵の肩を狙う。その攻撃も簡単に受け止められる。だが、間髪を入れず、今度は左の剣で、がら空きの脇腹を狙った。敵の剣は一本だ。受け止められるはずはない。しかしその攻撃も、敵は簡単に受け止める。ランスは攻撃の手を緩めない。次は左腕を狙った。次は右腕。足元を狙い、頭を狙い、喉を狙う。自分が持てる限りの力で振るう剣だったが、敵は、まるでどこを攻撃されるのかが判っているかのように、次々と受け止める。ランスの攻撃は、全く敵に届かない。

 

 ――くそ!!

 

 焦りが、剣の精度を下げた。何度目の攻撃か。再び首元を狙った二本の剣が受け止められ、大きく弾かれた。両手に強い衝撃。思わず剣を手放してしまう。地面に膝をついた。敵が剣を振り上げた。殺られる! そう、覚悟した。

 

 その瞬間。

 

 敵は、ただの人の姿を模した打ち込み台へ戻る。地面に転がる剣も木剣へと戻った。

 

 くそ! と、吐き捨てるように言って、拳を地面に叩きつけるランス。また、一太刀も浴びせることができなかった。自分の剣は、まだゼメキスには届かない。あの夜と同じく。

 

 あの夜――ゼメキスがクーデターを起こしたあの日、ランスはゼメキスと対峙し、剣を交えた。ほんの一太刀であったが、それが、ランスの胸の内に大きな傷を残していた。

 

 ――勝てない。

 

 あの夜、ランスの前に立ち塞がったゼメキスは、あまりにも強大な相手だった。同時に、自分はあまりにも卑小な存在だった。訓練を繰り返せば繰り返すほど、それを嫌というほど思い知る。単なる打ち込み台にすら勝てなくなるほどに。

 

 ――このままでは、僕はゼメキスを倒すことはできない。父上と母上の仇を討つことも、国を取り戻すこともできはしない。それどころか、僕を信じて一緒に戦ってくれるパドストーの騎士たちや、この国そのものを危険に晒すことになる。

 

 ランスは立ち上がって木剣を拾い、もう一度構えた。

 

「ランス様。精が出ますな」ランスの教育係で、現在は軍師でもあるゲライントがやって来た。「ですが、あまり根を詰めるのは良くありませぬ。訓練で怪我をしては、意味がありませぬからな」

 

「判ってる。だが、僕はどうしても強くならなければいけない。ゼメキスを倒すことができなければ、父上と母上の仇を取り、国を奪い返すことなど、できはしない」

 

 ランスは木剣を構える。ゼメキスの姿が浮かび上がる。圧倒的な威圧感に、気持ちが萎えてくる。

 

「――でも、ダメなんだ」ランスは弱音を吐くように言った。

 

「王子……」

 

「どんなに訓練しても、ゼメキスを倒すことができない。あの夜と同じく、僕の剣はゼメキスを捉えることができない。こんな、敵を仮想した訓練でさえ勝つことができないんだ。どんなに剣の腕を磨いても、僕は決してゼメキスに勝つことができないんじゃないかって、思えてくる」

 

 それを聞いたゲライントは、ふっと、頬を緩めた。「安心してくださいませ、王子」

 

「安心……? なぜだ?」

 

「想像上の相手に勝つことができぬのは、自分と相手の力量を、正確に推し量ることができているからです。それは、戦いにおいて極めて重要なこと。ゼメキスと対峙したあの夜の、己の力を過信し、相手の力を侮っていた王子と比べたら、大いに成長しております」

 

「そう……だろうか……?」

 

「そうですとも。ですから、焦らずとも大丈夫です。王子は、着実に腕を上げております。さあ、今日はこれくらいにして、広間にお越しください。客人がお見えですぞ」

 

「客? 誰だ」

 

「王子がもう一度会いたいと仰っていた方ですよ」

 

「――――?」

 

 ランスは、ゲライントと共に、広間へ向かった。

 

 広間では、しなやかな長身の女騎士が待っていた。ランスの姿を見ると、女神のようなほほ笑みを浮かべる。「――お久しぶりです、ランス様」

 

 それは、あのクーデターの夜、ランスを殺害しようとするゼメキスの前に立ちはだかり、一歩も引かぬ戦いを見せ、ランス達を城外へと逃がした、あの旅の女騎士だった。

 

「騎士殿!!」ランスは騎士の元に駆け寄った。「心配しておりました! よくぞご無事で!」

 

「はい。なんとか、生き延びることができました」

 

「あの夜、我らが城から脱出することができたのは、騎士殿のおかげです。どうか、名前をお聞かせください」

 

「名乗るほどの者ではありませんが――ハレーと申します」

 

 その名を聞き、ゲライントが「おお、あなたが」と、声を上げた。

 

「ゲライント? 知っているのか?」ランスが訊く。

 

「はい。主君を持たず大陸を旅する腕利きの女騎士がいると、噂に聞いたことがあります。その流れるような槍捌きから『流星のハレー』と呼ばれていると」

 

 ランスはハレーを見た。「流星のハレー……あのゼメキス相手に引けを取らぬ美しい槍捌き。確かに、あなたの名にふさわしい」

 

「とんでもありません。私が世間の噂通りの腕前ならば、あの夜、ゼメキスを討ち漏らすことはありませんでした。我が力の至らなさです。申し訳ありません」

 

 ハレーはランスに向かって頭を下げた。

 

「ああ、そんなことはやめてください」慌てて止めるランス。「あの時あなたがいなければ、私たちは生き延びることはできなかったでしょう。今、私がこの国に落ち延び、国のみんなに支えられ、ゼメキスとまたと戦えるのも、全て、ハレー殿のおかげです。本当に、感謝しています」

 

「ありがたきお言葉にございます」

 

「ハレー殿。すでにご存じの事と思いますが、我が父を殺し、アルメキアを乗っ取ったゼメキスは、自らを皇帝と称し、エストレガレス帝国なる国を樹立しました。あやつは覇道を突き進み、フォルセナ大陸全土を手中に収めるまで戦い続けることでしょう。大陸は、かつてない動乱の時代を迎えようとしています。これを鎮めるためには、一刻も早くゼメキスを討ち、エストレガレス帝国を滅ぼさねばなりません。そのために、ハレー殿。あなたの力、どうか、私にお貸しください」

 

 ランスは期待を込めた眼差しと共に言った。

 

「…………」

 

 ハレーの表情が曇り、顔を伏せるように視線を下に向けた。

 

「ハレー殿?」

 

 怪訝に思うランス。当然、快く応じてくれると思っていた。そのために訪ねて来たのだと思っていたのだが。

 

 ハレーはランスに視線を戻した。「申し訳ありません、ランス王子。私は、共に戦うことはできません」

 

「そんな!? なぜです!? 理由を聞かせてください!」

 

「私には、成すべきことがございます」

 

 ――成すべきこと?

 

 そう言えば、ゼメキスとの戦いの際にも、そのようなことを言っていたように思う。

 

「ハレー殿の成すべきこととは、何なのですか?」

 

「おやめください、王子――」と、ゲライントが止める。「人にはそれぞれの事情がございます。むやみに詮索するものではありませんぞ?」

 

「いえ、良いのです」ハレーが言った。「私は、私から大切な者を奪った仇を追い求め、大陸を渡り歩いております。その仇を討つまでは、主君を頂かぬと誓いました」

 

 仇? 仇を討つために、この戦を放棄すると言うのだろうか?

 

 ランスは、この戦は大陸の動乱を鎮めるためだと信じている。ゼメキスを倒さなければならない。そのために戦うのは、騎士として当然の務めではないのだろうか? 西アルメキアの戦いは、ゼメキスのような私利私欲によるものではない。大陸全土で静かに暮らしていた民たちの生活を取り戻すための戦いだ。騎士でありながらその戦いを放棄し、仇を討つなどという利己的な目的を優先するというのだろうか。それは、騎士失格ではないのか――そう、言おうとしたが。

 

 ――――。

 

 ランスは、その言葉を飲み込んだ。

 

 自分に、そんなことを言う資格はない。自分とて、父と母を殺され、国を奪われた仇を討とうとしており、それに、パドストーという国を巻き込んでいる。大陸に平和をもたらすための戦い――それは、大義名分にすぎないのかもしれない。

 

 人にはそれぞれ進むべき道がある。自分が進む道と、他人が進む道。それが同じであるとは限らない。そして、他人に同じ道を進むことを強要することなど、できはしないのだ。それでは、大陸中を戦乱に巻き込んだゼメキスと、何ら変わりはない。

 

「ランス様?」

 

 ハレーの声に、ランスは顔を上げた。「――判りました。ハレー殿がそうおっしゃるならば、仕方ありません」

 

「ほう?」と、ゲライントが感心したような声を上げた。「わがままを言ってハレー殿を困らせるかと思いましたが、王子も、大人になられましたな」

 

「ゲライント、さっきの稽古の時も思ったが、私をバカにしているだろう?」

 

「めっそうもございません。王子の成長に、喜びをかみしめているのですよ」

 

「やはりバカにしている」ランスは小さく笑った後、もう一度ハレーを見た。「ハレー殿。共に戦えぬのは残念ですが、やむを得ません。一日も早く仇を討てることを祈っています」

 

「ありがとうございます」ハレーは右の拳を握り、左の胸に当てた。「我が宿願を果たした暁には、必ずやランス様の元に参り、共に戦うことを誓います」

 

「はい。楽しみにしています」

 

 ランスも、右拳を握って左胸に当てた。

 

「ところで、ハレー殿」ランスは、最後に問うた。「ハレー殿の追う仇とは、どのような相手なのですか?」

 

「――――」

 

 ハレーの目が一瞬鋭くなった。

 

「あ、いえ、おっしゃりたくなければ良いのですよ」ランスは慌てて言った。

 

「ああ、いえ。そういう訳ではありません」表情が戻るハレー。「私の仇は――魔導士・ブロノイル」

 

「魔導士……ブロノイル……?」

 

 聞き覚えの無い名だった。ハレーほどの腕前の騎士が追う相手ならば、それなりに名が知られている魔導士であろうと思われるが……。ゲライントを見るが、彼も知らないようで、首を振った。

 

「ハレー殿。そのブロノイルとは、どのような魔導士なのです?」

 

 ハレーは小さく首を振った。「実は、私にも名前以外よく判らぬのです。どこの国の魔導士で、いまどこにいるのか、まだ何も判っていません。ただ言えるのは、その男は、突然私の前に現れ、私から、最愛の人を奪った――」

 

 ハレーの目に悲しみが宿ったことに、ランスは気付いた。先ほどゲライントが言った通り、むやみに詮索してはいけないのかもしれない。

 

 ランスは、それ以上訊くのをやめた。「では、私もできる限り、その魔導士について調べてみましょう。何かのお役にたてるかもしれませんから」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「では、ハレー殿。お気をつけて。必ず、またお会いしましょう」

 

 ランスは、右手を差し出した。

 

「ランス殿も、御武運をお祈りしております」

 

 ハレーはランスの右手を握り返す。

 

 そして、再会を誓い合い、

 

 ハレーは旅立っていった。

 

 ――魔導士ブロノイルか。

 

 胸の中で、その名をつぶやいた。あのハレー殿が、主君を持つことを放棄して追い求める相手。いったい、どんな魔導士なのだろう。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 ランス 聖王暦二一五年五月下 西アルメキア/キャメルフォード

 戦の準備は整っていた。

 

 城塞都市キャメルフォードの城門を潜るランス。黄金色の鎧に身を包み、国一番美しいと言われる白馬に跨り、そして、腰には二本の剣を携えている。彼のそばには、このたびの戦で軍師を務めるゲライント。そして、その後ろには、街道を覆い尽くすほどの兵が続いていた。その数、七万。これから各地で別の兵と合流し、敵と刃を交える頃には、その数は十万にまで膨れ上がっているだろう。

 

 先日、斥候部隊から知らせがあった。エストレガレス帝国の西を護る城・オークニーから、敵の大部隊が出撃し、キャメルフォードを目指して進軍しているというのだ。その数、十万。

 

 今から、これを迎え撃つ。

 

 兵力に差はない。だからと言って、互角の戦いだと楽観することはできない。敵は、かつてアルメキアで百戦錬磨を誇ったゼメキスの部隊を中心とした軍隊だ。対して、こちらの総大将であるランスは、これが初陣である。むしろ、勝ち目は薄いかもしれない。

 

 しかし、それでも。

 

 ランスの後ろには、コール老王やメレアガント達、旧パドストー公国の騎士がいる。

 

 そして、ランスのそばには、あのクーデターの夜より――いや、それより以前よりずっとそばで支えてくれた、ゲライントがいる。

 

「ゲライント。お前がそばにいてくれるなら、こんなに心強いことはない」

 

 ランスは、これまでの感謝の気持ちを込めるように言った。

 

 ゲライントは、昔を懐かしむように顔をほころばせた。「よもや、ランス様と共に、このような大きな戦に向かうとは思いませんでした。私も戦場を離れて久しく、どこまでお役にたてるか判りませぬが、必ずや、ランス様に勝利を捧げてみせましょう」

 

 二人を先頭に、兵は足を進める。

 

 遮るもののない一面の平原が、此度の戦場だ。

 

 地平線の彼方に砂煙が上がっている――エストレガレス軍だ。

 

「――旗を掲げよ!!」

 

 ゲライントの号令で、後方の兵たちが何本もの旗を掲げる。旧パドストーの国旗と同時に、アルメキアの国旗も含まれている。

 

 眼前の地平線を覆い尽くすかのごとき数の兵が、姿を見せた。

 

 あそこに、憎き相手ゼメキスはいるのだろうか? 敵将の情報はまだ入っていない。いるかもしれないし。いないかもしれない。

 

 どちらであろうとも関係ない。このまま戦い続ければ、いずれ、出会うことになるだろう。

 

 ――父上、母上。見ていてください。

 

 ランスは右の拳を左胸に当て、空に向かって誓う。

 

 

 

 

 

 

 そして――。

 

 

 

 

 

 

 ランスは、エストレガレス帝国と、対峙した。

 

 

 

 

 

 

     ☆

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年、五月下。

 

 

 

 

 

 

 エストレガレス帝国軍十万がオークニー城より出兵。西アルメキア領キャメルフォードを目指し、進軍した。

 

 これに対し西アルメキアは、ランス王子率いる兵十万で迎え撃つこととなる。

 

 

 

 

 

 

 フォルセナ大陸全土を巻き込む四年間の戦争が、今、幕を上げた――。

 

 

 

 

 

 

 (第一部 終わり)

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部
第十五話 バーリン 聖王暦二一五年四月上 レオニア/聖都ターラ


 レオニアの辺境にある小さな村から聖都ターラにやって来た少女・バーリンは、中央広場にあるフォルス神像の前に立ち、落ち着きなく周囲を見回していた。街のほぼ中央に位置するこの広場は、多くの人が行き交っている。買い物かごを持ち、商店街の方へ向かう者。鎧を着て、城の方へ向かう者。一日の仕事を終えたのか、くたびれた表情で住宅街の方へ向かう者。持ち込んだ台の上に立ち、人々に神の教えを説く者。楽器を奏でて歌い、足を止めた人からお金を集めている者――多くの人が行き交い、あるいは、行き交う人を目当てに訴えかけたり歌ったり。広場は、すぐ側にいる人に話しかけるにも大きな声を出さなければいけないほどの喧騒だ。バーリンの住んでいた村では、お祭りの日でもこれほどの人が集まることは無い。さすがはレオニアの首都である。初めて訪れた都会の様子に気圧されそうだ。人が多いのは苦手だ。本当ならすぐにでも帰りたいのだが、そういう訳にもいかない。わざわざ何日もかけて遠い村からやって来たのだから。彼に会うために。

 

 ドクン、と、心臓が大きく血液を送り出す。

 

 さっきからずっと、心臓のドキドキが止まらない。バーリンは胸に手を当て、落ち着け、落ち着け、と、心の中で呟く。それでも、胸の高鳴りは治まらない。

 

 ――胸の高鳴り?

 

 そんな風に考えた自分が妙に恥ずかしくなり、バーリンはぶんぶんと首を振る。胸の高鳴りなんていうと、まるで恋をしているみたいじゃないか。そんなワケは無い。そう否定しても、じゃあこのドキドキの正体は何なのか? と考えると、今から会う人のことを思い気持ちが高揚している、という結論に至る。それはすなわち、胸の高鳴りに他ならない。

 

「どうした? バーリン? 緊張してるのか?」

 

 そう言ってバーリンの顔を覗き込んだのは、村から一緒にやって来た幼馴染の少年・ガロンワンドだ。

 

「べ……別に、緊張なんか、してないよ」胸の高鳴りを悟られないよう、何でもないフリをするが、スムーズに言葉が出てこなかった。

 

 そんなバーリンの姿を見て、ガロンワンドは小さく笑う。「まあ、気持ちは判るけどな。あいつに会うのも、一年ぶりだもんな」

 

 一年ぶり――そう、彼が故郷の村を出てから、もう一年になる。

 

 一年前、静かな田舎村だったバーリンたちの故郷を揺るがす大事件が起きた。村に住む娘で、バーリンたちの幼馴染であるリオネッセが、レオニアの女王に選ばれたのである。

 

 レオニアは宗教国家であり、神の教えが絶対とされている。王を選ぶのも神託に委ねられ、前王の崩御後、選ばれたのがリオネッセだった。それまで(まつりごと)などには全く縁の無かった娘で、誰がどう考えても王に相応しい人物ではないが、それでも、神のお告げは絶対だ。リオネッセ王宮の者に連れられ村を出て、本当にこの国の女王になった。

 

 もう一人、リオネッセと一緒に村を出た者がいる。これも、バーリンたちの幼馴染であるキルーフだ。

 

 キルーフは、リオネッセが王宮へ旅立つ日、迎えに来た騎士に、「俺も騎士になる」と、仕官を申し出た。無茶な話ではあったが、なんと、この仕官は王宮の者に受け入れられた。恐らく、突然見知らぬ土地に連れていかれ、女王という重責を背負わされるリオネッセへの、せめてもの配慮だったのだろう。キルーフは、その後王宮で騎士としての訓練を経て、今では女王を護衛する任務に就いているらしい。

 

 そんなキルーフと、一年ぶりに会う――バーリンの胸の内には、嬉しいという気持ちがある一方で、不安な気持ちもある。

 

 周囲を見回す。広場を行き交う人の中には、バーリンと同年代の女の娘も少なくは無い。みんな、赤や青や黄色といった、色とりどりの服やアクセサリーで綺麗に着飾っている。まるでパーティーにでも行くような派手な格好だが、どうやら都会ではあれくらいの服装が普通らしい。それに対し、自分の服装はどうだろう? 厚手の布を縫い合わせただけのシャツとズボンに熊の毛皮で作ったベスト。上から下まで茶色一色で、畑仕事か狩りでもするような格好だ。それも仕方がない。彼女の住む村は家と畑と森くらいしかないド田舎で、服やアクセサリーを売っている店など存在しないのだ。バーリン的には、これでもめいっぱいおしゃれをしてきたつもりなのだが、やはり、都会の娘と比べると、どうしても見劣りしてしまう。キルーフは、この一年ですっかり都会の暮らしに染まっているかもしれない。こんな格好、笑われてしまうのではないだろうか?

 

「なあ、ガロン。あたしの格好、変じゃないか? もっと、綺麗な服を着て来た方が良かったかな?」

 

 隣のガロンワンドに訊く。この広場に来て、すでに何度も訊いたことで、その度にガロンは「別に変じゃない」と言ってくれるが、それでもまた訊かずにはいられない。

 

「大丈夫だって。べつに、変じゃないだろ」

 

 ガロンの答えは同じだ。それでも、不安は消えない。

 

 バーリンは、首から提げているペンダントを、ぎゅっと握りしめた。バーリンが唯一身に付けているアクセサリーである。アクセサリーと言っても、淡いブルーの石を革の紐に取り付けた簡素なものだ。石の形はいびつで、輝きも無い。何の石なのかはバーリンも知らないが、恐らく高価な宝石とかではないだろう。それでも、バーリンにとっては世界中のどんな宝物よりも大切な物だった。十年近く前、キルーフからプレゼントされたのだ。まだ十歳にも満たない頃の話で、恐らく川とか山に落ちていたのを拾ったのだろう。彼はそんな話すっかり忘れているかもしれないが、バーリンは、ずっと大切にしてきた。彼女にとってはお守りのようなもので、今日のような大切な日には、いつもこのペンダントを握りしめる。そうすることで、不思議と気持ちが落ち着くのだ。

 

「――おーい! ガロン! バーリン!」

 

 懐かしい声が広場に響く。どくん、と、心臓がさらに大きく脈打った。声のした方を見る。多くの人の中にいても、すぐに見つけることができる。こちらに向かって手を振っている。胸のドキドキはさらに激しくなる。もう、どんなにペンダントを握りしめてもムダだった。

 

「おう! こっちだ、キルーフ!」ガロンワンドが手を振りかえす。

 

 ――あたしも手を振りかえすべきなのかな。でも、そういうのなんか恥ずかしいし。でも、キルーフもガロンもやってるんだし、別に大丈夫だよね。でも……。

 

 どうでもいいことにバーリンが悩んでいる間に、キルーフはやって来た。

 

「久しぶりだな! ガロン!!」がしっ! っと、ガロンワンドの手を握るキルーフ。

 

 ガロンも、キルーフの手を強く握り返している。「1年ぶりだな! お前、なんだかたくましくなったな」

 

「ん? そうか? まあ、毎日毎日訓練させられてるからな」

 

「はは。今や女王の護衛騎士だもんな。村で一番の悪ガキだったお前が、出世したもんだぜ」

 

「うるせぇ。村一番の悪ガキは、お前だろ」

 

 男二人が再会を喜びながらたわいのない話をしている間、バーリンは。

 

 ――えーっと。あたしも、「久しぶり!」って言えばいいのかな。なんだか、ガサツな感じがする。でも、「お久しぶりです」なんて言ってほほ笑むのはガラじゃないし。黙ってるのも無愛想だし。えっと。あたし、村にいた時、キルーフとどんな風に話してたっけ? 一年前も会ってないから、もう忘れちゃった。というか、そういうのって忘れるものなのかな。

 

「バーリンも、久しぶりだな!」

 

 突然声をかけられ、バーリンは。

 

「よ……よう!」

 

 裏返った声で言い、右手を挙げた。あー、もう。そうじゃないだろ。

 

「あん? なに変な声出してんだ?」笑うキルーフ。

 

「べ……別に変な声なんて出してないだろ!」思わず大きな声を出してしまう。

 

「何怒ってんだ。変なヤツだな」キルーフは呆れ顔になった。

 

 ――だから、そうじゃないだろ。あたし、何やってるんだ。久しぶりに会えたんだから、もっと、ちゃんと話さないと。

 

 バーリンはあらためて挨拶をしようとしたが。

 

「しかし、遠いのに、よく来てくれたぜ、ガロン。リオネッセも、喜んでたぜ」

 

 ガロンと話し始めるキルーフ。もうバーリンの方を見ていなかった。一年ぶりの再会は、なんとも微妙な形になってしまった。バーリンは、ガックリと肩を落とした。

 

「リオネッセは、お城か?」ガロンがキルーフに訊いた。

 

「ああ。お前らが来るっていったら、会いたがってたんだけどよ、外出の許可が下りなかったそうだ」

 

「はは。まあ、当然だろうな。あいつも、今やこの国の女王だしな。国の状況を考えたら、外出なんて簡単にできないだろう」

 

 二ヶ月前、アルメキア王国で軍総帥ゼメキスがクーデターを起こし、それをきっかけに、フォルセナ大陸は戦乱の時代に突入した。建国より長らく自治を守ってきたこのレオニアも例外ではなく、先日、北の大国ノルガルドより宣戦布告され、国を守るために戦うことになった。そんな状況だから、一国の王が簡単に外出できるはずもない。

 

 キルーフが頭の後ろで手を組んだ。「はるばる故郷から友達が訪ねて来たんだから、ちょっとくらいいいじゃねぇかと思うんだけどよ、側近に、頭の固いヤツが一人いてな。そいつが、どうしても許してくれないらしい」

 

 ガロンは苦笑いを浮かべた。「外に出るのも誰かの許可が必要ってわけか。女王っていうのも、楽じゃないな」

 

「まったくだ。堅苦しくて、息もできないかと思うぜ。ホントは俺も外出の許可が出てないんだが、こっそり抜け出してやった」

 

「おいおい。女王の護衛が、そんなんでいいのか?」

 

「ちょっとくらい大丈夫だよ。それより、どうする? 飯でも食うか? どこか行きたいところがあるなら、案内してやるぞ?」

 

 嬉しそうな顔のキルーフ。久しぶりの幼馴染との再会を、心から喜んでいるようだ。バーリンも、ガロンワンドも同じ気持ちだ。リオネッセがいないのは残念だが、このままずっとお喋りしていたい気分だった。

 

 だが、そういう訳にはいかない。

 

 ガロンが、「ふふん」と、意味ありげに笑った。

 

「なんだ? ガロン」キルーフが首を傾ける。

 

「実はな、キルーフ。今日来たのは、ただお前に会うためだけじゃないんだ」

 

「ん? 何か、他に用があるのか?」

 

 ガロンはバーリンを見た。「おい、バーリン。教えてやれよ」

 

「へっ!?」急に話を振られ、また声が裏返ってしまうバーリン。

 

「だから、お前は何変な声出してんだ」キルーフはまた呆れ顔になる。

 

「変な声なんか出してない!」

 

「いちいち怒るなよ。それより、何だ? 何があるんだ?」

 

「それはその……なんというか……」どう話していいか判らないバーリンは、助けを求めるようにガロンを見た。「ガロンが言ってくれよ」

 

「いいのか? せっかくのサプライズなのに」

 

「サプライズなんてモノじゃないだろ。いいから、ガロンが言ってくれ」

 

 まごまごしたやり取りを見かねたのか、キルーフが声を上げる。「ああ! もう! 何なんだよ! どっちでもいいから、早く言えよ!」

 

「うるさいな! こっちにだっていろいろと都合があるんだよ! フン! お前みたいなやつには、教えてやらない!」

 

 プイッと、横を向くバーリン。

 

「はぁ? なんでそうなるんだよ。ワケがわからん」

 

 ガロンが笑った。「相変わらず、仲がいいな、お前たちは」

 

「「どこがだよ!」」

 

 バーリンとキルーフ、二人の声がピタリと揃った。そんな二人を見て、ガロンはさらに笑った。

 

 しばらく笑った後で、ガロンは話し始めた。「実はな、キルーフ。俺たちも、お前と一緒に戦おうと思って、仕官しに来たんだ」

 

 キルーフは驚いた顔になる。「仕官? 騎士になりたいのか? ルーンの騎士は、誰にでもなれるもんじゃねぇぞ?」

 

 仕官とは、騎士として国に仕えることであるが、フォルセナ大陸において『騎士』とは、ルーンの騎士のことを指す。ルーンの騎士は、マナという魔法の力を扱える者のことだ。フォルセナ大陸では、大地からマナが湧き出しており、この力を利用して、魔法を使ったり、異世界から魔物を召喚したりすることができる。しかし、マナの力は誰にでも扱えるものではない。それは生まれ持っての素質のようなものであり、素質を持たない者は、どんなに修行してもマナを使うことはできない。だから、キルーフの言う通り、騎士は誰にでもなれるものではなかった。マナの力を使うことができる者は『ルーンの加護を受けた者』と呼ばれる。一年前、キルーフが王宮に仕えることができたのは、この加護があったからだ。ルーンの加護を受けていない者は騎士ではなく兵士である。武術や軍略に優れた者は軍内でもそれなりの地位を得ることはできるが、それでもやはり、騎士は一線を画す存在だった。

 

 キルーフはすまなさそうな口調で続ける。「まあ、お前たちの気持ちはありがたいけどな。ルーンの加護が無ければ、兵士にされるだけだ。戦争が始まるから兵士は募集しているけど、一般兵なんて、戦場でいいように使われて死ぬだけだぜ。やめとけよ」

 

 だが、ガロンは誇らしげに胸を張る。「ふふん。それがな、キルーフ。俺たちも、ルーンの加護があったんだよ!」

 

「なに!?」キルーフは目を丸くする。「えっと、それじゃあ……」

 

「ああ、そうだ。俺たちも、ルーンの騎士になれるんだ! なあ、バーリン!」

 

 ガロンがこちらを見たので、キルーフも「そうなのか?」という表情をバーリンに向けた。バーリンは、「うん、まあ、そうだね」と答えた。最初はガロンの言葉を信じられないような表情だったキルーフだが、少しずつ笑顔になっていった。

 

「そうか! お前たちにもルーンの加護が! やったな!」

 

 キルーフは、ガロンの肩をバンバンと叩いて喜んだ。

 

 ルーンの加護を得るタイミングは人それぞれ異なっている。例えばリオネッセやキルーフは、幼いころから加護があった。ガロンやバーリンのようにある程度大人になって授かる者もいれば、かなり晩年になって授かる者もいる。詳しい理由は判っていないが、ある日突然目覚めるのがルーンの加護だ。

 

 キルーフは嬉しそうに続ける。「ルーンの加護があるのなら話は早い。王宮の連中に紹介してやるよ。今は騎士が不足してるから、大歓迎だろうぜ。ただし、王宮内は規律が厳しくて息がつまるし、騎士の修業は厳しいから、覚悟しとけよ!」

 

「はは。お手柔らかに頼むぜ」ガロンは苦笑いを浮かべた。

 

「バーリンも、よろしくな」

 

 キルーフはバーリンを見て、ぱちっ、っと、片目を閉じて笑った。

 

 バーリンはまた「お……おう!」と、調子の外れた声を出してしまった。キルーフに呆れられ、ガロンに笑われる。さっきから、こんなのばっかりだ。恥ずかしくて、顔から火が出る思いだ。

 

 ――ああ、でも。

 

 キルーフの笑顔を見て思う。来てよかったな、と。

 

 一年前。キルーフとの別れは本当に突然だった。王宮の人がリオネッセを迎えにきたその日、キルーフは突然、「俺も王宮へ行って、騎士になる!」と宣言し、身支度もそこそこに旅立って行ったのだ。別れの言葉さえほとんど無かった。最初は、どうせすぐに帰って来るだろう、と、たかをくくっていた。村で一番短気なキルーフが、王宮の生活に馴染めるはずがない、と。しかし、一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、彼は戻ってこなかった。三ヶ月後、ルーンの騎士になり女王護衛の任に就いた、と、手紙で知らされた時は、絶対にウソだと思った。大言を吐いて村を出た手前、帰って来づらいのだろう。だから、無理しないで村に戻って来てもいいよ、と、返事を書いた。それからも一、二ヶ月に一度のペースで手紙が届いたが、村に帰るといった内容のものは無かった。まさか、本当にルーンの騎士になれたのだろうか? 確かにキルーフは幼いころからルーンの加護があったが、だからといって、彼が本当にルーンの騎士になるとは思ってもいなかった。ルーンの加護があれば騎士になれるのは確かだが、だからと言って、加護があればすぐになれるというものでもない。騎士になるためには厳しい訓練が必要だ。その訓練に、キルーフが耐えられるとは思えなかったのだ。だが、何度手紙をやり取りしても、騎士としてリオネッセを護衛しているから帰ることはできない、という返事しかなかった。どうやら本当に騎士になったようだ。幼馴染として、それは喜ばしい事なのかもしれない。しかしそれは、キルーフはもう村に戻って来ないということを意味していた。

 

 自分もルーンの加護を授かった時は複雑な気持ちだった。騎士になる資格がある――つまり、キルーフと一緒に王宮に仕えることができるかもしれない。それは素直に嬉しい。しかし、自分なんかが騎士になれるのだろうか? という不安は、当然、あった。畑仕事と狩りの経験しかない自分に、騎士の素質があるとは思えない。だが、きっとキルーフも、仕官する前は同じ気持ちだったはずだ。彼だって、騎士になるに前は不安だっただろう。彼は、その不安を乗り越えたのだ。なら、自分にもできるはずだ。バーリンは、同じ時期にルーンの加護を授かったガロンワンドの後押しもあり、仕官を決意した。それが間違いではなかったと、今、キルーフの笑顔を見て思う。

 

 これからよろしくね、キルーフ――そう、言おうとしたが。

 

「――お前らが仕官したと聞いたら、リオネッセのヤツ、スゲー喜ぶと思うぜ!」

 

 そう言ったキルーフの笑顔は、さっきバーリン向けた笑顔よりも、もっと輝いていたから。

 

 バーリンは、思わず口を閉ざしてしまう。

 

 キルーフは、さらに言う。「リオネッセも、いつも気丈に振る舞ってるけど、本当は寂しいんだと思うぜ。ときどき、王宮の屋上で村の方を見てるもんな。王宮にはたくさんの人がいるけど、みんな、リオネッセに対して、女王として接するんだ。まあ、当たり前と言えば当たり前なんだが、そういうの、アイツにとっては余計な気遣いなんだと思うぜ。俺だって、ずっとアイツのそばにいれるわけじゃないし、もっと気楽に話せるヤツがいればいいと、ずっと思ってたんだ。お前たちがいてくれれば安心だ。いいか? リオネッセに変な気を使うんじゃないぞ? あいつは確かに女王だが、俺たちはガキの頃からの付き合いだ。そこは、ずっと変わりない。村にいた時と同じように接した方が、リオネッセも喜ぶ」

 

 リオネッセ、リオネッセ、リオネッセ……キルーフの口から出て来るのは、リオネッセの話ばかりになった。

 

 それを聞いていると。

 

 ――あーあ。やっぱり、来るんじゃなかったかな。

 

 バーリンの胸に、さっきとは逆の気持ちがこみあげてくる。

 

 判っていたことだった。キルーフの心は、常にリオネッセに向けられている。そもそも彼が仕官したのは、ただリオネッセのためだ。リオネッセが一人で王宮に行くことを心配し、彼女のそばにいてずっと護るために騎士になると、村を出る時、みんなの前で宣言している。思えば、子供の頃からずっとそうだった。川で釣りをしていて大物が釣れると、彼は真っ先にリオネッセに持って行く。山で綺麗な花を見つけると、彼は真っ先にリオネッセに持っていく。山で遊んでいて野犬に吠えられた時、彼は真っ先にリオネッセを守る。彼にとってはリオネッセだけが特別な存在であり、自分はガロンワンドと同じ、仲の良い友達の一人に過ぎない。それなのに、あたしは、何を期待していたのだろう? ほんの一年で、彼の心が何か変わっているとでも思ったのだろうか? そんな訳はない。彼はリオネッセしか見ていない。リオネッセの事しか考えていない。それは、ずっと前から判っていたはずなのに。

 

 やっぱり、村に帰ろう。彼のそばにいても、きっとつらくなるだけだ。昔のように。

 

「――よし! そうと決まれば善は急げだ! さっそく、王宮へ行こうぜ!」

 

 ガロンと共に王宮の方へ歩き出すキルーフ。

 

「あ、待って、キルーフ」

 

 彼の背中に呼びかける。キルーフは振り返り、「なんだ?」と、首を傾けた。

 

「あの……やっぱり、あたし――」

 

 村に帰るよ――そう言いかけたのだが。

 

「あれ? お前、それ――」

 

 キルーフが、バーリンの胸の辺りを指さした。

 

 バーリンの胸には、薄いブルーの石で作ったペンダントがある。子供の頃、キルーフからプレゼントされた物だ。

 

「それってもしかして、俺がガキの頃プレゼントしたやつか?」キルーフは、驚いているようだった。

 

 ドキリとするバーリン。もう十年以上昔の話だ。まさか、キルーフが覚えているとは思わなかった。

 

「え? あ、いや……まあ、そうだけど」

 

「あんなガキの頃のプレゼント、まだ持ってたのか、お前」小さく笑うキルーフ。

 

「な……なんだよ。あたしの勝手だろ? 悪いのかよ?」

 

 恥ずかしさもあって、思わずきつい口調になってしまうバーリン。ああ、またケンカになってしまう。そう思ったのだが。

 

「いや、別に悪いってことは無いけど……そっか。お前、大切にしてくれてたんだな」

 

 思いに反し、キルーフは、しんみりとした口調で言った。

 

「別に……大切になんか……」

 

 予想外の反応に、戸惑ってしまうバーリン。

 

 キルーフは、さらに続けた。

 

「嬉しいよ、ありがとう」

 

 それは、今までで一番の、優しい言葉と、そして、笑顔だった。

 

 顔が紅潮していくのが、自分でも判る。恥ずかしい。逃げ出したい。

 

 でも、同時に。

 

 ――嬉しいよ、ありがとう。

 

 その言葉が、バーリンの胸にしみこんでいく。彼にとってはなんでもない言葉なのかもしれないが、バーリンにとっては、何よりも嬉しい言葉だった。

 

 バーリンは、胸のペンダントをぎゅっと握りしめる。

 

 このペンダントも同じだ。彼はこの石を、リオネッセではなくあたしにプレゼントしてくれた。彼にとってはなんでもないことなのかもしれないが、あたしにとっては、何よりも大事な宝物だ。

 

 村でキルーフたちと暮らしていたときのことを思い出す。彼は、ずっとリオネッセしか見ていなかった。それがつらかった。彼のそばにいれば、この先もずっと、同じ思いをし続けることになるかもしれない。

 

 でも。

 

 彼との思い出が全部つらい事ばかりなのかと言えば、絶対に、そんなことは無い。

 

 ならば、これからもきっと。

 

「……バーリン? どうかしたか?」

 

 キルーフが、心配そうにバーリンの顔を覗き込む。

 

 ――ええい、仕方ない。

 

 バーリンは拳を握ると。

 

 ぽかり、と、キルーフの頭を叩いた。

 

「――いってぇな! いきなり何すんだよ!」頭を押さえ、怒るキルーフ。

 

「うるさい。何となくだよ」バーリンは、笑いながら言った。「それよりキルーフ。あたし、おなかすいちゃった。お城に行く前に、何か、おいしい物食べさせてよ。キルーフのおごりで」

 

「はぁ? 何で俺がおごらなきゃいけないんだよ?」

 

「当然だろ? わざわざ遠い所から会いに来てやったんだぜ? さあ、行こう! ガロンも、はやくはやく!」

 

 キルーフの腕を引っ張り、ガロンを手招きで呼ぶ。

 

「まったく……ワケがわからん」

 

 キルーフはまた呆れ顔になったが、すぐに、クスリと笑う。

 

「なんだよ? 気持ち悪い」目を細めるバーリン。

 

「あ、いや。なんと言うか、やっとお前らしくなったな、って」

 

「え?」

 

「さっきからお前、妙によそよそしかったからな。何かあったんじゃないかって、心配したぜ」

 

「ま……まあ、こっちにも、いろいろと都合があるんだよ」

 

「都合?」

 

「いいから。それより、はやく飯を食わせろ」

 

 バーリンはキルーフとガロンの腕を引っ張った。

 

 ――もう、ごちゃごちゃ考えるのはやめた。あたしは、あたしらしくしていればいいんだ。

 

 バーリンの胸に、もう迷いは無かった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 ランス 聖王暦二一五年五月下 西アルメキア/キャメルフォード

 西アルメキアとエストレガレス帝国の国境付近の城塞都市・キャメルフォード。その北東に広がる広大な平原に、西アルメキア軍十万と、エストレガレス帝国軍十万が対峙していた。普段は野鳥の声と吹き渡る風の音くらいしか聞こえない静かな平原が、間もなく戦場と化す。平原は今も静寂に包まれているが、その静寂が持つ意味は、普段とは全く異なる。それは、死地へ向かう前の静寂。戦が始まれば、多くの命が失われるだろう。誰もが死を予感し、声を発することができない。

 

 西アルメキア軍総大将・ランスは、敵軍を目の当たりにし、体の震えを止めることができなかった。敵軍との距離は五百メートルと離れていない。一声号令をかければ、数分のうちに、十万と十万の人間がぶつかり、殺し合うのだ。それがどのような結果になるのか、ランスには想像もつかない。しかし、それによって多くの命が失われるのは間違いない。そう考えると、震えずにはいられない。

 

 ――駄目だ。こんなことでどうする。僕はこの軍の総大将なんだぞ。僕の気持ちひとつが、軍全体の士気に繋がるんだ。僕がしっかりしなければ、この(いくさ)に負けてしまう。

 

 そう胸の内で言い聞かせても、体の震えは止まらない。無理も無かった。総大将とは言え、ランスはまだ十五歳の少年。しかも、この戦が初陣である。その上、十万と十万の戦は、このフォルセナ大陸において最大規模の戦いだ。それはつまり、この戦が両国にとって極めて重要な位置づけであることを意味していた。

 

 城塞都市キャメルフォードは、旧パドストー時代、交通の要所として発展した街だ。王都カルメリーの北東に位置し、東方面の街道は旧アルメキアへと続き、北方面はノルガルドへ、南方面はカーレオンへと通じる街道が伸びている。国境を行き来するには必ず通らなければならない街だ。ゆえに、戦略的に見て、この街は西アルメキアの心臓部と言っていい。この街を落とされると、西アルメキアは各方面への兵や物資の移動が極めて困難になる。また、キャメルフォードから王都カルメリーへの街道には、敵の侵攻を食い止めるための城や砦は無い。西アルメキアにとってキャメルフォードを落とされることは、心臓を握られると同時に喉元に刃を突きつけられるようなものなのだ。絶対に護らねばならない。だからこそ、エストレガレス帝国にとっては真っ先に占領したい街ということになる。

 

 ――そのような重要な戦で、僕が総大将を務めるなんて……。

 

 ランスの心の迷いは消えない。自分には、あまりにも荷が重すぎるのではないだろうか? 旧パドストーには、武勇に優れた騎士が多くいる。あるいは、ランスの教育係であるゲライントも、かつて戦場では『百戦のゲライント』と呼ばれ、名をはせた騎士だ。彼らに総大将を任せた方が良いのは間違いない。

 

 判っている。この戦において、西アルメキアはランスを総大将とせざるを得ないのだ。旧パドストー国王・コールが、帝国から逃れてきたランスを受け入れ、国の全権を任せたことは、すでに大陸中に知れ渡っている。ゼメキスに国を奪われ、帝国に反旗を翻したランスがどれほどの器なのか――大陸中の猛者たちが、この一戦に注目しているはずだ。ランスは、帝国との初戦であるこの戦に勝利して、周辺国に武威を示す必要があるのだ。

 

 だが、それが判っていても、いや、それが判っているからこそ、身体の震えは止まらない。クーデターの夜、ゼメキス相手に一太刀も浴びせることができなかったランスは、己の弱さを知った。ほんの数ヶ月で強くなったとは思えない。また、あの夜のように何もできないまま負けるようなことになれば……。

 

「――そう気を張らずともよろしいのですぞ、ランス様」

 

 ランスの背後からゲライントが声をかけてきた。「そのように緊張されていては、勝てる戦も勝てなくなってしまいますからな」

 

「判っている。だが、もし僕のせいでこの戦に負けたりしたらと思うと――」

 

 ランスの弱気な言葉に、ゲライントは小さく笑い、そして続けた。「ご安心なさいませ。この軍の指揮は私が行います。負けるつもりはありませぬが、万が一にも負けた場合は、この私の責任です」

 

「では、なぜ僕が総大将なのだ。それでは、ただのお飾りではないか」

 

「そういう見方もできますな」

 

 ははは、と、軽く笑うゲライント。それがランスの癇に障った。表情が自然と厳しくなるのが自分でも判る。総大将はただのお飾り――旧パドストー兵の間でささやかれているのを、ランスは知っている。

 

 コール王より国の全権を任され、今回の戦では総大将を務めるランス。自分がその器に無いことは、誰よりもランス自身が判っている。コール王がここまでランスを擁立する理由はひとつ。ランスを、反帝国の象徴にしたいのだろう。つまり、コール王がランスに期待しているのは政治や戦の手腕ではなく、帝国に両親を殺され国を奪われた、という、ランスの立場なのだ。誰が見ても不幸な立場であるランスを擁立することで、エストレガレスとの戦争を正当化し、戦を進めやすくするという狙いがあるのだろう。

 

 もちろん、どのような理由であれ帝国打倒のために挙兵してもらえたのは、ランスにとって何よりもありがたいことだ。コール王にはどれだけ感謝してもしきれない。だから、お飾りである、と、旧パドストーの者に陰口をたたかれるのは、甘んじて受けることができる。

 

 しかし、旧アルメキア時代よりランスのそばにいたゲライントから言われてしまうと、それが本当の事であるからこそ、逆に腹が立ってくる。

 

 だからランスは、わざと拗ねた顔をした。「ふん、ゲライントまで僕のことを『お飾り』とバカにするんだな」

 

「バカにしたわけではありまませんが……お待ちを」ゲライントはそこで言葉を切り、視線をランスから帝国軍の方へ向けた。表情が険しくなる。「王子。帝国から伝者が来たようです」

 

 ランスも帝国軍の方を見る。整列している部隊から騎馬兵が一騎離れ、こちらへ向かって来ていた。右手に掲げた旗には、赤と青、二本の細長い布が風になびいている。フォルセナ大陸において、敵軍へ伝令を送る時に掲げる旗だ。これを掲げた兵を攻撃することは全ての国において禁じられており、破ると重大な罰が下される。同様に、伝者を利用した策――例えば、敵将を討つ刺客を放つなど――も、禁じられている。

 

 帝国の伝者は西アルメキア軍の数十メートル先で止まると、軍全体に届くほどの大声で叫ぶ。「エストレガレス帝国軍総大将・カドールよりの伝令である!!」

 

 その言葉が西アルメキア軍に響き渡ると、兵たちは一気にざわめいた。驚き、戸惑い、動揺――様々な感情が混ざり合い、先ほどの静寂が嘘であったかのように騒がしくなる。

 

 ランスとゲライントも同様だった。

 

 総大将はカドール――ゼメキスではない!

 

 カドールは、旧アルメキア時代からゼメキスの腹心を務めている騎士だ。全身漆黒の鎧に身を包み、常に悪魔の骨面で素顔を隠している。戦場では二メートルを超える巨大な戦斧を振るい、敵を討つ。その異様な風体と圧倒的な強さから、大陸最”凶”のデスナイトの二つ名で知られる男だ。

 

 伝者はさらに叫ぶ。「我が総大将はそちらの代表者との戦義(せんぎ)を望んでおる! すみやかに返答を!!」

 

 ゲライントがランスを見た。「ランス様、いかがいたしましょう?」

 

「無論、受ける」ランスは即答した。

 

「では、わたくしもお供します。参りましょう」

 

 ランスは大きく頷くと、馬を前に進ませる。西アルメキア兵の間を抜け、彼らの前に出た。

 

「西アルメキア軍の総大将・ランス! 此度の戦義の申し入れ、受け入れた!!」

 

 ランスは、伝者に負けない声で叫んだ。

 

 戦義とは、フォルセナ大陸に古くから伝わる風習のひとつで、開戦前、両軍の代表が合意の元に言葉を交わす儀式である。この儀式の間、戦闘行為は一切許されていない。これを破ることは騎士として最大の恥であり、あの狂王と呼ばれるイスカリオのドリスト王ですら、この禁を犯すことはない。

 

 もっとも、この儀式は必ずしも行わなければいけないものではない。どちらかの代表者が断った場合は行われず、そのまま開戦となる。また、夜襲や急襲など敵の不意を突く作戦においても当然行われることはない。戦義は、あくまでも両軍の代表者が望んだ場合のみ行われるのだ。

 

 ランスは、ゲライントと共に帝国軍の元へ向かった。

 

 敵の総大将がゼメキスでないことはランスを少なからず落胆させたが、それでも相手がデスナイト・カドールならば不足はない。ランスから祖国を奪ったのはゼメキスだが、両親を殺したのはカドールなのだ。ランスにとっては、絶対に討たなければならない憎き仇の一人だ。

 

 馬が歩を進めるごとに、敵軍の影が大きくなっていく。その中から、騎馬兵が一騎出て、こちらに向かって来るのが見えた。近づくつれ、手綱を握る手に自然と力がこもる。もうすぐ、憎き仇と対峙する。

 

 そんなランスの心情を察したのだろう。ゲライントが釘を刺すように言う。「ランス様、判っていらっしゃるとは思いますが、戦義時の戦闘行為は、固く禁じられておりますぞ」

 

「もちろんだ。アルメキアの名を汚すことはしない」

 

 そして、今回の戦場となる平原のほぼ中央で、ランスとゲライントは、デスナイト・カドールと対峙した。

 

「――フン。誰が来るのかと思えば敗残者のランスか。貴様ごときが総大将とは笑わせる」

 

 初めに口を開いたのはカドールだった。骨面を付けているためその表情を伺うことはできない。しかし、表情の代わることが無いはずの面が、ランスを嘲笑しているように見えた。

 

「カドール……我が父ヘンギストの仇! その首、すぐに斬り落としてくれる!!」

 

「貴様が俺の首を落とす? 愚王の(せがれ)がおもしろいことを言う」

 

「愚王だと? 貴様、父上を愚弄するのか!?」叫ぶランス。

 

 ゼメキスのクーデターによって滅ぼされたとはいえ、アルメキアは大陸随一の強国であり、それを統べる父ヘンギストは、政治や戦の手腕に優れ家臣や民からの信頼も厚い偉大な王であるはずだ。カドールに討たれたのは、何か卑劣な罠にかけられたに違いない――誰かにそう言われたわけではないが、ランスはそう信じていた。

 

 カドールは、ランスをあざけるように言う。「お坊ちゃんの王子は何も知らぬようだな。貴様は、ヘンギストが勇敢に戦って死んだなどと思っているのではなかろうな? 貴様の父は、俺が部屋に踏み込むと、王妃を置き去りにし、一人で逃げ出したのだぞ」

 

「なに!?」

 

「その上、逃げられぬと悟ると、泣いて許しを乞うてきた。本来ならば拘束し、民衆の前で処刑する手はずであったのだが、そのあまりに見苦しい姿に、思わず斬り捨ててしまった」

 

 信じられない話だった。ランスが思い描いていた父の姿とは、あまりにも違う。信じるわけにはいかない。だから叫ぶ。「黙れ! 父上がそんな臆病者であるものか!!」

 

「フン。愚王の倅は本当に何も知らぬと見える。良い機会だ。貴様の父がどれだけ愚かだったか――ヘンギストの真の姿を教えてやろう」

 

「黙れ黙れ黙れ!! これ以上父上を愚弄するなら!!」

 

 ランスは、腰の剣に手をかけた。

 

「落ち着きなさいませ! ランス様!!」

 

 ゲライントが一喝する。「安い挑発に乗ってはなりませぬ。ここで剣を抜けば、王子だけでなく、アルメキアという国、そして、我らに力添えをしていただいたコール王やパドストーの人々の顔に泥を塗ることになるのですぞ」

 

「――――っ!!」

 

 ランスは憎しみを込めた眼でカドールを睨む。今すぐ斬ってしまいたい相手だが、ゲライントの言う通り、ここで斬ることは許されない。今は戦義中。戦闘行為は決して許されない。この禁を犯せば、自分の名を落とすだけならまだしも、西アルメキアという国全体の汚点となるのだ。ランスは大きく息を吐くと、剣から手を離した。

 

 ランスが落ち着きを取り戻したのを確認したゲライントは、一歩前に出る。「――カドール。貴様の企みは判っているぞ。そうやって相手を挑発し、心を乱そうというのであろう」

 

「フン、貴様らのような雑魚相手に、企みなど使うものか」

 

「その骨面と漆黒の鎧、そして、身の丈を超える巨大な斧とて、同じであろう。およそ実戦向けとは思えぬその姿、異様な風体で相手を威圧し、隙を生じさせようという狙いだろう。そのような小賢しい策で『大陸最凶』を名乗るなど、片腹痛い。貴様には騎士たる資格はない!」

 

「ならば、貴様自身の身で確かめてみるか? この俺が、貴様の言うような小賢しい策を用いる騎士かどうか」

 

「言われるまでもない。貴様は、私にとっても主君の仇。貴様の首を取るのはランス様に譲るとしても、その前に、その骨面を我が刃で叩き割ってくれようぞ!」

 

「面白い。卑小な貴様らではどうにもならぬ現実を思い知るがいい」

 

 カドールは高らかに笑うと、手綱を引き、馬を自軍の方へ進めた。戦義の終了だ。ランス達も馬を下がらせる。

 

「……すまない、ゲライント」馬を下がらせながら、ランスは小さな声で言う。「ゲライントがいなければ、僕はあのまま剣を抜いていたかもしれない」

 

「礼には及びませぬ。私とて、ランス様がいらっしゃらなければ、あの場でカドールを斬り捨てていたやもしれませぬ」

 

 ゲライントは笑った。つられて、ランスも笑う。張っていた気持ちが緩み、少しだけ楽になれた気がした。

 

 ゲライントが笑うのをやめた。「――ところで、先ほどの話の続きですが」

 

「話の続き?」首をかしげるランス。

 

「ランス様が、西アルメキア軍のお飾り、という話です」

 

「ああ、その話か」ランスは肩をすくめた。「いいんだ。今の僕は、そう思われても仕方がない。その汚名は、これからの戦いで返上して見せる」

 

「その意気です。それに、お飾りも悪い事ばかりではありませんぞ」

 

「どういうことだ?」

 

「ご覧なさい――」

 

 ゲライントは、目の前に整列する西アルメキア軍に手をかざした。十万に及ぶ兵たちが、戦が始まるのを待っている。

 

「これらの兵、大半は旧パドストーの兵ですが、ゼメキスのクーデターから逃れ、ランス様を慕って集まった者も、少なくありませぬ」

 

 ゲライントの言う通り、今回の戦の兵の中には、旧アルメキア軍に属していた者も少なからずいる。主に、ランスの親衛隊だった兵だ。

 

 ゲライントは言葉を継ぐ。「皆、ランス様の生存と、コール王の助力を得て挙兵されたことを知り、ランス様と共に戦うため駆け付けたのです。これからも、ランス様の元には人々が集まって来るでしょう。それはまぎれもなく、ランス様という人物に惹かれたからこそ。『お飾り』と言うと聞こえは悪いですが、煌びやかさが無ければ、飾りとしての役すら果たせません。ランス様は、今の立場に、もっと自信を持って良いのですぞ」

 

 ランスは兵達を見渡し、「そうだな」と、頷いた。

 

 いよいよ、戦が始まる。

 

「では、ランス様、開戦のお言葉を」

 

 ゲライントに促され、ランスは兵たちの前に立った。

 

 そして、大きく息を吸うと。

 

「――全軍に告ぐ!!」

 

 十万の兵、全てに届くよう、ありったけの声で叫ぶ。

 

「時は来た! この戦いは、アルメキアの兵にとっては祖国奪還のため、そして、パドストーの兵には祖国を護るための、重要な戦いである!!」

 

 ランスにとって初めての戦場。当然、兵たちに(げき)を飛ばすのも初めてだ。大したことは言っていない。皆、言われるまでもなく、十分心得ていることだろう。

 

 それでも。

 

 ランスの言葉に、兵たちは武器を高らかに掲げ、呼応する。その声は、まるで雷鳴のように、戦場中に響き渡る。

 

 ランスは剣を抜き、天高く掲げた。

 

 そして、憎き敵軍の方へ振り下ろすと同時に。

 

「――全軍、突撃!!」

 

 総大将の声で、兵たちは砂埃を巻き上げ、敵を討つべく駆け出した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 アルスター 聖王暦二一五年六月上 レオニア/ハドリアン

 レオニアの最南端に位置するハドリアンは、イスカリオとの国境を護る難攻不落の砦である。両脇を切り立った崖に挟まれた場所に位置するこの砦は、イスカリオからは一方向からしか攻めることができない。砦は高い城壁と堅牢な門に護られており、壁の上には弓兵や魔術師が配置されている。地上からは、近づくことさえ困難だ。

 

 この砦を正攻法で落とすためには、空を飛ぶモンスターで部隊を編成し、空と地上から同時に攻めなければならない。しかし、それも容易なことではなかった。レオニアには、『ロック』と呼ばれるモンスターが多数生息している。ロックは、体長二十メートルを超える鷲の姿をした巨大なモンスターだ。翼を広げると、その大きさは五十メートル近くにもなる。その巨体だけでも恐ろしい存在だが、さらに厄介なことに、この巨鳥の鉤爪には獲物を石化させる毒が含まれている。その爪で引っ掻かれようものなら、たちまち石となり、身動きできなくなるのだ。さらには、一声鳴くと数百メートル離れた者の鼓膜を破ると言われるほどの、恐ろしい鳴き声を上げることもある。ハドリアンの砦を護る騎士はこのロックを多く従えており、空からの攻撃にも備えているのだ。

 

 両脇を高い崖に挟まれた特殊な地形と、堅牢な城壁、そして、空の敵を迎え撃つロック。ハドリアンの砦は、レオニア建国以来何百年もの間、南からの侵攻を食い止めてきたのだ。

 

 だが――。

 

 今、ハドリアン砦の城壁には何十本もの梯子がかかり、城壁の上では、イスカリオ兵とレオニア兵が激しい戦いを行っていた。

 

 イスカリオ兵の目的は、城壁を越え、内側から城門を開けることである。そうすれば、待機している兵が砦内になだれ込み、砦内を一気に制圧できる。城壁を越えることができれば、この戦はイスカリオの勝利なのだ。

 

 城壁の上の戦いだけ見れば、戦況は五分五分である。しかし、城壁にたどり着くことさえ困難とされるこのハドリアンの砦において、壁上の戦闘まで持ち込んだということは、イスカリオ軍が優勢であると言わざるを得ない。実際、イスカリオ兵の士気は高く、レオニア兵は押され気味だ。このまま行けば、城門が破られるのも時間の問題だろう。

 

「――ケッ! 何が『難攻不落の砦』だ。オレ様の手にかかりゃ、こんなモンよ!」

 

 城壁の上のさらに一段高い石段の上に立ち、乱戦の様子を見下ろしながら、イスカリオ王ドリストは誇らしげに言った。

 

 すかさず、自称イスカリオの宮廷魔術師にしてドリストの太鼓持ちであるキャムデンが、揉み手をしながら近づいて来る。「さすがでございます陛下! 建国以来数百年の間国境を護ってきたこのハドリアンの砦を、わずか半日足らずで陥落寸前まで追い込むとは。いやはやこのキャムデン、大変感服いたしました。陛下の手にかかれば、このハドリアンも砂の城同然ですな」

 

「当たり前だ! このオレ様に落とせない城なんかねぇんだよ!」

 

 ドリストは愛用の大鎌を肩に乗せ、勝利を確信したかのように、高らかに笑った。

 

「しかし、陛下――」キャムデンの後ろから、政務補佐官のアルスターは恐る恐る言う。「このような卑怯な作戦を用いて、大丈夫なのでしょうか? 周りの国に、どう思われることか……グウェ!!」

 

 アルスターの言葉は、ドリストの飛び蹴りによって遮られた。「バカかてめぇは! 戦争に卑怯もクソもあるか!! 要は勝てばいいんだよ!」

 

「それはそうですが……しかし、我がイスカリオにも面子というものがあります。その辺を考えて頂かないと……ゲハァ!!」

 

 ドリストは、アルスターに更なる蹴りを浴びせる。「ごちゃごちゃとうるせぇんだよてめぇは! イスカリオの面子? んなもん知ったことか!! オレ様は、オレ様のやりたいようにやるだけだ!!」

 

「そのとおりでございます陛下!!」キャムデンが、さらにヨイショする。「卑怯だなんだという輩など放っておけばよろしいのです! 他国の三下騎士などに、陛下の高尚な作戦を理解することなど不可能ですからな!」

 

 キャムデンにおだてられ、ドリストはさらに気分良さ気に笑った。

 

 ハドリアン砦を攻めるにあたり、ドリスト取った策は、軍の作戦とは言い難いものだった。ハドリアンには多くのロックが飼育されている。当然、そのロックの世話をする、いわゆる飼育係もいるのだが、ドリストは、その飼育係に、イスカリオの息がかかった者を多く紛れ込ませたのだ。そして、城攻め前夜、城内にいるすべてのロックの爪を切り落とし、嘴をロープで縛らせたのである

 

 一見バカげた作戦ではあったが、これは大きな効果があった。爪を切られたことでロックは石化の能力を失い、嘴を縛られて鳴くこともできない。何より、突然そのような状況に陥り、レオニア兵は大いに混乱した。その混乱に乗じ、イスカリオ軍は一気に攻め込んだのである。

 

 その攻め込み方にも大きな問題があったと、アルスターは思っている。レオニア同様、イスカリオも戦闘用のモンスターを有しているが、この戦に、ドリストは最もお気に入りのモンスターであるバハムートを投入したのだ。バハムートとは、闇の飛竜とも呼ばれるドラゴンの亜種である。亜種と言っても最高クラスのドラゴンである火竜サラマンダーや黄金竜ファーブニルにも引けを取らないほど強力なモンスターだ。ロックに匹敵するほどの巨体で空を飛び、その皮膚は生半可な武器や魔法を弾き返し、口から吐き出す毒の息は小さな村程度なら一瞬で消し飛んでしまうほどの破壊力だ。イスカリオにとっては切り札とも言えるモンスターだったが、ドリストはためらうことなく今回の戦に投入したのだ。ゼメキスのクーデターに始まった大陸全土を巻き込む戦争は始まったばかりだというのに、いきなり切り札を切るような真似をして、この先大丈夫なのだろうか。アルスターの不安は尽きない。

 

 アルスターの心配をよそに、勝利を確信したかのようにしばらく笑い続けたドリストは、肩に担いでいた大鎌を構えた。「――さあて、最後の仕上げだ。ひと暴れさせてもらうぜぇ?」

 

 言うと同時に、ドリストは乱戦の場に飛び込み、大鎌を真横に振るった。次の瞬間、周囲の兵がバタバタと倒れた。

 

「うーむ、さすがは呪いの大鎌・ルインサイスだ。今日も良い斬れ味だぜ!」

 

 ドリストはさらに鎌を振るう。二度、三度、四度と振るうたびに、兵がまとめて倒れて行く。

 

「陛下! お気を付けください!」アルスターが叫んだ。

 

「ああん? こんなザコどもに、どう気を付けろと言うのだ?」

 

「敵のことではありません! 陛下がメチャクチャに暴れるので、我が軍の兵にも被害が出ております!」

 

 アルスターの言葉に、振り返るドリスト。ドリストの通った後には多くの兵が倒れているが、アルスターの言う通り、その半分近くはイスカリオの兵であった。アルスターは、倒れた味方兵に治療を施すのに大忙しだ。

 

「ケッ! 味方の攻撃に巻き込まれるようなボンクラのことなど知るか。オラァ! オレ様のルインサイスの餌食になりたくねぇなら、とっとと道を開けろ!!」

 

 さらに鎌を振り回すドリスト。巻き込まれては大変とばかりに、イスカリオ兵は逃げるように道を開けた。すると、それにつられるかのように、レオニアの兵も逃げまどい始めた。

 

「何だぁ? 張り合いの無いヤツらだ。もうちょっと骨のあるヤツはいねぇのか!!」

 

 逃げるレオニア兵の背に向け、ドリストは嬉しそうに鎌を振るった。弱い者をいたぶるのは、ドリストの最も得意とすることである。これは、しばらく手が付けられそうにないな――アルスターはため息をついた。

 

「――そこまでだ、狂王ドリスト」

 

 低く、怒りを含んだ声と共に、僧侶の格好をした初老の男が前に出て来た。

 

「ああん? なんだてめぇは?」

 

 ドリストがギロリと睨んだ。並の兵ならそれだけで震えあがるほどの鋭い眼光だが、男は動じなかった。ドリストにも負けない鋭い目で睨み返す。

 

「むむっ! あの者は確か……」ドリストの背後からキャムデンがひょっこりと顔を出し、男の顔を確認すると、懐から手帳を取り出してパラパラとめくった。「うむ、間違いありません。あの者は、レオニアの政務補佐官にして、フォルス教の最高司祭・パテルヌス殿です!」

 

 政務補佐官のパテルヌス! その名を聞いて、アルスターは息を飲んだ。補佐官とは言え、女王リオネッセは政務に不慣れであり、レオニアの政務は全てこのパテルヌスが行っていると聞いている。さらに、宗教国家レオニアの最高司祭ともなれば、実質レオニアのトップに君臨する男である。そんな重要人物が、なぜこのような戦闘の最前線に。

 

 大物の登場に動揺するアルスターに対し、ドリストの目からは急激に鋭さが消えた。まるで、パテルヌスという名を聞いて、興味を失ってしまったかのようである。

 

「ケッ! 政務補佐官だか債務整理官だか知らねぇが、線香臭い坊主なんざお呼びじゃないんだよ。とっとと失せな」ドリストは、野良犬でも追い払うように手をひらひらと振った。

 

 パテルヌスは表情を崩さず言う。「狂王ドリスト。噂にたがわずふざけた男だ。此度の貴様らの用いた策――工作員を放ち、ロックの爪を切り嘴を縛るなど、およそ軍略などと呼べるものではなぞ」

 

「ふん。貴様ら凡人に、戦の天才であるオレ様の高尚な作戦は理解できんだろうなぁ。」

 

「狂王よ。我らは争いごとを好まぬ。ただ静かな暮らしを望んでいるだけだ。戦をしたいのならば、エストレガレスやノルガルドと勝手にすればよかろう。なぜ我が国を侵略する? なぜ我らを戦に巻き込む?」

 

「決まってるだろう。オレ様はな、弱いヤツをいたぶるのが何よりも好きなんだよ! ぎゃーはっはっは!!」

 

 バカにするようなドリストの笑い声に、パテルヌスはギリギリと奥歯を噛んだ。

 

「――ふざけおって。己の楽しみのために罪のない人々の静かな暮らしを踏みにじる。貴様はただの狂犬だ。このわしが、処分してくれる!」

 

 武器を構えるパテルヌス。そして、今度はレオニア兵に向かって叫ぶ。「者ども! この戦は、我が国と、民と、そして我らが女王、ひいては、我らが神を護るための戦いである!! 天の神も御照覧である! 侵略者どもを許すな!! 我に続け!! この狂犬どもを、我が国から追い払うのだ!!」

 

 パテルヌスの声に呼応するかのように、先ほどまでドリストに怯え逃げまどっていたレオニア兵たちが、一斉に雄叫びを上げた。低下していた兵の士気が回復した。

 

 それを見ていたドリストが、ニヤリと笑う。「面白れぇ。てめぇこそ、オレ様の強さにビビッて、キャンキャン鳴きながら尻尾巻いて逃げんじゃねぇぞ!」

 

 パテルヌスに向かって鎌を振るうドリスト。迎え撃つパテルヌス。イスカリオとレオニアの兵も、彼らに続く。

 

 ハドリアンをめぐる攻防戦は、今まさに佳境を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 エライネ 聖王暦二一五年八月下 ノルガルド/フログエル

 バタン! と、玄関のドアを激しく閉める音が台所まで聞こえて来た。かまどにかけた鍋をかき回していたエライネは小さくため息をつく。はあ、またか。あれは帰宅した父の機嫌が悪いという合図である。湯気が出そうなほど顔を真っ赤にし、ドスドスと大股で台所まで歩いてくる姿が想像できた。そして、きっとこう言うだろう。「まったく! あの若王は何も判っておらぬ!」と。

 

 台所のドアが勢いよく開き、父は、エライネの予想通りの言葉を口にする。

 

「まったく! あの若王は何も判っておらぬ!」

 

 どかり、と、椅子に座る父。

 

 エライネは鍋にフタをし、かまどの火を消した。そして、椀に水を汲み、父に渡す。「お帰りなさいませ、お父様。今日の会議は、いかがでしたか?」

 

「いかがでしたも何も無い! 王はわしの話を全く聞こうとはせぬ! なぜあのように強情なのか! 王が王なら側近も側近だ! 最近の若い輩らは、目上の者への礼儀を知らぬ!! わしを何だと思っておるのだ!!」

 

 椀の水を一気に飲み干、王と側近の愚痴を吐く父。こういう時の父に何を言ってもムダだ。エライネは満面の笑顔で頷きながら、父の頭が冷えるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 エライネの父・ロードブルは、ノルガルドの前王ドレミディッヅ時代からの重臣の一人だ。前王と共に戦場に出ることもあったが、どちらかと言えば政務に長け、文官として信頼されていた騎士である。前王は旧アルメキアやパドストーとの戦に明け暮れていたため、政務のほとんどをロードブルに任せていたほどだった。

 

 エライネはロードブルの一人娘である。十年ほど前に流行り病で亡くなった母に代わり父の世話を焼いてきたが、一年前、ルーンの加護を授かったのを機に、騎士へ仕官した。ちょうど、前王ドレミディッヅが戦死し、現王ヴェイナードが即位した頃だ。王宮では若い騎士をどんどん登用し、次なる戦に備えていた。父は猛反対だった。いま仕官したら、戦場に出される可能性もある。可愛い娘を危険な目に遭わせたくない――という父を完全に無視し、エライネは騎士となった。若い騎士の台頭が目立つノルガルドの騎士の中でも、エライネは最も若い十六歳だ。来月からは、レオニアとの国境付近にあるハンバー城への配属が決まっている。

 

 

 

 

 

 

 父の愚痴は続いている。今日は長引きそうだ。エライネはお茶を淹れると、テーブルを挟んで父の前の席に座った。

 

「――まったく! これだから今の若い輩はダメなのだ! わしらがヤツらの歳の頃は、年上の者にあのような口を利くことなど無かった!」

 

 いまの若いヤツはダメだ。昔は良かった。父の愚痴は、大体この二つで占められている。やれやれ。父も歳をとったものだ。エライネはすました顔でお茶をすする。

 

 父の愚痴の内容を要約すると。

 

 昨年の夏、ノルガルドは時ならぬ寒波に見舞われ、農作物の収穫に大きな影響が出た。食糧の収穫量は例年の半分にまで落ち込み、もともと寒冷地で食糧生産量に憂いのあるノルガルドでは大きな痛手となった。

 

 これを受け、ロードブルは各地の農家で生産する作物を見直すことにした。冷害に弱い米や麦・芋類などの生産量を減らし、比較的冷害に強い(ひえ)(あわ)などの生産量を増やす計画を立てたのだ。これにより、再び寒波に襲われたとしても、食糧生産量の落ち込みは抑えられ、被害を最小限にできると考えていた。

 

 だが、この計画にヴェイナード王が待ったをかけた。どの地域のなんの生産量を減らし、どの地域でなんの生産量を増やすのか、また、それにかかる費用と日数、冷夏に陥った時の総生産量、例年通りの気候や逆に猛暑であった時の総生産量などを予測して具体的に数値化し、資料にまとめて提出せよと仰ったそうなのだ。計画を実行するかは、その資料を皆で精査してから判断する、とのことである。

 

「――何が資料だ。そんなもの作らなくとも、冷害に強い作物を育てれば冷夏に陥った時に食糧不足に悩まされずに済む、そんなのは当たり前ではないか。そんな簡単なことも判らんのか、あの若王は」

 

 父の愚痴は続いている。エライネは、ただ黙って聞いている。

 

「ドレミディッヅ様の時代はこんなことは無かった。前王は、我らのことを全面的に信頼されており、政務に口出しすることなど無かったのだ。それなのに、今の王は何かと口を出してくる。我らに任せておけばよいものを」

 

 ロードブルはさらに水を飲もうとしたが、椀の中はすでに空だ。

 

「――エライネ。すまないが、水をもう一杯貰えるか」

 

 椀を差し出すロードブル。声の勢いは治まったが、それは気持ちが落ち着いて来たのではなく、ただ喋りすぎて疲れただけだろう。

 

 エライネは椀に水を注ぎ、父の前に置いた。父は、二杯目の水も一気に飲み干すと、ふう、と、大きく息を吐き出した。

 

 再び父の前の席に座るエライネ。「少しは落ち着きましたか? お父様」

 

「何を言う? ワシは、ずっと落ち着いておる」

 

「そうですか。とてもそうは見えませんでしたが、ま、いいでしょう」

 

 エライネは、すました顔でお茶をすすった。

 

「なんだ? 何か言いたそうだな?」

 

「もちろんです。言いたいことは、山ほどあります」

 

「なら、言ってみなさい」

 

 エライネは首を振った。「いいえ。今のお父様に何を言ってもムダそうなので、やめておきます。さあ、話が終わったのなら、出て行ってください。夕飯の準備をしなければいけませんので」

 

 ロードブルは顔をゆがめた。「なんだね、その言い方は。わしを邪魔者みたいに」

 

「聞くに堪えない愚痴を言う今のお父様は、夕飯の準備の邪魔でしかありません」

 

 どん、と、テーブルを叩く父。「何を言う! お前は、わしが間違っているとでも言うのかね!」

 

「はい。間違っていると思います。でも、どこがどう間違っているのかを言っても、どうせお父様は聞く耳を持たないでしょうから」

 

「さっきからなにかね! 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい!」

 

 どんどんとテーブルを叩きながら、声を荒らげる父。エライネは胸の内で大きくため息をついた。娘とは言え、女性を相手に、テーブルを叩き大声を上げて威嚇する父。お城でも、このような態度で他の人と接しているのだろうか? 前王ドレミディッヅ時代と違い、今のノルガルドには女性の騎士も少なくない。エライネはすでに慣れているため何とも思わないが、中にはこういう態度に委縮してしまう娘もいるかもしれない。普段なら適当にあしらうところだが、今日は、ガツンと言っておいた方がいいだろう。

 

「判りました。では、言わせていただきますが、農作物の生産量を変更するために資料を提出するというのは、極めて当然のことだと思います。毎年冷夏になるとは限りませんから、例年通りの気候だった時や、猛暑だった時などの生産量を考慮し、総合的に判断する必要がありますからね。それに、こういった計画は国の予算を使って行われるもの。つまり、ノルガルド国民からの貴重な税金を使わせてもらうのです。無駄遣いはできません。国にとってちゃんと利益のあるものでないと、陛下としては承認できないでしょう」

 

「何を言うか! わしの計画は、国にとって利益のあるものに決まっておる!」

 

「でしたら、それをちゃんと資料にまとめて提出し、陛下たちご説明して、納得していただければいいだけの話ではないでしょうか? それを、お父様は『やりたくない』と駄々をこねている。私には、お父様には陛下を説得する自信が無いようにしか見えません」

 

「何をバカなことを。いいかね? 前王ドレミディッヅ様の時代は、資料の提出など必要なかったのだ。前王は我らを全面的に信用されておった。それが、今の王は何かと口出しを――」

 

「昔は昔、今は今です。ノルガルドの現在の王はドレミディッヅ様ではありません、ヴェイナード陛下です。お父様はノルガルドの騎士。つまり、ヴェイナード陛下に仕えているのです。ならば、陛下の方針に従うのは当然のこと。どうしても陛下の方針に従えないと仰るのであれば、いさぎよく引退するべきではないかと」

 

 ロードブルは、いっそう強くテーブルを叩いた。「黙りなさい! 政務の事を何も知らないクセに、口出しするんじゃない!」

 

「言いたいことがあるならはっきり言えと仰ったのはお父様でしょう? 都合が悪くなると頭ごなしに怒鳴って黙らせようとするのは、良くないですよ?」

 

「な――親に向かって生意気な口を利くんじゃない! 誰のおかげで大きくなれたと思っている!」

 

 顔を真っ赤にし、額の血管が今にもきれそうなロードブル。エライネは、そんな父のペースに飲み込まれないよう、あくまでも静かな口調で、淡々と話す。

 

「それが今の話と何の関係があるのでしょうか? 育ててやったのだから黙っていろというのは、あまりにも横暴だと思います」

 

「ええい、うるさい! 半人前が偉そうな口を利くんじゃない! もういい! 話は終わりだ! 出て行きなさい!!」

 

 ばん! と、両手でテーブルを叩いた後、台所の出入口を指さすロードブル。

 

 よし、最後の仕上げだ。エライネは椅子から静かに立ち上がると。

 

「――判りました。今まで、お世話になりました」

 

 深く、頭を下げた。

 

「な……何を言っている?」まるで冷や水でも浴びせかけられたかのように、きょとんとした顔になるロードブル。

 

「エライネは、お父様のためを思って申し上げているのに、お父様は、エライネのことが邪魔なのですね」

 

「いや、そういう訳では――」

 

「仕方ありません。出て行きます。二度と戻りませんので、ご安心を。ああ、でも、夕飯の支度が途中でした。これだけは済ませますので、少しだけ、お待ちください。終わったら、すぐに出て行きますので」

 

 そう言うと、エライネは父に背を向け、テーブルから離れた。まな板の上に玉ねぎを置き、猛烈な勢いで刻み始める。

 

「あ、いや、なにもこの家から出て行けと言っているわけじゃあない」しどろもどろになる父。

 

 エライネは玉ねぎを刻むのをやめ、父を振り返った。刻んだ玉ねぎのせいで、目からは涙が溢れ出している。「ああ! 家を追い出されたかわいそうなエライネは、行くあてもなくさ迷い、食べるものもなく道端で野垂れ死ぬのですわ! お父様が出て行けなどと仰ったばかりに!」

 

 エライネは、両手で顔を覆い、泣くマネをした。見え透いた芝居ではあるが、それでも効果は抜群だろう。いつの時代も、父は娘の涙に弱い。

 

 ロードブルは、大きくため息をついた。「判った判った。怒鳴ったりして悪かったよ。機嫌を直しておくれ、エライネ」

 

 エライネは、パッと顔を上げる。「では、出て行かなくても良いのですね」

 

「もちろんだとも」

 

「ではでは、エライネの話を、聞いてくれますね?」

 

「うむ……まあ、仕方あるまい」

 

「仕方あるまい?」

 

「あ、いや……もちろん、聞くとも」

 

「ありがとうございます。では、言わせていただきますが――」

 

 エライネは涙をふくと、再び椅子に座り、話し始めた。さっきまでの父を挑発するような冷淡な口調ではなく、今度は、真剣な口調で。

 

「お父様は、『前王時代は良かった』と、よく仰いますね。確かに、前王ドレミディッヅ様は、政務の全てをお父様に任せ、一切口出ししなかったのかもしれません。でもそれは、お父様を信頼していたというよりは、単に、政務に興味が無かっただけではないでしょうか? ドレミディッヅ様は、戦に明け暮れ、常に戦場にいて、王宮にいることなど、ほとんどありませんでしたから」

 

「確かに、それはその通りだが、しかし――」

 

 きっ! っと、鋭い目を父に向けるエライネ。「エライネの話を聞いてくれるはずでしたよね?」

 

「あ……ああ。もちろんだとも」

 

「では続けます。ドレミディッヅ様は、政務に興味がないから全てをお父様に任せていた。逆に言えば、何かと政務に口出しするヴェイナード陛下は、戦だけではなく、政務のことも考えていらっしゃる。それはつまり、兵だけでなく、ノルガルドの全ての民のことを考えていらっしゃるということです。どちらが王として正しい姿なのかは、言うまでもありませんね?」

 

「うむ……しかしだな……」

 

「それに、陛下は、何もイジワルでお父様のやることに口を出しているのでありません。陛下の仰る通り、資料を作って提出し、きちんとご説明すれば、きっと、納得してくださいますわ」

 

「……そうだといいが」

 

「大丈夫です。お父様がやろうとしていることが、間違っているわけがありません。エライネもお手伝いしますので、頑張りましょう!」

 

 エライネは、最後に満面の笑みを浮かべ、そう言った。いつの時代も、父は娘の笑顔に弱い。

 

 ロードブルは腕を組んでしばらく考えていたが、やがて、フフッと笑った。「やれやれ。いつの間にか、一人前の口を利くようになりおって」

 

「まあ、私もお父様と同じ、ルーンの騎士になりましたからね」

 

「お前の言う通りだな。陛下が資料を出せと言うのなら、出せばいいだけの話だ。なのに、愚痴を言って、それどころか怒鳴ったりして、悪かった」

 

「いいえ。お父様なら、判ってくれると思いましたわ」

 

「農作物の生産量見直しは、確かに国の益になるものなのだ。資料を作り、もう一度、陛下と話し合ってみよう」

 

「そうです! それでこそ、お父様です」エライネは、手を叩いて喜んだ。

 

「だが、その前に腹が減ったな。今日の晩御飯は何かな? さっきから、いい匂いがしているが」くんくんと鼻を動かすロードブル。

 

「はい! 今日は、お父様の大好物。エライネの特製シチューです!」

 

 エライネは立ち上がり、かまどにかけてある鍋のフタを開けた。ナス、トマト、トウモロコシなど、寒冷地のノルガルドでは貴重な夏野菜をふんだんに使い、秘伝の調味料で味付けをして煮込んだ、エライネの得意料理である。

 

「おお。これはうまそうだ」

 

「煮込みにもう少しかかりますので、お父様は、先にお風呂に入っていてください。着替えは、すぐに用意しますので」

 

「ああ、そうしよう」

 

 台所から出て行くロードブル。エライネはかまどに再び火を入れると、ゆっくりと、シチューをかき回した。今日の特製シチューは、いつもより美味しくなりそうだ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 コール 聖王暦二一五年六月下 西アルメキア/カルメリー

 旧パドストーの老王コールは、カルメリーの居城を離れ、一人、城下町の居住区に来ていた。一人で城を離れるのは何年ぶりだろうか? 思い出そうとしても無駄だった。記憶から無くなるほど遠い昔の出来事なのか。あるいは、そもそも一人で出歩いたことなど、生まれてから一度も無いのかもしれない。かつてこの国の王であった彼の周りには、常に家臣や護衛兵がいた。城内においても一人でいられる時間は極めて少なく、一人で城外に出るなど許されないことだったのだ。いま思えば、王とはなんとも窮屈な身分であった。

 

 コールが一人で城を離れたのは、ある人物を訪ねてのことだった。居住区の大通りから外れ、裏路地を少し進んだ先にある小さな家に、その人物はいるはずだ。コールは、玄関のドアをノックした。

 

「――グラウゼ殿はおられるかな?」

 

 しばらくしてドアが開き、若い男が顔を見せた。男はコールの顔を見ると、目を丸くして驚いた。

 

「コール王!? なぜこのような所に!?」

 

 コールは肩を揺らして笑った。「しばらく姿を見ぬと思ったが、やはり、城を離れておったか、グラウゼ」

 

 グラウゼと呼ばれた男は、すまなさそうに目を伏せた。「申し訳ありません。陛下に一言もなく城を去るなど、騎士としてあるまじきこと」

 

「わしは、もう王ではない。気を使う必要は無いぞ」

 

「しかし、私は――」

 

 コールはグラウゼに手のひらを向け、言葉を遮った。「まあ、まずは中で茶でも飲ませてくれぬかね? 久しぶりに長い距離を歩き、喉が渇いておるのでな」

 

「これは、失礼しました。大したおもてなしもできませんが、どうぞおあがりください」

 

 グラウゼに言われ、コールは中へ入った。

 

 グラウゼは、旧パドストー時代に仕えていた騎士である。まだ若いが武勇に長け、忠誠心も厚く、コールが特別目をかけてきた騎士であった。しかし、コールがランス王子に王位を譲った頃から姿を見なくなっており、気にかけていたのだ。

 

「――もしや病になったのではないかと心配もしたが、ひとまず、元気そうでなによりじゃ」

 

 客間の椅子に座り、コールは出された茶をすすりながら笑った。

 

「勝手に城を去るような真似をして、申し訳ありませんでした」グラウゼは、深く頭を下げた。「――ですが私は、此度のことに、どうしても納得がゆかぬのです」

 

「……ランス殿の事じゃな」

 

「はい。失礼を承知で申し上げます。陛下は、なぜあのような若輩者に王位を譲られたのですか? 私には、あの者が王にふさわしいとは思えません」

 

 まっすぐにコールを見据えるグラウゼ。その目には、決して曲げることのできない己の信念が宿っているように見えた。

 

「ランス殿には仕えられぬと申すか?」

 

 コールの問いに、グラウゼは迷うことなく「当然です!」と言い切り、さらに続けた。「私が忠義を捧げるのは、コール王をおいて他にありません! ましてあの者は、我が父・ハンバルをアルメキアから追放した愚王の子。そのような者に、なぜ私が仕えねばならぬのです!」

 

 いまでこそパドストーに仕えているグラウゼだが、元々彼の一族は、代々アルメキアに仕えてきた騎士の家系である。特に、彼の父ハンバルは祖国への忠義に厚く、戦場で多くの戦績を上げた将軍であった。老いて一線を退いた後は若い騎士に戦術を指南する役職に就き、生涯をアルメキアに捧げるはずであったのだが。

 

 五年前、ハンバルは、身に覚えのない疑惑をかけられた。王を殺害し、自らが王位に就こうと企んでいる、というのである。

 

 あり得ない話であった。ハンバルほど国に尽くした騎士はいない。誰もが、そう認めているはずだった。しかし、アルメキア王ヘンギストは、その疑惑を理由に、ハンバルら一族を国外へ追放したのだった。

 

「父が反乱など企てるはずが無い! 父は、何者かの謀略に()められたのです! なのに、我らがどれだけ無罪を訴えようとも、愚王ヘンギストは一切聞き入れようとしなかった! 私は、それが今でも悔しくて仕方ないのです!」

 

 グラウゼは声を荒らげ、忌々しげな表情で机を叩いた。ハンバルはパドストーに身を寄せた後も無罪を訴え続けたが、それがアルメキア王に受け入れられることはなく、二年前、疑惑を晴らすことなくこの世を去った。

 

「……父の無念がいかほどのものであったか、私には、想像もつきません。父の気持ちを思えば、どうして愚王の子に仕えることができましょう?」

 

 言葉の端々に、無念の思いが滲み出ている。グラウゼの気持ちは、コールにも判らないではない。無実の罪で父を追放した国の王子に仕えることができないと言うのも、当然のことかもしれない。

 

 グラウゼは、誰よりも父を敬愛している。

 

 しかし、だからこそ、言わなければならない。

 

 コールは、静かに口を開いた。「グラウゼよ。もし、そなたの父が生きておったならば、今のそなたを叱りつけていたであろうな」

 

 グラウゼは、心外だと言わんばかりの表情になる。「なぜ、そのようなことを仰るのでしょう? 私は、父の無念を思えばこそ、ランス王子には仕えられぬのです」

 

 コールは、深くため息をついた。「……どうやらおぬしは、父の心内がまるで判っておらぬようじゃな」

 

「な……何を仰るのです!」

 

「グラウゼよ。そなたは、父ハンバルがアルメキアを追放された後、なぜパドストーに仕官したのか、考えたことがあるかね? パドストーはアルメキアの同盟国。もしハンバルがアルメキアを恨んでおるならば、敵対国であるノルガルドに仕官するはずであろう?」

 

「そ……それは……」

 

 目を伏せ、言葉を探す様子のグラウゼ。なぜ父がパドストーに仕官したのか? 理由が判らないのではないだろう。答えは極めて簡単だが、それを認めたくないのだ。

 

 だから、代わりにコールが言う。「そなたの父ハンバルは、アルメキアを追放されてもなお、祖国への忠義を捨てなかったのじゃ」

 

「そんなバカな!?」グラウゼは、椅子を倒して立ち上がった。「アルメキアは、父を謀反人扱いしたのです! 父は誰にも負けぬほど国に尽くしてきたのに、その忠義を踏みにじった! そのような国に、なぜ父が忠義を捧げ続けねばならぬのです!」

 

「それが、ハンバルという男なのじゃ」

 

「――――」

 

 言葉を失うグラウゼ。彼自身にも、思い当たる所はあるはずだ。ハンバルは生涯、祖国を批判することは無かった。

 

 コールは言葉を継いだ。「ハンバルはいわれなき罪で国を追われてもなお、祖国への忠義を捨てなかった。わしは、その忠義にほれ込み、そなたら一族を受け入れたのじゃ。周囲の者が、どれだけ反対しようともな」

 

 パドストーは、かつてはアルメキアの属国であった。現在ではその主従関係は無くなったものの、それはあくまでも表面的なものであり、実際の立場はアルメキアの方が上だと言って良い。そのアルメキアから反乱の罪で追放された騎士をパドストーが受け入れるというのは、大変危険な行為だった。ともすれば、パドストーはアルメキアに反乱を企てている、と、されかねない。多くの家臣が反対したが、それでもコールは、ハンバルら一族を受け入れたのだった。

 

「我が一族を受け入れて頂いたコール王には、大変感謝しております」グラウゼは、まっすぐな目で訴えた。「だからこそ、我が忠義は、コール王に捧げたいのです」

 

 だがコールは、その言葉を否定する。「グラウゼよ。この大陸は、かつてない動乱の時代を迎えようとしておる。少しでも選択を誤れば、この国はすぐに歴史から消えるであろう。そのような時代にあって、剣を取らず家に引きこもっておるのが、そなたの忠義であるというのか?」

 

「――――」

 

「いや、すまぬ。そなたがわしを思う気持ちはありがたい。そなたの忠義を否定したいのではない。だが、グラウゼよ。その忠義も、捧げる相手を間違えては、一生を棒に振ることになりかねんぞ」

 

「……どういう意味でしょうか?」

 

「忠義とは、王に捧げるものではない。国に捧げるものじゃ。そなたの父が、そうであったようにな」

 

「忠義とは、国に捧げるもの……」

 

 グラウゼは、コールの言葉を胸に刻み込むようにつぶやいた。そのまま顔を伏せ、しばらく沈黙。胸の内で迷っているように見えた。

 

 やがて顔を上げたグラウゼは、まっすぐにコールを見つめ、「ひとつだけお聞かせください」と言い、続けた。「コール王がランス王子に王位を譲られたのは、国を思ってのことでしょうか? この動乱の時代、我が国を正しい方向に導くのはランス王子であると……?」

 

「無論じゃ」

 

 コールは、迷うことなく、真剣な表情で答えた。

 

 しかし。

 

「と、言いたいところじゃが……」と言って破顔し、そして続ける。「お主には、本心を語っておくべきかのう」

 

「本心……ですか……?」

 

「正直に言えば、わしにも判らぬ。ランス殿に可能性を感じておるのは確かじゃが、果たして王位を譲ったのが正しかったのか、今はまだ判らぬよ」

 

「――――」

 

「ただし、これだけは言える。わしは老いた。今のわしに、この動乱の時代を生き抜く力は、もう無いであろう。そして、我が息子メレアガントには、人を制する力はあっても、人の上に立つ器量は無い」

 

「だから、ランス王子に任せたと――」

 

「そのとおりじゃ。少なくとも、わしやメレアガントが王位にいるよりは、国の未来は明るいであろう。それに、ランス殿が王位に就いたことで、メレアガントも負けてはならぬと張り切っておる。あのバカ息子にも、少しは期待できるであろう」

 

 コールは髭を撫でて笑った後、最後の言葉を伝える。「――わしの話は以上じゃ。これからどうするかは、そなたに任せる。騎士として――ハンバルの子として、いま何をするのが正しいのか、よく考えるのじゃ。決して、後悔をせぬようにな」

 

 コールは席を立ち、部屋から出ようとした。

 

「お待ちください、コール王」グラウゼが立ち上がり、呼び止める。「考えるまでもありません。私は、間違っておりました。陛下の仰る通りです。我が忠義を貫くならば、いかなる理由があろうと、いま城から去るべきではなかった。お許しください」

 

 そして、グラウゼは深く頭を下げた。

 

「ほっほっほ。許すかどうかは、これからのそなたの働きを見てからにしようかの」

 

「もちろんです」頭を上げるグラウゼ。その目には、もう迷いはなかった。「我が剣と、そして偉大なる父に誓い、必ずや、この国を正しい方向に導いて見せます」

 

「その意気じゃ。期待しておるぞ」

 

「はっ!」

 

 グラウゼは右手で拳を握り左胸に当てた。この国で忠誠を意味する仕草である。コールも、同じ仕草で応えた。 

 

「――それはそうと、わしはもう王ではない。これからは、わしのことを王や陛下と呼ぶでないぞ」

 

 コールは、髭を撫でながら笑った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 アルスター 聖王暦二一五年六月下 イスカリオ/アスティン

 イスカリオの北に位置するアスティン城内の政務室で、政務補佐官のアルスターは頭を痛めていた。今朝、部下から受け取った報告書によると、北の大国ノルガルドが、エストレガレス帝国領オークニー城を制圧したというのである。ノルガルドは、三月下のジュークス城制圧に続き、帝国の城を二つも落としたことになる。前王ドレミディッヅの死後即位した白狼王ヴェイナードは、実姉のエスメレーを人質に差し出すなど、旧アルメキアに対して弱腰の政策を行っていたように見えたが、その内では今回の大戦に備え、牙を磨いていたようである。

 

 また、イスカリオの西の隣国である魔導国家カーレオンも、帝国の南の城ソールズベリーに侵攻し、これを制圧している。カーレオンの兵力は、帝国と比べると大きく劣ると思われるが、それでもカーレオンは勝利した。カーレオン王・カイは、大陸一の知恵ものと噂されている。恐らく、戦術や用兵術にも長けているのだろう。

 

 ゼメキスのクーデターから始まった今回の大戦。開戦四ヶ月で、エストレガレス帝国は早くも三つの城を失った。しかし、このまま終わるはずがない。帝国は、今だクーデター後の混乱から抜けきっておらず、各城に十分な兵が行き渡っていないのが現状だ。ジュークス、オークニー、ソールズベリーの三つ城の守備兵は、いずれも、経験の浅い騎士が率いていたらしい。もしこれが、名のある騎士――例えば、旧アルメキアの剣術指南役を務めていた剣聖エスクラドスや、同じく旧アルメキアの宮廷魔術師ギッシュなどが率いていれば、同じ結果にはならなかったであろう。帝国は、まだその力の半分も使っていない。クーデター後の混乱も、いずれは治まるだろう。そうなれば、ノルガルドもカーレオンも苦戦は免れない。

 

 さらには、エストレガレス帝国は三城を失ったものの、先月下旬、デスナイト・カドールを総大将とする十万の軍で西アルメキアのキャメルフォードを攻め、これを制圧している。キャメルフォード守備軍十万を率いたのは旧アルメキアの王太子ランス。この戦で、カドールはランスの首を取り損ねたものの、西アルメキア防衛の最重要拠点であるキャメルフォードをわずか半日で制圧し、圧倒的な武力差を見せつけた。皇帝ゼメキスも、奪われた三城を奪還する作戦を企てているはずである。戦は、この先ますます激化していくだろう。一瞬たりとも油断はできない状況だ。

 

 ――それなのに、我が国の状況と来たら。

 

 大きくため息をつくアルスター。先日イスカリオは、帝国領ソールズベリーと、レオニア領ハドリアンを攻めたが、いずれも失敗に終わっている。ソールズベリー侵攻軍を率いたのは、狂戦士バイデマギス、万年金欠の騎士ダーフィー、旅芸人騎士ギャロ。三人とも、戦いの腕は確かだが、素行にいろいろと問題があり、イマイチ信用できない騎士である。報告書によると、この三人でそれぞれ軍を率い、正面からソールズベリーへ侵攻し一気に落とす予定だったらしい。なんともひねりの無い作戦ではあるが、三人とも頭より腕っ節の強さが自慢の騎士なので、これはこれで正しい判断だと言える。問題だったのは、作戦前夜、勝利の前祝いという名目で宴会を開いたことであった。この宴会で浴びるように酒を呑んだ三人は、作戦決行当日、大寝坊をしてしまったとのことである。その間にソールズベリーはカーレオン軍によって制圧されており、結局イスカリオ軍は何もせずに帰ってきたのだ。

 

 みっともない話ではあるが、これに関しては、戦闘自体が発生していないため、イスカリオ軍に被害が無かったとも言える。もし作戦が決行されていれば、エストレガレス、イスカリオ、カーレオンの三つ巴の戦いになり、多大な被害が出ていた可能性もある。当日バイデマギスたちが寝坊をしたのは、不幸中の幸いであったかもしれない。

 

 問題なのは、ハドリアン攻城戦だ。この戦いは、イスカリオの王ドリストが総大将として出陣し、アルスターも、太鼓持ちの魔術師キャムデンと共に兵を率いて出陣した。ハドリアンは、両脇を切り立った崖に囲まれ、城壁は高く、怪鳥ロックを多数有する難攻不落の城だ。この城を攻めるにあたり、ドリストは型破りな作戦に出た。事前にハドリアン城内に工作員を潜り込ませ、守備の要とも言えるロックの爪を切り落とし、嘴をロープで結んだのだ。さらには、混乱状態のレオニア兵に対し、イスカリオの切り札とも言える闇の飛竜バハムートをぶつけたのである。

 

 常識はずれの策と、初戦からの切り札投入。アルスターには理解しがたい作戦であったが、戦は極めてイスカリオ側の優勢だった。あと一歩で城を落とせるところまで迫ったのだが、突然ドリストが「昼寝の時間だ」と言って、勝手に撤退してしまったのである。総大将が撤退すれば、兵はそれに従うしかない。結果、イスカリオ軍は撤退し、ハドリアン攻めは失敗に終わったのである。戦況は優位だったとはいえ、こちらの被害も決して小さくはない。ドリストの気まぐれにより、被害はすべてムダになってしまったのだ。

 

 まったく、陛下は何を考えているのか――もう一度大きくため息をつくアルスター。周辺各国はこの大戦を生き残るために必死で動いている。それに比べ、どうも我が国は緊張感に欠ける。こんなことで大丈夫なのだろうか? 見通しは暗い。

 

 がちゃり、と、ドアが開き、槍を携えた女騎士が部屋に入って来た。銀の鎧に身を包んでいるが、赤黒い液体で汚れている。どうやら血のようだ。左手には大きな布袋を持っている。これも血が広がり、ぽたぽたと床に滴り落ちている。

 

「イリアさん! 全身血まみれではないですか!? いったい、どうされたのです!?」

 

 イリアと呼ばれた女は、アルスターの問いには応えず、逆に「陛下は?」と、短く問うた。

 

「陛下は城内にいらっしゃると思いますが、どこにいるかまでは……それよりイリアさん、その血は、怪我をされているのですか? 今まで、どこにいらっしゃったのです?」

 

 イリアは応えず、無言のまま部屋を出た。ドリストを探しに行ったのだろう。

 

「ああ、イリアさん! 待ってください! 怪我をしているのなら、まず治療を!!」

 

 アルスターは、慌ててイリアを追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 イリアはドリストに忠誠を誓う女騎士だ。槍術に秀でた騎士で、クセはあるが強者ぞろいのイスカリオの騎士たちの中でも、その強さは群を抜いている。常に影のようにドリストに従い、感情を乱すことなく敵を殺す姿から、『キラードール』と呼ばれている。出生は不明。三年ほど前、荒野をさまよっていたところをドリストが見つけ、連れて帰ったのだ。それ以前のことは何も判らない。記憶を失っているのか、あるいはただ喋りたくないだけなのか、とにかく、全てが謎に包まれている女だ。

 

 

 

 

 

 

「――イリアさん、待ってください! イリアさんってば!」

 

 イリアを追いかけ廊下を走るアルスター。イリアは構わず、早足で進む。角を曲がったところで、ドリスト専属のメイドであるユーラと会った。

 

「イリアさん!? どうしたんですか!?」

 

 驚くユーラ。イリアは応えず、アルスターの時と同様に、「陛下は?」と、短く訊いた。

 

「陛下はキャムデンさんたちと、屋上で戦略会議をされてますが――」

 

 それだけ聞くと、イリアはまた無言で歩き出す。音も立てず階段を上がった。

 

 屋上は、ドリストとキャムデンの他に、先日のソールズベリー侵攻作戦に失敗したバイデマギス、ダーフィー、ギャロ達が集まって、酒を片手に呑めや歌えやの大騒ぎだ。これは明らかに会議ではなく、ただの宴会である。このアスティン城はレオニアとエストレガレス、そして、先日ソールズベリーを制圧したカーレオンとも国境を接している重要防衛拠点である。それを護る将たちが、こんな朝っぱらから酔っぱらって……それ以前に、バイデマギスたち三人には、西のザナス城の防衛を任せているはずなのだが、なぜここにいるのか。こんな時に他国に攻められたら、我が国はひとたまりもないだろう。アルスターは冷や汗をかいた。

 

 イリアは表情ひとつ変えず、ドリストのそばに跪いた。「陛下、戻りました」

 

「う~ん? おう、イリアか」ドリストは眠そうな目をイリアに向けた。すでにかなりの酒が入っているらしい。

 

「――これを」

 

 イリアは血まみれの布袋から中に入っている物を取り出し、差し出した。それは、朱色をした巨大な鳥の首だった。傷口からはまだ血が滴り落ちている。しかし、首が朱色をしているのは、その血によるものではない。鳥の首を覆う羽毛の色は、死を連想する血のような紅色ではなく、命の息吹を連想させる燃え盛る炎のような朱色だ。

 

 狂戦士バイデマギスが、朱色の首を見て感心した表情になった。「お? イリア。それはもしかして、フェニックスの首か? お前が一人で仕留めたのか? やるな!」

 

 バイデマギスは「がーはっは」と豪快な笑い声を上げると、杯の酒を一気に飲み干した。

 

 フェニックスとは、不死鳥とも呼ばれるモンスターで、怪鳥ロックが進化した姿である。と、言っても、進化前のロックとはかなり特徴が異なる。二十メートル程の体長は半分以下になり、鍵爪からは石化の毒が抜け、数百メートル先にいる者の鼓膜を破ってしまう程の鳴き声も失ってしまう。それだけだと弱体化したように思えるが、フェニックスは、その代わりとなる強力な能力を得るのだ。鉤爪には石化の毒の代わりに炎が宿っており、近づくだけも大火傷をする危険性がある。さらには、怪音だった鳴き声は美しい歌声となり、聞く者を癒すのだ。このフェニックスの鳴き声には実際に傷を癒す効果があり、戦場では、瀕死だった兵が再び起き上がり数十の敵を討つこともある。非常に強力なモンスターであるが、それが故に、滅多にお目にかかることの無いモンスターでもある。イリアは、一体どこでフェニックスを仕留めたのだろう?

 

 モンスターはマナの力を持つルーンの騎士によって召喚される。呼び出されたモンスターは騎士に従い、主に戦闘に使用されるのだが、中には、騎士の元から逃げ出すモンスターも少なからずいる。近年、そういったモンスターが森や山で野生化し、人を襲うといった問題が、フォルセナ大陸全土で多発している。ほとんどはヘルハウンドやリザードマンといった、いわゆる下級のモンスターだが、まれにドラゴンなどの上級モンスターが逃げ出し、野生化することもある。アルスターが旅の商人から聞いた話では、エストレガレス帝国の外れの小さな山村近くで、野生化したサラマンダーの目撃情報もあるらしい。だから、フェニックスが野生化するのも、あり得ない話ではない。無論、野生化したフェニックスなど危険極まりない存在だ。もしそんなのがいるのなら、国の治安を維持するためにもすみやかに捕獲するか処分するのが騎士の勤めである。

 

 フェニックスの首を受け取ったドリストは、値踏みするようにまじまじと眺めた。「ふうむ。時間はかかったが、まあまあ上物だな。ご苦労だった。おいアルスター! これをユーラの所に持って行きな!」

 

 ドリストは、フェニックスの首をアルスターに向かって放り投げた。慌てて受け取るアルスター。なんとか落とさずにすんだものの、フェニックスが恨めしそうな目をこちらに向けているのを見て、心臓が縮み上がる思いだった。イリアが布袋を差し出したので、押しこむように中に入れる。ユーラがこんなものを見たら卒倒するんじゃないだろうか。

 

「陛下。なぜ、これをユーラさんに?」

 

「ああん? 帽子の新しい羽根飾りに使うのだ。今付けているヤツは、前から色が気に入らなかったのだ。近くにフェニックスがいて、ちょうど良かったぜ」

 

「おお! 帽子の羽根飾りにフェニックスを選ぶとは、さすが陛下でございます!」キャムデンがいつもの通り揉み手をしながらおべっかを言う。「フェニックスは不死の象徴と言われております。その羽根飾りは、陛下のような無敵の男にこそふさわしいと言えましょう!」

 

「あの……陛下」アルスターは恐る恐る言う。「まさか、帽子の羽根飾りのために、イリアさんをフェニックスと戦わせたのですか?」

 

「ああん? 何か文句でもあるのか?」

 

「文句という訳ではありませんが……イリアさんは、イスカリオの大切な騎士です。もちろん、野生化したモンスターがいれば捕獲するか処分するのが騎士の務めではありますが、危険なフェニックス相手にイリアさん一人で行かせるなんて……ぐえぇ!」

 

 すかさずドリストの飛び蹴りが飛んできて、アルスターは悲鳴を上げた。

 

「アルスター。このオレ様に意見するたぁ、偉くなったモンだな」

 

「しかし、国の一大事に、イリアさんの身に万が一のことがあったら……」

 

「アホか。鳥ごときに後れを取るようなヤツは騎士じゃねぇ! もしそんなヤツがいたら、このオレ様自ら首を斬り落としてやるぜ」

 

「そんな無茶苦茶な……相手はあのフェニックスですよ? 現に、イリアさんも怪我をされ……ゲハァ!」

 

 ドリストはさらにアルスターを蹴る。「てめぇの目は節穴か? イリアの身体の血は、全部返り血だ。なあ? イリア?」

 

「もちろんです」イリアは静かに答えた。

 

「な……フェニックスを……無傷で……」驚くアルスター。イリアに怪我が無いのは幸いだったが、無傷でフェニックスの首を取るなど、それは別の意味で恐ろしいことだった。

 

「それとな、アルスター、てめぇは勘違いしてるぜ」

 

「勘違い? 何を、ですか……?」

 

「イリアはイスカリオの騎士じゃねえ。オレ様の騎士だ。何を命令しようが、オレ様の自由なんだよ!」

 

「そ……そんな……イリアさんにだって、自分の意思というものが――」

 

「へ! ゴチャゴチャとうるせぇヤツだ! てめぇのツラを見てると酒がまずくなる。とっとと失せな!」

 

 ドリストは席に戻ると、キャムデンからの酒を杯で受け、喉を鳴らして飲み始めた。

 

 これ以上は何を言ってもムダだろう。蹴られるだけ損である。アルスターは「し……失礼します」と頭を下げ、屋上を後にした。イリアもその後に続く。

 

 廊下を歩きながら、アルスターはイリアに向かって言った。「……しかし、陛下も相変わらず無茶を言いますね。イリアさんも、たまには陛下の無茶振りを、断っても良いんですよ」

 

「必要ない。陛下の仰ることは絶対だ」

 

「しかし、それでもしも命を落としたりしたら――」

 

「かまわない」

 

「え……?」

 

「陛下が死ねと仰るのなら、私はいつでも死ぬ」

 

「そんなこと……冗談でも、言うものではありませんよ?」

 

「…………」

 

 イリアは無言で歩く。その表情には何の感情も感じられないが、少なくとも、冗談を言っているようには見えない。ドリストは、割と頻繁に死刑を宣告する。アルスターやキャムデンは、もう何度も死刑宣告を受けているのだ。もしドリストが気まぐれでイリアに死刑を宣告しようものなら、イリアは本当に死ぬというのだろうか?

 

 イリアの顔を見る。相変わらず、感情のありかが判らない。彼女はいつもそうだ。陛下のそばに控えている時も、食事の時も、他の者と話をする時も、戦いの時も、そして、敵を倒す時も。

 

 ――キラードール・イリア。

 

 誰がそう呼び始めたのかは定かでないが、あまりにも彼女の様を的確にとらえたその呼び名に、アルスターは寒気すら覚える。

 

「……イリアさん。あなたの感情は、どこにあるのですか?」

 

 思わず問うた。

 

 イリアは、しばらく無言だったが、やがて。

 

「――必要ない」

 

 静かに去って行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 ヴェイナード 聖王暦二一五年六月下 ノルガルド/オークニー

 エストレガレス帝国からオークニー城を奪ったノルガルドは、その後の戦略について軍内で意見が割れていた。作戦会議は予定の時間を大きく過ぎているが、意見がまとまる気配は無い。

 

 このまま一気に帝国内部へ侵攻すべきだ、と、ベテランの騎士は言う。難攻不落のオークニー城をわずか五万の兵で落とし、兵たちの士気は高揚している。このまま勢いに乗り、帝国の首都ログレスまで攻め入ろうという作戦である。

 

 まずはなによりもオークニー城の護りを固めるべきだ、と主張するのは、二ヶ月前、ノルガルドに仕官してきたモルホルトという男だ。モルホルトは、かつては旧アルメキアにおいて屈指の軍略家であったが、ゼメキスの反乱により兄を失い、仇を討つためノルガルドに仕官した。その際、五万の兵でオークニー城を落とす作戦を立案したのが、このモルホルトである。

 

 モルホルトは、ノルガルド兵十万をこのオークニー城に集結させ、護りに徹するべきだと主張している。兵十万は、全ノルガルド軍の三分の一に匹敵する数である。国境を三国と接するノルガルドにおいて、ひとつの城にそれだけの兵を集結させるのは、かなりリスクを伴うことであった。その分、他の城の護りが手薄になってしまう。

 

「しかし、それだけの兵を集めなければ、このオークニー城を護るのは難しいでしょう」と、モルホルトは言った。

 

 オークニー城は、旧アルメキア時代から交通の要所として栄えてきた都市だ。北にノルガルド領リスティノイス、北東に帝国領カドベリー、南東にディルワース、南にエオルジア、そして、南西には現在は帝国領となった旧パドストーの都市キャメルフォードへと続く街道が伸びている。オークニーは五つの都市に囲まれており、そのうち北のリスティノイスを除く四つがエストレガレス帝国の領土なのだ。それはつまり、帝国軍に包囲されているようなものである。敵の兵力を考えれば十万の兵でも十分とは言えない。今は護りに徹するときである。これが、モルホルトの意見だ。

 

 逆に、このオークニー城に敵を引きつけている間に、ジュークス城からリドニー要塞へ侵攻すべきだ、と主張するのは、白狼王の右腕にしてノルガルドの軍師・グイングラインである。リドニー要塞は、アルメキア大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川中央の島にある城で、地形的に極めて攻めづらく、オークニー以上に難攻不落の城だ。

 

「それ故に、リドニーを落とす機会は今をおいてありません」と、グイングラインは主張する。

 

 さきほどモルホルトが言った通り、オークニー城は帝国の四つの城に包囲されている。逆に言えば、帝国は四つの城に兵を分散させなければならないため、その分リドニー要塞の護りが手薄になる。グイングラインは、開戦当初よりリドニーを攻めるための特殊部隊を準備してきた。多くの船を用意し、水兵や高空兵の訓練を行っており、侵攻の準備は整っている。このオークニーに続きリドニー要塞をも落とすことができれば、エストレガレス帝国は崩壊したも同然だ。

 

「しかし、それでオークニー城を奪い返されては意味がありません」と、モルホルトが反論する。「今、こちらから攻めずとも、帝国は徐々に疲弊していくでしょう。帝国は、四つの国と国境を接しております。西アルメキアは奪われたキャメルフォードを奪還しようとするでしょうし、南のカーレオンやイスカリオも、帝国への攻撃を強めて行くはずです。我らは、帝国が他国との戦闘で弱り切ったところを叩けばよい」

 

「そのような弱腰の姿勢でどうする!」と、ベテラン騎士は反論する。「我らノルガルド軍は大陸最強だ! その武威を示すためにも、ここで一気に帝国を滅ぼすべきだ!」

 

 ベテラン騎士の意見は暴論のようでもあるが、他国に武威を示すのは無駄なことではない。ゼメキスの首を獲ることは他国への威圧となり、自国の士気高揚につながる。戦略的には間違っていないだろう。

 

「武威を示すのは結構だが、それは戦いに勝利して初めて示すことができるもの」と、今度はグイングラインが反論する。「具体的な策も無くただやみくもに突撃するのでは勝ち目は薄い。それでは、ノルガルドの武威を示すどころか、逆に蛮勇と笑われるだけであろう」

 

「では、グイングライン殿の策には勝ち目があると仰るのかね?」

 

「無論だ。私は、昨年アルメキアとのいくさに破れた時から、リドニー要塞を落とす策を練ってきた。準備も整いつつある。必ずや、リドニーを落として見せる」

 

「仮にリドニーを落とすことができたとしても、我が軍の被害も大きいでしょう」と、モルホルトが反論する。「リドニー要塞は、私がアルメキアの軍師であった時も、防衛力に絶対の自信を持っていた砦です。もちろん、弱点も心得ておりますゆえ、落とすことは不可能ではありません。しかし、それには十万の兵で出陣し、その三分の一を失う覚悟が必要です。今、そのような危険な橋を渡る必要はありません。護りを固め、好機を待つべきです」

 

 話は平行線をたどっていた。誰も、己の主張を曲げようとはしない。このままでは意見はまとまらないだろう。このような場合、最終的な決定は、やはり、王であるヴェイナードに委ねられる。会議室の全員の目が、ヴェイナードを向いた。

 

 ヴェイナードは、静かに口を開いた。「モルホルトよ。此度のオークニー城を落としたそなたの手腕は見事であった。このまま護りに徹すれば帝国は徐々に疲弊していく、というのも、その通りであろう。そなたの策は、最も堅実だ。さすがはアルメキアでも屈指の軍略家であるな」

 

「ありがたきお言葉」モルホルトは、右の拳を左の掌で握り、頭を下げた。

 

「しかしな、モルホルトよ。そなたはひとつ、大きな見落としをしている」

 

「見落とし、ですか?」モルホルトは首をひねった。「それは、なんでございましょう?」

 

「食糧だ」と、ヴェイナードは答え、そして続けた。「寒冷地である我がノルガルドは、食糧生産力に乏しい。いくさが長引けば長引くほど、我らはどんどん不利になる」

 

「いえ、それは十分心得ております。しかし、私の見立てによりますと、今のままでもあと半年は十分戦えるかと思います。帝国は、四ヶ月もすれば疲弊しますので、それまで耐えるべきかと――」

 

「三ヶ月だ」ヴェイナードは、モルホルトの言葉を遮るように言った。

 

「――は?」

 

「今のままいくさがこう着すれば、我が国の食糧は、三ヶ月で底を突く」

 

「陛下!」と、声を上げたのは、ログレスまで一気に攻めるべきだと主張していたベテランの騎士だ。「このモルホルトという者は、まだ敵か味方か判りませぬ! そのような者に、安易に国情を話すべきではありません!」

 

 だが、ヴェイナードは無視して続ける。「昨年の夏、我が国は時ならぬ寒波に襲われ、かつて経験したことの無いほどの冷夏に見舞われた。食糧の生産量は、例年の半分にも満たなかった」

 

「それは……誠でございますか?」

 

「もちろんだ。そなたがいかに優秀な軍略家であろうと、アルメキアでは得られぬ情報もあるだろう。我が国の食糧事情は、そなたが思っている以上に深刻なのだ。そのことは、決して忘れるな」

 

「はは。肝に銘じます」

 

「よって、現状では長期戦は不可能だ。一刻も早く、南へ侵攻する必要がある。しかし、慌てて侵攻したせいでこのオークニー城を奪い返されては元も子もない。モルホルト。この城には、七万の兵を集める。それで、帝国の侵攻を阻止できるか?」

 

「陛下の仰る国情であるのならば、致し方ありません。なんとか七万で防衛する策を講じましょう」

 

「よろしく頼む」と言った後、ヴェイナードはグイングラインを見た「グイン。リドニー要塞へ侵攻する部隊を、いつでも動かせるようにしておけ。ひと月以内には攻めるぞ」

 

「御意」グインは右の拳を左の掌で握り、頭を下げた。

 

 ヴェイナードはベテラン騎士を見た。「そなたはグインの部隊に入り、ともにリドニーへ侵攻せよ。ノルガルドの武威は、そのいくさで示すのだ」

 

 ベテラン騎士は渋い顔をする。自分の意見が通らなかったことに加え、自分の子供のような歳の男の指揮下に入ることに納得していないのであろう。しかし、王の命令に逆らうつもりはないようだ。騎士は「仰せのままに」と、頭を下げた。

 

 最後に、ヴェイナードは全員を見渡す。「予は一度フログエルに戻り、オークニー防衛とリドニー侵攻の準備を進める。皆、戦局はまだまだ予断を許さぬ。気を引き締めて当たれ」

 

「――はっ!!」

 

 全員が右拳を左掌で握り、会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 

「――陛下、よろしいでしょうか?」

 

 会議が終わり、騎士たちが会議室を後にし始めたところで、入れ替わるように、部屋に女が入って来た。透き通るような白い肌と、肌にも負けぬほど透明感のある声をした少女だ。一見すると従者のようであるが、彼女もノルガルドの騎士の一人である。

 

「ノイエ――」と、ヴェイナードは応える「どうかしたか?」

 

「在野の騎士様が、陛下にお目通りを願っております。以前アルメキアの騎士であった、シュトレイス様と申しております」

 

「シュトレイス……知らんな」

 

 ヴェイナードはグイングラインを見たが、彼も知らないようで、小さく首を振った。

 

 ヴェイナードはモルホルトを見る。「モルホルト、知っているか」

 

「名は聞いたことがあります。確か、王ヘンギストの近衛兵の一人であったかと」

 

「ほう……おもしろいな」ヴェイナードは笑みを浮かべた。

 

 旧アルメキアの騎士がノルガルドに仕官してくるのは、モルホルトに次いで二人目だ。ゼメキスによって滅ぼされたアルメキアは、王太子ランスがパドストーへ逃れ、西アルメキアとして挙兵している。にもかかわらず、その西アルメキアではなくノルガルドへ仕官するのには、どのような事情があるのだろう?

 

「どのような男だ?」と、ヴェイナードはモルホルトに訊いた。

 

「申し訳ありません。名前以上のことは知りません。近衛兵は王直属の兵ですので、私の指揮下にはありませんでした。それでも、私の耳に名が届くほどですから、腕は確かではないかと」

 

「そうか。まあ、会ってみよう。モルホルト。そなたも同席してくれ」

 

「かしこまりました」

 

 ヴェイナードはモルホルトと共に、シュトレイスが待つ大広間へ向かった。

 

 

 

 

 

 

「お初にお目にかかります。アルメキアより参りました、シュトレイスと申します」

 

 大広間で、シュトレイスと名乗った騎士はぎこちない仕草で右拳を左掌で握り、頭を下げた。ヴェイナードやグイングラインと同年代と思われる若い男の騎士だ。

 

「よく来た、シュトレイス。我がノルガルドへ仕官したいとのことだが、アルメキアの騎士であったそなたが、なにゆえ我が国への仕官を望む? 我が国は、アルメキアと敵対しておったのだぞ」

 

 ヴェイナードは単刀直入に問うた。

 

 シュトレイスは顔を上げて答える。「私には義兄弟の契りを交わした者がおります。名は、ソレイユ」

 

「ほう――」と、モルホルトが、その名に反応した。ヴェイナードが「知っているのか?」と、問うと、モルホルトは「アルメキアでは名の知れた男です」と言い、そして、続けた。

 

「神官騎士団に属していた男です。個の騎士としての実力は極めて凡庸ですが、獣と心を通わすという、特殊な能力を持っております。それ故に、獣を統べる者(ビーストルーラー)の二つ名を持ち、魔物を操る(すべ)に関しては、その者の右に出るものはいません」

 

 ほう、と感心するヴェイナード。ルーンの騎士は、マナの力を用いて異界より魔物を召喚し、従わせることができる。その力は『統魔力』呼ばれ、武力・魔力・戦略力に並び、騎士として重要な能力のひとつだ。

 

「ソレイユは、人一倍愛国心の強い男でした」と、シュトレイスが言った。「ゼメキスが反乱を起こした夜、私は、王を護る近衛兵として、ゼメキスの軍と戦いましたが、深手を負い、先日まで、治療を余儀なくされておりました。ソレイユがどうなったのか心配していたのですが、風の噂で、エストレガレスの騎士になったと聞きました。私には判らない。あれほど祖国を愛していたソレイユが、なぜ、エストレガレスに身を置くのか――」

 

 ゼメキスがアルメキアで反乱を起こした際、アルメキア側に就いてゼメキスと戦ったのは、王ヘンギストの近衛兵と王太子ランスの親衛隊だけだったと言われている。残りの勢力――アルメキア軍・神官騎士団・魔術師団の三つの勢力は、ゼメキス側に就いた。しかし、それらの勢力の中にも愛国心を持ち、ゼメキスと戦った者も少なくはない。アルメキア軍の軍師であったモルホルトもその一人である。

 

 シュトレイスは続ける。「ソレイユがエストレガレスに味方するには、何らかの事情があるのだと思います。私は、彼を救いたい。ヴェイナード王。我が義兄弟を救うため、我が身をこのノルガルドに置くことを、お許しください」

 

 シュトレイスは、深く頭を下げた。

 

 ヴェイナードは、値踏みするかのようにシュトレイスを見つめた。ノルガルドでは、在野の騎士の登用を積極的に進めているが、シュトレイスやモルホルトのような旧アルメキアの騎士を抱え込むことに反対する声は少なくない。敵国の騎士だった者など、信用できぬと言うのだ。しかし、旧アルメキアの騎士だからこそ祖国を滅ぼしたゼメキスに敵対するのは当然であるし、そのために、より強国に仕官するのも当然の話だ。ノルガルドは、開戦よりジュークスとオークニーという重要拠点を、帝国から奪取している。シュトレイスがノルガルドに仕官する動機に不審な点はない。元近衛兵であるなら王宮の警備事情にも詳しいはずだ。帝国の首都ログレスを攻める際には役立つであろう。仕官を認める利は大きい――ヴェイナードはそう考えた。

 

 よかろう、仕官を認める――ヴェイナードが口を開きかけた時。

 

「シュトレイスよ――」と、先にモルホルトが口を開いた。「ひとつ、確認しておくことがある」

 

「なんでございましょう」

 

「義兄弟を救いたいというそなたの気持ちは判った。そなたの言う通り、義兄弟が帝国に仕えているのは、何らかの事情があるのかもしれぬ。だが、もし、特別な事情など無く、自らの意思で帝国に仕えていた場合、あるいは、そなたの説得に応じなかった場合、そなたには、義兄弟を斬る覚悟があるかね?」

 

「――――」

 

 はっとした表情になったのは、シュトレイスだけではなかった。

 

 ヴェイナードも、シュトレイスと同じ表情になる。

 

 それに気付いたかどうかは判らないが、モルホルトは続ける。「どのような事情があろうとも、我らの前に立ちはだかるならば敵である。例えそれが義兄弟や肉親であろうとも、敵ならば倒さねばならぬ。その覚悟が無ければ、そなたを戦場に立たせるわけにはいかぬ」

 

「それは……」と、言い淀んだシュトレイスは、しばらく逡巡した後、「もちろん……です」と、歯切れの悪い返事をした。

 

「口ではそう言っても、実際に義兄弟を前にして躊躇っていては、何もならぬぞ」モルホルトはさらに言った。「戦場において、敵を倒すことを一瞬でも躊躇えば、自分が倒される側になる。そしてそれが、いくさ全体の敗北へとつながる可能性もあるのだ。いま一度問う。肉親が敵として立ちはだかった時、そなたに斬る覚悟があるか?」

 

「モルホルトよ――」ヴェイナードはモルホルトに鋭い視線を向けた。「貴様はさっきから、誰に対して言っているのだ」

 

「はて? 何のことでございましょう?」モルホルトは、とぼけたような表情をヴェイナードに向ける。「もちろん、このシュトレイスに言っておるのです」

 

 モルホルトを睨むヴェイナード。喰えぬ男だ、と、内心苦笑する。

 

 ノルガルドの者が聞けば、今の言葉はヴェイナードに向けられていることは、誰でも判るであろう。今、ヴェイナードの姉は、エストレガレス帝国にいる。皇帝ゼメキスの妻として。モルホルトは、その点を指摘しているのだ。思えば、先ほどの軍略会議のモルホルトの様子には違和感があった。電撃的な作戦でオークニー城を制圧したにもかかわらず、急に護りを固めるよう言い始めた。このままヴェイナードが帝国に攻め込むことに、憂いがあったのかもしれない。

 

「……まあ良い」と言って、ヴェイナードは視線をシュトレイスに移した。「モルホルトの言う通りだ。たとえ義兄弟であろうとも、敵として立ちはだかるなら倒さねばならぬ。シュトレイスよ。その覚悟があるか?」

 

「はい」今度はためらうことなく答えるシュトレイス。「義兄弟が誤った道を進むのならば、それを正すのも私の役目。ソレイユが帝国に味方するのであれば、斬ってでも道を正して見せます」

 

「よかろう。そなたの仕官を認める。我がノルガルドで、そなたの力、存分に発揮するが良い」

 

「はは! ありがたき仕合せ!」

 

 シュトレイスは、深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 謁見が終わり、モルホルトとシュトレイスが広間を去った後も、ヴェイナードは一人、席を立たずにいた。

 

 姉のことを思っていた。

 

 ヴェイナードの姉・エスメレーは、一年前の旧アルメキアとの講和の際、人質としてアルメキアに差し出された。その後エスメレーは、当時アルメキア軍総帥であったゼメキスの妻となった。現在どうしているのか、詳しいことは判らない。開戦当初から密偵を送り、探らせているが、王都ログレスにいるという以上の情報はない。

 

 エスメレーも、ヴェイナードと同じくルーンの加護を受けている。騎士としての実力はヴェイナードにも並ぶ。もし今、エスメレーがノルガルドにいれば、優秀な将になったであろう。

 

 だが姉は、エストレガレス帝国の首都・ログレスにいる。

 

 ゼメキスがクーデターを起こした夜、ログレス城内はかなり混乱したはずだ。エスメレーであれば、その混乱に乗じて脱出することなど、簡単なことではなかったのだろうか?

 

 姉の力をもってしても脱出できぬほど、厳しい監視のもとにあるのか。

 

 それとも――考えたくはないが――姉は、自らの意思で帝国に身を置いているのか。

 

 判らない。判らないが、もし、姉が帝国の騎士として戦場に現れた時、斬り捨てる覚悟が、自分にあるのか?

 

 エストレガレスとの開戦を決意した日、ヴェイナードはグイングラインに、姉が我が軍の前に立ちはだかるのならば容赦はしない、と、言い切った。その覚悟は、今も変わらないはずだ。

 

 ならば、何も迷うことはない。

 

 必ずリドニー要塞を落とし、そして、ログレスへ攻め込む。

 

 ヴェイナードは、決意を胸に大広間を去った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十二話 キルーフ 聖王暦二一五年六月上 レオニア/ハドリアン

 ハドリアン砦をめぐるイスカリオとレオニアの攻防は、佳境を迎えていた。

 

 怪鳥ロックの嘴を縛り爪を切り落とすという想定外の策にはまり、イスカリオ軍に大きく押し込まれたレオニア軍。城壁の上まで敵の侵入を許したものの、レオニアの政務補佐官であり最高司祭でもあるパテルヌスが指揮を取り、なんとか持ちこたえていた。だが、戦況はまだまだ不利だ。城壁を突破されれば、ハドリアンは落ちる。レオニア軍は北東のグルームという城まで撤退しなければならない。それだけは、何としてでも避けねばならなかった。建国以来、長らく自治を護ってきたレオニア。歴史上、このハドリアン砦を突破されたことはない。南からの侵攻は、全てここで食い止めて来たのだ。その砦を落とされたとあっては、兵の士気は著しく下がるだろう。逆に、イスカリオ軍の士気は上がる。そんな状態で、ハドリアンよりも護りが弱いグルームを防衛することは極めて困難だ。グルームの北は、もう聖都ターラである。ハドリアンの陥落は、レオニアの滅亡に直結すると言っても過言ではない。

 

 キルーフは焦っていた。城壁の上は、敵味方入り乱れた混戦状態である。とりあえず目についた敵兵を得物である両手斧で叩き斬っているが、敵の数はいっこうに減る気配は無い。

 

 このような戦況の場合どうするか――騎士になって一年。兵法は、神官騎士団長のアスミットから教わっていた。だが、決して頭が良いとは言えないキルーフ。城壁の上での戦い方も教わったはずだが、すでに記憶の中から抜け落ちていた。

 

 ――くそ! 兵法なんて関係ねぇ! 要は、敵の大将を叩けば勝ちだろ!!

 

 キルーフは正面から斬りかかってきた敵兵を二人まとめて斬り捨てると、その場を離れ、城壁のへりの五十センチほどの柵の上に上がり、周囲を見渡した。敵の大将が城壁の上にいるという情報は聞いている。どんなヤツかは知らないが、偉そうにしているヤツがそうだろう。目を凝らして探す。いた。ここから少し離れた場所。キルーフと同じように一段高い場所に立ち、口元のちょび髭を自慢げに指で撫でながら、余裕の表情で戦況を見下ろす魔術師風の男。時折兵たちに指示を出しているので、間違いなさそうだ。キルーフは柵から飛び降りると、戦斧を振り回して走った。

 

「おらおらどけどけ! 怪我しても知らねぇぞ!」

 

 危険を察知した味方兵は道を譲り、敵兵は切り捨てる。キルーフは、ちょび髭の男の元まで一直線に進んだ。

 

「おい! てめぇ! そこのちょび髭ヤロウ!!」

 

 キルーフが叫ぶと、ちょび髭の男は不愉快そうな目を向けた。「なんですか、このガキは? 私をちょび髭ヤロウ呼ばわりとは無礼な」

 

「ケッ! 知るかよ! おいてめぇ! この俺と勝負しやがれ!!」

 

 ちょび髭男は呆れたような表情になり、「バカなガキを相手するほど私はヒマではありません」と言った後、部下に「さっさと片付けてしまいなさい」と命じた。命令に応じた兵士五人が剣や槍を振りかざし、一斉にキルーフに襲い掛かる。

 

 しかし、キルーフは斧を振り回し、兵士たちを一掃した。

 

 ちょび髭男は、少し感心したような顔になった。「――ほう? ガキにしては、やりますね」

 

「当たり前だ! このキルーフ様を舐めんじゃねぇ!」

 

「キルーフ? はて、聞いたことがあるような、ないような……」ちょび髭男は懐から手帳を取り出すと、パラパラとめくった。「えーっと……ああ、ありました。女王リオネッセと同郷の幼馴染にして護衛騎士……なんと。こんなガキが、ルーンの騎士なのですか」

 

「そうだ! 少しは驚いたか!!」

 

 キルーフは誇らしげに胸を張る。

 

 しかし、ちょび髭男は驚いた様子もなく、すました顔で手帳を懐にしまう。「……まあ、どうせ縁故採用なのでしょう。リオネッセ様は女王になる前は政務とは無縁だった村娘。いきなり一人で王宮に連れて来られては、寂しいでしょうからな」

 

「うるせぇ! それより、てめぇがこの軍の大将か!?」

 

 ちょび髭男は一瞬目を丸くした後、髭を人差し指に絡めながら笑った。「まあ、私の高貴な姿を見ればそう勘違いするのも仕方ありませんが、残念ながら違います。この軍を率いるのは偉大なるイスカリオの王・ドリスト陛下。私は、ドリスト陛下の右腕にしてイスカリオの頭脳、宮廷魔術師のキャムデン様です」

 

「クソ! 違うのかよ」舌打ちし、一瞬落胆したキルーフだったが、すぐにはっとなる。「……軍を率いているのが、イスカリオの王だと?」

 

「そうです。まあ、私はドリスト陛下の参謀でありイスカリオ1の軍師でもありますから、実質この軍を率いているのは私と言って良いでしょう」

 

「王が来てるなら話は早い。そいつを叩きのめせば、このいくさは俺たちの勝ちじゃねぇか!」

 

「このハドリアンも、なかなか守備の堅い城でしたが、我らイスカリオ軍の前では一日ももちませんでしょうな。まあ、私がちょっと本気を出せば、こんなものですよ」

 

「いや、このいくさだけじゃねぇ。王をやっつければ、イスカリオという国そのものが終わりだ。こんなチャンス、そうそうあるもんじゃねぇぞ」

 

「そんな偉大な私がガキを相手に本気になるのも大人気ないですからな。今日の所は見逃してあげましょう。その代わり、聖都に帰ったら、ドリスト陛下の右腕にしてイスカリオの頭脳、宮廷魔術師キャムデン様の恐ろしさを女王たちに語り、降伏を勧めてあげなさい」

 

「……待ってろよ、リオネッセ。すぐにイスカリオ王を倒してやるからな。このいくさ、俺が終わらせてやる!」

 

「……人の話を聞いているのですかね、このガキは」

 

「邪魔したなちょび髭! てめぇんとこの大将の首、この俺が貰うぜ!」

 

 キルーフはイスカリオ王を探すため、その場を走り去ろうとした。

 

 だが次の瞬間、目の前に炎の柱が燃え上がる。

 

「うお! なんだ!?」驚いて後方へ跳ぶキルーフ。

 

「……あなたみたいながガキが、ドリスト陛下の相手になるワケがないでしょう」ちょび髭男キャムデンが、杖をキルーフに向けて言った。どうやら、今の火柱はこの男の魔法らしい。

 

 キルーフはキャムデンを睨む。「てめぇの仕業か! 邪魔するなら、てめぇからたたき斬るぞ!」

 

 キャムデンは大袈裟にため息をついた。「やれやれ。身の程を知らぬというのは、恐ろしいですな。まあ、あなたみたいなガキを見逃して、その結果ドリスト陛下の手を煩わせた、なんてことがバレたら、後で大変な目に遭わされますからな。仕方ありません。この私が、お相手してさしあげましょう」

 

「へっ! 王様が怖いってか? そういや、聞くところによると、てめぇらの王は、ずいぶんと変わり者らしいな。自分勝手好き放題やって、国の中はメチャクチャらしいじゃねぇか? よくそんなヤツに仕えてるな」

 

「フン。私が誰に仕えようが、私の勝手です」

 

「まあ、確かにそうだがな。だが、仕える相手はよく考えた方がいいぞ? うちのリオネッセは、全ての人々が平等な国を造ろうとしているんだ。その理想を実現するために、俺たちは騎士となって、あいつに仕えている。てめぇんとこの王はどうだ? 全ての人々が平等な世界をつくれるか?」

 

「全ての人々に平等な世界を、うちの陛下が?」キャムデンは目を丸くした後、手のひらを振って応えた。「ムリムリ。うちの陛下に、そんなことできるわけがありません」

 

「……なに?」予想外の返答に、驚くキルーフ。

 

「ドリスト陛下は、とにかく自分が楽しければそれでいいというお方。平等な世界を造ろうなんて、そもそも考えもしないでしょう。それに比べて、そちらの女王は高い理想をお持ちようで。いやはや、羨ましい限りです」

 

「……お前。見た目はインチキ臭い詐欺師みたいだが、実はイイ奴なのか?」

 

「誰がインチキ臭い詐欺師ですか。まったく、失礼なガキです」

 

「ああ、すまんすまん。それより、そう思うんなら、レオニアに来いよ。仲間は大歓迎だ。一緒に、誰もが平等な世界をつくろうぜ」

 

「御免ですな」キャムデンは、きっぱりと言った。

 

「なに?」

 

「全ての人々が平等な世界なんて、まっぴら御免です。私は、私のように努力をした者が報われる世界をつくりたいのですよ。努力は必ず報われる……ああ、なんと素晴らしい言葉でしょう」

 

 キャムデンは、己の言葉に陶酔したような表情になり、天に向かって祈るような仕草をした。

 

 しばらく天を仰いだキャムデンは、キッ! と、キルーフを睨む。「そもそも、誰もが平等な世界なんて、成り立つわけがないでしょう? 少し考えれば、判りそうなモノですけどね」

 

「なんだと!?」

 

「努力した者としない者が同じに扱われて、それが良い世界なのですか? 一生懸命働いた者と、サボってばかりの者、どちらも賃金が同じなら、誰も働かなくなります。それで、国としてやっていけると思いますか? 誰もが平等な世界……いかにもインチキ臭い宗教家が言いそうなセリフですな」

 

「てめぇ! リオネッセの理想をバカにするのか!?」

 

「バカにしているワケじゃありません。真実を述べているだけです。違うというのなら、反論してみなさい」

 

「それは……」と言ったまま、次の言葉が出てこないキルーフ。

 

 これまで、リオネッセの言う『誰もが平等な国』を、理想の国だと信じて疑わなかった。しかし、誰もが平等というからには、あの男の言う通り、働き者も怠け者も同じように扱うということだ。働こうが働くまいが賃金が同じなら、誰も働かなくなる。はたしてそれが、理想の国と言えるのだろうか?

 

 キャムデンはバカにしたように笑う。「ほらごらんなさい。何も言い返せないではありませんか」

 

「うるせぇ! ごちゃごちゃと理屈ばかり並べやがって。俺が一番嫌いなタイプの人間だぜ。その曲がった根性、俺が叩き直してやる!」

 

 キルーフは斧を構えた。

 

 キャムデンは髭を人差し指にくるくると巻きつけ、弾いた。「ほほう。奇遇ですな。私も、理屈でかなわないから暴力に訴えるあなたのような人間が、一番嫌いなのですよ。よろしい。このキャムデン様の恐ろしさ、思い知らせてあげます」

 

 キャムデンも杖を構える。

 

「面白れぇ! やってみやがれ!」

 

 キルーフは斧を振り上げ走る。迎え撃つべく、キャムデンも腰を落とし、魔法を使うための精神集中を始めた。

 

 と、その時。

 

 鼓膜に針が刺さるような高く細い笛の音が、周囲に響き渡った。

 

「むむっ! あの音は!!」

 

 精神集中をやめ、くるっと身をひるがえし、音のした方を見るキャムデン。

 

「うおっ!」

 

 突然相手が身をひるがえしたため、キルーフの斧は大きく空振りし、そのまま勢い余って城壁の外に落ちそうになる。高さは十メートル以上。落ちたら命が危うい。なんとか踏みとどまるキルーフ。「おいてめぇ! いきなり避けんな!!」

 

 キャムデンはキルーフの言葉を無視し、独り言のようにつぶやく。「撤退の笛の音? ここまで攻め込んでおきながら、一体なぜ……」

 

 しばらく考えた後、キャムデンはっとした表情になり、懐から時計を取り出した。「おお! 陛下がお昼寝をされる時間ではありませんか!」

 

「あん? 昼寝だと?」

 

「仕方ありません。皆の者! 撤退! 撤退です!!」

 

 キャムデンが叫ぶと、それまで戦っていた兵士は皆戦いを放棄し、我先にと城壁の下へと下り始めた。

 

「……おいおい。ホントに昼寝のために撤退するつもりか?」

 

「陛下のお昼寝の時間は絶対です。残念ですが、あなたをこんがりジューシー焼肉にするのは、また今度にしましょう」

 

「ケッ! 逃がすワケないだろ!」

 

 再び斧を振り上げるキルーフ。

 

 キャムデンはキルーフに背を向け、走り出した。

 

「待ちやがれ!」

 

 追いかけるキルーフ。足の速さには自信があるが、追いつけない。差がどんどん開いて行く。どうやら、動きが早くなる魔法を使ったようだ。キャムデンはものすごいスピードで城壁の上を走り、梯子を下りると、あっという間に西へと走り去っていった。

 

 キルーフは周囲を見渡した。城壁の上から、敵兵はすべて消えている。下を見ると、大勢の兵が、西へ向かって走っていた。突然のことにレオニア兵はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて、砦の防衛に成功したことが判ると、一斉に歓声を上げた。

 

「……ちっ!」

 

 舌打ちするキルーフ。砦の防衛に成功したことは喜ばしいが、敵将を討ち損ねたこと、そして何より、リオネッセの理想とする世界を否定され、それに反論できなかったことが忌々しかった。

 

 ――リオネッセの理想が間違っているワケがねぇ! 誰が何と言おうと、俺はあいつの理想を実現して見せる!

 

 キルーフは、迷いを振り払うように自分に言い聞かせ、改めてリオネッセを護ると心に誓った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 グイングライン 聖王暦二一五年六月下 ノルガルド/オークニー

 オークニー城の個室にて、ノルガルドの軍師・グイングラインは、テーブルの上に地図を広げ、その上に配置した多数の駒を見ながら、頭の中で策を巡らせていた。昼の会議にて、ひと月以内にエストレガレス帝国領のリドニー要塞を攻めることが決まった。地図は、リドニー付近のものである。リドニーは、アルメキア大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川の中央の島にある天然の要塞だ。ここを落とすため、グイングラインは開戦当初から準備を進めていた。船を用意し、水兵や高空兵の部隊も編制している。リドニーに駐屯している敵兵の情報も可能な限り集めている。地図上に配置した人や船の形をした駒は、自軍と敵軍の兵力を模したものだ。自軍の駒を動かすたびに、敵軍の動きを予想し、次の手を考える。自軍と敵軍の駒がぶつかれば、兵力を分析し結果を導き出す。そして、次の手を打つ。そこにあるのはただの地図と駒だが、グインの頭の中で、それは、実際の戦場を、はるかな空の上から見下ろした光景となる。多くの兵が戦い、倒れて行く。自軍の被害も少なくはないが、それでも少しずつ侵攻し、やがて、リドニーを陥落させる。

 

 グインはこれまでも、リドニー攻略の模擬戦を数えきれないほど繰り返して来た。勝率はすでに九割を超えているが、こういった模擬戦は、事前に何十回、何百回、何千回行おうとも、実戦でその通りに運ぶことはまず無い。どれほど万全を期そうとも、不測の事態というものは必ず起こるものなのだ。だが、そういった不測の事態に対応するためにも、さらに模擬戦を重ねる必要がある。グインは駒を元の場所に戻し、もう一度動かし始めた。

 

 ノックの音がし、続いて、「ノイエです。モルホルト様よりお預かりした報告書をお持ちしました」と、透き通るような声がした。グインが入るように促すと、扉が開き、小柄な少女が部屋に入った。一見すると従者のようだが、彼女もノルガルドに仕える騎士である。

 

 ノイエは報告書を差し出した。「オークニー城の守備に関する報告書とのことです」

 

 昼の会議にて、モルホルトはオークニー城の守備に就くことが決まった。騎士の誰を駐屯させるか、どのように兵を配置するか、などをまとめたものだ。

 

「ありがとう」

 

 グインが礼を言って報告書を受け取ろうとしたとき、ノイエが小さく咳をした。

 

「も……申し訳ありません」ノイエは口元を手で押さえた。

 

「いえ、お気になさらずに」グインは小さく笑いながら言った。「オークニーはノルガルドと違い温暖な気候ですが、急激な気温の変化は逆に体調を崩しやすいですからな。今日は早めに休まれるのがよろしかろう」

 

「はい、そうさせていただきます。では、失礼し――」

 

 ノイエの言葉は咳に変わった。手のひらで口を押さえ、こらえようとしているが、咳は止まらない。

 

「ノイエ殿? 大丈夫か?」

 

 駆け寄ろうとするグインを、ノイエは手のひらを向けて止める。「大丈夫……です……すぐに……治まりますから……」

 

 その言葉も、咳に埋もれて聞き取れるかどうかというものだった。とても大丈夫とは思えない。咳はさらにひどくなり、ノイエは、膝から崩れ落ちるようにその場にへたり込む。

 

「ノイエ殿――!?」

 

 駆け寄ったグインは一瞬言葉を失った。床に、大きく血が広がっていた。咳と共にノイエが吐き出したようだ。

 

「すみません……お部屋を……汚してしまいました……すぐに……掃除をしますので……」咳き込みながら立ち上がろうとするノイエ。

 

「そんなことはいい! それより、こちらへ!」

 

 グインはノイエをベッドまで運ぶため、抱きかかえた。衣服の上からでもはっきりと判るほどの高熱だった。通常ならば意識が混濁してくるほどの熱だろう。このような状態で、今日一日仕事をしていたのか。グインは、ノイエをベッドまで運んだ。

 

「今、医者を呼んできます」

 

 そう言って部屋から出ようとしたグインだったが。

 

「待ってください! お医者様は、呼ばないで!」

 

 叫ぶノイエ。激しい咳で喋ることも難しいはずなのに、強い意志が感じられるほどに、はっきりとした声だった。

 

「しかし、その様子では……」

 

「大丈夫……です……いつもの……発作です……薬がありますので……それを飲めば……すぐに治まります……」

 

 ノイエは携えていた布袋から丸薬を取り出し、口に含んだ。そして、虚ろな目でグインを見る。「このまま……しばらく……横になっていても……よろしいでしょうか……?」

 

「ああ、それは構いませんが……本当に、医者を呼ばなくて大丈夫ですか?」

 

「はい……大丈夫です……それに……お医者様を呼んでも……無駄なんです……」

 

「それは、一体――」と、訊きかけて、やめた。今は、休ませた方がいいだろう。

 

 グインは、大丈夫だというノイエの言葉を信じ、医者を呼ばず、そのまま見守ることにした。

 

 

 

 

 

 

 ノイエは、ヴェイナードが王に即位した後登用された騎士の一人だ。ノルガルドの騎士の中では、重臣ロードブルの娘・エライネに次ぐ若さの十九歳。騎士になる前は、舞台で歌っていたという、少々変わった経歴を持っている。

 

 ノイエの両親は、かつて宮廷楽師隊に属していた。宮廷楽士とは、王宮専属の音楽家のことで、パーティーや式典等で音楽を奏でるのが仕事だ。ノイエは、生まれながらに透き通るような声と天性の音感を持ち合わせていた。子供の頃から両親と共に楽士隊に属しおり、その歌声は多くの者を魅了し、『天使の歌声を持つ少女』として、国中に知れ渡る存在だった。

 

 しかし、この宮廷楽士隊は、当時王位にあったドレミディッヅの命により解散させられた。ドレミディッヅは何よりもいくさを好み、音楽などの芸術には興味が無く、音楽家よりも兵士を求めていたのだ。

 

 ノイエの両親は城から去ることになったが、ルーンの加護を受けていたノイエは、ヴェイナードの即位と共に仕官した。もちろん、あくまでも騎士としての仕官であり、楽士隊は、現在も存在しない。ヴェイナードはドレミディッヅと違い芸術の分野にも理解があるが、王位ついた彼は何よりも国力の回復を急務としたのだ。楽士隊の再編については、現時点では正式に言及していない。ノイエは現在、ヴェイナードやグインの元で雑務をしながら、騎士の修業をしている。傷の治療や祝福といった白魔法の取得に高い適性があるとの報告を受けており、今後が期待される騎士の一人であったのだが。

 

 

 

 

 

 

 ベッドに横になっているノイエ。額に弾のような汗をいくつも浮かべ、短い呼吸を繰り返している。ただ、激しい咳は治まりつつあるようだ。先ほど服んだ薬が効いてきたようだ。やがて、呼吸も穏やかになる。グインは、安堵の息を洩らした。

 

「……ありがとうございます。もう、大丈夫です」

 

 そう言って身体を起こそうとするノイエを、グインは制した。「まだ横になっていた方がいい」

 

「しかし、ご迷惑では……」

 

「それは構わないから」

 

 グインはノイエの肩に手を添えると、ゆっくりと寝かせた。

 

「申し訳ありません」

 

「気にしないでいい。それより――」グインは、一瞬ためらったが、思い切って訊くことにした。「医者を呼んでも無駄、というのは、どういうことなのですか?」

 

「そ……それは」と、言い淀んだ後、目を逸らすノイエ。「何でもありません。忘れてください」

 

「そういう訳にはいきません。私はノルガルドの軍師。騎士の健康状態は、正確に把握しておく義務があります」

 

「…………」

 

 小さな拳を胸の前で握り、目を逸らしたままのノイエ。やがて、ためらいながらも話し始めた。

 

 不治の病に侵されている、という。

 

 発症したのは二年前だった。国中の医者に診てもらったが、有効な治療法はなく、できることは、時折起こる発作を、薬で抑えることだけだという。

 

「――余命は、あと二年と言われました」ノイエは、静かな口調で言った。

 

「二年――」

 

 グインは、その言葉の意味を噛みしめるようにつぶやいた。

 

 ノイエは、いま十九歳。二十一まで生きられるかどうか、ということになる。ノルガルド国民の平均寿命は、他国と比べてかなり低い。寒冷地で食料生産に乏しく、また、いくさが多く若者が戦場に駆り立てられることが多いのが理由だ。それでも、二十一歳はあまりにも早すぎる。

 

「そのことを、陛下はご存じなのですか?」と、グインは訊いた。

 

 ノイエは、小さく首を振った。「陛下にはお伝えしておりません。他の騎士の誰にも……両親にさえ、話していません」

 

「御両親にも?」

 

「はい。話せば、絶対に連れ戻そうとするでしょうから」ノイエは、小さく笑った。「騎士として仕官することにさえ、猛反対されましたからね」

 

 両親が反対するのも当然と言えた。ノルガルドでは、男尊女卑の風習が根深く残っている。騎士や軍人は男の仕事であり、女は家庭に入るもの、と考える者は、決して珍しくない。最近では女性の騎士も増えてきたが、ノイエの両親のような世代は、女が騎士になることを認めない者が多いだろう。そもそも、可愛い娘が戦場に立つことを喜ぶ親などまずいない。

 

 ずっと目を伏せていたノイエだったが、ふいに、まっすぐな視線をグインに向けた。「グイン様。病のことを隠して仕官したことは、本当に申し訳なく思います。しかし、どうかこのまま、病のことは誰にも伝えず、騎士として、陛下にお仕えすることをお許しください」

 

「いや……しかし……」と、言葉に窮するグイン。「ノイエ殿は、それで良いのですか? このまま軍に属していれば、遠からず、戦場に立つことになります。残り少ない命を戦場で過ごすことはありません。御両親と共に過ごしたり、夢や、やりたいことをされた方が良いのではありませんか?」

 

「残り少ない命だからこそ、陛下に捧げたいのです!」

 

 それは、普段物静かなノイエからは想像もつかないほどの声だった。瞳からも、強い意志を感じる。それはまぎれもなく、ノイエの覚悟の表れだった。

 

 だが、判らない。なぜそこまでして、戦場に身を置きたいのだろう? 女性としての幸せを求めた方が良いのではないのか? あるいは、歌い手として舞台に立つ道もある。二年という時間はあまりにも短いが、それでも、できることは多いはずだ。

 

 そんなグインの考えを察したのか、ノイエは、静かに語り始めた。「――十年近く前の話ですが、宮廷楽師隊にいた頃、宮中の晩餐会で、一度だけ、ヴェイナード陛下の御前で歌ったことがあるのです。まだ子供で未熟だった私の歌ですが、陛下から、大変なお褒めの言葉を頂きました。陛下の御前で歌ったのはその一度きりで、もしかしたら、陛下はもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私には、決して忘れることのできない思い出です」

 

 ノイエは小さく笑みを浮かべた後、思い出を噛みしめるように続ける。

 

「その後、前王ドレミディッヅ様の命により、楽士隊は解散させられました。でも、その時、宮中でただ一人反対されたのが、ヴェイナード陛下だったのです」

 

 そのことは、グインもよく覚えていた。三年ほど前の話だ。前王ドレミディッヅは何よりもいくさを好み、また、ちょうど旧アルメキアとの戦争が激化し始めた頃である。前王にとっては、楽士隊など無用の長物であったのだ。楽士隊を解散させ、浮いた費用をいくさに回すと考えるのは当然であろう。

 

 ヴェイナードはただ一人、この楽士隊の解散に反対した。しかし、当時のヴェイナードは、王の傍系とはいえ宮中内での発言権は低く、なにより、前王はいくさに関わることは誰の意見であろうと耳を貸すことは無い男だった。結局、ヴェイナードに楽士隊の解散を止めることはできず、彼がそのことを悔やんでいたのを、グインはよく覚えている。

 

「ヴェイナード陛下は、楽士隊の解散を止められなかったことを、わざわざ私に謝りに来てくれたのです。こんなことを言うのは大変おこがましいのですが、陛下は私のためにドレミディッヅ様に反対してくれたのではないかと、嬉しく思いました。そして、いつか必ず、楽士隊を再編して見せる、と、お約束いただいたのです」

 

 ノイエは希望に満ちた瞳で語った。

 

「しかし……それは……」と、言い淀むグイン。はたしてヴェイナードに、その意志があるだろうか。

 

 旧アルメキアとの戦争で、前王ドレミディッヅは戦死し、ヴェイナードが王位に就いた。今の彼ならば、楽士隊を再編するのは簡単だろう。だがヴェイナードは、公式にはもちろん、側近であるグインにさえ、楽士隊のことは何も話していない。恐らく、現時点で再編の意思は無いであろう。ヴェイナードはドレミディッヅのようないくさ好きではないが、今回のいくさには国の未来を賭けている。決して負けるわけにはいかない。そんな状態で、楽士隊の再編に気を回す余裕はないだろう。

 

「――いいんです」グインの気持ちを察したかのように、ノイエは笑った。「陛下がこのいくさに国の行く末を賭けていることは判っています。楽士隊の再編なんて、考えている余裕はないでしょう。それ以前に、陛下は私との約束なんて、もう覚えていないかもしれません」

 

「いや、恐らくそんなことは……」

 

「それでもいいんです。陛下は、私や楽士隊のために尽くしてくれた。だったら、今度は私が、陛下のために尽くす番です」

 

 ノイエは身体を起こすと、決意のこもった瞳でグインを見た。「グイン様。どうか、このまま騎士として身を置くことをお許しください! 私の力ではが陛下のお役になど立てないかもしれません。それでも、何もせずただ死ぬのを待っているのはイヤなんです! 病に侵されているとはいえ、普段は何も問題ありません。ときどき今のような発作が表れますが、薬ですぐに抑えることができます。決して、病が原因でご迷惑をおかけすることはありません。ですからどうか、このまま最後まで騎士としてお仕えすることをお許しください!」

 

「――――」

 

 グインは、無言でノイエを見つめる。

 

 さきほど、「残り短い命ならば、女としての幸せを求めた方が良いのではないか?」と思った自分を恥じた。男尊女卑の考えが根深いノルガルドにおいて、自分は、女性が社会進出することに理解を示しているつもりでいた。ノルガルド軍内でも、女性騎士の登用を積極的に行っている。だが、心の中では、まだまだ古い考えに縛られていたようだ。命尽きるまで陛下に仕える――それは騎士ならば当然の思いであり、そこに、男も女も関係ない。

 

 無論、病を隠して仕官したことは重大な軍法違反であり、除隊処分の対象になりうる。病でいつ命を落とすかも判らぬ者を、作戦に組み込むことはできない。ノルガルド軍の全てを預かる軍師であるならば、ノイエには直ちに除隊を命じるべきであろう。

 

 だが、グインは。

 

「判りました。そこまでおっしゃるのであれば、今夜のことは見なかったことにしましょう」

 

 そう言った。

 

「ありがとうございます。必ずや、陛下のためにお役にたって見せます。」

 

 ノイエは、何度も何度も頭を下げた。

 

「ですが、ノイエ殿、決して、無理はされぬよう」

 

「――はい」

 

 ノイエは、決意を込めた瞳で頷いた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 キルーフ 聖王暦二一五年六月下 レオニア/ハドリアン

 イスカリオとの国境を護るレオニアの砦・ハドリアン。その一角にある騎士の宿舎から出てきたキルーフは、空を見上げ、大きく伸びをした。空は雲ひとつ無く晴れ渡り、夏を間近に控えて強さを増す陽射しも、山から吹き降ろすさわやかな風が和らげてくれる。気持ちのいい朝だ。先日、イスカリオ軍との激しいいくさがあったのが嘘のようである。

 

「こんな日は、()()()とのんびり散歩でもするのが一番なんだが……」

 

 残念ながら、アイツ――女王リオネッセは、現在首都ターラにいる。キルーフはこのハドリアン防衛の任についており、離れることはできない。しょうがない。どこか陽当たりのいい場所で昼寝でもするか……などと考えていたら。

 

「――今ごろ起きてきた上に大あくびとは、随分と呑気なものだな」

 

 鼻につく言い方に、すがすがしい気分も一瞬で吹き飛んでしまう。声がした方を見ると、神官騎士団長のアスミットが腕組みをして睨んでいた。

 

 キルーフは舌打ちをした。「……朝からアスミットの顔見るとは、最悪な気分だぜ」

 

「そなた気分などどうでもいい。そなたの任務はこの砦の防衛のはずだが、そうのんきに構えて大丈夫なのか?」

 

「あん? 問題ねぇよ。イスカリオが攻めてくる気配はない。静かなモンだぜ」

 

 十日ほど前、このハドリアン砦は隣国イスカリオの侵攻を受けた。一時は城壁の上まで敵兵に押し込まれるほどの苦戦を強いられたが、政務補佐官のパテルヌスが指揮を取り、なんとか敵の撃退に成功した。以来、イスカリオ軍に大きな動きはない。

 

 キルーフは頭の後ろに手を回した。「連中、この前のいくさに負けて、ビビってんじゃねぇのか?」

 

「ほほう――」と、アスミットが顎を上げた。「イスカリオの騎士が委縮していると、なぜ言えるのだ? そう考える根拠を説明してもらおう」

 

「うるせぇな。そんなもんねぇよ。相変わらず理屈っぽいヤツだぜ」

 

 アスミットは大きくため息をついた。「イスカリオ軍は、いつまた攻めて来るやもしれぬ。警戒を怠るな」

 

「判ってるよ! ちゃんと見張りをしてればいいんだろ!」

 

 キルーフはイスカリオ領を見渡せる西側の城壁へ向かおうとしたが。

 

「砦の外を見張っていればいいというものではないぞ」アスミットがクギを刺すように言う。「砦の中の警戒も、決して怠るな。先日のいくさ、イスカリオ軍が撤退したことで我らが勝利した形にはなったが、事実上、あのいくさは我らの敗北と言っていい」

 

「くどいな。その話なら、もう何度も聞いたよ」

 

「何度言っても理解していないようだから、また説明しているのだ」

 

 アスミットは、これまで何度も聞いた話を、また最初からくどくどと説明し始めた。

 

 先日のイスカリオとのいくさにて、イスカリオ軍が行った作戦は、事前にハドリアン砦内に工作員を潜り込ませ、守備の要とも言える怪鳥ロックの爪を切り落とし、嘴をロープで結ぶ、というものである。さらに、混乱状態にあるレオニア兵に対し、闇の飛竜と呼ばれ恐れられている強力なモンスター・バハムートを使い、攻撃してきたのだった。

 

「――この作戦、一見すると馬鹿げているように思えるが、そうではない。我々とて、間者や斥候の潜入には常に目を光らせている。その隙を突き、飼育係としてイスカリオの息のかかった者を潜り込ませ、その上、一晩ですべてのロックの爪を切り嘴をロープで結ぶなど、並の斥候にできることではない。さらに、混乱状態のところへ切り札とも言えるバハムートを投入するなど、極めて効果的だ。此度のイスカリオが行った作戦は、最初から最後まで理にかなっている。深い計算がなければできるものではない」

 

「そんなの、お前の考えすぎだよ」キルーフはひらひらと手を振った。「いくさの時、アイツらの軍師ってヤツと戦ったが、インチキ臭い詐欺師みたいなヤツで、とても頭が良さそうには見えなかったぜ? それに、どの道ヤツらは逃げ出したんだから、勝ったことには変わりないだろ?」

 

「その撤退の仕方も不自然だった。奴らは、こちらの作戦に気が付いていたのかもしれん」

 

「…………」

 

 このハドリアンには、城壁を突破された時のために、ひとつの大きな作戦を用意していた。砦内には、フェニックスを配置していたのである。

 

 フェニックスは、怪鳥ロックが進化したモンスターである。鉤爪に炎を宿し、鳴き声で傷を癒す強力なモンスターだ。バハムートがイスカリオの切り札なら、フェニックスはレオニアの切り札と言える。

 

 敵が城壁を越え、砦内に侵入してきた場合、レオニア軍はこのフェニックスを解き放ち、イスカリオ兵を一網打尽にする作戦だったのだ。

 

 だが。

 

 イスカリオ兵が城壁を越え、いよいよ作戦を実行に移そうとした時、敵の総大将であるドリストは、なぜか兵を下がらせたのだ。そのため、作戦は空振りに終わった。結果的にレオニアはハドリアンを防衛する形になったが、序盤のバハムートの攻撃が大きく、被害はイスカリオよりもレオニアの方が大きかった。また、爪を切られたロック部隊は、今だ再編の目処が立っていない。

 

 さらに、先日、大きな事件があった。防衛の切り札であるフェニックスが、何者かによって殺害されたのである。

 

 フェニックスは、騎士宿舎のすぐ隣の小屋で飼育されている。二日前の朝、飼育係が小屋を開けたら、首のないフェニックスの遺体が発見された。夜中、何者かが小屋に侵入し、殺害。首を持ち去ったものと見られている。

 

 だが、言うまでもなくフェニックスは極めて強力なモンスターだ。襲われたのに何の反撃もしないことはあり得ない。なのに、すぐ隣に宿舎があるにもかかわらず、騒ぎはおろか物音ひとつ聞いた者さえいないのだ。

 

「――何者の仕業か不明だが、これがもしイスカリオの手によるものであったなら恐ろしいことだ。厳しい警備の目を盗んで砦内に忍び込み、痕跡のひとつも残さずフェニックスを暗殺するなど、相当な腕前の刺客でないと不可能だ。そなたの言う通り、全ては考え過ぎなのかもしれぬ。だが、だからと言って軽視するわけにはいかんのだ。私の考え過ぎであるのならばそれで構わない。ただ無駄な労力を使ったというだけの話だ。だが、考え過ぎでなかった場合――」

 

「判った判った。ちゃんと見回りするから、お前は早く城に帰れ」

 

 キルーフはアスミットの言葉を遮り、追い払うように右手を振った。

 

 しかし、アスミットの話は終わらない。

 

「ただ見回りすればいいというものではない。時間がある時は、兵法のひとつでも勉強しておくんだな」

 

「本当にしつこいな、お前は。判ったって言ってんだろ」

 

「先日教えた、首都ターラでの戦い方は、もう覚えたか? きちんと復習をしておかないと、いざという時に実行できんぞ」

 

 レオニアの本拠地であるターラは、湖中央の島に城を構えるという特殊な地形をしている。防衛に強い反面、退路がない、兵糧攻めに弱い、などの欠点も併せ持つ。そのため、レオニア領内でも特殊な戦い方が必要な城だった。

 

「お前がいろいろごちゃごちゃ言うから、忘れちまったぜ」

 

「まったく……そんな心構えで、国が護れるのか」

 

「ターラでの戦い方なんて必要ねぇよ。要は、ここで敵の侵攻を食い止めればいいだけの話だろ」

 

「無論、それが最善だ。だが、我らはいかなる場合にも備えておかねばならん」

 

「ごちゃごちゃ面倒なこと考えても仕方ないだろ。戦いは力だ! 相手を倒せばそれで終わり。簡単なことだろうが。小賢しい策なんか、俺には必要ねぇ!」

 

 キルーフは拳を突き上げて言った。戦いは力――子供の頃から頭を使うのが苦手で、腕っ節の強さだけが自慢だったキルーフには、当然の理論だった。

 

 アスミットは深くため息をついたが。

 

「……まあ、そなたの言うことは間違いではない」

 

 意外にも、否定はしなかった。

 

「お? どうした急に?」

 

「戦場において、力が策を凌駕するのは決して珍しいことではない。あのゼメキスの戦い方などはまさにそれだ。まったくの無策という訳ではないが、最終的には力でねじ伏せる戦い方を得意としている。私には理解しがたいことだがな」

 

「フン、ゼメキスと比べられるのは気に入らねぇが、ようやくお前も、俺の言うことを聞く気になったか」

 

「仕方あるまい。事実は事実として認めねばならぬ。それに、そなたのように学が無い者に兵法を学べと言うのも、無理がある話だ」

 

「学が無いは余計だろ!」

 

「そなたが兵法よりも力に頼った戦い方をするのであれば、それは構わぬ。それも戦法のひとつだ。適さぬ戦い方を強要しても戦果には繋がらぬであろうし、私もこれからは、そなたは力に頼った戦いをするという前提で戦略を練ることにしよう」

 

「そうしてもらえるとありがたいぜ」

 

「だが、これだけは心しておけ。そなたの敗北が、即、国の滅亡につながる可能性もある。その時後悔しても遅いのだぞ」

 

「判った判った。しっかりと肝に銘じておくよ」

 

「……判っていないようなので言い方を変えよう。そなたの敗北は、女王の命を危険にさらすことになる」

 

「…………っ!」

 

 それまで適当に話を聞き流していたキルーフの表情が変わる。

 

 レオニアの騎士は決して十分な人数ではない。一人失うだけでも大きな損失だ。国土もそう広くはない。砦をいくつか落とされるだけで、すぐにターラまで手が届く。常々、アスミットから言われていることだった。

 

 アスミットは、キルーフの目を真っ直ぐに見て言った。

 

「いま一度問う。力だけで、女王を護れるのだな?」

 

 キルーフは、答えることができなかった。

 

「……私の話は以上だ。早く持ち場につけ」

 

 アスミットはそう言い残し、去って行った。

 

 キルーフはアスミットの背中に何か言おうとしたが、やはり、何も言えなかった。先日のイスカリオとの戦いを思い出す。あの時、軍師を名乗る男に「誰もが平等な世界など成り立たない」と言われたが、何も言い返せなかった。

 

 力だけで女王――リオネッセを護ることができるのか? もちろんだ、と言いたいが、今のキルーフでは、そんなのは口だけに過ぎない。腕っ節には自信がある。だが、それも騎士になる前までの話だ。これまでいかに自分の力を過信していたか、騎士になって嫌というほど判った。この国の騎士だけで、キルーフよりも力の強い者は何人もいる。決して大きくはない国の、しかも、どちらかといえば神官や魔術師が多いこのレオニアでさえこのザマだ。他国には、もっと力の強い騎士はいるだろう。

 

 ――力だけで、女王を護れるのだな?

 

 アスミットの最後の問いが、何度も頭をよぎる。

 

「……うっせぇな……判ってんだよ……ちくしょう!」

 

 キルーフは、腹立ちまぎれに足元の小石を蹴っ飛ばした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 グイングライン 聖王暦二一五年七月下 ノルガルド/フログエル

 ノルガルドの軍師グイングラインは、王の執務室の扉をノックし、名乗った。中から「入れ」と、短い声がする。グインは扉を開け、中に入った。

 

「お呼びでしょうか、陛下」

 

 グインが右拳を左掌で包むと、王ヴェイナードは、「うむ」と威厳のある声で頷き、続けた。「リドニー要塞侵攻時の兵の配備についてだがな――」

 

 やはりそうか、と、グインは心の中で思った。実の所、呼ばれた理由には心当たりがあったのだ。

 

 リドニー要塞は、ノルガルドとエストレガレス帝国の国境にある敵国の砦だ。フォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード河の中州に建ち、長年ノルガルドの南への侵出を阻んできた難攻不落の城である。ここを落とすために、グインは開戦当初から――いや、開戦よりもはるか以前から準備を進めてきた。兵を育成し、船や武器を用意し、空中や水上での戦いを得意とするモンスターを召喚し、そして、何度も模擬戦を行った。それらを踏まえ、先日、最終的な作戦をまとめた資料を王に提出したのだった。

 

 ヴェイナード王は、資料を机の上に置いた。「作戦の概要を見たのだが、兵の配置は、これであっているのか?」

 

「はい。何か不備がありましたでしょうか?」

 

「いや、不備という程でもないが……俺の部隊にノイエが入っているのが気になったのでな」

 

「…………」

 

 やはりその件であったか――グインは胸の内で呟いた。

 

 ノイエは、騎士になってまだ一年ほどの少女だ。現在はヴェイナードやグインの元で雑務をこなしながら修業を行っている。騎士になる前は舞台で歌を歌っていたという経歴の持ち主で、武術や魔法の経験は乏しく、まだ見習いと言っていい。

 

 ヴェイナードは手を組み、机の上に肘をついた。「リドニー攻めは、俺も前線に立つ。指揮をするだけでなく、自ら先頭に立って戦うつもりだ。厳しい戦いになる。あの娘には、荷が重かろう」

 

 グインはこれまで何度もリドニー攻めの模擬戦を行った。勝率は九割を超えているが、自軍も多大な被害をこうむるのは避けられない。その上、どんなに事前に模擬戦を重ねても、いざ実戦となると不測の事態は必ず起こる。戦闘経験に乏しいノイエは、荷が重いどころか足手まといになる可能性さえある。

 

 だが、それを踏まえても、ノイエをヴェイナードの部隊に入れることには意味があると、グインは考えていた。

 

「確かに、今のノイエ殿には少々荷が重いかもしれません。しかし、彼女には大きな可能性を感じます。時間はかかるかもしれませんが、必ずや、陛下の部隊を支える要となるでしょう。今ここで大きないくさを経験させておくことは、無駄ではありません」

 

 グインは、力強く言った。

 

「そうか……確かに、訓練で優秀な成績を収めているという話は、よく耳にするな」

 

 グインは、事前にノイエの訓練状況について調べていた。訓練を始めた頃から傷の治療や祝福といった白魔法の取得に才能を発揮しており、将来優秀な癒し手になると思われた。本来ならばそのまま白魔法の修練に励むところなのだが、彼女は最近、吹雪を起こしたり魔法への耐性力を上げるなどの青魔法の取得に励み、そこでも高い適応力を発揮している。異なる属性の魔法を取得するのはかなりの修練が必要で、まして、治療を中心とした白魔法と、攻撃を中心とした青魔法を同時に取得するのは、並大抵の努力ではできない。それを、騎士となって一年ほどの少女が行っている。あと二、三年もすれば、ノルガルド1の魔法の使い手になるであろう。

 

「判った。お前がそれほど言うのであれば、信じよう」ヴェイナードは大きく頷いた。「だが、いかに訓練で優秀な成績を残そうとも、実戦は思うようにいかぬでろう。初陣で失うにはあまりにも惜しい逸材だ。せめて、ノイエが指揮する部隊に兵の増員をしよう。ハンバーから兵を移動させられるか?」

 

「はい。もう手配は整えております」

 

 グインがそう答えると、ヴェイナードは小さく笑った。「早いな。俺の考えなどお見通しという訳か」

 

「いえ、そういう訳では……」

 

「案外、俺よりお前が王になった方が、この国はうまく行くのかもしれんな」

 

「御冗談を。そのようなこと、ある訳がありません」

 

「いや、冗談ではない。お前は俺などよりはるかに人を見る目があり、軍略にも長けている。前王が死に、わずかな血の繋がりだけで俺が王になったが、本来ならば、お前の方が王に向いているだろう」

 

「陛下、それは違いますぞ」

 

「なに?」

 

「確かに私は、軍略ならば誰にも負けぬと自負しております。この動乱の時代を生き抜くためには、軍略は王にとって必要な能力であることも確かです。しかし、それだけでは、前王ドレミディッヅの時代と、何ら変わりません」

 

「――――」

 

「私は、あなたに必ず天下を取らせてみせます。しかし、天下を取ってそれで終わりという訳ではありません。我らは、このいくさが終わった先の未来も見据えなければなりません。いくさを終わらせるということは、他国を滅ぼすということ。しかし、国が滅びてもその地に民は残ります。我々が勝利したあかつきには、祖国を滅ぼされた民をも統べなければならないのです。当然、我々は深い恨みや憎しみを受けるでしょう。王は、それら敗戦国の民の負の感情を取り除き、新たな時代を生きる力を与えなければなりません。それは軍略などとは全く異なる力。それをお持ちなのは、私ではなくあなたです、陛下」

 

「グイン……」

 

 ヴェイナードはグインを真っ直ぐに見ていた。その言葉を胸に刻んでいるかのように。

 

 グインは小さく咳払いをした後、頭を下げた。「失礼。出過ぎたことを言いました」

 

「いや、構わぬ。身が引き締まる思いだ。お前がそばにいてくれて、本当に良かった。礼を言う」

 

「……ヴェイナード」

 

 思わず、『王』や『陛下』ではなく、名を口にするグイン。今は王と軍師の関係ではあるが、本来二人は幼き頃から友人であり、前王ドレミディッヅ時代も軍で同じ釜の飯を食った仲だった。前王の死をきっかけに表面的立場は大きく変わったが、心の内は何も変わっていないのかもしれない。

 

「グイン。これからも、よろしく頼む」

 

 主君であり、友人でもあるヴェイナードの言葉に。

 

「もちろんです。陛下」

 

 グインは右の拳を左の掌で包み込み、その決意を示した。

 

 

 

 

 

 

 王の執務室を出たグインは。

 

 ――私は、間違った判断をしているだろうか?

 

 己の胸に問う。

 

 ヴェイナードの元にノイエを置く。この判断は間違っていないか? 私は、王の命を危険にさらしているのではないか? これまで、何度も自問してきたことだった。リドニー攻めの模擬戦のように、何度も、何度も。先ほど王に対して、「軍略ならば誰にも負けぬと自負している」と言った。それは偽りではないが、どんなに自信があろうとも、己の考えが完全に正しいなどとは言えない。机上で行う模擬戦と同じだ。かならず、どこかに不測の事態がある。

 

 ノイエに可能性を感じているのは嘘ではない。彼女は、時間はかかるかもしれないが、いずれノルガルド1の魔法の使い手になるだろう。

 

 だが、ノイエには、その時間が許されていない。

 

 先日、ノイエはグインの自室で倒れた。不治の病に侵され、余命はあと二年だという。

 

 ノイエがいずれ王を支える存在になるのは間違いない。だが、その前に病で倒れる可能性は十分に考えられる。発作は薬で抑えられると言っていたが、もし、戦闘の重要な場面で発作が発生すれば、薬が効くのを待つことはおろか、服む暇さえないだろう。それが、軍の敗北、ひいては王の命にかかわるかもしれないのだ。

 

 だが、それでも。

 

 グインはノイエの決意に賭けてみたかった。

 

 決して長くはない命を陛下に奉げたいと言ったノイエ。その言葉に偽りはなく、目に見えて成長している。ノイエをヴェイナードの側に置けば、その成長はさらに加速するだろう。そう信じている。これは、決して情に流されての配備ではない。

 

 それに。

 

 ノイエには、騎士としての将来性だけでなく、もっと別の部分にも期待している。

 

 いま、エストレガレス帝国には、ヴェイナードの姉・エスメレーがいる。皇帝ゼメキスの妻として。

 

 間者に探らせているが、王都ログレスにいるという以外、詳しい情報はない。ログレスはゼメキスの反乱の際、大きく混乱した。ルーンの騎士であるエスメレーならば脱出は容易であったはずだが、いまだ彼女は王都に留まっている。脱出が困難なほど厳しい監視下にあるのか、あるいは、自らの意思でログレスに留まっているのか――それは判らない。

 

 いずれにしても。

 

 このままいくさを続けていれば、ヴェイナードは、いつか辛い決断をしなければならない。

 

 そのときヴェイナードを支えることができるのは、恐らく軍略家や友人などではない――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 リゲル 聖王暦二一五年四月上 イスカリオ/ランド家

 旧パドストーから故郷イスカリオの生家に帰って来たリゲルは、以前とほとんど変わらぬ屋敷の様子を見て、ほっと安堵の息を洩らした。家を出て四年。庭は雑草が生い茂り、外壁や窓には汚れが目立つ。荒れ放題ではあるが、手入れさえすれば問題なく住めそうだ。今日は一日限りの帰郷で、またここに住む予定は今のところないが、いつかこの家でもう一度暮らしたい。四年間、その思いを胸にパドストーで頑張って来たのだ。

 

 玄関を開けたリゲルは、思わず、「ただいま」と、言いそうになり、口元を手で押さえた。

 

 ――そんなこと言っても、誰もいないのに。

 

 胸の内でため息をつく。今、この家には誰も住んでいない。だから、「ただいま」と言っても、返事があるはずもない。

 

 ――ううん、そんなこと、ないよね。

 

 首を振るリゲル。確かに、今は誰も住んでいない。でも、きっと居る。今日は、父の命日なのだから。父が天国から帰ってきているかもしれない。そして、母も。

 

 だから。

 

「ただいまぁ!」

 

 リゲルは、屋敷中に聞こえるほどの大声で言った。

 

 すると。

 

「――リゲル? リゲルか?」

 

 奥の部屋から、懐かしい声がする。

 

 ――え? まさか?

 

 リゲルは声のした方に走った。奥の部屋――父の書斎だ。扉を開けると。

 

「カストール兄さん!」

 

 壁に掛けた父の遺影の前に、リゲルの兄・カストールがいた。

 

 カストールはリゲルを見て驚いた表情になり、そして、笑顔になった。「リゲル! お前も帰ってきたのか!」

 

「カストール兄さんこそ! まさか、帰って来てるなんて思わなかった!」

 

 父の遺影の前で、二人は手を取り合い、思わぬ再会を喜んだ。

 

 

 

 

 

 

 リゲルは、イスカリオのランド家という貴族の家に生まれた娘だ。現在は故郷を離れ、西アルメキアに騎士として仕えている。故郷を出て四年、騎士になってまだ二年の駆け出しだ。

 

 ランド家は、イスカリオで古くから続く貴族の家系だ。長男のミゲル、二男のカストール、末っ子のリゲルという三兄妹だが、とある事情により、現在は離れ離れに暮らしている。

 

 ランド家の家長であった父は、リゲルが五歳のときに病で亡くなった。当時のイスカリオの法律では、貴族の爵位や財産を妻が相続することはできず、長男のミゲルもまだ成人していなかった為、父の弟でリゲルたちには叔父にあたる人物が全ての財産を相続した。叔父は、ミゲルが成人したら爵位と財産をすべて相続させるつもりだったのだが、父が亡くなった二年後、後に狂王と呼ばれることになるドリストが王位に就き、彼の気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度は廃止されたのである。これにより、貴族も働かなければ食えなくなった。叔父は事業を始めたものの、世間知らずの貴族だった彼に商才があるはずもない。事業はことごとく失敗し、たちまち財産を食いつぶした叔父は、夜逃げ同然に姿を消した。母がうまくやりくりしたおかげでなんとかこの屋敷だけは残ったが、ランドの家名は地に落ちてしまった。

 

 そして、父亡き後女手ひとつで三兄妹を育てた母も、リゲルが十五歳になると同時に病で亡くなった。

 

 母の死後、三兄妹は失われたランドの家名を取り戻すことを誓い合った。幸い、三兄妹には幼い頃からルーンの加護があったため、騎士に仕官することができた。三人ともイスカリオに仕官することもできたのだが、狂王の元では、どんなに優秀な騎士であっても出世は王の気分次第であり、確実性は無い。そこで、長男のミゲルのみがイスカリオに残り、カストールとリゲルは故郷を離れ、それぞれ別の国に仕官することにしたのだ。兄妹の中から一人でも出世すれば、ランドの家名を復活させることができる、という訳だ。

 

「――家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない」

 

 四年前、兄弟全員でそう誓った。そして、それぞれこの家から旅立って行ったのだが……。

 

 リゲルだけは、毎年父の命日に、こっそり帰郷していたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――それにしても、まさかカストール兄さんまで帰って来てるなんて、思わなかったわ」

 

 キッチンのかまどでお湯を沸かし、お茶を淹れながら、リゲルは嬉しそうに言う。毎年帰郷しているリゲルだが、兄と会うのは初めてだ。四年ぶりの再会ということになる。

 

「俺も、本当は父さんや母さんの命日には帰って来たかったんだが、家名復興どころか、仕官する国さえ決まらなかったからな」

 

 カストールは、決まりが悪そうな顔で答えた。

 

 ミゲルは国に残ると決め、リゲルも家を出て早々に旧パドストーへの仕官を決めたのだが、カストールだけは、なかなか仕官する国を決められずにいた。いや、仕官こそしていたのだが、半年と経たず辞めてしまうことが多かった。

 

 二男のカストールは、家名の復興には騎士として手柄を立て、出世するのが近道だと考えていた。だから、一刻も早く騎士になり、戦場に出たいと思っていたのだが、ゼメキスのクーデターによって動乱の時代を迎えた現在ならともかく、それ以前の平和なフォルセナ大陸においては、手柄を立てる機会などそうそうない。そもそも、ルーンの加護があるとは言え騎士になることさえ簡単なことではなかったのだ。例えば、パドストーやカーレオン、アルメキアでは、騎士になるまでには一年から四年の間、専門の騎士訓練学校に通う必要がある。ノルガルドやレオニアには訓練学校のような制度はないが、ノルガルドで騎士になるには過去の実績やそれなりの才能が、レオニアでは神のお告げが必要であり、どちらもカストールは持っていない。イスカリオだけは誰でもすぐに騎士になれるが(もっともそれは、この国の騎士は騎士ではなく王の奴隷だからなのだが)、すでにミゲルが仕官している。

 

 そのような理由があり、カストールはなかなか仕官先が定まらず、早い出世を望むあまり仕官先が決められないという本末転倒な状態で四年間を過ごした。リゲルも心配していたのだが。

 

 先日、エストレガレス帝国への仕官が決まったとの手紙が届いた。帝国は新興国ですぐに騎士になることができ、いくさで手柄を立てれば誰でも出世できる。カストールにとっては、まさに理想の国だったのだ。

 

 ようやくカストールの仕官先が決まったのは嬉しかったが、仕官先がエストレガレス帝国であったことに、リゲルは心を痛めた。エストレガレスは、リゲルが仕えている西アルメキアと敵対している。それはつまり、戦場で会う可能性が高いことを意味していた。幸いと言うべきか、リゲルは騎士となってまだ間がないため、戦闘の最前線に配備される可能性は少ない。恐らくカストールも同様だろう。だが、この先戦争が激化すれば、どうなるかは判らない。

 

 ――ううん、きっと、大丈夫。

 

 不安を払拭するため、リゲルは精一杯笑う。淹れたてのお茶をテーブルに置き、カストールの前の席に座った。

 

「ミゲル兄さんも、戻って来ないかしら」お茶をすすりながら、リゲルはこの場にいない長男のことを思った。

 

「どうかな? 誓いを守って、出世するまで本当に戻って来ないかもな」

 

「家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない――ミゲル兄さん、家を出る時に、はっきりと言ってたものね」

 

「親の命日くらい帰って来てもいいと思うんだが……兄貴は真面目だからな。いつだったか。親父の花瓶を割ったことがあっただろ?」

 

「ええ、父さん、趣味でたくさん集めてたね」

 

「あんなの、山ほどあるうちのひとつだから、黙ってりゃバレやしないのに、兄貴は、わざわざ自分から謝りに行ってたからなぁ」

 

「でも、その正直さのおかげで、怒られなかったんだけどね」

 

「そうか? ただ親父が、その花瓶を大して気に入ってなかっただけだろ?」

 

「もう、ヒドイこと言うんだから」

 

 二人は笑い合い、しばらく兄の昔話をして懐かしんだ。

 

「……ミゲル兄さん、お城で苦労してなければいいけど」リゲルは、湯呑を見つめながらポツリと言った。

 

 狂王ドリスト噂は、遠く離れた西アルメキアにも聞こえてくる。身勝手で独善的な性格は、リゲルがイスカリオにいた頃よりさらに拍車がかかっているらしい。仕えている騎士も、インチキ臭い詐欺師のような魔術師や山賊風の大男、旅芸人に浪費癖の強い騎士と、ひと癖もふた癖もある者ばかり、数少ないまともな人間である政務補佐官は日々虐げられていると聞いている。あの真面目人間の兄がお城でどういう扱いを受けているのか……リゲルは心配でたまらない。

 

「あたし、ちょっとミゲル兄さんの様子を見てこようかしら……」

 

「やめとけよ。兄貴は、そんなことしても喜ばないよ」

 

「そうかもね……」

 

 ミゲルは真面目であるがゆえに、長男としての高い意識を持っている。妹が心配して様子を見に来たなどと知ったら、大きくプライドが傷つくだろう。

 

 リゲルは少し考えた後、ぱん、と手を叩いた。「そうだ! あたし、手紙を書くわ!」

 

「手紙か……そうだな。手紙なら、迷惑にもなるまい」

 

「うん!」

 

 リゲルは笑顔で頷くと、時間をかけて兄宛の手紙を書いた。

 

 そして、それを父の遺影がある書斎のテーブルの上に置いた。ミゲルが帰ってくれば、まずこの部屋に来るはずだ。ここならば目につきやすいだろう。

 

 カストールが首を傾けた。「手紙、出さないのか?」

 

「うん。ここに置いておくことにする」

 

「しかし、兄貴が帰って来るとは限らないぜ?」

 

「だからこそ、ここに置いておきたいの。ミゲル兄さんが帰って来るのって、本当につらい時だけだと思うから、そんな時、少しでも励ましになればと思って」

 

「……そうか」

 

「うん」

 

 陽が、大きく西に傾いている。帰郷の時間も、そろそろ終わりだ。

 

「リゲル、お前は先に帰れ」カストールが言う。「家を出れば、俺たちは敵同士だ。お前を傷つけるような真似は、したくない」

 

「……うん」

 

 リゲルは帰り支度を整えた。

 

「リゲル……西アルメキアは、厳しいか?」

 

 不意に真面目な顔になって訊くカストール。

 

「そんなことないけど……どうして?」

 

「いや、お前、少しやせたと思ってな……もし、つらいことがあれば、エストレガレスに来いよ。たぶん、お前が思っているような悪い国じゃない。そりゃあ、厳しい所はあるけど、比較的自由にやらせてもらえる。何より、経験や実績に関係なく、手柄を立てれば誰でも出世できるんだ。あそこは、新しい風に満ちている」

 

 だが、リゲルは兄の誘いを断るように首を振った。「大丈夫。西アルメキアの人は、みんないい人ばかりよ。つらいことなんて無いわ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「ううん。なんでもない。じゃあ、あたし、そろそろ行くね」

 

「ああ……じゃあ、また会おうな」

 

「うん」

 

 リゲルは、屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 

 ――ただ……兄さんたちと離れて暮らすのが、寂しいだけ。

 

 先ほど、喉まで出かかった言葉を、胸の内で呟いた。

 

 失われた家名を取り戻すため、三人離れ離れになる――四年前、兄妹で決めたことだ。

 

 だが、本音を言えば、リゲルは家名など途絶えても構わないと思っている。

 

 それよりも、ずっと、三人で一緒に暮らしたい。

 

 四年前に言えなかった言葉だ。今も言えなかった。言ってしまうと、兄たちの心を支える大事な部分を折ってしまうような気がするから。二人の兄の決意を、末っ子の我がままで揺るがしたくはない。

 

 だが、これは我がままなのだろうか? ランド家という家名は、家族一緒に暮らすことよりも大事なのだろうか? リゲルには判らない。

 

 このままいくさが続けば、いずれ、兄たちと戦場で会うことになるだろう。

 

 その時、兄たちはあたしに剣を向けるのだろうか? あたしは、兄たちに弓を引けるのだろうか?

 

 ランド家の家名は、兄妹が争ってまで取り戻さなければならないのだろうか?

 

 リゲルには――判らない。

 

 陽が落ち、すっかり闇に包まれた街道を、リゲルは闇よりも暗い気持ちで歩いた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 バーリン 聖王暦二一五年七月上 レオニア/――――

 レオニアの片田舎から幼馴染のキルーフを追って聖都ターラやって来た少女バーリンは、同じく田舎から出てきたガロンワンドと共に、ターラの南西にある森の中にいた。ルーンの加護を持つ二人の仕官は認められ、現在は訓練を繰り返す日々である。今日の訓練は、屋外での生き残り術の修得だ。二人はこの森の中、最低限の道具だけで七日間過ごさなければならない。今日で五日目。多くの訓練兵が()を上げる頃だが、バーリンとガロンワンドにはまだまだ余裕があった。二人が生まれ育ったのは農業と狩りくらいしか生計を立てる術がないほどの田舎村で、このような森の中で食料を見つけることには慣れたものだった。特に、バーリンの狩りの腕は村でも評判で、弓を使った狩りだけでなく、罠の設置もお手のものだった。森の中で獲物が通りそうな場所を選び各種の罠を設置。翌朝には、大抵獲物が掛かっていた。

 

 今日も朝から罠の様子を見て回る二人。昼前には、木の枝に括り付けたロープに足を取られて逆さ吊りになっているウサギを見つけた。地面に輪っかにしたロープを置いておき、獲物が通りかかったら締まって捉える罠である。今日も食料の心配はない。丸焼きにするかさばいてシチューにするか。バーリンは今夜の献立を考えながら、ウサギを下ろそうとした。すると。

 

「――騎士様騎士様」

 

 誰かが呼ぶ声がする。周囲を見るが、ガロンワンドしかいない。

 

「ガロン、何か言ったか?」

 

「いや、なにも?」

 

 首を傾げるバーリン。確かに、今の声は甲高く、ガロンの声とは違う。いったい、誰だ。

 

「こっちです、騎士様」

 

 声は頭上から聞こえてくる。見上げるが、宙吊りのウサギしかいない。

 

「そうです。私です。騎士様」

 

 目が点になるバーリンとガロン。どうも、ウサギが喋っているように見える。

 

「その通りです。私が喋ってるんです」

 

「うわぁ!」驚いて後ろに跳ぶバーリン。「ウサギが喋った!?」

 

「ウサギだって、その気になれば喋りますよ。喋らないウサギは、その気になっていないだけです」

 

「そういう問題なのか?」ガロンと顔を見合わせるバーリン。

 

「さあ? まあ、ここは田舎の森と違うからな。都会の森なら、当たり前の現象なのかもしれん」

 

「……そういう問題なのか?」

 

 納得のいかないバーリンだったが、実際に喋っているのだから認めないわけにはいかない。

 

「それで、騎士様」とウサギが話す。「私を捕まえたのは、やっぱり今晩のおかずにするためでしょうか?」

 

「え? まあ、そうだね」

 

「そうですか。ですが、私は見ての通り体が小さく、痩せて骨と皮ばかりなので、食べてもおいしくないでしょう。しかも、家では身重の妻と子供が、私の帰りを待っているのです」

 

「そうなんだ」

 

「そこでお願いです。私を助けてくれたら、お礼に、私の宝物をさしあげましょう」

 

「宝物? それは、なんだ?」

 

「それは、騎士様が私を助けてくれると約束してくれるまでお答えできません」

 

 バーリンはガロンの方を向いた。「……っだってさ。どうする?」

 

「いいんじゃねぇの? そんなに食料に困ってるわけでもないし」

 

「そうだな。喋るウサギを食べるのも、なんだか気が引けるしな」

 

 と、いうことで、バーリンはウサギを放してやることにした。

 

 解放されたウサギは、ぺこりと頭を下げた。「ありがとうございます。宝物は、この先の木の根元の穴に隠してあります。では、これで失礼します」

 

 ウサギはぴょんぴょん跳ねながら森の中へ消えた。

 

 バーリンたちはウサギに言われた場所へ向かった。少し進むと、ウサギの言った通りの木を見つけた。根元に腕一本入るくらいの穴がある。バーリンは腕を入れてみた。何かが手に当たる。引っ張り出すと、それは一本の大きな白い羽だった。

 

「なんだ、これ?」

 

 羽を頭上に掲げるバーリン。木漏れ日が羽に反射し、キラキラ輝いているように見える。穴の中にあったにもかかわらず、土埃ひとつついていない。なんの羽かは判らないが、水鳥の羽にしては大きいように思う。ひょっとしたら、ペガサスやホーリーグリフといったモンスターのものかもしれない。

 

「……何にしても、宝物っていうほどのモノじゃないね」バーリンは肩をすくめた。

 

「まあ、そう言うなよ」と、ガロン。「綺麗じゃないか。帰って、キルーフにプレゼントしてみたらどうだ?」

 

「あいつがこんなもの喜ぶかよ。ウサギを燻製にして持って帰った方が、ずっと喜ぶぜ」

 

「違いない」

 

 まあしょうがない。バーリンは羽をポーチにしまうと、他の罠を見て回ることにした。残念ながらそれ以上の収穫は無く、その日は木の実や野草でシチューを作って食べた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 ブランガーネ 聖王暦二一五年七月下 ノルガルド/ハンバー

 レオニアとの国境を護るノルガルドの城・ハンバーで、前王ドレミディッヅの娘ブランガーネは歯がゆい思いをしていた。ゼメキスの反乱を機にノルガルドが挙兵して五ヶ月、ブランガーネの部隊には、いまだ出撃命令は出ていない。その間、軍師グイングラインは、一年前の講和で旧アルメキアに奪われていたジュークス城を戦わずに取り戻した。また、つい一ヶ月ほど前には、旧アルメキアから亡命してきたモルホルトなる余所者が、リドニー要塞に並ぶ難攻不落の城・オークニーを、わずか五万の兵で落とした。王の側近はおろか、敵か味方かも判らぬような余所者でさえ手柄を立てているというのに、自分は開戦からずっとこの城での待機を命じられている。さらに、現在グイングラインは、ジュークス城の南、アルヴァラード川の中州に建つ難攻不落の要塞リドニーを攻略する準備を進めているのだが、その作戦にブランガーネの部隊は組み込まれていない。にもかかわらず、攻略部隊増強の名目で、このハンバーから兵五千をジュークスへ移動させられた。騎士である自分を差し置いて、兵だけをリドニー攻略に使おうというのである。馬鹿にされているとしか思えなかった。

 

「いったい何を考えているのだヴェイナードは! よもや(わらわ)の力を見くびっているのではあるまいな!!」

 

 どん! と、拳をテーブルに打ち付けるブランガーネ。年老いた侍従(じじゅう)が、びくんと身体を震わせる。

 

「落ち着いてください、姫様。そのように暴れては、お手に怪我をされますぞ」侍従は恐る恐る進言する。

 

 ブランガーネは、侍従に鋭い視線を向けた。「馬鹿にしているのか貴様! この程度で怪我をするほど、妾の身体はヤワではない!!」

 

 ガツン! と、今度はテーブルを蹴り上げる。その姿に、侍従はさらに怯える。

 

「ヴェイナードめ……妾をこんな城に閉じ込めて……いつになったら妾を戦場へ出すつもりだ……」

 

 血が出るのではと思うほど強く拳を握りしめるブランガーネ。父である前王ドレミディッヅを最高の武将として尊敬し、自分も父のような武将になるべく、ブランガーネは幼い頃から武術を習った。戦場に出れば誰よりも手柄を立てる自信がある。だがそれも、戦場に出なければ意味が無い。

 

「こうなれば実力行使だ……直ちに兵を招集せよ! 出撃だ!!」

 

 ブランガーネからの言葉に、侍従は慌てふためいた。「お待ちください姫様! 勝手にレオニアを攻めてはお叱りを受けます! ヴェイナード陛下は、レオニアに対して何か策をほどこしておいでです。うかつなことをすれば、軍全体の作戦に影響が出ます!」

 

「誰がレオニアを攻めると言った? あのような軟弱な国の城ひとつ落としたところで、大した手柄にならぬ。狙うのは、もっと大きな首だ。ヴェイナードは今どこにいる!?」

 

「は!? ええっと……首都フログエルにいらっしゃいます」

 

「国の一番奥で縮こまっているという訳か。白狼の呼び名が聞いて呆れる。待っていろ。その呼び名がふさわしいかどうか、妾が見定めてやる! フログエルへ行くぞ!!」

 

「ひ……姫! なぜそのようなことを……?」

 

「知れたこと! 妾を見くびっているヴェイナードに、妾の力を思い知らせてやるのだ!」

 

 ブランガーネは甲冑を身に着け、剣と弓を取った。

 

「お待ちください! 姫! 姫の任務は、このハンバー城に留まること。勝手に兵を動かせば、レオニアの侵攻を許してしまいますぞ!」

 

「フン、あのような軟弱国、攻めて来られるものか。行くぞ!!」

 

 ブランガーネは侍従が止めるのも聞かず、部屋を飛び出した。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 フログエル城のヴェイナードの執務室に伝者が飛び込んできた。リドニー要塞攻略の準備をしていたヴェイナードは、不快な思いで伝者を見た。

 

「何事だ、騒々しい」

 

 伝者は跪き、右拳を左掌で包み込んで頭を下げた。「急報でございます! ハンバー城のブランガーネ姫が、兵を率いてこのフログエルに向かっていると!!」

 

「何!? あのお転婆姫め……」

 

 ヴェイナードは忌々しい思いで呟いた。ブランガーネがそのような行動に出た理由には察しがつく。開戦からずっと出撃命令が出ないことに痺れを切らしたのであろう。それがレオニアではなく自分自身に向けられたのは不幸中の幸いであったが、どちらにしても、今後の作戦に大きな影響が出かねない。

 

「すぐにこのことをジュークスのグインに知らせよ! いまハンバーを落とされでもすれば、全てが台無しだ!」

 

「は……はっ!!」

 

 命じられた伝者は、入ってきた時と同じ勢いで出て行った。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 兵を率いてフログエルまで来たブランガーネは、城門前で足を止めた。城門は堅く閉ざされ、城壁には多くの衛兵が集まっている。いかに前王の娘とは言え、大軍を率いて王の居城に迫れば、衛兵は迎え撃たねばならない。これ以上の進軍は反乱とみなされ、全面的な戦いとなる。さすがにそれは得策ではないし、ブランガーネの目的はそんなことではない。あくまでも、己の武威を王に示すことだった。

 

「部下どもを前線に立たせ、自分は奥で縮こまっている白鼠のヴェイナード殿はおられるか!?」

 

 城内に届くほどの大声で、ブランガーネは叫んだ。「よもや寒くて冬眠中などということはあるまいな? おられるのなら、すぐに姿を見せよ!!」

 

 何度か挑発の言葉を投げかけると、固く閉ざされていた城門がゆっくりと開いた。兵たちがざわめく。城から出てきたのはヴェイナードただ一人だった。剣を携えてはいるが、一人の兵も連れていない。

 

 ヴェイナードはブランガーネの前に進み出た。「これは一体何の騒ぎですかな、姫?」

 

 落ち着いた口調のヴェイナードに、ブランガーネは歯噛みする。大軍を率いたブランガーネの前に身ひとつで現れたヴェイナード。完全に侮られている。

 

 だが、剣を携えて出てきたのなら話は早い。

 

「――今日は、妾を見くびっているそなたに、妾の力を示しに来たのだ。速やかに剣を取られよ!」

 

「フン、私情で兵を動かすなど、やはり親子は似るものだな」

 

「なに? 貴様、それはどういう意味だ?」

 

「そなたの父ドレミディッヅは、先の戦争でゼメキスの挑発に乗って無用な一騎打ちを行った末に敗れた。そして、それが国の敗戦に繋がったのだ」

 

「何を!? 貴様、お父様を愚弄するか!!」

 

「真実を述べているまでだ。あの一騎打ちが無ければ、我らが敗れることはなかった。前王の身勝手な行動が、国を大きく傾けたのだ。今の姫も同じ。姫が兵を動かしたことで、全体の作戦にひずみが生じているのですぞ?」

 

「ええい、黙れ!! 妾だけならまだしもお父様まで愚弄するとは……断じて許せぬ! この場で叩き斬ってくれるわ!!」

 

 ブランガーネは剣を抜き放った。王に剣を向けた時点で反逆罪は免れぬが、もはやそんなことはどうでもよかった。

 

「よかろう。今日は特別に()()をつけてやる」ヴェイナードも剣を抜いた。

 

「行くぞ!」

 

 剣を振りかざし、走るブランガーネ。ヴェイナードの脳天めがけ、剣を振り下ろした。

 

 がきん!

 

 耳の奥に突き刺さる金属音と同時に火花が飛び散る。そして、とてつもなく硬いものを叩いた手応え。ブランガーネの剣は、ヴェイナードの剣に受け止められていた。

 

 挑発するようにあごを上げるヴェイナード。「随分と軽い一撃ですな、姫。これで全力ですかな?」

 

「何を!!」

 

 ブランガーネは一度間を取り、再度踏み込んだ。がら空きの腹を狙い、剣を横なぎに振るう。完全に捕えているはずだった。しかし、ヴェイナードの剣が素早く動き、その一撃も受け止める。

 

「頭の次は胴ですか? 狙いが単純すぎて、剣筋を読むまでもない。そのような攻撃では、敵を仕留めることなどできませぬぞ?」

 

「ええい、うるさい!」

 

 剣を引き、今度は喉をめがけて切っ先を突き出した。しかし、それも簡単に受け止められる。

 

 ブランガーネは攻撃の手を緩めることなく剣を振るう。肩を狙い、足を狙い、もう一度頭、そして胴を狙う。何度も何度も剣を振るう。しかし、飛び散るのは血飛沫ではなく、剣と剣がぶつかる火花だけだ。全ての攻撃が、ヴェイナードに届かない。

 

 ブランガーネは間合いを取った。肩で大きく息をする。息が乱れている。剣を握る手は痺れ、思うように力が入らない。対するヴェイナードは疲れたそぶりさえ見せず、余裕の表情を向けている。

 

 ――こんなバカな。

 

 信じられなかった。幼い頃から剣の修業を怠ったことは無い。誰にも負けぬ自信があった剣が、ヴェイナード相手に全く通じない。まるで赤子のような扱いだ。

 

「どうした? ドレミディッヅの娘の力はこの程度か?」挑発するように言うヴェイナード。

 

 その言葉が。

 

 ――娘……いまヤツは、娘と言ったのか?

 

 萎えかけていたブランガーネの心に、火を灯した。

 

 娘だから……女だからこの程度の力なのか、と、バカにされている気がした。

 

 ヴェイナードを睨む。嘲るような笑みを浮かべ、こちらを見ている。

 

 その姿が――父と重なった。

 

 誰よりもいくさを愛し、生涯戦場を駆け回った父・ドレミディッヅ。ブランガーネが暮らすフログエルの居城へ戻って来ることは、ほとんど無かった。

 

 父は、口に出すことはなかったが、心の内では、ブランガーネが娘であったことに失望していたはずだ。

 

 いくさは男が行うもの。女は家で大人しくしているもの。

 

 この国の古くから伝わる男尊女卑の風潮は、父の代でますます強くなった。

 

 父に振り向いてもらいたかった。女も戦場に立つことを認めてもらいたかった。だから、周囲が止めるのも聞かず、剣や弓の修業をした。魔法も習得した。騎士として、誰よりも努力をしてきたはずだ。

 

 だが、父はブランガーネを認めることなく、あっけなくこの世を去った。

 

 そして、女児は王位を継げぬという理由で、傍系の者が王位に就いた。

 

 女を見下すこの国の風潮が憎かった。

 

 ブランガーネは父を尊敬していたが、一方で、恨んでもいたのだ。

 

 だから。

 

「……うああぁぁ!!」

 

 雄叫びと共に、全ての力を込めて、王ヴェイナードに剣を振るった。

 

 父への恨みを、この国への恨みを込めた一撃だった。

 

 しかし――。

 

 がきん!!

 

 これまでとは比べ物にならないほどの強い衝撃が、手に伝わる。

 

 あまりの衝撃に、剣を手放してしまった。

 

 剣は、ブランガーネから離れたところに転がった。

 

 ブランガーネの渾身の一撃を、ヴェイナードは軽く剣を振るい、弾き飛ばしたのだ。

 

 崩れ落ちるように膝をつくブランガーネ。いくさの経験がないブランガーネだったが、戦場で剣を手放すことが何を意味するのかは知っている。

 

 ブランガーネは(こうべ)を垂れた。

 

 悔しかった。

 

 自分が女であることが、悔しかった。

 

 女であるがゆえに王位を継げず、女であるがゆえに戦場から遠ざけられた。

 

 女を見下しているこの国の風潮を変えたかった。だから、剣を学び、弓の腕を磨き、魔法の修練をした。

 

 だが、今。

 

 自分は、ヴェイナードの前に屈した。

 

 あれほど修業した剣が、ヴェイナードには全く通じなかった。

 

 男と女の力の差を見せつけられた――そんな気がしてならない。

 

 所詮、女は男に勝てぬのか。

 

 それが悔しかった。

 

「――剣を取られよ」

 

 ヴェイナードが抑揚のない声で言った。

 

 顔を上げるブランガーネ。一瞬、何を言われているのか判らなかった。

 

「剣を取られよ。まだ終わりではない」さらに言う。

 

 ブランガーネは自嘲気味に笑った。情けを掛けるつもりか? だが、もはや怒る気力もない。

 

「……殺すがいい。このような屈辱を受けて、生きてはゆけぬ」

 

 ブランガーネは再び頭を垂れた。勝手に兵を動かし、王城に迫り、王に剣を向け、そして敗れた。処刑されるのは覚悟の上だ。

 

「何度も言わせるでない。剣を取られよ!」声を荒らげるヴェイナード。

 

「…………っ!?」

 

 迫力に押され、ブランガーネは剣を拾い、構えた。

 

 ヴェイナードは、値踏みするような目でブランガーネを見る。「姫は剣を振るう際、狙う場所を凝視する癖があるようだ。それでは、相手に攻撃する場所を教えているようなもの。腕の立つ者であれば、相手の剣の動きはもとより、目の動きにも注意しています。そこは改善した方がよろしいかと」

 

「……な……何を言っている……?」

 

「言ったはずです。これは稽古だと」

 

「なに……?」

 

 困惑するブランガーネに、ヴェイナードはさらに続ける。「剣筋は、狙いが単純という欠点はありますが、基本に忠実という意味では、悪くないです。しかし、剣の重さに筋力が追いついていないように思います。筋力を鍛えるか、もう少し軽い剣に代えてみてはいかがでしょうか?」

 

「貴様……妾を女だからと見くびっているのか!?」

 

「そんなつもりはありませぬ。私は、この国のために、姫に強くなってもらいたいだけです」

 

「…………」

 

「さあ、続けますぞ」

 

 再び剣を構えるヴェイナード。

 

 しかし。

 

「急報!!」

 

 城から伝者が出てきて、ヴェイナードの背後に跪いた。「レオニアのダマス城より兵が出撃したとの知らせが! ハンバー城に向かって進軍しているとのことです!!」

 

「――――!!」

 

 息を飲むブランガーネ。兵たちの間にも動揺が走る。ハンバー城は、ブランガーネが兵を移動させたことで、現在護りが手薄だ。大軍で攻められたら、ひとたまりもないだろう。

 

「安心されよ、姫」ヴェイナードが落ち着いた口調で言った。「すでにジュークスに伝令を送り、グインが向かっております。ハンバーは南からの侵攻に強いゆえ、そう簡単には落ちますまい。グインが到着するまで、なんとか持ちこたえましょう。ですが、グインの部隊を動かしたことで、リドニー攻めは延期せざるを得ません。我が国の食糧事情は、姫も十分承知のはずです。わずかな進軍の遅れが命取りになる。これは姫の勝手な行動が招いた事態。そのことは、決してお忘れなきよう」

 

「…………っ!」

 

 ヴェイナードは剣を収めた。「では、今日の稽古はこれまでにしましょう。姫も、早く持ち場にお戻りください。全力で走れば、まだ間に合うかもしれませんからな」

 

 ヴェイナードは背を向け、城に戻ろうとする。

 

「ま……待て!」

 

 ブランガーネが呼び止めた。

 

「まだ何か?」足を止め、振り返るヴェイナード。

 

 ブランガーネは、血が出るほどの強さで奥歯を噛みしめたが、やがて、大きく息を吐き出すと。

 

「……今日は、数々の非礼な振る舞い、大変申し訳ありませんでした。お詫びいたします。今日の失態は、必ず戦場で挽回するゆえ、どうかお許しを」

 

 王に向かって、深く頭を下げた。

 

 ヴェイナードは笑った。「これは殊勝な。いつもの威勢は、何処に行ったのです?」

 

「黙れ。妾が己の過ちを認め、謝罪しておるのだ。黙って受け入れろ」

 

「フン、その意気ですよ」

 

 ブランガーネは頭を上げ、一度ヴェイナードを睨みつけた後、兵を振り返った。「直ちにハンバーへ戻るぞ!」

 

 どうなることかと肝を冷やしていた兵たちは、大きく安堵の息を洩らし、しかしすぐに気を引き締め直し、踵を返してハンバー城へ向かい始めた。

 

「姫、お待ちを」

 

 ヴェイナードが止めた。「もうひとつ、助言しておきましょう」

 

「……なんだ?」

 

「『女であるから見くびられている』という考えは、捨てた方がよろしかろう。その考えは、姫の成長を妨げます」

 

「……なに?」

 

「今はもう前王の時代とは違います。私は、男であろうと女であろうと、等しく扱います。『女であるから』は、もうこの国では言い訳になりませぬ」

 

「――――」

 

 ブランガーネは、無言でヴェイナードを見つめた。

 

 ……判っていた。

 

 ヴェイナードが王になって、この国は変わった。男女問わず騎士を登用するようになり、それなりの地位に就いている者もいる。父の時代には考えられなかったことだ。

 

 そう――今日、ブランガーネがヴェイナードに負けたのは、決して『女だから』ではない。

 

「……貴様ごときに言われるまでもない。今日負けたのは、妾の力が貴様に及ばなかったからだ。決して、女が男に劣っているわけではない!」

 

「その通りです。判っているのなら結構。では、失礼します」

 

 ヴェイナードは、静かな足取りで城内に戻って行った。

 

 ブランガーネは、しばらくヴェイナードの背を見つめていたが。

 

「……くそ」

 

 兵と共に、ハンバーに戻った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 シャーリン 聖王暦二一五年七月下 ノルガルド/ハンバー

 河の対岸に建つハンバー城を見つめ、レオニアの騎士・シャーリンは不敵に笑った。彼女の後ろには五万のレオニア兵が控えている。これより、ノルガルドの国境を護るハンバーを攻める。機会は、今をおいて、無い。

 

 ハンバー城には、今月上旬まで兵五万が駐屯していた。シャーリンが率いている兵と同数であるが、同じ数でぶつかったところで勝ち目は薄い。城をめぐる攻防は防御側が圧倒的に有利だ。加えて、ハンバー城は極めて攻めにくい地形にある。城の前にはフォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川が流れており、レオニア側から攻めるには橋を渡らなければならない。大軍での侵攻は極めて困難で、進軍中、城からは矢や魔法、空中や水上からはモンスター、と、激しい攻撃にさらされる。ハンバー城は、同じアルヴァラード川の中州に建つ帝国領リドニー要塞にも並ぶ難攻不落の城だ。このハンバーを落とすには、少なくとも敵防衛部隊の倍以上の兵が必要だろう。だが、今のレオニアにそんな余裕はない。先月、レオニアは南からイスカリオの侵攻を受けた。国境を護るハドリアン砦の攻防でなんとか撃退はしたものの、今も緊張状態が続いている。そのため、レオニア軍は南に兵を集めざるを得ない状態なのだ。北の国境を護るシャーリンが受けている命令はダマス城にて待機。開戦以降ノルガルドから侵攻してくる気配もなく、ずっと睨み合いの状態が続いていたのだが。

 

 ここに来て、大きな動きがあった。

 

 発端は数日前だ。ハンバーに駐屯していた兵五千が、西にあるジュークス城へ移動したのだ。詳細は定かではないが、ジュークスには多くの兵が集まっているとの情報もあり、恐らく帝国領のリドニー要塞を攻める準備をしているものと思われる。ハンバーを護る兵は少なくなったが、五千では大きな影響はない。事態が急転したのは昨日のことだ。ノルガルド前王ドレミディッヅの娘ブランガーネが、兵三万を率いてハンバー城を出撃した。しかし、兵の足は南のレオニアではなく、北のノルガルドの首都フログエルへ向いたのである。これにより、ハンバーを護る兵は一万五千となり、ダマスに駐屯する兵五万でも十分落とせる状態となった。この機を逃す手はない。シャーリンは、同じくダマス城の護りを命じられていた神官騎士・イスファスと共に出撃したのである。

 

 川岸でハンバー城を見つめるシャーリンの元に、イスファスがやって来た。シャーリンの隣に立つ。シャーリンは女性にしては背が高く一七〇を超えているが、イスファスは頭ふたつ分以上高く、遠くから見ると大人と子供のようである。

 

「シャーリン、本当に、ハンバーを攻めるのだな?」イスファスは対岸の城を見つめたまま訊いた。

 

「無論だ。このような好機、そうそうあるものではない。今なら、簡単に落とせる」

 

 淀みない口調で答えたシャーリンに、イスファスは「そうだな」と言い、そして続けた。「それにしても解せんな。なぜ奴らは兵三万も首都へ移動させたのか。難攻不落のハンバーとはいえ、兵一万五千では護りきれまい」

 

「兵を動かしたのは前王の娘・ブランガーネであろう。開戦前の女王陛下と白狼の会談の際、あの娘も同席していたが、女王に対してただならぬ嫉妬心を持ち、白狼に対しても強い敵対心を持っているようだった。大方、内部分裂でもあったのだろう。私情で兵を動かすなどあってはならぬこと。騎士には向かぬということだ」

 

「勝手に動いているのは我々も同じであろう。我らの任務は国境を護ること。ハンバーを攻める許可は出ておらぬ。女王にお叱りを受けるかもしれぬぞ」

 

「許可が出るのを待っていては機を逃す。これはハンバーを落とす千載一遇のチャンスだ。この機を逃す騎士がいるものか。それに、これも任務の範疇だ。ハンバーを落とせば国境の護りは格段に楽になる。女王も理解してくれるだろうよ」

 

「だといいがな……」

 

 不敵に笑うシャーリンに対し、イスファスは肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 シャーリンは、神官が多いレオニア騎士団の中では数少ない槍を武器に戦う騎士である。極めて合理的な性格をしており、今回のような敵のミスは決して見逃さない。神官騎士団長アスミットからの信頼も厚く、任務に私情を一切はさむことなく冷静に遂行するため、『レオニアの氷の華』と呼ばれていた。

 

 イスファスは、最高司祭パテルヌスの部下である。僧侶ではあるが、女王や高位の司祭を護衛する役割を与えられている。そのため、精神的な修行はもちろん肉体も鍛えており、戦闘僧(モンク)と呼ばれる存在だった。身長二メートルに近い巨漢で、鍛え上げられた肉体は鋼のように引き締まっているが、普段は花を育てたり小鳥に餌を与えるなど、僧らしい穏やかな面も持つ騎士である。

 

 

 

 

 

 

 シャーリンの意思が固いことを悟ったイスファスは、判った、と頷いた。勝手に動いたことを女王がどう思うかは判らぬが、シャーリンの言う通り、これはハンバーを落とす絶好の機会であるし、ハンバーを落とせば国境の護りは格段に楽になる。攻める利は大きい。イスファスは手のひらに拳を打ち付けると、「――では、陣形はいつもと同じで構わんな」と、訊いた。

 

「ああ。私が前衛で、お前が後衛。もう何度も行っているが、この陣形が、我々の力を最も引き出せる」

 

「すまんな、いつも前線で血を流す役ばかりやらせて」イスファスは、少し頭を下げた。

 

「気にするな。敵を倒す最も効率的な方法を取っているだけだ。それに、お前が後ろにいると心強い。私の背後を任せられるのは、お前しかいない。これからも、ずっとそばにいてくれ」

 

 シャーリンの言葉に、苦笑いをするイスファス。場合によっては愛の告白と取れなくもないが、シャーリンに限ってそんなことはないだろう。敵を倒す最も効率的な方法を取る――彼女にとってはそれが全てであり、それ以上でも、それ以下でもない。

 

 二人はレオニア騎士団の中でも優れた腕を持ち、年齢も近いことから、共に行動することが多かった。女王や司祭の護衛、城の警備、山賊や海賊の討伐、野生化したモンスターの捕縛や退治など、必ず、シャーリンが前で戦い、イスファスが後ろを護る。二人で出撃したのはもう数えきれないほどだが、この陣形を変えたことはない。彼女の言う通り、これが最も二人の力を引き出せるのだ。だから、これからも続けて行くつもりだ。

 

「では、行くか」

 

 シャーリンの言葉で、イスファスも配置につく。シャーリンは槍を掲げ、五万の兵に号令をかけた。兵たちは喚声を上げ、河の向こうの城を目指し、橋を渡り始めた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十話 バーリン 聖王暦二一五年七月下 レオニア/ターラ

 レオニアの見習い騎士バーリンは、幼馴染のキルーフとのひさびさの再会に胸を躍らせていた。キルーフのそばにいるために騎士となったバーリン。しかし、彼女が見習いになった途端、キルーフは、南のイスカリオとの国境を護るハドリアンの防衛部隊に配属された。自分は首都ターラに残り騎士の修業を行わねばならない。キルーフと一緒にいるために騎士になったのに早々に離れ離れにされてしまい、バーリンは悶々とした日々を送っていたのだ。

 

 今日、このターラにて、首都攻防戦を想定した大規模な訓練が行われる。キルーフは、この訓練に参加するために戻ってきたのだ。

 

 王城内の中庭にある訓練場には、キルーフとバーリンを始め、バーリンと一緒に騎士見習いになった幼馴染のガロンワンドと、王城を護る騎士や兵士たちが大勢集まっていた。訓練を指揮するのは、騎士団長のアスミットだ。

 

「では、訓練の概要を説明する。この聖都ターラは、湖中央の島に建つという、フォルセナ大陸でも極めて特殊な地形上にある。周囲を湖に囲まれているため敵の侵攻に強い反面、退路が無い、兵糧攻めに弱い、などの欠点も併せ持つ。ゆえに、ひとつ行動を誤れば――」

 

 長々とした説明に、キルーフはさっそく大あくびをした。頭を働かすことが苦手なキルーフに、こういった話は退屈極まりないだろう。そんな彼の様子を見て、バーリンはくすりと笑った。

 

「いいのか、キルーフ? そんな大きなあくびをして。話を聞いてないと、また隊長に怒られるぜ?」

 

 キルーフは、ひらひらと手を振った。「いいんだよ、別に。戦いは力だ。小難しい策なんて、俺には必要ないね。あいつの話は長いだけで、聞くだけムダさ」

 

「まあ、それは言えてるかな。キルーフの頭じゃ、聞いてもどうせ三歩歩けば忘れるんだろうし」

 

「おい! てめぇ、それはどういう意味だよ!」

 

「あはは、言葉通りだよ」

 

「おい、二人とも、静かにしろよ」ガロンワンドが言った。「隊長、こっち睨んでるぞ」

 

 ガロンに言われアスミットを見ると、怒っているような呆れているような目を向けていた。バーリンは首をすくめたが、キルーフは頭の後ろに両手を回すと、フン、と、鼻を鳴らした。

 

「――キルーフ」と、アスミットが静かな声で言う。「先日も言ったが、そのような様子で女王陛下をお護りできるのか?」

 

「うっせぇな! またその話かよ! 判ってるって言ってるだろ!!」

 

「口だけではなく、実際に行動に移してもらいたいものだがな。まあよい――」アスミットは、兵たち全員に視線を戻した。「説明を続ける。敵の侵攻は北、南、西、からと予想される。どこから攻められても護りは強いが、最も注意すべきは南だ。これは――」

 

 その後もアスミットの話は続いた。キルーフはあくびを噛み殺しながら聞いているようだが、バーリンが予想している通り、どうせすぐに忘れるだろう。もっとも、バーリンもキルーフばかり見ていて、ほとんど話を聞いていないのだが。

 

「――では、これより訓練を始める。各自持ち場に就け」

 

 ようやく長い話が終わった。アスミットの指示により、兵たちは攻撃側と防衛側にそれぞれ分かれた。バーリンたち三人は防衛側である。

 

「ようし! ガロン、どっちが敵を多く倒すか、勝負だぜ!!」キルーフは目が覚めたように威勢よく言った。

 

「面白い、お前には負けないからな!」ガロンも応じる。

 

「バーリン! お前も、遅れるんじゃねえぞ!」

 

「はいはい。まったく……もうちょっと女の娘らしく扱ってほしいもんだよ」

 

 肩をすくめるバーリン。思えば子供の頃からキルーフには女の娘らしい扱いを受けたことが無い。もっとも、今さら女の娘らしく扱われても、気持ちが悪いだけだが。

 

「安心しろ、バーリン」と、ガロン。「何かあったら、俺がお前を護ってやるぜ」

 

 どん、と自分の胸を叩くガロンを見て、バーリンは小さく笑う。「よく言うねガロン。子供の頃は、いっつもあたしの後ろで泣いてたたくせに」

 

 ガロンも笑った。「はは、昔のことは言いっこなしだぜ」

 

「でも、ありがと」

 

「うん?」

 

「あたしにそんな風に言ってくれるのは、ガロンだけだよ」

 

「お……おう」

 

 照れたのだろうか、上ずった声のガロンに、バーリンはまた小さく笑った。

 

 訓練場には、聖都ターラと周辺の地形を簡易的に再現してあった。中央に木組みの砦を立て、その周囲に堀を設けている。橋を渡した先にはハリボテでできた城下町もあり、北西の山脈や南西の深い森なども再現されてある。かなり縮小はしているが精巧な造りで、この訓練が騎士や兵にとって非常に重要であることが伺える。

 

 各自配置につき、いよいよ訓練が始まろうとした時。

 

「うん?」と、キルーフが、訓練場の門の方を見て声を上げた。「リオネッセ!?」

 

 その声に、バーリンや他の騎士たちも反応する。門の方を見ると、確かにリオネッセが来ていた。

 

 キルーフが真っ先に駆けて行った。バーリンはため息をつく。相変わらずリオネッセのことになると反応が早い。バーリンも後を追った。

 

「リオネッセ! お前、なんでこんな所に来たんだ!」

 

 他の騎士や兵士が膝をついてうやうやしく迎えるのに対し、キルーフは村にいた時と同じ態度で接する。バーリンやガロンワンドもリオネッセとは幼馴染ではあるが、みんなの前では礼儀正しく接している。いくら幼馴染とは言え今は女王と騎士の関係であり、礼節を持って接するのは当然なのだが、キルーフにはそんなことは関係ないようだ。

 

 リオネッセは笑顔で頷いた。「今日、みんながターラ防衛戦の訓練を行うって聞いたから、あたしも参加しようと思って」

 

「馬鹿! 訓練は遊びじゃねぇんだぞ!」

 

「うん。もちろん判ってる。だからこそ、参加したいの。みんなが頑張ってるのに、あたしだけ何もしないなんて、イヤだから」

 

 リオネッセも、キルーフには村と変わらない態度で接している。やれやれ、と、バーリンはまたため息をついた。

 

 アスミットもやって来て、跪いて胸の前で手を組んだ。「女王陛下。このようなところまで足をお運びいただき、恐れ入ります」

 

 リオネッセはアスミットを見た。「アスミットさん。お願いします。あたしも、訓練に参加させてください」

 

「ダメだダメだダメだ!」と、二人の間に割って入るキルーフ。「訓練ったって、木剣や木槍を使うから、怪我だってする! お前に何かあったらどうすんだ!? おい、アスミットも何か言ってやれ!」

 

 アスミットはあごに手を当て少し思案していたが、やがて。

 

「よろしいでしょう。中央の城に控えてください」

 

 意外にも、訓練への参加を認めた。

 

「おい! お前、なに言ってんだ!」キルーフは顔を真っ赤にしてアスミットに詰め寄る。

 

 アスミットは、キルーフのペースに巻き込まれず、相変わらず冷静な口調で言う。「我々は、あらゆる事態を想定しておかねばならぬ。もし、本当にこのターラを攻められ、そして、万が一にも王城に迫られた場合、陛下を脱出させることも想定しておかねばならぬ。女王にご参加いただけるなら、より精度の高い訓練を行うことができるだろう」

 

「だからって、リオネッセが怪我したらどうすんだ!!」

 

「それは、そなた次第だな」

 

「何?」

 

「キルーフには、女王の護衛に就いてもらおう。もし女王が怪我をするようなことがあれば、そなたには重い罰を与えるゆえ、気を引き締めて行うのだな」

 

「な……っ!」

 

 言葉を失うキルーフ。そんな彼を見て、バーリンは小さく笑った。さすがに隊長だけあって、キルーフの性格をよく判っている。これまでどこかやる気が無かったキルーフだが、これで本気になるだろう。

 

 アスミットは女王を見た。「では、作戦と脱出の手はずを説明いたします。キルーフも、今度はよく聞いておくのだな」

 

「クソ! 判ったよ!!」

 

 女王を交えた訓練の説明を始めるアスミット。キルーフは、ときどき頭を抱えながら、必死で覚えようとしていた。

 

 説明が終わり、リオネッセとキルーフは持ち場に就いた。バーリンも戻る。

 

 キルーフは、まだ敵役の兵が動いてもいないのに、リオネッセをかばうように前に出た。「いいか、リオネッセ。俺の側から離れるんじゃねぇぞ。お前のことは、絶対俺が護ってやるからな」

 

「うん。キルーフがそばにいてくれるなら、安心だよ」リオネッセが笑顔で応える。

 

「お……おう……」キルーフは、照れたように頭をかいた。

 

 そんな二人の様子を見ていたバーリンは。

 

「……やれやれ、今日も暑いねぇ」

 

 照りつける太陽を見上げ、そう呟いた。久しぶりにキルーフに会い、心が躍っていたのに、また悶々とした気分になる。

 

 バタン! と、訓練場の門が開き、兵が駆け込んできた。アスミットの前に跪く。

 

「急報です! 北のダマス城より、シャーリン殿とイスファス殿が出陣し、ノルガルドのハンバー城へ侵攻したとの連絡が!」

 

 その報に、アスミットはもちろん、その場にいた全員が戸惑いの言葉を上げた。

 

「馬鹿な!? あの二人には、ダマスの警護を命じていたはずだ! なぜ討って出た!?」アスミットは伝者に詰め寄るように訊く。

 

「詳細は不明ですが、ハンバーで何か動きがあったようです! ゆえに、現場の判断で動いたものと思われます!」

 

「何があったとしても勝手に動くとは……」アスミットは忌々しげに呟いた後、兵たちを振り返った。「すまぬ、皆の者! 私は城に戻る! 訓練は予定通り行ってくれ!」そう言った後、今度は女王を見た。「女王も、戻りましょう」

 

「あ……はい」

 

 アスミットは訓練の指揮を部下に任せ、女王と共に訓練場を出て行った。

 

 キルーフとバーリンは、お互い顔を見合わせると。

 

「……なんなんだ? まったく」

 

「さあ?」

 

 二人で肩をすくめた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十一話 ティース 聖王暦二一五年十一月上 イスカリオ/ザナス

 イスカリオの北西の国境を護るザナス城の中庭で、新米騎士のティースは木の陰に隠れ、気持ちを落ち着かせようとしていた。彼の手には、綺麗に包装された小箱がある。今日は、彼の想い人の誕生日だ。小箱はそのプレゼントである。これを渡し、あわよくば告白を……いや、さすがにそれは早いか。プレゼントした後、デートに誘ってみようか? それも、なんだか恩着せがましいような気がする。だからと言って、プレゼントを渡して終わりというのも味気ない。どうするのが一番か……思い悩んでいると、目的の人がやって来た。考えがまとまっていないが、まごまごしていると行ってしまう。ティースは、意を決して木の陰から飛びだした。

 

「や……やあ、ユーラ!」

 

 緊張のあまり上ずった声が出てしまう。

 

 やって来た少女――ユーラは、一瞬目を丸くした後、ニコリとほほ笑んだ。「おはよう、ティース」

 

 ティースはごくりと息を飲み、ユーラの前にプレゼントを差し出した。「ユーラ、今日、誕生日だろ? これ、プレゼント! 受け取ってくれ!」

 

 プレゼントを受け取るユーラ。「ありがとう。開けていい?」

 

「ああ、もちろん」

 

 ユーラは丁寧に包装をはがし、箱を開けた。扇状の海貝の貝殻にいくつものビーズをあしらったブローチだ。内陸の都市が多いイスカリオでは海貝のアクセサリーは珍しく、新米騎士のティースには決して安い買い物ではなかったが、今日のために思い切って購入したのだった。

 

 ――うわぁ、綺麗! ありがとうティース! すっごく嬉しい! これはお礼よ! チュッ♪

 

 ……という反応を期待していたティースだったが、予想に反し、ユーラは。

 

「…………」

 

 無言で、ブローチをじっと見つめていた。反応が薄い……と言うよりは、無反応である。

 

 ティースはユーラの顔を覗き込んだ。「……あれ? 気に入らなかった?」

 

「……あ、ううん、そんなことない。ありがとう。嬉しいよ」

 

 と、言ったものの、ユーラはまたブローチを見つめ、黙り込んでしまう。

 

「無理しなくていいんだぜ? 気に入らないなら、はっきりそう言ってくれても。オレ、センスないからなぁ」自嘲気味に笑うティース。

 

「あ、ゴメンゴメン。ホントに、嬉しいの。ただ……」

 

「ただ……?」

 

「今日、あたしの誕生日なんだなって、思ってただけ」

 

「へ? 今日、誕生日だったよな?」

 

 首を傾けるティース。ユーラの誕生日は、自称イスカリオの天才軍師・キャムデンに頼み込んで教えてもらった。見た目はインチキ臭い詐欺師だが、彼の持っている情報は正確で、間違ってはいないと思う。

 

 ユーラは小さく首を振った。「本当の誕生日は判らないの。あたし、親に捨てられて、教会の孤児院で育ったから」

 

「え? そうだったのか?」

 

「うん」

 

「そうか……それは……なんと言うか……大変だったな」

 

 予想外の展開に、ティースはなんと言っていいか判らない。ただ、告白するような雰囲気ではないことだけは、なんとなく判った。

 

 

 

 

 

 

 ティースは、騎士になってまだ二年の若者だ。現在十七歳。以前は街の盛り場を練り歩く不良少年だったが、十五歳のときにルーンの加護を受けたのをきっかけに、更生のためにと親に無理矢理仕官させられた。イスカリオに仕官して更生できるのかははなはだ疑問ではあるが、意外にもそれなりの効果はあった。ティースは、誰かに仕えるなどまっぴら御免だったので、早々に脱走を企てていたのだが、お城で出会った少女・ユーラにひと目惚れし、心を入れ替えたのだ。以来、一人前の騎士を目指し、精進する日々である。

 

 ユーラは、ティースよりもひとつ年下の十六歳。教会の孤児院で育ったが、十四歳のとき、ルーンの加護を受けたのをきっかけに仕官することになった。と、言っても、いまのところ戦場に出ることはなく、もっぱら狂王ドリストの身の回りの世話をしている。ドリスト専属のメイドのような存在だった。

 

 

 

 

 

 

 黙ってブローチを見つめるユーラに、ティースはばつが悪そうに頭をかいた。なんだか悪い事をしてしまったような気もする。恐らく、教会に拾われた日が十六年前の今日で、その日を誕生日としたのだろう。ユーラにしてみれば、誕生日のたびに親に捨てられたことを思い出すのかもしれない。

 

「あたしね――」と、ユーラがゆっくりとした口調で話し始めた。「孤児院にいた頃は、すごくいい子だったの。大人の言うことは何でも聞いて、我がままを言ったり、反抗することなんて無かった」

 

「……そっか。オレとは大違いだな。オレなんて、ガキの頃は親に逆らってばかりで、毎日怒られまくってたぜ。ホント、ダメなヤツだった」

 

 ユーラは首を振った。「ダメなのはあたしの方だよ。あたし、大人の言うことを聞いていないと、また捨てられるんじゃないかって、怖かったの。だから、大人に気に入られようと、無理してた」

 

「…………」

 

「でね。ルーンの加護に目覚めて、教会の人に言われるままに、十四歳のときに仕官することになった。ここでもいい子でいて、追い出されないようにしなきゃ、って、思ってた。それで、お城に来て、ドリスト陛下にご挨拶をしたのだけれど、そのとき、陛下はあたしに一振りの剣を授けてくださった」

 

「け……剣を?」

 

「うん。あたし、剣なんて初めて持ったし、とても重くて、怖くて、今にも泣き出しそうだった。そうしたら、陛下はこう仰ったの。『お前は今、生きるも死ぬも自分で決められる自由を手に入れた。これからは、自分の身は自分で守れ』って」

 

 目を丸くして驚くティース。騎士になるとは言え、十四歳の娘にいきなり剣を渡し、その上、自分の身は自分で守れ、なんて、ヒドイ話だ。まあ、陛下らしいと言えば陛下らしいが。

 

 ユーラは、静かに微笑んだ。「陛下って、お優しい方だよね」

 

 ティースは頷いた。「そうだな。陛下はホントに優しい……なんだって?」

 

「陛下は優しい方。ひと目見ただけであたしの本質を見抜いて、あたしに最も必要なものを授けてくれた」

 

「えっと…ユーラ、何を言って――」

 

「あたし、大人の前でいい子でいることで、大人に護ってもらってたの。でも、そんなのはいつまでも続けられない。いつまでも、誰かに護ってもらってるだけじゃダメなんだって、教えられた。あたしは、いい子でいるっていう重い鎧を着て、動けなくなってた。陛下は、その鎧を脱がせてくれたの。ドリスト陛下は、本当に優しい方――」

 

「…………」

 

 ティースは、黙ってユーラの話を聞いていた。正直に言えば、彼女が何を言っているのか判らない。ドリスト陛下が優しい? 全く理解できない。

 

 ユーラはさらに話を続ける。「あたし、教会の人に言われるままに騎士になったけど、その日、決めたの。陛下のために戦おう、陛下の力になろう、陛下に尽くそう、って。それが、あたしが騎士になった理由なんだって。陛下がくださった恩に報いるために、あたしは戦う」

 

「そ……そっか。立派だな、ユーラは」

 

「ティースは、どうなの?」

 

「へ? オレ?」

 

「うん。ティースは、何のために戦うの?」

 

「何のため……それは……」

 

 ゴクリ、と、息を飲むティース。

 

 ――それはユーラ、君のためだよ!

 

 キザっぽいセリフが頭に浮かぶ。こんなことを言うと引かれてしまうだろうか? だが、これはまぎれもない本心である。ティースが城を脱走せずに騎士を続けているのは、彼女がいるからに他ならない。これは、想いを告げるチャンスだ。言え、ティース! 言ってしまえ!

 

「オレが、戦うのは……」

 

「戦うのは?」

 

「オレが、戦うのは……き……き……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、二人の側に、槍を携えた女騎士が立っていた。

 

「うわぁ!!」

 

 驚きのあまり尻餅をついて転ぶティース。立っていたのはドリストの忠臣イリアだ。いつからそこにいたのだろう。全く気付かなかった。

 

「あ、イリアさん。おはようございます」ユーラは全く驚いた様子もなく、いつもの調子で挨拶をした。

 

 イリアは静かに口を開いた。「……陛下が、出撃用の帽子をお探しだ」

 

「あ、判りました。すぐに行きます。ティース、プレゼント、ありがと。今度お礼するからね」

 

 ユーラはドリストの部屋に向かって駆けて行った。イリアも、足音も無く去って行く。

 

 ティースは、中庭に一人残され、ぽつんと佇んでいたが、やがて、大きくため息をついた。

 

 ――なんのために戦うの、か……。

 

 ユーラの言葉を思い出す。彼女は、ドリスト陛下の恩に報いるために戦うと言った。そんな立派な理由は、今のティースには無い。なんだか、自分が小さな存在に思えて仕方なかった。

 

 豪快な笑い声が中庭に響いた。狂戦士バイデマギスと、ダーフィー、ギャロの三人がやって来た。三人とも、イスカリオでは腕の立つ騎士である。

 

 バイデマギスがティースに気付いた。「おう! ボウズ!! 元気か!!」

 

「あ、兄貴、おはようございます」ぺこりと頭を下げるティース。

 

「ちょうど良かった! これからお頭と敵の城を攻めるから、お前も来い!」

 

「へ? 城攻めですか? でもオレ、アルスターさんに、この城の警備を命じられてるんですけど」

 

 それを聞いて、バイデマギスは豪快に笑った。「がーっはっはっは! あのあんちゃんの命令なんざ、あって無いようなもんだ! いいから一緒に来い! こんなところでじっとしてちゃ、強くなれんぞ!!」

 

 バイデマギスはティースの頭に腕を回し、無理矢理連れて行こうとする。

 

「痛ぇ! 痛ぇっすよ兄貴!! 頭が潰れる!!」

 

「あん? この程度で痛いとは軟弱なヤツだ! もっと体を鍛えろ!!」バイデマギスは、ティースの頭を抱えて揺さぶった。

 

 ダーフィーが笑った。「ムチャ言うぜ。ダンナの馬鹿力で絞められたんじゃ、ストーンゴーレムだって白目向いて倒れちまう」

 

「違いないでヤンスねぇ」と、ギャロも笑う。

 

「お? そうか? すまんすまん」

 

 バイデマギスはティースを解放すると、また豪快に笑った。

 

 ティースはくらくらする頭をポンポン叩き、なんとか正気を取り戻した。「ところで兄貴、ひとつ、訊いてもイイっすか?」

 

「お? なんだぁ?」

 

「兄貴たちは、なんでこの国の騎士になったんっすか?」

 

「あん? どうした? 急に」

 

「いや、オレ、親に無理矢理仕官させられてここにいるんで、あんまり大した理由が無いんですよ」

 

「がーっはっは! そんなモン気にするな! 俺は楽しいからここにいるんだ!」

 

「へ? 楽しいから、ですか?」

 

「ああ! お頭と一緒に暴れ回るのは、何より楽しいぜ! あんな面白い王様は、他にいねぇからな!!」

 

「違いないでヤンスねぇ」ギャロが同意した。「あっしもここに来る前はいろんな国を旅しやしたが、ドリスト陛下ほど面白い王様は、他にいなかったでヤンスねぇ」

 

 二人の言葉を、ダーフィーは鼻で笑った。「二人とも、不謹慎だぜ? もっとちゃんとした理由は無いのかよ」

 

「じゃあ、ダーフィーのダンナは、なんでこの国に仕えてるでヤンスか?」

 

 ダーフィーは、親指と人差し指をくっつけて円を作った。「決まってるだろ。金がいいからだよ! 陛下ほど金払いのいい王様はいないぜ。手柄を立てなくても、面白いことをすれば褒美をくれる。賭け事にもすぐ乗って来るし、いい金づるだぜ」

 

 ギャロは呆れ顔になった。「ダンナの方がよっぽど不謹慎でヤンスよ」

 

「違いない! がーっはっはっは!!」バイデマギスは、やはり豪快に笑う。

 

 訊いたオレがバカだった――ティースは、小さくため息をついた。

 

 ――でも。

 

 面白から、金のため――そんな不謹慎な理由がまかり通るのが、この国のいい所だ。

 

 だったら、好きな女のために戦っても、いいはずだ。

 

 ティースはパンパンと頬を叩くと。

 

「ようし! オレもこの戦いで手柄を立てて、強くなってみせるぜぇ!!」

 

 空に向かって叫んだ。

 

「お! いいぞボウズ! その意気だ!! がーっはっはっは!!」

 

「これは楽しみでヤンスねぇ」

 

「張り切りすぎて、ヘマするんじゃねぇぞ」

 

 四人は、敵国目指して出撃した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十二話 シャーリン 聖王暦二一五年七月下 ノルガルド/ハンバー

 ハンバー城をめぐる攻防は、佳境を迎えようとしていた。

 

 前王の娘ブランガーネが勝手に兵を動かしたことで、大きな隙ができたハンバー城。レオニアの氷の華と呼ばれる騎士・シャーリンはこの機を逃さず、仲間のイスファスと共に兵五万を率いてハンバーに攻め入った。戦況はレオニア軍の圧倒的有利であったが、大きな戦力差があるとは言え、一日二日で落とせるほどハンバー城の攻略は簡単ではない。それでも、シャーリンは的確に敵の弱い所を突き、徐々に追いつめて行った。だが、もう少しで城を落とせるというところで、西から援軍が到着した。ノルガルドの軍師グイングライン率いる兵二万である。

 

 ここで、シャーリンにはふたつの戦い方が用意された。援軍の対処はイスファスに任せ、このままハンバー城を落としてしまうか。先に援軍を叩き、その後ハンバー城を落とすか。

 

 前者の方が効率はいい。援軍と当たるイスファスの部隊には血を流させることになるが、城さえ落とせば援軍は撤退するだろう。城の陥落はもうすぐだ。結果として、被害は最少で済むはずだ。

 

 だが、シャーリンは後者を選んだ。援軍を率いているのが並の騎士ならばためらいなく前者を選んだが、それがノルガルドの軍師グイングラインなら、話は全く異なる。ノルガルドの頭脳と称されるヤツの首は、城三つ四つ分に相当するだろう。利はこちらの方がはるかに大きい。

 

 シャーリンは部隊を西へ向け、グイングラインの部隊と当たった。そして、突破力を駆使して敵部隊の中枢に迫り、グイングラインの姿を捉えたのである――。

 

 

 

 

 

 

 槍の穂先を敵に向け、シャーリンはグイングラインと対峙していた。グインも剣を抜き、構える。軍師とは言え、グイングラインは前王ドレミディッヅ時代から戦場を渡り歩いた生粋の武人だと聞いている。敵が迫れば、自ら剣を取って戦うのは当然だった。

 

 剣を構えたグインは、シャーリンを見つめ、静かに口を開いた。「女か……貴様、女の身でありながら、なぜ戦場に立つ?」

 

 シャーリンは小さく笑った。「おかしな質問だな」

 

「なに?」

 

「女が戦場に立つのがおかしいのか? そちらの国では女は王位を継げぬと聞くし、随分と女を蔑んでいるようだな」

 

 グインは苦笑した。「……確かに今のは失言だった。詫びよう」

 

「いや、詫びなど必要ない。私も、今の言葉はうかつだった」

 

「ほう?」

 

「男だ女だなどと、戦場ではどうでもいい事。ただ強い者が勝つ。それだけだ」

 

 シャーリンは、グインとの間合いを一気に詰めると、槍を突き出した。グインの剣がそれを受け止める。間髪入れず、二撃目、三撃目を繰り出す。グインの剣はそれらの攻撃も受け止める。四撃目は、大きく横に払われた。今度は、グインが間合いを詰めて来る。槍はリーチが長い分、懐に入られると不利だ。グインの剣が横薙ぎにシャーリンの腹を襲う。シャーリンは槍を引き、柄の部分で剣を受け止めた。完全に防いだつもりだったが、強烈な衝撃と共に、シャーリンの身体は後方へ大きく吹き飛ばされた。なんとか体勢を崩さずにすんだものの、やはり、グインはただの軍師ではない。シャーリンは再び槍を構えた。

 

「……惜しいな。我がノルガルドにこそ欲しい人材だ」グインは、まっすぐにシャーリンを見て言った。

 

「こんな時に勧誘か? 無駄なことだ。私は主君を裏切らぬ」

 

「だからこそ惜しいと言ったのだ……行くぞ」

 

 二人の槍と剣が交わる。お互い、一歩も引かない攻防が続く。

 

 再び二人の間合いが空いた時、シャーリンの後方からイスファスがやって来た。

 

「シャーリン! 撤退だ!! すぐに兵を退くぞ!!」

 

 信じられないことを言う。

 

「バカな! 戦況はまだ有利だ! なぜここで退かねばならぬ!!」

 

「独断で兵を動かしたことで女王がお怒りだ! すぐにダマスに戻れとの命令が出ている!!」

 

「ふざけるな! ここまで我が軍にも決して小さくはない被害が出ている! いま退けば、すべてが無駄になるのだぞ!」

 

「シャーリン! これは女王直々の命令だ! 命令には従う、それが武人だ!!」

 

 シャーリンは槍の先でグインを捉えたまま、ぎりぎりと歯を噛みしめていたが。

 

「――くそっ!!」

 

 槍を下げ、兵たちに撤退を命じ、自らも下がった。

 

「……本当に、惜しい人材だ」

 

 背後でグインの言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十三話 ランス 聖王暦二一五年八月上 西アルメキア/カルメリー

 カルメリー城の個室にて、ランスはテーブルの上にフォルセナ大陸全土の地図を広げ、今後のいくさの展望を思い描いていた。地図は現在の各国の領土を色分けし、各地に大小さまざまな大きさの騎士の人形を置いている。人形の大きさは各城に配備されている大まかな兵数を表したものだ。現在のフォルセナ大陸の勢力図と言える。

 

 ランスが旧アルメキアを脱出して間もなく半年。ゼメキスのクーデターから始まった争いは、大陸全土を巻き込んだ大きないくさとなり、各地で領土の奪い合いが起こっている。北のノルガルドや南のカーレオンは帝国から領土を奪い、南西のイスカリオ・レオニアでも戦いが始まっている。各国の動向は気になるが、今のランスにとって最も問題となるのは、やはり三ヶ月前のキャメルフォード陥落である。キャメルフォードは西アルメキアの南北を繋ぐ重要拠点である。ここをエストレガレス帝国に落とされたことにより、西アルメキア軍は南北の行き来が極めて困難になった。特に、北のノルガルドとの国境を護る城ゴルレは完全に孤立した状態になっている。もし他国に攻められれば、援軍や物資を送ることはおろか、兵の退却さえままならない。ゴルレの騎士や兵が全滅などということになったら、この国はさらに大きな痛手を負うことになる。もちろん、懸念はそれだけではない。キャメルフォードは首都カルメリーに直結する都市でもあり、二つの都市間に防衛拠点は存在しない。西アルメキアは、喉元に刃を突きつけられた状態なのだ。これは、他でもないランスの失態が招いた事態だった。先日のキャメルフォード防衛戦に、ランスは総大将として出陣した。敵の総大将は皇帝ゼメキスの腹心カドール。初陣であるランスとの力の差は歴然で、アルメキア軍はわずか半日刃を交えただけで撤退することになった。今の西アルメキアの窮地の責任はランスにある。現在、西アルメキアはキャメルフォード奪還の準備を進めているが、その作戦は旧パドストーの王太子メレアガントらが中心になって行い、ランスは組み込まれていない。屈辱的ではあるが、不平を言う資格はない。先のいくさでの敗因は、明らかに自分にあるのだから。自分に力があれば、このような事態に陥ることはなかった。やはり、自分にはこの国を率いる資格はないのではないか。

 

 大きく首を振り、邪念を振り払うランス。いまさら自分の無力さを嘆いたところで何にもならない。力が無いのならば、力をつければいい。それには、剣術や魔法などの武の修業はもちろん、戦略・戦術を練る修行も同様に行わなければならない。いや、君主たる者、むしろこちらの方が重要と言えるかもしれない。ランスは、勢力図を前に、今後の戦況の変化を思い描く。西アルメキアは一刻も早いキャメルフォードの奪還が望まれるが、帝国はどう出るだろうか?

 

 エストレガレス帝国は、先のいくさでキャメルフォードを落としたものの、北のオークニーと南のソールズベリーという城を他国に奪われている。帝国にとってオークニー城は、西アルメキアのキャメルフォードと同等の重要拠点だ。ここを他国に奪われたままでは、帝国は西部での身動きがとりづらくなる。さらに、南のソールズベリーも落とされたことにより、南部も緊迫した状態だ。キャメルフォードを奪われた西アルメキアは苦しいが、帝国も同等かそれ以上に苦しいのかもしれない。

 

 エストレガレス帝国は、かつてアルメキアで最強を誇ったゼメキス軍が中心になっている。その武力の高さは脅威だが、国土が大陸中央に位置するため、国境が四つの国と隣接しているのが枷となっている。そのため、高い武力を各所に分散させざるを得ないのだ。実際、先のいくさで総大将を務めキャメルフォードを落としたカドールは、そのまま城には留まらず後退した。現在キャメルフォードの護りには中堅騎士が入っている。カドールがどこにいるのかは不明だが、南のカーナボンに兵が集まっているとの情報もあり、ソールズベリーの奪還作戦を進めているのかもしれない。西アルメキアにとっては、キャメルフォードを奪還するチャンスだ。

 

 ドアがノックされた。入るように促すと、ランスの側近・ゲライントが入って来て、左胸に右拳を当てた。

 

「失礼します、ランス様」ゲライントは、テーブルの上の地図を見た。「……ほう、戦略の研究ですかな?」

 

「ああ。君主たる者、戦況の見極めは大切だからね」

 

「では、ランス様は今の戦況をどう見ますか」

 

「自国だけ見ていると極めて苦しい状況だけど、全体を見ると活路も見えてくる。帝国にキャメルフォードを落とされて危険な状態だけど、帝国もオークニーとソールズベリー落とされ、我が国と同等かそれ以上に危険な状態だ。キャメルフォードの奪還は、そう難しくないのかもしれない。もちろん、楽観はできないけどね」

 

「なるほど。悪くない分析です」

 

「もっとも、今の帝国の苦しい状況は、我が国ではなくカーレオンとノルガルドによってつくられている。近いうちに行われるキャメルフォードの奪還作戦に、僕は組み込まれていない。そのふたつが残念だけどね」

 

「まあ、そう気落ちすることもありますまい。ランス様は今、力を蓄える時。焦りは禁物ですぞ」

 

「ああ。判っている。ところで、何かあったのか?」

 

「はい。在野の騎士が参っております。あ、いえ、あの者を在野の騎士の申して良いものか……」

 

「うん? どういうことだ?」

 

「まあ、一度お会いしてみるのがよろしいかと」

 

「そうか。判った。会ってみよう」

 

 ランスは、ゲライントと共に謁見の間へと向かった。

 

 高座に上がったランスは、広間に控えている者を見て目を丸くした。在野の騎士の謁見ということで、跪き頭を垂れているものと思ったが、その者はつぶらな瞳を爛々と輝かせてランスを見ている。まだ子供のあどけなさが残る少年……と言うよりは、誰がどう見ても子供だ。十歳前後と言ったところだろうか。

 

「えっと……君が、在野の騎士……?」戸惑いながら訊くランス。

 

「ハイ! ボク、アルサスと言います!!」少年は、右手を真っ直ぐに挙げて答えた。

 

 ランスはゲライントを見た。ゲライントは苦笑いを浮かべ、顔を伏せた。

 

 再び少年を見るランス。「えっと……アルサス。君、いくつなの?」

 

「ハイ! 十二歳です!!」

 

 学校の授業のように元気よく答えるアルサスに、ランスはさらに戸惑う。ルーンの加護が目覚める時期は人それぞれで、幼少期や生まれながらに加護を受ける者も決して珍しくはないが、十二歳での仕官はあまりにも早すぎる。旧アルメキアやパドストーでは戦場に出るのは十五歳以上と決められており、それもランスのような王族や伝統ある名家である場合がほとんどだ。一般的には二十歳前後であろう。

 

 戸惑うランスをよそに、アルサスは目を輝かせたまま続ける。「ランス様って、本当にその若さで王様なんですね」

 

「え? あ、いや、まあね」

 

「ボクも、将来ランス様のような王様になりたいんですが、どうすればなれますか?」

 

「え!? 君が王様に!?」

 

 戸惑いを通り越して混乱するランス。ゲライントを見ると、下を向いて肩を揺らしている。笑いをこらえるのに必死な様子だ。

 

「えーっと、王様ねぇ。どうやったらなれるかなぁ」

 

 フォルセナ大陸にある国の王はほぼ世襲制だ。王の子供、もしくは血族が次の王になる。数少ない例外が、神託によって選ばれる宗教国家レオニアと、クーデターによって生まれたエストレガレス帝国だが、それをこの少年に勧めるわけにもいかない。

 

 ランスが困っていると、ゲライントがようやく助け舟を出した。「アルサス。王になるためには、まずはそれにふさわしい人物になる必要がある」

 

 アルサスは首を傾けた。「王にふさわしい人物?」

 

「そう。身体を鍛え、勉強をするのだ。王は、剣や槍などの武術、魔法、戦略、そして、政治についても高い知識が必要となる。どれが欠けても、立派な王とは言えぬぞ。ですな? ランス様」

 

 当てこすりな視線をランスに向けるゲライント。ランスは「う……まあ……そうだね……」と、曖昧な返事をした。

 

 ゲライントの言葉に、アルサスの目はさらに煌々と輝く。「じゃあ、ランス様はやっぱり、剣も魔法も、政治とかの勉強も、ぜんぶぜんぶできるんですか!?」

 

「うん? あ、いや――」答えに窮するランスだが、ふっと、笑みがこぼれた。こんな無垢な少年を相手に、見栄を張っても仕方ないことに気が付いた。だから、アルサスの目を真っ直ぐに見て言った。「アルサス。僕はね、まだ王様ではないんだよ」

 

「え? そうなんですか?」

 

「ああ。僕はまだまだ未熟で、剣や魔法の腕も、戦略や政治の知識も、十分とは言えない。それに、今の僕はエストレガレス帝国との戦いに勝って、生まれ育った国を取り戻さないといけないんだ。僕が王様になるのは、その時と決めてるんだ。ゲライントの言う通り、王様になるには、まずそれにふさわしい人間にならないといけないからね」

 

 アルサスはぽかんとした表情になったが、しばらくすると目に輝きが戻って来た。「さすがランス様です! ボク、尊敬しちゃいます!!」

 

「ありがとう、アルサス」

 

「判りました! じゃあ、僕も王様になるために、まず騎士になって、ランス様のもとで勉強します!!」

 

「え? あ、いや、ホントに判ってる?」

 

「はい!!」

 

 屈託ない笑顔で返事をするアルサス。ゲライントは、声を上げて笑った。

 

「おいゲライント、笑ってないで、なんとか説得してくれ」

 

 ランスの助けを求める声に、ゲライントは笑うのをやめた。「アルサス。そなたの気持ちはよく判った。しかし、この国では戦場に出るのは十五歳以上と決められているのだ」

 

「え? そうなんですか」

 

「ああ。それまでは学校に通って勉強し、家では両親の手伝いをするのだ。もちろん、騎士になりたいのなら身体を鍛えることも忘れてはならんぞ?」

 

「……判りました」アルサスは肩を落とした。

 

「いやはや、しかし、将来が楽しみな少年ですな、ランス様」ゲライントはランスを見る。「王位への純粋な憧れと、恐れを知らぬ物言い。子供の頃のランス様そっくりですなぁ。そう言えば、何処となく風貌も似ておる――」

 

 ゲライントの表情が、急に硬くなった。値踏みでもするかのように、アルサスの姿を見る。

 

「うん? どうした? ゲライント」

 

 ゲライントは「いえ――」と言った後、何かを考えるような顔になったが、やがて。「アルサスよ。そなたの御両親は、仕官のことを知っているのかね?」

 

「はい。僕は生まれつきルーンの加護があったので、子供の頃からずっと、『騎士になれ!』って、言われています」

 

「ふむ。きちんとご両親に確認を取る必要はあるが……判った。アルサスよ、特別に、そなたの仕官を認めよう」

 

「本当ですか!? やったぁ!!」アルサスは、両手を挙げてぴょんぴょん飛び跳ねた。

 

「おい、ゲライント。何を言ってるんだ? こんな子供を騎士にするなんて」

 

「いえ、なにも今すぐ戦場に出すわけではありませぬ。そもそもこの国では、騎士になるためにはまず訓練所に通わなければなりませぬからな。訓練所には特に年齢制限はありませんので、十五歳になるまで、そちらで修業させれば良いでしょう。それに、騎士の務めは、なにも戦場に出るばかりではありませんからな」

 

「うん――?」

 

「あ、いえ、こちらの話です」ゲライントはアルサスを見た。「ではアルサス。まずはご両親に会わせていただきたい。正式に同意が得られれば、訓練所に入る手続きをしよう。そこで、真面目に修行するのだぞ?」

 

「ハイ! 頑張ります!!」

 

 アルサスは、ゲライントに連れられ出て行った。まったく……何を考えているのか。ランスは小さくため息をついた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十四話 リオネッセ 聖王暦二一五年八月上 レオニア/ターラ

 レオニアの女王リオネッセは、聖都ターラの執務室に騎士シャーリンを呼び出していた。シャーリンはレオニアの氷の華と呼ばれる手練れの女性騎士だ。騎士団長アスミットからの信頼も厚く、開戦以前から、北のノルガルドとの国境を護る城・ダマスの警備を任せていたのだが、先月下旬、命令もないのに兵を率いてノルガルドへ侵攻した。この一報を受けたリオネッセとアスミットは直ちに退却の指令を出したのだ。

 

「シャーリンさん。なぜ、命令もないのにノルガルドを攻めたのです。あなたの任務は、ノルガルドとの国境を護ることだったはず」

 

 普段のおしとやかな姿からは想像もできないほど厳しい口調のリオネッセ。だが、シャーリンは意に介した様子もなく。

 

「敵が隙を見せたがゆえに行ったこと。あのような好機、そうそうあるものではありません」

 

 淡々とした口調で答えた。

 

 シャーリンの話によると、ノルガルドの国境を護るハンバー城には、開戦以降、常に五万の兵が駐屯していた。それが、先月に入って大きな動きがあった。西のジュークス城へ兵五千、北のフログエルに兵三万が移動したのである。ハンバーを護る兵は一万五千となり、攻めるには絶好の機会だった。

 

 シャーリンは続ける。「ハンバー城は、極めて攻めにくい地形にあります。あの城を落とすには、敵の倍以上の兵を集めなければいけません。それを、敵のミスにより簡単に落とす機会を得たのです。これを逃す騎士がどこにいましょうか」

 

 もちろん、女王は譲らない。「我々は侵略者ではありません。今回のいくさは、他国の侵略からレオニアの民を護るために行っているのです。隙を見せたからといって侵攻していては、ノルガルドやエストレガレスと何ら変わりありません」

 

「女王。そのような甘い考えで国を護れるとお思いか? 攻めてくる敵をどれだけ撃退しようと、元を断たねばいつまでも終わりませぬ。敵から国を護るには、敵を滅ぼす以外に道は無いのです」

 

 アスミットが鋭い視線を向けた。「口を慎め、シャーリン!」

 

「いえ、言わせて頂きます。ハンバー攻めは、我らに分があったとはいえ、こちらの被害も決して少なくはありませんでした。撤退命令は、それらの被害を無にしてしまった。お判りか、女王。あなたの無思慮な判断が、国を危険にさらしているのです」

 

「――――」

 

 国を危険にさらしている――それが、リオネッセに言葉を失わせた。

 

 それを察したアスミットが、代わりに言った。「そなたの言い分は判った。シャーリン、そなたには、無期限の謹慎を命じる」

 

 何事にも動じなかったシャーリンが、初めて顔色を変えた。「な……なにを……!?」

 

 リオネッセも動揺している。「アスミットさん、それは……」

 

「女王の命令は絶対である。従えぬのであれば、もはやそなたは騎士ではない。しばらく頭を冷やすのだな」

 

「バカな!? このような時に謹慎など、何を考えて――」

 

 アスミットは、シャーリンの言葉を一喝した。「もう良い、下がれシャーリン!! 無礼であるぞ!!」

 

「――――っ!」

 

 シャーリンはしばらく怒りに肩を震わせていたが、やがて踵を返し、執務室を出て行った。頭を下げることも無かった。

 

「女王、部下が、大変失礼をいたしました」代わりに、アスミットが頭を下げた。

 

「いえ、それは構いません。それより、シャーリンさんを謹慎させて、大丈夫なのでしょうか?」

 

「致し方ありません。いかに敵が隙を見せたとはいえ、命令も無いのに勝手な判断で動かれては、全体の作戦に大きな影響が出ます。結果として、シャーリンの行動こそが国を危険にさらすのです。軍とは秩序あってのもの。秩序が無くなれば、軍は機能しません」

 

「そう……ですね……」リオネッセはしばらく考えた後、続けた。「アスミットさん。あたしの考えは、甘いのでしょうか? あたしたちは侵略者ではない。あたしたちが戦うのは、自分たちの国、人々の生活を護るため――それは、単なる理想にすぎないのでしょうか?」

 

 フォルスは戦火を消すことを認める――これは、レオニアの聖典に記されている言葉だ。いくさを仕掛けられた場合、レオニアの神フォルスは戦うことをお許しになる、ということである。

 

 聖典のこの部分は、読み手によって解釈が異なる。『戦火を消す』とは、攻めて来るものを迎え撃つだけなのか、戦いを終わらせるために他国を滅ぼしても良いのか――リオネッセは、後者だけは絶対に許されないと考えている。この考え方は、この先も決して変えないつもりだ。

 

 だが、現実は、シャーリンの言う通り、敵を滅ぼさなければいくさは終わらないのだろうか?

 

 開戦以降、ずっと悩み続けている。この国の王が自分などで良いのか? 他の者に任せた方が、うまくかじ取りをできるのではないか。いや、むしろその悩みはずっと以前から――女王になった時から続いている。

 

 アスミットは。

 

「シャーリンのいう方法が最も効率が良いのは事実でしょう。ですが、女王の仰る通り、我々は侵略者ではありません。レオニアは、エストレガレスやノルガルド、イスカリオとは違うのです。護るだけでこの戦乱の世を生き残るのは難しいかもしれませぬが、他国を滅ぼしてまで生き残ることには、私も同意できません。女王。あなたはあなたの考えを貫くべきです」

 

 迷うことなく、そう答えた。

 

「――ありがとうございます」

 

 礼を言うリオネッセ。自分の考えを支持してくれる人がいる。これほど心強いことはない。

 

「――ところで、女王」アスミットが書類の束を取り出した。「今後のことについて、ひとつ、目を通していただきたい資料があるのですが」

 

「今後のこと? どのようなことでしょうか」

 

 リオネッセは差し出された資料を受け取った。読もうとしたとき、ドアがノックされ、返事をするよりも早くキルーフが入って来た。

 

「よう! リオネッセ! 居るか?」

 

 キルーフは机に向かって座るリオネッセを見て笑顔になったが、そのそばに立つアスミットに気付き、すぐに不機嫌な顔になった。「……なんだよ。アスミットも一緒かよ」

 

「どうしたの? キルーフ。何かあった?」一旦書類を置き、笑顔で応えるリオネッセ。

 

「あ、いや、別に何も無いけどよ。天気がいいから、一緒に散歩でも行こうかと思ってな」

 

「キルーフよ――」と、アスミットが口を挟む。「女王は多忙だ。そなたの散歩などに付き合っている暇はない」

 

 キルーフがアスミットを睨んだ。「あん? てめぇには訊いてねぇよ! 俺は、リオネッセと話してるんだ!」

 

「そもそも、そなたのターラでの任務は終わったはずだ。ハドリアンに戻るよう命じたはずだが?」アスミットはキルーフのペースに飲まれることなく、淡々と言う。

 

 キルーフが首都ターラに戻ってきたのは、先日行われた首都攻防を想定した訓練に参加するためである。この訓練は数日に渡って念入りに行われ、昨日終わったばかりだ。アスミットの言う通り、今日ハドリアンへ戻る手はずである。

 

「判ってるよ!!」キルーフが声を荒らげる。「昼過ぎには立つよ! その前に、ちょっとリオネッセと話をしようと思っただけだろうが!!」

 

 何か言おうとしたアスミットを、リオネッセが制した。「ごめんなさいキルーフ。いま、アスミットさんと大事な話をしているから、散歩は、また今度ね」

 

「なんだよリオネッセ……お前、俺よりアスミットを選ぶっていうのか……」

 

「そんな話はしていないでしょう? お仕事の話をしているの」

 

「んなこたぁ関係ねぇ! まさかお前、コイツのことが好きなのか!?」

 

「キルーフ、何を言って――」

 

「答えろリオネッセ! アスミットのことが好きなのか!?」

 

「…………」

 

 リオネッセが困っていると、アスミットが間に入った。「……公私混同も甚だしい。そなたには、騎士の自覚が無いようだな」

 

「あん? なんだと!?」

 

「これ以上女王を煩わせるな。今すぐハドリアンへ戻れ」

 

 キルーフは、拳を握りしめ肩を震わせた。「……いつもいつも偉そうに命令しやがって……もう我慢できねぇ! 来いよアスミット! 相手になってやる!」

 

 キルーフは、拳を前に出して構えた。

 

「やめてキルーフ! 何をやってるの!」と、リオネッセ。

 

「お前は黙ってろ! こういうヤツは、一度叩きのめさなきゃわかんねぇんだよ!」

 

 アスミットは、拳を構えるキルーフを冷めた目で見ていた。「……くだらんな。そのような争い、無駄でしかない」

 

「へん! 怖気づきやがったか! なら、こっちから行くぞ!!」

 

 振りかぶり、前へ踏み込むキルーフ。

 

「やめて!」

 

 リオネッセが席を立ち、キルーフとアスミットの間に割って入った。

 

「邪魔だ! どけ! そのスカしたヤロウをぶちのめして、二度と偉そうな口を利けないようにしてやるぜ!」

 

 さらに踏み込もうとするキルーフ。

 

「やめなさい!!」

 

 リオネッセが、頬を(はた)いた。

 

 よろめくキルーフ。突然のことに、目を白黒する。

 

 リオネッセは、まっすぐにキルーフを見る。「キルーフ……あなたは、いつまでそんな子供みたいなことを言っているの? 今の国の状況が判ってるの!? 国の一大事なのに、くだらないことでケンカするなんて……あなたはこの国騎士なのよ? この国を護る義務があるの。もう村にいた頃とは違うの!! それが判らないようなら、今すぐ騎士をやめて村に帰って!!」

 

 キルーフは叩かれた頬を押さえ、呆然とした表情だったが、やがて。

 

「……ちくしょう! やってられっかよ!!」

 

 吐き捨てるように言って、執務室から出て行った。

 

 リオネッセは小さくため息をつくと、アスミットを振り返り、頭を下げた。「申し訳ありません、アスミットさん。キルーフが、失礼なことを」

 

「女王が謝ることではありませんよ。しかし、よろしいのですか? 本当にキルーフが村に帰るようなことになったら――」

 

 リオネッセは目を閉じ、首を振った。「いいんです。悪いのはキルーフですから。いつまでも騎士の自覚が持てないままだと、彼のためにならないですからね。それに……」

 

「それに?」

 

「彼は、自分が悪い時には、必ず自分から謝って来ますから」

 

 リオネッセは、笑顔でそう言った。

 

 アスミットは小さく笑う。「キルーフを信じているのですね」

 

「はい。なんだかんだで、長い付き合いですから」

 

「では、この件は、私からはこれ以上何も申し上げないことにします。仕事に戻りましょう」

 

「はい」

 

 リオネッセは席に戻り、先ほどアスミットから受け取った資料を見た。

 

『ノルガルドの食糧事情』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十五話 ミゲル 聖王暦二一五年七月下 イスカリオ/ランド家

 ランド家の長男ミゲルは生家へと戻っていた。今はもう誰も住んでいない屋敷は、庭は雑草が生い茂り、外壁や窓は薄汚れ、荒れ放題だ。それでも、手入れさえすればなんとか住めそうではある。家を出て四年、これが初めての帰郷だ。すでに何もかもが懐かしい。

 

 だが、自分はなぜここにいるのだろう? この家を出る時、家名を復興するまで戻らないと誓ったはずだ。現在ミゲルは騎士としてイスカリオに仕えているが、城内での地位は決して高くなく、家名復興の道はまだ遠い。なのに、自然と足がこの家へ向いてしまった。なぜだ?

 

 いや――。

 

 答えはすでに判っている――迷いを断ち切るためだ。

 

 ミゲルは、誰も迎えてくれることのない屋敷の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 ミゲルは、イスカリオで古くから続く貴族の家系・ランド家の長男だ。ランド家は三兄妹であり、二男にカストール、末っ子に長女のリゲルがいるのだが、現在は訳あって離れ離れに暮らしている。

 

 ランド家の家長であった父は、ミゲルが十二歳のときに病で亡くなった。当時のイスカリオの法律では貴族の爵位や財産を妻が相続することができなかった為、ミゲルの叔父が全ての財産を相続した。その二年後、後に狂王と呼ばれるドリストが王位に就き、彼の気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度は廃止される。叔父は事業を始めたが失敗し、財産を食いつぶしたあげく逃亡した。母がうまくやりくりしたおかげでなんとか屋敷だけは残ったものの、その母も末っ子のリゲルが十五歳になるのを見届けたかのように病で亡くなった。

 

 三兄妹にはルーンの加護があったため、騎士となって名を上げればランド家の家名を復興させることも可能だった。しかし、狂王ドリストの支配するイスカリオでは、出世は王の気分次第。むしろ、真面目にやればやるほど虐げられるという話だったので、長男のミゲルのみがこの国に残り、カストールとリゲルはイスカリオを出て別の国へ仕官することにした。誰か一人でも出世すれば、ランド家の家名を取り戻すことができるはずだった。

 

「――家名復興の道が開けるまで、この家には戻らない」

 

 四年前、兄妹全員でそう誓った。そして、それぞれこの家から旅立って行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 屋敷に入ったミゲルは、まっすぐに父の書斎へと向かった。書斎には父の遺影が飾られている。まずは何を置いても父への報告が先だった。書斎に来たミゲルは、壁に掛けられた遺影の前に跪いた。

 

「父上。家名復興まで戻らぬという決意を破ったことをお許しください」

 

 (こうべ)を垂れるミゲル。厳しかった父は、もし生きていれば道半ばで帰郷したミゲルのことを叱っただろう。だが、父の遺影は何も言わない。当たり前のことだが、それが妙に寂しかった。

 

 顔を上げたミゲルは、父の遺影を真っ直ぐに見つめた。「しかし、今日はどうしても、父上にご報告しなければならぬことがあるのです。今、我ら兄妹は別々の国に仕えております。もし、戦場で兄妹と出会うことがあっても、家名復興のために戦う覚悟です。どうか、そのことをご理解ください」

 

 ミゲルは、もう一度、深く頭を下げた。

 

 四年前、兄妹離れ離れになると決めた時、フォルセナ大陸は平和だった。アルメキアとノルガルドの間に小競り合いはあったものの、大きないくさなど十年以上起こっていなかった。この先も、平和な時代が続くものと思っていた。だが、大陸の情勢は大きく変わった。ゼメキスの反乱に端を発した戦乱は全土に広がり、全ての国が、大陸制覇のため、あるいは祖国を護るため、いくさを繰り広げている。

 

 このままでは、いつかカストールやリゲルと戦場で会うかもしれない。

 

 その時、自分は弟たちに剣を向けることができるのか。弟たちは自分剣を向けることができるのか。

 

 迷いがあった。だが、家名復興のためには、避けては通れぬ道だ。

 

 ミゲルは、父への報告をもって、その迷いを断ち切るつもりでいたのだ。

 

 顔を上げ、立ち上がったミゲルは、そばにあったテーブルの上の手紙に気が付いた。ミゲル兄さんへ、と書いてある。

 

「私宛……リゲルからか!?」

 

 彼のことを『ミゲル兄さん』と呼ぶのは末っ子のリゲルしかいない。ミゲルは手紙を手に取った。こんな手紙がここにあるということは、リゲルも家に帰っていたということだろうか。ミゲルは、手紙を開いた。

 

 

 

『ミゲル兄さんへ。

 

 お元気ですか? ミゲル兄さんは、自分の体調を考えず無理をしてしまうことがあるので、ちょっと心配です。

 

 今日は、お父さんの命日なので帰ってきました。本当は、家名復興の道が開けるまで戻らない約束でしたが、破ってしまってごめんなさい。でも、おかげでカストール兄さんと会いました。カストール兄さんは仕官先が決まり、お父さんとお母さんへの報告のために戻ってきたようです。二人で昔の話をして盛り上がってしまいました。ミゲル兄さんもいれば、もっと楽しかったのに。でも、ミゲル兄さんは意志の強い人だから、帰ってこないと判っていました。あれ? じゃあ、なんで手紙なんて書いてるんだろう? まあ、いいよね。

 

 あたしも、カストール兄さんも、元気でやっています。出世はまだ遠いかもしれないけれど、いつかきっと、家名を復興できると信じて、これからも頑張って行こうと思います。

 

 ミゲル兄さんも、どうかお体に気を付けてください。

 

 また会える日を楽しみにしています。

 

 リゲル』

 

 

 

 ミゲルは手紙を閉じ、小さく笑った。結局は、カストールとリゲルも約束を破っていたということか。

 

 だが、会わなくて良かった――そう思う。会っていれば、ミゲルはきっと、言ってはいけないことを言っていただろう。イスカリオに戻って来い、と。

 

 四年前、兄妹が離れ離れになることを決め、二人を他国へ仕官させたのはミゲルだ。それなのに、今さらそんなことが言えるはずもない。

 

 だが、本心を言うと。

 

 ――兄妹が別れたことは間違いだったかもしれない。

 

 ミゲルは、そう思い始めていた。

 

 狂王ドリストの元では、どんなに優秀な騎士であっても出世は望めない――そう思っていた。実際、そういう面はある。だが、ドリストは噂ほど悪い王ではないと、最近になって思い始めていた。気まぐれに貴族制度を廃止したことを恨んだ時期もあったが、ミゲルは大人になって真実を知った。当時のイスカリオは貴族や王族に権力が集中し、庶民は苦しい生活を余儀なくされていたのだ。ドリストが貴族制度を廃止したおかげで、貴族たちは権力を失い、庶民の生活は一気に楽になった。もちろん、その影響でランド家は存続の危機にあるのだが、それは父の死という不運と、ランド家の遺産を預かった叔父に商才が無かったというだけの話で、王を恨むことではない。ドリストは、一見滅茶苦茶と思える行動の中にも深い思慮があるのかもしれない。そう思えて仕方がないのだ。ドリストを暗君と思い、カストールとリゲルを国から出したが、それは大きな間違いであったのかもしれない。

 

 だが、すでに二人とも他国の騎士だ。イスカリオに戻って来いということは、国を裏切れということになる。そのようなこと、言えるはずがない。言えるはずないが、このままではいずれ戦場で会うことになる。

 

 四年前の自分ならば、家名復興のためならたとえ肉親であろうと斬る、と、迷わず言ったであろう。

 

 しかし、こんな手紙を読んでしまった後では……無理だ。

 

 ミゲルは自嘲気味に笑った。迷いを断ち切るために家に帰ってきたのだが、家に帰っても迷いは消えることはない。

 

 いや。

 

 それは、最初から判っていたことなのかもしれない。

 

 ならば、やるべきことは決まっている。

 

 ――帰ろう。我が君の元へ。

 

 ミゲルは屋敷を後にした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十六話 バーリン 聖王暦二一五年八月上 レオニア/ターラ

 レオニアの新米騎士バーリンは、訓練場へ向かう途中、中庭に一人たたずむキルーフを見つけた。首都防衛を想定した大きな訓練が終わったのが昨日。すでに南のハドリアンへ戻ったものと思っていたが、何をしているのだろう? キルーフは中庭中央の噴水のへりに腰かけ、ガックリと肩を落としていた。遠目に見ても落ち込んでいると判る。何かあったのだろうか? バーリンは声をかけた。

 

「よう、キルーフ」

 

 声をかけた途端、ばっ! と顔を上げるキルーフ。何か期待したような表情だったが、声をかけたのがバーリンだと判ると、あからさまに落胆した表情になった。「……なんだよ。バーリンかよ」

 

「なんだよ、とはご挨拶だな。こんなところで何してるんだ? ハドリアンへ戻ったんじゃないのか?」

 

「いいだろ、別に。昼過ぎに立つ予定だよ」

 

「そうか。あ、そうだ。お前に渡すものがあったんだ」

 

「渡すもの? なんだよ」

 

 バーリンはポーチを探り、中から一本の白い羽を取り出した。「綺麗だろ? ちょっと前に、森の中で見つけたんだ。お前にプレゼントしようと思ってな」

 

 羽を受け取ったキルーフは、「ありがとな」と、覇気の無い声で言って、懐にしまった。

 

「なんだよ、せっかく人が空腹に耐えて持って帰ってやったのに。やっぱりお前には、ウサギの燻製肉の方が良かったか? 喋るけど」

 

「あん? 何の話だよ」

 

「何でもないよ。それより、女王陛下にあいさつはしたのかい?」

 

「あん? 知らねぇよ! そんなこと!」

 

 怒ってそっぽを向くキルーフ。実に判りやすい反応だな、と、バーリンは思った。

 

 まあ、声をかける前から判っていたことではある。明らかに落ち込んでいる様子のキルーフ。彼が悩む理由はひとつしかない。

 

 バーリンはキルーフの正面に回り込み、顔を覗き込んだ「ははーん。さては、陛下とケンカしたな?」

 

「な……なに言ってんだよ!」

 

 キルーフは顔を赤くし、声をさらに大きくする。明らかに動揺している。本当に判りやすいヤツだ。

 

 バーリンはさらに問い詰める。「しかもそのケンカは、一方的にキルーフが悪いんだろう?」

 

「な……てめぇ! さては覗き見してやがったな!!」

 

「覗き見なんてしなくても、いまのキルーフの様子を見てたら、それくらいの想像はつくよ。単純なんだから」

 

「うっせぇ! ほっとけ!」

 

 キルーフは、またそっぽを向いてしまった。

 

 やれやれ、と肩をすくめるバーリン。要するに、早くハドリアンに戻らなければいけないのに女王とケンカしたせいで戻るに戻れなくなったというわけだ。キルーフに片思いしているバーリンにとって女王は恋敵であり、本人の言う通りほっといても良いのだが、まあ、彼との付き合いも長い。ここは、一肌脱いでやるか。

 

「ようし。特別に、あたしが相談に乗ってやろう」

 

 一瞬こちらを見て目を丸くしたキルーフだが、またそっぽを向く。「ケッ! 女なんかに相談できるか!」

 

「おやおや。こういう時だけ女扱いかい? 訓練の時は、やれ敵を倒せだの、やれ油断するなだの、容赦なく命令して来たくせに」

 

「うっせぇな! それとこれとは、話は別だよ!」

 

 声を荒らげるキルーフ。いつもなら、ここでケンカを始める所だが。

 

「まあ、そう言うなよ」バーリンは、落ち着いた口調で言った。「一応あたしも陛下と同じ女の娘なんだし、男のキルーフには判らない乙女心とか、教えてあげられるかもよ?」

 

 いつもと違うバーリンの態度に、キルーフは困惑した顔になる。「……なんだよ……調子狂うな……ったく……」

 

 バーリンが「ほれほれ」と促すと、キルーフはぽつりぽつりと話し始めた。

 

 ――だが。

 

 話を聞いたバーリンは。

 

「……はあああぁぁぁ」

 

 大袈裟にため息をついた。

 

「なんだよ、そのため息は。相談に乗ると言ったのは、お前だろ」

 

「確かにそうだけど、言ったことを後悔してるんだよ。まさか、これほどバカバカしい話だとは思わなかった」

 

 バーリンは、もう一度ため息をついた。

 

 キルーフの話を要約すると、ハドリアンに戻る前にリオネッセと散歩でもしようと思い、誘ったが、騎士団長アスミットと話をしていて断られた。二人がキルーフを邪魔者扱いするので、腹が立ってアスミットをぶちのめそうとしたら、リオネッセに頬を叩かれ、村に帰るように言われた。と、いうことである。誰がどう考えても悪いのはキルーフだし、女王だって本気で村に帰れと言った訳ではないだろう。素直に謝ればすむ話だ。実に簡単なことである。

 

「……判ってるよ」

 

 キルーフがつぶやくように言った。さっきまでの勢いはどこへやら。急にしおらしくなったので、今度はバーリンが毒気を抜かれてしまった。

 

 キルーフは続ける。「あいつは――リオネッセは、この国の女王になった。俺は、あいつのことが心配で騎士になったんだ。あいつが、女王なんて重い立場に、一人で耐えられるわけがないと思った。オレが支えてやらなきゃ、って、思ったんだ」

 

「――うん」

 

「でも、フタを開けてみれば、あいつは俺が考えていたよりも、ずっと強かった。毎日国のことを考えて行動し、女王としての責務を十分に果たしている。あいつは、俺の助けなんて必要なかったんだ。それで――」

 

 そこまで言って、口を閉ざすキルーフ。

 

 言わずとも、バーリンにはその続きが判る。

 

 自分が、とてもちっぽけな人間に思えた――そう言いたいのだろう。

 

 リオネッセの成長には、バーリンも驚いている。キルーフやバーリンだけではない。二人と幼馴染のガロンワンドも、神官騎士団長のアスミットも、政務補佐官のパテルヌスも、この国のみんなが、開戦後のリオネッセの気丈な姿に驚いたはずだ。ノルガルドとの会談で白狼に脅された時は一歩も引かなかったというし、訓練にも積極的に参加して優秀な成績を収めている。就任当初の頼りない姿は、もう微塵も感じさせない。

 

 だから。

 

 キルーフは、自分が置いて行かれると思ったのだろう。

 

 日々成長し、女王の責務を全うしているリオネッセに対し、キルーフが騎士という立場に馴染んでいないのは明らかだった。粗暴で短気な彼には規律に厳しい騎士という職そのものが向いていないというのもあるが、加えて、上官である神官騎士団長のアスミットが、何事も理論で解決しようとするタイプの人間だというのが致命的だろう。頭を使うのが苦手な人間と頭を使うことで全てを片付ける人間。二人の相性は最悪だ。アスミットがどんなに戦術を教えようともキルーフが全てを理解できるはずもなく、彼は、騎士として成長できない自分に苛立っているのだろう。

 

 ――そうか。キルーフは……。

 

 どくん、と、バーリンの胸が鳴った。彼は、あたしと同じだ。

 

 キルーフを追いかけ、キルーフのそばにいたくて騎士となったバーリン。しかし、彼は遠く離れた国境の守備を任され、バーリンは首都に留まり訓練の日々。たまに一緒になっても、彼はいつもリオネッセのことばかり考え、バーリンのことを見てくれなかった。それが辛かった。苦しかった。

 

 でも。

 

 キルーフも、同じように、辛く、苦しかったのかもしれない。

 

「――さてと、そろそろ行くか」

 

 キルーフが立ち上がった。

 

「――え? 行くって、どこに?」

 

「ハドリアンに戻るに決まってるだろ? イスカリオの連中が、いつ攻めて来るか判らないからな」

 

「……陛下のことは、どうするんだ?」

 

「どうもしないよ。あいつは、俺がいなくても大丈夫だ。お前やガロンもそばにいるしな」

 

「…………」

 

「話聞いてくれてありがとな、バーリン。ちょっとは気が晴れたぜ」

 

 そう言って、キルーフはさわやかに笑った。

 

 バーリンは、いつも首に下げているペンダントを握りしめた。淡いブルーの石を革の紐に取り付けた簡素なもの。子供の頃、キルーフからプレゼントされたもの。高価なものではないが、バーリンにとっては何よりも大切なものだ。

 

「じゃあな、バーリン。訓練が終わったら、また会おうぜ」

 

 そう言って、行ってしまおうとするキルーフを。

 

「――待って」

 

 バーリンは止めた。

 

 キルーフが振り返る。「うん? まだ何かあるのか?」

 

 バーリンはペンダントを見せた。「これ、覚えてるだろ? 子供の頃、キルーフがくれたやつだ」

 

「ああ。もちろん、覚えてるぜ」

 

「あの頃のキルーフは、何でもかんでも陛下――リオネッセが一番だった。川で魚が釣れた時も、山で綺麗な花を見つけた時も、いつでも、最初にリオネッセに持って行った。でも、この石はあたしにくれた。あの頃から、あたしは……」

 

 ――ちょっとまて、あたしは、何を言うつもりだ。

 

 自分の言葉に戸惑うバーリン。今は戦争中だ。恋愛にうつつを抜かしている場合じゃない。まして、キルーフとリオネッセがケンカしている隙に付け入るなんて、卑怯だ。

 

 でも――もう、止められそうにない。

 

 キルーフのことが好きだった。

 

 子供の頃から、ずっと好きだった。

 

 リオネッセと違い、あたしなら、ずっとそばにいてあげられる。あたしなら、あなたのことしか見ない。あたしなら――決して、あなたを置いて行ったりしない。

 

 だから、リオネッセじゃなくて、あたしを見てほしい。 

 

 ずっと胸の内に秘めていた想いを、伝えようとした。

 

 だが。

 

「……ああ、スマン。その石、ホントはリオネッセにプレゼントするつもりだったんだ」

 

「……へ?」

 

 あまりにも予想外の言葉に、バーリンは目を白黒させる。今、彼はなんと言ったんだ? ホントはリオネッセにプレゼントするつもりだった? ちょっとなに言ってるか判らない。

 

 キルーフは、人差し指で頬を掻いた。「あの日、川原でガロンと競争したんだ。どっちが綺麗な石を見つけて、リオネッセに喜んでもらえるか、って。ガロンのヤツ、キラキラ輝く宝石みたいな石を見つけてよ。それに比べたら、俺の見つけた石なんて、そこら辺に転がってるのと変わらなくてな。とてもリオネッセに見せられるようなものじゃなかった。だから、お前にプレゼントしたんだ」

 

「…………」

 

 じわじわとキルーフの言うことを理解していくバーリン。理解していくにしたがって、握りしめた拳が震える。胸の奥から怒りが湧きあがる。

 

「――っていうか、あの時、そう言って渡したよな?」何も悪い事をしていないような顔で言うキルーフ。

 

「……聞いていない」

 

「え? そうだっけ? いや、言ったと思うが……まあ、そう言われたら、言ってないかもな」

 

 バーリンは、怒りに震える拳を、キルーフのみぞおちに思いっきり打ち込んだ。

 

「ゲハァ!」

 

 前のめりになって倒れるキルーフ。激しくせき込んだ後、顔を上げた。「いきなり何すんだ!」

 

「うるさい! お前は、十年以上乙女心を踏みにじっていたんだよ! 死んで詫びてほしいくらいだ! いや、死んで詫びろ! その噴水に飛び込んで溺れ死ね!」

 

 顔から火が出る思いのバーリン。リオネッセに渡せないからバーリンに渡した――そんな話は聞いていない。いや、キルーフは言っていたのかもしれない。キルーフからのプレゼントということで、舞い上がって聞いてなかったのかもしれない。どちらにしても、そんな適当な感じでプレゼントされたものを、これまで大事にし、まして告白しようとした。それが死ぬほど恥ずかしくなった。噴水に飛び込みたいのはこっちだ。

 

「……まあいい。あたしにも、多少は非があるのかもしれない」

 

「なんなんだよ、全く」キルーフはお腹を押さえて立ち上がる。「で、話の続きは」

 

「もうどうでもよくなった」

 

「なんだよ。リオネッセのことで、何かいいアドバイスしてくれると期待してたのに」

 

「うっさい! そんなの、自分で考えろ!!」

 

「なんなんだよ、全く。じゃあ、俺は行くぜ」キルーフは片手を挙げた。

 

 本来ならす巻きにして聖都の湖に沈めたいところだが、なんとかこらえるバーリン。そんなことで手を汚す価値さえないクズだ、この男は。そう思うと、少し気分が楽になってきた。大きく息を吐き、心を落ち着かせる。

 

「まあ、キルーフのことだから、自分が悪い事は判ってんだろ?」

 

 バーリンは、どうにか普段と変わらぬ口調でそう言った。

 

「……まあ、な」

 

「だったら、素直にリオネッセ――陛下に謝れば終わる話だ」

 

「それができないから悩んでるんだろ」

 

「どんなに悩んだって、謝る以外選択肢はないよ。あんたは頭より体だろ? あれこれ悩むよりまず行動。さっさと謝ってこい。謝らずにハドリアンに戻ったって、ずっともやもやしたままだぞ?」

 

 キルーフはうつむいて考えているようだったが、やがて「……そうかもな」と言って、顔を上げた。

 

「うん」

 

「ありがとな、バーリン。じゃあ、ちょっくら行って来るわ!」

 

 さっきよりもさらにさわやかな笑顔で言って、キルーフは城に駆けて行った。バーリンは手を振ったが、もう振り返ることはなかった。

 

 それでもバーリンは、彼の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。

 

 

 

 

 

 

 キルーフが去り――。

 

 中庭に一人たたずんだバーリンは、じっとペンダントを見つめていた。

 

 いつの間にか、涙があふれていた。

 

 キルーフがあたしにくれたもの。リオネッセではなく、あたしにプレゼントしてくれたもの――そう信じて、ずっと大事にしてきた。でも、そんなのはあり得ない話だった。彼がリオネッセしか見ていないことは判っていた。でも、この石のおかげで、ひょっとしたらあたしも彼にとって特別な存在になれるのかもしれないと思っていた。そんなワケないのに。彼にはリオネッセしか見えていない。どんなに想い続けても、彼の心の中にあたしはいない。たとえこの想いを伝えても、あたしは永遠に、彼の特別な存在にはなれない。それが、ハッキリと判った。

 

 バーリンはペンダントをはずし、噴水に捨てようと、振りかぶった。

 

 でも――。

 

 涙がさらにあふれてきて、彼との思い出が、次々とあふれてきて。

 

 

 

 どうしても、捨てることができなかった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十七話 ハレー 聖王暦二一五年八月上 レオニア/――――

 仇を追い求め大陸を旅する女騎士ハレーは、レオニア領ウィズリンドの西に連なる山の中にいた。エストレガレス帝国とレオニアの国境を越える際、人目につく街道を避け、あまり人の通らない峠を越えることにしたのだが、いつの間にか迷ってしまったのだ。山肌を縫うように続いていた細い山道はいつの間にか森の中に消え、生い茂る木々の枝や葉をかき分け、足に絡みつく下草を蹴り払うようにして進まなければならない状態だ。空を覆う木の葉の間から時折差し込む陽の光は、すでに西に傾き始めている。日が暮れるまであまり時間はない。長く旅を続けているハレーは野宿にも慣れているが、できればこんな深い森の中で一夜を明かすのは避けたいところだ。森の中には危険な生物が潜んでいる。熊や虎などの動物はもちろんだが、最近では野生化したモンスターも珍しくはない。ハレーの槍は決してそれらの生物に劣るものではないが、夜の闇はどうしても人に不利な状況を生む。ましてこんな深い森の中では相手を捉えることさえ難しいだろう。無用な危険は避けたい。なんとか、夜になる前に人里にたどり着くか、せめて森から抜け出したいものだ。ハレーは、草木をかき分け進む。

 

 

 

 

 

 

 西アルメキアのランス王子からの仕官の誘いを断って二ヶ月。最愛の人の命を奪った者・魔導士ブロノイルの行方は、いまだ掴めていない。大陸のあちこちでその名を耳にすることはできる。特に、旧アルメキア時代、当時軍総帥だったゼメキスの周りでその姿を見たという証言が少なからずあり、真実だとすれば極めて重大な情報だった。

 

 常々ハレーは、ゼメキスがクーデターを成功させたことに大きな違和感を覚えていた。あの日、アルメキア王国に反旗を翻したゼメキスには、彼直属の部隊だけでなく、アルメキア軍のほぼすべての兵、神官騎士団、魔術師団など、多くの者が味方に付き、ゼメキスら反乱軍と戦ったのは王ヘンギストの近衛兵と王太子ランスの親衛隊だけだったと言われている。ゼメキスは、武の力は大陸最強と言っても過言ではないが、決して謀略に長けた人間ではない。にもかかわらず、一夜の反乱で多くの者を味方に付けた。ゼメキスの力だとは思えなかった。何か、大きな力が働いているように思えた。

 

 もし、ゼメキスのクーデターの裏で、魔導士ブロノイルが暗躍していたとしたら――。

 

 確実なことは何も無い。不確かな情報から導き出した推測でしかない。しかし、捨て置くことはできない。万が一この考えが正しければ、いまのフォルセナ大陸の戦乱は、ブロノイルが仕組んだとも言えるのだから。

 

 さらに調査を進めた結果、ブロノイルは東へ向かったとの情報を得ることができた。これも不確かな情報であったが、他に手がかりはなく、ハレーはエストレガレスの東・レオニアへ向かうことにしたのである。

 

 

 

 

 

 

 どれくらい森の中を進んだか、生い茂ってきた草木が突然開けた。と言っても、森を抜けたわけではない。森の中の、泉が湧きだす場所に出たのだ。深い森の中にあるとは思えないほど水は澄んでおり、静かにたゆたう水面には、泉の周りの木々や青空に浮かぶ雲などが、まるで鏡のようにくっきりと映りこんでいる。

 

 小さく安堵の息を洩らすハレー。森を抜けたわけではないのでひと安心という訳にはいかないが、ひとまずここで休憩しよう。ハレーは、喉を潤そうと水面に手を近づけた。

 

 不意に、強い風が吹く。

 

 水面が大きく波うち、映っていた木々や空が揺らめいた。

 

 風はすぐにやみ、揺れていた水面も静かになる。

 

 だが。

 

 そこに、さっきまで映りこんでいた木々の葉や空は、無かった。

 

 代わりに映るのは、蛇のような姿をした巨大な生物。

 

 はっとして頭上を見るが、何もない。

 

 再び水面を見る。確かに、そこに映っている。

 

 ――どういうことだ?

 

 水面を覗き込むハレー。木々の葉や空だけでなく、自分の顔も映らない。存在しているものが映らず、存在していないものが映っている。それも、随分と禍々しき姿のものが。

 

 長い首と、長い胴と、長い尾――一見すると巨大な蛇のようではあるが、胴体から昆虫のように節くれ立った足が何本も生えているという点で、決して蛇ではない。正面と思われる方向に飛び出した腕のようなものは、巨大な胡桃のような形をしている。頭部に目のようなものはない。大きく前に突き出した口と、翼を広げた蝙蝠のような耳があるだけだ。

 

 異形の生物――そう表現するしかない。

 

 ハレーはどこの国にも仕えていないが一応騎士であり、モンスターに関する知識はある。だが、こんな異形の生物は見たことも無い。モンスターの中には醜い姿をしたものも少なくはないが、この異形の生物に抱く嫌悪感はそれらの比ではなかった。

 

 ――これは、モンスターではない。

 

 ハレーは、直感的にそう悟っていた。

 

 異形の生物に羽は生えていない。にもかかわらず、それは空中を浮遊している。異形の生物の下には見渡す限りの焼けただれた大地が広がっていた。木の一本、草の一葉さえ生えていない。人家や人の気配、他の生物の気配も無い。それはまるで死の世界だった。この異形の生物の仕業だろうか? 火竜サラマンダーの炎をもってしても、これほど大地を焼き尽くすことは不可能だ。

 

 ハレーは、水面をもっとよく見ようと、さらに身を乗り出した。

 

 再び強い風が吹き、水面が大きく波うった。と、同時に、水面に映った映像が歪む。

 

 風が止み、波うつ水面がまた静かにたゆたい始めると、水面に映っているのは木々の葉と青空、そして、ハレー自身の姿だけだった。もう二度と、異形の生物が映ることはなかった。

 

 言い知れぬ不安を覚えたハレーは、泉の水には手をつけず、その場を離れた。すると、今まで迷っていたのが嘘のように、数刻で人家が点在する小さな集落にたどり着いた。

 

 ハレーは集落で泉のことを訊ねたが、誰もそんな泉のことは知らなかった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十八話 パテルヌス 聖王暦二一五年七月下 レオニア/ターラ

 首都防衛を想定した大掛かりな訓練を終え、レオニアの最高司祭パテルヌスは政務室へと戻ろうとしていた。その途中、通りかかった城の中庭で、噴水の縁に腰を掛けた魔術師シャントゥールの姿を見つけた。なにやら暗い顔をしている。彼も先ほどの訓練に参加していたが、何か失敗でもしたのだろうか? 気になったパテルヌスは、声をかけてみることにした。

 

 パテルヌスに気が付いたシャントゥールは立ち上がった。「これは、パテルヌス司祭」

 

「シャントゥール、どうした、暗い顔をして。訓練で何かあったか?」

 

「いえ、そういう訳ではありませんが……この戦いは、いつまで続くのかと、考えておりました」

 

「……そうか」

 

 シャントゥールは、少し迷ったような表情だったが、やがて続けた。「我らは、ノルガルドやエストレガレスと違い、他国へ侵攻しません。もちろん、私もその考えには賛同していますが、攻めて来るものを撃退するだけでは、いつまでたっても終わらぬのではないかと」

 

「確かにな……だが、我らにはそれしか道は無い」

 

「ええ。それは私も覚悟しております。ですが……」

 

 シャントゥールは顔を伏せた。

 

 シャントゥールの言う通り、レオニアは他国への侵攻をせず、攻めて来た者を撃退するしかできない。敵国が疲弊し、諦めるのを待つしかないのだ。しかし、敵はノルガルドやエストレガレスだけではない。南のイスカリオからはすでに侵攻されているし、西のカーレオンや西アルメキアも、ともすれば戦闘になるかもしれない。戦いはいつ終わるのか――正直、パテルヌスにも皆目見当がつかない。まさに神のみぞ知る、である。

 

 パテルヌスはシャントゥールの肩に手を置いた。「今日はもう仕事はあるまい? どうだ。わしの部屋で、一杯やらぬか?」

 

 顔を上げたシャントゥールを連れ、パテルヌスは自室へと向かった。

 

 シャントゥールはレオニアでは中堅の騎士の一人だ。現在二十八歳。僧侶が多いレオニア騎士の中では珍しい魔術師である。二十二歳の時に結婚をしたがなかなか子宝に恵まれず、昨年の秋、ようやく男児を授かった。その息子が可愛くて仕方がないらしく、寝返りをうてるようになったとか、歯が生え始めたとか、這い這いできるようになったとか、ちょっとした成長を周囲に嬉しそうに話し、子煩悩ぶりをいかんなく発揮している。それ行為は同僚だけでなく、上官のパテルヌスやアスミット、果ては女王リオネッセにまで及ぶため、もはや『親バカ』と言ってもよいレベルだった。

 

 自室のテーブルに着き、酒を注いだ盃を合わせる二人。パテルヌスは半分ほど呑むと、「息子の様子はどうだ?」と訊いた。

 

 シャントゥールは、先ほどまでの暗い顔から一転、目をキラキラさせて話し始める。「おかげさまで、大きな病も無く元気に育っております。この前など、ペンを持って文字を描きはじめました。見てください」

 

 シャントゥールは懐から四つ折りにした紙を取り出し、パテルヌスの前で開いた。それはただ黒いペンでぐりぐりと書きなぐっただけのもので、パテルヌスには文字にも絵にも見えなかった。

 

「いやあ、まだ一歳にも満たないのにもう文字を覚え始めるとは、私も驚きです。将来が楽しみですよ。物心ついたらすぐに魔法の勉強をさせ、ゆくゆくは宮廷魔術師になればと思っております」

 

「相変わらずの親バカぶりだな」パテルヌスは苦笑いと共に盃を口に運んだ。

 

「何を仰います。私がバカなのではありません。息子が天才なのです」再び紙を四つ折りにし、懐にしまうシャントゥール。再び、表情が暗くなった。「此度のいくさ、せめて息子が大人になるまでには終わってほしいものです」

 

「子供を戦場には出したくないか」

 

「当たり前です! どこの世界に、我が子が戦場に出ることを喜ぶ親がいるでしょう!?」

 

 険しい顔で声を荒らげるシャントゥール。だがすぐにはっとした表情になり、「いえ、失礼しました、パテルヌス司祭」と、詫びた。

 

 パテルヌスは首を振った。「かまわんよ。わしには子がおらぬが、そなたの気持ちはよく判るのでな。こう言っては失礼かもしれぬが、わしには、女王陛下が自分の娘のように思えるのだ」

 

「司祭は、誰よりも陛下に目をかけていらっしゃいますからね」

 

「うむ。いずれ陛下が戦場に立つ日が来るのかと思うと、生きた心地がせぬよ」

 

「リオネッセ様は、女王であると同時にこの国の騎士……しかも、誰よりも魔法の才があると伺っております。此度の訓練にも積極的に参加されていましたし、部下ばかりに戦わせ、自分は首都で控えている今の状況に耐えられないのかもしれませんね」

 

「陛下らしいと言えば陛下らしいのだがな……」

 

 二人はしばらく無言で酒を呑んだ。

 

 二杯目の酒を杯に注ぎながら、パテルヌスは、「戴冠式の日を覚えておるか?」と訊いた。「それまではどこか頼りなかったリオネッセ様が、王の冠を授かった瞬間、場の空気は一変した」

 

「ええ。もちろん覚えております」

 

 国の全てを神に委ねているこのレオニアでは、国を治める者も神託によって選ばれる。一年半前、前王の崩御に伴い選ばれたのは、政務の経験などまるでない、片田舎に住む十六歳の娘であった。パテルヌスを始め、城の者全てが国の行く末に少なからず憂いを持っていたのだが。

 

「――陛下が戴冠した瞬間、わしの胸から憂いは吹き飛んだ。あの凛々しい姿を見て、この国の未来は希望に満ちていると悟ったのだ。その考えは間違いでなかったと、今でも信じておる」

 

 パテルヌスは盃の酒を一気に飲み干し、続けた。「ところが、現実はどうだ? 就任後一年ほどで、この国はかつてないほどの戦乱に巻き込まれてしまった。歴代のレオニア女王の中で最も心根の優しい女王が統治するのが、このような戦乱の時代とは……こんな試練を与えた神を恨むこともあった」

 

 シャントゥールは空になったパテルヌスの盃に酒を注ぐ。「今の言葉は、最高司祭としてはかなり問題がありますな」

 

「そうだな。まあ、酒の席の戯言と見逃してくれ」

 

「心中、お察しいたします」

 

「だがな……いまは、この戦乱の時代だからこそ、リオネッセ様が女王になられたのかもしれぬと思うようになった」

 

「……ほほう」

 

「リオネッセ様の優しさに触れ、心を洗われぬ者はおらぬであろう。ノルガルドの白狼も、エストレガレスのゼメキスも、リオネッセ様の慈愛に触れれば、心を入れ替えるのではないか……わしは、そう信じておる」

 

 達観したかのような表情で話すパテルヌスを見て、シャントゥールは苦笑いを浮かべる。

 

「なんだ?」と、パテルヌス。

 

「いえ――どうやら、パテルヌス司祭も、立派な親バカのようですね」

 

「なに?」ギロリと睨むパテルヌス。

 

「おっと。怒らないでください。非礼は詫びます。それに、私も司祭と同じ気持ちです。リオネッセ様ほど清い心をお持ちの方は、いらっしゃいませんからね」

 

「――ああ」

 

「陛下の思い……他国の王にも届くと良いですね」

 

「そうだな……いつになるかは判らぬが、それまで、我らで女王陛下を支えなければならぬ」

 

「負けられませんね」

 

「ああ」

 

 二人はお互いの盃をもう一度満たし、国と女王の幸を祈り、盃を掲げた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三十九話 ノイエ 聖王暦二一五年八月上 ノルガルド/フログエル

 ノルガルドで白狼王ヴェイナードに仕える騎士ノイエは、首都フログエルの大通りを歩いていた。今日は一日お休みをもらい、行きつけの病院へ行っていたのだ。その帰りである。治療ではない。ノイエは不治の病に侵されており、もはや治療できる段階ではない。経過を診てもらい、発作を抑える薬を処方してもらうだけである。その薬も、少しずつ効きが悪くなっている。この薬が効かなくなれば、更に強い薬を処方してもらわなければならない。薬の効き目が強くなれば、その分副作用も強くなる。病が進行すれば発作が起こる頻度も高くなる。そうなると、もはや戦うどころではない。

 

 ――時間が……無い。

 

 ノイエの心は切迫していた。医者に宣告された余命は、すでに二年を切っている。しかもそれは命の尽きる時間であり、戦場に立てる時間はさらに短いかもしれない。それまでに、なんとしてもこのいくさを終わらせなければ。陛下との()()を果たすために――。

 

 城への道を急ぐノイエ。今日は丸一日お休みだが、とても休んでなどいられない。城へ戻って訓練をしよう。現在ノイエは、治療や祝福といった初級白魔法の修得を終え、氷の魔法や魔法への耐性を上げるといった初級青魔法の修得に励んでいる。それが終われば中級白魔法の修得へ移行するつもりだが、思い切って弓や槍などの武術の訓練も受けてみるべきだろうか? いや、自分の細腕では成果は望めないかもしれない。中途半端に武術を習うくらいなら、今のまま魔法の修得に励むべきだろう。ならば、稲妻や物理防御を上げる緑魔法、毒や次元を歪める黒魔法の修得も目指してみるか、あるいは、あまり多くは望まず、このまま白魔法と青魔法を極めるべきか……城に戻ったら、グイン様に相談してみよう。

 

 道の途中、大きな広場の前を通りかかった。普段は何も無い場所なのだが、いつの間にか大きなテントが建てられていた。『ウベド・エベクス一座公演、間もなく開催!!』との看板が掲げられている。どうやら旅芸人の一座が公演の準備をしているようだ。今この国はいくさで大変だというのに不謹慎ね――と、一瞬思ったが、そんな自分を恥じた。彼らには彼らの人生がある。国の事情を一方的に押し付けることなどできない。それに、こんな時だからこそ、娯楽で人々の心を癒すことが必要なのかもしれない。ノイエは小さくため息をつく。最近、心に余裕が無くなってきているように思う。残された時間は少ない。考えないようにしても、どうしても考えてしまう。早く戦争を終わらせなければ――その気持ちが強くなればなるほど、焦ってしまう。

 

 ノイエは、城へ戻ろうとした。すると。

 

「それじゃ、あたいは今日でクビだってこと!? そんなのヒドイよ!!」

 

 広場から大きな声が聞こえてきた。見ると、テントの前で少女と中年の男が何やら言い合いをしている。少女は、ツインテールの髪型にリボンを付け、フリフリのたくさんついたピンクの服を着ている。もう一人は眼鏡をかけ、立派な口髭をはやした大柄の男だ。恐らく、この一座の踊り子と座長だろう。

 

「いや、コルチナ……さん。クビだなんて言ってないだろ?」男の方が少女をなだめるように言う。「私は、ルーンの騎士様を舞台に立たせるなんて恐れ多くてできない、と言ってるだけじゃないか」

 

 ――ルーンの騎士? あの娘が?

 

 少女を見るノイエ。顔にはまだ子供の幼さが残り、恐らくノイエよりも年下――十五歳前後だろう。本当に騎士だとしたら貴重な存在だ。ルーンの加護を受ける年齢は人それぞれで、子供や若い頃に授かる者もいれば、歳を重ねてから授かる者もいる。優秀な騎士となるためには、やはり早く加護を受けた方が良い。無論、本人の才能も大きいが、早めに騎士の修業に打ち込めた方が有利であることは間違いない。

 

「あたいは騎士じゃなくて踊り子なの。ほら見て。毎日ちゃんと練習してるんだから!」

 

 少女は座長の前でくるっとターンし、足を上げた。だが、そのターンにはキレがなく、足もあまり上がっていない。踊りに関しては素人のノイエが見ても、まだまだ練習が足りないように思う。

 

 だが、少女は自信満々に言う。「ね? こんないい踊り子、クビにするなんてもったいないよ! あたいはまだまだ練習して、フォルセナ1の踊り子になるんだから。ねぇ、座長さん。お願いだから、クビなんて言わないで……ここを追い出されたら……あたい…行くところなんて無いんだよ……」

 

 少女は嗚咽を漏らし始めた。

 

 だが、座長は頑として譲らない。「泣いたってダメなものはダメだ! 騎士様の踊り子なんて、見てる方が緊張しちまう。お客が寄り付かなくなったらどうすんだ! さあ! さっさと出って行ってくれ!」

 

 座長は少女を両手で押した。軽く押したように見えたが、少女はよろけ、尻餅をついて倒れた。

 

「いったーい! なにすんのよ!! 訴えるわよ!」

 

 座長は少女の言葉を無視してテントの中へ入った。

 

「あったまきた! いいわよもう! こんなちっぽけな旅芸人の一座なんて、こっちから願い下げよ! ふーんだ! あたいが売れっ子になってから後悔しても知らないからね! 土下座したって、あんたの舞台には出てやんないよ!!」

 

 拳を振り上げて抗議する少女。

 

 ノイエは広場に入り、倒れている少女に手を差し出した。「大丈夫? ケガはない?」

 

「え? あ、うん。平気」

 

 少女はノイエの手を取って立ち上がり、おしりの土埃をはらった。

 

 ノイエはハンカチを取り出す。「さ、これで涙を拭いて」

 

「ありがと。でも大丈夫。これ、ウソ泣きなの。倒れたのも、ワザとなんだ」

 

「そうなの?」

 

「うん。上手でしょ? 踊り子には、演技力も必要だからね」

 

 へへ、と、無邪気に笑う少女。つられてノイエも笑う。

 

「ところで、いまの話聞いてた?」と言って、少女は前のめりになった。「あたい、踊り子の卵なんだけど、少し前にルーンの加護を受けちゃったんだ。でも、騎士なんてガラじゃないから、ずっと黙ってたんだけど、今日、座長にバレちゃってね。そしたら、今まで威張り散らしてた座長の態度が一変! 急に『コルチナさん』なんて呼び始めて、気持ち悪いったらありゃしない。まあ、それだけならいいんだけど、『ルーンの騎士様を舞台で踊らせるなんて恐れ多くてできない』なんて言われちゃって、追い出されちゃった。あーあ、困ったなぁ。ねえ、あなた、この街の人でしょ? どこか、雇ってくれる劇団とか知らない? ううん。劇団じゃなくても、酒場とかの小さな舞台でもいい。とにかく、踊れればなんだって構わないの」

 

「うーん。いまこの国は戦争中だから、そういうのは無いんじゃないかな」

 

「そうなんだ……参ったなぁ。あたい、今日泊まる所も無いんだよ。貯金もあんまりないし……」コルチナは、途方に暮れた顔になった。

 

 ノイエは、少し迷ったが、思いきって言ってみることにした。「だったら、お城に来てみる?」

 

「え? お城に? お城で、踊り子を募集してるの?」

 

「違う違う。踊り子じゃなくて、騎士になってみるのはどうかな? って」

 

「あたいが騎士に!?」

 

「うん。いまお城では、在野の騎士――誰にも仕官していない騎士を、広く募集しているの。あたしでもなれるくらいだから、たぶん、あなたでも大丈夫」

 

「え? あなた騎士なの?」コルチナは、ノイエの姿を頭から足元まで見た。「とてもそうは見えないけど」

 

「ふふ。そうね。実は、ずっと昔だけど、あたしも舞台に立ってたことがあるの。両親が宮廷楽師でね。その関係で、子供の頃に何度か歌を歌ったわ」

 

「え? ノルガルドの宮廷楽士隊で歌ってた子供って……まさかあんた、ノイエ!?」

 

「あ、うん。そうだけど、あたしのこと、知ってるの?」

 

「そりゃ知ってるわよ! 舞台に立つ人で、『天使の歌声を持つ少女』のことを知らない人なんていないよ!」

 

「そんなたいしたものじゃないけど……まあ、そんなふうに呼んでくれた人もいたかな」

 

「すっごーい! ねえねえ、いまも宮廷楽士隊にいるの? どんな歌を歌ってるの?」

 

 目を輝かすコルチナ。なんだかその視線がまぶしく思えて、ノイエは視線を落とし、小さく首を振った。「ごめんなさい。いまは歌ってないのよ」

 

「えー!? 何で歌わないの!? もったいないよ!」

 

「ありがとう。でも、楽士隊は、前の王様の命令で解散させられたの。この国は、ずっと戦争をしているから」

 

「そうなんだ。あたいたち踊り子も同じだよ。戦争が始まってから、街の劇団は客がいなくなったり、お国の命令とかで、次々と店をたたんでる。あたいもこれまでいろんな劇団を転々として、なんとかあの旅芸人一座に雇ってもらえたんだけどね」

 

 静かな口調で話すコルチナだが、ノイエは彼女の言葉の裏に憤りが潜んでいるのを感じた。その気持ちは、ノイエにも痛いほど判る。ノイエも、楽士隊が解散させられたときは前王を恨んだ。戦争などという国の勝手な都合で、なぜ両親らが職を失わなければならないのか、なぜ夢を諦めなければならないのか、と。

 

 だがノイエは、大人になってから知った。この国は、戦わなければならない理由があるのだ。戦わなければ未来はないのだ。

 

 だから。

 

「――あたしね。いまは騎士をしているけど、歌うのを諦めたわけじゃないの。いまは戦争中だから楽士隊を組む余裕がないだけで、戦争が終われば、また楽士隊は再編されるって信じてる。陛下は、そう約束してくれたから……」

 

「ん? 陛下?」

 

「ううん。なんでもない――だから、あたしは、一日でも早くこの戦争を終わらせるために、騎士になったの。戦争を終わらせて、平和な時代になって、みんなが安心して歌や音楽を楽しむことができるように」

 

「そう……なんだ」

 

「うん」

 

 コルチナは、腕を組んで何か考えていたが、やがて顔を上げた。「よし。決めた。あたいも騎士になる!」

 

「え? ホント?」

 

「うん。いまはどこの劇団も苦しいし、このままだと、どこに行っても、ちゃんと踊ることはできないと思う。だったら、あなたと同じく、一日も早くこの戦争を終わらせるのが一番。あたいも、踊り子みんなが安心して踊れる世界をつくってみせる」

 

「ええ。一緒にがんばりましょう」

 

「あ、でも、その代わり、ふたつ、約束してくれる?」

 

「なに?」

 

 顔を傾けたノイエに、コルチナは人差し指を立てた。

 

「ひとつ目は、騎士は夢への通過点ってこと。あたいの夢は、あくまでもフォルセナ1の踊り子になること。『大陸に平和をもたらした奇跡の踊り子』とかなんとか、そんなキャッチコピーで売り出すためにやるの。だから、戦争が終わったら、ぜぇーったいに、踊り子に戻してもらう」

 

「うん。もちろんだよ」

 

 コルチナは、もう一本指を立てる。「ふたつ目は、戦争が終わったら、あたいと一緒に、舞台に立ってほしいの」

 

「え? あたしと?」

 

「そう。あなたが歌って、あたしが踊るの。あたい、あなたの歌を聞いてみたいのはもちろんだけど、それよりもずっと、天使の歌声に合わせて踊ってみたい」

 

「それは……」

 

 言い淀むノイエ。ひとつ目は約束できる。だが、ふたつ目の約束は、できるかどうか判らない。

 

 ノイエが黙り込んだのを誤解したのか、コルチナは。「あ、もちろん、正直言って今のあたしの踊りじゃ、あなたの歌のレベルに合わないと思う。でも、今から練習して、戦争が終わるまでには、必ず、あなたの歌で踊るのにふさわしい踊り子になってみせるから。お願い!」

 

「ううん。そういうことじゃないの。あなたの踊りに不満がある訳じゃなくて……なんと言ったらいいか……」

 

 ノイエは小さく頷いた。「判った。約束する」

 

「ありがと!」

 

 二人は、固く手を握り合った。

 

「ようし! じゃあ、早速お城に案内してちょうだい! 『旅の踊り子コルチナ・鮮烈の騎士デビュー』って、ハデに宣伝してね!」

 

 屈託のない笑顔で言うコルチナ。つられて、ノイエも笑う。そう言えば、さっきからずっと笑ってばかりだ。こんなに笑うのは、ずいぶん久しぶりな気がする。いくさが始まってから――いや、余命を宣告されてから、心から笑ったことなんて無いように思う。

 

「――ありがとう」

 

 ノイエは、心からの笑顔で言った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十話 カイ 聖王暦二一五年七月上 カーレオン/ソールズベリー

 魔導国家カーレオンの静かなる賢王カイは、家臣たちと共にソールズベリー城の会議室にいた。ソールズベリーはエストレガレス帝国の南の玄関口とも言える城で、南はカーレオン領ハーヴェリーとイスカリオ領ザナス、東にはイスカリオ領アスティンがあり、北部はオルトルートとカーナボンという城に繋がっている。帝国にとっては極めて重要な城のひとつだが、先月上旬、カーレオンはこの城に侵攻し、見事、帝国から奪い取ったのである。

 

「――いきなり帝国に侵攻し、重要拠点のひとつを占領するとは、静かなる賢王様も、なかなか思いきったことをなさいますな」

 

 会議室の円卓の座で、ナイトマスターのディナダンが言った。カーレオン騎士団をまとめる隊長で、フォルセナ1と噂される剣士だ。カイが最も信頼を寄せる男だが、主君に対しても皮肉や軽口を叩くのが玉にキズだ。

 

「ホント、あたしも驚いちゃった」カイの妹のメリオットも言う。「お兄ちゃんのことだから、しばらくは何もせずに戦況を見守るだけだと思ったのに」

 

 カイは苦笑いを浮かべた。「護りが甘かったからね。帝国にとってこのソールズベリーは南の心臓部とも言えるくらい重要な城なのに、守備に就いていたのはあまり名の知られていない騎士だった。恐らく帝国は、クーデター後の混乱から抜け出していないんだろう。うちの戦力でも十分に勝ち目があったから、攻めたまでだよ」

 

 ディナダンは腕を組んだ。「しかし、早期にこの城を占領したのは、懸命だとは思えませんな。陛下の仰る通り、帝国にとってこの城は極めて重要な拠点です。奪われたままにしておくはずがありません。恐らく、この後全力で奪い返しに来るものと思われます。今の我らの戦力で、はたして防衛できるでしょうか?」

 

 ディナダンはそう言った後、「もちろん、凡人の浅はかな考えですがね」と、とぼけた顔で付け加えた。

 

「ディナダンの言う通りだよ。我が国だけならば、このソールズベリーを占領したのは賢明とは言えない。ここを占領したのはカーレオンのためではなく、西アルメキアへの支援だよ」

 

「と、仰いますと?」

 

「西アルメキアは、五月の下旬に帝国からキャメルフォードを攻められた。帝国の総大将はカドール。対して、西アルメキアはランス王子を総大将にせざるを得ない状況だ。ランス王子には申し訳ないけど、はっきり言って絶望的な戦いだった。実際、わずか半日でキャメルフォードは陥落している」

 

 キャメルフォードは西アルメキアの首都カルメリーに直結している重要拠点だ。ここを帝国に占領されたことは、西アルメキアが極めて危機的な状況に陥ったといえる。下手をすると、開戦直後にもかかわらず西アルメキアは滅亡しかねない。

 

 カイは続ける「帝国軍は、元々はフォルセナ大陸で最強を誇った軍だ。西アルメキア軍との武力の差は歴然だろう。このまま帝国が西アルメキア侵攻に集中すれば、彼等だけでは太刀打ちできない」

 

「そのための支援、という訳ですか」ディナダンが言う。「確かに、帝国もソールズベリーを落とされては、南部に兵を集めざるを得ませんな」

 

「加えて、帝国は北西の重要拠点であるオークニー城をノルガルドに奪われている。ここも無視することはできない。だから、帝国はこの後、このソールズベリー城とオークニー城を奪還する作戦に出るはずなんだ」

 

「その隙に、西アルメキアはキャメルフォードを奪い返す、と……つまり、我らは西アルメキアのためのおとりになった、という訳ですな」

 

「おとりと言うと聞こえが悪いかな。あくまでも、支援だよ」

 

「まあ、開戦数ヶ月で西アルメキアに滅亡されたのでは、確かに困りますからな」

 

 現在カーレオンと西アルメキアは同盟関係にある。この同盟により、カーレオンは北方面の護りを気にする必要はなく、東のイスカリオやエストレガレス帝国との戦いに集中できるのだ。決して兵力が十分でないカーレオンにとっては、この同盟は極めて重要である。

 

 カイはさらに話を続ける。「エストレガレス帝国軍の武力は間違いなくフォルセナ大陸一だけど、国土が広いから、隣接する国が多いのが弱点だ」

 

 メリオットが頷いた。「確かに、帝国は、北にノルガルド、西に西アルメキア、南にカーレオンとイスカリオがあるから、東以外は敵国だらけね」

 

「どこかに兵を集中させれば、必ずその他にほころびが生じる。我々が強大な帝国軍と戦うためには、この弱点を突いて行くしかないだろうね」

 

「なるほど。賢王様の深~い考えは判りました」ディナダンが皮肉っぽい口調で言う。「それで、この後の作戦は、どうお考えで?」

 

「しばらくは様子見かな。これ以上の侵攻は、さすがに危険すぎるからね。まずは、西アルメキアがキャメルフォードを取り返すのを待とう。もちろん、その間に我が国も軍事力を蓄えておかないとね」

 

 そう言った後、カイは円卓に座る騎士たちをぐるりと見回した。ディナダンとメリオットの他に、シェラとシュストという二人の騎士が座に就いている。

 

 シェラは女魔術師で、かつてはカイと共に旧アルメキアに留学し、魔導を習った仲である。カーレオンではカイに次ぐ実力を持つ魔術師だ。カイが大陸一と噂される魔術師であることを考えると、その実力は計り知れないものがある。ちなみに年齢に関して本人は黙して語らないが、カイが「シェラさん」と呼んでいることから、二十五歳のカイより年上であることはほぼ間違いない。

 

 もう一人のシュストは、ディナダンの部下であり友人だ。武器に頼らず己の肉体のみで戦う拳士であり、曲がったことが大嫌いな熱血漢である。毒舌家のディナダンとは衝突が絶えないが、それもまたお互いを信頼している証であるとも言える。

 

「このソールズベリーの護りは、シェラさんとシュストに任せるよ」カイは、二人に命じた。

 

「お任せくださいませ」と、シェラが上品な口調で言う。「わたくしの目の黒いうちは、誰であろうとこの城より先には進ませません。カイ様には指一本触れさせませんわ」

 

 シュストは熱い口調で言う。「我が拳に賭けて、この城は護ってみせます!!」

 

「お兄ちゃんとディナダンはどうするの?」メリオットが小首を傾げた。

 

「ディナダンには、南のハーヴェリーの守備を任せるよ。僕とメリオットは、本国に帰って軍の強化かな」

 

 メリオットは、「うーん」と唸った。「こう言っちゃ失礼かもしれないけど、このお城の警備、シェラさんとシュストさんだけで大丈夫? せっかく帝国から奪ったお城なのに、簡単に奪い返されたら、もったいないよ」

 

 シェラがメリオットを睨んだ。「ホントに失礼ですわね、メリオット姫。わたくしの魔力にかかれば、たとえ相手が帝国の騎士であろうと、ひとたまりもありませんわよ」

 

「ご安心ください! メリオット姫!!」シュストは左の掌に右の拳を打ち付けた。「クーデターで国を乗っ取るような騎士は、我が拳で、その曲がった根性を叩き直してやりますよ!!」

 

「いや、二人とも、そう無理はしなくてもいい」と、カイが言った。「二人の実力を疑うわけじゃないけど、この城は、あくまでも西アルメキアの支援のために占領した城だ。今のカーレオンにとって、さほど重要な城ではない。むしろ、重要なのはハーヴェリーの方さ。あそこはカーレオンの玄関口だ。いまハーヴェリーを落とされると、この城に残るシェラさんたちは退路を断たれ、取り残されることになるからね」

 

「責任重大ですな」ディナダンは苦笑いをする。「シュストだけなら取り残されても知ったことではないですが、シェラ殿がいらっしゃるとなると、負けるわけにはいかなくなりました。万が一のことがあれば、陛下が悲しみますからな」

 

「さすがはナイトマスター殿。判っていらっしゃいますわね」シェラは嬉しそうに笑った。

 

「まあ、そういう訳だから――」とカイが話す。「シェラさんとシュストは、いざとなったらこのソールズベリーは放棄してもらって構わない。ディナダンは、何が何でもハーヴェリーを護るように」

 

「まあ、レディを護るためならば、仕方ありませんな」

 

「シュストさん、頑張ってね!」メリオットが両手の拳を握って胸の前で振った。「シェラさんも、無理はしないでね。もういい歳なんだから」

 

 いい歳――そう言われたシェラの顔が、みるみる赤くなっていく。頭からは湯気が出そうだ。

 

「――お黙りなさい!」

 

 上位の稲妻魔法を使わんばかりの勢いで、シェラはメリオットを一喝する。

 

「きゃ! ごめんなさ~い」メリオットはカイの背後に隠れた。

 

「……やれやれ」

 

 カイは小さくため息をついた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十一話 バーリン 聖王暦二一五年八月上 レオニア/ターラ

 レオニアの新米騎士バーリンは、キルーフが去った後も中庭に残っていた。もう訓練が始まる時間だ。なのに、行く気になれない。噴水の縁に腰掛け、首に下げたペンダントをじっと見つめる。子供の頃、キルーフからプレゼントされた青い石。ずっと大事にしていた。でも、彼はこの石を、本当はリオネッセにプレゼントしたかったそうだ。そんなものをずっと大事にしていたなんて……いっそ捨ててしまいたいが、それさえもできない。もう、どうしていいのか判らない。

 

 中庭にガロンワンドがやって来た。バーリンを見つけ、駆け寄ってくる。「こんなところで何してるんだよバーリン。もう訓練は始まってるぞ? 隊長はカンカンだ」

 

「……なんだ、ガロンか」ため息をつき、視線を落とすバーリン。「ゴメン。今日はとても訓練に出る気分じゃないよ」

 

「どうした? 具合でも悪いのか」

 

「別に……ただ、何のために騎士になろうとしてるのか判らなくなったんだ。もう村に帰ろうかなって思ってる」

 

「……キルーフのことか?」

 

 はっとして顔を上げるバーリン。「な……なんでそう思うんだよ?」

 

「お前をずっと見てれば判るさ。お前は、キルーフのそばにいたくて騎士になったんだろ? それが騎士をやめて村に帰るって言うのなら、理由はキルーフ以外にないだろう」

 

「ガロンなんかに見透かされてるようじゃ、あたしもおしまいだな、はは……」バーリンは自嘲気味に笑った。

 

「なあ、バーリン。アイツはやめとけ。アイツは、リオネッセのことしか見てないよ。子供の頃から、ずっとな。リオネッセもたぶん同じだろう。あの二人の間に割って入るのは不可能だ」

 

「ついさっき、そのことをイヤというほど思い知らされたよ」

 

「……そうか」

 

 ガロンはそれ以上詮索せず、バーリンの隣に腰を下ろした。

 

「ガロン? 何やってんだよ。あんたは訓練に行けよ。隊長に怒られるぞ?」

 

 ガロンは首を振った。「お前が行かないなら、俺も行かない。お前が騎士をやめて村に帰るって言うなら、俺も帰る」

 

「ふん。心にも無いこと言っちゃって。同情なんていらないよ。あんたもリオネッセのことが好きなのは知ってるんだからな」

 

 ガロンは目を丸くした。「……なにを言ってる?」

 

「さっきキルーフから聞いたよ。子供の頃、川原で、どっちが綺麗な石を見つけてリオネッセにプレゼントするか、競争したんだろ? それで、ガロンが宝石みたいな石を見つけたって」

 

 ガロンは顔を伏せた。「ああ……そのことか」

 

「はん。どうして男っていうのは、ああいうおしとやかな女をすぐ好きになっちゃうんだろうね? あの娘だって、腹の中では何考えてるか判ったもんじゃないよ。あんたとキルーフに奪い合いをさせてお姫様気分なのさ。ま、実際女王様になっちゃたけどね」

 

 そう言った後、バーリンの胸を後悔が襲う。リオネッセはそんな娘じゃない。彼女とも幼馴染だし、ずっと仲が良かった。なのに、キルーフが振り向いてくれないという理由で、あの娘を貶めるようなことを言うのは間違いだ。すぐに「ゴメン、リオネッセは、そんな娘じゃないよね」と、訂正しようとした。

 

 だが。

 

「よせよ。リオネッセは、そんなヤツじゃない」

 

 ガロンが、バーリンよりも早くそう言った。なんだかそれが無性に腹立たしかった。だから。

 

「ほーら、そうやってすぐにあの娘のことをかばう。やってられないよ。あんたも、あたしに同情なんてしてないで、あの腹黒女の所に行けばいいだろ?」

 

 さらに貶めるようなことを言う。こんなことを言っても、リオネッセの立場が悪くなることなんて無いだろう。逆に、バーリン自身の立場が悪くなるだけだ。

 

「やめろ、バーリン。そんなこと言っても、自分がみじめになるだけだ」

 

 そんなことは判ってる。判ってるが、もう止められない。元々みじめな人間だったんだ、あたしは、だったら、とことんみじめになってやる――バーリンは、さらに言う。

 

「あんたがプレゼントしたっていう石、あの娘が身につけてるところ、見たことあるかい? 無いだろ? どうせすぐに捨てちゃったに決まってるさ! あんたたちをもてあそんで喜んでるのさ、アイツは」

 

「――渡してない」

 

 バーリンの言葉を遮るように、ガロンはそう言い切った。

 

「……え?」

 

 一瞬、何を言われたのか判らず、バーリンは目をぱちぱちさせる。

 

「俺は、リオネッセに石を渡してなんかいない」

 

 ガロンは、更に力強い口調で言った。

 

「……どういうことだよ」

 

「川原で石を探したのは本当だ。だが、『どっちが綺麗な石を見つけてリオネッセにプレゼントするか競争しよう』っていうのは、キルーフが勝手に言い出しことだ。俺は宝石みたいにキラキラ輝く石を見つけたが、リオネッセには渡していない。その証拠に――」

 

 ガロンはポケットを探り、胡桃ほどの大きさの石を取り出した。「今も、ずっと持ってる」

 

 燃えるような深い朱色をした石だった。なのに、光の加減で、黄色っぽく光ったり、青く光ったり、あるいは、それぞれの色が入り混じってマーブル模様を描いたりしている。不思議な石だ。

 

「……え……と……なんで、渡さなかったんだ?」

 

 バーリンが戸惑いながら訊くと。

 

「俺がこれを渡したかったのはリオネッセじゃない。お前だ、バーリン」

 

 ガロンは、まっすぐな目でバーリンを見て、そう答えた。

 

「……ガロン……何を言ってるんだ……」

 

 戸惑うバーリンの手を取るガロン。

 

 その手のひらに、そっと石を置いた。

 

 そして。

 

「俺がずっと見ていたのはお前だ。お前が好きだ、バーリン」

 

 突然の告白に、バーリンはなんと言っていいか判らず、ただ口をぱくぱくとさせる。胸が激しく鼓動する。

 

 その間も、ガロンはずっとバーリンを見つめている。

 

「……冗談、だろ?」

 

 バーリンは、ようやくそれだけ言った。

 

「俺はこんな冗談は言わない」

 

 ガロンの表情は変わらない。意思の固さが現れた表情。それは、想いの強さの表れだった。

 

「……なら、なんでこの石を、もっと早くプレゼントしてくれなかったのさ」

 

 バーリンがそう言うと、ガロンは、悔しさをにじませた声で「渡せるわけないだろ」と言い、そして「先にキルーフからプレゼントされて、すごく嬉しそうにしているお前の顔を見たら、とても渡せなかった」と続けた。

 

 確かに、あのときキルーフからプレゼントしてもらって、バーリンは心の底から喜んだ。嬉しさのあまり、ガロンにも話したように思う。すぐにペンダントにして、いつも身に着けていた。

 

 バーリンは、ごくりと息を飲んだ。「……本気、なのか?」

 

「もちろんだ」

 

 ガロンは力強く頷いた。

 

 正直に言って、バーリンはガロンのことを幼馴染の一人だとしか思っていない。ガロンの方もそうだと思っていた。恋愛感情を持ったことなど無いし、持たれていると感じたこともない。あまりにも突然の告白だったので、バーリンの胸には戸惑いしかない。

 

「……ゴメン……少し……考えさせて」

 

 そう言うのがやっとだった。

 

「ああ。俺はずっと待ってる」

 

 ガロンは迷いの無い口調で言い、優しく微笑む。

 

 そして立ち上がると、「待ってるからな」と言って、中庭を出て行った。

 

 ガロンが去った後も、バーリンの胸の鼓動は治まらない。

 

 手のひらを広げ、ガロンから貰った石を見つめる。

 

 その石は、キルーフから貰ったものよりも、ずっと大きく、そして、ずっと輝いて見えた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十二話 アルスター 聖王暦二一五年七月下 イスカリオ/アスティン

 朝。イスカリオの北の国境を護る城アスティンで、政務補佐官(奴隷)のアルスターは、宮廷魔術師(奴隷)のキャムデンと共に会議室へと向かっていた。今日の会議は非常に重要だ。ここアスティンは、東にレオニア領ハドリアン、北にエストレガレス領カーナボン、そして、北西には帝国領からカーレオン領となったソールズベリーがあり、三国と国境を接している極めて重要な城だ。よって、現在イスカリオの騎士のほとんどがこの城に集められている。現在のイスカリオの方針は東のレオニアを攻めることだが、そちらばかりに集中すると背後から攻められかねない。この先どう軍を動かすか、非常に難しい所だ。

 

 会議室のドアをノックし、中に入る。

 

「いや~陛下、今日もお召し物がよくお似合いで。夏のトレンドを取り入れたのですな。さすが流行の最先端を行く男は違いますな」

 

 揉み手をしながらさっそくヨイショするキャムデンだったが。

 

「……おや?」

 

 会議室にドリストの姿は無かった。いるのは、とんがった帽子をかぶり、鏡の前で熱心に化粧をする女魔術師だけである。

 

「ヴィクトリア殿」と、アルスターは声をかけた。「陛下はどちらに?」

 

「陛下でしたら、西のザナス城に行かれましたわよ?」ヴィクトリアは化粧の手を休めることなく答える。「なんでも、カーレオン領のハーヴェリー城に、ナイトマスターのディナダン様が守備に就いたので、早速攻め込むとか」

 

「何ですと? 我々に断わりも無く、勝手なことを」

 

 キャムデンが揉み手をやめた。「まあ、陛下が我々に断ったことなど、一度も無いですからな」

 

「まったく……まずレオニアを攻めると仰ったのは陛下なのに」ため息をつくアルスター。

 

「仕方ないでしょうな。レオニアは宗教国家。騎士とは言っても僧侶ばかりで、陛下とは戦いの趣味が合わぬでしょう」

 

 キャムデンの言葉に、ヴィクトリアが「それは言えてますわね」と同意した。「レオニアは線香臭い坊主ばかり。わたくしの趣味にも合いません。あーあ。わたくしも、陛下にお供すればよかったですわ。ナイトマスターのディナダン様。ウワサでは、大陸最強の剣士だとか。一度お会いしてみたいですわ」

 

 化粧をやめ、手を組み、恋する乙女のようなうっとりした顔になるヴィクトリア。ちなみに既にアラサーと呼ばれる歳である。

 

 アルスターは呆れ顔で言う。「ヴィクトリア殿。イスカリオの騎士として、そのようなことを言うものではありません。カーレオンに寝返ると思われますぞ?」

 

「あら? わたくしは、強い殿方にお仕えするのが信念です。今の所、ドリスト陛下より強い方に出会ったことがありませんのでこの国にお仕えしていますけど、もし、陛下を負かすような殿方がいらっしゃったなら、わたくしはすぐにでもその方のいらっしゃる国へ行かせていただきますわ」

 

 頭を抱えるアルスター。どうもこの国の騎士は、イマイチ忠誠心に欠ける。

 

 ヴィクトリアは、ドリストが王に就任したあと仕官した騎士である。美人だが性格の悪さと香水のキツイ香りに定評があり、暇なときは一日中鏡に向かっているほどのナルシストだ。それでも、かつては旧アルメキアの魔導学校に留学していたそうで、その実力は確かである。狂戦士バイデマギスや万年金欠剣士ダーフィーたちと同じく、ウデは立つが極めてクセの強い騎士の一人だ。

 

 アルスターは腕を組んだ。「しかし、陛下不在で、レオニア攻めはどうすれば良いのでしょう?」

 

「それに関しましては、陛下より作戦をお預かりしてます」化粧を終え、くしで髪をとかし始めるヴィクトリア。

 

「作戦? どのような?」

 

「はい。『もしレオニアの坊主どもに城を奪われなどしたら、二人とも死刑だ』とのことです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……それは作戦ではなく、ただの脅しです」

 

 やれやれ、と、アルスターは肩を落とした。まあ、陛下の勝手な行動は今に始まったことではない。ここは鬼の居ぬ間になんとやらだ。休暇を貰ったつもりで、のんびりと過ごそう。

 

 などと思っていたが。

 

 トントン、とノックの音がして、新米騎士でドリストの専属メイド・ユーラが入って来た。

 

「アルスターさん、敵が攻めてきましたが、どうしますか?」

 

 のん気な声で言う。

 

「……ユーラさん。近所の酒屋が御用聞きに来たのではないのですから、もっと緊張感を持って報告してください」

 

「わかりました。で、どうしましょうか?」

 

 判ってないような口調だ。この娘は見た目はマジメそうだが、実は陛下側の人間なのかもしれない。

 

 ……などと言っている場合ではない。敵が攻めて来たのなら一大事だ。

 

「ここはイスカリオの領地。陛下がいらっしゃらないとは言え、敵の好きにはさせません。ユーラさん。すぐにみんなを集めてください!」

 

「みんなと言っても、いま城にいる騎士は、ここにいる方で全員です」

 

「……はい?」

 

「バイデマギスさんとギャロさんとダーフィーさんは、陛下と一緒にカーレオン攻めに行きました。もちろん、イリアさんもです。ミゲルさんとリュシアさんは帰省中で、ティースは修行の旅に出てます」

 

 またまた頭を抱えるアルスター。イリアさんやバイデマギス殿たちはともかく、この国では良識派のミゲルさんやリュシアさんまで不在とは……肝心な時に役に立たないヤツらだ。他の騎士には期待できん。せめて、私だけでも頑張らねば。

 

「仕方ありません。キャムデン殿、我々だけで行きますよ」

 

 アルスターがそう言うと、キャムデンは心底嫌そうな顔になった。

 

「まったく……弱いあなたの分まで働く私の身にもなってほしいものですね。良いですか? 勝利は私の手柄、敗北はあなたの責任。これを覚えておいてください」

 

 ――くそう。我慢しろ、アルスター。これもイスカリオのためだ……耐えろ……耐えるんだ。

 

 アルスターは、必死で湧き上がる怒りを抑えていた。

 

 キャムデンは自慢の口髭をくるくると指に巻きつけた後、ピンと弾いた。「では、レオニアのおバカさんたちに、役者の違いを教えてさしあげましょう」

 

 部屋を出ようとするキャムデンに、ユーラが言う。「いえ、キャムデンさん。攻めてきたのはレオニアではなく、エストレガレス帝国です」

 

「……はい?」

 

 ユーラはメモを取り出した。「えーっと、伝達によると、総大将はカドールさん、参謀はギッシュさん、主攻はエスクラドスさん、だそうです」

 

 カドールは言うまでもなく、皇帝ゼメキスの右腕にして大陸最凶のデスナイトだ。ギッシュは、旧アルメキアにおいて王から最も信頼されていた魔術師で、現エストレガレス軍ではゼメキスに代わって総帥の座に就いている。エスクラドスは、旧アルメキアの剣術指南役で、『剣聖』の異名を持ち、カーレオンのナイトマスター・ディナダンと並び大陸最強と名高い剣士だ。三人とも、早くも『帝国四鬼将』とか『帝国四天王』とか『帝国四大実力者』などと呼ばれている。ちなみにもう一人は誰だか判らない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「あー、ヴィクトリア殿」キャムデンは髭をいじりながらヴィクトリアを見た。「確か、陛下からの命令は、『この城をレオニアから守れ』でしたな?」

 

「そうです」

 

「帝国からの攻撃に関しては、特に指示を受けていない?」

 

「そうです」

 

 キャムデンは「なるほどなるほど」と頷き、今度はアルスターを見た。「アルスター殿。どうでしょう? ここは一旦、南のブロセリアンデまで後退する、というのは?」

 

「何を言うのです! 誇り高きイスカリオの騎士として、戦わずに撤退するなど、できるはずもありません!」

 

「うむ。さすがはアルスター殿。良い覚悟です」

 

「……ですが、相手は帝国四鬼将。我々が戦っても、勝ち目はゼロに近いでしょう」

 

「むしろゼロやマイナスでしょうな」

 

「どうせ負けるのであれば、兵の被害を最小限に抑えるのが戦術というものです」

 

「うむ。その通り。これは尻尾を巻いて逃げるのではありません。次の戦いに向けて兵力を温存する、いわば、戦略的撤退なのです」

 

「でも――」と、髪をとかし終えネイルのチェックに入ったヴィクトリアが言う。「陛下にそのような言い訳は通用しませんわよ? 戦わずに撤退した、なんてことがバレたら、二人とも、死刑を宣告されるのではありません?」

 

「まあ、我々はすでに陛下から二五五回も死刑宣告されてますからな。いまさら一回くらい増えたところで、たいした違いはないでしょう」

 

 キャムデンの言葉に、アルスターも「その通りです」と頷き、ユーラを見た。「ではユーラさん。我が軍の兵と、相手方にも、撤退の旨を伝えておいてください」

 

「了解でーす」

 

 子供のように手を挙げ、部屋を出て行くユーラ。アルスターとキャムデンは荷物をまとめ、ヴィクトリアの身だしなみが整うのを待ってアスティン城を後にした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十三話 ディナダン 聖王暦二一五年八月上 カーレオン/ハーヴェリー

 カーレオンのナイトマスター・ディナダンは、ハーヴェリー城の門から単身外に出た。城門からは西と南東に向かって街道が伸びているが、その南東側、イスカリオ領ザナスへと続く街道に、多くの敵兵が集まっている。報告によるとその数六万。現在ハーヴェリーは、イスカリオからの侵攻を受けている状態だ。

 

 そのイスカリオ軍から、先ほど戦義の申し入れがあった。戦義とは、フォルセナ大陸に古くから伝わる儀式で、両軍の代表者が戦闘の前に言葉を交わす行為である。戦義中は一切の戦闘行為が認められておらず、策や計略を用いることも禁じられている。戦義の申し入れがあっても必ずしも応じなければいけないわけではなく、ディナダン自身この儀式がどうも好きではなのだが、相手がイスカリオということで、受けてみることにしたのだ。

 

 城門から少し離れたところに敵の代表者の姿があった。遠目に見ても誰だかすぐに判る。深紅の鳥の羽をあしらった派手な帽子をかぶり、金色と赤色のプレートを交互に重ねたこれまた派手な鎧を身に着け、身の丈を超えるほどの大きな鎌を持っている。戦場であんな格好をしたら目立ってしょうがないだろうに……ディナダンは苦笑しながらその人物の元に歩いて行った。

 

「イスカリオから戦義の申し入れとは珍しい、と思ったが、変態国王自らお出ましとは驚いたね」ディナダンは、先制攻撃とばかりに得意の毒舌を振るう。「一応確認しておくが、戦義中の戦闘行為や、戦義を利用した計略は禁じられている。それくらいはご存知だよな?」

 

 ディナダンの言葉に、イスカリオの代表者――狂王ドリストは、含んだ笑みを浮かべた。「んっふっふ~。安心しな、ナイトマスター。このオレ様が相手をしてやるのだ。罠なんて姑息なマネはしねぇよ。正々堂々と戦おうではないか」

 

「面白いことを言うな。その言葉を信じろと? あんたの噂は我が国にも届いてるよ。やりたい放題無茶放題。戦いの腕は確からしいが、頭の中がカビてたんじゃあ、真っ当な騎士とは言えないね」

 

「ん~、それは違うな、ナイトマスター。騎士は強さが全て。強い騎士こそが真っ当なのだ」

 

「お? 顔に似合わずいいことを言うじゃないか。でも、いいのかい? その言い分じゃ、あんたより俺の方が真っ当ってことになるが」

 

 ディナダンの挑発に、ドリストは嬉しそうな笑い声を上げる。「クーックックック。面白れぇ。気に入ったぜぇ、ナイトマスター。すぐに白黒つけてやるから、楽しみに待ってな」

 

「そうだな。すぐに決着はつく。楽しみにして――」

 

 いつの間にか、二人のすぐそばに槍を携えた女騎士が立っていた。

 

「――――!!」

 

 反射的に間合いを取り、腰に携えた剣に手をかけるディナダン。

 

「おおっと、ナイトマスター! 戦義中の戦闘行為はご法度だぜぇ? まさか知らんわけではあるまいなぁ? ま、オレ様は別に構わんがな。そっちがその気なら話は早い。この場でケリをつけるかぁ? クーックック!」

 

 笑いながら鎌を向けるドリスト。その鎌の刃には、ちゃんと覆いがかぶせてある。女騎士の槍も同様だ。変わり者が多いイスカリオの騎士でさえ儀式の鉄則を守っているのに、こちらから破るわけにはいかない。

 

 ディナダンは剣から手を放した。「――まさか。ちょっとした余興だよ」

 

「んっふっふ~。その割には随分ビビッてたようだがなぁ? まあいい」ドリストは女騎士を見た。「――で、どうしたんだ? イリア」

 

 イスカリオのイリア――噂には聞いたことがある。狂王ドリストに影のように付き従い、表情ひとつ変えず敵を葬る女騎士。付いた二つ名が『キラードール』。

 

 ――この俺が、あれほど接近されるまで気付かぬとは……。

 

 ディナダンの背を冷たいものが走る。戦義中とはいえ、油断など微塵もしていない。周囲は身を隠すような物もない。なのに、近づく気配さえ感じなかった。恐ろしい相手だと認めざるを得ない。

 

 イリアは、ディナダンには全く興味を示さず、ドリストを見た。「アスティンがエストレガレスに攻められたとの報告が。アルスター殿とキャムデン殿は撤退したそうです」

 

「なに!? あの腰抜けどもめ。帰って説教だな!」ドリストはディナダンを見た。「おいナイトマスター! 悪いが、ちと用事ができた。てめぇとの勝負は、また今度にしておくぜ。じゃあな!」

 

 そのまま下がるドリスト。しばらくすると、後方に控えていた六万の兵も後退し始めた。本当に撤退するようだ。

 

 やれやれ、と肩をすくめるディナダン。ただの頭のイカれた国王と思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。まあ、そうでなければ一国の王など務まらないだろう。たいして興味はなかったが、これは、案外やっかいな相手になるかもしれんな。

 

 ――いや、それよりも。

 

 ディナダンは、先ほどのイリアの報告が気になった。

 

 エストレガレス帝国が、イスカリオ領アスティンを攻めた。

 

 帝国の騎士が南部に集中しているという報告はディナダンも受けていた。カーレオンは、六月の下旬に帝国からソールズベリーという城を奪っている。ソールズベリーは帝国の南の重要拠点であり、ここをカーレオンが押さえておくことで、同盟国西アルメキアへの支援になる。これが、カーレオンの静かなる賢王カイの考えだった。実際、帝国は多くの兵を西アルメキア方面から南部へ移動させた。

 

 しかし、その矛先はソールズベリーではなく、イスカリオ領のアスティンへ向けられた。恐らくこれは、カイでさえも予想していなかった動きだ。

 

 そう言えば、ゼメキスのクーデターの件も同様だった。カイは、ゼメキスがクーデターを起こすことを事前に予見していた。だが、そのクーデターは失敗し、ゼメキスは処刑されると予想していたようだ。しかし、実際にはクーデターは成功し、ゼメキスは皇帝となった。

 

 大陸一の知恵者と呼ばれるカイの考えが、ことエストレガレス帝国のこととなると、ことごとくはずれている。

 

 ――いったい、帝国で何が起こっているのだ。

 

 ディナダンは言い知れぬ不安を抱え、ハーヴェリー城へ戻った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十四話 リオネッセ 聖王暦二一五年八月上  レオニア/ターラ

 女王リオネッセは、居城の屋上から、一面に広がる聖都の景色を見ていた。城の周りは湖に囲まれ、その外にターラの街並みが広がっている。その先には平原が広がり、はるか彼方には、人が立ち入ることを拒むような高い山々がそびえ立っている。

 

 女王に就任した直後から、リオネッセはよくこの屋上に来ていた。ここは、彼女の心が安らぐ数少ない場所。故郷の村が恋しいときや、女王の責務に押し潰されそうなときなど、何か悩みがあるときは、決まって、ここからの景色を眺める。一人で眺めることもあるが、そばにキルーフがいたことの方が多かったように思う。悩み事はなんでも話した。彼は嫌がることなく、いつも聞いてくれて、そして、励ましてくれた。もっとも、具体的に役立つ助言をしてくれたことは一度も無い。「ガンバレ」とか「負けるな」とか、そんな言葉だけだ。でも、それで良かった。なんでも話せる人がいる――それだけで、リオネッセの心の負担は軽くなるのだ。

 

 だが、いまリオネッセのそばにキルーフはいない。たとえいたとしても、いま彼女が抱えている問題は、決してキルーフには解決できない。話すことさえできないから。

 

 リオネッセは平原の向こうにそびえ立つ山々を見つめた。あの向こうは、今回の戦乱の発端となった国・エストレガレス帝国だ。女王に就任した頃は、こんな大きないくさが始まるなど、思ってもみなかった。

 

「――人は、なぜ戦うのでしょう」

 

 つぶやくように言う。独り言ではない。神への問いかけ。あるいは、自分自身への問いかけだった。

 

 レオニアが戦うのは、この国を敵国から護るためだ。戦わなければ、この国は他国に制圧され、滅亡してしまう。民は、土地や財産を奪われ、占領国の奴隷とされるか、あるいは殺される。この国を護るためには、戦うしかない。

 

 だが、はたして本当にそうなのだろうか? 半年前、ノルガルドのヴェイナード王と会合を行った時、属国となることを迫ったヴェイナードはこう言った。属国となればレオニアはノルガルドの民も同然、理由もなく虐げたりはしない、と。この言葉を信じてよいものかは判らない。だが、彼の言うことが本当ならば、民は、土地や財産、地位や命を奪われるようなことは、決してないであろう。レオニアという国の名前は無くなるが、民は残る。それは決して滅亡ではない。護るべきは国の民であって、国の名前ではない。ならば、ノルガルドとの戦いは無意味ではないのか。

 

 ノルガルドはなぜ戦うのか――リオネッセは、その理由がずっと判らなかった。ただ他国を支配するために戦う、そう思っていた。何のために他国を支配するのか、その理由までは、深く考えることは無かった。己の欲望のため、そう思っていたのだ。だが、先ほどリオネッセは、ノルガルドが戦う理由が判ったような気がした。彼等もまた、国を――民を護るために戦っているのかもしれない。

 

 戦いそのものに意味はない――リオネッセはそう思っている。何かのため、誰かのために戦って、初めて意味を持つのだ。

 

 ならば、エストレガレスやイスカリオ、他の国にも、それぞれ戦う理由があるのだろうか。戦う以外に道はないのだろうか。

 

「――人は、なぜ戦うのでしょう」

 

 もう一度問う。答える者はいない――はずだった。

 

 だが。

 

「――答えは簡単だ、女王。人は、戦うのが好きなのだよ。どのような理由を付けようとも、それは言い訳にすぎぬ」

 

 誰もいなかったはずの屋上に、低く、しわがれた声がした。地の底から聞こえてくるような禍々しい響きだった。

 

 振り返ると、いつからそこにいたのか、老人のような姿をした男が立っていた。()()()()()()――老人ではない。ひと目見て、なぜだかそう感じた。顔は皺だらけで、頬の肉は落ち痩せこけているが、それでも老人のように見えないのは、その姿があまりにも異様だからだ。男は首をわずかに斜めにし、じっとこちらを見ている。その目からは生気を感じなかった。墨を溶かしたような黒目が怪しげな光沢を放っている。まるで、眼球の代わりに黒曜石を埋め込んでいるかのようだ。頭に毛髪は無く、代わりに目と同じ色をした水晶のような球がいくつも埋め込まれていた。闇よりも黒い法服を着て、血のように深い紅色の外套を羽織り、古代のルーン文字をかたどった杖を手にしている。

 

「誰です!」

 

 叫ぶように言うリオネッセ。城の者ではない。外部からの侵入者だ。だが、当然この城の警備は万全で、外部の者が簡単に侵入できるはずがない。一体、どこから現れたのか。

 

 男は、ゆっくりとした口調で言う。「――我が名はブロノイル、求め続ける者。女王リオネッセ、そなたの命を貰いに来た」

 

「なにを……!?」

 

「そなたはこの戦乱の世の君主にふさわしくない。いくさに消極的な王など必要ないのだ。よって排除する。案ずるな。代わりは用意する。ゼメキスやヴェイナードのように、大陸全土を欲する者をな」

 

 男が、一歩近づいた。

 

 ――逃げなきゃ。

 

 直感的にそう思った。

 

 リオネッセは女王であると同時に騎士でもある。就任以来騎士としての修業も欠かさず行ってきた。今では上級魔法を含む多くの白魔法を修得している。白魔法は、傷を癒したり祝福したりといったものだけでなく、不死のモンスターを葬る魔法の言葉や、神の光といった攻撃魔法もある。しかし、恐らくこの男には通用しないだろう。戦わずともそれが判る。向かい合っているだけで、全身を小さな針で刺されているような痛みを感じる。それは、この男の内に秘めた禍々しき力を肌で感じているからだ。男の魔力はリオネッセとは比べ物にならない。戦っても勝ち目はない。逃げるしかない。だが、ここは屋上だ。城内へ戻る階段は男によって阻まれており、後ろは二十メートル近い高さだ。飛行の魔法があれば飛び降りることも可能だが、残念ながらリオネッセは使えない。身を乗り出して下を見た。何人かの衛兵の姿が確認できる。

 

「助けを呼んだところで無駄だぞ、女王」リオネッセの意図を察したかのように、男が薄く笑う。「護衛がここに来るまでに全て終わる」

 

 男が右手をかざした。掌から炎が噴き出し、巨大な塊となる。それを、リオネッセに向けた。

 

「死ね」

 

 男の掌から炎の塊が放たれる瞬間。

 

「――させるかよ!!」

 

 階段を駆け上がってきたキルーフが、斧を振り上げて男の背後から斬りかかる。男の注意が逸れ、炎が小さくなった。キルーフは斧を振り下ろした。その刃が男の脳天に触れる瞬間、男の全身を幾筋もの青い稲妻がほとばしった。斧はとてつもなく硬いものを叩いたかのように、男の数センチ手前で火花を散らして弾き返された。

 

「ふん、邪魔だ」

 

 男は振り返り、キルーフに向け炎の塊を放った。キルーフの乱入で精神集中を妨げられた為さきほどよりも小さな炎だが、それでも、キルーフの胸に直撃し、大きな爆発を起こす。その勢いでキルーフの身体は大きく吹き飛ばされた。

 

「キルーフ!!」

 

 叫ぶリオネッセ。

 

 その声に反応するかのように、キルーフはすぐに起き上った。「大丈夫だ! これくらいなんてことねぇ!!」

 

 だが、キルーフの身に着けていた胸当ては焼け焦げ、大きく歪んでいた。強い衝撃だったことが伺える。

 

「邪魔をするなら貴様から始末するぞ」

 

 男は杖を振りかざした。杖の先の空間が歪み、漆黒の闇が生じた。その闇から、呪いの魔力が溢れ出す。

 

 だが、その前に。

 

「――キルーフ! 伏せて!!」

 

 リオネッセが、祈りの力を天へ向けた。次の瞬間、天から純白の光の柱が降り注ぐ。神の光――最上位の白魔法だ。

 

 神の光が男を襲う。轟音と共に、城全体を揺らすほどの強い衝撃。神の光は、男の身体を燃やし――いや、男の周りを、またも幾筋の青い稲妻がほとばしった。男の身体は全くの無傷だ。

 

「無駄だ。その程度の魔法では、我が結界を破ることはできぬ」

 

 結界――そのような魔法、リオネッセは知らない。物理的な攻撃から身を護る魔法や、魔法への耐性を上げる魔法はあるが、それらは完全に攻撃を防げるわけではないのだ。男が使っているのは、リオネッセが知るいかなる魔法とも違う。

 

「――そうかよ!」

 

 再びキルーフが斧を振るった。結界がそれを受け止める。キルーフは攻撃の手を緩めず、二発、三発とさらに斧を振るう。

 

「無駄だと言っているのが判らぬのか」

 

 男が杖を振りかざした。

 

 それを見たキルーフは、急に動きを変える。身を屈めると、男の横をすり抜け、リオネッセの元へ走った。

 

「逃げるぞリオネッセ! コイツには勝てねぇ!」走りながら叫ぶ。

 

「逃げるって、どこへ!?」

 

「こっちだ!」

 

 キルーフは斧を捨ててリオネッセの手を取り、階段とは逆の方へ走った。その先には腰の高さほどの石壁があり、その向こうは二十メートル下へ真っ逆さまだ。

 

「俺の身体がどうなろうと、お前だけは絶対に護ってみせるからな!」

 

 キルーフは両手でリオネッセを抱え上げると、石壁を乗り越え、外に飛び出した。

 

 一瞬の浮遊感の後、内臓がひっくり返るような感覚。二人の身体が地面に吸い寄せられる。この高さでは、いかにキルーフと言えどただでは済まない。リオネッセは目を閉じ、キルーフにギュッと抱きついた。

 

 ――お願い! キルーフを護って!

 

 神に祈る。

 

 その瞬間。

 

 ふわり、と、空に舞い上がるような感覚。

 

 ゆっくりと目を開けると、落下の速度が落ちている。

 

 二人の身体は、ゆっくり、ゆっくりと、地面へと近づく。

 

「……何が起きてるの?」リオネッセはキルーフを見た。

 

「いや……判らん」キルーフも首をひねる。

 

 やがて二人の身体は、静かに着地した。

 

 キルーフがリオネッセを下ろす。

 

 と、キルーフの懐から、大きな白い羽が落ちた。

 

 羽は薄いブルーの光を放っていたが、やがて消えた。 

 

 キルーフが羽を拾う。「これ、さっきバーリンから貰ったんだ。これのおかげか?」

 

「うん。なんだか魔法の力を感じるわ」

 

 強い衝撃があり、地面が揺れた。二人のすぐそばに男が立っていた。

 

「無駄だ。逃れられはせん」

 

 二人を見て恐ろしげな笑みを浮かべる。あの高さから飛び降りたのに、何のダメージも受けていない。

 

 キルーフはリオネッセをかばうように立った。「俺が時間を稼ぐから、お前は逃げろ」

 

「でも、それじゃキルーフが――」

 

「早く行け!」

 

 男が杖を振りかざした。途端に、天に黒雲が集まってくる。稲妻の魔法。それも、かなり広範囲を襲うものだ。逃れるのは難しい。

 

「――曲者だ! 皆すぐに集まれ!!」

 

 アスミットの声が響いた。同時に、緊急事態を告げる鐘が乱打される。それに呼応するかのように、パテルヌスやシャントゥールら騎士と、城の守備に就いている兵が集まってくる。

 

「気付かれたか」男は口の端に不敵な笑みを浮かべ、杖を下ろした。頭上の黒雲は霧散する。「まあ良い。ここは退いてやる。すでに他の手は打ってあるのでな」

 

 男の周囲の空間が歪み、闇が生じた。闇が広がり男の全身を飲み込むと同時に、空間の歪みも消える。男の姿は無くなっていた。

 

「女王! 無事ですか!」アスミット達が駆け寄ってきた。

 

「はい。大丈夫です」リオネッセが答える。「でも、キルーフが」

 

「俺は何ともねぇよ」

 

 キルーフは強がって言うが、あの炎を喰らって大丈夫とは思えない。

 

「すぐに治療するわ」

 

 リオネッセはキルーフの胸当てをはずし、怪我の状態を確認する。爆発の衝撃と高熱により、キルーフの胸は赤黒く変色している。酷い怪我だ。リオネッセは手をかざし、祈りの言葉と共に円を描くように動かした。手のひらから優しい光が溢れ出て、キルーフの傷が治って行く。治療の魔法だ。

 

「……もう。こんな状態で屋上から飛び降りるなんて、無茶するんだから」呆れ声で言うリオネッセ。

 

「はは……お前を護らなきゃ、って、必死だったんだ」キルーフは苦笑いを浮かべて屋上を見上げた。「確かに、ちょっと高すぎたな。バーリンに感謝しなきゃだぜ」

 

「そうね」リオネッセは微笑んだ後、顔を傾けた。「でもキルーフ、どうして、あたしが襲われてるって判ったの?」

 

「そりゃあ、お前、あれだよ。お前のピンチは、どこにいたって判るんだよ、俺は」

 

 胸を張って言うキルーフ。だが、どこかしどろもどろになっている。リオネッセは、目を細めてじっと見る。

 

「……と言うのは冗談で」キルーフは観念したような顔になり、バツが悪そうに頭を掻いた。「ホントは、お前に謝ろうと思ってたんだけど、なかなかタイミングがつかめなくてな。ずっと、様子を伺ってたんだ」

 

「フフ。そんなことだろうと思った」

 

 キルーフは表情を引き締めた。「リオネッセ。今朝のことは、すまなった」

 

「――うん」

 

「俺は焦ってたんだ。お前が、女王としても、騎士としても、どんどん成長していくのに、俺は村にいた頃と同じ、ガキのまんまだ。俺は、お前に置いて行かれるんじゃないかって思ったんだ。だから、無性に自分に腹が立って、悔しくて、お前に八つ当たりしちまった。本当に、すまない」

 

「ううん。大丈夫だよ。キルーフなら、きっと気付いてくれるって、信じてたから」

 

「俺、今はこんなんだけどよ、これから修行して、絶対に、お前を護れる騎士に――お前に似合う男になってみせるから」

 

「うん。判った」リオネッセは笑顔で頷いた後、続けた。「でも、あたしは、キルーフを置いて行ったりしないよ? あたし、女王になってからもずっと、キルーフに支えられてるから」

 

「――俺が?」

 

「うん。あたし、このお城に来て、みんなに『女王陛下』って呼ばれて、苦しかったの。あたしには女王の資質なんて無いのに、みんなから期待されて……女王って名前に、押し潰されそうだった。でも、そんな時、キルーフだけが、あたしを『リオネッセ』って、呼んでくれたの」

 

「……ああ」

 

「だからあたし、気づいたんだ。あたしは女王になったけど、リオネッセのままでもいいんだ、あたしはあたしのまま頑張ればいいんだ、って。キルーフがいなかったら、あたし、何もできずにただ泣いてばかりだったと思う。本当に、感謝してる。これからもずっと、あたしを支えてほしいの」

 

「もちろんだ」

 

 キルーフは力強く答え、リオネッセの手を取った。

 

 じっと、見つめあう二人。

 

 そして――。

 

「うえっふぉん」ワザとらしい咳払いがした。「我々のことをお忘れではないですか?」

 

 最高司祭のパテルヌスがすました顔で言った。二人はすぐに手を放し、跳んで離れる。そう言えば、すぐ側にパテルヌスとアスミットがいたのに、すっかり二人だけの世界に入り込んでしまった。

 

 パテルヌスが表情を引き締めた。「――女王。あれは、何者です」

 

 リオネッセは首を振る。「判りません。ブロノイル、と名乗ってましたが」

 

「ブロノイル……聞いたことありませんな」パテルヌスはアスミットを見た。

 

 アスミットも首を振る。「私も初めて聞く名です。ですが、無名の魔術師などではありえませぬ」

 

「赤魔法だけでなく、黒魔法や、緑魔法も使えるようでした」リオネッセが言った。「それだけでなく、結界や、突然現れ、突然消えるような、未知の魔法も……」

 

 アスミットが顎に手を当てた。「失われた古代魔法に、そのようなものがあります。私も、古い文献で読んだだけですが」

 

「じゃが――」と、パテルヌス。「古代魔法など、もう二百年以上も前の話じゃぞ。そのような魔法を使いこなす者とは、いったい……」

 

「戦乱の世に、あたしのようないくさに消極的な君主は必要ない、と言っていました」リオネッセの顔色が悪くなる。「だから、あたしを排除すると」

 

「アスミット!」と、キルーフが声を上げた。「てめぇは、ちゃんとリオネッセの護衛をしてんのか!」

 

 リオネッセが睨む。「キルーフ。あなたが謝らなきゃいけないのは、あたしだけじゃないでしょう?」

 

「――――っ!」

 

 キルーフは悔しそうに奥歯を噛んでいたが、やがて姿勢を正すと、頭を下げた。「――さっきはすまなかったな、アスミット」

 

 言葉は悪いが、彼なりの精一杯の謝罪なのだろう。

 

「過ぎたことはもう良い。それに、此度の件は、そなたの言う通りだ」

 

「え――?」

 

 キルーフが頭を上げると、今度はアスミットが頭を下げた。

 

「女王。今回あなたを危険にさらしたのは、私の責任です。どうぞ、罰して下さい」

 

「罰するなんて、そんな……」困惑するリオネッセ。「アスミットさんは、良くしてくれてます」

 

「なんだよ……調子狂うな」キルーフは頭を掻いた。「わーったよ。頭を上げろよ」

 

「私が頭を下げているのはキルーフではない、女王だ」アスミットは冷静な声で言った。

 

「ケッ! 口の減らないヤツだぜ。まあいいや。とにかく、リオネッセのことは任せたぞ。じゃあ、俺はそろそろハドリアンに戻るぜ」

 

「待て、キルーフ」アスミットが止めた。「そなたは私の部隊から外れてもらう。北のダマスへ向かい、イスファスの部隊に入れ。そなたの育成は、イスファスに任せることにした」

 

「なんだと!? てめぇまさか、俺を厄介払いしようってのか!?」

 

「そうではない。そなたは、私の元にいても成長できぬ」

 

「――――?」

 

 言っている意味が判らず、目を白黒させるキルーフ。

 

「ほっほ。確かにそうかもしれんのう」と、パテルヌスが笑った。「アスミットは何事も理論で片づけてしまうパーフェクトマンじゃからな。キルーフとは、相性が悪すぎるであろうな。それに比べ、イスファスの部隊は武闘派ぞろいじゃ」

 

「その分、修業は私とは比べ物にならぬほど苛酷だぞ」アスミットが小さく笑う。「加えて、キルーフには一切容赦するなと頼んでおいた。はたしてそなたに耐えられるかな?」

 

「へん! 上等だ! 俺は、そういうのを待ってたんだよ!」キルーフは、右の拳を左の掌に打ち付けた。「見てろ! 俺は、すぐにこの国で一番強い騎士に……いや、この大陸で一番強い騎士になってやるぜ!!」

 

「フッ、楽しみにしているぞ」

 

「キルーフ、頑張ってね」リオネッセは両手で拳を握って胸の前で振った。

 

「ああ、任せとけ!」

 

 キルーフは、北のダマスへ向かおうとした。

 

 だが――。

 

 兵が一人駆けて来て、アスミットの前に跪いた。「緊急事態です! 南のハドリアン砦が陥落したとの知らせが!!」

 

「なんだと!?」声を上げるアスミット。

 

 ハドリアンは、先日イスカリオの侵攻を受け大きな被害が出た。主力モンスターのロックは戦力を失い、切り札のフェニックスが何者かに暗殺されたのだ。それでも、新たな兵やモンスターを補充し、戦力の補強を行っている。首都防衛を想定した訓練のためアスミットとキルーフは守備隊から離れたが、代わりに信頼できる部下を派遣した。何より、南北を切り立った崖に挟まれた地形上に建つあの砦は、そう簡単に落ちるものではない。

 

「敵将は誰だ!? 狂王か!?」パテルヌスも声を上げて訊く。

 

「いえ、敵はイスカリオではなく、エストレガレス帝国です!」

 

「――――!!」

 

 伝者の報告に、誰もが言葉を失った。この戦乱を巻き起こしたゼメキスの国が、ついに、レオニアへと侵攻してきた。

 

 伝者は続ける。「帝国軍はカドール・ギッシュ・エスクラドスの三将からなる混成部隊です。カーナボンから南のイスカリオ領アスティンへ侵攻し、これを制圧。そこから東へ進軍したものと思われます。ハドリアンの兵や民は、虐殺されたとの報告も……」

 

 虐殺――その言葉に、リオネッセは小さく悲鳴を上げた。

 

「すぐに対策を立てなければ」アスミットは女王たちを見た。「女王、パテルヌス司祭、部屋に戻りましょう。キルーフ、すまぬが、ダマス行きは一旦中止だ。待機し、指示を待て」

 

「お……おう……」

 

 リオネッセはアスミットとパテルヌスと一緒に政務室に戻った。

 

 アスミットは事務机の上に地図を広げた。帝国軍がアスティンからハドリアンへ侵攻したということは、そのまま北上してくる可能性が高い。ハドリアンの北にあるのはグルームという城だ。川の北側に建つ城だが、川幅は決して広くはなく、ハドリアンを落とした軍相手に長く耐えられるとは思えない。グルームが落とされれば、その北はもう聖都ターラだ。

 

 ノックも無しに扉が開き、伝者が飛び込んできた。「急報です! グルームの城が、エストレガレスの襲撃を受けていると!!」

 

「くそうっ!」

 

 拳を机に打ち付けるアスミット。普段の完璧主義者の姿からは想像もつかないほど感情が乱れていた。

 

「侵攻が早いな」パテルヌスが落ち着いた口調で言った。だが、その顔色は良くない。「敵は、一気にこのターラまで攻め入るつもりやもしれぬ」

 

「間違いないでしょう」アスミットは落ち着きを取り戻し、静かな口調で言った。

 

「じゃが、解せぬな。帝国は、なぜ我が国を攻める。今の帝国にとって重要なのは、ソールズベリーの奪還だと思っておったが」

 

 エストレガレス帝国は、六月下旬に魔導国家カーレオンに攻められ、ソールズベリーという城を占領されている。ソールズベリーは帝国南部の極めて重要な都市であり、いち早く奪還しなければならない城のはずだ。

 

「確かに、意図を汲みかねる動きです」アスミットが言った。「攻められている我が国にとっては脅威ですが、帝国にしてみれば、この動きは戦線を無駄に拡大しているだけでにすぎません。もし、イスカリオにアスティンを落とされでもすれば、レオニアを攻めている帝国兵は退路を失い孤立します。帝国にとっては大きな損害。そのような危険を冒してまで、なぜ我が国を攻めるのか……」

 

 リオネッセは、不意に、ブロノイルと名乗った男の去り際の言葉を思い出した。

 

 アスミットが女王の表情の変化に気付いた。「……女王、どうかされましたか?」

 

「さっき、私を排除しようとしたブロノイルに言われた言葉を思い出したのです。『すでに他の手は打ってある』、と……」

 

「他の手……それが、この帝国の侵攻であると?」

 

「判りません。思い過ごしかも……」

 

「いえ、それは十分考慮すべきでしょう」パテルヌスが言った。「女王の命が目的なら、この不可解な動きも納得できます」

 

 リオネッセは息を飲んだ。「では、あのブロノイルという男は、エストレガレスと繋がっていると……?」

 

「いずれにしても、まずは女王の安全が最優先です」アスミットは地図の北部を指さした。「女王、北のケリーラウンズへ避難してください」

 

「何を言うのです! 国の一大事に、あたしだけ避難するなんて、できません!」

 

「あなたを失えばこの国は終わりなのです! ご理解ください女王!」

 

「でも――!」

 

「アスミットの言う通りです、女王」パテルヌスが女王の言葉を制した。「議論をしている時間は無いのです。それに、これは単純な避難ではありませぬぞ。女王は、女王のなすべきことがあるのです」

 

「あたしの……成すべきこと……?」

 

 リオネッセには、パテルヌスが何を言っているのか判らなかった。

 

「パテルヌス司祭は、女王にご同行を」アスミットが言った。「敵は、我らがここで喰い止めます」

 

「判った。女王のことは任せておけ」

 

「では、我らは戦闘の準備に入ります」

 

 アスミットは政務室を出て行った。

 

「――では女王。我らも、避難の準備を」パテルヌスも部屋を出ようとする。

 

「待ってくださいパテルヌス司祭。私のなすべきこととは、もしや――」

 

 パテルヌスは目を閉じ、首を振った。「私の口からは何も申し上げられません。しかし、我らは、女王の決断を尊重いたします」

 

「――――」

 

 リオネッセの胸が、ドクンと鳴った。

 

 歴史上、レオニアは南の国境ハドリアンを抜かれた例はない。侵攻する敵は、全てあの砦で跳ね返して来たのだ。そこを突破された以上、この国の命運は、風前の灯だ。

 

 女王は、決断を迫られた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十五話 カイ 聖王暦二一五年八月上 カーレオン/リンニイス

 王都リンニイスにある居城内の執務室にて、賢王カイは集めた資料に目を通しながら、頭の中で今後の展望を思い描いていた。二ヶ月前、カーレオンはエストレガレス帝国の南の玄関口ソールズベリーを制圧した。これは自国の領土を広げるためではなく、同盟国西アルメキアへの支援が目的だった。

 

 西アルメキアは五月下旬、心臓部とも言える城・キャメルフォードを帝国に制圧された。帝国はそのまま首都カルメリーへ侵攻することも考えられ、開戦直後にもかかわらず西アルメキアはいきなり苦境に立たされた。しかし、カーレオンがソールズベリーを制圧したことにより、帝国は主力部隊を西アルメキア方面から南部のカーレオン・イスカリオ方面へ移動した。情報によると、現在ソールズベリーの北東にあるカーナボンの城には、大陸最凶のデスナイト・カドールや、旧アルメキアの剣術指南役で剣聖の異名を持つエスクラドス、旧アルメキアの宮廷魔術師で現在は帝国軍の総帥となったギッシュなどが集まっているらしい。恐らく、近いうちにソールズベリーの奪還に来るものと思われた。

 

 ソールズベリーの護りは信頼のおける騎士に任せているが、帝国の主力部隊が相手では到底太刀打ちできない。しかし、帝国の主力部隊が南部に集まっているということは、その分、西部は手薄になっているということだ。現在西アルメキアは、老王コールの息子・メレアガントが中心となり、キャメルフォード奪還作戦を進めている。メレアガントは人の上に立つ器には無いが武の力は極めて高く、恐らくこの作戦は近いうちに成功するだろう。そうなれば、カーレオンは早々にソールズベリーを放棄し、南のハーヴェリーまで撤退するつもりだ。ハーヴェリーは、カイが最も信頼を寄せる大陸最強の剣士・ディナダンに守備を任せている。彼に任せておけば、たとえ相手が帝国の主力であっても、そうそう城を奪われることはない。

 

 だが、いつまでも自国に引きこもっているわけにはいかない。この戦乱の時代を生き残るためには、他国に打って出て領土を拡大する必要がある。だが、それを行うだけの軍の力が、現在のカーレオンには無い。

 

 カイは、現時点でカーレオンが抱えている最大の問題を、騎士不足だと考えている。

 

 カーレオン軍には、大陸最強の剣士ディナダンがいる。カイ自身も、本意ではないが大陸一の魔術師と噂されている。同門の魔術師シェラの魔力も強力だ。この三人をはじめとした優秀な騎士がいるものの、騎士の総人数という点において、実はカーレオンはフォルセナ大陸六国の中で最も少ない。現時点では最低限ハーヴェリーの城を護るだけで良いので現在の騎士数でも問題ないが、今後領土を拡大していくならば、騎士不足は深刻な問題となるだろう。早々に新たな騎士を募る必要がある。

 

 ――お兄ちゃん! お兄ちゃん!! 大変大変!!

 

 遠くでメリオットの騒ぐ声が聞こえ、カイは考えを中断した。妹がくだらないことで大騒ぎするのはいつものことだが、本当に大変なことが起こった時は、少しだけ声が高くなる。今日の声はまさにそれだ。

 

 バタン! と、勢いよく扉が開いて、メリオットが部屋に飛び込んできた。「お兄ちゃんお兄ちゃん! 大変よ! 大変なんだって!!」

 

「どうしたんだい、メリオット? ハーヴェリーが、イスカリオから攻められたのかな?」

 

「そうなの! 狂王ドリストが大軍を率いてお城に迫って来て……って、なんでお兄ちゃん、知ってるの?」

 

「いつも言ってるだろ? 簡単な推理だよ」

 

 カイは小さく笑うと、妹に説明し始めた。

 

 開戦当初、イスカリオの王ドリストは、東の宗教国家レオニアに攻め込んだ。国境の砦ハドリアンを落とす直前まで追い込んだものの、途中で撤退。以降、イスカリオはレオニア方面には手を出していない。ドリストは他国から狂王と呼ばれるほどの奇行で知られ、いくさを行うのは国のためではなく自分自身が楽しむためだと言われている。宗教国家であるレオニアの騎士は僧侶が中心で、ドリストとは戦いの趣味が合いそうにない。恐らくすぐに興味を失うだろう、と、カイは予想していたのだ。

 

 そこに来て、西のカーレオン領ハーヴェリーに、大陸最強と名高い剣士ディナダンが守備に就いた。そうなれば、ドリストはこれまでの戦況などあっさりと捨て、ハーヴェリーに侵攻してくる――これが、カイが事前に推理していたことである。

 

「……なーんだ。せっかくお兄ちゃんが驚くと思ったのに。つまんないの」

 

 妹の言葉に、カイは苦笑いを浮かべる。あらかじめ予想していたとはいえ、他国の侵攻を受けたとなれば国にとっては一大事だ。そんな重要な出来事を、兄を驚かすという目的で報告するとは……どうもメリオットは、今回の戦争に対する危機感が足りないように思う。一国の姫として、ここまで呑気に構えているのは問題があるかもしれない。

 

 もっとも、今回のハーヴェリー侵攻に関しては、カイもさほど危機感を持っていなかった。イスカリオの王ドリストは戦いの腕は確かだが、現時点ではまだディナダンには及ばないだろう。その他の騎士や兵力・モンスターの力を分析しても、ハーヴェリーが落とされる可能性は極めて低いと考えている。

 

「――それにしても、意外だよね」メリオットは腕を組み、首を傾けた。「イスカリオが、自国の領土を護るために戦わずに兵を退くなんて。狂王ドリストにも、案外まともな面があったんだね」

 

「……え?」

 

 妹の予想外の言葉に、カイははっとした表情になった。「メリオット。いま、なんて言ったんだい?」

 

「なにって、イスカリオが戦わずに兵を退くなんて意外だね、って言ったんだけど」

 

「イスカリオは、戦わずにハーヴェリーから撤退したのかい?」

 

「そうだよ? ディナダンとドリストが戦義をしてる途中、イスカリオ領のアスティンがエストレガレスの軍に攻められたの。だから、ドリストはハーヴェリーから兵を退いてアスティンへ向かったって話だけど……あれ? お兄ちゃん、ハーヴェリーが侵攻されたことは、もう知ってるんじゃないの?」

 

「あ、いや……ゴメン、メリオット。その件、詳しく聞かせてもらえるかな」

 

 カイは、机の上の資料を片付けると、フォルセナ大陸の地図を広げた。

 

 メリオットの話によると、イスカリオ王ドリストは兵六万を率いてザナスよりハーヴェリーを攻めた。その少し前、エストレガレス帝国は、デスナイト・カドールを中心とした軍が、カーナボンからアスティンへと侵攻。アスティンを護るイスカリオ軍は戦わず南のブロセリアンデへと後退。アスティンは帝国に占領されたそうだ。帝国はそのまま兵を東のレオニア領ハドリアンへ向けたらしい。イスカリオは、狂王ドリストが中心となり、奪われたアスティンを取り戻そうとしている。

 

 メリオットの話を聞き、カイは信じられない思いで地図を見ていた。帝国がアスティンを攻め落とし、そして、レオニアへ侵攻する。これは、全く予想していなかった動きだ。

 

 ふと顔を上げると、メリオットが目を細めてこちらを見ていた。

 

「……なんだいメリオット、その顔は」

 

「お兄ちゃんって、前に、『帝国はソールズベリーを奪い返しに来る』って、言ってなかったっけ?」

 

「ああ。確かにそう言ったよ」

 

「でも、帝国はアスティンを攻め、レオニアへ向かった……お兄ちゃんの予想って、全然当たらないね。この戦争が起こる前のゼメキスのクーデターも失敗するって言ってたし。王様なんだから、もっとちゃんとした予想をしなきゃだめじゃない」

 

 からかうような口調のメリオットに、カイは苦笑いを浮かべる。彼女の言う通りなので、返す言葉も無い。

 

 だがそれは、笑い事ではなかった。

 

 これまでのカイの予想は、決して適当に考えて出した訳ではない。多くの情報を集め、ひとつひとつを精査し、長い時間をかけて計算した結果導き出したものだ。その考えには絶対的な自信を持っていたが、ゼメキスのクーデターは成功し、帝国軍はソールズベリーの奪還ではなくアスティンからレオニアを攻めた。メリオットの言う通り、エストレガレス帝国の動向に関して、カイの予想はことごとくはずれている。それはつまり、エストレガレス帝国にはカイを上回る知恵者がいるということだ。

 

「でもさ――」と、メリオットが話を続ける。「今の帝国の動きって、結構ムチャクチャじゃない? これって、あたしたちにとっては、領土を広げるチャンスかもよ?」

 

「どういうことかな?」

 

 メリオットは、地図の中心よりやや下、エストレガレス領カーナボン付近を指さした。「帝国は、四鬼将の内三人が、兵を率いてカーナボンからアスティンへ侵攻した。帝国は高い兵力を持っているけど、領土が広いから決して十分とは言えない。なら、カーナボンやオルトルートは、護りが手薄なんじゃない? いま攻めれば、簡単に落とせるかもしれないよ?」

 

 メリオットの話に、カイはフフッと笑った。「そうだね。メリオットにしては、よく考えた方だと思うよ」

 

「……じゃあ、なんで今、ちょっと笑ったの?」

 

「ことはそう簡単じゃないんだよ」

 

 カイは、地図の下部、カーレオン領のハーヴェリーを指さした。現在、ナイトマスター・ディナダンが守備に就いている城である。

 

「まず、大前提として、ハーヴェリーを護っているディナダンの部隊は動かせない。これは、なぜだか判るかい?」

 

「バカにしてるでしょ? 前の会議のとき聞いたもん。ハーヴェリーの北のソールズベリー城は、今、シェラさんとシュストさんが護ってる。もしハーヴェリーを落とされでもしたら、ソールズベリーは孤立して、二人が取り残されてしまう、って」

 

「そう。ハーヴェリーは、いま我が国にとって最も重要な城だ。だから、ナイトマスター殿に任せているんだよ。いまハーヴェリーの部隊を動かすことはできない」

 

「でも、うちの騎士はディナダンだけじゃないんだし、他の騎士……なんなら、お兄ちゃんやあたしで、なんとかならないの?」

 

「僕が部隊を率いて攻めれば、カーナボンやオルトルートを落とすことは十分可能だよ。でも、我が国の兵力は、決して十分じゃないんだ。帝国領を攻めると、どうしても、ソールズベリーの護りが薄くなってしまう。もしその隙を突かれ、帝国やイスカリオからソールズベリーを攻められ、落とされでもしたら、どうなると思う?」

 

「それは……帝国領を攻めた部隊は、孤立してしまう」

 

「そう。それは、絶対に避けなきゃいけない。だから、僕たちは今、兵を動かすことはできないんだ」

 

「そっか……」

 

「それと、帝国がレオニアを攻めたのも、決して無茶な動きではないよ」

 

「なんで? もし今、イスカリオにアスティンを奪い返されたら、レオニアを攻めている帝国軍は、孤立しちゃうじゃん」

 

「そう。だからこそ、帝国はアスティンの護りを固めているはずだ。我が国が、ハーヴェリーの護りを固めているようにね」

 

「それってつまり、うちのディナダンみたいに、国で一番腕の立つ騎士が、アスティンの護りに就いているってこと?」

 

「そういうことになるね。それが誰なのかは何とも言えない。大陸最凶のデスナイト・カドールか、剣聖エスクラドスか、あるいは、ゼメキス自身が護ってるってことも考えられる。なにせあの帝国だ。誰が守備に就いても、簡単には落とせないだろうね。今回の帝国の動きは、一見無茶に見えるけど、すごく理にかなってる。ただ――」

 

「ただ?」

 

「…………」

 

 ただ、ひとつだけ判らないことがある。それは、なぜこのタイミングで帝国がレオニアに侵攻したのか、だ。帝国の動きは決して無茶ではないが、ソールズベリーの奪還を放置してまでレオニアを攻めることにどんな利点があるのか? それが、カイには判らない。利点が判らない以上、どんなに理にかなっていようと良策とは言えない。

 

 だが、もし、今回の帝国の動きに、カイにさえ判らない利点があったとしたら……?

 

「――お兄ちゃん?」

 

 急に口を閉ざしたカイを、メリオットが不思議そうな顔で見る。

 

「……いや、なんでもないよ。とにかく、今回の帝国の動きは、決して無茶ではないよ。カーレオンやイスカリオの現状をしっかりと把握してなきゃ、できない戦略だね」

 

 カイはごまかすように言った。

 

「ふうん――」と、メリオットが感心したような顔になる。「じゃあ、帝国の軍師って、すごく頭がいいんだね」

 

「……そうなるね」

 

 メリオットの言う通り、今の帝国には優れた軍師がいるとしか思えない。しかし、それは誰だ? 旧アルメキア軍の総帥で現エストレガレス皇帝のゼメキスは生粋の武人だ。戦略よりも武力に頼った戦いを得意としている。このような奇策を用いる男ではない。

 

 では、旧アルメキア時代の軍師・モルホルトか? 確かに彼は軍略に優れている。しかし、彼は他国の情報を収集する能力に欠けている面があった。今回の帝国の動きは、カーレオンやイスカリオ内の状況をしっかりと把握していなければ不可能だ。モルホルトにそれほどの情報収集能力があるとは思えない。何より、彼はアルメキア滅亡後、国を捨て、現在はノルガルドに身を寄せているはずだ。今回の帝国の動きは、モルホルトの戦略ではありえない。

 

 では、帝国樹立後、ゼメキスに代わって軍総帥の座に就いた魔術師ギッシュか? 彼のことはよく知っている。カイは、かつて旧アルメキアの魔導学校に留学しており、ギッシュとはともに魔術を学んだ仲だ。魔導学校卒業後、ギッシュは旧アルメキアの魔術師団へ入り、そこで才能を発揮した。その才能を王ヘンギストに認められた彼は宮廷魔術師に任命され、その後、王へ様々な献策をし、厚い信頼を得た。彼の魔力や知略はカイに勝るとも劣らない。だが、今回の帝国の戦略は、恐らくギッシュのものではないだろう。彼は知略に優れた男ではあるが、アルメキア時代の彼はあくまで宮廷魔術師であり、王へ献上した策は内政に関するものばかりだ。それは戦略とは決定的に違う。今回の帝国の戦略は、いくさというものを熟知した者でないと不可能だ。ギッシュも戦場に身を置けばいずれは戦略の才能を開花させるだろうが、今の彼はまだ戦場での経験が浅い。こんな奇策を用いるとは考えにくい。

 

 ――やはり、帝国には僕が把握していない未知の力が働いている。

 

 そう考えると、カイの背を冷たいものが走る。ただでさえ強大な武力を持っているエストレガレス帝国に、自分を上回る知恵を持つ者がいる――それは、カーレオンだけでなく、周囲の国全てにとって、とてつもない脅威だ。

 

「……お兄ちゃん?」

 

 メリオットが顔を覗き込んで来たので、カイは考えを中断した。「なんだい? メリオット」

 

「いま、寝てなかった?」

 

「まさか。ちょっと考え事をしてただけだよ」

 

「怪しいなぁ……お兄ちゃんって、ちょっと目を離すとすぐに寝ちゃうから、油断できないんだよね」

 

 苦笑いを浮かべるカイ。カイは考え事をする際、脳を十分に動かすために身体中のエネルギーを脳に集めるようにしている。そのため、じっとして動かないのはもちろん、本気で考え事をする時は横になったりする。本来脳を動かすというのはそれほどのエネルギーを消費するのだが、そのことを何度説明しても、メリオットからの理解は得られない。

 

「それで? これからどうするのがベストなの?」メリオットが訊いた。

 

「今まで通りだよ。ハーヴェリーとソールズベリーを護りつつ、西アルメキアがキャメルフォードを奪還するのを待つ。そのためにソールズベリーを占領したんだからね。今回の帝国の動きは予想外だったけど、兵力が南部に集中している点は変わらない。我が国に被害が及んでいるわけでもないし、むしろ、帝国やイスカリオの目が他に向いたから、僕らは動きやすくなったかもしれない。今のうちに戦力の増強をしないとね。今はとにかく騎士を集めることが重要だ。騎士の人数が少ないままだと、我が国はこれ以上領土を拡大していくのが難しいからね」

 

「でも、仕官者はずっと募集してるけど、誰も集まって来ないね」メリオットはまた眼を細めてカイを見る。「やっぱり、お兄ちゃんが王様として頼りなさそうだからじゃないの?」

 

「これは手厳しいね。これからは気を付けるよ。それより、ただ募集するだけじゃなく、こちらからも、もっと積極的に勧誘しなきゃ駄目なのかもね。メリオット。誰か、ルーンの加護を受けた人に心当たりはないかい?」

 

「うーん。そう言われてもねぇ……」メリオットは腕を組んで考え始めた。

 

 トントン、と、ドアが叩かれた。カイが入るように促すと、宰相のボアルテが入って来た。

 

「失礼します、陛下、メリオット姫。姫のお友達と仰る方が来られていますが」

 

 メリオットは首を傾けた。「お友達? 誰だろ?」

 

「ミリア様と仰っております。旅の画家とのことですが」

 

 それを聞いたメリオットの顔が、パッと明るくなった。「え! ミリアちゃんが!? うわぁ、すっごく久しぶりだよ!」

 

「誰だい? その、ミリアちゃんっていうのは?」カイはメリオットに訊いた。

 

「旅をしながら絵を描いてる女の娘なの。二年くらい前、お忍びで街に出たとき知り合って、仲良くなったんだ。それからもカーレオンに帰って来るたびに遊んでるの」

 

「つまりそれは、僕に内緒で何度もお城の外に出てるってことかな?」

 

「最後にミリアちゃんに会ったのは、もう半年くらい前だよ。ゴメンお兄ちゃん。あたし、行って来るね」

 

 メリオットはごまかすように言い、部屋を出て行った。

 

「……やれやれ」

 

 カイは、深くため息をついた。

 

「ところで陛下、その、ミリア殿ですが」ボアルテが言葉を継いだ。

 

「――うん?」

 

「姫のお友達と仰っても、正体も判らぬ者を城内に入れるわけにはいきませんのでいろいろと話を伺ったのですが……どうもその者は、ルーンの加護を受けているようなのです」

 

「ルーンの加護を? それは確かかい?」

 

「はい。間違いないかと。仕官の意思があるのかは判りませんが、陛下も一度会われてみてはいかがでしょう?」

 

 ふうむ、と唸るカイ。もし優秀な人材ならぜひとも騎士として迎えたいところだ。旅の画家ということだが、メリオットの友達ならば少なくとも信用できないような人物ではないだろう。

 

「そうだね。兄としては妹のお友達がどんな人なのかも気になるし、会ってみるとしよう」

 

「では、ご案内いたします」

 

 カイは、ボアルテと一緒に執務室を出た。

 

 客間の前まで行くと。

 

「――ミリアちゃん久しぶり!! 帰って来てたんだね!!」

 

 ドアが閉じられているにもかかわらず、外まで声が漏れてきた。

 

「はぁい、ついさっき戻ったところです。真っ先にメリオット姫にご報告をと思いまして」

 

「もう、姫なんて呼ばなくていいよ。今まで通り、メリオットって呼んで」

 

「あは。では、遠慮なく」

 

 声からすると、メリオットよりも少し年上のようだ。メリオットにも負けないほどの大きな声で話している。やれやれ、と、苦笑いするカイ。もし彼女が騎士になると、騒がしいのがもう一人増えることになるかもしれない。まあ、メリオットの友人ならそうなるのも当然かもしれないが。

 

「それで、今回はどこを旅して来たの?」メリオットが訊いた。

 

「主にノルガルドの方へ行ってたの。あっちの方は大変よ~。去年の夏、季節外れの寒波に襲われちゃってさ。農作物が不作で、食糧不足が深刻ね。特に、地方の貧しい土地じゃ、飢饉がかなり広がってるみたいよ」

 

「そうなんだ。他には、どこに?」

 

「その後はアルメキア――今は、エストレガレス帝国ね――を通って帰ってきたんだけど、みんなクーデターで混乱してるのかと思ったら、そうでもなかったわね。国民はむしろ、新たな王様に期待してるみたい。まあ、前の王様が王様だから、仕方いんだろうけどね」

 

「ふーん。いろいろあるんだね。それで、どんな絵を描いたの? 見せて見せて!」

 

 メリオットに促され、友人は絵を取り出したようだ。

 

 カイは客間の前に立ち、今の話について考えた。ノルガルドが昨年の夏、時ならぬ寒波に襲われた……初めて耳にする情報だ。ノルガルドは寒冷地であり、慢性的な食糧不足に悩まされている。その上冷夏であったとすれば、極めて重大な問題になっている可能性が高い。帝国の話も重要だ。ゼメキスのクーデターは国民に受け入れられている。前王ヘンギストは一部で愚王と陰口を叩かれており、カイ自身何度か謁見したことがあるが、確かに快い人物ではなかった。ゼメキスのクーデターは、むしろ国民から望まれていたのだろうか? そうなると、案外内部の結束は固いかもしれない。

 

 ノルガルドにエストレガレス。いずれも、非常に重要な情報だ。もちろんカイは各国の情報収集に力を入れているが、国に留まって得られる情報はどうしても限られてしまう。やはり、現地でないと得られない情報は多いようだ。

 

「……陛下、いかがなされましたか?」

 

 ボアルテの声で、考えを中断する。「いや、なんでもない。話が盛り上がってるみたいだから、少し待つよ。ボアルテは、もう下がって構わないから」

 

「そうですか。では失礼して」

 

 ボアルテは頭を下げると、奥へと下がった。

 

 メリオットとミリアは、絵を見ながらいろいろと話をしている。どうやらミリアは風景画や人物画を好んで描く画家のようだ。かなり話は弾んでいるが、残念ながらそれ以上他国の有益な情報は得られなかった。

 

「ところで、メリオットちゃん」ミリアが少し声のトーンを下げて言う。「戦争の方は、大丈夫なの? エストレガレス帝国が、南部に侵攻してるって聞いたけど」

 

「そうなの。今のところうちの方には攻めて来てないけど、これからどうなるかはわかんないんだよね。お兄ちゃんが頼りないから、あたしも心配だよ」

 

「そっか……」

 

「それと、今は騎士不足が深刻な問題かな。カーレオンは領土が狭いし、北の西アルメキアとは同盟を結んでるから、護りに徹する分には問題ないんだけど、これから領土を広げていくとなると、今の騎士の人数じゃ、全然足りないね」

 

「そうなんだ。じゃあ、あたしも手伝おうか?」

 

「え? ミリアちゃんが?」

 

「うん。実はあたし、ルーンの加護を受けてるの。今まで誰にも言ったことないんだけどね」

 

「そうなんだ。でも、いいの?」

 

「もちろん。メリオットちゃんが困ってるのを放っておけないし。それに、戦争の経験は無いけど、ずっと一人旅を続けてたから、盗賊や野生のモンスター相手には、何度も戦ったことがあるの。こう見えても、結構強いのよ?」

 

「ホント? やったぁ! ミリアちゃんが一緒だと嬉しいよ! ぜひお願い! 決まりね!」

 

「……って、お兄様の許可を取らなくて大丈夫なの?」

 

「平気平気。お兄ちゃんは、あたしの言うことには逆らえないから」

 

 やれやれ……カイはため息をつくと、ドアをノックし、客間へ入った。「お話の途中、失礼するよ」

 

「あ、お兄ちゃん!」

 

「お兄様……ということは、カイ国王陛下!?」

 

 驚き、膝をついて頭を下げようとするミリアを、カイは制した。「ああ、いや、そのままで大丈夫だよ」

 

「そうそう――」とメリオットは手をひらひらと振って言う「王様なんて形だけで、寝てばかりのグータラさんなんだから」

 

「メリオットは、もう少し僕のことを敬った方がいいかな」ため息をつきながら言い、カイはメリオットに視線を戻した。「ミリアさん。話は今そこで聞いていた……と言うより、メリオットの声が大きくて聞こえて来たんだけど、ルーンの加護を受けているそうだね」

 

「はい。僭越ながら、何かお手伝いできればと思います」

 

「ありがたい話だよ。こちらからも、ぜひお願いしたいね」

 

「やったぁ!」と、メリオットが両手を挙げて喜ぶ。「じゃあ、今日はミリアちゃんの歓迎会だね! さっそく準備しなきゃ!」

 

 メリオットは客間を出て、台所の方へ走って行った。

 

「……やれやれ。騒々しい妹で、すまないね。もう少しおしとやかにしてほしいとは思うんだけど」

 

「はは……心中お察しいたします。ところで陛下。わたくし、長年旅しながら絵を描いておりますので、各地に友人・知人がおります。その中にはルーンの加護を受けている者も少なくありません。陛下さえよろしければ、ご紹介させていただきたいのですが」

 

「本当かい? それは助かる。ぜひお願いするよ」

 

「ありがとうございます。それでは、折を見てお連れいたしますので」

 

 ミリアはうやうやしく頭を下げた。外から話を聞いていたときはメリオットと同種のお転婆な娘かと思ったが、なかなかしっかり者のようである。

 

「ミリアちゃーん! ちょっとこっち来てー! 早く早く!」

 

 遠くでメリオットの声が聞こえてきた。ミリアは、「はいはーい。すぐ行きますよー」と返事をすると、もう一度カイに礼をし、ミリアの元へ向かった。

 

 これは、思わぬ人材に巡り合えた、と、カイは思った。各地の情勢に詳しく、ルーンの加護を受けた友人も多い。何より、うるさい妹の面倒を見てくれる。それが何よりありがたい。これで、余計なことに煩わされず、いくさに集中できそうだ。

 

「ちょっと! お兄ちゃん! 何してんの! やることは沢山あるんだから、お兄ちゃんも手伝ってよ!!」

 

 ……前言撤回。御守り役が一人増えたところで、負担軽減にはならないかもしれない。

 

「やれやれ……」

 

 カイはため息をつき、妹の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十六話 ヴェイナード 聖王暦二一五年八月下 ノルガルド/ジュークス

 ノルガルドとエストレガレス帝国との国境を護る城ジュークスの会議室には、白狼王ヴェイナードと、軍師グイングラインをはじめとしたノルガルドの重臣たちが集まっていた。ジュークス城では、南のリドニー要塞を攻め落とすため、開戦当初から準備を進めていた。リドニーは、フォルセナ大陸で最も流域面積が広いアルヴァラード川の中州に建つ難攻不落の城だ。これ落とすための水上部隊・高空部隊の編成はすでに完了している。

 

 さらに、先月下旬から今月上旬にかけ、帝国に大きな動きがあった。皇帝ゼメキスの右腕カドール、現エストレガレス軍総帥ギッシュ、そして、旧アルメキア軍で剣術指南役を務めた剣聖エスクラドスが、南のイスカリオ領アスティンを制圧し、そのまま東のレオニアに侵攻し始めたのだ。四鬼将の内三人が帝国の南部で戦闘を行っている。これは、これからリドニーを攻めるノルガルドにとって極めて朗報だ。無論、それだけでリドニーを簡単に落とせるわけではない。リドニーを攻めるか否か――今日の会議は、その決断をするためのものだ。

 

「カドールらが南部で戦っているとはいえ、決して油断はできぬ」ヴェイナードは、重みのある声で言う。「皇帝ゼメキスは南部の戦闘には参加しておらぬし、ゼメキスや四鬼将以外にも腕の立つ騎士は多い。現在リドニーの守備に就いている騎士は不明だが、誰であろうと、我が軍の被害は、決して小さくはないだろう」

 

 軍師グイングラインがこれまで行った模擬戦の結果では、ノルガルドの勝率は九割以上。しかし、勝ったとしても二割から五割の兵を失うと予想されている。無論、単なる予想であり、実戦が同じように運ぶことはまずない。不測の事態というのは必ずと言っていいほど発生し、それが想定外の結果を生むことも十分にある。

 

 ヴェイナードは続ける。「だが、どれほど危険であっても、リドニーは落とさねばならぬ。我が軍の食糧事情は皆も承知していると思う。手をこまねいていては自滅する。これは、我らノルガルドがフォルセナ大陸を制覇するための極めて重要な足がかりだ。決して負けられぬ。必ず成し遂げるぞ!」

 

 白狼の言葉に、騎士たちは「はは!」と応えた。

 

 ヴェイナードはグインを見た。「作戦の実行が遅くなった。許せ、グイン」

 

「いえ、問題ありません。むしろ、より確実に軍の編成ができました」

 

 ヴェイナードは「うむ」と頷いて、今度はイヴァインとパロミデスを見た。二人は前王時代からのヴェイナードの部下で、開戦以降、ずっとこのジュークス城の守備を任せていた。

 

「イヴァイン、パロミデス。二人とも、ずいぶんと待たせた。開戦以降溜め込んでいた力を、この戦いで爆発させるが良い」

 

「はは!」と、イヴァインが答える。「このいくさ、陛下と勝利の女神に奉げましょう」

 

「やってやりますよ! 陛下!」興奮気味に立ち上がるパロミデス。「陛下を煩わせる敵は、この俺が蹴散らして見せます! イヴァイン! 悪いが、今回の手柄は譲れないぜ!」

 

「そういうことは、俺の援護なしで戦えるようになってから言ってくれ」

 

 血気盛んなパロミデスに対し、イヴァインはあくまでも冷静な口調で言う。パロミデスは、悔しそうに歯を噛みしめた。

 

 ヴェイナードは、同席した全ての騎士を見回した。「――では、各軍最後の準備に取り掛かるのだ!」

 

 騎士たちはそれぞれの準備に取り掛かろうとした。

 

 だが、その前にドアがノックされ、ノイエが入って来た。「陛下、失礼します。急ぎ、お伝えしたいことが」

 

 いつものおしとやかな様子は無く、緊迫した表情だ。

 

「ノイエ、どうかしたか」

 

「レオニアから伝者が参りました。女王リオネッセ様が、至急ヴェイナード陛下と会談を行いたいと仰っております」

 

「――何?」

 

 ヴェイナードは思わず立ち上がった。会議室を出ようとしていた騎士たちも立ち止まる。

 

 レオニアの女王リオネッセとは、三月の下旬に一度会談を行った。その際ヴェイナードは、レオニアに属国となることを迫り、城に兵を接近させて脅した。これに対しレオニア女王は一歩も引かず、ノルガルドとのいくさを決意。一触即発の空気の中、同行させていたブランガーネが女王の決意に感服し兵を退かせる、という()()を演じさせた。ヴェイナードはこれを、『種を撒いた』と表現している。

 

 あれから五ヶ月。戦況は大きく動いた。レオニアに侵攻した帝国軍は、ハドリアン、グルームというふたつの城を落とし、首都ターラに迫りつつあるという。レオニアと帝国の戦力差を考えれば、陥落は時間の問題かもしれない。

 

「――これは、種が実るやもしれぬな」ヴェイナードはグインを見た。「すまぬ、グイン。作戦を、もう一度保留できるか?」

 

 グインは大きく頷いた。「無論です。兵の被害を抑えるのは、私も望むところ。陛下の撒いた種が実るのであれば、その方がよろしいでしょう」

 

 ヴェイナードは「よし」と頷いて、他の騎士に視線を移す。「皆聞いての通りだ。リドニー攻めは一旦保留し、予はレオニア女王との会談へ向かう。グインとイヴァイン、パロミデスは予に同行せよ。他の者は指示があるまで待機だ。エストレガレスからの侵攻もあり得る。決して油断はするなよ」

 

「はは!」

 

 ヴェイナードは身支度を早々に終わらせると、部下を連れレオニアへと向かった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十七話 リオネッセ 聖王暦二一五年九月上 ノルガルド/ハンバー

 ノルガルドとレオニアの国境を護るハンバー城の前で、レオニア女王リオネッセは、ノルガルド王ヴェイナードと対峙していた。戦闘の前に両軍の代表者が言葉を交わす儀式・戦義だ。リオネッセの側には最高司祭パテルヌス、ヴェイナードの側には前王ドレミディッヅの娘ブランガーネが控えている。半年ほど前にダマス城で行った会見と同じような状況だ。

 

 ヴェイナードが口を開いた。「――やはり戦場での再会となったな、女王。先日もこの城をめぐる攻防があったばかりであるし、神に仕える国も、なかなか好戦的であるな」

 

 リオネッセは首を振った。「これはいくさではありません。緊急を要する話ですので、仕方なく戦義という形を取ったまでです。我々に、戦う意思はありません」

 

「それはこれからの話次第だな。それで、どのような話だ?」

 

 リオネッセは、一度目を伏せた。胸の内に大切な人たちを思い浮かべる。アスミット、パテルヌス、バーリン、ガロンワンド、レオニアの騎士たち、そして――キルーフ。

 

 リオネッセはヴェイナードを見据え、決意と共に続けた。「白狼王。あなた方の国の食糧事情に関する資料を読みました。それで、先日の会見の時、あなたが去り際に言った言葉の意味が判りました」

 

「ほほう?」

 

 ヴェイナードは顎を上げた。

 

 半年前のダマス城での会見で、ヴェイナードはレオニアに属国となることを迫り、リオネッセはそれを拒否した。その際、リオネッセが言った「私たちはただ静かに暮らしていたいだけ。三食きちんと食事をして、夜は静かに眠る……そんなささやかな生活を武力で奪おうと言うのならば、私たちは戦います」という言葉に対し、ヴェイナードは、「貴様らが言うささやかな生活を、どんなに望んでも手に入れることができぬ者たちが数多くいるのだ。その生活が当たり前にあるものだと思うな」という言葉を返した。

 

「あなたの言った通りでした」リオネッセは続ける。「私たちの国では当たり前のことが、あなた方の国では当たり前ではない。ノルガルドは、他国と比べて、『栄養充足値』が極めて低い」

 

 栄養充足値とは、人が生きていくのに最低限必要な栄養を得ている状態を一〇〇とし、各国や地域でどれだけ栄養の過不足があるかを数値化したものである。この数値が一〇〇を上回れば十分な食事が得られており、逆に一〇〇を下回れば飢えているということである。

 

 リオネッセはさらに言葉を継ぐ。「フォルセナ大陸全土での充足値は一二〇。十分な数値です。私たちレオニアは一一五。イスカリオ、カーレオン、旧パドストーは、おおむね一二五前後、旧アルメキアは一五五と、群を抜いて高いです。それに比べてノルガルドは七〇。他国と比べて明らかに低い。寒冷地であるノルガルドは、食糧生産率が極めて低いからです」

 

 リオネッセの言葉を、ヴェイナードは鼻で笑った。「その数値は、あくまでもそなたらの国が勝手に調べて出したものであろう? 実際の我が国の食糧事情は、その数値以上に深刻だ」

 

「そうかもしれません。ならばなぜ、助けを求めぬのです? なぜ、あなた方は戦いで奪おうとするのです。援助を求めて頂ければ、我が国は応じたのに。戦い傷つけあうことがどんなに無意味なことか、あなたがお判りにならぬはずがないでしょうに」

 

「これは異なこと。我ノルガルドは何十年――いや、何百年も前の聖王の時代から、他国に援助を求めてきた。だが、アルメキアとパドストーは一切応じることはなかった。そなたらの国レオニアにいたっては、自治を名目に話し合いにすら応じなかったのだ。誰も我が国を助けてはくれぬ。ならば、戦って奪うしかなかろう」

 

「――――」

 

 言葉を失うリオネッセ。女王になる以前の国情を、彼女はあまり知らない。だが、レオニアはアルメキア全盛期であっても自治を護ってきたのは事実だ。それはつまり、他国に一切干渉しなかったとも言える。

 

「お判りか、女王」ヴェイナードが続けた。「我がノルガルドは、戦わねば生きて行けぬのだ。食糧を得るには戦うしかない。生きるということ、それ自体が、不断の戦いなのだ」

 

「……これまでのレオニア王が援助要請に応じなかったことは、深くお詫びいたします」リオネッセは頭を下げた。「私は、誰もが等しく幸せになれる世界を目指しています。飢えている人々を、他国だからと言って、決して放置はしません。これからは、できる限りの援助をさせていただきます」

 

「ありがたい申し出だが、ただという訳ではないのであろう? 回りくどい話はいい。そちらの望みを言え」

 

「現在レオニアは、南からエストレガレス帝国に侵攻されています。ハドリアンとグルームの城は落とされ、民は虐殺されました。帝国軍は首都ターラに迫っています。このままでは、我が国は滅びてしまう。白狼王。どうか、お力をお貸しください」

 

「フン。前回の会合では属国になることを断わっておいて、滅亡の危機に瀕した今になって助けを求めるとは、随分と都合がよいな」

 

「気に入らなければ私の首を差し上げます。その代わり、どうか、レオニアを……我が国の民を、お救い下さい」

 

 リオネッセは、深く……深く、頭を下げた。

 

「良い覚悟だな、女王」

 

「ヴェイナード――」と、ブランガーネが鋭い目で睨む。「言っておくが、女王に手出しはさせぬぞ」

 

 ヴェイナードは小さく笑う。「ほう? どうされたのですか、姫。姫は、この者が気に入らなかったのでは? まさか、情が移りましたか」

 

「なんとでも言え。とにかく、女王を処刑することは許さぬ。これは、前のような芝居ではないぞ? もし従えぬのであれば、妾は決してそなたを許しはしない」

 

「安心なさいませ。我らはこの先、レオニアの民も統べねばなりませぬ。女王を処刑するのは得策ではありません。それよりも、もっと良い方法があります」

 

「何だそれは」

 

「まあ、それは後程。今は急を要します。一刻も早く、エストレガレスの侵攻を止めませんと」

 

「ふん。まあ、女王に手出しせぬのならば良い」

 

 ヴェイナードはリオネッセを見た。「女王。今の話は、レオニアが、我がノルガルドの属国になるという風に解釈するが、よろしいか?」

 

「はい。レオニアを……いえ、この国の民を救って頂けるのであれば、それで構いません」

 

 リオネッセは力の無い声で――しかし、はっきりと聞こえる声で、そう言った。

 

 ヴェイナードは大きく頷いた。「女王の願いは承った。併合の準備は後で行うゆえ、我らはすぐに南へ向かう」

 

「――感謝します」

 

 リオネッセは、もう一度、深く頭を下げた。

 

 そして。

 

 

 

 ――さよなら、キルーフ。

 

 

 

 胸の奥で、最愛の人に別れを告げた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十八話 ドリスト 聖王暦二一五年九月上 エストレガレス帝国/アスティン

 カーレオン領ハーヴェリー攻めを中止したイスカリオの狂王ドリストは、軍を反転させ、エストレガレス帝国に奪われたアスティン城に攻め入った。アスティンは平原の真ん中に立つ城で、西へ少し行ったところに多少の森林地帯があるものの、他には障害になるものがほとんど無い地域だ。故に、この城を攻めるのに小細工は必要ない。定石通りまずは城壁を昇って壁上を制圧、その後城内へ下りて内側から門を開け、一気に兵を送り込むのだ。アスティン城を囲む城壁の上では、帝国兵とイスカリオ兵が乱戦を繰り広げていた。

 

「へっ! ザコどもが。オレ様のいない間に城をかすめ取るなんてセコいマネしてんじゃねーよ!!」

 

 大鎌の一閃で多くの帝国兵をなぎ倒した狂王ドリストは、鎌を肩に担いでそう言った。戦況はイスカリオが有利だ。この城は元々イスカリオのものであり、弱点も強点も心得ている。加えて、アスティンを制圧したエストレガレス兵のほとんどは現在レオニアへと侵攻しており、残された兵の数はかなり少なかった。壁上の戦いはイスカリオ軍が大きく押している。特に、ドリストが自ら指揮しているこの南壁の戦況は圧倒的で、制圧は目前だった。

 

「いや~、さすがは陛下! かつてはアルメキアで最強を誇ったエストレガレス軍相手に一方的な展開! このキャムデン、誠に感服いたしま――がべぇら!!」

 

 揉み手をしながらやって来た奴隷キャムデンの頭を、ドリストは拳で殴りつけた。「たわけが!! こんなザコどもに城を奪われるとはなんたるザマだ! てめぇとアルスターは百万回死刑だ!!」

 

「申し訳ありません! いえ、わたくしは相手が帝国とはいえ命を賭けてでも城を護りきる覚悟でしたが、あのアルスターめが勝手に退却などしはじめまして――あぐヴぁ!!」

 

「てめぇの見え透いた言い訳なんざどうでもいいんだよ! ザコども相手にオレ様の手を煩わせるんじゃねぇ! これ以上死刑の数を増やされたくなけりゃ、さっさと行って帝国のヤツらを皆殺しにして来い!!」

 

「か……かしこまりました!」キャムデンは殴られた顎をさすりながら兵に命令を出す。「皆の者! 南壁の制圧は目前です! このまま一気に城内へ攻め込み、門を開ければ、もう我らの勝ちですぞ!」

 

 キャムデンの掛け声に応えるように、イスカリオの兵は次々と敵を倒してゆく。西、東、そして北の城壁の戦況も、ここから見る限りは問題なさそうだ。

 

「ケッ。こんなことなら、わざわざオレ様が出て来ることなかったぜ」ドリストは大きくあくびをした。「つまらんなぁ。帰って昼寝でもするか」

 

 ドリストが城壁を下りようとしたときだった。

 

 巨石を鋼鉄で叩いたような鈍い音が響き渡り、イスカリオ兵が数十人まとめて弾き飛ばされた。

 

「ん~? なんだぁ~?」

 

 音がした方を見るドリスト。もう一度鈍い音がして、また兵が数十人弾き飛ばされる。眠そうだった目が、一瞬で鋭くなった。

 

 そこでは、悪魔の骨面を付けたひときわ背の高い男が、身の丈を超える大斧を振り回していた。

 

「むむ! あの者は!!」

 

 キャムデンが懐からメモ帳を取り出し、パラパラとめくるが。

 

「あんちょべれ!!」

 

 後ろからドリストの回し蹴りが飛んできて、吹っ飛ばされた。

 

 ドリストは骨面の男に鎌を向けた。「おい! てめぇはカドールだな!!」

 

 骨面の男の斧が止まる。いつの間にか、二人の間に他の兵はいなくなっていた。

 

「ふん、狂王ドリストか。良い獲物だ」大斧を構えるカドール。その骨面が嘲笑しているように見えた。

 

「んっふっふ~。会いたかったぜデスナイト」

 

「なに?」

 

 ドリストは、子供のように目を輝かせた。「ナイトマスターとの勝負をキャンセルして来た甲斐があったぜ。そのイカれた骸骨の仮面とムダにデカい斧……オレ様と趣味が合いそうじゃねぇか。すぐにぶちのめして、てめぇの首ごとオレ様のコレクションに加えてやるぜ!! ぎゃーっはっはっは!」

 

「ふん。道化めが。やれるものならやってみるがいい!」

 

 カドールは一気に踏み込み、大斧を振るう。ドリストも、大鎌で迎え撃つ。

 

 二人の武器がぶつかり合い、火花を散らした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四十九話 キルーフ 聖王暦二一五年九月下 レオニア/ターラ

 エストレガレス軍は聖都ターラの王城に迫っていた。城下町では両軍入り乱れた戦いが続いている。キルーフは戦斧を振るい敵兵やモンスターを倒すが、数は相手の方が大きく上回っている。ここを抜かれると、敵は一気に王城内になだれ込むだろう。リオネッセはすでに北へ避難しているとはいえ、王城を制圧されるとレオニアの敗北は決定的だ。何としてでもここで敵を止めなければならない。だが、敵の数は一向に減らない。こんな時どうするか……首都防衛時の戦術は訓練で習ったはずだが、真面目に聞いてなかった為、すっかり頭から抜け落ちている。アスミットは他の持ち場についていて近くにはいない。こんなことなら、もっとちゃんと勉強しておくべきだった……後悔してももう遅い。

 

 ――くそ! 戦略なんか関係ねぇ! 戦いは力! とにかく敵を叩きのめせばいいんだ!

 

 敵を倒しる続けるキルーフだが、もはや力でどうこうできる状況ではなかった。仮に戦術を用いたとしても無駄だろう。敵の兵力は圧倒的で、レオニアとの力の差は歴然だ。もはやここにいるレオニア兵だけで戦局を覆すのは不可能だった。事態を打開するためには相手を上回る兵力が必要だ。そのような兵力、今のレオニアには無い。そう思われた。ところが。

 

「――援軍だ! 北から、援軍が到着したぞ!!」

 

 声が響いた。敵味方入り乱れているため、もはや誰の声かも判らない。それでも、北からの援軍ならば味方に違いない。ダマス城を護るイスファスの部隊だろうか? ノルガルドとの国境は大丈夫なのか。いや、今は北の守りを捨ててでもこの聖都を守ることが重要だ。とにかく、この戦況を覆さなければ。

 

 北から駆け付けた大軍が、エストレガレス軍とぶつかった。エストレガレスにも劣らぬ数だ。これならば、十分に敵を押し返せる、そう思った。

 

 だが、援軍に駆け付けた部隊を見て、キルーフは戦うことも忘れて呆然と立ち尽くす。

 

「なんだ……この部隊は……」

 

 駆けつけた兵は皆、鎧の上に厚手の毛皮の外套をまとっていた。明らかに、レオニア兵の格好とは違う。兵の他に騎士が召喚したモンスターもいるが、その中には、ヘルハウンドやデーモンといった、レオニアでは召喚できないモンスターの姿もある。

 

 そして、各部隊が掲げている旗は、レオニアのものではなかった。

 

 ――これは……ノルガルド軍か!?

 

 間違いない。援軍が掲げている旗はノルガルドのものだ。しかし、なぜ敵であるノルガルド軍がここに? 北から侵攻されたのだろうか? それにしては首都への到達が早すぎるし、ノルガルド軍はレオニア兵には手を出さず、エストレガレス兵ばかりと戦っている。

 

 戸惑うキルーフの側に、銀髪の男が立った。

 

 髪と同じく銀に輝く鎧に身を包み、その上にひときわ豪華な毛皮の外套を羽織っている。背はキルーフよりも一回り高く、手にしている槍斧(そうふ)は身の丈を越えている。

 

 その顔、半年前の会合で一度見ただけだが、忘れるはずがない。

 

「――てめぇは、白狼!!」

 

 キルーフが叫んだ。まぎれもなく、ノルガルドの白狼王こと、ヴェイナードである。

 

 ヴェイナードは横目でキルーフを見ただけだった。手出しをしない――というよりは、興味が無いという態度だった。

 

 エストレガレス軍とノルガルド軍の戦いは続いている。最初は戸惑っていたレオニアの兵も、我に返り、敵と戦う。

 

 だがキルーフは、戦うことも忘れ、鋭い目でヴェイナードを睨みつける。「なんでてめぇがここにいる? なんで俺たちを助けるんだ」

 

「予は、女王リオネッセからこの国を委ねられた」ヴェイナードは静かに言った。

 

「な……何を言ってやがる……」

 

「この国はノルガルドに併合される。もう、この国はレオニアではない、ノルガルドだ」

 

「なんだと! ふざけんな!」

 

「リオネッセが希望したことだ。民を救うためにな」

 

 ギリギリと奥歯を噛むキルーフだが、はっとした表情になった。

 

「てめぇ……リオネッセはどうした……」

 

 怒りを抑える声。

 

 ヴェイナードは応えない。氷のような目で、戦況を見つめている。

 

「答えろ!! リオネッセをどうしたんだ!!」

 

 斧を振り上げた。

 

「リオネッセは、予と共にノルガルドを統治することになる」ヴェイナードは抑揚のない声で言う。

 

 キルーフの斧が止まった。「どういう意味だ!」

 

「リオネッセは、レオニアと共に予が貰い受ける。リオネッセは――予の(きさき)となる」

 

 それを聞いたキルーフの手から、斧が滑り落ちた。

 

 ――リオネッセが、白狼の后になる?

 

 何を言っているのか理解できない。できるはずもない。

 

 リオネッセの顔が思い浮かぶ。

 

 幼い頃からずっと一緒だったリオネッセ。女王となり、騎士となった後もずっと一緒だったリオネッセ。これからもずっと一緒だと思っていたリオネッセ。

 

 そのリオネッセが、ヴェイナードの、后になる――。

 

「……ふざけんな……」

 

 キルーフは、斧を拾うのも忘れ。

 

「ふざけんな!!」

 

 拳で、ヴェイナードに殴りかかった。

 

 だが、その拳が止まる。

 

「――リオネッセは、自国の力ではレオニアを守れぬと判断したゆえに、予に助けを求めたのだ。恨むのならば、己の力の無さを恨むのだな」

 

 白狼に、そう言われたから。

 

 返す言葉は無かった。

 

 今の戦況が、白狼の言葉の正しさを物語っている。

 

 エストレガレスの侵攻を許し、首都陥落寸前まで追い込まれた。ノルガルドの援軍が無ければ、レオニアは滅亡していたであろう。レオニアに、帝国の侵攻を止める力は無かった。

 

 そして。

 

 その原因は、自分にあるのかもしれない。

 

 リオネッセは、国を守るため、民を守るため、日々努力をしていた。政務を行うかたわらで、魔法を習い、訓練にも積極的に参加し、女王の身でありながら戦場に立つ覚悟さえあった。

 

 それに比べ、自分は、何をしてきたのだろう。

 

 真面目に訓練をしなかった。『戦いは力』――その言葉に逃げ、アスミットの教える戦術を理解しようともしなかった。その『力』さえ、自分は持っていなかった。なのに、いつかは大陸一の騎士になると、口ばかり達者だった。そんな時間は、この国には残されていなかったのだ。

 

 だからリオネッセは――白狼を選んだのだ。

 

 無力な自分よりも、力のある白狼を選んだのだ。

 

 自分は、リオネッセから見捨てられたのだ。

 

 そう思えて、仕方が無かった。

 

 キルーフは、言葉にならない咆哮と共に、白狼に殴りかかった。

 

 自分に力が無いことの悔しさを、リオネッセに見捨てられた悔しさを、リオネッセを奪われた悔しさを。

 

 全ての悔しさを、拳に込めた。

 

 だが、その拳が白狼に届くことはなく。

 

 後頭部に激しい痛みが走った。

 

 目の前が一瞬真っ暗になった。意識を失う。だが、すぐに鼻を殴られたような衝撃があり、痛みで意識を取り戻した。口の中に土の味が広がる。目を開けると、地面に這いつくばっていた。後ろから、誰かに殴られたと判った。

 

「――陛下、お怪我はございませぬか」

 

 ヴェイナードと同じく銀髪に銀の鎧、そして、厚手の外套をまとった騎士が現れた。

 

「グインか――」ヴェイナードが言った。「予は問題ない」

 

 グインと呼ばれた男は王に頭を下げた後、地面に這いつくばるキルーフを見た。「この国はすでにノルガルド、よって、そなたはノルガルドの騎士だ。故に、今の貴様の行為は反逆罪となる」

 

 グインは部下に向かって、「反逆罪だ! すぐにこの者の首をはねよ!」と命じた。

 

「構うなグイン。今は目の前の敵に集中しろ」ヴェイナードは槍斧を構えた。「相手は四鬼将だ。油断するなよ」

 

「御意」

 

 グインも、腰に携えた剣を抜いた。

 

 二人は、戦列に向かってゆく。

 

「……待て……行かせるかよ……」

 

 キルーフは、震える足で立ち上がり、手を伸ばした。

 

「……リオネッセを……返せ……」

 

 だが、その手が届くことはなく――。

 

 

 

 

 

 

 キルーフは、再び意識を失った。

 

 

 

     ☆

 

 

 

 聖王暦二一五年九月下。

 

 

 

 宗教国家レオニアは、南よりエストレガレス帝国の侵攻を受ける。

 

 エストレガレス軍は聖都ターラまで侵攻。王城は陥落寸前まで追いつめられるも、北の大国ノルガルドの援軍により、かろうじて持ちこたえる。

 

 エストレガレス帝国は背後をイスカリオに攻められたため、アスティンまで後退した。

 

 

 

 その後、レオニアはノルガルドに併合され、女王リオネッセは、ノルガルド王ヴェイナードの后となる。

 

 

 

 聖王暦二一五年十月。

 

 

 

 レオニアは、事実上滅亡した――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十話 エスメレー 聖王暦二一五年十月上 エストレガレス帝国/リドニー

 エストレガレス領リドニー要塞内は、兵達の噂話でもちきりだった。

 

 

 

「――おい。今日から、新しい指揮官が入るんだってな」

 

「ああ。南部での戦闘が激しくなってるから、四鬼将をはじめ、主要な騎士様は、みんなそっちに送られたらしい」

 

「陛下は……ゼメキス皇帝はどうしてるんだ?」

 

「陛下はオークニー奪還へ向かったそうだ。西方面も、予断を許さない戦況だからな」

 

「おいおい、大丈夫なのか、この城は? 対岸のジュークス城には、十万のノルガルド兵が集まってるって話じゃないか。いま攻められたら、ひとたまりもないぞ」

 

「仕方ないだろう。ゼメキス陛下の部隊だって、十分な兵力とは言えないんだ。七万の兵で護ってるオークニーを、五万の兵で落としに行ったんだぞ? しかも、同行したのは新米騎士二人だ」

 

「本当か? オークニーの兵を指揮しているのは、アルメキア時代の軍師モルホルト様らしいじゃないか」

 

「モルホルトはノルガルドに寝返ったんだ。様なんてつけなくていい」

 

「ああ、すまん」

 

「結局、どこの部隊も人手不足なんだな、この国は」

 

「よその心配はいい。いま俺たちにとって重要なのは、このリドニーの護りだ」

 

「新しい指揮官、チラッと見たが、なんか暗そうな女だったぜ? 大丈夫か? あんな人が指揮官で」

 

「バカ! 誰だと思ってるんだ。ゼメキス陛下の奥様、つまり、この国の王妃様だぞ」

 

「げ? じゃあ、あれがエスメレー様。もっと勇ましい人だと思ってた」

 

「まあ、エスメレー様なら安心だ」

 

「なぜだ? ああ見えて、結構強いのか?」

 

「強いのかどうかは判らんが、エスメレー様はノルガルド王ヴェイナードの実姉だ。簡単には攻めてこれんだろう」

 

「なるほど。まさか陛下は、それを狙って?」

 

「間違いないだろうな。自分の妻さえも、戦いの道具としか思ってないんだろう。まあ、陛下らしいと言えば陛下らしいが」

 

「でも、大丈夫なのか? もしエスメレー様がノルガルドに寝返ったりしたら……」

 

「判らんが、陛下の決断だからな。大丈夫なんじゃないのか?」

 

「なぜそう思う?」

 

「エスメレー様は、前年のノルガルドとの講和の際に差し出された、いわば人質だ。エスメレー様にしてみれば祖国に裏切られたようなものだろう。案外、白狼王を恨んでいるのかもしれん」

 

「なるほど。確かに、陛下がクーデターを起こした日、混乱に乗じて逃げることは可能だったのに、全く逃げようとしなかったからな」

 

「祖国には人質として差し出され、陛下からは戦いの道具として使われるってわけか。エスメレー様も、可哀相だな」

 

 

 

      ☆

 

 

 

 エスメレーは城の屋上から川の向こう岸を見ていた。川の先は、祖国ノルガルドだ。

 

 前年のいくさで旧アルメキアに敗れたノルガルドは、戦死した前王ドレミディッヅに代わってヴェイナードが新たな王となった。そして、講和の際、王の親族を人質として差し出すという条件を突きつけられた。ヴェイナードはこれに応じ、姉のエスメレーを差し出した。

 

 エスメレーは今、エストレガレスの騎士として――そして、皇帝ゼメキスの妻として、祖国と対峙している。

 

 兵達の噂話は聞こえてくる。ノルガルドの情勢も耳に入っている。対岸のジュークス城には多くの兵が集まっており、このリドニーに侵攻してくるのは時間の問題だ。その軍を指揮するのはヴェイナードだろう。ノルガルドにとって、リドニーは帝国の王都ログレスへ侵攻するための大きな足掛かりとなる。絶対に避けては通れない戦いだ。そんな重要な戦いを、ヴェイナードが部下に任せるはずはない。リドニーに姉がいたとしても、容赦なく攻めて来るだろう。姉と弟が再会するのは、間違いなく戦場だ。

 

 だが、それも。

 

 ノルガルドを出た時から、覚悟していたことだった。

 

 エスメレーも。そして、ヴェイナードも。

 

 その覚悟は、今も変わらない。

 

 エスメレーは、()()()の祖国を見つめ、

 

 

 

 ――これも、運命(さだめ)

 

 

 

 胸の奥で呟いた。

 

 

 

 北から風が吹き渡った。冷たい風だ。夏は終わり、エストレガレスで最も北に位置するこの地域では、すでに木々の葉が色づき始めている。

 

 

 

 間もなくこの国は、冬を迎える。

 

 

 

 

 

 

 (第二部 終わり)

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三部
第五十一話 ゼメキス 聖王暦二一五年一月下 アルメキア王国/ジュークス城


 聖王暦二一五年一月下――ゼメキスがクーデターを起こす前月。

 

 

 

 

 

 

 アルメキア領ジュークス城内にある会議室には、王国軍総帥ゼメキスと、彼の側近であるカドールとシュレッド、そして、彼らの直属の部下である騎士が数名、円卓の席に着いていた。卓上には、数時(すうとき)前王都ログレスから届いた報告書がある。カドールがログレス王宮内に潜り込ませている間者から送られたもので、短い文章でこう記されてあった。

 

 

 

『王ヘンギスト、総帥捕縛の令を出すこととしたよし。罪状は反逆罪』

 

 

 

 部下の騎士の一人が、拳を机に打ちつけた。「愚かな! ゼメキス閣下は、これまで誰よりもアルメキア王国のために戦い、多くの勝利と栄光を王に奉げてきた! それが反逆罪だと!? あの愚王は、いったい何を考えている!!」

 

「ヘンギスト陛下の側近には、閣下の地位と権勢を妬む者が多いですからな」別の部下が、落ち着いた口調で言う。「そやつらの妄言に惑わされたのでしょう。まったく、なげかわしいことだ」

 

「落ち着いている場合ではない! このままでは、閣下は処刑されてしまうやもしれぬのだぞ!!」

 

 誰よりも国に尽くしたはずのゼメキスが、いわれのない罪で処刑される――不条理な話だが、現在のアルメキアでは、こんなことがまかり通るのだ。この十年、アルメキアでは反逆罪で捕縛され処刑、もしくは国外へ追放される者が後を絶たない。それも、古くからアルメキアに仕え、忠誠心厚き者ばかりである。証拠が出ないため真相は定かではないが、恐らくは全て濡れ衣であり、王宮内での権力争いの結果であろう。真に忠義の厚い家臣の進言には聞く耳を持たず、世辞と賄賂でしか世を渡る術のない愚臣共の話ばかり信用する王の姿は、容易に想像することができた。

 

 ゼメキスは、目の前の報告書をじっと見つめていた。怒りは沸いてこなかった。むしろ、呆れる他ない。愚かな王だと思っていたが、ここまで愚劣を極めているとは思わなかった。いま軍総帥であるゼメキスを処刑などすれば、アルメキア軍は機能しなくなる。その隙に北のノルガルドが侵攻して来たら、いったいどうするつもりなのか? 王都に引きこもっていれば安全などと考えているのであろうか。一年前、ノルガルドはアルメキアとの戦争に敗れた。ゆえに王達は、ノルガルドを「アルメキアよりもはるかに劣った国」と認識しているのかもしれない。とんでもない思い違いだ。ノルガルドの軍力は、決してアルメキアに劣るものではない。特にこの一年の間に飛躍的に武力を伸ばしている。隙あらばいつでもアルメキアを攻める準備ができているとの情報は、ゼメキスの耳にも入っている。攻めてこないのは、国境の城であるこのジュークスにゼメキス自ら入り、睨みを利かせているからだ。彼が少しでも城を離れれば、この城はたちまちノルガルドの手に落ちるであろう。ましてゼメキスを処刑するなど愚の骨頂だ。あらぬ罪で総帥を処刑などすれば、アルメキア軍が内部崩壊するのは目に見えている。そうなれば、この国は半年も持つまい。

 

 ――俺は、何のために昨年のいくさで勝利したのであろうな。

 

 一年前のノルガルドとの戦闘を思い出す。このいくさで、ゼメキスは当時のノルガルド王ドレミディッヅを討ち、講和の末、このジュークス城をアルメキアの領土とした。それも、今は虚しく思える。

 

 ゼメキスは、その場の誰も気付かぬほど、小さく苦笑した。

 

 昨年のノルガルドとの戦いは、アルメキア国内においては、国境の小競り合い程度の認識でしかない。

 

 しかし、実際は薄氷の上で戦うような、極めて危険ないくさだった。

 

 ノルガルドの前王ドレミディッヅはいくさ好きであり、王宮よりも戦場に身を置く時間の方が多い男だった。そのドレミディッヅが、兵十万を率い、アルメキアとの国境に迫ったのである。迎え撃つアルメキア軍を率いたのはゼメキスだが、与えられた兵はわずか二万であった。ゼメキスは何度も王都に援軍を要請したが、全て王の命により却下された。いかにゼメキスが軍総帥であろうと、王の命に背いて兵を動かすことはできない。当時のアルメキアとノルガルドの国境に位置するリドニー要塞は、フォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川の中州に建てられた天然の要塞だ。極めて守りは堅いが、それでも、五倍の兵力差を覆すのは不可能であった。リドニーの南はすぐに王都ログレスである。つまり、リドニーの陥落はアルメキア滅亡に直結する危険があるのだ。にもかかわらず、なぜ王は援軍をよこさないのか。恐らく王は、このいくさでゼメキスを葬ろうと考えているのだろう。仮に生き延びたとしても、リドニーが陥落すればその責はゼメキスが負うことになる。良くて失脚、おそらくは処刑されるであろう。

 

 ならば、勝つより他にない。

 

 ゼメキスは五倍の戦力差を跳ね返すため奇策に出た。リドニーでの守りを捨て、砦の外へ打って出たのである。

 

 この奇策に、ノルガルド軍は大いに混乱した。難攻不落のリドニー要塞を捨て、ゼメキス自ら攻めてくるなど思ってもいなかったのである。ゼメキスは自ら先頭に立ち、敵軍内に突撃した。もとよりゼメキスの軍は策よりも武力に頼った戦いを得意とする。奇襲による一点突破の力は大陸一と言って良い。その突破力を駆使してノルガルド軍の中枢に迫り、ドレミディッヅとの一騎打ちを要求したのである。

 

 見え透いた挑発だ。賢明な将ならば、応じるはずもない。

 

 だが、この挑発に、ドレミディッヅは応じた。

 

 ゼメキスは激しい一騎打ちの末、ドレミディッヅを討ち取った。

 

 そして、王を失い混乱状態にあるノルガルドに停戦を持ちかけたのだ。ノルガルドはこれに応じ、その後の講和の末、国境の城ジュークスをアルメキアに差し出したのである。

 

 こうして、ノルガルドとのいくさは、どうにかアルメキア側の勝利で終わった。だが、極めて危険な賭けであったことは間違いない。ドレミディッヅが一騎打ちに応じなかった可能性もあるし、一騎打ちでゼメキスが敗れたことも十分考えられたし、王を討たれ逆上したノルガルドが徹底抗戦の構えを見せる可能性も高かった。どこかひとつでもしくじっていれば、いまアルメキアは存在しなかったかもしれない。

 

 そう。

 

 昨年のノルガルドとのいくさは、国境沿いの小競り合いなどではなく、国の存亡に関わる極めて危険な戦いだったのである。

 

 無論、愚王ヘンギストがそのことを理解するはずもない。むしろ彼は、この結果に怒りを爆発させた。

 

 ヘンギストはゼメキスが独断でノルガルドと講和を結んだことを命令違反とし、罪に問うため王都へ呼び戻そうとした。だがゼメキスはこの指令を無視し、ジューク城へ留まった。王都に戻れば捕縛されるのは目に見えていたし、何より、ゼメキスが国境を離れれば、ノルガルドの侵攻を許してしまう可能性が高いからだ。

 

 ヘンギストは何度も帰還命令を出したが、ゼメキスはことごとく無視し、国境へ留まり続けた。最終的にヘンギストは暗殺部隊をも差し向けて来たが、ゼメキスはこれをも撃退する。

 

 そして、ついに。

 

 ヘンギストはゼメキスの度重なる命令違反を反逆罪とし、処刑する命を下そうとしているのである。

 

 ゼメキスは卓上の報告書をじっと見つめる。この報告書はカドールの放った間者が得た情報であり、捕縛の命は、まだ正式には下されていない。だが、それも時間の問題であろう。そして、ひとたび捕縛の命が下れば、王の近衛兵団はもちろん、王宮の魔術師団や神官騎士団もゼメキスを捕えに来る。これらの兵はそれぞれ独立した部隊であり、ゼメキスの指揮下には無いのだ。無論、王命とあらばアルメキア軍に属する騎士たちも従わなければならない。ゼメキスを(かくま)いなどすれば、王命に背いたとして、その者も反逆罪に問われてしまう。

 

 ――まさか、このような最期を迎えることになろうとはな。

 

 ゼメキスは再び苦笑する。十五歳で初陣を飾り、以後二十年もの間戦場に身を置き、国のために戦い続け、軍総帥にまで上り詰めた。王に尽くしてきたとは言い難いが、アルメキアという国には尽くしたつもりだ。それが正しいと思っていた。だが、この国の王はゼメキスを反逆者とした。そのような愚王に仕えていた自分もまた愚かだったということかもしれない。

 

「……死を以って償わせるほかありますまい」

 

 低い声で言ったのは、ゼメキスの右側に座るカドールだった。ゼメキスの腹心であり、大陸最“凶”のデスナイトと呼ばれる騎士である。

 

 その場にいた者の視線が、一斉にカドールに集まった。死を以って償わせる――誰もがその言葉の真意を測りかねていた。カドールの表情を窺うことはできない。この男は、戦場を離れても悪魔の骨面を外すことは無い。

 

「貴様、それはどういう意味だ」カドールの言葉に反応したのは、ゼメキスの左側に座るシュレッドだった。ゼメキスの側近の一人であり、彼の下で最も長く戦ってきた騎士である。

 

「言葉通りよ。このような愚かな命を下す王を、生かしておくわけにはいかぬ」

 

 そう言うと、カドールは視線をゼメキスへ向けた。「閣下。御決断を」

 

 シュレッドは椅子を倒す勢いで立ち上がった。「カドール! 貴様、本当に反乱を起こせと言うのか!?」

 

 カドールは視線を再びシュレッドに向ける。「他に道は無い」

 

 シュレッドはギリギリと奥歯を噛んだが、それ以上カドールには何も言わず、代わりにゼメキスを見た。「ゼメキスよ。この男の言うことに耳を傾けてはならぬぞ。反乱を起こすなど、破滅の道以外の何ものでもない!」

 

「では、そなたはどうすれば良いというのだ?」カドールがシュレッドに問う。

 

「これ以上あの愚王に付き合う必要は無い。今こそこの国を捨て、他国へ仕官すべきだ」

 

 この言葉に、今度はカドールが立ち上がった。「バカな! 貴様は閣下に、敵に背を向けて逃げよというのか!?」

 

 カドールとシュレッドが睨み合う。側近二人の対立を、他の騎士は見ていることしかできない。この二人が対立することは珍しくない。ゼメキス同様武力に頼り敵を蹴散らす戦いを得意とするカドールに対し、シュレッドはその強面と剛腕からは想像もつかないほど慎重に戦況を見極め戦う騎士である。長くゼメキスと共に戦ってきたため、彼とは正反対の戦い方を身に着けたのだ。よって、カドールとシュレッドが対立することはよくあることだった。このような場合は、やはりゼメキスが決断することになる。

 

 反乱か亡命か……ゼメキスは目を閉じ、二人の言葉を吟味する。

 

 ――反乱を起こしたところでどうなる? このジューク城に駐屯している兵が全て俺に就いたとしてもわずか二万。王都ログレスには、王ヘンギストの近衛兵に加え、王太子ランスの親衛隊、魔術師団、神官騎士団も駐屯している。それだけでも兵は十万を超えるはずだ。王都には総帥指揮下のアルメキア兵も駐屯しているが、王命に背くとは思えない。反乱など起こせば、アルメキア軍の大部分もヘンギスト側に就くだろう。近隣の都市や城からも兵を集めれば二十万規模になる。到底覆せる数ではない。奇襲を仕掛けたとしても、せいぜい王宮に突入するまでだろう。シュレッドの言う通り、これは破滅の道だ。ならば、シュレッドの言う通り国を捨てるか? 反逆者となった俺を受け入れる国などあるはずがない。事実上アルメキアの属国であるパドストーとカーレオン、敵国であるノルガルドはもちろん、レオニアやイスカリオも俺を受け入れまい。反逆者を(かくま)えば、それを口実に侵略される危険があるのだ。では、国を捨て、仕官もせず、人知れず静かに暮らすか。そんなことは論外だ。戦場で生まれ育った俺にとって、戦場から離れるのは死と同義だ。

 

 つまり。

 

 もはやゼメキスの前に、生き残る道は残されていないのだ。

 

 実にくだらない結末だ。このような最期を迎えるなど、思ってもみなかった。ゼメキスは死を恐れてなどいない。常に戦場に立ち続けてきたがゆえに、常に死を覚悟していた。戦場で死ぬのならば本望であった。それが、王宮内のくだらぬ権力争いに巻き込まれて死ぬなどあり得ない。

 

 だが、それが目の前に突き付けられた現実だった。一体どこで道を誤ってしまったのか。常に戦いを求め、勝ち続けた道が間違いだったとは思えない。ならば、最初から間違いだったのだ。仕える王を誤った。ただそれだけに過ぎない。

 

 ゼメキスの心は決まった。

 

 これ以上あの愚王に付き合う必要は無い――シュレッドの言葉は正しい。この国を捨て、別の王に仕えるべきだ。ゼメキスは他国に受け入れられないだろうが、部下達は違う。捕縛の命が下るのはゼメキスだけだ。ならば、部下達だけでも国外へ逃がすべきだ。自分の命と引き換えにしてでも。

 

 ゼメキスは目を開けた。

 

 その時だった。

 

 会議室の扉が静かに開き、カドール配下の騎士が入って来た。メルトレファスという名の男だ。ゼメキスに向かって一礼した後、カドールになにやら耳打ちをした。

 

 カドールは「そうか――」とつぶやくように言い、ゼメキスを見た。「閣下、準備が整ったようにございます」

 

「準備、だと……?」それまでずっと沈黙を守ってきたゼメキスだったが、カドールの思わぬ言葉に問い返す。

 

 カドールは「はい」と頷くと、扉の方を向いた。「入るが良い」

 

 再び扉が開き、三人の男が中に入って来た。深い青の法服に身を包んだ男と、銀の鎧に身を包んだ男、そして、腰に異国の剣・カタナを携えた年配の男だ。その顔触れを見て、円卓を囲む騎士たちがざわめいた。ゼメキスも、大きく目を見開き、驚きの表情で男たちを迎える。

 

 男たちはゼメキスの前に立ち、右拳を握って左胸に当てる。そして、真ん中の男――深い青の法服に身を包んだ男が、一歩前に出た。

 

「――魔術師団長・ギッシュ、及び、神官騎士団長ローコッド殿、そして、アルメキア騎士団剣術指南役エスクラドス殿、以上三名、それぞれの部隊を率いて、ゼメキス閣下と共に戦う所存にございます」

 

 魔術師ギッシュの言葉に、騎士たちは大きくどよめいた。今の彼の言葉は、王都ログレスに駐屯する兵の内、魔術師団と神官騎士団がゼメキス側に就いたことを意味する。さらに、エスクラドスが味方に就いたことで、ゼメキスと声を合わせればアルメキア軍の多くが従うだろう。エスクラドスは、かつてアルメキア軍に属し、『剣聖』と謳われるほどの剣技で大陸中に名を轟かせた騎士だ。現在は前線を離れ、王宮内で騎士や兵へ剣術指南をしている。軍全体への影響力は、いまだ衰えていない。

 

 つまり。

 

 これで、アルメキア王国を構成する五つの部隊の内、アルメキア軍、魔術師団、神官騎士団の三つの勢力がゼメキスに側に就いたことになる。敵は、王ヘンギストの近衛兵団と、王太子ランスの親衛隊のみ。どちらも他の部隊と比べて兵の数は圧倒的に少なく、恐らく一万にも満たないであろう。無論、近衛兵団と親衛隊以外にも王や王太子に忠誠を誓いゼメキス側と戦う者もいるだろうが、それでも、兵力は完全に逆転している。これならば、王都を落とすことなど訳も無い。

 

 だが、解せない。なぜこの三人が、ゼメキスに味方するのか?

 

「……貴様ら、これはどういうことだ?」ゼメキスは、鋭い目でギッシュたちを睨んだ。

 

「これ以上あの愚王を王座に据えておく理由はありませぬ」ギッシュが答える「あのような者が王では、遠からずこの国は亡びましょう」

 

「そして――」神官騎士団長のローコッドがギッシュの言葉を引き取るように言う。「現在のアルメキアにおいて、次の王にふさわしいのは、ゼメキス閣下以外におりませぬ」

 

 続いて、エスクラドスが口を開く。「わしはそなたが王にふさわしいなどとは思わぬが、あの愚王を斬るのであれば、喜んで手を貸そう」

 

 エスクラドスは齢五十を超え、アルメキア内では最も古参の騎士だ。ゆえに戦友も多かったはずだが、そのほとんどが、今回のゼメキスのように王宮の謀略にはまり、処刑されたか国を追われている。

 

「閣下、御決断を」最後にカドールが言う。「閣下ならば、必ずやこの国にふさわしい王になりましょう」

 

 ――この俺が、王だと?

 

 胸の奥から笑いが込み上げてきた。こらえきれず、ゼメキスは笑った。最初は小さな笑いだったが、やがて部屋中に響く笑い声になった。

 

 俺が王になる――これが笑わらずにいられるだろうか? 戦うことしか知らなかったこの俺が、王に? そのようなこと、考えたこともなかった。権力を欲したことなど無い。総帥になったのは、ただ戦い勝ち続けた結果だ。王位など、興味も無い。

 

 だが。

 

 それも、悪くない。

 

 これまでの人生の大半を戦場で生きてきた。戦いを捨てることも、戦わずに死ぬことも、どちらもあり得ない。ならば戦い続けるしかない。たとえその先に、何が待っていようとも。

 

 ゼメキスは笑うのをやめ、カドールを見た。「よかろう。カドールよ、その話、乗ってやる」

 

「御意――」カドールは右の拳を握り、左胸に当てた。

 

 続いて、ゼメキスはギッシュたちを見た。「貴様ら、誰に()()()()()()()のかは知らんが、やるからには最後まで付き合ってもらうぞ」

 

「最後まで……?」ギッシュは小さく首をかしげた。「もちろん、閣下が王となられた後も、我らは家臣として、閣下を支えていく所存にございます」

 

「たわけが! ()()がそれだけで終わるはずなかろう!!」

 

 雷鳴のようなゼメキスの声に、多くの騎士が首をすくめた。

 

「そ……それでは……最後までというのは……いったい……?」

 

 ゼメキスは椅子から立ち上がった。「――俺がこの国の王となり、そして、パドストー・カーレオン・ノルガルド・レオニア・イスカリオの周辺五国を全て滅ぼし、大陸全土を制圧するまでだ!!」

 

 大陸全土の制圧――ゼメキスの言葉に、会議室内は大きくどよめいた。

 

 ゼメキスは続ける「()()はヘンギストを倒し、国を乗っ取るだけでは決して終わらぬ! 反乱など起こせば、アルメキアと同盟国であるパドストーとカーレオンは黙っていない。必ず制裁行動に出るだろう。この二国との戦争になれば、その隙を突いてノルガルドも攻めてくる。そうなれば、イスカリオやレオニアも静観してはいられぬ。判るか? 俺がヘンギストを討つことで、大陸全土を巻き込んだ戦乱となるのだ! 生き残るためには、このフォルセナ大陸全土を統一するより他に道は無い!! 途中で降りることは、決して許されぬぞ!!」

 

 ゼメキスの言葉に、ギッシュたちの顔に戸惑いが浮かぶ。フォルセナ大陸の統一――そんなことは、二百年の歴史の中で一度も実現していない。それは聖王暦以前の話で、もはや神話である。

 

 だが、ギッシュ達はすぐに表情を引き締めた。「無論です! 我らは今より閣下の駒となり、必ずや勝利を奉げましょう!」

 

「ならば、貴様らはすぐに王都へ戻り、準備を整えよ! 我らもすぐにログレスへ帰還する。その夜が決行の日だ!!」

 

「ゼメキス! 考え直せ!」シュレッドが両手で机を叩いた。「大陸全土を巻き込む戦乱を起こすなど、正気か!? いや、それ以前に、これこそがヘンギストの仕掛けた罠かもしれぬのだぞ!? 貴様を王都へ呼び戻すための!」

 

「罠ならばそれでもかまわぬ。俺は座して死を待ちなどしない。たとえ罠であったとしても、最期の最期まで戦い続けるのみ!」

 

「しかし――!」

 

 シュレッドの言葉は、もうゼメキスには届かない。

 

「カドール! 全軍に召集をかけよ! 王宮内でぬくぬくと過ごしてきたブタどもに、我が力、思い知らせてくれるわ!!」

 

「御意!!」

 

 ゼメキスの号令で、カドール達は、一斉に行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 騎士たちが去った会議室で、ゼメキスは――。

 

 

 

 ――例え戦乱の世となり、この大陸全てを焼き尽くすことになろうとも、俺は鬼となって戦い続けよう。そして必ずや、覇王とならん!!

 

 

 

 胸の奥で決意した。

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一五年二月上。アルメキア軍総帥ゼメキスは、王都ログレスにて、王ヘンギストへ反乱を起こす。

 

 この反乱には、アルメキア軍だけでなく魔術師団と神官騎士団も味方し、ログレス王宮は一夜にして制圧された。

 

 ゼメキスは王太子ランスこそ取り逃がしたものの、王ヘンギストをはじめとするアルメキアの重臣達をことごとく討ち、国の実権を握った。

 

 建国以来二百年以上続いたアルメキア王国は一夜にして滅亡。ゼメキスは『エストレガレス帝国』の樹立を宣言し、周辺国へ次々と宣戦布告、進軍を始めた。

 

 

 

 

 

 

 こうして、大陸全土を巻き込む大戦は、幕を開けたのである――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十二話 ヴェイナード 聖王暦二一五年十月上 ノルガルド/フログエル

 フログエル城の政務室にて、白狼王ヴェイナードは各地より集まってくる報告書に目を通していた。毎日行っている政務であるが、先日のレオニア併合以降、寄せられる報告書の数は倍以上になった。それに比例し、行わなければならないことも増えている。併合後のレオニア国内の様子や他国の動きの把握、レオニアに属していた騎士たちの処遇、女王リオネッセとの婚礼の儀式の準備もしなければならない。どれも重要な仕事だが、現在のノルガルドにとって最も重要なのは食糧の確保だった。

 

 寒冷地であるノルガルドは食糧生産力に乏しく、国中で慢性的な飢えに苦しんでいる。特に今年は、昨年夏の時ならぬ寒波による農作物の不作が大きく影響し、地方の貧しい地域は深刻な飢餓状態になっていた。今回のレオニアの併合により国の食糧事情は大きく改善される見込みだが、それでも、栄養充足値は十分ではなかった。

 

 栄養充足値とは、人が生きていくのに最低限必要な栄養を得ている状態を一〇〇とし、各国や地域でどれだけ栄養の過不足があるかを数値化したものである。この数値が一〇〇を上回れば十分な食事が得られており、逆に一〇〇を下回れば飢えているということだ。併合後、レオニアの食糧事情を考慮し最新の栄養充足値を計算したが、いまだ国全体で九十に満たない状況である。併合前が六十前後であったことを考えると大きな改善ではあるが、まだまだ十分とは言えない。レオニアは豊かな土地ではあるが、宗教国家であるがゆえに『贅沢は悪である』との考えが国中に根付いており、余分な食糧は生産しない傾向にあるのだ。今後各地の食糧生産量を見直すことでかなり改善される見込みだが、当然、結果が出るには時間がかかる。すぐそこにまで迫っている冬を乗り切るためには、更に領土を広げる必要があるだろう。

 

 一通り報告書に目を通したヴェイナードは、机上にフォルセナ大陸の地図を広げた。レオニア併合により、既に大陸の三分の一がノルガルドの領土となっている。国土が広がったことで様々な方向から他国へ侵攻できるが、逆に侵略される危険も増している。これより先は、より慎重に兵を動かさなければならない。

 

 ヴェイナードはまず大陸東部を見た。現在は旧レオニア領のハドリアンまでがノルガルドの領地である。その南西には現在エストレガレス帝国領となったアスティンがあるが、現時点でこれ以上進軍するのは得策とは言えなかった。アスティンは北にカーナボン、西にソールズベリー、南にザナスとブロセリアンデ、そして東のハドリアンと、五つの拠点と隣接している。仮にアスティンへ侵攻し制圧できたとしても、その後の防衛は熾烈を極めるだろう。無理に侵攻し無駄に兵を消費するよりも、現在のハドリアンに留まって防衛に徹する方が賢明だ。ハドリアンは南北を険しい崖に挟まれた天然の要塞で、極めて守りに強いのだ。

 

 続いてヴェイナードは大陸の西部に目を向けた。西部は現在西アルメキアとエストレガレス帝国が戦闘を繰り広げている。二国の戦況は帝国が極めて有利だ。開戦早々帝国のデスナイト・カドールが西アルメキアの重要拠点であるキャメルフォードを落としたため、西アルメキアは喉元に刃を突きつけられたような状態なのだ。これはノルガルドにとっても侵略の好機だ。キャメルフォードを落とされた西アルメキアは、北の砦ゴルレが完全に孤立してしまっている。援軍や物資の補給ができないため、ゴルレを落とすのは容易だろう。

 

 しかし、現時点でゴルレを落とすのは避けた方が良いというのが、軍師グイングライン及びモルホルトの見解だ。ゴルレは西アルメキア内で最も北部にある都市だ。この地域に限って言えば、食糧生産力はノルガルドとあまり変わらない。食糧確保を第一優先とするならば、いまゴルレを制圧する利は少ないであろう。開戦後、ノルガルドと西アルメキアはまだ刃を交えておらず、両国とも敵対の意思は見せていない。無論、同盟を結んでいるわけではないので油断は禁物であるが、現在の状況で西アルメキアから攻めて来るとは考えにくい。ならばこちらからかあえて刺激することは避け、中央部の戦闘に専念すべきだ、というのが二人の軍師の意見だった。

 

 最後にヴェイナードは中央部に目を向ける。開戦以降ノルガルドと帝国は激しく火花を散らしているが、戦況はノルガルド側に有利だと言って良いだろう。特に、旧アルメキアから亡命してきたモルホルトの活躍により、早期にオークニーを占領できたのが極めて大きい。また、南部で魔導国家カーレオンがソールズベリーを落としたことも、少なからずノルガルドに影響を与えている。ソールズベリーもオークニーも帝国にとっては極めて重要な拠点であり、この二城を失ったことで、帝国は敵国との隣接拠点が多くなった。そのため、各地へ兵力を分散させざるを得ないのだ。帝国軍は、かつて大陸最強を誇ったゼメキス軍を中心としており、現在でも極めて強大な武力を有しているが、その高い武力を分散せざるを得ない現状は、ノルガルドにとって極めて好機だ。この機を逃さず一気に帝国へ侵攻すべきであろう。

 

 その足掛かりとなるのは、やはりノルガルド領ジュークスの南にあるリドニー要塞だ。

 

 リドニー要塞は、フォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川の中州に建つ天然の要塞である。極めて守りに強く、長年ノルガルドの南部侵攻を食い止めてきた砦だ。ノルガルド軍は、軍師グイングラインの指揮の元、開戦前からこの砦を落とすための準備を進めて来た。様々な事情が絡み何度も侵攻作戦を延期してきたが、今こそ攻め時であろう。今なら最少の被害で落とせるはずだ。

 

 しかし、憂いが無いわけではない。

 

 いかに帝国軍の兵力が分散しているとはいえ、個々の武力が極めて高いため、決して侮ることはできない。現在リドニーを守っている騎士は不明だが、重要拠点であるがゆえに並の騎士に任せるとは思えない。おそらく『帝国四鬼将』と呼ばれる強者四人のうちの誰か、もしくは皇帝ゼメキス自身が守備に就いているだろう。誰が守備に就いていようが落とすことは不可能ではない。グイングラインが行った事前の模擬戦によると、勝率は九割を超えるとのことだ。この数値だけ見れば極めてノルガルドに有利に思えるが、だからと言って決して楽観はできない。事前に何度模擬戦を行おうとも、実戦では必ず想定外のことが起こる。リドニーのような難攻不落の拠点での攻防ではなおさらだ。また、九割というのはあくまでもリドニーを制圧できるかどうかであり、その際に生じる被害までは考慮されていない。いかにリドニーを制圧しようと味方に被害が多ければ完全な勝利とは言えない。ノルガルドにとってリドニーは中央部侵攻の足掛かりに過ぎず、リドニーを落とした後もさらに侵攻していかねばならない。リドニーより南は地形が複雑化し、戦線を拡大させるにはより多くの兵が必要になる。ここで無駄に兵力を失うわけにはいかない。無論、被害を恐れて勝機を逃すわけにもいかない。その見極めは、極めて重要になるだろう。

 

 ドアがノックされた。入るように促すと、軍師グイングラインが入室し、右の拳を左掌で包み、胸の前で掲げた。

 

「陛下、ルインテールが謁見を求めております」

 

 その名を聞いて、ヴェイナードは小さく笑った。「ほう? 若僧には仕えられぬと軍を去った男が、今さら何の用だ?」

 

「恐らく此度のレオニア併合の話を耳にし、参ったのでしょう。いかがされますか?」

 

「面白い。会ってみよう」

 

 ヴェイナードは地図をたたむと、謁見の間へ向かった。

 

 ルインテールは前王ドレミディッヅ時代の重臣の一人である。いくさ好きのドレミディッヅの右腕として戦場で剛腕を振るったが、ドレミディッヅの死後ヴェイナードが王に即位すると、「二君に仕える意思なし」と、城を去って行った。以来、一年半以上姿を見せていなかった。

 

 ヴェイナードは謁見の間に入り、高座の椅子に着いた。

 

「ご無沙汰しております、陛下。此度のレオニア併合、並びに、リオネッセ様とのご婚礼、心よりお祝い申し上げます」

 

 ルインテールは右拳を左掌で包んで顔の前で掲げた。膝をついて屈んだ状態でも並の成人男子ほどもある大男だ。そんなルインテールが低座で縮こまって祝辞を述べる姿は、妙に滑稽であった。

 

 ヴェイナードは小さく笑った。「フ……そなたほどの者が、わざわざそのような祝辞を言うために来たのではあるまい? 大方、此度の領土拡大の話を耳にし、居ても立ってもいられなかったのであろう?」

 

 それが図星だったのだろう。ルインテールはうろたえたような表情になったが、やがてこうべを垂れた。「……陛下の仰る通りにございます。先日のオークニー制圧、そして此度のレオニア併合。これほどの領土拡大は、前王ドレミディッヅ様をはじめ、長いノルガルドの歴史の中でも初めてのことでございます。これもすべて、陛下の御手腕のたまもの。誠に感服いたしました。つきましては、どうかもう一度、このルインテールに、陛下と共に戦う機会をお与えください」

 

「フン、若僧に使われるのは我慢ならん、と、勝手に城を去ったのに、勝利を目にして今さらまた仲間にせよとは、ずいぶんと都合のいい話だな」

 

 ヴェイナードの突き放すような言葉に、ルインテールはさらに身をすくめる。「これは手厳しいお言葉……しかし、返す言葉もございませぬ。不肖ルインテール、これまでとんだ思い違いをしておりました。陛下の手腕と才覚は、私などには計り知れぬものがございました」

 

 そう言った後、ルインテールは床に頭を叩きつけんばかりの勢いでひれ伏した。「陛下! これまでの御無礼の数々、どうかお許しを! そして願わくば、我が身をノルガルド軍の片隅にでも置いて頂ければと存じます!!」

 

 ヴェイナードは顎に手を当て、じっくりとルインテールを見た。間もなく冬を迎えるこの季節、ノルガルドの民は厚手の服を身に着けるようになる。ルインテールも毛皮で作られた衣服に身を包んでいるが、胸部や二の腕の部分が大きく盛り上がっており、厚手の服を着ていてもその下にある引き締まった肉体が容易に想像できた。城を去った後も身体の鍛練だけは怠らなかったのだろう。

 

 ヴェイナードは静かに口を開いた。「ルインテールよ。そなたは予に反発して城を去り、一年半も休んでいたのだ。今さら軍の片隅で戦うなど、許すと思うか?」

 

「陛下、なにとぞお許しを!」

 

「そなたには以前と同じく、ノルガルド軍の中核をなして戦ってもらう」

 

「……は?」

 

 言われた言葉の意味が判らなかったのか、顔を上げたルインテールは、目を白黒させる。

 

 ヴェイナードは言葉を継ぐ。「戦況は拡大し、人手はいくらあっても足りぬ。さらに、これより先はエストレガレスと正面からぶつかることになる。そなたのような勇猛な騎士が不可欠だ」

 

 ヴェイナードの言葉に、ルインテールは感極まったのか、瞳を潤ませている。「……もったいなきお言葉でございます、陛下」

 

「片隅で戦うなど決して許さぬ。これまで休んでいた分を取り戻すまで、最前線で戦ってもらうぞ」

 

「ははっ! 望むところにございます! この不肖の身、いかようにもお使いくださいませ!!」

 

 ルインテールは、もう一度手のひらで包んだ拳を高く掲げた。

 

 謁見は終わり、ヴェイナードは席を立つ。

 

 しかし、部屋を出ようとしたところで足を止めた。ルインテールを振り返る。

 

「ルインテールよ。前王ドレミディッヅは、良き武将であったな」

 

「は……?」謁見は終わったものと思っていたルインテール。不意の話に、困惑した表情を向ける。

 

 ヴェイナードは構わず続ける。「個の武術はもちろんであるが、用兵術にも長けていた。戦略眼に優れていたとは言えぬが、それを覆すほど武の力に長けていたのだ。あれほどの武将は、二度と現れぬやもしれぬ」

 

「はい。仰る通りにございます」

 

「だが、武将としては優れていたが、王としては明らかに失格であった――予はそう思っている。そなたやロードブルら前王の重臣は、気を悪くするやもしれぬがな」

 

「いえ、陛下の仰る通りにございます。私もドレミディッヅ様を最高の武将と尊敬しておりましたが、王には明らかに不適格なお方でございました。恐らくロードブルらも、心の中でそう思っていたことでしょう」

 

「予は前王のようにはなれぬ。戦場の最前線で戦うことは厭わぬが、王の立場を忘れ、いくさだけに集中するわけにはいかぬのだ。予は、このいくさが終わるまで民を導き、そして、いくさが終わった後も民を統べなければならぬからな」

 

「はい。心得てございます」

 

「だが、これからいくさが激化すれば、前王のような勇猛な武将の存在は不可欠だ。ルインテールよ、最高の武将ドレミディッヅのすぐそばで戦い続けたそなたもまた最高の武将であると疑わぬ。ドレミディッヅを支えたその力、期待しておるぞ!!」

 

「ははぁ!! このルインテール、必ずや陛下に勝利を奉げましょう!!」

 

 ルインテールは再び深く頭を下げた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十三話 ミラ 聖王暦二一五年四月上 エストレガレス帝国/カールセン家

 エストレガレスの王都ログレスの南に位置する都市・トリア。帝国南部の交通の要所であるこの都市を治めるのは、旧アルメキア時代に魔導の名門で知られたカールセン家だ。聖王の時代よりアルメキアに仕えてきた古い家系で、多くの宮廷魔術師を輩出した一族である。それらの宮廷魔術師の中には、大陸中の優秀な魔術師候補生が集う魔導学校を設立したり、王宮付きの魔術師団を組織したりと、歴史に残る偉業を成し遂げた者も少なくない。まさに、アルメキアの魔導の歴史を支えてきた由緒正しき名家だった。

 

 エストレガレス帝国の新米騎士ミラは、カールセン家の屋敷の客間で、ソファーに座り、当主が来るのを待っていた。部屋の中には大きな柱時計やランプなどの調度品が並んでいる。その多くは、魔法の力・マナを利用して動く珍しい品だった。客間に剣や槍や鎧兜を飾っていたミラの家と違い、なんとも言えない知的な雰囲気が漂っている。ミラの家は武術の名門で知られるナストール家だ。カールセン家にも負けない名家だが、『知的』という点に関しては遠く及ばないだろう。壁にはカールセン家歴代当主の肖像画が飾られている。その中には、歴史の教科書に載っているような有名な魔術師も多い。それら歴史上の偉人が一人一人ミラに視線を向けている。まるで値踏みされているかのようで、どうにも落ち着かない。

 

 がちゃりとドアが開き、ミラは背筋をピンと伸ばして立ち上がった。当主様が入ってきたものと思ったのだが。

 

「――姉さん!」

 

 それが若い女の声だったので、ミラの緊張は一気に吹き飛んだ。

 

「ミレ! 久しぶり!」

 

 ミラは、部屋に入って来た妹・ミレの元にかけていく。二人は手を取り、名家のお嬢様であることも忘れ、ぴょんぴょん飛び跳ねながら再会を喜んだ。

 

「――これこれ、そう騒ぐでない。床が抜けてしまうぞ」

 

 ミレの後から笑いながら入って来たのは、カールセン家現当主・ランギヌスだ。

 

「ランギヌス様、お久しぶりです」ミラは表情を引き締め、アルメキア時代より続く右拳を左胸に当てる仕草で挨拶をした。

 

「久しぶりじゃのう、ミラ……と言っても、普段から見慣れた顔ゆえ、あまり久しぶりという感じはせぬがな」ランギヌスは顎髭を撫でながら愉快そうに笑った。

 

 顔を見合わせ笑い合うミラとミレ。二人の顔は、まるで鏡に映っているかのように瓜二つだった。二人は血のつながった姉妹――それも、同じ日同じ母親から生まれた、双子だった。

 

 

 

 

 

 

 ミラとミレが生まれたのは、ベルフェレスという地方貴族の家だった。ナストール家やカールセン家ほどではないものの、古くから続く由緒正しき家系である。しかし、現在は存在しない。十七年前、ミラとミレが生まれたのが原因で、没落してしまった。

 

 フォルセナ大陸には、『双子は呪われた存在である』との、古くからの言い伝えがある。同じ顔を持つ人間が二人いることが恐れられ、あるいは、一度に二人以上の子を産む姿が家畜のようだとされ、忌み嫌われていたのである。何の根拠も無いことだ。迷信と言っていい。しかし、この迷信を信じ、双子の片方を密かに里子に出したり、最初から生まれなかったことにしたりというようなことは、古くから行われてきた。現代ではこのような考え方は薄れつつあるが、地域によっては、今だ根深く残っている。

 

 ミラとミレが生まれたベルフェレス家があったのは、そんな古い考えに縛られた人間が住む地域だった。

 

 領民は、ベルフェレス家で双子が生まれたことを、村に不吉なことが起こる前触れと考え、このままでは大きな災いが訪れるのでは、と恐れた。村の有力者であった教会の司祭はこの件を王宮に報告し、このままでは村だけでなく国全体に災いが降りかかる、と訴えた。普通ならば、このような馬鹿げた話を王宮が聞き入れるはずもないのだが、愚王ヘンギストはこの訴えを認め、ベルフェレス家から土地や財産をすべて没収したのである。

 

 財を失ったミラとミレの両親は子を育てる余裕が無くなり、二人を養女に出すことにした。幸い、かねてよりベルフェレス家と親交のあったナストール家とカールセン家は双子の迷信を信じるような愚か者ではなく、喜んでミラ達を迎え入れてくれた。ただし、愚王ヘンギストの目があるため、双子であることは隠され、それぞれ別の家に引き取られることになった。両家の当主の計らいで数年に一度会うことはできたものの、二人は全く異なる環境で育つことになったのである。

 

 二人が養女に出て数年後、両親は流行り病に倒れ、あっけなくこの世を去った。

 

 

 

 

 

 

 ひとしきり再会を喜んだ後、ミラたちはソファーに座った。

 

「それにしても、驚いたわね」妹のミレは従者が運んできたお茶をすすった。「まさかアルメキアが、こんなことになるなんて」

 

 二月の下旬、アルメキア軍総帥ゼメキスがクーデターを起こし、アルメキア王国は滅亡。ゼメキスはエストレガレス帝国の樹立を宣言し、大陸制覇へと乗り出していた。

 

「あたしは別に構わないけどな」ミラはあっけらかんとした口調で言う。「別にアルメキアに恩があったわけでもないし……むしろ、ベルフェレス家を滅ぼした愚王がいなくなって、清々したわ」

 

 そう言った後、大きく伸びをするミラ。さっきまでの緊張はどこへやら、すっかりリラックスしている。もともとミラは大雑把な性格で、物事はあまり深く考えない。

 

「ちょっと、姉さん」ミレが怖い目で睨だ。

 

「あ……」と、ミラは口元を押え、そして、「申し訳ありません、ランギヌス様の前で、こんなことを」と、頭を下げた。

 

「気にするな。わしとて、アルメキアに忠義を奉げていたとはいえ、王ヘンギストに対しては、いろいろと思うところはあったからな」ランギヌスは神妙な表情で言った。

 

 カールセン家は聖王時代より王家に仕えてきたが、現当主ランギヌスが属するアルメキア魔術師団は、クーデターの夜ゼメキスの陣営に就いた。ゼメキスの陣営には他にもアルメキア軍と神官騎士団が味方し、王宮が陥落するのは目に見えていた。忠義を貫きゼメキス達と戦っても敗北は免れない。そうなると、領民の命を危険にさらすことになる。ランギヌスは領民の安全を優先し、クーデターの夜は中立の立場を取り、戦いには参加しなかった。帝国樹立後、その件を理由にランギヌスの王宮内での立場は悪くなった。財産や領土を没収されることこそなかったものの、一騎士に降格。近いうちに戦場へ送られる予定である。

 

「――過ぎたことは仕方がない」ランギヌスは諦めと決意が混じった顔で言った。「こうなってしまった以上、今の王を信じ、支えるよりほかにないだろう。だが、そなたらは違う。国を去り、他の国へ仕官する道もあるのじゃぞ?」

 

 ミレは首を振る。「そんな。大恩あるランギヌス様の元を去るなど、できません」

 

 ミラも、「そうですよ」と同意する。「カールセン家にも、ナストール家にも、感謝してもしきれません。ふたつの家が与えてくれた恩に報いるためにも、あたしもこの国に身を置き、戦います」

 

「それにしても、驚いたわ」と、ミレ。「まさか姉さんが、帝国の騎士になってるなんて」

 

「驚いたのはこっちよ。あなたが騎士になって戦うなんて、思ってもみなかったわ」

 

 幼き頃よりルーンの加護があったミラは、帝国樹立を機に仕官し、騎士となった。ミラは没落したベルフェレス家の再興を夢見ており、このいくさで手柄を立てることが最も近道であると考えたのだ。武術の名門であるナストール家で育った彼女は槍術に優れており、エストレガレス軍内においてもすぐに出世する自信があった。

 

 しかし、運が良いというべきか悪いというべきか、時期を同じくして、妹のミレも仕官していたのである。

 

 運が良いというのは、双子で戦うことができるからである。魔導の名門カールセン家で育ったミレは、魔術師として高い腕前を持っていた。ミラの槍術と合わせれば、双子のコンビネーションも発揮し、戦場で大活躍できるだろう。

 

 運が悪いというのは、『双子は呪われた存在である』という考えは、まだこの大陸に根強く残っているからだ。もし双子であることが知れたら、軍を追放されることも考えられる。それだけならまだしも、二人を養女として匿っていたナストール家とカールセン家も、かつてのベルフェレス家のように没落してしまう可能性もあるのだ。今のところまだバレてはいないが、それも時間の問題であろう。長く異なる環境で育ったにもかかわらず、二人の容姿はいまだ瓜二つなのである。髪型や服装を変えても、到底ごまかしきれない。

 

「ま、あたしは大丈夫だと思うけどな」ミラは頭の後ろで手を組み、のんきな声で言った。「古い考えに縛られたアルメキア時代ならともかく、今のこの国の王様は、あのゼメキス将軍でしょ? 双子は呪われた存在だとか、そんな細かいこと気にする人には見えないけど」

 

「そうかもしれないけど、他の人もゼメキス陛下と同じ考えとは限らないでしょ? まだまだ古い考えに縛られている人は、いると思う」

 

 常に楽観的な姉に対し、妹のミレは物事を慎重に考える面がある。悪く言えば悲観的なのだ。

 

 ミレは不安そうな表情になった。「やっぱりあたし、辞退しようかな……」

 

「ちょっと、なに言ってるのよ。せっかく二人で戦うチャンスなのに」

 

「そうだけど、双子だってことがバレて軍を追い出されたら、元も子もないでしょ? ランギヌス様や、姉さんの家にだって、迷惑が掛かるかもしれないし」

 

「……わしらのことは気にするな。そなたら二人は、自分たちの信じた道を進むが良い」ランギヌスはゆっくりとした口調で話す。「身を引くのもひとつの道だろう。だがな、そなたら二人が協力して戦うことが、ベルフェレス家再興の近道だと、わしは思う」

 

「二人が協力して、戦う……」ミラとミレは顔を見合わせた。

 

 ランギヌスは続ける。「ゼメキス陛下が双子に対しどういう思いを抱いているかは判らぬ。だが、このいくさで手柄を立てれば、必ずやそなたらを認めてくれるであろう。頑張るのだぞ」

 

「――はい」

 

 二人は、決意と共に返事をした、

 

「さて、あたしはそろそろ行くね」ミラは立ち上がった。「今月から、ソールズベリーの守備に就くことになってるから」

 

「ソールズベリーか……」ランギヌスの顔が厳しくなった。「騎士になって間もないのに、ずいぶんと厄介な場所に配属されたものだな」

 

 ソールズベリーはエストレガレスの南の玄関口だ。カーレオンとイスカリオの両国と接しており、この二国が帝国に侵攻してくるなら真っ先にここを狙うであろう。

 

「まあ、仕方ないであろうな」と、ランギヌスは続ける。「この国は周囲を他国に囲まれておる。全面戦争となった今、どこに配置されても危険なことには変わりない。ミレも、オークニーへ配属されるようだからな」

 

 オークニーは帝国北西の重要拠点で、ここもソールズベリー同様、西アルメキアとノルガルドの二国と接している。現在この城にはゼメキスの腹心カドールの部隊が入り、アルメキア王太子ランスが逃げ込んだ西アルメキアへの侵攻の準備を進めているらしい。ミレはカドールの部隊が侵攻した後のオークニー防衛を任されるようだが、どちらにしても新米騎士には荷が重すぎる任である。

 

「二人とも、功を焦るではないぞ。己と相手の力をしっかりと見定め、かなわぬと踏めば躊躇することなく退くのだ。命を落としてしまっては、ベルフェレス家の復興は決して叶わぬのだからな」

 

「はい!」

 

 ランギヌスの言葉に、二人は同時に返事をした。

 

 こうして、ミラはソールズベリーへ、ミレはオークニーへと旅立って行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十四話 メルトレファス 聖王暦二一五年五月下 西アルメキア/キャメルフォード

 パドストーに逃げ込んだ旧アルメキアの王太子ランスを討つため、大陸最“凶”のデスナイト・カドールは兵十万を率い、パドストーの国境の都市キャメルフォードを攻めた。対するパドストー改め西アルメキアは、老王コールから国の全権を任されたランスを総大将とする兵十万で迎え撃つ。

 

 攻防戦が始まってまだ二時(ふたとき)ほどだが、戦況はすでにエストレガレス側に大きく傾いていた。かつてフォルセナ大陸最強と謳われたゼメキス軍で第二将を務めていたカドールの部隊の突破力は凄まじく、西アルメキア軍に正面からぶつかり、これらを蹴散らしながら、一気に総大将ランスがいる後方の本陣へ迫ったのである。

 

 しかし、もう少しで本陣に手が届くというところで、カドールの部隊の勢いが止まった。アルメキア時代にランス親衛隊の隊長を務めたゲライントの部隊とぶつかったためである。ゲライントは、親衛隊長となる前はノルガルドのいくさにも参加し、数々の武功を挙げ、『百戦のゲライント』の二つ名で知られた猛者だ。いかにカドールと言えど、そう簡単に倒せる相手ではなかった。

 

 だが、この展開はカドールにとって想定内であった。

 

 カドールは自身の隊がゲライントの部隊とぶつかり足が止まったのを見て、部下達の部隊を周囲に展開させた。ゲライントの部隊を自分の部隊に引きつけている間に、部下達に敵本陣のランスを狙わせる作戦である。

 

 カドールの部下の一人であるメルトレファスは、自分の運の良さに身体の芯から震える思いだった。今、彼の目の前には敵の総大将であるランスがいる。ヤツの首を取れば、このキャメルフォードのいくさだけでなく、西アルメキアとのいくさに勝利することにもなる。とてつもなく大きな手柄だ。

 

 カドールの部下の中で、メルトレファスの序列は高くない。と言うより、はっきり言えば一番下っ端の騎士である。彼がカドールの部隊に配属されたのは、一年前のノルガルドとのいくさが終わった後であり、戦場の経験は二月下旬のクーデターの夜に続きまだ二度目だ。新米騎士と呼んでよいレベルだが、今回はそれが幸いした。名のある騎士の部隊が次々と敵本陣を守る部隊に足止めされる中、メルトレファスはそれらの合間を巧みにかいくぐり、見事、敵将と相見えたのである。

 

「お前がランスだな! その首貰った!!」

 

 メルトレファスは高ぶる気持ちを抑えることもなく、声高に叫んだ。不意打ちで倒すつもりなど毛頭無い。正面から戦って首を取らねば意味が無いとさえ思っていた。

 

 ランスの顔に焦りが浮かぶ。ランスはまだ十五歳、それも、これが初陣のはずだ。それがいきなり敵の騎士に迫られれば、冷静でいられるはずもない。

 

 だが、ランスは気丈にも腰の両脇に携えた二本の剣を抜き、構えた。「来い! 非道な帝国の騎士などに、私は負けない!」

 

「帝国が非道だと? 何をバカなことを!」

 

「武力で国を奪い、大陸中を戦火に巻き込もうとするお前たちを、非道と言わずに何と言うんだ!?」

 

「はん! 大した力のないガキが粋がるな! お前の国は力がないから滅びたんだ。力のない王が国を治めていたのが間違いだった! より力のある者が、国を、そして大陸全土を支配する。これが正しい流れだ!」

 

「違う! 何が正しくて何が間違っているのかを決めるのは力なんかじゃない!」

 

「知ったふうな口を利くな! 行くぞ!!」

 

 メルトレファスは両手で剣を構え、ランスに向かって突進した。

 

 その前に、槍を携えた兵士が立ち塞がった。ルーンの加護を受けた騎士ではない。ただの護衛兵だ。

 

「邪魔だ! あいつらをどかせろ!」

 

 メルトレファスは部下に命じた。彼の横を、漆黒の毛並みをした大型犬が二匹走り抜け、護衛兵に跳びかかった。地獄の番犬の異名を持つモンスター・ヘルハウンドだ。

 

 ヘルハウンドは鋭い牙と爪で護衛兵に一撃喰らわせると、すぐさま後方へ跳んで間合いを取り、敵の反撃をかわす。そしてまた素早く飛びかかり、攻撃する。ヘルハウンドは素早い身のこなしで接近して攻撃し、また離れるという戦法を得意とするモンスターだ。

 

 さらに。

 

「――よし、今だ!」

 

 メルトレファスが命じると、二匹のヘルハウンドは敵兵から間合いを取り、口を大きく開けた。そこから吐き出される灼熱の炎! 炎は護衛兵の身体を包み、焼き尽くす。この炎の息こそが、『地獄の番犬』と呼ばれるゆえんだった。

 

 護衛兵を失ったランスに、メルトレファスは剣を振るう。

 

 がしん! と、堅い手応え。ランスの首を狙った攻撃は、交差した二本の剣に受け止められた。ランスはメルトレファスの剣を押し返し、左右の剣を同時に振るう。アルメキア王家に代々伝わるという、二刀流の剣術だ。メルトレファスは両手持ちの剣で受け止める。そして一旦間合いを取ると、また踏み込んで剣を振るった。

 

 何度か剣を交え、メルトレファスは確信した。ガキにしては悪くない剣の腕だが、まだまだ未熟だ。これならば、俺一人でも十分に倒せる。

 

 勝利を確信したメルトレファスは、こちらからは攻めず、相手の攻撃を受けながら隙を窺う。その時はすぐに訪れた。ランスの二本の剣の大振りの攻撃を見切ったメルトレファスは素早く相手の右側に回り込んだ。ランスの剣が大きく空振りし、頭が隙だらけになった。そこを狙い、剣を振り上げた。勝った、という思いがあった。

 

 しかし、そのとき。

 

 突然、周囲が暗い影に覆われた。

 

 ――なんだ?

 

 メルトレファスが見上げると、空を覆うばかりの巨大なドラゴンが羽ばたいていた。灼熱の炎を思わせる深紅の鱗に覆われたドラゴン・サラマンダーだ。メルトレファスが引き連れているヘルハウンドとは格が違う、最上級のモンスターである。

 

 メルトレファスに向けて大きく口を開けるサラマンダー

 

 ――なにっ!!

 

 その口から、ヘルハウンドの数倍の威力がある炎が吐き出され、メルトレファスを包み込んだ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十五話 ティース 聖王暦二一五年七月下 イスカリオ/――――

 元不良少年でイスカリオの新米騎士であるティースは、王都カエルセントの東に広がる山の中にいた。山間に小さな集落が点在する地域だが、最近この周辺で、トカゲに似たモンスターの目撃情報が多くなっているのだ。マナの力で召喚されたものの、何らかの事情によって逃げ出し、野生化したモンスターだと思われる。こういった野生化したモンスターは年々増えている傾向にあり、人が襲われる例も多く、大陸全土で社会問題化している。エストレガレス帝国のとある地域では、野生化した火竜サラマンダーの目撃情報もあるくらいだ。

 

 モンスターを召喚したのは騎士なので、野生化したモンスターがいた場合、捕獲するか最悪処分するのが騎士の務めだ。しかし、今はいくさ中であまり人手は無い。そもそもこの国には『野生化したモンスターの捕縛は騎士の務め』などと言う真面目な騎士が少ないのだ。幸いと言うべきか、トカゲに似たモンスターならリザードマンであろう。リザードマンは、その名の通りトカゲと人間が合わさったようなモンスターだ。人間よりやや小柄で知能も少々低いが、武器や防具などの道具を使いこなすくらいの知恵はある。沼地や池などの湿地帯を好むが、陸上でも十分行動可能。水陸両用が特徴のモンスターだ。どちらかと言えば下級のモンスターで、新米騎士でも十分対応できるだろう。ということで、腕試しを兼ねてティースが向かうことになったのである。

 

 現地で聞き込みをしたティースは、モンスターがねぐらにしているという洞窟にやって来た。慎重に足を踏み入れる。かなり深い洞窟のようで、たいまつを灯しても奥までは見えない。周囲を警戒しつつ、ゆっくりと進む。洞窟内の壁にはところどころ手を加えたような跡があり、どうも天然の洞窟ではなさそうだ。

 

 さらに奥へと進むと。

 

 がさり、と、正面で何かが動いた。リザードマンか? 剣を構え、たいまつを掲げながら、ゆっくりと慎重に近づくティース。たいまつの明かりが闇に隠れていたものを少しずつ暴き出す。モンスターらしき影が見える。あまりにも大きい姿だった。人間よりもやや小柄、なんてものではない。ティースの身体よりもはるかに大きく――いや、イスカリオの騎士の中で最も身体の大きいバイデマギスの三倍以上はある。これはどう見てもリザードマンではない。

 

 闇に潜む大きな影が動いた。こちらに近づいて来る。たいまつの炎がモンスターの全てを照らした。姿だけ見れば確かにトカゲに見えなくもないが、大きさがあまりにも違いすぎる。

 

 これは、四足歩行する巨大な竜・ドラゴンだ!

 

 ティースの背を冷たい汗が流れた。ドラゴンと言えば上級モンスターの筆頭である。新米騎士の自分には、とても勝ち目はない。不幸中の幸いか、背中に羽は生えておらず、身体を覆う鱗は緑色、言うなれば基本に忠実なタイプのドラゴンである。鈍重だから逃げ出せば追いつかれることは無いだろうが、背を向けた瞬間口から炎を吐く恐れがある。それに、例え勝ち目がないとはいえ、モンスター相手に尻尾を巻いて逃げたなんてことがドリスト陛下にバレたら、どんな目にあわされるかわからない。それだけならまだいいが、そのことがもし愛しのユーラの耳に入れば、臆病者と思われるかもしれない。

 

 しかし、逆に言えば、ここでドラゴンを捕縛、あるいは倒すことができれば、株は急上昇するだろう。

 

 ――ティース! 騎士になったばかりでドラゴンを倒すなんてスゴイね! これはお祝いよ! チュッ♪

 

 なーんてことになるかもしれない。

 

 よし、やるぞ! 意を決し、ドラゴンと対峙するティース。

 

 だが、張り切るティースに反し、ドラゴンの方は敵意も警戒心も見せなかった。寂しそうな顔で近寄って来る。攻撃するそぶりは全く無い。さかんに鼻を摺り寄せて来る。

 

「……おまえ、寂しいのか?」

 

 ドラゴンは、まるで小犬のように悲しげな声で鳴いた

 

「じゃあ、俺と一緒に来るか?」

 

 そう言うと、その言葉が通じたかのように、ドラゴンは嬉しそうに鳴いて尻尾を振った。

 

 ティースは、ドラゴンを連れて城に戻った。すると、「お? ボウズ、ドラゴンを捕まえたのか? なかなかやるじゃねぇか」「これは将来が楽しみでヤンスねぇ」「ティース、スゴイね」「がーっはっはっはー!! これは褒美だボウズ! 受け取れ!! チュッ♂」と、みんなが褒めてくれた。残念ながら目的の相手からの『チュッ♪』ではなかったものの、特に何もしていないのにドラゴンを配下にし、みんなからは褒められ、悪くない気分だった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十六話 ミリア 聖王暦二一五年九月上 カーレオン/スクエスト

 カーレオンの王都リンニイスの北に位置する要塞・スクエスト。カーレオンと西アルメキアの国境に位置するこの砦は、北は海流の早い海、南は険しい山々に挟まれた城だ。北から攻めるには海を渡るか島々を繋ぐ細い橋を渡るしかなく、南から攻めるには空を飛ぶか険しい山道を通って進軍するしかない。フォルセナ大陸にいくつか点在する、天然の地形を生かした要塞のひとつである。

 

 もっとも、現在カーレオンと西アルメキアは同盟関係にある。攻められる危険性も攻める必要もないため、砦には最低限の警備兵しか入っておらず、騎士もモンスターも駐屯していない。いくさの気配が無いと、山と海に囲まれたこの地域は、実にのどかで風光明美な場所である。

 

 カーレオンに仕官したミリアは、スクエスト近くにある小さな村の自宅アトリエでスケッチブックを広げていた。仕官する前、大陸各地を旅しながら出会った人々や、見つけた風景を絵にしてきたミリア。ページをめくるたびに、美しい山や海・川の景色、人々の笑顔が思い起こされる。このスケッチブックには、この一年の間に描いた彼女の作品のすべてが収められている。気に入った人物や風景はすぐに絵にするため、スケッチブックはすぐに埋まってしまうのだ。

 

 ミリアは油彩で絵を描くこともあるが、基本的にはスケッチブックに色鉛筆で描くことが多い。旅を続けてきたミリアは、このアトリエに戻るのは一年の内で数十日程度である。旅先で描きたい絵は数多いが、旅に持って行けるキャンパスはせいぜい一枚か二枚だ。全てをキャンパスに残すことはできない。なので、気に入った風景や人物はまずスケッチブックに描き、その後、自宅や旅先の宿に戻ってから、スケッチを元に油彩で描くのだ。

 

 スケッチブックをめくりながら、どの絵をキャンパスに残すか考えるミリア。いま見ているのは旧パドストーを旅したときに描いたものだ。山や草原などの自然画はもちろん、歴史ある街並みや近代的な都市も絵にしている。そして、そこで暮らす人々の笑顔を描いたものも多い。これらの絵を描いたのはまだゼメキスがクーデターを起こす前で、大陸は平和だったのだ。

 

 さらにページをめくると、風景画に雪景色が多くなってくる。ノルガルドを旅した時に描いた絵だ。真冬のノルガルドの旅は厳しかったが、南部の地域には無い北国の美しさを描くことができて、満足している。

 

 しばらくノルガルドの旅の思い出に浸りながらページをめくるミリア。その顔が、ページをめくるたびに曇っていった。

 

 ページをめくってもめくっても出てくるのは風景画ばかりで、人々を描いたものが無いのだ。

 

 もちろん、これは自分のスケッチブックだ。ノルガルドでの人物画が無い理由は判っている。ノルガルドで出会った人々からは、笑顔が消えていたのだ。

 

 昨年の夏、時ならぬ寒波に見舞われたノルガルドは、国全体で厳しい飢餓に襲われていた。さらに、一年前の西アルメキアとのいくさに敗れ、前王ドレミディッヅは戦死。新たに王となった白狼王ことヴェイナードは、アルメキアに言われるままに領土と実姉を差し出した。この頃のノルガルドは、飢えと敗戦の屈辱と新たな王への失望感が満ち溢れていたのである。

 

 さらにページをめくる。雪景色は少なくなり、近代的な街並みが多くなっていく。それに従い、人々の笑顔を描いた絵も増えてきた。これは、エストレガレス帝国を旅した時の絵だ。大陸全土を巻き込む大戦の発端となった国であるにもかかわらず、人々の顔には笑顔が浮かんでいる。アルメキア時代の王ヘンギストは愚王と陰口を叩かれ、国民から忌み嫌われていた。クーデターで国を乗っ取ったゼメキスは、国内では暗君を倒した英雄として祭り上げられ、多くの国民から支持されているのだ。

 

 小さくため息をつくミリア。いくさが起こる前のノルガルドでは人々は笑顔を失い、いくさが起こった後のエストレガレス帝国では人々の笑顔が溢れている。なんとも皮肉なものである。

 

 ふと、ミリアの胸に疑問が浮かぶ。

 

 ――あたし、今まで自然の景色や街並みとか、人々の笑顔とか、美しいものばかり絵にしてきたけど、それって正しかったのかな?

 

 ノルガルドでは人々を描かなかった。エストレガレス帝国内にはゼメキスの行為を非難する人々も少なからずいたが、それらも描かなかった。王都ログレスを訪れた際、クーデターの戦火に焼かれた城はまだそのまま残っていたが、それも描かなかった。ゼメキスのクーデターにより命を落とした人々の悲しみをこの目で見たが、それらを描くことも無かった。

 

 あたしは、美しいものばかりに目を向け、かわいそうなもの、醜いもの、悲しいものからは目を逸らして来たのかもしれない。

 

 ミリアはため息をつき、スケッチブックを閉じた。なんだかすっかりテンションが下がってしまった。今日はスケッチをもとに油彩で描こうと思っていたのだが、とてもそんな気分ではなくなった。

 

 ――そう言えば、エルオードは元気にしているかしら。

 

 ふと、友人のことを思い出す。

 

 エルオードは、ノルガルドの山中で一人暮らしをしている男だ。四年前の十五の春、ミリアが旅を始めて最初にできた旅先の友人である。今回ノルガルドを旅した際も彼の家を訪れたが、スケッチは無い。エルオードの絵は、スケッチブックではなくキャンパスに直接描き、その場で彼にプレゼントしたのだ。

 

 エルオードと意気投合した理由のひとつに、彼がルーンの加護を受けていたにもかかわらず仕官せずにいる、というのがある。ミリアと同じだ。彼女も幼い頃からルーンの加護があったのだが、絵を描きながら旅をするという夢を優先し、仕官することは無かった。

 

 ――あれ? だったらあたし、なんで今回カーレオンに仕官したんだろ?

 

 またまた湧き上がる疑問。自分でもよくわからない。ただ、今回の旅から戻り、お城でメリオット姫と戦争の話をした際、思わず「手伝おうか?」と言ってしまったのだ。絵を描くのをやめたいわけではないし、まさか戦場で絵を描くわけにはいかないだろう。

 

 ……いや。

 

 …………。

 

 うーん……。

 

 しばらく一人で悶々とした気分を抱えていたミリアだったが。

 

「……ええい。うじうじ考えるのはやめた。とりあえず、エルオードに会いに行ってみるか! ちょうど陛下に、ルーンの加護を受けた友人を連れて来るって約束したし!」

 

 自分に言い聞かせるように大声で言う。そして、荷物をまとめると、一度南のリンニイスに行ってカイ王の許可を取り、そのままとんぼ返りで北上しノルガルドへ向かった。うじうじ悩むよりまず行動。これが、ミリアの信念である。

 

 もちろん、旅立った彼女の肩には、まっさらなスケッチブックや色鉛筆などの画材が入ったトランクケースが提げられていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十七話 メルトレファス 聖王暦二一五年六月上 エストレガレス帝国/ディルワース

 王都ログレスとオークニーの中間にある山間の城・ディルワース。周囲を比較的低い山に囲まれたこの城は、山間を縫うように張り巡らされた街道のそばに建っている。大軍での進軍が難しいのは防衛側に有利だが、土地自体が狭いため、防衛側も軍を広く展開させづらいという欠点もある。有事以外でも不便な点は多い。とにかく城が狭いため、大軍が入ってしまうと寝る場所にも困るありさまなのだ。平時ならば他国に接していないこの城は最低限の警備兵しか配置されていないのだが、現在西のオークニー城がノルガルドの手に落ち、多くの騎士や兵が駐屯しているため、人が溢れかえるよう状態だった。

 

 早朝。カドール配下の騎士メルトレファスは訓練場へ向かっていた。会議室や寝室などすべてが狭いディルワースは、当然、訓練場も狭い。昼になったら場所の取り合いになるので、早めに来たのである。陽が昇ってまだ間もない時間だ。誰もいるはずがない。そう思っていたのだが、訓練場にはすでに人の姿があった。

 

 ――こんな時間に誰だ?

 

 怪訝そうな目を向けるメルトレファス。栗色の髪を後ろで束ねた女騎士だった。弓場で、人を(かたど)った的に向かい、弓を引いている。女の放つ矢は、的確に的を射抜いていた。すでに的には、手・足・頭部・胸部の部分に、何本もの矢が刺さっている。かなりの腕前のようだ。

 

 あれは確か、エニーデという名の騎士だ。現在帝国で弓を使う女騎士は彼女だけだ。エストレガレス帝国樹立後に仕官してきた騎士で、メルトレファスとは所属部隊が違うため、あまり詳しいことは知らない。

 

 しばらくエニーデの弓の腕前に見とれていたメルトレファス。相手がこちらに気付き、ようやく我に返る。メルトレファスは大きく咳払いをすると、大股でエニーデに近づいた。

 

「おい女! ここは今から俺が使う。すぐに場所を開けろ!」

 

 精一杯凄みを利かせたつもりだったが、エニーデは意に介した様子もなく、冷めた目を向けてきた。「……なぜ? 狭い城だけど、今は二人だけだから他に場所はあるし、そもそも、あなたは剣の稽古をするんでしょ? 仮に場所が埋まっていたとしても、先に訓練している人が終わるのを待つのが作法ってものではないかしら?」

 

 まったく怯んだ様子もなく正論を吐くエニーデ。その態度が、メルトレファスの癇に障った。

 

「お前、この俺を誰だと思っている! 俺は大陸最凶のデスナイト・カドール閣下直属の部下だぞ」

 

「直属の部下? 腰巾着の間違いでしょ?」

 

「なにぃ!?」

 

「自分の名を名乗らず親玉の名を出すのがいい証拠よ。自分に自信がないから、力のある人の名前を出すんでしょ?」

 

「……くっ!」

 

 痛いところを突かれ、歯噛みするメルトレファス。

 

 その姿を見たエニーデは小さく笑った。「図星だったようね?」

 

「違う! 俺は第二遊撃隊所属のメルトレファスだ!」

 

「メルトレファス……」エニーデは首を傾け、記憶を探るような表情の後、続けた。「ああ、先日のキャメルフォード侵攻で、敵の総大将を目の前にしながら、みすみす取り逃がした新米騎士さんね?」

 

 さらに痛いところを突かれ、メルトレファスは舌打ちする。「……口の減らない女だ」

 

 それを見たエニーデは、少し驚いたような顔になる。「あら? 怒ると思ったのに、意外ね」

 

「俺の力不足でランスを取り逃がしたのは間違いないからな。そう言われるのは、甘んじて受けるさ」

 

「それは殊勝な心がけだわ」

 

「だが見てろ! いずれ俺は、カドール閣下のような力を手に入れて見せる! あれだけの力があれば、ランスの首を取るなどたやすい! それどころか、ゼメキス陛下のように国を興すことだって可能なんだ! 力さえあれば、何でもできるんだからな!」

 

 不意に、エニーデの表情が曇った。「……その結果、多くの人々を不幸にするのね」

 

「なに?」

 

「力で他の者を蹴落とし、力で国を乗っ取り、力で他国を従わせようとする。その結果、力の無い人が虐げられるのよ」

 

「お前、帝国の騎士なのに、ゼメキス陛下のやっていることを否定するのか?」

 

 メルトレファスは鋭い目でエニーデを睨んだ。ゼメキスが愚王ヘンギストを倒し、エストレガレス帝国を樹立したことは、多くの国民が支持しているはずだ。それだけアルメキア時代の政治が酷かったのだ。だが、それがクーデターの結果である以上、アルメキアと同盟国だった旧パドストーやカーレオンは必ず報復行動に出る。敵対国ノルガルドも攻めてくる。帝国が生き残るためには、他国を滅ぼすしかないのだ。エニーデもこの国に仕官したからには、これらゼメキスの行動に賛同しているのではないのか?

 

 エニーデはしばらく真正面からメルトレファスの視線を受け止めていたが。

 

 やがて、目を逸らした。「……いいえ。今のは失言だった。取り消すわ」

 

「……ならいいが」

 

「でも、あなたの考えは間違っていると思う。力は、何かの目的があって求めるものよ。力そのものが目的じゃ、虚しいだけじゃない? 力を得て、何をしたいの?」

 

「それは……」と、言葉に詰まるメルトレファス。力を得て何をしたいか? そう言えば、あまり考えたことは無い。ただ漠然と、力を得ようと思っていただけだった。

 

 エニーデが、どうしたのと言わんばかりの表情で見つめている。答えに窮したメルトレファスは、「それは、力を得てから考える。今はとにかく、力を得ることが先決だ」と、苦し紛れに言った。

 

 エニーデは小さく笑った。「まあ、今の自分の力を過信していないのは、良いことだわ」

 

「うるさいヤツだ。とにかくそこをどけ! それとも、力づくでどかされたいか!?」

 

 メルトレファスは挑発するように拳を前に出した。

 

 エニーデは首を振った。「やめておくわ。くだらないことで怪我したら、つまらないでしょ?」

 

「ふん。少しは判ってきたようだな」

 

「あたしはあなたのことを心配したのよ?」

 

「なにぃ! だったらやってみるか!?」

 

 再び拳を前に出すメルトレファス。しかし、エニーデは応じず、弓と矢を片付け始めた。それを見て、メルトレファスは拳を下ろした。

 

 荷物を片付け終えたエニーデは、「どうぞ」と、手のひらを向けた。

 

「ふん。最初から素直に場所を空けていればいいものを」

 

「じゃあ、あたしは帰るけど、ひとつ、アドバイスしてあげるわ」

 

「アドバイスだと? そんなものは要らん」

 

「まあ聞きなさい。あなたにとって、たぶん重要なことよ」

 

「……なんだ」

 

「ランス王子を取り逃がしたことを気にしてるみたいだけど、そう落ち込むことは無いと思うわよ? あなたはほぼ初陣にもかかわらず、敵国の大将を追い詰めた。確かに、取り逃がしたのはあなたの力不足が原因なんだと思う。でも、ランス王子は火竜サラマンダーを従えてたんでしょ? いくらなんでも、相手が悪すぎるわよ。むしろ、生き残れたのが奇跡だわ。あなたは確実に成長しているはず。そういうところは、みんなちゃんと評価してるわよ、きっと」

 

「……フン、同情なんかいらん」

 

「そんなつもりはないわ。本心よ」

 

「…………」

 

「ああ、それと、もうひとつ」

 

「なんだ? アドバイスはひとつじゃなかったのか?」

 

「これはオマケよ。そんなたいしたものじゃないわ」

 

「なんだ」

 

「訓練している所を誰かに見られたくないっていう気持ちは判らなくはないけど、努力するのは恥ずかしいことじゃないわ。次からは、堂々とやるのね」

 

「うるさい! さっさと行け!」

 

「あはは。じゃあ、頑張ってね」

 

 エニーデは悪戯をした子供のような笑顔で言うと、訓練場から去って行った。

 

「……いけ好かない女だ」

 

 エニーデの背中を見ながらつぶやくメルトレファス。

 

 だが、最後に見せた彼女の笑顔は、妙に心に残った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十八話 ミラ 聖王暦二一五年十月上 エストレガレス帝国/王都ログレス

 窓から見える空は、昼間であるにもかかわらず、夜の闇のように真っ黒だった。見渡す限り一面、厚い雲で覆われている。まだ雨は降り始めていない。しかし、それも時間の問題だろう。

 

 エストレガレスの新米騎士ミラは、ログレス王宮の会議室へ向かう廊下を、重い足取りで歩いていた。急遽戦略会議を行うとのことで呼び出されたのだ。騎士になってまだ半年にも満たないミラが王都での会議に呼ばれるなど普通ではない。だが、心当たりは大いにあった。先日のソールズベリー防衛戦の件だろう。どんなことを言われるのか……考えただけで、ミラの気持ちは窓の外の空のように真っ暗だった。

 

 四月下旬、ミラは帝国南部の都市ソールズベリー防衛の任に就いた。ソールズベリーは、カーレオンとイスカリオの二国と隣接する重要拠点である。新米騎士には少々荷が重い任務とも言えるが、指揮をするのは旧アルメキア時代より騎士として仕えてきたベテランの魔術師であったし、さらに、カーレオンもイスカリオもしばらくは攻めてこないだろうとの上層部の判断もあった。カーレオンはさほど好戦的な国ではなく騎士の人数も十分でないから他国を攻める余裕はなく、イスカリオはレオニアに兵を向けているようだった。

 

 だが、この予想は大きく外れた。六月の下旬、ソールズベリーはカーレオンの侵攻を受けた。それも、カーレオン軍の総大将は大陸一の魔術師と言われる賢王カイ、さらに、こちらも大陸一の剣士と噂されるナイトマスター・ディナダンを引き連れていたのである。初陣の相手としては手に余るどころの話ではないが、それでも、誇り高き帝国の騎士として、そして、武術の名門ナストール家の養女として、一歩も退くことなく戦う覚悟だった。

 

 しかし、上司である指揮官の魔術師がとんだ臆病者だった。相手が賢王とナイトマスターであると知ると、即座に撤退を決意したのである。ミラは説得したが聞き入れてもらえず、一人で戦うわけにもいかないので、仕方なく北西の城オルトルートまで後退し、ソールズベリーは無血で明け渡す結果となった。

 

 その後、カーレオン領となったソールズベリーには賢王やナイトマスターよりはるかに格下の騎士が守りに就いた。これは奪還のチャンスだとミラは思ったが、臆病者でうすのろの魔術師は動かなかった。奪還は別の部隊がやるだろう、我らの任務はあくまで防衛だ、と言って譲らない。その防衛の任務すら放棄したのはお前だと言ってやりたかったが、経歴だけは立派な魔術師に新米騎士が逆らうなど許されない。それに、奪還部隊が編成されているのも事実らしい。ソールズベリー北東の帝国領カーナボンには、デスナイト・カドールら四鬼将が集結しているそうだ。もっとも、この部隊はその後イスカリオとレオニアを攻めたのだが。

 

 オルトルートではその後大きな動きの無いまま時が流れ、今日、突然の王都呼び出しとなったのである。呼び出されたのはミラだけで、あの臆病者でうすのろだけど経歴だけは立派な魔術師は呼ばれていない。イヤな考えが頭をよぎる。まさかアイツ、ソールズベリーが奪われたのをあたしのせいにして上に報告したのではなかろうか。あり得る話だ。なんせアイツは、旧アルメキアの腐敗しきった王宮内を生きてきた男なのである。政策や武功よりも世辞と賄賂がものを言うのが旧アルメキア王宮だ。よほど世渡り上手でないと生き残れない。敗戦の責任を新米騎士一人に押し付けるなどたやすいことだろう。もしそうだったら、帰ってぶん殴ってやる。

 

 などと考えながら会議室の前に来ると。

 

「――姉さん?」

 

 聞きなれた声がした。顔を上げる……までもない。ミラのことを姉さんと呼ぶのは、この世界に一人しかいない。

 

「ミレ! あんた、なんでここに!?」

 

「緊急会議をするからって呼び出されたんだけど……まさか、姉さんも……?」

 

 ゴロゴロ、と、窓の外で低い音が響いた。今にも降り出しそうな雰囲気だが、まだなんとか持ちこたえている。

 

 これはマズイことになったと、ミラは思った。

 

 ミレは、ミラの双子の妹である。カールセン家という家で育った魔術師で、姉のミラ同様、騎士になって半年の新米だ。今回の会議に呼ばれた理由は、恐らくミラと同じであろう。妹のミレは、騎士となって間もなく北西のオークニーという城の防衛に就いたが、北のノルガルドに進軍され奪われている。それだけでもマズイというのに、二人同時に呼び出されたのは致命的にマズイ。フォルセナ大陸には、古くから『双子は呪われた存在である』との言い伝えがある。バカげた話だが信じる人はいまだ多く、これが原因で二人は別々の家で暮らすことになったのだ。だから、二人は双子であることを隠して仕官した。いずれはバレるだろうが、それまでにたくさん手柄を立てておけば、きっとみんな認めてくれる――そう思ってのことだったが、まさか、こんなに早く、しかも手柄を立てるどころか重要拠点を奪われた直後に、二人同時に呼び出されるとは。二人で会議に出席すれば、双子であることは一目瞭然だ。髪形や服装が違っても、到底ごまかせるものではない。ヘタをすれば、今回の敗戦は双子であることが原因だ、などと言われかねない。

 

「ど……どうするの……? 姉さん」不安そうなミレ。

 

「どうするったって、行かないわけにはいかないでしょ」

 

「でも、いま双子だってことがバレたらどうなるか……あたし、病気だってことにして帰ろうか?」

 

「そんなのダメだよ。重要な会議って言ってたから、仮病だってバレたら、命令違反で重罪だよ? 運よくバレなかったとしても、ミレの印象はすごく悪くなるでしょ」

 

「それでも、双子だってバレるよりはいいかもしれないじゃない」

 

「ダメだって。どうせいつかはバレるんだから、覚悟を決めなさい」

 

「……うん」

 

「…………」

 

 ドアノブを握るミラ。だが、回すことができない。覚悟を決めろと言った自分の覚悟が決まらない。

 

「姉さん、やっぱりやめる?」

 

 ぶんぶんと首を振るミラ。ええい、ままよ! ミラは扉を開けた。

 

 その瞬間。

 

「――遅いぞ!!」

 

 王宮全体が震えるかと思うほどの大声が響いた。最初、ミラは外で雷が落ちたのかと思った。それほど大きな音だったのだ。そして、それはある意味でハズレてはいなかった。もっとも、雷が落ちたのは外ではなくこの会議室内だったが。

 

 会議室の中には円卓があり、数名の騎士が囲んでいる。その一番奥に座っているのが、いまの雷を落とした人物だ。見た目も、ミラが子供の頃恐れた雷様のイメージそっくりだ。もちろん、虎の毛皮のパンツをはいて太鼓を叩いているわけではないが、そう思わせるほどの迫力がある。

 

「ゼ……ゼメキス陛下……」

 

 恐怖のあまり上ずった声が出るミラ。雷の主は、この国の皇帝・ゼメキスに他ならない。重要な会議だとは聞いていたが、まさか陛下が出席しているとは思わなかった。だが、王宮で行われる会議ならば、当然それはありうることだった。

 

 ゼメキスは、全身に漆黒の鎧をまとい、腰に長剣を携え、手の届く場所に巨大なクロスボウを置いていた。今日は会議だけのはずだが、今すぐでも出撃できる格好だ。

 

 いきなりの事で頭が混乱し、その場に立ち尽くすミラ達。

 

「早く席に着け!!」再び雷が落ちる。

 

「はいっ!!」二人は同時に跳び上がり、素早く空いている席に座った。

 

「――会議を始める前に確認しておくことがある」

 

 そう言ったのは、ゼメキスのすぐ隣に座っている人物だった。ゼメキスの迫力に圧倒されて全然気が付かなかったが、それは帝国四鬼将の一人・魔術師ギッシュだった。旧アルメキア時代は宮廷魔術師として仕え、現在はエストレガレス軍総帥の座に就いている男だ。

 

 ギッシュはミラ達を見た。「そなたたちは、双子だな?」

 

 ビクッ! と大きく震えるミラ。さっきゼメキスに怒鳴られたときとは別種の震えだ。「ええっと……それは……その……」と、言い淀む。

 

「王宮の記録によると――」ギッシュが手元の書類をめくった。「十七年前、当時地方貴族だったベルフェレスという家に双子が生まれたとある。当時の王ヘンギストは、双子が呪われた存在であると恐れ、ベルフェレスから土地や財産を没収した。その後その双子がどうなったかは記されていないが、時期を同じくして、ベルフェレス家と親交のあったナストール家とカールセン家が養女をとったとの記録がある。それは、そなたらであろう」

 

 あちゃー。すでにそこまで調べているのか。そうなると、この会議は間違いなく双子であることの審問だ。どうやってごまかそう? そもそもごまかせるのかこれ? 同じ顔でミラミレなんていかにもな名前だったら、もう双子確定だろ。でもどうにかしてごまかさないと。でもどうやって? 返事に困っていたら。

 

「――どうなんだ!!」

 

 またまたゼメキスの雷が落ちた。身をすくめる二人。言い逃れは不可能だ。もう、認めるしかない。

 

「確かにあたしたちは双子です。でも、それは――」

 

 ゼメキスの目が、ミラ達からギッシュに向いた。「よし。作戦を説明しろ」

 

「はい」

 

 ギッシュは小さく頭を下げると、円卓に地図を広げた。エストレガレスの北西部、オークニー近辺のものだった。

 

「来月初旬、奪われたオークニー城の奪還作戦を決行する。ミラ・ミレの両名は、それぞれ兵二万を率いてカドベリーとキャメルフォードへ入り、それぞれの方向からオークニーへ侵攻、敵を東西へ引きつけよ。その後、ゼメキス陛下が南のエオルジアより兵一万を率いてオークニー城へ侵攻し、これを攻め落とす」

 

「何か質問はあるか?」ゼメキスの重い声。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……は?」

 

「聞いていなかったのか!!」

 

「いえ! ちゃんと聞いてました! それはもう、一言一句、もれなく一〇〇パーセント聞いてました!! ですが……」ミラは、ごくりと息を飲む。「あたしたちが出撃……それも……兵二万ですか!?」

 

 ミラもミレも仕官してまだ半年も経っていない。一応ルーンの騎士として兵を率いる立場にはあるが、その数は千である。その千の兵を率いたいくさもうまく行かず、先日のソールズベリー及びオークニーでの敗北となったのだ。

 

「確かに、そなたらの騎士としての経験はまだ浅い」ギッシュが書類をめくった。「兵二万を率いるには少々早いかもしれぬ。しかし、訓練等の結果から考え、可能であると判断した」

 

「でも、先日のいくさで、あたしたちのせいでソールズベリーとオークニーを奪われ、国は危険な状態になっちゃいましたし」

 

「確かにその二城を奪われたのは痛手だ。だが、撤退したそなたらの判断は間違いではない」ギッシュはさらに書類をめくった。「特に、ソールズベリーの戦いは評価すべきであろう。報告書には、『騎士ミラは、賢王カイとナイトマスター・ディナダンを相手に堂々と戦った。敗戦の責任はすべて指揮官の私にある』とある。兵の損失も最小限にとどめたようであるし、初陣としては十分すぎる成果と言えるだろう」

 

 いや、あのいくさは誰とも戦うことなく即撤退したんだけどな……。あの臆病者でうすのろだけど経歴だけは立派で世渡り上手の魔術師、よくもそんな見え透いたウソ報告をしたもんだ。でも、責任は自分にある、って実はいい人だったのか? いや、たぶんちがうだろう。恐らく、ゼメキス陛下の性格を考慮し、敗戦の責任を新米騎士になすり付けるよりは堂々と自分の責任であると認めた方が良いと判断したに違いない。あの臆病者でうすのろだけど経歴だけは立派で世渡り上手でウソツキの魔術師、本当に世間の立ち回りが上手いんだろうな。まあ、その結果あたしが評価されたんなら良しとするか。

 

 ……そうでなくて。

 

「しかし……あたしたちが陛下と共に戦うなんて……いいんでしょうか? だって――」ミラはごくりと息を飲み、恐る恐る言う。「あたしたち……双子……ですよ……? 呪われてるって……ウワサの……」

 

 ゼメキスは。

 

「そのくだらぬ迷信が戦場に何の関係がある!?」

 

 ミラの言葉を一蹴した。

 

 だが。

 

 今回は、ミラもミレも、身をすくめることはなかった。

 

「オークニーを守るのは、旧アルメキアの軍師モルホルトだ」と、ギッシュが再び口を開いた。「駐屯している兵の数は約七万。本来は倍以上の兵をもって挑みたいところだが、今の我が国にそのような余裕はない。何としても、兵五万で奪い返さねばならぬ」

 

「で……でも……」今まで黙って怯えているだけだったミレが初めて口を開いた。「なぜ、あたしたちなのでしょう? もっと適任がいると思うのですが」

 

「そなたらのような双子には、遠く離れていても意思の疎通ができるという特殊な能力があるというが、それは本当か?」

 

 ギッシュの話に、二人は顔を見合わせた。確かに、双子にはそのような不思議な力がある、と、よく言われている。実際ミラとミレにもそういったことは多い。双子が不気味がられる理由のひとつであるが、特殊能力というほどのものでもないと、二人は思っている。双子はもともとひとつだったものがふたつに分かれたものだ。同じ人間が二人いるようなものであり、考え方や行動が似るのは当然であろう。だから、いま相手が何を考えているか、などは、手に取るように判る。

 

 ミラはギッシュに向き直った。「確かに、そういうことはあります。しかし、それが今回の作戦に、どう関係するのでしょうか?」

 

 ギッシュは地図の上を指示棒で指し示す。「オークニーは北と西からの攻めには強いが、今回のように敵に奪われた場合も想定し、東と南からの侵攻には比較的弱い場所に建ってある。敵に奪われたとき、その方が奪い返しやすいからな。それでも兵力の差を考えるとまともにぶつかるのは得策ではない。そこで、まずそなたたちが東西から攻め、それぞれの方向に敵を引きつけるのだ。その後、守りが薄くなった南から陛下が突撃し、城を落とす。これが、この作戦の目的だ」

 

「この作戦では、東と西に分かれた部隊がいかに敵を引きつけるかが重要だ」と、ゼメキスが説明を引き取った。「それにはふたつの部隊の連携が欠かせぬが、広い戦場の遠く離れた場所では、一瞬の連携の乱れが命取りになるやもしれぬ。そこで、そなたら双子の特殊能力が必要なのだ。つまり――」

 

 ゼメキスはミラとミレの二人を見た。睨むと言ってもいい鋭い目だが、今までのような恐ろしさは、全く感じない。

 

「俺はそなたら双子の連携に期待している! できるか!?」

 

 この問いに、ミラは。

 

「――できます!」思わず即答した。「やります! やらせてください! 絶対やります!! やっぱりダメだって言ってもダメですからね!! 絶対絶対やりますからね!!」

 

「ちょっと姉さん、そんな簡単に引き受けちゃって、もし失敗したら……」

 

「やろうミレ! むしろやらなくちゃダメだよ! やらなくてどうするの!! こんなチャンス滅多にないよ! ううん、絶対ない!!」

 

「そ……そうかもしれないけど……」

 

「安心してください陛下! ミレだってやる時はやります! なんせあたしの妹ですから! 双子だから判るんです! この作戦、絶対成功させてみせます! あたしたち双子の活躍、大いに期待してください!!」

 

 円卓の上にあがるばかりの勢いでゼメキスにアピールするミラ。

 

 その姿を見ていたゼメキスの顔が、ふっとゆるんだ。

 

「……浮かれるのは構わんが、これだけは肝に銘じておけ」

 

 今までの険しい表情がウソのような、優しさに満ち溢れた顔だった。

 

「双子が呪われた存在であるなど、バカげた話だ。そのような古い迷信に惑わされ、そなたらを虐げる者など、我が軍にはいない。この国では、双子であることは何の罪でもないからな」

 

 言葉も優しい。誰だよ、こんな優しい人を雷様だなんて言ったのは。まるで聖者のようなお方じゃないか。ああ、こんなにも素晴らしい方にお仕えできるとは、なんて素敵なのだろう――ミラの心は雲ひとつ無い青空のように晴れやかだった。

 

「だがな――」

 

 突然、優しかったゼメキスの顔と言葉が一転し。

 

「戦場で俺の期待を裏切った時の罪は何よりも重いぞ!!」

 

 鬼のような目で睨み。

 

「もし此度の作戦をしくじるようなことがあれば、この俺自ら貴様らを叩き斬ってくれる! 覚悟して挑め!!」

 

 悪魔のような言葉で一喝した。

 

「――以上だ!!」

 

 城の外で、ががーん! と雷が鳴った。いつの間にか、どしゃ降りの雨が降っていた。

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 

 二人は、さっそくログレスを旅立つことになった。

 

 昼間のどしゃ降りがウソのように、空には満天の星空が広がっている。あの天候は、本当にゼメキス陛下が操っていたのかもしれない、なんてことを思う。

 

 あの時のゼメキス陛下の顔を思い出すと、今でも肝が縮み上がる思いだ。

 

 落ち着いて考えてみると、とんでもない安請け合いをしてしまったように思う。千の兵を率いるに過ぎなかった自分たちが、いきなり二万の将である。その上、王自ら先頭に立つ戦場だ。もしゼメキス陛下が討たれるようなことになったら、その時点でこの国は終わりかもしれないのだ。

 

 だが、それでも。

 

「……やるしかないよ、ミレ」ミラは、決意と共に言った。

 

「ええ、姉さん」ミレも、すでに覚悟を決めている。

 

 やるしかない。双子で生きていくために。

 

 双子が呪われた存在であるという考えは古くなりつつある。双子であることを気にせず接してくれる人も少なくはない。

 

 だが、双子であることに期待しているなんて言ってくれたのは、ゼメキス陛下が初めてだ。その言葉に嘘は無いだろう。そうでなければ、陛下自らが出撃する極めて危険な作戦に、新米騎士二人を同行させるはずがないのだ。その期待には応えなければならない。

 

 あたしたちが生きていくのは、この国しかない。

 

 無論、楽な道ではない。今回のいくさに勝利しても、その後も戦い続けなければならない。一度でも負ければ、「やはり双子は呪われた存在だ」などと言われかねない。

 

 戦わなければならない。この国で生きていくために。負けるわけにはいかない。ベルフェレス家復興という悲願を果たすために。勝利を奉げなければならない。あたしたちを認めてくれた、ゼメキス陛下のために。

 

「行くわよ、ミレ」

 

「任せて、姉さん」

 

 二人は、右の拳を握って左胸に当て。

 

 そして、新たな戦場へ向けて旅立った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五十九話 ハレー 聖王暦二一五年十月上 西アルメキア/カルメリー

 仇を求めて大陸をさすらう女騎士ハレーは、レオニアを離れ、再び西アルメキアに戻っていた。旧アルメキアの王太子であり、現在はこの国の君主であるランスに会うためだ。目的は、西アルメキアへの仕官だった。ハレーは、流れるような槍捌きから『流星のハレー』との異名を持ち、旧アルメキアでクーデターを起こしたゼメキス相手に一歩も退かずに戦ったほど武術に長けている。ゼメキスと五分に戦える騎士などフォルセナ大陸に数えるほどしかいないが、それほどの実力を持ちながらも、これまでどこの国にも仕官したことは無い。以前、ランスに勧誘された時も断った。愛する者の命を奪った仇・魔導士ブロノイルを討つまで、どこの国にも、どの君主にも仕えるつもりは無かったのだが。

 

 ハレーは謎の魔導士ブロノイルに関して調査を進めるうち、旧アルメキア時代、当時軍総帥だったゼメキスの周辺にそのような名前の魔導士がいた、との証言を得ることができた。具体的に何をしていたかなどの詳しい情報は得られなかったものの、もしゼメキスと深い繋がりがあったとすれば、極めて重大な問題であった。ゼメキスがクーデターを成功させた裏で、その謎の魔導士が暗躍していたかもしれないのだから。

 

 さらに調査を進めた結果、ブロノイルは東へ向かったとの情報を掴み、ハレーは東の宗教国家レオニアへと向かった。そこで、予想だにしなかった事態が起こる。帝国のデスナイト・カドールや新たに軍総帥となった魔術師ギッシュら『帝国四鬼将』が、部隊を率いてレオニアへ侵攻したのだ。帝国軍はその圧倒的武力をもってレオニアの拠点を次々と落とし、聖都ターラへと迫った。これに危機感を抱いたレオニア女王リオネッセは、北の大国ノルガルドへ助けを求めた。ノルガルド王ヴェイナードは、ノルガルドとレオニアが併合することを条件に女王の要請を受け入れ、レオニアへ派兵した。ノルガルドからの援軍を受けたレオニアはなんとか帝国の侵攻を食い止めたものの、女王リオネッセはヴェイナードの后となり、レオニアはノルガルドと併合。これは、事実上のレオニア滅亡であった。

 

 ハレーが聖都ターラに着いた時、レオニアはノルガルドと併合した後だった。そこで調査を進めるうちに、かつてレオニアで軍師を務めたという男から話を聞くことができた。彼の話はハレーを驚かせた。レオニアが帝国の侵攻を受ける直前、女王がブロノイルと名乗る魔導士に襲撃されていたというのである。開戦後もいくさに消極的で他国へ侵攻しようとしない女王リオネッセを排除し、いくさを好む別の者を王に据えようというのがその目的であったらしい。この企みは部下の騎士の活躍により阻止されたものの、ブロノイルは去り際に「すでに他の手は打ってある」という言葉を残した。その直後の帝国の侵略、そして、ノルガルドとの併合だ。結果的に、女王は排除されたことになる。

 

 帝国と旧レオニアで得た情報。このふたつから、ハレーの頭に恐ろしい考えが浮かんだ。

 

 ――ブロノイルは、今回のフォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦を引き起こし、更に戦乱を煽ろうとしているのでは?

 

 あまりにも突飛な話だ。飛躍しすぎているようにも思う。特に帝国で得た情報には不確かなことが多い。そこから無理に答えを導き出しても、それは妄想の域を出ないだろう。だが、捨て置くことなどできるはずもない。ゼメキスが不可能と思われたクーデターを成功させた裏には、なんらかの大きな力が働いていたとしか考えられないのだ。帝国の不可解なレオニア侵攻も、ブロノイルの暗躍があったとすれば納得がいく。

 

 しかし、なぜ大陸中を巻き込んだ大戦を引き起こし、更に戦乱を煽ろうとしているのか? その理由は、いくら考えても判らなかった。

 

 ハレーはその後も調査を進めたが、それ以上ブロノイルに関する情報は得られなかった。だが、ヤツの目的がこの戦乱を煽ることならば、近いうちにまた何か行動を起こすだろう。ハレーは、西アルメキアへの仕官を決意した。戦場に身を置けば、必ずブロノイルが何か仕掛けて来る、そう考えたからだった。

 

 カルメリー城の謁見の間でランスを待つハレー。しばらくして、ランス現れた。

 

「――お久しぶりです、ハレーさん!」

 

 ランスは高座の椅子には座らず、ハレーのそばにやって来た。彼の後ろには、側近の騎士ゲライントの姿もある。

 

「ご無沙汰しております、ランス様」ハレーは頭を下げた。「……少し、背が伸びましたか?」

 

「そうですか?」ランスは首を傾けた。「そんなことはないと思いますが……」

 

 ハレーがランスと別れてからまだ半年程しか経っていない。ランスの十五歳という年齢を考えると急激に背が伸びても不思議ではないが、そばに控えているゲライントと比較すると、確かに以前とあまり変わっていないようにも思える。

 

 ハレーは小さく笑った。「そうでしたか。では、ランス様が人間的に成長されたのでしょう」

 

「そんな……それこそ、思い違いですよ」ランスは照れたように笑った。

 

 冗談めいて言ったハレーだったが、人間的に成長したというのは、大いにあり得ることだった。ランスは五月、帝国を相手に十万対十万の大きないくさを経験している。しかも、敵軍を率いたのは大陸最凶と名高いデスナイト・カドールだ。ランスはこのいくさには敗れたものの、十五歳の少年が成長するには、十分すぎる経験だろう。

 

「それで、ハレーさん。今回は、どのようなご用件でしょうか? もしや、仇を討つことができたのですか?」

 

 ランスの言葉に、ハレーは視線を落とし、首を横に振った。「いいえ。残念ながら、まだ討てておりません。それどころか、正体すらつかめぬ有様です。大陸の各地で、噂を聞くことができるのですが……」

 

 ハレーは、ランスとゲライントにこれまでの経緯を話した。旧アルメキアのゼメキスの周りで姿を見た者がいること、レオニア女王を襲撃し、失敗後、帝国がレオニアを攻め、ノルガルドとレオニアが併合したこと、など。話を聞いたランスとゲライントは、衝撃を隠せない様子だった。

 

「……不確かな情報です。ランス様は、深く考えない方がよろしいかと思います」ハレーは最後に付け加えた。

 

「そうですね……しかし、もしそれが真実だとしたら、恐ろしいことです」

 

「仰る通りです。そこで、ランス様にお願いがあるのです」

 

「お願い? 何でしょう?」

 

「このハレーに、ランス様と共に戦うことをお許しいただきたいのです」

 

「私と共に戦う? それは、この国に仕官していただけると言うことですか?」

 

「はい。前回お会いしたときに断わっておきながら、誠に厚かましいお願いではあるのですが」

 

「いえ、とんでもない! 大歓迎ですよ! でも、ブロノイルの件は良いのですか?」

 

「これ以上一人で調査しても、進展は無いかもしれません。しかし、ヤツの目的がこの戦乱を煽ることならば、戦場に身を置けば、必ず何かしらの手掛かりを掴めるはずです。私情ばかりで、本当に申し訳ありません」

 

「そんな、謝らないでください。前回は、私とハレーさんの目指す道が違っていた。でも今は、それが同じ方向を向いている。それでいいじゃありませんか」

 

「ありがとうございます、ランス様」ハレーは、右の拳を握って左胸に当てるアルメキア流の忠誠を誓う仕草をした。「このハレー、必ずやランス様のお役にたって見せます」

 

 ランスも同じ仕草で応えた。「はい。期待しています、ハレーさん」

 

「それと、もうひとつ」ハレーはさらに続けた。「私の他に、もう一人、この国へ仕官を希望している者がいるのですが、お会いしていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「在野の騎士ですか? どんな方でしょう?」

 

「はい。私が旧レオニアの聖都ターラを訪れた際、ブロノイルについての話をしてくれた者です。レオニアで軍師をしていた男なのですが、国を滅ぼしたノルガルドやエストレガレス帝国へ復讐を果たしたいと申しております」

 

 ゲライントが目を輝かせた。「ほう、レオニアの軍師ですか。それは興味深い」

 

「ゲライント、知っているのか?」ランスが訊く。

 

「会ったことはありませんが、噂はよく聞きます。神官騎士団長を務め、レオニア1の智将と呼ばれているとか」

 

「レオニア1の智将? そんな人が仕官してくれるのならば、心強い」ランスはハレーを見た。「ぜひお会いしたいです」

 

「では、お連れします」

 

 ハレーは一旦謁見の間から出ると、外に控えていた男を連れて戻った。

 

「――お初にお目にかかります、ランス陛下。わたくし、レオニア1の智将であり、レオニアの頭脳と呼ばれた男であり、ゆくゆくは西アルメキア1の智将&頭脳となる騎士・ランゲボルグと申します」

 

 レオニアの軍師は、ランスを前にしても跪いたり頭を下げたりすることもなく、胸を張ったまま言った。

 

「――ランゲボルグ?」ゲライントが首を傾けた。「はて? レオニアの軍師は、そのような名ではなかったはずだが……?」

 

「ああ。それは、別の者でしょう。実は、レオニアには私の他にもう一人軍師がいたのですが、大した実力も無いくせになぜか女王に気に入られておりましてね。恐らく、世辞と賄賂でのし上がった愚臣の類ですよ。私は何度も女王に献策したのですが、一切採用されませんでした。恐らく、私の才能に嫉妬したあの偽軍師が、全て握りつぶしてきたのでしょう。私のイナズマ作戦が採用されていれば、レオニアが滅びることは無かったでしょうに。ああ、イナズマ作戦というのはですね――」

 

 その後、自称レオニアの頭脳は、よく判らない作戦を長々と説明し続けた。

 

 やはりこの男を連れて来たのは間違いだったか、と、ハレーは思った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十話 メルトレファス 聖王暦二一五年九月下 レオニア/聖都ターラ

 エストレガレス帝国軍は、レオニアの首都ターラの王城に迫りつつあった。

 

 七月の上旬、エストレガレス帝国は南の城カーナボンに約八万の兵を集めていた。それを指揮するのはデスナイト・カドール、さらに、剣聖エスクラドスや帝国軍総帥ギッシュも入城し、城内は物々しい雰囲気だった。帝国四鬼将の内三人が集まっている。これは、六月の下旬に魔導国家カーレオンに奪われた重要拠点ソールズベリーを奪還するための軍編成だと、誰もが思った。

 

 だが、この軍は予想外の動きを見せる。カドールらが率いた軍はソールズベリーではなくイスカリオ領アスティンを攻め、これを制圧。そのまま軍は北東のレオニアへ向かって進軍し、ハドリアン、グルームといったレオニアの城を次々と落とし、ついに、首都ターラへと迫ったのである。

 

 帝国の新米騎士メルトレファスは、エストレガレス軍の最前列で剣を振るっていた。この戦いはターラの王城を落とすことが目的だ。メルトレファスの目には王城が見えているが、まだ手は届きそうもない。ターラの王城は、大きな湖の真ん中に浮かぶ島に建っている。たどり着くには一本しかない橋を渡るか、空を飛ぶモンスターや泳ぎの得意なモンスターに襲撃させるかだが、残念ながら現在メルトレファスが従えているモンスターにはどちらもいない。橋を渡るしかないが、当然レオニアの騎士や兵が総力を挙げて守っており、簡単には近づけない状況だ。

 

 ――焦ることはない。このいくさはすでに勝ったも同然だ。無理に突撃せず、目の前の敵を倒していけばいい。

 

 メルトレファスは胸の内で自分に言い聞かせ、更に剣を振るった。斥候が得た情報によると、レオニア女王リオネッセはすでに王城を脱出したらしい。多くの騎士が女王の護衛に就いたため、このターラに名のある騎士はほとんど残っていないそうだ。兵力では圧倒的に帝国側が勝っているため、このまま戦いを続ければいずれ勝てるはずだ。もっとも、メルトレファスにとっては、己の力を試したり名を上げるための強敵がいないのが残念なことだった。

 

 戦いを続けるメルトレファス。敵軍は疲弊し、そのまま帝国の勝利となるはずであったが。

 

「――援軍だ! 北から、援軍が到着したぞ!!」

 

 レオニア兵が声を上げた。ほぼ同時に、北から駆け付けた大軍が帝国軍とぶつかる。その軍は、レオニアの兵とは明らかに違う恰好をしていた。全員が鎧の上に厚手の毛皮の外套をまとっており、掲げている旗も、レオニアのものではない。

 

 ――これは、ノルガルド軍か!?

 

 間違いのない所だった。恐らくレオニア女王が援軍を要請したのだろう。力の無い者がやりそうなことだ。

 

 だが、ちょうど、僧侶ばかり相手にして退屈していたところだ。相手がノルガルド軍なら不足は無い。メルトレファスは援軍に向かって剣を振るう。

 

 と――。

 

「――相手は四鬼将だ。油断するなよ」

 

 威厳に満ちた声がした。そちらを見るメルトレファス。銀の鎧に身を包んだ銀髪の男が見えた。腰に剣を携え、右手に身の丈を超える槍斧(そうふ)を持っている。それらすべての装備には、派手さはないものの丁寧な装飾がほどこされており、ひと目見て名のある職人の武具だと判る。並の騎士が身に着けるようなものではない。武具だけではない。その男の全身から発する雰囲気――部下に指示を出す時の威厳に満ちた声、指示を出している時も一部の隙もないたたずまい、そして、指示に従う部下の忠実な態度――が、明らかに他の騎士とは違う。それはつまり、他の騎士との格の違いを表している。

 

 ――あれはもしや、白狼か!?

 

 メルトレファスは体の奥底から震える思いだった。白狼ヴェイナード。言うまでもなく、ノルガルドの君主である。メルトレファスは、先日のキャメルフォード戦に続き、二度も続けて敵国の君主と対峙したことになる。強敵のいないつまらぬいくさが一転、大きく名を上げるチャンスとなった。

 

「おい! お前は白狼だな!!」

 

 メルトレファスは(はや)る気持ちを抑えることなく叫ぶ。

 

「……なんだ、貴様は」ヴェイナードはつまらなさそうな目でメルトレファスを見た。

 

「エストレガレス帝国騎士、メルトレファスだ! 白狼! この俺の力を試すのにちょうどいい相手だ!」

 

 ヴェイナードはメルトレファスの言葉を鼻で笑った。「ちょうどいい? 面白いことを言う。どうやら、身の程を知らぬと見えるな」

 

「そんな口を叩けるのも今の内だ!」剣を構えるメルトレファス。

 

 ヴェイナードの護衛兵が主君を護ろうと前に出たが、ヴェイナードが「下がっていろ」と言って、それを制した。「予も戦場に出るのは久しぶりだ。なまった体を慣らすには、ちょうどいい相手かもしれぬ」

 

「バカにしやがって。行くぞ!」

 

 メルトレファスは剣を構えてヴェイナードに突撃した。一気に間合いを詰め、剣を振るう。ヴェイナードの剣は鞘に納められた状態で腰に提げられている。武器は身の丈を超える大きさの槍斧のみだ。距離を取った相手には有効な武器だが、長さと重量がある分、細かい動作は難しい。間合いを詰めれば、その長さと重さが(あだ)となるだろう。そう思っての攻撃だった。

 

 しかし、ヴェイナードの槍斧が信じられない速さで動き、メルトレファスの剣を受け止めた。

 

「――軽いな。エストレガレスの騎士の力とやらは、こんなものなのか?」

 

 馬鹿にするようなヴェイナードの言葉。メルトレファスは一度剣を引き、今度は反対側から剣を振るった。渾身の一撃だったが、これも、ヴェイナードの槍斧によって受け止められる。

 

「くそ!」

 

 メルトレファスは一度間合いを取ると、部下のヘルハウンドに攻撃を命じた。メルトレファスの両脇を二体のヘルハウンドが走り抜け、ヴェイナードに飛びかかった。二体同時の攻撃だったが、ヴェイナードはこれも簡単に受け止めた。ヘルハウンドは一度間合いを取り、また間合いを詰めて攻撃する得意戦法を数回繰り返した後。

 

「今だ!」

 

 メルトレファスの合図で、二匹同時に口から炎の息を吐いた。灼熱の炎がヴェイナードを包む。ヴェイナードは、羽織っていた毛皮の外套に身を隠した。そんなものでヘルハウンドの炎を防げるはずはない――メルトレファスはそう思い、勝利を確信したのだが。

 

 ――バカな!?

 

 炎が消えた後も、ヴェイナードは不敵な笑みを浮かべて立っていた。外套の表面がわずかに焦げている程度で、ほぼ無傷である。

 

 ヴェイナードが槍斧から左手を離し、素早い動きで印を結んだ。口元もわずかに動いている。魔法を使う気だ! メルトレファスが気付いた時には遅かった。ヴェイナードの全身から氷の刃が飛び出し、メルトレファスとヘルハウンドに襲いかかった。氷の刃は皮膚を裂き、肉を切り、そして、傷口を凍らせる。メルトレファスはなんとか氷の刃の攻撃に耐えたものの、二体のヘルハウンドは身体中を斬り刻まれ、絶命した。

 

「よくも!!」

 

 部下のモンスターを殺された怒りを込め、再び剣を振るうメルトレファス。だが、相手の動きの方が速かった。槍斧の柄の部分が突き出され、メルトレファスのみぞおちを捕えた。戦士であるメルトレファスは鎧を身に着けている。当然腹も守られているが、鎧の上からでも強い衝撃を受け、前のめりになった。メルトレファスの頭部ががら空きになる。

 

 そこを、反転した槍斧の刃が襲う。

 

 がしん!

 

 なんとか剣を構えて受け止めたものの、全身の骨が砕けるかと思うほどの衝撃と共に、メルトレファスは地面に叩きつけられるように倒れた。

 

「先ほどは大層な口を叩いていたようだが、貴様の力はこの程度なのか?」見下すようなヴェイナードの言葉。

 

 メルトレファスは立ち上がろうとしたが、地面がぐにゃりと揺れるような感覚に膝をついて倒れた。先ほどの強烈な一撃に脳震とうを起こしたようだ。

 

「フッ、口ほどにも無い、とは、まさにこのことだな」ヴェイナードは嘲るように笑った。

 

 屈辱だった。メルトレファスは相手が白狼であろうと負けるつもりは無かったのだが、この有様だ。騎士になってまだ一年にも満たないが、これまで訓練を怠ったことは無い。この戦いで油断をしたつもりはない。つまり、これが今の自分の力なのだ。それを認めるしかなかった。

 

「……くそ……力が……もっと力があれば……」

 

 思わずつぶやくメルトレファス。

 

 ヴェイナードが眉をひそめた。「貴様、先ほどから、力、力、と言っているが、何ゆえそれほど力を求めるのだ? 力を得た先に、何を見ている」

 

 ヴェイナードのその問いに。

 

 ――力を得て、何をしたいの?

 

 以前エニーデという女騎士に言われた言葉を思い出した。

 

 あの時は何も答えられなかった。メルトレファスはとにかく力を得ることばかりを考えていて、力を得て何をするかは考えていなかったのだ。あの時も、そして今も。

 

「……答えられぬようだな」ヴェイナードが言った。「ひとつ助言をくれてやろう。我らノルガルドの騎士は、大陸統一という目的の元に集っている。我が軍の中には予を王と認めておらぬ者も少なからずいるが、大陸統一という目的は皆同じだ。そのために日々訓練を行い、力をつけてきた。今ではそなたら帝国の軍にも負けぬほどの力を持っていると確信している。判るか小僧? 力とは目的があってこそ追い求めるものだ。力を追い求めることが目的では虚しいだけであろう。それでは、決して大きな力を得ることはできぬ」

 

 エニーデと同じことを言う。

 

 メルトレファスは、自分の考えが間違っているとは思えなかった。しかし、ヴェイナードの言うことは正しいと認めざるを得ない。『力があれば何でもできる』というのがメルトレファスの信念だ。その信念に従うならば、正しいのは力のある者だ。そして、いまこの場でどちらに力があるのかは言うまでも無い。

 

「もっとも、助言など無意味であったな」ヴェイナードはさらに続ける。「ここは学校でも家でもないし、予は貴様の教師でも親でもない。ここは戦場であり、予はそなたの敵だ。助言を活かす次の戦いなど無いのだからな」

 

 ヴェイナードが槍斧を振り上げた。

 

 剣を構えようとするメルトレファス。だが、まだ意識はもうろうとしていて、身体が思うように動かず、立ち上がることもままならない。周囲に味方はおらず、助けてくれる者もいない。これで終わりなのか……そう思った。

 

 メルトレファスの横を、鋭い風が吹き抜けた。

 

 風は刃となり、ヴェイナードを襲う。刃はヴェイナードの振り上げた槍斧を捉えた。大きな衝撃音と共に、槍斧が弾き飛ばされる。

 

 味方の攻撃か? メルトレファスはまだもうろうとしている意識の中で周囲を見回したが、やはり、近くに味方らしき姿は無い。ならば、離れた場所からの攻撃だろう。魔法のようにも見えたが、風の刃のような魔法は、少なくともメルトレファスは知らない。

 

 ならば。

 

 ――今のは、レンキザンか。

 

 レンキザンとは、東方の小さな島国より伝わる剣技のひとつで、体内の闘気を練り、それを刃に転移させて発する技だ。要するに、剣が届かないような離れた相手でも斬ることができるのである。この東方の剣技を使う騎士は『剣士』と呼ばれ、フォルセナ大陸にも多く存在する。一般的な剣士ならその射程距離はせいぜい五メートル程度で、それ以上離れた相手を斬ることができるのはかなり手練れである。メルトレファスの周囲には、少なくとも半径十メートル以内に誰もいない。それほど離れた相手を斬ることができる剣士は、現在このフォルセナ大陸に一人しかいない。

 

 二人に近づいて来る影が見えた。腰に東方の細身の剣・カタナを携えた剣士だ。その背後には、多くのノルガルド兵、レオニア兵、そしてモンスターたちが倒れている。

 

「――下がれ小僧。貴様ごときの剣でその男を倒そうなど十年早い。出直してくるのだな」剣士はメルトレファスに向かって静かな口調で言った。

 

 ヴェイナードが剣士を睨んだ。「ほほう。では、貴公が予の相手をしていただけると? これは光栄の極み」

 

 鋭い目を向けているものの、その口調は、明らかにメルトレファスに対するものと違っていた。敵ではあるが、敬意が込められている。

 

 剣士は静かな足取りでヴェイナードの前に立った。

 

「白狼……我が剣の大成のため、貴様を斬る……!」

 

 帝国四鬼将の一人・剣聖エスクラドスは、腰に携えたカタナを握り、わずかに腰を落として構えた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十一話 ミリア 聖王暦二一五年十月下 ノルガルド/――――

 魔導国家カーレオンへ仕官した旅の絵描きミリアは、国を離れ、ノルガルドの南西にある山深い地域へ来ていた。季節は十月下旬。カーレオンの山中では紅葉が見ごろになる時期だが、北国であるノルガルドは冬の訪れが早く、比較的気候が穏やかなこの地域でもすでに木々の葉は落ちている。空気は冷たく、時折山頂から強く吹き付ける風は身を切るような鋭さを含んでいた。もう間もなく、国中が雪に埋もれるだろう。

 

 仕官したばかりのミリアが国を離れ、人里離れたこんな山奥に来たのは、この山で一人暮らしをしている友人・エルオードを訪ねるためだ。エルオードはルーンの加護を受けているものの、仕官せずにいる男だった。

 

 山深い場所にしてはよく整備された道を進むと、川辺の開けた場所に小さな小屋が見えた。その近くから、カーンカーンと小気味良い音が響いてくる。小屋の近くで、エルオードが薪を割っているのだ。川辺の小屋で薪を割る男――ミリアはスケッチブックに描きとめたい衝動をなんとか抑える。今回の目的は、絵を描くことではない。

 

「やっほー、エルオード。元気してた?」ミリアは、手を振りながら声をかけた。

 

「ミリアさん?」顔を上げたエルオードは、目を丸くして驚いた。「珍しいですね、ミリアさんが、こんなに早くここに来るなんて。前回来られてから、まだ一年も経っていない」

 

「あら? ()()一年も経った、でしょ?」

 

()()一年、ですよ。ミリアさんは、一度お別れしたら、数年はいらっしゃらないではないですか」

 

「そうだっけ?」

 

「そうですよ。前に来られたのは、去年の十二月でしたか。真冬にノルガルドを旅するのは大変だと言ったのに、ミリアさんは構わず旅を続けた」

 

「あはは。そうだったわね。どうしてもノルガルドの冬の景色を描きたかったから。確かに大変だったけど、その分、いい絵が描けたわ」

 

「それは良かった。では、今回もノルガルドの風景を描きに? しかし、残念ながら少々時期ハズレでしょうな。もう少し早ければ紅葉が綺麗だったのですが、いまはご覧のとおり、ほぼ落葉しています。これでは、絵にならないでしょう」

 

「あら? そんなことないわよ。冬を迎える準備をする山――とても魅力的よ。創作意欲が湧いてくるわぁ」

 

「そうですか。それは何より」

 

「あ、でも、今回は、絵を描きに来たワケじゃないのよ」

 

「はい? ミリアさんが、絵を描く以外にどのような目的が?」

 

「ちょっと。あたしだって、絵ばっかり描いてるわけじゃないのよ?」

 

「そうなのですか?」

 

「……まあ、今まではそうだったかもしれないけど、これからは違うの」

 

「どういうことでしょう?」

 

「ま、それは追い追い説明していくとして……なんか、温かい飲み物でもない? 寒くてしょうがないわ」

 

「これは失礼。気が利きませんでした。さあ、どうぞ中へ」

 

 ミリアはエルオードに連れられ小屋へ入った。寒空の下を長く歩き冷え切ったミリアの身体を、温かい空気が迎えてくれる。中は暖炉で火が焚かれていた。火にくべられた薪がぱちぱちと小さな音を立て、火にかけられたヤカンからはふつふつと水蒸気が噴き出している。エルオードはミリアに椅子を勧めると、ヤカンを取り、お茶を淹れた。

 

「――それで、今回のミリアさんの目的とは?」エルオードはお茶をテーブルに置くと、ミリアの正面に座った。

 

「うーん、そうねぇ」ミリアはお茶をすすりながら、何から話すべきか思案した。いろいろと話したいことが多いのだが、結局最初から話すのが一番早いだろうと判断した。「エルオードってさ、ルーンの加護を受けてるけど、ずっと仕官せずにいるよね?」

 

「そうですが、それが何か?」

 

「いや、なんでかな? と思って」

 

「はい? そんなことを訊くために、わざわざ来られたのですか?」

 

「まあ、それも目的のひとつではあるかな」

 

「おかしな人だ。まあ、いいですけどね」

 

 エルオードはお茶を一口飲むと、小さく息をついて続けた。「別に深い理由は無いですよ。私は、騎士には向いてないというだけです」

 

「そんなことは無いと思うけどな。エルオードはずっと山で暮らしてるから、体力はあるし手先は器用だし、ちゃんと訓練すれば、立派な騎士になれると思うけど」

 

 エルオードがこの山奥で暮らし始めたのは四年前だ。この山小屋は、彼が一人で建てたらしい。山奥の割に整備された道も、彼が手入れをしたものだ。彼が山を下りるのは年に数回程度で、食糧はほぼ自給自足だ。これらのすべてを、エルオードは四年間一人でこなしてきたのだ。森から木を切りだして小屋を建て、生い茂る草木を切り払い邪魔な石や岩をどけて道を整備し、山で獣を狩り、森で木の実や野草を採り、川で魚を獲り、畑で野菜や穀物を育てる。相当な体力と器用さが無ければできるものではない。

 

 だが、エルオードは褒められるのを嫌がるように首を振った。「買いかぶりすぎですよ。私に、騎士の才能なんてありません。確かに、体力や器用さにはそれなりに自信がありますが、それで騎士に向いているとは思えません」

 

「なぜ?」と、ミリアは首を傾けた。

 

 エルオードは少し迷ったような目になったが、やがて続けた。「……私は、この国の気風が合わないんですよ」

 

「気風?」

 

「ええ。前王ドレミディッヅ様や、現王ヴェイナード様のような考え方は、私には到底できませんから」

 

「……ナルホド。そういうことだったのね」

 

 エルオードの答えは短いものだったが、ミリアはすべてを理解した。

 

 ノルガルドは、長い歴史の中で何度も南への侵略を繰り返してきた。そのために、より強い騎士や兵・モンスターを集め、弱い者は容赦なく切り捨てる。それが、このノルガルドという国である。非情とも言えるが、それが間違っているとも言えないのがこの国の現状だ。寒冷地であるノルガルドは食糧生産力に乏しく、民は慢性的に飢えている。他国からの支援も得られない。生きるためには、他国から奪うしかないのだ。

 

「この国の騎士になるためには、常に強くあり、弱い者を見捨てる覚悟が必要です。ノルガルドの国情を考えれば、それは仕方のないことなのでしょう。でも、私にはできません」

 

 エルオードは湯呑をぎゅっと握りしめて言った。その言葉には、微妙な悔しさが滲み出ているように思える。

 

 優しい人だ、と、ミリアは思う。恐らく、この国で騎士として生きるには、致命的なほどに。

 

 でも、だからこそ――。

 

 ミリアは、エルオードに向かってにっこりとほほ笑んだ。「――やっぱり、あなたを誘いに来て正解だったわ」

 

「え? 誘う、とは?」

 

「あたし、あなたに仕官を勧めようと思って、来たの」

 

「私が仕官ですか? しかし、いま言った通り、私はこの国の騎士には向きません」

 

 ミリアは首を振った。「ううん。この国じゃないの。実はあたし、いま、カーレオンにお仕えしているの」

 

「カーレオン? 南の、魔導国家ですか?」

 

「ええ」

 

「これは驚きですね。ミリアさんは、国中を旅して絵を描くという夢を追いかけ、決して仕官しない人だと思っていました」

 

「そうね。戦争が始まる前までは、そうだった」

 

「いったい、どういう心境の変化があったのですか?」

 

「うーん。実は、自分でもよくわからないんだよね。別に、絵を描くのをやめたいわけじゃないんだけど……」

 

 ミリアはお茶を一口飲むと、暖炉に目をやった。炎は変わらずぱちぱちと音を立て燃え続けている。炎を見つめながら考えるミリア。なぜ仕官したのか――うまく説明できるか判らないが、エルオードには、いま胸の内にある思いを話しておくべきだと思った。

 

「――去年旅をしたときは、ノルガルドの冬景色とか、エストレガレス帝国の近代的な街並みとか街の人の笑顔とか、美しいものを描いていったの。でも、ノルガルドもエストレガレスも、そういう美しいものばかりじゃないんだよね。ノルガルドには飢えに苦しんでいる人がたくさんいるし、エストレガレスには戦火に焼かれた城もある。クーデターで命を落とした人がたくさんいて、遺族は悲しみや憎しみに明け暮れている。あたしは、そういったものを絵にすることを避けてきたの。悲しいことや、つらいこと・醜いことから目を逸らしてきたんだよ。それじゃあ、本当の絵描きにはなれないかもしれない――たぶん、そう思ったのが、仕官したきっかけかな」

 

 ミリアは自分の気持ちを整理しつつそう話した後、最後に「まあ、仕官がどう絵につながるのかは、今のところわかんないんだけどね」と言って笑った。

 

 エルオードは「なるほど」と、大きく頷いた。「私は絵についてはまるで素人ですが、ミリアさんの仰ることは、なんとなく判ります」

 

「ありがとう」ミリアはもう一度ほほ笑んだ。「それでね、あたし、カーレオンに仕官した時、どういうわけか、『エルオードも誘わなきゃ』って、思ったの。その理由が、いま判った。エルオード。あなたも、あたしと同じなんだよ」

 

「私が、ミリアさんと同じ?」

 

「ええ。あなたは、騎士になることを拒み、こんな人里離れた山奥で、一人で暮らしている。それは、この国の現状や他国とのいくさを――悲しいことやつらいこと・醜いことを、見たくないからじゃないの?」

 

 エルオードは目を丸くして驚いたような顔をした後、自嘲気味に笑った。「まあ、そういうことになるかもしれませんね」

 

「エルオードがちゃんとした夢や目標を持ってここで暮らしているのなら、あたしは何も言わない。でも、いまのあなたは、現実から目を逸らし、山奥に引きこもってるだけだわ。それは逃げているのと同じだと思う」

 

「…………」

 

 エルオードは無言で視線を落とした。ミリアの言うことを受け入れているようにも、否定しているようにも見える。

 

「ゴメン……気を悪くした?」ミリアはエルオードの顔を覗き込んで言った。

 

 エルオードは視線をミリアに戻し、かぶりを振った。「いえ、そんなことはないですよ。ミリアさんの言う通りです。私は世間から逃げ出した。それは、自分でも判っていたことです」

 

「あたしは、あなたには騎士として大きな可能性を感じてる。このままずっと山奥に引きこもっているなんてもったいないよ。あたしと一緒に、人生を変えてみない?」

 

「人生を、変える――」

 

 言葉を噛みしめるようにつぶやいたエルオードに、ミリアは、「ええ」と、力強く頷いた。

 

 暖炉の炎がぱちん、と、ひときわ大きな音を立てた。炎は少し小さくなったように見える。エルオードは席を立つと、暖炉のそばに積み上げてある薪をひとつ取り、炎の中へくべた。

 

 ミリアを振り返ったエルオードは、顔に小さな笑みを浮かべた。「やはり、ミリアさんは私のことを買いかぶっているようです」

 

「そんなことないよ! だって、エルオードは――」

 

 エルオードはミリアの言葉を遮るように手のひらを向けた。「判っています。ミリアさんは、私のためを思って言ってくれているのでしょう」

 

「もちろんだよ」

 

「ミリアさんが言うような騎士の才能が、私にあるかどうかは判りません。しかし、私のことをミリアさんが気にかけてくれていたことは、素直に嬉しく思います。判りました。ミリアさんの言うことを、信じてみましょう」

 

「ええ。ぜひそうして」

 

 ミリアは、大きく頷いた。

 

 エルオードはやかんを取ると、お茶を淹れ直し、また席に着いた。「しかし、カーレオンはこんな私を必要としてくれるでしょうか? ミリアさんの仰る通り、私は悲しいことやつらいこと・醜いことを見たくないから逃げ出した、弱い人間です」

 

「そんなことない!」ミリアは湯呑をひっくり返すばかりの勢いで立ち上がり、エルオードの言葉を否定した。「確かにあたし、エルオードは逃げ出したって言ったけど、だからって、弱い人間だなんて思ってない! エルオードは弱いんじゃなくて、ただ優しいだけだよ!」

 

「私が、優しい?」

 

「ええ。エルオードは優しいんだよ」ミリアは座り直し、そして、まっすぐな視線をエルオードに向けた。「弱い人を見捨てたくないというあなたの考えは、間違ってない。確かにあなたはノルガルドには仕官しない方がいいと思う。でも、騎士に向いていないってわけじゃないよ。カーレオンは、エルオードみたいな優しい人こそ必要としているわ」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうよ。カーレオンの賢王・カイ様のことは、知ってる?」

 

「噂には聞いたことがあります。なんでも、大陸一の知恵者とか」

 

「そうね。確かにすごく頭がいい人みたいだけど、普段はそんな感じは全くしないわね。あたしみたいな旅の絵描きにも気さくに話しかけてくれるし、普段は妹さんの尻に敷かれっぱなしだし、とても王様とは思えない方ね」

 

「王様とは思えないのですか? そのような方で、国は大丈夫なのでしょうか?」

 

「あはは。あたしもちょっと心配になる所もあるけど、でも、カイ様は、白狼王と違って、決して弱い人を見捨てたりしないわね」

 

 エルオードは、「なるほど」と言って、お茶を一気に飲み干した。「ミリアさんがそうおっしゃるのであれば、きっと立派な人なのでしょう。カイ王が私の力を必要とされるかは判りませんが、ぜひ、お会いしてみたいですね」

 

「大丈夫。きっと、大歓迎よ」ミリアもお茶を飲み干した。「ありがとう、エルオード。これから、よろしくね」

 

 ミリアは右手を差し出した。エルオードは照れたように笑うと、力強く握り返してきた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十二話 ゼメキス 聖王暦二一五年十月上 ノルガルド/オークニー

 エストレガレス帝国の双子の新米騎士ミラとミレは、ゼメキスの予想を上回る働きをしてくれた。

 

 ノルガルドに奪われたオークニー城を奪還する作戦は、まずミラ・ミレの二人が部隊を率い東と西から攻め、それぞれの方向に敵を引きつけた後、守りの薄くなった南からゼメキスが攻める、というものだ。

 

 結果から言えば、この作戦は失敗であった。

 

 エストレガレス帝国がこの作戦のために配置した兵の数は、ミラ・ミレそれぞれに二万、ゼメキスに一万の、計五万だ。対するオークニー城には七万の兵が駐屯している。帝国の作戦としては、この七万の内五万から六万を東西へ引きつけ、南の守りを一万から二万にしておきたかったのだ。かつて旧アルメキア最強を誇ったゼメキスの部隊ならば、十分に撃破できる戦力差である。

 

 だが、ノルガルド軍はこの作戦に乗って来なかった。オークニー城を守るノルガルド兵は、東西のミラ・ミレ軍には各一万ずつの兵で当たり、残りの五万を南の守りに集中させたのだ。完全に、こちらの作戦を見透かしてのことである。それもそのはず。オークニー防衛隊の総大将は、旧アルメキアで五本の指に入る軍略家であったモルホルトだ。こちらの作戦など、お見通しというわけだ。

 

 この時点で、ゼメキスには二つの選択肢が用意された。作戦を失敗とし兵を退くか、このまま作戦を強行するかである。ゼメキスは、迷うことなく後者を選んだ。新米騎士だけに戦わせ、自分は戦わずに撤退するなどありえない。無論、いかにゼメキス率いる部隊であろうと、五万の兵に一万で当たるのは無謀である。まして今回のような攻城戦は防衛側が圧倒的に有利だ。ヘタをすると全滅してしまう。それでも撤退という道は無い。エストレガレス帝国としては、このままオークニーをノルガルドに渡しておくわけにはいかない。ここを制圧されたままでは、北部の帝国軍の動きは封じられたもの同然なのだ。

 

 ゼメキスは兵一万を率い、オークニー城へ突撃した。もはや決死の特攻とも言える、無謀な突撃だった。

 

 ミラ・ミレの二人がゼメキスの予想を上回る働きをしたのは、ここからだ。

 

 もとよりゼメキスは、ミラ・ミレの戦闘能力には期待していなかった。このいくさにおける二人の任務は敵を引きつけることであり倒すことではない。そもそも騎士になってまだ半年程度の二人が二万の兵を率いて戦うこと自体無謀であった。故に二人には、決して深く攻め込まず、ただ敵を引きつけろ、とだけ命令していた。実際二人は、ゼメキスが動くまでは、この命令を忠実に守っていた。

 

 しかし、敵兵が東西に引きつけられず、南の守りが硬い状態でゼメキスが突撃したことを知ったミラとミレは、これまでの戦い方から一変し、ゼメキス同様敵兵に突撃したのである。二人とも新米騎士なりに、今の状況に危機感を抱いたのかもしれない。

 

 結果として、この二人の作戦の変更が功を奏す。

 

 攻城戦において、五万で守る兵に一万で突撃するのは無謀だが、一万で守る兵に二万で突撃するのは無謀ではない。むしろ、十分勝ち目のある戦いだ。だがそれも、攻城戦の経験がある将が率いていればの話だ。新米騎士の二人には、攻城戦の経験が圧倒的に不足――というよりは、全く経験が無かった。だからこそ、モルホルトも兵一万で東西を守れると踏んだのであろう。

 

 だが、ミラ・ミレの二人は攻城経験の無さをものともせず、敵を次々と蹴散らし、敵本陣へと迫った。それも、息を合わせたかのように、同じタイミングで。こうなると、ノルガルド側も、南に集中している兵を東西へ分散せざるを得ない。モルホルトは、南の兵一万ずつを東西へ援軍として送った。これで、南を守る兵の数は三万となった。

 

 一度失敗した帝国側の作戦は、ミラとミレの双子の騎士の奮闘により、ここに来て息を吹き返したのである。

 

 ゼメキスは、今この瞬間がこのいくさの帰趨を決する時だと判断し、己と、己の軍の力の全てを爆発させた。

 

 そして、見事敵本陣へ攻め入り、総大将モルホルトと相まみえたのである。

 

 

 

 

 

 

「――五万の兵に対し一万でぶつかり、その兵力差をものともせず我が本陣まで到達するとは……」ゼメキスと対峙したモルホルトは、呆れたような口調で言った。「ゼメキス、相変わらず貴様の戦い方は、私の理解を超えている」

 

「フン。貴様ら軍略家がいかに策を巡らせようと、この俺には通じぬ。所詮戦いは、力こそが全てだ!」

 

「それはどうかな? 力が策を凌駕することがあるのは認めよう。だが、今の貴様はただ策の間隙をぬって我が前に立っているにすぎぬ。戦力は、我が方がいまだ圧倒的に有利であることに変わりない」

 

 ゼメキスを目の前にしても、モルホルトに動揺した様子は無い。この本陣を守る兵は約千。これに対し、ここまで到達したゼメキスの兵は二十弱に過ぎなかった。大半が、ここに来るまでに脱落、もしくは後方で追っ手を引きつけている。つまり、今のゼメキスは、敵総大将を追い詰めている状態であると同時に、二十の兵が千の兵に取り囲まれている状態でもあるのだ。

 

「この場の兵の数など無意味だ」ゼメキスは、剣先をモルホルトに向けた。「どれほど兵力の差があろうと、この場で貴様の首を獲ればこのいくさは我らの勝利!」

 

「フッ……私が一騎打ちなどという武人の酔狂に応じると思ったら大間違いだ。私は軍略家。貴様と剣を交える気など無い。だが――」

 

 モルホルトは、魔導士の武器である杖をゼメキスへ向けた「ここで貴様の首を獲ればこのいくさは我らの勝利という点においては、こちらも同じ。よかろう! 裏切り者ゼメキス! この場で貴様を倒し、この大陸の戦乱を終わらせてみせよう!」

 

「ほう? 俺を裏切り者と言うか?」ゼメキスは小さく笑った。「おもしろい。己が身を振り返ったことがあるか? 貴様は誰に仕えている? モルホルト! 貴様こそ裏切り者であろう!」

 

 モルホルトは不敵な笑みを返した。「全ては貴様を倒し、そして、兄の無念を晴らすため。あの日、アルメキアのモルホルトは兄とともに死んだ。ここにいるのは貴様を倒すために現れた亡霊!」

 

「兄、だと?」ゼメキスは小さく顎を上げた。「貴様に兄がいたとは初耳だな」

 

「だろうな。我が兄はルーンの加護を受けておらぬ一兵士だった。貴様の耳に名が届くような存在ではない。それでも、親衛隊の一人として、あの夜立派に戦ったはずだ」

 

 親衛隊とは、アルメキア時代王太子ランスを護衛していた部隊である。二月のクーデターの夜、ゼメキスはランスの首を獲るため、親衛隊の隊長ゲライントをはじめとする多くの騎士・兵と戦った。その中の一人に、モルホルトの兄もいたのかもしれない。無論、記憶の片隅にも残っていないが。

 

「貴様にとってはあの日斬り捨てた兵の一人に過ぎぬのだろうが、私にとってはただ一人の肉親」モルホルトは、憎しみの溢れる目でゼメキスを睨む。「ゼメキス! 無名の兵として散った我が兄の無念、いまここで晴らしてくれようぞ!」

 

「フン……名が有ろうと無かろうと、戦場で散れば誰もが同じ! モルホルト! 貴様も名もなき一人として、この場で散るがよい!!」

 

 ゼメキスが突撃し、モルホルトは炎の魔法を使う。オークニー攻防戦の雌雄を決する戦いが始まった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十三話 メルトレファス 聖王暦二一五年九月下 レオニア/聖都ターラ

 エストレガレス帝国の騎士メルトレファスの目の前で、剣聖エスクラドスと白狼ヴェイナードは静かに向かい合っていた。お互い睨み合ったままで、言葉を発することはなく、動こうともしない。しかし、その内側で闘志が燃えているのは明らかだった。二人の姿を見ているだけで、肌を針で刺すような痛みを全身に感じる。恐らくこれは、二人が発している『闘気』とでも呼ぶべきものなのであろう。まだまだ新米騎士に過ぎないメルトレファスですらこれほどの闘気を感じる。これからどんな戦いが始まるのか想像もつかなかった。

 

 エストレガレス帝国の奇襲によるレオニア侵攻は、ハドリアン・グルームの二つの城を立てつづけに落とし、わずか二ヶ月で聖都ターラの王城に迫っていた。戦況は帝国側が圧倒的有利であったが、突如、北からノルガルド軍が駆けつけレオニア軍に加勢したため、戦いの行方は判らなくなった。

 

 エストレガレス軍の前線で戦っていたメルトレファスは、偶然にもノルガルド王ヴェイナードと対峙。大きな手柄を立てるチャンスと戦いを挑んだものの、その実力差は圧倒的で、相手に傷一つ負わせることなく敗れた。そして、とどめを刺される寸前に、エスクラドスによって救われたのである。エスクラドスは旧アルメキアで剣術指南役を務めていた騎士で、大陸最強の剣士として名高い男だ。今回のレオニア侵攻ではエストレガレス軍の主攻を務め、常に最前線で戦っていた。

 

「――剣聖とまで謳われた貴公が、ゼメキスの反乱に手を貸したことには驚かされました」ヴェイナードが沈黙を破った。「ゼメキスの反乱にそれほどの大義があったのか、あるいは、剣聖が道を誤ったのか……『人を斬る魅力に憑りつかれた』などというくだらぬ噂を耳にすることもあります」

 

 人を斬る魅力に憑りつかれた――その言葉に、メルトレファスは息を飲んだ。その噂は、メルトレファスもよく耳にする。反乱の夜、エスクラドスは王ヘンギストの居城に攻め込み、城を警護する多くの近衛兵を斬り捨てた。城内は血の海と化し、そこにたたずむエスクラドスの姿は、さながら幽鬼のようであった、と、エストレガレスの兵は口をそろえて言った。アルメキア時代のエスクラドスは、道義を重んじ、国の内外を問わず多くの騎士から信望を集めた人物であった。敵国の王であるヴェイナードでさえもエスクラドスに対しては敬意を表した言葉で話していることからも、それが伺える。それほどの人格者であったエスクラドスが、人を斬る魅力に憑りつかれたなど、くだらない噂に過ぎない――そう思う反面、メルトレファスも、今回のレオニア侵攻で多くのレオニア兵がエスクラドスに斬られるのを目の当たりにし、噂を完全に否定できないでいる。

 

「人を斬る魅力か……それも、悪くは無い」エスクラドスは静かに口を開いた。「所詮、剣は人を斬るための道具。ならば、剣の強さとは人を斬った数で決まる――それも道のひとつには違いなかろう」

 

 ヴェイナードは顎を上げ、小さく笑った。「剣聖も堕ちたものよ。貴公ほどの方が、そのような戯言に惑わされるとは」

 

「わしは道のひとつであると言っただけだ。だが、そなたが望むのであれば、敵を斬り殺すための剣を見せてやろう」

 

 エスクラドスはわずかに腰を落とし、腰に携えた剣に手をかけた。

 

「フン。そなたには失望した。今日限り、剣聖を名乗るのはやめてもらおう」ヴェイナードの言葉からエスクラドスに対する敬意が消えた。剣を抜き放つ。「では、予もそなたに見せてやろう。目指すもののために戦う剣の輝きを!」

 

 ヴェイナードは一気に間合いを詰めた。頭上に振り上げた剣を、エスクラドスに向かって振り下ろす。対するエスクラドスは、剣に手をかけたまま半歩身を引いてかわした。剣先がエスクラドスの鼻先をかすめそうなほどのわずかな動きであった。ヴェイナードはさらに剣を振るう。右から左、左下から右上、上から下、と、剣はまるで生き物であるかのような巧みな動きで襲い掛かる。メルトレファスはその動きを目で負うのがやっとだが、エスクラドスは全ての攻撃を最小の動きでかわし続ける。その間、剣は鞘に収められたままだ。

 

「どうした? 剣聖ともあろう者が、手も足も出ぬか?」

 

 挑発的な言葉と共にさらに剣を振るうヴェイナード。エスクラドスは無言でかわし続ける。剣を抜く気配すらない。だがもちろん、それは手も足も出ないからではない。あれは、攻撃の機会をうかがっているのだ。

 

 何度目の攻撃か、ヴェイナードの剣を右に回り込んでかわした瞬間、エスクラドスの放つ闘気が一気に強まった。

 

 ――斬る!

 

 メルトレファスは直感的に悟った。

 

 しかし、エスクラドスの手はわずかに動いただけだった。剣は鞘から抜かれていない。少なくとも、メルトレファスにはそう見えた。

 

 だが、次の瞬間、ヴェイナードが地に片膝をついた。

 

 ぽたり、と地面に血がこぼれ落ちる。ヴェイナードの左わき腹が赤く染まっていた。エスクラドスの剣によるものとしか思えなかった。ヴェイナードは白銀の鎧を身に着けており、当然腹部も守られているが、その上から斬り裂いたのだ。しかし、いつ攻撃したのだろう? あの闘気が高まった瞬間としか思えなかった。信じられないことに、エスクラドスはあの一瞬で鞘から剣を抜き、ヴェイナードの腹を斬り、そしてまた鞘に収めたのだ。

 

 それは『居合』と呼ばれる剣技だった。

 

 エスクラドスの使う剣術は、東方の小さな島国から伝わった独特なもので、この大陸の騎士が使う剣術とは全く異なるものだ。居合は、剣を鞘に収めた状態から相手を斬ることに特化した剣術である。剣を収め相手を油断させた状態で斬ったり、あるいは、突然襲ってきた敵を迎撃したりと、奇襲や暗殺、護身のための剣術だ。まさに『敵を斬る』ための剣と言える。ただし、居合は明らかに実戦向きではない。剣を収めた状態で戦いに臨むなど、相手に大きな優位性を与えるだけだ。

 

 だが、それでもエスクラドスはヴェイナードを圧倒した。

 

 メルトレファスは、自分の身体が震えていることに気が付いた。なぜ震えているのだろう? エスクラドスの剣技に恐怖しているのか? それとも、圧倒的な強さの前に興奮しているのか? おそらくどちらも違う。この身体の震えは、自分の無力さに気付いた悔しさから来るものだ。メルトレファスが手も足も出なかったヴェイナードが、今度はエスクラドス相手に手も足も出なかった。メルトレファスは、デスナイト・カドールや皇帝ゼメキスのような強さを求めている。エスクラドスの強さもこの二人に匹敵するだろう。自分が追い求める強さとはどれほど高い位置にあるのだろう? 果たして自分はその高みに到達できるのだろうか? 今のままでは不可能な気がした。自分には、決定的な何かが足りない。

 

 エスクラドスがヴェイナードの側に立った。膝をついたヴェイナードを見下ろす格好だが、その目は相手を蔑むようなものではなかった。

 

「白狼よ。そなたの剣筋は悪くない」エスクラドスは、まるで稽古の相手に教えを説くように話す。「目指すもののために戦う剣の輝き、確かに見せてもらった。だが、足りぬな」

 

「なに?」苦痛に歪んだ目でエスクラドスを見上げるヴェイナード。

 

「わしとて目指すものはある。今回は、わしの目指すものの方が上だっただけのことだ」

 

「ほほう。剣聖と謳われるまでに剣を極めたあなたに、まだ目指すものがあると?」

 

「…………」

 

「これほどの剣の輝きを見せるものとは何か、ぜひ伺いたいものですな」

 

 ヴェイナードの言葉には、また敬意が戻っていた。

 

 エスクラドスは目を伏せた。「……わしとしたことが、少々口が過ぎたようだ。そなたに見せるのは敵を斬り殺すための剣であったな。覚悟するが良い」

 

 鞘から剣を抜き放つエスクラドス。その刀身は一般的な剣よりも細く、わずかに湾曲しており、刃は片側にしか付いていない。東方の剣術に用いられる剣・カタナである。

 

 エスクラドスは両手でカタナを構えた。

 

 だが次の瞬間、頭上から強烈な吹雪が吹き付け、エスクラドスの身体を包んだ。

 

 メルトレファスが空を見る。銀の鱗に身を包んだ巨大な竜が空を飛び、口から吹雪の息を吐き出していた。上位ドラゴンの一種・シルバードラゴンだ。それも、二体。

 

「――全軍集結!! 何としても陛下をお守りしろ!!」

 

 ノルガルドの将の声が響き渡った。その声に応じ、周辺のノルガルド兵が一斉に駆けつけてくる。

 

「……邪魔だ」

 

 二体のシルバードラゴンの吹雪の息を浴びたものの、それでもエスクラドスは倒れない。襲いかかるノルガルド兵を斬り捨てていく。だが、ノルガルド兵の数は一向に減らない。主君を守ろうと、次々と集まってくる。メルトレファスも加勢するが、これではキリが無い。

 

 号令をかけた敵将が、ヴェイナードに肩を貸した。そのまま背を向ける。

 

「逃げるか、白狼」左から襲ってきたノルガルド兵を斬り捨て、エスクラドスがヴェイナードを睨む。

 

 ヴェイナードが振り返った。「少々貴公を侮っておりました。此度はその剣に敬意を表し、退くことにいたします」

 

「臆したか、腰抜けめ」

 

「そう思われても仕方ありませぬ。ですが、私には目指すものがあり、その道はまだまだ遠いのです。こんなところで歩みを止めるわけにはいきませぬ。次にお会いした時は、白狼の恐ろしさ、存分にお見せしましょう」

 

 再び背を向けるヴェイナード。もうエスクラドスが何を言おうと振り向かなかった。

 

 その後も次々とノルガルド兵が襲ってくる。全て斬り伏せたとき、ヴェイナードの姿は消えていた。

 

 エスクラドスは小さく舌打ちをすると、剣を収めた。「……興が冷めた。帰るぞ」

 

「帰る……? 撤退するということですか?」メルトレファスは、去ろうとするエスクラドスの前に立った。「白狼を逃したとはいえ、ターラ制圧は目の前です。いまここで退くわけにはいきません」

 

「レオニアとノルガルドが手を組んだ以上、これまでのようにはいかぬ。後方はイスカリオに攻められているとも聞く。これ以上の深入りは危険だ」エスクラドスは淡々とした口調で言った。

 

 確かに、レオニアとノルガルドが相手となると、今までのような素早い進軍は見込めないだろう。また、後方の拠点アスティンがイスカリオに攻められているという話はメルトレファスも聞いている。アスティンを守っているのはデスナイト・カドールだ。滅多なことでは落ちないだろうが、万が一アスティンを落とされた場合、メルトレファスらレオニア侵攻軍は敵地で孤立することになる。エスクラドスの言う通り、これ以上の進軍は危険かもしれない。

 

「――全軍撤退!!」

 

 エスクラドスの号令で、帝国は一斉に兵を退きはじめた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十四話 ダーフィー 聖王暦二一五年八月下 イスカリオ/――――

 イスカリオの腕利き騎士ダーフィーは、王都カエルセント南西の山の中にいた。山間に小さな集落が点在する地域だが、最近この周辺で、トカゲに似たモンスターの目撃情報が多くなっているのだ。マナの力で召喚されたものの、何らかの事情によって逃げ出し、野生化したモンスターだと思われる。こういった野生化したモンスターは年々増えている傾向にあり、人が襲われる例も多く、大陸全土で社会問題化している。エストレガレス帝国のとある地域では、野生化した火竜サラマンダーの目撃情報もあるくらいだ。

 

 モンスターを召喚したのは騎士なので、野生化したモンスターがいた場合、捕獲するか最悪処分するのが騎士の務めだ。しかし、今はいくさ中であまり人手は無い。そもそもこの国には『野生化したモンスターの捕縛は騎士の務め』などと言う真面目な騎士が少ないのだ。もちろん、ダーフィーはそんな真面目なことを言う騎士ではない。しかし、先月同じような状況で北東の山へ野生化したモンスターの捕縛に出かけた新米騎士のティースが、なんとドラゴンを捕えて帰ってきたということがあった。ドラゴンは強力なモンスターの筆頭で、本来は召喚するのに多量のマナを消費する。また、性格はかなり凶暴で、新米騎士が容易に扱えるものではない。しかし、そのドラゴンはティースによくなついており、命令には忠実に従っていた。今後、戦場で活躍するのは間違いないだろう。新米騎士が苦も無く強力なドラゴンを仲間にし、従えたのは、実に美味しい話である。

 

 この様子を見たダーフィーは、自分も美味しい思いをしようと、今回の話に自ら志願した、というワケである。

 

 現地で聞き込みをしたダーフィーは、モンスターがねぐらにしているという洞窟にやって来た。慎重に足を踏み入れる。かなり深い洞窟のようで、たいまつを灯しても奥までは見えない。周囲を警戒しつつ、ゆっくりと進む。洞窟内の壁にはところどころ手を加えたような跡があり、どうも天然の洞窟ではなさそうだ。

 

 さらに奥へと進むと。

 

 不意に、ダーフィーの首筋に何かがふれた。

 

 はっとして振り返り、上を見るが、ごつごつした岩の天井があるだけだ。水滴でもしたたり落ちたのだろうか? もっとよく調べようと、ダーフィーはたいまつを掲げた。

 

 と、ダーフィーが頭上に気を取られた瞬間、ぐらりと足元が揺らいだ。

 

 ――しまった! 罠だ!

 

 気付いた時には遅く、地面はガラガラと音を立てて崩れ、ダーフィーは深い穴の中へ落ちていった。幸い命は取り留めたものの、大怪我を負ったダーフィーは、一節の間休養を余儀なくされた。さらに、「ダーフィーのダンナ、ドジったでヤンスねぇ」「おーっほっほっほ! 無様な姿ですわねぇ。わたくし、弱い男に興味はありませんの。さようなら」「がーっはっはっはー! これは見舞いだちょび髭! 受け取れ! チュ♂」と仲間からは散々バカにされ、踏んだり蹴ったりだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十五話 シュトレイス 聖王暦二一五年九月下 レオニア/聖都ターラ

 エストレガレス帝国のレオニア侵攻は、ノルガルドがレオニアの援軍として参戦したことにより、混沌を極めていた。

 

 七月下旬にイスカリオ領アスティンを制圧したエストレガレス軍は、剣聖エスクラドスを主攻とする部隊をもってレオニア領ハドリアン・グルームの二城を落とし、わずか二ヶ月で聖都ターラに迫っていた。レオニア滅亡を恐れた女王リオネッセは、北の大国ノルガルドに援軍を要請。ノルガルド王ヴェイナードは、ノルガルドとレオニアが併合することを条件にこの要請を受け入れた。

 

 聖都ターラはエストレガレス軍の攻撃により陥落寸前にまで追い込まれていたものの、ノルガルドの援軍が間に合い、なんとか持ちこたえていた。とは言え、戦況を覆すまでには至っていない。ノルガルドの援軍はレオニアからの要請で急遽編成された部隊であり、兵力的に決して十分とは言えない。レオニア軍と合わせても、エストレガレス軍と五分と言ったところだ。

 

 ノルガルドの騎士シュトレイスは最前線でエストレガレス軍と戦っていた。襲い来る敵兵やモンスターの攻撃を左手の盾で受け止め、右手の剣で次々と斬っていく。

 

 戦いながら、シュトレイスは敵部隊に対してある違和感を覚えていた。

 

 いまシュトレイスが対峙している敵部隊は兵の数が少ない。恐らく五千程度だ。エストレガレス軍ではまだまだ下位に位置する将が率いる数である。

 

 それに対し、率いているモンスターの数が圧倒的に多い。

 

 敵部隊が率いているモンスターには、グールやマンドレイクといった下級モンスターから、リザードマンやグリフォンといった中級モンスター、さらに、ドラゴンやエンジェルといった上級モンスターまでいる。これほど多くのモンスターを率いるには、極めて高い統魔力が必要だ。

 

 統魔力とは、マナの力を用いて召喚したモンスターを従わせる力のことをいう。この力が高いほど多くのモンスターを率いることができるのだ。統魔力は、武力・魔力・戦略力と並び、騎士として重要な能力のひとつである。

 

 敵部隊のモンスターを注意深く観察するシュトレイス。数が多いにもかかわらず、きちんと統率がとれている。よほど統魔力が高い騎士でないとできないことだ。各国で上位に位置する将軍でも、ここまで高い統魔力を持つ騎士は稀だろう。エストレガレス帝国でこれほど高い統魔力を持つ騎士……すぐに思いつくのは、皇帝ゼメキスとその腹心カドール、そして、ゼメキスの妻エスメレーだ。しかし、この部隊を率いているのはこの三人ではないだろう。三人とも別の城の守備に就いているという情報が入っているし、なにより、この三人が率いる部隊としては兵の数が圧倒的に少なすぎる。ゼメキスやカドールなら十万前後を率いることもある。エスメレーは将としての力は未知数だが、皇帝の妻という立場を考えるとやはり数万の兵がつくだろう。

 

 極めて高い統魔力を持ちつつも、将としての位は低い……そのようなエストレガレスの騎士に、シュトレイスは心当たりがあった。

 

「――ソレイユ……お前なのか」

 

 シュトレイスは、義兄弟の名をつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 シュトレイスは、旧アルメキアで王ヘンギストの近衛騎士団に属していた男だ。ゼメキスのクーデターの際、王宮側に就いてゼメキスらと戦った数少ない騎士の一人である。だが、ヘンギストはデスナイト・カドールの手によって討ち取られ、ゼメキスのクーデターは成功した。近衛騎士や兵の中には殉死に近い形で戦い続けた者も多かったが、シュトレイスは城から脱出することを選んだ。殉死を忠義の証と考える者もいるが、シュトレイスにはただの無駄死にとしか思えなかった。生き残り、仇を討ってこそ真の忠義と言えるのではないか。シュトレイスはそう考えていた。

 

 アルメキアからの脱出の際深手を負い、数ヶ月の療養を余儀なくされたものの、なんとか生き延びることができたシュトレイスは、その後、北の大国ノルガルドへ仕官した。主君の無念を晴らすことも目的のひとつではあったが、実はそれ以上に大きな目的が、彼にはあった。

 

 シュトレイスには、義兄弟の契りを交わした者がいる。ソレイユという名の男で、神官騎士団に属し、アルメキアでは広く名が知られた男だった。

 

 ソレイユは個の力は極めて凡庸であったが、獣と心を通わすという特殊能力を持っていた。どのような凶暴な獣やモンスターであっても、すぐに心を通わせ、手なずけることができたのだ。その特殊能力から、獣を統べる者(ビーストルーラー)の二つ名で呼ばれ、モンスターを統べる術に関してはアルメキア1と噂されるほどだった。だが、本人はそのことをあまりうれしくは思っていなかったようである。ソレイユにとってモンスターは友人や家族のようなものであり、決して、戦闘時の配下ではないのだ。その考え方と生まれついての温厚な性格からか、騎士としての位は低かった。もっとも、ソレイユ自身は出世などに興味はなかったので、特に気にしている様子は無かった。それでも騎士として仕官したのだから、愛国心はあったのだろう。

 

 だが、ゼメキスのクーデターの夜、ソレイユが属していた神官騎士団はゼメキスの陣営に就いた。ソレイユも神官騎士団の一人として戦い、エストレガレス帝国樹立後は帝国の騎士としてエストレガレスに留まっているという。

 

 シュトレイスがそのことを知ったのは、城を脱出し数ヶ月経った後だった。シュトレイスには信じられなかった。あれほど温厚で優しかった男が、ゼメキスのクーデターに手を貸し、帝国の騎士となったなど。何か事情があるに違いない。そう確信したシュトレイスは、義兄弟を救う決意をし、ノルガルドへ仕官したのである。

 

 

 

 

 

 

 襲い来る帝国兵を次々と倒すシュトレイス。いま戦っている部隊を率いているのは本当にソレイユなのか? 確かめなければならない。そして、ゼメキスに組する理由を訊き、戦いをやめさせなければ。だが、果たしてそれが可能だろうか? 敵将の姿は見えない。恐らく後方に控えているのだろう。敵将と相対するためには敵部隊の中に切り込んでいくしかない。ノルガルドに仕官したばかりのシュトレイスが率いている兵は五千。敵部隊と同等だ。これに対し、率いているモンスターは数も質も敵部隊の方が圧倒的に上回っている。かなり不利な状況ではあるが、それでもやるしかない。シュトレイスは自ら先頭に立ち、敵部隊に突撃していった。兵を倒しつつしばらく進むと、シュトレイスの前に植物形のモンスターとトカゲと人間が合わさったモンスターが立ちはだかった。マンドレイクとリザードマンである。マンドレイクは蔓のような手足の先に神経をマヒさせる毒を持ち、リザードマンは片手斧による攻撃と円形の小盾による防御での戦闘を得意とするモンスターだ。侮りがたい相手ではあるが、二体ともどちらかといえば下級のモンスターでありシュトレイスの敵ではない。シュトレイスはひるむことなく突進し、剣を振るおうとした。

 

 しかし。

 

 ――この部隊を率いているのがソレイユだとしたら、このモンスターはソレイユの友人や家族と同じ。

 

 そんな考えが頭をよぎった。

 

 無論、戦場でそんなことを考える必要は無い。生きるか死ぬかの戦場においては殺される前に殺すのが鉄則であり、それをためらっていては生き残ることなど不可能だ。

 

 だから、ほんのわずかなためらいであっても、大きな隙を生んでしまう。

 

 ためらいから鈍ったシュトレイスの剣を、リザードマンは盾で受け止めた。そして、反撃の斧を振るって来る。シュトレイスも盾を構え、その攻撃を受け止める。だが、その一撃はシュトレイスが思っていたよりも重かった。盾は斧の刃を防いでも衝撃までは防いでくれない。その重い一撃により、シュトレイスの左手が痺れた。

 

 そこに、横からマンドレイクの蔓が伸びてくる。まずい、と思った。マンドレイクの蔓による攻撃自体に大した威力は無いのだが、その先に仕込まれている神経毒を受けると身体の自由を奪われ、しばらく動けなくなる。受け止めようにも盾を持つ左手は動かない。代わりにシュトレイスは剣を振るい、伸びてくる蔓を斬り落とした。だが、それで安心はできない。マンドレイクは植物のモンスターであるため剣で斬ったり炎で燃やしたりするのは容易だが、痛みを感じないため身体を斬り裂かれようと全身炎に包まれようとしつこく襲ってくる。蔓を二本斬り落とした程度では怯みもしないだろう。シュトレイスは一旦間合いを取り、体勢を整えようとした。

 

 だが、それを邪魔するように別のモンスターが上空から飛来してきた。上半身は鷲、下半身は獅子という奇妙な姿。合成獣・グリフォンだ。グリフォン攻撃は主に鷲の鉤爪による引っ掻きだ。極めて単純な攻撃だが、グリフォンは鷲の羽根によって空を飛ぶことができるため、地上の者には非常に厄介な攻撃となる。シュトレイスの左手はまだ痺れたままだ。剣を振るい、グリフォンを近づけさせないようにしながら回復を待った。やがて左手の感覚が戻る。シュトレイスは盾を構えてグリフォンの攻撃を受け止めると、反撃に剣を振るった。グリフォンは大きく羽ばたくと、上空へ去って行った。

 

 と、シュトレイスは頭上にもう一体の影があることに気が付いた。人の姿をしているが、頭の上に光の輪が浮かび、背中生えた羽根で飛んでいる。最上級モンスターのひとつ、エンジェルだ。エンジェルは口元で何かつぶやいた後、大きく両手を広げた。次の瞬間、天から純白の光の柱が降り注ぐ。最上位の白魔法・神の光だ。完全に不意を突かれた攻撃をシュトレイスはかわすことができず、全身に神の光を浴びた。地面に押し潰されるかのような凄まじい衝撃が襲う。たまらず片膝をつくシュトレイス。なんとか耐えたものの、ダメージは大きい。

 

 シュトレイスは一旦盾を手放すと、印を結び呪文を唱えた。左手がぼんやりとした光を放つ。その光で身体を照らすと、痛みが引いていった。傷を癒し、体力を回復する白魔法だ。かなり楽になったが、全ての傷が塞がり失った体力が戻ったわけではない。無傷の状態まで戻るには時間がかかるが、敵は待ってくれない。顔を上げると、エンジェルはもう一度同じ魔法を使おうとしていた。

 

 それだけではなかった。

 

 地響きとともに近づいて来る巨大な影。シュトレイスの身長の五倍はあろうかという巨大なモンスター・ドラゴンだ。言うまでもなく、上級モンスターの筆頭である。その牙による咬みつき攻撃は恐怖でしかないが、ドラゴンの真の脅威は口から吐き出す炎の息にある。全てを灰にするといわれるその炎を、今のシュトレイスでは耐えられるかどうか判らない。まして、エンジェルが放つ神の光の魔法と同時ともなれば、生き残ることは不可能だろう。かわすしかないが、傷つき、体力も十分でないこの状態でできるだろうか?

 

 ドラゴンが大きく息を吸い込み、エンジェルが呪文の詠唱を終えた。来る! そう思ったとき。

 

「――やめるんだ」

 

 静かだが意志の強さを感じる声がした。

 

 その声で、ドラゴンとエンジェルの動きが止まった。他のモンスターもぴたりと攻撃をやめる。

 

 その声はシュトレイスが探し求めていた者の声であり、同時に、今は聞きたくない声でもあった。

 

 声の主がこちらに歩いてくる。モンスターが道を譲るように脇にどいた。エンジェルやリザードマンならともかく、知能の低いドラゴンやマンドレイクまでもがここまで従順になるのは、よほど高い統魔力を持たないとできないことだ。

 

「やはりお前だったか……ソレイユ」

 

 シュトレイスの胸に再会の喜びは無かった。ただ、悔しさだけが湧きあがってきた。

 

「久しぶりだね、シュトレイス。まさかノルガルドに仕官していたとは……驚いたよ」

 

「それはこちらの台詞だソレイユ! お前はなぜ帝国の騎士になった!? あれほど争いごとを好まなかったお前が、こんな侵略に手を貸すなんて信じられない! ハドリアンの兵や民は虐殺されたと聞いたぞ!!」

 

 怒りと悔しさが入り混じった声を上げるシュトレイス。ソレイユは何も答えない。ただ、困惑した表情で立ち尽くすのみ。

 

 その顔を見てはっとなった。ソレイユがあの顔をするのは、何か重要なことを隠している時だということを、シュトレイスは知っていた。

 

 シュトレイスは怒りを抑えるために一度大きく息を吐くと、落ち着いた口調で言う。「お前が帝国についたのにはわけがあるはずだ。教えてくれ、ソレイユ」

 

「…………」

 

 ソレイユは目を逸らし、沈黙を続ける。だが、シュトレイスには判っていた。ソレイユは、必ず話してくれると。それを待った。

 

 やがてソレイユは。

 

「母が……人質に囚われているのだ……」

 

 それまでとは全く違う、力のない声で言った。

 

「母親が?」

 

 驚くシュトレイス。義兄弟の母親だから、当然知っている。ソレイユの父親は幼い頃流行り病で亡くなり、母親は女手一つでソレイユを育て上げたのだ。最近は身体が弱くなり家で横になっていることが多くなったと聞いている。人質に囚われているというだけではどういう状況なのかは判らないが、もし牢に閉じ込められているような状態だとしたら、かなり危険であろう。

 

「すまないシュトレイス」ソレイユの声に力が戻ったように思えた。「私は、お前と戦うしかないんだ」

 

 ソレイユの目に、以前のような優しさは無かった。あるのは、『将』としての強さ。

 

「私は全力でおまえと戦う。だから、お前も私と全力で戦え」

 

 ソレイユのその言葉で、脇に控えていたモンスターがまたシュトレイスの前に立ち塞がる。

 

 剣と盾を構えるシュトレイス。だが、迷いは消えない。俺は本当にソレイユと戦うのだろうか? ソレイユは本当に俺と戦うのだろうか? シュトレイスは、ノルガルドに仕官した際ヴェイナードと約束した。「義兄弟が誤った道を進むのならば、それを正すのも私の役目。ソレイユが帝国に味方するのであれば、斬ってでも道を正してみせます」と。だが、今のソレイユが誤った道を進んでいると言えるのだろうか?

 

 迷いは、戦場では死を近づける。それでも、ためらわずにはいられない。

 

 だが、それは相手も同じだった。ソレイユもまたためらっている。

 

 どちらも動かず、しばらく睨み合いのような状態が続いた。

 

 ――と。

 

「――全軍集結!! 何としても陛下をお守りしろ!!」

 

 ノルガルドの軍師・グイングラインの声が響き渡った。その声に応じ、周辺のノルガルド兵が一斉に声のもとに駆けつける。上空には二体のシルバードラゴンが飛び、吹雪の息を吐き出している。軍師であるグイングラインが全軍招集を命じるなど、並大抵のことではない。

 

 ――まさか、陛下の身に何かあったのか?

 

 そう思った。

 

 その心を読んだかのように、ソレイユが言う。「このレオニア侵攻軍を率いているのはエスクラドス様だ。いかに白狼といえど、まともに戦っては勝ち目はないだろう」

 

 エスクラドス――剣聖の異名を持ち、大陸一の剣士と噂される一人だ。アルメキア時代は王宮で剣術指南役を務めていたが、クーデターの夜、彼もまたゼメキスの陣営に就いた。

 

「くそ!」

 

 シュトレイスはグイングラインの声の方へ走った。ソレイユから逃げるわけではない。ノルガルドの騎士として主君を守るのだ。と、自分自身に言い聞かせながら。

 

 ソレイユの従えているモンスターは動かなかった。

 

 シュトレイスは足を止め、振り返った。

 

「俺は諦めない。必ずお前を救ってみせる。必ずだ」

 

 義兄弟の目を真っ直ぐに見つめ、そう言った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十六話 メルトレファス 聖王暦二一五年十月上 エストレガレス帝国/アスティン

 エストレガレス帝国領アスティンを囲む城壁の上では、帝国兵とイスカリオ兵が入り乱れて戦いを繰り広げていた。壁上の戦士は剣や槍を交わらせ、城壁の内外からは弓兵や魔術師が援護射撃をし、時には上空からモンスターも襲いかかる。開戦からすでに半日が経過しているが、互いに一進一退の攻防を繰り返し、戦況の行く末は名のある軍略家ですらも先が読めないような状況だった。このような戦いが、今日だけでなく連日続いている。このアスティン城はもともとイスカリオの領地であったため、イスカリオ軍が執拗に奪還戦を挑んでくるのだ。

 

 帝国の新米騎士・メルトレファスは、南部の城壁で次々と襲い来るイスカリオ兵をなんとか迎撃していた。大きな手柄を立てなければという気持ちはあるが、剣を振るうのがやっとというありさまだった。無理もない。メルトレファスは、先日まで剣聖エクスラドスの部隊に入り、レオニアへ侵攻していた。ハドリアン、グルームの二城を電撃的な作戦で落とし、王都ターラまで迫ったが、ノルガルドが援軍に駆け付け、やむなく撤退。帰還後はこのアスティンの守りに就くことになったのだ。連戦続きでただでさえ疲労がたまっている上に、レオニア侵攻では大きな挫折を味わったメルトレファス。仕官した頃の勢いはもはやないが、それでも力を得るためには戦い続けるしかない。そう自分に言い聞かせ、気力を振り絞って剣を振るう。

 

 突如、イスカリオ兵が大きな歓声を上げた。同時に、帝国兵が血飛沫を散らしながら数人まとめて倒れた。そして。

 

「――オラオラオラァ!! ザコどもに用はねぇんだよ! さっさと大将を出しやがれ!!」

 

 挑発的な言葉と共に、身の丈を超える大鎌を振り回す騎士が見えた。頭に深紅の鳥の羽根飾りを付けた帽子をかぶり、金色と朱色のプレートを交互に重ねた鎧を着ている。戦場とは思えぬ派手な格好だ。

 

 ――あれは、狂王ドリストか!?

 

 西アルメキアのランス、ノルガルドのヴェイナードに続き、またもや敵国の君主と対峙したメルトレファス。しかし、胸の内にこれまでのような高揚感は無かった。ドリストは、メルトレファスがレオニア侵攻中の九月上旬もこのアスティンを攻め、その際、デスナイト・カドールと互角の戦いを繰り広げたという。メルトレファスは、この数ヶ月で白狼王ヴェイナードや剣聖エスクラドスの強さを目の当たりにし、自分がいかに卑小な存在であったかを思い知っていた。カドールと互角に戦うドリストを相手に、勝てるとは思えなかった。

 

 ――くそっ! 気持ちで負けてどうする! 俺はカドール閣下のような強さを手に入れるんだ!!

 

 萎えそうな気力を奮い立たせ、メルトレファスはドリストの前に立った。

 

「おい! お前はドリストだな!!」剣先を向け、叫ぶように言った。

 

 ドリストは大鎌を肩に担ぎ、メルトレファスを見た。「ううん? なんだてめぇは?」

 

「第二遊撃部隊のメルトレファスだ! 狂王ドリスト! 結構な腕前らしいな。その強さ、俺に見せてみろ!!」

 

「ああん? オレ様の強さを見て、どうするつもりだ?」

 

「俺はカドール閣下やゼメキス陛下のような力を求めている! お前の強さが本物なら、俺の力の糧になってもらう!」

 

 ドリストはあごに手を当てると、値踏みするような目でメルトレファスの身体を上から下まで見た。「ふうむ、カドールやゼメキスのような力か。いいぜぇ。オレ様は、強いヤツが大好きだからな」

 

「なら勝負しろ!」

 

「だがなぁ、てめぇは肩に力が入りすぎだ。そんなんじゃ、オレ様のように強くはなれないぜぇ?」

 

「なに?」

 

「そもそも、マジメに強さを求めるようなヤツは、暑苦しいから大嫌ぇなんだよ! てめぇはもうちょっと人生に余裕ってモンを持った方がいいぜ?」

 

「余裕……だと……?」

 

「ああそうだ。お前、いま人生楽しくないだろ?」

 

「――――!?」

 

 不意を突くような狂王の言葉に、メルトレファスは言葉を失った。仕官した頃は強くなる自分を想像し胸を躍らせていたが、最近はそんな余裕もなくなった。確かに、楽しくないと言えるかもしれない。

 

「図星だったようだなぁ?」ドリストは満足そうに笑った。

 

「違う! 楽しいかどうかなんて戦いに関係ない! いいから俺と戦え!」

 

「やめておくぜ。てめぇみたいに人生を楽しめないヤツと戦っても、こっちも楽しくないんでな」

 

 ドリストは、あっちへ行けとばかりに左手をひらひらと振った。まるで野良犬を追い払うかのようである。

 

 そのとき、ドリストのはるか後方の城壁上で、がつん! という大きな音がして、同時にイスカリオ兵が十数人まとめて吹き飛ばされた。

 

 振り返り、その様子を確認したドリストは、子供のように目を輝かせた。「おおっとデスナイト! そこにいたのか! 待ってろよ~。すぐにこの間のケリをつけてやるぜぇ」

 

 そして、カドールの方へ走る。

 

「ま……待ちやがれ!」

 

 メルトレファスは後を追ったが、ドリストの足は速く、やがて姿を見失った。そして、遠くで大鎌と大斧が激しくぶつかるような音が聞こえた。

 

「……くそぅ!!」

 

 メルトレファスは、苛立ちまぎれに剣を床に叩きつけた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十七話 アデリシア 聖王暦二一五年十月上 エストレガレス帝国/キャメルフォード

 西アルメキアの女騎士アデリシアは、川の対岸を見つめ、携えた槍の柄でぽんぽんと肩を叩いた。対岸には高い城壁に囲まれた巨大な街がある。城塞都市キャメルフォード。かつてアデリシアが防衛部隊の隊長を務めていた都市だ。エストレガレス帝国とのいくさが始まり、別の城の配属になったのが五月。約五ヶ月ぶりに帰って来たことになる。あの頃は青々と生い茂っていた山の木々も、間もなく訪れる冬に備えて赤く色づき始めていた。

 

 アデリシアは鋭い目でキャメルフォードを見つめる。かつての駐屯地に五ヶ月ぶりの帰還……という訳ではない。門は堅く閉ざされ、城壁の上には剣や弓を携えた兵士が大勢待機している。そこに掲げられている旗は西アルメキアでもパドストーでもなく、エストレガレス帝国のものだった。現在のキャメルフォードは西アルメキアの領地ではない。帰還するためには、城を奪い返さなければならない。

 

 アデリシアの後ろには十万の兵が控えている。これから、キャメルフォードを奪還する戦いが始まる。

 

「――さてと。ウデが鳴るねぇ。ひと暴れしようか」

 

 アデリシアは槍をくるくると回した後、穂先をキャメルフォード城に向けた。

 

 

 

 

 

 

 城塞都市キャメルフォードは交通の要となる都市だ。北にゴルレ、東にオークニーとエオルジア、南はファザード、南西はカルメリーと、多くの城や街へ通じている重要拠点である。特に南西のカルメリーは西アルメキアの首都であり、馬を飛ばせば二日、徒歩でも一週間でたどり着ける距離だ。

 

 そんなキャメルフォードがエストレガレス帝国に奪われたのは、五月下旬のことだった。

 

 エストレガレス軍はデスナイト・カドールを総大将とする十万の部隊で侵攻。対する西アルメキアは、コール老王に代わって君主となったランスを総大将とした十万の部隊で迎え撃った。しかし、大陸最凶と名高いカドールと、それが初陣だったとランスとでは、実力に差がありすぎた。西アルメキア軍は半日ともたず撤退することになった。

 

 最重要拠点であるキャメルフォードを奪われた西アルメキアは、開戦直後にもかかわらず大きな危機に陥った。そのまま勢いに乗ったカドールがさらに侵攻して来れば、西アルメキアは壊滅的な打撃を受けていただろう。

 

 だが、同五月下旬、カドールのキャメルフォード侵攻によって手薄となった帝国領オークニーに、北のノルガルド軍が侵攻し、これを制圧。背後を取られたカドールの部隊は動きが取れなくなり、西アルメキア侵攻の足が止まる。さらに翌六月上旬、西アルメキアの同盟国カーレオンが帝国南部の城ソールズベリーを制圧。これを皮切りに帝国南部での戦闘が激化し、カドールの部隊は南部へ移動することになった。

 

 西アルメキアにとっては、劣勢を覆すまたとないチャンスだった。

 

 

 

 

 

 

「……フン。くだらんな。なぜこの俺があのガキの尻拭いをせねばならんのだ」

 

 アデリシアの横に立った男が忌々しげな口調で言った。漆黒の鎧に身を包み、背にパドストーの紋章を刺繍したマントを羽織っている。携えた剣や盾にも同じ紋章があしらわれていた。旧パドストーのコール老王の息子メレアガントだ。今回のいくさでは、西アルメキア軍の総大将を務めている。

 

 アデリシアは横目でメレアガントを見た。「尻拭いがイヤなら、大将の座をランス様に譲ればいいじゃないか。なんなら、今からでも代わればいい」

 

「バカな。そもそもヤツのせいでキャメルフォードを奪われたのだ。これ以上あのガキに任せていたら、この国は滅びてしまう」

 

 今回のキャメルフォード奪還作戦に、ランスの部隊は含まれていない。この奪還作戦は失敗が許されない。まだまだ未熟なランスはカルメリー城で待機し、西アルメキアの騎士の中でも特出した剣の腕を持つメレアガントと、キャメルフォードの構造を知り尽くしたアデリシアを中心に組んだ部隊で作戦を行うと、事前の会議で決まったのだった。

 

「確かに五月の戦いでランス様は敗れたけど、だからって除け者にしようっていうのは気に入らないね」アデリシアは王族であるメレアガントに対してもかしこまることもなく、平然と軽口を叩く。「挽回のチャンスくらいあげてもいいだろうに。あんたは昔からそうだよ。心が狭いというか、器が小さいというか、ケツのあ――」

 

 後ろからものすごい勢いでエフィーリアが走ってきて、アデリシアの後頭部をひっぱたいた。勢いで前につんのめり、アデリシアは川へ落ちそうになった。

 

「痛ったー。何すんだよ!」

 

 抗議の声を上げるアデリシアを無視し、エフィーリアはメレアガントに向かって頭を下げた。「申し訳ありませんメレアガント様! この娘が失礼なことを!!」

 

「いや、エフィーリア。君が謝ることではない」アデリシアへの高圧的な態度とは一転、メレアガントは急に優しい声になった。「悪いのはそのじゃじゃ馬だ」

 

「なーにが、『いや、エフィーリア。君が謝ることではない。キリッ』だよ、気持ち悪い」アデリシアは頭をさすりながら言った。「相変わらず、エフィーには恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく言うよな。ひょっとして、嫁にもらおうとか思ってるのか?」

 

 頭を上げたエフィーリアが、振り向きざまに左の裏拳を放ってきた。アデリシアは上体を逸らしてかわすが、エフィーリアは身体を逆回転して右の裏拳を打ち、さらに逆回転して今度は右のストレートを打ってきた。一流の拳闘士にも匹敵する音速の連続技だ。普段はおしとやかなエフィーリアだが、ときどきこういった凶暴な面が顔を出す。アデリシアはこれを『パドストーの(オウガ)』と評している。

 

 アデリシアとメレアガントとエフィーリアは、カルメリーにある騎士訓練学校からの付き合いだ。アデリシアとメレアガントの二人は成績優秀で、在籍時代は常にトップを争っていたのだが、二人とも異常なまでの負けず嫌いで、事あるごとに対立し、ケンカしていた。そんなとき二人を仲裁するのがエフィーリアの役目だった。

 

「なにが仲裁だ。暴力で黙らせてるだけだろ」

 

 エフィーリアの音速の拳を受け止めた瞬間、アデリシアは地面に引き倒され、そのまま上から押さえ込まれていた。いつの間にか寝技へ移行する術まで取得している。

 

 メレアガントが冷たい目で見おろし、鼻を鳴らした。「そんなんじゃ、先が思いやられるな。アデリシア、お前は足手まといだ、引っ込んでろ!」

 

「なにぃ?」アデリシアはエフィーリアの押さえ込みからするりと抜け出すと、あごを上げて挑発し返す。「はん! そっちこそ、いつもみたいに熱くなって、足を引っ張らないでほしいものだね。それとも、まさかあたしに気でも使ってるつもりかい?」

 

「ふん、ばかばかしい。いくぞ!」

 

 メレアガントは振り返り、剣を掲げた。後方に控える兵十万の内、七万が彼の部隊だ。

 

「兵ども!! 俺に続け!! エストレガレスの盗人どもから、我が領地を取り戻すぞ!!」

 

 檄を飛ばすメレアガント。「おおっ!!」と応えた兵たちは、メレアガントを先頭に、キャメルフォード城へ突撃していく。

 

「くそ、負けてられるか! エフィー! あたしたちも行くよ!!」

 

 エフィーリアを見ると。

 

「――神よ。戦うことをお許しください」

 

 さっきの凶暴な面はどこへやら。胸の前で手を組み、祈りを奉げていた。

 

「エフィー……」

 

 その手が、小さく震えているように見えた。

 

 エフィーリアは訓練学校卒業後カルメリー城でコール王に仕えていたが、二年ほど前に退団し、故郷の村で修道女として働いていた。ゆえに、実戦の経験はない。戦場に出るのは、これが初めてだろう。訓練学校ではエフィーリアも優秀な成績だったが、訓練と実戦はまるで違う。不安になるのも仕方がない。

 

 アデリシアはエフィーリアの肩に手を置いた。「大丈夫。なにがあっても、あたしが護ってあげるから」

 

 顔を上げたエフィーリアは笑みを浮かべる。「ええ。頼りにしてますわ」

 

 アデリシアも微笑み返した。訓練学校時代、校外での探索活動で、アデリシアとエフィーリアはよく一緒に行動した。モンスターや盗賊と遭遇した時は、アデリシアが戦い、エフィーリアは治療の魔法などで援護する。それが、いつもの戦い方だった。今回のいくさでも、それは変わらないだろう。

 

 アデリシアは表情を引き締める。

 

 そして、大きく息を吸い込み、槍を高く掲げ、部隊へ突撃を命じた。メレアガントの部隊に続き、アデリシアとエフィーリアの部隊も、キャメルフォードへ向かって進む。

 

 西アルメキアの反撃が、始まった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十八話 ミリア 聖王暦二一五年十一月上 エストレガレス帝国/トリア

 エストレガレス領トリアの中央通りは、多くに人が行き交い、賑わっていた。

 

 トリアは王都ログレスの南に位置し、カーナボンやオルトルートといった各都市へ繋がっている交通の要だ。必然的に多くの人が行き交うことになる。また、魔導の名門で知られるカールセン家が領主ということもあり、多くの魔導学校が設立され、国中から魔導を学ぶ若者が集まる街でもあった。これから王都へ行って一儲けしようとする商人、逆に首都で仕入れた品を地方へ運ぶ商人、王都から各戦地へ派遣される兵士もいれば、南の戦地から北の戦地へ移動する兵士もいる。魔導学校へ向かう若者や、学校で教鞭を振るう教師の姿もある。そして、集まった人々を目当てに露店が並び、大道芸人が芸を披露する。吟遊詩人が歌を歌う横で、政治家や宗教家が己の主張をアピールしている。中央通りは、すぐ隣の人に話しかけるにも大声を張り上げなければいけないほどのにぎやかさで溢れていた。

 

 旅の画家でありカーレオンの騎士でもあるミリアは、お供の騎士志望者エルオードと共に中央通りを歩いていた。が、なかなか歩みは進まない。人が多いのもあるが、さっきからエルオードがキョロキョロと周囲を見回し、露店や大道芸などで珍しいものを見つけては、すぐに足を止めてしまうのだ。おのぼりさん感丸出しである。

 

「ちょっとエルオード、いい加減にしなさいよ」アクセサリーを売る露店を覗き込んでいるエルオードに向かって、ミリアは呆れた声で言った。「子供じゃないんだから、もっと落ち着きなさい」

 

 叱られる格好になったエルオードは、ははは、っと笑った。「申し訳ないです。このような都会の街に来るのは、初めてなもので」

 

 エルオードはノルガルド出身の男だ。ルーンの加護を持ちながらも、仕官せず、山奥で長い間独り暮らしを続けていた。そんな引き籠りのような生活をしていては彼のためにならないと思ったミリアが、カーレオンの騎士になることを勧めたのだ。トリアへは、カーレオンへの帰り道に立ち寄ったのである。初めての都会で興奮するのは判るのだが、さっきから通行人がはしゃぎまわるエルオードを見てくすくすと笑っている。エルオードは見た目だけはイイ男であり、黙って歩いていれば都会の街にも十分馴染むはずである。だからこそ、子供のようにはしゃぐ姿は余計に周囲の注目を集めてしまうのだ。

 

 ミリアは腰に手を当てた。「ほら。早く行くわよ? 夜までに宿を見つけないと、野宿することになるんだから」

 

「私は別に野宿でも構いませんよ? おっと、あれはなんでしょう?」

 

 通りの向かい側でたくさんのボールを放り投げてはキャッチする大道芸人を見つけ、エルオードは駆け寄る。

 

「あ、コラ! そんな急に走り出したら、危ないでしょ!」

 

 と、言ってる側から。

 

 どん、と、通行人の男とぶつかるエルオード。男は大きく弾き飛ばされ、バタリと倒れた。同時に、男が腰に携えていた剣が転がった。

 

「ほらごらんなさい」ミリアは転がった剣を拾い、倒れた男に駆け寄る。「スミマセン、大丈夫ですか?」

 

 声をかけるが、男はピクリとも動かなかった。打ち所が悪かったのだろうか? エルオードは見た目こそヤサ男だが、山奥暮らしが長いため意外とがっしりした体格をしている。彼が走ってぶつかるのは、イノシシに突進されたようなものだろう。

 

 ミリアはエルオードを振り返った。「ちょっとエルオード、どうすんのよ?」

 

「面目ないです。とりあえず、病院へ運びましょうか」

 

「そうは言っても、病院がどこにあるのかも判らないし……」

 

 ミリアが困って辺りを見回していると。

 

「――ああ、またこんなところで寝ちまって」

 

 通りかかった中年男が呆れ声で言った。

 

「えっと、お知り合いの方ですか?」ミリアは中年男に訊いた。

 

「知り合いってほどでもないが、そいつは、ここらじゃ有名な呑んだくれだよ」

 

「呑んだくれ?」

 

 そう言われ、改めて倒れた男を見るミリア。赤ら顔で気持ち良さそうにいびきをかいている。少し顔を近づけると酒の匂いがした。確かにこれは、倒れて意識を失ったのではなく、ただ寝ているだけのようだ。

 

「そいつはクラレンスって言ってな、アルメキア時代は騎士だったんだが、今はやめちまって、そのザマだよ」

 

「アルメキアの騎士……」

 

 ミリアは拾った剣を見た。無駄な装飾のないシンプルなもので、それゆえ観賞用や装飾品ではない実戦用の剣だと判る。飾り気こそないものの、ただひとつ、鞘に、炎を吐くドラゴンの後ろで剣と槌矛が交わった紋章の刻印があった。

 

 旧アルメキアには主に五つの騎士団が存在した。アルメキア正規軍、魔術師団、神官騎士団、王ヘンギストの近衛兵、王太子ランスの親衛隊である。これらの部隊が掲げている紋章はそれぞれ若干異なっており、例えば正規軍は炎を吐くドラゴンの後ろで剣と斧が交わっており、王太子ランスの親衛隊は剣が二本交わっている。剣と槌矛が交わるのは、神官騎士団の紋章だ。

 

「あんたら、旅の人だろ?」と、中年男が言った。「そいつがそこらで寝るのはいつものことだから、ほっときゃいいよ」

 

「うーん、そうは言っても……」

 

 ミリアはエルオードと顔を見合わせた。酔っぱらった相手とはいえ、ぶつかったのはこちらに非がある。それを、冬も近いこの時期に放置しておくのは、さすがに気が引けた。

 

 どうしようかと迷っていると、中年男が「なんなら、そいつの家を教えるから、連れて帰ってくれるか?」と提案した。

 

 それも面倒な話ではあったが、仕方がない。ミリアは中年男から家までの道を聞くと、倒れた男をエルオードに背負わせ、自分は剣を持ってその家を目指した。

 

 男の家は大通りからかなり離れた場所にある古びた長屋の一角だった。鍵がかかってないので遠慮なく中に入る。台所と寝室しかない狭い部屋で、寝室にはベッドと机と椅子くらいしかない。エルオードは男をベッドに寝かせた。

 

「……すまない」男がぽつりとつぶやいた。

 

「あら? 起きてたんだ?」ミリアが言った。「なんか飲む? って、他人(ひと)の家で訊くのもナンだけど」

 

「いや、気にするな」男はベッドの上で上半身を起こした。「水を一杯もらえるか」

 

 ミリアは台所の大瓶からお椀に水を汲み、男に渡した。

 

 男は一気に飲み干すと、深く息をついた。「……騎士のくせに昼間から呑んだくれて、みっともない男だと思っているのだろう?」

 

「いえ、そんなことはない……とも言えないですけど」

 

「そう……俺はロクでもない男。いっそあの夜、敵の刃に倒れ、死んでいた方が良かったのかもしれん」

 

「はあ」

 

「俺の名はクラレンス。かつてアルメキアで神官騎士団を務めていた。フォルセナ大陸には多くの国があるが、我が剣を奉げるのは歴史あるアルメキアだけだと思っていた。国を守るために……国に命を奉げる覚悟で仕官したんだ」

 

 あらら。なんか語り始めちゃったよこの人……と、内心思いながらも、「なんでやめちゃったんですか?」と、続きを促すミリア。

 

「アルメキアは腐敗していた。王宮には、私腹を肥やすことしか頭にない者たちで溢れ、愚王ヘンギストは、そんな愚臣共に言われるがまま、真に忠義の厚い家臣を処刑したり、国外へ追放したりした」

 

「そういうウワサ話は聞いたことがあります。ホントだったんですね」

 

「ああ。そんなとき、ゼメキスがアルメキア王宮と戦うという話を耳にした」

 

「…………」

 

「その戦いには、正規軍と魔術師団がゼメキスの陣営に就いて戦うという話だった。神官騎士団はどうするか……ゼメキスに味方すべきだという意見もあったが、大半は、反対だった。ゼメキスの陣営に就くということは、祖国を裏切ることになるのだからな」

 

「でも……確か、神官騎士団は、ゼメキスの陣営に就きましたよね?」

 

「そうだ。ある男の説得で、ゼメキスと共に戦うことになったんだ」

 

「ある男……?」

 

「パラドゥールという神官だ。そいつは、ゼメキスこそが正義であり、この戦いは、王宮にはびこる佞臣(ねいしん)共を一掃し、アルメキアを復興させるためのものだ、と主張した。俺は……俺たちはその話を信じ、戦った。王宮側に就いた近衛兵や親衛隊は、所属が違うとはいえ同じ国に仕えた仲間だ。戦うのは心苦しかったが、全ては、腐った体制を打破し、真のアルメキアを取り戻すためだと己に言い聞かせた。だが、いくさが終わるとゼメキスが王となり、国はエストレガレスへと名を変えた。アルメキアは滅びた。俺は、パラドゥールに騙されていたんだ。絶望した俺は騎士団を去り、故郷の街へ戻った。そして、今はこのザマさ」

 

 大袈裟に両手を広げて自嘲気味に笑うクラレンス。どうも芝居がかった話し方をする男である。酒だけでなく、自分自身にも酔っているのかもしれない。

 

「でもさ、アルメキアは完全に滅びたわけじゃないんでしょ?」と、ミリアは言った。「ほら、ヘンギスト王の息子さんの、ランス王子だっけ? 生き延びて、アルメキアの復興を目指して戦ってるって聞いたけど」

 

 ゼメキスのクーデターの夜、アルメキアから脱出したランスは西のパドストーへ落ち延び、老王コールへ助力を求めた。コールは国の全権をランスへ譲り、以来、パドストーは西アルメキアと名を変え、エストレガレス帝国と激しい戦いを繰り広げている。

 

 ミリアはさらに話す。「クーデターに加担したことを悔いてるのなら、西アルメキアに仕官して、ランス様と一緒にアルメキアの復興を目指したらいいのに」

 

 クラレンスはうつむき、かぶりを振った。「俺はアルメキアを滅ぼした者の一人なのだ。今さらどの面を下げてランス王子に仕えることができよう」

 

「だまってればバレないんじゃない?」

 

「ミリア殿……」と、後ろからエルオードが言う。「そういう問題ではないのでは?」

 

「そう?」

 

「それに、クラレンス殿の剣にはしっかりとアルメキア神官騎士団の紋章が刻まれていますし、すぐにバレると思いますよ?」

 

「うーん、まあ、そうかもしれないわね」ミリアは腕を組み、少し考えた後、ぱん、と手を叩いた。「じゃあさ、あたしの国に来れば?」

 

 クラレンスは目を丸くした。「あなたの、国?」

 

「うん。実はあたしたち、カーレオンの騎士なの」

 

「カーレオン……南の魔導国家」

 

「そう。カーレオンは、西アルメキアと同盟を結んで、帝国と戦ってるの。だから、カーレオンの騎士になって戦えば、間接的にだけど、アルメキアの復興に手を貸せるわよ?」

 

「俺が……アルメキアの復興に手を貸す……この俺が……?」

 

 クラレンスはそう言うと、視線を手元に落とし、黙りこんでしまった。ミリアの突然の提案に動揺しつつも、真剣に考えているようである。酔いもすっかり醒めている。ミリアはそれ以上何も言わず、彼の決断を待った。

 

 やがて、クラレンスは顔を上げた。「ひとつ、教えてくれ」

 

「なに?」

 

「失礼だが、あなた方の姿は、とても騎士には見えない。その辺の町人と、何ら変わらないように見える」

 

「あは。まあ、そうだね。実はあたし、最近仕官したばっかりで、ちょっと前までは画家だったの」

 

「私も似たようなものです」と、エルオード。「私も、ついこの間まで田舎の山奥で一人暮らしをしていました」

 

「では、なぜ、それまでの生活を捨て――画家や田舎暮らしを捨て、騎士になったのだ」クラレンスは、まっすぐな視線を向けてきた。

 

「うーん、それはね、ちょっと説明が難しんだけど、まあ、一言でいうなら、画家であり続けるため、かな?」

 

「画家であり続けるため?」

 

「そう。あたし、戦争が始まるまで大陸中を旅して絵を描いてたんだけどね――」

 

 と、ミリアは、以前エルオードにも話したことのある騎士になった理由を、クラレンスにも話した。

 

「私も、ミリアさんと同じかもしれませんね」ミリアが話し終えた後、エルオードが続く。「私も、自分が自分であり続けるために、仕官したのだと思います」

 

「画家であり続けるため……自分であり続けるため……」

 

 クラレンスは、言葉を胸に刻むようにつぶやく。

 

「クラレンスさん、あなたはどう?」ミリアは、真剣な表情をして訊いた。「あなた、ひょっとして、騎士であり続けたいんじゃない? この剣を見ればわかるわ」

 

 ミリアはクラレンスの剣を取り出した。クラレンスの部屋には最低限生活に必要な物しかなく、唯一価値のありそうなものがこの剣だ。鞘に収められた状態だが、よく手入れが行き届いているのが判った。

 

 ミリアは言葉を継ぐ。「ホントに騎士に絶望したんなら、剣なんか捨てて、どこか戦争とは無縁な田舎にでも引っ越して穏やかに暮らすはずよ。でも、あなたは剣を捨てず、国に留まっている。あなたは神官騎士の誇りを捨てていない。いえ、捨てられずにいるんでしょ? だったら、こんなところで呑んだくれてないで、戦わなきゃ。騎士であり続けるために」

 

 ミリアは力強く言って、クラレンスに剣を渡した。

 

「騎士で、あり続けるために……」

 

 受け取った剣をじっと見つめるクラレンス。

 

 ミリアはにこりと笑った。「まあ、すぐに結論を出すことはないわ。あたしたち、今夜はどこかの宿に泊まって、明日出発する予定なの。朝になったらまた来るから、その時、答えを聞かせてちょうだい」

 

「いや、その必要は無い」クラレンスは剣を持って立ち上がった。「あなたの言う通りだ。俺は、騎士であり続けたい。だから、あなた方と共に戦わせてくれ」

 

「ええ。歓迎するわ」

 

 ミリアは右手を差し出した。

 

 クラレンスは、少し照れたように笑うと、ミリアの手を握り返してきた。

 

 そして、明朝中央通りで再会することを約束し、二人はクラレンスの家を出た。

 

 

 

 

 

 

「――しかし、さすがミリア殿ですね。見直しました」

 

 クラレンスの家を出て中央通りへ戻る道すがら、エルオードが嬉しそうな声で言った。

 

「うん? 何が?」

 

「クラレンス殿に仕官を勧めたことですよ。正直、行きずりの酔っ払い騎士など、放っておけばよいのに、あんなに熱心に勧誘されていた。彼のためを思ってのことですね」

 

「うーん、そういうのとは、ちょっと違うかな?」ミリアは悪戯っぽく笑った。

 

「はい? どういうことでしょうか?」エルオードは首を傾けた。

 

「はっきり言えば、別に彼のことはどうでもいいのよ。仕官を勧めたのは、カイ様のため」

 

「カイ様? カーレオン国の、カイ王ですか?」

 

「ええ。カイ様はね、ゼメキスのクーデターが成功したことが、いまだに信じられないみたいなの。ゼメキスの陣営に、魔術師団や神官騎士団が味方した理由が判らないって」

 

「ほう?」

 

「だから、ああいうウラ事情を知ってる人を連れて帰れば、けっこう喜ぶんじゃないかなー、って、思うの。あ、これ、クラレンスさんにはナイショよ?」

 

 ミリアは人差し指を唇の前に当てて笑った。

 

 エルオードは「なるほど」といった後、はっとした表情になった。「まさか、私を騎士に誘ったのも、何か他に目的があったのでしょうか?」

 

「うふふ、どうかしら?」とぼけたように笑うミリア。「ま、きっかけはなんだっていいじゃない? 騎士になることで、結果的にその人の人生が良い方向に進むなら」

 

「まあ、そうですね」エルオードは納得したように頷いた。「しかし、ミリア殿はなかなか策士ですな」

 

「策なんて言うほどのものじゃないわよ。まあ、あたしはルーンの加護を受けてるけど、戦いに関しては素人同然だから、それ以外のことでお役にたたないと、ね? 戦争で重要なのは敵を倒す力だけじゃない。騎士の勧誘や情報の収集も、重要なことよ」

 

「勉強になります」

 

「エルオードはしっかり修行して、強くなって、戦いで貢献しなさいね」

 

 ミリアはぱっちっと片目を閉じると、中央通りへ戻り、今夜の宿を探し始めた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六十九話 メルトレファス 聖王暦二一五年十月下 エストレガレス帝国/オークニー

 エストレガレス帝国北西部の戦いは、さらに混迷を極めていた。

 

 ノルガルドに奪われたオークニー城を奪還するため、皇帝ゼメキスはミラ・ミレの双子の新米騎士と共に出撃。ノルガルド軍七万に対し帝国軍五万で挑む攻城戦はかなり無謀な戦いであったが、ミラ・ミレの連携とゼメキスの武の力により敵将を退け、見事、オークニーの奪還に成功していた。

 

 しかし、その代償もあった。このオークニー攻めの影響で守りが手薄になった西のキャメルフォードが、西アルメキア軍の侵攻を受けたのだ。キャメルフォードは五月下旬にデスナイト・カドールの活躍によって西アルメキアから奪った城だ。交通の要所であり、西アルメキア侵攻の要とも言える城だが、帝国はこれを守りきることができず撤退。北西部は一城を得て一城を失い、開戦前の状況に戻ったことになる。ただし、オークニー侵攻では城こそ奪還したものの軍の被害は大きく、兵力はかなり低下していた。このままでは北西部が大きく侵略される恐れがあると踏んだ軍総帥ギッシュは、南部からデスナイト・カドールの部隊を移動させ、守りに当たらせることにした。その分、今度は南部が危険にさらされるが、四方を敵国に囲まれている帝国において、これはどうしても避けられないことであった。

 

 カドールと共にオークニーに入った新米騎士メルトレファスは、早朝、訓練場へと向かっていた。ここ数ヶ月間のあわただしさが嘘のような静かな朝だ。北西部の戦況が混迷を極めているとはいえ、ゼメキスとカドールが守りに就いた以上、西アルメキアもノルガルドもそう簡単には手が出せなくなる。その間に兵力を再編するのが、現在の北西部の目的だった。予断を許さない状況であるものの、訓練に励む暇など無かったレオニア侵攻やアスティン防衛時と比べれば落ち着いたものである。

 

 訓練場に入ると、たん、という小気味よい音が響いた。弓が的を射る音のようだ。まだ見張りの兵以外は眠っているような時間なのに、もう先客がいる。メルトレファスはその姿を確認し、小さく舌打ちをした。弓場で、人を(かたど)った的へ矢を放っている女。以前、ディルワースという砦の訓練場でも一緒になったことがあるエニーデという女騎士だ。

 

 メルトレファスに気付いたエニーデは、弓を引くのをやめ、右手で栗色の髪をかき上げた。「あら? おはよう、メルトレファス」

 

「……またお前か、エニーデ。こんな朝早くから訓練とは、ご苦労なことだな」

 

「それはあなたもでしょ」エニーデはくすりと笑った。「そう言えばあなた、レオニア侵攻の部隊にいたんですってね? どうだった?」

 

 嫌なことを訊かれ、メルトレファスは大きく舌打ちをした。

 

 八月、遊撃部隊であるメルトレファスは剣聖エスクラドスの指揮下に入り、電撃的な作戦でレオニアへ侵攻。ハドリアン、グルームの二城を落とし、聖都ターラまで迫るも、北からノルガルドの援軍が駆けつけ、進軍を止められた。メルトレファスはノルガルドの白狼王ヴェイナードと対決するも惨敗。その後、帝国軍はアスティンまで後退せざるを得なかった。そのアスティンはイスカリオ軍の執拗な攻撃を受けており、帰還直後のメルトレファスも戦いを余儀なくされた。彼はそこでイスカリオの狂王ドリストと対峙するも、今度は相手にもされなかった。

 

 つまり、メルトレファスはこれらの戦いでノルガルド王ヴェイナードとイスカリオ王ドリストと対峙するという幸運に恵まれるも、己の力不足によりいずれも取り逃がしてしまったのだ。五月の西アルメキア王ランスに続き、三度もしくじったことになる。

 

 黙り込んだメルトレファスの顔を覗き込むエニーデ。「どうしたの? 何か、良くないことでもあった?」

 

「話したくもない」メルトレファスは目を逸らした。

 

 エニーデは「そう」と言った後、含んだような笑みを浮かべる。「まあ、だいたいのことは聞いてるけどね」

 

「だったらわざわざ訊くな。ふん。バカにしたければすればいいさ」

 

「別にバカにはしないわよ。あなたは白狼を追い詰め、アスティンを防衛した。立派じゃないの」

 

「白狼を追い詰めたのはエスクラドス様の力で、アスティンを守ったのはカドール閣下の力だ。俺は、自分の無力さを思い知っただけだ」

 

 エニーデは「ふーん」と感心したように頷くと、もう一度、メルトレファスの顔をまじまじと見た。

 

「……なんだ?」

 

「無力さを思い知った割には、そんなに落ち込んでないみたいね?」

 

「そうか? 思いっきり心が折れたんだがな」メルトレファスは自嘲気味に笑った。

 

「そんな軽口が言えるんだから、大丈夫よ。本当に心が折れたなら、そうやって笑うことなんてできないもの」

 

 まあ、そうかもな、と、メルトレファスは思った。無力さを知ったのは確かだが、だからと言って強くなることを諦めたり、自棄(やけ)になったりはしていない。

 

「それで――」と、エニーデ。「これから訓練? また、前みたいに無理矢理どかそうとするのかしら?」

 

 メルトレファスは腕を組んで後ろに下がった。「待っててやる。早く終わらせろ」

 

「恥ずかしがらず、一緒にやればいいのに」

 

「うるさい。俺の勝手だ」

 

 エニーデはもう一度小さく笑うと、視線をメルトレファスから矢の的に移した。その表情が一気に引き締まる。矢筒から矢を取り、弓を引き絞り、放った。矢は、人型の的の頭部へ吸い込まれるように刺さった。エニーデは表情を変えることなく再び矢を取り、弓を引き絞り、放つ。矢が的に刺さる。再び矢を取る。流れるような動作を、何度も繰り返す。放たれた矢は、頭部や胸部などの急所、あるいは、手足といった相手の命を奪わず無力化する場所を、正確に射抜いていく。

 

 いい腕だ――矢を放つエニーデを見ながら、メルトレファスはそう思った。矢を放つまでの無駄のない動き、放った矢の速さ、的を射抜く正確性、どれも、以前ディルワースで見たときよりもさらに向上している。メルトレファスは騎士としてはまだまだ未熟で、特に弓術に関してはまるで素人だが、それでも彼女の上達ぶりがはっきりと判った。

 

 メルトレファスは。

 

 ――力は、何かの目的があって求めるものよ。

 

 ディルワースで言われたエニーデの言葉を思い出した。

 

 いや、思い出したというのは正確ではないかもしれない。この言葉は、レオニア侵攻の際もずっと胸に刺さったままだった。そして、白狼王ヴェイナードにも同じことを言われた。それまでのメルトレファスはただ強さを求めるだけで、何のために強くなるかなど考えたことがなかった。だから、言葉はさらに深く刺さった。

 

 弓を引くエニーデを見る。その表情には、ゆるぎない決意や覚悟がみなぎっているように見えた。それが、彼女の上達に繋がっているのだろうか?

 

「エニーデ――」矢筒が空になったタイミングで、メルトレファスは声をかけた。「お前は以前、目的も持たずに力を追い求めるのは虚しいと言ったな?」

 

 エニーデは首を傾けた。「なに? 急に?」

 

「お前はどうなんだ? そんなに腕を磨いて、どんな目的があるんだ?」

 

「…………」

 

 黙り込むエニーデ。

 

「どうした? 俺には偉そうなことを言っておいて、自分は何も無いのか?」

 

 挑発的な口調で言うメルトレファス。もっとも、特に悪気があったわけではない。メルトレファスにしてみれば、今まで通りの軽口のつもりだったのだが。

 

 エニーデはしばらく沈黙したままだったが、やがて。

 

「……復讐よ」

 

 低い声で言った。

 

 メルトレファスは、思わず「なに?」と問い返した。聞こえなかったわけではない。ただ、今までのエニーデとはあまりにも異なる暗い声と、そして、復讐という予想外の目的に驚いていた。

 

 エニーデは思いつめた表情で言う。「あたしの父はアルメキアの騎士だった。でも、王宮内の謀略にはまり、あらぬ罪をかぶせられ、国を追放されたの。父は失意のうちにこの世を去った」

 

 アルメキア時代の王宮は、大した実力も無いのに世辞と賄賂でのし上がった愚臣共で溢れていた。王ヘンギストは、それら愚臣共に言われるがまま、真に忠義に厚い家臣を次々と追放、あるいは処刑していったそうだ。有名なところでは、『アルメキアの盾』と呼ばれた名将ハンバルがいる。ハンバルは三十年以上の長きに渡りアルメキア軍に所属し、多くの戦果を挙げた騎士だった。老いて前線を退いた後はアルメキア軍の戦術指南役を務め、後進の育成に励んでいた。当時誰よりも国に忠義を尽くした男だったと言われていたが、ある日突然反乱の濡れ衣を着せられ、国を追放されたのだった。

 

 このような王宮内の謀略で国を去った忠臣は数多い。かつてはアルメキア軍総帥だったゼメキスもその一人だ。彼もあらぬ罪で処刑されようとしていたのだが、反乱を起こして王の首を獲り、新たな国を興した。

 

 メルトレファスは「なるほどな」と頷いて続けた。「父親の復讐のために腕を磨いているわけか。だが、愚王はもういない。アルメキアも滅びた。なら、何のために戦う?」

 

「あたしの復讐は、まだ終わっていない」迷うことなく答えるエニーデ。

 

 メルトレファスは最初、その言葉の意味が判らなかった。だが少し考え、すぐに思い当った。「アルメキアを完全に叩き潰そうという訳か。まあ、愚王が死んで国は滅びても、息子のランスが生きている限り、アルメキア再興の可能性も無いとは言えないからな」

 

「…………」

 

 エニーデは何も答えなかった。

 

 その沈黙を肯定と受け取ったメルトレファスは、さらに話す。「だが、俺に言わせりゃ、復讐なんてくだらないことだ」

 

「……え?」

 

「お前の父親は、仇を討ってくれとお前に頼んだのか?」

 

「そういう訳じゃ……ないわ……」

 

「だったら、復讐なんてただの自己満足だ。仇を討てたところで父親は戻って来ないし、喜びもしない」

 

 エニーデは鋭い目を向けてきた。「あなたは、大切な人を喪ったことがないのね」

 

「なに?」

 

「あたしだって、お父様が戻って来ないことは判ってる。お父様が望んでいるかどうかも判らない。それでも――」

 

 エニーデはそこで言葉を切り、視線を足元へ落とした。

 

 そして。

 

「……それでも、父の無念を思うと、何かせずにいられないのよ」

 

 力のない声で言った。メルトレファスにではなく、自分自身に言い聞かせるような言葉だった。

 

「…………」

 

 そんなエニーデの姿を見て、メルトレファスは何も言えなくなってしまった。エニーデの言う通り、メルトレファスは大切な人を喪ったことはない。彼の家族は今も健在で、王宮内の権力闘争やいくさなどとは無縁の生活をしている。家族以外に大切な人もいない。だから、理不尽な理由で父を喪ったエニーデの気持ちは判らない。そんな自分が安易に口出ししてはいけないことだったのかもしれない。しばらく気まずい沈黙が続いた。

 

 エニーデは視線を上げると、迷いを振り払うように首を振った。「……おしゃべりが過ぎたようね。今日はおしまい。あたしは帰るわ」

 

 そして、メルトレファスに背を向け、弓と矢を片付け始める。さっきまで堂々と矢を放っていた彼女の背中が、やけに小さく見えた。

 

「……手伝ってやっても、いいぜ」メルトレファスは、ためらいがちに言った。

 

「……え?」振り返るエニーデ。

 

「お前さんの復讐、手伝ってやってもいい」

 

「どうしたの、急に?」

 

「お前は俺に、強くなるには目的が必要だと言った。レオニアへの侵攻で、俺もそのことを痛感した。だが、今の俺には何か目的らしいものが無い。だから、とりあえずの目的として、お前さんの復讐を手伝ってやってもいい」

 

 エニーデは目を丸くして驚いていたが、やがて目を閉じ、首を振った。「いいえ。これは、あたし自身の問題よ。誰かを巻き込むわけにはいかない」

 

 メルトレファスは「そうか……」と言って、頭を掻いた。つまらないことを言った詫びのつもりだったが、自分でも余計なことではないかとは思っていたのだ。「悪かったな、おせっかいを言って」

 

「ううん。気持ちは嬉しいわ」エニーデは笑顔で応えた。

 

 その笑顔で、メルトレファスの気持ちも少し楽になった。「まあ、何にしても、あまり気を張り過ぎないことだな。肩の力を抜いて、もっと余裕を持った方がいい。そうじゃないと、人生楽しくないぜ?」

 

「なにそれ? らしくないわね」

 

「そうか?」

 

「ええ。この前とは、まるで別人だわ」

 

「まあ、俺もここ数ヶ月で、いろいろ考えることがあったからな」

 

「フフ、あなたも、それなりに成長しているようね」

 

「ケッ、『それなりに』かよ」

 

「でも、その気持ちの変化は、すごく大事だと思うわ」

 

 エニーデは弓と矢を片付け終え、もう一度メルトレファスを振り返った。「話を聞いてくれてありがとう。ずいぶん気持ちが楽になったわ」

 

「そうか。なら良かった」

 

「じゃあ、あたしは行くわ。訓練、頑張ってね」

 

 そのまま訓練場を出て行こうとするエニーデ。

 

「ああ、エニーデ」メルトレファスは声をかけた。

 

「なに?」

 

「明日もこの時間か?」

 

 エニーデは首を傾けた。「さあ? どうかしら?」

 

「俺はこの時間だ。じゃあな」

 

「フフ。さよなら」

 

 最後にもう一度笑顔を浮かべ、エニーデは訓練場を後にした。そして、もう二度とメルトレファスを振り返ることはなかった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十話 グラウゼ 聖王暦二一五年十月下 西アルメキア/キャメルフォード

 早朝、旧パドストーの騎士グラウゼは訓練場へと向かっていた。まだ多くの騎士や兵が眠っている時間だが、とてもゆっくりしてなどいられなかった。先日、西アルメキア軍は奪われたキャメルフォードを奪還するため、兵十万でエストレガレス帝国を攻めた。グラウゼもその戦いに参加したのだが、あまり良い戦果を挙げることができなかった。当然かもしれない。三月下旬の開戦以降、グラウゼは城を去りずっと自宅に引きこもっていたのだから。その間、戦場に立つことはおろか、訓練さえほとんど行っていない。戦いの勘が鈍るのも仕方のない話だった。いくさ自体はコール老公の息子メレアガントやパドストー時代にキャメルフォードの防衛隊長を務めていた女騎士アデリシアらの活躍により勝利したのだが、グラウゼが足を引っ張ったことは否めなかった。このままではコール老公、ひいては国へ忠義を果たすことができない。危機感を抱いたグラウゼは、以来、朝は誰よりも早く起き、夜は誰よりも遅くまで残り、訓練に励む日々を送っていた。

 

 足早に訓練場へと向かうグラウゼ。その背中に、「――グラウゼさん」と、声を掛けられた。こんな時間に誰だ? 振り返ると。

 

「ランス様?」

 

 旧アルメキアの王太子にして現在はこの国の君主であるランスが、にこやかな表情でこちらを見ていた。キャメルフォード奪還後、王都カルメリーからこの城へ移動し、身を置いている。

 

「おはようございます、グラウゼさん。こんな朝早くから、訓練ですか?」

 

「あ……はい。そうですが、ランス様は何を?」

 

「私も同じです。良かったら、一緒にどうですか?」

 

「は、はあ」

 

 思いもよらぬ人物に思いもよらぬ誘いを受け、薄い反応しか返せなかったグラウゼ。それを気にする風もなく、ランスは「では、行きましょう」と、さわやかに笑って歩きはじめた。

 

 小さくため息をつくグラウゼ。正直に言えば、一緒に訓練などしたくなかった。一刻も早くかつての戦いの勘を取り戻さなければならないのだ。十五歳の子供のお遊びに付き合っている暇など無い。しかし、騎士としてこの誘いを断るわけにはいかなかった。認めたくはないが、ランスはこの国の王。グラウゼの主君にあたるのだから。グラウゼは仕方なくランスの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 グラウゼは旧パドストーに仕えていた騎士であったが、元々はアルメキアの出身だ。彼の父ハンバルはアルメキア軍の戦術指南役を務めていた騎士で、かつては戦場で多くの手柄を立てた。特に防衛戦において優れた戦績を残し、『アルメキアの盾』との二つ名で知れ渡った名将だ。国に数多くの栄光をもたらした男であったが、ある日、ハンバルは王の暗殺を企てたというあらぬ罪を着せられ、国外へ追放された。全く身に覚えのない話であり、ハンバルは無実を訴えたが、それが聞き入れられることはなかった。ハンバルはアルメキアと同盟国だったパドストーに身を置き、生涯無実を訴え続けたが、主張が認められることはなく、二年程前にこの世を去った。

 

 グラウゼは父の跡を継いでパドストーの騎士となり、都落ちした父を受け入れてくれた老王コールの恩に報いるため、生涯忠誠を誓ったつもりだった。

 

 しかし。

 

 今年二月。アルメキアでゼメキスのクーデターが発生し、アルメキアは滅亡。王太子ランスは何とか逃げ延び、パドストーに援助を求めた。老王コールはランスの求めに対し、あろうことか国の全権を任せるというあり得ない形で応えたのである。

 

 あらぬ罪で父を追放した国の王子に王位を譲る――この話に納得できなかったグラウゼは城を去り、自宅に引きこもっていたのだ。だが、心配して訪ねてきたコール老公に説得され、再び騎士として戦うことを決意したのである。

 

 無論、それはコール老公や旧パドストーのためであり、決してランスやアルメキア復興のためなどではない。

 

 だから、騎士として戦う決意はしたものの、グラウゼはランスに対して、決して良い感情を持ってはいなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 訓練場に入ったランスは、軽い準備運動を終えると、木剣を取り、人を模した打ちこみ台に向かって黙々と剣を振るい始めた。その様子を少々意外な思いで見つめるグラウゼ。共に訓練しようと誘われた時は「剣技を教えろ」だの「組手の相手をしろ」だの、王族の子供特有のワガママに付き合わされるものと思ったのだが、そんな様子は一切ない。これなら自分の訓練に集中できる。グラウゼも訓練用の剣と盾を持つと、自身の訓練を始めた。

 

 数時が経った。その間、二人は黙々と剣を振るい続けている。グラウゼは自分の訓練に集中したいと思いつつも、どうしてもランスのことが気になってしまい、横目で様子を伺っていた。

 

 ランスは打ちこみ台の前で剣を構えたまま動かない。目を閉じ、敵のイメージを膨らませているのだろう。やがて目を開けると、撃ちこみ台に木剣を振るう。ランスの剣はアルメキア王国に古くから伝わる二刀流の剣技だ。右と左、それぞれの剣を次々と打ちこんでゆく。その一撃一撃をしっかりと見定めるグラウゼ。まだまだ荒削りではあるものの、十五歳にしてはなかなかの剣筋だった。パドストーの若い騎士よりよほど腕が立ちそうだ。しかし、何度か剣を打ち込んだところで、ランスは悔しそうな表情で剣を止めた。そして何かをつぶやいた後、初めの位置に戻り、目を閉じ、もう一度イメージを膨らませる所から始めた。剣を振るい、しかし納得がいかず、もう一度初めから。それを、何度も繰り返している。早朝から始めてもうすぐ昼になる時間だが、その間、一度も休憩を取っていない。当然、主君が休まず訓練しているのに家臣が一人で休むわけにもいかず、グラウゼもずっと剣を振るっている。だが、さすがにそろそろ休んだ方がいいだろう。

 

「ランス様――」頃合いを見て、グラウゼはランスに声をかけた。「そろそろお昼になります。少し休まれてはいかがですか?」

 

「え? もうお昼ですか?」ランスは驚いた顔で空を見た。陽はすでに中天に差し掛かっている。「本当だ。全然気が付きませんでした」

 

「かなり熱心にされてましたからね。しかし、あまり無理をしても効率は上がりませんよ」

 

「そうですね。ゲライントにもよく言われます。しかし、どうしても自分の技に納得できないのです。もう少しだけ続けさせてください」

 

 グラウゼは首をかしげた。「失礼ながら、ランス様は年齢のわりにはかなりの剣技を身に着けていると思います。今のままでも十分なのでは?」

 

「ありがとうございます。でも、これでは駄目なんです。まだまだゼメキスの足元にも及ばない」

 

「は? ゼメキスですか?」驚くグラウゼ。訓練の様子からランスが誰かをイメージしているのではないかと思っていたが、まさかゼメキスを相手にしているとは思わなかった。

 

 グラウゼは胸の内で苦笑した。ゼメキスとは大きく出たものだ。ゼメキスはアルメキア軍の総帥を務めた男で、しかもその座にありながら常にいくさの最前線で戦い続けた猛将だ。王宮内でぬくぬくと育ってきた子供には、その強さの欠片も想像できないであろう。もう少し身の丈にあった敵を想定した方が良いのではないだろうか?

 

 そんなグラウゼの気持ちが顔に出たわけでもないだろうが、ランスは。

 

「私などには、大きすぎる相手ですよね」

 

 自嘲気味に笑いながら言った。「あのクーデターの夜もそうでした。私の剣は、ゼメキスには全く通用しませんでした」

 

「え!? ランス様は、ゼメキスと剣を交えたことがあるのですか!?」

 

 驚くグラウゼ。クーデターの夜、ランスがどのように城を脱出したのか、詳しい話は聞いていない。ただ、何も判らぬまま部下に連れられ逃げ出したのであろうと、なんとなく考えていた。

 

 ランスは首を振った。「剣を交えたというほどのものでも無いです。ゼメキスにしてみれば、羽虫を振り払ったようなものでしょう」

 

 それは確かにそうかもしれない。グラウゼはゼメキスには会ったことすらないが、少なくともいま見た限りのランスの剣技では戦いにすらならないだろう。しかし、ゼメキスの強さを話に聞いただけと、わずかであろうと実際に戦ったことがあるのでは、まるで話は違う。

 

 ランスは続ける。「私もあの時と比べると少しは腕を上げていると思うのですが、まだまだヤツの足元にも及びません。ですが、アルメキアを再興するためには、避けては通れぬ相手です」

 

「しかし、ランス様はこの国の君主。前線で戦うことはないでしょうから、ゼメキスを相手にする機会は無いのでは?」

 

「いいえ。むしろ君主だからこそ、前線で戦わなければならないと思っています。そして、ゼメキスも戦場に出れば、必ず最前線にいるはず。ならば、遠からず戦うことになるでしょう」

 

 ランスは真っ直ぐな目で言った。

 

 いい目をしている――グラウゼはそう思った。愚王の息子だからとんでもなく世間知らずのお坊ちゃんだと思っていたが、誤解だったかもしれない。いや、自分が勝手に歪んだ見方をしていたというべきか。ひたむきに訓練に励む姿と、自分と相手の力量を見定める力。今の段階で結論を出すにはまだ早いが、少なくともこれまでの考え方は改めなければならない。

 

 そして、真の力を見定める必要がある。この男が、この国の君主にふさわしいかどうかを。

 

「ランス様、よろしければ、お願いがあります」グラウゼは言った。

 

「お願い? 何でしょう?」

 

「次にランス様が戦場に出られる際は、ぜひともわたくしもお供させてください。ランス様の戦いぶりを、この目で見届けたいのです」

 

「グラウゼさんが一緒に戦ってくれるのならば心強い。ぜひお願いします」

 

「ありがとうございます」グラウゼは一度頭を下げた後、さらに続けた。「それと、もうひとつ。私に組み手の相手を務めさせていただけないでしょうか?」

 

「え? グラウゼさんが、ですか?」驚いた顔のランス。

 

「はい。仮想ゼメキスとしては、かなり力不足かと思いますが」

 

「とんでもない。お相手していただけるなら嬉しいです。しかし、グラウゼさんにはグラウゼさんの訓練があるでしょうから、ご迷惑では?」

 

「それこそとんでもないことです。ぜひ、ランス様の訓練にお付き合いさせてください」

 

「そうですか? それでは、お言葉に甘えることにします」

 

「ただし、遠慮はしませんよ?」

 

 グラウゼは剣を構えた。

 

「もちろんです!」

 

 ランスも剣を構える。

 

「では、行きます!」

 

 二人の木剣がぶつかる。

 

 グラウゼの、ランスの器を図る戦いが始まった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十一話 エフィーリア 聖王暦二一五年十一月上 西アルメキア/キャメルフォード

 西アルメキア領キャメルフォードの一室で、修道女のエフィーリアは小さくため息をついた。彼女の目の前には、袖が取れかかったシャツや、ボタンが取れた上着など、繕いものが山のように積み上がっている。エフィーリア自身のものではない。キャメルフォード城に駐屯している他の騎士や兵達のものだ。修道女という職に献身的なイメージがあるからだろうか、こういった繕いものがあると、みんなエフィーリアのところにもってくるのである。すでに就寝する時間だというのに、これでは眠れない。まったく。どうしてみんなあたしのところへ持ってくるのかしら。死ねばいいのに。と、内心思いながら、シャツの袖を縫い合わせていく。

 

 トントン、とドアがノックされ、「エフィー? 起きてるかい?」と声がした。同僚の女騎士・アデリシアである。エフィーリアが「ええ、起きてますわよ」と返事をすると、ドアを開けてアデリシアが入って来た。

 

「うわ、なんだい、そりゃ?」アデリシアはエフィーリアの前に積み上げられた繕い物の山を見て驚いた。「それ、まさか全部エフィーが直すのかい?」

 

「ええ。どういう訳か、みんなあたしのところへ持ってくるんですの。困ったものですわ」

 

「しょうがないな、男どもは。繕いものくらい、自分でやればいいのに」アデリシアは呆れ声で言った。

 

「と、言いつつ――」エフィーリアは、目を細めてアデリシアを見た。「その手に持っているものは、なんですの?」

 

「ああ、これ?」アデリシアは、後ろ手に隠していたズボンを取り出した。「ちょーっと、破れちゃってね」

 

 アデリシアはズボンを広げた。お尻のところが、大きく破れている。

 

「まあ、アディ、あなたもですの?」

 

「このズボン、あたしのお気に入りでさ。いくさの時は、これを履いてなきゃダメなんだ。お願いだよエフィー、直しておくれよ」

 

 姉御肌で主に女性陣から頼りにされることが多いアデリシアだが、普段の姿からは想像もできないような猫なで声を出す。エフィーリアと二人きりの時はだいたいこうだ。エフィーリアはこれを、『パドストーの大きな幼女』と評している。

 

 エフィーリアは、「はあぁぁ……」と、大げさにため息をついた。「アディ、あなたも女なんですから、お裁縫くらいできないでどうするんです? そんなんじゃ、お嫁に行けませんわよ?」

 

「別にお嫁に行く気なんてないけど」と、アデリシアは唇を尖らせた。「それに、お裁縫が女の仕事だなんて、誰が決めたんだい?」

 

「そうですわね。言い直します。お嫁に行かず一生独り身で過ごすつもりなら、お裁縫くらいできないと、苦労しますわよ?」

 

「おっと、痛いところを突いて来るねぇ」

 

「あたしだって、いつまでアディの側にいてあげられるか判りませんからね」

 

「そんなつれないこと言うなよ。そうだ。いいこと思いついた」

 

「なんですの?」

 

「エフィーがあたしの嫁になるってのはどうだい? それならずっと一緒に居られるし、あたしも裁縫で苦労しなくてすむ」

 

「バカなこと言ってないで、それくらい、自分でやりなさい。やり方教えますから」

 

 エフィーリアは針と糸をアデリシアに差し出した。アデリシアは「ちぇっ」と舌打ちすると、しぶしぶ針と糸を受け取る。そして、エフィーリアの指示に従い、破れた箇所を縫い合わせていった。その手の動きはぎこちなく、今にも指を刺しそうで危なっかしい。まあ、アデリシアはパドストー1の槍使いと言われる騎士だ。実戦はもちろん訓練等でも怪我はしょっちゅうだから、針で指を刺すくらいなんでもないだろう。エフィーリアは気にせず、自分の繕いものを続けた。

 

 しばらく二人で黙々と繕いものを続けていたが、ふと、アデリシアの手が止まった。破れたズボンは、まだ半分も縫えていない。

 

「あら? もうあきらめるんですの? 根性がないですわね」

 

 冗談っぽく言いてみたが、アデリシアはのって来なかった。なにやら暗い顔をして、手元をじっと見ている。

 

「……どうしたんですの? 急にしおらしくなっちゃって?」エフィーリアはアデリシアの顔を覗き込んだ。

 

「ああ、いや、別に、どうってことはないんだけど」顔を上げたアデリシアは、少しためらった後、続けた。「昼間の会議のこと、聞いたかい?」

 

「ええ、聞きましたわ」エフィーリアも冗談を言うのをやめ、真剣な声で答える。「オークニー、エオルジア、アリライムの三都市に、同時侵攻するんですってね」

 

「そうなんだよ」

 

 アデリシアは、また視線を落とした。

 

 先月、エストレガレス帝国に奪われていたキャメルフォードの奪還に成功した西アルメキア。今後、どのようにいくさを進めていくか、今日の会議で話し合われたのだ。この会議にエフィーリアは参加していないが、三都市同時侵攻の話は、すぐに兵たちの間で噂になり、城中に知れ渡った。現在の西アルメキアと他国の戦力を考えると、かなり大胆な作戦である。

 

 侵攻地のひとつであるオークニーは、キャメルフォードの北東に位置し、周囲を険しい山々に囲まれた難攻不落の城だ。ただでさえ守りに強い上に、現在この城には皇帝ゼメキスとその腹心であるデスナイト・カドールが守備に就いている。このオークニーだけでも侵攻は困難だというのに、同時にキャメルフォードの東に位置するエオルジアも攻めるという。エオルジアへと続く街道は、途中、湖と森に挟まれた狭い場所がある為、大部隊での進軍が困難な立地になっている。こちらも、非常に守りに強い城だ。もうひとつの侵攻地アリライムは、北の大国ノルガルドの城だ。西アルメキアの最北拠点ゴルレの北に位置している。この城は平地に建っているので比較的侵攻しやすい立地だ。さらに、現在ノルガルドは軍の主力をエストレガレスとの国境に配置してあり、アリライムはかなり手薄と言って良かった。こちらの侵攻は比較的容易と思われるが、今回の大陸全土を巻き込んだいくさでは、西アルメキア軍とノルガルド軍はまだ剣を交えていない。特に同盟や不可侵条約を結んでいるわけではないので侵攻するのは何の問題もないのだが、戦う意思を見せていない相手を攻めるのは、やはり思いきった作戦である。

 

 これらの大胆な作戦を決行するというだけでも驚きなのだが、さらにエフィーリアを驚かせたのは、今回の作戦を立案したのがランスである点だった。

 

 エフィーリアは苦笑いを浮かべた。「今回の作戦、メレアガント様が己の力を過信してまた無茶なことを言いはじめたのかと思ったら、立案したのはランス様ですってね。驚きました」

 

「相変わらずさらっと毒を吐くね、あんたは」アデリシアも苦笑いする。

 

「あら? 何かおかしなこと言いました?」

 

「いや、気付いてないならいいや」アデリシアは咳ばらいをした。「あたしも驚いたよ。あのランス様から、こんな大胆な作戦が出るなんてね」

 

 数ヶ月前、このキャメルフォードで初めてランスに会った時のことを思い出すエフィーリア。祖国を滅ぼされ、切羽詰まった状況であるにもかかわらず、周囲の者たちへの配慮を忘れず、気づかいに溢れた人という印象だった。アデリシアも、同じように思っていただろう。

 

「ランス様、アルメキアの奪還が思うようにいかず、焦ってるのかもしれない」アデリシアが言った。「焦って周りが見えなくなったら、この先危険だよ」

 

 開戦以降、この国の戦況は決して良くない。五月にいきなりキャメルフォードを奪われ、重大な危機に陥ったのは記憶に新しい。そのいくさを指揮していたのはランスだ。コール老公から国の全権を委ねられたにもかかわらず初戦であの失態。大きな責任を感じていたのは間違いないだろう。幸いキャメルフォードの奪還には成功したが、その作戦にランスは参加させてもらえなかった。これで焦るなという方が無理かもしれない。アデリシアの言う通り、焦って周りが見えなくなったら危険だ。

 

 しかし。

 

「大丈夫ですわよ」

 

 エフィーリアは、アデリシアに向かって優しく微笑んだ。

 

「え?」顔を上げるアデリシア。

 

「三都市同時侵攻の作戦は、みんなで話し合って決めたんでしょ? いくらランス様がこの国の君主でも、一人で全てを決められるはずがないですもの。会議には、多くの人が参加していたはずよ? パドストー史上最も長く王位にいたコール老公、性格にかなり問題があるものの剣の腕だけは超一流のメレアガント様、かつてアルメキア軍で百のいくさを経験したと言われるゲライント様、『アルメキアの盾』と呼ばれた名将ハンバル様の息子でありながら国の一大事に自宅を警備していたグラウゼさん、アルメキアクーデターの夜ゼメキスと互角の戦いをしたというハレーさん、レオニア1の智将だったと言い張ってる自称天才軍師のなんとかボルグさん。それに、パドストー時代、長くキャメルフォードの防衛隊長を務めたアデリシア隊長も、ね。みんなで検討した結果、それが決して無茶な作戦ではなく、実現可能だと判断されたから、実行することになったんでしょ?」

 

「ちょいちょいさらっと毒を吐いてるのが気になるけど、まあ、そうだね。みんなで決めたことだよ」

 

「なら、安心ですわ。きっとうまく行きます」

 

「そう……かな……?」

 

「そうですわよ。それに、この先もしランス様が無茶なことをしようとしても、みんなが支えているんですから、大丈夫ですわよ。だから、そんなに心配しないで、優しいアディ」

 

 エフィーリアはアデリシアの右手を取り、両手で優しく包み込んだ。

 

「エフィー……」

 

 アデリシアもエフィーの手を握り返す。

 

 二人は、しばらく見つめ合うと。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……どうもエフィーの言うことは、すんなり心に響かないんだよな」

 

「あら? なぜですの?」

 

「ウラがあるかもと勘ぐってしまうと言うか、いい言葉よりも毒の方が気になると言うか」

 

「まあ、せっかく励ましてあげてますのに、ヒドイ言われようですわ」エフィーリアは頬を膨らませた。

 

「ヒドイのはエフィーの方だろ」呆れ声で言った後、アデリシアは笑顔を浮かべた。「でも、エフィーの言う通りだね。あたしたちがランス様を支えればいんだ。ありがとうエフィー。相談にのってくれて。おかげでずいぶん気が楽になったよ」

 

「なら良かったですわ」エフィーリアも笑顔を返した。

 

 アデリシアは立ち上がり、大きく伸びをした。「さてと。ずいぶん遅くまでお邪魔しちゃったね。あたしはもう寝るよ。エフィーも、ほどほどにして、早く休みなよ」

 

「ええ、そうしますわ」

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 最後にもう一度笑い合って、アデリシアは部屋を出て行った。

 

 ――さてと。あたしもこんな押し付けられた仕事なんかほっといて、早く寝ましょ。

 

 そう思い、ふと繕いものの山を見ると、アデリシアのズボンが残っていた。アイツ……ちゃっかり置いて行きやがった。これじゃ早く寝られるわけないだろ。死ねばいいのに。

 

 と、内心思いつつも。

 

「……しょうがないわね。ホント、あたしも、いつまでもあなたのそばにいてあげられませんわよ、アディ」

 

 エフィーリアはズボンを取り、針と糸を持つと、破れた部分を縫い合わせはじめた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十二話 ディナダン 聖王暦二一五年十一月下 カーレオン/ハーヴェリー

 カーレオン領ハーヴェリーの会議室には、賢王カイを始め、宰相のボアルテ、王妹メリオットとその友人ミリア、そして、カーレオン騎士団をまとめるナイトマスター・ディナダンが集まり、緊急の軍議を行っていた。カーレオンは、六月のソールズベリー制圧以降は防衛に徹し、目立った動きはしていない。ハーヴェリー近辺は、カーレオン・イスカリオ・エストレガレス帝国の三国が国境を接しており、地形がかなり複雑だ。カーレオンの兵力は決して十分ではなく、これ以上の侵攻はリスクが高いのだ。現在カーレオンは守りを固めつつ兵力の増強に努めている。

 

 ところが。

 

 先日、同盟国である西アルメキアから極秘の連絡があった。十二月に、オークニー・エオルジア・アリライムの三都市へ同時侵攻するというのだ。

 

 先月、西アルメキアは帝国に奪われていたキャメルフォードを奪還した。その勢いに乗り、今回の作戦へと移ったのであろう。帝国だけでなくノルガルドも同時に攻めるというのは、かなり大胆な作戦である。帝国はかつてフォルセナ大陸最強を誇ったアルメキア軍が中心となっているため高い兵力を有しており、ノルガルドもレオニアと併合したことにより帝国に勝るとも劣らない兵力となっている。侵攻作戦が成功すれば両国に大きなダメージを与えられるが、失敗した場合、元々兵力で劣る西アルメキアのダメージは極めて大きいだろう。

 

 もちろん、同盟国とはいえ他国のことなので、この作戦に関してカーレオンからなにか言うつもりはない。今回緊急で会議を行っているのは、この三都市同時侵攻に伴い、西アルメキア側からひとつの打診があったからだ。カーレオンも、ソールズベリーから帝国領オルトルートへ侵攻できないか、というのだ。

 

「今回の作戦を立案したのはランス王子だそうですな。歳に似合わず思い切ったことをなさる。しかも、自国だけでなく我らカーレオンまで巻き込もうとは。いやはや、いい根性をしてますな」ディナダンは皮肉を込めて言った。

 

 カイが苦笑する。「ランス様は西アルメキアの君主だよ? 少し口を慎んだ方がいいんじゃないのかい?」

 

「本人が居ない所で何を言っても構わんでしょう?」

 

「君は本人が居ても言いそうだから困るんだよ」

 

「それよりさ」とメリオット。「ランス様は、なんであたしたちにオルトルートへ侵攻させたいの?」

 

 カイは卓上に広げてある地図を示した。「西アルメキアがオークニーとエオルジアを制圧し、僕たちがオルトルートを制圧すれば、エオルジアは南東の守りを気にしなくてよくなる。そうなれば、極端な話エオルジア城は空にしても大丈夫。その分の兵力を帝国やノルガルドとのいくさへ回せるって寸法さ」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 カイの説明に、メリオットは判ったのか判らないのか微妙な表情で「ふーん」と唸った。

 

「つまり、西アルメキアは自分たちのためにオルトルートを落とせ、と、我らに言って来ているワケですな」ディナダンはさらに皮肉を続ける。「気に入りませんなぁ。そもそもキャメルフォードを奪還できたのは我らがソールズベリーを制圧し帝国の主力を南部に引きつけておいたからなのに、その礼をするわけでもなく、新たな城を落とせなどと命令するとは。カーレオンは西アルメキアの同盟国で、属国ではないんですがね」

 

「命令ではないよ。単なる打診かな」

 

「では、断るおつもりで?」

 

「陛下」と、宰相のボアルテが言う。「無下に断りなどしたら、今後の同盟関係に悪い影響が出るかもしれません」

 

「命令に背いた、として、同盟を破棄し攻めてくるかもしれませんな」ディナダンは笑った。「陛下。西アルメキアとの国境スクエストに、兵を集めておきましょうか?」

 

「ランス様は、そんな心の狭い人じゃないと思うよ」苦笑するカイ。

 

()()、ですか」ディナダンも含んだ笑みを浮かべた。「まあ、同盟破棄は()()冗談ですが……どうしますか? 私としては、今のカーレオンの兵力でオルトルートまで侵攻するのは危険だと思いますがね。仮に制圧できたとしても、得をするのは西アルメキアだけで、我らにはメリットが無い」

 

「ミリアさんのおかげで在野の騎士が何人か仕官してくれたから、兵力的にはそれほど危険ではないかな。それに、西アルメキアが帝国を攻めて弱体化させてくれるなら、僕らにとっても好都合だ。メリットが無いという訳ではないよ」

 

「では、西アルメキアの要請を受けると?」

 

 ディナダンの言葉に、カイは目を閉じ、そのまま黙りこんだ。妹のメリオットに言わせれば居眠りしているとのことだが、これは、大陸一の知恵者と言われるカイが脳をフル回転させて考えている状態だ。ディナダンは静かに賢王の決断を待つ。

 

 メリオットが、ぱん、と手を叩いた。「あ、あたし、いいこと思いついちゃった」

 

「なーに? メリオットちゃん?」友人のミリアが応える。

 

「逆に、あたしたちから西アルメキアにオルトルートを制圧できないか打診するの」メリオットは卓上の地図のオルトルート付近を指さした。「そうすれば、ソールズベリーは北西の守りを気にしなくてすむんじゃない?」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「それは名案ですな、メリオット姫」ディナダンは大きく頷いた。「ボアルテ卿、早速西アルメキアへ伝令を送りましょう」

 

「ディナダン殿、姫の冗談を真に受けてはいけません」ボアルテは困惑顔で言った。

 

「……あたし、冗談を言ったつもりはないんだけど」メリオットは不満そうな顔をボアルテに向けた後、カイを見た。「……っていうか、お兄ちゃん聞いてる? また寝てるでしょ?」

 

「まあまあ、メリオットちゃん。お兄様も、お疲れなんでしょうし」ミリアが言った。「それより、メリオットちゃんの言う通り西アルメキアがオルトルートまで制圧してくれたとして、次はどう攻めるといいかな?」

 

「うーん、そうねぇ――」

 

 メリオットは地図を示しながら考えを話し、ミリアはおだてながらそれを聞いている。カイはミリアのことを「妹の面倒を見てくれる貴重な戦力」と評していたが、まさに期待通りの働きだろう。

 

 ドアがノックされ、兵が一人部屋に入って跪いた。「急報です! ザナスより兵五万が出撃し、このハーヴェリーに向かっていると!」

 

 ザナスはハーヴェリーの東にあるイスカリオの城だ。イスカリオ軍には八月にも侵攻されたが、その時は戦義の段階で敵が撤退したため戦いにはならなかった。今回はどうか判らない。

 

 カイが目を開けた。「そうか。ディナダン。すぐに迎え撃つ準備を。今回は、僕も出撃するよ」

 

「……了解しました」

 

 真っ先にメリオットが立ち上がり、ミリアを見た。「頑張ろうね、ミリアちゃん、友情パワー全開よ!」

 

「そうね、メリオットちゃん! ぜーったいに、勝ってみせましょ!」ミリアは両手の拳を握って答えた。

 

「メリオットは、無茶をしないように」カイが落ち着いた声で言う。

 

「お兄ちゃんは、しっかりあたしの後ろについて来てね」

 

 パチッとウィンクをすると、メリオットは部屋を出て行った。ミリアとボアルテがそれに続く。

 

「……やれやれ」

 

 カイは肩をすくめた。

 

 

 

 

 

 

 二人きりになった会議室で。

 

「――いま、内心『しめた』と思ってるしょう?」

 

 ディナダンはカイに向かって言った。

 

「どういうことかな?」

 

「イスカリオとの戦闘を長引かせれば、それを理由に、西アルメキアの要請に従わなくてもいい、と」

 

 ディナダンは、探るような目でカイを見る。

 

 カイは、表情ひとつ変えることはなく。

 

「まさか。敵に攻められてる状況で、王の僕がそんな不謹慎なことを思うはずないだろ? 今は、どうやって国を防衛するかで、頭がいっぱいさ」

 

 すました顔で答えた。

 

「そうでしたか。それは失礼しました。では、私も出撃の準備をしますので」

 

 ディナダンは一礼すると、会議室を後にした。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十三話 ランス 聖王暦二一五年十一月下 西アルメキア/キャメルフォード

 西アルメキア領キャメルフォードの一室で、ランスは机上に地図を広げ、次のいくさの展望を思い描いていた。先日行った会議により、オークニー・エオルジア・アリライムの三都市同時侵攻が決まった。この作戦を立案したのはランス自身だ。作戦は事前に何度も模擬戦を重ね、成功に大きな自信を持っている。無論、模擬戦に絶対は無いということも心得ている。実戦では何が起こるか判らない。不測の事態に対応するためには、さらに模擬戦を重ねるしかない。今回の作戦、失敗は絶対に許されない。もしもしくじるようなことがあれば、五月のキャメルフォード陥落に続き二度目の大失態だ。それでランス自身の人望が失墜するのは仕方がないし受け入れるが、ランスを信用し、国を託してくれたコール老公をはじめとする旧パドストーの人々の期待を裏切ることになり、なによりも貴重な兵や騎士たちを無駄に失うことになる。それだけは絶対に避けなければならなかった。ランスは、入念に模擬戦を繰り返す。

 

 ドアがノックされた。と思ったら、ランスが返事をするよりも早く、ドアが蹴破られんばかりに開き。

 

「ランス様! お喜びください! この天才軍師ランゲボルグ、オークニー城攻略の一世一代の名作戦を思いつきましたぞ!!」

 

 と、旧レオニアの軍師だったというランゲボルグが入って来た。手に分厚い資料の束を持ち、鼻息が荒く、目を子供のようにキラキラと輝かせている。かなり興奮している様子だ。

 

「ええっと、ランゲボルグさん。オークニー城攻略の作戦ですか?」

 

 ランスが問うと、ランゲボルグはえへんと咳ばらいをした。「その前に、まずは人払いを。非常に重要な作戦ですので、二人きりでお話をさせてください。他の者たちを疑うわけではありませんが、敵国の間者がまぎれ込んでいないとも限りませんからな。万が一にも情報が洩れるようなことがあれば一大事です。いえいえ、もちろん、情報が洩れたところで対処されるようなヤワな作戦ではないのですが」

 

「人払いと言っても、この部屋には私とランゲボルグさんしかいませんが……?」

 

「おや、そうでしたか」ランゲボルグは部屋を見回した後、もう一度咳ばらいをした。「そんなことよりお喜びください! この天才軍師にして西アルメキアの頭脳ランゲボルグ、オークニー城攻略の一世一代空前絶後の超名作戦を思いつきましたぞ!!」

 

「判りました。では、一応聞きましょう」

 

「この作戦があれば、オークニー城攻略はもちろん、フォルセナ大陸全土が瞬く間に西アルメキアのものとなるでしょう。ああ、ランス様は運が良い。天才軍師にして西アルメキアの頭脳にして大陸一の知恵者ランゲボルグが、オークニー城攻略の一世一代空前絶後前人未到のスーパー超名作戦を思いついたのですからな」

 

「判りましたから、作戦の説明を」

 

「それに引き替え、レオニアの女王は運が悪かった。この天才軍師にして西アルメキアの頭脳にして大陸一の知恵者でランス様の右腕であるランゲボルグが、オークニー城攻略の一世一代空前絶後前人未到前代未聞のスーパーウルトラ超名作戦を思いつく前に国が滅びてしまったのですからな」

 

「ですから、作戦の説明を」

 

「いや、レオニア女王は運が悪いのではなく、人を見る目が無かったのでしょうな。なにせ、この天才軍師にして西アルメキアの頭脳にして大陸一の知恵者でランス様の右腕でフォルセナ大陸の宝であるランゲボルグが、どんなにオークニー城攻略の一世一代空前絶後前人未到前代未聞焼肉定食のようなスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル超名作戦を立案しようとも、他の軍師の愚策ばかり採用し、私の策には見向きもしませんでしたからな」

 

 その後、ランスが自称天才軍師にして西アルメキアの頭脳にして大陸一の知恵者でランス様の右腕でフォルセナ大陸の宝であるランゲボルグから自称オークニー城攻略の一世一代空前絶後前人未到前代未聞焼肉定食の自称スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル超名作戦を聞くのに、数十刻の時間を要した。

 

「――さて、前置きはこれくらいにして、こちらをお読みください」

 

 どん! と机を揺らし、ランゲボルグは机の上に分厚い書類の束を置いた。

 

「では、拝見します」

 

 すでに疲れきっていたが、ランスは気力を振り絞って書類をめくった。

 

 が。

 

「あの、ちょっと字が汚くて、いえ、難しくて、よく判らないのですが……」ランスは最大限申し訳なさ気に言った。

 

「難しい? そんなバカな。判りやすいように、絵を入れて解説しているというのに」

 

「これは絵なのですか? 雑すぎて、いえ、芸術的過ぎて、判りませんでした」

 

 ランゲボルグは額に手を当て、やれやれと言わんばかりに首を振った。「ああ、なんと嘆かわしいことでしょう。この天才軍師にして西アルメキアの頭脳にして――」

 

「それはもう判りましたから」

 

「――名作戦を理解できないとは! いえ、ランス様が悪いのではありません。考えてみれば、ランス様はまだ十五歳。私のオークニー城攻略の一世一代空前絶後――」

 

「ですから、それはもう判りましたから」

 

「――名作戦を理解するには、少々早かったかもしれませんな」

 

「そうですね。では、重要な部分だけかいつまんで、口頭で説明してもらえますか?」

 

「なにを仰います! 私のスーパーウルトラグレート――」

 

「あの、それは判ったと言ってるんですが」

 

「――名作戦は芸術的過ぎて、とても口で説明できるものではありません! まして、重要な部分だけかいつまんで説明するなど……この作戦は、そんな単純なものではありませんぞ?」

 

「そうですか。それは困りましたね」ランスは腕を組んで考えた。「では、こうしましょう。この書類は一旦お預かりして、明日、メレアガント殿にお渡ししておきます」

 

 ランゲボルグは目を丸くした。「はい? メレアガント殿と言いますと、旧パドストーのコール王の息子さんのメレアガント殿ですか? あの、先日の会議で一番怖かったいえ会議を取り仕切っておられたメレアガント殿ですか?」

 

「声が震えてますが、大丈夫ですか?」

 

「いえ、お気になさらずに。しかし、なぜメレアガント殿にお渡しするのです?」

 

「今回のオークニー侵攻作戦は、メレアガント殿が総大将となり、ゲライントとハレーさんが副将を務めます。私はオークニーではなく、エオルジア侵攻部隊を指揮する予定です」

 

「なんと! オークニーにはエストレガレス帝国皇帝ゼメキスが待ち構えているのですぞ! 我が国も、君主であるランス様自身が総大将として出陣しないでどうするのです! 国の面子に関わりますぞ!!」

 

「仕方ありません。国の面子という考え方も判るのですが、今回は、作戦を成功させることが最も重要です。現在の西アルメキアの戦力を分析し、最もオークニー城を落とせる可能性が高い騎士を選出した結果が、今の三人です。この三人に比べれば、私はまだまだ実力不足と言わざるを得ませんから。なので、ゼメキスを倒すのはメレアガントさんたちにお任せし、私はエオルジア侵攻に集中します」

 

「ああ、なんと嘆かわしい。ランス様。君主たる者、そのような弱腰でどうするのです? もっと自分に自信を持ってください。ランス様なら、必ずゼメキスを倒せます」

 

「そう言ってもらえると嬉しいのですが、私はもう、自分の力を過信するのはやめました。自分に自信を持つというのは大事なことですが、実力も無いのに自分を大きく見せようとするのは、愚かな行為です」

 

「確かに。世の中には自分の器量を大きく見せたいだけの小物が多いですからな」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……なんでしょう? 今の長い沈黙は?」

 

「いえ、お気になさらずに。まあ、そんな訳ですから、これの書類は、私ではなくメレアガント殿にこそ必要でしょう。明日にでもお渡ししておきます」

 

 ランスは書類を机の引き出しにしまおうとしたが。

 

「いえ! それには及びません!」

 

 ランゲボルグが机を乗り越えるほどの勢いで身をのり出し、書類を奪い取った。「そう言えば思い出しました! 先ほど、私の部屋に怪しい者の姿がありました!」

 

「はい? それはどういう――」

 

 ランゲボルグは書類をパラパラとめくるり、目を見開いた。「やや! 資料がすり替えられているではないですか! これは一大事ですぞ!!」

 

「は……はあ……」

 

「と、いう訳で、これは返していただきます。作戦は、また後日、無理矢理かいつまんでご説明いたしましょう」

 

「しかし、オークニー侵攻はもうすぐですからね。早くしないと――」

 

「おおっと! こうしている場合ではありませんでした。書類を盗んだ曲者を捕まえねば! あの作戦が外部に漏れるようなことがあれば、国の存亡に関わりますぞ! では、ランス殿、失礼いたします!!」

 

 ランゲボルグはペコリと頭を下げると、入って来た時と同じ勢いで出て行った。

 

 静けさを取り戻した部屋で、ランスはやれやれと肩をすくめた。作戦遂行前の貴重な模擬戦の時間を数時(すうとき)も無駄にしてしまった。彼が仕官した際、レオニア1の軍師と聞いて期待したが、どうやら我が国はとんでもない人材を抱え込んでしまったようだ。あんな人物を連れてきたハレーを恨まずにはいられない。これは早急に対処しないと、この先膨大な時間を無駄にすることになるかもしれない。

 

 ランスは大きくため息をついた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十四話 ヴェイナード 聖王暦二一五年十一月下 ノルガルド/フログエル

 ノルガルドの首都フログエルは、フォルセナ大陸で最も北に位置する都市である。ゆえに、大陸中央部では木々の葉が散り始めるこの時期は、すでに雪が降り始めている。王城にはすでに数センチの雪が降り積もり、どんなに窓やドアを堅く閉ざそうとも北の山から吹き付ける冷たい風の侵入を阻むことはできない。無論、この国の冷たさはまだまだこんなものではない。来月には雪の量は倍になり、風はさらに強く冷たくなる。その次の月はさらに増す。ノルガルドは、一年で最も厳しい季節を迎えようとしていた。

 

 フログエル城の王専用の訓練部屋で、白狼王ヴェイナードは一人、剣を振るっていた。室内でも空気は身を切るように冷たいが、彼は上半身に衣類を身に付けていなかった。寒さは感じない。むしろ、熱くなった身体には心地よい。ヴェイナードが剣を振るうたびに汗が飛沫となって飛び、身体からはまるで闘気のごとく水蒸気が立ち上っていた。

 

 ヴェイナードの左のわき腹には大きな傷跡が残っていた。九月下旬のレオニア首都ターラでのエストレガレス戦において、剣聖エスクラドスより受けた傷だ。すでに傷は塞がっているが、その痕が消えることはないだろう。

 

 ヴェイナードは納得いくまで剣を振るった後、傷痕を触って感触を確かめた。痛みはほとんど無く、動きに支障はない。一度大きく頷き、剣を鞘に収めると、壁の一角に立てかけた。そこは、剣の他に槍や斧、弓や杖といった様々な武器が立てかけられ、あるいは壁に吊るされたりしている。ヴェイナードはその中から巨大な槍斧を取ると、両手で持ち、感触を確かめるように何度も振るった。武器だけでなく、吹雪の魔法や、耐性を高める魔法も使用する。全て、負傷前と同じく、いや、負傷前よりもさらに上達しているだろう。これならば戦列に復帰して問題ない。

 

 ドアがノックされた。入るよう促すと、「失礼します」と、軍師グイングラインが入り、右拳を左掌で包んだ。その表情は暗い。

 

「定時連絡か」ヴェイナードは槍斧を元の場所に戻すと、手ぬぐいで汗を拭った。「その様子では、良い報せは無さそうだな」

 

「仰る通りです。リドニー要塞に動きはありません。エスメレー様は、依然城内に留まっているようです」

 

「そうか……」

 

 グインの報せに、ヴェイナードは落胆を隠せなかった。

 

 リドニー要塞は、ノルガルドとエストレガレスの国境を流れるアルヴァラード川の中州に建つ天然の要塞だ。旧アルメキアがノルガルドの侵攻に備えて建設した難攻不落の城である。ノルガルドは、今回の大陸全土を巻き込んだ戦乱が始まる前より、このリドニー要塞を攻める準備を進めていた。準備はすでに整っており、事前の模擬戦でも高い勝率を出していたが、様々な事情が絡み、何度も延期を余儀なくされていた。

 

 そして、十月。

 

 リドニー要塞に、皇帝ゼメキスの妻・エスメレーが守備に就いたとの情報が入って来た。

 

 エスメレーは、王ヴェイナードの姉である。二年前のいくさで旧アルメキアに敗れたノルガルドは講和を締結。その際、エスメレーは人質としてアルメキアに差し出されることとなった。ゼメキスのクーデター以降、ヴェイナードはエストレガレスに密偵を送りエスメレーの動向を探らせたが、王都ログレスにいるという以外に情報は無かった。クーデターの夜、ログレスは大いに混乱し、エスメレーならば容易に脱出できたはずだが、そのような動きもなかったという。

 

 そして今、エスメレーは、ノルガルドがエストレガレス侵攻の最重要拠点とするリドニー要塞の守備に就いている。リドニーからノルガルドは目と鼻の先だ。逃亡はなお容易な状態だが、その動きは無い。エスメレーには逃亡の意思が無いとしか思えなかった。そもそも逃亡の意思があれば、リドニーに配置されたりはしないだろう。

 

 それはつまり。

 

「……姉上は、我らと戦うことを選んだ、ということだな」

 

 ヴェイナードは己に言い聞かせるように言った。

 

「……残念ながら、そう判断せざるを得ません」

 

 グインは静かに応えた。胸の内でグインが否定してくれることを望んでいたヴェイナードだが、それは叶わなかった。無論、つらい真実も隠さず知らせるからこそ、優秀な軍師と言えるのだが。

 

「判った。来月初旬、リドニーを攻めるぞ」

 

 ヴェイナードは厚手のガウンを羽織ると、決意と共に言った。

 

「よろしいのですね」

 

「無論だ。これ以上延期すると、部下達に示しがつかぬからな」

 

「仰せのままに」

 

「ただ、一度だけ話をさせてくれ。説得してみる」

 

「――――」

 

「俺の説得に応じないようならば仕方がない。例え姉上であっても、私は戦う」

 

「……ヴェイナード」

 

 王の名を口にするグイン。今は王と軍師の間柄だが、元々二人は親友同士だった。グインがヴェイナードをその名で呼ぶのは、心から友を気遣っている時だけだ。

 

「案ずるな。開戦前より覚悟していたことだ。そなたも、いかに姉上といえど、敵として立ちはだかるならば、容赦する必要は無いぞ」

 

「判りました」グインの口調が、友から軍師のものに戻る。「この戦いは、新たな時代への一歩。誰にも陛下の邪魔はさせませぬ。例えそれが、エスメレー様であっても」

 

 グインはもう一度右拳を左掌で包むと、深く頭を下げ、訓練部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 一人、部屋に残ったヴェイナードは。

 

「――私は戦う。より高きを目指すために!」

 

 己に言い聞かせるように、力強く言った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十五話 メルトレファス 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/オークニー

 オークニーの城門をくぐって外に出ると、肌を刺すような冷たい風が吹き付けた。帝国内でも比較的に北部にあるオークニーは南部と比べて気温が低い上に、山間部に位置するためこの時期は常に北から冷たい風が吹いている。遮るものが何も無い壁の外はいっそう寒く感じられ、メルトレファスは身を震わせた。

 

 兵力補充のためデスナイト・カドールと共にオークニーの守りに就いていたメルトレファスだったが、北のノルガルドに大きな動きが見られないため、南のエオルジアへの移動を命じられた。彼とカドールの他に、ミラ・ミレという双子の騎士も一緒だ。これにより、オークニーにはゼメキスとエニーデの二人が残ることとなった。少々守りが手薄なようにも思うが、上層部にも考えがあってのことだろう。オークニーと比べエオルジアの兵力が格段に高く、エオルジアの西は西アルメキアの重要拠点キャメルフォードだ。恐らくこの部隊はキャメルフォードへ侵攻することになるだろう、と、メルトレファスは考えていた。そうなれば、五月に次いで二度目ということになる。

 

 五月の西アルメキア侵攻の際、メルトレファスは西アルメキアの君主であるランスと対峙するも、その首を獲るまでには至らなかった。思えばあの時以降ずっと敗北続きだ。レオニア侵攻時はノルガルド君主ヴェイナードに敗れ、アスティン防衛時にはイスカリオ君主ドリストに相手にもされなかった。カドールのような圧倒的な力を求めているメルトレファスにとっては屈辱的なことであったが、不思議と心は穏やかだった。以前は何が何でも手柄を立て力を得ようと思う気持ちが強かったが、最近はそうでもない。もちろん、力を追い求める気持ちが無くなったわけではないが、以前のような焦る気持ちは無かった。決して無理はせず、自分にできる範囲で戦う。それが、力を得るための近道だと、なんとなく思っていた。心に余裕ができていたのだ。

 

 その心境の変化がもたらした結果なのかは判らないが、今回の移動で、メルトレファスが率いる兵の数はこれまでの一千から一気に五千まで増員された。レオニア侵攻やアスティン防衛時の働きが評価された結果だという。メルトレファスにしてみれば評価されるような働きはしていないのだが、五千の兵を率いる将になれたことは素直に嬉しかった。兵が増えれば戦い方はがらりと変わり、手柄を立てやすくもなる。手柄を立てればまた兵が増員される。これを繰り返せば、いずれランスやヴェイナードらに借りを返すことができるだろう。そう信じていた。

 

 五千の兵を引き連れエオルジアを目指すメルトレファス。その前方に、騎馬が一騎、こちらへ走って来るのが見えた。彼の隊の前にはカドール及びミラ・ミレの隊が先行している。何か伝令だろうか? そう思ったが、すぐにただ事ではないと気付いた。その騎馬に乗っているのは身の丈を超える大斧を持ち悪魔の骨面を着けていたからだ。デスナイト・カドールだ。十万規模の兵を率いることもあるカドールが、なぜ単騎で引き返してきたのだろう?

 

 カドールはメルトレファスの側で馬を止めた。「これよりオークニーへ戻る。メルトレファス、ついて来い」

 

「オークニーへ? エオルジア行きは中止になったのですか?」

 

「いや。兵達はこのままミラ・ミレに預け、エオルジアへ向かわせる。戻るのは我々だけだ」

 

 兵をエオルジアへ移動させ、将のみ戻る――やはり、ただ事ではなさそうだ。メルトレファスは兵達にそのままエオルジアを目指すよう命じると、カドールと共に隊を離れた。

 

「何かあったのですか?」オークニーへと馬を走らせながら、メルトレファスは訊いた。

 

「ネズミ狩りだ」

 

「ネズミ……?」

 

「陛下のお命を狙う者がいる」

 

 陛下の命を狙う者――その言葉に、メルトレファスは息を飲んだ。「……暗殺者、ですか?」

 

「そうだ。今回の隊の移動は。ネズミをあぶり出すための罠だ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「いま、オークニー城の守りは手薄だ。ネズミは、この機会を逃すまい」

 

 現在オークニー城を守る騎士はゼメキスとエニーデの二人だけだ。オークニーはノルガルドだけでなく西アルメキアとも国境を接している重要拠点である。いかにゼメキスといえど騎士二人だけで守るのは少々厳しいのではないかと思っていたが、そういうことだったのか。

 

 メルトレファスとカドールは目立たぬよう裏門からオークニー城へ戻った。

 

「ゼメキス陛下は今、謁見の間におられる」城の廊下を足音も立てず歩くカドール。「護衛は全て控えさせた」

 

「ネズミをおびき出し、狩るわけですね」

 

「そうだ。できるな?」

 

「はい!」

 

 謁見の間に入る二人。部屋の奥の一段高くなった所に金色の王座が据えられてある。天井のシャンデリアや窓のカーテン、壁に掛けられた絵画などの調度品も高価な物ばかりだ。オークニーは防衛に特化した城ではあるが、旧アルメキア時代の同盟国パドストーと国境を接した場所にある為、二国の王族や首脳が会する場として利用されることが多く、この謁見の間や会談室など、必要以上に豪華な造りになっていた。権力を誇示したい愚王ヘンギストのやりそうなことである。

 

 王座にはすでにゼメキスが座っていた。手の届く場所に剣を置いているが、メルトレファスらが部屋内に入って来ても全く動かず、目を閉じ、じっとしたままだった。少し前のメルトレファスなら人形でも置いてあるのかと思うところだったが、今の彼は違う。ゼメキスの内から溢れ出す闘気を感じる。ただ座っている状態でも、一分の隙もないことが判った。少しでも刃を向ければ、たちどころに返り討ちにされるだろう。

 

 カドールは右の拳を左胸に当てる仕草で簡単に挨拶を済ますと、メルトレファスを見た。「俺は外を見張る。そなたは室内に身を潜め、ネズミの襲撃に備えよ。陛下に近づく者があれば全て斬れ。良いな」

 

「はっ!」

 

 拳を胸に当てて応えるメルトレファス。カドールが外に出た後、窓のカーテンに身を隠した。

 

 数時が経った。陽は落ち、窓の外は闇に覆われている。この間、ゼメキスは身動きひとつすることなく王座に座っていた。室内で動くものは、天井のシャンデリアに灯された炎だけだ。

 

 カーテンの影から警戒しつつ、メルトレファスは『ネズミ』について考える。ゼメキスの命を狙う者とはいったい何者だろう? 最も可能性が高いのはノルガルドからの刺客だが、西アルメキアの可能性もある。カーレオンやイスカリオはオークニーから離れているが、それでも可能性が無いわけではない。いずれにしても暗殺など姑息な手段であり、力のない者がする行為だ。許すわけにはいかない。

 

 さらに時間が流れた。日付は変わり、シャンデリアの炎も尽きかけている。ネズミは今日は動かないのか? あるいは、本当はネズミなんていなかったのか。そんなことを考え始めたとき。

 

 コツコツという足音が、扉の外から聞こえてきた。こちらに近づいて来る。来たか? 剣に手をかけるメルトレファス。足音は扉の前で止まった。ゼメキスは目を閉じたままだが、発する闘気は格段に大きくなった。扉の向こうの者もゼメキスの闘気を感じたのだろうか、そのまま動きを見せない。無論、それで諦めて帰ることはないだろう。

 

 しばらくして、扉が開いた。

 

 ――うん?

 

 その姿を見て、メルトレファスは剣から手を放した。栗色の髪を束ね、弓と矢を持つ女。ゼメキスと共にオークニーを守っているエニーデだった。こんな時間に戦術の相談でもしに来たのだろうか? 相変わらずマジメだな。などと考えた。

 

 不意に。

 

 ――陛下に近づく者があれば全て斬れ。

 

 今回の任に就いた時のカドールの言葉を思い出した。

 

 ――まさか、な。

 

 エニーデは帝国の騎士だ。何度か話し、その人柄もよく判っている。ネズミであるはずがない。

 

 そう思う反面。

 

 エニーデは弓と矢を持って現れた。オークニーは国境を守る城なので騎士が常に武器を携帯するのは別段不思議なことではないが、王のいる謁見の間ではさすがに控えるべきであろう。それこそ、今のメルトレファスのように特殊な事情でもない限りは。

 

 特殊な事情――悪い予感がした。以前、彼女が抱える特殊な事情を聞いたことがある。その内容をメルトレファスが思い出す前に、エニーデがゼメキスに向かって弓を構えた。だが、その姿を見てもなお、メルトレファスは状況を理解できない。

 

「あなたを殺しに来たわ、ゼメキス」エニーデは静かだが意思の強い声で言った。

 

 それまでじっとして動かなかったゼメキスが、ようやく目を開けた。剣のように鋭い視線をエニーデに向ける。「……誰に雇われた」

 

「誰にも雇われてなどいない。あたしは、あたしの意思であなたを殺すの。父の無念を晴らすために」

 

「父の無念……?」ゼメキスは小さく眉をひそめた。そして、探るようにエニーデを見た後、言った。「そうか。貴様は、ウォーレンの娘か」

 

「父のことを覚えていたとは意外ね。あたし、そんなに父に似ているかしら?」

 

「顔など覚えておらぬ。ただ、その弓に見覚えがあっただけだ」

 

「フフ……あなたらしい理由ね。そう。あたしは、かつてあなたの部下だったウォーレンの娘・エニーデ。父はアルメキア屈指の弓使いとして、あなたとアルメキアに尽くした。でも、あなたは父を失脚させ、アルメキアから追放した。父は失意の果てに自ら命を絶った。この弓と矢は、父の無念そのもの! 覚悟しなさいゼメキス! この距離なら、外さないわ!」

 

 エニーデはさらに弓を引き絞った。

 

 対するゼメキスは相変わらず動かなかった。すぐ手の届く場所にある剣を取ろうともしない。だからと言って覚悟をしているわけでもない。鋭い視線と闘気をエニーデに向けたままだ。それでエニーデの攻撃を防ごうとしているかのように。並の騎士ならばそれで防げたかもしれない。ゼメキスの発する闘気と眼力にはそれほどの力がある。強い意志が無ければ、身体がすくんで動けなくなるだろう。だが、エニーデは違う。彼女は並外れた騎士であり、何より父の仇を討つという強い意志がある。闘気と眼力で追い払える相手ではない。

 

「――やめろ! エニーデ!!」

 

 己の任務を思い出したメルトレファスは、剣を抜いて飛び出し、エニーデとゼメキスの間に立った。

 

「メルトレファス……どうしてここに? エオルジアへ行ったはずじゃ……?」エニーデは目を丸くして驚いた後、はっとした表情になった。「……罠だったのね?」

 

「そうだ! 逃げ場はないぞエニーデ!」

 

「構わないわ。どの道、ゼメキスを討って逃げられるとは思っていない」エニーデは矢をメルトレファスに向けた。「どきなさいメルトレファス! 邪魔するのなら、容赦しないわよ」

 

 もちろん、そんな言葉でどくわけにはいかない。主君を守らなければならないという思いはもちろんあるが、それ以上に、エニーデに弓を引かせてはいけないという思いが強かった。

 

「どかないのなら――」

 

 エニーデの弓から、矢が放たれた。

 

 それは、お世辞にも鋭い攻撃とは言えなかった。以前訓練場で見たときの矢よりも、はるかに鈍い矢だ。新米騎士のメルトレファスでも容易にかわせるほどの速さでしかない。だが、かわすことはできない。背後にはゼメキスがいる。メルトレファスがかわした矢をゼメキスがかわせないなどあり得ないことだが、それでもどくわけにはいかなかった。

 

「――――っ!!」

 

 矢はメルトレファスの左手を貫いた。焼け付くような痛みに思わず剣を手放してしまう。

 

「それで戦えないわ。おとなしくしてて」

 

 エニーデは次の矢をつがえると、再びゼメキスに向けた。「さあゼメキス。今度はあなたの番よ」

 

 メルトレファスはそれでもエニーデの前に立ちはだかった。「やめろ……やめるんだエニーデ。お前の父親は、復讐なんて望んでいないんだろ?」

 

「まだそんなことを言うの? 前に言ったでしょ? たとえ父さんが望んでいなくても、あたしは復讐せずにはいられないのよ! これ以上邪魔をするのなら、次は心臓を撃ち抜くわよ!?」

 

「俺の心臓くらい、いくらでも撃てばいい。だが、陛下に弓を引けば、お前は終わりだぞ」

 

「その覚悟はできているのよ! これだけ言ってもどかないのなら――」

 

 エニーデは、さらに矢を引き絞った。

 

「やめろ!!」

 

 叫ぶメルトレファス。

 

 だが、その言葉はエニーデに向けたものではなく、彼女の背後に立つ者に対する言葉だった。

 

 エニーデも、自分の背後に立つ存在に気が付いた。

 

 しかし、振り返り矢を放つよりも早く、背後に立つ骨面の男が剣を振り下ろした。

 

 デスナイト・カドールの剣は、父の弓と矢と共に、エニーデの身体を斬り裂いた。

 

「――――」

 

 エニーデは、静かに倒れた。

 

「フン……たわいもない」

 

 カドールは、足元に伏したエニーデに対し、ゴミでも見るかのような視線を向けた。

 

「エニーデ!!」

 

 メルトレファスの声にも、エニーデは動かない。

 

 ゼメキスが動いた。王座から立ち上がり、剣を携え、ゆっくりとした足取りでメルトレファスの側を通り抜け、エニーデのそばに立った。

 

「……ゼメ……キス……!」

 

 メルトレファスの声にも反応しなかったエニーデが、矢のように鋭い視線をゼメキスに向けた。そして、真っ二つに斬られた弓と矢に手を伸ばそうとする。

 

「まだ息があるか」止めを刺そうとカドールが剣を振り上げる。

 

 やめろ、と、メルトレファスが叫ぶ前に、意外にもゼメキスがカドールを制した。

 

 エニーデを見下ろすゼメキス。その目にはカドールのような蔑んだ色は無い。だからと言って、同情や憐みの目でもない。ゼメキスの目は、先ほど弓を構えたエニーデと対峙した時の鋭さのままだ。

 

「エニーデよ。お前は、父親が権力争いの果てに追放された、などと思っているのではあるまいな?」

 

「……違うとでも言うの……?」

 

「フン、この俺を愚王などと一緒にするな」

 

 旧アルメキア時代、王宮内では忠誠心厚き者にあらぬ罪を着せて処刑や国外追放させるという事態が頻発した。己の地位と権勢を盤石にしようとする者の陰謀によるものだ。それらは全て、愚王ヘンギストとその愚臣共の仕業だと言われている。ゼメキスは、そのような姑息な策を弄する男では、決してない。

 

「よかろう。真実を教えてやる」ゼメキスは、足元のエニーデを真っ直ぐに見つめたまま続ける。「貴様の父親は密かにノルガルドと通じ、我が軍の情報を流していたのだ」

 

「……な……何を言って……」

 

「間者だったということだ」カドールが言った。

 

「間者……スパイだったと言うの……?」

 

 カドールは「そうだ」と言って、剣の代わりに言葉でとどめを刺さんばかりに続けた。「二年前、陛下はノルガルドの侵攻を阻止するため、リドニー要塞の守りに就いた。だが、その際愚王から許された兵の数はたったの二万だった。いかに陛下といえど、そんなわずかな兵でノルガルドを止めるのは困難だ。陛下は兵力が敵に知られぬよう細心の注意を払い兵の増強を試みた。だが、貴様の父親がノルガルドに情報を流し、結果、ノルガルド王ドレミディッヅは十万の兵を従えリドニーへ攻めて来たのだ」

 

 二年前のノルガルド侵攻の話だ。このいくさでゼメキスの部隊は窮地に陥ったものの、ゼメキスはリドニーでの守りを捨て敵軍へ突撃。ドレミディッヅとの一騎打ちへ持ち込み、これを制したのだ。

 

「あのいくさは、それまで俺が経験した戦いの中でも最も危険なものだった」ゼメキスが話を引き取るように続ける。「ドレミディッヅが俺の挑発に乗り一騎打ちに応じなければ、我が軍は敗れていただろう。そうなれば、ノルガルドの侵攻は止められなかったはずだ」

 

「判るか? 小娘」カドールがさらに言う。「貴様の父親が流した情報が、陛下と、陛下の部隊と、そして、アルメキアという国を危険にさらしたのだ! 本来ならば死罪でも生ぬるい!」

 

「そんな……父さんが……そんな……」

 

 エニーデの視線が宙をさまよう。国に裏切られたと思っていた父親こそが裏切り者であった――ゼメキスやカドールの言葉だけでは真偽のほどは定かではないが、今のエニーデを動揺させるには十分すぎる話だった。

 

「もっとも……いまとなってはウォーレンがアルメキアを裏切った心情も、判らぬではないがな」

 

 ゼメキスが独り言のように言った。その目からはさっきまでの鋭さが消え、メルトレファスが今まで見たことのないような優しさが宿っているように見えた。

 

 だが、すぐに鋭さを取り戻し、エニーデを見下ろす。「俺はこの大陸の覇王となる。つまらぬことに構っている暇はない。だがエニーデよ、お前の名は覚えておいてやろう」

 

 ゼメキスはエニーデに背を向けると「行くぞ」と、カドールに告げた。

 

「ははっ!」カドールは拳を胸に当てる仕草で応じた後、メルトレファスを見た。「メルトレファス、ネズミの死骸は処分しておけ」

 

 そして、二人は謁見の間から出て行った。

 

 メルトレファスはエニーデに駆け寄り、怪我をしていない右手で抱き上げた。「しっかりしろエニーデ。すぐに治療をする」

 

 だが、エニーデは首を振った。「……いいのよ、メルトレファス。どの道あたしは、ここで死ぬつもりだった。たとえゼメキスを討てたとしても、ね」

 

「なにを言うんだ」

 

「あたしは復讐のために生きてきた。復讐を果たしたら、もう何も残ってないもの」

 

「そんな悲しいことを言うな」

 

「それに、あたしだってバカじゃない。あたしの腕で、ゼメキスを討てるなんて思ってなかった。こうなることは、最初から判っていたのよ。結局、あなたの言う通りだったわね」

 

「――なにが」

 

「復讐なんてくだらない――その通りだったわ」

 

 エニーデの目に涙が浮かんだ。

 

「父さんの無念を晴らそうなんて考えなければ、真実を知ることも無かったのに……」

 

 涙が、頬を伝って流れ落ちた。

 

「……まさか……父さんが国を裏切ってたなんて……知りたくなかったなぁ……」

 

 エニーデの言葉が、嗚咽の中に消える。

 

「忘れろエニーデ! あの話が真実だという証拠はどこにもない! お前の父さんは、立派だったんだろ!?」

 

 叫ぶように言うメルトレファスの頬に、エニーデが右手を添えた。「ありがとう、メルトレファス。あたしのために泣いてくれて」

 

「……誰が……お前のために」

 

 メルトレファスは否定したが、自分の頬にも涙が伝っているのは、もう隠しようも無かった。

 

「笑って、メルトレファス、この前の、訓練場のときみたいに。あなた、笑ってる方が、いい男よ」

 

「バカやろう……こんなときに、なに言ってやがる」メルトレファスは泣きながらも、あまりにも場違いなエニーデの言葉に、思わず笑みを浮かべた。

 

 エニーデは満足そうに微笑むと。

 

「――さようなら、メルトレファス」

 

 目を閉じた。

 

 エニーデの身体が不意に軽くなった。まるで、彼女の身体からなにかが抜け落ちたようだった。

 

 頬に添えられていたエニーデ手が、滑るように落ちた。

 

 

 

 

 

 

 メルトレファスの絶叫が、謁見の間に響き渡った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十六話 ハレー 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/オークニー

 西アルメキアの三都市同時侵攻が始まった。

 

 

 

 

 

 

 ランスの立案により始まったこの作戦は、キャメルフォードの北東にあるエストレガレス領オークニー、東にあるエオルジア、そして、ゴルレの北にあるノルガルド領アリライムへ同時に侵攻するというものだ。このうち、オークニーへの侵攻は、旧パドストーの王太子メレアガントを総大将とし、百戦のゲライントと流星のハレーを副将とした三部隊編成で行うことになっていた。

 

 西アルメキア側が事前に仕入れた情報によると、オークニー城には皇帝ゼメキスとその腹心カドールが守備に就いているとのことだった。だが、侵攻直前になって新たな情報が入って来た。カドールの部隊が南のエオルジアへ移動したというのだ。エオルジア侵攻部隊の総大将は西アルメキアの君主であるランスだ。ランスは五月の戦いでカドールに敗れている。エオルジア侵攻はかなり危険を伴うことになったが、オークニー侵攻部隊には余所の心配をしている余裕は無かった。オークニー城には、カドールに代わり剣聖エスクラドスが守備に就いたとの情報も同時に入っていたからだ。無論、皇帝ゼメキスは変わらず留まっている。

 

 この戦いにおいてエストレガレスは防衛側だが、ゼメキスとエスクラドスがおとなしく城で待っているとは思えない。二人とも、圧倒的な武力にものを言わせた突撃戦法を得意とする騎士なのだから。

 

 西アルメキア側の読み通り、ゼメキスとエスクラドスの部隊は開戦前よりオークニー城の外に布陣し待ち構えていた。オークニー城に残るのはあまり名の知られていない中堅の騎士のみである。

 

 そして、開戦と同時に、ゼメキスとエスクラドスの部隊は西アルメキア軍へ突撃してきた。

 

 西アルメキア軍の副将を務める女騎士ハレーは、正面から突撃してくるエストレガレス軍を前にし、小さく笑みを浮かべた。あれはゼメキスが率いている部隊だ。エスクラドスの率いる部隊はゲライントの部隊へ向かって突撃していた。全て、事前に立てた作戦通りだ。

 

 西アルメキア側が事前に立てた作戦は、ハレーとゲライントの部隊がそれぞれゼメキスとカドールの部隊を引きつけ、その間にメレアガントの部隊がオークニー城を攻め落とす、というものだった。カドールがエスクラドスに代わった以外は予定通り進行している。

 

 ゼメキスの部隊が迫る。ハレーは、ゼメキスとの戦いに小細工は必要ないと考えていた。正面からぶつかって来るゼメキスに対し、こちらも正面からぶつかるだけだ。それが最も勝率が高いであろう。

 

 クーデターの夜はゼメキスと互角の戦いを繰り広げたハレーだが、今回の戦いはこちらの分が悪いと読んでいた。個の力に関しては絶対的な自信を持つハレーだが、長い間どこの国にも仕官せず旅を続けていたため、大軍を率いての戦闘には慣れていないのだ。対するゼメキスは、アルメキア時代、常に部隊を率いていくさの最前線に立ち続けた生粋の武人である。大軍同士の戦いでは相手に分がある。ゆえに、勝つためにはゼメキスとの一騎打ちに持ち込むのが望ましい。恐らくそれは簡単だ。こちらが一騎打ちを望めば、ゼメキスは必ず応じるであろう。あの夜の決着をつけるために。

 

 ハレーは、槍を高く掲げると。

 

「――全軍、私に続け!!」

 

 兵達に命令し、自ら先頭に立って敵部隊へ突撃した。

 

 対する敵部隊も、ゼメキス自ら先頭に立って突撃してくる。

 

 これにより。

 

 オークニー城をめぐる攻防は、開戦直後にもかかわらず、西アルメキア軍副将とエストレガレス軍総大将の一騎討ちとなったのである。

 

 

 

 

 

 

「久しぶりね、ゼメキス」

 

 ゼメキスと対峙したハレーは、槍を中段に構え、静かな口調で言った。西アルメキア兵とエストレガレス兵が入り乱れて激しい戦いを繰り広げる中、二人の周囲だけはぽっかりと穴が空いたように誰もいない。

 

 ゼメキスが鋭い目でハレーを睨んだ。「貴様……いつぞやの女か!?」

 

「あの時の決着を付けましょう。一対一で」

 

 ハレーが挑発的な口調で言うと。

 

「フン、望むところだ! 今度は逃がさぬぞ!!」

 

 ゼメキスは剣を抜き放った。案の定、一騎打ちに応じてきた。狙い通りだった。

 

 武器を構え、間合いを測る二人。

 

 接近戦において、己の間合いで戦うことは基本中の基本だ。槍は遠い間合いを得意とし、剣は近い間合いを得意とする。そのため、ハレーはゼメキスを近づかせないよう離れて戦うのが理想だ。

 

 しかし、ハレーは動かなかった。ゼメキスが踏み込んでくれば一気に間合いが詰まり不利になるが、それでもハレーは動かない。

 

 彼女がゼメキスとの一騎打ちに持ち込んだのにはもうひとつ目的があった。戦うのは、その目的を果たしてからだ。

 

 ハレーはゼメキスを真っ直ぐに見据えたまま言う。「それにしても、あなたがクーデターを成功させるなんて、思ってもみなかったわ。恐らく、大陸中の誰も予想できなかったでしょうね」

 

 ゼメキスは小さく笑った。「戦いの前におしゃべりか。よもや怖気づいたわけではあるまいな?」

 

「まさか。あなたに訊きたいことがあるのよ」

 

「訊きたいこと、だと?」ゼメキスは眉をひそめた。

 

「あなた、ブロノイルという魔導士を知ってるわよね?」

 

 追い求める仇の名を口にすると、ゼメキス顔から笑みが消え、目がいっそう鋭くなった。それを確認したハレーは、「アルメキア時代、あなたの周囲でその姿を見たという話を耳にしたわ」と続けた。

 

「……それがどうしたというのだ」低い声で言うゼメキス。

 

「否定しないのね。じゃあ、私の推理は正しかったってことになるわね。恐ろしいことだけど」

 

「推理だと?」

 

「ええ。あなたはブロノイルに操られている」

 

 ハレーは断言するように言った。

 

「フン! 何をバカなことを!!」

 

 ハレーの言葉を一笑に付すゼメキス。

 

 だが、ハレーは自分の考えに確信を持っていた。だから表情を変えることなく続ける。「あなたは成功するはずのないクーデターを成功させた。それは、あの戦いに全アルメキア軍、神官騎士団、魔術師団が味方に就いたから。でも、あなたにそれほどの求心力があったとは思えない。裏で誰かが動いていたと考えるのが自然でしょ? そこにブロノイルの暗躍があったとすれば、納得がいくわ」

 

「…………」

 

 ゼメキスは無言だった。あのクーデターに自分の部隊だけでなく他の騎士団が加担したことは、恐らくゼメキス自身も不審に思っていたことだろう。

 

 ハレーはさらに言う。「あなたは知らないでしょうけど、ブロノイルはレオニア女王を邪魔だと思っていた。あなたが起こしたこの戦乱にレオニアも巻き込まれたわけだけど、開戦以降、レオニアは防衛に専念し、他国に侵略しようとしなかった。ブロノイルは、いくさに積極的じゃない女王を排除するため、暗殺を試みた。幸い暗殺は阻止されたのだけど、その直後、エストレガレス軍がレオニアへ侵攻している。あの侵攻は、領土を拡大するものとしてはあまりも不自然な動きだった。でも、レオニア女王を排除するのが目的だったとしたら納得がいくわ。エストレガレスに侵略されたことでレオニアはノルガルドと併合し、結果的に女王はこの戦乱の表舞台から去ったのだから。恐らくこれも、ブロノイルの暗躍があったのでしょうね」

 

 ゼメキスは無言のままだ。ハレーの言葉を吟味しているように見えた。

 

「理由は判らないけれど、ブロノイルはフォルセナ大陸全土を巻き込んだ戦乱を望み、あなたにクーデターを起こさせた。そして、この戦乱をさらに煽ろうとしている。そのために、エストレガレスはレオニアへ侵攻させられた。全てはブロノイルの思惑通りなの。あなたが操られているということ、理解できたかしら?」

 

「フン! 戯言を!」ゼメキスは、ハレーの言葉を踏み潰すように言う。「俺は俺自身が望んでこの戦乱を起こした。レオニア侵攻はカドールの策。ブロノイルなど、関係ないわ!」

 

 ゼメキスのその言葉に、ハレーは大きく目を見開いた。

 

 ――レオニア侵攻が、カドールの策?

 

 大陸最凶のデスナイト・カドール。ゼメキスの腹心だ。レオニア侵攻がカドールの立案だとしたら、ブロノイルは関係ないのだろうか? それとも、ブロノイルとカドールが繋がっているということなのだろうか?

 

 ハレーは考えを中断した。ゼメキスが剣を振り上げ踏み込んできたのだ。腰を落とし、その攻撃を槍で受け止める。だが、あまりにも鋭く重い一撃に、後方に大きく弾き飛ばされた。なんとか体勢を立て直して着地する。

 

「……ブロノイルは関係ない、か。そうね、あなたの言う通りだわ」

 

「なに……?」

 

 ハレーは再び槍を構えた。「ここであなたを倒し、この戦乱に終止符を打つ! そうすれば、ブロノイルが何を企もうと関係ない!」

 

「ふん! やれるものならやってみるがいい!!」

 

 ハレーとゼメキスが同時に踏み込んだ。槍と剣が激しくぶつかり、火花を散らした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十七話 ランス 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/エオルジア

 オークニーにてハレーとゼメキスが激しい一騎打ちを繰り広げている同時刻。

 

 

 

 

 

 

 森と湖に挟まれた細い街道の先に、侵攻地であるエオルジア城が見えていた。西アルメキアの君主でありエオルジア侵攻部隊の総大将でもあるランスは、城を真っ直ぐに見据え、味方部隊の布陣が整うのを待っていた。西アルメキア領キャメルフォードからエストレガレス領エオルジアへ続く街道は、城の手前で森と湖に挟まれ急激に狭くなる。待ち伏せによる奇襲を警戒しなければならないが、今のところその気配は無かった。無論、油断はできない。隊列を伸ばして狭い街道を進軍するのは危険だ。森と湖にも部隊を展開し、同時に進軍するのが理想である。そのため、森のある北方面には森林の進軍に優れた兵を、湖のある南方面には水兵や高空部隊を中心に編成してあった。

 

 進軍中に入った情報によると、北のオークニー城からデスナイト・カドールの部隊が出撃し、南へ向かっているとのことだった。そのままエオルジア城の守備に就くものと思われた。

 

 大陸最凶のデスナイトの部隊が移動したことにより、エオルジア侵攻は大きな危険を伴うようになった。五月のキャメルフォードの戦いで、ランスはカドールに敗れている。無論、だからと言って作戦を中止するわけにはいかない。カドールはアルメキア反乱の夜ランスの父である王ヘンギストを殺害した仇であり、絶対に討たなければならない相手だ。それ以上に、この作戦の成否は今後の西アルメキアの運命を大きく左右する。決して逃げ帰るわけにはいかない。

 

 前方から味方の騎馬が一騎近づいて来た。旧パドストーの騎士で、この作戦では副将を務めるグラウゼだ。

 

 グラウゼは馬を下りると、右拳を左胸に当てた。「ランス様、斥候部隊が戻りました。森林、湖ともに、やはり敵部隊の姿はありません。そして、エオルジアにカドールの姿は無く、守備に就いているのはミラ・ミレという双子の騎士で間違いない、とのことです」

 

「そうですか――」ランスは大きく頷いた。

 

 カドールが南下したとの情報が入って以来、ランスは何度も斥候部隊を送り、戦い場となるエオルジア城とその周辺を探らせていた。入念に調べさせたが、結果は全て今と同じ。城の外に敵部隊は布陣しておらず、城にカドールはいない、というものだった。

 

「我々の目が届かぬ場所に隠れ、奇襲を狙っているのでしょうか?」グラウゼが心配そうな口調で言う。

 

 もしカドールがこちらの索敵の及ばぬ場所に伏しているとすればかなり危険だ。正面からぶつかっても分が悪い相手に奇襲などされれば、こちらの部隊は壊滅的な被害を受けるだろう。

 

 しかし。

 

「いえ、恐らくそれは無いでしょう」ランスは断言するように言った。「カドールは、私のことをはるかに格下の相手だと思っているはずですし、残念ながら、私もそれは認めざるを得ません。格下相手に身を潜めて奇襲などという戦法を使う男ではないですからね」

 

 グラウゼも大きく頷いた。「そうですね。これだけ調査して同じ結果なのですから、信用して良いと思います。カドールは、なんらかの理由で到着が遅れているか、別の場所へ向かったと判断して良いでしょう」

 

「グラウゼさん。私は、これをチャンスだと考えます」

 

 ランスは力強く言った。理由はどうあれカドールは不在。エオルジアを守るのは名の知られていない騎士。今の西アルメキア部隊の戦力なら、容易に城を落とせるだろう。父の仇を討つ機会が無いのは残念であるが、今は私情よりも、部隊、そして国全体の勝利を最優先すべきだ。

 

「判りました。では、出撃しましょう」グラウゼも力強く応える。

 

 グラウゼが自分の部隊に戻り、ランスも配置についた。

 

 ――いくぞ逆賊!

 

 ランスの号令で、西アルメキア軍は一斉に進軍し始めた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十八話 カルロータ 聖王暦二一五年十二月上 ノルガルド/アリライム

 国境を越えた辺りから急激に気温が下がり、北から吹き付ける風には雪が混じり始めた。遠く東に連なる山々の稜線はすでに白く染まっており、これから訪れるこの国の冬の厳しさを思い起こさせた。

 

 旧パドストーの女魔術師カルロータは、街道の先にあるアリライムを前に、不思議と気分が高揚していることに気が付いた。西アルメキアの三都市同時侵攻のひとつであるアリライム戦。騎士になって一年ほどのカルロータにとってこの戦いは初陣となる。緊張や不安も無いわけではないが、それ以上に、この戦いは夢を叶える第一歩だという気持ちの方が強かった。

 

 カルロータは遠く離れた敵城に杖を向けると。

 

「あたしの魔法、見せてあげるわ!」

 

 声高に言った。

 

「敵もいないところで、なに張りきってるんだい?」

 

 後ろから呆れ声で話しかけて来たのは、旧パドストーの女騎士アデリシアだ。カルロータとは騎士養成学校からの付き合いで、今回の作戦では西アルメキア軍の総大将を務めている。

 

「これが張りきらずにいられますか。この戦いは、あたしの夢を叶える第一歩ですのよ」

 

「カルの夢ってあれだろ? 『偉大な魔法使いになって、人々に崇めてもらいたい』っていう」

 

「そうですわ。アディも、応援してくださいね」

 

「まあ、応援はするけどさ、どうもカルの夢は子供っぽいんだよね。もっとこう、具体性は無いのかい? どんな方法で、どんな魔法使いになりたいのか、とか」

 

「そんなの決まってますわ。あたしの魔法で敵を倒しまくって、みんなが尊敬する魔法使いになるのです」

 

「だから、それが具体性が無いっていうの」

 

 アデリシアは肩をすくめた。

 

「ほっほっほ。どんな形であれ、夢を持つことは良いことじゃて」

 

 後ろからさらに声がかかる。言葉は気軽だが、その声には不思議と威厳がこもっていた。カルロータとアデリシアは振り返ると、右の拳を握って左の胸に当てた。

 

 現れた騎士――旧パドストーの王コールは、二人を見て可笑しそうに笑った。「そうかしこまらずとも良い。わしは、もう王ではないからの。このいくさの総大将はそなたじゃ、アデリシア。遠慮なく命令してよいぞ」

 

「いえ、そのようなわけには……」アデリシアは困った顔で言った。

 

 アリライムへの侵攻が決まった際、初めはアデリシアとカルロータ、そして、修道女のエフィーリアで部隊を編成し出撃する手はずだった。しかし、これに異を唱えたのがコール老公だ。自分も出撃するというのである。アデリシアを始め、老公の息子であるメレアガントや君主のランスも止めたのだが。

 

「ノルガルドとは長い付き合いじゃ。一戦交えるのであれば、わしが出撃しなくてどうする」

 

 と言って、決して譲らなかった。

 

 コールはパドストーの歴史上もっとも長く王位にあった人物である。カルロータやアデリシアが生まれる前より、王として他国と接してきたのだ。旧パドストーは旧アルメキアの同盟国であり、ノルガルドは旧アルメキアの敵対国だった。当然、パドストーとノルガルドの間にはカルロータやアデリシアたちが知らない様々なことがあったであろう。だから、コールは同行を強く望み、アデリシアたちは止めることはできなかったのだ。

 

「それにしても、王でないというのは気楽なものじゃて。あとを気にせず戦えるからの」コールは髭を揺らして笑った。

 

「冗談を仰らないでください!」アデリシアが慌てて言った。「コール老公にもしものことがあれば、我が国は一大事です!」

 

「国のことはランス殿に任せてあるゆえ、安心してよいぞ」

 

 そう言って笑うコールに、カルロータとアデリシアは顔を見合わせた。

 

 兵が一人駆けつけて来て、三人の前に跪いた。「ご報告します。ノルガルドに動きがありました」

 

 アデリシアとコールの表情が引き締まった。アリライム城から敵が討って出たのだろうか? カルロータは城を見たが、ここから見る限り特に変化はない。

 

 兵は続けた。「アリライム城に動きはありません。ここからは遠く離れておりますが、東のジュークス城よりノルガルド軍が出陣し、エストレガレス領リドニー要塞へ侵攻した模様です。兵は約十万。率いるのは、白狼王ヴェイナードとのことです」

 

 リドニー要塞はノルガルドとエストレガレスの国境を流れる大河の中州に建つ天然の要塞だ。ノルガルドが開戦前からリドニー攻略部隊を編成しているという情報は西アルメキアでも掴んでいたが、様々な事情があり何度も延期していたようだった。

 

「ついに白狼も動いたか」コールが髭をさすりながら言った。「これは、面白くなってきたわい」

 

「やはり、ノルガルドの主力はエストレガレスに向けられていますね」と、アデリシア。「アリライムへ援軍が駆けつける可能性は低いでしょう」

 

 西アルメキアとノルガルドは、開戦後まだ剣を交えていない。ノルガルドの主力はほとんどがエストレガレスとの国境に集められており、アリライムはかなり手薄と言って良かった。ノルガルドも西アルメキアからの侵攻を考えていないわけではないだろうが、今は西端の城を失ってでも帝国へ進軍すべきと判断したのだろう。こちらにすればまさに攻め時だ。

 

「では、そろそろ出撃と行くかのう」コールが言った。「まあ、安心せい。わしはもう王ではないとは言え、老いた身じゃ。後方からの援護に専念し、戦いは若いそなたらに任せた」

 

「はい、お任せください」

 

 二人はもう一度右拳を左胸に当てる。コールは同じ仕草を返すと、言葉通り後方へ下がった。

 

「――さてと。それじゃあサクッと城を落としちゃいますか」

 

 コール老公が下がり緊張が解けた声のアデリシアは、槍をくるくると回しながら前に出た。

 

「それはいいんですが」カルロータはアデリシアのお尻を指さした。「さっきからずっと気になっているんですけど、なんですの? それは?」

 

「これかい? カワイイだろ?」アデリシアはお尻を突き出した。ズボンお尻の部分にクマのアップリケが付いている。「この前の戦いでズボンが破れちゃってさ、エフィーに繕いを頼んだら、付けてくれたんだ。いいだろ」

 

「……それ、絶対エフィーのイヤがらせですわよ?」

 

「なんでさ? こんなにカワイイのに」

 

 嬉しそうにお尻を振るアデリシア。四捨五入すればすでに三十になる歳の女が、お尻にクマのアップリケを付けて喜ぶ姿は痛々しいとしか言いようがない。

 

「……まあ、気に入ってるのなら別にいいんですけど」カルロータは仕方なしに言った。

 

「なんだよ? 変なヤツだな」

 

 その尻であたしを変なヤツと言うのか。カルロータは心の中でため息をついた。

 

「それじゃ、いっくよー!」

 

 アデリシアは上機嫌で槍を掲げると、お尻のクマをフリフリしながらアリライム城へ突撃していった。あれでは兵全体の士気にかかわるのではないだろうか。それとも、敵兵を混乱させるための高度な作戦か。

 

 不安は尽きないが、これは初陣。つまらないことを気にしている場合ではない。カルロータはぱんぱんと両頬を叩いて気を引き締め直すと、自分の部隊へ号令をかけ、アデリシアに続きアリライム城へ突撃した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七十九話 ヴェイナード 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/リドニー

 ノルガルドとエストレガレス帝国の国境を沿うように流れる川・アルヴァラード。フォルセナ大陸で最も流域面積が広いこの川の中州に、エストレガレス帝国の要塞リドニーがある。中州へ続く橋は大人が横に四人並ぶのがやっとという狭さで、大軍の進行は困難を極める。リドニーを攻めるには、水兵や高空部隊を多く編成する必要があり、フォルセナ大陸の数ある城の中でも屈指の守りの堅さで知られていた。

 

 川の北、ノルガルド側の陸地には、多くの兵やモンスターが控えていた。川辺には大小さまざまな舟があり、モンスターは、マーマンやリザードマン・ヒュドラなど水上・水中での行動を得意とするモンスター、そして、シルバードラゴンやロック・ワイバーンなど、空を飛ぶモンスターが中心だ。川の中央、エストレガレス側の中州にも、同様の兵やモンスターが控えていた。

 

 ノルガルドが開戦前より準備を進めていたリドニー侵攻が、間もなく始まる。

 

 中州と北の陸地を繋ぐ橋の中央で、ノルガルドの白狼王ヴェイナードは、一人、敵将が現れるのを待っていた。戦闘が始まる前に両軍の騎士同士が言葉を交わす儀式・戦義である。今回の作戦でノルガルド軍の総大将を務めるヴェイナードは、同じくエストレガレス軍の総大将を指名した。断られることも覚悟していたが、敵将は応じた。

 

 橋の向こうから人影が近づいて来る。戦義の相手だが、その姿は『将』と呼ぶにはあまりにもはかなげな姿だった。薄い緑の修道服を着た女性。頭のベールは髪だけでなく首から胸元までも覆い、肌の露出を極力抑えている。わずかに覗く肌は顔と両手のみで、雪のごとく白く、そして、冷たい印象を受ける。これからいくさが始まるにもかかわらず、その表情に戦意のようなものは感じられない。顔に浮かぶのは、悲しみや嘆きといった負の感情だ。それでいて、確かな麗しさがある。

 

「しばらくぶりです、ヴェイナード」

 

 ノルガルド王ヴェイナードの実姉にしてエストレガレス帝国皇帝ゼメキスの妻・エスメレーは、静かな口調で言った。

 

「……お久しぶりです、姉上。お変わりないようで、何よりです」

 

 そう応えたものの、ヴェイナードは姉の表情が以前より陰りが増したことに気が付いていた。

 

「あなたの活躍は()()()でもよく耳にします。立派な王になられたようで、姉として、誇らしく思います」

 

 抑揚のない口調で話すエスメレー。感情のありかが判らないが、少なくとも弟との再会や成長を喜んでいるようには見えなかった。何より、姉がエストレガレスのことを『我が国』と呼んだことが、ヴェイナードを落胆させた。

 

 だから。

 

「姉上、ノルガルドにお戻りください」

 

 余計な話はせず、想いを単刀直入に伝えた。

 

「それはできません」

 

 対する姉の言葉も真っ直ぐだった。

 

「なぜです? 見たところ拘束もされていなければ監視さえされていない。この橋を渡ればもうノルガルドです。たとえ敵が姉上を奪い返しに来ても、私が必ず護ってみせます。それとも、何か戻れない理由がおありなのですか?」

 

「わたくしは自らの意思でエストレガレスにいるのです、ヴェイナード」

 

 エスメレーの言葉は短く、しかし、これ以上は無いほどに胸の内を言い表していた。

 

「なぜです! ゼメキスがいるからですか!?」

 

 ゼメキスの名を口にした瞬間、ヴェイナードは大きく目を見開いた。「まさか姉上、あの男を愛しているなどと言わぬでしょうね」

 

「愛などありません」迷いなく言うエスメレー。「しかし、わたくしはあの人についていかねばなりません」

 

 意味が判らなかった。敵であり、愛してもいない男に、なぜ姉はついて行かねばならないのか。事情は判らないが、とにかく姉が敵国に残るのはゼメキスが原因であることには違いない。

 

「では先にゼメキスの首を上げて見せましょう。それで、姉上が思い悩む必要はなくなります」

 

「あの人を傷つける者は許しません。ヴェイナード、たとえそれが、あなたであっても」

 

 その言葉と同時に、エスメレーの目に、初めて『将』としての強さが宿った。

 

「……姉上!?」

 

 対するヴェイナードの目に映ったのは絶望だった。姉は、実弟よりもゼメキスを選んだのだ。二十年近く共に過ごした肉親よりも、敵国の王――このフォルセナ大陸に戦乱を巻き起こした男を選んだのだ。エスメレーの言葉と目は、そのことを容赦なく伝えていた。

 

 そして、姉は。

 

「別れの時です、ヴェイナード」

 

 訣別の言葉を口にする

 

「姉として、最後の言葉を伝えます。あなたはノルガルドの王。王として、情に流されず、成すべきことを成しなさい」

 

 その言葉を最後に。

 

 エスメレーは踵を返し、エストレガレスへと歩きはじめる。

 

「それが……それが姉上のご意志なのですか!?」

 

 ヴェイナードは叫んだが、エスメレーは振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 ヴェイナードは、一人、自軍の陣地へ戻った。軍師グイングラインをはじめとする多くの部下が心配そうな表情で迎える。

 

「……ヴェイナード」

 

 グインが何か言いかけたのを、ヴェイナードは手のひらを向けて制した。「言うな、グイン。全ては、初めから覚悟していたことだ」

 

「……御意」

 

 グインは右拳を左掌で包むと、静かに下がった。

 

 ヴェイナードは、兵たちの前に立つ。

 

 姉は、エストレガレスに残ることを選んだ。弟と戦うことを選んだ。

 

 ならば、こちらも戦うしかない。

 

 ヴェイナードは腰に携えた剣を抜き、頭上高く掲げた。

 

「予はノルガルド王ヴェイナード! その名にかけて、帝国皇帝の……妻、エスメレーを……討つ!!」

 

 兵たちに檄を飛ばす。兵たちは、王の檄に応え、歓声と共に武器を掲げた。

 

 

 

 だが――。

 

 

 

 王の檄に迷いが含まれていることは、誰の耳にも明らかだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十話 ゲライント 聖王暦二一五年十二月上 エストレガレス帝国/オークニー

 西アルメキアの三都市同時侵攻作戦のひとつであるオークニー侵攻は、西アルメキア側の作戦通り順調に進んでいた。

 

 コール老公の嫡男メレアガントを総大将とし、流星のハレーと百戦のゲライントを副将とする西アルメキア。帝国は、皇帝ゼメキスを総大将とし副将に剣聖エスクラドスを配置した。このいくさにおいて帝国は防衛側であるが、ゼメキスとエスクラドスが将として戦うなら、素直に防衛に専念するはずはない――事前の読み通り、二人の部隊は開戦前から城の外に布陣しており、開戦と同時に突撃してきたのだ。

 

 これに対し西アルメキア側は、ゼメキスにハレーの部隊を、エスクラドスにはゲライントの部隊をぶつけ、正面から受けて立つ手はずになっていた。ただし、戦力を正確に分析すると、両者ともやや分が悪いと言わざるを得ない。

 

 ハレーは個の力はゼメキスにも決して劣らないが、長年どの国にも仕えず旅を続けていたため、大軍での戦闘に慣れていない。一方のゼメキスは常に戦場に身を置いていた生粋の武人だ。反乱の夜はゼメキスと互角の戦いを繰り広げたハレーも、今回はそうはいかないかもしれない。

 

 ゲライントは、その二つ名が示す通りかつては多くの戦場を渡り歩いたものの、ランスの親衛隊長の座に就いてからは戦場から遠ざかっていた。昔のいくさの勘を取り戻すにはまだまだ時間がかかる。ただ、この条件は相対するエスクラドスも同じだ。彼もかつては多くの戦場を渡り歩いたが、老いを感じて一線から身を引き、軍の剣術指南役として後進の育成に努めていた。エスクラドスもゲライント同様、昔のいくさの勘を取り戻していないはずだ。ただし、この二人の間には元々の実力に圧倒的な差がある。剣術もいくさの経験も、エスクラドスの方が上回っているのだ。エスクラドスの老いを考慮しても、まだまだゲライントが不利という分析結果になってしまう。

 

 以上のようにハレーもゲライントも分が悪いと予想されているが、所詮はいくさ前の分析であり、絶対ではない。なにより、このオークニー侵攻における西アルメキアの本命はこの二部隊ではなく、メレアガントの部隊にあった。メレアガントは、ハレーとゲライントがゼメキスとエスクラドスを引きつけている間に、オークニー城を攻め落とす手はずになっていた。オークニー城を守る騎士はゼメキスやエスクラドスと比べると大きく劣る中堅の騎士だ。分析でもメレアガント側が圧倒的に有利となっている。全てがうまく行けばオークニーは半日で落とせる――はずだったのだが。

 

 西アルメキアの騎士ゲライントは、エスクラドスの部隊を前に歯がゆい思いをしていた。半日でオークニーを落とす――それは、こちらの作戦がうまく行けばの話だ。残念ながら、実際の戦場で事前に思い描いたように事が運ぶことはまず無い。ハレーの部隊はすでにゼメキスの部隊とぶつかっている。ここから見る限り、やや押され気味ではあるもののよく耐えており、敵を引きつけるという役割は十分に果たしているだろう。うまく行っていないのはこちらの方だった。ゲライントの部隊は、今だエスクラドスの部隊と剣を交えていない。開戦早々突撃してきたエスクラドスの部隊は、ゲライントの部隊を前にし、突然その足を止めたのだ。そして、しばらく睨み合った後、オークニー城へ兵を後退させはじめたのである。戦術としては何ら不思議ではない。敵を引きつけるというこちらの意図を読み、守りを固める戦法に転じたのだろう。だが、ゼメキス同様圧倒的な力をもって敵を蹴散らす戦法を得意とするエスクラドスには、あまりにも似つかわしくない戦い方だった。

 

 ――師よ。なぜ私を避けるのです。

 

 ゲライントはもどかしさに震える手で剣を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 剣聖エスクラドスはゲライントにとって師に当たる人物である。十五年ほど前、旧アルメキアに仕官したばかりのゲライントが配属されたのがエスクラドスの部隊だった。当時のエスクラドスは名将ハンバルと並ぶほど名のある将軍であり、仕官したばかりのゲライントにとっては雲の上の存在だった。もちろん、この時点でゲライントはエスクラドスの数多い部下の一人に過ぎなかったのだが、彼の下で戦場を渡り歩くうち、いつの間にか直々に剣術を学ぶようになっていた。ゲライントはエスクラドスを師と仰ぎ、エスクラドスもゲライントを弟子として鍛えた。その後十年近くエスクラドスの下で剣術や戦術を学びつつ戦場を渡り歩いたゲライントは、その功績が認められ、王太子ランスの親衛隊長へ任命された。時を同じくして、エスクラドスも前線を離れ王宮で若い兵士へ剣術を指南する役へ就くことになった。

 

 この際、エスクラドスは長年愛用していた剣をゲライントへ授けた。

 

 師が弟子に剣を授ける――これは免許皆伝を意味するが、ゲライントはそう捉えていない。

 

 ――我が剣は今だ師に遠く及ばず。

 

 ゲライントは常にその心構えを持って今なお精進している。エスクラドスはゲライントにとって永遠の目標であった。

 

 そんなエスクラドスが、反乱の夜、ゼメキスの陣営についたことは、ゲライントに大きな衝撃を与えた。

 

 アルメキアの騎士として国に忠義を奉げ、道義を重んじ、国を問わず多くの騎士から信望を集めた人格者であった師が、なにゆえゼメキスに組したのか――ゲライントには判らなかった。反乱の夜、エスクラドスはその剣で多くの騎士や兵を斬ったという。剣聖は人を斬る魅力に憑りつかれた、などというくだらぬ噂も耳にする。

 

 ゲライントは、師の胸の内を知るべく、今回のいくさの前に戦義を申し出た。戦義は必ずしも総大将同士で行う必要は無く、副将や、将でない騎士が行っても何ら問題はない。しかしそれは、一方が望み、もう一方も応じればの話だ。ゲライントの戦義申し入れに、エスクラドスは応じなかった。ならば直接会って話すのみ、と、エスクラドスの部隊の突撃を受けて立とうとしたのだが、相手は剣を交えることも無く後退し始めたのだ。

 

 ゲライントには、師が自分を避けているとしか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

「……隊長……隊長!!」

 

 部下の声で我に返るゲライント。今はいくさの最中。個人的な事情に捕らわれている場合ではない。作戦を遂行しなければ。ゲライントは一度大きく頭を振ると、状況を整理する。敵は部隊を後退させた。エスクラドスには似つかわしくない戦い方だが、戦術としては十分有効である。元々戦力的に分が悪いのはゲライントの方だ。このまま敵が後方で守りを固めたら、ますます不利になるかもしれない。

 

 しかし、いかに相手の戦力が勝っていようとも、退却する部隊の背後を叩くのは容易だ。ここで敵部隊を弱体化させておけば、防衛に回られても五分以上の戦いにもって行けるだろう。

 

「――全軍突撃! 敵の背後を叩け!!」

 

 ゲライントの号令で、兵たちはいっせいに駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 数時が経過した。ゲライントの部隊は退却するエスクラドスの部隊の背を叩き、大いに敵戦力を削いでいた。エスクラドスの部隊はオークニー城を守る部隊と合流し、城内での防衛に入った。

 

 いくさは、平地戦から攻城戦へと切り替わる。

 

 オークニー城はエストレガレス帝国の重要拠点であり、極めて守りの固い城だ。立てこもられるとうかつに手が出せない。落とすには、相手を大きく上回る戦力が必要だ。ゲライントは、さらに慎重に状況を分析する。

 

 報告によると、城に立てこもっている兵は、エスクラドスともう一人の騎士の部隊合わせて約四万。これに対し、こちらは合流したメレアガントの部隊と合わせて約七万。十分な兵力である。さらに、ここまでの戦いで味方側の士気はかなり向上している。ゲライントとしては決して満足のいく戦いではなかったが、事情を知らない兵からすれば、あの剣聖エスクラドスの部隊を退けたのだから、当然と言えた。

 

 兵力も士気も相手を大きく上回っている。これならオークニーを落とせるはずだ。ゲライントは、メレアガントの部隊と共にオークニー城を攻めた。

 

 そして、さらに数時。

 

 快進撃を続けるゲライントは、ついに、師・エスクラドスと会いまみえたのだった。

 

 

 

 

 

 

「――このわしがここまで追い込まれるとはな。強くなったなゲライントよ。師として、これほど嬉しいことはない」

 

 オークニー城内の本陣にて、ゲライントを前にしたエスクラドスは小さく笑った。もっとも、その笑みは言葉通りの嬉しさから浮かぶものではないだろう。ゲライントの目には、己を自嘲する笑みに映った。

 

「戯れを言うのはやめて頂こう、エスクラドス師」ゲライントはにこりともせずに言う。「此度の戦い方、まるであなたらしくない。なぜそこまで私を避けるのです?」

 

「別に深い意味はない。ただ、そなたと戦うのは気が引けただけだ」

 

「ならばなぜゼメキスなどに味方するのです! 祖国を裏切り、このような戦乱を引き起こすなど、私はいまだに信じられない! あなたは誰よりもアルメキアに忠義を奉げてきたはずだ!」

 

 ゲライントが叫ぶように言うと、不意に、エスクラドスの表情が曇った。

 

「……アルメキアに忠義を奉げてきた、か……確かにその通りだ。もっとも、『誰よりも』という点は間違っているがな」

 

「――――?」

 

 言葉の意味が判らず、ゲライントはエスクラドスの表情を窺う。その顔からはすっかり笑みが消えていた。

 

 そして、まっすぐな視線をゲライントに向けた。「そなたには判らぬであろうが、わしは答えが欲しかったのだ」

 

「答え、ですと?」

 

「そうだ。なんのために剣の道を歩んだのか。なんのために剣聖と呼ばれるまでに剣を極めたのか……わしは、それが判らなくなったのだ。答えはいまだ見えぬ。だが、これだけは言える」

 

 エスクラドスは、鞘に収めた剣を強く握りしめ、目の前につき出した。「我が剣は、断じてあの愚王などに奉げるためのものではない!!」

 

 愚王――アルメキア王ヘンギストのことである。ヘンギストは金と権力を求める愚臣の忠告に惑わされ、名将ハンバルを追放するなどの愚行を繰り返し、アルメキアの政治を大いに腐敗させた暗君だ。

 

「だからゼメキスについたというのですか……」ゲライントは悔しさをにじませてつぶやいた。

 

「そうだ。残念ながら、我が剣で愚王を斬るには至らなかったがな。まあ、それは構わぬ。誰が斬ろうと同じこと。あの愚か者を王座に据えたままでは、国の未来は闇に包まれていたであろう」

 

「その結果がこの戦乱ですか? この、大陸全土を巻き込む大戦なのですか!? あなたはフォルセナの歴史上最大の汚点となるかもしれぬ戦いに手を貸したのですぞ!?」

 

「理想を得るためにはやむを得ぬ。このような戦乱の世であろうとも、愚王の時代よりはましであろう」

 

「――――!」

 

 込み上げる怒りの言葉を、ゲライントは何とか飲み込んだ。師は、自分を挑発しているのかもしれない。怒りは剣を鈍らせる。常に平常心であれ――ことあるたびに師が口にした言葉だ。エスクラドスの教える剣は、特に心の修業を重視していた。

 

 ゲライントは大きく深呼吸をし、そして言った。「師よ。あなたのお気持ちは判らぬではありません。確かに、ヘンギスト王の言動は目に余るものがありました。あのお方が王座にある限り国の未来は闇に包まれているというのは、私も同意見です。しかし、それもランス様が即位するまでの辛抱であったのに」

 

「愚王の(せがれ)に何ができる。愚王の倅も、やがて愚王になるのは目に見えておる。そこに希望など無い」

 

「ランス様はヘンギスト王とは違います。ランス様が王位につけばアルメキアは変わった。ランス様こそアルメキアの希望。あと十年……五年待てば……アルメキアに光が差したのに」

 

 エスクラドスは目を伏せた。「この老体に五年待てなど、無理を言う」

 

 そしてまた、自嘲気味に笑った。

 

 エスクラドスは齢五十二を数える。多くの騎士がすでに引退している年齢だ。いかに剣聖といえども、さらに五年は、確かに難しいかもしれない。

 

 無論、だからといって反乱を起こすなど、騎士としてあってはならないことだ。

 

 エスクラドスは顔を上げ、ゲライントに鋭い目を向けた。「そなたが愚王の倅を信じるのであればそれは構わぬ。だがそれは、このわしと戦うことを意味しておるぞ?」

 

「無論、心得ております」力強く答えるゲライント。「こんな形であなたと戦いたくはなかった。しかし、我が主君のため、私はあなたを斬る!」

 

 ゲライントは腰の剣に手をかけ、わずかに腰を落とした。

 

「そうか……弟子が師を超えていくのは何よりの喜びではあるが……わしはまだそなたに斬られるわけにはいかぬ。わしにはまだ、やらねばならぬことがあるからな」

 

 ゲライントは大きく目を見開いた。「師が、やらねばならぬこと?」

 

 エスクラドスもゲライント同様、剣に手をかけ、腰を落とした。「行くぞゲライント! わしはわしの目指すもののために、そなたを斬る!!」

 

 ――師が目指すものとはなんだ?

 

 考える間もなく、エスクラドスが一気に間合いを詰めてきた。疾風のごとき速さで剣を抜く。ゲライントも剣を抜き、受け止めた。

 

 

 

 若くしてエスクラドスの下につき、剣や戦術の修業をしたゲライント。当然、誰よりもエスクラドスの剣を見てきた。

 

 

 

 目指すもののために戦うと言ったエスクラドスの剣は、今までゲライントが見てきた剣よりもはるかに速く、鋭く、重い一閃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十一話 シュスト 聖王暦二一六年一月上 カーレオン/ソールズベリー

 カーレオンが昨年六月にエストレガレス帝国より奪い取った城・ソールズベリー。その会議室で、カーレオンの騎士で拳闘士のシュストは、同じくカーレオンの騎士で魔術師のシェラと二人でお茶を飲んでいた。一月だというのに暖かな日が続いている。大陸の南部に位置するカーレオンは元々穏やかな気候の国だが、ここ数日は南から暖かい風が吹き、一足早く春を迎えたような陽気だ。北のノルガルドはこの時期国中が雪に埋もれるという話だが、ここでこうしてお茶を飲んでいると、そんな話は都市伝説のように思える。シュストとシェラはお茶を飲み干すと、同時にほっと一息ついた。

 

「――いやいやシェラ殿。落ち着いている場合ではありませんぞ」シュストは表情を引き締めて立ち上がった。「フォルセナ大陸全土を巻き込んだ戦乱は、ますます混乱を極めています。我が国の最前線であるこのソールズベリーが、こんなにのんびりしていて良いのですか?」

 

「あら? 別によろしいのではありませんか?」シェラは空になった湯呑にもう一杯お茶を注ぐ。「敵が攻めてくる気配はありませんし、会議と言っても、話すことも特にありませんし」

 

「しかし、南のハーヴェリーは、先日イスカリオからの攻撃を受けました。防衛はできましたが、ヤツら、またいつ攻めるか判りませんぞ?」

 

「そうは言っても、今のわたくしたちにできることはありませんからね。いくらこのソールズベリーに敵が攻めてくる気配がないと言っても、ここを離れて援軍に行くわけにもいきませんし。まあ、ハーヴェリーはカイ様とディナダン殿が守備に就いてますから、滅多なことでは落ちないでしょう」

 

 カーレオンの君主であるカイは大陸一の魔術師と噂されており、カーレオン騎士団長であるディナダンは大陸一の剣士と噂されている。この二人が戦場に出れば、隙はほぼ無いと言って良いだろう。

 

 シェラはゆっくりとお茶をすすった。「カーレオンは、フォルセナ大陸ではどちらかといえば小国ですのに、大陸一の魔術師と剣士がいるんですから、よく考えたら不思議ですわね。ひょっとしたら、カイ様がちょっと本気を出せば、大陸制覇なんて簡単なのかもしれません」

 

「ですから、のんきに茶飲み話をしている場合ではありません。同盟国である西アルメキアは、先月、三都市同時侵攻を行いました。北のノルガルドもリドニーへ侵攻したと聞きます。すぐそこのアスティンでは、帝国とイスカリオが連日激しい攻防を続けています。なぜ我らだけが、こうものんびり過ごしているのですか?」

 

「なぜ、と言われましても、いまシュストさんがご自身で言われたことが理由でしょう」

 

 シェラは湯呑を脇にどけると、机の上にフォルセナ大陸の地図を広げた。「帝国は、北西のオークニーと西のエオルジア、そして、北のリドニーを攻められました。帝国の主力のほとんどが、この三都市に集結しているワケです。ですから、南部はかなり手薄な状態になっています。その南部でも、イスカリオがアスティンを連日攻めるものですから、防衛に徹するしかありません。アスティンは元々イスカリオの領土ですから、奪還しようと必死なのですよ。よって、帝国もイスカリオも、我が国に構っている余裕が無いのです」

 

「では、なぜハーヴェリーはイスカリオの侵攻を受けたのです?」

 

「それは正直わたくしにも予想外でしたが……まあ、イスカリオの国王は変人ですからね。アスティン攻めに飽きて、気まぐれに我が国を攻めたのかもしれません」

 

 帝国領であるアスティンには、十月までデスナイト・カドールと剣聖エスクラドスが守備に就いていた。二人とも『帝国四鬼将』に数えられる強者である。そして、イスカリオの王ドリストは、強い者と戦うことを何よりの喜びとしているらしい。それだけのためにこの大陸の戦乱に参加したという話もある。特に、アスティン攻めではカドールと何度も激しい戦いを繰り広げたそうだ。

 

 だが、オークニーやエオルジアなど帝国北西部の戦闘激化に伴い、カドールもエスクラドスも北西の城へ移動することになった。ドリストがアスティン攻めに興味を失い、逆にナイトマスター・ディナダンが守備に就くハーヴェリーに目を付けたというのも、十分ありうる話だ。

 

「まあ、戦況はめまぐるしく変わりますからね」シェラはまた湯呑を持った。「今はこうしてのんびり過ごせていますが、明日には敵国から攻められて、忙しくなるかもしれません。だったら、今のうちにのんびり過ごしておきましょう。休める時に休むのも、騎士の大事な務めです」

 

「いやいやいや、そのようにのんきに構えていては、この戦乱の時代、生き残ることはできませんぞ。帝国南部の守備が手薄になったのなら、こちらから攻める絶好の機会ではないですか。今のうちに、我が国の領土を拡大すべきです」

 

「それをわたくしに言われてもどうにもなりませんよ。わたくしにそんなことを決める権限はありませんからね。作戦を決めるのはカイ様です。今度カイ様が来られた際に直談判されてみても良いですが、まあ、許可されないでしょうね。今の我が国の騎士には、そこまで余力がありませんから」

 

「いえ、新たに仕官した騎士が数人いると聞きましたぞ」

 

 昨年八月、ミリアという旅の画家がカーレオンに仕官した。カイの妹であるメリオットの友人らしい。そのミリアは大陸各地にルーンの加護を受けた知り合いがいるらしく、先日、新たに二人の騎士を連れて来たそうだ。

 

「その話はわたくしも聞きましたが、前線であるこの城に派遣されていないということは、まだまだ戦力としては数えられない、ということでしょう」

 

「一人は旧アルメキアの神官騎士団に属していたという話ですが」

 

「アルメキアの神官騎士団の方なら、なおのことこの城には来ないでしょうね。わたくしたちの知らない旧アルメキアの内部事情に詳しいでしょうから、カイ様から、徹底的に情報を引き出されるはずです」

 

「では、我らに今できることは、特に無いと?」

 

「そういうことですわね。まあ、来るべき時に備え、身体を鍛えるくらいでしょうか」

 

 そう言うと、シェラは二杯目のお茶も飲み干した。納得のいかないシュストだったが、シェラの言うことはもっともである。二人は王より直々にこの城の守備を任されている。やることがないからと言って勝手に動くのは騎士道に反する。仕方なく訓練場に向かおうとしたシュストだったが。

 

 バタン、と会議室のドアが開き、兵が一人入って跪いた。「急報です! 南東のザナスよりイスカリオ軍が出撃し、このソールズベリーへ進軍しているとのことです」

 

「なにぃ! ついに来たか!」シュストは手のひらに拳を打ち付けた。

 

 のんきに構えていたシェラの表情も一気に引き締まる。「敵将に関する情報は入っていますか?」

 

「はい! 総大将は狂王ドリスト、他、キラードール・イリアや、狂戦士バイデマギスなど、イスカリオで名のある騎士が参戦しております!」

 

「ぬおお! 狂王自らお出ましとは! 腕が鳴るぜ! シェラ殿! すぐに迎撃の準備をしますぞ!」

 

 はやる気持ちを抑えられないシュストは、すぐに部屋を出て行こうとした。シェラも席を立つ。

 

 しかし。

 

「いえ、出撃はしません。すぐに撤退の準備を。我々は、ハーヴェリーまで下がります」シェラは、落ち着いた口調で言った。

 

「バカなッ!!」と、シュストは振り返った。「戦わず撤退などしては、陛下に合わす顔がありませんぞ!!」

 

「大丈夫です。他ならぬ、陛下の御命令ですから」

 

「なんですと!?」

 

 シェラは懐から一通の封書を取り出した。すでに開封されているが、裏には、しっかりとカーレオンの紋章で封をされていた形跡がある。それはつまり、王命であることを意味する。

 

 シェラは封書の中身を取り出し、シュストに見せた。「『ソールズベリーがイスカリオ王ドリスト率いる部隊の侵攻を受けた場合、決して戦わず、すみやかに撤退せよ』との厳命です」

 

「それは、城を明け渡せということですか!? なぜ陛下はそのような御命令を!?」

 

「さあ? そこまでは書かれてありませんが、まあ、カイ様のことですから、何か、深いお考えがあってのことでしょう」シェラは封書を元に戻し、また懐に収めた。「と、言うことですので、わたくしは撤退いたします。シュスト殿、出撃すれば、命令違反になりますわよ?」

 

 命令違反と言われ、シュストは「ぐぬぬ……」と唸った。「納得いきませんが、俺はカーレオンの騎士。陛下の御命令とあらば、しかたありません」

 

「結構です」シェラは視線をシュストから跪いている兵に向けた。「すぐに、全軍に撤退の旨を伝えてください。これは王命です。決して反することのないように、と、念を押してくださいね」

 

「はッ! かしこまりました!!」

 

 兵はもう一度頭を下げると、入って来た時と同じ勢いで出て行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十二話 エライネ 聖王暦二一六年一月上 ノルガルド/フログエル

 ノルガルドの首都フログエルの王城の最も奥まった一角に、ひときわ警備の厳しい部屋がある。その部屋に行くことが許可された者はごくわずかだ。部屋へ続く廊下や周辺一帯は多くの兵で警備され、入室を許可された者も警備兵から何度も厳しいチェックを受ける必要がある。さらに、その部屋は扉の前に二人、室内に一人の計三人で警備されているが、いずれもルーンの加護を受けた騎士である。開戦以降ノルガルドの戦線は拡大し続け、前線では騎士が何人いても足りないほどの状況にありながら、戦場から遠く離れた王城内で貴重な騎士を三人も護衛に就けるのは異例とも言えた。王ヴェイナードやブランガーネ姫の部屋ですらここまで厳重な警備はされていない。

 

 ノルガルドの新米騎士エライネは、部屋の外に設置された椅子に緊張した面持ちで座っていた。あまり物事に動じない性格のエライネだが、ここはどうにも居心地が悪い。

 

 扉の前には二人の騎士が立っている。いずれも前王ドレミディッヅ時代からノルガルドに仕えており、現王からも信頼が厚い騎士である。二人ともまっすぐ正面を見据えて立っているものの、注意は常にエライネの方に向けられている。もしここで少しでも不審な動きをしようものなら、たちどころに取り押さえられるだろう。エライネはノルガルドの重臣ロードブルの一人娘で、護衛の騎士とも顔見知りだが、それはこの場では関係ない。相手が何者であろうと警戒は怠らない。それが、護衛騎士の務めなのだ。

 

 部屋の扉が開いた。護衛騎士は一歩横に下がり、中から出てきた人物に道を譲った。エライネは椅子から立ち上がり、出てきた人物を出迎える。

 

「――ブランガーネ様。ご面会は、終わりましたか?」

 

 部屋から出てきたブランガーネは「ああ」と頷き、「……まったく。たかだか数刻の面会に、手間をかけ過ぎだ」と、不機嫌な口調で言った。

 

「それは仕方ありませんわ。この部屋にいらっしゃるリオネッセ様は、ヴェイナード陛下の后になられる方。この国の王妃様なのですから」

 

「フン。ただの政略婚だ。王妃など形だけのもの。これほど厳重に警備する意味があるものか。それに、あやつもルーンの加護を受けた騎士。自分の身は、自分で護ればよかろう」

 

「そういう訳にはいきませんよ。なにやら、得体のしれない刺客に狙われているらしいですし。それに、ブランガーネ様も、リオネッセ様の身を案じていらっしゃるからこそ、何度も面会されているのでしょう?」

 

「バカバカしい。誰があやつの身など案じるものか。くだらぬことを言ってないで、帰るぞ」

 

「はい。申し訳ございません」

 

 エライネはペコリと頭を下げると、ブランガーネの後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 エライネは、ヴェイナードが王になった後仕官した騎士だ。昨年九月、当時レオニアとの国境だった東のハンバー城の守備に就き、ブランガーネの指揮下に入っていた。とは言え、今だ戦闘の経験はなく、仕事はもっぱらブランガーネの世話を焼くことである。言わば侍従のようなものであり、ルーンの加護を受けた騎士がやる仕事ではない。そもそも前王ドレミディッヅの娘であるブランガーネには本来多くの侍従がいるのだが、気性が荒いブランガーネは些細なことで怒鳴りつけたり、あるいは物を投げて暴れたりするため、彼女に仕える侍従は耐えられずすぐにやめてしまうのだ。

 

 ブランガーネはエライネに対してもすぐに怒鳴ったり暴れたりするのだが、エライネはこのテの人物の扱いには慣れており、特に苦痛には感じていなかった。なぜなら、彼の父であるロードブルもまた、ブランガーネと同じような性格だったからである。さすがに暴れて手を上げたりすることはないものの、些細なことで怒鳴ったり、机や壁を叩いて威嚇することはしょっちゅうであった。母親が流行り病で早くに亡くなったため、エライネは十歳の頃よりこの父の世話をしていた。家に帰ると仕事の愚痴ばかりこぼす父を、時には励まし、時には聞き流し、時には叱ったりするうちに、上手く父をコントロールできるようになったのだ。この経験が、ブランガーネの下に就いてから発揮されているという訳である。

 

 この功績(?)が認められ、エライネはノルガルドの重臣達より、ブランガーネ専属護衛騎士を任命されたのである。

 

 仕官後わずか一年ほど女性が王族専用の護衛騎士に任命されるのは、ノルガルド始まって以来の快挙である。いかにその実態がただの侍従であろうと、エライネは、男尊女卑の考え方が根深く残るノルガルドに、大きな一石を投じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 入る時同様のチェックを出る時も受け、散々不満を漏らすブランガーネを適当に諌めながら、エライネとブランガーネは元レオニア女王リオネッセの居住区を後にした。外へ通じる廊下を歩く二人。と、正面から近づいて来る人影に、エライネははっとなる。そして、その人物に見えないようさっとブランガーネの陰に隠れると、髪型や服装に乱れが無いかを確認し、さっと飛び出して廊下の脇で頭を下げた。

 

「……お前、(わらわ)のことを盾か何かと思っておるのか?」怒りよりも呆れが勝る声のブランガーネ。

 

「お控えください姫様。陛下の御前ですよ?」

 

「ふん。あやつ相手に、控える必要など無いわ」

 

 ブランガーネは視線を正面から来る人物――白狼王ヴェイナードに向けた。

 

「――これはブランガーネ姫。ご機嫌麗しゅう」

 

 ヴェイナードは小さく頭を下げたが、ブランガーネは何もしなかった。これではどちらが王か判らないわね、と、エライネは内心呆れる。

 

 ヴェイナードは頭を上げた。「フログエルで何をされているのです、姫? 姫は、ハドリアンの守備に就いているはずでは?」

 

 ハドリアンは、フォルセナ大陸の南東にある砦だ。南北を険しい山に挟まれた狭地にあり、大陸でも屈指の守りの堅さを誇る拠点である。かつてはレオニアとイスカリオの国境地帯であったが、現在は勢力を伸ばしたノルガルドとエストレガレス帝国の国境地帯となっている。

 

「どこにいようと妾の勝手だ。そなたには関係ない」ブランガーネは挑発的な口調で言った。

 

「そうはいきません。勝手に持ち場を離れては作戦に影響しますし、いつかのように、また命を狙われてはたまりませぬからな」

 

 いつかのように、というのは、昨年の七月下旬のことである。このとき、ブランガーネはいつまでたっても出撃命令を出さないヴェイナードに腹を立て、兵を率いて持ち場を離れ、フログエルの王城へ迫った。そして、己の力を示そうと、王に決闘を挑んだのである。これ自体は王のはからいにより不問に付されたが、ブランガーネの部隊が持ち場を離れた隙に、ハンバーはレオニアから攻められることとなった。

 

「そなた……まだそのことを言うか!」

 

 喧嘩腰の口調になるブランガーネ。このままではまた厄介なことになりかねない。そう思ったエライネは。

 

「ブランガーネ様は、リオネッセ様を訪ねておられたんですの」

 

 と、言った。王族二人が話している時に一騎士が口を挟むなど不敬に当たるが、エライネは気にせず続ける。「レオニアの併合以降、姫様は、リオネッセ様のことを大層心配されておりまして」

 

 ブランガーネが、キッ! っとエライネを睨んだ。「貴様、余計なことを言うでない!」

 

「はい、申し訳ございません」

 

 さらっと受け流すエライネ。ブランガーネの怒りの矛先がエライネに向いたおかげで、なんとか厄介な事態にならずにすんだ。

 

 ブランガーネはヴェイナードに視線を戻す。「言っておくが、勝手に動いたわけではないぞ? グイングラインの許可はとってある」

 

 現在ブランガーネが守備に就いているハドリアンの西には、アスティンという城がある。本来はイスカリオの領土だが、現在はエストレガレス帝国が支配している。このアスティンを取り戻そうとイスカリオは連日侵攻しており、帝国は防衛に徹していた。

 

「今の帝国にハドリアンを攻めるメリットは皆無と言って良いだろう」ブランガーネが言った。「仮に攻めて来たとしても、妾の兵は部下に任せてある。ハドリアンの守りの堅さを考えれば、部下でも十分防衛できるはずだ。万が一防衛できなかったとしても、北のグルームまで下がれば、被害は最小限で済む」

 

「……と、これらはグイングライン様の判断ですけどね」また口を挟むエライネ。

 

「だから、貴様は余計なことを言うな!」

 

「はい、申し訳ございません」

 

 エライネはまたさらっと受け流した。

 

「そういうことなら、まあ良いでしょう。しかし、油断は無きようお願いします。敵は国外ばかりではありません。国内にも、不穏な動きがありますからな」

 

「『レオニア解放軍』のことか?」ブランガーネは腕を組んだ。「その話は聞いている。まだ『軍』などと呼べるほどのものではないがな」

 

 ノルガルドとレオニアの併合は、レオニアの民にも受け入れられている。昨年末の帝国の侵攻によりレオニアは重大な危機に陥ったが、ノルガルドが援軍を送ったことで危機を脱した。レオニアはノルガルドによって救われたため、併合もやむなしと考える民がほとんどなのだ。しかし、それを快く思わない者もいる。最近になって、併合に反対する者たちが集まって過激な行為に及び、事件に発展する例が多発していた。それが『レオニア解放軍』である。調査が進んでいないため実態はまだ把握できていないものの、旧レオニアの騎士が関わっているとの情報もある。解放軍と名乗ってはいるが、規模はまだ小さく、騎士と一般兵を合わせても百人程度の集まりと見られている。しかし、ノルガルド軍の補給部隊を襲ったり、前線での戦闘に備え召喚したモンスターを野に解き放ったりと、各地で少なからず被害が出ているため、軽視できない存在となりつつあった。

 

「妾の方でも調査を進めているゆえ、実態はすぐ明らかになろう。まあ、所詮は賊程度の襲撃しかできぬ連中だ。すぐに片がつく。それより、そなたの方こそ油断するでないぞ?」

 

「ほほう? 姫が私の身を案じてくれるとは、嬉しいですな」

 

「たわけめ。誰がそなたの心配などするか。あやつのことだ」ブランガーネは廊下の奥を指さした。リオネッセの居住区がある方向だ。「レオニア解放軍とやらは、女王のことを『レオニアをノルガルドに売り渡した魔女』などと言い、命を狙っているそうではないか。女王を暗殺されでもしたら、旧レオニアの民も黙っていないぞ。ヘタをすれば暴動が起こる」

 

「ご心配なく。そのために厳重な警備をしいておりますので」そう言った後、ヴェイナードは小さく笑った。「しかし、姫がリオネッセ妃を心配しておられるとは意外でした。以前は、王の素質は無い、軟弱者、などと仰り、嫌っておりましたのに」

 

 王のこの言葉に、姫様はまた喧嘩腰の口調で返すのでは……と、エライネは心配したが。

 

「あやつはレオニアという国を守れなかった。その点において、王の素質は無かったと言わざるをえまい」

 

 意外にも、ブランガーネは落ち着いた口調で話す。「しかし、あやつは――リオネッセは、レオニアがエストレガレスに侵攻された際、敵国であるノルガルドに頭を下げ、己の命を差し出す覚悟で我らに助けを求めた。リオネッセは国を守れなかったが、レオニアの民は守ったのだ。その点は、見事であったと言う他ない。妾も学ぶべきところがあると思ってな。いろいろと話をしているのだ」

 

 ヴェイナードは、「ほう」と、感心したように頷いた。「姫も、精神的に成長されましたね。喜ばしいことです」

 

「妾のことはどうでもよい。それより、そなたはどうなのだ? リドニーでの失態、どう責任を取るつもりだ?」

 

 ブランガーネの言葉に、ヴェイナードの顔から笑みが消えた。

 

 先月、ノルガルドはかねてより準備を進めていた帝国領リドニー要塞侵攻作戦を決行した。この作戦は、事前の徹底した模擬戦で九割以上の勝率を出し、ヴェイナードも自信をもって挑んだのだが、わずか一日で撤退するという大敗を喫した。その原因は、リドニーにヴェイナードの実姉であるエスメレーが守備に就いたからだ、と、兵たちの間で噂されている。恐らくそれは間違いのないところであろう。姉の出現にノルガルド軍の総大将であるヴェイナードが動揺し、結果、指揮系統が大いに乱れたのだ。

 

「あれほど大口を叩いておきながらこの失態。姉が戦場に現れただけで平静を失うなど、将としてあってはならぬこと。そなたはノルガルドの恥だ!」ブランガーネは厳しい口調で言った。

 

「お黙りなさい姫様! 言葉が過ぎます!!」エライネがまたまた口を挟む。

 

 またまたエライネを睨むブランガーネ。「貴様は誰の味方なのだ!」

 

「もちろん、ヴェイナード陛下です!!」

 

 ためらうことなく答えたエライネに、完全に毒気を抜かれてしまったブランガーネは。

 

「……誰だ、このような者を妾の護衛に就けたのは」

 

 と、あきれ果てた口調で言った。

 

「リドニー侵攻の件は、返す言葉もございません」ヴェイナードは、目を伏せて言った。「現在、兵力の再編を行っております」

 

 ブランガーネは腕を組んだ。「フン。再編したところで、エスメレーがリドニーの守備に就いている限り、結果は同じではないのか?」

 

「ご安心を。次回のリドニー侵攻は、他の者に任せます」

 

「なに?」

 

「誰に任せるかはまだ決めておりませんが、恐らく、グインかモルホルトが指揮を執ることになるでしょう。姫にも出撃をお願いするかもしれませんので、その時は、よろしくお願いします」

 

「……そなたはどうするのだ」

 

「私はソレスタンに向かいます。西アルメキアが侵攻してきておりますゆえ」

 

「ソレスタン!? 西の端ではないですか!?」エライネが声を上げた。「陛下がそのような僻地に配置されるなんて、不当です!! 許せません!!」

 

「妾はソレスタンどころではない僻地に配置されておるが、それは許すのか?」と、ブランガーネ。

 

「陛下は陛下、姫様は姫様です!」

 

「どういう理屈だ、それは」

 

 ヴェイナードは自嘲気味に笑った。「リドニーでの失態を考えれば、当然の処置です。それに、侵攻してきた西アルメキア軍には、旧パドストーのコール老王が入っているとか。ならば、我が国も王自ら出向き、歓迎せねばなりますまい」

 

「フン。まあ、今のそなたにはお似合いだ。せいぜい僻地で反省してくるのだな」

 

「はい。では、失礼いたします」

 

 ヴェイナードは軽く頭を下げると、執務室の方へ歩いて行った。

 

 エライネは王の背中を見つめながら、祈るような格好で両手を組んだ。「陛下、おかわいそうに。あんなに一生懸命されてましたのに……」

 

「お前は何様のつもりだ」

 

 後ろでブランガーネが言ったが、エライネは無視し。

 

「陛下、ここが頑張りどころですわ!」

 

 両手で拳を握り、ブンブンと振って応援した。

 

「……おい。誰か、この者をどうにかしろ」

 

 ブランガーネは誰ともなしに言った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十三話 メルトレファス 聖王暦二一五年十二月下 エストレガレス帝国/オークニー

 エニーデによるゼメキス暗殺未遂事件から一節が過ぎた。あの事件で左手を負傷したメルトレファスは今日までずっと休養しており、戦場に立つことはおろか城の防衛や修行の旅に出ることも無かった。

 

 メルトレファスが休養している間、戦況に大きな動きがあった。このオークニーと南のエオルジアが西アルメキアからの侵攻を受け、さらに、北東にあるリドニー要塞がノルガルドからの侵攻を受けたのだ。幸いオークニーとリドニーは防衛に成功したものの、エオルジアは陥落し西アルメキアの領土となった。西アルメキアはこれらの作戦と同時にノルガルド領アリライムにも侵攻し、制圧に成功している。

 

 西アルメキアが勢力を伸ばし、ノルガルドも帝国へ本格的に侵攻してきた。南のイスカリオとの戦闘も続いているし、ソールズベリーはカーレオンに奪われたままだ。帝国にとっては大きな正念場である。にもかかわらず、メルトレファスは戦う気にはなれなかった。怪我は決して重度なものではなく、十日と経たずほぼ完治している。そもそも左は彼の利き手ではないため、その気になれば右手だけでも十分戦場に立てたのだが、とてもそんな気にはなれなかった。この一節の間は訓練さえせず、ほとんどの時間を自室で過ごしている。以前のメルトレファスでは考えられないことだった。彼は、力こそ正義・強い者が正しい、を信条にしてきた。強くなるため、いくさでは誰よりも前線で戦ったつもりだし、いくさのない日も訓練は欠かしたことがない。全てはカドールやゼメキスのような強さを得るためだったが、それが果たして正しかったのか、今はもう判らなくなっている。

 

 ――ゼメキス陛下を暗殺しようとしたエニーデは敗れた。力こそ正義・強い者が正しい。陛下は強いから生き残り、エニーデは弱いから死んだ。ただそれだけのことだ。

 

 部屋に閉じこもっている間、何度も自分に言い聞かせてきたことだ。メルトレファスの信条に基づくならば、あの事件は生き残ったゼメキスが正しく、死んだエニーデが間違っていることになる。実際その通りなのかもしれない。ゼメキスやカドールの話によれば、エニーデの父親はノルガルドの間者であったという。間者を追放するのは当然のことであり、そのことを知らず誤解からゼメキスを討とうとしたエニーデは明らかに間違っている。だが、エニーデには死以外の道は無かったのだろうか? 力のない者が力のある者に刃を向ければ死は免れない。エニーデはゼメキスに向かって弓を引いた時点で死は避けられない運命だったのだ。ならば、あの日――早朝の訓練場でエニーデの父親について聞いた日――復讐を止めることができていれば死ぬことはなかったのだろうか? 復讐を止められなかった自分は無力だったということなのだろうか? ならば自分も、この先に待っているのはエニーデと同じ死のみなのか? 判らない。今のメルトレファスには、何が正しくて何が間違っているのか、もはや判らなくなっていた。

 

 ただひとつ、言えることは。

 

「……エニーデに、会いたい」

 

 メルトレファスは胸の奥から湧き上がる言葉を口にした。エニーデに会えば答えを教えてくれる気がした。いま自分が何をするべきか導いてくれるような気がした。いや、例え何もしてくれなくとも、ただそばにいてくれるだけで心が安らぐだろう。

 

 だが、死んだ人間は決して生き返らない。エニーデとの再会は叶わない。メルトレファスを救ってくれる人はいない。

 

 突如。

 

「――エニーデに会いたいか?」

 

 自分一人だった部屋に、別の者の声が響いた。

 

「誰だ!?」

 

 部屋を見回すメルトレファス。誰もいない。気のせいか? そう思ったが、そのわりにはあまりにもはっきりと聞こえた。しわがれた暗い声が、今も耳の奥に張り付くように残っている。外から聞こえたのでもない。見えない何者かがこの部屋にいて声を出した。そう思えた。

 

 ――見えない何者か。

 

 いや。

 

 いた。

 

 それは部屋の隅。十分な光が届かずわずかな闇と化していた空間に、その者はいた。

 

 メルトレファスがその存在に気付いた瞬間、その者ははっきりと姿を現した。老人のような姿をしていた。漆黒の法衣に身を包み、古代のルーン文字と思われる紋様が刻まれた杖を持っている。わずかに首を傾け、闇よりも暗い目をメルトレファスに向けた。

 

 メルトレファスは側に置いてあった剣を取り、鞘から抜いて構えた。「誰だ!? どこから入った!?」

 

 剣を向けられても男は微塵も動じず、地の底から聞こえてくるような声で続ける。「私はどこにでもいる。我が名はブロノイル、求め続ける者。私がエニーデに会わせてやろう」

 

 エニーデに会わせる――その言葉で、メルトレファスの剣先が下がった。

 

 男は薄い笑みを浮かべ、暗い目でメルトレファスを見つめている。その目を見ていると、心が吸い込まれるような錯覚を覚える。

 

 だが、すぐに首を振り、剣を構え直すメルトレファス。「エニーデに会う? あいつは死んだ。死んだ者に、二度と会うことはできない」

 

 男の言葉を否定したはずだったが、なぜか男は嬉しそうに笑った。「そうだ。人は死ぬ。死は万人に訪れ、あらゆる絆を断つ。そして、人は大切な者を失った悲しみも癒せぬまま、己の死によってこの世界から消えていくのだ」

 

 男の暗い目が、メルトレファスを見つめている。男の言葉が、メルトレファスから敵意を奪っていく。

 

 ――そうだ。この男の言う通りだ。

 

 そう思った。

 

 男は、さらに言葉を継ぐ。

 

「人は死ぬ。どんなに強い者でも、いつかは必ず、死が訪れる。そして、人は死ねばそれで終わりだ。そこにどのような絆があろうとも、関係ない。例え両親であっても、兄妹であっても、子供であっても、恩人であっても、愛する者であっても。死は、全てを消し去ってしまう」

 

 そうだ……その通りだ。

 

 男の言葉が、メルトレファスの心を侵食する。男の言葉の続きを引き取るように、思いが胸の内に溢れてきた。

 

 俺も同じく同じく死ぬ。この世界から消える。

 

 だが、それでも世界は続いていく。

 

 誰かが死に、誰かが悲しむ。その誰かも死に、また別の誰かが悲しむ。

 

 いまも世界のどこかで誰かが死に、別の誰かが悲しんでいる。明日も誰かが死に、誰かが悲しむだろう。

 

 そうして、世界は続いていく。

 

 悲しみが、続いていく。

 

 死の連鎖は止まらない。

 

 悲しみの連鎖は止まらない。

 

 この世界は地獄だ。

 

 悲しみが永遠に続く、それを地獄と呼ばず、なんと呼ぶのだろう?

 

 こんな地獄を、俺は今まで生きて来たのだ。

 

 こんな地獄を、俺は生きていかねばならないのだ。

 

 メルトレファスは、知らず、剣を落とし、床に伏していた。

 

「――だが私なら、その悲しみの地獄から、お前を救い出してやれる」

 

 男の言葉に。

 

「俺を……救う……?」

 

 メルトレファスは、顔を上げた。

 

 男の目が、言葉が、メルトレファスの心を飲み込もうとしている。

 

「そうだ。私と共に来るがよい。私がお前をもう一度エニーデに会わせてやろう」

 

 もう一度、エニーデに会える――甘美な言葉だった。だが、どうやって会うというのだろう? エニーデは死んだのだ。死は永遠の別れを意味する。二度と会うことは叶わない。

 

 メルトレファスは何も言っていない。ただ心の中で思っただけだ。なのに。

 

「簡単なことだ。死が永遠の別れならば、死を超越した存在になればよい」

 

 男が答えた。まるで、メルトレファスの心を読んだかのように。

 

 死を……超越……? 確かに、それならばまたエニーデに会えるだろう。しかし、そんなことが可能なのだろうか?

 

「もちろんだ」

 

 男が、またメルトレファスの心の声に答えた。男はメルトレファスの心の中に入り込んでいる。そして、それが不快ではない。

 

「さあ来い、メルトレファス。エニーデに会いたいのだろう?」

 

 男の目は、メルトレファスの心を完全に飲み込み。

 

「……そうだ……俺は……エニーデに……会いたい……」

 

 うわ言のようにつぶやいた。

 

「……エニーデに会えるのならば……どこへでも……行く……」

 

 男は満足げに笑った。「そうだ。それでいい。では、行くぞ」

 

「……はい……」

 

 男が漆黒のマントをひるがえすと。

 

 そこには、男の姿も、そしてメルトレファスの姿も、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――陛下、メルトレファスめが、姿をくらませたようです」

 

 オークニーの居室で、ゼメキスはカドールから短く報告を受けた。

 

 メルトレファス――先日のエニーデによる襲撃事件の際、そばにいた男だ。あの時の様子を思い出す。ゼメキスに弓を向けたエニーデに対し、あの男は攻撃をためらい、ただ説得で事を収めようとした。エニーデもあの男を攻撃することをためらっており、命を奪うことはなかった。二人が浅からぬ仲であったことは明白だ。あの男がエニーデの死を嘆き、何かしらの行動を起こしたとしても不思議ではない。

 

 無論。

 

 今のゼメキスには、新米騎士一人に構っている暇など無い。

 

「逃亡は死罪に値します。刺客を放ちますか?」カドールが問う。

 

「捨て置け。臆病者に用はない」ゼメキスは静かに言った。

 

「――御意」

 

 カドールは右の拳を左胸に当てると、部屋を去った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十四話 ランゲボルグ 聖王暦二一六年一月上 西アルメキア/キャメルフォード

 元レオニア1の智将にして現西アルメキアの頭脳である天才軍師のランゲボルグは、キャメルフォード城内にあるランスの執務室へと続く廊下を足早に歩いていた。分厚い書類の束を両手で抱えている。以前彼が提唱したスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルな作戦の第二弾で、その名も、『スーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル作戦第二弾』である。この作戦を、一刻も早くランスに伝えなければならない。これが実行されれば、フォルセナ大陸は瞬く間に西アルメキアのものとなるのだから。

 

 執務室のドアを蹴破らんばかりに開けたランゲボルグは、「ランス様! お喜びください! 私のスーパーウルトラ(中略)作戦の第二弾が完成いたしましたぞ!!」と声高に叫んだ。

 

 執務室の奥の席に座っていたランスは顔を上げると、「おお、ランボゲルグ君。待ちかねたぞ」と、笑顔でランゲボルグを迎え入れた。

 

「おっと失礼、その前に――」ランゲボルグは書類の束を左手に持つと、右の拳を左胸に当てた。「このたびのエオルジア戦における勝利、誠におめでとうございます。あのエストレガレス帝国の精鋭部隊を相手に、わずか二日で勝利を収めるとは、さすがランス様です。北のノルガルド侵攻も問題なく成功しましたし、これもすべて、元レオニア1の智将にして現西アルメキアの頭脳である天才軍師のランゲボルグのおかげだと、皆が噂しております」

 

「うむ。その通りである」ランスは満足げに頷いた。

 

「それに引き替え、オークニー侵攻はま・こ・と・に・残念でしたな。ゼメキスの首を獲るどころか、城さえ落とせず一日で撤退。おかげで、せっかくランス様と私とで練り上げた三都市同時侵攻作戦が台無しです。やはり、メレアガント殿にオークニー城攻略は荷が重すぎましたな。いえ、彼を責めてはいけません。全ては、彼に総大将を任せた私の責任。ああ、やはり、この私自ら兵を率いて出陣すべきでした」

 

「うむ。その通りである」

 

「しかああぁぁし! ご安心ください!! 私のこのスーパー(中略)作戦第二弾があれば、今からでも十分巻き返せます!」

 

 ランゲボルグは、どん! と、書類の束を机の上に置いた。

 

「以前提案した、ス(中略)作戦第一弾の超改良バージョンです! 前回の作戦は少々高度すぎた点を反省し、今回はお若いランス様にも理解できるよう、ひじょおおぉぉに判りやすく書き直しております。まあ、詳しく書いた分ページ数は以前の三倍になってしまいましたが。しかし! この作戦さえあれば、オークニー城はもちろん、フォルセナ大陸全土が瞬く間に我が国のものですぞ!!」

 

 机を乗り越えんばかりに身をのり出し、鼻息も荒く説明するランゲボルグ。

 

 これに対し、ランスは。

 

「うむ。では、その作戦を、すぐ実行したまえ」

 

 あっさりと承認した。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え?」

 

「……え?」

 

「ランス様、私の作戦を、実行してくださるのですか?」

 

「もちろんです。フォルセナ大陸全土が瞬く間に我が国のものになるなんて、スゴイ作戦じゃないですか」

 

「正気ですか?」

 

「はい?」

 

「いえ……」ランゲボルグは大きく咳ばらいをした後、続ける「確かにスゴイ作戦ではあるのですが、さすがに資料を見て判断していただいた方がよろしいかと。いかに西アルメキアの頭脳と呼ばれる私の作戦でも、何か見落としがあるかもしれませんゆえ。いえ、もちろんそんなものは無いのですがね。一応、ランス様の考えも伺いたいと思いますので」

 

「えー? この本、僕が読むの?」ランスは心底嫌そうな顔をした。

 

「……はい?」

 

「あ、いや……」ランスは大きく咳ばらいをした。「そこまでおっしゃられるのであれば、ご覧になって差し上げよう」

 

「言葉づかいがおかしいですが、大丈夫でしょうか?」

 

「大丈夫です。では、見ます」

 

「はい。どうぞ」

 

 ランスは机の上の書類の束を二・三枚めくると。

 

「おお! これは確かにスゴイ作戦だ! では、さっそく実行したまえ」

 

 あっさりと承認した。

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え?」

 

「……え?」

 

「ランス様、ちゃんと読まれましたか?」

 

「ぎくっ。も、もちろん、読まれましたです」

 

「読まれた上で、実行されると?」

 

「はい。読まれた上で、実行されますです」

 

「正気ですか?」

 

「はい?」

 

「いえ……」ランゲボルグは大きく咳ばらいをした。「では、部隊編成はどういたしましょう? 私としては、やはりランス様に総大将を務めていただき、副将に、あのゼメキスと二度にわたり互角の戦いをしたというハレー殿と、後は……そうですねぇ。前回の戦いでは敗れてしまいましたが、メレアガント殿かゲライント殿に、もう一度出陣してもらいましょうか。前回の失態を考えると少々頼りないですが、まあ、失敗は誰にでもあること。挽回のチャンスくらい与えてやりませんとな」

 

「総大将は、ランボゲルグさんがやってください」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え?」

 

「……え?」

 

「私が、総大将ですか?」

 

「そうです」

 

「目的は、オークニー城攻略ですよ?」

 

「そうです」

 

「現在皇帝ゼメキスと剣聖エスクラドスが守備に就いている、あの難攻不落のオークニー城ですよ?」

 

「そうです」

 

「そのオークニー城攻略作戦の総大将を、この私が?」

 

「そうです」

 

「正気ですか?」

 

「はい?」

 

「いえ……」ランゲボルグは大きく咳ばらいをした。「まあ、私の実力と過去の戦歴を考えれば、ランス様が私を総大将に任命したいのはごもっともでしょうな。私も承りたいのですが、残念ながら、この作戦に私は含まれていないのですよ。私は、次の作戦を考えなければなりませんからね。いや残念です。ランス様に、私の勇姿をお見せしたかったのですが」

 

「そうですか。では、作戦は中止しましょう」

 

「いえいえいえ、そうではなくてですね。この作戦は、ランス様を総大将として考えたものです。ランス様なくして成功はあり得ません」

 

「でも、よく考えたら、()()()()()()()()()僕が勝手に決めるわけにはいきませんからね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え?」

 

「……え?」

 

「ランス様、いま、なんと仰いました?」

 

「ですから、よく考えたら、ランス様の許可なく僕が勝手に決めるわけには……あ」

 

 ランスは両手で口を押さえた。

 

 ランゲボルグは眉をひそめた。「どうも、さっきからおかしいですね」

 

「ぎくっ。な、なにがおかしいのです?」

 

「『ぎくっ』と、擬音を口にするところとか」

 

「これはクセです。なにもおかしくはございません」

 

「その、間違った言葉づかいとか」

 

「西アルメキア語は難しいのです。僕も、間違うことはあります」

 

「それに、身長が以前より明らかに低くなっておられるようですし、顔も、よく見ると別人です」

 

「それは、ランボゲルグ君の思い違いですよ」

 

「入って来た時もそう呼ばれて一度スルーしたのですが、私はラン()()ルグではなく、ラン()()ルグです。以前は、ちゃんと呼ばれていましたのに、なぜ今日になって急に間違うのです」

 

「まあ、どっちでも良いじゃないですか」

 

「良くありません。家臣の名を呼び間違うなど、君主としてあるまじきことですぞ」

 

「そうですね、ごめんなさい」

 

 ランスはペコリと頭を下げた。

 

 ランゲボルグはぐいっとランスに顔を近づけ、まじまじと見た後、はっとした表情になった。そして、すぐさま後方に飛び退き、ニヤリと笑う。

 

「……フッフッフ。他の者の目はごまかせても、この天才軍師ランゲボルグ様の目はごまかせんぞ? 貴様、ランス様ではないな!!」

 

 ランゲボルグの指摘に、ランスもニヤリと笑った。

 

「フッフッフ。バレてしまっては仕方がない。そう! 僕はアルサス! ランス様の影武者さ!」

 

 偽ランスこそアルサスは椅子の上に立ち、えへんと胸を張った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……え、どういうこと?」

 

「えーっとですね、僕、去年の八月に仕官したんですけど――」

 

 と、アルサス少年が始めた話によると。

 

 わずか十二歳にしてルーンの加護を持つ少年アルサスは、ランスのような王様になるため、西アルメキアへの仕官を希望した。初めの内こそ「仕官は大人になってから」という方向で話が進んでいたのだが、アルメキア時代よりランスの教育係を務める剣士ゲライントが仕官を認め、彼の後見のもと、アルサスは訓練学校へ通うこととなったそうだ。ゲライントの目的はアルサスの風貌にあった。アルサスの外見がランスと似ていることに気が付いたゲライントは、将来的にランスの影武者という重大な役割を担わせようと考えたのである。

 

「本当なら騎士になるのは十五歳からなんですけど、ランス様のピンチということで急遽呼び出され、特別任務に就くことになったのです」と、アルサスは言った。

 

「特別任務?」

 

「はい。ここで待っていれば、ランゲボルグさんという人が素晴らしい作戦を持ってくるから、適当にあしらえ、と」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……君、アルサス君と言ったかな?」

 

「はい」

 

「影武者とは、敵を欺くためのものだ」

 

「そうですね」

 

「つまり、ランス様はこの私を敵と判断したと?」

 

「そういうことになりますね」アルサスははっとした表情になった後、拳を握って構えた。「ランス様に刃向う者は、容赦しないぞ!」

 

 ランゲボルグは大きくため息をついた。「やれやれ。私は忙しいのだ。子供の遊びに付き合っているヒマはないのだよ」

 

「ランス様も同じことを言ってましたよ? だから、僕に影武者を任せたんじゃないでしょうか?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……それで、本物のランス様はどこに?」

 

「さあ? たぶん、エオルジアじゃないですかね? 次の作戦に移るとか言ってましたから」

 

「なんと! こうしてはおれん! ランス様が私の献策を持っておられる! すぐにエオルジアへ向かわねば! ……と、いうことで、私は失礼する。アルサス君。影武者の任務、頑張ってくれたまえ」

 

「かしこまりました!」

 

 ランゲボルグは机の上の書類の束を持つと、大急ぎで部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十五話 コール 聖王暦二一六年一月下 西アルメキア/アリライム

 旧パドストーの老王にして現在は西アルメキアの一騎士であるコールは、ノルガルド領から西アルメキア領となったアリライム城の北門をくぐり外へ出た。降り続く雪と冷たい風に思わず身を震わせる。夜明けとともに降り始めた雪は周囲一帯の平原を覆いつつある。アリライムはノルガルド領の中では比較的気候は穏やかだが、冬が深まると雪に埋もれるのは避けられない。そして、戦場に降り積もった雪は、確実にノルガルド軍を有利にする。北国ノルガルドの民は雪の中での生活に慣れている。当然、雪の中での戦闘もお手のものだ。ノルガルドとの戦いは、この雪と風のごとく厳しいものになるだろう。

 

 北東へと延びる街道の先には巨大な槍斧を携えた騎士が待ち構えている。そのはるか後方には五万の兵が布陣しており、開戦の時を待っていた。コールは一人、待ち構えている男のもとへ向かう。戦場で開戦前に騎士同士が言葉を交わす儀式・戦義である。今回はノルガルド側の騎士がコールを指名し、コールはそれに応じたのだ。戦義は必ずしも応じる必要は無いが、あの男からの指名とあれば、応じないわけにはいかなかった。

 

 槍斧の男の前に立ったコールは小さくため息をついて言った。「白狼か……ただでさえ寒さが身に染みておるのに、この上野獣の相手をするのは、老体には堪えるのう」

 

 槍斧の男――ノルガルド王ヴェイナードは、コールに向かってわずかに頭を下げた。「お初にお目にかかります、コール公。もっとも、先王からさんざん愚痴を聞かされておりましたので、あまり初対面という気はしませんが」

 

「ドレミディッヅの小僧か。あやつも憎たらしいヤツであったが、死ぬには少し早すぎたよのう」コールは髭をさすりながら言った。

 

 ノルガルドの先王ドレミディッヅはいくさ好きの男だった。王でありながら王宮に留まることはなく、常にいくさの最前線に立ち続け、旧アルメキアとの戦いに明け暮れた。アルメキアと同盟国であったパドストーも幾度となくドレミディッヅの標的となった。コール自身は戦場に立つことはなかったため面識こそないが、当時はその名を聞くだけで頭が痛くなる存在だった。しかし、聖王暦二一四年二月。ドレミディッヅはアルメキア領リドニー要塞をめぐる戦いでゼメキスとの一騎打ちに敗れ、この世を去った。

 

 ヴェイナードは一度頷いた後言った。「先王のいくさ好きには我らも困り果てておりましたが、ノルガルドにとっては必要な存在でした。戦乱の世となった今こそ、その力を発揮できたでしょうに。ご存命であれば、我らも心強かったのですがね。もっとも、先王の死があったからこそ私は王となることができた。結果ノルガルドが安泰となったのですから、むしろこれで良かったのかもしれません」

 

「ほほう? それは、どういう意味かの?」

 

「先王は武将としては優れておりましたが、王には明らかに不適格な方でした。百万の兵をもってしても滅ぼせぬ大国も、一人の暗君によって滅びることもありますからな」

 

 コールは髭を揺らして笑った。「ほっほっほ。噂通りの男じゃな、そなたは。大きな自信と、そして野心。じゃがな、白狼。大きすぎる自信と野心は危険じゃ。闇に飲まれ、そなた自身が暗君となるやもしれぬぞ?」

 

「そうなれば私がそれだけの男だったということ。しかし、私よりも、コール公こそ気を付けた方がよろしいでしょう」

 

「なに?」

 

「聞けば、パドストーの全権を旧アルメキアのヘンギスト王のご子息に譲られたとか。此度の我が国への侵攻も、その者の発案と伺っております。愚王の子の言いなりでは、国の行く末が心配です。実際、そちらの作戦は失敗に終わっているようですし」

 

 ランスが発案した三都市同時侵攻作戦は、アリライムとエオルジアへの侵攻は成功したものの、オークニーへの侵攻は失敗に終わった。オークニー城の守備に就いていた剣聖エスクラドスの前に、西アルメキア軍の総大将メレアガントと副将ゲライントが破れたのだ。

 

 だが、西アルメキア側は、これを作戦の失敗とはとらえていなかった。

 

「ほっほっほ。案ずることはない。確かにオークニーは落とせなかったが、あの三都市同時侵攻作戦、もとよりすべてうまく行くとは思っておらん。アリライムとエオルジアを落としただけでも、成果としては十分よ。負けることも、想定の範囲内じゃて」

 

「そうでしたか。それは何より」

 

 白狼は小さく笑った。

 

 オークニーを落とせなかったのは想定の範囲内。それは間違いない。

 

 しかし。

 

 ――もっとも、我らの要請にカーレオンが動かず、逆にイスカリオにソールズベリーを奪われたのは、完全に想定外であったがのう。

 

 コールは胸の内で苦笑いした。

 

 西アルメキアは、三都市同時侵攻作戦と合わせて、同盟国である魔導国家カーレオンに帝国領オルトルートを落とせないか打診していた。オルトルートはエオルジアの南東にある城で、ここをカーレオンが抑えれば、エオルジアは南東からの侵攻に備えなくてよくなる。結果として、帝国との戦いを有利に進めることができるはずだった。しかし、カーレオンはイスカリオから侵攻を受けたことを理由に、西アルメキアの打診に応じなかった。さらに、カーレオンが昨年六月に帝国から奪った城ソールズベリーがイスカリオの侵攻を受け、カーレオン軍はこれを守りきれず撤退。ソールズベリーはイスカリオの領土となった。イスカリオが今後どう動くかは不明だが、もしそのまま西アルメキア方面へ侵攻してきたとしたら、戦況はかなり混沌とし、先が読みづらくなるだろう。

 

「――さてコール公」と白狼が言った。「このたびはこのような北の大地にまで足を運んでいただき、嬉しく思います。我々も精一杯歓迎いたしましょう。ノルガルド流ではありますがね。ご老体と言えど容赦は致しませんので、お覚悟のほどを」

 

 白狼の言葉で、コールは考えを中断した。「もとより覚悟はできておる。来るが良い!」

 

「楽しみにしております。では、後ほど」

 

 ヴェイナードは一礼すると、後方に控える兵のもとへ戻っていった。

 

 その背をしばらく見つめた後、コールも自陣へ戻る。

 

 西アルメキアとノルガルドとの、本格的な戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十六話 グラウゼ 聖王暦二一六年一月上 西アルメキア/エオルジア

 十二月、王太子ランスを総大将とする西アルメキア軍は、七万の兵をもってキャメルフォードから東のエオルジアへ侵攻。デスナイト・カドールの不在という幸運にも恵まれ、ランス達は五日間の激闘の末、勝利。見事、エオルジア城の制圧に成功した。

 

 これに対し、エストレガレス軍の対応は早かった。すぐにオークニーに兵を集めたエストレガレスは、ひと月後の一月下旬、剣聖エスクラドスを総大将とする五万の兵でエオルジアの奪還作戦に出たのである。

 

 エオルジアを守るのは、侵略戦で総大将を務めたランスと、副将を務めた旧パドストーの騎士グラウゼだ。率いる兵はエストレガレスと同じく五万。城での防衛戦であることを考えると、十分な数である。

 

 ただひとつ懸念があるのは、敵がオークニーから侵攻して来たことだった。エオルジアは、北からの侵攻に弱いのである。

 

 その他の方向からの攻めには強い。例えばエオルジアの西、キャメルフォードから続く街道は深い森と広い湖に挟まれており、大軍での進軍が非常に困難な地形になっている。また、湖から流れ出した川が北東へ流れており、南東のオルトルートからの侵攻はこの川に阻まれる。

 

 これらに対し、北は進軍の障害になるものがほとんど無い平地なのだ。

 

 それは、言い替えると、北からの侵攻に対して小細工は必要ない、ということでもある。城にこもって迎え撃つか、逆に城外へ打って出るか。どちらにしても、正面からぶつかって戦うのみである。

 

 敵は圧倒的な武力をもっての突撃戦法を得意とする剣聖エスクラドスの部隊だ。ランスは、籠城戦を選んだ。

 

 北に広がる平原の先にエスクラドスの部隊が布陣した。対するランス達も、城壁上に兵を配置し、待ち構える。間もなく、いくさが始まる。

 

 西アルメキア軍の副将グラウゼは戸惑っていた。先ほど、帝国側から戦義希望の伝令があったのだ。戦義はフォルセナ大陸に古くから伝わる儀式のひとつで、いくさの前に各軍の代表者同士が言葉を交わす行為である。通常は総大将同士で行うものだが、帝国側は、なぜかグラウゼを指名してきたのだ。戦義は必ずしも総大将同士で行うわけではないため、副将や中堅騎士、場合によっては新米騎士同士でも行われることはあるが、そのような場合は二人の間に何らかの因縁や関係があるものだ。今回戦義を希望してきたのは総大将のエスクラドスだった。剣聖の異名で大陸中に知られた騎士であり、グラウゼも当然名は知っているが、それだけだった。直接会ったことはなく、因縁めいたものは何も無いはずだ。グラウゼは西アルメキア軍においては中堅クラスの騎士で、残念ながら剣聖が興味を持つほどの剣の腕前でないことも自覚している。なのに、なぜ自分などが指名されたのだろう? 戦義は必ずしも応じなければいけないものではない。断ることも可能だが、応じないわけにはいかなかった。グラウゼは部隊を離れ、一人、城を出て敵部隊の方へ馬を進めた。

 

 二つの軍が対峙する中間ほどの位置にエスクラドスは立っていた。近づくグラウゼに鋭い目を向けている。剣は腰の鞘に収められているが、いつでも抜き放つ気迫にあふれている――もっとも、戦義中の戦闘行為は一切認められていないためそれはあり得ないのだが、そのような思いに駆られるほど鋭い眼光だった。

 

 グラウゼは馬を下り、エスクラドスと向かい合った。息を飲む。剣聖は自分を呼び出し、いったい何を話すつもりなのだろう?

 

 不意に、エスクラドスの眼光が柔らかくなった。

 

 そして。

 

「……名を聞いたときもしやと思うたが、やはりそなたはハンバルの(せがれ)だな。若い頃のあやつに、よく似ておる」

 

「父をご存知なのですか?」驚くグラウゼ。

 

「無論だ。かつてアルメキア軍に属していた者で、ハンバルの名を知らぬ者などおらぬ。わしとあやつは仕官した頃から何度も同じ戦場に立ち、手柄を競い合ったものよ」

 

 エスクラドスは、懐かしさや嬉しさのにじむ声で言った。

 

 グラウゼの父ハンバルはかつてアルメキア軍に属し、多くの武功を挙げた名将だった。特に防衛戦を得意とし、その強固な守りから『アルメキアの盾』の二つ名で呼ばれていた。老いて前線から身を引いた後は戦術指南役として後進の育成に励み、生涯アルメキアに忠誠を奉げるはずだった。しかし、ある日突然、王の暗殺を企てたなどというあらぬ罪を着せられ、国外へ追放される。祖国を追われたハンバルはパドストーを訪れ、老王コールの計らいによりパドストーの騎士としてこの国に身を置くこととなった。その後、ハンバルはアルメキアへ己の無実を訴え続けたが、愚王がそれを聞き入れることはなく、二年前、無念のうちに世を去った。

 

「ハンバルほど国に忠義を尽くした騎士はおらぬ」エスクラドスの声に怒りがにじみはじめた。「あれほどの男が祖国を追われ、遠い地で亡くなるなど、あってはならぬこと」

 

「ええ。仰る通りです」グラウゼも悔しさを口にする。「しかし、安心しました。旧アルメキアにも、父の無実を信じてくれている方がいらっしゃったのですね」

 

「当然だ。ハンバルが国を裏切るなど、天地がひっくり返ってもあり得ぬ。それを、あの愚王は……」

 

 ハンバルがあらぬ罪を着せられた理由は、王宮内での権力争いが原因だったとされている。当時のアルメキア王宮内は、大した実力も無いくせに世辞と賄賂でのし上がった愚臣共で溢れていたのだ。彼らは己の地位を盤石にしようと愚王ヘンギストに取り入り、国へ真の忠義を奉げるハンバルら忠臣に次々とあらぬ罪を着せ、追放・処刑していったのである。

 

「――すまぬ」

 

 突然、エスクラドスが深く頭を下げた。

 

「な……何を……?」大陸最強と名高い剣士の突然の詫びに戸惑うグラウゼ。

 

「わしはあやつを助けてやれなかった。わしの力では、国外へ逃がすことで精いっぱいであった。あの頃のわしに力があれば……愚王共と対立する覚悟があれば、ハンバルに無念の思いをさせることはなかったかもしれぬ」

 

「あなたが……父を逃がしてくれたのですか……?」予想外の告白に戸惑うグラウゼ。

 

 ハンバルに着せられた罪は国王の暗殺を企てたというものだ。通常ならば死罪である。にもかかわらず、国外追放という比較的軽い刑――無論、身に覚えに無い罪なので不当ではあるのだが――になったことを疑問に思ったことはあるが、その裏でエスクラドスが働きかけていたというのは初耳だった。

 

 エスクラドスは頭を上げ、まっすぐな目を向けた。「グラウゼよ。エストレガレスへ来い」

 

「私が、エストレガレスへ!?」

 

「そうだ。愚王はもうおらぬ。ハンバルの名は当然ゼメキスも知っている。その息子ならば喜んで迎え入れるだろう。それが、今のわしにできる、友へのせめてもの罪滅ぼしだ」

 

 エストレガレスへ身を置く――国の名こそ違うが、そこはまぎれもなく父の祖国だ。父は生涯祖国への復帰を望んでいた。エスクラドスの誘いに応じれば、父の悲願が叶うことになる。

 

 しかし――。

 

「ありがたい申し出ですが、お受けすることはできません」グラウゼは迷うことなく答えた。「我が忠義はパドストーへ捧げました。パドストーは、アルメキアを追放された父を受け入れてくれたのです。その恩を、仇で返すような真似はできません」

 

 その答えに、エスクラドスの目に再び鋭さが戻った。「だが、パドストー王コールはランスに王位を譲ったと聞く。愚王の倅が治める国に未来など無いぞ?」

 

「愚王の倅……確かにそうです。私も、初めはランス様のことを快く思ってはいませんでした。ですが、実際に会い、行動を共にして、私は確信しました。あのお方は、決して愚王のようにはならないと」

 

 キャメルフォードでの早朝訓練以降、グラウゼは常にランスと行動を共にしていた。訓練には毎回付き合い、真剣に取り組む姿と、めきめきと剣技を向上させる姿を目の当たりにした。作戦会議では三都市同時侵攻を立案するなど大胆な姿を見せたが、それが決して無茶な作戦ではなく現実的に遂行可能だということを説明し、皆に承認させた。君主という身にありながら戦場では最前線に立ち、しかし決して無茶な戦いはせず、戦況を冷静に分析し的確に戦った。戦闘終了後、負傷した兵には労いの言葉をかけ、戦場で散った命には敵味方を問わず哀悼の意を奉げた。グラウゼは、いつの間にかランスの言動に心を奪われるようになった。いや、グラウゼだけではない。恐らくランスと接した全ての者が、彼の言動に惹かれるであろう。

 

 だから。

 

「――私は、ランス様が君主だから護るのではありません。あの方が尊敬するべき人物だから護るのです。私はランス様の盾となって戦うことを終生の誓いとしました。その誓いを破るようなことはしません」

 

 グラウゼはエスクラドスにまっすぐな視線を返し、決意と共に言った。

 

「貴様もゲライントと同じことを言うか」エスクラドスの声には闘気が満ちていくように思えた。「だが、そうなるとそなたはわしの敵。いかにハンバルの倅といえど、わしの前に立ちはだかるならば容赦はせぬ。よもや、わし戦って勝てるなどと思うておらぬだろうな?」

 

「もちろん勝つつもりです。ランス様と、西アルメキアのために」

 

 グラウゼは右の拳を左胸に当て、決意と共に言った。祖国への帰還、確かにそれは、父の悲願であったのだろう。だが、そのために今の国を裏切ることなど、父が望むはずがない。

 

「愚かな……自ら死を選ぶとはな……」エスクラドスは目を伏せ、低い声で言った。

 

 愚か……確かにそうかもしれない。本音を言えば、今の自分が剣聖と謳われたエスクラドスに勝てるとは思えなかった。剣の腕にはそれなりに自信がある。しかし、だからこそ己と相手の力量を図る術にも長けていた。今の自分とエスクラドスの剣には圧倒的な差があるだろう。それでも、西アルメキアとランスに忠義を奉げた騎士として戦わなければならない。たとえ、ここで命を落とすことになろうとも。グラウゼは、この戦いで死を覚悟していた。そうでなければ、ランスを護ることはできないであろう。

 

「――やはり、血は争えぬものよな」

 

 エスクラドスがつぶやくように言った。それは、どこか喜びを噛みしめているような声だった。

 

 そして、再びグラウゼを鋭い目で見ると。

 

「西アルメキアの騎士グラウゼ! そのゆるぎなき忠誠心、そなたはまさしくハンバルの子!」

 

 剣よりも鋭い言葉をグラウゼに向ける。「ならばわしも、このいくさ、一切の容赦はせぬ。グラウゼよ! 名将ハンバルの子ならば、この試練、見事乗り越えてみせよ!!」

 

 名将ハンバルの子――剣聖の言葉が、グラウゼの心に生じていた弱さを斬り捨てた。

 

 さきほど、死を覚悟したグラウゼ。それは、己の剣が剣聖よりも劣ることを認めたということだった。己の弱さを認めたことに他ならない。時として、それは必要なことかもしれない。

 

 しかし、今は違う――そう思い直した。

 

 いま死を覚悟することは真の忠義ではない。このいくさが終わっても、西アルメキアの戦いは続く。ランスの戦いは、まだ続くのだ。その戦いを最後まで支えることこそが真の忠義だ。

 

 父ならば、それを果たしただろう。

 

 ならば、自分もやらなければならない。父を最高の騎士と尊敬し、目指す者として。

 

 エスクラドスの言葉に、グラウゼは。

 

「――必ずあなたを倒し、このいくさに勝利します!!」

 

 決意と共に応えた。

 

 戦義は終わった。二人はそれぞれの配置に戻る。

 

 しかし、グラウゼは数歩進んだところで立ち止まり、空を見上げた。天の彼方から、父が見ているような気がした。グラウゼは、父の友人と戦うことになったことを詫び、同時に、立派に戦い抜くことを誓った。

 

 ふと振り返ると、エスクラドスも同じように天を見上げていた。何を思っているのか、こちらが知る術はないが。

 

 ――ありがとうございます。

 

 グラウゼは胸の内で礼を言い、馬を進めた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十七話 アルスター 聖王暦二一六年二月下 イスカリオ/カーナボン

 フォルセナ大陸の南部は、エストレガレス、カーレオン、イスカリオ、そして、ノルガルドの四国が国境を接する激戦地だ。開戦直後より、ソールズベリーやアスティン、ハドリアンなどの城をめぐり、各国が激しく戦いを繰り広げている

 

 二一五年十一月以降、この地域に大きな変化があった。

 

 まず、二一五年十一月下旬にイスカリオがカーレオン領ハーヴェリーに侵攻。このいくさはカーレオンが勝利したものの、翌年一月上旬にイスカリオはカーレオン領ソールズベリーへ侵攻し、これを制圧している。これに勢いを得て、イスカリオは昨年七月からエストレガレス帝国に奪われたままだったアスティンを奪還。さらに、帝国軍の主力が西部の戦いに集中している隙を突き、アスティンの北カーナボンをも制圧したのだった。

 

 数ヶ月で大きく領土を広げたイスカリオ。エストレガレス帝国は今だ西アルメキアとの戦いに主力を注いでいるし、カーレオンは騎士が不足しているため他国への侵略に消極的だ。ノルガルドは帝国北部の砦リドニーやオークニー・西アルメキア領アリライムやゴルレといった城を攻めており、ハドリアン方面から進軍してくる気配はない。イスカリオの勢いは、今後も続いていくものと思われた。

 

 ――のだが。

 

 

 

 

 

 

「――いやぁ、さすがは陛下! わずか二ヶ月で三つも城を占領するとは! これほどの領土拡大は、イスカリオの歴史上はじめてのことでしょう! その戦略眼、いやはやこのキャムデン、誠に感服いたしましたぞ!」

 

 帝国から奪取したばかりのカーナボン城の会議室で、イスカリオの自称宮廷魔術師にして死刑囚のキャムデンは、揉み手をしながら得意のおべっかを披露した。見え透いたお世辞だが、王ドリストはまんざらでもない様子で上機嫌に笑った。

 

「んっふっふ~、まあ、オレ様がチト本気を出せばこんなモンよ。戦略なんていうほどのモンじゃねぇ。弱いヤツは負ける、それがこの世界の心理だ」

 

「なるほど~。勉強になります。ささ! どうぞもう一杯!」

 

 キャムデンはドリストが持つ杯に酒を注いだ。いま行われているのは戦略会議だが、なぜ酒が用意されているのか……というのはこの国では愚問だ。イスカリオにおいて戦略会議とは酒盛りのことを意味する。会議にはドリストとキャムデンの他に、狂戦士バイデマギスや万年金欠剣士ダーフィー、イスカリオの自称政務補佐官にして死刑囚のアルスターなどイスカリオの主戦力と言っていい騎士が参加しているが、酒を飲んでいないのはドリストの後ろに影のように控えているキラードール・イリアだけだ。普段はこのようなバカ騒ぎを止める立場のアルスターも、今日ばかりは酒を片手に一緒に盛り上がっている。キャムデンの言う通り、ここまで領土を拡大したのはイスカリオ始まって以来のことなのだから。

 

「がーっはっはっはー!」と、狂戦士バイデマギスがいつものように豪快に笑った。「しかしお頭ぁ、帝国の連中にはちょいとガッカリしましたぜ。どいつもこいつも腑抜けたヤツらばかりで、あっしは全然暴れ足りませんぜ!」

 

 バイデマギスはもう一度豪快に笑うと、「なあ! あんちゃん!!」と、隣に座っていたアルスターの背中をバシンと叩いた。思わず飲んでいた酒を吹き出すアルスター。バイデマギスの馬鹿力で叩かれては、酒どころか内臓まで吹き出してしまいかねない。

 

 バイデマギスの言ったことは誇張ではない。実は、長い間帝国の南部を守っていたデスナイト・カドールや剣聖エスクラドスは、皆、西アルメキアとの戦場である西部へと移動し、南部を守るのは帝国内でも位の低い騎士ばかりになったのだ。イスカリオが勢力を伸ばせたのは、この点が大きい。

 

「まあ、オレ様の強さの前には、デスナイトも剣聖もビビッて逃げ出すってこったな。クーックック!」

 

 ドリストも機嫌よさ気に笑い、杯の酒を飲み干した。

 

「さすがは陛下! あの帝国四鬼将さえも恐れる強さ! ヨッ! 大陸最強の男!!」すぐさまヨイショするキャムデン。

 

「しかし陛下、油断はできませんぞ」アルスターはテーブルに吹き出した酒を手ぬぐいで拭きながら言う。「帝国がこのまま黙っているとは思えません。もし、四鬼将が戻って来たり、皇帝ゼメキス自ら南部へ移動して来たら……ごばぁ!」

 

 テーブルを乗り越え、ドリストの飛び蹴りがアルスターの顎にヒットした。「たわけが! 誰が来ようと、このオレ様が負けるわけがねぇだろ!!」

 

「その通りでございます陛下!」すかさずキャムデンがおべっかを言う。「ゼメキスが出て来たら、むしろチャンスでございましょう。皇帝の首を獲れば、もはやいくさは勝ったも同然。イスカリオの大陸制覇は、もう目の前ですぞ!」

 

 そんな甘い相手ではないと思うが……と、アルスターは内心思ったが、今この場でそれを言っても痛い目を見るだけなので黙っている。

 

 ドアがノックされ、「失礼します」と、若い騎士が入って来た。イスカリオでは数少ない良識派の騎士・ミゲルである。

 

「陛下、気になる情報が入ってまいりました」

 

「あん? 何だぁ?」

 

「帝国領オークニーを守っていたゼメキスが、兵を率いて南東方面へ移動しているとのことです。いまのところ行先は不明ですが、恐らく、カーナボンやソールズベリーの奪還のために動いたと思われます」

 

 勝利と酒におぼれて上機嫌だったドリストの表情が、一気に引き締まった。他の騎士たちの間にも緊張が走る。

 

 ゼメキスは、オークニー城をめぐる戦いで、旧アルメキア軍で五本の指に入る軍師だったモルホルトや、旧パドストーのコール王の嫡男メレアガントが率いる部隊を次々と退けている。今回の大陸全土を巻き込んだ大戦において、ゼメキスは負けなし……いや、それ以前のアルメキアへの反乱、及びアルメキアとノルガルドとの戦争においても、負けなしを誇っている。

 

 ドリストは小さな笑みを浮かべた。「……フン。ようやく来やがったか」

 

「へ……陛下……いかがいたしましょう……」アルスターは恐る恐る訊いた。

 

「腰抜けが! ビビるんじゃねぇ! 誰が来ようと関係ねぇって言ってるだろうが!」

 

「がーっはっはっはー! お頭ぁ! 面白くなって来やしたねぇ!」バイデマギスが立ち上がり、一気に酒を飲み干した。「ちょうどモノ足りないと思ってたところです! 一緒に暴れ回りましょうや!」

 

「皇帝ゼメキスか……悪くねぇな」と、万年金欠剣士ダーフィーも立ち上がる。「そいつの首を獲れば、たんまり報酬が出るんでしょうねぇ。こりゃ、やりがいがあるってもんだぜ」

 

「……誰であろうと、陛下の敵は倒す」それまで一言も発しなかったイリアも、静かな口調で言った。

 

「んっふっふー。いい返事だ」ドリストは満足げに頷くと、アルスターを見た。「……ということだ。アルスター、てめぇはどうする?」

 

 会議室内の騎士を見渡すアルスター。誰一人、ゼメキスの名に脅えていない。普段は飲んだくれてばかりで頼りない騎士ばかりだが、戦いのウデに関しては皆超一流だ。その点においては、アルスターも全幅の信頼を置いている。エストレガレス皇帝ゼメキス――強敵だが、大陸制覇を目指すならいつかは戦わなければならない相手。今、イスカリオが勢いに乗っているのは間違いない。恐らくこの国にとって勢いは最も重要だ。ならば、今のうちにゼメキスを、そしてエストレガレス帝国を叩いておくのは、非常に有効な戦法だ。

 

「……判りました、このアルスターも、腹をくくりましたぞ!」アルスターは立ち上がって拳を振り上げた。「陛下! ゼメキスを倒し、そのまま一気に帝国を滅ぼしてやりましょう!!」

 

「フン、てめぇにしちゃいい覚悟だ。褒めてやるぜ」ドリストは大きく頷いた。「ようし! そうと決まればここで待ってる必要はねぇ! こっちから会いに行ってやるぜ!!」

 

 ドリストはテーブルの下に隠していた愛用の大鎌を取り出し、くるくると振り回した。バイデマギスやダーフィーたちも愛用の武器を持つ。皆、今すぐにでも戦える状態だ。そのままドリストを先頭に会議室から飛び出そうとしたが。

 

「ああ、陛下。少々お待ちを」キャムデンが止めた。

 

「あん? なんだぁ?」ドリストが振り返る。

 

 キャムデンは懐から手帳を取り出し、パラパラとめくった。「このところいくさで忙しくすっかり忘れておりましたが、来週、王都カエルセントにて『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』があります。こちらは、いかがいたしましょう?」

 

 ――キャムデン殿! この大事な時に、大食い大会などどうでもよいではありませんか!

 

 と、アルスターが言うよりも早く。

 

「おお! すっかり忘れてたぜぇ!」ドリストの鋭かった目が、みるみる子供のように純真な目になる。「んっふっふ~。前回チャンピオンであるオレ様が出ないわけにはいかんからなぁ」

 

「お待ちください陛下! あのゼメキスが迫ってきているのですぞ!? それなのに、大食い大会の方を優先するなど……ゲボォ!」

 

 ドリストのつま先がアルスターのみぞおちに食い込んでいた。

 

「たわけがぁ! てめぇはこの大会を何だと思ってやがる! 我がイスカリオが代々行ってきた伝統ある行事だぞ! それをオレ様の代で中止なんぞしたら、ご先祖様に顔向けできねぇだろうが!!」

 

 気まぐれに貴族制度を廃止したり勝手に戦争を始めたり……ご先祖様に顔向けできないことをさんざんやってきたのはドリスト陛下でしょう……という言葉を、アルスターは飲み込んだ。

 

「と、いう訳で、オレ様は王宮へ戻る。アルスター! オレ様がいない間にもし城を奪われなどしたら、即刻死刑だからな!!」

 

「では、『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』にはご参加されるということで」キャムデンは手帳にさらさらと予定を書き込んだ。

 

「がーっはっはっはー! お頭ぁ! 今年こそは負けませんぜ!」前回準優勝のバイデマギスもやる気満々だ。

 

「もちろん、俺もお供させていただきますよ」と、ダーフィー。「タダで酒が飲めてウマイ物が食えるんだから、こんなに美味しいイベントは無いぜ」

 

「……どんな戦いであろうと、陛下の敵は、倒す」もちろん、イリアはドリストのそばを離れない。

 

「よし! ヤローども! 行くぜ!」

 

 ドリストの号令で、イスカリオの腕利きの騎士たちは大食い大会へ向けて出陣した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十八話 ゲライント 聖王暦二一六年二月上 エストレガレス帝国/オークニー

 西アルメキアの君主ランス立案による三都市同時侵攻――帝国領オークニー・エオルジア、そして、ノルガルド領アリライムへと同時に侵攻する作戦は、エオルジアとアリライムの制圧に成功したものの、オークニー攻めは失敗に終わった。西アルメキアの武の要とも言えるメレアガントとゲライントの二人が、オークニーの守備に就いた剣聖エスクラドスの前に敗れたのである。

 

 もっとも、西アルメキア側はこの敗北を作戦の失敗とは考えていなかった。作戦を立案したランスは、まだまだいくさの経験こそ浅いものの、エストレガレス帝国とノルガルドの二大強国を相手に全てが思い通りに進むと考えるほど楽天的ではない。オークニーの制圧に失敗しても、その先の作戦も考えていた。

 

 二月、帝国・イスカリオ・カーレオンが激しく戦闘を繰り広げる大陸南部で大きな動きがあった。狂王ドリスト率いるイスカリオが、ソールズベリー・アスティン・カーナボンの三つの城を次々と落とし、大きく領土を広げたのである。帝国は西アルメキアやノルガルドとの戦闘に軍の主力を注いでおり、南部には手が回らない状態だったのだ。

 

 これを受け、帝国は皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスの部隊を南の戦場へ移動させた。イスカリオの侵攻を食い止め、奪われた領地を奪い返すための、軍総帥ギッシュの判断だった。

 

 これにより、今度は帝国西部の守りが手薄となる。西アルメキアが待ち望んだ状況だった。

 

 傷が癒えたメレアガントとゲライントは、再び兵を率いてオークニーへ攻め込んだ。オークニーを守るのはローコッドという名の騎士だ。アルメキア時代は神官騎士団長を務めていた男で、決して侮れない力を持ってはいるが、ゼメキスやエスクラドスとは数段劣る騎士と言ってよい。そもそも神官騎士団は戦闘に特化した部隊ではない。その任務は王都ログレスやアルメキアの各地で布教活動を進める教会の司祭・僧侶を護衛することであり、常に戦場の最前線で戦い続けたゼメキスやエスクラドスとは経験が違いすぎる。また、山間部に位置し、難攻不落の城で知られるオークニーだが、それはあくまでも北からの攻めに対してだけだ。アルメキア時代、敵国は北のノルガルドのみで、西のパドストーとは同盟関係にあった。ゆえに、オークニーは西からの攻めを想定しておらず、さほど強くないのである。今回のオークニー攻めは、西アルメキアが圧倒的有利で進むものと思われた。

 

 

 

 

 

 

 西アルメキアのオークニー攻めが始まって半日。前回帝国は防衛戦にもかかわらずゼメキスとエスクラドスの部隊が城外へ打って出ていたが、今回は全ての部隊が城内に留まり、籠城戦を行っている。神官騎士は治療などの白魔法を使う者が多く、どちらかといえば防衛戦向きの騎士が多いため、帝国側のこの戦い方は定石といえた。よって、西アルメキア側も定石通りの城攻めを行っている。

 

 剣士ゲライントはオークニー城の南側へと回りこみ、そこから城壁を攻めていた。城壁には何本もの梯子がかかり、兵が次々と壁上へ上がっている。敵の防衛部隊も必死に反撃を試みているが、押しているのは完全にこちら側だ。ゲライントは部隊の後方でその様子を見ながら、次々と入って来る他の部隊の情報も精査し、今後の展開を思い描く。現在ゲライントの部隊と戦っている敵は魔術師が中心だった。ゲライントは、相手が魔術師の部隊と知って、初めは大いに警戒した。帝国で名のある魔術師といえば、魔術師団の長で現在は軍総帥の座に就いているギッシュ、あるいは、魔導の名門カールセン家の当主であるランギヌスの名が思い浮かぶ。この二人が兵を率いていた場合かなりの強敵となるが、いま、ゲライントの部隊と当たっている敵は、あまりにも手応えが無さすぎた。ゲライントはめまぐるしく変わる戦況に応じてさまざまな手で攻めるのだが、敵側はこちらの動きの変化に対応が遅れ、序盤から大きく攻め込まれる形となっている。この部隊を率いているのはギッシュやランギヌスではない――ゲライントはそう確信していた。このまま戦い続ければ、この一角を制圧するのは時間の問題だろう。

 

 一方で、別の戦場で戦っているメレアガントの部隊はやや苦戦しているようだった。報告によると、帝国側の総大将であるローコッドの部隊と当たっており、守備の堅さに攻めあぐねているようである。メレアガントの武の力は西アルメキアでも特に秀でているものの、籠城する神官騎士の部隊を突破するのは、そう簡単ではないだろう。

 

 ならば、このいくさの勝利は我が部隊にかかっている――ゲライントはそう判断した。

 

「――全軍前進! 陽が暮れる前に、敵部隊を叩くぞ!!」

 

 ゲライントは兵達に命令し、自らも武器を持って突撃した。

 

 さらに数時が経った。総攻撃を開始したゲライントの部隊を前に、帝国側からは大した反撃もなく、オークニーの南壁の制圧は目前だった。ここを制圧できれば、メレアガントが苦戦しているローコッドの部隊の背後を突ける。そうなれば、メレアガントの部隊も勢いに乗る。オークニー城の制圧が見えてきた。ゲライントは南壁を守る敵将の首を獲るべく、自ら本陣へ切り込んだ。

 

 そこで、思わぬ相手と再会した。

 

 はじめ、ゲライントはその男を騎士だとは思わず、ただの兵の一人だと思って見逃がすところだった。まして、その男がいま戦っている敵部隊を率いている将だと思うはずもない。

 

 だが。

 

「……ゲ……ゲライント……」

 

 名を呼ばれて振り返り、ようやくその者の存在に気が付いた。茶色の法服を身にまとい、フードを目深にかぶった男。もみあげから顎にかけて髭を生やしているが、その容姿にコール公のような威厳は感じられなかった。戦場で、敵であるゲライントを前にしても、その目に覇気のようなものは宿っていない。背は決して低くないものの、その見た目からずいぶんと小さな印象を受ける。その冴えない姿、そして声に、ゲライントは大いに心当たりがあった。

 

「……アイバン……アイバンなのか?」ゲライントは、アルメキア時代の友人の名を口にした。剣を下ろし、なぜここにいる? と訊きかけて、はっと気が付いた。「……まさか、この部隊を率いているのはお前か?」

 

 アイバンはゲライントから目を逸らし、ためらいがちに「そうだ」と答えた。

 

 小さくため息をつくゲライント。なぜこのことに気が付かなかったのか。敵の部隊が魔術師中心で、しかし率いている将がギッシュやランギヌスでないのなら、当然、アイバンである可能性を考えておくべきであった。もしかしたら、自分でも気づかないうちに考えまいとしていたのかもしれない。

 

 アイバンは、旧アルメキア時代に魔術師団に所属していた騎士だ。ゲライントとは長く友人関係を続けている。アイバンは騎士としては極めて凡庸――というよりは、はっきり言えば他の騎士と比べるとかなり劣っていた。魔術師ゆえに武術はさっぱりで、専門の魔力も並以下、魔物を統べる力・統魔力においても優れているとは言えない。それでも、魔術師団の中ではそれなりの地位を得ていた。決して優秀な人物ではなかったが、当時のアルメキア王宮では優秀な人物ほど疎まれ、叩かれる傾向にあったのだ。戦場で幾多の戦果を挙げるも処刑の命が下ったゼメキスが良い例だろう。アイバンは、王宮内においてそれなりの地位を得ながらも、決して上の者から目を付けられることがなく、それでいて無能と切り捨てられることも無い絶妙のラインを保つ術に長けていたのである。当時の腐敗しきったアルメキア王宮内において、実は最も重要な能力であったのかもしれない。

 

 そんな男だったから、ゼメキスのクーデター後、帝国の騎士になっていたのも、ある意味では当然と言えた。

 

「アイバン、やはり帝国の騎士になっていたのか」ゲライントは無念さを言葉ににじませた。

 

 アイバンは目を伏せたまま「すまん……」と言った後、顔を上げ、訴えかけるような目を向けた。「だが信じてくれ。ワシは、なりたくて帝国の騎士になったわけではないのだ」

 

「だろうな。お前は昔から、決断力に乏しいところがあった。大方、情勢に流されたのであろう」

 

「そ……そうなのだ。ワシはアルメキアを裏切るつもりなど無かったのだ。だが、魔術師団を率いていたギッシュ様がゼメキス陛下に味方し、仕方なく――」

 

「ならばすぐに帝国を捨て、西アルメキアへ来い。ランス様には、うまく話を通しておく」

 

 アイバンは目を大きく見開いたが、再び目を伏せ、首を横に振った。「それはできん。ランス様とゼメキス陛下では、ゼメキス陛下の方が圧倒的に強い。ならば、帝国に身を置いていた方が生き残る可能性は高い。誰に何と言われようと、ワシはこの乱世を生き残りたいのだ」

 

「アルメキアへの忠義よりも、己の命を優先すると言うのか……騎士には時として命よりも大切なものもあろう。それがお前に判らぬとは残念だ」

 

「ゲライント……」

 

「判った。お前がそう言うのであれば、俺はお前と戦うしかない」

 

 ゲライントは、剣をアイバンに向けた。

 

 顔を上げたアイバンは、大きく目を見開いた。「な……何を言うんだゲライント。このワシを……友人であるワシを、斬るとでも言うのか!?」

 

「確かに、お前は良き友人であった。しかし、お前があくまでもゼメキスに組し、ランス様に仇なすのであれば……友が間違った道を歩むのであれば、それを正すのも友人の役目」

 

「ワシが間違っていると言うのか? 帝国の騎士となったワシが、間違っていると?」

 

「無論だ」

 

「だが、ゼメキス陛下は、アルメキア時代に多くの敵を退け、国を守ってきたのだぞ? アルメキアは、そんな陛下を処刑しようとした。お前は、ゼメキス陛下が処刑されるのが当然だったと言うのか? そんな愚かな処刑命令を出したヘンギスト様の方が正しかったと言うのか?」

 

「――――」

 

「国を出たお前は知らぬかもしれんが、エストレガレスの国民の多くは、ゼメキス陛下を支持しているぞ。こんな戦乱の時代でも、愚王の時代よりははるかにましだ、と。だからこそ、アルメキア軍や魔術師団に属していた騎士のほとんどが、帝国に残ったんじゃないのか?」

 

「……だが、ゼメキスのクーデターで家族や友人を失い、ゼメキスに反する者もいるはずだ!」

 

「確かにそうだ。帝国を脱した者も少なくはない。だが、そのうち何人がランス様の元に駆け付けた? 軍師モルホルト様や近衛騎士シュトレイス殿は、ノルガルドのヴェイナード王に仕えていると聞いたぞ?」

 

「…………!」

 

 痛いところを突かれ、ゲライントは言葉を失う。ゼメキスのクーデターから脱し、旧パドストーの力を借りて、『西アルメキア』として挙兵したランスとゲライント。アルメキアの王太子であるランスを擁すれば、旧アルメキアの騎士や兵が多く集う、と、ゲライントは考えていた。彼だけでなく、コール老公をはじめとするパドストーの重臣達も、同じように考えていたに違いない。

 

 しかし、軍師モルホルトをはじめとする帝国を脱した騎士のほとんどがノルガルドやカーレオンに仕官しているという話は、ゲライントも聞いていた。ゼメキスのクーデターから間もなく一年。西アルメキアに、名のある騎士は一人も集まっていない。

 

「ゲライントよ、お前は、それでもランス様が正しいと言えるのか? 自分が正しいと言えるのか?」

 

 ゲライントの目を真っ直ぐに見据えて問うアイバン。その姿に、さっきまでの冴えない男の印象は無い。そこには、間違いなく騎士の強さが宿った男がいた。

 

 ゲライントは、ふっと頬を緩めた。「……お前と話をしたのは間違いであった。お前は、騎士としての能力に優れた点は無いが、武力や魔力や統魔力など一切使わずに己の身を守ることができる男だ。その術に関しては、誰よりも秀でていたからな」

 

「なにを言うんだゲライント、ワシは、友としてお前の身を案じて――」

 

「もういい何も言うなアイバン! お前が何と言おうと、俺が剣を奉げるのはランス様のみ!! 覚悟せよ! アイバン!」

 

 ゲライントは剣を振り上げ、かつての友に斬りかかった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八十九話 ハレー 聖王暦二一六年二月上 エストレガレス帝国/エオルジア

 西アルメキアの君主ランス立案による三都市同時侵攻作戦により、一度は西アルメキア領となったエオルジア。しかし、翌一月、西アルメキア軍はオークニー城より南下してきた剣聖エスクラドスの部隊に敗れ、エオルジアは再びエストレガレス帝国領となっていた。

 

 だが、ここで帝国軍に大きな動きがあった。オークニーやエオルジアを守っていた皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスの部隊が、帝国南部の戦場へ移動したのである。南部では狂王ドリスト率いるイスカリオが勢力を伸ばしており、これに対抗するためのものだった。

 

 西アルメキアは、この機にもう一度エオルジアへ侵攻しはじめた。兵を率いるのは君主ランス、そして、幾度となく皇帝ゼメキスと互角の戦いを繰り広げた女騎士ハレーだ。

 

 エオルジアへ進軍する途中、先行して戦場の情報を集める斥候部隊から急報がもたらされた。しばらく所在が不明だったデスナイト・カドールがエオルジアの守備に就いたというものだった。無論、それで進軍を止めるわけにはいかないが、より慎重に作戦を練る必要があった。

 

 帝国は防衛側であるが、恐らくカドールの部隊は城の外に打って出る可能性が高い。ならば、こちらは一部隊でカドールを引きつけ、残りの部隊が城を攻め落とす作戦が有効だろう。問題は、誰がカドールの部隊を引きつけるか、である。皇帝ゼメキスの腹心にして『帝国四鬼将』の筆頭であるカドールと戦うのは、多くの血を流す覚悟が必要だ。

 

 ハレーは、この役を自ら買って出た。ルーンの騎士でありながら長らくどこの国にも仕えてこなかったハレーは部隊を率いての戦闘には不慣れだが、それでも十二月のオークニー侵攻でゼメキスの部隊を相手に互角の戦いを繰り広げた。カドールと戦うのに不足は無い。総大将であるランスは、これを認めた。

 

 エオルジアの西の地形――街道の北を深い森に、南を広い湖にはさまれた狭地に布陣する西アルメキア軍。帝国軍は、予想通りカドールの部隊が城外へ布陣している。そして、戦義の希望もなくいきなり正面から突撃してきた。西アルメキア軍もハレーの部隊を前進させ迎え撃つ。その間に、ランスの部隊は森へ迂回して城を目指す手はずになっていた。

 

 敵部隊は総大将であるカドールを先頭に進軍してくる。ゼメキスの腹心だけあって、やはり同じような戦い方をする。ならば、こちらも同じように戦うまで。ハレーも自ら先頭に立ち、敵部隊へ突撃した。

 

 

 

 

 

 

「――あなたがデスナイト・カドールね」

 

 開戦直後にもかかわらずいきなり敵総大将と対峙したハレーは、悪魔の骨面の男に槍の穂先を向けて構えた。

 

「……見慣れぬ顔だな。何者だ?」

 

「ハレー。ただの流れ者よ。訳あって、今は西アルメキアに身を寄せているけれど」

 

 その名を聞き、カドールは小さく笑う――無論、その表情は悪魔の骨面に隠され見えないが。「そうか。貴様が流星のハレーとかいうふざけた名の騎士か。ゼメキス陛下の手を二度も煩わせたとか。面白い。その腕前、見せてもらおう」

 

 カドールも、身の丈を超える戦斧を構える。

 

「待って。戦う前に、あなたに訊きたいことがあるの」踏み込もうとするカドールを、ハレーは制した。

 

「なに?」

 

「八月の、エストレガレス帝国によるレオニア侵攻に関してだけど、あの作戦を発案したのはあなただと聞いたけど、本当?」

 

「……それがどうしたというのだ」

 

「あのレオニア侵攻は、作戦としてはあまりにも不自然なものだった。どういう意図があったのかしら?」

 

「…………」

 

 沈黙するカドール。

 

 ハレーは、カドールの骨面の上から唯一表情を知ることができる目の部分をじっと見つめ、その胸の内を探るために問う。「あなたがレオニアへ侵攻する直前、レオニア女王はブロノイルという魔導士の襲撃を受けている。その魔導士は、いくさに積極的ではないレオニア女王が邪魔だったそうよ。その襲撃は失敗したのだけれど、その直後に、あなたたちがレオニアへ侵攻した。それも、領土を広げる戦いではなく、まっすぐに女王のいる聖都ターラを目指して」

 

「なにが言いたい?」

 

「あなたとブロノイルは、裏で繋がっているんじゃないの? 聞けば、この戦乱の発端となったアルメキアのクーデターも、あなたがゼメキスをそそのかしたからだとか。あのクーデターで魔術師団や神官騎士団がゼメキスの陣営に就いたのは、裏でブロノイルの暗躍があったからだと私は考えている。違う?」

 

 カドールは何も答えない。だが、骨面の奥に光る眼には、わずかな心の乱れが現れた気がした。

 

「沈黙は肯定ととらえるわ。まあ、そう考えるのが一番つじつまが合うもの。判らないのは、あなたたちの目的が何か、ということ。ゼメキスのクーデターを成功させ、大陸全土を巻き込んだ戦乱を起こし、さらに戦乱を煽ろうとしている。その先に、いったい何があるの? ブロノイルは何を企んでいるの?」

 

「……そのような問いに、答える必要は無い!!」

 

 吠えると同時に一気に間合いを詰め、斧を振るうカドール。ハレーは槍でその一撃を受け止めたものの、あまりに重い一撃に身体ごと大きく弾き飛ばされた。

 

「そう……判ったわ」体勢を整えたハレーは、再び槍を構える。「なら、力づくでも言わせてみせる!」

 

 ハレーも一気に間合いを詰め、槍を突き出す。その鋭さから『流星』と称されるハレーの槍は、しかし、カドールの戦斧に受け止められた。続けざまに二撃、三撃と繰り出すも、カドールの斧はその大きさからは想像もつかない速さでハレーの攻撃を防ぐ。そしてわずかな隙を突き、刃がハレーを襲う。ハレーは一度間合いを外して斧をかわすと、再び間合いを詰めて槍を突き出す。

 

 ハレーの槍とカドールの斧。双方とも中距離での戦いに特化した武器だが、その戦い方は決定的に異なる。速さを活かした戦い方を得意とするハレーは息もつかせぬ連撃を繰り出し、力を活かした戦いを得意とするカドールはわずかな隙を突いて強烈な一撃を繰り出す。ハレーの攻撃は一撃一撃の威力こそ弱いものの、数を繰り出すことで徐々に追いつめていく。対するカドールの攻撃はまさに一撃必殺だ。ハレーはカドールの斧をかわしつつ槍を繰り出すものの、その穂先は全てカドールの斧に防がれ、かすり傷さえ負わせることができない。カドールの斧もまた、ハレーの素早い動きを捕えることができない。お互い刃のみが交わる戦いが、数刻続いた。

 

 刃を交えているうちに、ハレーは胸の内に不思議な感覚を抱いていた。どういう訳か、カドールの動きが判るのだ。カドールがどこを狙い、どこを守るか。それが、手に取るように判る。通常なら、敵の動きが判れば有利になるはずだが、それでもこちらの攻撃は当たらない。恐らくそれは、こちらの動きも相手に読まれているからだ。カドールもまた、ハレーがどこを攻撃するか、どこを守るかが判っている。そうでなければ、これほど長い間どちらも傷を負わずに戦い続けられるはずがない。ハレーとカドールはここで会うのが初めてだが、すでに何度も刃を交えたことがあるかのような感覚。家族や友人や仲間と、何度も繰り返し稽古をしているような錯覚を持ってしまう。

 

 いや、それがもし錯覚でないとすれば……?

 

 流れ者のハレーに家族や友人はいない。ルーンの加護を持ちながらもどこの国にも仕官しなかったため、修行仲間もいない――たった一人を除いて。

 

「……リーランド」

 

 思わずその名を口にする。声というほどのものでもない。不意に思い出し、思わず口から洩れただけだ。自分以外の者に聞こえるはずもない言葉だったが。

 

「リーランド……?」

 

 同じ言葉を、カドールも口にした。

 

 その瞬間。

 

「…………!?」

 

 突然、カドールが頭を押さえて地に片膝をついた。戦斧さえ手放し、苦しむ。

 

 そして。

 

「……ハレー……リー……ランド……シューティング……スター……」

 

 うめきとも独り言ともしれぬ声で呟く。

 

 はっとして目を大きく見開くハレー。

 

 リーランド、そして、シューティングスター――それは、魔導士ブロノイルによって奪われた愛する者の名と、その形見の品。

 

 なぜそれを、この男が知っているのか。

 

「――あなたは何者なの!?」

 

 叫ぶように問う。大きな隙が生じているカドールへの攻撃さえ忘れて。

 

 カドールは。

 

「……俺は……デスナイト……貴様ごときには……負けぬ!!」

 

 再び踏み込み、斧を振るう。

 

 しかし、その一撃はあまりにも軽く、ハレーの槍に大きく跳ね返された。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十話 ヴィクトリア 聖王暦二一六年二月下 イスカリオ/カーナボン

 昼過ぎ。イスカリオがエストレガレス帝国から奪取した城カーナボンの一室で、女魔術師のヴィクトリアは、鏡の前に座り、入念に前髪を整えていた。が、今日の前髪はなかなか手ごわい。右から左へと自然に流れる感じに仕上げたいのだが、どうしても浮いてくるのだ。朝からずっと、このしつこい前髪と格闘している。メイクもネイルも衣装もアクセサリーも完璧なのに、この前髪だけが邪魔をする。これでは、殿方の前に出ることができない。

 

 ドアがノックされた。返事をすると、新米騎士のユーラが入って来た。

 

「ヴィクトリアさん。帝国が攻めてきましたが、どうしましょうか?」のんきな声で言う。

 

「……あなた、以前アルスターさんから、『もっと緊張感を持って報告してください』とか言われてなかったかしら?」

 

「はい。言われました。あたし、いま緊張感なかったですか?」

 

「ええ。隣のおばちゃんが回覧板を持ってきたかのような言い方でしたわよ?」

 

「スミマセン。今度から気を付けます。で、どうしますか?」

 

 全く気を付ける気など無いような口調で答えるユーラ。まあ、別にいいですけどね、と、ヴィクトリアは心の中でため息をついた。もっとも、ヴィクトリアもずっと前髪を整えていて、緊張感など持っていないのだが。

 

「今日はどうにも前髪が決まらないのよ。これでは出撃なんてできませんから、別の方に言いなさい」

 

「はい。あたしもそう思ったんですが、今この城にいる騎士は、あたしとヴィクトリアさんだけです」

 

「はい? ドリスト陛下や、アルスターさんは、どうされたの?」

 

「陛下は、カエルセントで行われる『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』に出場されるので、帰還されました。イリアさんやバイデマギスさんやダーフィーさんも参加するので、陛下にお供されています。アルスターさんやミゲルさんたちはソールズベリーの防衛に向かわれました。ティースは、相変わらず修行の旅に出てます」

 

 やれやれ、この国の男共は、国の防衛を放っておいて何を遊んでいるのかしら、と、呆れるヴィクトリア。無論、その間も前髪との格闘は続いている。

 

「ヴィクトリアさんがお忙しいのであれば、あたしが対応しますけど?」

 

 さらっと言うユーラ。この娘は、相手が帝国だということを理解しているのだろうか? 仕方ない。前髪は決まらないが、さすがにこの娘一人に任せるのは気が引ける。ルーンの加護はあるものの、ユーラはほとんどドリスト専属のメイドと言ってよい立場なのだ。戦力としては、ほぼ期待できない。

 

「仕方ありませんわね。前髪がイマイチ決まりませんが、出撃しましょう」ヴィクトリアは前髪との格闘を諦め、愛用のとんがり帽子をかぶった。「それで、こんなにも美しいわたくしと戦える幸せな方は、どなた?」

 

 ユーラはメモを取り出した。「えーっと。報告によると、魔術師のギッシュさんです」

 

「そう。ギッシュさんですか。ギッシュさん……ギッシュさん? ……ギッシュ様ですか!?」

 

「はい。そうなってます」

 

 ヴィクトリアはユーラの両肩を掴んだ。「間違いなくギッシュ様ですのね? あの、旧アルメキアの宮廷魔術師にして、現エストレガレス帝国軍総帥のギッシュ様なのですね!? ガッシュさんではなくギッシュ様なのですね!? ガッシュとギッシュ、たった一文字違うだけで、大変な違いですよ!?」

 

「誰ですか? ガッシュさんって?」

 

「いえ……」

 

 ヴィクトリアはユーラの肩から手を放すと、帽子をとって再び前髪を()かし始めた。無論、前髪はヴィクトリアにしつこく抵抗し、浮き上がったままだ。

 

 ヴィクトリアは、コホンと咳ばらいをした。「……戦いたいのは山々ですが、身だしなみが整わないまま殿方の前に出るのは乙女の恥。今日のところは、心の広いわたくしが勝ちを譲って差し上げましょう。ユーラさん。相手側に、『せっかくのデートのお誘いですが、今日はどうしても外せない用事がありますので失礼します。また次の機会を楽しみにしてますわ』とお伝えください」

 

「『――また次の機会を楽しみにしてますわ』……っと」ユーラはバカ正直にヴィクトリアの言葉をメモした後、「了解でーす」と子供のように手を挙げ、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十一話 アルスター 聖王暦二一六年三月上 イスカリオ/ソールズベリー

 イスカリオがカーレオンから奪い取った城ソールズベリーの執務室で、イスカリオの死刑囚アルスターは、机上に戦略地図を広げ、頭を抱えていた。イスカリオは、この数ヶ月の間で大きく勢力を伸ばした。このソールズベリー奪取から始まり、帝国に奪われていたアスティンを奪還、さらに帝国領カーナボンの制圧にも成功した。このまま勢いに乗ってエストレガレス帝国を攻め滅ぼそうとさえしていたのだが、二月、首都カエルセントで『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』が開催されると、王ドリストや狂戦士バイデマギスなど、イスカリオの主戦力と言える騎士のほとんどが帰還してしまったのだ。せっかくイスカリオが大きく勢力を伸ばす機会がふいになったばかりか、帝国は反撃のため皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスら名だたる将をイスカリオとの国境に集めているので、一転して大ピンチである。アルスターは当然王達を止めたのだが、このイベントはイスカリオ王家が代々行っている重要な国事ということで、王は聞く耳を持たなかった。その結果、せっかく奪い取ったカーナボンの城が帝国に奪い返されてしまった。このままでは、ソールズベリーに攻めてくるのも時間の問題だろう。

 

 さらに、もうひとつ懸念すべきことがある。これまで大陸西部で帝国と激しい戦いを繰り広げていた西アルメキアが、ゼメキスらが西部の戦場から撤退したのを機にオークニーとエオルジアの二城を制圧。さらに勢いに乗って南東へと進軍し、このソールズベリーのすぐ北西にあるオルトルートまで制圧したのである。これにより、イスカリオはフォルセナ大陸の全ての国と国境を接したことになる。西アルメキアが今後どう動くかは判らない。君主であるランスはゼメキスに奪われた祖国の奪還を目的に掲げているため、このまま帝国王都ログレスまで攻め上がる可能性は高い。しかし、だからと言ってイスカリオに攻めてこないとも限らない。とりあえず背後の憂いを無くすため、このソールズベリーに攻めてくる可能性も十分にある。

 

 この事態にイスカリオはどう対応すべきか。一人では到底決められることではないので、アルスターは王都カエルセントへ伝令を送り指示を仰いだ。しかし、一節近く経った今も返事は無い。王都では例の大食い大会がまだ続いている。ドリストが前線へ戻って来ることは恐らくないだろう。アルスターは大きくため息をついた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、すぐとなりに槍を携えた女騎士が立っていた。

 

「うおぁ!!」

 

 驚いて椅子から転げ落ちるアルスター。立っていたのはキラードール・イリアだった。ドアは閉めていたはずなのに、入ってきたことに全く気付かなかった。

 

「イリアさん。そういう登場の仕方は、心臓に悪いのでやめてください」アルスターは椅子を戻して座り直した。「しかし、戻られて助かりました。それで、ドリスト陛下は?」

 

「陛下は王都で戦いを続けている」

 

 イリアは無感情で答えた。王都での戦い――大食い大会のことだろう。ドリストは前大会の優勝者だから、恐らく今回も決勝まで残っているのだ。やはり、ドリストの戦線復帰は見込めない。とはいえ、イリアが王の元を離れて戻ってきただけでもマシかもしれない。

 

「陛下からの伝言だ」相変わらず感情の無い声で言うイリア。「カーナボン防衛失敗の罪でアルスター殿は死刑、ヴィクトリア殿は一節の間化粧禁止の刑、ユーラ殿は陛下が戦線に戻るまでにソールズベリーに陛下専用の昼寝部屋を作っておけの刑、とのことだ」

 

 大きくため息をつくアルスター。自分やユーラの刑はともかく、ヴィクトリアの化粧を禁止したら、部屋に閉じこもったまま出てこなくなるだろう。この緊急事態にまた貴重な戦力が一人減ってしまった。もっとも、ヴィクトリアは一日のほとんどを鏡の前で過ごすため、開戦後も戦闘で役に立ったことはないのだが。

 

「……では、私はオルトルートへ向かう」そのまま部屋を出て行こうとするイリア。

 

「え? ちょっと待ってください、イリアさん」慌てて止めるアルスター。「オルトルートへ、なにしに向かわれるのです?」

 

「陛下からの命令だ。西アルメキアの連中にあいさつして来い、と」

 

「そんな! 西アルメキアは帝国との戦いを重視していて、イスカリオに攻めて来るとは限りません。なのに、わざわざこちらから攻めて、敵を作るようなマネをしなくても!」

 

「関係ない。陛下の命令は、絶対だ」

 

 相変わらずドリストにはきわめて忠実なイリア。アルスターの命令など聞く耳も持たない。これは、恐らく止めてもムダだろう。

 

「判りました。しかし、さすがにイリアさん一人では危険です。誰か同行させますので、少しだけ待っていてください」

 

「…………」

 

 イリアは無言のままその場にとどまった。今のうちに誰かヒマそうな人を見つけて出撃させなければ。アルスターは部屋の外に出た。ちょうど、廊下の向こうから万年金欠剣士のダーフィーが歩いて来るのが見えた。

 

「おお、ダーフィー殿。戻って来られたのですね」さっそく声をかけるアルスター。

 

「んあ? ああ、まあな」と、ダーフィーは眠そうな目を向けた。「大食い大会の予選が終わったからな。こっちにいた方が、まだ稼げるってもんだ」

 

 ダーフィーは『穴の開いた財布』と称されるほどの浪費家だ。大食い大会への出場も、優勝目的ではなく、タダでご飯と酒にありつけるから出場したのだった。ドリストやバイデマギスと違い特別大食いというワケではないから、予選であっさり敗退したのだろう。それ以上タダ飯タダ酒にはありつけないので戻ってきたわけだ。そのセコい性格とチョビ髭の冴えない外見から並以下の騎士に見られがちだが、実は剣の腕は一流である。

 

「ちょうど良かった。陛下の命令で、今からイリアさんが西アルメキアのオルトルートを攻めるのですが、ダーフィー殿、一緒に出撃してもらってもよろしいでしょうか?」

 

「あん? 西アルメキアぁ?」ダーフィーはめんどくさそうな顔で頭を掻いた。「たいした金になりそうもねぇなぁ。帝国の城にはゼメキスや四鬼将が集まってるんだろ? そっちの方がよっぽど儲かりそうだ。帝国と戦う予定は無いのか?」

 

「今のところ無いですね。攻めようにも、陛下やバイデマギス殿たちがいらっしゃいませんので、明らかに戦力不足です。今は防衛に専念したいのですが、なにぶん西アルメキア攻めは陛下の御命令ですから、イリアさんも出撃すると聞かなくて。ダーフィー殿、どうかお願いします」

 

「あーダメダメ。帝国を攻める予定がなくても、ここにいれば向こうから攻めてくることもあるだろ? 同じ戦うなら、少しでも金になる方を選ばなけりゃな。儲からない仕事は、パスだパス」

 

「そんなことはないですよ。ええっと――」アルスターは報告書を取り出してめくった。ドリストら主戦力がいないとは言え、各国の情報収集は怠っていない。「現在オルトルートを守っているのは、流星のハレーという流れ者の騎士と、リゲルという新米騎士、そして、ランス王子の三部隊ですね」

 

「ケッ! 王子だろうと乞食だろうと、儲からない仕事は――」と、言いかけて、ダーフィーは大きく目を見開いた。「ランス……ランスだってぇ!?」

 

「はい。現在は西アルメキアの君主であるランス殿です」

 

「西アルメキアの君主……ひょっとして、そいつの首を獲れば、たんまり褒美が出るのか……?」

 

「もちろんです。敵国の君主の首を獲れば勝利は確定的ですからね。君主と言っても所詮まだ子供ですから、ゼメキスの首を獲るよりよっぽどたやすいでしょう。悪い話ではないと思いますが?」

 

「悪い話じゃないどころじゃねぇ! こんなおいしい話は滅多にないじゃねぇか! どうやら、俺にもツキが回って来たようだなぁ」やる気が無かったダーフィーの目が、みるみる燃え上がってきた。「ようし! その話、引き受けた。俺に任せておけ」

 

「そう言ってくれると思いました。よろしくお願いします」

 

 アルスターが頼むと、ダーフィーはさっそく出撃の準備を始めた。

 

 とは言え、イリアとダーフィーの二人ではまだまだ心細い。二人とも戦いの腕は確かだが、どちらも個人プレーでの戦いを得意とする騎士だ。別にそれは悪い事ではないのだが、やはり、全体の指揮を執る人は必要だろう。他に誰かいないだろうか? アルスターがもう一人ヒマそうな人を探し始めたら、今度はミゲルがやって来た。大食い大会に参加せず防衛のため戦線に留まった、イスカリオでは数少ない常識を持った騎士である。

 

「ああ、ミゲルさん。ちょうど良かった。陛下の御命令で、今から西アルメキアのオルトルートを攻めることになったんですが、ミゲルさん、総大将として出撃してくれませんか?」

 

「わ……私が総大将ですか? それは構いませんが、西アルメキアですか……」なにやら表情が曇るミゲル。

 

「はい。何か都合が悪いですか?」

 

「いえ、そのようなことはありませんが……敵将についての情報はありますか?」

 

「はい。調べてあります。こちらです」アルスターは先ほどの報告書をミゲルに見せた。

 

 ミゲルは報告書をパラパラとめくると、とあるページで目を大きく見開き、驚いた表情になった。

 

「……どうかしましたか?」ミゲルの顔を覗き込むアルスター。

 

「い……いえ……別に……」

 

 と、答えたものの、ミゲルは明らかに動揺している。ひょっとしたら、流星のハレーの名前にビビったのかもしれない。ハレーは長い間どこの国にも仕えなかった騎士でありながら広く名が知られており、西アルメキア仕官後は、オークニー戦で皇帝ゼメキスと互角の戦いを繰り広げ、エオルジア戦ではデスナイト・カドールを退けるなど、わずか二戦で噂以上の活躍ぶりを見せている。

 

「まあ、そう緊張することはないですよ」アルスターはミゲルを落ち着かせるために言う。「ハレー殿には、イリアさんに当たってもらいましょう。流星などという異名を持っていても、所詮は仕官したばかりの騎士ですから、イリアさんの敵ではないと思います。ダーフィー殿はランス王子の首を獲ると張り切ってますので、ミゲルさんは、もう一人の、誰だかよく判らない新米騎士さんのお相手をしてくださるだけで大丈夫です」

 

「わ……私が……リゲルの……?」

 

「はい。あとは他の二人に任せておくだけです。それで勝利すれば、ミゲルさんの手柄にもなり、出世にも繋がりますよ?」

 

「…………!」

 

 はっとした顔のミゲル。アルスターの予想通り、手柄と出世という言葉に反応したようだ。

 

 ミゲルは、ランド家という貴族の家の生まれだ。イスカリオでは古くから続く由緒正しい家柄だったそうだが、この国の貴族制度は、十年ほど前にドリストが気まぐれに廃止してしまった。それが原因でランド家は没落。両親は病で亡くなっており、二人の弟妹(きょうだい)とも離れ離れに暮らしているらしい。ミゲルはランド家の家名復興を目指してイスカリオに仕官したそうだ。そのため、人一倍手柄と出世を求めている。だから、このふたつの言葉にすぐに食いつくと思ったのだが。

 

「……しかし……私が……西アルメキアと……」

 

 なにやらまだ渋っている様子だ。一体、何をそんなに迷っているのだろう?

 

「どうしたんですかミゲルさん。手柄ですよ? 出世ですよ? 総大将ですよ?」アルスターは畳み掛ける。

 

「総大将……それは、陛下からの御命令でしょうか……?」

 

「そうです。ドリスト陛下からのご指名です」と、アルスターは答えた。ホントはそんな指名は無いが、こう言っておけば、ミゲルは受けるだろう。なにせ、王の気まぐれで家が没落したのに、それでもこの国に仕えているくらいなのだから。よほど忠誠心が強いか、よほど虐げられるのが好きな変態かのどちらかだろう。

 

「……判りました……陛下からの指名とあれば……仕方ありません……」

 

 どうにも歯切れが悪いが、一応引き受けてくれたので、アルスターはミゲルの気が変わらないうちに「では、お願いします」と言って、その場を離れた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十二話 ハレー 聖王暦二一六年三月上 西アルメキア/オルトルート

 大陸西部の戦いは、西アルメキアが大きく勢力を伸ばしていた。

 

 ランス発案の三都市同時侵攻作戦以降、エストレガレス帝国と一進一退の攻防を繰り返してきた西アルメキアだったが、皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスが南部の戦場へ移動したのを機に、オークニーとエオルジアの二城を制圧。特に、エオルジアでの勝利は非常に大きかった。エオルジアを守っていたのはゼメキスの腹心にして大陸最凶の異名を持つデスナイト・カドール。ゼメキスのクーデターより始まった今回の戦乱で、西アルメキアだけでなくイスカリオやレオニアとの戦闘においても負け無しだったカドールを、流星のハレーが見事退けたのである。これに勢いを得たエオルジア侵攻軍は、さらに南東へ進軍しオルトルート城をも制圧した。

 

 西アルメキアは、開戦当初より王都ログレスの奪還を第一に掲げてきた。今回の領土拡大で、奪還へ大きく近づいたことになる。オークニーの東にあるカドベリ-・ディルワース、もしくは、オルトルートの北東にあるトリア、この内いずれか一つでも落とせば、その先は念願の王都ログレスだ。

 

 このまま王都を奪還し、一気にエストレガレス帝国を滅ぼすほどの勢いに乗ってきた西アルメキアだったが、ここで思わぬ横槍が入った。ソールズベリーを制圧していた南の国イスカリオが、オルトルートへ兵を向けて来たのである。西アルメキアとイスカリオは国が離れていたため開戦以降も刃を交えたことは無い。西アルメキアとしては、今は帝国との戦いに集中したいところであり、イスカリオと事を構えるつもりは無かった。イスカリオも帝国との国境の城をめぐる戦いが長く続いているため、まさか攻めて来ることは無いだろうと考えていたのだが、さすが君主ドリストは狂王の異名を持つだけあり、予想外の行動を起こす。無駄な戦いは極力避けたいが、いまオルトルートを失うわけにはいかない。西アルメキアは、君主ランスと流星のハレー、そして、リゲルという新米の弓騎士で、イスカリオを迎え撃つことになった。

 

 開戦前より城外へ布陣していた流星のハレーは、開戦と同時に敵部隊へ突撃した。オルトルートは大きな湖に突き出た半島上に建つ城で、城内に立てこもっての戦闘に極めて強い天然の要塞だ。だが、籠城戦は決着までに時間がかかるのが欠点だ。帝国との戦いに集中したい西アルメキア軍は、城外へ打って出る短期決戦に挑んだ。ハレーは、仕官以降ゼメキスやカドールという突撃戦法を得意とする騎士とばかり戦ってきたため、いつの間にか彼らと同じような戦い方を得意とするようになっていた。ハレーに続き、ランスとリゲルの部隊も出撃する。

 

 イスカリオ軍は事前に誰がどの部隊と戦うかを決めていたらしく、三部隊がそれぞれ狙った相手に向かって来た。ハレーの部隊にはキラードール・イリアの部隊が、ランスの部隊にはダーフィーという剣士の部隊が、そして、リゲルの部隊へは敵総大将であるミゲルという騎士が、それぞれ向かっている。

 

 ハレーは、敵味方それぞれの戦力を冷静に分析する。自分はもちろんイリアの部隊に後れを取るつもりはない。ここまでの帝国との戦いでめきめきと力をつけてきたランスの部隊も、恐らく問題ないだろう。憂いがあるとすれば、リゲルの部隊だった。

 

 リゲルは、騎士となってまだ三年に満たない新米弓使いである。ここまで実戦の経験は無く、これが初陣という話だった。君主であるランスと共に戦う騎士としては正直言ってかなり力不足であるが、このところの快進撃によって西アルメキアの戦線は拡大し、加えて、帝国との戦いにおいては西アルメキア側の騎士にも少なからず負傷者が出ているので、どこの戦地も人手不足気味なのである。よって、新米騎士といえど戦場へ出てもらわなければならない状態なのだ。リゲルの経験不足は否めないが、そこはハレーとランスで補うしかない。ハレーは、いち早くイリアの部隊を仕留め、リゲルの部隊へ合流するつもりでいた。幸いと言うべきか、イリアもゼメキスやカドールと同じく自ら先頭に立って突撃するタイプの騎士だ。

 

 これにより、またもハレーは開戦直後に敵将と対峙することになる。

 

 

 

 

 

 

「――あなたがイリアね?」

 

 イリアと対峙したハレーは、槍を携えたまま、挑発するようにあごを上げた。

 

 対するイリアは、槍の穂先をハレーに向け、わずかに腰を落として構える。「お前が放浪の騎士・ハレーか。陛下が戦って来いと言った相手。覚悟」

 

 感情の起伏のない、淡々とした喋り方だった。

 

 ハレーは、小さく笑った。「ふふ。さすがにキラードールとあだ名されるだけのことはあるわね? あの狂王の命令が、そんなに大事?」

 

「陛下の命令は絶対だ。陛下が戦えと言えば戦う。戦うからには私が勝つ」言うと同時に、イリアの目が鋭くなる。

 

「…………」

 

 ハレーは、イリアの目をじっと見つめる。

 

 キラードール・イリア――狂王ドリストに影のように付き従い、その命令にはきわめて忠実、表情ひとつ変えることなく敵を葬り去ることから付いた呼び名だ。

 

 イリアの目を見るハレー。いい目をする――そう思った。そこには、確かな『意思』が感じられる。王の命令を確実に遂行しようとする強い意志。感情を持たない人形ではありえない。それは、立派な騎士の目だった

 

「……どうやら、少し思い違いをしていたようね」ハレーは挑発的な口調を改めた。

 

「…………?」

 

「世間の噂通り狂王の操り人形なら適当に相手をしようと思ってたけど……いいわ、お手並み拝見しましょう。かかってらっしゃい」

 

 ハレーは槍を構えた。

 

「……誰にどう思われようと興味はない。私は、お前を倒すだけだ」

 

 間合いを詰め、槍を突き出すイリア。ハレーは、その攻撃を自分の槍で受け止めた。激しく火花が散り、両手に強い衝撃が伝わる。イリアは続けざまに槍を繰り出した。ハレーは、二撃、三撃と、後退しながら受け止める。反撃はしない。刃を交える前に言った「お手並み拝見」の言葉通り、まずはその力量を図るつもりだった。

 

 イリアの一撃一撃は、予想していたよりもはるかに重い。イリアが使う槍は、一般的な棒の一端に刃を取り付けたものではなく、両端に細長い円錐形の金属を取り付けたかなり特殊なものだ。重量があるため一撃の重さが増すが、その代わり、どうしても速さは犠牲になる。速さを活かした戦いを得意とするハレーには、受け止めたりかわしたりすることは容易だった。そして、武器の重さは防御にも大きく影響する。ハレーはイリアの攻撃を大きく弾き、そこから素早く突きに転じた。イリアは弾かれた槍を戻し受け止めようとするが、一瞬遅い。ハレーの槍はイリアの肩を掠めた。

 

「その武器、あなたに合ってないんじゃないの?」ハレーは槍を止めて言った。「あなたの速さ、武器の重さのせいで殺されてるわよ?」

 

「…………」

 

 イリアは肩に受けた傷を気にした風もなく、さらに連続して槍を突き出す。そのすべてを受け止め、あるいはかわし、隙を見て反撃に転じるハレー。イリアの槍はハレーを捉えることができず、ハレーの槍は致命傷こそ与えないものの確実にイリアを捉え続ける。そのような攻防が、しばらく続いた。

 

 戦いを続けるうちに、ハレーはイリアに対して奇妙な思いを抱くようになった。イリアの攻撃には変化がない。それは単調な攻撃という意味ではなく、動きが衰えないのだ。相変わらず速さは無い。ハレーを捉えることはできていない。逆に、ハレーの槍は確実にイリアを捉えている。ひとつひとつの傷は決して大きなものではないが、傷つけば血が流れるし、血が流れれば体力を失う。どんなに戦いに集中しようと痛みは感じるだろうし、痛みを感じれば恐怖を覚える。

 

 だが、イリアには、それらが一切感じられないのだ。

 

 身体のいたるところが傷つき、多量の血を流しているにもかかわらず、全く動きに乱れがない。さらに傷つくこともいとわず攻撃を繰り返す。傷つくことを恐れていない。それはすなわち、死を恐れていないということ。

 

 死への恐怖は、戦闘の修練や経験によってある程度克服することはできる。だが、どんなに屈強な肉体と精神を持つ騎士であっても、完全に克服することはできない。いや、むしろ完全に克服する必要は無いものだ。死への恐怖は、決して弱点ではない。人は、死への恐怖があるからこそ生きる力を得ることができる。死への恐怖を持たない者は生きる力の無い者――ただの死に体でしかない。

 

 そう――ハレーは今、まさに死体と戦っているような錯覚を抱いていた。どんなに血を流しても動きが衰えず、死への恐怖を持たないイリア。それは死体だ。戦う前、イリアの目には王の命令に従う強い意志を感じた。人形ではありえない、騎士としての強さ。しかしその戦い方は死体も同然。

 

 死体と騎士――デスナイト。

 

 ハレーはふと、デスナイト・カドールのことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十三話 ミゲル 聖王暦二一六年三月上 西アルメキア/オルトルート

 大陸西部から勢力を伸ばしてきた西アルメキアに対し、よせばいいのにちょっかいを出す命令を下したイスカリオの王ドリスト。イスカリオ軍は、数少ない良識派の騎士であるミゲルを総大将に、キラードール・イリアと万年金欠剣士のダーフィーを主攻とし、ソールズベリーの北西オルトルートを攻めた。対する西アルメキア軍は、君主ランスを総大将とし、エストレガレス帝国の皇帝ゼメキスやデスナイト・カドールらと互角以上の戦いを繰り広げた放浪の騎士ハレーと、リゲルという新米弓騎士の三部隊で迎え撃つ形となった。

 

 イスカリオ軍は、誰がどの部隊と戦うかを事前に決めていた。イリアは王から直々に戦って来いと命令を受けていたハレーと、ダーフィーは高い報酬に目がくらんで君主であるランスと戦う手筈となっている。必然的に、ミゲルはリゲルと当たることになった。

 

 戦いが始まると、西アルメキア軍は防衛側にもかかわらず突撃してきた。時間を要する籠城戦よりも短期決戦を選んだのだろう。

 

 イスカリオ軍のミゲルは、総大将でありながら自分の部隊を進めるのをためらっていた。イリアとダーフィーの部隊は、それぞれの敵とすでに戦いを始めている。ミゲルの戦う相手であるリゲルの部隊はもう目の前だ。突撃を命じれば、数刻とかからず両軍の兵が刃を交えるだろう。だが、ためらわずにはいられない。戦えば、自分か、相手か、どちらかが倒れる。痛み分けは無い。もう何年も前に、そう誓い合ったから。

 

「――ついにこの日が来てしまったか、リゲル」

 

 ミゲルは、妹の名をつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 ミゲルは、ランド家という貴族の長男として生まれた。ランド家は、イスカリオでは古くから続く由緒正しい家系だったが、十年ほど前、狂王ドリストは気まぐれな思い付きでこの国の貴族制度を廃止してしまった。さらに、父親の病死という不運も重なり、ランド家は没落してしまった。

 

 ランド家には、ミゲルの他に二人の弟妹(きょうだい)がおり、それぞれがルーンの加護を持っていた。ミゲルは、末っ子が十五歳になるのを機に、弟妹に国を出て他の国へ仕官することを勧めた。狂王が支配するイスカリオでは、出世は王の気まぐれ次第。どんなに優秀な人材であっても、いや、優秀な人材であればあるほど出世から遠のくという噂だった。だから、長男であるミゲルのみがこの国に残り、二人の弟妹は国を出る方が良いと考えたのだ。三兄妹は、ランド家の復興を夢見ていた。三人の内一人でも出世できれば、家名を取り戻せると考えたのだ。

 

 だが、当時のフォルセナ大陸は大きな戦争も無く平和だった。まさか、三人が別れた後、大陸全土を巻き込む戦乱の時代になるなど、夢にも思っていなかった。

 

 二人の弟妹の内、二男のカストールはエストレガレス帝国へ、末っ子のリゲルはパドストー――現在の西アルメキアへ仕官した。

 

 今、ミゲルの目の前にいる部隊を率いているのは、まぎれもなく彼の妹リゲルだった。

 

 

 

 

 

 

 実の妹が率いる部隊を前に、攻撃の決心がつかないミゲル。大陸全土を巻き込んだこの戦乱が幕を開けたとき、ミゲルは、たとえ兄妹であろうと戦場で出会えばためらいなく斬る覚悟だった。ランド家の復興という大願成就のためには、三兄妹の内誰か一人が生き残り、出世すれば良いのだから。だが、覚悟は決めても心の奥底では迷いがあった。ミゲルは、その迷いを断ち切るため、昨年の四月、今は誰も住んでいない実家へと戻った。父の肖像に現状を報告し、家名復興のために兄妹で戦うことを許してもらうためだ。それで迷いを断ち切るはずだったのだが、ミゲルは、そこで思わぬものを目にする。妹リゲルからの手紙だった。リゲルは次男カストールと共に父の命日に帰郷しており、ミゲルのことを案じてその手紙を残したようだった。手紙を読み、ミゲルは兄妹の絆を確信した。迷いを断ち切るための帰郷は、逆に彼の迷いを強めてしまったのだ。本音を言えば、兄妹三人別れて暮らしたのは間違いであったと思っている。だが、今さら二人にイスカリオへ戻って来いなどと言えるはずもない。二人はすでに他国の騎士であり、イスカリオに戻ることは、彼らが仕える国を裏切ることになるのだから。

 

「……隊長……ミゲル隊長!」

 

 部下の呼び声で、ミゲルは我に返った。

 

「どうされたのですか? 何か、気になることでも?」部下がミゲルの顔を覗き込む。

 

「……いや、なんでもない」

 

「そうですか……ならば、早く御命令を。敵部隊は、動きを見せません。情報によると、あの隊を率いているリゲルという騎士は、これが初陣だそうです。恐らく、どう戦闘を進めて良いか判らないのでしょう。ここは総攻撃を仕掛け、早めにケリをつけるのが上策かと思いますが?」

 

 部下の言葉は策を提案しているようではあるが、その表情は命令を下さない上官に苛立っているように見えた。それも当然だろう。事情を知らない者は、この状況で攻撃をためらうような将はよほどの臆病者と思うだろう。これ以上動かないわけにはいかない。

 

 ならば、残された道はただひとつ。

 

 ミゲルは覚悟を決め、大きく頷いた後。

 

「――総員、私の後に続け!!」

 

 自ら先頭に立って、リゲルの部隊へ突撃した。

 

 妹リゲルが率いている兵の数は五千。西アルメキアでは、中堅クラスの将が率いる数である。彼女が初陣という点を考えれば、これは破格の数だった。恐らく、君主であるランスと共に出陣するという点が考慮されたのだろう。ミゲルが率いている兵も五千。兵の数は同等だが、騎士としての経験は彼の方が上だ。分は圧倒的にこちらにある。

 

 リゲルの部隊とぶつかるミゲル。予想通り、手応えは軽い。ミゲルは敵兵を蹴散らしながら真っ直ぐに敵本陣へと進んで行った。大きな反撃は無い。恐らく、将の命令が上手く伝わっていないのだ。それも当然だ。どんなに多くの兵を率いようとも、所詮妹リゲルは初陣。兵の数は多ければ良いというものではない。将の戦闘経験が乏しい場合、むしろ数が多いほどうまく機能しなくなる。ミゲルの突撃は、その隙を突いたものだった。

 

 こうして、ミゲルとリゲルは、半時ほどで対峙することになった。

 

 

 

 

 

 

「――ミゲル兄さん……やっぱり、ミゲル兄さんだったのね……」

 

 兄と対峙した妹リゲルは、弓を構えることも忘れ、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 

「リゲル……ついにこの時が来てしまったな」ミゲルは自嘲するように小さく笑うと、剣を構えた。「さあ、私と戦え、リゲル」

 

「そんな……あたしたち、血を分けた兄妹なのよ? なのに、なんで戦わなければならないの?」

 

「我らはあの日誓ったはずだ。ランド家の家名復興のため、それぞれの国で全力を尽くすと」

 

「でも、それは戦争が起こる前の話でしょ!? こんな戦争が始まると知っていたら、あたし、故郷(くに)を出たりしなかった」

 

「だが、戦争は始まってしまった。こうなった以上、我らは戦うしかない。この戦乱の時代では、いくさに勝つことが全てだ。さあ、戦うぞ! リゲル!」

 

 ミゲルがそう促しても、リゲルは動かない。嫌がるように首を振った。「そんな……兄さんは平気なの? 実の兄弟と戦って、なんとも思わないの?」

 

 ミゲルは、ふっと破顔した。「安心しろリゲル。私は、お前を傷つけることは無い。お前が、その矢で私を射ればいいだけだ」

 

「兄さん……何を言って……」

 

「あの日言った通りだ。我ら兄妹の内、一人でも出世すれば、それが家名の復興に繋がる。だから、我らは(たもと)を分かち合ったのだ。お前はこれが初陣なのだろう? 私は、この部隊の総大将だ。初陣で敵総大将の首を獲れば、大きな手柄となるぞ! だからリゲル、私に弓を引け!」

 

 ミゲルは、両手を広げて立ち尽くす。

 

「バカなこと言わないで! そんなこと、できるわけないでしょ!?」

 

「だが、それをせねばランド家の復興は叶わぬ!」

 

 ランド家の家名――それは、ミゲルの父、祖父、さらにその前の先祖が、代々守ってきた由緒正しき名だ。家系図によると、少なくとも百年以上も続いている。それを、父の病死と貴族制度の廃止という不幸が重なったとはいえ、自分の代で没落させてしまった。そのことを、ミゲルはずっと悔いていた。まだ成人さえしていなかったミゲルにどうにかできるような問題ではなかったが、それでも大きな責任を感じずにはいられなかった。このままでは、代々家名を守ってきたご先祖様に顔向けできない。だからこそ、命を賭けて家名の復興に臨むつもりだった。自分の命ごときで家名復興の道が開かれるのなら安いものだ。これは、家名を守れなかった自分の、せめてもの罪滅ぼしだ。ミゲルは、そう信じていた。

 

「さあリゲル! その弓で私を殺せ! ランド家の栄光のために!!」

 

 ミゲルは、目を閉じた。

 

 これに対し、リゲルは。

 

「――いい加減にして!!」

 

 これまで兄が聞いたことも無いような大声で、叫んだ。

 

 はっとして目を開けるミゲル。

 

 そこには、涙をいっぱいに浮かべた妹の姿があった。しかし、涙の奥には、ゆるぎない決意がみなぎっていた。

 

「あたし、ずっと思ってたことがあるの。あの日から……兄妹別れて暮らすと決めたあの日から、ずっと思ってたこと。でも言えなかった。これは末っ子のわがままなんだって思って……あたしのわがままで兄さんたちを困らせちゃいけないと思って、ずっと言えなかった! でも! 今日は言わせてもらう!!」

 

 父が教育に厳しかったせいで、リゲルはおとなしい娘に育った。リゲルが五歳のとき、父は病で亡くなり、その後は母親が一人で三兄妹を育てることになった。父の死から二年後、貴族制度が廃止されると、母親も働きに出ざるを得なくなった。当然母は働いた経験など無く、かなり苦労していた。昼は外で働き、夜は家で家事をする。まさに、女手一つで三兄妹を育てていた。そんな状態だったからだろう。リゲルは、おとなしい性格にさらに拍車がかかり、わがままひとつ言わない真面目な娘に育った。母親はもちろん、兄たちにさえ、口答えひとつしたことがない。

 

 そんな妹が。

 

「ランド家の家名って、そんなに大事!? 兄妹が別れて暮らして……まして、兄妹で戦って、殺し合って、そんなにまでして取り戻さなきゃいけないほど大事なものなの!? そんなの絶対違う!! あたしは、家名なんてどうでもいいから、また兄さんたちと一緒に暮らしたい!!」

 

 初めて、兄に反発している。

 

「あたしに弓を引け? あたしに兄さんを殺せ? それが手柄になる? そんな手柄いらないわよ!! そんなんで出世して、あたしが喜ぶと思うの!? 家名を取り戻すために兄さんを殺して、いったい誰が喜ぶのよ!! そんなの、父さんも母さんも、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、ひいお祖父ちゃんもひいお祖母ちゃんも……ご先祖様みんな、喜ぶわけない!!」

 

 あのおとなしかった妹が、恐らく人生で初めて、心の底から叫んでいる。

 

「兄さんはバカだよ! ずっと思ってた! 父さんの花瓶を割って、黙ってればバレないのにわざわざ名乗り出た時も、イスカリオに残って狂王に仕えると言った時も、兄妹三人別れると言った時も! 兄さんはバカだと、ずっと思ってた!! その上あたしに兄さんを殺せなんて、そこまでバカだなんて思わなかったわよ!! もう兄さんなんて大っキライ! もう顔も見たくない! もう死んじゃえ!!」

 

 この、妹の心からの叫びに、ミゲルは。

 

「……まったく、また一緒に暮らしたいと言ったかと思えば顔も見たくないと言い、殺せないと言ったかと思えば死ねと言い、どっちなんだ」

 

 呆れた口調で言って、そして、笑った。

 

 ミゲルの笑い声を聞いて、リゲルははっとした表情になり、そして、恥ずかしそうに目を伏せた。「ごめんなさい、兄さん。あたし、かっとなって、つい……」

 

 ミゲルは首を振った。「いいんだ。お前は末っ子で、私は長男。わがままのひとつくらい言うだろうし、ケンカくらいして当然だ。まあ、あれほどおとなしかったお前が、あんなに感情を乱すとは思わなかったがな」

 

「兄さん……」

 

「お前の言う通りだ……私は間違っていた。我ら兄妹は、決して離れ離れになってはいけなかったのだ」

 

 ミゲルは空を見上げた。胸の内に、家族みんなで暮らしていた頃のことが浮かぶ。厳格で厳しかった父。優しかった母。やんちゃで両親の手を焼かせたカストール。おとなしい性格が逆に心配だったリゲル。みんな、いつも笑って過ごしていた。毎日が幸せだった。両親が早くにこの世を去ったとはいえ、兄妹三人でもあの幸せは変わらなかったであろう。それを、なぜ自ら手放してしまったのか。今となっては、愚かな選択だったとしか思えない。

 

 だからミゲルは。

 

「リゲル。また一緒に暮らそう」

 

 真っ直ぐにリゲルを見つめ、決意と共に言った。

 

 リゲルは、顔いっぱいに笑顔を浮かべると、「うん!」と、どこか子供っぽさが残る声で返事をした。

 

 その笑顔に、ミゲルは満足げに頷く。だが、すぐに表情を引き締めた。「しかし、お前は西アルメキアの騎士。いま国を離れるわけにはいくまい。だから、私がイスカリオを捨てて――」

 

「それはダメ!」

 

 ミゲルの言葉を、リゲルは制した。「兄さんは、故郷(くに)を出てはダメ」

 

「しかし、それでは……」

 

「また三人で暮らせるのなら、それだけでも十分だけど……でも、できるなら、あたしはあの家で暮らしたい。あたしたちが育った家。あの家には、父さんと母さんとの思い出が詰まってる……あの家には、父さんと母さんがいるもの」

 

 リゲルは、「だから……」と言った後、胸の前で手を組み、続けた。「コール老公……ランス様……みんな……申し訳ありません。あたしは、故郷へ帰ります」

 

 そして――。

 

 ミゲルの――兄の胸に飛び込む。

 

 ミゲルはリゲルを抱きしめ。

 

 もう二度とこの手を離さないと、誓った。

 

 

 

 

 

 

「……あの、隊長。大いなる茶番のところ、失礼します。ご報告が」

 

 兄妹の愛を確かめ合っている所に、先ほどの部下が恐る恐る声をかけてきた。「ダーフィー様が、敵総大将ランスの前に敗れたそうです」

 

「なに、ダーフィー殿が!?」

 

 予想外の報告だった。ダーフィーは、見た目こそ冴えない中年男だが剣の腕は一流だ。ランスは西アルメキアの君主とは言えまだ十五歳の子供。ダーフィーが遅れを取るなど、思ってもみなかった。

 

「ランスは、火竜サラマンダーを従えているとの情報も入っております」と、部下が続けた。

 

 火竜サラマンダー――最上級のドラゴンだ。一般的なドラゴンよりもさらに巨体ながら背中の羽根で空を飛び、口から吐く炎は全ての物を焼きつくし、その爪は岩をも斬り裂き、その表皮は並の武器ではかすり傷さえつかない、と言われている。並の騎士に扱えるモンスターではないが、ランスはまだ子供とは言え王族。高い統魔力を持っていても何らおかしくは無い。それに対し、ダーフィーは剣の腕こそ確かだが統魔力にはかなり問題があった。統魔力とは魔物を統べる力。ダーフィーのように個の戦いに優れている者は、往々にして統魔力に問題があることが多い。恐らくそれが敗因だろう。

 

 部下はさらに報告を続ける。「幸い、ダーフィー様は怪我こそされましたが、脱出し、命に別状はないとのことです。部隊も撤退を始めております。対するランスの部隊は、撤退するダーフィー様の部隊を追うことはなく、我が部隊へ向かって来ております。いかがいたしましょう?」

 

 西アルメキアの君主・ランス。その首を獲れば、いかに真面目な者が虐げられるイスカリオでも大きな手柄となり、家名復興へと繋がるだろう。ダーフィーの部隊が撤退したとはいえ、敵側もリゲルが寝返ったことで彼女の部隊が撤退を始めている。状況は、まだ五分と言えるかもしれない。

 

 だが。

 

「全軍撤退! ソールズベリーまで下がるぞ!」

 

 ミゲルはためらうことなく命令した。敵は火竜サラマンダーを従えた部隊だ。自分一人ならまだ戦いを挑んでみようと思えるが、今は無理だ。妹を危険にさらしたくはないし、なにより、いま国を捨てたばかりの彼女に、かつての主君や仲間と戦わせる真似など、できるはずもない。

 

「し、しかし、イリア様の部隊は、まだ交戦中です」部下が言う。「はたして、撤退の指令に従うでしょうか?」

 

 イリアは王にきわめて忠実な騎士だ。今回のオルトルート攻めは、ドリストが直々にイリアに命令したものらしい。恐らく、ミゲルの命令など聞く耳を持たないだろう。

 

 それでもミゲルは言う。「私は総大将だ。私の指令にイリア殿が従わぬのであれば、それはイリア殿の方に問題がある」

 

「確かに、そうかもしれませんが……」

 

「とにかく撤退だ。すぐにイリア殿の部隊にも伝令を送れ!」

 

「はっ、はい!」

 

 部下は頭を下げた後、下がった。

 

 ミゲルは自嘲気味に笑う。私は騎士失格だ。まだ戦える状況であるにもかかわらず、妹を護るという私情で撤退命令を出した。恐らくイリア殿は従わないだろうし、私は陛下から罰せられるだろう。もう、この国での出世は望めないかもしれない。だが、それでもかまわない。今は家名の復興よりも、兄妹の絆を護りたいのだから。

 

 ミゲルは、愛する妹と共に、戦場を去った。

 

 

 

 

 

 

 不思議なことに。

 

 ミゲルの撤退命令など従わないだろうと思われたイリアだったが、伝令を送ると、すぐに撤退を始めた。

 

 さらに、今回の私情での撤退に関して、生真面目なミゲルは包み隠さず報告したのだが、それに対して王ドリストから受けた罰は、一節の謹慎という、きわめて軽いものだった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十四話 ゲライント 聖王暦二一六年三月上 西アルメキア/オークニー

 エストレガレス帝国の皇帝ゼメキスや剣聖エスクラドスが南部の戦場へ向かったのを機に、オークニー、エオルジア、オルトルートの三城を制圧した西アルメキア。開戦当初からの第一目標であった王都ログレス奪還に大きく近づいたのだが、南の城オルトルートで思わぬ邪魔が入った。狂王ドリストが治める国イスカリオが侵攻してきたのである。この侵攻はランスとハレーの活躍によりなんとか退けたものの、西アルメキア側の被害も決して少なくはなかった。兵力の再編を余儀なくされたランスは、しばらくオルトルートで足止めを食うことになる。

 

 そして、西アルメキアの侵攻を止めようとするのは、イスカリオばかりではなかった。

 

 オークニー城では、コール老公の嫡男メレアガントと百戦のゲライントが中心となり、東のカドベリーやディルワース城へ侵攻する部隊を編成していたのだが、そこへ、北の大国ノルガルドの部隊が南下してきたのである。

 

 オークニーの北には岩山が広がっており、街道はその合間を縫うように細く続いている。大軍の進行は困難を極めるため、オークニーは北からの攻めに極めて強い城だ。ここも、リドニー要塞と同じくノルガルドの侵攻に備えて建てられた天然の要塞である。

 

 百戦のゲライントは、オークニーのこの利点を活かすため、素早く城外へ打って出て岩山の上に陣取った。戦場で高地を取ることは極めて重要なことである。高地からは弓による攻撃や騎馬隊の突撃の威力が増し、逆に低地からはこれらの威力は半減する。場合によっては高地を取るだけで戦局が決することもあるのだ。

 

 しかし。

 

 ノルガルド軍は、これらの不利な条件をものともせず、凄まじい突破力でゲライントが控える本陣に迫って来た。ゲライントは、弓兵や騎馬隊による攻撃を繰り返し、あるいは、盾兵と槍兵を布陣させ敵の足止めをしようと画策するも、敵部隊はそれらを蹴散らす勢いで迫る。エストレガレス皇帝ゼメキスを彷彿させる突破力――いや、相手はノルガルド軍であるゆえ、前王ドレミディッヅを彷彿させる突破力と言うべきか。

 

 ――この策も何も無い力任せの突撃は、まさか!?

 

 ゲライントが敵将について考えていたとき、本陣を取り囲んでいた守備兵の一角が大きく弾き飛ばされた。

 

 そして、そこからノルガルドの軍旗を掲げた隊が侵入してくる。

 

 その隊の先頭には、大斧を携えた筋骨隆々の大男が立っていた。ゲライントと目が合うと、大斧を肩に担いで豪快に笑った。

 

「ふははは! ゲライントよ! この程度の守りで我が突撃を止められると思ったか!? 甘いわ!!」

 

「ルインテール! やはり貴様だったか!!」ゲライントは敵将の名を叫ぶと、腰に携えた刀を抜き放った。「ドレミディッヅの死後、野に下ったと聞いていたが、まさか帰参していようとはな!」

 

「貴様が戦線に復帰したと聞いてじっとしてなどいられるか! さあ、今日こそ決着をつけてくれる!!」

 

「フン! 望むところ!!」

 

 ルインテールが大斧を振りかざし、ゲライントはそれを刀で迎え撃つ。

 

 

 

 

 

 

 北国ノルガルドは、一年の大半を雪に覆われ、食料生産力に乏しい国である。そのため、南の肥沃な大地を手に入れるべく、旧アルメキアや旧パドストーと長らく戦争を続けてきた。かつてアルメキア軍に属していたゲライントも、何度もノルガルドとの戦いに出撃している。その経験からついた呼び名が『百戦のゲライント』だった。

 

 そのアルメキア軍時代、ゲライントと幾度となく刃を交えて来たのが、このルインテールという騎士である。何度戦ったかは、もう本人たちでさえ覚えていない。戦績が十勝十敗十分けを超えてからは、もはや数えようともしなかった。結局決着はつかぬまま、ゲライントは王太子ランスの親衛隊長に任命され、戦線を去ることになる。その後、ノルガルドの前王ドレミディッヅの死をきっかけに、ルインテールも野に下ったようだった。

 

 しかし、ゼメキスのクーデターより始まったこの戦乱で、ゲライントは再び戦場に立つことになった。ルインテールもまた、白狼王ヴェイナードの手腕によりノルガルドが大きく勢力を伸ばしたのを聞き、居ても立ってもいられず戦場へ戻ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 二メートル近い大斧をものともせず振り回すルインテール。大振りではあるが、その分一撃の威力は計り知れない。ゲライントの武器は刀身の細い刀だ。まともに受け止めるとあっけなく折れてしまう可能性もある。ゲライントは間合いを計りつつかわし、反撃の機会を待つ。

 

「どうしたゲライント! 愚王の倅のお守りをしている間に、腑抜けになったか!?」嘲笑いながらさらに斧を振るって来るルインテール。

 

「フン! 貴様は変わらぬな! 単純な突撃と力任せの攻撃。少しは頭を使わねば、ドレミディッヅのように早死にするぞ!」

 

「ぬう! 貴様、ドレミディッヅ様を愚弄するか! 許さぬ!」

 

「貴様こそ、我が主を侮辱した罪、その血で贖え!」

 

 二人は戦い続ける。陽が暮れても決着はつかず、ルインテールの部隊が下がることでこの日の戦いは終わった。そして、同じような戦いは、翌日、さらに翌日と続き、結局決着はつかぬまま十日後にノルガルド軍は撤退した。

 

 結果として。

 

 オークニーの部隊は、南のオルトルート同様少なからず被害をこうむり、戦力再編のためしばらく足止めされることになった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十五話 ゼメキス 聖王暦二一六年三月上 エストレガレス帝国/王都ログレス

 エストレガレス帝国の王都ログレスの私室にて、皇帝ゼメキスはいくさの準備をしていた。愛用の鎧と長剣、そして、大型のクロスボウの状態を確認する。長く酷使してきた武具だが、手入れを欠かしたことは無く、次の戦闘も問題なく使えるだろう。次の戦場は南部。イスカリオ領となったソールズベリーの奪還戦だ。守備に就いている敵騎士についての情報は無い――というよりは、今回ゼメキスはあえて敵に関する情報を得ようとしていなかった。イスカリオの君主ドリストは狂王と仇名されるだけのことはあり行動が読みづらい。そして、一見すると奇行としか思えない行動を繰り返しつつも、国が傾くことはなく、むしろ、開戦以降は徐々に勢力を伸ばしている。ドリストが道化の仮面をかぶった名君・名将である可能性は否定できない。このような相手に対し情報を得ようという行為が危険であることを、ゼメキスは長い戦闘の経験で知っていた。相手の行動の真意を探ろうとすればするほど、相手に翻弄されるだけである。情報など必要ない。ソールズベリーを守る将が誰であろうと、ゼメキスはただ目の前の敵を叩くだけだ。

 

 準備を終え、部屋を出るゼメキス。廊下は静まり返っていた。王の私室であるにもかかわらず、警備する兵一人いない。ゼメキスは王である前に武人であるゆえ、己の身は己自身で守ることができる。大きないくさの前などは精神統一のため護衛を控えさせることもあるが、今回はそのような指令は出していない。にもかかわらず、廊下はまるで人の気配が無かった。ログレス城の最も奥まった区画にあるこの場所は陽の光が届かない。壁に取り付けられた蝋燭の炎がぼんやりと照らすだけである。炎の明かりが届かぬ場所には薄暗い闇が淀んでいた。

 

 その、人気(ひとけ)が無い廊下の薄闇の中に、わずかな気配が生じた。

 

 気配が生じた場所を見るゼメキス。薄闇が広がるばかりで、何者の姿も見えない。だが、気配は少しずつ強くなる。見えない何者かが、そこにいる。近づいて来る。

 

 やがて。

 

 まるで闇が人の形を成したかのように、いつの間にか、その場に一人の男が立っていた。老人のような姿をし、漆黒の法衣を身にまとった男。生気の無い黒曜石のような目をゼメキスに向け、口元に見る者を不快にさせる笑みを浮かべた。

 

「――久しぶりだな、ゼメキス」

 

 ゼメキスは鋭い目で男を睨みつけた。「貴様はブロノイル……まだログレスをうろついていたのか。目障りだ、消えろ!」

 

「挨拶だな」ブロノイルと呼ばれた男は、肩をゆすって笑った。「クーデターの手助けをしてやった恩を忘れたか?」

 

「貴様の助けなど受けた覚えはない」

 

「フン、よもや貴様、自分の力だけでクーデターを成功させたなどと思っておらぬだろうな?」

 

「…………」

 

 ゼメキスはブロノイルの言葉に応えず、無言のまま睨み続けた。

 

 一年前、ゼメキスのクーデターが成功した最大の理由は、彼の陣営に、アルメキア軍、魔術師団、神官騎士団の三つの勢力が就いたからだ。当時のアルメキアの兵力の九割がゼメキスに味方したことになる。敵対したのは王ヘンギストの近衛兵と王太子ランスの親衛隊のみであり、その圧倒的兵力差がゼメキスを勝利へと導いたのだ。これらは、ゼメキスが事前に手を回していた訳ではない。魔術師団長のギッシュや神官騎士団長のローコッドなど、それぞれの部隊長が自らの意思でゼメキスに味方したのだ。無論、何もせずにこれほどのお膳立てがされるわけがない。そこに何者かの暗躍があったのは、疑いようのないことだった。

 

 ブロノイルは「まあ良い」と言ってゼメキスから視線を外すと、さらに続けた。「今日は頼みごとがあって来たのだ……カドール」

 

 その声に応じ、背後の闇からもうひとつの人影が現れた。悪魔の骨面に、身の丈を超える戦斧を持っている。ゼメキスの腹心・カドールだった。

 

 ゼメキスは眉をひそめた。カドールは現在トリアの守備に就いているはずである。それがなぜ、この王都ログレスにいるのだろう? それも、ブロノイルに付き従うような形で。

 

 カドールは前に出ると、王の前で戦斧を構えた。「ゼメキス、命を貰うぞ」

 

「……どういうことだ?」ゼメキスはカドールではなくブロノイルに言葉を向けた。

 

 ブロノイルは不快な笑みをさらに深めた。「カドールは我が配下の一人。我が命に従って貴様に仕えていたにすぎぬ」

 

「……貴様」

 

 ぎりぎりと奥歯を噛むゼメキス。カドールがゼメキスの配下となったのは六年ほど前だ。素性は一切不明であったが、その圧倒的な武力で瞬く間にゼメキスの腹心へと登り詰めた。古くからゼメキスの配下であった者の中には、得体のしれぬ男をそばに置くことを快く思わぬ者も多かったが、ゼメキスにとっては些細な問題だった。戦場で役立つのであれば、何者であろうと関係なかった。だが、カドールを全面的に信用していた訳ではない。ゼメキスが信用していたのはカドールの武力のみであり、心までは信用していなかった。だから、こうして刃を向けられても驚きはしない。ただ、六年も前から自分の周辺でブロノイルの思惑が働いていたことが、無性に腹立たしかった。

 

「覚悟しろ、ゼメキス!」

 

 カドールが大斧を振り上げて踏み込む。ゼメキスは剣を抜くと、大斧を横に薙ぎ払った。

 

「ブロノイル! 貴様、なにが目的だ!」

 

 叫ぶように問うゼメキス。クーデターが成功した裏で、ブロノイルの暗躍があったのは恐らく間違いのないことだろう。だが、ゼメキスにクーデターを成功させ、今になってそのゼメキスを暗殺しようとする目的が判らない。

 

「貴様はもう十分に働いてくれた」ブロノイルは、相変わらず不快な笑みを浮かべたまま言う。「貴様が(おこ)した戦乱の火は、今や大陸全土に飛び火し、燃え上がった。もう貴様がいなくとも、後は勝手に燃え続ける」

 

「なに?」

 

「判らぬか」と、カドールが引き取るように言う。「貴様は、もう不要なのだ!」

 

 言うと同時に斧を振り下ろす。ゼメキスは剣で受け止めると、反撃に転ずる。互いの刃が交わり、火花が散る。ゼメキスとカドール。現在のフォルセナ大陸の騎士の中でも1・2を争う武を持つ二人の攻防は、決め手のないままただ刃のみが交わり続ける。

 

「……つくづく往生際の悪い男だ。おとなしく運命を受け入れればよいものを」

 

 言うと同時にブロノイルは胸の前で印を結び、呪文の詠唱を始めた。掌から青白い炎が燃え上がり、それをゼメキスに向かって放つ。カドールとの戦いに気を取られていたゼメキスはかわすことができない。炎が全身を包む。多くの戦場を渡り歩き、数えきれないほど敵の魔法を浴びてきたゼメキスだったが、今までのどんな魔術師が放つ魔法よりも強力だった。

 

「……クッ」

 

 ゼメキスは膝をついた。

 

 その姿を満足げに見つめたブロノイルは、「カドール、とどめを刺せ」と命じた。

 

「はっ!」

 

 ゼメキスの前で斧を振り上げるカドール。

 

 それが振り下ろされようとした瞬間、ゼメキスの背後から、白い光の刃が放たれた。

 

「――なに!?」

 

 光の刃は、斧を振り上げ無防備となっていたカドールの胸を貫く。その衝撃で、カドールは数歩後退した。

 

「ゼメキス!」

 

 背後から、はかなげだが凛としてよく通る声。

 

 その声に力を得たかのように、ゼメキスは大きく踏み込み、カドールに向けて剣を突き出した。

 

 切っ先が、カドールの骨面を捉える。

 

 だが、一歩踏み込みが甘かった。ゼメキスの刃は骨面の一部を欠けさせただけだった。

 

 割れた面の部分を手で覆い、後退りするカドール。今の突きは面を欠けさせただけだったが、その前の光の刃は、確実にカドールにダメージを与えている。

 

 光の刃を放った女がゼメキスのそばに立った。薄い緑の修道服の女。か細い身体でおよそ騎士には見えぬ佇まいだが、その目には確かな『強さ』が宿っている。エストレガレスの騎士であり、ゼメキスの妻でもあるエスメレーだった。

 

「邪魔が入ったか。つくづく悪運の強い男だ」ブロノイルは相変わらず不快な笑みを浮かべている。「まあ良い、今日のところは退いてやる。だが忘れるな。所詮貴様は我が操り人形にすぎぬ。いくらあがこうとも、運命からは逃れられぬぞ」

 

 再び呪文を唱えるブロノイル。周囲の薄闇が広がり、ブロノイルとカドールの身体を包み込んだ。やがて、二人の姿は闇の中に溶けるように消えた。

 

(のが)したか……」

 

 再び膝をつくゼメキス。ブロノイルの魔法によるダメージは、思った以上に大きい。

 

「治療をします」

 

 そばに立ったエスメレーが短く言った。そして、治療の魔法を使う。エスメレーの掌から癒しの光が溢れ、光に照らされたゼメキスの傷がふさがってゆく。

 

 ゼメキスは小さく息を吐き出した。「どうやら、お前に助けられたようだな」

 

 エスメレーは表情を乱さず、感情も抑揚も無い口調で言う。「あなたは、ここで倒れることは許されません。あなたの運命は、このフォルセナ大陸と共にあるのです」

 

「フン、お前も運命と言うか……」エスメレーの言葉を、ゼメキスは鼻で笑った。

 

 胸の内に、ブロノイルが去り際に言った言葉が浮かんだ。

 

 

 

 ――所詮貴様は我が操り人形にすぎぬ。いくらあがこうとも、運命からは逃れられぬぞ。

 

 

 

 ブロノイルの思惑通りクーデターを起こし、戦争を始め、そして、用済みとなって消される――それが俺の運命だというのか。くだらぬ。己の赴く先は、己の意志によって決まる。そこに、運命などありはしない。

 

 それを証明するためには、戦い続けるしかない。

 

 ゼメキスは治療を拒むようにその手を払いのけると、立ち上がり、エスメレーを残して歩きはじめた。

 

 戦場へと向かう。

 

「…………」

 

 エスメレーは何も言わず、ただゼメキスを見つめていた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十六話 ハレー 聖王暦二一六年三月上 西アルメキア/オークニー

 エストレガレス帝国からオークニー・エオルジア・オルトルートの三城を奪い、王都ログレスへと迫る西アルメキア。しかし、南のイスカリオ、北のノルガルドから思わぬ侵攻を受け、兵力を削がれてしまう。部隊の再編等、作戦の立て直しを余儀なくされた西アルメキアは、ランスやメレアガントなど帝国侵攻軍の主だった将が集まり、オークニー城にて作戦会議を行うことになった。

 

 魔導士ブロノイルの企みを探るため西アルメキアへと仕官したハレーは、君主ランスと元親衛隊隊長ゲライントと共に会議室へ向かっていた。帝国との最後の戦いが始まろうとしている。

 

 だが、ハレーの胸の内には大きな迷いがあった。

 

 先日、二度に渡るエストレガレス軍との戦いで、皇帝ゼメキス及びデスナイト・カドールと戦ったハレー。そのさなか、二人からブロノイルに関する話を聞き、ハレーは己の考えが間違っていなかったと確信した。ゼメキスがクーデターを成功させた裏にはブロノイルの暗躍があり、その結果勃発した大陸全土の戦乱をさらに煽ろうとしている。その目的が何なのかまでは判らない。ただ、恐ろしいことを企んでいるのは間違いないだろう。それを探るためには、戦場を離れ再び単身で調査する必要性を感じていた。だが、現在この国は帝国を追い込みつつある。非常に重要な時期であり、いま国を離れるのは、今後のいくさに大きな影響を与えるだろう。ランスが王都ログレスの奪還にどれだけの思いを込めているのか――クーデターの夜、両親を殺し国を奪った憎むべき相手を目の前にしながらも、王都から脱出するしかなかったランス。その屈辱がどれほどのものだったのかは想像もできない。王都奪還を目の前にしながら今ハレーが国を去ることは、ランスを裏切ることになるのではないか――そんな気がしてならない。

 

「ハレーさん、どうかしましたか?」

 

 前を歩いていたランスが足を止め、心配そうな表情でこちらを見ていた。よほど難しい顔をしていたに違いない。ハレーは、「いえ、なんでもありません」と言いかけたが、やめた。行動を起こすならば早い方がいい。会議が始まり、そして、次の作戦に自分が組み込まれると、ますます行動を起こしづらくなる。そして、行動が遅れれば、取り返しのつかない事態になるかもしれないのだ。

 

「ランス様、お別れのときです」

 

 ハレーは、ランスの目をしっかりと見据え、言った。

 

 ランスは驚いた表情になった。「ハレーさん、なにを言っているのですか」

 

「ブロノイルが動きはじめたようです。私は、行かねばなりません」

 

 ハレーはこれまでのいきさつを話した。ゼメキスから聞き出したと。カドールから聞き出したこと。それらから導き出した考え。ブロノイルがさらによからぬことを起こそうとしていること。そして、それを探らねばならないこと。

 

「……それはつまり、西アルメキアから去る、ということですか?」話を聞き終えたランスは悲しげな表情になった。

 

「……はい」

 

「ハレー殿!」と、ゲライントが声を荒らげた。「今は西アルメキアにとって極めて重要な時ですぞ! なにもこんな時に去らずとも!」

 

「よせ、ゲライント」と、ランスが制した。「西アルメキアが重要な時であることは、ハレーさんも十分わかっているはずだ。それでもいかねばならぬのだろう――そうですね? ハレーさん」

 

「仰る通りです」ハレーは大きく頷いた。「ブロノイルの真の目的を探り、早めに手を打たねば、取り返しのつかぬことになるかもしれません」

 

「ならば別の者に探らせます」と、ゲライントは譲らない。「ハレー殿。すでにあなたは、西アルメキアを支える重要な騎士の一人です。あなたがこの国を去ることは西アルメキアにとって大きな損失。せめて、王都ログレスの奪還まで待っていただけませぬか?」

 

「いいんだ、ゲライント」と、ランスが言う。「ハレーさんは、仕官するときに言ったはずだ。私たちと共に戦うのは、ブロノイルの目的を探るためだと」

 

 ランスは「それに――」と言い、ハレーを見た。「諜報部隊からの報告によると、デスナイト・カドールが姿をくらましたそうです。それも、関係あるのですよね」

 

「その通りです」頷くハレー。

 

 カドールが三月のオルトルート戦以降、帝国領内の城のどこにも姿が見えない、という情報は、ハレーも知っていた。恐らくカドールはブロノイルと繋がっている。長くゼメキスの腹心として戦ってきたカドールだが、もしそれがブロノイルの命による偽りだったとしたら……カドールが姿を消したのは、ブロノイルの命令によるものであろう。何か大きな企みのために動いた可能性は高い。

 

「――判りました」ランスは、笑顔と共に言う。「正直、ハレーさんが国を離れるのは大きな痛手です。しかし、今回の戦争を引き起こしたのがブロノイルであるのなら、その目的を探ることは非常に重要なことだと思います。フォルセナ大陸の未来がかかっているのですからね」

 

「本当に、申し訳なく思います」ハレーは深く頭を下げた。

 

「そんな、頭を上げてください、ハレーさん。我々がここまで戦えたのは、ハレーさんのおかげですから」

 

「いえ、私の力など微々たるもの。ランス様なら、私などおらずとも、同じ結果だったはずです」

 

「そんなことはありませんが……でも、そう言ってもらえると、励みになります。ありがとうございます」

 

 ハレーは頭を上げた。「今のランス様なら、必ず、ゼメキスを討ち、アルメキアを再興できると信じております。御武運を」

 

「はい。ただ、ひとつだけ約束してください」

 

「何でしょう?」

 

 ランスは、右の拳を左胸に当てた。

 

「……必ず、生きて戻ると」

 

 ハレーも、同じく右の拳を左胸に当て。

 

「もちろんです」

 

 大きく頷いた

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 ハレーは、旅立った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十七話 シュレッド 聖王暦二一六年三月下 エストレガレス帝国/王都ログレス

 旧アルメキアの王都ログレスの王宮は贅の限りを尽くした造りになっていた。愚王ヘンギストやその佞臣どもが己の権力を誇示するため、いたるところに金を費やしていたのである。謁見の間の王座やシャンデリアには煌びやかな宝石が散りばめられ、その部屋へと続く廊下には大陸中に名が知られた芸術家の絵や彫刻が並び、王や重臣の私室には一流の家具職人があつらえた机やベッドなどが置かれ、その窓からは何百人もの造園家が数年かけて作り上げたという広大な緑の庭園が広がっていた。

 

 だが、それも一年ほど前までの話だ。それらのものはすべて、ゼメキスのクーデターの夜に焼き払われた。現在のログレス王宮は、だだっ広い部屋に円卓と椅子を並べただけの質素な会議室や、同じく簡素な机やベッドなどの最低限の調度品しかない王や重臣の私室、無駄な装飾品や芸術品などは無い廊下や謁見の間など、およそ王宮と呼ぶには程遠い、いくさの最前線に建つ砦のような造りになっていた。ただ、庭園を潰して新たに造られた騎士や兵達の訓練場は、訓練用の模擬剣・槍、剣や弓の撃ちこみ台などを数多く揃え、あらゆる戦場での模擬戦を行えるよう、山や水辺・市街地・城・砦など、様々な地形を庭内の各所に再現するなど、ここだけは王の意向で多くの金がかけられている。

 

 クーデターの前後で大きく姿を変えたログレス王宮だが、ある一角だけは、クーデター後も変わらぬ姿で存在していた。地下牢である。囚人を収容する施設なので、王や重臣が住まう居住区からはかなり離れた場所にある。そのため、戦火を逃れたのだ。

 

 もっとも、施設こそ変わらぬ姿だが、そこに収容されている囚人はクーデター前後で大きく変わった。以前は、王宮内の謀略にはまりあらぬ罪をかぶせられた忠臣や、王や重臣の機嫌を損ねた使用人などで溢れていたが、彼らはクーデター後に解放され、逆に王の重臣やアルメキア側に就いて戦った騎士や兵が投獄されたのだった。

 

 その地下牢の最も奥まった場所にある独房に、かつてゼメキスの腹心であった騎士・シュレッドが囚われていた。彼はゼメキスの陣営にあってただ一人クーデターに反対し、デスナイト・カドールによって囚われ、投獄されたのである。

 

 

 

 

 

 

 薄暗い独房の中で瞑想をしていたシュレッドは、地下に生じたわずかな気配を察知し、静かに目を開けた。地下牢の最も奥まった場所にあるこの牢は、囚人の中でも特に罪の重い者を収容するためのものだ。一般牢からは完全に隔離されてあり、他の囚人の顔を見ることはおろか、声を聞くことすらできない。この独房で他人と接する機会は、看守が一日に二度食事を届けに来るときだけだが、そのときでさえ、言葉を交わすどころか姿を見ることもできない。この牢の扉は一般的な鉄格子のものではなく分厚い鉄の扉だ。看守は、その扉に取り付けられた開閉式の小窓に、無言でトレーを置くだけである。この独房の一日で何か変化があるとすればそれだけだった。

 

 そんな場所に一年以上閉じ込められていたシュレッドは、聴覚や嗅覚などが鋭敏になっていた。だから、遠く離れた地上と地下を繋ぐ階段に生じたわずかな気配も敏感に察知することができる。看守が食事を届けに来る時間ではない。生じた気配はひとつだけであり、新たな囚人が収容されるわけでもない。逆に、誰かが牢から出されることもまず無いだろう。クーデター直後は多くの囚人で溢れていたこの地下牢も、ほとんどの者が処刑や国外追放され、今はがら空きだ。残っているのはシュレッドと同じく、処刑も解放もされることのない特殊な事情を持った囚人だけである。

 

 気配は、まっすぐシュレッドの房へと近づいてくる。常人には決して聞くことのできないわずかな足音を聞くシュレッド。その音は小さく、歩幅は短い。女だな――と判断した。さらに、薄暗く不気味な地下牢を迷いなく歩く様子から、かなり心の強い女、恐らくは騎士であろう。

 

 そして、今この国の女騎士で、この地下牢に足を運ぶ可能性があるのは、一人しかいない。

 

 近づく足音は、シュレッドの房の前で止まった。がちゃり、と、錠前を外す音がする。そして、金属がきしむ耳障りな音と共に、シュレッドを閉じ込めていた扉が開いた。そこには、ゼメキスの妻・エスメレーが立っていた。

 

「……奥方殿……いや、今は(きさき)様と呼ぶべきかな?」シュレッドはわずかに頬を緩ませて言った。

 

 対するエスメレーは、わずかな表情の乱れもなく、静かに口を開いた。「あなたを解放します、シュレッド」

 

「どういうことでしょう?」

 

「ゼメキスのクーデターは成功し、カドールは去りました。もう、あなたを囚えておく理由はありません」

 

 エスメレーが事の経緯を話す。ゼメキスのクーデターが成功した裏には、魔導士ブロノイルの暗躍があったこと、ブロノイルとカドールは繋がっていたこと、ブロノイルはカドールを使ってゼメキスを暗殺しようとしたこと。驚きはしなかった。この一年の間、考える時間は多大にあった。ゼメキスのクーデターが成功したのは裏で大きな力が働いたことは明白であり、その大きな力とはクーデターを提案したカドール以外に考えられなかった。また、クーデターの数年前からゼメキスの周りにはブロノイルという得体のしれない魔導士の姿があった。このふたつを結びつければ、おのずと答えは導き出される。

 

「――そうか。やはり、ブロノイルとカドールが……」シュレッドは忌々しい思いと共に言う。「初めから胡散臭い男だとは思っていた。ゼメキスも信用していた訳ではないのだろうが……カドールは、武の力だけは計り知れないものがあった。それゆえ、この国の武力という面では大きな損失ではあるな」

 

 その心根はともかく、カドールは旧アルメキア時代よりゼメキスと共に戦い、多くの戦果を挙げてきた。クーデター後のこの国においても同様であっただろう。カドールの裏切りで、ゼメキスを支える大きな柱がひとつ失われたことは、変えようがない事実である。

 

「今こそあなたの力が必要です、シュレッド」

 

 エスメレーのこの言葉に、シュレッドは自嘲気味な笑みを浮かべた。「一年も牢にいた男に、何ができる」

 

「今のこの国に足りないものが何か、あなたには判っているはずです」

 

「…………」

 

 牢に囚われている間も、シュレッドは外の状況を把握していた。囚われの身であっても、かつてはゼメキスの腹心として多くの兵を指揮した騎士だ。食事を届けに来る看守の中に、忠実な部下を一人紛れ込ませるくらいのことはできる。その部下から一節に二度の割合で各国の情勢に関する報告を受けていた。この国――エストレガレス帝国は、開戦当初こそ領土を拡大するも、その後は少しずつ他国に侵略されている。ゼメキスやカドール、剣聖エスクラドスに魔術師ギッシュなど、大陸でも上位の実力を持つ強力な騎士を持ちながらも、敵国の侵攻を止めることができていない。理由は明白だ。大陸中央にあるこの国は全方位敵国に囲まれており、全ての国と同時に戦わなければならない。それになのに、騎士の数はあまりにも少ない。ゼメキスやエスクラドスなどの強力な騎士は戦場においてはほぼ負け無しだ。しかし、全ての敵に彼等だけで対応はできない。必ずどこか手薄な場所ができ、そこから侵略されているのだ。

 

 そして何より、この国は、ゼメキスら強力な戦力を上手く使いこなしていない。

 

「今のこの国は、防衛のために戦っている」シュレッドは冷静な口調で言う。「拠点を奪われたら奪い返し、敵拠点を奪っても防衛のためなら放棄する。今のままでは、半年も持たぬであろう。いま軍総帥の座に就いているのは魔術師のギッシュだと聞いているが……あの男には、今のこの国の軍総帥の座は荷が重すぎるであろう。アルメキア時代ならばこの戦い方でも良かったのだろうが、今は違う。ゼメキスの目的は大陸制覇だ。国土の防衛ではない。例え十の城を奪われようと二十の城を奪う。それが、今のこの国に必要な戦い方だ」

 

「あなたは誰よりも長くゼメキスの側で戦ってきました。あの人のことは、あなたが一番判っているでしょう」

 

「それはどうかな? 今はあなたの方が判っていると思うが」

 

 シュレッドはもう一度頬を緩めたが、エスメレーの表情は変わらなかった。

 

 シュレッドは続ける。「――だが、あいつが俺を許すだろうか。俺はあいつのクーデターに反対した。あいつに、戦うことを放棄させようとしたのだ」

 

「あなたのような人こそ、今のあの人には必要なのです。ゼメキスに引き合わせます。しかし、もう一人、牢から解放せねばなりません」

 

 もう一人――この一年の間、この地下牢の囚人のほとんどは処刑、あるいは国外へ追放された。今も残っているのは、シュレッドと、もう一人しかいない。

 

「ソレイユの母親か……」シュレッドはつぶやくように言った。「しかし、それではソレイユが……」

 

 ソレイユは、かつて神官騎士団に属していた男である。個の力は極めて凡庸な騎士だが、獣と心を通わす特殊な力を持ち、魔物を統べる力・統魔力に優れていた。旧アルメキアに対し愛国心を持ち、クーデターに加担しようとしなかったのだが、その力を利用しようとしたカドールに母親を囚われ、この国の騎士として戦うことを強要されたのである。その母親を解放すれば、恐らくソレイユはこの国を去るだろう。ソレイユの統魔力は鍛えればゼメキスすらも上回る可能性がある。カドールが去り、その上ソレイユまでも去れば、この国の戦力がさらに低下するのは明白だ。

 

 それでも、エスメレーは迷いなく言う。「ソレイユの件をゼメキスは知りません。親を人質にとっていたなど、あの人のプライドが許さないでしょう。それに、何かを決める時、自分の意思で決めることができない人生ほど、辛いものはありませんから」

 

「そうか……では、好きにされるが良かろう」

 

 自分の意思で決めることができない人生ほど辛いものはない――今の言葉がソレイユだけでなくエスメレー自身のことを言っていることに、シュレッドは気が付いた。エスメレーは、二年前の旧アルメキアとノルガルドの講和の際、人質として差し出された。エスメレー自身はそれを運命と受け入れているように振る舞っていたが、今の言葉を聞く限り、本心は違うところにあるのかもしれない。

 

「リドニーにて、あなたが白狼の部隊を退けた話は聞いた」シュレッドは、エスメレーの本心を探るように言う。「俺は、あなたが弟君と戦いを決意するほど、ゼメキスのことを愛しているとは思わなかった」

 

 エスメレーは。

 

「――愛してなどいません」

 

 即座に否定し、そして続けた。「ただ、私は運命に流されるまま生きてきただけ。あの人は、運命に抗おうとしている。私は、運命に抗う強さを持ったあの人に、憧れているのかもしれません」

 

 シュレッドは目を伏せた。

 

 ――王妃……それを、愛と呼ぶのだ。

 

 だが、その言葉は、胸の奥にしまい込んだ。

 

 代わりに。

 

「俺は一刻も早くこの戦乱を終わらせるために戦おう。あいつと、あなたのために」

 

 そう告げた。

 

「――感謝します」

 

 エスメレーは短く言い終えると、牢を出た。

 

 その後に続くシュレッド。

 

 一年間牢に閉じ込められていたシュレッドだが、牢の中でさらに拘束されたりしなかったのは幸いだった。狭い牢だが、身体を自由に動かすことはできた。身体を動かすことができるのならば、鍛えることもできる。

 

 シュレッドは右の拳を左の掌に打ち付けた。

 

 その拳は、今も鈍ってはいない。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十八話 ゼメキス 聖王暦二一六年四月上 エストレガレス帝国/王都ログレス

 エストレガレス帝国の王都ログレスの会議室には、皇帝ゼメキス、総帥ギッシュ、神官騎士団長ローコッドなど帝国の主だった騎士が集まり緊急の戦略会議が行われていた。この半年の間で、帝国は多くの領土を失った。二月、南の国イスカリオにアスティンとカーナボンを奪われ、西アルメキアにオークニー・エオルジア・オルトルートを奪われた。北からのノルガルド侵攻は何とかリドニー要塞にて食い止めたものの、再び侵攻してくるのも時間の問題だ。カーレオンこそ開戦直後にソールズベリーを奪って以降は大きな動きを見せていないが、防衛に専念しつつ兵力を高めているという情報は掴んでいる。いつまでも大人しくはしていないだろう。

 

 これらの四国を相手にどう戦うか――それが、今回の会議の主題だった。しかし、円卓を囲む騎士たちは誰もが口をつぐんでいた。長い沈黙が続いている。誰もが、他の誰かの発言を待っている状態だ。それはつまり、有効な策が無いということに他ならない。

 

 かつて大陸最強を誇った旧アルメキア軍をほぼそのまま引き継いでいるエストレガレス軍。しかし、いまやかつての栄光は見る影もないほどに疲弊してしまった。理由は明白だ。新たに仕官する騎士がいないのだ。今回のいくさをきっかけに、他国では新たな騎士が多く仕官し、次々と戦場に出ている。ルーンの加護を持たない一般兵も多く集まり、戦力を充実させている。

 

 それらが、エストレガレス帝国では行えていないのだ。

 

 フォルセナ大陸全土を巻き込んだ今回の戦乱。その発端となったこの国を、周辺国家の騎士や民が敵視するのは当然と言えた。そんな国に仕官する騎士などいるはずがない。いま新たに仕官する騎士は、皆帝国を倒すために立ち上がっているのだ。この国は騎士の登用がうまく行っていない。それどころか、エニーデやメルトレファス、ソレイユといった若く有望な騎士が次々と国を去っている有様である。そこに追い打ちをかけるかのごとく、長年ゼメキスの腹心を務めてきたデスナイト・カドールの裏切り。エストレガレス軍の士気は大きく低下していた。もはやこの国には、周辺四国を相手に戦う力は残っていない。誰もが、そう考えていた。

 

 重苦しい沈黙が続く。それを破ったのは、魔導の名門カールセン家の当主・ランギヌスだった。ログレスの南にある都市・トリアの領主であり、エストレガレス軍では剣聖エスクラドスに次ぐ年長者でもある。

 

「誰も言い出せぬようなのでわしが言わせていただきますが――降伏、という手もありますな」

 

 総司令ギッシュが、椅子を倒さんばかりに立ち上がった。「貴様、ゼメキス陛下に負けを認めろと言うのか!?」

 

「それもひとつの方法だと申し上げているのです。もちろん、降伏となれば陛下やクーデターに加担した者がただではすまないことは理解しております」

 

 降伏をすれば、クーデターを起こしたゼメキスはもちろん、アルメキア軍に強い影響力があった剣聖エスクラドス、魔術師団を率いたギッシュ、神官騎士団を率いたローコッド。これらの者の処刑は免れないであろう。無論、やむなくゼメキス側に付いた騎士も、今までの地位は剥奪される。

 

「無論、降伏の提案をしたわしも首を差し出させていただきます」ランギヌスはそう言った後、隣に座るミラとミレの双子の騎士を見た。「それで民や若い騎士が助かるのであれば、無駄ではありませぬからな」

 

「……そんな……ランギヌス様が……」

 

 動揺した様子の二人。ミレはランギヌスの養女として十七年もの間カールセン家で育った。『双子は呪われた存在』という根拠のない言い伝えで家を失ったミレにとって――もちろん、双子の姉であるミラにとっても――ランギヌスは恩人である。それが、降伏することによって処刑されるともなれば、動揺するのも無理はない。

 

「フン! 降伏など、断じて認めるわけにはいかぬ!」ギッシュは机に拳を叩きつけた。

 

「では、総帥殿には良案がおありなのですか?」ランギヌスは落ち着いた様子で訊いた。

 

「――――っ」

 

 言葉を失うギッシュ。この戦局を打開する案など、簡単に出るはずもない。ギッシュは苦々しげな表情でランギヌスを睨んだまま椅子に座り直した。

 

 またしばらく沈黙が続いた後、皆の視線がゼメキスに注がれた。やはり、最終的な決定権はゼメキスにある。

 

 降伏――ランギヌスからこの提案が出たことは当然とも言えた。ランギヌスはトリアの当主。民を守る方法を最優先に考えてのことだろう。

 

 そして、それはいまやこの国の王となったゼメキスも考えなければならないことだ。

 

 軍隊とは、他国を攻めると同時に、他国の侵略から国を守る役割も持つ。かつてフォルセナ大陸で最強を誇ったアルメキア軍の総帥まで上り詰めたゼメキスは、そのことを十分に理解していた。ゼメキスがノルガルドとの戦闘で常に最前線で戦い続けたのは、アルメキアという国を――すなわちアルメキアの民を守るためである。民を守ることこそが、軍人の最大の使命と言える。クーデターによりアルメキアを乗っ取ったのは、決して理不尽な処刑命令から己の身を守るためだけではない。あのままゼメキスが処刑されていたら、アルメキア軍は大いに弱体化したであろう。そうなると、ノルガルドの侵略を止めることはできなかったはずだ。

 

 このままエストレガレスが最後まで戦い続ければ、騎士や兵だけでなく民にも被害が出る。よもやあのランスが民を虐殺することは無いだろうが、大都市であるログレスやトリアで戦闘が始まれば、民にも被害が及ぶことは避けられない。いま降伏すれば、それは避けられる。現在この国は、多くの騎士が去り、新たな騎士が仕官する当てもなく、軍の士気は低い。このまま戦い続けても、勝ち目がほぼ無いことは明白だ。ならば、降伏という選択肢は十分に考慮すべきものである。あとは、その屈辱を受け入れるかどうかだ。

 

 ――と。

 

 ノックも無しに扉が開いた。

 

 円卓を囲む騎士たちの目が一斉に扉に注がれる。そして、部屋に入ってきた者の顔を見て、一斉に驚きの声を上げた。

 

 入ってきたのはゼメキスの妻エスメレーと、クーデターの直前より長く行方をくらませていたゼメキスの側近シュレッドだった。

 

 ゼメキスも驚き、大きく目を見開いた。「シュレッド! 貴様、今までどこにいた!!」

 

「カドールによって地下牢に囚われていたのだ」シュレッドは静かな口調で言った。

 

「カドールに……?」

 

「そうだ。カドールが去ったおりに、后によって解放された」

 

 シュレッドは、ゼメキスの配下にあってただ一人クーデター反対した騎士だ。クーデターはカドールによって下準備がされていたことだ。それはすなわち、ブロノイルが仕向けたということである。恐らく、余計な邪魔をされぬようにシュレッドを捕らえたのだろう。

 

 エスメレーが会議に加わるように円卓のそばに立った。「ゼメキス。わたくしは、魔術師ギッシュに代わり、このシュレッドを軍総帥の座に就かせることを望みます」

 

「后殿! なにを仰るのです!?」と、ギッシュが声を上げる。

 

「――そなたの策はゼメキスの力の半分も活かしていない」そう答えたのはシュレッドだった。「そなたは戦場での経験がまだ足りぬ。今のこの国の軍総帥の座は、荷が重かろう」

 

 ギッシュはシュレッドを睨んだ。「そなたにならできるとでも言うのか? フン! 一年も牢にいた男に、何ができる!?」

 

「俺は誰よりも長くゼメキスと共に戦ってきた。ゼメキスのことは誰よりも判っているつもりだ。戦場での経験も、そなたよりもはるかに上だ」

 

「ならば試してみるか!?」

 

 法衣をひるがえし、杖を構え、挑発的な視線を向けるギッシュ。

 

 だが、シュレッドは挑発には応じず、静かな口調で続ける。「今のこの国では仲間割れをしている余裕は無い。それに、なにもそなたの実力を疑っているわけではない」

 

「なに?」

 

「そなたも総帥の座にあることで己の実力を活かしきれていない。そなたも積極的に戦場の最前線に出て、その魔力を振るうべきだ」

 

「…………」

 

 沈黙するギッシュ。あるいはギッシュ自身も、そのことには気が付いていたのかもしれない。

 

 エスメレーがゼメキスを見た。「ゼメキス。あなたもギッシュの作戦にはやりにくさを感じていたはずです。自分の戦い方に合わぬと」

 

「…………」

 

 エスメレーの言う通り、防衛を重視するギッシュの策には、ゼメキスも疑問を抱いていた。アルメキア時代は宮廷魔術師として王に様々な献策をし大きな信頼を得ていたギッシュだが、それは内政に関することばかりだ。シュレッドの言う通り、ギッシュには戦場の経験が足りない。総帥の座は荷が重いということも判っていたのだが、それでもギッシュに任せるしかなかった。旧アルメキア時代は軍総帥の座にあったゼメキスだが、自身は力に頼った戦いを得意としており、策を弄するのは不得手だった。そのため、軍全体の作戦は軍師モルホルトやこのシュレッドに任せていたのだ。しかし、クーデター後、モルホルトはノルガルドへ亡命、シュレッドは姿をくらました。他に適任者もおらず、やむなくギッシュに総帥の座を任せたというのが実情だ。

 

「ですが、后様」と、ランギヌスが言った。「今、我らは民のために降伏の道もありうる、という話をしていたのです。このまま戦い続けていては被害が広がる一方だと」

 

 ランギヌスの発言に反対の声は上がらない。いまさら総帥が変わったところで劣勢は変わらないであろう。それだけで周辺四国相手に戦い続けることができるようには思えなかった。再び会議室は沈黙する。

 

 それはつまり――諦めを意味していた。

 

 エスメレーは、その場にいる騎士一人一人の顔を見た。

 

「……あなた方は、何のために戦いを始めたのですか?」

 

 それは、静かだが、内に怒りを秘めた声だった。

 

「ブロノイルの言う通り、あの者の操り人形にすぎないのですか? 違うでしょう? 愚王を倒すため、王宮に蔓延る佞臣どもを一掃するため、国を正しい方向に導くため、民を守るため、家名復興のため……それぞれ目的は違えど、皆、己の意志で戦いを始めたはずです」

 

 その言葉に、皆、忘れていた何かを思い出したかのように、はっとした表情になった。

 

 ゼメキスも例外ではない。

 

 愚王ヘンギストの処刑命令に背き、アルメキアへクーデターを起こした。新たな国を興し、他国からの報復や侵略行為を退けるためにこの戦争を始めた。

 

 それが、全てブロノイルの企みだったというのか? 己に問う。

 

 答は決まっていた――断じて違う。

 

 俺は俺自身の意思でクーデターを起こし、そして、このフォルセナ大陸全土を巻き込む戦いに身を投じたのだ。ブロノイルなど関係ない。ここで戦うのをやめたら、己の意志を否定することになる。

 

「――それなのに」と、エスメレーは言葉を継ぐ。「この程度の劣勢で諦めるのですか? まだ領土は残っています。兵も、モンスターも、騎士も、武器も、まだ十分に残っています。あなた方が戦わなければならない理由も、まだ残っているはずです。あなた方は、まだ戦えるはずです。降伏など許されません。(こころざし)半ばで諦めるなど、決して許しません。例え多くの領土を失い、兵を失い、傷つき、その身が滅びようとも――」

 

 円卓を囲む騎士を見渡していたエスメレーの瞳が、その瞬間、まっすぐにゼメキスに向けられた。

 

 そして――。

 

「――魂のひとかけらとなるまで戦い続けなさい!!」

 

 エスメレーは、そのはかなげな外見からは想像もつかないほどの力強い声で、叫んだ。

 

「――――」

 

 会議室内を、再び沈黙が覆う。

 

 だがそれは、さっきまでの諦めによるものではない。張りつめたような沈黙。ほんのわずかな衝撃を加えるだけで何かが爆発してしまうような沈黙だ。

 

 ゼメキスは、胸の奥から笑いがこみあげてくるのを感じていた。今のエスメレーの言葉は、この場にいる者すべてに投げかけているようで、実のところ、ゼメキス一人に対して投げかけている。そのことに気が付いたからだ。今のは、降伏を受け入れようとしたゼメキスへの(げき)だ。こらえきれず、ゼメキスは声を上げて笑った。魂のひとかけらとなるまで戦え――よもや、エスメレーからそのような言葉を聞くことになるとは思わなかった。部下達が戸惑いの顔で見つめるが、ゼメキスは構わず笑い続けた。

 

 そして。

 

 笑うのをやめ、円卓を囲む騎士たちに鋭い目を向けた。「エスメレーの言う通りだ! 俺は初めに言ったはずだ。このいくさ、途中で降りることは、決して許さぬとな! 各々が戦う理由を思い出せ! そして、最期の最期まであがいてみせろ! 騎士の誇りを賭けて戦い続けるのだ!!」

 

 この言葉に。

 

「もちろんです!!」

 

 双子の騎士の姉・ミラが立ち上がった。「あたしとミレは、没落したベルフェレス家の復興のために仕官しました。その目的は今も変わりませんが、でもそれ以上に、『呪われた双子』と言われ続けたあたしたちを受け入れてくれたゼメキス陛下と皆さんの恩に報いたいです! 陛下! あたしは、どこまでも陛下について行きます!!」

 

「あたしも戦います!」妹のミレも立ちあがる。「大恩あるゼメキス陛下やランギヌス様を処刑になんてさせません!」

 

「我らの戦いには、大義があります」神官騎士団長のローコッドが続く。「他国からすれば、我らエストレガレスは大陸全土を戦乱に巻き込んだ許されざる存在かもしれません。しかし、我らが戦い始めたのは決して私利私欲のためではありません。愚王とその愚臣共を一掃し、圧政に苦しむ民を救うために戦い始めたのです! 敵国の者どもにどう思われようと、我が国の民はゼメキス陛下の味方です! ならば、この国を守るために戦い続けましょう!」

 

「フン、よかろう!」と、ギッシュがシュレッドを睨みつけた。「そなたの言う通り、総帥の座は譲ってやる。あれだけの大口を叩いたのだ。その手腕、見せてもらうぞ!」

 

「……ならば、仕方あるまいな」ランギヌスも苦笑と共に立ち上がる。「ワシとて、好きで首を差し出したいわけではない。娘たちが戦うというのならば、最後まで見届けよう」

 

 他の騎士たちも立ち上がり、戦う決意を口にする。さっきまでの諦めた空気は、もうどこにもない。

 

 ゼメキスはシュレッドを見た。「シュレッド! 腕は鈍っておらぬだろうな!!」

 

「無論だ」シュレッドは口の端を上げて答えた。

 

「ならば総司令としての策を聞こう!」

 

「今までのような生温い策ではないぞ。王と言えど、存分に血を流してもらう。覚悟は良いな」

 

「フン! 望むところ!!」

 

 シュレッドは卓上に地図を広げ、作戦の説明を始めた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九十九話 アルスター 聖王暦二一六年五月上 エストレガレス帝国/カーナボン

 長らくエストレガレス帝国に奪われていた領地アスティンを奪還し、続いてソールズベリーとカーナボンの城を制圧したイスカリオ。着実に勢力を伸ばすも、君主ドリストや狂戦士バイデマギスなどイスカリオの主だった騎士が、王都にて開催の『第五百四十九回全国美味いもの大食い選手権』へ参加し、前線の戦力は大幅に低下。この機を逃さぬ帝国の反撃により、カーナボンを奪い返されてしまう。このままではソールズベリーも危ういと死刑囚アルスターは王都へ援軍を要請するも、ドリストは援軍を送るどころか、よせばいいのに西アルメキアへちょっかいを出す命令を下す。この命を受けたキラードール・イリアが万年金欠剣士ダーフィーらと共に西アルメキア領オルトルートへ出撃。しかし、「君主ランスの首を獲る」と鼻息も荒かったダーフィーが開戦後数時も経たずあっさりと敗北し、撤退。イスカリオの勢いは、完全に止まってしまった。

 

 しかし五月。大食い大会が終了したことでドリストやバイデマギスらがようやく戦線に復帰。ドリストは、腹ごなしとばかりにさっそくカーナボンへの再侵攻を始めた。

 

 

 

 

 

 

「――それでは、今回の作戦の概要を説明させていただきます」

 

 ソールズベリーからカーナボンへ続く街道上へ布陣したイスカリオ軍。死刑囚アルスターは、今回出撃する騎士たちに作戦の説明を始めた。カーナボンは、帝国領と旧レオニア領を分断する数千メートル級の山々が連なる山脈のふもとに立つ城だ。この地形上、防衛側の背後に回り込むのは非常に困難で、城攻めの定石とも言える包囲戦は行えない。ゆえに、戦力を分散させず一点に集中する作戦を立てたのだが。

 

「がーっはっはっはーっ!!」と、今回出撃する騎士の一人である狂戦士バイデマギスが、いつものように大口を開けて豪快に笑った。「あんちゃん! 俺らに作戦なんてモンはいらねぇよ! 目の前の敵をブッ飛ばすだけだ!」

 

 そう言った後、バイデマギスは「行くぜぇ! ギャロ!」と、相棒の旅芸人騎士に呼びかける。ギャロは、「了解でやんす~」と陽気な声で応じる。

 

「ああ、ちょっと――」

 

 というアルスターの声など、もちろん届かない。二人は兵を率い、勝手に突撃していった。まったく、せっかく寝る間も惜しんで立てた作戦なのに、と、アルスターは大きくため息をついた。

 

「――邪魔だ、どけ!」

 

 後ろからお尻に蹴りを入れられ、つんのめって倒れるアルスター。振り返ると、愛用の大鎌を肩に担いだドリストが、薄ら笑いを浮かべてカーナボン城を見つめていた。ドリストは今回のいくさの総大将だ。出撃する騎士にバイデマギスら選んだのも彼である。

 

 アルスターはお尻をさすりながら立ち上がった。「ああ、陛下。今回の作戦はですね……」

 

「けっ。てめぇのこざかしい作戦なんぞ知るか。オレ様のこのルインサイスで目の前の敵を叩き斬る、それだけよ。てめぇはここで、オレ様の昼寝用の幕舎でも建ててろ。戻るまでに準備できてなけりゃ、死刑だからな!」

 

 そう言うと、ドリストも兵を率いて突撃していった。

 

 大きくため息をつくアルスター。ダメだ。一国の君主である陛下ですら、筋肉バカのバイデマギス殿と同じ思考だ。こんな様子で、本当にこの国は大丈夫なのだろうか? まあ、三人がまっすぐ城へ突撃したことで、結果的に作戦通りの一点集中攻撃になったのは不幸中の幸いだったが。

 

 やれやれ、と肩を落とすアルスター。気を取り直し、命令通りドリスト用の昼寝専用幕舎の設営を始めた。

 

 ――が。

 

 出撃から一時も経たず、ドリスト達は戻ってきた。

 

「へ……陛下。これはお早いお帰りで。幕舎はもうすぐできあがりますので、少々お待ちを」

 

 アルスターはお尻を蹴られることを覚悟しつつ設営を急ぐ。が、予想に反して蹴りは飛んでこなかった。なにやら難しい顔をして考えている様子のドリスト。そう言えば、戻って来るにしては随分と早いように思う。ドリストはどんなに有利な戦況でも昼寝の時間を優先するため突然の撤退は珍しくないのだが、昼寝の時間にはまだ数時もある。

 

「えっと、陛下はどうされたのでしょう?」アルスターはギャロに訊いた。

 

「それがですねぇ……城に敵がいなかったんでやんすよ」ギャロは首をひねった。

 

「はい? 城に敵がいない?」

 

「ええ。完全にもぬけの殻でやんした」

 

「がーっはっはっはー!」と、バイデマギスが笑う。「大方、俺らにビビって逃げ出したんだろうよ!」

 

 今回の出撃はドリストの突然の命令で始まったため事前の情報収集が万全ではなかったものの、カーナボンには帝国軍総帥のギッシュや剣聖エスクラドスが守備についていると思われた。『帝国四鬼将』と呼ばれる猛者の内の二人であり、ビビって逃げるような騎士ではない。

 

 アルスターも首をひねっていたら、西の方向から「へいか~へいか~」と、慌てた様子でドリストを呼ぶ声がした。見ると、死刑囚で太鼓持ちの魔術師キャムデンが、ものすごい勢いで走って来る。そしてドリストらの前で土埃を巻き上げながら急停止した。

 

「……へ……陛下に……急報で……ございます……」

 

 息も絶え絶えに言うキャムデン。キャムデンは一見すると王に媚びへつらう小物だが、実は侮れない魔力を持っている。最も得意とするのが疾風のごとく走ることができる魔法だ。この魔法を使えば馬よりも早く走ることができるため、急報の伝達には大いに役に立つ。もっとも、彼がこの魔法を使うのは、もっぱら敵から逃げる時なのだが。

 

 キャムデンは息を整えると、懐からメモ帳を取り出し、パラパラとめくった。「エストレガレス帝国の皇帝ゼメキスが兵二十万を率い、トリアより西アルメキア領オルトルートへ侵攻、あっという間に制圧してしまいました」

 

「に……二十万!?」思わず声を上げるアルスター。かつて大陸最強を誇った旧アルメキア軍を引き継いでいる帝国とは言え、そうやすやすと率いる兵力ではない。オルトルートは、現在イスカリオ領となっているソールズベリーの北西にある城だ。そこから兵を分け、イスカリオ側に侵攻してくる可能性が高い。

 

「陛下! ソールズベリー防衛のため、すぐに戻りましょう!」と、アルスターは提案するが。

 

「それが――」と、キャムデンが報告を続ける。「ゼメキスは制圧したオルトルートを放置し、そのまま全兵力で北西のエオルジアへと侵攻して行きました。現在オルトルートは、もぬけの殻です」

 

 この報告に、ドリストの目が鋭くなった。

 

 せっかく落としたオルトルート城を放置? どういうことだろう? この情報が間違いでないのなら、ソールズベリーから攻め込めば簡単に制圧することができる。だが、誤報であることはもちろん、なんらかの罠である可能性も考えられる。安易に攻め込むのは危険かもしれない。

 

「……へ……陛下……いかがいたしましょう?」アルスターは恐る恐る指示を仰いだ。

 

 ドリストは、しばらく鋭い目で沈黙していたが、やがて、唇の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。「クックック……ゼメキスのヤツ、やるじゃねぇか」

 

「……はい? それは、どういう意味でしょうか……?」

 

「あん? なんでもねぇよ」と言った後、ドリストは続ける。「まあ、敵がいないんじゃぁしょうがねぇ。ヤローども! 出直すぜぇ! おいアルスター! てめぇは残ってカーナボンを制圧しときな!!」

 

 そう命令すると、ドリスト達はアルスターを残し、ソールズベリーへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇〇話 カイ 聖王暦二一六年五月上 カーレオン/ハーヴェリー

 カーレオンの西にあるハーヴェリー城の私室にて、賢王カイはベッドに横になり目を閉じていた。妹メリオットに言わせれば昼寝をしている状態だが、これは、大陸一の知恵者と言われるカイが脳をフル回転させて考え事をしている状態である。

 

 昨年末、メリオットの友人で旅の絵描き騎士のミリアが、クラレンスという騎士を連れ帰った。他国と比べ騎士が不足しているカーレオンにとって貴重な戦力となる士官だったが、それ以上に、クラレンスがかつてアルメキア神官騎士団に属していたということが大きな収穫だった。アルメキア神官騎士団は、昨年二月のアルメキアのクーデターにおいて、ゼメキスの陣営に就いて戦った勢力のひとつである。謀略の(すべ)に長けていないゼメキスがどのようにして神官騎士団や魔術師団を味方に就けたのか――開戦以降、カイはこれをずっと疑問に思っていた。

 

 クラレンスの話によると、神官騎士団は初めゼメキス側に就くことに否定的だったが、パラドゥールという名の神官が、団長であるローコッドをはじめとする神官騎士たちを扇動したという。パラドゥールは、かつては将来を有望視された優秀な神官だったが、権力を欲し宮廷進出を狙っていたらしい。神に仕える身でありながら権力欲に憑りつかれた、というわけである。こういう人物はどこの国の宗教団体にも少なからずいるため、ありがちな話である。パラドゥールという男が全ての黒幕である可能性は極めて低い。カイが気になったのは、そもそも神官騎士団にクーデターの話を持ちかけたのは、ブロノイルという名の魔術師らしい、ということだった。

 

 ブロノイル――初めて聞く名だ。カイの頭には旧アルメキアやエストレガレス帝国をはじめとする全ての国に仕えている騎士のデータが入っているが、該当する人物はいない。無論、ルーンの加護を持ちながらも仕官しない者は多くいるので、大陸全員の騎士を把握しているわけではない。だが、名もなき在野の騎士がゼメキスのクーデターのお膳立てをしたとは到底思えなかった。このブロノイルという魔術師について調査する必要がありそうだ。

 

 ばたん! と勢いよく扉が開き、「あ、お兄ちゃん! やっぱり寝てる!」と、妹のメリオットが騒がしく入って来た。今日は朝から外出していて城内は静かだったのだが、それも終わりのようだ。

 

 やれやれ、と内心ため息をつきながら、ゆっくりと身を起こすカイ。「いつも言ってるだろ? これは寝てるんじゃなくて、考え事をしてるんだよ」

 

「いつも言ってるでしょ? そんな言い訳には騙されません。それより、今日の獲物、見て見て」

 

「獲物? ああ、今日は、月に一度の狩りの日だったね」

 

「もう! 妹の予定くらいちゃんと覚えておいてね」メリオットは頬を膨らませた。

 

 メリオットは、弓を扱う騎士である。その訓練の一環として、月に一度郊外の森などに出かけ、狩りをすることになっていた。無論、そのお転婆ぶりからそう見えないかもしれないが一応メリオットは王族なので、護衛の騎士を数人付けるようにしている。今日は、ナイトマスターのディナダンと拳闘士のシュストがお供したはずだ。

 

「失礼しますよ、陛下」と、ディナダンとシュストが入って来た。その手に、丸々と太ったウサギを持っていた。

 

「じゃーん! あたしが仕留めたんだよ? スゴイでしょ?」得意げな顔になるメリオット。

 

「これは見事なウサギだね。メリオットの弓の腕も、そこそこ上達したのかな?」

 

「そこそこってことはないでしょ? かなり上達してるわよ。このウサギ、こんな丸々太ってるのに、結構すばしっこかったんだから。しかも! このウサギ、ただのウサギじゃないんだよ? なんと、人間の言葉を喋るの!」

 

「え? ウサギが、言葉を喋るのかい?」

 

「そうなの! 『助けてくれたら、僕の宝物を差し上げます』って。あたしもびっくりしちゃった」

 

「でも、仕留めたってことは、その取引には応じなかったわけだ」

 

「当たり前よ。まあ、宝物っていうのが何かは気になったけど、やっぱり、今晩のおかずには代えられないから」

 

「喋るウサギに対して、よく食欲が湧くもんだね」

 

「なんで? 喋っても喋らなくても、ウサギはウサギでしょ? 世の中は弱肉強食。食うか食われるかの世界に、情けは無用よ」

 

「やれやれ。頼もしいのか先が思いやられるのか、なんとも複雑な気分だね」

 

 そう言って、カイは苦笑いをした。

 

「さて――」と、メリオットはディナダンたちを振り返った。「今日の食事当番は、ディナダンとシュストだったよね? このウサギ、どう調理するの?」

 

「そうですなぁ」ディナダンは意地悪そうな笑みを浮かべた。「ちょうど、昨日収穫したキノコがたくさんありますので、キノコ料理にでもしましょう」

 

「あ! てめぇ!」と、シュストが声を上げる。「俺がキノコがニガテなの、知ってるだろ!?」

 

「なら、シュストの分は俺が全部食ってやろう」

 

「キタね~!」

 

 と、なんとも平和な会話がされている。

 

「君たちはこの国を守る騎士なんだから、もっと緊張感を持っていた方がいいんじゃないのかな?」カイは呆れ声で言った。

 

「これは失礼いたしました、陛下」と、ディナダン。「では、我らは防衛に専念しますので、今日の食事当番を代わっていただくということでよろしいでしょうか?」

 

「なぜそうなるのかな? 僕だって忙しいんだけどね。と、言うより、なぜこの国は騎士や王自ら料理をしないといけないんだろうね?」

 

「当然でしょ?」と、メリオットが腰に手を当てる。「掃除炊事洗濯、これらは不公平の無いよう、全部当番制。それがこの国の決まりだもん。たとえ王様でも、例外はありません」

 

「勝手にそんな決まりを作られても困るんだけどね……」

 

「でもまあ、お兄ちゃんの言うことも、判らなくはないかな。確かにこの国は、いまいち緊張感が無いよね」

 

 僕の計算では九九・四六パーセントの確率でメリオットが原因となってるけどね、という言葉は、何とか飲み込むカイ。

 

「考えてみたら、カーレオンって、恵まれてるよね」メリオットが言った。

 

「何がだい?」

 

「カーレオンって、国境が他国と接している城が、ハーヴェリーとスクエストしかないじゃない? スクエストの北の西アルメキアとは同盟を結んでるから、こっちからは攻められる心配が無い。このハーヴェリーさえ守ってればいいんだから、騎士不足のうちとしては、ありがたい限りでしょ?」

 

「守ってればいい、ってことはないんだけどね。なんとかして攻めることも考えないと」カイはまた苦笑いをした。

 

 もっとも、いまメリオットが言ったことは間違いではない。騎士不足が続くカーレオンにとって、一城を守ればよいというのは大きな利点だった。ハーヴェリーの守備さえ怠らなければ、兵力の増強に集中できる。だからこそ、騎士団長のディナダンや剣闘士のシュストなど有力な騎士も、メリオットの狩りのお供にすることができるわけだ。

 

 ドアがノックされ、「失礼します」と、宰相のボアルテが入室してきた。「陛下宛に、お手紙が届いております」

 

 ボアルテが差し出した封書を受け取る。裏を見ると、赤い鳥の羽根の刻印で封がされてあった。カイは表情を変えぬように注意し、封を開けた。幸い、メリオットが「見て見てボアルテ! 今日の獲物!」と狩りの話をし始め、ディナダンとシュストも話の輪に加わっており、誰もカイの方を見ていなかった。

 

「…………」

 

 手紙を読み終えたカイは。

 

「ディナダン。少し頼みたい仕事ができたから、お願いできるかな?」

 

「は? 頼みたい仕事、ですか?」カイの方を見たディナダンは首を傾けた。

 

「ああ。食事当番は、僕が代わるよ」

 

 メリオットが目を丸くする。「あれ? ものぐさなお兄ちゃんが自分から食事当番を代わるなんて、珍しいね」

 

「そうかい? まあ、可愛い妹がせっかく仕留めてきた獲物だからね。今夜は、僕が腕によりをかけて料理するよ」

 

「ホント? やったぁ」

 

「じゃあ、僕は少しディナダンと打ち合わせをするから、みんなは、先に台所へ行っててくれるかな?」

 

「うん、判った。あ、でも、そんなこと言って、寝ちゃダメだよ?」

 

「判ってるよ」

 

 カイがそう言うと、メリオットとシュストとボアルテは部屋を出た。

 

「……それで、頼みたい仕事とは?」それまでの呑気な表情から一転、騎士団長の顔になるディナダン。ただ事ではないことに気が付いたようだ。さすがに察しがいい。

 

 カイも表情を引き締めた。「スクエストに行って、防衛部隊を編成してほしいんだ。水兵や飛行モンスターを中心にね」

 

「スクエスト、ですか?」不意を突かれた表情のディナダン。「水兵や飛行モンスターということは、北からの侵略に備える、ということですか?」

 

「そうなるね」

 

 スクエストは、カーレオンの北に広がるドローラス海峡に突き出た岬上に建つ城だ。南北への移動は海峡に浮かぶ小島を繋ぐ橋を渡るようになっている。ゆえに、北からの侵略に備えるには、水上での戦闘を想定した軍を編成する必要があるのだ。

 

「陛下は、西アルメキアが同盟を破棄すると……?」ディナダンの目が鋭くなる。

 

「いや、そういうわけじゃないよ」カイは、さっき受け取った封書を取り出した。「いま、エストレガレス帝国に関する情報が入ったんだ。皇帝ゼメキスが兵二十万を率い、トリアからオルトルートへ侵攻したらしい」

 

「兵二十万ですか……それは、大層な数ですね。西アルメキアの戦力では、太刀打ちできないのでは?」

 

「ああ。オルトルートは半日も持たなかったそうだよ」

 

「でしょうな。しかし、いまの帝国の兵力で、二十万は、少々集め過ぎでは? それでは、防衛に回す兵が足りぬでしょうに」

 

「そうなんだ。だから、帝国はカーナボンの城を放棄したらしい。現在は、トリア・ディルワース・カドベリー・リドニーの四城を、それぞれわずかな兵で守っているみたいなんだ。しかも、ゼメキスが落としたオルトルート城も防衛せず、そのまま全兵力で北西のエオルジアへ侵攻したそうだよ」

 

「……守りを捨てた、ということですね」

 

「だろうね。帝国は西アルメキア・イスカリオ・ノルガルドの三国から攻められ、かなり追い込まれていた。最後の賭けに出たんだろう」

 

「では、陛下は西アルメキアが帝国に滅ぼされるとお考えで?」

 

「ゼメキスが二十万の兵を率いて攻めれば、その可能性は否定できないね。もちろん、西アルメキアも黙ってやられるわけはないだろうから、防衛が手薄になった隙を突いて侵攻するだろう。どちらが勝つのかは、正直、僕にも判らないよ」

 

「そうですか……判りました。もし西アルメキアが滅びるようなことになれば一大事ですからな。早めに準備しておいた方がよろしいでしょう」

 

「お願いするよ。ハーヴェリーの守りは、僕たちだけで十分だから」

 

「では、さっそくスクエストへ向かいます」

 

 ディナダンは一礼して部屋を出ようとしたが。

 

 ドアノブに手を賭けたところで振り返った。「ちなみに……その情報は、誰から得たのです?」

 

「うん?」

 

「現在カーレオンは、帝国と国境を接していません。北のソールズベリー、西のザナス、両方とも、イスカリオの領地です。オルトルートやカーナボンの情報を持ち帰るためには、国境をふたつまたぐ必要があります。そのわりには、随分と早い情報のように思います。我々騎士団の方には、まだその情報は入っていませんからな」

 

 ディナダンは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。「その手紙の刻印の赤い鳥の羽根、どこかで見たような気もするんですがね」

 

 カイも不敵な笑みを返す。「僕は国王だよ? 部下の誰も知らない情報源のひとつくらい、持っているさ」

 

「そうでしたか。それはお見それしました。では、失礼します」

 

 ディナダンはもう一度礼をすると、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇一話 アイバン 聖王暦二一六年五月上 エストレガレス帝国/リドニー

 ――なんでワシがこんな目に。

 

 

 

 

 

 

 リドニー要塞の屋上から川の対岸を見て、魔術師アイバンは胸の奥で呟いた。リドニーは、フォルセナ大陸で最も流域面積の広いアルヴァラード川の中州に建つ天然の要塞だ。旧アルメキア時代、最大の敵だった北の大国ノルガルドの侵攻に備えて建設された砦である。

 

 北の対岸にはノルガルド兵約七万が陣取っていた。それを指揮するのはノルガルドの軍師グイングライン。白狼王ヴェイナードの右腕で、名実ともにノルガルドのナンバー2と言える騎士だ。他にもノルガルドの名だたる将が集まっている。率いている兵やモンスターも、水上や空での戦いに特化した者たちばかりだ。リドニー攻略専用に編成された部隊である。リドニーの南はすぐ王都ログレスだ。ノルガルドにとっては帝国侵攻には必ず落とさなければならない拠点であり、帝国にとっては絶対に守らねばならない城だった。

 

 そんな要所に、なぜ自分などが配置されたのか――アイバンは全く理解できなかった。アイバンは、旧アルメキア時代より魔術師団に属し、それなりの地位を得ていたが、それは決して騎士として優れていた訳ではない。魔術も統魔力も戦術眼も並以下の実力しかなく、政治的手腕も無い。彼が優れている点はただひとつ、愚王ヘンギストやその佞臣どもに目を付けられることなく静かに王宮で生きていく術に長けていることだった。戦場で活躍できるような術は持っていない。それでも一応中級程度の魔術は心得ているため、皇帝や四鬼将など強者のサポート役に選ばれたというのならまだ話は判るのだが、今回共にリドニーへ配置されたのは、パラドゥールという神官と、シラハという得体のしれない男だった。

 

 パラドゥールは神官騎士団に属している男だが、高位の司教であり剣の心得は無い。アルメキアクーデターの夜、ゼメキスの陣営に就くことに否定的だった神官騎士団を扇動したのがこの男である。聖職者でありながら権力欲に憑りつかれ、常々王宮へ侵出する機会をうかがっていたとの噂だ。旧アルメキア王宮内に腐るほどいた愚臣の類である。そんな男だから、騎士としての実力はアイバンと大差ないであろう。

 

 シラハという男に関しては全くと言っていいほど情報が無かった。判っていることは、東方の小さな島国に伝わる武術を使う騎士である、ということくらいだ。東方の島国の武術と言えば剣聖エスクラドスが使う刀による剣技があるが、シラハの武術はそれとは違うようである。刀は持っておらず、槍の穂先に似た短剣のような武器を使うらしい。全身黒装束に身を包んだその姿は騎士というより暗殺者だ。暗殺者は人を殺す術に長けてはいるが、はたしてそれが戦場で役に立つのかは大いに疑問だった。相手の不意を突いて殺す暗殺術と大軍同士で殺し合う戦争ではまるで話が違う。

 

 この防衛部隊の総大将はパラドゥールだが、彼の命により用意したモンスターもアイバンには理解できなかった。多頭の水蛇ヒュドラが一体と、水兵マーマンが数体、半馬人ケンタウロスが数体、そして、食死鬼グールが大量だ。ヒュドラとマーマンは水上での戦いを得意とするためリドニーでの防衛には欠かせない。ケンタウロスは弓を得意とするので空を飛んで川を越えてくる敵には有効だろう。ただ、その数はあまりにも少ない。敵側の五分の一にも満たない数だ。いかに防衛に特化したリドニー要塞とは言え、これでは戦力差がありすぎる。さらに理解できないのがグールである。グールは体長一メートルほどの小柄な鬼で、死肉を喰らうという忌まわしきモンスターだ。フォルセナ大陸で召喚できるモンスターの中では最弱と言ってよいほどの力しかない。その分、召喚に使用する魔法の力・マナが少なく、低い統魔力の騎士でも簡単に従えることができるのだが、この重要な局面で多用するようなモンスターではない。こんなモンスターを使うくらいならば今からでも水兵や飛行モンスターを召喚した方が良いのではないだろうか。敵将グイングラインが率いているモンスターは水上モンスターや飛行モンスターが中心だ。昨年十二月の侵攻時よりも数が少なくなっているのは確かだが、それでも、こちらの戦力で立ち向かえる相手ではない。

 

「パラドゥール殿、本当にこんな戦力でノルガルドと戦うつもりなのか?」我慢しきれず、アイバンはパラドゥールに問うた。

 

「無論だ」と、パラドゥールは自信に満ちた表情で頷いた。「総帥から直々に命令を受けたであろう? 『どんな手段を用いても構わんから必ず防衛しろ』と」

 

「確かにそうだが、いくらなんでも無茶すぎる。新しい総帥は、いったい何を考えているのだ」

 

 帝国樹立後、軍総帥の座には魔術師団長のギッシュが就いていたが、戦績が振るわなかったせいだろうか、先月、アルメキア時代からゼメキスの腹心であるシュレッドがギッシュに代わり総帥の座に就いた。帝国四鬼将最後の一人と呼ばれている騎士だったが、帝国樹立後は長らく姿をくらましていた。デスナイト・カドールの企みによって一年以上地下牢に囚われていたとのことである。そんな長く戦場を離れていた男を総帥にして大丈夫なのだろうか? いや、大丈夫なわけはない。実際、今回のような理解に苦しむ命令を出しているではないか。

 

「今さらじたばたしても始まらん。覚悟を決めろ!」パラドゥールが言った。どこからそんな自信が出てくるのか、全く理解できない。

 

 対岸のノルガルド兵が、歓声と共に動きはじめた。水兵は川へ入り、高空モンスターは羽ばたいて川を越える。地上部隊も、対岸から中州の東端へかかった橋を渡る。

 

「来たぞ! 事前の作戦通り行け!」パラドゥールが兵やモンスターへ命令を下す。事前の作戦と言っても、アイバンが聞いているのは、兵は砦の壁上で待機、中州の東端――下流側にかかった橋の手前にヒュドラを配置、ケンタウロスは兵と同様に壁上に留まらせ、マーマンとグールを川へ侵入させる、というだけだ。

 

「マーマンはともかく、グールを川に侵入させるなどどういうつもりだ? あれでは敵水兵の格好の獲物ではないか」

 

「まあ見ていろ」パラドゥールの顔は相変わらず根拠の判らない自信に満ちている。

 

 グールが川を進んでいく。比較的浅い場所を選んでいるとはいえ、流れに足を取られて思うように動けていない。いや、足どころか、小柄なグールはちょっとした深みでも腰や胸まで、ヘタをすれば全身が水に浸かってしまう。そこへ、敵軍のマーマンやリザードマンが襲いかかる。上空からはグリフォンやロックも襲う。戦うことさえままならぬ状態のグールは、ほとんど何もできず倒れていく。自軍のマーマンが援護するも焼け石に水だ。数的に圧倒的に劣っているだけでなく、敵水兵の中にはトリトンやリザードガードといった上位クラスの水上モンスターの姿もちらほらあるため質の面でも劣っている。到底勝てるような状況ではない。開戦から半時も経たぬうちに味方側のモンスターは半数近くにまで減ってしまった。

 

「どうするのだパラドゥール殿! ただでさえ戦力差があるのに、さらに味方を無駄死にさせて、あれでは捨て石ではないか!」たまらずパラドゥールに詰め寄るアイバン。

 

「その通り、奴らは捨て石――おとりだ」パラドゥールは不敵に笑った。

 

「おとり……? そなた、何を考えている……?」

 

 アイバンははっとして周囲を見回した。もう一人の騎士、シラハの姿が無いことに気が付いた。

 

「あの男はどこへ行った?」

 

「シラハか? 奴は、島の西へ向かってもらった」

 

「島の西……?」

 

 首をひねるアイバン。西は上流側。東とは逆に、南のログレスへ続く橋が架けられている。リドニーの地形上、敵が侵攻してくる可能性はほぼゼロだ。一体何をしに行ったのか。

 

 と、アイバンが戸惑っていたら。

 

 川から多数の呻き声が聞こえてきた。見ると、さっきまで一方的な戦いをしていたノルガルド側の水上モンスターが苦しみ始めている。ある者は胸をかきむしり、ある者は全身痙攣し、ある者はその場に嘔吐し、そして、倒れ、水の中へ沈み、あるいは浮かぶ。味方のモンスターも同様だった。それだけでなく、魚やカニなど川に住む生物も腹を上にして浮かぶ。それも、水面を覆うばかりの数だ。

 

 驚愕の表情で見ていたアイバンだったが、すぐに何が起こったのか気が付いた。大きく目を見開いてパラドゥールを見る。「そ……そなた、まさか川に毒を注いだのか!?」

 

「ああそうだ」当然と言わんばかりの顔で頷くパラドゥール。「あのシラハという男は、毒の知識に長けているそうだからな」

 

 確かに、毒は暗殺者が最も得意とする術だ。しかし、川幅の極めて広いこの地域で多くのモンスターを瞬時に死に至らしめるなど、よほど強力かつ多量の毒が必要になる。それほどの毒を用意し、ためらうことなく使用するあのシラハという男に、アイバンは得体のしれない恐怖を抱いた。

 

 毒によって川の中のモンスターが敵味方問わず死んでいく。だが、東の橋はどうだ? 見ると、敵兵はヒュドラの目の前にまで迫っていた。ヒュドラの五つの頭が鎌首をもたげ、一斉に口を開いた。そこから吐き出されるのは氷の息。冷気によって皮膚を裂き、肉を切り、骨さえも断つ強力な攻撃だ。橋上に真っ直ぐ並んだ敵などは格好の的だ。さらに、あのヒュドラには事前にアイバンが肉体強化の魔法をかけてある。魔術の才の無いアイバンがまともに使える数少ない魔法のひとつだ。肉体強化の魔法は術をかける側よりもかけられる側の力に依存するため、アイバンのような魔術の才の無い者であろうとギッシュやランギヌスといった優秀な魔術師であろうと同じ効果が得られるのだ。この魔法により、ただでさえ強力なヒュドラの氷の息はさらにその威力を増し敵兵を倒す。それを避けようと川に飛び込んだ兵達もまた毒にやられる。そして、空を飛んで川を越えようとするモンスターも、ケンタウロスの矢によって次々と撃ち落されている。

 

「ふはははは! 見ろ! 奴らの慌てふためきよう! もはや勝敗は決したな!」パラドゥールは高らかに笑った。ノルガルド側は序盤から一気に兵を進めたのが仇となった。兵は壊滅状態だ。

 

 だが、アイバンはパラドゥールのように笑う気にはなれなかった。「そなた……よくこのような残忍な戦い方を……」

 

 毒自体は比較的多く戦場で用いられる。武器に毒を塗るのはもちろん、大型のサソリギガスコーピオンといった毒針による攻撃を得意とするモンスターもいる。毒を用いる黒魔法もありアイバンも心得ている。しかし、やはりその性質から卑怯な戦法と考える者も少なくない。まして、川に大量の毒を注ぎ無差別に殺戮するなど鬼畜の所業だ。騎士や兵・モンスターといった戦闘員だけでなく環境をも犠牲にしてしまう。この川は東へと流れ海へ続いている。川辺には多くの集落がある。そこでも大きな被害が出るかもしれない。

 

 そんなアイバンの思いを察したのか、パラドゥールは「気にするな」と言って続けた。「ここから川下側はノルガルドの領地だ。我が国の民に被害は無い」

 

「それはそうだが……しかし……」

 

「どのような手段を用いても構わぬと総帥からの命令だからな」

 

「しかし、このような卑劣な戦い方、ゼメキス陛下に知られたら……」

 

 皇帝ゼメキスは生粋の武人だ。敵に正面からぶつかり打ち砕く戦法を得意とする。力任せとも言えるが、これ以上は無いほどの正々堂々とした戦い方だ。そんな戦いを好むゼメキスが、今回のような戦い方を許すわけがない。

 

 だが、パラドゥールは動じた様子もなく、ふん、と鼻を鳴らした。「それは報告書を適当に偽っておけばよい。そなた、そういうのはお手のものだろう?」

 

 見透かすような目を向けられ、アイバンはぎくりとなった。確かにそれは、アイバンが最も得意とすることである。武力も魔力も統魔力も低いアイバンが、旧アルメキア王宮内でそれなりの地位を得ることができた唯一の手段と言っていい。帝国樹立後も、敵兵と一切刃を交えることなく一目散に逃げ出したいくさを、圧倒的戦力差にも構わず勇敢に立ち向かい惜敗したとするなど、己の身を守るために最善の偽装をしてきた。

 

「……まさか、ワシはそのために……?」

 

 ようやく自分がこの地に配属された理由を理解したアイバン。パラドゥールは唇の端を吊り上げ不敵に笑うと、眼下に広がる戦場に目を向け、もう一度高らかに笑った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇二話 シュレッド 聖王暦二一六年五月上 エストレガレス帝国/ディルワース

 五月、エストレガレス帝国皇帝ゼメキスは兵二十万を率いてトリアより西アルメキア領オルトルートへ侵攻。瞬く間にこれを制圧すると、そのまま全兵力をもって北西のエオルジアへとさらに進軍していった。フォルセナ大陸においていまだ最強の武を誇るゼメキスが二十万の兵を率いての侵攻は極めて強力であり、西アルメキア側がこれを止めるのは極めて困難であろう。

 

 だが、開戦当初からかなり弱体化した帝国にとって、二十万の兵は全体の兵数の大半を占める。それだけの兵を侵攻に使うということは、その分帝国本土の守備が手薄になったことを意味している。西アルメキアがこの隙を逃すはずがない。オークニー城に駐屯していた旧パドストーの王太子メレアガントは百戦のゲライントと共に出撃し、王都ログレスの南西にあるディルワースへ向けて兵を進めて来た。そのまま一気にログレスへと侵攻する作戦であろう。

 

 ディルワースは、周囲を標高五百メートル前後の比較的低い山に囲まれた城だ。山間を縫うように張り巡らされた街道上に建っており、この一帯を大軍で進行するのは極めて難しい。ゆえに、防御側が圧倒的に有利な地形ではあるのだが、土地が狭いゆえに防衛の拠点となる城がかなり小さいのが欠点だった。城を直接攻められると意外ともろい面も持ち合わせている。そのため、この地での敵を迎え撃つには、極力城へ到達する前に決着をつける必要があった。

 

 エストレガレス軍の新総帥・シュレッドは、ディルワース防衛部隊の本陣の奥深くに控え、機が熟すのを待っていた。シュレッドが本陣を敷いたのはディルワース城内ではない。本陣は、城の北東にある山中に身を隠すように敷いていた。その兵の数は一万。そして、街道を挟んで西の向かいにそびえる山の中にも同数の兵を伏せていた。

 

 ディルワースの城壁上には、街道上から見ると数万の兵が陣取っているように見える。しかし、実際には五千ほどしかいない。ハリボテを並べ軍旗を多く掲げることで多くの兵が居るように見せかけているだけだ。城は囮だ。西アルメキア軍が街道を進んで城攻めを行えば、東と西の山に伏した部隊がそれぞれ敵部隊の側面及び背後から攻撃する――これが、今回の帝国側の作戦だった。

 

 だが――うまくいかなかった。

 

 

 

 

 

 

「――報告します!」

 

 本陣に控えるシュレッドの側に兵が駆けて来て跪いた。「敵将メレアガントの部隊はディルワースへ向かわず、まっすぐにこちらへ進軍してきます! 数は四万。その勢いは凄まじく、すでに第一陣は突破されました!」

 

 シュレッドは腕を組み、身じろぎもせず報告を聞いていた。敵はこちらが山中へ伏しているのに気が付いていたようだ。敵将メレアガントは西アルメキア軍の中でも秀でた武力をもっている。こちらの部隊には高地に陣取った利があるとは言え兵は一万。四万の突撃を止めることは不可能だろう。

 

 黙したままのシュレッドに代わり、副官を務める兵が言う。「ええい! ならば、西の山の部隊を突撃させ、背後を突かせろ! 挟み撃ちにするのだ!」

 

「それが……西の山の部隊は百戦のゲライント率いる兵三万の襲撃を受け、すでにほぼ壊滅したとの報告が……」

 

「なんだと!」副官は声を上げる。

 

「ゲライントの部隊はそのまま山中に陣取り、動きを見せません」

 

 それはつまり、山頂に留まることで戦場全体へ睨みを利かせていることだった。これにより、帝国側の動きは封じられたも同然だ。もしディルワース城に控えている兵を城外へ出撃させれば、ゲライントの部隊は山を下りてこれを迎撃するだろう。出撃させなければメレアガントの部隊へ援軍を送ることもできる。戦況は、完全に西アルメキア側に支配されたことになる。

 

 新たな兵が駆けて来て跪いた。「報告します! 第二陣が突破されました! 敵将メレアガントはもうすぐそこまで迫っております!!」

 

「くそう!!」と、副官は苛立たしげに地面の土を蹴り上げた。「総帥! この作戦は完全に失敗です! すぐに兵を退きましょう!」

 

 副官の言葉にも沈黙を続けるシュレッド。城を囮とし、城攻めを始めた敵部隊の背後を突く――副官の言う通り、この作戦は失敗した。それも、開戦後半日も経たずに。

 

 ――この俺が、無様なものだな。

 

 シュレッドは目を閉じ、己を嘲る笑みを浮かべた。かつてフォルセナ大陸最強を誇ったゼメキスの部隊で軍師を務めていたのが、もう遠い過去のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 旧アルメキア時代、総帥ゼメキスの腹心として多くの戦場で戦ったシュレッド。拳闘士として最前線に立つことも多かったが、ゼメキスの部隊におけるシュレッドの役割は軍師であった。

 

 シュレッドは十八歳のときにアルメキアへ仕官し、すぐにゼメキスと同じ部隊へ配属された。以来、カドールに囚われるまでの十五年間、常にゼメキスと共に戦ってきた。シュレッドは己の武力に絶対的な自信を持っていたが、ゼメキスの武力はシュレッドを大きく上回っていた。若い頃は負けじと張り合いもしたが、やがて自分は決してゼメキスの武力を超えられぬと悟ると、シュレッドは軍略を学ぶようになる。自分よりも武の才があるゼメキスに、戦いのみに集中してもらうためだった。これによりシュレッドは軍師としての才を発揮し、ゼメキスの部隊は戦場で多くの手柄を立てた。やがてゼメキスは軍総帥まで登り詰め、彼の率いる部隊はフォルセナ大陸最強と呼ばれるほどになった。そんなゼメキスを軍師として支え続けたことを、シュレッドは誇りに思っている。

 

 だが、それも今や過去のものと認めざるを得ない。今回のディルワース防衛戦において、開戦後わずか半日で部隊は半壊。総大将であるシュレッドが控えるこの本陣へ敵が迫っている。そこに、アルメキア軍時代のシュレッドの勇姿は無い。それも仕方がないだろう。かつてはゼメキスと共に戦場を駆け巡ったシュレッドだが、アルメキアのクーデター時、デスナイト・カドールの罠にはまり、一年以上牢に囚われていたのだ。牢の中でも身体を鍛え、戦略を練ることはできる。しかし、戦場での勘は戦場でしか鍛えられない。シュレッドの勘はこの一年で大きく鈍ってしまった。さらに、アルメキア時代手塩にかけて育てたシュレッドの部隊は、カドールの手によって解体されている。現在シュレッドが率いている部隊はほぼ寄せ集めと言って良い。複雑な作戦の実行はもちろん、今回のような簡単な作戦ですら満足にこなせない。兵の士気も低く、わずかな劣勢ですぐに逃げ出す。総帥を差し置いて勝手に命令を飛ばしたあげく簡単に撤退を提案するような者が副官の座にいるのが良い例だ。

 

 このような状況で、西アルメキア軍の攻撃の要とも言えるメレアガントやゲライントの部隊を相手に、勝てるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

「――総帥……総帥!!」

 

 副官の声で、シュレッドは考えを中断し、目を開けた。

 

「総帥! 何を呑気に構えているのです! 今すぐログレスまで後退しましょう! 部隊を再編し、王都での決戦に賭けるのです!」

 

 副官の言葉を胸の内で笑うシュレッド。部隊の再編など不可能だ。もう、この国に兵は残っていない。

 

 王都ログレスへと通じる拠点は四つ。北のリドニー、南のトリア、北西のカドベリー、そして、南西に位置するこのディルワースだ。この内、リドニーには神官騎士のパラドゥール他二人の騎士が、トリアには領主であるランギヌスと魔術師ギッシュが、それぞれ守備に就いている。この二城の兵の数は一万から二万と、このディルワースとそう変わらない。カドベリーに入っている王妃エスメレーとミラ・ミレの双子の騎士にのみ、合計で五万の兵を与えた。残りの騎士と兵は、全てゼメキスへ預けてある。ゼメキスの部隊は南部より西アルメキアへ侵攻しており、もうこの国に予備の兵はいない。このディルワースを突破されれば、もはや西アルメキアの侵攻を止めることは不可能なのだ。

 

 本陣を守る兵の一角が吹き飛ばされた。そこから、軍旗を掲げた部隊が侵入してくる。西アルメキアの旗ではない。掲げているのは旧パドストーのものだ。その先頭に立つのは、漆黒の鎧に身を包み、軍旗と同じパドストーの紋章をあしらった深紅のマントを羽織った騎士。旧パドストーの王太子・メレアガントである。

 

 メレアガントはシュレッドを睨むと、挑発するようにあごを上げた。「フン。帝国四鬼将最後の一人というからどれほどのものかと思ったが、拍子抜けもよいところだ。この程度で俺を止めようなど片腹痛い!」

 

 メレアガントの怒声に、副官は「総帥! 撤退を!!」と怯えた声で言った。

 

 シュレッドは、一度大きく息を吐き出すと。

 

「副官よ。俺はエストレガレス軍の総帥だ」

 

 静かな口調で言った。

 

「……は?」何を言っているのか判らぬ様子の副官。

 

「総帥である以上、目の前の戦況だけでなく、フォルセナ大陸全土を見る必要がある。俺の下で戦うならば、そのことを決して忘れるな」

 

「な……何を言っておられるのです! それよりも、早く撤退を!」

 

「撤退はせぬ。ここでメレアガントとゲライントの部隊を引き付ける、それが我らの役目だ」

 

「な……何を……」

 

「すでに、カドベリーからエスメレー后・ミラ・ミレの部隊が出撃し、オークニーへ侵攻している」

 

「お……王妃様が、オークニーへ……?」副官は戸惑った表情になった。

 

 シュレッドは小さく笑う。オークニーを落とせば、メレアガントとゲライントの部隊は敵地で孤立する。そうなれば後方からの支援が得られず、徐々に疲弊していく。ログレスへの侵攻は困難となり、残された道は、強行離脱をするか、そのまま玉砕するかだ。

 

「し……しかし……」と、副官はためらいがちに言う。「それは、王妃様がオークニーを落とせた場合ではないでしょうか? もし落とせなかったら……」

 

「たかが女三人に何ができる――そう思っているのか?」

 

「い……いえ……そういうわけでは……」

 

「隠さずとも良い。そなたがそう思うのも無理はない。恐らく西アルメキアの連中も同じように思ったはずだ。だからこそ、メレアガントとゲライントという軍の主力二人でこのディルワースを攻めたのだ。今のオークニーの守りは、かなり手薄だ」

 

 そう言った後、シュレッドはニヤリと笑い「とんでもない侮りだがな」と言った。

 

 昨年十二月、リドニー戦にてノルガルドの白狼王ヴェイナードと軍師グイングラインの部隊をわずか一日で退けたエスメレー。その力は、もはやゼメキスにも匹敵するだろう。ミラ・ミレの二人も、仕官してまだ間もないものの、この一年で大きく力を伸ばしている。間違いなく、今後のエストレガレス軍を、そして、ゼメキスを支える要となる三人だ。現在西アルメキア軍の主力の内、君主ランスの部隊はエオルジアにてゼメキスの部隊と、コール老公の部隊はアリライムにてノルガルドの部隊と交戦中だ。オークニーを守っている騎士は大した敵ではない。ここにメレアガントとゲライントを引きつけておけば、オークニーは確実に落とせる。

 

 メレアガントとゲライント――この二人は、間違いなく西アルメキアで最も力のある騎士だ。

 

 だが、どれほど強力な騎士や部隊であろうとも、戦略的に無意味な地域に引き付けておけば、その力を発揮することはできない。エストレガレス軍の本命はここではない、ゼメキスやエスメレーの部隊こそが本命だ。西アルメキアはこちらの本命を見誤った。『ディルワースは王都ログレスに通じる重要拠点』『山間に建てられた難攻不落の砦』『そこを守るのは帝国軍新総帥にして四鬼将最後の一人』――これらの餌に、奴らはまんまと食いついたのだ。

 

「では、総帥は自ら囮になったと……?」副官が言った。

 

「強者のみが残る――それが戦場の掟だ」

 

 シュレッドはそう言うと、左の掌に拳を打ち付け、静かに前に出た。戦うつもりだ。

 

 拳闘士であるシュレッドは武器を持っていない。いや、拳闘士の名が示す通り、その拳こそが武器である。拳闘士の中にはナックルという四本指にはめて握りこむ金属製の武器を使用する者もいるが、シュレッドはそれさえも使用しない。両手首に防御用の小さな籠手を着けているだけだ。

 

「貴様が四鬼将最後の一人か?」メレアガントが剣の切っ先をシュレッドへ向けた。「この俺と戦えることを誇りに思うがいい!」

 

 この言葉を、シュレッドは鼻で笑い飛ばした。

 

「何がおかしい? 貴様ごときが、この俺に勝てると思っているのか!?」

 

 言うと同時に、剣を振りかざし突進してくるメレアガント。

 

 シュレッドはわずかに腰を落とすと、左腕の籠手で、メレアガントの剣を受け止めた。

 

 メレアガントの顔が驚愕で歪む。まさか受け止められるとは思っていなかったのだろう。シュレッドのことを侮っていたのだ。それも当然だ。このディルワースの戦いぶりからすれば、三流以下の騎士だと思われても仕方がない。

 

 一年もの間牢に囚われていたシュレッド。牢の中で戦場の勘は鍛えられない。部隊を率いる力は、どうしても鈍ってしまう。

 

 しかし、牢の中でも身体を鍛えることはできる。

 

 食事と眠るとき以外のほぼ全ての時間を、身体を鍛えることに費やしてきた。身体中の筋肉は、むしろ牢に入る前よりも引き締まっている。決して壊れることのない牢の扉は拳を鍛えるのに最適だった。一日数万回殴り続けた彼の拳は、鋼のごとく硬くなった。

 

「――ぬああぁぁ!!」

 

 まさに渾身の力を込めて突き出したシュレッドの拳は、漆黒の鎧ごとメレアガントの身体を打ち砕いた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇三話 ランス 聖王暦二一六年五月上 西アルメキア/エオルジア

 ランスがゼメキスの出撃を知らされたのは、オークニーでの戦略会議中のことだった。

 

 トリアから出撃したゼメキスの部隊は南西へ進軍。予測では、五日後にオルトルートへ到達すると見られた。この知らせを受け、ランスはすぐにオルトルートへ戻った。全力で馬を走らせれば、ゼメキスよりも早く戻ることができるはずだった。

 

 しかし、ゼメキスの進軍の速さはランスの予想を上回っていた。わずか三日でオルトルートに到達すると、そこから半日も経たず城は制圧されてしまったのだ。

 

 ランスが会議に出ている間、オルトルートを守っていたのは旧パドストーの騎士グラウゼだ。特に防衛戦に優れた才を発揮している騎士だったが、グラウゼは開戦後すぐにオルトルートからの撤退を決断したのだ。それも仕方がない。ゼメキスが率いていた兵の数は二十万。オルトルートに駐屯していた兵の三倍以上である。まともに戦えば全滅もあり得る戦力差であったため、グラウゼの決断は英断と言えた。

 

 ランスはオルトルートの北西エオルジアでグラウゼと合流すると、兵を補充し十万の兵で守備に就いた。

 

 ゼメキスが制圧したオルトルートの南東のソールズベリーはイスカリオの領地だ。ゼメキスがこのままエオルジアへ侵攻してくるなら、オルトルートに守備兵を残す必要がある。仮に五万を残し十五万で侵攻して来たとしても、エオルジアの守りの堅さを考えれば十分に防衛できる数だ。エオルジア城の南には大きな湖があり、そこから流れ出た川が北東へと続いている。オルトルートからエオルジアを攻めるにはこの川を越えなければならない。斥候の情報では、ゼメキスの部隊は進軍の速さと突破力を重視したものであり、渡河戦を想定した水兵は組み込まれていないとのことだ。川に架かる橋は狭い。橋の手前で待ち伏せすれば、十万の兵力でも十五万を迎え撃つことは十分可能だ。

 

 だが、ゼメキスはランスの予想外の行動に出る。なんと、オルトルートの守備を完全に放棄し、二十万の全兵力でエオルジアへ進軍して来たのだ。オルトルートをイスカリオに制圧されればゼメキスの部隊は完全に孤立する。帝国とイスカリオが同盟を結んでいるという様子はない。開戦から各地で激しく戦いを繰り広げており、最近もトリアの南東カーナボンをめぐって戦っているはずだ。

 

 ゼメキスの戦い方は、完全にランスの理解を超えていた。退路を確保しない。それはつまり、退くことが許されない――死をも覚悟した特攻だった。

 

 

 

 

 

 

「――報告します! ゼメキスの部隊が橋を突破! まっすぐこちらに向かってきます!」

 

 エオルジア城内に構えた本陣で、ランスの前に跪いた兵はそう告げた。開戦からまだ数時しか経っていない。橋の手前には第一陣として五万の兵を置き迎え撃つ手はずだったが、ゼメキスはその圧倒的な突撃力を守備陣の一点に集中させ、突破したのである。

 

「ランス様、ここは一度撤退しましょう」副将を務めるグラウゼがそう提案した。「これは、追い詰められた帝国の最後の足掻きです。ここでゼメキスを倒す必要はありません」

 

 最後の足掻き……確かにそうかもしれないと、ランスも思う。西アルメキアは帝国からオークニー・エオルジア・オルトルートの三城を奪い、王都ログレスへと迫っていた。南のイスカリオもソールズベリーとカーナボンを奪い、北のノルガルドも何度も帝国へ侵攻している。帝国の兵力は大きく疲弊しているはずだ。いま、二十万もの兵を率いて出撃すれば、本土を守る兵はほとんど残らないだろう。現在西アルメキアは、メレアガントとゲライントがオークニーから出撃しディルワースを攻めている。ディルワースを守る帝国兵は三万にも満たない。あの二人ならば確実に制圧できるだろう。その後、王都ログレスやトリアなど周辺の都市を制圧すれば、ゼメキスの部隊は後方からの補給が絶え、いずれ疲弊する。そこを叩けば簡単に勝てるだろう。今ここでゼメキスと戦わず撤退するという選択は、決して間違いではない。

 

 しかし――。

 

「グラウゼさんのその判断は正しいと思います」ランスは言った。「ですが、ひとつだけ気になる点があります」

 

「何でしょう?」

 

「あのゼメキスが、そんな無謀な戦いに出るとは思えません。勝ち目があるからこそ挑んできたのだと思います。撤退すれば、ヤツの思い通りになるかもしれません」

 

「ヤツの思い通り……?」

 

「はい。例えば、もしメレアガントさんやゲライントがディルワースの攻略に失敗し、さらに、カドベリーから出撃した帝国軍にオークニーを奪われたとしたらどうでしょう?」

 

 グラウゼははっとした表情になり、机上に地図を広げた。「オークニーを帝国に占領された場合、メレアガント様やゲライント殿は退路を失います。本国へ戻るには、強行離脱するしかありません。多くの兵を失うでしょう」

 

「そうです。その上でこのエオルジアも放棄すれば、二十万以上の兵がキャメルフォードに迫ることになります」

 

 グラウゼは大きく息を飲んだ。キャメルフォードは西アルメキアの交通の要所。南西の街道は王都カルメリーへ直結している。キャメルフォードを落とされることは、喉元に刃を突きつけられるようなものだ。帝国との開戦直後、ランスはデスナイト・カドールとのいくさに敗れキャメルフォードを奪われたが、その時は大きな苦境に立たされた。もし今回またキャメルフォードを落とされるようなことになれば、西アルメキアと帝国の戦況は完全に逆転する。

 

「し……しかしメレアガント様らが敗れ、更にオークニーを奪われる可能性は、極めて低いかと思います」グラウゼは額に汗を浮かべながら言った。

 

「その通りです。今の話は、最悪の事態を想定したにすぎません」ランスは落ち着いた口調で続ける。「しかし、今はその最悪の事態を想定して動くべきだと思います」

 

「ランス様……一体何を……?」

 

 ランスは一度深い呼吸をすると、決意と共に言った。「ここで、ゼメキスを討ちます」

 

「な……! そんな……」グラウゼは戸惑いの声を上げ、迷うような表情になった。だが、やがてその迷いを捨てたのか、言った。「恐れながら、それは無謀です。今のランス様では、まだゼメキスには及びませぬ」

 

 ランスはにこりと笑った。「気にしないでください。私もそう思います。アルメキアのクーデターから一年。訓練と実戦を重ねて、私もあの頃より少しはましになったと思っていますが、それでも、ゼメキスにはまだまだかなわないでしょう」

 

 ならば、と言いかけたグラウゼを制し、ランスはさらに続ける。「何も、ゼメキスに一対一の戦いを挑むわけではありません。私とグラウゼさん、そして、兵とモンスター、みんなが一丸となって、ゼメキスと戦うのです」

 

「皆で一丸となって……」グラウゼは息を飲んだ。「しかし、ゼメキスは二十万の兵を率いています。我々の倍。まともにぶつかっては、やはり勝ち目はありません」

 

「もちろんです。しかし、二十万の兵は、まだ川を越えていません」

 

「――――」

 

 ランスは、机上に広げた地図のエオルジア付近を指さした。「橋を突破されたとはいえ、二十万の兵全てが迫っているわけではありません。あの橋は狭いですから、まだ一万程度しか渡れていないはずです。橋を守っていた第一陣も、突破されただけで、まだ兵が全滅したわけではありません。うまく指揮を執れば、挟み撃ちにできます」

 

「まさか、ランス様は……!?」ランスの意図をくみ取ったのか、グラウゼは大きく目を見開いた。

 

 ランスは力強く頷いた。「橋を、落とします」

 

 ランスの策に、グラウゼはもう一度大きく息を飲んだ。

 

 南の川に架かる橋は、いざという時のためにすぐに落とすことができる造りになっている。水辺に近い拠点の橋はどこもそうだ。橋を落とせば、対岸の敵兵は川を越えるのが著しく困難になる。防衛側に圧倒的有利な状況となるのだ。

 

 無論、橋を落とした側にもリスクはある。防衛に徹している間は良いが、相手が撤退した場合、追うことは非常に困難だ。そして、防衛に成功した後、逆にこちらから攻める場合は、大きく迂回するか、再び橋を架けるか、どちらにしても時間を要することになる。

 

 だが、ここでゼメキスを討てば、もう南東へ進軍する必要は無くなる。

 

「やりましょう、グラウゼさん」ランスは、力強い声で言う。「西アルメキアとエストレガレス帝国の命運は、今この戦いにかかっているのです」

 

 その言葉に、戸惑いの表情だったグラウゼにも、決意が宿った。グラウゼは、「判りました」と頷いた後で続けた。「ですがランス様。ランス様がいま仰ったことには、ひとつだけ間違いがございます」

 

「間違い? 何でしょう? 重要な戦局です。遠慮せずに仰ってください」

 

「はい。ランス様は、メレアガント様らのディルワース攻めが失敗し、オークニー城をも奪われるのが最悪の事態、と仰いましたが、それは断じて違います。西アルメキアにとっての最悪の事態は、ここでランス様が命を落とすこと」

 

「――――」

 

 グラウゼは、右の拳を握り、左胸に当てた。アルメキア時代より伝わる、忠誠を誓う仕草だ。

 

 そして言った。「ランス様、決して無茶はされぬよう、お約束ください」

 

「判っています」ランスも、同じ仕草を返した。「私はここで命を落とすわけにはいきません。私の目的は、ゼメキスを討つことだけではありません。ログレスを奪還し、アルメキアを再興するまで、私は戦い続けねばならないのですから」

 

「ランス様……このグラウゼ、どこまでもランス様にお供いたします」

 

「ありがとうございます――では、行きましょう」

 

 ランスは、グラウゼと共に城外へ打って出た。

 

 

 

 

 

 

 ランスの作戦は、順調に進んだ。

 

 橋を落とす命令は即座に第一陣へと伝わり、実行された。これにより、エストレガレス兵二十万のうち大半が川向こうに残され、川を越えたのは一万五千程度に留まった。対する西アルメキアの兵は、ランスとグラウゼの率いる兵、そして、突破された第一陣の生き残りを合わせて約八万。いかにゼメキスとはいえ、到底覆すことは不可能な戦力差だ。

 

 だが――。

 

 この圧倒的有利な状況の中、ランスの背に冷たい汗が流れた。

 

 思い出したのだ。二年前の、リドニー要塞をめぐるアルメキアとノルガルドの戦いを。

 

 ノルガルドの前王ドレミディッヅ率いる兵は十万。対するゼメキスが率いた兵はわずか二万。後方からの援軍も見込めず、絶望的な戦いであったという。

 

 にもかかわらず、ゼメキスはノルガルドを打ち破った。

 

 今の状況は、それと同じではないだろうか。

 

 大きく首を振り、考えを振り払うランス。あの戦いでノルガルドが敗れたのは、敵総大将のドレミディッヅがゼメキスとの無用な一騎打ちに応じたからだ。自分は、そんな愚かな戦いはしない。

 

 ランスは冷静に戦況を分析する。橋が落ち、本隊から分断されたゼメキスと兵一万五千は、当然のごとく、総大将であるランスの首を獲るため真っ直ぐに突撃してくる。これを見こし、ランスは正面に兵三万を集めていた。これでゼメキスの突撃を受け止め、左右から兵一万ずつ、後方から第一陣の生き残り三万で包囲し、数で敵をすりつぶす作戦だった。

 

 だが、それでも、ゼメキスを止めることはできなかった。

 

 ゼメキスの勢いはとどまることはなく、一時ほどで正面の三万の兵を突破した。

 

 ランスは、ついに戦場でゼメキスと対峙することとなった。

 

 

 

 

 

 

 ランスの前に現れたゼメキスの姿は、まさに鬼神であった。

 

 二メートル近い長身を包み込む漆黒の鎧、身の丈程の巨大なクロスボウ、そして、多くの敵を斬り捨てた剣。その全てが返り血に染まっている。にもかかわらず、剣の刃が鈍っている様子は無い。どのような武器であろうと人を斬れば斬るほど刃は衰え斬れ味は鈍っていくはずだが、ゼメキスの剣は敵を斬れば斬るほど鋭さを増しているのではないか――そのような錯覚を覚える。

 

 そして、ここまで凄まじい戦いを繰り返したはずのゼメキスの眼光もまた鈍ってはいない。

 

 ゼメキスは、剣よりも鋭い視線でランスを睨みつけた。多くの兵を斬り、三万の部隊の中を全力で走り抜けてきたはずだが、その目にはわずかな疲労さえも宿っていない。

 

 ――戦場こそが我が生きる道。

 

 アルメキアクーデタの夜、ゼメキスが言った言葉を思い出すランス。その言葉の恐ろしさを知った気がした。

 

 ゼメキスは、ランスを上から踏み潰すような口調で言った。「――小僧、尻尾を巻いて逃げなかったことは褒めてやろう。だが、せっかく拾った命をむざむざ捨てに来るとは愚かな!」

 

 ランスは、高ぶった心を抑えるように、一度大きく息を吐き出た。「……ゼメキス、ようやくこのときが来た。お前が起こしたこの戦乱で、どれだけ多くの人々が辛い目に遭っているか」

 

 ゼメキスは、「ほう?」と、声を改めた。「父親の仇、と、感情を乱して闇雲にかかって来るかと思ったが、意外だな」

 

 だが、すぐに嘲笑するような顔になり、続けた。「フン。この世に存在するのは、力ある者とそれに屈した者だけ。強者が君臨し弱者がへつらう、それが世界だ! 小僧、貴様も思い知るがいい!」

 

 ゼメキスの言葉に、ランスの胸の奥から怒りが湧きあがった。強者こそが全て――そのような考え方をする者が王となり、民を統べ、兵を率いている。そんな国を許すわけにはいかない。ましてそれが、かつて自分の父が、祖父が、代々の先祖が治めていた国であるのなら、なおのこと。

 

 ランスは、胸に怒りの炎を燃やし――。

 

「――――」

 

 しかし、静かに目を閉じた。

 

 仲間たちの顔が浮かぶ。

 

 ログレス王宮からの脱出に力を尽くしたゲライント、ゼメキスを足止めしてくれたハレー、国を追われた自分たちを受け入れてくれたコール、ともに戦うと言ってくれたメレアガント、多くのいくさでランスを支えてくれたグラウゼ、そして、パドストーのみんな……。

 

 ランスは目を開き、ゼメキスの視線を跳ね返すように、まっすぐな目を向けた。「――私たちはひとりで生きているわけじゃない。いつも誰かに支えられている。みんなを不幸にするだけの力なんて、許されるはずがない」

 

 ゼメキスに対する怒りは消えていない。胸の内に燃え上がった炎は、さらに勢いを増している。

 

 だが、それで心が乱れるような若さは、もう消えた。

 

 決して十分な時間とは言えないが、多くの訓練を重ねた。ゼメキスには到底及ばないが、幾多の戦場で戦った。この一年で、ランスは怒りを力に変える術を覚えていた。

 

 ランスは、両腰に携えていた二本の剣を抜き放った。「これ以上悲しむ人を増やさないためにも、不幸な人を生まないためにも……エストレガレス皇帝ゼメキス、お前を討つ!」

 

「少しはいい面構えになったようだな」ゼメキスも剣を構えた。「よかろう! かかって来るがいい!」

 

 互いに剣を構え、二人の騎士は睨み合う。

 

 先に動いたのは――そのどちらでもなかった。

 

「――ゼメキス! これは一騎打ちではないぞ!」

 

 側面に回り込んでいたグラウゼが走り、ゼメキスに向けて剣を振るった。

 

「フン! 笑止! この俺が気付いておらぬと思ったか!」

 

 ゼメキスはグラウゼの攻撃を受け止めると、すぐさま反撃に転じ剣を振るう。グラウゼは左手の盾でその攻撃を受け止めたが、その威力に大きく弾き飛ばされてしまう。

 

「――こっちも行くぞ!」

 

 ランスが叫んだ。だが、動いたのはランスではない。背後から火竜サラマンダーが飛び立った。ここまで多くの敵を退けてきたランスの切り札とも言える存在だ。ゼメキスに向け、灼熱の炎を吐き出す。ゼメキスはわずかに身を丸めただけでこの炎に耐える。そして、炎が消えた後、巨大なクロスボウを右腕一本で構え、サラマンダーに向け放った。いかに空を飛ぶとはいえサラマンダーは体長五メートルを超える巨体だ。ゼメキスの鋭い矢をかわすほどの敏捷性は無い。矢がサラマンダーの胸に突き刺さった。大きく体勢を崩し、地面へ落ちる。

 

 その側を、ランスが走り抜けた。

 

 ゼメキスの前で大きく跳躍すると、二刀を同時に斬り下ろす。

 

 ゼメキスは左手の剣一本で受け止める。

 

 激しく剣が交わり、火花が飛び散る。

 

 

 

 ――祖国アルメキアのため……そして、みんなのために、私は負けない!

 

 

 

 西アルメキアとエストレガレスの命運をかけた戦いは、間もなく決着を迎える。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇四話 ハレー 聖王暦二一六年五月上 エストレガレス帝国/――――

 魔導士ブロノイルの目的を探り阻止するために西アルメキアを離れた流星のハレーは、エストレガレス帝国領ディルワースの西にある深い山の中にいた。西アルメキア軍に属している間、帝国相手にその手腕を大いに発揮したハレーは、広く顔と名を知られる存在となっていた。帝国領内での調査は常に危険が付きまとう。そのため、移動の際はひと目の多い街道を避け、あまり人の通らない山道などの迂回路を選ぶようにしているのだが、その途中で迷ってしまったのである。

 

 空を覆うばかりに木々が生い茂った森の道を進んでいたはずが、いつの間にか周囲の草木はまばらになり、今はもう草の一本も生えていない岩ばかりの荒れ地になっている。道と呼べるようなものもなく、見渡す限りごつごつとした大小さまざまな石が転がっているだけだ。平坦な場所ならばまだいいが、起伏の激しい場所では細心の注意を払う必要がある。足を取られて転ぶ程度ならまだしも、わずかな衝撃で崖が崩れる可能性もあるし、斜面を転がり落ちて深い谷へ転落する危険もある。さらに間の悪いことに、空は一面厚い雲に覆われ、先ほどからぽつぽつと顔に水滴が当たっている。恐らくすぐに本降りになるだろう。その前に、なんとか雨を避ける場所を見つけなければならない。

 

 不幸中の幸いか、斜面を少し登ったところに小さな洞窟を見つけた。ハレーが洞窟に入ると、すぐに雨は強さを増し、どしゃ降りへと変わった。なんとか濡れずにはすんだが、これではしばらく動けそうにない。ハレーは小さくため息をつくと、入口から少し離れた場所に荷を下ろし、火を熾した。炎が洞窟内を照らす。奥の方は見えない。洞窟の入口は縦横二メートルほどと小さなものだったが、奥はかなり深いようだ。雨はまだやみそうもなく、陽が暮れる時間もそう遠くはない。恐らくここで一晩明かすことになるだろう。奥に獣や野生のモンスターが潜んでいると厄介だ。少し探索しておく必要がある。そう思い、ハレーはたいまつを手に奥へと進んだ。

 

 洞窟は進むほどに広さを増していき、五刻ほど歩くと縦横五メートルほどになった。それだけでなく、ところどころ人の手が加えられたような様子もあり、どうやら天然の洞窟ではないようだ。何かしらの罠が仕掛けられている可能性もあり、ハレーはより慎重に進んで行った。

 

 途中、分かれ道は無く、十刻ほどで行き止まりとなった。そこには、ぽつんとひとつ宝箱が置かれてあった。山賊が宝の隠し場所にしているのだろうか? それにしては洞窟の入口は少々目立つ場所にあり、ここまで罠のひとつも仕掛けられていなかった。宝箱も同様だった。罠どころか鍵さえかけられていない。開けてみると、中には一本の巻物が入っていた。

 

 巻物を手に洞窟の入口まで戻ってみると、外は、さっきまでのどしゃ降りが嘘のように晴れ渡っていた。空には雲ひとつ浮かんでいない。狐につままれたような気分だった。

 

 ハレーは巻物を広げてみた。かなり古い物で、ほとんどが消えかかって読めないが、なんとか読める部分だけを繋いでいくと。

 

 

 

 世界の深奥の闇で息づくもの……

 

 永遠の無と静寂をもたらすもの……

 

 その名は……混沌の蛇……

 

 

 

 そこまで読んだ瞬間、洞窟の奥から強い風が吹きつけた。すると、まるで砂の山が風にさらわれるかの如く、巻物は塵となって流れて行った。ハレーの手には、紙の一片も残らなかった。

 

 言い知れぬ不安を抱えたまま、ハレーは洞窟を後にした。不思議なことに、あれほど迷っていたにもかかわらず、洞窟を離れて半時もせず山中の小さな集落にたどり着いた。

 

 そう言えば――。

 

 以前にも同じようなことがあったのを、ハレーは思い出した。

 

 あれは、ブロノイルを追いレオニアを目指していたときだ。今回と同じように、人目を避け深い山に入り、迷ってしまった。あのときは森の中に沸いた泉の水面に、焼けただれた大地と異形の生物が映っていた。

 

 あの泉に映っていたものは、巻物に書かれていたことと似ている――ハレーは、そんなことを思った。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇五話 ランス 聖王暦二一六年七月上 西アルメキア/王都カルメリー

 カルメリー城内の会議室は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 

 会議の座に着くのは、君主ランスを始め、アルメキア時代からの側近ゲライント、旧パドストーのコール老公、その嫡男メレアガント、そして、グラウゼやアデリシアたちだ。西アルメキアの主だった騎士のほとんどが一堂に会していると言っていい。これほど多くの騎士が集まるのは、開戦後初めてのことだった。それはつまり、現在の西アルメキアが極めて重大な局面にあることを意味している

 

 エストレガレス帝国軍が、王都カルメリーに迫りつつある。

 

 それも、北東のキャメルフォード、東のファザード、両方面から。

 

 キャメルフォード方面から迫るのは、皇帝ゼメキス率いる兵二十万。他に、新たに軍総帥となった帝国四鬼将最後の一人シュレッドや、今回のいくさで連戦連勝を続ける剣聖エスクラドスも将として入っている。

 

 ファザード方面から迫るのは、王妃エスメレー率いる兵十万。副将を務めるのは、今や『ログレスの双子の悪魔』と呼ばれ恐れられる存在となったミラ・ミレの二人の騎士だ。

 

 それに対し、現在西アルメキアが率いることができる兵は五万にも満たない。首都であるカルメリーは防衛に特化した造りではあるものの、到底覆せる兵力差ではない。

 

 ランスは、決断を迫られていた。

 

 

 

 

 

 

 追い詰められた帝国の最後の悪あがき――そう思われていた皇帝ゼメキスの兵二十万による特攻は、恐ろしいまでの破壊力だった。トリアより出撃したゼメキスの部隊は瞬く間にオルトルートを制圧すると、そのまま全兵力をもってエオルジアへ侵攻。エオルジア戦では、ランスの策によってゼメキスと兵一万五千を兵八万で包囲するという状況まで持って行ったものの、この圧倒的な戦況すらもゼメキスは覆した。エオルジアを落としたゼメキスはそのままキャメルフォードへ侵攻し、これも数日で制圧された。

 

 さらに、カドベリーからオークニーへと侵攻した王妃エスメレーとミラ・ミレの部隊も思わぬ伏兵となった。女だからと侮っていた訳ではない。だが、ノルガルドから人質として差し出されたエスメレーが帝国のために本気で戦うことはない、ミラとミレは仕官して一年ほどの新米騎士、と考え、油断していたのは確かだ。これがとんでもない誤りだった。エスメレーの部隊は、ゼメキスにも劣らぬ速さでオークニー城を制圧すると、そのままキャメルフォードでゼメキスと合流し制圧。休むいとまもなく南へ進軍しファザードとベイドンヒルをも制圧したのだ。

 

 さらに、この機に乗じてノルガルドも動いた。白狼王ヴェイナードは帝国方面に集めていた兵を西アルメキア方面へ移動させ、ゴルレへ侵攻。ゴルレを守るのはコール老公と女騎士アデリシアだったが、白狼の圧倒的な武と策の前に敗北し撤退。すでに南のキャメルフォードは帝国領となっていたため強行離脱するしかなく、この際多くの兵とモンスターを失った。

 

 そして、西アルメキアの本命としてディルワースから王都ログレスへ侵攻するはずだったメレアガントとゲライントの部隊も、ディルワースにて帝国新総帥シュレッドの前に敗れた。この際、後方のオークニーはすでにエスメレーによって落とされていたため、メレアガントらの部隊も強行離脱するほかなく、やはり多くの兵を失った。

 

 一時は王都ログレスに手が届く勢いだった西アルメキアだが、わずか三ヶ月ほどで戦況は完全に逆転。残された城は、このカルメリー城だけとなっていた。

 

 

 

 

 

 

「……いまのこの国には、もう帝国と戦うだけの力は残っていません」ランスが、静かな口調で沈黙を破った。「これ以上戦っても、被害が広がるだけです。降伏しましょう」

 

 ランスの言葉に、反対の声は上がらなかった。メレアガントでさえ、苦々しげな表情をしているものの、何も言わない。無理もないだろう。五万の兵で三十万の兵を迎え撃つなど、到底できるはずもない。

 

「コール老公、メレアガントさん、そして、パドストーの皆さん」ランスは、一人一人の顔をしっかりと見つめた。「アルメキアを追われ、流浪の身であった私などに力を貸していただいたのに、このような結果となってしまい、本当に申し訳ありませんでした。全ては、私の力不足が原因です」

 

 ランスは、深く頭を下げた。

 

「フン! 自惚れるな!」メレアガントが声を荒らげた。「貴様の力など最初から当てにしておらん! この敗北の原因は俺だ! 俺が重要な局面でことごとく敗れたから、こんな事態になったのだ! 貴様が気に病む必要はない」

 

「ほっほっほ。息子の言う通りです」コール老公が髭を揺らして笑う。「ランス殿が詫びる必要などありませぬ。国を譲ったのはわしが勝手にやったこと。わしはあの時の決断を、いささかも後悔しておりませぬ。我らだけでは、ここまで戦うことはできなかったでしょうからな」

 

「メレアガントさん……コール公……」

 

 ランスは頭を上げた。二人の言葉に、何か応えなければと思ったが、何も言葉が出てこなかった。だから、もう一度、深く頭を下げた。

 

 突如、ゲライントが立ち上がった。「コール公! メレアガント殿! 恥を承知でお願い申し上げる!」

 

 驚いた表情の二人の前で、ゲライントは床に両膝を突き、床に頭を叩きつけた。「ランス様の脱出にお力をお貸し頂きたい!!」

 

「ゲライント! 何を言うんだ!」ランスは声を上げた。

 

 ゲライントが頭を叩きつけた床には血が広がっていた。それでも、ゲライントは頭を下げたまま言う。「コール公! 今は胸の内を包み隠さず申し上げます! アルメキア時代の王ヘンギストは、名君には程遠いお方でした。民から愚王と呼ばれていたことは、コール公もご存じだったはず。ヘンギスト統治下のアルメキアは、まさしく闇の時代でした! しかし、それもランス様が即位するまで! ランス様が王となれば、アルメキアに光が射したはずなのです!!」

 

 コールは、無言でゲライントを見つめている。メレアガントも同様だった。

 

 ゲライントはさらに続ける。その声は、もはや叫びと言ってよかった。「ランス様こそアルメキアの希望! 二百年以上続くアルメキアの歴史は、ランス様にかかっているのです!! このいくさは我らの負けです! しかし、ランス様さえ生き残れば、希望は残ります! 私の首は差し上げます! 無論、私などの首で到底釣り合うものではありませぬが、それでも! どうかランス様をお助け下さい!!」

 

 コールがゲライントの言葉を吟味するように髭をさすると、静かな口調で言った。「首尾よくカルメリーを脱出できたとして、その後、どうするおつもりかな?」

 

「南のカーレオンへ向かい、カイ王に助力を求ます! カーレオンはアルメキアの同盟国であり、カイ王は賢王と呼ばれるほどの見識をお持ちの方。必ずや、ランス様の力になってくれます! そのために、どうか!!」

 

 ゲライントは一度頭を上げると、また床に叩きつけた。

 

 ランスが、「バカなことを言うな!!」と声を上げた。「ここまで共に戦ってくれたみんなを残し、僕一人だけ逃げるなんて、できるものか!」

 

 ゲライントは頭を上げた。「諦めてはなりませぬランス様! ランス様こそアルメキアの希望! ランス様が生き残ればアルメキア復興の道は残るのです! ランス様は戦い続けなければなりません! それが、アルメキアの民のためなのです!!」

 

「――――」

 

 ゲライントの言葉が、ランスの胸に突き刺さる。

 

 それはまるで、手が届くほどの間合いから放たれる矢のようだった。

 

 自分こそがアルメキアの希望――矢が胸に刺さる。

 

 自分が生き残ればアルメキア復興の道は残る――矢が胸に刺さる。

 

 自分は戦い続けなければならない――矢が胸に刺さる。

 

 それが、アルメキアの民のため――矢が胸に刺さる。

 

 多くの矢に貫かれたランスの心は、もう耐えられなかった。

 

 だから。

 

「……もうやめてくれ!!」

 

 心を守るために、ランスは叫んだ。

 

 それは、あまりにも悲痛な叫びだったのだろうか。ゲライントやコール、メレアガントにアデリシア、その場にいた全ての者が、驚きの表情をランスに向けている。

 

 ランスは、胸の内に隠していた思いを、言った。「ゲライント、お前にも判っているはずだ! 僕たちの戦いは、アルメキアの人々に望まれていないと!!」

 

「――――」

 

 ゲライントは言葉を失った。

 

 それは、あまりにも悲しい現実だった。言葉にしてしまうと、ランスの胸の内に宿っていた戦意は、完全に消えてしまう。

 

 ゼメキスのクーデターの夜、父を殺され、母を殺され、祖国を奪われ、その首謀者であるゼメキスを前にしながらも、一太刀も浴びせることもできず城から脱出するしかなかったランス。

 

 燃え上がるログレス王宮を見つめ、胸に、決して消えぬ強い意思の炎を燃やしたはずだった。

 

 だが、その炎も、今のランス自身の言葉で、完全に消えてしまう。

 

 それでも、言うしかなかった。

 

 もう戦えないのだ、ランスは。

 

 ランスの言葉通り。

 

 旧アルメキアの民は、ランスの戦いを望んでいなかった。

 

 祖国を奪われ、パドストーへ亡命したランス。ランスが帝国へ戦いを挑めば、旧アルメキアの騎士や兵が集まる――誰もが、そう考えていた。ランスも、ゲライントも、コールも、パドストーの者たちも。

 

 しかし。

 

 開戦後、ランスの元に駆け付けた騎士は――一人もいなかった。

 

 旧アルメキアの騎士のほとんどが帝国に残った。ゼメキスに敵対し帝国を脱する者もいたが、そのほとんどが、ノルガルドやカーレオンなど他国へ仕官している。ランスと共に戦った旧アルメキアの騎士は、結局ゲライントただ一人だった。

 

 さらに。

 

 疲弊するばかりだった帝国が、ここにきて、兵の数を増やしている。

 

 非戦闘員だった市民が武器を持ち、自ら志願して兵となり、ゼメキスと共に戦っているのだ。

 

 それはつまり、ゼメキスのクーデターが、旧アルメキアの民に受け入れられたということに他ならない。

 

 それが、ランスの心を折った。

 

 クーデターで王座に就いた逆賊ゼメキスを倒し、アルメキアを復興する――国民の誰もがそれを望んでいると信じて疑わなかった。だからこそ、あの夜、父母の命を奪った憎き相手を目の前にしながら、王宮から脱出したのだ。

 

 なのに。

 

 民は、エストレガレス帝国を受け入れたのだ。

 

 民は、アルメキアの復興など望んでいなかったのだ。

 

 正義は、こちらには無かったのだ。

 

 もう戦えない――戦えるはずもなかった。

 

 ランスは、知らず、涙を流していた。

 

 それを見たゲライントの目からも、涙がこぼれ落ちる。

 

「……無念です!!」

 

 ゲライントは、床に顔を伏した。

 

 ランスは涙を拭い、そして、もう一度、これまで共に戦ってくれたみんなの顔を見回し。

 

「――今日まで、皆さんと戦えたことを誇りに思います。こんな僕について来てくれて、本当にありがとうございました」

 

 深く――深く、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖王暦二一六年七月上。

 

 

 

 

 

 

 西アルメキアの王都カルメリーを、エストレガレス帝国皇帝ゼメキス率いる兵三十万が包囲する。

 

 君主ランスは、カルメリーの民の保護を条件に降伏。帝国側はこれを受け入れ、カルメリーは無血のまま制圧された。

 

 これにより、西アルメキアは滅亡。

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 聖王時代より二百年以上続いたアルメキアの歴史は、この日、完全に幕を下ろした――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇六話 アルスター 聖王暦二一六年八月上 イスカリオ/ソールズベリー

 イスカリオの死刑囚アルスターは戸惑っていた。現在イスカリオ領の最前線であるこのソールズベリーが、エストレガレス帝国からの侵攻を受けたのだ。敵総大将は剣聖の異名を持つ騎士エスクラドスで、率いる兵の数は五万。対するイスカリオも兵五万が控えているが、現在この城にいる騎士はアルスターの他には死刑囚のキャムデンだけだった。ドリストやバイデマギスといった主力騎士は、現在東のノルガルド領ハドリアンを攻めている(常々アルスターは思っているのだが、なぜこの国の主力騎士は肝心な時にいつも不在なのだろう?)。兵数が同等なら防衛側であるイスカリオが有利だが、いかんせん兵を率いる騎士の質が違いすぎる。剣聖エスクラドスは、カーレオンのナイトマスター・ディナダンと並び、大陸一の剣士と噂される騎士だ。今回の大陸全土を巻き込んだ戦争においては、ノルガルドの白狼王ヴェイナードや、西アルメキアの百戦のゲライント、アルメキアの盾と呼ばれた名将ハンバルの息子グラウゼなどの名だたる騎士を退け、剣聖の呼び名にふさわしい活躍ぶりを見せている。そんな騎士に、死刑囚二人がどうして立ち向かえるだろう。

 

 もっとも、それだけなら何も戸惑うことはない。素直に城を明け渡して撤退すれば済む話だ。戸惑っているのは、エスクラドスから戦義の希望があったからだ。開戦の前に各軍の代表者同士が言葉を交わす儀式だ。通常は、なんらかの因縁がある騎士同士が行うものである。剣聖ともあろう騎士が、イスカリオの死刑囚であるアルスターとキャムデン相手になんの話があるのか、全く想像もつかない。戦義は必ずしも応じなければいけないものではないため断ることもできるが、剣聖の呼び出しを断るのも恐れ多いので、アルスターはキャムデンと共にエスクラドスの元へ向かった。

 

 ソールズベリーとオルトルートを繋ぐ街道の真ん中に、エスクラドスは剣を携えて立っていた。

 

「これはこれは剣聖エスクラドス様。イスカリオへようこそお越しくださいました」アルスターは相手の機嫌を損ねぬよう低姿勢で言った。「あいにくと(あるじ)のドリストは不在でして、わたくしめがご対応させていただきます。申し遅れました、わたくし、一応イスカリオで政務補佐官を務めております、アルスターと申します。こちらは同じくキャムデン」

 

 そんな二人には全く興味のないような目のエスクラドス。「無駄な時間を費やすつもりはない。単刀直入に言おう。代表者を一人選び、わしと一対一で勝負せよ」

 

「一騎打ち、ですか!?」あまりにも予想外の要求に声を上げるアルスター。「しかし、今この城にはわたくしたちしかおりません」

 

「ならば貴様らで構わぬ。わしが勝ったらここを通してもらう」エスクラドスは剣の柄に手をかけた。

 

 アルスターは短い悲鳴を上げた。「そんな恐れ多い! わたくしもキャムデンも剣の心得の無い最下層の僧侶と魔術師でして。はたして剣聖様のご期待にお応えできるかどうか」

 

「一節ほどお待ちいただければ、別の者を用意します」と、キャムデンもビビりながら言う。「我が主は剣こそ扱いませんが、戦いのウデは確かですので、剣聖様のお眼鏡にもかなうかと」

 

「貴様らに興味はない。西アルメキアが滅びた今、わしが戦う相手はただ一人だ」

 

 その言葉に、キャムデンの目がきらりと光った。「おお! それはもしや、カーレオンのナイトマスター・ディナダン殿のことでは!?」

 

「…………」

 

 エスクラドスは無言だったが、恐らくその通りなのだろう。

 

 カーレオンのナイトマスター・ディナダン。エスクラドスと並び、大陸最強と名高い剣士の一人である。エスクラドスとディナダンの戦いは、どちらが大陸最強の剣士かを決める戦いとなる。情報によると、現在ディナダンはソールズベリーの南にあるハーヴェリーの守備に就いているらしい。つまり、エスクラドスがディナダンと戦うには、このソールズベリーを通る必要があるのだ。

 

 キャムデンは腕を組み、「なるほどなるほど」と頷いた。「そういうご事情でしたら、なにも我らと一騎打ちする必要はありません。どうぞどうぞ、遠慮なくお通り下さい。良いですね、アルスター殿」

 

「もちろんです」アルスターも同意した。「陛下も、どちらが大陸最強の剣士なのかは興味があることでしょうし、きっと、お許しになるでしょう」

 

 などと話していると。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、すぐ側に槍を携えた女騎士が立っていた。

 

「うおあ!」

 

 腰を抜かすほどの勢いで驚くアルスターとキャムデン。立っていたのはキラードール・イリアだった。

 

「イリアさん! 何度も言うようですが、そういう登場の仕方はやめてください」心臓を押さえながら言うアルスター。「しかし、なぜここに? 陛下と共にノルガルド攻めに向かわれたはずでは?」

 

 イリアはアルスターの言葉には応えず、鋭い目でエスクラドスを見つめる。

 

「……わしに気配を感じさせずここまで接近するとは、なかなかやるな」エスクラドスの目も鋭くなった。「そなたがわしの相手となるか」

 

「…………」

 

 イリアは無言で槍を構えた。戦うつもりだ。

 

「そんな! 危険です、イリアさん!」と、アルスター。「そのお方は剣聖エスクラドス様と仰いまして、大陸最強の剣士様なんですよ!? メチャクチャお強いんですよ!?」

 

「誰であろうと関係ない」イリアは感情の無い声で言う。「陛下の敵は、倒す」

 

「……小娘にしては強い闘気を放っておるな。おもしろい」エスクラドスはわずかに腰を落として構えた。「ならばかかって来るが良い」

 

 両者が一騎打ちに同意したため、これで、戦義は終了となる。二人の闘気が高まっていく。これはもう止めても無駄だ。アルスターとキャムデンは巻き添えを喰らわぬよう、ゆっくりと後ずさりした。

 

 先に動いたのはイリアだった。一気に間合いを詰めると、槍を突き出す。エスクラドスはわずかに身を逸らしてかわす。イリアはさらに二撃、三撃と畳み掛け、エスクラドスは体の動きだけでかわしていく。その間、エスクラドスの剣は鞘から抜かれていない。腰に携え、柄を握ったままだ。

 

 イリアが槍を突き出し、エスクラドスはそれをかわす。その攻防が数刻続いた。エスクラドスの目は、イリアの品定めをしているかのようだった。

 

「……遅いな。その程度の槍捌きでは、到底わしを捉えることなどできぬぞ」槍をかわしつつ、余裕に満ちた言葉のエスクラドス。「いや、速さ自体はなかなかのものだ。だが、せっかくの速さが武器の重さに殺されておる。その槍は、そなたに合っておらんな」

 

 イリアが使う槍は、両端に細長い円錐形の金属を取り付けたかなり特殊なもので、一般的な槍と比べるとかなり重量がある。エスクラドスの言う通り、速さが犠牲になっているのは否めない。

 

 イリアは構わず、無言で槍を突き出し続ける。さらに数刻続けた。だが、エスクラドスを捉えることはできない。

 

「それが限界か……ならば、これで終わりだ!」

 

 エスクラドスの剣が動いた。鞘から抜き放たれ、イリアの槍とぶつかる。エスクラドスの剣は細身のもので、イリアの槍と比べると重量は十分の一にも満たないであろう。にもかかわらず、エスクラドスの剣は槍を大きく弾いた。イリアは何とか槍を手放さなかったものの、正面ががら空きになった。

 

 そこを、剣聖の鋭い突きが襲う。

 

「ああっ!!」

 

 アルスターとキャムデンは抱き合って声を上げる。

 

 エスクラドスの剣先は、イリアの左胸を正確に貫いていた。

 

 イリアの胸から流れ出た血が、エスクラドスの刃を伝い、鍔のところで、ぽたりと地面に落ちた。

 

 エスクラドスが、どこか不快そうな目でイリアを見た。「……小娘、なぜかわさなかった? 少し体を動かせば、少なくとも急所は外せたはずだ」

 

 イリアがわさなかった? 確かにそうかもしれない。剣を突き出したエスクラドスに対し、イリアは正面から向かって行った。あの瞬間イリアが攻撃から防御に切り替えていれば、急所を外すことはもちろん、イリアの素早さならば完全にかわすこともできたかもしれない。だが、イリアはそれをしなかった。エスクラドスの剣が急所を狙っていることに気が付いていたはずだが、それでもかわさず、正面から剣を受けたのだ。それはまるで、死を恐れていないかのような振る舞いだ。

 

 急所を貫かれたイリアは――。

 

「…………!?」

 

 エスクラドスの表情が歪んだ。イリアの目は、闘気をはらんだままエスクラドスを捉えている。

 

 イリアの槍が動いた。

 

「……なにっ!?」

 

 エスクラドスが驚きの声を上げるのと、イリアの槍が振り下ろされるのは、ほぼ同時だった。

 

 槍が、エスクラドスの身体を貫いた。

 

 エスクラドスはとっさに身を引いたため急所こそ外したものの、槍は腹の中心を貫いていた。

 

 信じられない表情でイリアを睨むエスクラドス。いや、憎々しげな表情と言うべきか。得体のしれない恐怖におびえる表情にも見える。

 

「……小娘……何者……だ……」

 

 様々な感情が入り混じった顔でイリアに鋭い視線を向けるエスクラドス。その目から、どんどん生気が失われていく。腹から溢れ出した血が、足元に広がっていく。

 

 剣聖は、その場に倒れた。

 

 イリアは、胸に刺さった剣を抜き、投げ捨てた。胸から大量の血が噴き出す。エスクラドスの剣は、確実に心臓を捉えている。それでも、イリアは表情ひとつ変えない。感情の宿らない目で、足元に倒れたエスクラドスを見つめ。

 

「……陛下の敵は……倒す……」

 

 とどめを刺すべく、もう一度槍を振り上げた。

 

 だが――。

 

「……陛下……の……敵……」

 

 そこで力尽き、崩れるように倒れた。

 

 

 

 

 

 

 その姿は、まるで糸の切れた操り人形のようだった。

 

 

 

 

 

 

(第三部 終わり)

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四部
第一〇七話 アルスター 聖王暦二一六年九月上 イスカリオ/アスティン


 ノルガルドとの国境を守るイスカリオ領アスティンの中庭で、自称政務補佐官にして死刑囚のアルスターは、旅芸人騎士のギャロを相手に、このまま戦いを続けるか、一度撤退するか、の、大きな決断を迫られていた。戦況は、一見するとこちらが有利なように思える。しかし、それは見せかけで、実は追い詰められているのはこちら、という可能性もある。現在有利なのは自分か敵か――その見極めは、長く続いたこの戦いの決着に直結するであろう。

 

 戦況を見極めるため、アルスターは慎重に相手の表情を伺う。が、その顔からはなにも読み取れない。ギャロは常に道化師のフェイスペイントを施しており、表情が読みづらいのだ。衣装も、右半分はボーダーで左半分はドット柄、ひらひらの襟にゆったりとした袖とズボン、というピエロスーツだ。そのおどけた格好がアルスターの観察眼を鈍らせる。余裕たっぷりのようにも見えるし、逆にその格好で動揺を隠しているようにも見える。相手の見た目だけで戦況を判断することはできない。ここで判断を誤れば、それは即座に敗北を意味する。そうなると、アルスターは()()を失ってしまう。文字通り()()だ。危険を犯すことはできない。やはり、ここは慎重に行動した方が良いだろうか。一度撤退し、万全の態勢を整え、絶対に勝てるという確信を持ってからあらためて挑むべきか……。

 

 ――いや、と、アルスターは考え直す。ここで撤退したところで、次が今よりも良い状況になるとは限らない。むしろ良くなる可能性は低いだろう。相手の手の内が読めないとはいえ、いま得られる情報だけで判断すればこちらが有利なのは間違いないのだ。この状況で逃げるのは慎重なのではない、ただの臆病だ。自分は、このイスカリオの政務補佐官(のつもりだ)。大陸全土が戦争状態であることを考えれば、イスカリオ軍全体に命令を出す司令官と言っても過言ではない(と思いたい)。ここで部下(だと思う)の騎士に臆病な姿を見せては、今後の指揮系統に悪い影響を与えかねない(いま現在でも指揮系統など無きに等しいというのに)。ここは、勝ち負けなど二の次、イスカリオの政務補佐官(のつもり)にして司令官(だと思う)の強い決断力を見せつけるためにも、勝負に出るしかない!!(でも、負けたらどうしよう……)

 

 ギャロが、「ふふん」と不敵に笑った。「アルスターのダンナ、ずいぶんと悩んでるでヤンスねぇ。そんな優柔不断なようじゃあ、この国の政務補佐官や司令官なんて、とても務まらないでヤンスよ?」

 

 まるでアルスターの胸の内を読んだかのような挑発をするギャロ。その表情は相変わらず読めないが、道化師のペイントのせいでより憎たらしく見えた。やはり、ここで弱腰の姿勢は見せられない。今は攻めに転じる時なのだ。

 

「……そこまで言われては、このアルスターも退()くわけにはいきません。いいでしょう。勝負です!」

 

 アルスターは覚悟を決めて宣言した。

 

「では……()()()()でヤンス!」

 

 ギャロの掛け声に合わせ、アルスターは()()()()()()()()()()()()。そこに書かれている数値は7。すでにオープンになっている隣の4、そして9のカードと合わせ、計20。最強に近い数であり、勝負に出るなら充分すぎる手だ。そのはずだった。

 

 なのに!

 

 同時にめくったギャロのカードに書かれていた数値は……3! すでにオープンになっている8・10のカードと合わせて、計21!!

 

 つまり――この()()()()()()()()の勝負は、ギャロの勝ちだ!!

 

「……そんな……そんなバカなああぁぁ!!」

 

 アルスターの悲痛な叫び声が、城中に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 昨年二月のゼメキスのクーデターより始まった大戦は、開戦前より軍備を整えていた北の大国ノルガルドによってレオニアが、大戦の発端となったエストレガレス帝国によって西アルメキアが滅ぼされ、さらなる激戦の様相を呈してきた。先の二国が大きく勢力を伸ばす中、やや遅れを取ってしまっているイスカリオと、いまだ大きな動きを見せないカーレオンにとっては、極めて予断を許さない状況である。

 

 そんな中にあって、このイスカリオ領アスティンは、今までの激戦がウソのように、なんとものんびりとした時間が流れていた。

 

 アスティンは、開戦当初はレオニア領のハドリアンおよびエストレガレス帝国領カーナボン・ソールズベリーと隣接しており、特に帝国から頻繁に侵攻された激戦地であった。しかし、帝国の目が西アルメキアへ向いたのを機に、イスカリオはカーナボンとソールズベリーへ侵攻し、これを制圧。アスティンは帝国から侵攻される憂いが無くなり、現在はノルガルド領となった北東のハドリアンからの侵攻にのみ警戒すれば良い状態となったのである。そのノルガルドも、現在は大陸中央のリドニー要塞やオークニー城などの帝国領土への侵攻に力を入れており、ハドリアンから侵攻してくる可能性は極めて低いと思われた。予断を許さない戦況であることは間違いないが、このアスティンでは、まだしばらくのんびりした時間が続くであろう。

 

 

 

 

 

 

「――へっへっへ。どうやら、またアッシの勝ちでヤンスねぇ」フェイスペイント越しに小狡い笑みを浮かべ、ギャロはテーブルに積み上げられた金貨をかき集めた。「これで、合計五千ゴールドの勝ちでヤンス。いやはや、今晩は美味い飯が食えそうでヤンスよ。ダンナ、毎度ありぃ、でヤンス」

 

 集めた金貨を袋に詰め、ギャロ上機嫌で席を立つ。

 

 アルスターは「お待ちを!」と引きとめた。「ギャロ殿! どうか……どうかもうひと勝負を!!」

 

「……アッシは別にかまいませんが、ダンナ、もう賭ける金を持ってないでしょう? 『いつもニコニコ現金払い』が、この国のギャンブルの鉄の掟でヤンスからね。勝負を続けるなら、金を用意してもらわないと」

 

 ギャロの言う通り、アルスターは今の勝負に手持ちの金を全額賭けてしまったため、持ち合わせはゼロだ。これではギャンブルを続けることはできない。ギャロが言う『いつもニコニコ現金払い』は冗談でもなければ暗黙のルールでもなく実際に法律で定められており、破れば死刑となるのである(もちろん、この法を定めたのは現国王のドリストである)。持ち金ゼロでは勝負を続けることはできないが、それでも、このまま負けて帰るわけにはいかない。あの五千ゴールドは、アルスターの全財産なのだから。

 

 この時、アルスターの中で、押してはいけないスイッチが押されてしまった。

 

「ふっふっふ。ご安心を。こんな時のために、私には秘策がございます」

 

「と、言いますと?」

 

「ここは対ノルガルドの最前線。軍資金は、たっぷりと蓄えております。そして、私はこの城の軍の全てを預かる身。すなわち、この城に蓄えてあるお金は、私の自由にできるのです!」

 

「……いや、さすがにそれはマズイのでは?」

 

「そんなことを言って、勝ち逃げは許しませんよ。待っていてください。今、金庫からお金を持ってきます」

 

 席を立ち、本当に金庫へ向かおうとしたアルスターの身体が、いきなり()()()()()。比喩ではなく、本当に全身が氷に包まれたのだ。

 

「ふぐらば!!」

 

 と、氷づけにされたトドのような悲鳴を上げるアルスター。

 

「……頭を冷やしなさい。そんなことでは、いいカモにされるだけですわよ?」

 

 中庭にキツイ香水の匂いがたちこめる。上品()()()口調で現れたのは女魔術師のヴィクトリアだった。今のは、相手を凍らせてダメージを与える青魔法だ。

 

「……はっ!? 私はいま、何を……?」

 

 氷が解け、我に返ったアルスターはきょろきょろと辺りを見回した。ギャロに負けた辺りから記憶が無い。

 

「ブラックジャックで負け続けて一文無しになり、国のお金に手を付けようとしていたのです」ヴィクトリアは呆れ声で続けた。「別にそれでアルスターさんが身を滅ぼそうが知ったことではないですが、国のお金は陛下のお金。さすがに見過ごすわけにはいきませんわ」

 

「おお! そうでしたか! それは危ないところでした。陛下のお金に手を付ける……危うく死刑以上の厳しい罰を受けるところでした。ヴィクトリア殿、止めていただき、感謝いたします」

 

 寒さと恐ろしさに震えながら、アルスターは深く頭を下げた。死刑よりも厳しい罰――それが本当に存在するのがこの国の恐ろしいところである。というより、この国で死刑はむしろ軽い方だ。アルスターは、ドリストが王座に就いてからすでに百万と二百五十七回の死刑宣告を受けている。

 

「アルスターさん、あなた、ギャンブルはやめた方がよろしくてよ? 勝負にアツくなって我を忘れるなんて、典型的にギャンブルに向かないタイプですわ」

 

 ヴィクトリアの忠告に、アルスターはもう一度頭を下げた。「面目ないです。肝に銘じます」

 

「まったく……ギャロごとき小物にいいようにあしらわれるような人がこの国の政務補佐官だなんて、先が思いやられますわね」

 

「おおっと、ヴィクトリアの(あね)さん。今のは聞き捨てならないでヤンスねぇ」ギャロが、心外だと言わんばかりに声を上げた。「アッシを、小物だと?」

 

「あら? 違いまして?」ヴィクトリアはアルスターからギャロへ視線を移し、挑発するように、口元に手のひらを当てる。

 

「アッシは仕官して間もないでヤンスから、騎士としてはまだまだ小物かもしれヤせん。しかし、事がギャンブルとなると話は別でヤンス。アルスターさん相手に全戦全勝したアッシの、どこが小物だと?」

 

「アルスターさんのような素人を相手に小銭を稼ぐ辺りが、小物そのものですわ」

 

「ほほう? そんなふうにおっしゃるからには、姐さんはさぞかし大物なんでしょうねぇ。これは、ぜひともお手合わせをお願いしたいでヤンスねぇ」

 

「残念でした。わたくしは、強くてイケメンの殿方にしか興味がありませんの。あなたのような小物でみょうちくりんな格好をした男、お相手にもなりませんわ」

 

「……そこまでバカにされちゃあ、アッシも男として引き下がるわけにはいきヤせん。この勝負、受けてもらうでヤンスよ?」

 

 ギャロの声が低くなり、表情も、フェイスペイント越しでも判るほど険しくなった。

 

 だが、ヴィクトリアは動じた様子も無く、「あらあら? 坊やのくせに勇ましいこと」と言って、肩をすくめた。「別に勝負して痛い目に遭わせても構いませんけれど……それより、()()()()が、もっと良いことを教えてあげますわ」

 

 そう言うと、ヴィクトリアはギャロの腕を取り、ぐいっと引き寄せた。右手をギャロのあごに添え、妖しげな瞳で見つめた後、艶やかな唇を近づける。

 

「な……なにをするでヤンスか……色仕掛けでごまかそうったって、そうはいかないでヤンスよ?」あからさまに動揺するギャロ。言葉では拒みつつも、その目はヴィクトリアの唇に釘付けだった。

 

「あらあら? この程度で動揺するなんて、やっぱり坊やですわね」ヴィクトリアは意味深な笑みを浮かべると、滑らかな足取りでギャロから離れた。「安心なさい。わたくし、あなたごとき小物に興味はありませんから。教えてあげるのは、()()のことでしてよ」

 

 そう言って、ヴィクトリアは左手を見せた。そこには、十数枚のカードの束が握られていた。

 

 ハッとした表情になるギャロ。慌てて服のひらひらの袖を探った。そして、バツが悪そうな目でヴィクトリアを見る。

 

 ヴィクトリアは勝ち誇った顔でギャロを見つめた。「ド素人のアルスターさんならともかく、わたくしの目はごまかせませんわ。あなたがアルスターさんの目を盗んでカードをすり替えていたことはお見通しです。そもそも、そんなひらひらの衣装でギャンブルをしているようでは、イカサマをしている、と、自分からアピールしているようなものですわ。次は、もっとうまく隠すことですわね」

 

「……こいつは、一本取られたでヤンスねぇ」ギャロは降参と言わんばかりに両手を挙げた。

 

「イカサマですと……?」アルスターは怒りをにじませた声を上げギャロに近づいた。「ギャロさん、あなたという人は……」

 

「おおっと、今さら金を返せと言うのは無しでヤンスよ? ほら、『バレなきゃイカサマじゃないんだぜ?』と、昔の偉い人も言ってるでヤンスから」

 

「いいえ認めません! 勝負は無効です! さあ、さっきの五千ゴールドを返してください! 私の全財産なのですから!」

 

「イヤでヤンス~」

 

 中庭を逃げ回るギャロを追いかけるアルスター。しかし、すばしっこいギャロに追いつくことはできず、すぐに息が切れて倒れ込むことになった。

 

 やれやれ、と、ヴィクトリアはまた肩をすくめた。「まったく……セコいイカサマで小銭を巻き上げる方もどうかと思いますが、子どもの小遣い程度のお金が全財産という騎士もどうなのかしら。ホント、この国にはロクな男がいませんわね」

 

「おっとっと、これは手厳しいでヤンスねぇ」アルスターの追跡を巧みにかわたギャロは、ヴィクトリアの言葉に苦笑いを浮かべた。「しかし、だったら姐さんは、なんでこの国に仕えてるんでヤンスか? あっし、ここに来るまではいろんな国を回って来やしたけど、いい男の騎士は、たくさんいましたよ? 北のノルガルドの白狼王や銀の騎士、隣のカーレオンの賢王にナイトマスター、帝国四鬼将のガッシュさん――」

 

「ギッシュ様です。一文字違うだけで大違いだと、前に他の方にも言ったんですけどね」

 

「そう、そのギッシュさん。他にも、もう滅びちまいやしたが、旧パドストーの王太子メレアガントさんや、レオニアの頭脳のなんとかボルグさん……よその国に行けば、姐さん好みの男前の騎士が、いくらでもいますでしょう?」

 

「最後の方はどなたか存じ上げませんが、まあ、そうですわね。殿方のお顔の偏差値だけならば、ハッキリ言って、この国は他国に大きく劣ると言わざるを得ません」

 

「ヴィクトリア殿! なんとヒドイことを!」息を吹き返したアルスターが声を荒らげた。「確かにこの国の騎士は、筋肉バカに万年金欠ちょび髭にごますりちょび髭と、ロクな男がいないかもしれません! しかし、騎士を容姿で判断するなど、もってのほかですぞ!」

 

「……ダンナの方がよっぽどヒドイでヤンスよ」

 

 ギャロの言葉を無視し、アルスターは急に声を潜めて続ける。「……男前の騎士なら、そのうち私がスカウトしてきますので、どうか見捨てないでください。我が国はただでさえ人手不足な上に、まともな騎士がいないのですから。いえ、決してヴィクトリア殿がまともな騎士という訳ではありませんが」

 

「……あなたも大概ですけどね。まあ、それはさておき……ご安心を。イケメンというのも重要ですが、やはり、殿方は強くなくてはいけません。ドリスト様より強い殿方が現れない限り、わたくしが他の国に仕えることはありませんわ」

 

 ヴィクトリアの言葉に、とりあえず安心するアルスター。イスカリオの王・ドリストは、やりたい放題好き放題の無茶苦茶な男だが、『強さ』という点に関しては、決して他国の騎士にも引けを取らないであろう。それに、ヴィクトリアはかつて旧アルメキアの魔術学校に留学していたことはあるものの、元はこの国の出身だ。こう見えて意外と愛国心があるのかもしれない。

 

「それで――」と、ヴィクトリアの表情が明るくなった。「肝心のドリスト陛下は、いまどちらに?」

 

「ああ、陛下なら、帝国を攻めるとかで、イリアさんらと一緒に北のカーナボンへ向かわれました」

 

「まあ!? またわたくしをおいて行ってしまわれましたの? つれないですわねぇ。せめて一声かけていただけましたら、わたくしもお供いたしましたのに」

 

 毎日お昼近くまで化粧に時間を費やすこの女に合わせていたらどこにも侵攻できないだろうな、と、アルスターは思った。もちろん、口には出さなかったが。

 

「それにしても――」とギャロが言う。「イリアさん、もう陛下と一緒に出撃したんでヤンスか? あのお嬢ちゃん、一体何者でヤンスかねぇ?」

 

 アルスターは首をかしげた。「……と、言いますと?」

 

「おや、アルスターさんはなんとも思っていらっしゃらない? イリアさん、先月ソールズベリーの戦いで、重傷を負ったんでヤンしょ? なのに、ひと月足らずで戦線に復帰して……ただのお嬢ちゃんじゃあないと思うんでヤンスがねぇ?」

 

 ギャロの言うことに、アルスターは「うーん」と唸った。あれは先月の出来事だったか。もう三年近く経ったような気分だ。

 

 先月上旬、アスティンの西に位置するソールズベリーが帝国からの侵攻を受けた。その際、イリアは帝国軍の総大将である剣聖エスクラドスと一騎打ちを行ったのだ。その結果、イリアはエスクラドスの刀に左胸を貫かれ、エスクラドスはイリアの太槍に腹を貫かれるという、壮絶な相討ちとなった。

 

 総大将の負傷により帝国軍は撤退し、イスカリオはなんとかソールズベリーを防衛することができた。以降、エスクラドスの生死は不明だ。死んだという情報は入っていないから恐らく生きているとは思うが、少なくともまだ戦線には復帰していない。

 

 それに対し、イリアはわずか一節の休養で怪我を直し、すでに戦線に復帰している。若いから、というだけでは説明がつかない。エスクラドスの刀は、完全にイリアの急所をとらえていたのだから。確かに、普通の人間ではありえない回復力だった。

 

「あら? 意外なところで気が合いますわね」と、ヴィクトリアがギャロに同意する。「わたくしも、あの娘はなんとなく怪しいと思っていましたの。ここだけの話ですけど、わたくし、以前あの娘が着替えている所を見たんですけど、全身に不気味な模様のタトゥーを入れてましたの。後で調べたんですけど、あれ、失われた古代魔術の文字でしたわ」

 

「古代魔術の文字……怪しさ満点でヤンスねぇ」

 

「ええ。あんな趣味の悪いタトゥーをするなんて、最近の若い娘の考えることは、理解できませんわ」

 

「いったい何者なんでヤンスかねぇ? 聞けば、バイデマギスのダンナやダーフィーのダンナも、あのお嬢ちゃんの正体は知らないと言うでヤンス。いつの間にか、陛下のそばにいるようになったとか」

 

「ああ」と、アルスターは頷いた。「イリアさんがお城に来た日のことは、陛下と私しか知りませんからね」

 

「おや? アルスターさんは、イリアさんの素性をご存知なんでヤンスか?」

 

「いえ、素性までは判りませんが……あれは、陛下が即位してから一年ほど経ってからのことでしたか。国境付近の荒野をさまよっていたイリアさんを、陛下が見つけたんです……というより、いきなり向こうから襲いかかって来たんですけどね」

 

「まあ! なんて恐ろしい!」ヴィクトリアが大袈裟に声を上げた。「荒野でいきなり襲いかかって来るなんて、まるで野犬ですわね!」

 

 うまいことを言うな、と、アルスターは内心思った。あの日のことは今もよく覚えている。突如二人の前に現れた()()()は、全身傷だらけだった。ひとまず治療を行おうとしたアルスターだったが、それに対し、殺意をみなぎらせて襲い掛かって来たのだ。その姿は、まさに手負いの獣だった。

 

「それで、襲われて、どうなったんでヤンスか?」ギャロが続きを促した。

 

「ええっと、私は、とにかく危険だと感じたので、陛下に逃げるよう申し上げたのですが、陛下も当時からあの性格ですから、面白がって戦ったんです」

 

「ほう? あのお嬢ちゃんが陛下と戦った? そいつはホントですかい?」

 

「はい。今のイリアさんからは想像もつかないかもしれませんが、事実です」

 

「それは実に興味深い勝負でヤンスねぇ。アッシも見たかったでヤンスよ。で、結果はどうなりやした?」

 

「ちょっとあなた、失礼ですわよ?」と、ヴィクトリア。「ドリスト陛下ともあろうお方が、あんな小娘に後れをとるわけがないでしょう?」

 

「まあ、そうですね」アルスターは頷いた。「イリアさんは怪我もしていましたし、さすがに陛下にはかないませんでした。で、気を失わせた後、陛下が連れて帰ると仰ったんです」

 

「ほほう? 自分を襲った者を連れて帰る? いくらなんでも、それは危険すぎるでヤンしょ」

 

「正直、私もそう思いました。もちろん反対したのですが、あの性格ですから聞き入れるはずもありません。結局、連れ帰ることになったのです」

 

「……で、結局何者なんでヤンスか?」

 

「それが、連れ帰った後、治療を施し、どうにか話を聞こうとしたのですが、私たちを襲う前のことは、何も覚えてないと言うんです」

 

「記憶喪失というヤツでヤンスか? だったら、イリアという名前は、どこから?」

 

「ああ、それは、陛下が名付けられたのです。『今日からお前はイリアだ』、と」

 

「まったくもって気に入りませんわね」ヴィクトリアが不満そうに声を上げた。「拾われ者の小娘が陛下のおそばにいるというだけでも腹立たしいのに、よりにもよってイリアという名前を頂くなんて……あの名前にどれだけ陛下の想いが込められているか、あの小娘は判っているのでしょうね?」

 

「おや?」と、アルスターは首をかしげた。「ヴィクトリア殿、イリアという名前について、何かご存知なのですか?」

 

「あら?」と、今度はヴィクトリアが首をかしげた。「むしろ、アルスターさんの方こそ、ご存じありませんの?」

 

「はい。陛下のことだから、どうせ適当に決めたのだろうと思っていました」

 

「そうですか……」と、ヴィクトリアは何か考えるようにあごに手を当てた。「まあ、そうですわね。()()は、陛下が即位する前の出来事ですから、アルスターさんがご存じなくても、仕方ないかもしれません」

 

 アルスターは古くからイスカリオに仕える一族の出ではあるが、ドリストが即位する以前は、城内では下級の文官にすぎなかった。それが、ドリストの即位と同時にこの国の貴族制度は廃止され、前王に仕えていた側近はすべて城から追放されることとなったのだ。代わりの側近として取り立てられたのがアルスターとキャムデンだった(もっとも、二人とも正確な肩書きは当時から『奴隷』、現在は『死刑囚』であるが)。ゆえに、ヴィクトリアの言う通り、即位する前のドリストのことはよく知らないというのが正直なところである。

 

「ヴィクトリア殿、イリアという名について何かご存知であれば、ぜひ教えてください」

 

「あらあら、これは困りましたわね。このお話、結構陛下のイメージに関わるんですけれど、どうしましょうか?」

 

 と、ヴィクトリアは言葉では渋っているものの、その顔は言いたくてうずうずしているような様子だ。アルスターが、「そんなこと言わずに、お願いしますよ」と促すと、案の定。

 

「……わたくしが言ったということは、内緒にしてくださいましね」ヴィクトリアは、声を潜めて話し始めた。「実は、イリアという名前はですね――」

 

「ふむふむ」

 

 と、アルスターは身を乗り出したが。

 

「げぶばっ!!」

 

 悲鳴を上げ、勢いよく吹っ飛んだ。

 

「――戦争中だというのに、ずいぶんと楽しそうだなオメーら? んー?」

 

 いつの間に現れたのか、ドリストが必殺のとび蹴りをアルスターのお尻に炸裂させたのだった。

 

「これは陛下。ご機嫌麗しゅう、でヤンス」ギャロはひらひらの衣装の裾を持ちあげるお嬢様スタイルで頭を下げた。

 

 ドリストはギャロを睨みつけた。「なんの話をしてたんだぁ、ギャロ? オレ様も混ぜてくれよ」

 

「いえ、陛下がイリアさんと出会った時の話を聞いておりヤした。いやはや、さすが陛下、と、感心してたんでヤンスよ。正体不明の騎士をそばに置くなんざ、よほど肝が据わってないとできないでヤンスからねぇ。いつ寝首をかかれるか判りヤせんから」

 

「ふん。オレ様ほど強ければ、そんなモンは恐れるに足りん。逆に、退屈せずにすむくらいだぜ。それに、正体不明の騎士という点じゃ、テメェだって大して変わらねぇだろうが。ええ? 流れ者のピエロが。テメェもオレ様の首を狙ってみるか? んー?」

 

「いえいえ、アッシみたいな小物が、そんな恐れ多いこと、できるわけがないでヤンス」

 

「腰抜けが。そんなんでこの国の騎士が務まると思うか? オレ様はなによりも強いやつが好きなんだ。弱ぇヤツに用は無いんだぜ? さあ、どうする? オレ様の首を狙って返り討ちに遭うか、この国を出て行くか」

 

「陛下、あんまりアッシをいじめないでください。次からは気を付けますので」ギャロは両手を挙げ、降参の意思表示をした。

 

「……ふん、まあいい。それよりも……」ドリストは、鋭い目をヴィクトリアに移した。「ヴィクトリア。オメー、なんか余計なことを知ってるみたいだが、ヘタなことを口走ったらどうなるかは判ってるよなぁ? 化粧禁止の法律をつくるくらい、オレ様にはどうってことないんだぜ?」

 

 化粧禁止――それは、ヴィクトリアにとって死刑よりも厳しい罰だ。半年ほど前、ヴィクトリアは拠点防衛失敗の罪で一節の間この刑を喰らったが、その間、誰の前にも姿を現すことがなかった。それが法律で全面的に禁止ともなると、彼女はもうこの国では生きていけなくなる。

 

「おほほ、なんのことでしょう? わたくし、何も知りませんでしてよ? では、わたくしはこれで失礼します」

 

 ヴィクトリアは恐怖におののいた笑顔でそう言うと、そそくさと去っていった。

 

「ケッ。どいつもこいつも、オレ様がいないとすぐに気を抜きやがる。戻ってきて正解だったぜ」

 

「――しかし陛下」アルスターはお尻をさすりながら起き上がった。「なぜ戻られたのです? 帝国を攻めるため、カーナボンに向かわれたのでは?」

 

「気が変わったんだ。今からノルガルドを攻める。アルスター! ギャロ! ついて来い!」ドリストはマントをひるがえして城門へ向かう。

 

「またそんな急な……攻めると言っても、我々には準備が――ぐはぁ!」

 

 呆れ顔で言うアルスターの腹に、ドリストの後ろ回し蹴りが炸裂した。

 

「アルスター。このオレ様に意見するなんざ、ずいぶんと偉くなったモンだな? いいだろう。出撃は取りやめだ。代わりに、今日はテメェに王への忠義というものを徹底的に教えてやる。来い!」

 

 そう言うと、ドリストはアルスターにヘッドロックを決め、そのまま連れ去る。

 

「へ……陛下……なにとぞお許しを……へいか……ぎゃああぁぁ!!」

 

 こうしてアルスターは、この日、死刑よりも厳しい罰を受けることになったのだった。

 

「……この国にいれば、一生退屈せずにすみそうでヤンスねぇ。わざわざ仕官した甲斐があったってもんでヤンス」

 

 ギャロは、心底そう思った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇八話 ミリア 聖王暦二一六年九月下 カーレオン/スクエスト

 カーレオン領スクエスト砦の一室で、旅の絵描き騎士ミリアはキャンバスに向かっていた。七月の下旬から描き始めた油絵だ。下書きと下塗りは終わり、現在は本塗りの作業に入っている。筆でパレットの絵の具を取り、キャンバスに重ねていく。色を変え、また別の場所に重ねる。それを、キャンバス全体へと広げる。ミリアはこの本塗りの工程が好きだった。味気なかった下塗りの絵にどんどん色が重なり、完成へ近づいていくさまは、絵に命を吹き込んでいるようであり、最も心が踊る時間なのだ。

 

 だが。

 

 今回の作品は、いつもと様子が違っていた。筆の進みが遅い。どんなに色を重ねても、絵に命が宿るあの感じが無い。だから、心が踊らない。ミリアの心は沈んだままだ。それが、さらに筆の進みを遅くする。筆はまるで鉛でできているかのごとく重く感じるし、絵の具の色はどうも気に入らないし、キャンバスも筆と絵の具を拒絶しているようかのように色の乗りが悪い。いや、それらはミリアの錯覚でしかない。使っている画材はいつもと同じで、なんの問題も無いはずだ。問題があるのはミリアの方。ミリアは小さくため息をつく。このまま描き続けても納得のいくものにはならないだろう。一度仕切り直した方がよさそうだ。

 

 ミリアは筆とパレットを置き、お茶を淹れることにした。湯呑みを取り出し、鍋に水を入れ火にかける。お湯が沸くのを待ちながら、もう一度絵を見た。これまで油絵は何枚も描いてきた。通常、下書きから完成までは、作品の大きさや複雑さなどにもよるが、概ね一ヶ月程度だ。なのに、今回の絵は手掛けてからすでに二ヶ月が経とうとしている。いまだ完成のめどは立たない。油絵でこれほど苦戦するのは初めてだった。スランプ――とは、少し違う。スランプとは、普段はできていることができなくなることだと思っている。今回取り組んでいる絵は、普段は描くことがない絵――ミリアの絵描き人生で、初めて挑戦するたぐいの絵なのだ。

 

 とんとん、と、ドアを叩く音がした。

 

「はあい、どうぞ」

 

 絵からドアに目を移すと、入って来たのはエルオードだった。

 

「失礼しますよ、ミリアさん」

 

 部屋に入ったエルオードは、キャンパスの絵を見ると、「おや、絵を描かれていたのですか。それでは、出直してきましょうか?」と、恐縮したように言った。

 

「ううん、大丈夫。ちょうど、ひと休みしようと思ってたの」

 

「そうですか? なら良かった」

 

「いまお茶を淹れるところだから、座って待ってて」

 

「はい。では」

 

 壁際のテーブルの席に着くエルオード。ミリアは湯呑みをもうひとつ取り出し、お茶を注いだ。

 

「はい、どうぞ」

 

 エルオードの前に湯呑みを置き、ミリアも席に着く。今日のお茶は、乾燥させた果実の皮を使ったハーブティーだ。不安や緊張をほぐす効果があり、何かうまくいかないことがあるとよく飲むのだ。ミリアとエルオードはお互い一口すすり、ふう、と息を吐いた。

 

 ひと心地つき、ミリアはテーブルの上に少し身を乗り出した。「どう、調子は? みんなとは、うまくやってる?」

 

「はい、みなさん、よくしてくれてます」エルオードは爽やかな笑顔で答えた。

 

 エルオードは、ルーンの加護を持ちながらも騎士として仕官せずにいたのだが、ミリアが説得し、仕官させたのだ。あれから、もうすぐ一年になる。最初は見習い騎士だったエルオードも、今では剣術や盾術を身に付け、若干の白魔法を使えるようになった。もともと体力はあるから重い鎧も軽々と着こなす。魔導国家であるカーレオンにとっては貴重な、武器と防具を用いて戦う騎士となったのである。

 

「みんな期待してるみたいよ? 戦いになったら、彼は絶対に頼りになる、って。期待に応えて、しっかりと、みんなの()になってよね」ミリアは片目を閉じだ。

 

「ははは、これは手厳しいですな」と、エルオードは苦笑いを浮かべる。「しかし、私は頑丈なだけが取り柄ですから、それがみなさんの役に立つのであれば、喜んで盾になりましょう」

 

「うんうん、いい心がけよ」と、ミリアは頷いた。「でも、まあ安心して。いざ戦いになったら、あなたの後ろには、大陸屈指の魔術師たちが控えているんだから。敵なんて、あっという間に蹴散らしちゃうわよ」

 

「そう望みたいですね」

 

「もっとも、いまのところ、この砦が戦場になることはなさそうだけどね」

 

 そう言って、ミリアはもうひと口お茶をすすった。

 

 八月上旬、同盟国であった西アルメキアがエストレガレス帝国の総攻撃の前に滅亡し、このスクエストは、帝国との国境を守る要衝となった。現在ナイトマスター・ディナダンをはじめとする腕利きの騎士が多数の兵とモンスターを従えて防衛にあたっている。とは言え、帝国側から攻めてくる可能性は低い、というのが、賢王カイの考えだった。

 

 帝国は、西アルメキアとの戦いに兵の大半を費やした。結果的に西アルメキアを滅ぼしたものの、攻めに転じた分防衛が手薄になり、南のイスカリオに大きく攻め込まれることになったのだ。その侵攻は、帝国の南の都市トリアにまで届こうとしている。

 

 また、リドニー侵攻で二度に渡り大敗を喫した北のノルガルドも、帝国と西アルメキアの戦闘の隙を衝いてゴルレを落とし、領土を拡大している。当然、白狼王ヴェイナードは再度リドニーへ侵攻する機会を伺っているはずだ。トリアとリドニーは、どちらも王都ログレスに直結する重要拠点だ。帝国としてはこれ以上攻め込まれるわけにはいかず、主力騎士は全てそちらに回っている。現在スクエストのすぐ北である帝国領ベイドンヒルには最低限の防衛部隊しか配置されていない。トリアやリドニー方面の戦況を覆さない限り、帝国がこのスクエストへ侵攻して来ることはまず無いだろう

 

 ミリアはテーブルに肘をついた。「帝国は領土こそ拡大したけど、騎士不足は変わらず、ってトコね。むしろ、領土を拡大した分、拠点が多くなって手が回らなくなってる。もしかしたら、もうすぐカーレオンも攻めに転じるかもよ?」

 

「ミリアさんの活躍で、この国も騎士が増えましたからな」

 

「あたしの活躍ってこともないけど、まあ、騎士が増えたのは確かね」

 

 カーレオンに仕官して以降、何人かの在野の騎士を勧誘しているミリアだが、これに加え、仕官先を失った西アルメキアの騎士がカーレオンへ流れてきているようなのだ。彼らは祖国を滅ぼした帝国への復讐に燃え、この国へ仕官するだろう。開戦以降も騎士不足から守りに徹してきたカーレオンも、そろそろ大きな手を打つかもしれない。

 

 ミリアは、「でも、そうなると――」と言って、視線をエルオードからキャンバスへ移した。「こうやって絵を描いていられるのも、今のうちかもしれないわね。早く完成させないと」

 

「新しい絵ですか」エルオードもキャンバスに視線を移す。そして、しばらく眺めた後、表情を曇らせた。「……失礼ですが、あまり筆は進んでいないようですね」

 

「あはは……判る?」

 

「はい。私は絵を描きませんが、以前ミリアさんから頂いた絵は、毎日のように眺めていましたからね。あの絵と比べると、いま描いている絵は、なんというか、ぼんやりとしている印象です」

 

 その指摘に、ミリアはドキリとした。それはまさにミリア自身が感じていることであり、今回なかなか筆が進まない理由であったからだ。

 

 その絵は、いまだ完成のめどは立たないが、すでにタイトルは決めていた。『亡国の民』――滅亡した西アルメキアからカーレオンへ逃れてくる難民の姿を描いたものである。これまで、旅先の風景や人々の笑顔など、美しいものを描いてきたミリアにとって、初めて挑戦するモチーフであった。

 

 ぼんやりとしている、というエルオードの指摘は当たっていた。筆が進まないのは、完成のイメージが明確でないからだ。初めて挑戦するモチーフの絵――ミリア自身、どう描いていいのか判らないのだ。うまくいかないのも当然と言えた。

 

 黙り込んだミリアを見て、エルオードは目を伏せた。「失礼、私みたいな素人が、生意気なことを言いました」

 

 ミリアは首を振った。「ううん、いいの。エルオードの言う通りよ。正直、こんなに気分が乗らない絵は初めてね」

 

 気分が乗らない――それが、今の正直な気持ちだ。もっと明確に言うならば、ミリアはこの絵を描きたくないのだ。

 

 絵に関して、こんな風に思う日が来るなんて想像もしなかった。ミリアにとって絵を描くことは無上の喜びであり、人生そのものであったのだ。もちろん、思い通りに描けない時もある。スランプに陥ったことは数えきれない。それでも、『描きたい』という気持ちがしぼむことはなかった。どんなに描けなくても、『描きたくない』と思ったことはなかったのだ。それが今、ミリアは人生で初めて『描きたくない』と思っている。戦火に焼かれた街から逃げる人々の絵――赤子を抱いた母親、老いた父を背負った青年、親とはぐれて途方に暮れる幼い兄弟――皆、暗い顔でうつむき、生きることに絶望している。悲しい絵だ。こんな絵は描きたくない。以前のような、気ままに旅をし、そこで見つけた美しいものを描く、あの生活に戻りたい。それが、今のミリアの正直な気持ちだった。

 

 それでも――。

 

「……それでも、描かないといけないんだと思う」

 

 ミリアは、自分に言い聞かせるべく、強い口調で言った。

 

「それが、ミリアさんが仕官した理由ですからね」エルオードが言った。やさしい笑顔だった。

 

「ええ」

 

 ミリアは頷くと、もう一度、絵を見つめた。

 

 旅先の美しいものばかりを描いてきたミリア。それは同時に、美しくないものを描くことを避けてきたということでもある。このフォルセナ大陸では、大戦以前からも、飢えに苦しむ人々、金や権力に溺れる者、理不尽な理由で家族や故郷を失った人など、悲しいものや醜いものも多くあったのだ。ミリアは、それらから目を背けてきた。今回の大戦勃発で、それらの悲しいことは、大陸全土へ広がろうとしている。それでも目をそむけ、美しいものばかりを描き続けることもできたかもしれない。だが、はたしてそれは正しいことなのか。悲しいことから目をそむけ、ただ思うように絵を描き続けて満足なのか。それで、本当に画家だと言えるのか――。

 

 そう思い、ミリアは仕官したのだ。

 

 描かなければならない。戦争の真実と、向き合うために。

 

「――完成させるのは難しいかもしれないけど、それでも描いてみせる。絶対に」

 

 ミリアは改めて決意し、その決意を胸に刻み込むように、一度大きく頷いた。

 

「良いことだと思います」

 

 そっと背中を押すようなエルオードの声に、ミリアは「ありがとう」と笑顔で応えた。

 

 ミリアは湯呑みに手を添えた。お茶はすっかりぬるくなっていた。一息で飲み干すと、「それで、何か用?」と、声を改めてエルオードに訊いた。

 

「そうだ、忘れるところでした。ミリアさん、もし、ガッシュさんのところへ向かわれるのであれば、私にも声をかけてください」

 

「ガッシュのところ?」ミリアは首を傾けた。

 

 ガッシュは、大陸各地にいるミリアの友人の一人だ。以前のミリアやエルオードと同じく、ルーンの加護を持ちながらも仕官せずにいる男である。身体を鍛えるのが趣味で、カーレオン北東部の山奥で、武術の訓練をしながら暮らしている。

 

「そろそろ彼の元へ向かわれる頃だと思いましてね」と、エルオードは続けた。「ミリアさんを一人で行かせるのは危険ですから、私がお守りします」

 

「あら、言うようになったわね。でも、あたしだって騎士なんだから、盗賊や野良モンスターくらいなら平気よ?」

 

「いえ、そうではなくて、ガッシュさんが危険なんです。あの人は、私以上に世間知らずですからね。ミリアさんと二人きりになったら、何をするか判りません」

 

「あはは。ヒドイこと言うんだから」

 

 声を上げて笑った後、ミリアは、ぱん、と手を叩いた。「よし。じゃあ、早速向かいましょう」

 

「はい? 今からですか?」エルオードは目を丸くする。

 

「思い立ったらすぐ行動、が、あたしの信条だからね。どうせ絵は進まないし、いい気分転換になるでしょ」

 

「しかし、この砦の守りはどうするのですか?」

 

「それはたぶん大丈夫でしょ。なんてったって、ナイトマスター様がいるんだし。それに、どちらかというと、あたしは戦闘要員じゃなく人材登用要員として雇われたようなものだからね。この国もそろそろ大きな手を打たないといけないだろうし、人手は多いに越したことはないでしょ。さ、行くわよ!」

 

 ミリアとエルオードは旅支度もそこそこに砦を飛び出し、カイに許可を取ると、新たな騎士を勧誘するためガッシュの元へ向かった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一〇九話 ティース 聖王暦二一六年八月下 ノルガルド/――――

 武者修行の旅を続けるイスカリオの新米騎士ティースは、国境を超え、ノルガルド南西の山深い場所にいた。王ドリストより、修行の旅をするならついでに敵国の様子を探って来いと言われたのだ。現在ティースは、ノルガルドの南西方面の最前線であるゴルレ城の周辺で情報を集めている。と、言っても、戦士としても未熟なティースに諜報活動など満足にできるはずもないので、近隣の集落に立ち寄っては住人と世間話をするくらいだった。それでも、それなりに重要な情報を得ることができた。二ヶ月ほど前、ノルガルドは白狼王ヴェイナードが自ら軍を率い、西アルメキア領だったこのゴルレを制圧した。白狼はその後しばらくゴルレに留まっていたが、現在は首都であるフログエルに戻っているという。帝国が領土を拡大したことで、ノルガルドは各拠点の部隊編成を大幅に見直しているものと思われた。イスカリオはノルガルドとも国境を接している。これは重要な情報になるかもしれなかった。

 

 さらに情報を得るべく旅を続けるティースは、途中、街道から少し離れた場所に小さな泉があるのを見つけた。よく晴れた日の午後、澄んだ水に陽光が反射してキラキラ輝くさまは、どこか神秘的なものを感じさせる。

 

 ティースは金貨を一枚取り出し、泉に投げ入れると、手を合わせた。

 

 ――早く一人前の騎士になり、ユーラにふさわしい男になれますように。

 

 ティースなりの武運を祈り、旅を続けようとした。

 

 すると。

 

「――お待ちなさい」

 

 不意に、背後から声をかけられた。

 

 振り返ると、泉の上に美しい女性が立っていた。足元には船も無ければ()()()を履いているわけでもなく、浮遊の魔法を使っているような様子もない。人が地面に立つのと同じように、ごく自然に水の上にたたずんでいる。人間技ではない。どうやら泉の精のようだ。

 

 泉の精は手のひらを差し出した。そこには、先ほどティースが投げ入れた金貨が載っていた。

 

「これを投げ入れたのは、あなたですか?」

 

「あ、はい。そうです」

 

 正直に答えるティース。内心、まずかったかな、と思った。神秘的な雰囲気に思わず金貨を投げ入れてしまったが、泉の精にとっては何の価値も無いものだろう。ゴミを捨てられたのも同然なのかもしれない。怒られるだろうか、と、心配していたが。

 

 泉の精はにっこりとほほ笑んだ。「綺麗なコインですね。お礼に、祝福のキスを」

 

 そう言うと、泉の精はティースの頬にそっとキスをした。

 

「それから、これも差し上げましょう」

 

 続いて、泉の精は一足の靴を取り出した。丈夫な革を使った底の厚い靴だ。頑丈だが、それでいて羽根のように軽い。どんなに優れた靴職人でも、牛や馬など普通の動物の革でここまで軽いものをつくることはできないだろう。かなり特殊な靴のようである。

 

「履いてみてください」

 

 泉の精に言われ、ティースは靴を履いてみた。

 

 すると、突然ティースの身体が宙に浮かび上がった。ものすごい速さで上昇し、あっという間に雲にも届く高さまで到達した。

 

「――うわ!」

 

 驚いてバランスを崩し、今度は落下する。そのまま地面激突するかと思ったら、寸前でふわりと舞うようにして止まった。ティースはほっと胸をなでおろす。まるで、重力から解放されたかのような動きだった。安心したのも束の間、急に重力が戻ったのか、ティースはドスンと尻餅をついて落ちた。

 

 その様子を見た泉の精はおかしそうに笑った。「驚かせてしまいましたね。それは、飛竜の革で作られた魔法の品・風乗りのクツです。うまく使いこなせば、自由に空を飛ぶことができるでしょう。でも、悪いことに使ってはダメですよ? では」

 

 泉の精はもう一度ほほ笑むと、沈むように泉の中へ消えて行った。

 

 ティースはお尻の土埃をはらいながら立ち上がった。なかなか面白いものを貰った。金貨一枚でこんなものを貰えるなんてツイている。ティースはもう一度手を合わせて礼を言うと、旅を再開した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一〇話 カイ 聖王暦二一六年九月下 カーレオン/リンニイス

 王都リンニイスの居城にある自室にて、賢王カイはベッドに横になっていた。と言っても、休んでいるわけではない。彼は考え事をする際、身体中の全てのエネルギーを脳へ集中させるため、とても立ってなどいられないのである。本気で考え事をする時は、いつもこうしてベッドに横になるのだ。

 

 フォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦が勃発してから一年半。レオニアがノルガルドに併合され、西アルメキアが滅びた。ここまで、開戦前にカイが思い描いた状況とはあまりにも違いすぎている。カイは、情報の収集と分析の能力には絶対の自信を持っている。開戦前より各国の情報を集め、綿密に分析して導き出した予想が、ことごとく外れているのだ。そもそも、開戦の発端であるゼメキスのクーデターが成功したことが、完全に予想外であった。そして、そこにはある男の姿が見え隠れしている。

 

 魔導士ブロノイル――先日仕官したクラレンスという騎士がもたらした情報だ。ゼメキスのクーデターが成功したのは、この男の暗躍による可能性が高い。正体は不明だ。各国に仕官している騎士の情報は全て把握しているカイでさえ初めて聞く名だった。もし本当にこの男がゼメキスのクーデターをお膳立てしていたとして、その目的は何か。あのクーデターが成功したことで、今回のフォルセナ大陸の大戦は始まった。ならば、そのブロノイルという男がこの大戦を望んでいたということだろうか? ――安易に結論付けるのは危険だ。今の段階では、あまりにも情報が少ない。まずはブロノイルについての情報を集めなければならない。だが、そればかりに気を取られるわけにもいかない。レオニアと西アルメキアが滅びたことで、いくさはさらに激しさを増すだろう。ノルガルドと帝国が大きく勢力を伸ばし、イスカリオも領土を拡大する中、カーレオンだけはいまだ防衛に徹し、領土の拡大には至っていない。守ってばかりではこのいくさは決して終わらない。攻めに転じなければならない。そのためには、騎士を増員する必要がある。

 

 つい先日、メリオットの友人のミリアが新たな騎士を勧誘するために旅に出た。カーレオン北東部の山奥に住むガッシュという男だ。彼についてはカイも知っている。部下である拳闘士シュストの同門だった騎士だが、宮廷に仕えるのを嫌い、野に下ったはずだ。仕官してくれるかは微妙なところだ。仮に仕官してくれたとしても、これまで一度も軍に属したことがないのでは即戦力にはならないだろう。いまこの国に必要なのは戦闘経験がある騎士だ。その上で、クラレンスのように他国の情報を持っていれば、なお都合が良い。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃーん!」と、メリオットの声が聞こえた。いつものように騒がしく走って来る。今日は午後から城の近郊で大規模な戦闘訓練を行う予定だが、まだ時間が早いからその件ではないだろう。だとしたら、可能性が高いのは……。

 

 バタン! と扉が開き、メリオットが駆け込んで来た。「あー! また寝てる! もう! お兄ちゃん起きて! 大変なんだから!」

 

 カイはゆっくりと身体を起こした。これは寝ているのではなく考え事をしているんだよ、と言っても、メリオットが決して理解しようとしないのはもう判っているので、これ以上は言わないことにした。「どうしたんだいメリオット? 在野の騎士が、仕官しに来たのかい?」

 

「そうなの! 滅亡した西アルメキアから、二人も! ……って、なんでお兄ちゃん、知ってるの?」

 

「いつもの予想だよ。でも、そうか。二人も来てくれたのか。判った。さっそく会ってみよう」

 

 そのまま出て行こうとしたカイだったが、「ちょっと待って!」とメリオットに引き止められた。「そんな寝癖のついた頭で行くつもり? 服も普段着のままじゃない。そんなだらしない格好じゃ、せっかく来てくれたのに、呆れてよその国に行っちゃうわよ。ちゃんと髪をとかして、服も着替えて、威厳のある格好をしなきゃ。ほら、早く」

 

 メリオットに口うるさく言われ、カイは仕方なく正装に着替えて謁見の間へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「――お初にお目にかかります、カイ王。わたくし、西アルメキアで魔術師をしておりましたカルロータと申します」

 

 謁見の間にて、仕官を希望する騎士カルロータは、右の拳を左胸に当てるアルメキア流の仕草でこうべを垂れた。「我が祖国は滅びてしまいましたが、私には叶えたい夢があります。その夢を実現させるために、どうかこの国に身を置くことをお許しください」

 

 カイは、頭の中のデーターベースからカルロータの情報を引き出した。旧パドストーでの訓練生時代には優秀な成績を残しているものの、魔導国家であるカーレオンにおいては、現時点では特別優れているとは言えない。まだ若く、実戦の経験も少ないようだ。ただ、彼女は旧パドストーの老王コールに同行し、ゴルレ地方でのノルガルドとの戦いを経験している。あの戦いでノルガルド軍を率いていたのは白狼王ヴェイナードだ。結果はノルガルド側の勝利だったが、西アルメキアは帝国によって後方の城キャメルフォードを落とされていたため、撤退には多くの犠牲を払うことになった。彼女は、そんな死線から生還したのだ。その経験は、今後の成長を促すであろう。

 

「そんなにかしこまらなくてもいいよ? 王様なんて言っても、いつもぐーたらしてるだけなんだから」

 

 カルロータの素質を見極めようとしていたカイの隣で、謁見に同行したメリオットが軽い口調で言った。

 

「……普段着のまま政務室で会おうとしていた僕を、正装させ謁見の間に連れてきたのはメリオットなんだけどね」

 

「そうだっけ? まあ、いいじゃん」メリオットはカイを見てとぼけたように言うと、視線をカルロータに戻した。「ねぇ。あなた、歳いくつ?」

 

「十七歳です、メリオット姫」

 

 メリオットは目を輝かせた。「十七歳なら同い年だ。やった。あたし、同い年のお友達がほしかったんだ。よろしくね、カルロータちゃん。姫なんて言わないで、もっと気さくに呼んでくれていいからね」

 

「いえ、しかし……」カルロータは戸惑った目でカイを見た。

 

「構わないよ。妹と仲良くしてあげてね」

 

「判りました。そういうことならお任せください」カルロータは再び視線をメリオットに移すと、「それではよろしくお願いしますわね、メリオットちゃん」と、親しげな口調で言った。

 

 妹の面倒を見てくれる者がミリアの他にもう一人増えるなら、それだけでありがたい、と、カイは内心考えていた。

 

「――やれやれ。静かなる賢王カイ、どれほどのものかと思ったが、期待外れだったよ」

 

 カルロータの隣にひかえていたもうひとりの騎士が、呆れたような口調で言う。「どうやらあなたは、自分の(うつわ)を大きく見せたいだけの小物のようだ」

 

「……これは随分なことを言うね。どうしてそう思うんだい?」

 

「簡単なことだ。あなたの(たる)んだ顔には知性のかけらも感じられないのですよ。真に優れた者の周りには、常に知性がバラの香りのようにかぐわしく漂っているモノなのです。そう、この私のようにね」

 

「ちょっとあなた、人を見た目で判断するなんて、失礼よ?」メリオットが不機嫌そうに言った。

 

 カイはため息をついた。「メリオット。それは、僕の見た目に知性のかけらも無いことを認めていることになるよ」

 

「え? そう? でも、そこは間違いじゃないんじゃない?」

 

「……味方をしてくれる気は無いようだね」

 

 ふふん、と、自称知性が漂う騎士が笑う。「さきほどからの妹(ぎみ)とのやりとりを聞いているだけでも判る。あなたには、王に最も必要である『権威』というものが無い。人の上に立つ者には、常に権威が森の泉のごとく湧き出てくるモノなのです。そう、この私のようにね」

 

「王に最も必要なものは『権威』だ、と言って、王位をはく奪された人がいたらしいけどね」

 

 カイのいうことを無視し、自称権威が湧き出てくる騎士はさらに続ける。「いや、私はなにもあなたの見た目だけでその器を計ったわけではないのだ。他にも、ちゃんとした根拠があるのだよ。知りたいかね賢王?」

 

「いや、別に知りたくは――」

 

「よろしい教えてやろう。この国は、開戦から一年半も経つというのに領土を増やしていない。あなたが本当に賢王たる器ならば、もっと領土を拡大しているはず……いや、すでにこのいくさを終わらせていてもおかしくはない。それができていないのだから、やはり小物だと言わざるを得まい」

 

「これは手厳しいね。返す言葉もないよ」

 

「そうだろう。だが安心したまえ。フォルセナ大陸一の軍師であるこのランゲボルグが来たからには、もうこの国は勝ったも同然。あっという間に大陸制覇を成し遂げるであろう」

 

 自称知性が漂い権威が湧き出す大陸一の軍師ランゲボルグは、胸を張って高らかに宣言した。

 

 やれやれ、と小さくつぶやいて、カイは言う。「君のことは知ってるよ、ランゲボルグ君」

 

「当然だ。私の名は、大陸中に知れ渡っているからな」

 

「……それもあるけど、私は、各国に仕えている騎士の情報を、全部記憶しているんだよ」

 

 ランゲボルグは目をぱちぱちと(またた)かせた。「え? 全部?」

 

「そうだよ」

 

「大陸中の騎士ともなると、十人以上はいますよ?」

 

「百人ほどいるよ」

 

「それを、全部?」

 

「そう。名前だけじゃなく、生い立ちや戦績なんかもね。それによると、君はノルガルドで前王ドレミディッヅに仕えていた騎士だったけど、出撃した記録は無いね。そして、ヴェイナードが王に即位した際に国を離れ、レオニアに仕官、そこでも出撃の記録は無い。レオニア滅亡後は西アルメキアに仕官したけど、同じくそこでも出撃の記録は無く、国は先月滅亡している」

 

「それって……」と、メリオットがあごに指を当てた。「ランゲボルグさんが仕官を希望した国は、次々滅んでるってこと?」

 

「逆に、自らの意志で去ったノルガルドは、大きく勢力を伸ばしているね」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 メリオットが頭を下げた。「ランゲボルグさん。残念ですが、今回はご縁が無かったということで」

 

「いやいやいや待て待て待て。それは、たまたまというものだ。私のせいではない」

 

「まあ、そうだね」と、カイも渋々認めた。「そもそも、どこの国でも一度も出撃してないんだから、彼のせいであり得るはずがない」

 

「……賢王、あまり調子に乗らぬことだ」ランゲボルグは再び胸を張った。「世の中には、上には上がいる。あなたの上というのはすなわちこの私。まあいい。どうせすぐに判る。私がこの国の軍師となれば、あなたは自分の卑小さと私の偉大さをイヤというほど思い知るだろう」

 

「仕官を許したわけじゃないけどね。まあ、ちょうどいい。お昼からの訓練で、大規模な模擬戦を行う予定だったんだ。私も参加するから、君は、敵軍の軍師として――」

 

 カイの言葉を、ランゲボルグは片手を向けて制した。「おっと失礼。参加したいのはやまやまだが、あいにくと、今日は調子が悪くてね。実力の半分も出せそうにない。いやはや残念。今日のところは、見学させてもらうよ」

 

「……やれやれ」とつぶやいた後、カイはカルロータを見た。「君も、面倒な人を連れて来てくれたね」

 

「あたしが連れてきたワケではないですが……まあ、これはこれで、結構面白いんですよ?」

 

「面白いだけでは騎士は務まらないんだけどね」

 

 カイは頭を抱える。カイの頭脳をもってしても、この男だけはうまく扱う自信が無い。役に立たないだけならまだしも、「一世一代の作戦ができましたぞ!」などと言って汚い字で書かれて読めない作戦書を何度も持ってこられたりしたら、邪魔でしょうがない。来る騎士は拒まずがカイの信条だが、彼だけは追い返すべきだろうか。あるいは、情報収集係として各地を探索させるか。もちろん重要な情報を得ることなど期待できないが、それで野生のモンスターや使えそうなアイテムのひとつでも持ち帰れば良しとしよう。

 

「ところで、君たちに訊きたいことがあるんだ」カイは気持ちを切り替えて言った。「ブロノイルという魔導士について、何か知らないかな?」

 

「ブロノイル?」カルロータは首を傾けた。

 

「そう。ちょっと、その魔導士について調べていてね。仕官してきた騎士には、全員に訊くようにしてるんだけど」

 

 カルロータは腕を組んだ。「ブロノイル……確か、ハレーさんが探していた人が、その名前だったと思います」

 

 カイは自然と目が鋭くなった。「ハレーさんというと、流星の異名を持つ騎士だね?」

 

 流星のハレー――大陸各国を旅する腕利きの女騎士だ。長らく主君を持たなかったが、ゼメキスのクーデターの夜、王太子ランスの逃亡を手助けしたことがきっかけで、一時期西アルメキアに仕えていた。だが、西アルメキアが滅亡する少し前に離脱している。

 

「彼女が、ブロノイルを探していた?」カイは訊いた。

 

「はい。ハレーさんが西アルメキアに仕官した際の話ですが、ブロノイルという魔導士について何か知っていることがあれば、すぐにハレーさんかランス様に知らせるように、と、全軍に通達があったんです。でも、誰も詳しいことは知らなかったみたいです。あたしも、それ以上のことは判りません。申し訳ありません」

 

「いや、いいんだ。それだけでもありがたいよ」

 

 ハレーがブロノイルを探していた――ひょっとしたら、彼女もこのゼメキスの背後にいるブロノイルの存在に気がついていたのかもしれない。ハレーに会えば、重大な情報を得られる可能性が高い。しかし、西アルメキアを離脱した後の彼女の所在は不明だ。どうやって探すべきか……。

 

 その時、予想外の情報が、あまりにも予想外の男からもたらされた。

 

「ハレー殿が探していた……ああ。ブロノイルという名、どこかで聞いたことがあると思ったら、レオニアの女王を襲撃した男ですな」

 

 さすがの賢王も、すぐにその言葉を理解することができなかった。いや、言葉自体は理解できる。ただ、そんな重大な情報言ったのがこの男だということが信じられなかったのだ。

 

「ブロノイルが、レオニアの女王を襲撃?」

 

 カイは、情報をもたらした男――ランゲボルグに訊いた。

 

「ええ。この話は以前ハレー殿もしたのですが……あれは、帝国がレオニアに侵攻して来る前でしたか。積極的に他国へ侵攻しようとしない女王が邪魔だからと、排除しようしていたのです」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……メリオット」

 

「……なに?」

 

「メリオットの言う通りだよ。人を見た目で判断するなんて、失礼だった」

 

「え? どういうこと?」

 

 首を傾けるメリオットをよそに、カイは思わず王座から立ち上がってランゲボルグに駆け寄った。

 

「君を歓迎するよ、天才軍師ランゲボルグ君。その話、ぜひとも詳しく聞きたいね」

 

 ぽかんとするランゲボルグの右手を、カイは強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一一話 イヴァイン 聖王暦二一六年九月下 ノルガルド/フログエル

 フログエル城の会議室には、王ヴェイナードや軍師グイングライン、前王の娘ブランガーネなど、ノルガルドの主要騎士が集まっていた。この数ヶ月で、大陸の勢力図は大きく変わった。それも、ヴェイナードらが想定していた範囲を大きく超える形である。ノルガルドは、敵国の情勢に合わせ、各拠点に配置する部隊の再編を余儀なくされていた。

 

「――まさか、ゼメキスがここまでやるとはな。少々あやつを侮っていたようだ」

 

 円卓の中央に広げたフォルセナ大陸の地図を見ながら、王ヴェイナードは苦笑交じりに言った。地図は各国の領土を色分けしているのだが、ゼメキス率いるエストレガレス帝国の色は西へ大きく伸びていた。五月の上旬、帝国は全兵の約半数をゼメキスの部隊に集め、西アルメキアへ特攻を仕掛けた。その結果、西アルメキアはわずか三ヶ月で滅亡してしまったのだ。

 

「帝国は、明らかに戦い方が変わったな。モルホルトよ、どう見る?」

 

 ヴェイナードは視線をモルホルトへ移した。モルホルトは、かつては旧アルメキアで五本の指に入るほどの軍略家であったが、ゼメキスのクーデターの際に国を離れ、ノルガルドへ仕官した男である。軍略に長け、旧アルメキアの内情に詳しいこともあり、仕官後も多くの功績を挙げていた。今ではグイングラインに次ぐノルガルド第二の軍師とも言える存在となっている。

 

「陛下の仰る通り、それまで領土を守る戦いをしていた帝国が、五月を境に攻勢に転じております。間違いなく、軍の総帥が、別の者に代わったのでしょう」

 

 帝国樹立後、軍総帥の座に就いていたのは四鬼将の一人である魔術師ギッシュだ。旧アルメキア時代は数々の献策を行い王からの信頼も厚かったが、それらはすべて内政に関するものであり、軍略に長けた男ではなかった。ゼメキスやカドール、エスクラドスら『攻め』の戦いに特化した騎士を多数抱えながら守りの戦略をとっていたことが、そのことを如実に物語っている。

 

 モルホルトは続ける。「帝国が攻勢に転じた五月、長く行方をくらませていたシュレッドが戦線に復帰しております。恐らく、この男が軍総帥の座に就いたのではないかと」

 

「帝国四鬼将最後の男か……旧アルメキア時代は、長くゼメキスの副官をつとめた男だな」

 

「はい。ゆえに、最もゼメキスの戦い方を知る者です。今や一国の王となったゼメキスに捨て身の特攻をさせるなど、あの男以外にはおりますまい。今後も、帝国は各国に攻勢をかけるでしょう」

 

 うむ、と一度頷いた後、ヴェイナードはもうひとりの軍師であるグイングラインを見た。「グイン、帝国軍の配備はどうなっている」

 

「ゼメキスら主力部隊は、全て、旧西アルメキア方面から引き揚げたようです」グイングラインは円卓上の地図を指さし、大陸の西から中央へとなぞった。「帝国はイスカリオとの抗争が激化しておりますので、恐らくそちらの戦線へ回るものと思われます」

 

 帝国の西アルメキア侵攻の際、南のイスカリオも帝国へ侵攻しており、カーナボンを占領している。イスカリオはさらに領土を広げるべく、王ドリスト自ら先頭に立ち、カーナボンの北西のトリアへ何度も侵攻を繰り返していた。

 

「モルホルトの言う通りであるならば――」と、ヴェイナードは言う。「ゼメキスの部隊がトリアで防衛に徹するということはあるまい。そのままイスカリオへ侵攻すると見た方が良いな」

 

「はい。しかし、帝国が完全に守りを捨てた、とは考えない方がよろしいでしょう。安易に攻め込めば、手痛い反撃を受けかねません」

 

 グイングラインの忠告に、ヴェイナードは「無論、心得ている」と頷いた。

 

 帝国は西アルメキアへ特攻を仕掛けた際に自国の領土をいくつか失ったものの、トリアやディルワースなど、王都ログレスへ繋がる重要拠点はしっかりと防衛している。ノルガルドも、手薄となったリドニー要塞へ侵攻したものの、思わぬ策の前に返り討ちに遭った。作年の十二月に続く二度目の大敗である。この結果、開戦以降準備を進めていたリドニーへの侵攻作戦は、根本から見直さなければならなくなっていた。帝国が攻めに転じているとはいえ、その防衛力は決して侮れない。

 

「しかし、陛下――」と、モルホルトが言う。「帝国の主力が中央に集中し、旧西アルメキア方面が手薄になっているのは間違いありませぬ。現状でのリドニー侵攻が難しい以上、西方面から攻めるしかありません」

 

 モルホルトの進言に、ヴェイナードは地図の西方面を見た。現在ノルガルドと国境を接しているのはオークニーとキャメルフォードだ。

 

「攻めるなら、まずキャメルフォードだな」ヴェイナードは言った。「ここを落とせば、帝国の領土を分断できる。ヤツらにとっては、大きな痛手であろう」

 

「同意見です」と、モルホルトは頷いた。「我らがキャメルフォードを落とせば、帝国は西方面へ援軍を送れませぬ。そうなれば、カルメリーやファザードを落とすのも容易でしょう」

 

「私も同意見です」グイングラインも頷いたが、「しかし」と言って、さらに続けた。「帝国は、恐らく旧西アルメキアの領土にさほど固執しないでしょう。キャメルフォードを落とせば、カルメリー、ファザード、ベイドンヒルからは、完全に兵を引き上げる可能性があります。そうなると中央の兵力が増し、再び特攻を仕掛けてくる可能性もあります」

 

 今の帝国は、十の城を奪われても二十の城を奪う覚悟で戦っている。領土を失えば、その分さらに攻勢に転じるであろう。帝国と国境を接しているリスティノイスとジュークスは、守りを固める必要がある。

 

 これらのことが考慮され、各拠点の新たな部隊配置が決定した。西のゴルレから旧西アルメキア方面へ侵攻する部隊には、王ヴェイナードを始め、イヴァイン、パロミデス、ルインテールらの騎士を中心とした攻撃に特化する部隊を編成し、リスティノイスとジュークスには、グイングラインやモルホルトらが中心となり、防衛に特化した部隊を編成することとなった。

 

「ふん、長々と講釈を聞かされたあげく、(わらわ)の配置は変わらずか」

 

 面白くなさげな口調で言ったのは、前王ドレミディッヅの娘ブランガーネだった。ブランガーネは開戦以降ハンバーやハドリアンでの防衛部隊に配属されており、他国へ侵攻したことは一度も無かった。今回の部隊再編でも、今まで通り南東のハドリアン砦での防衛を命じられている。

 

「勇猛なる姫には物足りぬかもしれませぬが、どうかもうしばらくご辛抱ください」ヴェイナードが口調を改めて言う。「姫の武勇を世に知らしめる日は、近いうちに必ず来ますので」

 

「貴様はいつもそう言ってはぐらかす。よほど妾に手柄を立てられたくないのだな」

 

「いえ、そういう訳ではありません」

 

「まあよい。そなたはキャメルフォード攻めに集中しろ。ハドリアンは、妾に任せておけ」

 

「ほう? 姫からそのような言葉を頂けるとは、意外でした」

 

「バカにするでない。ハドリアン防衛の重要性くらい、妾も理解しておる。帝国が南への攻めに転じた場合、ハドリアンは極めて重要な防衛ラインとなるからな」

 

「その通りです、姫。ゆえに、決して油断無きよう」

 

「言われるまでもないわ」

 

 ブランガーネはぞんざいな口調で答えた。

 

 と、その隣に座っていた騎士が。

 

「……ハドリアンから討って出て、アスティンを落とすことはできぬか?」

 

 静かな口調で言った。それを聞いて、室内がわずかにどよめく。その発言をしたのが、ディラードという男だったからだ。

 

 ディラードは、ヴェイナード即位後に登用された騎士だ。非常に寡黙な男で、同じ部隊にいても声を聞いたことがないという者も少なくない。しかし、こういった作戦会議においては、ときに臆することなく発言し、周囲を驚かせることがある。

 

「現在のハドリアンの戦力を考えれば、アスティンを落とすことは難しくないと思うが」

 

 今回の会議で、ディラードはブランガーネと同じハドリアンへ配属されることが決まっていた。ハドリアンには、他に、ブランガーネの側近であるエライネや、その父ロードブルら、合計で七人もの騎士が配置されている。無論、帝国の南方面への侵攻を警戒してのことだが、ディラードの言う通り、この戦力をもってすれば、アスティンを落とすのは不可能ではない。

 

「確かにその通りだ」とグイングラインが答えた。「しかし、いまアスティンを落とすことは得策ではない。アスティンは攻めやすい地形だが、同時に守りにくくもある。平地にあるがゆえ四方のどこからでも攻められる危険性がある上に、ザナスやブロセリアンデなど、隣接する拠点も多い。せっかく奪ってもすぐに奪い返されてしまっては、兵を無駄に失うだけだ。その点、ハドリアンは両脇を切り立った崖に挟まれた地形であるゆえ、極めて守りやすい。我らはまずは旧西アルメキア方面の攻略を優先する。それが終わるまで、ハドリアン方面は、決して敵の侵攻を許してはならぬ」

 

 グイングラインの説明に、ディラードは「了解した」と、また静かに答えた。

 

「ところで姫」と、今度はヴェイナードが発言する。「例の『レオニア解放軍』の調査は、どうなっておりますか」

 

「あれか――」ため息交じりの声とともに、ブランガーネの顔が渋くなった。

 

 レオニア解放軍とは、ノルガルドとレオニアの併合に反対する反乱分子の集まりである。百人程度の小さな集団と見られているが、各地でノルガルドの補給部隊を襲撃したり、戦闘のために召喚したモンスターを野に放ったりといった過激な行動を繰り返しており、その被害は日々拡大している。さらには、ヴェイナードとの婚礼が予定されている元レオニア女王リオネッセを、『レオニアをノルガルドに売り渡した魔女』と呼び、暗殺を目論んでいるとも噂されていた。

 

「まったく忌々しい連中だ。やっていることはそこらの賊と変わらぬが、神出鬼没で逃げ足も速く、なかなか尻尾を掴ませぬ。ただ、補給部隊が襲撃された際、ロックやユニコーンなどのモンスターを確認したそうだ。旧レオニアの騎士が絡んでいる可能性は高いであろうな」

 

「ほう、レオニアの騎士ですか」ヴェイナードの目が鋭くなる。そして、視線をブランガーネからグイングラインへ移した。「グイン、旧レオニアの騎士で、何名か行方の判らぬ者がいたな?」

 

「はい。レオニアの騎士は、リオネッセ様を除き全十三名。四名が我が国へ残りました。そのうち、二名は私の配下に置いておりますが、女王の側近であった二名は騎士の資格をはく奪し、戦場からは遠ざけております。この四名の他に、極めて反抗的だった者一名を、アリライムの捕虜収容所送りにしております。国を去った者で、現在他国へ仕官している者が三名。行方の知れぬ者は五名です」

 

「その五名について詳しく調べておけ。特に、女王に反感を抱いていた者がいなかったかどうか」

 

「はっ」グイングラインは右拳を左の手のひらで包んだ。

 

「リオネッセの警護は抜かりないであろうな?」ブランガーネが睨むようにヴェイナードを見た。「解放軍の襲撃など、決して許すでないぞ」

 

「ご安心を。厳重に警備を行っておりますゆえ」そう言った後、ヴェイナードは小さく笑った。「しかし、姫がそれほどリオネッセのことを心配されるとは、よほど彼女のことを気に入ったようですな」

 

「たわけが。あやつの心配をしているわけではない。暗殺などされようものなら、旧レオニアの民が黙っていないぞ。暴動や内乱など起これば、ますます面倒なことになる。聞けば、そなた、エストレガレスを離脱した者や、滅亡した西アルメキアの騎士の仕官を許しているそうではないか。戦線が拡大して騎士が必要なのは判るが、どこに敵が潜んでおるか判らぬぞ」

 

「ご安心ください。その点は慎重に判断しております。仕官後も、決してリオネッセには近づけさせませぬ」

 

「ならばよい」

 

 各拠点への部隊配置と今後の戦略、そして、レオニア解放軍への対応が決まり、会議は終了となった。

 

 

 

 

 

 

「――イヴァイン、ひとつ訊いていいか?」

 

 会議が終了し、皆が退室した後で、会議に出席していた騎士イヴァインは、同僚のパロミデスに声を掛けられた。

 

「なんだ、パロミデス? まさか、また会議の内容が判らなかったのか?」

 

「え? あ、いや、そういう訳じゃあない」

 

「そうか? なら、なんだ」

 

「いや、次の作戦、俺はどう戦えばいいんだ?」

 

 伏し目がちに言うパロミデスに、イヴァインは呆れ顔になった。「お前……結局会議の内容を理解していないんじゃないか。いつも言ってるだろう? 判らないことがあれば、その場で質問すればいいんだ。あのディラードだってそうしてる」

 

「それは判ってる。判ってるんだが、みんなが理解していることを俺だけ理解していないなんて、恥ずかしいだろ?」

 

「作戦を理解しないまま戦場に立つ方がよっぽど恥だ」

 

「判ってる。今度からはちゃんとその場で質問するから、今回だけは教えてくれ、頼む」

 

 手を合わせて頭を下げるパロミデスに、イヴァインはやれやれと肩をすくめた。

 

 パロミデスとイヴァインは、共に前王ドレミディッヅ時代からヴェイナードのもとで戦ってきた騎士だ。パロミデスは後先考えず力任せに戦う騎士で、イヴァインは冷静沈着に策や技を頼りに戦う騎士である。性格も戦い方もまるで異なる二人だが、どういう訳かウマが合い、作戦外でも行動を共にすることが多かった。次の作戦でも、ともにゴルレからキャメルフォード方面へ侵攻する部隊に組み込まれている。

 

 呆れ顔のイヴァインだったが、やがて名案を思いつき、言った。「教えても構わんが、その代わり、お前が隠し持っているブランデーを飲ませろ」

 

「な……なぜそれを!? あれは、二十年物の高級酒で、なかなか手に入らないんだぞ!?」

 

「イヤなら俺も断る。次の作戦、せいぜい陛下の足を引っ張らないようにな」

 

 片手をあげて部屋を出て行こうとするイヴァインを、パロミデスは「待て!」と止めた。「判った! 飲ませる! 飲ませるから、どう戦えばいいか、教えてくれ!」

 

 陛下の足を引っ張る、という言葉が効いたようだ。イヴァインは内心しめしめと思いながら続ける。「仕方がない。そこまで頼むのなら教えてやろう」

 

「ああ、頼む」

 

「次の戦いで、お前は――」

 

「俺は?」

 

 イヴァインはたっぷりと間を溜めた後で、フッと破顔して言った。「――お前は、作戦なんて難しいことは考えないで、ただ目の前の敵を倒せばいいんだよ」

 

 簡単なことだ、と、イヴァインは付け加えた。

 

 パロミデスはしばらく目を点にしていたが、やがてその目に怒気を含ませて言った。「イヴァイン! 俺は真面目に訊いてるんだ! ふざけてないで、ちゃんと教えろ!」

 

「別にふざけているつもりはない。陛下も、グイン様も、そして他の誰も、お前に作戦なんて期待していないんだ」

 

「なにぃ?」

 

「開戦のとき、陛下に言われただろう? 『戦場では愚直なまでの勇気も必要だ』と。みんながお前に期待しているのはそこだ。陛下やグイン様も、その辺のことはちゃんと考慮して作戦を立てている。お前は難しいことを考えたりせず、ただ目の前の敵を倒せば、それで作戦通りなんだ。むしろ、作戦や戦略なんて余計なことを考えてお前の動きが鈍れば、その方が全体の作戦に差し支える」

 

「……なんか、バカにされているような気がするんだが」

 

 納得のいかない表情のパロミデスに、イヴァインは笑いながら「そうか? 最大級の褒め言葉だぞ?」と言った。

 

 パロミデスはまだ納得いかない表情で言う。「……確かに俺は、力には自信があるが頭は良くない。戦略なんて考えないでただ敵を倒せばいいというのは判る。だが、敵も俺のことを理解していて、それを逆手に取った作戦を立ててきた場合はどうする? 目の前の敵がおとりで、本当に倒すべき相手じゃなかったとしても、俺にはそれを判断することができないかもしれない。もしそんなことになれば、俺が陛下の足を引っ張ることになるだろう?」

 

 戦う前にそこまで心配するヤツがあるか――と言おうとして、イヴァインはその言葉を飲み込んだ。愚直、という言葉は、彼にはふさわしくないのかもしれない。この男は純粋なのだ。だから、自分が陛下の足かせになることを、本気で恐れている。

 

 だから、言ってやった。

 

「――安心しろ。そういうときのために、俺がいるんだ」

 

「なに?」

 

 きょとんとした顔のパロミデスに、続けた。

 

「今回も、俺たちは一緒の配置だ。お前のそばには俺がいる。お前が敵の策に(はま)りそうなときは、俺がフォローしてやる。これも陛下に言われただろ? 俺たち二人が力を合わせれば、恐れるものは何も無い。だから、お前は俺を信じて、いつも通り自分の戦いをしろ」

 

 前王の時代から何度も二人で戦場に出て、多くの手柄を立ててきた。リドニー戦のような敗北も幾度となく経験したが、それでも、二人で戦うことが失敗だったと思ったことは一度も無い。これからも長く戦い続けることになるだろう。それが、この国の勝利へ繋がると信じて。

 

「お、おう」

 

 憂いに満ちていたパロミデスの顔が、少し緩んだ。

 

 それを見たイヴァインは、彼の肩にポンと手を置いた。「……と、いうことで、二十年物のブランデー、よろしく頼むぞ? まさか、騎士ともあろう者が、約束を破ったりはしないだろうな?」

 

 酒のことを思い出したパロミデスは、あ、という表情になった。「いや! いまのアドバイスであの酒は高すぎる! 足りない分、今から訓練に付き合ってもらうぞ!」

 

 愛用の斧を手にするパロミデスに、イヴァインは小さく笑った。

 

「はは、酒の前の運動には、ちょうどいいかもな」

 

 イヴァインも剣を取る。互いに笑い合い、そして、会議室を出て、訓練場へ向かった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一二話 ミリア 聖王暦二一六年十月下 カーレオン/――――

 友人であるガッシュを仕官させるため、ミリアとエルオードはカーレオン北東部にある山奥にやってきた。街道から逸れ、険しい山道を丸一日かけて登った先に建つ廃屋同然の小屋が彼の住家だ。二人が訪れると、ガッシュは庭先で拳法の修業をしていた。太い木の柱に数本の棒を取り付けて人の形を模した器具に、上半身裸で打ち込みをしている。かなり長い時間行っているのだろう、打ち込むたびに全身の汗が周囲に飛び散っていた。

 

「やっほー、ガッシュ、ひさしぶり」

 

 ミリアが声をかけると、ガッシュは手を止めて振り返る。

 

「お? ミリアちゃん、ひさしぶりだな!」嬉しそうに言ったガッシュだったが、エルオードを見ると、一転、心底イヤそうな顔になった。「なんだよ、エルオードまで居やがるのか」

 

「もちろんです」と、エルオードは答える。「ガッシュさんをミリアさんと二人きりにしたら、なにをするか判ったものではないですからね」

 

「ケッ、ふざけたこと言ってんじゃねぇ」打ち込みをやめたガッシュは、手拭いで汗を拭った。「それより、なんの用だい、ミリアちゃん? また、俺の肉体美を描きたくなったのかい?」

 

 そう言うと、ガッシュは腕を組んで横を向き、胸や腕や足の筋肉をアピールするポーズをした。ガッシュは身体を鍛えるのが趣味の男で、全身の筋肉が自慢なのだ。以前会った時は、彼の全身像を描いてプレゼントした。しかし、今日の用事は絵ではない。

 

「あ、ごめーん。いまあたし、他の絵を描いてる途中だから。人物画を描くのは、また今度ね」

 

「えー? 今度って、いつだよ?」

 

「うーん、まあ、戦争が終わってからかな」

 

「戦争? どこが戦争してるんだ?」

 

 平然とした顔で言うガッシュに、ミリアもエルオードも目が点になる。

 

「……あんた、まさか知らないの?」

 

 ガッシュはきょとんとした顔で何度も瞬きをした。どうやら冗談でもなんでもなく、本当に知らないようだ。ミリアは大きくため息をついた。

 

 ガッシュは、ルーンの加護を持ちながらも、宮仕えを嫌い、この山奥に一人こもってひたすら身体を鍛えている。とはいえ、いかに一人での暮らしを好もうとも、生きていくためには月に一度くらいは人里へ下り、生活に必要なものを手に入れなければならないはずだ。そして、人と接すればイヤでも戦争の話は耳に入る。エルオードも、仕官する前はガッシュと似たような生活をしていたが、彼はちゃんと戦争のことを知っていた。もしかしたら、ガッシュは年単位で人と会っていないのかもしれない。コイツの引きこもり具合は予想以上だな……呆れつつ、ミリアは今回の戦争について説明した。

 

「――へえ? そうなのか。全然知らなかったぜ」

 

 話を聞いたものの、ガッシュは全く興味が無さそうな声で答えた。

 

「まあ、そんな訳だから、あんたも仕官して、あたしたちと一緒に戦いましょう?」

 

「はぁ? なんで俺がそんなことしなきゃなんねーんだよ? 俺が宮廷ギライなの、知ってるだろ?」

 

「知ってるけど、国の一大事なんだよ? あんたもカーレオンに住んでいて、その上ルーンの加護を受けた騎士なんだから、国を守るために戦いなさい」

 

「ヤダね。俺は別に、カーレオンが滅んだって構やしねぇ。この国がどうなろうと、こうして身体を鍛えてりゃぁ満足だ」

 

 そう言うと、ガッシュはまた打ち込みを始めた。

 

 その態度に、「あんたねぇ……」と怒りかけたミリアだったが、続く言葉は飲み込んだ。考えてみたら、少し前の自分も、ガッシュと同じく絵さえ描ければいいと思っていたのだ。彼を怒る資格なんて、自分には無いだろう。

 

 もちろん、だからと言って放っておくわけにはいかない。こんな男でも、一応友人なのだから。しかし、どうやって説得したものだろう。ミリアは考える。というか、そもそも説得なんてできるのだろうか。この男のことだ。どのような説得であっても心に響くなんてことはなく、「俺には関係ないね」の一言で一蹴されてしまうような気もする。

 

 ミリアは少し考えた後、ぽん、と手を打った。「そっか。じゃあ、しょうがないね。エルオード、帰ろっか?」

 

 エルオードは驚いた顔になった。「え? もう帰るのですか? せっかくここまで来たのですから、もう少し説得をしてみては?」そして、声を潜めて続ける。「……仕官すればいくらでも絵を描いてあげる、とかなんとかおだてれば、ガッシュさんのことですから、コロッとだまされて、ついてきますよ」

 

「……聞こえてるぜ、エルオード」ガッシュが打ち込みを中断してエルオードを睨んだ。「バカにすんなよな。そんなテに引っかかるワケないだろう」

 

「そうね」と、ミリアも言う。「それに、たとえだまして連れて来たとしても、そもそも本人にやる気が無いんじゃ、いても邪魔なだけだし。じゃね、ガッシュ」

 

「おいおい、そりゃないぜミリアちゃん。仕官はしねーけど、せっかく来たんだから、俺の肉体美、描いて行けよ」

 

 再びポーズをとるガッシュだったが、ミリアはガッシュの身体を眺めた後、「うーん」と唸った。「今となっては、ガッシュの身体もイマイチなんだよねぇ。肉体美っていうなら、シュストさんの方が、よっぽど魅力的だし」

 

 同門でライバルであるシュストの名を出すと、ガッシュの顔色は変わった。「はぁ? あんな男のどこがいいんだ? 俺の方が鍛えてるに決まってる。ほら、よく見ろ」

 

 ポーズを変え、さらにアピールするガッシュ。内心しめしめと思いながら、ミリアは続ける。「よく見たって同じよ。シュストさんの方が魅力的だわ。なんてったって、彼は国を守るために日々修行してるんだから」

 

「修行なら俺だってしてるさ。見ろ、この鍛え上げられた上腕二頭筋」

 

 さらにポーズを変えてアピールするガッシュだが、ミリアはダメダメと言わんばかりに手のひらを振った。「シュストさんと比べたら、ガッシュがやってることなんて、修行の内に入らないわよ。今のガッシュじゃ、シュストさんはもちろん、エルオードにだって勝てないわよ」

 

「おいおい。この俺が、引きこもりのエルオードになんか負けるわけないだろ」

 

「いや今のあんたの方がよっぽど引きこもりだわ。なんなら試してみる? もし、力比べでエルオードが負けたら、あたし、ガッシュの肉体美の専属画家になってあげてもいいわよ?」

 

「ホントか?」ガッシュは目を輝かせ、エルオードを見た。「よーし。勝負だ、エルオード」

 

「……良いのですか、そんな約束をして」エルオードは不安げな口調でミリアに言う。「ガッシュさんの身体の鍛え方は本物です。私などで、勝てるかどうか」

 

「大丈夫よ、自分を信じなさい」

 

 ぱん、と、ミリアはエルオードの背中を叩いた。やれやれ、とため息をつき、エルオードは前に出た。

 

「じゃあ、お互い組み合って、相手を投げ飛ばした方が勝ちね」

 

 ミリアはフォルセナ大陸では最もポピュラーな力比べを提案した。よーし、と、ガッシュは気合を入れて体中の筋肉を叩き、エルオードと組み合った。

 

「じゃあ、始め!」

 

 ミリアの号令で、ガッシュは気合の掛け声と共にエルオードを投げ飛ばそうとした。

 

 しかし、エルオードの身体は、まるで地面に根でも生えたかのようにビクともしなかった。

 

 一瞬、信じられないと言わんばかりの顔をしたガッシュだったが、すぐに表情を引き締め。

 

「うらぁ! 本気で行くぞ!」

 

 さらなる気合いとともに、さっきと逆側に投げようとした。

 

 しかし、エルオードの身体はやはりビクともしない。

 

 代わりに。

 

「はい」

 

 軽い声とともにエルオードが上半身を捻ると、ガッシュはあっけなくひっくり返されてしまった。

 

「はい、エルオードの勝ち」ミリアはエルオードの右手を上げた後、「ほらね、言ったとおりでしょ?」と、地面に倒れたガッシュを見下ろした。

 

 ちっ、と、ガッシュは舌打ちをして立ち上がった。「俺としたことが、ちょっとばかし手を抜きすぎたぜ」

 

「さっき、本気で行くぞ、って、言ってたでしょ?」

 

「今度こそ本気の本気だ! おら! もう一回行くぞ、エルオード!」

 

 またエルオードと組み合うガッシュだが、やはり投げ飛ばすことはできず、逆に投げ返されてしまう。

 

「こんなはずはない! この俺の鍛え上げられた筋肉が、エルオードごときに負けるなんてありえない! お前ら、さてはウィークネスやパワードの魔法を使ってるな!!」

 

 ウィークネスは対象一体の筋力や魔法耐性力を下げる黒魔法で、パワードは筋力を上げる赤魔法だ。どちらも戦闘中に使用する魔法であり、力比べで使用しても効果は絶大だろう。

 

 しかし、もちろん。

 

「そんなもん使ってないわよ」と、ミリアは否定した。「エルオードはナイトだから最低限の白魔法しか使えないし、あたしも、まだ黒魔法は習いたてで、全部は覚えてないし」

 

 納得いかない表情のガッシュだが、「……もう一度だ!」と言うと、またエルオードと組み合った。三度目、四度目と続けるも、結果は変わらない。

 

「……くそっ! どうも今日は調子が悪いみてぇだ。いつもの半分も実力が出ねぇ。調子さえよければ、エルオードなんてひとひねりなんだがな」

 

 子供のような言い訳をするガッシュに、ミリアは肩をすくめた。「見苦しいこと言わないで、素直に負けを認めなさい。これが現実なんだから」

 

「いや! 俺はこんなこと認めない! 明日まで待ってくれ。そうすれば、きっと調子が良くなる」

 

 やれやれ、とエルオードと顔を見合わせた後、ミリアは「――ガッシュ?」と、声を改めた。「なんでエルオードとこんなに力の差がついたのか、教えてあげようか?」

 

「……なんだよ?」

 

「いまのエルオードには、仲間がいるからよ」

 

「仲間?」

 

「そう。エルオードは、フォルセナ大陸に平和を取り戻すという信念の元、カーレオンに仕官し、みんなと一緒に修行しているの。この差は大きいわよ? 仲間がいれば、お互い悪いところを指摘して改善できるし、良いところを褒め合ってさらに伸ばすこともできる。ライバルがいれば、互いに競い合ってより高め合える。こんな山奥で、棒っきれ相手に一人で修行するのとは大違いよ。ガッシュ。一人で強くるのには、限界があると思うわ」

 

「…………」

 

 無言でうつむくガッシュに、ミリアは、「でもね」と、また声を明るくして語りかける。「あなたが仕官して、エルオードやシュストさんや、他のみんなと一緒に修行すれば、すぐまた追いつける。そうなったら、また昔のような、魅力的な肉体美に戻るかもよ?」

 

 ガッシュは顔を上げた。「そしたら、また俺を描いてくれるか!?」

 

「ええ、もちろんよ」

 

 ミリアは笑顔で約束した。

 

 ガッシュはしばらく考えていたが、やがて。

 

「……ええい、しょうがねぇ! 付き合ってやらぁ」

 

 膝を叩いて立ち上がった。

 

「そう来なくちゃ。よろしくね、ガッシュ」ミリアはウィンクをした。

 

「よろしくお願いしますよ、ガッシュさん」

 

 エルオードは右手を差し出したが、ガッシュはぱちんと払った。

 

「見てろよ? お前なんか、あっという間に追い抜いてやるぜ」

 

 そう言って、ガッシュは旅支度をするため小屋に入った。

 

「ありがとうございます、ミリアさん」エルオードが言った。「こんな私のことを、信じてくれて」

 

 ミリアは人差し指を顎に当てると、「んー」と唸った。「ま、正直に言うと、信じてたわけじゃないのよね」

 

「はい? 信じてたわけじゃない?」

 

「そ。エルオードが、前と比べて強くなったとは思ってたけど、正直、ガッシュに勝てるかどうかは、あたしにも判んなかったの。ま、勝ててよかったわ」

 

 エルオードは苦笑いを浮かべた。「もし、私が負けていたらどうするつもりだったのですか? 本当に、ガッシュさんの専属画家になるつもりだったのですか?」

 

「まさか。その時は、バックレるだけよ。どうせ相手はガッシュだし。一年も経てば忘れてるでしょ」

 

 エルオードは肩をすくめた。「本当に、あなたという人は」

 

「まあ、前にも言ったけど、きっかけは何でもいいのよ。結果的に、それが本人のためになればね。こんな山奥で引きこもってたって、本当の意味では強くなれないし、ガッシュのためにもならないもん」

 

「……そうですな」

 

 しばらくして、支度を整えたガッシュが小屋から出てきた。

 

「よし、じゃあ、王宮まで行くか!」

 

 と、鼻息も荒いガッシュに向かって、ミリアは言う。「あ、そうそう。あたし、ちょっと他に寄るところがあるから、あんたたち、二人で先に戻ってて」

 

「はぁ? どこ行くんだよ?」

 

「せっかくここまで来たから、イスカリオにいる友達のところにも行こうと思うの。その子もルーンの加護を受けてるから、頼めば仕官してくれると思う」

 

「それならば、我々もお供します」エルオードが言った。「いくらミリアさんと言えど、敵国に一人で乗り込むのは危険でしょうから」

 

「別に戦いに行くわけじゃないから危なくはないけど」そう言った後、ミリアは露骨に顔をしかめてみせた。「……むしろ、あんたたちが来る方が、危ない予感がするのよね」

 

「ん? どういうことでしょう?」

 

 顔を見合わせるエルオードとガッシュに、ミリアは。「ううん、なんでもない」と言ってごまかし、「とにかく、あたし一人で大丈夫だから、あんたたちは、先に帰ってなさい」

 

「冗談じゃないぜ、エルオードと二人で旅なんてできるかよ」ガッシュはかたくなな様子で拒否した。「俺もミリアちゃんと一緒に行くぜ。ダメだってんなら、やっぱ、この仕官の話は無しだ」

 

 こうなると、エルオードはともかくガッシュは聞きそうにない。ミリアは、「しょうがないわね」とため息をつくと、渋々同行を認めた。「その代わり、おとなしくしてるのよ?」

 

「もちろんです」

 

「おうよ!」

 

 目を輝かせて返事をする二人に、ミリアはもう一度ため息をつくと、一抹の不安を胸に抱え、次の目的地を目指すことにした。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一三話 シュトレイス 聖王暦二一六年十月上 ノルガルド/ハドリアン

 ノルガルドの南の防衛拠点ハドリアン砦に、緊急事態を報せる鐘が鳴り響いた。西のイスカリオ領アスティンより、敵部隊が侵攻して来たのだ。斥候部隊の報告によると、イスカリオ軍を率いるのは王ドリスト、さらに、先日帝国の剣聖エスクラドスを退けたという槍騎士イリアと、イスカリオでは数少ない常識人と噂される政務補佐官アルスターも同行しているとのことだった。兵の数は合計で十万を超えるとの情報もある。現在ハドリアンに駐屯している兵は五万。イスカリオ軍の半分だ。

 

 もっとも、ハドリアンは両側を切り立った崖に挟まれた場所に建つ天然の要塞だ。防衛ならば敵軍の半分の兵でも充分である。しかし、駐屯している兵達は動揺を隠せなかった。現在、ハドリアンには、総大将であるブランガーネが不在なのだ。

 

 前王ドレミディッヅの娘であるブランガーネは、ノルガルドとレオニアの併合の後、折を見ては首都フログエルにいる元レオニア女王リオネッセの元を訪ねており、不在にすることが少なくなかった。これに加え、現在ノルガルドは軍全体の再編を行っている点も災いした。ここ数ヶ月の間にエストレガレス帝国が勢力を拡大したことで、各拠点の部隊編成を大幅に見直している最中なのだ。現在このハドリアンの軍を指揮するのはロードブルという騎士だ。前王ドレミディッヅ時代からノルガルドに仕えるベテランの騎士だが、戦争に明け暮れた前王の代わりに政務を行っていた男であり、どちらかと言えば武将ではなく文官と言っていい。他には、開戦後に他国から仕官してきた若い騎士が二人。はっきり言って、軍再編が終わるまでの仮の防衛部隊と言っていい。はたしてこれでこの砦を守ることができるのか――兵達の間に不安が広まっていた。

 

 そんな中。

 

 いち早く西壁に陣取った若い騎士二人は、兵とは逆に、喜びとも言える気持ちを胸に敵軍を迎え撃とうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あれがドリスト率いるイスカリオ軍か。まさか、今このタイミングでハドリアンに攻めてくるとは。さすがに狂王と呼ばれるだけあって、考えが読みづらいな」

 

 砦の西壁に陣取った騎士シュトレイスは、防壁の上から敵軍を見おろし、ため息交じりの口調でそう言った。イスカリオはエストレガレス帝国へ侵攻し、ノルガルド方面へはしばらく攻めてこないだろう、というのが、ノルガルド側の考えだったのだ。それが、突然帝国から主力軍を引き上げ、こちらへ侵攻してきたのである。

 

 シュトレイスは続ける。「おかしな王らしいが、その強さだけは侮りがたいと聞く。以前、このハドリアンを追い詰めたこともあったらしいからな」

 

 それは、まだこのハドリアンがレオニア領だった頃の話だ。ドリストは、砦内で飼育されていた怪鳥ロックの爪を切って嘴を縛り、魔竜バハムートを投入するという奇策を用いてこの砦を攻めた。一見バカバカしいとも思えるが、実は非常に理にかなった作戦である。そのいくさはどうにかレオニア側が勝利したものの、この時ロックの部隊を失ったことは大きな痛手となり、後にエストレガレス帝国の侵攻を許してしまった。

 

 そして。

 

 今回も、砦前に陣取ったイスカリオ軍の頭上には魔竜バハムートが羽ばたいていた。他にも、ワイバーンやグリフォンなど、空を飛ぶモンスターの姿が多く見える。敵将ドリストは、空からの襲撃がこのハドリアン唯一の弱点だと心得ている。頭のおかしな王などと侮らない方が良いだろう。

 

 軍師であるグイングラインからは、ブランガーネ不在の間に万一敵国から攻められ、防衛が困難であると判断した場合は、被害を最小限に抑えつつ後方のグルームまで撤退せよ、との指令が出ていた。

 

 だが。

 

「お前がいる時に攻めてくるとは、イスカリオ軍も不運だったな」シュトレイスは隣に立つもう一人の騎士を見ると、敵軍を憐れむように言った。そして、「どうだ? ソレイユ、やれそうか?」と訊く。

 

「問題ない」ソレイユも敵軍を見下ろし、その数に動じた様子もなく答えた。「あのモンスターは私が引き受けよう。シュトレイスは、兵の方を頼む」

 

「さすがだな」と、シュトレイスは笑った。ドリストを含む三人の敵騎士が率いるモンスターを一人で相手するなど並大抵のことではない。しかし、この男にはそれができるのだ。

 

 ソレイユは、シュトレイスと義兄弟の契りをかわした男だ。獣と心を通わす獣を統べる者(ビーストルーラー)の二つ名を持ち、モンスターを率いる力である統魔力においては、大陸でも屈指の騎士である。敵にはバハムートという最上級クラスの飛竜がいるが、それもどうにかなるだろう。総大将のブランガーネが不在とはいえ、彼女が率いていたモンスターは残っている。王族である彼女は、炎の魔人イフリートなどの上位クラスのモンスターも多く従えていた。もちろん並の騎士に扱えるモンスターではないが、ソレイユならば容易だ。

 

「なら、撤退は必要ないな」シュトレイスは言った。

 

「もちろんだ。私たちの力で、侵略者を追い払うぞ」

 

 その力強い言葉に、シュトレイスは笑みを浮かべる。

 

 ソレイユも口元を緩めた。「どうした、シュトレイス? 随分と嬉しそうだな」

 

「当然だ。またお前と戦えて、こんなに嬉しいことはない」

 

「そうだな……」と、ソレイユも気持ちを噛みしめるように言った。「私も嬉しいよ。これからは、自分の信じるもののために戦える。お前のおかげだ」

 

 シュトレイスはかぶりを振った。「俺は何もしていない。全ては陛下のおかげさ」

 

「――そうだな」ソレイユは頷いた。

 

 ソレイユは、ゼメキスが起こしたクーデターの際、デスナイト・カドールの手によって母親を人質に取られ、己の意志に反して帝国の騎士として戦うこととなった。だが、半年ほど前、カドールが帝国を去ったことで、ソレイユの母親は解放された。それを機に、ソレイユは帝国を離脱したのである。しかし、帝国軍において逃亡は死罪であるため、ソレイユには刺客が放たれる恐れがあった。ソレイユはシュトレイスを頼り、ノルガルドへ落ちのびた。シュトレイスはソレイユと母親の保護を求め、王ヴェイナードへ直々に嘆願したのだ。無論、それは容易なことではなかった。ソレイユは帝国の将としてノルガルドとも戦っていた。しかも、その戦いでは王ヴェイナードが剣聖エスクラドスとの一騎打ちにより負傷している。ソレイユ自身はヴェイナードに手出しはしていないが、ノルガルドの騎士にとって面白くない相手であることは間違いない。騎士内には仕官に反対する声もあったようだが、シュトレイスの嘆願が通じたのか、最終的に王はソレイユの仕官を認めたのだった。

 

「この恩には報いなければならないぞ、ソレイユ?」

 

 シュトレイスの言葉に、ソレイユは「もちろんだ」と返す。「我が主君ヴェイナード様と、私を救ってくれたお前のために、これからは戦い続けよう」

 

 ソレイユは、シュトレイスと、そして、遠い首都フログエルにいるであろう新たな主君へ、右拳を左掌で覆うノルガルド流の忠誠の仕草を捧げた。

 

 敵軍の方から歓声が聞こえた。砂埃を上げ、兵達が進軍してくる。

 

「来るぞ、ソレイユ。油断するなよ?」

 

「ああ」

 

 二人は敵を迎え撃つべく、兵とモンスターに命令を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――この時。

 

 

 

 ソレイユは、ひとつ大きな失念をしていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということである。

 

 カドールが去ったとはいえ、母親一人の力で牢から脱出するなど、できるはずもない。母親は、ルーンの加護など持たない――なんの力も無いひとりの女性でしかないのだから。

 

 そこには、()()()()()()()()()()()がいるはずなのだ。

 

 後に、その事実をソレイユが知ったとき。

 

 この日の彼の決意は、大いに揺らぐことになる――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一四話 ヴィクトリア 聖王暦二一六年十月上 イスカリオ/ザナス

 イスカリオ北西の都市ザナスは交通の要衝だ。大戦前は西の玄関口として栄え、カーレオンや旧アルメキア、レオニアから行き来する人であふれていた。こういった交通の要衝は、いざ戦争となると戦略的にも重要な拠点となるのだが、現在ザナスの北西ソールズベリーはイスカリオが占領しており、国境が接しているのは西のカーレオンだけだ。カーレオンは騎士不足から開戦後も大きな動きを見せず、今も攻めてくる気配は無かった。よって、ザナスの民は開戦直後から長く続いた緊張状態が緩み、少しだけ穏やかな日々を過ごすことができていた。

 

 宿場町の一角にあるバーのテーブル席で、女魔術師ヴィクトリアは白のホットワインとカシューナッツの素焼きで夜のひとときを過ごしていた。普段はなるべく王ドリストの近くにいるようにしているヴィクトリアだが(もっとも、ドリストはヴィクトリアのことを避けているようなフシがあるのだが)、先日、ドリストのちょっとした秘密を暴露しようとして、危うく死刑よりも恐ろしい罰(化粧禁止法制定)を受けかけたのだ。なので、ほとぼりが冷めるまで少し距離を置いているのである。幸い、ドリストはああ見えて実は寛大だ。ひと月もすれば大丈夫だろう。

 

 ぱきっ、と、指でカシューナッツの殻を割ってから食べ、ホットワインをひと口飲む。南国であるイスカリオでも夏の気配はすっかり消え、夜は冷えるようになった。青魔法の使い手であるヴィクトリアは、職業的にも年齢的にも冷え症に悩まされる身だ。真冬になればさらに冷え込むため、夜はレジストの魔法を使って寒さへの抵抗力を上げないと寝られないほどである。そのため、この時期の夜のホットワインは、ヴィクトリアの安らぎに欠かせない一品だった。

 

 小皿のカシューナッツをもうひと粒取ったとき、店の奥で歓声が上がった。見ると、奥のテーブルのひとつに人だかりができていた。ヴィクトリアがなんとなくそちらを見ていると、一瞬人だかりが割れ、席についている男がチラリと見えた。

 

 ――あら? なかなかイイ男じゃない。

 

 すぐにまた人だかりに埋もれて見えなくなったが、それなりのイケメンだったように思う。これは品定めをしなければならない。ヴィクトリアはワイングラスとカシューナッツの小皿を持ち、そちらへ移動した。

 

 そのテーブルではカード賭博が行われているようだった。旅の商人風の冴えない中年男と、目つきの鋭い口髭の男が、一対一の勝負をしている。先ほどヴィクトリアの目を引いたのは口髭の男だ。髭の男にはあまり良い印象を持っていないヴィクトリアだったが、その男の口髭には清潔感と上品さがある。目つきの鋭さからかなり悪人面に見えるが、そこがまた魅力的とも言える。どこぞの冴えないちょび髭どもとは大違いであった。

 

 二人の前には、それぞれ数枚のカードが置かれていた。そのうち一枚は伏せられており、残りは表向きになっている。どうやらブラックジャックのようである。合計で21を超えないようにカードを引き、その数値の高さを競うゲームだ。

 

「――では、勝負と行こう」

 

 イケメン髭の声で、お互い伏せていたカードをめくった。冴えない中年男の方は合計18、イケメン髭は21。イケメン髭の勝ちだ。同時に、ギャラリーからまた歓声が上がる。

 

「どうやら、また俺の勝ちのようだな」イケメン髭は機嫌良さそうに言った。「これでそちらの負けは五万。まだ続けるかい?」

 

「けっ。どうも今日はついてないようだ。この辺でやめておくぜ」

 

 中年男は負け分の金貨をはらうと、席を立って店を出て行った。金貨を袋に詰めたイケメン髭は、カードをシャッフルしながらギャラリーを見回した。「さあ、次の相手は誰だ? どんな大きな額でも受けてやるぜ?」

 

 ギャラリーの一人が「俺、挑戦してみようかな」と言ったが、連れの男に止められた。「よせよ。あの男、もう十人以上を相手に連戦連勝だぜ? お前なんかが勝てるわけない」そう言われ、「そうか……」と、男は引っ込んだ。他のギャラリーからも、挑戦の声は上がらない。

 

「……なんだ、もう終わりか? 夜はまだこれからだぜ? さあ、誰かいないか」

 

 ギャラリーを見回すイケメン髭の目が、ヴィクトリアに止まった。「おや? ギャラリーの中に、美しい御婦人がいらっしゃるようだ」

 

 みんなの目がヴィクトリアに集まる。美しい御婦人と言われ、ヴィクトリアも悪くない気分だ。

 

「わたくしのことかしら? あなた、なかなか正直な人のようですわね」

 

「これはどうも。お近づきの印に、ひと勝負どうだい? 美しい御婦人ならば、手加減してあげても構わんよ?」

 

「おあいにくさま。わたくしは、強い殿方にしか興味がありませんの。あなた、お顔は悪くないですけれど、わたくしにお相手してほしいのならば、まずは身体を鍛えてくることですわね」

 

 そう言って席に戻ろうとしたヴィクトリアだったが。

 

「おっと、待ちな」と、イケメン髭が呼び止めた。「こう見えても、俺はルーンの加護を受けてるんだぜ? ()()()()()()にな」

 

 はっとして足を止め、ヴィクトリアは振り返る。

 

「身体もそれなりに鍛えてある。あんたのお眼鏡にもかなうと思うがな」

 

 イケメン髭は服の袖を二の腕までめくった。細身だが、かなり筋肉質な腕が出てきた。

 

 ヴィクトリアは改めて男を品定めした。なかなかのイケメンで細マッチョでルーンの加護を受けている男――どんなに強くてもバイデマギスのような筋肉バカはお断りだが、彼ならば悪くない。

 

「いいですわ。お相手になって差し上げましょう」

 

 ギャラリーが「おお」とどよめく中、ヴィクトリアは席に着いた。

 

「ブラックジャックのルールはご存知かい?」イケメン髭が訊く。

 

「一通りは。しかし、いろいろとローカルルールがありますからね。後で揉め事の原因になりかねませんから、最初に細かく取決めしておきましょう」

 

 ヴィクトリアがそう言うと、イケメン髭はニヤリと笑った。そして、勝負は一対一で行う、使用するのはジョーカーを除く五十二枚、一勝負ごとにカードはすべて回収し再度シャッフルして配り直す、掛け金の下限は千ゴールドで上限は無し、など、細かい部分までルールを決めた。

 

「では、カードを配るぜ?」

 

 イケメン髭がカードをシャッフルするのを、ヴィクトリアは「待ちなさい」と止めた。そしてギャラリーを見渡し、そこそこいい顔の男を呼ぶ。「あなた、ディーラーをしてもらってもよろしいかしら?」

 

「わ……私がですか?」指名された男は戸惑った顔になる。

 

「ええ。一対一の勝負で、一方がカードをシャッフルして配る、というのは、公平ではないですからね。第三者が配るのが当然ですわ」

 

 視線をイケメン髭に移すと、「あんた、なかなかギャンブルに慣れているようだな」と言って、さらにニヤリと笑った。「結構だ。そうしよう」そう言って、カードの束を男に渡す。

 

 ディーラーとなった男はややぎこちない手でシャッフルし、伏せた状態で一枚、オープンの状態でもう一枚、ヴィクトリアとイケメン髭にそれぞれ配った。

 

 ヴィクトリアは相手に見えないよう伏せていたカードを見る。数値は8。オープン状態のカードは4で、計12。

 

 イケメン髭のオープンになっているカードは5だ。イケメン髭も伏せられたカードを確認すると、「そちらからどうぞ」と言った。

 

「では」と言って、ヴィクトリアはカードを要求する。配られたカードは(クイーン)。絵札は全て10の扱いなので、計22。21を超えてしまったので、バーストである。ヴィクトリアは胸の内で舌打ちをしたが、表情には出さない。最初の取り決めで、バーストした場合でも即負けにはならないと決めていた。この場合、22以上の手は全て0の扱いになるが、相手もバーストして0ならば引き分けとなり、掛け金は戻って来る。また、勝負を降りるドロップを選択すれば、その時点での掛け金を支払うことになる。いまドロップすれば、損失は下限額の千ゴールドで済むわけだ。もちろん、初戦からドロップするなどヴィクトリアのプライドが許さない。ヴィクトリアはこれ以上カードを引かないことを手の仕草でアピールすると。

 

「一万追加しますわ」

 

 掛け金の上乗せを宣言し、テーブルの上に一万ゴールド分の金貨を置いた。ギャラリーがわずかにどよめく。下限額千ゴールドの勝負で初戦から一万はなかなか大きな勝負だ。これで相手がビビッて勝負を降りれば、ヴィクトリアが千ゴールドの勝ちとなるが。

 

「いいだろう」

 

 イケメン髭は迷うことなく応じた。さすがに勝負慣れしているのか、この程度のブラフは通用しないのかもしれない。

 

 続いてイケメン髭の番だ。イケメン髭はカードを要求した。配られたカードは10。イケメン髭はカードを引かない仕草をすると。

 

「こちらも一万追加だ」

 

 その宣言に、ギャラリーはさらにどよめく。ヴィクトリアが応じれば最初の賭け金と合わせて二万一千ゴールドの勝負になる。ヴィクトリアの手はバーストなので、このまま勝負に応じても勝つことはない。しかし、ここで相手の賭け金に応じず勝負を降りても一万一千ゴールドの負けだ。この状況で勝つための方法はひとつ、相手をドロップさせるしかない。もちろん、危険な勝負ではある。

 

「では、こちらはさらに九千追加します」

 

 ヴィクトリアはさらに掛け金の上乗せを宣言する。計三万ゴールド。

 

「いいだろう。勝負だ」

 

 イケメン髭は掛け金の上乗せに応じた。これで、ヴィクトリアはもう勝負を降りることはできない。残された道は、相手もバーストしていることである。両者がバーストしていた場合は引き分けとなり、賭け金は戻る。イケメン髭のカードはオープン状態の2枚で計15。伏せられたカードが7以上でバーストだ。可能性としては、充分ある。

 

「では……オープン!」

 

 ディーラーの宣言で、ヴィクトリアとイケメン髭は伏せられたカードをめくった。おお、と、ギャラリーがさらにどよめいた。イケメン髭のカードは6。計21で、ヴィクトリアの負けだ。

 

「どうやら俺の勝ちだな」

 

 イケメン髭は機嫌よさ気に笑い、ヴィクトリアの賭け金を手元に引き寄せた。ヴィクトリアは鋭い目でイケメン髭を見つめる。悪人面のせいか、どうもその笑い方が気に入らない。これからは悪人髭と呼ぶことに決めた。

 

「――失礼ですけど、ディーラー以外のみなさんは、少し離れてくださいな」

 

 イケメン髭あらため悪人髭を見つめたまま、ヴィクトリアはギャラリーに向かって言った。さらに、「マスター、申し訳ありませんが、()()()()か何かあれば、わたくしとこの男のすぐ後ろに置いてください」と、酒場の主人に言う。

 

 悪人髭は肩をゆすって笑った。「ずいぶんと用心深いな」

 

「真剣勝負ですから、これくらいは当然でしょう」ヴィクトリアは笑うことなく答える。

 

 イスカリオの騎士であるヴィクトリアは、他の騎士たちとこのような賭け事をすることはよくある。クセのある連中ばかりなので、イカサマを仕掛けて来ることも多い。なので、この勝負も当然イカサマを警戒している。いまの勝負、ギャラリーの中に悪人髭の仲間がまぎれ込んでいて、ヴィクトリアの背後から手を覗き見し、なんらかの方法で悪人髭に伝えた可能性がある。一応自分以外には手の内を見られないように警戒はしたが、さらに用心するに越したことはない。

 

「まあ、別に構わんがな」

 

 悪人髭は余裕たっぷりの口調で言う。その余裕ぶりがさらに気に障ったが、相手のペースに飲まれないよう、ホットワインをひと口飲んで気持ちを落ち着けた。

 

 ヴィクトリアの要求通り、ディーラー以外のギャラリーは少しテーブルから離れ、二人のすぐ後ろにはついたてが置かれた。これで、お互いの手の打ちを相手に知らせることはできないはずだ。

 

「では、勝負を続けますわよ」

 

 ヴィクトリアが言い、カードが配られた。ヴィクトリアは伏せられた5とオープンの3で、計8。悪人髭のオープンカードは6だ。今度は悪人髭からの番である。悪人髭はカードを要求する。数値は3。さらに要求し、今度は4。伏せられているカードを除けば計13で、かなり厳しい手であろう。だが、悪人髭はさらにカードを要求した。配られたのは(エース)。数値的には1か11のどちらかを選べるが、すでに14以上は確定しているので1として扱うしかない。

 

「あらあら、ずいぶんと小さい数に好かれていますわね」

 

 ヴィクトリアは挑発するように笑うが、悪人髭は特に反応せず、さらに一枚カードを要求した。数値は4。これで、伏せられているカードを除くと計18。伏せられたカードが3以下でない限りバーストだ。

 

 しかし、悪人髭はカードを引かない仕草をすると。

 

「二万追加だ」

 

 迷う様子も無く、掛け金の上乗せを宣言した。

 

 一瞬唇を噛んだヴィクトリアだったが、すぐに口元を緩めた。「六枚もカードを引いて二万の上乗せ……随分と判りやすいブラフですこと」

 

「さあ、どうかな?」とぼけたように言う悪人髭。

 

「まあいいですわ。応じます」

 

 これで、掛け金は二万一千となり、ヴィクトリアの番だ。ヴィクトリアがカードを要求すると、配られたのは8で、計16。勝負する手としては微妙だが、これ以上引いてもバーストする可能性が高い。ヴィクトリアはカードを止めた。

 

「一万九千上乗せします」

 

 ヴィクトリアの宣言に、ギャラリーがさらにどよめいた。一戦目をさらに上回る四万の賭け金だ。ヴィクトリアは、悪人髭がドロップすると思っていた。相手の手は、バーストしている可能性が極めて高い。

 

 だが。

 

「ならこちらは一万追加だ」

 

 さらに掛け金を上乗せする悪人髭。これで五万。

 

「…………」

 

 ヴィクトリアは無言で悪人髭を見つめる。無論、そんなことで相手の手の内は読めない。むしろ、どこかこちらを見下したかのような顔が癇に障るだけだ。ここは惑わされず、冷静に判断したいところだ。相手は六枚ものカードを引いている。その上で高額の賭け金。やはり、ブラフの可能性が高いであろう。

 

「……いいでしょう。勝負ですわ」ヴィクトリアは勝負に応じた。

 

「では、オープン」

 

 お互いカードをめくる。悪人髭がめくったカードは、なんと2。他のカードと合わせて計20。ヴィクトリアは16なので、またもや悪人髭の勝ちである。

 

「また俺の勝ちだな。これで、早くも八万の儲けだ。どうだい? このペースで行くなら、掛け金の最低額を一万にしないかい?」

 

 金貨を手元に引き寄せながら言う悪人髭に、ヴィクトリアは「いいえ、このままで結構よ」と拒否した。「それより、ディーラーを代えてもいいかしら?」

 

「お好きなように」悪人髭は大袈裟な仕草で両手を挙げた。

 

 いまの勝負で悪人髭に配られたカードは、6・3・4・A・4で、伏せられていたカードは2。随分と低い数値ばかりだ。イカサマを疑うならまずカードのすり替えだが、悪人髭は服の袖を二の腕までめくっている。いつかのギャロのように、袖の中にカードを隠すことはできない。さらに、ヴィクトリアは最初のカードが配られてから勝負でカードをめくるときまで、ずっと、悪人髭の伏せられたカードから目を離さなかった。一瞬たりとも死角はなかったと断言できる。悪人髭がカードをすり替えた可能性は低いだろう。ならば、あやしいのはディーラーだ。ディーラーを選んだのはヴィクトリアだが、最初からそれを見こし、悪人髭が仲間を紛れ込ませていた可能性は否定できない。

 

 ヴィクトリアはギャラリーの中から別の男を選んだ。それも、普段なら絶対に声を掛けないようなブ男である。

 

「満足かい? なら、勝負を続けよう」

 

 悪人髭は、やはり動じた様子はない。

 

「……ええ」

 

 勝負が再開された。ヴィクトリアは、今度も慎重に勝負を進める。初めに配られたカードの合計は12。カードを要求すると5だった。計17。またまた微妙な数値である。ヴィクトリアは掛け金の上乗せはせず、一千ゴールドのまま手番を相手に譲った。悪人髭は何枚かカードを要求し、二万の上乗せをしてきた。どうすべきか迷ったが、ヴィクトリアは勝負に応じた。オープンとなり、悪人髭の合計は21。また悪人髭の勝利である。さらにもうひと勝負したが、結果は同じような感じだった。

 

「どうする? またディーラーを代えるかい?」

 

 悪人髭は余裕綽々(しゃくしゃく)の口調だ。恐らくこれ以上ディーラーを代えても意味は無いだろう。イカサマのタネは他にあるか、最悪この場にいる全員がグルという可能性もある。いや、そもそもこの勝負は最初に一対一と決めた。悪人髭は仕官していないとはいえルーンの加護を受けた騎士である。騎士にとって勝負前の約束は神聖なものであり絶対だ。たとえ酒場の賭け事であっても破ることはないだろう。第三者を使っているのではない。

 

 気持ちを落ち着かせようと、ヴィクトリアはホットワインを飲もうとした。しかし、すでに飲み干してあり、グラスは空だった。

 

「マスター! ホットワインをもうひとつ!」

 

 ヴィクトリアは思わず苛立った口調で言う。

 

「酒はともかく、勝負の方はそろそろ控えた方がいいんじゃないのか? もうかなり負け込んでるだろう」悪人髭は笑う。

 

「ご心配なく。わたくしもこの国の騎士ですので、持ち合わせはそれなりにありますから」

 

 ヴィクトリアはサイフの中に三十万ゴールドを入れていた。今までの負けを引いても、まだ二十万近くはある。

 

「続けますわよ」

 

 ヴィクトリアはさらに勝負を続けたが、結果は同じようなものだった。どうしても勝てない。それも、ヴィクトリアの手札は必ず15や16などの弱い数値になり、それ以上カードを引くとバーストする。引かなくても、相手は必ず21に近い数値を出す。明らかに不自然な展開だった。

 

「――また俺の勝ちだな。これで、合計二十万だ」

 

 十戦ほど勝負して全敗したヴィクトリアは、我慢しきれず、机を叩いて立ち上がった。「ふざけないで! あなた、イカサマをしているでしょう!」

 

「イカサマ? 何を根拠に?」悪人髭は愉快そうに笑った。

 

「それは……」と、言葉に詰まるヴィクトリア。イカサマを見破る目にはそれなりに自信があり、ここまでの勝負でも相手の動きには目を光らせていた。疑わしいことは全て排除していったが、それでも、結果は変わらない。

 

 ヴィクトリアが黙り込んだのを見て、悪人髭はさらに笑った。「負けた腹いせにイカサマの濡れ衣をかけるとは、あんた随分と小物だな」

 

「な……!!」

 

 小物――負けた額よりも、その言葉の方が屈辱だった。

 

「そうだろう? 俺のイカサマを疑うのなら、それなりの根拠を示してもらわないとな? さあ、俺が、どんなイカサマをしていると?」

 

 冤罪だと言わんばかりに両手を挙げてアピールする悪人髭に、ヴィクトリアは何も言い返せない。現時点では、全く判らない。

 

「ふふん、素直に負けを認めることだな」悪人髭は鼻を鳴らして笑った。「まあ、仮に俺がイカサマをしていたとしても、『バレなきゃイカサマじゃないんだぜ』と、昔の偉い人も言ってるしな」

 

 ――むっかー。腹立つな。これは絶対イカサマをしている。絶対見抜いてやる。

 

 ヴィクトリアは席に着いた。「勝負を続けますわよ!」

 

「やめといた方がいいと思うがね」

 

 再び勝負となったが、やはり同じような展開でヴィクトリアが負けてしまう。さらに五戦負け続け、遂にヴィクトリアの負け額は三十万ゴールドになった。

 

「イカサマは見破れたかい?」悪人髭は完全に勝ち誇った顔で言った。

 

「…………」

 

 血が出るほどの力で奥歯を噛みしめるヴィクトリア。残念ながら全く判らない。サイフの中身は、すでに一万ゴールドを切っている。心もとないが、一応勝負を続けることは可能だ。

 

 その時、マスターがホットワインを持ってきて、恐る恐るという感じでテーブルに置いた。随分前に注文したものだ。

 

「遅いわよ!」

 

 苛立ちから思わず大声で言ってしまう。マスターは「すみません」と首をすぼめると、そそくさとカウンターへ戻った。ヴィクトリアはホットワインを飲もうと口を付けたが。

 

「あっつっ!!」

 

 そのあまりの熱さにひっくり返しそうになった。なんとかこぼさずにはすんだが、まるで煮えたぎっているかのようだ。

 

「ちょっとマスター! なによこれは!!」カウンターに向かって怒鳴る。

 

 マスターは戸惑った顔でカウンターから出てくる。「なにって、ご注文のホットワインですよ」

 

「熱くて飲めたもんじゃないわよ! なんのいやがらせなの!!」

 

 マスターは困ったように言う。「八つ当たりはやめてくださいよお客さん。さっきと同じ温度ですよ」

 

「ウソおっしゃい! 沸騰寸前じゃないの!」ヴィクトリアはワインが入ったグラスを突き出した。「飲んでみなさい!」

 

 マスターは戸惑いながらもグラスを受け取ると、グラスに口を付け、一息で飲んだ。

 

 ヴィクトリアは唖然とする。さっき口を付けたときは、確かに煮えたぎるような熱さだったのに……。

 

「――――!」

 

 はっとして、ヴィクトリアはテーブルに置いてあったカシューナッツの素焼きをひとつ手に取った。握って殻を割ろうとするが、さっきまでは簡単に割れていたものが割れない。同じもののはずなのに。

 

 ――これは、わたくしの筋力や熱に対する耐性が落ちている?

 

 それで気が付いた。

 

 いつの間にか、ウィークネスの魔法をかけられていたのだ!!

 

 ウィークネスとは黒魔法のひとつだ。対象相手一人の攻撃力・物理防御・魔法防御を低下させる効果がある。通常は戦闘時に使うもので、ギャンブルに使うなど考えてもみなかったが、ブラックジャックにおけるカードの数値は攻撃力と同じだ。当然、ウィークネスにかかった状態なら、その数値は低下、もしくはバーストするのが常になるはずだ。

 

 さらに。

 

 悪人髭は、必ず21に近い数値を出していた。これは、恐らく攻撃力を上げるパワードの魔法を使っているのだろう。悪人髭はウィークネスとパワードの魔法を使う騎士だ。ブラックナイトというクラスがそれに該当するが、あれは上級クラスであり、仕官もしていない在野の騎士がそう簡単になれるものではない。そもそもブラックナイトはバイデマギスのような筋肉バカ専用のクラスだ。ギャンブルに魔法を使用するなど、頭が良くないと到底出てこない発想だ。

 

 つまり。

 

 この悪人髭、こんな悪人面の細マッチョなのに、魔術師系の騎士なのである!

 

 ヴィクトリアの様子に、悪人髭はニヤリと笑った。「何か気付いたようだな? 言っておくが、俺はイカサマはやってないぜ?」

 

 確かに、勝負に魔法を使ってはいけないという取り決めはしていない。ウィークネスとパワードを使用していたとしても、今までの勝負は全て有効だ。

 

 しばらく悪人髭を睨んでいたヴィクトリアだったが、口元に手を当て、高らかに笑った。「おーっほっほっほ。なかなかやりますわねあなた。気に入りましたわ。わたくしは強い殿方が大好きですの。例えそれが、ギャンブルであってもね」

 

「そうかい? で、どうする? 負けを認めるかい?」

 

「まさか。ドリスト様のような圧倒的に強い殿方なら認めますけど、あなたのような中途半端に強い殿方は、徹底的に負けさせて服従させる方が魅力的ですわ。続けますわよ」

 

 ヴィクトリアは再度席に着いた。

 

「そうかい? まあ、俺は構わんがな」

 

 自信満々の悪人髭。負けるはずがない、という顔だ。確かに、今の状況で勝つことは不可能だろう。対抗するためにはこちらもウィークネスかパワードを使うことだが、ヴィクトリアはどちらも使えない。配下のモンスターには使える者もいるが、最初に一対一の勝負と決めた手前、助っ人を呼ぶわけにはいかない。いまヴィクトリアが使える魔法でウィークネスに対抗できるのは魔法耐性を上げるレジストの魔法だが、ここで魔法耐性を上げたところで、ホットワインを(ぬる)めに飲むくらいの効果しかないだろう。

 

「……この勝負を最後にしてもいいかしら?」

 

「構わんよ」

 

「では、この勝負に、今まで負けた分の倍の金額を賭けますわ」

 

 ギャラリーが、今夜一番のどよめき声をあげた。ヴィクトリアの負けは三十万ゴールドなので、六十万ゴールドの大勝負だ。ヴィクトリアが勝てば今までの負けを取り返した上に三十万ゴールドのプラスになるが、負けた場合はさらに六十万ゴールドを失い、計九十万ゴールドとなる。

 

「しかし、持ち合わせはあるのかい?」と、悪人髭が言う。「踏み倒されちゃかなわんから、後で支払う、なんてのは無しだぜ? いつもニコニコ現金払いが、この国のギャンブルの鉄の掟だからな」

 

 悪人髭の言う通りである。それは法で定められており、破れば死刑となるのだ。ヴィクトリアはすでに持ち合わせをほとんど使っている。残りは一万ゴールド弱しかない。

 

「では、わたくし自身を賭ける、というのはどうです?」

 

「……何?」

 

 ずっと不敵に笑っていた悪人髭の顔から、初めて笑みが消えた。

 

 その様子に満足したヴィクトリアは、得意の妖艶な目つきで続ける。「悪くない勝負でしょ? あなたが勝てば、このわたくしを自由にできるのです。もちろん、六十万ゴールドもお支払いしますわ。でも――」

 

 ヴィクトリアは目つきを鋭くした。「わたくしが勝てば、あなたは一生わたくしの奴隷となるのですけど。さあ、どうします? もちろん、まだ勝負は始まってませんから、降りても構いませんわよ?」

 

 悪人髭は唇の端を挙げて笑った。「いいだろう。そういう勝負はキライじゃないぜ」

 

「ではこの勝負、六十万ゴールドと自分自身を賭けるということで」

 

 最後の勝負が始まった。ディーラーからカードが配られる。ヴィクトリアのカードは、伏せているカードが10で、オープンカードが3の、計13。ウィークネス状態であることを考えると、これ以上はバーストするだろう。ヴィクトリアはこれ以上引かないことを仕草で示した。

 

「では、俺の番だ」

 

 悪人髭の一枚目は伏せられた状態、二枚目が9だ。一枚要求し、三枚目が5。ここでカードを止めた。バーストしていなければ15以上。すでに掛け金は決めてあるので、ドロップすることはできない。ヴィクトリアの負けだ。

 

「勝負は決まったようなものだが、オープンするかい?」

 

「もちろんですわ」

 

 ディーラーがオープンを宣言し、二人は同時に伏せていたカードをめくる。ヴィクトリアのカードは10と3で13。

 

 対する悪人髭がめくったカードは7。

 

「合計で21。やはり、俺の勝ちのようだな」当然という顔で、悪人髭はヴィクトリアを見た。

 

 だが。

 

 ヴィクトリアは勝ち誇った表情で笑った。「あら? あなた、計算ができないのかしら? あなたの手、どう計算しても、12ですわよ?」

 

「……なにをバカな」

 

 呆れた顔で悪人髭は手元を見る。そして、その表情が凍りついた。

 

 そこには、7と5のカードしかない。ヴィクトリアの言う通り、合計は12だ。

 

 悪人髭はテーブルの上や周囲を探す。しかし、さっきまであった9のカードは、どこにもない。

 

「13と12で、わたくしの勝ちですわね」ヴィクトリアは立ち上がり、口元に手を当て、高らかに笑った。「おーっほっほっほ! 本当の勝者は、最後に笑うものですわ!」

 

 悪人髭はヴィクトリアを見上げ、苦笑いを浮かべた。「ディメンジョンだな……?」

 

 ディメンジョンとは、対象の一体をランダムで別の場所に瞬間転移させる黒魔法だ。通常は、強敵を戦場から遠ざけるために使う魔法である。

 

「さあ? なんのことかしら?」ヴィクトリアはとぼけた声で言う。「カードを無くしたのはあなたの不手際でしょ? まあ、仮にわたくしがディメンジョンを使っていたとしても、魔法を使うのは反則ではなかったはずですわよね?」

 

 それを聞いて、悪人髭も声を上げて笑った。「やるな、あんた。気に入ったぜ。いいだろう。この勝負、俺の負けだ」

 

「素直でよろしいこと」

 

 悪人髭が負けを宣言し、長く続いた勝負は、ヴィクトリアの勝利となった。酒場は、歓声と拍手に包まれた。

 

「トータルで、俺の三十万ゴールドの負けと、あんたのしもべになる、ということでOKだな?」悪人髭が言った。

 

「ええ。そうよ」

 

「ふむ。あんたのしもべになるということは、今日から俺は、この国の騎士ということだな?」

 

「まあ、そうなりますわね」

 

「では、契約金は三十万ゴールドにしておこう」

 

「……はい?」

 

 悪人髭の提案に、ヴィクトリアは眉をひそめた。

 

 悪人髭は続ける。「俺を騎士として雇うんだから、契約金が発生するのは当然だ。三十万で俺を雇えるのなら、安いものだと思うがね?」

 

 負け額分だけでも取り戻そうというのか。セコイと言うかちゃっかりしていると言うか……ヴィクトリアは呆れたが、「まあいいでしょう」と悪人髭の言い分を認めた。「主人たるもの、それくらいの器量は見せなければなりませんからね」

 

 契約金三十万を支払ってもプラスマイナスでゼロ。サイフの中身はゲームを始める前と変わらない。よって、この男を従えた分だけ得だ。それに、この男と組めば、城の連中相手にギャンブルでぼろ儲けできる。

 

「では、契約成立だ。俺の名はネヴィル、よろしくな」

 

 悪人髭は名乗ると、右手を差し出した。

 

「ヴィクトリアです。よろしく頼みますわね」

 

 ヴィクトリアはネヴィルの手を握り返した。

 

「では、さっそくあんたの仕えている王の元へ案内してくれ」

 

「ええ。では、参りましょう」

 

 ヴィクトリアは、最後にもう一度高らかに笑い、勝利に酔いしれた。

 

 

 

 

 

 

 ――しかし。

 

 

 

 

 

 

 店を出ようと酒代を支払う段になって、ヴィクトリアはサイフが無いことに気が付いた。どこを探しても見つからない。ギャンブルが終わったときには確かにあった。あのあと落としたとは考えにくい。誰かにスラれたのかもしれない。勝利に酔いしれて気付かなかったのではないですか? と、マスターが言った。

 

 

 

「……本当の勝者は、最後に笑うものだぜ?」

 

 

 

 ネヴィルが不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一五話 ダーフィー 聖王暦二一六年十月下 イスカリオ/カーナボン

 イスカリオとエストレガレス帝国の国境では、五月以降激しい戦いが繰り返されていた。イスカリオ王ドリストは精鋭の騎士を率いて何度も帝国領トリアを攻めたものの、領主であるランギヌスと帝国四鬼将ギッシュの二人の魔術師の前に、攻めきることができずにいた。そして、七月に西アルメキアが滅びると、西の戦線で戦っていた皇帝ゼメキスや軍総帥シュレッドらが中央の戦線へ戻って来きたことで、戦況はさらに激化すると思われた。

 

 しかし、イスカリオの王ドリストは、突然帝国方面への侵攻を取りやめ、一転して東のノルガルド方面へ侵攻し始めたのだ。その真意は定かでないが、おそらくいつもの気まぐれであろうと思われる。

 

 主力部隊が移動してしまったため、イスカリオ領カーナボンには防衛の指令が下された。帝国側も、長く続いた戦いで疲弊した軍の再編に入ることになる。イスカリオとエストレガレスの抗争は、しばらくこう着状態に入ると思われた。

 

 ……が。

 

 残念ながら、イスカリオには律儀に命令を守る騎士は少なかった。この国は、王だけでなく、騎士もクセモノ揃いなのだから。

 

 

 

 

 

 

 カーナボンから帝国領トリアへと向かう街道を、万年金欠騎士のダーフィーは兵を率いて行軍していた。イスカリオの(一応の)政務補佐官であり(建前上の)軍総司令であるアルスターからは、当面カーナボンの部隊は防衛に専念するようにという指令を受けてはいたが、砦でじっとしていても金は稼げない。そんなわけで、ダーフィーは相方である狂戦士バイデマギスと共に、勝手に出撃したのである。

 

 行軍の途中、ダーフィーは街道から少し外れた森の中に小さな泉があるのを見つけた。よく晴れた日の午後、木漏れ日を反射して水面がキラキラ輝くさまは、どこか神秘的なものを感じさせる。

 

 ――そういや、ティースのボウズがどこかの泉で得したとか言ってたな。

 

 ティースはまだ経験の浅い騎士で、修行のため大陸各地を旅していた。先日、ノルガルドの山中で神秘的な泉を見つけたティースは、旅の無事を祈るためにコインを投げ入れたそうだ。すると、泉の精が現れ、綺麗なコインのお礼にと空を飛ぶ靴をくれたそうなのだ。金貨一枚でそんな便利なアイテムを貰えるなど、実にうまい話である。

 

 ダーフィーはニヤリと笑うと、金貨を一枚取り出し、泉に投げ入れた。

 

 そして。

 

 ――さあ、泉の精ちゃん。空飛ぶ靴でも伝説の名刀でも何でもいいから、とにかく金になるものをちょうだいな。

 

 両手を合わせ、祈った。

 

 しかし。

 

 泉は静かにたゆたっているだけで、なんの変化も起こらなかった。

 

 ダーフィーは舌打ちをする。まあ、そんなうまい話がそこら中に転がっているはずはないが、金貨一枚損してしまった。

 

「――おう! 貧乏ヒゲ! そんなところで何してる!」

 

 静かな森の静かな泉に大声を張り上げてやってきたのは、相方のバイデマギスだ。

 

「なんだ、ダンナかよ。ダンナが出て来たって、1ゴールドの得にもなりゃしねぇ」

 

「あん? なんだそりゃ?」

 

「いや、何でもねぇ――」と言いかけたダーフィーの胸に、ちょっとしたイタズラ心が湧いた。バイデマギスに気づかれないようほくそ笑むと、「そうそう。さっき、この泉にな、でっけぇ魚がいたんだ」

 

 両手を広げて大きさをアピールすると、バイデマギスは、ダーフィーの思った通り、話に食いついてきた。

 

「なに!? 魚だと!? そりゃあいい! 捕まえて、今夜の酒のツマミにしようぜ! どこだ? どこにいる?」

 

 しめしめ、と思いつつ、ダーフィーは水面を指さす。「あの辺を泳いでたんだが……お! あそこにいるぞ!」

 

「うん? どこだ? 見えぇぞ?」

 

 バイデマギスは、大きく身を乗り出した。

 

 その背中を、ダーフィーは、どん! と、強く押した。

 

 バランスを崩したバイデマギスは、「ぬおお!?」と声を上げ、しばらく手をばたばたと振り回していたが、やがて、派手に水しぶきをあげて泉の中に転がり落ちた。

 

「ははは! ざまぁねぇな、ダンナ!」

 

 水面に向かって笑う。これで少しは気が晴れた。満足したダーフィーは、バイデマギスが岸に上がって来る前に逃げようとした。

 

「――お待ちなさい」

 

 走りだそうとしたダーフィーの背後から、透き通るような綺麗な声がした。これはもしや? 振り返ると、泉の中から美しい女性がゆっくりと浮かび上がってきた。その細い両腕には、どこにそんな力があるのかバイデマギスの巨体を抱えている。

 

「これを投げ入れたのはあなたですね?」

 

 明らかに怒気を孕んだ声で言う。ヤバイ、怒られる。そう思ったダーフィーは、「いいえ、違います。そいつが勝手に落ちたんです」と否定したものの。

 

「ウソをおっしゃい」泉の精は、あっさりとダーフィーの言うことを切り捨てた。「あなたがこれを投げ入れるところは、ちゃんと見ていました。神聖なる泉にこのような不浄のモノを投げ入れた上に、汚らわしいウソまでつくとは、なんと不遜な。あなたには罰を与えなければなりませんね」

 

 泉の精はバイデマギスの巨体を陸へ投げ捨てると、呪文のようなものを唱え始めた。ダーフィーは身をすくめ、目を閉じた。

 

 ……が。

 

 何も起きない。恐る恐る目を開けると、泉の精の姿はどこにも無かった。ダーフィーの身にも、何も起きていない。

 

「……ちきしょう、ひでぇ目に遭ったぜ」

 

 バイデマギスが腰をさすりながら立ち上がり、ダーフィーを睨みつけた。「テメェ! よくもやりやがったな!」

 

 怒るバイデマギスを、ダーフィーは「まあまあ」となだめた。「ちょっとした冗談だよダンナ、そう怒るな。今夜、とっておきの酒と飯をご馳走してやるからよ」

 

「ホントだな? 約束だぞ」

 

 なんとかその場をごまかし、ダーフィーは泉を後にした。結局泉の精が言った罰とはなんだったのかは判らずじまいだが、案外ただの脅しだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 ……が。

 

 

 

 

 

 

 異変は、夜になって訪れた。

 

 幕舎を張って酒を用意していたダーフィーの身体が、突然キラキラ輝き出したのだ。みるみる背が縮まり、頭が小さくなり、くちばしが出てきて、手は翼に変わり、身体は丸っこくなったのだ。鏡に映してみると、なんと、ダーフィーの姿はアヒルになっていた。

 

《それが、あなたへの罰です》

 

 どこからともなく、泉の精の声が聞こえてきた。

 

《これから一節の間、あなたは夜になるとアヒルの姿に変わるのです。アヒル鍋にされないよう、せいぜい気を付けなさい。おほほほほ……》

 

 ダーフィーは文句を言おうとしたが、声はがあがあという鳴き声にしかならなかった。

 

「――おう! 貧乏ヒゲ! 来てやったぞ!」

 

 大声を上げ、バイデマギスが幕舎に入ってきた。中を見回し、誰もいないことに舌打ちをする。「ちっ、あの野郎、どこ行きやがった」

 

 その目が、アヒル姿のダーフィーに止まる。

 

「お? こいつはうまそうなアヒルだ! そうか! これを食えというんだな! ようし、さっそく丸焼きにするか! がーっはっはっはー!!」

 

 ダーフィーは、必死で自分はアヒルではないことを訴えるが、やはりがぁがぁという鳴き声にしかならない。

 

 バイデマギスはアヒルの首根っこを掴むと、そのまま幕舎を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 その後、()()()()()でダーフィーの姿を見た者はいない――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一六話 アデリシア 聖王暦二一六年十一月上 ノルガルド/グルーム

 帝国侵攻から一転、突如ノルガルドへ侵攻し始めたイスカリオは、難攻不落のハドリアン砦を落とし、さらにその先のグルーム城に迫っていた。グルームは城のすぐ南に川が流れており、南からの侵攻には強い城である。しかし、それはあくまでも机上論であり、実際はそう簡単なことではない。このグルームを南から攻めるということは、難攻不落のハドリアン砦を突破したということである。ハドリアンは両脇を崖に挟まれた場所に建つ天然の要塞であり、そこを突破してきた敵に対し、川一本で優位に立つことは難しい、というのが現状なのだ。実際、一年前の旧レオニア時代、ハドリアンを落とした帝国軍は、翌節にはグルームも落としている。ここで敵の侵攻を食い止めるには、少なくともハドリアン以上の戦力が必要なのだ。

 

 グルーム防衛軍の先陣隊を率いる槍騎士アデリシアは、川にかかる一本橋の手前で敵軍と交戦していた。グルームの地形を活かすならば、城に立てこもることなく外へ打って出て、川岸で敵を迎え撃つのが定石である。橋は決して大きなものではないため、大軍で渡ることはできない。寡兵で渡って来た敵を囲んで倒すという基本戦術を用い、順当に迎え撃つ。無論、敵も単純な橋越えで城を落とせるとは思っていないだろう。橋以外からも敵は迫っている。川を泳いで渡るリザードマンや、空を飛んでくるワイバーンなどだ。それらの相手をするのはアデリシ配下のモンスターの役目だ。リザードマンには植物型モンスターのマンドレイクや半馬人のケンタウロスを、ワイバーンには鷲獅子グリフォンや怪鳥ロックをぶつけ、次々と迎え撃った。特に、ロックの活躍が目覚ましかった。敵モンスターのワイバーンは空を飛ぶ以外にこれといった特殊能力は無いが、ロックには石化の能力がある。空中で石と化したワイバーンの巨体が川へ落ちるさまは、見ていて爽快だった。

 

「はは。あれがロックか。ウワサ以上にスゴイね」

 

 ロックの活躍に、アデリシアは感心する。彼女の祖国であるパドストーではロックを召喚することができなかったため、配下として使うのはこれが初めてだった。その活躍ぶりは、祖国で主力モンスターだったドラゴンに勝るとも劣らないであろう。無論、ドラゴンもこれまで通りの、いや、それ以上の活躍を見せている。

 

「そもそも、()()()()の外にモンスターを飛ばしてもムダだよ。そんなんじゃ、あたしの部隊を倒すことはできないね」

 

 さらにもう一体のワイバーンが川に落ちたのを見て、アデリシアは笑みを浮かべて言った。統魔範囲とは、騎士がモンスターを操れる範囲のようなものである。その範囲は騎士によって異なるが、概ね半径五十メートル前後だ。この範囲から出てしまったモンスターも操れないわけではないが、その力は大幅に低下してしまう。川幅は百メートルを超える。つまり、いかに空を飛んだり泳ぎが得意なモンスターを差し向けようとも、騎士自身が川を越えて来なければ、そのモンスターは力を充分に発揮できないのだ。川岸に陣取るアデリシアは、配下のモンスターが統魔範囲外に出ないように戦わせている。これならば、上位クラスのモンスターが出て来ても対応できるだろう――そう思っていたのだが。

 

「……え!?」

 

 次々とワイバーンを石化させていたロックが、突如断末魔の鳴き声を上げた。空中でぐらりと体勢を崩し、そのまま川へ落ちる。それだけでなく、ロックの周囲で援護をしていたグリフォンも、突如その首が飛び、やはり川へ落ちた。なにもない空中で突然倒されたロックたち――いや、ロックやグリフォンの巨体でよく見えなかったが、空中に何者かがいる。金と赤のまだら模様の派手な鎧に、これまた派手な羽根飾りを付けた帽子、そして、身長をも超える巨大な鎌。あれはモンスターではなく騎士だ。騎士が空を飛んでいるのである!

 

 大鎌でロックとグリフォンを倒した騎士は、上空で一度円を描いて舞うと、突如急降下し、橋の手前に陣取るアデリシアの兵のど真ん中に降り立った。そして、その巨大な鎌を振るう。わずか一閃で、十人以上の兵が倒れた。さらに鎌を振るい、次々とアデリシアの兵を倒す。兵の陣形は崩れ、そこから敵兵が一気になだれ込んで来た。それは防壁に穴が空いたようなものだ。橋を渡って来る寡兵を順当に迎え撃っていた戦況が、一気に乱戦状態と化した。

 

 その様子を満足げに見つめながら、騎士は大鎌を肩に乗せて笑った。「へっ。オレ様がちょいと本気を出せばこんなもんだ。この城も、大したことはなさそうだな」

 

「いやさすがは陛下! グルーム城難攻不落の橋を、こうも簡単に突破するとは。ハドリアンの陥落といい、実に見事な手腕で……げぶば!」

 

 揉み手をしながら現れたインチキ臭い詐欺師のようなちょび髭男を、大鎌の騎士は蹴り飛ばした。

 

「たわけ! てめえかアルスターがフライングの魔法を使えれば、もっと楽に攻略できたんだよ!」

 

「し、しかし、あれは青魔法なので、どちらかといえば女性魔術師が得意とします。我々が取得するには、それなりに厳しい修行が――あぐぃぐば!」

 

 乱れた髭を整えながら言うちょび髭の男の頭に、大鎌の騎士はゲンコツを喰らわせた。

 

「つまんねー言い訳なんざいいんだよ! テメェとアルスターは、オレ様の手を煩わせた罪で死刑を2倍増だ!」

 

 そのやりとりを見たアデリシアは、ふふっと小さく笑い、二人の前に立った。

 

「むむっ! あの者は!!」アデリシアの気配に気づいたちょび髭男が振り返り、懐からメモ帳を取り出して勢いよくパラパラとめくった。しかし、その手を止めて首をかしげる。「……はて、誰でしょうな? 元レオニアの氷の華シャーリン殿でもないですし、ちょっぴり生き物がニガテです♪のファテシアちゃんでもないですし……ノルガルドには、他に槍騎士はいませんぞ?」

 

「あんた、イスカリオの狂王ドリストかい?」

 

 ちょび髭男を無視し、アデリシアは大鎌の男に向かって言った。敵軍を率いているのはイスカリオの王ドリストだと聞いている。ちょび髭男が陛下と呼んだし、派手な格好で大鎌を振り回すという話とも一致する。恐らく間違いないだろう。

 

 大鎌の騎士はアデリシアを見ると、挑発するような笑みを浮かべ、首を傾けた。「んー? ちょーっと違うなぁ。オレ様は、厳しい修行の末に大空を舞う特殊能力を身に付けた、ドリスト・イン・ザ・スカイ様だ」

 

「……部下の魔法装備を取り上げただけですけどね」と言うちょび髭男の首筋に、ドリストは大鎌の刃を当てた。

 

 アデリシアは、「はんっ」と笑い飛ばした。「まったくもってふざけたヤツだね。とても同じ君主とは思えないよ」

 

「あん? 君主?」

 

「ああ。片や純真無垢、片や極悪非道……あたしの国とは大違いだ」

 

 ドリストは「ふうむ」と唸ると、顎に手を当て、アデリシアの言葉を吟味するように何度か頷いた。「なるほど。純真無垢とは、まさにオレ様のことだな」

 

「え?」と、目を丸くするちょび髭男の頭を、ドリストが大鎌の背で殴る。

 

「……そうやって部下にすぐ手を上げるあんたの、どこが純真無垢なのさ」

 

「あん? するってぇと、オレ様は?」

 

「極悪非道の方だよ。間違えないだろフツー」

 

 うんうんと頷くちょび髭を、ドリストは川へ蹴落とした。

 

「こいつは随分な言われようだな。さすがのオレ様も傷ついたぜ」

 

「そんなタマじゃないだろ?」

 

 鋭い視線を向けてくるドリストにも動じず、アデリシアはいつもの調子で言い返す。

 

 その姿を、ドリストはどう思ったのだろう。押し殺すように小さく笑い声をあげた後、言った。「つーか、テメェはノルガルドの騎士だろ? テメェんとこの大将の、どこが純真無垢なんだ」

 

「はは、そうだったね」と、アデリシアも笑う。「すっかり忘れてたよ。でも、あたしは今でも、気持ちは西アルメキアの騎士さ」

 

「むむ! 西アルメキアの騎士!!」川から這い上がってきたちょび髭男が、再びメモ帳を取り出してめくった。「おお! ありましたぞ! 西アルメキアの槍騎士と言えば、キャメルフォードの防衛隊長を務めたこともあるアデリシア殿です!」

 

「フン、西アルメキアの騎士か」ドリストは値踏みでもするようにアデリシアを見ると、再び押し殺したような笑い声をあげた。「そのワリに、祖国滅亡後に仕えているのが、かつて敵国だったノルガルドっつーのは、どういう了見だ? 普通なら、同盟国のカーレオンに行くんじゃねぇのか」

 

「…………」

 

 アデリシアの顔から、笑みが消えた。

 

 ドリストの言う通り、西アルメキアはカーレオンと同盟を結んでいた。西アルメキア滅亡後、多くの騎士がカーレオンへ再仕官している。

 

 だが、アデリシアはカーレオンへは仕官しなかった。

 

 賢王カイを、どうしても信用することができなかったのだ。

 

 確かにカーレオンは同盟国だった。しかし、賢王カイは、西アルメキアの再三の共闘要請に応じず、兵を動かそうとしなかったのだ。もちろん、カーレオンもイスカリオや帝国と戦闘状態にあり、容易に兵を動かすことができない事情もあっただろう。それは理解できる。理解できるが、カーレオンは結局、西アルメキアが帝国やノルガルドから大きく攻め込まれ、滅亡するまで、一切何もしなかったのだ。

 

 はたしてこれで、同盟国と言えるのか。

 

 賢王カイは大陸一の知恵者とのウワサだ。この戦乱の時代、何を考えているのか凡人に判るはずもないが、アデリシアは思う。もしかしたら、西アルメキアの滅亡は、賢王カイの思惑のひとつではなかったのか、と。

 

「んー? どうしたぁ? 痛いところを衝かれた、って顔してるぜぇ?」

 

 口喧嘩で相手を言い負かした子供のような顔をするドリストに対し、アデリシアは「はん!」と言って、表情を引き締めた。

 

「あたしは、国を滅ぼしたエストレガレスに復讐さえできれば、カーレオンだろうとノルガルドだろうと、どちらででもかまやしないのさ。行くよ!」

 

 アデリシアは一気に踏み込むと、ドリストに向けて槍を突き出した。ドリストの挑発気味の表情も、一気に引き締まる、最初の一撃を鎌で弾くと、続く一撃は身を逸らしてかわし、さらなる一撃は大きく横に跳んでやり過ごした。

 

「陛下! お気を付け下さい!」ちょび髭男が叫ぶ。「アデリシア殿は、その鋭い槍捌きから、『死を告げる貴婦人』の異名で恐れられた騎士です! いま、わたくしめの魔法で援護を……ふれヴぃぶぅ!!」

 

 魔法を使おうとしたちょび髭男を、跳んで槍をかわしたドリストが着地と同時に踏みつけた。

 

「いま楽しくなってきたところだ! 余計なことをするんじゃねぇ!」足元に向かって怒鳴った後、再びアデリシアに鋭い目を向ける。「ふん、いい突きだぜ。いいだろう。レディの期待には応えなければなぁ。てめぇのご要望通り……極悪非道で行くぜぇ!!」

 

 ドリストが踏み込んでくる。大鎌と槍が再び交わり、火花を散らした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一七話 ミリア 聖王暦二一六年十一月下 イスカリオ/――――

 旅の絵描き騎士ミリアとその他二人は、カーレオンを離れ、隣国イスカリオの辺境にある小さな港街に来ていた。イスカリオ最後の砦と呼ばれるロージアンよりも南に位置するこの街は、フォルセナ大陸最南端の街とも言われている。ゆえに、独特の文化や風習があるイスカリオ内でもさらに異質な街でもあった。

 

 魚屋や八百屋、船乗り向けの酒場や宿などが建ち並ぶ中央通りを、ミリアはその他二人を連れて歩く。古くから貿易を営んできたこの港街には、海の向こうの様々な文化が入り混じって発展してきた。通りを行き交う人々は、色鮮やかなビーズ刺繍がほどこされた民族衣装を着て、独特のイントネーションがある言葉を交わしている。まるで別大陸へ渡ったかのような雰囲気に、その他二人は驚きと戸惑いの顔で辺りを見回している。

 

「きょろきょろしないでよ恥ずかしい。はぐれたらおいて行くわよ?」

 

 呆れ口調で言って、ミリアは中央通りから一本離れた裏路地へ入った。華やかな表通りと異なり、昼間だというのにどこか薄暗い感じが漂っているその路地には、水晶球やタロットカード、干からびた魚や爬虫類や怪しげな薬品などを取り扱った店が軒を連ねている。魔術や占いの道具を扱うお店が並ぶ通りだ。路地をしばらく進んだミリアは、太陽と三日月と星をかたどった看板のお店の前で立ち止まった。ドアは閉ざされ、窓もカーテンが引かれている。まだ営業していないようだが、ミリアはドアをノックした。

 

「リカーラ? いるー?」

 

 大声で呼びかけたが、返事は無い。だが、留守でないことはミリアには判っている。何度もノックをして呼びかけると、扉の向こうでごそごそと動く音がした。

 

「――こんな朝早くに誰ネ?」

 

 眠そうな声に、ミリアは「いや、もうけっこう昼なんだけど?」と応えた。彼女――リカーラは昔から夜型の人間で、寝起きが悪いのだ。

 

 だが、ミリアの声を聞いたリカーラは、「あア!」と、一気に目が覚めたように大声を上げた。「その声はミリア! ヒさしブリね!」

 

 クセの強い喋り方と共にドアが開き、出てきたリカーラの姿を見て、ミリアは思わず「げっ」と声を上げた。薄衣を一枚まとっただけの格好で、下着を身に付けていないのが一目瞭然の姿だったのだ。案の定、そういうことに耐性が無いその他二人が、勢いよく鼻血を噴き出した。

 

「……やっぱ連れてくるんじゃなかったわ」ミリアはこめかみに指を当てて頭痛を抑えようとする。

 

「あラら? お連れの方ハ、どうしたネ?」

 

 なんの自覚も無いリカーラに、ミリアは「あー、リカーラ、とりあえず、着替えてもらってもいいかな?」と告げた。

 

「オう。ワタシとしたことが、とんだ失礼をシたネ」

 

 店内へ入り、一度奥へ引っ込んだリカーラは、しばらくして着替えて出てきた。ただ、その格好は、肩とお腹を出した服に超ミニのスカートと、見えそうで見えない絶妙加減で別方向にセクシーさが増している。ミリアは、後ろでだらしなく鼻の下を伸ばすその他二人のつま先を踏みつけた。

 

 リカーラはこの街出身の女性で、占星術やタロットなどを使った占いのお店を営んでいる。彼女もまた、ルーンの加護を持ちながら仕官せずにいる一人だ。以前は旧アルメキアの王都ログレスでお店を開いており、ミリアとはそこで知り合って意気投合した。当時、彼女の占いはよく当たると人気で、ログレス市民だけでなく王宮の重臣の中にも彼女の占いに傾倒する者がいたらしい。しかし、ゼメキスのクーデターを期にログレスを離れ、故郷の街に戻ったのである。

 

「――そレで? いいオトコ二人も連れテこんな遠くまデ来るなんて、よっぽどの用事ネ? どっちのオトコと結婚するかを占うカ?」

 

 リカーラの言葉に、つま先を押さえて悶絶していたその他二人は、突如シャキッとした顔になってモデルのようなポーズをとる。

 

 ミリアは大きくため息をつくと、「いや、ないない。あり得ないわ」と手のひらを振った。「とりあえず、あの二人は無視していいから」

 

「そう? ザンネンね」

 

「今日来たのは、ちょっと頼みごとがあってね。実はいま、あたし、カーレオンで騎士をやってるの」

 

「おゥ? ミリアが騎士ニ? どういう風の吹き回しネ?」

 

「まあ、いろいろとあってね。それで、リカーラにも手伝ってもらえないかなって」

 

「ワタシが戦う? ワタシなんかで役にタてるかネ」

 

「――もちろんですよ」と、その他二人の内の一人が前に出た。「リカーラさんの占いがあれば、どんな敵も恐れるに足りません」

 

「もちろん、敵にはあなたに指一本触れさせません」もう一人のその他二人も負けじと前に出る。「我々は、あなたを守るために存在するようなもの。あなたは、後方で我々の活躍を見ているだけで良いのです」

 

「あー、リカーラ。ちょっとこの二人を黙らせてもらっていいかな?」

 

 ミリアのお願いに「おヤスいごようネ」と頷いたリカーラは、沈黙の魔法サイレントを使った。通常は戦闘で敵に魔法を使わせないようにするものだが、その特性上、うるさい相手を黙らせる効果もある。効果はてきめんで、その他二人はモゴモゴと口を動かすことしかできなくなった。

 

「これで落ち着いて話ができるわ」静かになったその他二人に軽蔑の眼差しを向けた後、ミリアは話を続ける。「相手がアホ二人とはいえサイレントの魔法をあっさり成功させるあたり、やっぱリカーラには魔法の才能があると思うのよね。カーレオンの魔術師にも引けを取らないと思うけど」

 

「そレは買いかブリというものネ。魔法の才能だったラ、ミリアの方がアルよ。デも、褒められテ悪い気はしないネ」

 

「一緒に戦ってくれる?」

 

 身を乗り出して訊くミリアに、リカーラはあごに人差し指を当て、「うーん、そうねェ」と言った後、ぱん、と手を打った。「ソうだ。ミリア、両手のひらを見せテ?」

 

「手のひら? なに? 手相見てくれるの?」

 

「まあ、そんな感ジネ」

 

 言われた通りミリアは両手のひらを差し出した。リカーラはミリアの両手を取る。そのまま手相を見るのかと思ったら、なぜか目を閉じた。

 

「おゥ、ミリア、いま絵を描いてるネ」

 

「絵? ……うん、まあ、描いてるけど」

 

「今までミリアが描いたことのないタイぷの絵ネ?」

 

「え? 判るの?」

 

「かなり苦戦してルみたいネ?」

 

「そうだけど、どうして判るの?」

 

「コレは、東方の小さナ島国から来タ占い師に教えてもらった術ネ。占いというよりは、その人の過去ヲ言い当てる術だけド、うまく使えば、占いにも応用デきるネ」

 

「ふーん」

 

 感心して、リカーラに握られた手を見る。過去を見た……というよりは、リカーラの言う通り、()()()()()のだろう。さっきの質問、思えば誘導されているような気もする。ミリアは絵描きだからだいたい絵は描いているし、答えるときに少しためらってしまったから新しい絵に挑戦していることはなんとなく伝わったかもしれないし、新しい絵に挑戦すれば苦戦するのも当然だ。そうやってわずかなヒントから過去を言い当てる技なのかもしれない。

 

 リカーラは目を開けると、ミリアの手を離した。「ソの絵、絶対に完成させてネ。じゃないと、一生後悔することになるわヨ」

 

 リカーラの助言に、ミリアは。「もちろん」と、力強く応えた。

 

 その応えに満足したのか、リカーラは、「オーけー、わかっタ。引き受けたヨ」と言い、片目を閉じた。「ワタシも、ミリアと一緒に戦うネ」

 

「やった! ありがとうリカーラ」

 

「レイには及ばないヨ。元々ミリアには、運命を感じてたネ。ワタシたちふたりの名前ハ、アイショウがいいノヨ」

 

「名前?」

 

「ソう、セイメイ判断ネ」

 

 そう言うと、リカーラは紙とペンを取り出し、さらさらとふたりの名前を書いた。

 

「ミリアの名前ハ、『ミ』と『リア』のふたつに分けられるネ。『リア』には、古いイスカリオのコトバで、『運命』とか『人生』という意味が含まレてるネ」

 

「へぇー」

 

「そシテ、ワタシの名前ハ、『リ』と『カーラ』に分けらレるヨ。『カール』には、『ともに歩む』という意味があルネ」

 

 リカーラは紙に書いたそれぞれの名前を分割し、後ろ部分の『リア』と『カーラ』に丸を付け、それらを線で結んだ。

 

「つまリ、ミ『リア』と、リ『カーラ』のふたつの名前ヲ合わせルと、『運命を共にする』とか、『人生を共に歩む』という意味になるネ。こレは運命以外の何ものデもないヨ。もしワタシがオトコのヒトだったラ、すぐ結婚申し込ンでるネ」

 

「それはちょっと照れちゃうけど……そうだったんだ」

 

「ダかラ、ミリアが騎士として戦うナら、ワタシもそうイう星の元に生まレたということネ。一緒に戦いまショウ」

 

「うん、ありがとね」

 

 ミリアがもう一度お礼を言うと、リカーラは「ソれに……」と言って、自分の胸を抱きかかえるように腕を組んだ。「ミリアと一緒なら、いつでもワタシのヌードを描いてもらえるネ」

 

 胸を強調するような仕草と、ヌードという言葉に、後ろのその他二人は。

 

「リカーラさんのヌードですと!? うおおぉぉ!!」

 

 大声を上げながら店を飛び出すと、そのまま走って行った。

 

「ああ、もう。ホントバカ」

 

 ものすごい勢いで走り去るその他二人の背中を見つめるミリア。ヌードという言葉ひとつでサイレントの魔法を打ち破るとはなんというスケベ心。そのまま走って海を渡って二度と戻って来ないことを祈った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一八話 ティース 聖王暦二一六年十二月上 イスカリオ/グルーム

 イスカリオの新米騎士ティースはビビっていた。開戦以降各地を旅して修行を続けていたティースだったが、王ドリストの気まぐれによりイスカリオはノルガルド方面へ攻め込むこととなり、それに同行することになったのだ。ドリストは、ハドリアン、グルームといった難攻不落の城を次々と攻め落とし、領地を拡大していった。ティースもそれらの戦いには参加していたものの、残念ながらどちらもドリストおよび配下モンスターの活躍が大きく、ティース自身は大きな手柄を挙げることはできなかった。それでも、貴重な実戦を経験したことで、騎士としての成長を実感していた。このまま修行と戦闘を繰り返せば、一人前の騎士となり、手柄を挙げる日もそう遠くはないかもしれない、そう思えた。そこまでは良かった。いま彼がビビッているのは、占領したグルーム城の防衛を命じられたからだ。

 

 ティースが防衛の任に就くのはこれが初めてではない。ないが、今まではザナスやソールズベリーなど、もし防衛できなくても後方の城まで下がれば被害は大きくない拠点ばかりだったのだ。今回は違う。現在、王ドリストはイスカリオの主要騎士を従え、グルームの北東にある旧レオニアの聖都ターラを攻めている。もし、その間にこのグルームの城を敵に落とされようものなら、ドリストは撤退する城を失ってしまうのだ。そうなると、ドリストがターラを落としたとしても敵地に孤立する形となる。仮に落とせなかった場合はさらに危険だ。ドリストらは占領されたグルームを強行突破してハドリアンまで撤退しなければならない。そうなると多くの兵やモンスターを失うだろうし、万が一にもドリスト自身が討たれようものなら、もうこの国の敗北は決定的だ。

 

 つまり、このグルーム城の防衛には、イスカリオの命運がかかっていると言っても過言ではないのだ。新米騎士には重すぎる任務である。もちろん、王ドリストからは「もしオレ様が不在の間に城を落とされようものなら死刑だ!」という作戦を授かっており、逃げることは許されない。しかし、それはまだいい。この国で死刑は比較的軽い罰だ。問題なのは、同じ防衛部隊に愛しのユーラも組み込まれていることだった。彼女の前でカッコ悪い姿は見せられないし、もし彼女の身に何かあったらと思うと、ティースが平常でいられるはずもなかった。

 

「……だ……大丈夫だよ、ユーラ。たぶん、ノルガルドは攻めてこないさ」

 

 朝、会議室でユーラと二人作戦会議をしていたティースは、ユーラを安心させようとそう言った。根拠など無い。むしろ、ノルガルドほど好戦的な国が、この状況を見逃すはずがないとも思う。

 

「そうだといいけど……」

 

 不安そうな声のユーラ。無理もない。ユーラはこの国の騎士の中では最年少で、先月十七歳になったばかりだ。騎士とはいえ普段はドリストの身の回りの世話をする専属のメイドのような存在であり、イスカリオにおいては、猛獣だらけの動物園に子猫がいるようなものである。

 

 ティースは気を引き締め直した。愛しのユーラが怯えているのだ。俺がビビッてどうする――そう胸の内で言い聞かせ、そして、「安心して、ユーラ」と言いって、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。「もし敵が攻めて来ても、俺が守ってやる。俺、修行の旅で、結構強くなったんだぜ」

 

 親指を立て、白い歯を輝かせんばかりにほほ笑むと、ユーラの不安そうな顔が少しほころんだ。

 

「うん、お願いね、ティース。あたしも、できる限り魔法で援護するから」

 

「ユーラの援護というと、回復や祝福の魔法かな? それは心強いな。百人力だよ」

 

 ユーラは白魔法の使い手だ。回復や祝福の魔法は初級魔法だが、戦闘では欠かせない魔法であることは間違いない。なにより、ユーラからの支援魔法というのが良い。その健気さが、ティースにとってはなによりも力になるだろう。

 

 だが、ユーラは「ううん」と首を振った。「あたし、ドリスト様と修行して、攻撃魔法も使えるようになったんだ。それも、白魔法だけじゃなく、青魔法や黒魔法も使えるんだよ?」

 

「そうか、青魔法や黒魔法も……って、ユーラ、そんなにたくさん魔法が使えるの?」ティースはきょとんとした顔になった。

 

「うん。今は、隕石を落とす魔法の修行をしてるの」

 

 にこにこ笑いながらとんでもないことを言うユーラ。白魔法や青魔法など異なる属性の魔法を使いこなすのはかなり厳しい修行が必要であり、それだけで中級以上の魔術師と言える。まして隕石を落とす魔法は最上級の黒魔法であり、キャムデンやヴィクトリアなどああ見えて実は優秀な魔術師である二人もまだ使えない……というより、今このフォルセナ大陸で隕石を落とす魔法を使える騎士はいないはずだ。大陸一の魔法使いと噂されるカーレオンの賢王カイやエストレガレス帝国の四鬼将ギッシュあたりでも使えないのである。それを、こんなか弱い見た目の少女が修行しているというのだろうか。

 

「そ……そうか、スゴイな、ユーラは」ティースは笑顔を引きつらせて言った。

 

「ううん、そんなことないよ。あたし、体力が無いから、敵に攻撃されたら、すぐ負けちゃうと思う」

 

「だよな! でも心配いらない。敵の攻撃は、ぜんぶ俺が受け止めるから。そうそう、俺、修行の旅の途中、ドラゴンを配下にしたんだ。凶暴なヤツだけど、俺に懐いてるから、敵なんてあっという間に蹴散らしてやるさ」

 

「ホント? スゴイね、ティース」ユーラは相変わらずほほ笑んで言う。「でも、ムリしないでね。もし前線で戦うモンスターが足りない場合は言ってね? あたしのモンスターを回すから」

 

「ユーラのモンスターというと、ピクシーやユニコーンかな? ありがたいけど、俺のことより、自分を守るのに専念した方がいいよ」

 

 ピクシーは小さな女の子の妖精で、ユニコーンは角を生やした白馬のモンスターだ。どちらも手軽に召喚して従えることができる割に防御力向上や治療などの強力な補助魔法を使うモンスターである。見た目の可愛らしさから女性騎士に好まれているが、見た目通り体力面は乏しく、前線に立たせるには心もとない。前線用のモンスターなら、盾を扱うリザードマンや頑丈なゴーレムなどが手軽に召喚できる割に強力だが、どちらも無骨な姿のモンスターなので、ユーラのイメージには合わないかもしれない。

 

 だが、ユーラは「ううん」と首を振った。「あたし、ドリスト様からバハムートを預かってるの」

 

「そうか、バハムートか。そりゃ心強い……って、バハムートぉ!?」ティースはひっくり返りそうになった。

 

「うん。いつもあたしがお世話してたからすごく懐いてて、あたしの言うことなら何でも聞くよ?」

 

 バハムートは最上級のドラゴンであり、王ドリストの切り札と言っていい。ハドリアンやグルームといった難攻不落の城を落としたのも、このモンスターの活躍によるところが大きい。無論、並の騎士で扱えるモンスターではない。強力なモンスターを従えるには高い統魔力が必要で、バハムートを従えるともなるともはや君主レベルである。

 

「そ……そ……そうか、ス……スゴイな、ユーラは」ティースは朦朧とする意識で言った。

 

「ううん、そんなことないよ。あたし、お城の防衛なんて任されたのは初めてで、すごく不安だったの。でも、ティースのおかげで、ちょっと安心した。ありがとね」

 

 これは皮肉と取るべきだろうか。……いや、この天使のような少女が皮肉なんて言うわけがない。ただ天然なだけだ。それはそれでだいぶ問題なような気もするが。というか、誰だよ猛獣の中の子猫なんて言ったのは。ヘタすりゃこの娘が一番の猛獣じゃないか。

 

「……あれ?」

 

 恐ろしい現実に魂が抜けかけていたティースだったが、ユーラが持つロッドに見覚えのあるブローチが付けられてあるのを見つけ、なんとか意識を繋ぎ止めた。扇状の海貝の貝殻にいくつものビーズをあしらったブローチで、一年前の誕生日にティースがプレゼントしたものだ。

 

「それ、使ってくれてるんだ」

 

 ユーラは「もちろん」と笑顔で言う。「すごく気に入ってる。いまじゃあたしのお守りだよ。ありがとうね、ティース」

 

「いやぁ、気に入ってもらえて、良かったよ」

 

 ティースは照れながら答えた。いざ戦闘となったらユーラはあのロッドで敵を殴るはずで、そうなったら貝殻のブローチなどあっさり割れてしまうだろうが、まあ、そういうことに気づかないところにも、なんとも言えないカワイイさがある……と思いたい。

 

 天然なのか悪意があるのか判らない笑みを浮かべていたユーラだったが、ふと何かを思い出した顔になった。「そう言えば、このブローチを貰った日、二人で、なんのために戦うのか? って話をしたよね」

 

「ああ、そうだったね」

 

 そのことはティースもよく覚えている。あの日、ユーラは自分が孤児であったことを告白し、イスカリオに仕官した日のことを話してくれたのだ。ドリストはユーラに一振りの剣を渡し、『お前は今、生きるも死ぬも自分で決められる自由を手に入れた。これからは、自分の身は自分で守れ』と言ったそうだ。ドリストの優しさに触れたユーラは、彼に尽くし、彼のために戦うと心に決めたという。ティースは、今でもこの話の意味が判らない。あの陛下のどこが優しいというのか。

 

「あの時、ティースの話が途中だったよね? ねぇ、ティースは、なんのために戦うの?」

 

 ティースは思わず声を上げそうになった。思い出した。あの日、ティースは「君のために戦う」と言おうとしていたのだ。それはすなわち、愛の告白である。いろいろあって告白は失敗に終わり、以来、ティースはユーラにふさわしい強い騎士となるべく修行を続けてきたのである。もはやそれはどうあがいても絶望のように思うが、それはそれとして、これは、一年ぶりの告白のチャンスである。

 

 ティースはごくりと喉を鳴らすと、心を決めた。

 

「お……俺が、戦うのは……」

 

「戦うのは?」

 

「俺が戦うのは……き……き……君の……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、二人のそばにイリアが立っていた。

 

「うわぁ!!」

 

 驚いて腰を抜かすティース。いつの間にそこに立っていたのか……というか、前もこのパターンで邪魔されたように思う。

 

「あ、イリアさん。おはようございます」

 

 前と同じく、ユーラは全く動じた様子も無く、ぺこりと頭を下げた。

 

「…………」

 

 イリアは、無言で会議室の出入口の方へ向かう。

 

「……ちぇ、なんだよ。挨拶くらいすればいいのに」ティースはお尻の埃をはらいながら言った。これでは、二人の邪魔をしに来たとしか思えない。

 

「そんなこと言わないの」とユーラ。「イリアさん、恥ずかしがりやさんなのよ」

 

 イリアに関してはそんなレベルではないと思うが、そうと信じているユーラの純粋さはカワイイ、と思うティースだった。

 

「でも――」と、ユーラはイリアの背中を見つめる「なんでイリアさんがここにいるんだろ? 陛下と一緒に、ターラ攻めに行ったと思ったのに」

 

「きっと、俺たち二人で城を守るのは不安だから、陛下が命令したんだよ。じゃないと、イリアさんが陛下のそばを離れるわけがないし」

 

「そっか……陛下もイリアさんも、優しいね」

 

 優しいかどうかは判らないが、それでも、彼女がいればひとまず安心だ。イリアは強力無比な槍騎士であり、先日帝国四鬼将である剣聖エスクラドスと痛み分けの戦いをしたほどである。エスクラドスは大陸一の剣士と名高い騎士で、今回のいくさでも、ノルガルドの白狼王ヴェイナードや、滅亡した西アルメキアの百戦のゲライントを退けるなど、多くの戦果をあげていた。そんなエスクラドスが、孫ほども歳の離れた小娘と引き分けたのである。この話は瞬く間に大陸中に広がり、今やイリアは列国が注目する騎士となっていた。もしかしたら、ノルガルドもビビッて攻めてこないかもしれない――などと思ったティースだったが、そんな淡い期待はすぐに裏切られた。

 

「……敵だ」

 

 出入口のドアを開けたイリアが、ぼそりと言った。

 

「え!? 敵!?」

 

 ティースは慌てて会議室を出て、バルコニーから外を見た。北西のウィズリンド方面に、ノルガルドの旗を掲げた部隊が整列している。恐れていた事態になった。ユーラがメチャクチャ強くなっている上にイリアやバハムートもいるから戦力的な不安は無くなったが、これでは、まるでティース自身が防衛の数合わせのようである。いやそれはもはや疑いようもない事実ではあるが、それでも、愛しのユーラに無様な姿は見せられない。どうにかして敵将の一人でも倒さなければカッコがつかない。

 

 ――神様! どうか相手が俺よりも弱いヤツでありますように!

 

 ティースは思わず手を合わせて祈った。

 

「ドリスト様の言う通り戦えば、大丈夫。きっと、ドリスト様が守って下さる」

 

 会議室から出てきたユーラは、敵に脅えた様子も無く言う。まあ、あれほど強力な魔法とモンスターがあれば、並大抵の敵は恐れるに足りないだろうが。

 

「……いい顔だ」

 

 静かな口調で、イリアが言った。

 

「……え?」と訊き返すティース。

 

「怯えと決意……感情とは美しい」

 

 なに言ってるんだこの人は? と、ティースは首をかしげる。

 

「なんであろうと、陛下の敵は倒すのみ」

 

 イリアがそう言うと、ユーラは「はい。お願いします、イリアさん」と、またぺこりと頭を下げた。

 

「ところでイリアさん、戦義はどうしますか?」ユーラが続けて言う。

 

「戦義……陛下がよくやっているヤツか」

 

「はい。どちらかが希望して、相手方も応じれば、戦いの前にお話しすることができます」

 

「…………」

 

 無言のイリアに変わり、ティースが言う。「ユーラ、イリアさんが戦義なんてするはず――」

 

「……やってみよう」

 

 イリアの返事に、ティースは思わず「やるの!?」と叫ぶ。

 

「判りました。それでは、先方に連絡してきます」

 

 スタスタと走って行くユーラ。なんだかおかしなことになってきた。もっとも、戦義はなんらかの因縁がある者同士で行うものである。他国にイリアと因縁がある騎士がいるとも思えないので、どうせ向こうが応じないだろう。と、思っていたら。

 

「先方も応じるそうです」

 

 戻って来たユーラは、メモを取り出して言った。「相手は、ディラードさんという騎士ですね」

 

「……行って来る」

 

 そのまま一人で向かおうとするイリアに、「あ、俺も行きます!」と言って、ティースは後を追う。敵がどんなヤツか見るチャンスだし、なにより、イリア一人を行かせるのはなんだか不安だ。

 

 二人は城を出て、敵軍が控える北西へ向かった。グルーム城はすぐ南に川が流れているが、北はただ草原が広がるだけである。城と敵軍のちょうど真ん中あたりで、二人は敵騎士と対峙する。短髪で細身の男だった。武器は持っておらず、鎧も身に付けていない。格闘用の胴着の上にマントを羽織っているだけの軽装だ。肌は露出していないが、その内に細身ながら引き締まった肉体が想像できる。素手で戦う拳闘士という騎士だろう。残念ながら、ティースより弱そうには見えない。

 

 イリアが、相手騎士の前に立った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人はしばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて、同時に背を向け、元の場所に戻り始めた。

 

 いやなんか言えよ! と、ティースは心の中でツッコんだ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一一九話 カイ 聖王暦二一六年十二月上 イスカリオ/ソールズベリー

 イスカリオ領ソールズベリーの城を臨む平原で、カーレオンの賢王カイは広く展開した各部隊に手早く指示を出していた。ソールズベリーはもともとエストレガレス帝国の南の玄関口であり、イスカリオやカーレオンと繋がる交通の要衝であった。カーレオンが北の大陸中央部へ侵攻する際には制圧が不可欠な城であり、東や南へ侵攻する際も敵を牽制するために押さえておきたい重要拠点である。そして、それはカーレオンだけでなくイスカリオや帝国にとっても同じだ。ゆえに、開戦以降ソールズベリーは何度も激戦の地となっており、三国での奪い合いを繰り返していた。

 

 カーレオン領ハーヴェリーからソールズベリーへ繋がる街道には、東側に小さな森林があるものの、あとは平地が広がっているだけの単純な地形だ。一年半前、賢王カイは部隊を率いてソールズベリーへ侵攻し、一度帝国から奪い取ったことがある。そのため、この地における戦い方は心得ていた。街道の東の森林には拳闘士シュストを将とする部隊を配置している。この部隊には、森林での戦闘に適したマンドレイクやケンタウロスなどのモンスターなどを同行させた。西側は、広範囲の攻撃魔法を得意とする魔術師シェラを将とし、ブレス攻撃が行えるドラゴンやヘルハウンドなどを中心に部隊編成を行った。前回帝国に勝利した時と同じ戦法だ。ただ、あの時は帝国側の騎士がまだ無名の騎士であり、開戦直後の混乱した時期で部隊編成が整っておらず、相手は早々に撤退したのだ。今回は、そうはいかないであろう。現在ソールズベリーを占領しているのは帝国ではなくイスカリオだ。好戦的な騎士が多く、戦力もこちらと同等。戦わずに撤退する可能性は低い。

 

「――シェラさんの部隊に、もう少し西へ動くように伝えて。シュストの方はそのままでいい。僕たちは、少し西へ部隊を広げよう。

 

 カイは、伝令の兵に素早く指示を飛ばした。伝令兵はそれぞれの部隊に指示を伝えに行ったが、カイの部隊で副官を務める兵が、「恐れながら陛下」と、そばに跪いた。「これ以上部隊を横に広げると、正面の兵が少なくなります。敵に一点突破されては危険です」

 

「大丈夫だよ」と、カイは落ち着いた口調で言った。「これも、作戦のひとつだから」

 

「しかし、それでは陛下が――」

 

 王の身を案じる副官の背後で、「敵襲!!」と、声が上がった。前衛にいた兵が一人駆けて来て、カイの前に跪いた。「報告します! イスカリオの部隊が城から打って出て、こちらへまっすぐ向かっております! 敵将はバイデマギスという名の騎士です!」

 

 カイは各国に仕官している騎士を概ね把握している。バイデマギスは大陸でも屈指の腕力を持つと噂される騎士で、狂戦士の二つ名で呼ばれている。クセモノ揃いのイスカリオの騎士の中にあってそのような異名をつけられる辺り、その戦い方は容易に想像ができた。

 

「すぐに前線を固めましょう!」副官が叫ぶように提案する。「陛下は、シュスト殿かシェラ殿の部隊の方へ移動を!」

 

 だが、カイは表情を変えることなく言う。「いや、このままでいい。むしろ、前線の兵には無理に敵を止めなくてもいいと伝えるんだ。代わりに、僕のモンスターが相手をするから」

 

「は? しかし、()()では……」

 

 心配そうな顔でカイの率いるモンスターを見る副官。今回の戦いのためにカイが召喚したモンスターは、グールやギガスコーピオンといったモンスターだった。どちらも最低レベルの強さしかない。

 

「大丈夫。僕を信じて」

 

 カイの指示通り、前線の兵は敵部隊に道を明け渡す形で横に広がり、代わりにグールたちモンスターが壁をつくるように戦列を組んだ。

 

 だが、次の瞬間には、その戦列が弾き飛ばされた。

 

「がーっはッはッは! この俺を相手に、随分と貧弱な壁をつくったモンだな! 俺の力をもってすれば、この程度の壁をブチ破るのは、ワケないぜ!!」

 

 現れた男は大口を開けて笑う。敵将バイデマギスで間違いないだろう。カイが本人と対面するのはこれが初めてだが、想像していた通り、見るからに悩みの少なそうな人物である。

 

「お前が大将か?」バイデマギスはグールを弾き飛ばした斧を肩に乗せ、値踏みするような目をカイに向けた。「随分とあおっちょろいヤツだ。そんなんで、俺の力に耐えられるかな?」

 

「まあ、力では、君に勝てないだろうね」

 

「がーっはっはっは! 素直なヤツだ。まあ、この大陸で、俺より力のあるヤツはいねぇからな!」

 

 腕に力こぶをつくってアピールするバイデマギス。確かにその筋肉は、これまでカイが見てきたどの騎士よりも鍛え上げられている。

 

 バイデマギスは得意げに言う。「戦場では力こそパワー! つまり、戦場で俺に敵うヤツはいないってことだ!!」

 

 バイデマギスの言うことに、カイはフフッと笑った。「力こそパワーか。確かに、君の言う通りだね」

 

 皮肉で言ったのだが、もちろん、相手には通用しない。「だろう? ま、ケガをしたくなかったら、さっさと負けを認めるんだな!」

 

「そうはいかないよ。僕には僕なりの勝算があるからね」

 

 落ち着いた口調で言うカイに対し、バイデマギスは歯を剥いて笑った。「おもしれぇ。なら、その勝算とやらを見せてもらおうじゃねぇか。テメェがどんな小賢(こざか)しいことを考えようと、圧倒的な力の前には無意味だぜぇ!!」

 

 バイデマギスが、大斧を振りかざして突進して来る。

 

 カイは、やれやれと肩をすくめた。どうやらこちらが考えていた以上に頭の中まで筋肉な男のようだ。この場に誘いこまれたことに、全く気がついていない。

 

 敵軍の情報は事前に調べてあった。ソールズベリーを守る部隊の総大将がバイデマギスであると知り、カイは、中央に自身の部隊を置いて横に広く展開すれば、敵は一点突破を狙って突撃して来るであろうと予想していたのだ。実際、思い描いていた以上にうまくいった。誘い出されていることを相手に悟らせないよう最低限のモンスターで迎え撃ったが、それさえも必要なかったかもしれない。

 

 バイデマギスは、圧倒的な力の前に策は無意味だ、と言った。確かにそういう面もあるかもしれないが、今は違う。むしろ逆であり、どんなに身体を鍛えようと魔法の前では無意味なのだ。魔法から身を守るのに必要なのは筋力ではなく頭脳であり、バイデマギスには、それが圧倒的に欠けている。

 

 カイは右手を高く掲げると、大陸最低レベルの知能の生物に、大陸最強と名高い魔法の全てをぶつけた。

 

 

 

 

 

 

 それは、開戦以降大きな動きを見せなかった魔導国家カーレオンが、大陸へ打って出る大きな狼煙となる――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二〇話 クラレンス 聖王暦二一六年十二月上 エストレガレス帝国/ベイドンヒル

 賢王カイが狂戦士バイデマギスと激闘を繰り広げている同時刻、国の反対側、スクエストの北にある帝国領ベイドンヒルにおいても、カーレオンとエストレガレス帝国の戦闘が始まろうとしていた。

 

 カーレオンの部隊を率いるのは、ナイトマスター・ディナダンだ。剣聖エスクラドスと並び大陸一の剣士と噂されるもう一人の男であり、戦いにおいては賢王カイが最も信頼を寄せる騎士である。これに、先日仕官したばかりの女魔術師カルロータが同行することになった。ベイドンヒルより北の拠点は元々西アルメキアの領地であり、かつて西アルメキアの騎士だったカルロータは各拠点の事情に詳しいからだ。

 

 当初はここに宰相ボアルテの部下の神官が一人同行する予定であったが、この戦いに強く志願した者がいたため、入れ替わりでその者が参戦することとなった。旧アルメキアで神官騎士団に属していたクラレンスである。

 

 スクエストからベイドンヒルへ侵攻する途中には大きな森があり、そこを迂回して侵攻するのが基本戦術だ。迂回するルートは二種類ある。森の南西側から回り込むルートと、北東側から回り込むルートだ。南西側には平地が広がっているため進軍は容易だが、北東側はすぐ北に小高い丘があり、森とはさまれる狭地になるため、防衛側に待ち伏せされる危険性が高い。部隊を二手に分けてそれぞれのルートから進軍するか、待ち伏せされる危険は冒さず、全軍南西周りで進軍するか――ふたつの作戦を前に、クラレンスは二手に分かれる作戦を支持し、そして、自身の部隊が危険な北東方面から進軍することを申し出た。神官騎士であるクラレンスは、鎧と盾の重装備に加えて回復の魔法を使うことができる。その防御力の高さで敵を南東方面に引きつけている隙に、ディナダンとカルロータの部隊で城を落とす作戦だった。

 

 戦いが始まり、クラレンスは予定通り森の北東周りで部隊を進めた。そして、森と丘にはさまれた狭地に差し掛かったとき、丘の上に陣取る敵部隊を発見した。案の定、敵はこの地で待ち伏せしていたのだ。

 

 ここまでは予想通りだった。後は、敵の攻撃に耐え続け、ディナダンらが城を落とすのを待てばいい。

 

 しかし、予想外のことが起きた。丘の上に陣取った敵部隊は、クラレンスが進軍しても、全く動きを見せなかったのである。

 

 クラレンスは戸惑いを隠せなかった。敵の意図が判らないのだ。待ち伏せしているからにはこちらの不意を衝いて強襲しなければ意味が無いはずだが、敵は最初から姿を見せ、その上攻撃してくる気配も無い。まるで、クラレンスの部隊が通り過ぎるのを待っているかのようだ。通り過ぎたところを背後から攻撃するつもりだろうか? そうだとしても、最初から姿を見せていては意味が無いだろう。クラレンスの役割は敵の部隊をこの地に引きつけておくことだ。敵に背後を衝かれる危険を犯して進軍する必要は無く、敵部隊が動かないのであれば、ただ睨み合っているだけで事足りる。敵将は、そんなことも判らないのだろうか?

 

 ――いや。

 

 不意に、クラレンスは敵部隊の意図に思い当たった。敵将は、最初からこの地の防衛を諦めているのではないか。そのため、城から離れた丘の上に陣を敷き、いつでも撤退できる準備をしているのだ。もちろん、それは城で戦う味方の部隊を見捨てるのと同じだ。騎士としては恥ずべき行為である。だが、今の帝国には、そのような恥ずべき行為でも、平気で行う騎士がいる。

 

「……パラドゥール、お前か!?」

 

 憎き男の名を口にする。丘の下からでは敵将の姿は見えないが、その可能性は極めて高いであろう。

 

 パラドゥールは、ゼメキスのクーデターにより滅びた旧アルメキアで、クラレンスと同じ神官騎士団に属していた男である。ゼメキスのクーデターの前夜、神官騎士団は、ゼメキス側につくかアルメキア側につくかの判断をしかねていたが、パラドゥールの説得により、ゼメキス側についたのだ。パラドゥールは、ゼメキスのクーデターは祖国への反乱ではなく、腐敗しきった王宮の佞臣(ねいしん)どもを一掃し、アルメキアを生まれ変わらせるための戦いだ、と説いた。クラレンスはその言葉を信じ、王ヘンギストの近衛兵団や王太子ランスの親衛隊と戦ったのだ。しかし、戦いが終わるとアルメキアは滅び、ゼメキスが王となって、国はエストレガレス帝国と名を変えた。パラドゥールに利用されていたと悟ったクラレンスは神官騎士団を去り、しばらく故郷で酒に溺れる日々を送っていたが、カーレオンの騎士ミリアの説得により、再び剣を取ったのである。

 

 クラレンスは丘の上の敵軍に向かって兵を向けた。高地に陣取る敵を低地から攻めるのは大きなリスクを伴う。今の状況を考えるとこちらから攻める必要は無いが、それでも、憎むべき相手を前に、足を止めているわけにはいかなかった。そもそもクラレンスがこの帝国との戦いに強く志願したのは、パラドゥールを見つけ出すためなのだから。

 

 動きを見せなかった敵部隊も、攻められたならば戦わないわけにはいかない。高地の利を活かした敵部隊の攻撃は、クラレンスの部隊に少なからず被害を与えたが、クラレンスは自ら先頭に立ち、傷つくことを厭わず敵陣を突破した。そして、一時(いっとき)後には、敵将と対峙したのである。

 

 

 

 

 

 

「――パラドゥール! やはり貴様だったか!!」

 

 敵陣を突破し、敵将と対峙したクラレンスは、相手が予想した通りの相手だったことに、怒りを隠さず叫んだ。クーデターの際は仲間を利用し、今回は仲間を見捨てるような戦いをする。許し難い男であった。

 

 対するパラドゥールは、クラレンスの怒りをいなすように鼻で笑った。「ふふん、誰かと思えばクラレンスか。神官騎士団を去って家で呑んだくれていると聞いたが、まさかこのような場所で遭うとはな」

 

 挑発的な笑みを浮かべるパラドゥールにさらなる怒りが湧きあがる。だが、ここで心を乱すわけにはいかない。パラドゥールは、騎士としての実力は凡庸以下であるが、自分の身を守るためならばどのような卑怯な手段でも使う男だ。何かを企んでいてもおかしくはない。ここで挑発に乗れば、相手の思うつぼになりかねない。

 

 クラレンスは一度大きく息をつき、そして言った。「貴様のせいで多くの命が失われた。その罪、贖ってもらうぞ」

 

「罪? 私がなんの罪を犯したというのだ?」

 

「我ら神官騎士団を扇動し、クーデターに加担させた罪だ」

 

 とぼけたように言うパラドゥールに、クラレンスは剣先を向けた。アルメキア神官騎士時代から使っている剣である。剣と槌矛が交わった紋章の刻印が施されたその剣は、クラレンスが酒に溺れていた頃も、手入れを欠かしたことはなかった。それは、神官騎士団を去った後も騎士でありたい自分の胸の内の表れであったのかもしれない。

 

「私が神官騎士団を扇動した?」心外だ、と言わんばかりの顔をするパラドゥール。「私は、ゼメキス閣下のクーデターは祖国への反乱ではなく、アルメキアを生まれ変わらせるための戦いだ、と言っただけだ。実際、アルメキアを腐敗させた佞臣どもは一掃され、国は生まれ変わったではないか」

 

「そのためにどれだけの命が犠牲になったと思っている!?」

 

「国が生まれ変わるのに犠牲を払うのはやむを得ぬだろう。それに、騙されたなどと抜かしているのはお前だけだ。他の連中は、今でもゼメキス陛下の大義のために戦い続けているぞ。個人的な恨みで他国に寝返った貴様とは大違いだ」

 

「個人的な恨みだと?」

 

「そうではないか。お前は、俺に利用されたと思い込み、ただそれが悔しいだけであろう」

 

「違う! 私はアルメキアの復興のために剣を振るうのだ!」

 

「アルメキアの復興だと? 貴様は、あの腐敗しきった国を復興させようと言うのか?」

 

「…………!?」

 

 クラレンスは言葉を失った。腐敗しきった国――かつてのアルメキアがそうであったことは、クラレンスにも否定のしようがない。

 

 クラレンスが言葉を失ったのを見て、パラドゥールはここを攻めどころと判断したかのように、さらに言葉を畳み掛ける。「民はそんなことは望んでおらぬ。皆ゼメキス陛下を支持している。民はアルメキアではなくエストレガレス帝国を選んだのだ。我らは民の思いに応えて戦っているのだ。個人的な恨みで戦う貴様と違ってな!」

 

 個人的な恨み――それは決して違う、と反論しなければならないが、どうしても言葉が出てこない。騎士不足の帝国において、多くの民が志願兵となって戦場へおもむいているという話は、クラレンスも耳にしていた。民はエストレガレス帝国を選んだ――それを否定することが、いまのクラレンスにはできない。

 

 その時、丘の南西に建つベイドンヒルの城から歓声が上がった。見ると、城のあちこちにカーレオンの旗が立っている。ディナダンらが城を制圧したのだ。

 

「城が落ちたか……早いな。さすがはナイトマスターといったところか」

 

 パラドゥールは唇をかむと、「仕方がない。全軍撤退! ファザードまで下がるぞ!」と、部隊に命令し、自らも下がり始めた。

 

「待て! 貴様、逃げるつもりか!」

 

 クラレンスの言葉に、パラドゥールは振り返り、当然ではないかと言わんばかりの顔で笑った。「ここは所詮他国の領地、死守は命じられておらぬし、貴様ごときの首を取ったところでたいした手柄にもならん。私はくだらぬ逆恨みで剣を振るう貴様と違い、大いなる野望があるのだ。貴様ごとに構っているヒマはないのだよ」

 

「野望だと?」

 

「そうだ。私は一騎士で終わるつもりはない。このいくさで手柄を上げ、この国に、私を教祖とする新たな宗教団体をつくるのだ」

 

「なんだと!?」

 

「その暁には、神官騎士団の連中に褒美を取らせねばな。何人か衛兵として雇ってやっても良い。もちろん、すでに騎士団を去った貴様には、何も無いがな」

 

 パラドゥールは声を上げて笑いながら、クラレンスの前から去って行った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二一話 アルスター 聖王暦二一六年一月下 イスカリオ/カエルセント

 イスカリオは、フォルセナ大陸でも独特の文化や風習がある国だが、数年前に狂王ドリストが即位したことで、そこにますます拍車がかかった。貴族制度の廃止や魔法使用禁止令、天下一超人魔界統一オリンピック武闘会トーナメントの開催など、王の気まぐれによる法や制度の改正・国主催のイベントなどが、頻繁に行われている。そんな王に振り回される民は気の毒だ……と、他国では思われがちだが、実のところ、イスカリオの民のほとんどはドリストの政治を支持していた。無論、支持しなければ死刑という法が制定されているのが大きな理由ではあるのだが、元々イスカリオにはこういったバカ騒ぎを楽しむ国民性があったのではないか、と、分析する研究者もいる。

 

 そんなイスカリオで、ドリスト即位後に定められた制度のひとつに、一月下旬の『墓参りの日』というのがある。この日、イスカリオは祝日となり、国民全員に先祖や家族の墓参りをすることが義務付けられているのだ。他国でも、時期に違いはあれど似たような風習はあるが、国が法で定めているのは異例のことである。そして、それは戦争状態の現在でも例外ではなく、この節だけは戦闘行為の一切が許されていないのだ。イスカリオは、ここ数ヶ月の間にノルガルド侵攻やソールズベリー陥落など他国と激戦を繰り広げてきたが、それらはすべて一旦放棄し、まさに国を挙げてお墓参りをするのだった。

 

 イスカリオの王都カエルセントにあるセントカエル寺院は、国内で最も大きな宗教施設であり、歴代の王やその忠臣たちが眠る墓所でもあった。死刑囚アルスターは墓地の片隅のそのまた片隅にある小さなお墓の前にぬかずき、ご先祖様にこの一年の国の状況を報告していた。現在は死刑囚となってしまったアルスターも、元は古くからイスカリオに仕える文官の家系だ。ご先祖様は、いまの国の状態を嘆いているだろうか? それとも、虐げられてもなお王に尽くす自分を誉めてくれるだろうか? 判らないが、これからも国のため、身を粉にして働くことを誓った。

 

 墓参りを終え、アルスターは主君の元へ向かう。ドリストは、この墓地の最も奥まった場所にある歴代の王が眠る墓所に、イリアと二人でいるはずだ。

 

 下級文官の墓が並ぶ区画を出て、王族の墓所へ向かう参道を歩いていると、いきなり、背中にとてつもなく強い衝撃を受け、アルスターはものすごい勢いで吹っ飛ばされた。

 

「がーっはっはっはー!! あんちゃん! 墓参りとは感心だな!!」

 

 静かな墓所に豪快な笑い声が響き渡る。アルスターが大きく咳き込みながら振り返ると、狂戦士バイデマギスが大口を開けて笑っていた。

 

「バイデマギス殿、いきなり背中を叩かないでください。あなたのバカ力は、ブロンズゴーレムだって統魔範囲外に吹っ飛んで行くんですから」

 

「お? そうか? すまんすまん。がーっはっはっは!」

 

 まったく反省の色も無く、バイデマギスはまた笑い声をあげた。

 

「ま、この脳ミソ筋肉男に加減をしろというのも、ムリな話でしょうな」

 

 大柄なバイデマギスの後ろから死刑囚キャムデンが現れ、ちょび髭をいじりながらそう言った。

 

 さらに、女魔術師のヴィクトリアも現れ、「皆さん静かにしなさいな」と、呆れ口調で言った。「ここは、神聖なる場所ですよ? まったく、この国の男どもときたら、本当に節度をわきまえませんわね」

 

「これは皆さんお揃いで」アルスターはなんとか呼吸を整えて立ち上がった。「しかし、キャムデン殿はともかく、お二人はなぜここに?」

 

 キャムデンはアルスターと同じく文官の家系なのでここに墓参りに来るのは判るが、バイデマギスとヴィクトリアの先祖の墓はここには無いだろう。バイデマギスはドリスト即位後に仕官して来たので元はこの国の騎士ではないし、ヴィクトリアはイスカリオ出身だが、今は廃止された地方貴族の出身だと聞いている。墓は、ここには無いだろう。

 

「がーっはっはっは! 俺に家族はいねぇからな! 親兄弟生きているのかどうかも判らんし、先祖の墓もどこにあるのか判らん! ギャロたちも故郷に帰っちまってヒマだからな! 来てやったんだ!」

 

 悲しい身の上話を大笑いしながら話すバイデマギス。本当にこの男には悩みというものが無いようだ。

 

「動物園のゴリラの檻でも参って来なさいな、まったく」と、ヴィクトリアは髪をかき上げて言った。「わたくしは、このあと実家に帰る予定ですわ。ただ、王家の墓所が開かれる日はめったにないですからね。この機会に、陛下のご先祖様にご挨拶をと思いまして」

 

 ヴィクトリアは大きな花束を取り出した。先日ドリストの秘密を暴露しようとして怒りを買ってしまったため、ご機嫌取りをしようという魂胆だろう。

 

 ということで、四人でドリストの元へ向かう。参道を進むと、大柄なバイデマギスの三倍の高さがありそうな鉄格子製の門があり、そこが、歴代王が眠る墓所だ。ヴィクトリアの言う通り、この門が開かれることはめったになく、アルスターも訪れるのは初めてだった。

 

 門をくぐると、アルスターの先祖の墓とは比べ物にならないほどの大きくて立派な墓石が並んでいた。先代の王や先々代の王はもちろん、もはや歴史の教科書に登場するような古い王の墓もあり、墓碑には、彼らの名と共に、生い立ちや成し遂げた偉業も刻まれてある。それらひとつひとつが見事な墓なのだが、この墓所のさらに奥には、それをはるかに上回る大きな墓があった。

 

「……こ……これは……?」

 

 その墓を見て、アルスターは思わず息を飲んだ。高さはゆうに十五メートルを超えるだろう。そばに立つと圧倒されるほどの大きさで、もはや墓ではなく塔と言った方がよい大きさだ。表面には、イスカリオの神話に登場する神々や天使の姿が彫り込まれている。そのひとつひとつが、ひと目で高名な芸術家の作品であると判るほど素晴らしい出来栄えだ。

 

 ドリストはその墓の前で跪いて祈りをささげており、その側にイリアが立っていた。

 

 祈りを終えたドリストが立ち上がり、振り向いた。「あぁん? お前らか。墓参りは終わったのか? ご先祖様があってこそ、いま我々がこうして生きていられるのだからな。しっかりと感謝の気持ちを伝えておけよ」

 

「いやーさすがは陛下!」と、キャムデンがさっそく揉み手をしながらヨイショする。「ご先祖様を大切にするそのお心、誠に感服いたします。それにしても、これはまた立派なお墓ですねぇ。陛下同様、見る者を感動させるほどの美しさです」

 

「しかし――」と、アルスター。「これは、どなたのお墓なのです?」

 

 その墓は見た目からしてかなり新しく、少なくとも数年以内に建てられたものであろう。近年崩御された王族といえばドリストの父にあたる先代のイスカリオ王だが、彼の墓は墓所の入口のそばに建っていた。古くなった歴代王の墓を建て替えたのだろうか? それは良いことではあるが、正直ドリストにそんな殊勝な心があるとは思えない。

 

「あぁ? この墓か」ドリストは何かを企むような笑みを浮かべると、不意に、「オメーら、犬は好きか?」と訊いてきた。

 

「はい? 犬ですか?」質問の意図が判らないが、ヘタに聞き返すとすぐにとび蹴りが飛んでくるので、アルスターは「私は、まあ好きな方です」と答えた。

 

「わたくしは大好きですわ」と、ヴィクトリアが答えた「実家では、トイプードルと豆柴を飼っておりますのよ?」

 

「私は、どうもニガテですな」今度はキャムデンが答えた。「あの、強者に尻尾を振って媚びへつらう姿が、私とは相容れません」

 

「俺は大好きですぜ!」バイデマギスも答える。「丸焼きにすると最高だ! 犬もアヒルも、焼いて食うに限るからな!」

 

 キャムデンとヴィクトリアが、汚い物を見る眼差しを向けた。

 

「あん? なんだ? なんかおかしなことを言ったか?」

 

「いえ……ただ、我々文明人の理解が追いついていないだけです」キャムデンはやれやれと首を振った。

 

「……あなた、決してわたくしの実家には近づかないでくださいましね」ヴィクトリアは心底嫌悪する口調で言う。

 

「それで――」と、アルスターは王を見る。「結局、このお墓はどなたのお墓なのです?」

 

 ドリストの目が子供のように輝いた。「これはな、オレ様が子供の頃飼っていた犬の墓だ」

 

「犬ですと!?」まったく予想していなかった答えに、思わずアルスターは声を上げる。「ペットのために、こんな大きな墓を建てたのですか!? ぐべぇ!!」

 

 次の瞬間、アルスターのあごにドリストのとび蹴りが炸裂した。

 

「ペットじゃねぇ家族の一員だ! アイツはな、王位継承者という不幸の星の元に生まれた俺様の孤独を、唯一癒してくれる存在だったのだ」

 

「しかし、犬のために先王様よりも立派な墓を建てるなんて……まさか陛下、墓参りの日を制定したのも、犬のためだったのですか!? げべっ!!」

 

 さらにとび蹴りが飛んでくる。「あたりめーだろうが! オレ様とアイツは、きょうだい同然に育ったのだからなぁ。盛大に弔ってやるのが、兄の務めというモンだろ!!」

 

「さすがですわ陛下」ヴィクトリアが、キャムデンにも負けないほどの揉み手で言う。「わたくしも、実家のプーちゃんとマメちゃんは家族同然。お別れするときのことなど考えたくもないですが、それは決して避けられぬこと。いずれそのときが来たら、わたくしも誠心誠意お弔いしますわ」

 

「しかし」と、またアルスター。「犬の墓を建てるために、一体どれだけの国家予算を使われたのです? 祝日を制定するのだって、多くの者が大変な思いをして準備しましたし――げぶれぇ!!」

 

「細かいことにうるせーんだよテメェは! ここはオレ様の国だ! オレ様の金をオレ様がどう使おうが自由だし、オレ様の下僕がオレ様のために働くのは当然だろうが!!」

 

 とび蹴りの3連コンボを喰らってダウンしたアルスターに、ドリストはさらなるコンボを繋げようとしたが。

 

「……名前」

 

 ずっと無言で墓を見上げていたイリアが、ぽつりと言った。

 

「――はい? なんですか、イリアさん」

 

 アルスターが問うと、イリアは。

 

「名前が、無い」

 

 実に簡潔な口調で言う。

 

 言われてアルスターも墓を見るが、確かにイリアの言う通りだった。歴代の王の墓には名前やその生い立ちなどが刻まれていたが、この墓にはそれらのものが無い。もちろん犬だから刻むような生い立ちが無いのかもしれないが、名前も無いというのは少々不自然だった。

 

「そう言えば、名前を聞いておりませんでしたね」これ以上蹴られてはたまらないので、アルスターは話題を変えることにした。「陛下のぺッ……ご兄弟同然にお育ちになったお犬様のお名前は、何とおっしゃるのですか?」

 

「あぁ、名前か……」なぜか困ったような顔になるドリスト。

 

「ええ、名前です」

 

「名前はなぁ……」

 

「名前は?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「名前は、ちゃんとオレ様の胸に刻んであるんだよ! それより! 墓参りが終わったら、戦闘再開だ! オメーら! 気合入れていけよ!!」

 

「がーっはっはっは! 待ってましたぜお頭!」

 

「いよいよフォルセナ最強の男が戦場へ戻る時が来ましたな!」

 

「……陛下の敵は、倒す」

 

 ドリストはバイデマギスとキャムデンとイリアを連れ、墓所を出て行った。

 

「……陛下のことだ、きっと、犬の名を忘れたんだろう」

 

 走り去る王の背を見ながら、アルスターはそう確信した。

 

「……おや?」

 

 気がつくと。

 

 ヴィクトリアは、持参した花束を墓前に供えていた。

 

 そして、目を閉じ、手を合わせ、祈りをささげる。

 

「ヴィクトリア殿、陛下とご一緒に行かれなくて良いのですか?」

 

 アルスターが問い掛けても、ヴィクトリアは応えず、ただ一心に祈りをささげ続ける。

 

 突然、野球ボールほどの石が飛んできて、アルスターの頭を直撃した。

 

「――なにしてやがるアルスター! テメェもさっさと来い!!」

 

 墓所の外からドリストの声が響いたので、アルスターは仕方なくヴィクトリアを残し、王の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二二話 カストール 聖王暦二一七年一月下 イスカリオ/ランド家

 ランド三兄妹の次男カストールは、故郷イスカリオの生家へ戻っていた。この日、イスカリオでは墓参りの日と制定されており、国民全員に先祖や家族の墓参りをすることが法で義務付けられているのだ。といっても、カストールは現在エストレガレス帝国の騎士なので、イスカリオの法に従う必要はない。加えて、帝国は慢性的な騎士不足であり、新米騎士一人欠けることさえ大きな痛手となりかねない。それでも、カストールはこの日故郷へ帰ってきた。妹のリゲルから手紙を貰ったからだ。

 

 その手紙によると、現在リゲルはイスカリオの騎士となっているという。西アルメキア滅亡後、常々リゲルのことを心配していたカストールだったから、新たな仕官先が見つかったことには安心した。しかし、ランド家の兄妹三人は、失われた家名を取り戻すためにそれぞれ別の国に属し、悲願を果たすまで決して故郷には戻らないと誓ったはずだ。なのに、リゲルはいまイスカリオにいる。イスカリオには、長男のミゲルが仕官しており、誓いは彼が言い出したことだ。兄は、リゲルがイスカリオへ戻ることを認めたのだろうか。手紙には、カストールも一度家に帰って来て欲しいともあった。その理由までは書かれていなかったが、帰らなければならない予感がした。だから、仲間に無理を言ってまで帰って来たのである。

 

 生家の門を開けたカストールは、すぐにその異変に気がついた。屋敷が奇麗なのだ。彼が前に帰って来たのは二年ほど前の父の命日で、長い間ひとの住まなかった屋敷は、庭の雑草はのび、家の外壁や窓も汚れ、荒れ放題だった。そのときは、父の遺影がある書斎と台所を掃除したくらいで、屋敷の外までは手が回らなかった。それが、今は庭の手入がされていて雑草ひとつ生えていないし、屋敷の外装や窓にも目立った汚れは無い。最近兄妹の誰かが帰ってきて手入れをした――というだけではないだろう。人が住み、定期的に手入れをしないと、ここまで奇麗にはならないはずだ。

 

 カストールは玄関を開け、屋敷内に入った。中も同様に掃除されてある。カストールが、ただいま、と言うべきか迷っていると。

 

「カストール兄さん?」

 

 玄関が開く音を聞いたのだろう。懐かしい声とともに、リビングから妹のリゲルが出てきた。カストールの姿を見ると、「お帰りなさい、カストール兄さん!」と、笑顔で抱きついてきた。

 

「ただいまリゲル。熱烈な歓迎だな」二年ぶりの妹との再開に、カストールも心からの笑みを浮かべた。

 

 しかし、続いて現れた兄の姿を見て、その顔に微妙な苦みが混じる。

 

「カストール、よく戻って来てくれた」兄ミゲルは、リゲルとは違い笑みのひとつも浮かべず迎えた。

 

「兄貴……久しぶりだな。なんでここにいるんだ? 家名を復興するまで、ここには戻らないんじゃなかったのか?」

 

 皮肉を込めて言うと、リゲルが、「カストール兄さん、その話は後で」と、二人をとりなすように言った。「とりあえず、父さんと母さんに、戻ったことを伝えて」

 

「……そうだな」

 

 カストールは頷くと、父と母の遺影に手を合わせるため、書斎へ向かった。

 

 

 

 

 

 

「――それで、どういうことなんだ?」

 

 両親の遺影に帰郷の報告を終え、リビングのソファに座ったカストールは、長テーブルを挟んで座るミゲルとリゲルに言った。

 

「単刀直入に言う。カストール、イスカリオに戻って来い」

 

 ミゲルはカストールの目を真っ直ぐに見据えて言う。驚きはしない。恐らくそういうことであろうと予想していたのだ。だが、素直にそれを承諾するのも()だ。

 

「……なに言い出すんだよ。前と言ってたことが違うぜ?」

 

 また、皮肉を込めて言う。没落した家名を復興させるため、三兄妹それぞれ別の国へ仕官し、出世するまで決してこの家には戻らないと誓いを立てたのはミゲルだ。カストールもリゲルも、長兄の言葉に従い、国を離れそれぞれエストレガレス帝国とパドストーへ仕官したのだ。だが、妹リゲルは、口にこそ出さなかったが兄妹が離れて暮らすことを悲しんでいるように思えた。そんな妹を見ていると、カストールも、自分たちは誤った判断をしたのではないかと思うことがあった。それでも、兄の言葉を信じ、ランド家の家名復興のため帝国に身を置き戦い続けてきたのだ。なのに、今さら帰って来いなどと言われたら、皮肉のひとつも言いたくなるだろう。

 

 ミゲルは、カストールの言葉を正面から受け止め、「私が間違っていた。我ら兄妹は、離れ離れになる必要は無かったのだ」と、己の非を認めた。そして、「主君を裏切るのはつらいだろうが、戻って来てはくれまいか」と、頭まで下げた。

 

 カストールは、苦い笑みと共に息をついた。「ま、そんなことだろうと思ったけどな。頭の固い兄貴がここまできれいに意見を変えるんだから、よほどのことがあったんだろうな」

 

「そうだ。私は、戦場でリゲルに会った。このいくさが始まったときは、もし戦場で弟妹(きょうだい)と会うことがあっても、私情は捨て、家名復興のために戦う覚悟だった。しかし、実際に妹を前にすると、そんなことができるはずもない。ならば、と、私はリゲルに命を奉げることにしたのだ。私を倒すことでリゲルが出世すれば、家名復興の道も開けるからな」

 

「へっ、兄貴の考えそうなことだぜ」

 

「だが、それもできなかった。リゲルに、泣いて訴えられたのだ。兄妹が殺し合って、それで家名が復興したとしても、そんなことで父と母が喜ぶはずがない、と」

 

「リゲルが? そんなこと言ったのか」

 

 カストールは妹を見る。子どもの頃からおとなしい性格で、兄たちに対してケンカどころか口答えもわがままも言ったことがないリゲルが、泣いて兄に反抗するなど、考えられない姿だった。

 

「だって、仕方ないじゃない」リゲルは恥ずかしそうにうつむいた。「あたしは、ランド系の家名なんて途絶えてもいいから、また兄妹三人で暮らしたかったの」

 

「それで、リゲルが故郷へ戻ることになったのか。まあ、可愛い妹に泣きつかれたら、どうすることもできないよな」そう言った後、カストールは兄へ視線を戻した。「しかし、国を裏切れとは、簡単に言ってくれるぜ。エストレガレスじゃ、敵前逃亡は死罪だってこと、判って言ってるのか? 二人が帝国に来いよ。イスカリオじゃ、死刑は軽い罪なんだろ?」

 

 冗談めいた口調で言ったが、兄はにこりともせず、「それも考えた」と言い、そして続けた。「しかし、我ら三人が一緒に暮らすなら、やはりこの家しかないのだ」

 

「…………」

 

 この家には、三兄妹の思い出はもちろん、父と母の思い出も残っている。楽しかった思い出ばかりではない。父はカストールが一〇歳の時に亡くなり、ドリストが貴族制度を廃止したことで家名は没落、母もリゲルが成人して間もなく亡くなった。辛い思い出も多いが、それらも含めて、カストールが故郷と呼び、帰ってくる場所はこの家しかない。カストールとリゲルが国を出た後も、兄ミゲルがイスカリオに残ることで、この家だけは手放さずにすんだ。しかし、三兄妹全員がイスカリオを離れて帝国へ仕官すると、この家は手放すことになる。そして、仮に帝国が大陸制覇を成し遂げたとしても、そのとき再びこの家が自分たちのものになる保証は無い。それどころか、国を裏切った騎士の家ということで、すぐに焼き払われてしまう可能性だってある。

 

「カストール、たとえ刺客が放たれようと、陛下が必ず守って下さる。なにより、我ら三人で力を合わせれば、なにも恐れることはない」ミゲルは力強い言葉で訴えた。

 

「カストール兄さん、お願い」リゲルも、瞳を潤ませて訴える。

 

 カストールは大きくため息をつくと、呆れ口調で言った。「まったく……別れようと言ったかと思えば三人一緒に暮らそうと言い出す。兄貴も、もう少し深く考えてくれれば、最初から別れることなんてなかったんだがな」

 

「すまぬ……」

 

「今度は、ちゃんと考えて出した結論なんだろうな?」

 

「もちろんだ。今度こそ、我ら三兄妹は一緒だ。この誓いこそ、決して破られることはない」

 

 力強い声で言う兄の目を、カストールはじっと見つめる。

 

 いま思えば、「家名を取り戻すまで決して家には戻らない」という誓いを立てたとき、兄の目には、微妙な(かげ)りがあったように思う。胸の内では、大きな迷いがあったに違いない。それは同時にリゲルの胸にもあっただろう。もちろん、カストールにも。

 

 だが、今の兄の目には、一片の翳りも曇りも無い。その目に、その言葉に、その誓いに、迷いはないだろう。

 

 カストールは「判ったよ、俺も、この家に戻ることにする」と言って、顔をほころばせた。「帝国には、俺の代わりの騎士なんていくらでもいるが、この家には、俺の代わりなんていないからな」

 

「カストール兄さん!」

 

 リゲルがソファから立ち上がり、帰ってきたとき以上の勢いでカストールに抱きついた。

 

「カストール、感謝する」

 

 ミゲルも、そこに加わる。

 

 本当に久しぶりの、ランド家三兄妹の帰郷だった。

 

 しばらく喜びあった後、リゲルが「――じゃあ」と言った。「父さん母さんと、そして、ご先祖様に、ご報告に行きましょう」

 

 ミゲルが「そうだな」と同意する。今日、イスカリオは墓参りの日だ。遺影ではなく、父と母と先祖が眠る墓に、三人の帰郷を伝えなければならない。

 

「しかし、イスカリオは、本当に今節いくさをしないんだな」カストールが言った。「帝国は、この機に乗じてカーナボンを奪還しに来るぞ。他の国もそうなんじゃないのか?」

 

「カーレオンは我が国の意向を尊重し、一節の停戦に応じたそうだ。ノルガルドは返答がないから判らんがな」ミゲルが答えた。

 

「でも、お墓参りはいいことよ?」リゲルが言う。「いくさを中断してまで国民全員にお墓参りをさせるんだから、ドリスト陛下って、よほどご先祖様を大事に思っているのね」

 

「そうか? ただの気まぐれだろ?」妹にそう言った後、カストールは「どうなんだ、兄貴?」と、兄に意見を求めた。

 

「さあな、実を言うと、私にも、いまだに陛下の胸の内はよくわからん」

 

「なんだよそれ。ホントに大丈夫なのか、この国は? せっかく戻って来たのに、すぐに国が滅びたんじゃ、たまらないぜ」

 

「そうならぬよう、我らも力を合わせて戦うのだ。我ら三人が揃えば、どんな敵でも恐れることはない」

 

 ミゲルの言葉に、カストールは「三人揃うのに、随分と遠回りしちまったけどな」と肩をすくめる。

 

「でも――」とリゲルが言う。「ここまでの道のりが平坦でなかったからこそ、それを乗り越えたあたしたちの結束は、なににも勝るはずよ」

 

「そうだ」と。ミゲルが力強く頷く。「今こそ戦おう、大陸の平和を取り戻すため、そして、我々の未来のために」

 

 三兄妹は、新たな誓いを胸に、あらためて戦う決意をした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二三話 シェラ 聖王暦二一七年二月上 イスカリオ/ザナス

 墓参りの日を終え、停戦を申し出ていたイスカリオが再び戦闘を開始した。王ドリストはキラードール・イリアや死刑囚キャムデンらを引きつれノルガルド方面へ再侵攻し、狂戦士バイデマギスは相方の旅芸人騎士ギャロらとともに帝国領へと侵攻する。どちらもイスカリオの停戦要請には応じなかった国で、イスカリオが戦闘を停止している間にそれぞれ領土を奪い取っており、それを奪還するための戦いだった。

 

 そして、イスカリオの停戦に応じていたカーレオンもまた、停戦明けと同時に再び侵攻を開始する。前節、賢王カイの知略によりソールズベリーを制圧したカーレオンは、停戦中に部隊を再編成すると、女魔術師シェラを総大将とし、ザナスへ狙いを定め侵攻したのだった。

 

 ザナス城を臨む平原に、カーレオンの女魔術師シェラは一人立っていた。これから、戦闘前の戦義が行われるのである。戦義は基本的になんらかの因縁がある者同士で行うものだが、今回の相手は、ちょっとやそっとの因縁ではない。シェラにとって、間違いなくこの大陸で最も因縁深い相手である。

 

 ザナスの門が開き、相手側の騎士が出てきた。必要以上にとんがった派手な帽子と、イヤリングにネックレスにブレスレットにネイルにと全身アクセサリーで装飾し、顔には道化師か未開の地の蛮族かというほどの厚化粧をほどこし、なにより、まだかなり離れているにもかかわらず、フローレンスでフレグランスで爽やかで甘くて優しくてエレガントで透明感で魅惑的な……一言で言えばとにかくキツイ香水の匂いを漂わせている女。遠目にも、それが因縁の相手であることが判った。そして、当然相手もこちらが因縁の相手であることは判っているだろう。

 

 二人の女魔術師――カーレオンのシェラとイスカリオのヴィクトリアが対峙する。緊迫した空気が周囲を覆い始めた。戦義では、一切の戦闘行為が禁じられている。しかし、これから二人の間で行われるのは、まぎれもない戦いなのだ。

 

 先手を取ったのはシェラだった。

 

「あらあら? 誰かと思えば、旧アルメキアの魔導学校で落ちこぼれだったヴィクトリアさんじゃありませんの。あなた、イスカリオの騎士になってましたの? どうりで最近そちらの国から変なにおいが漂って来ると思いましたわ。相変わらず、香水の許容量というものを考えませんのね。そんなに体臭がキツイのかしら?」

 

 後手に回ったヴィクトリアだったが、動じることなく反撃に転じる。

 

「おーっほっほっほ。そちらこそ、誰かと思えばいい歳して賢王様の追っかけをしているシェラさんじゃないですか。あなたこそ、まだカーレオンにいましたの? そろそろ身の振り方を真剣に考えませんと、そんな()()()()()()()みたいなことしているうちに自身の婚期を逃しては、目も当てられませんわよ?」

 

「あーら、あなただってわたくしと変わらない歳なんですから、他人(ひと)のことを心配している余裕なんてないのではなくて?」

 

「おあいにく様。わたくしはあなたと違ってまだ二十代です。一緒にされちゃかないませんわ」

 

「二十代って、あたしと三つしかちがわないでしょうが。その程度の違いを持ち出してマウントを取ろうとするなんて、あさましいですわね」

 

「たかが三つと言えど二十九歳と三十歳の間には決定的な違いがありますの。あなたはとっくにそのラインを超えてますけど、わたくしはまだギリギリで踏みとどまってますから」

 

「ギリギリどころかギリギリのギリギリギリでしょうが。そんなもん、一の位を四捨五入すれば、とっくに三十ですわよ」

 

「どうして四捨五入する必要がありますの? 意味が判りませんわ。それに、それを言うなら一の位を切り捨てれば、わたくしはまだぴっちぴちの二十歳ですわ。あなたは切り捨てても大して変わりませんけどね」

 

 それは、ノーガードの殴り合いにも等しい壮絶な戦いだった。しかも、それぞれの攻撃は相手だけでなく自分をも傷つける()()()の剣であり、いずれ必ず自分自身に返ってくるブーメランでもあるのだ。これほど危険な戦いは、多くの戦場を渡り歩き、数えきれない修羅場を潜り抜けた帝国皇帝ゼメキスや四鬼将シュレッド、あるいはいくさ好きの先王の元で戦い続けてきたノルガルドの白狼ヴェイナードや銀の騎士グイングラインでさえ経験したことはないはずだ。あってたまるか。

 

 このしょーもない口ゲンカいや白熱の舌戦は二時(ふたとき)以上続き、体力を消耗しきった二人は、一時停戦を申し出ることになる。

 

「……ここで言い争っても埒があきませんわ。決着は、戦いでつけましょう」

 

 ヴィクトリアの提案に、シェラも「望むところですわ」と応じた。

 

 肩で大きく息をしながら睨み合う二人は、同時に背を向け、互いの陣で待つ仲間の元へ戻り始めた。

 

 だが、数歩進んだところで、シェラが足を止めた。

 

「ところで……()()()()は、見つかったの?」

 

 振り返らずに言う。

 

 ヴィクトリアも足を止めたが。

 

「……あなたには関係のないことですわ」

 

 こちらも振り返ることはなく言った。

 

「そうね、出過ぎたことでした。ごめんなさい」

 

 先ほどの白熱した戦いが嘘であったかのように、シェラはすぐに謝罪の言葉を口にする。

 

 それに対し、ヴィクトリアも。

 

「いいえ、わたくしこそごめんなさい。あなたが気にしてくれていたことには、感謝します」

 

 言い過ぎたことを謝り、そして、感謝の気持ちを伝えた。

 

「水臭いこと言わないでよ、友達なんだから」

 

「……そうですわね」

 

「…………」

 

「…………」

 

 そのまま、しばらく無言で立ち尽くしていた二人だったが。

 

 ヴィクトリアが、くるりと振り返った。

 

「……っていうか、あなたみたいな友達を持った覚えは無いですけどね? なに急にしんみりしてるのかしら。歳を取ると情緒が不安定になるっていいますから、大変ですわね?」

 

 シェラも振り返る。

 

「別に本気で心配してたわけじゃありませんわ? ほんの社交辞令のつもりでしたのに、そちらこそなにマジにとらえてるのかしら? もう少し大人の会話というものを知った方がよろしくてよ?」

 

「それは申し訳ありませんでした。わたくしはまだ若いですから、オバサンの会話にはついていけませんの。おーっほっほっほ!」

 

「むきー! おだまりなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 この時。

 

 

 

 

 

 

 互いの陣で待つ騎士と兵とモンスター達は、皆、一様に思っていた。

 

「帰りたい」と。

 

 そして、それは大陸全土を巻き込んだこのいくさの中にあって、唯一、敵味方の心がひとつになった歴史的瞬間であったが、残念ながら、この偉業が後の歴史書に刻まれることはなかった。あってたまるか。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二四話 バイデマギス 聖王暦二一七年二月上 エストレガレス帝国/カーナボン

 ザナスにてカーレオンとイスカリオの女魔術師が互いのプライドを賭けた壮絶な死闘を行っているのとほぼ同時刻、カーナボンにおいても、激しい戦いが行われていた。

 

 前節、イスカリオは墓参りの日ということで周辺諸国へ停戦を申し出たものの、エストレガレス帝国はこれを受け入れず、カーナボンへ侵攻。イスカリオでは、民はもちろん兵と騎士も一人残らず帰郷していたため、帝国は難なくカーナボンを制圧し、昨年五月以降イスカリオに奪われていたこの地を奪還したのである。

 

 無論、イスカリオも黙っていない。墓参りの日が明け、騎士たちが前線へ戻ると、イスカリオは狂戦士バイデマギスを中心に部隊を編成し、カーナボンへと侵攻したのである。

 

 しかし、カーナボンを守るのは皇帝ゼメキスが率いる部隊である。イスカリオ側は、狂王ドリストやキラードール・イリアらがノルガルド方面へ出向いており、いかにバイデマギスとはいえさすがにゼメキスを相手にするのは荷が重いのではないか、と誰もが思った。もっとも、バイデマギス本人は、そんなことを考える頭脳を持ち合わせていない。彼は、相手が誰であろうとただその剛腕を振るうことを喜びとする生物なのだ。そして、それが自分と同じく力自慢の騎士であるならなおのこと。

 

 しかし。

 

 戦闘が始まり、いつものように単純な突撃でゼメキスの部隊へ向かって行ったバイデマギスだったが、そこへ、思わぬ強敵が立ちはだかることになる。

 

 その部隊は、兵もモンスターも、特出して強いわけではなかった。バイデマギスが愛用の大斧を振るうだけで、簡単に崩壊していったのだ。だが、最後に立ちはだかった将が、とんだクセモノだった。

 

 それは、全身黒装束に包んだ男だった。剣や斧などといった大きな武器は持っていないが、だからと言って魔術師系の騎士という訳でもなさそうだ。その男の手には、刃渡り三十センチほどのナイフのような刃物が握られていた。武器としては非常に小さく、ナックルという武器を使う剣闘士に似ている。だが、剣闘士でもない。剣闘士の最大の武器は己の肉体であるため、バイデマギスに匹敵するほど大柄の者がほとんどだが、その黒装束の騎士は、イスカリオ最年少の騎士ティースと同じくらい小柄で頼りない体格で、戦士なのか魔術師なのかイマイチ判断ができなかった。

 

「ふん、こないだの魔術師のあんちゃんほどではないが、テメェも随分とひ弱そうだな。そんなんじゃ、俺の攻撃の前にはひとたまりもないぜ? 戦場では、力が全てだからな! がーっはっはっは!」

 

 力以外のものを認めていないバイデマギスは、力の無さそうな相手を前に、いつものように大口を開けて笑った。

 

 黒装束の騎士は表情ひとつ変えない――もっとも、その顔は大部分が覆面に覆われ、目以外を伺うことはできないのだが。

 

「――腕力に自信ありか」黒装束の騎士は静かな口調で言った。「だが、どんなに力が強かろうと、当たらなければ意味は無いぞ」

 

「がーっはっはっは! 面白いことを言うヤツだ。なら、試してやるぜ!」

 

 バイデマギスは大斧を振り上げると、目の前の男に向かって、力任せに振り下ろした。黒装束の騎士は動かない。完全に相手をとらえたと確信するバイデマギス。頭は良くないバイデマギスだが、戦闘の経験は豊富だ。理論ではなく本能で、相手は決してこの攻撃をかわせないと悟っていた。無論、この一撃を受け止めることもできないだろう。大斧の刃を受け止めるには相手の武器は小さすぎるし、何より、力で負けるはずがない。バイデマギスは完全に勝利を確信していた。

 

 だが。

 

 バイデマギスの大斧は、硬い土の地面を打ち砕いただけだった。

 

 一瞬、何が起こったのか判らなかった。さっきまでそこに立っていた黒装束の騎士の姿は無い。斧の刃が相手に触れるか否かの刹那、突如、その姿が消えたのだ。バイデマギスの顔から笑みが消える。信じられないことだった。斧は、確かに黒装束の騎士をとらえていた。これまでの戦いの経験上、あの速さと間合いでかわされるはずがない。まるで、幻を相手に斧を振るったかのようだった。

 

「――どうした? 俺はここだぞ」

 

 すぐ背後で声がした。振り返ると、黒装束の騎士はさっきと同じ姿でそばに立っていた。完全に背後を取っていたにもかかわらず何もしてこないことに、怒りが湧きあがる。

 

「舐めるなぁ!」

 

 今度は横薙ぎで大斧を振るうバイデマギス。この攻撃も、完全にとらえたという確信があった。しかし、やはり刃が相手に触れる刹那、その姿が消え、斧は空を斬る。

 

「その程度では、この俺に触れることすらできぬであろうな」また、背後で声がした。「戦場では力が全て、か。それは、力しか持たぬ者の愚言だ。力だけではどうにもならぬこともある」

 

「ケッ! そんなものはねぇ!!」

 

 バイデマギスはさらに斧を振るうが、黒装束の男の言う通り、刃は相手の衣さえ切ることができなかった。全ての攻撃が、刃が触れる瞬間にかわされてしまう。

 

 バイデマギスは大きく舌打ちをして、敵を睨みつけた。「……すばしっこいヤツだ。だが、テメェだって俺に攻撃するためには近づかなけりゃならねぇはずだ。その時が、テメェの最期だぜぇ」

 

 もう一度斧を振り上げ、黒装束の騎士へ向かって行った。

 

「……どうかな?」

 

 突如、黒装束の騎士は別の動きを見せた。懐に両手を入れると、次の瞬間、矢のような鋭さで()()を投げた。

 

 バイデマギスの胸に、あるいは腹に、足や腕に、身体中に、鋭い痛みがあった。

 

 思わず足を止める。身体には、いくつもの小さな刃物が刺さっていた。投げナイフのようであるが、形がまるで違う。それは十字の形をし、それぞれの先端に刃がついた奇妙な形の刃物だった。

 

「近づかぬとも、攻撃する方法はいくらでもある。勝負あったな」黒装束の騎士が言う。覆面の裏で、笑みを浮かべているようにも見えた。

 

 奇妙な刃物のいくつかは、頸動脈や腎臓・肝臓など、刃物で深く切ったり刺したりすると即死する部位にも刺さっていた。確かにこれは、勝負ありかもしれない……普通の人間、ならば。

 

 バイデマギスは、歯を剥いて笑うと、獣が雨水を弾き飛ばすように身体を震わせた。全身の刃が抜け落ちる。バイデマギスの身体は、わずかな出血のみだ。

 

「なに!?」と、黒装束の騎士は目を剥き、初めて動揺を見せた。

 

「がーっはっはっは! そんなヤワな攻撃が、この俺の筋肉に通用すると思ったか!! どんなにすばしっこかろうと、力のない攻撃なんて無意味なんだよ!」

 

 また大斧を振るう。この攻撃もかわされたが、今度はバイデマギスが余裕を見せる番だ。

 

「素早さに自信があるようだが、いつまで逃げられるかな? 俺はしつこいぜ?」

 

 力と筋肉同様に、バイデマギスは体力にも自信がある。あと何十何百回斧を振るおうとも、その威力が衰えることはないだろう。相手の体力が尽きたときが勝負だ。

 

 勝機を感じたバイデマギスは、さらに斧を振るう。

 

「……ならばこれはどうだ」

 

 黒装束の男が、両手で印を結び、なにやら呪文のようなものを口にした。

 

 次の瞬間、空から光の刃が降ってきて、バイデマギスの身体を貫いた。稲妻の魔法だ。

 

 バイデマギスの突進が再び止まる。先ほどは見慣れない攻撃に用心して足を止めただけだが、今度は本当に動けなくなった。片膝をつき、憎々しげに相手を睨む。

 

 黒装束の騎士は、覆面越しに不敵な笑みを浮かべた。「やはり、頭の方は鍛えておらぬようだな。いかに体を鍛えようとも、魔法の前では無意味だぞ」

 

 バイデマギスは大きく舌打ちをした。そのことは、前回カーレオンの賢王との戦いでも、嫌というほど思い知らされていた。

 

「……だからなんだ? 俺に勉強でもしろってのか?」

 

 バイデマギスは、再び大斧を構えて立ち上がった。

 

「冗談じゃねぇぜ! 俺が素早さや頭脳を鍛えたところで、どれほどの効果があるってんだ! そんな中途半端なモンは必要ねぇ! 俺は力と筋肉と体力で、全て蹴散らして見せるぜ! がーっはっはっは!」

 

 バイデマギスはいつものように大口を開けて笑うと、己の信念を込め、再び大斧を振るった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二五話 カイ 聖王暦二一七年二月下 カーレオン/ソールズベリー

 カーレオンの賢王カイは、ソールズベリーに新設した居室のベッドに横たわり、いつものように脳をフル回転させて戦略を練っていた。昨年十二月の下旬に攻勢に出たカーレオンは、ソールズベリー、ベイドンヒル、ザナスを制圧し、一気に領土を拡大した。どのいくさもこちらの軍に大きな被害は無く、上々の出足と言って良かった。この勢いに乗ってさらに領土を拡大したいところだが、ここから先は領土拡大に比例して隣接する敵拠点も増えていくため、どこを守りどこを攻めるかの判断が難しくなってくる。

 

 カイとしては、まず西方面から帝国領へ侵攻し、ファザードやカルメリーまで制圧したかった。帝国はイスカリオとのいくさが激化しているため、旧アルメキアの領土にはさほど固執しないと考えていたのだ。それは実際その通りであったのだが、北の大国ノルガルドもカーレオンと同じことを考えていたようで、カーレオンがベイドンヒルへ侵攻するのと同時にノルガルドもキャメルフォードへ侵攻し、これを制圧している。このノルガルド軍には白狼王ヴェイナードが入っており、迂闊に剣を交えることはできない。相手が先王ドレミディッヅ時代から多くのいくさを経験した手練れの騎士であることが理由のひとつだが、そもそもノルガルドとカーレオンはどちらも宣戦布告はしておらず、政治的な意味ではまだ戦争状態には無い。カーレオンとしては、今は帝国とイスカリオの戦いに集中したいため、できればノルガルドとの戦いは避けたい。同盟とはいかなくとも不可侵条約でも結びたいところではあるが、白狼がその提案に乗って来るかは微妙だ。仮に同盟を結べたとしても、相手は長年大陸制覇を目指して戦い続けている国だ。同盟など一時的なものにしかならないのは目に見えている。いつ破棄されるか判らない状態で戦うのはかえって危険だ。いまノルガルドと国境を接するのは得策ではない。西方面は、しばらくベイドンヒルでの守りに徹した方が良いだろう。

 

 そうなると、東方面から攻めるしかなくなる。

 

 前節のソールズベリーとザナスの制圧は、大陸東方面へ侵攻するための布石だ。ここからの侵略ルートは主に二つ。ソールズベリーを守りながらイスカリオ方面へ侵攻するか、ザナスを守りながら帝国方面へ侵攻するか、である。

 

 侵攻だけで話をするならば、イスカリオ方面が容易であろう。イスカリオは、現在ドリストとイリアの二人の騎士が旧レオニア方面へ侵攻している。残っているバイデマギスやヴィクトリアらの騎士も決して侮りがたくはあるものの、恐らくどちらもカイの敵ではない。バイデマギスは数節前に一戦交えたが、事前の予想通りカイの魔法で容易に蹴散らせた。ヴィクトリアとは旧アルメキアの魔導学校で一緒だった。首席で卒業したカイに対し、ヴィクトリアはぎりぎり単位を取得した程度の魔力しかない。魔力では、カイはヴィクトリアを大きく上回っている。カイが出撃すれば、イスカリオ方面の侵攻は、そう困難ではないだろう。

 

 これに対し、帝国方面への侵攻は、現状かなり困難を極めると言わざるを得ない。帝国はイスカリオとの抗争が激化しているため、皇帝ゼメキスを筆頭に四鬼将のシュレッドやギッシュなどの猛者が集まっている。これらに対しては、大陸一と噂されるカイの魔法やディナダンの剣をもってしても、良くて互角、相手の部隊編成組次第では分が悪いと言わざるを得ない。帝国方面へ侵攻するのは時期尚早だ。

 

 もっとも、イスカリオ方面への侵攻も油断はできない。ノルガルドを攻めているドリストらがいつ戻って来るか判らないし、何より、イスカリオ方面へ戦力を集中させると、自国領土の守りが手薄になってしまう。ソールズリーは帝国と領土を接しているため、いつゼメキスらの猛者に攻められてもおかしくないのだ。そのとき、カイやディナダンらが不在であったら、防衛は極めて困難だろう。

 

 開戦当初は騎士不足に悩まされたカーレオンであったが、滅亡した西アルメキアの騎士や旅の絵描き騎士ミリアの友人が多数仕官したため、数の面での不足は無くなった。ただ、質の面に関しては、まだまだ充分とは言えない。帝国の皇帝ゼメキスと王妃エスメレーに四鬼将たち、イスカリオの狂王ドリストとキラードール・イリア、そして、ノルガルドの白狼ヴェイナードと参謀グイングライン、これらの騎士と互角に渡り合えるのは、今のところカイとディナダンくらいだ。これから大陸へ打って出るためには、これらの猛者に肩を並べる騎士を揃えなければならない。幸い、才能を感じる騎士は多い。ミリアの友人エルオードはめきめきと頭角を現している。ミリア本人は、ここまで新たな騎士の勧誘に力を注いでいたものの、実はカイに匹敵するほどの魔術と統魔力の才能を持っているはずだ。先日仕官したミリアのもう一人の友人リカーラも優秀な魔術師だ。また、今回のいくさでやたら張り切っているシェラの成長も著しい。彼女たちならば、いずれカイやディナダンたちにも匹敵する騎士になるだろう。カーレオンがこのいくさで生き残るためには、彼女たちの成長不可欠だ。ここは、ソールズベリーの防衛をディナダンに任せ、ミリアらを同行させイスカリオへ侵攻するのが良いだろう。

 

 ドアがノックされ、カイは考えを中断した。普段なら、「おにいちゃん大変大変!」とメリオットが騒がしく駆けこんで来るところだが、今日はやたら静かな訪問だ。珍しいな、と思いつつ、カイは「どうぞ」と促す。

 

 入って来たのは宰相のボアルテだった。ボアルテは「失礼します、陛下」と頭を下げると、「在野の騎士が参っております」と告げた。

 

 カイは身を起こした。「ほう、仕官の申し出かな? それはありがたいね。どんな人だい?」

 

「それが……少々得体が知れない男でして」

 

「得体が知れない?」

 

「ええ。なんと言いますか、陰気で暗い男です。騎士というよりは、暗殺者のような風体でして」

 

「暗殺者……」

 

「もちろん、謁見の際には武器のたぐいは全て預かりますし、護衛もつけますが、万が一ということもあります。いかがいたしましょう?」

 

「まあ、大丈夫だよ。もし僕の暗殺を目論んでいるとしたら、そんなわかりやすい格好で接触したりはしないだろう」

 

「そうかもしれませんが……陛下、どうか、仕官の判断は慎重にお願いします」

 

「判ってる。じゃあ、会ってみよう」

 

 カイはベッドから下りると、簡単に身支度を整えながら、「ところで、メリオットはどうしたんだい?」と、ボアルテに訊いた。

 

「……それが、朝から姿が見えません。狩りの道具が無くなっていますので、恐らくは無断で出かけたのではないかと」

 

「そうか。どうりで今日はやたら静かだと思った」

 

「申し訳ありません。しっかりとお目付け役をつけておくべきでした」

 

「まあ、いつものことさ。ボアルテが謝ることではないよ」

 

 カイは、やれやれ、と肩をすくめる。メリオットがお忍びで城を出るのはよくあることだ。遊びに行ったのではないなら、まだ良しとよう。

 

 メリオットは、最近弓の腕をめきめきと上げている。カイの見立てでは、いずれ大陸でも屈指の弓使いになるのではないかと思えるほどで、彼女もまたカイやディナダンに並ぶ騎士になる可能性を秘めていた。ただ、兄としては危険な戦場に出てほしくないというのが本音である。メリオットを騎士の一人として扱い戦場へ出すか、王女として扱い戦場から遠ざけるか……大陸一の頭脳をもってしても、まだその判断はできていない。

 

 カイは準備を済ませると、謁見の間へ向かった。

 

 王座の前に跪いている男は、ボアルテの言う通り得体の知れない男であった。白が基調の全身ゆったりとした服に身を包んでおり、小さな武器を隠し持つのに適した衣装で、地味で目立ちにくく、人ごみにまぎれるのも容易だ。男は跪いたまま身動きひとつせず、息をしているのかさえ定かではない。気配を全く感じないのだ。注視しなければ、そこに何者かがいることさえ気付かなかったかもしれない。まさに、暗殺者という風体であった。

 

 男はカザンと名乗った。フォルセナ大陸で使われる名ではない。

 

「……私は、影。訳あってこの国に参った。私の力、好きに使うがよろしかろう」

 

 カザンは抑揚のない静かな声で言った。発する言葉も最低限で、声さえ印象に残りづらい。()とは、よく言ったものだと感心する。

 

「君は、忍び(しのび)だね」

 

 カイがそう言うと、カザンはわずかに頭を下げた。

 

 忍びとは、東方の小さな島国に伝わる諜報活動や暗殺などに特化した戦士の呼称だ。剣聖エスクラドスや百戦のゲライントら『剣士』も同じ島国に伝わる戦士だが、『剣士』がフォルセナ大陸でいう『ナイト』に近いのに対し、忍びはまさに暗殺者だ。ただし、その島国では独特の文化が栄えており、扱う武具や術などは極めて特殊なものだ。特に、ナイフのような武器・クナイと、十字型の投擲武器・手裏剣を好んで使う。カイも、それ以上のことは知らない。ただ、エストレガレス帝国のシラハという騎士が、同じ忍びだったはずだ。

 

「ひょっとして、君は旧アルメキアがゼメキス暗殺のために雇った集団の一人かな?」

 

 カイがそう言うと、カザンはまたわずかに頭を下げ、「さすがは賢王殿、ご慧眼(けいがん)、恐れ入る」と言った。

 

 旧アルメキア時代、愚王ヘンギストは、当時軍総帥だったゼメキスを目障りに思い、暗殺部隊を差し向けたという話がある。この部隊はゼメキスらに返り討ちに遭い、壊滅したようだ。生き残ったのは二人。そのうち一人はシラハだが、もう一人はこれまで不明だった。すなわち、このカザンということになる。

 

 カイは、カザンの仕官を吟味する。ボアルテは慎重に判断するように言ったが、彼がこの国に仕える利は大きい。騎士としては充分戦力になるだろうし、彼の忍びの武術を他の騎士に習得させることもできる。そして、旧アルメキアの内情を知る人物がまた一人増えたことも大きい。もしかしたら、魔導士ブロノイルへ繋がる情報を持っているかもしれない。これはおもしろい人物が仕官してきた、と、カイは思った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二六話 キャムデン 聖王暦二一七年二月下 イスカリオ/ハドリアン

 イスカリオとノルガルドの国境に立つハドリアン砦では、グルーム再侵攻の準備が進められていた。グルームは、昨年の十一月に一度イスカリオが制圧したものの、先月の墓参りの日に騎士や兵が全員帰郷してしまったため、その隙を衝かれてノルガルドに奪い返されてしまったのだ。これを再び制圧しようというのである。ハドリアンには、王ドリストを筆頭に、キラードール・イリアや死刑囚キャムデン、新米騎士のティースやユーラなどが入り、明日の出撃に向け、モンスターの召喚や部隊編成、武具の点検などが行われていた。

 

 死刑囚キャムデンはアスティンより運び込まれた戦闘物資のチェックをしていた。騎士や兵が使う武具はもちろん、食糧や医療用具などに不足が無いか確認する。地味で退屈な仕事ではあるが、新米騎士には任せられない重要な仕事だ。どんなに強力な騎士や兵で部隊を編成しようとも、武器が無いと戦力は半減するし、腹が減ってはいくさもできない。他国へ侵攻する際、戦闘物資の確保は騎士や兵の強化よりも重要なのだ。

 

 そして、今回の戦いには、もうひとつ重要なアイテムがある。

 

「――おお、ここにありましたか。これを無くしては一大事ですからな」

 

 キャムデンは騎士用の装備品の中から一足の靴を取り出した。頑丈だが羽根のように軽いその靴は、自由に空を飛ぶことができる魔法装備である。明日侵攻するグルームの城は川を超えた先にあるため、この靴は攻略の大きなカギとなる。前回の戦いでは、ドリスト自らこの靴を履いて川を越え、城への侵攻ルートを切り開いたのだ。ノルガルド相手に前回と同じ戦法が通用するかは微妙なところではあるが、少なくとも無いと始まらないであろう。キャムデンは後で王の元へ届けるため脇にどけようとした。

 

「おや?」

 

 靴のそばに、見慣れない水晶球が置いてあった。誰かの装備品だろうか? しかし、リストを確認しても、該当する物は記されていない。

 

「むむ! これはまさか、元レオニア女王が使用していたオーブ、リア・ファルでは!?」

 

 きらりと目を輝かせるキャムデン。リア・ファル――運命の石とも呼ばれる、女王専用の武器だ。キャムデンが知る限り、水晶球状の武具はそれしかない。ここハドリアン砦は元々レオニア領であったため、女王の武具がまぎれ込んでいる可能性も無くはないだろう。キャムデンは詳しく調べようと手に取った。水晶球は大人の握り拳ほどの大きさで、全体的に白く濁っていて透明度は低く、ところどころ黒点が混じっている。到底美しいとは言えない品だ。レオニア女王のリア・ファルはこれよりふた回りほど大きく、色はエメラルドのような緑だった。女王が使っていたものではないだろう。

 

「まあ、女王の武具がそこいらに落ちているわけないでしょうな。もし落ちてあったとしても、女王以外に扱えるとも思えませんし……しかし、ならばこれは誰の物でしょう?」

 

 水晶球には留め具で紐が付けられてあり、首にかけて持ち歩けるようになっていた。その紐にはタグが付けられてあり、『イリア』と書かれてある。彼女の持ち物だろうか? しかし、いままでイリアがこんなものを首からぶら下げているところなど見たことがない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、そばにイリアが立っていた。

 

「のわぁっ!」

 

 キャムデンは驚いて尻餅をついた。「イリア殿! 私はナイーブで繊細で純粋無垢で反極悪非道なのです。そういう登場の仕方は、心臓に悪いのでやめていただきたい」

 

 イリアは無表情でキャムデンを見下ろしたまま、「……陛下が、空飛ぶ靴をお探しだ」と、いつものように感情の無い口調で言った。

 

 人を心停止の危険にさらしておいて詫びもひとつも無しですか、と内心呆れながら、まあ今に始まったことではないと思い直し、キャムデンは立ち上がった。「その靴でしたら、さっき見つけてそこに置いてあります」

 

 キャムデンが靴を指さすと、イリアは無言で手に取った。

 

「それと、これはイリア殿の物ですか?」

 

 倉庫から出て行こうとするイリアを呼び止め、キャムデンは水晶球を見せた。

 

 しかし、イリアは「いいえ」と、簡潔な言葉で否定する。

 

「しかし、タグに名前が書いておりますぞ? イリア殿の物でなければ、誰かから贈られたものでは? 心当たりはないですかな?」

 

「…………」

 

 イリアは無言で水晶球を見つめる。心当たりは無いようだ。彼女は昔ドリストがどこかで拾ってきた騎士で、それ以前の記憶は無いらしい。先月の墓参りの日もドリストのそばにいたから家族や友人がいるかも判らないのだろう。贈り物をしてくれる相手に、心当たりがあるはずもない。

 

「……まあ、イリア殿の名前が書いてあるのですから、これはイリア殿の物です。ここに置いていても邪魔になるだけですから、持って行ってください」

 

 キャムデンが差し出した水晶球を、イリアは無言で受け取る。

 

 その瞬間、水晶球から、()()()()()()

 

「ひぃっ!」

 

 突然のことに驚いて悲鳴を上げるキャムデン。何が起こったのか判らない。まるでそこだけ光が消え失せたかのように、突如水晶球の周り真っ暗になったのだ。

 

「…………」

 

 キャムデンと異なり、イリアは相変わらずの無表情で水晶球の異変を見ていた。しかし、その闇が膨れ上がり、イリアの身体を包み込むと。表情を歪めてうずくまった。

 

「イ……イリア殿! 大丈夫ですか!?」

 

 キャムデンが駆け寄ろうとすると、イリアはそれを拒否するように槍を突き出した。驚いてまた腰を抜かすキャムデン。それが幸いし、槍はキャムデンのちょび髭を掠めただけだった。

 

「……んあ!」

 

 苦しそうにうめき声をあげながら、イリアは槍を振り回し始めた。

 

「イリア殿! 危ないです! やめてください!」

 

 キャムデンが訴えても、イリアは槍を振り回す。いつもの鋭い一閃ではなく、ただでたらめに振り回しているだけだが、それでも危なくて近づくこともできない。何が起こっているのかは判らないが、原因があの水晶球にあることは間違いないだろう。取り上げれば元に戻るかもしれないが、イリアが暴れて危険だし、あの闇に触れると自分もああなってしまう可能性もある。

 

「うむ! こういう時は、陛下にご報告です!」

 

 キャムデンは倉庫を飛び出すと、一目散にドリストの元へ向かった。

 

「陛下! 陛下! 一大事ですぞ!!」

 

 王の居室に飛び込むキャムデン。ドリストは、王都から持ち込んだ昼寝用のベッドに横になっており、眠そうな目をキャムデンに向けた。

 

「なんだ騒がしい。オレ様の昼寝の邪魔をすると、死刑を三倍増しにするぞ?」

 

「それどころではありません! イリア殿に異変が……うわ! 来た!!」

 

 イリアも部屋に入って来た。表情は苦しげに歪み、肩で大きく息をしながらドリストを見る。

 

 ドリストは身を起こすと、ベッドの端に座り、どこか楽しげな顔でイリアを見た。「どうしたイリア? 絶不調のようだな?」

 

「……陛下……申し訳ありませ……あぁっ!!」

 

 うめき声をあげ、槍を突き出すイリア。そして、さらに振り回す。いや、それは、身体にまとわりつく闇を振り払おうとしているようにも見える。もちろん、槍は虚空を突くかのごとく闇をすり抜け、イリアをとらえたまま離さない。

 

「……なにがあった」ドリストがキャムデンに訊いた。

 

「それが、倉庫に謎の水晶球がまぎれ込んでおりまして、イリア殿がそれに触れた瞬間、ああなってしまいました」

 

「水晶球だぁ?」

 

 首を傾けてイリアを見るドリスト。イリアの身体は闇に包まれており、水晶球は見えない。

 

 だが、次の瞬間、まるでドリストにその姿を見せるかのように、水晶球から眩しい光が放たれ、闇を追い払った。

 

 そして、露わになった水晶球には、老人のような顔をした男が映り込んでいた。その異様な風体に、キャムデンは息を飲む。その男の目は墨を溶かしたように真っ黒な眼球で、毛髪の無い頭には目と同じ色をした黒曜石のような玉がいくつも埋め込まれているのだ。生気は感じられず、まるで生ける屍のようであるが、強烈な邪心を放つ悪魔のようにも見える。

 

「久しぶりだな、狂王」

 

 水晶球に映った男は闇夜に舞う怪鳥のような重い声で言った。

 

「んん~? 見覚えのあるハゲだな」ドリストはあごに手を当て、新しい遊び相手を見つけた子供のような笑みを浮かべる。

 

「むむ! あの者は!!」

 

 キャムデンは懐からメモ帳を取り出して勢いよくめくった。ドリストが見覚えのあるというからには、他国の騎士である可能性が高い。

 

 しかし。

 

「えっーっと、旧レオニアの戦闘司教パテルヌス殿……ではありませんし、旧パドストーの老王コール殿……でもないですし、帝国の世渡り上手アイバン殿……でもないですな。はて、誰でしょう?」

 

 リストにある()()()()()()騎士と照合したものの、どれも容姿が一致しなかった。無論、リストも完璧ではないので、キャムデンの知らない騎士や、()()()()()()()()()()()()()()()()騎士もいるかもしれない。

 

「そうか、思い出したぞ」ドリストが言った。「確か、『ブロノイル@求め続ける者』とか、十四歳のガキみたいなこと言ってたヤツだな。何の用だ?」

 

 ブロノイル……キャムデンは初めて聞く名だった。念のためもう一度リストをチェックするが、やはり登録はされていない。

 

「なあに、()()()を拾ってくれた礼をしようと思ってな」

 

 水晶球の男・ブロノイルは、闇を深めたような笑みを浮かべる。

 

「セレナだ?」ドリストは不愉快そうに目を細めた。

 

「そうだ。お前たちがイリアと呼ぶこの者の名はセレナ。我が魔導実験の失敗作だ」

 

「…………」

 

 ドリストの顔がさらに不愉快気に歪むが、ブロノイルは構わず続ける。「カドールを覚えているか? あれは、私が作った死を超越した騎士。人を超える力と治癒能力を持つデスナイトだ」

 

 デスナイト・カドール――帝国皇帝ゼメキスの腹心であり、大陸最“凶”の異名で恐れられた騎士だ。以前ドリストも戦ったことがあるが仕留めることはできず、撤退を余儀なくされた。ただ、この一年ほどは戦場に出撃したという情報は無く、帝国を去ったのではないかと噂されている。

 

「へん、どうりでオレ様の鎌で斬り裂いても手応えがなかったはずだぜ。死体から作りだしたってわけか?」ドリストはつまらなさそうな口調で言った。

 

「まあそんなところだ。ただ、カドールは失敗作ではないが、完全な姿とも言えぬ。ヤツには、ゼメキスの元へ送りこむ使命を与えたがゆえ、意志と感情は残しておいたのだ。その二つを捨て去れば、さらに強力なデスナイトとなるはずだ」

 

「なるほど。その実験を、イリアにしたってわけか?」

 

「そうだ。この者は、もとはログレスの売春宿で働いていた娘だった」

 

「売春宿?」

 

「ああ。飲んだくれの父親に、一晩の酒代がわりに売られたそうだ。そこから逃げ出したところを、私が拾ってやったのだ。死を超越したデスナイトの真の力を与えるためにな。だが、私の思うようにはならなかった。感情と意志はほぼ消し去ったものの、完全に消えることはなかった。そのため力は中途半端で治癒能力も無い。これは、完全な失敗作だ。だから破棄したのだ」

 

「で? 今さら惜しくなって取り戻しに来たのか?」ドリストは唇の端を吊り上げて笑う。「残念だったな。コイツは、オレ様が拾ったのだからもうオレ様の物だ。オレ様の物を横取りしようなんてふてぇヤツは、ただじゃおかんぞ?」

 

「まあ聞け。お主にとっても、この国にとっても、悪い話ではない。お主らのいくさに、私が手を貸してやろう」

 

「はぁん?」

 

「お主らは気付いておらぬだろうが、この国の戦力では大陸制覇は叶わぬ。よその国と比べ、騎士の質が大きく劣っておるのだ。今のままでは、半年も持たぬぞ」

 

 その指摘に、キャムデンは思わず「なんですと!?」と声を上げた。よその国と比べて質が劣る……確かにある意味では質が良いとは言えない連中ばかりだが、『強さ』という点に関しては、決して他国と劣るものではないはずだ。

 

 ドリストの顔から笑みが消えた。水晶球の男を睨みつける。

 

 その反応に満足したかのように、ブロノイルは続ける。「だが安心しろ。私の力があれば、大陸制覇も夢ではなくなる。騎士を何人か私に貸せ。そうすれば、立派なデスナイトにしてやるぞ」

 

 キャムデンは引きつった悲鳴を上げた。「デ……デスナイトに……!?」

 

「もちろん、セレナのような失敗作ではない。カドールと同等、いや、カドール以上のデスナイトを量産してやろう。五体もいれば、帝国やノルガルドとも対等に戦えるぞ?」

 

 ドリストは、ふん、と鼻を鳴らした。「改造人間部隊をつくろうっていうのか」そして、ブロノイルの提案を吟味するように天井を見上げた後、また、子どものような笑みを浮かべた。「……悪くねぇ話だな。オレ様好みだぜぇ。おいキャムデン。お前、ちょっと行って、改造してもらって来い」

 

「ひぃっ! わ、わたくしは他国の騎士の情報を集めるのに忙しいですから、アルスター殿の方が適任ではないかと……」

 

「ならまずその二人で決まりだな。そうすりゃ、ちっとはオレ様の役に立つだろう。さて、後は誰が良いか……」

 

「へ……へいか……なにとぞお許しを……」

 

 実に楽しそうな顔で思案を巡らすドリストに、キャムデンは泣いてすがりついた。

 

 その様子に満足したのか、ブロノイルは闇のような笑みをさらに深めた。「話が早くて助かるぞ、狂王。私の言う通りにすれば、この国の騎士の質は格段に上がる。そう。全て私の言う通りにすれば良いのだ。貴様も、部下も、全員一人残らず」

 

 ブロノイルの闇のように黒い目が、さらに深みを増す。

 

 その目を見ていると、キャムデンの胸の内から、不思議とブロノイルに対する不信感が消えていくような気がした。デスナイト――死を超越した騎士。それも悪くないように思えてきた。意志と感情を捨てる、たったそれだけのことで、死を断ち切ることができるのだ。それをためらう理由はどこにもない。そう思えて仕方がなかった。

 

 だが。

 

「――おいハゲ」

 

 挑発するようなドリストの声で、キャムデンは不意に意識が戻ってきた。デスナイトになる? なにをバカなことを考えているのだ。大きく頭を振り、恐ろしい考えを振り払う。

 

 ドリストは腰かけていたベッドから立ち上がると、愛用の鎌を取り、水晶球に映るブロノイルに向けた。「テメェは、ひとつ重要なことを見落としてるぜ?」

 

「なに?」ブロノイルの顔から笑みが消えた。

 

「この国には、オレ様がいるってことだ」

 

「何を言っている?」

 

「簡単なことだ。たとえオレ様以外の騎士がザコばかりだろうと、オレ様一人が強ければ、帝国もノルガルドもメじゃねーんだよ! 誰がテメェの汚ぇ手なんぞ借りるか。顔と頭を洗って出直してきな! ぎゃーっはっはっはっ!」

 

 ドリストは大声をあげて笑った。

 

 ブロノイルの顔が不快そうに歪む。「愚かな。確かにお主の力ならば他国の強者と渡り合えよう。しかし、それは一対一に限った話だ。いくさは一人でするものではないぞ」

 

「ゴチャゴチャとうるせーな。おいイリア! そいつを黙らせろ!」

 

 ドリストの命令に、イリアは苦しげに頷く。そして、立ち上がって水晶球を首から外そうとしたが。

 

「ああぁっ!!」

 

 悲鳴を上げ、また膝をついた。

 

「無駄だ」と、ブロノイルが言った。「セレナは、もう貴様の命令は聞かぬ。このセレナには、破棄する前に念のためある仕掛けをしておいたのだ。――セレナ、見せてやれ」

 

 ブロノイルの言葉で、イリアは立ち上がると、うめき声をあげながら、自分の身を包む服を引き裂いた。

 

「ひぇ!」

 

 ()()を見て、キャムデンは思わず上ずった声をあげる。露わになったイリアの肌には、ブロノイルの目と同じ色をした奇妙な文字のようなものが刻まれていたのだ。この国では博識が高い方だと思っているキャムデンも初めて見る文字だ。恐らく、このフォルセナ大陸で使われている文字ではない。

 

「これは古代のルーン文字だ」ブロノイルが言う。「セレナには、傀儡(くぐつ)の呪詛を刻んである。これを刻まれたものは、我が命令に反することはできぬ。セレナは、我が操り人形にすぎぬ」

 

「ケッ。手放したものに自分の名前を書きまくるとは、未練がましいヤツだぜ」

 

「……狂王、もう一度言う。私が手を貸さぬ限り、この国はすぐに滅びる。それを回避したければ、私の言う通りにするのだ」

 

「人にモノを頼むときは、お願いします、だろ?」ドリストは鎌を肩に担ぐと、ブロノイルを見下すように胸を反らした。「ま、テメェみたいなヤツが頭を下げたところで、聞いてやるつもりはないがな」

 

「……どこまでも愚かな男よ。もうよい。セレナ、狂王を殺せ」

 

「へ……陛下を殺すですと!?」驚くキャムデン。

 

「私の言うことを聞かぬのであればもう用はない。狂王、貴様を殺し、代わりを用意する。さあ、セレナ。狂王を殺せ!」

 

 ブロノイルの命令に、イリアが立ちあがった。あれほど忠実だったイリアが、ドリストに槍を向けるというのだろうか。キャムデンには想像もできない姿だ。それほど、ブロノイルが施した呪詛というのは強力なのだろうか。

 

「フン。オレ様の命を狙うとはいい度胸だ」命を狙われているにもかかわらず、どこか楽しそうにドリストは言う。「そういや、テメェは()()()()()()()()()()()()()()()()()そうじゃねぇか? なぜそう国の親玉ばかり狙うのだ? なんか恨みでもあるのか?」

 

「別に恨みは無い。ただ、我が意にそぐわぬ者を排除しているだけだ」

 

 それを聞いたドリストは、「なるほどな……」とあごに手を当てると、何かひらめいたような顔で小さく笑った。「なんとなく、テメェの目的が判ってきたぜぇ」

 

「フン、私としたことが喋りすぎたな。まあ良い、どうせ貴様はここで死ぬ」ブロノイルは、黒曜石のような目を大きく広げた。「何をしているセレナ、早く狂王を殺せ」

 

 ブロノイルの言葉に反応するかのように、イリアは槍を構えた。言葉……いや、目だ。キャムデンはそう感じた。ブロノイルのあの目から、何か魔力のようなものを発しているように思う。さっきの自分も、あの目を見て、その言葉に従わずにはいられない気持ちになったのだ。それは、まるで心を浸食しているかのようだ。ブロノイルは、人の心に入り込み、操る術を心得ているのかもしれない。その上、今のイリアは古代のルーン文字で傀儡の呪詛を刻まれている。それはおそらく失われた古代魔法だ。キャムデンも文献で少し読んだだけだが、現代の魔法よりもはるかに強力なものばかりだったという。いかに王に忠実なイリアとはいえ、逆らうことなどできないかもしれない。

 

 と、ドリストが。

 

「――セレナセレナうっせーんだよ! コイツの名はイリアだ!!」

 

 突如叫んだ。稲妻のように鋭い声。ドリストが声を荒らげるのは珍しいことではないが、いつも怒鳴られてばかりのキャムデンでさえ初めて聞くほどの怒気を孕んだ声だった。

 

「なに……?」と、ブロノイルが表情を歪める。

 

 ドリストは、さらに怒りを含めた声で「テメェのいうことなんか、イリアが聞くはずがねぇんだよ!」と言い、そして、「イリア、オメェ、犬の話を覚えているか?」と言って、呪詛と忠誠心の狭間で苦しむ槍騎士を見た。

 

「犬の……話……」顔をあげるイリア。

 

 恐らく、カエルセントの寺院にあった大きな墓のことだろう。歴代のどの王の墓よりも大きなその墓は、ドリストが子供のころに飼っていた犬の墓だという話だった。

 

「イリアってのはなぁ……あの犬の名前だ!」

 

 その言葉に、キャムデンは「え?」と、目を丸くした。耳も疑う。つまり、昔のペットの名前を付けたということだろうか。

 

 だが、呆れているのはキャムデンだけのようだった。

 

「陛下の、大切な家族の……名前……」

 

 イリアが言う。確かに、ドリストはあのとき、犬のことを「大切な家族」と言ってはいたが……。

 

 ブロノイルが苛立たしげに声を上げる。「何をしているセレナ! 早く狂王を殺せ!」

 

 目から、さらに魔力のようなものを放つ。

 

 しかし、イリアは。

 

「――嫌だ!」

 

 心の浸食を拒むように、吠えた。

 

「私の名はイリア! 陛下の騎士だ!」

 

 闇の命令を拒み、槍を投げ捨てた。

 

「無駄だ! 我が呪詛には逆らえぬ!」

 

 ブロノイルはさらに闇の目を広げた。イリアがまた悲鳴を上げる。大きく両手を広げた。その手に、呪いの炎が燃え上がった。イリアの武器は槍だけではない。呪いの黒魔法を使うこともできる。それでドリストを襲うつもりなのか。

 

 だが、イリアは。

 

「私に命令して良いのは……陛下だけだ!!」

 

 その手を、自分自身の身体に当てた。

 

 呪いの炎がイリアの身体を焼く。通常、呪いの炎は離れた相手に対して放つ魔法だ。それを直に己の身に当てるなど、その苦痛はキャムデンには想像もつかない。イリアは歯を食いしばり、自ら生み出した呪いの炎に耐え続ける。

 

「……あぁ!!」

 

 声を上げた。それは苦しみの悲鳴ではなく、己を操る傀儡の糸を断ち切る声。イリアの身体は焼けただれているが、そのおかげでブロノイルの呪詛の文字は読めなくなっていた。

 

「なんだと!」と、ブロノイルが驚愕の声を上げる。イリアはブロノイルの術を破ったのだ!

 

「陛下! ご命令を!」イリアが王の前に跪いた。

 

「フン、やりゃできるじゃねぇか。ようし……イリア! そのうるせぇ水晶を叩き割ってやれ!」

 

「はい!」

 

 イリアは首から下げた水晶球を外すと、力いっぱい床に叩きつけた。水晶球は、闇の力を秘めていたのが嘘であったかのようにきらきらと光を反射しながら粉々に砕け散り、やがてそのカケラも黒い染みとなって床に溶け込まれるように消えた。

 

「……た……助かりましたな」

 

 危機が去ったことを悟ったキャムデンは、大きく息をついた。

 

 そして、得意の揉み手をする。「いや、さすがは陛下です。陛下とイリア殿との絆、このキャムデン、感動して涙が止まりませぶるぅ!」

 

 ドリストのアッパーカットが、キャムデンのあごにヒットした。

 

「くだらねーこと言ってないでさっさとイリアを治療しろ!」

 

「は! し、しかし、わたくしが得意とするのは黒魔法と赤魔法でして、白魔法は心得ていまぜるヴぇ!」

 

 さらに右フックを打ってくるドリスト。「ホントにテメーの魔法は役に立たねぇな。オレ様の手で改造人間にしてやろうか?」

 

「ひい! それはご勘弁を!」

 

「ならさっさとユーラを呼んで来い!」

 

「はっ、はいぃ!!」

 

 キャムデンは背筋を伸ばして敬礼すると、ユーラを呼ぶため大急ぎで部屋を出た。

 

 その途中で、ふと思う。

 

 ――そう言えば、陛下は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、なぜ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それらは、常に国内外の情報を収集しているキャムデンでさえ把握していないことだった。

 

 もっとも、王の(一応の)側近とはいえ、キャムデンも常にドリストのそばにいるわけではない。いくさの部隊編成上、ドリストと違う戦場に出ることも多いのだ。それは、アルスターやイリアも同じだろう。ドリストは、側近でさえ知らない秘密を、いくつも持っているのかもしれない。

 

 いや、それよりも。

 

 キャムデンは立ち止まり、王の居室を振り返った。

 

「……いくら大切な存在とはいえ、ペットの名前を人間の娘に付けますかねぇ」

 

 これは、自分が犬嫌いだから理解できないことなのだろうか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

「なにしてやがる! 早くしろ!!」

 

 居室から王の怒声が飛んできて、キャムデンは飛び上がってまた駆けだした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二七話 メリオット 聖王暦二一七年二月下 カーレオン/――――

 ソールズベリー近郊の森の中で、カーレオンの王妹メリオットは、木の枝にくくりつけたいくつもの的に向かって矢を放っていた。矢筒から矢を取り、弓につがえ、引き絞り、そして放つ。放たれた矢は、正確に的を射ぬく。さらに矢を取り、別の的を狙い、放つ。それを、何度も繰り返す。矢は次々と的を射ぬいていく。全ての矢を撃ちきり、メリオットは手を止めた。放った矢は、全て的に命中していた。その結果には満足したものの、心にはもやもやしたものが残っていた。訓練の結果は上々だ。なのに、なぜ兄は戦場へ連れて行ってくれないのだろうか。

 

 フォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦が始まって二年、レオニア・西アルメキアの二国が滅亡する中、カーレオンはここまで大きな被害も無く、遂に大陸へ打って出ようとしている。それは良いのだが、メリオットは、これまでの戦いではほとんど出撃させてもらえなかった。メリオットは立派にルーンの加護を受けた騎士であり、開戦当初から弓の訓練に力を入れてきた。上達も実感している。戦場へ出れば、戦果を挙げる自信があるのだ。

 

 なのに。

 

 先日、カーレオンはソールズベリー・ベイドンヒル・ザナスへと次々と侵攻したが、メリオットはどのいくさにも参加させてもらえなかった。昨年九月に仕官して友達になった魔術師カルロータは、ベイドンヒルの戦いに参加し、ディナダンと共に城を落としている。親友のミリアは、まだ大きな戦いには参加していないものの、各地から多くの騎士をスカウトしており、カーレオンの騎士不足解消に一役も二役も買っている。同年代の騎士がこれほど活躍しているのに、自分だけはまだ何の役にも立っていない。それが、メリオットの気持ちを焦らせていた。

 

 お兄ちゃんがあたしを戦場から遠ざけるのは、まだ実力が伴ってないからだろうか――そう思うことはある。しかし、弓の腕は上達している。訓練の結果は上々だ。侮られているとしか思えない。次の戦いは、多少強引にでもついて行こう。そう心に決めた。

 

 ――さて、まだお昼前だけど、そろそろ帰らないとね。

 

 今日は城の外へ出る許可は取っていない。早く帰らないと、無断で外出したことがバレたらまた兄やボアルテから口うるさく説教されてしまう。メリオットは、矢と的を回収し、帰り支度を始めた。

 

 その背後で、がさり、と、草木が揺れる音がした。

 

 メリオットは振り返った。そこは緑の茂みが広がっており、姿は見えず音だけが聞こえる。茂みをかき分ける音と、低い唸り声。獰猛な獣のようだ。メリオットは弓を構えた。狼……あるいは熊だろうか。メリオットは狩りもお手のものだ。狼だろうと熊だろうと、姿を見せれば一射で仕留める自信がある。メリオットは弓を引き絞り、落ち着いて相手が現れるのを待った。

 

 だが、姿を見せた相手を見て、メリオットは思わず息を飲んだ。現れたのは、濃い青色の体毛をした犬のような獣。それは、姿こそ狼だが、それよりもはるかに獰猛で危険なモンスターだった。炎の番犬・ヘルハウンド……でもない。ヘルハウンドの体毛は茶色だが、そのモンスターの体毛は深海のごとく深い青。ヘルハウンドの上級モンスター・フェンリルだ。力も素早さもヘルハウンドを上回り、口から吐き出される炎は灼熱の地獄と称されるほど危険だ。騎士であるメリオットも、初めて見るモンスターである。

 

 フェンリルは姿勢を低くし、メリオットに対し敵意むき出しで唸り声を上げた。

 

 通常、モンスターはマナの力を使って召喚し、騎士が従えているものだ。しかし、最近は何らかの事情で逃げ出したモンスターが野生化し、人を襲う事件が大陸各所で多発している。このフェンリルも、そういった野生化したモンスターなのだろう。

 

 初めて遭遇する野生のモンスターに驚きはしたが、メリオットは気を落ちつかせて再び狙いを定めた。危険な相手だからといって逃げるわけにはいかない。野生化したモンスターを見つけたら、捕獲するか処分するのが騎士の務めだ。メリオットがモンスターと戦うのはこれが初めてだが、やることは狩りと変わらないはずだ。急所を狙い、矢を放つ、それだけである。……いや、ここはあえて急所を外し、捕獲する方が良いだろうか。フェンリルはドラゴンにも匹敵するほど強力なモンスターだ。配下に加えることができれば、兄に自分の腕を示すことにもなる。

 

 ――よし

 

 メリオットは、狙いをフェンリルの後ろ脚に変えた。

 

 充分に狙いを定め、そして、矢を放つ。

 

 矢は、森の空気を切り裂いて飛ぶ。仕留めた、という確信があった。

 

 だが、矢が足を貫くと思った瞬間、フェンリルは風のような身の軽さで跳び、その矢をかわしたのだ。

 

 ――うそ!?

 

 大きく目を開けて驚くメリオット。そこへ、フェンリルが疾走して来る。メリオットは次の矢をつがえようとするが、それよりも早くフェンリルが間合いに入った。鋭い爪と牙を剥き出しにして跳びかかって来る。間一髪、メリオットは身を引いてかわした。そして、フェンリルが着地した隙を衝き、矢を放とうとした。だが、フェンリルは着地と同時にもう一度跳ぶと、襲ってきた時と同じ速さでメリオットから離れていく。あまりの速さに、狙いを定めることができない。

 

 充分な間合いを取ったフェンリルは、再び低い姿勢で威嚇する。今度こそ、と、メリオットはもう一度足に狙いを定め、矢を放った。だが、その矢もフェンリルを射止めることはできない。再び素早い跳躍で間合いを詰められる。メリオットはなんとかかわし、また着地時を狙おうとしたが、フェンリルが予想外の動きをした。着地をした瞬間、身を反転させすぐにまた跳びかかって来たのだ。完全に虚を突かれたメリオットは、それでも何とかかわそうと身を引いた。だが、その鋭い爪をかわしきることはできなかった。右の袖が、二の腕の肉ごと引き裂かれた。苦痛に顔を歪める。それでも弓を引き絞り、間合いを取ろうとするフェンリルに向かって放ったものの、腕の傷が矢の鋭さを大幅に失わせていた。矢はフェンリルから大きく逸れ、木に突き刺さった。間合いを取ったフェンリルは、また姿勢を低くして威嚇する。メリオットは新たな矢をつがえた。

 

 そのまま、しばらくにらみ合いが続く。

 

 まずい、と思った。二の腕の傷は決して深くはないが、矢の威力はどうしても落ちてしまうだろう。万全の状態でも射止めることができなかったフェンリルを相手に、この傷で戦うのは無謀だ。メリオットは、自分の認識が甘かったことを悟っていた。いまの自分の弓の腕ならば、フェンリルが相手でも充分に戦える気でいた。それだけでなく、あえて急所を外し捕獲しようとさえ思っていたのだ。とんでもない慢心だった。捕獲どころか、矢は相手をかすりもしない。訓練でどんなに的を射ぬこうとも、所詮それは動かないものだ。素早い動きで敵を翻弄するフェンリルとはまるで違う。訓練と実戦は違うのだ。悔しいが、ここは退いた方が良いだろう。

 

 フェンリルは矢を警戒しているのか、唸り声を上げたまま動こうとしない。このまま弓を構えて牽制し、少しずつ後退すれば逃げられるかもしれない。そう思った。

 

 だが、甘かった。

 

 フェンリルがその場で身構えたまま、大きく口を開けたのだ。

 

 そして、そこから吐き出される灼熱の炎!

 

 まずい!! メリオットは横に跳び、ぎりぎり炎をかわした。

 

 そこへ、フェンリルがまた疾風のごとく駆けてくる。鋭い爪と牙が襲いかかる!

 

 今度こそダメだ――そう思った瞬間。

 

 メリオットの背後で、何者かの気配がした。誰? と、思う間もなく、現れた大きな影が、フェンリルを弾き飛ばした。フェンリルはその体格に似合わぬ子犬のような鳴き声を上げ、身をよじりながら地面に叩きつけられた。

 

 現れたのは、体格のよい若者だった。フェンリルを弾き飛ばすほどの力を持つからには、間違いなく騎士だろう。武器は持っていない。己の肉体を武器に戦う拳闘士系の騎士だ。

 

 弾き飛ばされたフェンリルだったが、すぐに起き上がると、身を低くし、新たに現れた男を威嚇する。若い男もわずかに腰を落とし、左半身を少し引いて構えた。

 

 先に動いたのは男の方だ。フェンリルにも負けない速さで間合いを詰め、その拳を振るう。フェンリルも同じ速さでその拳をかわす。着地し、攻撃へ転じようとしたフェンリルだったが、再び子犬のような悲鳴を上げることになった。男はフェンリルの素早い動きに翻弄されることはなく、着地したところに拳を叩き込んだのだ。フェンリルは再び間合いを取ろうとするが、男がそうはさせない。素早く間合いを詰め、また拳を打ちこむ。完全にフェンリルの速さを捉えていた。何度か拳で打たれたフェンリルは、敵わないと悟ったのか、さっきまでの威勢はどこへやら、キャンキャンと可愛らしい鳴き声を上げながらまさに尻尾を巻いて逃げて行った。

 

「すごい。フェンリルを簡単に追い払っちゃった。あなた何者?」

 

 礼を言うのも忘れ、メリオットは感心して声を上げた。

 

 男は、「ふふん、あれくらいはなんでもない」と、得意げに胸を張る。

 

 男はシェリダンと名乗った。メリオットが思った通りルーンの加護を受けた騎士だが、どこの国にも仕官してないという。いわゆる在野の騎士である。

 

「だったら、あたしの国に仕官してよ。あなただったら、みんな大歓迎よ?」

 

 これほどの腕の騎士を見逃すテは無い。メリオットは、さっそく勧誘をしてみた。

 

 すると、それまで機嫌良さそうに笑っていたシェリダンは、突然表情を曇らせた。

 

「お前、どこかの国に仕えている騎士なのか?」

 

「え? そうよ? カーレオンという国なんだけど」

 

 シェリダンは舌打ちをすると、「……助けるんじゃなかったぜ」と、失敗したとでも言わんばかりの顔で言った。

 

「え? なんでよ?」

 

「俺は王宮とか宮廷とかが大キライなんだよ。当然、そこに仕えているヤツらもな。じゃあな」

 

 吐き捨てるように言うと、シェリダンは行ってしまおうとする。

 

「あ、待ってよ! ……あつっ!」

 

 追いかけようとしたメリオットだったが、フェンリルから受けた右腕の傷が痛み、思わず声を上げる。

 

 それを聞いたシェリダンは振り返り、困ったような顔をした後、言った。「……近くに村があるから来い。治療してやる」

 

 正直、それほど大きな傷ではない。この程度ならばいつも持ち歩いている応急処置の道具で充分だし、ソールズベリーへ戻ればボアルテの魔法ですぐに治療してもらえる。しかし、せっかく新たな騎士を勧誘するチャンスだ。メリオットはお言葉に甘えることにした。

 

 村へは半時ほどで着くという。ただ、その村は彼の故郷ではなく、一時的に世話になっているだけだそうだ。シェリダンは大陸各地を旅し、困っている人を助けることを生業にしているらしい。

 

「だったら、なおのことうちに仕官すればいいのに」村へ向かいながら、メリオットはさっそく説得を試みた。「この戦争を早く終わらせることが、なによりも人助けになるわよ?」

 

「お断りだ。王宮の連中に手を貸すくらいなら、死んだ方がましだ」

 

 そこまで言うか、とメリオットは呆れる。同時に、内緒にしてはいるがこの国の姫である身として、カチンともくる。

 

「仕官したこともないクセに、なんでそこまで王宮を嫌うの?」

 

「見くびるな。何年も前だが、一度仕官したことはある。だが、あれは何だ? どいつもこいつも民のことは考えずに己の私腹を肥やそうという連中ばかりだ。あげくに、王宮内で勢力争いだの足の引っ張り合いだの醜い争いを繰り広げる。あんなのに巻き込まれるのは、二度とごめんだね」

 

 旧アルメキアの王宮に仕えていたのだろうか? 確かに、あそこの王様は愚王と呼ばれ評判は最悪だったし、王宮内はシェリダンの言う通り己の私腹を肥やそうとする愚臣ばかりで腐敗しきっていたらしい。

 

「うちはそんなことないわよ? まあ、王様はいつもグータラしててちょっと頼りないけど、悪い人じゃないし、他の人たちも、みんないい人よ?」

 

「いや、信用ならん。とにかく俺はもう二度と仕官しないと決めた。俺の力は、困っている人たちのために使う」

 

「それはそれで立派なことだとは思うけど、でも、今はやっぱり、戦争を終わらせることが大事よ」

 

「イヤなものはイヤだ!」

 

 その後もメリオットは説得を続けるものの、シェリダンは「イヤだ!」の一点張りで拒み続けた。何というか、腕は立つがどこか子供じみた人だな、と、メリオットは内心呆れた。

 

 半時ほど歩き、小さな集落に着いた。シェリダンが世話になっているという家に向かうと、玄関の前に数人の村人が集まっていた。その一人が、戻ったシェリダンを見つけて手を挙げた

 

「――おう、シェリダン、やっと戻ったか! 大変だ、あんたの故郷から連絡があって、実家のお母さんが、モンスターに襲われて怪我をしたそうだ!」

 

「ええ!?」

 

 シェリダンと同時に、メリオットも驚いて声を上げる。野生モンスターの被害は、メリオットが思っている以上に深刻なのかもしれない。

 

「実家は遠いの?」メリオットは訊いた。

 

「いや、急げば半日とかからず帰れる」

 

 なんだ、大陸中を旅していると言ってたからよほど遠いのかと思ったら、そんなに近いのか、と、チラッと思ったものの、それは言わないでおく。

 

「なら、すぐ帰らないと」

 

 だが、メリオットが促しても、シェリダンは、「知らん!」と首を横に振った。

 

「はぁ!? なに言ってんの!」

 

「おふくろは俺のやることにいちいち口出ししてうっとうしいんだ。二度と会いたくない」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 怪我したのよ!?」

 

「たぶん大丈夫だ。死にはしないさ」

 

 何を根拠にそんなことが言えるのだろう。そのうえ口うるさいから二度と会いたくないとか、ホントに子供だな。さすがのメリオットも腹が立ってきた。

 

「そんなくだらないこと言ってて、親の死に目に会えなかったらどうするつもりよ! 一生後悔することになるわよ!」

 

 不吉なことを言って脅すのもどうかとは思ったが、効果はてきめんだった。死に目という言葉に、シェリダンの顔はみるみる青ざめ、村を飛び出して一目散に故郷へ戻って行った。焚き付けた身としては、最後まで見届けなければならないだろう。そう思ったメリオットも、後を追った。

 

 昼過ぎには故郷の村にたどり着いた二人。メリオットは旧アルメキアに故郷があると思っていたが、意外にもイスカリオだった。二人はシェリダンの実家へと向かう。

 

「おふくろ! 帰ったぞ! 大丈夫か!」

 

 玄関を開けるなり、シェリダンは大声で言った。

 

 母親は寝室のベッドにいた。シェリダンが帰って来たのを見ると、ゆっくりと上半身を起こした。頭や腕など、いたるところに包帯が巻きつけられてあり、痛々しい格好だった。

 

「ああ、おふくろ。こんな姿になって、痛かっただろう?」

 

 優しい声でいたわるシェリダン。メリオットの脅しが効いたのもあるだろうが、そんなに心配なら意地を張らず最初から素直に帰ればいいのに、とも思う。

 

 だが、そんなシェリダンに対し、母親は。

 

「なんだお前、何しに帰って来たんだい」

 

 突き放すような声で言った。

 

 思わぬ言葉に、シェリダンは困惑した表情になる。「何しにって、おふくろがモンスターに襲われて怪我をしたって聞いたから、心配で戻って来たんだよ。安心しろ。俺は、もうどこにもいかない。これからは、俺がおふくろをモンスターから守ってやる」

 

 母親は、ふん、と鼻を鳴らした。「どこにもいかないって、お前、大陸中の困ってる人を助けるって出て行ったじゃないか。あれはどうするんだい」

 

「それは一時休業だ。俺にとっては、やっぱりおふくろのことが大事だからな」

 

 母親は、やれやれと言わんばかりに首を振った。「はん、またかい」

 

「また?」

 

「ああ。騎士になると言って家を出たかと思いきや一年と経たず帰ってきて、戦争が始まってからは人助けをすると大口叩いてまた家を出たくせに、もう家に帰ると言い出す。お前はいつだってそうさ。何をやっても、長く続いたためしがない。ちょっと壁にぶち当たったら、すぐに投げ出すからね」

 

「投げ出したわけじゃない! おふくろのためを思ってやめるんだ。騎士だって、その気になれば一人前になれたんだ」

 

「へぇ? じゃあ、なんでその気にならなかったんだい?」

 

「それは……宮廷の権力争いに嫌気がさして……」

 

 急に口ごもり始めたシェリダンを、母親は「はんっ!」と笑い飛ばした。「ごちゃごちゃと言い訳がましい男だねぇ。素直に実力がなかったことを認めたらどうだい」

 

「ふざけるな! 俺は本気を出せば、すぐに一人前の騎士になれるんだ!」

 

 よほど気に障ったのだろうか。シェリダンは顔を真っ赤にして反論するが、これまでの彼の言動からすると、正直説得力は無い。

 

「口ではなんとでも言えるさ。まったく、図体と口ばかり立派になって、中身は子供のままなんだから。情けなくて涙が出るねぇ」

 

 大袈裟に涙を流す演技をする母親に対し、シェリダンは拳を握りしめ、わなわなと震え始めた。大丈夫かなこの人。もし怪我をした親に殴りかかるようなマネをしたら、矢で射抜いてでも止めないと。メリオットが密かに弓の準備をしていると。

 

「――なら証明してやる!」

 

 シェリダンは、母親に人差し指を向けた。

 

「証明?」

 

「ああ。ちょうど、カーレオンの騎士にならないか、と誘われていたところだ。見てろよ。すぐに一人前の騎士になってやる。それまで、くたばるんじゃねえぞ!」

 

 言葉を叩きつけるように言うと、シェリダンは家を出て行った。

 

 なんだかおかしなことになって来た。メリオットが、シェリダンを追うべきか母親をなだめるか迷っていると。

 

「――あなたは、カーレオンの騎士様ですか?」

 

 先ほどの威勢のよさが嘘のように、母親がしおらしい声で言う。

 

 メリオットが「そうです」と答えると、母親は、深く頭を下げた。

 

「どうか、あの子をよろしくお願いします」

 

 だが、すぐに苦しそうな声を上げる。いまの威勢のいいケンカですっかり忘れていたが、母親は大怪我をしているのだ。メリオットは駆け寄ると、母親をベッドに寝かせた。あまり顔色は良くない。思った以上に傷は深いのかもしれない。

 

「……本当にいいんですか? 息子さんが仕官しても。せめて、怪我が治るまで、そばにいてもらっては?」

 

 メリオットはそう提案するが、母親は首を横に振った。「いいんです。あの子は優しいから、本当に私のためにこの家に留まるでしょう。でも、それではあの子はいつまでたっても変わることができません」

 

 あの子があんな性格になったのは自分のせいだ、と、母親は言う。彼がまだ幼い頃、父親が流行り病で亡くなったせいで、厳しいしつけができなかった。何をしても中途半端で、最後までやり遂げたことがない。このまま家にいては、あの子のためにならない、と、メリオットに訴える。

 

 そして。

 

「――どうか、どうかあの子のことをお願いします。もしまた逃げ出そうとしたら、殴りつけてでも止めてください。あの子が一人前になれないと、私は、死んでも死にきれません。どうか……どうか……」

 

 メリオットの腕にすがりつき、涙を流しながら、そう訴えた。

 

 優しい母親だ――そう思う。さっきまでの突き放すような言い方は、息子の性格を誰よりも知るからのことだろう。ああ言えば、負けず嫌いの彼が騎士になると言い出すことが判っていたのだ。

 

「判りました。任せてください」

 

 メリオットが約束すると、母親はまた泣きながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と、何度も頭を下げた。本当にいい母親だ。それに比べ、息子の方は……。

 

 メリオットは母親に別れを告げると、シェリダンを追いかけるため、家の外に出た。

 

「――――」

 

 シェリダンは、隣の家の住人と会っていた。

 

「どうか、おふくろのことをお願いします!」

 

 土下座するほどの勢いで、頼み込む。

 

「俺がいない間、おふくろのことを頼みます。お礼は必ずしますので、どうか……どうか、お願いします!」

 

 その家の人が承諾すると、さらにその隣の家を訪ねて頭を下げ、さらにその隣、と、近所の全ての家を訊ね、母親のことをお願いして回る。

 

 その姿を、メリオットは、ずっと見つめていた。

 

「……よし!」

 

 最後の家へのお願いが終わったのを見届け、メリオットはシェリダンに声をかけた。「さあ、お城に行きましょう。お母さんのことは安心していいわ。すぐに、お城から治療魔法が使える人を来させるから」

 

「城の人が? それは安心だ」

 

「じゃあ、早く帰るわよ? さっそくお兄ちゃんに紹介しなきゃ!」

 

「お、お兄ちゃん?」

 

 きょとんとするシェリダンを連れ、メリオットは大急ぎでソールズベリーへ戻った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二八話 ヴィクトリア 聖王暦二一七年三月上 イスカリオ/カエルセント

 イスカリオの女魔術師ヴィクトリアは、ティーポットとティーカップとケーキをのせたトレーを持ち、王都カエルセントの王宮内にあるイリアの居室へ向かっていた。前節、イリアはブロノイルという謎の魔導士の術にかかり、王ドリストを襲撃しそうになったという。幸い襲撃は未遂に終わったものの、ブロノイルの施した術を破るため、イリアは呪いの炎で自らの身体を焼いたそうだ。その傷は深く、イリアをもってしても一節の休養を余儀なくされていた。今日は、そのお見舞いのため、戦線を離れてやってきたのである。

 

 イリアの部屋の前に来たヴィクトリア。両手は塞がっているので、ちょっと行儀は悪いがヒールの先で蹴ってノックする。返事は無いが、まあ返事をする人でもないので、構わずドア越しに呼びかける。

 

「イリア? いるんでしょ? ちょっと手がふさがってるの。ドアを開けてちょうだい?」

 

 しばらくすると、がちゃりとドアが開き、いつも通りの無表情で無言のイリアが顔を見せた。

 

「おはよう、イリア」

 

「…………」

 

「挨拶くらいしなさいな。まあいいですけど。それより、聞きましたわよ? あなた、ドリスト様を守ろうとして、大怪我なさったんですって? 大変でしたわね? 今日はお見舞いにきましたの。入れてくださる?」

 

「…………」

 

 イリアはやはり無言だったが、ヴィクトリアの訪問を拒むことはなく、通れるようにドアを大きく開けてくれた。

 

「お邪魔しますわね」

 

 中に入り、部屋を見回す。ベッドとテーブルがひとつずつにイスが二脚。家具はそれだけで、あとは槍や鎧兜などの武具があるだけの簡素過ぎる部屋だ。ヴィクトリアがイリアの部屋を訪れるのは初めてだが、まあ予想通りと言えば予想通りではあった。

 

 ヴィクトリアはテーブルの上にトレーを置いた。「驚かないでね? これ、カエルセント坂通りの三ツ星スイーツ店・ミッツホッシーの一日三十個限定クリームたっぷりプレミアムロールケーキですのよ? 開店十五刻で売り切れる幻の品ですの。朝から並んで買って来たんですからね」

 

 イリアの年頃の女子なら悲鳴を上げて喜ぶスイーツだが、イリアは何の反応も示さない。もちろんヴィクトリアもそこに期待していたワケではないので、気にせずテーブルにケーキを置き、ティーカップにお茶をそそいだ。

 

「さあ、どうぞ」

 

「…………」

 

 イリアが席に着いたので、ヴィクトリアも座る。いただきます、とヴィクトリアが言うと、イリアも無言で食べ始めた。ヴィクトリアも食べる。このプレミアムロールケーキは、スポンジケーキよりもクリームの量が多いというロールケーキ界に革命を起こした品である。シルバードラゴンのブレスよりも白い純白のクリームは量が多い分甘みを抑えあっさりとした味わいで、ウィークネスをかけられたグールよりもやわらかいと賞されるスポンジケーキとの相性はバツグンだ。

 

「ああ、美味しいですわねぇ」ひと口食べ、ほっぺを押さえて美味しさを表現したヴィクトリアは、イリアにも訊く。「どう? イリア、美味しい?」

 

 まあ何も答えないだろう、と思って訊いたのだが、意外にも返事が返ってきた。

 

「……判らない」

 

「……え?」

 

「食べ物の味は、判らない」

 

「そんな……こんなに美味しいのに?」

 

「判らないんだ。おいしいとか、美しいとか、いい香りとか。そういったものを感じることはできない」

 

 イリアは、それを憂いたり悲しんだりもちろん喜んだりすることも無く、ただ当たり前のことを当たり前に伝えるように言う。

 

「…………」

 

 今度は、ヴィクトリアが無言になってしまった。

 

 魔導士ブロノイルの手によりデスナイトの実験台にされてしまったイリアは、感情や意思の大部分を失ってしまったという。失敗作とされ捨てられた彼女は、偶然ドリストと出会った。ドリストの命令に絶対服従し、表情ひとつ変えず敵を討つイリアは、いつしか『キラードール』と呼ばれるようになった。その理由が判ったような気がした。意志を失っているから他者の命令で動き、感情が無いから敵を討つ時も表情を変えられない。キラードール・イリアは、こうして生まれたのだ。

 

「……そう言えば、キャムデンさんが、あなたの過去について調べたそうなの」

 

 ヴィクトリアは、キャムデンから預かったメモを取り出した。

 

「ログレスの遊郭で、セレナという名前で調べたら、少しだけ判ったみたいだけど――」

 

「いらない」

 

 イリアは、ヴィクトリアの言葉を最後まで聞くことはなく、それを拒否した。

 

 そして。

 

「私の名はイリアだ。セレナではない」

 

 そう言い切った。

 

「……そうね」

 

ヴィクトリアもそれ以上は言わず、メモをしまった。時には知らなくていい過去もある。彼女がそれを求めていない以上、これはもう必要のないものだ。

 

 イリアは、静かに立ちあがった。「――もう行く」

 

「行くって、どこへ?」

 

「私は陛下の犬だ。常に陛下のそばにいて、陛下の命令に従う」

 

 防具を身に付け、槍を持つと、イリアはそのまま部屋から出て行こうとする。

 

 ヴィクトリアは小さくため息をついた。ブロノイルの事件の際、ドリストは、イリアという名が昔飼っていた犬の名前であると言ったそうだ。彼女は、陛下が大切にしていた名前を頂いた、と解釈したようだが、正直、ちょっとどうなのかと思う話である。それに、自分のことを『陛下の犬』というのは……。イリア自身は自虐的に言っているわけではないだろうが、聞く側はどうしてもネガティブに感じてしまう。

 

「イリア?」

 

 ヴィクトリアは、出て行こうとするイリアを呼び止めた。

 

 そして、振り返ったイリアに、「ちょっと、お出かけしましょうか?」と誘い、ふたりで城を出た。

 

 

 

 

 

 

 ふたりは、カエルセントの寺院にある王家の墓所へやってきた。高い柵に囲まれ、門は固く閉ざされてあるが、ヴィクトリアは空を飛ぶフライングの魔法を使い、軽々と飛び越えた。そして、奥にある最も大きな墓の前まで行く。

 

「陛下が飼っていた犬……イリア、の墓」

 

 イリアは、名前の刻まれていない墓を見上げ、そうつぶやいた。

 

 ヴィクトリアはわずかに首を振った。「違うのよ。陛下は恥ずかしがり屋さんだから、あんな風に言ってたけどね――」

 

 そこで言葉を切る。この話をしたことがドリストにばれると、ヴィクトリアは一生化粧禁止にされるかもしれない。考えただけでも恐ろしいが、それでも、どうしても伝えておかなければならない。

 

 ヴィクトリアは心を決めると。

 

「これ、陛下の――妹さんのお墓なの」

 

 ずっと、心に秘めていた真実を、伝えた。

 

「陛下の……妹?」

 

 イリアが、驚いたように大きく目を見開く。

 

「ええ」と、ヴィクトリアは頷き、「これは、陛下が即位する、何年も前の話なんだけどね――」と、自分が知る限りのことを、話して聞かせる。

 

 

 

 

 

 

 それは、ドリスト即位前――先王の時代。

 

 当時のイスカリオは、旧アルメキアにも劣らぬほど腐敗しきった国であったという。

 

 国の財は一部の貴族にのみ集中し、庶民は苦しい生活を強いられていた。王宮内では権力闘争が続き、真に国に忠義を尽くす家臣は謀略の末に排除され、私腹を肥やすことしか頭にない者どもが、醜い争いを繰り広げていた。

 

 イスカリオは代々独裁国家である。国を牛耳るのは王自身だ。そのため、王宮内での権力争いは、いかに王に気に入られ、王に取り入るかであった。やがてこの争いは、王位継承権を持つ者をいかに身内の陣営に取り入れるか、という争いへ発展した。

 

 先王には、正室との間に子が一人いた。これがドリストである。王位継承権は、もちろん第一だ。

 

 当時の大臣や貴族は、先王に多くの側室を送った。王と側室の間に子が生まれれば、その者は王位継承権を得る。それだけでも王宮内の地位は上がるし、もしドリストに万が一のことがあれば、自分の息のかかった者が次の王ともなれる。そうなれば、国を操ることもできるのだ。

 

 そのような中、先王と地方貴族の娘だった側室との間に、一人の女の子が生まれた。それが、ドリストの妹・イリアだった。

 

 イスカリオでは、女性にも王位継承権は発生する。王宮内は、ドリストを次期王として推す勢力と、イリアを次期王と目論む勢力のふたつに分かれ、権力争いはますます過熱する――と、思われた。

 

 しかし、イリアの母親は、これらの権力闘争に自分の子が巻き込まれることを恐れた。そして、我が子を喪うよりは、と、王位継承権を捨て、まだ赤子のイリアを連れて王宮を去ることを決意したのである。

 

 母親は、南にある辺境の土地ロージアンに住居を与えられ、そこに移り住むこととなった。幽閉同然の処遇であったが、王位継承権さえ捨てれば、醜い争いに巻き込まれることはない――そう考えていた。

 

 だが、甘かった。いかに継承権を放棄しようとも、血のつながりまで断つことはできない。継承権がよみがえる可能性も充分ある――そう考えた者は、少なくなかったのだろう。

 

 数年後、イリアとその母親は謎の死を遂げた。詳細は定かではないが、恐らくドリストを次期王に推す者が、彼の王位継承を盤石にするために暗殺したのであろう。()()()()()()()()()()()()――最も可能性が高いのは、先王の正室、すなわちドリストの母親である。

 

 この話を知ったドリストは、深く悲しんだという。

 

 数年後、先王の急死によりドリストが王に即位すると、ドリストはイスカリオの貴族制度を廃止。同時に独裁体制を強固なものとし、権力争いを続ける王宮の大臣どもを一斉に国外へ追放したのだ。その追放された者の中には、彼の母親も含まれている。

 

 そして、アルスターやキャムデンなど新たな家臣を登用したドリストは、古くから続く国の制度も独断で廃止、あるいは変更し、新たな政策も次々と提案し即実行した。

 

 それらの振る舞いは、他国から『狂王』と揶揄されるほど常軌を逸したものであったが。

 

 結果的に、ドリストは腐敗しきっていた国を生まれ変わらせたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「――このお墓にはね、陛下の妹さんと、そのお母さまが眠っているの」

 

 ヴィクトリアは、そう話を終えた。この話は、側近のアルスターやキャムデンでさえ知らない。当時の王宮内でもごく一部にしか知られていないし、詳しく知る者はみな追放されたのだから。

 

「イリア……陛下の……妹の名前……」

 

 妹の名を託された少女は、その名を胸に刻むようにつぶやく。

 

「だからと言って、あなたが妹さんの代わりという訳ではないでしょうけど……あなたは、妹さんと歳の頃が同じだったのよ。どうしても、想いを重ねてしまうんでしょうね」

 

 そのとき。

 

 感情を持たぬはずのイリアの目から、涙がこぼれ落ちた。

 

 それは、ほんのひと粒の、本当に小さな涙であったが、ヴィクトリアは確かに彼女の涙を見た。

 

「イリア! あなた、涙が!」ヴィクトリアは叫んだ。

 

「涙……私が……」

 

 イリアは頬に残った涙の跡を右手で触り、そして、その涙の後を追うように下を向く。こぼれ落ちた涙は、彼女の衣服にしみ込んだのか、あるいは地面に落ちて土に消えたのか、もう判らない。だが、確かにそこにあったのだ。

 

 そして、そのひと粒の涙は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということでもある。

 

「イリア! あなた、いま悲しいのね!? 妹さんを喪った陛下の心情を思い、悲しんでいるのね!?」

 

 ヴィクトリアは、イリアの胸の奥に隠されたものを引き出すために、強い口調で言う。

 

「悲しい……これが、悲しいという感情……」

 

 イリアは、己の感情の存在を探るように、自分自身の身体を見つめる。

 

「ええ! そう! あなたは感情を失ってなどいない。そうよ! あなたはデスナイトに改造されそうになったけど、それに耐えた。デスナイトにならなかったのは、きっと、感情を失わなかったからよ! あなたには、元々それだけ強い感情があったのよ!」

 

 デスナイトの改造の詳細など、ヴィクトリアは知るよしもない。なんの根拠もないことを言っているだけだ。なくても良い。そこに、彼女が感情を取り戻すきっかけさえあれば。

 

「……私にも、感情がある」

 

 イリアは、わずかに唇の端を震わせた。

 

「イリア、いま笑ったでしょ? ええ、笑ったわ! イリア、あなた、感情が戻ってきてるのよ! その気持ち、大切にしてね!」

 

「……はい」

 

 イリアは静かに――しかし、強い気持ちを宿した声で、ヴィクトリアに応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 イリアは、ドリストの元へ戻って行った。

 

 その背を見つめながら、ヴィクトリアは。

 

「イリア……あなたのその名前も、大切にしてね」

 

 決して届くことのないかすかな声で、つぶやく。

 

 ヴィクトリアは、王の妹とその母親の墓の前に跪くと、深く――深く、祈りをささげた。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一二九話 ドリスト 聖王暦二一六年九月上 エストレガレス帝国/トリア

 魔導士ブロノイルが、イリアを使い、狂王ドリストを襲撃する半年ほど前――。

 

 

 

 

 

 

 帝国との抗争を続けるイスカリオは、魔導都市トリアへと侵攻していた。トリアは王都ログレスの南の玄関口であり、ここを制圧すれば、帝国の心臓部へ大きく近づくことになる。その上、トリアはログレス以外にもファートやディルワースなど多数の周辺拠点に通じているため、イスカリオがこの地を抑えると、帝国は必然的に兵力を分散しなければならなくなる。イスカリオの帝国侵攻において、このトリアは極めて重要な拠点となるのだ。それはすなわち、帝国にとっては絶対に奪われてはならない拠点ということでもある。その重要性を示すかのように、帝国側は前節まで西方面の戦場へ向かわせていた主力騎士の部隊をトリア周辺へと差し向けてきた。いま、トリアを守るのは、四鬼将の一人である魔術師ギッシュと、魔導の名門カールセン家の当主ランギヌス、そして、捨て身の特攻によりわずか三ヶ月で西アルメキアを滅ぼした皇帝ゼメキスであった。

 

 トリアは、とりわけ南からの侵攻に強い都市である。すぐ南に広大な森が広がっているため、侵攻側はこれを迂回する必要がある。イスカリオ領であるカーナボンから侵攻する場合は、必然的に東側の一方向から攻めることになるのだ。トリアを南部から攻める場合、南東のカーナボンだけでなく、南西のオルトルートからも兵を送り、東西二方向から攻めるのが定石となる。しかし、いまのイスカリオではこの作戦は行えない。オルトルートは、現在帝国の領土なのだ。

 

 つまり、イスカリオがトリアへ侵攻するならば、まずオルトルートを落とすことが重要なのだ。ここを抑えずにトリアへ侵攻するのは、軍略的には下策と言わざるを得ない。

 

 だが、狂王ドリストはこの定石を無視してトリアへ侵攻した。それは、周りから見れば、狂王のいつもの無茶な振る舞いでしかなかったのだが――。

 

 

 

 

 

 

 開戦とほぼ同時にトリアの東門が開き、漆黒の鎧に身を包んだ騎士を先頭に大部隊が出撃した。それを見て、ドリストはニヤリと笑う。守りに強いトリアとはいえ、ゼメキスが城壁の向こう側でじっとしているはずがない。すぐに出てくるだろうと思ったが、その通りになった。当然、この機会を逃すテはない。ドリストも、部隊の先頭に立ち突撃する。トリアの攻防は、開戦一時(いっとき)も経たず、両軍の総大将同士が――いや、両国の君主同士が、相見えることになる。

 

 先手を取ったのはゼメキスだった。巨大なクロスボウから放たれた太矢が、ドリストを襲う。無論、ゼメキスのクロスボウによる攻撃はドリストも警戒していたことであり、まだ距離も離れているため、身を横に反らして難なくかわした。後方で兵の何人かがまとめて吹き飛ばされたが、ドリストは構わず突撃する。だが、間合いを詰める前に、ゼメキスが次の矢をつがえた。

 

「……陛下」

 

 ドリストのやや後方で、ともに突撃していたイリアが槍を構えていた。槍騎士であるイリアは、槍を投擲(とうてき)する攻撃も身に付けている。この距離ならばゼメキスを狙うこともできるが。

 

「余計なことはするなよイリア! これは、オレ様とゼメキスとの戦いなのだからなぁ!」

 

「……はい」

 

 イリアが槍を下ろすと同時に、二本目の矢が飛んできた。距離が縮まった分、その速さはさっきよりもさらに増している。だが、ドリストも素早さには自信がある。再び身を反らせた。矢はドリストの右の二の腕を掠めたものの、皮膚一枚裂いただけにとどまった。ドリストはさらに突撃して間合いを詰める。そして、ゼメキスが次の矢を放つ前に間合いに入り、大鎌を振り下ろした。

 

 がしん!

 

 重い音とともに火花が飛び散り、鎌が弾き返された。ゼメキスの武器はクロスボウから剣へと持ち替わっていた。巨大なクロスボウを手に戦場を駆け回る姿で知られるゼメキスだが、当然接近戦も心得ている。その剣技はナイトよりも剣士に近く、鞘に収められた状態から疾風のごとき早さで抜刀し攻撃・反撃する『居合』を得意としていた。ゼメキスの剣は、幅広ではあるが決して大きなものではなく、刀身は1メートルほどであろう。体格の大きなゼメキスが持つと小剣のようにさえ見える。そんな小さな剣で、柄の長さが身の丈を超えるドリストの大鎌を簡単に弾き返すのは、力だけでなく、攻撃の重心を見極める眼力とそこを正確に狙う技も必要になるだろう。ドリストの手には、鎌を弾かれた衝撃が痺れとして残っている。この手応えは、あのデスナイト・カドール以上かもしれない。

 

 ドリストは大鎌を構え直すと、唇の端を吊り上げて笑った。

 

「クーックックック、ようやく会えたなゼメキス。戦義をしても良かったんだが、やはりテメェとは刃を交えねぇと話にならんからなぁ」

 

 ゼメキスは、ふん、と鼻を鳴らした。「狂王ドリスト。俺が不在の間に随分と暴れ回ったようだな。今日は血で(あがな)ってもらうぞ」

 

「まあそう意気込むな。テメェには、礼を言おうと思ってたのだ」

 

「礼だと?」

 

「ああ。テメェがクーデターを成功させてくれたおかげで、こんなにも楽しい世の中になったのだからな。大陸中の王や騎士が本音をさらけ出してぶつかり合う……オレ様は、こういうのを待っていたのだ。さあ、俺たちも楽しもうぜ!」

 

 ドリストは再び大鎌を振り上げ、ゼメキスへ斬りかかった。ゼメキスはその刃を恐れず、逆に大きく踏み込むと、ドリストの懐に入り込んで剣を振るった。ドリストは鎌の軌道を変え、ゼメキスの剣を受け止める。そしてまた間合いを取ると、さらに鎌を振るった。二度、三度、と、刃が激しく交わり、火花を散らす。

 

「貴様の楽しみなどに興味はない! 俺は、俺の道を進むのみ!」

 

 さらに剣を振るうゼメキス。その刃をかわし、間合いを取ると、すぐに矢が飛んでくる。攻めも守りも、一分の隙もない。さすがに旧アルメキア時代より常にいくさの最前線で戦い、生き延びてきただけのことはある。

 

「へっ、とぼけるんじゃねぇぞ? テメェだって楽しそうじゃねぇか」

 

 ドリストが鎌を振るい、ゼメキスがそれを受け止めた。

 

「なに?」

 

「ノルガルドの前王ドレミディッヅを討ち、クーデターを起こしてアルメキアを乗っ取り、そして、その残党のランス王子率いる西アルメキアも滅ぼした。いままで、これほど全力で戦い続けたことはねぇだろ?」

 

「…………」

 

 ゼメキスの剣がドリストの胸をとらえた。ただ、それは切っ先のわずかな部分であり、ドリストの鎧に傷を付けただけにとどまった。

 

「素直になりな! 楽しいことは、遠慮なく楽しいと言やぁいいんだよ!!」

 

 大鎌を振るう。ゼメキスが剣で受け止めるが、その剣が弾かれた。今度はゼメキスが間合いを取る。

 

「ふん、噂通り変わった男だな狂王。確かに、我が人生でもここまで長く激しい戦いは経験がない。だが、楽しいかどうかを決めるのは、俺がこの剣を収めるときだ!」

 

「ケッ! 強情な脳筋だぜ!!」

 

 ゼメキスが剣を、ドリストが大鎌を振るう。ふたつの刃がまた交わろうとした、その時。

 

 突如、天から光の刃が落ちてきて、ゼメキスの身体を貫いた。

 

「――――っ!!」

 

 ゼメキスは言葉にならないうめき声を口にし、その場に膝をつく。ドリストも鎌を止めた。今のは、恐らく稲妻の魔法だ。

 

「誰だ!? せっかく楽しくなってきたところを、邪魔するとただじゃおかねーぞ!!」

 

 周囲に向かって怒鳴る。キャムデンあたりが援護のために使ったのなら死刑を十倍増しにしても足りない失態だが、あいつは緑魔法である稲妻の魔法は使えないはずだし、そもそも今回の戦いには同行させていない。イリアも緑魔法は使えない上に手出しするなと命令してある。当然、配下のモンスターも命令無しに使うことはない。ならば帝国側の騎士だろうか? ギッシュもランギヌスも大陸屈指の魔術師だ。攻撃魔法を味方に誤射するようなマヌケではないだろう。ならば誰だ? 周囲を見回しても、稲妻の魔法を使うような騎士もモンスターもいない。

 

 ――いや。

 

 不意に、ゼメキスの頭上の空間が歪んだ。まるで水面に石を投げ込んだかのような波紋がいくつも広がり、そこから、黒い法服に身を包んだ老人のような姿の男が現れた。浮遊の魔法を使っているのか、空中に留まり、黒曜石のような暗い目でゼメキスを見下ろす。

 

「――久しぶりだなゼメキス」

 

 宙に浮く男は、しわがれた声で言った。

 

「ブロノイル!!」

 

 ゼメキスが憎々しげな目で見上げた。魔法のダメージが大きいのか、立ち上がることができない。

 

「おい! 誰だテメェ!!」

 

 ドリストは鎌の先を向けて怒鳴る。ゼメキスとの戦いは、もはや二国の君主同士の一騎打ちと言っても良い状況だった。それを不意打ちで妨害するのは、騎士にあるまじき行為である。

 

 だが、現れた男は卑劣な行為を恥じた様子も無く、薄い笑みを浮かべ、ドリストの方を見た。

 

「我が名はブロノイル、求め続ける者。狂王、会うのは初めてだな。だが、今日は貴様に用はない」

 

 そして、視線をゼメキスに戻した。「ゼメキス、西アルメキアを滅ぼした貴様は領土を広げ過ぎた。これ以上は控えてもらおう」

 

 右の手のひらを向けた。そこから呪いの炎が吹き出し、ゼメキスを襲う。ゼメキスほどの騎士ならば魔法への耐性も身に付けているだろうが、それでも稲妻の魔法一発で膝を折るほどの相手だ。呪いの炎はさらに強力で、いかにゼメキスといえどただでは済まないかもしれない。

 

「誰だか知らねぇが邪魔すんじゃねぇ! イリア!」

 

 ドリストが命令すると、イリアは槍を構え、上空に留まるブロノイルに向かって投げた。槍は正確にブロノイルへ向かって飛ぶ。ブロノイルは魔法を使っている最中で身動きが取れない。かわすことはできないはずだった。

 

 だが、イリアの槍がブロノイルの身体に刺さる寸前、なにかとてつもなく硬い物にぶつかったような衝撃音がして、槍が弾き返されてしまった。ブロノイルは鎧など身に付けていないし、そもそも槍は触れてもいない。なにか、見えない障壁がそこにあるかのようだ。

 

「その程度の攻撃では我が結界を破ることはできんぞ」

 

 ブロノイルはイリアに目を向けた。その黒曜石のような目をひそめる。何かに気づいたような表情。それを確認するためか、身体が下降してくる。そして、イリアの前に静かに降り立った。

 

「……お前はセレナ。まさか生きておったとはな。そうか。狂王に拾われたか。運が良かったな」その目を、今度はドリストに向けた。「いや、狂王にとっては運が悪かったというべきか」

 

「ゴチャゴチャとうるせーんだよ!!」

 

 下へおりてきたのを幸いに、ドリストはブロノイルに向けて大鎌を振るった。回転して横斬り、さらに袈裟斬りと、連続で鎌を叩きつけた。だが、やはり刃はブロノイルに触れることすらできず、見えない障壁に弾き返される。

 

 ブロノイルは、障壁の向こう側で不敵な笑みを浮かべた。「無駄だと言っておろう。貴様らなど、我が魔術の敵ではない。だが、良いことを思いついた。今日のところは退いてやろう。ゼメキス、運が良かったな」

 

 再び、ブロノイルの周りの空間が歪んだ。発生した波紋はブロノイルを包み込み、それが消えると、ブロノイルの姿も消えていた。

 

 ドリストは舌打ちをすると、鎌を肩に乗せた。「……おかしな術を使うヤツだぜ。イリア、知り合いか?」

 

 イリアはブロノイルが消えた空間を睨みつけながら、「いいえ」と、短く答えた。

 

 ドリストはゼメキスを見る。「おいゼメキス、ありゃなにモンだ?」

 

「……貴様には関係のないことだ」

 

 ゼメキスはゆっくりと立ち上がり、剣を構えた。だが、傷は浅くはない。まともに戦える状態でないのは明白だ。

 

「フン、まあいい。興醒めだ。イリア、帰るぞ」

 

 ドリストはイリアに言うと、ゼメキスに背を向けた。

 

「はい」

 

 イリアもドリストに続く。

 

「待て、俺の首を取っていかぬのか?」

 

 ゼメキスは去ろうとするドリストを追おうとして一歩踏み出したが、また膝から崩れた。

 

 もう一度ゼメキスを見たドリストは、ニヤリと笑った。「別に構わんぜ? オレ様は、弱い者いじめはキライじゃねぇからな」

 

 そう言った後、「――だが」と言って、笑みを消す。「テメェのことはよく判った。もう会うことはないかもな」

 

 そして歩き出す。もう、何を言われても振り返らなかった。

 

 ただ。

 

「……テメェとは、機会があったら飲み比べでもしたかったぜ。()()()()()()()()としてな」

 

 決して相手には聞こえることのない声でつぶやいた。

 

「じゃあな」

 

 背を向けたまま軽く手を挙げると、ドリストは全部隊を引きつれ、カーナボンへと撤退した。

 

 

 

 

 

 

 この後、ドリストは帝国侵攻から一転、ノルガルドへと侵攻を開始する。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三〇話 ノイエ 聖王暦二一七年三月下 ノルガルド/キャメルフォード

 白狼ヴェイナードに仕える騎士ノイエは、キャメルフォードの城内で新米騎士のコルチナを探していた。今日は、午後から訓練場で一緒に白魔法の修業をする約束をしていたのだが、コルチナは姿を見せなかったのだ。彼女の部屋はもちろん、食堂や談話室、倉庫や会議室まで探すが、どこにもいない。もし、許可を得ることなく城の外へ出たのだとしたら、軍規違反で罰を与えられかねない。下の階から心当たりを順に探していき、最後に屋上へ来ると。

 

「……いた」

 

 コルチナは、屋上の一角でリズムよくターンを繰り返していた。踊りの練習をしていたのだろう。ひとまずほっと胸をなでおろすノイエ。無許可で外に出かけたのでなければ罰せられることはないが、それでも、約束を守らなかったことは許せなかった。

 

「コルチナ? なにをしてるの?」

 

 ノイエは少し強い口調で言った。もっとも、普段大きな声を出すような性格ではないので、なんの迫力も無かったのだが。

 

 コルチナはターンをやめると、「ん? ノイエ?」と言って振り返り、「なにって、踊りの稽古だけど?」と、当然のような顔で言った。

 

「今日は、午後から白魔法の修業をする約束だったでしょ?」

 

「あれ? そうだっけ? ごめーん、忘れてた」コルチナは頭に手を当てると、ペロっと舌を出した。悪びれる様子はない。案の定、「でも、いいじゃん」と、ケロッとした顔で続ける。「ちゃんと青魔法の修業はしてるんだし。白魔法って、難しいんだよね」

 

 魔法は、赤・青・緑・白・黒の五つの属性に分かれている。属性の異なる魔法を習得するのは厳しい修行が必要だ。特に、回復や祝福を司る白魔法は、攻撃を司る魔法が多い他の属性との相性が良くないためか、特に同時習得が難しいとされていた。

 

「……そうだけど、あたしもやってるんだから、ね?」

 

 厳しくしようと思っていたさっきの気持ちはどこへやら、幼い子供を諭すような口調になってしまうノイエ。彼女自身も白・青・緑の魔法を習得してきたから、その難しさは身に染みて判っている。ノイエは、現在白の上位魔法を習得すべく修行中だ。それが終われば、次は青と緑の上位魔法である。コルチナにも、何とか頑張ってほしいと思う。

 

「あなたには、白魔法の他に、黒魔法も使えるようになってほしいの。そうすれば、あたしたち二人で、ほとんど全部の魔法を使うことができるのよ?」

 

 そうなれば、今はヴェイナードやグイングラインの指揮下に入っているノイエたちも、二人で出撃して敵部隊を討つことができるようになるかもしれない。つまり、ヴェイナードの負担を減らすことができるのだ。

 

 だが、ノイエの言葉に、コルチナは「勘弁してよ」言って、露骨に顔をしかめた。「そんなに魔法の修業をしてたら、踊りの稽古をする時間が無くなっちゃうよ」

 

「踊りの稽古は、戦争が終わったらいくらでもできるでしょ? 今は、早く戦争を終わらせるために、魔法の修業をしないと。あなた、そのために騎士になったんでしょ?」

 

「うーん、まあ、そうなんだけどさ」

 

 コルチナは苦い顔になる。元々彼女は、小さな旅芸人一座の踊り子見習いだった。それが、戦争の影響もあってクビになり、行き場を無くしていたところを、ノイエと出会ったのだ。このまま戦争が続けば、踊り子が立つ舞台はどんどん無くなってしまう。魔法や戦いの経験などまるでないコルチナだったが、踊り子仲間が安心して踊れる世界を取り戻すために、仕官を決意したのだ。

 

 だが、仕官から一年半。コルチナは初級の青魔法を取得したのみで、まだ一度も戦場には出ていない。仕官した頃は張り切っていたが、最近は戦う熱意は感じられず、修行にも身が入っていない。

 

「――だって、いまのところ、ノルガルドは順調に勝ち進んでるじゃん。このまま行けば、いずれ大陸制覇できるって」

 

 コルチナは、まるで危機感のない口調で言う。

 

「そんな簡単にはいかないの。これからも、戦線はどんどん拡大していくわ。あたしたちも、少しでも陛下のお役にたてるように、もっと魔法の修業をしなきゃ」

 

「だからぁ、魔法の修業は最低限してるでしょ?」

 

「最低限じゃダメなの。陛下やグイン様や他のみんな、全員、この戦争を早く終わらせるために、剣や魔法の腕を磨いてる。なのに、戦いの経験が浅いあたしたちがさぼってどうするの」

 

 コルチナは腰に手を当て、大げさにため息をついた。「ねえ、ノイエ。あたい、最初に言ったよね? 騎士にはなるけど、それは夢への通過点だ、って。あたいの夢は、あくまでも、フォルセナ1の踊り子になること。あたいにとっては、魔法の修業より、踊りの稽古の方が大事なの」

 

「それは判ってるけど、でも――」

 

 さらに説得しようするノイエの言葉を遮るように、コルチナは、ぱん、と手を叩いた。「それより、あのときの約束、忘れないでよね?」

 

「約束? 戦争が終わったら、踊り子に戻るってこと?」

 

「それは当然だよ。そっちじゃなくて、あたいと二人で、舞台に立つ、って約束」

 

「あ……」

 

 ノイエは口元に手を当てた。確かに、コルチナが仕官する際、その約束をした。

 

「まさか、忘れてたの? ひどーい」コルチナは腕を組み、頬を膨らませた。

 

 ノイエは首を横に振った。「ううん、そうじゃないけど」

 

「あたい、すごく楽しみにしてるんだからね? なんたって、『天使の歌声を持つ少女』との共演なんだから!」

 

 子供のように目をキラキラさせるコルチナ。夢がかなうと信じて疑わない、純粋な目だった。

 

 音楽家の両親の間に生まれたノイエは、子どもの頃から天性の音感と美声を持ち、『天使の歌声を持つ少女』と呼ばれ、若くして宮廷楽師隊に属していた。だが、いくさ好きの前王ドレミディッヅは芸術の分野に理解が無く、戦争には不要、と、楽師隊を強制的に解散させてしまったのだ。以来、ノイエは舞台の上で歌ったことはない。正直、もう以前のように歌えるかは判らない。まして、この先ともなると――。

 

 そんな事情を知らないコルチナは。

 

「いまのあたいじゃ、あなたの歌とはレベルが違いすぎる。二人で舞台に上がっても、あたいだけじゃなく、あなたにも恥をかかせちゃう。でも、戦争が終わるまでには、あなたの歌にふさわしい、立派な踊り子になってみせるからね」

 

 ぱち、っと片目を閉じると、「さ、稽古稽古」と、またターンの練習を始めた。

 

 ――二人で舞台に立つために、早く戦争を終わらせなきゃいけないの。

 

 それを言葉にすることはできない。ノイエが不治の病に侵されていることは、軍師グイングライン以外は知らない。このことが知れ渡ると、いつ倒れるかも判らないノイエは戦場に立つことすら許されないかもしれないのだ。それでは、王のお役に立つことができない。

 

 なんとかコルチナに修行をしてもらうため、さらに説得しようとしたとき、階段の方から、誰かが来る気配がした。

 

「――ノイエ、ここにいたか」

 

 その声を聞いた瞬間、ノイエは、コルチナのことや病のことも瞬間的に忘れて振り返る。

 

「陛下……」

 

 ノイエは右の拳を左の拳で包む仕草をする。コルチナも、王が現れたとあってはさすがに稽古を続けるわけにはいかない。ターンをやめると、ぎこちないながらノイエと同じ仕草をした。

 

 ヴェイナードも軽く同じ仕草を返すと、「少し話せるか」と、ノイエを見た。

 

「え……あ……あたしと……ですか……? も……もちろん……です」

 

 言葉がつっかえるノイエと、その様子をどこかおかしそうな顔で見ているヴェイナード。そんな二人の様子を見比べたコルチナは、また、ぱん、と手を叩いた。「あ、そうだ。あたい、午後から白魔法の修業するんだった。じゃ、あたいはこれで。陛下、失礼しまーす」

 

 軽い口調で言うと、コルチナは一流の踊り子も感心するような軽やかなステップで去って行った。

 

「もう……あの娘ったら……」ノイエは王に頭を下げた。「申し訳ありません。あんな失礼な態度を」

 

「いや、構わぬ。堅苦しいのは、公の場だけで充分だ」ヴェイナードはわずかに首を振り、そして続けた。「ノイエ。先のいくさは、よくやってくれた。礼を言う」

 

「お礼だなんて、そんな恐れ多いです。あたしなんて、まだ未熟で、なんの役にも立てなくて……」

 

「そのようなことはない。そなたの魔法のおかげで、我が軍の被害は最小限に抑えることができた。この城を落としたことは、我が国にとっても、帝国にとっても、非常に大きい」

 

 キャメルフォードは、エストレガレス帝国と西アルメキアの国境にあった都市だ。昨年、西アルメキアの領土を全て制圧した帝国だったが、ノルガルドがこのキャメルフォードを占領したことで、現在帝国は領土を分断された形となっている。南西のカルメリーや南のファザードにはまだ帝国の部隊が残っているが、ログレス側から援軍を送ることはできない。皇帝ゼメキスや四鬼将らは全て東の戦場へ回っているので、今なら残りの二城を落とすのも容易だろう。

 

「お役にたてたのであれば光栄です、陛下」

 

 ノイエは心からの喜びと共に言った。病をひた隠しにし、いつ倒れるか判らない身でも戦場に赴き続けるのは、何よりもヴェイナードの役に立ちたいからだ。彼からの労いの言葉は、何にも勝る喜びである。

 

「だが、ノイエ。すまんが、次の節はターラへ向かうことになった」

 

「ターラ、ですか?」

 

 ターラは旧レオニアの聖都で、キャメルフォードとは大陸の真反対の場所にある都市だ。昨年秋よりイスカリオからの攻撃を受けているという話は、ノイエも聞いている。現在ブランガーネが中心となって防衛網を敷いているが、ハドリアン・グルームの二城が落とされ、敵はターラに迫りつつある。旧レオニアの民にとって、ターラは今でも聖地である。レオニアを併合したノルガルドにとっても、他国に侵略されるのは避けたいところだ。

 

「――それで、余が赴くことになったのだ。ノイエ、そなたも一緒に来るようにとの指令が出ている。あわただしくてすまないが、よろしく頼む」

 

「もちろんです。どこまでも、お供いたします」

 

 ノイエは、心からの決意を込めて、そう言った。

 

 そのとき、小さな咳が出た。

 

 それは本当に小さなものであったが、ノイエは慌てて口を多い、後ろを向く。わずかな咳であっても、今のノイエには重篤な症状になる可能性がある。実際、軍師グイングラインに病のことが知られたのも、小さな咳が止まらなくなり、その結果吐血したのが原因だった。

 

 幸い、咳はそれ以上出ることはなかった。恐る恐る手のひらを確認しても、血はついていない。

 

「――大丈夫か?」

 

 ヴェイナードが心配そうな声をかける。ノイエはすぐにヴェイナードの方を向くと、「失礼しました。なんでもありません」と笑顔で答えた。

 

 ヴェイナードは安心したような笑みを浮かべた。「ノルガルドと違い、ここは気候が穏やかだ。今日はゆっくり休むと良い。『天使の歌声を持つ少女』が、のどを傷めては一大事だからな」

 

「え――?」

 

 一瞬、我が耳を疑った。その呼び名を、まさかヴェイナードから聞くなど、思ってもみなかったのだ。

 

 ヴェイナードは真剣な顔に戻ると、さらに言った。「なかなか約束が果たせず、すまないと思っている。このいくさが終われば、楽師隊は必ず復活させる。それまで、待っていてくれ」

 

「陛下、約束を覚えてくれていたのですか?」

 

「無論だ。また君の歌を聴くことを、何よりも楽しみにしている」

 

 それは、まさに天にも昇る心地であった。

 

 宮廷楽師隊に属していた頃、ノイエは、一度だけヴェイナードの前で歌ったことがある。その時、ヴェイナードからは身に余るほどのお褒めの言葉を頂いた。それだけでもノイエには忘れられない思い出だが、その後、前王ドレミディッヅが楽師隊を解散させようとした際、王宮内でただ一人、ヴェイナードだけが反対したという。結局解散を止めることはできなかったが、ヴェイナードは、そのことをわざわざノイエに詫びに来たのだ。そして、いつか必ず楽師隊を再編してみせる、と、約束してくれた。もう何年も前の話であり、これ以降、彼の口から楽師隊の話が出たことはない。王となったヴェイナードはこの国の命運を左右する身である。慢性的な食糧不足に苦しむ状況を打開するため、なんとしてもこのいくさに勝たなければならないのだ。楽師隊のことを考えているヒマはないだろう。ノイエはそう思っていた。それでも良いと思っていた。だから、まさかヴェイナードが約束を覚えているなど、思ってもみなかったのだ。

 

 ヴェイナードは、視線をノイエから城下へと移した。城塞都市キャメルフォードの街並みと、その先にはエストレガレス帝国の領土が広がっている。そして、さらにその先には――ここからは見ることはできないが――カーレオンやイスカリオの領土も広がっているはずだ。

 

「落ち着いて君の歌を聴くためにも、早くこの戦争を終わらせたいものだ」

 

 ヴェイナードは、大陸全土を一望するように視線を流し、そう言った。

 

 ヴェイナードの言葉に、ノイエは。

 

「――はい」

 

 これまで以上の決意を込め、大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 ヴェイナードが去った後も、ノイエは屋上に残っていた。

 

 夢のような時間であった。まさか、ヴェイナードが約束を覚えていてくれていたとは。それだけでなく、歌を聴くことを楽しみにしている、とまで言ってくれたのだ。

 

 彼のそばにいられるだけで良かった。自分の力で彼のお役に立てたというだけで幸せだった。それなのに、約束を覚えてくれている。歌を楽しみにしてくれている。もし、これで本当にもう一度彼の前で歌うことができたとしたら、どれだけ幸せな気持ちになれるだろう? もはや想像もつかない。

 

 でも、だからこそ。

 

 それが叶わなかった時のことを思うと――怖い。

 

 いつまで彼のそばにいられるか判らない。自分の力でどこまで彼の役に立てるのか判らない。彼が歌を楽しみにしてくれているのに、その期待を裏切ってしまうかもしれない。

 

 それを考えると、怖くてたまらない。

 

 開戦以降、ノルガルドは順当に領土を広げている。現在残っている国の中では、最も勢力を広げているであろう。

 

 それでも、まだフォルセナ大陸の半分にも達していない。このままのペースでは、戦争が終わるまで、まだ数年はかかるだろう。彼との約束を果たす日は、まだ遠い。

 

 ノイエが病の治療を諦めたとき、医者からは、余命は二年と言われた。

 

 

 

 もう、その二年は過ぎている。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三一話 ティース 聖王暦二一七年四月下 イスカリオ/グルーム

 イスカリオの新米騎士ティースは落ち込んでいた。ここ数ヶ月の戦いで、彼は現実を知ってしまったのだ。世の中には、努力ではどうにもならない『越えられない壁』というものがあることを。

 

 子供の頃からひねくれ者で、十代前半は不良少年と呼ばれて過ごした。だが、ルーンの加護を受けたのをきっかけに、更生のためにと、親に無理矢理イスカリオに仕官させられた。当初はすぐに逃げ出すつもりだったが、そこで、運命の出会いを果たした。王ドリストの従者(だと思っていた)少女・ユーラである。彼女に一目惚れしたティースは、一人前の騎士となるため、なにより、彼女を守ることができる強い騎士となるために、心を入れ替え真面目に修行に励んだ。大陸中を旅し、力をつけ、剣技を磨き、モンスターを従え、未知のアイテムを入手した。最近は戦場へ出ることも多くなり、何度も実戦を経験した。見習い騎士だったティースも、今や万年金欠騎士のダーフィーと同じ剣士となっている。もちろん、その剣技はまだまだダーフィーには及ばないものの、確実に成長をしていた。一人前の騎士となる日も、そう遠くないと思っていた。ユーラを守るだけの力を身に付け、ユーラにふさわしい騎士になれると信じていた。

 

 だが、現実は残酷だった。ティースをはるかに超える速さで、ユーラがどんどん強くなっていったのだ。

 

 白魔法の使い手だったユーラが、同時習得が困難とされる青や黒など複数の属性魔法を使えるようになっていた。現在は、超上級黒魔法である隕石落下の魔法を修業しているという。さらには、王ドリストの切り札とも言える魔竜バハムートを軽々と従えるようになり、それら力をもって、昨年十二月上旬に侵攻してきたノルガルド軍を、あっさり撃退してしまった。ユーラは、もはやこの国一の騎士と言っても過言ではない。

 

 それに比べ、自分はなんと凡庸な騎士だったのだろう。仕官して自分が成し遂げたことと言えば、修行の旅でドラゴンと空飛ぶ靴を手に入れたくらいだ。ドラゴンは現在上位モンスターである赤竜ファイアドレイクへ成長したが、ティースの手には余るようになったので、ユーラの配下に入ることになった。空飛ぶ靴は、帰還と同時に王に取り上げられた。この国にとって、自分は探索要員と防衛の数合わせでしかないのだ。このザマで、なにが「ユーラにふさわしい騎士になる」だろう。そんなのは夢物語でしかなかった。どんなに努力をしようと、凡人は決して天才を超えることができないのである。

 

 心が折れてしまいそうなティースであったが、彼をさらに悩ませていることがある。天才騎士であるユーラに、その自覚がないということだ。

 

 いま、ティースとユーラはグルーム防衛の任についている。現在、ドリストは北東にある旧レオニアの聖都ターラを攻めており、後方の拠点であるこのグルームは、ターラ侵攻軍の生命線となっていた。もし、ターラを攻めている間にこのグルームを奪われてしまったら、ドリストらは撤退する城を失い、敵地に孤立することになるのだ。なので、この日は朝から二人で作戦会議をしているが、ユーラは、「もしノルガルドが攻めてきたらどうしよう……」と、不安げな顔で言う。ユーラがいる限りそう簡単に奪われることはないのだが、惚れた女が敵の侵攻に怯えているのだから、ティースとしては励ますしかない。

 

「大丈夫だよ。相手がどんなヤツであろうと、俺が守ってやる」

 

 多くの魔法を使いこなしバハムートとファイアドレイクを従える化け物いや天才をどう一般人が守るというのか、自分でもツッコみたくなるセリフだ。言ってて悲しくなるが、言うしかない。

 

「うん、ありがとね、ティース。頼りにしてる」

 

 ユーラは満面の笑みで言う。これが本音なのか皮肉なのかティースには判断できないでいるが、どちらであろうとカワイイことに変わりないからなお困る。

 

 天使のような悪魔のような笑みを浮かべていたユーラが、ふと真顔になった。「そう言えば、ずっと聞きそびれていたけど、ティースって、なんのために戦うの?」

 

 またその話か、と、ティースは内心思った。事の始まりは一年半ほど前。ユーラの誕生日にプレゼントを贈ったティースは、彼女が騎士になった日の話を聞いた。その流れで、ティースはなんのために戦うのか、という話になったのだ。もちろんそれは、愛しのユーラのためである。これを伝えることはすなわち愛の告白であり、ティースはここまで何度も伝えようとしているのだが、結局言えないままでいた。

 

「はは、俺が戦う理由なんて、大したことないよ」

 

 自嘲気味に笑う。これほど騎士としての才能の差を見せつけられた状況で、「君のために戦うのさ(キリッ)」などと、言えるはずもない。

 

「えー? なんで教えてくれないの? あたし、知りたいな」

 

 そう言うと、ユーラはティースのすぐ隣の席に座った。

 

 そして。

 

「ねぇ、聞かせて? ティースの気持ち――」

 

 甘えるような声で言い、上目づかいで、ティースの顔を覗き込む。

 

 ごくり、と、ティースはのどを鳴らした。これはもしや、俺からの愛の告白を待っているのでは? そうだ、そうに違いない。ならば、女の子に恥をかかせてはいけない。その気持ちに応えなければならない。凡人とか天才とか、本音なのか皮肉なのかとか、そんなことは関係ない。重要なのは、俺はユーラが好きだという一点のみである。それを伝えることに、何をためらうことがあるだろう。

 

 ティースは、心を決めた。

 

「俺が……戦うのは……」

 

「戦うのは?」

 

「俺が……戦うのは……きっ……きっ……君の……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、すぐそばにイリアが立っていた。

 

 やっぱりか! と思いつつも、一応付き合いで驚いた声を上げ、ひっくり返るティース。この人は、なぜいつも愛の告白をしようとするタイミングで現れるのか。本気で邪魔をしに来ているとしか思えない。そして、どうせ何も言わずに去っていくのだろう。

 

 ――と、思っていたら。

 

「……お……おはよう……」

 

 イリアは、言葉に詰まりながら、しかし、はっきりと聞き取れる声で、そう言った。

 

 思わず、ティースは自分の耳を疑う。イリアが挨拶をするなんて珍しい……というより、初めて聞いた。

 

「おはようございます、イリアさん」

 

 ユーラは、にこにこ笑いならが頭を下げた。

 

 そして、呆然とするティースを、肘でつつく。「ほら、ティースも挨拶」

 

「あ、えっと、おはようございます、イリアさん」

 

 なんだか調子が狂うような気もするが、それでも、やはり朝の挨拶をするのは気持ちの良いものである。心なしか、いつも仏頂面のイリアも、うっすらと笑っているようにさえ見える。

 

「――敵だ」

 

 いつもの口調に戻って、イリアが言った。

 

「へ? 敵!?」

 

 それを早く言え! ティースは会議室を飛び出し、バルコニーから外を見た。北西のウィズリンドの方から、ノルガルドの旗を掲げた大軍が整列していた。前回侵略を受けた時と同じくらいの規模だ。

 

「……戦義を」

 

 会議室を出てきたイリアが、ユーラに言った。今日は随分と積極的だ。

 

「了解しました。では、相手側に伝えてきます」

 

 スタスタと走って行ったユーラは、すぐに戻ってきた。

 

「応じるそうです。相手は、ディラードさんという騎士ですね」

 

 またか、と、ティースは内心思う。前回戦義をした時と同じ相手だ。あの時は、お互い一言も交わすことなく別れ、実にムダな時間を使ったのだ。

 

「……行ってくる」

 

 懲りずに一人で向かおうとするイリアを、ティースは慌てて追いかけた。やはり、どう考えても一人で向かわせるのは不安だ。

 

 城を出て、イリアは平原の中央で待っていたディラードと対峙する。どうせまた無言で別れるんだろう……と、ティースが考えていたら。

 

「イリアだ」

 

 静かだが槍のごとき鋭さを含む声で、イリアが名乗った。

 

「ディラード」

 

 相手も名乗る。

 

「陛下の敵は、倒す」

 

 イリアが決意を表すように言うと。

 

「誰であろうと、俺は俺の成すべきことをする」

 

 ディラードも決意を口にした。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 そのまま、しばらく二人は無言で向かい合っていたが。

 

 ディラードが、くるりと背を向けた。「俺としたことが……喋りすぎたな」

 

 イリアも背を向ける。「私もだ」

 

 今のでかよ! と、ティースは心の中でツッコんだ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三二話 ドリスト 聖王暦二一七年四月下 ノルガルド/ターラ

 聖都ターラの攻防は、完全にこう着状態に陥っていた。

 

 イスカリオは、王ドリストを総大将に、死刑囚のアルスターとキャムデンの三部隊で侵攻していた。接近戦を得意とするドリストと、攻撃・回復・補助と一通りの魔法を使いこなす二人の死刑囚の組み合わせは、クセが強いイスカリオの騎士の中で最もバランスがとれた組み合わせである。それでも、ターラの攻略は容易ではない。敵将ブランガーネは城外や城下での戦闘を捨て、ターラ王宮内に立てこもる籠城戦を選んだのだ。ターラ王宮は、広大な湖の中央にある島に建てられた城だ。島へ通じる跳ね橋は当然のごとく上げられており、上陸するためには湖を渡るか空を飛ぶしかない。もちろん、敵側はマーマンやリザードマン、ロックにワイバーンと、水辺や空に強いモンスターを多数配置している。ブランガーネは王族であるがゆえ高い統魔力を持ち、加えて、元帝国のビーストルーラー・ソレイユも部隊に組み込まれているため、城を守るモンスターの数は尋常ではない。ドリストは魔法装備である空飛ぶ靴を持っている。グルーム侵攻時の渡河作戦には大いに役立ったが、今回は同じ作戦は通用しない。敵将ブランガーネは弓の名手だ。ヘタに空から近づくと狙い撃ちにされる可能性が高いのだ。

 

 このような籠城戦に対しては、無理に突撃せず、戦いを長引かせて籠城する側の消耗を待つのが有効だ。いわゆる兵糧攻めである。湖に囲まれたターラ城は完全に孤立しているため、物資の補給は得られない。相手側がどれだけの食糧を蓄えているかは判らないが、いずれは底を突くだろう。そうなれば、敵部隊の士気も戦闘力も下がり、攻略は格段に容易になる。

 

 しかし、今回の戦いにおいてはその戦法が有効とは言えなかった。現在、後方のイスカリオ領であるグルームは、ウィズリンドより出撃したノルガルド軍の攻撃を受けている。ウィズリンドはキラードール・イリアと今やイスカリオ1の騎士と言っても過言ではないユーラに守りを任せているためそう簡単には落ちないだろうが、それでも、万が一ということもある。もしグルームを制圧されると退路を失い、今度はドリスト達が敵地で孤立することになるのだ。

 

 また、そもそもの問題として、フォルセナ大陸における基本的な兵法のひとつに『敵国への侵攻作戦は十二日が限度』というのがある。魔力の源であるマナや召喚したモンスターの力の維持などを考慮すると、それ以上の戦いは被害が増えるだけであり、撤退するのが望ましい、とされているのだ。これらの要素から、やはり長期戦は望めない。

 

 つまり、イスカリオは十二日以内にターラ城を制圧できなければ、事実上このいくさに負けるのである。城攻めが始まってすでに八日。いまだ島への上陸すらままならない中、ドリストは苛立ち、死刑囚二人に八つ当たりをしている――かと思いきや、実はそうでもなかった。ドリストは、敵が籠城戦に入ったと見るや、アルスターとキャムデンに城の包囲を命じ、自分は後方へ下がって幕舎でひたすら昼寝をしているだけだった。基本兵法を無視して兵糧攻めに入ったのか、それとも他に思惑があるのか……後方のグルームを攻められている以上悠長に構えてはいられないのだが、王の昼寝の邪魔をしようものなら死刑なので、ヘタに声をかけることもできない。この八日間、ターラ攻めは岸辺での小競り合いがあったのみで、大きな動きは無く静かに過ぎて行った。

 

 戦況が動いたのは九日目だ。

 

 この日の朝、周辺を監視していた斥候部隊からの急報を受けたドリストは、アルスターとキャムデンには何も告げぬまま、突如、自身の部隊を北へ向けて進軍させたのだ。

 

 斥候からの急報は、北からの敵の増援を報せるものだった。その軍を率いているのは、西の戦線から移動してきた、白狼王ヴェイナードであった――。

 

 

 

 

 

 

「――狂王ドリスト、我が領土で随分と好き放題してくれたようだな。今日は、余自ら礼をさせてもらう」

 

 ターラ城の北、山と森林に挟まれた狭地で、二人の王が対峙していた。それまで激しくぶつかり合っていた両軍であったが、その瞬間、まるで戦義が始まったかのように戦いを中断し、王同士の会話を見守る。

 

 ドリストは、いつものように悪巧みをするような笑い声をあげた。「クーックックック、ようやくお出ましか白狼。会いたかったぜ~。テメェは、この大陸で数少ないまともな人間だからなぁ?」

 

「それはどういう意味だ」

 

「俺とお前とゼメキス……まともなヤツはそれだけだ。それ以外の連中は、どいつもこいつも本音をさらけ出さねぇ。みんなこの大陸が欲しくて欲しくてたまらねーのに、『そんなものはいらない』ってツラして戦ってやがる」

 

 薄ら笑いをしながら言うドリストに、ヴェイナードは、「なるほどな」と頷いた。「確かに、余はこの大陸を欲している。だが、そなたと一緒にされるのは心外だ。余は、遊びで戦っているわけではない」

 

「お互いの国を賭けて戦うんだ。遊びみたいなもんだろ?」

 

 ドリストはおどけたように言うと、大鎌を構えた。「さあ、やろうぜ? オレ様が勝ったら、テメェの国はオレ様が貰う。テメェが勝ったら、オレ様の国はテメェのモンだ。ま、ありえねーがな」

 

 挑発的な狂王の言葉にも、白狼は冷静さを失わない。

 

「戦いは賭け事ではない。我が国は理想を目指して戦っているのだ」

 

「勝ったモンが総取りっていう点じゃ、なにも変わらねーだろが?」

 

 ヴェイナードの顔に、わずかな嫌悪感がにじみ出た。「どうやら、そなたには王としての資質が著しく欠けているようだ。よかろう。良い機会だから教えてやる。やりたいようにやるのが王ではない。成すべきことをするのが王なのだ!」

 

 ヴェイナードは槍斧を構えると、一気に踏み込み、ドリストに向けて振り下ろした。

 

 ドリストは、その一撃を大鎌で払い除ける。

 

「それは違うなぁ。王だからって何かに縛られることはない。自分のやりたいようにやって、人生楽しめばいいんだよ!!」

 

 今度はドリストが横薙ぎに鎌を振るう。ヴェイナードがそれを受け止める。二人の武器が、激しく火花を散らす。

 

 

 

 

 

 

 北の大国ノルガルドと、南の異質な国イスカリオ。

 

 この二国の王が戦場で対峙したことは、少なくとも聖王歴に入ってからの記録には無い。大陸全土を巻き込んだ大戦ゆえの、歴史的瞬間である。

 

 そして。

 

 この戦いの結果は、その後の二国の運命をも、大きく左右することになる――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三三話 ハレー 聖王暦二一七年五月上 ノルガルド/――――

 大戦の裏で暗躍する魔導士ブロノイルを追うハレーは、ノルガルド領のリスティノイスからジュークスへ向かう街道を歩いていた。と言っても、目的がある訳ではない。エストレガレス帝国からカドールが去ったのを機に、ハレーも西アルメキアを離れブロノイルの目的を探る旅に出たのだが、一年以上経っても新たな情報はつかめていなかった。心には、大きな悔いが残っている。ハレーがブロノイルを追う旅に出た後、西アルメキアは帝国皇帝ゼメキスの捨て身の特攻を受け、わずか数ヶ月で滅亡してしまったのだ。あのとき自分が西アルメキアを離れなければ滅びることはなかった――そう考えるのは自惚れが過ぎるかもしれないが、最悪の結果は避けられたかもしれない。西アルメキアにとって非常に重要な時期に、無理を言って調査を再開したというのに、手掛かりひとつ得られていない。このままでは、快く送り出してくれたランスに合わせる顔がない。

 

 悔恨を払う術すら見いだせぬまま、ただ街道を歩くハレー。前方から荷馬車が来るのが見えた。ハレーは警戒心を強める。リスティノイスとジュークスはどちらも帝国との国境を守る拠点であり、移動する兵は少なくはない。ノルガルドは西アルメキアと敵対していた国だ。ハレー自身はノルガルド軍と刃を交えたことはないが、それでも名は知られているはずだ。目に留まって尋問でもされると面倒だ。ハレーはフードを目深にかぶり、不審に思われぬよう自然に歩きながら馬車の様子を探った。幸い、荷馬車は軍用のものではなく行商人が使う小さなもので、(ほろ)のない荷台には武器らしきものも見当たらない。操っているのも年老いた女だった。軍とは無関係の馬車だろう。ハレーは小さく安堵の息を漏らすと、荷馬車とすれ違った。

 

 そのとき、馬車の車輪が石に乗り上げ、荷台が揺れた。幸い荷物はロープでしっかりとくくりつけられていたので崩れることはなかったものの、木箱の中からいくつか物がこぼれ落ちた。老婆は馬車を止めると、落ちた荷物を拾い集める。

 

「大丈夫ですか?」

 

 ハレーはフードを取ると、老婆を手伝うため荷物を拾った。その中に、絵が描かれた一枚のカードがあった。白馬に乗った鎧騎士が、黒地に白い薔薇の軍旗を掲げている。よく見るとその騎士の顔は骸骨になっており、白馬の足下には、何人かの人が倒れていたり、あるいは祈りを奉げたりしていた。

 

「……ほう、死神のカードか」

 

 老婆が含みを持つような声で言う。どうやらこれは、占いなどに使うタロットカードのようだ。

 

 ハレーはそのカードを横向きに持ち、老婆に差し出した。

 

「おまえさん、なかなか面白い運勢を持っておるようじゃな」老婆は笑みを深めてカードを受け取った。「ひょっとして、道に迷っておるのか?」

 

「え……?」

 

 困惑するハレー。迷うも何も、この街道は一本道であり、迷いようがない。しかし、ハレーは別段ジュークスを目的地としているわけではない。ブロノイルの手掛かりがつかめないため、どこへ向かっていいのか判らないというのが現状だ。

 

 ハレーが答えに窮していると、老婆は、「図星のようじゃな」と、肩を揺らして笑った。「ワシは、以前ログレスで占いの店をしておってな。これは、占いで使っていたタロットカードじゃ。おまえさん、最近なにか大きな節目があり、その後の進むべき道が見えておらぬのであろう?」

 

 確かに、ハレーは一年ほど前に西アルメキアを離れたものの、その後ブロノイルの手掛かりはつかめていない。ハレーは自嘲気味に笑うと、「……おっしゃる通りです」、と、素直に言った。ハレーは占いなど信じていないが、たまたま拾ったのが死神という不吉なカードであることが、おのれの行く末を暗示しているように思えた。

 

 だが、老婆は「まあ、そう気を落とさずとも良い」と言って続けた。「死神のカードは、必ずしも不吉という訳ではない。タロットには『正位置』と『逆位置』があり、同じカードでも向きによって意味が異なるのじゃ。死神のカードは、人との別れや物事の終わり、あるいは、人生の節目や再生を司る。これが『正位置』、つまり正しい向きなら、物事が終わって先が見えない状態を意味する。『逆位置』、つまり反対向きならば、物事が終わると同時に新たな始まりを意味する。おまえさんは、今このカードを正位置でも逆位置でもない横向きに持ってワシに渡した。つまり、まだどちらに転ぶか判らないということじゃ」

 

 そう言った後、老婆は顔から笑みを消し、ハレーをじっと見つめた。なにか、魂のありかを探るような、そんな視線だった。

 

 しばらく見つめた後、老婆は「なるほどのう」と頷いた。「ここで()うたのも何かの導きかもしれぬ。荷物を拾ってくれた礼に、ひとつ占ってやろう」

 

「いえ、私は」

 

 ハレーは苦笑いを返した。占いなど、これまで興味を持ったこともない。

 

「遠慮せずとも良い。こう見えて、ワシは以前、旧アルメキアの王都ログレスでちょいと名の知れた占い師じゃったんじゃぞ? 一回の占いで数十万ゴールドは当たり前じゃ。それを、タダで占ってやろうというのじゃ。断るとバチが当たるぞ」

 

 老婆はまた肩を揺らして笑う。まあ、ブロノイルの手掛かりをつかめず途方に暮れていたことは間違いない。ものは試し、と、ハレーは占ってもらうことにした。

 

 老婆は荷台の上にタロットカードを裏向きで広げると、両手で念入りにかき回し、それを一度集めて山状にした後、横に均等に広げた。

 

「この中から好きなカードを六枚選び、裏向きのまま二枚ずつ並べるのじゃ」

 

 ハレーは言われた通りカードを選び、自分の前に並べた。

 

「六枚のカードは時の流れを示しておる。では、まず左の二枚をめくってみよ」

 

 ハレーは左の二枚をめくった。一枚目は、馬に乗った騎士が金の盃を持ったカードで、二枚目は、大きなハートにいくつもの剣が刺さったカードだった。ハートのカードには3の数字が書かれてある。向きはどちらも正位置だ。

 

「『聖杯のナイト』と『剣の3』じゃな」老婆が言った。「左の二枚は過去を司る。そなた、過去に異性から求婚されたが、その後、何か大きな悲しみが訪れたようじゃな」

 

「――――」

 

 言葉を失うハレー。胸に浮かんだのは、最愛の人リーランドと、その命を奪った者・ブロノイル――。

 

 ハレーの顔に陰りが浮かんだのを見たのか、老婆は、「まあ、詳しくは言わずとも良い。次のカードをめくって見よ」と促した。

 

 ハレーは真ん中の二枚のカードをめくった。カードの並びが時の流れを表しているのなら、これは現在ということになる。現れたのは、(くわ)に寄りかかった農民が畑に実った金貨を眺めている絵で、数値は7。もう一枚は、雲が浮かぶ空に車輪のような輪があり、その周りに天使とも悪魔とも知れぬ翼の生えた人間や獣が描かれたカードだ。こちらの数値は10で、逆向きになっている。

 

「『金貨の7』と逆位置の『運命の輪』じゃ。今の状況は良くないかもしれんが、決して焦ってはならぬ。辛抱強く待てば、必ず良い道が開けるであろう」

 

 そう言った後、老婆はあごに手を当てると、「そう言えば、そなたが最初に引いたカードは死神であったな」と言い、しばらく何かを吟味するように目を閉じた後、続けた。「そなた、鎌を持った者に心当たりはないかな? その者を訪ねてみれば、なにか良い話を聞くことができるかもしれんぞ」

 

 鎌を持った者――直接会ったことはないが、イスカリオの狂王ドリストが、身の丈を超えるほどの大鎌を武器にしているはずだ。彼が、ブロノイルに関する情報を持っているのだろうか。

 

「では、最後のカード――未来を表すカードをめくってみよ」

 

 老婆に言われ、ハレーは残りのカードをめくった。一枚目は、獅子の身体に人間の顔を持つ二体の獣が戦闘用の馬車を引く絵で、数値は7。そして、最後のカードは――。

 

「――おや?」

 

 カードをめくった瞬間、老婆が驚いた声を上げた。最後のカードは白紙――なにも描かれていなかったのだ。

 

「一枚目のカードは戦車じゃな。勝利や征服、あるいは暴走や傍若無人を意味する。正位置で出たということは、物事が速やかに進むことを意味しておる。しかし、その結果うまくいくかどうかは、このカードのみでは判らぬ。他のカードを見る必要があるのじゃが……」

 

 もう一枚のカードは白紙だ。ハレーはタロットのことは詳しくないが、恐らくこんなカードは本来ないであろう。

 

 老婆は首を捻った。「これは予備のカードじゃ。なぜこれがまぎれ込んでおるのじゃろうな」

 

「そういうことは、よくあるんですか?」ハレーは小さく笑う。手違いでまぎれ込んだ、ということだろうか。

 

 だが、老婆はにこりともせず言う。「普通は無い。だが、最近は、似たようなことがよく起こるようになったのう」

 

「最近?」

 

「ああ――この、大陸全土を巻き込んだいくさが始まってからじゃ」

 

 老婆は、真剣な表情になって、さらに言葉を継いだ。

 

「いくさが始まって以降、多くの者から、この大陸の未来を占ってくれという依頼があった。ワシは、様々な占いで未来を見ようとした。タロットだけでなく、水晶や、占星術など、心得のある占いは全て試した。じゃが、結果はどれも同じ……必ず異物がまぎれ込むのじゃ」

 

 タロット占いでは白紙のカードがまぎれ込み、水晶では大きな濁りが発生したという。占星術に至っては、星がひとつ消えることもあったそうだ。

 

「自分で言うのもなんじゃがの、ワシの占いは必ず当たる。つまりそれは、この大陸の未来に、何か異物が入り込むことを意味しているのであろう」

 

 異物――その言葉に、ハレーの胸に言い知れぬ不安が浮かび上がる。

 

「それが何なのかまではわしにも判らぬ。ただ、その異物を取り除かぬ限り、フォルセナ大陸に――いや、この世界に、未来は無いかもしれぬな」

 

 老婆の言葉が真実であるならば、それは恐ろしいことである。もちろん、ハレーは占いを鵜呑みにするつもりはない。ただ、この時のハレーの胸には、旅の途中で何度も存在が見え隠れする『混沌の蛇』が浮かんでいた。

 

 老婆は、「いや、失礼をしたな」と言って、表情を和らげた。「ワシも老いた。今は商売をやめ、故郷に帰ってのんびり過ごそうと思うてたところじゃ。ただの手違いでまぎれ込んだだけじゃろうて。さあ、あらためて、もう一枚引いてみよ」

 

 老婆に促され、ハレーはもう一枚カードを引き、前に広げた。現れたのは、杖とヒマワリの花を持った女王が王座にすわる絵だった。向きは正位置である。

 

「ほうう。(ワンド)のクイーンじゃな。やはり、そなたはなかなか面白い運命を持っておるようじゃ」

 

「どのようなカードなのですか?」

 

 ハレーは、自分でも気づかぬうちに身を乗り出していた。いつの間にか、老婆の占いに深く興味を持つようになっている。

 

 だが、老婆はそんなハレーの気持ちをいなすように言った。「ワシの占いはここまでじゃ。後は、そなた自身で運命を切り開くがよい」

 

 大きな肩透かしを食らい、ハレーは思わず肩を落とす。

 

 そんな姿を見て、老婆はおかしそうに言う。「別に意地悪をしているわけではない。告げることが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らぬからのう。わしの口から言わぬ方が良いこともあるのじゃ。まあ、代わりに、このカードの力を授けよう」

 

 そう言った後、老婆が何か呪文のようなものを唱えはじめた。すると、カードから眩しい光が溢れ出し、それがハレーを包んだ。

 

 その光が消えると同時に、老婆の手からカードも消えていた。

 

「その力で、困難を切り開くがよい」

 

 老婆は残ったカードを片づけると、ハレーに別れを告げた。最後をはぐらかされたような気もするが、不思議と、ハレーの胸の内は、老婆と会う前と異なり、わずかに晴れ渡るような気分だった。西アルメキアは滅びた。どんなに悔やんでも、それはもうどうすることもできない。ならば、今は一刻も早くブロノイルの目的を突き止めなくては。

 

「狂王ドリストか……」

 

 ハレーは、老婆に言われた『鎌を持つ者』を求め、南へ向かうことにした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三四話 アルスター 聖王暦二一七年八月上 イスカリオ/ハドリアン

 イスカリオの最後の砦となったグルームは、白狼王ヴェイナードの率いる十万の大部隊に迫られていた。前王の娘ブランガーネやその部下も組み込まれており、シルバードラゴンやフェニックスなどの強力なモンスターも多数見える。

 

「へ……陛下、敵は目前に迫っております。いかがいたしましょう……」

 

 砦内の会議室で、物見からの報告を受けたキャムデンが、得意の揉み手をするのさえ忘れて王に報告した。部屋にいるのは、ドリストとイリア、そして、キャムデンとアルスターの四人だ。十万のノルガルド兵に対し、この砦に残っている兵は一万程度。その上、度重なる戦闘でバハムートやファイアドレイクなどの上級モンスターも失ってしまい、リザードマンやグリフォンなどわずかなマナで召喚した寄せ集めのモンスターしかいない。いかに難攻不落のハドリアン砦と言えど、戦闘となれば、一日ともたないであろう。

 

 ドリストは、含んだ笑い声を上げる。「クックック、敵もなかなかやるじゃねーか。こりゃ出直しだな」

 

「しかし――」と、アルスターが言う。「出直しと言っても、もう我らに城は残されておりません。後方のアスティンは、すでにカーレオンの手に落ちております」

 

 西の戦線から白狼ヴェイナードが移って来て以降、ノルガルドへ侵攻していたイスカリオ軍は敗北を繰り返し、大きく後退させられることとなった。さらには、時期を同じくしてカーレオンも賢王カイが大部隊を率いて侵攻しはじめ、レティシュノート、そして、王都カエルセントと、次々と城を制圧していった。ドリストは司令部をグルームやハドリアンへ移すものの、二国の侵攻を止めることはできず、遂に、残るはこの城のみとなったのだ。

 

「なら、これでこのいくさは終わりだ。ま、国取りゲームにも飽きてきたところだ。ちょうど良かったぜ」

 

 ドリストは笑みを浮かべたまま言った。あっさりとした口調だったが、それはこの国の敗北宣言に他ならない。当然、アルスターには受け入れることができない言葉であった。

 

「しかし、それでは代々イスカリオを守ってきたご先祖様に顔向けができませぬ!」

 

 訴えるように言うが、ドリストのとび蹴りが飛んできた。

 

「たわけ! クソみてーな国しか作れなかったヤツらなんかどうでもいいんだよ! いまこの国の王はオレ様だ! 死んだヤツらより、生きているオレ様のいうことを聞くんだよ!」

 

 いつも通りの振る舞いであるが、そのとび蹴りに、今までのような鋭さはない。まるでウィークネスの魔法を何重にもかけられたかのような、弱々しい蹴りだった。

 

「しかし……しかし……」

 

 さらに追いすがろうとするアルスターだったが、続く言葉は出てこない。いつの間にか、涙があふれていた。

 

「泣くんじゃねータコが!」

 

 ゲンコツが飛んできて、アルスターは涙を隠すため顔を伏せた。

 

 ドリストは「へっ!」と息を吐くと、続けた。「イスカリオなんざ、欲しいヤツにくれてやりゃいいんだよ。オレ様には、他にやることがあるからな」

 

 アルスターは顔を上げた。「やること……ですと?」

 

 ドリストは含み笑いをすると、イリアを見た。「おいイリア。オメー、行くところがあるんだろ?」

 

 イリアは、敗北を前にしても鋭さを失わない瞳で、「……はい」と頷いた。

 

「オレ様も付き合ってやるぜ。国取りゲームよりも、そっちの方がよっぽど面白そうだからな。ぎゃーっはっはっは!」

 

 ドリストは愛用の鎌・ルインサイスを肩に担ぎ、大声で笑う。

 

 イリアは、「ありがとうございます、陛下」と、頭を下げた

 

「――ま、そういうことだ。じゃあな」

 

 ドリストは片手をあげると、そのままイリアと二人で部屋を出て行こうとする。

 

「お待ちください、我々は、どうすれば?」

 

 アルスターを振り返ったドリストは、なついてきた野良犬を追い払うように手を振った。「もうイスカリオは存在しねぇんだ。カーレオンでもどこでも、好きなところに行っていいぜ」

 

「我々に、他国に仕官しろと?」

 

「だから好きにしろっつってんだよ。これ以上戦争するのが嫌なら、野に下ればいい」

 

「――――」

 

 言葉を失うアルスター。イスカリオの下級文官の家に生まれ、成人すると同時に王宮に仕えることになった。先王が崩御し、ドリストが王位に就くと、時期を同じくしてルーンの加護を受けたアルスターは思わぬ形で登用され、王の政務を補佐する役職となった。実際は奴隷同然の扱い、いや、奴隷そのもの、いやいや、奴隷以下の扱いであり、王の身勝手な振る舞いに口出しして殴る蹴るくすぐられるなどの暴行を受けることは日常茶飯事で、ここまでパワハラの厳しい国は他にないだろう。

 

 それでも。

 

 アルスターは、これまでドリスト以外の王に仕えるなど、考えたことも無い。

 

 それは、国への忠誠心とか、ご先祖様への顔向けとか、虐げられることに快感を覚えたとか、そういった理由ばかりでは、決して、ない。

 

 王は、再び背を向けた。

 

 そして――最後の言葉を授けるように、言う。

 

「テメーら二人とも、オレ様が即位して以降クソの役にも立たなかったが……まあ、今までご苦労だったな。あばよ」

 

 それは、アルスターたちがドリストに仕えてから初めて聞く、心からの労いの言葉のように聞こえた。

 

 部屋を出るドリストを、アルスターは。

 

「お待ちください!!」

 

 大声で呼び止めた。

 

 そして、「ああん?」と首を傾けて振り返った王に向けて、言った。

 

「陛下は、我々に死刑を申し付けたのをお忘れですか!?」

 

「死刑だぁ?」

 

「そうです! 全て合わせて、二百万と五百十四回です! 我が国において、死刑を執行できるのは法務省の最高責任者である陛下のみ! これを全て執行していただくまで、我々は決して陛下のおそばを離れませんぞ! そうでしょう、キャムデン殿!」

 

 同意を求めるアルスターに対し、キャムデンは冷え切った目を向けた。「私とあなたを一緒にしないでいただきたい。私は、死刑などごめんです」

 

 そう言った後、一転して目にごますり精神を宿らせて王を見ると、必殺の揉み手を繰り出した。「ですから、わたくしは陛下から二百万と五百十四回分の恩赦を頂くまで、どこまでも尽くさせていただきますぞ」

 

 ドリストは、「アホか」と呆れた声で言った。「死刑なんざ、他の国に行けば無かったことになるだろうが」

 

「いいえ! 一国の王たるも、一度下した判決を安易に覆すものではありませぬ! 最後まで責任もって執行していただきます!」アルスターは、心からの決意と共に言う。

 

「わたくしはもう体質が陛下以外を受け付けませんからな。よその国の欠格君主に仕えるなど、どうしてできましょう」キャムデンも心からのヨイショと共に言った。

 

「ケッ……物好きな連中だぜ」あきれ果てた声を漏らすドリストだが、そこには、どこか嬉しそうな響きがあるようにも思えた。「まあ好きにしな。イリアの用事が終わったら、また復活してやるつもりだったからな」

 

 その宣言に、アルスターは目を輝かせた。「おお! それはまことでございますか!」

 

「あたりめーだ! オレ様が本気を出せば、天下なんざいつでも取れるんだ! オレ様が戻ってきた時が、イスカリオ復活の時だぜぇ!」

 

 いつもの調子に戻った王に対し、キャムデンが、「さすがでございます陛下! よっ! フォルセナ1の伊達男っ!!」と、いつものお世辞を飛ばす。

 

 たとえ国が亡びようと、この四人の振る舞いは変わらない――アルスターは、そう確信した。

 

 機嫌良さそうに笑っていたドリストが、ふと、悪戯を思いついた子供のような顔――これも、いつものことだ――になった。

 

「そうだ。オメーら、イスカリオという国名の由来を知ってるか?」

 

「は? 由来ですか? いえ、知りません」

 

 アルスターは首を振り、その後キャムデンを見た。

 

「わたくしも存じませんな」キャムデンも同じく首を振る。

 

「だろうな。よし、いい機会だから教えておいてやる」ドリストは悪巧みをするような笑みをさらに深めて続けた。「この国の古い言葉で、『イー』は『笑顔』や『幸福』を意味する。これが『イース』となることで、複数形になるのだ」

 

「なんと、それは初めて聞きました」

 

「そして、『カール』は『ともに歩む』、『リーオ』は『国』を意味するのだ。つまり、イスカリオという名は、正しくは、『イースカーリーオ』――『多くの笑顔・幸福とともに歩む国』となるのだ」

 

 アルスターは、「おお」と声を上げた。「イスカリオという名に、そのような意味があったとは」

 

「さすがは陛下、強いだけでなく、博学でいらっしゃる」感服した顔をするキャムデン。

 

 ドリストは、胸を張ると、「ま、いまオレ様が考えたことだがな」と言って、話を締めくくった。

 

「……まあ、そうだと思いました。陛下にお仕えしてもう長いですから、すぐに判りましたぞ」

 

「しかし、陛下はこの国の王であり法を司るお方。陛下が仰れば、それが正しいのです。よっ! 歩く六法全書!!」

 

 王と二人の家臣のやりとりに、イリアは、わずかに笑顔を浮かべているように見えた。

 

 その様子を満足げに見つめていたドリストだったが、やがて声を上げた。

 

「ようし、ヤローどもっ! そろそろ行くぜ! 気合入れろよ! オレ様たちの戦いは、これからだぜぇ!!」

 

「はい!!」

 

「もちろんでございますとも!」

 

「……()の敵は、倒す」

 

 王の新たな檄に、三人はそれぞれの思いで応える。

 

 

 

 

 

 

 こうして、四人は、新たな戦いへ旅立った。

 

 

 

 

 

 

 聖王歴二一七年四月。

 

 

 

 

 

 

 イスカリオは、エストレガレス帝国・ノルガルド・カーレオンを相手に善戦するも、三国同時に戦う国力は無く、徐々に疲弊。聖王歴二一七年六月上には王都カエルセントが陥落。王ドリストは司令部をハドリアンへ移すも、同年八月上のノルガルドの攻撃を前に、これも失う。

 

 

 

 

 

 

 聖王歴二一七年八月上、王ドリストとその家臣らは表舞台から姿を消し、イスカリオは滅亡した――。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一三五話 ディナダン 聖王暦二一七年九月上 カーレオン/アスティン

 カーレオンのナイトマスター・ディナダンは、ノルガルドとエストレガレスの二国と国境を接するアスティン城の門を出て、北へ足を進めた。先ほど、北のカーナボンから進軍してきた帝国軍の将から戦義の申し出があり、それを受けたのだ。戦義は戦闘の前に騎士同士が会話を交わす儀式だが、今回は、会話だけで終わらない予感がしていた。

 

 アスティンの北に広がる平原の中央で、ディナダンは呼び出した相手と対峙した。帝国四鬼将の一人、剣聖エスクラドス。大陸再高齢の騎士にして、ディナダンと並び大陸一の剣士と噂される男だ。

 

 エスクラドスは鞘に納めたカタナをディナダンに差し向けるように持つと、老いてもなお鋭さを失わない目を向けた。「ようやく会えたな。さあ、どちらが大陸一の剣士を名乗るにふさわしいか、いまこそ決めようぞ」

 

 鋭い刃のようなその声を、ディナダンを受け流すように答える。「大陸一の剣士なんて、俺は別に興味ない。名乗りたきゃ、そっちが勝手に名乗ってくれ」

 

「それでわしが納得すると思うか。さあ、剣を取れ」

 

 今にも剣を抜きそうな勢いのエスクラドスをなだめるかのように、ディナダンはさらに言った。「俺よりも、あんたが相討ちになったっていうお嬢ちゃんにリベンジした方が良いんじゃないのか? あのお嬢ちゃん、まだ大陸のどこかにいるだろ。追いかければ、間に合うと思うぜ?」

 

 エスクラドスは、昨年の八月、当時イスカリオ領だったソールズベリーでキラードール・イリアと一騎討ちを行い、壮絶な相討ちとなったそうだ。その結果、エスクラドスは長い間戦場から遠ざかることとなったが、イリアは一節の休養後すぐに戦線へ復帰している。一騎討ち自体は相討ちでも、真の勝敗は明らかであった。

 

 だが、エスクラドスはいささかの遺恨も無いように言う。「あのような異端に興味は無い。あれは、わしの剣の道には関係の無い者だ」

 

「どうしても俺じゃないと駄目だって言うのか。ご老人のワガママも困ったもんだな。どうしてそこまで大陸一にこだわる? あんたほどの名声があれば、今さらそんなモン必要ないだろ?」

 

「名声など、それこそ興味は無い」

 

「ならなぜ戦う? 主君に仇なし、大陸中を戦乱に巻き込んでまで、何を求めているんだ?」

 

 エスクラドスは、旧アルメキア時代、多くの戦場で剣を振るい続けて手柄を上げ、また、一線から身を引いた後は剣術指南役として多くの後進の育成に努めた。『剣聖』の異名は、アルメキア国内だけでなく、同盟国カーレオンやパドストーはもちろん、当時から敵国であったノルガルドからも、尊敬と畏怖の念を込めて呼ばれていたのだ。そんな彼が、ゼメキスのクーデターに組みしてアルメキアを滅ぼし、大陸全土を巻き込んだ戦争の最前線に立って戦い続けていることに、ディナダンは大きく失望していたのだ。

 

 エスクラドスは剣を下ろした。「わしは(よわい)三つにして剣を持ち、以来五十年もの間、アルメキアで剣を振るい続けてきた。だが、それは断じてあの愚王に奉げたものではない」

 

「なら、ゼメキスには剣を奉げる価値があるっていうのかい?」

 

「あやつが王にふさわしいなどとは思わぬが、此度の機会を与えてくれたことには感謝しておる」

 

「機会?」

 

「そうだ。わしはアルメキアで剣聖と謳われるまでになったが、祖国は愚王ヘンギストの元腐敗し、多くの友が処刑され、あるいは国を追われた。民はアルメキアに生まれたことを嘆いていた。わしは、自分がなんのために剣を振るっているのか判らなくなった。剣聖などと呼ばれようが、わしはこれまでの人生で剣を極めたなどと思ったことは一度もない。道を見失った者が、どうして剣を極めることができよう」

 

「…………」

 

 ディナダンはそれ以上口を挟まず、エスクラドスの言葉に耳を傾ける。ディナダンも、以前は王宮の人間とそりが合わず、真面目に仕えてはいなかった。彼が王宮に足を運ぶようになったのはカイが即位してからだ。ナイトマスターという二つ名も、その頃から呼ばれるようになっている。

 

 エスクラドスはさらに言葉を継ぐ。「――わしは道を見失ったが、そんな折、ゼメキスのクーデターの話を聞き、それに乗った。よもやこの歳になって人生の悔いを晴らす機会を与えられようとは思ってもみなかった。ここまでの戦いには満足している。弟子の成長を見届け、友との約束も果たした。民もこの戦いに希望を見出した。わしは、もう思い残すことはほとんどない」

 

 弟子というのは、王太子ランスに仕えていたゲライントのことであろう。友というのは、かつてアルメキアの盾と呼ばれた名将ハンバルのことだろうか。これまでの戦いでこの二人とエスクラドスとの間に何があったのかは判らないが、エスクラドスの顔は晴れやかだった。

 

 そして。

 

 ゼメキスのクーデターにより樹立したエストレガレス帝国は、周辺国から次々と宣戦布告された。新たに仕官する騎士もいない帝国において、民衆が自ら志願して兵となり、戦場に立っているという話は、ディナダンの耳にも届いている。帝国が短期間で西アルメキアを滅ぼしたのも、この点が大きいであろう。アルメキアの民は、愚王の(せがれ)よりもゼメキスを王として選んだのだ。エストレガレス帝国の騎士と民は、彼らなりの正義を持って戦い続けている。

 

 エスクラドスは、ふっと、ほんのわずかに頬を緩めた。

 

「老人の我儘か……確かにそうかもしれん。この歳になり、これ以上を求めるのは身勝手であろう」

 

 エスクラドスは、「だが」と言って再び剣を差し向け、そして、目に刃のごとき鋭さを宿らせた。「一度は道を見失おうと、わしはこれまでの人生を全て剣に奉げてきた! その極みに届くかどうかを知らずして、どうして剣を収めることができよう! 我が剣が大成するか否か……。ナイトマスター・ディナダン! この勝負、受けてもらえぬか!!」

 

 その、長き剣の人生すべてを込めたように、言った。

 

 ディナダンは目を伏せた。「俺は、あんたらを許しはしない。どのような理由があろうと、こんなバカげた戦争を始めたあんたらをな」

 

 そして、「ですが――」と言って相手に目を向け、言葉を改め、続けた。「あなたの、その剣に対する思いには敬意を表します。私でよろしいのであれば、お相手、務めさせていただきましょう」

 

「感謝するぞ!」

 

 両者が一騎討ちに応じたので、戦義は終わりだ。

 

 剣聖とナイトマスター――ともに大陸一と呼ばれた剣が、いま、抜き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 カーレオンとエストレガレス帝国の戦いが、始まる――。

 

 

 

(第四部 終わり)

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。