女幹部はアパート暮らし (ガスキン)
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生活編
第一話 管理人始めました


2017年3月11日 一話から全て書き直す為に二話以降を削除しました。


「出張する事になった」

 

 ―――またか。

 

連休も過ぎた五月半ばの土曜日。夕食の席での父の言葉に、高木恭介は箸を止め溜息を吐いた。

 

恭介にとって父の出張はこれが初めてでは無い。幼い頃から母を連れて、それこそ何十回も出張していたので、既に自分にとっては慣れっこだった。

 

しかし、今回はいつもと少し事情が違っていた。これまで、家を留守にする両親に代わり恭介の面倒を見てくれていた祖父母が去年と今年にそれぞれ亡くなったのだ。

 

つまり、必然的に恭介は一人暮らしをする事になるのだ。

 

「心配だわ。ねえ、ダーリン。この子に一人暮らしなんて出来るのかしら?」

 

母が不安げに表情を曇らせる。結婚して十数年経つのに、未だに父をダーリンと呼んでいる。ちなみに、母が言うには、二人は職場結婚らしい。仲がいいのは大変結構だが、息子の前だろうが憚らずイチャイチャするのだけは勘弁して欲しいと恭介は思っていたりする。

 

「連れて行くって選択肢は無いのか?」

 

「駄目だ。これまでも言って来たが、まだお前に俺の仕事を教えるわけにはいかんからな」

 

どういうわけか、父は恭介に自分がどんな職に就き、どういった仕事をしているのかを全く教えてくれない。ただ、人の役に立つ仕事で、いずれ時が来たら教えると言われているので、そこまで真剣に聞こうとも思っていない。

 

それはさておき、ついていけない以上、やはり恭介は一人暮らしをするしかない。

 

「それで、今回の出張の期間は?」

 

「そうだなぁ……。今度の連中は中々歯応えがありそうだし……、ま、半年くらいってところか」

 

「半年か。母さん、それくらいなら俺一人でもなんとかなるよ。心配せずに父さんについて行きなって」

 

「そう? あなたがそう言うなら信じるけど……」

 

「それに、一人にして危ないのはむしろ父さんの方だろ。母さんがいないと何も出来ないんだし」

 

「む……。そういうお前はどうなんだ」

 

「俺は祖母ちゃんから料理とか洗濯の仕方とか色々教わってたから大丈夫。それに、よく考えたら、俺はどこにも行っちゃいけないんだ」

 

「……そうね。あなたは『博愛荘』の管理人ですものね」

 

この世を去った祖父母が残したものは二つあった。一つは、どうすればこれだけ稼げるのかと疑いたくなるほどの大金。そしてもう一つは、『博愛荘』という名の二階建て八部屋のアパートだった。

 

祖父はこのアパートを、頑張って頑張って、それでも本当にどうしようもなくなった者が最後に訪れる場所にしたいと言って、苦学生や、わけありの人間を、破格の家賃で迎え入れていた。

 

しかし、祖父が亡くなり、次の管理人だった祖母も亡くなってから、入居者はゼロとなった。「自分達が死んだら、取り壊してくれて構わない」という遺言に従わなかったのは、誰であろう恭介だった。

 

「祖父ちゃんと祖母ちゃんの思い出が詰まったここを壊すなんて絶対に許さない。父さんが無理なら俺が管理人になってやる」

 

説得に説得を重ねた結果、なんとか両親は首を縦に振ってくれた。こうして、恭介は高校生にして、アパートの管理人という肩書きを得たのだった。

 

「なら、一人暮らしする間は、向こうの親父とお袋が住んでた部屋を使え」

 

「ああ、そのつもり。早速明日荷物を運ぶよ」

 

「業者に頼んだ方が早いわよ」

 

「金がもったいないし、多分大した量にもならないだろうから必要無いよ」

 

「そうか。俺達も明後日には出発する。生活費は毎月振り込むが、足りなかったら親父の残した金を使えよ」

 

「あの金はアパートの維持費なんだから、俺が使うわけにはいかないって」

 

翌日、いざまとめると思ったより多かった荷物に、やっぱり業者に頼めばよかったかもなどと後悔しながら、恭介は両親にも手伝ってもらって全ての荷物をアパートの部屋に運び終えた。家とアパートの間は一キロも離れていなかったので、大した時間もかからなかった。

 

そして両親の出発の朝、恭介は玄関先で二人を見送った。

 

「それじゃ、しっかりな」

 

「お土産買ってくるからね」

 

「そっちも気をつけろよ」

 

両親の背が扉の向こうへ消えたのを見届け、恭介も登校の準備を始めた。時間は七時四十分を回っている。この家から学校までは徒歩で約三十分。今から出れば充分間に合う。

 

「あ、そうだ。放課後は買い物して帰らないとな」

 

夕食に何を作ろうか考えつつ、恭介は玄関を出た。

 

 

 

 

それからきっちり三十分。恭介は学校に到着した。この『千堂高校』は、男女共学で、スポーツにやや力を入れているところ以外は、特に特徴もないありふれた高校……とは恭介の談である。

 

下駄箱で靴を履き替えていると、背後から弾んだ声がかけられた。

 

「おはよう、高木君!」

 

恭介が振り返ると、そこには鮮やかな青いセミロングの髪をした少女が笑顔で立っていた。

 

「あ、おはよう、霧原さん」

 

少女の名は霧原翔子。恭介とは中学二年生の時に同じクラスになってからの付き合いである。ぱっちりとした目、すらりとした鼻、柔らかそうな唇、ほどよく膨らんだ胸、その他諸々のパーツの素晴らしさも相まって、学年、いや、学校を代表するアイドルでもあった。剣道部に在籍し、すでに他校にもその名が伝わっているほどの腕前で、学業も優秀、まさに完璧超人だ。

 

「今日は朝練は無かったの?」

 

「うん。昨日凄くハードな練習だったから、朝練は免除だって先生が」

 

「そうか。大変だな」

 

「そうでもないよ。楽しいもん」

 

「楽しい……か。俺、霧原さんのそうやって何でも楽しんでやろうとする所尊敬してるんだよなぁ」

 

「そ、そんな、尊敬だなんて……」

 

頬を赤らめる翔子に気づかず、恭介は続ける。

 

「前に一回見たけど、あの練習を楽しんでやるのは俺には無理だな。開始数分で倒れる自信がある」

 

「ふふ、変な自信」

 

「っと、玄関でいつまでも話してる場合じゃないな。さっさと教室にいかないと」

 

「あ、わ、私も教室まで一緒に行っていいかな?」

 

「もちろん。てか、同じクラスじゃないか」

 

「あ、あはは。そうだね」

 

翔子と並んで教室までの廊下を歩く恭介。その間、至る所から刺すような視線が向けられていたのだが、恭介は気づかなかった。

 

 

 

 

時間は過ぎ去り、あっという間に放課後になった。恭介は学校を出て、そのままスーパーに向かった。

 

「とりあえず、今日はカレーにでもするか」

 

買い物かごを持ち、カレーの材料を求めて店内を歩き回る。肉売り場で肉を吟味している最中、ふと二人連れの主婦の会話が恭介に耳に入った。

 

「昨日の夜、黒仙山で爆発があったそうよ」

 

「アタシも聞いたわ。きっとダーク・ゾディアックの連中が何かやったのよ」

 

「正義の味方は何やってるのかしら。早くやっつけて欲しいものだわ」

 

主婦達は喋りながら別のコーナーに去って行った。

 

「ふうん、そんな事があったのか」

 

パックを片手に、恭介は一人呟くのだった。

 

 

 

 

買い物を済ませた恭介は、博愛荘にやって来た。この博愛荘は、築十七年になるが、数回の工事により、最近の物と比べても見劣りしない見栄えとなっている。さらに、それぞれの部屋にしっかり風呂とトイレを完備している中々の優良物件だった。

 

「なのに入居者ゼロなのは何故なんだ?」

 

疑問を口にしつつ、恭介は一階端の部屋……祖父母が住んでいた管理人室の扉を開けた。

 

「ただいまっと」

 

玄関には、祖母が愛用していた箒が立てかけられている。部屋に入った恭介は、まず買って来た食材を冷蔵庫に入れた。それから部屋着に着替え、カーペットを敷き詰めた床に寝転んだ。

 

「もう六時過ぎだし、少し休んだら夕食作らないと……」

 

ぼんやりと天井を見つめながら、恭介は祖父母の事を思い出していた。

 

恭介は、所謂お祖父ちゃん子、お祖母ちゃん子であった。家を留守にする両親に代わり、可愛がってくれた祖父母を、恭介は心から慕っていたし、また尊敬していた。だからこのアパートの管理人となる事を決意したのだ。

 

「祖父ちゃん、祖母ちゃん。俺、頑張るから、見守っててくれよな」

 

サッと起き上がり、恭介は夕食作りを始めるのだった。

 

 

 

 

午後七時三十分。完成したカレーを食べながら、恭介がテレビのスイッチを入れると、ニュース番組が映った。

 

『昨夜、黒仙山にて、悪の組織『ダーク・ゾディアック』と、正義の味方『シャイニング・ナイツ』との大規模な戦闘が発生しました。近年、日本を拠点に活動を行なっていたダーク・ゾディアックですが、調査によると、件の組織は黒仙山に前線基地を設けていたらしく、それを察知したシャイニング・ナイツが壊滅の為に動いたようです。この戦いで、ダーク・ゾディアックの基地は壊滅。『女帝麗嬢』ファサリナ。『ブラッド・アマゾネス』シルヴァーナ。『カオス・ドクター』ピュリア。『銀閃の戦乙女』アルトレーネ。『無限の魔術師』ニムル。以上の幹部五人も逃亡したとの事です。……さて、今回の基地壊滅、どう見ますか川藤さん』

 

アナウンサーが隣のコメンテーターに意見を求めた。

 

『皆さんも知っての通り、この世界には悪の組織と呼ばれるものが無数に存在しています。最初の悪の組織が確認されたのは、十五世紀のヨーロッパです。今回のダーク・ゾディアックもその一つです。数年前から日本を拠点に活動を始め、市民に対し様々な嫌がらせを仕掛けている悪の組織ですが、何故か凶悪犯罪には手を染めず、あくまで日常生活でイラッと来る程度の嫌がらせをするだけの、悪の組織としては比較的市民に嫌悪されていない特殊な組織でもあります。ですが、悪の組織には違いありません』

 

『そうですね。ダーク・ゾディアックは組織としては大規模ですし、幹部の五人は凄まじい戦闘力を持っていますからね。シャイニング・ナイツはよくやってくれました』

 

『この調子で、残りの基地、そして組織自体も壊滅してくれればいいんですけどね……』

 

『その通りです。では、次のニュースです』

 

テレビを見ながら、恭介は納得したように頷いた。

 

「なるほど、昨日の爆発っていうのは、戦闘の所為だったのか。にしても、こんな身近に悪の組織がいたなんて思ってもみなかったな」

 

 “能力”と呼ばれる不思議な力で悪事を働く集団と、同じ“能力”でそれを止める集団。それぞれ『悪の組織』と『正義の味方』と呼ばれる者達がこの世界には存在している。知識としては知っていたが、まさかこの街にも悪の組織が潜んでいたとは恭介も思ってもいなかった。

 

それから、食事を終えた恭介は手早く洗い物を済ませ、続けて風呂の支度をし、入浴も済ませた。しばらくテレビをみたりして時間を過ごし、十一時を過ぎた所で、布団を敷いて横になった。

 

「あー、明日から弁当も作らないといけないんだよな……」

 

げんなりしつつ、目覚ましをセットした恭介は、十分ほどで夢の世界へと旅立ったのだった。

 

 

 

 

黒仙山は、恭介の住む街から距離にして七キロほど離れた場所に位置しており、標高七百メートルの緩やかな傾斜の山で、麓には大きなキャンプ場も設けられている。

 

深夜二時、その黒仙山中腹の森の中を、ある人物が歩いていた。ブロンドのウェーブがかった髪と二つの縦ロールをたなびかせ、宝石のような碧い瞳は、目の前の道を見据えている。面積の少ない、体にぴっちりと張り付いたボディースーツは、体のラインを扇情的に浮き出させ、腋や太ももを惜しげもなく晒している。豊かすぎる胸が、歩くのに合わせて大きく揺れていた。

 

この人物こそ、悪の組織『ダーク・ゾディアック』女幹部五人衆が一人、『女帝麗嬢』ファサリナだった。『シャイニング・ナイツ』との戦いに敗れた彼女は、他の幹部達が山から逃げる中、あえて黒仙山に身を潜めていた。そして、一日間を空け、改めて山を下りていたのだ。

 

「新入戦闘員歓迎大会の最中に襲ってくるなんて、シャイニング・ナイツも空気を読んで欲しいですわ」

 

それは、戦闘員ナンバー四十八号がこの日の為にと温めておいたとっておきの隠し芸(人間ポンプ)を披露しようとした時だった。突如爆発音が鳴り響き、続いて何者かの侵入を知らせる基地のアラートが鳴り響いた。その侵入者というのが、四人チームの正義の味方、シャイニング・ナイツだった。すぐに撃退に出たファサリナ達だったが……。

 

「まさか、登場していきなり必殺技なんて……。あの連中は戦いの作法と言うものがわかってませんわ」

 

リーダーであるシャイニングレッドが、名乗りをあげるなりいきなり必殺技のシャイニングブレイバーを使ったのだ。ダーク・ゾディアックの幹部として正義の味方と戦うのは初めてでは無かったが、初っ端から必殺技をぶち込んでくる相手はこれまでいなかった。

 

「おかげでまともに戦う事なくやられてしまいましたわ。今度会ったら必ずお返しして……」

 

「―――ふうん、どうお返ししてくれるのかしら」

 

「ッ! その声は……!」

 

「やっぱりこの山に潜んでいたのね。女帝麗嬢ファサリナ」

 

ファサリナの前に現れたのは、全身に纏う青いバトルスーツと、首から上を全て覆う青いマスクを装着した人物だった。この人物こそ、ファサリナ達の基地を壊滅させた忌まわしき敵。その名は……、

 

「シャイニングブルー!? 何故ここに!」

 

「他の幹部が逃げ出すのは確認したけど、あなたの姿だけが見えなかった。だから思ったのよ、もしかしたら、あなたはまだこの山に隠れているんじゃないかってね」

 

「くっ……! 読まれていましたのね」

 

「基地にいた戦闘員は全員捕まえたわ。……何故か一人口の中に金魚を含んでいるヤツがいたけど」

 

「はぁ……また戦闘員募集の求人広告を出さなければなりませんわね」

 

「は? 求人広告? 無理矢理連れて来て戦闘員にしてるんじゃ……」

 

「そんな野蛮な真似はいたしませんわ。我がダーク・ゾディアックは楽しく明るい悪の組織ですから」

 

「悪の組織に楽しいも明るいも無いでしょ!」

 

「ちなみに、夏と冬には組織全体で旅行にも行きますのよ」

 

「聞いてないわよ! てか旅行!?」

 

「去年は夏と冬、両方とも海外に行きましたわ。ですから今年は国内にしようと皆さんで話し合ってはいるのですが、具体的にどこにするかはまだ決まっていませんの」

 

「あなた達の旅行話なんてどうっっっっでもいいわよ! というかこの状況で何呑気に話してるのよ! というか話変わってるし! というかやっぱりあなた達の組織っておかしいわよ!」

 

「あら、褒めても何も出ませんわよ」

 

「褒めてないわよ!」

 

ファサリナは思った。マスクで隠れているが、きっと今ブルーは額に青筋を浮かせているだろう……と。

 

「あーもう! とにかく話は終わりよ! ファサリナ! あなたは私が捕まえる!」

 

「出来るものならやってみなさい! シャイニング・ナイツ最強の実力、見て差し上げますわ!」

 

腰につけていたムチを手に取るファサリナ。ここに、正義と悪が再びぶつかりあったのだった……。

 

 

 

 

けたたましく鳴る目覚ましを止めると、時刻は午前六時。体を起こし、恭介はまず洗顔と歯磨きをしに洗面台に向かった。

 

スッキリした所で、朝食と弁当作りの為に台所に立つ。まず、昨日、カレーの材料と一緒に買った卵とウインナーを焼いた。次に、自然解凍する冷凍食品と残っていたご飯を弁当箱につめた。

 

朝食を済ませてテレビで時間を潰すと、気づけば登校時間になっていた。恭介は部屋の隅に置かれた仏壇の前で手を合わせた。その中央には、祖父母の写真が並んでいる。

 

「行って来ます」

 

写真へ笑顔を向け、恭介は学校へと向かった。

 

 

 

 

教室に入った恭介が目を留めたのは、机に突っ伏している翔子の姿だった。珍しくだらけた姿を見せる翔子に、恭介は話しかけた。

 

「おはよう、霧原さん。なんか疲れてるみたいだけど、どうかしたのか?」

 

「ん~~? ……って、高木君!?」

 

めんどくさそうに首だけ動かした翔子は、話しかけて来た相手が恭介だとわかった途端、慌てて起き上がった。

 

「ご、ごめんなさい! わざわざ挨拶してくれたのに私ったら……」

 

あまりに恐縮した様子の翔子に、恭介は苦笑いを浮かべた。対する翔子は恥ずかしそうに俯いている。

 

「朝練がキツかったのか?」

 

「ううん。四時までずっとあの女を追いかけてて……」

 

「え?」

 

「じゃなくて! うん、そう、朝練がちょっと激しかったから」

 

「霧原さんが言うんだからよっぽどだったみたいだな。けど、別に大会が近いってわけじゃないんだろ?」

 

「先生気まぐれだから。軽い時もあればかなりキツイ時もあるの」

 

「へえ、そうなんだ」

 

と、ここでふと近くにいた男子生徒達の会話が聞こえて来た。

 

「おい、昨日のニュース見たか? ダーク・ゾディアックが黒仙山でシャイニング・ナイツと戦ったって」

 

「新聞にも載ってたぞ。にしても驚きだよな。まさか俺達の近くにシルヴァーナの姉御がいたなんて」

 

「ホントだぜ! この目で生ファサリナ様を見たかった!」

 

「お前、ファサリナ大好きだもんな」

 

「大好きなんてもんじゃない! 金髪碧眼で、エロすぎるボディースーツからはみ出そうな特大サイズのおっぱい。ドMの俺としては、罵られながら鞭で思いっきりぶたれたい!」

 

一人の衝撃的なカミングアウトを皮切りに、他の男子達が声を上げ始めた。

 

「俺はシルヴァーナの姉御かな。褐色肌にビキニアーマーがよく似合うんだよなぁ。一度でいいから、あのうっすら割れた腹筋にスリスリしてみたいもんだ」

 

「僕はピュリアちゃんかな。見ため中学生くらいなのに、ダボダボな白衣を着て大人ぶってる所が滅茶苦茶可愛いんだよな」

 

「いや、アルトレーネさんが一番だろ。あの勇壮さと可憐さを兼ね備えた鎧を纏って戦う姿に俺は一発で虜になったね」

 

「馬鹿め! ニムルたんこそ至高にして究極である! ロリは正義!」

 

男子達の会話に露骨に表情を歪める翔子。恭介が周りを見渡せば、教室内にいた全ての女子が翔子と同じ表情を浮かべていた。

 

「バカな人達。悪の組織の人間なんてどこがいいのかしら」

 

「霧原さんは嫌いなのか?」

 

「当然よ、悪の組織の人間なんてロクな人物じゃ―――」

 

「甘いなお前ら! 確かにダーク・ゾディアックの幹部達は皆魅力的だ。だがしかし! 俺はあえてシャイニング・ブルーを推させてもらう!!」

 

その発言に、翔子の体がビクッと反応した。そして、ギリギリと首を動かし、今発言した男子を視界に捉えた。

 

「シャイニング・ブルーって言えば、シャイニング・ナイツの紅一点じゃないか」

 

「そうだとも! マスクの所為で素顔を確認する事は出来ないが、間違いなく美人だと俺は思う!」

 

「うむむ、その発想は無かったぞ」

 

「はあ、ブルー。いやブルーちゃん。いつか俺だけにその素顔を見せてくれたら俺はそれだけで五回はイケ―――」

 

「誰があなたなんかに見せるもんですかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「ソドムッ!?」

 

翔子が手に持った筆箱で男子を打ち据えた。渾身の面を受け、男子がその場に崩れ落ちる。

 

「ちょ、ちょっと翔子! アンタ何やってんのよ!」

 

仲の良い女子から声をかけられ、翔子はハッと正気を取り戻した。周囲を見渡すとクラスメイト達が目を丸くしている。

 

「ああ! 私ったらつい……!」

 

「つい?」

 

「な、何でも無いわ!」

 

「そ、そう? ……けどまあ、よく考えたら自業自得よね。あんな下品な会話を女子の前でしてたんだから」

 

「そうよそうよ。自業自得よ」

 

「むしろよくやってくれたわ霧原さん」

 

翔子を称える女子達。本人は恥ずかしいのか顔を真っ赤にしていた。

 

(うむ、霧原さんは怒らせないようにしよう)

 

恭介は心の中で静かに誓った。

 

朝のこの騒ぎ以外、特に何か起こるわけでもなく、一日は滞りなく進んでいった。そして放課後、恭介はアパートへの道を歩いていた。

 

「今日の夕飯は……残ってるし、カレーでいいか」

 

一日おいたカレーはまた美味いんだよな。などと呟きながら、アパート手前の角を曲がった恭介は動きを止めた。

 

「……え?」

 

アパートの敷地内、ちょうど恭介の部屋の手前に人が倒れていた。驚きと戸惑いで固まっていた恭介だったが、ハッと正気を取り戻すと、慌てて駆け寄った。

 

「ちょっ、だ、大丈夫ですか!?」

 

倒れていたのは、ふわふわした金色の髪と、漫画でしか見た事のないような立派な縦ロールを持つもの凄い美人だった。

 

(す、凄い綺麗な人だな。なんでこんな人がここに……)

 

思わず見惚れた恭介の前で、女性がうめき声をあげた。

 

「う、うう……」

 

「と、とにかく、このままにしておけないし、とりあえず部屋に」

 

部屋の鍵を開け、恭介は女性を部屋に運び込むのだった。

 




再スタートです。目についた時でいいのでご一読頂けたら嬉しいです。


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第二話 初めての相手

書き直す前と大筋は変わりません。文章のつけたしや適当になっていた説明や設定を加えていきます。


女性を背負い部屋の扉を開ける恭介。常時であれば背中に密着する柔らかな感触にどぎまぎしていただろうが、緊急事態である今はそんな事に意識が回っていない。

 

ひとまず布団に女性を横たわらせた。女性は白のブラウスに黄色いロングスカートという出で立ちで、何故か全身に擦り傷や切り傷を負っていた。

 

「こんなに傷だらけで……一体何があったんだ……」

 

とにかく手当てをしようと、恭介は棚から救急箱を取り出した。ガーゼに消毒液を吹き付け、なるべく痛くならない様に祈りつつそっと傷口にそれを当てた。

 

「ん……!」

 

 わずかに呻き声を上げる女性。やはり痛かったのかと心の中で謝りつつ恭介は救急箱に目を遣る。

 

「ええっと、次は包帯と……」

 

恭介が女性の右手を取った瞬間、彼女の目がゆっくりと開いた。

 

「……わたくしは……」

 

「あ、よかった。目が覚めたんで―――」

 

安堵の息を吐こうと思った次の瞬間、恭介の視界がくるりと一回転した。何が起きたのか理解出来ていない恭介の頭上から女性の怒鳴り声が浴びせられる。

 

「何者です! ここはどこです! わたくしに何をしようとしたのですか!」

 

「痛たたたた! ちょっ! 何この展開!?」

 

右腕に激痛が走る。恭介は完全に女性に押さえ込まれていた。何とか抜けだそうと体をよじらせるが、その度に痛みがさらに激しくなる。

 

「答えなさい。答えないのなら実力行使に出ますわよ!」

 

「今まさに行使されてるんですけどぉぉぉぉぉぉ! ちゃんと説明しますから腕離して! 骨が逝く! 逝ってしまうぅぅぅぅぅぅ!!」

 

涙目でそう訴えかけると痛みがスッと消えた。右腕をさすりながら恭介が起き上がると、腕を組んだ女性が目の前に立っていた。

 

「では答えなさい。言っておきますけど、嘘をつこうとしても無駄ですからね」

 

「はい……」

 

「まず最初に、あなたのお名前は?」

 

「高木恭介です」

 

「次に、ここはどこですか?」

 

「ここは俺が管理人をやっている博愛荘っていうアパートです」

 

そう言うと女性の目が細くなる。

 

「管理人? あなたのような若い子が……?」

 

「元々は祖父母が管理人だったんです。二人が亡くなって、親が仕事人間なんで、俺がやる事にしたんです」

 

「そうでしたの。なら最後に、わたくしは何故この部屋にいますの?」

 

「ええっと……。俺が帰って来たらあなたがこの部屋の前に倒れてたんですけど……」

 

「わたくしが倒れていた?」

 

「それで、部屋に運んで、傷だらけだったんで手当てしようとしたら目を覚まして、気付いたら腕を決められてました」

 

女性が口元に手を当て、考えるような仕草を見せた。それから、ふと思い出したかのように小さく呟いた。

 

「……そうでしたわ。ブルーから逃げ切った後、このアパートを見つけて……」

 

「え?」

 

「何でもありませんわ。では、あなたは気を失ったわたくしを手当てしようとこの部屋に運んだ……そういう事ですのね」

 

恭介が頷く。すると、女性は再び思案顔になった。

 

「……何故見ず知らずのわたくしを助けてくれたんですの?」

 

「あの状況で放っておいたら祖父ちゃんに怒られますから」

 

「お祖父様?」

 

「祖父ちゃんよく言ってました。『困っている相手に知人も他人も無い。後の事は助けて考えろ』って」

 

「……」

 

「ま、まだ何か……?」

 

無言で見つめられ、恭介は居心地悪そうに尋ねた。

 

「あなたのおっしゃる事はわかりました。そこに落ちている包帯もわたくしの為に出してくださったのかもしれません。……ですが、あなたと違って、わたくしは初対面の相手を信じきるほどお人好しではありませんの。あなたが本当の事を言っているかどうか、今から確かめさせて頂きます」

 

「確かめるって……」

 

女性が恭介の前に座り込む。そして、両手で恭介の顔を包むと、そのまま自分の顔を近づけた。

 

「な、何ですか?」

 

美女の顔が至近距離に近づき、恭介の顔が赤くなる。女性は恭介の目をジッと見つめる。すると、女性の瞳の中心にハートマークが浮かびあがった。

 

「え、ハートマーク……」

 

そのハートマークを見た瞬間、恭介は意識を失った……。

 

 

 

 

「……どうやら、『スレイブ・アイ』が効いたようですわね」

 

虚ろな目をする少年を見て、女性……ファサリナは警戒を解いた。

 

昨夜、シャイニング・ブルーとの戦闘で、黒仙山から街に追い詰められた彼女は逃走を試みた。街中に身を隠し『ファサリナ』という裏の人間から、世界にも名を響かせるスーパーモデルである『神宮寺麗奈』という表の人間へとその姿を変えて。

 

おかげでなんとかシャイニング・ブルーから逃げおおせたのだが、前日ずっと山にこもっていたのと、戦闘の疲れで、偶然辿りついた博愛荘の前で倒れてしまった。これが、真実である。

 

「わたくしが“あの方”から授かったこの力……『スレイブ・アイ』に見つめられれば最後、意識の失いわたくしの操り人形となる。さあ、真実を話して頂きますわ」

 

「……はい」

 

(どうせ、この子も下心を抱いているに決まっていますわ)

 

悪の組織の幹部であるファサリナがこの世で一番信用していないもの。それは、人間の“純粋な善意”というものであった。その善意の所為で、自分の両親は死んだのだから。

 

無償の愛など存在しない。人は見返りを求めて他者に優しくするのだ。モデルとして活動している時も、自分に近づいてくるのは世界的に有名な自分にくっついておこぼれをもらおうとする下らない連中ばかりだった。だからファサリナは、自分を助けたこの少年も、きっと何か企んでいるのだと確信していた。

 

しかし、その確信はすぐに砕かれる事となった。ファサリナの持つ能力『スレイブ・アイ』は、見つめた相手を自分の思い通りに操るものだった。この能力を使えば、本音を聞き出す事も造作も無い。その能力を使った上で、ファサリナは改めて少年に尋ねた。

 

「何故わたくしを助けたのです? 恩に着せてわたくしの体でも求めるつもりだったのですか?」

 

「……違う」

 

「ならどうして。不審者ともとれるわたくしを助ける理由があるのです」

 

「……理由は無い。ただ助けたかったから助けた。じゃないと天国の祖父ちゃんと祖母ちゃんに笑われる」

 

その答えにファサリナは驚愕した。この少年は下心など抱いていない。ただ倒れていたから助けてくれただけなのだ。打算も何も無い。自分が信用していない“純粋な善意”というもので。

 

「な、なんですの、この少年は……」

 

ファサリナは目の前の少年に得体の知れない感情を抱いた。それは、人が自分の理解を超えたものに出会った時に抱く、恐怖に似た感情と同じものであった。同時に、今まで自分の周りにいなかったタイプのこの少年に対して小さな興味が湧いてきた。

 

「信じて……いいのかしら」

 

囁くようにファサリナはそう漏らした。何しろ初めての事なので、どうすればいいのかわからなかったのだ。

 

だが、とりあえず聞きたい事は聞いた。ファサリナが指をパチンと鳴らすと、少年の目に光が戻った。

 

「あ、あれ……?」

 

「どうしましたの? 何だかボーっとしていましたけど」

 

操り人形になっている間の記憶は無い。ファサリナは適当にはぐらかした。

 

「あ、す、すみません。それで、どうやって確かめて……」

 

「それはもういいですわ。わたくしはあなたの言う事を信じます」

 

「え?」

 

「改めてお礼を申し上げますわ。わたくしを助けてくださってありがとうございました」

 

「え、あ、は、はい。どういたしまして」

 

「ふふ」

 

しどろもどろに応える少年に、ファサリナは小さく笑みを浮かべた。自身は気づいてはいなかったが、ここ数年の内で組織以外の者に対し、作り笑いではない本当の笑みを見せたのはこれが初めてだった。

 

 

 

 

ようやく信じてもらえた所で、今度は恭介が尋ねる番になった。

 

「ところで、あなたのお名前は?」

 

「あら、そういえばあなたに名乗らせておきながらこちらはまだでしたわね。わたくしは神宮寺麗奈と申します」

 

「神宮寺麗奈さん。……ん? どこかで聞いた事あるような……」

 

麗奈の顔を見つめ、恭介は思いついたように声をあげた。

 

「も、もしかして、モデルの神宮寺麗奈さん!?」

 

「わたくしをご存知ですの?」

 

「と、当然ですよ! 世界中で活躍してて、テレビでも特集される様な人を知らないわけないじゃないですか!」

 

「ふふ、嬉しいですわ」

 

「何でこんな有名人がアパートの前に……」

 

「それは……」

 

麗奈はふと表情を曇らせた。その憂いのある表情も美しく、恭介は見惚れそうになったがそんな空気では無いので小さく頭を振った。

 

「実は……わたくし、ストーカーがいますの」

 

「ストーカー!?」

 

「ええ。少し前からずっとつきまとわれていますの。この前なんて住んでいるマンションの前までつけられて……」

 

「警察には相談したんですか?」

 

「もちろんしましたわ。けど、悪の組織の対応で忙しいからと取り合ってくれなくて……」

 

「そんな……」

 

「そして昨日の夜、仕事帰りのわたくしを、そのストーカーが襲いかかって来たんですの。刃物を持って、わたくしを自分の物にしてやるって」

 

「じゃ、じゃあ、その腕とかの傷って……」

 

「ええ、そのストーカーの所為ですわ。わたくし、必死で逃げましたわ。逃げて逃げて逃げ続けて、気づいたらこのアパートに辿り着いていましたの。その時には、ストーカーも諦めていたようで。気が抜けた所為かそのまま気を失ってしまって……」

 

(キメられた身としては、逃げずに捕まえる事も出来たんじゃないかと思うけど……)

 

喋りながら、麗奈は恭介の顔を伺った。もちろん、今話したのはでっちあげだ。一般人である恭介に本当の事を話すわけにはいかない。

 

(我ながら無理のある設定ですわね。流石にそうやすやすと信じは……)

 

「そうですか……。大変だったんですね」

 

(信じちゃってますわ!?)

 

「? どうかしましたか?」

 

「い、いえ、何でもありませんわ」

 

「あ、そうだ。傷で思い出したけど、手当ての続きしないと……」

 

恭介は慣れた手つきで麗奈に包帯を巻いた。

 

「これでよし。ちょっと大げさですけど」

 

「あ、ありがとうございます」

 

腕に巻かれた包帯をそっと撫でる麗奈。ダーク・ゾディアックにはピュリアの開発した治療用ポッドがあり、いつもそれを利用していた。なので、こんな風に他人に手当てをされたのも初めての事だった。

 

「いえ、どういたしまして。けど、これからどうするんですか? ストーカーって自宅も知ってるんでしょ? もしかしたら待ち伏せしてるかもしれないですよ」

 

「え? あ、え、ええ、そうですわね。どうしましょう」

 

と、ここでまたしても恭介が思いついたように口を開いた。

 

「……そうだ! 麗奈さんさえよければ、しばらくここを使ってもらっていいですよ」

 

「え?」

 

「実は、今ここ入居者がゼロなんです。部屋は有り余ってますから、このアパートに隠れておけば、ストーカーも気づかないと思うんです。襲われたのなら警察だって動くでしょうし、捕まるまでの辛抱ですよ」

 

「ですが、それではあなたに迷惑を……」

 

「困った時はお互い様ですよ。それに、祖父ちゃんや祖母ちゃんが生きていたらきっと同じ事を言ってるはずですから」

 

麗奈の言葉に被せるように恭介はそう言った。麗奈はスレイブ・アイを使おうと一瞬だけ考え、小さく首を振った。

 

(何故でしょう。スレイブ・アイを使わずとも、この少年がわたくしの為を思ってくれているのがわかりますわ)

 

全ては嘘。自分を追っているのはストーカーなどではなく、正義の味方。こんな場所などすぐに去るべきである。……にも関わらず、麗奈は恭介の提案を受け入れた。

 

「そうですわね……。では、少しだけお世話になりますわ」

 

自分でもわからない、初めての感情に従って。

 

 

 

 

麗奈に用意された部屋は、恭介の部屋のすぐ隣だった。最低限の家具だけが設置された部屋の真ん中に、恭介の部屋から運んだ布団だけが敷かれている。

 

麗奈は座ったまま、両腕に視線を移した。そこには、白い包帯が巻かれている。

 

「……男の方の手って、ゴツゴツしてますのね」

 

ふと、自分に包帯を巻いていた時の恭介を思い出す。真剣な顔で、丁寧に包帯を巻いてくれた。その時に触れた彼の手が、自分と違ってゴツゴツしていた。

 

「……な、何でしょう。頬が熱いですわ」

 

おかしい。恭介の事を考えるとムズムズする。まさか、あの少年も“能力”持ちで、自分に何かしたのか?

 

「麗奈さーん」

 

「ひゃい!?」

 

突然、玄関からたった今まで思い浮かべていた相手の声が聞こえたので麗奈は大いに焦った。声が裏返ってしまったのも仕方が無い。

 

「どうかしましたか?」

 

「い、いえ! それよりご用件は!」

 

「夕飯なんですけど、よかったら一緒に食べませんか? 昨日のカレーがまだたくさんあるんですよ」

 

「そ、そうですわね。何もありませんし、ご馳走になりますわ」

 

玄関に向いながら、麗奈は思った。

 

やはり、自分の調子を狂わせるこの少年には気をつけておいた方がいいかもしれない……と。



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第三話 お節介だって立派な長所である。

後半にシーンを追加しました。


翌朝、麗奈が目を覚ますと、見慣れない天井が目に映った。徐々に覚醒していく頭のなかで、昨日の出来事をゆっくりと思い出す。

 

「……ああ、そういえば、恭介君の厚意に甘えさせて頂いたのでしたわね」

 

自分の吐いた適当な嘘を信じ、このアパートに匿い、しかも、昨夜の夕食時には、使用中の家賃等はいらないとまで言って来た。優しいというより、とんでもないお人好しだ。悪の組織に所属する自分が心配するのもなんだが、彼の将来はどうなるのだろう。いつか、誰かに利用されてしまうのではないか……。

 

「……いえ、利用しているのはわたくしも同じですわね」

 

悪の組織の人間として、時に容姿で、時に瞳の力で、様々な相手を利用して来た。その時には、相手の事など考えてもいなかった。

 

けれど今、彼を騙し、この場所を借りている事に、何故か胸がざわめいた。それを言葉にすれば、『罪悪感』というものだろうか。

 

(馬鹿馬鹿しい。そんなもの、ダーク・ゾディアックに入った時に捨てたはずですわ。そもそも、どうして女帝麗嬢であるわたくしが、あんな昨日あったばかりの少年などを心配しなければなりませんの)

 

麗奈は心の中で呟きながら首を振った。それはまるで、自分自身に言い聞かせている様にも見えた。

 

「……ちょっと外の空気でも吸いましょうか」

 

麗奈は玄関を出た。すると、ほぼ同じタイミングで隣のドアが開き、そこから制服姿の恭介が出て来た。

 

「あ、麗奈さん。おはようございます」

 

「おはよう、恭介君。今から学校かしら」

 

「はい。麗奈さんは今日お仕事ですか?」

 

「いえ、今日は何もありませんの。ですから、ここで暮らすのに必要な物を買いに出ようと思ってますわ」

 

「あんまり出歩かない方がいいと思いますけど……。もしストーカーに見つかったら……」

 

「あなたにそこまで心配して頂く必要はございませんわ」

 

そう言って、麗奈はハッとした。今の言い方では変な誤解を与えてしまうかもしれない。案の定、恭介は申し訳なさそうな表情を麗奈に向けた。

 

「あ、あはは。そうですよね。すみません。腕の傷を見ちゃったから余計に心配になっちゃって……」

 

「ち、違……」

 

「じゃ、じゃあ、俺、学校に行くんで。本当に気をつけてくださいね」

 

恭介は麗奈に背を向け、逃げるように走り去った。麗奈は咄嗟に呼びとめようとしたが、すでに恭介の姿は遠くなっていた。

 

「そんな……そんな顔をさせるつもりじゃありませんでしたのに……」

 

存在しないストーカーなど恐れる必要は無い。だから、自分の事など気にせず普段通りの生活を送って欲しい。麗奈なりに、恭介の為を思っての言葉だった。それなのに、あの様子では、逆に傷付けてしまったかもしれない。

 

「どうしてわたくしは、あのような言い方しか出来ないのかしら」

 

胸のざわめきは先程より強まり、小さな痛みに変化して麗奈を襲った。胸を刺すチクリとした痛みに、麗奈はさらに戸惑う。

 

「何なんですの、この痛みは……」

 

突如生じた心の痛み。麗奈には理解出来ないその痛みを癒してくれる薬は、ダーク・ゾディアック一の天才であるピュリアにも作れない。癒せるのは恭介ただ一人。だが、麗奈がそれに気付く事はなかった……。

 

 

 

 

「どうしたの、高木君?」

 

一時間目終了後の休憩時間、ボーっとしていた恭介に翔子が話しかけて来た。

 

「ん……? ああ、霧原さん」

 

「どうしたの? ……って、昨日と逆だね」

 

「はは、そうだな……」

 

「授業中に何度か見たけど、心ここにあらずって感じだったよ。何か悩みでもあるの? 私でよかったら話してみてよ」

 

つまり、授業中何度も恭介へ視線を送っていたという事にもなるが、そんな事に今の恭介が気付くはずも無かった。

 

「……なあ、霧原さん。俺の事、どう思う?」

 

その質問に、翔子は途端に頬を赤らめ、両手の人差し指どうしをくっつけて囁くように答えた。

 

「ええ!? そ、それは、えっと……優しい人だなって。……あと、カッコよくて、頼りになって、なのに気取ったりしないし、料理も得意で、結婚したら一緒にお料理とか出来たらいいなって、わ、私は中華料理とか得意だけど、高木君の得意なお料理ってどんな感じなのかな……って、や、やだ、私ったら、まだ付き合ってすらいないのに……」

 

機関銃のように喋り続ける翔子。だが、「優しい人」から後の言葉は、最早蚊の鳴くような声になっていたので、恭介の耳に届く事はなかった。

 

「優しい……か。それってお節介ともとれるよな」

 

「え?」

 

妄想に浸っていた翔子が、恭介の固い声色に正気に戻った。

 

「俺って何でも首を突っ込もうとする性格だからさ。その所為で逆に相手に迷惑かけてるかもしれないって考えると……このままでいいのかなって」

 

「そうだね。確かに、高木君ってちょっとお節介な所があるかも」

 

「やっぱり」

 

「……けど、それが高木君のいい所でもあると思うな」

 

ニコリと微笑む翔子。

 

「俺のいい所?」

 

「というか、お節介じゃない高木君なんて、高木君じゃないよ。中学の時から一緒だったから知ってるよ。高木君、困ってる人がいたら、それが先輩でも後輩でも、先生でも手助けしてたじゃない。中には迷惑がる人もいたかもしれないけど、その倍以上の人が高木君に感謝してたはずだよ。……それに、私だって……」

 

「え? 最後なんて……」

 

「な、何でも無い。とにかく、高木君はお節介なままでいいって事。異論は認めません」

 

そう締めくくり笑みを見せる翔子に、恭介もまた笑顔を返す。

 

「そっか……。うん、ありがとう、霧原さん。ちょっと気が楽になったよ」

 

「どういたしまして。相談事ならいつでも受け付けるからね」

 

ウインクして翔子は自分の席に戻って行った。恭介の斜め後ろの席で偶然それを目撃した男子が興奮した様子で叫んだ。

 

「き、霧原のウインク……これはプレミアもんやでぇ!」

 

「うるせえぞ荻原!」

 

「俺は萩原だって言ってるだろうが! 書く時に間違えるのならともかく、呼び方間違えるとかおかしいだろうが! わざとか? それともガチで勘違いしてんのか?」

 

「わざとに決まってんだろうが!」

 

「ケンカ売ってんのかテメエ!」

 

「ちょっと、静かにしてよハギハラ君」

 

「俺はハギワラだよ霧島ぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「おらー、席につけー。授業始めるぞー」

 

始業のチャイムが鳴り、萩原以外の全員が素早く席についた。

 

「どうした、早く座れ。萩原」

 

「先生! あなただけは信じていました!」

 

「いいから座れ。荻原」

 

「何故に二回目で間違えるの!?」

 

崩れ落ちる萩原を尻目に、二時間目の授業がスタートした。

 

 

 

 

恭介が授業を受けている頃、麗奈は生活必需品を求め街中を歩いていた。すれ違う男達が、麗奈の美しさに例外無く振り返る。当の本人は、人の目にさらされる事に慣れているからか、全く気にせずに歩き続けていた。

 

「あ、あの! 神宮寺麗奈さんですよね! 俺、あなたのファンで……」

 

「人違いですわ」

 

男の言葉を遮るようにして横を通り抜ける麗奈。いつもならこういった相手にはきちんと対応するのだが、朝の恭介との件が尾を引いているせいか、そんな気分にはなれなかった。とはいえ、この手の連中は一人が行動に移せば次々に現れるわけで……。

 

「キミ、綺麗だね。よかったらそこの喫茶店でお茶でもどう?」

 

「芸能界に興味ありますか?」

 

「十秒だけでいいです。あなたの幸せのために祈らせてくれませんか」

 

「踏んでください!」

 

まとわりついてくる男達に、麗奈はため息混じりでスレイブ・アイを使った。

 

「邪魔よ。お退きなさい」

 

「「「「……はい」」」」

 

ぼうっとした顔で麗奈の前から退く男達を一瞥し、麗奈は歩みを再開した。途中、バス停を発見したので、そこからバスを利用して駅前に建つ大型デパートへと向かった。着いた頃には時間は十二時二十分を回っていた。

 

「そうですわね。買い物が終わりましたらついでに昼食もとっておこうかしら」

 

麗奈はショッピングが好きだった。男達の所為で悪くなっていた機嫌が、予定を練る内にすっかり元に戻っていた。

 

足取り軽く、デパートへと入って行く麗奈。……が、ここでも何人かに話しかけられ、どうにも我慢ならなくなった彼女は、買う予定の無かったサングラスを購入して変装した。さすがにこれだけでは心許ないとも思ったが、着けた途端に誰も近づいてこなくなったので一安心し、フロアを移動した。

 

次に麗奈が買い求めたのは、服や下着だった。あのアパートにいつまで留まるかは未定だが、流石に今着ているものをずっと着続けるのは女性として問題があるし、麗奈自身も許せなかった。いくつかある服屋で、自分の気に入った物をそれぞれ六着ずつ選んで会計に向かった。

 

さらに、歯ブラシやコップなどの細々した物も購入し、両手に袋を下げながら、麗奈は昼食を取ろうと、飲食店へと足を運んだ。

 

席に着いたところで、麗奈は小型の液晶端末を取り出した。この端末はダークゾディアックのブレインであるピュリアが開発した物で、端末どうしでの連絡の取り合いや、GPS機能がついており、さらには世界中の悪の組織の情報まで調べる事が出来る。ちなみに、情報の一部として、世界中の悪の組織をランキング付けしている。そのランキングによれば、ダーク・ゾディアックは世界第五百六十三位。理由は、『実力者揃いの組織だが、活動内容がしょぼいから』らしい。

 

「……ダメですわね。他の皆さんからはまだ連絡がありませんわ」

 

昨夜、恭介に食事をご馳走になった後、部屋に戻った麗奈は散り散りになった他の幹部四人に一斉に連絡を入れた。だが、未だに逃亡中なのか、それとも戦闘中だったのか、連絡は返ってこなかった。GPSも何故か機能せず、一日経ち、もしかしたら連絡があったかもしれないと確かめてみたが、結果はこれだ。

 

(まあ、捕まっているとは思いませんけど……。とにかく皆さんと連絡を取って、体勢を整えなければ、活動再開は望めませんわね)

 

シャイニング・ナイツに受けたダメージは決して小さくない。新たな活動拠点の確保、戦闘員の勧誘、そしてなによりも、シャイニング・ナイツへの借りを返す事。やる事は山積みだった。

 

「上等ですわ。やられっぱなしは趣味ではありませんもの。待っていなさい、シャイニング・ナイツ……」

 

 

 

 

午後五時三十分。夕日に照らされながら、恭介は夕食の献立を考えながらのんびりと家路を辿っていた。あるバス停の前に差し掛かった時、ちょうどバスが停車し、前の扉から買い物袋を持った麗奈が降りて来た。

 

「あれ、麗奈さん」

 

「え? あ、き、恭介君……」

 

いきなり話しかけられ、スッと振り向いた麗奈の顔が強張った。朝の件が否が応にも思い出される。一方、恭介は、翔子の励ましで落ち込んだ気分をすっかり払拭していた。

 

「偶然ですね。もしかして、買い物帰りですか?」

 

「え、ええ。お昼前に出たのですけど、気づいたらこんな時間に……」

 

「そうだったんですか。あ、よければ一緒に帰りませんか。荷物持ちますよ」

 

「そんな。悪いですわ」

 

断る麗奈だったが、満面の笑みで手を差し出す恭介に、結局二つある内の一つを持ってもらい、二人は並んで歩き始めた。

 

「「……」」

 

しばし無言の時間が続く。隣の恭介をチラ見した後、麗奈は恐る恐るといった感じで口を開いた。自分は彼に謝らなければならない事があるのだ。

 

「……あ、あの、朝はごめんなさい」

 

「え?」

 

「心配してくださったのに、わたくしったらその必要は無いだなんて失礼な事を……」

 

顔を伏せる麗奈。すると、恭介は慌てたように答えた。

 

「い、いやいや! 俺の方こそ、出歩かない方がいいだなんて偉そうな事を……!」

 

「いえ、わたくしが悪いのです」

 

「いや、俺が悪いんです!」

 

互いに自分が悪いと言って譲らない二人。何度か言い合った後、やがてどちらともなく吹き出した。

 

「ふふ、わたくし達、謝ってばかりですわね」

 

「あはは、そうですね。じゃあ、おあいこって事で」

 

笑い合う両者。その中で、麗奈は朝から刺さっていた針のような物がポロっと落ちたような気がした。さらに、それと入れ替わるように、何か暖かいものが胸を包んだ。

 

(どうしてでしょう。恭介君と話しているだけで、こんなにも穏やかな気持ちになるなんて……)

 

麗奈は、自分に安らぎを与えてくれるこの少年にどこか惹かれ始めていた。そして、自分が彼を騙しているという事に、今度こそ罪悪感を抱いた。

 

(わたくしは……)

 

再び気分を落ち込ませたまま、アパートまで後数分という所まで来た時、突然、二人の前に一人の男が現れた。

 

「み、見つけたよ、麗奈ぁ」

 

男はボサボサの髪に、分厚いメガネ、そこから覗く目の下には濃いくまが出来ていた。頬は妙に痩せこけ、警官が見たら一発で職質されそうな感じの顔をしていた。

 

「どなたですか?」

 

「知り合いじゃないんですか? ……って事は、まさかこいつがストーカー!?」

 

恭介を無視する様に男は麗奈へ話しかける。

 

「マンションの前で待ってても帰ってこなかったから心配して探してたんだよぉ」

 

「嘘……まさか、本当にいたなんて……」

 

「……ところで、麗奈の隣にいるガキはなんなんだ?」

 

麗奈に向けていた不気味な笑みから一変、男は恭介に憎悪の篭った視線を向けた。

 

「麗奈の隣は僕のものだ! お前みたいなガキが麗奈に近づくな!」

 

「ふざけんな、このストーカー野郎! お前こそ、麗奈さんに怪我させやがって!」

 

「怪我? ……ああ! れ、麗奈! そ、その腕の包帯は……。まさか、そのガキにやられたのか!? くそ、許さないぞ!」

 

「はあ!?」

 

「麗奈を傷つけるヤツは、僕が天罰を下してやる!」

 

男が懐から包丁を取り出した。それを見た瞬間、恭介は麗奈の手を取って来た道を全速力で走り始めた。

 

「あ! 待て! 逃げるな卑怯者!」

 

「ほざけストーカー!」

 

「くそ、逃がさんぞ!」

 

男が包丁を振り回しながら恭介達の後を追い始めた。

 

「お、追って来ますわ!」

 

「大丈夫です! ここら辺の道はよく知ってますから! 絶対に撒いてみせます!」

 

恭介のこの言葉はハッタリではなかった。人一人が通れる小さな道から、トラックの通れる大きな道まで、あらゆる道を辿って逃げ続け、十分以上かけてアパートに逃げ込んだ。

 

「はあ……はあ……。何とか逃げられたな」

 

汗だくで息を整える恭介。その後ろで麗奈が躊躇いがちに口を開いた。

 

「あ、あの……手を……」

 

「え? あ、ああ、すみません。ずっと走りっぱなしでしたけど、大丈夫ですか、麗奈さん」

 

「だ、大丈夫ですわ」

 

この程度で息切れするほどやわな体はしていない。だが、麗奈は別の理由で心臓の鼓動を早めていた。

 

(い、嫌ですわ、わたくしったら。手を握られたくらいでドキドキするなんて……)

 

「けど、これで安心……」

 

「見つけたぞ!」

 

「……マジかよ」

 

恭介が首だけ動かして見てみれば、そこには巻いたはずの男の姿があった。

 

「麗奈の匂いを辿れる僕からは逃げられない」

 

「は? 匂い?」

 

聞き返す恭介に、男は自分の鼻を差しながら自慢げに語り出した。

 

「僕の鼻は特別なんだ。……ああ、こうしている今も感じるよ。香しい髪の匂いも、額にうっすら滲んだフローラルな汗の匂いも、芳醇な腋の匂いも、ストッキングに包まれた甘酸っぱい脚の匂いも、全部全部!」

 

「おまわりさーん! ここです! ここに特級の変態がいまーーーーすっ!」

 

口の端からよだれを垂らし、恍惚とした表情を浮かべる男に対し、恭介は全力で声を張り上げた。

 

「う、嘘……! わたくしそんなに臭うんですの!?」

 

一方、麗奈は愕然とした顔で恭介から距離を取った。確かに一日中外出していたが、そんない酷い臭いを周囲に撒き散らしていたのかと泣きそうになった。その表情から何かを察したのか恭介が慌ててフォローする。

 

「だ、大丈夫ですよ麗奈さん! さっき一緒に歩いてる時だって全然そんな事なかったですし!」

 

「本当……ですか?」

 

「本当です! むしろ凄くいい匂いでした!」

 

「え?」

 

「……あっ」

 

今、自分は何とほざいた? キョトンとした麗奈を見てそれに気付いた恭介がテンパった様に言い訳を始める。

 

「ち、違うんです麗奈さん! 俺が言いたいのはアイツの変態発言みたいな事じゃなくて! あの、あれです! 女の人って甘いというか、いい匂いがするじゃないですか! なんか女性ホルモンが影響してるらしいですよ! だから、麗奈さんからいい匂いがするって言うのは当然と言うか……うん、とにかくホルモン万歳って話ですよぉ!」

 

随分前に見たテレビ番組。すっかり忘れていたはずの内容を奇跡的に思い出した恭介はそれを交えながらマシンガンの様に言葉を並べた。

 

「……え、ええ! そうですわ! ホルモンの所為なのですわ!」

 

麗奈の方もテンパっていました。口を揃えてホルモンを連呼する二人に男が吼える。

 

「おのれぇ! 僕の前でイチャイチャしやがって! 麗奈のラブコメ相手は僕なんだぞ!」

 

「うっせえド変態! そもそもテメエの発言の所為だろうが! 匂いを辿るとか犬かテメエは!」」

 

「犬? ……ふふ、そうだな。僕は犬さ」

 

恭介のそのツッコミに、怒り心頭だった男の顔に喜悦が生まれた。

 

「は? 何言って……」

 

「ッ! 恭介君、下がって!」

 

麗奈が叫んだ直後、恭介の目の前で男の姿が変わり始めた。目が爛々と輝き、鼻が反り返るように伸びる。口は大きく裂け、そこからは鋭い歯が覗く。耳は顔の横から頭の上に移動し、ヒョロヒョロだった体は筋骨隆々の逞しいものへ変わり、全身を瞬く間に茶色い毛が被った。その姿は、正に二足歩行で立つ『犬』そのものだった。

 

「な、何だコイツ……!?」

 

(この男、“能力”持ちでしたのね。姿形を変えるほどのレベルであるならば、本来であれば申告した時点で“制限”がかけられるはず。ならば正義の味方……と言いたい所ですが、どう考えてもこの男が正義の味方とは思えませんわね。でしたら答えは一つですわ)

 

戦慄する恭介とは対照的に、麗奈は冷静に分析を始めた。そして、結論が出た所で男を睨みながらそれを口にした。

 

「あなた……悪の組織の人間ですわね?」

 

「そうさ! 僕は『シャドウ・グランドル』の怪人! その名もスニーキング・ドッグさ!」

 

(シャドウ・グランドル? 聞いた事ありませんわね。最近立ちあげたばかりの弱小組織かしら?)

 

「怪人の変身シーンなんて初めて見たぞ……」

 

「どうだ! 恐ろしいだろう! さあ、ガキ! 痛い目に遭いたくなければ、麗奈を渡せ!」

 

スニーキング・ドッグが勝ち誇ったように笑う。だが、恭介の答えは……否だった。

 

「な、何でだよ! お前、僕が怖くないのか!」

 

 麗奈を守る様に前に出た恭介を見て、スニーキング・ドッグが僅かにたじろいだ。

 

「……怖えよ。怖えに決まってんだろ。俺は正義の味方でも何でも無い。ただの高校生なんだからな」

 

「だったら……!」

 

「だけど!」

 

「ッ!?」

 

「だけど! それが麗奈さんをお前に渡す理由にはならない! ましてや、女性の体に……モデルとして俺なんかじゃ想像も出来ないくらい努力してきただろう麗奈さんの体に傷をつけたクズ野郎なんかになぁ!」

 

恐怖で潰れそうな恭介を支えるのは、自分の欲望の為に麗奈を傷付けた男への怒りと、正式ではないとはいえ、博愛荘に住む事になった人を守るという、管理人としての意地だった。

 

『ワシはな、恭介。この博愛荘に住む者は皆家族だと思っておる。そして、管理人であるワシは、そんな家族を守る親でありたい』

 

「……だよな、祖父ちゃん!」

 

 生前、アパートを見上げながら誓う様にそう言った祖父を思い出しながら、恭介は気合いを入れる為に自分の頬を叩いた。

 

「くそ! 生意気なガキめ!」

 

「はっ! 来いや変態犬っころ!」

 

気合十分、恭介はスニーキング・ドッグに殴りかかった。だが、いくら気合いが入っていようと、相手は怪人。一般人である恭介が敵う相手では無い。

 

「え、消え……」

 

「恭介君! 後ろ!」

 

麗奈の悲鳴にも似た叫びを聞いた刹那、恭介は背中に凄まじい衝撃と痛みを受け吹き飛ばされた。

 

「―――ふん、一般人の分際で怪人に勝てるとでも思ったのか」

 

薄れゆく意識の中、恭介が見たのは、麗奈に向かって歩くスニーキング・ドッグの背中だった。

 

「れ、麗奈さん、逃げて……」

 

その言葉を最後に、恭介の意識は闇に沈んだ。

 

 

 

 

「恭介……君……」

 

麗奈は茫然と倒れた恭介を見つめていた。ほんのついさっきまで、自分の隣で笑っていた彼が、力無く地面に横たわっている。

 

どうして? 誰が? 何のために?

 

「邪魔者はいなくなったよ、麗奈」

 

下卑た笑みを浮かべながら、スニーキング・ドッグは麗奈に近づくが、麗奈の目線が恭介からそちらに移る事は無かった。

 

……そうだ。彼は守ろうとしてくれたのだ。何の力も無い一般人にも関わらず、まだ出会って一日しか経っていない、親密でもない自分を守る為に、怪人という恐ろしい存在に立ち向かったのだ。

 

「全く、身の程知らずのガキだよね。麗奈に近づくなんて百年早いっての」

 

嬉しかった。こんな風に純粋に自分を守ろうとしてくれた事が。……そんな彼を、この犬は傷つけた。自分をモノにしようという心底下らない理由で。

 

「さあ、行こう麗奈。そうだ、ついでにあのガキも殺っとこうか。その方が麗奈にとってもいいもんね」

 

「……黙りなさい」

 

殺す? 彼を? そんな事……許さない。許すわけにはいかない!

 

決意と共に、麗奈はスニーキング・ドッグを睨みつける。

 

瞬間、麗奈の足元から螺旋を描くように金色の光が立ち上った。その光が、麗奈の全身を包み込む。その光の中で、麗奈が纏っていた服が消え去り、生まれたままの姿になった彼女の体を新たな衣装が包み込む。

 

「な、何だ!?」

 

狼狽えるスニーキング・ドッグの前で、光が徐々に薄らいでいく。やがて、その中から姿を現したのは、麗奈であって麗奈ではない存在だった。

 

「れ、麗奈……?」

 

「―――麗奈ではありませんわ」

 

その存在は、右手に持ったムチで地面を一叩きし、己の名を告げた。

 

「わたくしは、“ダーク・ゾディアック”幹部……『女帝麗嬢』ファサリナ。躾のなっていない駄犬は、わたくしが調教して差し上げますわ!」

 

今再び、ダーク・ゾディアックが幹部、女帝麗嬢ファサリナが、その姿を現した。

 

その姿を見たスニーキング・ドッグが鼻息荒く喜びの声をあげた。

 

「凄い凄い! まさか麗奈も悪の組織の人間だったなんて! やっぱり僕達はお似合いだね!」

 

「冗談はその醜い顔だけになさい。小物のあなたとわたくしを一緒にしないでくださるかしら」

 

興奮するスニーキング・ドッグに、ファサリナは冷笑を向けた。それに気づいた様子もなく、スニーキング・ドッグの言葉は続く。

 

「僕と麗奈が結ばれるのは運命なんだ! さあ、一緒に行こう!」

 

「わたくしをモノにしたいのなら力ずくでいらっしゃい。言葉だけで行動しない殿方は好みではありませんわ」

 

「わかったよ! じゃあ、僕の力を見せてあげる!」

 

スニーキング・ドッグが地面を蹴り、ファサリナに突進する。だが、恭介に消えたと錯覚させるほどの超スピードも、ファサリナの目には止まっているようにしか見えなかった。

 

「……それで本気なのかしら?」

 

「なっ……!?」

 

スニーキング・ドッグ渾身の突進を、ファサリナは右手だけで容易に受け止めた。驚愕したスニーキング・ドッグが必死に力を込めるが、ファサリナは鉄壁の要塞のごとく動かない。

 

「次はわたくしの番ですわね」

 

「え? ぎゃぼっ!?」

 

ファサリナの左足が、スニーキング・ドッグのアゴを蹴り上げた。麗奈の倍近くあるはずのスニーキング・ドッグの体が紙の様に宙を舞った。

 

「逃がしませんわ」

 

ファサリナのムチがスニーキング・ドッグの体に絡みつく。ムチが大きくしなり、スニーキング・ドッグは脳天から地面に叩きつけられた。

 

脳震盪でまともに動けないスニーキング・ドッグの腹に、ファサリナのヒールの踵が容赦無く突き刺さる。その手の人間には最高のご褒美だが、生憎スニーキング・ドッグはノーマルだった。

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

「あら、踏まれるのはお嫌いかしら。大丈夫よ。その内快感になっていきますわ」

 

もがくスニーキング・ドッグに、ファサリナはSっ気たっぷりの笑みを浮かべた。その後、十分以上かけての調教が続けられ、スニーキング・ドッグが新しい世界の扉を開きかけたところで、ファサリナはスレイブ・アイで最後の仕上げにかかった。

 

「同じ悪の組織の人間として、あなたを警察に突き出すのは勘弁して差し上げますわ。ですが、金輪際、わたくしや恭介君、そしてこのアパートに近づくのは許しません。もし破れば、その時はあなたの組織ごと潰して差し上げますわ。……あと、女性の匂いを嗅ぐ事も禁止……というか、女性そのものに接近する事を禁じます」

 

「……はい。わかりました」

 

「なら、すぐにここから去りなさい」

 

スニーキング・ドッグは元の男の姿に戻り、フラフラした足取りで消えていった。それを見送ったファサリナも、麗奈に戻り、気絶した恭介を彼の部屋に運んだ。

 

 

 

 

時刻は午後六時四十分を回っていた。恭介はまだ目覚めない。派手にふっ飛ばされはしたが、スニーキング・ドッグから受けた背中の傷は、大したものではなかった。ホッとした麗奈は、眠っている恭介の頬を撫でた。

 

「もう、無茶し過ぎですわ」

 

「麗奈さん……逃げて……」

 

その寝言に麗奈は微笑む。どうやら、夢の中でも自分を守ろうとしているらしい。

 

「……買い物、無駄になってしまいましたわね」

 

このアパートで過ごすために買い揃えたが、恭介とはストーカーから隠れるためにここを使わせてもらうと約束した以上、予想外とはいえ解決してしまったのだから、もうここにいるわけにはいかない。

 

「麗奈さん……行っちゃ駄目だ……」

 

「ありがとう、恭介君。たった一日だけでしたけど、楽しかったですわ」

 

麗奈は恭介に顔を近づけた。自分を助けてくれたこの優しい少年の顔。近く、もっと近く。決して忘れる事の無い様に。

 

熱に浮かされた様な表情を見せる麗奈。やがて、麗奈の瑞々しい唇が恭介の唇に触れそうになったその時……。

 

「……はっ! わ、わたくし、今何を……!?」

 

寸での所で正気に戻った麗奈は慌てて恭介から離れた。

 

(ね、眠っている殿方に、な、なんてはしたない事を……! ダメですわ! これ以上ここにいたら取り返しのつかない事になってしまうかもしれませんわ!)

 

頭を振り、麗奈は机の上に書き置きを残し、部屋を出ようと入口へ立つ。扉を開けるようとして、最後にもう一度だけ眠っている恭介に目を遣る。

 

 ―――本当にこのまま別れてよろしいの?

 

 そんな言葉が頭を過る。

 

―――ここで別れたら、きっと後悔しますわよ?

 

仕方無い。彼とは住む世界が違うのだから。

 

―――そんな事誰が決めましたの? 悪の組織の人間ならば、自分の欲望に正直になったらいいではありませんか。

 

だからといって、彼に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

―――彼が、あなたにとっての“カール王子”になるかもしれないのに?

 

「ッ・・・!」

 

 ―――嘘つきだったファサリナ姫を信じ続け、ついには嘘を本当にしてしまった王子様。王子がいたからファサリナ姫はハッピーエンドを迎える事が出来ましたわ。

 

 それは絵本の世界の話だ。現実において、偽りに偽りを重ねる様な女を信じてくれる様な王子様なんているわけが……。

 

―――でも、彼は信じてくれましたわ。そして、彼と一緒にいた所に、嘘だったはずのストーカーが現れた。カール王子の様に、嘘を本当にしてくれた。

 

恭介君が……。

 

―――悪の組織だとか、住む世界が違うとか、そういうのは関係ありませんわ。大事なのは、あなたがどうしたいのか……それだけではなくて?

 

「……わたくしは」

 

 

 

 

八時三十五分過ぎ、目を覚ました恭介は、テーブルに置かれた書き置きを読んだ。

 

『恭介君へ。本当はちゃんと口で言った方がいいのですが、いつまでもお邪魔するわけにもいかないので、書き置きにさせていただきました。恭介君があの怪人にやられてしまった後、偶然近くにいた正義の味方が助けに来てくれましたの。怪人は捕まりましたわ。これで、わたくしも安心して家に帰れます。一日だけでしたけど、お世話になりました。また会える日を楽しみにしています。……最後に、わたくしを守ろうとしてくれたあなたはとてもカッコよかったですわ』

 

向こうはスーパーモデル。こっちはただの高校生。再会出来る確率は限りなく低いだろう。それでも、願うくらいなら自由なはずだ。

 

「麗奈さん……。はい、またいつか、会えるといいですね」

 

窓から見える月を見上げ、恭介は呟く様にそう言ったのだった。

 

 

 

 

三日後、宿題と格闘中の恭介の元に一本の電話が入った。相手は祖父が管理人だった頃から懇意にしていた不動産店の社長だった。

 

曰く、博愛荘に入居を希望する人がやって来た。明日そちらに挨拶に行くそうなので御迎えを頼む。とんでもないベッピンだから楽しみにしておけ……との事だった。

 

「ファッ!?」

 

 自分が管理人となって初めての入居希望者。喜びよりも驚きが勝った恭介が取った行動は、アパートの清掃だった。

 

 しかし翌日、恭介はさらに驚く事になった。何故なら、博愛荘への入居を希望するとんでもないベッピンというのが……。

 

「れ、麗奈さん!?」

 

神宮寺麗奈その人であったからだ。彼女は見る者を虜にする美しい微笑みと共に口を開いた。

 

「お久しぶりですわ管理人さん。わたくし、このアパートでお世話になりたいのですが……受け入れてくださいますか?」

 

 

 

 

こうして、恭介が管理人となって、初めての入居者が出来た。名前は神宮寺麗奈。またの名を、女帝麗嬢ファサリナ。ダーク・ゾディアック、女幹部の一人であった

 



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第四話 休みの日は外に出よう

今回は新規で書いたものになります。


不動産会社にて賃貸契約を結び、引っ越しやその他諸々の準備を済ませ、麗奈が博愛荘の正式な住人となったのは、あの再会の日から数えて十日後の事だった。

 

(祖父ちゃん、祖母ちゃん。久しぶりにこのアパートに住人が増えました。しかも、テレビとかに出てる有名なモデルさんです。どうしてここを選んでくれたのかはわかりませんが、快適に過ごしてもらえるよう、これから一生懸命頑張って行こうと思います……)

 

日曜日の朝九時。恭介は仏壇に手を合わせ祖父母へそう報告した。普段であれば休日は昼過ぎまで寝ているはずの恭介が珍しく早起きしたのには理由があった。

 

(まさか、あの神宮寺麗奈さんと買い物に出かける日が来るとはなぁ……)

 

 この日は麗奈にとって博愛荘に来て初めての休日であった。そこで日用品やら何やらを纏めて買いに街に出る予定らしいのだが、何と麗奈はその買い物に恭介を誘って来たのだ。

 

二日前にその誘いを受けた恭介は一も二も無く頷いた。どうせアパートの掃除を済ませたらゴロゴロするだけのつもりだったし、何より、こんな年上の超絶美女の誘いを断れる思春期男子がいるだろうか。いやいない。

 

(……いやいや、勘違いするなよ。俺はただの荷物持ちに過ぎない。麗奈さんだってそう思ってるはずだ。浮かれず、クールにいこうクールに)

 

 などと心の中で漏らしつつ、先程から洗面鏡台の前で何度も髪が跳ねていないか、鼻毛が出ていないかをチェックする恭介。

 

(服が安物なのは仕方無いとして、せめてこういった部分だけでも綺麗にしとかないと。幻滅されたくないし)

 

この時点ですでに浮かれまくっていた。

 

 時計を見る恭介。約束の時間である九時三十分までもう五分を切っていた。

 

「誘ってもらった身だし、こっちから尋ねた方がいいのかな」

 

 そう決めて、恭介は麗奈の部屋へ向かうべく玄関を出るのだった。

 

 

 

 

一方、麗奈もまた約束の時間を前に入念な身だしなみのチェックを行っていた。

 

「変……ではありませんわよね」

 

いつもであれば、外出時の装いなど即断即決で選べるはずの麗奈だったのだが、今日はクローゼットに仕舞っていた衣服を全て引っ張り出し、何度も組み合わせを試し、一時間以上の時間を費やした結果、胸元にフリルをあしらった純白のノースリーブに、真っ赤なデニムパンツというシンプルなものに落ち着いた。

 

 それでも気になるのか、鏡の前で自分の姿を何度も確認する麗奈。……その度にポーズをとってしまうのはモデルという職業故か。

 

「せっかく恭介君がわたくしのワガママに付き合ってくださるのですから、せめて一緒にいて恥ずかしいと思われない様にしないといけませんわ」

 

 モデルという職業は、自らの容姿に絶対の自信が無ければやっていけない仕事である。麗奈も自分は美しいと自負している。しかし、この時ばかりはその自信もすっかりなりを潜めてしまっていた。

 

 その相手が実は全く同じ事を考えている事を、もちろん麗奈は知る由も無い。

 

(……あれ、ちょっと待ってください。考えてみればわたくし、プライベートで男性と出かけるのって初めてなんじゃ……)

 

 表の世界でこの容姿に惹かれて集まるのは下心を隠そうともしない男達ばかり。そういう仕事をしているのだから仕方ない部分はあるが、だからといってそんな連中とプライベートで親密になりたいとは欠片も思わない。故に、仕事の関係で断れない限り、男と食事はもちろん、行動を共にした事すら無い。

 

神宮寺麗奈二十三歳、何気に彼氏いない歴=年齢である。

 

(……いえ、落ち着きなさいわたくし。恭介君はただ入居したばかりのわたくしを気遣い付き合ってくれるだけに過ぎないのですわ。変に意識などせず、普段通りのわたくしでいればいいのですわ)

 

 ふんす! と気合いを入れる麗奈。腕時計に目を遣り、約束の時間五分前となった事を確認する。

 

「お誘いしたのですから、こちらからお迎えに行った方がよろしいかしら」

 

 そう決めて、麗奈は恭介の部屋へ向かうべく玄関を出るのだった。

 

 

 

 

「「あ……」」

 

奇しくも全く同じタイミングで扉を開けた恭介と麗奈。まさかの事態にしばし硬直する両者であった。

 

「お、おはようございます麗奈さん。今からお邪魔しようと思ってた所です」

 

「お、おはようございます恭介君。わたくしもあなたを訪ねようと思っていた所ですわ」

 

「そ、そうですか。奇遇ですね」

 

「そ、そうですわね。奇遇ですわ」

 

そこで何故か会話が止まる。無言の空気の中、恭介は何とか会話のタネを見つけようと模索し、辿りついたのが麗奈の格好だった。

 

「え、ええっと……麗奈さんって普段そんな服を着てるんですね」

 

「え? あ、え、ええ。イメージと違いましたかしら?」

 

「そんな事無いですよ! 滅茶苦茶綺麗ですって! 流石モデルさんですね。俺、見惚れちゃいましたよ!」

 

ふと麗奈の表情が陰った様に見えた恭介は慌てて否定した。

 

『褒める時は素直に褒める。中途半端や下手な躊躇いは失礼』

 

 生前祖父に言われた言葉を思い出し、全力で麗奈を褒めちぎる恭介。

 

 恭介としては祖父の言葉に従って思った事をそのまま伝えただけなのだが、その余計な付け足しをしないドストレートな褒め言葉の威力は思った以上に強力だった。

 

 (き、綺麗……! 恭介君がわたくしの事を綺麗って……!)

 

 何百、何千と言われ続けて来た言葉である。しかし、それら全てを合わせたとしても、今のこの瞬間の何とも言えない嬉しさには遠く及ばなかった。

 

「……う、うふふ。ありがとうございます。さ、そろそろ出かけましょうか」

 

「あ、はい!」

 

年上の、もしくはモデルの、はたまた『女帝令嬢』としてのプライドか、別に動じてませんよとばかりに歩きだす麗奈。……その頬が僅かに赤らんでいる事に、後ろを追いかける恭介が気付くはずもなかった。

 

二人が向かったのはアパートの裏。そこには住人専用の駐車場が設けられている。部屋の番号がそのまま割り当てられた駐車場の番号となっており、現在一番の駐車場に白のスポーツカーが駐められている。言うまでも無く麗奈の愛車である。

 

「どうぞ、お乗りになって」

 

「うおぉ……」

 

蝶の羽の様に開いたドアに驚きの声を漏らす恭介。その様子に麗奈はクスリと笑った。

 

「バタフライドアと呼ばれるタイプのドアですわ。ご覧になるのは初めて?」

 

「は、はい。というか、こんな高級そうな車に乗るのも初めてというか……。本当に乗っていいんですか?」

 

「もちろんですわ。さあ、遠慮せずどうぞ」

 

「お、お邪魔します」

 

 恐る恐るといった感じで助手席へ乗り込む恭介。麗奈も運転席に座った所でドアがゆっくりと閉じた。

 

「シートベルトは締めたかしら?」

 

「ええっと……はい、OKです」

 

「それじゃ、出発致しますわ」

 

 二人を乗せたスポーツカーが静かに動き始める。こうして、恭介と麗奈の買い物デート(本人達は否定する)がスタートしたのだった。




誤解の無い様に言わせて頂きますが、二人は(まだ)付き合っていません。


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第五話 人助けをする勇気

買い出しという名のデート? に出かけた恭介と麗奈。せっかくなら少し遠出しようという話になり、隣町に最近オープンした大型商業施設を目指して麗奈の運転する白いスポーツカーが軽やかに街中を走行する。

 

「へえ、やっぱりモデルさんの生活って大変なんですね」

 

「まあ、一般の方々からしたらそう思われるかもしれませんわね。けど、慣れてしまえばそこまで辛くはありませんのよ」

 

 その車内で、麗奈の私生活について質問をする恭介と、それに丁寧に答えていく麗奈。見方によっては、世界に名を馳せるトップモデルのプライベートを独占インタビューというマスコミ涙目の状況なのだが、本人は自分がどれほど幸運に恵まれているかわかっていなかったりする。

 

 そもそも、トップモデルと同じアパートに住んで、かつ交流している時点で一生分の運を使いきっている様なものではあるが……。

 

「わたくしばかり話さずに、恭介君のお話も聞かせて欲しいですわ」

 

「俺のですか? といっても、麗奈さんに比べてどこにでもいる様な高校生の話なんて面白いとは思いませんけど」

 

「そんな事ありませんわ。他でも無い恭介君のお話が聞きたいのです」

 

「え、ええっと……じゃあせっかくですし、博愛荘の話でもしましょうか?」

 

「ええ、是非」

 

「あのアパートは元々祖父ちゃんと祖母ちゃんが建てたものなんです。築年数もそれなりに古いですけど、何回か改装工事して外観とか内装、設備もしっかりしてるんですけど、二人が亡くなって、俺が管理人になってからは何故か入居希望者がさっぱりで……」

 

「あら、ではわたくしが初めての入居者ですのね? ふふ、光栄ですわ」

 

やんわりと笑む麗奈に、恭介は照れ臭そうに頬を掻く。

 

「こ、こちらこそ光栄です。……維持費とかは祖父ちゃん達が遺してくれたお金でやりくりしてます。二人とも、自分がいなくなったらアパートは畳んでお金も自由に使っていいって言ってくれたんですけど、俺は祖父ちゃんと祖母ちゃんの思い出が詰まった博愛荘を無くしたくなかったんです。だから両親を説得して俺がアパートの管理人になったんです」

 

「なるほど、その様な経緯があったのですね。立派なお孫さんを持って、おじい様達も誇らしいでしょうね」

 

「あはは、そうだったらいいんですけどね」

 

「おじい様とおばあ様はお仕事は何をされていましたの?」

 

「え? あー……」

 

答えにくそうな様子の恭介に、麗奈は聞いてはいけなかったのかと内心で焦った。

 

「あの、答えたくなければ別に……」

 

「あ、いやいや! そうじゃないんですよ。その……祖父ちゃんも祖母ちゃんも、どういうわけか教えてくれなかったんですよ。自分達が何をやってたか」

 

「お二人ともですか?」

 

「さらに言えば、両親も教えてくれてなかったりします」

 

「ご、ご両親まで?」

 

「よくわからないんですけど、将来の選択肢を増やす為に、二十歳くらいまでは秘密にさせてくれとか何とか。……ただ、俺が中学二年の頃でしたけど、酔った勢いで父さんが「俺は正義の味方なんだぜ!」とか口走って母さんにキャメルクラッチされてましたけど」

 

「え……!?」

 

「まあ、あんなビール腹の父さんが正義の味方なんてありえませんけどね。……って、麗奈さん? どうかしましたか?」

 

「な、何でもありませんわ」

 

そう答えつつ、麗奈は内心動揺していた。まさか、恭介は正義の味方の身内なのだろうか。もしそうなら、自分の正体は決して知られてはならない。もし知られれば、あの優しい笑顔は二度と見られなくなる。

 

(それだけはダメですわ。まだ、あの不思議な感覚がなんなのかわかっていないのですから)

 

恭介と接する事で感じる暖かくて不思議な感情。その心地良さを味わってしまった麗奈は、その感情が何なのかを確かめたかった。それを確かめるまで、恭介から離れるつもりは無い。

 

「? まあ、何でも無いならい……ッ!?」

 

麗奈の反応に首をかしげつつ、それ以上追及しなかった恭介が目を見開く。何の気無しに目線を下げた結果。彼の視線の先には麗奈の豊満な双丘の谷間を通るシートベルトが映っていた。

 

(う、埋もれとる!?)

 

恭介とて健全な男子高校生。そういったものに興味が湧くのは当然ではある。しかし次の瞬間、恭介の脳裏に祖母の言葉が蘇った。

 

(いかんいかん! 『無遠慮に女性の顔や体を見るべからず』だもんな祖母ちゃん!)

 

サッと視線を胸元から外の景色へ向ける。目を向けていたのは一瞬の事だったので気付かれていないはずだと恭介は思っていたが、麗奈はその視線に気づいていた。

 

当然である。モデルとして常に他人の視線を一身に浴びて来た彼女がそれに気付かないわけがない。その凶器とも言えるバストも、どれほどの男達に注目されて来たか数えきれない。

 

(恭介君ったら、赤くなって。ふふ、何だか可愛いですわ)

 

しかし、麗奈は恭介の視線を不快とは感じなかった。むしろ、慌てて目を逸らしたこの年下の少年の初心な反応を好ましく思った。こちらが何かしらのリアクションをするまで見続けて来るこれまでの男達とは違い、麗奈が嫌だろうからと自分から見ない様にするその気遣いが嬉しかった。

 

「恭介君、何か面白いものでも見つけたのですか?」

 

「うえ!? な、何でですか?」

 

「いえ、急に外に目を向けられたから、そうなのかと思いまして」

 

赤信号で停止した所で、ちょっとした悪戯心でそんな風に尋ねて見れば、慌てて何か無いかと探し始める恭介。それを見て麗奈は口元に手を当てながらくつくつと笑った。

 

「えと……その……あっ! み、見えて来ましたよ麗奈さん! 『アルカディア』です!」

 

直進道路の先に建つ巨大な建物。「買いたい物が何でも揃う理想郷」というコンセプトで建てられた大型商業施設、恭介達の今日の目的地である『アルカディア』だ。

 

「あら、思ったよりも近かったですわね」

 

「このまま真っ直ぐ進んだら駐車場に入れそうですけど……やっぱり休みだからか既に滅茶苦茶駐車されてますね。どこに駐車します?」

 

「……向こうの方が空いているようですわね。あちらに停めましょう」

 

幸運にもすんなり駐車出来た二人は、並んでアルカディアの中へと足を踏み入れた。

 

「ええっと、まずは……お、あったあった」

 

「恭介君?」

 

「麗奈さん、ほら各フロアの案内図ですよ。これ見てどこに行くか決めましょう」

 

恭介がエレベーター付近に設置されている案内図を指す。麗奈は懐からメモを取り出し、それと見比べながら予定を立てていく。

 

「まずはキッチン用品ですわね。それからタオルやシャンプー、家電……は、取り寄せますから型番をメモしておくとして、カーテン、出来ればスリッパ等も買っておきたいですわね……」

 

「そうすると……まずは四階ですね」

 

「ええ。……あの、全部揃えるまでだいぶ時間がかかると思いますけれど、もし途中で疲れたら言ってくださいね。わたくし一人で回りますから恭介君は休憩を……」

 

「あはは、何言ってるんですか。荷物持ちで呼ばれたヤツが休んでたら意味無いでしょ。遠慮なく使ってくださいよ!」

 

任せろと胸を叩く恭介。九割は本心だが、残り一割は美女の前でいい格好したいという見栄だったりする。

 

「わ、わたくし、荷物持ちをさせる為に誘ったわけでは……」

 

「はい?」

 

「な、何でもありませんわ! で、ではよろしくお願いしますわね恭介君!」

 

「麗奈さん? エレベーター乗らないんですか麗奈さーん?」

 

足早に移動を開始する麗奈の背中を恭介も慌てて追いかけるのだった。

 

 

 

 

昼の一時を回った頃、恭介と麗奈は昼食と休憩の為、六階にあるフードコートにやって来ていた。

 

「午前中だけで結構周れましたね」

 

「ええ。大きい物を優先的に買いましたから、後は小物類ですわね」

 

食後のコーヒーを飲みながら午後の予定を立てて行く恭介達。それからしばし談笑した後、二人は席を立った。

 

「そろそろ行きましょうか」

 

「はい」

 

そうしてフードコートを後にしようとしたその時、不意に背後から声がかけられた。

 

「ん? おい、アンタ」

 

麗奈が振り返ると、そこには目つきの鋭い大学生風の男が立っていた。サングラスでカモフラージュしていたが、もしかしたら正体がばれたのだろうか。

 

しかし、麗奈の心配を余所に、男は彼女に目もくれず、恭介の方に近づいて来た。そして、目の前に立つと、その顔に満面の笑みを浮かべた。

 

「兄貴! やっぱり兄貴じゃねえか!」

 

「……え?」

 

突然恭介を兄貴呼ばわりする男にポカンとする麗奈。そんな彼女を尻目に、恭介もまた親しそうに声をかけた。

 

「こんにちは祐樹さん。今日はお一人……」

 

「もちろん、ばーちゃんと一緒だぜ!」

 

男が指す先で、一人の老婆がベンチに腰掛けていた。こちらに気付いたのか優しい表情で頭を下げて来たので恭介も同じ様に頭を下げた。

 

「あはは、百合子さんもお元気そうで何よりです」

 

「おう。ばーちゃんにはまだまだ長生きしてもらわねえといけねえからな!」

 

盛り上がる恭介と男。先程から疑問しか湧かない麗奈は思わずその会話に割り込んだ。

 

「あの、恭介君。こちらの方は……」

 

「あん?」

 

そこで初めて男が麗奈の方を向く。そして、恭介と見比べ、合点がいったかのように手を叩いた。

 

「ああ! ひょっとしてアンタ、兄貴の『コレ』か!?」

 

そう言いつつ、親指を立てる男。その意味がわからない恭介達は首を傾げた。

 

「水臭えな兄貴。彼女が出来たんなら俺にも教えてくれりゃよかったのによぉ」

 

「か、彼女!?」

 

いきなり彼女扱いされ、麗奈は目を見開く。恭介もまた慌てて弁解を始めた。

 

「ち、違いますよ! この人は新しくアパートの住人になった人で、今日は荷物持ちで付き合ってるだけです! あと、彼女を示す時に立てるのは親指じゃなくて小指ですから!」

 

「あ? そうだったっけ? 失敗失敗」

 

恭介にツッコミに頭を掻く男。失敗といいつつ明らかに反省していない様子だが、藪蛇になりそうなので恭介はそれ以上突っ込むを止めた。

 

「コ、コホン! あ、改めてお聞きしますが、どちら様ですの?」

 

「俺の名前は佐山祐樹。衛宮大学の二年だ」

 

「衛宮大学?」

 

「知ってるんですか麗奈さん?」

 

「え、ええ。わたくしの知り合いがそこの学生ですの。ですが、そうなるとこの方が恭介君を兄貴と呼ぶ理由が益々わからなくなってきましたわ」

 

何故年上である佐山が恭介をそう呼ぶのか。その疑問に答えたのは佐山だった。

 

「……兄貴は俺とばーちゃんの恩人なんだよ」

 

「恩人?」

 

「去年の夏ごろの話だ。日課だったばーちゃんとの散歩に出かけたんだけどよ。その日は特に暑い日だった。その所為でばーちゃんが熱中症になっちまったんだよ」

 

苦しむ祖母の姿に頭が真っ白になる佐山。周りの人間達も異変に気付いたが、遠巻きに見るだけで何もしない。中にはスマートフォンで撮影まで始める性質の悪い者までいた。

 

「あの時、俺は何も出来なかった。苦しそうなばーちゃんを見てただあたふたしていただけだった。……そこに現れたのが兄貴だったんだよ」

 

『どうしました!?』

 

『ば、ばーちゃんが、ばーちゃんが……!』

 

『これは……多分熱中症です! あそこが日陰になってますから移動させましょう!』

 

「そして、俺がばーちゃんを運んでいる最中、兄貴が痺れる事を言ってくれたんだよ」

 

『お前等! 人の命がかかってんだぞ! スマホぶっ壊されたくなかったらさっさと救急車を呼べ!』

 

「あの時の兄貴、マジでヤバかったわ。何人かが青ざめた顔で慌てて連絡し始めた時はざまあみろとは思ったけど」

 

それから恭介は近くの自販機で大量の飲み物を購入し戻って来た。

 

『これを使ってください!』

 

『お、おう! 飲ませりゃいいのか!?』

 

『いえ、まずは体を冷やすのが先決です。ええっと……おでこと、首まわり、それと腋だったっけ。余ったら他の場所にも当ててください!』

 

「それからすぐに救急車が来て病院に直行したんだ。幸い、命には別条はなかったけど、医者からは運ばれる前に適切な処置をしていたおかげだって言われた。あの時、兄貴があの場にいなかったら、助けに来てくれなかったら、ばーちゃんは死んじまっていたかもしれねえ」

 

「そんな事が……」

 

「俺の両親はどっちもロクデナシでよぉ。ガキの頃からばーちゃんが俺の面倒を見てくれてたんだ。で、俺が中学生になった頃には二人とも家を出て行きやがった。それから、俺の家族はばーちゃんだけだ。余裕があるわけでもねえのに、こうして大学まで行かせてくれてるばーちゃんが俺は大好きだ。そんなばーちゃんを助けてくれた兄貴は俺にとって大恩人なんだよ」

 

「お、大袈裟ですよ。俺はただ……」

 

「いえ、そんな事ありませんわ」

 

「麗奈さん?」

 

「佐山さんのおばあ様が倒れたその場には恭介君以外にも人がいた。だけど、実際に助けようと動いたのはあなただけ。その勇気はとても素晴らしいものだとわたくしは思いますわ」

 

「おお! いい事言うじゃねえか! この姉ちゃんの言う通りだぜ兄貴! アンタは俺の“ヒーロー”だよ!」

 

両サイドからの褒め殺しに恭介は恐縮した様子で体を縮込ませる。

 

「……っと、いけねえ。ばーちゃんを待たしてるんだった。兄貴、俺はそろそろ行くわ」

 

「はい。百合子さんにもよろしく伝えておいてください」

 

「おう。じゃあな!」

 

そう言って老婆の元へ駆けて行く佐山。

 

「待たせたなばーちゃん!」

 

「もうお話はいいの祐樹ちゃん?」

 

「ああ。なんかデート中みたいだしな」

 

「あらあら、それはお邪魔しちゃったわねえ」

 

「ま、こっちはこっちでデートを楽しもうぜばーちゃん」

 

「うふふ、こんなおばあちゃんじゃなくて、ちゃんとした彼女さんを作らないとね」

 

そんなやりとりを交わしながら去って行く佐山達。

 

「だ、だからデートじゃないって言ってるのに……」

 

その背中に力無く突っ込む恭介であった。

 

「……や、やっぱり他の方から見たらデートになるのかしら」

 

「麗奈さん」

 

「は、はい!?」

 

「そろそろ俺達も行きましょうか」

 

「あ、そ、そうですわね!」

 

こうして、二人は午後も買い物に費やすのであった。

 

 

 

 

「いたぞ! そっちに追い込め!」

 

「チッ! しつけーんだよテメエら!」

 

恭介と麗奈が買い物から帰った頃、街の南にある廃工場の中で激しい戦闘が繰り広げられていた。

 

数十人の警官に囲まれているのは、燃えるように真っ赤な髪に、ビキニのような鎧を纏った褐色の女戦士。その名は……。

 

「逃がさないッスよ! ダーク・ゾディアック幹部、『ブラッド・アマゾネス』シルヴァーナ!!」

 

警官達を統率しているのは、正義の味方、シャイニング・ナイツのメンバー、シャイニング・グリーンだった。グリーンは基地壊滅からずっとシルヴァーナを追い続け、今日、この工場に彼女が潜んでいる事を突き止めたのだ。

 

「アンタは完全に包囲されたッス! 大人しくお縄につくッスよ!」

 

「はっ! テメエらごときに捕まるオレじゃねえ!」

 

「あくまで抵抗するッスか。……なら!」

 

「ッ!? な、何だ!?」

 

突如、シルヴァーナの頭上から何かが落ちて来た。それは彼女の体に絡みつき、動きを拘束する。

 

「これは……!」

 

「俺っち特製、捕縛用ワイヤー『絡むんです』ッス! さあ警官の皆さん、今の内に捕まえるッスよ!」

 

シャイニング・グリーンの指示で、警官達が一斉にシルヴァーナに殺到する。自らに迫る警官達の姿に、シルヴァーナの顔が強張る。

 

「男が……男がオレに近づくんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

瞬間、閃光がシャイニング・グリーンと警官達を飲み込んだ。



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第六話 不思議な出会い

月曜日。麗奈は上機嫌で仕事場へ向かう準備を進めていた。

 

本日は十一時から撮影が入っている。あのスタジオのカメラマンは細かく注文をつけてきて中々OKを出さない人物だが、今日はどんな注文が来てもこなせそうな気分だった。

 

「ふふ、これも恭介君のおかげかしら」

 

思い出すのは昨日の事。久しぶりの休日に、あんな楽しい買い物が出来たのはいつ以来だっただろうか。

 

おかげで気力も十分、今日はいい仕事が出来そうだ。そんなテンションのまま、麗奈は仕事場へと出かけた。スタジオは電車で二駅先の所にある。今から出れば余裕を持って到着出来る。

 

そして一時間後。電車を降り、スタジオまで残り後数分の所まで来たその時、向かいのビルに設置された大型ビジョンに映し出されたニュースが彼女の足を止めた。

 

『昨夜、八時二十分頃に起きた、八神製鉄所における謎の発光ですが、“ダーク・ゾディアック幹部”シルヴァーナと、“シャイニング・ナイツ”のシャイニング・グリーンによる戦闘が原因だと判明いたしました』

 

「な、何ですって…!?」

 

 絶句する麗奈に答える様にキャスターが説明を続ける。

 

『昨夜、八神製鉄所が光ったと通報を受けた警察や消防が駆けつけると、製鉄所内に気絶した大勢の警察官と、シャイニング・グリーンの姿を発見。怪我人はいましたが、重傷者はいなかったとの事です。目覚めたシャイニング・グリーンに話を聞いた所、この製鉄所にシルヴァーナを追い詰め捕縛しようとした所、返り討ちにあってしまったようです。幸い、今回戦闘の場所となった八神製鉄所ですが……』

 

「そう……あなたもこの街にいたのですね」

 

シャイニング・ナイツ襲撃から散り散りになった幹部達。てっきり遠くに逃げているのかと思ったら、まさかその一人がこんな近くに潜んでいたとは……。

 

「近い内にシルヴァーナさんと合流出来る様、わたくしも動くべきですわね」

 

険しい表情を見せる麗奈。既にキャスターは次の話題に移っており、これ以上の情報は期待出来ないと、麗奈も止めていた足を再び進ませるのだった。

 

 

 

 

「げっ、冷蔵庫がスッカラカンじゃないか……」

 

平穏無事に学校生活を終え、冷蔵庫内の惨状に目を丸くした。

 

「……そういや、朝弁当作る時に今日は帰る前に買い物して帰ろうって決めてたのに……すっかり忘れてたわ」

 

 仕方無い。面倒だがもう一度出かけよう。そう決めて、恭介は素早く制服から着替え、財布を持って玄関を出るのだった。

 

「今日はヤケに人が多いな」

 

 やって来た商店街を歩く大勢の人達に若干驚きつつ、何を買うか計画を練る恭介。

 

「まずはもちろん肉だよな。卵も買っときたいし……そういや米も微妙だった気が……」

 

 悩む恭介。その所為で前方不注意となっており、ついには前から歩いて来た女性とぶつかってしまった。

 

「あ、す、すみません!」

 

「……」

 

慌てて謝る恭介。だが、女性は無言で俯いていた。正確には地面に落ちたある物を見つめていた。恭介もそれに目を遣る。

 

「……たい焼き?」

 

それは潰れたたい焼きだった。察するに、ぶつかった衝撃で女性が落としてしまったのだろう。

 

「うわ! か、重ね重ねすみません!」

 

もう一度深々と頭を下げる恭介。すると、女性は小さな声で答えた。

 

「大丈夫。まだ食べられる」

 

「え? けど、地面に落ちちゃったら……」

 

「……三秒ルール」

 

「地面に落ちた時点で滅茶苦茶ばい菌がつくってこの前テレビで……」

 

「……洗う?」

 

「絶対止めた方がいいです」

 

「……どうしたらいい?」

 

若干タレ気味の目で恭介を見つめてくる女性。どこか小動物を連想させるその目に、恭介は即決した。

 

「弁償します。元はといえば俺の所為ですから」

 

「いいの?」

 

「はい。場所がわからないんで、たい焼き屋まで案内してもらえますか」

 

すると、女性はおもむろに腕を伸ばし、恭介の頭を撫で始めた。あまりに突然の事に恭介は固まってしまう。

 

「な、何ですか?」

 

「ん……キミは優しい。だから撫でたくなった」

 

(いや、その理由は色々おかしい気が……)

 

「いい子いい子……」

 

(というか、何この羞恥プレイ)

 

人前で頭を撫でられるのがどれほど恥ずかしい事か、恭介は今身を以て知った。

 

「あ、あの、そろそろ行きませんか?」

 

「わかった。案内するからついて来て」

 

歩き始める女性。恭介はその後について行った。

 

 

 

 

大勢の人々が行き交う商店街の中を、女性はスイスイと歩いて行く。そのやや後ろを、恭介は追いかけていた。

 

(この近くにたい焼き屋なんてあったっけ?)

 

そのまま女性の後について歩く事数分、商店街の端に目的の店はあった。店内では年老いた女性が一人でたい焼きを焼いており、辺りには香ばしい香りが漂っていた。

 

「いらっしゃ……あら、イリアちゃんじゃない」

 

(この人、イリアさんっていうんだ)

 

「どうしたの? さっき買って行ってくれたばかりなのにまた来るなんて」

 

そう聞かれ、恭介を連れて来た女性……イリアはシュンとした顔で答えた。

 

「……落とした」

 

「あらまあ、それは残念だったわねぇ。あ、だからもう一度買いに来てくれたのね?」

 

「うん。この男の子が弁償してくれるって」

 

二人の視線が恭介に注がれる。

 

「あなたは?」

 

「えっと、実は俺が考え事しながら歩いてた所為でぶつかっちゃって。その所為で落としたから俺が弁償しようと思って案内してもらったんです」

 

「そうだったの。自分の非をすぐに認めるなんて、若いのに関心な子ねぇ」

 

「うん。この子はいい子」

 

何故か褒められ、妙に気恥ずかしくなった恭介はイリアに促した。

 

「じゃ、じゃあ、何にするか選んでください」

 

「うん」

 

イリアは頷き、もの凄く真剣な表情で看板のメニューを睨み始めた。タレ目が若干つり上がっているように見えるのは恭介の気の所為だろうか。

 

「ふふ、イリアちゃんはいっつもこうやって悩むのよね。長い時は一時間以上お店の前で悩み続けていた事もあったわ」

 

「い、一時間!?」

 

女性のその言葉は誇張でも何でもなかった。イリアはそのまま三十分近く看板を睨み続けていた。

 

「あんこもいい……けどカスタードクリームも美味しい……チョコレートだって捨てがたい……キャラメルも最高……」

 

「イリアちゃん、そろそろ決めないと。その男の子にも予定があるでしょうし」

 

「むむむ」

 

(あ、この人、横○版三国志読んだ事あるな)

 

などと下らない事を考えていると、ふと、イリアが恭介の方へ振り向いた。

 

「どうしました?」

 

「……ダメ。決められないからキミが決めて」

 

「え? お、俺がですか?」

 

「うん。キミが買ってくれるんだからキミが選んだ方がいいと思う」

 

期待を込めて見つめてくるイリアに、恭介は改めて看板のメニューを見る。種類はあんこ、カスタードクリーム、チョコレート、キャラメルの四つ。値段はあんこが七十、他が八十円となっている。

 

「よかったら一つずつ買いましょうか?」

 

「ッ!? い、いいの……?」

 

恭介の提案に、女性は信じられないとばかりに目を見開き、声を震わせながらそう尋ねる。

 

全部買っても五百円にもならない。大した出費にはならないと、恭介は結論づけた。

 

「まあ、これくらいしないとお詫びにならないというか―――」

 

次の瞬間、恭介はイリアに抱きしめられていた。再びの不意打ちに、恭介はまたしても固まる。

 

「な、何ですか!?」

 

「ん……嬉しすぎてつい……」

 

たかがたい焼き四つで嬉しすぎて抱きつく……過去、恭介はこんな女性を見た事が無かった。

 

「ふふ、イリアちゃん、その子困ってるみたいよ」

 

女性に指摘され、ようやくイリアは恭介から離れた。

 

「ゴメンなさい。食べ物の事になるとつい……」

 

「そ、そうですか。じゃ、じゃあ、とりあえず買いましょう。あんことカスタードクリームとチョコレートとキャラメルを一つずつお願いします」

 

「はいはい。ちょっと待っててね」

 

微笑ましそうな表情を浮かべながら、慣れた手つきで生地を焼型に流し入れる女性。

 

待つ事数分、完成したたい焼きが紙袋に入れられて恭介に手渡される。中を見ると、たい焼きが八つ入っていた。

 

「あれ、数が……」

 

「ふふ、サービスよ。どこかで一緒に食べてちょうだいね」

 

「そんな、悪いですよ」

 

代金を払おうとする恭介に、女性は「楽しいものを見せてもらったお礼よ」と言って微笑むだけだった。

 

「……じゃあ行こう」

 

「行くって……どこへですか?」

 

「近くに公園があるの。そこで一緒に食べよう」

 

「え、あの、俺は買い物に……」

 

「……行こ?」

 

恭介の手を取り、可愛らしく小首を傾げるイリア。それを正面から目にしてしまった恭介の中で、抗う気力が瞬く間に萎んでいった。

 

(……後でコンビニで弁当と明日のパン買って帰ろ)

 

「キミ……名前は?」

 

「高木恭介ですけど」

 

「恭介……うん、素敵な名前」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「私はイリア。じゃあ恭介、ついて来て」

 

こうして、恭介は何故かイリアと一緒にたい焼きを食べるために公園へと向かう事になったのだった。

 

 

 

 

その少し前、恭介のクラスメイトである霧原翔子も、商店街の中にいた。

 

「全く、相変わらずこっちの都合もお構いなしに急に呼び出すんだから」

 

翔子はとある場所に向かっていた。その為にはこの商店街を通るのが近道なのだが、その道中、翔子は人ごみの中にある人物を見つけた。

 

「あ、高木君……!」

 

顔をほころばせ、恭介の元に向かおうとした翔子だったが、突如その動きが止まる。

 

「……誰?」

 

恭介の前には見知らぬ女性が立っていた。恭介は女性と何やら言葉を交わすと、そのまま一緒に歩き始めた。

 

「彼女? い、いやいや! そんなハズないわ!」

 

とにかく確かめなければ! そう結論づけるのに一秒もかからなかった。翔子はすぐに二人の後を追い、そうしてたどり着いたのは一件の店だった。

 

「たい焼き屋さん?」

 

少し離れた場所から様子を伺う翔子。二人は三十分近く店前に佇んでいたが、突然女性が恭介に抱きついた。

 

「んなあっ!?」

 

限界まで目を見開き、茫然自失となる翔子。そんな彼女を正気に戻したのは、ポケットから鳴り響く携帯の着信音だった。翔子は無視を決めたが、何度も何度もかけてくる相手に、とうとう携帯を手に取った。

 

ボタンを押した途端、相手の大声が翔子の耳をつんざいた。

 

『おい翔子! お前今どこにいるんだ! 『カース・グランドル』のアジトが見つかったから直ちに基地に集合だと言っただろ―――』

 

「こっちはそれどころじゃないのよ! そんなのお兄ちゃん達だけでなんとかすればいいでしょ!」

 

『おいコラ! お兄ちゃんじゃなくてレッドと呼べと言って―――』

 

翔子は携帯を切った。通話している間に、恭介と女性は再び歩き始めた。

 

(今度はどこに行くつもりなの)

 

自身の使命を全力で放り投げ、翔子は追跡を再開するのだった。

 

 

 

 

その公園は、商店街を抜けて歩く事約五分の所にあった。遊具は少なく、広さもそれほどではなかったが、園内の中央に立っている立派な桜の樹は密かな名物となっていた。雲一つない快晴である休日という事で、親子連れの姿もそれなりに見える。

 

そんな公園に新たにやって来たのは、真っ直ぐに揃えた銀髪のロングヘアの女性と、その女性に手を引かれる少年だった。園内にいた男達が例外無く彼女に視線を向ける。

 

「とうちゃ~く」

 

そんな視線など全く気にもせず、抑揚のない声でそう言った女性ことイリアは、園内を見渡し、何かを探し始めた。

 

「……あそこのベンチが空いてる。行こ、恭介」

 

返事も待たずに再び手を引くイリア。マイペースな彼女に連れられるまま、恭介はすべり台近くのベンチに、イリアから少し離れて座った。

 

「どうしてそんなに離れるの?」

 

「え? いや、イリアさんが嫌かな……と」

 

「嫌じゃない。だからもっと近くに来て」

 

「わ、わかりました」

 

恭介は座ったままイリアに少し近づくが、イリアは不満そうに顔を曇らせる。

 

「そんなのじゃダメ。もっと」

 

さらに近づく恭介。首を振るイリア。そんなやり取りを数回繰り返し、イリアがようやく頷いた時には、互いの腕がピッタリ密着するくらいの距離になっていた。

 

「うん……これでいい」

 

(こっちはよくないんですけどぉ!)

 

満足げなイリアとは対照的に、恭介は内心焦りまくっていた。何せ、イリアは掛け値なしの美人だったからだ。彼女いない歴=今まで生きてきた年数の恭介には難易度が高すぎた。

 

力の入っていない自然体なぼうっとした雰囲気は、どこか神秘的な感じがしたし、特徴的なタレ目も、その雰囲気にどこか合っているような気がした。やや太めも眉も十分魅力的に恭介には見えた。

 

だが、何よりも恭介の目を惹いたのは、彼女の腰元まで伸びる銀色の髪だった。太陽の光を反射してキラキラと輝くそれを見て恭介は、麗奈と並んだらさぞかし画になるだろうと思ったりしていた。

 

「? 私の頭に何かついてる?」

 

無意識に向けていた視線にイリアが反応する。不快な気分にさせてしまったかと思い、恭介は慌てて答えた。

 

「い、いや、違うんです。銀髪の人なんて初めて見たから……」

 

「変……?」

 

「と、とんでもない! 凄く綺麗です!」

 

「……ありがとう」

 

はにかむイリアに、恭介の心臓が激しく鼓動する。

 

(やばい……。何かわからんがやばい!)

 

自分の顔が赤くなっている事に恭介は気づいていなかった。

 

 

 

 

そんな二人の様子を、ここまでストーキング……もとい、追跡して来た翔子は、二人に気づかれない位置から、某家政婦のごとくジッと見つめていた。ただでさえ不審感全開な上、それを行っているのが美少女という事で、人目につきまくっていた。

 

「ママー。あのお姉ちゃん何してるのー?」

 

「シッ! 見ちゃいけません!」

 

背後から聞こえる声もガン無視する。何が彼女にそこまでさせるのか、それは翔子にしかわからない。

 

「ここからじゃ声が聞こえないわ。もう少し近づかないと」

 

霧原翔子……色々と残念な少女である。

 

 

 

 

「あ、そ、そうだ。たい焼き食べましょうたい焼き」

 

変な空気を払拭しようと、やや早口で言いながら、袋からたい焼きを取り出す恭介。イリアも一つ取り、同時に口を開く。

 

「……お、美味い!」

 

恭介の取った中身はカスタードクリームだった。もう一口食べた所で、イリアの方に顔を向ける。

 

「イリアさん、これ凄く美味―――」

 

「ほむほむ」

 

「ッ!?」

 

イリアは両手でたい焼きを持ち、とろけるような表情でハムスターを連想させるように小さな口で何度も何度もたい焼きを頬張っていた。

 

「ほむ……何、恭介?」

 

「何でも無いです! どうぞそのまま食べてください!」

 

「ん……ほむほむ」

 

彼女の幸せな時間を邪魔してはならない。何より、もっと見ていたい! 恭介は己の心に従って、彼女が食べ終わるまで絶対に話しかけないように決めた。

 

「……美味しかった」

 

数分後、全て食べ終えたイリアが満足そうにお腹をさする。恭介は、最初の一つを除き、自分の分もイリアに食べさせた。

 

「よかったですね」

 

「けど、本当に私が食べてもよかったの?」

 

「はい。俺は“アレ”を見れただけで腹いっぱいですから」

 

「アレ?」

 

「何でも無いです。それにしても、イリアさんって本当にたい焼きが好きなんですね。凄く幸せそうでしたよ」

 

恭介がそう言うと、イリアは人差し指をあごに当てて何やら考える仕草を見せた。

 

「……ん、ちょっと違う。私にとって、“食べる”というのは特別な事だから」

 

「特別?」

 

「……私が生まれたのは、小さな小さな国だった。その国では、私が生まれる少し前から西と東で争いが起こってた」

 

何が原因で争うようになったのかはわからない。ただ、その争いは国民の生活を苦しめるには十分すぎるものだった。元々貧困層で溢れる国だった事もあり、イリアも家族と共に辛い暮らしを余儀なくされた。

 

「食べ物なんて、三日に一度食べられればいい方。水だけはあったから、毎日水だけを飲んで生きてた」

 

だが、そんな暮らしをいつまでも続けられる訳はない。イリアとイリアの家族は日に日に飢えに苦しめられた。そして、悲劇が起きた。

 

「軍の施設に食べ物を盗みに入って、私の父と母は殺された」

 

「ッ!?」

 

「残されたのは私と弟だけ。その弟も、栄養失調で死んでしまった。私も死ぬと思ってた。……そんな私を、あの人が救ってくれた」

 

“あの人”はイリアに見た事もないようなご馳走を食べさせこう言った。「もう二度と飢えに苦しむ事はない。子ども一人養えないほど、アタシの組織は貧乏じゃないよ」と。

 

イリアはそのご馳走に手を伸ばし、泣きながら食べた。父の、母の、弟の分まで食べて食べて食べ続けた。

 

「食べられない辛さを私は知ってる。だから、私にとって食べる事は特別で、大切で……幸せな事」

 

何故落ちたたい焼きにあれほど執着したのか。何故たい焼き屋で恭介に抱きついたのか。何故あんなにも幸せそうにたい焼きを食べていたのか、その理由は全て、幼少期の辛い経験からのものだった。話し終えたイリアは大きく息を吐いた。

 

「……すみません。辛い事を話させてしまって」

 

後悔の念が滲む。恭介は俯きながら謝った。そんな恭介の頭を、イリアは優しく撫でた。

 

「謝らないで。私が勝手に話したんだから」

 

「でも……」

 

「本当に気にしないで。ほら、顔を上げて」

 

ゆっくりと恭介が顔を上げると、微笑んだイリアの顔が目の前にあった。その微笑みに、恭介は目を奪われる。

 

「さてと、たい焼きも食べたし、そろそろお別れだね」

 

「あ、そ、そうですね。俺も買い物に戻らないと」

 

「……そういうわけだから、そろそろ出て来たら」

 

イリアが唐突に後ろに振り返る。途端、ベンチの後ろの草むらがガサッと動いた。

 

(嘘、バレた!?)

 

「な、何かいるのか?」

 

恭介も身構える。やがて、そこから出て来たのは……。

 

「き、霧原さん!?」

 

顔に葉っぱをつけた翔子だった。

 

「ご、ごめんなさい! 商店街であなたを見かけたから、話しかけようと思ったら、その女の人と一緒にどこかに行っちゃうから、つい気になっちゃって!」

 

「へ、へえ……」

 

微妙に顔を引き攣らせる恭介。

 

「そ、それで、その人は……高木君の彼女なの?」

 

判決を待つ被告のような顔で恭介に尋ねる翔子。そんな彼女の勘違いに気づいた恭介は苦笑いで答えた。

 

「違う違う。イリアさんのたい焼きを俺がダメにしちゃったから弁償しただけだよ」

 

「本当? 本当に彼女じゃないの?」

 

「本当だって。第一、こんな綺麗な人と俺なんかじゃ釣り合わないって」

 

「そんな事―――」

 

翔子の言葉を遮るようにイリアが横から口を開く。

 

「そんな事無い。恭介だってカッコイイ」

 

「え? あ、あはは、ありがとうございます」

 

(わ、私のセリフが……)

 

心の中で崩れ落ちる翔子。そんな翔子を尻目に、二人は別れの挨拶を交わしていた。

 

「それじゃ……バイバイ、恭介」

 

「はい、さよなら」

 

イリアはのんびりした歩調で公園を出て行った。

 

「それじゃ、霧原さん。俺も行くから。また学校で」

 

「う、うん……また学校で」

 

恭介も公園を去り、その場には翔子だけが残される。唐突に翔子は携帯を取り出し、ある人物に電話をかけた。

 

「……もしもし、お兄ちゃん? 『カース・グランドル』は?」

 

『翔子か! 幹部は全員捕まえたが、首領が逃げやがった! 今、全員で追ってる!』

 

「そう……。なら、今から私もそっちに行くから」

 

『今から? お前、さっき俺達だけで何とかしろとか言って……』

 

「気が変わったの。首領ですって? 上等じゃない……」

 

翔子は恐ろしいオーラを撒き散らしながら短く続けた。

 

「・・・ぶっ潰してやるわ」

 

この瞬間、『カース・グランドル』首領の命運が尽きたのだった。



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