異世界ウェスタン ~Man With Gray Eyes~ (せるじお)
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異世界ウェスタン
第01話 ハイ・プレインズ・ドリフター





――荒野は、時に『異界』へと通じる。

これから語るのは、一人のガンマンの物語。

砂塵の向こう、世界を超えてやってきた『まれびとの用心棒』。

迷い込んだ小さな村、襲いかかるのは恐るべきモンスターども。

ひとにぎりの『報酬』のために、彼は戦う。

腰に吊るした二丁のコルト、ひとたび抜けば死の舞踏が始まる!

ファンタジー西部劇、これより開幕。









 

 人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 

 君子危うきに近寄らず――とは昔からある諺だ。だが危ういものごとってやつは往々にして、自分の方からコッチへと突っ込んでくるのだから、堪らない。迂闊な人間だろうと、用心深い人間だろうと関係ない。皆等しく禍福の渦に呑まれ、吉凶の濁流に揉まれるのだ。

 

 ――今でもあの出来事が現実のコトだったのか、それとも単なる夢幻の類だったのか判断がつかない。

 

 しかし夢や幻と言い切ってしまうには余りに長く、そして生々しい体験をしたのも事実だ。夢じゃ無かったと思わせるだけの、証拠が無いわけでもない。私個人としては、あれは本当にあったコトだったと考えている。

 

 これから語るのは、その時の話だ。

 

 あれはニューメキシコで『ひと仕事』済ませた後の、その帰り道での事だった。愛馬サンダラーに跨がり、荒野の道を行く途中、ふと、めまいを覚えたのだ。

 陽差しの強い、暑い日のことだった。

 めまいの原因も太陽が暑いせいだと思い、水筒の中身で口を濯ぎ、かつ飲んだ。渇いた喉を潤すと、帽子を脱いで団扇代わりにし、顔に風を送る。少しばかり頭がスッキリした所で、再び馬を進めた。

 

 今思えば、この時点で全ては始まっていたのだ。

 

 委細に観察していれば、自分の今いる場所がアメリカではない『何処か』になっていたコトにも気づけたかもしれない。だがあの暑さが、私から注意力を奪っていた。偶然ではあるが、めまいの前後で見ていたそれぞれの風景が、えらく似通っていたことも、私が事態に気づくのを遅らせた。

 とは言え、あの時に気づいていたとしても、既に手遅れではあったのだけれど。

 暫時道なりに進んでいると、様子がオカシイことに気がついた。

 電線がない。電信柱もない。

 いまやあちこちに立って容赦なく景観をぶち壊すあの不細工な柱の連なりが、どこにも見えないのだ。

 違和感を覚えた私は、少し馬に無理させて、道の傍らの若干急な斜面を登った。そして丘の上から、辺りをぐるっと見渡してみたのだ。

 

 私は唖然とした。

 

 見渡すかぎりの全てが、全く見知らぬ景色だったのだ。

 あの電信柱の列は、影も形も無くなっていた。

 それは実にありがたいことではあったが、事態はそれだけではない。気がつけば、日差しの質からして変わっていたのだ。

 あの刺すような陽光は雲に遮られて、生ぬるい風が吹き付けてくる。

 植生も、あきらかに違っている。緑が明らかに豊かなのだ。丈は低いが緑の濃い草が、荒れ地の所々に絨毯を広げたように生えている。つい先程まで自分が旅していた、灌木がまばらに生えるのみだった荒野はどこかに消えてしまっていた。

 手袋を脱いで、手の甲で目をこすり、頬をつねってみる。

 暑さのあまり、私も遂に頭がおかしくなったかと思ったのだが、頬を抓っても痛みで目覚めることもない。依然、見覚えないの未知なる風景が広がっているのみである。

 前の晩に酒を呑み過ぎておかしくなっている訳でもない。そもそも私は酔いつぶれたり、二日酔いを催すほどに酒を飲むようなタチでもないのだ。ペヨーテのような、幻覚を引き起こす代物を口に入れた覚えもない。

 つまり、自分の目に写った光景を信じるほかは無さそうだ、ということだ。

 

「……さて。どうする?」

 

 答えなど期待してないが、途方に暮れて思わず愛馬に問いかけた。

 声に反応して彼も私の方を振り返ったが、無論答えなど返してはくれない。

 

「お前に聞いた俺がバカだったよ」

 

 思わず自嘲し嗤うと、馬の鬣を撫でてやりながら、どこへ行くべきか考える。

 

(取り敢えず……道なりに進むか)

 

 結局のところ、自分には二つしか選択肢は無い。進み続けるか、引き返すかだ。

 しかし振り返った先に帰り道など期待できない以上、ただ前に進むしかないのだ。

 

「よし……ほれ、行くぞ」

 

 サンダラーの首をぺちぺちと軽く叩いて、歩き出すように促した。

 ――かくして私の、この『異邦』での長く短い旅が始まったのである。

 

 

 

 道なりに進むことおおよそ一時間。

 ついに人里だと思しき影が、遠くに霞んで見えてきた。

 水も食べ物も手持ちがやや覚束なかった私は、この発見に少しホッとした心持ちとなる。幸い『仕事』を終えたばかりとあって、財布は1ドル銀貨に満ちている。ここが何処か解らない上に、ひょっとするとアメリカですら無い可能性も浮かんではいたが、どこであろうと金銀の価値に変わりはあるまいと開き直る。あの村が飢餓で全滅寸前といった、非常事態でも無い限り、多少の飲み食いは出来るだろう。

 それでもいざという時に備えて両腰のホルスターに手をやった。

 撃鉄に掛かった紐を外し、吊るした二丁拳銃を取り出しす。しっかりと弾も火薬も込められていることを確認する。

 左右のホルスターに納まっているのは二丁のリボルバーだ。

 コルトM1851、通称『コルト・ネービー』。こいつらが私の愛銃である。

 36口径のこの銃を威力に欠けると腐す奴もいる。だが反動は小さく御しやすく、したがって命中精度も良い。少なくとも私は、アメリカで手に入る中では最高の拳銃の一つだと信じている。

 

 ――話が横にそれた。

 

 いずれにせよ、二丁の相棒はとっさの使用に耐えうる状態になっていた。ベルトの位置を調節して、最も素早く抜き撃ちが出来るように直す。

 銃口は千の言葉に勝る。

 たいがいの面倒はコイツを見せるだけで片が付くし、それでもどうにもならないなら引き金を弾けば良いのだ。  銀貨をチラつかせておけば特に問題は無いと思うが、世の中というやつは何が起こるか解らない。殊、荒野の人里などという場所においては。

 サンダラーで道を行くこと更に三十分。遂に件の人里の入り口まで辿り着いた。

 一見、何の変哲もない田舎の寒村に見える。

 ちょいとばかし入り口から村の様子を観察し、意を決してなかへと乗り入れてみる。

 漆喰で固めた低い石壁、白く塗った土壁に藁葺き屋根の粗末な家々。所々に見える木造の小屋は畜舎の類だろうか。嗅ぎ慣れた――ものとは少し違う、獣と糞の悪臭が漂ってきている。

 村は、外から続く一本道の両端に、家々が立ち並ぶ形になっている。彼方には畝の連なりと草原、雑木林も見える。道はおおよそ真っすぐのびており、その途中に虫瘤のように小さく膨らんだ広場ある。そこが村の中心になっているらしい。真ん中には井戸があり、また広場に面するように何やら小さな神殿を思わせる建物がある。教会には見えない。先住民達の祭祀場とも違う。私の知らぬ、異教の社であるらしかった。

 

「……」

 

 しかし、今の私が一番に気にかかっているのは、そんなことではない。

 ――村人の姿が、人っ子一人見えないのだ。

 遠くに見える畑に目を向けても、そこで働いていてしかるべき百姓たちの姿は見つからない。

 天を仰ぎ、太陽の位置を確かめる。

 空はいまだ曇っていたが、所々に雲の切れ目があって、そこから陽の場所を伺うことが出来た。少なくとも、まだ夜には程遠い筈の太陽の高さである。村人たちが寝静まるには早すぎるし、かといって昼寝をするには遅すぎる。それに百姓が昼寝をするのは、畑仕事が出来ないほどに日差しが強い時だけの話だ。やはり、誰一人見かけないというのは、どうにもおかしい。

 手綱を右手から左手に移し、空いた右手はホルスターへと伸びる。グリップに手を這わせ、撃鉄に親指の腹を乗せる。こうしておけば、何処から不意討ちを仕掛けてこようと、即座に反撃の鉛弾をぶち込める。

 

(……いるな)

 

 耳を澄まし、周囲の気配を探る。姿は見えずとも、ひそめた息遣いは微かに感じ取れる。どうやら、家の中から隠れて私の様子を窺っているらしい。自分の身体に突き刺さる幾つもの視線から感じとれるのは、ただただ『恐怖』のみだ。

 ふと、以前にもこんな事態に遭遇した覚えがあるのを思い出す。

 

(……ああ。そうか)

 

 ちょっと考えて解った。

 野盗や無法者どもの餌食になっている、そんな辺境の農村に似た空気なのだ。

 駆け出しの頃、メキシコに出稼ぎに行った時に何度かこの手の村を見た。どの村でも、今のように家の中に隠れて息を潜め、ただ脅威が通り過ぎて行くのをやり過ごすのである。野盗や無法者の類と言えば馬鹿で無教養と相場が決まっているが、こと自分の飯の種に関してはそれなりの知恵を回す。雌牛にしろ雌鳥にしろ、殺してしまえば乳も卵も得られない。黙って相応の金や食糧を差し出せば、ひとまず連中は満足し村人も命だけは永らえることが出来るのだ。無論、それは連中が最低限、人並みの脳みそを持っている場合に限り、もしも野獣のような連中に襲われてしまった場合は、もう逃げて隠れて神に祈る他ないだろう。

 

(さて……どうするか)

 

 しかし私には、この村が誰かに襲われていようといるまいと、まるで関係の無い話だ。水や食料を手に入って、ここが何処で手近な街への道はどうなっているのかを訊くことができれば、それで充分なのだ。余計なトラブルは御免被りたい。必要な用事だけ手早く済ませて、さっさと立ち去るに限る。

 だがそのためにはまず、『話の通じる村人』を探し出さなければならない。さもなくば、何一つ始まらない。

 私は例の神殿らしき建物の左右の家々を物色した。この手の村の広場には、雑貨屋や宿屋を兼ねた酒場が一件はあるものだ。その手の店の主といえば村の顔役であることが大半であり、その辺りのあばら屋に隠れた百姓どもよりかは、話が通じやすい公算が大きい。

 

(……これか、な)

 

 神殿の右隣の建物に、消えかけの、見たこともない文字が書かれた小さな看板がかかっていることに気づいた。確証は無いが、目当ての建物である可能性は高い。サンダラーの手綱を適当な柱に繋ぐと、酒場らしき場所へと私は踏み込んだ。

 



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第02話 ストレンジャー・イン・タウン

 

 

 ――中は薄暗かった。

 まだ昼間だというのに窓の殆どが木戸に閉ざされていたからだろう。灯りも点いておらず、闇が立ち籠めて良く解らない。小さなテーブルが幾つかと、粗末な椅子が机の数に合わせて用意されてるところから見るに、やはり酒場かそれに類する場所であるらしい。

 

『……誰だ?』

 

 奥のほうから、誰何する声が聞こえてくる。聞いたことのない言葉だった。奇妙なのは、知らないはずの言葉を自分が理解していることである。私はお世辞にも学のあるほうでは無く、英語以外で話せる言葉など、メキシコで片手間に覚えたスペイン語程度であり、それすらも今となってはやや危うい。そして奥の男が発した言葉は、どう聞いてもスペイン語ではない。

 

『誰だって聞いてるんだ』

 

 仄暗い闇を抜けて、開いた窓から指す光の中へと声の主は姿を表した。

 低く聞こえたその声色に似合わぬ、まだ若く見える優しげな容貌の男である。

 やや浅黒い肌に、黒い瞳。そういった特徴の数々は、先住民たちのそれを連想させるが、目の前の青年とインジャンの連中とは明確に違う点がひとつある。

 耳だ。耳が長く、先が尖っているのだ。こんな変わった耳にはついぞお目にかかったことはない。まるでウィロー(柳)の葉を思わせる奇怪な形状であった。

 

『口が利けねぇのか人間』

 

 面食らって口をぽかんと開けていた私に向かって、その長耳は吐き捨てるように言った。口調には隠しもしない侮蔑のようなものが見えるが、しかし依然驚いてる私はそれに対して怒りを覚えることすら出来ていなかった。

 

「ん……ああ。いやぁ問題ない。問題ないよ」

 

 言いつつ、無理やりにでも平静を取り戻すべく先ずは表情から取り繕う。努めていつも通りの表情を作るのだ。どんな時も冷静に、それが出来ない時は上っ面だけでも。ガンマンとして生きる者の心得である。

 

「食料と水が欲しいんだ。できればここで食事もしたい」

 

 両の掌を軽く掲げ、ひらひらと見せるようにしながら長耳へと歩み寄る。一見して、武器を持っていない相手だ。ならばこちらも武器は手にしてないことを示す方が、話がスムーズに進む。銃をチラつかせるのは、飽くまで必要な場合のみだ。むやみに見せびらかせば、予期せぬトラブルを招きかねない。

 

『よそもんの、ましてや人間に食わせる飯なんてねぇよ』

 

 予想通り、長耳の答えは拒絶である。これに関しては特に問題はない。田舎の村など、どこも余所者には厳しいという点では同じなのだ。

 

「まぁそう言うなよ」

 

 手近な丸テーブルの傍らに立ち、懐から財布を取り出して見せる。ちょいと掲げて、テーブルの上に落とす。中身が詰まった財布は、どしゃりと重そうな音を立てた。その音に、ちょっと目を大きくした長耳の前で、財布の紐をゆるめて何枚かの銀貨を出し、テーブルに並べてみせる。そして並べた内の一枚、特に綺麗で傷がないやつを一枚手に取り、長耳へとポンと投げた。

 

「ご覧の通り金はあるんだ。固いこと言うのは止しにしよう」

『金の問題じゃぁ……』

 

 銀貨を手にしておきながら苦い顔したままの長耳は、そこまで言ったところで動きが止まった。見れば両目が皿のように見開いて、銀貨を何度もひっくり返しつぶさに観察している。――田舎者め。やっこさん、どこの何人か知らないが1ドル銀貨に一度もお目にかかったことが無いらしい。

 

『……こんな精巧な刻印……この厚さ……綺麗な円形……』

 

 よく聞こえない小さな声で何やらぶつぶつ呟いている。ともかく、我が愛しのシルバーダラーの女神に長耳は虜になったようである。これは良い流れだ。

 

「ほれ」

『オ、オイ!?』

 

 もう一枚、長耳の方へと1ドル銀貨を指弾で飛ばす。長耳は一転、妙に慌てた様子でそれをキャッチする。

 

「2ドルもあれば腹一杯の飯に酒がついてもまだお釣りが充分来るだろう。何でもいいから直ぐに作れるやつを頼む」

『よ…よしきた!』

 

 長耳の態度はコロリと変わった。銀貨を握りしめて奥へとすっ飛んでいく。

 その背中が薄暗がりに消えるのを認めると、銀貨を並べたテーブルの傍らにある椅子にドカッと座った。素早く銀貨を財布に戻し、その口を革紐できつ目に締めると懐へと戻す。

 暗がりに目が慣れてきたため、改めて酒場の中を見渡してみる。暗く、そして埃っぽいせいもあるだろうが、それにしても酷く粗末な印象を受ける酒場であった。どう見ても安普請であるし、柱はボロボロでやや傾いている。今しがた座ったばかりの椅子もギシギシ鳴るし、テーブルもまた同様だった。

 

(飯にも大して期待は出来んな)

 

 まぁこんな寂れた村、ましてや賊に目をつけられているかもしれない村だ。最初から期待などしていない。何より今は腹が減っている。腹が減っていれば何であれ美味く食えるものなのだ。

 ――しかしこうして待っている間は暇である。他に客でもいればその会話に耳を傾けたり、酔っぱらいをつかまえてビール一杯と引き換えに辺りの噂話を聞いても良い。だが今ここにいるのは自分一人だ。

 

「お」

 

 などと考えているうちに、蝿が一匹自分の方へと寄ってきた。いや、蝿ではない。蝿に似てるが違う虫だ。蝿に似た見知らぬ虫なのだ。

 そいつが、テーブルの上に止まった。

 

「……」

 

 私は腰のコルト・ネービーの内の一丁を静かに、静かに抜いた。そしてそのまま、静かに音を立てぬようにと、コルトをテーブルの上まで持ってくる。左手のコルトの銃身を右手で握る。左手を離せば、右手で銃身を握り、銃把が上へとくる形になる。ちょうど弾が切れた後にコルトを棍棒として使う時と同じような格好だ。つまり銃口は下を向いている。

 

「……」

 

 蝿もどきは相変わらず、テーブルの上を蠢いている。私は睨み、狙いを定める。羽虫というやつは飛んでいない時も素早く動き、そしてその反応もまた俊敏だ。だから、この様なときの暇つぶしの相手としては最適だ。

 

「――ハッ!」

 

 気合の一声と共に、銃口が振り下ろす!相手が蝿であれば確実に、銃身で蓋をして捕らえらえるタイミング!だがしかしである。

 

「ぬ!?」

 

 蝿もどきは蝿もどきの分際で、ひょいと小さく跳んで避けたのだ。銃口はむなしくテーブルを叩く。

 

「……蝿もどきの分際で」

 

 虫ごときにコケにされて黙っている私ではない。今度は外さない。

 

「――ハッ!タッ!ヘアッ!」

 

 だが外す。しかも今度は三たび連続で、である。

 

「こ……こんチクショウ」

 

 怒りの余り思わず撃鉄の方に手が伸びそうになるが、思いとどまる。深呼吸をひとつして気持ちを落ち着けると、コルトをホルスターへと戻した。すこし体をずらし、今度は腰よりももっと下の方へとグッと手をのばす。ズボンの裾をまくり上げ、足首の辺りに触れる。そこには革のベルトで結んだナイフが一本ある。コルトを使えない状況のために用意してある隠し武器で、コイツを含めて三本のナイフを私は隠し持っていた。

 

「……」

 

 引き抜いて、かざしてみる。薄暗い中でその刃は鈍く光っていた。刃渡り4インチ(約10センチ)の小ぶりなやつである。

 そいつを手の中で回し、逆手に持ちかえる。

 

「……」

 

 そして見つめる。蝿もどきはまだテーブルの上をウロウロと歩きまわっている。

 だが、いつまでもそうしてはいまい。いつかは飛び立つ。そして虫であろうと獣であろうと、そして人であろうと、何か一つの動作に集中した時は、他の行動へまでは意識が及ばないのは変わらぬ道理だ。そこが狙い目になる。

 

「……」

 

 私は待つ。目を見開き、500ヤード先のバッファローを狙い撃つような気持ちで、蝿もどきを睨みつける。

 私は待つ。睨みつけ、見つめ、そして待つ。待つ。待つ。待つ。待つ――……。

 翅が動いた!今だ!

 

「死ねッ!」

 

 刀身が煌めき、一撃が突き立った。こういう場合はやはりナイフの方が遥かに素早い。我ながら見事に、ナイフの切っ先によって蝿もどきはテーブルに縫い止められていた。しばしブブブともがいていたが、それもすぐに止まる。

 ――仕留めたのだ!

 

「いよぉし!」

 

 私は思わず快哉の声を挙げ、小さくガッツポーズをとっていた。思わぬ強敵であったが、やはり私の相手では無かっ――。

 

『……』

「……」

 

 私は気づいていなかった。何やら湯気の立つ鍋を抱えた長耳が、半ば呆れた顔で私のことを見つめていたのを。 暫時見つめ合った後、私は咄嗟にナイフをテーブルから引き抜いて、再び切っ先を叩きつける。

 しかる後に、顎をしゃくって「持ってこい」と長耳を促す。

 やっこさん、慌てた様子で鍋を持ってくる。私はナイフを仕舞うと、帽子をやや目深にかぶり直した。ガンマンたるもの、常に平静を保たねばならない。赤面など、人に見られてはならないのだ。

 

 ――出てきた料理は、何の事はない、良くある豆料理である。

 ただし使われている豆にどうも見覚えがないという点を除けば、だが。

 

「何だこりゃ」

『何だ、て、ただのミヨルク豆の煮付けだが』

「ミヨルク豆?」

 

 聞いたことの無い豆だ。改めて目の前にデンと置かれた鍋の中身を委細に観察する。

 一見、ベイクドビーンズに似ているが、あれは普通エンドウ豆を使う。だが鍋の中身は、エンドウに比べるとずっと大きな豆なのだ。二倍…いや三倍はあるだろう。何を使って煮たのかは解らないが、あまり嗅いだ覚えのないにおいを放っている。だが、悪い感じはしない。むしろ食欲をそそる良いにおいだ。

 木で出来たスプーンに、木で出来たコップが添えられているのに気づく。長耳が中身が酒だと思しき素焼きの水差しを持ってきた所で、鍋の中身を掬い、改めてにおいを嗅ぎなおす。

 

「……牛乳?」

 

 強いて言えば煮込んだミルクでのにおいに近いが、なんとなく違う気もする。

 食べてみる。

 

「……牛乳?」

 

 オートミールのミルク粥を思い出した。あれを燕麦の代わりに『豆』に使えって作ればこんな感じになるのか。しかしいわゆる『乳臭さ』をまるで感じないのは気にかかる……。

 

「いずれにせよ…美味いなこれは」

 

 一口食い始めたら、これが止まらない。元々腹が減っていたのもあって、貪るように掻きこむ。柔らかくも、麦とは違う独特の弾力があって、食いごたえは中々だ。まろやかな甘味はさらなる食欲を催す。

 

「……ん」

 

 ここで、そう言えば素焼きの水差しあったな、ということを思い出す。手にとって嗅いでみれば、やはり酒で間違いないだろう。かなり強めのアルコールの香りが漂ってくるのだ。木杯に少しだけ注いで、舐めるように飲んでみる。

 

「ぬぐ」

 

 これはかなりキツい酒だ。味はテキーラに近いが、それそのものではない。

 

「いずれにせよ、こりゃ飲めんな」

 

 悪い酒ではない。むしろ、一口飲んだだけでも素朴ながら良い酒であると解る。だが強い酒は駄目だ。強い酒はガンマンには禁物である。注意力は散漫になり、体の動きは鈍る。せいぜいビールが飲んで良い限度なのだ。長生きしたいのならば、このルールだけは必ず守らねばならない。

 

「おい」

 

 少し離れた場所からこちらの食いっぷりを窺っていた長耳へと、手招きを一つする。寄ってきた所で追加の注文だ。

 

「生憎だが、ここまで強い酒は好きじゃない。ビールで良いから持ってきてくれ」

『……ビール?』

 

 長耳は怪訝そうな顔をした。ビールで通じないとはどんな田舎だと思いつつ、試しに言い方を変えてみる。

 

「じゃあセルベッサをくれ、で解るか?」

 

 スペイン語で言ってみても、首を横に振られるだけであった。

 

「あー……あれだ。色が茶色で、泡が出て、麦から作る……」

『ひょっとしてオルーのことか?』

「オ、オルー?」

 

 何やら話が無駄にこじれてきた気がする。面倒なので、酒の入った水差しを長耳に押し付け、掌の動きであっち行けと伝え、鍋の中身の方へ再び取り掛かった。まぁ酒が飲めないのは残念だが、仕方がない。飯にありつけただけでも良しとしよう。

 暫し黙々と食い続けると、鍋はすぐに空になった。食い終わるまで待っていたのか、長耳が水を持ってきてくれた。一息に飲み干し、ゲップを一つする。 

 

「いやぁ美味かった。良い牛の乳を使ったんだな、これは」

 

 私のこの呟きに、長耳は何かギョッとしたような顔をした。何であろう?別に妙なことを言ったつもりはないが。

 

『牛の……乳……?』

「うん。くさみの無い、良いミルクじゃないか。まさかこんな所でお目にかかるとはな」

 

 長耳は突如嫌悪感を顔に露わにすると、吐き捨てるように言った。

 

『冗談じゃない!牛の乳だって!?そんなもの誰が食うか!あんなぁ獣臭いものを!』

 

 それも物凄い剣幕である。むしろコッチが驚いて目を白黒させていると、『これだから人間は云々』とブツブツ呟きながら奥へと引っ込んでしまった。

 

「……え?」

 

 何が何だか。これだから田舎者は始末におえない。

 



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第03話 マサカー・タイム

 

 ――ともかく、腹は一杯になった。後の用事は馬に載せる水と食料、そして近くの街への道順である。これらを手早く揃えて、さっさとこんな僻地からは出て行ってしまおう。

 そう、考えていた。

 考えていたのだが、そうはならなかった。いつだって面倒は突然やってくる。今度の時もそうだった。

 

「……」

 

 ふと、空気が急に張り詰めたような、そんな気がした。気づけば、自分の右手はコルトの銃把へと伸びていた。深く腰掛けていたのが、いつでも立って銃を抜けるように足や尻も動いている。酒を飲まないからこそできる、無意識の内の動きだ。

 私の直感は正しかった。奥に引っ込んでいた長耳が慌てた様子で飛び出してきたのだ。

 

『隠れろ!』

 

 そう叫ぶと有無も言わさず、私を店の奥へと無理やり押し込んだ。私は自分の馬を表に繋いでいる旨を伝えようと思ったのだが……。

 

『良いからここに隠れて静かにしてろ!良いな!』

 

 この通りである。仕方が無いのでおとなしくしておく。あの様子ではこっちが何を言っても聞く様子はあるまい。

 何やら隠れて様子を窺っていると、表からゲラゲラと下卑た笑い声と共に馬鹿でかい人影三つ、酒場へと乗り込んできた。……いや、人影という表現は正確ではないだろう。

 なぜなら、その三人組は揃って豚のような頭をしていたからだ。

 

「……」

 

 思わず目をこすり、改めて見なおしてみるが、やっぱり豚は豚なのだ。豚の頭をした人間なのだ。

 

(……まさかさっきの一口で酔っ払った訳じゃあるまいな)

 

 試しにヒゲの一本をつまみ、引き抜いてみる。痛い。痛いだけで、別に夢から醒めるということも無い。そして豚面は依然として豚面のままである。

 

(それにしても……デカいな)

 

 デカいと言うのは、豚面達の事である。少なく見積もっても6フィート(約180センチ)はある。デカいのは高さだけでは無く、横幅もだ。顔は豚だが、体はまるで熊だ。腕など、まるで丸太ん棒である。太って見えるが、あれは肥えていると言うよりも下半身が筋肉などで膨れ上がっているのだ。かなり俊敏に動けるだろうと推測できる。

 豚面と同じぐらいに人目をひくのはその緑という肌の色である。あれじゃ豚と言うよりトカゲかワニだ。そのアンバランスさが、いよいよその奇怪さを強調していた。

 しかし何よりも気になるのは、その『臭い』である。とにかく臭い。まるで数日間掃除をサボった畜舎のような臭いがする。ひょっとするとあの直感の原因はこの臭いだろうか。思いの外良かった自分の鼻がほんの微かな異臭を感じ取り、無意識のうちに警戒を促したのかもしれない。

 

『オヤジィ!飯と酒だ!持ってこい!』

『ハティのように急ぐんだよ!さもねぇと家ごと焼き殺すからな!』

 

 外見からくる予想を裏切らぬ、聞くに堪えない濁声で豚面どもは怒鳴った。長耳はへへぇとへつらい満面にいそいそと動き回っている。長耳の態度から察するに、どうもこの村を食い物にしてる山賊の類はコイツラのようだ。

 嫌な予想が当たってしまった。立ち去るのが遅すぎた。

 

『あのぅ……今度の月の貢物の日にはまだ早いのでは……』

 

 長耳と豚面の会話に耳をすます。豚面連中でいま村に来てるのは何人いるのか。そもそも豚面どもと長耳たちの村はどういう関係なのか。なによりもまず状況を把握することは、長生きできるガンマンにの鉄則だ。

 

『ああそうだぜ。だがテメェらが俺たちにクソ生意気ににも逆らおうとしてるって噂聞いてな』

『用心棒を雇ったとか小耳に挟んだけど、まさか違うよな?』

『へへぇ……そりゃあ、もう……とんでもございません!まさか逆らおうなんて……』

『そうかい。じゃあ』

 

 豚面の内の一人、リーダー格と思しき男の声色がここで変わる。

 

『表に繋いであった見慣れない馬……ありゃどこの誰のだ?』

 

 ――こいつは良くない流れになってきた。私はコルトをホルスターから抜いた状態で、外套の下に忍ばせる。

 

『あああ……あれは……そのう……通りすがりの余所者のモノでして……』

『余所者?こんなど田舎村にか?どこのモノ好きだそいつぁ?』

「それは俺だよ」

 

 ここで私は暗がりより自ら姿を露わにした。いかなる時も機先を制せ。これもガンマンの鉄則だ。

 豚面どもと長耳の視線が私へ集中し、突き刺さる。左半身の体勢をとり、右手に忍ばせたコルトは見せない。

 

『なんだぁ?余所者ってのはヒトかよ』

『よりにもよって肉のくせぇ白猿だぜ!晩飯にもなりゃしねぇ!』

 

 テメェらだけには臭いなどとは言われたくねぇよ豚野郎ども!と言いたくなったが、我慢する。相手はデカい上に三人で、しかも得体のしれない連中ときている。ここは穏便にいこう。穏便に、穏便に。

 

「気分を害したと言うなら謝るよ。すぐに消えるからお構いなく。酒盛りを存分に楽しんでくれ」

 

 左掌をひらひらさせ、愛想笑いを浮かべる。敵意が無いことの意思表示のつもりだったが、相手は取り合うつもりは無いらしい。

 

『おい親父。コイツここで臭い飯を臭い口で食ったのか?』

『へ、へへぇ』

『なら代金はとったのか?』

『そりゃ当然……』

『まずはそれを出せ』

 

 それを聞いて長耳は一瞬ギョッとした様子だったが、豚面に睨まれて大人しく私の1ドル銀貨2枚を差し出した。これまたマズい展開だ。傷も殆ど無いその綺麗な1ドル銀貨は、他でもない私の懐から出たものなのだ。二枚あったならもっと有るかもと思うのが当然だろう。

 差し出された1ドル銀貨を日にかざしたりして、三匹の豚共はしげしげとその銀の輝きを眺めていた。一様に驚いた様子で、何やら小声で言い合っている。長耳といい、豚面共といい、いちいち1ドル銀貨に驚くのはどれだけ田舎者なのか。

 いずれにせよ連中の注意が銀貨に向かっているのは幸いである。その隙に私は豚面共の横を素通りして立ち去ろうかと思ったが、豚そのものな面して案外目ざとい。

 

『おい何処行きやがる白猿』

『どこでこんなモン手に入れやがった。もっと持ってるのかテメェ』

『汚ねぇ上に妙な格好してる癖に舐めやがって。俺たちを油断させていっぱい食わせようってか』

 

 出口を塞ぐように、三匹の豚が並び立った。

 私はもう隠すこと無く大きくため息をついて、言った。

 

「なぁ揉め事はよそうじゃないか。俺は面倒事は嫌なんだ。俺が黙って消えると言ってるんだから、俺に構わないでくれよ。なぁ」

 

 言いつつ私は外套に隠れていた左腿を晒す。そこにはホルスターに納まったコルト・ネービーの姿がある。仄暗い酒場に差し込んだ少々の陽光にも、私の左のホルスターのコルトの、その真鍮のフレームは鈍い反射光を放った。

 私は二丁のコルト・ネービーを使うが、この二丁は左右で若干異なっている。右のコルトは純正品の、正真正銘のコルトM1851だが左のコルトは違う。これは言わばコピーの海賊品で、製造価格を抑えるために一部に鉄の代わりに真鍮を使っているのだ。つまり安物なのだが、その真鍮の放つ偽の金色は不思議な威圧感を持つ。だから私は相手を『説得』するときは決まって左のコルトを使っていた。

 

『……知るかよ白猿。良いから黙って有り金出せって言ってんだ』

『その腰に吊るした玩具も高そうだな。ソイツももらおう』

 

 ……こいつらの目は揃って節穴か。このコルトが玩具に見えるのなら、眼医者にかかった方が良い。私は軽い頭痛を覚えた。話の解らない連中を相手にするのはいつだって疲れる。

 

『もうめんどうくせぇ!表に引きずりだして身ぐるみ剥いじまおうぜ』

『ついでに膾にした後、表の馬も捌いて酒の肴にしちまおう』

『そりゃあいいや!一寸刻みにしてやろう!ヒト猿は痛めつけると良い声で泣くんだ』

 

 豚面どもは一斉に腰に差していた蛮刀を引きぬいた。山刀をそのまま大きくしたような、分厚く鋭い刃を有した恐ろしい刃物であった。あの太い腕にあの刀身。食らったやつは屠殺場の牛のように簡単に殺されてしまうだろう。

 つまり、先に武器を手にとったのは奴らだ。正当防衛成立だ。治安判事だって、これから私のすることを合法だと即決で認めてくれるはずだ。

 

「……最後に一つだけ言ってやる」

 

 私はこう一方的に告げると、相手の返事も聞かずに左半身から真正面へと体勢を動かし。

 

「DUCK YOU SUCKER / くたばれ、糞ったれ」

 

 迷わずリーダー格の豚面へと向けて右のコルトの引き金を弾いた。

 銃声、硝煙。それに続く、何か液の詰まった革袋の爆ぜるような音。

 視界を覆う白煙の向こうに、豚面を更に愉快な格好にしたリーダー格が、ゆっくりと斃れる姿が見える。『それ』が斃れきるよりも速く動いたのは、左のコルトの方だ。真鍮の鈍い金光が閃いた時には、銃声、そして硝煙。二人目も眉間に一発。

 

『テ――』

 

 最後の一人が何か喚こうとして、それは銃声にかき消された。右のコルトが再び火を吹く。今度は胸元に一発。相手の躰が着弾の衝撃に悶えるところを、左のコルトでもう一発。二発の銃弾の衝撃に、豚面の無駄に大きな躰はバレエを舞い、その膨らんだ肉が震えるのが見えた。三つの躯が床に落ちれば、その重さに安普請の酒場全体が揺れた気がした。

 

「……」

『……』

 

 続けて、ストンと今度は軽い音が響いた。長耳が腰を抜かし、座り込んだ音だった。

 

「親父。始末は頼んだ」

 

 二丁コルトをホルスターに戻すと、財布からさらに3枚出した1ドル銀貨を長耳へと投げ渡す。棺桶代と墓掘り人夫の手間賃には充分過ぎる額だが、豚面は三人共図体がデカい。棺桶も特注製だし、墓穴も大きく深く掘らねばならないだろう。

 

『あ……いや…その!』

「じゃあな。任せたぞ」

『いや!いやですね!』

「なんだよ。足りないのか」

 

 何やらわけのわからぬ喘ぎで私を引き留めようとする長耳を、迷惑だと睨みつける。すると長耳はとんでもないことを言い出した。

 

『あ、あいつらはたいてい、七人一組で……まだ表に四人……』

 

 ――それを先に言えバカぁ!

 私は長耳の言葉の続きも聞かずに飛び出した。武器は腰に二丁のコルト。残弾は各々四発。対する相手は四人。武器はその他、詳細は不明。私は左手で真鍮フレームのコルトを抜くと、右手は外套の内側、腰の辺りにのびて、そこにあるものを引き抜いていた。三本ある隠しナイフの内の一本だった。なぜ右手でコルトを抜かずにそんなものを抜いたかと言えば――。

 

『何だ今の音は!』

『何だテメェは!なにもんだ!?』

 

 銃声を聞きつけてか、いったい今までどこにいたのか、先の三匹と似たような豚面が今度は四匹。こちらの方へと全速力で走り寄って来る。その先頭に狙いを定める。

 

「――シャッ!」

 

 右手を振りぬいた。びっくりした豚面の眉間には、ナイフが突き立っている。これで一発の銃弾を節約できた。

 

『テメェ!』

『何しやがる!』

 

 いきなりの攻撃に驚くも、豚面共は次の瞬間には持ち直してやはり例の馬鹿でかい蛮刀を抜いて突っ込んでくる。その動きは速い。恐ろしく速い。速い、が……。

 

『ぎょ!?』

『ぎば!?』

 

 私のコルトの方が遥かに速い。左右左右の順で、抜かれた二丁コルトを続けざまに射つ。豚が殺されるような断末魔をあげて、転がり斃れる二匹。

 残りは一匹。

 

『う……うわぁぁぁぁぁぁっ!?』

 

 最後の一匹は背を向け逃げた。武器を放り出し、一目散に逃げた。向かってくる時同様、その動きは異様に速い。左のコルトの銃口を一瞬向けて、降ろす。この距離ではもう当たらない。

 だが、逃がすつもりもない。敵は全て、殺せる時に殺す。これもまたガンマンの鉄則だ。

 私はコルト二丁を一旦仕舞うと、我が愛馬の方へ駆け寄った。幸運にも彼は無事だった。急いで結んでいた手綱を解き、跨がり駆け出す。そしてサンダラーに括りつけていた投げ縄を外す。

 いくら逃げ足が速いとは言え、豚では馬からは逃げられない。すぐにその背中に追いついた。

 

「ハッ!ハッ!ハァッー!」

 

 私は投げ縄を頭上で回し、勢いをつける。その勢いが充分につき、豚面との間合いがちょうど良い所にきた瞬間。

 

「ハッ!」

 

 私は投げた。見事その縄の輪は豚面の首に掛かる。その瞬間に私は愛馬サンダラーに拍車をかけ、全速力で走らせる。

 

『ぐえがぁっ!?』

 

 首に縄のかかった豚面は、当然引き摺られる。土煙を上げながら、私は重い豚を引きずって、馬をただ駆けさせる。そして村の外れの辺りまで引きずってきた所で、サンダラーに止まれの合図をした。

 

『コヒュー……コヒュー……』

 

 驚いたことに、やっこさんまだ生きていた。だがすでに半死半生である。だから情けをかけてやる。

 

「じゃあな」

 

 左のコルトを抜く。偽物の金の煌めきに、豚面の死にかけの瞳が一瞬反応した気がした。

 例え偽物であろうと、金の輝きを見て死ねるやつは幸せものだ。そんなことを考えながら、私は引き金を弾いた。

 



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第04話 ア・プロフェッショナル・ガン

 

 右は残り二発、左は残り一発。残弾数を頭のなかで数えながら、左のコルトをホルスターに戻した。本当はすぐにでもシリンダーに弾を込め直したかったが、そうも言ってる暇はない。まずは、ナイフを取りに戻らねばならない。

 投げ縄を豚面の首から外して巻き、鞍の金具に結いつける。「ハッ!」と一声拍車を掛けて、私はサンダラーを走らせる。

 ナイフを顔から生やした豚面の死体の傍らには、すでに大勢の村人が群がっていた。よくもまぁこれだけの数が隠れていたもんだと、思わず呆れるほどの大勢である。酒場の主同様、皆そろいもそろって長耳であった。

 

「どけ!どけどけどけっ!」

 

 私は大声で怒鳴って長耳達を退かせて通り道を作る。大勢の長耳達がサッと左右に動いて道ができる様は、まるで海の前のモーセだ。しかし預言者気取りで良い気になっている暇など無い。私は豚面の所まで馬を寄せて、跳び降りる。

 ナイフは思いの外に深く刺さっていた。お陰で抜くのに苦心した。十字を切ってから死んだ豚面の顔面を踏みつけ、「ふんぬ」と力込めて一息に抜く。なんとか抜けたが、今度は『臭い』に閉口する。ナイフの刃には豚面の血がべっとりと着いていたが、これがまた名状しがたい独特の臭気を放っている。血の色も異様だ。肌の色をもっと濃くしたような青緑色の血なのだ。こんな血液にはついぞお目にかかった記憶が無い。

 

「オイ」

 

 覗きこんでいた長耳達の内、適当な一人に声をかける。『えっ?』という顔をして、その長耳は目を丸くして自分の顔を指さした。良いから来いと手招きすると、恐る恐る近づいてくる。近づいてきた所で、服の裾を捕まえてナイフについた血を拭った。

 

『ちょちょちょ!?』

 

 何やら慌てているが、気にせず拭い続けていると何とか綺麗になった。まだ少し臭う気もするが、気にしだすと切りがない。ナイフを腰の隠し鞘に戻すと、サンダラーに跨がり駆け去ろう――とした所であった。

 

『待たれよ稀人!我らが招きし救い人よ!』

 

 そう叫びながら、一人の老婆が私の方へと土埃が上がる勢いで駆け寄って来たのである。その鬼気迫る表情、妙に甲高い叫び声に、反射的にコルトを抜きそうになったが抑える。異様な雰囲気の婆さんではあるが、殺気は感じない。婆さんは私へと向けて手にした杖の先を突きつけながら叫ぶ。

 

『皆の衆!お告げにあった通りじゃ!この村を救ってくださる為に我らが天の神が遣わした救い人がついに来たのだ!それがこの男の人間なのだ!』

 

 ……どうも婆さんは呆けているらしい。何やら突拍子もないことをほざきだしたので、無視して去ろうかと思うと、婆さん、なかなかどうして動きがすばしっこい。上手く私が向かおうとする先に回って通せん坊をしてくる。面倒この上ない。

 

「婆さん人違いだ。俺はたまたま立ち寄っただけだし、今すぐにオサラバする予定だ」

『人違いなものか!皆の衆も覚えておろう!三日前の晩、この嫗の言付かった我らが神の言葉、覚えておろう!』

 

婆さんが皆の衆へと振り返りがなり立てる。その皆の衆の間からは『なんて言ってたっけか?』『いつものことだから忘れちまったよ』などと言い合う声が私には聞こえたが、婆さんはそうでは無いらしい。私へと向き直ると、唾がこっちまで飛んできそうな勢いで喋くり始めた。

 

『その者、見るも珍しき異邦の装束に身に纏い、その顔には豊かなるヒゲをば蓄え、灰色の双眸を持つ者なり』

『その者、耳は短く肌は白く、エルフにはあらず。男の人間なり』

 

 目立つのは好きでは無いから、さほど変わった格好している訳でもないし、西部や南部じゃヒゲを生やしていない男のほうが却って珍しく、白い肌も灰色の目もありふれている。人間で男なのは言うまでもない。一回聞いただけで、誰にでも当て嵌まりそうな、インチキ占い師の常套文句のような予言である。だが周りの長耳連中は何か感心した様子だ。素朴にも程がある。

 などと呑気に構えていたのは、次の言葉が出てくる迄であった。

 

『その者、その左手に金に輝く武器を携えし者なり。雷鳴をば轟かせ、火花を吹き、白煙を撒く者なり』

 

 これには思わず、自身の左のホルスターに目をやっていた。コルトの真鍮フレームが陽光に輝いてる。確かのそれは黄金に似ている。

 

『確かにそうだ!その人間の金に輝く武器は、雷みたいな音を出して、火と煙を吐いたぞ!』

 

 婆さんの戯言を後押ししたのは、酒場の主人である。コイツが余計なことをはざいてくれたお陰で、村人一同がその気になって来た。ざわめきが徐々に大きくなる。これはマズイ。非常にマズイ。

 私は左のコルトを抜き、神殿らしき建物より生えた鐘楼目掛けぶっ放した。空へと向けて撃たないのは、それをやって空から戻ってきて銃弾に当たって死んだ馬鹿の噂をどこかで聞いたからだが、いずれにせよ突然の銃声に、村の衆のざわめきは一瞬で静まる。

 

「喧しい!人違いだ人違い!とにかく俺は出てくからな!」

 

 その好機を逃さず私は一方的に叫ぶと、サンダラーに跳び乗って走りださんとする。だが婆さんが叫んだ言葉に、私はサンダラーに待ったをかけざるを得なかった。

 

『我らを救わずして、ふるさとに帰るは能わざるぞ異邦人よ!今この地より逃げ去ろうとも、汝は永久に荒野を彷徨う破目になるぞ!』

 

 ……何だと?何やら物騒なことを婆さんは言い出したが、しかしこの地に来てからの怪奇の数々に、自分が常ならぬ状況に迷い込んだことを薄々理解していた(そして努めて考えないようにしていた)私には、婆さんの物言いは無視できる内容では無かった。

 

「どういう意味だ婆さん」

『汝は我らの祈りに応えて神の遣わした戦士。その使命を果たすまで、帰ることはできぬ』

『おそらくこの地は汝にとって余りにも未知で、余りにも異様に映っているであろう。神の戦士とは常に数万里を隔てた遥か彼方から遣わされると古伝にはある。汝、その馬で万里を駆けるつもりか?』

 

 婆さんはニヤリと嫌な笑いを浮かべた。普段なら一笑に付す所だが、状況が状況だけに笑えない。つまり私はこのド田舎村を豚面の盗賊共から守らなければ、アメリカの地には帰れないということか?

 

「……DUCK YOU SUCKER / なんてこった」

 

 私は思わず呟いていた。ふるさとなど遥か昔に亡くした根無し草の渡り鳥だが、流石にアメリカに永遠に戻れないのは御免被りたい。婆さんが言ってることが正しい保証もないが……仕方がない。

 私はため息をひとつついて馬から降りると、婆さんへと向けて一つ問う。

 

「で……いくらだ?」

『へ?』

「へじゃねぇよ。俺をいくらで雇う気だって聞いてるんだ。いくら出せる?」

 

 私のこの全う過ぎる問いかけに、婆さん始め長耳連中は一斉に鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。連中の内の誰かが、ふと呟くように言った。

 

『金取るの?』

 

 当たり前だ馬鹿野郎。

 

 ――ひとまず落ち着いて話す為に、例の酒場へと戻った。

 薄暗かった酒場の窓は全て開け放たれ、そして窓という窓から村人たちが私のことを覗きこんでいる。野次馬は酒場の中にまで及んでおり、私は殆ど取り囲まれているような塩梅で、落ち着かない。ガンマンにとって目立ちすぎるのは言うまでもなく命取りだ。せいぜい、ぼんやりと風の噂程度に名前が流れる程度で良い。無名すぎれば食いっぱぐれるが、名が売れ過ぎれば背中から撃たれる。何事も程度が肝心なのだ。

 ――話がそれた。

 机を挟んで私と座って向かい合うのは、酒場の主人、例の占い婆さん、そして村長と思しき爺さんである。一体全体幾つなのかも見当もつかないような面相である。頭は殆ど剥げかかっているが、真っ白なヒゲと眉は繁みのように豊かで、特に眉は恐ろしく長く太く殆ど両目が隠れそうになっている。長耳なのに加えて鼻も高いというか異様に長い。故に爺さんは一見して御伽話に出てくる小鬼か妖精の類のように私には見えた。

 

『ことの始まりは、今からおおよそ一年程まえのことであります。理由はわかりませぬが、奴らがこの村に目をつけたのです』

 

 爺さんは顔からくる印象そのままの、老木のような掠れた声で話し始めた。

 

『ある日突然、やつらはやってきて。私らに食べ物や水を渡すように要求しました。それに少しでも反抗的な素振りを見せた者は、殴られるだけで済めば良い方で……中には』

 

 爺さんの言葉は一旦そこでとまり、長耳連中の中に沈黙が流れ、何人かは目を伏せ顔を伏せた。

 何があったかは問うまでもあるまい。私は手の仕草で続きを促した。

 

『ともかく。連中はそれから定期的にこの村にやってきて食糧や水を中心に、あらゆるモノをたかり始めたのです』

『今日の時のように、予告もなしにやってくる時も多々ありました。酒を飲み、飯を喰らい、酷い時には娘たちにまで手を出します』

 

 ここで爺さんは俺の顔を真正面から見た。眉が動き、その下の隠れた小さな瞳があらわになる。そこには何処か強い期待の光が宿っているように私は感じた。

 

『だが今日は違った。あなたが現れて、まるで風の如き素早さで奴らを斃したからです』

『相手はあの鬼のようなオーク、それも7人もいたにも関わらず、あなたはたった一人でそれに勝った』

 

 そして爺さんは声を張り上げて、よくも爺さんなのにそんな声が出せるなぁと私が思うような大きさの声で言った。

 

『そんなあなたに、私達のことを救って頂きたい!つまり、あのオーク鬼どもを斃して頂きたいのです!』

 

 それに占い師の婆さんも続く。

 

『これは単に我らの願いのみにはあらず!神の定めし汝の使命宿命なり!』

 

 最後に酒場の主人が締めくくった。

 

『もちろん無料働きだなんて言わねぇ!出せるだけのモノは必ず出す!必ず!』

 

 言い切るなり、三人揃ってズイと私の方に顔を寄せてくる。私は手でまぁまぁと三人を制止させると、アゴヒゲを撫でながらひとまず問う。

 

「とりあえず連中の人数だ。連中はどれだけいるんだ?」

 

 爺さん婆さん酒場主人の三人は顔を見合わせた。

 

『五十人ぐらいだ』

『我が見るに賊は七十人ぞ異邦人!』

『馬鹿言うな!連中は百人は居るぞ!』

 

 ……こりゃお話にならん。とりあえず野次馬連中に聞いてみる。

 

『四十人ぐらいじゃなかったか?』

『何いってんだい!連中はゆうに二百は超えた大軍だぜ!』

『いやぁそんなにいなかったろう。せいぜい五十だよ』

 

 以下多数だが、彼らの宣うことを平均して考えるに、連中は五十前後の賊であるらしい。野盗としては中々の規模だ。ましてやそのいずれもがあの馬鹿でかい図体の持ち主で力も強く残虐な性格なのだと言う。この田舎者連中では歯がたたないのも道理である。

 そして私はそんな連中に単身挑むはめになったと言う訳だ。

 冗談ではない。

 

「……DUCK YOU SUCKER / こんちくしょう糞ったれ」

 

 私は思わず帽子を脱ぎ、こめかみを指で押さえた。

 1対50?

 50対1?

 ありえない戦力の差だ。普通なら戦いにすらならない。何故なら1の側は迷わず逃げるからだ。

 聞く所によれば『基本的』には連中で銃を持っている奴は一人もいないらしい。対してこっちは銃を持っている。だがしかしだ。仮に相手が弓矢や槍、投斧だけの先住民五十人だったとして、それに一人で挑む馬鹿がいるか?そんなやつは頭の皮を髪ごと剥がれてしまえばいい。

 仮に戦うにしても、武器にだって問題がある。我が相棒の二丁コルトは確かに素晴らしい拳銃であるが、流石に1対50で戦って相手を蹴散らせるほどの威力はない。いや、今しがた七人ほど撃ち殺し刺し殺しした所ゆえに、残りの相手は40人前後になる勘定だが、それでも多いことに変わりはない。もしこんな目に遭うと知っていれば、そんな戦いにふさわしい武器を他に持ってきていただろう。脅威の16連発を誇るヘンリー・リピーティング・ライフル。1キロ先のバッファローを一発で仕留める威力と精度を持つシャープス・カービン。水鳥を群れごと一網打尽にできる超大型散弾銃パントガン……。だがこれらは全て無いものねだりだ。今はあるもので戦うしか無い。

 

「……」

 

 私は愛馬サンダラーの鞍、そこに縄で厳重に結び付けられた革張り木製のスーツケースのことを考える。先の『仕事』に必要なので今度の旅の荷物になっていたが、これは不幸中の幸いといえるだろう。もし『アレ』がなかったらそれこそ本気で逃げ出す算段を考える所だ。

 

「よし解った。こうなった以上は山賊退治は引き受けたが、条件が2つある」

 

 私は努めて目つきを鋭くして前面の三人を睨みながら見渡した。交渉事において重要なのはとにかく強気に高圧的にいくことだ。さもなくば儲けが少ないだけならまだしも、丸め込まれて馬鹿を見ることになりかねない。

 

「まず第一に報酬だ。額は……」

 

 と、ここまで言ってふと気づく。こいつら一ドル銀貨すら物珍しげに驚くような田舎者だ。『ドル』といった所でその価値を理解できるのだろうか。……解らない、と考えたほうが良さそうに思える。

 

「そうだな……銀貨三百枚、もしくはそれ相当の現物で支払って貰おう」

 

 まずはふっかける所から始めよう。銀貨三百枚……300ドルと言えば馬が10頭は買える値段だ。それも駿馬が十頭である。たいした額だが、本音を言えばこれすら妥協した額だ。相手は屈強で獰猛で残虐な50人からなる賊の大軍なのだ。本来なら一人頭賞金100ドル換算でも5000ドルは貰っていい仕事である。

 だがそんな大金を払う能力はこの連中にはあるまい。300ドルですら目を剥くような大金だろう。あまり大げさな額を言えば逆に冗談ともとられかねないことを考えれば、この辺りの額から始めるのが妥当な筈だ。

 

『ぎ……銀貨三百枚!?』

『そ、そげな大金どこにあるってだ!?』

『むちゃくちゃだぞいくらなんでも』

 

 案の定、連中はざわめきだした。爺婆主の三人も顔を見合わせあって驚いている。

 

「俺はプロフェッショナルなガンマンだ。仕事をする上ではそれに見合った額は必ず貰う。1セント……銅貨1枚まける気は無いぜ」

 

 すかさずこう付け加える。まぁここまで言っておけば充分だろう。後は少しずつ値を下げて、妥協点を探すまでだ。……などと思っていたら、不意に占い婆さんが立ち上がった。そして腰も曲がっている癖にどうしてそんな動きができるのか、恐ろしい素早さで酒場から駆け出して行った。突然の予期せぬ婆さんの動きに私含め皆一様に唖然としていたのもつかの間、ものの数分で婆さんは帰って来た。その小脇には、何やら大きなつつみを抱えられている。

 

『蒼茫たる空の彼方より我ら見護りし天が帝よ……我ら賜わいし天の御遣いの意に沿わんが為に……』

 

 婆さんは何やらぶつぶつと呟いていいるが、なんと言っているかは聞き取れない。一通り呟き終わると、手にしたつつみをデンと机の上に置いた。テーブルがギシと鳴ったから察するに、重さのある代物であるらしい。

 

『異邦人……これは本来許される筈も無きことであれど、汝が望むのならば……致し方なし』

『されどこれは飽くまで天のご意思にしてうんぬんかんぬん……』

 

 婆さんは前置きとばかりにくどくどと勿体ぶった後、つつみを解いて中身を露わにした。

 

『ええ!?』

『おい婆さんそれは……』

 

 どよめく一同を尻目に私は目の前の置かれたブツに驚き、そして呆れていた。

 なにやら随分と出し惜しみするから、高価な調度品だの彫像だの銀食器だのが出てくるかと思えば、何のことはない、出てきたのは虫食いだらけの細い丸太なのだ。そう丸太。何の変哲もない、古いびた丸太だ。重ねて言うがしかも虫食いだらけだ。

 まさかと思うがこれが300ドル相当の現物とやらではあるまい。そうでないに決っている。なにせ薪に使うぐらいしか使い道の無さそうな木切れ一本渡して、それで50人の賊に挑めなどと……そんな無法は通らない。

 だがそんな私をよそに、長耳連中は揃いも揃って大いに興奮し、口うるさく議論を重ねているのだ。

 

『婆さん正気か!?これは神前に捧げるべきアガルオードの木じゃないか!』

『祭壇の下に隠してたのを引っ張りだして来たのか!』

『オーク共にすら渡さなかった宝を、余所者の人間に渡すってのか!』

『どうかしてるぞ婆さん!すぐに戻してくるんだよ!』

『だまらっしゃい!この異邦人は神の御遣いぞ!その御遣いが望むのならば、それは捧げ物!問題はない!』

 

 ……宝?この虫食いだらけの古びた木切れが宝?

 例の神殿から持ってきたそうだが、ひょっとして聖遺物か何かだと言うのだろうか。大陸ヨーロッパの古い教会なんかで祀られている、やれキリストが磔にされた時の十字架の一部、だの、復活する前のイエスにかけられていた布、だの、だれそれとかいう守護聖人の遺骨だの、ホントか嘘か解らない胡散臭いアレである。

 長耳連中が喧しく言い合いをしている間に、私は件の木切れを手にとって観察してみた。

 ふと、その重さが気になった。虫食いもかなり進んでいるのに、この重さはちょっと普通ではない。顔を寄せて眺めていると……気づいた。ただし眼で、ではなく鼻でである。

 

(……匂いがする。微かだが良い匂いだ)

 

 ここで思い出したのが、以前どこかで聞いた話で、東洋では火をつけると良い香りのする木を珍重しており、上物であればかなりの高額で取引されているという話だ。そして特に高価なものは水に沈むほどに重く、それでていて虫食いで穴だらけな不思議な気なのだという。この話を聞いた時は、気が向いたらひとつ探してみるかと思っていた程度だが……ひょっとするとコレがその香る木というやつなのか?

 

(清国人の商人に売れるかも知れんな)

 

 相場がどうなってるか見当もつかないが、上手くやれば金になりそうだ。そして何より、聖遺物だがなんだか知らないがこんな腐った木切れが宝物扱いの村で、これ以上突いても金になりそうなモノなど他に出てきそうにも無い。

 

「よーし解った!コイツで手を打とうじゃないか」

 

 こっちをほったらかしにして口喧嘩を続いていた御歴々に、そう大声で一方的に告げると、香る木を包みなおして足元に置いた。連中のうちで何やら無念そうな溜息が漏れたりするが……知ったこっちゃ無い。仕事する以上は、それに見合う報酬は貰ってしかるべきなのだ。

 

「さて、報酬についてはコレで良いとして、もう一つの条件についてまだ言ってなかったな」

 

 私がこう言うと村人一同は身構えた。今度は何をふっかけられるか、と思っているのだろう。ひどい連中だ。私は当然の権利として報酬を求めただけだというのに。それに今度の条件は、さほどおかしなものでもない。

 

「なーに。別にたいした話じゃあない。今度の仕事は流石に相手の数が多いからな。俺一人だとやや手に余る部分がある。だから……お前たちのうちから一人。俺の助手となるやつを一人選んで欲しい」

 

 ただこれだけの話である。連中はギョッとした様子で、俺の言葉を聞くやいなや互いに顔を見合わせたが。まぁ皆一様に百姓連中であろうし、この反応も無理は無いとは思うが……。

 

「お前さん達の言いたいことも解るさ。俺たちゃ鋤か鍬しか握ったことはない。荒事なんてとんでもない、って思ってるんだろう。だが忘れないでもらいたいんだがな。俺が守るはお前さん達の村ってことさ」

「自分の家を守るために戦うなんてのは、一人前の男には当たり前の話だろ?いや……男なら子どもにとっても当然だ。別に全員に一緒に戦えって言ってるんじゃない。ただ一人、それも俺の仕事の簡単な手伝いだけで良いんだ」

 

 ここまで言って私は一同を見渡した。みな私に見つめられると、慌てて目をそらしたり顔を伏せたりする。

 ――ふん、田舎百姓どもめ。こりゃ私自身が選ぶ必要があるか、などと考えた、その時。だった。

 スッと、人混みの中から一本の手が挙がるのが見えたのだ。コレには私も驚いた。実に意外な展開だった。

 手を挙げたまま、長耳連中の間から割って出たのは、まだ十を幾つか過ぎた程度の少年だったからだ。

 少年は言う。

 

『俺がやる!俺があんたの助手になってやる』

 

 



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第05話 ライド・ウィズ・ザ・デビル

 

 私は改めて、名乗りを挙げた少年の姿を仔細に眺めた。

 長耳、黒髪、浅黒い肌。この辺りは他の村人たちと変わらないし、背格好も取り立てて大きいわけでもない。

 だがひとつだけ他の連中と違う部分がある。それは灰色の瞳だ。私はこれに強い興味を覚えた。

 

 ――灰色の瞳をした相手に気をつけろ。そいつの眼は隼のように鋭くすべてを見通す。

 ――デイヴィー・クロケットもダニエル・ブーンもその瞳は灰色だった。今も昔も優れたガンマンは皆灰色の瞳だ。

 ――俺や、お前と同じように……。

「……」

 

 思わず思い出すのは。私には師匠と言える一人のガンマンの言葉だ。彼は何度も何度も、彼自身と同じ灰色の瞳をしたガンマンには気をつけろと言っていた。彼が私に目をかけたのも、私の瞳が灰色であったのが切っ掛けだったのだ。

 そして今、こんどの仕事の助手を勝って出た少年は灰色の瞳をしている。ガンマンが助手として選ぶのに、灰色の目をした相手以外の誰にすると言うのだ。やや歳は幼いようにも感じるが、なに子どもが銃を執ることなど珍しくもあるまい。私が初めて銃に触れたのも、この少年よりは幾つか上だったが子どもの時分であったことに変わりはないのだ。

 

「よし。良いだろう。この坊主に手伝ってもらうとしよう」

 

 まさか私がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか、私の言葉にご一同は驚き慌てた。

 

『お、おい!いくらなんでもこんな子どもに――』

「ならアンタが代わってくれるか?」

『え!?え、あ、う、あ……』

 

 全く。ここで迷いなく『ああ俺が代わってやる』とも言えるならまだしも、その度胸も根性も無いのならいっそ黙っているほうが余程マシだ。そして、まだ子どもでありながら自ら名乗りでたこの少年は、この中じゃ一番マシだと言うことだろう。

 

「まぁ、これで条件二つは問題なく果たされた訳だが……今日来た連中は物見と言ってたな?今度連中が来るのはいつごろだ?」

 

 私のこの問いには、村長が答えた。

 

『今まで通りなら明日か、明後日か、明々後日か……いずれにせよ、ここ2、3日のうちには……』

「ふむ」

 

 ならば動き出すのは早いに越したことはない。

 

「じゃあ早速、仕事を始めるとしよう」

 

 私は立ち上がり、顎をしゃくって酒場の奥に見える階段を指す。

 

「まずは、俺の寝床の準備をしてもらおうか」

 

 この手の酒場は二階は宿屋になっているのが相場だ。果たして、主人は二階へとすっ飛んで行き、手伝うためか何人かがその背中を追う。

 私は少年に付いてくるように手で促し、我が愛馬の元へと向かう。少年は私のすぐ後ろをヒヨコのように付いてきた。私は訊く。

 

「坊主。名前は?」

 

 やや間があって少年は答える。

 

『エ、エゼル!』

「エゼルか。……エゼルね」

 

 私はその名前を何度か下の上で転がした後、再び訊く。

 

「馬はあるか?」

『馬?』

「お前さんの乗る馬だよ。いや……そもそも馬に乗ったことは?」

『う、馬は無いけど。ボルグなら乗れるぜ!いや!俺はこの村で一番のボルグ乗りだ!』

「……ボルグ?」

『そうボルグ!見てろよオッサン!俺の腕前を見せてやるから!』

 

 言うなり少年、エゼルはどこぞへと駆け出した。

 

「ボルグ?」

 

 ボルグとは何だ?また知らない言葉が出てきたが、つい聞きそびれてしまった。しかし私のそんな疑問はすぐに解消される。数分と経たぬ内の、エゼル少年が帰ってきたからだ。

 そして私は、ガンマンにあるまじきことだが、本気で呆然としてしまったのである。

 

『どうだよオッサン!立派なボルグだろ!』

 

 そう言いながら笑顔を向けるエゼル少年に私はかろうじて「ああ」とのみ返した。正直驚きの余り返事どころでは無かったからである。

 エゼルが跨ってやってきた、そのボルグとかいう生き物は、一口で表現するなら「狼」である。

 しかしその大きさが尋常でない、ポニー……いや小さな熊を思わせる体躯の持ち主なのだ。毛並みは黒く、瞳は金色。体の造作自体はなるほど確かに狼であるが、あらゆる部分が普通の狼の数倍はあるのだ。これに驚くなという方がどだい無理な話だろう。

エゼルはその巨大な狼の背に鞍代わりなのか絨毯のようなモノを敷いて、そこに座っていた。狼の口には輪が嵌められ、そこからは手綱が伸びているが、それで狼を操っているらしい。

 こんな巨大な狼を見るのは流石に生まれて初めてだし、ましてやそれに人が跨っているのを見るのは、より一層初めてだ。開いた口が塞がらない。

 

「ん……ああ。立派な……実に立派なボルグだ」

『だろ!コイツは俺の自慢の子なんだぜ!』

 

 正直、田舎者連中にものを知らない男だと思われるのは癪なので、かろうじて知ったような口をきいておく。エゼルは私へと快活な笑みを浮かべて来た。私はそれに苦笑いを返すしか無かった。――田舎というやつは本当に何が起こるか解らん所だ。

 

 ともかく、外に繋いでおいた馬のところへと向かった。

 我が愛馬サンダラーも私同様に巨大な狼に魂消た様子だったが、噛み付いてくる様子も無かったためか、あっさりと受け入れて平然と隣り合っている。馬は臆病というのが相場だが、なかなか面の皮の厚いやつである。

 

「村の外の道案内、頼めるか?」

『任せとけよ!ここいら一帯は俺にとっちゃ庭みたいなもんだぜ』

 

 エゼルに先導させて、私はひとまず村の外へと出た。賊を迎え撃つ上で何より重要なのは地勢を知ることだ。村に来ていた賊の一味は残らず仕留めた以上、連中は自分たちが狙われているとはまだ知っていまい。せいぜい、物見の連中が帰ってこないことを不審がる程度だろう。あの村人たちがまさか反抗してくるとは考えないであろうし、コッチは殆ど無警戒な相手に先手をとれる公算となる。

 ならば実質一人で戦う私に最適の戦術は、地形を活かした奇襲をおいて他にない。

 

「連中が普段どの道を通って村に来るか解るか?」

『連中の使う道はいつも同じやつさ。と、言うより他に道が無いんだよ』

 

 確かにエゼルの言うとおり、道は蛇のように曲がりくねってはいても基本的には一直線だった。低い丘と丘の間を縫うように走る、土が剥き出しの道であった。

 そんな単調な道を、ただ進む。

 今のところ隠れて不意を撃つに適した地形は見つからない。

 

『なぁ……』

『なぁおっさん』

『なぁおっさん!』

「……ん?」 

 

 地形を吟味するのに意識をとられていたら、気づけばエゼルが私と隣り合っていた。いかんいかん。相手が小僧っ子とは言え不注意に過ぎる。

 

『おっさんの名前まだ聞いてなかったよな?何て言うんだ?』

「俺?俺の名か?俺の名は……」

 

 さて、なんと答えるべきか。無論、わざわざ本当の名前を名乗る道理など無い。

 ――ガンマンには「名前」など必要ない。名前は自ずから父祖を、生まれの地を明らかにする。名前を相手に知られるということは、自分の弱味を相手に晒す以外の何物でもないのだ。

 せいぜい仇名、通り名さえあれば良い。真実の名前なんてのは、私自身だけが知っていれば良いことだ。

 だからこう答えた。

 

「名前なんてどうでも良いさ。そのままおっさんとでも呼べよ」

『え……?どうでも言い訳ないだろ』

「どうでもいいのさ。俺は所詮余所者だ。仕事が済めば消えるんだ。名前なんて知ったって意味なんざない。だからオッサンで充分なんだよ」

 

 そう言って私は一方的に話を打ち切った。

 エゼルはこの後もしつこく何度も名前を聞いてきたが、無論無視した。

 そうしている内に、諦めて問うのを止めた。子どもってやつは堪え性がない。

 

 延々と続くかと思った単調な道だったが、しばらく進むと少し険しくなってきた。

 両側の丘が山や崖の類に変わり始めたのだ。

 

「……あれは」

 

 そして遂に見えてきたのは、私の意に適いそうな場所だった。

 

「橋か」

 

 私のそんな呟きに、エゼルは頷きながら講釈を聞かせてくれた。

 

『この辺りだとスケイザル川にかかる唯一の橋がアレだよ。どうだい立派だろ』

「まぁな」

 

 確かに立派な石造りの橋である。むしろ周囲の原野と見比べると浮いてすらいるほどに、一見して堅牢な石橋だ。少なくとも村の連中の造ったものには見えない。相当に古いもののようだ。

 

「コイツは誰が造ったんだ?」

『さぁ?俺の爺さんが餓鬼のころにはもうあったとか言ってたけど。占い婆さんは神の……えーと、みつ、みつ……』

「御遣い?」

『それだ!神の御遣いが造ったとか言ってたぜ』

 

 あの婆さん、口を開きゃ神の御遣いか。……ひょっとすると私は担がれたのか?だが私がアメリカでもメキシコでもない異邦に迷い込んだのは事実なのだ。つまり婆さんの当たらない占いがたまたま当たったとでも言うのか。

 まぁ今この瞬間において、そんなことはどうでもいいのだ。

 

「……」

『どうしたのさ、おっさん』

「ちょっとここで待ってろ」

 

 私はサンダラーの尻を叩いて駆けさせると、一人橋を渡ってみる。

 橋は思ったより長く、下を覗けば、眼下の河の流れも思いの外に早い。泳ぎの得意な者でも、飛び込んで無事で済む可能性は低いように見える。

 

「……」

 

 渡りきった後に、橋の端から振り返ってみる。少し小さくなったエゼルが見えて、視線を上にやれば左右に丘、と言うには高いが山というほどでもない、まぁ小高い丘が控えている。若干の灌木を除けば、岩と石と砂ばかりの禿山だ。

 ――だが私には実り多き山と映った。

 

「エゼル!」

 私は大声で叫んだ。

『なんだよオッサン!』

「橋の真ん中まで来て、そこで止まってろ!良いな、動くなよ!」

 

 言うなり私はサンダラーを駆けさせた。言うまでもなく、件の禿山の片割れに登るためである。

 

 道らしい道が無いため少しばかり苦労したが、道無き道を進むのが初めてという訳でもない。

 じきに見晴らしのいい場所に私は出た。そこからはエゼルの姿も見える。あちらもこっちの姿に気づいて被っていた帽子をふってきたので、コッチも同じく帽子をふって返す。

 ここから見えるエゼルの大きさから、だいたいの距離が目分量で解る。おおよそで800ヤード(約730メートル)といった所だろう。それは私にとっては充分『間合い』の内だった。

 私はサンダラーから降りると、鞍へ縄で固く結び付けられた革張り木製のスーツケースをやや苦心して取り外した。気合を入れてきつく結びすぎたのだ。

 椅子代わりに手頃な岩を見繕うと、そこに座り、スーツケースは膝の上に載せる。

 傷だらけの古びたケースである。だがかなり頑丈に作ってあるので、もうかなり長い期間愛用しているが壊れる気配はまるでない。そのざらざらな表面を軽くひと撫でし、留め金を外して蓋を開いた。

 横幅のかなりある長方形のケースの中身は、一丁の古いライフル銃だ。連発銃が幅をきかせ、後装式であることなど既に当たり前な当世においては、もはや時代遅れの誹りは免れ得ない、先込め式の古いマスケットライフルである。

 エンフィールドM1853。イギリス製の、その名の通り1853年型モデルである。

 そしてこの古びた銃こそが、今度の仕事における私の切り札なのだ。決して群を抜いた早撃ちの名手とは言えない私が、ガンマンとして生きていけるのはコイツのお陰でもあった。

 

「SOUTHRONS HEAR YE COUNTRY CALL YE UP LEST WORSE THAN DEATH BEFALL YOU♪」

「TO ARMS♪TO ARMS♪TO ARMS♪IN DIXIE♪」

 

 今はもう遥か彼方の空の上の故郷の歌を口ずさみながら、私は我が切り札を手に取る。

 撃鉄、引き金、ともに問題なし。私が改造して銃身上に取り付けた金具にも問題はない。

 私がケースから続けて取り出すのは、細長い金属製の筒である。真鍮製のそれは相当に長く、ライフルの銃身とほぼ同程度の長さがある。その筒の両端にはガラス製のレンズが取り付けられている。早い話がテレスコープ(望遠鏡)である。ライフルの金具の位置を調節し、それに合わせテレスコープの長さ、つまり倍率を調節する。

 金具へとテレスコープを取り付け、覗きこむ。よし、問題は無さそうだ。

 次に私がケースから取り出したのは、火薬入れのフラスクと何本もの木筒を束ねたモノである。木筒はそれぞれ長さが異なり、それぞれに数字が書かれている。私は「800」と書かれた木筒に火薬を流し込み、筒を満たした後はその中身を今度は銃身へと流し込んだ。続いてケースから弾丸を入れた小箱を取り出すと、一発取って銃身へと放り込む。そして銃身下に刺してある槊杖かるかを抜き、やはり銃身に突っ込んで何度も突いた。もう充分と言うところで槊杖を抜いて元の位置に戻すと、ケースから雷管入れを取り出し、雷管をひとつ、撃鉄横の点火口へと嵌め込んだ。撃鉄が雷管を叩けば、雷管が小さな火を発し、それが銃身内部へと伝わり、銃身内の火薬に引火する仕組みなのだ。古臭い、昔ながらの仕組みだ。

 この古いライフルは、私の師匠の愛用品であった。金属薬莢を使う最新式のライフルと違い、自由に込められる火薬の量を自分で決められるこの銃を師匠は愛し、私も受け継いだ。

 南軍きっての射手だった師匠は、こいつで何人もの北軍兵士を仕留め、そして北軍のシャープシューター(狙撃手)に撃たれて死んだ。私の師は昔そのままに肉眼で相手を狙っていたが、北軍の狙撃手は皆、テレスコープ付きのライフルを使っていた。師匠よりも素早く正確に、より遠くから狙いをつけることが出来たのだ。私は師匠よりライフルと狙撃の技を受け継いだが、同じ轍を踏むつもりはない。

 その結果が、このスコープ付きのエンフィールドなのである。

 

「おーい!」

 

 撃つための用意が済んだ私はライフルを一旦岩に置き、立ち上がってエゼルへと大声で呼びかける。エゼルはこっちを向いて、『なにー?』と大声で答えた。

 

「帽子を脱いで、上にあげろ!」

 

 言いつつ、私自身も帽子を脱いで天へと掲げて見せる。手を真っ直ぐに伸ばし、帽子のつばを持って。

 それを見て、エゼルもそれに倣った。よろしい。

 私は帽子をかぶり直すとライフルを手に取り、スコープを覗きこんだ。レンズの向こうにはハッキリと、エゼルの帽子を見ることが出来る。

 私は撃鉄を起こし、引き金に指を掛ける。もしも標的を外せば、下手するとエゼルに当たるかもしれない。

 しかし私は自分が外すなどとは全く考えなかった。このライフルは、もう私の体の一部と言って良いからだ。

 意識を集中させ、風の音すら聞こえぬほどに張り詰めた時、私は引き金を弾いた。

 

『わぁっ!?』

 

 帽子は弾けるように宙に舞い、橋の下へと落ちていって、流れに飲まれた。エゼルは驚いた顔で私を見て、私はスコープ越しにその顔を見た。私は笑った。試射は上手くいったのだった。

 

 



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第06話 ゼイ・コール・ミー・トリニティー

 

 

 ライフルを一旦しまい、丘を降りた所で顔を真赤にしたエゼルに出くわした。

 

『帽子!』

 

 口を開くなり怒り心頭な様子である。心なしかその下のボルグの顔も不機嫌そうに見えた。

 

『帽子だよ帽子!どうしてくれんだよオッサン!』

 

 その頬を、餌を限界まで溜め込んだリスのように膨らませたエゼルの顔はかなり愉快なもので、私は思わず吹き出してしまった。それを見てエゼルは更に怒り、げしげしと私の腿の辺りを蹴ってくる。

 

「解った解った。村に戻ったら代わりのやつを見繕ってやる。だからそう怒るな」

 

 そう私が言ってもまだ怒りが収まらないのか、顔は真っ赤に膨らませたままである。だが蹴るのは止めた。現金なやつめ。

 

「……」

 

 一先ずエゼルから視線を外し、改めて周囲の地勢に目を遣った。どの位置に陣して攻撃を仕掛けるか、想定される敵の通り道を思い描き、その通りに馬を進めてみる。敵の豚面と自分とでは体格が随分違うし、故に視線の高さも若干変わってくるだろう。だが私は遥か丘の上の岩陰に陣取るのだ。ならば頭の一つ分や二つ分の高さの差などあまり関係は無い。

 

「……あそこだな」

 

 そして見つける。絶好の狙撃のポイントだ。

 背後でブツブツ言っているエゼルに手で付いてくるように促すと、私はサンダラーの馬首をそちらに向けた。エゼルは慌てて私の後に続いた。

 目的地には思ったより早くについた。私のサンダラーは山道に慣れているが、エゼルのボルグもなかなか、さくさくと登ってくる。……そう言えば豚面連中は何に乗ってくるのか。よもや歩きではあるまい。

 

「おい。例の山賊連中もボルグに乗ってるのか?」

『ん……ああそうだよ。オッサン、オッサンが斃した連中のボルグが、村の外れに繋いであったの見なかったのか?』

 

 それは気づかなかった。村に戻ったら確認しておくべきだろう。何か使い道があるかもしれない。

 

「まぁ良い。一旦戻るとするか」

 

 私は馬首を村の方へと返した。

 

 村へと帰る道すがら、エゼルが聞いてきた。怒りもようやく収まったのか、今はケロッとした様子だ。

 

『そう言えばさ。あの帽子をふっ飛ばしたヤツ。あれどうやったんだよ?』

『オーク共も良く解かんねぇ死に方してたしさ』

『風の魔法でも使ったの?』

 

 ……何だって?

「魔法だぁ?」

『んあ?オッサン、魔法使いじゃないのか?そんな格好してたから、てっきりそうかと』

 

 私が大道芸人の類に見えたと言うなら実に心外である。取り立てて目立つ部分など無い、至って普通の南部男の旅装束だ。容貌にしたって良い男だとは自負しているが、別に道化のように化粧でもしている訳ではなし。そんな私をあの占い婆さんなんかと同じに見なしているなら、これはたださねばなるまい。

 

「冗談言うな。俺はガンマンだ。それも一流のガンマンだ」

 

 こういう目立ちたがり屋のボンクラ太郎のような台詞など、普段ならば絶対に吐かないのであるが、しかしこの時ばかりは思わず言ってしまった。

 しかし私がしまったと思う間もなく、エセルがきょとんとした顔で言ったのは次の台詞だ。

 

『ガンマン……?なんだガンマンって?』

 

 ――ああ、もうそこからか。思わず私はこめかみを指で押さえた。

 まぁ、ライフルを見て風の魔法だなんて言ってることから考えれば、銃を知らないのも当然かもしれない。

 さしずめ、火を噴く棒だの、雷を放つ杖だのとでも思っているのだろう。勘弁して欲しい。

 

「いいか坊主」

 

 私は左のコルトを抜いた。真鍮の輝きは黄金に似ている。その輝きを受けてエゼルの瞳また好奇心に輝いた。こういう場合に真鍮フレームのコルトは便利だ。外見が派手で見栄えが良い。

 

「見てろよ」

 

 右手はコートのポケットを探り、そこから緑青の浮いた1セント銅貨を取り出した。それを一旦エゼルに握らせ、その小ささを確かめさせる。

 

「そらっ」

 

 受け取った1セントを宙へと投げる。投げた時には右掌は左のコルトの撃鉄にかかっていた。

 舞う硬貨と、銃口、照星、照門が一直線をなし、その瞬間を捉え、私は左の指は撃鉄を絞る。

 

『うわぁ!?』

 

 銃声と白煙に驚き、エゼルはボルグの上から転がり落ちそうになった。

 それを尻目に、さらに宙高く跳んだコインが地面へと落ちる。

 私はずり落ちそうな体勢より何とか座り直したエゼルに、硬貨を取りに行くように手で促す。

 エゼルが拾い上げた1セント硬貨は、その一部が円状に大きく抉れていた。

 

「どうだ?」

 

 左のコルトをホルスターに戻しながら、エゼルへと私は微笑みかけた。彼は1セント硬貨をしげしげと眺め、さらなる好奇に満ちた眼で私を見た。

 

『魔法じゃないの?』

「ああ魔法じゃない」

『すげぇ!魔法以外でこんなことが出来るなんて!』

 

 はしゃぐエゼルの姿に、私は少し得意な気持ちになっていた。

 後になって思い返してみれば、私はエゼルの言う「魔法」について、もっと念入りに問いただしておくべきだった。

 しかし私は、この異様な事態にありながらまだ常識に囚われて、エゼルの言う魔法を単なる迷信だと考えていた。それが大きな誤りであったことを私は思い知らされることになるが、それはもう少し後の話だ。

 

 はしゃぐエゼルと一先ず村に戻った私は、彼を一旦家に返した後、斃した豚面共の乗ってきたボルグを見に行った。気づかなかったのも道理で、神殿の裏側の柵に手綱でボルグたちは結び付けられ、来ること無い主達を大人しく座って待っていたのだ。

 私は通りかかった村人をつかまえて、コイツらに餌をやっておくように手配する。

 数の上で圧倒的に劣った仕事だ。使えるものは何でも使わなくてはならない。

 ついでに使ってない帽子があったら持ってくるようにと付け加えて、私は酒場へと向かった。

 戸口に近づいただけで主の方から飛び出してきて私を出迎える。

 

『二階の部屋のほうは用意出来てるぞ。暫くはアンタ一人の貸し切りだ』

 

 貸し切りもなにも、私以外に客のあてなど当分あるまいと思ったが、取り敢えず「ありがとう」とだけは言っておく。

 サンダラーから鞍を、そこに結び付けられた雑多な荷物ごと外し、背負う。仕事に必要ない荷物は取り敢えず宿に預けておこう。余計なものを持って馬の脚をわざわざ遅くする道理もあるまい。

 ギシギシ音が鳴る階段を登り、二階に上がる。二階は大部屋がひとつだけで、開いた先はすぐ階段の踊場のドアがひとつ付いているだけだ。

 中にはベッドが三つ横並びにおいてあるのを除けば、椅子が3つにテーブル1つ。それら以外は家具らしいものは何一つとしてない。まぁ田舎の木賃宿であればこんなものだろう。

 荷物を部屋の隅におろし、ベッドを見比べて吟味する。正直どれも似たようなものだが、少しでもキレイなやつで寝たい。ながながと迷った挙句、真ん中のベッドを今夜の寝床と定めた。

 ベッドに手をついて藁布団なのに少しだけ落胆した後、椅子の内の一つを取って入り口のドアに立てかけた。

 これはどの宿に泊まろうと必ず行っている私の習慣である。本当はドアのノブに椅子の背もたれを引っ掛けてつっかえ棒代わりにしたかったのだが、ドアの構造上できそうも無かったので立てかけるに留める。

言うまでもなく寝込みを襲われることへの対策だ。今度の場合は流石にそういうことは無いと思いたいが、恐れにトチ狂ったやつが私を殺すか捕まえるかして、やってきた山賊の本隊へと引き渡せばことが一番丸く収まるなどと考えださないと断言することはできない。どんな時であろうと常に用心深く。ガンマンの鉄則だ。

 鞍に幾つも結び付けられた荷物の内の、やや小さな木箱を取ってテーブルに置く。蓋を開けば、コルト用の銃弾と火薬と雷管、手入れ用の小道具その他が中に詰まっているのが見えた。

 まずはいい加減コルトへの再装填を済まさねばなるまい。残り弾の少ないピストルを下げたままでは、気持ちが落ち着かないのだ。

 ライフルの手入れもしなくてはならない。撃ったのは一発だけだが、火薬の燃えカスや、他にも銃身内部にこびりついた銃弾の鉛をとったりせねばなるまい。

 他にも――……、とつらつらと考えながら作業を行っていた時だった。

 

『オッサン!オッサンいるかー!』

 

 私を呼ぶ大きな声が外から聞こえてきた。窓から顔を出せば、エゼルが表からこっちを見上げていた。

 

『聞きたいことがあるんだけどー!』

 

 ……もう帽子の催促に来たのか、気の早いやつめ。

 私は二階に上がるように手招きをした。

 

 てっきり帽子の話かと思えば、上がってきたエゼルの口から出てきた言葉はまるで違っていた。

 

『なぁなぁオッサン!オッサンのアレって魔法とかじゃないんだろ?』

『じゃあさ、ひょっとしたらさ、練習したら俺にも使えたりすんの?』

 

 なるほどそう来たか。私は思わず顎に手をあて、ヒゲをさすりながら考えた。

 今度の仕事で何が最大の懸案事項かと言えば、やはり「数の差」だ。

 武器の射程という意味では900ヤード先の標的だって撃ち抜けるエンフィールドを擁するこちらが間違いなく有利だが、先込め式の旧式マスケットライフルは射撃後の再装填に時間を食う。そしてその間に敵はこちらとの間合いを詰めることが出来る。マトモに戦えばジリ貧なのは間違いなくコチラだ。

 近づかれた時のために腰には二丁のコルトがあるが、36口径の12連発だけでは心強いとはいえない。なにせ敵の豚面連中は図体が大きい。急所に当てなければ斃すのに銃弾を余計に費やすだろう。だとすればいよいよ以ってマズイ。手数が足りないのだ。

 そう考えるならば、エゼルに銃の使い方を教えてみるのも悪い手では無いかもしれない。

 まだ年少だが、勇敢だしすばしっこく、例のボルグも中々上手く乗りこなしていたように見える。そしてなにより目が灰色なのが良い。灰色の目をした男はいいガンマンに育つはずだ。

 ただ問題がある。

 

(コイツに貸してもいい銃がない)

 

 コルトは二丁あるが、敵の数を考えればド素人の小僧に一方を渡すのは賢いとは言えない。ライフルはもってのほかである。何より私は二丁コルトに、別の一丁を加えての三丁で仕事に臨むのを常としている。最後の一丁は狙撃用のエンフィールドなり連発銃なり散弾銃なりと仕事の種類に応じて変えるが、二丁のコルトを手放したことは無い。ましてや今度の仕事のような難しい場合、尚更このトリニティ(三丁のスタイル)を変えたくは――。

 

「あ」

『どうしたよオッサン』

 

 しまった。忘れていた。

 私はもう一丁、銃を持っている。

 床に広げた荷物の元へと駆け寄り、取り上げたのは縄で巻いた毛布だ。野宿用に持ってきていたが、今度の旅では宿に泊まることが多く、殆ど使わなかったのだ。故に忘れていた。

 私は巻かれた毛布の真ん中の穴に手を突っ込んで、そこに隠しておいたモノを取り出す。

 出てきたのは、なんとも古めかしく、そして安っぽい一丁のピストルだ。

 ――ペッパーボックス・ピストル。それがコイツの名前である。

 名前の由来は外見そのまま、胡椒挽きに形が似ているからだ。リボルバーの銃身を取り外し、弾倉を剥き出ししたような形状をしているのである。

 コルトやスミス&ウェッソンの「ちゃんとしたリボルバー」の値段が今よりも高かった時代に、その代替物として金のない連中へと向けて作られた粗悪品で、確かに安いがその値段以上の力は持っていない。取り敢えず弾は出るし六連発だが、本当にそれだけだ。

 何故そんなモノが毛布の束の中に入っていたかと言えば、何らかの事情で二丁コルトもライフルも使えなくなった時の、最後の最後の隠し弾として仕込んでおいたのである。だが、実際にこんなモノに頼るような事態になったとすれば、その時点でガンマンとしてはお終いである。実質的には殆どお護り代わりであったのだ。だからこそ今になるまで忘れていたと言える。

 右手のペッパーボックスを見つめながら、私は思わず苦い顔をした。こんなことになると知っていたら、こんな骨董品ではなくて予備のコルトの一丁でも持ってきていたと言うに。

 だがこんなものでも、今は無いよりはマシだ。

 

「エゼル」

『うん?』

「俺の業を教えて欲しいと言ったな?」

『さっきからそう言ってるじゃんか。てかできるの!?』

「できる。だからちょいと表に出るぞ」

 

 目をキラキラさせたエゼルに、私はペッパーボックスを掲げて見せながら、親指で外を指した。

 

 やや陽は傾いていたが、射撃の練習が出来ないほどではない。

 私達は村の外れにやってきた。私とエゼルは隣り合い、10ヤードほど前には標的として何かの野菜が置かれている。何かの野菜と言ったのは、それが何か私には解らなかったからだ。カボチャに似てるが、違う。まぁこの際何でもいい。的になってくれれば何でも良いのだ。

 私は改めて手の中のペッパーボックス・ピストルを眺めた。

 イギリスのコグスウェル製……だったと思う。断言出来ないのは、刻まれていた刻印も擦り切れて読めないからだ。47口径の6連発。昔ながらのボール状の弾丸を使うスムースボア(ライフリングが刻まれていない)式で、威力はあるが命中精度は期待するほうが間違っている程度だ。

 実は私が初めて銃を手にした時、掌の内にあったのはコイツだった。何故コイツだったかと言えば、別段特別な理由などは無い。ただ我が家にあったからである。恐らくは父が買ったのだろうが、それすら今じゃ曖昧だ。

 今ではもっとマトモなピストルが広く出回っている以上、こんな骨董品をいつまでも持ち続ける理由など無いのだが、何となく捨て時が見つからず、今に至ると言う訳だ。まさかコイツに再び頼る日が来ようとは……。

 隣でまだかまだかという眼でこっちを見てくるエゼルに急かされて、私はペッパーボックスを構えた。

 

「まずは手本だ。見てろ」

 

 半身の体勢になって、足は肩幅と同じ程度に開く。腕を真っ直ぐ伸ばし、狙いを付ける。

 ペッパーボックスは不発が多いことで悪評高い。手本の一発目で不発は勘弁してくれと祈りながら、引き金を絞る。銃身兼弾倉が回転し、撃鉄が上がって、落ちた。

 

『うぉぉ!』

 

 カボチャ染みた謎の野菜の上半分が弾け、下半分は置いておいた柵の木から落ち、地面へと転がった。ちゃんと弾は出たし、しかも当たってくれた。顔には出さぬよう気をつけながら、内心でホッとする。

 

『なぁなぁ俺にも俺にも!』

 

 銃声にも慣れてきたのか、エゼルは私にそう言ってしがみついてくる。その頭を掌で押して引き剥がしながら、私は言う。

 

「良いか。俺の言うとおりにするんだぞ。勝手なことはするな。まずは逐一、俺の教えるとおりにやれ。良いな」

『おうよ!』

「良いか絶対だぞ」

 

 その元気の良い返事をどこまで信じていいものか。取り敢えず私はペッパーボックスをエゼルに手渡した。思った以上に重かったのか、両手で銃把を握りしめたエゼルの顔は少し驚いた様子だった。

 

「まずは両足を開け。肩幅と同じぐらいの広さにだ。そして大地をしっかりと踏みしめろ」

 

 私はエゼルの背後に立ってその両肩に手を置き、おかしなことをしないように見張りながら指導する。存外素直にエゼルは私の指示に従う。

 

「両手をまっすぐ伸ばせ。手の中の銃と、お前の腕が、そのまま一本の線を為すように、真っ直ぐだ」

 

 おっかなびっくりな様子で、エゼルは銃を構えた。すこし肘が曲がっていたので、軽く叩くとすぐに直した。よし良いぞ。こういう時に素直に言われた通りにするのは上達が早いやつの特徴だ。

 

「照星を……っとコイツにはそんなモンは無いな。取り敢えず撃鉄を基準に狙いをつけろ」

『撃鉄って?』

「この出っ張った部分だよ。そうだ、そんな感じだ。これでお前の両目と銃、そして銃口は同じ方を向いている形になる」

 

 腰を少し落とし、エゼルの顔の横にわが顔をおいて、彼の視点に合わせる。

 エゼルの姿勢はかなり綺麗だ。やはり灰色の目をした少年はガンマンに向いている。

 

「そうだな、あれを狙うんだ。お前の目と銃と標的が線を為すように……そうだ」

 

 ペッパーボックスの雑な造りでは性格な照準はまず無理だが、それでもエゼルのフォームは見るものに「命中」を感じさせるものだ。やはり筋がいい。

 

「いいぞ。良し引き金を弾け。今だ!」

 

 エゼルは引き金を弾き――反動ですっ転んだ。エゼルのすぐとなりに顔をおいていた私も、それに合わせてずっこけた。弾は標的を遥か外れて、どこかの空へと飛んで行った。方向的に落ちてきた弾に当たる心配だけは無いこと確認しながら、私は思った。

 エゼルの姿勢の綺麗さのあまりか、47口径の衝撃を完全に失念していた。

 目をまんまるにして声も出ないエゼルの下で、私は小さく呟いた。

 

「DUCK YOU SUCKER / なんてざまだ、糞ったれ」

 

 



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第07話 トリニティー・イズ・スティル・マイネーム

 

 突然で恐縮だが、困ったことになった。弾が無くなってしまったのである。

 ――と、言ってもコルトやエンフィールドの弾が無くなったわけではない。

 エゼルに渡したペッパーボックスの弾が尽きたのだ。

 互いに尻についた砂と土を払い、気を取り直して練習を再開したほとんど直後である。

 存在そのものを忘れていたのだ。だとすれば予備の弾など持ってきている筈もない。

 エゼルが撃つことが出来たのは僅か四発であった。暴発防止の為に弾倉は一発目は空にしていたので、入っていた弾は五発こっきりだ。そして内一発は私が撃ったのである。彼は明らかに筋が良さそうな感じであるが、この程度では練習にもなっていない。

 幸い、火薬と雷管は多めに持ってきていた。これについては不測の事態に備えていつも多めに持ち歩いておうるのである。……流石に今度のような事態は完全な想定外だが、まあそれは良い。とにかく、雷管に関してはライフルだろうとコルトだろうとペッパーボックスであろうと使うものは一緒だ。火薬については言うまでもないだろう。

 つまり足りないのは弾だけだ。――ならば「作れば」良いのである。

 

「さて……ちょうど良い塩梅になったかな」

 

 果たして私とエゼルは焚き火を囲んでいた。

 別に暖を取っている訳でも無いし、まだ夜が来るには早い時分だ。

 燃える薪の真ん中にはミルクパン(片手鍋)がひとつあるが、別に牛の乳を温めている訳じゃない。鍋の中でぐつぐつと煮えているのは、灰色のドロドロした何物か――「鉛」である。ちょどいい感じに、液状になるまで溶けている。

 頃合い良しと見て、私が手にとったのは「やっとこ」に似た形状の道具である。火の側に置いて、温めておいたやつだ。

 取っ手では無い側、つまり「やっとこ」だとモノを挟んだりする側が大きく膨らんでいる。こいつを閉じると「鋳型」になるようになっている。

 つまるところコイツは銃弾を拵えるための道具なのだ。穴から溶けた鉛を流し込み、鋳型を開いて飛び出した部分などを切り落せば銃弾の出来上がりだ。取り立てて特別な技術など要らない、極めて簡単な作業だ。

 最新式のメタルカートリッジ弾は極めて便利であるが、こういうことが手軽にできなくなった部分は不便に感じてる。私がコルト・ネービーや旧式のエンフィールド・マスケットを愛用するのは、そんな理由もあった。

 取っ手を濡らした布に巻いて掴む。そして鋳型の穴に溢れないように注意しながら注いだ。

 鉛は溶けるのも早いが、固まるのも早い。鋳型に注いだ後、若干待って、飛び出た部分を切り落とし、鋳型を開く。軽く金槌で叩いてやれば、出来上がった47口径弾がポトリと落ちた。

 しかしペッパーボックスに使う弾用の鋳型を持ってきていて良かった。もしも無かったら、また余計なことに煩わされるところであった。

 

「よーし、これで勝手は分かったな」

『おうよ。こんなのなら、俺でも出来るぜ』

「よし、残りはお前で作れ」

 

 鍋を焚き火へと戻し、鋳型をエゼルに渡した。ペッパーボックスを使うのはエゼルなのだから、その弾ぐらいは自分で作ってもらわねばなるまい。村人に出させた鉛はそこそこの量があるので、あれならそれなりの数の弾が拵えられるだろう。その間に、私は私で、他にやっておきたいこともあるのだ。

 火元であるエゼルの傍らを離れ、目の届く、しかし火は飛んでこないであろう場所に腰掛ける。

 手にした道具箱を開く。中に入っているのは、紙に太めの紐、木の棒きれ、火薬入れに計量用の木筒、そしてライフル用の銃弾である。

 私がこれから作るのは、エンフィールド用のペーパーカートリッジ(紙薬包)である。要するに一発分の火薬と弾丸を紙に入れて包んだモノで、昔から――それこそ独立戦争の頃から――マスケットで素早く再装填する為に作られているものだ。紙で包んで両側を紐で縛り、撃つときには一方を噛み切って、火薬と弾丸を一度に銃身に注ぎこむのである。

 今度の仕事では私は大勢を相手にするのだ。素早い再装填は私の生命線となるだろう。ならばより沢山の紙薬包を作っておく必要がある。

 まずは棒きれに紙を巻き付ける。これで紙筒を作って棒きれを外し、まず一方を折り曲げて塞ぐ。そして先に銃弾を紙筒に入れる。この時、銃弾の向きを間違えると面倒なので気をつける。ペッパーボックス始め古い銃で使う丸弾と違って、最近の銃で使う「椎の実弾」――中身が空洞なので、実際は教会の鐘なんかに近い構造に近いのだが――は、どちらの向きにで銃身に入れても良いという訳では無い。当たり前だが、穴の開いてない尖った側が銃口の方を向くように銃身に入れねばならないのだ。故に紙薬包を作る時も、装填時のことを考えて弾丸の入れる向きにも工夫が必要なのである。

 銃弾を入れ終わった後は、あとは木筒で火薬の量を測り、紙筒に注ぐ。そして開いたままのもう一方の口を塞ぎ、紐を使って閉じる。これで一発分の紙薬包の出来上がりだ。

 さて、続けて――。

 

『わちゃちゃちゃ!?』

 

 ――とはいかないらしい。見ればエゼルがわたわたと何やら慌てた様子である。

 やれやれと溜息をつき、私は作業を中断して、エゼルのもとへ向かった。

 

 幸いエゼルにも大した怪我は無く、それなりの数の銃弾が仕上がり、私の側も当座必要なぶんの紙薬包が出来上がった。

 この後、私達は出来上がったばかりの銃弾を使って射撃練習を再開し、陽が落ちてきたのでそこで切り上げ、共に宿へと向かった。エゼルには自分の家があったが、明朝呼びに行くのも、エゼルに宿まで越させるのも面倒なので、仕事の間は空いているベッドを使わせることにしたのである。

 奴ら、エゼル達の言うところのオーク共はいつ来るのか。村長の言うところによれば明日か明後日か明々後日かのことらしいが、取り敢えず明日は夜明けと共に待ち伏せの為に目星の場所まで出張らねばなるまい。

 となれば、夕食を済ませ、銃の手入れその他の作業を済ませれば、後は寝るだけだ。

 宿に戻れば、夕食は既に出来上がっていた。昼間食べた例のミヨルク豆のシチューに、今度はクラッカー染みた固そうなパンが添えられている。宿兼酒場の主人曰く。

 

『そのスバーレをスープでふやかしながら食べてくれ』

 

 だそうだ。今度は隣にビール……じゃなかったオルーとやらが入った杯も添えてあった。飲んでみたが、とにかくビールに似てるような似てないような、なんとも形容に困る味だった、としか言えない。もう一度飲みたくはない味だ。当分酒はお預けだろう。――DUCK YOU SUCKER!

 一階の酒場で夕食を済ませた後、朝飯と、何か昼飯として持っていけるようなモノを二人分用意しておくように主人に言いつけておいて、私はエゼルと寝床に上がった。

 

『すげぇ!あの野郎~こんな良いベッドを客用に隠してたのか!』

 

 と、エゼルははしゃいだ様子でベッドの上を飛び跳ねている。藁布団相手に良いベッドもあるまいと思ったが、百姓は地べたに毛布だけ敷いて寝るのも珍しくないから、そう考えればベッドと言うだけで上等な部類だろう。

 コルト二丁にエンフィールドの手入れ具合を確認し、ペッパーボックスの銃身を内部を掃除する。ブラックパウダー(黒色火薬)というやつはどう頑張っても燃えカスが残るのを避けられない。これをそのまま放置しておくと暴発の原因になって非常に危険だ。掃除は絶対に欠かしてはいかんのだ。

 濡らした布を棒切れに巻いて突っ込み、弾倉を兼ねたペッパーボックスの銃身を掃除する。

 掃除を一通り済ませたあとは、装填だ。銃身内に火薬を注ぎ込み、銃弾を入れ、棒で突き固める。基本的な手順はエンフィールドと同じで、違うのはコッチは五発分作業を繰り返す必要がある点だけだ。やはり暴発対策で一発目の弾倉には装填しない。雷管を五発分取り付け、銃口をグリスで塞ぐ。これはチェーンファイアという事故を防ぐための工夫で、こうして置かないと撃った時に隣の弾倉へと次々に飛び火して、連鎖的に全弾倉から銃弾が飛び出してしまうことがあるのだ。単に弾の無駄使いになるだけなら良いが、それだけで済まないことも多い。やはりこの作業も欠かしてはならない。

 

「良し」

 

 ひと通り必要な作業は済ませた。

 ドアの前に椅子を置く(エゼルが不思議そうな顔で見ている)。コルトを一丁、枕元に置く。

 

「もう寝るぞ」

 

 言って灯りを消し、ベッドに身を沈める。靴は脱がない。咄嗟の事態に靴を履いてる暇などないからだ。

 窓の木戸は閉じていないので、外からは月明かり等々が入ってくる。故に部屋の中は青白く明るい。それでも帽子を顔の上にのせ、目を閉じれば辺りは闇だ。眠るにはそれで充分だった。

 

『……なぁオッサン』

 

 少しウトウトしてきたら所で、エゼルが話しかけてきた。無視しても良かったが、今度の仕事の事実上の相棒だ。

 

「何だ」

 

 故に眠気を払って、話を聞いてやることにした。

 

『……俺の親父は、あの豚野郎どもに殺されたんだ』

『俺の親父だけじゃない。隣のアズラの所の兄貴も、斜め向かいのエリフ爺さんも、奴らに殺された』

 

 昼間の快活さは消え失せ、その声色は驚くほど静かで、そして沈んでいた。あるいは、あの明るさは敢えてそう振舞っていたモノなのかも知れない。そうしていないと、心は沈んだまま浮き上がれなくなるのだ。

 私にはそのことを良く知っている。身を以て知っている。

 

『なのに、村の大人たちは連中に怯えているだけだ。頭を低くして、身を縮こまらせて、じっと耐えてるだけなんだ』

『連中に仇討ちをしようなんて気持ちはまるでないんだ』

 

 おそらく、そんなことはないだろう。ただ村の連中は、彼我の実力についてわきまえているだけなのだろう。逆らって皆殺しにされたり、どこぞに身売りさせられるよりは、頭を垂れて媚びへつらう方がまだ生き延びる可能性が大きい。恐らくは、ただそれだけの話だ。

 

『オッサンを手伝おうなんて奴も一人もいなかった』

『だから俺がやる。俺がみんなの仇討ちをして、この村をやつらから守るんだ』

『それが……俺は正しいことだと思うんだ』

『なぁオッサン。そうだろ?俺が正しいだろ?』

 

 私は、少し考えて答えた。

 

「ああ正しいさ」

「仇討ちの為に、あるいは故郷を守る為に戦うこと」

「それは……やらなきゃならないことだ。男に生まれた者として、な」

 

 だから私は、少年の私は銃を手にとった。

 南部連合の正しさを疑ってなどいなかった。北からヤンキー(北軍)どもが私達の土地を自由を奪いに攻めてくる。それがあの当時の、私達にとっての真実だった。

 私の父は北軍に殺された。だから私が銃をとった。その仇を討つために。

 ――その果てが、根無し草の殺し屋の私だとしても、私は後悔などしていない。私達は敗れたが、それでも正しかった。正しかった筈だ。その筈なのだ。

 

「だから今日は寝ろ。明日は早いぞ」

 

 だから、エゼルの想いも正しい筈だ。

 ならば遂げさせてやらねばなるまい。この私が。

 

 夜明けの光で目を覚ました。

 夜明けと共にエゼルと出発する。腰の両側にはコルトを、背にはエンフィールドを負って出発する。エゼルの腰には即席のホルスターが下がり、そこにはペッパーボックスが納まっている。

 待ち伏せ地点で一日を費やしたが、結局奴らは来なかった。

 その次の日も奴らは来なかった。またも夜になって宿に戻り、ベッドでぐっすり眠って休みを取る。

 

 ――そして夜が明けた。

 ――そして、「戦いの朝」がやって来た。

 



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第08話 ハイ・ヌーン

 ――ひどく暑い日だった。

 昨日一昨日と微風が吹いて涼しい日が続いていたのに、今日に限っては夜明けからずっと凪なのである。

 雲もなく晴れ渡った空は青く、つまり日差しを遮るものは何も無い。暑い。湿気は無いのでジメジメは無いが、それでも暑い。

 凪なのは良い。遠くを狙い撃つには、風など無いに越したことは無い。銃弾というものはどう頑張っても風には流されてしまうもので、遠くを狙い撃つ場合、風によるズレというやつが馬鹿にならないのだ。

 だがいかせん暑いのは「待つ」のには最悪だった。汗が流れ、眠気には視界がぼやける。

 

「こら」

『いてっ!……良いじゃねぇかよ、少しぐらい』

「駄目だ。無くなったら面倒だろうが。それとも、お前が下の河まで汲みに行ってくれるのか。ならどうぞお好きに」

『……ぬぐぅ』

 

 水筒の中身を無駄に飲もうとしたエゼルの頭を叩く。私ですら我慢しているというのに、ふてぇ小僧である。待ち伏せに使っている丘を降りれば確かに河はあるが、流れが急だし距離もある。水を汲んで戻ってくるだけで結構な仕事だ。そんな仕事は互いに御免であった。

 

「……暑い」

 

 帽子を脱いで扇ぐ。たいして涼しくなるわけでも無いが、それでもやらないよりかは幾らかマシだ。仰ぎながら、テレスコープを覗く。レンズの向こうにはまだ、人影一つ見えはしない。

 昨日一昨日今日と、エゼルと交代でずっと見張りを続けてきたが、こうも動きがないとどうにも気が緩んでしまう。加えてこの暑さだ。気張り続けるなんて土台無理だ。

 

「……少し寝る。代われ」

『えぇ~!さっき変わったばっかじゃんか!』

「お前は俺の助手役だろうに。なら役に立て役に」

 

 いつ終わるともわからぬ「待ち」の時間を、私は仮眠で幾らか潰すことにした。エゼルにテレスコープを押し付け、荷物を枕にし、帽子で顔を覆う。エゼルが何か文句を言っているが、無視する。

 連中が来れば嫌でも起きて戦わねばならないのだ。ならその前に少し寝て、英気を養ったって悪いことはない。それに昨日や一昨日はむしろエゼルのほうがよほど眠りこけていたのだ。それを交代の度に起こしていたのは私だ。ならば今度は私の番だ。

 一瞬、二人共寝てしまうという最悪の可能性が浮かんだが、エゼルの肩には自身の仇討ちと村の平和がかかっている。私が起きているならまだしも、一人見張りを放り出して居眠りしたりは流石にすまい。

 エゼルの文句を子守唄に、私はウトウトとして、やがて眠りに落ちた。

 

 ――そして唐突に目を覚ました。

 別にエゼルに起こされたという訳でもない、むしろ無言でいきなり起き上がった私に、エゼルのほうが驚いている。

 帽子をかぶり直し、エゼルにテレスコープを渡すように手で指図した。望遠鏡を手渡されながら、天の陽の高さを伺う。寝る前とさほど動いていないところを見るに、寝ていた時間は僅かのようだ。

 私が目を覚ましたのは、おそらく肌で空気が張り詰めたのを感じたからだろう。「殺気」っというやつだ。ガンマンのような切った張ったの稼業を長く続けていると、不思議とこの手のモノを感じ取れるようになる。そして、より強く感じ取れるやつだけが長生きできるのだ。

 暑さの為か、レンズの向こうには陽炎が見える。

 

 その陽炎の向こうに、揺らめく姿が現れた。

 

 望遠鏡から目を外し、改めて肉眼で確認する。微かであるが、僅かに何か黒い点のようなモノが蠢いているのが見えた。私が見る方をエゼルも見て、それに気づいた様子だった。顔が険しく引き締まる。

 改めてレンズを覗きこめば、その騎影の群れはよりハッキリと見ることが出来た。しかし騎影と言っても馬では無い。エゼルの跨るボルグと同じ、巨大な狼のような動物である。ただ上に乗せている連中が無駄にデカいせいか、その脚はエゼルのボルグよりも一回り太く見えた。

 連中は二列縦隊――と呼べるような立派な隊列など無論組んではおらず、野盗らしい酷く雑な隊列を組んで道を進んでいた。

 酒場での一件以来、連中の姿をつぶさに見るのはこれで二度目だが、こうして遠くから見ていてもやはりデカい。誰も彼もが6フィート(約180センチ)を超える体躯の持ち主で、しかもただ背が高いだけでなく、背に見合った太さを有しているのである。恐ろしげな豚面に、緑の肌、そして隆々たる肉体。そんな連中が凶暴に、しかも数を頼みに襲ってくるのだ。、村人連中があっさりと屈したのも頷ける。コレほどの距離を開けながら、その威圧感をひしひしと私は感じていた。

 ――しかし私の傍らに立てかけてあるのは、800ヤード先の標的を狙い撃てるエンフィールドマスケットなのだ。そしてどんな相手であろうとも、銃弾の前には平等な筈だ。

 銃のほうをちらりと見て、そんなことを考えた後、私はみたびテレスコープの向こう側を覗く。

 連中の様子を探る。

 事前に得た情報通り、連中の数はおおよそ40前後。そのいずれもがボルグに跨がり、オーガ(人喰い鬼)のような恐ろしい体躯の持ち主だ。あるものは巨大な蛮刀を腰から吊るし、ある者は背に槍のようなモノを負っている。弓矢らしきものを持っている者も見えたが、幸い数は片手で数えられる程度だ。

 ここから見た限りではどいつもこいつも酒場で見たのと同じような、いかにも流賊然とした粗末な装束に身を包んでいる。例外は隊列の真ん中辺りにいる、ひときわ図体のデカい二騎だ。

 豚面なのは他のオーク連中と変わらない。しかし他の連中が文字通りの豚なら、この二騎は猪だ。野性的な剽悍さが顔に満ち、抜身の刃のような印象を見る者に与える面相をしている。その装束も他の連中とは違って、一張羅とは言えずとも、そのまま街中へと乗り込んでも問題ない立派なものだ。掠奪品の内から、上物を自分の衣服としているらしかった。

 武器は二人共に蛮刀で、その大きさでは他の連中のモノを圧倒している。大きさの問題で腰には吊れないのか、鞘に入れて背負っているようだった。

 間違いない。連中の頭目は、この二匹のうちのどちらかだ。

 

「エゼル。真ん中辺りに図体のデカいのがいるだろ」

 

 エゼルに望遠鏡を手渡し、デカい二人のほうを指差す。

 エゼルはレンズ越しに連中を見て、生唾を飲み込んでいた。

 

『ああ見えたよオッサン。ヘンギースとボルサの二人だろ』

「ヘンギースにボルサ……それが連中の名か」

『右がヘンギース。連中の親玉。左がボルサ。その右腕だよ』

「双子みたいによく似た連中だ」

『実際、一つ違いの兄弟なんだよ。鏡写しみたいに顔はそっくりだけど、見分ける為の目印がある。額にデカい傷跡があるほうがボルサだ。ヘンギースを敵から庇った時に着いたんだとさ』

 

 いっそその時に死んでりゃ良かったんだと、エゼルは小さく付け加えつつ私にテレスコープを返した。

 確かに左側の猪面の、その額には大きな傷跡があった。恐らくは刃物で斬りつけられた痕だろう。ただでさえ凶悪な面が、それでさらに凶悪になっていた。

 しかし、ならば傷のない方の猪面は優しげな顔かと言えば、無論そんなことはない。生まれつきかそれ以外の理由かは知らないが、左右で目の大きさが異なるらしく、それが見る者を酷く不安にさせるのである。解りやすい凶暴さを備えた「右腕」に比べて、なんとも不気味で得体のしれない恐ろしさをこちらは有している。

 畢竟、二人共に凶悪な賊の親玉に相応しい面相の持ち主だということだろう。

 ――当座の問題は、その凶相に、どのタイミングで鉛弾をぶち込んでやるかである。

 この手の仕事は、連中の頭を潰せばそれで済むという問題でも無い。頭を潰された程度で逃げ出していたら、連中の商売は上がったりだ。無法者なんてのは舐められたら終わりの稼業であり、連中は意地でも頭を殺した相手を血祭りに上げ、行き掛けの駄賃とばかりに村を焼き滅ぼすだろう。

 つまり連中の頭を殺すのは、それが連中に戦う気を萎えさせるタイミングでなければならない。いずれにせよ、最初の一発目をぶち込むのは、ヘンギースとボルサの二人ではない。

 

「エゼル、配置につけ」

 

 私が囁くような小声で言うと、エゼルは黙して頷き、背を屈めて少し下の岩場まで降りていった。

 私はエンフィールドの準備をする。紙薬包の封を噛み切り、火薬を銃身に注ぎ、銃弾を銃口に嵌め込んで、ラムロッド(槊杖)で突く。雷管を装着し、撃鉄を半分だけ上げた。暴発防止の安全対策である。撃鉄を目いっぱいまで上げるのは、敵が間合いに入ってからだ。

 隠れている岩場に銃眼として使うにちょうど良い窪みがあり、そこにエンフィールドを置く。

 そして暫し待つ。少なくとも、連中が橋の側までやってくるまで待つ。

 正午へと向けて、空の真上に近づく太陽が、ジリジリと私やエゼルを照りつけてくる。

 汗は拭わない。帽子を脱いで扇ぐなどしない。ただジッと、石ころのように、動かぬモノのようになって待つ。

 気づかれるにはまだ遠いが、連中にも私のような勘の良いやつが混じっていない保証は無いのだ。

 懸案事項があるとすればエゼルの事だが、私が撃つまでは身を伏して隠れているように口酸っぱく言っておいた。よほど慌てて先走ったりしなければ、問題はないだろう。

 

 太陽は徐々にその高さを増し、やがて正午となった。

 やつらは、橋の入口までやってきた。

 

「……」

 

 私はライフルを手にとった。半ばの状態のままにしてあった撃鉄を、完全に起こす。

 スコープを覗き、標的を探す。連中は既に橋を渡り始めていた。がやがやと談笑しながら、相変わらずの雑な行進だ。

 先頭は狙わない。連中に前からの攻撃であると、その時点で悟られてしまうからだ。

 だから敢えて最後尾を狙う。限られた視界がめまぐるしく動き、連中の最後尾の辺りで止まった。

 眠たそうな面をした、不幸な殿しんがりの顔が見えた。引き金に指をかけ――絞る。

 拳銃とは比べ物にならない反動が銃床を通り、肩を突き抜け、五体を走り回る。銃口からは白煙が吐出され、それは一瞬とはいえ視界を完全に塞いでしまう程だった。

 素早くライフルを窪みから外し、縦にして再装填を行う。その感も、自然の銃眼の陰から、私は遠目に連中の様子を探っていた。

 「当たった」ことは手応えで解った。実際、命中していた。頭蓋をスイカのように砕かれ、中身を地面にぶち撒けた躯が、橋の上に落ちる。

 予期せぬ轟音と、予期せぬ仲間の死。振り返った連中の間に、通り抜ける呆けたような一瞬の間。

 ――その間を、次なる銃声が破る。

 エゼルだ。

 

『くたばれ豚野郎!』

 

 怒号と共に、さらに銃声が響く。エゼルに渡したペッパーボックでは、明らかのあの橋は射程外だ。だが銃からは音も出るし、煙もでる。当たらずとも弾もである。そのことが重要なのだ。連中には自分たちが、絶え間なく攻撃され続けていると錯覚させねばなるまい。旧式の先込めライフル最大の弱点、装填時間の長さをカバーする為に。

 連中の様子を覗き見ながらも、再装填は一貫して行われていた。直接見ずとも、それぐらいは出来る。この銃とは付き合いが長いのだ。

 充分に突き終わったラムロッドを戻し、雷管を取り付け、再び連中に狙いをつける。

連中は橋の上でもたついていた。頭目とその右腕の怒声が響き、必死に平静を取り戻させようとしているのが解る。予期せぬ攻撃と橋の上という動きの限定された状況が、連中から余裕を奪っている。

 ならばその余裕を、もっと奪ってやろう。

 今度の標的は、頭のヘンギース――ではなく、その右腕のボルサ。

 

『ばわっ!?』

『ボルサァッ!』

 

 その胸板を銃弾が貫き、ボルグの上から巨体が転がり落ちる。「椎の実弾」は当たれば標的の体内でバラバラに砕け散る。故にもしも当たった場所が手足なら、斬り落とすしか助かる手は無い。もしも当たった場所が胸や腹なら、手の施しようは無い。してやれることは、ソイツを「楽にしてやる」ことだけだ。つまり一発でも当たれば、それで終いだ。奴の胸板に当てた。助かる術はない。

 頭の片割れを失い、手下だけでなく、頭当人も慌てている。その戦果に満足しつつ私は、さらなる再装填に取り掛かった。下からはエゼルが、罵りながらペッパーボックスをぶっ放す音が聞こえる。

 ――この時、私は注意しておくべきだった。

 図体のデカい、ヘンギースとボルサの陰に隠れて見えなかった、その「黒い姿」を見逃すべきではなかった。ボルサが斃れた時に、私はその影を見ていた筈だった。だが気付けなかった。気付かなかった。

 そのしっぺ返しを、私はすぐに受けることになった。

 

『えあっ!?』

 

 エゼルの驚きの声に、私は一瞬のうちだけ逸らしていた視線を、眼下の橋に戻した。

 そこで、連中の姿に気がついた。

 

 黒尽くめの三人組だった。大男揃いの山賊共の中にあって、その姿はいずれも酷く小さく、まるで子供のようだった。

 黒くツバの広い帽子に、この暑さというにケープ付きの外套を羽織、頭頂から爪先まですっぽり黒い装束で覆っているらしかった。

 しかし何より注意を誘うのは、その顔を覆う奇怪な仮面だ。

 鳥の顔を象っているらしく、長いクチバシのようなものが仮面の真ん中から伸びているのである。覗き穴の部分はメガネのようなもので覆われ、その瞳すら、明らかにはなっていない。右から順に、白い仮面、青黒い仮面、赤黒い仮面をつけていた。

 異変が起こったのは、真ん中の青黒い仮面をつけているやつだ。

 そしつの姿が、陽炎のように、揺らいだ気がした。いや、気がしたのではない。実際揺らいでいる。

 

 そして瞬く間に、その姿は「溶けて」、地面へと、消えた。

 エゼルの叫び声が聞こえる。

 

『ス、スツルームの……魔術師!?』

『なんで!?なんでこんなトコ――』

 

 私はエゼルの言葉をみなまで聞いていなかった。

 

 ――悪寒が、背骨を、走る。

 私はとっさにライフルを投げ捨て、コルトを抜きながら身を翻した。

 見えたのは、地面から「湧き出ている」――そうとしか表現出来ない――途中の、例の青黒い仮面の黒装束だった。ソイツが腰元から、一本の杖状の何かを引き抜き、私へとその先を向ける。

 

 私が両手のコルトの引き金を弾いたのと、私に向けられた杖の先から「何か」が飛び出したのは、ほとんど同時だった。

 



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第09話 ザ・サーチャーズ

 

 ――空中で何かが弾け飛んだ。

 私の撃った二発の弾丸と、ヤツの撃ちだしてきた「モノ」が真っ向からぶつかったせいらしかった。

 飛沫のようなモノが辺り一面に飛び散り、私は思わず両目をつむり、背後へと倒れこむ。

 身を隠すのに使っていた大岩に背中を強くぶつけた。かなり痛い。痛いが、今はそれに構っている場合ではない。

 敵が、居るのだ。

 敵が、目の前に、居るのだ。

 両目をカッと見開き、仮面の黒装束の姿を探す。奴は視線の真っ直ぐ先にいた。先ほどまでの朧な姿ではなく、確固とした形でヤツは目の前に立っていた。仮面の目の辺りは黒い丸硝子に覆われていたが、その向こう側から紅の眼光が私を睨んでいた。

 目と目があう。ヤツの右手が動き、杖の先が私へと向こうとしてる。

 だがそれよりも私の右のコルトのほうが素早かった。ヤツのドテっ腹めがけて、私は引き金を弾く。

 果たして、ヤツの鳩尾のあたりに弾丸は突き刺さり――ヤツの体が「弾け飛んだ」のだ。

 

「はあっ!?」

 

 度肝を抜かれ、私は思わず叫んでいた。

 銃弾がヤツに当たったかと思ったその瞬間、まるで中身の詰まった酒瓶をライフル弾で撃ったかのようにヤツの体が液状と化して、弾けたのだ。その余りにも現実離れした光景に、ガンマンとして常に冷静たることを信条とする私ですら、思わず眩暈を覚える程だった。

 黒いドロドロとした何かへと変じた、青黒仮面の黒装束は、やはり水のように地面へと染みこんでいき、その姿は完全に失せてしまった。染みすら残さず、消えてしまったのだ。

 ――だが、ヤツの殺気は消えてない。

 ヤツはどこかから、私を見ている。狙っている。その気配を、私は背骨でひしひしと感じるのだ。

 

『上だ!丘の上に居るぞ!』

『レイニーンがやつを見つけた!追い詰めて嬲り殺しだ!』

『ボルサの仇討だ!』

 

 山賊共も私の居場所に気づいたのか、大声で叫んでいるのが聞こえてくる。

 時間がない。あの化け物を返り討ちにして、早くここを離れなければ。連中と距離を置いて、態勢を建てなおさねば。数で劣る私達が連中に勝っている唯一の点が、間合いの優位なのだ。近づかれれば、命はない。

 

「……」

 

 右のコルトに四発、左に五発。ライフルの方にはまだ次弾は装填されていない。

 あんな得体のしれない化け物に、ナイフが通じるとも思えない以上、今の頼りは左右のコルトだけだ。いや、さっきのアレを見るに、果たして頼みの二丁拳銃も通じるかどうか解らない。だが知ったことか。一発じゃ殺しきれないのなら、何発でもぶち込んでやるまでだ。

 こめかみを伝って流れる汗を感じながら、それを拭うこともなく、左右のコルトの撃鉄を起こす。

 岩に背中を強く押し付ける。水は地面に染みこんでも、岩には染み込めまい。直感的にそう思い、こうすれば背中から襲われる心配を少しでも減らせると感じたのだ。ほんとに効果があるかまでは知らないが、何もしないで突っ立ているよりはマシだ。

 

『丘を囲めー!逃げ道をなくすんだー!』

『野郎ぶっ殺してやらァ!』

『八つ裂きにしろー!』

 

 岩越しに聞こえてくるのは、殺気にギラギラした怒声罵声だ。その大きさは徐々に増してくる。

 急がねば。

 急がねば。

 だがヤツは姿を現さない。

 

「!?」

 

 ――不意に背中を緊張が駆け抜けた。総毛立つような、全身の血管を冬の冷水が通り抜けるような、そんな感覚。居る。ヤツが居る。だが……ヤツはどこだ?

 

『オッサン上だ!』

 

 エゼルの声が聞こえた同時に、私は見返しもせずに引き金を弾いた。狙いは頭上、岩の上辺り。今、私に後ろから攻撃を仕掛けるすれば、そこからしかありえない。左のコルトの銃口は後ろを向いて、銃弾と白煙を吐き出した。当たらずとも構わない。取り敢えず牽制にはなるはずだ。

 

『――!?』

 

 背後から声にもならないような呻き声が響き、その殺気が一瞬揺らいだ。

 その隙を逃さず私は、身を翻し右のコルトを構える。

 

 ヤツが、あの青黒い仮面の黒装束が岩の上にいた。

 いったいどうやってそこに現れたか解らないが、とにかく居たのだ。見つけた以上は――撃つ!

 

「くたばれ化け物!」

 

 しかし私の撃った36口径は、ヤツの手にした杖を中心に出現した、「水の盾」としか表現のしようのない代物に阻まれた。弾が当たった瞬間、円盤状の水には波紋が走り、銃弾はその勢いを奪われ、ついには「水中」で止まってしまった。

 私は目を剥きつつ、しかし今度は左のコルトをぶっ放す。

 だが水の盾を波立たせるのみで、銃弾はそれを貫けない。

 

「DUCK YOU SUCKER! / こん畜生、糞ったれ!」

 

 思わず毒づく私に、仮面の裏でヤツが笑ったような気配がした。

 この野郎、舐めやがって!と思うが現状、私はヤツに手も足も出ていない。悔しいが、余りにも未知なる相手に私は完全に途方にくれていた。

 そんな私に対し、ヤツの「水の盾」が渦を巻き始める。攻撃に転じようとしているのは気配で解った。

 だが何をどうすれば良いのか。まるで見当も付かないが、それでも撃鉄を起こし、二つの銃口をヤツへと向ける。最初の一撃は運良く撃ち落とせたみたいだが、今度は出来るかどうか。だが、やるしかないのだ。

 

 渦巻く水は私へと襲いかかり、私はそれへと向けて引き金を弾く――とはならなかった。

 

『おらあっ!』

 

 銃声が立て続けに二発分響き渡り、仮面黒装束の体が揺らいだ。

 撃ったのは私ではない。ヤツの背後から忍び寄っていた、エゼルだ。

 例の水に変化する妙な技も今度は使えなかったのか、やつの胸元から赤黒い血(だと思う多分)が吹き出すのが確かに見えた。とにかく好機だ!

 

「よくやったエゼル!」

 

 喝采と共に私の二丁コルトが火を吹いた。だがヤツはこの瞬間には態勢を立て直したのか、再び黒い水へと変化して飛び散って地面へと消えた。地面に染み行く黒い水たまりへとさらに撃ち込むが、液を撥ねさせ地面をえぐるのみだった。

 消え失せゆくヤツの姿を尻目に、私はコルトをホルスターへと戻し、ライフルとケースを素早く拾うと、こっちへと駆け寄ってくるエゼルへと叫んだ。

 

「逃げるぞエゼル!ついて来い!」

『逃げるって何処へだよ!?』

「どっかだよ!とにかく来い!」

 

 丘の向こうへと隠した愛馬サンダラーとエゼルのボルグへと向けて、私達は走った。

 私達の背中には迫り来る野盗共の雄叫びが迫っていたが、間一髪、その場から逃げ出すことに成功した。

 矢が二、三本、私の近くを掠めたが、そんなものはご愛嬌だ。

 ともかく私達は、窮地を脱したのだ。とりあえず、今だけは。

 

 

 ――エゼルと私は隣り合って駆けながら逃げる。

 取り敢えず逃げるのは、村とは違う方向だ。隠れられるような岩場を見つけて、追ってくる奴らを迎え撃たねばならないのだ。

 

『どうだよオッサン!俺だって役に立ったろ!』

「ああ良くやったぞエゼル。だが……それよりもあの化け物は何だ!?あんな野郎の話は聞いてないぞ!?」

 

 まさに問題はそこであった。

 村長始め、村人連中からあんな御伽話の魔法使いみたいな化け物の話など、ひとつたりとも出てきてはいなかったのだ。もしもあんなのがいると事前に聞いていれば、もっと凝った罠を仕掛けておいたり、色々とやれたことはあった筈だった。

 ところが現実はどうだ。逆に不意討ちを食らって、無様に逃げているとは!

 

『スツルームの三魔術師とか、スツルームの三悪党とか……』

『とにかく、いつも三人一組どこでも一緒って噂の、悪い魔法使い連中だよ!』

『村ウチの占い婆さんなんかとは違う、正真正銘の魔法使い!』

『白のヴィンドゥール、青のレイニーン、赤のリトゥルンの三人組だ!』

 

 ……魔法使いだぁ!?前にエゼルの口からそんな言葉が出た時は冗談か何かかと思っていたが、まさか本当に本物と出くわすとは、流石の私にも完全に予想外の事態だ。

 

「なんで連中のことを俺に言わなかった!」

『アイツらはこの辺りの悪党連中の中じゃ一番有名な大物なんだよ!ヘンギースもボルサも、自分たちはあの三人組の手下だっていつも吹聴してたんだ』

「だからなんでそれを言わなかったんだ!」

『だからこの辺りの悪党はみんな決まってそう言うんだよ!そんな話誰が信じるかってんだ!実際、今日この日まで連中が一緒にいる所なんて見たこと無かったんだ!箔付けるためのハッタリとしか思ってなかったんだ!』

 

 なるほど、その結果がコレか!確かにチンピラが自分の箔付けの為に、名のある悪党の縁者だの知り合いだのを騙るのは良くある話だが、今度の場合は本当だった訳だ。

 糞ったれめ!どうすりゃいいってんだ!?当たり前の話だが、本物の魔法使いなんざ、相手にしたことなど全くないのだ。どうやっていいか見当もつかない。

 

『でもオッサン。さっき二発ほどぶち込んでやったじゃんか!奴らだって不死身じゃ無い筈だし、ちゃんと狙って撃てば――』

 

 確かにエゼルの言うとおりだが、前に化け物はその心臓に銀の銃弾を撃ち込まないと死なないと聞いたような、などと考えた所で、不意にエゼルの言葉が中途半端な所で切れたのに気づいた。

 彼の方を見れば、前の方を見たまま固まっている。

 嫌な予感はしたが、エゼルの見る方を私も見て、やはり予感は正しかったことを確認した。

 

 進行方向前方、道なき道の向こう側、私達を塞ぐように、ヤツが立っていた。

 黒装束から長い影を地面へと引いて、帽子の影から真っ赤な双眸を輝かせて、ヤツが立っていた。

 ――追ってきたのだ。

 

『先回りされるなんて……』

 

 エゼルが掠れた声でつぶやいた。私も彼と同じ気持だった。

 いったい今度はどんな手品を使ったのか、ヤツは確かに先回りして、そこに立ち塞がっていた。

 青黒いその仮面の色から判断するに、ヤツが「青のレイニーン」か。エゼルに撃たれた傷からの血は、もう止まっているらしかった。

 

「……」

 

 私は、鞍の後ろ側に結びつけていたライフルを外した。まだ再装填してないが、コルトで斃せる相手じゃないのは明らかだ。さらに言えば、戦わずに逃げきれるとも思えない。

 

「エゼル。ペッパーボックの残り弾は」

『え…えっと、途中で弾を込めなおして、さっき二発撃ったから……四発』

「良し。援護しろ」

『え?』

 

 私はサンダラーに拍車をくれて、ヤツ、青のレイニーンへと向けて駆け出した。エゼルも慌てて私の後を追う。

 一瞬、ヤツからは意外そうな気配を感じた。私達が真っ向から向かってくる思ってなかったのだろう。だがそんな気配もすぐに消えると、逆に殺気が膨れ上がる。

 いいだろうさ。相手になってやる。

 私は外套のポケットに忍ばせておいた紙薬包を取り出し、その口を噛み切った。

 

 



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第10話 ダック・ユー・サッカー

 

 

 封を切った薬包を銃口に押し付け、漏れないように火薬を流し込む。

 素早く銃弾を銃口に嵌め込み、槊杖を引き抜いた。

 この間、手綱には一切手を伸ばさない。サンダラーは私の相棒であり、半身でもある。言わずとも私の意を汲み、走り続ける。

 視線も逸しはしない。真っ向、ヤツのことを私は見つめ続ける。

 対する青のレイニーンは不動にして、近づく私の視線を真っ向から受け止めていた。

 まだ様子見のつもりなのか、それとも「どっからでもかかって来い」と自信満々なのか。どっちにしたって関係ない。私がやることはひとつ。あの趣味の悪いか仮面にライフル弾を叩き込んでやるだけだ。

 槊杖を銃身下へと戻す。弾丸と弾薬の再装填は済んだ。あとは雷管を取り付ければすぐにでも撃てる。

 まだヤツと私との間には長い隔たりが残っている。コルトでは届かない距離だ。だがエンフィールドならば届く。むしろ、この間合こそがエンフィールドの間合いだ。

 騎乗射撃は久しぶりだった。

 長い銃身と長いスコープが、重みとなって我が手にずっしりとのしかかってくる。

 普通、騎乗でライフルを使う場合は銃身を短くして取り回し易くしてあるカービン銃を使う。こんな長くて重いものは、まず使わない。

 だが、今はコイツだけが頼りだ。コイツしかないのだ。

 ――揺れるスコープ越しにヤツを見た。

 まだ彼方の、その不気味な紅い瞳と、レンズ越しに目が合って、外れる。ヤツの頭が上へと動いて、レンズが覗くのはヤツの胸元だ。違和感を覚えて、スコープから目を離した。銃身が極端に下がったという訳ではない。ならば照準がズレたのは、ヤツが高い位置に動いた以外ではありえない。だがそんなことは――。

 

「へ」

 

 そんな私の思考は、目に入ってきた光景を前にすべて吹き飛んだ。

 口から漏れるのも、間の抜けただけ声だった。

 ヤツの足元に、地面から湧き出てきたように巨大な「水の塊」が出現している。

 青のレイニーンは、その上に立っていた。バッファロー並みの大きさを持った、水の球の上に立っていた。

 瞬く間に、その水の丸い塊は表面を波打たせ、形を自ら変え始めた。その大きさを増すにつれ、その姿もより精巧に変形していく。

 ――最後にそれは、巨大な水の蛇となった。

 お伽話に出てくるような、人の背丈を凌ぐ大きさを持った毒蛇。

 そんな存在と、私は、私達は対面していた。

 大蛇がそのあぎとを開き、長い牙を露わにする。

 

『――――ッッッ!!』

 

 咆哮が響き渡った、気がした。実際は、水で出来た喉からは何の声も出ては来なかった。だがその作り物の筈の蛇の姿は、余りに真に迫っていて、聞こえもしない幻の音を聞いてしまう程だった。

 銃口にも怯まぬ我が愛馬サンダラーですら、恐怖にその動きを止めそうになる。

 

「ハイヤァーッ!」

 

 だが私は恐れなかった。サンダラーに拍車をかけて、無理矢理にでも走らせる。

 大蛇の頭の上に立った、青のレイニーンのこちらを見下す様を見た瞬間、私の中で恐れが消えたのだ。代わりに浮かんだのはだた一つの考えだ。

 ――逃げたら負けだ!

 いつだってそうだ。真っ先撃たれるのは、いつだって背中を見せて逃げた奴なのだ。

 だから背中は見せない。戦法として退くことはあっても、逃げるのだけはダメだ。

 負け戦など、人生に一度きりで充分なのだから。

 

『オッサン無茶だ!?』

 

 背後より聞こえてくるのはエゼルが私を制止せんとする声だ。だが私はそんなモノ聞こえなかったように走り続ける。そしてスコープを覗き込み、青のレイニーンを狙い、撃った。

 肩へと流れこむ反動と共に、銃口からは白煙が吹き出す。その白いモヤを突き抜けて、私とサンダラーは駆ける。

 銃弾はヤツには命中しなかった。間に割って入った水の蛇が盾となり、阻まれたのだ。

 青のレイニーンが仮面の下でほくそ笑んだような気配がした。水の大蛇が再び声もなく吼えた。

 そして、ヤツらもまた動き出した。地面を這いながら、私達へと迫り来る。地面を這うにもかかわらず、その動きはかなり素早い。――時間がない。

 

「ちっ!」

 

 私は舌打ちをしつつ、懐から紙薬包を「2つ」取り出す。素早く2つとも封を噛み切り、中身の火薬を一方はその全てを、もう一方はその半分を注ぎ込む。。そして2つある銃弾の内、一方を投げ捨て、もう一方を銃口に嵌め込んだ。銃身内に過度に火薬を詰め込むのは危険だ。反動で肩が外れるかもしれないし、銃身が内側から破裂するかもしれない。

 だからこれは「賭け」だ。

 槊杖で銃弾を銃身奥まで押し込み、槊杖を戻す。

 迫り来るヤツへと向けて、私は再び銃口を向ける。サンダラーの上で踏ん張り、気合を入れる。

 ヤツは、青のレイニーンは私を嗤っているかもしれない。通用しない武器にすがり続ける、間抜けだと思っているかも知れない。

 だが見ているが良い。最後に嗤うのは、私だ。

 彼我の距離が縮んでいく。水蛇の鎌首が持ち上がり、あぎとがみたび開いた。私とサンダラーを丸呑みにするつもりか。いいだろうさ、やってみろ。

 銃口をヤツへと擬したまま、私とサンダラーは駆け続ける。距離が縮まる。

 50メートルはとうに切っている。今度は40メートルを切った。

 ――30メートル。

 ――20メートル。

 ――10メートルッ!

 今だ!

 水蛇のあぎとは、ほぼ頭上にあった。その後ろ側に、青のレイニーンの姿が透けて見えた。

 その姿目掛けて私は、撃った。

 体感的には先ほどまでの反動の二倍の反動が肩を、背中を、体を突き抜け、馬から転げ落ちそうな気さえする。だが踏ん張り、堪える。

 二倍の反動で撃ち出された銃弾は、水蛇の口内へと突き刺さり、それを破り、その向こうの青のレイニーンへと突き刺さった。やつの体がよろめいた。仮面の裏の紅い瞳が、驚きに見開かられるのが解った。

 当然だ。コルトとライフルとでは威力の桁が違う。ましてや火薬を倍増した上、この至近距離ならば。

 だがあの水のお化けを貫けるかは流石に賭けだった。そして私は賭けに勝った。

 水蛇の体が崩れ、ただの水へと戻り、空中で飛び散る。私とサンダラーはその俄雨の下を駆け抜ける。私達の背後で、青のレイニーンが地に墜ちる音が聞こえた。

 私はコートの下にあって濡れるのを免れた、左のコルトを抜いた。親指で撃鉄を起こしつつ振り向く。

 ヤツは濡れネズミになりながら立ち上がっていた。その胸の黒衣は爆ぜ、血と肉が滴っている。人間なら致命傷だが、ヤツはそれでも立ち上がって、杖の先を私へと向けようとしてる。

 杖の先が私が向くのと、私が左のコルトをヤツへと向けるのは、ほぼ同時だった。

 銃声と、乾いた破裂音が重なりあって響き渡る。

 青のレイニーンの、その構えた杖の先から飛び出したモノ、それは恐らくは凄まじい速さで放たれた小さな水の球であった。そいつは私の顔を掠め、帽子を宙へと舞わせた。

 ――そして私の銃弾はヤツの右目を撃ち抜いていた。

 ヤツは頭を仰け反らせ、よろめいた。

 それでも杖の先を私へと向けようと足掻き……杖がポトリと手から落ちた。

 砂煙を上げ、躰が斃れた。2、3回ほどピクピクと痙攣した後、遂に全く動かなくなった。

 

『斃したのかよ……魔法使いを、本物の魔法使いを』

 

 エゼルがやってきて、斃れ臥した青のレイニーンを呆然と見つめ呟いた。

 私は溜息をつき、コルトをホルスターに戻して言った。

 

「見ての通りさ。今度こそ死んでる」

 

 エゼルは答えず、暫くの間呆けたように魔法使いの屍を眺めていた。

 不意に顔を上げたかと思うと、弾けるように笑い出す。

 

『すげぇ!すげぇ!オッサンすげぇ!魔法使いまでやっつけちまうなんて信じられんねぇ!』

 

 喜色満面、ボルグの上ではしゃぎ回り、快哉を叫ぶ。

 だが私には、エゼルと一緒になって喜び転げることは出来なかった。

 

「ああ、だが問題は残りの二人と、大勢の山賊共をどうするか、だ」

『どうするもこうするも、コイツと同じように、そのライフルっていうので――』

 

 がしゃん、っと何かが落ちるような音がエゼルの声を遮った。

 エゼルの視線の先には、地面へと落ちたエンフィールドライフルだ。

 

『……オッサン?』

 

 エゼルが不安そうな顔をして、私の顔と地面のライフルを交互に見た。

 私は、溜息をもう一度ついて言った。

 

「右手の感覚がない。肩から先が、うまく動かん」

 

 そう言って、馬上で身をよじり、プルプルと震えている以外は碌に動かない右腕をエゼルに見せた。

 私は青のレイニーンを斃した。だがその代償は大きかった。

 肩こそ外れていないが、倍増された火薬の生み出す強力過ぎる反動が私の肩と腕を痛めつけたのだ。

 ゆっくりとならば動かせるが、素早い動きや細かい動きはまるで出来ない。

 無理に動かそうとすると、激痛が走るのである。

 

「ツツツ……」

 

 右手が使えないので少し苦労して馬から降りると、落ちていた帽子を拾い上げた。

 

「悪いが、ライフルを拾って、暫く持っててくれ」

 

 帽子を被りながら、エゼルに頼む。

 エゼルはボルグから跳び降りると、急いでエンフィールドを拾い上げた。

 そして私へと問う。

 

『オッサン、大丈夫なのかよ?』

 

 私は即答した。

 

「大丈夫じゃない」

 

 右手の痛みは、徐々に増しつつある。一生使い物にならない、ということは無いだろうが、暫くは使えない。

 そしてその「暫く」の間に、私は未だ残った大勢の山賊と、その馬鹿みたいにデカい図体の頭目、そして残り二人の魔法使いと戦わねばならないのだ。

 

「賭けに勝った、だと?」

 

 思わず自嘲した。とんだ勘違いだった。私は賭けに勝ってなどいない。

 払ってしまった代償は、この場においては余りに大きい。

 

「――取り敢えず、行くぞ。ここを離れる」

『どこへ?』

「さっきも言っただろ……どっか、だよ。この右腕を、ゆっくり手当できる、どっかだ」

 

 私は左手でうまい具合にサンダラーに乗ると、駆け出した。

 エゼルはボルグの上でライフルを抱えて、私を追う。

 最後に、一度だけ青のレイニーンの亡骸を振り返る。

 ヤツの死に顔は仮面に包まれて見えなかったが……ふと、手を誤った私を嘲るヤツの笑みが、見えた気がした。

 

「DUCK YOU SUCKER / どうすりゃ良いんだ、糞ったれ」

 

 前へと向き直りながら、私はそう小さく呟いた。

 

 



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第11話 デス・ライズ・ア・ホース

 

 

 ひたむきに、ひたすらに馬を走らせる。少しでも、連中との距離を稼ぐために。

 右腕の痛みはどんどん増していき、素早い動きどころか、ゆるやかな動きにすら痛みを伴うようになってきた。

 隣り合ってボルグを駆るエゼルが、脂汗まみれの私の顔を不安げに覗きこんでくる。

 そんな眼で見られるとコッチまで余計に不安になるので、視線をそらし辺りをつぶさに観察してみる。

 ――ふと、気づいたことがあった。

 

「エゼル、一旦止まれ」

『え?』

「良いから止まれ」

 

 自分でも驚くほどにしわがれた声で、絞りだすように言った。

 別に撃たれたり刺されたりした訳でもあるまいに、我ながら情けない限りだが、だからと言って痛いものは痛いのだ。どうしようもない。

 

「……あそこだ」

 

 私が指さしたのは、少しだけ遠くにある「丘」と一見思しき土の盛り上がりだ。左掌でエゼルに着いてくるように促す。近づいてみれば、やはりと言うか丘と見えた盛り土の頂上は、風雨に削られたのか大きく窪んで穴状になっている。ちょうど、火山の火口のような格好だ。いただきの様子に少し違和感を覚えたから覗いてみたが、この発見は実に都合が言い。

 

「エゼル。ここに隠れて一旦休む。中に入るんだ」

 

 右手の痛みはそろそろ我慢の限界を超えんとしている。とにかくまずコイツをどうにかしないことには、今後どう動くかの考えもまとまる気がしない。私は、サンダラーを降り、綱を引いて窪地に入った。

 

 

 

「つつつ」

『オッサン本気で大丈夫なのかよ』

「つつ、問題は、無い。なぁに昔の戦争の時は、つつつ、もっと酷い怪我もした。それに比べりゃ、つつ」

 

 実際はまるで大丈夫では無いが、それでもやせ我慢する。何、肩に拳銃弾が当たったのをナイフでほじくり出した時に比べれば――確かにマシだが、だからといってやっぱり痛いのだった。

 コートを脱ぎ、その下のシャツを破いて包帯代わりにした。それで右腕を吊って固定する。これで多少はマシになるはずだ。

 

「エゼル。弾込めを手伝ってくれ。流石にこんな手じゃ無理がある」

 

 腰から二丁のコルトを引き抜き、コートの内ポケットから弾入れと雷管ケースを出す。火薬はについては、ライフルケースから火薬入れを引っ張りだして来た。コルトへの弾薬の装填法はペッパーボックスと然程違いはない。つまりエゼルにも簡単に出来ると言うことだ。

 

『よいしょ……よいっしょ、っと』

 

 エゼルがコルトに弾と火薬を込めている間に、私はライフルのほうを点検する。

 マスケット銃というやつは構造が単純な為に、連発銃に比べると遥かに頑丈に出来ている。今度の火薬の過剰装填にも、銃身はよく耐えてくれたようだ。見たところ、私のエンフィールドはまだ充分に使える。

 銃本体は大丈夫そうだが、ではスコープのほうはどうか。一旦取り外して、レンズを覗きこんでいた、その時だった。

 思いついたことがあった。

 私達を今も追ってきている、あの山賊と魔法使いを、この右腕の使えない私が何とかする方法を。

 

「エゼル」

『なんだよオッサン』

 

 エゼルがコルトから目を離し、私のほうを見た。

 その瞳は、優れたガンマンが皆そうな様に灰色であった。

 私はスコープを置くと、ライフルを手にとってエゼルのほうにズイと突き出し、言った。

 

「コイツの使い方を教えてやろう――いや、覚えてもらう」

 

 私の口から出た言葉。それは死んだ私の師匠が、私が最初にライフルを手渡した時言った台詞と、全く同じだった。

 

 

 

「それじゃあ、後でな」

『オッサンも手早く頼むぜ』

「解ってる。用事が済み次第、すぐに行く」

 

 暫くの間、窪地に隠れて色々と教えたり策を巡らしたりした後に、私達は一時別れた。だが私達二人の様子は、窪地に最初に隠れた時とは些か異なっていた。

 具体的に言えば、私がエゼルのボルグに跨がり、エゼルが私のサンダラーに跨っているのである。

 なぜこんなことをしたかと言えば、これが連中を出し抜くための手管の一つだからだ。

 この辺りで馬に乗っているのは私一人であり、その足跡は容易に見分けが付く。逆にボルグは実にありふれた存在であり、従ってその足跡は賊連中のも含めればそこら中にある。

 つまり連中にとって私達を追跡するための目印はサンダラーの足跡であって、ボルグのでは無いはずだ。

 果たして、私が連中を出し抜くための策には村に一旦戻る必要があるのだが、当然サンダラーで戻ればすぐに村へと向かったことを知られてしまう。それ故に、互いの愛馬――エゼルのは愛狼だが――を交換しなくてはならなかったのだ。エゼルの体重は私より遥かに軽いので、サンダラーもより速く駆けることが出来て「誘導役」としてはまさに適任だった。

 エゼルの背には私の預けたエンフィールドがある。こいつがあれば多少距離を詰められようと、連中の間合いの外からの攻撃が出来るはずだ。唯一の懸念は例の魔法使い連中だが、正直それまで気にしだしたら何も出来ない。

 エゼルはサンダラーの足跡で敵を誘導し、私はその隙に村へと戻って必要な物を調達する。その後に、最初に決めておいた合流地点で落ち合うのだ。村の外に広がる畑の、畝々のはずれにある水車小屋だった。先日、村の周囲を地形を観察しておいたので、場所は頭に入っている。

 

「よし。暫くの間は頼むぞ」

 

 私はボルグの頭の後ろあたりをポンポンと軽く叩くと、村へと向けて全速力で駆け出した。

 村への道はおおよそ覚えているが、エゼル曰くボルグもそれを覚えているので黙って乗っていても連れて行ってくれるそうだ。なので軽く左手で手綱を握っているだけで、ボルグはスイスイと勝手に走ってくれる。乗りなれない獣だけに、コイツは実にありがたい。

 ボルグは馬以上に、走っている時に上下への揺れが大きい動物であった。こんなものに平気な顔して乗ってるエゼルやオーク共は、結構タフに出来ているらしい。まるで砂利道の上を走る荷馬車に乗った時のように、酷い揺れには少し気分が悪くなる程だった。

 だが運良く胃の中身を母なる大地へと戻すこともなく、私は青い顔をして村まで辿り着くことができた。

 私が独りで、右手を吊った状態で、それもボルグに乗って戻ってきたことに、村長や占い婆さんは驚き半分不安半分な表情で出迎えてくれた。

 

「エゼルとは一旦別れただけだ。あとでまた落ち合う約束ができてる」

 

 エゼルはどうした、なんで戻ってきた、と質問攻めにされる前に私の方から大きな声で言う。

 続けて必要なモノを揃えるように、村長へと向けてやはり大きな声で言った。

 

「山賊共の持ち物だったボルグを連れてきてくれ。後、人をすっぽり覆えるぐらいの大きさの布を何枚かと――」

 

 私達は村人連中に必要なモノをすぐに揃えるように捲し立てた。

 村人たちは私の要求した品々を揃える為に、村の四方へと散っていく。

 その様を眺めていると、占い婆さんが素焼きの小瓶のようなモノを持って駆け寄ってきた。

 

『異邦人よ!渡さんと思って渡し損ねていた品じゃ!今後の戦いに是非いるはずぞ!』

 

 言いつつ、小瓶を私に押し付けてくる。口と左手を使って蓋を外せば、中からは何やら酷い臭いがした。どう例えていいかも解らない、とにかく酷い臭いだった。

 

「……何じゃこりゃ」

『た、確かに臭いは酷いが、これは大変に霊妙なる効能がある薬ぞ!必ず!必ず汝の役に立つ!』

 

 薬の臭いに青い顔をさらに青くした私へと婆さんがその効果とやらを一方的に講釈し、受け取る受け取らないで押し問答している間に、村人たちが私の求める品々を持って集まってくる。

 結局、その妙薬ちやらは押し付けられてしまった。仕方がないので、外套の内ポケットに入れておいた。

 万に一つ、役に立つ展開が無いとは言い切れない。

 私は思考を切り替えて、集まった品々を検分することに集中する。

 村人が総出で走り回ったらしく、思いのほか素早く必要なモノが揃ってくれたようだった。

 私は安堵の溜息をつくと、言った。

 

「よし。それじゃあ次の作業に取り掛かるとしよう」

 

 私は村人たちに指図した。

 その作業もじきに終わり――「準備」は整った。

 用意の出来た「小道具」を携え、私は水車小屋へと出立した。

 今度こそ、ここでカタをつける為に。

 

 

 

 私が水車小屋に着いた時、まだエゼルの姿も、それを追う山賊たちの姿もまるで見当たらなかった。

 耳を澄ませてみても、何か変わった物音は聞こえて来ない。まだ時間には余裕が有るらしい。

 エゼルのボルグから降りて、そこで「待つ」ように手で合図した。利口らしく、そこで地面に座り込んで「待て」の姿勢である。良し良し。賢い子は嫌いじゃないぞ。

 黙々と「下準備」をこなしていく。故あって帽子と外套を脱いでいるため日差しがキツイし暑い。その上、碌に動かせない右腕が実に鬱陶しい。おまけにやっぱり痛い。

 だがそういった不満の数々を我慢して、私は作業を続ける。

 もう少しだ。もう少しの辛抱である。

 

「……」

 

 ひと通り作業を終えて、水車小屋の屋根の下に座り込み、隠れ、待つ。

 

「……」

 

 汗を拭い、待つ。小川の近くの為に多少の草木が辺りに生えていて、それに集る虫もいる。

 

「……」

 

 羽虫が私の方に寄ってきた。左手で払うが連中、数に任せて寄ってきやがる。次第に追い払うのすら面倒になって、目を瞑って無視することにする。

 

「……」

 

 羽虫が額にとまり、もぞもぞと動く。流石にイラッと来て、ピシャリと叩く。潰しそこねて逃げられる。この辺りの羽虫は無駄にすばっしっこい。

 

「……」

 

 再び目をつむり、待つ。

 

「……」

 

 待つ。

 

「……」

 

 待――……ちの時間は終わった。

 目を見開き、耳を澄ませる。遠くから聞こえてくる、数々が重なりあった動物の足音と、罵声怒声。それは徐々に大きさを増している。

 私は立ち上がった。今度は仕事の時間だ。

 水車小屋の陰から、音の鳴る方を覗き見る。しばし待つうちに、エゼルの姿が見えてきた。サンダラーの手綱を思いのほかうまく操り、素早く駆けさせている。やはり筋がいい。

 エゼルよりやや遅れて、ついに山賊共も姿を現した。数十頭のボルグの奔走だ。上がる土煙は連中の姿を殆ど覆い隠すほどである。

 そんな砂塵の向こうの、連中の姿がハッキリと見える距離になるまで、私は待つ。

 待って、連中の姿がハッキリと見えた瞬間、私は左手にナイフを握り、「縄」を切り落とした。

 「縄」を切り落とされ、すなわち戒めを解かれたのは、山賊より奪ったボルグ達だ。ナイフの切っ先で軽くボルグたちの尻を刺し、あるいはナイフの腹で尻を叩き、ボルグたちを私は追い立てる。ボルグたちは一斉に、山賊たちの方へと暴走スタンピードを開始した。

 

『なんだぁ!?』

『こいつら、どっから現れやがった!?』

『おい!青のレイニーンを殺した野郎が!』

『じゃああの馬の上のは誰だよ!』

 

 自分たちへと向かってくるボルグたちの姿に、連中の混乱した声が聞こえてくる。

 連中の前に現れたボルグの群れの、その騎上には、各々に跨る奇怪な姿が見えたからだ。

 布で顔と体を隠した奇怪な騎乗兵。その中には、私の帽子とコートを纏った姿もある。

 無論、あそこにいるのは私ではない。ボルグに跨っているのは、いずれも単なる「かかし」なのだ。

 子供だましの手だが、意外と馬鹿にできない。かかしを使って味方の数を誤魔化し敵を撹乱するのは、戦争中に嫌というほど使った手だ。そして今度も、それを使った。効果のある時間は短いが、私にはその短い時間で充分!

 ――ピィィィィィッ!っと私は水車小屋へと向かってくるエゼルに指笛で合図を送る。

 エゼルは馬上でライフルを、かかしを載せたボルグの群れの方へと向け、ぶっ放した。銃弾と銃声にさらに驚いたボルグの群れはバラバラになり、各々が好き勝手走りだす。

 

『畜生!野郎ども散らばりやがった!』

『落ち着け!あの帽子のヤツを追うんだ!』

『馬はどうするんです!』

『お前が何人か連れて追いかけろ!』

 

 うまい具合に、連中は撹乱されて、しかも分断されている。

 私がヤツラに対し決定的に劣っているのは数の差だ。ならばその数の差を活かせぬ状況に持っていくまでだ。

 私の偽物を乗せたボルグが全力で走り去るのを連中が追い、あるいは他のかかしを連中の分隊が追う。そして、そんな分隊のひとつがエゼルを追って水車小屋の方へと向かってきた。

 

『――』

「……」

 

 水車小屋の傍らを走り抜けるエゼルと、水車小屋の陰に隠れた私の視線が一瞬交差した。

 エゼルはニヤリと笑い、片目を瞑ってみせた。私も同じ仕草で返事する。

 

『待てやテメェ!』

『ぶっ殺してやる!』

 

 怒声を上げて連中がやってくる。雑魚が六匹。ちょうどいい数だ。

 不意にエゼルがサンダラーを止まらせ、馬首を返した。そんなエゼルへと白刃を閃かせた山賊共が迫る。

 しかして、エゼルは叫んだ。私へと。

 

『オッサン!今だ!』

 

 エゼルの叫びに連中はぎょっとして、咄嗟に振り返った。

 そこに、私が立っていた。左手にはコルトが構えられ、吊られた右掌はちょうど撃鉄に添えられた格好だった。

 私は言った。

 

「DUCK YOU SUCKER! / アバヨ、糞ったれ!」

 

 銃声が鳴り響く。その数は六発。それも、間髪入れず立て続けに。

 撃鉄に添えられた右手は、僅かな手首の動きのみで撃鉄を起こし続け、左手は引き金を弾き続ける。

 ――ファニング・ショット。

 至近距離の戦いで絶大な威力を発揮する、早撃ちの業だった。

 

 私が用心金に指を掛けてコルトをくるりと回し、ホルスターに戻す。

 撃たれた連中が六人残らずボルグから転げ落ちるのは、それと殆ど同時だった。

 

 



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第12話 オープン・レインジ

 

 

 左手にナイフを握り、撃たれてもまだ息のあるヤツにトドメを刺す。

 36口径のコルト・ネービーは命中率に優れるが、口径が小さめなので相手が死にきらない時もある。だから普段であれば二発、確実に仕留めるために二発を撃ち込むが、そんな弾の余裕は無い。

 できうる限りの相手を確実に、一発で斃していかねばならない。

 

『オイ何だ!?』

『馬の逃げたほうからだ!』

 

 銃声に次の相手が引き寄せられてきたらしい。ナイフを一旦ベルトに挿して、空のコルトをホルスターより抜く。そして、私が息の根を止めた六つの死体を見ていたエゼルへと呼びかける。

 

「エゼル!」

 

 コッチを向いた所で、コルトを投げて渡した。そして振り向きざまにベルトのナイフを抜いた。

 

『て、テメェは!?』

 

 暫し待つと、寄ってきた山賊の分隊の先頭が、私の姿に気がついた。

 そして、その喉笛にナイフを生やした。

 

『がぼあ!?』

 

 全力で投げつけたナイフはうまい具合に急所へと、深々と突き立ったのだ。

 血泡と呻きを吐きながら、ボルグより転げ落ちる。

 

『こ、この野郎!』

『人間の分際で!』

 

 残りの連中は手にした蛮刀を振りかざし、中には私に投げつけようとする奴もいた。

 ――だが遅い。

  私は腰の後ろに挿していた、例の真鍮色のコルト引き抜いた。

 吊られた右手でも、撃鉄を起こす動きならば問題なく出来るのは、先刻証明済みだ。

 連中は二組二組二組の、計六騎。成る程、殺しの方法は決まった。

 一番近い二組へと、腰だめにしたコルトで狙いを付け、引き金を弾く。

 最初の標的の胸板に、弾丸が突き刺さるのを尻目に、コルトの銃口は次なる標的へと動く。照準が合わさった時には、右掌は撃鉄を起こし終えていた。今度も狙うのは、敵の胸板だ。

 

『げぁ!?』

 

 先程は少し左にそれたが、今度は真っ向真ん中を撃ちぬいた。ボルグの上でオーク山賊は、胸元を押さえて藻掻く。その間にも、私の銃口は次の二組へと狙いを定める。

 

『死にやがれ』

 

 次の二組の片割れは、手にした刀を投げる態勢を終えていた。だからまずはそっちを狙う。しかし狙うのはヤツ自身ではない。

 

『おわ!?』

 

 まず、今にも投げられんとしていた蛮刀を撃ち落とす。

 

『ぎゃっ』

 

 そして次はその喉元へと撃ち込む。

 

『ばげっ!?』

 

 最後に残った片割れの体を撃ち射抜く。

 撃たれた四人は、ばたばたとボルグから落ち、地面に血と死を撒き散らす。

 

『やべぇぞオイ!』

『一旦退け、退け!』

 

 生き残りの二組は僅かの間に四人も斃されたのに怖気づいたらしい。尻尾を巻いて逃げ出したが、黙ってやる私でもない。腕を真っ直ぐのばし、両足で地面にしっかりと踏みしめる。狙い、撃った。

 うぎゃぁと叫んで、そいつは落馬、ならぬ落ボルグした。最後の一人に狙いを定めようとして、止める。弾切れだ。

 ナイフを投げても届く距離ではない。さてどうするか、と思った所で、背後で銃声が響く。コルトで撃たれた時よりも遥かに大きい衝撃で、逃げ出したオークは宙へと舞った。

 振り返れば、硝煙たなびくエンフィールドを掲げたエゼルの姿があった。

 やはり筋が良い。私はニヤリと笑って、親指を立てた。エゼルにその仕草の意味が解ったかは知らないが、同じように親指を立ててニヤリと笑う。

 

『オッサン!』

 

 ベルトに真鍮のコルトを挿しながら、サンダラーを返して貰うために私は歩み寄る。すでに馬を降りていたエゼルがさっき投げ渡したコルトを差し出した。弾倉への装填は済んでいた。私はそれを空のホルスターに収めると、今度は左用の真鍮コルトを渡す。

 

『あとオッサン、一応コイツを返しておくぜ』

 

 そう言ってエゼルは、預けておいたペッパーボックスも差し出してきた。それを受け取り、ベルトとズボンの隙間に半ば無理やり挿しこみながら、一応聞いておく。

 

「良いのか?」

『良いのさ。オッサン、コイツは良いもんだぜ。撃ってみて解ったよ』

 

 言いつつ、エゼルはエンフィールドの銃身を撫でた。そういう感想が出るとは、やはり灰色の瞳をした者は天性のガンマンであるらしかった。

 

 

 

 サンダラーに跨がり、ゆるやかに駆け始める。

 コルト・ネービーの一丁はホルスターに収まり、真鍮のコルトとペッパーボックス、その他ナイフの類はベルトの方にねじ込んであった。準備は万端である。

 そろそろ騙されたと気づいた連中が、ちらほらと戻ってくる頃合いである。ならば出迎えねばなるまい。

 

「……来たな」

 

 少し馬を進めると、連中の姿が少しずつ見えてくる。いくつかの小集団に別れながら、私目掛けて疾駆してくるのだ。さて、こんな時はどうする?

 ――言うまでもない。「各個撃破」だ!

 

「ハイヤー!」

 

 私はサンダラーに拍車をかけると、手綱を口に咥え、ホルスターのコルトを引き抜いた。

 そして一番手近な集団へと突っ込んでいく。敵はオーク山賊が五騎。いずれも雑魚ばかり!

 

『来やがったぞ!』

『ぶち殺せ!』

 

 距離が近いため、連中の怒声は今まで一番大きく聞こえる。その凶悪な人相も、詳細に見ることが出来た。

 だが私に恐れは無い。私は撃鉄に右掌を添え、コルトを撃った。

 

『が!?』『ぎ!?』『ぐ!?』『げ!?』『ご!?』

 

 怒涛の五連射。距離が近かったのもあり、全弾がうまい具合に命中する。

 四人が騎乗で呻き、そして落ちていく中、最後の一人は撃たれながらも気合で踏ん張っている。なので弾倉の最後の一発をお見舞いする。右目を撃ち抜き、声さえ上げずのソイツは斃れた。

 良し。これで最初の連中は片付いた。お次はどいつだ!

 

『くそう!囲め囲め!囲んで袋叩きにしちまえ!』

『背中を取るんだ!切り刻んでやれ!』

 

 次に寄ってきた連中は七騎。だが各々バラバラに動いて、私を囲み、追い詰めようとしてくる。

 私は腰より抜いた真鍮のコルトを翳して威嚇し、サンダラーを駆って囲みの隙間を縫おうとするが連中も木偶の坊じゃない、着々と包囲は縮まっていく。

 

『死ねや!』

 

 右側から猛然と私に迫ってくる一騎。振りかざした白刃は、すぐにでも私の頭を叩き割れる間合いまで来ていた。

 

「そっちがな!」

 

 だから私は手綱を吐き出し叫び、そいつの喉笛に一発お見舞いしてやった。

 それでそいつはオシマイだったが、問題は別にも私に迫っていた相手がいたことだ。そいつは右側きたのと同じタイミングで、後方から私に迫っていたのである。

 

『串刺しになれっ!』

 

 背後より来たヤツの手には、他の連中と違って鋭い穂先の手槍があった。投げ槍の要領で私にぶつける気なのだ。私は振り返ってコルトを向けようとするが――間に合わない。哀れ、私は異邦の地で串刺しにされしまうのか!?

 ――遠くから銃声が響く。

 投げ槍のオークは胸を爆ぜさせ、もんどり打って地に落ちた。

 

『なんだぁ!?』

『あっちだ!あっちのほうから攻撃してきた!』

 

 言うまでもなく、エゼルだ。水車小屋の上に登った彼は、そこから私を援護しているのである。それにしても、本当に筋が良い!私が初めてエンフィールドを使った時より遥かに上手い。無論、私がエンフィールドを手にしたばかりの頃はスコープなど無かったが、それを差し引いても、素晴らしい才能だった。

 いずれにせよエゼルの射撃は連中の包囲に穴を開けた。私はそれを逃さない。コルトを手近なヤツへと手当たり次第にブチ込みつつ、再度口で手綱を操り、包囲網を駆け抜けた。

 連中は再包囲をかけようとするが、エゼルの攻撃に邪魔されて果たせない。遅れて他のオーク共も増援としてやって来るが、出会い頭に私はコルトの銃弾を叩き込む。エゼルと私の遠近両方よりの攻撃に、山賊共は数の優位を活かせず、またひとり、またひとりと撃ち斃されていく。

 ここまでは順調だった。ここまでは――……。

 予期しなかった危機は、私がコルトを撃ち尽くし、ペッパーボックスにまで手を伸ばした時だった。

 

『おわぁぁぁぁぁ!?』

 

 エゼルの驚きの叫び声が聞こえてきた。私も驚いて水車小屋を見て、さらに驚いた。

 エゼルの傍らに、黒く背の高い人影が見えた。

 その人影が、エゼルを羽交い締めにしているのである。

 黒い影はツバの広い帽子を被り、その下には鳥の嘴のようなものを備えた白い仮面があった。

 ――白のヴィンドゥール。スツルームの魔法使いの一角が、忽然とそこに出現していた。

 

『こ、こん畜生!離しやがれ!離しやがれ!』

 

 どうやってあんな所に現れたのか。それがヤツの魔法の業なのか。

 エゼルは叫んで暴れるも、魔法使いにはまるで通用していない。つまり、エゼルが危ない。

 私はサンダラーを駆り、水車小屋へと猛然と一直線に走り始めた。

 その隙にオーク共は態勢を立てなおしているが、無視する。ただ水車小屋の上の魔法使い目掛けてひた走る。

 もし今背後より攻撃を仕掛けられれば、防ぐ手立てはない。それでも、私とサンダラーは必死に駆け続けた。

 ――しかし後少しで水車小屋までたどり着くという所まで近づいた時、再度異変が起こった。

 水車小屋の屋根の上で、風が渦を巻き始め、瞬く間に竜巻と言える勢いまでになったのだ。周囲の砂が巻き上げられ、水車小屋の屋根が軋み、砕け、壊れる。

 あまりの風の勢いの凄まじさに、私も左腕で目を覆っていた。サンダラーもいななき、半ば棹立ちになる。

 恐らくそれはほんの数秒程度の時間だったろう。しかし緊張に引き伸ばされた私の意識には、もっとずっと長く感じられた。私には長い時間を経て、風はようやく収まった。私もようやく左腕をどかし、見た。

 水車小屋の屋根は完全に吹き飛んで、その上にいた筈のエゼルも、白のヴィンドゥールも、ヤツが現れたのと同じぐらいに忽然と、その姿を消していた。

 呆然とする私の耳へと、不意に、風に乗って飛んできたような、そんな朧な言葉が届いた。

 

 ――『コノ餓鬼ハ預カッタ』

 ――『返シテ欲シケレバ、川ヲ遡ッタ先ノ、頂上ニ木ノ生エタ丘の所マデ来イ』

 ――『来ナケレバ、コノ餓鬼ヲ殺ス』

 

 その異様な声、地獄の底からする亡霊の呼び声のような言葉は、恐らくは白のヴィンドゥールのモノだった。

 つまりは、こういうことだった。

 エゼルは人質に取られた。

 そして今度は――。

 

「俺が、連中に誘い出される番か」

 

 そういうことだった。

 

 



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第13話 トゥルー・グリット

 

 

 ――唐突だが、少しだけ昔の話をしよう。

 私がまだ少年とか青年と呼ばれてた時代の話だ。

 忘れもしない1865年4月3日。我ら失いし故国、南部連合の首都、リッチモンドが陥落おちた日だ。

 その6日後には英雄ロバート・E・リー将軍も降伏して、南部連合、正式名称「アメリカ連合国」は塵となって世界の地図から消えた。

 当時の私はブッシュワッカー(南軍ゲリラ)の一員としてあちこちを戦友たちと駆け回っていた。その為に連絡が遅れて、南部連合が戦争に負けて無くなったと聞いたのは4月も半ばごろの話だった。それに都も焼け落ち、正規軍も剣を折っても、私のようなブッシュワッカーたちは根強い北軍への抵抗を続けていたのだ。なので私なんかは戦争はまだ終っていないものだと思い込んでいたのだ。

 だから、最初にもう戦争は負けて終わったと聞いた時、口をあんぐりと開けて馬鹿みたいな顔して呆然とした。

 戦友たちの内で元気な連中は、リー将軍は降伏したが俺達はまだ降伏していないと、まだ我らが大統領ジェファーソン・デイヴィスも北の連中には捕まっていないと息巻いて、これからも戦い続けると気炎を上げた。(ちなみにデイヴィス大統領は逃亡虚しく結局5月10日には北の連中に逮捕された)

 ブッシュワッカー達は親玉だったウィリアム・カントレル大尉に率いられ6月に入っても頑張っていたが、カントレルは北軍の待ち伏せにあって戦死し、7月に入る頃には遂に南部は完全に北に平定された。

 だが私は彼らに続かず、すでに死んだ師匠のライフルを背負い、早くも5月には遥か西部を目指して旅立っていた。私だけではない、隊の一部はなにか魂の抜けたような顔をして、みな焼け跡の故郷に帰って行った。

 あの日、南部が滅びたと聞いたあの日、私の中で、私達の中で、決定的な何かが変わったのだ。

 父の仇討ちのため、我が生まれ育ちし南部の地の自由を守るため、そして我が一族の土地を護るため。私は銃をとり、戦った。今でも、あの戦争は正義の為の戦いだったと思っている。

 だが故郷は焼け落ち、全ては失われ、そして戦争にも負けた。負けたのだ。

 ――以来、私は南部には帰っていない。

 私の手に残ったのは、ライフルとコルト、そして銃の腕だけだった。それだけを武器に、生き抜いてきた。

 守るべきものなど、私自身の命以外は無かった。

 ――だが、今日この日は違う。

 

 

 

 帽子とコートを着せていたかかしを見つけ出した。

 2、3本ほど矢が突き刺さっていたが、着られない程の損傷ではない。

 かかしを載せていたボルグは死んでいた。だから、見つけるのは比較的簡単だった。

 コートの内ポケットを探ると、占い婆さんに押し付けられた例の小瓶が出てきた。口で蓋を外し、酷い臭いに顔を歪めながら、私は一息に飲み干す。

 あらゆる苦痛を瞬く間に消し去り、体の疲れを吹き飛ばす妙薬――などとあの婆さんは力説していたが、正直どこまで信用して良いものだか解らない。だが気休めぐらいにはなるだろう。そして今の私は、藁でも縋りたい気持ちであった。

 手ぐすね引いて待ち構えている敵に、独り向かって行かなければならないのだ。

 

「……ん?おお?」

 

 少し間を置くと、不思議なことに右腕辺りの痛みが引いてきた気がする。

 試みに掌を開いたり閉じたりしてみて、さらに腕を動かしてみる。成る程、確かに「痛み」は「無くなった」。その点に関しては、婆さんの言ったことに偽りはないようだ。

 

「少しピリピリするな」

 

 ただ問題は、痛み以外の感覚もかなり鈍くなってしまっている点だ。右拳をかなり強く握りしめても、何と言うか手を握っているという感覚が無いのである。戦争中に怪我をして、医者にモルヒネを貰ったことがあったが、感覚としてはアレに近い。

 少しマズい。ガンマンにとって感覚の鋭さは必要不可欠なモノだ。いかに右手の痛みを抑えて無理やり使えるように出来ても、感覚が極端に鈍ってしまえば何の意味もない。現状、気張れば何とかなる程度だが、注意がいるだろう。

 それにしても怪しい婆さんに渡された得体のしれない薬に頼るハメになり、しかもそれが役に立つとは。つくづく、人生とは解らんもんだ。

 

「さて」

 

 かかしからコートと帽子を外し、それらを身に纏う。

 地面に腰を下ろすと、二丁のコルトを抜いて、その弾込めを始める。

 撃鉄を半分だけ上げた状態で、弾倉を回して見る。スムーズに動くかの確認だ。

 二丁とも確認が済んだ所で撃鉄を戻し、ホルスターに入れる。装填済みの腰のペッパーボックスはコートのポケットに移した。

 お次はエンフィールドの確認である。エゼルが拐われた時、地面に落ちた衝撃でスコープは駄目になっていた。つまり昔ながらのやり方で今度はやるしかない。問題はない。戦争の時は、スコープなど無い方が当たり前だったのだ。少なくとも南部では。

 エンフィールドに弾を込め、雷管を取り付ける。

 これで準備万端である。

 二丁のコルト・ネービー、36口径の弾丸が12発。

 一丁のペッパーボックス、47口径の弾丸が6発。

 一丁のエンフィールド・マスケット・ライフル、約56口径のライフル弾、一発は装填済み、祇薬包が幾つか。

 そして腰ベルトにねじ込んでコートの下に隠したナイフが一本。

 これらが現状、私の用意しうる装備の全てだった。

 

「こころ強いじゃあないか。なぁ」

 

 独り呟きながら、ライフルの銃身にキスをした。

 無論、ただの強がりだが、それでも有るもので戦わねばならない。

 なぁに、昔からずっとそうして来たんだ。今度も、いつもと同じというだけだ。

 ただ少々、敵の数が多い上に、どいつもこいつも凶暴な巨漢で、しかもどんな力を秘めているかも解らん「魔法使い」が二人ほどいるだけなのだ。大したことはない。いつもどおりだ。

 

「……行くか」

 

 サンダラーの首をポンポンと軽く叩く。彼はゆるやかに歩き出した。川沿いに、連中の待つ場所へと向けて。

 ――エゼルを見捨てて逃げるのは簡単な話だ。

 逃げた先に何が待つかは知らないが、少なくとも今からのこのこ出向く死地よりは安全な筈だ。

 だが私に逃げるつもりは毛頭無かった。

 

「割に合わんよなぁ」

 

 それでも私は行く。その理由は……自分でもよく解らない。

 ただ、ここで逃げたならば、ふるさとを護るために立ち上がった少年を見捨てたならば、私はもう一度大事なモノを失ってしまうと思ったのだ。

 今は天の星となった我がふるさと。

 貧しくとも確かにここに在るエゼルのふるさと。

 それは失わせてはいけないものの筈だ。

 

「それにな、俺は未だかつて戦友を、戦場で見捨てて逃げたことだけは無いのさ」

 

 なぁ、とサンダラーに聞いた。意味が解ったかは知らないが、彼もヒヒンと鳴いて答えた。

 例え共に戦った時間は短くとも、エゼルはもう立派な戦友だった。

 だから行くのだ。彼の為に、彼の護る故郷の為に。

 

「今日は死ぬには良い日だ、か」

 

 ふと、先住民が戦いの雄叫びに使うという言葉を呟いた。

 そうかもしれない。

 

 

 

 

 ――エゼルは丘の上に一本だけ生えた、木の下に居た。とりあえずは生きてはいるらしい。

 しかしその生命は風前のともしびだった。何故なら彼は首を縄で吊られ、その足元には横たえられた樽が置かれているのである。エゼルの足先は辛うじて樽の上にあり、それが為にエゼルは首が吊られる寸前でまだ生き永らえられていた。だがあの体勢のままでは、危ない。体力と精神力は刻一刻と削られ、一瞬でも気が抜ければ樽は転がり、エゼルの魂は天へと召されるだろう。

 無論、そうなる前に私が何とかせねばなるまい。

 

『――来たかぁ!人間!』

 

 連中もやって来た私を見つけたらしい。

 ヘンギースが彼のボルグの上から、私へと向けて叫んだ。

 

「来たぞぉ!エゼルを返してもらう!」

 

 私も大声で返した。返しつつ、手にしているエンフィールドの撃鉄を上げる。

 私とエゼルとの間の距離は、700ヤードはあるだろう。スコープ無しでは、遠い。せめて、600ヤードまでは近づきたい。話しながら、ゆっくりと距離を詰めるのが得策か。

 

「もう充分に戦ったろう。お前の手下は死んだが、お前たちだって村人を殺してる。この辺りが手打ちの時期だ!」

 

 私は大声でそんなこと言った。ふざけるな、と怒鳴られるかと思えば、ヘンギースは存外落ち着いた声でこう返してきた。

 

『そいつは奇遇だ!俺も同じことを考えていた!いや……それだけじゃねぇ!』

『人間!テメェはオレたちの一味に加われ!敵として殺すにゃ惜しい野郎だ!』

 

 ――なるほど、そう来たか。

 連中も副頭領のボルサを殺され、おまけに腕利きの魔法使いである青のレイニーンを私に斃されているのだ。それをやった私を懐柔し、むしろコッチに引き入れようとするのは自然な発想ではある。

 

『お前は幾らであの湿気た村の連中に雇われた?どうせ大した額じゃないだろ!あの村の連中に大金なんて出せる訳ねぇ!』

『だが俺達は違うぜ。ヴィンドゥールの旦那も、リトゥルンの旦那も、お前がレイニーンの旦那を殺したことは水に流しても良いと言ってらっしゃる。お前の腕なら稼げるぜ人間!』

 

「そうかい!」

 

『そうだ!だからあんな村なんて捨てて、俺達と組め!金も、酒も、女も、奪い放題だ!』

 

「成る程……そりゃ魅力的だ!」

 

 お決まりの誘い文句に愛想笑いしながら、私は少しずつ近づいていく。

 

「だが俺はお前の手下どもも大勢殺っちまった。そんな俺と組むなんて手下が納得しねぇだろうよ!」

 

 今度はヘンギースのほうが愛想笑いを返す番だった。

 

『俺たちオークは強い者を何より尊ぶ。手下どももお前の強さには恐れいったと言ってるぜ』

『人間!お前は人間だが勇者だ!戦士だ!だから俺達の側につけ!臆病なエルフなんぞとは手を切れ!』

 

 私は途中から殆ど話を聞き流していた。私の視線はただ、エゼルを吊るした木の枝と、縄へと注がれている。

 距離、おおよそ600ヤード。今の私の間合いだ。

 

「ヘンギース!実に良い提案だ!だから俺はこう返す!」

 

 快活に笑い、そしてライフルを構えた。照準はもう合わされている。

 

「DUCK YOU SUCKER! / お断りだ、糞ったれ!」

 

 銃声が、澄み切った空に長く伸びた。硝煙が風に吹き飛ばされる。

 

『うわぁ!?』

 

 そして、縄を撃ち切られたエゼルが、樽の上から転がり落ちるのが見えた。

 痛いだろうが、死にはしないだろう。

 命中である。我ながら惚れ惚れする腕だ。

 

『この白猿が!こっちが下手したでに出てりゃ舐めやがって!』

『構うこたぁねぇ!相手はたかが一人だ!取り囲んで膾にしてやれ!』

 

 落ちたエゼルと振り返ったヘンギースの顔はコッチに向き直る頃には凶相と化していた。

 本性が出たらしい。

 

「やってみろ豚野郎!」

 

 私はエンフィールドに再装填しながら、サンダラーに拍車を掛けた。

 私が駆け出すのと同時に、連中も一斉にコッチに向かって駆け出して来る。

 さっき数は結構減らしたはずだが、それでもヘンギース含めて十騎。それに加えて、だ。

 

『……』

『……』

 

 白のヴィンドゥールと赤のリトゥルンの二騎も駆け出してくる。赤のリトゥルンの首には、縄で結ばれた青のレイニーンの仮面が首輪の様に下がっているのが見えた。

 仇討ちのつもりか。良いだろう、相手になってやる!

 

「ウォロロロロロロロロロロゥォォォォォォー!」

 

 私は甲高い雄叫びを上げた。フューリー(復讐の女神)のような雄叫びを上げたのだ。

 「反乱の雄叫び」と、北軍の連中が呼んでいた南部の鬨の声だった。

 叫びながらも手の動きは休めない。馬上での装填も何回も繰り返した動作だった。澱みなく、正確な動きでそれは完了する。多少の手の感覚の鈍さなど、物ともしない。

 

「ハイヤァァァァッ!」

 

 私はライフルを構えた。最初に狙うのは、一番恐ろしい相手だ。ならば白のヴィンドゥールと赤のリトゥルンのどちらかだが、赤のリトゥルンの方が私により近い。狙いをつけ引き金を弾こうとする、が。

 

「ッ!?」

 

 ヤツの杖の先はすでに私のほうを向いていた。その先では火花のようなものが散っている。なんだか解らんが、危険であることだけは解る。

 だが馬上では逃げ場がない!ヤツもそれを解っているのか、仮面の裏の双眸がキュッと嘲りに細まったのが見えた。杖の先からは、文字通り稲妻のような、横殴りの雷のようなものが放たれ、光の速さで私を貫き――はしなかった!

 雷は、何も無い空間を突き抜け、彼方へと飛んで消えた。

 ヤツが自慢の魔法を放つ、一瞬、ほんの一瞬前、まさに直前に、私はサンダラーの上で体を横向きに傾け、そのまま倒れこんだ。そしてそのまま体が落ちていく途中で、両足で馬の胴を挟む格好で踏みとどまった。

 この動作の間も、私の銃口は赤のリトゥルンを照準し続けている。

 再び、私とヤツの目が合った。今度は私が目を細める番だった。

 ヤツが杖の先を私に向けようとしたが、私のほうが先に銃を構えている。

 私は引き金を弾いた。弾丸はヤツの顔面を仮面ごと撃ちぬいた。紅い仮面を血でさらに色濃くしながら、ヤツの体は崩れ落ちた。

 これで、魔法使いの残りは、一人!

 

『おい!?今度は赤のリトゥルンが!』

『嘘だろ魔法使いが二人も!?』

『狼狽えるな!それでも数で勝ってるんだ押し潰せ!』

 

 ヘンギースが蛮刀を振り上げ、動揺する手下どもを大喝する。

 そして私を取り囲もうと迫る迫る迫る!

 この距離はもう、ライフルの間合いではない。コルトの間合いだ。

 私はエンフィールドを鞍の適当な部分へとねじ込み、手綱を口に加えて二丁のコルトを抜き放った。

 残る相手は魔法使いとヘンギースを入れて11騎。二丁のシックスシューター(6連発拳銃)ならば一発余る勘定だ!

 相手の数に呑まれるな。確実に一発ずつ当てれば勝てる勝負。

 あとは――勇気。そう「トゥルー・グリット(本物の勇気)」さえあれば良い。

 私はさらなる拍車をサンダラーへと掛け、全速力でやつらの隊列へと突っ込んでいった。

 

 



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第14話 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト

 

 

 狙うべき標的は定まっている。

 ヘンギースと、白のヴィンドゥールの二人だ。

 他の連中はいかに図体がでかくとも、凶暴な顔をしていようとも、見るも恐ろしい蛮刀を構えていようとも、所詮は「雑魚」に過ぎない。恐ろしい頭目と、恐ろしい魔法使い。この二人を斃されてなお、私に挑むようなガッツは無い。連中は賊なのであって軍人でも戦士でもない。死を賭して私と戦い、誇りを全うする義理も義務も無いのだ。

 つまり、一番怖い二人さえ斃してしまえば良い。

 だが話通り行けば早いのだが、そうは問屋が卸さない。

 

『囲め囲め!』

『馬から引きずり落とせ!』

『もう構うこたぁねぇ!戦利品を気にしてる場合じゃねぇんだ!馬ごと殺しちまうんだ!』

 

 ヘンギースは手下どもを上手く盾にしながら駆けまわり、私を包囲すべく的確な指示を出している。

 白のヴィンドゥールも私から一定の距離を取って、それを保ちながら私を観察し続けている。お仲間の魔法使いをすでに二人も斃されているのだ、慎重にもなろう。私がオーク共と戦って消耗するのを待っているのだ。

 ――ならば私の採る手はひとつ。

 ヘンギース目掛け、立ち塞がる敵を蹴散らしながら突っ込み、仕留める。その後に動揺するであろう雑魚は捨て置いて、白のヴィンドゥールとの一騎打ちだ。

 

『くたばりやがれ!』

 

 まずは手近な相手から片付ける。前方の三騎。右から小槍、蛮刀、そして弓だ。

 誰から狙う?言うまでもない。

 

『げが!?……畜生、この程度――』

 

 弓持ちに右手のコルトで一発。だが照準がぶれた。当たったのはヤツの肩だ。

 そこで、相手が撃たれて体勢が崩れたところを、左のコルトでもう一発。

 

『――でぼわぁ!?』

 

 今度は胸板に見事的中する。これで最初に飛び道具持ちを仕留められたが、二発撃つ間に槍と蛮刀の二騎が私に迫っていた。

 

『クソが!』

『死ねや!』

 

 咄嗟に屈んだ。ついさっきまで頭があった空間を、横殴りの蛮刀が通り抜けていく。

 しかし迫る刃を避けてもまだ穂先が残っている!

 私は屈むと同時に、左のコルトの銃口を槍のオークへと向けていた。尖った先が私に突き刺さる――よりも髪の毛一本分ほどの時間だけ、私がコルトの引き金を弾くほうが速かった。

 

『ぎゃ!』

 

 弾丸は槍持ちオークの土手っ腹に突き刺さった。その衝撃でヤツの穂先の照準が私より外れ、あらぬ所を空振りする。だが一発の36口径ではヤツを殺すには足りない。

 だから右手のコルトが火を噴いた。土手っ腹に二発。ヤツも堪え切れずにボルグから落ちる。

 

『今度こそ死ね!』

 

 私が槍持ちが地面に落ちるのを見届ける間もなく、蛮刀持ちが次の一撃を切っ先を天へと向けて振りかぶる。

 二丁のコルト、そのどちらも構え、狙い、撃つには間に合わない。ならばどうする?

 

「ふんぬ!」

『がべっ!?』

 

 近づきすぎたの運の尽きだ。その馬鹿でかい豚鼻に、私はグリップ(銃把)の一撃を叩き込んでやった。

 盛大に鼻血をまき散らし、顔を仰け反らせる。痛みに耐えてヤツが私に向き直った時、その鼻先にはコルトの銃口があった。引き金を弾く。今度は鼻血では済まない血をまき散らし、ヤツは絶命する。

 右のコルトの残弾が3発、左のコルトが4発。5発も費やして斃した敵は雑魚が3匹。

 立て続けの戦闘に、私は体力をじりじりと消耗しつつあった。右手は震え、射撃の精度は落ちている。

 それでもお構いなしに、新手が私を殺すべく迫ってくる。

 私は二丁のコルトの撃鉄を同時に起こし、殆ど同時に撃った。

 

『うわぁ!?』

『ひぇっ!?』

 

 銃口の向く方にいたオークたちが、思わず身を縮こまらせる。だが、弾丸は当たっていない。

 当然だ。私は当てようと思って撃ったのではないのだ。

 

「ハイヤァァァァァァッ!」

 

 私はヘンギースに至るまでの途上にいる、全ての雑魚オーク共達目掛けてコルト・ネービーを乱れ撃ちにした。

 一か八か、私はもう一度賭けに打って出ていた。もはや、雑魚をいちいち相手にしている余裕は私には無かったのだ。目指すは、ヘンギースただ一人。青のヴィンドゥールの時は賭けに負けたようなものだが、今度こそ勝ってみせる。いや、勝たねばならないのだ。勝たねば私とエゼルは、死ぬ。

 これまで散々にコルトの威力を見せつけられたせいか、その銃声と硝煙のみで敵のオーク共は身を竦ませていた。無論、弾は当たっていないので、モタモタしていれば一時的な混乱と恐れを抜け出し、私の背中へと迫ってくるだろう。

 その前に、ヘンギースを仕留める!

 

「ヘンギィィィィィス!覚悟しろ!」

 

 二丁のコルトの全弾を撃ち尽くす頃には、ヘンギースへと至る一直線の路が出来上がっていた。

 遮るモノは、何一つ無い。私とサンダラーはヤツを目指し、疾走した。

 

『……』

 

 ヘンギースは地面へと唾を吐き捨てると、巨大な蛮刀を構え、私の方へとボルグを駆けさせた。

 ヤツも、覚悟を決めたのだ。

 

『うぉぉぉぉぉ!殺してやらァァァァ!』

「上等だ!来い!」

 

 私は右を3発、左を3発撃ち切った所でコルトを収め、代わりにペッパーボックスを抜いた。

 まさかこの大一番で、こんな骨董品に頼る破目になるとは思わなかった。

 ――それでも、今はコイツだけが頼りだ。

 左手でペッパーボックスを構え、ヘンギースへと向ける。こいつはコルトに比べて命中精度で著しく劣る。間合いを詰めねばならない。

 お互いがお互いへと向けて疾駆しているのだ。すぐに、間合いの距離にヤツが入った。

 撃つ。

 

『シャァァッ!』

「!?」 

 

 ここで信じられないことが起きる。

 ヘンギースの手にある巨大な蛮刀。そのぶ厚い刀身で、ヤツが銃弾を防いだのだ。

 古臭い丸弾とは言え、47口径だ。いかに刃が厚くとも、いかにヘンギースが巨体の持ち主でも、その衝撃を受け止めるとは尋常ではない。

 だが、そんな幸運は二度も続くまい。

 私はペッパーボックスの引き金を弾いた。ペッパーボックス・ピストルは基本的にダブルアクションだ。つまり、撃鉄をいちいち起こす必要は無く、引き金を弾き続ける限り弾が尽きるまで連発できるのだ。

 照準を動かし、2発目を撃てば――防がれる!

 我が目を疑いながら、もう一発撃つ。3発目も防がれる!

 ――これはもう偶然でも幸運でもない!

 

「糞ったれ!」

 

 罵りながら4発目を撃つ。当然、狙いう場所はずらしている。それでも防がれた!

 ヤツは会心の笑みを浮かべながら、私に迫り来る。

 どれだけヤツが人間を超えた体の持ち主でも、弾丸の速さを見切ることは不可能だろう。推測だが、私の目の動きや手首の動き、そして銃口の向きからおおよその弾道を予測し、そこに蛮刀の盾を滑りこませているのだ。

 ――化け物め!化け物め!化け物め!もうそれ以外に言うべき言葉が見つからない。

 手綱を握った右手を腰の辺りに持って行き、左手は真っ直ぐに伸ばす。

 そして狙う。どんどん近づいてくるヘンギース目掛け、狙い、撃つ。

 5発目、そして6発目。だがそのどちらもが防がれる。

 弾は切れた。引き金を弾いても、もう弾は出ない。

 ヘンギースはもう目の前だった。

 ヤツは笑っていた。悪魔のような満面の笑みを浮かべていた。

 

『死ね!』

 

 馬鹿でかい蛮刀を振り下ろすべく掲げる。

 あれの一撃を喰らえば私どころか、サンダラーまで真っ二つにされてしまうだろう。

 それを免れる術は私には有るのか?無論――……。

 

『――ねが!?』

 

 ――有る。

 

 腰元にやっていた右手は、ペッパーボックスを撃ち切る頃には既に、コートの下に滑りこんでいた。

 震えを力づくで抑えこみ、「そいつ」を握る。それは腰ベルトに挿しておいたナイフの柄であった。

 コートの端がパッと、鳥の翼のように広がり、はためいた。

 振りぬかれた右手からはナイフが一直線にヘンギースの喉元へと飛び、深々と突き刺さったのだ。

 ヤツの意識は一瞬とはいえ、防御ではなく攻撃に移り切っていた。その隙を、私は突いた。

 

『がぼぼぼ!?』

 

 ヤツは蛮刀を取り落とした。喉を掻きむしり、刺さったナイフを抜こうとして藻掻き、ボルグの上でバランスを崩す。

 ヘンギースの巨体は落下した。砂埃が舞い上がり、その内からはくぐもった悲鳴が飛び出す。ヤツはしばらくの間のたうち回っていたが、遂に地面を朱に染めて動かなくなった。ヤツのボルグが、死せる主の傍らで立ち止まる。そしてクゥウンと短く哭いた。

 

「――」

 

 私は死んだヘンギースから視線を外し、ぐるっと首を回した。

 信じられないモノを見る目で、生き残りのオークたちが私を見つめていた。

 改めて、地に斃れた巨体に目を遣る。……なる程、確かに死んだのが信じられないのも無理は無い。

 だがヘンギースは死んだ。私が斃したのだ。

 

「……」

 

 私は連中へとペッパーボックを構えてみせた。無論、弾倉は空っぽだがこの場合はそれで充分だった。

 

『うわぁぁぁぁぁ!お頭が死んだぁぁぁ!?』

『も、もうだめだ!?』

『ずらかれ!ずらかれ!』

 

 雑魚共は怯え、尻尾巻いて逃げ出したのだ。

 弾道を見切って防いでみせるような、あの恐ろしく強い頭目が殺されたのである。もう私に立ち向かおうなんて気概は、連中には無い。

 一目散に逃げる連中の姿は、すぐに遠くなり、じきに見えなくなった。

 この場に残ったのは私とエゼル、ごろごろと転がった死体と――ただ一人逃げ出さなかった魔法使いだ。

 白のヴィンドゥール。ヤツは私の姿を遠くからジッと眺めていた。

 

『……』

 

 ヴィンドゥールが自身のボルグから降りた。その右手にだらりと自身の杖を垂らしながら、私の方へ歩んでくる。

 浴びせてくる殺気に満ちた視線から、ヤツが何を意図しているのかを私は理解した。私もサンダラーから降りる。そして鞍にねじ込んでおいたエンフィールドを引っこ抜いた。私もまた右手にライフルを垂らしながら、ヴィンドゥールの方へと歩み出す。

 乾いた風が通り抜ける曠野。

 私達は向い合って歩く。陽炎に揺らぐ空気を通りぬけ、歩き続ける。

 歩きながらエンフィールドに弾薬を装填する。薬包を噛み切り、火薬を流し込み、弾丸を銃口に嵌め込んで、槊杖で突き固める。雷管を取り付け、撃鉄を起こす。

 その間も、私もヴィンドゥールも歩みを止めない。エンフィールドの発射準備が終わる頃には、私達は50ヤードほどの距離を隔てて向かい合っていた。

 ここに居るのは私とヤツのみ。そしてヤツは私を殺したがっているし、私はヤツに殺されてやる義理はない。

 ――つまり決闘だ。

 

「……」

『……』

 

 白のヴィンドゥールが途中で私の左側に回りこむような、弧を描いて歩き出した。

 私はそれに応じて、ヤツの右側へと回りこむように、弧を描いて歩き出す。

 互いに円を歩みで描きながら、徐々に徐々に間合いを詰めていく。

 視線ははずさない。私がヤツを見る。ヤツが私を見る。距離は縮まり続ける。

 ――10ヤード。

 示しを合わせていた訳でも無く、互いにそこで歩みを止めた。

 真っ向から、向き合った。

 

「……」

『……』

 

 ヤツの手には軽い杖。私の手には重たいライフル。加えてヤツには得体のしれぬ魔法の技の数々がある。

 不利はあからさまに私だった。だが私には、敵に向ける背が無いのだ。

 それに――。

 

『オッサン!』

 

 私の思考はここで途切れた。エゼルの声だ。エゼルが私を呼ぶ声が聞こえた。

 それが合図だった。

 私も、白のヴィンドゥールも殆ど同時に動いていた。

 ヤツの杖の先が跳ね上がり、私を狙わんとする。

 

 ――銃声。

 

 ヤツの、白のヴィンドゥールの体が揺れる。

 火を噴いたのは、右手のエンフィールドではない。

 左手に握られたコルト、その弾倉だけに1発だけ残されていた銃弾が、ヤツの胸板に突き立つ。

 左手から、コルトがこぼれ落ちる。真鍮のフレームに陽光が当たり、四方に散って輝いた。

 右手に、残った全ての力を込める。跳ね上がったライフルの銃口はヤツを擬した。

 白のヴィンドゥールは撃たれながらも杖を構え続けていた。その先端で、風のうねりが起きたように見えた。

 それが放たれるよりも、私のエンフィールドのほうが一瞬速かった。

 ヤツの、黒衣に包まれたその胸元が爆ぜた。血が、肉が散る。致命傷だった。仮面の下のヤツの瞳から輝きが消えていく。ヤツの体が地面へと傾いていく。

 ――それでも、白のヴィンドゥールは杖を手放さなかった。

 杖の先から「嵐」が飛んできた。私の体は、木の葉の様に吹き飛んだ。手からはライフルがもぎ取られ、体は拗じられながら地面へと叩きつけられた。

 そんな私の姿を見て、死の淵に落ちるヤツが最後にほくそ笑んだかどうか、私は知らない。

 何故なら地面に叩きつけられた時点で、私の意識は遠退き始めていたからだ。

 意識が闇に嵌っていく。

 

『オッサン!?』

 

 エゼルの悲痛な調子の叫びが聞こえ、そこで私の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほんとに行っちまうのかよ?』

「ああ」

 

 地の向こう側にようやく朝焼けの光が登り始めた、そんな朝早くの時分。

 村外れで私とエゼルは居た。私は荷物を満載したサンダラーに跨がり、エゼルは馬上の私を見上げている。その顔は些か寂しそうな表情を浮かべていた。

 ――「別れの時」が来ていたのだ。

 

『まだ体だって、全部が全部ちゃんと治った訳じゃないんだろ?』

「まぁね。だがもうこれ以上、占い婆さんの苦くて臭い薬草粥を食わされるのはゴメンでな」

 

 白のヴィンドゥールの最後の一撃を貰った私が目を覚ましたのは、あの戦いから三日後の事だった。

 目覚めた時に私は例の宿のベッドに寝ていたが、つきっきりで私を看病していたエゼルの喜びようたるや凄まじく、すぐにその声に集まってきた村人たちの喝采に、私はまだ病み上がりなのにベッドの上でてんてこ舞いにさせられた。

 私は生きていた。全身があちこち痛むし、特に右手の痛みは深刻そのものだったが、それでも生きていた。

 賊は殆どが死に絶え、生き残りも何処かへ逃げ出し、村は救われた。

 村人達はここ数日は毎日がお祭といったはしゃぎ具合だったが、私はそれに参加できなかった。ベッドの上から動けなかったからだ。村人連中が酒に酔っている間に、私は占い婆さん謹製の、体に良いという苦くてひどい臭いのする粥ばかり食っていたのである。

 昨日の夕頃になってようやくある程度元気になったので、これ以上粥ばかり食わされるのは辛抱たまらんと、こうして朝早くから逃げ出してきたのである。

 私の仕事は終わったのだ。ならば異邦人が長居する理由もない。

 

『……オッサンがいなくなると寂しくなるよ』

「だがそれが平和の証だエゼル。俺みたいなのが常にいる村なんざ、そりゃきっと碌でも無い所だ」

 

 私はしょせん、無頼の渡り鳥だ。羽を休める時もあるだろう。だがそこは終わり無い旅の途中に過ぎない。

 私にはもう、故郷はない。だが、向かうべき場所はある。

 ――西部の荒野へ。血と硝煙に満ちたアウトロー共の巣窟へ。

 

「それにな。役割が終わった今、何と言うか……帰れるんじゃないか、ってそんな予感がするのさ」

「だからお別れだ。短い間だったけど、お前は良い相棒だった」

 

 私はエゼルに微笑みかけた。エゼルも私に笑い返した。

 私達はもう、二度と巡り逢うことは無いだろう。

 

「……エゼル」

 

 私は鞍に結びつけていたエンフィールドのケースを外し、エゼルに手渡した。

 

「餞別だ。受け取れよ」

『でもオッサン!』

「良いんだ」

 

 エゼルの言葉を、私は笑顔で遮った。

 思えばこの銃を手にとった時、私や師匠や南部の男たちはふるさとを、魂の祖国を護るために戦ったのだ。

 ならばこの銃を真に手にするに相応しいのは、愛すべき故郷の為に戦ったエゼルであるはずだ。

 根無し草の、我が身以外護るモノが何一つ無い、私などでなく。

 

「弾はともかく、雷管や火薬には限りがあるんだ。考えて使えよ」

『オッサン!』

「じゃあな!」

『オッサン!』

 

 私はエゼルにエンフィールドを押し付けて、サンダラーに拍車を掛けた。

 ふと視界の先に、陽炎のように宙が揺らぐ部分が見えてくる。直感的に悟る。あれが「帰り路」だ。あれを潜り抜ければ、ここには二度と戻れない。

 だから私は振り返り、私を走って追うエゼルに言った。

 最後の最後に、大きな声でエゼルへと、彼だけに言ったのだ。

 

「俺の名前は――」

 

 エゼルに私は名前を告げて、幻影の門を超えて去った。

 

 

 

 

 

 

 

 ――今度の話はここで終わりだ。

 私は西部へと帰り、そこでいつもの私に戻る。

 夢のような出来事だったが、あれは確かに現実の出来事だった。

 その証拠に、私の手元には今度の仕事の報酬として得た一本の「香る木」がある。

 帰った後の私は一路サンフランシスコを目指したが、そこで中国人商人に件の「香る木」を見せた所、恐ろしい額の値段で買い取ると捲し立てて来た。占い婆さんの言うことは正しかった訳だ。

 私はなんだか勿体無くなって、結局ソイツには「香る木」を売らなかった。

 結局あれは記念品として、サンフランシスコの銀行の金庫に密封されて保管されている。

 

 私はこの後もガンマンとして生き続けた。

 その途中で、またも妙な所に迷い込んで、空を駆けるドラゴンと戦ったり、悪魔の親玉に拐われた姫様を助け出したりしたが――それはまた別の話だ。

 

 ――いつか気が向いたら、その時に話すとしよう。

 

 

 

 

 

 

 ―― THE END ――

 

 

 



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続・異世界ウェスタン
第01話 フォア・アフュー・ダラーズ・モア





――荒野はまたも『異界』へと通じた。
夕陽を浴びて帰ってきたのは、あのまれびとの用心棒。
流れる血潮、火を噴くガン、飛び交う銃弾、弾ける爆薬。
今度の敵は翼を持って、宙舞い空から襲い来る。
一握のドルと引き換えに、ガンマン再び銃を抜く!
ファンタジー西部劇第二幕、始まる。










 さて、新たな幕を開ける前に、ひとつおさらいと行きましょうか。
 異界に迷い込んだ、一匹の流れ者の物語の……。






 ――十九世紀後半
 アメリカでは南北戦争が終わり、西部開拓時代の幕が上がります。
 『明白なる天命(マニュフェスト・ディスティニー)』の名のもとに東から西へ、人々は群れ成して黄金のカリフォルニアを目指し荒野へと繰り出しました。
 そして西部を目指した人々のなかには、少なくない南軍崩れの無法者たちが混じりこんでいたのです。
 故郷を失い、家族を失い、方便(たつき)を失い、己が生きる道すら見失った男たち……残されたものは、人殺しの業と銃だけ。ジェシー=ジェームズやコール=ヤンガーは、そんな無数の男たちのほんの一部に過ぎなかったのです。数え切れない元南軍兵士たちが荒野へと向かい、そして砂塵の向こうに消えていきました。

 『彼』もまた、そんな男たちの一人でした。

 かつて南軍の狙撃兵として灰色の幽霊とも恐れられた『彼』ですが、今や一握のドルと引き換えに人を殺める日々。
 手にした得物は、戦争で使い方を習い覚えた1853年モデルのエンフールド・ライフルと、左右に吊るした二丁のコルトM1851ネービー・リボルバー。鷹のように鋭い灰色の瞳で狙えば、標的を外すこともなし。気がつけば一流の殺し屋として、西部を巡って暗殺稼業。
 己の生き方の歪さを知りつつも、さりとて他に生き方も知りません。
 今日も今日とて、ニューメキシコで一仕事。袋いっぱいの銀貨を懐に、次なる仕事へとまたひと旅。

 ――そして、転機は唐突に訪れました。 

 眩暈を経て気がつけば、もうその身は異界に在り。
 迷い込んだのは肌の黒い長耳(エルフ)の住まう村。そしてこの村は、恐ろしいオークの盗賊たちの支配下にあったのです。
 迷い込んで早々盗賊一味と一悶着起こした『彼』は、村の用心棒として一味と対決する破目になります。
 というのも彼のような『まれびと』は、呼び出されるに至ったその使命を果たすことなくば、元の世界へは帰らざるとのこと。しぶしぶながら用心棒稼業を引き受けることになりました。
 しかし独りで大勢のオーク盗賊に挑むのは骨が折れます。だから『彼』は助手を求めます。
 応じたのは、エゼルという名の少年。『彼』と同じ、灰色の瞳を持った少年でした。
 父親を殺され、復讐に、そして村を守ろうとする闘志に燃えた少年の姿に、『彼』は己の過去の幻影を見ます。
 俄然、戦う意欲を見せた『彼』は、エゼルと共に谷間に盗賊団を待ち伏せます。
 待ち伏せは見事成功するも、予期せぬ新たな敵に事態は急展開。よりにもよって、こんな時に限って、盗賊団の後ろ盾、三人の悪い魔法使いが出張ってきていたのです。
 摩訶不思議な業を用いる魔法使いたちに、『彼』は翻弄されながらも、ひとり、またひとりと魔法使いを仕留めていきます。
 途中、相棒エゼルを捕らわれる窮地を経ながらも、『彼』は死闘を制し、魔法使いと盗賊団を壊滅させます。
 戦いの途中で、かつて失った想いを、故郷の心を思い出した『彼』は、役割を終えて、西部の荒野へと還ります。
 同じ灰色の眼をした、少年へとライフル銃を託して――。


 
 
 『彼』は西部へと戻りました。
 ですが、彼にはまだ奇怪なる運命が影のように寄り添っていたのです。
 そしてここからが、今回の御噺。
 いかなる天の配剤か。『彼』は再び異界に迷い込みます。
 
 物語は、一人の少女が、何かに追われている所から始まります。
 一体全体、何者に追われているのやら……。
 さぁ、いよいよ次なる物語の扉を開くとしましょう。









 

 

 

 

 突き出した木の根を跳び越えながら獣道を駆けるのは、旅慣れた少女の足でも難事だった。

 鬱蒼とした道を抜け、森のなかにあって丈の低い草ばかりの、まるで台風の目のように小さく開けた場所に出る。その時既に、膝は笑い始めていた。

 状況は、はっきり言ってマズい。

 吐き出す自分自身の息すらうるさく、鼓動と血の流れはドンドンと頭蓋を叩いている。

 もうコレ以上、逃げ続けることは、どう考えたって無理だった。

 

 少女は辺りを見回し、身を隠せるような所を探すが、屋根も殆ど破れた廃堂以外見当たらない。

 遠い昔に、東方よりの異教徒が建てたと思しき堂は、殆ど腐っていて立てこもることもできないだろう。

 

 少女は意を決して足を止め、振り返る。

 まだ幼さの残る顔を疲労と決意に強張らせながら、迫る闇の向こうの足音を睨みつけ、立て膝付いた。

 

 帽子がずり落ちてきたのを直し、額に汗で張り付いた銀髪を払う。

 右手に握っていた錫杖を捨て、赤いマントを跳ね上げた。

 吊るした矢入れから得物を取り出し、短い矢を番え、弦を引く。

 片目をつむり、狙いを合わせる。

 

 満天の星と月のもと、標的の姿は夜ながらはっきりと見えた。

 鬼灯のように燃える赤い瞳が、自分を餌食と狙っているのをありありと表している。

 身長は8フィート余り(約2.5メートル)。筋骨隆々。

 下半身は茶色の毛皮に覆われ、足先は蹄となっている。上半身は人間のものと似るが、頭部は人間のものとは異なっていた。

 牛である。牛の頭なのである。

 牛頭の怪物なのである。

 赤い目をした牛頭の怪物が、猛烈な速度で迫っているのである。

 

 ――クハァァァァッ……と、怪物がその息を吐いた。

 黄色く濁って見えるほどに濃いその息は、まだ距離が開いている筈の少女のところまで臭うほどだった。

 臭い。酷く臭い。肉食獣特有の、餌食ばかり喰らっているが故の生臭さだ。

 この怪物は牛頭ながら、人を食らうのである。

 

 森の一角で出くわして以来、ずっと駆け続けたが逃げ切れない。

 交渉の通じる相手でもない、逃げ切るためには斃す他はない。

 

 少女は金色の眼を細めると、弦をより強く引き絞る。

 

 自分を追う標的は巨大だ。だが素早い。仕留めるチャンスは限られている。

 少女は嫌な汗が肌を伝うのを感じたが、拭っている余裕などない。

 土煙を上げ、地響きを立てて迫る相手に、もう一刻の猶予もない!

 

 ――今だ! と思った瞬間に少女は矢を放った。

 

 少女が手にしているのは木と動物の革と腱と骨とを組み合わせて作った弓である。

 小さいながらも威力は充分、な筈である。

 

「!?」

 

 しかし矢は標的を射抜くことはなく、唸る棍棒の横薙ぎによって払われていた。

 標的はそのまま棍棒を振りかぶり、少女目掛けて突進を続ける。

 少女は二の矢を番おうとしたが、間に合わぬと悟って弓を投げ捨てた。

 錫杖を右手に拾い、左手には腰元から引き抜いた短刀を構える。

 だが、構えたときには、相手は既に目前まで迫っていた。

 

「――がっ」

 

 短剣を振るう間もなく、横殴りの一撃に体が宙に舞う。

 左手の骨が軋み、筋が叩き伸ばされる音を聞きながら、少女は暫し宙を駆け、破れ障子へと突っ込んだ。

 朽ちた紙片を、煤けた木片を飛び散らせながら、少女の体は廃堂の、半ば腐った板の間へと叩きつけられた。

 それは彼女にとっては幸運なことだった。柔らかくなった木々は、クッションの役割を果たしたからだ。

 とは言え、状況は何一つ改善していない。

 

「――ッッッ」

 

 痛みに霞む目で、襲撃者の姿を少女は見た。怪物は、堂の戸口に既に立ちはだかっている。

 少女は、その場から逃れんとあがいたが、うまくいかない。

 肺を打ったために、体がうまく動かないのだ。

 歪む視界のなか、牛頭の怪物が廃堂の中へと踏み込んでくる。

 その巨体に、腐りかけの床板が軋む。

 

 元は倒木の幹と思しき棍棒を、構え、少女をひき肉にせんと迫り来る。

 絶体絶命の窮地。

 

『……こんな夜更けにうるせぇなぁ』

 

 聞き知らぬ声がしたのは、まさにそんな時だった。

 瞬間、強烈な光が夜を昼と変え、同時に鳴り響いた轟音に、少女は思わず両目を瞑る。

 

 ――ぐわおおっ!?、と、怪物が呻きを上げて、廃堂から転がり落ちるが音で解った。

 

 少女は目を開けた。

 昼に変わった筈の夜が再び下りてきて、廃堂の中は闇が立ち込めていた。

 その闇の奥から、ぬっと人影がひとつ現れた。

 暗くて少女には顔が良く解らなかったが、それは男のようであった。

 そしてその手には、奇妙な形状の筒のようなものが握られていた。

 

『ちょいと失礼』

 

 奇妙な響きの声でそう言うと、男は少女の上を跨いで廃堂の外へと向かう。

 月光に照らされて、男の姿が明らかになった。

 口ひげを生やした男で、ひさしの大きな帽子をかぶり、革で作った外套をまとっているのが解った。

 男は手にしていた筒状のものを廃堂の床の上に捨てると、外套の裾を翻らせて屋外へと飛び出した。

 

 少女には、男の正体に心当たりがあった。故に、その名、というよりもその通り名を呟いた。

 

「まれびと……」

 

 夜を昼と変え、雷のような轟音を発し、筒状の不可思議な武器を使う者と言えば、それしかありえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――相変わらず、人生というやつはいかにも唐突でままならない。

 またも前触れもなく『こちら側』へとやってきた私は、その最初の一夜すら万事こともなく過ごすことは出来なかった。

 誰とも出会わず森を彷徨い、仮の宿に定めたのは、ボロボロのあばら家。

 床板は腐ってるしカビ臭いしだが、それでも屋根があるだけマシといえる。

 清國人の住居を連想させる意匠のあばら家は、元は何かの神殿だったらしいが、今では廃屋に過ぎない。

 裏に愛馬サンダラーを繋いで、神様らしき像の傍らでうつらうつらとしていた所に、コレだ。

 

 ――呼び出された時点で覚悟はしていたが、一晩も安穏と眠らせてくれるつもりはないらしい。

 

 飛び込んできたのは小娘と化物。

 どっちの味方をするかは言うまでもない。

 

 

 仮の寝床にしていた廃屋から外に出た。

 廃屋の前だけは木々がなく、雑草の茂る開けた場所になっている。

 私は、弾の切れたハウダーピストルを捨てた。

 切り詰めた水平二連式散弾銃によく似た見た目のそれは、散弾の代わりに60口径の鉛玉を装填する凶悪な代物だった。元々は密林で猛獣に出くわした時に、出会い頭にソイツをしとめる為にと作られたブツで、私はホテル以外の場所で夜を過ごすときにはコイツを必ず枕元に置いていた。

 撃鉄は2つあり、したがって引き金も2つある。その2つの引き金を針金で繋ぎ、一度に二発撃てるようにした。

 つまり、この牛頭の怪物は60口径を二発同士に食らったことになるわけだ。

 それが、どうだ。

 

「……まだくたばってないわけか」

 

 私は別に驚かなかった。

 『こちら側』では、それは驚くに値しない。

 どう見ても人食いの化物である牛頭は、胸から血を流しながら、うめき声を上げつつも立ち上がろうとしていた。

 そういう訳で私は、腰に吊るした二丁のコルトを抜いた。

 

「DUCK YOU SUCKER / くたばれ、糞ったれ」

 

 夜の闇にマズルフラッシュが花のように咲き、轟音と共に白煙と銃弾が吐き出される。

 36口径のコルト・ネービーでは、このデカブツを一発でしとめるのは無理だろう。 

 私は躊躇うことなく、左右のコルトの引き金を交互に弾いた。

 白煙が立ち込める様は、まるで汽車から吐き出される蒸気のようで、鳴り響く銃声は鳥どもを眠りから叩き起こし、夜空にバッと群れが飛び立つ。銃声と白煙の合間に、牛頭の悲鳴と、飛び散る血肉が踊る。

 十二発。撃ち込む頃にはさすがの化物も虫の息で、馬鹿でかい棍棒もその手のひらからこぼれ落ちていた。

 それでも、化物はまだ生きていた。

 

「……」

 

 私はダスターコートを左右に開いた。

 前の出来事、エゼルの村での戦いで私が痛感したのは、ヘンギースやスツルームの魔術師連中みたいな化け物どもを相手にするには、二丁のコルトと一丁のエンフィールドだけでは足りないということだった。

 だから、私は目一杯の銃を普段から持ち歩くことにした。

 ダスターコートの下には、弾を撃ちきったコルト・ネービー二丁の他にもまだ五丁のコルト・ネービーが控えていた。

 弾切れの二丁を腰のホルスターに戻せば、私は両脇のサイドホルスターより新たに二丁のコルト・ネービーを抜く。短銃身仕様、グリップも出っ張りの少ないバーズ・ヘッドモデルに換えた、上着の下に忍ばせるのに適した特別製だ。しかし、威力には変わりはない。

 私は牛頭の両目目掛けて引き金を弾いた。

 

 

 

 

 

 

 

「おい。もう良いぞ」

 

 コルトをホルスターに戻しながら、私は廃屋のほうへと呼びかけた。

 のそのそおずおずといった調子で、小娘が外へと出てくる。

 改めて見ると、奇妙な格好の娘だった。

 赤い、先っちょの曲がったとんがり帽子に、同色のマントを纏い、その下は先住民を思わせる、獣皮から拵えたズボンに上着といった出で立ちであった。

 右手には先端部に二匹の蛇が絡みつき、二枚の翼の生える意匠を備えた杖を持ち、腰には短刀を差している。

 肌は浅黒く、見目形は悪くない。ちょいと幼い印象だが、充分に美少女といえる面相だ。

 赤い先折れとんがり帽子の下からは、長い銀色の髪が伸びていた。爺さん婆さんの色が抜けただけの白髪とは違う、シルクのような柔らかい銀色で、それは私も思わず見とれてしまう程だった。

 

『……』

 

 娘はその不思議な金色の瞳で私をジッと見つめていた。

 敵意悪意のある視線ではないが、何を考えているのかは窺えない。

 結構な間、娘は私を見つめていたので、私が居心地が悪くなって身じろぎした。

 それを合図にしたわけでもあるまいが、唐突に娘は走り出すと、私の両手へと飛びつき言った。

 

『まれびとさんですか! まれびとさんですね! まれびとさんですね!』

 

 突然まくし立てられたもんだから、私は目を白黒させつつ曖昧に頷いた。

 すると娘は満面の笑みを浮かべ、感極まったといった調子の声で叫んだ。

 

『不敗の太陽! 光の君! 真実の神! 死から救うもの! 浄福を与えるもの! 広い牧場の君!ナバルゼ! アニケトス! インスペラビリス! インヴィクトゥス! そして牡牛を屠るもの、ミスラよ! 偉大なる君の御印に感謝いたします! 私めを「まれびと」と相見えさせまし給いたることを!』

 

 神がかった説教師のようにまくしたてるものだから、私は思わず彼女の手を離しそうになったが、しかしガッチリと握られていて話せない。

 金色の双眸は感激によってさらに輝きを増し、星が瞬いているかのようだった。

 

『あ、そうだ! 少々お待ち下さい、まれびと殿! 』

 

 飛びついてきたのと同様の唐突さで、彼女は私の手を離すと、駆け出した先は例の牛頭の怪物の所。

 何をする気かと思えば彼女は、死骸の上にまたがると、牛頭の角を掴んで首を持ち上げ、腰元の短刀を引き抜き、流れるような動きでその喉首を掻っ切ったのだ。

 既に死した怪物故に、流れ出る血には勢いはないが、それでも充分に夥しい血が大地へと注がれる。

 唐突に次ぐ唐突な彼女の行動には、私も唖然として言葉もないが、彼女はと言えば両目を瞑り、修道士みたいな悟った顔で何やら祈りらしきものを唱え始めた。

 

『……汝の流す血によりて、我らは救われん』

 

 ボソボソと呟いていたために、聞き取れたのは最後の部分だけだった。

 その最後の部分を唱え終わるやいなや、あう意味、化物以上に奇怪な光景が私の目に飛び込んでくる。

 地面に流れ、広がった牛頭の血から次々と何かが生えてくる。

 それは麦だった。麦穂だった。

 次々と伸びてくる麦穂は最初は青々しく、しかし瞬きする間に色は金色に変じている。

 数秒としないうちに、化物の死骸の傍らには小さな麦畑が出来上がっていた。

 

『私もいささか片腕が傷んでおりますし、まれびと殿も一戦(ひといくさ)経てお疲れでしょう。腹を満たして精気をつけねばです』

 

 よく見ると彼女の手にした湾曲した短刀は、麦穂を刈るのに適した形をしていることに、私は気づいた。

 

 

 

 

 

 

 

『さぁどうぞ、まれびと殿。ぜひ召し上がってください』

「……ああ」

 

 差し出された椀を私は受け取った。

 中身は芳しい香りを放つ麦粥であり、正直空腹気味だった私には極めて魅力的に見える。

 前回同様、前触れもなくこちら側に飛んできたものだから、銃の備えはあっても食い物の備えまではしていなかったのだ。干し肉をサドルケース――鞍に付属した雑嚢だ――に少々突っ込んであっただけで、ほかは何も持ってはいなかった。我ながら少々迂闊だとは思うが、ここに来る前は比較的短い距離しかない町と町の間を移動中だったので、それで充分だと思っていたのだ。

 そんな折、件の娘が不意に森の中へと走ると、すぐに荷物を抱えて戻ってきたのだ。

 あの化物から逃げる時に投げ捨てたものらしいが、荷物の中には鍋が入っていた。

 彼女は驚くべき素早さで麦を刈り取り、籾殻を取ると、雑嚢からラードらしきものと少々の水を取り出して麦を粥にしたのである。

 しかし、この麦がどうやって出来たものかを知っている身としては、素直に食べて良いものかと躊躇う。

 

『僅かながらですが油も垂らしました。味については申し分ないかと思います。血から麦穂を作ることで、ゴーズ特有の血肉の毒素も抜けていますから』

 

 どうも考えていることが顔に出ていたらしい。

 少女はやや慌てた様子でそう注釈する。

 どうでも良いが、あの牛頭の怪物はゴーズとか言うらしい。

 

「……いただこう」

 

 結局、私は空腹に負けて粥をすすった。

 腹腔に染み渡るとはこのことか。ひと仕事終えた後の飯は格別だった。

 

「美味いな」

『恵みの麦穂です。普通に育てるのとは訳が違います』

 

 彼女は誇らしげに言った。そして彼女自身も美味そうに麦粥を食らう。

 暫し言葉もなく、粥を私たちは食らった。

 腹も満ちてきて頭が回ってくると、ようやく私は、彼女の名前もまだ知らないことに気がついた。

 

「名前は?」

 

 彼女は即座に答えた。

 

『大ガラスのアラマです、まれびと殿』

 

 まるで与太者か先住民の勇者のように、少女は二つ名つきで名乗った。

 大ガラスのアラマ……何やら知らないが、曰くのありげな名前だ。

 

『レギスタンが都マラカンドの北、アフラシヤブ を目指す旅の途中でした。先程のことは感謝の念にたえません。使命の半ばで命を落とすところでした』

 

 何やら聞き慣れぬ単語が連発するが、どうも地名らしいことが私にはかろうじて解った。

 

「その……マラカンドとやらは、ここから遠いのか」

『あと3日ほどの旅路です、まれびと殿』

「ここら辺りで他の町は?」

『7日ほど道を西に向かえば、ホカツの町に着きます』

「……」

 

 思案するまでもなかった。他にどうしようもない。

 

「見たところ、道中も物騒だ。そのマラカンドだかって町までは、俺が用心棒を引き受けても良い」

 

 アラマの金色の瞳に、またも星が瞬く。

 

『願ってもないことです! やはり私がまれびと殿と出会ったのは不敗の太陽の思し召しに間違いないです! 貴方を導く役が私の使命に違いありません! まさしくこれぞ大ガラスたるこのアラマにふさわしい!』

 

 この後また、何やら得体のしれぬ聖句だか呪文だかが続いた。

 それを半ば聞き流しながら私は考えていた。

 何が起こっているのかは解らないし、何が目的でまたも呼び出されたかは知らない。

 しかし、ひとまずは生き延びることが先決だ。

 彼女は何やら説教師染みていて得体が知れない。

 それでも彼女と共に旅すれば食いっぱぐれることだけはなさそうだった。

 

 

 




登場人物も増えてきたので整理の意味もあって掲載しました
初めてお読みの方は、ここは読み飛ばすことをお勧めします
(2018 7/16)


【主な登場人物】

私……元南軍のガンマン。「まれびと」として再び異界へと迷い込む。

大ガラスのアラマ……「私」の導き手。光明神ミスラの信徒にして魔法使い。

イーディス……隻眼の女剣士。過去に別の「まれびと」と出会った経験を持つ。

キッド……もうひとりの「まれびと」。若いアウトローのガンマン。本名ジャンゴ=フランシス=ジロッティ。

色男……エルフの傭兵。クロスボウの使い手。

リトヴァのロンジヌス……傭兵。大剣使いの大男。

グラダッソ(虞蘭道宗)……セリカン出身の傭兵。元禁軍武術師範。

フラーヤ……『文字の館』の盲目の魔女。

イナンナ……宿屋の女将。金次第で春も売る。

ナルセー王……マラカンドの街を表から治める王。エーラーン人の武人。

ロクシャン……マラカンドの街を裏から治める男。ズグダ人の商人。

屍術士リージフ……スツルームの邪悪な魔法使い。

ヘンリー……元南軍の殺し屋。ヘンリー連発銃の使い手。

バーナード……元南軍の殺し屋。シャープス銃の使い手。


【魔物名鑑】

ゴーズ……牛頭の怪物。ミノタウロスめいた肉食獣。

蝗人(マラス)……アフラシヤブの丘に出現した昆虫人間。無数にいる。

ギルタブルル……アラマが召喚した使い魔。巨大な蠍人間。

獅子……アラマが召喚した使い魔。体格の良いライオン。

屍生人(グアール)……リージフの術により蘇り操られる死者たち。要するにゾンビ。



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第02話 ファー・カントリー

 

 

 

生きていれば、腹も減る。

 故に、その日の糧の為に、餌食を得ねばならない。

 ましてや道なき道を行く旅先とあれば、いよいよそれが重要になる。 

 

 スコープを覗き込めば、昨日の夜見たのと同じ怪物が映り込んでくる。

 ちょうど、運の悪い野の獣を棍棒で殴り殺している所だった。

 鹿に似たその獣の頭蓋は、一撃で粉砕されて、冗談のように目玉や血肉を撒き散らす。

 あんなのに殴られてよく、傍らの少女は軽いけがで済んだもんだと不思議に思う。

 

『……』

 

 大ガラスのアラマ、という名の銀髪の少女が、その金色の瞳を好奇心で一杯にして、私の背を見つめてくるのをひしひしと感じる。獲物を狙い撃つ瞬間は、どうしても銃口の先だけに集中してしまう。背中を曝すのはあまり気持ちが良いことではないが、まぁ仕方がない。

 

「――」

 

 私はスコープの向こう側に意識を向けた。

 狭い世界を過る十字線の先では、牛頭の怪物、ゴーズがしとめたばかりの餌食を喰らっている所だった。

 人は食事中は無防備になる。そこで背中を撃たれて、冷たい土の下に眠るはめになったガンマンの話は珍しくもない。そして、それは獣とて同じなのだ。

 深呼吸を一つして、呼吸を止める。

 手の震えが止まり、射線は一直線に定まった。

 あの怪物は頭が牛であり、恐ろしい怪力を持ったデカブツである点を除けば、人間と構造に変わりがないらしい。

 だから背中越しに、心の臓を狙う。

 その為には分厚い筋肉を貫かねばならないが、この得物ならば不可能ではないだろう。

 私はゆっくりと引き金を絞り、機を待つ。

 不意に、奴が立ち上がって周囲を警戒する。

 こちらの殺気を感じたのだろう。だが距離が離れすぎていたその元が解らないのだろう。

 頭を上げて、周囲を見つめている。むき出しの背中が、私の視線の下に曝される。

 私は最後のひと押しを引き金に込めた。

 反動、銃声、白煙。

 僅かな間が空いて、銃弾が標的に突き刺さる様が見えた。

 巨体が震える。しかし、手応えが浅い。

 

「チッ」

 

 私は舌打ちすると、素早く撃鉄を再び起こし、その下のブリーチロックを引っ張り開けた。

 ブリーチが開くと同時に、まだ熱く白煙吐く薬莢が飛び出してくるのを、私は手袋越しに受け止めた。

 薬莢は再利用するのだ。コートのポケットに押し込み、次弾を取り出す。

 

 ――レミントン・ローリングブロックライフル。

 

 50口径弾を使うこのライフルは後装単発式だ。連射速度は今日日はやりのウィンチェスターに比べれば劣るかもしれないが、弾薬の強力さと信頼性ならば段違いで、何より私の得意とする遠間の撃ち合いでは最適だった。バッファローハンティングなど大型の獣を狩る者たちの間でも、愛用する者は多い。

 愛用のエンフィールドをエゼルに譲った私は、代わりの得物を手に入れる必要性があった。

 できればイギリス製にしたかったのだが、諸事情あって国産のこのライフル銃に落ち着いた。

 実のところ、英国製への未練は断ち難かったので、そちらはそちらで結局手に入れることになったのだが、そいつの出番は別の機会になるだろう。

 私は次弾を装填し、ブリーチロックを閉じた。これで射撃準備は完了だ。

 スコープを再度覗き込み、痛みへの怒りに震える獣へと照準を合わせる。

 次は細かく狙わない。この大口径弾を二発も受けて生きてられる獣は早々いない。

 土手っ腹に曖昧に狙いをつけて、私は引き金を弾いた。

 今度こそ、牛頭の怪物はくたばって、草原の上にぶっ倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日食べたのと同じ麦粥を喰らって、かなり遅めの昼食とした。

 相変わらず麦粥は美味かった。元が化物の血だと思うと妙な感覚だが、臭い古びた干し肉よりかは良い。

 

『まれびとの武器は凄いものなのですね! ああも離れた所から相手を狙い撃てるのは、歴戦の弓手かはたまた魔術師か。何よりも素晴らしいのは間合い以上にその素早さです。白煙があがったかと思えばもう相手には当たっている! いったいどういう原理なのですか! どんな道具、触媒を用いれば、かくのごとき地上の雷霆を拵えることがですか! 』

 

 とまぁのべつ幕なしに話しかけてくるのが大ガラスのアラマだ。

 そんなに珍しいのか、そんなに面白いのか、彼女はこちあるごとに私に問いかけ、色々と聞き出そうとしてくる。

 好奇心に金色の瞳を輝かせ、まるで珍しい石を見つけた子どものように私を見てくるのだ。

 私は稼業の性質上に、自分について語ることはほぼ無い。自分を晒すことは、寿命を縮めることになりかねない。 

 所がこの少女はそんなことは構わずに質問と感嘆の洪水を浴びせかけてくる。

 まだ一日程度の付き合いだが、私は既に疲労困憊していた。

 

「……飯も済んだ。行くぞ。夜も近い」

 

 私は強引に彼女の問を遮って、出立の準備に取り掛かった。

 これ以上問いても無駄かと思ったのか、話し出すときと同じ唐突さで彼女はピタッと黙り込んだ。

 鍋をしまい、火に土をかけて消し、野の草を食んでいたサンダラーの鞍へと飛び乗った。

 

 私は今、サンダラーに乗ってはいない。

 小娘に歩かせて、自分が馬に跨っているというのは様にならないからだ。

 彼女も最初は恐れ多いといった感じで断っていたが、私が乗れと強く言うので、結局こうなった訳だ。

 サンダラーは不満げだったが、私はその鼻面を撫でてなだめた。

 幸い彼女は馬の乗り方をよく知らないので、鞍に横向きに腰掛ける、いわゆる横乗りをしていた。

 手綱をひくぶんには、こっちのほうが楽だった。

 

『いつか必ず教えていただきますからね! より整然と隊伍組んで進め! 戦いの術を磨くは、牡牛を屠るもの、ミスラの御心にかなう行いですからね!』

 

 何やら言っているが、私は無視して手綱を引いて進み始めた。

 まず目指すべきは、人のいる町だった。

 

 

 

 

 

 丘を3つほど越え、小さな森を2つ抜け、砂と岩ばかりの荒野を進めば、遂に目当ての街にたどり着いた。

 

『あれがマラカンドです。このレギスタンの地の都にあたる街です』

 

 アラマは、例の二匹の蛇と翼の杖で、彼方に見える街を指して言った。

 レギスタンとは「砂の地」という意味らしい。

 その街は、砂と砂利と岩の荒野の真ん中に、確かにあった。

 

「……」

 

 私は、その街を見た時、思わず言葉をなくしていた。

 それは、とても美しい街だった。

 空は抜けるように青く、その空を頂く家々の屋根もまた青い。

 空と大地の境目が、曖昧になるような青の街だった。

 街を覆う外壁や、家々の基礎は日干し煉瓦で作られているが、その白や薄い茶と、空や屋根の青が好対照を為していて、くすんだ土の色すら輝いて見える。

 街の中央には空に負けない青色の水を湛えた湖があった。おそらくはオアシスなのだろう、その周りに大勢の人影が群れているのが、離れたこの丘の上からもよく見えた。

 

『青の街マラカンド、と世の人は言うそうですが、まさにその名の如くに、ですね』

 

 私は黙って頷いた。青の街、全くもってふさわしい名前だ。

 

 

 

 

 道をゆっくりと進んでいくと、同道する人影が徐々に増えていく。

 いや、人影というのは必ずしも正確ではないかもしれない。あからさまに人ならざる影も数多いるからだ。

 例えば今傍らを通り抜けて先に言った栗毛馬の上には、どう見ても蛇頭の怪人が乗っかっていた。

 さらに言えば私達の後方には、狼のような顔した毛むくじゃらの姿も見える。

 

「……」

 

 私は帽子を目深に被って、驚きの顔が表に出ないように努めた。

 ここでは私は余所者だ。下手なトラブルは御免こうむる。

 

『ここマラカンドはズグダ人の造った都です。ズグダの民はあきんどの民です。ここにはあらゆる人が集います』

 

 隠したつもりが、アラマには顔が見えたらしい。そんな風に私に講釈をひとつ、私はいよいよ帽子を深く被った。

 数を増す同道人達の列に混じって、私たちは市壁の門を潜った。

 門の両端には、武装した番兵らしいのが立っていて、市内に入る人の列を監視しているが、道行く人の数は膨大だ。実際、どの程度見張りの役割を果たせているものやら。あるいは面倒事起こさない限りは、取り立てて取り締まる気も最初からないのかもしれない。

 商売柄からくる習慣で、その得物だけは記憶にとどめた。

 閉所でも使い勝手の良さそうな小槍を持ち、短弓を腰に下げている。

 槍はともかく、短弓は注意を要するかもしれない。

 

 

 

 

 市内に入れば、そびえ立つような家々の高さにまず圧倒される。

 遠目にも青い屋根を持つ四角い家々は塔のように高いなとは思っていたが、いざ中に入って下から見れば圧巻だった。東部のニューヨークのような、ヤンキーどものたむろする大都市に比べればどうだかは解らないが、西部の丈の低い建物に目が慣れきった私には、まるで覆いかぶさってくるような感覚すらある。

 家々は殆ど隙間もなく並び立ち、ひしめき合い、道は極めて狭い。

 にも関わらず路傍には行商が筵を広げて商売にいそしんでいるために、道の混雑具合は凄まじいものだ。

 商談らしい言葉や、客引きの言葉が飛び交い、聞きなれぬ単語の数々が左右より降り注ぐ。

 私はとにかく今は無心に、アラマの導きに従って街のなかを進んだ。

 

『この街に来るのは始めてですが、道順は伝え聞いて覚えていますので大丈夫です!』

 

 とは彼女の弁だが、確かによどみなく彼女の道案内は続き、不意に家屋の林と雑踏から抜け出して広場に出たときには、私は正直ホッとした。

 ここに来るまではずっと、少しでも空き地があれば、そこに行商がたむろする有様であったのに、この広場とくれば不自然なぐらいに人がいない。

 磨かれた石が敷かれた地面は陽光を浴びて輝き、反射光は広場を囲む3つの建物を照らしていた。

 この3つの建物は、これまで見てきた細長い方形状の日干し煉瓦づくりとは、全く意匠が異なっていた。

 3つの建物はいずれも台形型で、その表面はくまなくラピスラズリの青色で塗られている。

 広場に面する形で門が設けられ、その上部をアーチ部分には、何やら紋章めいた図像が描かれていた。

 私から見て左側は月と星が、正面には蛇がのたくったような文字らしきものが、右側には三角形をいくつも組み合わせた複雑な図像が備わっている。

 アラマは正面の建物を杖で指して言った。

 

『あれが私が最初の目的地である「文字の館」です。左側は「星の館」、右側は「数の館」になります。レギスタンのみならず、この辺りでは最高の学者達を揃える学府なのですよ!』 

 

 言うなり彼女は馬からぴょんと降りると、相変わらずの唐突さで「文字の館」とやらに向けて駆け出した。

 私はもういい加減慣れてきたので、ため息もつくことなくのろのろと彼女の後を追った。

 

『たの――』

 

 アラマが門の前で呼びかけようとした所で、ひとりでに門は開いた。

 彼女がパチクリしている横に私がやって来れば、門の奥から独りの女が歩み出てくる所だった。

 

『お待ちしていました、大ガラスのアラマ、そして彼方より来るまれびとのかた』

 

 鈴のなるような蠱惑的な声が、その美しい喉から漏れた。

 栗色の髪をした、豊かな肢体を緩いローブで包んだ女は、アラマ同様に先の折れたとんがり帽子を被り、同色のマントを纏っていた。

 

『私は太陽の使いのフラーヤ。あなたがここに来ることは、既に解っていました。歓迎の用意も整っております』

 

 そう言って彼女は私のほうを見た。

 否、彼女は見てはいない。ただ双眸を向けただけだった。

 彼女の両目は、白く濁っている。彼女は盲目であった。

 

 



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第03話 ブラックゴッド、ホワイトデビル

 

 

『さぁ、中へどうぞ』

 

 盲目の女は、それを感じさせぬ自然な歩みで、私達を奥へと誘った。

 誘われた以上は、それを受けるのが礼儀というものだろう。

 私が先に一歩踏み出せば、自然とアラマが私のあとに続いた。

 

『私、ここに来るのが楽しみだったのですよ。「文字の館」と言えば、当代並ぶもの無しと噂の大図書館ですから』

 

 一応は場所柄に気を使ったのか、エクスクラメーションマークのつかない程度の声量でアラマは私にそう言った。

 短い廊下を抜ければ、果たして彼女の語る評判に違わぬ光景が広がっていた。

 

「……ヘェ」

『うはあ!』

 

 前に一度だけ大聖堂というやつをお目にかかったことがある。

 ニューオーリンズでの仕事を請け負った時、別に信心深いほうでも無いくせに、物見遊山気分でセントルイス大聖堂を覗いたのである。ミシシッピ川の末の末、湿地ばかりのこんな場所の大聖堂たぁどんなもんだと小馬鹿にして見に行ったものだが、いざ中に入ってみれば中々に凄い作りで感心させられたものだった。

 

 あの時見た大伽藍を思わせる、天突ばかりに高く丸い天井が私達を見下ろしている。

 

 丸天井の下には四角形の大広間となっていているが、横壁には窓一つないのに決して暗くはない。

 ドーム状の天井には幾つかの明り取りの窓が設けられて、そこからは陽光が線となって注いでいるからだ。

 円蓋の表面は深い青で塗りつぶされた上に、無数の星に、太陽と月が描かれている。

 一面緑色に染められている側面の壁はと言えば、その上に夥しい白い線の文様が踊っていた。

 よく見るとそれは文様ではなく文字だった。蛇がのたくったような文字が、絡み合う蔦のように壁面に踊っているのだ。それらは私には全く読めないが、しかし模様として見ても未知なる文字列は充分に美しかった。

 

『奥へどうぞ』

 

 フラーヤが、神秘的な感激に動きが止まってしまった私や、同様に固まっていたアラマへと先に進むよう促した。

 正気に戻って私は、先に進むフラーヤのあとを追う。

 広間の中はまるで本棚の林で、幾何学的に並べられたそれらはどれも丈が高く、最上段には私が手を伸ばしても届かないほどだった。収められているのは、私には見慣れた冊子状の本ではなくて、木の棒を軸にした巻物や石版で、それらを整理するためかローブ姿の男達がせわしなく本棚から本棚へと歩き回っている。

 そしてどういう絡繰かは解らないが、盲目の筈の彼女は、まるで見えているかのように本の海の中をスイスイと進んでいく。

 追いかける私たちはと言えば、すれ違うローブ姿の男達を避けたりなんだりしているうちにどんどん遅れているというのに、フラーヤの歩みは淀みが全くないのだ。

 釈然としない思いのまま、私は無理して追いかけるのを諦めた。

 彼女が広間の真ん中に進んでいることは見当がついたからであるし――。

 

『「秘めたる剣の六つの鞘」じゃないですか! まさか東方兵法の奥義書にであえるなんて!』

『これは「ヤスナの書」! マズダの神の聖典がかくも完璧な形で残っているとは! 』

『「遡行戦記」! 双角王も読んだと言われる伝説の一万人の撤退! 』

『え、「エンメルカル紀」!? こんなに古いものが……私は名前を伝え聞いたことしかない書ですよ!』

『かかかかかかか「影の王国への九つの扉」ぁぁぁっ!? せせせ世界に3つしか無いというででで伝説がわたたたたたしのめめめめのまままま――』

 

 こんな調子で本棚の中に珍しい本を見つけるたびに驚いたり喜んだり泡吹いたりしているアラマの、襟首を掴んで歩かせるのに手間がかかったからであった。

 

 

 

 

 

 ようやく大広間の真ん中にたどり着いた頃には、フラーヤは既に準備万端といった調子で待ち構えていた。

 

『さぁ、お座りください』

 

 勧められるまま、大広間の真ん中にでんと置かれた円卓の一角に、私は座った。

 アラマも私の横にちょこんと座る。

 卓上には歓迎のつもりか、酒の香りが漂う土器の水差しが置かれていたが、私は手をつけなかった。

 私が人前で酒を飲むのは、絶対な安全が確保されている時だけで、そういう状況は中々なかった。

 しかしアラマはと言えばそんな私の都合など知ったことはないので、普通にグビグビ酒を呷っていた。

 

『お酒がお気に召さぬようならば、ホルマーの実はいかがですか? よく熟していますのでお口にもあうかと』

 

 どうやって私の様子を察したかは解らないが、フラーヤがそう言えば、ガラスの椀に何やら果実を干したらしいものを載せて、ローブ姿の男が私の前に出してきた。

 アラマの前にも同様に出せば、酒のツマミとばかりにもぐもぐ遠慮なく食べ始める。

 声に出して勧められた以上、断るのは無礼に当たる上に、のんきにもぐもぐ食っているアラマの姿を見ると、なんだか余り警戒するのもアホくさくなって、私はホルマーなる果実を口に投げ込んだ。

 見た目から干しぶどうのようなものを想像していたが、それよりももっと食感が粘質で、甘みもずっと強い。

 だが、不味くはない。むしろ、旅の疲れが残る体には、この甘味が染み渡るように旨いのだ。

 私は酒が飲めない腹いせもこめてことさらバクバクと食らった。傍らのアラマの食いっぷりに影響された訳では無論無い。

 そんな私たちの姿を、フラーヤは例の濁った双眸で、見えぬはずなのに見つめているばかりである。

 

 

 

 

 

『……貴方がたがここに至ることは、この書に記された神託より既に知っていました』

 

 私達がひとしきり飲み食いを終えて、落ち着くのをわざわざ待ってからフラーヤは話し始めた。

 これには私も緩んでいた気を引き締めなおして、椅子にもまっすぐに座り直す。

 前の場合、つまりエゼルの村の時は、私の“役割”を「占い婆さん」が知らせる役を担っていた。

 今回はおそらく、このフラーヤがその役割を担っているのだろう。

 二回目のことだけに、私は特に戸惑いもなくそう辺りをつけていた。

 

『エーラーンのシビュラがク=バウより授かって曰く……』

 

 フラーヤの手元には、一枚の石板が置かれていた。

 そこに刻まれている、何やら楔のような鏃のような妙な形の文字らしき列を彼女は指先でなぞり、その意味する所を唱え始めた。

 

『陽が白羊に入りてのち、太陽が十一回昇りて、砂の原、青き都、大ガラスの導きによりてまれびとぞ来たらん。全ては、蘇る死者と対せんがためなり』

「……蘇る死者?」

 

 何やら聞き慣れぬ単語の連続で意味はさっぱり解らなかったが、そこだけは私にも理解できた。

 蘇る死者……夜な夜な蘇って生者の血を啜る屍のお伽噺は聞いた記憶があるが、よもや今度の相手は亡者というんじゃあるまいな。勘弁してほしい。屍人に復讐されるとしたら、いったい私などは何人相手にせねばならぬことやら。

 

『エーラーンのシビュラの書は、神より授かった言葉で書かれております故、定命たる人の身ではその全てを理解することは難しい……ですが、私にも貴方がたが来ることを意味していることだけは読み解くことができました。おおあガラスのアラマ、真実の神の導きに従い、よくぞ聖なる務めを果たしましたね』

 

 アラマは感激した様子で立ち上がると、腕を交差させながら胸元に両拳を当ててみせた。

 恐らくは彼女たちの間での、十字を切るとか敬礼をするとか、そういう類の仕草なのだろう。

 

『お褒めに預かり、恐悦至極です太陽の使い! 不敗の太陽の御心に従い、一層務めには精進したいと考えています!』

 

 元気いっぱいのアラマの様子に、フラーヤは上品に微笑みを返した。

 

『あなたの仕事については、偉大なる父の父にもお伝え申しておきましょう。必ずや良いお沙汰があるでしょう』

 

 同じような赤い先折れトンガリ帽子を被り、同じ意匠のマントを纏っていることから、彼女たちが同じ組織に属していることは私にも察しがついていた。大ガラスだの太陽の使いだのは、その組織の中での階級を表していて、そして父の父とやらが、組織のなかでの最重要人物というわけだ。

 アラマの口から出てきた言葉を察するに、ミスラ、という神を彼女らは信仰しているらしい。

 要するに、教会の類ということなのだろう――。

 

『さて、まれびと様……』

 

 そんな思考の海に沈められていた私の意識は、フラーヤの呼び声で現実に引き戻された。

 どこ見てない濁った瞳が真っ向、私の瞳を見つめていた。

 

『古来より、「むこうがわ」からの異邦人は、決まって何か、あるいは誰かと戦うために呼ばれ、この地へと舞い降ります。その何かはいまだわかりませぬが、貴方が還るためにはそれを斃す必要があります』

 

 私は彼女の言葉に頷いた。そのことについては、前に一度経験してよぉく知っている。

 

『しかるに、その正体が解るまで、この館に留まってはいかがでしょうか? この「文字の館」は知識の宝庫……必ずやまれびと様のお役に立つと想いますが』

 

 彼女の申し出に私は少し考えた。

 なるほど、右も左も解らないこの街で、多少なりとも事情を通じた連中と共に動ける利点は大きいだろう。

 しかし、私の答えは。

 

「そいつは遠慮しておこう」

 

 であったのだが。

 

 

 

 

 

『どうして太陽の使いフラーヤ様のお誘いを断ったのですかまれびと殿! フラーヤ様は私と同じ不敗の太陽、ミスラの神の徒です。この街において他に信のおける人など、いるはずもありません!』

 

 雑踏をかき分け進む私に、その雑踏に負けない声でアラマは抗議した。

 私は最初、まくし立てながら付いて来る彼女を無視していたのだが、流石に辛抱できずに振り返った。

 

「あのな。俺かりゃすりゃこの街に信じられる手合なんざ独りもいやしないんだよ。彼女がどんだけお偉い人かは知らんが、それこそ俺には知ったこっちゃない」

『んな!』

 

 失敬千万とばかりに、アラマは頬を膨らませた。

 

『ミスラの徒にあって、太陽の使いを任ぜられることがどういうことか、まれびと殿はまるでご存じない! 大ガラスたる私が言うのもおこがましいが、まずは蜂蜜を――』

 

 まくしたてまくる彼女の口を、掌で軽く塞いで黙らせる。

 ため息をひとつついて、私はこの猛烈娘に、私なりの理というやつを問いてみせた。

 

「俺は一匹狼だ。できるならベッドに入る時は寝込みの心配をしないで寝たいんだ。そこを考えるに、あそこは人が多すぎた。フラーヤが仮に信がおける相手だとして、他の連中までそうとは限らんだろう」

『……そうは言ってもまれびと殿は、私に背中を預けて野で共に夜を過ごしたではありませんか!』

「そりゃ他にせん方なかったからだ。こうして街に着いた以上、道案内も別になくていい。不満なら、お前さんはあの館に帰るがいいさ」

 

 この私の言葉に、アラマはさらに心外千万と一層頬を膨らませた。

 

『私は大ガラス、まれびと殿導き手です! こうしてめぐり合わせられたのもミスラのご采配! 地の果て、海尽きるまでお供させていただきますよ!』

「……そうかい」

 

 私は前に向き直って、サンダラーを手綱でひきながら歩みを再開した。

 アラマはプンスカ頭から蒸気機関車みたいに湯気を立てながら付いて来る。

 まぁ、この娘に限って言えば裏表まるで無いのはここまで道行きで良くわかっている

 案内人が独りもいないのも色々と面倒だ。彼女ならば、別に付いてきても害はないだろう。

 そんなことを、私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……』

 

 まれびとが去ったあと、フラーヤは独り、「文字の館」の隠された一室の中にいた。

 見えぬはずの両目で彼女が見つめるのは、壁に刻まれた神像のレリーフである。

 牡牛の首を刃で掻っ切り、流れる血潮で大地に恵みをもたらす、赤い先折れのとんがり帽子に、マントを纏った雄々しき戦神と、その姿の傍らに獅子頭人身、体躯に巻き付く蛇に一対の翼、携えられた錫杖という異形神の姿が、見事な彫刻で描かれていた。

 彼女の濁った瞳が注がれるのは、いったいどちらの神であるのか、視線が読めず窺い知る術はない。

 

『……彼らを追いなさい』

『大ガラスのアラマに任せればよかろうに』

 

 フラーヤが背後の闇に呼びかければ、まるで亡霊のように現れた人影が一つ。

 庇の大きな黒帽子の下には、黒い肌をした相貌がひとつ、闇の中に白目と黒目がはっきりと色分けされた双眸がふたつ備わっている。

 メキシコや南米でインディオ達が着るような、ポンチョめいた外套に身を包み、その下に何を隠しているかは全く解らない。確かなのは、酷く剣呑とした気配を背負った男だということだ。

 

『彼女は所詮、西から来た人間です。信用はできません』

『御意に』

 

 フラーヤの意を受けた男は、現れたときと同じ唐突さで闇の中へと消えた。

 部屋には、フラーヤだけが残された。

 そして相変わらず、彼女の濁った瞳が注がれるのは、2つのうちどちらの神であるのか、窺い知る術はなかった。

 

 

 



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第04話 イースト・ミーツ・ウェスト

 

 

 

 

 相変わらず往来は人や人に非ざる者たちがひしめいて、その流れは尽きることがない。

 露天商が様々な商品を広げ、客引きの声を張り上げれば、それらが混じり合ってまるで田舎の聖歌隊の有様だ。

 林檎や葡萄に似た果物から、逆に全く見たことがない珍奇な果実まで。

 ボロのような古着から、刺繍も鮮やかな織物まで。

 あらゆる文物が売り買いされ、特に食べ物の発する匂いは私の胃袋目掛け飛んできては底から揺さぶりをかける。

 早い話が腹が減ってきたので、ふと目についた飯屋兼宿屋といった風情の店の扉を潜った。

 どうやらアラマも私と同じ想いだったらしく、彼女もすぐさま続いて店へと入る。

 ……私の記憶が正しければ、彼女はフラーヤの館で、例のホルマーの実とやらをバクバク喰っていたような気がしたが、気のせいだったろうか。

 

 サンダラーを玄関先に繋ぎ、店に入れば、中は混んでいたので結局テラスのような所に落ち着いた。

 料理そのものは頼んだらすぐにやってきた。

 巨大なパンに、ペースト状のもの、壺型の木の杯には葦のストローがささっている。

 まずは喉が乾いているので、杯へと手を伸ばす。

 ――コーヒーが飲めるなら言うことは無いのだが、ここは遥か彼方の異界だ。

 そう贅沢も言ってられないと、葦の茎に口をつけ、それを通して木の杯の中身を吸い上げる。

 先細りの壺のような形の杯の中身は並々注がれた湯と、同じぐらいぎっしりと詰められた「茶葉」だ。

 茶葉とは言ったが、イギリス人が飲むような紅茶のそれとは違って、もっと緑の色が濃い何かの葉っぱで、恐らくは乾燥させて細かく刻んである。

 普通にコイツを呷ったら口の中身が茶葉だらけになってしまうからだろうが、葦の茎の最後の節以外を抜いて、残った節には針で細かい穴を開けたものを通して飲むという風になっている。南米じゃこんな感じで茶を飲む習慣があるって話を、どこかの港町で船乗りに聞いたような記憶があるが、相手は酔っ払いだ、本当のことを言っているのかは解らない。

 

「……苦いなこりゃ」

『それが良いんじゃないですか!』

 

 向かい合った席でアラマが元気よくそう言った。

 まるで意外に舌が餓鬼なんですねと言わんばかりの顔だったので、私はもう一口、葦の茎から吸い上げてみる。

 ……やはりこの独特の青臭さのある苦味は余り好きになれそうにないし、コーヒーが飲みたくてたまらない。

 

『マラカンドの街は美しいだけではなくて、食べ物も美味しいとは聞いていましたが、噂通りのようですね!』

 

 それに関しては私も全く同意だったのだ。頷き返す代わりに分厚いパンを千切って口に放り込んだ。

 真ん中が大きく窪んだ形の、厚みのあって丸く巨大なパンは、中身がぎっしり詰まっていて喰いごたえは抜群だ。その上、胡麻に似た小さな粒がまぶされていてこれが香ばしくて実に良い。良い小麦――あるいはそれに似た異界のもの――を使っているのがよく解る食感だった。

 もう一度パンを引きちぎると、今度は傍らに置かれた椀の中身につけて食べてみる。

 椀の中身は豆らしきものを潰したものに、卵と油とを絡めたものだが、これがパンと中々に相性が良い。

 ちょうど、ベイクドビーンズをパンと一緒に食う感じだが、こちらのほうが味は深かった。

 

『マラカンドは地下深くから水が湧く場所なんですよ! それも大量に! だからこそここはレギスタンの都な訳です!』

 

 ここに来るまでの道中に、街の中央にある巨大な泉の傍らも通ったが、確かに街の真ん中にあるにも関わらず水は澄んでいて、しかも滾々と湧き出続けているのが良く解った。

 砂と砂利と岩の荒野のなかにあって、この街の周りだけには緑が溢れ、葡萄畑めいた畑には、葡萄めいた実が蔓草と一緒に枝から垂れ下がっている様も、マラカンドに来るまでの道すがらで既に見ている。

 レギスタン(砂の地)にあって、ここだけはまるで楽園だ。これだけ人が集まるのもよく解る。

 

『それに加えて、この街はセリカンとミクリガルズルとを結ぶカルワーン道の真中にあるんです! ここは商売の種の宝庫ということで、自然と人が集まるようになった訳です!』

 

 ……またま解らない単語が次々と出てきた。

 私が説明を求めれば、アラマは意気揚々と講釈をくれたので、それを要約すると次のようになる。

 カルワーン道というのは要するに隊商の通るルートという意味で、セリカンなる東方の帝国とミクリガルズルなる西方の帝国とがこの道で結ばれ、それぞれの特産品が行き来しているのだそうだ。

 レギスタンの地は2つの帝国の中間に位置し、さらにマラカンドの街はさらにその中間に位置している。

 故にこの地の住人たるズグダ人達は、古くから東と西とを仲介する商人として商いに勤しんでいたそうだ。

 

『つまり、このマラカンドの街は金のなる樹……それだけに諸王の狙う角逐の地でもある訳です』

 

 なんでも、この街を造ったのは元々ここに住んでいるズグダ人達であるのだが、このレギスタン一帯に王として君臨しているのはズグダ人ではなくて、南西の地より来てこの地を征服したエーラーン人なる連中だそうだ。

 

『今、このマラカンドを都にレギスタンを治めているのはエーラーン人の王ナルセーなんです。ほら、この御方ですよこの御方!』

 

 そう言ってアラマが私に見せたのは、一枚の銀貨だった。

 その表側には、王冠を被り立派な髭を蓄えた男の横顔が打たれていた。

 

『元々はエーラーン王の末子で、王冠を頂けるはずもない身の上だったのですが、兵を集めレギスタンを征し、この地に自らの国を興した御方です! 大の戦上手との評判なんですよ!』

 

 アラマの説明を聞きながら、銀貨の打刻をつぶさに眺める。

 機械で打ち出した1ドル銀貨の細工には負けるかもしれないが、それでも王の横顔は精巧そのものだった。

 その国の盛衰を見たければ、その国の出している銭を見るのが一番確実だ。

 今は風とともに消え去った私の「祖国」でも、戦争の末期ではあらゆる意味で紙屑同然のドルが溢れかえっていたのを、今でも良く覚えている。

 手の中の硬貨は額に入れて壁に飾っても問題なさそうなのとは、全くの正反対だった。

 

『前に見せていただいた、まれびと殿の国の銀貨も見事なものでした!さぞかし、素晴らしい国なのでしょうね!』

「……まぁね」

 

 私は生返事と共に銀貨を返し、視線で講釈の続きを促した。

 

『とにかく、ナルセー王の軍は強くて、今やレギスタンに国をたててから十余年経ちますがまるで揺るぎなしなんです! 特に恐れられているのが「チャカル」と呼ばれる王の親衛隊で――』

 

 彼女がその名を口に出した時だった。

 

『何がチャカルだよてめぇこのドサンピンがよぉ!』

『流れの食い詰めモンの寄せ集めの癖して大きく出てるんじゃねぇぞコラァ!』

『叩き殺されてぇか!』

 

 ――とまぁチンピラ丸出しの怒声が響き渡り、アラマはギョッとした顔になって肩をビクリと震わせた。

 

「後ろだ」

 

 私が指差す先では、往来であからさまなゴロツキが三人ばかり、一人の女に絡んでいる所だった。

 ゴロツキどもは揃って赤や青といった原色が見る者の目に突き刺さるド派手な格好に身を包んでいた。無法者なりの男伊達というヤツなのだろうが、無頼の生活の賜物というやつか、着崩され垢じみて風情は欠片もない。

 何より、その面相が悪党丸出しで、あれじゃ何を着たとしても物盗り以外の何者にも見えないだろう。

 

『……まぁそう声を荒立てるな。別に喧嘩を売りに来た訳じゃない。ただ、このご老人に代金を支払えと言っているだけだ』

 

 それと相対している女はと言えば、ゴロツキどもとは対照的な格好をしていた。

 カウボーイのように庇の大きく山の高い黒帽子を被り、襟のついたマントを身にまとい、その下からは頑丈そうな革仕立てのブーツをのぞかせている。

 私達の側からは、その背中しか見えないが、長い金髪を三つ編みにして垂らしていることは解った。

 またマントの膨らみから、左右に一振りずつ刀剣を吊るしていることが解った。

 

『いくらお前たちが無頼不逞の流れ者とは言え、ザクロの実の代金ぐらいは持っているだろう』

 

 ゴロツキ三人組の真ん中の手には、確かに歯型も目新しい食べかけのザクロの実があった。

 さらに見れば、殴られてへたり込んでいるらしい露天商の爺さんの姿も傍らにあった。

 どうでも良いが、こっちにもザクロの実はあるらしい。

 

『おうともよ。この街に来る道すがら、ひと働きしてきたからな! だが金の使いみちはこんな腐れ柘榴じゃあねぇぜ!』

 

 ゴロツキは柘榴を投げ捨てると揃って凄んでみせた。

 腰に巻かれた帯に、大型のナイフが抜き身で差してあるのが見せびらかされる。

 拵えから安物なのは明らかだが、しかしその刃が脂に曇っていることもまた明らかだった。

 

『ひと仕事か……そのひと仕事とは何だ?』

『豚の腸をえぐり出して、川に沈めることよ』

 

 女が問うのに、ゴロツキの一人がそう答えた。

 傍から聞いている私としては別に何も面白くなったのだが、チンピラどもはニヤニヤと顔見合わせて笑い合う。

 

『ついでに腰にぶら下がってた重い袋も切り取ってやったなぁ』

『だがワタ抜いてやったから大丈夫さ。脂ばっかの腐った肉も浮いてきやしねぇ』

『……なるほど。揃って悪党面をしているだけはあるな』

 

 ゴロツキどもの脅し文句に対し、女が返したのは感嘆もわざとらしい皮肉な物言いであったが、どうやらチンピラには冷笑を解する頭はなかったらしい。

 

『そうともさ、悪いことは何でもやった』

『殺しに盗みに強請りにたかり……』

『やってねぇのは謀反ぐらいのもんだな!』

 

 そう言ってゲラゲラ笑い合う男たちへと向けて、女はこう言い放った。

 

『なるほどなるほど。つまり斬り殺されても一切文句は言えない身の上な訳か』

 

 瞬間、空気は一変した。

 ゴロツキたちは帯のナイフへと手を伸ばし、勢い良く引き抜いた。

 対する女は、左腰に差している曲剣の柄頭に、右掌をのせているままだ。

 

 ――今になって思えば、彼女は相手から先に動くのを待っていたのだということが解る。

 相手が先に抜いたとあれば、相手を斬り殺したとしても相手の責任になる。 

 そして彼女には、相手に先に抜かれようともそれより速く剣を振るう自信と実力があったのだ。

 

『お?』

『あ?』

『う?』

 

 キラリと鋼の煌めきが視界を過ぎったかと思えば、既に決着はついていた。

 血の噴水が挙がれば、ナイフを握ったままの右手が転がり、腸が大地へと零れ落ちる。

 

『あ――』

 

 真ん中のチンピラが肘から先の無くなった右手を唖然として眺める左右で、首を斬られた男と腹を斬られた男が斃れこむ。

 

『ああああああああああああああああああああ!?』

 

 右手を斬り落とされたチンピラが、斬り口から吹き出す己の血に叫びをあげる左右で、首を斬られた男の眼から光が失われ、腹を斬られた男は暫し血の泡をゴボゴボと吐き出せば、すぐに仲間の後を追った。

 

『……亡骸ふたつ、いやみっつの始末を頼むとしよう。手間賃はコイツラの懐の中身だ』

 

 女は、ゴロツキどもをしとめた刃の血を払いながら野次馬目掛けてそう言った。

 それを合図に、野次馬の中からがめつい連中が飛び出してきて、まだ暖かい骸を二つ担ぎ上げ、続けて半死の男も一緒に担ぎ上げる。ゴロツキが失血死するまで待てなかったのか、どこからかナイフの刃が飛び出してきて、右手を失くした男の胸に突き刺さる。叫び声も途絶えて、瞳は意志を無くした。

 

『……マラカンドはあらゆる人の集まる場所。それだけに物騒でもあるんですねぇ』

 

  アラマは見目形が美しく、服装を街のスタイルに改めればどこぞのご令嬢かと思う程なのだが、目の前で繰り広げられた一連の出来事を受けての感想が「物騒」の一言である辺り、やはり彼女も「こちらがわ」の人間なのだなぁと私は改めて思った。

 まぁ同じく荒事慣れしている私も、彼女と同じ感想しか抱かなかった訳だし、何より私の第一の関心は死んだゴロツキどもなんぞに向けられてはいなかった。

 

 ――ゴロツオども三人を瞬く間にしとめた女の手にした、その美しい曲剣にこそ、私の視線は注がれていた。

 

 サーベル然とした、三日月のように湾曲した片刃の剣身は冬の湖のように冷たく透き通っていて、今しがた人を三人も斬り捨てたというのに曇りひとつないのだ。

 かつてパルティザン・レンジャー(騎馬遊撃隊)の一員として戦場を師匠とともに駆けた私は、ヤンキーどもの青い騎兵隊とも何度か遭遇した経験がある。南軍の騎兵はサーベルよりも銃を好んだが、ヤンキーどもはその逆だった。実際、奴らの使うサーベルは恐ろしい武器ではあったのだが、それだけにその詳細をよく覚えている。

 鈍い輝きを放つ剣身は分厚く、真鍮などを用いた偽の金色に輝くナックルガードを備えた片手用の得物……それが私の中にあるサーベルの記憶だ。対するに、女の持っていた曲剣はサーベルと全く違っていた。

 カミソリのようにシャープな片刃の刀身は反りが緩やかで、ナックルガードの無い柄は両手で持てるほどに長い。

 鍔はあるが、角を落とし丸みを帯びさせた四角形の板状で、私が今まで見てきたどのサーベルとも形状が違う。

 いや――。

 

(前に見たな、どこかで)

 

 とっさに記憶を紐解けば、脳裏に浮かぶ一枚の画。

 そうだ。確か前に新聞でみた筈だ。それは写真ではなくてイラストであったが、確か太平洋の向こう、東洋の島国からやって来たという一行について書かれた記事に添えられていたのだ。

 不可思議な格好をした男たちの腰には、確かに彼女が持っているのと同じ剣が差さっていた。

 

『――』

「ッ!?」

 

 私の意識が唐突に思考から現実へと引っ張り戻されたのは、視線を感じたからに他ならない。

 気がつけば女は刀を納め、振り返っていた。

 彼女は私を見ていた。私の灰色の瞳と、彼女の緑の隻眼とが交差した。

 そう隻眼だ。右目は黒い眼帯で覆われ、残った緑の左目が私を見つめていたのだ。

 よく見れば女優のような優美な顔立ちにはまるで可憐といった印象はなく、手にした得物からくる印象を裏切らない、カミソリめいた鋭い気配の女だった。

 顎先に走った刀傷が、彼女の持つ殺伐とした気配をさらに強調していた。

 

『……』

「……」

 

 彼女は口角釣り上げ、私へと獰猛に笑いかけた。

 私は黙ってただ見つめ返せば、それに何を言うでもなく彼女は踵を返し、雑踏の海を割って往来の向こうに消えた。

 アラマが遠ざかる背を見ながら言った。

 

『あれが「チャカル」です。各国の勇士を集めた、ナルセー王の親衛隊です』

「各国の勇士……ね」

 

 なるほど、確かにそうらしい。

 

 

 

 

 

 

 物騒な食事を終えた後、私たちは店を出て往来へと戻った。

 今晩を明かす宿を探すためだが、これがなかなか眼鏡にかなうものが見つからない。

 気づけば、人気のない区画へと迷いこんでいた。

 

『ここは職人たちの住まう鍛冶場町ですね。たぶん、お宿の類はないかと思います』

 

 アラマの言う通り左右の家々から聞こえてくるのは鎚の音ばかりで、無数に伸びた煙突から吐き出される白煙に空はけぶり、煤けた臭いで辺りは満たされている。

 そして住人たちは自分たちの仕事に集中していて、往来にはまるで誰もいない。

 

「……」

『まれびと殿?』

 

 私がムスッと黙ったままでいるのに対し、アラマが顔を覗きんでくるが、反応を返す余裕もない。

 マズい――と、私は思っていた。人気のない場所へと迷いこんでしまうとは、迂闊にもほどがあった。

 

「……さっさと抜けるぞ」

『え? あ、はい! と言うか速いですよまれびと殿!?』

 

 サンダラーの手綱を引いて早足に進めば、あわててアラマが追いかけてくる。

 彼女には悪いとは思うが、正直な所、私には心の余裕がまったくなかったのだ。

 

 そもそも私がたかが宿選びごときに時間を無駄に費やしてしまったのは、背中に感じる謎の視線のせいだった。

 例の飯屋を出た直後辺りから、ずっと誰かが私の背中を追いかけている。

 私はガンマンだ。ガンマンが気をつけるべきは背中から撃たれることだ。

 謎の気配を振り切るべく歩き回ったが、相手は付かず離れず、影のように付いてきている。

 そんな相手が、何か仕掛けてくるなら、ここは邪魔の入らない絶好の場所だった。

 引き返すことはできない。相手は背後にいるからだ。

 ならばここを駆け足に抜けるしか無い。

 何度も曲道を抜けて、不規則に私とアラマとサンダラーは歩き回る。

 そんなことを幾らか繰り返した後、私達の歩みは突然に止まった。

 

「……」

『見事なまでに通れないですね』

 

 アラマの言うとおり、薪を満載した荷車が道を塞いでいて、私たちはともかくサンダラーを通らせることができない。

 引き返すべきかと振り返れば、その道は既に塞がれていた。

 

『……あれは、さっきのチャカルの』

 

 アラマの言うとおり、今来た道の真中には、亡霊のように現れた山高で庇の広い帽子の影がひとつ。

 緑の隻眼で私を見つめるのは、チャカルやらに属する、東洋めいた得物を操る女剣士であった。

 女は、またも私に笑いかけると、マントの右側をバサリと開いた。

 例の曲刀の柄が顕になって、そこに女は右の掌を添えた。

 

「……持っていろ」

『え? あ、はい』

 

 手綱をアラマへと投げ渡し、私はダスターコートの右側を開いて、裾をベルトに挟んだ。

 吊るしたコルトの銃把が露わになって、私はそこに右掌を添えた。

 そして左手はダスターコートのポケットに突っ込みながら、女へと向けて歩みだした。

 

 相手も、私に合わせて歩み出す。

 共に一歩一歩確かに地面を踏みしめながら進めば、緩やかにされど着実に彼我の距離は縮まっていく。

 

「……」

『……』

 

 申し合わせたように、私たちは同時に歩みを止めた。

 得物の刃渡りから考えるに、女からすれば抜けば一撃に私を斬り殺せる間合いであり、私からすれば確実に相手の急所を射抜ける間合いだった。

 

「……」

『……』

 

 真っ向、向かい合ったまま、互いに見つめ合う。

 彼女には静かな無表情だった。おそらく、私も同じ顔をしていることだろう。

 視線を揺るがせることはなく、互いの右手で、手にした得物へとより強い力を込める。

 

『あ……』

 

 アラマが、空気の緊張に耐えかねたのか、いつも手にしている錫杖を取り落としたのが音で解った。

 合図だった。

 

「――ふっ!」

『――ハッ!』

 

 彼女は右手で曲刀を抜き放つ――と見せかけて、実際に動いたのは左手だった。

 マントの下で密かに握り込まれていた、ナイフがぱっと閃いて私の喉首に突きつけられる。

 刃の幅がが先端に行くに向けて広がっていく、刺突に向いた葉型の短剣であった。

 

 一方、女の喉首にも私の銃口が下より突きつけられていた。

 銃を抜いたのは右手ではなく、ポケットに入れられていた左手だった。

 私のダスターコートの左ポケットは実は見せかけでスリットになっている。

 左のポケットに手を突っ込んだのは、コートの下にある左のコルトを密かに抜くためだったのだ。

 

 右手で敵を誘い、左手で仕留める。

 つまり私たちは二人揃って、同じ発想のもとに動いたことになる。

 

「……良いナイフ捌きだ」

『御前の技も素早い』

 

 私たちは同時に互いの得物を引っ込めた。

 そして犬歯をむき出しにして笑いあった。

 

『非礼は詫びる。まれびとと相まみえたのはもう随分と久方ぶりでな、腕前が見たかった』

「それで、アンタの見立てだとどんなもんだ?」

 

 私が問えば、彼女は満面の笑みで答えた。

 

『申し分なしだ。流石はまれびとだ。得物は違うが、腕の確かさは「シジューロー」にも比肩する』

 

 彼女は両手をパッと開いて今度こそ敵意が無いことを明らかにすると、右手を私へと差し出してきた。

 こちらにも、握手の習慣はあるらしい。

 

『イーディス。イーディス=ラグナルソン。ミクリガルズルの遥か西、バラングの地より来た。以後お見知りおきを』

「名乗るほどの名は持ち合わせちゃいないが、よろしく頼む」

 

 私は彼女の右手をしかと握り返した。

 

 

 

 



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第05話 ザ・ハイアード・ハンド

 

 

 泉を中心にして、背が高く四角い塔状の家屋が軒を連ねているのがマラカンドの街だ。

 青い屋根と、日干しレンガの茶と赤と白からなる街はぐるりと、やはり日干しレンガと若干の石積みによって築かれた城壁に囲まれているのだ。この城壁は分厚く、私の眼から見ればマラカンドの防御は盤石であるように思える。が、この街の支配者として君臨しているおエライ人からすればまだ不足らしく、もう一枚の分厚い城壁が街の北部、小高い丘の周りを固めているのだ。

 イーディスに連れられて、私とアラマがたどり着いたのは、そんな市内壁が南門の前だった。

 私は高い門構えを見上げながら、イーディスに聞いた。

 

「宿に案内してくれるんじゃなかったのか?」

『無論そうだ。恐らくはだが、ここが御前の寝床になる』

 

 イーディスは流し目気味にそう答え、独りスタスタと先に門を潜った。

 ……のこのこと彼女に言われるままついてきたのは、果たして失敗であったか。

 この先は例の外国人の王とやらの住処の筈だが、そうホイホイと余所者が入っても良いものなのかも私には解らない。

 だが、他に行く先のアテもないのも確かだ。

 傍らのアラマが彼女には珍しく不安げに見つめてきたので、私は軽く肩をすくめてイーディスの後に続いた。

 当然、両腰の得物のコルトに掛かった、撃鉄の留め輪を外すのは忘れない。

 コートの裏で軽く銃を抜き差しして、感覚を慣らしながら私は歩く。

 

「やぁ」

『どうも』

『……』

 

 門の傍らには番兵が何人もいたので、そのうちの一人に軽く会釈した。

 市壁の門の番兵と違ってこちらは完全武装で、頭のてっぺんから足先まで、隙間なく鎧に覆われている。顔は兜に繋がれた楔帷子に覆われて、僅かに覗く双眸以外は全く隠されてしまっている。挨拶への返事もなく、怒っているのか笑っているのかすら、私には解らなかった。

 穂先を上に槍を立て、ただじっと私達を見つめるばかりで、通れとも、通るなとも言わない。

 しびれを切らした私は、番兵達を無視して門を潜った。

 アラマは私の後に続いて、律儀に番兵達にもう一度会釈してから門を潜った。

 

 城壁は分厚く、通り抜けるまで意外と時間が掛かった。

 ようやく反対側に出た所で、日光の眩しさに眇めた眼に見えたのは、絢爛たる王宮だった。

 私は思わず感嘆の声をあげ、アラマはもっとあからさまな感動のため息をはいた。

 

「へぇ」

『うはぁ』

 

 まず最初に視界に入ったのは長大なスロープだった。

 王宮は丘の上にある。目の前のスロープは丘の斜面を削って緩やかにし、その上に石を敷いたものだ。

 両隣にそり立つたかつての丘の斜面の高さから、この坂道を造るためにどれだけの土を削ったかが一目で理解できる。この工事だけでも膨大な人手と費用が必要な筈だ。

 既に先を進むイーディスの後を、サンダラーの手綱を引きながら追う。

 今や道の両壁となったかつての丘の斜面の上には衛兵が立ち、歩む私達を見下ろしてくる。

 落ち着かない。自然と、空いた左手はコルトの銃把にのびる。

 背後のアラマも、緊張に体を固くしている気配が伝わってくる。

 

『そう気張る必要はない。私が先導している限り、不埒者と見做されることもない』

 

 イーディスがふと立ち止まり、振り返りながらそう笑いかけた。

 私は銃把に掛かった手の力を緩めた。余り殺気を振りまくのも、確かに礼を失する行いだ。

 だが、グリップから完全に指を離すつもりもなかった。

 

「なにぶん田舎者でね。多少の無礼は容赦願いたいもんだ」

 

 そう軽口だけ返して歩みを再開する。

 暫時歩めば、坂道の上に小さく見えていた王宮が、いよいよその威容を私たちに見せつけた。

 

「……ありゃ岩でもくり抜いて造ったのか?」

『ご明察。丘の上の大岩を基礎に、穴を開け煉瓦で増築したのがナルセー王の宮殿だ』

 

 口で言うのは簡単だが、実際には容易な工事ではない。

 西部の荒野でよく見るような自然の大岩を削ぎ、掘り、磨き、ドームと方形が組み合わさった館とするなど、並大抵の工事ではないのだ。それをなさしめた王の権力を、来訪者に見るだけで解らせる仕掛けなのだ。

 私は改めて銃把を強く握り、呑まれそうになる自分の心を落ち着かせた。

 誰と対面しようと私のやるべきことは変わらない。それが敵ならば銃を向け、そうでないならホルスターに納めておくだけのことだ。

 

『チャカル、第三部曲が校尉、バラングのイーディス=ラグナルソン! まれびと殿を連れて参った! 王にお取り次ぎを願いたい!』

 

 巨大な王宮正門の前まで至ったイーディスは、そう大音声を張り上げた。

 絡み合う蔓草のレリーフを左右の門柱に備え、アーチの上には月と天使然とした二つの姿が彫られている。

 そしてその上からは、血のような赤い色が塗られていた。

 マラカンドの色である青に真っ向反する赤をその王宮の門に掲げる王とは、一体全体どんな王様やら。

 

『マズダの神の御心のままに! 予言に従いてまれびとを王の御前へ!』

 

 王宮の中からそんな返事が戻ってくれば、白布に全身を包み眼だけだした異様な連中が私達を出迎えに現れた。アラマが私に小さく耳打ちした。

 

『マズダ神に仕えるマゴス達です。星辰を読んで、定命を見る者たちです。エーラーン人の王族の傍らには、必ず彼らの姿があります』

 

 早い話が王様付きの占い師ということだ。

 とりあえず無法者なりに礼儀を見せて、帽子を脱いで軽く頭を下げたが、向こうは何の反応も見せなかった。

 まぁ「こちら側」の礼法なんぞ私の知ったことではないから、仕方がない。

 

『陛下は既にお待ちだ、まれびとよ。我らの後に続くが良い。馬は背後の者共に預けよ』

 

 背後の気配へと振り返れば、占い師共と同じような格好の連中が掌を差し出している所だった。

 私はちょっと躊躇ってから、サンダラーの手綱をそいつへと手渡した。

 サンダラーが私を見た。私はしょうがないだろうという苦笑いを返しながらその鼻面を撫でた。

 それで通じたのか通じてないのか、サンダラーは大人しくひかれて行く。

 

 私はその姿が王宮に並べて建てられた家屋の一つに消えていくのを見届けると、振り返って返事した。

 

「それじゃぁ、行くとするかい」

 

 私は占い師共の後に続き、イーディスとアラマはその後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岩をくり抜いて造ったらしい王宮の廊下は長く、松明の灯りしかないために時間と距離の感覚が曖昧になる。

 よく見れば両側面にも天井にもシンプルな線で何やらレリーフが彫られているのが解る。

 それは異教の神だの天使だの魔物だのであるらしい。私は興味ひかれてそれらをよく見ようと思ったが果たせなかった。白覆面の占い師共の歩みが恐ろしく速く、追いつくのがやっとだったのだ。つま先までありそうな長いローブを着ているのに、よくあれでスタスタ歩けるものだ。「こちらがわ」のことだ。何かまじないの類でも使っているのかもしれない。

 どれほど歩いたか解らないが、廊下は唐突に終わって、唐突に広間へと私たちは出た。

 正方形の広間の上に、半球状の天蓋が載っかている構造で、丸天井には何箇所も天窓が開けられ、そこから雨のように陽光が降り注いでいる。

 そんな太陽のなす光柱列の向こう、広間の最奥に設けられた玉座の上に、王は腰掛けていた。

 

 黄金の玉座の上、マラカンドの王、エーラーン人のナルセーの第一印象は、一口で言えば『赤』だった。

 金の刺繍が踊る赤い衣に、赤い外套。

 癖のかかった長髪の上に載せられた金の王冠には赤い宝石が輝き、また王冠の両側面からのびた鳥の翼状の飾りもまた真紅に塗られている。ズボンはゆったりとした白だが、靴もまた赤い。

 そして王の両眼。

 その両の瞳もまた不可思議な赤色をしていた。

 充血しているわけではない。恐らくは茶が限りなく薄くなった故の赤色だ。

 こんな双眸の持ち主を、私は今まで見たことがなかった。

 

 赤い王は玉座から立ち上がると言った。

 それは静かな声であるにも関わらず、びっくりするぐらい良く通る声だった。

 

『まれびとよ。よくぞこのマラカンドに参った。我こそはロスタムが裔、エーラーン人ならびに非エーラーン人が王バフラムを父とし、マラカンドならびにレギスタンを治める者、ナルセーである』

 

 王は玉座を降りて、ゆっくりと私達の方へと歩んできた。

 気づけばイーディスは脱帽して跪き、アラマは完全に畏まった様子で平伏している。

 私も何か礼を返すべきかと少々戸惑った。

 しかし先住民の長を相手にする時同様、こちらの礼が相手には無礼ということもありうる。

 私が判断しかねていると、王は手をかざし私を制した。

 

『汝はまれびと。こちらの礼に従う謂れはない。あるがままにあればよかろう。それがまれびとの定命なれば』

 

 王はその胸元で腕を交差させその両手のひらをそれぞれ肩へと当てた。

 それがエーラーン人やらの礼らしい。私は脱帽して軽く会釈した。

 

『あたかも兇状持ちが如きかんばせにも関わらず、良く礼を弁えているな』

 

 ナルセー王は随分と失礼なことをぬかしたが、しかしこれが王の威厳のなせる技なのか、無礼な言い回しも洒脱な軽口に聞こえるのだから恐れ入る。だから私も軽口で応じた。

 

「貴方も王侯貴族にしては下々の者が使うような冗談に長けていらっしゃる」

 

 周りの白覆面共がややざわつくが、王は意に介さないばかりかニンマリと笑った。

 その笑いは、野良猫めいていて、全く油断がならない面だった。

 

『わしも元をただせば王族と言えど末子、その上母は蛮族の婢女よ。血筋の汚さで言えば、流れ者共と大差は無いわ』

 

 王はからからと笑うと、私達を手招きしつつ王座へと戻った。

 私達が続けば、白覆面達が椅子を持ってきて座るように促す。

 私が腰掛ければ、イーディスも自然な様子でそれに続き、アラマが最後におっかなびっくり座った。

 玉座に戻ったナルセー王は、半分奴隷の血が混じっているとも思えぬ威厳たっぷりの声で言った。

 

『さてまれびとよ。汝は汝がこのレギスタンに呼び出されたる理由を知っておるか?』

 

 私は肩をすくめて首を横に振った。

 

「呼び出されて以来、隣の大ガラスのアラマと荒野を流離ったばかりで、皆目見当もつきませんな」

 

 王の視線がアラマへと向けられた。

 さすがの彼女も、普段の快活な様子がすっかり失せて、借りてきた猫のようになってしまっていた。

 

『そう畏れるな、大ガラスのアラマよ。その風体、ミスラの神に仕えるものであろう。我らがマズダの神と並び立つ不敗の太陽の徒とあらば、エーラーンの同胞にも等しい』

 

 王様がそんな風に仰っても、当のアラマはいまだカチコチに固まったままだ。

 そんな反応にも慣れっこなのか、王は自然体でアラマから視線を外し、私の方へと向き直る。

 

『汝には我が栄えあるチャカルに加わって貰おうと思う。詳しくはそこのラグナルソンめに聞くが良い』

『承ります、王よ』

 

 ……何やら私の意思を無視して話が進んでいるので、すかさず口を挟む。

 

「なんで俺が王様の家来にならにゃならんのだ? 俺は余所者、無頼の流れ者だ。この街の連中と違って、王様に忠誠を立てなきゃならねぇ謂れはないと思うがね?」

 

 そんな私の当然の問には、イーディスが代わって答えた。

 

『まれびとの来る所、そこは必ず血の雨が降る修羅の巷となる。それが昔からのならいだ』

 

 イーディスは、物騒な由来を告げた。

 

『シジューローの時もそうだった。私は片目とふた親を失くし、悪党どもは残らず彼に斬り捨てられた。御前にも必ずや、切った張ったの仕事が待っている。ならば、同じ手合と轡を並べるのも悪くはなかろう』

 

 ……成る程。エゼルの時と同じように、また何やら揉め事に巻き込まれるというわけか。それならば、背中を任せられる誰かが居るほうが、仕事はやりやすい――そんな風に、私が納得しかかった時だった。

 

『畏れ多くも、みどもは反対でございます、偉大なる王よ』

 

 横からほざいたのは、白覆面共の中の一人で、唯一、その胸元に何やら仰々しい金の首飾りを下げている男だった。

 

『王の御傍には既に万軍にも等しい武威を備えしチャカルを擁し、加えて我らマゴスの徒がマズダの神の術を以てお仕えしております。そのまれびとの業前がどれほどのものかは知りませぬが、我らが神の御業と比ぶれば――』

 

 白覆面はそう言って袖元から何やら曰くありげな杖状の何かを取り出した。

 私はそれが何かをよく知っていた。例の、スツルームの三人組がそれと同じものを携えていたから。

 ――だからこそ、私の反応は素早かった。

 

「そうかい」

 

 それだけ言い放って、私はホルスターからコルトを抜き撃ちにした。

 流れるように牛革の鞘から銃身は引き抜かれ、一瞬後には照門は私の目の前にあった。照星が杖へと向けられ、照門との間に一本の線を描けば、引き金を弾く。

 パッとマズルフラッシュが白煙を添えて閃けば、銃声が広間に反響し、細い木の杖は弾け飛ぶ。

 

『ひゃっ!?』

 

 生娘みたいな情けない声を上げて、白覆面の手から杖の残骸が零れ落ちる。

 突然の銃声に、アラマは眼をまんまるにする一方、イーディスとナルセー王の二人は、愉快でたまらないとばかりに犬歯をむき出しにして笑っていた。

 

「これでも、まだ不足かね?」

 

 私が言うのに対し、異議を唱えるものは居なかった。

 かくして私は、このレギスタンはマラカンドの地にて、新たなたずきを立てることになったのだった。

 

 



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第06話 マイ・ネーム・イズ・シャンハイ・ジョー

 

 

 

 チャカルとやらの一員となった私は、アラマともどもその兵営とやらに連れて行かれることとなった。

 兵営は王宮のすぐ傍らにあり、案内人はやはりイーディスだ。

 彼女自身が名乗っていたことだが、イーディスはチャカルとやらの部隊長の一人であるらしい。

 

『チャカルの兵営は、王宮の丘の麓にある。丘を囲む城壁には一箇所、瘤みたいに突き出た部分があってな、その裏側だ』

 

 王の親衛隊が控える場所だけあって、大して時間もかけずに目的地へとたどり着いた。

 丸太を並べて拵えた安普請の城門が私達を出迎える。

 最初に出くわした番兵も、王宮にいたいかにも正規兵な連中はまるで違っていた。

 ちょうど地面に立てれば男の胸元ぐらいの丈を持った、太い木の棒を肩に負い、何やら噛みタバコらしきものをクチャクチャとやっている。ただ私とアラマを胡乱な眼で見るだけで、返事もしない。失礼な野郎だが、諸肌脱ぎにした上半身は入れ墨だらけで、どう見ても無法者上がりだ。礼儀作法など望むべくもない。

 黙って通るイーディスに続いて、私達は意に介さず城壁の内側へと入り込んだ。

 

「へぇ……」

 

 手近な木の柵にサンダラーを繋ぎながら、辺りを見渡す私の口からは感嘆の声が漏れていた。

 アラマの説明を聞く限り、イーディスの属する「チャカル」なる連中は傭兵部隊だった。

 傭兵部隊などと言えば聞こえは良いが、早い話が流れ者に無法者を金で掻き集めた連中だ。そんな連中のための宿舎など、馬小屋か掘っ立て小屋であるのが普通だ。

 所がどっこい、目の前に広がっている宿舎の数々は、どれも煉瓦仕立ての頑丈そうな作りで、屋根も瓦で葺いてあるではないか。下手すれば、一日50セントの手間賃でこき使われるヤンキーどもの正規軍よりも、余程いい場所を与えられている。門の安普請は、あるいは訪れる不埒者を油断させる仕掛けなのかもしれない。

 

『折角だから、見ていくと良い。ちょうど、面白い見世物をやっている』

 

 イーディスが手招きするのについていけば、細長い宿舎が並ぶ中を通り抜けて広場へと出た。

 柵で囲われ、土がむき出しの広場は、軽く馬でも乗り回せそうな程度の大きさで、今はそこに男共がひしめいている。

 背丈、体格、肌の色は様々で、さらには蜥蜴のような頭や、犬のような面相まで見えた。まるで『人種』の博覧会だが、全ての面に共通しているのは、不敵で、無骨で、無法者めいているということだった。

 コイツラは新たにやって来た私やアルマ、そしてイーディスに眼を向けることもなく、広場の中央へと熱い視線を送っていた。その異様な熱さは博打打ち特有のものだが、にも関わらず野次ひとつなく静かに座っているのは、却って不気味であった。

 

 広場の真ん中では、ふたりの男が対峙していた。

 

 一方は筋骨隆々で、背の丈は7フィート(2メートル強)はあろうかという大男である。

 金髪碧眼。髭も髪も伸び放題で、特に髪はまるで山嵐のようになっている。

 上半身は裸で、下には分厚い生地のズボンが一枚で裸足だった。

 体は切り傷だらけで、消えかけの古いものからまだ目新しいものまでと様々だ。

 面相もグリズリーめいていて人というより獣に近い。

 手には恐ろしく大きな段平風の木剣を両手で構えている。

 まるで御伽噺の中の騎士のような得物だった。

 

 相対しているのは、大男と対称をなすような小男であった。

 身長は私よりも頭一つ分ほど小さい。

 黄色い肌をした、黒髪黒眼の姿は、サンフランシスコで見た清國人によく似ている。

 しかし彼らとは違ってあの妙な頭頂部以外を剃り上げた三つ編み髪とは違って、蓬髪の一部を赤い縄紐で結ってはいるものの、束ねきれずにザンバラ髪が左右に垂れている。

 一方で口ひげはそれに整えられ、立った鼻筋と切れ長の目もあって中々の色男だ。

 身にまとうのは紺色のゆったりとした衣に、やはり緩やかな白のズボン、足首できゅっと絞って、簡素な黒靴を履いている。

 手にしているのはキレイに磨き上げられた白木の棒で、男の身の丈ほどの長さがあった。

 

『……』

『……』

 

 大男は大木剣を真っ直ぐに構え、小男は棒を小脇に抱えるような形で右手にだらりと下げている。

 大男はやや腰を落とし重心を低く取って、小男は背筋を伸ばしまっすぐの体勢だ。

 ガタイの大きさに得物にとだけでなく、その構えそのものが月と太陽ぐらいに正反対なのである。

 成る程、確かにこいつは面白そうな取り組みだ。

 

『大剣使いのほうがリトヴァのロンジヌス、棒使いのほうがセリカンのグラダッソだ』

 

 イーディスが私たちに二人に告げた。

 私がアラマの方に視線を送れば、彼女はやはり喜々として解説をぶつ。

 

『リトヴァは西北の果て、冬になれば氷に閉ざされる海の国で、その住人は金髪碧眼、天をつくような高い背を持つと言います。ちょうど、あの方のように』

 

 アラマの物言いに、私は北欧出身の連中を思い出した。

 大西洋を越えて渡ってくる数は少ないが、連中は大男と相場が決まっている。

 

『セリカンは逆に東の極、絹の産する国だと言われていますです。甚だ遠い国なので、レギスタンの地に至るセリカン人の数は多くありません。恥ずかしながら、私も本物を見るのは初めてなんです!』

 

 絹の国といえば、清國も絹と茶の国だった。

 まぁそのどちらも私には縁が薄く、清國人は鉄道工事で働く苦力か、洗濯屋をやっている連中しか知らない。

 だが今眼にしている小男は、私の知っている連中よりも品が幾分良いように見えた。

 

「……で、今から始まるのは果し合いか何かか?」

『生憎だが違う。単なる稽古だ。だが稽古以上の稽古だが』

「じゃあ、やはり博打か」

『こういう趣向は我らの大好物でね』

 

 イーディスが左の緑の瞳で私を見た。言外に、どっちに賭けると問うている。

 私は思案した。

 普通に考えれば体格の遥かに大きなロンジヌスとやらに賭ける所だが、そんな当たり前が通用するなら博打にはならない。あの体の大きさを覆し得る何かが、清國人風の小男にはあるということだ。

 

「俺はグラダッソとかいう野郎に1ドル張る」

 

 イーディスは面白い、といった調子にニヤニヤと笑う。

 

『私もなんだ。これじゃあ賭けにはならないな』

 

 やはりあのグラダッソなる小男には何かがあるらしい。

 興味惹かれた私は少々真面目に試合を見守ることにした。

 そうこう言っている間に、誰かが鐘のようなものを叩いて合図を告げる。

 

『……』

『……』

 

 しかし大男と小男は睨み合ったままでどちらも動く気配はない。

 ……いや、違う。どちらも僅かではあるが足を滑らせてじわじわと躙り寄っていて、互いの間合いは着実に狭まっている。

 静かに、逆向きに円を描くように両者の距離は縮まっていって、ある地点でふたり同時に静止した。

 得物の長さで言えば小男の棒きれのほうが上だろう。しかし大男の腕は長く、その段平の切っ先の間合いは見た目以上に長い。互いにそれがわかっているのだ。これ以上、指一本分前に進んでも相手の間合いの内側に入ってしまうと。

 

『――うぉぉぉぉりゃぁぁぁぁっ!』

 

 先に仕掛けたのは大男の方だった。

 跳ぶように右足で一歩踏み出せば、それに合わせての突きの一閃。

 唸りあげて走る木製の切っ先を、小男は半歩後退するだけで避けてみせる。

 しかし大男は今度は左足で踏み込んでもう一突き。僅かに上下にスナップをきかせた唸るような突きにも、グラダッソは動じずにさらに半歩後退。突きを跳ね除けるべく右手を僅かに動かすも、今度はロンジヌスのほうがパッと跳び退いた。両者の間合いは再び、互いの得物の外になる。

 だが、今度の睨み合いは僅かな間に過ぎなかった。

 ロンジヌスは一転、構えを細かく変え始めた。肩に担ぐように木剣を持ったかたと思えば切っ先をだらりと下げたり、くるくると回してみせたりする。誘導と陽動だが、グラダッソは石像のように動かない。

 私はジャクソン将軍を思い出す。石壁(ストーンウォール)のように、グラダッソは動かない。

 ロンジヌスは再度、木剣を担ぐような仕草をして見せた。瞬間、清國人風の小男は初めて自ら動く。

 繰り出したのは踏み込みに合わせての片手突きで、さして珍しい手ではない。しかしグラダッソは得物が棒であることを最大限に活かし、手の内でそれを滑らせて見せたのだ。たちまち棒は大剣へと変じた。並の相手ならばこの一撃だけで倒せただろう。

 ロンジヌスは違った。開けたと喉首の隙は見せかけだ。力の込めにくい片手突きを、こちらも右手首を回すだけの横薙ぎで払ってみせる。同じ片手技ならば力の大きなロンジヌスが勝る。グラダッソは突きを払われて体勢が崩れる。

 

『しゃぁぁっ!』

 

 野獣のような笑みを浮かべると、ロンジヌスは段平をすかさず両手に構えての左下へと斜めに斬り下げる。

 グラダッソは崩れた体勢を、崩れた勢いを逆に利用し転ぶように立て直せば、その感にも右手のうちを棒は滑ってその半ば辺りへと拳の位置が変わっている。左手で棒の端を握れば、襲いかかる段平の一撃を上から受け止める。パカァンと木同士のぶつかり合う小気味よく音が鳴り響く。

 意外なことに、グラダッソの受けにロンジヌスの木剣の刃は跳ね返された。ロンジヌスはすかさず刃を翻して逆方向から襲いかかる。狙いはグラダッソの右手だが、これは両拳を自分のほうへ引き寄せたグラダッソの棒へと当たる。グラダッソは刃を押し返すと同時に棒の先で円を描けば、ロンジヌスの木剣の先を絡め取る。

 

『くおっ!』

 

 鬱陶しいとばかりにロンジヌスは木剣を跳ね上げ、絡みつく棒を払いのける。

 払いのけられると同時に、グラダッソは棒から右手を離した。左片手、大剣のように握られた棒の先は弧を描くとロンジヌスの脇腹へと叩きつけられる――寸前で止まった。

 勝負ありだ。だが、ロンジヌスは納得できぬと見えて、怒声と共に真っ向大木剣を振り下ろす。

 グラダッソは避けるが、ロンジヌスの段平捌きも凄まじい。下ろされた切っ先は瞬時に跳ね上がり、股下から小男の体を斬り上げん勢いだった。

 グラダッソの体が、一瞬私達の視界より消える。

 

「は」

『え』

 

 私は目の前の光景に、呆れたような声を出し、アラマは呆気にとられて間抜けな声を漏らした。

 グラダッソはロンジヌスの跳ね上がる木剣身に足をのせると、跳ね上がる勢いで宙を舞ったかと思えば、一回転して再び木剣の刃の上に飛び乗ったのだ。

 まるで重みなどないのだとばかりに、羽毛のような身軽さで小男は大男の木剣の上に載っていた。

 グラダッソは軽く棒を右片手で振るうと、ポンと軽くロンジヌスの頭頂に乗っけた。

 

『……参った!』

 

 ロンジヌスは一転、豪放磊落に破顔一笑した。

 グラダッソは木の刃から降りると、ロンジヌスと空いた手同士で握手する。

 観衆達はある者は喜びに声を上げ、ある者は憤りに地面を蹴っていた。

 私も、アラマも、観衆たちとは違ってひたすら上の空の様子で、イーディスは私達の反応に対しニヤニヤと笑った。流石のアラマは、思い至ったものがあったらしく、驚きの去らぬ声で言った。

 

『セリカンは武芸の盛んな地で、他には見られぬ奇妙な技が伝わると聞きます。その中には、身を羽毛のように軽くするものもあるとか』

 

 アラマ自身与太話だと思っていたのだろうが、与太話と現実に出くわした為に、その声は上ずっていた。

 

『虞蘭道宗(グラダッソ)はセリカンの皇帝の近衛兵達に、その武芸を教える仕事していたそうだ』

 

 イーディスはさらりと言った。皇帝親衛隊の教官と言えば、並の人間ではない。

 だがしかし、そんな男がなぜこんな砂原のど真ん中の街へとやってきて、傭兵などやっているのか。

 倍ほどありそうな大男に勝ってもなお、すましたままの横顔からは、その答えは解らない。

 とにかく、ここは変わり者達の巣窟であるらしい。

 私も、ここならばすぐに馴染めるに違いない。

 そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そうですか、まれびとはエーラーン人の側につきましたか』

 

 フラーヤは目の前の石板に指を這わせたまま、傍らの闇へと向けて独り言のように呟いた。

 彼女が話しかけた闇の中から、溶け出すように現れたのは、ポンチョのような外套を纏った黒人だった。庇の大きな黒帽子の下からのぞく剣呑な双眸は、白目が嫌に白く、逆に黒目は闇のように濃くて、その対照が実に不気味に見えた。

 

『いかがする』

『監視を続けなさい。それと、スピタメンにも一報を』

 

 フラーヤの指示を受けて、黒人は再び闇の中へと溶けるように消えた。

 彼女が今いる『文字の館』の隠し部屋は、壁にかけられた小さなオイルランプを覗いて光源はなく、それも今にも消えてしまいそうで、小さな炎がゆらぐたびに夜のような闇がフッと降りてきていた。

 しかし、フラーヤは関することなく、石板を読み続けた。

 彼女の口から、刻まれた文字が、詩のように紡ぎ出される。

 

『其は時を越えるもの。其は生を超えるもの。其は死を超えるもの。其は理を超えるもの』

 

 いよいよランプの灯りが激しく瞬いた、油が尽きようとしている。

 

『陽は沈み、燈火は途絶え、夜が昇り、闇よいずる』

 

 不意に、辺りは真っ暗になった。

 完全な、全くの闇に全ては包まれた。

 フラーヤは意に介することなく、詩を紡ぎ続けた。

 

『汝呼び覚ませ、かのアリマニウスを。汝呼び覚ませ四界の王を。汝呼び覚ませ翼を持つものを。汝呼び覚ませ、黄金の獅子を。汝呼び覚ませ絡みつく蛇を。汝呼び覚ませ―― 』

 

 詩は続いた。

 闇の中で続いた。

 いつまでもいつまでも。

 

 



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第07話 ザ・ストレンジャーズ・ガンダウン

 

 

 

 マラカンドの街の外、市壁の外側には葡萄――風の果実がなる畑に、西瓜――風の実が連なる畑が連なり、また市の中に入ることが許されない食い詰め者や流れ者の掘っ立て小屋が並んでいる。

 マラカンド王ナルセー直属親衛隊、チャカルの演習場はその傍らにあった。

 演習場と言っても、何ら特別な造り場所ではない。ただ柵で囲われた砂地が広がっているだけの場所に過ぎないのだ。

 私はその砂地の一角に立ち、手には西瓜状の果実を手にしている。

 手提げ網に入った、西瓜然として緑に黒の縞模様の球体には、白い塗料で人の顔が描いてあった。他でもない私の筆になるもので、子どもの落書きのような簡素な面相であったが、まぁ、どの道銃弾を受けて粉々になる顔だ。絵かきのように手を凝らせる必要は皆無だろう。

 

『……』

『……』

『……』

『……』

『……』

『……』

『……』

『……』

『……』

 

 数多の視線が私へと突き刺さる。

 清國人めいた視線が、北欧人めいた視線が、無頼な視線が、無法者然とした視線が、戦士の視線が、兵士の視線が、流れ者の視線が、狼の視線が、蜥蜴の視線が、ありとあらゆる視線が私を見つめている。

 チャカルに属するものは多種多様だ。だが今はどいつもこいつも同じ眼で私を見てる。

 好奇の眼、見世物を眺める眼、私の腕の程を探る注意深い眼で私を見ているのだ。

 

『……』

『……』

 

 イーディスが緑の隻眼で私を見つめていた。

 お手並み拝見、「まれびと」たる私の腕前を試したくてしょうがいないと、うずうずした視線を私に送っていた。

 アラマが、、例の不思議な金色の双眸で私を見つめていた。

 興味津々、「まれびと」たる私の摩訶不思議な技を見たくてたまらないと、子どものようなわくわくした視線を私に送っていた。

 

(……はぁ)

 

 心の内でため息を漏らしながら、私は西瓜もどきを携え砂地に足跡を刻む。

 だだっぴろい演習場の、端から端まで歩き、そこからさらに柵を越えてなお歩く。

 目指すは、少し土が盛り上がった丘の上に立つ、かつては青々茂っていただろう、太い幹の枯れ木の所だ。

 枯れ木まで辿り着いた所で、何本か残っている枝の中から、目当ての物を見繕う。

 まだ根本がしっかりとしていて、容易には折れそうにない一本を見つけると、私は上着の内側からナイフを取り出した。今日日はやりの飛び出しナイフというやつだ。折りたたみ式の刃がスイッチひとつで飛び出すアレだ。

 パチンッといい音を立てて刀身が飛び出せば、私は逆手に握って思い切り枯れ木の枝へとナイフを突き立てた。

 何度か柄を揺さぶってしっかりと刺さっていることを確かめると、手提げ網をそこに引っ掛け吊るした。

 ふざけた白い目鼻の緑の面相が、微かに風に揺れていた。

 踵を返し、イーディス達の元へと戻りながら私が考えるのは、ここに至るまでの顛末だった。

 大勢のチャカル達の前で私が「見世物」を披露することになった発端は、そもそもイーディスにあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『諸君、紹介しよう! 今日から我らチャカルの一員として共に轡を並べることとなった男だ!』

 

 つい先程までグラダッソとロンジヌスが仕合っていた広場には、チャカルの戦士たちが肩が触れ合うほどの密度でひしめき、その目の前でサーカスの熊のように突っ立っているのが私だった。

 イーディスは新商品のライフル銃でも紹介するような口ぶりで、連中に私を紹介する。

 ロンジヌスは髭の端をもてあそびながら、値踏みする視線で私を眺めてる。

 他のチャカルの戦士たちの多くは、大男と同じ種類の視線で私を見ていた。

 一方グラダッソのほうは、殆ど興味ないといった様子でぼんやりと眼だけ向けている感じだった。他にも何人かこの小男と似たような調子なのがいたが、御伽噺の魔法使いのような格好をした爺様や、弩を肩に負ったエゼルのような長耳の色男など、グラダッソ同様に変わり者か偏屈そうなやつらばかりだった。

 

『聞いて驚け! 見て戰け! この男は「まれびと」だ! 神々の導きに従いて、マラカンドへと至りし「まれびと」だ!』

 

 まれびと、という単語を耳にすれば連中の私を見る目は俄に変わった。

 ある者は驚き、ある者は訝しみ、ある者は好奇の目で、ある者は猜疑の目で私を見た。

 

『知って通り、「まれびと」ある所に戦いありだ! 来るべき神々の敵を討ち滅ぼすべく、まれびとは遣わされる! 諸君らもここの所は戦の種もなく、も無聊をかこつ日々が続いていたであろうが、それも終わりだ! この異邦人の戦士と、轡を並べる時が来たのだ!』

 

 イーディスは熱っぽく大声を張り上げて言うが、チャカルの男どもは今ひとつ乗ってくる様子はない。

 コイツラは畢竟、一握りの報酬の為に戦う用心棒共に過ぎない。つまり、私と同じ穴の狢だ。

 たまたま同じ飼い葉桶の麦を喰らうことになっただけであって、仲間意識などあるわけもない。肝心なのは、自分の背中を任せるに足る「腕」を持っているかどうかだけだ。

 無論イーディスも、そのことは誰よりも良く解っている。

 

『「まれびと」は各々、「まれびと」ならではの異邦の技を操ると聞く! ひとつ、それを拝見させてもらうとしよう!』

 

 だからこそ、そう唐突に私に見世物になれと振ってきた訳だ。

 私が目を細め傍らを見れば、イーディスも口角を釣り上げながら私を見返した。

 腰帯に差した異邦の曲刀の、変わった意匠の柄頭を、その指先で撫でながら。

 私は大きく鼻から息を吐いて、一歩進み出てチャカル達の正面に立った。

 

(……さて)

 

 目深に被った帽子の下から、この男どもが私を品定めするように、逆に私のほうから男どもを品定めする。

 最初が肝心だ。普段のガンマン稼業では目立つのは厳禁だが、用心棒ならば話は別だ。腕っ節を見せて相手をビビらせ畏まらせなくちゃぁ話にならない。そのためには、体のいい当て馬噛ませ犬を探す必要がある。

 誰でも良いわけじゃない。腕のそこそこに立つ相手でなければ、当て馬は務まらない。

 

(……アイツだな)

 

 グラダッソの摩訶不思議な技を見せられた後だ、この連中も生半可な出し物では満足しないだろう。だとすれば拳銃の方ではなく、私ならではの、遠い間合いでの腕前を見せたほうが良い。

 私は、クロスボウを肩に負った色男を指差し訊いた。

 

「そこのお前、お前だお前」

『……俺か?』

「そうだお前だ。これ見よがしに弩を背負ったお前さんだよ」

 

 胡乱な目で見てくる色男に、私は続けて問うた。

 

「お前さん、その弩でどれぐらい遠くの的を狙い射れる?」

 

 色男はちょっと考えてから答えた。

 

『動く的なら半スタディオン、動かぬ的ならば一スタディオン先の的も射抜いてみせる』

 

 色男が静かに述べた言葉には、周りの連中が頷き返すのが見えた。

 イーディスに目をやれば、静かにどこかを指差した。宿舎の陰から覗く、丈の高い建物の青い屋根だ。私が目測するに200ヤード(約180メートル)程はある。成る程、1スタディオンはだいたい200ヤードか。確かに、弓で狙うには名人芸が要る間合いだろう。見立通り、良い射手であるらしい。

 

「成る程、大したもんだ」

 

 私は大仰に感心して見せた。

 これは半ば本音だった。同じ遠間の戦いを行う者から見ても、賞賛すべき腕前なのは事実だ。

 だが、続けて私はこう付け加える。

 

「惜しいかな、今やその腕前もチャカルの二番手だ」

『なに?』

 

 色男が睨みつけるのに、私はこう返したのだ。

 

「俺ならば、4スタディオン先の的にも当てて見せる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――などと回想に耽っている内に、私はイーディス達観衆の元へと戻り終えていた。

 さて、いよいよショーの始まりと言うわけだ。

 私はサンダラーの元へと歩み寄ると、その鞍の横側に吊り下げたもの、何やら革布を巻いて紐で縛ったような代物へと手を伸ばした。このロールケースの中には、身につけて持ち歩けないような長物の仕事道具が仕舞ってあるのだ。私が留め金を外せば、ロールケースが開き、三丁の長物の姿が露わになった。

 一丁はレミントン・ローリングブロック・ライフル。普段、遠間の仕事を片付けるのに使う得物だ。

 もう一丁はハウダーピストル。逆に、間近の仕事を片付けるのに使う得物だ。

 そして最後の一丁、こいつが今度の仕事の得物なのだ。

 ロールケース内にあって、さらに別の革ケースに厳重に包み込まれた得物を私は取り出した。

 

「……よし」

 

 手袋を嵌め、革ケースを取り外せば、中から姿を現したのは古びた一丁のマスケットライフルだった。

 パッと見、何ら奇妙な所はまるでない、平々凡々な古びたライフル銃に過ぎない代物だが、私はこの銃を手にするたびに、思わず笑みを浮かべずにはいられない。

 「前の戦争」の頃、この銃を手にできたのは限られた者だけだった。

 本物の選抜射手(シャープシューター)と見做された者だけが、この銃を手にすることが出来た。

 私の師匠は、これを手にする資格はあったが、そうなる前に北軍(ヤンキー)に撃たれて死んだ。

 私がこれを手にするほどの腕になった頃には、戦争は既に終わっていた。

 だから道すがら立ち寄った店のショーケースにこの銃を見つけた時は、碌に信じてもいない神の思し召しと想って十字を切った程だった。

 

「~♪」

 

 今は亡くなった国の軍歌を口笛で奏でながら、私は真鍮の輝きも眩いスコープを取り出し、マスケットライフルへと装着する。軽く覗き込んでレンズの調子を見るが、委細問題ない。

 続けてサドルバッグから火薬入れのフラスク、火薬計量器などを取り出し、最後に麻布に包まれた弾丸を引っ張りだす。今度の得物が使う銃弾は、少々特殊なもので、作る時も専用の道具が不可欠だ。だから多少作り置きをしてあるのである。

 包みを開ければ、それを用いる銃の見た目とは正反対の、極めて奇妙な銃弾があった。

 先端は丸みを帯びた円錐形と至って普通だが、問題は銃弾の側面の形状である。

 六角形なのだ。

 小さな六角柱の上に、緩い円錐が載っかっているという、そんな形状なのだ。

 私はこんな奇妙な銃弾を他に知らない。そしてこんな銃弾を用いるために、六条のライフリングが刻まれた銃もまた、私の手の内のもの以外に見たことはない。

 

 ――ホイットワース・ライフル。

 

 1857年から1865年までの8年間、イギリスにて製造された狙撃銃だ。

 1860年、女王陛下の名のもとに開かれた射撃大会では400ヤード先の標的の真ん中を撃ち射抜き、前の戦争の時には少なくとも二人、名のある北軍の将軍を撃ち殺している。

 まさに殺し屋のための銃だが、こいつを授けられた南軍の兵士の数は僅かだった。

 なぜなら、その高精度を実現させる六条のライフリングと、銃身とがっちり噛み合う六角形の銃弾の相性は抜群で、抜群過ぎるが為に銃身への負担や摩耗が恐ろしいほどに大きい。銃身の細工自体も手間がかかり、それだけにこの銃は高価だった。だからこいつを任されるのは、確実に標的を仕留められる、選ばれた者達だけだった。

 戦争は随分前に終わったが、何の因果か、今あの時に欲しかった最高の銃が、私の手の中に収まっている。

 

「~♪」

 

 口笛を奏で続けながら、私は着々と準備を進める。

 計量器で800ヤード先を狙い撃つのに適した火薬を量り取り、銃身内へと注ぎ込む。

 六角形の銃弾を六条の施条へと合わせると、槊杖(かるか)で奥まで押し込んだ。

 手筈は整った。後は仕上げを御覧じろ。

 

「おもしれぇもん、見せましょう」

 

 観衆たちへとそう告げて、私は帽子を脱いだ。

 上着のポケットからハンカチを取り出し、風の向きと強さを見る。

 北北西から斜めの向かい風、されど微風につき委細問題なし。

 私はライフルを構え、スコープを覗き込んだ。

 スコープの倍率に若干の調整を加えながら、私はゆっくりと呼吸を整える。

 まず、肩に当てられた銃床の感触が消えた。

 次に、左手の上の銃身の重みが消えた。

 最後に、スコープと瞳の間の空間がゼロになる。

 銃と私とが一体化し、周りの音が耳に入らなくなる。

 スコープの十字線の向こうに、西瓜に描かれた白い目鼻がくっきりと浮かび上がる。

 僅かに、揺れている。

 その揺れの強さを、彼我の距離を思い、銃口の僅かな向きを、銃身の僅かな傾きを変える。

 

 瞬間、私の眼には一本の直線が見えた。

 私と標的との間の、一本の赤い線。私と標的とが、まっすぐに結ばれている。

 

『――』

 

 いつまでも撃ち始めぬ私に、チャカルの誰かが野次を飛ばした――ような気がする。

 聞こえたか聞こえなかったかも解らぬその声が、合図になった。

 

 私は、引き金を弾いた。

 

 最初に音が来た、次に衝撃が来た。

 最後に、スコープの向こうで、ふざけた顔をした標的が、木っ端微塵に弾け飛ぶのが見えた。

 赤い果肉が、緑の分厚い皮が、四方へと飛び散るさまが見えた。

 

「――」

 

 私は銃を肩から外し、声もなくため息をついた。

 急に広くなった視界を巡らせれば、唖然としたチャカルの連中が、獣みたいな会心の笑みのイーディスの顔が、そして両眼をキラキラ輝かせ、自分のことのように快哉をあげるアラマの姿が目にうつった。

 

 ――かくして、私はチャカルの一員として真に迎え入れられることとなった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いやはや! 流石はまれびと殿! 大ガラスのアラマ! 改めて感服しましたよ感服!』

 

 周囲の喧騒にも負けない大声で、アラマがそう囃し立てるのを伴奏に、私は目の前の料理を口に運んだ。

 昼間もアラマと共に入った宿屋兼飯屋は夜も繁盛していて、客がひしめき合っている。

 灯りは蝋燭にランプに、あと何やら輝く石のようなものが天井から吊るされている。

 昔、アーク灯なる電気――雷の正体がコイツだと誰かに聞いた――で光るランプを一度だけ見たことがあるが、あれにこそ負けるものの、蝋燭やオイルランプに比べればびっくりするぐらいに明るい。

 西部の薄暗い街の灯りや、荒野の闇のなかに微かに灯る月明かりと星明かり、焚き火の柔らかい赤光に慣れた私には、少々眩しすぎて目がくらみそうだった。

 マラカンドの街は夜も明るい。少なくとも、西部の俄仕立ての町や村とは比べ物にならないぐらいに。

 

『新たなる驚異を目の当たりにして、またも知識の階梯をひとつ上った心持ちです! この無知に覆われたる荒れ野に知識の梯子を立て、天にまします真実、すなわちミスラへと至らんことを! 』

 

 アラマも私と同じ料理に手を伸ばし頬張りながらも嬉しそうにくっちゃべっている。

 静かにしていれば劇場で女優でもできそうな顔立ちなのに、まるで牧場のじゃじゃ馬娘だ。口元に食べかすがついているので実に台無しだ。

 私達が食べているのは、小麦粉で作った皮ににた白い生地で、挽肉に豆や野菜を潰したものをこねたものを包んで焼いた料理だった。そのまま食べてもよし、付け合せの赤く香ばしいスープに浸してもよし。アラマの言うとおり、このマラカンドの街の料理は実に美味だ。

 チャカルの兵営で野郎どもに囲まれての晩飯も華が無い。

 イーディスも所用で席を外していたから、私はアラマを連れて街で夕食をとることにしたのだ。

 私は紙幣が信用できないたちなので、ドルは基本的に銀貨で持ち歩くようにしている。この選択は正しかった。描かれた図像や文字の意味は解らずとも、銀の輝きと重みは世界を跨いでも変わらない。むしろ店主は喜んで私のドルと引き換えに上等な料理を出してくれた。合衆国バンザイ。クソッタレのヤンキー大統領にバンザイだ。

 

『それにしても不思議なのはまれびと殿の煙吹く鉄筒火箭もですが、真鍮仕立てと思しき筒のほうです! 水晶を用いて遠くを近くの如く見る術は知ってはいますが、さりとて4スタディオンもの間合いを狭める術は大ガラスのアラマ、不覚にも知りはしません! 』

 

 アラマは賢い。そして知識がある。それは短い付き合いの中でもよく解ったことだ。

 テレスコープの機能についても早くも当たりをつけてきているが、私は料理を頬張って何も返さなかった。

 私は所詮は余所者、異邦人だ。余所者が余計な口を挟みすぎると、ろくなことにはならない。エゼルにエンフィールドを託しはしたが、あんな真似をしたのは特別なことなのだ。

 

「話もいいが、今日は飲め。久々に寝床でぐっすり寝られるんだから」

『ああこれはどうも!』

 

 私は素焼きの水差しに入った、赤紫色の酒をアラマの木杯に注ぎ込んだ。

 その匂いは何度嗅いでも葡萄酒のそれで、それも中々に良い葡萄を使っているに違いない芳香だった。

 

『……先程から私ばかり飲んでいますが、まれびと殿はよろしいのですか?』

「俺は飲まないよ。飲むとすれば誰一人いない、遮るもののない荒野の真ん中でだけだ」

『何故ですか?』

 

 アラマが問うのに、私は右手で料理を手づかみにしつつ、その陰で左手を懐に入れながら答えた。

 

「酔うと指先が鈍る。そうなると良くない。命取りだ。特に――」

 

 私は短銃身のコルトを何気ない動作で抜きながら言った。

 

「こういう手合がいるような場所では」

『……え?』

 

 私がソイツのほうも見ずに銃口を向ければ、アラマは唖然として銃口の先へと視線を滑らせた。

 そしていよいよもって驚いた。

 喧騒の酒場にあって、その男はまるで気配のない、幽霊のようなやつだった。

 庇の大きな黒帽子の下には、黒い肌をした相貌がひとつ、闇の中に白目と黒目がはっきりと色分けされた双眸がふたつ備わっている。 メキシコや南米でインディオ達が着るような、ポンチョめいた外套に身を包み、その下に何を隠しているかは全く解らない。確かなのは、酷く剣呑とした気配を背負った男だということだ。

 

『まれびとだな』

 

 黒人は、銃口を突きつけられているにも関わらず、全くの落ち着いた声で言った。

 私は掌に汗が浮かぶのを感じた。コイツはなかなかに手強い相手だ。ポンチョの下に何を隠しているか知らないが、とにかく油断がならない。

 黒人は、私やアラマの動きや様子など意に介さないとばかりに、一方的に告げた。

 

『スピタメン家のロクシャンがお前を、お前たちを呼んでいる。付いてきてもらおう』

 

 どうやら、一難去ってまた一難らしかった。

 

 



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第08話 シュガー・コルト

 

 

 

『スピタメン家のロクシャン……それはつまり、「オルタック」の……』

 

 黒人が言い出した名前を前に、アラマが少し震える声で呟いた「オルタック」なる単語。

 それがまるで魔法の言葉でもあったかのように、酒場の喧騒は嘘のように静かになった。皆がギョッととした顔で私達のほうを見る。そして黒人の姿を認めるやいなや、唸りが聞こえそうな勢いで視線をそらした。

 何事もなかったかのように、再び喧騒が始まる。どうやら「オルタック」なる代物は、かかわり合いになるのが喜ばしくない類のものであるらしい。

 

「……」

『……』

『……』

 

 私も、アラマも、黒人も、誰も口をきかない。私は黒人を、黒人は私を見つめ、アラマの金色の瞳だけが、無頼漢二人の間を何度も行き来する。嫌な沈黙が、私達の間を流れていた。

 私はゆっくりと撃鉄を起こした。

 カチリ、と私には聞き慣れた音が鳴り響けば、その聞きなれぬ音に観衆共は無関心の演技も忘れてこちらへと目を向ける。

 不可思議なるまれびとの武器、ガンを見慣れぬ彼らと言えど、そこに込められた殺意は解るのだろう。

 視線を外した後も、流し目に私達の様子を窺っているのを感じる。

 いつここが修羅場鉄火場になるのかと、冷や汗脂汗を流しながら固唾を呑んでいる。

 アラマは普段の快活さはどこかに吹き飛んで、青い顔をして表情を固くしている。

 全く顔色が変わらないのは私と、目の前の黒人だけであった。

 恐らくはほんの数秒の事だろうが、緊張によって引き伸ばされた空気が、まるで数分数時間のような緩やかさで過ぎていく。

 私は引き金に指を引っ掛け、撃鉄に親指を再びかけた。

 トリッガーを絞れば、アラマが緊張に肩をビクリと震わせる。

 撃鉄が落ち――た所を親指が押さえ込む。銃口を天井に向けながら、私はハンマーを静かに戻した。

 短銃身コルトをホルスターに戻しながら、私は言った。

 

「……行こうじゃないか。そのロクシャンとかって野郎の所に」

 

 アラマは驚いたように私の方を見たが、私はただ片目をつむって返してみせた。

 私はまれびと、余所者だ。この街の裏事情など知る由もない。

 ならば暫くは状況に流されて、様子を静かに観る他はない。少なくとも、今は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 飯屋の店主に一ドル銀貨を投げ渡し、私たちは騒がしい店をあとにした。

 すいすいと進む黒人の背を私たちは追う。

 マラカンドの夜の喧騒はいつしかまわりから消え去って、夜の帳が降りて薄暗い路地へと入り込んでいた。

 黒人のあとを追いかけるのがやっとで、細かい道筋など覚える暇もない。

 と、言うよりも黒人は私たちに道を覚えさせたくないらしい。ことさらに何度も角を曲がるのはそのせいだろう。

 

『……よろしいのですか? 本当に? ついて行ってなどして?』

 

 やや私の後方を歩いていたアラマが足を速めて隣り合うと、囁き声で聞いてきた。

 彼女には珍しく、その声色に恐れの色が混じっているのが私には気にかかる。

 

「ロクシャンとかいう野郎は、そんなにもヤバい野郎なのか?」

『ヤバいなどというものではありません! 超ヤバいのです! 悪魔(ダエーワ)よりも忌まわしいのです!』

 

 囁き声なのに感嘆符の突きそうな強い語気で喋るという器用な調子で、アラマは私に講釈してくれた。

 

『ロクシャンはスピタメン家の頭領で、このマラカンド最大のオルタックの総元締めなのです! このマラカンドではナルセー王とその重臣たちを除けば、彼に逆らえる者などいはしないのです! 』

「……まず、そのオルタックというのがわからん」

 

 私が正直に問えば、アラマは歩きながら丁寧に説明をしてくれた。

 彼女の言葉を掻い摘んで言えば次のようになる。

 オルタックというのは要するに隊商の組合で、流れの露天商などは別にして、マラカンドの住民で自分の店棚を持つ者は全てこれに属さねばならず、属さねば商うことが許されない。

 オルタックはこれに属する商人(あきんど)達を保護する。特に隊商は護衛を雇ったりなどと元手がかさむために個人でこれを組むのは色々と面倒が多いが、オルタックを通せば属するもの同士共同で隊商を組める利点があるわけだ。

 いっぽうでオルタックは商人達を様々な掟で縛り付け、またその頭領への上納金を払うことを強いる。

 まぁ要するにどこにでもありそうな話で、西部でも、サルーンの主や雑貨屋の主が街の顔役になって同業者連中を従えているのはどこも同じだ。違うのは、従えている商人の数ぐらいのものだろう。

 

『オルタックそのものはあきないの盛んな所ならばどこにでもあるのですが、マラカンドのオルタックは少々事情が違うのです』

 

 アラマが続けて話してくれたのは、マラカンドの少々複雑な事情だった。

 東方のセリカンと西方のミクリガルズルとを結ぶ結節点、レギスタン。さらにその中間に位置する街、マラカンド。 この地の住人たるズグダ人達は、古くから東と西とを仲介する商いに勤しんできた。

 しかし東西の富が行き交うマラカンドの地を、その周辺の国々が見逃すはずもない。レギスタンはその四方より度々侵攻を受け、異郷の王たちの軍門に幾度となく下ってきたのだ。

 だがズグダの民は強かだった。異民族の王たちを幾度となく迎え入れようとも、その下で商いを通じてしぶとく生き残り続けたのだ。

 ナルセー王と、彼に率いられたエーラーン人により攻め込まれて以来、このマラカンドは彼らの支配下にある。だがここでなされる商いは、相も変わらずズグダ人達が握り続けている。オルタックは、このズグダ商人達の組合なのだ。

 

『このマラカンドはズグダ人とエーラーン人との微妙な力の均衡の上に成り立っているのです。そしてエーラーン人の王がナルセー王ならば、ズグダ人の王と呼ぶべき者がスピタメン家のロクシャン、その人なのです』

 

 そして、そのズグダ人の王に私は今呼び出されている訳だ。

 ようやく事情が飲み込めた。

 要するにズグダ人達はエーラーン人達に対し牽制しているのだ。

 ナルセー王がまれびとである私を抱き込んだのを見て、その私に一言いっておかねば気が済まないのだ。

 

『……着いたぞ』

 

 事情が飲み込めた所で、ズグダ人達の頭目とやらの所に辿り着いたらしい。

 思考の海から注意を引っ張り上げれば、一見して何の変哲もない極々見慣れた家屋のひとつが目の前にある。飾りもなく、装いもない、なんてこと無いマラカンドではどこでも見るような建物だ。

 黒人は私達のほうを振り返りもせずに門をくぐって中へと姿を消した。

 相変わらず不安そうな眼で私を見てくるアラマには、肩をすくめてみせて黒人に続いた。

 

 

 

 

 

 

 外から見た印象とは真っ向反対に、通された家の内装は豪華絢爛そのものだった。

 床に敷かれた絨毯、壁にかけられたタペストリーはいずれも海よりも深い青に染められ、その表面には金糸の刺繍が複雑極まる文様を描いている。絡み合った蔓草、絡み合う獅子と鹿、翼を広げた猛禽に、手が八本もあるような異形の神像……恐らくは全て一流の職人の手になるものだろう。一時間見続けていても飽きないような見事さだ。

 しかしその見事な職人仕事をゆっくり鑑賞している暇は私たちにはない。

 案内役の黒人は相変わらずスタスタと進んでいるし、入り組んだ通路を追いかけるのは骨が折れるからだ。

 何度めか解らない曲がり角をこえれば、狹い廊下が終わってようやく開けた部屋にでた。

 木製の丸机と椅子が置かれた部屋の向こう側には新たな入り口があるが、そこはやはり青色の見事なカーテンで覆われている。私には気配で解った。あのカーテンの裏側にロクシャンが控えている。

 

『ここから先は、まれびと独りで行け』

 

 黒人が新たな入り口の傍らに立って言った。

 私が言われるままにカーテンを潜ろうとするのを、アラマが引き留めようとするのを、私は視線で制した。

 もうここまで来たからには、会って帰らなければ甲斐がない。私は苦笑いを残して青の帳を越えた。無論、ダスターコートの下にコルトを忍ばせながら。

 招かれた部屋は最初真っ暗であったが、すぐに明かりが灯って視界がひらけた。

 ひらけると同時に、部屋の主の声が響き渡る。

 

『ようこそ参られた、異界よりの旅人よ。ズグダの民のならいによりて、あなたを歓待いたしましょう』

 

 柔らかく温かみに溢れた声の持ち主を見た時、私は顔に出さずとも少々驚いた。

 恐ろしいほどの巨漢だった。身の丈は私よりも頭一つ分ほど大きく、その背丈と同じぐらいに巨大な腹はバッファローのように膨れ上がっている。肥満、という単語はこの男のためにある言葉かと思うほどの太鼓腹だ。

 鼻は高く彫りは深く、落ち窪んだ眼窩の中には切れ長の黒い瞳がある。口も顎も立派な髭に覆われているが、その下にある微笑みははっきりと見て取ることができる。視線もまた、微笑みに似つかわしい優しげなものだった。

 人好きのする顔である。

 だからこそ、私は神経を研ぎすませて身構える。

 アラマが、道すがらに教えてくれた、ズグダ人の習わしを思い出したからだ。

 

『ズグダの民は、赤子が生まれると必ず、その口には甘露を含ませ、その掌には膠(にかわ)を握らせるのです。長じてから口からは甘言が紡げるように、その手に掴んだ富を手放さぬように』

 

 まさしく、そうやって生まれ、そうやって育ってきたことが直感的に私には解った。決して油断をしてはならない相手だと。

 

『わたしは家祖スピタメンより数えること二十四代目、一族の長を任されしロクシャンと申すもの。加えて僅かながら商いにも勤しんでいる者でございます』

 

 右手を胸元に当てながら、ロクシャンは一礼した。

 その巨体に似合わぬしなやかさの持ち主で、その一礼は流れるように見事だった。

 身にまとった黄色のゆったりとした衣の裾が優雅に揺れる。頭に載せた黒いとんがり帽子が礼を印象付ける。

 

『あまりにも突然にあなた様をこちらに招いた無礼はあやまりしょう。されど言い伝えに名高きまれびと殿がこの街を訪れたとあっては、自分もあきんどの端くれ、おもてなしの一つもせねば面目が立ちません』

 

 ロクシャンがパンパンと手を叩けば、部屋の左右の帳がサッと開いた。

 色が土色であったが為に、私は不覚にも左右の帳を壁と勘違いし、えらく狭い部屋に招かれたなと想っていた所だったのだ。私にもその存在を感じさせなかった帳のうちの人々は、その体を薄絹に纏った女達だった。最低限の部分のみを覆い――とは言ってもその下が透けて見えている――、伸ばした髪を頭頂部付近で金の冠で纏め、その体には色とりどりの長い絹帯を絡ませている。その背後にはギターのような楽器を持った同じような格好の女達がいて、一斉にそれらを奏でさせ始めた。

 薄衣姿の女たちは、身に絡ませた絹帯をはためかせ、情熱的な曲に合わせて複雑な踊りを舞う。

 腰を胸を揺らし、くるくるとまわり、腕を蛇のようにくねらせる。

 揃いも揃って美人ばかりで、おまけにその肢体は実に艷やかだ。一人一人が並の娼館ならば看板をはるような女たちだが、私の心は全くといっていいほどに弾まなかった。

 この女たちの誰一人が、開かれる前の帳の裏で物音一つ立てず気配を完全に殺していた事実に、私はむしろ恐れすら抱いていた。銃把を握る指の間に、汗が浮かぶのが自分でも解るのだ。

 ただの商売女などではない。その豊かな乳房や腰つき、艶めかしい唇や瞳の下に、いったいなにを隠しているのか知れたものではない。

 

『さぁ、大いに楽しんでいってください』

 

 踊る女達の間から、やはり音もなく銀の水差しを携え同じような格好の女給仕達が姿を現す。

 あからさまに男を誘惑することを意識した、扇情的な足の運びだが、私は表向きにになど騙されない。

 よくよく見れば、軍人のように整った歩みだ。仕込まれている、明らかに。

 私はロクシャンへと向けて銃を握っていない方の掌を向けて制す仕草をした。

 もう色々と充分だ。

 

「あぶねぇあぶねぇ。……ここじゃあ、おちおち酒にも女にもうつつをぬかせねぇ。尻の毛まで抜かれそうだ」

 

 私は酒池肉林に背を向け――るとそのまま背中から刺されそうなので、ゆっくりとロクシャンのほうを向いたまま後ずさった。幸いなことに、まだ退路は塞がれていない。

 

『……残念ですな。もてなしの気持ちが伝わらないとは』

「生憎だが、腹に何を詰めているかも解らねぇ相手とは楽しく飲めないタチなんでね」

 

 心底残念そうな顔をするロクシャンへと向けて私が言えば、やっこさん、そのでっぷりと膨らんだ腹をポンと叩いてこう言ってのけた。

 

『何をおっしゃいますか。この腹に詰まっているのは、ただ真心のみですよ』

 

 それを聞いて私は、いよいよ確信した。

 こいつは一番信用してはならない類の人間だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よろしかったのですか!? ロクシャンのもてなしを断ったりなどして!?』

 

 夜道を歩きながら、かたわらでアラマがそんな風にまくし立てる。

 全く行くなら行くで慌てるし、帰るなら帰るでふためくしで、実に騒がしい娘っ子である。

 

「仲良くおしゃべりしてお茶でもする空気でもなかったんでね」

 

 私はそうとだけ返して、歩みを早足に変えた。アラマは慌てて私の隣へと追いついてくる。

 結局、私はあのあと酒を一滴も飲まず、女たちに指一本触れることなくロクシャンの屋敷を脱した。

 間違ったことをしたとは思っていない。あのまま素直にもてなしを受ければ、何が待っていたか解らない。

 ただ――。

 

「……」

『どうしたのですか?』

 

 唐突に立ち止まって振り返った私にアラマが問うが、私は「なんでもない」とだけ返して再び歩み出す。

 

「バカタレが」

 

 私は小さく自分へと向けてそう言った。

 いざ虎口を逃れて落ち着きを取り戻した心に浮かんだのは、あの踊り子たちの艶めかしい姿だ。

 私は思わず考えていた。少々残念……いや、大いに勿体無かったかもしれない、と。

 そんなことを思う私の顔を見て、何故かアラマは不機嫌そうに顔をしかめるのだった。

 

 



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第09話 セメタリー・ウィズアウト・クロッシズ

 

 

 さんさんと降り注ぐ陽光に、私は帽子を脱いで扇子のようにして扇いだ。

 今しがた私が背を預けている日干しレンガの壁もその高さが極めて中途半端で、太陽が私達の肌を焦がすのを防ぐ影すら作ってはくれない。砂の地面に腰を下ろしてみた所で、辛うじて身を隠せる程度の高さしかないのだ。

 私の知る限り、いつも余裕の微笑みを口の端に浮べているイーディスですら、恨めしげに太陽を睨みつけている。平気な顔をしているのはアラマだけだ。流石はなんたらの太陽とかいう神様を信じているだけはあって、灼熱に照らされるのもへっちゃららしかった。いやむしろ普段以上に元気かもしれない。

 

『来ました。やはり追ってきていますね』

 

 アラマが煉瓦壁の欠けた所からその様子を偵察し、言った。

 私は帽子を被り直して、肩に負っていたライフルを胸元へと下ろす。

 銃尾(ブリーチ)に備わった出っ張りに指をかけ引っ張れば、鋼の蓋がくるりとおりて給弾口が露わになる。

 ダスターコートのポケットから50口径弾を一発取り出すと、ポッカリと開いた穴へと放り込んで銃尾を閉じた。これで発射準備は完了した。後は引き金を弾くだけで良い。

 私は壁の所々に空いた穴のひとつからその向こうを窺い見た。

 弾を込めている間に隠れでもしたのか、敵影は見えない。私は銃眼に最適な隙間へと静かに動き、レミントン・ローリングブロックの長い銃身を突き出させた。スコープはつけていなかった。生の眼で、自分自身の瞳で標的を狙い、撃つのだ。

 

『……動いた。右斜め前方』

 

 私の背越しに見ていたイーディスの指示に従って、私も銃口と目線を動かせば、確かに盛り上がった砂の向こうに僅かだが茶色の背が見えた。しかし、まだ撃つには早い。もう少しばかり、そこから出てもらわないと困る。

 微かに南風が吹いて、砂埃が流れるように舞い上がった。

 それに合わせて相手が動くことを期待したが、そう都合良くはいかない。僅かに見える背は微動だにしない。

 ――スコープを使わないのにはちゃんと理由がある。

 今、私が狙っている標的は、否、標的どもは極めて素早い。狭い視界のなかでやつらを捉えるのは恐らく無理だろう。昔ながらの、裸眼で狙う他はないのだ。

 

「……」

 

 私は息を止めた。こうすれば銃身のぶれがなくなる。

 息を止めて、じっと待つ。相手から先に動くの、ただただ待つ。

 こういうのは狩りと同じで、相手との根比べなのだ。先に動いたほうが殺られる。

 

「……ふぅ」

 

 私は息を深く吸って吐いた。息を深く吸って吐くと同時に、銃口を動かした。

 トリッガーを弾けば、ズシンと反動が肩にぶつかり、白煙が銃口から吹き出す。

 遠くで、私の銃弾を受けてやつらの一匹が仰け反り斃れた。先に耐えきれなくなったのは、私と一匹の我慢比べを傍から見ていた別の一匹だった。プレイヤーよりも野次馬が先に焦れてしまうのは、カードでも狩りでも同じこと。胸板のうちの柔らかい部分を貫かれ、緑色の濁った血を撒き散らす。その異形の口からは、金属同士の擦れ合うような異音を吐き出し、両手――と思しきものを天に掲げながら地面へと転がる。

 

『来るぞ!』

『来ますよ!』

 

 イーディスとアラマが同時に叫んだ時には、私は再度ブリーチを開き、次弾を指の間に摘んでいた。

 私の放った銃声が合図にでもなったように、地に伏せ、砂と砂の窪みに隠れていた怪物たちが正体を現す。

 もしも蝗と人が交わって、間に子を成せばこんな見た目になるのだろうか。

 耳障りな金切り声をあげ、恐ろしい勢いで這うように砂地を駆けるのは、バッタのような顔に茶色の昆虫然とした硬い皮膚と人間のような五体を持った化物どもだった。

 『蝗人(マラス)』と、アラマとイーディスの二人はその名を呼んでいた。

 ヤツらは突如として私達を遅い、この廃墟にまで追い詰めていた。四方から迫る連中の正確な数は解らない。とにかく、たくさんだ!

 

「はっ!」

 

 私は掛け声とともに手近な一匹に狙いを定めると、ライフルをぶっ放す。

 レミントン・ローリングブロックは単発式だが、それだけに構造が堅牢で強力な弾丸を装填できる。蝗人の一匹の、その喉首の辺りを見事に食い破り、もんどりうって斃させる。

 だが連射力には欠ける。一匹斃す間に、別の一匹が間合いを狭める。

 私はライフルを一旦手放し、コルトに持ち替えようかと考えた。そして止めた。私の背後で、誰かが得物を構える気配を感じたから。

 ブンッ、と弦の鳴る音がして、頭上を素早く何かが通り過ぎた。迂闊にも鱗の薄い腹側を晒した一匹の蝗人の土手っ腹に、ドスリと太く短い矢が突き立つ。背後の射手は言った。

 

『……全く、ついてなど来るのではなかった』

 

 得物の弩(クロスボウ)に次の矢を番えているのは、エゼルのような長耳の、灰色髪の色男だった。

 今やチャカルの『二番手』の射手となった、動く的ならば100ヤード、動かぬ的ならば200ヤード先に当てて見せると豪語して、私に当て馬役をさせられた色男だった。

 私とアラマ、イーディスとそして色男の四人は、マラカンドの街から北数キロ離れた場所にある荒野の真ん中にいた。

 いや、ここは単なる荒野ではない。ここは丘だ。遠い昔、ズグダ人がマラカンドへと移る前に都としていた丘だ。

 『アフラジヤブの丘』という名のこの場所に、なぜ私達がやって来て、こうして化物共に囲まれているのか。

 まずはその訳を話さなくてはいけないだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『わたくし、アフラシヤブを訪ねたいと思いますが、まれびと殿はいかがされますか?』

 

 チャカルの兵営の食堂の片隅で、アラマと二人向かい合って昼飯をがっついていた時だった。

 木皿に盛られているのは、野菜や肉を煮込んだ汁で米を炊いた料理だった。独特の風味のあるそれを、まぁこういうのも悪くはないかなと、木の匙で掻き込んでいたさなか、同じようにしていたアラマがふと顔を上げて言ったのだ。……どうでも良いことだが、チャカルに属する私はともかく、極々自然に彼女も同じ飼い葉桶から麦を喰らっている訳だが良いのだろうか。まぁ、誰も文句をつけないところ、問題はないということなのだろうけども。

 

「あふら……何だって?」

『アフラシヤブです。そもそも私がこの街を訪ねたのは、アフラシヤブの丘を目指してのことだったのですよ』

 

 彼女は木匙で米を頬張りながら続けて語る。

 

『不敗の太陽、牡牛を屠るものミスラの名において、わたくしの使命は失われた聖典を探すことなのです』

 

 続けて彼女が語った中身を簡単にまとめると、彼女の生まれ育ったドゥラ・エウロポスなる遠方の地より、わざわざ千マイルの旅路を経てこのマラカンドまで彼女が至ったその理由は、『天路歴程(アノドス)』なる失われた経典を探し出すことであるらしい。その経典とやらが隠されている可能性が高いと言われているのが、マラカンドの北にある『アフラシヤブの丘』なんだそうだ。なぜその経典が必要かと言えば、なんでも彼女の崇め奉る神が信者に求めるのは、知識を掻き集め儀式の手法を学び、正しいやりかたで『天への梯子』を立てることであるから、だそうだ。

 

「――時に彼は夢をみた。一つの梯子が地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の遣いたちがそれを上り下りしているのを見た」

『え?』

「いや、なんでもない」

 

 アラマの言葉から、ふと思い出し、特に深い意味など無いが私は、ユダヤ人達が特に深く信心を寄せる方の聖書の一節を諳んじてみせた。天使と格闘を演じてみせた男の物語だった……と思う。

 私は別に信心深いという訳でもない。 神を信じないわけでもないが、教会に通ったり、説教に耳を傾ける程ではない。そもそも、まっとうに信心深い男が人殺し稼業などするものか――。

 私が聖書の中身を覚えているのは、それが父の数少ない遺品で、うっかり無くしてしまうまでは長旅の暇つぶしに良く読んでいたからだ。 聖書ぐらいは地力で読めないと、とは生前の父の口癖だった。 父も私同様学のない男だが、聖書だけは読むことが出来た。 読み書きができるのもそのせいだ。……最も、書く方は結構怪しい部分のほうが多かったりもするのだが、読む方ならばそれなりにこなせる。 西部じゃ読む方もマトモにできるヤツはどれだけいるか怪しいものだ。 つまり西部じゃ私も立派な「教養人」と言うわけだ。だからどうということもないのだけれど。

 

「それで? その無くなった本とやらを探す話と、俺に何の関係があるわけだ?」

 

 全くもって私の問いはそれに尽きる。話を聞けばどこまでの彼女の事情で、私には何の関係性もない。用心棒を頼みたいと言うならば別に構いはしないが、自発的についていく気はさらさらない。私は仮に「教養人」であったとしても「学者」ではない。エラいセンセーがたのように、カビの生えたラテン語のページの、かすれかかった文字を追うような趣味はない。

 

『私はそのアフラシヤブを目指す道すがらでまれびと殿と巡り合ったのですよ。これはつまりミスラのお導きに違いな無いのです』

「……なるほど」

 

 普段ならば一笑に付すような理屈だが、今は状況が状況だ。アラマの経典探しが、私が「こちら」に呼び出された理由と関わっていない、どうして言い切れるだろう。

 

「……まぁここ何日か時間を持て余している所だ。物見遊山代わりに付き合っても良いとは思うが」

 

 マラカンドは大きな街だが、それを治めるナルセー王は豪腕を以て知られる。

 盗みも騙りも殺しも尽きることはないが、かと言ってチャカルがわざわざ出張るほどの騒乱もない。

 この街に来てもう幾日か経ったが、なにがしか状況に変化が起こる風でもなく、街を巡り歩いて時間を潰している有様だ。観光も悪くはないし、飯も美味いが、流石に体がなまってくる。

 私がやぶさかでもない、という返事をすれば、アラマは満面の笑みを浮かべながら身を乗り出した。

 

『行きましょうよ! ぜひ行きましょう! 行かねばなりません!』

 

 金色の瞳をさらにキラキラと輝かせ、アラマは両手を握りしめて叫ぶ。

 

『栄あれ! 栄あれ! 新しき光! 太陽の導きに従いて今、異界の騎士が今、聖なる戦にぞ馳せ参じ――』

『面白そうな話をしているな、御前達は』

 

 大声の祈りを聞きつけたのか、私達の間に顔を割り込ませたのはイーディスだった。

 獣が牙を剥くような、獰猛な微笑みを浮かべているのは、恐らくは彼女も有閑を持て余していたからだろう。手近な椅子を引いてきて、イーディスも話に加わらんとどっかり腰を下ろす。

 

『アフラシヤブに行くというのならば、私も是非同行させたほうが良かろう』

「なんでだ?」

『あそこは危険だからさ。……そもそも御前がたは、あそこがどういう場所が、聞き及んでないと見えるな』

 

 イーディスのこの物言いに噛み付いたのはアラマだ。彼女は素晴らしく物知りだとは私も思うが、自負もあるらしい。

 

『知っていますよ! スグダ人がマラカンドに移る前、旧い都としていた場所です。マラカンドから北に半日ほど進んだ先にある、荒野の丘の上にある廃都です。今は人っ子一人住んでいないと聞いております』

『確かに人は住んでいない。人は、ね』

「つまり人以外は住んでる訳か」

 

 私が横から言えば、イーディスはニヤニヤと笑い返した。

 

『あの手の死者の都(ネクロポリス)は魑魅魍魎共の格好の巣窟だ。いかにまれびとを連れているとは言え、二人で挑むのは少々骨だぞ』

「でもお前さんはチャカルの隊長だろう? 宝探しに付き合う暇などあるのかい?」

 

 イーディスは鼻で笑って答えた。

 

『御前と同じで私も暇を持て余しているんだよ、まれびと殿。それに刃に血を吸わせておかないと、斬れ味が鈍る』

 

 彼女の中では、もう私たちに付いて来るのが既に決っているらしかった。

 私がアラマに「どうする?」と目線で問えば、彼女はやや不満気ながらも首を縦に振った。

 

『……よし。今から出れば少々遅いから、明日の朝だな。ならば支度だ。遠くはないが、遊びに行くのとはわけが違う』

 

 現れた時と同じ唐突さでイーディスは立ち上がると、口笛吹きながら何処かへと行ってしまった。

 残された私たちは顔を見合わせると、とりあえず昼飯の残りを片づけることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝、兵営の入り口近くに私たちは集まった。

 私は仕事道具を一式に念のための食料と水、アラマも同様に水と食料、そして私には何のか解らない小道具を満載した鞄をひとつ、私はサンダラーに、アラマは毛むくじゃらの妙な四足獣に担がせていた。その四足獣の姿は、昔新聞で見た南米の「リャマ」なる動物を描いた絵に似ていたが、恐らくは「こちらがわ」固有の動物なのだろう。足腰が頑丈そうで、いかにも家畜向きな印象だった。

 一方イーディスは、私の知る馬に比較的似ている動物に既に跨っていた。「比較的」と言ったのは、その白馬には足が八本もあったからだ。……蛸じゃあるまいし、あれでどうやって自分の足で絡まらずに走れるのか、全くもって不思議だった。

 そして昨日までは予定のメンバーになかった顔ぶれがひとつ、新たに加わっていた。

 イーディスと同じような八本足の白馬にまたがるのは、柳の葉のように細長い尖った耳をした、灰色の長い髪の色男だった。私はその顔に見覚えがあった。今やチャカルの二番手射手になった、弩使いの男だった。

 

「……なんでその色男がここにいるんだ?」

『道案内だ。前に何度かアフラシヤブに行ったことがあると聞いてな』

『不本意だが、これも仕事のうちだ』

 

 色男は、不満を全く隠すことなく、顔に似合わぬ掠れた低い声で言った。

 私を見る眼にはあからさまな嫌悪の情がある。まぁしかたあるまい。

 

「……一応は戦友なんだ。背中は射たんでくれよ」

『……』

 

 肩をすくめながら私が言うのに、色男は何も返さなかった。

 全く、失礼な野郎だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 色男の先導のもと、私たちはマラカンドを出発した。

 後を任せるグラダッソとロンジヌスに見送られ、私たちは荒野の道へと繰り出す。

 半日ばかりかけて、畑と畑の間の道を抜け、市外の農村の真ん中を通り、丈の低い草の隣を進めば、気づけば砂利ばかりの荒野へとたどり着いていた。そして暫く空と砂と岩以外は何も見えない退屈極まる風景を通り過ぎれば、突然に、荒野の中にその丘が見えたのだ。

 近づき、その詳細が明らかになるにつれ、芸術など薬にしたくもない私の胸中にも、感動に近い驚きが湧く。

 夥しい、数え切れない程に連なった柱、崩れた土壁に、人面獅子体に翼を生やした異形の像。

 巨大なアーチの門。そこに刻まれた神とも魔物ともつかない姿の数々。

 

 だが、人影は全くない。確かにここは死者の都だ。

 

 私たちはアフラシヤブの丘へと辿り着いた。

 ここで、何が私達を待っているのかも知らずに。

 

 

 



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第10話 アワー・オブ・ザ・ガンズ

 

 

 

 何度も言うが、私には学がない。

 絵を愛でる習慣もなければ、像に見惚れるようなこともない。

 芝居は――時々見るが、西部の町に来るような劇団の程度などたかが知れている。

 読み書きの内、読むほうは問題ないが、読書家では無論ない。新聞は時々読むが、その程度だ。

 つまり何が言いたいかというと、芸術の素養なんて全くないのが私なのだ。

 

 ――そんな私ですら感動するほどの美しさを、アフラシヤブの丘は持っていた。

 

 魂が吸い込まれそうなほどに澄んだ青空の下、死者の都は静かに佇んでいた。

 苦痛なほどの静寂。

 僅かにそよぐ微風と、アラマやイーディス、色男に私の息遣い以外に音はない。

 時が止まったような世界で、悠久の時間のなか、恐らくは変わらなかったであろう景色がそこにある。

 ブルーの背景へと突き出された、日に焼けた土色の、数え切れないほどの列柱。

 遠い昔に打ち壊され、壊されたままの姿を留める石壁。

 その壁に刻まれた、恐らくは古代の軍勢を刻んだであろうレリーフ。

 翼を生やした、人面獅子身の異形の像。

 柱の先端に据えられた鳥面獅子身で、やはり翼を生やし、ロバのような耳を立てた神像。

 最早出迎えるものも無くなった門の数々。

 生まれてこの方、こんな風景には出くわしたことがない。それだけに私の感動はひとしおだった。

 

 しかし、私以外の三人にとっては、この美しい姿もありふれたものでしかないのだろう。

 見惚れるでもなく、三人は黙々と廃都へと歩みを進める。

 アラマが途中で振り返り、私を呼んだ。

 

『まれびと殿? いかがされましたか?』

「……いや、なんでもない」

 

 私は置いてきぼりにされまいと、サンダラーに早足を促すため、その尻をポンポンと叩いた。

 

 

 遺跡に近づくつれ、こいつがいかに巨大かということが解ってくる。

 丘の斜面に張り付くように形作られたアフラシヤブの廃都は、恐らくはかつてはお大臣の類の住処であったろう大廃墟と、下々の連中が住んでいたであろう廃屋群から成り立っている。

 丘中腹の一番日当たりの良い場所に廃王宮が威容をたたえ、それを目指すように一本道が走り、その両側には小廃屋が立ち並んでいるのだ。

 私たちは、丘の一番麓、廃都アフラシヤブの入り口にまでやってきていた。

 そこには門があった。高く大きな門があった。

 かつてはナルセー王の王宮のように鮮やかに彩られていたのだろうが、今ではすっかり色褪せて、僅かにその名残をとどめているにすぎなかった。

 まず最初に案内役の色男が、次にアラマが、さらにイーディスが、そして最後に私がその門を潜った。

 

「――?」

 

 違和感。

 私は振り返るが、誰もいない。

 周囲に視線を巡らせても、私達四人の他は影ひとつ無い。

 

『どうかしたか?』

 

 先頭の色男が胡乱げに私を見て言うので、首を横に振りながら返事する。

 

「いや、ただの気のせいだろう」

 

 一瞬、誰かの視線を感じたような気がしたのだが、まぁ思い過ごしであろう。

 天に鳥一匹とて飛ばず、地には蜥蜴一匹這う姿もなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 門をくぐって暫し土剥き出しの道を進む。

 主の命もとうに絶えた廃屋の合間を真っ直ぐに歩む。

 私の気分は落ち着かなかった。

 左右の崩れかけた壁や窓の背後に眼をやって、その裏側に誰か、いや何か隠れてやしないかと注意を払う。

 

 ――見られている。

 

 そんな気配が、消えない。

 遠くからスコープや双眼鏡で見られている訳でもない。

 ここは開けた場所で、しかも陽は高く遮る雲もない。必ずレンズに陽光が反射して解るはずだが、それもないのだ。

 

『……』

 

 イーディスも私と同じものを感じ取っているのか、居心地が悪そうにしきりに左右を見渡している。

 

『おかしいな……おかしい』

 

 色男も、しきりに首を横に振ってぶつぶつ呟いている。

 

『何がおかしいのですか?』

 

 ただ独り脳天気な様子のアラマが、色男に問いかけた。

 

『……化物の類の姿が、まるで見えん。前に来た時、ここはゴーズ共の巣になっていた。だから金目の物を探すのをその時は諦めた』

「何だ。前に来たことあるというのは、要は墓荒らしか」

 

 私が皮肉っぽく口をはさむも、色男は応じず、半ば自分に対し言うようにアラマに答え続ける。

 

『単に姿が見えないだけならともかく、痕跡もないのは妙だ。ゴーズ共は喰い方が汚いから、餌食の跡があちこちに転がるものなのだが……』

 

 言われて私も地面を色々と探すも、確かにしゃれこうべ一つ転がっていない。

 ここ数百年、獣一匹訪れていないように地面はキレイで、砂と土以外は何もなかったのだ。

 

「……道の先のお屋敷の主がメイドでも雇ったんじゃないのか? お庭が汚れちゃお客様に失礼ですってな」

『茶化すな。死霊の類が湧いたのやもしれんのだぞ』

 

 ……死霊とな?

 何やら色男がまたぞろ気にかかる単語を出してくれば、イーディスが珍しくギョッとした様子で、嫌悪に表情を歪めている。

 

「お化け(ブギーマン)が苦手とは意外だな」

『うむ。多少はカタナで祓うことも出来るが、やはり血も肉も骨もない手合はどうもな……得意ではない』

 

 私としては冗談のつもりだったのだが、イーディスは大真面目に大仰に頷くものだから、却って戸惑った。

 流石は「こちらがわ」といったところか、どうやら死霊というのは迷信でも喩え話でもなく、極々当たり前に化けて出て来るものであるらしい。そう気がついた時には、私もイーディスと似たような面になっていた。……流石に幽霊を撃ち殺した経験は私にもないし、何より鉛玉が通じない相手にどう対処すれば良いのか。くそったれめ。こんなことなら普段からもう少し信心深くしてりゃよかった。

 

『しかし死霊のおかげで魑魅魍魎共がここから姿を消したとなると……極めて好都合なのです!』

 

 私が小さく十字を切っている横で、他と対照的に相変わらず能天気で前向きなのは大ガラスのアラマだった。

 彼女は脚を止めた色男を悠然と追い抜いて、一行の先頭に立ち、振り返り言った。

 

『いよいよもって急ぎましょう! 死霊がいづるのはどの道日も落ちた後ですから、なおのこと手早く王宮を探らなければ! ほら、皆さん急いで急いで!』

 

 例のリャマもどきに軽く鞭をくれて急かしながら、ひょいひょいとアラマは王宮へと進んでいく。

 その余りにもの無警戒さに、しばし私たちは呆けたように彼女の背中を見つめていた。だが何というか、大真面目に心配していたのがアホくさくなってきたので、私は鼻で自嘲気味に笑うと、アラマの後を追いかけ始めた。

 結局、イーディスも色男も八本脚馬で私達のあとを追った。

 

 

 

 

 

 

 

『ここから先は歩きですね』

「みたいだな」

 

 道の終点、丘中腹の廃王宮の入り口でアラマは一足先にリャマもどきから降りて先に一休みしていた。

 かつてはここを訪れた者たちのための馬場として造られたらしい広間の先には、街の入口のそれを遥かに凌ぐ立派な門がでんと控えていた。石壁に横向きに彫られた、例の翼の生えた人面獅子身の異形の化物が二匹、見つめあう姿の真ん中に、ぽっかりと中への入り口が開いている。王宮の規模を思うと、入り口が妙に小さく見えるのは、あるいはそう易々とは王宮へと入らせないためか。主亡き今、その理由は杳としてしれない。

 

『目当てのモノとやらはその奥か』

『はい。言い伝えによれば、ハカーマニシュ家のダーラヤワウシュの造り給いし王城の最奥に、失われし古の書があるとのこと!』

 

 追いついてきたイーディス達が八本脚馬から降りるのに合わせて、私もサンダラーより降りた。

 こちらを見つめてくる我が愛馬の横面を撫でながら、鞍に繋いだロールケースを開き、目当ての得物を引っ張り出す。ハウダーピストルとレミントン・ローリングブロックを私は手に取った。

 

『……書以外に出てきたブツは頂くからな。道案内の駄賃だ』

『それは言うまでもなしです! ここまでの先導、まことに感謝の限りがありません!』

 

 どちらを使うかを思案し、ハウダーピストルを選ぶ。

 右手に馬鹿でかい短銃を持ちながら、左手にライフルを持つのは利口とは言えない。

 私は、アラマの方を見て言った。

 

「おい」

『え?……!? わ、わ、わ!?』

 

 私はレミントン・ローリングブロックをアラマへと投げれば、彼女は慌てて長物を掴み取った。

 彼女は呆けた表情で、何度もライフルと私の顔を見比べるので、言ってやった。

 

「両方持つのは骨が折れる。荷物持ちくらいはしてもうぜ」

 

 ハウダーピストルをひらひらさせながら私が言えば、アラマは再度私の面とレミントンの間で視線を行き来させれば、パァっという音が聞こえてきそうな満面の笑みで、彼女ははい!と大声で返事した。

 何が嬉しいやらわからんが、まぁ、まれびとを特別視する彼女ならばこそ、ライフルを丁重に扱ってくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人面獅子の門を越えて、私たちは朽ちた王宮の最中を進んでいた。

 相変わらず人気もなければ、獣の一匹の気配もない。

 通りすがりの美しいレリーフを横目に見ながら、私たちは奥へ奥へと歩く。

 肩にハウダーピストルを載せながら、左右前後を警戒しながら、私は歩く。

 七丁のコルト・ネービーのうち、腰元に吊り下げた一丁からは、の撃鉄留め――ホルスターに付いている、撃鉄に輪を引っ掛けて動かないようにする暴発防止の紐――も既に外してある。

  肩の力を抜きつつも、すぐに銃は抜けるように緊張の糸を張る。 どこから攻撃されても、即座に反撃できるように、視線を回し、気配を探る。

 ――誰かに、いや「何か」に見られている。

 そんな感触が消えない。最初の門を潜った時から、ずっと止まらない。

 いや、むしろ強くなっている気すらする。

 イーディスもそれを感じているのか、既に愛用のカタナを僅かに鞘より僅かに晒して、即座に抜き放てる姿勢を保っている。色男のほうも、得物のクロスボウには矢を既に番えてあった。

 

「……」

『……』

『……』

『……』

 

 一同、黙したまま前進を続けた。

 王宮は恐ろしいほどに広く、幾つもの門柱を潜り、幾つものレリーフを通り過ぎ、幾つもの神像を見送った。

 気づけば、王宮の最奥まで私たちはたどり着いていた。

 驚いたことに、濃密になる気配に反して、相変わらず影より他に友もない。

 

『……あの奥です。恐らくは、玉座の奥の祠にこそ、失われし秘伝の書が!』

 

 不思議なことに、王の間と思しき大広間の奥には、外への出口が備わっていた。

 小走りに向かうアラマを私達が追いかければ、果たして出口の向こうには、王宮の背後の丘の頂上と、その斜面をくり抜くように掘られた古びた神殿があった。

 神殿の門は青く塗られ、その塗料はアフラシヤブの他の場所と異なって色褪せていない。

 青い壁面には金色の何かで、獅子だのドラゴンだの、その他形容し難い化物の図像が描かれていた。

 確かに、見るからにここは重要な場所だ。お宝の一つや二つ、隠してそうな気配がある。

 色男が下品に舌なめずりをして、私に見られていたことに気づいて咳払いをした。

 私は、それに苦笑しながらアラマに続こうとして――彼女を呼び止めた。

 

「おい」

『はい? いかがなされました、まれびと殿』

 

 アラマが振り返る。門しか見ていなかった彼女は気づかなかったが、ちょうど蟻地獄のように、地面に砂が吸い込まれたかと思えば、急転、全く逆に砂が盛り上がっていたのだ。

 アラマの背後で、砂がさらに盛り上がる。人の身の丈ほどになったかと思えば、その砂の内より、蝗めいた異様な面が姿を現した。ノコギリのような顎門をむき出しにした顔は、どう考えても友好的ではない。

 私は再度叫んだ。

 

「伏せろ!」

『!』

 

 アラマが身を伏せれば、蝗頭への射線が開く。

 金属を擦り合わせるような耳障りな声をあげる化物目掛け、私は言い放った。

 

「DUCK YOU SUCKER / 黙れ、糞ったれ」

 

 二つある引き金の一方を絞れば、犬の頭のような撃鉄が落ちて、雷管を叩く。

 雷管が火を吹けば、銃身内部へとそれは伝わり、込められた火薬に灯る。

 猛烈な勢いで爆ぜる火薬の勢いに、散弾が押し出され、銃口より一斉に吹き出した。

 至近距離故にさして散らぬ散弾は、一発も逸れることなく、蝗の化物へと突き刺さり、その体をふっ飛ばした。 

 絹を裂くような悲鳴を上げて、化物は砂地へと叩きつけられた。

 

『蝗人(マラス)!?』

 

 アラマが顔を上げて叫ぶのを合図にでもしたのか、私達の四方を囲むように、一斉に砂が盛り上がり、夥しい数の蝗人が、その姿を現した。

 私は一番連中が固まっている場所目掛けて、ハウダーピストルを向けた。二つ目の引き金に指をかける。

 

 ――異音! 蝗人が一斉に叫べば、私も応じて吼えた。

 

「うるせぇ!」

 

 再度散弾がばらまかれ、今度は何匹かの蝗人を一度に薙ぎ倒す。

 その様を最後まで見届けることなく、私はハウダーピストルを投げ捨てながら、腰元のコルト・ネービーを抜いた。

 私が持つ七丁のコルト・ネービーのうち、ただひとつ、金属薬莢弾使用に改造(コンバージョン)されたコイツは、そのグリップにガラガラヘビの意匠を埋め込まれていた。

 撃鉄を起こし、振り返りながら、そっちよりこちらへと駆ける蝗人を狙った。

 まずは、一発! 銃弾を胸に受けて、蝗人はのけぞるも、一発では足りず、再度走り出す。

 ならば、くたばるまでぶち込むまで!

 右手はやや位置を下げ、左手は撃鉄へとかかっていた。

 引き金を弾きっぱなしにしながら、ハンマーをあげれば、即座に落ちてシリンダー内の雷管を叩く。

 一発、二発、三発、四発、五発!

 扇を仰ぐように素早く撃鉄を起こし続ければ、まるで往年の回転式機関銃(ガトリングガン)のようにコルトは銃弾を吐き出した。

 ファニングショット。至近距離からに六連発を浴びれば、化物の鱗もひとたまりもない。

 今しがた私に殺られた一匹が斃れると同時に、私は叫んでいた。

 

「走るぞ!」

 

 アラマが、イーディスが、色男が、私の声と背中に従って揃って駆け出した。

 

 

 

 



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第11話 キル・アンド・プレイ

 

 

 投げ捨てたハウダー・ピストルを拾い上げながら、私は一同の先頭に立って走り出す。

 弾の切れたコルト・ネービーをホルスターに戻し、別のネイビーを引っこ抜いて立ちふさがるヤツへと引き金を弾く。

 

「道を開けろ、クソッタレ!」

 

 斃したかどうかなど確かめない。とにかく撃って道を開いて私たちは走る。

 二丁のコルトの弾倉を空っぽに変えながら、私たちは神殿からやや離れた場所にポツンと建っていた廃民家へと逃げ込む。恐らくは門番だの夜警だのの詰め所だったのだろう。半ば朽ちて崩れた壁以外は何もない。正真正銘のただの廃墟だった。

 ここに立てこもった私たちは、ひとまずアラマが必死に担いで来たレミントン・ローリングブロックで二匹ほど蝗人を仕留め、私が撃ち漏らした一匹を色男が弩で射抜いていた。

 一斉攻撃をかけんとしていた虫男共は一度に三匹を斃されてその動きを再度止める。

 再びの睨み合い。静かに地に伏せて身を隠し、こちらの集中が切れるのを恐らくは連中は待っている。

 

「……夜までは待てんぞコリャ」

 

 私は注ぐ日差しの暑さに閉口しながら、弾切れのハウダー・ピストルに再装填する。

 紙薬包(ペーパーカートリッジ)をコートの裏ポケットから取り出し、その端の結び目を噛みちぎる。

 適量の火薬を銃口から直に注ぎ込み、出し切った所で空の紙薬包を丸めて、続けて銃身の奥へと槊杖(かるか)で押し込んだ。散弾の詰まった小さな小さな麻袋を取り出し、やはり槊杖で銃身奥へと押し込む。もう一回同じ一連の作業をこなせば、ハーフコックした二つの撃鉄の下の火門のそれぞれに、小さな鈍い金色の薬莢を被せた。これで準備は整った。

 外をうかがうイーディスと色男はこちらに見向きもしないが、アラマだけは興味津々といった調子で再装填の様子を眺めていた。まるで生まれて初めて芝居を見た時の私のような、キラキラと好奇に煌く瞳で、顔に締まりのない笑みを浮かべながら、実に嬉しそうな様子だった。

 そんなアラマに私は特に言葉もかけず、ハウダー・ピストルを手に再度壁の隙間から向こうを覗きながら、警戒を続ける二人に問いかけた。

 

「なんかここを切り抜ける良い案があるか?」

 

 イーディスは少し思案しながら、首を横に振った。

 

『寄れば斬り捨てるのは容易いが、斬り込み突っ切るとなると背中が危うい。街まで保つとは思えないな』

 

 色男も同じ様子で言う。

 

『生憎だが、私の得物は守るには良くとも攻めるには向かない。次の矢を番える間に袋叩きだ』

 

 私はこの答えに唇を歪め、ううんと唸った。

 それぞれの腕前は疑うべくもないが、しかし数え切れない大多数の敵と立ち向かうのは、少数の敵を相手に切った張ったするのとは全く勝手が違うのだ。一匹二匹斃している間に背中に回られれば、どうにもしようがない。

 ましてや相手は人ではなく化物だ。硬い鱗に覆われて頑丈で、確実に仕留めるには拳銃では何発も要する。

 イーディスはともかく、私はあの虫野郎共相手に素手で挑むのは御免こうむる。色男も同じだろう。

 残弾と再装填のことを考えながら、賢く立ち回らねば生きてここを脱することは不可能だった。

 

『……わたくしに考えがあります!』

 

 ここで独り蚊帳の外だったアラマが右手を挙げて言った。

 全員の視線が彼女に一度集中し、蝗人共を見張るために私も含めて外へと向き直る。

 しかし言葉に出さずとも、皆一様にアラマの次の言葉を促している。

 彼女が喜色を浮かべたのを背中に感じながら、アラマの言葉に耳を傾けた。

 

『ここは元々ゴーズたちが住処にしていたと伺いました。今は姿が見えませんが、また戻ってくる可能性は十分にありますね?』

 

 色男にアラマが問えば、色男は振り向かずに頷いた。

 

『ゴーズ達にここに来て貰えば、不敗の太陽、ミスラの御業でこの窮地を脱しえると思います。実はゴーズたちをおびき寄せるための道具を持ってきておりました。なにかの役に立つかと思いまして!』

 

 私は彼女が例の牛頭のお化けの骸を使って、色々と呪術を為している様を何度も見ていた。

 イーディスと色男が私のほうを見て問うのに、私は首肯した。

 彼女の呪(まじな)いには何度も助けられてきた。彼女の、その手の腕前は確かだし、私も請け合える。

 

「それで、その肝心の道具はどこにあんだ?」

『それがその……遺跡の外に留め置いたムームーの鞍の中にありましてですね』

 

 成る程、それが今まで言い出さなかった訳か。

 ムームーというのは例のリャマもどきのことだろうが、さぁ、まずはそこまでどうやって切り抜けたものか――。

 

『なんだ、ムームーの鞍の中のなにがしかを取って戻れば良いだけか』

 

 しかしいかにして廃王宮の入り口まで辿り着いたものかと思案する私をよそに、イーディスはと言えばそんなことかと鼻で笑って立ち上がった。

 マントの下から彼女が引き抜いたのは、愛用している異国のカタナ――ではなく、右側に差していたもう一方の剣だった。

 言われてみれば、私は彼女が腰の右側に差した剣を抜くのを見るのは初めてのことだった。

 イーディスが左手で抜き放ったのは、S字型の鍔(ヒルト)が備わった、シンプルで細身の直剣だ。

 薄い菱形の剣身は先に行くと細くなっていて、切っ先は鋭く尖っている。そしてよくよく見れば鎬の部分に、何やら文字が刻まれ、そこには鍍金が施されていた。

 

「どうするつもりだ?」

 

 私が問えばイーディスは緑の隻眼を私に向けながら、例の獣めいた笑みを返した。

 

『その程度の距離であるならば、私にも策がないわけじゃない。まぁ、見ているが良い。目当てのものは何だ?』

『えと……水筒です。革で作った、口が獣の角を削ったもので』

『水筒だな。まぁ心得た。』

 

 剣に刻まれた私には読み解けぬ未知なる文字の連なりを、イーディスは軽くひとなですると、顔の前に剣をかざして、何やら呪文を唱え始めた。

 

『シトラエル、マランタ、タマオル、ファラウル、シトラミ……そしてアキナケス、汝ら剣の神々よ』

 

 歌うようにイーディスは呪を紡ぐ。独特のリズムをもったそれは、まるでマリアッチのギターの調べだ。

 

『交わす剣は刃鳴散らし、尖る切っ先林成す。鞘走る音高鳴れば、敵の心胆寒からし、獅子然と告ぐ勝ち戦。矢並つくろう敵の陣、真っ向刃斬り開き、獅子吼え告げる勝ち戦』

 

 イーディスの声は熱を帯び、表情は恍惚としている。

 そして心なしか、彼女の体を赤い靄が包み始めたように見えて、私は我が目を擦った。幻ではなかった。

 

『森々の剣、密々の戟、柳花水を斬る、草葉征矢をなす。なが勝ち誇る剣力は、アキナケスが賜物ぞ。咆えよ鳴神いかずちの、玉散る刃抜き連れて、仇なす敵を打ちひしげ!』

 

 彼女が叫べば、イーディスの隻眼は真っ赤に染まった。

 獣のように吼えれば、右のカタナも合わせて抜き放ち、二刀をぶら下げて廃屋の外へと繰り出す。

 

『剣神照覧! 揮刀如神急急如律令!』

 

 何事かと思わず砂地から顔をだす蝗人共へとイーディスは叫ぶと、目にも留まらぬ速さで駆け出した!

 文字通りの、翔ぶが如く! 赤い旋風が走れば、硬い甲羅に身を包んだはずの虫男達はバターよろしく切り裂かれ、真っ二つになって砂の上に崩れおちる。カタナの斬撃を逃れた者にもすかさず、直剣の刺突が走り弾丸のように喉笛を串刺しにする。

 ガンマンならではの灰色の瞳だからこそ捉えられるが、アラマなどはイーディスのあまりの素早さに目を回している。

 色男が、何事が起きているか解らぬ私たちに講釈を垂れた。

 

『彼女の信ずる神は剣の神アキナケス。その加護を得ることで限られた間ながら、彼女は人を超えた力を振るうことが出来る。無論、代償もあるが……』

 

 私は色男の話は半分程度聞いていた。

 というのもイーディスが切り開いた一筋の道、折り重なった蝗人共の連なりのほうに注意が向いていたからだ。

 虫どもの注意は、今やイーディスに集中している。こちらを見つめているのは一匹もいない。

 私はアラマの方へとハウダー・ピストルを投げると、彼女は慌ててそれを受け取った。

 私が二丁のコルトを引き抜けば、色男が顔をひきつらせながら聞いてきた。

 

『なんのつもりだ』

「知れたことだろ。イーディスに続くぞ」

『手筈と違うぞ! ここで待てば良い!』

 

 雇われ者らしく保身第一に叫ぶ色男に対し、私は笑いながら言った。

 

「敵は混乱して、注意はイーディスに向いている。抜け出す好機は今だ!」

 

 言うだけ言って振り返ることもなく私が駆け出せば、アラマは当たり前のようにレミントンを背負って続くので、色男も合わせて走り出す他はなかった。

 運悪く私たちに気づいた蝗人に銃弾を叩き込みながら、物凄い勢いで駆け回る赤い影を追いかける。

 夥しい虫男どもの死骸は折り重なって線を描き、その上をまだ暖かい骸に脚をとられぬようにしながら私たちは走る。

 緑の血の海になり汚された廃王宮を駆け抜ければ、ようやく私たちはイーディスに追いついた。

 弾切れになった二丁のコルトをしまいながら、歩み寄り現状を確認する。

 幸いなことにサンダラー始め、私達の『脚』はみな無事だった。どうやら連中は馬には興味がないらしい。

 アラマのムームーに既にたどり着いていたイーディスは、私たちに姿に驚きつつも何も言わなかった。

 真っ赤な隻眼を私のほうへと向けると、件の革袋を投げ渡す。

 

「アラマ」

 

 私が革袋をアラマへと投げ渡せば、彼女は言わずともレミントンを私へと放り投げる。

 空中でライフルと水筒が交差すれば、互いの手の中にスポンと収まった。

 

「恐ろしい手並みだな」

『御前の機転もなかなか』

『行き当たりばったりなだけではないか。しくじったら目も当てられん』

 

 私が今だ赤い靄を帯びたイーディスを褒めれば、彼女も犬歯を剥き出しにして褒め返す。

 色男が背後からなにやら言っているが、聞こえないふりをする。確かに、行き当たりばったりななのは事実だけど。

 

『所で、そろそろ倒れるから後は頼む』

 

 イーディスが唐突に言い放った意味を、問い返す間もなく、彼女は砂の上に頭から倒れ込んだ。

 慌てて駆け寄れば、口の端から、耳から、鼻から、そして目尻から血を流し、イーディスは別の意味では赤く染まっていた。首元に指を当てて、とりあえず脈があるのだけは確かめる。

 アラマすら驚愕で言葉を失うなか、事情通の色男だけが冷静に状況を説明する。

 

『これが代償だ。向こう半日は彼女は目もさまさんぞ』

 

 簡潔で解りやすい説明に実に心痛み入る。

 私はイーディスを担いで彼女の馬の鞍の上に無理やり乗っけると、今しがた駆け抜けてきた廃王宮のほうに目をやった。

 連中の金切り声が、徐々に高まっていくのが解る。蹴散らされた連中が再集合をかけて、一挙に突撃するつもりだ。いったい何が目的か知らないが、私らをここから帰すつもりが無いことだけは明らかだ。

 

『それで、どうする? さっきと違って身を隠すものもないが』

 

 皮肉っぽく色男が言うのを聞きながらも、私はただひとつのコンバージョン・コルトに弾丸を再装填していた。

 金属薬莢弾の利点は、再装填が容易い点だ。逆に不利なのは弾丸の自作に手間がかかる点だが、今の場合は利点のほうが勝る。

 既に四丁のコルトを撃ち切っている。今再装填を済ませて、これで三丁。一八発。

 私はアラマからハウダーピストルを受け取りつつ、サンダラーへと跨りながら言った。

 

「アラマはアラマの考えた策をこなしてくれ。色男はアラマとイーディスの護衛だ」

『お前はどうする?』

 

 私は鞍にレミントンを差し込みながら答えた。

 

「時間をかせぐ」

 

 私はサンダラーを促し、無礼を承知で乗馬のまま廃王宮へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廃王宮内部はあちこちの壁が崩れて通り抜けできるようになっている。

 元々の豪奢な造りのおかげで、道幅も広い。十分に馬も乗り回せる。

 私は手綱を口に咥えると、コルト二丁を引き抜いた。

 サンダラーは賢いヤツだ。自分で判断し、動くことができる。ならば私の仕事はただひとつ。

 

(おいでなすった!)

 

 柱の陰から飛び出した一匹に一発御見舞すると同時に、サンダラーは駆け出した。

 大事なのはとにかく動き回って止まらないこと。しとめずとも命中させること。そしてアラマ達から敵を引き剥がすことだ。

 あちこちから聞こえる金切り声の雄叫び。廃王宮の残った壁に反響して鳴り響き、相手の数すら伺えない。

 しかしそれは相手も同じこと。私が独りで戦っていると解るのは、ご対面した野郎だけだ。

 左手に新手、すかさず一発叩き込み、次に右手に一発。

 背後に気配を感じると同時に撃鉄を起こし、振り向きざまにさらに一発、二発!

 右手を前に向け、首だけ正面に戻してさらに一発。

 迫りくる鴨居をなんとか避けて、サンダラーにさらに速く走れと促す。

 連中の金切り声の頻度が上がっている。どうやらあの単なる叫びにしか聞こえない声で、連中は連絡を取り合っているらしい。好都合。さぁ寄って来い。もっと寄って来い。

 連携でもしているのか、正面を塞ぐように新たに二匹。左右のコルトを同時に撃ち放って蹴散らす。

 倒れた二匹を更にサンダラーが踏み潰し、私たちは前進する。

 左右のコルトの残弾はともに二発ずつ。腰元のコルトも合わせれば残弾は10。

 

(アラマ、急げ!)

 

 胸中でそう念じながら、 私たちは走る。

 そして突き当たったのは出口のない個室だった。舌打ちすると同時に気づいたのは大きく開いた大窓。

 外を覗けば若干高さがあるが、ここ以外にもう道はない。

 

「ハイヤァーッ!」

 

 手綱を吹き飛ばしながら私が叫べば、サンダラーは躊躇いなく走り出す。

 部屋の中に乱入してくる蝗人をよそに、私たちは大窓から宙へと飛び出し、砂地に見事着地した。

 地面が柔くて幸いだった。岩場だったら、サンダラーの脚が危なかったかもしれない。

 そんなことを思いながら私は半身で振り返り、大窓から飛び出そうとする二匹に立て続けに引き金を弾いた。

 これで左のコルトは打ち止めだ。ホルスターへと戻し、私は最後のコルトを引き抜いた。残弾は8発。

 やや廃王宮から遠ざかれば、次々と湧き出るように飛び出してくる蝗人蝗人蝗人!

 右のコルトを二発ぶっ放して、二匹こけさせるが、そいつらを跳び越えて尚も蝗人は出現する。

 右のコルトをホルスターに戻し、ハウダー・ピストルを鞍から抜こうとしたその時、正面門の上に登ったアラマの姿が私の視界の端を過ぎった。

 声は聞こえずとも、何か私へと叫んでいるのは解る。そして私の背後を指差しているのを。

 迫る蝗人の群れを承知で振り返れば、まだ遠くともハッキリと識別できる巨体が三匹分。ゴーズだ。ゴーズどもがもどってきたのだ。

 正面に向き直って手近な一匹にコルトをぶっ放しながら、アラマのほうへと視線を戻す。

 彼女は叫びながら飛び跳ねながら、何かジェスチャーをしていた。

 ライフルを撃つモノマネをした後に、ゴーズを指差す。なるほど、私が次成すべきはそれか。

 

「もうひとふんばりだ!」

 

 私はサンダラーに拍車をかけて、最大速度のギャロップで駆けさせた。

 既にコイツも疲労困憊だが、ここで踏ん張らねば二人揃って棺桶入りだ。

 迫る蝗人を置き去りに、私はコルトをホルスターに戻してレミントンを引っこ抜いた。

 全力疾走の騎上の射撃。並のガンマンには能わぬそれも、私ならばやってのける。

 レミントンを構えれば、手近な――と言っても遥かな距離があった上でのことだが――ゴーズの頭に狙いを定め、引き金を弾く。

 肩を伝わる衝撃を、鐙を強く踏んで押さえ込みながら、私は素早く次弾を装填する。

 ブリーチロックを開けば真鍮の薬莢が飛び出し、空いた穴に素早く次弾を装填、銃尾を閉じて撃鉄を起こす。

 二匹目の心臓めがけさらに一発。ビンゴ! ど真ん中に見事的中。

 ここで三発目を装填する前に、左手でハウダー・ピストルに抜いて、振り返らずに背後に二連射。

 小癪にも追いつてきた蝗人の群れを足止めし、弾切れのハウダー・ピストルを鞍へと戻す。

 三発目を装填し、レミントンを構える。

 小賢しことに三匹目はコチラの飛び道具を警戒し、細かく左右にステップしながら迫ってくる。

 狭まる間合い、大きくなる巨体。足場は砂地で悪く、駆ける馬に鞍も揺れて銃口はぶれる。

 背後からうるさい金切り声が鳴り響くも、私は意識を集中させて耳を閉ざす。

 静寂が辺りを包み、私とライフル、そして標的だけが世界の全てとなる。

 私とライフルの境さえ曖昧になっていく。銃は手の一部となり、照星と照門が私と視線を一直線になる。

 私は引き金を弾いた。50口径弾はうなり立てて進み、牛頭の怪物の胸板を突き刺し、心臓をえぐる。

 私がライフルを鞍に戻せば、体力も限界のサンダラーが歩みを緩める。

 コルトを改めて引き抜き、左手を撃鉄の添えて、蝗人の方へと向き直る。

 相変わらず愚直に私を追う連中めがけて、私はひとつなぎの銃撃を御見舞した。

 ファニングショット。一発も標的を外すこともなく、正面の六匹がもんどりうって倒れる。

 しかしそれを跳び越え敵軍は迫り、対するコチラは残弾なし。

 アラマよ間に合えと小さく呟けば、唐突に蝗人の進撃はピタリと止んだ。

 連中は私の背後を見ていた。私も振り返って動きが止まった。

 三匹のゴーズの骸が次々と崩れて、赤い血と肉と骨の奔流と化して絡み合う。

 思わず正面に向き直れば、正門の上で一心不乱に何やら祈りを捧げるアラマの姿が見えた。

 私が再度振り返った時には、そこには一匹の怪物が召喚されていた。

 怪物は、私の横をすり抜けて、蝗人どもへと襲いかかった。

 

 

 

 

 



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第12話 ブラッド・アット・サンダウン

 

 

 アラマが呼び出した怪物は、私にとっては全くの未知のものだった。

 砂地を踏みしめる足は鳥のようで、四本の指にはそれぞれ鋭利なナイフ、いやその大きさを見るに山刀と呼ぶのが相応しい鉤爪がついている。

 その足の生えた下半身は黒い湿った質感の鱗に覆われていて、針のある長い尾っぽがある。蠍だ。蠍の尾っぽである。下半身は蠍で、脚は鳥なのだ。下半身の、ちょうど人間で言う腰の辺りからは左右一本づづ、蠍のように鋏を持つ手が伸びていた。

 上半身は人間のものだが、その大きさは人間離れしている。グリズリーめいた巨体は、素手ならば相手をするのは御免被りたいほどの威圧感だ。おまけに肌は青黒くて、まるで動く屍人だった。

 髭まみれの顔は仰々しく、頭には円筒形の帽子がのっかっていて、二本の角が生えていた。

 意外なことに、筋骨隆々とした両手に持った得物は、先住民が使うような弓矢だった。いかにも怪物然とした見た目なのに飛び道具を使うのは何とも奇妙だが、その姿の奇妙さを前にすれば瑣末事に過ぎない。

 私も昔語りだの法螺話(トール・テイル)などでいろんな化物について聞いたことはある。角の生えたウサギだの、馬面で赤い目をした悪魔だのの話だ。しかしこの怪物はそんな御伽噺に出てくる連中とは全く異なる姿をしていた。「こっちがわ」が「私らの住むがわ」が、全く違う世界なのだと改めて感じさせる姿なのだ。

 

『往け! ギルタブルル! 不敗の太陽の差す方へ、汝の敵を討ち滅ぼせ!』

 

 アラマが大声で叫ぶのが、風に乗って聞こえてきた。

 ギルタブルル、それがこのバケモノの名前らしい。

 アラマの号令に従って、ギルタブルルは何とも形容し難い咆哮を放つと、蝗人どもへと襲いかかる。

 私は弾切れのコルトをホルスターに戻し、サンダラーの首筋をポンポンと叩いた。

 あの怪物は回りに気を配りながら戦ってくれるような手合にはとても見えない。私の意図を察して、サンダラーは怪物どもから距離をとった。

 蝗人どもは最初こそ驚いていた様子だったが、例の金属的な叫び声とともにギルタブルルへと飛びかかる。

 数で勝っているのだから、四方から一斉に襲いかかれば問題ないとの判断だろう。

 ――が、甘い。

 一対の鋏が横薙ぎに振るわれれば、何匹もの蝗人が紙屑のように吹き飛ばされ、背後から襲いかかって連中も尾によって同じ目に逢う。

 最悪なのは尾の針に突き刺されたヤツで、しばし苦しんだ後に、全身がバターのように溶けて砂へと染み込んでいく。どうやらあの針に入っているのは、毒というよりも酸であるらしい。針先から万年筆のペン先のインクめいて飛び散らされた酸液は、蝗人に降り掛かって次々と溶かし殺していく。

 私はウゲぇと顔をしかめてそんな様を見ていたが、恐怖心など欠片もなさそうな蝗人にとっても同類共の有様は怖気をもよおすのに充分な惨劇であったらしい。

 ギルタブルルに背を向け、潮がひくように蝗人共の大群が後退し始める。

 逃げ遅れた間抜けを、ギルタブルルは鋏で真っ二つにし、あるいは丸太ほどもありそうな太い矢を、蝗人共の背中へと射掛け、追撃する。

 命がけの追いかけっこが始まるのを遠巻きに観戦しつつ、私は大きく迂回してアラマ達のところへと辿り着いた。

 気を失ったイーディスを八本脚馬に載せて紐で固定したりと、アラマと色男は引き上げる準備を万全に済ませていた。

  私は、もはや遠くから響く阿鼻叫喚を聞きながら訊いた。

 

「あのバケモノが虫どもを退治しそうな勢いだが、帰るのか?」

『ギルタブルルを現世に留めておける時間は短いのですよ。もう暫くすれば、彼は彼の世界へと帰ります』

 

 極めて納得のいく回答だったので、私は黙ってうなずき返した。

 かくして私たちは、ギルタブルルが消えて一転、雄叫びを再び挙げ始めた蝗人どもに見送られ、廃都を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ちつつある夕日を浴びて、その表面の青に紅を浮かべた『文字の館』の最奥。

 

『連中が丘から帰ってきたぞ』

 

 暗闇のなかで、いつものように粘土板に指を這わせるフラーヤに、男はそう告げた。

 庇の大きな帽子の下に見える黒い顔は、相変わらず無表情で何を考えているのかも解らない。

 一方フラーヤも、その灰色の濁った瞳を何もない闇の空間へと向けたまま、ただひたすらに指を動かしていた。

 不意に、フラーヤは訊いた。

 

『何か持ち帰ってきましたか?』

『何も』

 

 それで会話は終わった。

 二人の間には沈黙が流れ、闇はひっそりと静まり返っている。

 男は夜目が効くために、ある程度この暗がりのなかにあっても詳細を見取ることができた。

 本来、この垂れ込めた黒い帳を破るためにある燭台は、とうの昔に炎の種が潰えたと見えるが、フラーヤにはそれを気にする様子もない。

 部屋は分厚い板で頑丈につくられた本棚に囲まれ、その中には数え切れぬ粘土板が夥しく詰め込まれている。男は読み書きができない。故に書にも興味を持ったこともない。しかしこの時ばかりは、この圧倒的なる文字の累積に、聳え立つ山嶺を前にしたかのような威容を感じ、その只中で超然として佇むフラーヤに、何とも言えない怖気のようなものを覚えた。

 

『ねぇ知っている?』

 

 そんな男を現実に引き戻したのは、フラーヤが発した唐突なる問いだった。

 見えぬはずの目を男の方へと向けながら、返事も待たずに言葉をつなぐ。

 

『盲人(めしい)にはこの闇がどう見えているのかを』

『……?』

 

 男には意図の解らぬ問いかけだった。盲人は眼が見えぬから盲人なのではないのか。

 

『もしも本当にすべてが闇の黒で覆われているのならば、私や同輩達は皆、心静かに夜を越えられるだろうに』

『そうではないのか?』

 

 男が問い返すのに、フラーヤは曖昧な笑みを返した。

 

『この不確かな霧の世界……そこには青があり、緑があり、灰がある。でも、黒と赤はここにはない』

 

 彼女の言葉もまた曖昧模糊として捉えようがなく、いよいよもって男は混乱する。

 

『願わくば、我にまことの黒を、まことの闇をたまわらんことを。闇に抱かれ、闇に支えられて眠らしめんことを』

 

 詠うような、あるいは詩を紡ぐような彼女の言葉は美しかったが、男はなぜか背筋が寒くなった。

 声に込められた、何か執念じみた感情のうねり。その正体は解らないが、真っ当なものではないのは確かだ。

 

『……監視だけは続けなさい。きっとまれびとと大ガラスが、求めるものを探し出してくれるから』

 

 何も返さない男に飽きでもしたか、フラーヤは言うだけ言うと黙り込み、粘土板の方へと没頭してしまった。

 男は、闇の中へと再度消えた。

 独り残されたフラーヤは、指でなぞり呼んでいた土作りの書の、最後の一文を声に出して呟いた。

 

『我ら集いを成さん、アルズーラの首において……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マラカンドへと私達が戻ったのは日も落ちる寸前で、あとすこしばかり遅ければ荒野で野宿を強いられる所だった。チャカルの兵営に足早に戻れば、色男と二人でイーディスを彼女の部屋まで運んでベッドに転がした後、疲れ切っていた私や色男はすぐに寝床に入った。アラマだけは何やら興奮してまだ起きている様子だったが、流石に付き合う元気もなく、怠け者のように日が昇ってからもいびきをかき続けるほどの深い眠りに私は落ちた。無論、枕の下にコルトを忍ばせることだけは忘れない。

 私はやはり怠け者のように遅く起き出し、怠け者のように遅く飯を喰らった。

 既にやや斜めになった太陽からの光が、ガラスもない窓から燦々と降り注ぐなか、チャカル兵営の食堂には私以外に人影もない。私が静かに粥のようなものを食らっていると、扉が勢い良く開いて、闖入者の登場だ。

 アラマだった。

 

『行きましょう! ぜひもう一回行きましょう!』

 

 アラマは唐突に現れたかと思えば私へと駆け寄ると、テーブルを両手で叩きながら興奮した様子でまくしたてたのだ。

 私は、彼女の余りの大声に驚いて手にした匙を落としそうになったくらいだった。

 寝ぼけていても私はガンマン、反射的に手がコルトに伸びそうになったせいだが、いくら昨日一戦やらかしたとは言え、我ながら気が立ちすぎていると反省する。

 匙を手の中でくるりと回し、改めて中身の粥然としたものを再度かっこみながら。

 

「つい昨日、死にそうな目にあったばかりだぞ、何でだ?」

 

 私は至極真っ当な質問を彼女へと返した。

 アラマが一人起きていたのは知っていたが、その手の中に握りしめられた巻物を見るに、何やら調べ物をしていたらしい。彼女が何やら曰く有りげな巻物の類を雑嚢詰めていて、それを旅の道すがら時々開いている様は既に見て知っていた。おそらくは手の中のそれを見直したのだろう。

 

『「ヤシュトの書」にうたわれし讃歌を改めて詠めば、このような一節にあたったのですよ! 偉大なる君の広き牧場を侵すものに禍あれ! 地の底の獄よりパズズの児ら湧きい出てて咎人に報いせん! と!』

「ほう。……で、そりゃどういう意味なんだ?」

 

 生返事をすれば、アラマは私のやる気のない瞳の色にも気づくことなく、まくしたてる口調で熱く講釈を続ける。

 

『パズズとは熱風と疫病を運ぶ魔神、そして蝗の雲を司ります。そのパズズの児と言えば、蝗人たちに他なりません! その最奥の神殿に踏み込もうとた時に蝗人たちが現れたのです! つまりあの神殿こそが我らが不敗の太陽、偉大なるミスラが君として治めなさる広き牧場に違いないのです! やはり言い伝えにあるダーラヤワウシュが王城の最奥との言い伝えは間違っていなかった! あの神殿の美しさも、まさしく不敗の太陽に相応しい!』

「へー」

 

 アラマには悪いが、私は半ば彼女の話を聞き流していた。 

 何が見つかるかは知らないが、流石にもう一度あそこへと向かう気は私にはなかった。

 確かにあの廃都の美しさは一見の価値がある。だからといって物見遊山に命を賭ける気にはならない。

 

『ですので行きましょう! ぜひもう一回行きましょう!』

「やだよ、んなの」

『……?』

「いや、え?じゃねぇよ。嫌だよ行くの。俺は行かないぞ」

『……』

「そんなこの世の終わりみないな顔されてもなぁ……」

 

 アラマは余程のショックだったのか、すっかりうなだれてしまって眼が虚ろだ。

 流石に可哀想に思って実にバツが悪いが、しかしこっちの手持ちの弾にも限りがあるのだ。余り切った張ったが続くのは勘弁して欲しい。

 どう答えたもんだと私が手をこまねいていると、横から助け舟が出された。

 ただし、私への、ではなくアラマへの、であるが。

 

『生憎だが、御前には付いてきてもらうぞ』

「……俺にはお前さんの加減のほうが気になるがね」

 

 コチラへと青い顔をして、ややおぼつかない足取りで歩み寄ってくるのはイーディスだった。

 

「昨日あんなぶっ倒れ方をしたのに、そんな歩きまわっちゃ体に障るぞ」

『心配の情が骨身に染みる所だが、生憎あの程度でくたばるほどヤワではないさ』

「それで? 俺がついてこなきゃならんとか、いったいなんの話だ?」

 

 アラマの隣にイーディスが座ると、私は彼女の口にした気にかかる話を問いただす。

 イーディスは少しばかり調子が悪そうでありながら、相変わらずの獣染みた笑みとともに答えた。

 

『あの神殿には絶対に何かがある。近づいた瞬間に蝗人どもが湧いて出たのはその証だ。罠なのさ。奥にある何かを手にせんと踏み込むもの達への。そしてそこまでして守りたい何かが奥にはある』

「……ふぅむ」

 

 言われてみれば一理ある話で、もしも命がけに値する金銀財宝が本当に眠っているのならば、私とて少しは悩んだ。悩んだが、やはり首は横に振る。

 

「昔知り合った中国人が言っていたよ。孔子(コンフーシャス)曰く、『君子危うきに近寄らず』だ」

『なんだ。まれびとらしからぬ物言いだ』

「悪いね。俺はこう見えて慎重なんだ。分の悪い賭けにはのりたくない」

『のらなくちゃ駄目なのさ。その分の悪い賭けに』

「なんで?」

 

 イーディスはニヤニヤと笑いながら訳を話した。

 

『実はさっき御前に話したのと同じ中身の話を王にも具申した。ナルセー王は大変興味を示されて、早速、チャカルの一隊を率いてアフラシヤブをおさえよとの御達しだ。明日にでも出発する。当然、チャカルの禄を食む御前にも来てもらう』

 

 アラマが一転、満面の笑みを浮かべるのを見ながら、私は自然と苦虫を噛み潰したような顔になった。

 まぁ良いさ。今度は大勢で仕掛けるのだから、滅多なこともあるまい。

 この時はそう、思っていた。そう思っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マラカンドの街が、チャカルの出撃の噂で慌ただしくなっていた頃の、さる路地の一角。

 こんな会話が交わされていた。

 

『いかがする、かの丘に遂にエーラーン人が踏み込むという』

『彼の地は父祖の代は我らのものであった場所。あそこまでエーラーン人にくれてやる謂れはない』

『エーラーン人は強欲だ。各地の商館長(サルトポウ)からもエーラーン人の横暴への苦言が増えておる』

『エーラーン人はなまじ読み書きができるから始末が悪い。前のフーナの王共は文盲だった。だからいかようにもできたものを……』

『いかがするロクシャン。このまま見過ごすか』

 

 集まったお歴々を前にして、泰然とした様子のスピタメン家頭領は告げた。

 

『各方、お騒ぎあるな。仔細なきこと。かの地はスグダのものであると、直接のりこんで示すまでのこと』

『しかし、エーラーン人の放った一隊には「まれびと」が混ざっていると聞くぞ。それをどうするのだ』

『毒は毒を以て、夷は夷を以て』

 

 ロクシャンはでっぷりと膨らんだ腹をさらに吸気で膨らませ、それを吐き出しながら言った。

 

『「まれびと」には「まれびと」をぶつけるまでのこと』

 

 

 



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第13話 ザ・ヒルズ・ラン・レッド

 

 

 

 

『おい!』

 

 そう強く呼ぶ声で瞼を開き、寝ぼけ眼子で私の顔を覗き込む色男のしかめっ面を見返した。

 

「なんだ? 気持ちよく寝てたのに」

『なんだもクソもあるか。貴様も働け。せめて給金分ぐらいは!』

 

 私が欠伸しながら言えば、色男はさらに顔をしかめさせて怒鳴り散らす。

 その声の大きさに私は目を白黒させながら、指で右耳の穴をかっぽじりつつさらに大欠伸をもうひとつ。

 ようやく意識がハッキリした所で、改めて色男へと向き直った。

 似合わない革の胴衣を着込んだ色男の長髪は乱れ、纏った緑の外套は何かの粘液に汚れている。その肩には既に角矢(ボルト)をつがえたクロスボウを負っていた。

 

『まったく……貴様、この状況で良く寝れるな』

「北軍(ヤンキー)どもの砲弾の雨あられに比べりゃ小鳥のさえずりみたいなもんさ」

『はぁっ?』

「なんでもねぇよ。こっちの話だ」

 

 私は枕代わりにしていた麻袋のような袋から身を起こし、荷台の上に立って伸びをひとつ。

 寝床が固かったせいか、筋や肉まで固くなっているのを解す。

 私の寝ていた荷車の傍らでは、アラマがサンダラーの鞍に横向き乗っていたが、私に気づいて視線をこちらに向けた。

 

『あ、まれびと殿! お目覚めですか!』

「おはよう……って頃でもないがおはようアラマ」

 

 寝覚めの挨拶をしながら、私はさっきまでアラマが見ていた方へと目を向けた。

 そして首を横に振りながら、嘆息した。

 

「やっぱり、俺の出る幕ないじゃないか」

『だからといって寝てるやつがあるか!』

 

 色男が怒鳴りながら、クロスボウの引き金を弾いた。

 弦が鳴り、矢が風を切って唸り飛べば、彼方で蝗男が一匹、複眼を射たれてもんどりうつ。

 その背中にはすかさず近くのチャカル戦士の槍先が突きこまれ、断末魔があがる。しかし耳障りなはずの金切り声も、辺りの喧騒にたちまち呑み込まれて消えていく。

 その様に私は再度首を横に振った。

 

 ――アフラシヤブの丘は、今や修羅の巷と化してた。

 獰猛なるチャカルの戦士たちが、迎撃に出てきた蝗人共を血祭りにあげているのだ。

 

『よーし! 放てぇ!』

 

 イーディスの号令一下、短弓で武装した戦士たちが一斉に矢を放ち、突撃してくる蝗人どもの機先を制する。

 彼女は体調が優れないせいか今日は指揮官に徹していて、騎上でカタナを指揮杖よろしく揮っていた。

 そしてナルセー王直々の命令による出撃だからか、キレイに磨かれた胸甲も身につけていた。

 他のチャカルの戦士たちも、普段兵営で見せるような無法者丸出しの格好ではなく、甲冑姿に殆どの者が着替えていた。剣、槍、弓矢と、得物ごとに戦列を組んで、連携しあって戦っている様はまるで正規軍だ。しかし武器の長さや形状、鎧の形も種類もばらばらならば、人種も統一されない寄せ集めでこれだけの動きが出来るのは、各々の戦士としての力量の高さの何よりもの証拠だった。

 

『どぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁ!』

 

 剣で武装した一隊の先頭で切り込み隊長を務めるのはリトヴァのロンジヌス。

 何と鎧を一切まとわず、上半身は裸で、得物は私の背ぐらいはありそうな大段平の一振りだ。

 まるで風車みたいに刃を唸らせれば、玩具の人形みたいに蝗人の頭手足がポンポンと宙に舞いあがる。

 中には一刀両断されて、上下あるいは左右に真っ二つになっているものさえいる有様だ。

 

『よし、突け!』

 

 槍隊を率いているのはセリカンのグラダッソで、剣隊に押された蝗人の一隊を串刺しにする役を担っていた。

 穂先がきらきらと陽光に銀と輝く様は、前の戦争の時の銃剣突撃を思い起こさせた。

 グラダッソ自身は隊の後方で指揮をとっている。私から見れば奇妙な意匠の甲冑に全身を固め、さらにその顔は悪魔の類をかたどった鉄面に覆われていた。手にした得物は、先が棘だらけになった六角形の鉄棒だった。

 

『うまい具合に追い込んだな……今だ! 行け!』

 

 ロンジヌスとグラダッソの部隊に気を取られている蝗人達を見て、イーディスが号令する。

 槍や曲刀で武装した騎兵たちが敵の背後へと回って突撃する。

 後方からの攻撃にもともとあるかも怪しい隊列を完全に乱れさせ、蝗人は混乱の極みに達していた。

 

「……終わりだな。後続が来なければだが」

 

 私は相手の様子に、チェックメイトが近いと見てもう一度大欠伸をした。

 ナルセー王の命もある。イーディスに率いられたチャカルの一隊に混じって、私とアラマはアフラシヤブの丘を再び訪れていたが、アラマはともかく私はそもそも乗り気ではなかった。「こちらがわ」にいつまた呼び出されても良いようにと、普段から武器弾薬の類は抜かりなくそれなりの量を持ち歩いているとは言え、無論限りがある。いつまたいつぞやの魔法使い連中みたいな強敵に出くわさないとも限らない。余計な切った張ったは正直避けたかった。

 

『……そう易易と問屋は卸さんようだな』 

「チッ……たしかにだ」

 

 だが横で皮肉っぽく色男が言うように、廃都のほうからさらなる蝗人の一団がやって来るのが、その砂埃で解る。

 戦場はちょうどアフラシヤブの丘の麓だが、いったい連中どれだけいるだかしらないが、数を揃えてチャカルを迎え討って来たかと思えば、次から次にと後続がやってくる。

 流石に、前線の連中も疲れてきているはずだ。私も一仕事せねばならんだろう。

 私はレミントンを手に取り、銃尾を開いてライフル弾を装填する。

 

「じゃあ、給料分ぐらいは」

 

 スコープを覗き、その十字線を砂塵のほうへと向ける。

 じきに敵新手の先頭が姿を現せば、私はソイツ――のやや下方に照準をずらし、引き金を弾く。

 

「働くとするか」

 

 スコープの先で、敵の胸板に風穴が開くのが見えた。

 まずは一匹。だが後続はあとからあとから押し寄せてくる。

 戦闘は結局、あと小一時間ほど続いてやっと終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃え盛る薪を囲んで、夜を明かす。

 蝗人共をようやく一掃した私たちはアフラシヤブの丘を占領し、ここに陣幕を張って一晩を明かすことにした。

 廃王宮奥の神殿については、明日、ナルセー王と取り巻きの呪い師(マゴス)たちが到着するのを待ってから、改めて踏み込むことになったからだ。誰が言い出したかは知らないが、あの奥には金銀財宝がゴマンとあるらしいとチャカル戦士たちの間で噂になっていたこともあり、戦士たちは極めて遺憾といった様子だったが、一応は命令に従って大人しくしている。

 傭兵の癖に分をわきまえているのは、ナルセー王に逆らうとどうなるか理解しているかららしい。

 聞くところによると王はたいそうな戦上手で、かつ逆らうものには情けも容赦もないそうだから。

 

「混ざってこないのか?」

『ああいうのは好かん』

 

 私は傍らで、陶器の瓶からちびちびと酒を貧乏臭く煽っている色男に提案すれば、やっこさんは流し目に自分の同僚たちの方を見てから、若干の嫌悪感を滲ませつつ言った。

 チャカルの戦士たちは王の命令通り確かに大人しくここで待ってはいるものの、待っている間まで大人しくしている訳ではなかった。元々が血の気の多い無頼な連中な上に、一戦終えて気も昂ぶっているのだ。荷車に積んでわざわざ曳いてきたのは大量の酒瓶、酒樽。火を囲んで酒盛りに興じ、所々では博打も始まっている。

 運悪く死に損なった蝗人どもはあるものは縄で吊るされ、ある者は柱に縛り付けられて射的の標的にされている。

 さっき色男が流し目に見ていた先では、チャカルの男たちが半殺しにされた蝗人へのナイフ投げに興じていた。

 硬い鱗で覆われた相手だけに、そう簡単には刃が立たない。酒も入って男どもは白熱し、笑い、叫ぶ。

 リトヴァのロンジヌスもその中に混ざってきて、一同に手斧をかざして見せていた。あれで一撃で仕留めてやるということらしい。俄然、盛り上がってさらに騒がしさは増していった。

 

『見てろ。今にどこかで喧嘩が始まる。巻き込まれるのはゴメンだ。戦以外で怪我など絶対ゴメンだ』

「そいつに関しちゃ同感だな。ホレ」

『ありがとうございます、まれびと殿』

 

 私は薪の上に置かれた鉄鍋の中身、豆らしいもの煮た代物をよそって椀に盛り、隣のアラマへと渡した。

 彼女には、今夜は私の傍らを離れないように言っておいた。

 血に滾った無法者共がたむろしているこんな場所で、迂闊に独りで出歩けばガキでも仕込まれかねない。アラマもそれなりに荒事慣れしているようだが、あの戦士たちを相手には分が悪すぎる。

 

『良い匂いだな。私も良いか?』

「構わんさ。ホレ」

 

 湯気が運ぶ香りに引き寄せられたか、闇から姿を現したイーディスにも一杯よそって渡す。

 恐ろしく騒がしい野戦陣地の夜にあって、この薪の回りだけは別世界のように静かだった。

 

「見回りは?」

『済んだ。とりあえず許せる範囲でしかまだ騒いでいない。明日には王も来る。滅多なことはせんだろう』

「神殿の見張りはいいのか?」

『グラダッソに任せた。やつなら信が置ける』

 

 イーディスが言うことに、私も頷いた。

 あのグラダッソという東洋人風の男は、元正規軍将校の類だったらしい。他の連中と違って、軍規を知っている。

 

『……本当に財宝が出たら幾らか貰えるんだろうな?』

『それは間違いない。今度の戦の報酬として、王もそれを認めている』

 

 色男が心配げに問うのに、イーディスは太鼓判を押した。

 チャカルの戦士たちが暴れだして略奪に走らないのも、単に王が怖いだけではなくて、大人しくしていればおこぼれに預かれると思っているからだ。騒ぎを起こして、金銀を掴み損ねるのは傭兵には耐え難いことだ。

 

「ひとやま稼いで、故郷に凱旋でもしようってか」

 

 私が冗談めかして聞けば、色男は少し陰鬱な顔になりながら頷き言った。

 

『父祖の土地を取り戻すには金が要る。その必要がなければ、誰が好き好んでこんな所に来るものか』

 

 傭兵にはそれぞれ、命を的に戦場に身を投じるそれなりの理由がある。

 土地、信念、欲望、信じる神のため……。私の場合は極々単純に、それが「生きるため」だからだ。

 いずれにせよ、みんな求めるものはキラキラと煌く一握の金貨な点は一緒だ。

 生きて報酬をつかむために、剣を、あるいは銃を手に取るのだ。

 

「じゃあ、生き延びるためには腹ごしらえが要るな」

 

 私は豆をよそって色男へと渡した。

 私がそんなことをするとは思っていなかったのだろうか、少し戸惑いながらも、椀を受け取った。

 先祖代々の土地のために戦う――それは私にも充分に共感できる、戦うに足る理由だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うだうだとイーディスやアラマ、色男と四方山話などをしている内に夜はふけて、戦士共も酔って大人しくなり、和私達もそれを待ってから眠りについた。

 夜明けとともに目覚め、朝日の下で銃の手入れをしていると、彼方に砂塵が上がるのが見えた。

 

『……来るな』

「ああ。それも街のほうからだ」

 

 イーディスも私同様に即座に気づいて、横に並んで砂煙のほうを窺った。

 アラマに色男もやってきて、アラマは手近な廃屋の屋根へと素早く上ると、目を細めて委細を観る。

 

『ナルセー王の軍勢ではありません! 旗印がない!』

『アラマの言うとおり。王ならば軍旗を掲げないはずもない』

 

 アラマにイーディスが頷き言ったように、マラカンドからアフラシヤブへの道を進む騎群にはどこにも、王の軍勢を示す証を掲げている様子は見えなかった。

 では、ありゃいったい誰なんだ?

 

 大きさを増す馬蹄の響きに、チャカルの戦士たちも次々と私達の近くに集まってくる。

 鎧こそ脱いでいるものの、いずれも各々の手に得物を携え、すぐにでも修羅場鉄火場に飛び込める準備を済ませているのは流石だった。

 特にイーディスが指示を出さずとも、一部の弓兵は廃屋の陰や屋根に身を伏せ、攻撃の態勢を整えていた。

 私もコルトに弾が装填されているのを確かめ、撃鉄を半分起こして弾倉の回り具合を確かめる。

 心地よい金属音が鳴って、弾倉は綺麗に回転した。ホルスターにガンを戻し、拳をゴキゴキと鳴らす。

 

 騎群は、瞬く間に私達へと迫り、間近でその歩みを止めた。

 その先頭の男に、私は見覚えがあった。

 

『スピタメン家のロクシャン』

『なぜ、やつがここに?』

 

 アラマとイーディスが言うように、確かにズグダ人達の頭領ロクシャンその人だ。

 あの胡散臭い顔立ちに、本人曰く真心で膨らんだ太鼓腹は見違えようがない。

 ロクシャンは、私達を含め集まってきたチャカルの面々を順々に眺めたあと、その太鼓腹が更に膨らむぐらい息を吸い、吐くと同時に大声で叫んだ。

 

『きさまらぁ! 誰に断ってこの丘に居座っておる!』

 

 私たちは、この太っちょの物言いに思わず互いの顔を見合わせた。

 そして若干の戸惑いを交えながら、イーディスが代表してロクシャンへと相対する。

 

『ナルセー王の命に拠りてこの地をおさえた。その旨を、貴公が知らぬはずもあるまい!』

 

 しかしロクシャンは憤慨したようにイーディスの言い分に対し首を左右に激しく振った。

 

『レギスタンは我らズグダの民が先祖代々その住処としてきた土地。当然、このアフラシヤブもまた我らズグダの民が父祖より受け継いだ土地ぞ! いかにエーラーン人の王の仰せとはいえ、この地に勝手に踏み入ることは、我が許しても我が同胞たち、そして我らが父祖の霊が許しはせぬ! 即刻陣を引き払い、立ち去れい!』

 

 背後のチャカルたちがざわめく声が聞こえてくる。

 彼らもマラカンド、そしてレギスタンの地きっての実力者の顔は見知っている。

 その実力者の言葉には、動揺せざるを得なかった。雇い主の王とこの男、従うべきはどちらの言葉だ?

 

「……はぁ」

 

 私は背後の動揺を聞き、ため息をつきながら前へと自ら歩み出た。

 アラマの言うこともある。この丘は、私の運命に大きく関わっている可能性もなくはない。そこをようやくおさえた所で、わけの分からない横槍を入れられるのは、私としても不本意なのだ。

 

『ほう! 出てきたかまれびと!』

「ああ出てきてやったぜ」

 

 前に誘いを断ったせいか、ロクシャンが私を見る目には敵意がある。

 それを意に介さず、私は太っちょへと話しかけた。

 

「いったい全体、どうしたってんだ。あんたらは支配者の余所者達と、うまくやってたんじゃなにかい?」

『父祖の土地に土足で踏み入ったとあれば、話は別よ』

 

 ロクシャンは、私の言葉にも耳を貸す様子はない。

 仕方がないので、私はコルトを抜こうかと考えた。

 銃の出す音と煙と光は、百の言葉に勝る。

 だがロクシャンは、そんな私の微妙な気配を動きを目ざとく捉え、こう言い放った。

 

『まれびとの武器を用いるか? いいだろう。だが、それはもはや貴様だけのモノではないぞ!』

 

 ――なんだって?

 私がロクシャンの言葉の意味を問い糾すよりも素早く、やつは己の背後へと呼びかけた。

 

『先生!お願いします!』

 

 果たして、一騎の人影が太っちょの背後より歩み出た。

 草臥れあて布のついた、裾の長めの茶色いレザージャケット。

 よれよれのシャツは埃と土に汚れているが、首に撒いたスカーフは染みひとつない赤色。

 黒っぽいジーンズに、銀色に輝く拍車を備えたブーツ。

 庇の広い黒いハットのクラウンには、一ドル銀貨をつなぎ合わせたアクセサリーが巻かれている。

 底知れぬ青い瞳に、にやけた不敵な口元。

 整った容姿ながらも、隠しきれぬその剣呑な気配。

 そして腰に吊るした、一丁の拳銃。

 

 間違いなかった。

 この男は、私と同じ「まれびと」で、しかも拳銃遣い(ガンスリンガー)だった。

 そして私の見立が正しければ、間違いなく一流の拳銃遣いだった。

 

 

 



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第14話 バラッド・オブ・ア・ガンマン

 

 

 

 

 拳銃遣いの男は、ひらりと馬から飛び降りた。

 磨かれた拍車に、帽子の銀飾りが朝日を浴びてきらきらと瞬く。

 大袈裟に伸びをして、腕や肩の凝りをほぐす様は呑気だが、しかし纏った剣呑さは本物だ。

 

『まれびと殿以外のまれびと……!』

 

 いつの間にやら忍び寄っていたアラマが、私の背越しにヤツをおっかなびっくり覗き見て、驚きの声をあげる。

 ビックリしたのは私も同じで、よもやこの異界の地で、拳銃遣いと対面する破目になるとは思わなかった。

 

 ――『おいおい、ありゃあ……』

 ――『あの格好はもしかして……』

 ――『マジかよ、どうなってんだ……』

 

 後ろの方でざわざと騒がしいのはチャカルの連中だ。

 ロクシャンの出現ですでに困惑させられている所への、私とは別の「まれびと」の出現だ。しかもその「まれびと」はロクシャンの手の者であるらしいのだ。

 動揺するのは解るが、私としては面白くない。連中は所詮雇われ者だ。雲行き次第で容易に敵にも味方にも転ぶ。

 

『随分と面白い展開になってきたな』

 

 他人事でもあるまいに、イーディスが私の横でそう嘯いた。

 私は愉快そうな彼女に鼻を鳴らし返してやるながらも、視線は新たなガンマンから外すことはなく、委細に観察を続ける。

 青い瞳を宿した面相は若く、造作だけを見る分には人好きのしそうな面をしている。

 だがその面に浮かんでいるのは、右側の口角を釣り上げたニヤニヤ笑いで、何を考えているのかまるで人に窺わせない。不気味で、人の背筋を寒くするたぐいの表情だった。

 そしてその表情に私は、確かに見覚えがあった。

 

「『キッド』の野郎か……厄介だな」

『知り合いか?』

「いや。だがやつの悪名は色々と聞いてるんでね……」

 

 その童顔故に「キッド」のあだ名で呼ばれ、今や本名よりもそちらのほうが通りの良いこの若造は、その無法者丸出しな雰囲気に違わぬアウトローであり、頗る付きの賞金首であった。

 副業で賞金稼ぎをやっていることもあって、最近売り出し中のアウトロー連中の顔ぐらいは私も一通り把握している。手配書に描かれていた顔はよく似ている。間違いなく、この男はあのキッドに違いない。先日流し読みした、新聞の上に載っていた似顔絵とも一致している。挿絵の傍らには、酒場(サルーン)で揉めたポーカーの相手を三人――そいつらも札付きのワルだったのだが――、反撃も許さず撃ち殺したと書かれていたのを覚えている。

 

「……拳銃を逆さまに吊っていやがる。こいつは厄介だな」

『どうしてですか?』

「そういう手合は、みんな早撃ちだって相場が決っているからさ」

 

 アラマへと答えたように、あのピストルの向きは注意を要する。

 キッドがやっているようにグリップのほうを相手へと向けるピストルの吊り方は、そいつが早撃ちの名手で、かつ悪党であることの証なのだ。

 一見すると私と同様に、撃鉄のほうを相手に向けている下げ方のほうがより素早く拳銃を抜けるように見えるし、実際向かい合っての早撃ち勝負、いわゆる「決闘」については私流の方が有利ではある。だが拳銃を日々の飯の種にするような稼業に身を置いていれば、いついかなる時も即座に銃を抜き放つことが出来なければ、早々に人生から退場することになる。

 逆さに拳銃を吊ることのメリットは、左右どちらの手でも拳銃を抜き放つことが出来る点だ。

 サーベルを抜く要領で左手で抜けるのはもちろんのこと、手首をひねることで右手でも抜き放つ事ができる。特に馬上での抜き撃ちに適しているせいか、やつのようなスタイルはキャバルリィ・ツイスト・ドロゥと呼ばれていた。

 無論、私のようにするのも、キッドのように逆さに吊るすのも一長一短ある上に向き不向きの問題もあるから、どちらかが一方的に優れている、ということはない。だが、私の経験上、逆さに吊っているのは決まってアウトローだ。

 

「……はぁ」

 

 キッドの野郎が私の方へと向けてゆっくりと歩きだしたので、私も合わせて前へと踏み出す。

 ヤツも私と同様、こちらに呼び出されロクシャンに雇われたのだろう。

 だが「こちらがわ」だろうとワイルド・ウェストであろうと、ガンマン同士、相対した以上やることは変わらない。

 

『まれびと殿』

「心配するな。すぐに済む」

 

 心配そうに声をかけるアラマに軽く答えて、私は、いや私たちはゆっくりと間合いを詰めていく。

 奴が間近になれば、やつの得物の詳細も明らかになる。

 右に逆さに吊っているのは、見たところ今日日流行りのコルトのニューモデル、いわゆるシングル・アクション・アーミーであるらしい。ホルスターの長さから察するに銃身は 7.5 インチのいわゆるキャバルリィ・モデルなのだろう。

 左側にはこちらは普通の撃鉄をこちらに向ける吊り方でもう一丁、リボルバーをぶら下げているが、それが何なのかはこの距離では良くわからない。しかしその低いポジショニングから見るに、あれは予備用だろうと推測できた。警戒すべきは、やはり逆さ吊りのコルトだ。

 

「――ッ」

 

 私は目を刺すような金色の光に、思わず瞼を眇めそうになって堪えた。僅かでも隙を見せれば、命は無いぞと改めて目を見開き、光源へとまっすぐ視線を向ける。

 キッドの使うコルトSAAの、トリガーフレームとバックストラップが陽光を受けて金の光を放っているのだ。ただし偽の金色、つまり真鍮の輝きではあるが。

 やっこさん、どうやら私同様に偽の金色が生み出す威圧感を期待して、本来はスチール仕立てのものをわざわざ真鍮のものに取り替えたらしい。コルト社の純正品にはない仕様であるから、おそらくは自作であるのだろう。ハッタリの為に良く光るニッケルメッキのコルトを持ち歩いているガンマンは見たことがあるが、わざわざ真鍮仕立てにしているのに出くわすのは初めてのことだった。

 

「……」

「……」

 

 20歩程の距離を空けて、しめしでもつけたように私とキッドは同時に歩みを止めた。

 ヤツは早撃ちガンマンならではの、適度に脱力した立ち姿だった。僅かに右手を上げていて、その掌の先には真鍮色に輝く銃把がある。

 私はダスターコートの右側を開いてコルト・ネービーを晒しつつ、やや右足を前に出した。

 いかにも右手で早撃ちをします、といった格好だが、同時に私はダスターコートの左ポケットに左手を突っ込んでいた。 私のダスターコートの左ポケットは実は見せかけでスリットになっている。 左のポケットに手を突っ込んだのは、コートの下にある左のコルトを密かに抜くためだ。

 私は自慢じゃないが早撃ちにはさほど自信がない。私の本領はロングキル、つまり遠い間合いにこそある。早撃ち勝負で生き残ろうと思えば、詐術のひとつやふたつ用意しておかなくてはならないのだ。

 

「……」

「……」

 

 さて、互いにいつでも銃をぶっ放せる態勢を整えた訳だが、だからといってさぁ撃ち合おう、とはなりはしない。

 互いに相手を見据えたまま、微動だにせず向かい合う。

  

「……」

「……」

 

 相変わらず怪しいニヤけづらのキッドの顔からはやつの意図は読み取れない。

 私はナルセー王に、ヤツはロクシャンに雇われている。その雇い主同士がどうも敵対したらしい、ならば雇われ者同士も銃を向け合うのは当然のこと。元々、金のため日々の糧のために命を張るのが私達だ。殺し合うのに大した理由など求めないし、欲しくもない。

 だが、詳しい事情も解らぬまま「まれびと」同士、異邦人同士で銃を向け合うのは何とも賢くない。

 あのキッドの雇い主の太っちょの意図ぐらいは知った上でなければ、どうにも命を取り合う気分にはならなかった。

 どうしたものかと、私は思案する。

 

「……アンタの噂、聞いてるぜ」

 

 意外にも、最初に口を開いたのはキッドの側だった。ニヤけづらには相変わらず危険な気配が漂っているために、体勢は崩さず、私は耳だけを傾ける。

 

「800ヤード先の1セント硬貨だって撃ち抜くって話じゃないか。大した腕だけど、早撃ちのほうはどうかねぇ?」

「俺もお前の噂は聞いてるぜ、キッド」

 

 私のほうからも言葉を放つ。言葉の応酬を交わし、少しでもヤツから現状に関する情報を引き出さねば。

 

「早撃ちの名人だってな。しかも21人も殺ったと聞いた」

「そいつは正確じゃねぇな。そりゃ黒人とメキシコ人を勘定に入れねぇでの話だ」

「入れたらどうなる?」

 

 キッドは笑った。殺し屋らしい乾いた笑いだった。

 

「さぁ? どのみち10人から先は覚えちゃいねぇよ。アンタもそうだろうがよ」

「まぁな」

 

 私は口角だけ釣り上げて笑ったような顔を作った。しかし視線はやつへと注いだまま動かさない。

 

「ロクシャンに雇われたのか?」

「一宿一飯の恩義だよ。沙漠で馬諸共くたばる手前だったもんでね。例え太っちょの髭面でも水をくれるならそいつは天使さ」

「なるほど。そいつは仕方がないな」

「ああ、仕方がないぜ」

「……」

「……」

 

 そこで互いに言葉が尽きた。

 またも互いに動くこともなく、互いに見つめ合い、互いに機を探る。

 

『何をしている! さっさとその男を斃してみせないか! 干物同然のキサマを助けたのは誰だと思っている!』

 

 だが先に外野のほうがしびれを切らした。

 ロクシャンが苛立った声でキッドを急かす。当然、キッドはそれを聞き流していたが、その態度はロクシャンの気に障ったらしかった。

 

『ええい! 戦う気がないならのけ、この穀潰しめ! おい! エーラーン人の犬! キサマのほうもそうやって突っ立っているだけならとっとと失せろ! 仮にエーラーン人の財布からとは言え、役立たずに銭が流れるのは我慢ならん!』

 

 自分だけではなく、他人、それも敵と言える相手の雇い人にまで怒鳴りちらすとは面白い男だ。いかにも商人(あきんど)らしい物言いに、私は吹き出しそうになった。

 キッドのほうも興が削がれたのか、すっかりうんざりした顔になっている。

 互いに肩をすくめあう「まれびと」二人に、肥ったズグダ人はいよいよ激怒する。

 

『いいか! 「まれびと」はあと二人いるんだ! 今はまだだが夜までにはマラカンドへと辿り着く。そうなればキサマラはどちらもお払い箱だ! 命を惜しむ傭兵に出す銭などないからな!』

 

 ……何やら太っちょの口から気になる単語が出てきたので、私は既に殺気の消えたキッドから視線を外してロクシャンのほうを見た。

 だから「それ」に気がついた。気がついたから、キッドの方を見て、視線と顎先でやっこさんに伝えた。

 キッドもガンマンだ。だから私の声のない言葉も充分にヤツに通じた。ヤツはため息ひとつつくと、偽金色に輝くコルトに手をかけた。

 ただし、左手で。

 

『おうわっ!?』

 

 45口径ロングコルト弾ならではの重い銃声が響き渡れば、ロクシャンの馬が嘶き棹立ちになり、肥った男は肥った尻から地面へと落ちた。

 続けて、地面へと背中から斃れたのは、脳天を一発で撃ち抜かれた一匹の蝗人だった。

 

『こ、コイツ!』

『いったいいつのまに!』

 

 ロクシャンの供回り達が、不意打ちを仕掛けようと忍び寄っていたらしい蝗人の骸に今更ながら驚いていた。

 キッドは用心金に指をかけて、くるりとコルトを回して見せると、銃口から昇る紫煙にフッと息を吹きかけた。

 

「これで一宿一飯の恩義は――」

 

 そこまで言ってキッドは言葉を止めて、苦笑いを滲ませながら後を続けた。

 

「――返すにゃまだ早いみたいね」

 

 キッドの物言いを合図にしたわけでもあるまいが、もう聞き飽きた金切り声が辺り一面に響き渡る。

 

『こ、こいつらぁ!』

『まだ残っていやがったかクソが!』

 

 チャカルの戦士たちが得物を手に応戦を開始する。そう蝗人だ。昨日あれだけ仕留めて屍が山のようになった蝗人が、またどこからともなく湧き出して襲いかかってきたのだ。

 見ればイーディスは素早くアラマを自らの背で守りながら、左右の刀剣を抜き放っている。

 慌てて色男もクロスボウを手に、イーディス達の側へと走り寄っていた。

 

「……ひとまずは休戦でよろしゅうござんすかね?」

 

 キッドがおどけて言うのに、私が黙って頷けば、やっこさん、左手にあったコルトを右手に持ち替えたかと思うと――5発の銃声は殆どひとつなぎの音のように響いた。

 私は、一様に頭を撃ち抜かれ、5匹揃って斃れた蝗人どもを尻目に、それをやってのけた男の方を見た。

 野郎はすでに素早く空薬莢を弾倉からはじき出し、次の獲物を舌なめずりと共に見定めながら、手元を見もせずに次の6発を再装填している。

 コルト・シングルアクション・アーミーは、ローディング・ゲートから装填も排莢も一発ずつ行う構造だ。我が愛銃コルト・ネービーのキャップ&ボール式よりは素早くとも、それでも再装填には本来時間がかかる。

 だが、野郎は気がつけば既に次の六発を再装填し終えていたのだ。

 ――あらゆる意味で、こんな早撃ちは今まで見たことがない。

 私は自分の背に冷や汗が流れるのを感じた。

 もし仮にさっき撃ち合いをしたとして、果たして自分は勝てただろうかと思わざるを得なかった。

 先に銃を抜いた私よりも、後から抜いたキッドのほうが勝るのではないか――そんな嫌な想像を掻き消しながら、私は二丁のコルトを引き抜いて、迫る虫男どもへと銃口を向けた。

 

 

 

 



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第15話 ジャンゴ・ザ・バスタード

 

 

 蝗人どもがいったい何処から湧き出したのかしらないが、不意打ちとしては完璧と言う他なかった。

 私も含めてここに攻め入ったチャカルは虫男どもを一掃したつもりでいたし、実際に骸を改め生き残りにトドメも刺したのだ。

 だが実際はどういうことか、奴らはみたび現れた。

 精鋭のチャカルの戦士たちですら、この不意打ちには後手に回るしかない。

 ロクシャンとスグダ人達も逃げ出しながらなんとか応戦している有様だった。

 

 湧き出る虫男どもをを前に、自然と敵味方が入り乱れる。

 

 辺りは既に混乱の極みを迎え、怒声罵声絶叫断末魔が入り乱れ、刃と刃が稲光のような刃鳴を散らしている。――そこに新たに加わるのは銃声に硝煙の香りだ。私は臭い息がにおう程の間合いから、迫りに迫り視界いっぱいに広がった蝗面へと36口径を叩き込む。

 硬い鱗と疾風のような鉛玉が擦れあい、火花を撒き散らしつつ風穴が開く。それでもまだ私を道連れに蝗野郎は迫り、そいつは御免こうむるともう一発、その柔らかそうな腹肉目掛けて引き金を弾く。

 ようやく相手の動きが止まった所で、すかさず私はその胸元に蹴りを叩き込んだ。

 蝗人を蹴倒し、踏み潰し、私は駆ける。

 寸毫の間たりとも一箇所に留まることなく、柱に壁に身を隠し晒ししながら、出会い頭の蝗人相手に銃弾を叩き込みつつ、ひたすら駆ける。

 

 混戦の時に守るべき「十戒」がある。

 

 教訓その1は「立ち止まらないこと」だ。止まった最後、その姿は周りの敵の目にとまり、四方八方から袋叩きにされること請け合いだ。だから目にも留まらぬ捷さで、ただひたすらに駆けるしかない。

 私の身体は無意識のうちに、「前の戦争」の記憶を呼び起こしていた。

 「前の戦争」の頃、私は遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)の一員として、師匠と共に戦場を駆けていた。灰色の幽霊とも呼ばれた、我ら遊撃騎兵隊の任務は北軍(ヤンキー)どもの後方撹乱。物陰に木々の背後に身を隠しながらエンフィールドで敵の士官を狙い撃ち、あるいは両手にコルト・ネービーを構えて青服の一隊の背後から襲いかかった。特に後者の時は乱戦になる時も多かったが、そんな時、私達が決まってやることがあった。ヤンキーどもを怖気立たせ、ケツ捲って退散させるのに、絶大な効力を発揮するアレだ。

 

「ウォロロロロロロロロロロゥォォォォォォー!」

 

  復讐の女神(フューリー)のような甲高い雄叫びが、自然と私の喉から迸る。

 先住民のそれを連想させる鬨の声は、 「反乱の雄叫び」と北軍の連中が呼んでいた南部の叫びだった。

 蝗男共の金切り声を上書きするように我が南部の声は響き渡り、銃声も相まって連中を後ずさらせる。

 

 混戦十戒の教訓その2は敵を恐れさせることだ。相手が算を乱し、背中を向けて逃げ始めれば、後は隊列を整えずとも簡単に料理できるのだ。

 

 私は恐怖と銃弾を撒き散らしながら、蝗共の間に見え隠れする味方の影を探る。戦意に身体は燃やしても心は氷のごとく――それが教訓のその3なのだ。散り散りになって孤軍で奮闘する味方と合流し、少しでも戦いを優位に運ばなくてはならない。

 

 私と同様によく音と煙を吐く得物を使っているだけはあり、真っ先に見つけ出したのはキッドの姿だった。どうやら雇い主のロクシャンとは引き離されたらしく、独りで虫ども相手にしている。

 やつが早撃ちの名手であるのは先刻承知だが、意外にも今度は一発一発、標的を狙い定めて撃ち射抜いている。 銃身7.5 インチのキャバルリィ・モデルを使っているだけあって、やつのコルトは百発百中で、おまけに45口径の弾丸は威力も充分だった。一匹ずつだが、確実に蝗男の数を減らしている。そして弾が切れればすかさず排莢からの再装填だ。奇術のような手際の良さは素人どころか玄人でもめまいがする程だが、それでもなお再装填の隙を逃すまいと、命知らずの虫頭がキッドへと肉薄する。やっこさんは、それを蹴りの一撃で薙ぎ倒していた。見事な蹴りだと感心するが、私には違和感のほうが勝った。

 

「!……っと、どうも」

「なぜ、左に吊るした銃を使わない?」

 

 背後からキッドを襲わんとする一匹目掛けぶっ放し、私はヤツの傍らに駆け寄った。

 私はキッドと背中合わせの格好になって四方の敵に対しながら、横目にそれを見て問いかける。

 ニッケルメッキを施され、よく手入れされた銃身は陽光に浴びて輝きつつも、ちらちらと覗く銀色の鈍さからは隠しきれない古さが見え隠れする。若造がぶら下げるには似つかわしくない、キャップ&ボールのリボルバーらしかった。そのグリップの形状には見覚えがあったが、名前を思い出すまでは至らなかった。

 

「切り札はギリギリまでとっておくから切り札なのよ」

「出し惜しみしてられる状況とも、思えんがね!」

 

 再装填を済ませたキッドは、新手の一匹を見もせずに撃ち斃した。

 私はそんな曲芸めいたことはせず、標的を狙い定めて引き金を弾く。

 キッドの説明には違和感が増すばかりだが、しかしそれを問うている時間でもない。

 

「走るぞ! 囲まれたらかなわん!」

「そうらしい!」

 

 私とキッドは隣り合って走り出した。次に目指すべきはイーディスにアラマ、ついでに色男の野郎の所だ。

 

『ぎゃぁぁぁっ!』

『クソが! くたばれ!』

『喰うな!? 俺の肩を喰うんじゃねぇ!』

『がぼぼぼぼぼぼ』

 

 チャカルの戦士たちは各々の得物を手に、不意打ちにも関わらず蝗人の大群に善戦しているが、中には喰らいつかれ、肉を抉られ切り裂かれ、喉に鋭い爪を突き立てられた者もいる。悪いと思うが、こっちにも助けてやる余裕も無ければそれ程の義理もない。

 兎に角、私とキッドは目の前の敵だけに集中し、ひたすらに撃ち、走る。

 幸い、キッドは隣を任せるのには最適だった。実に場馴れした無法者で、こういう時に成すべき互いの本分を理解している。元が一握のドルと引き換えに人を殺める者同士だ。状況が状況、手を組むのもやぶさかでない。例えついさっきまで、撃ち合いをしようとしていた間柄であっても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アラマ!」

『まれびと殿!』

『来たか!』

『遅いぞ! 早くその石火矢で援護しろ!』

 

 暫く二人して駆ければ、廃王宮を背に三人固まって退きつつ戦うアラマ達の元へと辿りついていた。

 立て続けの戦いのせいか皆揃いも揃って酷い格好になっていたが、全員五体欠けずに生き残っているのだから大したものだ。

 イーディスは既に外套や上着も化け物どもの血や肉でまみれていたが、不思議とその両手の剣と刀だけは研ぎ澄まされた輝きを保っている。おそらくは何か呪(まじな)いなのだろう。刃毀れどころか曇りひとつ見えない。元々剃刀めいていたイーディスの殺気もさらに研ぎ澄まされ、緑の隻眼はなお血に飢えていた。

 色男は何故かクロスボウを背に負って、代わりに小槍を構えている。矢筒にはまだ角矢(ボルト)が充分に残っているところを見るに、再装填が間に合わなかったのだろう。慣れぬ肉弾戦を演じたためか、草臥れすでに肩で息をしている。

 対照的なのはアラマで、その衣に染み付いたものを見れば彼女も切った張ったしてきたらしいが、全くもって元気でケロリとしている。右手には例の翼の生えた二匹の蛇が絡みついた杖を、左手には鎌状に湾曲した短剣を逆手に握っており、短剣で仕留めたらしい蝗人が、喉元をパックリと開いて横たわっていた。

 

『……何でソイツが隣にいるんだ』

 

 色男が当然の問を発すれば、キッドはニヤニヤと笑ってそれに答える。

 

「成り行きってやつ。まぁ察してくれよ」

『……まぁ良いだろう、まれびとはまれびとだ。せいぜい役に立ってもらおう』

 

 またも見もせずに蝗人を撃ち抜くキッドの姿に、色男はため息をつきながら小槍を手放した。

 色男も傭兵である以上、こういう手合や状況には慣れっこなのだろう。

 クロスボウを取り直して、キッドを盾にしながらボルトを再装填する。

 

『しかしこのままではジリ貧だ。御前はどう考える?』

 

 イーディスは例の獣染みた笑みと共にキッドへと訊くが、当人は肩を竦めて私を見る。

 私は正面に2つの銃口を向けたまま、若干の思案を挟んでから言った。

 

「アラマ、また何かの魔法で何とかしてくれ」

 

 弾薬の残りを思えば、ここで撃ちまくってどうにかするというのも無理がある。

 彼女の呼び出した化け物の猛威を拝見した自分としては、アレの力をもう一度借りるのが最適と見えた。

 まぁ要するに良い策が思いつかずにアラマに丸投げしているだけという情けない話なのだが、しかし当人はと言うと一瞬呆気にとられたような顔になったかと思えば、次の瞬間にはパァッという音が聞こえてきそうな、喜色満面になっていた。

 

『お任せくださいです! まれびと殿のお達しとあれば、たとえ火の中水の中! 』

 

 舞い上がって天目掛け杖の先を突き出し快哉するものだから、アラマはすっかり隙だらけになってた。

 そこを襲わんとした一匹をすかさずコルトの一撃で地に斃すと、「それで、なにかあるのか?」と彼女に策を促した。

 

『……不敗の太陽の威光に依りて、「蜂蜜をそそがれたモノ(メリクリスス)」を呼び寄せます。ただその御業を為すにはいささか広い場所が必要なのですが』

「じゃあ奥だな。宮殿の広間を使えばいい」

『同感だ』

 

 暫時考えてから出した、アラマの提言に私とイーディスは即答した。

 得体の知れないお化けの力であろうと、借りねばこの混沌はどうにもし難いだろう。

 いずれやって来るであろうナルセー王の軍を待つほどの余裕もないし、いまさら隊全体をまとめ直すも難しい。今すぐに来てくれる援軍こそが、例えその正体が何であれ、一番頼りになる。

 

「……二手に別れよう。アラマを奥まで連れて行くのと、ここに残って敵を食い止めるのにだ」

『私は残る。手広い所のほうが戦いやすい』

 

 イーディスは早速一匹斬り斃しながら言った。

 

『残ろう。柱の陰から来る不意打ちを躱すには、得物が悪い』

 

 色男はやや思案あってから、弩に矢を再装填しつつ言う。

 

「じゃあアラマの護衛は俺がやるとするとして、お前はどうする?」

 

 自然と、私達の視線はキッドへと集中した。

 この男は成り行きで一時共闘していたに過ぎず、別にこのまま肩を並べなければならないこともない。

 私達と別れてコイツが孤軍奮闘するのもどうぞご勝手にだが、こちらとしては戦力は多いに越したことはない。

 それにこの状況では野郎にとっても私達と共闘を続けたほうが得策であるし、それを拒むほどの理由もないのだ。

 

「残ろう。あんまり雇い主と離れるのも格好つかんかんね」

 

 だから返事は予想した通りのものだったが、そのさきのキッドの行動は私の予想を超えていた。

 

 キッドはイーディスと色男のほうを交互に見ると、極々自然に女剣士の方へと歩み寄って、剣を握ったままの左掌を手にとってキスをする。

 こんな修羅場鉄火場では余りに場違いな、キザったらしいヤツの姿には、思わず私は吹き出し、色男は唖然としているが、キッドは素知らぬ顔だ。

 ――今更ながら思い出したが、キッドという男はその面の良さもあって随分と女にもてるらしく、それ故の刃傷沙汰でかけられた賞金の額を増やしているとのこと。こんな無法者丸出しな男など私からすれば導火線の尽きかけたダイナマイトのようにしか見えないが、世の中には火遊びが好きな手合も多い。それにここまでキザったらしいことを平然と人前でやってのける男もそうは居ない。この男が変にモテるという理由もなんとなく解った気がする。

 

「しばしの間、ダンスに付き合っていただきましょう、レイディー」

『お上手なことだな、まれびとよ。だがまれびとが二人ではややこしい。名前を聞かせてもらおうか』

 

 イーディスはキッドの戯れを笑って流しながらその名を問うた。

 キッドは紳士よろしく、己の胸元に手を当てて名乗った。

 

「ジャンゴ。ジャンゴ=フランシス=ジロッティ。ですが親しい者は皆『キッド』と呼びます。貴女にもそう呼んで頂けると幸いです」

 

 ……付き合いきれないので私は、アラマを促すと廃王宮の奥へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの、キッドとかジャンゴとかいう男を置いていって良かったのですか、まれびと殿?』

 

 柱の列の向こうから聞こえてくるに銃火戦戈の響きに、アラマが振り返りながら不安そうに問う。

 彼女の不安も最もだが、私はと言うと全く心配していなかった。

 

「やつも手慣れたガンマンだ。こういう時にどうするべきかはよく知っているだろうよ」

 

 私は色男の手放した小槍を右肩に負い、また道すがらの死んだチャカルから拝借した曲刀を左手に携え、アラマを先導していた。

 

『所で……その槍と剣は何に?』

「見たまんまだ。武器に使うのさ」

『まれびと殿は、まれびとの武器のみならず剣槍の術にも長じてらっしゃるのですか!?』

「……まぁな」

 

 アラマには肯いた私だが、その実、さほどこの手の武器の使い方に長じている訳ではない。

 確かに銃剣の使い方は前の戦争の時に習い覚えたが、生憎私は小銃は撃つのが専門で歩兵よろしく銃剣突撃をかました経験は殆ど無いのだ。

 サーベルに関しても、北軍(ヤンキー)どもと違って南軍の騎兵はあまりこの武器を好まないのだ。南軍ではサーベルを吊るす代わりにもう一丁余計に拳銃を下げるほうが一般的で、私も戦闘中に敵からぶんどったものを我流で使ったことが多少ある程度だった。

 じゃあ何ゆえにガンマンの私がこんなものを持っているかと言えば、ひとえに残弾の不安がためだ。

 前回、つまりエゼルの村に呼び出された時の教訓で、普段から弾薬は多めに持ち歩くようにしている私だが、いかんせん今回は多人数を相手取ることが多い。先々を考えて、用心はしておくにこしたことはない。

 それに今はサンダラーの鞍に弾薬は入れっぱなしになっている。サンダラーは賢い馬なので自分で鉄火場からは離れているだろうし、彼については心配は全く無い。だが、彼が運ぶ弾薬が無いのは多いに不安だ。

 だからこそ私は、こんな手慣れない武器をわざわざ持ってきたのだった。

 

「……とりあえず、ここで良いか?」

『はい! この広さならば充分なのです!』

 

 幸いなことに敵に出くわすこともなく、私達は手頃な広間へと辿り着いた。

 アラマはいつも下げている雑嚢の中から、何やら小さな素焼きの瓶と青銅製らしい杯を取り出す。

 絡み合う蠍と蛇の文様が表面に浮き出した杯は曰くありげで、いかにも不思議な力を宿してそうではある。

 

『兵士より獅子へ、蜜を注ぎ捧げます。光の君の劫火を絶やさざるために――』

 

 アラマは瓶の蓋を外すと囁くように何やら呪文のようなものを述べながら、杯へと中身を注ぎ込む。

 とろりと粘っこい金色に輝く液体は、私には蜂蜜のように見えたが、実際匂いも蜂蜜のようだった。

 

『こいねがう。われはこいねがう。広き牧場にありて、よく武装せるミスラへと。武装せる者なかで栄光をもつこと第一、武装せる者のなかで勝利を博すること第一なる不敗の太陽へと』

 

 雑嚢から新たに取り出した水筒の中身を杯へと注ぎ込み、蜜と水を混ぜると杯を私へとアラマは差し出した。

 

『ここから先は、まれびと殿にお任せしますです』

「俺に?」

『はいです。獅子へ蜜を注ぐべきは兵士……すなわち戦う者であるべきすから』

 

 何やらよくわからないが、とりあえず彼女の言うようにしようと、杯を受け取ろうとして――その手を曲刀の柄へと私は伸ばす。

 

「伏せろ」

 

 アラマももう慣れたもので、杯の中身がもれぬよう守りながらも、淀みなくスッとしゃがみ込んだ。

 おかげで私は柱に張り付いた虫男を、奴が避ける間もなくサーベルで串刺しにすることができたのだから。

 思い切り投げつけられたサーベルは見事に蝗人を柱へと縫い付けた。だが奴が断末魔をあげれば、同じく不意打ちをかまそうと隠れていたらしい蝗人が数匹、殆ど同時に四方から湧いてでる。

 

「つけられたか!」

 

 私は吐き捨てると、両手で小槍を銃剣よろしく構えた。

 

「かかってこい! 相手になってやる!」

 

 果たして、連中は私目掛けて飛びかかってきた。

 

 

 

 



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第16話 ガンマン・オブ・アヴェマリア

 

 

 

 迫る土手っ腹目掛け、脇を締めて力を込めて穂先を突き出す。

 まったくもって偶然なのだが、うまい具合に相手の鱗の継ぎ目に命中して、殆ど抵抗もなく穂先は標的へと沈み込む。

 向こうのほうから飛びかかってきた訳だから、勢いもついている。小槍は蝗人へと深々突き刺さって、断末魔が私の顔間近で響き渡る。そのうるささに視界の端で火花が散るほどだ。

 

「あ!? クソ! こいつ!」

 

 だが早くも一匹斃したは良いものの、あんまりにも深く刺さり過ぎてしまったがために小槍が抜けない。

 私が手間取っている隙を見逃すまいと、他の蝗人どもが襲いかかってくる。

 

『まれびと殿!』

「わかってる!」

 

 アラマが叫んだ時には、私は空いた手でコルトを抜き終えていた。

 肩越しに後ろに銃口を向け、狙うべき相手も見ずに引き金を弾く。真後ろで絶叫が響くを聞きながら、小槍を右脇に挟み込むと、体ごとねじって横薙ぎに振るう。

 右から襲いかかろうとしてきた虫野郎に、串刺しのご同輩を叩きつけ、その反動を利用した左側へももうひと振るい。二度のスィングの勢いに刺さった骸がスっぽぬけ、左側から襲い来た野郎は哀れ、もつれ合うように地に倒れる。コルトをホルスターにしまい、両手で小槍を構え直した。

 

『キシャァァァァーーッ!』

「うるせぇ!」

 

 叫ぶ新手へと吐き捨てながら、穂先を突き出すも今度は鱗に弾かれる。

 しかし私は慌てることもなく、すかさず石突を揮って相手の顔面を殴りつけた。ライフルの銃床で殴るのと同じ要領だ。相手がたたら踏んで攻撃が止まるのを逃さず、再度左手でコルトを抜いて一発お見舞いする。

 

「アラマ!」

『はい!』

 

 アラマを背後に隠れさせると、彼女を追っていた蝗男の顔面目掛けて小槍を投げつけた。

 大きく開いた口の中へと槍は吸い込まれ、半ばまで突き刺さった所で止まる。

 右手でコルトを引き抜き苦しむ虫男にトドメを指すと、腕と頭だけを反対側へと向ける。

 こちらへと肉薄する四匹目掛け釣瓶撃ちに銃弾をプレゼントすれば、三匹は急所に当たって斃れるも、一匹が不運にも死にきれずまだ向かってこようとする。だからオマケに弾倉に残った一発をくれてやれば、満足して大人しく地に伏した。

 

 ――だが、辺りにはまだご満足頂けない招かれざるお客様方がわんさと残っている。

 

「……何か良い案、あるか?」

『あるならやってますです……』

 

 そりゃそうか。

 しかし、行き詰まった状況をなんとかするために動いた先で、さらに行き詰まる破目になるとは……。

 両手で構えたコルトの残弾と、飛び道具を警戒してかジリジリと迫る蝗人どもの数とを比べると、しかめっ面になってしまっているのが鏡を見ずとも解る。

 サンダラーの鞍に入ったライフルやハウダー・ピストルがあれば、とも思うが、無いものねだりをしてもしようがない。

 

「ぶっ放しながら、なんとかその呪いを完成させるしか――って、ん?」

 

 私の耳が徐々に大きさを増す、新たな音を捉えた。

 それは足音だ。夥しい数の足音だ。

 人間のものではない。蹄鉄の音にも似た、硬いものが石とぶつかり合う音だ。

 そう、奴らの、蝗人どもの足音だ。

 

「アラマ、代わりに見てくれ」

『……見えました』

 

 振り返ることもできない私の代わりに、アラマが音の方を振り返り窺った。

 告げる彼女の声色は、残念ながらかんばしいものではない。

 

『王宮の奥から蝗人の群れが……それも大群です!』

「援軍か!」

 

 それもよりにもよって連中の、だ。クソッタレめ。いったい何処からそんなに湧いて出てくる?

 

『……いえ。でも何だか様子が変なのです』

 

 唾を地面に吐き捨て、胸中で毒づく私へと、続けてアラマが告げたのは意外な事実。

 

『襲うと言うよりも、まるで逃れていいるかのような……何か恐ろしい――』

 

 そしてアラマの声は全てを言い切る前に、きゃっ!?という小さく短い悲鳴へと変わった。

 私達の右斜め上方を何か大きなモノが飛び越えていって、半ば折れた柱へと激突し爆ぜて、嫌な音を立てた。

 迫りつつあった蝗人達は一斉にその方を振り返り、口から形容し難い唸りを発した。

 あるいは、人間でいう所の悲鳴に近いものだったのかもしれない。

 

「……うへぇ」

 

 化け物ですら呻くのも道理だと思った。

 柱に投げつけられたトマトのようにへばりついているのは、ぐちゃぐちゃになった蝗人の死骸だったのだから。

 前の戦争の時に地獄めいた光景にも――切り落とされた手足の山にも、砲撃を受けて千切れた亡骸にも――慣れっこな私ですら、辟易とするような有様の死体だった。まるで内側から爆ぜでもしたかのような、異様な死体。

 

『これは……まさか風の噂に伝え聞いた、セリカンの武芸の!?』

 

 アラマはと言えば流石と言うべきか、嫌悪恐怖よりも好奇が勝るらしく、異常な死体の様子に何か心当たりがあるのか驚きの声をあげている。

 

『大柄杓星! 天の戦車! 東方の三巫女が曳きし棺! その名を関するその武芸は無手勝流! 素手で重装騎兵(クリバナリウス)すら屠るとうたわれていますあの武芸!』

 

 興奮するアラマに、戰く私の左右を、逃げる蝗人が走り抜けていく。

 逃げるべきか戦うべきか、それに迷って動きを止めた虫共の前に、姿を現したのは甲冑を纏わず、例の紺色のゆったりとした衣に、緩やかな白のズボンの格好のグラダッソだった。手には得物はなにもない。

 そう言えば独りで廃王宮奥の神殿の門番をしていたことを今更ながら思い出す。

 着物が虫どもの血で汚れている所から見るに、どうやらこの男、素手でここまでやって来たらしい。

 

「……よぉ、元気か?」

『……』

 

 とりあえず軽口を叩いてみるが、やっこさんは特に応ずる様子も見せず、スタスタと居残った間抜け虫共へと歩み寄る。獣なりに警戒して、間合いを開いた蝗共だったが、遂に我慢ができなくなって地を蹴って跳びかかる。

 

 グラダッソの姿が一瞬、霞がかかったようにブレた――。

 

 やっこさんが地面を蹴ったが為の砂埃があがった時には、手近な一匹にセリカン人は既に仕掛けていた。

 蝗人の胸元、鱗に覆われていかにも硬そうなその胸元に、グラダッソは掌を軽く押し当てた。

 

 ――聞いたことのない音がした。

 

 蝗人の身体が痙攣し、膨らみ、その肉が内側から爆ぜる。

 背中が破れて体の中身が吹き出し零れ落ち、ぐしゃぐしゃに崩れた骸が地面に散らばる。

 奇妙なのは、掌を受けた筈の鱗には傷一つないこと。まるで鎧をくぐり抜けて内側の肉を断つような、奇妙極まる業。

 私は戦慄し、アラマは歓喜した。嬉しそうに、息も荒く講釈してくれる。

 

『発勁(ファー・ジン)と、言うそうです。鎧を纏った相手に有効な、不可思議なる東方の業。てっきり伝説かとわたくし、思っていたのに、思っていたのにですね! 今! 眼の前でですね! 』

 

 グラダッソが同じ技を幾度か揮えば、蝗人は残らず、綺麗な鱗と崩れた肉に別れて地獄に落ちた。

 ……もうコイツだけで良いんじゃないか?などと私が殆ど呆れ返ってると、やっこさん、何を思ったかどっかりと地面に胡座かいて座り込み。そのまま眼を瞑ってしまった。

 

「……」

『……』

 

 私達は顔を見合わせたが、セリカン人の不可思議すぎる行動には互いに何の言葉も見つからなかった。

 仕方がないので私が代表してやっこさんに問いかける。

 

「……何してんだ?」

 

 やや間があってから、グラダッソは眼を瞑ったまま答えた。

 

『休んでおる』

「そりゃ、見りゃ解るが」

 

 何故に、と続けて問う前に、向こうの方から答えが先に来た。

 

『儂とて木石で身が成っている訳でもなし。草臥れもする。本日は些か功夫(クンフー)を積みすぎた。終いとする』

 

 言うだけ言って後は完全に黙り込んでしまった。

 ようするに素手で化け物の相手をし過ぎて疲れて休みたい、ということらしい。

 

 私達は再度顔を見合わせた。

 どうします?とアラマが眼で問うので、私は肩を竦めてみせた。

 この曲芸師染みたセリカン人に任せて後ろで見物と洒落込もうかなどと考えたが、甘かったらしい。

 イーディスに色男、ついでにキッドの野郎も待ちかねているだろう。

 

 

 私達は儀式を再開し、アラマの呪いを完成させることにした。

 

 

『兵士より獅子へ、蜜を注ぎ捧げます。光の君の劫火を絶やさざるために……。こいねがう。われはこいねがう。広き牧場にありて、よく武装せるミスラへと。武装せる者なかで栄光をもつこと第一、武装せる者のなかで勝利を博すること第一なる不敗の太陽へと』

 

 アラマが呪文を唱え直し、私に青銅の杯を手渡した。

 私はアラマに言われた通りに、杯の中身を細く零し、円を描き、その中に八芒星を描いた。

 アラマは星の真ん中に入って跪き、左右の掌で何やら複雑な形を作りながら、最後の呪を唱えた。

 

『不敗の太陽が輝き、新しき光よそそぐ。みのりおおき大地(テルス)によって、屠られたる牛、万物を産む。注がれし蜜によりて、獅子よ、いづれ、いづれ!』

 

 瞬間、大地から湧き出るように、無数のライオンが現れ、地に満ちた。

 不覚にも腰を抜かしかけた私や、こんな中でも瞑想を続けるグラダッソの横を素通りして、獅子の群れは駆ける。

 後は、さして時間がかからなかった。

 獅子を群れを前にして、蝗ごときに何ができるだろう。そういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ~」

 

 キッドが美味そうに紫煙を吸い込み、そして吐き出す。

 口に咥えてるのは実に上等そうな葉巻だった。吸わない私にも解るぐらいの品なのに、いったいどこでくすねて来たのやら。同じく吸わない色男が、うかつに風下にいたばっかりにゲホゲホとむせていた。

 

『火を貰えるか?』

 

 イーディスが口にパイプを咥えながら現れた。

 立派な金物のパイプには彫刻が施され、曰くありげな代物であった。

 

「ん」

 

 キッドは背もたれにしていた壁から身を起こして立ち上がると、マッチを手品のように掌のうちから出して、親指で頭を擦って火を起こした。夕陽の淡い赤のなか、その火は一層紅に輝いて見えた。

 

『ありがとう』

 

 イーディスは何やら緑がかった煙を吸い込み、そして吐き出した。

 タバコではない。タバコとは明らかに違う、どことなく甘ったるい独特の香りがする。

 

『……ワーム草だ。気力を充実させてくれるんでね。手放せないでいる』

 

 問いたげな私の視線を受けて、イーディスが先手打って答えてくれた。

 こういう時に決まって講釈をくれるアラマは流石に疲れ切ったのか、私と同じ壁を背にして眠りこけていた。

 

 戦いは終わり、日が暮れる。

 横一列に並べられたチャカル戦士たちの亡骸に、塵芥のように山積みになった蝗人の死骸が、夕陽を浴びて血まみれのような有様を一層強くしている。

 生き残った男たちは今夜の宿営に備え、リトヴァのロンジヌスは討ち取った虫男共の首を積み上げ山を拵えていた。グラダッソは相変わらず瞑想にふけり、私達は廃王宮の一角で体を休めている。

 アラマの呼び出した獅子たちが蝗人を一掃し終える頃には、ズグダ人の首領ロクシャンの姿は消えていた。

 死体は見つからなかったので、恐らくは尻尾巻いて逃げたのだろう。置いていかれたキッドには、わざわざ追いかけるほどの義理もなく、極々自然に私達の一味に加わっていた。

 こうして、まれびとが二人、一箇所に揃ったことになる。

 ロクシャンはあと二人、別にまれびとが居ると言っていた。残念なことに、キッドはその二人と会っていないらしい。

 

「……どっちにしろ、背中を預けるなら腕利きのほうが良い」

 

 キッドがそういって青い瞳を向けたのはイーディスのほうだった。

 

『それはこちらも同じこと。御前と組むのは、吝かではないがね』

 

 彼女のほうもまた、隻眼で頼もしげにキッドを見返している。

 どうやら先の共闘で馬があったらしい。同じ戦場にいた色男はと言えば、心底嫌そうな顔でキッドのほうを見ていたから、あるいはイーディスが貴婦人だからかもしれないが。

 

「お前さんに雇われ人が務まるもんかね?」

 

 私が胡乱げに見つつ訊けば、キッドの野郎はニヤニヤと笑い、タバコの煙で輪を作ってから言った。

 

「こう見えても牧場で働いてたこともあるんでね。まぁ用心棒ぐらいはお手のモンよ」

 

 ……余り信はおけないが、野郎の腕は確かだ。

 背中を任せるのは不安だが、肩を並べるぐらいは悪くはあるまい。

 

『おーい! おーい! 』

 

 そんなことを考えていると、遠くから呼び声がする。

 眼を向ければ、欠けず折れず曲がらず崩れず残った数少ないマトモな柱に登った、チャカルの独りが道を指差し叫んでいる。

 

『ナルセー王がきたぞー! 王の軍勢のおでましだぞー!』

 

 待っていた大将の、ようやくのご到着だ。

 私はアラマを軽く揺り動かして起こすと、目をこする彼女と一緒に立ち上がった。

 お出迎えの準備を、しなくてはならない。

 私は首をコキコキとならし、大きな欠伸を飲み込んだ。

 

 



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第17話 ゴーキル・アンド・カムバック

 

 

 

 

 木匙のなかの細長い米は、何とも言えない複雑な香りを放っていて、実に食欲をそそる。

 鉄の大釜で米を炒めた後に、肉や豆、野菜と共に炊き込んだ料理だ。こっちの香辛料を混ぜてあるのだろう、肉や野菜の汁の匂いが引き立ち、香りだけで胃袋がいっぱいになるほどだった。

 肉は羊に、豆はヒヨコ豆に、野菜は人参に似ているが、私の知っているものと同じかは解らない。いずれにせよ旨い料理であるし、ここまで旨いものが毒である筈もない。

 

『……』

「いつまでもむくれてるなよ。旨い飯もマズくなるぞ」

 

 しかし向かいあって同じく飯をかっこむアラマがふくれっ面をしているのでは、妙なる味も半分以下になる。

 揚げた豆に干しぶどうを左手に、右手でマラカンド名物の分厚いパンを千切っては頬張り、千切っては頬張り。健啖なることこの上ないが、だが頬が膨らんでいるのは半分は怒りのためだった。明るく快活な少女であるのに、今は珍しく眼を三角にしている。

 

『ふぁっふぇふぇすふぇ! はほほまへひはほに! はほほまへひはほに!』

「口の中身を空にしてから喋れ」

 

 口元をおさえながらも、空いた方の拳でどんどん机を叩きつつ咆えるアラマに、私は半ば呆れながら返しつつ米を口の中に放り込んだ。

 ちなみに今、私達がいるのはチャカル兵営の食堂ではなくて、市中の酒場兼宿屋の奥座敷だ。

 邪魔の入らない一番上等な席で、一番上等な料理を並べて大いに――少なくとも私は――楽しんでいる。いつもなら一品で済ませている所を、炊いた米の料理以外にも串焼きの肉だの、葡萄の葉らしきもので練った肉と豆のペーストを包んで蒸した料理なども合わせて頼んで実に卓上は賑やかだ。例の葦のストローで吸う茶状の飲み物も傍らに控えている。最初は苦手だったこの味も、最近では気に入りはじめていたのだ。

 

『しかしですね! あと少し……あと少しでしたのに! あと少しでしたのに!』

 

 頬の中身を飲み込んだアラマが、頬を怒りに紅潮させながらなおも咆える。高級な晩餐も今の彼女には単なるやけ食いであるらしい。これは収まるまで時間がかかりそうだ。

 

「別に遺跡は逃げやしないし、ナルセー王もお付きの神官連中も、アラマお望みの……ええと『天路歴程(アドノス)』とやらは探す理由を持ち合わせちゃいないだろうに」

『そんなことは先刻承知なのです! なのですが! なのですが!』

 

 アラマはと言えば満面の悔しさとともに今度は両手で机をバンバン叩いている。

 

『いよいよ神殿に踏み入れるとなった時にさぁ帰れとはあんまりなのです! あんまりなのです! 横暴なのです!』

 

 そう、彼女の言う通り、ナルセー王とその親衛隊にマゴスの一隊はアフラシヤブの丘に着くやいなや『チャカルのもののふ達よご苦労! マラカンドへと戻って骨を休めよ!』と言い放ったのである。当然、戦利品を当て込んでいたチャカルの戦士たちは抗議の声をあげようとするが、そんなことも想定内だったのかナルセー王は銀貨金貨を以て異議申し立てに応えたのだ。革の袋にはち切れんばかりの金貨に銀貨をつめて、私達へと投げてよこしたのである。傭兵は光り輝く金貨銀貨のためにこそ戦う。報酬が支払われた以上、何も言うことはない。無論、私を含む全てのチャカル戦士が、これだけの報酬を支払って余りある値打ちのブツが廃王宮奥の神殿に隠されていると勘付きながらも、雇い主に逆らってせっかく手にした金銀をみすみす捨てるようなまねはできないと口をつぐんで街へと帰路についたのだ。

 私達がこうして旨くて高い飯を囲めるのも、そういった理由からなのだ。他の連中も同じように街に繰り出しているのだが、この店にいるのは私とアラマの二人だけだった。

 

『まれびと殿は口惜しくないのですか! まれびと殿の使命が、元々御座しました世界に戻るための手立てが、明らかになるやもしれませんでしたのです!』

「……別に今更帰るのを焦っている訳でもないからなぁ」 

『んなぁ!?』

 

 アラマは意外と眼を見開いたが、これは私の正直な気持ちであった。

 前回、つまりエゼルの村での一件で、なすべきことをなせば帰ることが出来るのは既に知っている。幸いなことに今は西部の荒野へとすぐさま戻らなければならない事情もない。別段焦ることもないから、悠々と構えていようというのが、私の考えであった。

 貰うべきものが貰えるのであれば、退くのも吝かではない。

 ――別に権力者に阿るつもりはない。前の戦争や今の稼業を通して学んだことは、鉛の死神は博愛主義者だということなのだ。銃身から飛び出した青ざめた馬とその騎手は、老いも若きも、貴きも卑しきも、富めるものも貧しきものも、男も女も区別せず、差別などしない。平等に、ただあの世へと誘うだけで、要するに私がトリッガーを弾けば、相手が誰だろうと結局結果は同じということなのだ。ならばこそ、私が恐れる相手など存在しない。

 だからといって、無闇矢鱈に権力者に食ってかかるつもりも私にはなかった。殺ろうと思えばいつでも殺れないことはないが、一仕事終えた後のことも考えると無計画に銃口を向けるのは賢いやり方じゃない。相手は権力者だ。権力者だけに、それを相手取ることはその下に仕える無数の連中をも相手にすることを意味する。なればこそ、準備も覚悟も入念にしなくてはならない。生憎今の私には、そこまでナルセー王に逆らう理由を見出すことは出来なかった。

 

「まぁなるようになるさ。せっかくの臨時報酬だ。今はこいつを楽しもうぜ」

『ぬぬぬ悠長でありますぬぬぬ』

 

 アラマは冬を前にしたリスよろしく頬を膨らませるが、私は不満の視線を軽く受け流して料理を口へと運ぶ。彼女も私のつれない態度に詮方無いと諦めたが、依然プンスカ頭から湯気を出しながらも、パンを大きく千切って口いっぱいに頬張った。

 

『全く、せっかく手塩にかけて一皿一皿作ってんのに、何が不満さね、そこな娘は』

 

 こんな調子の私とアラマに、新たに声をかける者がいる。

 今やよく知ったその声に私が振り向けば、やはり見覚えのある顔がそこにあった。

 

「よう。わざわざ酒でもつぎにきてくれたか」

『生憎、あんたが飲みたがらないのはもう覚えたよ』

 

 ややウェーブのかかった豊かな黒髪に鳶色の目をした線のクッキリとした美貌を擁し、豊かな肢体を胸元の開いたドレスに包んだ妙齢の女。彼女の名はイナンナ。この宿屋兼酒場の女将で、金次第で春も売るのを副業にしている。

 私自身、既に何度か床をともにした間柄だった。商売女にはこっちの尻の毛まで毟る気に満ち満ちた碌でもない女も少なくないが、イナンナは商売を商売と弁えていて気安く付き合える良い女だった。その美貌にひかれてこの酒場兼宿屋も大いに繁盛している。今夜、私達もその売上に貢献している所であったわけだ。

 ……所で、イナンナを見るアラマの視線には、どこか敵意が籠もっているのは気のせいだろうか。

 

『ほうらよ』

 

 イナンナは円卓の上へと新たな一皿を加えた。

 見た目は三角形の揚げたパイである。香ばしいその匂いから察するに、中身はひき肉であるだろう。しかし、この涎を誘う一品は私達のいずれもが頼んだ品ではない。

 

「頼んでないぞ」

 

 私が言うのに、イナンナはウィンクで応えた。

 

『オマケさね。今晩は随分と稼がせてもらってるからね』

 

 言い去る彼女の腰元に目をやりながら、私は彼女が厨房に消えるのを見送った。

 折角なので馳走になろうと、食卓の中央に皿を動かしたわけだが、アラマは何故かふくれっ面でそっぽ向くので、結局私が全部を平らげたたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、この日の晩、私達はチャカルの兵営へと戻ることもなく、イナンナの宿に泊まることにした。金貨を見せれば一番上等な部屋をあてがってくれるし、少なくともここの寝床は兵営のそれよりも遥かに良い。

 ベッドは一つだが無駄に大きいために二人並んで寝ることができる。枕の下にコルトを忍ばせながら、私達は戦いの疲れを癒やすためにも早々に寝床へと潜り込んだ。

 ……アラマのようなうら若く見目麗しい乙女と同じベッドで寝ると聞いて、艶かしいことを想像した諸君には申し訳ないが、その手のことは起こってないし起こす気もない。これまでの道すがら、何度も同じ夜空の下で眠ったなかだが、考えなしに堅気の娘に手を出すほど私は阿呆ではないのだ。商売女相手のように事が簡単なわけではない。

 

「……ん」

 

 そういう訳で、何事もなく夜は過ぎ、また朝がやってくる。

 私が目を覚ましたのは、アラマが起き出す微かな物音のためだった。

 薄く瞼を開き、恐らくは私を起こすまいと忍び足で歩くアラマの背中を見た。彼女には悪いが、職業柄眠りは浅く出来ている。この彼女の『朝の日課』も慣れっこな筈なのに、右手は無意識のうちに枕の下の銃把へと伸びていた。

 

『光の君よ、光の君よ。その流したもう血によりて、我らは永久に救われん……』

 

 アラマは祈りをささやきながらカーテンの端を僅かに摘み上げて日の出の方角を確認し、この部屋に朝日が注ぐことを確かめてから、いつも下げている雑嚢の中より木椀、銅皿、小瓶をふたつ取り出した。日の出の方へと椀と皿を並べ、それぞれに小瓶の中身を注ぐ。椀には血を、皿には油を注いでいるはずだ。私はそれをよく知っている。

 今までは機会もなかったのでいちいち言及しては来なかったのだが、アラマがやっている祈りの儀式は彼女の日課であり、毎朝やっていることである。既に見慣れているし、だから私は驚くでも奇異に思うでもなく、ただベッドの上で身を起こし枕を背もたれに、アラマの背中や仕草、揺れる銀髪に形の良い臀部をぼんやりと眺めていた。

 

『畏きかな、畏きかな。不敗の太陽、光の君、真実の神、死から救うもの、浄福を与えるもの、広い牧場の君、ナバルゼ、 アニケトス、 インスペラビリス、 インヴィクトゥス、 そして牡牛を屠るもの、ミスラよ』

 

 アラマは牛の血に満たされた椀を捧げ持ち、徐々に顔をだす太陽へと捧げた。そして銅皿へと木椀の中身を注ぎ、血と油が充分に混じった所で、彼女は火打ち石を叩いた。

 飛び散る火花に油が灯れば、血と香油の独特の匂いが漂い始める。悪い匂いではない。だが癖がある。私は慣れるまで少々かかった。

 

『流される血潮は大地を富ませ、燃え盛る炎は闇をぞ祓う……』

 

 祈りの声は歌のようで、こちらのほうは何度聞いても耳心地が良い。賛美歌とも違う、先住民の雄叫びとも違う、独特の調べがそこにはある。

 彼女の信じる神、ミスラとかいうその神は太陽の神であるらしい。灯された炎はその象徴であるんだそうだ。

 マラカンドまでの最初の旅路の中で、迂闊にも彼女の神について尋ねたことがある。訊いた直後の喜色満面のアラマの表情に私はしまったと思ったがもう後の祭り、言葉の洪水よろしく講釈の波が襲ってきたのは言うまでもない。途中からはうんざりして聞き流そうと努めたが無駄だった。気がつけばそのミスラとかいう神様に無駄に詳しくなってしまっていた。

 

 遠い昔、まだ神々が天へと昇ってしまう前の時代。

 まだ昼もなく夜もなく、大地は実りに満ちて皆等しく永久の命を持っていた時代。

 アルズーラの首と呼ばれる地の底への入り口から、闇の神アリマニウスがその眷属を率いて突如這い出した。

 世界はまたたく間に夜に覆われ、それは一年と十ヶ月と一日続き、全ての作物は枯れ果て、世界に初めて死がもたらされた。

 人たる者の先祖たちが絶望の淵に沈み、今や生者は残らず絶えんとした時、大岩をうちより割って一柱の神が生まれいでたのだ。ミスラの名をもつその神は燦々と輝いて夜を押し返し昼を生み、闇の神とその軍勢に戦いを挑み、これを打ち破って地の底の獄へと押し戻したのだ。

 夜は去った。だが大地は未だ死に絶えたままだ。

 ミスラは長い夜の時代を生き延びていた最初の雄牛を生け捕り、その首を掻き切って血潮を大地へと撒いた。

 大地は豊かさを取り戻し、こうして人とあらゆる生き物が救われた。

 しかし日々夜が再び戻ってくるように、アリマニウスもまた必ずや戻ってくるであろう。

 ミスラは夜に抗する昼を守るべく、自ら天へと昇った。こうして太陽が生まれたのだ。

 

 ……まぁだいたいこんな感じの御話だった筈だ。

 そして今、アラマが探し求めているのは、天へと昇ってしまったミスラとこの世とを繋ぐ梯子を作る方法が書かれた本なんだそうだ。

 

『畏きかな、畏きかな。光の君よ、今朝もおわします。光の君よ、今朝もおわします』

 

 カーテンの隙間から差し込む陽光を浴びて、なおもアラマは祈っていた。

 だがいつもの調子だとそろそろ儀式も終わりだ、私は欠伸を噛み殺しながら、ベッドより下りて伸びをした。

 

『……』

 

 祈りを終えたアラマはカーテンを開き、朝日を部屋へと招き入れると振り返り言った。

 

『おはようございますです! まれびと殿!』

 

 陽光を浴びた金の瞳は一層輝き、彼女の明るい笑顔はとても魅力的に見えた。

 今日は良い一日になりそうだ。そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――結論から言うと、今日はいい日になるという予感は完全に私の勘違いに過ぎなかった。

 アラマと二人して朝の街へと繰り出して早々、私達を出迎えたのは木戸の割れる音と、何か重いものが落ちる音。

 

『イッデェェェェ!?』

 

 そして明らかに酔っ払いのモノと解る酒灼けした澱んだ声。

 眼を丸くしたアラマと、逆に呆れに眼を細めた私達の前には割れた木戸が転がり、地面へと投げ落とされたような格好の大男の姿がある。 身の丈は6フィートを超え、目方は200ポンドはありそうな太っちょだった。

 右を見れば酒場の木戸が半分外れて、残った側の戸がぎいぎい音を立てている様が目に入った。

 

「どうした。そっちから喧嘩うってきて、もう終わりかい」

 

 衆目を集めながら地面でもがく太っちょへと、嘲るように声をかけながらドアを開いて一人の男が新たに現れる。

 私はうんざりした顔でその男のニヤけづらを見た。

 太っちょと同じく酒で赤らんだ頬をしたその男は、つい先日、成り行きそのまま私と轡を並べて戦うことになったもう一人のまれびと、ジャンゴ=フランシス=ジロッティ、通称『キッド』に他ならなかった。

 

 

 

 

 



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第18話 スリー・バッド・メン

 

 

 

 

 酒場は床がやや高くなっていて、木製の低い階段が扉の前には備え付けてあった。

 キッドは銀拍車を鈴のように奏でながらゆっくりと下りてくる。

 帽子も茶色のレザージャケットも脱いでいるらしく、細い白線が黒地を縦に数本走ったシャツがあらわになっている。……いや、あらわになっているのはシャツだけじゃなくてヤツの胸元もだ。ボタンはだらしなく外れ、赤いスカーフもただ首元に巻かれているだけでお洒落もへったくれもない。

 無精髭だらけの面相は真っ赤に染まっており、吐く息は距離がある筈の私達のところまで酒の臭いが漂ってきている。相当に飲んでいるらしいのは、ヤツの妙に据わった青い瞳からも窺い知れた。

 

 ――私からすれば拳銃遣いが朝っぱらから酔っ払うなどあり得ないことだった。

 

 私とて酒は嫌いではないし、飲めない質でもない。それでも敢えて酒を避けるのは、アルコールで指先の感覚や反応速度を鈍らせないためだ。いつ背中から撃たれるとも解らない稼業に身を置く以上、長生きのための用心はしすぎることはない。

 だが、キッドにとっては違うらしい。ふと思い返せば、つい先日アウトロー三人を撃ち殺した時も相当に酔っ払っていたと新聞に書いてあった気がする。その状態で相手に抜く間も与えずに三人まとめてしとめたのだとしたら、どうもやっこさんは私とは体の作りが違うらしかった。

 実際、ヤツの腰元のコルトに目をやれば、撃鉄留めのリングはとうに外され、さらに僅かに既に抜かれて僅かに銃がホルスターより浮いていた。言うまでもなく、早撃ちのための細工だ。酔っていながらあれだけできるのだから、実際大したものである。自慢の真鍮仕立てのバックストラップは陽光浴びて偽りの金色に輝いているが、よく見ればホルスターの位置を工夫して、相手にリボルバーの輝きを印象づけしやすいようにしているのが私には解った。

 

「よぉ、お二人さん」

 

 キッドは私達に気がつくと、軽く左手をあげて挨拶をした。私達に視線は向けつつ、しかし右手はコルトのグリップに這わせたまま。やはりも21人も殺ったという噂は真実であるらしい。しかもそれは本人曰く黒人とメキシコ人を勘定に入れないでの話なのだ。

 

「よぉ酔っぱらい。朝からえらい騒ぎだな」

「ああ、とんだ騒ぎだぜ」

 

 私が敢えて皮肉っぽい調子で言うのにもキッドは平然とした様子で、ゆっくりと地面の上でうごめく大男へと歩み寄っていく。

 男はようやく体勢を立て直して立ち上がろうとしている所であった。

 

『テ、テメェ――』

 

 キッドを殺意の込められた眼で睨みつけながら、男はなにがしか毒づこうとした。したが、その言葉は半ばで断ち切られる。理由は簡単、無言で振るわれたキッドの爪先が、その側頭部、こめかみの辺りに突き刺さったからだ。

 

『――』

 

 声にならない短い呻きを残して、太っちょの体は糸の切れた操り人形のように倒れた。

 完全に白目をむいて泡を吹いている。死んでこそいないが、あれは起きた後も暫くは地獄の苦しみを味わうことは間違いなしだ。

 

『こ、このやろう!』

『よくもソルドを!』

 

 叫びながら新たに酒場から飛び出してきたのは、こ汚い格好の、やはり真っ赤な顔をした酔漢が二人。先に倒れた太っちょの仇討のつもりが、怒りに頬をさらに紅潮させて、殆ど二人同時にキッドへと襲いかかる。

 

「……」

 

 しかしキッドは振り返りもせず、僅かに体を左に傾かせた。さっきまでキッドの頭があった場所で酔漢一人目の拳が空を切ったのと同時に、拳銃遣いの裏拳が男の鼻っ柱へと叩き込まれる。酔漢一人目が鼻血を撒き散らしたたら踏めば、僅かに遅れて迫る二人目とぶつかった。

 

「ハッ!」

 

 襲撃者達の動きが止まった所を、すかさず放たれたのはキッドの回し蹴り。一人目の胸板へと、殆ど刺さらんばかりの勢いで踵は叩き込まれ、二人まとめてもつれ合うように横転する。

 

『すごいです! 今の蹴り見ましたか、まれびと殿! 一撃で二人ですよ二人です!』

「ああ」

 

 私は無邪気にはしゃぐアラマに生返事をしながら、半ば無意識的に右手をコルトの銃把に這わせていた。

 ――洗練された動きではない。だが、それだけに恐ろしい。

 キッドは素手の喧嘩にもかなり手慣れている。いや、その気になれば素手で相手を殺すこともできるのだろう。体に染み付いたガンマンの性とでも言うべきものが、少なくとも今は敵では無いはずのキッドへと向けて銃をとらせようとする。私は意識的に指をグリップから離し、何度か掌を握ったり閉じたりして緊張を解す。……臆病者と笑わば笑え。だが荒野で長生きできるのは、勇気ある臆病者か狡知ある獣(けだもの)だけと相場が決まっているのだ。無論前者は私で、後者がキッドだ。

 

『こ……この野郎! もう我慢ならねぇ!』

 

 悶絶した相方を押しのけて、最後の酔漢は立ち上がりながら懐に手を突っ込んだ。当然のように、飛び出してきたのはナイフだ。博打打ちが良くブーツなどに忍ばせる、細身で短いナイフだが、それでも人を一人地獄に送るのは充分な凶器だった。

 

「……」

 

 しかしキッドは身構えるでもなく、銃を抜くでもなく、ニヤニヤと得体の知れない微笑みに口の端を釣り上げるばかりで、両手はやる気なくだらりと下がっている。それは、酔漢がナイフの持ち手を左右に替えながらジリジリ迫ってこようと変わらない。これには逆に、酔漢のほうが戸惑い始めた。

 

『テメェ! 何が可笑しくって笑っていやがる!』

 

 キッドは表情を変えることもなく、ただ右手を軽く挙げて酔漢の背後をちょいちょいと指さした。

 そんな古典的な手に引っかかるかと逆に酔漢はキッドを嘲笑ったが、肩に背後から手を置かれ、ギョッとして身を翻す。

 

『やぁ』

 

 音もなく気配もなく、そこに居たのは男装の麗人。

 人好きのする満面の笑みと共に、イーディスは拳を振り抜いた。

 良いパンチだった。キッドのアウトロー丸出しの荒業と違い、相手の顎先を綺麗に捉え、一撃で意識を刈り取る。酔漢はナイフを掌から零しつつ、ぐにゃりとその場に崩れ落ちた。

 

『加勢するぞ』

「……サンキュー、レィディ。だがお嬢さんの手を煩わせるまでもなかったぜ」

 

 キッド達が出てきたのと同じ酒場から現れたイーディスは普段と違い、外套も帽子もなく上はブラウスひとつ、下は黒く膝丈のズボンに灰色の厚手のソックス、黒い短靴を履いていた。ただ腰にはカタナを差すことだけは忘れない。

 

「……おたくらは朝っぱらから何してたんだ?」

『いやなに。そこのキッドが貰いたての金貨銀貨でひとつ打(ブ)ちに行きたいと言うからな。手頃な所まで案内したまでだ』

 

 私が呆れながら尋ねれば、イーディスは例の獣染みた笑顔と一緒に答える。

 腕っぷしさえあれば前歴は問わないというのがチャカルの方針であるらしく、ナルセー王はキッドの姿をみとめるや野郎を己の傭兵隊の一員へと誘った。雇い主に先に去られたキッドにはこれを拒む理由もなく、手付金も貰えるとの言葉が付け加わればあとは即答だった。かくして実にあっさりとこの新たなまれびと二号は私達の同僚となったわけだが、やっこさん、街に来て早々何をするかと思えば手付金片手に博打とは、実にアウトローらしいアウトローだ。

 

『まぁそこでどんな手を打つかと思って見物していたらな、やはり私の見込み通りでね。早速イカサマをかましてくれた訳だ。実に良い手際だったが、新参者が馬鹿勝ちするのを見逃してくれる博徒はいない』

「それでご覧の有様と」

『そういうことだ』

 

 イーディスは愉快でたまらないと声に出して笑う。

 だがキッドは不服なのか唇の端を歪めて抗議の声を横から挟んでくる。

 

「してねーよイカサマなんざ。連中の難癖だよ難癖。俺は君子だからズルなんてしないのだ」

『袖口から出したカードを、掌の裏側に張り付くように持つ技は見事だったな』

 

 おい目をそらすな。口笛を吹くな。バッチリ見切られてるじゃねぇかこの野郎。

 

「バレなきゃイカサマじゃねぇ。連中は実際、俺の業を見破っなかった。見破れなかったのならやっぱりイカサマじゃねぇな」

 

 何か言い出したぞコイツ。

 別に私が咎めたわけでもないのに、勝手に屁理屈を捏ねだすキッドの姿に、イーディスはさらに愉快と呵々大笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 店を改めてもう一席勝負して、今度こそ鴨を狩ると息巻くキッドたちと別れ、私とアラマは再度街路を行く。

 

『まれびと殿は賭け事はなさらないですか?』

「手慰みに嗜む程度だよ。むしろ負けた博打打ちを相手にすることが多いな」

『なぜなのですか?』

「あちこち移動するから情報通だし、何より負けた博徒はビール一杯でも奢って銀貨をちらつかせれば口が軽くてな。よく喋るんだ、これが」

『なるほど! 流石はまれびと殿なのです! 慧眼なのです!』

 

 他愛もない会話をしながら、朝の眠りから覚め始めた街を私達は歩く。

 街商は筵に茣蓙、あるいは絨毯をひいて商品を並べ、商店は戸板を外して見世棚の準備を始めている。

 もう暫くすれば朝の市が始まり、売り子の声に家畜の鳴き声、商談、喧嘩、詐欺、あるいは意味のない雑談で道はたちまち戦場のように騒がしくなる。マラカンドは豊かな街であり、活きている街であり、特に商売は盛んで、揃わないモノはないと言って良い。唯一足りないのは落ち着きだが、だがこの早朝の時間帯ならば雑踏のいない普段見ないマラカンドの姿を見ることができるのだ。

 

「……ん」

 

 私の注意を引いたのは、そんな早朝から、他の商店に先駆けて開いてある店が見えたからだ。

 立ち止まって扉の上の看板を見るも、生憎、私は喋ることはできても「こちら側」の文字が読めない。

 

『ああ、鳩屋さんですね』

「鳩屋? 鳩を食うのか?」

 

 しかし鳩の肉を売る店ならば、わざわざそこが早く開いている理由も良くわからない。首をかしげる私に、アラマはすかさず講釈してくれた。

 

『鳩屋といっても鳩の肉や料理を売っている訳じゃないのです。鳩を使って、遠くまで手紙を届けたりするのに使います』

 

 なるほど、要するに「伝書鳩」のことか。実物は見たことはないが、特別に仕込んだ鳩は電信や郵便の代わりに使えるという話は聞いたことがある。最も、電信が普及した今となっては、重要度は落ちたとも聞いたが。

 

『それに鳩屋の鳩は食べれません。黒鉄(くろがね)で出来ていますから』

「へぇ、黒鉄で出来た鳩ねぇ……」

 

 ――ん?

 今、アラマは妙なことを言わなかったか?

 

『ウルカヌスの徒は素晴らしい仕事をします。歯車とばねの組わせで、鉄の絡繰りに仮初めの命を吹き込むのですから』

 

 ……何だかとんでもないことを言っているような気がするが、私はそれを聞かなかったことにした。

 御伽噺が現実となるのが当たり前。「こちら側」で生活していくためには、些細な怪異にいちいち驚いていると身がもたない。

 

『ズグダ人の鳩屋は評判が良いのです。なにせズグダ人は千里の果てであろうと、そこで商売が成り立つならば繰り出していきます。今やズグダ人の商館長(サルトポウ)の居ない街を探すほうが難しいくらいです』

「ズグダの連中が居る所なら、どこでも鳩が飛んでくるって訳か」

 

 だが私には生憎、今すぐ連絡をとりたい相手もいないので、鳩屋に用事はないだろう。

 一瞬、エゼルの顔が脳裏を横切ったが、あの年若い相棒の住む村には、生憎ズグダ人の姿はなかった筈だ。

 

「お」

『あ』

『げ!』

 

 物思いにふけりながら店を通り過ぎようとした所で、扉代わりの布をめくって現れた色男とばったり出くわした。

 鳩屋から出てきた所を見られたのがそんなに嫌だったのか、道端で馬車に轢かれた鼠の死骸でもみつけたような面をしている。失礼な野郎だ。

 

「故郷に手紙でも出したのか?」

『……仕送りだよ。銀貨を直接送るのは危ういが、手形ならばまぁなんとかなる』

 

 私がやっこさんが傭兵稼業に身をやつしている理由を知っているだけに、色男は観念したように何をしていたのかを話した。それにしても手形まであるとは、こちら側は私が思っていた以上に進んでいいるらしい。

 

「家族か?」

『妹だ。土地はとられたが、街の屋敷だけは守った。最も、屋敷と呼ぶのもおこがましいあばら屋だがな』

 

 説明は充分だろうと色男は首を左右に振ると、わざわざ私とアラマの間を通って反対の道を歩き出す。

 

『……妹に春を売らせるような破目になるのだけはゴメンだ。まれびととて、それぐらいは解るだろう』

 

 天涯孤独の身の私が、色男の心情だけは心底理解ができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっという間に陽が高くなり、昼が来て、そして夕方がやってきた。

 しかしマラカンドの街には夜はない。不可思議な術で灯る人工の明かりに照らされて、夜通しこの街では商売が続く。静かなのは早朝だけなのだ。

 

「なかなかイケるなこれは」

『はひはにほひひひふぇふ』

 

 私が食べているのと同じ串焼きで頬をいっぱいにしながら、アラマがわけのわからない言葉を返してきた。

 何やら鶏肉に似た味のする肉をつくねにして串を刺して焼いたものだが、表面に塗られた赤く辛いソースが実に絶妙で、舌をひりひりさせつつも、目がさめるような爽快感がある。これで酒があればなお楽しい所だが、職業柄我慢をする他はない。

 結局、今日はマラカンドの街をぶらぶらとアラマと肩を並べて歩き回っているだけで終わってしまった。

 まぁ、一戦終えたあとの休暇なのだ。たまにはこんな日も悪くはないだろう。

 アラマと一緒に呪いの道具とやらの市を見て回ったのはなかなかの体験で、とても一口で感想を言うことは叶わない。まぁ、おいおい時間があったら語ることにしよう。

 

『……ふぁれひほほほ! ふぁれひほほほ!』

「口の中を空にしてから喋れ」

 

 アラマはつくね肉を飲み込むと、すっかりあらわになった串の尖った先で、街の一角を指し示した。

 

『あそこにおられる方は、もしかして』

 

 言われてみてみれば、確かに見覚えのある姿がそこにある。

 グラダッソだった。例の清國人めいた格好をして、街の片隅、人混みの向こうに確かにグラダッソの姿が見える。

 ただ、やっこさん、一人でいるのではなかった。

 子供と、その母親らしき姿が、その傍らにある。

 浅黒い肌をした、可愛らしい男の子に、その男の子と目元がよく似た、中々に美人の母親がそこにいる。

 母親は、その格好から察するに商売女であるらしい。グラダッソが子どものために、何やら笛を吹いているのを横から見聞きしながら、温かい表情で二人を眺めていた。

 

『……イーディス殿から聞いたのですが』

 

 アラマは三人の姿を見ながら、ふと思い出したように語りだした。

 

『グラダッソ殿は皇帝の近衛隊の武術師範をしていたそうです。しかし、その正義を重んずる性根故に、賄賂で近衛隊の席を買おうとする輩を手厳しく断ったそうなのです』

 

 私が眼で促せば、アラマは続きを語る。

 

『しかしそうして突き放した相手の中に、皇帝に仕える重臣のご子息がいたとか。それを恨みに思った重臣は皇帝に讒言し、グラダッソ殿は謀反の疑いをかけられて国を追われ、そして流浪のはてにマラカンドに辿り着いたそうです。ですが――』

 

 アラマは一瞬言い淀んだが、結局最後まで聞いた話を語った。

 

『グラダッソ殿が家族と共に逃げるために屋敷へと駆けつけた時には既に遅く、奥方も、ご子息も、既に重臣の手の者に……』

 

 アラマの話を聞いた後となると、もう微笑ましい眼で三人の姿を眺めていることは出来なかった。

 私は、アラマと連れ立って立ち去りながらふと思った。

 グラダッソほどの技を持ちながらも、それでもなお抗し難く、げに恐ろしきは宮仕えよ。

 例え荒野にいずれ塵と消えるとしりつつも、やはり自分にはこの生き方しかないのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全に陽が落ちる頃には、私達はチャカルの兵営へと戻っていた。

 一日の疲れを癒やすべく、着替えもそうそうにアラマ共々床に入る。

 私達より先に街へ戻ってる筈の、ロクシャン達の動きは今日も見えなかった。ああもあからさまに街中を歩き回っていたと言うのに。

 まぁいいさ。後は相手の出方次第だし、政の話となれば雇い主の王様に丸投げすればいいだけのこと。

 ともかく、今日はなんだかんだで良い一日だったと、そんなことを思いながら私は眼を閉じた。

 無論、拳銃を枕の下に忍ばせるのは忘れずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ようこそおいで下しました。このロクシャン、待ちかねましたぞ』

『まれびと二人に加え、先生にお越しいただいたとあれば百人力、いや千人、いや万人力です』

『頼りにしておりますぞ、偉大なる大魔法使い』

『スツルーム第一の使い手、屍使いのリージフ殿!』

 

 



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第19話 ドーズ・ダーティ・ドッグス

 

 

 

『……』

 

 獄吏が黙って右手を差し出してくるので、私は溜息とともに銀貨を一枚、掌の上へと置く。髭面の獄吏は左手を小さく動かすと、その掌の中身を私へと握らせる。それから顎をしゃくって奥へと進むように促してきた。手の中に入れられた鍵を軽くお手玉にしながら階段を下れば、アラマが後ろからいそいそと付き従う。

 階段はせいぜい十段程度で、下りた先には半地下の空間が広がっていた。

 床は土間になっていて、地下だけにやや湿った黒い土に覆われている。壁は白い日干し煉瓦造りで、例の輝く石のランプに照らされて、少しばかり輝いて見えた。

 鉄格子が二つ並び、それぞれ向こう側に囚人の姿が見える。そしてそのどちらもが、私には実に見覚えのある人物であった。

 

「よぉ」

『遅かったな。待ちくたびれたぞ』

 

 呑気に手を振る二人の姿に、呆れて言葉も出てこない。

 

「何をやってんだ、オマエらは」

 

 私はもう一度溜息を深くつくと、ただその一言をかろうじて口にした。背後ではアラマが、彼女には珍しく何を喋って良いのか解らず、どぎまぎと混乱しているのが気配で解る。そりゃそうだろう、一騎当千の隻眼女剣士ともう一人のまれびとが仲良く並んで檻の中に入っている様に、何と声をかけるべきかなど、博識の彼女とて知るはずもない。

 

「今開ける。ちょっと待て」

 

 獄吏から受け取った鍵を鉄格子の錠前へと差し込む。余り手入れをしていないのか若干ぎしぎしと嫌な音が鳴ったが、それ以外は問題もなく檻は開いた。

 イーディス、キッドと続けて外に出て、揃って軽く伸びをした。私はダスターコートの懐から革袋仕立ての財布を二つばかり取り出し、お二人さんへと投げて渡す。

 

『よく取り返したな。ズグダ人は強欲で悪賢い。酒場の親父はすっとぼけたろうに』

「そうでもない。天井に一発ぶっ放したら、実に協力的になってくれた。他の持ち物も全部返してくれたぜ」

 

 イーディスが中身を確かめながら不思議そうに問うのに、私はこともなげに答えた。

 金か鉛か。だいたいはそのどちらかで交渉事は片がつく。

 

「おい。俺のはあからさまに中身が減ってるぞ」

「お前さんとイーディスのぶんの保釈金だよ。あれだけしでかしておいて、一晩で外に出れるんだ。値は張るのは当然だろ」

 

 文句垂れるキッドに私が毅然と言い放てば、やっこさん、眉根を寄せながらも意外と大人しく財布を上着の内側にしまった。アウトローらしく銭金のこととなれば暴れるかと思ったが、そうでもなくて少しだけホッとする。イーディスのぶんもコイツの財布から抜いたのだが、そもそもキッドの都合でイーディスは牢に入った訳だから、やっこさんも渋々納得といった格好だった。

 

 ――さて、いったい全体なんでこんなことになったのか。

 

 今朝から始まった唐突な展開には私も目を回し、軽く頭痛すら覚えるぐらいだが、要するに昨日の乱闘以上のことをしでかしたキッドと、一緒になって楽しく暴れたイーディスの尻拭いをしているというわけだ。

 私達二人と別れたあと、キッドとイーディスは別の店で仕切り直しをして、カード賭博に勤しんでいたらしい。キッドも少しは自重をして、イカサマの頻度も下げて適度に稼ぐつもりだったのだが、同席した相手が地元の与太者の中でも特に喧嘩っ早い手合だったのが運の尽き、余所者新顔が調子に乗るなと突如激高し、キッドに食って掛かって返り討ちを食らったわけだ。だがヤクザものってやつは同類でつるむと相場が決まっている。あれよあれよと大乱闘に発展し、気づけばイーディスもそこに加わっての大喧嘩、その勢いは賭場の酒場がぶっ壊れるほどの激しいものだったとか。

 当然、警吏がやってきて一番大暴れしていたキッドとイーディスをしょっぴくという流れになる。自分たちはチャカルのいち員だぞと抗議の声をあげても、ならばむしろタチが悪いといよいよもって警吏達は力強く二人を連行し、即牢屋へとぶち込んだ訳だ。

 獄吏の使いがチャカルの兵営に来たのは今朝のことだった。事情を聞いた私は頭痛とアラマを伴ってまず連中が暴れ倒した酒場に向かい、二人の荷物と財布をちょろまかそうとした店主を「説得」してそれらを回収、獄吏に銀の鼻薬を嗅がせて今に至る、と。まぁそんな所だ。

 

「アラマ」

『はいです』

 

 促せば、大事そうに抱えていたイーディスのカタナを、隻眼の女剣士へと差し出す。

 同時に私は、肩に負っていたガンベルトを二条、キッドへと黙って突き出した。

 

「……」

「……」

 

 ガンマンならば当然、自分の得物を他人に触られるのを嫌う。いや、ガンマンに限らず、自分の命を預けるものを人様にべたべた触られるのを好む者がいるものか。ましてや相手が同類の玄人であるとあらば、そこにはある種の緊張感が漂うのを避け得ない。

 ――私とキッドは真っ向見つめ合う。

 互いに言葉もなく、互いに表情もない。気持ちの悪い、息の詰まる空気だけを互いの間に漂わせながら、無言で相手の瞳を覗き合う。

 

「……」

「……」

 

 結局、キッドは自分の方へと突き出された腕にかかった、二条のガンベルトを静かに受け取った。

 一方は腰にピッタリと、もう一方はやや左斜めに吊り下がる格好で巻きつける。

 

「その左」

 

 キッドが例の逆さに吊るした右のコルトを抜き挿ししている様を見ながら、私は気になっていたことを敢えて訊いた。手を止めて私のほうを見る青い瞳はガラス玉のように澄んでいて、その裏側の感情を窺わせない。

 

「随分と、面白い銃を吊ってるんだな」

 

 アフラシヤブの丘で蝗人どもに囲まれた時ですら、キッドはその左に吊った拳銃を抜く様を見せなかった。やや古びた鈍い銀色を放つニッケルメッキのリボルバーの、その銃把の形には見覚えがあって、何か記憶に引っかかるものがあったのだ。獄吏から押収したガンベルトを取り返した時に、私はようやくその正体を知る機会を得たわけだ。

 

「まぁね」

 

 キッドは相変わらずに無感動に返事をした。ガンベルトを預かった相手が同業者であった以上、中身を探られる程度は承知済みといった調子だ。

 

「だがどこでそんなものを手に入れたんだ? 特にお前さんみたいな若い北部男(ヤンキー)が」

 

 私にはそれが心底疑問だった。なにせキッドの野郎が下げていたのは、若いガンマンには余りにも不釣り合いな代物だったからだ。

 

 ――レ・マット・リボルバー。

 それがキッドが左側に吊るしていたリボルバーの正体だ。

 フランス製のこの奇妙な拳銃は、「前の戦争」の時に我らがアメリカ連合軍が採用した拳銃で、数こそ多くはないがその独特の形状な機能故によく目立っていた代物だった。キッドのものと同じニッケル鍍金仕様のものは、あの南部随一の騎兵将軍ジェブ=ステュアートも愛用していたという話を聞いた記憶がある。

 キャップ&ボール式。42口径の9連発な時点で変わっているが、特に奇妙なのはシリンダーの中を通る軸自体が銃身となっていて、そこに63口径の散弾を込めることができる。撃鉄が可動式になっていて、撃針の位置を変えることで撃ち分けるという仕組みだ。

 

 ……だが真に不可思議なのは、この銃のことじゃない。この銃を、キッドが腰にぶら下げていたという事実だ。ただでさえ出回っていた数も少ない、しかも南軍の銃を、なぜこの「北部」の男がわざわざ吊るしていたかということなのだ。

 

「……親父は前の戦争に従軍した。そこで殺した南部野郎(ディクシー)から戦利品として剥ぎ取った。そしてそれを俺が下げている」

 

 私が視線で促せば、答えは予想に反してすぐに、いともあっさりと返ってきた。

 その内容に、私が何の反応も見せないのを訝しんだか、キッドは敢えて挑発的に訊き返す。

 

「ソイツを俺に向けたくなったかい? 今の話を聞いて」

 

 私のコルト・ネービーに視線を落としながらの問に、私も無感動に返事した。

 

「……いや。戦争は終わったんだ。そうだろう?」

 

 そう、終わってしまったのだ。それが問題だ。

 だからこそ私は今日も寄る辺もなく、行先も知らず、果ては異界を彷徨っている。

 

「ああ、そうだな。戦争は終わった。確かに終わった」

 

 前の戦争の時はまだ赤子か小僧っ子だったろうに、キッドは何故か感慨深いと何度も肯いている。私が胡乱な視線を向ければ、はぐらかすようにキッドは気障ったらしく表情を作って呟いた。

 

「“To be , or not to be , that is the question.”」

「……あ?」

 

 言っている意味が解らなくて、私が唖然としていると、むしろキッドのほうが少し驚いた顔を見せる。

 

「ハムレットだ。知ってるだろ?」

「?」

「シェークスピアだよ! わかるだろ! それぐらい!」

 

 なおも私が怪訝な顔をしていると、キッドは語気を強めて言うが、いや知らないものは知らないのでどうしようもない。

 

「……ええいもう野蛮人!」

『どこへ行く?』

「口直しに芝居でも見る! ……できればエスコートを願いたいもんだがね!」

 

 何やら急に様子がおかしくなったキッドは、そのままイーディスを伴って監獄からどたどたと出ていった。

 取り残され、呆然としている私に、やはり傍から見ていて訳が解らなかったらしいアラマが問う。

 

『シェークスピアってどなたなんですか?』

 

 私は次のように答えるのが精一杯だった。

 

「さあ? 海の向こうのガンマンなんじゃねぇの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『光明の神、不敗の太陽、偉大なるミスラの徒の集いがあります。まれびと殿も、ぜひいかがですか?』

 

 何やら唐突にアラマに誘われた。

 今日も今日とて行くアテもなく、キッドのお陰で妙な気分になっていた私は、深く考えることもなく頷いた。

 

『やりましたのです! やりましたのです! ついにまれびと殿を我らが神の社にお誘い申し上げたのです! やりましたです不敗の太陽!』

 

 舞い上がるアラマをあやして彼女の先導に従う。

 「こちら側」に呼び出されてから既に幾日も経つが、いまだに私が呼び出された理由(わけ)、すなわち戦うべき相手が現れない。今か今かと多少は緊張感を持って待ち構えてはいたのだが、こうも待たされると流石にくたびれてくる。アラマとの物見遊山は、実に良い気晴らしになっていた。何より、彼女は一緒にいて楽しいタイプの乙女だ。物をよく知っているし、実際色々と頼りにもしている。

 

『光の君! 真実の神! 死から救うもの! 浄福を与えるもの! 広い牧場の君!ナバルゼ! アニケトス! インスペラビリス! インヴィクトゥス! そして牡牛を屠るもの、ミスラよ! 偉大なる君の御印に感謝いたします! 私めを「まれびと」と相見えさせまし給いたることを!』

 

 ――まぁ、些か暴走気味な所があるのはご愛嬌だが。

 興奮気味のアラマに引っ張られるようにして私が辿り着いたのは、外から見れば何の変哲もない民家以外の何物でもない、マラカンドではありふれた日干し煉瓦作りの建物の前だった。

 

『大ガラスが参りました』

 

 扉の前でアラマが大声で呼びかければ、即座に扉は開いてアラマと同じ赤い先折れ帽子を目深に被った。髭面の男が顔を出す。まずアラマを、次いで私を見て、何を言うでもなく黙って奥へと引っ込んだ。扉は開け放たれたままだ。

 

『まれびと殿のことは既に伝えてありますのです。さぁ、共に中へ』

 

 彼女の信じる神の、その象徴のように朗らかに微笑むアラマに促され、私は奥の見えぬ扉の向こうに足を踏み入れる。暗い廊下を若干歩けば、すぐに大きな広間へと出た。外からは想像がつかないぐらいに、大きな部屋だった。ちょうどダンスホールに使えそうな程度の大きさだ。家具などは何もなく、明りとりの窓すらない。ただ部屋の中央部では大きな篝火が燃え、その煙は天井に黒々と開いた穴へと吸い込まれていた。

 

『……些かお久しぶりですね、まれびと殿』

 

 その炎に照らされて、陰から姿を現したのは栗色の髪に豊かな肢体、そして灰色に濁った双眸を持った美貌の女だ。

 

「フラーヤ……だったか」

『再びお目にかかれて光栄です、太陽の使い』

 

 アラマが不思議な二つ名で呼びのを聞いて、フラーヤがアラマと同じ神を奉じる信徒であったかと今更に思い出す。相変わらず盲(めしい)ているのもかかわらず、あたかもまるで見えているかのような自然さで、彼女は私達のほうへと歩み寄ってきた。

 

『暫くですね大カラス。しかし二度相まみえて、そのどちらもで「まれびと」を伴うとは、大鴉の名にふさわしくまたとない僥倖です』

『はい、確かにまたとない僥倖です』

『またとなき』

『またとなけめ』

 

 ……何やら信徒同士でしか通じない世界へと入ってしまった二人から視線を外し、私は広間のなかを改めて見渡した。

 アラマと同じく赤い先折れ帽子を被った老若男女が胡座かいて座り、中央の篝火を静かに見つめている。

 部屋の最奥、篝火の向こうに鎮座するのは牡牛の首を刃で掻っ切る最中の、信者と同じ帽子にマントを纏った雄々しき神のレリーフだ。どうも、あれがミスラであるらしい。何気に、その姿を具体的な形で見るのは今日が初めてであった。

 

『――さて、談笑が過ぎました。大カラスのアラマ、まれびとを伴って片隅へ』

『はいなのです』

 

 ミスラの神像をぼんやりと眺めていた私の意識が現実へと連れ戻されたのは、アラマが私の手を引いて部屋の隅、陰になっている場所へと向かったからだ。そこで彼女が地面に座り込んだので、私もそれにならってどっかりと座り込む。

 

『いざ立ち上がれ、血を受けて豊富なれ。空の如く、海の如く無尽なれ――』

 

 フラーヤが祈りの言葉らしきものを歌うように唱えれば、信徒たちは一斉にそれに続く。

 傍らのアラマも、続く。しかしその声は他の信者と違って、フラーヤ同様歌うようで耳に心地よい。

 

『無尽なれ、無尽なれ。うず高く積もり、地に満ちよ。溢れに溢れ、龜よ爆ぜよ――』

 

 フラーヤの傍らに信徒の一人が、何やら大きな杯を持って現れた。

 それを受け取りフラーヤが中身を篝火に注げば、燃える油に水を注いだように、じゅうじゅうと音を立てながら四方へと散る。宙を舞う赤い雫は、地に落ちる中でその姿を金色に変じている様が見えた。跳ねに跳ねて足元までそんな金色の何かが転がってきたので手にとって見る。小麦だった。見事に実った、黄金に輝く小麦だった。床に散らばったそれらを、信徒たちは集めて回っている。私は手近な一人に、拾った小麦の粒を手渡した。

 集められた小麦の粒は鉄製と思しき大鍋に入れられ、篝火にくべられた。加えて鍋へと注がれた乳らしきものによって小麦の粒は煮られ、オートミールに似た咆哮が私の鼻をくすぐった。

 フラーヤが小さな木椀に煮られた麦を注ぎ、信徒一人ひとりに配って行く。私にも差し出されたが、それは丁重にお断りした。これを食すべきはミスラを信じる者であって、私ではない。するとアラマまでもが私に合わせて食べるのを断ったのには閉口した。お前さんは立派なミスラの徒だから私に合わせる必要などないのだと言っても、頑として首を縦には振らなかった。全く、頑固な娘である。

 

『私も、あの麦を食べて育ちました』

 

 十歳ほどの少女が、ふぅふぅと息吹きかけて椀を冷ましている様を、何とはなしに眺めていたら、アラマが呟くように話し始めた。

 

『父もなく、母もなく、身よりもない私が今日まで生きられたのは、ひとえに大いなるミスラの麦のお陰なのです』

 

 アラマの金色の瞳は、今を見てはいなかった。彼女の眼は、遠いアラマ自身の過去へと向けられていた。口には一言も出してはいないが、その声に篭った感情の唸りは、私にも聞き取ることができた。語ることもおぞましい何かが、恐らくはアラマの過去にあったのだろう。そしてそこから彼女を掬い上げたのが、あの牡牛を屠る神であったわけだ。

 

『私は、私はただ、偉大なるミスラとは、そういう神であらせられるということをですね……それだけはまれびと殿に知っていただきたかったのです』

 

 アラマが彼女には珍しくたどたどしく告げる時、その横顔は妙に美しく私には見えた。

 

『……まれびと殿は、いかなる神の徒であらせられるのですか?』

 

 そんな彼女を見つめる私に、ふと飛び出してきた問は、信ずる神があることを前提としたものであった。

 当然だ。「こちらがわ」では奇跡は確かに実在し、神のその息吹を肌で感じることもできる。

 私は何と答えたものか言葉に詰まった。あの戦争が終わり、故郷が失われた時から、神が南部を見放した時から、私の方も神を見限ったのだ。信じるに足るのは、己と、己の命を預ける銃だけ。そう思って生きてきた。

 

「……あの、ミスラの神の横にいるのはなんなんだ?」

 

 答えに窮した私は、唐突に訊いて己への問を誤魔化した。

 私が言っているのは、ミスラのレリーフの隣に、小さく彫られたもう一つの神の像についてのことだった。獅子頭人身、体躯に巻き付く蛇に一対の翼、携えられた錫杖という異形の姿をした、その神の姿を見るや、アラマは自身の発した問いかけを忘れて、嫌悪を込めてその名を呼んだ。

 

『あれこそが闇の、邪悪なるものアリマニウス。敢えてその姿を刻むのは、かつての闇を忘れぬためです』

 

 かつて世界を滅ぼしかけたというその邪神の姿が、私の記憶に妙に残ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミスラの信徒の会合が終わり、その集会所からアラマと出てきたところで、エーラーン人の警吏と出くわした。

 ナルセー王の支払う禄を食む小役人達はマラカンドの街の至る所にいるが、今私達の前に現れたこの男は、どうやら私達を探していたらしかった。

 

『まれびとの戦士よ』

 

 警吏は、懐から巻物を取り出して、その中身を読み上げた。

 

『ロスタムが裔、エーラーン人ならびに非エーラーン人が王バフラムを父とし、マラカンドならびにレギスタンを治める者、王ナルセーの名において告る。至急、アフラシヤブの丘に来られたし。もうひとりのまれびと、チャカル戦士イーディス=ラグナルソンもまた伴って、至急来られたし』

 

 唐突な、ナルセー王からの呼出状。

 読み上げられたそれを聞いた時、私の体を奇妙な予感が走った。

 「何か」を待たされるのは、いよいよ終わりらしい。ようやく事態が、動き始めたらしいな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『では早速、かのエーラーン人についた忌まわしきまれびとの始末を――』

『え? それは後回し? 何を言われますリージフ殿! それでは約束が――』

『な、何をするか!? キサマ、この私がスピタメン家のロクシャン――』

『ぎえ!? が!? ががががががががががががががががががが……――』

『……』

『……』

『……』

『……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……シュヨオオセノママ』

 



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第20話 トゥームストーン

 

 

 何だかんだで、アフラシヤブの丘に向かうのも、もう三度目なのだ。

 だから道順などとうに覚えてしまっているし、その気になれば一人で行って帰ってくることも容易い程だ。。

 ナルセー王のお達しには至急来られたし、とあったが、慣れもあって特に急がなくても私達はスイスイと道を進んでいるし、この調子ならば昼前には廃都の丘に辿り着けそうな塩梅だった。

 

「“死ねよ。幸薄きおみなよ!”……うん、良い台詞だねぇ」

『早速覚えたのか。余程気に入ったらしい』

「いやぁ田舎芝居と馬鹿にしてたが、なかなかどうして! 戻ったらもう一回観るとするかね」

 

 先頭を行くイーディスの傍らにキッドは馬を寄せ、何やら芝居を話しの種に盛り上がっている。それも実に楽しげに盛り上がっている。その様は私としては実に奇妙であり、何とも釈然としないものを感じる。

 どうやら、監獄から出た後に本当に芝居を見に行ったらしいが、それにしてもキッドみたいな絵に描いたようなアウトローが、文化文明を愛でるような質だったとは心底意外だ。そう言えば昨日も何やら仰々しく引用の一つも披露していた所をみるに、ああ見えて実は育ちが良かったりするのだろうか。

 

『いよいよです! いよいよですよ! いよいよなのですよ! まれびと殿!』

「ああ」

『ついに! ついについに! 夢にまで見た! 夢にまで見た!』

 

 一方、私の傍らでは例のリャマ似の動物に横乗りをしたアラマが、もう本日何度目になるかも解らない喝采をあげ、私も何度目かになるか解らない生返事をする。

 独立記念日のお祭りを待ちかねる子どものように、あるいは雑貨屋でソーダ水やキャンディーを親にねだり、店主から手渡されるのを待ちかねている子どものように、アラマは金の瞳を一層、朝日のように輝かせて、鞍の上でも落ち着き無く腰を浮かしたり足をバタバタブラブラさせている。彼女からすれば念願かなったりのアフラシヤブ再訪なのだ。それは私も理解しているのだが、こうも横ではしゃぎっぱなしにされれば、付き合う私も参ってくる。あるいは先に戻った王の使いに、お呼びは私、キッド、イーディスの三人かも知れないが、まれびと流の判断であと二人ばかり連れて行くとわざわざ言伝まで頼んで彼女を同行させたのも、間違いだったのではと思えてくる。しかし、彼女は仮に街に置いていっても自分で勝手についてきた事だろうし、こと呪(まじな)い絡みのこととなったら彼女ほど頼れる者もいないのも事実だった。

 

『……まったく、金につられてついてなど来るのでは……結局こういう役回り……』

「金はもう受け取ってるんだ。文句言わないで仕事だ仕事」

 

 アラマの歓声に混じるように背後からぶつぶつと聞こえてくるのは、最後尾にいる色男のぼやきであった。自身の馬に加えて、荷物を満載した驢馬――に似た家畜――をひいてついてきている。荷物の中身は、アラマの術に必要な様々なブツであり、あるいはアラマが神殿を調べるのに使うといって持ち込んだ種々の品々だった。何に使うのか知らないが、わざわざ市場を走り回って揃えた金糸雀似の小鳥が入った鳥かごまで吊り下がっている。

 一番面倒な役目を押し付けられて色男はぼやいているわけだが、しかしやっこさんには私が自腹を切って手間賃を渡しているので、文句を言われる筋合いは全く無いのだ。

 私が色男を一行に加えたのは、何も荷物持ちをさせるためだけではない。やっこさんのクロスボウの腕前と、傭兵にしては理知的で落ち着いている性根を買ってのことだ。キッドはまだ得体の知れない所があるし、イーディスは戦闘スタイル的に私とは組みにくい。アラマの術はたいしたものだが、彼女の本職は切った張ったではない。ある程度背中を任せられる、腕利きがもうひとり欲しいというのが私の真意だった。特に、あのアフラシヤブの丘に向かう以上は。あそこでは、もう二度も多数相手にドンパチをしているのだ。こちらの手勢も大いにこしたことはなく、信用ができる相手ならばなおのこと良い。

 

「なに。もう暫くの辛抱だ。ここからならば、丘も遠くはない」

 

 そうボヤキに気休めを返して、私は正面に向き直った。

 この調子ならば昼前には廃都の丘に辿り着けそうな塩梅だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『待ちかねたぞ、まれびと!』

 

 陣幕のなかから姿をあらわすなり、マラカンドを治める王は言った。

 相変わらず赤を主体とした、しかし城外の野戦陣地のなかゆえか遥かに簡素で動きやすそうな装束を纏ったナルセー王は、例の不可思議な真紅の瞳に期待を乗せて、私達を見遣る。

 

『さぁ来て早々だが、疾く続いて参るが良い。汝らに見せたいものがある』

 

 有り難い出迎えは一瞬で終わり、すぐに王は踵を返して陣幕の向こうに消える。

 他にしようもないので、言われるがまま後に続いて陣幕をくぐった。

 アフラシヤブの丘はナルセー王直属の親衛軍によって完全に制圧されている。廃都の上には所狭しと陣幕が数多張られ、完全武装のエーラーン人戦士たちが忙しなく動き回っている。

 辿り着いてすぐさま私達が通されたのは、廃王宮の最奥、例の岩の神殿の目の前に張られたひときわ大きな陣幕の前だった。案の定、そこは王のための陣地で、ナルセーが直々に出迎えてくれたと言うわけだ。逆に言えば、王にそこまでさせるほどの重大事が、奥には待っているということか。

 陣幕の下では、例の白布に全身を包み眼だけだした異様な集団、マゴスの連中が大勢、何がしかの作業に取り掛かっている。幾つもの机が並び、そのいずれもの上には謎めいた文字が書かれた紙切れが載っかっている。ナルセー王が中央の机へと向かい、手で合図すれば、白覆面達は一斉に外へと姿を消し、残されたのは私にキッド、イーディスにアラマ、そして色男の五人だけだった。

 

『これだ』

 

 ナルセー王が指差すのは、陣幕中央の机上に置かれた大きな文書。

 何やら、何処かから写し取ったと思しき、黒い文字列が茶色の紙面に踊っている。全くの未知の文字であり、私には読むことができない。不思議なことに、私は「こちらがわ」の言葉は自然と解っても、文字までは読むことができないのだ。

 

「……なんじゃこりゃ?」

 

 それにしても奇妙なのは、紙面の文字の連なり、その有様だった。

 最初は単なる模様にも見えたそれらは、小さな三角形とV状の文字を複雑に組み合わせたような形で、恐らくは英文同様横書きしたものであるらしい。紙面の上にはそれが大きく四行ほど書かれていた。

 

『これ……バギスタノン文字ですか?』

 

 真っ先に反応したのは、やはりと言うかアラマで、彼女の答えにはナルセー王もニヤリと笑みを返す。

 

『流石はまれびとの導き手といったところか。汝の言う通り、これはハカーマニシュの者共がエーラーンの地を支配せし時に使われた文字。世にバギスタノンの文字と称されしものよ』

 

 言うや王は僅かに横に動いて、掌でアラマに読むように促した。

 いつになく真剣な眼差しで少女は紙面の三角とV字の連なりを暫時眺め、若干の思案の後、その内容を訳し述べてみせる。

 

『求めても、求め得ず。見えず、聞こえず、ただ息吹のみ、その頬に受くるのみ。されどなお、隠されしものを求むるならば、まず稀人求むるより始めよ。稀人なれば、旅人なれば、流離い流浪する者なれば、此岸にて生まれいづるに非ざる者なれば、西方より来る者なれば、見えざるものを見、聞こえざるものを聞き、その息吹の主を探し当てん……』

 

 アラマの声は淀み無く、驚くほどに流暢なものだった。

 正直な所、私は英語で書かれた文章であってもこうもスラスラと読み上げることはできない。恐らくは遠い昔の文字であろうに、それをこうも見事に読み、訳すアラマには感心するしかない。これにはナルセー王も同感であったらしく、すぐさま己の腰帯に差し込んでいた短剣を抜いて、アラマの手に握らせた。

 

『見事。マゴスどもよりも余程博識とみえる。褒美じゃ、とっておけ』

『え!? あ、はい! 恐悦至極に存じます!』

 

 短剣は鞘にも柄にも金や銀のラインが引かれ、宝石で飾られた見るからに高価な一品であった。

 ナルセー王は自身が成り上がり者だけに、功のある者には物惜しみしない。兵にやる気を出させる秘訣は結局の所、ただ報酬であると良く解っているのだ。

 

『これは神殿の壁に刻まれし文字を写したもの。他にも同様の碑文が幾つか見つかったが、いずれも旧き神々への讃歌、古の王たちへの礼賛ばかり。わしの眼に適うものはコレだけよ。あるいは、我が求むるモノの在りかを示すやもしれぬものは』

「求めるもの?」

 

 気になる言葉を鸚鵡返しに私が言えば、王はイーディスのものとよく似た獣染みた笑みを深め、嬉しそうに告げる。

 

『我らエーラーン人の間にあっても広く知られたズグダ人のどもの言い伝え……かつてこの朽ちた都を治めしハーカマニシュ家のダーラヤワウシュがアフラシヤブの最奥に封ぜじ何モノか……それこそがわしの求めるもの』

 

 王の言う意味が解らず、アラマに眼で助けを請えば、彼女は流れるように講釈を始める。

 

『ハーカマニシュ家のダーラヤワウシュはかつて「四界の王」と称されし偉大なる王の中の王なのです。王にしてマゴスでもあったかの王は、王の手の届く限りの世界の全てから、あらゆる書、あらゆる呪具、あらゆる触媒を集めたと伝えられているのです。かのマート・アッシュル王ナブー・バニ・アプリが築きし大図書館の蔵書の数々も、王の御代に全てアフラシヤブに移されたとのことなのです。今や見る陰もないのですが』

 

 ――なるほど、さっぱり解らん。

 イーディスに色男はうんうん頷いているが、所詮は余所者の私には前提となる知識がなくてサッパリだ。それとキッド、解らんのはオマエも同じはずだろう。何を訳知り顔で頷いてやがるこの野郎。

 

『わしが求めるのは、ダーラヤワウシュがこの神殿のどこかに封じたと伝えられる何かなのだ。それが何であれ、随一のマゴスと伝えられる王の遺したもの……ただの金銀財宝や書物であろう筈もない』

 

 ――なるほど、そういって貰えれば私にでも解る。

 要するに、大昔の王様兼魔法使いがわざわざ遺したものだから、単なる財産以上の価値を持つもの、例えが俗で恐縮だが、特許でもとれそうな何か途方もない機械か発明品でも隠してるんじゃないか、そうナルセー王は期待しているらしい。

 

『神殿の碑文に従えば、それを探し出すのはまれびとである筈だ。故に、わしは汝らを呼んだのだ』

 

 期待に少年のように瞳を輝かせる王に、私は飽くまで冷静に言った。

 

「その大昔の王様がわざわざ封印したもんなんだろう? そんなもの掘り出せば、地獄の窯の蓋を開けることになりかねんと思うがね」

 

 だが、私のこの物言いは、王の瞳を一層怪しく、そして危うく輝かせるだけだった。

 

『その地獄が欲しいのだ! 我に立ちはだかるもの、その全てを焼き滅ぼすような地獄がな!』

 

 野心家の王は、さらなる力をお望みらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ったく。こんな仕事だと知ってりゃ、街に残ってるんだったね、俺としては」

 

 キッドは両手で何か、紙切れのようなものをもて遊びながら、独り言には大きな声でぼやいた。

 

「腕っぷし頼りの仕事なら俺にももってこいだけども、こういうのはどうもね。学者センセじゃあるまいし」

『全くだ。私としても、もっと胸の沸き立つような仕事を期待していたのだがな』

 

 傍らで手慰みにカタナを手入れするイーディスが同意する一方、やはり得物のクロスボウの整備をする色男は言えば、楽して小銭を稼げると解ってか珍しく機嫌が良いように見えた。

 

『ここの模様が示すのは書記の神、豊穣の神。だとすればこの先に……』

 

 視線を前に戻せば、壁に張り付き、そこに描かれた文様を穴が開くぐらい見つめて何やら呟くアラマの姿が見える。私はちょうど、熱心な一人と不熱心な三人の間に挟まれて、心身ともに何とも中途半端な立ち位置にいるのが私だった。 所在なく、ぼんやりと四方の壁や天井を見遣り、何とはなしにそこに描かれた模様や書かれた文字を眺める。

 ようやく足を踏み入れることを許された、アフラシヤブの丘の最奥で待っていたのは、だだっ広く殺風景な古い神殿の跡だけだった。

 床に刻まれた痕や、所々に見える妙に綺麗な砂埃の空白地帯は、つい最近までこの神殿内部に所狭しと置かれていたであろう様々な文物が、既に運び去られてしまった後であることを意味している。

 あの蝗人どもが血眼になって守っていた神殿の宝の数々は、既に全てナルセー王のものになったようだ。

 先日の死闘を思い出しながら殺風景な神殿の内部を見れば、何といえない、わびしい気持ちになってくる。

 

 今の私達の仕事は、このがらんどうの神殿を探り、隠された何かを見つけ出すことだった。

 

 神殿内部の間取り自体は極めてシンプルで、探るのに然程人手も時間も要しない。

 長い一直線の廊下と、等間隔に左右に伸びた横穴が数条あるのみで、しかも先に探索に入ったマゴス達が置いていったのだろう。マラカンドの街のあちこちで見かけた、例の輝く石がランプのように置かれ、窓もない神殿内部を昼のように明るく照らしている。

 今、私達がいるのは神殿の一番奥の、左の横穴の突き当りだが、熱心に調べているのはアラマのみで、私も含めた他の者は皆、既にやる気を失って久しい。最初のほうこそ宝探しの気分で色々と観察したり考察したりとしていたのだが、幾つ目かの横穴を探る頃には、延々と続く壁画と古代文字の羅列に、単純にうんざりし、アラマ以外は興味を失ってしまっていたのだ。

 この探索がもしかする「こちらがわ」に呼び出された理由を知ることに繋がるのではと、私だけはアラマの背中にくっついて探索を続けているが、内心では殆ど後ろで暇を持て余している三人と変わりない。ここに連れてこられた当初は色々と予感のようなものを覚えたものだが、どうも単なる勘違いだったらしいと、殆ど私は諦めていた。

 

『ボルシッパの印がここにあるのだから、こちらには……』

 

 未だ諦めを知らないアラマには悪いが、望みは薄そうだ。

 

『ほう。それはヒッポグリフか? 器用なものだな。そちらの世界にもいるのか?』

「……生憎だけど、こっちじゃ『ありえないもの』って意味なんだぜ、コイツの名前は」

 

 何となく会話の内容が気になって振り返れば、何やらキッドの足元に不思議なブツがちょこんと置かれている。

 前に、太平洋を渡って来た東洋人が同じようなことをやっていたのを思い出す。それは、一枚の紙切れを器用に指先で折って色んな形を作るという遊戯で、その東洋人は鳥を一羽、読み終えた新聞で作っていた。

 キッドの手になるそれは、東洋人が拵えた鳥よりも遥かに高度な細工と見えた。

 それは、実に奇妙な形をしていた。頭は猛禽で背には翼が生えているが、体は四足獣で、しかも前足と後ろ足の形が異なっている。前足は爪があるが、後ろ足は馬の蹄のようになっていた。

 

「『狂えるオルランド』って物語に出てきてな、それの中じゃあ――」

 

 またキッドが何やらわけのわからない引用を得意顔で披露しつつ、懐から出した葉巻に火を点けている。マッチの頭を親指の頭で擦り一発で火を起こす様は、実に手品染みていた。

 色男はそれを見るや、うげぇと顔を顰めてキッドから距離をとるが、それも虚しく風に漂う紫煙は色男の逃げた先へと向かい、やっこさん、げほげほと噎せ返る。

 全くキッドの野郎、色男が煙草が嫌いと承知で風上から――……風上?

 

「……」

 

 私はキッドの吹き出す煙、あるいは葉巻の先端から昇る紫煙を見た。

 それは、確かに漂っている。窓もない、この神殿の最奥で、確かに色男のほうへと漂っている。

 

「……」

 

 私は前へと向き直り、アラマが格闘している壁を改めて見た。

 鳥の化け物と格闘する、髭面の戦士の壁画に、例の三角形とV字の文字の羅列がそこには踊っている。だが私の意識を引き止めたのはそれらではなく、美しい壁画を汚すように走った、幾筋かのひびだった。ひびは一点で合流し、僅かではあるが穴が開いている。余りに小さく、穴は小さな闇に覆われて、その中を窺い知ることはできない。

 

「アラマ」

『え? なんですか、まれびと殿』

 

 私は、アラマに脇へとどくように背中をポンと叩いて、壁のひび割れと穴に顔を寄せ、頬を向けた。

 するとどうだろう。僅かだが、確かに感じる。風のそよぐ感覚、空気が吹き付ける感覚。私は狙撃手だ。風の流れには人一倍鋭く、人の二倍三倍も繊細にそれを感じ取る。

 

「……」

『え!? あ!? ちょちょちょまれびとどのののののの!?』

 

 私は左手でコルトを引き抜くと、右手でその銃身を握り、思い切り銃把を壁のひび割れへと叩きつけた。

 古い拳銃は、弾が切れた時の為にグリップを頑丈に作り、棍棒代わりになるように作られている。故に一撃は強烈で、ヒビの集まっていた穴はあからさまに広がっている。

 脆すぎる。明らかに脆すぎる。

 私は確信をもってさらなる一撃を壁面に加える。

 

『なにをなさるんですかぁ!? まれびとどのぉぉぉぉっ!?』 

 

 美しい壁画を躊躇いなく破壊する私の所業に、アラマは目を白黒させ叫ぶばかりで制止にも動けないでいた。ラマの叫びに、びっくりして私を見るのはキッド以下さぼり組の三人だが、私はそんな視線は意に介さずさらに壁面を叩いた。

 四度目。そう四度目だ。

 四度目の一撃は、手応えが今までと違った。

 恐ろしく軽く、何かが突き抜けるような、そんな感触だった。

 

「……やっぱりな」

 

 私は手を止めて、大きく開いた穴の向こうの、深い闇を見た。

 

「……」

 

 声もなく近づいてきたキッドの口から葉巻をむしり取り、穴の向こう側へと差し込んで見る。

 仄かな灯りに照らされて、いったいどれほどの年月隠されていたか解らぬ、秘密の部屋の内側が微かに見える。

 そこには所狭しと、膨大な数の巻物石版が、うず高く積み上げられていた。

 

『――』

 

 アラマは、私の横から、穴の向こうの様子を覗き込んだ。

 

『――いやったぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』

 

 そして快哉した。

 余りに大きく快哉したので、その声は狭い神殿内を反響し、私の両目には火花が散るほどだった。

 

 

 



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第21話 スカイフル・オブ・スターズ・フォー・ア・ルーフ

 

 

 

 

 

 すぐさま呼ばれた人夫達によって壁は残らず取り壊され、隠し部屋のその全容がようやく明らかになる。

 狭い部屋だった。

 形は正方形、1辺の長さは6~7メートルといった所。天井は高めに造ってあるが、踏み台一つでもあれば私でも手が届く程度の高さでしかない。

 しかし私達の目を奪うのは、そんな部屋の間取りのことではない。

 

『……凄いな、コレは』

 

 ナルセー王が顎髭を撫でながら、呟くのに私も内心同意した。

 あるいは巻物、あるいは本、あるいは板切れ、なかには石版まで。

 おそよ「書物」の名で呼ばれるもので、無いものはないと言えるほど、天井のギリギリまでうず高く文書が積み上げられている。殆ど部屋は書物で埋まっていて、足の踏み場もない。おおざっぱにその数を推算してみると、数千――いや数万の書物がここにはある。

 

『まさしく! まさしくコレはマート・アッシュル王ナブー・バニ・アプリが築きし大図書館の蔵書の数々に違いありませぬ! よもや、よもやこんな所に移され、隠されていたとは!』

 

 王の隣のマゴスも、白覆面の間から覗く両眼を餌を前にしたコヨーテのようにギラギラとさせながら、今にも書物の山へと飛び込みかねない有様だ。それは私の傍らのアラマも同じで、その両肩に手をかけて、彼女が実際に飛び込もうとするのを抑えなきゃならない程だった。

 

『わしとしてはもう少し解りやすいモノに出てきて欲しかったのだがな。まぁ良い。中身を調べれば金銀に……いや万軍に値するものも出てこよう』

 

 「私達の世界」であれば、古文書の山が出てきた所で、喜ぶのは学者連中だけだ。

 だが、魔法魔術、妖術呪術が実在するのが「こちらがわ」だ。となれば、この手の文書の価値も変わってくるのだろう。ナルセー王は若干期待はずれといった調子を漂わせつつも、一方でまんざらでもないと口の端を釣り上げている。

 

 

『ふぅむ』

『……』

 

 イーディスに色男はと言えば、確かに驚いてはいる様子だったが、それは言わば見世物小屋の珍獣を目の当たりにした客の驚きで、さして興味はなさそうだった。イーディスは女だてらに武骨者であるし、色男は出稼ぎの傭兵なのだから、当然といえば当然だ。

 

『“哲学なんざクソ喰らえだ! 哲学でジュリエットがつくれますか?”……だだジュリエットにはどう頑張ってもこの哲学の山はつくれんよなぁ』

 

 意外なのはキッドの野郎で、また何やら良くわからない引用を交えながら、好奇の瞳で書物の山を眺めている。

 両掌を忙しなく開いたり閉じたりしているのは、書物の山から一冊手にとってみたいのを、我慢している心のあらわれか。キッドのという男についての、私のなかの謎が深まるばかりだ。少なくとも、ただの見た目通りのアウトローなどではないのは確か。

 

『……だが、万軍に値する宝を探すには、ここはちと狭すぎる。まずは、この膨大なる知識の山を崩し、その砂土を陽の下に運び出さねばなるまい』

 

 私はキッドから王へと視線を移し、彼が私達のほうをニヤニヤと眺めているのに気がついた。

 

『当然、汝らにも手伝ってもらおう。その分だけの駄賃は与えておる故に』

 

 かくして私達はしばし、人夫仕事に従事する破目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……くたびれた」

「まぁな」

 

 落ちつつある夕陽を前に、兵糧用の穀物が入っているらしい麻袋へと背を預け、私とキッドは揃って溜息添えて呟いた。たかが巻物、たかが板切れでも、それが千万にもなれば話は変わってくる。そこに石板も加わるのだからなおさらだった。ナルセー王の親衛隊の兵士たちや白覆面のマゴスたちも加わったとは言え、書物を傷めむようにと少しずつしか運べないし、何より大勢が作業をするには隠し部屋も、それに神殿自体も狭すぎる。作業はだらだらと続き、気がつけばもう時は夜へと向かおうとしている。

 

『――』

「あっちのお嬢さんは随分と熱心なのね」

「……いつものこった」

 

 エーラーン人の兵士たちが夕餉の支度をする音に混じって微かに聞こえてくるのは、何やら小さな声で独り言を紡ぎながら、一心不乱に一冊の書に没頭するアラマの声だった。ナルセー王から借り受けた、例の光る石の大燭台の下に座り込み、背を丸め、食い入るように読んでいる。彼女の頭上より注ぐ光に、文字を成す金は金色に輝き、金の刻まれたエメラルド色の不思議な金属板は、深い翠の彩りを見せている。

 アラマが夢中になっている書物は、実に奇妙で不可思議なものだった。

 エメラルド色の、私には全く未知の金属の板切れ数枚を、錆止めを塗った鋼の輪で綴って本状にしたもので、金属製のページ一枚一枚には裏表びっしりと、金で蛇ののたくったような、くねくねとした文字が刻み込まれている。素人の私からすれば、見るからに価値のありそうなものと見えるが、ナルセー王配下のマゴスたちの態度は冷淡そのもので、全くコレを無視して古そうなボロ布の巻物を宝石かのように丁重に扱っていた。故にアラマが、奇妙なエメラルドの本を持ち出したときも、誰一人咎めるものはいなかった。

 

『それは、これがアパスターク文字で書かれているからなのですよ』

 

 アラマが言うには、一見高価で貴重そうにも見える、この翠玉の碑板(エメラルド・タブレット )の本は、実のところ他の巻物や板切れに比べると時代の新しいものであり、マゴス達から見れば無価値に等しいのだという。

 

『アパスターク文字は、それまで口伝されてきた神々の神秘を書きあらわすため、新たに作り出された文字なのです』

 

 要するにあの神殿遺跡を造った時代に近いほど、マゴス達にとっては価値のあるものとなるので、新しいものには興味がわかないということらしいのだ。

 だとすると謎になってくるのは、何故マゴス達が無価値とみなしたこの妙な本を、アラマは食い入るように読んでいるかということだ。

 

『我らミスラの徒の伝え聞く所によると、我らの探し求める「天路歴程(アドノス)」は当初口伝されたもので、後の時代になってアパスターク文字で書きまとめられたのこと。さらにある古老が伝え聞いた話では、それは石でもなく、木でもなく、紙でもなく、布でもなく、粘土でもないものに金の字で刻んだというのです!』

 

 ――とまぁ、そんなわけで、彼女はあの妙な本が探し求めたものかもしれないと、一心不乱に読み解いているわけだ。

 

「……良いよなぁ」

 

 ふと、キッドが言った。

 恐ろしい速さで沈みゆく陽と、それと対称をなすように深まっていく宵闇のなか、キッドの横顔は葉巻の火に照らされて朧に見える。

 

「何がだ?」

「あの娘さ」

 

 訊けば、意外な答えが返ってきた。

 てっきり良くつるんでいるものだから、イーディスのような男勝りで毅然とした女が好みかと思っていたのだが。

 

「……違う、女としてじゃねぇよ」

 

 ガンマン特有の勘の良さでか、キッドは手を振って私の考えを否定してみせる。

 

「ああいう風に、自分のやるべきことがわかってて、それに一直線なのは羨ましいなぁって話さ」

 

 これまた妙なことを言いやがる。

 気ままに好き勝手に生きているとしか思えないキッドが、夜の風にあてられてか、妙に感傷的な物言いだ。

 

「……アンタは怖くないのか?」

「何がだ?」

 

 センチメンタリズムに満ちた調子はそのままに、今度はキッドが私に訊いてきた。

 若干身構えながら、訊き返す。

 

 「現状さ。わけもわかんねぇまま、こっちにきて以来流されるばっかりだ。自分の立ってる足場も見えなければ、行くべき道も見えてこねぇ。地図もなく、磁石もなしに荒野の真ん中に放り出されたみたいなもんさ。アンタ、怖くないのかい?」

 

 ……つくづく、この男は解らない。

 いざ撃ち合いとなれば、歴戦のアウトローらしい獣そのものな顔を見せる。酒をくらい、博打にうつつを抜かし、深い理由もなく喧嘩に興じる。かと思えば芝居を楽しみ、恐らくは小難しいだろう本から引用し、こうして歳相応の若さを見せたりもする。妙な奴だ。本当に妙な奴だ。

 

「理由も分らずに神様に押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行く……もともと人生なんてのはそんなもんだろう」

 

 神は父を奪い、故郷を奪い、信念を奪った。

 かつて若き日の自分が拠って立っていた全ては失われた。

 残されたのは命と銃だけ。これを頼りにただ生きるために生きる。

 それが今の私だ。どこにいこうと、それが西部の荒野でも、メキシコの曠野でも、「こちらがわ」の砂漠の真ん中でも何も変わりはしない。

 むしろ、こっちがわのほうが私はやりやすく、好ましいと感じているような気がする。

 エゼルの村で私が学んだのは、まれびとがこっちに来るのには理由があるということ。その理由は今は解らずとも、いずれ明らかになるだろう。自分のなすべきことが決まっている、そんな事実が流れ者の一匹狼には却って心地よかった。それは、暗夜行路の果てに、灯台のあかりを見つけた船乗りに気持ちにも似ているかもしれない。

 

「だが、こっちではいずれ解るよ。俺たちに押し付けられた理由ってやつが。それは間違いない」

「……えらく断定的じゃないの」

「そりゃ、こっちに来るのは二回目だからな」

 

 キッドが、驚いて吹き出し、葉巻を吐き出した。

 煙を変な風に吸い込んだのか、むせ返っている。

 私はそんなキッドを意に介することなく、早くも空に溢れ出した星明りを眺めていた。

 半ば朽ちた屋根にかかる、空いっぱいの星。

 あの星の一つ一つが、実は天使の姿なのだと、そう語って聞かせてくれたのは誰だったろうか。

 だが相変わらず天使は私には何も語ってはくれない。少なくとも、今は、まだ。

 

『……いったいどうした?』

 

 私達のぶんの夕飯をわざわざ持ってきてくれたらしいイーディスが、怪訝そうにキッドを見ていた。

 

「いや、なんでもない」

 

 私はキッドとの話を打ち切って、夕食を受け取るべく立ち上がろうとした。

 ――ふと、何とはなしに背後を振り返った。

 

『どうした?』

「いや、なんでもない」

 

 私は再び、イーディスにそう答えた。

 一瞬、背中越しに赤い光がのぞいたように感じたのだが、どうやら気の所為であったらしい。

 私はアラマの背中に声をかけて、ともに夕食をとる支度を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――私の感じた光が、気の所為でもなんでもなかったと知ったのは、少し後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――見えざる眼で、フラーヤは見る。

 見えざる瞳で、フラーヤは捉える。眼下の風景を。見慣れた、しかし彼女にとっては見慣れぬ景色を。

 その日々ありふれた景色が、決定的に変わりつつある様を。

 

 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように叫んだ。

 

『炎よ疾走れ! 硫黄よ注げ! 人は塩となり、街は芥に変ず! 死を伴って駆けめぐれ! 全てを、夜のしじまに覆うべく!』

 

 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように叫んだ。

 

『いでよ悪魔(ダエーワ)! いでよ食屍鬼(グアール)! 集いなせ集いなせ、アルズーラの首において!』

 

 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うようにさらに叫んだ。

 

『其は時を越えるもの! 其は生を超えるもの! 其は死を超えるもの! 其は理を超えるもの! 陽は沈み、燈火は途絶え、夜が昇り、闇よいずる! 汝呼び覚ませ、かのアリマニウスを! 汝呼び覚ませ四界の王を! 汝呼び覚ませ翼を持つものを! 汝呼び覚ませ、黄金の獅子を! 汝呼び覚ませ絡みつく蛇を! 』

 

 盲目の魔女は、両手を夜空に掲げて、歌うように絶叫した。

 

『汚れたる淫都(バビロン)を生贄に! 捧げられし命を糧に! 汝呼び覚ませ!』

 

 「文字の館」の屋根の上で、フラーヤは叫ぶ。

 眼下でマラカンドの街が燃え盛る音と、伴奏の阿鼻叫喚に合わせて。

 そんな彼女の背後に控えるのは、長い嘴をもつ鳥の顔のような灰色の仮面に顔を隠した、黒く庇の広い帽子にケープ付きの黒外套の怪人。そして、あからさまに「こちらがわ」とは異なった装束に身を包んだ、二人の男の姿。それらは間違いなく、あと二人の「まれびと」の姿だった。

 

 



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第22話 クロスファイア・トレイル

 

 

 

 ――人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 肉親がなくなったり、故郷(ふるさと)がなくなったり、人殺しが稼業になったり、異界へと迷い込んだり、もう一度異界へと迷い込んだりする。

 全てに共通するのは、予兆なんてないし、備えることもできないって点だ。

 運命の蒸気機関車(ジャガーノート)には時刻表なんてものは無く、気まぐれに唐突に走り出す。しかも、一旦動き出せば止まることもなく、降りることもできない。

 後になって、ああコレがアレの予兆だったんだなぁと思い至る時もなくはないが、結局のところ、全ては後の祭りだ。何の意味もありゃしない。

 

 今回もまた、運命ってやつは突然に動き出した。

 

「……?」

 

 唐突に眼が覚めたかと思えば、傍らではキッドも同じように瞼を開き、しきりに左右に瞳を動かしているのが見える。上体を起こしながら、枕代わりにした雑嚢の下からコルトを引き抜く。キッドも同じように例の真鍮フレームのシングル・アクション・アーミーを手にし、聞き耳を立て、自分たちが起きた、その理由を探ろうとしている。

 注意深いガンマンでなければ、生き残ることはできない。

 コヨーテや狼がそうであるように、自然とガンマンは物音や影、あるいは臭いに敏感になっていく。それらは敵か、それ以外の何かが近づくことを知らせてくれる。気づけば、耳に聞こえぬ遠い音すらも、私の体は感知できるようになっていた。その点は、キッドも同じであるらしい。警戒心を引き起こす同じ何かを理由に、そろって眠りから覚めたのだから。

 

『起きてるな』

 

 背後からの気配に跳び起き、振り向きざまに銃口を向け、下ろす。キッドは用心金に指をかけ、くるくると何回か回した後に、ホルスターへと銃を戻した。寝床のテントの、その入口を開いたのはイーディスだった。その傍らには色男の姿も見える。

 

『なにかあったらしい。すぐに王の所まで駆けつけろとのことだ』

 

 それだけ言うとイーディスは一足先にスタスタと王の所へと向かった。色男も一緒だ。

 私とキッドは一瞬顔を見合わせ、すぐに外套を羽織ったりと出立の準備に取り掛かる。

 今までの流れのなかにあってただ一人、例の不思議な翠の本を抱えたまま、涎を垂らして眠りこけているアラマをゆすって起こすと、寝ぼけまなこの彼女を伴って、私達はテントを飛び出し、駆け出した。

 

 ナルセー王の陣幕へとたどり着けば、そこで私とキッドは、自分たちを目覚めさせた何かの正体を知る。

 

『――ひどいです』

 

 アラマが思わずそう漏らしたのは、ナルセー王の前に横たわった、エーラーン人戦士と思しき男の姿だ。

 思しき、とわざわざつけたのは、その顔は血と泥にまみれてひどく汚れ、オマケに傷まで負っているので元の顔立ちや肌の色がよく解らないからだ。

 鎧を途中で捨ててきたのか、本来はその下に着るためのものであろう、綿をつめた厚手の布仕立ての装束を纏った姿だが、ここに至るまでにやっこさんを襲った何かに対してそれは無力でったらしい。グリズリーにでも殴られたように激しく裂け、裂け目からは血と肉と骨が覗いている。

 見ただけでも既に重症だが、独特の呼吸音に、口の端に見える血泡は、この男がオマケに肺をやられていることを何より示している。

 

 この男は助からない。

 戦場で数えきれない死を見送ってきた私には、それが解った。

 

『――』

 

 死に行く男が、絶え絶えの息と共に何か必死に言葉を紡いでいる。

 ナルセー王はかがみ込むようにして男の口に耳をよせ、最後の言葉を聞き漏らすまいと真剣な眼差しを見せていた。

 

『――』

 

 男は必死に、王へと言葉を伝えようとしていた。

 だがその努力も虚しく、言葉は途切れ、代わりに血と共に断末魔が男の口より吹き出した。

 ナルセー王の頬を血に染めて、小刻みに身を震わせたあと、男は動かなくなった。瞼が閉じられることもなく、瞳はどこでもない場所へとぼんやりと向けられている。

 

 死んだ。

 死んだのだ。

 

『……』

 

 ナルセー王は顔を上げ身を起こすと、頬についた血を拭うこともなく、私を含む周りの人間を一通り見渡した後、落ち着いた静かな声で言った。

 

『この伝令は命を賭してここに来た。そして伝えた。全てではないが、確かにワシの耳に言葉は届いた』

 

 王は続けて、死んだ男の遺言を告げた。

 その内容は驚くべきものだった。

 

『マラカンドが陥落(おち)た。それも屍者の軍勢によって』

 

 ――人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 運命の列車は、行先も告げず、また唐突に走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルセー王を先頭に、騎軍は砂塵を巻き上げて駆ける。

 王の背後には完全武装の親衛隊が続き、王の傍らを固めるのはイーディス、キッド、色男、そして私だ。

 はもとが成り上がりだけにナルセー王は決断が早い。

 

『マゴス達は一部の者を除き書と共に残れ、重装騎士(グリヴパンヴァル)は一同、ワシに続け。まれびともだ。チャカルの戦士同様、こういう時の為に禄を与えて来たのだからな』

 

 私としてもマラカンドの現状は気になるところだから是非もない。

 かくして鞍のホルスターには装填済みのレミントン・ローリングブロックを差し込み、右手に手綱、左手にはハウダー・ピストルを携えてサンダラーを走らせる。

 色男は例の八本足馬の鞍に呼びの角矢(ボルト)を満載し、イーディス、キッドは遠目にはどちらも普段の様子と変わらないが、剣士は鯉口を一旦切って戻して刃を抜き放ちやすくし、拳銃遣いはホルスターの撃鉄留めを既に外していた。

 

 アラマは置いてきた。

 彼女は抗議したが、そこは私が「まれびと」の名を使って上手く言いくるめた。

 アラマの持つ術の数々は頼もしいことこの上ないが、死んだ伝令が言ったことが正しければ、チャカルの主力部隊が防備のために控えている状況で、マラカンドは陥落したことになる。

 あのチャカルを蹴散らした相手が待つ戦場へと向かうのだ。あるいは、我が身を守るだけで精一杯になるかもしれない。キッドやイーディスや色男は良い。皆、自分の面倒は自分で見れる連中だ。だがアラマには不安が残る。それだけに、彼女を連れて行くわけにはいかなかった。

 

「……」

 

 私は流れ者だ。故郷を亡くした根無し草だ。

 渡鴉(レイヴン)は当て所無く流離うのみで、一箇所にとどまることなどない。

 そんな私が珍しく長く時を過ごしたのがマラカンドの街だ。多少の愛着も湧き始めた所だった。

 アウトローの分際で、珍しく人情の気にでもあてられたように、私は危うさの気配が溢れ出るマラカンドを、敢えて目指す。

 

「この間、観た芝居はなかなかのモンだった」

 

 唐突にキッドが言った。

 眼をやれば、戦いの気配を前に獣のような笑みを顔に浮かべながらも、言葉の端には若干の感傷がのっかっている。

 

「特に主演の女優の演技が良かった。“死ねよ。幸薄きおみなよ!”……やっぱ、良い台詞だねぇ。もう一度、あの劇場で観たいもんだよ」

 

 このアウトロー丸出しの男にも、金以外に戦う理由はあるらしい。

 同じような想いを乗せて、愛馬は私達を戦場へと運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、私達を待っていたのは、戦場ではなかった。

 死だ。夥しい死が、無数の死が、私達を待ち受けていた。

 

『……』

 

 ナルセー王は声にこそ出さないが、内心が怒りに満ち溢れていることは、その背中の震えで理解できた。

 私はと言えば、足元に斃れる死体のひとつに眼をやった、親が、子に覆いかぶさるようにして死んでいる。哀しいかな、母の努力は実らなかったらしい。

 視線を動かし、あたり一面を見遣る。戦場では見慣れた地獄が、そこにはあった。

 街中央の湧き水の泉から、幾本か伸びた水路の一本。

 それはマラカンドの門のひとつの脇を通り、街周辺の農村部へと豊かな水を供給している。

 だが今やそれも真っ赤に染まり、血の大河と化している。

 幾つもの死骸が浮かび、ともすれば水路がせき止められそうになっていた。

 蝿が群がって、ぶんぶんと嫌な音を撒き散らし、腐臭が不快感をさらに煽った。

 

 亡骸が無数に転がっているのは土の上も同様で、畑は踏み荒らされ、家と家には火が点けられている。昨日の夜から焼けていたのか、殆どが鎮火していたが、まだ一部の家屋……いや、今となっちゃ廃屋ではまだ火が燻っている。焼けた木々の臭いに混じるのは、人の肉が焦がされる悪臭だった。

 どうもこの辺り一帯は、皆殺しの憂き目にあったらしい。

 

『……行くぞ』

 

 ナルセー王は辺りを何度も見渡し、生存者らしい影が見えないことを確かめてから前進の号令を下した。

 私はそれに続きながら、改めて折り重なって死んだ母娘の骸を見た。

 その横顔に見覚えはなかったが、信じてもいない神へと十字を切った。

 アラマを連れてこなかった判断は、間違ってはいなかったらしいと、改めて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地獄のような風景は、街へと近づけば近づくほどに、より一層、むごたらしさを増していった。

 街への入り口は同時に、街の外へと逃れるための出口であるが、恐らくは逃げようと藻掻き、足掻いた人々が、今や骸の山を成していて、ほとんど道を塞いでいた。

 あからさまに傷つき、血にまみれて死んだ者もいれば、上に斃れた者達の重みで内蔵を潰され苦悶に死んだ者もいる。男も女も、老いも若きも関係なく、ただ死だけがそこにある。

 王は鍵によって固く閉ざされた脇道の扉を開き、軍を市内へと入れた。

 街路に転がる死骸はいよいよ多く、中には自ら首を括っているものの連なりさえ見える。

 奇妙なのは外傷によって死んだらしい者は存外少なく、まるで鉱山の毒ガスにあてられた人夫たちのように、胸元をかきむしり、舌を突き出した格好のままの屍が異様に多い。

 

「……たまんねぇな、こりゃ」

 

 だがどんな死に方をしようと、一旦命が躰から飛び出せば、腐臭を放ち、蛆に蝿を群がらせるのは同じだ。

 キッドは首に巻いていた赤いスカーフで、ちょうど銀行や駅馬車の強盗がするように、鼻と口元を覆っている。

 

「オタクら、よく平気ね?」

「なれてるからな」

『右に同じく』

 

 私も臭いのは同じだが、戦場で切り落とされた腕や足の山を枕に寝たこともある私だ。

 当時は医者の腕も悪く、弾の当たった腕や足は切り落とすしかなかったから、そんな山はどこの戦場にもあったものだ。北軍の狙撃兵と対決した時は、死んだ仲間の骸の隣で一晩を明かしたこともある。歴戦の古強者らしい、イーディスも同様なのだろう。意外にも色男はと言えば、今にも吐きそうな青い顔をしているのだが。

 

『この街も終わりか』

 

 イーディスが、小さくつぶやく声に、私も彼女の隻眼が向くほうを見た。

 私とアラマがマラカンドに来て、最初に入った酒場がそこにはあった。

 扉は破れ、ピクリとも動かない足が裏を向けてのびている。

 開いていないのは、見るからに明らかだった。

 もう、開くこともないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 血河屍原を通り過ぎて、ついに一行は街中央部の泉へと達した。

 そこで私達は今日初めて、生きている人間と巡りあった。

 

 

 だが、この街の人間ではなかった。

 その格好は、明らかに私やキッドと同じ――。

 

『まれびと』

 

 ナルセー王がそう呼ぶのに、泉の縁の石段に腰掛けていた男は立ち上がった。

 目深に被った黒い山高帽(トップハット)状軍帽の庇の下からは、形の良い口髭に、理知的な青い瞳が顕になる。手にした得物、真鍮仕立ての機関部を持つライフル銃の、偽の金色と相まって、その瞳の青はいやに深く、そして底しれなく見えた。

 その顔に私は、見覚えがあった。

 その目つきにも、私は見覚えがあった。

 

 だからこそ叫んだ。

 

「伏せろ!」

 

 歴戦の勇者だけあって、ナルセー王の反応はすばやく、殆ど跳ぶようにして馬から降りる。

 つい一瞬前まで王の体があった空間を、銃弾が陶器が割れるような音を放ちながら貫き、背後に居た親衛兵士の一人を馬の上から吹き飛ばす。

 

 

 帽子の男は一切動いてはいない。

 しかし銃弾はどこからか飛んできた。

 

 

 ()()()()()()()()()()を前にすれば、どんな甲冑も意味をなさない。

 鎧ごと心臓を突き破られ、射たれた護衛兵は即死だろう。

 

「伏せろ! 伏せろ! 」

 

 私はレミントンを引き抜きながらサンダラーより転がり降り、キッドにイーディス、色男も慌てて降りて物陰に隠れる。あの帽子の男の相棒の狙撃手は、実に良い腕を持っている。

 馬の上にあっては、射的の的と変わりなくなる。

 だが、味方を射たれたナルセー王の騎士たちは激高し、逆に黒い帽子の男目掛けて殺到する。

 重い銃声が、黒帽子の男とは ()()()から鳴り響く銃声が、新たなる戦士の死を告げる。

 しかしエーラーン人騎士たちの突撃は止まらない。

 

 帽子の男は得物を掲げた。

 

 回転式機関銃(ガトリングガン)のように、ひとつなぎに鳴り響く銃声。

 手品のような素早さでレバーは上下し、真鍮の薬莢が宙を舞う。

 かつて南軍兵士達から、日曜日に弾を込めれば、次の日曜日まで撃ち続けられると畏怖された、驚異の一六連発。

 これを前にすれば、いかなる勇気も武勇も意味をなさない。

 主を失った馬が街路に溢れ出し、その主たちの死体が、街の人々の骸の山へと新たに加わる。

 

 黒帽子の男は、撃ち尽くした一六連発銃、『ヘンリー・リピーティング・ライフル』を床に優しく置くと、代わりのヘンリー銃を背部より魔法のように抜き、構える。

 銃を取り替える隙を撃つことは難しかった。 

 相棒の携えた特注製のシャープス・ライフルが、こちらを狙っているだろうから。

 

 私は、この男たちのことを知っていた。

 よぉく知っていた。なぜなら私と同じ元南軍兵士であり、戦後、同じ稼業に身をやつした男たちなのだから。

 

「“ヘンリー”……“バーナード”……」

 

 それがこの男たちの名前だった。

 新たなる「まれびと」が二人。

 この惨劇を呼び起こしたか否かは知らず、少なくとも、私達の敵であるらしい。

 

 

 

 

 



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第23話 ペイルライダー“ズ”

 

 

 

 

 

 

 

 

『青褪めた馬を見よ。その名は「死」なり。地獄、これに従う』

                      ――ヨハネの黙示録

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『地獄の使者(ザ・プレイグ)

 かつてあの男たちはそう呼ばれ、敵から、そして味方からも恐れられていた。

 ヘンリー、そしてバーナード。

 前の戦争中も、それが終わってからも、二人は常に一緒だった。

 私と同じく南軍に属し、それも遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)の一員として戦場を駆け回っていた。

 一度だけ、私は戦場で連中と轡を並べたことがある。

 まだその頃は生きていた師匠も、連中の戦い方の凄まじさには舌を巻いていたのを覚えている。

 

 ――『ヘンリー』

 本名ではない。本名はアラン某とか言ったか。確かルイジアナの出身だった筈だ。

 なぜこの男がヘンリーと呼ばれるかと言えば、この男の異様なまでのヘンリー・リピーティング・ライフルへの偏愛、いや殆ど病的といっていい執着っぷり故に誰ともなしにそう呼び始めたからなのだ。

 ヘンリー・リピーティング・ライフルは北軍の銃だ。いや、厳密に言うと北軍の制式銃ではなく、ヤンキー兵士が自費で購入して戦場に持ち込んでいた最新式の連発銃だった。その驚異の一六連発は、我ら南軍を大いに苦しめたもんだったが、ヘンリーの得物も最初は死んだ敵兵から奪い取ったモノだったらしい。

  かつて南軍兵士達から、日曜日に弾を込めれば、次の日曜日まで撃ち続けられると畏怖された、驚異の一六連発銃。ヘンリーはコイツとの出会い、たちまちその虜になったそうだ。

 ヘンリー連発銃は北部の銃だ。南部では手に入れることはまず不可能だ。

 故にヘンリーは、戦場でこの銃を持つ北軍兵士を見つけては殺し、見つけては殺し、その銃と弾薬を根こそぎ奪い取るようになった。

 奇妙なことに、相対したどの北軍兵士よりも、ヤツはヘンリー銃の扱いが上手かった。神業と言っていい。故にヘンリーと戦場で出会って、その生命と銃を奪われなかった北軍兵士は、皆無であったという。

 だから、ヘンリー連発銃を持った北軍兵士は、ヘンリーと出会うと肝をつぶして、命乞いをして己の得物と弾丸を残らず差し出し、そうやって命拾いしているらしい――こんな馬鹿げた話が、南軍の間ではまことしやかに語られたもんだった。

 ヤツのトレードマークは、革製の帯で下げた二丁のヘンリー連発銃に、愛馬の鞍に差したさらに二丁のヘンリー銃。各一六連発の計六四連発。それを戦列射撃のような激しさで乱れ撃つ。そして早撃ちにもかかわらず、ヤツの射撃は精確なのだ。

 ヘンリーが日頃被っている黒い山高帽(トップハット)状軍帽は、元は北軍切っての精鋭部隊『鋼鉄旅団(アイアン・ブリゲード)』、通称ブラック・ハッツの兵士から奪い取ったものだった。あの鋼鉄旅団の軍帽を奪い取って誇らしげに身に着けていることからして、ヤツの実力が並ではないことの証左だった。

 

 ――『バーナード』

 これも本名ではない。ミズーリ出身のこの男はドイツ系の移民で、本当はベルナールだかベルンハルトと発音するのが正しいらしい。しかし、皆この男を英語風にバーナードと呼んでいた。

 コイツがどういう経緯でヘンリーと組むようになったのかは、当人たち以外は知らない話だ。

 しかし、近距離から中距離の戦いを得意とするヘンリーに対し、遠距離での狙撃を得意とするバーナードは最適な相棒と言えた。

 大陸(ヨーロッパ)の北の出身らしい彫りの深い眼窩に、灰色の瞳を持ったこの男は、比較的小洒落たヘンリーとは対称的な、農民の野良着のような焦げ茶の装束に身を包み、やはり黒に近い焦げ茶の帽子という格好をしていた。帽子の庇(ブリム)の前の部分は、相手を狙い撃ちやすいように折り曲げて、真鍮製の星型バッジで天蓋(クラウン)に留めていた。そしてその星型バッジも、敵から目立たぬように敢えて錆びさせて輝きを無くさせていた。

 奴が愛用するのは、やはり北軍兵士から奪い取ったというシャープス・ライフルだった。

 北軍の狙撃兵(シャープシューター)が愛用したと知られるこの銃は、.50-90シャープス弾という専用の、極めて強力な銃弾を用いる単発型のライフル銃だ。レミントン・ローリングブロックに若干似るが、我が愛銃とは違うフォーリング・ブロックという特殊な機構を有する銃だ。用心金を兼ねたレバーを下ろすと、ブロック状の尾栓が降りて、給弾口を露出させ、レバーを戻せばブロックが戻って薬室を閉鎖する仕組みだ。拳銃弾を用いるヘンリー連発銃と違い、強力なライフル弾を用いれるこの銃は、やはりヘンリーの相棒に相応しいと言える。

 あからさまな狂気を抱いたヘンリーと違い、狙撃によるバックアップという地味な役柄のバーナードは相棒に比べて目立たない存在だ。しかしあのヘンリーの相棒を務めるだけあって、この男もまともではない。

 噂によると、この男は狙撃手と相対した場合、これを執拗に追撃して必ず殺すのだという。殺し方にこだわりがあって、必ずその右目を撃ち抜いて殺すという話だ。しかもこんな話に加えて、本当かどうかは知らないが、やっこさん、仕留めた狙撃兵の残った左目を抉り出して食べるんだそうだ。なんでも、そうすると自身の狙撃の業が高まると信じているらしい。特に、灰色の瞳をもつ眼球が、栄養豊富で体のためになるんだという話だ。

 

 ――『地獄の使者(ザ・プレイグ)』の名は、この男たちの狂気に由来するものだ。

 しかしこの男たちは、本質的には私の同類と言える男達だった。

 

 共に南軍に属し、南部のために戦い、故郷を失い、家族を失い、方便(たつき)を失い、己が生きる道すら見失った男たち……残されたものは、人殺しの業と銃だけ。ヘンリーとバーナードは今や西部きっての殺し屋コンビとして知られている。まったくもって鏡合わせ、私の同類と言える男たちなのだ。

 

 そんな男たちが今、同じ「まれびと」として、私の前に立ちはだかっている。

 本当に、人生ってのは色んなことが起こる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十八人分のエーラーン人戦士の死体に囲まれて、ヘンリーは悠然と立ち尽くす。

 その手には愛用のヘンリー連発銃が握られ、その内部には十六発の銃弾が収まっている。

 さらに姿は見えないが、相棒のバーナードも愛銃シャープス・ライフルを片手に、次なる標的が現れるのを手ぐすね引いて待ち構えている。

 ――極めて、厄介な状況だ。

 

「オイ」

 

 声のするほうに顔を向ければ、私同様に建物の陰に身を潜めるキッドの姿が見える。イーディスがその傍らに隠れているのも見えた。

 

『どうする。これじゃ動くに動けんぞ』

 

 反対側からの声の主は、やはり建物の陰に身を潜めた色男であった。その傍らには、ナルセー王の姿が見える。

 王の配下の近衛兵も、瞬く間に同僚を十八人も斃されて、慎重になったか家屋を盾に様子を窺っている。早撃ちの名手と狙撃手に同時に狙われれば、動けないのも道理だ。

 

「……」

 

 私は若干思案し、戦争中によく使った手を用いてみることにした。

 歴戦の狙撃兵士のバーナードに通じるかどうかは怪しいが、試してみる価値はある。

 私は右手にレミントンを携えたまま、左手のハウダー・ピストルの銃身に帽子を脱いで被らせた。

 そしてゆっくりと帽子をハウダー・ピストルを棒代わりにして、建物の陰から僅かにかざして見せる。

 

 ――即座に、銃撃が帽子目掛けて飛んできた。

 

 私は僅かに家屋の陰から眼をのぞかせて、発砲後に必ず出る火薬の煙を探った。

 見えた。

 やや離れた所にある、背の高いものみの塔の上。そこには確かに、銃火の生み出す硝煙がたなびいている。

 私は微かに見える星型バッジ付きの帽子へとスコープを向け、引き金を弾いた。

 

「チィッ!」

 

 思わず舌打ちしたのは、やつにこちらの殺気を悟られでもしたのか、直前にやつが壁に身を隠したためだ。

 弾丸は空を穿ち、もう、次の攻撃のチャンスはない。居所がバレてそこにとどまる狙撃手などいないからだ。最早ヤツの位置を知るには、ヤツの次なる一撃を待つ他ない。

 

「オラァッ!」

 

 しかし、僅かな間とは言え、私の一撃に狙撃手の動きが封じられた隙を突いて、素早く動いたのはキッドだった。

 ヘンリー眼かげてコルトを引き抜き、自慢のファニング・ショットでヘンリー目掛け、釣瓶撃ちに銃弾を叩き込む。

 だが、やはりというかヘンリーの動きは素早い。キッドの銃撃に、やつも即座に反応し、反撃の銃撃を交えながら建物の陰に身を隠してしまう。

 銃声が家々の壁に反響し、唸るようにして響き渡れば、一転、辺りは静寂に包まれる。

 そして、物音一つなく、事態は膠着状態へと陥った。

 

 どちらも、狙撃手に早撃ちの名手の組み合わせだ。

 互いに、迂闊に動けない。獣を狩るときと同様、互いに相手が動く以外に待つ手はなかった。

 

「……」

「……」

『……』

『……』

『……』

 

 私も、キッドも、イーディスも、色男も、そしてナルセー王にその近衛兵も、皆一様に黙したまま、動けないでいる。ただひたすらに、相手が動くのを待つしかなかった。

 

 ――されど事態は、予期せぬほうから動き出す。

 

「……ん?」

 

 私が気づいたのは、路地から悠然と姿を見せた、黒い人影であった。

 その人影は、長い嘴をもつ鳥の顔のような灰色の仮面に顔を隠し、黒く庇の広い帽子にケープ付きの黒外套を纏っていた。

 その姿に、私はひどく見覚えがあった。

 

「スツルーム……」

 

 白のヴィンドゥール。

 青のレイニーン。

 赤のリトゥルン。

 いずれもエゼルの村で、彼と共に立ち向かった、三人の邪悪な魔法使い。 

 連中は、『スツルームの三魔術師』と呼ばれていた。

 アイツラと同じ装束に身を包んだ怪人が、今たしかに、視線の先にいる。

 

「チィィッ!」

 

 私は怪人を狙い撃つべく、レミントンを構えた。

 しかし私が引き金を弾くよりも、奴がなにやら魔術を使うほうがはるかに素早かった。

 杖の一閃と共に、吐き出された不可思議な呪文。

 それに応じたのは、私達のまわりに転がる、夥しい数の死体。

 それらはまるで生者のごとく、スツルームの魔法使いの号令に従い、立ち上がり、私達へと襲いかかる!

 

 

 

 



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第24話 イグジット・ヒューマニティー

 

 

 

 浴びせかけられた殺気に、即座に銃口を左にむける。

 引き金を弾く――のは間に合わない。銃床を振り抜き、襲撃者の顎へと叩きつける。

 腐臭漂う吐息と共に、私に噛みつかんと口が裂けんばかりに開かれた顎門(あぎと)の下半分が千切れるが、痛みなど感じないのかそのまま突っ込み続ける。ならばともう一発銃床をお見舞いすると同時に、相手が衝撃に一瞬だけひるんだ隙に乗じて、左手を腰のコルトへと回す。腰だめの、殆ど狙いもつけない抜き撃ちだが、相手の腹腔へとうまい具合に突き刺さり、突撃を止めるばかりか、彼我の距離が若干開いた。

 好機――。私は右片手でレミントンを振り回し、相手の胸元へと力込めて、銃口よ突き刺されよと、力を込めて突きつける。本当は褒められた撃ち方ではないが、今は非常時だ。

 

「DUCK YOU SUCKER / 地獄に還んな、糞ったれ」

 

 トリッガーを弾くと同時に腕に走る衝撃。

 だが相手の胸板が上手い具合に支えてくれたからか、思ったほどでもない。

 上体にきれいな風穴を開けて、しばしまだ私へと襲いかからんとして、背中から地面へと斃れる。

 反動で震える右手は気合でなんとかしつつ、左のコルトをホルスターへと戻す。

 撃鉄を起こし、ブリーチロックを開いて排莢する。

 ダスターコートの裏地に縫い付けられた弾帯から50口径弾を取り出し、ぽっかりと開いた給弾口へと挿し込んでロックを閉じる。

 そんな再装填作業中も私の目線は忙しなく、周りを見渡し新たなる敵を探る。

 何度と無く繰り返した作業だ。戦闘中の再装填など、見ずともできる。

 

『頭か心臓を狙え! 屍生人(グアール)を冥府へと戻すにはそれしかない!』

「応さ!」

 

 イーディスの叫ぶ声に、コルト45口径の重い銃声が続く。

 イーディスがカタナを鞘走らせる音が響け、トンと軽い音と共に生首……ならぬ死に首が跳ぶ。

 偶然であったが、私が襲撃者の胸にレミントンをぶち込んだのは間違いではなかったらしい。

 一瞬だけ、自分が斃した相手の顔へと目を向ける。

 何の変哲もない顔だ。マラカンドの住人にはよくある、浅黒い肌に、彫りの深い、ヒゲを生やした男の顔。

 ただし、その瞳は白く濁り、肌は所々破けて腐肉を見せ、下顎は吹き飛んではいるけれど。

 

『ちぃっ! これでは幾ら角矢があっても足りんぞ!』

 

 色男がクロスボウで屍人どもの胸を射抜きながらぼやく。

 ナルセー王は腰の直剣と短剣を引き抜くや、率先してかつての近衛兵の死体へと向かい、直剣で屍人の攻撃をいなして、短剣で鎧の継ぎ目から心臓を狙う。

 かつての配下を一刻も早く本当の眠りにつかせんとする主の心なのだろうか。生き残りの近衛兵たちも王に倣う。相手は大勢だが、臆するものは誰もいない。

 不幸中の幸いは、スツルームの魔法使いによって無理やり眠りから覚まされた死者たちは、酔っぱらいのように緩慢な動きだ。数は厄介だが、それにさえ呑まれなければ何とかこの場だけは切り抜けられそうではある。――無論、敵が屍人どもだけであった場合の話だが。

 

「! 伏せろ!」

 

 私の叫びの応じて、皆が屍人を押し払いながら柱や壁の陰に隠れる。

 直後、私が一瞬前に立っていた場所に突き立ったのは44口径ヘンリー・リムファイア弾だ。その名の示す通り、ヘンリー・リピーティング・ライフルの、その連発機構を完璧に機能させるべく設計された専用弾。威力は拳銃弾と変わらぬものの、それでも喰らえば致命となりうる銃弾だ。

 

(バーナードの野郎はどこだ!)

 

 ヘンリーの野郎はどうどうをヘンリー銃を構えて、屍人どもと連れ立って悠々と進撃してくる。

 それはつまり、連中があのスツルームの魔法使いと仲間同士であることの何よりもの証拠だが、今の私にはそんなことよりもバーナードの居場所が最も気にかかる。

 あの狙撃手がどこにいるかを探り出さねば、迂闊にヘンリーどころかすっとろい屍人どもの相手すら覚束ない。

 敵を求め巡る私の視線は、バーナードを誘き出すのに使った帽子とハウダー・ピストルが転がっている所で止まった。

 穴あき帽子を拾って被り、ハウダー・ピストルを開いた左手に構える。

 右手にライフル銃、左手に散弾銃。加えて七丁の回転式連発銃がホルスターに控えている。

 本来ならば頼もしい限りの重武装だが、しかし今私達が相手にしているのは無数の――下手すれば街ひとつ分の――屍者の群れ、それらを地獄から呼び出した邪悪な魔法使い、さらに地獄を運ぶ最悪の殺し屋二人なのだ。頭を使い、策を練り、かつ獣のように素早く動けねば、あの屍人共に仲間入りする破目になる。

 ましてや、またあのスツルームの魔法使いが呪文を放ったのか、街の名物の泉を満たすように浮いていた死骸の数々も、次々と起き出し這い出し、新手となって押し寄せてきてる。

 

「ヘンリー!」

 

 私は敢えて堂々と柱の陰から身を晒すと、連発銃使いの男へと叫び、ハウダー・ピストルの銃口を向けた。

 それが余りにも唐突だったからだろう、どこかからこっちを狙っている筈のバーナードからの攻撃は来ない。だから私は水平に二つ並んだ銃口を、真っ直ぐにヘンリーへと向ける余裕があった。距離はあったが、野郎は警戒して慌てて死体たちの影へと跳び込む。

 それでもなお、私はトリッガーを引き絞る。

 針金で結び合わされた二つの引き金が、一本の人差し指で奥へと押し込まれる。

 鶏の頭を思わせる二つの撃鉄が落ち、二つの雷管を同時に叩く。

 二つの銃口が同時に散弾を吐き出せば、私の腕が強烈な反動に大きく跳ね上がる――もとい、反動をいなすために跳ね上げる。

 それでも散弾は確かにヘンリーの方へと拡散しながら突き進み、途上の屍人を何人か薙ぎ倒す。

 私は弾切れかつ再装填の難しい、今だ熱く硝煙吐く散弾銃をコートのポケットに無理やり突っ込むと、左の親指と人差し指を咥えて笛のように音を鳴らす。

 合図に我が賢き愛馬は即座に応じ、噛み付かんとする屍人どもを蹴り飛ばしながら突き進む。

 

「ヘンリーの相手をしながら街の外に退け!」

 

 私はサンダラーへと跳び乗りながらキッドへと、奴がヘンリーのことを知っているという前提で叫んだ。

 実際、私の思った通りやっこさんもヘンリーをヘンリーと理解していたから、即座に当然の問いを返してきた。

 

「オッサンはどうすんの?」

「バーナードを探しながら逃げる!」

 

 狙撃手を誰かが相手取らねば、逃げるのも覚束ない。

 そしてその役目を果たすのに適当なのは、この場ではまず間違いなく私だ。

 しかしそんな私も、一人であの男を相手取るのはこころ細い。

 

「続け!」

『な!?』

 

 私は色男目掛けてそう言い放つと、返事も聞かずにサンダラーにまたがり拍車をかける。

 背中から私は犬か!という色男のぼやきが追いかけてくるのを聞きながら、私は路地の一つに駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 私達の飛び込んだ路地までは魔法使いの呪文は届いていないのか、まだ死者達が起き出す気配もない。

 不幸中の幸いだが、いつ、この骸たちも地獄から呼び覚まされるかわかったものでもない。

 まずは現状、最大の脅威であるバーナードを何とかしなきゃならないのだ。

 

『どういうつもりだ!? なぜ私を呼んだ!』

 

 ようやく追いついてきた色男が叫ぶのを聞き流しながら、私が考えるのはバーナードの居所のことだ。

 マラカンドは同じような高さの建物が軒を連ね、寄り集まったような街だ。あの泉の広場に面した家々の上以外からでは、狙い撃てる場所は限られる。奴が最初に使っていた背の高いものみの塔の上などは有数の狙撃箇所の一つだが、場所が割れた以上、既に移動済みの筈だ。

 だとすればどこがある? 無駄にこの街で飯を食らっていたわけじゃない。日々道を行く中で、覚え描いた脳裏の街路図を探り、バーナードの移動しそうな場所を読む。

 

『ええい! 答えろ! 答えんか! せめて顔ぐらいは向けろ貴様!』

 

 ――そういう重要な作業をしているにも関わらず、ぎゃあぎゃあウルサイ色男に、私は不機嫌丸出しの顔を向けて言う。

 

「やかましい。狙撃手の相手をするなら狙撃手と相場が決まってんのはオマエも知ってるだろうが」

『まれびと同士の戦いに私を巻き込むな! キサマラとは得物が違うんだぞ得物が!』

「安心しろ。弓でライフルの相手をするのは不可能じゃない。知り合いの先住民は実際そうしてた」

『知るか! それは「そっち」の事情だろうが! 戦いの勝手が違うんだ勝手が!』

 

 そこまで文句を垂れるならばついてこなければいいものを。

 無論、やっこさんも私に続くのが今この場での役割と理解しつつも、言わずにはいれないといった所なのだろう。

 私は懐から革袋を一つ取り出すと、色男へと投げ渡す。掴んだ時の感触、重み、そして銀と銀が触れ合う音色から、中身は言わずとも解るはずだ。

 

『――……』

 

 元が出稼ぎ傭兵だけに文字通り現金なヤツだ。臨時報酬で口を噤む気になったらしい。

 

「とりあえず、狙撃手のいそうな場所を探りつつ進む。空から狙われてるんじゃ逃げるにも逃げれねぇからな」

『わかった。ならばスピタメン家持ちの宿屋から行こう。あそこの塔は見晴らしが利く』

 

 無駄口を噤むばかりか、一転よく働く口になった。

 こういう解りやすい男は嫌いじゃない。それにこの色男の腕前を、なんだかんだで私は買っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目当ての塔には勝手知ったる道だけにすぐにたどり着いた。

 そして、実に幸運なことに、そこが次のバーナードの潜伏先とすぐに知れた。

 だが果たしてそれは幸運だったか?

 

 ――否。断じて否だ。

 

 バーナードがヘンリーとコンビを組んでいるのは、連中の個人的な関係は別として、戦術的な利点が大きい。

 狙撃手が無防備な背中を任せる相手として、ショートキルの使い手以上に適当な相手もいない。

 しかして今、連中は離れて個別に行動している。故に、私は好機と捉えた。

 

 違っていた。

 間違っていた。

 

 スツルームの魔法使いは、自身の組んだ相手の性質を良く理解しているらしい。

 

『……リトヴァのロンジヌス』

「……」

 

 思わず漏らしたらしい色男の言葉に応じて、私は信じてもいない神に十字を切った。

 私達の視線の先には確かに、リトヴァのロンジヌス、チャカルが誇る歴戦の戦士の一人の姿がある。

 しかしその出で立ちは、私達が知る彼のものとは大きく違っている。

 

 白濁した瞳。

 血と涎が溢れる、緩んだ口元。

 血と泥に塗れた長髪。

 むき出しの上体は幾本もの矢が突き刺さり、夥しい傷が走り、一部肉も抉れている。

 しかし既に出血は止まり、その近くには蝿が集っているのも見える。

 

 死んでいる。

 この上なく死んでいる。

 しかし死してなお立っている。その愛剣たる大段平をぶら下げて立っている。

 

「……」

 

 街がこうなっている時点で、残っていたチャカル連中の運命はおおよそ予想がついていた。

 しかし現実は予想を悪い意味で上回った。

 仕留めた歴戦の傭兵たちを、あのクソッタレ魔法使いは『再利用』するというオゾマシイ発想に至ったらしい。

 相棒と別れ、一人で動くバーナードの背中を、死んだ勇者に任せるとは大した考えだ。

 

 ――あの烏面の糞ったれは、是が非でもぶっ殺さねばなるまい。

 

 アウトローにも仁義はある。

 無論、所詮はアウトローの仁義に過ぎないが、それでも仁義は仁義だ。

 短いとは言え共に轡を並べて戦った仲ならば、安らかに眠れるようにしてやる義理ぐらいはある。

 

「……チッ」

『気づかれたか!』

 

 濁った瞳が私達を捉えた。

 死せるロンジヌスは愛剣を構え、獣のように咆哮し、私達目掛けて駆け出した。

 

 



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第25話 プリペア・ア・コフィン

 

 

 

『――戦乙女がな、迎えに来るのよ』

 

 鮮血めいた色の夕陽の下で、そんなことをリトヴァのロンジヌスは言っていた。

 

「戦乙女?」

 

 聞き慣れぬ単語に、同じ赤に体を染めながら、私は訊く。

 大男の剣士は、大段平を地面に杖のように突き立てると、黄昏の空を眺め、顎髭を弄びつつ答えた。

 

『おうさ戦乙女よ。片眼欠く万物の神に仕える、美しくもたけき女神どもよ』

 

 いつだったかの夕刻、独り段平を沈みつつある陽へと向けて振るうロンジヌスを見かけて、ふと問いかけたのだ。

 なにゆえにお前さんは、マラカンドのチャカルに、遠国の傭兵部隊に身を投じているのか、と。

 果たして、返ってきた答えは私には全くもって良く解らないものだったのだ。

 

『雲を飛び越え、空の彼方の彼方、青空の極みの尽きた果て、その先にあるという天を突くという世界の真ん中の樹の上に、片眼欠く魔の神の宮殿がおわすのさ。そこから天馬に跨って戦乙女はやって来る』

 

 むくつけき、泣く子も黙るような怖い面をした歴戦の傭兵が、まるで詩でも吟じるような調子で話すのは、この男の生まれたという、遥か北の地で語り継がれるという古い古い言い伝えだ。

 

『戦乙女は天馬で夜空を駆け抜け、探す。片眼欠く詩の神の命に拠りて、探す。ますらおを、つわものを、その魂を探す。来たるべき戦(いくさ)に備えて。いずれ来たる大戦(おおいくさ)に備えて』

 

 ロンジヌスの瞳は彼方を視ていた。

 ここではないどこかを見据えながら、なおも唄のように続けた。

 

『片眼欠く魔術と狡知の神が求むは、この世の終わりを飾るに相応しき、一騎当千、抜山蓋世の古兵者。世界焼き尽くす時に相対し、臆せず、血湧き肉躍らせて進む猛者よ。戦乙女はかかる戦士が死せる時、その魂を連れ帰る。片眼欠く死と霊感の神の城へ。尽きず溢るる蜂蜜酒香るあの世の楽園へ。真の勇者が最後に辿り着くべき場所へ。――俺は必ず、そこへ行く』

 

 もしもこの言葉が西部の酒場で吐かれたものであったら、その言葉の主は狂人か酔っぱらいでしかない。

 だが全ては「こちらがわ」の話だ。魔法使いが魔法、御伽噺(トールテイル)の化物共が実在するのが「こちらがわ」だ。だとすればロンジヌスの信じる神と戦乙女が、どうして存在しないなどと断言することができよう。

 

『俺は勇敢に戦って、勇敢に死ぬ。そして戦乙女に連れられて、神の城へ行く。それが我らリトヴァの地に生まれし戦士の、最高の最期よ!』

 

 勇者は呵呵とか快笑し、瞳をきらきらと輝かせ、夢を語った。

 血にまみれた、しかし誉れある夢を語った。

 戦いに身を置く者、戦いの道より逃れられぬ者にとっては、かくも魅力的で、かくも羨ましき最期があるだろうか。

 戦場で数多の無意味な死を見送ってきた私としては、ロンジヌスの語る夢はとても魅力的に聞こえて、正直羨ましい思いもあったものだった。

 

 

 

 

 

 ――果たして、かつて夢を語った口の端はだらしなく緩み、涎を地面へと垂れ流している。

 

 

 

 

 

 輝いていた瞳は白濁し、蝿たかる骸は死してなお、誰に連れられるまでもなく地上を彷徨っている。

 ロンジヌスの魂は戦乙女のメガネにかなわなかったのか、あるいは彼の語ったのは単なる幻に過ぎなかったのか。

 いずれにせよ彼の望みに反して、その屍は現世に留まっている。しかも、スツルームの魔法使いの傀儡と化した戦士は、愛剣振りかざして私達へと真っ向襲いかかってきている。

 

「……」

 

 私は、ハウダーピストルを真っ直ぐ迫るロンジヌスへと向ける。

 そして躊躇うこと無く引き金を弾いた。水平に2つ並んだ銃口から散弾が、その忌まわしい末路を閉じるべく吐き出される。無数の鉛の死神は今度こそ、ロンジヌスを死者の世界へと送り出す――筈だった。

 

「!?」

 

 私に見えたのは地面に突き立った散弾が立てた土埃だけ。

 故に次に私がとった行動は見てからの動きではない。

 自分の正面へと、まだ熱い銃身を右手に握りながらハウダーピストルをかざす。

 

 ――衝撃。

 

 自分の尻が鞍から浮き、サンダラーから離れて宙を舞うのが解る。

 私は赤子のように空中で身を丸め、着地の衝撃に備える。

 肩が地面に触れた瞬間に、ボールのように身を転がして衝撃を殺し、それでもなお痛みに震える体を何とか起こす。

 真っ先に見えたのは、地面に刺さった刃を引き抜くロンジヌスの姿。視線を素早くまわせば、次に見えたのは、やや離れた場所で転がるハウダー・ピストル。その銃身は裂け、曲がり、真っ二つになっていないのが不思議な程だった。

 つまりこういうことだ。

 私がハウダーピストルをぶっ放した瞬間、ロンジヌスは地を蹴り空を駆け、段平を思い切り振り下ろしたのだ。

 半ば反射的にハウダーピストルを盾にして逃れた私だが、一歩間違えば馬上で真っ二つになっていただろう。

 尋常ではない膂力。あり得ない跳躍力。もともとロンジヌスは人間離れした力の持ち主だったが、その身が死してタガが外れたらしい。 

 だがそのおかげでやっこさんは真っ直ぐ私を狙ってくれた。サンダラーを見れば全くの無傷で、そのことに一瞬安堵する。

 

 ――咆哮。

 

 安堵も束の間、ロンジヌスが段平を再度構えて吠える。

 私はコルトを引き抜いて応戦しようとするが、先に動いたのは色男のほうだった。

 

『うぉぉぉぉっ!』

 

 八本足の白馬でロンジヌス目掛けて突撃する。

 ハウダーピストルが避けられたのを見て、飛び道具は当たらないと諦めたのか、馬ごと突っ込んで踏み潰す算段らしい。だがそれは悪手だ。

 

「バカやろう! 退け! 退け!」

 

 私が叫んだ時はすでに遅く、今度はロンジヌス、的確に八本足馬の横っ面に刃をくれて、これを今度は横一直線に切り裂いた。

 馬は棹立ちになり、色男は振り落とされんと手綱を強く引いたが、それが逆効果だ。

 殆ど即死した八本足馬は地面に崩れ落ち、騎上での藻掻きが逆効果となって色男は斃れた馬の下敷きになった。

 

『ぐぇっ!?』

 

 顔に似合わぬ間抜けなうめき声から察するに、大した怪我は負っていないらしいが、その足の上には馬の死骸が覆いかぶさり、そう易易とは抜けそうにもない。

 死してなお、そんな相手を見逃すロンジヌスではない。トドメを指すべく、大剣を突き立てんと逆手に振り上げる。

 

「ロンジヌス!」

 

 色男が馬で突っ込んだ時点で、すでにサンダラーへと向けて走り出していた私は、遂に愛馬へと辿り着き、その鞍よりレミントンを引っこ抜いた所であった。

 呼び声に濁った瞳を向けるロンジヌス目掛けて、私は50口径小銃の引き金を弾く。

 構える暇もなく、腰だめ撃ちの一発だったが、狙いは過(あやま)たず、野郎の土手っ腹に見事に突き刺さる。

 バッファローを一発で仕留める一撃を前に、流石のロンジヌスもスタンピードした猛牛に突っ込まれたがごとくに吹き飛ぶ。その隙きに、色男は何とか死馬の下より身を引っ張り出した。クロスボウを忘れず拾うと、私の方へと慌てて駆け逃げてくる。

 

『やったか!?』

「いや」

 

 銃尾栓(ブリーチ)を開いて空薬莢を取り出しながら、私は首を横にふる。

 イーディスは言っていた。屍人(グアール)を斃すには首を切り落とすか、心臓を貫く他はないと。

 私が撃ったのはロンジヌスの腹だ。常人なら即死だが、すでにヤツは死んでいる。

 

 ――呻き、そして咆哮。

 

 はらわたを零しながら、ロンジヌスは立ち上がり、血の泡と共に絶叫を吐く。

 その姿はおぞましくも哀れであった。私は再び信じてもいない神に祈り、十字を切る。

 一刻も早く、トドメをささねばなるまい。

 ヤツは切っ先を地面に引きずりながら、やや鈍くなった歩みと共に近づいてくる。

 私はレミントンを、色男はクロスボウをそれぞれ構えた。ロンジヌスの動きを慎重に見極め、標的の大きな心臓を狙う。

 

「!?」

『!?』

 

 だが私達の注意は、背後――いや頭上より降り注いだ突然の銃声に破られた。

 色男は慌てて振り返り見上げているが、私はロンジヌスから視線を動かさなかった。

 私には音だけで解る。バーナードのシャープス・ライフルの銃声に間違いはない。音の響き方などから察するに、私達を狙ったものではない。だとすれば、危ないのはキッドやイーディスたちのほうだ。

 

「……ここは引き受けた。塔のほうを頼む」

 

 戦力分散の愚を犯したくはないが、そうも言ってはいられない。

 周りが敵だらけの現状で、ただでさえ少ない味方が減るようなことだけは避けなきゃならないのだ。

 

『やれるか?』

「やれるさ。こっちにはまれびとの武器がある。そっちこそ気をつけろ」

 

 互いに手慣れたプロである。交わす言葉はこれだけで充分だ。

 色男が後ずさるのに合わせて、私は一歩前に出る。

 色男が走り出すのに合わせて、私は歩調を速めてロンジヌスへと向かう。

 飛び道具を持つほうが間合いを詰めるとは奇妙に見えるかもしれないが、遠くから狙って当たる相手でもない。

 素早いやつを仕留めるには、拳銃の間合いまで近づく必要がある。

 ロンジヌスは、引きずっていた切っ先を地面から離し、剣を下に向けたままながら構えを取りつつ進む。

 私は銃口をやや下げたまま、少しずつ間合いを詰める。

 直接心臓を狙っても、おそらく躱されてしまうだろう。だとすれば、私は撃つべきは何処だ?

 

「……」

 

 私は唐突に立ち止まり、ライフルを地面へと置いた。

 ロンジヌスは一瞬立ち止まったが、結局構うことなく近づいてくる。

 コートの両裾を払い除け、左右のコルトを露出させる。右のコルトにおもむろに手を伸ばし、ホルスターから引き抜く。左手はだらりとぶら下げたままだ。

 ロンジヌスは下げていた切っ先を跳ね上げ、真正面に両手で剣を構えた。

 私も合わせて右手のコルトを持ち上げ、銃口を野郎の心臓へと擬す。

 そのまま互いに歩き、間合いが五メートルほどの所で、互いに止まった。

 私が撃鉄を起こす。

 

 それが合図だ。

 

 ロンジヌスは例の恐ろしい跳躍力で一挙に間合いを乗り越え、一刀のもとに私を斬り伏せんとし――大きくつんのめって地面へと崩れた。

 私の右手のコルトの撃鉄はあがったまま。代わりに硝煙を吐いているのは、腰元の左のコルトだった。

 最初から右のコルトは囮だ。相手に動かれてからでは、私ではヤツの動きを捉えることはできない。しかし跳躍する前ならば別。右の撃鉄は相手の動きを誘う餌で、その瞬間、私の左手はコルトの銃把に伸びていたのだ。そして今に跳び出さんとするロンジヌスの膝頭を撃ち抜いたのだ。

 あるいはヤツが生者ならばこんな小賢しい手は通じなかったろう。だがロンジヌスは今や死者だ。

 私は何とか立ち上がろうとするロンジヌスへと歩み寄り、今度こそ右のコルトをヤツの頭へと向けて、引き金を三度弾いた。

 

 

 

 

 

 

 レミントンを手に取り、私は色男のあとを追った。

 宿屋の扉をくぐり、一階の広間を抜け、塔への階段か梯子を探す。

 目当てのものはすぐに見つかり、しかも運の良いことに螺旋状の階段であった。

 梯子であれば登ってくる音で容易く相手に接近を気取られてしまう。私は念のために拍車を外してから、階段を慎重に登った。

 途中で色男と合流できるとの見立てだったのだが、しかし幾ら進めどもやっこさんの姿が見えない。

 終いにはてっぺんまでたどり着いてしまった。そこでようやく、色男と合流できた。

 

『……逃げられた』

 

 色男が苦虫噛み潰したような顔で振り返り、言った。その手には一本の縄切れがある。

 見れば、塔から手近な屋根の上へと縄が下ろされている。

 流石は一流の狙撃手だけはある。退路を用意しておいて、色男の気配を察するや即座に退いたらしい。

 私は屋根伝いに視線を動かし、彼方の窓のなかからこちらを窺う視線に気がついた。

 

 バーナードだ。

 

 私はレミントンのスコープを覗こうとして、止めた。

 スナイパー同士が撃ち合うには、これでは間合いが開きすぎている。それは向こうも承知なのだろう。

 彫りの深い、落ち窪んだ眼窩のなかから、私を射るように見るのは、私と同じ灰色の瞳だ。

 距離は相当に離れているはずなのに、なぜかそれだけははっきりと見ることができる。

 

「……」

『……』

 

 暫時、といってもほんの2、3秒間程度見つめ合えば、ヤツは自分の首元に親指を当て、それを横に引く仕草をした。そしてそのまま、窓の奥へと身を隠し、見えなくなってしまった。

 私は舌打ちすると踵を返し、色男と連れ立って塔を後にした。

 居所を掴まれた狙撃兵は必ず退く。ヤツも今日の所は引き下がるだろう。今はヤツのシャープス銃を黙らせただけでも良しとせねばなるまい。ひとまず、キッドたちへの狙撃を止めるという目的は達成したのだから。

 塔より出た私はサンダラーを呼び寄せると、色男を後ろに乗せて走り出す。後はここから逃げるだけだ。

 

「……」

 

 私は今度こそ本当に地に伏したロンジヌスの亡骸を最後に一瞥した。

 弔う暇とてあるわけもなく、斃された時のまま転がって、早くも砂と埃にまみれている。

 必ず戻ると胸中で誓い、私はサンダラーを駆けさせる。

 

 地獄を逃れ、しかし再び地獄へと舞い戻る、そのために。

 

 

 



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第26話 マイ・ディアリング・クレメンタイン

『――なに見ているんだい?』

 

 ベッドの上で身を起こし、まだ朧な、昇ったばかりの朝陽が差し込み始めた窓を眺めていると、傍らのイナンナが不意に訊いてきた。切れ長の鳶色の目が、私の灰色の瞳を覗き込んでくる。白い――と言い切るにはやや黄ばんでしまったている――シーツの下で、その艶のある豊かな肢体をなまめかしく動かし、その体とベッドとで大きな胸を潰しながら、彼女は私を視ていた。

 

「別に……何も見ちゃいないさ」

 

 私はイナンナのウェーブのかかった豊かな黒髪へと指を絡め、掻いた。

 彼女はこそばゆいと、クスクス小さな笑みを漏らすのだ。

 

 ――西部の男には嗜むべき三つの遊びがある、と人は言う。飲む、打つ、買うの三つの事だ。

 

 内、前の二つを、私は余り嗜まない。酒は嫌いではないが、呑めば指先が鈍る。博打は確かに楽しいが、その狂熱もまた意識を呑み込んで盲目にさせる。あのワイルド=ビル=ヒコックだって、黒のAと8のペアの手――五枚目のカードが何だったかは知られていない――を抱いたまま、背中から撃たれてくたばったのだ。私は、そんな先人の例に倣う気はさらさらない。

 

 そんな私でも、買うのは比較的嗜んだほうだった。

 

 西部では野郎どもに加えて女が恐ろしく少なく、商売女達は皆女優のように持て囃されたし、彼女たちはその評判に負けぬように技を磨いていた。そんな彼女たちとの、中身のない会話や、あるいは互いの腹の中を探る丁々発止は、私にはちょっとした愉しみだった。言うなれば、実弾の飛び交わないガンファイトだった。それに、私は仕事の前には後腐れを無くしておきたい性質(タチ)なのである。

 イナンナの酒場を私はちょくちょくと利用していたが、彼女は金次第で春も売るのを副業にしている。そっちのほうでも、彼女と私は今や馴染みの間柄だった。実際、彼女はフランス仕込みの、高級娼婦のように素晴らしい。

 

『聞いたよ。あンた、鷹みたいな眼をしてて、どんな遠くの獲物も見通すって言うじゃないか』

「まぁね」

『そんなあンたが、何も考えずに呆と見ているわけもないだろうさ。ねぇ、なにを見たんだい? 窓の外にさ』

 

 イナンナは興味津々といった調子だった。

 アラマのような学者肌とも見えない彼女は、しかし私のような男の何が面白いのか、あれこれと色々と聞いてきた。戦争中に負った脇腹の傷の由来とか、どんな時もコルトを手放さない理由なんかをだ。

 あの時も、彼女は何気なく、私の遠くを見るような仕草について聞いてきたのだ。

 

「言ったろう。何も観えちゃいないよ」

『でも窓のほうを、じっと見つめていたじゃあないか』

 

 この時、私は酒を飲んでいた訳でもないのに、寝起きの頭だったせいだろうか、いつになく私は感傷的になって、商売女に打ち明けるべきでもない本音を漏らした。

 それは、「こちらがわ」が私の普段生きる西部とはまるで違う、異界の地であることが促したが故かもしれない。

 

「見えているだけさ。俺にはな、今はもう、何も観えちゃいないんだよ」

 

 ――1865年以来、私にとってはずっとそうなのだ。

 例外は、エゼルの村へと迷い込んだ、ただあの時だけのことだ。

 

『あんたも、大変なんだね』

「まぁな」

 

 イナンナは娼婦らしい気楽な調子で、しかしそこに気遣いを忍ばせながら言った。

 私は、あっけらかんと頷いた。今更、思い悩むにはもう当たり前になってしまった、私の生き方だったから。

 

『また、おいでよ』

 

 もう何度目かもわからない、早朝の別れの時、イナンナはいつもと違う調子で、そんなことを言った。

 私は、いつもは聞き流す言葉に興味惹かれ、立ち止まり振り返った。

 

『あンたには、仮の住処かもしれないけれど……それも、帰る場所は必要だろうさ』

 

 あるいは、商売女特有の敏さで、気がついたのかもしれない。私が今や故郷を失った、永遠の流離い人であるということを。金ずくの間柄だが、それでももう、互いに馴染みだ。本音を吐いた私への、彼女なりの気遣いの言葉だったのだろう。

 私は、イナンナの言葉の端に覗く慈愛に照れて、何も返さずにその時は立ち去ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なぜ、今になってそんな他愛のないことを思い返すのか。

 それは言うまでもなく、イナンナが血に塗れ、目の前で倒れているからに他ならない。

 

『……ああ、あンた、暫く振りだね』

 

 血泡を口の端に浮かべながら、しかし彼女は、いつもどおりの、なんでもない調子でそう言ったのだ。

 だが、今や彼女が死にゆくさだめにあることは、私には一見して明らかなことなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ロンジヌスを斃し、バーナードを退けた私と色男は、キッドやイーディス、ナルセー王達と合流するために街の外を目指していた。その道すがらで、私はイナンナの店の前を通ったのだ。

 地面に転がる、屍人どもの亡骸。それらに挟まれるようにして、壁にもたれかかる格好で、イナンナが座り込んでいた。それに気づき、私は思わずサンダラーの手綱引いて、彼を半ば無理矢理に止まらせたのだ。

 

『おわっ!?』

 

 私の背中で、つんのめった色男が情けない悲鳴をあげる。

 

「イナンナ!」

 

 呼びかけながらサンダラーより跳び降り、駆け寄る。

 

『……ああ、あンた、暫く振りだね』

 

 イナンナは顔を上げて、私へと微笑みかけた。

 いつもの、店で客たちを相手にするときの顔。ただしその黒髪も肌も、余すところなく血にまみれている。

 胸元の開いた色も鮮やかだったドレスは、砂と血に汚れ、あちこち引きちぎられて襤褸のようになっている。そして、あらわになった肌には幾つも歯型が刻まれ、所々肉がえぐりとられていた。

 

『店を守ろうと思って……頑張ったんだけどね。このザマさね』

 

 イナンナの腹には大きな傷があり、腸(はらわた)こそ漏れ出ていなかったが、止めどなく血は流れ、彼女の足元に赤い海を作っていた。

 彼女のまわりに転がる屍生人(グアール)の胸元には先の鋭い包丁が突き立ち、あるいは脳天に火かき棒を突っ込まれていた。それは、イナンアの奮闘のことをまざまざと私に知らせた。

 

「たいしたもんだよ。結局、店のなかには一歩も入れていないじゃないか」

『へへへ……そうさ。アタシは守ったんだよ。小さくとも、ここはアタシの城だからね』

 

 私が称賛すれば、イナンナは誇らしげに笑みを返してくれた。

 

『……』

 

 イナンナと私のやりとりの間、色男は視線をあさってのほうへと向けていた。

 見るに堪えないのだろう。いたたまれないのだろう。

 ようやく出会った生存者だが、しかしそんな彼女の負った傷は致命のものだ。

 

 彼女は死ぬだろう。戦場で数え切れないぐらい死にふれた私にも、それがハッキリと解った。

 

『……ねぇ、あンた』

「なんだ」

 

 若干の無言の間を挟んで、イナンナはまっすぐに私を見つめ、言った。

 

『アタシを殺しておくれよ』

 

 ……私には、なぜ彼女がそんなことを言うのか、理由は察しがついていた。

 それでも、訊いた。

 

「なぜだ」

『あンたは腕利きだし、苦しまずに、一発でしとめて貰えそうだと思ったからさ』

「違うそうじゃない。なんで俺に殺してほしいなんて言うんだ?」

 

 イナンナの答えは、私の予想した通りのものだった。

 

『アタシはもう終わりさね……助からないことぐらい、よくわかってるよ。でも、だからこそさ、アタシは人として死にたいんだ。死んだ後に、生ける屍になるのなんて、絶対にゴメンだよ』

 

 彼女は、力なくゆっくりと、だらりと垂れていた腕を動かし、自身の心臓を指し示した。

 

『屍人どもは、心臓を刺せばくたばった。なら、あンたはアタシの心臓をぶち抜いておくれよ。そうすれば……蘇らなくて済むってもんじゃないかい?』

 

 あっけらかんと、何でもない調子で彼女が言ったのは、トドメを託す私を気遣ってのことなのだろう。

 

「……解った」

 

 しかし私は彼女に言われるまでもなく、心は冬の湖のように冷たく醒め、無感動にサンダラーのサドルホルスターへと手を伸ばし、レミントンを引き抜いていた。

 前の戦争中、私は何人かの戦友を死なせてやったことが、すでにあったからだ。

 

 ――敵の弾に当たって、そのまま死ねる奴は幸いである。

 何故ならば、天国か地獄へとすんなり行くことができるのだから。

 

 最悪なのは、腹に銃弾を受けて、しかもそのまま死にきれなかった時だ。

 あの戦争のころ、北も南も主力に使っていたライフル弾は、恐ろしく弾速がはやく、標的に当たるとその内側で砕け、散弾みたいに広がるように出来ていた。

 腹に銃弾を受けたやつは、体内に銃弾が散らばってしまうから、医者も取り出す術もなく、匙を投げるしかなかった。つまり凄まじい痛みを腹に抱えたまま、ただ体力が尽きて死ぬのを待つしかなかったのだ。

 

 私は、そんな不運な戦友たちに頼まれて、その頭目掛けて引き金を弾いてきた。

 それ以外に、やりようなどなかった。

 

「安心しろよ」

 

 私はレミントンに弾丸を装填した。

 バッファローを一撃で斃す、50口径弾である。しそんじることなど、ありえない。

 

「一発で終わりさ」

 

 軽い調子でいいながら、イナンナの心臓へと銃口を擬す。

 彼女は、しばらく自分に突きつけられたライフルのことを見つめていたが、不意に、その両まぶたを閉ざした。

 

 私は、素早く引き金を絞った。

 それで何もかもおしまいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

『……』

 

 私と色男は、互いに言葉もなく、サンダラーを走らせた。

 目指すは、合流予定の街の外だ。

 

 私は、淡々と、障害を避けながら馬を走らせる。

 そんな私の胸中に渡来する想いはひとつ。

 『やつら』を、殺すに足る理由がまたひとつ増えたということだった。

 

 

 



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番外編:銃器解説

 

 

 

 『私』や『キッド』、『ヘンリー』そして『バーナード』の得物について、簡単にまとめてみた。

 

 

・コルト1851ネービー

 

 名前もそのまま、コルト社が1851年にリリースした回転式拳銃。もっとも成功した黎明期リボルバーの一つで、あのドク・ホリディやワイルド・ビル・ヒコックも愛用した名銃。まだ金属薬莢のなかった時代、弾丸と火薬は直接蓮根状の弾倉に装填し、雷管を弾倉後部に後から被せる。この構造故に、同様の旧式リボルバーと合わせて『キャップ・アンド・ボール(キャップ=雷管、ボール=球状の鉛玉)』式とも呼ばれる。弾倉をまるごと交換することで、ある程度の素早い再装填が可能になる。

 口径自体は36口径と小さめだが、故に反動も小さいために当てやすいと評判でもあった。速度より命中率を重要視する『私』向きの拳銃である。

 

 

・グリスウォルト&ガンニソン

 

 南北戦争中、南部で造られたコルト・ネービーの海賊版。鉄不足から一部フレームに真鍮を用いていて、非常に見目麗しい。

 正直、純正品のコルトが手に入る今、この銃を使うメリットはない。しかし『私』はこの銃を左に吊るし続けている。

 

 

・ハウダーピストル

 

 見た目は切り詰めた水平二連式散弾銃、それも銃身を切り詰めたコーチガンに似ているが、一応拳銃の分類。先込め式で発火機構には雷管を用いる。

 元々は大英帝国支配下のインドあるいはアフリカで、密林での猛獣撃退用に造られた代物。出会い頭に一撃を加えるというコンセプト故に、完全に至近距離での使用に限定されている。散弾、あるいは大口径弾を装填するが、『私』は散弾を使っていた。

 リトヴァのロンジヌスとの戦闘で完全に破損し、使用不能になった。

 

 

・レミントン=ローリングブロック

 

 散弾銃で著名なレミントン社の作った、軍用あるいは狩猟用の大口径単発式小銃。『私』が用いるのは50口径のもの。

 ローリング・ブロックというユニークな閉鎖機構を持ち、単発ながら強力な銃弾を使えるために、狙撃戦においては大きな力を発揮する。バッファローハンティングなどには、シャープス銃と共に良く用いられた。

 

 

・ホイットワース=ライフル

 

 南北戦争中、南軍の狙撃兵のなかでも、エリート射手が用いたというイギリス製の狙撃用ライフル。

 名前の由来はその設計者で、六角形の銃弾という、他に例のない奇妙な弾を用いる高級ライフルである。狙撃銃としての性能は、南北戦争中に限って言えば最高度のものであった。

 今や旧式であるが、『私』は郷愁と果たせなかった憧れゆえにこの銃を敢えて使っている。

 

 

・コルト=ピースメーカー

 

 キッドが愛用する、西部と言えばコレという傑作拳銃。正式名称はコルト1873年モデルだが、ピースメーカの通称のほうが有名すぎてまず使われることはない。銃身の長さで大きく三種類に分けられるが、キッドが使うのは銃身7.5 インチのキャバルリィ・モデルである。

 排莢と再装填を一発ずつ行わなければならないその機構は、スイングアウト式に馴れた現代人には不便に感じるが、その不便なれど堅牢な構造故に、当時としては最も強力な銃弾を用いることが可能であった。

 キッドはトリガーガードとバックストラップを真鍮製のものに換えているが、これはイタリア製のリバイバル版特有のもので、コルトの純正品にはない仕様である。キッドが自分で勝手に改造したのだ。

 

 

・レマットリボルバー

 

 極めて奇妙で独創的な構造を有する、フランス人が作った南部のリボルバー。南軍では少数ながら正式採用されていた。

 9連発であるというのも変わっているが、一番の特色は銃身下部に設けられたもう一本の銃身から散弾を撃てる点である。撃針を動かすことで拳銃弾・散弾を使い分けることができる。北部男(ヤンキー)のキッドが何故この銃を吊るしているのか……謎が多い。

 

 

・ヘンリーライフル

 

 南北戦争中、南軍を大いに苦しめたレバーアクション連発銃のパイオニア。後のウィンチェスターの前身。ライフルと名乗ってはいるが、使用する弾丸は小型で、ほぼ拳銃弾と変わらない。後に、この銃用に開発された.44ヘンリーを用いる拳銃も製造された。

 銃身下部に備わったチューブ式弾倉には最大16発が装填でき、当時としては破格の連発性能を誇った。北軍では正式採用にはならず、現場の兵士たちが自費購入したものが使われていた。南軍側からは『日曜日に弾を込めれば一週間ずっと撃てる』と恐れられた。

 

 

・シャープスライフル

 

 南北戦争中、北軍の狙撃銃として用いられた大口径単発式小銃。レミントン・ローリングブロック同様に50口径。

 フォーリング・ブロックという、やはり独創的な閉鎖機構を持ち、強力な銃弾を使用できるのが特色である。レミントン・ローリングブロック同様、戦後はバッファロー・ハンティングに用いられた。

 

 

 



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第27話 ラン・マン・ラン

 

 

 

 

 何度も障害物を飛び越え、何度も路地を曲がる。

 何度となく数多の死体を見送り、一度たりとも振り返りはしない。

 努めて私は心を静かに研ぎ澄まし、ただマラカンドの外に出ることだけに集中した。

 手綱を引き、サンダラーには拍車をかけて、全力で出口へと駆けさせる。

 

「……」

『……』

 

 私も色男も、無駄口一つ漏らすことはない。

 私は前のみ見て脱出路を目指し、色男はクロスボウを手に追撃を警戒する。

 

 今、自分たちがすべきことは市外に出てキッド、イーディス、ナルセー王らと合流すること。そして――然る後に報復することだけだ。

 

 リトヴァのロンジヌスを想え。

 

 イナンナのことを想え。

 

 無残に殺された、マラカンドの人々のことを想え。

 

 大勢の命を、戦場のみならず戦後の荒野でも奪ってきた、私の言えた口ではないかもしれない。

 それでもなお――復讐するは我にあり。スツルームの糞ったれ魔術師に、ヘンリーとバーナードの二人には、落とし前をつけさせねばならない。慈悲深き神すらもこれを認めるだろうし、仮に認めないのなら、聖書を捨てて銃を手に取るまでだ。

 

 バーナードを撤退に追い込んだ甲斐もあってか、妨害らしい妨害もない。

 スツルームの糞っ喰らえ魔法使いの術の範囲から抜け出たのか、屍人どもが立ち上がることもない。

 

 生きる人なき街路を走るは、男二人に馬一匹。

 言葉もなく、迷いもなく、ただ出口目掛けて駆け抜ける。

 

 頭の上に覆いかぶさるような、マラカンドの白く四角く背の高い家々の間からは、皮肉なほどに青い空が覗く。

 既に見慣れた、商人(あきんど)の街の通りの賑わいが、幻となって視界を過る。耳には、多種多様な言葉が、途切れなく交わされる音が響き渡る。

 だが実際に見えるのは、屍体ばかりで、街は恐ろしく静かだった。

 

 ならばこそ遮るものもなく、私達は思いの外あっさりと、死都と化したマラカンドより逃れ出ることができた。

 

「よぉ」

 

 暫し進めば、道端の岩に腰掛けた、キッドが手を振るのが見えた。

 

「生きてたか」

「まぁネ」

 

 レザージャケットの裾を叩き砂埃を払いながら、青い目のガンマンは立ち上がり私達を出迎えた。

 やや道の向こうには、愛用のカタナにこびりついた血と脂とを拭っている様や、馬を休ませたり、傷ついたものの手当をしているナルセー王の近衛兵達の姿も見える。王自身は馬に跨ったまま、ジッと街の姿を目を見開いて眺めていた。まるで己が瞳をして写真の銀板のように、自らの武力で勝ち獲り、今や滅びようとする都の姿を焼き付けんとしているかのようであった。

 

「……顔ぶれが変わってないが、他に生き残りはいなかったみたいだな」

 

 私が言えば、イーディスとキッドは互いに顔を見合わせ、どちらも気まずさに満ちた表情になった。

 

「嫌なニュースか?」

『グラダッソが死んだ』

 

 答えたのはイーディスだった。

 なるほど、確かにそれは悪いニュースだ。悪いニュースではあるが――。

 

「嘘をつけ」

『まことだよ』

「あの化物がそう易易とくたばるかよ」

 

 全くもって、私には信じることができなかった。

 数多の蝗人(マラス)を、素手で屠った様は、忘れたくとも忘れられない。

 あんな怪物めいた男が、のろまな屍人ごときに殺(や)られるとは考えにくいし、ヘンリーやバーナードですら、グラダッソには手を焼くに決まっている。

 

「……女子供なんざかばうからさ」

 

 キッドが、諦念を交えながら呟いた言葉に、私は瞬時に納得した。

 一流の戦士がしくじる原因というのは、酒か女か博打と相場が決まっている。

 

 商売女と、小さな子供。

 その傍らで、笛を吹くグラダッソ。

 

『……イーディス殿から聞いたのですが。グラダッソ殿は皇帝の近衛隊の武術師範をしていたそうです。しかし、その正義を重んずる性根故に、賄賂で近衛隊の席を買おうとする輩を手厳しく断ったそうなのです』

 

 脳裏で再び響き渡るのは、前にアラマから聞いた、あの男の過去。

 

『しかしそうして突き放した相手の中に、皇帝に仕える重臣のご子息がいたとか。それを恨みに思った重臣は皇帝に讒言し、グラダッソ殿は謀反の疑いをかけられて国を追われ、そして流浪のはてにマラカンドに辿り着いたそうです。ですが――グラダッソ殿が家族と共に逃げるために屋敷へと駆けつけた時には既に遅く、奥方も、ご子息も、既に重臣の手の者に……』

 

 ならばこそ、護らずにはいれなかったのだろう。

 だが、傭兵には家族は弱みにしかならないのだ。

 

『親子を庇うようにして、死んでいた。残念ながら、命を賭しての望みは、叶わなかったようだが』

 

 イーディスの言葉に、私は思わず天を仰ぎ、続くキッドの言葉で逆に視線を落とした。

 

「心臓に……一発さ。殺ったのはバーナードのほうだろう」

 

 ――いよいよもって、連中を生かしておけない理由ができた。

 私は、静かに胸の内で殺意を膨らませた。

 

 そんな私の殺気に反応したわけでもあるまいが、ナルセー王がこちらを向くのと眼があった。

 その赤い瞳には、私の胸のうちにあるのと、同じ想いが渦巻いているのが見えた。

 

『――アフラシヤブに戻る』

 

 王は静かだがよく通る声で命令を下した。

 

『あそこにはマゴスどもがまだ生き残っている。術士には術士だ。策を練り、しかる後、マラカンドを取り戻す』

 

 言い放てば手綱を引き、真っ先に北へと向けて駆け出した。

 近衛兵たちは慌てて馬に跳び乗り、ナルセー王のあとに続く。

 

 イーディスはと言えばゆっくりカタナの手入れを済ませてから、やおら立ち上がり、馬に跨がる。

 キッドは彼女に続いて、馬に跨ると、私のほうを流し目に見た。

 

 私がため息を返せば、傭兵二人とまれびと二人は雇い主を追いかけ駆け出した。

 最後に一度だけ、マラカンドを振り返る。

 

 青空の下の街は、初めて見たときと変わらず美しかった。

 もうすでに、死都と化しているにも関わらず。

 

 

 

 

 

 

 

 砂塵を巻き上げながら、私達は走る。

 

 走る。

 駆ける。

 駆け抜ける。 

 

 野兎のごとく、野鹿のごとく。

 息を切らせ、汗を吹き出しながらも走り続ける。

 

 憤怒か、あるいは復讐か。

 忠義か、あるいは報酬か。

 

 想いは各々異なれど、目的は皆同じ。

 

 今は走れ、生き残るために。

 そして戻ろう。あの忌まわしい男たちを殺すために。

 

 砂塵を巻き上げながら、私達は走る。

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちる前に、私達はアフラシヤブの丘へと舞い戻ることができた。

 

『 ま れ び と ど の ー !! 』

 

 私の姿を認めるや、砂埃を上げながら駆け寄ってくるアラマの姿に、思わず私は安堵の笑みを漏らすのだった。

 

 

 

 

 



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第28話 アサルト・オン・プリセント・サーティーン

 

 コルト・ネービーの撃鉄を半分だけ起こす。

 左掌を弾倉(シリンダー)にあて、擦るように動かしてみる。

 チチチチチ……と軽快な金属音が小さく鳴っているのは、シリンダーとフレームの噛み合わせが良い証拠だ。

 日々の手入れの賜物か、油でも差したかのように軽やかに弾倉は回った。

 

 その音と感触に満足した私は、火薬の詰まったフラスクを手に取り、その先端を弾倉に開いた六つの穴の一つにあてがった。黒色火薬(ブラックパウダー)を適量注ぎ込み、小さな布切れを上から突っ込んで、火薬が漏れ出ないようにする。

 フラスクとは、梨型あるいは円筒形をした容器に、細い注ぎ口を取り付けた代物である。注ぎ口の根本には金具がついていて、これを押せば容器内部の蓋が開き、中身が外にでる仕組みだ。このフラスクの注ぎ口はコルト・ネービー用にあつらえたもので、注ぎ口の先を指で塞ぎながら金具を押し、そして戻せば、注ぎ口内部に適量の火薬が入るようになっている。

 

 私は次いで、手製の銃弾を手に取り、火薬を注いだ穴に軽く嵌め込んだ。

 鍋で鉛を溶かして作ったばかりの弾丸は、まだ仄かに熱を帯びているのが指先に伝わる。

 

 弾倉を回し、ちょうど銃身と反対側に弾丸の嵌った穴が動いた。

 私は銃身下部に備わった、ローディング・レバーを力込めてひき、銃弾を弾倉の奥へと押し込んだ。

 

 これが、キャップ&ボール式の装填方法である。

 同じ行程を、あと五回繰り返せば装填は完了する。

 

 時間も手間もかかるが、『こちらがわ』のように手軽に金属薬莢の弾丸が手に入らない状況ならば、こういう古式ゆかしいやりかたがなによりであった。火薬も弾丸も、ある程度自作で賄うことができるのは大きい。だからこそ私は、今なおこの今や旧式のガンを使い続けているのだ。

 

 アフラシヤブの丘にへばり付くように張られた、無数の陣幕の一つ。

 布仕立ての屋根の下で、来るべき戦いに備えて、私は愛用のコルト・ネービー、計七丁の再装填と手入れに集中していた。 

 

 周りでは慌ただしく駆け回る足音や、馬のいななき、鎧の鳴らすガチャガチャという金属音、マゴス達の怪しげな呪文、人夫達の掛け声、そしてナルセー王が大声で下す命令の数々が響き渡っている。

 

 生き残った戦士たちは、丘に残された連中と合流し、反撃の準備に追われていた。

 それは、私もまた同じであった。

 

 前の戦争の頃、南軍の騎兵たちは皆、複数の拳銃を持ち歩くのを常識としていた。

 戦闘中の再装填が難しいキャップ&ボール式のガンは、結局装填済みのものを複数持ち歩くのが何より手っ取り早かったからだ。

 ましてや敵は無数の屍人に、『地獄の使者(ザ・プレイグ)』と呼ばれるガンマン二人組、そしてコイツラを率いる邪悪な魔法使い――つくづく、恐るべき状況だ。得物は幾ら多くても、足りないということはない。

 

 私は時間をかけて再装填と手入れを完了させた。

 体中に括り付けられたホルスターに一丁ずつ納めて、上からダスターコートを羽織る。

 

 五丁の純正コルト・ネービーに、一丁の真鍮フレームも鮮やかな海賊版コルト。

 それに金属薬莢弾仕様にコンバージョンした一丁が加わり、計七丁。

 ここまでしてもヘンリーのヘンリー・リピーティング・ライフルの16連発×4に対抗するには、やや弾数が心もとない。

 私は早撃ちよりも確実に当てる方を重んじるガンマンだが、相手もガンマンとあれば保険はかけておきたい。

 

 サンダラーより外したサドルケースの奥から、私が取り出したのは懐かしの一品だった。

 47口径の6連発。胡椒挽きにも似た、今どきの拳銃に見慣れた眼からは、余りに不格好な姿形。

 ――ペッパーボックス・ピストル。

 かつてエゼルの村での一件では、思わぬ活躍を見せた骨董品。

 私はコイツにも一通り弾丸弾薬雷管を込め終えれば、銃口をグリースで塞いでから、コートの内ポケットの一つに突っ込んだ。私のダスターコートは細工まみれで、あちこちに弾薬や銃を括ったり忍ばせたりしておけるようになっているのだ。

 

「さて」

 

 私は拳銃の仕込みを終えるや否や、今度はライフルのほうへと取り掛かる。

 ハウダー・ピストルはロンジヌスに叩き壊されてしまった為に、コルトを除けば私の得物は残り2つだ。

 

 すなわち、レミントン・ローリングブロックと、ホイットワース・ライフル。

 その二丁である。

 

「さてさて」

 

 ホイットワース・ライフルに関して言えば、手入れを欠かしたことなど一度もない。

 専用のケースから出した時には、その優美な姿に見とれ、芳しい整備用油の臭いに酔いしれた。

 こちらは今は何も必要なかろう。第一にするべきは、今まで酷使してきたレミントンの手入れである。

 

 先込め式のマスケット銃の槊杖(かるか)めいた細長い 木の棒の先に綿を帽子のように被せ、銃身内部にこびり付いた火薬滓を残らず取り除き、銃身を真っ直ぐな、曇りなき姿へと戻す。

 撃鉄を起こし、銃尾を開いて、銃口を空へと向ける。

 ガンメタルブルー、と呼ばれる、銃身特有の青味を帯びた黒が、陽光を浴びて歪みなく輝くさまが、私の眼に映った。銃身の掃除は完璧である。

 

 私は陣幕の一つから拝借した色鮮やかな組紐を手に取り、それを銃床に巻き付けていく。

 ちょうどそれは、先住民(インディアン)の一部が、己の得物に施す、見目麗しい装飾のようだったが、私がこれを為すのは飾りのためではない。

 巻きつけられた組紐は幾つもの重なり目や隙間をつくり、それらはちょうどライフル弾を差し込んでおくのに丁度よい塩梅になっている。

 そこで私は実際にそこに、レミントン用の50口径ライフル弾を次々と差し込んでいった。

 ライフルや散弾銃のストックに弾帯を巻き付けて、再装填に便利なようにするという小技があるが、これは組紐を使って同じようなブツをこしらえたというわけなのだ。

 

 無論、バーナード対策である。あの男との遠間の間合いでの対決には、精度のみならず速度も求められるだろうからだ。

 

 

『――まれびと殿!』

 

 

 垂れ下がった陣幕を捲りあげて、私を覗き込みつつ叫んだのはアラマだった。

 いつもの赤いとんがり帽子に、赤いマントの姿ではなく、砂色の外套(ポンチョ)に、同色のケープを被り、また外套の下には革の鎧を纏っていた。

 このアラマの格好は、私の指示によるものだった。敵に狙撃手がいると解っている以上、的になるような赤い装束は慎まねばなるまい。派手な軍服は敵に与える威圧感が強いという効能もあるが、バーナードはそれが効く手合でもないのだ。アラマは不服そうだったが――それは彼女の神様が定めた格好だから――まれびとの言うことは聞くものだと、なんとか言いくるめたのであった。

 

『わたくしめは準備が整いました! いつでも出立できるのです!』

 

 愛用の杖を誇らしげに掲げながら、彼女は鼻息も荒く胸を張った。

 私は、レミントンの銃身に最初の銃弾を送り込んだ後、銃尾栓(ブリーチ・ロック)を戻す音でそれに応えた。

 その後に、静かに起きた撃鉄を戻す。

 

「ああ、それじゃあ、行くか」

 

 レミントンを担ぎ、ケースに戻したホイットワースを携えながら、私は言う。

 これから私とアラマが繰り出すのは、マラカンドとアフラシヤブとを結ぶ、道の途上。

 反撃の為の偵察、迎撃のための監視。それがナルセー王から私に課せられた、新しい仕事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、アフラシヤブの丘では2つのことが同時並行して進められている。

 つまり、マラカンドへの反撃の準備と、マラカンドよりの攻撃への防御だ。

 

 ナルセー王はアフラシヤブの丘に辿り着くや否や、即座に留守を任されていたマゴス達に次々と命令を下していった。

 まず第一に始めたのは、このアフラシヤブに軍を結集させることである。

 マラカンドは大きな都市であるが、ナルセー王の領土はなにもこの街一つに限られている訳ではない。レギスタンに散在する他の都市や、要衝要所に配置された砦、要塞には、王に忠誠の厚い武将に軍勢がまだ数多控えている。ナルセー王はマゴス達に命じ、緊急召集の急使が各地へと飛ぶ。飛ぶ、というのは比喩ではなく、本当に飛んで命令を伝えるのである。マゴス達は、彼らが『使い魔』としている鳩を放ったのだ。伝書鳩――そういうものがいるという話は、『私の世界』で聞いた記憶がどこかにあった。鳩たちは足に密書を括り付けられて、四方八方へと跳び去っていく。

 

 これで反撃の為の第一の準備は終えた。しかし軍勢が集まるまでは数日を要する。その間に、マラカンドの敵が何の行動も起こさないと考えるのは阿呆だけだ。迎撃の準備が必要だ、それも至急、今すぐにである。

 

 果たして、アフラシヤブの丘の要塞化が始まった。

 本来は遺跡を発掘するために集められた人夫達は、たちまち塹壕堀へと駆り出される。

 元々あった廃屋や廃宮をそのまま防御陣地として活用しつつ、その周囲に壕(ほり)と堡塁とを築いていく。人夫達の指揮にも、マゴス達は大活躍であった。

 

『呪的防御が必要なのです』

 

 とは、アラマの言だ。

 どうもこちらの野戦築城というやつは、単純な防御だけではなく、魔法に対する工夫も要するらしい。

 

『――して、汝には一足先に動いてもらうぞ、まれびとよ』

 

 そしてこれは、陣地設営の工事を横から眺めていた私への、ナルセー王の言。

 王の両隣を固めるのは、イーディス、そしてキッドであった。どうやら王は近間の戦いを得意とする二人を手元に置いておく算段らしかった。ちなみに色男はと言えば、武器を槍から弓へと持ち替えたナルセー王の親衛隊の指揮へと回されている。

 

『遠間の戦いを得意とする汝にこそ、この仕事は適任であろうさ』

 

 こういうふうに言われて、私は別行動を取ることになったわけだ。

 アラマを相方を選んだのは、他ならぬ私だ。

 相手に魔法使いもいる以上、彼女以外の相棒は思いつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 私とアラマは連れ立って、人なき道を進む。

 サンダラーに跨る私のあとを、リャマによく似たムームーという動物に横乗りになったアラマが続く。

 ムームーの長い手綱は、私のほうがひいていた。ゆっくりと、周囲の地形に気を配りながら、私達は進む。

 

 マラカンドとアフラシヤブとを結ぶ上で、最短経路となるのがこの道であり、また道を外れれば果無き荒野である。敵がもしアフラシヤブまでこちらを追撃してきた場合はこの道を使う公算が高い。あるいはコチラからマラカンドに攻め戻る際も、結局はこの道を使いより他はない。

 間違いなく、誰かが探る必要性がある。だからこそ、私が遣わされたというわけだ。

 

「~NaNa-Na、Na-Na、Na-NaNa♪♪」

 

 私は辺りの風景を注意深く観察しながらも、昔懐かしい曲を気軽に口ずさんだ。

 今ここで気を張ってもしょうがない。緊張感は戦いのその時までとっておくとしよう。

 

『まれびと殿、その歌は?』

 

 アラマが何時も通りの興味津々な様子で聞いてくる。

 私は、一呼吸ほど間を置いてから、答えた。

 

「……故郷(ふるさと)の歌だ。ふと、懐かしい気分になってな」

『まれびと殿の……ふるさと』

「ああ。いまはもう、ずっと前の話だけどな」

 

 ――Na-NaNaNaNaNaNaNaNa、NaNa-Na、Na-Na、Na-NaNa♪

 

 南部(ディクシー)が北の連中に叩き潰されたあの日、みんな、何故かこんな歌をうたっていた。

 あるいは、それは消えゆく故郷への挽歌だったのかもしれない。

 

「こういう偵察の仕事を、昔、戦争に行ってた頃によくやったもんでね。その頃を思い出してただけだ」

 

 前の戦争中、私は師匠と共に遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)の一員として働いていた。

 部隊の仕事は主に後方攪乱、破壊工作、狙撃に暗殺、そして斥候だった。

 実際、ガンマンとしても既に結構な経歴を持つ私だが、斥候任務など戦時中以来の仕事だろう。

 

『……敵方にいる新たなまれびとも、まれびと殿と同じ戦争で戦ったのですか?』

「あの頃は味方だったな。もっとも、そんな深い間柄でもなかったが」

 

 アラマには既にマラカンドでの諸々について一通り話してある。

 当然、ヘンリーとバーナードについても、である。

 

「ただ、腕の確かさはよく知ってる」

 

 それだけに恐ろしい。

 恐ろしいからこそ、私自身の手で、始末をつけねばならない。

 地獄から使者どもを、棺桶の中へと叩き戻さなきゃならないのだ。

 

『……味方になるように、説得はできないのですか?』

 

 私は首を横に振る。

 

「連中もプロだ。受けた仕事は最後までやりぬくさ。それは、俺も同じだ」

 

 それに――と私は更に続けて言った。

 

「仇を、とってやらなきゃいけないからな」

 

 一足先に自由になったやつらの顔が、自然と脳裏に浮かぶ。

 振り返れば、アラマもその金の瞳に覚悟を抱いて、強く静かに頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫時、互いに言葉もなく、私達は道沿いに進み続けた。

 待ち伏せに使えそうな場所を頭のなかの地図のなかに書き込みながら、マラカンドまでの道程の半ばをやや過ぎた辺りであった。

 

「……?」

『これは……?』

 

 アラマも私と全く同じものを同時に感じ取ったようで、怪訝の浮かんだ顔同士を見合わせる。

 

「――ちょっと待ってろ」

『え? あ! まれびと殿!』

 

 嫌な予感がする。

 私はムームーの手綱を手放すと、サンダラーに拍車をかける。

 目指すのは、手近な丘の上だ。この辺りでは一番高さがあり、頂上ならある程度視界が開けている筈だ。

 

 私たちが聞いたのは『音』だった。

 まるで、遠くで機関車が走っているかのような、規則的に連続するザッ、ザッ、ザッという重い音。

 その音の源は、まだ遠くにあるようだったが、間近で聞けばそうとうに大きなものになるのが予想できた。

 

 丘の斜面は比較的なだらかだったために、サンダラーは鼻息一つ荒げることなく丘を登りきった。

 登りきった先で、むしろ私のほうが息を荒げ、絶句する。

 頬を、冷や汗が伝うのを感じる。

 

『待って、待ってください、まれびと殿! いったいぜんたい、急にどうなさって――』

 

 慣れぬムームーを必死に操り、アラマが遅れて追いついてくる。

 そして彼女もまた丘の頂上から見えた光景に、言葉を失った。

 

 ――荒野が、黒い絨毯に覆われている。

 しかも、その絨毯は私達のほうへと動いているのだ。

 

「DUCK YOU SUCKER / マジかよ、糞ったれ」

 

 私は、思わず毒づいていた。

 スコープを通して見ずとも、私の灰色の瞳は黒い絨毯の正体を捉えていた。

 

 それは、夥しい人の群れだった。

 ただし、生きた人間ではない。

 

 屍者だ。

 マラカンドから湧き出た、屍者の大軍だ。

 機関車の音のように聞こえたのは、時計の針のような規則正しさで地面を踏みしめる無数の足音だったのだ。

 

『……不敗の太陽、牡牛を屠るものミスラよ。その輝きにて、闇の者たちを退けんことを』

 

 アラマは、掠れた声で彼女の神に祈った。

 しかし、それも虚しく大地を埋め尽くす死の群れは、ゆっくりと、しかし着実にアフラシヤブへと向かっていた

 

 



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第29話 ザ・ハンティング・パーティー

 

「――ッ」

 

 小さく舌打ちしながら、私は素早く後退し、アラマも慌てて続く。

 すばやく地面に降り立ち、サンダラーとムームーを座らせる。

 私とアラマは稜線の陰に身を隠した。

 丘の頂上で堂々と騎乗姿を見せたのだ。既に連中に見つかっているかも知れないが、それでも何もしないよりはマシに思えた。

 

『よもや……よもや! かくも、かくもコレほどの数の屍人を操るなど……いかに相手がスツルームとて、わたくしには信じられませんです!』

 

 息を潜めながらも、相変わらずの元気の良さに溢れる小声で、アラマは語気も強くまくしたてる。

 私は声にこそ出さねど、内心同意していた。街まるごとの屍体を操るなどとは、御伽噺基準でも馬鹿げた所業だ。一体全体、あのスツルームの糞ったれ魔法使いは、どれほどの力の持ち主だというのだろうか。

 

「……まずは“連隊本部”に連絡だ。アラマ」

『はいです!』

 

 しかし驚いている暇などない。

 この屍者の大軍勢の襲来を、一刻も早くアフラシヤブの丘の連中に知らせなくてはならないのだ。

 私は思わず、前の戦争のときのような物言いをしていたが、アラマには問題なく通じたらしい。

 

『――こいねがう。われはこいねがう。広き牧場を照らし、闇をば切り裂く、光の君、真実の神、不敗の太陽たるミスラよ。アブラナタブラ、アブラナタブラ、セセンゲンバルファランゲース』

 

 アラマはいつも肩から下げている雑嚢より、巻き紙と羽ペン、インク壺の一式を取り出した。

 呪文を唱えながら紙にペンを走らせ、赤いインクで何やら謎めいた文字を書きなぐっていく。

 

『マスケッリ、マスケッロー、メリウーコス、ミスラ! 蛇よ、古き衣を捨て、地にて再誕し、夜刺す一条の光ぞ差す方へ! 今だ、今だ、疾く、疾く!』

 

 囁くような声で、しかし力強く言い放たれた呪文に応じ、不可思議なことが起こった。

 書き殴られた文字たちが茶色い紙面で踊れば、絡み合い、混じり合い、一体化していく。 

 

 言うなればそれは、文字でできた赤い蛇であった。

 アラマが書き上げたメッセージ、屍者の軍勢の襲来を告げる一文は、紙面より飛び出して、砂の上を這う。 

 

 緋文字の蛇は、蛇とも思われぬ素早さで地面を走り、瞬く間に視界から消えた。

 

 流石は魔法使い、と言ったところか。実に便利なものである。

 電信比べれば遅いであろうが、伝令兵を飛ばすよりは遥かに早いだろう。

 

『――して、まれびと殿。この後はどうするのですか?』

「……」

 

 私は望遠鏡を取り出すと、丘の頂上から僅かに真鍮色の筒をのぞかせて、迫る軍勢を覗き見た。

 相変わらず機関車のような跫(あしおと)を奏でながら、生ける屍の群れは、悠然と大地を覆いながら進む。

 その歩みは立てる音と違って緩やかなものだ。このスピードならば、アフラシヤブに至るまで結構な時間を食うだろうと思われた。アラマのメッセージが届くまでの時間を差し引いても、迎撃のための時間は充分にあるだろう。

 

「スツルームの魔法使い、それと例の二人組を探し出し……殺る。可能ならば、だが」

 

 サンダラーのサドルホルスターからレミントンを引き抜きながら、私はそう応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘という丘に身を隠し、地べたに這いつくばって、敵の様子を窺う。

 いよいよもって、私は昔を想い出していた。

 

 耳をつんざく、銃声と砲声。

 敵の、味方のあげる鬨の声、そして断末魔。

 蹄が高鳴り、軍靴がラッパや太鼓のうねりに合わせて響き渡る。

 

 だが、そんなものは全て幻で、実際に聞こえてくるのは死者達の波が立てる漣ばかりで、これほどの大軍勢が動いていることを考えれば、不自然なぐらいに静かであった。

 

『まれびと殿』

 

 傍らで、やはり地に伏せたアラマが緊張した面持ちで訊いてきた。

 

『勢いで付いてきてしまったのですが……実際、わたくしたち二人だけで大丈夫なのでしょうか?』

 

 不安そうな彼女の声に、私は望遠鏡から目を外して、アラマの方を向いた。

 暫時思案し、答える。

 

「大丈夫じゃあ、ないな」

『へ』

 

 間の抜けた声と共に、唖然としたアラマの顔。

 そこから視線を外し、望遠鏡を覗き直しながら、続けて言った。

 

「大丈夫じゃあないが、ほかにやりようもないさ」

 

 実際、その通りなのである。

 現状、迫る敵軍の間近にいて、その様子をいち早く探られるのは私達だけなのだ。

 もとより、私達の仕事は斥候なのだから、リスクを承知で、務めは果たさねばならんだろう。

 

『……斃せるのですか?』

「ん」

 

 無論、スツルームの魔法使いに、『地獄の使者(ザ・プレイグ)』の二人組のことだ。

 私は再度、暫時思案した。結論はすぐに出る。

 

「まァ、無理だろう」

『まれびと殿でも、ですか』

「……」

 

 ちょっと間を置いて、私は首肯した。

 

「連中も、プロのガンマンだ。真っ向勝負じゃあ、分が悪い」

 

 実際、その通りなのである。

 相手がスツルームの魔法使いだけならまだしも、ヘンリーとバーナードがいるとなると話は違ってくる。

 

 ――プロのガンマン、と呼ぶに値するアウトローは少ない。

 

 ガンマン、と世間で呼ばれている手合の殆どは単なる銃を持ったチンピラか追い剥ぎの類であり、仕事の上で銃を使い、殺しを働くことはあっても、銃による殺しを稼業としている訳ではない。単に相手を殺すのと、稼業として人殺しをやるのとでは、天と地ほど差がそこにはある。チンピラ、追い剥ぎ、銀行強盗の類に、殺しに対し責任を負う(・・・・・)ことなどできる筈もない。

 

 だからこそ、プロのガンマンと呼ぶに値するアウトローは少ない。

 それ故に、自然と互いにその名を聞き知る間柄になる。私もキッドも、互いのことを噂で知っていたように。

 ましてや私と、ヘンリー、バーナードのコンビとはかつて戦場で同じ旗の下で銃を手にとったのだ。私が連中のことに気づいたように、連中も私が誰だかひと目で解ったことだろう

 

 連中は、私による狙撃を何より警戒するだろうし、あわよくば返り討ちにすることも考えているはずだ。

 相手が手ぐすね引いて待ち構えている所に飛び込むほど、私は馬鹿ではない。

 

「マラカンドでの戦いの様子じゃあ、連中のあの死者を操る魔法にも、どうも届く場所届かない場所ってのがあるらしい。だとすればあの大群の、たぶん後ろか真ん中にヤツラはいる。せめて、その場所ぐらいは把握しておきたい」

 

 私が言うのに、アラマは頷いた。

 

『ええ。まれびと殿の言う通り、あれほどの術です。術士が近くにいない筈もないのです』

「そういうもんなのか、やっぱ」

『ええ』

 

アラマはより深く頷き言う。

 

『強力な術を用いるには、術士自身の力を大きく消耗する上に、力の源たる術士からは遠くまで及ぼすことは出来ないのです。逆に言えば、さっきの文字蛇のような術ならば、費やす力も少なく、遠くまで飛ばせるのです』

 

 成る程。

 だとすればあれ程の数の死体を操っている以上、連中は私達の間近にいるということか。

 

「……よぉし」

 

 私は静かに気合を入れ直した。

 相手は、ただ近づくだけでも危うい、猛獣以上の連中なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠巻きに遠巻きを重ね、充分な間合いをとって連中の背後を目指す

 敵に狙撃手がいるとわかっている以上、慎重を期するに越したことはない。

 私は、狙撃に適した物陰を探し、また自分自身のライフルの射程距離を意識した。

 レミントンもシャープスも、その間合いには然程差はなく、私とバーナードの腕前も、ほぼ同格といった所。

 だとすれば互いの間合いは同じ。自分の間合いから逆算すれば自然と奴の射程圏内から出られる寸法だ。

 

「……」

『……』

 

 私達は互いに、一言も口をきかず、動いた。

 普段は饒舌なアラマも、この時ばかりは別人のように口を閉ざし、黙々と私の後を追う。

 

 連中と私達とは進行方向が真逆であり、慎重に、静かに進んだにも関わらず、思わぬ短時間で屍者の軍勢の後方部へと回り込むことができた。

 

 そこで私達は、目当てのものを見つけることができた。

 

「!?」

『!?』

 

 視界に入り込んできたソレに、私達は驚きの声をあげそうになって、揃ってそれらを喉の奥に引っ込めた。

 努めて体を丘の頂きに隠し、アラマは目だけを、私は望遠鏡だけをだして仔細を窺った。

 

 私達が見たもの――それは巨大な『列車』だった。

 

 無論、列車といっても、蒸気機関車のことじゃあない。

 荷車が、数多の荷車が、貨物列車よろしく一列に繋がれている様を見た時、私が連想したのは真っ先にソレであったということだ。

 荷車という荷車には積み荷が満載され、荷車同士は縄と鎖で連結されている。そして先頭車からは二本の太く長い縄がのび、大勢の屍人が、それを引っ張っていた。

 私は、望遠鏡で積み荷が何かを探ったが、すぐに匙を投げた。最初は略奪品かと思ったが、どうにもそうではないらしい。私よりも『こっち』の事情に明るいアラマに望遠鏡を手渡せば、すぐに彼女は答えを引っ提げてくる。

 

『燭台、拝火台、それに呪詛板(ディフィクシネオス)用と思しき合金板……間違いないです。彼らはアフラシヤブの丘で何らかの儀式をするに違いないのです!』

 

 ……魔法については、私は全くの門外漢だ。アラマの言うことはサッパリ理解できない。

 だからその手のコトについては彼女に任せて、予備の望遠鏡を取り出し伸ばし、魔法以外の部分について観察する。予備の望遠鏡は小さく倍率もたしたことはないが、それでも充分に荷車列車の委細を見ることができた。

 

 そして――見つけた。

 

「いたぞ。スツルーム野郎だ」

『どこですか!?』

「ちょうど、荷車の列の真ん中あたり」

 

 レンズの向こうには確かにスツルームの魔法使いに、その両脇を固めるヘンリーそしてバーナードの姿がある。

 さらにその周囲を屍人が囲み、1インチの隙間もなく綺麗な円を描いている。

 なるほど、こうして丘の上からだから見えているが、地上では連中の姿は死体の壁に完全に隠されてしまっていることだろう。つまり地べたに這いつくばっての狙撃は不可能ということだ。

 恐らくは、狙撃に適した丘などが近づいてくれば、防御の隙間である上からの攻撃を、バーナードがカバーするつもりなのだろう。重ねていうが、私の間合いは奴の間合いでもあるのだから。

 

『マズいかもです、まれびと殿』

 

 真剣そのものの声色に、私は望遠鏡から目を外し、アラマのほうを見た。

 彼女の金色の瞳が、私の灰色の瞳を真っ直ぐに覗き込んで来る。

 

『思うにですが、彼らはなにがしかを呼び出す儀式を行うようなのです。何を呼び出すつもりなのか――残念ながらそれまではわかりませんが、召喚の儀であることは間違いないのです。そして、あの準備の規模から察するに、相当大掛かりな術式……そんな術を行うのに適した場所は、この周辺では一箇所だけ』

「アフラシヤブか」

『はい』

 

 なるほど。なるほど。

 いよいよもって、連中に丘に向かわせるわけにはいかなくなったわけだ。

 だが、いったいどうしたものか。

 こちらは二人。

 丘に陣取ったナルセー王の軍勢やキッドにイーディス、色男も合わせても屍人の軍勢に対するにはあまりに心許ない数しかいないし、援軍が来るまでは数日はかかるだろう。

 引き受けた仕事は全うするのが私の信条だが、こうも手札が乏しいと途方にくれる以外に仕様がない。

 

『――まれびと殿』

 

 アラマの改まった調子の声が、私の意識を思考の海から引っ張り上げる。

 強い意志の籠もった、金色の瞳の輝くのが目に入る。

 

『わたくしめに、ひとついい考えが』

 

 元より綺麗な口の端が、美しい弧を描き出した。

 アラマの自信に溢れた表情に、私は期待と不安のカクテルめいた心情を抱いていた。

 彼女の腕は信頼しているが、自信と慢心の境目は紙一重しかないのだから。

 

 

 



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第30話 デイ・オブ・アンガー

 

 

 

 肩に負っていた板切れを地面に落とせば、砂埃があがって、私は思わず噎せ返る。

 一方アラマと言えば、覆いかぶさる茶褐色の帳にも、まるで関心がない。

 黙々と、目を爛々と輝かせながら作業を続けている。

 

『――天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え』

 

 囁き声で、アラマは呟くように呪文を唱える。

 彼女は既に同じ呪文を五度も唱えていたが、彼女曰くそれでもまだ不足であるらしい。

 

『呪文は七度唱えなくてはならないのです。七は、聖なる数字なのです』

 

 アラマはそんな風に言っていた。

 実際、七は「私達の側」でも幸運を示す数字ではある。

 それが「こっち側」でも神聖な数字だというのは、奇妙な類似性に何とも不思議な感覚ではあった。

 

『天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え……』

 

 アラマの唱える七度目の呪文を聞きながら、踵を返す。

 彼女が今、拵えている代物を完成させるには、まだ材料が足りない。まだまだ、より多く建材を集める必要がある。

 私はサンダラーに跨がり、拍車をかけて駆け出し、すぐに目当ての場所に辿り着く。

 砂と岩ばかりの荒野にあって、そこだけはまるで別世界のように、緑色の絨毯を敷き詰めたように、丈の低い草が生え広がっていた。そして草のカーペットの真ん中には小屋がひとつ、ぽつんと立っている。

 恐らくは、マラカンドの周囲を回る牧夫たちが、放牧時の拠点として使っていた小屋なのだろう。

 

 昔、極短期間ではあるが牧童(カウボーイ)をやっていた時期がある。

 

 キツい仕事だが、金にはなる。

 特にロング・ドライブ――西部から東部やカリフォルニアに牛の群れを誘導し運ぶ仕事――は、日照りに大雨に毒蛇に先住民との諍いにコヨーテに追い剥ぎにと、危険はいっぱいだが、成功したときの報酬は大きい。

 

 まだ今の稼業を初めて間もなく、腕も今よりずっと稚拙だった頃、ある仕事の後始末にしくじった事があった。

 連邦保安官に目をつけられた私は、ロング・ドライブをする牧童達の中へと飛び込み、ほとぼりを冷ますことにしたのだ。元が農夫の倅だから、家畜の世話は慣れてるし、戦争の時に習い覚えた馬と銃の扱いは人一倍の自信があった。

 実際、ロング・ドライブの仕事は見事に成功させたし、相応の報酬も手に入った。

 だが私は、二度とやるものかと固く心に誓ったものだった。

 それだけきつかった――戦場とはまた違った種類の過酷さだった――仕事だが、学ぶことも多かった。

 熟練の牧童から教わったのは、牛を運ぶにしてもただ運べば良いというものではなく、移動の時間を使って肥えさせるのが一番効率的だということだ。

 その老カウボーイは、どの時期、どの道を通れば牛たちに途切れなく牧草を食わせながら進むことができるかを熟知していた。カウボーイという仕事は、ああ見えて意外と知識を要するものなのだということを、私は彼から教わったのだ。

 

 今、私が目の前にしている小屋も、マラカンドの牧夫たちが、牧草地を手際よく回れるように拵えたものなのだろう。中には竈もあって、数日寝泊まりできるような準備も整っていたのは既に見ている。

 

 ――まぁ、マラカンドがああなってしまった以上は、もうここを使う者が現れることもないだろうけど。

 そんな感慨と共に私は、小屋の壁板を一枚、新たに引っ剥がす作業に取り掛かる。

 

 もう既に何度も、こうして小屋を解体し、アラマの望む建材を調達し、運んでは戻るのを繰り返している。竈の上に鍋も、積まれた薪も、隅に積んであった毛布も既に持ち出し、今私は小屋自体を壊す段階に入っているのだ。

 この小屋を見つけることが出来たのは実に幸運なことだった。彼女の言う策には、色々と材料が入り用だったから、ここが見つかっていなかったら、アフラシヤブまで二人して取って返す他はなかった。戻るための時間分、準備の為の時間も削られたことだろうし、連中の進路たる街道の途中にこうも悠々とアラマの策の為の工作を拵える時間もなかっただろう。

 

「よし」

 

 私は新たに数枚の板切れを調達すると、サンダラーに鞍に縄で結びつけ、来た道を急ぎ戻る。

 来た道を戻りながら私は、アラマが私に語った策の中身を思い返していた。

 それは――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――パズズの怒りを呼び覚ますのです』

 

 アラマの言ったその名前に、私は聞き覚えがあった。

 聞き覚えはあったのだが、それが何だったのかは思い出せない。

 私の怪訝な表情を見て全てを察したのか、アラマはこほんと咳払いをひとつしてから、改まった口調で語る。

 

『アフラシヤブの丘に救っていた蝗人(マラス)たちのことは、まれびと殿もご存知でしょう?』

「ああ」

 

 流石に連中のことを忘れるようなら、私ももう耄碌したということになるだろう。

 

『パズズとは熱風と疫病を運ぶ魔神、そして蝗の雲を司ります。あの蝗人たちこそは、パズズの児らとも呼ばれる、魔神の眷属たちなのです』

 

 この言葉で、私もようやく思い出していた。そういえばアラマが、今言ったのと同じようなことを話していた筈だ。

 

『アフラシヤブは不敗の太陽にて牡牛を屠るものミスラの広き牧場、その牧場を守るは魔神パズズ。パズズは魔神ですが、彼を祀り、供物を捧げる者たちには守り神にもなるのです。そして仇なす者たちには死と病とを撒き散らす……蝗人は、言わばパズズの怒りの使者達なのです』

 

 彼女の言うことは魔法使いの専門用語が多すぎてわかりにくいが、それでも大意は掴むことができる。

 

「……要するに、あの虫人間どもをもう一度呼び出して、あの死体どもにぶつけようって腹か?」

『まさに然りなのです!』

 

 なるほど。

 確かにあの虫男どもは頑丈で手強く、しかも数が多かった。

 あの屍人の軍勢にぶつけて潰しわせるのは、実に格好の策と見える。

 しかしだ。

 

「あいつらは、俺達が皆殺しにしたんじゃないのか?」

 

 当然の疑問が湧いてくる。

 連中とは都合、三度ばかり戦り合ったあわけだが、私にキッドにイーディスに色男に、そしてまだ生きていたロンジヌスにグラダッソに、チャカルの戦士たちに加え、アラマの呼び出した魔獣共までが手当たり次第ちぎっては投げ、ちぎっては投げと連中を殺しに殺したのである。あれだけやって、まだ連中が生き残っているとは、正直信じがたい。

 

『まさか! 彼らが出るのをやめたのは、彼の地に施された術が、相次ぐ攻撃を前に限界を迎えたからにほかならないのです! パズズは、その児らと共に地下の世界を住処とします。地下の世界には、3600000をも凌ぐだけの数の蝗人が、ひしめき合っているとのことなのです!』

 

 三百六十万という数がいったいどこから出てきたが知らないが、とにかくたくさんいるということを言いたいらしい。

 にわかには信じがたい話だが、信じがたいことが起こることが当たり前なのが「こちら側」だ。ましてやアラマの魔法だの神だのについての知識の確かさは、ここに至るまでの旅路のなかで、私は何よりも良く知っている。

 

『ならばこそ、わたくし達が今やるべきは、新たなる術を以て古き術を上書きし、パズズの児ら、蝗人たちの巣とこことを繋ぐことなのです。そのために――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――祭壇を築く必要がある、か」

 

 私は、アラマの言葉を思い出しながら独り呟いた。

 思い返している間に、サンダラーはもと来た場所へと戻っていた。アラマの背中が見える。

 鞍に板切れを結びつけている縄を解き、調達してきた材料を肩に負う。アラマの背後にそれらを下ろせば、彼女は私の方も見ずに新たな板切れを拾い上げ、短刀を使って素早く細工していく。

 気がつけば、祭壇とからは既に半ば出来上がっている様子だった。

 板切れで成る台形の土台。恐らくはその上に小屋から調達してきた鍋が載ることになるのだろう。

 既にアラマの傍らには、儀式に必要だという諸々――染料の入った瓶、葦で作った絵筆、蜂蜜の詰まった小壺、葡萄酒の入った革袋、何かの植物の根っこ、何かの植物の葉っぱを干したもの等々――が既に綺麗に並べられている。

 

「……」

 

 アラマは驚異的な集中力で、言わば簡易祭壇を作り上げているのだ。

 私は静かにサンダラーのもとへと戻り、更なる材料を求めて例の小屋のもとへと向かう。

 

 こんなことをあと二回ばかり借り返せば、材料が揃い、祭壇はほぼその土台が完成する。

 

『仕上げです』

 

 アラマは葦の筆の先を顔料の入った陶器の瓶に浸し、祭壇に様々な図像を描き始める。

 三日月。

 七つの点。

 星。

 稲妻。

 鳥。

 雄牛。

 麦の穂。

 そして、抽象化された樹木。

 これらを何らかの規則にのっとって、独特の間隔を開けながら、描いていていく。

 

『出来ました』

 

 アラマが筆を置いたとき、私は思わずううむと唸っていた。

 学もなく教養もなく、ましてや芸術など理解もできない私だが、ひとつだけ確かだと言えることがある。

 アラマの描いた絵は、実に神秘的で、実に美しいということだ。

 太くシンプルな線が描き出すのは、やはり単純な図像だが、却ってその単純さが神秘の気配を醸し出していた。

 

『――では儀式を始めるのです』

 

 私は、静かに彼女のなすことを見守った。

 

『天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲス。熱き西風(ゼフィロス)よりわれらを守り給え……』

 

 朗々たる祝詞は、人なき荒野の風へと、次々と吸い込まれていく。

 彼女の他に話す者もない静寂のなか、儀式は粛々と進んでいき、そして終わる。

 

『あとは、結果を御覧じろ、なのです』

 

 祭壇の前に跪いていた、アラマが立ち上がり振り返れば、やはりと言うか自信に満ちた笑顔がそこにある。

 だがそれを見る、私の心情は変化している。

 不安は消え失せ、蒸留酒のように強い期待のストレートだけが、私の胸中にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 例の列車ような音、屍者の群れの奏でる足音は、その大きさを毎秒ごとに増していき、その高鳴りは私達にヤツラの接近を知らせる。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 足音はどんどん大きくなり、最早耳障りな程であった。それでもヤツラの姿は、まだ、見えない。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 丘の稜線にそって身を伏せ、隠れ見ながら待つ。

 

「!」

『!』

 

 そして、私達は見た。

 毛は愚か、頭皮すらもがこぼれ落ちた、腐った禿頭の、その先端の連なりが殆ど同時に現れるのを。

 頭の先は、額ととなり、眉となり、双眸となり、鼻となり、口となり、顎先と成る。

 顎先より下、首、肩、胸、腹、そして足と、最後には五体が明らかと成る。

 

 連中は、遂に姿を現した。

 着々と、アフラシヤブへと向けて歩みを進みている。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは同時に、同じ方を見ていた。

 連中が歩む、その道の途上。

 小さな社。されど、正しく祀られし社。

 

 その社に、意志なき屍者の群れは迫る。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 ヤツラが、こちらの狙い通りに、狙う通りの行動をとるか否かを待つ。

 

 連中が、歩み、迫る。

 アラマが拵えた祭壇へと、迫る。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 ヤツラが、こちらの狙い通りに、狙う通りの行動をとるか否かを待つ。

 

 連中は、自身の行動を理解していない。

 ただ、軍勢の遥か末尾に居座った者たちの、命ずる通りに動いているに過ぎない。

 そこが、私達にとっての狙い目であるのだ。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中が進むのを、祭壇のほうへと進むのを、待つ。

 やつらが迫るのを、じりじりと、着実に歩を進めるのを窺う。

 

 連中は気づかない。

 自分たちが進んでいる先に待つ、例えるなら列車をも丸ごと吹っ飛ばせるほどの爆薬を。

 その不死にして止まらず歩みを、とどめる者たちを。

 その者達を、地の底より呼び出す鍵を。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中が祭壇を、考えもなしに踏み潰すのを、待つ。

 

 連中は進む。

 俄仕立ての祭壇へと向けて。

 祭壇を屍者が穢さんとすることを、ヤツラは、スツルームの魔術師共は知るまい。

 なにせヤツラは、遥か後方、最後尾に控えているがゆえに。

 

「……」

『……』

 

 私とアラマは固唾をのんで待つ。

 連中の足は、今や祭壇の眼の前にして、踏み出した次なる一歩は、俄仕立ての祭壇に向けられる。

 

「!」

『!』

 

 そして踏み潰す。

 簡素なれど、正しく祀られた祭壇が穢される。

 かくして――。

 

「! なんだ!」

『砂が! 土が! まるで間欠泉のように!?』

 

 ――地の底との道は開かれた。

 吹き出る土塊は、新たに湧きいずる人ならざる軍勢の、新たなる鬨の声に違いなかった。

 

 

 



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第31話 ヴァモス・ア・マタール・コンパニェロス!

 

 

 

 

 祭壇を穢され、踏みにじられ、それを許す神など居ようものか。

 ましてや、それを為したのが、表皮に蛆這わし、口の端から腐った涎を垂らす屍人なのだ。

 

 ――恐れ慄け。かくて怒りの日ぞ訪れん。

 

 父に言われて昔読んだ聖書の一節には、その日がやってくれば世界の全ては灰燼に帰すと書かれていた。

 彼方に見える土と砂が柱となって天へと吹き上げられ四方に散る様は、そんなこの世の終わりを告げているかのようだった。

 

「っ!?」

『ッッッ!?』

 

 私もアラマも、二人して言葉にならない驚声を同時にあげる。

 その訳は、土煙の吹き上がりを皮切りに響き始めた、大いなる異音。

 屍人の群れの足音が機関車のようならば、こちらはまるで牛の群れの暴走(スタンピード)だ。

 あるいは、途切れなく注ぐ滝の、水の奏でる怒涛の音か。

 

 その源は、すぐに私達の前に姿を現し、私達は再度悲鳴にも似た呻きを漏らした。

 言うなれば、生きて動く絨毯だ。それほどまでに、アフラシヤブの丘でのいつぞやの遭遇とは比べ物にもならない数と密度なのだ。蝗人の群れは文字通り大地を埋め尽くし、全速力で己のが神の社を穢した不浄共へと突き進む。

 鱗は陽光に照らされて湿度を帯びたような輝きを放ち、例のヤスリ同士で擦り合わせるような不愉快な金属音は、互いに唱和して、聞いている私達の耳を潰さんばかりだった。

 

『あぐぅっ!』

 

 アラマはと言えば、堪らずとその両耳を掌で塞いでしまう。

 対するに私は、前の戦争中に散々聞いた砲声と銃声に耳が慣れていたために体の方は平気であったが、密かに、コートの下で冷や汗をかいていた。

 生きとし生けるものならば、どれほどのタフガイでも、怖気を催さずにはいられないような眺め――だが、既に死んだ連中には恐れもなにも無い。

 

 屍人共は、光なき濁った眼で迫る異形の軍勢を迎える。

 歩みも止めず、早めるでも遅らせるでもなく、悠然たる行進。至上の訓練を受けた兵士たちでも不可能な、機械めいた規律あるその姿。耳を聾する虫どもの咆哮も、その死せる歩みを止めるには至らない。

 

 死者と虫けら。

 2つの軍勢はどちらも躊躇など一欠片も見せず、瞬く間に彼我の距離を消しさって行く。

 この世にあってなお、この世ならぬと呼ぶのが相応しい群れ同士が、真正面からぶつかり合う。

 

 ――破砕音。

 

 硬い何かが砕け散る音、湿った何かが弾け散る音が同時に溢れる。

 私達の見守る前で、二つの軍団の最前列が衝突し、その衝撃でどちらもが逆方向に吹き飛び、崩れ落ちる。

 衝撃に腐肉は弾け、鱗が割れる。悪臭放つ血反吐が舞い、耳障りな鳴き声はより甲高く鳴る。

 全速力で、なんの躊躇いもなしにぶつかりあえばこうもなろう。だが惨憺たる惨状を前にしても、両軍勢、共にその進撃を止めはしなかった。

 

 ――破砕音。

 

 ――破砕音。

 

 ――破砕音。

 

 屍人も蝗人も、吹き飛ばされ地面に転がる同朋を、乗り越え、跳び越え、踏み潰し、幾度となくぶつかり合う。

 瞬く間に骸が――元々そうだったものも、今しがたそうなったものも、互いに重なり合って山のようになるが、どちらも委細も構うことはない。恐れ知らずの真っ向突撃を繰り返すのみ。

 

『わ、わ、わ』

「……」

 

 凄絶たる有様に、アラマは言葉をなくしている。

 銃剣地獄にも既に見慣れた私は、もう呻く言葉もなく、冷徹に戦局を見守る。

 

 かくも正面からの突撃勝負というのは、戦場でも早々お目にかかれるものではない。

 当たり前だが、どんな兵士にも恐怖心がある。勇者だろうと死の恐ればかりはどうにもできない。それが、この世に生まれ落ちた者たちの生来のサガというものだ。

 それでも兵士たちが待ち構える敵へと突撃ができるのは、戦友たちのため、家族のため、故郷のため、祖国のため、信念のため、正義のため、あるいは金のため……恐怖を抑え込むに足る、勇気の源となる何かがあるからだ。だが、それらとて、死の恐怖を抑え込むだけであって、消し去ることは決してできないのだ。

 

 果たして、屍人も虫どもも、死を恐れぬ突撃を繰り返している。

 あるいは既に死せる身ゆえにか、あるいは死を感じる能もなきゆえにか。

 我が身が朽ちるを顧みず、ただただ敵へと目掛けて突っ込んでいく。

 

「……」

 

 私は思案した。

 結局の所、“戦闘”というやつは気合の勝負なのだ。要因はどうあれ、先に心が折れたほうが負ける。

 しかして、どちらも折れる心もない場合は、いったい如何すべきなのか。

 

『……動かなくて、よろしいのですか?』

「うん?」

 

 思案を破ったのは、アラマからの問だった。

 

『まさに修羅の巷といったこの状況……スツルームの魔術師や、かのまれびと達に仕掛けるに好機なのでは、と。そう思ったのです』

「ん」

 

 私は頷きを返す。

 確かに、この状況は一見すればチャンスとも見える。だが――。

 

「そのまれびとどもが、俺達の好きにはさせてくれんさ。連中はただのプロのガンマンじゃなく、元遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)のプロのガンマンなんだからな」

 

 そう、連中は今も昔も私の同業者なのである。

 ならば、こういう混沌とした状況を利用して、仕掛けててくる可能性は二人も当然考えるはず。ガチガチの迎撃態勢を、既に整えて終えている所だろう。手ぐすね引いて待ち構える相手に仕掛けるほど、私は間抜けではない。

 

『……なるほど、確かなのです。同じまれびと同士、互いの手の内は知り尽くしている、というわけなのですね』

「そう――」

『? まれびと殿?』

 

 そうだ、と返そうと思って、私はふと考えた。

 互いの手の内を知り尽くしている――それは確かだ。だがだからこそ、打てる手もあるはずだ。

 

「アラマ」

『はい』

 

 私は、新たに思いついた策を実行に移すべく、アラマに告げる。

 

「例の、地を這う文字で伝えてくれ。キッド、イーディス、そしてあの色男殿にもだ」

 

 ナルセー王のもとに残った連中を呼び出し、私達が成すことはひとつ。

 敢えての奇襲。こちらを待ち構えながらも、恐らくは本当に仕掛けてくることはあるまいと、プロらしい状況判断を下すヤツラの鼻っ面に、一発かましてやろうという一手。

 

「狙うは『頭』だ。一気に終わらせるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うへー、壮観、壮観」

『幾つも戦場を巡ったが、こうも凄まじいのはそうはないな』

『……なぜ、こういう仕事ばかり』

 

 呼べば、すぐに三人は翔ぶ様にやって来た。

 いまだにぶつかりあう、死者と虫けらとの激突を眺め、キッドは口笛吹き、イーディスは感嘆し、色男は愚痴る。

 

「早速、仕掛けるぞ」

 

 私は、勢揃いした選りすぐりのプロフェッショナルたちへと向けて、告げた。

 昔、メキシコ人と仕事をした時に覚えた、威勢の良い鬨の声。

 

 

「Vamos a matar, companeros! / 野郎ども、殺っちまおうぜ!」

 

 

 かくて私達は、修羅の巷に紛れて、馬を駆けさせる。

 

 

 

 



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第32話 ザ・ホース・ソルジャーズ

 

 

 

 屍の山を積み上げる、屍人(グアール)と蝗人(マラス)の死闘。

 それを尻目に、私達五人は修羅の巷を迂回しながら、死闘の後方、そこに居る筈の元凶三人組を目指す。

 

 街道から外れ、普通ならば敢えて足を踏みれようなどとは、誰も思わぬ悪路を、私達は進んだ。

 カウボーイだった頃を思い出すような、そんな道である。

 先頭を走るのは道案内役の私。その左右後方をイーディスとキッドが続き、その後ろにはアラマ、最後尾は色男が務める。皆、道が悪いにも関わらずそつなくついてきてくれている。イーディスに色男は傭兵であるから馴れているだろうとは思っていたが、私としては意外なことにキッドも結構な馬さばきを見せている。

 

「よぉ! どぉ! ハハハ!」

 

 服装も小洒落ているし、どうもやっこさん、学というやつがお有りである。

 てっきりシティ・ボーイあがりかと思えば、なかなかどうして、馬の扱いには馴れているらしい。もしかすると、この男にもカウボーイの経験があるのかもしれない。

 

『……全く、なんでいつもこうなのだ。仕事は仕事だが、こうも危ういものばかり任される。不本意だ不本意だ不本意だ。出稼ぎの身の上だぞこっちは。危ういのはゴメンだゴメン、御免こうむる』 

 

 最後尾の色男が、なにやらぼやくのが聞こえる。

 振り返れば、ぼやきながらも愛用のクロスボウに矢を番えているのが見える。

 なんだかんだ言いいつつ、やっこさんも歴戦の傭兵なのだ。あの切り替えの速さは、信頼に値する。

 

「それにしてもだ」

 

 正面に向き直った私に、こう声をかけてきたのはキッドだ。

 

「本当にコッチであってんだろうなぁ?」

 

 その疑わし気な視線には訳がある。実際、私の導く道筋は道なき曠野を進むばかりなのだから。

 

「間違いない。連中の位置は大方解ってる」

「ホントかよ」

 

 私が保証しているのに、なおも疑うとは失礼な野郎だ。

 確かに、道標もなしに足跡一つない荒野を駆け、地図も見ずに幾つかも分からない丘を越えている現状には、不安を抱くのもわからなくはないが、私だって一端のガンマンなのだ。その私の言うことぐらい、信じて欲しいもんではないか。

 こちとら、前の戦争の時は斥候任務も幾つもこなしてきたのだ。この程度のことなら、朝飯前でしかない。

 

『キッド殿、まれびと殿の言葉は確かなのです! わたくしもそれを保証するのです!』

 

 アラマが強い口調で、私の確かさを保証してくれる。

 相手が女となれば、キッドは強くも出れないのか、バツ悪そうな顔をしながら、仰る通りです御嬢さん、などと小さく呟いていた。……いい気味じゃあないか。

 

『問題は、肝心の連中が見つかった所で、仕掛けられるか、ということだろう』

「……」

 

 横合いから、そう冷静な意見を飛ばしてきたのはイーディスである。

 これに対しては、私は冷水でも浴びせられたかのように何の言葉も返せなかった。

 なにせ私の作戦はプロの裏の裏を掻くことを狙う――まさに奇策といった代物で、つまりは半ば博打なのだ。成功するという、確たる保証は、何処にもありはしない。

 

「……ここまで来れば、あとは伸るか反るか、だ」

「なんとまぁ」

 

 キッドは、私の無責任な言い様に呆れたと言った顔を見せながらも、コルト45口径を左手で抜けば撃鉄を半分だけ起こし、弾倉を右腕に当てて引き空転させる。軽やかに弾倉は廻り、銃のコンディションが、早撃ちにも充分耐えうることを教えてくれる。

 

「でも、嫌いないゼ。そういうの」

 

 不敵に、笑う。

 イーディスもまた、同様の微笑を見せる。

 

『おぉっ!』

『……』

 

 堂々たる二人の姿にあてられて、アラマもまた目を輝かせるが、色男はと言えば目頭を押さえている。

 私はと言えば、何の言葉もなく正面に向き直り、ただ先導を続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――JACKPOT!」

 

 キッドは、口笛をひとつ吹いたあと、博打打ちらしい言い回しで、目の前の光景を評した。

 果たして、私の先導は実に正確そのものであり、目当ての車列まで一行を連れてきたのである。

 

 連中は、一挙に荷物を運ぶために、荷車を繋いで列車のように仕立てる策をとった。

 だが今はそれが完全に裏目に出て全く立ち往生してしまっている。

 車列を長くしすぎたが為に、街道を外れて迂回することができなくなっているのだ。そして街道は完全に死者と虫どもの切った張ったが塞いでしまっている。

 

「……」

 

 私は望遠鏡を通して、つぶさに連中の様子を観察する。

 レンズの向こうに見えるのは、先に偵察したときとまるで変わらない有様だった。

 すなわち、スツルームの魔法使いに、その両脇を固めるヘンリーそしてバーナード、さらにその周囲を屍人が1インチの隙間もなく綺麗な円を描いて囲んでいるのだ。

 

 しかし――。

 

『――少ないです。減っているのです』

「ああ」

 

 傍らのアラマが望遠鏡を覗きつつ言うのに、同意する。

 恐らくは、この場を守る最低限の屍生人を残して、後は全て蝗人どものほうへと回しているのだろう。

 さっきまでは列車を動かすために車輪ごとにはりついていた屍人も、鎖に大縄を曳いていた屍人も影も形もない。

 だが、だ。

 

「それでも、五人で仕掛けるにはちょいとな」

『ああ、数が多い』

『あれを相手にするのは、御免だぞ』

 

 キッド、イーディス、色男が相次いで言ったのは、まさに正しい。

 あの屍人の数はそれでも鉄壁(アイアンクラッド)、あるいは石壁(ストーンウォール)と喩えるに相応しい。しかもその裏側には邪悪な魔法使いに、狂気を宿した『 地獄の使者(ザ・プレイグ )』たちが控えているのだから。

 

「“その名に恥じぬ猛将マクベス、運命を物ともせず、 戦の神の申し子がごとく……”」

 

 不意に、キッドが呟くように言う。

 

「“血煙立つ剣閃かし、まっしぐらに敵中に割って入り……”」

 

 実に気取った、古めかしい言い回し。

 

「“遂に敵将に巡り合えば、握手もなく、さよならも告げず、臍から顎まで真っ二つに斬り裂き、その御首を胸壁に晒す……”」

 

 敵の様子を目を細め窺いながらの、歌うような言い回し。

 

「例の、シェークスピアとかいう野郎の言葉か?」

「……ん。まぁ、そういうふうにできれば良いなぁ、って話さ」

 

 キッドは得意げな微笑みで答えると、葉巻を咥え、一服して一言付け加えた。

 

「なにぶん、こちとら勇猛なるマクベスじゃあなくってね。人並みに命は惜しいってこと」

 

 確かに、やっこさんの言う通り、真正面から乗り込むのは余りにリスクが大きく、実質不可能ではある。

 いや、厳密に言えばイーディスが以前使った、あの悪魔めいて力を増す術を使えば別かもしれないが、あれを使った後、彼女はぶっ倒れて暫くは動くのもままならなかった。つまりは、切り札にしか使えない。

 

 ならば、別の手を考えるほかはない。

 

「アラマ」

『はいです!』

 

 私の呼び声に、アラマは爛々たる瞳とともに応える。

 

「もうひと仕事、頼む」

『仰せのままに! なのです!』

 

 そうして、次なる術へと私達は取り掛かる。 

 

 

 

 

 

 

『天にかけて、地にかけて、アクランマカマリ、アブラナタナルバ、セセンゲンバルファランゲース……マスケッリ、マスケッロー、メリウーコス、ミスラ……』

 

 アラマが呪文を唱え、私に青銅の杯を手渡した。

 杯の中身は、蜂蜜と水の混合物。彼女が手ずから拵えた、特別なる神への捧げ物。

 

『兵士より獅子へ、蜜を注ぎ捧げます。光の君の劫火を絶やさざるために』

 

 アラマが、左右の掌で何やら複雑な形を――イーディス曰く、『印を結ぶ』というのらしい――作りながら、呪文を唱える。それを聞きながら、私は私の仕事を着々とこなす。その様を、残りの三人は静かに見守る。

 

『こいねがう、こいねがう。われは、こいねがう。広き牧場(まきば)にありて、よく武装せるミスラへと。武装せる者なかで栄光をもつこと第一、武装せる者のなかで勝利を博すること第一なる、不敗の太陽へと』

 

 私はアラマに言われた通りに、杯の中身を細く零し、円を描き、その中に八芒星を描いた。

 アラマは星の真ん中に入って跪き、さらに印を結び、仕上げとなる呪文を声高く叫ぶ。

 

『不敗の太陽が輝き、新しき光よそそぐ。みのりおおき大地(テルス)によりて、屠られたる牛、万物を産む。注がれし蜜によりて、獅子よ――いづれ、いづれ!』

 

 この儀式を行うのは既に二度目。それも前回と違って一切妨害もなく、故に最速で完了させる。

 描かれた星と円は白く輝き、地面から湧き出るように、 獅子たちがその姿を現した。

 

 全く、実に見事な獅子たちである。

 以前、サンフランシスコでサーカスの見世物で対面したライオンとは、体格も風格も段違いで、黒いたてがみは胴にまで達するほどである。

 

「まるでバーバリライオンだな。昔、博物学雑誌で読んだぜ」

 

 またキッドが何やらわけのわからない文句を吹聴している。

 獅子たちのほうはと言えば、そんなキッドの講釈など気にするでもなく、アラマが杖の指す方へと向けて、一斉に走り出す。砂埃を立て、その四足で地面を強く踏んで蹴って、群れ一丸となって突き進む。

 

「続くぞ」

「よしきた」

『応とも!』

『行きましょう!』

『やれやれ』

 

 続けて、私達も一斉に馬を駆けさせ、標的を目掛けて走り出す。

 獅子たちに続き、丘の稜線を登り、頂きを超えて、その先を目指す。

 

 案の定、丘を超え車列目掛けて襲いかかるライオンの群れには、連中も肝をつぶしたらしい。慌てて屍人たちをぶつけて、猛獣の進撃を食い止めんとしている。

 屍体の壁を抜けて、スツルーム野郎の陣取る荷車に食らいつく獅子もいるが、ヘンリーが得物のレバーを閃かせれば、釣瓶撃ちの銃撃に次々と斃され、光の粒となって亡骸も残さず消え失せていく。

 

 銃声。

 咆哮。

 呻き。

 

 それらが混じり合い、獅子が屍者を喰い、屍者が獅子を喰い、異界のガンマンが死を撒き散らす阿鼻叫喚を彩る。その地獄を、私達は真っ向駆け抜ける。

 

「ウォロロロロロロロロロロゥォォォォォォー!」

 

 獅子や屍者の声に負けぬよう、銃声すらも上書きするように、私は叫ぶ。

 復讐の女神(フューリー ))のような甲高い雄叫び、 「反乱の雄叫び」と北軍の連中が呼んでいた南部の叫び。

 

「TALLY-HOOOOOOOOOOOOO!」

 

 キッドも負けじと絶叫するのは、謎めいた鬨の声。

 私には意味が解らなかったが、なにかの由緒があることだけは解る叫び。

 

『剣神よ照覧あれ!』

『不敗の太陽の差すままに!』

『ええい! こうなりゃヤケだ!』

 

 イーディスも、アラマも、色男すらもが私達に唱和し、声ごと一塊となって突き進む。

 ようやく私達に気づいたヘンリーにバーナードは慌てて銃口を向けてくるが、私もキッドも既に銃を抜き放っている。

 

「DUCK YOU SUCKER! /  失せろ、糞ったれ!」

 

 私の左手に輝く、海賊版コルトの真鍮(ブラス)フレームに気づくや否や、バーナードは身を伏せる。

 野郎の影を私は射抜き、さらに右手にもコルトを握れば、引き金を弾いて追い打ちをかける。

 撃ち斃すなど、最初から考えてはいない。強力な一撃を持つ、ヤツを封じるための攻撃。私は左右のコルトの引き金を交互に弾き続け、戦列射撃よろしく弾幕をはる。

 

『交わす剣は刃鳴散らし、敵打ち破る陣太鼓! 百邪斬断万精駆逐! 疾く道あけよ、亡者共!』

 

 イーディスは馬の背を踏み台に宙を跳び、獅子たちに混じって屍人を斬り伏せる。

 その素早い動き、煌めく刃、さらには獅子たちの猛迫に、ヘンリーの照準が定まらない。

 さらに色男のクロスボウが、アラマが久方ぶりに取り出した短弓が、それぞれ矢を放ち、ヘンリーの動きを乱す。

 

 スツルーム野郎への道が、一直線に拓かれる。

 

「――父と子と」

 

 キッドが馬に拍車をかけて、ギャロップで突っ込んでいく。

 コルト・シングル・アクション・アーミーが抜き放たれ、7.5インチの銃身が真っ直ぐに、獲物へと向けられる。

 

「聖霊の御名において!」

 

 慌ててヘンリーとバーナードが壁にならんと動こうとするが、もう遅い。

 狙われる当人も棒立ちであり、避ける素振りも見せない。

 

「AMEN!」

 

 奴の心臓目掛けて、キッドは引き金を弾く。

 45口径、装薬量40グレインの強力な弾丸は、狙いを過たず空気裂いて走り――魔法使いが胸元に掲げた鏡に突き刺さった。

 

「DAMN IT! / チクショウ!」

 

 キッドが毒づく。

 野郎の棒立ちは動けなかったのでは、動かなかったからのようだった。

 事実、着弾の衝撃に魔法使いはよろめきこそすれ、血は一滴も垂らしていない。

 いったいどういう強度なのか、銃弾が突き立った鏡は、ひび割れこそすれ砕けてはいない。

 

 キッドは騎上故に、得意のファニングショットができていなかった。

 故に素早く右片手のスタイルのまま、撃鉄を親指で起こし、次弾で標的を仕留めようとした。

 

 だが、それは果たせない。

 キッドは銃をスツルーム野郎に向けたまま、唖然とした顔になる。

 

 魔法使いは、キッドのほうへと鏡を向けていた。

 そこには、ひび割れたキッド自身の姿が映っていた筈である。

 

「――」

 

 しかしキッドの表情は、明らかに違う何かを見たが故の表情だった。

 軽口もなく、獰猛な微笑も、皮肉げな眼差しもない。引用も、キザな台詞もない。

 まるで、亡霊にでも出会ったかのような、そんな表情。そんな表情のまま、動きが止まる。

 

「馬鹿野郎!」

 

 私の放った警告に、キッドは正気を取り戻し、馬上から地面へと跳んだ。

 ヘンリーの放った銃撃がキッドの影を、そして彼の馬をも撃ち抜き、哀れ主に捨てられた馬は断末魔と共に崩れ、斃れる。

 

「くたばれ!」

 

 私は地面を転がり逃れるキッドへの援護と、左のコルトでバーナードを追いつつ、ヘンリーへと右のコルトを大雑把にぶっ放した。ヘンリーの銃撃を一時中断させれば、スツルーム野郎へも視線を向ける。

 

 ヤツはキッドへと鏡を向けて見せたときと、全く同じ体勢のままであった。

 銃弾の突き立った鏡を掲げ、広い庇の黒帽子の下は、長い嘴をもつ鳥の顔のような灰色の仮面隠され、他のスツルームの魔法使い同様、表情は全く窺えない。

 

 ヤツが私のほうを見た。

 両目を覆う紫のレンズの向こうで、ハッキリとは見えないが、ヤツの双眸が細まったようだった。

 

 ――嗤っている。

 

 私はその気色の悪い仮面にコルトを向けようとして――肝を潰す。

 ヤツの掲げた鏡から、毒々しい煙が吹き出し、生き物のように素早く動き出したのだから。

 

 

 



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第33話 レッド・リバー

 

 

 

 スツルーム野郎の鏡から飛び出した、毒々しい煙。

 深い紫色のなかには、硝子の欠片でも散りばめたようにキラキラと光り輝くものがある。だからと言って美しいという訳ではなく、見るものに恐怖を抱かせる、危うく妖しい輝きだ。

 

 ――嗚呼、思い出すのは、蒸気機関車の吐き出す黒煙。

 

 西部の荒野を征服し、自然を凌駕し、何もかもを踏み潰して進む、あの黒鉄の怪物。私にはサンダラーがいるが為に、あまり乗ることは多くはないが、一度そのはらわたのうちに収まれば、その力を感じずにはいられない、あの威容。

 そんな汽車の吐息を連想させる、魔法使いの吐く紫煙は、生き物のように、宙を這う蛇めいてうねりながら空を走る。幾条にも分かれ、昔、旅の無聊の慰みにと、買った三文小説(ダイム・ノベル)に出てきたような、多頭の怪物(ハイドラ)めいている。

 煙は、その一条一条が、各々別々の屍人へと纏わりつき、鼻から口から、その腐った体内へと入り込んでいく。

 

 ――ぐにゃり。

 

 と、煙を吸った屍生人は、氷のように、雪のように溶けて、まるで肉色のチーズのように姿かたちを変える。

 溶けた屍人達は――それは都合、十人分ぐらいだったろう――、野を駆ける鹿をも凌ぐ素早さで互いに集まり合い、溶け合い、ひとつになっていく。

 時計の針が僅か数秒進む間に現れた、この異様なる光景には、私やキッド、イーディスにアラマ、そして色男はおろか、ヘンリーとバーナードですら銃口をだらしなく下ろして、唖然とした有様であった。

 

 肉塊はひとつになればたちまち姿を再び変じて、瞬く間に新たなる形をつくっていく。

 

 手が生え、足が生え、頭が生え、ズボンが浮き出し、靴が足を覆い、コートが形作られ、帽子が湧き出る。

 全てが赤黒かった人形(ひとがた)のなかに差異が生まれ、色づき始める。

 

 まず表れたのは青。

 次いでは黄色。

 最後には黒と灰色。

 

 私は、思わずアッと声に出していた。

 声には出さねど、ヘンリーやバーナードもこの時ばかりは私と同じ想いを抱いていただろう。

 

 交叉するサーベルのエンブレムをあしらった、黒い庇の広い帽子。

 濃紺の上衣には金ボタンが輝き、水色のズボンには黄色いラインが走る。

 黒ブーツには銀拍車。首には洒落た赤いスカーフをあしらってある。

 

 忘れもしない、その青い姿。

 ああ、幾度となく、煮え湯を呑まされた、北軍(ヤンキー)騎兵のいでたち。

 

 右手には刀身が鈍く輝くサーベルを下げ、そして左手には――意外なる得物がおさまっている。

 

 ――レマットリボルバー?

 

 キッドが奇妙にもその左腰に吊るした、古い古い南軍(ディクシー)の拳銃。

 どう見ても北の騎兵なその男は、なぜか似つかわしくないそれを左に握っている。

 

『――』

 

 死体から産まれた北部男は、俯いていた顔を静かに起こした。

 立派な口ひげ、綺麗に整えられた髪。それだけ見ればいかにも紳士な顔立ちだが、しかしその肌の色は青白く、しかもその双眸は石炭のように“真っ黒”だった。

 そう、本当に、言葉通りに真っ黒なのだ。

 白目と瞳の区別もなく、インクを眼窩に注ぎ込んだかのように、真っ黒なのである。

 私は、寒気を催した。背筋に、嫌な汗が湧くのを、強く感じた。

 

『――』

 

 男は、左手の銃をキッドのほうへと向けた。

 キッドは――動かない。

 ついさっき、スツルーム野郎の鏡のなかを見た時と同じ、まるで、亡霊にでも出会ったかのような、そんな表情のまま、彫像のように固まっている。

 

「――」

 

 私が、何か叫ぼうとする。

 何と叫ぼうかと、自分の頭の中で出来上がる前、言葉の端も出ない内に、男の、引き金にかかった指に力が込められる。

 

 それが、合図になった。

 

 ――銃声。

 そして、肉の弾ける異音。

 

 真っ黒い眼の北軍騎兵の右胸の辺りに、三発の45口径ロングコルト弾は殆ど同時に突き刺さり、その衝撃には怪人の上体も大きく揺らぐ。

 

 最初に動いたのは、恐らくはキッド。

 恐らくはと言ったのは、その素早さが私すらも捉えらぬほどだったからだ。

 

 あの呆けた表情もそのまま、向けられた銃口、引き金にかかった僅かな力の鳴らす軋みに応じて、体のほうが先に動いたのだ。殆ど、一つにしか聞こえない繋がった銃声は、標的に刻まれた弾痕からようやく、実は三発分のものであったことが明らかになる。

 

『――』

 

 人間離れした甲高い絶叫が怪人の喉から迸り、ずれた銃口からは音もなく弾丸が飛び出し地面を穿つ。

 

「――ッシャァッ!」

 

 同時に、キッドは己が前へと跳びながら、上体を左に捻る。

 いつの間にか左手に持ち替えられたコルト・シングル・アクション・アーミーは、ヘンリー銃を構えたヘンリーの、その残像を撃ち射抜いた。

 ヘンリーはキッドとは逆方向に跳びつつ引き金を弾き、やつもまたキッドの残像を撃ち抜いている。

 

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 

 私は雄叫びと共に、二丁のコルトの弾倉が尽きるまで乱射した。

 早撃ちは門外漢のバーナード、キッドを狙うヘンリー、そしてスツルーム野郎に新手の怪人も纏めて、銃弾と硝煙で煙に巻くために。

 

「退くぞ!」

 

 状況の不利を悟って、馬首を返しつつ私はさらに叫ぶ。

 事実、キッドに三発も撃ち込まれた筈の怪人騎兵は、地に斃れることもなく、のろのろと私達へと銃口を向けつつある。それだけならまだしも、さらなる状況悪化が、矢継ぎ早に襲いかかってきている。

 

『なああああああああああああああっ!?』

 

 アラマが素っ頓狂な悲鳴をあげたのは、北軍騎兵に続いて湧いて出た、敵の新手に対してだった。

 

 ――咆哮、咆哮、咆哮。

 鋭い爪の生えた脚は地面を蹴り、鋭い牙をむき出しに、黒い鬣をなびかせて、それは迫る。

 

 それは――否、それらは獅子だった。

 アラマが呼んだのと寸分変わらぬ、ライオンの群れだった。ただし、あからさまに、そいつらは敵の車列の内から飛び出してきている!

 

 アラマの獅子と、敵方の獅子がぶつかりあえば、それらはまるで幻だったかのように煙となって掻き消える。

 次々と、こちらがたの獅子が掻き消えていく。

 ヘンリーにバーナード。

 スツルームの魔法使い。

 怪人たる北軍騎兵。

 獅子たちが抑えていた屍人どももこれに加わる。

 

 ――潮時だった。

 

「キッド! イーディス!」

 

 弾の切れたコルトを、素早く交換しながら私が叫べば、イーディスは口笛を吹き、己の馬を呼び寄せる。

 斬り込みを仕掛けて以来、主と付かず離れず追従していた八本脚馬は素早く駆け寄――ろうとした所で、その頭が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

「――バーナード!」

 

 私は、声に出して思わず叫んでいた。

 硝煙の向こうには、素早く50口径弾を再装填する、灰色の目の殺し屋の姿が見えた。

 紫煙吐く、シャープス・ライフル。馬もなく、駆けて逃れられる相手ではない。

 

 さぁ、どうする?

 退くにも退けず、進むにも進めず。

 このままではここでおっ死ぬ破目になる。

 

「アラマ! 麦だ! 麦だ!」

 

 私は、咄嗟の思いつきを半ば破れかぶれに言い放つ。

 聡明なアラマは私の突然の思いつきにも金の瞳を輝かせ応じ、鞍の物入れに詰め込んだ、瓶を幾つも引っ張り出す。

 

「撃て! 瓶を撃て!」

 

 ヘンリーとバーナードをコルトで牽制しつつ呼びかければ、色男が素早く得物を構える。

 キッドもまた、例の早業で空薬莢を流れるように弾倉より弾き飛ばし、手品のように鮮やかに再装填していく。

 

「アラマ!」

 

 呼べば、アラマが瓶たちを放り投げた。

 大きな弧を描き飛ぶ瓶の中身は、ゴーズの血。アラマは喉もやぶれよと金切り声で呪文を唱える。

 

 ――撃て!と合図する必要もない。

 瓶が一番宙高く飛んだ所を逃さず、キッドと色男は共に引き金を弾く。

 銃弾と角矢とが、各々瓶を打ち砕き、吹き出す血は最早雨というより空より注ぐ赤い河。

 

『――汝の流す血によりて、我らは救われん!』

 

 アラマの最後の呪文により、赤い河は金の海へと姿を変じた。

 実りに実った麦の穂が、私達とスツルーム野郎どもとの間を美しく遮る。

 

「退け!」

 

 今度こそ本当の潮時だ。

 イーディスは素早くアラマの馬に、キッドは色男の馬へと跳びつく。

 それを確認し、殿を終えて退却しようとする私の双眸が捉えたのは――麦の穂の雨を物ともせず、にじり寄り、こちらに銃口を向ける、北軍騎兵の怪人。

 

 やつの黒い眼と、私の灰色の瞳が交叉する。

 

 ――そして、私は遂に撃たれた。

 

 

 



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第34話 ア・バレット・フォー・ザ・ジェネラル

 

 衝撃が腹に伝わって来た時、正直な所、私は悪運もここで尽きたかと観念しかけた。

 前の戦争の時、私がトドメを刺してやった、腹に銃弾を受けたヤツは一人や二人じゃなかった。

 腕や足も良くはないがまだ生き残る可能性はある。だが腹はダメだ。腹を撃たれたヤツは助からない。

 

「DUCK YOU SUCKER! /  畜生、糞ったれ!」

 

 口に咥えていた、サンダラーの手綱を吐き出し、吠える。腹を撃たれた筈なのに、血反吐は不思議とでない。

 私は腹いせとばかりに私は野郎の胸板目掛けて一発ぶち込み、続けてもう一発を頭にお見舞いしてやる。

 騎兵野郎がよろけた所に、左右のコルトからさらに一発ずつ追い打ちかかけて、馬首を翻して皆を追った。

 

「……」

 

 私はようやく、二丁のコルトをホルスターに戻しながら、自分の腹へと恐る恐る視線を落とした。

 不思議なことに、感じるのは叩かれたような鈍痛ばかりで、銃弾特有の焼け付くようなものはない。

 少なくとも戦争中、北の狙撃手にあやうく右腕を吹き飛ばされかけたときは、そんな感触を得たものだ。

 

「――」

 

 まだ、安全圏に逃げたわけでもないのに、思わずホッとため息を一つ。

 あの怪人の撃った弾丸は、確かに私の腹に当たっていたが、そこに抱えるように吊るされていたコルトの、そのグリップに当たっていたのだ。九死に一生。この時ばかりは、信じてもいない神に感謝する。名前も知らない鉄砲鍛冶(ガン・スミス)が拵えてくれた、ガラガラヘビの意匠が、うまい具合にヤツの弾丸を受け止めたのだろう。グリップも割れ目が入って、もう使い物にならないだろうが、まぁ結局は交換で済む話だ。

 

 ――それにしても、随分と奇妙な銃弾だった。

 

 いや、銃弾というよりはむしろ小型の杭といったほうが正しい。

 ちょうど、親指ほどの太さが備わっている。くすんだその白色をしていて、その色には私は見覚えがあった。

 骨だ。乾いた人骨の色なのである。ヤツが、幾人もの屍人を混ぜ合わせて産まれた輩だと思い出す。そういえば、ヤツのレマットは銃声を発していなかった。恐らくはあれは銃のように見えるだけで、実際は野郎の体の一部なのだ。その体の一部を、あるで痰か折れた歯のように吐き出す……さしずめ、こんな所であるのだろう。

 

「……?」

 

 新たな、違和感。

 私は再び自分の腹元に視線を落とし、ギョッとして情けない声をあげそうになる。

 骨の弾丸から、滲み出るようにして、何か黒い蔦のようなものが伸び出てきているのだから。

 私はすばやく腹のコルトを引き抜くと、思い切り背中の向こうへと投げ捨てた。

 嗚呼、畜生、私が持つ、唯一のコンバージョン・コルト・ネービーよ。

 まだ弾薬も随分と残っているのに、捨てざるを得ないとは。

 

 これで、手持ちのコルトは六丁。

 二丁の小銃に、ペッパーボックスも含めれば充分な数に見えるが、相手が相手なのだ。正直、痛手だ。

 

 私は最後に、もう一度連中のほうを振り返ったが、降り注いだ麦と、その麦の豪雨が立てた砂埃とがあがり、まるで詳細は見えない。例外は、あれだけの銃弾を撃ち込まれながら、なおも立ち続けている、北軍騎兵の怪人。

 

 ああ、くそう。

 戦争が終わっても、アイツラは私をとことん苦しめるつもりであるらしい。

 唾を吐き捨てると、正面に向き直り、私はキッドたちを追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ありえないのです! ありえないのです! ありえないのです!』

 

 アラマが吠えて、咆えて、吼える。

 揺るぎない信仰と確信を以て大地を確固と踏みしめて断言する。

 連中から逃れ、身を隠した丘陵の裏側で、彼女は叫ぶ。

 

『確かに……あの獅子は不敗の太陽、広き牧場の主たるミスラの徒の御業かもしれません! ですが! 術は術! 術は術なのです! 邪悪な叛徒と言えど、相応の腕前があれば、信心なくとも信念なくとも、その上っ面を真似ること程度は可能、な筈なのです!』

 

 イーディスは哀しげに首を横に振る。

 

『剣の神の徒たる身の上、生憎と魔導は門外漢だが、それでも解ることもある。……獅子は、同質のものだった。ならばこそ、対消滅したのだろうさ』

『ですが!』

 

 アラマとイーディスは、魔法のマの字も解らぬ私には、理解できない討論を続ける。それでも現状理解の為にと、何か言って話に加わろうとするが、止める。私の専門ではないし、何よりアラマに任せるのが一番だとは、「こちらがわ」での今までの日々で学んだことだった。

 色男はと言えば我関せずと得物の手入れに勤しんでおり、私はすぐに視線を逸し、現状、最も気にかかる男へと視線を向ける。

 

 言うまでもなく、キッドのことだ。

 

「……」

「……」

 

 私は言葉もなく、やっこさんのことをジッと見つめた。

 優れたガンマンであるキッドならば、普段の彼ならばそれだけで気配に勘付き、こちらを見返したことだろう。

 

 だが、今のやっこさんは違う。地面に腰掛け、掌をだらりと垂らし、ここではない何処かに青い瞳を向けていた。

 剽悍にして獰猛、しかし粗暴ではなく諧謔を解する教養もあれば、芝居からキザったらしい台詞を引用し、皮肉げな笑みとともに嘯いたりもする。それが私の知っているキッドだ。

 

 だが、今その顔に浮かんでいる表情は、そのいずれにも当てはまらない。

 もう二十も三十も歳をとったかのように、キッドの顔は老け込んで見えた。

 それも、優雅に歳を重ねる金持ち共とは違う、鉄道工事に駆り出される清人労働者たちのような顔だ。

 数えきれない苦労と苦痛を背負い込んで、しかしそれに不満一つ漏らすこともできず、ただ押し黙って生きてきた顔。苦み走った、されど固く閉じられた唇。無感動な双眸。あるいは、こっちがキッドの素顔なのかもしれない。

 

 私は、この顔を知っていた。戦争中に何度もみた顔だ。

 こんな顔をした連中を、皆はこう評していたものだった。ああ、ヤツらは『兵士の心臓(ソルジャーズ・ハート)』を持っているのだ、と。

 戦争のころは、まだ文字通りの意味でのキッドだった筈のこの男が、そんな顔をしているのは妙だけれど。

 

「――ああ、なんだ、アンタか」

 

 キッドはようやく私の視線に気がつくと、いつもの顔に戻っていた。

 悪童めいたその表情……しかし、瞳に浮かんだ憂いまでは隠しきれていない。

 スツルーム野郎に鏡を見せられ、北軍騎兵の怪人と出くわしてからのキッドは、あからさまにおかしかった。

 その理由を質す――必要はないが、少なくとも切った張ったの最中にやっこさんが二度と寝ぼけたことをしないように、釘を刺す程度のことはしなくてはならない。それは同じまれびとである私の仕事だ。

 

「……そう剣呑な顔をしなさんな。“もう眠りはない、マクベスは眠りを殺した”……とっくの昔から知っていたことさ。ただ、少々それがあからさま過ぎて、ちょいとばかり、我を忘れただけさね」

 

 キッドは葉巻を咥えると、相も変わらずの手品めいた動きでマッチを取り出し火を灯してみせる。

 相変わらずの良くわからない引用を交えながら、紫煙を深く深く吸い込んで吐き出す。

 

「だが……“目にした恐怖も、心が生み出したソレには劣る”。むしろ、色々と吹っ切れたぜ」

 

 煙草の臭いが、まるで線路の切り替えスイッチのように機能したのか、キッドはその瞳から憂いを取り去る。

 代わって顕になるのは、明確な殺意だった。この男が賞金首であったことを人に思い返させるのに足るだけのそれだけの鋭さがそこにはあった。

 

「安心しろよオッサン。もうヘマはしない。それに、だ」

 

 キッドは得物を取り出した。彼愛用のコルト・シングル・アクション・アーミーのほうではない。

 

「あのバケモノは、必ず俺がしとめる。しとめなくちゃぁ、ならねぇ」

 

 乱戦のなかにあっても一度も抜くことのなかった、彼には似合わぬ古い南軍の銃。

 レ・マット・リボルバー。キッドが左側に吊るしていたリボルバー。そして彼曰く、やっこさんの親父が斃した南軍兵士から拝借したという代物。

 何故かキッドはレ・マットを抜き、それを右手に構えなおして、何度か手の中でスピンさせてみる。

 レ・マットは大型の銃だが、その重みを感じさせない軽やかな動き。所々剥げているとはいえ、ニッケルメッキは陽光を受けてキラキラと銀色に輝いている。

 

「あの中佐殿……いや、あの姿の頃は俄仕立ての将軍だったか、とにかく、アイツは俺が殺る」

「……」

 

 キッドにとって、あの北軍騎兵の怪人は顔見知りであるらしい。

 私は、敢えて詳しくは問わなかった。

 西部の荒野では、誰しも過去という名の痛みを抱えて生きている。

 故に、互いにそれに触れ合うことはない。みな自分のことのように解っているのだから。

 

 

 

 

 






『兵士の心臓』って?ってかたは、ダ・コスタ症候群で検索するとよろしいかと想いますぜ


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第35話 『エル・デゲリョ』from Rio Bravo

 

 

 

 

 反撃には準備を要する。

 ましてや、相手が怪物どもであるのならば。

 

 脇のホルスターに吊るした、二丁のコルト・ネービーを取り出す。抜き撃ちの便を考えて、銃身を短く切り落とした特注製のそれらへと、さらなる手を私は加える。引き金と用心金(トリガー・ガード)とを針金で結びつけ、キツく固く縛り上げる。こうすれば、撃鉄を起こすと忽ちそれは降り、雷管を叩いて銃弾を発射せしめることだろう。本当は撃鉄自体にも手を加えたいが――ちょうど、肺病持ちの元歯科医の賭博師のように――、そこまでのことをするための設備が、このアフラシヤブにはなかった。

 私は、お世辞にも早撃ちの名手ではない。キッドやヘンリーと肩を並べることなどは、逆立ちしたってあり得ない。まして現状、敵方には得体の知れないバケモノ北軍騎兵まで現れている。ならば――生き残るための工夫を凝らすしかない。それに、こうした小細工は、西部のガンマンたちの多くが当然のようにやっていることでもあるのだから。

 

『――井戸よ、蓮華よ、水鳥が巣よ。サトロ、アレポ、テネト、ロタス。マスケッリ、マスケッロー、メリウーコス、ミスラ』

 

 私の傍らでは、アラマがぶつぶつ呪文を唱えながら、何やら大きなすり鉢のなかで色々と混ぜ合わせている。鼻をつく刺激臭が辺りに溢れ、彼女はたっぷりと汗を肌に浮かべて、真剣そのものといった面持ちだ。

 この臭いに、私は覚えがあった。大地より湧きいづる、地の女神が黒い血潮……要するに、石油の臭いなのである。最近では鯨油に代わって、ランプの灯りの元になっているモノの、その精製前の姿だ。

 

『水落ち集まり、海の棲家となれ。池は満ち溢れ河となり、我らが居場所を湿らせ給え』

 

 アラマは一心不乱に、しかし絶妙な緩やかさで、鉢のなかのものを混ぜ合わせていく。

 万に一つでも火花など立てば、たちまち業火が燃え上がり、アラマも、それに傍らの私も道連れにして、全て燃え尽きてしまうことだろう。

 

『帳(とばり)よ降りよ、我らを包め。我らを包め冷たき池よ、ミスラの名において、万神の主たるミスラ、広き牧場の主たるミスラの名において、迦具土(ヌスク)より目を逸らさせ給え。畏み畏み我申す……』

 

 だからこそ彼女は、呪文を滔々と紡ぎ、万が一に備える。その言葉面から、魔法については完全なる素人の私でもアラマの呪文が火を防ぐものだということは理解できた。実際、彼女にまわりにはなんとも言えない独特の湿気が立ち込めていて、しかもそれは風が吹こうと全く失せることはないのだ。

 

『レクスィクトン、ポルコセトゥ、ピュリペーガニュクス、セメセイラム……』

 

 鉢の中身を、小さな陶製の匙で掬い、幾つかの素焼き瓶へと注ぎ込んでいく。ちょうど、ウィスキーでも入ってそうな、投げるのには手頃な大きさの瓶だった。五本の瓶に石油となにがしかの混合物を満たせば、鉢の方はちょうどそれで空っぽになった。アラマは瓶の細い口へと綿の塊を棒っ切れで押し込み塞ぎ、さらにその上から細長いボロ布を差し込んだ。手投げ弾の一種とでも言えばいいのだろうか。主に焼き討ち用のものと見えた。似たようなものを、前の戦争中に作った記憶が、私にもあった。

 

「完成か」

『はい、なのです』

 

 額の汗を拭いながら、アラマは深い溜め息と共に言った。

 私が水筒を差し出せば、ごくごくと美味しそうに中身を呷る。既に彼女を包んでいた湿気は霧散し、緊張のもたらす喉の渇きが一気にやって来たらしかった。

 

「『ヘラスの火』……だったか?」

『そうなのです』

 

 頷くアラマの姿に、彼女から受けた講釈を思い返す。彼女の故郷にほど近い、ミクリガルズルという名を持つ西の帝国に伝わるという秘伝の武器、それが『ヘラスの火』なのだという。陸にあっては三重の城壁に囲まれたこの帝国の都は、海の上へと突き出た半島にあるが為に、やはり海からの攻撃には弱くなっているらしく、その急所を補うための武器が『ヘラスの火』なのだそうだ。海側から攻めかかる敵の軍艦を残らず焼き払う……そんな恐ろしい武器なのだという。帝国の守りの要となるような、そんな武器の製法について何故アラマが知っているのか言えば、彼女の曰く――。

 

『不敗の太陽たるミスラは陽の神にして火の神なのです!』

 

 ――だそうだ。何の答えにもなってないが、まぁそういうことなのであろう。

 

『向こうは屍生人(グアール)の群れを率いているのです。屍には火です。例え、それが死してなお呪術によって傀儡とされたとしても、死者は死者に、骸は骸に変わりはないのですから』

 

 回想の海より私の意識を、アラマの声が引っ張り上げる。その所以は、彼女には珍しいその声色だった。

 

『……骸は、良く燃えます。一両日も放っておけば、腐臭をまとった燃える瘴気を放ち、燐光すら浮かべます。私は、それをよく知っているのです』

 

 常に、その信じる太陽のように怒っても嘆いても、四六時中陽気を絶やさぬ彼女には珍しく、その声は陰りを帯びていた。憎しみに、怨みに、声は震えている。

 

『我が故郷ドゥラ・エウロポスが、百門都市(ヘカトンピュロス)より来た、あの忌々しい蛇人間共(ヴァルシアウス)に攻められたあの日、街の全てが焼かれ、叛徒どもに覆い尽くされたあの日、父も、母も、なにもかもが失われたあの日……ミスラの威光なくば、私も命を失っていたでしょう。あの日と、そこからの数え切れぬ日々のなかで、私はこの目で見て、この鼻で嗅いで、この耳で聞いて、この肌で触れたのですから――』

 

 そこまで言い切ると、アラマの声からは震えは去って言った。

 表情も穏やかなものである。

 

 ――素直に、感心する。

 

 私は、彼女の言葉の端々から、彼女もまた相応の地獄を見てここまで生きてきたことに気がついていた。

 そんなアラマが、同じように地獄をくぐり抜けてきた私と最も違う部分は、彼女が既に過去を乗り越えているという点だろう。痛みもある、口惜しさもある、でも全ては過ぎ去ったことなのだ。あるいはそれが信じるもの――彼女の場合は、ミスラという存在――がある者と、そうでない者の差なのかもしれない。

 

『――さて、準備は整いました。まれびと殿は、いかがなのですか?』

 

 それでもなお、彼女は胸中に残った僅かな陰を掻き消す為なのか、やや唐突に話題を転じた。

 私は、静かに頷きながら針金細工を施した短銃身コルト・ネービーを掲げてみせると、アラマより視線を外す。

 

 

 

 アフラシヤブの丘は、防御構築の最終段階に入っている。

 

 

 

 奇襲攻撃に失敗した私達は一度退いて、ここでやつらを迎撃すると決めたのだ。

 今は蝗人どもが連中の侵攻をとどめているが、それも限度がある。連中を喚び出したアラマ自身がそう言っているのだから、間違いはない。だとすれば、今なすべきは虫共が稼いでくれた貴重な時間を使って、次なる戦いの備えをすることだろう。

 

 ナルセー王とマゴス達は、軍事的にも、そして魔術的にも鉄壁の防御を築きつつある。

 一方で私達は、私達にできる用意工夫を凝らしている。

 

『……こうか?』

「そうそう。そこで、ここに雷管を仕込んでおけば、矢が刺さると同時に爆ぜるという寸法さ」

『ふむふむ、なるほど。それにしてもジャンゴ、御前がこういう細工にも長じているとはな……少々意外だ』

「“綺麗は穢い、穢いは綺麗”さね。無法者の舌が、美しい詩を紡ぐのもままあることさ」

 

 視線の先では、キッドが軽口と引用とを叩きながら、色男へと指示をだしてクロスボウに細工を施している。そこに使われているのは、私が提供したハウダー・ピストル用の弾丸だ。リトヴァのロンジヌスに銃本体の方を叩き壊された以上、その銃弾は無用の長物でしかない。火薬と雷管を取り出して残った得物へと転用しようとも思ったのだが、キッドが物欲し気に見ていたからくれてやった。その結果が今という訳だ。角矢(ボルト)に散弾を仕込んで、榴散弾(キャニスター)のようにしようというのだろう。やはりキッドの野郎は、その実、良いところの出なのであろう。ただのアウトローのガンマンとしては、色々と出来すぎているから。

 

 ――それはそうとイーディス、いつから野郎を渾名ではなく本名で読んでいるのやら。

 気づかぬ内に、二人の仲はより密になっているらしい。

 

『それにしても、です』

「どうした?」

 

 アラマの呼び声に、視線を転じた。

 彼女はと言えば、目を落とすのは例の翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)である。神殿の最奥、隠された書庫にあった金属製の小冊子。アラマが、それを自身が探し求める「天路歴程(アドノス)」なる書ではないかと睨んでいる代物だ。それを膝の上にのせて、広げて見つつ言う。

 

『スツルームの呪術師が、何を喚び出す為に、この丘を目指しているのか、それが私には謎だったのですが……この書を紐解いていると、その謎がこの中にあるのではと、そんな感触があるのです』

「へぇ?」

 

 実に興味深い話である。心惹かれる話題である。

 私はアラマの見ている錆びた青銅色の頁(ページ)を横から覗き込む。そこにあった一枚には、何やら謎めいた絵と、謎めいた記号と、謎めいた文字の数々が、時に規則的に、所により不規則に散りばめられていた。

 

「……なんじゃこりゃ」

 

 無学無教養で、ましてや魔法呪術についての知見など薬にもしたくない私には、全くの意味不明な一枚だ。まるで、先住民が描く紋様のようだった。その意味を解する者にしか、その描かれたものを解せぬ代物……。

 

『これらは旧呪印章(カラクテレス)なのです。神々の御世より伝わる、力を持つ印……その一つ一つが、隠された意味を備えているのです』

 

 アラマが、金字された丁度アルファベットの『X』の四隅に丸を被せたような、そんな図形の一つを指さしながら言う。その隣には『T』に似た、やはり端を丸状にした図形があり、また逆隣には四本の直線を一点で交わらせ、放射状に広がるその八つの先端に、やっぱり丸を据え付けた図像があった。

 

『これらは神秘之呪言(ウォケス・ミュスティカエ)。精霊(ダイモン)達の使う言葉であり、風の息吹(プネウマ)の如く遍く在る彼ら彼女らへと語りかけ、働きかけるための言葉なのです』

 

 私にはその発音すら解らない謎めいた文字……それでも、つぶさに見れば解ることもある。

 その文字は逆三角形状に配置されていて、下を向いた頂点のほうへと行くに従って、文の文字が一字ずつ欠けていくようになっている。三角形の2つの斜辺は回文状になっていて、残る一つの斜辺は全て同じ文字になっている。ちょうど――。

 

 

  A B R A C A D A B R A

  A B R A C A D A B R

  A B R A C A D A B

  A B R A C A D A

 A B R A C A D

 A B R A C A

 A B R A C

 A B R A

 A B R

 A B

 A

 

 

 ――『アブラカタブラ』の呪文のようになっているのだ。

 前に読んだ、三文小説(ダイム・ノベル)に出てきた呪文のひとつだが、よもや「こちら側」で、実際に魔法呪術が存在する世界で同じようなものに出くわすとは、なんとも妙な感じだ。

 

『旧呪印章(カラクテレス)は神々の、神秘之呪言(ウォケス・ミュスティカエ)は精霊(ダイモン)達の言葉です。つまり、生半に読み解くことができるほど、甘い物ではないのです。しかしここに至るまでの、この書のつくりから察するに、真実は、我ら牡牛を屠る者の徒が探し求めるもの、すなわち「天の梯子」への鍵の在り処が、確かにここに秘められているのです! 更に言えば! 更に言えば、その在処というものが、このアフラシヤブの何処かであるということだけは、既に読み解いているのです! やはりこれこそが私の探し求めた「天路歴程(アドノス)」に間違いないのです!』

 

 彼女は、力強い声で断言をする。アラマはこの緑色で金属仕立ての本を手にしてから、暇さえあればその解読に勤しんでいたわけだが、私達が死都と化したマラカンドで切った張ったやっている間にも、すでにそこまでの解読を進めていたらしい。

 

「……それは解ったが、そのことが一体全体、連中の儀式とやらと、どう関わる?」

 

 当然の問をぶつければ、彼女は間を置かずに答えを返す。

 

『神への道、天への道への鍵がここにあるとするならば、この地は――言うなれば「壁」の薄い地ということなのです。天と地と、彼岸と此岸と、神世と現世とをわかつ、その境界が。……スツルームの呪術師たちが喚び出さんとしれている何か、その名前まではわかりませんが、それが途方もなく邪悪で、かつ途方もなく大きなものであることだけは間違いない筈なのです。あの荷車の上に載せられた燭台、拝火台、それに呪詛板(ディフィクシネオス)用と思しき合金板。あれらからも儀式が大掛かりなことは解っていましたが、それに加えて、境目の薄い場所を選んで行うことを思うと――』

 

 アラマは、再び金字踊る青銅色の金属板へと視線を落とした。

 

 彼女の見つめるもの、それは記号と文字に囲まれるようにして据えられた、ひとつの図像。

 

 獅子頭人身、体躯に巻き付く蛇に一対の翼、携えられた錫杖という異形。

 

 その異形を、縛り付けるように上から鎖の図像が刻まれ、さらに上から流れ出る鮮血のような紅い塗料で、中央で五本に分岐した線状の星が描かれている。あたかも、この怪物が二度と動き出さぬよう、封印するかのように。

 

『――恐らくは、この邪悪なるものアリマニウスに次ぐような、そんな悍ましきモノを喚び出すのが、あの者たちの目的。大きなものを喚び出すには、境目は薄いほうが良いのですから』

 

 邪神の姿を睨みつけながら、アラマは言った。

 彼女の震える声に私は、無意識のうちにコルトの銃把に指を這わせていて、それに気づき苦笑した。この齢になってよもや、悪い魔法使いの喚び出すブギーマンに怯えることなんてのが、あるとは思っていなかったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばし、待った。

 連中が来るのを、今できる範囲での『万全の準備』を整えながら――実際には、そんなことは不可能なのだが――、私達は待った。

 

 待って、待って、待った。

 実際にはたいした長さではないのだろうが、戦場での緊張感は自然の理に逆らい常に時間を引き伸ばす。

 

「……」

 

 私はレミントン・ローリングブロックを肩に負いながら、建物の二階から丘の向こうを窺う。

 傍らではアラマが様々な魔術道具に囲まれて、緊張に顔を固くしながら、私と同じ方を睨む。

 キッドとイーディスはナルセー王の護衛に廻り、色男は王の近衛部隊の指揮に駆け回っていることだろう。

 

 銃身をさすりながら、さらに待って、待って、待って――。

 

「!」

『っっっ!』

 

 私たちは再びあの『音』を聞いた。

 まるで、遠くで機関車が走っているかのような、規則的に連続するザッ、ザッ、ザッという重い音。やつらが、屍者の軍勢が、奏でる死靴の響き。

 

 いや、今度はそればかりでない。

 

「……これは」

『歌?』

 

 死せる者たちの跫に合わせるように、およそ人の喉から出たものとは思えない、異様な歌声が聞こえてくる。

 その歌声に眼下では、配置についたナルセー王の戦士たちやマゴスたちが、明らかに動揺している。

 

「……」

 

 私は、耳をすまし、その調べを聞き取ろうとした。

 どうやら、喉よりの声で楽器の響きを再現せんとしているらしい、その旋律には聞き覚えがあった。

 徐々に大きさを増し、詳細を明らかにするこの旋律。その正体に、私はようやく思い至る。

 

「なるほど……ハハハ!」

『まれびと殿?』

 

 思い至った所で、思わず笑う。隣のアラマが突然笑いだした私に驚いたので、説明してやった。

 

「『皆殺しの歌(エル・デゲリョ)』だよ、これは」

 

 アラマがもっとギョッとするのに、私はさらに笑う。

 

 そう、これは間違いなく『皆殺しの歌』だ。

 1836年、テキサス独立戦争の最中に起こった、伝説的な戦い。

 今や、一つの記念碑とかした、小さな包囲戦、『アラモの戦い』。

 川だって一跨ぎで超える英雄、ディヴィ=クロケット擁するテキサス兵250名が、五千人のメキシコ軍に包囲され、全滅したあの戦い。

 あの戦いのなかでメキシコ軍は、アラモ砦を取り囲み、朝も夜も同じ曲を吹き鳴らし、250名の兵士たちの正気を削り取っていったのだという。それが、『皆殺しの歌』だ。

 

「……とんだ洒落だな。少し見直したぜ」

 

 正直、心から感心している。

 あのイカれた殺し屋共の心に、こんな諧謔を解する部分が残っていたことにだ。

 スツルーム野郎が『皆殺しの歌』を知るはずもない以上、恐らくは死者たちの喉をラッパのように使って、こんな曲を鳴らすのは奴等以外にはあり得ない。

 

 脅しか、はたまた手向けか、冥土の土産か。

 いずれにせよ、大いに愉快であり、大いに殺意を掻き立てられる。

 

「……」

 

 私は、レミントンを静かに構えた。

 半ばで崩れた壁の上、その上に置かれた土嚢の上に銃身を置いて、スコープを覗き込む。

 大きさを増している筈の『皆殺しの歌』は、意識の集中が進めば進むほど遠のいていく。

 

 無音。

 不必要な音が、全て消え失せる。

 引き金と右の人差し指とが、銃把と右の掌とが、銃床と右肩が、そしてスコープと灰色の瞳が。

 一本の線で繋がったかのように、あるいは混ざり合って溶け合ったかのように、区別がなくなる。

 視界は狭まるが、鋭く遠くに伸びる。彼方の標的を、まるで己の目の前かのように捉える。

 

 丘の彼方へと殺意を伸ばし、獲物を探る。

 意識の下で聞こえる歌と跫の昂ぶりに、標的が近いと知る。

 

 ――アラモの戦いで、確かにテキサス兵250名は全滅した。

 しかし味方の全滅が却ってテキサス兵達の戦意を燃え上がらせ、最後にはテキサスの独立へと結んだ。

 

 そんな故事を思い出したのと、先駆けを務める屍者の、その腐った頭が見えたのは、ほぼ同時だった。

 私は、引き金を弾く。

 銃声、そして吹き飛ぶ頭。

 

 それが、ヤツラとの最後の戦いの、開始の合図となった。

 

 



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第36話 『ザ・ワイルド・ホード』from My name is Nobody

 

 

 

 

 

 

 

 

 先頭の脳天を吹き飛ばされたのを皮切り、連中は歌を止め丘陵を駆け下りてくる。

 砂塵が巻き上がり、その有様はまるで、馬から下りた連中ながら騎兵隊の突撃さながら。あるいは暴走(スタンピード)する猛牛の群れか。いずれにせよ、喩えられるべきは、獣を剥き出しにした正に野生の群れ(ワイルドバンチ)だろう。

 スコープの狭い視界を通せば、一層強く感じられる威圧感。私は一旦レンズから目を外し、生の瞳でヤツラを見た。腐臭が、風に乗って一足先にやってくる。余りの強さに、一瞬鼻ばかりか目すら覆う。屍の臭いというやつは、なんど嗅いでも慣れることのない悪臭だ。それでも我慢して双眸を見開き、連中との間合いを探る。――私自身が狙い撃つためではない。この期に及んで、一匹二匹屍野郎を地獄に送り返した程度で、何の意味もない。

 

 銃撃すれば連中がこんな風に突っ込んでくるのは、最初から解っていた。

 解っていて、その突撃を誘うために、私が連中へと真っ先に撃ちかけたのだから。

 

 間合いを計り、私は視線をおろす。窺い見るのは、眼下に控える、ナルセー王の親衛隊の勇姿だ。鎧兜に体を覆い、目だけを僅かに晒した完全武装の出で立ちは、銃火器に馴れた私からすれば旧式でも、充分過ぎるほどに頼もしく映る。頭頂部の尖った鉄の兜に、顔も胴も足をも隈なく守る鎖帷子(チェインメイル)。手にした得物は、両端の反り返った短い弓だ。彼らの足元には浅い溝が刻まれ、そこには黒く濁った液体が満たされている。この炎天下で蒸発する様子もない黒い液体の正体は――油だ。果たして、親衛隊が短弓に番えた矢の先端は、鏃ではなく何やら何重にも巻かれたボロ布なのだ。

 

「――」

 

 私は、再度迫りくる屍者の軍団との間合いを計り、頃合いと見た所で左手を真っ直ぐに挙げる。

 合図だ。私からの合図を見て、真っ先に動いたのは色男だった。

 

『点火!』

『かの者共を逐え、我らが社より! 我ら敗れることなし! 太陽が天にある限り!』

 

 彼の声に従って、マゴス達が呪文も高らかに、松明を溝の油へと近づける。炎が走り出し、小さな火の線となって親衛隊の足元で燻り出す。火は矢の先のボロ布へと移り、瞬く間に燃え広がる。

 ナルセー王の戦士たちは、燃える矢の先を空へと斜めに掲げる。弦は引き絞られ、故に弓を握る左の指は相当に熱いだろうに、彼らはうめき一つ漏らさない。

 

『……よもや、これを使う日が来ようとはな』

 

 小さな、しかし良く通る声で呟いたのは色男だった。

 戦列の中央で、ただ一人燃えざる矢を手に、皆より一歩前に立つ。得物にはいつも通りのクロスボウ――ではなく、普通の弓を携えていた。ナルセー王の親衛隊、今や下馬した重装騎士(グリヴパンヴァル)が持っている艷やかな黒も優美な短弓とは違う、素材の木目もそのままな朴訥たる白い長弓だ。長めの矢には紅い布が巻き付けられ、鏃は何故か鉄ではなく石――恐らくは燧石を使っていた。

 

『さて……長く故郷を離れた身の上だが。櫟の谷(ユーダリル)の光り輝く者の加護のあらんことを!』

 

 色男は矢を番えると、親衛隊の戦士たちと同じように鏃の先を空へと向けた。

 呪文のような、詩のような言葉が、その口より迸る。

 

『我放つ戦いの雁、鳥たちの家をば貫き、月の道を抜け、我らが合戦の森の、いくさの焔とならんことを!』

 

 唄いながら、強く強く引き絞り――そして色男は矢を放った。矢は綺麗な放物線を描きながら飛び、迫りくる屍者の軍勢の、その進路の途上に突き刺さった。矢に結ばれた紅い布は風にはためき、それは色男の言うように、燃え盛る焔のように白い砂と青い空に良く映えた。

 

 「いくさの焔」を見たナルセー王の親衛隊達は一斉に、その燃える矢の先を僅かに動かした。ちょうど、戦列を組んだ歩兵達が、手にした小銃の照準を調整するかのように。

 砂煙を伴ってヤツラは地を駆け、火もなく燃え盛るいくさの焔へと迫る。その間にある距離は、瞬く間に縮まり、遂にはゼロになった。いくさの焔、紅い布を巻き付けた色男の矢は踏み潰され、死せる群衆のなかへと消えた。その瞬間である。

 

『はなて!』

 

 ナルセー王の号令がどこかから聞こえた。

 親衛隊たちが、一斉に燃え盛る火矢を放つ。燃え盛る矢の雨は、ちょうど「いくさの焔」のあった辺りへと次々と降り注ぎ、屍生人どもへと突き刺さり――火薬が爆ぜるように燃え広がった。まるで冬の山火事か、立ち枯れた草原に火を放つようだった。あっという間に火は広がり、突き進む屍者の群れはそのまま火葬されたかのような有様になる。

 あの死体たちは、死んでから既に充分な時間が経過し、この炎天下のなかで動き続けていた。つまり、今や充分に腐り、その破れた皮膚の隙間から、辺りに臭い瓦斯を吹き出していることだろう。墓地で見えるウィルオーウィスプ――ジャック・オー・ランタンとも言うやつだ――の正体が、死体より吹き出す瓦斯に自然と火が点いたが故だということを、私は戦場で知った。埋葬もされぬ死体がごろごろ転がる荒野を、何度となく私は横切ったのだから。

 

『屍には火です。例え、それが死してなお呪術によって傀儡とされたとしても、死者は死者に、骸は骸に変わりはないのですから』

 

 そして、アラマが『ヘラスの火』を作り終えた時に呟いた言葉。

 

『……骸は、良く燃えます。一両日も放っておけば、腐臭をまとった燃える瘴気を放ち、燐光すら浮かべます。私は、それをよく知っているのです』

 

 だからこそ思いついた作戦だった。

 ハナから、これが狙いだったのだ。

 

『はなて!』

 

 ダメ押しとばかりに、火矢の第二斉射が宙を駆け抜ける。今度はより角度をつけての、より遠くを狙った一撃。先行する死者たちが燃えだした事に、それを操るスツルーム野郎が気づいたのか、後続は足が止まっていたが無意味だ。降り注ぐ火の雨を防ぐ術もなく、火の海はただただ広がり続ける。

 

「――っ!」

 

 死体を燃やす時特有の、嫌な臭いが風と共にやって来る。その凄まじさに、私は強盗追い剥ぎよろしく顔の下半分をハンカチーフで覆う。帽子の庇を少し下げて、目の前の影を深くする。数え切れない死体の松明は今日び流行りの写真というやつの上げるマグネシウム・フラッシュ以上に強烈で、そのまま見ていれば両目が潰れそうな程だった。

 

 さて、これで出鼻は挫いた訳だが、あの忌々しい魔法使い共はどう出てくる?

 

『――おい!?』

 

 燃え盛る屍者の舞踏を私達が暫し眺めていると、親衛隊の一人が丘の向こうを指差し叫ぶのが見えた。

 その男の指差すを方へと私がスコープを向けると、実に嫌なものが見えた。見るからに厄介で、絶対に相手にしたくないものが見えた。それも、複数。

 

『ギルタブルル!?』

 

 アラマがそう呼ぶ名を持った怪物は、他ならぬ彼女がかつて呼び出した怪物の名前だ。

 足は鉤爪の映えた鳥のもの。下半身は黒光りする蠍で、二つの鋏がそこから生えている。上半身は人間のものだが、グリズリーめいた巨体な上に肌は青黒くて、まるで動く屍人だった。髭まみれの顔は仰々しく、頭には円筒形の帽子がのっかっていて、二本の角が生えていた。手にしているのは、人には引くことも能わないだろう大弓だ。まさに怪物。それ以外の形容しようがない、怪物。そんな怪物が三匹、いや四匹。燃え盛る屍者を蹴散らし踏み潰しながら、こちらへと迫りくる。

 

『おのれなのです! おのれなのです! 一度ならず二度までも! 広き牧場の主、不敗の太陽たるミスラの眷属を指嗾するとは! 許せないのです!』

 

 銀髪を振り乱し、金の瞳を怒らせ彼女は叫ぶが、しかしアラマの批難も糾弾も届くはずはなく、化物共は着々と近づいてくる。あの手を打てばこの手を返してくる。実に、嫌な連中だ。本当にいやらしい連中だ。

 

『怯むな! マゴスども、呪を唱え、魔を使え! 迎え撃つのだ!』

 

 ナルセー王の激に、マゴス達が動く。

 親衛隊の戦列の真後ろに連なり、一斉に呪文を唱え始める。重装騎士たちが普通の矢を番え、弾幕を張、る。呪文が完成するまでの時間を稼ぐつもりなのだ。私も、レミントンを構えた。傍らでは、アラマも杖を手に呪文を唱え始める。

 

『聖なる詩を以って、魔物(ダエーワ)を逐いに逐え! ここなる者は聖なる火を掲げ、巡る陽を奉る者――』

『王よ、王よ、鳥の王よ! あるいは「三十羽の鳥」よ! 翼ある飛箭、かの者に命中させしめよ――』

 

 マゴス達とアラマの呪文が混じり合って、訳のわからない言葉の洪水となり私の耳に襲いかかる。そのやかましさに眉をひそめながらも、いざスコープを覗けば何も気にならなくなった。前の戦争のとき、戦場は常に雑音に溢れている場所だった。戦列射撃の銃声、銃剣突撃の鬨の声、そしてそれらを吹き飛ばす散弾榴弾の砲撃音……それに比べれば、所詮は人の喉からでる、それも咆哮にも満たない意味の聞き取れる叫び声に過ぎない。ひとたび狙撃者としての私となれば、意に介さいなど容易い。

 

「――」

 

 蠍男の怪物、ギルタブルルの一体に照準を合わせる。

 正直、レミントン用の口径50装薬量70グレインのライフル弾を以ってしても、あの化物には通用するイメージが湧かない。本来は人間はおろか、バッファローのような大型動物をも一撃で仕留める銃弾であるにも関わらずだ。だからと言って、手をこまねいている訳にもいかない。自分に今、できることがあるとすればそれは――。

 

「……そこだ」

 

 トリッガーを引き絞れば、強烈な反動と臭い立つ硝煙とを伴って銃弾が標的へと吐き出される。銃弾は殆ど間を置かず、先頭を走る大蠍男の、その右目に突き刺さる。灰色熊(グリズリー)だろうと、その巌のような肉の壁で守りきれぬ急所。例え小口径の拳銃でも、ここを狙えば倒しうるという急所。それが眼球だ。柔い眼球を貫き砕っき潰せば、あとは脳みそまで一直線、これを防ぐ生き物は、少なくとも『私達の世界』には存在しなかった。

 

「チィィッ!」

 

 だが『こちら側』では違う。ギルタブルルと言う名の超常の化物は、瞳に50口径を受けたにも関わらず、まるで一切意に介することなく、何事もなかったかのように爆走を続けている。スコープから目を外し周りを見れば、ナルセー王の親衛隊達の放つ矢の数々も、まるでヤツラには突き刺さることはない。それでも私は素早くブリーチロックを開き、白煙吹き出す空薬莢を弾き飛ばして、次弾を装填する。目が駄目なら足首だ。足が駄目なら膝頭だ。とにかく思いつく限り、時間が許す限り撃ち続ける。今、私にできることはそれしかない。だとすれば、ただそれを為すのみだ。

 

「オラァッ!」

 

 どこかで、45口径の銃声が鳴り響く。キッドがぶっ放しているらしいが、拳銃弾で止められる相手でもない。私は次弾を再装填し終わり、レミントンを構えなおそうとして、手を止めた。

 

『――彼方へ彼方へ、彼方へ向かい、呪文を以て彼方の地に其を逐い払え!』

 

 アラマが杖を振り抜きつつ叫び唱えた呪文と共に、狙うべき標的が煙のように消失したからだ。本当に、全くに、あの頑丈さが嘘のように消え失せたのだ。私は戦場にありながらも思わず目をしばたいた。

 

『見たですか、呪盗人よ! これが召還の法なのです! 真のミスラの徒ならば、その眷属を送り還すのも容易いのです!』

 

 意気揚々と二匹の蛇が巻き付く意匠の杖を掲げ、どうだ見たかと得意を顔満面に浮かべたアラマ。確かに彼女の仕事は素晴らしいが、だがこう横から突っ込まざるを得ない。

 

「ああ、でもまだ残りが何匹もいるぞ」

 

 一匹消した所で、焼け石に水なのだ。私は慌てて呪文を繰り返そうとするアラマの傍ら、レミントンを構えようとした。構えようとして、またも手を止めた。

 

『王よ、王よ、鳥の王よ! あるいは「三十羽の鳥」よ! 山嶺(カフ)を超えて此処に至れ! 』

 

 マゴス達が、呪文を高らかに唱え終えた時だった。

 呪文に応じるように、空高く音高い鳴き声が、吹き下ろす風のように響き渡ったのだ。

 声に誘われて、見上げる。 見上げて、魂消る。

 

 鳥だ。

 大きな鳥だ。

 怪鳥だ。化物だ。怪物だ。

 空よりも深く蒼い羽毛。金色の嘴。孔雀のような極彩色の長い長い尾。そして燃えるような紅い瞳。

 見惚れるような美しさだ。もしもこの鳥がサーカスにでもいれば、千客万来の見世物になるだろう。

 

 ただ、ソイツがこっちを丸呑みに出来そうな大きさでないのなら、の話だが。

 

『スィームルグ!?』

 

 アラマがその名を呼ぶ。スィームルグ――不思議な響きの巨大怪鳥は、隼めいた直角で蠍男の一匹に襲いかかり、鋭い鉤爪でその首を刎ね飛ばす。他のギルタブルルどもが、鋏で、毒針で、弓で怪鳥を墜とさんとするが、燕のような軽やかさでスィームルグは全ての攻撃を避けてみせる。

 

『……成程なのです! スィームルグ、「三十の鳥」を意味する名を持つこの鳥の王たる神鳥こそは、エーラーン人の守り神! エーラーン人が王のナルセー王がマゴスならば、スィームルグを喚ぶことも可能!』

 

 アラマの講釈が響く中、件の神鳥はさらに一匹の蠍男の首を斬り、別の一匹の頭を丸呑みにして空高く持ち上げ落とす。ギルタブルルの巨体は地面に叩きつけられ、榴弾でも喰らったかのように木っ端微塵になる。あの無とも見えた化物どもが、一羽の、しかし機関車のような巨体の怪鳥にきりきり舞いさせられている。当然、連中の注意はスィームルグに全て奪われている。

 

 ――好機だ。反撃の好機だ。

 そして私が気づくことを、歴戦のナルセー王が気づかない筈もない。

 

『かかれ!』

 

 王者に相応しい大音声で号令は下され、それに従って重装騎士(グリヴパンヴァル)達が突撃を開始する。

 ギルタブルルどもをスィームルグが引きつけ、屍人どもは燃え盛り斃れる今、その進撃を遮るものもない。

 

「行くぞ!」

『えぇっ!?』

 

 私は言うやいなや口笛を吹いてサンダラーを呼び寄せる。跳び乗り、手でアラマに続けと促せば、彼女もまた跳んで私の背後に乗る。私達が駆け出すのと同時に、キッドが、イーディスが、そして色男が、それぞれ馬を駆って突き進む。

 完全武装の王の軍勢、そしてそれに続くまれびととその仲間たちの騎群は、あたかも野生の群れ(ワイルドバンチ)の如き激しさで、忌まわしき魔術師ども目掛け突き進む!

 

 

 

 



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第37話 ガンスリンガーズ・リベンジ

 

 

 

 

 空を廻る鳥どもから見れば、銀色の巨大ヤマアラシと見えるのだろうか。あるいは、鋼の角を持ったバッファローの大群とも見えるのだろうか。一個の生き物のような、あるいはある種の獣の群れのような、整然たる突撃。ナルセー王と、彼に率いられた親衛隊の騎群は、見惚れるような隊列で突き進んでいる。前の戦争の時は、騎兵の突撃など早々お目にかかれるモノではなかったので――私の遊撃隊の奇襲攻撃や追撃戦を除けば、多くの騎兵は移動の時だけ馬を使い、戦闘時は下馬して歩兵として戦っていたもんだった――、私は感嘆しつつも重騎兵部隊に追いすがっていた。

 

『おわっ!? うわっ!? どどどっ!?』

 

 アラマが素っ頓狂な声を挙げながら、私の背中にしがみつく。激しい揺れと風に、赤い帽子は既に吹き飛んでしまっているが、それを気にかける余裕もない有様だ。ちなみに帽子はやや後ろを走るキッドが受け止め、自分の帽子の代わりに被って見せたりしている。まるでズアーブ兵みたいな姿だった。その後ろにはイーディスが、最後部をなすのは色男だった。目の前の精鋭部隊とは対称をなすような、不格好な不揃いの隊列だった。

 

 燃え盛る死者たちを踏み潰しながら、重騎兵達は進む。それは今や敵とは言え、かつての領民たちでもある。それを焼き、蹂躙する王の心情たるやいかばかりか。その表情をここからは窺うことはできないが、王は非情に徹して突き進む。それは、正しい行いと言える。元より戦場は非情なものな上に、まして相手は鬼畜外道なのだ。非情に打ち勝つのは非情のみ。火は火を以て征す他はない。

 

 重騎兵の群れは燃え盛る焦土を越えて、丘の向こうへと辿り着かんとしている。

 そこには、あの外道共が控える列車がある筈だった。

 

「キッド!」

 

 ふと思い至った私が呼びかければ、キッドはすぐさま真横に並走して来た。

 

「頼む!」

「よしきた」

 

 このやり取りだけで通じるのは、さすがはやっこさんも歴戦のアウトローである。

 キッドはアラマの体を片腕で軽く抱え込むと、『わ、わ!?』と慌てる彼女をヒョイと自分の馬へと乗り移させる。

 

「先に行く!」

「こっちは任せなよ」

『まれびと殿!?』

 

 サンダラーへと拍車を掛けて、一挙に速力を増した私と愛馬は、先行する騎群へと追いつき、回り込みながらこれを追い越していく。馬は生き物だから、蒸気機関車のようにずっと同じ速さで走ったり、最高速度を保ったまま駆けたりすることはできない。実際、騎兵隊の突撃というやつも、敵の間近に来るまではせいぜい速歩(トロット)か駈歩(キャンター)で進み、相手との間合いが五〇ヤードを切った所で襲歩(ギャロップ)――馬の出せる最高速度――へと切り替えるのが普通だ。ナルセー王の騎兵隊も今は駈歩であり、襲歩を出した私は先頭の王自身の隣まで追いつくことができていた。

 王は、銀に輝く甲冑の上に真紅のマントを羽織り、右手には長い抜身の直剣を握り指揮杖代わりにしていた。その顔はすっぽりと兜に覆われていたが、兜に溶接された金の王冠と、僅かに覗くその真紅の双眸だけでその下にあるのがナルセー王の顔であることは余りにあからさまだった。

 

『敵のまれびとか?』

 

 こちらから言うまでもなく、彼は私の意図を察知していた。流石は一国一城の主だ。

 

「先に行って片付けます」

『任せよう』

 

 だから私も言葉も短く、それで言い放つと王を追い越した。

 

『マズダの神のご加護を!』

「貴方にも!」

 

 背中に掛けられた激励に振り抜きもせずに返せば、何故か兜の下の王の顔が笑ったような、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナルセー王達の突撃を成功させるためには、確実に邪魔になる野郎がいる。

 言うまでもないが、それはバーナードのことだ。ヤツのシャープス銃を黙らせない限り、その突撃が成功することはあり得ない。驚異という点から考えればヘンリーもまた同じだが、野郎の本領は早撃ちであり、間合いは決して広い方ではない。だとすればこちらにもキッドというカードを切る手が残されているが、バーナードは別だ。奴は狙撃手だ。勇敢なる戦士たちの間合いの外側から、一方的に撃ちかけることができる。栄えある重騎兵の突撃は、あっさりと粉砕されてしまうことだろう。それだけは、絶対に防がなくてはならない。

 

 そしてあの糞野郎に対抗できるカードは、私しかないのだ。私が、やらなくては、ならない。

 ――『さらばカイザルのはカイザルに、神のものは神に納めよ』 。

 まれびとのことは、同じまれびとがケリをつけなくてはならないのだ。

 

 

 

 列車が、目指すものが見えてくる。まだ小さく、麦の粒のようなそれには恐らく、標的が待ち構えている。

 私はサンダラーから降りると、ホイットワースをケースから出して背負い、レミントンを構えながら、這うように近づいていく。

 

 太陽はじりじりと私の体を焦がすように照りつける。帽子の下でも汗が滴り、髪の毛や髭に絡みついて鬱陶しい。私はそれらを拭うこともなく、慎重に、されど足早に間合いを詰めていく。狙撃手同士の撃ち合いでは、そうでない相手と戦うときよりも、遥かに近い間合いでやりあう必要性がある。だから、レミントンからは敢えてスコープは外してあった。相手の背後を運良くとれるような場面以外では無用の長物だし、そんな都合の良い展開になるとも思えない。

 

 地面の微妙なオウトツを活かし、ヘコみからヘコみへと、オウの陰からオウの陰へと、走る。

 ヤツラ居場所へと着々と迫っていく。

 

 そんな中でふと、唐突に気づく。

 風の揺らぎか、火薬の臭いか、その理由は解らない。解らないが、背筋に走るこの冷たい感触、虫の知らせと言うには生ぬるい、確固たる危険への予感。幾度となく戦場を、あるいは修羅場鉄火場を巡り、その中で身につけた、ガンマンの感覚。それが私に、罠を気づかせた。

 

「……」

 

 私は前にも一度やったように、帽子を脱ぎ、コルトの銃口の上に乗せて、僅かに地面の下よりのぞかせてみる。

 衝撃、そして銃声。

 帽子は二個目の、より厳密には三個目と四個目の穴を同時に穿ちながら吹き飛んでいく。

 ――さっきまでとは、違う種類の汗が、頬を伝う。あの野太い銃声は間違いなく、.50-90シャープス弾のものだ。

 

「……糞ったれ」

 

 相手も自分と同じ狙撃手。だとすれば、同じ考え方をしても、おかしくはない。

 つまりはこうだ。バーナードも私を真っ先に仕留めるために、独り先行して来ていたのだ。そして、こうして遭遇戦となった訳だ。何より最悪なのは、先にこっちの居場所がヤツに知られたということ。逆にこっちはバーナードの正確な居場所を知らないということ。

 無論、銃声のした方、弾の飛んできた方から推測はできる。だが、居所の知られた狙撃手は必ず移動する。当然、こっちも移動すべきなのだが、ヤツの動きが見えない以上、迂闊に動くことができない。

 

 実にマズい。実にマズい状況だ。

 そのマズい状況をどうにかしなければ、崖っぷちに追い込まれた鹿のごとく、狩人にただ撃ち殺されるしかない。

 

「……」

 

 状況を打破するには、行動するしかないが、考え無しで動けば、冷たい土の下で眠ることになる。

 だから私は、帽子を拾い上げ被り直すと、レミントンの引き金に指を掛けると――当てずっぽうな方へとぶっ放した。五〇口径弾の強烈な銃声が辺りに鳴り響くのに合わせて、私は陰より飛び出し走り出す。

 

 走りながら、ヤツのことを探る。

 唐突に響き渡った、レミントンの銃声に、必ず何らかの反応を見せる筈だ。私がバーナードの得物を知ってるように、野郎もこっちの得物がレミントンであることを知っているのだから。

 

 荒野の砂に爪先が沈み、思ったような速さが出ない。

 そのことに焦りながらも、激しく視線を動かしながらも走り――見つけた!

 

 出し抜けの銃声の驚き、僅かに顔の上半分を地面より出したバーナードは、走る私の姿に身を晒しシャープス・ライフルを構える。地面を蹴って跳び、手近な物陰に身を隠すのと同時に、背後で空気が弾け激しい銃声が耳を打つ。レミントンの銃尾を開き排莢、素早く次弾を薬室に送り込む。

 さて、これでヤツの居所を知ることができたが、今度はバーナードのほうが釘付けにされる番だ。居場所を知られ動かなくてはならないが、下手に動けば私に狙われるのだから。

 

 ――さて、どうでる?

 

 耳をそばだて、鼻を利かせ、感覚を研ぎ澄ます。身を預けた土や砂からの、微かな揺らぎにすら意識を向ける。

 狙撃手同士の戦いは五感の全てを使う。あらゆる武器や技、戦術を用いて全力を尽くさなければならない。

 

「――」

 

 バーナードに揺さぶりをかけるべく、私はゆっくりと慎重にレミントンを地面の上に横たえると、ダスターコートの下からコルト・ネービーを一丁引き抜いた。

 両脇に吊るしたホルスターに納めてあるのは、早撃ち用の短銃身仕様で、しかも用心金と引き金とを針金で巻き結んである代物だ。撃鉄を起こせば自動的に下りるという細工だが、私は耳と鼻で野郎の気配を探りながら、静かにコルトの撃鉄を起こし、適当に拾い上げた小石を撃鉄と弾倉との間に挟み込んだ。

 バーナードの動く気配はない。ならば、好都合である。

 私は右手でレミントンを握り直すと、左手で思い切りコルトを、野郎の隠れている方へと向けて投げ放った。

 自慢じゃないが、私の擲弾は人並み以上だという確信がある。前の戦争の時は、北軍(ヤンキー)どもをキリキリ舞いさせてやるために、ハンドグレネードを――ダーツの先端に、針の代わりに爆薬を付けたような代物だった――投げ込んでやることがよくあったのだ。片手で投げたとしても、ヤツの隠れている場所の、さらにその向こう側まで届く筈だ。

 

 果たして、暫時あってコルトの銃声が彼方から響いた。それは狙い通り、バーナードの居場所の、さらにその向こうと聞こえた。落下の衝撃に小石が外れ、撃鉄が落ちて独りでにぶっ放したのである。放たれた銃弾は全くの当てずっぽうだが、構わない。重要なのは、野郎の背後で銃声が突如が鳴り響いたという事実だ。

 私と相対しているバーナードは、極度の緊張を強いられていることだろう。そこに、背後からの銃声――肝を潰さない筈もない。奴は考えるはずだ、敵のまれびとは二人、つまり私とキッドの二人。つまり、敵はもう一人いて、背後より奇襲をしかけてきた、と。同時にこうも考える筈だ。あり得ない、自分が背後を取られるなど。感覚を刃のように研ぎ澄まし、敵の動きを探っていた自分が、背後を取られるなど――と。

 実際、あのバーナードの背後を取ることなど、そう易易とできることではない。ましてや、やつが周囲に警戒の網を張っている時などは殆ど不可能だろう。その自負の、いや、殆ど客観的事実の裏をかき、バーナードの心の隙をこじ開ける。それが私の策。

 

 私は、レミントンを携えて、物陰から身を乗り出した。

 こちらに背中を向ける、あるいは、向けずとも背後に注意を盗られた筈のバーナードを撃つ為に。

 

 ――そこで、真っ直ぐに私へと銃口を向ける、バーナードと目が合った。

 完全に、私の作戦は読まれていたのだ。理由は解らないが、読み切られていたのだ。

 

「――ッ!?」

 

 咄嗟に、レミントンを盾のように掲げる。直後に、強烈な衝撃。両腕は痺れ、背中から地面へと吹き飛ばされそうになる。勢いを体に乗せて、転がるようにして元いた物陰へと滑り込み、息を整え、改めてレミントンを見れば、私は「うげぇ」と声に出して呻いていた。

 .50-90シャープス弾は、レミントン・ローリングブロックの機関部に命中していた。部品の集中する部分だったがために、うまい具合に衝撃を受け止められたお陰で、我が身は傷一つない。だがその代償として、機関部はグチャグチャになっている。明らかに、もう得物としての役割は果たせない。それでも、命を拾っただけマシだろう。

 

 ――致命の一撃を凌ぎ得たのは、半分は運の、もう半分は直感のお陰だった。

 バーナードには、妙な癖があると噂では聞いていた。なんでも野郎は狙撃手と相対した場合、こその殺し方にこだわりがあって、必ずその右目を撃ち抜いて殺すというのだ。

 だからとっさに、レミントンで右目を庇ったのだ。この賭けには、私は勝った。勝ちはしたが、お陰でまたカードを一枚、余計に失ったわけだ。

 

「……」

 

 残された得物は、コルト・ネービーが五丁に、ペッパーボックスが一丁、そしてホイットワース・ライフルの計七つ。

 だがあの狙撃手に対抗するのに充分なのは、僅かにひとつ、ホイットワース・ライフルのみだ。

 その精度こそ最高級だが、今や旧式の前装式ライフル銃であり、その特殊な六角形の銃弾故に、再装填は恐ろしく手間がかかる。対する相手はシングルショットではあっても後装式だ。再装填速度は比べるまでもない。

 

 つまり、こっちには攻撃のチャンスは一度きりしかないということだ。

 

「――」

 

 犬歯を剥き出しにして、静かに笑った。

 成程、要は昔に戻っただけなのだ。前の戦争の時は、常に北軍(ヤンキー)共がこっちよりも良い武器を使っていたもんだった。それでも、私は生き延びた。それは今も同じだ。

 

「……気に入ってたんだが」

 

 帽子を脱ぎ、そのなかに今や無用の長物となった、レミントン用の銃弾を一発を除いて詰め込むと、最後の一発の弾頭をナイフで外し、中身の火薬を振りかける。庇を折り曲げ、ハンカチで結んで封をする。

 

「――」

 

 この作業の合間も、耳はバーナードの野郎の方に向けてある。

 野郎は、こっちが動けなくなったと思ったのか、ジリジリと迫ってきているらしいのが微かな音で解る。

 

「さて」

 

 私は弾薬が満載の帽子を、両手で抱えると、愛用のそれに胸中で別れを告げながら、震える腕に力を込める。

 

「こいつは、どうかな!」

 

 そいつを宙へと放り投げるのと同時に、左手でコルトを抜き放つ。

 まだ空を舞う帽子目掛けて、引き金を弾く。弾くと同時に、身を伏せる。

 

 ――爆音。まるで砲弾のような轟音。

 空中で、帽子が弾け跳び、辺りに撒き散らされる弾丸の雨の音。

 それに混ざる、バーナードの声にならない呻き声。こんな手は、さすがの野郎も読み切れまい。

 

 即席の榴散弾(キャニスター)が弾けるのに合わせて、私はコルトを投げ捨てると、ホイットワースを構えた。

 立ち上がり、陰より跳び出した私には、既に血まみれのバーナードの姿が見える。

 

 やつと、目が合う。

 私はその灰色の右の瞳に照準を合わせると、間髪入れずぶっ放した。

 

 ――『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』。

 

 私は神様に代わって、復讐を――イナンナやロンジヌスやグラダッソたちの復讐を果たした。

 バーナードはその右目を血溜まりに変えながら、くるくると廻り地に墜ちた。

 

「――」

 

 深く溜息をして、私は銃口を下ろし、手の甲で額の汗を拭った。

 これで、ようやく標的の一人目だ。 

 残りは、あと二人。

 

 

 



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第38話 ホーストルズ

 

 

 

 その銃身には深々と弾丸が突き刺さっていて、シャープス・ライフルは完全にガラクタと化していた。

 野郎に壊されたレミントンの代わりにはならない。バーナードを斃すためとは言え、少々やりすぎたか。 

 

 舌打ちと共に、期待はずれの一品を投げ捨てると、私は死体漁り(・・・・)を再開する。

 

 俯せになっていた死体(ボディ)を蹴り転がし、そのコートの裏側やポケットの内側を探る。銃も弾も、今のこいつには無用の長物なのだ。なら私が有効活用したほうが余程良いのだ。

 

 ――言うまでもないかもしれないが、「死体」とはバーナードのことだ。

 

 私のこんな振る舞いに、眉をひそめたい紳士淑女の方々はどうぞご自由にご存分に。だが戦場でも荒野でも、餓えたコヨーテか狼のように、私はこんな風にして生き残ってきたのだ。今更、改めるつもりもないし、生き方を改めるには歳を喰いすぎている。それに自慢じゃあないが、手段に拘るなんて贅沢が許されるような、そんな大層な身分であったことなど生まれてこの方一度たりともないのだ。

 

 やつの肩から斜めに掛けられた弾帯には、まだ何発もの.50-90シャープス弾が残っていた。こいつを撃てる得物はもう、ここには無いが、こいつは装薬量の多い銃弾だ。火薬の補給には丁度いいだろう。そんなことを考えながら弾丸を帯から抜き取る。その途中に、ふと、バーナードの野郎が腰に吊るしていた得物に目が向いた。

 

 そこで、目が止まる。手が止まる。

 視界に入ったソレを睨みつける。眉をしかめ、目を細める。

 鏡の中の自分を撃ち殺したような、そんな嫌な感触が掌の上に走る。

 

 バーナードが吊るしていたのは、なんてことはない、ただのリボルバーだ。長物(ライフル)を得物とするガンマンは多くの場合、万が一の接近戦に備えて拳銃も持ち歩くものなのだ。だから、それ自体に問題はない。問題なのは、バーナードの野郎が吊るしていたのが、私と同じようにコルト・ネービーであったことだ。それも真鍮のフレームも鮮やかな、南部謹製の海賊版コルトなのだ。

 

 ――結局、コイツも私も、同じ穴のムジナに過ぎないのだろう。

 ほんの少しばかりの人情が、残っているかどうかの違いはあっても。

 

 戦場で殺しを覚え、それ以外の全てを失い、ただ当て所なく生きる。一握りのドルと引き換えに、標的を狙い、追い、撃ち、そして殺す。私は標的を選り好みするが、コイツはそれをしない。私は仕留めた標的の目を抉って喰ったりはしないが、こいつはそれをする。違いと言えばその程度のことだけで、結局、最後には私もバーナードも相手を殺すのはおんなじだ。

 

 ……戦争は終わった。

 

 北の連中も、南のお偉方もそう言った。

 私()にとってもそうだった。だが、あの戦争は全てを変えた。変わったものは二度と元に戻らない。だからこそ、こうして戦争が終わってからも戦争を続けている。互いの腰に吊るされた旧いコルトは、そんな事実を明確に物語っている。

 そう――私達は人殺しだ。

 

「……」

 

 私は、こちらを見つめたままになっているバーナードの左目の、その瞼を閉じてやる。

 野郎の下げたコルトを抜き、空いたホルスターへと納める。

 

「……主の仰せらく、怒りと殺しの日は夏の雷(いかずち)が如く、獅子は巣より出で、盗人は遠方より来たらん。かくして汝ら死を知る。主の仰せらく、されど汝ら、死する者に涙するなかれ。殺人者にためにぞ泣け。いずれ永遠に死者となるがゆえに」

 

 いつか巡回牧師(サーキット・ライダー)が街頭で吼えていた説教の一部――何故かそれがひどく心に残ったのだ――を葬送曲(レイクイエム)代わりに唱えると、私はバーナードの亡骸から目を離した。お互い、いずれ死する身の上だったが、野郎のほうが早く命運は尽きた。いずれ私もまた、この男のように誰かに撃たれる日が来るのだろう。それは、仕方がないことだ。銃を手にし、銃を得物に生きていくと決めたあの日から、とうの昔に決まっていたことなのだ。

 だが、それは今ではない。

 

 ――『まれびと殿!』。

 

 アラマの声と目を想う。揺るぎない信頼を想う。

 私は、なすべきことをなすために、「こちら側」へと呼び出された。そしてまだそれを終えてはいない。

 感傷を振り払い、ナイフのように心を研ぎ澄ます。もう掌の上には、殺意以外ありはしない。

 

 俺は銃弾だ。

 俺はライフル銃だ。

 俺は狼だ。どこまでも餌食を追う、灰色の狼だ。

 そして――俺は「まれびと」だ。まれびとのガンマンだ。

 そう、胸のなかで繰り返す。

 

「……カイザルのはカイザルに」

 

 聖句の上の句を、もう一度声に出して繰り返す。

 まれびとはまれびとの務めを果たすまでのことだ。それは、私が私であるため(・・・・・・・・)に必要なことでもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サンダラーを指笛で呼び寄せ、今度は騎乗したまま目当ての列車へと近づく。

 既に私の耳は、大きさを増していくナルセー王率いる部隊の馬蹄の響きを捉えている。だとすれば自分の仕事は一つ、先行してヘンリーや例の化物北軍騎兵を撹乱してやることだ。恐らくは連中も、バーナードが殺られたことには気づいていることだろう。だとすれば狙撃を狙っても望みは薄い。ヘンリーはプロだ。相手の間合いで勝負するようなヘマは犯さない。……だが、それでも撹乱程度は通じる筈だし、そうすればキッドたちも仕事がやりやすくなる。

 最早用済みのレミントンを投げ捨て、空いた長物用のサドルホルスターへとホイットワース・ライフルを突っ込み、両手にはコルト・ネービーを構えて少しずつ近づいていく。前装式な上にその得意な銃弾の形状のせいで、ホイットワースに速射は全く不可能だ。ヘンリーは野郎の間合いにこちらが近づくまでは、獲物を付け狙う時のコヨーテよろしく姿を決して見せないだろう。

 つまり――やつとの戦いは必ず早撃ち勝負になる。だとすれば得物はコルト・ネービー以外ありえない。

 右のコルトの撃鉄は既に起こされている。抜き撃ち勝負ならともかく、既に抜き放たれた銃で相手を狙うのならば、私でもヘンリーとも五分の勝負ができるはずだ。

 

「……ヘンリーッ!」

 

 ダメ押しとばかりに、大声で呼びかける。

 

「バーナードの野郎は俺が殺った! 」

 

 もう既に向こうは気づいているだろうが、それでも敢えて声に出して叫ぶ。

 

「次はテメェだ! 出てこい臆病者! 俺を殺してみろ!」

 

 安い挑発をまくしたてるが、ヘンリーがこんなものに乗ってこないこともわかっている。それでもなお声を張り上げるのは、ヤツに私の居場所を教えてやるためなのだ。私は声を張り上げ、敢えて我が身を晒しながら近づいていく、相手からの攻撃を誘い出すために。

 

「相棒を殺られておきながら、だんまりを決め込む気か! 面見せろ! かかってきやがれ!」

 

 私は左手を背後に回すと、そこに隠された一丁を握る。

 出し抜けに一発、荷車目掛けて引き金を弾く。

 

「かかってこよ、オラァッ!」 

 

 立て続けの片手三連射。シングルアクションのリボルバーでは不可能なそれは、旧式ながらもダブルアクション機構を持つが故にできること。ペッパーボックス・リボルバー。このガラクタが、不思議とイザという時に役に立つ。

 私がかき鳴らす銃声に覆いかぶさるように、馬蹄の調べが響き渡る。ナルセー王たちが完全に追いつきつつあるのだ。

 恐らくは、それが決め手になったのだろう。ぬっと、唐突に、出し抜けに、そいつは姿を表した。

 

「――チィッッ!」

 

 思わず、舌打ちしてしまう。

 出てきた相手は期待外れも良いところ、むしろ最悪だと言っていい。

 一撃必殺が信条の私には、相性的に最も悪い相手、例の化け物北軍騎兵が、悠然と姿をあらわしたのだ。

 

 



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第39話 ヴェンジェンス・トレイル

 

 

 

 

 ヤツには少なくとも、私が四発、キッドが三発の計七発はお見舞いしてやっている筈である。それも、カス当たりなどではなく、胸板に脳天にと、どれも急所への一撃ばかりで、相手が人間ならば七回とも悉く(くたば)っている勘定だ。だが、野郎には今や撃たれたという痕跡すら見当たらない。全くの無傷、五体満足な姿なのだ。

 御伽噺(トール・テール)によれば、猫は九つの命を持っているそうだが、ならばヤツもまたそうなのだろうか。残念ながら私の見立てだと、あと二発程度鉛弾をブち込まれた程度で、おっ死ぬようなタマではない。

 

 ――ヘンリーの野郎はどこだ?

 

 相変わらず得物はサーベルと化け物弾を吐き出すレ・マットもどき。悠然と荷車より姿を現した化け物騎兵を視界のなかに収めつつ、私が探すのは地獄のコンビの生き残りのほうだった。不死身の化け物を盾にしながらの、ヘンリー連発銃の釣瓶撃ち……考え得る、最悪の可能性。いかに私とて、早撃ち勝負でヘンリーに勝つことは不可能だ。キッド達がここに駆けつけるまで、あと僅か。私がヤツならば、ここで私を先に、確実に始末しておきたい筈だ。つまり――。

 

「DUCK YOU SUCKER! /  伏せろ、糞ったれ!」

 

 私は、化物北軍騎兵へと右手のコルトを機先を制してぶっ放しつつ、左のペッパーボックスを殆ど狙いもつけずに乱射した。僅かに差したヘンリーの影、それ目掛けての盲撃ちだが、効果はあった。驚いたヤツは、慌てて荷車の陰に身を伏せる。化物北軍騎兵へと撃った弾は、狙い通り左肩近くに当たり、その衝撃で照準がずれる。例の気色悪い銃弾は私から逸れて、砂地へと突き刺さる。

 

 ――さぁ初撃は凌いだ。だがすぐに次が来る。どうする?

 

 私には今、切れるカードが二枚ある。退くか、進むか。退けばキッドやアラマ、イーディスに色男、そしてナルセー王とその親衛隊たちと合流できるし、そうなればこの上なく心強い。だが、そもそも私は彼らの露払いとして先行しているのだ。自分の務めは果たさなければならないし、何より退けば連中に態勢を立て直す時間を与える事になる。……育ちも悪いし学もない私だが、それでも学んだことがある。それは、戦場では時に理屈に合わない、一見無謀とも見える攻撃が勝負を決するということ。そう、昔知り合った中国人が言っていた言葉を借りるならば『孔子(コンフーシャス)曰く、「WHO DARES WINS /  敢えて挑む者が勝つ」』。銃弾が飛び交い、砲弾が爆ぜ、銃剣が煌めき、咆哮と断末魔とが響き合う戦場で生き残る者は常に、本物の勇気(トゥルー・グリット)を持つものだけだ。

 ペッパーボックスを鞍嚢(サドルケース)へと突っ込み、右手のリボルバーを空いた左手へと投げ渡す。長物用のサドルホルスターへ突っ込まれていたホイットワース・ライフルを引っ張り出して、右片手で構えた。本来は、騎兵銃(カービン)のような使い方をする銃ではないが、今はこれ以外にやりようがない。

 

「FILL YOUR HANDS YOU SON OF A BITCH!/  かかってこい、この糞野郎!」

 

 愛馬に拍車をかけると、私は長銃と短銃の二丁撃ちの構えで突撃した。

 少し待てば援軍が駆けつけるこのタイミングでの、馬鹿げた格好の馬鹿げた一手。無謀、蛮勇、匹夫の勇とも言える私の行動は、完全にヘンリーの虚を突いていたようだ。野郎本来の素早さを思えば、私とサンダラーが駆け出した瞬間にはもう、.44ヘンリー弾が横殴りの嵐のように降り掛かって来ていなければおかしい。だが、野郎は動けなかった。孔子(コンフーシャス)とかいう、海の彼方の誰かの言うことは正しい。

 ヘンリーを牽制するために、左のコルトをぶっ放しつつ、右のライフルの銃口を化物騎兵へと向ける。ホイットワースはこの手の前装式ライフルとしては口径が小さく.451でしかないが――例えば、私のかつての愛銃エンフィールド1853年モデルなどは.577口径であった――、85グレインの火薬の生み出すエネルギーは凄まじく、標的へと確実なる致命傷を与えてくれる。

 確かに、相手は化物だ。化物だが、少なくとも銃弾を受け蹌踉めき傷つきはしたのだ。

 

 ならば殺せる。

 ならば斃せる。

 充分な量の銃弾さえ用意できるのならば。

 

 そもそも化物騎兵の動きは、さほど素早くはないのだ。厄介なのはとにかく頑丈なことと、どんな手札を隠しているのかまるで解らないことなのだ。ならば奴がその得体のしれない手を使ってくる前に、最大火力で一気に仕留めるのみ!

 

「ッ――」

 

 舌を噛み切らぬよう、反動を受け止められるよう、唇を固く噤む。

 怪人騎兵は、その白目黒目関係なく真っ黒な双眸を私の方に向け、肩を撃たれたとも思えぬ動きで照準をつけてくる。ヤツには瞳がなく、その見るところは解りようがない。その筈なのに、ハッキリとやつの殺気とでも言うか、とにかく私を狙っている気配を、ガンマン特有の感覚が捉える。その気配が極限まで昂まった瞬間、私はヤツよりも一瞬早く引き金を弾いた。

 

 ――反動。

「ッッッ!?」

 

 わかってはいたものの、やはり先込め式ライフルを片手なぞで撃つものではない。

 肩が外れるかと思うほどの衝撃を、しかし私は受け止めて怪物騎兵の眉間を狙い撃つ。

 瞬く間もなく六角形の銃弾は標的の眼と眼の間へと突き刺さり、ヤツは衝撃で顔を激しく仰け反らせる。

 手応えあり! しかし野郎は斃れる素振りも見せない。頭を向こう側に仰け反らせたまま、怪銃の照準はピタリを私に合わせたままだ。

 

「糞ッ!」

 

 私は靴底で鐙を深く強く踏みつけ、半ば投げ出すような格好で体を左に倒した。

 右の脹脛を鞍へと引っ掛け、辛うじて落馬を防げば、私の上体があった場所を気持ち悪い銃弾が貫いて行く。

 左のコルトに残った最後の一発をお返しにとぶっ放すが、無理な体勢で撃った弾は狙いから逸れる。

 

「畜生っ!」

 

 ヘンリーが、ここぞとばかりに身を乗り出し、仕掛けてこようとするのが見えた。

 私は思い切ってサンダラーより飛び降り、地面の上を転がる。左手のコルトを手放し、ホイットワースを抱きながらさらに転がり、手近な窪みへと身を躍らせる。窪みの縁には次々とヘンリー弾が突き刺さり、飛び散る砂の雨が降り注ぐ。ああ本当に畜生だ。帽子が吹っ飛んだから、口にも砂利が入り放題で、それをぺっぺっと吐き出し、まだ弾の残ったコルトを今度は両手で引き抜く。

 

 ――しくじった。

 

 それが正直な心境だった。あの化物北軍騎兵の頑丈さを小さく見積もりすぎていたのだ。エゼルの時に、結局はエンフィールドで例の三人――レイニーン、リトゥルン、ヴィンドゥール――とも始末したという事実が、判断を誤らせたのかもしれない。糞ったれ、糞ったれ。今度のスツルーム野郎は殺し屋どもや木偶人形に戦わせて、当人は引っ込んでいやがるのだから、なるほど、悪知恵だけは回ると見える。

 

 暫し窪みで堪えていると、銃声が鳴り止んだ。私は敢えて動かず、様子を窺う。

 さて、連中は次にどんな手で来るのだろう。その実、おおよその見当は、既についているのではあるが。

 

 重いものが落ちる音と、砂と土の撥ね跳ぶ音とが聞こえる。私は舌打ちする。予想通り、ヘンリーの野郎は化物騎兵を前に出して、その陰から攻撃する腹積もりらしい。あの怪人は素早く歩くことが出来ないのか、一歩一歩踏みしめるような軍靴の響きが、耳朶を打つ。

 連中の進行が遅々としているのは不幸中の幸いだった。素早く紙薬包を取り出すと、その端を素早く噛み千切り、中身をホイットワースへと注ぎ込む。特徴的な六角形の銃弾を、やはり独特の施条(ライフリング)の走る銃身の、その銃口へと充てがい、槊杖(かるか)で強く強く押し込む。弾薬と銃弾を込め終われば、槊杖を引っこ抜いて元へと戻す。鉄製の槊杖と銃身とが触れ合い奏でる金属音に、怪人騎兵の足音が重なる。その大きさから、ヤツはすぐ間近であり、もう残り時間がないことが解る。先込め式のマスケット・ライフルを寝転んだままの体勢(・・・・・・・・・)で再装填したにしては、我ながら手早くやったほうだとは思ったのだが。

 私は銃尾のほうを素早く手繰り寄せると、雷管を火門に被せ、半ばまで上がっていた撃鉄を完全に起こした。

 準備は整った。後は身を起こし、攻撃するタイミングを捉えるだけだ。

 

「……」

 

 私は地面に耳を当てた。砂と土とを通じて、馬蹄が聞こえた。

 同時に、見えぬ窪みの外で気配が変わるのが解った。

 私は、撥ねるように身を起こし、翻す。

 

『マズダの神の御名に拠りて――鏖殺せよ、エーラーンの児らよ!』

 

 ナルセー王の号令、それに唱和する鬨の声。

 その足音から既に近づいていることが解っていた援軍が、いよいよ駆けつけたのである。

 完全武装の重騎兵が、槍の穂先を揃えて突撃している。ナルセー王の纏った真紅のマントが、まるで炎のように風に舞い、はためく。

 

「騎兵隊万歳!」

 

 開拓農民(ホームステッド・マン)のような快哉を挙げながら、私はホイットワースを構える。

 化物騎兵は完全に新手の援軍のほうを向いていて、レマットの銃口もそっちに向けている。

 ヤツは、ゼンマイ仕掛けの玩具のような歪な動きで古い南部のリボルバーを連射した。だが、銃弾は全て地面へと突き刺さる。一発たりとも、ナルセー王の親衛隊には当たってはいない。外したのか? そんな私の自然な疑問は、次の瞬間には氷解する。

 

『――!? なんだ!?』

『うわおっ!?』

『槍が!? 槍が地面から!?』

 

 私が思い出したのは、私自身があの骨の弾で撃たれたときのこと。骨の弾丸から滲み出るようにして、何か黒い蔦のようなものが伸び出てきている様に仰天し、慌てて弾の刺さったコルトを投げ捨てたこと。

 あの時は、終いにはどうなるかというのは見ずに終わっていたが、今ようやくそれが解った訳だが、まるで喜ばしいことではない。なにせ、地面に刺さった骨の弾より生えた無数の黒い蔦は、絡み合って寄り合わさって細くとも鋭い、数多の槍と化したのだから。

 黒い槍は重騎兵たちの、その跨った軍馬の無防備な土手っ腹へと次々に突き刺さる。ちょうど方陣を組んだ戦列歩兵に突っ込んだ時のように、ナルセー王の親衛隊たちは槍と斃れた馬たちに突撃を妨げられ、立ち往生してしまう。

 棒立ちの標的――それをヘンリーが見逃すはずもない。

 

「ヘンリー!」

 

 いかに奴が早撃ちでも、既に構えている今ならば私のほうが速い。

 それを向こうも理解しているから、パッとその場から跳んで射線から外れる。ヘンリーの動きが止まったお陰で、ナルセー王たちも態勢を立て直す為の時間を得られる。

 

「騎兵隊参上!」

『まれびと殿! お待たせしました!』

 

 その時間を活かして、黒い槍の林を抜けて、突っ込んできたのはキッドとアラマだった。

 

「アラマ! 火だ!」

 

 私がこう叫べば、彼女は即座に応じてくれた。

 彼女が、『ヘラスの火』と呼んでいた焼き討ち用の手投げ弾を取り出し、瓶の首に巻いた紐を使って頭上でぶんぶんと回して勢いを乗せ始める。

 

 ――『向こうは屍生人の群れを率いているのです。屍には火です。例え、それが死してなお呪術によって傀儡とされたとしても、死者は死者に、骸は骸に変わりはないのですから』

 

 アラマの台詞が、頭のなかで想起される。

 ライフル弾をも受け止める化物も、紅蓮の炎ならば! なにせあの野郎は、大勢の屍体から出来上がっているのだから。

 

『わ、わっ!?』

 

 化物騎兵がアラマへと向けてレマットをぶっ放そうとするのを、私は左手でコルトを抜き撃ちにして遮る。

 照準が確かにズレたが、しかし弾丸はアラマの顔の真横を通り抜け、それに驚いた彼女の手から紐がスっぽ抜ける。

 

「キッド!」

 

 弾道が、余りに高い。

 そのことを瞬く間に見抜いた私は、半ば反射的に叫んでいた。

 キッドは応じ愛用のコルトSAA――ではなく、左のレマット・リボルバーを抜き放った。

 恐らくは、もうマトモに狙いをつける(いとま)など無いと、直感的に悟ったのだろう。レマットに備わった、世に数多ある拳銃のなかにあって唯一無二の仕掛けを動かし、キッドは引き金を弾く。

 

 フランス人が南部のために拵えたこの珍銃は、9連発であるというのも既に変わっているが、一番の特色は銃身下部に設けられたもう一本の銃身から散弾を撃てること。撃針を動かすことで拳銃弾・散弾を使い分けることができること。

 

 吐き出された散弾は空へと広がり、その範囲内に『ヘラスの火』を確かに捉えた。

 割れる瓶。

 燃える水。

 炎の雨は真っ直ぐに、怪物騎兵へと降り注ぐ。

 

 ――絶叫。

 

 仮にも人の形をとっておきながら、北軍騎兵を模った怪物は人間の喉では発声不可能な甲高い悲鳴を挙げた。やはり屍体で出来た体だからなのだろう、瞬く間にその体は燃え上がり、殆ど巨大な篝火のようである。

 

「――」

 

 既に、勝負はついている。

 しかしキッドはダメ押しとばかりに、レマットを腰だめに構えて、その照準を燃える北軍騎兵に合わせていた。

 

「アバヨ――親父(・・)

 

 私に耳には、ファニングショットの銃声に混じって、キッドがそんな風に言ったように聞こえた。

 聞こえてはいたが、私には殆どその意味するところを考えている余裕がなかった。

 ヘンリーの野郎が、キッドを狙うのが見えたからだ。

 

 私はホイットワースの照準をヤツへと合わせ――た時には、ヘンリー銃の銃口は既にこちらに向き直されている。

 畜生め。ヤツの狙ういは、私の方だったか。ヤツは早撃ちだ。このまま撃ち合えば、間に合わない。

 

 だから私は、右側に、ヤツから見て左側の宙へと身を躍らせる。

 

 早撃ちガンマンを相手に、一度きり使える攻略法。

 抜き撃ち勝負では凡百のガンマンに劣る私が、密かに編み出した切り札。

 キッドの前で使うのは避けたかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 

 .44ヘンリー弾がは、さっきまで私のいた空間を貫き、同時に私は空中に身を躍らせつつ、ヘンリーの心臓目掛けて引き金を弾いた。

 

 化物騎兵が、ヘンリーが崩れ落ちるのと殆ど同時に、逃げ出そうとしたスツルーム野郎の足を色男の角矢が貫き、追いすがったイーディスの居合一閃が、その仮面に包まれた首を刎ね飛ばしていた。

 

 ――復讐するは、我らにあり。

 ともかく、流された血は、奴らの血を以て贖わせた訳だった。

 

 

 

 

 



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第40話 アウトロー・ジョージィ・ウェールズ

 

 

 

 

 ――灰色く濁った瞳を、まるでそれらが見えているかのように私へと向けて、彼女は言った。

 

『まれびと様が、沿いて歩む天則の光とは、いかなるものなのですか?』

 

 彼女が使った言い回しは、私には少々奇妙な感じのするものであった。アラマの言うところの『太陽の使い』であるフラーヤは、盲目だからである。そんな彼女が「導き」を光に喩えて言うのだから。

 

『我らは不敗の太陽たるミスラの徒。我らが導きはすなわち光の導き。それも神なる光の導きならば、目明き(めしい)の差など些末なること』

 

 あるいは私の感じたような疑問には慣れっこだったのか、フラーヤは静かな微笑みを添えて問わずとも答える。彼女はまるで見えぬ眼が見えているかのような振る舞いを見せることがあったが、それも彼女たちの神様の導きの一部というやつなのだろうか。

 

『大ガラスのアラマを始め、広き牧場の主、光の君たるミスラに救われた者は数多く、餓えるものに糧を、迷える者に導きを与え給います』

 

 フラーヤが顔を向けたほうを見れば、アラマが他のミスラ信徒たちと談笑しているのが目に入る。

 彼女の言葉の端々から、その生い立ちはお世辞にも恵まれているとは言いかねるモノであったことを私は知っている。だがしかし、今の彼女は間違いなく幸せそうである。これも、ミスラとかいう神様の思し召しだというなら、その御利益を「こっちがわ」にも少々わけてもらいたいもんである。少なくとも今の私には、父にして子にして聖霊である御方の影すら見えてはいないのだから。……いや、実際問題、見えていないからといって、どうということはないのだが。人殺しを生業(なりわい)とする者にとっては天国への門などより、娼婦の裸体のほうが余程お目出度いぐらいなのだから。なぜなら前者は元より閉ざされているし、後者は銀貨を翳せば誰に対しても開かれるのだから。

 

『……まれびと様は、縁も所縁もない遥、このようなか彼方へと喚び出され、その上孤軍にて戦い続けています』

 

 フラーヤはいつの間にかこちらの方へと顔を向けていた。

 本当に、見えていないとは信じがたいほどに、私の居る方へと瞳を擬している。

 

『容易いことではありません。誰にでも出来ることではございません。だとすれば、何物が貴方を支えているのであるかと……それが気になるのです』

 

 私は、実際には彼女に見つめられている訳でもないのに、その熱帯びた好奇の視線(・・)から眼を逸らす。

 人様に御高説するような、まっとうな信念など私には無い。あるとすれば、ただガンマンとしての矜持ぐらいのものである。だが、それを彼女に語っても仕方があるまい。

 私はコルトを取り出すと、撃鉄を半分起こしながらフラーヤの傍らへと歩み寄る。

 

「こいつが、俺の神様さ。コイツを前にすれば、相手が王侯将相……そのどれであろうと平等になる」

 

 フラーヤの耳元で、弾倉を回す。カチカチカチと、小気味の良い金属音が鳴り響く。

 鈴の音のようなこの音は、何度聞いても耳を擽るようで堪らないが、それは彼女にとってもそうだったらしく、陶然とした表情で聞き入っている有様だった。

 だが私はといえば彼女の反応とは裏腹に、自分自身の行いが恥ずかしくなって、コルトを慌て気味にホルスターへと戻す。己の得物をひけらかすなど、一廉のガンマンとしてすべきことではなかった。

 

「まぁ、所詮は日陰者の神様だがな」

 

 照れ隠しにと私が呟いた言葉。

 

『――』

 

 フラーヤが、何か返して言ったその台詞が、余りに彼女らしくはない内容で、気にかかった。

 どんな言葉だった? そうだ、あれは確か、こんな風だったような――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『光の届かぬ陰にこそ、闇にこそ、救いを求める者も居るのですから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!?」

『まれびと殿! まれびと殿!』

 

 回想は唐突に破られ、私の意識は夢の海から引きずりあげられた。

 傍らにはアラマの姿があって、どうも私の体を揺さぶっていたのは彼女であるらしい。

 

『大丈夫なのですか? お加減が悪いのですか? 何度お呼びしても、一向にお目覚めにならなかったものですから、わたくし、大いに心配しましたなのです』

 

 不安に揺れる金色の瞳を寝ぼけ眼で見返しながら、パチパチと瞼をしばたく。

 徐々に意識が覚醒していくのと同時に、しかし相反するように眠気が背骨から頭へと昇ってきて、傍目には間抜けにしか見えぬだろう大あくびが口から漏れ出した。私はなおも漏れ出るあくびの残党を噛み殺しながら、心配ないと掌をひらひらと振って示す。するとアラマのほうからも、安堵の溜息が漏れた。

 

「……あんな切った張ったの後なんだ。ちょいと一眠りぐらいは別に構わねぇだろう?」

『でも』

 

 寝起きの涙に歪む視界のなかで、アラマは戸惑い気味に首を傾げた。

 

『でも、まだ何があるか解らないですからと、寝ていたら起こすように仰っていたのはまれびと殿ご自身なのです』

「……そうだっけか?」

『はい、なのです』

 

 そうだった。

 ようやく完全に目覚めた私の意識は、記憶の中から確かに言った自分自身の言葉を探り当てる。 

 

 ――もう夜も近い。まだ敵の生き残りがいるかも知れない。だから気は抜けない。

 

 だが、実際には眠りこけてしまっていた訳なので、やはりアラマに目覚まし役を任せたのは正解だった訳だ。そんなことを考えながら、私は立ち上がり固くなった体を伸ばして解す。赤い赤い篝火の炎が、双眸の上に下りていた眠気の幕を取り払う。

 戦い済んで日が暮れて、今はアフラジヤブの丘に張られたナルセー王が陣幕の内側で、私達は体を休めながらも、来るかもしれない次の戦いに備えていたのだ。

 スツルーム野郎にヘンリーとバーナードを迎え撃つ際にも使った廃屋の二階に、またも私とアラマの身はあって、しかし互いに得物は変わって、アラマは取り回しの良い短弓を、私はと言えばヘンリーの亡骸から毟り取ったヘンリー銃を手にしている。

 あの連発銃野郎は、噂通り全部で四丁ものヘンリー銃を携えていた訳だが、結局は私とキッドが二丁ずつ頂くことにした。もう一丁の方はと言えば、サンダラーの鞍のホルスターへと突っ込んである。

 サンダラーと言えば、今度の戦いも彼は無傷で切り抜けている。もしかすると、彼のほうが私などよりも余程歴戦の古強者なのかもしれないと思う。私はと言えば、手足を切り落とすような羽目に合っていないというだけで、怪我自体は少なからず負ってきたのだから。

 

「俺が寝てる間に、何か変わったことは?」

『何もなかったのです。不気味なぐらい静かなのです。静かすぎるぐらいなのです』

 

 ひと戦経て、それも戦勝を挙げたにも関わらず、ナルセー王の戦士たちは美酒を酌み交わすこともなく、黙々と宵闇のなか寝ずの番に励んでいる。気を緩める者など独りとてなく、戦場ならではの殺気まみれの緊張感が丘の上に満ちていた。……そんな中で、疲れているとは言え眠りこけられる私は、戦場馴れしすぎたのかもしれない。

 

『こうも静かな所からみるに、既に賊はことごとく滅ぼしたと考えて良いのではないかと思うなのですが』

「……いや、油断は禁物だ」

 

 アラマに対し応えながら、闇へと向けて眼を凝らす。

 一眠りした影響で宵闇に眼が利かなくなっていたが、それも一時のこと、すぐに夜目へと転じた我が双眸は、夜の黒の下でなお存在感を放つ、うず高く盛り上がった“山”を捉えていた。

 

 その山は、無数の手と無数の足と、無数の胴と無数の頭からなっていた。

 その山は、無数の五体が折り重なり、絡み合うことで出来上がっていた。

 術者が死んだことで、グアールたちは全て、その動きを止めたのである。死してなお(まじな)いに動かされ、今やまことの死を迎えた骸たちが兵士たちによって積み上げられて、山のようになっているのでいるのだ。昼間太陽に焼かれ、耐え難い腐臭を放っていた屍の山であったが、今は夜の乾いた空気のなかにあって、その瘴気は抑えられていた。臭いもなく、ただ盛り上がった死体の山は物言わぬ墓石のようであって、ある種の寂しさすら醸し出していた。

 だが、それも夜のうちのこと。日がまた昇れば、腐臭はぶり返し耐え難いものとなるだろう。

 私はナルセー王に対し、今晩のうちに焼いてしまったほうが良いと助言したのだが、彼は首を横に振った。

 

 ――『我が臣民たる者たちには、マズダの神の流儀に則った、正しきやりかたで葬りたいのだ』

 

 そう、戦士であると同時に彼は王なのだ。

 王として、非業の死を遂げたマラカンドの民を葬送するのは、確かに義務だろう。

 火葬は明日、夜明けとともに行うそうだ。

 

「……」

 

 それにしても連中は、実に殺しに殺したものだ。北軍の大虐殺者、シャーマン将軍ですらここまで非道ではなかったし、これほどの大殺戮をすることはなかった。なにより彼にはテネシー軍10万の兵力があったからこそ、ジョージアでの大破壊を行うことができたのだ。それを、あんな少人数で――。

 

「……」

 

 だからこそ、私達は疑い、そして警戒する。

 スツルーム野郎にまれびと二人。本当にそれで全てなのか? これほどの大虐殺を、いかに邪悪な魔法使いがついていようと、わずか三人で出来るものなのか? まだ本当の黒幕、連中の本隊が、どこかに隠れているのでは? 疑いは深まるばかりで、気を抜くことは全くできない。

 

「……っ、よし。しばらく、ここを頼む。何か見えたら、手はず通り合図してくれ」

『まれびと殿はどちらに?』

 

 私は地上へと降りながら、アラマへと応えた。

 

「キッドの所だ。ちょいと、気にかかることもあってな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう。オッサンも一杯どうだい?」

 

 地べたにだらしなく座り込んだキッドは、焚き火に当たりながら呑気に酒杯を傾けていた。

 既に息は噎せ返るほどに酒臭く、見事な赤ら顔になっている。差し出された陶器の盃からも、あからさまにアルコールの強い匂いが吹き出していた。原料はわからないが、どうやら蒸留酒(スピリッツ)の一種らしい。

 

「言っただろう。仕事中には飲まねぇんだ、俺は」

 

 盃を突き返しながら、やっこさんの隣に腰掛ける。

 イーディスが一緒に居るはずだが、姿が見えない。恐らくは、見回りにでも行っているのだろう。

 

「呆れたもんだ。こんな状況でよく酒なんざ飲めるな?」

「逆だよ。こんな状況だからこそ飲むんだ。飲みっぱぐれて死ぬのだけはごめんだかンね」

 

 けらけらと笑う。その顔にはいかなる影もなく、いつもの剣呑な陽気さに溢れている。

 

「『終わりよければ、全て良し』――けどね、終わりを良くするにゃ、それなりの手管ってのが必要なもんさ」

 

 またも誰かの――シェークスピアという男だろうか。いい加減、私でもその名を覚えた――台詞を引用しつつ、酒を更にあおる。強い大麦めいた香りは、疲れた私には毒だった。私が酒を飲まないのは何もそれが嫌いだからではなく、仕事に差し障るからなのだから。

 

「……んで、いったいぜんたい、どういう風の吹き回し?」

「ん?」

「とぼけなさんな。お互い銃を商売にする者同士だろ。馴れ合いなんて柄じゃあないのは良く知ってる」

 

 葉巻を取り出し、焚き火で先端を灯す。紫煙を吐き出しながらキッドは言う。その言う通り、ガンマン同士は馴れ合い不要だ。今日の味方も敵となり、昨日の敵も今日の味方となる稼業では、真の戦友など産まれようもない。それでもなお私がキッドの様子など見にやって来たのは、当然、情が移ったなだという理由からではない。

 

「ご明察だな。無論、仲良しこよしになろうなんて思ってない。俺が気にかかるのは、今の(・・)お前さんが使い物になりそうかどうかだけだ。まぁ、見た所、大丈夫そうではあるが」

 

 キッドが一流のガンマンなのは間違いない。

 だが、一流のガンマンと言えど、死すべき運命を背負った人の子に過ぎない。泣き、笑い、怒り、哀しみ、時には喜びに飛び上がり、時には絶望に打ちひしがれる人間だ。感情は寄せては返す波のように揺れ動くが、それこそがガンマンには命取りになる。拳銃遣いに必要なのは、冬の湖のような冷たく動じない心であって、詩人のような激情は禁物なのだ。

 キッドは、あの化物騎兵と知り合いと明らかに顔見知りだった。やつを仕留めたのもキッドだった。キッドは見事に仕事をやり遂げたのだが、むしろその後が問題と思えたのだ。殺意や復讐心は精神の礎となって、戦いに揺れる感情を抑え込む力になる。だが、殺意にも復讐にも標的が必要だ。その標的を失えば――堰を切ったように活力は流れ出し、代わって空虚が心を占める。

 私は既に、キッドの見せたあの疲れ切った顔を見ているのだ。当然、懸念は生まれる。……果たして、その懸念は単なる杞憂であったようだ。キッドの姿は見事にいつも通りで、何一つ心配すべき要素は見当たらない。おちゃらけたようでも、やっこさんも一匹のプロフェッショナルということなのだろう。

 

「……まぁね。らしくない姿を御披露たのは確かだかンね。ただ、一つ言い訳さしてもらうんならね」

 

 キッドは盃の中身を一気に喉へと流し込んで、酔った眼で遠くを見つめながら、呟くように言う。

 

「同じ標的を二度殺すなんてのは、ガンマン稼業でもそうザラにあることじゃねぇだろうよ。多少慌てるのも已む無しというヤツさね」

 

 ――「アバヨ――親父(・・)

 

 キッドの言葉を、今更ながら思い出す。

 やっこさんは盃を置くと、レ・マット・リボルバーを引き抜いて顔の前へとかざす。古い南部の銃の、年季から来る剥げの目立つニッケルメッキが、薪の灯りを受けてオレンジ色に輝く。

 

「それも二度も揃って、標的自身の得物を、輝かしき戦利品を使って(あや)めるとありゃあ、ね」

 

 ……なるほど。

 ヤンキーのキッドが、何故、南部の銃を持っていたのか、その理由もこれでハッキリとした。

 私としては、今まで得た情報で充分に、キッドの現状も来歴も理解できたので、ここで話を打ち切ってしまってもよかったのだが、意外にも、キッドの方はそうではなかったらしい。

 

「不思議なもンだよな」

 

 キッドは、妙に感傷的な調子で、溜息混じりに言葉をつないでいく。やはり、やっこさん、少々酔っているらしい。

 

「勝者として、英雄として還ってきた親父はヤクと酒に頭をやられて、最後には母さんを殴り殺して俺に始末された。……だが、アンタは故郷を焼きだされたあとも、そうして正気を保って、アウトローとは言え真っ当に稼業を続けてる。……どこで道が別れたもんか、わからんね」

「そんなことはない」

 

 その酔いに当てられたか。私も思わず口を開いていた。

 

「俺も、お前の親父さんも、根っこは一緒さ」

 

 我ながら感傷的な物言いの気恥ずかしさに、キッドに背を向けて立ち去りながら、私はこう言ったのだ。

 それは、かつて戦場で知り合った、同じ南部の戦士が言った言葉だった。

 

「I GUESS WE ALL DIED A LITTLE IN THAT DAMN WAR / 俺たちはみんな、あの戦争で少しばかり死んだのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふらふらと、篝火の列にそって当て所もなく歩く。そのままアラマのところへと戻っても良かったのだが、ちょういとばかし酔い醒ましが必要だったのだ。

 暫く歩けば、塹壕を掘った後の土で拵えた土塁の、その上に腕くんで立ち尽くすイーディスの姿が見えた。

 闇のなかになってなお、輝きを放つ金の三編みが風に揺れ、マントの端がはためく。夜のためかトレードマークの庇の広い帽子はあご紐を首にかけて背の方へと垂らしていた。

 

『ああ、やはり御前であったか。足音で察してはいたが』

 

 こちらから声をかける前に、向こうのほうから振り向いてきた。

 緑の隻眼は宵闇の下でも猫のように光り、その煌めきにはコヨーテのような獰猛さが宿っている。つい数時間前に、スツルーム野郎の首を刎ね飛ばし、ナルセー王手ずから褒美を貰ったばかりとは思えない、浮かれひとつない静かな佇まいだった。彼女もまた、得物は違ってもプロフェッショナルのいち員なのだ。

 

「何を見てるんだ」

 

 狙撃兵の私ですら、この宵闇を見通すことは出来ないが、イーディスは不可思議なる碧眼――この場合、文字通り緑の眼ということだ――の持ち主、あるいは獣のように夜目が効くのではと思ったのだ。

 果たして、その通りであった。

 

『……何やら、人影らしきものが近づいてくる。数は、十数程度。だが、敵とも思えない』

「……なに?」

 

 殆ど無意識に、右手がコルトの銃把へと伸びていた。

 だがイーディスはと言えば腕を組んだまま、腰に差した曲刀へは視線すら向けない。

 

『まっすぐ、隠れる様子もなく、ただ進んできている。故に掴みかねている。故に様子を窺っている訳さ』

「……」

 

 言われて、銃把から掌を外す。

 その後、暫時二人並んで、暗闇へと目を凝らしながら、来たる謎の一団を私達は待ち構えた。

 そして、彼女たちは来た。

 

「!……アンタは!?」

 

 私は、驚きの声をあげた。到底、生きているものとは思ってはいなかった人物が、闇の中から姿を見せたのだから。その人物は手を引かれながら進み出て、その見えぬ瞳を私達へと向けた。

 

『嗚呼……その声は、まれびと様』

 

 あるいは、あのうたた寝に見た回想は、実は予知の類だったのだろうか。

 謎の一団を率いていたのは、他でもない、夢に見たフラーヤであったのだから。

 

 

 

 



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第41話 イン・ア・コルツ・シャドウ

 

 

 

 フラーヤたちを出迎えた私達が、真っ先にやったのは彼女たちをナルセー王のもとまで連れて行くことだった。

 予期せぬ生存者の到着には、アフラシヤブの丘も既に夜深い中にあってもちょっとした騒ぎになり――人一倍大騒ぎしたのは、呼ばれるでもなく駆けつけてきたアラマだった――王の陣幕までたどり着くのには少々骨が折れた。

 

『よくぞ生き延びてくれていたモノだ。まさに天佑神助――栄えあるマズダの神にも、汝の神たるミスラにも、その御印を示し給うたことを感謝せねばなるまい』

 

 仮の玉座に腰掛けたナルセー王は、跪くフラーヤたちに対して落ち着いた声で労いの言葉をかけた。

 王冠を溶接した兜も、銀色に輝く鎧も脱いだラフな姿だが、よくよく見れば身にまとうのは革を鞣した胴衣であり、座っていても抜きやすいように短剣を腰帯に挿し、傍らには長剣を携えた従者を控えさせていて、つまる所、まるで臨戦態勢は解いていないのである。常在戦場たるその姿は、王者であり武将である彼もまたその役割に忠実なプロフェッショナルの一人であることを示していた。

 

『ここまでの道程、さぞかし難事に満ちていたことであろうよ。本来ならば、我がマラカンドにて何が起こったのか――それを問わねばならぬ所ではあるが、もう夜も更けた時分ゆえ、それは日が昇ってからに致そうぞ』

『お心遣い、感謝いたします』

 

 頭を垂れるフラーヤは相変わらずの、見えぬはずの眼で目明きと変わらぬ優美な所作だ。

 怪我一つないその姿に、私の隣でアラマがグスグスと嬉し涙に加え鼻水まで垂らしている。

 折角のキレイな顔が台無しになっているが、それでもさっきまでよりはマシなぐらいで、フラーヤと再会した直後などは、まるで赤ん坊みたいにワンワンと泣き出したのだから閉口させられた。まぁ、切った張ったの修羅場を潜り抜け、緊張の途切れる暇もなかった所で、死んだと思っていた同胞に再会できたのだから、アラマが泣くほどに感極まったのも無理はないのであるが。

 

『おっと――これは失礼した。我が(・・)、ではなく我ら(・・)、であったな』

 

 ナルセー王が冗談めかした調子で声をかけたのは、フラーヤの右側で俯くもう一人の男に対してだ。

 地面に跪くフラーヤに対し、その男は敷物の胡座をかいているという時点で、この男の立場が他の連中とは少々違うことは明らかだが、ナルセー王の使うやや丁重な口ぶりがそれを更に裏打ちする。

 フードによって頭はスッポリと覆われ、その顔を窺うことはできないが、その縦にも横にも膨れ上がった巨躯は、忘れようにも仕様がない。

 

『なぁ、ロクシャンよ。よくぞ生き延びてくれたものよ』

 

 スピタメン家のロクシャン――マラカンドのズグダ人の頭目。

 ナルセー王をあの街の表の支配者とするならば、いわば裏の支配者と言える大商人。

 とっくにくたばったとばかり思っていたのだが、屍生人(グアール)どもの好みそうな肉付きの良い図体をしてるくせに、よくもまあ、生き残ったものである。

 

『……オウモソクサイナク、ジツニアリガタシ』

 

 しかしフードの下から漏れ出て来たのは、何とも聞き取りづらい嗄れた声だった。

 記憶の中にある、商人(あきんど)らしい人好きのする姿からは余りに程遠い有様だが、フラーヤ曰く、マラカンドの街が炎に包まれた時に、それに喉や顔をやられたらしい。実際、地面に座り込んだその姿は、随分と草臥れた様子ではあった。

 

『うむ。貴公が健在とあらば、街の再建もいち早く成し遂げられようというものよな』

 

 だがナルセー王からすれば、とにかくロクシャンが生き延びたという事実が重要であるらしく、どんな様であるかはどうでも良いことらしい。聞き取りづらいズグダ人の長の言葉にも、上機嫌にうなずいてみせている。

 

『――寝所の用意ができたようだ。戦場(いくさば)ゆえに、まともな饗応も出来ぬが、せめて体だけでも休めて頂こうぞ』

 

 陣幕の入り口の布をめくり、マゴスが王のことを窺っているのを見留た所で、ナルセー王は二人に退出を促した。

 ロクシャンはよろよろと立ち上がり、それをフラーヤが横から支える。……盲人がそうでない者を支えるとは、何とも妙な光景である。アラマが慌てて立ち上がって手助けしようとするが、やはり盲人にあるまじき素早い反応でフラーヤは顔をこちらに向けると、首を横に振って遠慮した。

 

「……」

 

 陣幕の隅っこ、出口に近い方に私とアラマは控えていたのだが、ふと気になった私は体勢を変えてロクシャンの、そのフードに包まれた顔を覗き見ようと試みた。

 果たして、その瞳だけを私は見ることが出来た。

 顔を隙間なく覆う白布の間で、僅かに覗く双眸は単に火傷や怪我とは思えない程に淀み、濁っているように私には感じられた。――ぞくり、と背骨に冷たい感覚が走るが、この時は静かにやっこさんの背中を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あからさまに、怪しくはないか?』

 

 開口一番に、色男が言い放ったのはそれだった。

 

『んなっ!?』

 

 アラマが遺憾心外と眼を見開き抗議の声を挙げるも、イーディスとキッドは色男へと頷き返した。

 私はと言えば黙して語らず、首肯もすることもなく、頭を振ることもしなかったが、アラマ以外の三人とおおよそ同じ意見だった。

 怪しい、というのはフラーヤたちのことである。

 あれほどの、マラカンドでの殺戮の後に、今更のように姿を現した、彼女たちのことである。

 

『スツルームの魔術師どもの目的はわからないが、いずれにせよ連中はマラカンドの街を襲った。もし私が連中の立場なら、真っ先に仕留めに掛かるのはナルセー王か、さもなくばスピタメン家のロクシャンだ』

 

 色男の言う通り、まず相手の指揮官や士官を狙い撃ちにするのは戦いの定石だ。実際、私も前の戦争の時は何人の北軍野郎(ヤンキー)将校を狙い撃ったことか。もう、その数も思い出せないほどだ。ロクシャンほどの重要人物が、いくら怪我を負っているとは言え、あの惨劇を生き残ったこと自体が不自然という訳だ。マラカンドが攻め落とされたのは完全な、それも完璧に成功した奇襲だったを鑑みれば、尚更だった。

 

『しかし、不敗の太陽、牡牛を屠るものミスラの徒にして、「太陽の使い」であられるフラーヤ殿を疑うなど! 礼を失しているのです! 冒涜なのです!』

 

 当然、アラマは食ってかかる。ロクシャンはともかくとしても、同道したフラーヤは彼女にとっては同胞なのだから。

 とは言え、食ってかかりはするのだがそこはかとなく、彼女の語気には迷いが見える。アラマには珍しいことだが、その理由は私にも察しがつく。

 

『あのスツルーム一党との戦いの折、御前(おんまえ)も見た通り、連中は御前(おんまえ)の神の御業たる術と、同じもので織りなされる魔を使役した……連中の一味に、ミスラの徒に関わる何某かが居ることは、殆ど間違いあるまいよ』

 

 そう、まさに今イーディスが言ったのと同じことを、アラマも内心考えていたのであろう、ということだ。

 アラマは些か、思い込んだら一直線な所はあるやもしれぬが聡明な少女だ。事実を想いで捻じ曲げるようなことは、彼女にはできない。

 

『それは、それは確かに確かかもしれないのですが、それでも、フラーヤ殿があの忌まわしきスツルーム共の仲間などと! 認められないのです! 証拠も、何一つありはしないのです!』

 

 かといって易々認めるアラマでもない。

 それに彼女の言うことも一理あって、怪しくはあろうともただそれだけであって、それ以上ではない。

 だからこそ、私達は彼女をナルセー王の所まで通したし、なにより今の私達は雇われ人なのだ。手前勝手な仕事をする訳にもいかない。

 ナルセー王の腹の中の実際はともかく、少なくとも彼は二人に寝床まで用意したのだから、勝手に動かなくて正解ではあった訳だ。

 

 ――それでも、疑惑はなくならない。

 

「本人の意志とは限らねェだろうサ」

 

 アラマとイーディスの議論に割って入ったのは、葉巻を燻らせるキッドである。

 やっこさんはいつものように、シェークスピアとかいう男のものと思しき言葉を引用しつつ言う。

 

「“この世界は全てこれ一つの舞台、人間は男女を問わず全てこれ役者にすぎぬ”――人間ってのは神様の書いた筋書きを演じる他ない生き物であるが、その実、脚本家が他にいないという訳でもない」

『……操られていると言うのですか?』

 

 キッドの解りにくく回りくどい言葉遊びも、アラマは簡潔に解きほぐしてみせる。

 やっこさんはニヤリと悪戯小僧めいた微笑みを浮かべると、話を続けた。

 

「そういう術もあるんじゃあないのかね? 御伽噺じゃ、その手のことはよーく聞くもんだが」

『……』

 

 アラマは口元に手を当てて考える。

 その表情から察するに、思い当たる所がないわけでもないらしいが――。

 

『いえ、その手の術は術者が死ねば効力を失う筈。いくらスツルームの魔術師であろうとも、首を刎ねられてなお生き永らえて呪を紡ぐとは考えられないなのです』

『となると、やはり他の術者がまだ生き残っていると?』

 

 あるいは、イーディスの推測が正しいのかもしれない。

 いずれにせよ、ロクシャンとフラーヤが怪しいのは確かなことなのだ。

 

「手分けして見張るとしよう。アラマ以外、俺たち四人で夜明けまで交代でだ」

 

 ――私はっ!?

 という顔をアラマが見せたので、すかさず彼女にも指図をくれる。

 

「アラマは例の、緑色の石板の中身を読み解いてくれ」

『「天路歴程(アドノス)」を?』

「ああ、そうだ」

 

 私は、即座にうなずき返した。

 

 ――スツルームの呪術師が、何を喚び出す為に、この丘を目指しているのか、それが私には謎だったのですが……この書を紐解いていると、その謎がこの中にあるのではと、そんな感触があるのです。

 

 アラマが言った通りなのかもしれない。彼女が、探し求めてきた聖なる書と信じて疑わぬ翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)……もし本当に、敵方にミスラの神を奉ずる者がいるのならば、その真意を読み解く糸口が、あの本のなかにあるかもしれないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フラーヤとロクシャン、そして同行していた若干の生存者たちが休んでいる筈のテントを、宵闇に隠れながら窺える場所へと身を潜める。

 そこで初めて気づいたのであるが、どうもナルセー王も彼女らを怪しいとは思っていたらしく、別の暗がりに親衛隊の一人が、ほぼ完全武装で隠れているのが解った。

 実にうまく隠れているが、元遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)の狙撃兵である私の眼をごまかせるほどではない。自慢ではないが、気配を消すことにかけては、先住民(インディアン)の斥候にだって勝てる自信があるし、更に加えて言うならば、私は待つことにも慣れているので、身動ぎする回数も動きの大きさも僅かなのだ。ナルセー王の親衛隊戦士たちはと言えば、闇の中でやや落ち着かない感じでモゾモゾしているので、その動きが私のように夜目の利く相手には、まるで満月の下にでもいるかのように解ってしまうのだ。

 

「……」

 

 頬でホイットワースの銃身に触れ、その冷たさを味わい、意識を研ぎ澄ます。

 テントの出入り口は二つ。その一方を私と色男が、反対側にあるもう一方をキッドとイーディスが交代で見張る。足元に置かれた、こっちに来てからはめっきり見ることのなかった懐中時計にちらりと視線を下ろせば、交代まであと十分程度になっていた。

 

 ――読みが外れたか?

 

 ふと、そんな考えが頭を過る。

 既に色男ととの交代は三度目になろうとしているし、夜明けだって近い。しかしフラーヤたちのテントの静けさは寝静まっているとしか思えない、凪の海のような動きの無さなのだ。

 無論、彼女らが何らかの行動を起こすのは今晩ではなくて、日が昇ったその後かもしれず、あるいは次の晩か、明後日の晩かもしれない。あるいは、マラカンドに戻ってからかもしれない。だが少なくとも、もう夜が明けるまでの、その僅かに残された時間のあいだでは、もうないのではないか――そんな風に、私は考えるようになっていた。

 

 

 だが、読みは外れていなかったのだ。

 私の安易で楽観的な見通しは、ほんの数分も経たないうちに打ち砕かれてしまったのだから。 

 

「……ン?」

 

 事は、もう色男と交代しようという、まさにその頃に始まった。

 マゴスが三人、何やらそれぞれ籠を抱えて、フラーヤたちのテントへと歩いてくる。――今になって思えば、コイツラは何をしにやってきたのだろうか。恐らくはナルセー王の使いか何かで来たのであろうが、当時は問い質す暇もなかったし、その後起こった大騒動の陰に隠れてすっかり忘れてしまったから、今となっては何もかも謎だ。

 

 ともかく、連中はやってきて、テントのなかへと入っていった。恐らくは、入っていったタイミングが悪かったのであろうが、連中が何と出くわしたのかは、テントに隠されていて私には未だに解らないままだ。それに加えて――。

 

『まれびと殿! まれびと殿! まれびとどのぉぉぉぉぉぉぉっ!』

 

 ――宵闇を吹き飛ばし、静寂(しじま)を引き裂き、私がここに隠れているのを世に余すことなく知らしめる程の大声を張り上げながら、アラマがこっちへと駆けてくるのに、一瞬とは言え完全に意識がとられてしまったのだから。

 

「バッ――!?」

『!?』

 

 馬鹿、大きな声出すな、などと思わず声に出しそうになって、慌てて口元を手で押さえる。

 視線が一瞬逸れたその瞬間に、視界の外側で、轟音が鳴り響き、私もアラマも驚きに身が固まる。特にアラマなどは、例の緑の金属製の本を上に掲げたままの、間抜けな体勢のまま止まってしまっていた。

 

 鳴り響いた轟音は、何水気のあるものがグシャリと潰れる音に似ていた。

 続いての轟音は砲撃のそれに似ていて、事実爆風めいた旋風が同時に巻き起こる。

 驚く私とアラマの目の前で、白い何かが彼方へと吹き飛んでいく。竜巻めいた衝撃波に、テントが巻き上げられ、崩れ倒れる。

 

『UGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』

 

 現れたのは、およそ人の喉には出せるはずもない咆哮を放つロクシャンの姿だった。

 顔を隠していたフードが外れ、白布に覆っても隠しきれない腐った面(・・・・)が顕になる。

 

『なっ!? 屍生人(グアール)ッ!?』

 

 アラマの言う通り、ロクシャンは既に生きる屍になっていたのだ。

 その右手にはマゴスの頭が握りしめられ、怪力に潰されたのか顔を覆う白頭巾は血で真っ赤に染まっている。傍らには暴走したバッファローの群れに轢き殺された死骸めいたモノも転がっているが、恐らくは先に叩き潰されたマゴスの一人だろう。だとすれば、さっき視界を過ぎった白い何かは、残った最後のマゴスだったのだろうか。

 

『UGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!』

 

 白く濁った双眸が私へと向き、歯が欠け抜けてボロボロになった真っ赤な口を開き、吠える。

 

「うるせぇよ」

 

 即座に私は引き金を弾き、無防備な胸元へと.451口径の鉛弾を撃ち込んだ。

 屍生人は、心臓を砕くか首を切り落せば地獄に還る。ロクシャンもまた、ロンジヌスたちと同じようにまことの死者へと戻る――筈であった。

 

「っ!?」

 

 だがロクシャンは斃れない。銃撃に仰け反りこそすれ、ただそれだけである。

 自分を撃った私へと、再び腐った瞳を向けて、おぞましい咆哮を、酸っぱい臭いの唾と共に吐き出す。

 

 ホイットワースを捨て、コルトの銃把へと手を伸ばす。

 ヤツが地面を蹴って、私を目掛けて跳んだのは、それと殆ど同時のことであった。

 

 

 

 

 



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第42話 ザ・ドラゴン・オブ・ウィックドネス・アゲインスト・ザ・ホーリー・ウォリアー

 

 

 正直に白状すればその時は、遂に自分の番(・・・・)が来たかと、半ば覚悟を決めていた。

 無論、生き汚さにかけては人一倍な私だ。諦念や絶望からは程遠く、事実瞳は迫るロクシャンから逸らすこともなく、右手は確かにコルトの銃把を握り、その銃身は半ばホルスターから引き抜かれていた。

 

 しかし……しかしだ。

 あるいは間に合わぬやもしれぬ――そんならしくない考えが頭を過る程度には、ロクシャンの、いや正確にはその屍体の動きは素早かった。心臓を確かに撃ち抜いてやったのに、まるで効いていないような有様にも、若干の動揺もなかったと言えば嘘になる。

 

 とにかく、確信はなかったのだ。

 ヤツの爪が早いか、私が先に抜ききるか。

 ちょうど、空へと弾いたコインの裏表が掌を開くまで明らかにならないように、必ず撃ち勝つという確信は。言うなれば、生きるか死ぬかの運試し。だが幸いにも、私はその結果を知る必要がなかった。

 

 ――耳元で鳴る、風切り音。

 

『ゴバッ!?』

 

 宙を舞うロクシャンの額へと、魔法のような精確さで角矢(ボルト)が突き立つ。

 空中でひっくり返り、背中から巨体を地面へと沈める。

 どうやら、気づかぬうちに交代の時間が来ていたらしい。

 

『――貸しがひとつだ』

 

 私は、貸し借りを作らない主義なのだ。

 背後からの得意げな声に、懐から取り出した革袋を、銀貨がたっぷりつまった革袋を放り投げる。

 慌てて受け止めようとする色男を尻目に、私は右手でコルトを抜きつつ、斃れたロクシャンに駆け寄った。顔を覆う、矢の突き立った白布を力づくで剥ぎ取ると、青白い、半ば腐った顔があらわになる。かつての人好きのする、鷹揚さ溢れる相貌は、見るに堪えない醜悪なものに変わってたが、私の注意を惹いたのはそんなものではない。

 

「これは……」

 

 私の注意を惹いたのは、角矢に刺し貫かれ、額へと縫い留められた長方形の布切れだった。恐らくは絹であろう上等な布切れには、血のような赤いインクで――あるいは、本当に血だったのかもしれない――、蛇ののたくったような、奇怪なる文字列と図形とかが描かれていた。

 

『間違いないのです! これはアリマニウスが眷属たる邪神(ドゥルジ)の一柱、七の悪霊(ガラー)の呪符なのです!』

 

 慌てて駆け寄ってきたアラマが、開口一番にその正体を言い当てる。

 ドゥルジ、ガラー……どちらも聞き慣れぬ単語だが、その音の響きだけで邪悪なものだと察しがつく。

 

『ガラーは地の獄に蔓延り、生者の魂を引きずり落とす者なのです。恐らくロクシャン殿は、魂を引き抜かれ、魄のみの身にさせられ、この呪符で使役させられていたに違いないのです!』

『その小娘の言うとおりだ』

 

 愛用の弩に、矢を番え直しながら色男もアラマの見立てに頷いた。

 

『それは屍術士の使う典型的な様式の呪符だ。恐らくは、あのスツルームの魔法使いが拵えた代物だろうが……問題はその呪符をつけた屍生人が出てきたのが――』

 

 私達三人の視線は、吹き飛ばされたテントへと向いた。

 そこには殺されたマゴスたちの亡骸以外には人影ひとつない。

 反対側に隠れていたはずのキッドにイーディスの姿も見えないのは、恐らくは姿を消したフラーヤたちを追ってのことだろう。

 

『……「天路歴程(アドノス)」を遂に読み解いたのです』

 

 アラマは、例の翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)の表面を撫でながら、声を震わせながら言った。

 

『いったいぜんたい……なぜこんなことが起きたのか……陰謀か偶然かは解らないのです。解らないのですが、書に記された確かなことは……あの丘は不敗の太陽、ミスラの(ましま)す天に繋がる梯子の地に非ず……むしろその真逆』

 

 燃え盛る篝火に照らされてなお、真実を告げるアラマの横顔は青褪めて見えた。

 

『あの丘の通じるは「アルズーラの首」、すなわち地の獄への入り口なのです。すなわち、スツルームの魔術師ども、そして、そしてフラーヤ殿の狙いは』

 

 震える言葉を裂くように、銃声が響き渡る。

 私達は即座に、その音の鳴る方へと駆け出した。無論、ホイットワースを拾っていくのは忘れない。

 アラマは走りながら、途切れさせられた真実の、肝心要の部分を叫んだ。

 

『邪神の中の邪神、忌まわしきアリマニウスが復活なのです!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃声は、立て続けに、殆ど途切れなく鳴り響いた。

 コルト・シングルアクション・アーミーのものに比べると軽いこの銃声は、44口径ヘンリー・リムファイア弾のものだろう。そこから解ることは二つ。ひとつは、キッドの野郎がヘンリー銃を見事に使いこなしているということ。もうひとつは、ああも乱射しなくてはならない程度には、敵がわんさと居るということだ。

 

 私は、指笛を鳴らし、サンダラーを呼ぶ。

 彼に聞こえるかどうかはわからないが、聞こえていれば駆けつけてくれる筈だし、鞍付きの銃嚢(サドル・ホルスター)にあるヘンリー銃を持ってきてくれる訳だ。……つくづく、あの素晴らしき16連発銃をここまで持ってこなかった自分の馬鹿さ加減に呆れ返る。無論、注意を要する仕事であったから、使い慣れた得物を選んだという、私なりの理由はちゃんと有るのではあるが。

 

 篝火の灯と、夜明け前の闇。

 赤と黒とが斑に混ざり合う中を、銃声の導きに従って駆ける。

 ついさっきまでの静寂は破られて、慌ただしい気配が、ナルセー王の戦士たちがすわ何事かと動き出す気配が溢れ出してくる。彼らと合流するべきだろうか? しかし、昔知り合った中国人が言っていた言葉を借りるならば『孔子(コンフーシャス)曰く、「兵は拙速を尊ぶ」』だ。こういう状況の時は、とにかく走って()を捕捉するに限る。

 

 そう、敵、だ。

 最早疑いもなく、フラーヤたちは私達の敵なのだ。撃ち斃すべき敵なのだ。

 

「うぉっと!?」

『きゃっ!?』

 

 不意に、何か大きなモノに蹴躓きそうになる。

 見れば、そこにいるのは仰向けのまま地に倒れた屍生人なのだ。思わず跳び退いて、私の後を追うアラマにぶるかりそうになる。

 

『よく見ろ。もう死んでるぞ』

 

 色男の呆れた調子の言葉に、見返せば確かに死人が再び、いや三度(みたび)動き出す様子はなく、額に貼り付けられた呪符――ロクシャンにくっついていたのと同じやつだ――には大きな穴が開いている。恐らくは、キッドの仕事だ。そして、やはりキッドの仕事と思われる屍体の数々が、点々と道なりに転がっている。

 

「――近いな」

『ああ』

 

 銃声の大きさからも、確かなことだった。

 都合のいいことに、ちょっと立ち止まっていたその隙に、賢いサンダラーはちゃんと私を探し当てて追いついてくる。

 ヘンリー銃を取り出し、弾が16発装填されているのを確かめると、彼の首元をポンポンと優しく叩き、撫でてやる。ご苦労、ご苦労という訳だ。ここからの仕事は、サンダラーの助けは必要ない。自分の足で歩き、物陰に身を伏せ、狙い撃つのだ。

 私はホイットワースをアラマに預け、ヘンリー銃を手に静かに前進した。アラマが続き、しんがりは色男が務める。

 歩調を速めながら、全力疾走の一歩手前程度のスピードで、私達はキッドたちを探す。

 

 灯火たちの橙色の光を受けて、行く道すがらに立ち並ぶ太古の神獣像たちが、その恐ろしげな相貌を照らされる様は、あたかもそれらが生きているかのようで、状況が状況だけに私でもゾッとする。

 

 そんな恐怖をおくびにも出さずに、私は先頭に立って前進を続け――遂にキッドたちに追いついた。

 

「父と、子と!」

 

 真っ先に目に入ってきたのは、キッドと腰だめに構えられたヘンリー銃。

 

「聖霊の御名において!」

 

 およそ精密な射撃に向かぬその体勢で、キッドは次々と迫る屍人どもの、その頭の札へと次々と的中させていく。レバーが素早く上下し、空薬莢が宙を舞い、硝煙が視界を塞ぐ程に溢れ出る。

 

「土に還るべし!」

 

 動きの素早い屍人には、まず胸元に一発撃ち込んでから、続けざまに頭への銃撃をお見舞いする。

 ヘンリーには負けるが、ヤツに次ぐほどの釣瓶撃ち。

 

「っ!?」

 

 だが、やはり使い慣れぬ銃だけに、連射に集中すれば残弾確認が疎かになる。

 撃鉄が、虚しく空の薬室を叩く時、残りの屍人が一斉に飛びかかってこようとする。

 

「キッド!」

 

 私は、自分のヘンリー銃を放り投げる。

 キッドはと言えば、迫る屍人に空のライフルを投げつけつつ跳び退き、こっちを見もせずに私の銃を受け取れば、殆どひとつなぎの三発の銃声が鳴り、迫る屍人がほぼ同時に斃れる。

 

「――“臆病者は死ぬ前に幾度となく死し、勇者はただ一度切りの死を味わう”」

 

 手近な敵を残らず片付け、窮地を脱した余裕からか、キッドはまた引用をひとつ嘯くと、ヘンリー銃のレバーに指を引っ掛けると、右手のスナップのみで器用に銃全体を回転させ、次弾を装填してみせた。

 

「だが今のはちょいと肝が冷えたゼ。それだけに感謝しないとナ」

 

 言いつつ、キッドがヘンリー銃を返そうとするのを、私は手を振って制した。

 正直、この男ほどこの銃を上手く扱える自信はない。銃のほうだってキッドに使われるのを選ぶだろう。

 

「イーディスは?」

 

 問えばキッドは、ライフルの先を闇の向こうへとかざす。

 

「あっちだ。……おっさんたちは、加勢してやってくれ」

 

 お前さんは?と、聞く必要はなかった。

 篝火の光が届かない闇の向こうから、新手の屍生人のうめきが聞こえて来たのだから。

 

「……任せる!」

 

 それだけ言って、私達は再び走り出す。

 振り返りはしない。ひとたび、任せると決めれば、相手をとことん信じるのもプロフェッショナルの流儀なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キッドが屍生人をひきつけてくれているお陰で、私達は難なくイーディスの所まで辿り着くことができた。

 できたは良いが、いざ加勢となると、そうも言えなくなった。理由は単純明快。

 

 ――触れ合う刃と刃、散る火花、放たれる刃鳴り、ダンスかのように円く、目まぐるしく入れ替わる立ち位置。

 

 その立ち回りが余りに疾すぎて、迂闊に加勢にも入れないからである。

 振るわれる白刃はまさに閃くがごとくで、人一倍目がいいはずの私ですら、かろうじてその軌跡を捉えているにすぎないのだ。迂闊に踊りこめば、むしろこっちの身が危ない。

 

『――ああ、遅かったな』

『……』

 

 イーディスは相対する男から視線を一切逸らさずに、いつもの軽妙な調子で言う。対する男は言葉もなく、静かにイーディスの次なる動きを見つめている。

 相手は、 庇の大きな黒帽子に、ポンチョのような外套を纏った黒人だった。見た記憶のある面だ。確か、前にロクシャンに呼ばれた時に、メッセンジャーの役割を担っていた野郎だ。てっきり、あの太っちょの手の者かと思っていたが、こいつの額には呪符はなく、つまりはフラーヤやスツルーム野郎の仲間だったらしい。その長いポンチョの下から覗くのは、左右二振りのナイフで、それもジェームズ・ボウイが使っていたヤツに似た、刃渡りの長く頑丈そうな代物だった。

 いわゆる、短剣(ドス)使いって輩で、メキシコ人なんかに時々いる手合だ。状況しだいじゃ、下手なガンマンよりも脅威になりうる。ましてや、あのイーディスと互角に渡り合う程の手並みなのだ。

 

『見ての通り取り込み中でな。だから御前たちに頼みたいことがある』

「なんだ?」

 

 イーディスは私へと声をかけながらも同時に、凪の水面を滑るような、淀みのない歩法で開いた間合いを詰め直す。短剣使いの方はと言えば、絵のような流麗たるイーディスの動きとはまるで違、いかにも実戦のなかで身につけたといった感じの、無造作な歩みで間合いを詰返す。

 

『こいつの相手は私がする。だから御前達には、フラーヤ殿のほうを追って欲しい』

「加勢は良いのか?」

 

 私の問に、イーディスは微笑みで返した。

 獣のような、犬歯を剥き出しにした微笑みで。

 

『無用だ。こいつは――私の獲物だ』

 

 言い放つや否や、イーディスは跳び、目眩く果し合いが再開する。

 私達はそれに巻き込まれるのを避けて、フラーヤを追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道中で立ち塞がった二、三の屍生人を撃ち斃しながら、私達は遂にフラーヤへと追いついた。

 彼女はアフラシヤブの最奥、岩の神殿を目指していたらしい。だがその手前で、遂に私達はその姿を捉えたのだ。

 

『フラーヤ殿!』

 

 アラマが呼びかけるのに応え、彼女は振り向いた。見えぬはずの瞳で、真っ直ぐに己を呼ぶ者を見つめる。

 

『ああ、大カラスのアラマですか』

 

 まるでいつも通りの、おおらかで優しげな声だった。

 とてもではないが、これから何がしか大きな悪事をなそうという人間には見えない。

 だが、こういう手合が一番恐ろしいのだ。西部に蔓延るアウトロー共のなかでも、特に凶悪なのはこういうタイプだったのだから。

 

『それに、まれびと様まで。よくぞ、よくぞここまでお越しました』

 

 フラーヤが優雅に、私達へとお辞儀をしてみせれば、その左右に控えていた大男の屍生人たちが彼女の前へと、肉の壁となるべく歩み出てくる。

 私は舌打ちした。ここはナルセー王の陣幕のすぐ側なのだが、ロクシャン始め先に暴れだした屍人どもが揺動になったため、王もその親衛隊もここにはいないらしい。つまり、この大男の屍体どもを、私達三人で相手取らねばならないのだ。

 

『ですが、私にはやらねばならないことがあります。故に、お先に失礼させて頂きます』

 

 屍人どもに後を任せて、やはり盲人とは思えぬ確固たる足取りで、岩の神殿の奥へと消えていく。

 その背中へと、アラマが血の滲むような声で叫び、問う。

 

『フラーヤ殿! なぜなのです!? フラーヤ殿!?』

 

 されどフラーヤは振り返ることはなく、むしろアラマの叫びを引き金に、屍人どもが一斉に動き出す。

 私が両手に握りしめ、ぶっ放す二丁のコルトの銃声に混じって、フラーヤの応えが聞こえる。

 

『――目明き共に解るものか! 真の闇に抱かれて眠るを望む者の心など!』

 

 結局、今度の事を何故フラーヤがしでかしたのか、その理由を直接彼女へと問い質すことは最後まで出来なかった。故に、この言葉だけが、彼女を駆り立てた何物かを窺い知る、唯一の手がかりとなる。

 しかし当時の私には彼女の言葉の意味などを深く考える余裕などなく、ただただ屍人共へと銃弾を途切れなくお見舞いするだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての屍人を撃ち斃し、岩の神殿への突入を試みる。

 試みはしたが、実行に移すことはできなかった。なぜかって?

 

『――吹けよ、颶風。おのれが頬を破るまで!』

 

 神殿の奥より迸る、フラーヤの呪詛。

 それに応じように、強烈な突風が吹き荒れ、私も、アラマも、色男も、地面に這いつくばって何とかそれを凌ぐ。

 

『荒れ廻れ! ()けよ火を! 噴けよ水を! 汝、瀧津瀬よ、竜巻よ! 吹け水を、風見鶏を溺らし、尖塔の頂を沈めるまで! 』

 

 まるで、荒野に突如湧きいづる竜巻だ。

 かろうじて瞼を開けば、頭上を鳥の群れのように飛んで、神殿の入口へと吸い込まれる屍体の波が見える。

 積み上げられていた、マラカンドの住人たちの亡骸だ。本来ならば、夜明けとともに正しきやり方で葬られるべき亡骸だ。

 

『汝、()く走る硫黄の火よ、天地を震動する霹靂(いかづち)よ、あらゆる造化の鑄型を砕き、ありとあらゆる物の種子(たね)を打潰せ !』

 

 亡骸は次々と神殿の奥へと消えて、その数が重なるのと同時に、フラーヤの絶叫もまた大きさをます。

 

『幾千幾万の生贄と、我が生命と引き換えに、開け門よ、アルズーラの首よ! 闇を溢れさせ、陽を永久に沈めんことを!』

 

 それを最後に、盲目の魔女の声は途絶える。

 風が、吹き始めた時と同じ唐突さで凪ぐ。

 私達は恐る恐る顔を上げ――その眼前で神殿の屋根が吹き飛んだ。

 

「うぉっ!?」

『きゃっ!?』

『ぐぉっ!?』

 

 降り注ぐ砂利の雨に、再び顔を、とっさに伏せる。

 頭に小石が次々とあたって痛むが、呻くしかできない。

 だがこの砂と石と礫の土砂降りも、俄か雨のように長くは続かなかった。

 

「――」

 

 少し間を置いてから、顔をゆっくりと上げてみる。

 そして見る。

 

『……そんな、まさか』

 

 黒い3つの首。

 血より紅い3つの口。

 鬼灯のごとき6つの眼。

 

『まさか、まさかなのです!?』

 

 アラマは、フラーヤが地獄より呼び出した、蒸気機関車をも、戦列艦をも凌ぐ巨体の怪物を見て叫んだ。

 

『生きとし生けるもの全てを絶つべく、アリマニウスの生み出せし万殺の悪魔! 魔のなかの魔! 千の術を使う魔王!』

 

 数々の形容を経て、アラマは遂にその名を呼んだ。

 

邪龍(アジ)ダハーカ!』

 

 呼び声に応じた訳でもないのだろうが、あたかもそうであるように。

 耳を聾する咆哮が、夜空を切り裂き響き渡った。

 

 



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第43話 マイ・ネーム・イズ・ノーバディ

 

 

 

 

 ――こんな夢を見た。

 

 想起されるのは、まだ戦争の真っ最中、まだ師匠も生きていた頃の話。

 北軍(ヤンキー)共との小競り合いで、脇腹に一発喰らった時の想い出。

 不幸中の幸い、弾は肉を抉ったのみで体内に鉛の欠片が残ることもなかったが、傷口が化膿した上に熱が出て、文字通り死ぬような思いをしたことがある。朦朧としながら馬の首にしがみつき、辛うじて部隊の最後尾に縋り付いていた。

 隊の連中の中からは、私を置いていくという選択肢も挙がったらしい。それも、かなり有力な選択肢としてだ。あの時は、師匠が全て俺が責任を持ってコイツを連れて行く、曳いてでも連れて行く、と断言してくれが為に、私は命拾いをした訳だ。正直、師匠には感謝してもしきれない程の恩がある。随分前に、彼は先に逝ってしまったから、返す機会も永遠に無い訳なのだけれども。

 

 ――いや、待て。そもそも私は、何でこんな昔の夢を見ているんだ?

 

 夢の中でも傷の熱で朦朧としながら、それでも必死に頭を動かし、思い返す。

 何が起き、どうしてこうなっている? 

 今、夢を見ているのだとしたら、現実のほうの私の体は今、どうなっているんだ?

 

 ――の。

 

 私は、またも呼び出され、マラカンドの街で戦った。

 大勢の虫人間どもに、地を覆い尽くす屍体の軍団。

 糞ったれのスツルーム野郎に、蘇ったキッドの親父殿。

 ご同業かつ元南軍の二人、ヘンリーとバーナード。

 

 ――どの。

 

 尽く、私と『戦友たち』とが撃ち斃した。

 まれびとの早撃ちガンマン、キッド。

 凄腕の傭兵剣士、イーディス。

 私を除けば随一の狙撃手で、弩使いの色男。

 そして、アラマ。大カラスのアラマ。今度の仕事での、私の頼れる相棒。

 

 ――びとどの。

 

 問題は全て解決し、今回の一件も、おおよそ片付いたかと思った時だった。

 フラーヤ、マラカンドの街の盲目の魔女にして、アラマと同じミスラ神の信徒である女が、引き起こした突然の凶行に、事態は急展開し……。

 

 ――まれびとどの。

 

 ああ、畜生。誰だ、私を呼ぶのは。大声を出すんじゃない、糞ったれめ。こちとら頭も痛いし、熱だってあるんだ。折角まとまりかけてた考えも、糸みたいにほぐれちまったじゃないか。どうしてくれるんだ――って待て待て待て。聞き覚えのある声だぞ、こいつは。この声は、間違いない、彼女の声だ。

 

 ――まれびと殿。

 

 アラマが、私を呼ぶ声だ。

 

『まれびと殿!』

「うぉっ!?」

『うわぁっ!?』

 

 慌てて跳ね起きれば、私の顔を覗き込んでいたらしいアラマとぶつかりそうになる。互いに仰天して、間抜けな声を挙げてしまい、暫し見つめ合う。瞳の金色に、充血の赤が加わって、不思議な色合いになっているのを、まだ呆とした頭でキレイだなあと思う。

 

『……ふ、うぐ、ふぅ』

 

 見る間に、彼女の両目には涙が溢れ、表情がぐしゃぐしゃになる。

 吹き出す感情の波を処理しきれないのか、声にならない声だけが漏れる。

 折角の可愛い顔が台無しだな。そんなことを考える。

 

『ばべびぼぼぼ!』 

「ぐぇっ!?」

 

 不意に涙声と共に抱きつかれ、その衝撃に踏み潰された蛙のようになる。抗議しようにも、まだ頭が呆けたままなので、ただただアラマに揺さぶられ呻くしか無い。

 

『……それぐらいにしておけ。また倒れ直しかねんぞ』

 

 横からイーディスが制止してくれたおかげで、慌ててアラマは私の体を手放せば、寝かされていたボロ布に背中から倒れ込む。薄っぺらいボロ布だけに、高級宿のベッドのように受け止めてはくれず、受けた衝撃に激しく咳き込む。

 

「あわわわ、まれび殿!? 申し訳ないのなのです! すみませんのです!」

 

 平謝りするのを手で制し、咳が治まるのを待ってから、改めて起き上がり辺りを見回す。どうやら、小さな洞穴の中であるらしく。薪のように真ん中には例の光る石――マラカンドにもあった代物だ――が置かれ、仄かで暖かな明かりに岩壁が照らされている。

 その岩壁に並んで背を預けているのは、キッド、イーディス、色男、それにナルセー王であった。揃いも揃って埃まみれの、草臥れきった姿をしていて、一様にその表情は疲れていた。あの無駄に明るいキッドですら、今はくたくたといった調子を隠さないのに、私は嫌な予感を覚えた。

 

「――っっっ!?」

 

 意識が覚醒してくるにつれ、頭痛が激しく私を責め立て始めた。頭を触れば、案の定、大きな瘤が出来ている。そのことに毒づき、舌打ちをしつつも、心のどこかで安心してもいた。学問も教養もない私だが、経験的に頭を打った時は瘤があるほうが無いよりはずっと良いことを知っていたのだから。

 

「状況は?」

「見てきなよ。自分の目でサ」

 

 誰とはなしにそう聞けば、キッドが洞窟の出口を親指で示すので、そろりそろりと姿勢を低くして行ってみる。

 気配を消し、仮に洞窟のすぐ外に誰かが待ち構えていたとしても気づくこともないようにと、狙撃手ならではの隠密行動で出口へとたどり着けば、僅かに眼だけをのぞかせて外を覗き見る。

 

「――」

 

 見えたものに絶句して、すごすごと舞い戻る。

 私が見るものを、既に知っていたらしいキッドが、虚無的な微笑みを浮かべて待っていた。

 

「どうだった?」

「最悪だ」

 

 私の答えに、キッドは弾けるように笑い出した。乾き切った、軽薄にして嘲弄的な笑い声が狭い洞窟のなかで激しく響き、色男などはその顔を露骨にしかめてみせる。

 

「まぁ、そう答えるしかないわナ」

 

 実際、他に何を言えというのだろうか。

 全てが破壊された、荒涼たる丘。

 動くものひとつとしてない、慄然たる死の静寂。

 私ですら眼を背けたくなる、累々たる屍の山。

 

 そして堂々と鎮座し、臭い息を履く、三つ首の巨龍。

 新月の夜よりも深い闇が辺りを覆う中でも、ひときわ黒ずんだ巨体はハッキリと見つけることができる。鬼灯のような紅い瞳は、まるで明かりのように炯々と輝くが、その光は決して闇を破ったりはしなかった。

 

 最早、ため息すら出ない。

 

 ヤツの姿を見て思い出したが、私が気を失ったのも、あのデカブツが暴れまわって遺跡をぶっ壊し、飛んできた日干しレンガの塊がドタマにあたったせいなのだ。

 

「……」

 

 瘤を改めてさすりながら、サンダラーについて考える。彼は大丈夫なのだろうか? いや、サンダラーは非常に賢い馬だから、きっと上手く逃げて隠れているに違いない。少なくとも、今はそう信じるしか無い。私達六人以外はことごとく殺られたという事実は、この際無視してしまえ、だ。

 

「――んで、どうすンよ?」

「ん?」

「いや、ん、じゃなくてサ。実際問題、どーすんのよ、アレ?」

 

 私はキッドの問いに、暫時黙考する。

 

「どうしようもないんじゃないのか」

 

 それでも、出てきた答えはコレだけだった。コレ以外に言えることもなかった。

 

「アレがどこかに行ってしまうのを待ってから、それから動くしかないだだろう」

「……ま、そうなるわナ」

 

 キッドのように声に出さずとも、色男にイーディスも静かに頷き同意を示し、ナルセー王も苦虫を噛み潰したような顔を見せるも否定はしなかった。

 敵に背を向けるのも、尻尾巻いて逃げるのも、私の主義には反する。だが、あの巨大な化け物に挑むならば、少なくとも重砲で武装した砲兵一個連隊と、ありったけの砲弾と弾薬に、あとダイナマイトも必要だろう。ライフル銃や拳銃、ましてや弓や剣で挑む相手じゃあない。つまり、もう詰んでいる、ということだ。勇気と無謀は違う。そしてプロのガンマンは決して無謀なことはしない。

 

『……いえ、それはできないのです』

 

 だが忘れてはならにのは、私やキッドのような『まれびと』が何のために『こちらがわ』へと呼び出されるのかということ。アラマの言葉は、私達にその事実を、否応なく思い出させる。

 

『確かに邪龍(アジ)ダハーカは恐るべき怪物……されど、そんな怪物ですら、これより来るモノの尖兵に過ぎないのです』

 

 何かと戦うこと――それが、まれびとに課された仕事ならば、戦うべき相手はもう、ひとつしかない。

 

『邪龍がアルズーラの首を開き、それを確たる門とする。そうなった時には、邪悪なるアリマニウス、そしてその眷属どもたる不義と害意の徒、幾千幾万の悪魔(ダエーワ)、数多群れなす邪神(ドゥルジ)どもが、この世を闇で覆わんと、忌まわしい暗黒界たる地の底より這い出て来ることでしょう。そうなればこの世は終わりなのです。しかしそれは今ではないのです。まだ間に合うのです』

 

 アラマが皆まで言う前に、既にその答えに気がついて、掌に嫌な類の汗が浮かぶのを感じる。

 

『あの邪龍(アジ)ダハーカを斃し、アルズーラの首を閉ざすことさえできるならば!』

 

 ――ああ、結局、そうなるわけだ。

 

 

「……DUCK YOU SUCKER / ……なんてこった、糞ったれ」

 

 

 私は天を仰いだ。

 そうした所で、見えるのは岩の天井だけなのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息を潜め、洞窟から這い出し、そのまま這うようにして遠ざかる。

 あの蜥蜴の化け物に見つかったら、それこそ一巻の終わりだからだ。

 敢えて安全な洞窟を出たのは、その化け物をやっつけるため、その準備をするためだ。あそこでは、何をするにしても狭すぎるし、必要な道具もない。

 

 ――『……エーラーン人の間で、語り継がれた伝説によるならば』

 

 発端は、アラマの言葉に続いて、ナルセー王がおもむろに語りだしたこと。

 

 ――『かつて、ペイヴァルアスプと呼ばれる蛇の王がエーラーンの地を征し、悪逆非道の限りを尽くしたが、その蛇の王には頭が三つあったと聞く』

 

 三つ首のドラゴンが、そう何匹も居るとは思われない。ナルセー王もそう考えたから、語り始めた昔噺。

 

 ――『だが最後にはスラエータオナという勇者が現れ、牡牛の頭を象った、黄金の鎚鉾を手にこれを討ち、エーラーンの地を救ったという』

 

 牡牛、という単語には、真っ先にアラマが反応を示した。

 

 ――『牡牛を屠ることにて、不敗の太陽たるミスラは世界を救ったのです!』

 

 ならばこそ、あの化け物を斃すための鍵は、牡牛なのだろう。

 果たして私達は、三つ首ドラゴンから見えないように丘の陰に身を潜め、牡牛の血を鍋で煮詰めている。

 

『こいねがう。われはこいねがう。広き牧場を照らし、闇をば切り裂く、光の君、真実の神、不敗の太陽たるミスラよ。アブラナタブラ、アブラナタブラ、セセンゲンバルファランゲース、マスケッリ、マスケッロー、メリウーコス、ミスラ』

 

 アラマの声量を抑えた呪文が、まるで牧師の唱える聖句のように響く。

 翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)に記された秘奥義と、ナルセー王の伝える昔噺をもとに、あの邪龍をぶっ殺すための武器を拵えているのだ。実際に効果があるかは未知数だが、それでも何もしないよりは余程良い。

 

『全く、何でこんな目に。いつもそうだ、いつもいつもそうだ』

 

 その傍らでは、色男がぶつくさぼやきながら、銀貨を金槌で打って形を直している。弩の角矢(ボルト)の鏃にするためであり、どうやら銀というやつは、こっちだろうと私達の世界であろうと、魔を祓う効力があるらしい。

 一方、イーディスは愛用の曲剣と、戦利品である短剣(ドス)の刃を研ぎ、キッドはコルトに弾丸を詰め直す。

 私はと言えば、念入りにホイットワースの手入れをしていた。索条の先にボロ布を被せ、銃身内部の火薬滓を残らず拭い取る。これよりこの素晴らしい銃に対し、通常ではありえない銃弾を装填するのだ。手入れは、し過ぎると程にしておく必要がある。

 

『……スラエータオナの再来となるを望むならば、致し方のない代償か』

 

 口惜しそうな声で呟きながら、ナルセー王は金の王冠を、煮えたぎる血の鍋へと放り込んだ。

 血と金とが、本来ならば混ざり合うことの有り得ないもの同士が溶け合い、ひとつとなっていく。

 私は、鉄の柄杓(ディッパー)を手に取ると、鍋の中身を掬い、鋳型に流し込む。ホイットワース専用の六角形銃弾を作るためのものだが、普段注ぐのは鉛だ。こうも妙なモノを注いでしまった以上、この鋳型は使い物にならないかもしれないが、ここを生き延びなければ、そんなことを気にしても意味はなくなるのだ。

 

「……よし」

 

 血と金との合金は、すぐに固まって、とりあえず一発出来上がった。

 すぐに二発目を拵えると、一発目を装填し、二発目は紙薬包(ペーパー・カートリッジ)へと仕立てる。これで素早い再装填ができるわけだが、実際の所、コイツにはお守り以上の働きを期待していない。相手が相手だ。一発目を仕損じた場合、二発目を撃つ暇を与えてくれるとは到底思えない。

 

 ――いずれにせよ、これで戦いの準備は済んだわけだ。

 

「……」

 

 私は、改めて共に死線を潜りに行く面々を見渡した。

 キッドを、イーディスを、色男を、ナルセー王を、そして、アラマを。

 

 彼女は信じていたフラーヤに裏切られた。のみならず、裏切り者は、彼女の信じる神の敵を蘇らせてしまった。

 あらゆる意味で、絶望的な状況。だが、アラマの金色の瞳には、一点の迷いもないのだ。

 

『日はまた昇るのです、何度でも』

 

 彼女は、揺るぎない声でそう言った。

 私には余りに眩しいその姿は、まるで、彼女自身が、彼女の拝す太陽そのものであるかのようだ。

 

 信じるものなど、何一つ無い、流浪のガンマン。

 そんな私でも、アラマを前にしていると、不思議と信じてみたくなるのだ。

 闇を切り裂き、希望をもたらす不滅の太陽を。

 

 いや――信じよう。少なくとも、今だけでも。

 

 共に戦う、アラマのためにも。そして、途方も無い怪物に挑む、私自身のためにも。

 

『竜殺しは英雄の証……戦士たるものには、至上の誉れ』

「ま、聖ジョージやジークフリートみたいに、伝説になるのも悪かないしネ」

 

 イーディスとキッドが、傍らで嘯く。

 なるほど、何者でもない私が、何者かになる……たまには、そういうのも悪くはない。

 

 いよいよもって勇気が湧いてきた私は、キッドたちへと呼びかけるのだった。

 

「 LET'S GO / いくか」

「 WHY NOT / 応よ」

 

 ――では、向かうとしよう。

 名無しの放浪者(NOBODY)が、歴史を創る者(SOMEBODY)になる、そんな場所へ。

 

 

 



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第44話 ア・フィストフル・オブ・ダラーズ

 

 

 

 本来ならば既に日が昇っていても良い頃合いの筈なのに、まるで真夜中のような暗闇に辺りは包まれているが、アラマの言う所に拠れば、これもあの三つ首のドラゴンの仕業であるらしい。「こっち側」に来てから散々、自然の法則に反するような場面に出くわしてきたが、ここまで規模の大きなヤツは初めてである。

 

 それだけに、 我が身の奥から溢れ出る勇ましさ(・・・・)に、震えが止まらない。

 

 こんなことは、まだ小僧っ子だった頃、それこそ、初めての実戦を前にした時以来のことかもしれない。

 

 傍らに目をやれば、キッドもそこはかとなく落ち着かない様子であるし、色男などは不安を隠すこともなく、何度となく弩に視線を下ろし手入れの具合を確かめている。逆にイーディスとナルセー王は、大きな獲物を前に犬歯を剥き出しにし、今にも舌舐めずりでもしかねない、獣のような面相になっていた。

 

『最勝の天則に依りて、ただ不敗の太陽の指す方へ……』

 

 何時も通りの泰然自若とした佇まいなのは、ただアラマひとりである。

 聖句を静かに、呟くように唱えながら、真っ直ぐに己自身と己が神との敵を見据える様は、歴戦の戦士のようだった。

 

 ――さて。

 これから彼女の見つめる相手、三つ首のドラゴン、怖気催す蜥蜴の化け物に挑む訳だが、なにぶん相手が相手だけに無策で突っ込むわけにもいかない。当然、作戦が必要になるし、それは既に立っているのではあるが、実行に移る前にひとまず、現状のおさらいをしておくとしよう。

 

 アラマ曰く、あの蜥蜴の化け物、邪龍(アジ)ダハーカは、厳密に言うと殺すことの出来ない不死の怪物であるらしい。何せ、ヤツは地獄の主である邪神が、生きとし生けるもの全てを鏖殺するために拵えた化け物、つまり元々地獄の住人なのだ。死の国に住む連中を、殺せないのは道理だ。

 

 ――『しかし、打倒し、封じることはできるのです』

 

 現に数々の伝説で語り継がれる通り、あの化け物は一度、その創造主共々敗れ地の底に叩き戻されているのだ。ましてや、今はまだヤツ一匹のみで、邪神の方はいない。地獄か煉獄かの違い程度しかないが、少なくとも状況は最悪ではないらしい。

 

 ――『まず、左右の頭を斬り落とすか潰すかするのです。そして最後に残った頭に黄金の牡牛の鎚……今は牛血と金の弾丸を撃ち込めば、死せずとも邪龍(アジ)ダハーカは一度その動きを止める筈なのです。しかる後、邪龍(アジ)ダハーカの体そのものを贄とすることで術を起こし、もろともにアルズーラの首を閉ざすのです!』

 

 しかし状況は最悪ではないかもしれないが、限りなく最悪に近いことには変わりない。アラマの言っていることは、常識で考えればほとんど実現不可能な絵空事に聞こえる。だが、そもそも今度の相手は絵空事じみた存在なのだ。そんな野郎をブチのめそうと思えば、絵空事じみた手が必要になるのも道理だ。

 

 だが悲しいかな私は、プロフェッショナルなのだ。

 引き受けた以上、例え絵空事じみたことであろうとも、それを実現させるのが私の仕事だ。

 だから知恵を絞って作戦を練った。魔法だとか、専門外のことは知恵を借りて、何とか戦略を組み立てた。

 

 それを、これから実行に移す。

 リハーサルもなく、演習もなく、ぶっつけ本番の出たとこ勝負。

 吉と出るか、凶と出るか。普段は賽の目に任せる所だが、今度ばかりはそうはいかない。運命の女神の手を引いて、無理強いして強引に微笑ませなけりゃあならないのだ。だから、出来ることは全部する。全部した所で求める所にはまだ足りないが、それでも、やるしかないのだ。

 

『我は(こいねが)う、(こいねが)う、黄金の者よ。我らに賜らんことを、御身の酔力を』

『シトラエル、マランタ、タマオル、ファラウル、シトラミ……そしてアキナケス、汝ら剣の神々よ』

 

 アラマは右手に二匹の蛇と翼の杖――今更知ったが伝令使の杖(カドゥケウス)というらしい――を、左手に翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)を開いて持って、そこに書かれた呪文を高らかに唱える。それと同時に、隣のイーディスは前にも一度聞いた、彼女の切り札たる剣の神への祈りを、まるで歌うように紡いだ。

 

『ここへ御身の最勝たる神通力を、ここへ御身の輝ける治癒力を、ここへ御身の栄えさす力を、ここへ御身の育みそだてる力を、ここへ御身の渾身たる剛力を、ここへ御身の限りなき叡智を』

『交わす剣は刃鳴散らし、尖る切っ先林成す。鞘走る音高鳴れば、敵の心胆寒からし、獅子然と告ぐ勝ち戦。矢並つくろう敵の陣、真っ向刃斬り開き、獅子吼え告げる勝ち戦』

 

 声は互いにその大きさを増し、イーディスの体を紅い霧が、そしてアラマと私達の体(・・・・)を、淡い光が包み始める。

 

『害意を挫き、悪魔(ダエーワ)を、邪神(ドゥルジ)を、詭計を弄し広く翼々たる陣を張る敵軍を打ち破り征服せんがために! あらゆる仇敵どもを、あらゆる悪意を、如意に降し、広き牧場を闊歩せんがために!』

『森々の剣、密々の戟、柳花水を斬る、草葉征矢をなす。なが勝ち誇る剣力は、アキナケスが賜物ぞ。咆えよ鳴神いかずちの、玉散る刃抜き連れて、仇なす敵を打ちひしげ!』

 

 相手が悪魔の大親玉の、その一番の子分だというなれば、こっちだって神様の力を借りるまでだ。私達はアラマの奉ずる太陽の神の加護を、宗派違いのイーディスは、彼女の崇め奉る武神の加護を、それぞれ得る。我が身を包むのは仄かな光に過ぎないが、それでも、春の木漏れ日のような暖かさを受けて、自然と心が奮い立つ。

 

『金色の武器を振るい、諸魔を討たんがために!』

『剣神照覧! 揮刀如神急急如律令!』

 

 呪文を最後まで唱え終わるやいなや、真っ先にイーディスが、僅かに遅れて私達が駆け出した。

 走りながら、キッドが傍らで呟く。

 

「――“Paien unt tort e chrestiens unt dreit” /  ――“異教徒は過てり、キリスト者こそ正し”」

 

 恐ろしく古く、鼻にかかった言い回し。それを嘯くのは、天国から最も遠いであろう流れ者(アウトロー)

 だが不思議と、やっこさんの引用してみせた文句を聞いて、私にはいよいよ勇気が湧いてくる。

 

「――ウォロロロロロロロロロロゥォォォォォォー!」

 

 故に私もまた応じて甲高い雄叫びを上げた。

 復讐の女神(フューリー)が如き、「反乱の雄叫び」を、旧き南部の鬨の声を上げた。

 

『父祖よ、誉れ高きマルドゥックよ、正義と善意のマズダよ! 我と共に駆けん! 我が槍の先に宿れ!』

『鳥たちの家よ、大気の兜よ、月の姉よ、嵐の床よ、火の兄弟よ、片眼欠く万物の神よ――ええい何でも良い! 私を助けろ!』

 

 それぞれが、それぞれの聖句を唱えながら、私達は突撃する。

 闇をも裂いて響き渡る私達の大声に、泰然と地に五体――いや、七体か――を載せていた邪悪なドラゴンは、遂にこっちのほうへと6つの眼を向けてきた。燃えるような、鬼灯めいた紅い瞳を前に、私の体は意に反し竦み上がるが、それでも強い戦意は我が足を前へ前へと進ませ続ける。

 

 ――咆哮。

 

 邪龍(アジ)ダハーカは、文字に起こすことも言葉で形容することもできないような、奇怪なる声で吠える。

 

「っ!?」

『あれは!』

 

 千の術を使う魔王、と、アラマはあの化け物を評した。

 それだけに、あの叫びは単なる威嚇などではなく、呪文の役割を持ったモノであったらしい。

 

 風が、揺らぐ。

 空気が、歪む。

 自然の法則に反し、突然に、何も無い所に旋風が巻き起こる。

 一見して普通とは違う旋風は、意志あるもののように、我らが先陣を切って走るイーディスへと、真っ先に襲いかかる。

 

『ハァッ!』

 

 避けろ――と言う暇もない速度。だがイーディスは大地を蹴って空高く跳び上がり、旋風を超えて三つ首のドラゴンへと天翔ける鳥のように肉薄してみせた! 既に抜き放たれた利刃は、闇にも負けぬ紅い輝きを伴って、邪龍へと迫る!

 だが、あの化け物は頭が三つもあるのだ。真ん中の鎌首が持ち上がると、その双眸からは稲妻のような光が吹き出し、その強い輝きに、思わず私は眼をつむりそうになる。

 

『チィィィッ!?』

 

 イーディスは何と、波打ち迫る稲妻状の光を手にした曲剣で受け止めてみせた。しかし生憎と彼女の身は空中にあり、踏みとどまるための足場もない。原理は不明だが、あの光は力を持っているらしく、イーディスの体は撥ねられたように宙を飛ぶ。

 

「 WHAT ARE YOU LOOKIN' AT! /  ガン飛ばすんじぇねぇぜ !」

 

 イーディスへの追討ちを防ぐべく、キッドがヘンリー銃を乱れ撃つ。アラマの施してくれた、ミスラ神の加護は銃弾にも及び、まるでロケット弾のように輝き火の尾をひきながら化け物へと降り注ぐ。普通の銃弾では無いがためか、多少の効果はあったらしく、六つの眼が細まり、吹き出していた光線も掻き消える。

 

 ――咆哮。

 

 だが、所詮は掠り傷を負わせたに過ぎなかったらしく、一向に勢いの衰えない叫びは新たなる呪文を吐き出す。それに応じ、邪龍の周囲の闇が濃く盛り上がり、蟠り、そして遂には形を取り始めた。

 

『来たのです! 女魔(パリカー)邪戦士(マルヤ)邪獣人(アエーシュマ)屍鬼(ナース)! いずれも悍ましく恐ろしき悪魔(ダエーワ)! 邪龍(アジ)ダハーカに呼ばれて湧いて出たのです!』

 

 もう、アラマが叫ぶ名が、いったいどの化け物を指しているのか――それすら解らない程の、魑魅魍魎共の大博覧会だ! しかもどいつもこいつも、一目で絶対に仲良くはなれないことが解る面をしてやがると来た!

 

『怯むな! 目指すべきは邪龍の首ひとつ――否、三つぞ!』

 

 ナルセー王はそう叫ぶと槍を手に突進し、縦横無尽にそれを振るって化け物共を蹴散らし進む。色男はその後に続き、王の背中を狙う魔物どもへと次々と矢を放つ。

 

(こいねが)う、(こいねが)う。我は(こいねが)う。広き牧場(まきば)にありて、よく武装せるミスラへと。武装せる者なかで栄光をもつこと第一、武装せる者のなかで勝利を博すること第一なる、不敗の太陽へと』

 

 私とキッドもまた呪文を早口に唱えるアラマの前に立ち塞がって、迫る怪物どもへと銃弾を放ち続ける。ヘンリー44口径とコルト・ネービー36口径の銃声が混じり合い、それにアラマの声が唱和する。死のコーラス――観客へのお礼は鉛弾だ。

 

 『不敗の太陽が輝き、新しき光よそそぐ。稔り多き大地(テルス)によりて、屠られたる牛、万物を産む。注がれし蜜によりて、獅子よ――いづれ、いづれ!』

 

 呪文が終わると同時に、次々と地面より輝くライオンが湧き出し、闇の怪物どもと真っ向ぶつかり合う。

 どうも、翠玉の碑板(エメラルド・タブレット)にはアラマの、というよりミスラ神の信徒達が使う魔法を助ける力が備わっていたらしい。本来ならば、もっと色々と手順を踏まねば出来ない術も、今は本を掲げ呪文を唱えるだけでいい。不利な状況だらけの今日この頃、数少ない嬉しいニュースだが――まぁ、気休めに過ぎない。

 

 ――咆哮。

 ――咆哮。

 ――咆哮。

 

「うわぉっ!?」

「アヅッ!?」

『うひゃぁっ!?』

 

 三つの頭がそれぞれ、違う調子の吠え声を吐けば、三通りの魔法が同時に放たれる。

 一つ、化け物共が追加で呼び出され、二つ、旋風の大盤振る舞い、三つ、今度は空から火の玉まで振ってきた。身に纏った黄色い光は、呪術魔法に対して鎧の役割を果たしてくれるらしいが、いかんせん相手の攻撃が激しすぎる。まるで砲兵隊を相手しているかのような炎の雨に、文字通り身を切る旋風――ライオン共が現に切り刻まれている――を凌ぐだけでやっとだ。

 

『ええい! どけ、どかぬか雑魚ども!』

『キリがない! もう矢の残りも少ないぞ!』 

 

 加えて、女魔(パリカー)だか邪戦士(マルヤ)だか邪獣人(アエーシュマ)だか屍鬼(ナース)だか知らないが、とにかく有象無象の化けも共の大軍団だ。これじゃあの三つ首蜥蜴野郎に近づくことすらままならない!

 

 ――そんな時だ。

 

「!?」

 

 ぱっと視界が急に明るくなったかと思えば、ドラゴンの一番左側の頭が、突然炎に包まれる。その炎はすぐに消え、思ったほどダメージも与えられていなかったようだが、それでもドラゴンの肝っ玉を潰したらしく、やつの攻撃の勢いが僅かながら鈍る。

 

『――かかれ! かかれ!』

 

 驚き声のするほうに眼を向ければ、闇の中から飛び出してきたのはマゴスやナルセー王の親衛隊たち――その生き残りであった。てっきり邪龍(アジ)ダハーカが出てきた時の襲撃で全滅していたものと思ったが、一部は上手く逃れ、身を伏せ今まで隠れていたらしい。自分たちの王が邪龍に単騎挑むのに、いてもたってもいられなくなったのだろう。

 

『王を守れ! マズダの神よ! 我らが復讐に加勢せんことを!』

 

 いずれもボロボロで、装備は劣悪、数も往時とは比べ物にならないが、この状況での加勢は正に天の助けだ。

 

『――お主ら! よし、かかれ! 我が下知のもと、エーラーン人の意地を見せるぞ!』

 

 ナルセー王自身、よもや自分の配下たちに生き残りがいて、それもこの状況で駆けつけるとは思ってもみなかったのだろう。感涙に咽び泣きながらも、持ち前の獰猛さを微塵も損なうことなく、槍を片手で風車のように廻し、左手で腰間の直剣を抜き放ち振るえば、ドラゴン目掛けて駆け馳せる。

 

「援護するぞ!」

『はいなのです!』

「――いや待て!」

 

 私とアラマを制したのは、弾の切れたヘンリー銃を投げ捨て、コルトを引き抜いていたキッドだった。

 

「彼女のほうが、先だゼ!」

 

 言うが早いか、私達の傍らを真紅の颶風となって駆け抜けたのはイーディスだ。

 

『キィィィィィエェェェェェェェィッ!』

 

 悪魔も逃げ出すような雄叫びと共にイーディスは再度地を蹴って跳び、宙を舞う。

 ナルセー王に色男、さらにはマゴスや親衛隊たちの攻撃に撹乱され、注意の逸れた邪龍への格好の奇襲! だがヤツは頭が三つもあるのだ。その全てを誤魔化すのは土台無理なことで、一番左側の頭がイーディスのほうを向く。例の光の魔法を使われれば、正に二の舞だ!

 

「 HEY GENTLEMAN! / よお、龍の旦那! 」

 

 ――だが、それを見過ごす私達ではない!

 キッドの両手が霞む程の速さで動いたかと思えば、鳴り響くのは殆どひとつなぎの二発の銃声。腰だめの構えで放たれた早撃ちにも関わらず、キッドの撃った銃弾は、狙いを過たず、邪龍の双眸を射抜いた。一粒の砂であろうと、眼を一時潰すのに充分なのだ。ならばコルトの45口径ならば、邪龍にだって涙を流させるだろう。

 

 ――邪龍(アジ)ダハーカの、頭の一つが両目を瞑る。

 

『シィィィィィィィッ!』

 

 斬!と快音が鳴ったかと思えば、イーディスの曲刀は、その刃渡りに見合わぬはずの、邪龍の太い首を見事に斬り落とした。夥しい血――の代わりに切り口からは無数の毒蛇、毒虫、毒鼠、その他数多不浄なものどもが吹き出すが、イーディスは剣神の加護のもと、コヨーテのような身のこなしで間合いを取る。

 

『キュク、バザキュク、バキュク、セメセイラム!』

 

 すかさずアラマが呪を唱えれば、伝令使の杖(カドゥケウス)の先端が、まるで松明のように輝き始め、遂には小さな太陽のように光を放った。その輝きには殺傷力こそないようだが、しかし太陽の威光を受けて、怪物共が、不浄のものどもが後ずさり、邪龍ですら眩しげに瞼を下ろす。

 

『王よ!』

 

 マゴス達が、好機を逃すまいと呪を唱えれば、ナルセー王の左手の剣が金色と煌めいた。王は右手の槍を投げ捨て、剣を両手で握ると、真っ向構えて邪龍(アジ)ダハーカへと突撃する。

 

『道を開けろ! 雑魚めら!』

 

 行く手を阻もうとする魍魎共には、色男の角矢が突き立ち、まるで聖書にあるモーセの奇跡のように、邪龍への一直線の道が拓いた。

 

『――死んでいった兵たち、民たちの恨み、思い知れッ!』

 

 ナルセー王の一太刀もまた、その刃渡りを超えた輝ける太刀筋で、邪龍の右の首を両断する。

 これで、残った頭は、真ん中のひとつだけだ!

 

「――うぉっ!?」

『ななな!?』

「マジかよ!?」

 

 だがここで予期せぬ展開。

 突如突風が吹き荒れ、砂埃が舞い上がったかと思えば、バッと音を立てて開かれる巨大な翼。蜥蜴野郎め、どうやって折りたたんでいたものか、その背中には蝙蝠状の翼が一対生えていたのだ。

 

「アイツ飛べんのかよ!?」

 

 私もキッドに同意だった。

 この闇の中を、悪魔のような翼をはためかせ、あの巨体が宙へと浮かび始めるのは、悪い夢か悪質な冗談かのようですらある。

 

『逃がすな! 射落とせ!』

 

 ナルセー王の号令とともに、近衛兵達が弓矢を放つが、どうにもやつの回りには翼の放つ風が渦巻いているらしく、それに流されて一向に届かない。瞬く間にヤツは高度を上げて、そのまま彼方へと飛び去ろうとする。

 

 ――逃がすわけにはいかない!

 しかし、空駆ける邪龍は素早く、この両足で全力で走ろうとも、とうてい追いつけそうもない。

 

『――あれは!』

 

 それでも、天は、神は、ミスラの神は、私達を見捨ててはいなかった。

 アラマの声に振り向けば、聞き慣れた馬蹄が、その調べを大きくしながら近づいてくるのが解る。

 

「来たか!」

 

 闇を裂いて現れたのは、我が相棒サンダラーだった。

 恐らくは、アラマの杖の先に灯った光を目指して駆けつけてくれたのだろう。

 ああ、よくぞ生きていてくれた! よくぞこのここ一番で馳せ参じてくれた!

 

「HI-YO! THUNDERER!」

 

 掛け声と共に跨がれば、私はサンダラーへと拍車をかけて、最大速力(ギャロップ)でヤツへと追いすがる。

 揺れる騎上でホイットワース=ライフルを構え、撃鉄を起こす。

 スコープは外してあった。この闇の中では却って視界が狭まって邪魔だと思ったからだが、そのことが今、この馬上にある私には幸いする。

 

「――」

 

 銃床を肩にあてた瞬間、周囲から音が消えた。

 闇なかで、ヤツの、邪龍(アジ)ダハーカの巨体だけがハッキリと見える。

 頬を銃床に載せれば、ライフル銃が完全に我が身とひとつになる。

 

 巨龍の動きは素早く、この銃は単発だ。

 外せば、次はない。

 サンダラーにさらなる拍車をかければ、彼はそれに応え、滝のような血の汗をながし、激しい吐息と共に駆けた。

 

「――」

 

 照準を合わせる私の心は、恐ろしいほどに透き通り、まっさらになっていた。

 ヤツを斃す。ただその為に、私はここへと呼ばれたのだ。

 その務めを、遂に、果たす。

 

 ――邪龍が、こっちを向いた。

 恐らくは馬蹄が聞こえたがためだろう。長い鎌首を空中で器用に曲げて、飛びながらコッチを見た。

 

 ――鬼灯のような赤い双眸と、私の灰色の瞳が、真っ向向き合う。

 

「――DUCK YOU SUCKER / ――落ちろ、糞ったれ」

 

 私は引き金を弾き、血と金の銃弾は真っ直ぐに、ヤツの眉間へと突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――1ヶ月後。

 

「……」

「……」

 

 復興が進み、再び活気に溢れ出したマラカンドの街路の傍ら。

 私とキッドはぼんやりと安楽椅子――大工に頼んで作ってもらったのだ――に揺られてた。

 私達の間には小さな円卓が置かれ、そこには二つの壺型の木の杯がのっかっている。例の、葦のストローで吸う茶の一種だ。最初飲んだ時は独特の青臭さのある苦味には閉口し、きっと好きになることはないと思ったのだが、今ではすっかり飲み慣れて、逆にこれがないと口元が寂しいぐらいだった。

 

「……平和だねェ」

「そうだな」

 

 キッドが大あくびをし、目尻に浮かんだ涙をこする。

 私は顔の前でぶんぶんとうるさい蝿を追い払いながら、葦のストローから中身をもうひと吸いする。

 目の前を行き来する人々の数は、一度この街が滅びる前よりは減ったかもしれないが、この活気熱気を見るに、元通りになるのもそう遠いことではないだろう。マラカンドはもとより街道の交差点、文明の十字路、一大交易拠点だ。その地の利のある限り、放っておいても人は集まるのだ。

 

 ――『日はまた昇るのです、何度でも』。

 

 アラマが言ったことは正しい。

 私は、ふと遥か昔に捨ててきた、故郷の地を思い返す。

 戦争で焼かれ、何もかもなくなった、旧き良き南部(オールド・サウス)

 ずっと帰ってないが、あそこもまた、この街のように蘇ったのだろうか。

 

『――またここにいたのか』

 

 ぼんやりと思索に耽る私の意識は、皮肉な調子の呼び声に現実に帰る。

 見れば、随分と立派な格好になった色男の、やや草臥れた顔がそこにある。

 

『良いな暇人は。朝からタダ飯食って寝てるだけか』

 

 良い加減、やっこさんの愚痴やぼやきも聞き慣れたので、私はあくびをそれに返してやる。

 色男は、色男らしくもない苦虫噛み潰した表情を浮かべた。

 

『――今や英雄になった御仁だ。その程度の厚遇はあってしかるべきだろう』

 

 横から口を挟んだのはイーディス。こちらもやはり服装が随分と上等になっている。

 

『なぁ、「龍殺しのまれびと」殿』

 

 イーディスがにやにやと笑いながらそう呼ぶと、何ともこそばゆく、落ち着かない気持ちになる。

 私は一介の、流れ者のガンマンだ。そういう誉れある立場など、縁遠い男なのだ。

 

 邪龍を倒し、アラマの術で「アルズーラの首」とやらを閉ざした後、闇は晴れ、朝陽は昇り、魑魅魍魎共は消え失せた。

 あれほどまでに神々しい朝陽は、ついぞ見たことはなかったが、ナルセー王はそれに見惚れるでもなく、生き残りの手勢を連れてマラカンドへと取って返した。

 地方の砦からやってきた援軍たちを使って街の屍体を弔う傍らで、王は四方に密使間諜を放ち、こう吹聴させたのだ。マラカンドには今、「龍殺しのまれびと」がいる、と――。

 邪龍(アジ)ダハーカの出現により生じた闇はレギスタン全域を覆っていたらしく、伝説の怪物の出現の噂は、風よりも速い勢いで既に広がっていた。それを、ナルセー王は活かしたのだ。伝説の邪龍を屠る化け物がいる街を、誰が敢えて襲うと言うのか。このどさくさに紛れた火事場泥棒どもを、ナルセー王は戦わずして制した。だがそのお陰で私は、身の丈に合わない英雄になってしまったというわけだ。

 

『たまには王城に姿を見せろ。王は御前たちにはどれだけねぎらっても足りないと仰っている』

 

 イーディスは、その服装に合わぬ、いつも通りの拵えの曲刀に手を置きながら、やはりニヤニヤと笑う。

 彼女と色男は、最早傭兵ではなく、ナルセー王の直臣に取り立てられている。多くの犠牲があった今回の騒動の後、王が求めたのは何よりも、街を守るための歴戦の強者たちだった。イーディスは王が宮殿の外に出る際の身辺警護を、色男は親衛隊の隊長を、それぞれ担っていた。給料が良くなった色男は、それをせっせと妹に仕送りしている。

 

「気が向いたら、と伝えてくれ」

「右に同じ」

 

 私達のやる気のない返事に、イーディスは肩を竦め、色男は顔をさらに渋いものにした。私は、そんな顔をしていたら折角の色男が台無しだぞ、と言って茶化したら。

 

『私にはアルベリヒという名前がちゃんとあるのだ』

 

 と返し、フンと鼻を鳴らして立ち去ってしまった。

 イーディスは帽子の庇を軽く傾け、微笑みを残しながら後を追う。

 私達は、人混みに消えていく二人の背中を見送った。

 

 ――その時は予期していなかったことだが、二人とはこれが最後に交わした言葉となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夕方まで、私達は安楽椅子でぼんやりと過ごした。

 そろそろ日が沈もうとしている時分、闇を恐れる人々は足早に家路に向かう。

 人通りが少なくなった街路を、気まぐれな風が通り過ぎ――私は、声にならない声を聞いた気がした。

 隣を見れば、キッドも同じ声を聞いたらしかった。

 

「行くか」

「応よ」

 

 それだけの言葉を交わして、互いに帰るための準備を始めた。

 サンダラーはアラマに預けていたので、私と彼女の宿へとのんびりと戻る。

 

『――まれびと殿』

 

 宿の前では、アラマとサンダラーが既に待っていた。私の荷物は全て、サンダラーの鞍の上にまとめてる。ナルセー王からの報酬である、袋一杯の銀貨も一緒だ。

 恐らくは、アラマにも私達と同じ声が聞こえたのだろう。

 

「……」

『……』

 

 私は、無言で彼女から手綱を受け取ると、サンダラーを引いて歩き始める。

 アラマは連れ立って、一緒に歩く。互いに、言葉はない。

 いくつもの街路を通り、幾つもの家々の傍らを横切る。この街で過ごした日々の想い出が、次々と私の心のなかを過ぎった。思えば、いろんなことがあったが、それを全て切り抜けられたのは、他でもないアラマのお陰なのだ。彼女には、友情とも愛情ともつかない、なにか強い気持ちを覚えた。こんな風に感じるのは、エゼルの時以来かもしれない。

 

 

 私たちは市壁の門を潜った。

 そこでは既にキッドが待っていて、山盛りの荷物を背負って、路傍の岩の上に腰掛けていた。

 彼方を見れば道の先に、陽炎のように宙が揺らぎ、見えぬ何かが蟠っている。

 

 幻影の門だ。

 あれを超えれば、それでさようならだ。

 

『また』

 

 今まで無言だったアラマが、遂に口を開き言った。

 

『また……いつか、お会いできますよね?』

 

 そう問う彼女の顔はしかし、既に寂しげな微笑みが浮かんでいた。

 アラマは賢い。私の答えなど、最初から解っているのだろう。

 

「……」

 

 私は彼女の金色の瞳を見つめながら、暫時、口ごもった。

 考えた末に出てきた言葉は、あまり洒落たものではなかったが、それが私に言える精一杯の返事だった。

 

「……SOMEDAY / ……いつか、な」

『……』

 

 二度と来ないであろう、いつかの再会を約し、私は幻影の門へと歩き出す。

 キッドが、立ち上がり、私の横に並んだ。

 

「……」

「……」

 

 横並びに歩きながら、私達の間にも言葉はなかった。

 

「イーディスに、さよならを言わなくて良かったのか?」

 

 幻影の門が近づいてきた所でようやく、私はキッドに聞いたが、彼は笑って嘯くだけだった。

 

「湿っぽいのは、好きじゃないかンね」

 

 だが、彼の顔を見れば、それがやっこさんの大好きな芝居であることは私でも解った。

 

「……」

「……」

 

 幻影の門の前に、二人して立つ。

 その時、背後からアラマの声が聞こえた。

 

『まれびと殿!』

 

 彼女は涙を浮かべながら、懸命な大声で言った。

 

『お慕いしております! ありがとうなのです! さようならなのです!』

 

 私は振り返り、微笑みながら最後にこう返した。

 

「アラマ、俺の名前は――」

 

 それだけ言うと、私達は門を潜った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――今度の話はここで終わりだ。

 私は西部へと帰り、そこでいつもの私に戻る。

 キッドもまた西部に帰ったが、やっこさんはいつもの自分には戻らなかった。

 

「“永遠に、永遠にさようならだカシウス! もし再び会えば、微笑みを交わそう!”」

 

 最後の最後まで、キッドは海の向こうのガンマン(シェークスピア)の言葉を引用しながら、私に別れを告げた。

 二度も父を殺すハメになったのだ。やっこさんなりに思う所があったらしく、故郷に帰って足を洗うらしい。迂闊に戻れば縛り首だぞ、と忠告したが、やっこさんは「なァに、上手く誤魔化すさ」と嘯くばかりだった。

 

 あの別れ以降、キッドとは会っていない。

 ガンマンとしてのやっこさんの噂も全く途絶えてしまった。

 捕まったとも死んだとも聞かないから、きっと上手くやったのだろう。

 なに、キッドが殺したって死なない野郎なのは、この私がよく知っているのだ。

 

 私はこの後もガンマンとして生き続けた。

 

 その途中で、またも妙な所に迷い込んで、悪魔の親玉に拐われた姫様を助け出したり、恐ろしい吸血鬼と生きるか死ぬかの闘いを繰り広げたりしたが――――それはまた別の話だ。

 

 ――いつか気が向いたら、その時に話すとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―― THE END ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 




















 ――予告編


 ――人は、彼をこう呼ぶ。
 青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)、あるいは灰色のエゼル(エゼル・グリス)と。

 黒い髪、黒い肌、緑の外套、六つの短銃。
 そして異界のガンマンより受け継ぎし一丁のライフルに、天性の灰色の瞳。

 やつがひとたびエンフィールドを手にすれば、死が奏でられ、殺戮の歌が流れる。
 林賊(バンデイランテス)匪賊(カンガセイロ)馬賊(モントーネ)……世に蔓延る悪党どもよ。良い葬式を――その代金は、エゼルが支払おう。

 密林で、荒野で、そして塔高き街路で。
 魔法の銃火が煌めき、空も地も、真っ赤に染まる。

 異世界西部劇――装いも新たに新章開幕


 ――『新・異世界ウェスタン』


 乞うご期待!



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新・異世界ウェスタン
第1話 灰色の死神に会えば、ヤツはお前たちの死を祈る




 かつて、砂礫と泥濘とが溢れる辺境の村で、ひとりの少年とひとりの「まれびと」が出会った。

 「まれびと」は、稀なる人という文字通り稀なる人で、世界の境界の向こう側からやってきた男であった。かつて戦場にて軍靴を掻き鳴らし、軍馬に跨り四方を駆け、誰よりも狙い撃つに長じた男は、しかし戦いに敗れ永久にふるさとを喪った。


 ――『行けと云うなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ』。


 かつてカルタフィルスあるいはアハスフェルスあるいはブタデウスあるいはイサク=ラクエデムなる名のユダヤ人は、「神の子」を打擲し罵った罪で世界の終わりが来るまで永久に彷徨う罰を負った。果たして歴史は常に勝者が描くものであり、敗者は如何な旗の下に戦おうとも常に罪人である。その普遍の道理に従って、人殺しの業以外を全て喪った男は、西部の荒野を彷徨う。ただ糧を得るために、獣のごとく、狼のごとく……。

 
 少年との出会いは、「まれびと」を変える。


 ――『およそ運命というものは、それがどんなに長く、また複雑であろうとも、実際は《ただ一つの瞬間》より成っている。その瞬間において、人は永久におのれの正体を知るのである』。


 「まれびと」はガンマンとしての、研ぎ澄まされたナイフとしての運命を悟る。
 同時に、少年もまた「まれびと」との出会いを通して変わる。マケドニアのアレクサンドロスがアキレスの生涯に、スウェーデンのカール十二世がアレクサンドロスの生涯に、己の鉄のごとき運命の反映をみたように。

 少年は長じ、彼もまた狩人となる。
 受け継いだ小銃を肩に負い、短剣と短銃とを携えて、かつて少年だった青年は深紅の大地を駆ける。


 そして、二人の運命は再び交差する。
 これは、そんな物語である。






 引用した文やこの序文の着想は、以下の二作より得た。
 先哲にはただ感謝以外の言葉がない。



 
 芥川龍之介『さまよえる猶太人』
 ホルヘ=ルイス=ボルヘス『タデオ・イシドロ・クルスの生涯』(訳・土岐恒二)





















 

 

 

 疾風(はやて)のグロウ=キンは、とても上機嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 遥か東の果て、百門都市(ヘカトンピュロス)より旅を経ること幾万(レグア)、海を越え山を越え、辿り着いたこの世の果て、荒涼たる曠野(パンパ)――灌木ばかりが無限と広がる、肌寒い大草原――の片隅で、人殺しと盗みで糧を得る毎日。実入りの良い餌食は稀で、不幸な行商や小作人をいたぶり、僅かな日に銭を得るだけの日々。――そんな日常が嘘のような大収穫、刈り入れの時、書き入れの時とは正に今日この日のことだろう。

 丈の低い草原の上に、広がった人間(オム)共の死骸。男もいれば女もいるし、老いも若きもいる。共通しているのは、揃いも揃って既にこの世の人ではないということだ。

 

 下品な哄笑が辺りに響き渡る。

 

 グロウ=キンの手下どもが、横倒しになった馬車から次々と金目の物を掴みだすたびに、喜悦の叫びを上げては笑い転げているのだ。蛇人間(ヴァルシアン)は人間やエルフといった種族に比べると感情の起伏が薄く、何事にも動じないと言われるが、しかし今度ばかりはグロウ=キンも手下どもと同じ心境であった。人間、長耳(エルフ)豕喙人(オーク)犬狼人(コボルト)土侏儒(ドワーフ)と、信仰も信条のみならず種族もバラバラなグロウ=キンの一味だが、彼も含めて皆同じなのは、揃って金貨銀貨が大好きだということだ。ましてや、今しがた仕留めた間抜けな御一行が運んでいたのが、価値の高いドブロン金貨であっというのだから、どんな種族でも小躍りしたくなるのは当然だった。

 

 揃って横倒しになった馬車には家財道具に、売れば金になるような代物がぎゅうぎゅうに詰められているし、その馬車を曳いていた馬は肉付きが良く、これもまた頂戴するにはもってこいだ。亡骸どもの纏った衣服(おべべ)も、よくよく見れば中々に良い仕立てをしている。……問答無用で襲ったのは、些か軽率だったのかもしれないと、グロウ=キンは考える。生きているうちに丸裸にしてしまえば、汚れも傷もなく回収できた仕立ての良い服も、かなりの値で売り払えたのだ。だが、こうも血まみれ土まみれでは故買屋に買い叩かれるか、下手すれば足がつきかねない。パンパに巣食う賊と言えど、金貨を使うには街に戻らねばならないし、街に戻れば犬畜生以下の官憲どもに、蛇蝎のごとく狡猾な賞金稼ぎ共が、眼を光らせているのだから。

 なにせグロウ=キンの一味は、このパンパを根城にする大小百はいるという匪賊(カンガセイロ)のなかでも、特に凶暴ということでその悪名が広く鳴り響いているのだ。一味のメンバーは凶状持ち、脱走兵、逃亡奴隷と来歴は様々だが、極悪非道を以て通る男たちはひとり残らず賞金首であり、特に異教の魔法に長けた一流の呪術師(パパロイ)たるグロウ=キンには金五〇〇エスクードもの額がかけられていた。国中の官憲に賞金稼ぎが彼らのことを狙っているのである。

 

 そんな連中に出くわし、しかもそんな時に限って、普通この手のキャラバンならば必ず連れている筈の護衛も付いていなかった馬車の一行は、まことに不幸と言う他無い。

 

 ――それにしても。

 

 と、グロウ=キンは血のように赤い舌を、炎のようにチロチロと口外に出しながら、辺りを見渡し考える。なお余談ながらグロウ=キンが舌を出しているのは何も舌なめずりをしているわけではなく、蛇人間にもまた地を這う同胞たちと同じ臭いを感ずる器官が二股に割れた舌先に備わっているからであり、万に一つも辺りに生き残った餌食がいないことを、殆ど無意識のうちに探っているがためである。

 

 話が逸れた。

 

 グロウ=キンが考えていたのは、この間抜けな獲物共が何処から来た何者かということである。賊が賊として長生きするためには、野を駆ける獣のように用心深くあらねばならない。余りにも簡単に終わった今度の仕事に、その収穫の大きさに、却って昂ぶっていた心は静まり返り、疑問と警戒とが湧いて出る。なぜ、コレほどの財産を抱えた連中が、こうも無警戒にパンパを進んでいたのか――。手下どもが放置した、金にならなそうな身の回り品を探れば、すぐに納得のいく答えが返ってきた。なるほど、こいつらは『大河の東(バンダ・オリエンタル)』からの難民なのだ。

 グロウ=キンは、遥か彼方、ここからは決して見えることのない、銀色に輝く大河を方へとその双眸を向けた。縦に細長い瞳は、彼がずっと前に訪れた、まだ平和だった頃の『大河の東』を幻視する。今やあの地は、血で血を洗う内乱の地であり、グロウ=キンのような根っからの無法者たちですら忌避する深紅の大地なのだ。内乱の当事者達はともかくとして、既に地主や金持ちの類はとうの昔に逃げ出してしまった後かと思っていたが、なるほど、この手の中途半端な小金持ちほど、物惜しみして逃げ遅れたりしがちなものだ。

 匪賊の親玉んたる蛇人間は、脳裏に一本の道筋を思い浮かべた。バンダ・オリエンタルから逃げ出した連中は大河を渡ると、このパンパを超えて芳風香る街、ラ・トリニダーを目指す。もとより余所者、流れ者、移民達の大勢集まるあの街ならば、難民たちが当座身を落ち着けるにはもってこいの場所なのだ。果たして、今度の獲物どもも確かに、グロウ=キンの思い描いた、パンパを走る姿なき道筋を辿っていた。おそらくは、大河の渡し賃を相当にふんだくられたのだろう。だから護衛を雇うまでには手が回らなかったのだ。そう考えると、筋は通る。

 

 不安の種は消えた。

 グロウ=キンは舌を引っ込めようとして――はたと、それを止める。微かな疑問が脳裏を過ぎり、再び胸中にて膨れ始める。バンダ・オリエンタルとパンパとは大河で隔てられているが、何箇所かの「渡し」での行き来ができる。しかしバンダ・オリエンタルの内乱の影響で、その殆どが閉鎖されてしまった。まだ機能している「渡し」で、ここから一番近いのはサルミエントの街のものだが、あの街はそれなりに人口も多く、従って治安維持のためにラ・トリニダーから官憲の一隊も派遣されている。パンパが賊徒の巣窟なのは最早常識であるし、そこにのこのこ無防備で向かう一行を、果たして官憲はただただ見過ごすものだろうか。いや、所詮は端金の為だけに働く、犬畜生以下の役人風情どものことだから、いつも通りの怠慢ということで説明出来るかも知れない。

 しかしだ。あの規模の街で、ましてや国境(くにざかい)近くだ。そういう所には必ず賞金稼ぎも居る。官憲連中はともかく、賞金稼ぎ共は犬以上に鼻が利く。奴らまでもが、いかにも賊を引き寄せそうな、格好のカモを見逃すというのは――。

 

 グロウ=キンは、両目を瞑り、鼻のあたりに意識を集中した。

 蛇人間には、舌に備わった嗅覚と並んで、他の種族には無い独特の感覚が備わっている。それは「熱」を感じ取る器官であり、月の光も差さず星も瞬かない闇夜にあっても、己に近づく人や獣を感じ取ることが出来る代物だった。視界を閉ざすことで、感覚は鋭さを増し、普段よりもより広い範囲の「熱」を感じることが出来る。

 

 故に――気づいた。

 遥か彼方、パンパ特有の乾いた灌木の陰に、人影がひとつ、大狼(ボルグ)影がひとつ。

 用心深く隠れている所から、間違いなく賞金稼ぎだ。やはり格好のカモな一行を密かに尾行(つけ)て、それに襲いかかった連中に不意討ちをかまそうとしていのだろう。だが、そうは問屋が卸さない。グロウ=キンは得意げにシャーシャーと喉を鳴らす。この間合いならば、弓も魔術も届かぬ距離だ。よもや相手も、そんな距離で自分が気づかれているとも思うまい。ここは逆に奇襲をしかけて、忌々しい蛇蝎豺狼の輩を血祭りにあげてやるとしよう。

 

 グロウ=キンは、手下どもに賞金稼ぎが隠れていることを伝えようとした。

 伝えようとしたが、できなかった。何故か。

 

「――」

 

 蛇人間特有の長い首の半ばに、突然やってきた衝撃に、グロウ=キンの体はよろめいた。

 何事かと手をやれば、不思議なことに感触がない。何度か触ってみて、グロウ=キンは理解した。自分の首の半ばには大穴が開いているということ、故に声も出ないということ。そして――。

 

「――」

 

 息もできないということ。ゴボゴボと血の泡を吐きながら膝を付き、藻掻く。

 収穫に夢中な手下どもは、自分たちの頭目の状況に気づくこともなく、グロウ=キンが助けを求め、空へと突き出した手を見るものもない。

 

「――……」

 

 結局、看取られることもないまま、力尽きた凶賊は斃れ、赤い血で大地を穢した。

 しかしグロウ=キンとて、一流の呪術師(パパロイ)。その彼を魔法にて出し抜いた賞金稼ぎは、いったい何者か。そう、それは極めて稀な、『狙撃』の魔法の使い手たる賞金稼ぎ。

 

 その名は――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サルミエントの官憲が警告したにも関わらず、小銭を惜しんで先を急いだ、川向うの小金持ち一行は、物の見事に自業自得、ひとり残らず賊に殺されくたばっている。同情はしないがしかし、感謝はする。小金持ち一行は、最上の獲物を釣りだしてくれたんだから。

 

「……まずは500」

 

 おれ(・・)は今しがたしとめた賊の賞金を算用しながら、獣のように地に伏せ駆ける。疾風(はやて)のグロウ=キン……噂通りの素早い手並みだったが、そんな野郎を真っ先に斃せたのは僥倖だった。

 灌木に身を隠しながら位置を変える。抜かりなく我が身は風下に置いてあるとは言え、相手方には鼻の利くコボルト野郎もいる。まだ連中は略奪に夢中で、グロウ=キンの死には気づいていないから、次なる一撃の準備へと移る。

 おれは脚の組んで座りその上に得物を載せると、斜めにかけた革帯に、荒縄で繋いだ七つ道具のひとつを手に取る。それは獣の角で作った水筒(フラスク)で、しかし中身は水じゃあ無い。火吹き茸を干して水気を抜き、砕いて粉にした後、獣の脂で小粒状に固めたもので、名前もそのまんま、火吹の丸薬と呼ばれているやつだ。おれは水筒(フラスク)を逆さまにして、鳥の嘴みたいな細い注ぎ口の先を指で押さえると、その根本に備わる金具を押し込んだ。水筒(フラスク)の中身が細長い注ぎ口のなかに溜まった所で、金具を離せば、ちょうど一発分の火吹の丸薬になる。それを銃身(・・)へと注ぎ込み、次いで七つ道具の2つ目、木製の小箱へと手が伸びる。仕切りの入った小箱の内側は、親指一本程度の太さ長さの巻紙が幾つも並んでいる。

 

 そのひとつを、おれは取り出す。

 

 赤いインクで印章が書かれ、それが封になっており、中に何が書いてあるかは見えない。だが中身を見る必要はない。中身を書いたのはおれ自身だし、書き損じなんてありえないからだ。

 巻紙を銃身内に入れると、突き棒――あの男(・・・)槊杖(かるか)と読んでいた――で一番奥、火吹き粉が溜まっている辺りまで押し込む。

 槊杖を銃身下部へと戻し、更に七つ道具の3つ目、錫の小筒を手に取る。中身はまたも火吹き粉だが、組み合わせる獣脂の種類を変えてあって粘土のように軟くかたまっていてる。それを、ひとつまみ千切りとる。得物の“撃鉄”を半分起こし、“火門”に火吹き粉を塗りつける。

 

 

 最後に撃鉄を完全に起こせば、『エンフィールド1853ネンガタ』の準備は完全に整った。

 

 

 その名の意味する所を、おれは知らない。ただひとつ確かなのは、あの男(・・・)がその名を呼ぶとき、そこには他人には窺い知れない、途方も無い感慨があったってことだけだ。だから、おれはその名を受け継いでいく。意味など、この際は些事だ。

 

「さて、お次は、と」

 

 得物を構える前にまず、おれ自身の眼で次の標的を品定めする。

 グロウ=キンの一味にいる呪術師(パパロイ)はヤツ一人。十五人からなる、蛇頭に率いられた賊は、蜥蜴頭に豚頭、犬頭に人頭と種族の市が立ったような有様だが、魔法を使えるやつは死んだ蛇頭以外には居ない。だとすれば次に狙うべきは、狙撃手の天敵、鼻の利くコボルト野郎な筈だ。

 

 真鍮仕立ての遠眼鏡を、おれは灰色の瞳(・・・・)で覗き込む。

 ようやく自分たちのお頭がくたばってる事に気づいた様が、まるで目前のことかのようにありありと見える。

 

 ――『灰色の瞳は、良いガンマンの条件だ』

 

 おれが思い出すのは、あの男の言葉。

 あの男の言う通り、おれの両目は灰色だ。灰色の瞳は隼の目だ。

 どれほど遠くとも、必ず獲物を見通し、決して狙いは外さない。

 生来の眼の良さに加えて、遠眼鏡の力を借りた今のおれには、コボルト野郎の体を覆う、硬そうな白い毛の一本一本まで見分けることが出来る。

 

 おれは、得物の引き金を弾いた。

 撃鉄が下り、火吹き粉の塊を叩く。

 小さな火花が咲き、銃身へと伝わっていく。

 銃身の中、粒形の火吹き粉へと火は伝わり、強く強く燃え上がる。

 火は巻紙を焼き、その内なる呪文を解き放つ。

 

 赤い光の矢が、銃口より飛び出した。

 それは風より速く唸って空を奔り、間抜け面のコボルトの、その細首を撃ち射抜く。強烈な魔法の弾丸は、その威力でコボルト野郎の首と胴体とを泣き別れさせ、それでも止まることなく後ろのドワーフ野郎の胸板を貫いた。

 

「……100、そして150」

 

 コボルト野郎、『長い牙のガス=ラ』――金100エスクード。

 ドワーフ野郎、『大斧のコズペルト』――金150エスクード。

 グロウ=キンと合わせて、金750エスクード也。既に慎ましくすれば三年遊んで暮らせる額は稼いだが、無論、ここでやめるわけもない。まだまだ、稼がせて貰わなくちゃ、ならない。

 

 おれは素早く身を伏せると、ふたたび灌木のなかを静かに馳せて移動する。

 狙撃手は、相手に位置を気取られてはならない。特に、今自分たちが狙われていると知った相手にはなおさら。これも、おれと同じ灰色の瞳を持った、あの男から教わったことだ。

 

 おれと、あの男が共にいた時間は短い。

 だが、人と人との繋がりというやつは、長けりゃいいってもんでもない。あの男からおれが教わった数々は、おれの生き方を決めた。あの男と、もうひとりの先生(・・)が居なかったら、今のおれはここにはいないだろう。

 

「残りは、12匹」

 

 新たな狙撃位置についたおれは、次弾を装填しながら次なる獲物を見繕う。

 どいつもこいつも賞金首なグロウ=キン一味だが、なかには賞金が百にも満たないばかりか、銀貨銅貨だての雑魚も混じっている。より額が高く、つまりはそれだけ危険な野郎から順に、しとめていく必要があるってわけだ。

 おれは、手配書に書かれていた連中の顔ぶれを頭に浮かべて、長弓使いのエルフがいたことを思い出す。おれとは違う、肌の白い森エルフ野郎で、名はフェサン=ラァグとかいった筈だ。よし、こいつにしよう。

 灌木のなかから僅かに顔を出して、連中の様子を探るが――おれは思わず舌打ちしていた。なるほど、伊達にパンパ随一の凶悪な賊と恐れられているわけじゃないらしい。連中は残らず地に伏せて、灌木や馬車、自分たちの殺した亡骸の陰に身を隠している。右往左往する馬鹿や、慌てて逃げ出して背中を晒す阿呆は。一人もいない。頭を真っ先に殺されたにも関わらずのこの動きは、流石は高い賞金をかけられているだけはある。

 

 さて、こういう場合は大概、用心深い獣を狩る時なんかと一緒で、根比べになりがちだが、生憎、おれはそう我慢強いほうでもない。それに仕事は手早く済ませるのが信条でもある。

 

 だから、敢えて灌木の陰から立ち上がり、我が身を晒してみせる。

 

「おーい、屑ども、頭出せぇ! いっぱつで、ちょんぎってやらぁ!」

 

 ついでに大声で叫んだりもしてみせる。すると、すぐにそれにつられて、目当ての獲物が顔を出す。

 フェサン=ラァグの野郎だ。その手には、既に矢を番えた長弓もある。

 

『おい、馬鹿野郎!?』

 

 誰かが、フェサン=ラァグへと向けてそう叫んだ。何故、おれが身をさらしてみせたのかを、解っているのだろう。

 しかしだ、その警告は余りに遅すぎる。

 

 おれが引き金を弾くのと、フェサン=ラァグが矢を放ったのは、全く同時のことだった。

 だが胸を撃ち抜かれたのはフェサン=ラァグの野郎だけだった。遠眼鏡越しに、ヤツの唖然とした死相が見える。当然だろう、完全に相討ちの形であったのに、ヤツの矢だけはおれの爪先の先まですら届かなかったのだから。

 

「――ただの木と鉄の矢が相手じゃ、撃ち負けやしねぇよ」

 

 おれの弾は魔法の弾なのだ。

 空中でおれ目掛けて飛ぶ矢を砕き、そのまま向きを変えて射手を撃つなど訳もない。

 

「これで、更に100」

 

 フェサン=ラァグの賞金を加えれば、現在の時点で報酬、金850エスクード也。

 おれはみたび、身を灌木の中へと踊らせて、次なる射撃位置への移動しようとする。

 

『野郎ども! 突っ込め! 向こうはひとりだぞ! 囲んで殺せ!』

 

 しようとはしたが、出来なかった。

 連中も馬鹿じゃないのだ。こっちが一匹狼であることに気づいたらしい。向こうにはまだ11人もいる。多少の犠牲は出ても、数に任せて突っ込めば何とかなる。怒声が、咆哮が鳴り響き、ヤツラが互いに距離を空けながら突っ込んでくるのが見えた。なるほど、やはり連中は馬鹿じゃあない。こういう時に阿呆共がやりがちな、まとまって突撃する愚もおかさない。

 

「ま、そうするわな」

 

 もう二、三人しとめてからにしたかったが、そうも言ってられない。

 エンフィールドを手頃な灌木に立てかけると、おれは指笛を高々と鳴らし、身を隠すための緑の貫頭外套(ポンチョ)を脱ぎ捨てた。あらわになるのは、斜めにかけた革帯に、吊るされた七つ道具の残りの四つ。鞘に入った鉈刀(カットラス)、十字型の鍵めいた金具――そして、二丁の短銃(・・)だ。

 

 おれは迷うことなく短銃を抜き放つと、こちらへと向かってくる賊共目掛けて走り出した。

 左右の手に構えた得物を、手近な相手、蜥蜴人のベレンガリオとオークのキンリクとにそれぞれ向ける。

 

 エンフィールドは、ここではないどこか彼方からの『まれびと』たるあの男が持ち込んだ代物。つまりこの世には唯一無二であり、代えのきかない貴重な得物。だからおれは、知己たる時計職人兼錬金術師の男に、その複製を頼んだ。その男は、完全なる再現のためにはエンフィールドを完全に分解する必要があるといったため、おれはそれを断り、似たようなモノで良いから拵えてくれと言ったが、結果、時計の絡繰を応用して出来上がったのがこの二丁だった。

 

 ――歯輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)

 

 その錬金術師は、自身の作品をそう名付けた。

 名前の通り、ゼンマイ仕掛けで回る鋼輪と黄鉄鉱の打ち金を擦り合わせることで火花を起こし、火吹き粉へと点火、魔弾を発射する仕掛けだ。

 俺が引き金を弾けば、果たして激しい火と煙を伴に赤い魔弾は吐き出され、狙いを過たず標的の胸板を射抜く。崩れ落ちるベレンガリオとキンリク――どちらも、賞金額は金50エスクード――を尻目に、おれは新たな2つの獲物へと狙いを合わせる。

 錬金術師であり時計職人でもある男は実に凝り性で、芸術家を気取っている所があった。だからやっこさんの作品たるこの二丁の鋼輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)にも、極めて複雑な絡繰が仕込まれている。

 この短銃は上下二連の銃身を持ち、歯輪も2つ、打ち金も2つ、引き金も2つ持っている。つまり2連発なのであり、こんな短銃はまたとなく、またとない得物をおれは手にしている。2つ目の引き金に指をかけ、素早く絞る。新たな赤い光の矢が放たれ、人間とドワーフの新手二人――どちらも賞金は端金の雑魚だ――の土手っ腹に風穴を開ける。衝撃にくるくると回りながら斃れ、パンパの乾いた大地へと血と臓物をぶちまける。

 

 これで、残り7――いや、6人だ。

 

『っ!? うわぁぁぁぁっ!?』

 

 賊の一人が、灌木の茂みから飛び出してきた大きな影に組み伏せられ、血泡音入り混じった断末魔を挙げる。予期せぬ事態に、匪賊共はどよめき、慌て、その突撃は鈍る。その隙を、大きな影は見逃すことなく、次なる獲物へと続けざまに踊りかかった。

 

『ボ、ボルグ!?』

 

 賊の言う通り、大きな影の正体はボルグ――つまりは大狼だった。

 毛並みは黒く、瞳は金色。その背には鞍代わりの赤い絨毯が載せられ、人が跨がれるほどに巨体だ。

 おれの故郷では馬の代わりを果たしていたのがこのボルグだが、それは海を跨いでやってきた、このパンパにおいても変わりない。今の稼業を始めて以来、ずっと相棒だったこいつは、下手な人間よりもずっと頼りになる。素早く、静かに、そして確実に標的の喉笛を噛み切る、一流の殺し屋だ。

 

 その名は『スューナ』。

 エルフの言葉で『雷神(サンダラー)』を意味する。

 

 賊一味をコイツに跨って追い、仕掛けるにあたって伏せさせ、指笛を合図に奇襲させる。

 基本、おれの仕事は一対多だから、スューナがいてこそ成り立つ稼業と言えるかも知れない。

 

 さて、彼が二人ほど噛み殺してくれたから、残りは5人。

 

『――退け! 退け!』

『かないっこねぇ! 逃げろ! 逃げろ!』

 

 ここで連中は素早く踵を返すと、それぞれがバラバラな方向に逃げ始めやがった。

 流石は手練の匪賊どもだ。退き際を心得ていらっしゃる。――とは言え、逃がす気は毛頭ない。

 

 

 匪賊、林賊、馬賊、盗賊……およそ賊と名のつく連中は、ひとりのこらず皆殺し。

 それがおれの信条というやつだ。

 

 

「スューナ!」

 

 その名を呼んで、指笛を鳴らす。

 飛ぶ様に駆けてきたスューナの上に跳び乗り、鉈刀(カットラス)を抜き放つ。

 短くて分厚い、しかも鋭い刀身がさらされれば、おれはそれを空へとかざし、雄叫びを伴にスューナを走らせる。

 無防備な賊の背中へと、おれ達はすぐに辿り着き、刃を振り回して一撃くれてやる。剣は誰に習ったこともなく、戦いのなかで自ら学んだ――などと嘯くこともできないような腕前だが、匪賊の一匹二匹、屠るには充分。掲げられた切っ先は時計回りに弧を描き、人間の賊の背中を斬り上げる。分厚い刃は肉のみならず骨をも断ち、ぎゃあという悲鳴と一緒にもんどり打って斃れ伏す。

 スューナも負けずとばかりに別の標的へと狙いを定め、鋭い爪で同じように無防備な背中を引き裂き、倒れた所を踏み潰していく。

 

 これで、更に二人。

 

 残りの三人も、程なくして同じような末路を辿った。

 本日の報酬、算用すれば金1000エスクード也。ひと握り、なんて謙遜もいらない、この上ない稼ぎだった。

 だがこの稼ぎすら、おれの目的の前には、すぐに消える端金に過ぎないんだがね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『た、確かにグロウ=キンのいち味だ』

 

 ラ・トリニダーの官憲隊が隊長は、顔に浮かぶ脂汗をしきりにハンカチで拭いながら、上ずった声でおれの仕事の成果を、公に認めた。

 都合十五個の首が、ずらりと横一列に並べられているさまは、我が所業ながら凄絶で、野次馬共も皆絶句している。

 

『賞金は――金1000エスクード。大金だぞ』

 

 隊長が詰め所の金庫より引っ張り出してきた革袋を、ためらいがちに差し出せば、おれはそれをひったくって中身を確認し、適当な金貨の一枚を取り出して噛んでみる。前に一度、贋金を掴まされて丸々報酬をとりっぱぐれたこともある。官憲のなかには、そういう山賊まがいのやつらも少なくない。

 確かな歯応えを感じて、本物の金貨だと確信できた。おハイソな都の役人だけあって、小狡い真似はしないようだ。まぁ、だからこそ、距離的には近いサルミエントではなくラ・トリニダーを選んだんだがね。風香るお上品な都に、大狼またがり生首の山を背負った、およそ真っ当な稼業の者と思われぬ出で立ちの男が現れたもんだから、少々不必要な騒ぎも起きてしまったが、些事だ些事。

 

『先に言っておくが、賊の被害者の遺品には一切――』

「誰が触れるかよ。こちとら賞金稼ぎだ。盗賊じゃない」

 

 吐き捨てるように、おれは言う。

 グロウ=キン一味の首を残らず、鉈刀(カットラス)で掻き斬ったあと、スューナにまたがり一路、ラ・トリニダーを目指してやって来たのだ。遺された諸々には、おれは目もくれなかった。

 

 そう、おれは賞金稼ぎだ。

 人殺し稼業を歩む外道だが、それでも賊どもとの間には、確かな一線が画されている。

 

『名を、聞いておこう。時々賞金をだまし取ろうと小細工する不届き者がいるからな、それを防ぐためにも、名を記録しておきたい。名は何だ?』

「――エゼル」

 

 おれが、短く自分の名を告げれば、隊長も、隊長の部下たちも、野次馬も一様にどよめいた。

 恐れの視線が、おれへと集まり降り注ぐ。まわりを囲む連中の口から小さく、次々と漏れ出る渾名。

 

『そうか……お前が、死神の(ダス・モルテス)……』

 

 隊長が震える声で呼んだ名は、確かにおれの数ある名前のひとつだった。

 

 青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)

 あるいは灰色のエゼル(エゼル・グリス)と。

 

 それが、おれの名。

 賊どもの死を祈る、おれの名前だ。

 

 

 

 

 



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第2話 ナイフが煌めけば、歌唄いは弾き語る

 

 

 

 

 自分の生まれ育った村が、『アルメリア』という国の片隅にあったなんて知ったのは、故郷を飛び出し(みやこ)ウルキへと上京した時が初めてのことだった。だが、所詮は砂と土と枯れ木ばかりの国。おれはすぐにウルキも飛び出して、大学のあるサルマンティカへと赴き、そこでもうひとりの先生(・・)と共に数年過ごしたあと、海を超えて新大陸へとやってきた。

 

 そこは脆弱な政府、腐敗した官憲、数え切れない賊徒、貧困、混乱、格差、怨嗟……あらゆる悪徳の全てが入り交じる混沌の大地。秩序など、この片手の指で数えられる程しかない、そんな場所。つまり、おれみたいな賞金稼ぎには、もってこいの場所。

 

 おれは、大狼(ボルグ)のスューナと伴に、限りない数の賊徒をしとめた。そして、ついた渾名が青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)、あるいは灰色のエゼル(エゼル・グリス)。我ながら、実におれらしい二つ名だと感じる。

 

 おれは、賞金を稼がなきゃいけない。

 稼がなきゃいけない、理由がある。

 悪党どもを狩り、泡銭を手にすることが、そのまま、おれの目指すものへの道筋となっていく。

 

 だからおれは、ラ・トリニダーをすぐに後にし、、『コスタグアナ』の地を目指していた。果て無い曠野(パンパ)に覆われたパタゴニア、大河を挟んでその向こうに広がるバンダ・オリエンタル、そして大河を遡った先、パタゴニアからもバンダ・オリエンタルからも北にあるのがコスタグアナだ。

 

 新大陸のどこであろうと、血によって成る報酬の果実を得るためならばと赴くおれだが、コスタグアナだけは殆ど行ったことがない。理由は単純で、稼ぎにならないからだ。コスタグアナはこの新大陸では極めて珍しい、安定した秩序ある国だから、おれの求めるような賞金首も殆どいない。むしろ、おれみたいな胡乱な男が迂闊にあの国をうろうろなんてしていると、有能で厳格、そして冷酷非情と評判の官憲どもにしょっぴかれてしまう。

 

 

 

 そんな国に、何を好き好んでおれは向かっているのか。

 それは、個人的(・・・)に持ち込まれた依頼を引き受けるためだった。

 

 

 

 おれみたいに賞金稼ぎには時折、この手の仕事が舞い込むことがある。自前で賞金を払える地主金持ち御大尽の類が、自分の都合で人狩りを頼んでくるのだ。事情は様々、間男を消してほしいとか、一族の仇への血の復讐(ジャクマリャ)を代行してほしいとか、逃げた裏切り者を始末してほしいとか……依頼人ごとに全て違うと言っていい。この手の仕事は、おおよそ官憲の支払う褒賞金よりも実入りが良いといっていいが、同時に危険である点でも段違いだ。なかには報酬を支払うのを惜しみ、逆にこっちを人殺しと告発してくる輩がいる。下手すれば追うものから追われるものに転げ落ちるハメにもなる。だから依頼を受ける前に、臭いにおいがないか嗅ぎ分ける必要があるわけだ。

 

 おれはラ・トリニダーの『鳩屋』に頼んで、この手の個人的な依頼の受付先になってもらっている。稼業の性質的に、決まったねぐらがあるわけではないから、こうする他ないわけだが、賞金を貰うついでに『鳩屋』によった所、コスタグアナからの招待状と小さな革袋を受け取った訳だ。

 上品な筆跡で書かれた招待状には、詳細は依頼人の屋敷で説明するから、ぜひ来て欲しいということと、革袋の中身である銀貨は旅費として使ってくれといったことが書かれていた。銀貨の枚数を数えてみたが、男一人ボルグ一匹の旅なら充分お釣りが来るだけの額だ。

 当然、おれがこの銀貨を持ち逃げしたところで向こうは手も足も出ない訳だし――無論、そんな恥知らずな真似はしないが――、それでいてこれだけの額をぽんと出す辺り、依頼人は相当に金回りが良いらしい。コスタグアナからの仕事というのも実に珍しくて心惹かれるものがあったので、おれは取り敢えず依頼人と会ってみようと決めて、一泊もせずにラ・トリニダーを後にした。金貨でいっぱいの財布を抱いて、この街で夜を明かす気ももとよりなかったのでちょうど良かった。賞金稼ぎという稼業を続ける上で重要なのは、一番危険なのは賞金を稼ぐときではなくて、賞金を手にした直後であるということを理解しておくことだ。さもなくば狡猾な街の悪党どもに、賞金どころか命まで横取りされるのだから。

 

 ちなみに、『鳩屋』というのは大工と職人の神ウルカヌスを奉じる者たちが拵えた、歯車とばねからなる黒鉄(くろがね)の絡繰鳩を使って、手紙なんかを遠くに届けたりするのが仕事の連中のことだ。そのほとんどが海を渡ってやってきたズグダ人で、ズグダ人の商人どもと同様、金の匂いのする所にはどこにでもいて、この新大陸でも大きな街にいれば必ず一軒はこうした『鳩屋』がある。ヤツラは金に汚いが、しかし契約はきちっと守る。おれみたいな一匹狼が仕事をする上では、欠かせない相手だった。

 

 ラ・トリニダーからコスタグアナの(みやこ)スコーラまでは、最短コースを選べば七日程度で辿り着くことが出来るが、しかしおれは仕事と仕事の合間ぐらいは行楽気分でいたかったから、敢えて人通りの少ない回り道をして、まる十日かけてゆっくりと行くことにした。懐具合は頗る良いが、それを楽しむためには一工夫が要るもんだ。盗人(ぬすっと)掏児(すり)強盗には事欠かないのがこのパタゴニアという国なのだから。

 

 さて――回り道をした甲斐があって、八日目まではまるで揉め事がない、気楽な旅路になった。

 広大なパンパと晴れ渡った青い空を楽しみながら進み、宿に入れば腹いっぱい飯を喰らった。賞金首を追跡する時なんかはマトモな寝床どころか飯にすらありつけないのも珍しくないから、こういうときは反動からか余分に食いすぎてしまう。

 

 ――『酒を飲んで良いのは、絶対にここは安全と確信した時だけだ。もしこのルールを破れば――酔いつぶれるより先に棺桶のなかで寝ることになる』

 

 おれはあの男(・・・)から教わった生き残りのための鉄則を、今も守り続けている。

 もともともエルフ男は押し並べて酒に強いほうじゃないから、なおさらだった。かといってべつに酒が嫌いな訳じゃないし、せっかく財布は金貨で膨らんでいるのに、良い葡萄酒に酔えないのも癪だったりする。だから腹いせに、波波注がれた(マテ)と山盛りの炙り肉(アサード)をたらふく楽しむのだ。スューナも、ご相伴にあずかれて、ご満悦の様子だった。

 

 そんな飲んで食ってばかりの旅も九日目、いよいよコスタグアナとの国境(くにざかい)が近くなり、ゆっくり旅してきた迂回路もついに本筋に合流する。人通りが一気に増えて、比例するように胡散臭い連中もわんさかだ。つまり行楽気分もここまでで、そろそろ仕事へと切り替えなくちゃならない。

 その日の夜をここで明かそうと、選んだ宿へと入れば、部屋より先に一階の酒場で早めの晩飯を食らう。パタゴニアに限らず、この手の宿は一階が酒場や賭場で、二階か別棟が客室になっていることが多いが、ここもそういう類のひとつだった。おれは迷うことなく一番奥、背中を取られる心配のない角の席を陣取る。ここならば入り口を見渡すこともできて、怪しげな連中がやって来てもすぐに分かる。

 親父に、大声で軽めのものを注文する。大飯食らいの時間はもう終わりだ。街道沿いの宿屋でおおっぴらに金を使う所を見せれば、必ず厄介事が舞い込む。早めの時間を選んだのも、他の客との同席を最小限にするための工夫だ。実際、おれ以外の客は三人程度で、揃ってまだ日が落ちる前から酔いつぶれている有様だった。

 

「ほれ」

 

 給仕の婆さんが持ってきたのは、黄色いシチューで、トウキビに豆、臓物に玉ねぎをごった煮にしたやつだ。丸いパンもセットでついてきたので、こいつを千切って浸しながら、手早く飲み込んでいく。

 うむ。中々に濃くて精のつく味だ。コスタグアナに着けば仕事なのだから、こういう料理がおれには丁度いい。

 

 おれはしっかりと料理を味わいつつも、しかしできるだけ早く食べ終わるように気をつけた。

 もう暫くすれば日も落ちて、団体様の客もやってくる時分だ。そういうのとは出くわしたくはなかった。

 

 だが。

 だが、しかしだ。

 

「――っっっ!?」

 

 料理の濃い匂いや酒臭さを通り抜けて、おれの鼻を突く臭いは、忌まわしくも嗅ぎなれたモノ。

 まるで掃除を数日間さぼった家畜小屋みたいな、鼻が曲がるような異臭。

 

 ギョッとしておれが入り口を見れば、騒がしい声を伴って団体様が軒先を潜った所だった。

 数は十人。いずれも薄汚い身なりで、揃って黒い庇の広い帽子に色とりどりの襟巻(バニュエロ)、かつては鮮やかだったろう色も霞み端も綻びた貫頭外套(ポンチョ)、足を守る行縢(むかばき)用の腰布(チリパ)、泥や水を捌けるためのフリンジのついた緩やかなズボンと、判で押したように同じような格好をしている。

 

 おれは、連中に聞こえないように舌打ちした。

 厄介な連中が来たもんだ。よりにもよって『草原の民(ガウチョ)』の一団とは。しかも――。

 

「……」

 

 おれの目は、草原の民(ガウチョ)どものなかでひときわ背の高い影に釘付けになった。悪臭のもとも、そこだ。

 無駄にでかい図体。この上なく醜い豚面。穢に満ちた緑色の肌。

 見間違えるはずもなく、草原の民(ガウチョ)のうちのひとりは、糞忌々しいことに、おれの大嫌いなオーク野郎だった。

 

 おれは、ふたたび小さく舌打ちをした。

 せっかくの飯が、これで最悪のものになったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれは、追加で酒を注文した。

 それも、葡萄酒よりもずっと強い蒸留酒(ジン)を一瓶まるまるだ。

 無論、鉄則破りにはちゃんとした理由があって、酒もなしに席に長居するのは不自然だし、かといって足早に席を立てば草原の民(ガウチョ)どもの注意をひいてしまうからだ。

 

 ――草原の民(ガウチョ)

 

 おれにとっては、この上なく厄介な相手だ。

 無法者ならば始末すればいいし、堅気者ならばやり過ごせばいい。

 だが、ガウチョはそのどちらでもなく、同時のその両方でもある、斑色の存在なのだ。

 

 パタゴニアの国土の大部分を構成するパンパは、この上ない牧草地であり、従ってこの国では家畜の放牧が盛んだが、荒野や草原を住処とし、この家畜共の面倒を見るのが牧童(ガウチョ)どもなのだ。

 雨風も凌げず、灼熱にも晒される過酷な稼業だから、自然と頑丈で荒っぽい連中ばかりになる。力こそが全ての稼業だから、前歴も一切問われない。脱走兵だろうが、人殺しだろうが、賞金首だろうが、関係ない。人種も種族も来歴もぐちゃぐちゃな、まさに斑色な存在。加えて、家畜を曠野で扱う連中だから、自然と馬の操縦や刃物の使い方に熟達し血にも馴れていて、修羅場鉄火場にも躊躇なく飛び込む無鉄砲さを身に着けている。だからひとたび戦争内乱となれば、主である軍閥地主(カウディーリョ)の号令一下、その私兵となって獰猛剽悍な騎兵ともなる。仲間意識が強いかと思えば、些細なことで血を見る喧嘩に興じ、虚仮にされたと思えば仲間殺しの決闘も辞さない――こうしてあげつらえば、つくづくトンでもない連中だ。それでいて一応は堅気の括りに入るから、どうにも対処に困る。

 

 前に一度、こんなガウチョどものなかに紛れ込んでいた賞金首を狙ったことがあったが、その時はお仲間のガウチョの一団も相手取らなきゃならなくて、散々な目にあったもんだった。

 こんな連中を前に迂闊な様を見せて、厄介事を起こすのはゴメンだ。だが、オーク野郎の悪臭はおれには耐え難いもので、酒なしではどの道、到底やっていられない。

 

「……」

 

 ジンをちびちびとやりながら、視線はそらしつつ聞き耳は立てる。

 ガウチョ共の会話を盗み聞き、席を自然に立つ機会を探る。

 そこで解ったのは、このガウチョどもは一つの団体様ではなく、八人のほうの団体と二人組は互いに無関係でたまたま同じタイミングで酒場に入ってきただけらしいということだった。ちなみに糞ったれのオーク野郎は二人組の片割れで、相方は対称的に背丈の小さいコボルト男だった。

 

 おれは、その姿に、微かな引っ掛かりを覚える。

 

 小柄なコボルトのガウチョは、その身を黒い毛で覆っていたが、これはとても珍しいことだった。コボルトの毛の色は白か灰が普通で、たまに茶色を見かけることはあっても、黒のコボルトと実際出くわすのは、おれにとっても初めてのことだった。

 だが――おれのなかで記憶が囁くのだ。黒いコボルト……何か、前に聞いたことがあった筈だ、と。しかし、どうにも思い出すことが出来ない。ジンのせいで頭がボケているのだろうか。

 

『――コスタグアナまであと少しだ』

『スコーラから街道沿いに――』

 

 それでも、エルフならではの耳の良さを駆使すれば、連中がボソボソと小声で囁き合う言葉の、その一部ぐらいは聞き取ることができた。どうやらこの二人組は流れ者のガウチョであり、おれと同じくコスタグアナへと向かっているらしい。

 

 この二人組の姿を密かに窺えば窺う程に、おれのなかに不安というか懸念と言うか、まぁそういった感じの感情が膨らんでくるのを感じる。

 

 喧しく大声で叫び合い、酒に酔い卑猥な冗談を飛ばし合う八人のガウチョどものほうは、明らかに地元の牧場主に雇われているただの田舎者どもだが、あの二人は同じガウチョでも種類が違う。自然と人為、その両方から生み出される数々の辛苦を潜り抜けた、辛抱強く寡黙で、必要に応じて饒舌で、そして貫頭外套(ポンチョ)の下に隠した抜身の刃のような、一見隠された、しかし確かにそこにある危うげな気配を纏った、老狐のような古ガウチョだった。

 

 おれは、この二人組のことが気にかかった。

 穢らわしく悍ましいオーク野郎に、珍しい黒毛のコボルト野郎の古ガウチョ二人組。

 こんな二人が、よりにもよってコスタグアナに向かっているという。よもや、牧童としての仕事を探しに行くためとも思えない。だとすれば、こいつらがあの国へと赴く目的はなにか――おれは、それが知りたいのだ。

 

 おれは聞き耳を立てて、より詳しく二人の話を聞こうとした。

 聞こうとはしたが、目的を果たすことは出来なかった。

 

「――クセェなぁ」

 

 本当に不意に突然に、そんな言葉が横から飛んできた。

 みれば、酔いも回って調子づいてきた例の八人ガウチョのひとりが、これ見よがしに鼻をつまんで見せながら言ったのだ。

 

「んとだ、くせぇくせぇ」

「鼻が曲がりそうだぜ」

 

 これに、やはり酔っ払って調子づいた他の連中も次々と同調を始める。

 ガウチョ達はニヤニヤと嗤いながら、揃って目を向けるのはオーク野郎の豚面だった。

 

 おれは個人的な事情からオークどもが吐き気するほど嫌いであるが、それを差し引いても連中の体臭は種を問わず鼻が曲がるような臭いをしている。そのことを他種族に嘲弄されるのも珍しいことではない。ましてやガウチョという連中は酔っ払うと決まって騒ぎを起こす連中なのだ。同じガウチョ同士であろうと関係ない。下手すれば仲間同士でからかい合い、それが原因で血を見るのもありふれたことなのだ。

 

「……」

 

 しかしオーク野郎はと言えば一瞬、自分を馬鹿にした連中に眼を向けたかと思えば、ただただ黙って無視するばかりだ。古ガウチョだけあって、短気短絡単純馬鹿なオーク野郎には珍しく、若造共のさえずりなんぞは気にかけないということか。

 

 だが、酔いも回って気も大きくなっていたこの馬鹿どもは、オーク野郎の無言を萎縮と捉えたらしい。

 

「おい親父! この宿は酒場に豚を入れるのかよ!」

「豚が人の飯を食って酒飲んでやがるぜ!」

「人様の椅子と机が豚の臭いで汚れるじゃねぇか!」

「ぶひっ! ぶひっ! ゴッゴッ!」

 

 次々と聞くに堪えない嘲り声が鳴り響き、しまいにゃ豚の鳴き真似をする奴まで出てくる始末だ。

 声には出さないが、オークとコボルトの二人組の気配が、静かに危うさを増していく。

 

 つまり、おれにとっては好都合ということ。

 

 喧嘩が始まればその隙に、静かに出ていけば面倒事も避けられる。――そんな風に考えていた。

 

「――」

 

 出し抜けに、コボルト男が立ち上がった。

 それは余りに自然体で、気負った所はまるでなく、その足で便所にでも行きそうな、そんな格好だった。

 おれすらもが――ジンに酔い始めていたせいだろうが――、一瞬虚を突かれた。酔っぱらい共などは、コボルト男が立上ったことすら最初は気づかなかったようで、やつがその小柄な体に似合わぬ大股で、滑るように近づいてきた所で、今更驚き馬鹿面を浮かべている有様だった。

 

 嫌な音が、鳴る。

 

「ごべぇっ!?」

 

 その頭をテーブルに叩きつけられたガウチョが、くぐもった悲鳴を漏らす。

 

「てめぇ!?」

「なにしやが――おごびゅっ!?」

 

 そいつが机の上を鼻血で汚しながら、力なく床へと崩れ落ちた時、ようやくガウチョ達は現実へと立ち返り、慌てて立ち上がろうとするが、すかさず黒いコボルトの拳が奔り、新たに床に転がるガウチョがひとり、いやふたりだ。

 仲間を一瞬で三人も叩きのめされて、酔いも流石に醒めたのか、ガウチョ達はポンチョの裾をまくりあげ、自身の得物を抜こうとするが、それすらも黒いコボルトのほうが素早かった。既に抜き放たれた白刃を突きつけられて、男たちは一様に青ざめた。

 

 黒いコボルト男が手にしているのは、ガウチョの得物としてはありふれたモノであったが、まるでサーベルのように長い刃渡りの、U字型の鋼鍔のついた特徴的な『大刀(ファコン)』だった。

 

 『大刀(ファコン)』。

 それはガウチョであれば誰でも、腰帯の背の側に差してる長いナイフのことだ。

 長さが1コド――肘から中指の先までの長さのこと――未満の刃渡りを持つ『小刀(クチーヨ)』や、両刃の『短剣(ダガ)』と違って、片刃で長い刃渡りの、鍔と柄が備わったものを指す。家畜を解体(ばら)すのにも、人を(ばら)すのにも使える万能の道具であり、ガウチョという人種を象徴する武器であって、パンパで生きていくにはなくてはならない代物だ。

 

 黒いコボルトがファコンを構える姿は実に堂に入っていて、かなり殺しに馴れているのが一目で解った。

 対する今や五人組になったガウチョどもは泡食って慌てるばかりで、格の違いもまた、一目で明らかだ。

 

 ――ここでようやく、おれはこの黒いコボルトが誰であったかを思いだした。

 直接見るのは今が初めてだが、噂だけは何度となく聞いている。黒いコボルトの短刀(ドス)使いの話は。

 

「――っ!? おい、こいつまさか!?」

 

 間抜け五人組もおれと同じ噂を聞いていたらしく、その渾名を上ずった声で叫ぶ。

 

「『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』! 間違いねぇ! こいつは『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』だ!」

 

 ――黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルス。()賞金首のガウチョ。

 今は恩赦を受けて堅気に戻ったはずだが、ファコンと投石、そしてコボルトならではの鼻の良さを武器に暴れまわった筋金入りのアウトローだ。今は賞金首でないから、おれにとっては過去の男であって、だからこそ思い返すのに時間がかかったわけだ。

 そのコボルトにしては珍しい黒毛と、他の種族に比べるとあからさまに小さな体躯より黒い蟻(オルミガ・ネグラ)と呼ばれるが、しかしこの黒蟻は牙に毒を持つ恐ろしい怪物だ。舐めてかかったヤツラは、みんな地面の下だ。

 

「――ほんとうだ! まちがいねぇ、黒い蟻(オルミガ・ネグラ)だ!」

「マジかよ!? 冗談はよしてくれ!?」

 

 自分たちが無自覚に喧嘩を吹っかけた相手が、何者であったかを知った愚か者どもは、今更ながら恐れに顔を歪め後ずさる。相対する黒いコボルトが持つものと同じ得物を背中に差しているのも忘れて、ただただ恐れおののく姿はガウチョらしからぬ哀れさだった。

 

「抜け」

 

 これまでずっと無言だった黒い蟻(オルミガ・ネグラ)が、平坦な声で言う。

 素手の相手をナイフで殺すのはガウチョの流儀に反するからだろうが、しかし数で勝るはずの馬鹿五人は意味のない喘ぎを漏らすばかりで、まるでなすすべを知らない。

 

「抜け」

 

 やはり平坦な声でクルスが呼びかけるのに、阿呆五人は互いの顔を見合わせ、遂に真ん中の奴がおずおずと進み出ると、へつらいの笑みを浮かべながら

 

「いや、俺らも、まさか相手があの有名な黒い蟻(オルミガ・ネグラ)とはつゆ知らず……あんたの相棒を馬鹿にしたのは謝ります。謝りますから、どうかご勘弁を――」

 

「抜け」

 

「後生です、後生ですぜ! そうだ! 今日は給金の支払日で、財布も温かいから、何とかこれでご勘弁――」

 

「抜け」

 

「ま、待ってくだせぇ! あんた相手にナイフでやりあっても殺されるだけでさぁ! 悪口は謝ります! 金だってだします! だから何とか許して――」

 

「抜け」

 

 しかし黒いコボルトは、なんと言われようと抑揚のない声でこう返すのみ。

 コボルトは人やエルフなんかに比べると毛で表情が解りにくいのだが、そのファコンの切っ先には、隠しきれない殺気が宿っている。間違いなく、このコボルトには愚かな田舎者共を許す気はない。ガウチョは名誉を重んじる生き物で、それを穢されたと感じれば躊躇なくファコンを抜き放つが、相棒であろう、あのオーク野郎の名誉のために黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルスはそれをした。

 

 名誉――オーク野郎の名誉。

 オーク野郎に、名誉だって?

 それは、この上なく、悪い冗談だ。

 

 無口だが、母の亡くなった家で、愛情深く育ててくれた親父。

 そんなおれの面倒を見てくれた、まるで肉親のような隣のアズラの所の兄貴。

 ひょうきんで世故に長け、色んなことを教えてくれた、斜め向かいのエリフ爺さん。

 

 みんな殺された。

 嬲り殺された。

 あの、オークの山賊どもにだ!

 

 ――おそらくは、ジンなど飲んだのが悪いのだ。

 酔いが、嫌な思い出を呼び起こし、頭のなかでぐるぐると回りだす。

 魔女が煮詰める鍋のなかの毒液みたいに、心のなかで憎しみが膨れ上がり、濃さを増す。

 

「おい」

 

 おれは、言ってから後悔した。

 酔いが自制心を外していなければ、間違いなくこんなことはしなかった筈だから。

 だが、おれは横から口を挟んでしまった。馬鹿野郎どもが、そして黒い蟻(オルミガ・ネグラ)がおれのほうを見る。

 

「そこまでにしとけ」

 

 喧嘩に口を挟んだ以上は、もう腹をくくるしかない。

 鉈刀(カットラス)の柄頭に右の掌を当てながら、俺は立ち上がる。

 左手のほうでは、まだ中身の残ったジンの瓶の、その細い首を握る。

 

「――邪魔する気か?」

 

 細く低い声でクルスが言うのに、おれは答えず徐々に距離を詰めていく。

 静かにカットラスを鞘から抜き、右手にだらりとぶら下げる。

 

「そいつらの言うとおりだぜ」

「なに?」

「確かにテメェの相棒は臭ぇんだよ。鼻が曲がりそうだぜ」

 

 挑発を交えながら、間合いを詰める。

 酒場の喧嘩や決闘においては飛び道具はご法度だ。素手か、刃物か、あるいはその場にあるものでやる必要がある。

 

「……吐いた唾は飲めねぇぜ」

 

 やつは言いつつ、背中を馬鹿どもにとられないように、立ち位置を変える。

 なるほど、やはり歴戦の古ガウチョだ。あんな馬鹿ども相手にも、気を抜くようなことはしない。

 

「それはこっちの台詞だぜ。かかってこいよ――」

 

 刃物を使った勝負なら、おそらく向こうに分があるだろう。

 おれはあくまで射手であって、短刀(ドス)使いじゃあないからだ。

 ならば、知恵を使って、ヤツの優位を奪うまでのこと。

 

「――犬っコロ」

 

 おれは、コボルトが言われるのを一番嫌う呼び名を投げかける。

 黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルスは、何事も返さず、ただ眼を細めた。

 歴戦のガウチョだけに、怒りにかられ、安い挑発にのって仕掛けてくるようなことはしない。それでも、ヤツはおれに対する殺意を固めた筈だ。必ず、向こうから仕掛けてくるだろう。それを、おれは迎え討つまで。

 

「……」

「……」

 

 おれとクルスは、無言で見つめ合う。

 ヤツは肩にかけていたポンチョを左手に巻きつけ突き出し、長いファコンの刃をその後ろに隠す。典型的なガウチョの短刀(ドス)使いの構えで、左手のポンチョは時に盾に、時に目くらましにと、多様な役割を果たす。

 おれは半身の構えをとると、手首を返してカットラスの刃が上に向くようにかざした。敵の刃を受けるための防御の型だが、我が身で隠した左手に握ったジンの瓶は、いざというときの隠し玉にとっておく。投げつけることもできるし、一撃分ぐらいは盾の代わりもするだろう。向こうからすれば、刃以上にこっちが気にかかるかもしれない。

 

「……」

「……」

 

 おれとクルスは、なおも無言で見つめ合う。

 お互い戦いに手慣れているから、うかうかと仕掛けるようなことはしない。

 こういう場合は、先に我慢ができなくなったほうが負けるようになっているから、尚更だ.

 

 馬鹿なひよっ子ガウチョどもに、酔いつぶれていたはずの他の客たち、給仕の婆さん、しまいにゃこういう時仲裁すべき酒場の親父までもが、おれたちの立ち会いを固唾を呑んで見守っている。

 

 ああ、糞。

 なんでおれは、こんなことをやっているんだろう。

 こんな馬鹿どものために、短刀(ドス)使いと命を張って決闘に興じるなんざ、まるでおれまでガウチョになったみたいだ。馬鹿げてる。馬鹿げてる。あれもこれも、全部ジンが悪いのだ。

 

 そんなことを胸の内でボヤきながらも、眼は一瞬たりともクルスの野郎からは逸らさない。

 やつもまた、それは同じであって、動きには隙ひとつ見えやしない。やはり、易からざる敵だった。

 

「……」

「……」

 

 殺気に満ちた嫌な沈黙はなおも流れ、来たるべき刃と血の時を待つのみ。

 もしもこのまま対峙を続けていたならば、必ず、そうなっていたことだろう。

 

 そうはならなかった。

 鳴らされたのは刃のぶつかり合う音でもなく、肉が裂け、血が流れる音でもなかった。

 

 不意に響いたギターの音に、おれもクルスも思わず鳴る方を見る。

 そこで、世にも珍しいものが目に入る。

 

「――喧嘩は渡世に咲いた華。されど今はまだ、その時節に非ざれば」

 

 今までずっと、沈黙を守ってきたオーク野郎だった。

 その膝の上には、使い古されたギターがのり、弦にはオークならではの太い指がかかっている。

 

 オークが、ギターを?

 あの野蛮野卑で風情を解さぬ、下卑下劣なオークが?

 音楽を?

 

「ならば奏でよう、今宵に相応しい歌を。静かな夜に、相応しい歌を」

 

 おれの戸惑いをよそに、オーク野郎はギターを奏で、歌った。

 

 

 

 酒香り、くゆる

 星もなき、夜よ

 鳥さえも、鳴かぬ

 素晴らしき、夜よ

 

 ならばこそ、歌う

 静かなる、歌を

 ならばこそ、歌う

 静寂(しじま)なる、歌を

 

 

 

 オーク野郎は、静かに奏で、歌う。

 八音節四行からなる歌は、典型的な即興詩(コプラ)の様式で、韻も踏まれ見事な調べだった。

 その緩やかな音と声を聞けば、自然と蟠っていた殺気も消えて、気づけばおれも含め、みな聞き入っている。

 おれもクルスも無意識のうちに刃を下げてしまっていて、もう戦うような空気でもなくなった。

 一曲終わる頃には、もうさっきまでの殺伐とした気配が嘘のようになる。

 

「……」

「……」

 

 オーク野郎と目があった。 

 およそオークらしくない、穏やかで、凪の湖のような瞳がそこにある。

 

「――っっっ!?」

 

 形容し難い敗北感が、胸を突く。

 いたたまれなくなったおれは、酒場の親父に銀貨を投げつけると、足早に立ち去ろうとする。

 扉に手がかかったところで、振り返りもせずに、オーク野郎に問う。

 

「名前を、聞いておこう」

 

 すかさず、ヤツは答えた。

 

「フィエロ。歌唄い(パジャドール)のフィエロだ」

「フィエロ、か」

 

 その名前を噛み締め、おれは敷居を跨いで外に出た。

 

「もう二度と、その面は見たくないぜ」

 

 最後に、そう言い捨てながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外で寝ていたスューナを起こして、人気のないパンパのど真ん中でジンを呷る。

 久方ぶりに酔いつぶれたおれは、スューナを枕代わりにして眠りへと逃げ込む。

 オーク野郎、フィエロとかいう野郎の、あの眼。

 あれを忘れたくておれは、とにかく酔い、とにかく寝入る。

 

 夢と、いずれコスタグアナで始まる新たな仕事が、嫌な気持ちを忘れさせてくれると、そう信じて。

 

 だが、そうはならない。

 今はまだしらないが、おれは再び、あの二人組に相まみえることになる。

 しかも望みもしない長い付き合いが待っている。

 

 そのことをパンパの真ん中で、夢へと落ちていくおれは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 エスタンシアに集えば、物語は動き始める

 

 

 ――コスタグアナ。

 

 大河の源流に位置し、白いグアナの花――この国固有の種で、白く美しい花だ――溢れる河岸(コスタ)が湛える麗しの国。商業と魔導に秀でた、この大陸には稀な落ち着いた情勢の国。

 

 おれは、そんな国へとひさしぶりにやってきた。

 

 国の安定度と反比例して賞金首の数は増えるのだから、おれにはこのコスタグアナは縁遠いのも道理なのだが、それを差し引いてもあまり何度も訪れたい国ではない。特にその首都であるスコーラは特に居心地が悪い。そのことを、改めて思う。

 どの道も定規で引いたように真っ直ぐで、建物は残らず不自然なぐらいの純白。総てが幾何学的に正しい造りになっているが、それは余りに整いすぎて、雑多混沌に馴れたおれには、おれがここに居ること自体が場違いに思えてくる。実際、綺麗な衣装に身を包んだスコーラの住人のなかにあって、あからさまに無頼漢なおれはこの上なく浮いていた。

 偉大なる魔術師にして碩学のユゼフ=コジェニョフスキ=リビエラ=フランシア博士を統領と戴く、いずれも博学無比なる魔術師たちが治める寡頭制共和国――それがコスタグアナだ。いくつもの大学が立ち並ぶスコーラの街は別名『象牙の塔(トーレ・デ・マルフィリ)』であり、恐ろしく浮世離れしている。つい昨日までパンパのただなかで雑魚寝していたおれからすると、この整い過ぎた町並みは現実感が無い程だった。

 三角形と四角形と五芒星と六芒星、そして八角形を組み合わせて造られたうず高くそびえる大学の前を通った時、その周囲を囲む壁に書かれた落書きがふと目に入った。

 

 ――QUOD UBIQUE、QUOD SEMPER、QUOD AD OMNIBU CREDITUM EST

 

 白い石壁に、ご丁寧に良く映える赤で書かれた一節は、魔法を学んだ者ならば誰もが知る古い言葉だった。

 

 ――『何時(いつ)にても、何処(いずこ)にても、常に在りて、常に在ると全人に信じられしもの』

 

 ふと、懐かしい声が脳裏を過る。

 思い起こされるはサルマンティカの街路、その中に紛れ込むように在った薔薇十字会大学の見えざる学舎。

 『あの男』と並んでおれの人生を決定づけた、もうひとりの先生(・・)。確かにあって、しかし目には見えぬ神々や精霊たちを信じ通じ合い、その力を借り受ける自然魔術(マギア・ナトアリス)の基本原則にして奥義たる一節……それを謳い上げるハスキーな声がおれの中だけで響き渡る。

 

 感傷を振り払い、足早に通り過ぎる。

 

 そもそも、この街には元よりさして用は無いのだ。単に食料と飲み物を買い足すために立ち寄っただけで、依頼主の居場所は別にある。

 

 スコーラを出て街道沿いに進めば、すぐに田園風景がおれを出迎えた。

 コスタグアナのような国でも田舎の様子は他国と変わりなく、大地主達の大荘園(エスタンシア)が立ち並んでいるのはパタゴニアとも同じだ。スューナに跨り道行けば、生け垣に畑に果樹園が延々と続く。

 今度の仕事の依頼主が居るのも、こんな感じの大荘園(エスタンシア)であるそうだ。見逃さぬよう、所々の標識を注意深く見ながら、おれは進み、そして辿り着く。

 

「――」

 

 そこで、思わず言葉を失った。

 大荘園(エスタンシア)自体はこれまでも何度も見たことがあったが、これほど巨大なものは初めてだからだ。

 

 どこまでも続く生け垣に、立派な金属と石の門。そこには立派な表札があり、依頼主の家名が堂々と金文字で掲げられている。生け垣は青々として、石門には欠けひとつなく、表札には錆ひとつとてない所を見るに、よく手手入れさせている(・・・・・)のが解る。早々客が頻繁に来るわけでもないあるまいに、この様子だとほぼ毎日欠かさず綺麗にしているようだった。

 門番はいなかったので、黙って門を潜る。無舗装の道がどこまでも続き、目当ての屋敷はまるで見えてこない。

 道の左右は途切れること無い葡萄畑で、木々の間に農夫達の姿が見え隠れする。こっちを見向きもしないが、別にここの連中が特別愛想悪い訳じゃない。大荘園(エスタンシア)は大地主が大勢の小作人や農奴を使って大農業をやる所だ。安い賃金で馬車馬のように扱き使うことだけが儲けの早道と信じる地主は多く、結果、この手の大荘園(エスタンシア)で働く百姓連中は、決まって貧乏暇無しなのだ。

 

 そしてなにより、怖い怖い農夫頭の用心棒(カパンガ)が見張っていると、この手の大荘園(エスタンシア)では相場が決まっている。少しでも怠けた見られれば、死ぬほどに痛めつけられる破目になる。

 

 実際、全体を見渡せるよう葡萄畑の真ん中に聳え立つ櫓の上には腕くんだ用心棒(カパンガ)の姿が見えた。

 大荘園(エスタンシア)の農夫たちを監督し、不満と賊徒を暴力で制すために、この手の場所では必ず用心棒(カパンガ)を雇っているが、ここではリザードマンがその役割を担っているらしい。

 おれより頭一つぶんは大柄な、筋骨隆々たる体躯。袖なしの革胴衣をまとい、恐ろしく分厚い蛮刀を吊るしたリザードマンは頭に二本の角を生やし、その右側は半ばで折れていた。その容貌はドラゴンめいていて、おれの知るリザードマンたちのなかでも最も威厳に満ちている。

 

『――』

 

 ふと、そのリザードマンの用心棒(カパンガ)と目があった。

 金の眼、縦に裂けた黒い瞳がおれ見据えるさまが、灰色の双眸にはよく見えたが、そこに籠もる感情までは読み取ることができない。なにせ他種族からすればリザードマンには喜怒も哀楽も無いのではないかと誤解するほどに、表情に動きがないのだ――連中に言わせると、決してそんなことはないのらしいのだが。

 

『――』

「――」

 

 互いに見つめ合っていたのは僅かな時間で、やっこさんは興味を失ったのかプイと視線を別の方へと向けてしまった。あるいは、おれが来ることを主人から聞いていたのかもしれない。おれのやつへの関心もすぐに失せて、再び葡萄畑の間の道をただただ進む。

 うんざりするほど変わらない景色を経て、ようやく葡萄畑を抜けたかと思えば、今度は羊囲いが延々と続いている。家畜特有の臭みと、メェメェと煩い鳴き声が合わさって、心底うんざりさせられる。

 

 だがそれを堪えてスューナを進ませれば、ようやくようやく、目当ての館が見えてきたのだ。

 この手の大荘園(エスタンシア)には、典型的な領主殿の館だった。赤煉瓦の色も鮮やかな、二階建ての幅広い造りで、所々に装飾用の尖塔が散りばめられている。噴水を擁する前庭の向こうに、二階のベランダが見下ろす入り口は開けている。

 スューナを立木に繋いで、敷居を潜ろうと考えていた所で、そのベランダからおれを窺う視線に気づいた。

 

 いかにも魔女然とした女が、おれを見下ろしている。

 腰まである黒い長髪、庇の大きなトンガリ帽子、体をすっぽりと覆う烏羽玉の黒、そして明らかに何か力を秘めた銀鎖で下げられたアミュレットに、謎めいた紫色の眼光。

 女はニヤニヤと、嫌な感じのする笑みを浮かべながら、おれを見ていた。

 本当に嫌な笑みだった。背中に、なんとも形容しがたい不快感が走り、顔を思わずしかめる。

 おれは帽子の庇を下ろし、やっこさんから顔を隠して敷居を潜る。あれが、依頼主でないことを祈りながら。

 

 

 

 

 外観から受ける印象に反し、内装は思いの外に質素で、置いてある家具も飾り気がない。だが窓という窓は開け放たれて風が吹き抜け、外の明るさと、中の暗さのコントラストが美しく、壁の白い漆喰がそれを引き立てている。恐らくは赤い外壁は大地主として周囲を圧するが為のものでしかなく、この内装こそが館の主本来の嗜好なのだと感じる。

 初老の人間が、黒尽くめの姿でおれを出迎えた。男は執事であると名乗り、客間へと案内する。

 おれの推測は当たっていた。二階の客間もまた、控えめそれでいて上品な作りで、白い漆喰壁にニスで黒みがかった板床に、家具も床と似たような色で揃えられている。やはり窓は総て開け放たれ、白いレースのカーテンが風にそよいでいた。

 

「こちらでお待ち下さい。お客様が揃われましたら、主人が参ります」

 

 それだけ言って、執事は立ち去った。

 ぽつりと、客間に残されるおれ。

 

 ――招かれたとは言え所詮は賞金稼ぎ。

 一応は客だというのに、茶すら出されないのには閉口する。

 

 おれは適当な壁に背中を預けると、暇つぶしに部屋の様子をつぶさに窺った。しかしこういう場合について言えば、控えめで上品な部屋の造りは却って逆効果で、すぐに飽きが来てしまう。

 部屋には扉がふたつあり、ひとつはおれが入って来たほうで廊下へと繋がっており、もうひとつは別の部屋へと通じているらしい。恐らく、依頼人が出てくるとしたら、向こうのほうだろう。暫くそのドアを見つめていたが、無地の白い扉を見続けていても面白くもなんともない。すぐに退屈になって部屋の観察を再開した。

 気取った調度品などまるでない部屋なのだが、しかし、ひとつだけ例外があることに気がついた。

 陰の下にあって見落としていたが、壁に一枚の肖像画が掛けられていたのだ。部屋の雰囲気から浮いた金の額縁に入ったキャンバスに描かれているのは、(いかめ)しい顔をした老人だった。

 後ろへと撫で付けた銀髪、鋭い目つき、太い眉、固い皺走る顔、きつく結ばれた口元、頬まで伸びた立派な口髭、そして特徴的な鷲鼻。身をつつむのは漆黒の衣装で、剛毅という言葉を形にしたかのような顔に相応しい一張羅だった。装飾らしい装飾と言えば、首に下がる金のネックレスぐらいのものだった。

 

「――アロンゾ=アッテンドロ=メディオラヌム」

 

 この老人は誰なのだろう――そんなことを考えていたおれの背中へと、名が告げられる。

 振り返れば、無礼は承知だが、思わず顔をしかめてしまった。そこにいたのは、さっきバルコニーからおれを嫌な笑みとともに見下ろしていた魔女らしき女だったからだ。例のもうひとつの扉が開いている。あそこから入ってきたらしい。

 

「この大荘園(エスタンシア)の先代領主さね。この館を造った男でもある」

 

 聞いてもいないのに、女はニヤニヤと講釈をくれた。

 しかめ面を見られぬように顔をそらすが、歩み寄って来た女はわざわざおれの顔を覗き込んでくる。

 なんだ、コイツ。嫌な女だ。

 

「プレトリウス。アルカボンヌ=プレトリウス。薔薇十字会大学に学んだ魔女。しかして今はこの館の客人よな。貴公と同じく」

 

 その紫の瞳は底知れない深さを湛え、見ていると引きずり込まれそうになる。

 おれはまたも目をそらして肖像画へと視線を向ける。

 

「貴公と我を喚けるは、故アロンゾ老の一人娘ぞな。当代の館の主よ。この客間にこの肖像画を据え付けたのも彼女よな」

 

 随分と妙な口調で喋りやがる。猫撫で声は神経に障る。

 すぐにでもここから立ち去りたいが、しかしこの女は気になることを既にふたつも言った。

 

「お前も、ここの主だって女に雇われたわけか」

「まさに然りなりや」

 

 アルカボンヌとかう魔女は大仰に頷くと、なぜかその場でくるくると廻りだす。……意味が解らない。

 魔女という輩には変わり者が多いが、この女もその例に漏れないらしい。

 

 ――『「何しようぞ、くすんで 、一期(いちご)は夢よ、 ただ狂え」だ。古人の言葉だが、当世にも通ずるモノであり、魔導に生きる者の本懐でもある。隠れたるモノ(オクルタ)(あきら)かにせんと欲すなら、多少の狂気は当然のこと。むしろ君は些か真面目に過ぎるな!』

 

 脳裏に響き渡るのは、この女と同じ薔薇十字会大学で教授をしていたもうひとりの先生(・・・・・・・・)のこと。まぁ薔薇十字会大学は薔薇十字会の勢力が及んだ各地にあるから、同じ学び舎にいたとは限らないんだが。

 

「なにせ報酬が破格よな! 魔導に生きるものには人一倍銭が要りようならば、断る理由もないぞよな!」

 

 相変わらずくるくる廻りながらケタケタ笑う魔女に向けて、おれは最早隠すこともない胡乱な眼を向けた。

 今度の仕事は「人狩り」である。いったい、こんな魔女が何の役に立つというのか。雇い主の意図が読めん。

 そうおれのような賞金稼ぎや、歴戦のガウチョを雇うならともかく――。

 

「――こちらでお待ち下さい。お客様が揃われましたら、主人が参ります」

 

 思考を破ったのは、おれに投げかけたのと内容ばかりか声の調子まで寸分変わらぬ執事の声。

 どうやら、おれと魔女以外にも雇われびとがいたらしく、さてどんなやつかと扉のほうを見れば――魔女相手にやったのとは比較にならない、この上ないしかめっ面が顔に浮かぶ。だがそれは、おれの顔を見た相手のほうもまた同じことだった。

 

 当然だろう。

 ほんの昨晩、酒場で下手すりゃ命のやりとりになっていたかもしれない同士なのだから。

 

 執事に案内されて新たに現れたのは、コボルトとオークのガウチョ二人組。

 すなわち、黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルス、そして歌唄い(パジャドール)のフィエロの二人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 重苦しい空気が、客間に満ちている。窓は総て開け放たれているのに、換気がなされることはない。

 客人は揃って黙し、誰一人声を発する者もなく、ただただ時間が緩やかに流れている。

 執事は、例の古ガウチョ二人組に加えて、もう一人のドワーフの男を連れて来たから、ここに今いるのは五人の雇われ人……つまり、おれ、魔女のアルカボンヌ=プレトリウス、ガウチョのクルスとフィエロ、そして最後に来たドワーフの男だ。

 ドワーフ男は、テオフラストゥス=デジデリウス=パラシオスとか、長ったらしくて噛みそうな名前だそうだ。天帝(デウス)に仕える司祭であるらしく、頭には黒い僧帽を、身には黒い詰め襟の司祭服を纏っている。どうでもいいことだが、ドワーフ特有の背は低くともガッチリした体つきをしているためか、太い首がカラーで締め付けられてひどく窮屈そうだった。白髪白髯いずれも生い茂り、恐らくは真鍮でつくった金縁のメガネを大きな鼻に引っ掛けている。ドワーフはエルフ同様、長命な者も多いが、この男もかなりの歳と思われた。

 

 それにしても、だ。

 賞金稼ぎにガウチョは解るが、痩せて貧相な体躯の魔女に、爺様司祭……これは本当に「人狩り」の依頼なのかと、疑問ばかり湧いてくる。

 

 だがその問いに答えてくれる者もいない。

 

 執事は相変わらず用事が済めば即引っ込んでしまうし、おれとガウチョ二人の間には嫌な緊張感が漂っていて、互いに気が抜けず、魔女はと言えば窓から身を乗り出して何やらぶつぶつ言っているし、ドワーフの司祭は我関せずと分厚い本に没頭している。

 おれは心を鎮めるべく、歯輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)のぜんまいを回すT字型の金具を手の中で弄ぶが、気持ちは一向に改善しない。相対する位置を陣取る二人組、特にクルスのほうも、足踏みして苛立ちを全く隠そうともしない。

 

 もてなしもなく、雰囲気も悪い。

 そろそろ我慢も限界――などと考えいた所で、扉が開け放たれる。

 

「――お待たせ致しましたわ」

 

 例の執事に先導されて現れたのはひと目で、この客間に先代の肖像画を据え付けたという当代のお嬢様はコイツだと解るような、やんごとなき御方(・・・・・・・・)。――いやもう、一目瞭然という言葉は、このお嬢様のためにあると言っても過言ではないぐらいだった。

 

 壁に掛けられた肖像画の、その金色の額縁と同じ様に、全てがこの屋敷と不釣り合いというか、とにかくこのお嬢様の何もかもが浮いていた。

 

 左右に下がった二房の金髪――金貨よりも眩い輝きを放っている――はどちらの螺旋状になっており、根本は深紅のリボンで留められている。鋭い目つきや太い眉、鳶色の瞳は先代譲りと見えるが、鼻筋は通っていて顔立ち自体に(いかめ)しい所はまるでない。むしろ童顔と言っても良い。そしてその童顔から印象に反して、その肢体は既に大人の女のもの、特に乳房は豊かに実り、胸元のはだけたドレスがそれを強調している。ドレスは血のような深紅で、その上には金糸で刺繍が入れられている。過剰なまでに豪奢で、これもまた屋敷の内装とまるで調和せずに、恐ろしく浮いて見えた。

 

「もてなしもできず御免遊ばせ。でも、こちらも少々立て込んでおりましたし、なにより、まだ貴方がたは我がお客人と決まった訳ではありませんので」

 

 おれの不躾な探る視線を不快に思ったか、お嬢様は顔を扇子で覆い隠しながら言う。

 

「客人じゃない? そっちから呼んでおいて、随分な言い草だな」

 

 おれが皮肉っぽく言えば、お嬢様の背後から二人の男がずいと出てきてその左右を固め、威圧してくる。

 一人はこの屋敷に来るまでの間に見かけた、例のリザードマンの用心棒(カパンガ)で、もうひとりは見知らぬ若い男だった。ウェーブのかかった茶色い髪の、薄いヒゲの生えた陰気な顔立ちの若者だった。だがその頬に走る大きな刀傷や、ややガニ股気味の立ち姿から察するに、こいつは軍の騎兵上がりだろう。その証拠には腰には長剣を吊るしているし、まるで自然体にその柄頭には掌がのせられている。……おれの見立てでは、かなり使う(・・)。こういう狭い場所では、仮に戦ったとしてもこいつの方に分があるかもしれない。

 

「当然ですわ。依頼を受けたならばまだしも、契約が成立するまでは、我らは単なる他人同士。仮に臆病風に吹かれたというならば、その時点で即刻、この屋敷から出ていってもらいますので、そのつもりで」

 

 彼女は、二人の用心棒の間を通って、適当な椅子に腰掛け言う。流石は大農園の大地主だけあって上品な仕草だが、同時に、その所作には隠しもない傲慢さも溢れていた。

 

「改めまして……私はアントニア。私はアントニア=メディオラヌム。このロンバルド地方を遍く統べる大荘園(エスタンシア)の領主」

 

 アントニアと名乗ったお嬢様は、おれたちに席を勧めるでもなく一方的に話し始めると、品定めするような目つきで五人の来訪者を見渡した。

 

「既に書面で伝えました通り、あなたがたには来ていただいたのは他でもない、ひとつ御仕事を引き受けて頂きたいからですの」

「『人狩り』と書いてあったが?」

「ええ」

 

 おれの問いにアントニアは大仰に頷くと、今度はじっくりとひとりひとり顔を見ながら、その名を呼ぶ。

 

「稀代の賞金稼ぎにして射手、青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)

 

 まずおれ。

 

「ガウチョでは大刀(ファコン)を使わせて右に出るものなし、黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルス」

「ギターの名手、玄妙なる調べには悪鬼羅刹も聞き惚れ鎮める、歌唄い(パジャドール)のフィエロ」

 

 そしてガウチョの二人組。

 

「薔薇十字会大学きっての才媛、早い足(ガンバ・セクーラ)のアルカボンヌ=プレトリウス」

「熾天使会大学教授、『驚異の博士(ドクトル・ミラビリス)』テオフラストゥス=デジデリウス=パラシオス師」

 

 最後に魔女とドワーフの司祭だ。

 なるほど、ドワーフ男は単に司祭というだけではなく神学の博士であったようだが、尚更人選が良くわからなくなる。

 

「いずれも私の求める分野の一流を選りすぐってお呼びいたしましたのは、このお仕事の容易ならざるが故……とにかく、並の人狩りと同じに考えないでいただきたい!」

 

 ……随分と勿体ぶった言い口だが、それだけの大事を頼むということだろうか。

 いずれにせよ、余程酷い仕事でもない限り、報酬次第で何でも受けるつもりではあるのだが。

 

「なにせ狩り立てるのは、スコーラの薔薇十字会大学でも随一の俊才とうたわれし魔術師――」

 

 アントニアは、そこで言葉を区切り、暫時を間を置いてから、意を決したように一気に言った。

 

「――我が兄、プロスペロ=“コンセリェイロ”=メディオラヌム。あの男は今、『大河の東(バンダ・オリエンタル)』にいます」

 

 かくして、疑問は氷解した。

 標的が魔術師で、しかもそいつがあの戦乱の地にいるとなれば、人選は一筋縄でいかない。

 かくして集められた者たちへ、令嬢はなにゆえに兄殺しを画策するに至ったか、その訳を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いた話を要約すれば――まぁおおよそ『よくある話』と言った所か。

 故あって逐電した兄、残された妹。どちらも偉大なる先代が晩年に拵えた、まだ年若い兄妹。兄の行方も知れぬまま――恐らくはもう死んでいるだろうと、この時は思われていた――くたばった先代の遺言に従い跡を継ぐ妹。だがこの手の大地主一家にはありがちなことだが、貪欲で声の大きな親戚連中には事欠かず、特に面倒だったのが先代の弟、つまり妹にとっては叔父にあたる男で――名はセバスティアンという。

 

 このセバスティアンという叔父がどこで聞きつけたか言うのである。

 逐電した兄はまだ生きているし、その所在も判明していると。

 

 これは妹――アントニアにとって実に都合の悪いことだった。なにせ兄が逐電したその訳というのが、大学で魔術を学んでいる時に怪しげな連中と付き合い始め、その連中の危険な革命思想を吹き込まれこれにどっぷり漬かり、騒擾を企てて未然に終わり、当局に追われたからというものだからだ。

 

 叔父セバスティアンは言う。

 

 そもそもこれほどの大荘園(エスタンシア)をこんな年少の娘が継ぐというのがおかしかったのだ。だが、先代の遺志を尊重して敢えて継がしめたわけだが、しかしこれは先代も不肖の息子プロスペロがもう死んでいると思っていたがため。だが、そのプロスペロが生きているとあれば、話は変わる。犯罪人といえど長兄は長兄。この大荘園(エスタンシア)の主たる資格がある。メディオラヌム家はここロンバルド地方の顔役、政府筋にも顔がきくし、いずれ恩赦も下ろうもの。ならばプロスペロが罪を精算し、無事当主に返り咲くまでは、誰か信用に足るものが代理人として大荘園(エスタンシア)を守らねばならぬ。

 

 その信用に足るものが誰かは言うまでもない。

 その信用に足るものはまず代理人として、ゆくゆくはなし崩しに領主の席へと居座ろうというのだ。

 

 はっきりいって叔父の言い分は難癖以外の何物でもなかったが、これに財産分与にあぶれた親戚連中が同調し、ひとまず当主の座を叔父に任せるべきだとほざき出したのだ。無論、叔父の目論見などお見通しのアントニアだが、しかし彼女が年少であり当主を継ぐには慣例に反するのも事実。だが、せっかく手に入れた地位を手放すつもりはさらさら無い。

 

 だとすれば彼女の取るべき手はひとつ。

 兄を探し出し亡き者にしてしまうことである。

 

 まぁ、世間体を考えてボカされたり比喩で語られた部分を補足すれば、こんな感じになるだろう。

 

 

 ――しかし、バンダ・オリエンタルか。

 

 

 アントニアの話を聞き終えたおれの脳裏に浮かんだ懸念は、まずそのことだった。あそこは今大絶賛内戦中であり、賞金首どもですらあそこには逃げ込もうとはしない。建前上は深紅党(コロラドス)白亜党(ブランコス)の二大派閥が政権の座を巡って争っていることになっているが、実際はより複雑で、大小百を超える武装勢力が雲集霧散合従連衡を繰り返しており、あまりの混沌に今どの勢力が優位なのかすら傍目には解らない有様だ。そんな所に逃げ込んで、いかに魔術に通じているとは言え命を全うしているプロスペロという男は、単なる大地主の御曹司というわけでもないということなのだろうか。

 

「兄は大河の支流のひとつが海へと注ぐ場所、三角州をなす島で、トラパランダと呼ばれる場所に居座り、そこの領主のような顔をしていると聞きました。これは実際に、この島へと補給のために寄港した商船の乗組員たちから聞き出したことですから、間違いはないのですわ」

 

 アントニアが兄について語る時、彼女自身は努めて隠しているつもりなのだろうが、抑えきれない声の震えがあるのをおれは感じ取っていた。怒り?憎しみ?それともやましさ?裏にある感情の種類までは解らないが、何か強い想いがあることだけは理解できる。

 

「兄は島の先住民、トウチョトウチョ人を手懐けて、その王が如く振る舞い、また内乱を逃れてきた流民たちが雪崩こみ、異様な有様になっているとも!」

「……故に、儂の出番というわけじゃな」

 

 ここで初めて、例のドワーフの学者先生が声を発した。外見からはまるで想像できない猫撫で声で、ふにゃふにゃとしてなんとも違和感が凄まじい。

 

「トウチョトウチョ人の言葉は独特じゃが、儂なればその全てを諳んじることが出来る。……儂としても、あの島には学究の徒として一度訪れたいと思っておった所での。渡りに船じゃな」

 

 要するに、ドワーフ先生の言っているのは依頼を受けるということである。

 いやにあっさりとした様子だが、あるいは既に依頼の内容を聞き知っていたのだろうか。この老人は著名な博士というし、アントニアも先に根回しは済ませていたのかもしれない。

 

「薔薇十字会大学きっての俊才の堕ちたる姿……その死に水をとってやるも、先輩の務めよな。この義挙に馳せ参ぜざれば、魔導に生きる者の名折れぞな」

 

 パラシオス師の言葉に便乗するように言ったのは、魔女プレトリウスだった。本人の言い分によれば元より報酬を理由に仕事を引き受けるつもりだったようだが、もっともらしい理由があったほうが格好がつくとでも思ったのだろうか。まぁいかにも、芝居がかった物言いを好みそうな顔はしているのだが。

 

「……」

「……」

 

 対してクルスとフィエロは黙したままだ。

 古ガウチョのコイツラは、そう易々と安請け合いなどはしないだろうとは思っていた。――それは、おれも同じだ。この手の個人的に持ち込まれた仕事は御大尽がたの身内のゴタゴタにまつわることが多いが、それだけに依頼人の言うことを鵜呑みにするとたいがい碌な事にならない。誰だって自分に都合の良いことしか他人には言わないもんだからな。

 

「アンタの兄貴だが……その恩赦とやらはまだ下ってないんだな?」

 

 まず気になる所をひとつひとつ問いただしていくことにしよう。

 クルスとフィエロの二人にやらせてもよかったが、ガウチョというのは寡黙と相場が決まっているからな。

 

「叔父はああ言っていますが、全く望みなしですわ! 愚兄がしでかしたのは、謀叛の企てなのです! 全く、どこまで家名を汚し、わたくしに苦労をかければ気が済むのか!」

 

 最初の問いに、アントニアは激昂し、扇子を壊れんばかりに握りしめている。

 だが言っている内容自体はともかくとして、そんなあからさまな怒りの様子は、おれには単なるポーズとしか見えなかった。あくまで悪いのは兄で、自分は被害者だと印象づけるためだろう。

 

「つまり……仮にあんたの兄貴を殺したとしても、お咎めはないってことで良いんだな?」

「その通りですわ。いえ……むしろ殺してもらったほうが都合が良いぐらいですわ」

「コスタグアナの政府は、兄貴に賞金はかけていないのか?」

「このコスタグアナには賞金首などという野蛮な制度はございませんわ。無論、報酬はわたくしが支払いますが」

「トラパランダとかいう島にあんたの兄貴は居座っているらしいが、相手方の手勢はどんなもんだ? 兄貴ひとりって訳じゃないんだろ?」

 

 このおれの問いに、アントニアは一瞬逡巡し、即座に扇子で表情を隠した。どの程度まで情報を出すべきか――思案する顔を見られたくなかったのだろう。だがその仕草自体が、今度の標的が容易い相手ではないことを何より物語っている。

 

「船員たちが言う所によれば、兄はトウチョトウチョ人からは神が如く崇められ、また島に逃げ込んだ難民共をたぶらかし、『助言者(コンセリェイロ)』などと呼ばれてもいるとのこと。ただ、所詮は蛮族に難民、この者たちは大した驚異にはなり得ませんわ。問題は――」

 

 扇子の向こう側、隠された表情のなかで僅かに見えるその視線が、泳いだのが見えた。

 余程言いたくないのか、しかし隠すこともできないと観念したのか、重々しく彼女は語る。

 

「問題は、兄が用心棒としてか、常に傍らに置いているという男。この男がどうもあの――」

 

 またも言葉を途切れさせ、随分と勿体ぶった様子に、おれは若干の苛立ちを抱いたが、しかし次に彼女の口から飛び出してきた言葉に、そんな些細な感情は消し飛んでしまった。

 

 

 

 

 

「あの『鎧の男』だということなのですわ」

 

 

 

 

 

 白状しよう。

 正直な所、おれは今度の仕事は受けないつもりでいた。

 最初こそ報酬につられて乗り気だったが、財産の絡んだ身内殺しの片棒を担がされるのは気が進まないし、何より仕事の同僚にオーク野郎がいるだなんざ、願い下げもいいところだったからだ。

 

 だが、気が変わった。

 

 報酬だとか、同僚だとか、そんなことはもう全部些事だ。

 仕事場所がバンダ・オリエンタル――内乱の深紅の大地であることも、標的が魔術師であり、大勢の手下どもを引き連れていることも、もうどうでも良かった。

 

 あの『鎧の男』が、そこにいる。

 それだけで、おれがこの仕事を引き受けるのは充分な理由だった。

 

 おれは、やつを探してこの新大陸までやってきた。賞金を稼ぐのも、やつを探すためだった。

 やつは神出鬼没で、どこにでもいるし、どこにもいない。まさに雲や霧を追うようで、砂漠に一粒の金を、あるいは藁の山に針を探すようなものだった。

 

 それが、遂にしっぽを掴んだのだ。

 『鎧の男』――もうひとりの先生(・・・・・・・・)を殺した仇。おれの探し求める標的。

 

 やつが、そこにいる。

 それだけで、充分だった。

 

 



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第4話 さぁ舵を取れ、闇の奥へと

 

 

 

 

 

 

 

 叫び鳥(チャハー)のけたたましい鳴き声に眼が覚める。

 

 昨日の夜みたいに蒸留酒(ジン)をやたらと呷ったわけでもないし、おれとしても単に体力の温存にとうたた寝していたに過ぎないから、瞼を開けばすぐに頭はハッキリとして、欠伸もなく伸びをひとつする。声の方を向けば叫び鳥(チャハー)の特徴的な姿が見て取れた。パタゴニアでもコスタグアナでも、そしてバンダ・オリエンタルでも割合有り触れた鳥だが、その名の由来たる一度聞けば忘れられない大声をしていて、こんな特異な声で鳴く鳥なんて、ウィップアーウィル夜鷹を除けばおれは他に知らない。向こう岸(・・・・)にはその叫び鳥(チャハー)の親子連れが呑気に歩く様が見える。

 

 

 ――そう向こう岸だ。

 おれと叫び鳥(チャハー)との間には、茶色の水が波を打ち、跳んで超えるのは遠慮したい程度には隔てられている。身を預けた甲板は穏やかながらも確かにある流れに沿って揺れ、合わせてチャハーの姿も揺れ動く。おれは今や船上の人だ。船というよりは(はしけ)と言ったほうが適当な、そんな小舟に過ぎないのだけど

 

 

 

 結局、おれを含む五人全員が、兄殺し(・・・)の片棒をかつぐことに同意した。

 

 

 

 まぁ、前金だけで金貨500エスクードも払うと言われれば、断るほうがマヌケだ。ちなみに仕事をやり遂げれば1000エスクード、兄を直接しとめた者には賞与でさらに500エスクードを追加する、お嬢様はのたまった。正直な所、おれとしては今度の仕事は、飽くまで個人的な目的(・・・・・・)を果たす上でのオマケに過ぎないから、報酬の多寡は正直どうでも良い。そうであっても、やはり貰えるものは貰うし、それは多いに越したことはないのだ。

 この報酬が提示された時は、古ガウチョらしく表情をほとんど動かさないクルスとフィエロの二人すら、文字通り目の色が変わっていた。上手く行けば総額2000エスクード……暫くは派手に遊んでも悠々と暮らせる勘定だ。

 

 おれは身を起こすと、枕代わりにしていた雑嚢の、その下に手をつっこみ、忍ばせてた片刃短剣(サクス)を引っ張り出す。この船の上には今度の仕事の御同僚と雇い主しか乗っていないのだが、それでも、この稼業を始めてから、片刃短剣(サクス)を忍ばせておかないとうかうかと寝れないのだ。ちなみにサクスというのはエルフ伝統の武器で、成人したと認められた時に、記念にと贈られる一品だ。オークのクソ野郎どものせいで身寄りをなくしたおれには、村の占い師の婆さんが代わりにこいつを贈ってくれた。占い師の婆さんの贈り物らしく、サクスの腹には霊験あらたかな神代文字(ルーン)が刻まれていた。そのありがたい文字列をひとなですると、鞘に納めて懐にサクスを忍ばせた。

 

 船は二十人乗り程度の小さなモノで、軽く見渡すだけでその全容を把握できる。その名はノストローモ号――意味する所は『船員仲間』だ――で、外輪式のゴーレム船だ。ゴーレム船とはその名そのままに、ゴーレムを動力源とする船であって、船の後部を見れば水気対策にタールを染み込ませた土仕立てのゴーレムが静かにクランクを回し続けている。船尾の水車状の外輪が回転し、船を前へと進める仕組みだった。ちなみにゴーレムの操作と調整はパラシオス師の仕事だ。あのドワーフの老博士が今度の仕事で雇われたのは、恐らくこのゴーレムの操作が任せられるのもあるのだろう。そうでなければ、いかに目的地の言語風俗に通じているとは言え、殺しの仕事にあんな爺様を雇う理由もない。

 

 ノストローモ号の操舵室は船首にあって、その操舵室の上はテラス状になっている。手すりが設けられ、天蓋がかけられている。おれの位置からは長椅子に見を横たえるアントニアと、大きな団扇を仰いで風を彼女へと送る生白い森エルフの女メイド――確かトリンキュラとかいう名前だった――の姿が見えた。なお、操舵室で舵をとっているのは、農夫頭にして用心棒(カパンガ)、リザードマンのエステバンだ。そう、あの片方の角の折れたリザードマンは、そんな名前であったのだ。

 

 ここからは見えないが、船の先端では例の陰気な顔立ちの若者が進行方向を見張っていることだろう。昨日の夜知ったことだが、彼の名前はフェルナン。アントニアの息子(・・)だ。……アントニアは十代で、フェルナンは二十代だ。なのに息子だなんて道理に反すると言いたい所だが、なんのことはない、フェルナンは養子なのだ。アントニアのような大荘園(エスタンシア)の領主殿には珍しくない話だが、子飼いの家来を養子にとって身内することがるのだ。例え繋がらずとも血は水よりも濃い。養子にとることで決して裏切らぬ家名の藩屏が出来るという訳なのだ。なお、昨日の夕餉の時に知ったのだが、フェルナンはおれの見立て通り騎兵上がりらしく、剣の達人とのことだった。

 

 

 

 ――夢ぞ人生は、 一睡に消える。哀れ人間は、束の間に、失せる。

 

 

 

 

 おれの思考を破ったのは、どこからともなく聞こえてきた歌声。魔女アルカボンヌの、嘲るような調子の歌声。気分が、頗る不機嫌になる。何せ魔女が耳障りな声で歌い上げるのは、歌唄い(パジャドール)のフィエロが昨日の晩に、夕餉の席で披露した曲なのだ。

 

 

 

 夢ぞ、人生は

 一睡に、消える

 哀れ、人間は

 束の間に、失せる 

 

 ならば、飲み干そう 

 胸躍る、酒を

 突いて、酌み交わす

 眠りなき、夜を

 

 

 

 相変わらずの八音節四行、見事な即興詩(コプラ)

 この世界を拵えた御方がた、天の神々のお心は杳として知れない。

 あんな太く醜い指に、神的詩人(オルフェ)が如き腕前を宿らせ、あんな野太い喉から、天使のような声を紡がせるとは。オーク野郎なんぞが、まさか芸術を産み出せるという事実を、おれは認めざるをえず、そのことが実にけったくそ悪い。

 当人はと言えば、相棒と隣り合って甲板に座り込みギターの手入れを熱心にしている。クルスのほうはと言えば愛用のファコンの刃を研いで、いつでも最大の殺傷力を発揮できるようにしていた。

 

 一晩を大荘園(エスタンシア)の豪奢なベッドで過ごしたあと――シルクのシーツのベットで寝る何ぞ、人生初めての経験だった――今朝は日の出と共におれたちは居心地いい館を後にして、スコーラの町へと向かった。そこでは先行したトリンキュラが手を回して既に準備万端のノストローモ号が待ち受けていて、すぐさま乗り込んで目的地へと、大河の末、内乱の大地のさなかの孤島、トラパランダへと漕ぎ出したのだ。

 

 

 船倉には葡萄酒と保存食を満載し、この程度の人数ならば向こう数ヶ月は大丈夫だろう。

 ただ真の困難は、バンダ=オリエンタルの情勢――大地を深紅に染める内乱だ。あの内乱の地を、この少数と一隻の船で潜り抜けようというのだ。注意深く息を潜め、静かに素早く進まねばならない。襲撃者も少なからずいるはずだ。おれのエンフィールドが火を吹くのも一度や二度では済まないだろう。

 

 だから愛銃を取り出し、手入れを念入りにすることにする。どの道、この船旅はバンダ・オリエンタルに入るまでは暇なのだから、その時間を無駄にする言われもない。

 槊杖を引き抜き、その先にボロ布を被せて銃身内を掃除する。機関部の螺子を外し、その内側へと油を差す。この油は潤滑油であると同時に錆止めでもある。知り合いの錬金術師に拵えてもらった特注製で、ひとたび差せば暫くは錆の生える心配は無用になる。このエンフィールドはあの男(・・・・)から託された、この世にただひとつの逸品だ。錆など、一片たりとも浮かせる気はなかった。

 

「面白い得物を使うよな、我らが死神殿は」

 

 耳障りな歌声が急に途絶えたかと思えば、頭上から嘲弄するような調子の声が降ってくる。

 思い切り顔を顰めながら見上げてやれば、やはりそこには嘲笑うような顔をした魔女がいる。アルカボンヌは紫眼を爛々と輝かせ、興味津々とエンフィールドを見つめていたのだ、慌てておれは愛銃を床に横たえポンチョで覆い隠してみせた。

 

「死神殿はいけずでありんす」

 

 遊び女の言葉遣いなどして、おどけた調子で魔女はケラケラと笑いながらも、その視線は緑の外套の向こう側の、エンフィールドへと注がれたままだ。目覚めていながら夢見るような瞳の色……こいつは危険な輝きだ。良き魔女であったもうひとりの先生(・・・・・・・・)もまた、時折こんな眼をしていて――無論、その美しさはアルカボンヌなんぞ比べ物にならないし、色も違っていた。先生の瞳はおれと同じ灰色だったのだ。先生曰く、灰色の瞳の持ち主は特別な運命を背負っていて、先生はそれを先生の先生、しかし先生よりも実は年少である大鴉のアラマとかいう大魔法使いに教わったらしい――些か話が逸れたが、要するにアルカボンヌは先生が時々していたのと同じ、白昼夢に酔った目つきをしていて、魔女たちがこの特有の目つきをした時は恐ろしく厄介な破目に陥るということを、おれはうんざりするほどに知っていた。

 

「――失せろよ。阿婆擦れに付き合うほど暇じゃねぇんだ」

 

 だからアルカボンヌの真昼の夢を醒ましてやるべく、おれは懐中に忍ばせていたサクスを抜き放ち、白刃を白日の下に晒す。無論、切った張ったをするつもりはなく単に刃を翳したというだけで、それは刃物を使う連中ならひと目で解る程度に、握りも力の入れ方も適当なことから瞭然のことだった。だが相手は魔術呪術妖術の類ならともかく、ナイフや拳の使い方などド素人な魔法使いなのだ。単に脅すだけならこれで充分だった。

 

 成程、おれのこの行いを見て、今から同僚として共に戦う相手になんと馬鹿なことを!と思う向きもあるだろう。だが、相手は魔女(・・)なのだ。迂闊に隙を見せたなら、尻の毛全部抜かれるだけでもまだ良い方で、下手すりゃ生き肝に魂まで抜き取られることになる。魔術魔法は『魔』の術であり法だ。それを学ぶには多少の狂気は当然のこと。ならばこちらが相手の狂気に備えるのも当然のことだ。

 それにこの女は所詮、今度の仕事のみの間柄に過ぎない。馴れ合うのはもとより考えにない。

 

「……恐らくは、自然魔術(マギア・ナトアリス)の諸原理を用いる得物よな。以前試作品を見た、石火矢(ボンバルダ)火箭(ピスタラ)なる武器にも似るが、それらよりもずっと高度なる仕組み――恐らくは錬金術しか、それに匹敵する技の持ち主が拵えしモノ」

 

 だがアルカボンヌにはサクスの刃などまるで見えていないらしい。

 この魔女が見つめるのはただ、あの男から託されたこの世界で唯一の得物のみで、腐っても薔薇十字大学に学んだだけはあり、たちどころにその性質を言い当ててみせる。それが余りに正確なので、流石のおれもどきりとした。

 

「されど如何に優れ隔絶せし得物であろうとも、その遣い手の業前が伴わねば無用の長物。ならばその遣い手は、その業前をどこで、誰より学び得たか」

 

 ここでようやく、アルカボンヌはおれを真っ直ぐに見た。

 

 

 

「――リノア=グラウコピス=コルヴォ」

 

 

 

 そして、その名を告げた。

 

 背筋が凍りつく、なんて言い回しがあるが、それはこの時のおれの為にあるかの様だった。

 なぜ、とか、どうして、なんて問いすらも出てこない。唖然呆然として、自失の体だった。いっぱしの賞金稼ぎとしては、あり得ない無様な有様。

 

 間違いなく間抜け面になっているだろうおれの面を眺めて、アルカボンヌは口角を吊り上げる。

 

「――ッッッ!?」

 

 魔女の顔に浮かんだ、表情を見て眼が醒めた。

 出し抜けに立ち上がり、左手で薄い胸ぐらを掴む。喉首にサクスの刃を突きつけ――る、だけでは不十分と思えて軽く切っ先を当ててやる。それでも、魔女の表情は変わることはない。

 

「どこまで知ってやがるテメェ」

「いやなにさ、大したことは知らんよ。それにな――失せろとも、阿婆擦れとも言われた手前だ。ここは仰せのままに立ち去らんとする所よな」

 

 おれは反射的に、掌へと力を込めていた。

 それはサクスの切っ先をもう少しばかり押し込んでやりたいという衝動を抑え込むためだ。さもなくば刃は皮を破り肉を突いて血を流させるだろう。流石にそこまでやるのはマズイと、理性の声が囁くのだ。

 

 

「そこまで、ですわ」

 

 

 だが理性に従うのも中々に難しくなってきたタイミングで、頭上から丁度良く制止の声がかかった。引っ込みのつかなくなっていたおれは、これ幸いにとサクスを引いて懐中へと戻す。振り返り仰ぎ見れば、いつのまにそこにいたのか、アントニアがおれたちのことを見下ろしている。欄干に手を載せ、ずいと身を乗り出せば、ゆさと魔女とは対照的な豊満な胸が揺れた。

 

「貴方がたはいずれも今は雇われの身、しかも容易ならざる仕事を請け負った身の上……まだ国境(くにざかい)を越えてもいない間から、揉め事は御免ですわ」

 

 雇い主の声で平静を取り戻したおれは、肩を竦めつつ言う。

 

「こいつは失礼。だが先に仕掛けてきたのは、この魔女のほうなんだぜ」

「左様なこと、わたくしの知ったことではありませんわ」

 

 アントニアは扇子を取り出し、顔を覆いながら強い調子で告げる。

 

「わたしは単に、大事を前にして小事で揉めるなということだけですわ。……仕事を終えた後ならば、どうぞお気に召すまま、決闘でも果し合いでもお好きなように。ただ、今は雇い主であるわたくしの言葉に従って頂きますわ」

 

 御令嬢の傍らには、おれですら気づかぬ間に影のように、フェルナンの野郎が控えている。その掌は腰に吊るした剣へとかかっていた。こいつは良くない構図だ。エンフィールドは床の上だし、恐らくおれが歯輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)を抜くよりも奴が抜剣するほうがずっと素早い。普通ならば剣の間合いではないが、フェルナンの剣は少々特殊だ。あのテラスの上からも、充分にやつの刃は届く。

 

「仰せのままに、御嬢様」

 

 おれは作法に則って一礼すると、エンフィールドを拾ってスューナのもとへと――彼も今度の仕事にはちゃんと連れてきていた――歩き出す。アルカボンヌの横を通り過ぎる時、流し目に睨んでやったが、しかし魔女は相変わらず嘲笑うような顔を見せるだけだった。

 

 ――まぁ良い。今は我慢だが、いずれ問いただすまでのこと。

 それだけは、絶対にせねばならないことだった。

 

 アルカボンヌが告げた名こそは、おれのもうひとりの先生(・・・・・・・・)、鎧の男に殺された彼女の名前であったのだから。

 

 

 

 スューナの毛繕いを手伝ってやるなどしている内に、時間は過ぎて船も進む。

 ノストロモ号の進度は緩慢で、さっきまでの緊迫が嘘みたいに、穏やかな時間が過ぎる。

 しかしこれもコスタグアナ領内までのこと。もうじき夜になるが、その時分にはちょうど国境(くにざかい)に差し掛かるだろう。そこを越えれば――後は闇の奥へと真っ逆さまなのだから。

 

 

 




登場人物が一挙に増えた上に、地名などもたくさん出てきたので整理してみました。



【登場人物】

エゼル……主人公。賞金稼ぎ。通称は青褪めた馬のエゼル(エゼル・ダス・モルテス)、あるいは灰色のエゼル(エゼル・グリス)

スューナ……大狼(ボルグ)。エゼルの愛狼。

フェイロ……オークのガウチョ。ギターの名手で歌唄い(パジャドール)

クルス……コボルトのガウチョ。黒い蟻(オルミガ・ネグラ)と恐れられるファコン使い。

アルカボンヌ=プレトリウス……薔薇十字会大学の魔女。人呼んで『早い足(ガンバ・セクーラ)』。

テオフラストゥス=デジデリウス=パラシオス……司祭にして学者。『驚異の博士(ドクトル・ミラビリス)』の称号を持つ。

アントニア=メディオラヌム……依頼人。ロンバルド地方随一の大荘園(エスタンシア)が領主。

エステバン……リザードマンの農夫頭。アントニアの用心棒(カパンガ)

フェルナン……元騎兵の剣客。アントニアの『息子』。



プロスペロ=“コンセリェイロ”=メディオラヌム……アントニアの兄で、標的。魔術師。

『鎧の男』……プロスペロの側近。エゼルの追う仇敵。



リノア=グラウコピス=コルヴォ……故人。エゼルのもうひとりの先生。『鎧の男』に殺される。




【地名・用語】

バンダ・オリエンタル……大河の東に位置する国。内乱に引き裂かれた深紅の大地。

パタゴニア……大河の西側に位置する国。広大な曠野(パンパ)を有し、牧畜と耕作が盛ん。

コスタグアナ……大河の源流に位置する国。白いグアナの花が咲き乱れる、魔法使い達の共和国。

スコーラ……コスタグアナの首都。『象牙の塔(トーレ・デ・マルフィリ)』とも呼ばれ学問が盛ん。

トラパランダ……プロスペロが居るという島。大河の支流が海へと注ぐ場所にある。

トウチョトウチョ人……トラパランダの先住民。

ガウチョ……荒野や草原で家畜の放牧を生業とする放浪民。パタゴニア、コスタグアナではありふれている。

ファコン……ガウチョたちが愛用する長い片刃のナイフ。





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第1幕 ゼイ・コール・“ハー”・セメタリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――世紀末の年、森深いアメリカのとある街にての話だ。

 

 

 

 

 雑踏の中を縫うように歩みながら、目的地を目指して歩む。寄り付いてくる蝿だの羽虫だのを払いながら、黙々と進む。基本住みよいこの街も夏の暑さだけはたまらない。じめじめとしているし、虫がやたらと湧くのが鬱陶しいのだ。まぁその虫が湧く所以こそ、この街が栄えている理由、スウィートウォーターという名前の由来となっている豊かな湧き水にあるのだから、余り文句を言ったもんでもない。

 昨夜の雨に泥濘む地面を、泥を跳ね飛ばしながら前進する。革のブーツが汚れるが、元より野山を駆け回っているが為に傷だらけ汚れまみれだから気にしない。幸い、ダンスホールだの日曜日の礼拝だの、身だしなみを整えて行かねばならないような所は今でも無縁だから、問題は全く無い。そもそもたまに街に降りてきた所で、行く所と言えば雑貨屋と銃砲店と新聞屋と銀行屋ぐらいのモンで、それもやることを済ませば長居をすることもない。

 

 些か時間をかけて、街外れまでやって来る。

 呼び出されたのは、酒場(サルーン)『サンダウナー』だった。このスウィートウォーターきっての大きな酒場でありながら、地元の人間はほとんど通うことはないという変わった店だった。

 

 もともとウェルズ・ファーゴの駅馬車が州と州とを跨ぐ時に、水だの何だのを補充する為にと拵えた中継基地が元になっていて、その立地の良さからそのまま鉄道の中継駅にもなっているのがこのスウィートウォーターの街だ。先に街があって後から駅が出来たもんだから、鉄道駅が元々の街の中心から外れた場所に立っている。故に駅の近辺は旅客向けの宿だの酒場だの雑貨屋だのが軒を連ねていて、『サンダウナー』もそんな余所者向けの酒場のひとつだった。つまり、ここでは数少ない街の知り合い顔なじみと出くわす確率は低いってこった。

 

 気の乗らない今度の呼び出しについて言えば、この点だけが唯一好ましいことだと言えた。

 無論、あの野郎も私がそう思うだろうことを予測してこの店を選んだのだろう。普段、私が引きこもっている山の上森の中の小屋まで出向くような殊勝な態度は、あの男には期待できない。

 

 はぁ、と、思わず溜息をつく。爺臭いので嫌なのだが、実際もう私の年齢は『オッサン』――エゼルやキッドにそう呼ばれていたのも、もう懐かしい思い出だ――をとうに通り過ぎてしまっている。日々の活計(たつき)たる狩猟のために野山を駆けずり回っているから、年齢を考えると極めて稀な元気さであるし、私と同世代のご同業連中はその半分が監獄のなかで、もう半分は棺桶のなかに入っているような有様だ。正直な所、自分がここまで生き残ってきたことに、一番驚いているのが私自身だ。あるいは、人様とは少々違う経験(・・・・・・)を重ねてきたお陰だろうか。全く、天に(ましま)す我らが神様の、お考えというやつはつくづく理解に苦しむ。

 

「――おい」

 

 私は振り返り、そこで町並みをぼんやりと眺めていた連れ(・・)に呼びかける。

 

「行くぞ」

「……」

 

 顎をしゃっくてついて来るように促せば、茫洋として考えの読めない灰色の瞳で私を見ては、一言も口をきくこともなく、とてとてと歩み寄ってくる。……全く、普段は余り来ない駅周りにやって来たからといって、ぼうっとし過ぎだ。私が声をかけなければ、そのまま置いていく形になったろう。毛皮や肉を卸しに行く時と、生活に必要な諸々を買い出しに行く時以外は山からほぼ降りない私と違い、週イチで勉強のために――学校で先生をやっている妙齢のご婦人に、特別に謝礼を出して個人授業をやってもらっているのだ――街に来ているのだから、そう珍しがることもあるまいに。

 

 私よりも頭2つ3つも背の低い連れを伴って、スィングドアを抜けて酒場のなかに入る。酒と煙草の臭いが、淀んだ空気と共に外へと流れて来て、私は若干顔をしかめた。

 まだ真っ昼間を僅かに過ぎたに過ぎない時刻にも関わらず、店内は酔っ払いたちで大いに賑わっている。近頃街外れの森で金が出たものだから、この街はにわか景気に湧いていて、余所者がえらく増えたのが、半ば世捨て人の私の眼からも明らかな程だった。だから私らが店に入ってくる姿も、ごく僅かな例外を除けば注意注目する者など誰もいない。

 ではその極僅かな例外とは誰かと言えば、店の主やウェイターは当然として、一番奥のテーブルでパイプより紫煙を燻らせていた赤毛の男だった。その男は私達の姿に気がつくと、にこやかに微笑み、手を振った。

 私は辟易とした顔で、連れは相変わらずの無表情でこれに応じつつ、酔客の群れを縫ってその円卓へと近づいていく。その間にも、赤毛の男は私らに断りなく指を鳴らして店員を呼ぶと、勝手にビールを注文していた。……全く、前あったときも私は、昼間から酒を飲むような真似は原則控えていると教えたはずなのだが。だがあの男の記憶力の凄まじさを考えると、こっちをおちょくるために解っていて敢えてやっているやもしれない。そういうことを平気でする性分なのだ、この赤毛の男は。

 

 

「やぁ久しぶりだね。 ちょいと見ない内に、随分と老けたもんじゃあないか」

 

 

 赤毛の男は人好きのする笑みに、笑っていない青い双眸を添えて私らを迎え入れた。

 対する私はと言えば、軽口に応ずることもなく、乱暴に椅子をひいてドッカリと座ってみせる。好きで来たわけじゃねぇぞという意思表示だ。赤毛の男は苦笑し、対照的に静かに座った我が連れへとウィンクをしてみせている。

 

「……」

 

 連れは静かに、座っただけで、一言も発しないし、眉一つ動かさない。全くの無反応。私ら二人の無礼な対応にも赤毛の男は肩を竦め、やれやれと首を横に振り呆れを仕草で示したのみだった。パイプの中身を吸い、煙で器用に輪っかを作る。連れのほうはと言えば、無感動な瞳で輪っかが消えるまでを追いかけていた。その顔に浮かんだぼんやりとした表情は年齢以上に――といっても私はこの連れの本当の歳など知らないのであるが――幼く見えた。

 

「子どもを引き取った、とは噂で聞いていたけど、まさか本当だったとはね。でも前に会った時は連れてきてくれなかったじゃないか。いったいどういう風の吹き回しだい?」

「いいから、要件を話せよ」

 

 この赤毛男に好きに喋らせてると、無駄に話が長くなる。やや強引に話を遮ってやるが、やはり人好きのする笑みのまま、その表情は変わらない。私はこの男が、今浮かべている顔以外の表情をした所を見たことがない。それは――『人殺し』をしている時ですら、僅かに口髭の下で犬歯を剥き出しにするぐらいで、それ以外はまるで顔が変わらないのだ。

 

 そうこの赤毛男は、出会った時からまるで変わらない。

 暑い季節に出逢えば、いつも白の上下に空色のネッカチーフ、そして庇の広いパナマ帽。

 寒い季節に出逢えば、いつも喪服のような黒尽くめに、深紅のタイにインバネスコート。

 今は夏だから、白を基調とした格好のほうをしていた。

 

 変わらないのは服装だけではなくて、燃えるような赤毛、空のような青の瞳、形よく整えられた口髭と――容姿容貌もまるで変わっていない。最初にこいつと出くわしてから結構な時間が経った筈だが、不可思議なぐらいに若いままで変化がないのだ。恐らくは努力して見た目を作っている(・・・・・)のだろうが、それにしても恐るべき技だと言えた。

 

「まぁ待ちたまえよ。孔子(コンフーシャス)曰く『急いては事を仕損じる』だ。まずはビールでも飲もうじゃないか」

 

 アイルランド系の癖に――その言葉に端々に覗く訛りから、これは明らかだった――清国人みたいなことを言う男だ。赤毛男が勝手に注文したビールが運ばれてくる。連れのほうには店主が気を利かせてくれたのか瓶入りのソーダポップが置かれた。

 

「……」

 

 変わらぬ無表情ではあるが、こころなしか嬉しそうに見える。やはり年相応に甘いものは好きなのだ。

 私はと言えば、運ばれてきたビールを暫時睨みつけると、ため息をひとつ挟んだ後に、結局それを口にした。現役の頃の私ならば、絶対にあり得ない行動だが――だが、今の私には関係のないことだった。

 

 

 誰にだって、いつかは足を洗う時が来る。

 

 

 それは私にとってもそうだった。標的は人から獣へと代わり、住処は荒野から野山へと代わった。

 他のガンマンがしないような仕事をいくつもこなし、こちら側では在り得ざる怪物たちを斃して得た報酬が、それを可能にしてくれた。だが、足を洗ったからと言って過去が消えるわけじゃあない。だからこうして時々、昔の仕事へと舞い戻らざるを得ない場合がある。

 

 だから、この一杯を飲んだら、暫くは酒はお預けだ。

 たっぷりと、味わって飲むことにした。連れのほうも、ちびちびとソーダ水を飲んでいることだしな。

 

 

 

 

「それで――ピンカートンの探偵殿は一体全体、どんな揉め事を持ち込んでくれるわけだ?」

 

 

 

 

 ビールを目一杯時間をかけて味わった後、私は単刀直入に聞いてきた。赤毛の男は、髭の下で口の端を僅かに吊り上げると、私が素直に聞いてきたのを話が解ると軽く頷きを返す。

 

 私はこの赤毛の男のことを『オプ』と呼んでいた。理由はそのまま、この男がピンカートン探偵社の私立探偵(オペラティヴ)だからだ。本名は知らないし、知ることもないだろう。何せこの男は会うたびに名前も肩書も全く別に変わってしまうからで、不変なのはその姿かたちと探偵であるという事実だけだ。

 

 ――ピンカートン探偵社。

 アメリカ最大の私立探偵社であり、ここに雇われた探偵たちはこの国で最も優秀であり、なおかつ最も悪名高い男たちだ。腕利きの用心棒であり、賞金稼ぎであり、そして探偵である。人探しに人狩り、要人警護からスト破りまで、報酬次第で何でもこなし、実業家連中はおろか政府機関からの仕事も大々的に請け負う。

 

 オプはそのピンカートンの探偵たちのなかでも、随一の腕利きだ。

 引退直前にそんな男と轡を並べてひと仕事やってしまったのが運の尽きだ。厄介事を時折、こんな風に持ち込んでくるようになってしまったのだから。

 オプは、ブライヤー・パイプを一際大きく吸うと、紫煙を吐き出しながら、こう話を切り出したのだ。

 

「ニューメキシコにコラジンという街があるのを、知ってるかい?」

 

 ああ、なるほど。

 だから私に声がかかったわけか。ニューメキシコは、仕事柄特に何度も赴いた場所だから、土地勘は確かに人一倍あるのは確かだ。実際その街も一度だけ訪れた事がある。と言っても仕事の途中で立ち寄った程度なのだが、事実は事実なのでうなずいておく。

 

「そのコラジンの街では何年か前に、宝石鉱山が見つかってね。随分と羽振りが良いわけなんだけど、ところが街で一番大きな採掘会社の社長さんが、我が社に急な相談を持ち込んできたのさ。なんでも聞くところによれば、鉱夫たちが不穏な動きを見せていると、鉱山会社の社長さんから相談があってね。軽く探りを入れてみた所、『モリー・マグワイアズ』みたいな秘密結社が裏で何やら暗躍してるみたいなのさ」

「今日日流行りの労働運動とやらじゃないのか? 新聞で読んだぜ」

「それならわざわざ君をあの山から引っ張り出すまでもないさ」

 

 オプは首を横に振りながら言い、最後に「君みたいな男でも新聞は読むんだね」などと付け加える。

 ぶちのめすぞ、この野郎――と目つきで伝えてみるが、向こうは意に介することなく話を続ける。

 

 余談だが、『モリー・マグワイアズ』というのは今から2、30年ほど前に、ペンシルベニアで暴れまわったアイルランド人どもの犯罪結社のことだ。あの辺りには炭鉱が多いが、その炭鉱の鉱夫どもの間で根を張っていたという秘密結社で、誘拐に強盗に殺人にと、悪事なら何でもやったと――そういう噂が今尚生き続けている。炭鉱主に雇われたピンカートンの探偵連中に一網打尽にされたとのことだが、その実態だのといったことは所詮は部外者である私の知ったことではない。

 

「どうも、先住民たちの神を奉ずる新興宗教団体らしくてね、じわじわと鉱夫たちの間に信者を増やしていて、その数は社長さんも把握できないぐらいになっているみたいでね。加えて言えば鉱山脇の飯場街じゃ行方不明者や不審な死に方をする鉱夫や娼婦が着々と増えている有様で、まあ、この教団がなにがしかやらかしているのはもう間違いないわけだよ」

「つまりその教団とやらを片付けりゃ良いわけか」

「話が早くて、実に助かる」

 

 オプは床に置いてあった革のブリーフケースから、書類の束をだして私へと投げて寄越す。

 元アウトローにしちゃ珍しく文字の読みが出来るのが私だ(書く方は相当に怪しいが)。オプに読み上げてもらうこともなく、自力で一通り黙読してみる。中身はその宝石鉱山に巣食う教団とやらについての情報だった。で、あったのだが――。

 

「これだけか?」

「今のところはね」

 

 私は呆れたと鼻をフンと鳴らし、紙束を机の上に放り投げる。

 書類に書かれていたのは鉱山の場所と地図、鉱山で何が採れるかだの鉱山会社の経営状態についてだのの諸々であって、今度の仕事に必要な情報――相手方の人数、幹部が誰で、誰を始末するべきなのかなど、そういった情報は殆ど何も載っていないのだから。

 

「君のご不満はこちらも理解している所さ。だが、白状させてもらうと、先に潜入された我らがピンカートンの優秀な探偵が一名、既に消息を絶っているんだ。この事実だけでも、事態がいかに深刻であるかが理解できたかと思う」

 

 オプがさっき挙げたモリー・マグワイアズの件などは、鉱夫に化けたピンカートンの探偵の潜入捜査で組織の尻尾を掴み、そこから一挙に検挙へと持っていったと聞くから、その得意の戦法をハナから潰されてるという訳だ。成程、確かにそいつは穏やかじゃあない。

 

「教団の規模は我々の当初の想定よりもずっと大きいし、その力も相当に強いものみたいなんだ。本社では探偵を増員して事に当たると決まったけど、僕に言わせるとそれだけじゃまだ不足だ」

 

 オプは私の眼を真っ直ぐに見つめてきた。

 私はと言えば欠伸を大きく吐いて、涙を拭いながら問う。

 

「そこでなんで俺なんだ? おたくの所の探偵連中は腕利き揃いだし、助っ人を雇うにしても俺よか若くて使いでの良い連中が他にごまんといるだろうによ」

 

 この問いには、オプは指を立てながら順繰りに説明を加えていく。

 

「まず第一に、君は僕の知りうる限り、最高のガンマンだということ。第二に、ニューメキシコの地理や自然に通じているということ。そして第三にだけど――」

 

 オプはちょっと間を空けて、こいつ的にはこれが一番肝心だと思っているであろう理由を挙げた。

 

「向こうも、君と同じぐらいの腕前の用心棒を雇っているらしいってこと。これは例の先に潜入していて、恐らくは既に消されただろうウチの探偵の最後の報告からも確からしい情報だ」

「この紙切れには何もなかったぞ」

「紙面に記すのは、絶対確実な情報だけでね。今言った話が本当に事実かは、これから君と僕とが確かめに行くのさ」

 

 当然の疑問に、オプはもう私が仕事を引き受ける前提でのたまって下さる。

 

「俺は引退したんだって口酸っぱく言っただろうがよ、前の仕事の時に」

「でも結局、君は引き受けるんだろうねって予言した筈だがね僕は。それで、予言は正しかったのか否か、それが問題だ」

「……」

 

 私は腕組をして考え込んでしまった。

 

 実際の所、オプからの仕事を引き受けるメリットは余り無い。確かにオプからはアウトロー界隈の最新の事情、それもこんな田舎町の新聞なんかには載らないような情報まで聞くことが出来る。(余談だが、近頃はワイルドバンチって連中が暴れまわっているらしい。)しかしそれだって別になくて困るもんでもない。裏社会の情報を求めるのは、単に人生の大半を費やした仕事からくる習性を引きずっているにすぎないのだ。金だって慎ましく余生を過ごすだけなら充分過ぎるぐらいにあるし、猟師としての腕は生憎と悪くはないので、自分と連れの分ぐらいは稼ぐことも出来る。オプは私の過去を知っているから、それを種に強請りをかけて仕事を強要することも出来なくはないが、そしたらその時はその時で、家を引き払ってトンズラこくだけのことだ。スウィートウォーターはありふれた田舎町でしかないから、同じような雰囲気の移住先はすぐに見つかることだろう。

 

 

 じゃあなぜ、私はこの探偵の持ち込む仕事をこれまでも引き受けてきたのか。

 

 

 自分でもその理由はよくわからない。言うなれば――結局の所、これが私の『仕事』だからなのかもしれない。

 南北戦争(前の戦争)が終わって以来、ずっとこうして生きてきたのだ。多少老いさらばえたとは言え、今更易易と生き方ばかりは変えられない。そのことを、この探偵野郎も理解しているから、こうして私を呼び出したわけだ。

 

「言っとくが、たぶんこれが最後だぜ。正直言ってな、最近じゃ足腰がガタついて来たし、眼の方だって昔ほどじゃないんだ」

「僕の記憶だと、その台詞前も言ってなかったかい?」

「……ほれ見ろ。忘れっぽくもなってる」 

「そんだけ減らず口が叩けるなら、まだまだ元気だと思うがね」

「言ってろよ――それで? その用心棒とやらはどんなやつなんだ? あるいは知ってるやつかも知れん」

 

 要するに今度の仕事を引き受けたと私は言った訳で、それを理解したオプは、私にも解るようあからさまな笑みを浮かべて見せた。その作り笑いを浮かべたまま、器用にパイプをひと吸いすると、煙を吐きつつ言った。

 

「それがだね。どうにも妙というか、まるで三文小説(ダイム・ノベル)みたいな話で恐縮なんだが――その用心棒とやらは『鎧』に『兜』を纏った怪人だって話なんだ」

「鎧に……兜だぁ?」

 

 一気に話が胡散臭くなって来たが、そんな印象はオプの次の言葉で吹き飛んだ。

 

「その兜は実に奇妙な形で、目の部分がガラスに覆われ、鳥の嘴のような(・・・・・・・)、そんな意匠が――」

「おい」

 

 私は身をずいと乗り出して、オプの言葉を遮っていた。

 珍しくオプは自然な驚き顔を見せたりしていたが、私はそんなことにも気づかず、逸る心を抑え込んで平静を繕っていた。

 

「その話、もっと詳しく聞かせろ」

 

 ひょっとすると今度の仕事は、老後の手慰み、日雇いガンマンの仕事などではなくて、『あちらがわ』絡みの、それもあの忌々しいスツルーム一派が出てくるのやもしれないのだ。それも、『こちらがわ』で。それは今まで、一度たりとも無かった話だった。

 

 

 

 

 

 結局、オプも大したことを知っている訳ではなかった。

 それも当然で、情報源の先に潜入した探偵は、恐らくはもう消された後であるらしく、オプの手の内にあるのは、まさにその瀬戸際に送りつけてきた未整理かつ断片的な知らせでしかないのだ。

 

 だがそれでも、私に『むこうがわ』の臭いを嗅ぎ取らせるに充分な、きな臭い気配がそこにはある。

 

「よし、決まりだ。3日後には、その『トラパランダ鉱山』に向けて出発するとしよう。こっちは準備を済ませるから、そっちは汽車の切符をとっておいてくれ」

「それはもう押さえてある。鉄道会社の旦那(ミスター・チューチュー)たちはウチのお得意様だからね。逆に色々と融通もきくわけでね」

「なら、その融通とやらをきかして、切符をもう一枚――コイツのぶんだ」

 

 私が、ことここに至るまでずっと黙りっぱなしの連れを親指でさしながら言えば、オプは怪訝な表情を見せる。

 

「……生憎だけどね。今度の仕事は観光をしてる暇はないんだよ」

「そりゃ承知の上さ。その上で連れて行くと言ってんだ」

「いやね、君。こんな――」

 

 オプは私と連れとを交互に何度も見ながら、戸惑いを隠さずに言った。

 

「こんな御嬢さん(・・・・)を鉱山に連れて行って、どうしようって言うのさ?」

 

 そう、私の連れは御嬢さんだ。

 正確な年齢は私も知らないが、外見から判断するにようやく十代の半ばになろうかという頃合いだろう。肩口で切りそろえた髪、無感動な、しかし人形のような美しい顔。小さな体を、黒い男物の上下で覆っている。

 

 まず彼女をひと目見た時、真っ先に人目を惹くのは、その灰色(・・)の髪だ。まるで灰を被ったかのようなその髪を見た時、私がこいつと出会ったばかりのころ、腹をすかしたこいつを連れて入った最初の店、イタリア系の雑貨屋の主は思わずこう声を挙げたもんだった。

 

 ――『(チェネレ)ッ!』と。以来、これがこいつの名前になった。

 何故って? 本当の名前はって? そんなものは私すら知らんのだ。それもその筈だ。

 

「なぁ御嬢さんだって、埃臭くて垢塗れの男たちだらけの場所になんて行きたくはないだろう? ここでお留守番をするべきだとは思わないかい?」

「――」

「なぁ、御嬢さん。何とか言って「無駄だぜ」……急に言葉を遮らんでくれよ。それに何で無駄だなんて言うわけだい?」

「そりゃこいつはな――口がきけんのだ」

 

 そうなのだ。チェネレは私と出会ってからこのかた、もう何年も経つにも関わらず、一言も口をきいたことがない。だから私はこいつの本当の名前も、年齢も、出身地も、その他こいつの詳しい来歴については何も知らないのだ。

 

「……唖なのかい? 耳が悪いとか?」

「いや。医者が言うには体の方は健康そのものだそうだが――問題は心のほうでな。まぁ二親を目の前で殺されて焼かれれば、そうなってもおかしくはないだろうさ」

「……」

 

 私がチェネレと出会ったのは、引退の直前のことで、夜道を星を頼りに進んでいた時に、不意に馬車道の上で燃え盛る駅馬車を見つけたのがきっかけだった。

 

 燃え盛る二人分の亡骸、男と女の屍を、この娘は無表情で、ただじっと眺めていた。

 なんの感情も映さない、その灰色の瞳を見た時、私はなにか縁を感じるところがあって、彼女を引き取った訳だ。今にして思えば――それは大正解であったのだが。

 

「ましてやだよ。そんな娘をつれて、いったいどうしようって――」

 

 オプの抗議の声は、突然に止まる。

 そりゃそうだろう、まるで音もなく抜き放たれた拳銃の、その銃口が、その顔に向けて擬せられていれば。

 

 チェネレの、少女の小さな手には、それに不釣り合いでありながら、だが同時に恐ろしく自然な形で大きな大きな拳銃が握られている。このまだ十代の少女は、こんな大きな銃を、静かに、そして素早く抜き放って見せたのだ。

 

 一度見たら、決して忘れることのできない、独特のフォルム。長く伸びた銃身。その下に備わった箱型の弾倉。箒の柄のような不細工な銃把。コルトのものとも、スミス&ウェッソンのものとも、レミントンのものとも違う、全く新しい姿。海を越えて皇帝の支配する異国、ドイツからやって来た、舶来品の機械拳銃(・・・・)。最新式の、絡繰り仕掛けの死神。

 

 

 その名は――『マウザーC96』。

 それが、チェネレの得物だった。

 

 

「大したもんだろ。こんな拳銃を、まるでドク・ホリディやワイルド・ビル・ヒコックみたいに使うんだぜ」

「……そう言えばこのスウィートウォーターに来る途中で、妙な噂を聞いたよ」

 

 私の軽口に応じることもなく、オプは喘ぐように言った。

 

「大都市から遠い田舎の、それも州境の町だから、このスウィートウォーターには時折無法者や賞金首が逃げ込んでくるとね。でも、そんな無法者や賞金首は決して町から出ることは出来ないそうだ。なぜなら――」

 

 オプは唾を飲み込むと、平静を取り戻そうとしてのか、パイプの煙を一際強く吸って吐く。

 

「妙なイタリア語の渾名をもっている、少女の姿をした死神にみんな消されてしまうからなんだとさ。その少女は本当の名前は誰も知らないけど、その渾名は誰もが知っている。人呼んで――」

 

 そしてオプはその名を呼んだ。

 

「――『墓場の灰(チェネリ・デル・カンポサント)』。よもや実在して、それが目の前にいるとはね」

 

 そう――人は彼女を『墓場』と呼ぶ。

 彼女こそ、私が引退した最大の理由であり、私の技術を受け継いだ『こちらがわ』では唯一の後継者だった。

 

 

 

 

 



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第2幕 ブレイクハート・パス

 

 

 

 

 

 

 

 窓の外に広がる景色は、ただただ木々の連なりで、普段山の中で見ているものと大差ない。唯一違うのは、それが動いているとことであり、それが為に、私は実に居心地が悪い。馬に跨っているときとも、駅馬車に乗っているときとも違う、独特の速度と振動。別に汽車に乗るのは初めてってわけでもないのだが、単純にいつまでも慣れないし苦手だ。

 

「……」

 

 腰掛けているシートは、正直今まで座ったことないような上等な代物で、柔らかすぎてむしろ違和感が途方も無い。なにせ、人生の大部分を固い鞍の上に尻を置いてきた身の上なのだから。

 

 元々汽車にはさほど乗らない方な私だが、加えて普段は料金をケチるから、一等車なんぞにはこれまで足を踏み入れたことすらない。だから一等車の客室が自分たち専用の駅馬車のようになっていて――オプはこれを「仕切り客室(コンパートメント)」と呼んでいた――それも三人が山程の荷物と一緒に乗っても余裕があるなんていうことも、初めて知ったことだった。

 

「鉄道会社に便宜を図ってもらったのさ」

 

 とはオプの弁で、酒場で会ってから三日後、駅で待ち合わせたやっこさんの手には3枚の切符があったわけだ。

 正午には汽車が来て、私達は出発した。乗り込んだのはスウィートウォーターみたいな田舎駅では普段絶対に止まらないような上等な汽車で、それも便宜を図ってもらって若干の路線変更をしてもらった結果らしい。全くもって、ピンカートン様々といった所だ。今の住処からニューメキシコまで行くのは、馬ならば途方も無いロングドライヴになる距離であることを思えば。

 

「……」

 

 汽車に乗り込んでから既に一時間以上過ぎている。

 

 だが向かいの席のチェネレのほうを見れば、あいも変わらずぼんやりと動く風景を眺めている。……そう言えば、彼女にとっては恐らく、初めての汽車なのだ。こころなしか、変化のまるでないはずのチェネレの表情が、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。最初がこんな上等な体験だと、今後二等車以下だと耐えられるのかしらんと、どうでも良いことを心配してしまう。

 

「――どうだい?」

「結構だ」

 

 そのチェネレの隣では、オプが今日はパイプではなく葉巻を吹かしていたが、勧めてくるのを丁重にお断りする。私は葉巻もパイプも噛み煙草もやらないのだ。いい年こいた男のくせにと人には言われそうだが、苦手なのだから仕方がない。他人が周りで嗜むのは勝手だし、それは平気なのだが、自分であれを吸うのは正直ゴメンだった。

 

「コラジンまでは三日ぐらいかかる。途中、カペナウムとベッセイダで乗り換えさ。まぁ現地につくまでは単なる行楽旅行だ。充分にくつろぎ、楽しむといい」

 

 とはオプの弁だが、生憎と私はそこまで呑気ではない。

 

 こちとら獣以外を相手にするのは久々だから、自分の調子(・・)をこの三日間のうちに整え直しておかねばならないのだ。それはすでに三日前、オプより依頼を受けた時から始めていることではあるのだが、ぎりぎりまで、それは続けるべきことだった。酒を断ち、意識を研ぎ澄ましていく。獣を狩る時とは違う、別の感覚を、ナイフの切っ先のように鋭く尖らせねばならないのだ。見ていて楽しくもない、汽車と共に動く景色を眺めているのも、素早く移り変わる風景のなかから、現役時代なら無意識の内に捉えていた諸々を探し出すためだ。つまり、敵が潜み待ち伏せている時に起こりがちな、不自然に折れ曲がった枝葉、一際濃く見える茂み、失せた鳥や獣、虫の鳴き声――そういった諸々への感覚を研ぎ直すということだ。

 

「――そう言えば」

 

 そのためにもと、意識を外へと戻そうとした矢先にオプから声をかけられた。

 不機嫌を敢えて隠さずに顔を向ければ、何故か向こうもモノ言いたげな顔で、そして実際にモノを申す。

 

「毎度のことだから僕はもう慣れたけど、今度も随分な大荷物じゃないか」

 

 オプがそう言って葉巻の先で指したのは、私の隣の席を占領している巨大なガンケースだった。大型のライフル銃が二丁は入ろうという代物で、実際今度の仕事のために持ってきた、二丁のライフル銃が中には入っている。

 

「いったいぜんたい、君は何か仕事の種類を勘違いしてないかい? 我々が行うのは飽くまで人狩りで、戦争じゃない」

 

 実際、私が今度の仕事のためにと持ち込んだ装備や荷物は仕事の内容から考えても大げさすぎると言えた。腰にだって左右二丁の拳銃を吊るし、腹にもホルスターを括り付け、抱えるようにさらにもう一丁を装備している。昔は全部で七丁のコルトを持ち歩いていたことを考えれば随分と減ったが、それでもなお、我ながら過剰な装備だ。オマケに、ライフル弾を五発ずつセットにして留めたものが連なる弾帯(バンドリア)を、右肩からも左肩からも交差するように掛けているのだ。これらに加えて、その上から年季の入ったダスターコートを纏った顔中髭まみれの私が一等車の廊下に現れた時は、他の乗客たち――見るからに上品な紳士淑女の方々だ――は、驚きに目をむき悲鳴すら出せない有様だった。彼ら彼女らの眼からすれば、私は山賊の類にしか見えなかったことだろう。

 

 ちなみにチェネレはと言えばオプとは対称をなすような黒い三つ揃えで、庇の広く真っ直ぐな帽子に黒いダブルボタンのシャツ、黒いズボンに黒いブーツの姿だった。腰にはマウザー専用の木製(・・)ホルスターを下げ、またやはり彼女も弾薬の入った小型ポーチの連なる弾帯を肩から掛けていた。ライフルも持ってきているのだが、それはガンケースに入れて網棚の上に置かれていた。

 

「相手は鉱山一つ牛耳ってる連中なんだろ? 得物は多いにこしたこたぁないと思うがね」

 

 この私の返事は半分本当で半分が嘘だ。

 私がその謎の教団とやらを警戒しているのも確かだが、それ以上に今回用意した得物は、その教団の用心棒とやらと、その用心棒の裏に感じる「あちらがわ」の気配に対しての為のものなのだ。

 

 元より私の今の家には――それにしても私のような男が家を持ったという事実に、我ながら驚いてしまう――、いち猟師が持つには過剰な武器と弾薬が常備されているが、それは「あちらがわ」に呼び出される場合に備えてのことだった。もう長い間、エゼルの時やアラマの時のようなことは起こっていないが、それでも、もうあれが起こらないという保証はどこにもない。しかも呼び出される時は決まって唐突で、ひと仕事仕上げるまでは還ることができないときている。オマケに人を相手にする用と、人以外を相手にする用の二種類必要であるし、自然と大荷物になってしまうのだ。

 

 その大荷物から、コレだというものを厳選してもなお、ご覧の大荷物だ。

 今は汽車に運ばせれば良いから良いが、かつてはサンダラーに迷惑をかけたモノだった。

 

 その彼も――今はもう居ない。

 馬と人の寿命の違いは神の定めたことだけに仕方のないことだが、それでも悔やみきれない。

 彼ほど優れた馬とは、きっと二度とお目にかかれないことだろう。

 

 話が逸れた。

 意識をオプのほうへと戻そう。

 

「余り目立ってもらっても困るんだよ。依頼主からはできるだけ静かに素早く、ことを解決して欲しいとのお達しが来てるんだ。大立ち回りは厳禁だ。その二丁のリボルバーはその為に吊るしているんだろうけれど、乱れ撃つような状況には絶対にならないし、させないさ」

 

 オプの見立て通り、左右に下げた『ウェブリー・リボルバー』は一対多を想定しての選択だった。かつてはコルト・ネービーを偏愛していた私であったが、まれびと稼業は何故か大勢を相手取ることがやたらと多い。元々早撃ちの上手い方でもなかったから、ある時期からダブルアクション式――つまり引き金を弾くだけで撃鉄に弾倉の全てが連動して動き、片手で手軽に連射できるリボルバーへと思い切って切り替えたのだ。今使っているのはイギリス製の.455口径のウェブリー・リボルバーで、中折れ式(トップブレイク)だから再装填も素早く出来て気に入っている。だが腹に吊るした、万が一の時は一番抜きやすい場所を占めているのは、今でもコルト・ネービーだった。無論、時代に合わせて金属薬莢仕様への改造(カートリッジ・コンバージョン)は施してあるが、やはり私にとっては、一番頼れる拳銃はコルト・ネービーなのだ。人にとやかく言われようと、この素晴らしい拳銃を使うのだけは止める気がない。

 

 また話が逸れた。

 意識をオプのほうへと戻そう。

 

「つまり、教団の教祖様と用心棒には、騒ぎ立てることなく速やかにご退場頂きたいと」

「君なら出来るだろう? いやむしろ君の本領じゃあないか」

「……まぁな」

 

 確かに視力は往年よりは衰え、集中力も落ちてきてはいる。

 それでもライフルでの狙撃こそ、私の本領であるのは変わりないし、だからこそ猟師として食って行けている。

 

「既にバックアップ用の探偵たちがコラジンに潜入済みだ。現地では彼らの支援の下で仕事をすることになるから、君と可愛い相棒さんはただ狙い撃つことを考えてくれればいい。無論、君の専門的知見にもとづくアドバイスを求める場面は多少あるかもしれないが、基本的にはガンマンに徹してくれれば僕たちも依頼主も満足さ」

「そうかい。こっちとしてもそのほうがありがたいが……しかし向こう側がそれを許すかはまた別問題だろ?」

「……」

 

 私の問い返しにオプは応えることもなく、会話もここで途絶えた。

 窓の外へと視線を戻し、時折オプに貰った資料を見返し、コンディションを整えていく。

 

 オプは呑気にペーパーバックを取り出し――その表紙には『シャーロック=ホームズ』と書かれていた――読みふけり、チェレネも流石に外の景色にも飽きたのか、荷物から聖書を取り出して読み始めた。個人授業をお願いしている先生に貰った一冊で、彼女の読み書きの教科書だった。ちょうど私が父の形見の聖書を何度も読んで、読み書きを自分のものとしたのと同じように、チェネレもまた聖書を繰り返し読んで言葉を身につけていっている。

 

 彼女と出会ってすぐの頃は、まずコミュニケーションをどうとって良いものかすら解らず、頭を悩ませたもんだった。

 

 何せあの頃のチェネレは話せないばかりか、筆談すら出来なかったからだ。いや、文盲なのは別に珍しいことじゃないが、彼女はアルファベット自体を、まるで初めて見た(・・・・・)といわんばかりの無反応だったのだ。いくら文盲でも、それを文字と認識するぐらいはできるものだが、チェネレにはそれすら無いという感じだった。元々反応が極めて薄い彼女だが、あれは無意味な模様を眺めているような調子だった。救いだったのは、奇妙なことにこちらの話している内容は聞き取れているし理解できているらしいということだった。

 

 ちょうど、「あちらがわ」に渡った時の、私のように。

 

「……」

 

 改めてチェネレの、その奇妙な灰色の髪を眺める。

 これまでの人生で、あんな髪の色にはお目にかかったことはない。灰を被ったようなあの髪は、単に色の抜けた老婆のものとも違う不思議な色をしているのだ。

 

 初めて出会った時から、彼女は不思議な所だらけだった。

 夜道で横倒しになっていた駅馬車は、いかなる会社のものとも異なる意匠をしていた。

 燃え盛る両親らしき男女は灰になって服装までは解らなかったが、近くに転がっていた御者が身につけていたのは、まるで御伽噺に出てくる王侯貴族の従者のようで、なによりチェネレの纏った黒い装束は、やはり御伽噺に出てくるお姫様そのものだった。首についた襞襟などは、余りに目立つから苦労して外さなければいけなかった程だった。

 最初にチェネレと出会った時に感じたのは、まるでアメリカの人間ではないみたいだ、ということだった。

 別のどこかから迷い込んできたかのような――。

 

「……」

 

 チェネレの、その奇妙な灰色の髪を眺める。

 そして考えるのは、私は何度も「あちらがわ」へと渡ったが、その逆は今まではなかったということ。

 そしてチェネレと出会ってからは、パタリと呼ばれることが絶えてしまったということ。

 そして今から赴くニューメキシコ、コラジンのトラパランダ鉱山には、その「あちらがわ」の悪党が待っているかもしれないということ。

 

「……」

 

 もしも今、腰掛けているのがサンダラーの鞍だったら、彼は私が思い煩う気配を察して、鼻のひとつでもならしてみせたかもしれない。だが、今私が腰を据えるのは、そんな乗客たちの想いなど、まるで知らないかのように走り続ける鋼鉄の化身(ジャガーノート)だ。

 

 

 時代は変わった。

 

 

 旧き良き南部は愚か、かつてサンダラーと駆け回った西部の荒野すらもが消え失せた。

 フロンティアは失われ、ニューオーリンズとロサンゼルスまでが鉄道に結ばれるようになった。

 バッファローたちも、先住民たちも、カウボーイたちも姿を消し、代わって東部の三つ揃えの強欲紳士たちと電信の網の目がやって来た。腰に吊るした一丁のピストルで世界を変えられると、そんな夢を信じるロマンチストたちの時代は終わった。

 

 それでも、変わらないものもある。

 他の全てが尽きるとも、アウトローの種は尽きることはなく、故にガンマンも必要とされ続ける。スタイルは少々変わったが、結局することは変わらない。私は銃弾であり、ライフル銃であり、狼である。どこまでも餌食を追う、灰色の狼である。

 

「……」

 

 私は眼を閉ざして、やわらかいシートへと身を預けた。

 色々と考えていたら、疲れて眠くなってきたのだ。変わらないことも多いが、こうすぐに眠気の来るようになったのは、やはり老いのせいかもなと、そんなことを考えながら、意識を暗闇へと私は預けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 結局、途中の道中では何事もなく、旅は平穏無事に進み、私達はコラジンの街――のひとつ前のヴァン=デル=ハイルの駅で汽車を降りた。何でも先に潜入しているピンカートンの探偵達からの知らせによれば、相手方はコラジンの駅周辺に見張りを付けていて、新参者は全て連中の監視下に入ってしまうため、汽車で行くのは避けるべしとのことだった。そこで予定を変更し、前の駅で降りてそこからは馬で向かうことにしたのだった。

 

 ちなみにピンカートンの探偵たちからの警告は、ヴァン=デル=ハイルよりもさらに一つ前の停車駅へと電報で届いたものだった。その文面を見せてもらったが、私にはどう見てもコラジンの街とその周辺における牛肉の相場についての報告としか読めなかった。オプ曰く、ピンカートン独自の暗号であるらしく、知っていれば簡単に解読できるらしいのだが。

 

 それにしてもだ。

 

 私は正直な所、あの電信柱の不細工な列は自然のつくる素晴らしい景観を台無しにしてると常々思っている男であるのだが、それでも、やはり電信という文明の利器の力を感じずにはいられない。かつては馬で直接行き来し、やり取りしたことを思い出す。

 

 そしてそのかつては使っていた手段――馬に跨り私達はコラジン、ひいてはトラパランダ山へと向かうのだ。

 鉄道が普及した今も、馬は必要とされ続け、従ってそれなりの規模の街ならば馬を買い求めることもできる。オプ曰くこの馬代は『必要経費』とやらで落とせるということで、全額ピンカートン持ちだ。私が現役だった頃などは、仕事にかかった諸々、弾薬代だの食い物代だのは全部自弁だったことを思えば、羨ましい限りである。

 

 オプが引いてきたのは四頭の馬。うち三頭を私達が使い、一頭を荷物持ちに使う。

 私はサンダラーに一番毛並みの似た一頭を選ぶ。こんな田舎町の馬だから、脚もやたら太いし体型もずんぐりしてるし、決して素早くはないだろう。しかし顔立ちは整っていて賢そうだし、何より頑丈なのがひと目で解った。

 

「お前は今日から『ライトニング』だ」

 

 決して名前通りには走れないだろうけれど、敢えて私はそう名付けた。

 短い付き合いで終わるかも知れないが、サンダラーほどでは無いにしろ、それに次ぐぐらいの相棒になってくれることを期待して。

 

「そしてお前は……『レインメーカー』だな」

 

 名付けられぬチェレネに代わり、私がゴッドファーザーになる。

 芦毛馬(グレイ・ホース)特有の黒みがかった鼠色の毛に白い(ぶち)があって、まるで雪か雨であるかのようだから、そう名付けた。

 

「ほれ、最初の挨拶だ。愛想よくしてやれよ」

「……」

 

 チェネレに冗談めかして促してみると、暫時考えるような仕草をした後に、何を思ったか左右の指で頬を押し上げて無理やり笑顔の形をつくってみせた。

 これにはレインメーカーは鼻を鳴らし、オプですら思わず吹き出した程だった。私は呆れて肩を竦めたが。

 

 ちなみにオプは自分の乗馬を『ワトスン』、荷馬のほうを『レストレード』と名付けていたが、正直私には意味が良くわからない。何か由来でもあるんだろうか?

 

「さて」

 

 馬たちに鞍をつけ、荷物を負わせる頃には、もう陽はだいぶ斜めになっていた。

 これは好都合だ。これなら向こうにつくのは夜になるだろうから、闇に紛れる事ができる。

 雲さえ差さず、星の光さえ見えれば、夜道でも充分に進むことができるのだから。

 

 私はライトニングに拍車をかけて、つぶやくように言った。

 

「行くとするか」

 

 

 

 

 



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第3幕 アット・ホーム・アマング・ストレンジャーズ、ア・ストレンジャー・アット・ホーム

 

 

 

 

 月と星を頼りに夜を駆けるは、カウボーイならば誰でも当然のように身に着けてる技だ。

 私は厳密にはカウボーイではないが――短期間ならばやったこともあるとはいえ――、荒野にて馬を駆る者であることには変わらない。初めて銃を手にとって以来、数え切れない太陽と月とを見送ってきたが、そのなかで生き残るのに必要なあらゆることを学んできたのだ。綴り字コンテストには出れたモンじゃないし、むしろ私なんぞは門前払いだろうが、それと引き換えに手にしたモノが私という人間を形づくっている。

 

 ――『この世の何もかもが変わっても、例え天と地とがさかしまになったとしても、月と星だけは変わらない。月と星だけは、俺たちを羅針盤みたいに導いてくれる』

 

 あるいは、あの男……私にとって師匠にあたる男にとっては違ったのかも知れない。

 メキシコとの戦争を肌身で知っている、古狐のような古参兵には珍しい、戦場の哲学者とでも言うべき不思議な男だった。まるで大学を出てるかのような教養と博識の男だった。あるいは、色んなことを知りすぎてたし、色々と出来すぎた男だったことが、師匠の寿命を縮めたのかもしれない。師匠は己を頼みとしすぎた。灰色の瞳を過信し、光学スコープという技術の進歩に敗れた。だから私は師匠と比べれてずっと謙虚に生きて来た。結果、師匠が死んだ時の年齢を気づけば追い越していた訳だ。

 

「チッ――」

 

 思わず、舌打ちする。

 最近、油断すると回想に浸ってしまう。否応なく、自分の老いというものを思い知らされる。

 

「どうかしたのかい?」

 

 オプには暗闇で私の表情までは見えなかったらしく、訊いてくるのに「何でもねェよ」と返す。

 私達は、夜の騎行に長じた私を先頭に、すぐ後ろにオプが続き、しんがりをチェネレが務める。

 

 鉄道が通って以来、ほとんど使われなくなったのであろう古い馬車道を辿り、進む。敢えて一般に危険と言われる夜道を選んだのは、むしろこちらのほうが昼間よりも危険が少ないからだ。夜陰にまぎれて一気にコラジンまでを踏破し、先行するピンカートンの探偵の隠れ家へと潜り込んでしまう計画だ。オプの同僚は街外れの家を借りて拠点としているため、上手く行けば誰にも見られることなくコラジンの街に入ることができるだろう。

 

「……」

「……」

「……」

 

 別に周りで聞き耳を立てる者もいないのだから、宵の無聊の慰みにと喋り倒しても構わないのだが、誰一人声を発する者もない。チェネレは当然としても、オプと私も談笑するような間柄でもない。時々響き渡る獣たちの声や風の音色を除けば、辺りは全く静かで、馬蹄だけが夜空目掛けて淡々と響き渡る。

 

 引き伸ばされた時間の中を通り過ぎて、私達は進む。

 見下ろすものは月と星のみ。影より他に友もなく、尾より他に鞭もなし。ただただ緩慢な旅路に耐えた先、数時間にも及ぶ騎行の果て、ようやく街の灯りらしきものが見えてくる。

 

 

 ――コラジンの街だ。

 にわか景気に沸く街は、賭場と酒場とが不夜城と化していて、私達には格好の標と化している。

 

 

「緑のカンテラの家だ」

 

 オプは例の電報の暗号に書かれていた符牒を、改めて声に出して確認する。

 先に街へと潜り込んだピンカートンの探偵は、街外れの家を借りてそこを潜伏先にしているが、今夜に限って目印のための緑の色ガラスのカンテラを戸口に吊るしている筈だ。

 

 そしてそれは、実にあっさりと見つかった。

 街外れのその家の戸口には控えめながらしかし、見間違えようのない緑の灯りが輝いていた。やや離れたところになった馬留にライトニングたちを繋いだ後、オプは件の家の扉を独特の拍子でノックする。

 

 若干の間があって、扉が開いた。

 

 私達を出迎えたピンカートンの探偵は、髭面の貧相な顔立ちの男で、これといった印象がまるでない、すぐに忘れてしまいそうな平凡な顔立ちである。つまり潜入を仕事とするピンカートンの探偵にはもってこいの顔だということだ。

 

「……入りな」

 

 その探偵はまずオプを、次いで私を、最後にチェネレを見て、チェネレのところで目を細めたりはしたものの、特に何も言わずに顎をしゃくって家のなかに入るように促す。

 家の中は最低限の家具しかない殺風景なもので、一人住まいには過剰な広いテーブルの上には、このコラジンの街のものと思しき地図が広げられていた。

 

「待ちかねたぜ。さっさと仕事を済ませちまおうや。でないと、こっちの身も危ないぜ」

 

 ピンカートンの探偵は溜息と共にどっかりと椅子に座り込む。

 ただでさえ貧相な顔が一層酷いものになっているが、やっこさんはそれを気にする様子もない。見目形に拘る余裕もない様子だった。

 

「えらく疲れているみたいじゃないか、オハラ」

 

 オプはそんな言葉をやっこさんに掛けたが、私には『オハラ』という本名かどうかも解らない名前の響きが気にかかる。オハラというのはアイルランド系の名前だが、実際、その言葉遣いには隠しきれないアイルランド訛りがある。オプもまたアイルランド系らしいから、あるいは二人は単なる同僚以上の旧知の仲なのだろうか。

 

「――ったく冗談じゃねぇぜ。スト潰しみてぇな仕事かと思ってたら、こいつはかなり厄介事だぞ」

「だから本社に君を送ってくれるように要請したんじゃないか。慣れてるだろう?こういう仕事はね」

 

 軽口を叩きあっている所を見ると、どうもそんな感じがする。あるいは二人は同郷の出なのかもしれない。

 まぁ、私にはどうでも良いことではあるのだが。

 

「それで? その爺さんと小娘が、お前さんの言う一流のガンスリンガーってわけか?」

 

 散々軽口を叩きあった後に、オハラと呼ばれたピンカートンの探偵は私とチェレネに向けて不躾な、値踏みするような視線を向けてくる。温厚を以て知られる私と言えど流石にムッとして、銃のひとつやふたつ抜き放って見せてやろうかと思ったが、オハラの顔に戦慄が走ったのに気がついて矛を収める。チラと見れば、いつのまにかチェネレがマウザーをだらりと右手に下げているのだ。一体全体いつの間に抜いたものか、私ですら解らない早業だ。相変わらずの無表情に加え、銃口は床を向いているとは言え、その気になればテメェが気づくことすら出来ぬ間にテメェを撃ち殺せるんだぞという事実をこの上なく彼女は示している。チェネレは何の感情も無いように見えて案外、負けず嫌いなのだ。

 

「チェネレ」

 

 私が声をかければ、彼女は木製ホルスターに巨大な機械拳銃を戻した。

 オハラはと言えばばつ悪気に視線をそらすと、強引に話題を転じる。

 

「――状況は悪化の一途だぜ。連中、街の政治まで掌握しつつある有様だ」

 

 オハラは机上の地図へと視線を下ろし、何本か刺された待ち針のひとつへと人差し指を添えた。

 

「この雑貨屋の主は一昨日変死体で見つかったばかりだ。民主党員でこの街の顔役だった男なんだが、例の教団には警戒を隠さなかった御仁さ。詳細は伏せられてるが――まるで全身の血を抜かれたみたいな、異様な死に方をしていたって噂だ」

 

 オハラは別の待ち針へと指先を動かし、止める。

 

「保安官は雑貨屋の主より先にくたばった。事故に見せかけてるが、家ごと丸々焼かれて、家族もろとも皆殺しだぜ。そんな有様だから、後任はまだ決まってない」

 

 更にオハラの指は別の待ち針へと動く。止まった先は、私にも何処だか理解できた。地図に描かれたこの印は間違いなく教会だ。

 

「ここの神父が最初の犠牲者さ。外傷は一切なしで、心臓をやられたみたいだったが、妙な死に顔をしていたというめっきりの噂さ。まるで死ぬ間際に悪魔でも見たみたいな面をしてたんだってな」

 

 ――成程。

 雑貨屋、保安官、教会と、着実に街の中心となりうる場所を抑えて行っている訳だ。このぶんじゃ、酒場などはとっくにその教団とやらの手の内なのだろう。

 

「新聞社は?」

「そんなもんはこの街にはねぇし、仮にあったらタダで済んでねぇよを」

 

 私が横から口を挟めば、オハラはやれやれと貧相な頭を横にふる。

 件の鉱山の社長さんはコラジンには居らず、遥か彼方のボストンに豪邸を構えているらしいがこの場合、実に幸運と言えただろう。もしもコラジンに当人がいたならば、とっくの昔に始末されていたかもしれない。

 

「それで――肝心の標的はどこにいる?」

 

 私が更に問うと、オハラは地図の上でひときわ目立つ大きな針の刺された場所を指差す。

 

「鉱山からずっと動きゃしねぇ。飯場に潜り込んだマッケルロイが張ってるが、やっこさんが言うには不気味なぐらいに鉱山自体は平穏そのものらしいぜ。むしろ、ここ数日は街のほうが色々と騒がしいぐらいだ」

 

 マッケルロイというのはお仲間のピンカートンの探偵のことだろう。それにしても、またアイルランド系の名前だ。オプは今度の仕事仲間をアイルランド系で固めてでもいるのだろうか。

 

「フィッツジェラルドは教会に隠れていると電報にはあったけれど……それはさっき言った殺された神父の?」

「ああ。神父が殺られたあとは閉鎖されてるからな。あんたらが身を隠すにはもってこいの場所だぜ」

 

 ちなみに、今オプの言葉に出てきたフィッツジェラルドというのもアイルランド系に多い名前だ。

 

「ちょいと暗くて不気味なのはご愛嬌だがね。今なら夜に紛れて行けるぜ。馬はこっちに繋いでおけば問題ない。俺の仕事用だってことで――」

 

 オハラは地図上の教会を再び指差しながら、今後の段取りについて話していた。

 まさに、その最中であった。

 

「――!」

 

 唐突だった。

 私の傍らで相変わらず茫洋としていたチェネレは、まるで雷にでも撃たれたかのようにビクリと身を震わせると、腰に吊るした木製ホルスターの、その側面を軽く叩いたのだ。そこに備わった金具を叩けば、パカリとホルスター上部の蓋がバネ仕掛けで開く。彼女自らが施した独自の改造で、チェレネはこの大きな銃を誰よりも素早く抜き放てる。

 

 チェネレはマウザーを握り、壁に背を当てると、まるで猟師の存在に気づいた狼のように、しきりに辺りの気配を窺い始めた。オプとオハラはその様に呆気に取られた感じだが、私は違う。

 

 肌身離さず持ってきたガンケースを床に置くと、素早く金具を外して開く。

 中には大小二丁の銃が入っている。『対人用』と『対人外用』の二丁だが、私は念の為、『対人外用』のほうを取り出した。私がこいつを取り出し構えた瞬間、オプは息を呑みオハラは声に出して呻いた。

 

 まぁ当然だろう。

 こいつを汽車の中でオプに見せた時は、流石のやっこさんも言葉を失い、ややあってこう漏らしたぐらいだった。

 

 ――「ドラゴンでも狩りに行く気なのかい?」と。

 

 私が手にした銃は、およそ人を撃つには過剰すぎる代物だった。

 8ゲージ――すなわち83口径もの超大型銃は、本来は象撃ち用のもので、いわゆる『エレファント・ガン』というやつだった。

 

 ホーランド&ホーランド・ダブル8・パラドックスガン。

 

 1835年創業の老舗高級猟銃メーカー、ホーランド&ホーランドの手になるこの銃は、そのまま壁に飾れそうな優美さと、巨象や灰色熊を一撃で仕留める凶悪さとを兼ね備えた素晴らしい逸品だった。わざわざロンドンから特注で取り寄せただけあって、あらゆる点でこれまで私が手にしてきた銃とは『格』が違う。装薬量は黒色火薬(ブラックパウダー)で11ドラムの特別製の銃弾を用いるが、11ドラムというやつはグレイン換算だと約300グレインで、例えばかつて愛用していたレミントン・ローリングブロック用の銃弾の装薬量は70グレインであることを思えば――相手がバッファロー程度ならばこいつで充分なのだが――、いかに馬鹿げた銃弾であるかということが解るだろう。

 

 私は素早く用心金に被さるようにして備わったレバーを横に引く。銃は半ばでL字状に折れ曲がり、給弾口が露出し、ケースから取り出した巨大な銃弾を2本ある銃身のそれぞれに装填する。レバーを戻し、二つある撃鉄の両方を起こせば準備は完了だ。出来ればコイツを使わないで済むことを願いたいが――専用の銃弾だけに高くつくのだ――、まぁそうはいくまい。

 

 なにせチェネレがあの様子なのだ。間違いなく、何か(・・)がここへとやって来る。それも、ろくでもない何か(・・)が。

 

「お前さんたちも銃を出しとくんだな」

 

 ピンカートンの探偵二人にそう言いつつ、私は窓の陰に身を置いて外の様子を窺うが、辺りには人影ひとつとして見えない。だが、安心など出来ないのだ。チェネレがあの様子なのだから。

 

 チェネレには不思議な感覚が備わっている。

 ちょうど鹿や狼が、はるか遠くにいるはずの猟師が自分を狙っていることを察知するように、自分の危機を誰よりも早くに感じ取る。しかも私の知る限り、こいつが外れたことは一度もないのだ。

 

「オハラ」

 

 オプはそんなことを知る由もないが私がわざわざ言ったことを重く受け止め、御同僚に促しつつ自分の旅行鞄を開く。やっこさん、確かスミス&ウェッソンの32口径を懐に忍ばせていたはずだが、あの手の拳銃は不意撃ちや狭い室内での早撃ち勝負など以外では余り役に立たない。それをやっこさんも解っているから、鞄から念の為にと持ってきていた代物を取り出した訳だ。

 

 ライフル銃などを隠し持つには大きさの足りない旅行鞄から出てきたのは、チューブマガジンに木製のハンドガードが付いた銃身、続けて木製の銃床がついた機関部とが別々に出てくる。オプはそれらを素早く連結させて、一丁の散弾銃を仕立て上げる。ウィンチェスター社が1897年にリリースしたばかりの最新式の散弾銃で、なんと素早く5連発も出来るし、故障も少なく恐ろしく完成度が高いために、他の散弾銃をことごとく過去のものとした傑作だ。私が現役の頃は昔ながらの水平二連式しか選択肢がなかったことを思えば、世の中の進歩というやつを嫌でも感じてしまう。

 

 機関部の下側から12ゲージ弾を装填するオプの傍ら、オハラは慌てた様子で地図机の下に手をやり、そこに隠してあったらしい拳銃を取り出すが、それは隠し持つのが主な用途であろう小型リボルバーであり――オプの懐に入っているスミス&ウェソンよりもさらに小さいやつだ――、私達他の三人が手にした得物と比べると余りに頼りなかった。

 

「くそっ! いきなり一体なんだってんだ! 流石に俺たちが潜り込んでることはまだバレちゃないはずだぞ!」

 

 がなり立てるオハラへと、私は自分の唇に人差し指を当てて静かにするように促す。この男もピンカートンの探偵だけあって通じるのは早く、わめく代わりに舌打ちし、唾を床に吐いて壁に背を預ける。

 

「――」

「……」

「……」

「……」

 

 声を発するものもなくなり、狭い部屋の中は夜の静けさに満たされる。

 いかに深夜であるとは言え、人の声はおろか、虫の声も、獣の声もない、全くの静寂――こんな田舎町の町外れで、それがいかに不自然であることか、それが解らぬほど私は老いぼれちゃいない。

 

 窓から見える外の景色は闇ばかりで、何かが動いたりする気配はなく、潜んでいる様子もない。あるいは、部屋の灯りを消せば内外の明るさの差がなくなって見えてくるかもしれないが、下手な動きは相手の攻撃を誘発しかねない。

 

「……静かだな」

 

 オハラがポツリと呟いた声も、この静けさの中ではエラく大きく響いた。

 何もかもが不動――時間の歩みすらもが止まったかと思うほどに、空気は重みを持って肩に脚にのしかかる。

 

「――!」

 

 そんな状況を、動かしたのはまたもチェレネだ。

 彼女は唐突に部屋の片隅にモーゼルの銃口を向け、私も、オプも、オハラもが、それにつられて同じ方へと得物を向ける。

 

「ッ!?」

「ヌッ!?」

「へっ!?」

 

 私達が見たのは、安普請な壁に僅かに空いた隙間へと駆け込む鼠の姿だった。

 そう鼠だ。たかが、鼠だ。だが私達三人は揃って、うめき声を挙げて顔を歪めざるを得なかったのだ。

 鼠は壁の穴へと駆け込む寸前に、私達のほうを振り向いたが、その時私達が目撃したのは、およそ「こちら側」では在り得ざる筈のものであった。

 

 その鼠は人間と同じ顔をしていた。

 見間違いではない。見間違いならば、ピンカートンの探偵二人の反応に説明がつかない。

 

 ――窓ガラスが割れる。

 

 まるで夢幻が如き光景に囚われていた私達の意識は、余りに破壊的で現実的なその音により無理やり醒まされる。そして窓ガラスを突き破った何物かへと眼を向けた時、更なる戦慄きが私達の背骨を走った。

 

「――まさか!?」

「フィッツ!?」

 

 オプとオハラは、血まみれの死体を見るや否やそう叫んだ。

 恐らくは、閉鎖中の教会とやらに潜伏していた、フィッツジェラルドという探偵がこいつなのだろう。血に塗れた死相は地獄そのもので、この手のものは見慣れた私ですら冷や汗が自然と背中を伝うのを感じる。

 

「――」

 

 チェネレは割れた窓へと向けて素早くマウザーを向けると、引き金を弾く。

 カラクリ仕掛けのデカブツは途切れること無く、十発の銃弾を吐き出していく。撃鉄を起こす必要もない。引き金を弾き直すまでもない。重く強い銃声はひとつなぎになって狭い部屋の中を轟く。

 

 マウザーはその弾丸の装薬量の過剰さ故に、まるで花火のようなマズルフラッシュを咲かせるが、だからこそ私は一瞬闇が切り裂かれる合間に、その姿を垣間見ることができた。

 

「畜生めが!」

 

 反射的に毒づいて私はダブル8銃を床に置くと、左右のウェブリー・リボルバーを抜き放つ。

 閃光が私に見せたのは、およそ想定外の事態。

 

 私は、無意識の内に高を括っていたのかもしれない。仮に教団の用心棒、「鎧の男」が「あちら側」の存在だとしても、それは白布に浮かんだ一点の染みのようなもの――孤立無援な異邦人に過ぎず、地の利は私の側にあると。

 

 間違いだった。

 勘違いだった。

 孤立無援な異邦人は、むしろ私達のほうだったのだ。

 マウザーのマズルフラッシュが明らかにしたのは、この家を取り囲む無数の小さな人影。

 

 小人だ。身長が4フィートにも満たないような、矮人だ。

 獣のような鋭く釣り上がった眼に、その赤黒い肌は、およそ「こちら側」には存在しない異様な姿だ。

 後に私は、その名を『トウチョトウチョ人』と言う、「あちら側」の亜人であると知ることになる。

 

「来るぞ!」

 

 私が叫ぶのと、連中がこの小さな家へと殺到してくるのは、ほぼ同時のことだった。

 

 

 

 

 




【銃器解説】


-『私』の銃

●ウェブリー・リボルバー

 イギリスのウェブリー&スコット社製ダブルアクション・リボルバー。1887年リリース開始。マークⅠからマークⅥまでが存在し、軍・警察などで1963年まで使われたロングセラー拳銃である。.455ウェブリー弾という独自の弾丸を用いる中折式リボルバーで、日本では事実上この拳銃のコピーである『エンフィールド No.2 Mk.I』のほうが著名であるが、オリジナルはこちらである。なお、『私』はマークⅠを二丁使用している。西部開拓時代ではマークⅠに先行する同社製品、ウェブリーRICリボルバーやウェブリー・ブルドッグ・リボルバーなどが、ガンマンなどの間で時折用いられていた。

●コルトM1851ネービー・カートリッジコンバージョン

 『私』が長年愛用してきたコルト社のベストセラー傑作拳銃を、金属薬莢弾でも使用できるように改造したもの。旧式のキャップ&ボール・リボルバーへとこうした改造を施すのは、西部開拓時代ではありふれたことであった。『私』的には、最も使い慣れた拳銃である。

●ホーランド&ホーランド・ダブル8・パラドックスガン

 ロンドンに居を構える老舗高級猟銃メーカー、ホーランド&ホーランド特注の『象撃ち銃』。水平二連式で8ゲージ(83口径)という常識はずれの巨大弾を使う、まるで大砲のような銃である。『私』が用いるのはアンダーレバー式で、用心金に被さるようにして設けられたレバーを横に引くことで排莢を行い、次弾を装填できる仕組みである。なお、パラドックスガンとは銃身の殆どにはライフリングを刻まない滑腔銃でありながら、銃口付近のみにライフリングを施した、スラッグ弾を主に用いる大型動物狩猟用散弾銃ならではの構造を持った銃のことを指す。

●???(本編未登場)



-チェネレの銃

●モーゼルC96

 自動拳銃黎明期における傑作拳銃。かつて『軍用拳銃の王様』とまで呼ばれた逸品。『モーゼル・ミリタリー』という通称に反して、実は一度も軍に正式採用されていない拳銃ながら、ヨーロッパから東アジアまで、世界を跨いで広く愛用された拳銃である。使用する7.63mmモーゼル弾と比較的小口径ながら装薬量が多く、射程と速度に優れ貫通力が高い。木製のアタッチメント・ストックを兼ねた専用ホルスターが付属しており、チェネレはこれに独自の改造を施している(いわゆる『サイレンス・カスタム』)。後の英国宰相、若き日のウィンストン・チャーチルを死地より救った由緒ある拳銃でもある。

●???(本編未登場)



-オプの銃

●S&W.32セーフティ・ハンマーレス

 いわゆる『コンシールド・ガン(衣服の下などに隠し持てる銃)』の先駆けで、中折式の32口径5連発小型リボルバー。オプが使うものは取り回しを良くするために照星を削り落とす改造が施されている。スミス&ウェッソン社は『ニュー・ディパーチャー』の通称を与えたが、コレクターの間では『レモンスクイーザー(レモン絞り器)』と主に呼ばれている。その愛称は本銃が採用したグリップ・セーフティ(グリップに備わった金具を強く握り込むことで安全装置が解除される仕様)に由来している。

●ウィンチェスターM1897

 伝説の天才ガンスミス、ジョン=ブローニングが設計した傑作散弾銃。12ゲージ弾の5連発。いわゆるポンプアクション・ショットガンの基本形となった本銃は、後に第一次世界大戦の塹壕戦で猛威を奮う事になる。トリガーを引きっぱなしにした上でスライドハンドルを素早く前後させることで、素早い連射が可能であり、この技法を『スラムファイア』と呼ぶ。銃身と機関部を分離可能で、劇中のオプのように分解して持ち運ぶことも可能だが、飽くまで収納用の機能であり、撃ち合いの直前に組み立てるのは本来推奨される使用法ではない。


-オハラの銃

●マーリンNo.32スタンダード1875・ポケットリボルバー

 マーリン社製の32口径リボルバー。リムファイア弾の5連発。その外見はスミス&ウェッソンNo.2リボルバー(坂本龍馬が愛用したことで知られる)に酷似するが、比べると本銃は相当に小さく、掌のなかに隠せそうな程。傑作西部劇映画『駅馬車』のクライマックスにおいて、印象的な使われ方をした拳銃である。マーリン社はコルト社の機械工だったジョン=マーロン=マーリンが1870年に独立して興したガンメーカーで、現在では主にレバーアクション猟銃のメーカーとして知られている(日本でも適切な手順を踏めば購入し猟銃として所有できる)。
 


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第4幕 カウボーイズ&エイリアンズ 

 

 

 

 

 

 連中は一見すると人間に似ていた。

 だがそれはシルエットだけの話で、真正面から見ればやはり「こちら側」の人間とは違う種族なのだなと、そうわかる見目形をしている。

 

 赤黒い肌。小さな、しかし獣のような釣り上がった眼。鬼灯みたいな赤い瞳。頬まで裂けたような口にはナイフのように鋭い歯が並び、低い唸り声と共にそれらを剥き出しにしている。

 

 体躯は小人(ピグミー)――以前、新聞で読んで知った、アフリカな小柄な先住民――のよう矮小で、動きはコヨーテのように素早い。チェネレのマウザー、そのマズルフラッシュが照らし出した有様によれば、奴らは(マチェット)や長いナイフ、先住民が使うような羽飾り付きの槍を得物にいているらしかった。闇に隠されているために総数は解らないが、溜息つきたくなるぐらいに多いのは確かだ。不幸中の幸いは、どうも飛び道具持ちはいないらしいってこと。

 

 ならば、だ。

 とるべき手はひとつ。

 

「目論見は大外れだな!」

 

 オプへと向けてそう大声で嗤いながら私が吠えると、二つの銃口を割れた窓へと向ける。

 左右の手に握ったウェブリー・リボルバーもまた、紫煙硝煙を伴って吼えて咆える。ウェブリー・リボルバーはダブルアクションのリボルバーだ。引き金を弾き続けるだけで撃鉄は上がって下がり、弾倉は回転し次々と.455弾を吐き出していく。

 弾頭の鉛も剥き出しな.455ウェブリー弾は、豊富な装薬量も相まって確かな殺傷力を発揮する。この狭い部屋へと乱入しようとしていた小人が一人、無骨な銃弾に吹き飛ばされる。

 

 黒色火薬ならではの白煙――私には見慣れ嗅ぎ慣れた硝煙が吹き出し、夜の闇へと消えていく。

 

 六連発が二つ、計十二発はあっという間に撃ち尽くされ、撃鉄は虚しく空の弾倉を穿つ。奴らがこの小屋に入ってこないようにとの牽制が主だから、元より当てようと思って撃ってはいない。それでも私が銃を使った以上、2人か3人は仕留めていることだろう。

 

「チェネレ!」

 

 私は再装填のために下がり、代わってチェネレが前に出る。

 最新式のマウザーは装填方法も真新しいモノを採用していて、新型のライフル銃なんかで使われている挿弾子(クリップ)を採用している。十発の銃弾を金具でひとまとめにして、これを使って一気に銃弾を弾倉へと流し込める寸法だ。一発一発装填するのが当たり前だった、古い時代を知る私みたいなガンマンからすると、まさに夢のような話だ。

 

「――」

 

 チェネレは素早くマウザーを構えると、さっきまでと一転、噛みしめるように一発一発引き金を絞って狙い撃つ。

 過剰なマズルフラッシュが夜の闇を裂き、写真撮影用のマグネシウム・ライトのように辺りを照らす。素早く動き回る小人たちが、一人、また一人と地面にもんどりうって斃れる。チェネレは素早く、そして精確だ。彼女の灰色の瞳ならば、藁山のなかの針だって見抜くだろう。

 

糞食らえ(SHITE)! なるようになれだ!」

 

 アイルランド風に毒づきながら、オプは散弾銃を釣瓶撃ちにぶっ放す。 

 別の窓目掛けて散弾は走り、窓を突き破って迫る小人共を吹き飛ばしていく。

 

「何なんだ!? 何なんだよ、糞がぁっ!」

 

 オハラも、豆鉄砲をぶっ放すが、潜入要員だけあって射撃の腕は微妙なのか、当たっている様子もない。だがまるで戦列射撃みたいな私達の銃撃を前に、外では小人共のあからさまに慌てた呻き声があがり、少なくとも連中を押し止めるのに役立っているのは確かだ。

 その隙にと、私は素早く左右のウェブリー・リボルバーの、弾倉後方左側にあるレバーを押し込み、金具を外す。

ふたつの銃身を左右の膝に押し当てれば、ウェブリーは中折れ(トップブレイク)して空薬莢を弾き出す。右手に握ったほうを脇に挟むと、半月型挿弾子(ハーフムーン・クリップ)を使って弾丸を込める。つくづく、世の中は変わったと感じる。拳銃の再装填がこんなに手早く済むようになるだなんて、昔は想像したことすらなかったもんだった。

 

「COME ON 、YOU LAZY BASTARD! / 来いよ、間抜けな糞ったれ共!」

 

 チェネレと入れ替わって前に出ると、私は叫びながら引き金を弾く。

 さっきとは違って、チェレネ同様に狙って撃つ。まずは右手、弾が切れれば左手で撃つ。早撃ちはともかく――もとよりキッドなどと比べれば腕前は劣っていたが、最近は歳のせいで尚更だ――、射撃そのものの腕は錆びついちゃいない。ちゃんと狙えば、ちゃんと当たる。例え相手が鼠の様に、小さくちょこまかと、駆け回る相手でもだ。

 

「ジリ貧だぞ!? どうするよ!?」

 

 鍵のかかった扉を外から押し破ろうとするのを、テーブルを倒して何とか押し留めようとしながら、オハラが喚く。

 やっこさんの言う通り、どれだけ撃ち斃そうとも、多勢に無勢は変わりない。「あちら側」からのお客さんを相手にすることを考えて、かなり余分目に弾薬を持ってきているとはいえ、無限ではない。空薬莢を拾えば「手作業での再装填(ハンドロード)」も出来るし、そのための道具も持ってきているが、当然、今はそんなことをしている暇もない。早々に次の手を打たなければ、じわじわと包囲を絞られ、文字通り絞め殺されるハメになる。

 

「どうしても持ち出さなきゃならない、そんなモノだけ用意しな。制限時間は――」

 

 右のウェブリーを一旦小脇に挟み、空いたその手で懐中時計を取り出し、時刻む秒針を見た。

 

「――40秒だ」

「ふざけんな!」

 

  毒づきながらも、オハラは机の抽斗を引っ張り出し、その中に隠していた諸々を手づかみにするなど、証拠隠滅に務める。オプは鞄からスキットルを取り出し、中身を部屋の隅へとぶちまける。濃いウィスキーの匂いが立ち籠める。火を点けるためだろうが、随分ともったいないことをするもんだ。

 

「合図したら俺と一緒に手当り次第ぶっ放せ」

「……」

 

 再び弾の切れた私に代わって、前に出ようとしたチェネレを押し止める。

 散々ぶっ放したおかげで、向こうも慎重になったのか、蠢く気配は感じるが、無鉄砲に飛び込んでくる様子もない。恐らくは、タイミングを図って一気に攻め寄せるつもりだろう。そこをこちらも一斉射撃で制し、家に火を点け、堂々と扉から正面突破で脱出だ。マウザーの10連発にウェブリー2丁の12連発。ちょっとした戦列射撃になるだろう。

 

「そいつをぶち破るのはお前さんに任せるぜ。その得物なら、容易いだろう?」

「当然。紙切れを破るより容易いだろうね」

 

 オプはウィンチェスターの散弾銃へと12ゲージ弾を込めながら、力強く請け負う。

 かつて、まだフロンティアがあったころのガンマンの世界では、駅馬車の護衛以外の散弾銃使いは卑怯者扱いされることが多かったが、それは散弾銃という武器がそれだけ強力だったからだ。銃身を切り詰めた散弾銃の破壊力は実際それだけ凄まじく、特に今みたいな接近戦では最大の威力を発揮する。ドアだって簡単に破れるし、使い方次第じゃ標的の上半身と下半身とを泣き別れさせることだってできる。装弾数が二発っきりだった時代でこれなのだから、最新式の五連発とくれば、その殺傷力は殆どルール違反だと言えるだろう。

 

「オハラ、俺達がぶっ放したら火を点けろ。そしたら馬の所まで走るぞ」

「ええいくそ! おおさ!」

 

 言われてオハラはランプを手に取ると、それをウィスキーの池目掛けて投げる構えを見せた。

 私とチェネレは割れ窓へと、オプは扉へと各々の銃口を向ける。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 誰一人声を発する者もなく、ただただ聞き耳を立て気配を窺い、時を待つ。

 周囲からは、相変わらずの無数の蠢く気配と囁き声、そして扉をドンドンと叩きつける音が響き渡る。その音は徐々に大きさを増す――こともなく、むしろ徐々に遠のいていくようにすら感じられた。

 

「……?」

 

 違和感を覚えた私は、こういう状況ながら敢えて瞼を瞑り――眼の役割はチェレネが果たしてくれるだろう――耳に意識を集中する。私は目も良いが負けないぐらいに耳だって良い。灰色の瞳は全てを見通すが、しかしこういう夜を相手にする時は耳の助けを借りることだって必要だ。

 

 耳をすませば、聞こえてくるのは確かに小さくなっていく跫音(あしおと)ばかり。それも直に聞こえなくなって、辺りは全くの無音となってしまったのだ。

 

「……退いた?」

 

 オハラが漏らした言葉の通りだと、頷かざるを得ない状況だ。こちらの猛反撃に恐れをなしたとでも言うのか?それもありうるが、しかし、何かが引っかかる。『あちら側』に何回も赴いたせいだろうか、私は人一番勘が良い。何がおかしいのかは上手く他人に理屈立てて説明はできないが、何かが妙なことだけは解るのだ。

 

「――」

 

 それに、チェネレが構えを解いていないという事実が、私の勘の正しさを裏書きしている。連中は単に退いたのではない。必ず、何かがある。

 

「マジで、退いたのか?」

 

 オハラが投げようとしていたランプを掲げながら、恐る恐ると窓のそばへと寄っていく。

 

「オハラ」

 

 オプが背中越しに嗜める声を小さく発するが、オハラは止まらない。一刻も早くに外の様子を確かめたいのだろう。床に転がったままの死体、フィッツジェラルドとかいうピンカートンのご同僚の亡骸の横を素通りし、割れ窓の下に身を潜めながら、シェードを取り払ったランプを少しずつ上に掲げてみせる。下の窓枠の所から、少しずつせり上がるランプは眩い輝きを辺りに放つが、無数の足跡が踊る地面以外は何も見えない。

 

「どうだ?」

「……」

 

 灯りを掲げるオハラ当人は位置的に外の様子が見えないために私へと聞いてくるが、はてさて、何と答えたものやら。確かに連中の姿こそ見えないが、『あちらがわ』の連中相手にはその程度の事では安心するに足りない。

 

「畜生めが! つくづくなんだってんだ!? こんだけドンパチやってんのに、街の連中は誰も寄ってきもしねぇ!」

 

 オハラが言うこともまた、懸念材料であった。

 この街の保安官が焼き殺されたらしいことは聞いているし、加えて他の有力者たちが次々と妙な死に方をしていることを考えれば、巻き込まれるのを嫌がって家から出てこないのも解らなくはないが、何一つ音沙汰も無いのもおかしな話だ。間抜けな野次馬がひとりもよってこないのも不自然なのだ。

 

 やはり、何かがある。いや、あるいは、何かがいる(・・)のか?

 

「――だああああ! まだるっこしい! 来るなら来やがれっててんだ!」

 

 堪えきれなくなったオハラが、思い切りランプを窓の外へと投げ捨てる。

 オハラもピンカートンの腕利きであり、そう簡単に身を晒すつもりもなかったろう。恐らくは、ランプを投げた後は即座に伏せるつもりだったのだろう。

 

「……あ?」

 

 しかしだ。

 実際のオハラは間の抜けた声を出して固まってしまったのだ。

 だがそれは私も、身を捻って背後へと振り返っていたオプも、チェネレですらもが同じことだった。一瞬、見えたアレ(・・)の姿に、驚きの余り身動きを封じられてしまったのだ。

 

 オハラの投げたランプはかなりの距離を飛んで、地面に落ちる前に、何かに当たって割れたのだ。

 中身の燃える油が飛び散って、その何かの姿を炯々と映し出す。

 ソイツは、その巨体ではありえない程の静けさで歩み、闇に紛れて密かに近づいていたのだ。

 

 今や身にまとった炎で明るみに出されたソイツは、グリズリーのような巨体の持ち主だった。単に大きいと言うだけではなく、まるで岩石のような、見ただけで頑丈だと解るゴツゴツとした体躯の持ち主でもあった。

 

  ソイツは、強いて言えば「象」に似ていた。

 

 だが同時に象とは――いや、「こちらがわ」の生き物とは本質的に違う存在であることもひと目で解った。仮にも「象撃ち銃」の使い手である私は、象という動物に詳しいのだ。……まぁ実物を見たことはないのだけれど、それでも知識だけは充分にある。だから次のように、目の前のソイツと象との違いを挙げてみせることができる。

 

 まず象は2本の足で人のように歩いたりはしない。

 その耳には水掻きみたいな膜は張っていないし、水晶みたいに透き通って光る牙は生やしていない。

 眼が二つ以上あることもなければ、それらが燃える石炭のように赤黒く輝いていることもない。

 象の鼻は確かに長いが、あれほどでは無かったし、その先端がラッパのような末広がりになっていることも無かった。

 ……改めて挙げてみると、象に似通っていると見えたのは実に上っ面な部分で、つくづく「こちらがわ」の象とは異質な存在であるらしい。

 

 私達が固まっていたのは、瞬きする程度の間でしかない。

 だが、アイツにとってはその程度の間で充分だったのだろう。その巨大な体躯をも凌ぐ鼻が鞭のように撓ったかと思えば、矢のような、銃弾のような速さでそいつは宵闇のなかを走った。

 

「――あ?」

 

 標的は、オハラだった。やっこさんは、間抜けな声を発する以外は何一つさせてもらうこともなく、その体は窓の向こうへと消える。象のようなバケモノが体についた炎をその大きな掌で払い消すと、全ては再び闇の中だ。オハラの断末魔だけが、そのなかで響き渡る。

 

「糞ったれ!」

 

 私は素早くウェブリーをホルスターに戻すと、床のホーランド&ホーランドを拾い上げて構える。

 

「オプ、扉を破れ!」

「だがオハラが――」

「無理なのは解ってんだろ! あの声だぞ!」

 

 闇の向こうの絹を裂くような断末魔は直ぐに途絶え、死に行く者特有の呻き声が微かに聞こえるのみ。それをオプも理解しているから、素早くドアの二つの蝶番を撃ち抜き、扉を蹴り開く。

 

「チェネレ!」

 

 私が言うまでもなく、彼女は既に動いていた。開いた扉の向こうに、待ち伏せていたらし小人共が飛び込んでこようとするのを、チェネレのマウザーが次々と撃ち斃す。続けてオプが散弾銃を釣瓶撃ちにすれば、これで突破口は開けた筈だ。

 

 一方、私はと言えば、あのバケモノの姿を闇の向こうに探していた。

 オハラを始末しただけで、アイツが手を緩めることはあるまい。そして私達三人のなかで、アイツに通用しそうな得物を持っているのは、私だけなのだ。

 

「ッ!」

 

 引き金を弾けば、強烈な反動と共に、8ゲージの大鉛弾が、11ドラムの大火力で撃ち出される。

 眼で捉えた訳ではない。それをするには、アイツの鼻の動きは速すぎる。

 捉えたのは微かな、本当にささやかな、空気のゆらぎ。老いたりとはいえ、そういう肌の感覚だけは、ずっと衰えることはない。

 

 ――異音。

 

 迫りくる鼻、その広がった先端へと8ゲージ弾は命中し、形容し難い音が響き渡る。

 余りの衝撃に鼻の先は吹き飛ばされ、この上ないマズルフラッシュは闇の向こうのアイツの姿を映し出す。垣間見た、光る瞳を見逃す私じゃあない。ホーランド&ホーランドには銃身がふたつ、撃鉄もふたつ、引き金もふたつある。輝く瞳に狙いを定め、素早く2つ目の引き金を弾く。

 

 ――絶叫。

 

 名状しがたい叫び声が、暗闇を貫いてどこまでも鳴り響く。

 思わずエレファント・ガンを投げ捨てて、両耳を手で塞いでしまいたい衝動に駆られるが、代わりに私は用心金の下、アンダーレバーを横に引いた。銃身と銃床とが蝶番を境にLの字型に折れ曲がる。尾筒(ブリーチ)を露出させ、手早く未だ煙吐く薬莢を引き抜くと、それをポケットに入れて――再利用するためだ――次弾を装填する。

 

 どんな生き物だろうと、眼が急所なのは変わらない。それはアチラだろうがコチラだろうが変わらないことであり、例え全身が岩のようなバケモノであろうとも、例外たり得ない。

 

 続け様に、三発目、四発目とバケモノ目掛けてぶっ放すが、流石に今度も瞳に命中とはいかなかった。三発目も四発目も、ヤツの胸の辺りに当たったが、その体を仰け反らせたのみで、肉を爆ぜさせることは愚か血を流す様すら認められなかった。

 

 だが、構わない。ハナから、急所に当てる気も無かったのだ。

 眼に一発貰って、尚且胴体に追撃を受けて、いかにアイツがバケモノでも攻撃の手は緩むはずだ。

 

「退くぞ!」

 

 私は先行するオプとチェネレとを追った。

 足元に転がる、オハラの手放した32口径を拾い上げながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライトニング達が無事だったのは僥倖だった。

 私達はこの場を離れる準備を即座に済ませると、鞍に跨り得物を変えて次なる戦いに備える。

 ホーランド&ホーランドをケースに戻し、代わりに取り出したのはもう一丁のライフル銃――主に人間を相手取る時用の得物だった。

 

 リー・スピード・スポーター。

 

 あの象みたいなバケモノは厄介な相手だが、その動きは鼻の部分を除くとお世辞にも素早いとは言えなかった。むしろ厄介なのは開けた場所で、あの小人連中が数を頼みに突っ込んでくることだから、今度はむしろコイツの出番だと言える。なにせイギリス謹製のこの銃はこの手のライフル銃としては破格の十連発であり、しかもボルトアクション――今日日流行りのタイプのメカニズムだ――ながら素早く再装填が出来る。私がその気になれば、1分間に30発程度、再装填を挟みながらでも連射できる。大勢を相手にするには最適なライフル銃だった。

 

 チェネレがモーゼルを木製ホルスターに戻して、代わりに取り出したのも、やはり大勢を相手にするのに適したライフル銃だった。

 

 1895年型の、ウィンチェスターライフル。

 

 銃身下部の筒型弾倉が基本のウィンチェスター・レバーアクションライフルにあって、リー・スピード・スポーター同様の箱型弾倉を採用したニューモデルだ。レバーアクションならではの手早さと、チューブマガジンでは用いることができなかった、強力なライフル弾との合せ技――往年のウィンチェスターの傑作銃たちに比べれば評判こそ落ちるが、しかしこいつは中々の代物だと私は思っている。それを証拠に、数あるライフル銃から、チェネレはこの銃を選び取ったのだから。

 

「……」

 

 オプはと言えば、切った張ったは私達に任せるつもりだったのか、散弾銃と小型拳銃以外は持ってきていなかったらしい。黙々と12ゲージ散弾を再装填しながら、何かモノ言いたげに私の方を見てくる。

 

「なんだ?」

「いや……少し、ね」

 

 オプは若干言い淀んでから、呟くように私へと問う。

 

「なんというか……実に慣れている(・・・・・)と思ってね」

 

 なるほど、オプの言うのも尤もである。

 あんなものを見た後に、こうも平静を保っているだけでもオプは大したモノだが、私とチェレネの見せた態度とやっこさんのそれは似て非なるものだ。オプの態度は積み重ねられた私立探偵としての技術を拠り所とするものだが、私と、それにチェレネのものは、単に初めてではないという慣れに過ぎない。……やはりチェレネも只者ではないということだ。

 

「まぁ、実際慣れているからな」

 

 私は肩をすくめて、そう返すほかなかった。

 

「……」

「いずれ、話すさ。とりあえず今は今すべきことだぜ」

 

 言いつつ、私はオハラの銃をオプへと投げ渡した。

 

「短い間だったが、肩を並べたよしみだ。一緒に仇はとってやる」

「……そうだね」

 

 オプは上着の内側にオハラの銃を潜ませながら、ほんの僅かの間だけ俯いた。

 帽子の庇に隠れて、その時の表情は見えなかったが、顔を上げた時にはもう、いつもの探偵らしい顔に戻っていた。

 

「それで、これからどうする?」

 

 私はボルトを引いて、初弾を銃身に送り込みながら歯を剥き出しにして言った。

 

「連中はこっちを攻めてる。ならむしろ連中の司令部は手薄だろう」

「!……強襲をかけるわけだね」

「前の戦争の時はよくやった手さ。幸い馬は無事だ。きっとイケるし、何より連中の意表を突ける」

 

 まさか連中も、こうも追い立てられた私達が反撃を、それも『頭狙い』をしてくるとは思うまい。

 

「鉱山の場所は解るな?」

「地図を頭に入れておくぐらいは、探偵としては当たり前のことさ」

 

 オプが力強く請け負うのに、私はさらに獰猛に笑い返した。

 

「さぁライトニング。早速の仕事だ」

 

 私は右手にリー・スピード・スポーターを掲げながら、左手で手綱を握り、新たな相棒に拍車をかける。

 目指すは、「あちらがわ」からの異邦人ども(エイリアンズ)が待ち構える鉱山。我らはまるで死の荒野を目指すカウボーイだ。

 

 こうして三人のカウボーイズは駆け出した。

 一体何が待ち構えているかも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【銃器解説ver.20200922】



-私の銃

●ウェブリー・リボルバー

 イギリスのウェブリー&スコット社製ダブルアクション・リボルバー。1887年リリース開始。マークⅠからマークⅥまでが存在し、軍・警察などで1963年まで使われたロングセラー拳銃である。.455ウェブリー弾という独自の弾丸を用いる中折式リボルバーで、日本では事実上この拳銃のコピーである『エンフィールド No.2 Mk.I』のほうが著名であるが、オリジナルはこちらである。なお、『私』はマークⅠを二丁使用している。西部開拓時代ではマークⅠに先行する同社製品、ウェブリーRICリボルバーやウェブリー・ブルドッグ・リボルバーなどが、ガンマンなどの間で時折用いられていた。


●コルトM1851ネービー・カートリッジコンバージョン

 『私』が長年愛用してきたコルト社のベストセラー傑作拳銃を、金属薬莢弾でも使用できるように改造したもの。旧式のキャップ&ボール・リボルバーへとこうした改造を施すのは、西部開拓時代ではありふれたことであった。『私』的には、最も使い慣れた拳銃である。


●ホーランド&ホーランド・ダブル8・パラドックスガン

 ロンドンに居を構える老舗高級猟銃メーカー、ホーランド&ホーランド特注の『象撃ち銃』。水平二連式で8ゲージ(83口径)という常識はずれの巨大弾を使う、まるで大砲のような銃である。『私』が用いるのはアンダーレバー式で、用心金に被さるようにして設けられたレバーを横に引くことで排莢を行い、次弾を装填できる仕組みである。なお、パラドックスガンとは銃身の殆どにはライフリングを刻まない滑腔銃でありながら、銃口付近のみにライフリングを施した、スラッグ弾を主に用いる大型動物狩猟用散弾銃ならではの構造を持った銃のことを指す。


●リー・スピード・スポーター

 大英帝国植民地で広く用いられた、軍制式小銃であるリー・メトフォードあるいはリー・エンフィールドの商用バリエーションの1つ。上記のホーランド&ホーランドような、高級猟銃を購入できない一般ハンターに好んで用いられた。『私』が用いるのはリー・メトフォードベースのもので、ボルトアクション初のボックスマガジン仕様がもたらす高速10連発という、猟銃には破格の性能を有している。また、リー・メトフォード、リー・エンフィールド系列の小銃に共通する特色として、ボルトの構造的に排莢と再装填がかなり素早く行えるため、ボルトアクションとしては連射性能が極めて高い。




-チェネレの銃

●モーゼルC96(あるいはマウザーC96)

 自動拳銃黎明期における傑作拳銃。かつて『軍用拳銃の王様』とまで呼ばれた逸品。『モーゼル・ミリタリー』という通称に反して、実は一度も軍に正式採用されていない拳銃ながら、ヨーロッパから東アジアまで、世界を跨いで広く愛用された拳銃である。使用する7.63mmモーゼル弾と比較的小口径ながら装薬量が多く、射程と速度に優れ貫通力が高い。木製のアタッチメント・ストックを兼ねた専用ホルスターが付属しており、チェネレはこれに独自の改造を施している(いわゆる『サイレンス・カスタム』)。後の英国宰相、若き日のウィンストン・チャーチルを死地より救った由緒ある拳銃でもある。


●ウィンチェスターM1895

 基本チューブマガジンのウィンチェスター・レバーアクション・ライフルにおいて、唯一ボックスマガジンを採用した本銃は極めて特異な外見を有している。様々な弾種に対応したバリエーションが多くあるが、基本的に30口径前後のライフル弾を用いる。設計者は、伝説的にして天才的なガンスミス、ジョン=ブローニング。第26代アメリカ大統領、セオドア=ローズヴェルトの愛用した銃としても知られる。ロシア帝国で正式採用された軍用銃としての側面も持っている。




-オプの銃

●S&W.32セーフティ・ハンマーレス

 いわゆる『コンシールド・ガン(衣服の下などに隠し持てる銃)』の先駆けで、中折式の32口径5連発小型リボルバー。オプが使うものは取り回しを良くするために照星を削り落とす改造が施されている。スミス&ウェッソン社は『ニュー・ディパーチャー』の通称を与えたが、コレクターの間では『レモンスクイーザー(レモン絞り器)』と主に呼ばれている。その愛称は本銃が採用したグリップ・セーフティ(グリップに備わった金具を強く握り込むことで安全装置が解除される仕様)に由来している。


●ウィンチェスターM1897

 伝説の天才ガンスミス、ジョン=ブローニングが設計した傑作散弾銃。12ゲージ弾の5連発。いわゆるポンプアクション・ショットガンの基本形となった本銃は、後に第一次世界大戦の塹壕戦で猛威を奮う事になる。トリガーを引きっぱなしにした上でスライドハンドルを素早く前後させることで、素早い連射が可能であり、この技法を『スラムファイア』と呼ぶ。銃身と機関部を分離可能で、劇中のオプのように分解して持ち運ぶことも可能だが、飽くまで収納用の機能であり、撃ち合いの直前に組み立てるのは本来推奨される使用法ではない。


●マーリンNo.32スタンダード1875・ポケットリボルバー

 マーリン社製の32口径リボルバー。リムファイア弾の5連発。その外見はスミス&ウェッソンNo.2リボルバー(坂本龍馬が愛用したことで知られる)に酷似するが、比べると本銃は相当に小さく、掌のなかに隠せそうな程。傑作西部劇映画『駅馬車』のクライマックスにおいて、印象的な使われ方をした拳銃である。マーリン社はコルト社の機械工だったジョン=マーロン=マーリンが1870年に独立して興したガンメーカーで、現在では主にレバーアクション猟銃のメーカーとして知られている(日本でも適切な手順を踏めば購入し猟銃として所有できる)。



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第5話 汝等ここに入るもの一切の望みを棄てよ

 

 

 

 

 ――身に纏わり付く、ミルクのような濃く白い霧の彼方の気配を探る。

 

 おれは目も良いが負けずに耳も良い。そもそも、エルフは押しなべて耳が良いのだが、おれのは一際だ。例え視界を遮られようとも闇のなかにあろうとも、四方へと警戒の糸を張り巡らせて、蜘蛛のように獲物は逃さない。肩に負ったエンフィールド、すぐ抜けるように腰帯に差した歯輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)二丁は準備万端で、いつでもぶっ放せる構えだ。

 

 まるで視界が効かないなかでも、ゴーレムの回す外輪が、規則的なテンポで水面を叩く音が淡々と響く。それに和すように添えられるのは、ギターの弦が等間隔に爪弾かれる低音だ。ここからは見えぬ船の反対側の船縁で、フィエロもまたおれ同様に辺りを窺っている証だった。いや、野郎だけじゃなくてクルスにフェルナンもノストローモ号の各所で周囲を張っているのだ。お嬢様のアントニアや、魔女に学者のアルカボンヌにパラシオス師、舵を取るエステバンたちは船室に籠もって、この前も見えない状況のあって尚少しでも目的地へと近づくべく、魔導と技巧を用いて船を前へ進めている筈だ。

 

 ノストローモ号は昨日と今日の境目、ちょうど真夜中頃にコスタグアナとバンダ・オリエンタルの国境を超えていた。こうして夜が明ける頃には、すっかり朝霧に囲まれていた。普通ならばこういう場合、船をどこかに停めて霧が晴れるのを待つべきであるが、しかし実際にはノストローモ号は、速度こそ絞っているものの、前進を続けている。

 

 理由は大きく2つ。

 

 ひとつは、終着点であるトラパランダへと一刻も早く辿り着くため。今はまだ川幅も広く航行も容易な『大河』の上だが、目的地に通じる支流へと入れば、こうも順調には進めないだろう。手早く越えられる場所は、さっさと通り過ぎてしまうに限る。

 

 そしてもうひとつは、このバンダ・オリエンタルで夜中に船を岸に停めるようなことをするのは、自殺志願者以外はまずしない振る舞いだからだ。地に落ちた腐肉に蟻集り蛆湧くように、人面獣心の匪賊(カンガセイロ)どもが群れ成してやって来るは必定だからだ。

 

 バンダ・オリエンタルは混沌の地獄だ。

 安住の地など猫の額程もなく、隈なく悪鬼羅刹のごとき輩が跳梁跋扈する修羅の地だ。何もかもが崩壊したこの地では、人は凡そ常に皆飢えている。そんな場所で迂闊に船を停めるなど、人喰い魚の巣食う池に生肉を投げ込むようなものだろう。

 

 

 ――『「水鳥飛び舞う川面(ユール・グア・イ)」……そんな風に呼ばれる、楽園のような地が海の彼方にあると聞く』

 

 

 サルマンティカの薔薇十字会大学が教授にして、同大学きっての碩学と名高き魔女、おれのもうひとりの先生(・・・・・・・・)、リノア=グラウコピス=コルヴォがそんなことを呟いていたのを、ふと思い出す。

 

 ――『いまだ知り得ぬこと、いまだ見得ぬもの、いまだ聞き得ぬ調べ、いまだ味わい得ぬ果実、いまだ触れ得ぬ全てが、この地には残っているから、大洋を渡るは後回し……なに、その時が来れば、君も連れて行こうじゃあないか』

 

 遂に果たされることのなかった空約束。

 その中にあって想起されたのは、今や使うものも絶えたバンダ・オリエンタルの雅名。

 かつてはこの地も、この世の楽園のような、豊かなる国と謳われた時代もあったのだ。

 

 大河の水運と、大地の恵みに満ちた、祝福されし土地。

 だがそれが故に、北東のサンタクルスと南西のパタゴニアとの争奪の地となってきたのだ。

 

 今度の内戦の発端も、サンタクルスが裏で糸を引く深紅党(コロラドス)と、それに対抗するパタゴニアの支援を受けた白亜党(ブランコス)の、もう何度目になるかも解らない小競り合いだったと聞くが、今や真相は藪の中だ。切っ掛けだなんて、そんな些細なことは今やどうでも良い程に、バンダ・オリエンタルは乱れ、ただ血は流れ続けている。もう何年になるかすら、定かでないほどに――。

 

 だが内乱に悶える深紅の大地にあっても、大河の流れは恐らく、はるか嘗てからそうであったように、人の世の営みなどとは無関係に、悠々として揺るぎない。この手の大きな川がおおよそそうであるように、バンダ・オリエンタルとパタゴニアとを隔て、また同様にコスタグアナと繋ぐ大河の流れは緩慢で、従って流水の立てる音も静かなものだった。 

 だからおれの耳は確かに、川面の下を走る魚を、空高く霧の上を飛ぶ鳥を、対岸の木々に蠢く獣共の存在を感じる。回る外輪が水を打つ音のみならず、外輪を回す歯車と歯車が噛み合い軋む音も、クランクハンドルの微妙なガタツキ、ゴーレムならではの独特の駆動音もがハッキリと聞こえてくる。

 

 そして、それら以外の音も。

 

「!」

 

 おれはその音が(かい)の音だと気がついた。

 複数の櫂が水を切る音だと。

 

 静かに立ち上がり、エンフィールドを構えつつ、耳をそばだてる。

 恐らくは底の浅いカヌーの類。ヒトやエルフなら5、6人は乗り込める程度のものだろう。数は……複数だ。四方より、このノストローモ号へと近づいてくる!

 

 歌唄い(パジャドール)だけあって耳が利くのか、フィエロも同じ音に気づいたらしく、ギターを爪弾く低音が止まる。かと思えば、急に激しいダンス用の激しい調べが奏でられたのだ。

 

 静かな朝だ。音は当然、操舵室まで響いていることだろう。

 フィエロのギターの意味をアントニアたちも理解したのか、ノストローモ号の速度が上がる。この霧の中では危険な速度だが、しかしそんな霧を縫ってこそこそ迫りくるのはより危うい連中なのは見ずとも明らかなことだった。

 

「――チィィッ!」

 

 思わず舌打ちしたのは、霧の向こうの連中もまたバレたことに気づいたが為に、一挙に迫り包囲を狭めてきたのが解ったからだ。跳ねる水しぶきの音は、連中の漕ぐ櫂の速度が劇的に上がったことを意味している。

 

 ――振動。

 

「ッッッ!?」

 

 ノストローモ号が、不意に揺れる。まるで太い流木にでもぶつかったかのようだったが、恐らくは前方から来たカヌーのひとつとぶつかったのだろう。この船は河用の平底船だから、こうした衝撃には弱く冗談のような強さで揺らいだ。

 そのゆらぎを受けてか、外輪の回転数が弱まる。この状態でスピードを出せば転覆しかねないからだろうが、しかしこの状況での減速は、賊徒どもに追いつかれることを意味する。

 

 ――船端に、何かが突き立つ音が響く。

 

 見れば、鉤爪が食い込んでいた。おれは即座に懐よりサクスを抜き放ち、鉤爪に繋がった荒縄を斬り裂く。これで一艘切り離したが、あちこちから鉤爪が木を貫く音が次々響くのを聞けば、このやり方はでは全てを捌き切ることはできないと悟る。

 それでも手当たりしだいに荒縄をサクスで切り落としていくが、遂には自分の間近の側面に、ゴツンとカヌーが当たる音を聞く。

 

 おれは雄叫びあげて乗り込もうとするカンガセイロ目掛けて、サクスを振るった。

 霧にまみれてなお、殺気に炯々と輝く瞳、髭に覆われた恐ろしい相貌、振り上げられた大鉈(マチェーテ)。おれのサクスは刃を“剣の水”に――エルフの古い言葉で、敵の血潮のことだ――濡らしながら、凶相を悲愴なものへとを切り崩し、その胸元へと蹴りをくれてやる。

 情けない叫び声を上げながら、凶賊は川面へと落ち、霧の向こうで飛沫を撒き散らす。

 しかし相手は野郎一人ではなく、次々とノストローモ号へと乗り込んでくる。

 

「来やがれ糞ども!」

 

 おれは背後の気配に気を配りながら後退する。

 乗り込んできたカンガセイロどもが、狭い船端で一直線になる、その瞬間を狙って、エンフィールドを構える。

 

 眼を殺気と悪意に爛々と輝かせ、恐ろしい得物を――マチェーテのみならず、サーベルやカットラス、小槍の類もある――をかざし、迫りくる賊徒の姿は、霧も相まって幽鬼のごとくだ。

 

 だがたとえ幽鬼が相手だったとしても、おれの得物は狙いを外さず、全てを貫くだろう。

 おれは犬歯を剥き出しに嗤いながら、引き金を弾く。

 

 ちょうど燧石が火花を発し、木切れに火が点いた時のような、乾いた心地よい音が響けば、銃口より赤い光の矢が飛び出す。それは真っ直ぐに霧を、賊徒の体を貫いて走る。エンフィールドに込めてあったのは、狙撃用ではなく近距離で効果を発揮する類の巻紙だ。撃ち出された矢は射程こそ短いが、逆に一人二人貫いた程度では威力は衰えない。五人程度の胸板をぶち抜き心臓を砕くなど訳はない。ばたばたと、船縁に死体が倒れ込む。

 

 お仲間を一気に五人も斃されて、賊徒に動揺が走るが、それを逃すおれじゃない。

 右手にエンフィールドをだらりと下げれば、空いた左手でホイールロックを抜き放つ。更に二人を撃ち殺すが、賊徒は怯まず突っ込んで来ようとするので、後退しつつ銃を持ち替える。二丁目のホイールロックを抜き、間近に迫ったカンガセイロの、その顔面を撃ち抜いて斃し、今や死体となったそいつを蹴り飛ばす。続いて乗り込んできたやつらにぶつかり、動きが止まった所を更に後退、弾の切れた得物を置いてカットラスとサクスとを左右に構えた。

 段平にドスの二刀流は、おれの得意な流儀じゃあないが、相手も再装填が済むのを待ってくれるような手合じゃあない。

 

 おれは、若干の焦りを覚え、額に冷や汗が浮かぶのを感じる。

 

 この手の賊は殺し、奪うのが目当てであって、相手を斃すことは本来二の次なのが普通だ。つまりこの手の連中とやりあう場合は、初手で派手に二、三人を血祭りにあげて、コチラが容易ならざる相手だと悟らせさえすれば良いのだ。それで普通、相手は退く。普通ならば。

 

 だが現実に、奴らは味方の死体を踏み越えて、こちらに迫ってきている。

 おれは手首を返してカットラスの刃が上に向くようにかざし、左手のサクスの刃をカットラスのやや斜め下の所で突き出した。右手のカトラスで受け、左のサクスで突く構えだ。狭い船上での戦いは、ドスのほうが段平よりも使い勝手に勝る。そして“血の櫂”――エルフの古い言葉で、剣のことだ――の戦いに長ぜぬおれには、攻めるよりも守りを固めたほうが良い。なに、今度の仕事はおれひとり(・・・・・)の仕事じゃあないのだ。『鎧の男』はともかく、それ以外の相手を、必ずしもおれが斃す必要もない。時間さえ、稼げば良いのだ。

 

 果たしておれの見込み通り、いや、見込み以上の早さで、助っ人は現れた。

 賢い彼は無意味に吠えて己の存在を気取られるようなこともせず、静かに素早く、相手の喉首に噛み付いた。

 

「――ボルグッ!?」

 

 連中の最後尾に襲いかかったのは、霧に隠れて駆けつけたスューナだった。

 奇襲に浮足立った賊徒目掛けて、おれはカットラスとサクスを振るい、逆襲する。咄嗟に振り下ろされたサーベルの刃を受け止め、跳ね上げる。たたら踏む相手にほとんど体当たりするようにサクスを突き出せば、ちょうど肝臓の辺りに吸い込まれるみたいに切っ先は突き刺さった。拳を回し刃を回し、刳りながらサクスを引き抜けば、血反吐吐き腹を朱に染めて賊徒は斃れる。よし、まずひとり。

 

 スューナは既に次なる標的へと、密林の虎のように静かに襲いかかっていた。

 おれも、それに続くべく、カットラスを振りかざし、満月の夜の狼のように咆える。

 互いにおれ達は、新たにひとりずつ斃す。

 

 賊らしからぬ獰猛さで襲いかかってきた連中が、初めて浮足立った。

 ある者は川面へ飛び込むべく駆け、ある者は船の半ばへと退いて態勢を立て直そうとした。

 

 結論から言えば、正しい選択をしたのは川面へと逃げた連中だった。

 なぜかって? そりゃ当然の話さ。

 

 ――黒い颶風走る。閃光が煌めき、刃は血に染まる。

 おれには絶対に出来ないドス捌きは、カンガセイロどもを次々と血の海に沈めていく。

 小さな黒い体躯、文字通り疾風の如きファコンの刃。黒い蟻(オルミガ・ネグラ)のクルスにかかれば、この程度の連中を(ばら)すなど訳ないことだ。

 

 

「――」

「――」

 

 

 一瞬、クルスと眼があったが、互いに一言も発することはない。これもまた当然のことだった。生憎、おれとこの黒いコボルトとは、こんな時に声を掛け合うような間柄じゃあない。

 やっこさん、すぐにおれから視線を外すと、現れた時と同じ唐突さで霧の中に消えた。その背後に旋風が起きるほどの動きだった。

 

 おれはクルスとは逆の方向に動き、置いた射手としての得物たちを手探りに掴む。辺りに敵の気配がないことを確かめ、ホイールロックとエンフィールドとに再装填する。スューナはおれの背後に回って万が一に備える。

 

 だが、おれが再装填を済ませる頃には、カンガセイロどもがようやく尻尾巻いて逃げ始めたのが音と気配で知れるようになっていた。それでもおれは呪弾を込め直したエンフィールドを構え、備え待つ。待つうちに陽はより高く上り、ようやく朝霧が晴れてくる。今や賊は、一人として残らず、引き上げているのが解った。ノストローモ号を取り囲んでいたであろうカヌーの群れは、今や僅かに川面に漣を残しているに過ぎない。

 

「……うげぇ」

 

 視界がひらけてくると同時に、霧が隠していた惨憺たる有様も顕になって来たので――それをやったのが他ならぬおれ自身だとしても――、思わず顔をしかめてしまう。

 

 血と肉とはらわたの海を泳ぐ亡骸の数々は、どれも痩せこけた惨めな姿で、髪も髭も伸び放題で凄惨たる姿だ。だが身に纏っているものはと言えば、薄汚れているとはいえ何らかの制服であったことだけは確かな代物で、おそらくはバンダ・オリエンタルの政府が健在だった頃に、大河沿いの警備を担っていた部隊のものだろう。中には元は将校だったと思しきやつまで混じっている。肩の房飾り(エポーレット)が微かに、かつての権威というやつの残滓を放っている。

 この大陸では軍隊は監獄の役割を、兵役は懲罰の役割を担っている場合もあるから、こいつらがこんな風になる前からの悪党だったのか、あるいは国が崩れて食い詰めてこうなったのかは定かじゃない。だが、前歴がどうあれ、殺す気で向かってくるなら殺すまでのことでしかない。

 

 

 それにしても――だ。

 

 

 おれは改めて、おれが殺した男たちをつぶさに見る。見て、見れば見るほど、疑問ばかりが湧き上がる。ガリガリの腕、痩けた頬、稚拙で劣悪な装備……いかに眺めようとも、命がけでおれたちに挑んでくる手合とは見えない。貧すれば鈍するとは古人の言う所だが、しかしドラゴンに挑む蟻はいないのと同じ様に、彼我の戦力差はどれだけ鈍しようとも解るほどに明らかだったろうに。

 

「ん?」

 

 スューナが、屍のひとつに近寄り、その臭いを嗅いだ。

 だが奇妙なことに彼が鼻先を向けたのは、溢れる血潮でも、飛び散った肉片でも、垂れ下がった臓物でもなく、断末魔のかたちのままに固まっているカンガセロの死相の、その大きく開けられた口だった。

 気になったおれもまた身を屈め、自分の鼻で嗅いでみる。ボルグであるスューナには及ばねども、おれは鼻が利く方だという自負がある。

 

 ゆえに気づいた。噎せ返るほどの死臭(・・)に。

 賊徒自身の発したものではない。まだ血や肉から湯気があがっている内は、死臭がすることはない。ましてやこんな饐えた臭いは。

 

 ――嫌な想像が頭を過る。

 おれはふと、カンガセイロどもの使ってたマチェーテやサーベル、カットラスの、その刃を見た。それらはどれも過剰な程に刃毀れしていて、揃いも揃って脂に曇りきっていた。二、三人(ばら)した程度では、こうはならない。

 

 間違いない。コイツラはヒトを食っている(・・・・・・・・)。それも、文字通りの意味で。

 あの炯々した眼の、危険な輝きの正体は、なるほど飢餓に裏打ちされた食欲だったとすれば、なるほど連中がああも必死に攻め立ててきた理由も解ろうというもの――いや、本当にそれだけか? 確かに飢えた連中は普通ではないことをしでかすが、あの獰猛さの裏には何かこう、ヒトならざるものの気配すらおれは感じてたのだ。

 

 

 

「あるいは、『ウェンディゴ』の仕業やも知れぬよな」

 

 

 

 唐突に背後より響いた魔女の声に、柄にもなくビクリと身を震わせる。

 いつの間に操舵室より出てきたものか、アルカボンヌが例のニヤニヤ嗤いを浮かべながら、腕組み立っていた。

 

「このバンダ・オリエンタルは今や邪霊(ダイモン)共の跳梁跋扈する万魔殿(パンデモニウム)ならば、ウェンディゴが潜むも道理が内ぞよ」

 

 なにやら一方的に語り始めたのを無視しつつも、のたまう中身は聞き流すことはできなかった。なにせ、おれが考えていたことを、この魔女めはズバリと言い当てていたのだから。

 

 バンダ・オリエンタルの内乱が止めどなく広がり、深紅の大地となりはてたその理由のひとつに、深紅党(コロラドス)白亜党(ブランコス)のいずれかが邪霊(ダイモン)の力を使い始めたことがあるのだと、おれは難民のひとりから聞いた記憶があった。

 

 

 QUOD UBIQUE、QUOD SEMPER、QUOD AD OMNIBU CREDITUM EST

 『何時(いつ)にても、何処(いずこ)にても、常に在りて、常に在ると全人に信じられしもの』

 

 自然魔術(マギア・ナトアリス)の金言にもあるように、雲の裏に、葉の陰に、砂の内に、海の底に、風の中に、あるいは永劫の彼方に、たとえ姿は見えずとも確かにそこにいる、ヒトならぬエルフならぬドワーフならぬ、コボルトならぬオークならぬ蛇人間ならぬナニか(・・・)……それは時に精霊(アガトス)と呼ばれ時に邪霊(ダイモン)と呼ばれる存在だ。呼び名の違いはソレが備えた性質に拠るが、簡単に言えば自然の法則を司るのが精霊であり、非自然なる『向こう側』に潜むのが邪霊である。

 

 

 ――『生きとし生けるもの全てを絶つ万殺の悪魔、 魔のなかの魔、 千の術を使う魔王……我が先生たる大鴉のアラマは、邪龍(アジ)ダカーハなる怪物に出会ったというが、これぞ邪霊のなかの邪霊、旧く大いなるもの(モノロス・プリミヘニオ)の一柱であったのだ。折よく「まれびと」来たらざれば、果たしてこの世はいかようになっていたものか……』

 

 

 ふと、おれはもうひとりの先生たるリノア師から聞いた、ひとつの街を死都に変え一時は国ひとつ滅ぼしかけた、邪霊の親玉の話を思い出した。邪霊とはかくのごとき恐ろしきもの……それをバンダ・オリエンタルの連中は、安易に戦力として使おうとした。権力争いに加わった全ての陣営が互いに邪霊を召喚しあったのだ。

 

 かくして河の水は血に変じ、蛙が蚋が虻が大地を覆い、病と腫れ物が猖獗を極め、雹が打ち付け蝗が全てを食いつくし、闇が降りて幼子はみな死んだ。邪霊のもたらす人智を超えた呪いと災いの数々が国土を埋め尽くした。いや、呪いが及んだのは、国土のみならず、そこに住む人々の心にもだった。狂気が、事態を最悪のものに変えたのだ。

 

 今、おれが眼にしている『共食い』どもも、十中八九そんな狂気の犠牲者なのだろう。

 ウェンディゴは、風に乗って歩む姿なき邪霊であり、ヒトの心を骨肉相食む獣に変えてしまう。このバンダ・オリエンタルならば、ウェンディゴが潜んでいても何の不思議もない。

 

「……」

 

 おれは死体の数々を見下ろした後、霧が晴れた後の辺りの景色を見渡した。そこに広がるのは、悠久なる大河の流れと、川沿いを覆う緑豊かな木々草葉、川面から飛び立つ水鳥の数々だが、おれにはその美しい景色すら、怖気を催すものとしか見えない。

 

 なるほど、ここは確かに水鳥飛び舞う川面(ユール・グア・イ)かもしれない。

 だが同時にここは地獄だ。間違いなく地獄だ。

 

 そして何が一番恐ろしいかと言えば、ここはまだその地獄の入口に過ぎないということだ。

 おれは気が付かぬ内にエンフィールドを構え、その銃床を強く強く握りしめていたのだった。

 

 

 

 



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第6話 川辺にて、至福者の住処

 

 

 

 

「ゴーレムが不調じゃ。修理と調整と、それに要する諸々の調達が為に、どこかで停まらねばならんじゃろう」

 

 既に陽は高く、時刻は昼へと近づく頃合いに、ドワーフの学者司祭の診立ての言葉がこれだった。

 

「……」

 

 このパラシオス師の提言に、アントニアはただ黙して眉根を寄せた。それはノストローモ号が、重しになる賊徒共の死体を残らず魚の餌にし、散らばった肉片と血とを手分けして掃き清めた後も、なぜか速度は上がらず、外輪の回転もやや不規則なままであることに皆が気づいた頃のことだった。パラシオス師の言葉は、その原因についてのものであったのだ。

 

 ここに鏡はないが――なくとも解る――おれも間違いなくアントニアと同じような表情をしていたことだろう。当然だ。つい今朝方、命知らずの賊徒どもの襲撃に、肝を冷やしたばかりなのだ。連中は川面を走る船にすら襲いかかった。ならば停まった船なら尚更だろう。

 

 掃除を一通り終えた後、舵取りのエステバンを除いた全員が甲板上に集まって今後の動きについて話しあっていたのだが、この談合はのっけから雲行きが怪しい気配を漂わせていて、早速雇い主と雇われ者の間で、意見の相違というやつが巻き起こり始めている有様だった。

 

「博士の言うとおりでありけるかな。恐らくは賊徒が火喰蜥蜴(サラマンドラ)の類でも投げ入れたのだろう。炉がおかしくなっておるから、無理に進めど直に止まるぞえ。そうなればそうさな――さしずめ生簀のなかの鯉といったところかのう。骨までしゃぶられて終いじゃ終いじゃ」

 

 博士の傍ら、船端に座り組んだ脚を見せつけつつ、魔女アルカボンヌは火に油を注いでくれる。場の空気をさらに悪くしながら、何が面白いのかケタケタと嗤う。……この女、自分もまたその生簀のなかの鯉の一匹に過ぎないということを忘れているのだろうか。あるいは自分は魔女だから例外であると高を括っているのだろうか。――もしこの女の増上慢が正しかったならば、リノア先生は今も健在だったことだろうに。そう思えば、怒りすらおれの心には湧く。

 

 ちなみに火喰蜥蜴(サラマンドラ)というのは赤い色をした山椒魚もどきで、ノストローモ号の動力源のような鉄製のゴレームを動かす際の、その動力の元となる燃素(フロギストン)を喰らう生き物であり、こいつに取り憑かれたゴーレムは炉が痛むか壊れるかするので、世の殆どの連中に忌み嫌われているが、匪賊盗賊林賊馬賊どもは違う。連中からすれば、獲物の足を止めるのに格好の手投げ弾代わりで、賊徒どもからは「我らが投げ玉(ボーラス)」と珍重されているそうだ。なお投げ玉(ボーラス)、あるいは三連投げ縄玉(ボレアドーラス)はガウチョどもが好んで使う、家畜や獣、そして敵を絡め取るのに使う錘付きの投げ縄のことだった。

 

「船上にて修理なさいな。その為に大金を払って雇っているのだから」

「ワシとて出来ぬものは出来ぬよ。雇われた以上、直言するのも仕事のうちじゃ」

「予備の部品の類は? 確かに積んであったと思いますけれど」

「ゴーレムの側に置いておいたのが失策だったわ。踏み込んできた連中が川に撒いてしまったようじゃの」

 

 さて、学者司祭と魔女とはノストローモ号を停めて直すことを主張し、我らが雇い主のアントニア嬢はそれに対し不満を隠さない。傍らのフェルナンはアントニアの取り巻きなのだから意見を述べたりすることもなく、ただ黙し陰気な面を晒すのみだった。メイドのトリンキュラもまた、曖昧な表情を浮かべたまま、ただ主の背後にて控えている。

 

 魔道の国コスタグアナの田舎地主の御令嬢らしく、ちゃんと都の大学で魔術をひととおり修めたという彼女だから、あるいは専門家連中の言うことに一理あると思っているのかもしれないが、一刻も早く目的地につきたいであろうアントニアの苛立ちはあからさまだった。のろのろとした船の進み具合が、それに拍車をかけている。

 

「……あなたがたはどう考えます?」

 

 雇い主のお嬢様は閉じたままの扇子を掌にぽん、ぽんと叩きつけながら、私達へと問いかける。

 クルスは即座に、ガウチョらしい朴訥さと率直さで吐き捨てるように言った。

 

「ありえねェ」

「同感だ。そうすれば生簀のなかどころか、鍋で煮殺されるハメになる」

 

 フィエロが歌唄い(パジャドール)らしい喩えを交えた警句で相棒に同意する。

 アントニアは扇子を開いて口元を隠した。いざ事が起こった時に切った張ったするガウチョどもに反論されてしまったとあれば、小賢しい文弱者(オム・ド・レトル)どもも黙るだろうと、恐らくは裏側でほくそ笑んでいるのだろう。

 果たして彼女がおれのほうへもチラと視線を向けた。言葉に出さずとも何を求められているかは解るが、生憎とおれは太鼓持ち(ブフォン)ではないので、雇い主のご意向には沿いかねるというやつだ。

 

「魔女の戯言はともかくとして、パラシオスのセンセー言うことは聞いといたほうが良いと思うがねェ」

 

 アントニアは片眉を上げる。だが、おれは雇い主の表情へとそ知らぬ顔して言葉を続けた。

 

「おれはゴーレムの専門家じゃないが、ああ見えて中身がズグダ人の絡繰鳩や、星見どもの天文時計(アストラリウム)みたいに複雑なのは知ってる。それを動かしたまま、それも揺れる船の上で直せだなんざ、それこそ『ありえねェ』よ。そこの目に一丁字もない連中にはまぁ、どだいわかんねぇことかもしれんがな」

 

 おれはせせら笑う調子で言い放ったが、これは何もいけ好かないガウチョ2人に対する当て擦りというわけじゃない。……無論、そういう気持ちが皆無かと言えば嘘になるが、それ以上にドワーフ司祭の言うことを聞くほかないと合理的に判断したまでのことだ。正直、ノストローモ号を停めるのは限りなく避けたい選択肢だが、しかしゴーレムが完全に止まるのを待つよりは、少なくとも自ずからの判断で停めるほうがずっとマシな筈だ。

 

「……」

 

 アントニアはなおも扇子で口元を隠しつつ、ジッとおれのほうを見た。怒り出すものかと思いきや、その瞳は冬の湖めいて揺るぎなく、いかなる感情も読み取ることはできない。切った張った担当の一人である所のおれが、爺様学者――と、ついでに糞ったれな魔女――の意見に同意したもんだから、何か思う所があったのか、あるいは元より学者連中の意見こそ実は理ありと見つつも、心情的に納得できず、何か納得に足るもうひと押しを求めていたのか……あるいはそのいずれでもないか。生憎と読心の術には通じないおれには見当もつかない。

 

「流石は薔薇十字会大学が碩学の直弟子なりけるかな! いずれに理があるや否や、立ちどころに見抜くとはなぁ!」

 

 ここでまたアルカボンヌが余計な台詞を吐いた。この女の物言いは不正確であるばかりでなく、有害ですらある。おれは確かにリノア先生の傍らにいた訳だが、学生というよりは下働きの小間使いであったし、ガウチョ2人は魔女の言葉で完全におれを文弱者(オム・ド・レトル)の仲間だと思った筈だ。

 ガウチョは街を、そしてそこにこそある種々を――それは文字であり、連なるレンガ造りの棟々であり、魔術仕掛けの機械である――恐れ、嫌悪している。荒野に身をおいて、そこに生きる道を選んだ彼らは馬に跨って街に背を向けた種族なのだ。連中は、街の住民たる文弱者(オム・ド・レトル)を軽蔑する。コボルトとオークの鼻持ちならないガウチョどもと仲良くするつもりなどハナから無いが、嫌われるのはともかく侮れるのは我慢できない。特に相手がオークの場合は。

 

「確かに我らはいずれも学はない。だがここでは違う学(・・・)が要る。導師博士(どうしはかせ)も、ここでは単なる素人だ」

「――所詮は、都会モンか。まぁ飛び道具頼りの細腕だ。当然だろ」

 

 フィエロは静かに、しかし断固とした侮蔑の色を浮かべながら言った。

 クルスは、飛び道具を卑怯者の武器と蔑むガウチョらしい率直さで、おれを愚弄した。

 

「所詮はガウチョか。学がないっていうのは哀しいねぇ。道理ひとつわきまえられないたぁ」

 

 おれもまた嘲弄で応じた。馬鹿にされっぱなしは耐えられない。

 

「――」

「――」

 

 クルスの手はファコンの柄頭に、おれの手は短銃のグリップにそれぞれ伸びていた。

 この間合ならばドスが速いかハジキが速いか、頗る微妙な所だ。

 

「――」

 

 フィエロはと言えば、野郎もガウチョの端くれ、ファコンのそのポンチョの下に忍ばせている筈だが、手にしたものはギターだった。またも詩歌管弦で場をおさめようというつもりか、しかしこうも高まった殺気を抑えたりできるものなのか――。

 

「およしなさい」

 

 ビシャリと、アントニアが勢いよく扇子を閉じながら言い放った。鈴の鳴るような、しかし鋭い一声に、おれもクルスも得物から手を離した。

 彼女は勢いよく、おれを、クルスをと交互に見下し睨みつける。金の巻毛が、豊かな胸が、ゆさと揺れる。

 

「下らない喧嘩をやらせるために、大枚をはたいて雇っているわけではありませんのよ。トリンキュラ!」

「はい」

「上のエステバンに伝えなさいな。港だの桟橋の類が見つかったなら、そこに船を停めなさいと」

 

 彼女がメイドに言ったことから、結局はパラシオス師や魔女、そしておれの意見に従うことに決めたと解った。

 

「ただし――必要な諸々とやらを集める仕事はパラシオス師自身とアルカボンヌ女史、そしてその護衛はエゼル、あなたにお任せしますわ。クルスとフィエロはノストローモ号を守ってもらいますとしますわ」

 

 結果、面倒な仕事はおれの方へと回ってきた。言い出した手前、仕方がないことだが、クルスの野郎がニヤリと笑ったのだけが気に障った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫く進んだ所で――この(かん)を進む(あいだ)にも、ゴーレムの調子は更に悪くなっていた――多少傷んではいたが、奇跡的にまだ使える桟橋に出会った。恐らくは近辺の住民が川で漁をしたり、対岸に渡ったりするためのモノだったのだろう。もう使う者もなく、打ち捨てられているが、それでもまだ一時船を繋いでおく程度はできそうだった。

 まず真っ先におれが降りて、具合を確かめる。多少軋むが、問題はなさそうだ。

 手招きすれば、ひょこひょことパラシオス師が、次いでアルカボンヌが不器用に降りてくる。ドワーフの老学者は案外身軽な様子で、あれなら足手まといにはならないだろう。魔女は――いざとなれば見捨てれば良いから、問題にはならない。

 

「あの程度の村ならば、ゴーレムの一体や二体はあるじゃろうて。まぁまだ何か残っていたらの話じゃが」

 

 学者司祭が指差したのは、人気のないあからさまな廃村だった。

 この大陸ではどこでも見る種類の、日干し煉瓦(アドベ)仕立ての粗末な家が立ち並ぶ姿が見える。

 

「……スューナ?」

 

 一緒に降りてきた我がボルグが、あからさまに件の村をにらみ、しきりに何かを嗅いでいる。スューナの嗅覚はおれなどよりは数倍優れていることを考えると、あの朽ち果てた村は完全に打ち捨てられたという訳でもないらしい。

 

「君のボルグの反応を見るに、どうもあの有様でも誰かしら残っているようじゃの」

 

 碩学と名高いパラシオス師だけはあり、即座にスューナの反応の意味を理解していた。

 

「はてさて、このような内乱と狂気の地にあって、荒れ果てた村に残るは狂人か乞食か……いずれにせよまともにはあらぬよなぁ」

 

 アルカボンヌとは言えば相変わらず他人事のようにケラケラと笑う。

 

「その狂人か乞食かと、テメェも相対するんだぜ」

「それは腕利きの銃士にお任せ致しけるかな」

 

 魔女は言うやいなやクルクルと回りながら、おれの背後へと隠れる。……溜め息だけ過剰に大きくついて、おれは左右の手に歯車仕掛けの短銃を構えつつ前進する。エンフィールドはスューナの背中の特注製ホルスターのなかだ。やはり出会い頭に相手を撃つなら短銃のほうが勝手には勝る。

 

「先に行く。続いて来い」

 

 おれが先頭に立ち、そのすぐ後ろにスューナが控え、パラシオス師とアルカボンヌがゆっくりと続く。

 件の村に近づくにつれて、嫌な予感はいよいよ募り始めた。理由は――におい(・・・)だ。このにおい(・・・)と相対しては、痩せ犬野良犬とは石灰と醍醐(チーズ)ほどにも格が違う、誇り高き神狼(フェンリル)(すえ)たるボルグのスューナが、ぐるると牙を剥き出しに唸り始めるほどのモノだった。

 

 それほどのにおい……その正体は『死臭』だった。

 噎せ返るほどの、吐き気を催すほどの死臭は、ひとりふたりでは当然なく、下手すればひと村まるまるの死骸を積みかさねているかのような、強烈なものだった。

 

「これは剣呑じゃな」

 

 背後でパラシオス師がボソリと呟くのが聞こえた。心中で同意しながらも、おれは黙々と前進する。そして、前進すればする程に、事態の異常性があきらかになっていく。

 

 

 死骸が、無いのだ(・・・・)

 

 

 それは結構なことなのでは、という人もあるかもしれないが、ちょいと待って頂きたいもんだ。鼻を突く程の死臭溢れる地にて、屍がひとつも見当たらないなんてことがあり得るだろうか。おれが予想していたのは、蛆湧き蠅集り鴉に禿鷹の群がる躯の山だった。だがあるべきものの姿は影すらありはしない。

 

 ――「あるいは、『ウェンディゴ』の仕業やも知れぬよな」。

 

 ふと魔女アルカボンヌの言葉が、脳裏を過る。狂気を撒いて臓腑を喰らう狂気に人々を追いやる、姿なき邪霊(ダイモン)……その存在を、おれは予感する。

 

 

「――いやいや、よく来ました。久々の客人だ」

 

 

 果たして、その予感は的中した。唐突に、廃屋の陰より現れたのは、ボロボロの制服に身を包んだ、官憲の成れの果てと思しき男だった。恐らくは駐在の巡査の類だったのだろう。

 

 

「ようこそ我らが村へ。こんな状況ですが、客人はぜひとも歓待したい」

 

 

 かつては人好きのするものであったろう微笑みをおれへと向けた。

 それに対しおれは、銃口を向けることで応じた。躊躇いもなく歯輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)の引き金を弾いた。当然だろう。誰が血染めの制服を纏い、肉片こびり付いた乱杭歯をした男の言葉を信用するだろう。

 放たれた魔弾は男の心臓を撃ち抜き、男はもんどり打って地面に倒れ臥し――すぐさま起き上がって、血走る深紅の瞳でおれを見た。

 

 ――咆哮。

 

 およそ人間の喉からは出るはずもない叫び声を、男は、いや既に人ならざる者は挙げた。

 その声を合図として、朽ちた家々の陰から、次々とウェンディゴに憑かれた人喰い鬼(グール)が飛び出してくる。

 

「かかってこい!」

 

 おれは迷うことなく、手近な相手へと再度引き金を弾く。

 禁忌に淫する至福者たちの里で、かくして死闘は始まったのだ。

 

 

 



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第7話 汝の名は何か、と、問ひ給へば

 

 

 

 魔弾は次々と撃ち放たれ、瞬く間に四匹の餓鬼の、その心の臓を射抜く。さらには飢え細った体を貫いて、その背後の餓鬼をも撃ち斃した。一瞬にして、八匹――通常の小競り合いならば、これで相手が慄き退いてケリがつくほどの大戦果。だがこれは普通の切った張ったじゃあない。

 

 獣性もあらわな、血肉に飢えた声が途切れなく次々と迸り、ヒト相手なら当然、エルフ基準でも一倍良い耳朶へと痛いほどに突き刺さる。朽ちた家々の陰から飛び出してきた、ウェンディゴ憑きどもが次々と吠えて、そのおぞましき声が辻に軒に窓に道に満ち満ちる。

 

 おれの灰色の瞳に映るのは、双眸を血走らせ蓬髪を振り乱し、血肉染み付き拭えぬ汚れに染まった乱杭歯、爪に皮に脂がこびり付く、屍肉を鷲掴みにしすぎたが故に鉤のように曲がった指という、凄絶なる有様の数々。なかには爪が剥がれた指をしている野郎もいるが――おれの眼ならば、激しく動くこの連中の、そういう細かい所まで見分けられるのさ――それは狂気に任せて餌食を襲い続けていたが為のものだろう。正気をなくした結果、どうやら痛みすら感じなくなっているらしい。

 

 つまり半端な攻撃は無意味だってことだ。一撃必殺で仕留めていかなけりゃ、連中の胃袋に収まる破目になるだろう。

 

「スューナ!」

 

 彼はその名を呼ぶだけでおれの意図を察し、体当たりで狂人どもを蹴散らしながら駆け寄って来る。その背に跳び乗り、エンフィールドを特注製のホルスターから引き抜く――代わりにカットラスを鞘走らせ、横薙ぎの一撃を迫ってきたウェンディゴ憑きにくれてやる。鋭く研がれた分厚い刃は硬いはずの頭蓋骨を突き破って、その内側の脳味噌までもを斬り裂き相手を絶命させる。元が船乗り用の段平というだけあって、カットラスはこういう至近の乱戦では無類の強さを発揮する。おれは風車のように鉈刀を振り回し、続々迫る指に手に腕を次々ずんばらりとやりながら、スューナにジグザグに走らせ相手を翻弄する。

 

「援護しろ!」

 

 パラシオス師とアルカボンヌへとおれは叫ぶ。短銃の方に再装填するには、一旦間合いを取る必要があるが、憑き物に狂った輩特有の異様な素早さと躊躇いの一切なさがために、果たせない。

 

「怠けんな! 手伝え!」

 

 実際、コイツラも文弱者(オム・ド・レトル)ども――学者司祭に魔女とは言え、紙とインクで出来た城壁に守られた象牙の塔の住人という訳でもない。こんな仕事を引き受けている時点で堅気である筈もないんだから、いくらおれがコイツラの護衛を任されたとは言え、ただ黙って眺めていて良いわけがあるかってんだ。

 

「――EXURGENT MORTUI ET AD ME VENIUNE」

 

 言われて応えたのは、やはりというかパラシオス師のほうだった。白髯の下から、古い呪文が紡がれる。その意味する所は差し詰め――。

 

『――死者は立ち上がり、我がもとに来たれり』

 

 ――といった所だろうか。

 

「ハイドラよ死より立ち、墓より這い出て我らが仇を討たんことを」

 

 ドワーフの学者司祭は現代の言葉で更に呪文を唄い、懐から布袋を取り出し、その中から一掴みの何かを取り出した。地に蒔かれたそれは、どうも何か生き物の、それも大きな肉食の生き物の歯と見えた。

 

「朽ちし亡骸よ、眠りから醒め、万人の父なる天帝(デウス)の名のもとに、我が声に応えよ!」

 

 パラシオス師がひときわ大きく唱えれば、地に蒔かれた歯が地面のなかへと沈み込んだようだった。ようだった、言うのは、おれはウェンディゴ憑き連中を相手取るのに忙しく、爺様司祭のやっていることを悠長に眺めている(いとま)もなかったからだ。

 

 そんなおれにも『その音(・・・)』だけはハッキリと聞くことが出来た。

 地面から、何かが湧き出てくるような、そんな音を。

 

 カットラスを振り回しながら音の方を盗み見れば、異様な音に似つかわしい異形の姿が、たしかにそこにある。

 かつてリノア先生に見せられた、古い写本の挿絵に描かれた、いにしえの戦士を想い起こさせる姿だった。違いがあるとすれば、目の前の戦士たちには文字通り血も肉もないことだろう。骨だ。骸骨だ。髑髏だ。骸骨の戦士がそこには立っている。

 手にした武器は青銅製と思しき、偽の金色に輝く剣と槍であり、反対の手には革とやはり青銅からなる巨大な円盾(ホプロン)を構えている。

 

竜牙兵(スパルトイ)っ!?」

 

 おれがその名を呼べば、パラシオス師は髭の下でニヤリと笑うと、地階より出し戦士たちに号令する。

 

「かかれぇいっ!」

 

 骸骨戦士たちは一斉に走り出し、後退するおれとスューナとすれ違いにウェンディゴ憑きどもへと襲いかかる。人喰いどもは鬱陶しいとばかりに――そりゃそうだ、連中目当ての血も肉も無い相手なんだから――その狂った力任せになぎ倒そうとするが、竜牙兵たちは盾の壁を組んでこれを巧みに押し返す。

 

 竜牙兵(スパルトイ)。それは死せる七頭竜(ハイドラ)の怨霊が産み出す復讐の戦士。既に死せるが故に、従って不滅である戦士たち。召喚者の意志に従い、破壊され地に戻るまで、疲れも恐れもなく戦い続ける素晴らしき戦士たちだ(しかも一度破壊されようとも、再び喚べば現れる)。ただし、数多の将校将軍の理想であろう戦士たちを喚び出すには、七頭竜(ハイドラ)の牙を要する。七頭竜(ハイドラ)は数も少なく、これを仕留めるのは至難だ。

 

「どこで手に入れたんだってんだ、あんなもの(・・・・・)!?」

 

 そう、あんなもの(・・・・・)だ。ハイドラとは一度だけ遭遇したことがあるが――本来の標的の賞金首は既にソイツに殺られていた――あんなのを相手取るのは二度とゴメンな相手だったのだ。生き延びるのに必死で、歯を持ち帰ろうなんて思いもしなかった。

 

「大枚をはたいたか、あるいは腕のいい狩人でも雇ったかよ」

 

 短銃に素早く再装填をしながら、上手く退いたおれは問いかけるが、老学者は再び髭の下でニヤリと笑い、小さく手招きをしたのだ。怪訝に思いつつも、身を屈めて耳を寄せれば、爺様はそっと囁き言った。

 

「あれは(フカ)の歯じゃよ」

「!?」

「まぁ一応大昔の、地の底より掘り出した代物ではあるがの」

 

 パラシオス師は茶目っぽく片目を瞑ってみせつつ、更に囁き嘯く。

 

精霊(アガトス)相手にせよ邪霊(ダイモン)相手にせよ、万軍の主の御名において、だまくらかしちょろまかすのも立派な自然魔術(マギア・ナトアリス)のうちよ」

 

 ……なるほど。

 おれもまことに少々とは言え、リノア先生の手ほどきで自然魔術(マギア・ナトアリス)を学んだ身の上だから、いかにこの老ドワーフのしでかしていることが高度かが理解できる。

 本来、竜牙兵(スパルトイ)というものは死せるハイドラの怨霊に応じて大地の精霊(アガトス)が産み出す代物。だがこの爺様は巧みな細工を用いて大地の精霊(アガトス)をだまくらかして竜牙兵を生じさせてみせたというのだ。普通はあの手この手を使って宥めて賺して何とかこちらの思う通りに動いて頂く(・・・・・)のが自然魔術(マギア・ナトアリス)なのだから、パラシオス師が何気なくやってのけたのは実にとんでもないことで、この老人が流石は一流のゴーレム使いであり、それだけ細工に長じていることをまざまざと見せつけられた形だ。

 

「ただ、所詮詐術は詐術よ。欺ける時間は短い。だから親玉退治はお前さんに任せるとしようかの」

 

 だがパラシオス師がさらりと付け加えた所を聞くに、万能の術と言うわけでもないらしい。制限時間というやつがあるのだろう。おれは再装填の済んだ短銃を左右に構え、改めて連中の様子を観察する。

 

 ウェンデイゴ憑きは大勢居ても、ウェンデイゴ自体の数は極めて少ない。この村の村人も恐らくは全員が取り憑かれもう取り返しもつかないことになってはいるが、この規模の村であっても残らず住民を狂わせるのにはウェンディゴ自体は一匹で足りる筈だ。

 

 ウェンディゴは別名を『風に乗りて歩むもの』という。

 その名のごとく普通に眼に見える姿は無く、あたかも風のごとくであり、そのままでは希薄な存在ゆえに決して力強いとは言えない邪霊(ダイモン)だ。だがこの邪霊はヒトに憑く。ヒトに憑いて感染し、狂気をばら撒き拡げるのだ。つまりはこの狂人共の群れのなかに、狂気だけでなくウェンディゴそのものを宿した奴が一人、必ずいるはずだ。そいつをどうにかしなければ、この地を覆う邪気が消えることは、決して無い。だとすればここで退いて一時凌ぎをしたしても、血肉に餓えたウェンデイゴ憑きどもはどこまでも追跡してきて、遂にはゴレームが壊れて追いつかれたが最後となるだろう。

 

 つまり、今この場で、ウェンディゴをどうにかするしかない。

 

「所でじゃが……プレトリウス殿はいずれであろうかのう?」

 

 言われて、初めて気づいた。

 気がつけば、あのいけ好かない魔女アルカボンヌ=プレトリウス――その姓がそんなであったことも言われて思い出した――の姿が失せている。あの女、確か二つ名は『早い足(ガンバ・セクーラ)』とかいった筈だが、早い足ってえのは逃げ足のことであったのだろうか。気に食わないだけじゃなくて役にも立たないとは実に恐れ入るこったあ。

 

 まぁあんな女ことはどうでも良い。大事なのは、このおれが今、なにをなすべきか、だ。

 

「どの程度、時間を稼げる?」

 

 おれが問えば、パラシオス師は懐から例の袋を取り出し、中身を数えて計算して言った。

 

「ふうふうみい……ざっとタバコを三、四服する程度の間かのう」

「一服し終える前に、片付ける」

 

 言うな否や、おれはスューナを走らせる。

 そして、勢いをつけて、跳んだ。

 

 戦列なす竜牙兵の上を、我武者羅に突っ込んでくるウェンディゴ憑きどもの上を、鳥のように、舞うようにスューナとおれは跳び越える。

 ウェンディゴ本体は、それに憑かれた者と違って頭が良い。ならば必ず、この村のどこかでこちらの様子を窺っている筈だ。ならば、それを叩くまで。

 

「ほうれ! お前たちのお相手はこの儂らじゃよ!」

 

 人喰いどもの一部がおれを追おうとするのを、パラシオス師が更に竜牙兵を喚び出して阻むのが、背中越しでも音だけで解った。動きが実に素早く、ちゃんと機転が利く所を見るに、やはりあの爺様も学者とは言え堅気ではないということだ。だからこそ、安心して背中を任せることができる。

 

 

 ならば、おれはおれの仕事を果たすまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 往時には栄えたと思しき村は今や荒れ果て、窓は破れ屋根は落ち、凄惨たる有様だった。最早、真っ当ないきものの姿は影一つなく、見えるのは血に飢え狂った輩ばかりだ。

 出遅れたと思しきウェンディゴ憑き物を何匹かカットラスとスューナの牙に爪とで蹴散らしながら、おれはウェンディゴ本体が取り憑いている一体を探し求める。

 

 探し当てる為のアテはある。スューナこそがそのアテだ。

 スューナの鼻ならば、本物のウェンディゴ憑きの存在を嗅ぎ分けることができるのだから。ただ単に取り返しがつかないほど狂い果てた連中と、本当に人外の化性を宿した者とでは、当然臭いだって変わってくるのだ。

 

 だが――。

 

「……ちぃっ」

 

 スューナが不意に上を向いたので合わせて見上げれば 、おれは思わず舌打ちしていた。耳先に感じるちりちりした感触、耳朶を打つ囁くような無数の地を叩く音でもしやと思っていたが、気がつけば雲模様は何やら恐ろしい速さで悪い方へと移り変わり、間もなく通り雨がひと降り来るのが間違いない様相となっていた。こいつは良くない。この手の通り雨は、スューナの鼻を狂わせてしまう。

 

「いや、むしろ好機よな、僥倖よな。かの『風に乗りて歩むもの』を相手取るならば」

 

 そんなおれの思考をあたかも読んだかのような台詞が、頭上より降ってくる。驚いて声のほうを向けば、周りの廃屋同様に荒れ果てた、かつては天帝(デウス)を祀っていたであろう神殿の跡の、その崩れかけた屋根の上にアルカボンヌは腰掛けおれを見下ろしていた。

 

「いつのまに、などと凡下凡俗な問いは発してくれるなや。かのリノア女史の内弟子ともあろう者がのぉ」

「この雨が好機ってのはどういう意味だ?」

 

 チェシャ猫――海の彼方の白い島(アルビオン)にいるという化け物――みたいな嗤いを浮かべ、何やらほざいているのを無視して、逆に問いを投げかけてやる。魔女は妖怪めいた笑みを更に深くして、得意な調子を瞳に輝かせて答える。

 

「やつは姿なき者なりけるかや。人の身に宿る内は良いが、ひとたび出ればこれを見て捉うるは能わぬよな。されど、雨と雷がやつの姿を顕にするなれば――当然が如く、事情は変じるという訳やわな」

 

 ……なるほど、そいつぁ初耳だ。手持ちの知識と照らし合わせても、理にかなったことを言っていると判断ができる。腐っても魔女であるこの女は、こと邪霊(ダイモン)に関しちゃおれよりもずっと詳しいらしい。

 

「して、ウェンディゴを見つけた所で、死神殿はいかようになさるおつもりかや?」

「……銀の矢だ。こいつを『プネウマ』を込めた呪符で撃ち出して、プネウマを纏わせて仕留める」

 

 だから普段なら無視する所を、アルカボンヌの問いに応じたのだ。この女に合わせてやって持っている知識を吐き出させたほうが、結局はおれの為になるという算用だ。ちなみにおれが言ったやり方は邪霊(ダイモン)を相手取る場合の一般的な手口だった。魔を降す銀を、聖なる息吹たるプネウマで撃ち出せば、邪霊(ダイモン)だろうと調伏することができる。調伏することはできるが、確実ではない。なにせ相手はヒトならざるモノなのだから。

 

「教本通りの手立てよな。流石はよく学んでいるでありんす――されどその発想は狩人のもの。射止めるも八卦、逃すも八卦よな。だが魔女ならば、より良い解を導き出す」

「それは?」

 

 アルカボンヌはニヤリと笑うと、何かを投げて寄越してくる。

 おれはカットラスを握っているほうで器用に掴み取るが、それは酒筒(チフレ)――牛の角を使った水筒の一種のことだ――に似ていたが、というよりもそのモノであったが、その側面には何やらルーンめいた文字が、びっしりと刻み込まれている。

 

「天帝の子、また『なんぢの名は何か』と問ひ給へば、それは答へん。『わが名はレギオン、我ら多きが故なり』」

 

 唐突に、魔女は天帝教の経文の一節を諳んじてみせたが、その意図をおれは瞬時に理解した。

 

 

 ――『兎にも角にも、まずは名を聞き出すこと。名を知ることは隠れた存在を励起させ、支配の緒となる』

 

 

 脳裏を、追憶の中のリノア先生の言葉が通り過ぎる。

 

「ウェンディゴとは種としての呼び名。だが邪霊(ダイモン)にも個別個別のまことの名前を有すのよな。名もなき草など無いが如く、名もなき花など無いが如く……」

「ならば、どう名を聞き出す? 名を聞き出せばこの酒筒(チフレ)に封ぜられるんだろ?」

 

 魔女は2つ目の質問には首肯したが、肝心の最初の問には答えず言った。

 

「さぁ? それこそ死神殿の腕の見せどころでありんす」

 

 そこが一番重要なのだが、所詮魔女は魔女ということか。

 

「だがテメェも雇われの身の上なんだ。ちゃんと金の分は働け」

 

 そう頭上のアルカボンヌ言いつつ、辺りを改めて見直す。

 気づけば空模様は一層悪くなり、廃屋からはまた新たなウェンディゴ憑きどもが這い出てきている。

 

「ところで」

 

 おれは人喰いどもへと向かっていく前に、魔女へともうひとう問いかけた。

 

「結局の所、どうやってその屋根の上まで跳んできたんだ? 何の素振りも見なかったが」

「わらわは『早い足(ガンバ・セクーラ)』。それが答えでありんす」

 

 当然、期待した答えは返ってこない。

 おれは舌打ちをくれると、スューナと共に獲物を目指して駆け出した。

 

 

 

 



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第8話 戦いの流儀、まことの勇気

 

 

 

 耳先のひりつき、鼻腔刺す酸っぱい臭い。雨と雷の気配は既に間近に迫っている。

 あの男(・・・)の使っていた黒い粉――彼はそれを『火薬』と呼んでいた――、そしておれが使う火吹き粉にとって、水と湿気は天敵だ。最初の火花が点かない限り、エンフィールドにしろホイールロックにしろ、単なる棍棒にしかならなくなる。当然、そんなことは初めから解ってる。だから、涙ぐましい努力を重ねて水気への対策は重ねて来た。今、装填されている分は問題なく撃てるだろう。だが再装填は難しい。長い鉄の武器は雷を招く恐れもある。

 

 つまりは手早く、できれば今撃てる五発以内で片付ける必要があるわけだ。

 

 ……まぁ一匹狼の賞金稼ぎなんてやってれば、こういう不利な状況は珍しくもないんだ。無論、そういう状況にならないように手立手管は用意もするが、そう何事も思い通りになるのならば、世の連中はもっとこの稼業になりたがるこったろう。そして世間は賞金稼ぎで溢れかえることだろう。だが実際はそうではないということが、現実のなんたるかを物語っている。

 

 再装填を済ませたホイールロックはいざという時に備えて腰帯に差し込んだままにしておく。

 酒筒(チフレ)についていた紐を左腕に巻き付け、落ちないようにすれば、ようやくエンフィールドを両手で構えられるようになった。

 

 カットラスは――スューナの口に咥えさせる。おれはウェンデイゴ本体を狙うのに集中したいから得物の持ち替えは最小限にしたい。加えて、誇り高き神狼(フェンリル)(すえ)たるボルグは、単なる犬っころや狼どもと違って強いだけでなく賢いのだ。刃を振るうなどお手の物、いやお口の物だし、今、彼におれが求めるのはウェンディゴ憑きどもを蹴散らすことで屠ることじゃあない(雑魚に構っている暇はない)。その点、スューナの爪はともかく牙はその手の仕事には向かないから――噛みつく動作は、飽くまで獲物が一匹の場合のみ有効なのだ――相手を薙ぎ払える段平のほうが都合が良いわけだ。

 

 スューナが爪と刃で雑魚どもを相手している間に、彼に跨るおれは全体を見通し、本当に狙うべき敵を見定める。だが仮に本体を探し出せたとして、その名前をどうやって聞き出すのかは――まだ思いついていない。あの魔女に問うても無駄なことだろう(畢竟、魔女などそういうものだ)。あるいは当初の予定通り、エンフィールドに装填された銀の矢のほうを使うことになるやもしれない。

 

 意識を、正面に戻す。

 そこで対面するのは、わらわらと、湧き出てくるウェンディゴ憑きども。……いったい、何匹いるのやら。ひとむら丸々、取り返しのつかない程に狂わせた呪力には恐れ入る。いよいよ以って、手早く片付けなければ、こっちの正気も危なくなるだろう。

 

 おれは目を見開き、耳をそばだてる。灰色の射手の瞳と、エルフの長い耳が、本当の敵を探る。だが、解ったのは目の前の連中のなかにはいないということだけ。スューナの反応が、おれの感覚の正しさを裏付けている。

 

 恐らく、やつは何処かから様子を窺っている。雑魚どもをぶつけ、こちらが消耗したところでお出ましという算段だろう。今この廃村にいるのは術師ばかりだが、あの手の人喰い邪霊(ダイモン)にとって術師は脂が乗って実に美味であるとのことだ。御馳走を手をこまねいて見過ごすことはしないだろう。

 

 だがウェンディゴは恐るべき邪霊(ダイモン)だが、百眼物見(アルゴス)がごとき千里眼の持ち主じゃあない。視力的にはヒトやエルフと大差はないだろう。つまり向こうからこちらが見える距離は、こっちにとっても見える距離であって、エンフィールドの間合いの内側だというこった。

 

 ――ウェンディゴ憑きどもが、一斉に雄叫びをあげる。

 

「スューナ!」

 

 グルルと唸れば、白刃煌めかせ黒い巨狼は走り出す。

 手当たりしだいに斬り裂き薙ぎ斃し、それでも迫る相手には鉤爪をお見舞いする。次から次にと、輩は襲いかかるが、我らは一歩も退かない。たたただ衆に寡を以って敵し続ける。

 

 おれはスューナの死角から迫る輩に、エンフィールドの銃床を叩き込みつつ、眼と耳だけは本当の獲物を探り続ける。必ず、見ている筈だ、おれのことを。そして、射手たるおれは、自分を狙うものに対しても誰よりも何よりも鋭敏な感覚を持っている。

 

「――っ!?」

 

 果たして、おれは感じ取った。

 自分を見つめる視線。餌食を狙う血塗られた殺気――スューナも同じモノを嗅ぎ取ったか低く唸る。

 連なった廃屋のなか、地面に這いつくばるような荒屋が並ぶ中で、ひときわ目を引く二階建て。恐らくはかつて酒場兼宿屋兼万屋であったろうソレの二階、締め切られた鎧戸の、僅かに破れた隙間から、真紅に妖しく輝く双眸ひとつ。

 

『――』

 

 視線がぶつかりあった時、おれは確かに感じた。

 単なる呪われた狂気に憑かれた者にはありえない、真に邪霊(ダイモン)の宿った者のみが持ちうる、明晰にして邪悪なる意志の輝きを。

 

「書け! 記せ! 記録せよ! 牢記せよ!」

 

 魔女アルカボンヌも屋根の上でそれに気づいたか、唐突に、狂ったような甲高い声で呪文を紬ぎ始める。

 

「しかして述べよ! 告げよ! 世に遍く在りて在らぬ風の精霊ども(アメモイ)よ! 同類なれど同胞ならぬ、邪なる者の名を!」

 

 おれとスューナの気配、魔女めの呪文に自分の居場所が悟られたことを、ウェンディゴも感づいたらしい。その走狗共の動きが、あからさまに変わる。遮二無二襲いかかるのピタと止めて、射線を塞ぐように群れなし陣を成し始めたのだ。

 

東風(エウロス)よ! 西風(ゼピロス)よ! 南風(ノートス)よ! 北風(ボレアス)よ! その名を呼べよ! その者が何者にあるにせよ! 男にせよ、女にせよ! 生き物にせよ、そうならざるにせよ!」

 

 魔女の絶叫を背に、おれは一瞬悩んだ。逡巡した。鎧戸の裏の標的は、今にもその姿を隠さんとしている様子だ。ここで壁越しないし鎧戸越しに相手を穿ち抜くか、あるいはよりヤツの姿があからさまになるまで待つべきか否かに、惑った。今、ここから狙えば当たるも当たらぬも半々といった所だが、されどここを逃せばウェンディゴは身をくらませるやもしれぬのだから。ひとたび逃せば、次のチャンスはないかもしれない。だが、ここで一発撃って外した場合、再装填する(いとま)はないだろう。それほどまでに、相手も数だけは多かった。

 

 引き金に掛かった指を絞るか、絞らざるか、それが問題だった。だが、ウェンディゴ憑きどもは群れなし組みなし、肉の防壁を築きつつある。迷っている時間は、無い。

 

 

 ――『良し。援護しろ』

 ――『見ての通りさ。今度こそ死んでる』

 

 

 ふと、脳裏を過る声。懐かしい声。

 スツルームの魔法使いに、一切の躊躇いもなく挑んだ、本物の戦士の声。

 

 おれは魔法はリノア先生から学んだが、戦い方は『あの男(・・・)』から学んだ。

 

 『()』は決して、特別口数の多い方ではなかった(寡黙という訳でもなかったが)。声として教わったことは限りがあるが、しかし彼はその生き様を通しておれに失せぬ何かを刻みつけた。戦いに勝って生き残る為に何が必要なのかを、そして本当の勇気とは何なのかを。

 

 勇気とは前進することであり、そして、前進せざる者に勝利はないのだと。

 

「――ふっ!」

 

 揺れるスューナの背中で、おれは息を止めてエンフィールドを構えた。

 揺れるのは視界のみならず、標的もだった。やはりというか、やつはこちらの照準から逃れるべく、鎧戸から身を離してしまった。だが、僅かに見えた残像、深紅の瞳の軌跡から、動いた向きは解っている。だがそれも、この瞬間に限ったこと。

 

 今しかない。おれは、引き金を、弾く。

 

 心地の良い衝撃が銃床に当てられた肩と頬とにぶつかり、漣のように全身へと広がる。

 最初の雷鳴が、銃声に唱和する。稲妻が闇を照らす中を、銀の矢はキラキラと光りながら空気裂いて走る。

 ウェンディゴ憑きどもが跳び上がり、山を成し、射線を遮らんとするが、無意味だった。 薄紙を破るように肉の壁を貫き銀の矢は突き進み、乾ききった土壁をぶち抜いて、その向こう側の標的へと突き立つ。

 

 ――絶叫。

 ――雷鳴。

 

 二度目の稲妻と、人ならざるものの叫びが合わさり、耳を劈かんばかりだった。 

 俄に驟雨が降り出すのと、腐った藁葺き屋根を突き破って、『ソレ(・・)』が姿を現したのは、ほぼ同時のことだった。三度目の雷と降りしきる雨粒とが、ウェンディゴの姿をあらわにする。

 

「――ッッッ!?」

 

 おれさえもが、その姿のおぞましさには、思わず息を呑んだ。

 強いて言えば、それは鹿に似ていたが、しかし本質的に動物とは異なる何かだった。

 

 頭には雄のヘラジカに似た巨大な角が生えてはいるが、細長く尖った無機質な顔は蜥蜴のようでもあり、波打つ毛の生えていない場所は、まるで肉を削ぎ落としたあとの骨のように、気色悪いぐらいつるりとしていた。逆三角形の上体をしていて、その腕に鉤爪生えた手は不自然なほど膨れ上がっているが、相反するように腹や腰は病的に細く、それでいてその両足は地均(ちなら)(じゅう)――象に似た獣、オリファントのことだ――が如く、末広がりの円錐形で、特にその蹄もない両の足裏は、扁平でいて雨粒と雷光なくば不可視であったろう呪術の火に覆われていた。

 

 ――再度、絶叫。

 ウェンディゴは苦しみ藻掻き、風にのってこの場より逃れようとする。

 おれは弾の切れたエンフィールドを左手に持ち替え、空いた右手でホイールロックを抜き放とうとした。装填されているのは通常の魔弾だが、それでも動きを一時的に止めるぐらいの役には立つはずだ。

 

「その名を述べよ風の精霊ども(アメモイ)よ! 代償と引き換えに、醍醐なるものと引き換えに、そのものの名を呼び放て!」

 

 だがアルカボンヌの呪文が、おれの右手を留めさせる。

 何かを雨降る空中に撒く音――恐らくは酒だ――が背後より響き、いよいよ完成した魔女の呪文は、風の精霊ども(アメモイ)を突き動かしたのだ。

 

『――』

 

 ひとならぬ囁き声が、おれの耳元で木霊する。

 姿なき精霊(アガトス)が、あのウェンディゴの名前を告げる。

 

 おれはホイールロックを手に取るかわりに、左手に縄で繋いだ酒筒(チフレ)の栓を抜いて、その名を高らかに呼んだのだ。

 

 

「―― I - T - H - A - Q - U - A !」

 

 

 イタクァ、あるいはイトハカだろうか。

 いずれにせよエルフの喉には著しく発音し辛い名前を、何とか絞り出すように言い放てば、空中のウェンディゴが、ほとんど風に溶けた透明なる姿の中で唯一色を宿した部分、その鬼灯みたいな赤い二つの瞳でおれの方を見た。

 

 

「 I - T - H - A - Q - U - A !!」

 

 

 だからより大きな声で、もう一度その名前を呼んでやった。

 より大きな絶叫と共に、その朧な姿がさらに掻き消えるように歪む。

 滝のように怒涛と降り注ぐ雨水すらをも吹き飛ばしながら颶風は渦巻き、旋風となって荒れ狂う。メイルストロームにのまれたかのようになすすべもなく、イタクァ、あるいはイトハカという名のウェンディゴは酒筒(チフレ)へと吸い込まれ、完全にその姿が中へと消えた所で栓をした。

 

 ――断末魔。

 

 耳が壊れるかと思うほどの、断末魔の連なりは、哀れなウェンディゴ憑きどもが一斉に発したものだった。狂気と呪いに駆られ動いたが為の反動が、その術が解けたと同時にやってきたのだろう。

 

「……」

 

 おれは改めてその有様を見渡し、柄にもなく少々ゾッとした。

 

 ついさっきまでおれたちに襲いかかってきた連中が残らず斃れ、僅かな痙攣を除けば、最早ピクリともしない。家々の間を、村の通りを、まるで埋め尽くすように屍が山をなしている。激しい雨は血や土と混ざり合って、地面を赤黒く染めていく。あるいは冥府というのはこういう風情なのかもしれない。

 

 だが今は死屍累々たる有様だが、いずれこの雨が血も肉も腐らせ、虫や獣がそれを喰らい、野ざらしになった骨も、いずれ吹きすさぶ風を前に朽ちて消えていく。

 

 内戦が始まり、邪霊(ダイモン)どもが地に撒き散らされる前に、確かにあっただろう、この村の営みも、想い出も、何もかも消え失せてしまう――それはあるいは、おれがずっと前に後にした、あの懐かしの故郷が、辿っていたやもしれない姿だったから。

 

「いやぁ大戦果! 大戦果! 見事ウェンディゴを捕らえてみせけるとは! 感服よな! 感服よな!」

 

 だがそんなおれの感傷も、いつの間にか屋根の上から降りてきていたアルカボンヌの場違いな調子に砕かれる。振り返り見れば、どこからいつのまに取り出したものか、傘をさし――見事なまでに真っ黒な蝙蝠傘だ――その下で嗤う魔女の姿がある。おれも今更ながら濡れ鼠になっている自分に気づいて、ポンチョの下から折りたたんでいた帽子を取り出して――バイカケットと呼ばれる、鳥の嘴を思わせる形をした帽子だ――被り、問う。

 

 

「なんで助けた?」

「ん?」

「とぼけんなや。死神殿の腕の見せどころだなんだってくっちゃべってた癖に、風の精霊ども(アメモイ)になんかしたろ」

「んん?」

「いくら同じ仕事を請け負った身の上同士たぁいえ、余計な貸し借りはゴメンだぜ。何が欲しい?何を引き換えにすりゃあいい?」

「んんん?」

「聞けよ」

 

 

 相変わらずの巫山戯た態度に、話がまるで進まず思わず舌打ちをくれてしまう。こんな気色悪く胡散臭く胸糞悪い輩に借りをつくるなんざ真っ平御免なのだ。何が狙いか知らないが、気の進まない取引駆け引きもさっさと済ませてしまうに限ると言うに。

 

「とりあえず、返すぜ。テメェんだから」

 

 おれはアルカボンヌへと、ウェンディゴの入った酒筒(チフレ)を放り投げようとするが、それすらも魔女の細長い手が傘の下からニュッと伸びてきて制してしまう。

 

「死神殿の名で封じた以上、ソレは死神殿のものなりければ――まぁ邪霊(ダイモン)をいかに使いこなすか、かのリノア女史の内弟子の腕前が楽しみでありんす」

 

 ……やはりこの女は先生について何か、深い所まで知っているらしい。

 だが先生との会話の中でこんな胡乱な女についての話があった記憶はないし、先生の性格的に、こんな女についての話をしなかったというのがありえないと思うのだが。

 

「御託はいいから、とっとと受け取れ――」

 

 まぁこの女相手に問いただしても煙に巻かれることだけは確かだから、ウェンディゴ入りの酒筒(チフレ)だけは無理矢理にでも渡してしまおうとするが――こんなけったいなモノは持ち歩きたくなどない――、おれはそれすら果たせなかった。なぜならだ。

 

「ほいな!」

「――ってうおっ!?」

 

 唐突に、本当に唐突に、出し抜けに、魔女めは蝙蝠傘をおれのほう目掛けて投げつけて来やがったんだ。視界が黒に覆われ、慌てて跳ね除けた時には、その姿は忽然と、煙のように消え失せてしまっていたのだから。

 

「……『早い足(ガンバ・セクーラ)』、ねぇ」

 

 地面に落ちて転がった傘に、雨が降り注ぐさまを見つめながら、おれは改めて、そのアダ名を呟いた。

 得体のしれない女ではあるが、少なくともその通り名には嘘はないらしい。

 

 

 

 

 

 その後、暫くして雨はやみ、パラシオス師は無事ゴーレムの修理に必要な諸々を見つけて船に帰ることができた。ノストローモ号では一足先に戻ったらしいアルカボンヌが掌を振ってきたが、無視する。

 ウェンディゴを封じた酒筒(チフレ)は一瞬、河に投げ捨ててしまおうかとも考えたが、色々と問題も起こりそうだから、止めた。とりあえずは雑嚢の一番奥底にしまっておくことにする。

 

 修理が終われば、雨で若干水かさと濁りを増した大河へと、再び船は漕ぎ出していく。

 決して明るいとは言えない、なにもの(・・・・)が待つとも知れない、前途へと向けて。

 

 

 

 

 




やや遅れましたが
明けましておめでとうございます


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第5幕 ヘヴンズ・ゲート

 

 

 

 

 

 

 馬の歩き方、走り方ってやつには大きく四種類ある。

 

 すなわち遅いから速いの順に並べて、常歩(ウォーク)速歩(トロット)駈歩(キャンター)襲歩(ギャロップ)の四種だ。馬ってのは存外バテやすいものだから、最も速い襲歩(ギャロップ)などは滅多に使うもんじゃあない。前の戦争の時に、本物(・・)のの騎兵連中に聞いた話だが――遊撃騎兵隊(パルティザン・レンジャー)の狙撃兵だった私や師匠にとって、馬は単に移動手段であることが多く、殆どの場合は降りてから戦っていたのだ――襲歩(ギャロップ)なんてのは突撃の最終段階、敵戦列から165フィート(フランス野郎が作ったメートルとかいう、いけ好かない単位に換算するとだいたい50メートル)程度の所に来た所で使うものなんだっていう。

 

 果たして、私はライトニングに拍車をかけて、襲歩(ギャロップ)で全力疾走させている。

 目指す方へと一直線に、「あちらがわ」からの異邦人ども(エイリアンズ)が待ち構える鉱山の奥へと向けて、荒涼たる曠野(ひろの)へと繰り出すカウボーイたちの様に私達は走る。

 

「こっちだ!」

 

 先導するのはワトスンに跨り、レストレードを手綱で曳くオプだ。私とチェネレはと言えばその真後ろを追走する形だった。まるで無人の野を行くが如く、まるで抵抗も蹉跌もなく私達は走り続けたのだ。

 ついほんの数分前まで、私達は追い詰められていた。狭い民家のなかに押し込められ、そのまま真綿で首を絞めるように縊り殺される所だった。その窮地をかろうじて脱したばかりなのだ。そんな状況で窮鼠が猫を噛むがごとく反撃に出てくるなど、天にまします我らが全能の神といえど予想だにするまいよ。

 

 事実、行く手に立ち塞がるのは僅かに私達の動きに感づいた少数の小人どもだけだったし、その小人どもも、私のリー・スピード・スポーターとチェネレの1895年型ウィンチェスターライフルの敵ではない。

 

「DUCK YOU SUCKER / 失せろ、糞ったれ」

 

 私はオプの前を塞ごうと飛び出してきた小人の一匹を、リー・スピードで撃ち斃す。並の射手ならば、激しく揺れる襲歩(ギャロップ)な騎上で標的を狙い撃つなど、夢にも思わない無理筋なこったろう。――だけどね、私は並の射手じゃあないのだ。視力こそ若かりし頃に比して衰えようとも、この間合なら外すなどあり得ない。

 

 リー・スピード・スポーターはこの頃流行りの新しいタイプのライフル銃である、ボルトアクション式の一品だ。ドイツ生まれのこの新しいメカニズムは、私的には馴染みの深いレバーアクション式を既に圧倒しつつあって――何を隠そう、ついこのあいだ合衆国陸軍が新たに採用したライフル銃からしてノルウェー産のボルトアクション式ライフルだったのだから――私も否応なく銃砲店で出くわすことが多くなっていたタイプであったのだ。いくつか触ってみたが、私的に一番しっくりと来て手に馴染むのがこのリー・スピード・スポーターだったのだ。一番軽妙洒脱にボルトを操作し、次弾を装填できるこいつを気に入ったのだが、そんなこいつがイギリス製だと聞いて私は驚き、そしてやはりイギリス製は良いと、確信を深めたもんだった。

 

 私は素早くボルトを操作し、次の弾丸を薬室へと送り込んでいく。

 新たに現れた小人目掛け照準を合わせようとして――それよりも早くにチェネレがそいつを撃ち斃す。

 

 彼女の使う1895年型のウィンチェスター・レバーアクションも、素早さという点ではリー・スピード・スポーターに負けていない。私の良く知るウィンチェスター・ライフルといえば、ライフルを名乗っているにも関わらず実際には拳銃と同じ弾をつかう連発銃であったもんだが、チェネレの1895年型はと言えば強力なライフル弾を使う仕様に進化しているのだ。レバーアクションは、馬の上で使うならボルトアクションよりも優れていると私はみなしているが、その証拠に彼女は既に再装填を済ませてしまっていて、次にと飛び出してきた小人を撃ち殺していた。

 

 ――『我観しに一匹の灰色(あおざめ)たる馬を見たり。これに乗れる者の名は死。陰府(よみ)、その後ろに従えり。彼ら、刀剣(つるぎ)、飢饉、死亡および地の猛獣を以って世の人の四分の一を殺すの(ちから)を与えられたり』

 

 チェネレの戦う姿を見るたびに、私はこの聖書の一節を思い出さずにはいられない。『墓場の灰(チェネリ・デル・カンポサント)』という二つ名そのままの姿だった。蒸気機関車のように、手足の延長のように振るうマウザー自動拳銃のように、まるで機械のような精確さで、死を積み上げて並べていく。かつて私は『地獄の使者(ザ・プレイグ)』と呼ばれ恐れられた二人組の殺し屋どもと対決し、結局はふたりとも私が異界の砂の下に沈めてやったのだが、実に恐ろしい連中だったことを覚えている。だがチェネレを前にすると、あの怖気催す我が同類どもの姿すらもが揺らいでしまう。

 

 それほどまでに、チェネレは完璧だったのだ。彼女こそはまさに灰色(あおざめ)たる馬に跨る「死」そのものだった。――ではチェネレが青褪めた死ならば、私はさしずめその後に続く地獄なのであろうか。だとすれば、私は地獄としての役割を全うさせてもらうとしよう。

 

 私達の奇襲な逆襲に、連中の方でもようやく気づき始めたらしく、立ち塞がる小人の数が増え始める。私は間合いの近い順に、次々と撃ち、斃していく。ボルトハンドルを回して上げ、引けば跳び跳ねる金の薬莢。普段ならば再利用のために拾うそれらに目もくれず、私がボルトハンドルを逆回しにしながら戻せば、撃針が自動的に引かれ、引き金を弾けばすぐさま新たな銃弾が撃ち放たれる。一発打つのに、時計の秒針がひとつ時を刻む程の間を要しない。まるでコルトでファニング・ショットするが如き連射を、ライフルで私はやってのける。

 

 順調に地獄を撒き散らしながら、私達は疾駆を続ける。

 最初は彼方に、宵闇よりも黒い威容を湛えているばかりだった鉱山が、着々とその大きさを増していく。――トラパランダ山、今度の仕事の目的地、そして恐らくは「あちらがわ」からやって来た、鎧に兜の用心棒が待ち構えている場所だ。

 

「もう少しだ! もう少しで鉱山前の飯場町まで辿り着く!」

 

 月と星の明かりが、目指す先の粗末なバラックの棟々を映し出す。あれほどまでに銃をブッ放したのに、灯りひとつ見えず、不自然なほど静まり返っている。だいたいこの手の鉱夫町の住人は総じて荒っぽく、眠りを乱されて飛び出してこないなどありえないし、そもそも博打に深酒にうつつを抜かすのがあの手の連中の常だから、だいたいこの時間帯ならまだまだ町自体が明るくなければおかしいのだ。――まぁ「あちらがわ」からワンサと色々やって来ている異常事態だ。この程度の奇妙さオカシさなんぞ、最早驚きの種足り得ないが。

 

「――っ!?」

 

 飯場町の入口には、真新しく太い木の柱が立っていたが、そこには逆さに一人の男の亡骸が吊るされていた。私には覚えのない髭面のその男は、オプには既知の者であったらしい。恐らくは、オハラのやつが言っていた「マッケルロイ」なる探偵なのだろうが、なんとまぁ無惨な姿であろうことか。前の戦争の時は、見るに堪えない怖気に震えそうな地獄絵図を、それこそ黙示録に描かれる情景――野戦病院の脇に積み上げられた、斬り落とされし手足の山や、野原に延々と広がる亡骸、木っ端微塵になって散らばり焼ける血肉――を何度と無く見てきた私でも、思わず眉をしかめる程のものだった。体に刻まれた損壊の痕は激しい拷問の証拠であり、胸に文字通りぽっかり開いた穴は、心臓を抉り出された事実を示している。……昔、ニューメキシコで仕事をした時に相手取った、神がかった頭目に率いられた盗賊団を思い出す。アステカだかマヤだか知らないが、何やら先住民(インディオ)の古い宗教を引っ張り出してきたらしいあの連中は、とっ捕まえた敵を嬲り殺しにした後に心臓を抉り出し、豆や唐辛子と一緒に煮て喰っていたという話だったが、まぁ半ば与太みたいな話だとは当時は思っていた。だが今はあの噂話も、あるいは事実だったのではと思ってしまうほどの、眼の前の景色の凄まじさよ。

 

 オプは素早く散弾銃を構えると、男を柱に繋いでいる荒縄目掛けて、銃声が響くのも構わずぶっ放した。荒縄は撃ち切らて、亡骸は地面に砂埃立てて落ちる。

 

「……」

 

 同僚の骸を見下ろすオプの顔にはいかなる表情も浮かんではいなくて、一見すると涼し気にすら見える。

 だが私から見えたのは月明かりに照らされた右の側面のみで、反対の側は影に隠れていたのだが、私の灰色の瞳は確かに、その影の裏で渦巻く姿なき憤怒の迸りを捉えていた。

 

「仇はとってやるさ、なぁそうだろ」

「――そうだね」

 

 私はリー・スピードから二丁のウェブリー・リボルバーに得物を替えながら――銃声を聞きつけた連中が飛び出してきかねないが、この地形では拳銃のほうが良い――やっこさんに声をかけたが、極めて冷静な声が返ってくる。オプもまたピンカートンの探偵だ。恐らくは同郷上がりの仲間を殺られたとは言え、その怒りは露程も見せず、ただウィンチェスター・ショットガンのフォアハンドを素早く前後させ次弾を装填する。私はオプの右後方を、チェネレもまたウィンチェスター・レバーアクションからマウザーへと持ち替えて私の左を固める。オプを先頭にして三角形の隊形だ。これならばどの方向からの攻撃にも対応できる。

 

「……」

「……」

「……」

 

 三人とも一言の口をきくこともないまま、飯場町の奥へ奥へ、その先にある鉱山を目指して進む。

 背の低い、這いつくばるような荒屋の間を通って、私達は前進する。小人共が次々と立ち塞がってきたさっきまでとは一転、我らが愛馬が蹄の地を抉り砂埃を立てる音以外は、まるでない夜の静寂(しじま)のみが空気の気味の悪さよ。不意討ちに備えて神経を張り詰めても、辺りには不自然なぐらい人気もなく、ただただこちらがくたびれるばかり。

 

 暫時そのまま進み続け、不意に広場へと出た。真ん中に井戸のあるその広場は月光に照らされて嫌に明るく、夜とは思えないほどに何もかもはっきりと見えた。

 

 

 

 

 だからこそ、ソイツの姿も、ありありとしていて、まるで白昼の下に居たかのように見つけることができた。

 

 

 

 

 私も、オプも、チェネレも、殆ど同時にソイツへとそれぞれの得物を向ける。ソイツの姿形についちゃ話でしか聞いていなかった訳だが、それだけで充分だった。宝石鉱山を蝕む教団が用心棒は間違いなくコイツであり、そして「あちら側」から来たスツルーム野郎だというのも同様に間違いではなかった。ひと目、ただひと目で私は確信した。

 

 今まで私が相対してきたスツルーム野郎どもにはある種の共通性というやつがあった。決まって奴らは庇の広い黒帽子、ケープ付きの黒外套、そして眼鏡のようにガラス状の何かで眼すらも覆う、鳥の嘴めいた奇妙な仮面……それが連中の決まった装束だった。

 

 ソイツもまた、この例に漏れなかった。ただ今までの連中と違う点は、その仮面はあからさまに鋼仕立てであることをその銀色で主張していること、そして同色に輝く胸甲を外套の下に着込んでいること。なるほど、確かにこいつぁ鎧に兜だ。綺麗に磨かれ、まるで鏡のようですらある金属の光沢は、いかにも頑丈そうでもある。

 

 ――だが、.455ウェブリー弾や高速のマウザー弾を前にしても果たしてそうかな。

 

 ソイツが井戸の縁から立ち上がるのと、私達が一斉に引き金を弾くのとは、ほぼ同時のことだった。

 銃弾は狙いを過たず、全てソイツへと吸い込まれた。

 吸い込まれ――そして消えた。

 

 血が散ることもなく。

 肉が爆ぜることもなく。

 霧へと向けて、あるいは水面を目掛けて、引き金を弾いたかのごとき、手応えのなさ。

 

「マズ――」

 

 不味いぞ退け!と、言う暇も与えず、ソイツの体は文字通り霞と化して、雪崩の雪煙のように迫り、私達へと頭から覆いかぶさってきた。

 

 そこで、私の意識は一時途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肩を揺さぶられ、眼が覚める。

 頭の内側で破鐘が途切れなく鳴るような痛みと気持ちの悪さに――滅多に無いことだが、ラムだのウィスキーどのを飲みすぎた時が如きに――苦しみながらも、私は何とか鉛めいて重い瞼を持ち上げた。

 

 灰色の瞳と、真っ向眼と眼で向かい合う。

 私の顔を覗き込むチェネレがそこにいる。右手にマウザーを油断なくぶら下げながら、左手で私の肩を揺すっていたようだ。

 

 私もまた腹に吊るしたコルトを――二丁のウェブリーはやや離れた所に転がっていた――抜きながら上体を起こせば、オプも、ライトニングにレインメーカーといった馬たちまでもが、意識を失って床の上(・・・)に寝転がっている

 

 そう、床の上(・・・)だ。深紅の、高そうなカーペットが敷かれた床の上だ。

 気づけば私達の居場所は、月と星の見下ろす砂地のバラック街から、恐ろしく広く豪奢な屋敷の広間と思しき場所へと移り変わっていた。

 

 非現実的なレベルで高い天井や、そこからぶら下がったシャンデリア――そこに輝いている灯りは、蝋燭でもガス灯でも石油ランプでもなかった――の異様な明るさに、私は即座に悟らざるを得なかった。

 

 私は、またも「こちらがわ」へとやって来てしまったのだと。

 

「――DUCK YOU SUCKER / ――マジかよ、糞ったれ」

 

 思わず私の口から漏れた毒づきに応じたように、オプに馬たちが呻きながら起き上がるのを横目に、私は先ずはどのように動くべきか考えるのであった。

 

 



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第6幕 ワン・シルバー・ダラー

 

 

 

 

 

 

 いささか唐突ではあるが、ちょいと話の筋を横道に逸して、昔語をするとしよう。

 

 

 

 

 

 世の健全(・・)なる男児諸君――聖書読み連中だの何だの、とにかく世間様が清く正しいと褒めそやす生き方をしてる連中――と異なり、私は『前の戦争』が終わって以来、永らく(たがや)すだの(あきな)うだの(すなど)るだのといった真っ当な稼業や、地に根を下ろして所帯を持つといったことから程遠い生活を送ってきた。一箇所に留まることもなく、時には蜃気楼のごとき壁を超えて『あちらがわ』に至るまで世界を彷徨い続け、命を刈り取ることで糧を得てきた。

 

 そんな私が、足を洗って生き方の大部分――全てではない――を変える切っ掛けとなったのが、チェネレとの出会いだった。

 

 燃える馬車、焼ける屍、それらの傍らに佇む黒装束。

 灰被りのような髪に、同色の、すなわち狙撃兵の瞳をした少女。

 

 およそ『こちらがわ』に生まれし者とは思えぬ、不可思議なる少女との出会いは、天使が聖母に救世主を宿したことを告げるが如くに、私へと上手く言葉にすることのできない、言うなれば霊感のようなモノを私に与えた。私は彼女を引き取り、彼女に名を与え、彼女を養っていくことになったのだ。

 

 前の戦争が、あの忌まわしいシャーマンの野郎の軍団が、私の故郷を焼き滅ぼす前の頃、まだ人を殺め道を踏み外す前の私には、父と私の他に姉に幼い妹もいたから、小さな少女と共に暮らすのは初めての経験ではない。ちなみに母は妹を産んで暫くして病気で既にこの世を去っている。父は戦死しているし、姉と妹とは生き別れて以来、もう数十年も会っていない。生死すら定かでないが、姉は私なんぞより余程強かだったから、恐らくは私と違って新しい世の中に上手く合わせて妹と仲良く生き延びていることだろう。

 

 まぁ要するに、幼かった妹の時のようにやれば良いと、そんな風に最初は思っていた訳だ。だがそんなことは全然なくて、当時の私はえらい四苦八苦させられたのだが、特に難儀したのは話が出来ないことに加え文字が通じないこと――などではなく、チェネレの表情がとかく乏しいことだった。西部じゃ文字の読めないやつは珍しくないし、話の通じないやつすら珍しくない。最近じゃめっきり増えてきた大陸(ヨーロッパ)の東の方からの移民連中なんかは英語がしゃべれない奴も多いのだ。

 

 私は西部で切った張ったの稼業をしているから、相手の言葉として出てこない気配だの態度だのを察知するのには誰よりも敏感であるという自負がある。だから他の相手であれば、例え先住民やメキシコ人連中が相手であっても少なくともこっちに害意を抱いてるか否かぐらいは即座に解るのだが、その私の眼力も、チェネレ相手だと最初のうちはまるで通じなかったのだ。あたかも大山火事の後の、動くもの全て絶えた後の灰まみれの荒れ地のように、まるで全ての感情の炎が燃え尽きてしまっているかのように、揺らがないチェネレを前にして、私もただただ戸惑うのみだった。

 

 だが、彼女も別に石や木で出来てるってわけじゃあない。稀ではあるが、チェネレが明確に、傍目に解る形で感情の揺らぎを見せる場面も確かにあった。少なくとも、両手の十指で足りぬ程度には、私はそういう場面を見たが、中でも特に記憶に残っているのが三つある。ひとつは、彼女が最初にアップルパイを頬張った時のもの。ふたつ、彼女がライフルに興味を示し、貸し与えたウィンチェスターを最初に撃ち放った時のもの。みっつ、そのウィンチェスターを手に、賞金首を初めて撃ち殺した時のもの。

 

 

 

 喜悦、興奮、そして憤怒。

 だが今、私が目の当たりにしている彼女の感情は、そのいずれでもなかった。

 

 

 

 そう。

 何故に私が昔語をこうも長々とやったのかと言えば、目の前のチェネレの表情を見て、思わず思い返してしまったからなのだ。記憶の中のどこにもない、全く新しい表情をしたチェネレが、そこにはいる。

 

「――」

 

 マウザーを油断なく構えたチェネレの灰色の双眸は血走り、息はあからさまに荒く、まるで尾を踏まれた猫みたいになっている。ここまで感情を顕にしたチェネレはやはり見たことがない。

 

 私は周囲を窺い、この異常な状況でいかに動くべきかに頭を巡らせながらも、同時に、チェネレのことも考えた。

 彼女はまるで「こちらがわ」の人間ではなく、「あちらがわ」から迷い込んできた存在なのではないかという考え自体は前からあったものだが、それがいよいよ確信に近づいたといった感じだ。今しがた起き上がったオプの反応との比較すれば、チェネレの反応が如何に特異であるか解るから。

 

「……え? あ? ここは? え? え?」

 

 冷酷非情で鉄面皮まピンカートンの探偵殿が、普段ならばまず見せない愉快な表情で、コヨーテに睨まれた羊よろしく固まってしまっているのは、後々まで酒の肴になるこったろう。まぁ無理もない。あの象みたいな化け物に襲われて慌ても騒ぎもしなかっただけ、やっこさんは大したモンだったのだ。だがいきなり辺りの景色が、それも余りに一変してしまって、冷徹な私立探偵にすら、受け止められる容量を超えてしまったのだろう。オプみたいに荒ごと慣れした連中は『心の水瓶』が大きく出来ている場合が多いが、それにしたって入る量には限度ってモンがある。ちなみに心の水瓶っていうのは私の師匠がよく言っていた言葉で、要するに恐怖だの理不尽だのに耐えられる限度を喩えた言葉だ。どれほど長く戦いの場に身を置こうとも、心の容量ってのは決して限りなく広くなることはない。だから自分の水瓶に容れられる量をちゃんと量っておくのが、ガンマンが長生きするための秘訣だ。……とは言え、えてして神様ってのは、こっちの水瓶が内から爆ぜ散る程の理不尽を、坐す天より投げ落として来るのが困りものだが。オプにとっては今度のことが、そうした耐え難き理不尽であったという訳だ。

 

 だがチェネレの見せた表情は、明らかにオプとは事情が異なっている。

 オプと違ってチェネレは、あからさまに、今何が起こっているのかを解かっている様子だった。解かっているからこそ、彼女は目を血走らせ、辺りに警戒感を顕にしている。人ならぬ化け物どもが跳梁跋扈する『あちらがわ』――いや、今やその境を超えて渡ってしまった今となってはこっちこそが『こちらがわ』になってしまったが――に来てしまったことを、それもスツルーム野郎の術によるものであることを理解しているならば、殺気立つのも当然なのだ。

 

 私も頭痛に揺れる頭を堪えながら、床に転がるウェブリーを拾い、チェネレに倣って辺りを警戒する。

 周囲を見渡せば、改めてチェネレが荒ぶるのも解る程に、異様な場所に放り込まれたのだと解る。

 

 天井はニューオリンズのセント・ルイス大聖堂が玩具に思える程に高く、それでいて降り注ぐ灯りはとても屋内とは思えない程に煌々として眩い。その光の源は遥か頭上の、金色のシャンデリアに備わった何か――放つ光の強さ故に、その詳細はここからじゃ解りようがない――だが、取り敢えずランプでもガス灯でもないのは確かだった。アラマとの仕事の際にマラカンドの街で見た夜も輝く石を思い出したが、それよりもずっとずっと強い輝きを放っているのだ。

 

 床は赤い絨毯に隈なく覆われているが、ブーツのごしの感触から、恐らくは石畳であろうことが解る。

 部屋の形状は、実に奇妙なことだが、七角形をしている。街に居ることの少ない人生を送ってきた私だが、それでも七角形の部屋なんてのは実に珍しいことぐらいは解る。白い漆喰壁には窓はなく、その代わりに一面に一つずつ、両開きの金属扉が備わっているが、これもまた実に奇妙な、独特の緑色をしていた。錆びたブロンズに似た色だが、しかしこんな湿ったような光沢を放つブロンズなど見たことがない。まるで海の底から引き上げられた石にこびり付いた、藻のような緑なのだ。恐らくは『こちらがわ』の金属なのだろう。偏執的なまでに細かい仕事な浮き彫りに描かれるのは、頭は魚で体が人間の異様な姿の怪人たちが、蝙蝠と蛸と蜥蜴と人とを組み合わせたような巨大なナニカの周りを踊り狂う様だが、何というか……ただ見ているだけで気分が悪くなるような、背筋が寒くなるような絵なので、慌てて目を離し、オプやチェネレ、そして馬たちへと視線を戻す。

 

 オプはまだ正気に戻れていないのか――それでも、その手にショットガンを構えているのは流石だ――、口をあんぐりと開けて天井を見上げており、チェネレはと言えば、私達以外には誰の影も形も見えないことに当面は危険が無さそうだと思ったのか、さっきまでよりは落ち着いて、しかし猟師と相対した狼のように一分の隙もない。もしも殺気なり敵意なりを察知すれば、即座にマウザーの銃口は跳ね上がり、標的を射抜くだろう。

 

 ライトニング、レインメーカー、そしてオプの連れてきた二頭、ワトスンにレストレードたちはと言えば、慌てる我ら人間どもと違って、平気な面して絨毯の上で暇そうにぶらぶらうろついている。……彼らのほうが余程肝が据わっているのには、少々恐縮せざるをえない。

 

「気付けだ」

「おわ!?」

 

 私は懐に、念の為にと忍ばせておいたスキットルを引っ張り出すと、オプへと投げてよこす。中身は気付け薬代わりのブランデーで、仕事中は酒を避ける私もコイツだけは別だ。こういう稼業をしていると、上物の美酒でもなければ、正気を取り戻すのに手こずる場面に出くわすのは少なくないし、それに質の良い酒は大抵の場所で取引の材料となったりもする。

 

「……」

 

 オプもまた一介のプロフェッショナルだから、一瞬、仕事中に、それもこんな殆ど敵地のど真ん中と言って良い場所で酒を呷ることに対して躊躇を見せた。しかし同時に今の自分が仕事を成し遂げるに耐え得ない状態であることも解かっていたためか、一息にラッパ飲みにする。

 

「落ち着いたか」

「……お陰でね」

 

 お上品にその注ぎ口をハンカチーフで拭った後に、スキットルをオプは投げ返してくる。

 

「それで……どうする?」

 

 ようやくいつもの自分を取り戻したらしいオプが聞いてくるのに、私は肩をすくめつつ言う。

 

「ノックでもしてみたらどうだ?」

 

 例の緑の扉にはその全てに、屋内にも関わらずノッカーが備わっていたのだ。

 七つの扉と七つの高い壁、赤い絨毯に謎めいたシャンデリア……私達を除けば、それがこの部屋の全てだった。つまり事態を進展させたければ、外に出る他はないのだ。

 

 

「……行くぞ」

 

 

 落ち着きを取り戻し、態勢を立て直し、多少時間をかけて今後のことを話し合った私達だが、結局の所、やるべきことは唯ひとつであることに変わりはなかった。あの不気味な扉のいずれかを開けて、外に出なければならないのだ。左手にウェブリーを構えながら、右手でノッカーに手を伸ばす。背後ではチェネレがマウザーを、オプがウィンチェスターのショットガンを構え、怪しげな影が見えたら即座にぶっ放せるように控えていた。

 

 ノッカーは扉の浮き彫りに描かれているのと同じ、魚人間の頭を象っていた。頭だけの意匠であるためか、浮き彫りのソレと比べるとまだマシと言える嫌悪感故に――それにしたって相当なものだが――目を離さずに見ることが出来るが、それにしても、これほど醜いドアノッカーには終ぞお目にかかったことがない。バカ正直に感想を述べるなら、作り手の正気を疑う、といった所だろう。そして、そんなドアノッカー以上に作り手の正気を疑うようなデザインをした扉を、何と七つもこの部屋に備え付けた館の主の正気もまた同様に疑わしく、この先ソイツと出くわすかもしれないことを考えると頗る憂鬱になる。

 

 しかし憂えども(ふさ)げど、結局の所、やるべきことは唯ひとつであることに変わりはない。

 私はノッカーでゴンゴンと扉を叩いたが――やはりというか。耳慣れぬ謎めいた金属音がした――、待てど暮らせど返事はない。チラリと振り返りオプのほうを見るが、やっこさん、黙して頷くばかり。私は意を決してノブを回し、重い扉を体で押して勢いよく開け放った!

 

 

 ……三人揃って得物を構え踏み込んだ先で、私ら三人は拍子抜けし、そして慄然とした。

 視界に飛び込んできたのは、今しがた飛び出した部屋と全く同じ形をした、七角形の部屋だったのだから。

 

 

 冷や汗な流れるのを背に覚えながら、私は躊躇うことなく部屋を突っ切り、反対側の扉を、今度は実に無造作に開いてみた。

 

「――DUCK YOU SUCKER / ――マジかよ、糞ったれ」

 

 またもそんな言葉が、自然と口から漏れ出てくる。

 扉の向こうには、最初の部屋とも、第二の部屋とも全く変わらぬ景色が広がっていた。つまり、高い天井、謎めいた灯り、赤い絨毯、そして七枚の壁と七つの不気味な扉。そしてそれは、他の六つの扉を二組、つまり十二開いてもなお同じだった。

 

 

 人生ってのは、良くも悪くも色んなことが起こる。

 

 

 恐らくは船でも馬でも、そして蒸気機関車でも辿り着くこと能わない「あちらがわ」へと迷い込んでみたり、そこで豚面の悪鬼だの悪の魔法使いだのこの世を滅ぼしうる邪竜だのと戦う破目になってみたりする。私のこれまでの人生は、そうした常軌を逸した出来事の積み重ねに他ならないのだが、そんな私ですら、今度の事態には途方に暮れた。

 

「――『そして女王は御子を生み落とし、御子はアステリオーンと呼ばれた』」

 

 唐突に、オプが何やら昔の本に書いてあるらしき言葉を引用してみせた。それは今や懐かしい、かつての戦友「キッド」を思わせる行いだった。後に私が問うのにオプが答えた所によると、ギリシアとかいう土地の古い古い御伽噺の一節で、迷宮(ラビリンス)に――この言葉自体が、私には未知のものだった――閉じ込められた牛の頭をした怪人の物語の一部であるらしい。

 

 ……私達には角もなければ斑もないが、しかし囚われ人であると言う点は、そのアステリオーンとかいう怪物と確かに同じだ。こいつは困難な事態である。これまでの騒動は結局の所、全て心意気と片手にぶら下げた(ガン)の力で乗り切ったのだが、今度の場合は別の知恵が要る。

 

「……」

 

 懐から一枚の1ドル銀貨を取り出した私は、左の親指にそれを載せて、思い切り弾いてみせる。

 頭上より降りる輝きに、いよいよ銀色に煌々と閃きながら、1ドル銀貨は我が拳の内側に収まる。

 掌の上で翼を広げる、白頭鷲の嘴の向く先を見れば、私から見て左から二番目の扉がある。

 

 ――まぁいいさ。とにかく進むしかねぇんだろよ。

 

 無造作に歩み寄り、私はノブを捻った。

 

 






劇中のオプの引用の原典はアポロドロスの『ギリシア神話』であるが
ここではホルヘ・ルイス・ボルヘス『アステリオーンの家(訳:土岐恒二)』のものに依った


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第7幕 ホームズ・オン・ザ・レインジ

 

 

 

 

 

 

『お前の迷路には三本、余計な線がある。ギリシアの迷路を知っているが、これは一本の直線だ。その線のなかで、じつに多くの哲学者が迷った。一介の刑事(ディテクティヴ)が迷ったって、ちっともおかしくない』

 

 ――ホルヘ=ルイス=ボルヘス『死とコンパス』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 振りかぶって、ナイフを放り投げる。

 

 くるくると廻りながら飛ぶ白刃は、真っ直ぐに壁へと突き立ち、ボロボロと白い粉を、赤い(・・)絨毯へと撒き散らす。……わざわざ強調して言及してみせたのは、既に砕けた漆喰が、ユタ州の冬の雪のように一面を覆って赤が殆ど見えなくなってしまっているからだ。私は歩み寄ってナイフを引き抜くと、またも自分で定めた立ち位置へと戻り、またも振りかぶってナイフを投げつける。今度はさっきよりやや上の位置に突き刺さり、『L』の字を完成させる。

 

 やや距離をとって、ようやく出来上がった代物をじっくり眺め、その出来栄えに満足しつつ、同時に相反するように徒労の溜息が湧き出てくるのを止め得ない。いったい何をやってんだろうかと、そんな想いが止まらないのだ。

 

 私が投げナイフを使って壁に刻みつけたのは『R』『E』『L』の三文字で、我らが北ヴァージニア軍を率いた偉大なるロバート=エドワード=リー将軍のイニシャルだ。それをナイフ投げだけで壁に描くという遊びだ。……なんでそんなことをこの状況でしているのかだって? そんなもの、決まっているだろう。

 

 

 ヒマだからだ。

 暇で、ひまで、ヒマだからだ。

 

 

 チェネレにすらこの有閑は持て余すものであったらしく、さっきから延々と馬たちの毛繕いをしている。既にライトニングにレインメーカーに対しては全身隈なく済ませてしまっていて、今はオプの乗ってきたワトスンにブラシをかけている。ワトスンは実に気持ちよさそうにしているが、相方のレストレードや、ライトニングにレインメーカーはと言えば、彼らもまた手持ち無沙汰とばかりにフラフラ部屋の中をぶらつている。床は絨毯だから喰む草もなく、いよいよやることがない格好だった。

 

 最初からこうではなかったのだ。

 ちゃんと銃の手入れや再装填、持ち物の確認などなど、予期せぬ事態や何者かの奇襲に備えつつ、真面目に出口を探していたのだ、私らは。

 

 

 けれども。

 けれどもだ。

 

 

 開けても開けても、延々と続く同じ景色、代わり映えしない風景。終わりはまるで見えることもない。

 お手上げである。諸手を挙げて降参である。切った張ったは人並み以上に得意だし、深い森や乾いた荒野で生きる術ならば誰よりも詳しいと豪語できる。だが、月も星も見えず、風がひとそよぎもせず、土はおろか砂粒も見えないこんな謎めいた屋敷――オプの言う所の迷宮(ラビリンス)――より抜け出す術など知るわけもない。いかに私が人一倍優れたガンマンであっても、出来ることと出来ないことってのがあるのだ。

 

 果たしてこの状況に対して私は、余りにも場違いで門外漢であったのだ。

 出来ることもすることも無くなり、次に打つべき手も思い浮かばない私には、子どもみたいな遊びに耽って時間を潰すぐらいしか、もうすることもなくなっていた。

 

 チラと、開け放たれた扉の一つに眼を遣る。

 その扉の真ん前には、目印代わりなのか、やっこさんの荷物一式がでんと置いてある。やっこさん――すなわちオプの姿は見えない。私らが途方にくれる一方で――と言ってもチェネレは仮面みたいに表情が動かないので、飽くまで私のような馴れた人間に解る雰囲気の変化でのみ察することが出来る程度にだが――、オプはと言えば突然に、鞄から色々な道具類を持ち出してきたかと思えば、熱心に床を調べ始めたのだ。右手に何やら手持ちの眼鏡を――虫眼鏡だとか拡大鏡だとか言うらしい――携えて、犬のように地面に這いつくばりながら、しきりに何か(・・)を探している。

 

 やっこさん、私が訊くのにも答えないでどこかに行ってしまったので、何を探しているのやらサッパリわからない。だが現状、やっこさん以外になにがしか現状をどうにかする手立てを持っている者もいないわけだし、オプに任せて我々は暇している他はないのだ。

 

 私は大あくびをすると、改めてオプの旅行鞄に視線を向け、ふと開かれた口から覗くペーパバックに眼を留めた。

 取り出してみると、それは道すがらの汽車のなかでオプが読んでいたやつで、表紙には『シャーロック=ホームズ』のタイトルが踊っている。

 

 私は余り読書を好む方でもない。

 

 父のおかげで西部の流れ者にしては珍しく読み書きの出来る私ではあるが、書く方は相当に怪しく、読むほうにしたってお世辞にも出来が良いとは言い難い。だから読み慣れた聖書や、情報収集のための新聞は読んでも、本を好んで読むことはない。せいぜい、無聊の慰みに三文小説(ダイム・ノベル)に時たま手を伸ばす程度だった。

 だが自分自身の無法者人生を振り返った得た教訓は、何だかんだで読み書きは出来たほうが役に立つってことだ。近頃では西部でもあのいけ好かない、お勉強がお得意でお高く止まった北部紳士(ヤンキー)どもがやって来て幅を利かせ、エゴを振り回している様を見るに、余計にそう感じる。だからこそチェネレにはちゃんと先生をつけてやったりしているのだが、生憎、当の私はと言えば新たに学び直すには齢を取りすぎている。

 

「……」

 

 パラパラとページを捲って見るに、どうやら固い本ではなく読み物であるらしい。私は他にすることもないので、とりあえずこのオプの本で時間を潰すことに――。

 

 

「……見つけたぁ!」

 

 

 ――はならなかった。

 それは彼方からの声であったから、私の耳でもかろうじて聞こえるかどうかという、遠い響きであったが、しかし確かに聞こえたのだ。チェネレも同じものが聞こえたらしく、毛繕い止めて、聞こえてきた方へと視線を向けている。

 

 

 

「……遂に見つけたぞぉ!」

 

 

 

 

 私は『シャーロック=ホームズ』をオプの鞄に戻すと、チェネレに付いてくるように顎でしゃくった。

 左右のウェブリーを、改めてホルスターから抜き差しして具合を確かめてから、声のするほうへ歩き出そうとして、読みそこねた『シャーロック=ホームズ』をチラと見る。……やや中身が気になり始めていた所だったので、なんとも梯子を外された感じだが、まぁ良い、別の機会に借りて読めば済む話だ。

 

 

 

 

 

 

 オプのもとへと向かうのは、比較的簡単だった。やっこさん、道標として通った部屋に目印を描き込んでいてくれていたのだ。それなりの距離を歩き、相当な数の部屋と扉を潜り抜ければ、オプと再会することが出来た。

 

「――」

 

 オプはと言えば、私達に目もくれず、相変わらず犬のように地面に這いつくばりながら、例の『虫眼鏡』とやらで絨毯床を覗き込んでいる。傍から見れば気でも触れたのかと思う所業だが、だが私はよぉく知っている、このタフで狡猾剽悍なピンカートンの探偵殿は、この程度の突拍子もない事態程度で正気を失くす程度の、可愛らしい人間には出来ていないと。

 

 むしろオプの有様に対して私が抱いたのは、なぜか既視感だった。こんなオプに出くわしたのは今度のことが初めてだが、はてさて――などと思い巡らす内に、直ぐにその源に気がついた。何ということはない、ついさっき読みそこねたばかりの小説の挿絵に、今のオプそっくりそのままな姿が描かれていたのだ。……ちゃんと読んだわけではないので断言しかねるが、あの小説はどうも探偵ものであったような。よもやオプがデイビー・クロケットやダニエル・ブーン、ワイルド・ビル・ヒコックのごっこ遊びに興じる子どもみたいなことを知てるんじゃあるまいなと、よからぬ疑いが膨れ上がるが、これを頭を横に振って振い落す。相手はピンカートンの探偵だ。そんな馬鹿な真似はすまい。

 

「……やはり! やはりだ! やはり見つけた! 見つけたぞ!」

「で、何を見つけたんだ?」

 

 出し抜けに問えば、私達が背後に立っていたことに初めて気づいたのか、珍しくギョッとした顔で慌てて振り返る。しかしその表情は直ぐに喜色満面のものに転じて、実に気色悪いことこの上ない。

 

「手がかりだ! ここから抜け出す手がかりを見つけたんだよ!」

 

 そう言ってオプが指差したのは、扉にほど近い絨毯の一角で、良く見ると何やら土で汚れているのが解る。

 

「……」

 

 私は背後を振り返り、自分が歩いてきた道に刻まれた足跡を見た。ブーツにこびりついたニューメキシコの砂や土が、豪奢な絨毯を見事に汚して見せている。

 

「土や砂の足跡がなんだって言いたいんだろう? でもね――“You see, but you do not observe. The distinction is clear.”さ。コイツで見ると解るが、こっちの足跡はその砂や土の元が違うのさ」

「!」

 

 私は訳のわからない引用は聞き流しつつ、オプから虫眼鏡を借り受けると、同じように這いずって足跡をつぶさに眺めた。……なるほど、確かにこの赤土はニューメキシコのものとはあからさまに違うのが解る。私だって猟師の端くれだ。足跡や痕跡で姿もまだ見えぬ獲物を追うのは初めてではない。

 

「この足跡がはたしてこの館の住人のものなのか、はたまた僕ら同様に迷い込んだ者たちのものなのか――いずれにせよ、ここにこのまま居ても手詰まりだろう?」

 

 得意げに笑うオプの面には、実に腹が立つが、やっこさんの言うことが正しい。ならばひとまずやることは、置いてきたライトニングたちを連れてくることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――かくして1時間ほど、地道な探索を続けたあとのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!」

「!」

「――」

 

 一斉に、私たち三人は顔を見合わせた。

 

「聞こえたか?」

「聞こえた」

「……」

 

 チェネレもこくこくと頷いている辺り、幻聴ではないらしい。音のしたほうの扉を開けると、更にハッキリと聞き取れるようになる。私達は這いずり回るのを止めて、今度はそば耳を立てて進み始める。新たに五つ程扉を開き、新たに6つ目の部屋に入った時、それまでは朧気にしか聞こえなかった音の正体が、遂にハッキリとした形で聞き取れるようになる。

 

 果たして、それは歌だった。

 間違いなく女の声の奏でる、実に実に美しい歌だった。

 

 

 

 

 来よ、これ黄なる真砂に、さて取れや手と手を。

 

 会釈し終えて、接吻(キス)して、荒浪も()ぎぬ。

 

 しなよく踊れ、ここに、そこに。

 

 はしき精霊(すだま)よ、歌へ、(はや)せ。

 

 聞けや、聞けや! 犬こそ吠ゆれ!

 

 聞けや、聞けや、啼くよ容態ぶったる庭鳥!

 

 

 

 

 聞こえてくるのは、このような奇怪極まる歌詞だった。

 私とオプは顔を見合わせるが、互いに首を傾げるばかり。

 歌声は、私達からみて左の扉から聞こえてくる。オプが散弾銃に初弾を装填し、チェネレがマウザーに拳銃嚢兼銃床(ストック・ホルスター)を取り付け、私は右手のドアノブを握り、左手にはウェブリー・リボルバーを構える。

 

 

 

 

 五尋(いつひろ)深き水底(みなぞこ)に、御父上は臥したまふ。

 

 御骨(みほね)は珊瑚、真珠こそ、その以前(かみ)、君が御龍眼(おんまなこ)

 

 御體(ぎょたい)一切(なべて)朽ちもせで、(たから)と化しぬ海に入りて。

 

 聞かずや海の女神らが、あれあれ、君を弔う鐘!

 

 

 

 

 続く歌を聞き流しながら――実に美しいものであるだけに、それは実に困難を伴った――、その歌が切りよく途切れた所で、私は扉を開け放った。オプが、チェネレが、そして私もが、最初に見えた人影に銃口を擬し――そして揃いも揃って固まってしまった。

 

 私らの視界は突然に開け、燦々とした陽の光が降り注ぐ、緑豊かな庭らしきものが広がっている様に出くわす。その庭の中央には、さっきまで響いていた歌の主と思われる女がひとり立ち、キョトンとした様子で私達を見ている。私達が動きを止めてしまったのは、急に目に飛び込んできた日差しの眩しさ故ではない。そこに佇む女の姿を見てしまったからだった。

 

 未だ伴侶こそ無いものの、私だって色んな女とこれまで巡り合ってきた。その中で最も思い出深いのはやはりアラマだが、しかし彼女が私にとって特別なのは、単に容姿容貌を超えた、その強い心に惹かれるからだ。だが、単に見た目だけで言うならば、今相対したこの女ほどに美しい女に、私は出会ったことがない。

 

 

 髪は緑がかった銀色で、風にそよぐ様は絹糸のごとく。

 瞳は淡い青であり、光の加減によっては翠にも見える、不思議な輝きを放つ。

 肌は抜けるように白く、しかも曇り一つとして無く、殆ど非人間的であると言っていい。

 ほっそりとした腕や腹、それと相反するように豊かな乳房に腰、それらを覆うのは白い薄絹で、余りの薄さに素晴らしい肢体の全てが透けて見えていた。

 

「……」

『……』

 

 手首や首に巻かれた、金鎖の飾りが揺らぎ、鈴のような音を立てた。

 暫しの見つめ合いは、美しい女が言葉にならない声を小さく上げると、その口を両手で覆うやいなや、脱兎のごとく走り出したのだ。その身軽さは言葉とおり野兎めいていて、瞬く間にその背後の生け垣の向こうへと消えてしまったのだ。

 

 呆気にとられた私達は、やや出遅れながらもその影を追って走り出す。

 謎めいた館の外の、これまた迷路のような庭、その入り組んだ高い生け垣のなかを、足音を頼りに私達は追う。

 

 迷路に次ぐ迷路が意識を幻惑するも、そこはガンマンたる私だ、猟犬のごとき直向きさで美しい女を追い駆け、遂に追いつくことができた。

 

 

『何者だ? どうやって入ってきた? そう易々と抜けられる我が屋敷ではないのだがな』

 

 

 女はそこにいたが、独りでではなかった。

 男だ、男がいた。女ほどではないが、これまた中々の美青年だった。

 

 波打つ金髪。

 鋭い目つきに太い眉、鳶色の瞳。

 そしてメキシコ人の着るような白い上下は、恐らくは恐ろしく金のかかった仕立ての良いものとひと目で解かった。

 

 

『して……わたしの(・・・・)エアリアルに何のようかな? 来訪者、まれびとどもよ』

 

 

 男は、驕慢な様を隠すこと無い、堂々たる声で私達へと問いかけた。

 

 

 これが私達と、プロスペロ=“コンセリェイロ”=メディオラヌム――このトラパランダ島の主たる魔法使いとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 冒頭の『死とコンパス』の引用は、鼓直氏訳の『伝奇集』に拠っています。


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第8幕 キラー・キャリバー“36”

 

 

 

 

 北部野郎(ヤンキー)どもの言うところの『我らがアメリカ合衆国』は――その我ら(・・)とやらに私ら南部人が含まれているのかは、甚だ疑問だ――いかなる身分も存在しない、自由な共和国であるとのこった。なるほど、確かに。私にとっては素晴らしきライフルの国であるイギリスのような貴族はアメリカにはいないし、ドイツだのロシアだのオーストリアだのといった旧大陸(ヨーロッパ)の国々違って皇帝陛下もおわしませぬ国であるこった確かだ。事実私も生まれこの方、やれ地主だの銀行家だの株屋だの成金だのとは出くわしても、本物のやんごとなき御方々とは『こちらがわ』を除いてはお目にかかったことがない。

 

 そう、『こちらがわ』を除いて、だ。

 『こちらがわ』では、何度も王侯貴族に出くわしたし、時にはその仕事を引き受けたことすらあるのだ。ならばこそ解るのは、目の前の美青年が紛うことなき貴種であるということ。ナルセー王……彼は妾腹ではあったが、それでも歴とした王族の出であり、何とも形容しがたい、学のない私には上手い言葉が見つからないが、独特の気配とでもいうべきものを身にまとっていて、とにかく彼には相対する者を自然と畏まらせる何かがあったのだ。そして目の前の美青年にもそれに類する何かが確かに備わっていた。

 

 果たして、私は無意識の内に銃口を下げていた。そのことに気がついて、慌ててウェブリー・リボルバーを構え直し、目の前の美青年へと狙いを定める。――忘れるな、あるいはここは敵地かもしれないのだ。現についさっきまで、面妖な迷路に囚われていたばかりであるし、『こちらがわ』に来る直前には、化け物ども相手に切った貼ったしていたのだから。オプもチェネレも、私に続いて得物を掲げ、擬した。

 

『――無礼者どもめ。主の問いに答えぬ客人(まろうど)があろうものか、なぁまれびと(・・・・)どもよ』

 

 だが3つの銃口を向けられているにもかかわらず、金髪の若者は眉一つ動かさず、泰然自若として揺るぎない。例の美しい女は、そんな青年の背後に隠れ、僅かに目だけだしてこっちの様子を窺っていた。

 

「生憎と、こちとら招かれざる客でね。互いにとっての」

 

 私はそう、礼をわきまえぬ軽口で応じつつ、改めて青年の姿をつぶさに観察する。

 

 肩口まである長い金髪は波打ちつつ燦々として、それは身にまとった純白の上下よりもなお白く輝いて見える。目つきは鋭く、眉は意志の強さを感じさせる太太としたつくりで、瞳は鳶色をしていた。『こちらがわ』の住人の装束といういうやつは、私らの側からすれば時代がかっていたり、あるいは奇異に見えたりするものであることが多かったが、この青年が着ているのは私からも見慣れた意匠で、メキシコの騎手(チャロ)のものに近かった。首元の空色のネクタイが不意に吹いた風に揺れている。

 青年は左手はだらりと下げて、右掌はステッキの握りの上に緩く載せている。握りは象牙仕立てであるらしく、あの独特の黄色がかった白い光沢を放っている。その意匠は、どうも蝙蝠と蛸と蜥蜴と人とを組み合わせたような異形であり、ハッキリ言って、極めて趣味が悪いと評さざるを得ない。全く同じデザインをあの迷宮の、奇妙な緑の金属扉でもみたが、つくづくコイツを作ったヤツの正気を疑うような代物だし、それをステッキの握りなんぞにしているこの青年も、やはりマトモな手合とは思い難い。『こちらがわ』の魔法使いたちは決まって杖の類を携えていたことも考えれば、いよいよ警戒せねばならないだろう。

 

『……互いにとっての?』

「互いにとっての、さ。まれびとの常だが、迷い込んできた口でね」

 

 この青年は、さっき私らのことを「まれびと」と呼んだ。その言葉を知るものならば、その多くが訳も分からず「こちらがわ」にやって来た者であることを当然、知っているだろう。ならば、多少の無礼程度は勘弁してもらいたいもんだ。

 

『……』

 

 青年は胡乱げな目で私らのことを暫く眺めていたが、不意に左手で背後の美しい女へと――青年は彼女のことをエアリアルと呼んでいた――追い払うような仕草をした。エアリアルと呼ばれた美しい女は、瞳の淡い青を不安に揺らしながら、金鎖を鈴のように鳴らしつつ、なおも広がる生け垣の向こうへと姿を消した。

 

『……立ち話もなんである。ついてくるが良かろうさ』

 

 青年はそう言うと、私らへと背を向け歩きだした。どうも右足の調子が悪いらしく、歩く様はぎこちなく、一歩ごとにステッキをついていた。

 

「……」

「……」

「――」

 

 私ら三人は顔を見合わせた。

 オプは、ついて行って良いものか判断しかねる様子で、基本的に不敵なやっこさんには珍しく、視線で私に決断を促してくる。チェネレはと言えば『こちらがわ』に来た当初の感情の乱れも今や遥か彼方で、相変わらずの茫洋とした顔でジッと私の方を見るのみだ。

 溜息をひとつ、肩をすくめ、私は青年のあとを追う。他にしようも無いし、行くあてもない。オプとチェネレも、唯々と私に続いた。

 

「しかし……大丈夫なのかい?」

「何がだ?」

「いや……あの若い男は、貴族の出だろう? そんな輩にただ従っていいものかと思ってね」

 

 私は思わず、オプのほうを振り返り、その顔を見つめた。やっこさんは世間の酸いも甘いも味わった、斜に構えた不敵な探偵である。気取った冷笑的態度は見せても、喜怒哀楽の生で剥き出しの感情を現すことは殆どない。だが今のオプの言葉には、隠しきれない憎しみの色がありありと出ていたのだ。私がその事実に気づいたことに、表情から向こうも気づいたらしく、慌てて咳払いをひとつし、辺りの様子を探るように視線をそらした。……私も敢えて問い咎めるようなことは避け、同じように周りの様子を観察する。ガンマンだの探偵だのを生業とする連中の過去が真っ当である訳もなく、そこに迂闊に触れれば、多くの場合火傷程度では済まないのだから。

 

 エアリアルと呼ばれた女を追っていた時も思ったが、ここの生け垣は私の背丈よりも頭一つぶん程度大きく、まるで聳え立つ壁のようだ。私の背丈はだいたい6フィート程度だが――フランス野郎どものスケイルに合わせるのならばだいたい180センチメートルになる――それよりも大きいとなると、結構な大きさだ。

 

 それが延々と続く。青年は迷いなく歩いている様子だが、途中で既に何度も横道を曲がっていて、もう私らではもと来た道を帰ることも難しいだろう。

 

「迷宮の外にも迷宮……か」

 

 オプの言う通り、この生け垣もなかなかの迷路だ。あるいはこいつにもさっきの館同様に珍妙な魔法が仕掛けられているのだろうか。

 

 暫時、言葉もなく進めば、開けた場所に出た。

 生け垣の間の道は砂利敷であったが、ここは白い石畳が小高く盛られた土の上を覆っていて、若干高くなっている。その真中には白いクロスのかけられた長机が置かれ、周りを白いペンキで塗られた幾つもの安楽椅子が囲んでいる。

 

『……』

 

 私達から見て一番奥の安楽椅子の傍らには、エアリアルと呼ばれた美しい女が、いつのまに先回りしたものか静かに控えている。私達の姿を認めるや否や目を伏せて、黙って静かに椅子を引けば、青年はエアリアルへと杖を預け腰掛け、溜息を大きくつく。

 

『どうした? 席についたらどうだ? 遠方……いや、遥か彼方(・・・・)より来たのだろう? 疲れているだろうさ』

 

 青年に促されるも、私ら三人はまとも顔を見合わせるばかりで、ではお言葉に甘えまして、とは早々ならない。しかし他に詮方無いので、私は銃をホルスターにしまうと――無論、留め金はかけず、いつでも抜き放てるように緩く挿し込んだ――真っ先に席についた。チェネレもマウザーと拳銃嚢兼銃床(ストック・ホルスター)とを分離すると、銃床のなかへ機関拳銃を収め、側面についた金具でベルトへと引っ掛けた。

 チェネレが私の右側に座ると、オプはと言えば空いた椅子のひとつにウィンチェスター散弾銃を立て掛けつつ、青年やエアリアルからは見えぬような巧みな位置取りと手捌きで、コートの内側から小型リボルバーを取り出しつつ、私の左の椅子を自分の席に選んだ。オプが密かに取り出したのは死んだオハラの使っていたやつで、博打打ち(ギャンブラー)が良くブーツの中に忍ばせているような類のやつだ。その気になれば掌の内に巧みに隠せるが、やっこさん、それをやるつもりらしい。実に良い心がけだ。

 

 

『――それで、いかようにして我が館に来た?』

 

 

 青年は私ら三人が腰掛けたのを見るや、即座にそう問うて来た。

 

「先に、自分が誰か名乗るぐらいしたらどうだ? こちとら招かれざるとは言え客人は客人。饗すのは主の役割だろう?」

 

 私が無礼千万に問い返せば、青年は若干眉をしかめたものの、結局はその名を尊大な調子で告げた。

 

『私はプロスペロ。プロスペロ=メディオラヌム。この七門城館(スィエテ・プエタス)、ひいてはこのトラパランダ島が主である。して、貴君らは?』

 

 名乗られた以上、こちらも返す必要があるだろう。私はとりあえず、スウィートウォーターで使っているのと同じ仮初の名前を言うことにした。

 

「ジョン=アッシュだ」

「アラン=ピンカートンだよ」

 

 オプはと言えば、自分の属する探偵社の、その創業者の名前を答えていた。他の偽名を使うよりも、こっちのほうが私やチェネレに解りやすいとの配慮だろう。普段ならば自分の雇われ先を少しでも臭わせるようなものは避けるであろうから。

 

「こっちはチェネレ。故あって口がきけねぇんだ、名乗りは勘弁してやって欲しい」

 

 先にこっちからチェネレの自己紹介を済ませる。彼女はと言えば、相変わらずの考えの読めない無表情で、静かに青年、プロスペロのほうを見つめているばかりだ。

 

『アッシュ、ピンカートン、チェネレ……それがお前らの名か、まれびとどもよ。いや……』

 

 プロスペロはチェネレの顔を見つめ、その服装を見つめ、怪訝といった顔をした。

 

「いや、なんだ?」

 

 私が問うがプロスペロは答えず、暫しチェネレを見つめたあと、興味が失せたのか今度は私の方を向いて訊く。

 

『して、最初の問いにもどろう。いかにして我が館に迷い込んだ? しかして、いかにして我が館より迷い出た? この七門城館(スィエテ・プエタス)……そう易々と抜けられる造りにはなってはいないのだがな』

「……」

 

 オプに目配せすると、小さく頷いたので、私が代表してこれまでの経緯を――暈すべき部分は暈し、隠すべき部分は隠して――プロスペロへと伝える。

 私は幾度か『こちらがわ』へと来た経験を持つが、しかし今回は少々特殊で、『こちらがわ』の住人らしき者共が私達の側へとやってきて色々とやらかしていたらしいこと、その連中とすったもんだあった末に、この館へと跳ばされて来たのだということ。だいたいそんなことをプロスペロへと伝えた。……スツルーム云々の話は隠した。この青年が連中と繋がりのある輩でないと限らない(フラーヤのことを思い返せ)。

 

『……ふむ。なるほど』

 

 プロスペロは、こめかみを指先でトントンと叩きながら、頷く。その目の前には、いつのまにやら湯気を放つ茶状の飲み物が、陶器らしい器に注がれ置かれている。どうでも良いが、仮にも客たる私らには何も出されてはいない。だがやっこさん、器には手もつけず、相変わらずこめかみを指先でトントンと叩き続けている。どうも聞いた内容を整理しているらしい。暫時黙して考えをまとめて、私達を改めて見つめる。

 

『お前らの武器……“(ガン)”と言ったか、恐らくは魔導式火箭槍(ランツァ・デ・フエゴ)の類とは思うが……』

 

 その瞳に宿る、一種狂気的輝きに、私は見覚えがあった。

 アラマの眼にもあったのと同じ、素晴らしい狂気。

 

『是非とも……見たいものだが、実際に使っている所を』

 

 恐らくはやっこさんの言う魔導式火箭槍(ランツァ・デ・フエゴ)とやらと見比べたいのだろうが、その瞳の輝きがどうにも気にかかって、無下にも断れない心情になってくる。この私の想いは、オプにもチェネレにも解らないものだろう。

 

「生憎と、簡単にお見せできるもんじゃ――」

「――お目にかけようかい?」

 

 だからこそ私は、オプの言葉を遮って、このように言ったのだ。

 言うと同時に、私はウェブリーを抜き放とうとして――その手を腹の方へと回し、コルト・ネービーの銃把へとのばした。机の下で器用に抜き放ち、机の下でそこに眼があるかのように狙いを定める。

 

 撃鉄を起こし、引き金を弾く。

 

『きゃあっ!?』

 

 銃弾は机を裏側から貫き、陶器の器を撃ち抜き砕き、テーブルクロスを中身で汚し染めてなお走り、エアリアルが抱えるように持っていたプロスペロの杖の、その先端の不気味な怪物の像の頭を吹き飛ばした。美しい女は鈴の音のような声で可愛らしく悲鳴を上げると、驚きの余りかその場に座り込む。

 

『――』

 

 プロスペロは立ち上がる素振りを見せたが、直ぐに動きを止める。原理は解らずとも、私の鳴らした撃鉄の音が、次なる一射に繋がるものと直感的に理解したのだろう。

 私はニヤリと微笑み、犬歯を剥き出しにすれば、いまだ紫煙吐くコルトを、36口径の殺し屋を机下より顕にし、テーブルの上に置いた。火薬特有の臭いが、私達の周囲にくゆる。

 

「お望み通り、お目にかけたぜ」

『……』

 

 私が窺いつつ言えば、プロスペロは黙して視線を返す。

 鳶色の瞳にうつる素晴らしい狂気は、一層その輝きを増していた。

 

『面白いな、その玩具は』

 

 表情の動きは少なく、声色も平淡に聞こえるが、しかしチェネレの木石が如き有様に馴れた私には、その裏にある好奇と喜悦はあからさまだった。

 

『報酬も出そう。その玩具でひと仕事、引き受けてみる気はないか?』

「標的は? それによりけりだぜ」

 

 まれびとがこちら側に喚ばれる時、それは何か仕事がある時だ。

 今回は些か変則的ではあるが、その基本的なルールには恐らく変わりはあるまい。

 

 故に問う。私の狙うべき相手の名を。

 美しき青年は答える。

 

『我が妹にして我が仇……我をこの地へと追放せしもの、我が妹アントニア。我は狙われ、我は狙う。骨肉相食む間柄なれば』

 

 血を分けた兄妹の名を。

 しかして私は――。

 

 

 

 



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第9話 永遠の相のもとに

 

 

 

(われ)は言ふ「預言者よ、凶精よ、しかはあれ(われ)が預言者よ。(とり)にまれはた、妖異にまれ、人界をたち(おほ)ふ上天に是を誓ひ、われ等両個(ふたり)是を崇拝するかの神位に祈誓(うけ)ひて是を申す、哀傷(かなしび)(にな)へるこの(たま)は、(はる)かなる埃田(エデン)神苑に(おい)て、天人の黎椰亜(リノア)と呼べる嬋娟(まぐわ)しの稀世(きぜい)女交女(をとめ)これを()べき()、天人の黎椰亜(リノア)と呼べる嬋娟(まぐわ)しの稀世(きぜい)女交女(をとめ)これを()べき()。」大鴉いらへぬ「またとなけめ。」』

 

 ――エドガー=アラン=ポー『大鴉』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――『“永遠の相のもとに(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)”、考えてみようじゃないか』

 

 

 それが、リノア先生の口癖で、事あるごとにその言い回しを引用しては諳んじてみせた。『SUB SPECIE AETERNITATIS』……それはベント=デスピノーザなる彼方の地の偉大なる学者の言葉に由来するのだと、彼女は教えてくれたんだ。

 

『“(プネウマ)は己が好むところに吹く、汝その聲を聞けども、何処より来たり何処へ往くを知らず。すべて(プネウマ)によりて生るる者も斯くのごとし”……ならばその風な何者が何処より吹き下ろしモノであるか、実にそれが問題だ』

 

 天帝教の経文からの更なる引用なども交えながら、リノア先生は半ば自問自答するようにおれに問いかけた。

 

『この世界には、人間(オム)であれ長耳(エルフ)であれ豕喙人(オーク)であれ犬狼人(コボルト)であれ土侏儒(ドワーフ)であれ蛇人間(ヴァルシアン)であれ蜥蜴人(レプティリアン)であれ、禽獣草木、鳥獣虫魚、魑魅魍魎……あるいは精霊(アガトス)であれ邪霊(ダイモン)であれ、自然非自然に関わらず、あらゆる生きとし生けざるものどもに溢れている。だが――それらはどこから来た? それらは何者だ? それらはどこへ行くのだ? 実にそれが問題だ』

 

 今でも瞼を閉ざせば、その裏側にありありと映し出されてくるのは、リノア先生の研究室――サルマンティカの町並みに紛れるように在った薔薇十字会大学の学舎の一室、狭くとも風通しの良い角部屋の有様。もとより猫の額程度の寸法なのに、所狭しと羊皮紙の写本なり四つ折りの印刷本なりが積まれ列なし、身を落ち着けられるのは革張りの椅子二脚に書き物机が置かれている周辺程度だった。しかし当の書き物机の上はと言えば、部屋の有様同様に雑然混沌としていて、あらゆるモノが並べられ重ねられている。白亜なる女神パラスの胸像、大振り小振り一組な黄金懐中時計、白銀製の天球儀、銅製のアストロラーベ、鉄で拵えられた骨式計算棒(ラブドロジー)、石の骰子、羽ペン、インク壺……ああ何もかもが思い出の中では明瞭で、変わりない。その変わりのなさに、追想で胸が潰れそうになる。

 

『全ては“一なるもの(ト・ヘン)”より流出した果てか、はたまた死に比する程の深く永い眠りの下にある旧く大いなるもの(モノロス・プリミヘニオ)の一睡の夢に過ぎぬのか、あるいは神即ち自然(デウス・スィヴェ・ナトゥーラ)――尽きぬ真砂の一粒にも、凡そ宿る星の精なのか。実にそれが問題だ』

 

 リノア先生は古の逍遥学派(ペリパティティコ)みたいに、狭い部屋のなかをぐるぐる廻りながら、掌を指をくるくると廻し、問いに問いを重ね論議を廻していた。

 

『――いずれにせよ、だ』

 

 彼女の歩みに合わせて、その麗しく艷やかで、素晴らしく黒く長い髪が揺れる。

 紫水晶のように輝く瞳の色は深く、魂が吸い込まれそうなほどだが、そんな眼がおれを見つめてくる。

 

『全ては“永遠の相のもとに(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)”あるのだけは確かなることであり、つまり君と私の出会いを含め、全ては必然であり、偶然などあり得ない。なるほど、万物は流転する(タ・パンタ・レイ)やもしれぬが、されどそれはただ無意味に流れる水には非ず……幾万レグアを隔てて、蝶の羽ばたきは嵐へと変ずる。絡繰り仕掛けの如くに、噛み合う歯車が如くに、精妙なる機械な如くにこの世界は在る』

 

 声は黄金の竪琴の鳴るようで、紡がれる言葉は難解なる引用の洪水で、正直、学を衒うようですらあるが、これは実はわざとだ。学のないおれを煙に巻いてからかって、もっと勉強しろよと暗に煽っていたのだと、今ならば理解することができている(当時は、ただただ圧倒されるばかりだった)。なぜ彼女はおれを弟子にとったのだろう。今となっては全ては謎のままで、明かされることもまた、またとなけめ、だ。

 

『“永遠の相のもとに(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)”我らは出会った。真実は井戸の底にあって窺えぬやもしれぬが、しかし確かにそれは在るのだ。例えこの現世(うつしよ)が彼岸にある真なるモノ(アルケー)の影に過ぎぬとも、全てはただ此世の理(ロゴス)のままに、必ずと確かに動くのだ』

 

 考えも見通しもなく故郷を飛び出したおれ、サルマンティカの街角に行き倒れかけていたおれを、何故か拾って徒弟としてくれたリノア先生。彼女の耳に心地よい声を思い出すたびに、おれは思う。嗚呼、先生。先生の仰ることが此世の真理なのだとしたら――。

 

 

 

 

 

 ――先生が殺されたのも必然だったのですか、と。

 

 

 

 

 

 今も忘れがたい、深い深い赤。

 鳴り響く雷鳴、暗い部屋を照らす稲光。

 飛び散った血に染まる、白銀製の天球儀。

 そして、深々と胸の間に白刃を突き立てられ、事切れている。

 知性に溢れた紫眼は、再び輝くことなど、またとなけめ。

 

 そしておれは見た。

 死せる先生の傍らに、影のように佇む、あの『鎧の男』。

 庇の広い黒帽子、ケープ付きの黒外套、その下に着込まれた胸甲、鳥の嘴めいた奇妙な意匠の面甲を備えた兜。忌まわしくも恨めしい、我が怨敵にして仇敵たる『鎧の男』。鴉のような黒い姿で、床に転がった白亜なる女神パラスの胸像を踏みつけている。

 

 

 おれのそれからの人生は、ただヤツを追うためにあった。

 

 

 嗚呼、先生。リノア先生。

 何度も何度も、限りなく問うてしまうのです。

 貴女の死は、貴女のいうように、必然だったのですか、と。

 

 その答えが返ってくることだけは、されど、またとなけめ。

 

 またとなけめ。

 

 またとなけめ。

 

 またとなけめ。

 

 またとなけめ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――狂おしいほど愛おしく、胸破る程におぞましい、そんな追想より目覚める。

 気がつけば、転寝してしまっていたらしい。普段ならば欠伸をひとつ、伸びをひとつほどして眼を覚ます所だが、そんなことをするまでもなく、意識は実に醒めていた。何故かって? そりゃあねぇ……。

 

 

「青褪めた馬に乗りたる、我らが死神殿は実に余裕綽々でありんすな。かような危うき船に揺られながら、滾々(こんこん)と寝入ってしまうとは」

 

 

 ……寝覚めにこんな女の顔を見せられたら、嫌でも眠気なんぞ吹き飛んでしまうさ。ニヤニヤと、例の嫌らしい笑みを添えて、おれの顔を覗き込み、揶揄するように言ったのは、魔女アルカボンヌ=プレトリウスだったんだから。

 

 おれは舌打ちをしつつで、掌を払って魔女に去るように促しつつ、立ち上がって辺りを見渡した。

 

 相変わらずのことだが、身に纏わり付く、乳が如き濃く白い霧に覆われる中を、ノストローモ号は緩やかに進んでいる。いつぞやのウェンティゴ憑きどもに襲われて以来、小休止とでも言うべか、揉め事も切った張ったも無く平穏無事に奥地へ奥地へと距離を稼いでいた。ゴーレムもパラシオス師の修理を受けて実に快調で、動きにもまるで淀みはない。フィエロの爪弾くギターの音色も、その等間隔なリズムが、実に眠気を誘う。――荒事用の雇われ者としちゃ、寝惚けてたことは実に不覚千万ではある。ましてや、そのことをこの魔女めに嗤われたとあれば、いよいよ口惜しく、腹立たしい。

 

「まぁわらわが歩み寄るや否や、即座に瞼をサッと上げる所などは、流石はかのリノア女史の内弟子、流石は腕利きの賞金稼ぎでありんす」

 

 

 ……ああなるほど。どうりで、『途中で終わった』訳だ。

 

 

 あの懐かしい悪夢を見るのは今度が初めてじゃない。だから解るが、あの夢には続きがあって、おれはあの『鎧の男』が去り際に吐き捨てた言葉を、何度と無く聞かされたんだ。一字一句、全て諳んじることすらできる、あの言葉。それが今度の場合はなかったのは、賞金稼ぎの習性ってやつなのか、この魔女めが近づいてきただけでおれは、脳裏にこびり付いた悪夢すらからも瞬時に目覚めた為だろう。

 

「それで? なんか用かよ?」

「舳先の見張りの交代でありんす」

 

 ツッケンドンに問うたのだが、返ってきたのは相変わらず、人を喰った調子の猫撫声だった。この女の言う通り、そろそろ自分の番が回ってきたことを、取り出した『懐中時計』の文字盤が教えてくれた。一介の賞金稼ぎ風情が持つのには上等過ぎる、黄金に輝く懐中時計。大振りなそいつの蓋を開くと天文を象った複雑な文字盤が顔を出し、絡繰りじかけで自風琴(オルゴール)が鳴り響く。その調べにのって、太陽が、月が、星辰が各々動き出す。

 

「中々に乙な調べでありんす」

「そう思うか?」

 

 おれは時計の蓋を閉じ、音楽を止めながら問えば、アルカボンヌはわざとらしく大仰に頷くので言ってやった。

 

「もしテメェがこの曲を聞いて、もしもその調べを知っているような面を見せていたなら、おれはすかさず魔弾を撃ち込んでいた所だぜ」

 

 

 今やこの調べを知るものは――いや、この時計を持つものそのものが、おれの外にはまたとない。何故ならこの懐中時計は、リノア先生が生前、知己の占星術師にして錬金術師である男が、先生の注文通りに拵えた代物であって、此世にはまたとない一品なのだ。曲そのものも、リノア先生自身が自分で譜面を書いたものだから、蓋を開く以外に聞く方法もまた、またとない。

 

 

 ただひとつの例外を除いて。

 

 

「この曲を聞き知っている者……そいつをおれは殺さなきゃいけねぇんだよ」

 

 

 

 何故ならば、ソイツは持っているはずだからだ。この懐中時計の片割れ、小振りな一方。文字盤には天文図の代わりに暦表が描かれたアレにもまた、同じようなオルゴール仕掛けが施され、蓋を開けば同じ曲が鳴るようになっている。あの日、先生が殺された日、何故か『鎧の男』は懐中時計の片割れを持ち去った。当然、やつはこの調べを聞いている筈だ。ならば蓋を開けば解るはずだ。あの『鎧の男』――あの奇怪な兜の内側に潜む輩が何者であるか。

 

 ならばこそ“永遠の相のもとに(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)”――またとなき調べに導かれ、おれたちは再び巡り合うだろう。その時こそが、野郎の死ぬときだ。

 

「だから、せいぜい気をつけて拝聴するこったな」

 

 おれは言い捨てると、魔女めの横を素通りして、ノストローモ号の舳先へと向かおうとした。向かおうとした所で、足を止めざるを得なかった。

 

「“天使の眼”ドウグラス=モウタイメル殿は息災かや?」

「!?」

 

 おれは振り向きざまに鋼輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)を引き抜き、アルカボンヌに突きつけようとした。しかし魔女めは既に間合いを詰め、互いの鼻の先が触れ合うような所に、その顔があった。リノア先生と同じ紫色の瞳が、まっすぐにおれを覗き込んでくる。

 

「かの禿鷹殿は我ら薔薇十字大学が学徒にて、自然魔術(マギア・ナトアリス)を習いたる者共の中にあっては著名――せいぜい、誤った的を撃たぬよう注意するこってありんす」

 

 禿鷹、というのは懐中時計を作った占星術師にして錬金術師である男、“天使の眼”とも喚ばれるドウグラス=モウタイメルのことを、リノア先生が密かに呼んでいた渾名だった。

 

「テメェは……テメェはどこまで知って」

「んふふ……ふふふふふふ」

 

 愉快愉快と下卑た笑みを浮かべながら、早い足で一足飛びに跳び退くとくるくる廻りながら、霧の向こうに行ってしまった。おれは追おうとして……止めた。魔女を追ってどうになろうさ。それは影を追いかけるようなモンだ。

 

「――ちっ」

 

 おれは舳先に改めて向かいながら、そんな影みたいな相手から、いかにして自分に必要な諸々を聞き出すか――そんなことを考えるうち、ふとあることに思い至って、思わず舌打ちし唾を吐き捨てた。あの魔女めの瞳、リノア先生と同じ色と輝きを宿していた。なるほど、それが、それこそが、おれがあの女のことが気に食わない根っこなる理由だったか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胸糞悪さを掲げて舳先へとやって来たおれは、舳先にいたクルスの姿を見るやいなや気持ちを切り替え、肩に負ったエンフィールドを下ろし携えた。霧のなかでもハッキリと、やっこさんが自慢の大刀(ファコン)、例のサーベルのように長い刃渡りの、U字型の鋼鍔のついた特徴的なドスをぶら下げているのが、ハッキリと見えたからだ。『黒い蟻(オルミガ・ネグラ)』の二つ名の由来たる黒い毛並みは、霧も相まっていよいよ幽鬼みたいだった。

 

「なンか見えるか? いや、臭う(・・)のか?」

「……まァな」

 

 おれが問いかけるとやっこさん、珍しく返事を寄越した。もう既に、それなりに長い日数を同じ船に乗って旅する間柄だが、こいつと相棒のフィエロとは殆どマトモな会話を交わした記憶がない。まぁおれ自身、オーク野郎や、それと仲良くしてるコボルト野郎と仲良くする気は全く、全然、さらさら、これっぽっちも無いのだが、しかし仕事となれば話は別さ。鼻のいいコボルトが何かを嗅ぎ取ったとなりゃあ、この白く烟って見えざる先に、何某かが待ち受けているのは間違いない。

 

「……」

 

 静かに、エンフィールドの撃鉄を起こす。何者が、いや何物が待とうとも、もし敵ならば出会い頭にこいつを叩き込んでやらなきゃいけない。

 

「……ん?」

 

 じきに、おれの良く聞こえる耳にも、確かのその音が近づいてくるのが解った。

 櫓が水を切り、小さな船が川面を割って進む音が――。

 

 

 

 おれとクルスはそれぞれの得物を構えた。

 

 

 

 霧の彼方に見えた光、恐らくはカンテラの灯りを伴って、誰かがこっちへと近づいてくる。

 小さな船、せいぜい三、四人程度しか乗れないであろうボート。櫓を操る者がひとり、そして、舳先に灯火を掲げる者ひとり。

 

「――ようこそ異邦人」

 

 その委細が見分けられる程度の間合いに来るや、向こうのほうからそう声がかかった。

 

「待ちかねていたよ、君たちがやって来るのを」

 

 手にした灯りの火よりもなお黄色い、衣装に身を包んだ老紳士は、そう言うとおれたちに笑いかけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 




冒頭の引用は日夏耿之介氏の訳(出典は東雅夫:編『ゴシック文学神髄』)に拠りました。


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第10話 黄衣の紳士

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ほれ、どうした。喰え喰え喰らえ』

 

 テーブルの上に、これ見よがしに拡がれた、鍋、皿、鉢、盃の数々。

 それらの中には、ぎっしりと、ぎゅうぎゅうに、色とりどりの料理が詰め込まれている。黄色く炊かれた米には鶏肉がこれでもかと載せられ、鍋は白葡萄酒で蒸された黒い殻の二枚貝で一杯で、これら以外には角付きウサギ(ジャッカロープ)の丸焼きに、炙られた塩漬けの魚、山盛りの香草、血入りの豚肉腸詰め、大海獣(ケートス)のベーコン、赤く煮られた豆、そして澄んだ湧き水に赤白の葡萄酒……改めて、目をしばたたかせて、食い入るように現実離れした光景に現を抜かす。

 

『歓迎の祝さ。今夜はたんと喰い給え。――明日からは粗食でこき使わせてもらうがね』

 

 紫の瞳はいたずらっぽく輝き、美しい口元は三日月のような弧を描いて、そこからカラカラと軽やかな笑い声が飛び出てくる。おれは彼女の軽口に応じる余裕すらない。腹が裂けるほどに、たらふく喰う――そんな贅沢は、滅多に味わえるもんじゃない。せいぜい村の祭りの時ぐらいのもので、故郷を飛び出して以来、食うや食わずの日々を送っていたおれにとって、これほどの御馳走は眼に毒なほどだった。

 

『……どうした? 要らないのなら私が貰うぞ?』

 

 おれは引き金を弾かれたように飛びつき、貪ろるように喰った。ナイフだのフォークだの、その手の代物は使ったことは愚かマトモに見たこともなく――そんなおれでも匙だけは使ったことがあったが、テーブルの上にあるような銀色に輝く金属製ではなく木のスプーンだった――、素手で皿の上の御馳走に掴みかかり、そのままガブリついた。脇目も振らず、大海獣(ケートス)のベーコンに齧りつき、赤く煮られた豆を喉へと流し込み、山盛りの香草を合間にそこそこ挟みつつ、角付きウサギ(ジャッカロープ)の丸焼きは骨までしゃぶり尽くした。

 

 ふと、視線を料理から外せば、対座するリノア先生が完璧な所作で、鶏肉の載った黄色く炊かれた米を平鍋より椀へとよそって、事実に上品に匙で口へと運んでいるのが見えた。おれはおれの両手を見つめる。色んなソースと食材とが混ざり合って、まだら模様になった指、それらが詰まって黒色に変じた爪。……己の下品さと浅ましさに、恥ずかしくていたたまれなくなる。

 

『いいさ、焦ることはない』

 

 彼女はそんな私に優しげに微笑みながら、こう告げたのだ。

 

『ゆっくり学んでいけばいいさ、時間だけはたっぷりとあるのだから』

 

 ――残念ながら、時間すらたっぷりとは、ありはしなかった。

 だが、僅かな間であったとしても、おれは彼女から色々と学んだんだ。

 

 そう、例えば。

 

 

「エゼル殿――いかがなされたか?」

 

 

 この手の宴の際の、食事の作法とか。

 

 

「――いや、なんでもねぇよ」

 

 

 おれは黄衣の老紳士に、葡萄酒が波々と継がれた硝子杯をかざしながら応えた。恐らくは酒のせいだろう、若干の間、意識が過去へと飛んでいたらしい。仕事中は飲まないのがルールだが、招かれて注がれた酒に手を付けないのも無作法だ。だから飲むフリだけ見せて、僅かに唇を湿らせた。

 

「それで? 何の話だったか」

「エゼル殿がエルベル=オエステなる死体蘇生者の賞金首を、地下墓地に追い詰めた件ですよ」

「ああ、そうだった。あの屍術師の最後なんて傑作だったゼ。なんせ、自分で蘇らせた連中に八つ裂きにされてだな――」

 

 聴衆に受けが良くなるようにと、内容を脚色し、捏ね造り拵え盛りまくった手柄話を吹聴しながらも、おれは右斜め向かい――いちばん良い上座席に座った、賓客たるアントニアの席の隣――に座った老人、この館の主たる男にそれとなく視線を送り、警戒を解くこともなく観察を続ける。

 

 

 

 ――ロベルト=アンブロジオ=アストゥル。

 

 

 

 霧の中から、突如として出現したこの老人は、そういうふうに名乗った。

 都会風で庇の狭い帽子、首に巻いたネッカチーフ、チョッキに上着、そしてズボンに靴……黒いシャツと以外はことごとくが黄色い。頭頂から爪先までを漏れなく黄色い装束で覆った、異形の老人である。鶴みたいに細長い体躯の持ち主で、形よく整えられたヒゲに覆われた口からは、奇妙に甲高い、まるで狭い谷間を吹き抜ける風みたいな声が飛び出してくる。その双眸を蔽う緑色の丸い色眼鏡も相まって、対面する者をどこか不安にさせる所のある怪人物だった。

 

 

 

『我が館が食客たる、占星術師(マゴス)の見立ての通りだ。待ちかねたよ異邦人、久方ぶりの、まっとうな(・・・・・)来訪者だ』

 

 

 

 アストゥルなる老人はにそう告げると、大河の支流が流れ込むハリ湖――えらく水色が濃く、殆ど黒と言って良い暗さで、底はまるで見えない――のほとり、カルコッサなる地へとおれたちをいざなった。

 

 こんな内乱に咽び泣く地には似つかわしくない、色の好みはともかく完璧な礼装をした紳士――つまりは御大尽のお出迎えだ。見知らぬ地を旅する者ならば、地元の有力者の誘いを無視する不作法はあり得ない。ノストローモ号は老紳士を船に上げ、小舟をひいて支流を下った。

 

 果たしておれたちは信じがたきもの見た。

 湖畔に佇むその館――やはり黄色い館であった――は、あり得ざる程に整然たる様を保っていたのだ。

 

 そしておれたちは今、やっこさんの屋敷で晩餐をとっている。輝き石の柔らかい光に照らされて、おれたちは細長いテーブルを囲み、こんな内乱に呻きのたうつ深紅の大地では、お目にかかれるとも思わなかった御馳走を囲んでいる。山盛りの炙り肉(アサード)パン生地包み揚げ(エンパナーダ)、溢れんばかりの牛肉のトマト煮込みソースをかけた大皿いっぱいの馬鈴薯団子(ニョキス)……塩っ辛い保存食か干し肉か、豆ばかり食べてきたここ数日のことを思えば、双眸や臓腑の毒になりそうな豪勢さだ。

 

 おれは切りの良い所で話を区切ると、炙り肉を一切れとって、ナイフとフォークで食べる。食べつつ、改めて晩餐を囲んだ面子をそれとなく観察する。

 

 扇子で口元を覆いつつ、お上品に黄衣の老人アストゥルと談笑するアントニア。普段の傲慢さはどこへいったのやら、流石は大荘園(エスタンシア)の領主様といったところか――まぁその地位も叔父どもに脅かされて暫定的なものにすぎねぇんだがね。

 パラシオス師にアルカボンヌは、アストゥルの隣と斜め向かいに座り、こういう席には慣れているのか、他に席についてる連中、アストゥルの館の住人たちとそつなく話しいる。おれはと言えば一番下座について、そういう連中の様子を眺めてるって訳だ。なお、リザードマン用心棒のエステバンは念の為にとノストローモ号に残り、アントニアの『息子』で騎兵上がりのフェルナンと、メイドのトリンキュラは静かにアントニアの背後に控えている。では、フィエロにクルスのガウチョ二人はどうかと言えば――。

 

 

 ――ギターの調べ、唱和するバイオリンの響き。

 

 

 どこからともなく聞こえてくる音色は、不本意ながら、宴に華を添えてくれると言わざるを得ない。だが、当人たちの姿はこの食堂の中にはない。筋金入りのガウチョである連中には、屋根の下で優雅な晩餐を上品にとるなんて考えは毛ほどもないのだ。各々蒸留酒(ジン)をひと瓶ずつ、それと炙り肉(アサード)を皿一杯に貰うと、さっさと館の庭へと出ていってしまった。恐らくは宵の無聊の慰みに、楽器を奏でているのだろう。それにしても意外なのは、パジャドールたるフィエロは当然としても、クルスの野郎にもバイオリンの嗜みがあったことだ。それも腕前も中々のもので、時々聞き入ってしまって我ながら憮然となる。

 

「いやはや、それにしても見事な腕前。どうせなら中に上がればいいものを」

「全くですな。しかし彼らはガウチョですからな」

 

 どちらも気取った鼻にかかった声で相次ぎ言ったのはこの館の住人たち、占星術師ベイロイスに夢占師ロバルディだ。館の主たるアストゥル曰く、この館が異様なる安寧を保っているのは、ひとえにこの連中のお陰とのことだった。

 

「ルドヴィグ=プリンの方程式、ナコト式の五角形……それに、カルデア人の知恵に拠りし星占いとアルテミドロスの流儀にもとづく夢判断とを加えれば、かなりの精度で未来を覗き見、迫りくる危機を避けうるのだよ」

 

 ――とは、アストゥルの弁。その話っぷりから察するに、恐らくはこの老人自身が魔導に通じているとみて間違いはない。匪賊偸盗魑魅魍魎(ひぞくちゅうとうちみもうりょう)瀰漫猖獗跳梁跋扈(びまんしょうけつちょうりょうばっこ)するこのバンダ・オリエンタルにあって、この黄色い紳士の館は不自然なほどの安穏を保っているのだから。

 

 この優雅な晩餐は飽くまで一例に過ぎない。

 

 館を取り囲む、定規で引いたように整えられた生け垣。『イペー・アマレーロ』の木――やはり黄色い花を咲かせる――が咲き乱れる庭園。黄色い漆喰に、やはり黄味がかった屋根瓦には欠け一つない完璧な佇まいで、どうしてここが内乱に咽び泣く深紅の大地のど真ん中だと信じられよう。当人の言う所によれば、アストゥル老人は平々凡々な一地主に過ぎないということだが、いかんせん、どうにも信用がならねぇぜ。

 

「――時に、アストゥル様」

 

 おれら客人と館の住人たちは、それでも和やかに飲み食らい、実に宴はたけなわとなった。その、最中だった。出し抜けに、アントニアが問いかけたのだ。

 

「トラパランダ島、あるいは、プロスペロ=“コンセリェイロ”=メディオラヌム――この名前に聞き覚えはございます?」

 

 あからさますぎて、一種芸術的なほどに、空気が凍りつく。占星術師ベイロイスに夢占師ロバルディのふたりは顔を見合わせ、黄衣の老人アストゥルはわざとらしい咳払いをする。

 

「……はて、近頃、めっきり耳が遠くなりましてな。もう一度おっしゃって頂きたい」

「いえ。大したことはございませんのよ。ごめんあそばせ。それより、この館は実に見事で――」

 

 アントニアは扇子で口元を隠しつつ、当たり障りのない話題へと展じた。

 しかし、おれも、アントニアも、パラシオス師も、アルカボンヌも、恐らくはフェルナンとトリンキュラも、おれたち一行全員は確信したのだ。この館には『なにかある』、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「部屋の前で、寝ずの番をしなさいな」

「お守りも報酬のうちに入ってるのかい?」

 

 アントニアはおれの軽口に対し、ピシャリと扇子を我が手に叩きつける仕草で応じた。余計な口を叩くなという意味なのは明らかだ。

 

「もし――」

 

 アントニアは口元を再び開いた扇子で覆いつつ、お嬢様はズイとおれのほうへと身を寄せてきた。金髪の巻毛、豊かな胸がゆさと揺れる。

 

「気づいているのでしょう?」

「……まぁね」

 

 余りに色々と不自然で、余りに色々と不可思議だ。

 あの老人は本当は何者で、一体全体何が目的なのか。何のためのにおれたちを歓待したのか――当人曰く、久方ぶりにお目にかかった真っ当な人間だからだそうだが――胡散臭いにも程がある。

 

「寝室ではフェルナンとトリンキュラに見張らせますわ。あなたは扉の前に控えていてくださいな」

 

 おれたちは老アストゥルの申し出に従って、館で一泊することになった。随分とマトモな寝床で寝ていないから、実に魅力的な提案で、断る理由も見つからない。パラシオス師とアルカボンヌにも、それぞれ一室が割り当てられ、実に気前がいい。

 

 かといって、油断はできず、用心は欠かせない。

 ここは、バンダ・オリエンタルなのだから。

 

「……追加報酬をいただけるので?」

「見くびらないでくださらない?」

 

 アントニアは、胸の谷間よりエスクード金貨を一枚取り出すと、投げ渡してくる。

 

「承りましたぜ、お嬢さん」

 

 そいつを受け取ると、おれはおどけて礼をひとつ。

 アントニアは扇子の向こうで鼻を鳴らし、割り当てられた部屋へと消えた。

 おれは扉に背を預け座り込むと、鋼輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)の手入れを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――不意に、目が覚めた。

 寝ずの番のはずが、いつのまに眠りに落ちたのだろう。不甲斐ない事実に毒づき、立ち上がって辺りを見渡した時、おれは言葉を失い、呆然とした。

 

 残酷なまでに深く黒い夜空。

 そこに怪しく輝く星々。

 延々と続く灰色の荒野。

 そびえ立つ捻れた円柱の数々。

 

 そして、おれを見下ろす、黄衣の怪人。

 おれの身の丈3つ分ほどの巨躯を持ったソイツは、全身を黄色いトーガで覆い、頭巾をかぶっていて、その顔は陰となっていて窺い知れない。

 

 その怪人は、唖然としているおれに、名状しがたい声で話しかけてきたのだ。

 

 

『よく来た来訪者。お前に会いたかったのだ』

 

 

 と。

 

 

 

 

 



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第11話 永劫なる彼方より

 

 

 

 

 

 

 

 

『この天地の間にはな……まるで人智の思いも及ばぬモノがあるのだ / There are more things in heaven and earth……Than are dreamt of in your philosophy』

 

 ――ウィリアム=シェークスピア『ハムレット』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よく来た来訪者。お前に会いたかったのだ』

 

 顔の無い黄衣の巨人が見下ろし、そう声をかけてくるや否や、おれは即座に懐へと手を伸ばした。指先に確かにある、我が愛しの『戦いの棘』――エルフは片刃短剣(サクス)のことを時にそう呼ぶ――の柄の感触に、ほんのちょっぴりだけ安堵するが、それはもう髪の毛の先程のほんのちょっぴりだ。なにせ『ここ』ではエンフィールド・ライフルも鋼輪点火式短銃(ホイールロック・ピストル)も頼りにはならない。常に肌身離さず持ち歩いている筈の得物たちが、今や影も形もないんだから。

 

 ――当然だ。なにせここは『夢の中(・・・)』だ。

 それも、これはおれの夢じゃない。おれの紡ぎ出す夢が、こんな景色であるわけもない。

 

 心胆寒からしめる異様な色を放つ星々が、底しれぬ深淵の闇の向こうから、凍りつくような冷たい光で見下ろしてくる。殆ど灰に等しい砂漠が茫洋と広がり、彼方には反自然的角度に捻じくれた黒い柱が無数に連なっている。……こんな風景を描く手合はふたつにひとつ、イカれてるか、そもそもヒト――、人間(オム)であり長耳(エルフ)であれ豕喙人(オーク)であれ犬狼人(コボルト)であれ土侏儒(ドワーフ)であれ蛇人間(ヴァルシアン)であれ蜥蜴人(ヴァルシアン)であれ、そう呼びうる生きとし生ける者たち――を超えたるナニか(・・・・・・・)であるかだ。そして今度の場合は、後者であるのはまず、間違いねぇ所だろう。

 

 おれは確かに、アントニアから寝ずの番の仕事を請け負った。報酬はエスクード金貨であるし、何よりおれだって玄人(プロ)の端くれだ。晩餐でも酒は唇を湿らす程度にしか飲んでいないし、寝惚けるなんてことは、常ならば絶対にありえねぇ。そのおれが、しかし現にこうして寝惚けて、常ならぬ夢に迷い込んだとするならば、やっぱり、それは常ならぬモノの差し金にほかならない。

 

 要するに今、おれは(まじな)いにかけられてるってこった。恐らくは夢を通じて、こっちの意識に干渉してきてるんだろうが、今や完全に、仕掛けた野郎の術中に嵌っちまってるわけだ。

 

 

 

 ――“(いにしえ)の哲人の言うには、血と肉よりなるこの身体は、すなわち魂の牢獄だそうだが――君よ、忘るるなかれ、多くの場合、監獄とは同時に要塞だってことを、ね。”

 

 

 

 師リノアからの教えを思い出す。先生の言う通り、確かにおれたちの魂は肉体に封じ込められてはいるが、同時に肉体は魂を守る鎧の役割をも果たしている。そして眠りは、その鎧にもまた眠りをもたらす。魂は自由の身となり夢中に遊び、また時を同じくして限りなく無防備となりはてる。そこを、突かれた訳だ。

 

 

『どうした来訪者? 面食らったか? らしくもない。死神(ダス・モルテス)と言われた男であろうに』

 

 

 顔のない黄衣の巨人がかけてる言葉を無視して、おれは懐中のサクスの柄を強く掴んだ。ここは、この怪人、いや怪物が拵えた夢の世界であって、そこに引きずり込まれたおれには武器がない。夢の世界はその創り手の意のままであり、当然のように武器なんぞは、特に飛び道具なんてのは持ち込ませてくれるはずもない。

 

 ――そう、このサクスを除いて(・・・・・・・・・)は、だ。

 

 その刀身の腹に刻まれた神代文字(ルーン)は見栄えだけの飾りなどではなく、実際に霊験あらたかなのであって、この手の(まじな)いに対して一定の抗力を発揮する。例え夢のなかにあっても、おれの傍らに付き添い、身を守る上で用を成す。……さて、問題はこのサクス、どう使うかだ。

 夢に忍び込まれたり、あるいは囚われた場合に、仕掛けられた側が採るべき手はふたつ。ひとつは仕掛けてきた相手を仕留めるか、あるいは夢の中で一度死ぬかだ。それで目覚めることが出来るが、出来るならば後者の手はとりたくはない。

 命はひとつっきりであり、失われれば二度と戻っては来ない。それは、かくも魔導呪法妖術の発達したこの現世にあっても変わりはしない。だからこそ、復讐するは意味と価値を持ちうる。

 所詮は夢の中の仮初のものであろうとも、死とはそれだけ重いものであって、目覚めたところで魂の負う傷は決して浅からぬものとなる。夢より抜け出せても、気が触れていたでは笑い話にもなりゃしねぇ。

 

「……」

 

 おれは怪人の言葉に応ずることなく、ただ視線のみを向けつつ一歩一歩、歩み寄る。夢の世界であるためか、足音一つせず、地面の感触も朧気で、地の上に在るにも関わらず、まるで雲の上にでも漂っているかのようだ。距離感もおかしい。目の前の巨人との間合いが上手く掴めない。向こうが常識外れの巨体なのに加えて、周囲の奇怪なる景色は、余りに幾何学的に狂っていて、縮尺を感じ取ることすら難しい。それでもなお、間合いだけは詰め続ける。

 

 

『――いやはや、前言は翻そう死神(ダス・モルテス)よ。夢の中にあっても、お前はやはり殺し屋だ。この姿に見えてなお、懐中に匕首を忍ばせるとは』

 

 

 巨人はそう言うと、黄色いトーガ状の衣の内側から、異様に細長い腕を伸ばし、これまた奇怪に長細い指の先でおれを指す。まるで黄疸にでも侵されているか、硫黄でも塗りたくったような異様に黄色い肌は、よく見れば無数の鱗に覆われていて、その鱗と鱗の隙間には、木の幹に絡みつく蛇か蔓のように青く太い血管めいた筋が幾条も走っている。指は常軌を逸して長く、殆ど昆虫か蝦蟹の腕脚の如き有様であり、更にそれらの関節は、その全てが出鱈目な位置にてんでバラバラについていて、触手のように常に蠢いていやがる。

 

 

『だがだからこそ、お前を選んだのだ。お前にこそ、我が意を伝えるべき資格があるのだ』

 

 

 名状しがたい声――リノア先生ならばそんな風に評したかもしれない。男のようであり女のようであり、嬰児のようであり翁媼のようでもあり、それは意味ある言葉でありながら、谷間を吹き抜ける風の唸りか、はたまた彼方にあって正体も知れぬ獣の遠吠えのようでもある。少なくとも、目覚めているときはには一度たりとも耳にしたことは無い類の代物だった。……実に、実に神経に障る。夢の中であるせいか、直に魂を穢れた手で撫でられるような、そんな不快感が五体を走る。

 おれはかけられた声を無視して歩みを早め、巨人との距離を詰めようとした。しかし歩めど歩めど、間合いが狭まることはない。距離感がおかしい。何もかもが狂っている。

 

 

『されど言葉のみでは解すまい。然らば』

 

 

 大いなる怪人は、その頭を若干持ち上げた。奇妙なことに――こういう言い回しをすること自体、既に虚しく感じているが、他に評す言葉もありゃしねぇ――、やっこさんはおれのをほうを見下ろしている筈なのだが、こちらからはその面を拝むことがまるで出来ない。不自然な靄めいた闇に覆われて、なんにも見えやしないのだ。だが、野郎がその頭をほんの少しだけ持ち上げただけで、僅かだけれどその闇が薄らいだ。ぼんやりと、顔めいたものが見えたが、その瞬間に不快感は倍になっておれを襲い、魂をやすりで削られるような悪寒が五臓六腑を駆け巡る。

 

 

 あ。

 

 コイツは。

 

 マズい、ぜ。

 

 

視るがよい(・・・・・)

 

 

 その言葉と共に、無数の幻視幻影(ヴィジョン)が脳漿そのものへと叩き込まれ、おれは迷わずおのが喉をサクスで掻き切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝みてぇに流れる汗と、噴火寸前の火山めいた吐き気、吹雪にでも曝されたかのような寒気と共に、おれは目覚め、目覚めると同時に立ち上がり、肩に負ったエンフィールドを構えた。荒い息を噛み締めた歯の間から漏らしながら、銃口を左右に振って標的を探すも、既に夢は失せてここは現世、当然見当たる筈もない。

 

「――ッッッッ!」

 

 頬に額に脂汗を浮かべ、おれはエンフィールドにすがりつくようにして立膝をついた。頭の中では妖精の類が――あの手の連中は、ヒトをおちょくることにすべてを掛けている――滅茶苦茶に破鐘を叩いているみたいに、凄まじい痛みと耳鳴りがおれに襲いかかってくるが、何とか意識を手放すことだけは堪えた。……仮にここでぶっ倒れたとしたら、三日三晩は目覚めない自信があったからだ。例え夢のなかのことであろうとはいえ、おれは一度死んだのだ。死ぬほどの思いをすれば、寝込むのもいたって自然なことだ。

 

「もし?」

 

 アントニアの寝所の、その扉が開いて中からメイドのトリンキュラが顔を出し、案ずるような顔をしておれを見る。栗色のウェーブのかかった髪に、同じ色の瞳、いかにもメイドらしいエプロンドレスを纏った、可憐で可愛らしい少女であった。

 

「随分と大きな声で急に叫ばれましたので、アントニア様が何事か、と」

 

 問われて、おれは見たものを、いや、見せられた(・・・・・)ものを、否応なく思い出す。

 

 

 割れた海。

 大きく渦巻潮。

 黒く淀む空、落ちる雷霆。

 魚群に泡立つが如き水面、沖より陸に上がる魚人(・・)群。

 浮き上がった邪なる大地、聳え立ち捻じくれた金字塔、そして。

 

 

 彼方に、微かに、朧気に佇む、大いなる影。夢見るままに待ちいたる旧く大いなるもの(モノロス・プリミヘニオ)何処にても(クァド・ビクェ)何時にても(クァド・センペル)常に在りて常に在ると(クァド・アド・オムニブス)全人に信じられしもの(クレディトゥム・エスト)

 

 

 溢れ出す幻視幻影(ヴィジョン)に頭が割れそうになるのを、『あの男』譲りの鋼の意志で抑え込むと、トリンキュラをそっと優しく押して道を開けさせると、アントニアの寝室へとズケズケと踏み込む。無論無礼は承知の上、とにかく今は時間がない。“永遠の相のもとに(スブ・スペキエ・アエテルニタテイス)”――今やるべきことはひとつ。ここから一刻も早く逃げることだ。

 

「……まったく、つくづく野良犬ですわね。躾がなってない」

「生憎、こちとりゃ田舎の百姓の出なんでね」

 

 天蓋付きのベッドの上で身を起こしたアントニアは肩もあらわな姿だった。豊かな双丘も解いて乱れた髪と薄絹とにかろうじて覆われているばかりで、ほとんど裸に近かった。その艶めかしい姿には、普段ならおれでも生唾を飲み込む所だろう。だが、今のおれの喉は焦燥と憔悴に乾き、痛みすら感じるぐらいだった。

 

 しわがれた声で、おれは言った。

 

「すぐに支度してくれ。こっからズラかるぜ」

「こんな夜更けに?」

「こんな夜更けにだ」

 

 訝しげな視線で理由を問われるが、おれにはどうにも、答えようがない。だが、何者かが確かに夢を通じて介入し、おれにアレを見せたのは間違いないことだ。そしてアレは……人智の及ばぬモノであることは間違いがなく、故に表すべき言葉がおれには見つからない。語るべき言葉もないならば、あとなすべきはひとつだけ。

 

「説明は後だ。船まで急ごう。ここは直に――」

 

 

 ……――TAGN

 

 

 どこかから、奇怪な声が響いてきた時、部屋の中の空気が変わった。

 アントニアは眉を顰め、トリンキュラは落ち着きなく左右を見渡し、そして部屋の隅に亡霊のように控えていたフェルナンは、腰に帯びた剣の柄に手を伸ばしている。

 

 

 ――FHTATAGN

 

 

 ――WGAH'NAGL FHTATAGN

 

 

 ――UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN

 

 

 

 徐々に大きさを増す不気味な声は、全くもって意味不明な、聞いたことのない未知の言葉を喋っていた。奇怪なのは言葉だけでなく、その声の調子で、恐ろしく湿度に満ちた、ぴちゃぴちゃと水音のような響きを帯びている。

 

「トリンキュラ」

「はい!」

 

 アントニアがメイドに着替えを手伝わせている間に、おれは得物をホイールロックへと持ち替え、フェルナンは静かに剣を抜き放っている。

 

 

 ――SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN

 

 

 ――MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN

 

 

 ――PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN

 

 

 

 PH'NGLUI

 

 MGLW'NAFH

 

 SETEBOS

 

 UMBRIEL

 

 WGAH'NAGL

 

 FHTATAGN

 

 

 

 ひときわ大きく、その謎めいた言葉が響くのと、外へと通じる大きな両開きの窓――天井から床まで丈のあるやつ――が突き破られる。おれは迷うことなくホイールロックを向け乱入者へ、魚のような、蛙のようなその面を目掛けて、引き金を弾いた。

 

 

 



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第12話 黒潟よりのもの、言葉を覚え、呪詛を吐く

 

 

 

 

 

 

 

 

 おれはふたりの『先生』から、色んなことを習い覚えた。

 『言葉』というやつも、そのひとつだ。 

 

 田舎の百姓の出であるおれは、本来ならば一生『モノ』を知らぬままの人生を送っていただろうし、実際、それでいてあの村とその周りの狭い世界だけで生きていくのならば、何一つ問題は無かった。

 

 だがあの男と出会って外の世界を知った俺は、故郷を飛び出し、そしてリノア師と巡り合った。そして本来ならば知り得なかっただろう数々のことを学んだ。

 

 例えば――あの男は寡黙(・・)だったし、リノア師は饒舌(・・)だった。こういう言い回しも、新たに学んだことのひとつだ。

 

 リノア師は、とにかくよく喋る人であり、しかも相手を煙に巻いて誂うのを好む人だったから、その引用と婉曲、暗喩に仄めかしの洪水から真に役立つ金言を探し出すのは、まさに浜の真砂が一握の砂金を渫うような難事だったし、リノア師はそんな汲々とするおれの姿を見て愉しんでいたようだった。

 

 一方、あの男はと言うと口数の少ない男だったし、陽に灼け砂にまみれ世間に揉まれて固くなった皮膚は動きが少なく、口元は髭で覆われていたため、その表情を窺うことは難しく、異邦人らしい謎を最後まで纏っていて、交わした言葉の数もリノア師と比べればひどく少ない。

 

 けれども、だ。

 

 あの男の少ない口数の中には、ちょうど精霊達へと呼びかける呪文のように、おれの人生を左右せしめる力を持った言葉に満ちていた。

 

 

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN……。

 

 

 迫りくる異形のものどもの唱える謎めいた経文に相対するに、おれはあの男が使っていた不思議な言葉を用いた。それは同じ響きでありながら、時と場合によってその意味を変えていたが、それが飛び出すのは決まって窮地や、ここぞという場面だった。つまり、今みたいな場合にはうってつけの台詞だ。

 

 

『DUCK YOU SUCKER』

 

 

 言うやいなや、おれはホイールロックを魚あるいは蛙みたいな醜い面へと、躊躇うことなくぶっ放した。えらく離れた目と目の間、湿り帯びてヌメヌメと灯に輝く広い額へと。魔弾は遮るものもなく突き刺さり、頭蓋を砕いてその中身をぶち撒ける。意外なことに、こんな面であっても流れる血の色は赤らしく、飛び散る肉と合わさって上等な絹のカーテンを穢す。野郎窓のほうへと、手前自身で突き破った窓の方へと背中から斃れていく。

 

 だがおれは仕留めた相手の末路など見届けることもなく、続いて突っ込んできた魚面へと銃口を動かした。

 

 おれの灰色の瞳には、さっきの野郎よりも詳細に乱入者の面相が映り込む。分厚い唇は紫色を通り越して青黒く頬と顎と一緒になって前方に突き出してやがる。頭は禿げ上がって湿った光沢を帯び、塗りつぶしでもしたみてぇに異様に瞳が大きく、鼻は恐ろしく低くて殆ど無いに等しかった。ぐっしょり濡れて水の滴る襤褸から、長い爪が生え水掻き(・・・)のある両掌を突き出し、おれに掴みかかろうとする。

 

 二つ目の引き金に指を掛け、素早く引き絞る。

 

 歯輪が廻り、燧石と擦れ火花が咲く。点された火吹き粉は、銃身に込められた呪符を燃やし、その内に封じられたモノを解放する。赤い魔弾は稲妻のごとく、一瞬で宙を裂き、標的を穿つ。今度の狙い野郎の気色悪い目の玉だった。眼窩に一瞬、向こう側まで見通せる風穴が空いたが、すぐに血溜まりへと、次の瞬間には血の滝へと変わっていく。弾の切れた左のホイールロックで斃した魚面を殴り倒すと、続けて部屋へ飛び込もうとした二匹目掛けて立て続けにぶっ放す。左右それぞれに連中は斃れ、まだ無事だった大窓も枠ごと粉微塵に砕く。硝子が散らばって、続けて乗り込んでこようとしてた魚面連中がたたら踏む。

 

 おれはその隙に退がり、代わってフェルナンが前に出る。一言も口をきくこともなく、例の陰気な面に、右手に剣をぶら下げたこの男は、アントニアの『息子』であり、そして『騎兵上がり』の剣の達人だ。

 

 『騎兵上がり(・・・・・)』――特にこの部分が重要だ。

 だからこそ、やっこさんはあの少々特殊な得物を使いこなすことが出来るのだから。

 

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!!

 PH'NGLUI、MGLW'NAFH、SETEBOS、UMBRIEL、WGAH'NAGL、FHTATAGN!!!

 

 例の謎めいた経文を吼えるように唱えながら、一時止まっていた魚臭い奔流が、また動き始める。割れ窓の外に見えた、魚面の新たな一群、その先頭目掛け、フェルナンは剣を振るった。鋼仕立てのシンプルなナックルガードに、湾曲する長い刀身を持ったサーベルは、見るからに切っ先が尖そうで、コイツに斬られた日にゃタダじゃすむまい。だが、やっこさんと襲撃者どもとの間には、一太刀では到底届かない間が空いている。それでも、問題はない。この新大陸にあって、ましてや『騎兵上がり』であるのなら。先頭の魚面の不幸は、フェルナンの素性を知らなかっこと。

 

 鉈めいた蛮刀を真っ向振り上げ、全く無防備になっている野郎の喉笛に鋭い切っ先が横に走る。仰け反り、得物を取り落とし、血泡混じりの断末魔を上げながら、先頭の魚面が斃れた。後続の連中は呆気にとられ動きが止まる。何が起こったのかも解らず、どうすべきかも理解していない風だった。

 

 無論、切った張ったの最中に、敵手(あいて)が見せた間抜けな様を、見逃してやる義理などあるはずねぇ。フェルナンは更に刃を振るえば、それは鞭みたいに撓って更に二人ほど切り裂き、刻む。

 

 フェルナンが手首を捻れば刀身に纏う血を払い壁に赤い線を描きながら、元の姿へと戻る。一見すると、ただの曲剣でしかないが、つぶさに見れば刀身は等間隔に切れ目が入っているのが見える。牛追い(バケーロ)にしろ遊撃騎兵(モントネラ)にしろ、この新大陸で馬を駆る者はみな、投げ縄と鞭の使い方に長じてるもンだが、そこで拵えられたのがフェルナンの操る『鋼の縄鞭剣(ラソ・デ・アセロ)』だ。細切れ刀身を鋼線で繋いだ伸縮自在の剣は、ちょうど投げ縄や鞭と同じ要領で振るうことができる。当然、それらを操るのに熟達しているのが前提だが、もしそうなら飛び道具並みの間合いで相手を斬り伏せることができる。

 

 おれの見立てじゃ、そんな恐るべき騎兵どものなかでも、フェルナンの腕は特に卓越してやがる。流石はアントニアがわざわざ『息子』にと欲しがった剣客だ。

 

「……」

 

 幽鬼めいた佇まいで、無造作に血塗れの刃をぶらさげたフェルナンに、魚面共が一瞬後ずさり、その事実に自分たちで驚愕し、逆上して湿った雄叫びをあげる。ゴボゴボと泡立つような奇妙な響きを帯びた声を張り上げ、例の経文をまたも唱える。

 

「うるせぇよ」

 

 早合(はやごう)を使って素早く再装填したおれは、フェルナンの肩越しに二丁のホイールロックを釣瓶撃ちにする。更に四匹ほど撃ち倒せば、おれの攻撃に合わせて騎兵上がりの剣客は再び剣を鋼の鞭へと変えて風車のように振り回し、後続の連中を蹴散らしていく。

 

「退くぜ、船で会おう」

 

 おれはフェルナンへとそう言い放ち殿を頼むと、手元も見ずに再装填をしながら――まぁ、おれみたいな腕利きだから出来るこった――アントニアのほうへと目を向け、視線で逃走を促した。

 

 トリンキュラが荷物を抱えている一方で、なんとか出歩ける程度の軽装を纏ったアントニアが憮然とした顔を扇子で隠しながら、しかし小さく頷いた。動きやすいズボンにサンダル、真っ白い綿のシャツを、ボタンも半分ほどしかとめないままの姿だ。髪も結っていないし、胸元もいつもと違った形で限りなくあらわで、こんな状況でも無ければ見惚れていたかも知れない。だがその左手には、このご令嬢もまた魔導の使い手であることを示す小振りの指揮杖が握られている。自然魔術(マギア・ナトアリス)は世に偏在する精霊(アガトス)を使嗾する術ならば、当然、兵を操るが如く指揮杖は欠かせない。指揮杖は燃素(フロギストン)より成る体を持ち、殆ど不可視で時に青白く輝く精霊『愚者の火(フェゴ・ファトゥオ)』が好んで集まるという、船の帆柱を模した形をしていた。彼女がどんな術を好んで使うか、一目瞭然の指揮杖だった。

 

 あれならば、援護射撃のひとつやふたつ軽くこなせるだろう。そう判断し、おれは左側のホイールロックを帯に挿し、代わりにカットラスを抜き放つと、露払いのため真っ先に廊下へと飛び出した。

 

 廊下へと飛び出すと、玄関へと向か――えば恐らく乱入してきたあの魚面連中とまた出くわすことだろう。廊下を響く雄叫びを聞けば、エルフのおれならばその出処ぐらいすぐに解る。

 

 おれ達は裏口を目指して走り出す。寝ずの番を仰せつかる前に、念の為にと屋敷の中をぶらついて間取りを覚えておいて良かった。良い心がけだと自画自賛しておく。

 

「パラシオス師にアルカボンヌ女史はいずこに? あの者たちを探さないので?」

「やっこさんたちなら、自分の身ぐらい、自分でなんとかするだろうさ」

 

 裏口へとアントニア達を誘導しつつ、おれはそんな風に答えた。何も我が身大事で一刻も早くここから逃げ出したいからと、そんな理由で吐いた言葉ではなく、心底言葉通りに思っているだけのことだ。特にアルカボンヌは『早い足(ガンバ・セクーラ)』の二つ名を嘯き、何やら得体のしれない術を使って、現れたり消えたりする有様だから、逃げ足の方も全く問題ないだろう。

 

 その辺りはガウチョの二人組、フィエロのクルスの野郎どもも同様だ。さっきから、屋敷の外で切った張ったしてるらしい罵声怒声に加えて、魚面連中ががなりたてる呪文経文に被さるように、激しいギターの調べが聞こえてくる。

 

 フェエロだ。やっこさんは『歌唄い(パジャドール)』……こんな仕事に雇われる手合だから、当然ただの吟遊詩人なんぞであるわけもない。恐らくはあの魚面連中が何某か呪を為そうとしているのを妨害しているのだろう。クルスの短刀(ドス)捌きは言うまでもないので、やっこさんどもも心配無用だろう。

 

 ならば、おれはおれの仕事をするだけのこった。

 

「……それで? なにゆえお気づきになったのでして?」

「何が?」

「とぼけないで欲しいですわ。あの魚臭い者共が仕掛けて来るより先に感づいてなければ、ああも早くは動けませんわ」

「……」

 

 さて、何と答えたものか。

 夢で見たこと、夢に出くわした輩について詳らかに話すには、状況も悪いし時間もない。

 

「賞金稼ぎの勘ってやつさ」

「……与太話はともかく、詳しくは船に戻ってからですわね」

 

 空気の読める雇い主で助かる。今は話し合うときではないと解っているのはありがたい。

 

「それにしても、なんなんですの、あの魚臭い連中は」

「『淵のものども(ロス・プロフンドス)』だろ? 入り江だの潟だのに住んでる野蛮人の」

「そんなことは解っていますわ。問題はなんでその野蛮人共がいきなり攻め寄せてきたかですわ」

 

 淵のものども(ロス・プロフンドス)とは、今しがた襲ってきたばかりの魚人共のことで、おれはやつらについて詳しくは知らない。と、言うより、連中について詳しく知るものなど、連中自身を除けば極一部に限られているというのが本当のところだ。連中は人気のない海沿いの、常人には住むに適さぬ所に巣食い、風のうわさではこの無法と逸脱の蔓延る新大陸の地にあってすら、世の大半には受け入れがたい淫祠邪教に耽っているという話だ。だが、それをまともに確かめたやつなどいない。そもそも連中の棲む場所と言えば僻地と相場が決まっているからだ。あるいは碩学のパラシオス師ならば何か知っているかもしれないが。

 

「さぁ? あの黄色い服の爺様なら何か知ってるかもな」

「……」

 

 黄衣の老人アストゥルが実に怪しげな輩であったと感じたのはアントニアも同じであったらしく、走りながらもとっさに扇子で顔を隠すが、恐らくは思わず同意が顔に出てしまっていたことだろう。おれの方はと言えば、口先でああは言いつつも、内心気になっていたのは、夢のなかで出くわした、あの顔のない黄衣の巨人と、ヤツに見せられた幻視幻影(ヴィジョン)のこと。

 

 あそこは確かに、海を埋め尽くすほどのあの魚人どもの姿があった。

 

 飽くまで推測、というより単なる直感なのだが、ありゃあたぶん多くの幻視家が見るものと同じように、まだ先の出来事だ。だが現にここが魚人共に襲われているということは、あの見せられた景色に繋がる出来事が、もう始まってるってことなんだろうか。

 

 まぁ――知ったこっちゃない。

 あの黄色い巨人がナニモノだったか知らねぇが、その頼みを聞いてやる義理も道理もない。

 こちとら一匹狼の賞金稼ぎ、ただやるべきことと、やりたいことをやらせてもらうだけのこった。

 

「ああクソ」

 

 走りながら思わずおれが毒づいたのは、無駄に広いこの屋敷の間取りのことだ。裏口までもエラい距離がある。

 

「それにしても、館の使用人たちはどこですの? まるで出会わないのも不自然ですわ」

 

 アントニアと言う通り、既に屋敷内に乱入しているであろう魚人共を警戒しつつではあるが、ほぼ一直線に裏口目掛けて進んでいるのに、とんと使用人にも襲撃者どもにも出くわさない。耳を聾する外からの音から考えるに、既に相当な修羅場になっている筈だから、そうなると中も阿鼻叫喚の地獄絵図になってておかしくはない筈だが。

 

 まぁ、それもまた知ったこっちゃない。罠である様子もないなら、もっけの幸い、さっさと逃げさせてもらおう。

 おれはアントニアとトリンキュラを先導して小走りに進み続けた。屋敷の外では誰かが火をつけたのか窓より赤い光が差し込み、まるで血の海を駆けているかのような有様となる。だが、それとは不自然に対照的に、人気のない廊下のみが続く。

 

 そして遂に裏口までたどり着いたとき――遂に出くわしてしまった。

 

「うぉっ!?」

「きゃっ!?」

 

 唐突に殺気を感じ、不意に足を止めれば、背中に止まりきれなかったアントニアの豊かな双丘がぶつかるのを感じるが、それに色気づいている余裕も今はない。

 

 裏口の敷居を跨ぎ、入ってきた異様に大きな人影。

 そのシルエットはあからさまに魚人であり、それでいて二倍くらいの背丈がある。

 殆ど丸太のような棍棒をぶら下げた手は緑の鱗で覆われているが、蜥蜴人やリザードマンとは違う、テラテラと厭らしい湿った輝きを帯びている。

 さっきまで相対していた魚人ども……あれも相当に凶暴な面相をしていたが、今、目の前にいる野郎の顔は一層禍々しく、一層醜悪だった。

 

「――忌まわしき者共め、セテボスに逆らう愚か者共め!」

 

 その巨大な怪魚人は、いやにバカでかい声で、おれたち目掛けて吠えた。

 

「大鴉の羽で集めたあらゆる沼の毒が、貴様らに降りかからんことを!南西の風に吹かれ皮膚という皮膚を爛れさせんことを!」

 

 そして問わずともその名を名乗り、得物の棍棒を振りかぶりやがったのだった。

 

「我が名はキャリバン! 魔女シコラクスが一子! 主の命によりて貴様らを討つ!」

 

 

 

 

 



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